2020年04月07日 11:50

皆さんV/A The Very Best of PIZZA OF DEATH 靴歪阿い討れましたでしょうか?
前々回のブログで、参加出来たことへの気持ちは書きました。
少しずつ聴いてくれた人がいるのかなと思って、Polestarを書いた気持ちを綴りたいと思います。

本当はライブで実際にみんなの前で演奏してから書こうと思ったけど
コロナウイルスの影響で、いつみんなの前で表現できるか分からない。
だから、忘れる事は無いけれど、忘れないうちに記そうと思いました。

Polestar=北極星
7つ目の星の歌です。
『また星?』と笑ってくれていたら嬉しい。
Wish on the star
Shooting star
Stardust
と来て

Fixed star
を書いた時には
『とことん星の歌を作ってやろう』
という構想は出来た。

そしてFRUITSに入れた
Star Right
Stargazer
の2曲が出来たのはたまたまだったんだ。
FRUITSは3人がそれぞれ歌詞を書いて持ち寄ったから、打ち合わせもしていなかったし
もし打ち合わせをしていたのだったら、3曲とも星の歌にしただろう。
Star Rightはエイジが書いて、Stargazerは俺が書いた。

自然から感じた事、地球を思って感じた事、平和についてや、生きるという事について思った事など
なんとまとめたら良いのか分からないけれど、作られた事や個人的な事よりかは、Natureというか、Naturalというか、すでに宇宙や自然が作り出してきたものについて考える事が多くて
そこから発想が広がる事が多い。
こじつけなのかもしれないけれど、身の回りの事と、自然的な事を結びつける事によって、自分の中では腑に落ちる感覚があるんだ。
人間を中心に考えると、人それぞれだったりするから答えなんて無い感じがするけれど、地球などを中心に考えると答えはすでに用意されてるように感じるから、自分はそれに従えると思っているんだと思うんだ。
今これを書いて、自分でまた気が付いたんだけど。

自分を中心に考えるか、それともすでに置かれている状況を中心に考えるのか。
それこそがPolestarを書けた理由かもしれない。

俺は地図が大好きで、ずっと眺めている事が出来る。もちろん大人になった今は、やらなくてはならない他のことがあるからそれを忘れるくらい見続けることはないけれど
小学生の頃は図書館に毎週地図を借りにいって、地図を紙に写して描いていた。
海や川や湖はもちろん、どうしてそういう地形になったのか考えたりしたし、県庁所在地はどこか、どうしてそこに街が栄えたのか、名産品は何か、どうしてそこにそれが育ったのか、そんな事を考えていた。
地理と歴史、天気や気候は答えをくれる。
それくらい地図が好きで。

今じゃカーナビは当たり前だけれど昔はみんなが道路地図を車に備えていた。
ツアーを始めた頃はカーナビなんか無く、スマホも無い。地図を見て全国回っていた。
少しずつカーナビも普及し始めた頃、なかなかカーナビが好きになれず、使おうとしない日々。
ようやく使う頃になっても、目的地を設定してルート通りに走るってよりは
カーナビを地図がわりに見ていたくらいだ。

その頃の俺の車には、方位磁針が備え付けられていた。
方位磁針がないとどっちに進んでいるか分からなくなるからだ。

今はもちろんカーナビを使っている。
でも、設定は『ノースアップ』だ。
北が上に無いと、どうしても自分がどこに向かっているのか分からなくなる。
『ヘディングアップ』にすると、自分は真っ直ぐ進むんだけれど、カーナビの中の画像は街があちこちにグルグル回っていて
そもそも、その感覚自体が自分には合っていないのだと思う。

そのくらい、東西南北がどっちになっているかが気になっている。

今はさすがにあまり考えないけれど
昔、方位磁針を忘れてしまった時、手元に無い時、色んな手段で方角を考えた。

太陽が出ている昼間はもちろん分かりやすい。
24時間で360度回る太陽は、1時間で15度
季節による日の出と日の入りの時間とか考えたりして、時間さえわかれば正確に南を特定できる。

曇りの時や雨の時は難しかった。
必ずしも全てでは無いけれど、ほとんどの家(特に昔)は北側に水回りを置くことが多かったりしたから、トイレやお風呂がある方が北だとか
木が多く生えている所とかは、苔の生え方とかを見てどっちが北側とか考えたから
あまり道に迷った事は無かった。

夜は南の空は動くから分かりづらかったけど、冬の夜空は特徴的だから分かりやすかったかな。
特にオリオン座は分かりやすいし、オリオン座の角度で南が特定できる。
夏は難しかったな。

雨や曇りの夜は、もうお手上げだった
もう自分の感覚が分からなくなって、目が回りそうだった。

晴れていないと見れないんだけど
そんな中、この地球と運命的な星が
北極星。
こぐま座のポラリス。
地軸の先にあって、必ず北を指す星。
1年間365日、何時何分でも北にある星。

知ってるかな
今の北極星はポラリスだけれど、地球の地軸の傾きは少しずつ変わっていき
もう自分達は存在しないけど、何年も先には北極星は他の星に変わっていく。

色んな事を信用できない疑い深い俺だけど
信じ切っていることの一つが北極星。

そんな北極星が今回のテーマ。

北極星のポラリスとは動かない星(地球にとって)であって
見失いそうになった時の目印ということで
ずっと書きたかった事だった。

本当に色んな事がある世界、そして自分達の回り
ブレずにいられる人なんてほとんどいなくて
きっと誰もが何かを信じたいと思っている。
信じることはブレないことに繋がる、真っ直ぐ進む事が出来る。
自信がある人、自分を信じている人も、そういられるから真っ直ぐ進めるのだろう。
Let me believeでも書いた事ではあるけれど、信じさせてくれさえすれば、やる事が分かってくる。騙されたり隠されたり、そんな事だらけではどこに進んだら良いのか分からなくなる。

そんな世の中で、自分がしっかりすれば、仲間達を救えるんじゃないかとか、ヒントを与える事が出来るんじゃないかとか、そんな事を想って書いた。

でも結局、ポラリスの光は弱く、なかなか見つけられる事が出来ない。
そこで必要なのは、北斗七星と、カシオペヤ座。
ポラリスと北斗七星
ポラリスとカシオペヤ座
も地球にとって運命的な関係で
ポラリスを見つけるためにすごく大切で。

北極星のように強く、ブレない自分になりたいと願っても
自分を見つけてもらうためには、周りに誰かがいてくれるからと
そう思っていた訳です。

自分は地球にいるから、地球からの視点しか分からないんだけれど

もしかすると地球もどこかの星にとって、北極星のような存在であったりするのかな?とも思ったんだ。
どの星だか分からないけれど、その星にも『北極星』という星があって、それが地球だったりね。

自分がブレずにいられるのは、みんなのおかげだって思ったからなんだ。


最近は月の事も考えるんだけど
月は地球を愛してくれているよね。
ずっと地球から離れないでいてくれてる。

太陽の当たり方によって、満月になったり三日月になったりするけど
じゃあ月から地球を見たら、地球がどうなってるかって考えたことある?
大きさや色は違うと思うけど
同じだと思うんだよね。
月のどこから見るのかにもよるけど
満地球になったり、半地球になったり、三日地球になったりしてると思うよ。
下弦の地球、上弦の地球、そんな言われ方しているかもね。

そうだね、お互い様って事なのかな。

お互いがお互いを支え合って
お互いがいる事によってブレずにいられる
そうありたいなと思っています。

いつも支えてくれる人達
一緒に戦ってくれる仲間達
そして応援してくれるみんながいるから
自分達はブレずにいられると思っているし

そしてブレずにいようと思うから
もし迷うことがあったら思い出して欲しいなって思うんだ。

今は雲がかかって俺達の事は見えないようだけど
それでも俺達は雲の先に存在しているからね。



2020年03月31日 00:04

昨年の今頃は、UNLIMITSとツアーをしていた。
松山、広島、innocentのノリトモの墓参りに行って、広島に着いて平和記念公園を散歩した。
平成の次の元号が何になるかってみんなで予想していた。
4/1になって、広島にいる時に令和となることを知った。
そんな時期だった。

令和になってまだ一年も経っていないんだけど、すごく色んな事があるなぁ。
令和元年も、令和2年も、スゴくツラい事が続く。

みんな元気ですか?

