2014年01月17日

むむっ?

20週になった先週末に、ふなっしーの検診に行ってきました。
あ、ふなっしーってのはベビの胎児ネーム。
以前の内診でふなっしーみたいにヘッドバンキングしてたもんで(笑)
エコーで見た感じ、むむっ!?ふなっしーのお股には何やら凸が…
まだはっきりとは見えなかったけれど、どうもそんな予感がしてた私。
三姉妹で育った私には、男兄弟とか異世界すぎて想像もつきません。しぇー。
どちらで産まれてくるのか、今からワクワクドキドキ。

ちなみに、昨年末にパパの実家で胃腸炎を発症、ようやく布団から出れるようになった矢先
布団につまずいて右足薬指を人生初の骨折。
本厄の恐ろしさが身に沁みている今日この頃でございます。
本厄パねぇな。
まぁまだ歩けるのが不幸中の幸いといったところですね。
運転も大丈夫です!早く厄除け行くぞー!
image

息子近影。実家からの帰りの新幹線にて。
プリッツうめぇ。

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2013年12月20日

ご無沙汰もご無沙汰

なんと、出産報告から一回も更新してないじゃないですか。
あの時産まれた息子も、もうすぐ一歳九ヶ月。
順調に寝返り、座り、立ち、歩くようになっております。
一歳三ヶ月で断乳したものの、いまだに母ちゃんの服に手突っ込まないと寝れない甘たん。
言葉はまだ出ないですが、謎の宇宙語で色々お話してくれて、そりゃあもう可愛いですよ。
私もイライラしたり、激おこぷんぷんスティックしながら、ぼちぼち母やってます。

そしてこれ書いてる今は、第二子妊娠によるつわりの真っ最中。
前より心なしか重いような…なんせ気持ち悪くて食べられない。
断食が修行ってのがようわかる気がしますねぇ…

今のとこ2014年6月20日が予定日です。
まだ7週とかなんで、無理はしないようにとは思いつつ
パパの帰りは連日日付が変わってから。夕方から夜は疲れもあって気分も最悪です…
早く焼肉が食べたい…
とは言え、長男出産前より6キロも体重が増えてたので
今のうち落とせるところまで落としとかないとなぁ…

この記事がアップされる頃は、安定期に入っているはず。
体重もたぶん順調に戻ってるはず(笑)

スマホからの更新がやりやすくなってるので、今度からはちょくちょく書こうと思います。

ではでは☆あー腹減ってキモチワル

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2012年02月27日

ご報告

2月14日午後0時54分、3234gのベビが無事出てきてくれました(^-^)
妊娠報告したのを昨日のことのように思い出しながら、今の気持ちをブログに載せます。

予定日を3日過ぎた2月13日、のんびりと夕食。
珍しくステーキだったので、焼肉ジンクス(とうものがあるらしい。私も妊娠して知りました。)
じゃないけど、「明日産まれたりしてね」なんて母と話しながら
早めに入浴、その後23時頃に就寝しました。

2月14日午前0時30分頃、お腹の痛みで目が覚め、
1時頃から、7分間隔だけど30秒くらいの陣痛がありました。
産院に連絡するも、初産なので5分間隔くらいまで様子を見ましょうとのこと。
もうちょい寝ときたいなーと思って寝るも、ウトウト→痛みの繰返しで全然寝れない…
2時30分位に痛みが強くなってきたので、動けなくなる恐怖心もあり
再び産院に連絡。まだまだやろけど一応入院しましょうかとのことで
母を起こし、軽い食事としてパンを食べてから、歩いて産院へ向かいました。
実は我が家、産院まで徒歩10分。でも坂を下りて上っての谷越えがあるんで
ちょっと道中しんどかったりするのです。
いま考えればその時点ではまだまだ余裕だったな…
でもちょうど雨が上がって、しかも奇跡的に暖かい外気。ベストタイミングでした。

病院入りは4時。簡単に病室の説明を受けて、すぐに着替えて陣痛室へ。
監視装置を付けてしばらく待ってみるも、あれれ、さっきまでほどの痛みが来ない…
てことで、5時に一旦個室で待機。母は帰宅してもらうことになりました。
いかんせん寝てへんから、ベットでウトウトしてみるも
やっぱり痛みで目が覚める。これがなかなかツラかったです。
ツラさレベル10段階中3くらい。
そんな状態も7時頃には限界を感じてナースコール。
でも「朝ごはん食べたらもう一度モニターしましょうか」とのことで
7時30分に朝食のご飯と味噌汁だけを軽く食べました。
その日は先生も通常の診察がある日だったので、
診察開始の9時までに産まれてくれればなんて思っていたのですが
いやいや、まだまだそれは甘かった…。

