息子のこと(iroiro)
December 01, 2009
こういうおっさんが好きだっ!
この記事は、私の心にどんぴしゃりときたので、ご紹介します。
ブックドクターあきひろの鶴の眼
「☆子どもの真剣&大人の真剣!」
ヤカラなおっさん・あきひろさんのブログ、時々読ませていただいてます。
上の記事にあった、あきひろさんの
「あなたの子が、たのしいことをやってるときの"真剣さ"を あなたは 母として 何個いえますか?」
という問い。
これに堂々
「はいはいはいはいはいはいはいっ あのっ、
うちの子の、あれやってるときの表情ったらねっ…」
と最高の笑顔で答えられる母でいたいなあと、しみじみ思います。
あきひろさんって、灰谷健次郎さんの「天の瞳」の主人公・倫太郎ちゃんのモデルだそうで。
灰谷健次郎さんって、私にとって特別な作家さんです。
私が初めて一人で読んで、涙を流した本が、
灰谷健次郎さんの「兎の眼」でした。
確か、6年生のときのこと。
お布団の中で、いつまでもハラハラと涙を流した思い出の本。
ちょっと話がずれちゃいました、
懐かしくなって。
ブックドクターあきひろの鶴の眼
「☆子どもの真剣&大人の真剣!」
ヤカラなおっさん・あきひろさんのブログ、時々読ませていただいてます。
上の記事にあった、あきひろさんの
「あなたの子が、たのしいことをやってるときの"真剣さ"を あなたは 母として 何個いえますか?」
という問い。
これに堂々
「はいはいはいはいはいはいはいっ あのっ、
うちの子の、あれやってるときの表情ったらねっ…」
と最高の笑顔で答えられる母でいたいなあと、しみじみ思います。
あきひろさんって、灰谷健次郎さんの「天の瞳」の主人公・倫太郎ちゃんのモデルだそうで。
灰谷健次郎さんって、私にとって特別な作家さんです。
私が初めて一人で読んで、涙を流した本が、
灰谷健次郎さんの「兎の眼」でした。
確か、6年生のときのこと。
お布団の中で、いつまでもハラハラと涙を流した思い出の本。
ちょっと話がずれちゃいました、
懐かしくなって。
November 20, 2009
続・親としての訓練
実は前の記事を書いたのは、先月のこと。
最初に「親業訓練講座」に参加したときは、
自分が息子にしてきた「仕打ち」(ホント、こんな風に思ってしまった)を思い、
かなり落ち込んでいました。
パピーは、どれほどの思いをこれまで飲み込んできたのだろう。
私のことが怖くて、条件反射的に行動したこともあったに違いない。
それでもいつも、うっとおしいまでに
「ママ大好き」
を言ってくれる。
その愛情を利用して、私は彼をコントロールしようとしていなかったか。
本当にかわいそうなことをした…。
それでも、時間が経つにつれ、私は少しずつ冷静になってきました。
これまで何も知らなかった、気付かなかった私は、
ここでやっとスタート地点に立ったのだと
前向きになってきました。
まだ遅くないかも!
この記事では、その後のパピーの変化を記そうと思います。
パピーは、何の解決もしてくれない母に、
(しかも返事や反応が中途半端―まだ「能動的な聞き方」が下手な私)
よく学校でのことを話すようになりました。
元々、寡黙なほうではなかったのですが、
思えば、私が途中から
尋問を始めたり、
結論付けたり、解決策をさっさと出してしまったり、
挙句の果てに叱責が始まったりして、
パピーは、ゆっくり話すこともできなかったのでしょう。
そしてここのところ。
何度か、話しているうちに泣くことがありました。
喧嘩して、悔しかった。
大事にしていた栞をくしゃくしゃにされて、腹が立った。
友達に勘違いされて、悲しかった。
私の膝の上に座り込んで、ぽろぽろ涙をこぼすのです。
聞いている私はもちろん胸が痛い。
解決してあげたい。
でもぐっと飲み込む。
「そっかー…。それは悲しかったねー…。」
と答えて、頭を撫ぜたり、ぎゅっとしてあげるだけでした。
だけど、私のところで泣いてくれる。
そのことを、今は本当にありがたいと思います。
まだ、パピーの話は脈絡のないところもあるし、
解決策には全然たどり着かないけれど、
いつか自分で解決の道を見出す日まで、
私はこうして受け止めるだけで、
じっと待たなくてはいけないのだと思います。
「待つ」って本当に大変だわ!
最初に「親業訓練講座」に参加したときは、
自分が息子にしてきた「仕打ち」(ホント、こんな風に思ってしまった)を思い、
かなり落ち込んでいました。
パピーは、どれほどの思いをこれまで飲み込んできたのだろう。
私のことが怖くて、条件反射的に行動したこともあったに違いない。
それでもいつも、うっとおしいまでに
「ママ大好き」
を言ってくれる。
その愛情を利用して、私は彼をコントロールしようとしていなかったか。
本当にかわいそうなことをした…。
それでも、時間が経つにつれ、私は少しずつ冷静になってきました。
これまで何も知らなかった、気付かなかった私は、
ここでやっとスタート地点に立ったのだと
前向きになってきました。
まだ遅くないかも!
この記事では、その後のパピーの変化を記そうと思います。
パピーは、何の解決もしてくれない母に、
(しかも返事や反応が中途半端―まだ「能動的な聞き方」が下手な私)
よく学校でのことを話すようになりました。
元々、寡黙なほうではなかったのですが、
思えば、私が途中から
尋問を始めたり、
結論付けたり、解決策をさっさと出してしまったり、
挙句の果てに叱責が始まったりして、
パピーは、ゆっくり話すこともできなかったのでしょう。
そしてここのところ。
何度か、話しているうちに泣くことがありました。
喧嘩して、悔しかった。
大事にしていた栞をくしゃくしゃにされて、腹が立った。
友達に勘違いされて、悲しかった。
私の膝の上に座り込んで、ぽろぽろ涙をこぼすのです。
聞いている私はもちろん胸が痛い。
解決してあげたい。
でもぐっと飲み込む。
「そっかー…。それは悲しかったねー…。」
と答えて、頭を撫ぜたり、ぎゅっとしてあげるだけでした。
だけど、私のところで泣いてくれる。
そのことを、今は本当にありがたいと思います。
まだ、パピーの話は脈絡のないところもあるし、
解決策には全然たどり着かないけれど、
いつか自分で解決の道を見出す日まで、
私はこうして受け止めるだけで、
じっと待たなくてはいけないのだと思います。
「待つ」って本当に大変だわ!
続・親としての訓練
実は前の記事を書いたのは、先月のこと。
最初に「親業訓練講座」に参加したときは、
自分が息子にしてきた「仕打ち」(ホント、こんな風に思ってしまった)を思い、
かなり落ち込んでいました。
パピーは、どれほどの思いをこれまで飲み込んできたのだろう。
私のことが怖くて、条件反射的に行動したこともあったに違いない。
それでもいつも、うっとおしいまでに
「ママ大好き」
を言ってくれる。
その愛情を利用して、私は彼をコントロールしようとしていなかったか。
本当にかわいそうなことをした…。
それでも、時間が経つにつれ、私は少しずつ冷静になってきました。
これまで何も知らなかった、気付かなかった私は、
ここでやっとスタート地点に立ったのだと
前向きになってきました。
まだ遅くないかも!
この記事では、その後のパピーの変化を記そうと思います。
パピーは、何の解決もしてくれない母に、
(しかも返事や反応が中途半端―まだ「能動的な聞き方」が下手な私)
よく学校でのことを話すようになりました。
元々、寡黙なほうではなかったのですが、
思えば、私が途中から
尋問を始めたり、
結論付けたり、解決策をさっさと出してしまったり、
挙句の果てに叱責が始まったりして、
パピーは、ゆっくり話すこともできなかったのでしょう。
そしてここのところ。
何度か、話しているうちに泣くことがありました。
喧嘩して、悔しかった。
大事にしていた栞をくしゃくしゃにされて、腹が立った。
友達に勘違いされて、悲しかった。
私の膝の上に座り込んで、ぽろぽろ涙をこぼすのです。
聞いている私はもちろん胸が痛い。
解決してあげたい。
でもぐっと飲み込む。
「そっかー…。それは悲しかったねー…。」
と答えて、頭を撫ぜたり、ぎゅっとしてあげるだけでした。
だけど、私のところで泣いてくれる。
そのことを、今は本当にありがたいと思います。
まだ、パピーの話は脈絡のないところもあるし、
解決策には全然たどり着かないけれど、
いつか自分で解決の道を見出す日まで、
私はこうして受け止めるだけで、
じっと待たなくてはいけないのだと思います。
「待つ」って本当に大変だわ!
最初に「親業訓練講座」に参加したときは、
自分が息子にしてきた「仕打ち」(ホント、こんな風に思ってしまった)を思い、
かなり落ち込んでいました。
パピーは、どれほどの思いをこれまで飲み込んできたのだろう。
私のことが怖くて、条件反射的に行動したこともあったに違いない。
それでもいつも、うっとおしいまでに
「ママ大好き」
を言ってくれる。
その愛情を利用して、私は彼をコントロールしようとしていなかったか。
本当にかわいそうなことをした…。
それでも、時間が経つにつれ、私は少しずつ冷静になってきました。
これまで何も知らなかった、気付かなかった私は、
ここでやっとスタート地点に立ったのだと
前向きになってきました。
まだ遅くないかも!
この記事では、その後のパピーの変化を記そうと思います。
パピーは、何の解決もしてくれない母に、
(しかも返事や反応が中途半端―まだ「能動的な聞き方」が下手な私)
よく学校でのことを話すようになりました。
元々、寡黙なほうではなかったのですが、
思えば、私が途中から
尋問を始めたり、
結論付けたり、解決策をさっさと出してしまったり、
挙句の果てに叱責が始まったりして、
パピーは、ゆっくり話すこともできなかったのでしょう。
そしてここのところ。
何度か、話しているうちに泣くことがありました。
喧嘩して、悔しかった。
大事にしていた栞をくしゃくしゃにされて、腹が立った。
友達に勘違いされて、悲しかった。
私の膝の上に座り込んで、ぽろぽろ涙をこぼすのです。
聞いている私はもちろん胸が痛い。
解決してあげたい。
でもぐっと飲み込む。
「そっかー…。それは悲しかったねー…。」
と答えて、頭を撫ぜたり、ぎゅっとしてあげるだけでした。
だけど、私のところで泣いてくれる。
そのことを、今は本当にありがたいと思います。
まだ、パピーの話は脈絡のないところもあるし、
解決策には全然たどり着かないけれど、
いつか自分で解決の道を見出す日まで、
私はこうして受け止めるだけで、
じっと待たなくてはいけないのだと思います。
「待つ」って本当に大変だわ!
親としての訓練
子供に「こんな風に育って欲しい」と望むこと、もちろんあると思います。
「自立した子になってほしい」
「心の豊かな子になってほしい」
「お友達と上手くやってほしい」
「理解度、吸収率の高い子になってほしい」
「とりあえず学校の成績を普通に修めてほしい」
「バイリンガルになってほしい」
じゃあ、子供が親に望むこと、考えたことありますか?