俺達はライブ活動を休止していて、4月からは出来る状態にはなるけれど
果たしてどうだろう。
こんな事聞きたくないよね、でも正直どうなんだろうってみんなも思っていると思う。
聞きたいとか、聞きたくないとかあるだろうけど、正直に話していこう。

新型のウイルスが発生し、世界中が困惑している中
自分達が生きる中心となる『ライブハウス』が焦点にもなり
色んな思いや気持ちを発する人を見てきた。
もちろん俺も思うことはあって発したし、今も思うことはあるし、そして自分にとって大切だからこそ、守りたいと思う。

でも一般社会から見たらどうなんだろう?
そう考えさせられる時期でもあったね。

俺達はライブハウスに生きているからこそ
お互いの話は通じるんだよね
そこでの常識を話すし、想像が出来ることを話しているからこそ伝わるし

でもそれぞれの人にとって、大切な場所というのはあるわけで

ライブハウスは悪くないといくら言っても
伝わるはずがなく、解決するはずもなく

だから分かってもらう事を強く言うだけでは
贔屓しているだけのようで、関わっていない人からは『だから?』な訳だ。

そう、だからこそ
大切だと思っている人が、そう思うだけでまずは十分だと思うんだ。
もちろん、諦めるという意味ではなく、その中で出来ることをしていくんだけどね。

分かってもらおうとする事は良いんだけど
その方法を間違うと、歪みを生むだけだ、って事なのかな。

で、すでに色んな事をやっているライブハウス、バンド、音楽関係者
これからやろうとしている方々

でもこの状況が続くと、応援したいと思っている人達
それはお客さんも含めて
みんなが疲弊していく。
だから助けようと思っても、自分自身がしっかり出来ているのか?、っていう状態だと思うんだ。
いつでも、自分がしっかりしていないと誰も助けられない。

だから今回の件は、どうしたら良いんだろうと大きな不安にかられる。

それでも俺達は次々とライブを発表していく。
期待も込めて。

元々、みんなに発表する何ヶ月前かにはライブの予定が決まっている。
主催者は半年前からとか、ライブハウスを押さえている。
必ずその日程で行いたいイベントであれば、1年前、2年前から会場を押さえている事もある。

だからライブハウスの予定は
今で言えば、9月、10月くらいのスケジュールが少しずつ埋まっていくのが一般的だ。
もちろん、都心とその他の地域とでは差があると思うが。

ツアーや大きなイベントとなると、もっと先を決めていくんだけどね。

なるべく来てもらえるみんなにも予定を立ててもらいやすいように
早めに発表できるようにしようとしているし。
その方が、仕事の都合や、遠方から来られる人は交通手段や宿泊も決めやすいからね。

ただこの状況で必ずライブを行えるかって
誰も分からない
でも先を決めているライブ達は、発表をしなくてはならない。

期待を込めて発表して
喜んで欲しいと思うけど、誰もが心から喜べるのかって、分からない

気軽にチケットも取れない
新幹線や飛行機も、宿もなかなか取りづらい。
チケット代が返金されるかもしれないけど
交通費まで返ってくる保証も無い。

繰り返すけど、それでもライブの予定は決まっていく。
そして期待を込めて発表していく。
それで良いよね。

いつウイルスが収束して、何の心配もなくライブが出来るか分からないけど
変わらずに予定を立てて発表していって良いと思うんだ。

みんなは自分で判断して。
それは
予定を決めないと頑張れない人は決めれば良いし
不安な人はギリギリまで待てば良いし
何の心配もなくライブを観れるまで待ちたい人はもう少し辛抱して

一番に観たいバンドはみんなあるだろうけど
こんな時だから、地元のライブハウスに出ているバンドを知ったりさ。

全国のライブハウスがツラい状況にある。
力になりたいけど、全部応援できる訳ないじゃんか。
だから好きなライブハウスを応援して良いと思うけど
何より地元のライブハウスを応援すれば良いんじゃないかな。

そしてライブがあるかどうか分からないけれども
気軽に当日券で行くくらいの気持ちでさ。
もしくはきちんとキャンセルの連絡する前提で、メールや電話予約があるのなら利用してさ。

だからこそ、地元バンドっていうのは
その地元のヒーローで居ないといけないな。
その地元では、超カッコよくいないとな。

こういう時に地産地消という言葉を使うのは不適切だと思うけど、他に適する言葉が見つからないから使わせてもらうけど

いわゆる地元愛、郷土愛が全ての立場にあれば良いと思うし、安心だな。

それだけじゃ限界があるから、入れ替わりツアーをしたりして招いたり招いてもらったりするんだけどね。

話が自分的に逸れてしまったけど
それでもこれらも言いたかった事ではあるし良いか。


ライブハウスや音楽は確かに生きるには必要ないかもなぁ。
衣食住に当てはまらないし、優先される事でもないかもなぁ。
音楽に限らず、お笑いや絵画、落語や歌舞伎、そしてスポーツなども。
エンターテインメントは優先される事ではないかもなぁ。

でも俺達は知ってるもんな。
ライブハウスは学校のようで
本当に正しい事を教えてもらったり、自分で考えさせてくれたり
なかなか踏み出せなかった自分の背中を押してくれたり、勇気もらったり
夢を見て良い事も教えてくれたし、本気で怒ってくれたし
一生の仲間も見つけられたし
弱い立場の人に優しく出来るようになったし
本当に困ってる人のこと、一緒に考えられるようになったし。

だから今回のこの状況だって
どうしたら良いかさえ分かれば
いつだって協力して助けてあげられる準備は出来てる人達が大勢いるしな
そういう事をずっとライブハウスで教わってきたんだから。

全員じゃないよ、もちろんもっと考えてる人もたくさんいるけど

よっぽどライブハウスに生きる俺たちみんなの方が、そういう気持ち持ってるもんな。
胸を張ろうぜ。
何も恥ずかしくない。
分かってもらえないと思うけど、分かってもらう必要もない。
それでいい。


たくさんの人が命を落としていて
命を救うために今も戦っている医療従事者の方々がいる。

早く収束を願うばかりだ。


俺は10年以上、介護の現場にいて
何人もの方から、命というものを教わってきた。
何人の方を見送ったのか分からないけど
その度に自分は教わってきたと思うし、その方達こそが自分自身なんだと思う。

亡くなられる事によって教わるのではない。
亡くなられた時に気付かされるだけだ。

必ず、お元気な時に、生きている時に教えてくれている。
それを奇しくも、亡くなったりした時にしか気付けないんだいつも。

具体的な病気の事は言わないけれども
今、なかなかご飯を食べられない方がいてね

眠気が強いのか、食べたくないのか
どこが悪いのか、食べさせ方が悪いのか
タイミングが悪いのか
量が多いのか、便が詰まっているのか
姿勢が良くないのか、形態が良くないのか
声の掛け方が悪いのか