8時30分に浣腸した時は「もうすぐかな」とちょっとホッとしたんですが
待っても待っても陣痛室には先生はおろか、助産師さんも看護師さんも来ず。
ドアの向こうで「うわぁーめっちゃ美味しそぉ〜」と
ガールズトークに花が咲いてる看護師さん達にひたすら
「た〜す〜け〜て」と念力を送っていました…ツラさレベル6に上昇。

10時過ぎくらいか、ようやく先生が来て診察。
子宮口は7、8センチ、でもベビの位置がまだ高いとのこと。
まだまだ分娩台は遠い…(´Д`)
そのまままた陣痛室にて痛み、いきみたさ、そして睡魔との孤独な戦い。
いきみたい衝動の前兆として痛みが来るんですが、
その痛みの時から呼吸と気持ちをコントロールすると、
割と上手く逃すことができて安心するんですが、
痛みと痛みの間についウトウトしてしまうと、
心の準備のないまま痛みで目が覚める→慌ててしまって呼吸が速くなる
→逃せない→いきみたくて悶絶→痛み遠のく→腰にダメージorz
となってしまって…。もうこの時がツラさレベル9でした。
腰というか、仙骨が砕けそうに痛くて、陣痛室のベッドが本当にツラい。
もう「悶える」という表現がこれほどまで当てはまる体験は、人生初めてでした。

意識が陣痛室の隅のほうに飛びかけた時、午前の診察を終えた先生が到着。
ようやく分娩台に移動。時計の針は12時30分頃を指していたと思います。
強くなるいきみの衝動の中、おそらく先生が破水させて下さって
いよいよ踏ん張り開始!
ぬぉおおおぉおぉおぉぉーーー!!
と叫びたくなるほど力みましたが
声は余計な体力を使うのでNG。
いま思うと、序盤はその「声を出さない」に意識が集中して
あんまり足にパワー行ってなかったかも(;´ω`)
顔だけ真っ赤にして、メガネは曇るわ白目気味だわで、ヒドいことなってたと思います。
(メガネは途中で取ってもらいました)
普段さんざん変顔だのなんだのやってる私ですが、
ちょっとこりゃ立会とか無理やなって思ったほどで…
とか言ってそんなに変わらんかったりして(笑)
しかも息止めて力んで、もう限界ってなって息吐いた時に
プッハァっておもいっきり先生におつゆ飛ばしたし(笑)
いやもうほんと、笑って許して、そしてもうどうにでもしてって感じ。
ただ、ずっと助産師さんに「赤ちゃんに酸素送るイメージで!」と言われていたので
それだけが頭の中を支配していました。息をなるだけ長く吸いながら
名付け予定のベビの名前に、頭の中で必死に呼び掛けていました。

そんな感じで5、6回ほど力んだ時、助産師さんに
「はい、呼吸短く!」って言われて頭が出たことを知り、
そのままババッと、先生が取り上げてくれました。
母親教室で「赤ちゃんは肺に息を入れる為に
狭い産道で身をぎゅっと縮めて、肺から羊水を押し出すんですよ」
と聞いていたように、人が水をゲホッと吐く音が聞こえました。
その時だけは妙に冷静に「あぁ、羊水吐いたんだな」と認識できたのを覚えています。

「見てごらん」と言われて足元を見ると、
手足をバタつかせ、目を固くつむり、口を大きく開けてホゲェと鳴く生命体。
感動っていうよりかは、なんだか不思議で不思議で。
頭が真っ白すぎたのかも。なんかただ「アハハ」と笑ってしまいました。

助産師さんの「男の子ー」という声、
先生(クールなおじちゃん。Mr.マリック似)の
「ん、おっきい」「(へその緒)二巻き」という言葉、
私の術後の処理をする、金属のカチャカチャ言う音、
そして産まれたばかりの息子のホゲホゲ言う声。
それらが空っぽになった脳みそに少しずつ入ってきた頃
私の胸元に、産湯に入れてもらいたてのホカホカの息子が置かれました。

初対面の印象:わ、デコ!デコひろし!(笑)
間違いなくパパのおデコ。てか、パパの生え際は遺伝なのねと妙に納得。
長い指もパパ。高くも低くもない、ニンニクみたいな鼻は…ミックス?
あんまり私の要素はなくてちょっと安心。
お腹の中にいる時から「目と鼻だけはパパのをもらいなさいよー」
と声をかけていた甲斐がありました。