私…正直あまりありませんでした。
押し付けることにばかり一生懸命だったかもしれません。
それを考えるきっかけになったのが
Parent Effectiveness Training-親業訓練
です。
頭でっかちになるのがイヤで、子育てセミナーや育児書などは避けてきた私ですが、
縁あって、10月から親業の「訓練」を受けることになりました。
―子供をこう育てるためには、という勉強ではありません。
子供を変えるのではなく、親が変わるのです。
例えば 子供が今通っている習い事に「もう行きたくないの…」と言ったとします。
「あなたはどう返しますか?」
という質問があります。いくつか例があります。
1. (毅然と)ダメです。許しません。行きなさい!
2. (そろそろと)やめちゃったら、○○ちゃんに抜かされるし、出来なくなって辛いよ。困るよ。
3. (冷静に)じゃあ、しばらく休んでみる?それともお母さんについてってもらいたい?
4. (きつく)なにバカなこと言ってるの!
5. (イライラとorぽんっと)あなたはひとつのことを、やり続けたことがないんだから!
6. (優しく)そうなの。やめたければやめてもいいのよ。
7. (心配して)何か嫌なことがあったの? いじめられてるの? 誰が原因?
8. (あっけらかんと)明日になれば、気が変わるんじゃない?気にしな~い。
9. (元気に)さっ、頑張れ頑張れ!お母さん応援しているから!
私だったら、どう言ってしまうだろうか?―
続けさせたい!という気持ちが強ければ強いほど、
親の権威を振りかざして、1タイプ(「命令」)のことを口にするかもしれない。
もうワケわかんなくなって、4みたいにうっかり「非難」したり、5みたいに「辱める」…のは、さすがに避けたいけれど、
イライラしながら、2タイプでじわじわ「脅迫」することも、ありうるかも。
あーいやだいやだ。これらの4つ、決して良くないのは分かります。
もう少し冷静に、どう対処すべきか?を考える余裕があるときは、
他のことを口にするかもしれない。
で、
7は…心配しているようで、実は「尋問」をしています。
8も元気付けているようですが、実は「ごまかし」ているだけ。どっちもよくありません。
3は「提案」しています。
6は「同意」しています。
9は「激励」
これらなら、良さような気がします。
…でも、全部だめなんですって。
上の「命令」「非難」「辱める」「脅迫」「尋問」「ごまかし」「提案」「同意」「激励」に加え
「説教」「理屈」「解釈」
これらは、親業では「お決まりの12の型」と呼ばれ、
「子供の心を閉ざす対応」とされるのだと知りました。
「どれなら、子供を救ってあげられるのかな?」と必死で考えていた私は、
それを聞いて思わず「ひや~っ」。
だって、習い事を「やめたい」と打ち明けた子供、
心が悩みでいっぱいいっぱいなんです。
それが溢れてきて、お母さんに訴えたわけですよね。
お母さんがしてあげるべきことは、それをすっと受け止めること。
「命令」や「非難」がそんな状態の子供の心に響かないのは、明らかだけど、
「尋問」されたって、辛いばかりで答えられない。
「提案」なんて受け付けるはずもなく、
「同意」や「激励」は所詮お母さんの気持ちを押し付けているだけ。
「やめたいんだけど」と白いボールをぽんと投げてきた子供に、
あれやらこれやら、違う色のボールを投げつける。
これがさっきの「お決まりの12の型」。
そうじゃなくて、
そのまま「そう。やめたいんだね」と白いボールを素直に返す―
それで、子供は受け止めてくれた!と感じ、初めてほっとする。
そう、子供がいつも親に望むのは
「聞いてもらうこと。気持ちを酌んでもらうこと」
ほっとすると同時に、心のガードがいらなくなった子供の思考は驚くほど進み始める。
つまり自分で解決策を考え始める。
これが、自立の第一歩なのだと言われました。
親が解決していては、いつまで経っても自立しないということです。
でも、「聞く」って思ったほど簡単なことではありません。
悩み相談は、相手の言ったことを復唱してあげるのが良い、
という話、聞いたことがありませんか?
でも、実践できますか?
本当に難しいんです。
そこで、「訓練」が必要になってくるのです。それが親業訓練。
パピーが学校から帰ってきて、おやつを食べる時間。
元気がない。うーん、声をかけようか迷っていたら、
「ボク、今日学校イヤだった…。」
とぼそっと言いました。
「12の型」はいかんっ!と心の中でセーブするも、どうしたら良いのか分からなくて黙っていたら、
「○○くんってすぐ怒るんだ。蹴ったりするんだ」
筋が通ったり、通ってなかったりする愚痴が続きました。
ああ~、もう~~!!!!!
私の中に溢れ出る思い。
(「パピーがなんか怒らすこと、言ってんじゃないの」
「学校で、お友達を怒らすようなことや嫌われるようなこと、言っちゃだめだよ」
「どのくらいの強さで蹴るの?痛い?怪我していない?」
「いや、○○くんは、ちょんって小突いただけじゃないの?『蹴った』なんてオーバーなんじゃない?」
「仕返ししてない?」
「先生は知っているの?」
「イヤだってちゃんと言わなきゃダメだよ」)
も~、私の中で渦巻く、渦巻く。
そして、全てをごっくんと飲み込みました。
(今書きとめてみて、自分自身の連射にびっくりです!
こんなこと全部吐き出してたら、子供はたまったもんじゃないだろうなあ!)
カラーボールを投げずには済んだけど、白いボールを上手く返すことも出来ず、
ヘンに寡黙な母に???なパピーは、
「…遊びに行ってくるね」と、いつものようにとっとと外へ行ってしまいました。
私の修行は、まだまだこれからです。
パピーはというと、心なしかすっきりした顔はしていたけれど、何も解決しちゃいません。
それでもこの日、私は彼の思いを受け止めることだけは出来ました。
学校で辛い思いをしたんだね。
いっぱいになっちゃった心を、私に開いてくれてありがとう。
って、思いました。
私は、ずっとあの子の「母港」でありたい。
辛いことでいっぱいになったときは、ここに戻ってきて、すべて荷を降ろせるような。
そんな風に思います。
「自立した子になってほしい」
「心の豊かな子になってほしい」
「お友達と上手くやってほしい」
「理解度、吸収率の高い子になってほしい」
「とりあえず学校の成績を普通に修めてほしい」
「バイリンガルになってほしい」
じゃあ、子供が親に望むこと、考えたことありますか?
私…正直あまりありませんでした。
押し付けることにばかり一生懸命だったかもしれません。
それを考えるきっかけになったのが
Parent Effectiveness Training-親業訓練
です。
頭でっかちになるのがイヤで、子育てセミナーや育児書などは避けてきた私ですが、
縁あって、10月から親業の「訓練」を受けることになりました。
―子供をこう育てるためには、という勉強ではありません。
子供を変えるのではなく、親が変わるのです。
例えば 子供が今通っている習い事に「もう行きたくないの…」と言ったとします。
「あなたはどう返しますか?」
という質問があります。いくつか例があります。
1. (毅然と)ダメです。許しません。行きなさい!
2. (そろそろと)やめちゃったら、○○ちゃんに抜かされるし、出来なくなって辛いよ。困るよ。
3. (冷静に)じゃあ、しばらく休んでみる?それともお母さんについてってもらいたい?
4. (きつく)なにバカなこと言ってるの!
5. (イライラとorぽんっと)あなたはひとつのことを、やり続けたことがないんだから!
6. (優しく)そうなの。やめたければやめてもいいのよ。
7. (心配して)何か嫌なことがあったの? いじめられてるの? 誰が原因?
8. (あっけらかんと)明日になれば、気が変わるんじゃない?気にしな~い。
9. (元気に)さっ、頑張れ頑張れ!お母さん応援しているから!
私だったら、どう言ってしまうだろうか?―
続けさせたい!という気持ちが強ければ強いほど、
親の権威を振りかざして、1タイプ(「命令」)のことを口にするかもしれない。
もうワケわかんなくなって、4みたいにうっかり「非難」したり、5みたいに「辱める」…のは、さすがに避けたいけれど、
イライラしながら、2タイプでじわじわ「脅迫」することも、ありうるかも。
あーいやだいやだ。これらの4つ、決して良くないのは分かります。
もう少し冷静に、どう対処すべきか?を考える余裕があるときは、
他のことを口にするかもしれない。
で、
7は…心配しているようで、実は「尋問」をしています。
8も元気付けているようですが、実は「ごまかし」ているだけ。どっちもよくありません。
3は「提案」しています。
6は「同意」しています。
9は「激励」
これらなら、良さような気がします。
…でも、全部だめなんですって。
上の「命令」「非難」「辱める」「脅迫」「尋問」「ごまかし」「提案」「同意」「激励」に加え
「説教」「理屈」「解釈」
これらは、親業では「お決まりの12の型」と呼ばれ、
「子供の心を閉ざす対応」とされるのだと知りました。
「どれなら、子供を救ってあげられるのかな?」と必死で考えていた私は、
それを聞いて思わず「ひや~っ」。
だって、習い事を「やめたい」と打ち明けた子供、
心が悩みでいっぱいいっぱいなんです。
それが溢れてきて、お母さんに訴えたわけですよね。
お母さんがしてあげるべきことは、それをすっと受け止めること。
「命令」や「非難」がそんな状態の子供の心に響かないのは、明らかだけど、
「尋問」されたって、辛いばかりで答えられない。
「提案」なんて受け付けるはずもなく、
「同意」や「激励」は所詮お母さんの気持ちを押し付けているだけ。
「やめたいんだけど」と白いボールをぽんと投げてきた子供に、
あれやらこれやら、違う色のボールを投げつける。
これがさっきの「お決まりの12の型」。
そうじゃなくて、
そのまま「そう。やめたいんだね」と白いボールを素直に返す―
それで、子供は受け止めてくれた!と感じ、初めてほっとする。
そう、子供がいつも親に望むのは
「聞いてもらうこと。気持ちを酌んでもらうこと」
ほっとすると同時に、心のガードがいらなくなった子供の思考は驚くほど進み始める。
つまり自分で解決策を考え始める。
これが、自立の第一歩なのだと言われました。
親が解決していては、いつまで経っても自立しないということです。
でも、「聞く」って思ったほど簡単なことではありません。
悩み相談は、相手の言ったことを復唱してあげるのが良い、
という話、聞いたことがありませんか?
でも、実践できますか?
本当に難しいんです。
そこで、「訓練」が必要になってくるのです。それが親業訓練。
パピーが学校から帰ってきて、おやつを食べる時間。
元気がない。うーん、声をかけようか迷っていたら、
「ボク、今日学校イヤだった…。」
とぼそっと言いました。
「12の型」はいかんっ!と心の中でセーブするも、どうしたら良いのか分からなくて黙っていたら、
「○○くんってすぐ怒るんだ。蹴ったりするんだ」
筋が通ったり、通ってなかったりする愚痴が続きました。
ああ~、もう~~!!!!!
私の中に溢れ出る思い。
(「パピーがなんか怒らすこと、言ってんじゃないの」
「学校で、お友達を怒らすようなことや嫌われるようなこと、言っちゃだめだよ」
「どのくらいの強さで蹴るの?痛い?怪我していない?」
「いや、○○くんは、ちょんって小突いただけじゃないの?『蹴った』なんてオーバーなんじゃない?」
「仕返ししてない?」
「先生は知っているの?」
「イヤだってちゃんと言わなきゃダメだよ」)
も~、私の中で渦巻く、渦巻く。
そして、全てをごっくんと飲み込みました。
(今書きとめてみて、自分自身の連射にびっくりです!