食事のたびに考えながらご飯を介助してさしあげるんだけどね

少し前までは何の問題もなくパクパク食べる方だったんだ。
お話も出来たし、いつも笑顔だったのに。
今は目をつぶってばかり。

色々試行錯誤して、ご飯を食べてもらえただけで物凄く嬉しいんだ。
声を掛けて、会話が噛み合ってなくても、返事が返ってくるだけで嬉しいんだ。

ご飯を食べること、声を聞くこと
本当は当たり前に出来る事なんだけれども
これを普通に出来ない方がいて

だから俺は考える事が出来るし
どうしてあげる事がその人にとってのベストなのかを
いつも考えさせてもらっている。

食べたくないのに食べさせてしまうのは
間違っている事だけれど
食べてもらえたらこっちは勝手な満足してしまう
それはエゴになってしまって間違いだと思うし

正解がなんなのか
いつもいつも考えさせてもらっている。

今、ウイルスが蔓延しているせいで
家族の面会も禁止されている
絶対に家族に会わせてあげたいから
少しでも元気で、そして穏やかに過ごせるようにと考えさせてもらっています。

そう、言いたいことは
こんなピンチの世の中だから気付く事たくさんあると思うけど
何かを失ったら気付いちゃうんだよ。
でもその前に少しでも色んなことに気付かないと。

大切な物は今までに周りにあったもの。
大切な人は今までに周りにいた人。
だよ?


2020年03月23日 00:55

2020.3.25
PIZZA OF DEATHからV/A『The Very Best of PIZZA OF DEATH 掘戮発売される。
発売される前に書いておきたいと思いました。

まさか自分達がPIZZA OF DEATHからのV/Aに参加できるとは。
誘っていただいたPIZZA OF DEATHの皆さんに感謝です。

話をもらったのはいつ頃でしょうか。
ご存知の通り、なかなか一曲が出来上がらない俺達が、参加することに即答出来るわけもなく
誘ってもらえて嬉しくて、参加したい気持ちがある反面、出来るのか、、、そんな不安を感じていました。

曲作りと言えば、2018年10月3日に渋谷TSUTAYA O-EASTで行われたOVER ARMYの際に発表したシングルのFRUITS以来で
それ以来曲も出来ていなかった。

なかなか曲が出来ないこと、PIZZA OF DEATHの人達も知っていて
でも『待ってるよ』。そして他のPIZZA OF DEATHの人も『待ってるよ』。そしてまた他のPIZZA OF DEATHの人も『待ってるよ』。
と、つまりみんな『待ってるよ』と。
言い方優しいんだけど、すげぇ期待されちゃってる。
何でだろう?と単純に思ってしまう訳で。

俺達が今いるシーンの中にいる人達なら誰しもが知っているPIZZA OF DEATHというレーベルのV/Aに
『何で俺達?』
って思う訳ですよ。

過小評価も過大評価もせず
『俺達?』
と思う訳です。

数あるバンドがこのシーンに名を連ねている中、誰が声かかっても良いと思うし、誰が声かかっても光栄だと思えるだろうし

誘ってもらってこんな事を言うのも良くないのかもしれないけれど、凄く正直にそう思うんです。

それはSATANIC CARNIVALに誘われた時もそう思いました。
しかも初めて呼ばれた時いきなり、大きい方のステージ。

シンプルに、PIZZA OF DEATHというレーベルにはもちろん憧れがあって
目指すというのとは違うけれど、認めてくれるように、見つけてくれるように、やってきた。
でもどの時の、どの瞬間を見て、俺達をそう意識してくれたのかって分からなかったりする。
でもSATANIC CARNIVALに数回出演させてもらって、幅広いバンド達が出演しているのを見て感じて、分かったこともあった。

PIZZA OF DEATHはみんなを見てくれている。

みんなの目に触れやすいアーティスト達は、誰もが見ているだろうけど
でもPIZZA OF DEATHはもっと広く、もっと深く見ている事を感じた。
だからSATANIC CARNIVALに出演した時に『見ていてくれてありがとうございます』と言ったんだ。

SATANIC CARNIVAL 2015にSATAN STAGEに立たせてもらって、しばらく活動を休んで
2018にまた呼んでもらい今度はEVIL STAGEを味わせてもらった。
そして再び2019に呼んでもらい、今度はEVIL STAGEのトリ。

『え?』
だよね(笑)

もちろん光栄中の光栄なんだけど
『え?』
だよね(笑)

でもね、この流れ、すごくドラマチックだと感じちゃったんだ。
俺達、『頑張れ』って言われてる。
勘違いかもしれないけど遠慮なく言わせてもらうね。
一度立ったあのステージに戻れ、って言われてる。

でもね、当たり前だけど簡単に戻してもらえる訳なんかなくて
それはこれからの俺達次第で
俺達がどう活動していくのか、って所なんだよ。

そんな中で道を提示してくれたり
背中を押してくれたり。

2020年はオリンピックの関係で幕張メッセを使う事が出来ず
SATANIC CARNIVALは開催しないけれど
PIZZA OF DEATHからV/Aが発売されるって所に呼んでもらって
俺達は常に関わらせてもらっている。

そうやって背中を押してくれながら、目指させてもらって
曲作りが出来た。

昨年12月の頭にレコーディングに入った。
10〜11月は曲作りしながらライブしてたって感じだったんだ。
その頃には1月からライブを休止する事決めていたから
動けていない中で、みんなにバンドとして1つの活動をしている所を提示できる、と思った。

もうすぐPolestarという曲を聴いてもらえる時が来る。

俺達を知ってくれている人達に、久し振りの新曲を届ける事が出来る。
そしてV/Aだからこそ、俺達を知らない人達にも知ってもらえる事が出来る。

俺達にとって最幸だ。

この幸せをただ感じるだけではなく
PIZZA OF DEATHから背中を押されているのは
これからの俺達だ。

きっかけをくれた、ここからは加速しないといけない。

12月のレコーディングの時には、歌は入れていないけどもう一曲録った。

これは勢いで言っています(笑)

もっと勢いで言ってしまうと
調子に乗って、もっと曲を作って
なるべく早くレコーディングにも入る。

そしてCDという形にしたいなと思っている。
目標は今年中。
ちょっと待っててな。

さて、あと数日後にはPolestarを聴いてもらえる。
このわずかな数日間にみんなにしてもらいたいことは
Polestarはどんな曲だと思う?っていう妄想。

Polestarについての事は今は言わない
聴いてもらってからにしようと思うんだ。
次にここに記事を書くのは、その事についてかな。

The Very Best of PIZZA OF DEATH
全てのバンドが入ったこのV/Aを聴いた時
みんなすごく良い曲だらけでワクワクした。
最高に良いV/Aだ。
昔はよくあったよね、今は少なくなってしまったのかな。
でもあの頃に感じたワクワクが凄く詰まっている、最高なV/Aに参加できたこと
一周聴いて更に感じる事が出来た。
今度は実際に発売されてまた感じて
みんなに聴いてもらって感想とか聞いたりしてまた感じる。
そしてライブで新曲を演奏して感じて
更に、一緒に参加したバンドと共演なんかしちゃったら、より一層感じるんだろうな。