新生児用ベッドに移し代えられ、もぞもぞしている息子を眺めながら
私はしばらく縫合の痛みにプチ悶え。
糸で縫われてる感覚がはっきり分かり
引っ張られる度に「いてて」と声を出してしまいました。ツラさレベル5くらい。

私の産後は帝王切開の予定が入っていたようで、
1時間ほどで分娩室から個室へ撤収。時刻は3時過ぎ。
足が産まれたての仔鹿のように震えて、下半身だけが別人のように力が入らず
看護師さんに介助されながら、ようやくベッドに入ることができました。
その日の昼ごはんを取っておいてくれたようで、
ベッドのまま食べられるようセットしてもらいました。
メニューはピラフ、スープ、サラダ、ヨーグルト。
自分でもびっくりするくらいモリモリ、ていうかガツガツ食べました。
その様まさにラピュタを目指すドーラ一行のごとし。

満腹になって食器を下げてもらい、ようやく一息。
「産後はなんか興奮して寝れない」と聞いていましたが
昨晩ほぼ寝てなかったからか、気付けば2時間ほど寝ていました。
その後出てきた晩ごはんも、残さず全部食べました。
お産って体力使うんやなーと改めて感じました(笑)

その日の晩、仕事を終えたむいたが福山から会いに来てくれました。
立会はできない分、父親だけは特別に抱っこさせてくれるうちの産院。
面会時間外でしたが、15分ほどの親子3人水入らずタイムがありました。
小さな息子を抱くむいたはすっかりパパの顔。嫁バカかな(笑)
嬉しそうな顔のむいたを見て、私も嬉しくなりました。

お産日含む6日の入院期間は母子別室だったので、体調は徐々に回復。
それでも授乳や母子同室タイム、栄養指導や沐浴指導などで
そんなにヒマではなかったです。
何よりトイレに結構な時間を割くので、授乳などの呼出コールを無視すること多数。
汚い話ですが、産後すぐの大は第2の出産のごとしでした(´Д`)
仙骨は引き続き割れそうに痛く、腰の上げ下ろしがツラさレベル3でした。

そしてこの記事をようやくアップできそうな今日は産後13日。
退院して一日中息子の世話をする日々ですが
夜中3、4回の授乳やオムツ替えも、まだそんなに苦痛ではないです。
最初は全くできなかった沐浴も、ほぼ一人でできるもん。
母、姉、ちょびっと父のありがたすぎるサポートもあり、
少しずつ母親へのステップを踏んでいるという感じです。
体調も母のご飯のおかげで良好。
息子は先日黄疸が気になり病院に行きましたが、黄疸は大丈夫。
体重が減ってるとの思わぬアクシデントがありましたが
ミルク増量で徐々に増えているようです。
一昨日は退院後初めてむいたが来てくれて、親子3人川の字で寝ました。
仕事も忙しい中、一泊二日あっという間の息子との時間を過ごし
また福山に帰っていきました。

出産して改めて思うのは、私は一人ではないんだなということ。
一人で色々してきたつもりだったのは、所詮「つもり」だったこと。
たくさんの人にもらった「おめでとう」をできるだけ噛みしめて
母乳にして体温にして言葉にして、息子に与えていけたらと思ってます。
まだまだヒヨッコママですが、ぼちぼち頑張っていく所存です。
ということで、長くなりましたが、出産報告でした。



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2012年02月03日

あと一週間

予定日まであと一週間となりました!
ご無沙汰しています、おぉです。

年末年始はむいたの実家で溶けるんじゃないかというほどぐうたらし、
「のんびりお正月」を漫喫しました。
年明けの連休に実家に帰省し
ほぼ毎日、家事や去年5月に産まれた姪の子守りなどして
子育てシミュレーションに明け暮れています。

約8年ぶりの実家での生活は
年老いてきた父のことに悩んだりしながらも、ぼちぼちやってます。
家族とはいえ、長年離れて暮らしてきた人の生活様式に沿うのは中々大変。
慣れるまで体調を崩したりもして…(´Д`)
リポDノンカフェにだいぶ救われました。タウリンさまさま。

ベビはちょっと大きめの、3,500gほどになりそうとのこと。
里帰り後最初の検診で「大きくも小さくもないですね」と言われて油断しました。
実家でもりもり食べてんのもろバレ。
まだよく動くし、ちょっとウォーキングサボりがちやし(-_-;)
予定日よりはちょっと遅くなるかなー?って感じです(笑)
2月11日やったら祝日かー、学校でお祝いしてもらえんな。なはは。

まだまだ実感の湧かない今日この頃ですが
無事に出産報告ができるよう、頑張りたいと思います!
あーハラ重い!