こんなこと全部吐き出してたら、子供はたまったもんじゃないだろうなあ!)
カラーボールを投げずには済んだけど、白いボールを上手く返すことも出来ず、
ヘンに寡黙な母に???なパピーは、
「…遊びに行ってくるね」と、いつものようにとっとと外へ行ってしまいました。
私の修行は、まだまだこれからです。
パピーはというと、心なしかすっきりした顔はしていたけれど、何も解決しちゃいません。
それでもこの日、私は彼の思いを受け止めることだけは出来ました。
学校で辛い思いをしたんだね。
いっぱいになっちゃった心を、私に開いてくれてありがとう。
って、思いました。
私は、ずっとあの子の「母港」でありたい。
辛いことでいっぱいになったときは、ここに戻ってきて、すべて荷を降ろせるような。
そんな風に思います。
親としての訓練
子供に「こんな風に育って欲しい」と望むこと、もちろんあると思います。
「自立した子になってほしい」
「心の豊かな子になってほしい」
「お友達と上手くやってほしい」
「理解度、吸収率の高い子になってほしい」
「とりあえず学校の成績を普通に修めてほしい」
「バイリンガルになってほしい」
じゃあ、子供が親に望むこと、考えたことありますか?
私…正直あまりありませんでした。
押し付けることにばかり一生懸命だったかもしれません。
それを考えるきっかけになったのが
Parent Effectiveness Training-親業訓練
です。
頭でっかちになるのがイヤで、子育てセミナーや育児書などは避けてきた私ですが、
縁あって、10月から親業の「訓練」を受けることになりました。
―子供をこう育てるためには、という勉強ではありません。
子供を変えるのではなく、親が変わるのです。
例えば 子供が今通っている習い事に「もう行きたくないの…」と言ったとします。
「あなたはどう返しますか?」
という質問があります。いくつか例があります。
1. (毅然と)ダメです。許しません。行きなさい!
2. (そろそろと)やめちゃったら、○○ちゃんに抜かされるし、出来なくなって辛いよ。困るよ。
3. (冷静に)じゃあ、しばらく休んでみる?それともお母さんについてってもらいたい?
4. (きつく)なにバカなこと言ってるの!
5. (イライラとorぽんっと)あなたはひとつのことを、やり続けたことがないんだから!
6. (優しく)そうなの。やめたければやめてもいいのよ。
7. (心配して)何か嫌なことがあったの? いじめられてるの? 誰が原因?
8. (あっけらかんと)明日になれば、気が変わるんじゃない?気にしな?い。
9. (元気に)さっ、頑張れ頑張れ!お母さん応援しているから!
私だったら、どう言ってしまうだろうか?―
続けさせたい!という気持ちが強ければ強いほど、
親の権威を振りかざして、1タイプ(「命令」)のことを口にするかもしれない。
もうワケわかんなくなって、4みたいにうっかり「非難」したり、5みたいに「辱める」…のは、さすがに避けたいけれど、
イライラしながら、2タイプでじわじわ「脅迫」することも、ありうるかも。
あーいやだいやだ。これらの4つ、決して良くないのは分かります。
もう少し冷静に、どう対処すべきか?を考える余裕があるときは、
他のことを口にするかもしれない。
で、
7は…心配しているようで、実は「尋問」をしています。
8も元気付けているようですが、実は「ごまかし」ているだけ。どっちもよくありません。
3は「提案」しています。
6は「同意」しています。
9は「激励」
これらなら、良さような気がします。
…でも、全部だめなんですって。
上の「命令」「非難」「辱める」「脅迫」「尋問」「ごまかし」「提案」「同意」「激励」に加え
「説教」「理屈」「解釈」
これらは、親業では「お決まりの12の型」と呼ばれ、
「子供の心を閉ざす対応」とされるのだと知りました。
「どれなら、子供を救ってあげられるのかな?」と必死で考えていた私は、
それを聞いて思わず「ひや?っ」。
だって、習い事を「やめたい」と打ち明けた子供、
心が悩みでいっぱいいっぱいなんです。
それが溢れてきて、お母さんに訴えたわけですよね。
お母さんがしてあげるべきことは、それをすっと受け止めること。
「命令」や「非難」がそんな状態の子供の心に響かないのは、明らかだけど、
「尋問」されたって、辛いばかりで答えられない。
「提案」なんて受け付けるはずもなく、
「同意」や「激励」は所詮お母さんの気持ちを押し付けているだけ。
「やめたいんだけど」と白いボールをぽんと投げてきた子供に、
あれやらこれやら、違う色のボールを投げつける。
これがさっきの「お決まりの12の型」。
そうじゃなくて、
そのまま「そう。やめたいんだね」と白いボールを素直に返す―
それで、子供は受け止めてくれた!と感じ、初めてほっとする。
そう、子供がいつも親に望むのは
「聞いてもらうこと。気持ちを酌んでもらうこと」
ほっとすると同時に、心のガードがいらなくなった子供の思考は驚くほど進み始める。
つまり自分で解決策を考え始める。
これが、自立の第一歩なのだと言われました。
親が解決していては、いつまで経っても自立しないということです。
でも、「聞く」って思ったほど簡単なことではありません。
悩み相談は、相手の言ったことを復唱してあげるのが良い、
という話、聞いたことがありませんか?
でも、実践できますか?
本当に難しいんです。
そこで、「訓練」が必要になってくるのです。それが親業訓練。
パピーが学校から帰ってきて、おやつを食べる時間。
元気がない。うーん、声をかけようか迷っていたら、
「ボク、今日学校イヤだった…。」
とぼそっと言いました。
「12の型」はいかんっ!と心の中でセーブするも、どうしたら良いのか分からなくて黙っていたら、
「○○くんってすぐ怒るんだ。蹴ったりするんだ」
筋が通ったり、通ってなかったりする愚痴が続きました。
ああ?、もう??!!!!!
私の中に溢れ出る思い。
(「パピーがなんか怒らすこと、言ってんじゃないの」
「学校で、お友達を怒らすようなことや嫌われるようなこと、言っちゃだめだよ」
「どのくらいの強さで蹴るの?痛い?怪我していない?」
「いや、○○くんは、ちょんって小突いただけじゃないの?『蹴った』なんてオーバーなんじゃない?」
「仕返ししてない?」
「先生は知っているの?」
「イヤだってちゃんと言わなきゃダメだよ」)
も?、私の中で渦巻く、渦巻く。
そして、全てをごっくんと飲み込みました。
(今書きとめてみて、自分自身の連射にびっくりです!
こんなこと全部吐き出してたら、子供はたまったもんじゃないだろうなあ!)
カラーボールを投げずには済んだけど、白いボールを上手く返すことも出来ず、
ヘンに寡黙な母に???なパピーは、
「…遊びに行ってくるね」と、いつものようにとっとと外へ行ってしまいました。
私の修行は、まだまだこれからです。
パピーはというと、心なしかすっきりした顔はしていたけれど、何も解決しちゃいません。
それでもこの日、私は彼の思いを受け止めることだけは出来ました。
学校で辛い思いをしたんだね。
いっぱいになっちゃった心を、私に開いてくれてありがとう。
って、思いました。
私は、ずっとあの子の「母港」でありたい。
辛いことでいっぱいになったときは、ここに戻ってきて、すべて荷を降ろせるような。
そんな風に思います。
「自立した子になってほしい」
「心の豊かな子になってほしい」
「お友達と上手くやってほしい」
「理解度、吸収率の高い子になってほしい」
「とりあえず学校の成績を普通に修めてほしい」
「バイリンガルになってほしい」
じゃあ、子供が親に望むこと、考えたことありますか?
私…正直あまりありませんでした。
押し付けることにばかり一生懸命だったかもしれません。
それを考えるきっかけになったのが
Parent Effectiveness Training-親業訓練
です。
頭でっかちになるのがイヤで、子育てセミナーや育児書などは避けてきた私ですが、
縁あって、10月から親業の「訓練」を受けることになりました。
―子供をこう育てるためには、という勉強ではありません。
子供を変えるのではなく、親が変わるのです。
例えば 子供が今通っている習い事に「もう行きたくないの…」と言ったとします。
「あなたはどう返しますか?」
という質問があります。いくつか例があります。
1. (毅然と)ダメです。許しません。行きなさい!
2. (そろそろと)やめちゃったら、○○ちゃんに抜かされるし、出来なくなって辛いよ。困るよ。
3. (冷静に)じゃあ、しばらく休んでみる?それともお母さんについてってもらいたい?
4. (きつく)なにバカなこと言ってるの!
5. (イライラとorぽんっと)あなたはひとつのことを、やり続けたことがないんだから!
6. (優しく)そうなの。やめたければやめてもいいのよ。
7. (心配して)何か嫌なことがあったの? いじめられてるの? 誰が原因?
8. (あっけらかんと)明日になれば、気が変わるんじゃない?気にしな?い。
9. (元気に)さっ、頑張れ頑張れ!お母さん応援しているから!
私だったら、どう言ってしまうだろうか?―
続けさせたい!という気持ちが強ければ強いほど、
親の権威を振りかざして、1タイプ(「命令」)のことを口にするかもしれない。
もうワケわかんなくなって、4みたいにうっかり「非難」したり、5みたいに「辱める」…のは、さすがに避けたいけれど、
イライラしながら、2タイプでじわじわ「脅迫」することも、ありうるかも。
あーいやだいやだ。これらの4つ、決して良くないのは分かります。
もう少し冷静に、どう対処すべきか?を考える余裕があるときは、
他のことを口にするかもしれない。
で、
7は…心配しているようで、実は「尋問」をしています。
8も元気付けているようですが、実は「ごまかし」ているだけ。どっちもよくありません。
3は「提案」しています。
6は「同意」しています。
9は「激励」
これらなら、良さような気がします。
…でも、全部だめなんですって。
上の「命令」「非難」「辱める」「脅迫」「尋問」「ごまかし」「提案」「同意」「激励」に加え
「説教」「理屈」「解釈」
これらは、親業では「お決まりの12の型」と呼ばれ、
「子供の心を閉ざす対応」とされるのだと知りました。
「どれなら、子供を救ってあげられるのかな?」と必死で考えていた私は、
それを聞いて思わず「ひや?っ」。
だって、習い事を「やめたい」と打ち明けた子供、
心が悩みでいっぱいいっぱいなんです。
それが溢れてきて、お母さんに訴えたわけですよね。
お母さんがしてあげるべきことは、それをすっと受け止めること。
「命令」や「非難」がそんな状態の子供の心に響かないのは、明らかだけど、
「尋問」されたって、辛いばかりで答えられない。
「提案」なんて受け付けるはずもなく、
「同意」や「激励」は所詮お母さんの気持ちを押し付けているだけ。
「やめたいんだけど」と白いボールをぽんと投げてきた子供に、
あれやらこれやら、違う色のボールを投げつける。
これがさっきの「お決まりの12の型」。
そうじゃなくて、
そのまま「そう。やめたいんだね」と白いボールを素直に返す―
それで、子供は受け止めてくれた!と感じ、初めてほっとする。
そう、子供がいつも親に望むのは
「聞いてもらうこと。気持ちを酌んでもらうこと」
ほっとすると同時に、心のガードがいらなくなった子供の思考は驚くほど進み始める。
つまり自分で解決策を考え始める。
これが、自立の第一歩なのだと言われました。
親が解決していては、いつまで経っても自立しないということです。
でも、「聞く」って思ったほど簡単なことではありません。
悩み相談は、相手の言ったことを復唱してあげるのが良い、
という話、聞いたことがありませんか?