2019年08月25日 07:16

今年は無事、クルーザーワンマンをする事が出来ました。

昨年はOVER ARM THROW15周年という事もあって、特別なステージのつもりでクルーザーでのワンマンを予定していましたが
台風の影響で中止となってしまいました。
俺達は意外と晴れバンドで、クルーザーの当日は見事に晴れたんだけど、台風が過ぎ去った後風が残ってしまった。
船は雨よりも風の方が影響出やすく、あの日もし出航していたとしても、かなり船は揺れたと思う。
遠方から来てくれる人達もいるだろうし、早めに判断してあげないとという事で、もし明日開催できるような天気になったとしても、現時点で中止と判断した。
野外で行うイベントが台風や大雨などで中止となる事は昨今多く、自分達も参加するはずのイベントが中止になった事は何回かあるが
自分達がそれを判断するという事は今までになかった。
ギリギリまで待ちたいという気持ちが痛いほど分かった。
自分達が一からその会場を作るイベントと違って、会場作りの痛みは知らないけれど、ギリギリの時の『何とかしてやれないか』と願う気持ちがすごく良く分かった。
そんな賭けのようなイベント達をやろうとするイベンターやバンドの方達に、さらに感謝と尊敬の気持ちを持つ事が出来た。

昨年俺達は何もしないという判断は出来ず、スタッフ陣の尽力のおかげで、配信ライブという形でライブをする事が出来た。
みんなを目の前にしないライブに抵抗はもちろんあったが、何もしない事と比べると、喜んでそれを選んだ。
やった事のない配信ライブは、もちろん試行錯誤で、予定の時間に間に合わないくらい、調整を続けた。
自分達がそれを見る事が出来ないから、どう映っているか分からないからだ。

ライブの運びは曲をリクエストする形でやっていった。
意外に見てくれている方は多く、リクエストもたくさんしてくれて、それに応えるような形を取った。
始めはみんなが何をリクエストしているのか、どんな反応なのか、それを気にしては
画面に映る俺達3人は携帯を覗き込んでいた。
それでは進行がスムーズに進まずダラダラっとした雰囲気になり
途中からスタッフにそれを任せ、俺達はレンズに集中した。
俺達が目の前にしているのはカメラのレンズと、それを作ってくれているスタッフ達で
慣れない景色だったが、途中からいつものライブのような雰囲気になれた気がする。

結果はどう映っていたのか分からず
自分達はもちろんお茶の間で見ていた訳ではないので、成功だったのか失敗だったのか分からないままだったが
みんながくれた反応を見て、ようやくこれで良かったんだと思えた。
またやりたいとは今のところ思えないけれど、この日これをする事が出来て本当に良かった。


みんなから『来年こそは』という気持ちをもらっていた。
ただ俺は一年後を待つのではなく、みんなを裏切るつもりで『今年中に船に乗る』と思い始めた。
夏クルの方にお願いをし、冬にクルーザーに乗れないかと話をしてみた。

そして行われた冬のクルーザーライブ。
夏に乗る予定だった船とは違い、室内でのライブだった。
天井が低くすぐ手が着いてしまうくらいにも関わらず、ライブハウスでのライブのようになった。
きっと東京湾の景色はキレイだろうなぁと思い描いていたが、あっという間に冬の窓は湿気で曇り
きっとキレイであろう景色は全く見ることが出来なかった。

途中本当に色んな事があった。
男性用トイレにパンツが詰まっていて、それを取り除く為に近くの桟橋に立ち寄り、音を止めなくてはならなくなったり
激しいライブで船長さんにももう少し抑えてくれないかと言われたり。

東京湾に打ち上げられる花火の日程に合わせられたその日だからこそ
ライブを途中中断し、みんなで甲板に出て花火を見た。
12月という冬に見る花火は、夏の花火と少し違って、『ワー!』と声が上がってしまうような華やさやダイナミックさを感じるというよりは
どこか切なさを感じながら、1つ1つの光に輝きが見れた。
開いては落ちていく花火は、夏の花火よりもスローモーションに見えた。

花火の時間は決まっているので、セットリストをどこで分けようか
その場その場で考える事が多かった。
冬にも関わらず半袖になってしまうくらい、搬入搬出も気合いを入れて行わなくてはならなかった。

どれもこれも良い思い出となった。
少しだけ、夏の中止の時にすっぽり空いた気持ちの穴が埋められた気がした。

それでも夏に、クルーザーの外で音を鳴らしたいという気持ちは消えなかった。


昨年の夏のクルーザーの為に、俺は2回下見に行った。
一度は何もステージが設営されていないクルーザーに乗って話を聞いた。
2回目は夏クルが始まり、ステージが出来上がった状態を見させてもらった。

そして今年は8/2の夏クル初日にTHE CHERRY COKE$が船に乗るという事で、見学させてもらう事にした。
船に乗るのは3回目なのに、船が動いたのは初めてだったし、そこで音を聞いたのも初めてだった。

もう船が動いた瞬間、最高な事にはすぐに気付いた。
元々良く知っていたつもりの横浜の景色は、違う方向から見る事が出来て、新しい発見をたくさんすることが出来た。
風の気持ち良さと、程よい揺れ
その日は快晴で、太陽も青空も最高だった。
THE CHERRY COKE$の音楽と人が最高にマッチした。

本当に、俺達が行う8月21日が開催出来る事を願うばかりだった。

俺にとっては4回目の乗船
ようやく自分達が音を鳴らす事が出来る当日を迎える事になった。

少し前から気にしていた天気はコロコロと変わり
晴れのマークが出たり雨のマークが出たり
どちらにしても曇りのマークは取れる事なく
何とも言えない様子だった。

それでも台風などの大きな雨風が起こるとは予報されず
開催出来るという安心感はあった。

冬のクルーザーを一度経験した俺らは、なんだかんだ慣れていて
思っていたよりも準備がスムーズに整い
イメージしていたよりももっと余裕を持って出航を待つ事が出来た。


みんなが乗船し、出航した。
SEが鳴ってステージに上がった。
初めて見た、横浜の海とみんなとのセットが嬉しかった。
キツキツというよりはゆったりとしたスペースが持てるくらいの緩さがとても良かった。

普段のライブハウスの環境こそが異常か。
あれをイメージしていたとしたら、何人の人が海に落ちるだろう。
ライブハウスのように詰め込んでいたとしたら船は沈むだろう。
自分にとっての『当たり前』が異常な事に気付く(笑)

ライブがスタートしすぐに、ベイブリッジの下を通った。
東京や千葉方面に向かう時は良く通るベイブリッジを下から覗くことなんてなく
すぐそこだと思っていたのになかなか近付かないくらいに橋は大きく
真下に来た時は、想像してた以上に高く幅もあった。
橋の構造がよく見えた。
高速道路の下には一般道が走っているのも見えた。

そして豪華客船の横を通った。
圧倒的な大きさに驚いた。
それはマンションとかの比ではなかった。
音を出していた俺達の船に気付いた人達が続々と窓の外に出てきては
俺達の方に手を振ってくれた。
もちろん俺達の船に乗っていたほぼ全員がその船に手を振った。

調べると『マジェスティック・プリンセス』という船で
上海港を出て、清水港に向かう途中に横浜港に寄港していたみたいだ。
船籍はイギリスで、中国市場向けに建造された客船みたいだ。
中国名の「盛世公主号」と確かに書かれていた気がする。
水面からの高さは60mもある大きな豪華客船だった。
手を振ってくれていた人達はどこの国籍の人達なんだろう。