1月26日時点でのハラ。


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2011年10月18日

プチ結婚式

先週末、8月にオーダーしていた結婚指輪ができたとのことで、
受け取りに行ってきました。
入籍後に指輪を見に行った上、完全オーダーメイドのためにこの時期となりました。

今のところ挙式予定のない私達。
帰宅後、ちょっと交換とかしてみたいとの私のリクエストに
むいたが快く応えてくれました。

照れ臭かったうえ、サイズがギリギリでボンレスハム状な自分の指に笑いそうになりましたが
優しい顔でゆっくりはめてくれるむいたの姿にめちゃめちゃ感動して
思わずぼろぼろに泣いてしまいました(笑)
こんなん、本番の結婚式なんかヤブァイんでないか?
いや、式とかだと緊張の方が大きいかな。
とにかく、ほんとに幸せな気持ちがぶわーっと溢れてきて
この人と出会えてよかったなーとか、あたしゃほんま幸せもんやなーとか
色々改めて思うことができました。

もともとアクセサリーを付ける習慣もそんなにないし、
「指輪」という形に拘ってたつもりも無かったけど
実際自分の指に輝くものがあると、なんていうか、やっぱり嬉しいもんですな。
「証拠」のような感じがして。

なんか書くのも照れ臭いですが、この感動を忘れないためにも
ちょっとブログに書かせていただいた次第でありんす。

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2011年10月14日

安産祈願

10月10日は戌の日だったので、
福山の阿伏兎観音(盤台寺)さんに安産祈願に行ってきました!
ようやく行けた安産祈願。
天気も良く、仏滅ながらも私達以外にも何組かいらっしゃっていました。
阿伏兎さんは安産祈願の名所なのです。
姉ちゃん達二人の出産の時も、ここでお守りを買って渡しました。

本堂でお経をあげていただき、腹帯に判を押していただいて
飾って毎日手を合わせるものと、お腹に当てる二種類のお守りもいただきました。
初穂料(お寺もこういうのかな?)は祈祷料+お守りで6,000円。
ベビが元気に産まれてきてくれますように。

そして昨日は、初めてのマタニティーヨガへ。
助産師さんが主催なので、色々ためになる話が聞けてよかったです。
周りのお母さんもみんな熱心にメモしてはった。
もう少しで7ヶ月になります。早いなぁ。
最近はほんまにポコポコよく動いていて、手を当てるのが楽しいです。

でもこんなに元気でも、この子はまだお腹を出ては生きていけんのやなって思うと、
すごい責任感が出てきます。
ちゃんと世に送り出してあげなくては。

前回の検診で、お股になんか見えました(笑)
まだわからんけど、ぼちぼち名前とか考え始めんとなー。
読みやすくて言いやすくて聞き取りやすくて書きやすいのがいいなと、
個人的には思ってます。


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2011年09月13日

ばあちゃん

因島のばあちゃんが亡くなりました。91歳でした。
10日の朝、いつものように畑に行く船に乗り込もうとしたところ
港の階段で足を滑らせ、海に落ちたそうです。
私も連絡を受け、搬送先の尾道市民病院に向かいましたが
救急入口にいた叔母ちゃんに「ばあちゃんダメじゃったわ」と言われました。

ロビーにいると、警察の方が処置室を出入りするたび、
ベッドの上のばあちゃんの体が見えました。
(おいおいと言いたくなるくらい丸見えでした。ばあちゃん丸裸・苦笑)

検死が終わり、ようやく服を着せてもらったばあちゃんに会えました。
水を飲んで顔が腫れていたからか、入れ歯を外されていたからか
何だか別人のようなばあちゃん。
でもいつも付けていたヘアピンが、まだ濡れていた真っ白な髪に付いていました。

その内葬儀屋さんが来て、ばあちゃんは因島の自宅に帰りました。
朝、家を出て4時間ほど。
いつもなら畑で「そろそろ帰ろうか」と畑仲間と話していた時間。
ばあちゃん本人も、畑仕事をせずに帰る自分に戸惑ってたんちゃうかな。

私もむいたとそのまま福山に帰宅。
大阪から来る私の母を待って、因島に向かいました。

通夜は寺の都合でその日のうちに執り行われ、
翌11日の昼過ぎには、ばあちゃんは荼毘に伏されました。
病院でも通夜でも葬式でもばあちゃんに会ったのに、私には全く実感がわかず
20年前の写真だというばあちゃんの遺影を
「若いなぁ」と思うくらいしか、感情が働きませんでした。