でも、実践できますか?
本当に難しいんです。
そこで、「訓練」が必要になってくるのです。それが親業訓練。
パピーが学校から帰ってきて、おやつを食べる時間。
元気がない。うーん、声をかけようか迷っていたら、
「ボク、今日学校イヤだった…。」
とぼそっと言いました。
「12の型」はいかんっ!と心の中でセーブするも、どうしたら良いのか分からなくて黙っていたら、
「○○くんってすぐ怒るんだ。蹴ったりするんだ」
筋が通ったり、通ってなかったりする愚痴が続きました。
ああ?、もう??!!!!!
私の中に溢れ出る思い。
(「パピーがなんか怒らすこと、言ってんじゃないの」
「学校で、お友達を怒らすようなことや嫌われるようなこと、言っちゃだめだよ」
「どのくらいの強さで蹴るの?痛い?怪我していない?」
「いや、○○くんは、ちょんって小突いただけじゃないの?『蹴った』なんてオーバーなんじゃない?」
「仕返ししてない?」
「先生は知っているの?」
「イヤだってちゃんと言わなきゃダメだよ」)
も?、私の中で渦巻く、渦巻く。
そして、全てをごっくんと飲み込みました。
(今書きとめてみて、自分自身の連射にびっくりです!
こんなこと全部吐き出してたら、子供はたまったもんじゃないだろうなあ!)
カラーボールを投げずには済んだけど、白いボールを上手く返すことも出来ず、
ヘンに寡黙な母に???なパピーは、
「…遊びに行ってくるね」と、いつものようにとっとと外へ行ってしまいました。
私の修行は、まだまだこれからです。
パピーはというと、心なしかすっきりした顔はしていたけれど、何も解決しちゃいません。
それでもこの日、私は彼の思いを受け止めることだけは出来ました。
学校で辛い思いをしたんだね。
いっぱいになっちゃった心を、私に開いてくれてありがとう。
って、思いました。
私は、ずっとあの子の「母港」でありたい。
辛いことでいっぱいになったときは、ここに戻ってきて、すべて荷を降ろせるような。
そんな風に思います。
October 07, 2009
限られた時間の中で、子供に愛を注ぐ
私のおともだちの一人が、今、癌と闘っています。
小さな子供が二人。不安が無いはずは無いだろうけど、
抗癌剤の副作用で失った髪の代わりにかわいいウィッグをかぶって、
私にも、前と変わらない屈託の無い笑顔を見せてくれます。
程よく肩の力の抜けた彼女の子育てには、憧れていました。
もう一人のおともだちは、不治の病を抱えています。
まだ小さな一人息子がいます。
何年先まで、この子の傍にいられるか、
そんなことを考えるのはどれほど怖いかと想像するけれど、
毎日、彼を引き寄せて、優しく絵本を読んでいます。
最初の彼女にはきっと抗癌剤が効いて元気になるに違いないし、
二人目の彼女の病気も、存命率は昔に較べて随分上がっています。
それでも、「限られた命」について思いを馳せ、得体の知れない恐怖と戦わなければならない日もあったでしょう。
翻って、今とりあえず健康の心配をしていない私。
なぜかいつも我が子に、何かをしてあげなくっちゃ、与えてあげなくっちゃって、焦っている。
私達が子供に与えようとしているものってなんでしょう?
モノ、学力、英語力、教養、躾、アドバイス?…それから愛情。(並列にするには、ちょっとヘンですが)
でも実は、時間が限られているのは、彼女達だけではないのではないか―?
と、ふと考えました。
「子供の精神的巣立ちって、私達親が漠然と思っているよりもずっと早くにやってくる。」
と、Mちゃん(はい、アナタです)に言われて、思わず
「え? 私は息子の巣立ちは18と決めていたけど(勝手に決めるな!)、
15歳ではもう自分で進路を決めてるよね。
13歳でティーンネイジャー。
10歳の頃、どのくらいあの子は自分のことを決めているのだろう…?」
ばばっと計算!
今、わが息子は7歳!
もしかして、私の手の中で大事に大事に育てられる時間の、もう半分以上は来ている…?
時間は確かに限られている。
だったら、私が与えてあげたいと思っているものに、優先順位をつけなければいけない。
そしたら…トップに出るのは、間違いなく「愛」。
「それ以外のことは、さして大切ではない。」
そのくらいの気持ちで、他のものを削らなければいけないのではないか。
もちろん、現実的に削れないのはわかります。でもそのくらいの覚悟をして、「愛」を優先させたいってことです。
深呼吸して、想像してみる。
明日、私はこの子の傍にいられないかもしれない。
そう思ったら、今日この子に一番残しておきたいことは何?
大人になったときに「母といられた時間は幸せだった」と思ってもらえる時間
―だと思った。
愛の溢れた時間。
先に書いたお二人が、一日一日を大切にして子供に向き合う姿を見て、
そんなことを考えました。
なーんて偉そうなことを書いておりますが、
「テストで良い点を取らせようと思うのは、この子のため」
「苦手を克服させてあげるのも、この子の将来のため」
「厳しく躾けるのも、この子のため」
と、愛情と他のことをごっちゃにしている自分がいるのです。
もっと整理しなくてはね。イカン、イカン。
愛は愛なんだから。
そうそう、愛は一方的に注ぎ込むだけではなくって、「大きく受け止めてあげること」。
それも、しっかり心に留めておこうと思います。
なんだか抽象的な記事になってしまったかしら?
ごめんなさい。
小さな子供が二人。不安が無いはずは無いだろうけど、
抗癌剤の副作用で失った髪の代わりにかわいいウィッグをかぶって、
私にも、前と変わらない屈託の無い笑顔を見せてくれます。
程よく肩の力の抜けた彼女の子育てには、憧れていました。
もう一人のおともだちは、不治の病を抱えています。
まだ小さな一人息子がいます。
何年先まで、この子の傍にいられるか、
そんなことを考えるのはどれほど怖いかと想像するけれど、
毎日、彼を引き寄せて、優しく絵本を読んでいます。
最初の彼女にはきっと抗癌剤が効いて元気になるに違いないし、
二人目の彼女の病気も、存命率は昔に較べて随分上がっています。
それでも、「限られた命」について思いを馳せ、得体の知れない恐怖と戦わなければならない日もあったでしょう。
翻って、今とりあえず健康の心配をしていない私。
なぜかいつも我が子に、何かをしてあげなくっちゃ、与えてあげなくっちゃって、焦っている。
私達が子供に与えようとしているものってなんでしょう?
モノ、学力、英語力、教養、躾、アドバイス?…それから愛情。(並列にするには、ちょっとヘンですが)
でも実は、時間が限られているのは、彼女達だけではないのではないか―?
と、ふと考えました。
「子供の精神的巣立ちって、私達親が漠然と思っているよりもずっと早くにやってくる。」
と、Mちゃん(はい、アナタです)に言われて、思わず
「え? 私は息子の巣立ちは18と決めていたけど(勝手に決めるな!)、
15歳ではもう自分で進路を決めてるよね。
13歳でティーンネイジャー。
10歳の頃、どのくらいあの子は自分のことを決めているのだろう…?」
ばばっと計算!
今、わが息子は7歳!
もしかして、私の手の中で大事に大事に育てられる時間の、もう半分以上は来ている…?
時間は確かに限られている。
だったら、私が与えてあげたいと思っているものに、優先順位をつけなければいけない。
そしたら…トップに出るのは、間違いなく「愛」。
「それ以外のことは、さして大切ではない。」
そのくらいの気持ちで、他のものを削らなければいけないのではないか。
もちろん、現実的に削れないのはわかります。でもそのくらいの覚悟をして、「愛」を優先させたいってことです。
深呼吸して、想像してみる。
明日、私はこの子の傍にいられないかもしれない。
そう思ったら、今日この子に一番残しておきたいことは何?
大人になったときに「母といられた時間は幸せだった」と思ってもらえる時間
―だと思った。
愛の溢れた時間。
先に書いたお二人が、一日一日を大切にして子供に向き合う姿を見て、
そんなことを考えました。
なーんて偉そうなことを書いておりますが、
「テストで良い点を取らせようと思うのは、この子のため」
「苦手を克服させてあげるのも、この子の将来のため」
「厳しく躾けるのも、この子のため」
と、愛情と他のことをごっちゃにしている自分がいるのです。
もっと整理しなくてはね。イカン、イカン。
愛は愛なんだから。
そうそう、愛は一方的に注ぎ込むだけではなくって、「大きく受け止めてあげること」。
それも、しっかり心に留めておこうと思います。
なんだか抽象的な記事になってしまったかしら?
ごめんなさい。
限られた時間の中で、子供に愛を注ぐ
私のおともだちの一人が、今、癌と闘っています。
小さな子供が二人。不安が無いはずは無いだろうけど、
抗癌剤の副作用で失った髪の代わりにかわいいウィッグをかぶって、
私にも、前と変わらない屈託の無い笑顔を見せてくれます。
程よく肩の力の抜けた彼女の子育てには、憧れていました。
もう一人のおともだちは、不治の病を抱えています。
まだ小さな一人息子がいます。
何年先まで、この子の傍にいられるか、
そんなことを考えるのはどれほど怖いかと想像するけれど、
毎日、彼を引き寄せて、優しく絵本を読んでいます。
最初の彼女にはきっと抗癌剤が効いて元気になるに違いないし、
二人目の彼女の病気も、存命率は昔に較べて随分上がっています。
それでも、「限られた命」について思いを馳せ、得体の知れない恐怖と戦わなければならない日もあったでしょう。
翻って、今とりあえず健康の心配をしていない私。
なぜかいつも我が子に、何かをしてあげなくっちゃ、与えてあげなくっちゃって、焦っている。
私達が子供に与えようとしているものってなんでしょう?
モノ、学力、英語力、教養、躾、アドバイス?…それから愛情。(並列にするには、ちょっとヘンですが)
でも実は、時間が限られているのは、彼女達だけではないのではないか―?
と、ふと考えました。
「子供の精神的巣立ちって、私達親が漠然と思っているよりもずっと早くにやってくる。」
と、Mちゃん(はい、アナタです)に言われて、思わず
「え? 私は息子の巣立ちは18と決めていたけど(勝手に決めるな!)、
15歳ではもう自分で進路を決めてるよね。
13歳でティーンネイジャー。
10歳の頃、どのくらいあの子は自分のことを決めているのだろう…?」
ばばっと計算!
今、わが息子は7歳!
もしかして、私の手の中で大事に大事に育てられる時間の、もう半分以上は来ている…?
時間は確かに限られている。
だったら、私が与えてあげたいと思っているものに、優先順位をつけなければいけない。
そしたら…トップに出るのは、間違いなく「愛」。
「それ以外のことは、さして大切ではない。」
そのくらいの気持ちで、他のものを削らなければいけないのではないか。
もちろん、現実的に削れないのはわかります。でもそのくらいの覚悟をして、「愛」を優先させたいってことです。
深呼吸して、想像してみる。
明日、私はこの子の傍にいられないかもしれない。
そう思ったら、今日この子に一番残しておきたいことは何?