いくつかの船とすれ違い、そんな船達からも手を振られた。
倉庫があった陸からも手を振られた。
音を鳴らしていて、ライブを見てくれているみんなから以外に手を振られるなんて初めてだ。
音は人を振り向かせるんだな。

カモメが水面でゆらりと寝ていたり
BAY HALLの方から、山下公園、マリンタワー、大さん橋、赤レンガ倉庫、みなとみらいのコスモワールド、ランドマークタワー、インターコンチネンタルホテル、パシフィコ横浜、臨港パークなどを眺めたりして
この贅沢感と満足感に溢れて
途中ライブとクルージングが合致しなくなるくらいにウットリとしてしまった。

それでも曲によってはガッといきたくなるような気持ちになったりと
どこに気持ちを置いておけば良いのかわからなくなったのも事実で。

自分を含め、みんなを船に乗せたい。
そして一緒に横浜の海を感じたい。

という気持ちと

ライブがしたい。

という気持ちは、両方とも最高に幸せな事で
そのダブルを手に入れている今、
ハンバーグとラーメンを一緒に食べているような感覚になった。
両方美味い、、、

セクションが終わっては景色を眺めて
セクションが終わっては曲中にあった出来事を話して、と。

Honey Baby Surfer-Girlの後にやった、Now or Never辺りの時に
マリーンルージュとすれ違った。

惜しい、一曲前だったよ、だなんて。
マリーンルージュはサザンオールスターズのLOVE AFFAIRの歌詞にも出てくる船で、レストラン船。
サザンオールスターズをオマージュするかのようなキクの歌声を出すHoney Baby Surfer-Girlの時にすれ違っていたとしたら
なんて俺達は持っているのだろう、と思ったに違いない。


Dear my songs辺りの時だったかな
1匹のカモメが近づいて来た。
そのカモメは俺達と並走をし離れなかった。
何分くらいだっただろう、曲の最中はほぼ一緒にカモメと走った。
みんなでカモメの方を向き、もっとこっちに来ないかなって願った。
ライブが楽しそうだ、僕も混ぜてほしいな、と言っているようだった。
あの景色は誰もが、一緒にライブに参加してくれているんだと思ったに違いない。
離れていくカモメの姿も美しく、そのタイミングも美しく、鮮明に思い出せる。
その後アンコールかのように、少しだけ戻って来てくれた。


心配していた天気は
少しだけポツリと雨が降ってきた事もありながら
ほとんどは雲り空で
でも雲の隙間から太陽が覗いて晴れ間が見えた時もあり
そして虹も見る事が出来た。

晴れも、曇りも、雨も、虹も
こんなに贅沢な天気はなかっただろう。

ライブが終わり、少しずつ象の鼻桟橋に戻ろうとしている頃
段々と辺りは暗くなっていき
徐々に横浜港に灯りが付いてきた。
サンセットという時間帯ではあるが夕陽は見ることは出来なかった。

コスモワールドの観覧車の光が目立つには、もう少し暗さが必要だった。

それでも
夏が折り返して、少しずつ暗くなるのが早くなってきたのを感じた。

船が着岸してから暗くなるのは早く
夜景の綺麗な横浜に変わっていた。

天気や時間帯によって変わる景色がこんなにも美しい事をなんだか誇りに思い嬉しかった。

きっともっとサンサンと晴れていたら
夕陽がくっきりと見えていたら
もう少し遅い時間帯で夜景が見えていたら

そんな贅沢な想像もしてしまったけれど

海や船や鳥
横浜の景色
晴れ・曇り・雨・虹

十二分に贅沢なクルージングが出来ました。

俺達がやりたいと思う事に
付き合ってくれてありがとう。

またロープを繋ぐから
そのロープを辿ってみてください。

きっと色んな人に会えると思います。

という言葉の通り、みんなをまた色んな場所に連れていけるよう
これからも考えて、努力していきたいと思います。


2019年08月19日 15:48

8/31名古屋BOTTOM LINEで行われるOVER ARMYは、エイジがOVER ARM THROWに入ってちょうど10年になる日で
その日に合わせてみんなに来てもらおうと、そんな風に考えてイベントをする事になりました。

OVER ARMYという名前の付くイベントを、この先何度もやるつもりはなくて、今度いつやるかというとそれは考えていない。

OVER ARM THROW結成10周年の時に、今はなき横浜BLITZでワンマンを行なったが
その日の形容詞が『10周年の横浜BLITZ』となってしまって、『Some Missing Night War vol.22』というタイトルがあったにも関わらず、特に『vol.22』が思い出せないことを後悔していて
そんな特別な日には、その日を思い出せるようにと、OVER ARM THROW15周年のTSUTAYA O-EASTに『OVER ARMY』と名付けた。

『OVER ARMY』とは『感謝の日』という意味が一番に込められていて、もちろん普段が感謝していないかというとそういう訳ではないけれど
節目の日に改めて、全ての人に感謝を、ここまでやってこれた事に感謝をしよう、と思い名付けました。
メンバーはもちろん、普段関わってくれるスタッフ、関係者、バンドの人達、そして何よりいつも応援してくれるみんなに、そんな気持ちを表すことが出来たら良いなと思っています。
総じて、OVER ARM THROWに関わる全ての人の事を『OVER ARMY』つまりは『家族』と呼びたいなと思いました。

『OVER ARMY』とはイベント名となっていますが、自分達の気持ち的には、皆さんの事を言っているつもりです。
いつか背中に『OVER ARMY』とだけ書いたTシャツなんか作ってみたいな、と思ったりしていて、その意味はイベントTシャツとしての意味では無いからその日に販売したりするつもりはないけど
背負ってくれたら嬉しいななんて思ったりもしていて、想像が固まったらいつか作りたいなと思ったりもしています。

つまり『OVER ARMY』とは、イベント名でありながら、みんなを指す言葉だという事を知ってもらえたら嬉しいです。

OVER ARM THROWの周年とは違うけれども、今度の8/31名古屋BOTTOM LINEのOVER ARMYもこれまた大きな意味があって
エイジが加入してからの10年というのは色々な事があったし、バンドとして人として大きく成長できた10年だったのではないかなと思って、少しこの機会に振り返る事が出来たら良いなと思いました。

本当は8/31の本番当日に話したりしても良いと思ったんだけど、その日に俺が話したりしちゃったらただただ長くなるだけだし
それにその日の中心は俺ってよりも、エイジにしたいなという気持ちがあるので
なるべく俺は黙っていようと思ったんだけれど
X IMAIKEを演ってからのOVER ARM THROWをやるエイジに、そんな体力が残っているのか、頭が回るのかというと
きっと気力だけでやっているんだろうなと、今想像しています。
だから長くならない程度に話したいとは思うけど、その前に、ここにも少し書くことが出来たらなと思いました。

前のドラムの玄が辞めると決まって、2009年の5月に川崎CLUB CITTA'と横浜F.A.D YOKOHAMAでイベントをやってOVER ARM THROWは一時止まった。

それからエイジが入って新しいOVER ARM THROWが始まるまでの3ヶ月間
今思うとたった3ヶ月間なんだけど、すごく長かった気がする。

エイジと一緒にやるという話は前々から決まっていた訳ではなくて、きちんと前のドラムの玄との最後を終えてから、それから考え始めたので、終えてからは猛スピードで動いていた。