ばあちゃんと最後に話したのは、9月の2日。
近付く台風が心配で、私が電話しました。
いつもと同じように、みかんの様子を話してくれて、私のお腹を気にかけてくれて
「またこっち出て来ないよ(出ておいで)」と言ってくれました。

私の母は、9日の晩に電話で話したと言っていました。
荷物を送ったそうで、そのお礼の電話がかかってきたとのことでした。
母は兄弟の中で唯一遠方に住んでいたので、
ばあちゃんを気にかけてしょっちゅう日用品を送っていました。
翌日亡くなるなんて、お互いに思ってもなかったでしょう。
でも最後に話せてよかったんではないかと思います。勝手な想像ですが。

通夜は自宅だったので、私がいつも行くばあちゃんの家は綺麗に片付けれ
入りきれないほどの人であふれていました。
まだ実感のない私でも、次ばあちゃんのいないあの家に行けば、
嫌でも思い知らされることになるのかもしれません。
でもまたあの家に行くと、椅子に座ったばあちゃんが
テレビで水戸黄門を見ながらうとうとしてるような気がしてなりません。
畑帰りで疲れているのに、誰か来るとじっとしていられないばあちゃん。
ふと目を離すとどこかに出掛け、気付いたら私へのお土産を買ってきてくれたりして。

世話焼きで、孫やひ孫のことが気掛かりで、
でも他人の世話にはなれない人でした。
そんな人やから、病気で入院することもなく死ねたのは
きっと本望やったと思います。
海に落ちたときは苦しかったやろうけど、
最期まで仕事ができて、幸せな人生やったんじゃないかってみんな言ってました。
子供6人、孫17人、ひ孫13人、そのほとんどが通夜、葬式に来たのも
優しくて頑張り屋のばあちゃんの人徳。
賑やかに見送ることができたと思います。

ほとんど会えずにさよならとなった孫も少なくない中、
私は一年ほどとはいえ近くに住んで、しょっちゅう会えてたのは幸いでした。
車で除虫菊を見に行ったり、買い物や墓参りに連れて行ってあげられたりしたのは
本当によかったなと思っています、
私のお腹のベビに会わせてあげれんかったのは残念やけど、
どっかで見守られてると思って、元気なベビを産まねばですね。

生涯現役で働き続けたばあちゃん。
急なお休みで戸惑ってるかもしれんけど、とにかくゆっくり休んでほしい。
また落ち着いたら、あの家に行ってみようと思っています。
そうそう、ばあちゃんの生き甲斐やった畑にも行ってあげなね。
大したことはできんけど…。

ばあちゃん、ほんまにありがとう。またね。


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2011年08月16日

バタバタしてました

前回の妊娠記事にたくさん反響いただきまして、ありがとうございます!
現在14週、つわりも治まり、食欲もりもりなおぉです。

7月末日、無事に入籍を終え、二人でのんびり過ごしていたところ、
むいたのお友達の身内にご不幸があり、倉敷まで参列。
その翌日には、入院中のむいたのおじいさんの容態が悪くなり、
翌々日に息を引き取られました。
長男のヨメとして色々手伝いもしなくてはならないところ、
妊婦だからと気を遣っていただいちゃって、特に何もせず。
しかし忙しそうに働くお義母さんを見て、私もいずれああなるのかと
ほんのり未来を垣間見たような気がしました。
(むいた家はおじいさんもお父さんもむいたも長男)

あんまりのんびりできなかった分、このお盆はのんびり中。
お互い友達に会ったり、うちの伯父の法事に行ったり、父が泊まりに来たりと
休みらしいイベントはありつつも
昨日は一日中家にいて、夜は近くの高台から芦田川の花火を見て
焼きそば食べてまったりできました。

さて明日にでも久しぶりの検診に行ってきますかな。
ちょっと体重増加のこと言われそうやけど、ベビの姿見るの楽しみです。

では、みなさんもよい夏を。




o_can912345 at 07:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年08月02日

妊娠しました。

ご無沙汰してます、おぉです。
これを書いてる今は、6月20日。
先月の23日に一番上の姉ちゃん、
そして25日には真ん中の姉ちゃんが、
それぞれ無事に女の子を出産しました!
私は23日に帰省、甥や姪の送り迎えなど、バタバタと雑用をこなし、
二週間後に福山に帰って来ました。

その間、相方のむいたは出張が二回もあったのに
文句1つ言わず迎えてくれました。感謝。

その後、なんとなく体調が悪い、というか、
なんとなく、なんとなくな気がして検査すると
なんと妊娠してることが判明。
病院で7週目だと言われたのが、6月13日のことでした。