大人になったときに「母といられた時間は幸せだった」と思ってもらえる時間
―だと思った。
愛の溢れた時間。
先に書いたお二人が、一日一日を大切にして子供に向き合う姿を見て、
そんなことを考えました。
なーんて偉そうなことを書いておりますが、
「テストで良い点を取らせようと思うのは、この子のため」
「苦手を克服させてあげるのも、この子の将来のため」
「厳しく躾けるのも、この子のため」
と、愛情と他のことをごっちゃにしている自分がいるのです。
もっと整理しなくてはね。イカン、イカン。
愛は愛なんだから。
そうそう、愛は一方的に注ぎ込むだけではなくって、「大きく受け止めてあげること」。
それも、しっかり心に留めておこうと思います。
なんだか抽象的な記事になってしまったかしら?
ごめんなさい。
小さな子供が二人。不安が無いはずは無いだろうけど、
抗癌剤の副作用で失った髪の代わりにかわいいウィッグをかぶって、
私にも、前と変わらない屈託の無い笑顔を見せてくれます。
程よく肩の力の抜けた彼女の子育てには、憧れていました。
もう一人のおともだちは、不治の病を抱えています。
まだ小さな一人息子がいます。
何年先まで、この子の傍にいられるか、
そんなことを考えるのはどれほど怖いかと想像するけれど、
毎日、彼を引き寄せて、優しく絵本を読んでいます。
最初の彼女にはきっと抗癌剤が効いて元気になるに違いないし、
二人目の彼女の病気も、存命率は昔に較べて随分上がっています。
それでも、「限られた命」について思いを馳せ、得体の知れない恐怖と戦わなければならない日もあったでしょう。
翻って、今とりあえず健康の心配をしていない私。
なぜかいつも我が子に、何かをしてあげなくっちゃ、与えてあげなくっちゃって、焦っている。
私達が子供に与えようとしているものってなんでしょう?
モノ、学力、英語力、教養、躾、アドバイス?…それから愛情。(並列にするには、ちょっとヘンですが)
でも実は、時間が限られているのは、彼女達だけではないのではないか―?
と、ふと考えました。
「子供の精神的巣立ちって、私達親が漠然と思っているよりもずっと早くにやってくる。」
と、Mちゃん(はい、アナタです)に言われて、思わず
「え? 私は息子の巣立ちは18と決めていたけど(勝手に決めるな!)、
15歳ではもう自分で進路を決めてるよね。
13歳でティーンネイジャー。
10歳の頃、どのくらいあの子は自分のことを決めているのだろう…?」
ばばっと計算!
今、わが息子は7歳!
もしかして、私の手の中で大事に大事に育てられる時間の、もう半分以上は来ている…?
時間は確かに限られている。
だったら、私が与えてあげたいと思っているものに、優先順位をつけなければいけない。
そしたら…トップに出るのは、間違いなく「愛」。
「それ以外のことは、さして大切ではない。」
そのくらいの気持ちで、他のものを削らなければいけないのではないか。
もちろん、現実的に削れないのはわかります。でもそのくらいの覚悟をして、「愛」を優先させたいってことです。
深呼吸して、想像してみる。
明日、私はこの子の傍にいられないかもしれない。
そう思ったら、今日この子に一番残しておきたいことは何?
大人になったときに「母といられた時間は幸せだった」と思ってもらえる時間
―だと思った。
愛の溢れた時間。
先に書いたお二人が、一日一日を大切にして子供に向き合う姿を見て、
そんなことを考えました。
なーんて偉そうなことを書いておりますが、
「テストで良い点を取らせようと思うのは、この子のため」
「苦手を克服させてあげるのも、この子の将来のため」
「厳しく躾けるのも、この子のため」
と、愛情と他のことをごっちゃにしている自分がいるのです。
もっと整理しなくてはね。イカン、イカン。
愛は愛なんだから。
そうそう、愛は一方的に注ぎ込むだけではなくって、「大きく受け止めてあげること」。
それも、しっかり心に留めておこうと思います。
なんだか抽象的な記事になってしまったかしら?
ごめんなさい。
September 18, 2009
テレビを観ないってヘンですか?
こんな風に育つとは思っていませんでした。
パピーとテレビ。
パピーは家で、年に数回しかテレビを観ません。
「チャンネル」も「番組」も知りません。
お友達のうちでちらっと観たテレビ番組のことを
「○○くんちに『ぜんまいざむらい』っていうのがあるんだ」
「△△ちゃんちで、♪ピタゴラスイッチ♪っていうのを観たんだけど、
××くんも同じのを持ってるんだよ」
―つまり、そのあたりのお馴染みテレビ番組も、ビデオかDVDかだとずーっと思っているのです。
テレビのリモコンの存在も知りません。オンオフは、主電源のスイッチをガッチャンするものだと思っています。
我が家のテレビは16歳。夫が4畳(4畳半、ではないのですよ)の一人暮らしを始めた頃に買ったモノです。
子育てをするにあたって、テレビに関してはとにかくこれだけは決めました。
1.観る目的(番組)が曖昧な時は、消す。観ている番組が終ったら即消す。
2.何かをしながらつけるのはダメ。
3.平日はもちろん休日も、午前中はつけない。(午後になったからと言って、急につけたりはしないものです。結局そのまま一日が過ぎます)
4.ご飯中はつけない。
5.夕飯のあとは絵本タイムなので、つけない。
そうすると、本当にテレビをつける時間がなくなってしまいました。
正直、就園前は、ごはんの支度をしているときくらいテレビに子守をお願いしようと思ったこともありました。
ところがパピーは、テレビを観ているとすぐにころんと眠ってしまうのです。
テレビの真似をして歌ったり踊ったりすることがなかったのは、ちょっと寂しく心配でしたが、いずれにせよ夕飯前などに寝られると睡眠時間が狂ってしまうので、テレビの子守はどうも具合が悪くなりました。
テレビから発信されるものを受けているより、トミカなどで自分の世界を作り出しているほうが、よほど楽しそうでした。
「トミカで遊ぶなら、テレビは消すよ」
勿論、パピーに異論はありません。
幼稚園、小学校と進むにつれ、テレビをつける時間も必要性も益々減っていきました。
大人二人がテレビをつけるのは、パピーが床に就いてから。それが当たり前になりました。
でも次第に、テレビのついていない空間の心地よさに慣れて、二人の時間もテレビはほとんどついていません。
パピーは特別神経質でも、繊細でもないけれど、テレビの音には弱い子になりました。
テレビの音が耳に入ると、とても不安そうな顔をします。
親がテレビに観入ることを、とても嫌がります。3人で普通に会話が出来る空間にいたいのです。
ある夜。9時頃から、大人二人で映画を観ていました。現代モノの邦画で、特に激しい場面もないはずのストーリーでした。
一人床に就いていたパピーでしたが、
「テレビがうるさくて眠れない」
と顔を出したとき、一人の男がぴしゃっと平手打ちされるシーンを観てしまいました。
それで…本当に眠れなくなってしまったのです。
私は、映画の続きを諦めて添い寝する羽目になりました。
この、7歳の息子とテレビの関係を人に話すと、ややこしくなることがあります。
みんなが観ている番組を知らなくて、仲間はずれにされない?
テレビの音ごときで怖がるなんて、弱すぎない?
他の子は、テレビでたくさんの情報を得ているよ。
ちびまるこちゃんやドラえもんならいいじゃない。
今は、学校の発表会でもジャニーズの歌を歌うのに、知らないと困るでしょう?
イマドキテレビも観てないなんて…やりすぎじゃない?
テレビの観過ぎは良くないと分かっている人たちでも、我が家ほど観ていない事を聞くと、こんなことを心配してくれるのです。
(ひとつひとつ、「心配ないよ」と反論したいですが)
テレビが良いとか悪いとか、論ずるつもりはありません。
テレビやゲームを1日2時間以上する子供に、成績上位の子はいない、
と、確か陰山英男先生の本で読みました。
でも私の周囲には、ゲームが大好きでテレビもよく観ているけど、学校の成績の良い子なんてたくさんいます。
ただひとつ言えるのは、我が家はとても静かであるということ。
今の季節、夕方には虫の声が、朝には鳥の声が聞こえます。
週末の夜。
おいしいお菓子やお茶を用意します。(時々パピーが用意してくれます)
その日借りてきた絵本を、夫か私のどちらかが読み聞かせます。3人で大笑いしたり、盛り上がったりする絵本もあります。
先週盛り上がったのはこんな本。
3人黙って、バラバラの本を読むこともあります。
夫はジェフリー・ディーバーを、私は宮本輝を、パピーは「月間自家用車」を。
聞こえるのは、虫の声だけ。
ヘンな家族ですか?
パピーのことでは、いつも心配だらけだけど、
幸せなんだからいいか、と思える時間です。
映像から入ってくる、たくさんの情報と引き換えに、得ている時間です。
何を大切にするかは、それぞれの価値観。
ヘンと思われても、
自分の価値観で選ぶものは見失わないように、
と思います。
パピーとテレビ。
パピーは家で、年に数回しかテレビを観ません。
「チャンネル」も「番組」も知りません。
お友達のうちでちらっと観たテレビ番組のことを
「○○くんちに『ぜんまいざむらい』っていうのがあるんだ」
「△△ちゃんちで、♪ピタゴラスイッチ♪っていうのを観たんだけど、
××くんも同じのを持ってるんだよ」
―つまり、そのあたりのお馴染みテレビ番組も、ビデオかDVDかだとずーっと思っているのです。
テレビのリモコンの存在も知りません。オンオフは、主電源のスイッチをガッチャンするものだと思っています。
我が家のテレビは16歳。夫が4畳(4畳半、ではないのですよ)の一人暮らしを始めた頃に買ったモノです。
子育てをするにあたって、テレビに関してはとにかくこれだけは決めました。
1.観る目的(番組)が曖昧な時は、消す。観ている番組が終ったら即消す。
2.何かをしながらつけるのはダメ。
3.平日はもちろん休日も、午前中はつけない。(午後になったからと言って、急につけたりはしないものです。結局そのまま一日が過ぎます)
4.ご飯中はつけない。
5.夕飯のあとは絵本タイムなので、つけない。
そうすると、本当にテレビをつける時間がなくなってしまいました。
正直、就園前は、ごはんの支度をしているときくらいテレビに子守をお願いしようと思ったこともありました。
ところがパピーは、テレビを観ているとすぐにころんと眠ってしまうのです。
テレビの真似をして歌ったり踊ったりすることがなかったのは、ちょっと寂しく心配でしたが、いずれにせよ夕飯前などに寝られると睡眠時間が狂ってしまうので、テレビの子守はどうも具合が悪くなりました。
テレビから発信されるものを受けているより、トミカなどで自分の世界を作り出しているほうが、よほど楽しそうでした。
「トミカで遊ぶなら、テレビは消すよ」
勿論、パピーに異論はありません。
幼稚園、小学校と進むにつれ、テレビをつける時間も必要性も益々減っていきました。
大人二人がテレビをつけるのは、パピーが床に就いてから。それが当たり前になりました。
でも次第に、テレビのついていない空間の心地よさに慣れて、二人の時間もテレビはほとんどついていません。
パピーは特別神経質でも、繊細でもないけれど、テレビの音には弱い子になりました。
テレビの音が耳に入ると、とても不安そうな顔をします。
親がテレビに観入ることを、とても嫌がります。3人で普通に会話が出来る空間にいたいのです。
ある夜。9時頃から、大人二人で映画を観ていました。現代モノの邦画で、特に激しい場面もないはずのストーリーでした。
一人床に就いていたパピーでしたが、
「テレビがうるさくて眠れない」
と顔を出したとき、一人の男がぴしゃっと平手打ちされるシーンを観てしまいました。
それで…本当に眠れなくなってしまったのです。
私は、映画の続きを諦めて添い寝する羽目になりました。
この、7歳の息子とテレビの関係を人に話すと、ややこしくなることがあります。
みんなが観ている番組を知らなくて、仲間はずれにされない?