玄との最後のライブを終えて、杉田家でラーメン食って
まずは『OVER ARM THROWを続けるのか』
って話からだった。
選択肢としては、OVER ARM THROWを終わらせるという選択肢だってあった。
色んな葛藤があって、終わらせるという事だって頭の中にあった。
でもその頃から、俺達を支えてくれる、応援してくれる、煽ってくれるバンドの人達や関係者の人達がいてくれたからなんだろう、次に行こうと思えたのは。

頭の中はフラフラしながらも、前のドラムの玄にも『次のドラムは誰が良いと思う?』だなんて話をしていて
数人の名前が挙がった中に、エイジの名前はあった。

その時エイジは大阪のSOUTH BLOWのドラマーで、名古屋に住んでいながら大阪に通う日々を過ごしていた。
でもエイジがいる時のSOUTH BLOWと対バンした事は一度もなくて、エイジのドラムはSOUTH BLOWよりも前の
名古屋で活動していたShamrock Streetで叩いていたエイジの記憶だった。
Shamrock Streetとはそこまで仲良く何度も対バンしていた訳ではなくて、大体は俺達の間に名古屋のMetallic Brothersが居て、Metallic Brothersのイベントに出たらShamrock Streetがいた、とかその程度だった。
そのはずなのにエイジの名前が出てくるのは、今思っても、それだけの印象があったんだろうと不思議に思う。

Shamrock StreetとSOUTH BLOWの音は大きく離れていて、俺は今(その当時)のエイジのドラムを想像する事は出来なかった。

そんな中、『エイジ』という名前が現実的になってきたのは
現下北沢ReG店長で、EAT THE ROCKの首謀者でもある和也さんの存在だろう。
和也さんから、エイジが次のステップアップとしてバンドを探しているという話を聞いた。
そこから連絡を取り合って、スタジオに入ってみる事になった。

もういつかだなんて記憶は曖昧で
でもきっと2009年の6月だったんだろう。
エイジが新幹線で新横浜まで来て
車で迎えに行った。
全身緑色に包まれたコロコロしたエイジが色んな物を抱えて待っていた。

エイジを乗せて、どこに行くとも伝えずに
新横浜からは意外と遠い俺達の地元に連れて行った。
俺達が住んでいるところは横浜とは言え意外に田舎で
少し中に入ると『箱根?』みたいな観光地に思えるような田舎道も多く
エイジは、どこに連れて行かれるんだろうと思っていたらしい。
最初についたのは『くるまやラーメン』
とりあえずラーメン屋に連れて行った。
その時にエイジが発した言葉は
『俺、少食だから』
『さっき飯食った』
と言いながら、バリバリ食っていたのを覚えている。
『嘘じゃん』
って思った。
今振り返っても
『嘘だったじゃん』
って思う。

ラーメン(エイジは炒飯)を食べた後、ようやくstudio Bloom!に入った。
音を初めて合わせた時、正直ビビッと来なかった。
でもそれは今になって分かるんだけど、エイジがヤル気に満ち溢れ、ノリノリな時ほど、合わない(笑)
マリオカートで言うとドンキーコングみたいなやつ。
走り出すの遅いけど、走り出したら止まらない(笑)
なかなか自分の溢れた気持ちを抑えられなかったんだろう。
エイジはノリノリだった。俺達は慎重だった。
そんなノリの違いが出ていた。
OVER ARM THROWの既存の曲達を数曲合わせた後、LUNA SEAが叩けるという事で、数曲合わせたらビビッと来てしまった(笑)

OVER ARM THROWの曲をずっとやってきた俺達は、俺達なりのグルーヴ感があって、CDの曲からは分かりづらい空気感みたいなのがあるからそれが逆に厄介で
でもOVER ARM THROWの曲ではない、この時はLUNA SEAの曲は俺らにとって中立な曲で、イメージを合わせやすかったんだと思う。

それからエイジと一緒にやろうと決めるために
俺とキクは7月11日、名古屋に向かい
エイジと星ヶ丘のマックで合流して、一緒にやっていこうと話し合ったんだ。

これは本当に偶然で、2003年の7月11日にOVER ARM THROWは二俣川にあったデニーズで「バンドやろう」という話になったんだ。
それからちょうど6年後の話。

それから何回かエイジには横浜に来てもらって、俺の家に泊まってもらって(その時は実家)何度か練習した。

初めて食べてもらった家系は厚木家だった。
初めて食べた家系が厚木家だなんて、かなりのエリートコースだ(笑)
その時エイジは『ラーメンに興味がない』『一番美味しいラーメンはスガキヤ』と言っていたが、厚木家で中盛りを食べて
どうやらお腹を壊したらしいが、何かに目覚めてしまったらしい。

そんなこんなで、水面下でOVER ARM THROWが再スタートした。



ここからはOVER ARM THROWというか、自分の気持ちがどうだったか、自分が変わっていった事も書いていきたいと思います。

バンドのメンバーが変わる、ってすごく大きな事で、自分達の中身の話もそう
見てくれるみんなもどう思うのか
不安が無かったと言ったら嘘になる。
それまでもメンバーの誰かが変わったり、メンバーが増えたり減ったりして
変わっていくバンドが崩れていってしまう姿を何度も見てきた。

だからこそ、変わっていないメンバーが、強い心を持っていないといけないんだ、とそう誓っていた。
新しく入るメンバーは、もちろん、オリジナルメンバーについていくのが必死な訳で
元々のバンドのイメージとかを変えてはいけない、と思っているだろう。
そんな事は決まっていないし、新しく入ったメンバーが変えていってしまえばいいんだけど
一番不安なのは新しく入ったメンバーであって。
どう思われるのか、一番気にするのは新しく入ったメンバーだろう。
「前の方が良かった」「新しく入った人は・・・」
だなんて言われるに決まっているし、気にするに決まっている。
視覚的に入ってくる絵が違うのは当たり前で、見る側がそう思うのは仕方がない事なんだけど
だから、俺とキクが、「大丈夫だ」「何も問題ない」と思っていないと
エイジはもちろん、見てくれるみんなも不安にさせてしまうと思った。

だから常に「何か変わった?」みたいな気持ちを持ち続けていた。
ある日、とあるバンドマンに「メンバーが変わって、ここまでバンドのイメージが変わらないバンドは初めてだ」と言われたのはすごく嬉しかった。

30代後半とか40代とか、バンドがベテランになってくれば色んな事を乗り越えてきたから
内部的には色々あるだろうけど、メンバーチェンジの際のメンタルはかなり強い物になっていくだろうけど
俺たちは当時まだ20代で、メンタルが強かったという訳ではない。
でも、それを経験して、今はかなり強くなったんだろうなぁと思う。

当時、インタビューとかでもメンバーチェンジに関して色々聞かれた。
その時の話で、誤解をされるような言い方を俺はしていた。
そういう訳ではないんだけど、誤解を招くような言い方をしたことがあった。

俺としては、まだ新しいドラマーが決まっていない時の気持ちを言ったつもりだったけど
エイジが入ってからだったから、言い方が悪かったのかな。
「新しいドラムが誰になろうと、変わらずにやるつもりだった」
みたいな事を言ったんだけど、一見「誰でも良かった」みたいに聞こえて
そういうつもりで言ったつもりではなかったんだけどね
でもエイジはその時それを聞いて、そう思ってしまったかもしれない。