むいたに連絡したその日は、18時30分という早い時間に
仕事を切り上げてくれました。
二人してテンション高くて、なんか周りに花が咲いてたなぁ(笑)

次の検査は二週間後と言われ、いま半分が過ぎました。
次は心音が確認できるかなー。
わくわくしながらも、既につわりんぐな毎日です。
吐き気に眠気、ダルいし食欲もない。
でもなんかお腹すくし、変な感じです。
本当に、自分の体じゃないみたいにコントロールがきかんくて
戸惑いながらも、妊すぐ読んで紛らしてます。

てか先週ゼクシィ買ったばっかやのに(笑)
先生にも「ちょっとフライングやなー」と言われる始末。
この記事がアップされる頃は、おそらく苗字も変わる予定です。

姉二人の出産を間近で見て、私も早く欲しいなーと思ってたところでの妊娠発覚。
梅雨とか猛暑は出来たら避けたかったけど(笑)
甘たんな私に対する、ベビからもらった試練として
しっかり受け止めていきたいと思います。
このブログがまさか育児ダイアリーになる日がこようとは。
またマイペースに、更新しまーす。
只今つわりんぐのおぉより。

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2011年04月08日

ラジオに感激

実家にプチ帰省のむいたに荷物を届けに向かう車内、耳を疑った。
ラジオから聞き覚えのある、イントロなしで始まる優しい声。

Dutch Trainingの「April」。
先週リクエストしてたことすら忘れてた。
規男くんの声を聞いた瞬間、世界が止まった。

Dutch Trainingは、今はまだ活動休止中。
これまで色んな局の色んな番組に何度もリクエストしたけど、
オンエアされたことってあったっけ。
しかも「April」ってアルバムの曲やのに。

本当に、Dutchの曲をラジオで聞けることなんて、もう無いんかと思ってたよ。

規男くんの声が、広島中に流れたよ。
幸せすぎて、本当に涙が出そうになったよ。

ありがとう、広島FM・リクエスト魂。
ありがとう、DJの庄司さん。

庄司さん「こういういい曲聞くと、活動休止中なのが残念に思えます」って言ってくれた。
ありがとう、庄司さんほんまありがとう。
庄司さん、朝練5聞いてたよ、ありがとう。

ラジオってほんまいいなぁ。
ラジオよ、ありがとう。


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2011年03月31日

良かった!

じゅんなさん、意識戻られたそうです。
ラジオで報告ありました。
全然知らない人やけど、すごい嬉しかったな。
じゅんなさん、良かった!
若者が元気なのはいいね、嬉しいわい。


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2011年03月22日

9ジラジ

昨日広島FMの「9ジラジ」って番組で、とあるお母さんからのメッセージ。
娘さんが街頭募金呼び掛け中、
インフルエンザ、中耳炎(と、あと何か一つ。忘れました…)の合併症で倒れ
意識不明の状態。好きでいつも聞いているこの「9ジラジ」を、
病室でイヤホンで聞かせているので、呼び掛けてあげてほしいとのこと。
娘さんが好きな嵐の曲が流れ、DJの大窪さんや、リスナーさんが
「9ジラジ始まってるよ、起きて」とメッセージを寄せていました。

ラジオネーム「じゅんな」さんが、どうかご無事でありますように。
あと20分ほどで「9ジラジ」始まります。
今日は「じゅんな」さんも、聞けていますように。


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2011年03月18日

春はまだでゲジか

c33ed526.jpg耕三寺の梅。2月下旬。
てか、「げじ」まで打ったらゲジゲジの絵文字が出てくる私の携帯なんなの。
てか、ゲジゲジの絵文字てなんなの(笑)
見れるかな?これ→?


昨日の相方・むいたの帰宅時間は26時前。
そして翌日はいつもより1時間早く出勤すると言う。
帰ってお風呂入ってご飯食べた後、27時前までずっとヤンジャン読んでたから
つい「明日早いのに起きれんの?自分で起きてよ?」とキツく言ってしまった。
遅くまで仕事して疲れて帰って、やっとありつけた
むいたの週イチの楽しみな時間。
私も配慮が足りなかったでござる。反省。
私は一人で暮らして来た時間が長かったせいもあって、
まだまだ思いやりに欠ける部分があるなぁ。むいた、ごめん。


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2011年03月17日

車検

今日は愛車・マル子の車検。
今、代車借りて家に帰ってきました。ちょい前のモデルのライフ。
ハンドブレーキやギアの使い勝手、ミラーの視野が違うもんで
結構ビビりながら運転しました。
よくよく考えたら私、免許取ってマル子以外で公道走ったことないかも。
(教習車はベンツ。これプチ自慢。)
姉ちゃんのミニバン運転できるのか?私…