テレビの音ごときで怖がるなんて、弱すぎない?
他の子は、テレビでたくさんの情報を得ているよ。
ちびまるこちゃんやドラえもんならいいじゃない。
今は、学校の発表会でもジャニーズの歌を歌うのに、知らないと困るでしょう?
イマドキテレビも観てないなんて…やりすぎじゃない?
テレビの観過ぎは良くないと分かっている人たちでも、我が家ほど観ていない事を聞くと、こんなことを心配してくれるのです。
(ひとつひとつ、「心配ないよ」と反論したいですが)
テレビが良いとか悪いとか、論ずるつもりはありません。
テレビやゲームを1日2時間以上する子供に、成績上位の子はいない、
と、確か陰山英男先生の本で読みました。
でも私の周囲には、ゲームが大好きでテレビもよく観ているけど、学校の成績の良い子なんてたくさんいます。
ただひとつ言えるのは、我が家はとても静かであるということ。
今の季節、夕方には虫の声が、朝には鳥の声が聞こえます。
週末の夜。
おいしいお菓子やお茶を用意します。(時々パピーが用意してくれます)
その日借りてきた絵本を、夫か私のどちらかが読み聞かせます。3人で大笑いしたり、盛り上がったりする絵本もあります。
先週盛り上がったのはこんな本。
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夫はジェフリー・ディーバーを、私は宮本輝を、パピーは「月間自家用車」を。
聞こえるのは、虫の声だけ。
ヘンな家族ですか?
パピーのことでは、いつも心配だらけだけど、
幸せなんだからいいか、と思える時間です。
映像から入ってくる、たくさんの情報と引き換えに、得ている時間です。
何を大切にするかは、それぞれの価値観。
ヘンと思われても、
自分の価値観で選ぶものは見失わないように、
と思います。
テレビを観ないってヘンですか?
こんな風に育つとは思っていませんでした。
パピーとテレビ。
パピーは家で、年に数回しかテレビを観ません。
「チャンネル」も「番組」も知りません。
お友達のうちでちらっと観たテレビ番組のことを
「○○くんちに『ぜんまいざむらい』っていうのがあるんだ」
「△△ちゃんちで、♪ピタゴラスイッチ♪っていうのを観たんだけど、
××くんも同じのを持ってるんだよ」
―つまり、そのあたりのお馴染みテレビ番組も、ビデオかDVDかだとずーっと思っているのです。
テレビのリモコンの存在も知りません。オンオフは、主電源のスイッチをガッチャンするものだと思っています。
我が家のテレビは16歳。夫が4畳(4畳半、ではないのですよ)の一人暮らしを始めた頃に買ったモノです。
子育てをするにあたって、テレビに関してはとにかくこれだけは決めました。
1.観る目的(番組)が曖昧な時は、消す。観ている番組が終ったら即消す。
2.何かをしながらつけるのはダメ。
3.平日はもちろん休日も、午前中はつけない。(午後になったからと言って、急につけたりはしないものです。結局そのまま一日が過ぎます)
4.ご飯中はつけない。
5.夕飯のあとは絵本タイムなので、つけない。
そうすると、本当にテレビをつける時間がなくなってしまいました。
正直、就園前は、ごはんの支度をしているときくらいテレビに子守をお願いしようと思ったこともありました。
ところがパピーは、テレビを観ているとすぐにころんと眠ってしまうのです。
テレビの真似をして歌ったり踊ったりすることがなかったのは、ちょっと寂しく心配でしたが、いずれにせよ夕飯前などに寝られると睡眠時間が狂ってしまうので、テレビの子守はどうも具合が悪くなりました。
テレビから発信されるものを受けているより、トミカなどで自分の世界を作り出しているほうが、よほど楽しそうでした。
「トミカで遊ぶなら、テレビは消すよ」
勿論、パピーに異論はありません。
幼稚園、小学校と進むにつれ、テレビをつける時間も必要性も益々減っていきました。
大人二人がテレビをつけるのは、パピーが床に就いてから。それが当たり前になりました。
でも次第に、テレビのついていない空間の心地よさに慣れて、二人の時間もテレビはほとんどついていません。
パピーは特別神経質でも、繊細でもないけれど、テレビの音には弱い子になりました。
テレビの音が耳に入ると、とても不安そうな顔をします。
親がテレビに観入ることを、とても嫌がります。3人で普通に会話が出来る空間にいたいのです。
ある夜。9時頃から、大人二人で映画を観ていました。現代モノの邦画で、特に激しい場面もないはずのストーリーでした。
一人床に就いていたパピーでしたが、
「テレビがうるさくて眠れない」
と顔を出したとき、一人の男がぴしゃっと平手打ちされるシーンを観てしまいました。
それで…本当に眠れなくなってしまったのです。
私は、映画の続きを諦めて添い寝する羽目になりました。
この、7歳の息子とテレビの関係を人に話すと、ややこしくなることがあります。
みんなが観ている番組を知らなくて、仲間はずれにされない?
テレビの音ごときで怖がるなんて、弱すぎない?
他の子は、テレビでたくさんの情報を得ているよ。
ちびまるこちゃんやドラえもんならいいじゃない。
今は、学校の発表会でもジャニーズの歌を歌うのに、知らないと困るでしょう?
イマドキテレビも観てないなんて…やりすぎじゃない?
テレビの観過ぎは良くないと分かっている人たちでも、我が家ほど観ていない事を聞くと、こんなことを心配してくれるのです。
(ひとつひとつ、「心配ないよ」と反論したいですが)
テレビが良いとか悪いとか、論ずるつもりはありません。
テレビやゲームを1日2時間以上する子供に、成績上位の子はいない、
と、確か陰山英男先生の本で読みました。
でも私の周囲には、ゲームが大好きでテレビもよく観ているけど、学校の成績の良い子なんてたくさんいます。
ただひとつ言えるのは、我が家はとても静かであるということ。
今の季節、夕方には虫の声が、朝には鳥の声が聞こえます。
週末の夜。
おいしいお菓子やお茶を用意します。(時々パピーが用意してくれます)
その日借りてきた絵本を、夫か私のどちらかが読み聞かせます。3人で大笑いしたり、盛り上がったりする絵本もあります。
先週盛り上がったのはこんな本。
3人黙って、バラバラの本を読むこともあります。
夫はジェフリー・ディーバーを、私は宮本輝を、パピーは「月間自家用車」を。
聞こえるのは、虫の声だけ。
ヘンな家族ですか?
パピーのことでは、いつも心配だらけだけど、
幸せなんだからいいか、と思える時間です。
映像から入ってくる、たくさんの情報と引き換えに、得ている時間です。
何を大切にするかは、それぞれの価値観。
ヘンと思われても、
自分の価値観で選ぶものは見失わないように、
と思います。
パピーとテレビ。
パピーは家で、年に数回しかテレビを観ません。
「チャンネル」も「番組」も知りません。
お友達のうちでちらっと観たテレビ番組のことを
「○○くんちに『ぜんまいざむらい』っていうのがあるんだ」
「△△ちゃんちで、♪ピタゴラスイッチ♪っていうのを観たんだけど、
××くんも同じのを持ってるんだよ」
―つまり、そのあたりのお馴染みテレビ番組も、ビデオかDVDかだとずーっと思っているのです。
テレビのリモコンの存在も知りません。オンオフは、主電源のスイッチをガッチャンするものだと思っています。
我が家のテレビは16歳。夫が4畳(4畳半、ではないのですよ)の一人暮らしを始めた頃に買ったモノです。
子育てをするにあたって、テレビに関してはとにかくこれだけは決めました。
1.観る目的(番組)が曖昧な時は、消す。観ている番組が終ったら即消す。
2.何かをしながらつけるのはダメ。
3.平日はもちろん休日も、午前中はつけない。(午後になったからと言って、急につけたりはしないものです。結局そのまま一日が過ぎます)
4.ご飯中はつけない。
5.夕飯のあとは絵本タイムなので、つけない。
そうすると、本当にテレビをつける時間がなくなってしまいました。
正直、就園前は、ごはんの支度をしているときくらいテレビに子守をお願いしようと思ったこともありました。
ところがパピーは、テレビを観ているとすぐにころんと眠ってしまうのです。
テレビの真似をして歌ったり踊ったりすることがなかったのは、ちょっと寂しく心配でしたが、いずれにせよ夕飯前などに寝られると睡眠時間が狂ってしまうので、テレビの子守はどうも具合が悪くなりました。
テレビから発信されるものを受けているより、トミカなどで自分の世界を作り出しているほうが、よほど楽しそうでした。
「トミカで遊ぶなら、テレビは消すよ」
勿論、パピーに異論はありません。
幼稚園、小学校と進むにつれ、テレビをつける時間も必要性も益々減っていきました。
大人二人がテレビをつけるのは、パピーが床に就いてから。それが当たり前になりました。
でも次第に、テレビのついていない空間の心地よさに慣れて、二人の時間もテレビはほとんどついていません。
パピーは特別神経質でも、繊細でもないけれど、テレビの音には弱い子になりました。
テレビの音が耳に入ると、とても不安そうな顔をします。
親がテレビに観入ることを、とても嫌がります。3人で普通に会話が出来る空間にいたいのです。
ある夜。9時頃から、大人二人で映画を観ていました。現代モノの邦画で、特に激しい場面もないはずのストーリーでした。
一人床に就いていたパピーでしたが、
「テレビがうるさくて眠れない」
と顔を出したとき、一人の男がぴしゃっと平手打ちされるシーンを観てしまいました。
それで…本当に眠れなくなってしまったのです。
私は、映画の続きを諦めて添い寝する羽目になりました。
この、7歳の息子とテレビの関係を人に話すと、ややこしくなることがあります。
みんなが観ている番組を知らなくて、仲間はずれにされない?
テレビの音ごときで怖がるなんて、弱すぎない?
他の子は、テレビでたくさんの情報を得ているよ。
ちびまるこちゃんやドラえもんならいいじゃない。
今は、学校の発表会でもジャニーズの歌を歌うのに、知らないと困るでしょう?
イマドキテレビも観てないなんて…やりすぎじゃない?
テレビの観過ぎは良くないと分かっている人たちでも、我が家ほど観ていない事を聞くと、こんなことを心配してくれるのです。
(ひとつひとつ、「心配ないよ」と反論したいですが)
テレビが良いとか悪いとか、論ずるつもりはありません。
テレビやゲームを1日2時間以上する子供に、成績上位の子はいない、
と、確か陰山英男先生の本で読みました。
でも私の周囲には、ゲームが大好きでテレビもよく観ているけど、学校の成績の良い子なんてたくさんいます。
ただひとつ言えるのは、我が家はとても静かであるということ。
今の季節、夕方には虫の声が、朝には鳥の声が聞こえます。
週末の夜。
おいしいお菓子やお茶を用意します。(時々パピーが用意してくれます)
その日借りてきた絵本を、夫か私のどちらかが読み聞かせます。3人で大笑いしたり、盛り上がったりする絵本もあります。
先週盛り上がったのはこんな本。
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3人黙って、バラバラの本を読むこともあります。
夫はジェフリー・ディーバーを、私は宮本輝を、パピーは「月間自家用車」を。
聞こえるのは、虫の声だけ。
ヘンな家族ですか?