なんでそこまで意地のように、自分がしっかりしないといけないと思っていたかというと
前のドラムの玄だった頃、俺は本当に何も考えていないようなやつだった。

いや、考えていない訳ではないけど
言葉と行動がきちんと一致している訳ではなく、足元もしっかりせずフラフラだったし
頼り甲斐があるかというと、何にも無かったと思う。

当時は全て玄が歌詞を書いていた。
俺は歌詞を書く事も全然出来ず、書いても良い言葉を並べるだけ。
心の底の、根元みたいな言葉が出ている訳じゃ無かった。

歌詞に通づるように、自分自身の言葉も
思ってはいるんだけど、全然しっかりしていなかった。
玄が辞めるという話が進むようになっていってからかな、自然とそこを考えるようになった。

ちょうど同じ頃、俺は介護の仕事を始めた。実はそれが大きくて。
俺が介護の仕事に携わるようになってちょうど10年。
玄が辞めて、エイジが決まる前の何もしていない時に始めた。
自分を変えたくて始めた。
出来るだけ人がやりたくないと思うような事をしたい、と思った。
ライブにも通ずる話で、当時(今でも)MCで
「助け合ってください」という言葉を俺も言ってたし、色んな人から聞いた。
そんな言葉を考えていて
「俺が人を助けたりしていないのに、よくそんな事言えるよな」
だなんて思っていて、凄く自分を変えたいと思っていた。

知識も何もないまま面接してもらって、どういう事をするのか、どういう意味があるのか
そんな事も知らずに1から教えてもらった。
何も分からないクソガキは、同職の人から「こいつナメてるな」と思われていた。
そりゃそうだ、何にも知らないんだ。
分からないから全部形通り、時間通り、量とかも教えられた通りにやった。
何をしたら良いか分からない時は、ひたすら掃除していた。
そして少しずつ少しずつ、誰かに喜んでもらう喜びと、自分が少しは役に立っているっていう実感
そして何より生きる事、命の大切さをたくさんたくさん教えてもらった。

今でも継続しているのは、ここで学んでいることが多過ぎて
この学びの場を失いたくない。そして、それが自分自身になっているという事を感じているからだ。

そうやってバンドの中に生きる自分も、普段家にいる自分も、少しずつ変わっていくことが出来た。
もちろん、まだまだ未熟で教えてもらうことばかりだけど。
ただ、あの頃の自分とは違うようになれたんじゃないかと思う。
「助け合ってね」という言葉は、前よりは心の底から言えていると思う。


名古屋に住んでいるエイジは練習やライブのために横浜に通っていて
いつも俺の家に泊まっていたけど
とうとう横浜に引っ越してくるっていう時が来た。
俺はずっと実家に暮らしていたけど、色んな理由、色んな機会と心境も重なって
ほぼ同じタイミングで俺も実家を離れた。
俺は実家からさほど離れていないけど、実家を離れてちょうど10年なんだなぁ。
この10年は俺個人にとっても色々あった。
結婚して子供もできて、濃い10年だった。


話の順序がめちゃくちゃではあるけれど
ようやくエイジが入って、初めてのライブの日が来た。
2009年8月31日 立川BABEL
DOLCEの企画で俺達はスタートした。
DOLCEはずっと俺達を心配してくれて、煽ってくれて、どんな事でも相談に乗ってくれた。
どうして8月31日がスタートだったのかというのも、話し合ったというよりかは
「はい、もうここでやるからね」みたいな感じでその日をセッティングしてくれた。
きっとそこまでしてくれなかったら、再スタートはもう少し遅れていただろう。

正直、その日の事はあまり覚えていない。
打ち上げの事しか・・・
きっと下手くそで、バラバラで、ステージに立つ姿もシッカリしていなくて
でもきっと嬉しかったんだろうな。


それから、色んなバンドにライブを誘われた。
俺達の復活を待ってくれていたバンドがたくさんいて、どんどん声をかけてくれた。
エイジには自由にやってもらった。
今までのOVER ARM THROWはあるけれど、全然変えてくれて構わない、と言ってやった。
ライブができるってだけで嬉しかった。

バンドが動かなかった3ヶ月の間、俺はライブハウスから離れなかった。
行けるライブはたくさん行って、色んなバンドに顔を合わせに行ってた。
そこでライブを見て、やりたくてやりたくて仕方がなかった。
中途半端なライブしてるやつがいたら、「俺の分までちゃんとやれよ!」とまで言ったりした。
たくさん話をしたし、そういう時だからこそ話せた人もいっぱいいた。

だからまた動き出せることが嬉しかった。

ただそのまま嬉しいという気持ちだけでやっていく訳ではなく
自由にやっていたせいで見ていなかった細かい場所の擦り合わせをしなくてはいけない時が後々やってきた。
エイジは困惑していただろう。どこに気持ちを設定したら良いのか分からなくなって。
楽しくやらなきゃいけない。でも細部も気にしなきゃいけない。
前の二人を気にしなきゃいけない時期がやってきた。

そのせいでは無いけれども
その後2015年にはまたOVER ARM THROWは止まってしまう。
動き出せばまた欲が出て、色んな事が当たり前になってしまって。
でも止めるとまた大切な物を思い出す、っていう繰り返しをずっとしている。

でもその休止が、エイジを完全にOVER ARM THROWにした、という実感が俺にはある。
とっくにOVER ARM THROWである自覚はあると思うんだけど、キャラの強い俺とキクにどうしても合わせなくてはいけなくて
それはオリジナルメンバーだから、という意味ではなく、キャラの問題だと思うんだけど。
でもその休止が、エイジがエイジでなくてはいけない、エイジが強い芯としてドッシリとしていなくてはいけない、とそう変えたんだと思う。

なんだか、玄が辞めて、エイジが入った辺りの俺のような変わり方を
そのタイミングでエイジがなった気がする。

誰かを変えるのではない。
自分自身が変わらなくてはいけないということ。

そんなこんなで、OVER ARM THROWの15年が経ち
エイジが入って10年を迎えようとしている。

今は、ライブが出来るだけで、音が出せるだけで幸せなんだよな、っていう心はどうやらもう染み付いたみたいだ。
失う事が多くなったからかな。年のせいかな。

欲というか、もっとこうしたい!という気持ちはもちろん向上心として持っているけれど
それを追求したせいで、大切な物を失ってしまうような方向には持っていかない術は身についたかな。
まだ分かんないけど。

細かく見ればもっともっと色んな事があったんだけど
ザックリと振り返れば、こんな感じの10年だったなぁと思い書きました。

エイジが入った時にこんな10年後だとは想像していなかったけれど
こんな10年後が待っていました。

もちろん今は、エイジで良かったと思っているよ。
エイジでしかないよね。
むしろ他は考えられないよね。

あと10日くらい。
2019年8月31日
OVER ARMY 名古屋BOTTOM LINE
エイジとの10年間を支えてくれた人達に、応援してくれた人達に感謝の気持ちを表す事ができたらと
そう思ってお待ちしております!

そしてこれからの未来をまた一緒に見てくれたら!