姉ちゃん2人が再来月に出産を控えているので、
私も少し手伝いに帰る予定です。
新しく増えるベビ達、はやく会いたい。
出てくるまでしっかり母ちゃんから栄養もらっときんさい。
私からは以上です。(→石田さんのパクり)


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2011年03月16日

何の変哲もないブログ

44698340.jpgばあちゃんのはっさく。美味しかった。
種が採れたので植えてみてます。


ツイッターではいつの間にか100人を超すフォロワーさんがいて、
今は比較的このブログの方が好きなこと書ける気がする。
私の発信力なんざ無いようなもんやけど、
誰もが発信元になれることの強みと、ちょっとした怖さみたいなものを感じてます。
ずっとラジオ聞いてますが、DJの人も言葉を選ぶのに必死そう。もちろん選曲も。
言葉や音楽を届けることに色んな意見があるけど、
受け取る側の状況も心情もそれぞれ違う。
批判も賛同もまだできないです。
でも私も正直なところ、ラジオから音楽かかるとガチガチがちょっとゆるむから
恩恵受けてます、ありがたく聞いています。

タイムラインに溢れる情報の取捨選択が難しい。もどかしさに拍車がかかります。
でもツイッターがなかったら…って考えた時には、
結論はやっぱり「あって良かった」かもしれません。
情報がないことにはどうにもならんもんね。
知る→見極める→伝える
に責任持てるようにならなダメですね。
私がリツイートで拡散した情報の中にもデマがあった可能性もあるし。
ほんまに難しいことかもしれんけど…。

どーでもいい話ですが、昨日から首をやっちゃって、全然後ろ向けません。
視野角120度あるかどうか。弱いなぁ自分。

そんなこんなで、今日も生きて活動。生活。


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2011年03月15日

今この普通の日々を大切に生きる

広島・福山は超普通な日常ですが、買い物に出ても
人々はどこか表情が堅い気がします。
それは私自身がガチガチやからかもしれません。
みんな出来ることを模索してると思います。
私も29日の解禁日以降、必要に応じてまた献血行ってきます。
初期衝動を忘れないよう心掛けて、備えられるものは備えときます。
うまい棒あるし、買いだめ不要。
とりあえず普通に生活しとこう。リツイートも一旦止めときます。

外から聞こえる子供の声に安心します。


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2011年01月21日

明けてた

わぁ全然ブログ更新してない(笑)
新年の挨拶もしてなかった…

というわけで皆さま、ご無沙汰しています。おぉです。
今年もよろしくお願いします。

ツイッターばっかじゃなくて、ちょっとはブログも更新しなきゃ。
って言っても無職になってからほんまにけっこうぐうたらしちゃってて、
何か世間様に申し訳が立たないなぁと思って、
なかなか書く気が起こらない…っていうのが本音です(-.-;)

今日はハローワークに行って、職業訓練の案内を色々見てきました。
その中に医療事務のコースがあって、ちょっと受講を考えてみたりしています。
医療事務はパートならけっこう求人あるみたいやし、
会場も遠くないし期間も長くはない。
前向きに検討してみます。

ハローワークはいつでも人多いです。
なんとも言えない空気で、行くのもけっこう億劫になっちゃうんですが
飲まれないようにしなきゃですね。

さて、明日は久々の一泊旅行。
一泊旅行は、たぶんKANちゃんの広島ライブを見に行った去年4月以来。
今回もKANちゃんのライブついでではありますが
愛媛・道後に行ってきます。
久しぶりの道後、楽しみ!霧の森大福買えるかな。

何よりKANちゃんの弾き語りライブ、すごく楽しみです。
黒タイチュはいて行こーと(笑)


o_can912345 at 22:33|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日々 

2010年11月20日

ハラヘタ

ひどくイライラする。
そんなときだってある。

にんげんだもの。

さちを。


o_can912345 at 23:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2010年10月19日

授かったのか…?