パピーのことでは、いつも心配だらけだけど、
幸せなんだからいいか、と思える時間です。
映像から入ってくる、たくさんの情報と引き換えに、得ている時間です。
何を大切にするかは、それぞれの価値観。
ヘンと思われても、
自分の価値観で選ぶものは見失わないように、
と思います。
June 30, 2009
パピーの算数のお話
● その1
先日、算数のテストで、出来なかった問題がありました。
時計の問題です。
時計は7時45分を指しています。
(パピーの名誉のために言っておくと、時計は人並みに読みます。
「6時までに帰ってきなさいね」
というと、時計を見て、
「4時20分か。じゃあ、あと1時間40分遊べるね」
と答えます。)
問題は 「このとけいの1時間ごは、いつですか?」でした。
答えは白紙でした。
「なんでわからないの?どこがわからないの?」と責めてしまう私。
パピーは首を傾げるばかり。
すったもんだの問答の末、「いちじかんご」の「ご」の意味がわからなったのだということが分かりました。「ええっ? 『後』の意味、知らないの?!うそ~!」
パピーは、うわーんと泣き出しました。恐ろしい私に追及されて、辛かったのでしょう。かわいそうなことをしました。
「問題をちゃんと読んだらわかるよ!しっかり読みなさい!」
と喉まで出掛かっていましたが、ぐっと飲み込みました。
「ちゃんと読めば分かるに決まってる。わからないのは、いい加減に読んでいるから」というのは大人の思い込み。
「(1じかん)ご」…そんな小さなところで、子どもって躓くものなんだ…。
(我が子だけ?)
読書量が多い子は、文章題が得意、なんて簡単にはいきません。少なくとも7歳の時点では。
● その2
表とグラフのテスト。
1つ目の問題で、挿絵にあるたくさんの動物を、それぞれの数のグラフにします。
問題 2 「このグラフからどんなことがわかりますか?」
答えは何でも良いのですが、
模範解答は「うさぎが一ばんおおい。」とか「さるがいちばんすくない。」等、いろいろあったはずです。
パピーの答えを見て、びっくりです。
「たいしたことはわからない。」
学校で、数をグラフ化する意味を散々習ったはずです。
なんでこんな答えを!授業聞いてた?
―と喉まで出掛かって、また飲み込みました。
そっかー。
うさぎの数も、さるの数も、犬の数も、パピーは別に知りたかったわけじゃないんだ。
先生は△をくださいました。×にならなかっただけ、御の字かもしれません。
● その3
これは「どんぐり倶楽部」にあった算数の問題です。
「海にくらげが泳いでいます。毎日5匹ずつ増えていきます。
昨日は6匹でした。明日は何匹いるでしょう?」
どんぐり倶楽部は、絵を描いて問題をイメージ化しなくてはいけません。
パピーは、7色の色鉛筆を使ってくらげをゆらゆら描きました。顔の表情は宇宙人みたい。
もう数なんてどうでも良くって、パイレーツ関連の洋書絵本を時々読んでいる彼、海の底に欠かせないのは金色に輝くトレジャーボックス!色とりどりの魚を描いた後、海を色鉛筆で真っ青に塗って、かれこれ1時間半。
確かに、色はきれいです。
そして大きくこたえを書きました。
「あしたのことはわからない」
ちょっと待って、パピーさん!
これは算数!
6(昨日いたクラゲ)+5(今日増えた分)+5(明日増える分)=
って計算するのよっ!
それを友人のマサミちゃんに話したら、大笑いしながら
「だって、実際くらげなんて、正確に増えるもんじゃないからね~。
パピーくんの考えって、現実に近いんじゃないの~?」
● その4
ある日、パピーが言いました。「僕が、算数のどんぐり問題をつくってあげる!」
はい、どうぞ。
「パピーくんは、ある日パン屋さんに行きました。
トレイに、あんぱんを2つ、メロンパンを3つのせました。
さて、パピー君はあと何個パンを買うでしょう?」
知るかーっ!
一筋縄ではいかない、パピーの算数。今、小学2年生。
前途多難です。
先日、算数のテストで、出来なかった問題がありました。
時計の問題です。
時計は7時45分を指しています。
(パピーの名誉のために言っておくと、時計は人並みに読みます。
「6時までに帰ってきなさいね」
というと、時計を見て、
「4時20分か。じゃあ、あと1時間40分遊べるね」
と答えます。)
問題は 「このとけいの1時間ごは、いつですか?」でした。
答えは白紙でした。
「なんでわからないの?どこがわからないの?」と責めてしまう私。
パピーは首を傾げるばかり。
すったもんだの問答の末、「いちじかんご」の「ご」の意味がわからなったのだということが分かりました。「ええっ? 『後』の意味、知らないの?!うそ~!」
パピーは、うわーんと泣き出しました。恐ろしい私に追及されて、辛かったのでしょう。かわいそうなことをしました。
「問題をちゃんと読んだらわかるよ!しっかり読みなさい!」
と喉まで出掛かっていましたが、ぐっと飲み込みました。
「ちゃんと読めば分かるに決まってる。わからないのは、いい加減に読んでいるから」というのは大人の思い込み。
「(1じかん)ご」…そんな小さなところで、子どもって躓くものなんだ…。
(我が子だけ?)
読書量が多い子は、文章題が得意、なんて簡単にはいきません。少なくとも7歳の時点では。
● その2
表とグラフのテスト。
1つ目の問題で、挿絵にあるたくさんの動物を、それぞれの数のグラフにします。
問題 2 「このグラフからどんなことがわかりますか?」
答えは何でも良いのですが、
模範解答は「うさぎが一ばんおおい。」とか「さるがいちばんすくない。」等、いろいろあったはずです。
パピーの答えを見て、びっくりです。
「たいしたことはわからない。」
学校で、数をグラフ化する意味を散々習ったはずです。
なんでこんな答えを!授業聞いてた?
―と喉まで出掛かって、また飲み込みました。
そっかー。
うさぎの数も、さるの数も、犬の数も、パピーは別に知りたかったわけじゃないんだ。
先生は△をくださいました。×にならなかっただけ、御の字かもしれません。
● その3
これは「どんぐり倶楽部」にあった算数の問題です。
「海にくらげが泳いでいます。毎日5匹ずつ増えていきます。
昨日は6匹でした。明日は何匹いるでしょう?」
どんぐり倶楽部は、絵を描いて問題をイメージ化しなくてはいけません。
パピーは、7色の色鉛筆を使ってくらげをゆらゆら描きました。顔の表情は宇宙人みたい。
もう数なんてどうでも良くって、パイレーツ関連の洋書絵本を時々読んでいる彼、海の底に欠かせないのは金色に輝くトレジャーボックス!色とりどりの魚を描いた後、海を色鉛筆で真っ青に塗って、かれこれ1時間半。
確かに、色はきれいです。
そして大きくこたえを書きました。
「あしたのことはわからない」
ちょっと待って、パピーさん!
これは算数!
6(昨日いたクラゲ)+5(今日増えた分)+5(明日増える分)=
って計算するのよっ!
それを友人のマサミちゃんに話したら、大笑いしながら
「だって、実際くらげなんて、正確に増えるもんじゃないからね~。
パピーくんの考えって、現実に近いんじゃないの~?」
● その4
ある日、パピーが言いました。「僕が、算数のどんぐり問題をつくってあげる!」
はい、どうぞ。
「パピーくんは、ある日パン屋さんに行きました。
トレイに、あんぱんを2つ、メロンパンを3つのせました。
さて、パピー君はあと何個パンを買うでしょう?」
知るかーっ!
一筋縄ではいかない、パピーの算数。今、小学2年生。
前途多難です。
パピーの算数のお話
● その1
先日、算数のテストで、出来なかった問題がありました。
時計の問題です。
時計は7時45分を指しています。
(パピーの名誉のために言っておくと、時計は人並みに読みます。
「6時までに帰ってきなさいね」
というと、時計を見て、
「4時20分か。じゃあ、あと1時間40分遊べるね」
と答えます。)
問題は 「このとけいの1時間ごは、いつですか?」でした。
答えは白紙でした。
「なんでわからないの?どこがわからないの?」と責めてしまう私。
パピーは首を傾げるばかり。
すったもんだの問答の末、「いちじかんご」の「ご」の意味がわからなったのだということが分かりました。「ええっ? 『後』の意味、知らないの?!うそ?!」
パピーは、うわーんと泣き出しました。恐ろしい私に追及されて、辛かったのでしょう。かわいそうなことをしました。
「問題をちゃんと読んだらわかるよ!しっかり読みなさい!」
と喉まで出掛かっていましたが、ぐっと飲み込みました。
「ちゃんと読めば分かるに決まってる。わからないのは、いい加減に読んでいるから」というのは大人の思い込み。
「(1じかん)ご」…そんな小さなところで、子どもって躓くものなんだ…。
(我が子だけ?)
読書量が多い子は、文章題が得意、なんて簡単にはいきません。少なくとも7歳の時点では。
● その2
表とグラフのテスト。
1つ目の問題で、挿絵にあるたくさんの動物を、それぞれの数のグラフにします。
問題 2 「このグラフからどんなことがわかりますか?」
答えは何でも良いのですが、
模範解答は「うさぎが一ばんおおい。」とか「さるがいちばんすくない。」等、いろいろあったはずです。
パピーの答えを見て、びっくりです。
「たいしたことはわからない。」
学校で、数をグラフ化する意味を散々習ったはずです。
なんでこんな答えを!授業聞いてた?
―と喉まで出掛かって、また飲み込みました。
そっかー。
うさぎの数も、さるの数も、犬の数も、パピーは別に知りたかったわけじゃないんだ。
先生は△をくださいました。×にならなかっただけ、御の字かもしれません。
● その3
これは「どんぐり倶楽部」にあった算数の問題です。
「海にくらげが泳いでいます。毎日5匹ずつ増えていきます。
昨日は6匹でした。明日は何匹いるでしょう?」
どんぐり倶楽部は、絵を描いて問題をイメージ化しなくてはいけません。
パピーは、7色の色鉛筆を使ってくらげをゆらゆら描きました。顔の表情は宇宙人みたい。
もう数なんてどうでも良くって、パイレーツ関連の洋書絵本を時々読んでいる彼、海の底に欠かせないのは金色に輝くトレジャーボックス!色とりどりの魚を描いた後、海を色鉛筆で真っ青に塗って、かれこれ1時間半。
確かに、色はきれいです。
そして大きくこたえを書きました。
「あしたのことはわからない」
ちょっと待って、パピーさん!
これは算数!
6(昨日いたクラゲ)+5(今日増えた分)+5(明日増える分)=
って計算するのよっ!
それを友人のマサミちゃんに話したら、大笑いしながら
「だって、実際くらげなんて、正確に増えるもんじゃないからね?。
パピーくんの考えって、現実に近いんじゃないの??」
● その4
ある日、パピーが言いました。「僕が、算数のどんぐり問題をつくってあげる!」
はい、どうぞ。
「パピーくんは、ある日パン屋さんに行きました。
トレイに、あんぱんを2つ、メロンパンを3つのせました。
さて、パピー君はあと何個パンを買うでしょう?」
知るかーっ!
一筋縄ではいかない、パピーの算数。今、小学2年生。
前途多難です。
先日、算数のテストで、出来なかった問題がありました。
時計の問題です。
時計は7時45分を指しています。
(パピーの名誉のために言っておくと、時計は人並みに読みます。
「6時までに帰ってきなさいね」
というと、時計を見て、
「4時20分か。じゃあ、あと1時間40分遊べるね」
と答えます。)
問題は 「このとけいの1時間ごは、いつですか?」でした。
答えは白紙でした。
「なんでわからないの?どこがわからないの?」と責めてしまう私。
パピーは首を傾げるばかり。
すったもんだの問答の末、「いちじかんご」の「ご」の意味がわからなったのだということが分かりました。「ええっ? 『後』の意味、知らないの?!うそ?!」
パピーは、うわーんと泣き出しました。恐ろしい私に追及されて、辛かったのでしょう。かわいそうなことをしました。
「問題をちゃんと読んだらわかるよ!しっかり読みなさい!」
と喉まで出掛かっていましたが、ぐっと飲み込みました。
「ちゃんと読めば分かるに決まってる。わからないのは、いい加減に読んでいるから」というのは大人の思い込み。
「(1じかん)ご」…そんな小さなところで、子どもって躓くものなんだ…。
(我が子だけ?)
読書量が多い子は、文章題が得意、なんて簡単にはいきません。少なくとも7歳の時点では。
● その2
表とグラフのテスト。
1つ目の問題で、挿絵にあるたくさんの動物を、それぞれの数のグラフにします。
問題 2 「このグラフからどんなことがわかりますか?」
答えは何でも良いのですが、
模範解答は「うさぎが一ばんおおい。」とか「さるがいちばんすくない。」等、いろいろあったはずです。
パピーの答えを見て、びっくりです。
「たいしたことはわからない。」
学校で、数をグラフ化する意味を散々習ったはずです。
なんでこんな答えを!授業聞いてた?
―と喉まで出掛かって、また飲み込みました。
そっかー。
うさぎの数も、さるの数も、犬の数も、パピーは別に知りたかったわけじゃないんだ。
先生は△をくださいました。×にならなかっただけ、御の字かもしれません。
● その3
これは「どんぐり倶楽部」にあった算数の問題です。
「海にくらげが泳いでいます。毎日5匹ずつ増えていきます。
昨日は6匹でした。明日は何匹いるでしょう?」
どんぐり倶楽部は、絵を描いて問題をイメージ化しなくてはいけません。
パピーは、7色の色鉛筆を使ってくらげをゆらゆら描きました。顔の表情は宇宙人みたい。
もう数なんてどうでも良くって、パイレーツ関連の洋書絵本を時々読んでいる彼、海の底に欠かせないのは金色に輝くトレジャーボックス!色とりどりの魚を描いた後、海を色鉛筆で真っ青に塗って、かれこれ1時間半。
確かに、色はきれいです。
そして大きくこたえを書きました。
「あしたのことはわからない」
ちょっと待って、パピーさん!
これは算数!
6(昨日いたクラゲ)+5(今日増えた分)+5(明日増える分)=
って計算するのよっ!
それを友人のマサミちゃんに話したら、大笑いしながら
「だって、実際くらげなんて、正確に増えるもんじゃないからね?。
パピーくんの考えって、現実に近いんじゃないの??」
● その4
ある日、パピーが言いました。「僕が、算数のどんぐり問題をつくってあげる!」
はい、どうぞ。
「パピーくんは、ある日パン屋さんに行きました。
トレイに、あんぱんを2つ、メロンパンを3つのせました。
さて、パピー君はあと何個パンを買うでしょう?」
知るかーっ!
一筋縄ではいかない、パピーの算数。今、小学2年生。
前途多難です。
June 23, 2009
日本語でライミング?―と英語のリズム
最近、私と夫がよく聴CDがなぜか、コブクロ。
以前に買ったKOBUKURO ALL SINGLES BESTのCDを引っ張り出してきて、家でも車でも掛けています。
「轍」も「宝島」も、月並みな言い方だけれど、聴いていたらとても元気になってきます。
「君という名の翼」
が、CDの1曲目に入っているので何度も何度も聴いているうちに、
パピーも一緒に歌い始めました。
そういえば、この歌が出たのは2006年…ちょっと振り返る。
我が子をぺらっぺらのバイリンガルにするぞ~
と何かに取り憑かれていた頃(?)だな。
邦楽が我が家のオーディオから流れることなんてなかったなあ。とにかくはインプット、インプット、と張り切っていた。
そんな私も、そういう考えがどこかおかしいことに、まもなく気付きます。
・・・・
話をコブクロに戻します。
この歌、日本語の歌詞に珍しく、韻を踏んでいます。(あ、珍しくないですか?)
一緒に口ずさんでいると、その部分、心地よいのです。
♪青いしぶきに重なる 残像♪
♪水際に浮かべた 感情 ♪
コブクロくんたちは この2語を「ざんぞゥっ」「かんじょゥっ」と強調しています。
「残像」などという言葉も漢字も知らないパピーくんは、こう歌いました。
♪あおいしぶきにかさなる ザッソウッ♪
♪みずぎわにうかべた サンゾウッ♪
雑草… 三蔵…
ふと、天竺への旅路にある、サルやブタやカッパを思い浮かべててしまいました。
「パピー、ちょっと違うよ」
歌をよーく聴きなおしたパピー、再び歌う。
♪あおいしぶきにかさなる ナイゾウッ♪
♪みずぎわにうかべた カンゾウッ♪
私達にはこう聞こえる。
♪あおいしぶきにかさなる 内臓ッ♪
♪みずぎわにうかべた 肝臓ッ♪
内臓と肝臓を、繰り返し繰り返し
壊れたレコードみたいに、歌う歌う、鼻歌大好きパピーくん。
「ま、いいや。ほっとこう。」
どこかで恥をかいたら気付くだろう、と無責任な私達。
_____________________________
英語の詩は、韻を踏む(ライミング)のが原則です。
私はそれを、中学校で「習い」ました。
「韻を踏む」なんて日本語、そのとき初めて聞いたし、何のためにそんな無理な詩を書かなければいけないのかわかりませんでした。
リズミカルな英語なんて、学校では聞かせてくれなかったし、
私の中にそもそも、英語のリズムを感じる素地がなかったのです。
だから、言葉遊びの面白さは、やっぱり小さい頃に体験するべきなんだろうな、と思います。
CDでがんがんインプットするのではなく、ママと一緒に口ずさんでリズムをとって…それはどんな言語でも同じこと。
小さい頃から英語を、というのなら、そういう経験をたくさん積ませてあげて欲しいです。
そして「大人の私はもう遅い」「私は、英語の歌でなんて遊んであげられない」なんて仰る方が多いけれど。
中学のときに↑上のような状態だった私が、英語のライミングの心地良さを感じるようになったのは、パピーと一緒に、子供向けの英語の歌や詩を楽しむようになってから。子どもの成長に合わせてゆっくりたくさん親しんでいけば(これが出来るのが、母親の強みですよ~)、英語のリズム感って体の中に染み込んでいくんだな、って分かりました。
CTP社のLearn-to-Readシリーズは、親子で英語のリズムを楽しむことのできる、私の知っている限りでは一番楽しく、充実した素材だと思います。
(これを全て暗誦させれば子どもはぺらぺらになる、などとゆめゆめお考えになりませんように)
_____________________________
さっきの話にまた戻ります。
パピーはあれでも、ライミングの妙に気付いている?
のかも…しれない。
いや…そうとは…言えないか…。
センスがあるというか、ないというか…。
続きを読む
以前に買ったKOBUKURO ALL SINGLES BESTのCDを引っ張り出してきて、家でも車でも掛けています。
「轍」も「宝島」も、月並みな言い方だけれど、聴いていたらとても元気になってきます。
「君という名の翼」
が、CDの1曲目に入っているので何度も何度も聴いているうちに、
パピーも一緒に歌い始めました。
そういえば、この歌が出たのは2006年…ちょっと振り返る。
我が子をぺらっぺらのバイリンガルにするぞ~
と何かに取り憑かれていた頃(?)だな。
邦楽が我が家のオーディオから流れることなんてなかったなあ。とにかくはインプット、インプット、と張り切っていた。
そんな私も、そういう考えがどこかおかしいことに、まもなく気付きます。
・・・・
話をコブクロに戻します。
この歌、日本語の歌詞に珍しく、韻を踏んでいます。(あ、珍しくないですか?)
一緒に口ずさんでいると、その部分、心地よいのです。
♪青いしぶきに重なる 残像♪
♪水際に浮かべた 感情 ♪
コブクロくんたちは この2語を「ざんぞゥっ」「かんじょゥっ」と強調しています。
「残像」などという言葉も漢字も知らないパピーくんは、こう歌いました。
♪あおいしぶきにかさなる ザッソウッ♪
♪みずぎわにうかべた サンゾウッ♪
雑草… 三蔵…
ふと、天竺への旅路にある、サルやブタやカッパを思い浮かべててしまいました。
「パピー、ちょっと違うよ」
歌をよーく聴きなおしたパピー、再び歌う。
♪あおいしぶきにかさなる ナイゾウッ♪
♪みずぎわにうかべた カンゾウッ♪
私達にはこう聞こえる。
♪あおいしぶきにかさなる 内臓ッ♪
♪みずぎわにうかべた 肝臓ッ♪
内臓と肝臓を、繰り返し繰り返し
壊れたレコードみたいに、歌う歌う、鼻歌大好きパピーくん。
「ま、いいや。ほっとこう。」
どこかで恥をかいたら気付くだろう、と無責任な私達。
_____________________________
英語の詩は、韻を踏む(ライミング)のが原則です。
私はそれを、中学校で「習い」ました。
「韻を踏む」なんて日本語、そのとき初めて聞いたし、何のためにそんな無理な詩を書かなければいけないのかわかりませんでした。
リズミカルな英語なんて、学校では聞かせてくれなかったし、
私の中にそもそも、英語のリズムを感じる素地がなかったのです。
だから、言葉遊びの面白さは、やっぱり小さい頃に体験するべきなんだろうな、と思います。
CDでがんがんインプットするのではなく、ママと一緒に口ずさんでリズムをとって…それはどんな言語でも同じこと。
小さい頃から英語を、というのなら、そういう経験をたくさん積ませてあげて欲しいです。
そして「大人の私はもう遅い」「私は、英語の歌でなんて遊んであげられない」なんて仰る方が多いけれど。
中学のときに↑上のような状態だった私が、英語のライミングの心地良さを感じるようになったのは、パピーと一緒に、子供向けの英語の歌や詩を楽しむようになってから。子どもの成長に合わせてゆっくりたくさん親しんでいけば(これが出来るのが、母親の強みですよ~)、英語のリズム感って体の中に染み込んでいくんだな、って分かりました。
CTP社のLearn-to-Readシリーズは、親子で英語のリズムを楽しむことのできる、私の知っている限りでは一番楽しく、充実した素材だと思います。
(これを全て暗誦させれば子どもはぺらぺらになる、などとゆめゆめお考えになりませんように)
_____________________________
さっきの話にまた戻ります。
パピーはあれでも、ライミングの妙に気付いている?
のかも…しれない。
いや…そうとは…言えないか…。
センスがあるというか、ないというか…。
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