超周期通りの私が、珍しく遅れて
しかも予定日に熱まで出たもんで、これはもしや…?と思ってたんですが

どうやら違ったようでありんす(笑)

この一週間はずっと胸やけがしてて、体もだるくて、
精神的にも落ちたり上がったりが激しかったもんで
もうすっかりその気になってました(笑)

というのも、先日、姉ちゃん二人がほぼ同時期に妊娠発覚!
予定日は10日違いだそうな!すげー!
先日、4ヶ月で3人続けて産まれたイトコ兄弟にも並ぶ嬉しいニュースです。

しかしこの一週間、ほんま気持ち悪くてのたうち回ったのはなんだったのか(笑)
これがいわゆる想像妊娠?違うのか?
なんかほんのちょっとだけ、シミュレーションできたような気がしました。
姉ちゃん二人ともつわりが酷いって聞いてたから、意識してしまったんかな?
私の時はつわり、楽やといいなぁ…


o_can912345 at 21:23|PermalinkComments(1)TrackBack(0)日々 

2010年09月30日

じいちゃんの遺書

5bba05bd.jpg画像:因島水軍スカイラインより三庄・土生方面を臨む的な。


彼岸の中日、ばあちゃんと、ばあちゃんの娘・私の伯母にあたる人の墓参りに行ってきました。

明るくてちゃきちゃきした性格だった伯母さん。
ばあちゃんにとってもさぞかし自慢の娘だったことでしょう。
お骨が嫁ぎ先のお墓にあるもんで、しょっちゅう来れないことを嘆くばあちゃん。
こんなに思われて、伯母さんもきっと幸せやと思うな。
両手を合わせる姿に、ちょっとじーんと来た私でした。

帰ってから、「ばあちゃんはとにかく元気」という話に。
「でも正直、じいちゃんが死んだ時、ばあちゃんボケるかと思った」
と私が言ったことから、じいちゃんの話になりました。
じいちゃんは亡くなる3年ほど前に畑で転び骨折、寝たきりに。
それからは、ばあちゃんが付きっきりで介護をしていました。
私も同じ時期、高校進学を機にばあちゃん家に下宿していたので
その様子を間近で見ていました。

すっかり昼夜逆転生活になった上、もともと耳が遠いじいちゃんの
夜中にばあちゃんを呼ぶ大きな声で、私も何度も起きた記憶があります。
その頃のばあちゃんは日中の畑仕事にじいちゃんの介護、
加えてしょっちゅうに家に来る近所のおばあさん(痴呆気味)の相手と
終始イライラして疲れたような感じでした。私もけっこう好き勝手やってたし、
今考えたらばあちゃんのイライラの素となってたんかも。と、今さら反省。

私は一年後に新設された寮に移り、その後近所のおばあさんは施設に入りました。
そしてじいちゃんは病院に入院して、その後、亡くなりました。

私はじいちゃんに対して、好きとも嫌いとも思ったことはなかったような気がしますが
さすがにばあちゃんの姿を見ていたら、嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
だからじいちゃんが亡くなった時、心の奥でどこかホッとした思いがあったような気がします。


そんなじいちゃんが遺書を書いていたことを、ばあちゃんから教えてもらった私。
かなりビックリしました。
ほんまに、若い時から勝手に畑を売ったり、色んな商売に手を出して、
好き勝手やってた話ばっかり聞いていたし、
まさかそのじいちゃんが、遺書とな!
モノ書いてる姿も見たことなかったから、想像すらできませんでした。

入院中、じいちゃんは突然「書くもんあるか」と付き添いのばあちゃんに言ったそう。
ばあちゃんは、じいちゃんの健康状態を書くためのノートを渡したそうです。
特に改まるわけでもなく、走り書きのように書かれた内容はふたつ。

一つは、「畑に骨を3つほど撒いておくよう」
もう一つは、「お前には一番世話になった」


…なんそれ。
なんそれじいちゃん。孫はびっくりですよ。
びっくりくりくりしまくり千代子ですよ。
あのじいちゃんが、まさかそんな言葉を遺していたなんて。
「じいちゃん」っていうワードにまとわりついていたモヤっとボールが
私の頭の上からボコボコ落ちていきました。

じいちゃんが亡くなった後、「さすがに3ヶ月はよう動かんかったわ」というばあちゃん。

「じいさんの骨をね、2、3個置いとんよ。まだ畑には持ってってないんじゃけどね」
というばあちゃん。

なんやろう、あんなに迷惑をかけられたはずやのに
ばあちゃんは今すごい照れくさそうな顔で、じいちゃんの話をしている。
私はなんとも言えない気持ちになって、胸がぎゅーっとなって、
「その遺書見せて」という言葉を口にすらできなくなってしまい
とりあえずじいちゃんにお線香をあげて帰りました。

でも、聞けて良かったな。
ばあちゃんにはじいちゃんの分も、長生きしてもらおう。
じいちゃんには、しっかりばあちゃんを見守っといてもらおう。
「じいちゃん、頼むよ」と、手を合わせながらお願いをしておきました。
なんかいいお彼岸になったような気がするな。うん。


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