そう言えばあの当時
『大切なお知らせ』
とか無かったな
SNSがなくてHPにしか書けなかったもんな。



2019年05月30日 23:30

7/7(日)石巻市南浜地区復興祈念公園予定地
7/8(月)仙台MACANA

本当はこの2日間が土日祝日だったら最高だったんだけど、ちょっと調整つかず
でも2日連続にする事が出来ました。

この話は今年の3/11に昨年も行かせてもらったんだけど、石巻市南浜にある『がんばろう石巻』の看板がある場所。
そこで話が始まった。

昨年も同行させてもらったけど、俺達がイベントをやる時にはブースを出展してもらっているpicnic earthのカナさんにアテンドしてもらい、石巻の街を回らせてもらった。

特に印象に残っているのは、昨年の10/3渋谷TSUTAYA O-EASTで行なった"OVER ARMY"では、OVER ARM THROWの焼印を木に押してキーホルダーにするっていう事をしてもらった。
IMG_6155


picnic earthの活動内容を知らない人にも知ってもらいたいんだけど
東北の沿岸に木を植えて、いつの日か防潮堤となる森を作るため活動しています。

その苗木を育てているビニールハウスが、石巻市南浜にあります。
IMG_7881
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IMG_7892IMG_7889
IMG_7891

この場所は元々、街があった場所で
津波によって街がなくなってしまいました。

来年2020年には、復興祈念公園として完全に整備されるそうです。

今見られる景色は、今のうちしか見れない。

今年の3/11には"こころの森"の古藤野さんにお話を伺わせてもらいました。

色んな話を聞かせてもらいましたが、一部抜粋させてもらいます。

今まで色んな支援を受けてきたけど
これからはお金じゃないんだな
心の復興が必要だ
例えば音楽だとか、楽しいと思えるような
そんなのがあったら良いなって

と、すぐに俺達に『来れないか?』とスケジュール帳を開く古藤野さん。

昔はDeep Purpleとか聴いたねぇ

と。

出来れば七夕が良いなぁ

と。

すごくこの場所で音を鳴らしたら素敵だなぁと思うようになりました。

そこでスケジュールを調整し、picnic earthのカナさんに行けますと伝えて
こういう機会を設ける事が出来ました。

俺達のライブをやるけど
野外ライブというイメージとは少しずつ違って
そんなに大きな音は出しません。
始めはアコースティックって話もあったんだけど
俺達が出来る音楽の幅を考えると、バンドセットでやらせてもらえないかってお願いをしました。
みんなが観てくれるであろう場所は大切な芝生なので
ダイヴにモッシュなんてちょっと似合わないかな

少しだけ大きな音を出させてもらって
賑やかな音につられて、色んな人が集まってくれたら嬉しいと思う

あの人達は誰かね?
と思われて良くて

だからどうせなら、色んな人が知ってる曲なんかも織り交ぜてやりたいと思ってる

普段のライブハウスでのライブとはイメージが違うと思うんだ

でも、そんな音につられて、俺達につられて
人が少しでも集まってくれて

植樹を体験してくれたり
来年には変わってしまうこの場所をみんなで見たり
なんか賑やかに楽しい場所になれば良いなと
そう思っています。

小さな子供が来るなら何の曲が聴きたいかな
おじさまおばさま方はどんな音楽なら分かるかな

やっぱDeep Purpleかな

来る人から何が聴きたいかとかも聞いてみたいな
歌ってくれるなら、演奏だけ覚えてくるし

なんか温かい日にしたいなと思っているんだ。

美味しい物食べられるかな(動機不純)


七夕の季節って、いつも雨で
織姫様と彦星様が会えるのって結構可能性低いって思ってたけど
雲の上、むしろ宇宙だから会えてるのかな
俺達が、その瞬間に立ち会えていないだけなのかな

晴れる事の方が可能性低い気がするけど

カナさんは
大丈夫です。私晴れ女なので。って。

ついでにキイチロウにも聞いたけど
大丈夫、俺晴れ男だから。って。

ちなみにOVER ARM THROWも晴れバンドなんですけどね。


笹の葉じゃないけど
願いを木に込めに来て下さい。



2019年03月02日 00:13

俺もついこの間気付いたんだ。
2019年3月3日でKEYWORLDはちょうど5年になる。
これと言って特に何かをする訳でもないが。

KEYWORLDとは何だと言う人に、ちょっと話しておこうかな。

K→KIKU
E→EIJI
Y→YOHEI

と物凄く恥ずかしくもなるネーミングだけど、嘘のようで嘘じゃないアイデア。

もしキクじゃなくて
例えば半田だったら
HEY
になってたかもしれない。
ん?聞いたことあるぞ?

名前を考えている時に別案で

YOHEI
EIJI
SHINYA
の頭文字で

YES
というのも考えた。
でも今更SHINYAて、、、

でも『KEY』という言葉はとても良い単語だなと思った。
KEYを使って曲を思い浮かべたいくらいだ。
『鍵』とは『答え』とはちょっと違うんだけど
一つに対して一つしかないもの
当てはまれば開くもの
鍵があって扉は開かれる
なんか素敵な単語だと思った。

KEYから連想されたのは『KEYWORD』だった。
でも言葉に限定する物ではないから、それを文字って『KEYWORLD』と名付けた。
『WORLD』というのは常に頭のどこかで意識してる言葉で、美しい世界の扉が開かれる鍵のような物を見つけられたら、創り出せたら、そんな想いを込めて名付けた。

シングル『will』を発表したのが、10周年にあたる2013年10月で、そこから半年経たない間に、KEYWORLDを作る為に動いていた。

『will』に込めた気持ちが反映されているような名前で自分でも美しく思う。
テーマ的に、『will』というシングルは自分でもとても美しく思うし、キレイな歌達が揃っていると思っている。

10周年を迎えて次にやる事
それはもっと『自分達』という物を表現していこう、と思う事だった。

何でもやりたがりの俺は、何かをやるのに自分は何者なのかと、いちいち証明出来るものはなくて、弊害を感じていた。
『バンドです』と言って通用するのは、ライブハウスの中や、知ってくれている人だけで
所謂世間一般的には、ただの1人の人であって
通したい話も通せなかったりする事が多かった。
法人化する事によって、話を聞いてくれる所が増えるだろう、と単純にそう思うようになった。

機材車の中には機材だけじゃなく色んな物がたくさん。
倉庫だって借りて色んな物を入れていた。
曲作りはもちろん、PC作業は常に自宅でしていた。
物は溢れかえって色んな事も物もごちゃごちゃしていた。

事務所を作ろう。

そこから登記する方法なんて俺全然分からないよ、と
Flying Highの社長に相談しに行った。

会社を作る事のメリットとデメリットを教えてもらって
でも、そこにはメリットの方が明らかに多くて
目をキラキラさせてそこに向かおうと思った。
(やりたいと思ったらやらないと気が済まないタイプ)

でも経営や税とか、登記内容とか難しい話はあまり分からない、、、
それでも勉強した。
でもなかなか身に入らなくて

もっとそれに興味を持って、登記まで動いてくれたのはエイジだった。

もうそこからはエイジに任せて
KEYWORLD設立まで辿り着いた!

初めは怪しいアパートを借りて
隣の家からは変な料理の匂いが毎日するし
不動産屋は明らかに漫画に出てきそうなカツラのおっちゃんだし

何をしたら良いか分からないままスタートした。

初めの一年は、本当に特にこれと言って何もしてないで終わった気がする。

そして翌年2015年は、KEYWORLDを作った事がキッカケだったのか分からないけど
バンドの動きも止まった。

せっかく作った事務所なのに、何もせずに終わるんだと思った。
会社の終わらせ方も分からなかった。

借りたアパートは解約した。
意気込んで買い揃えた物たちを捨てたり、機材車に詰められるだけ詰めたり。

それでももう一度やり直そうと再び始まって
また違う場所に事務所を構えて
すごく小さな部屋だけど、前の事務所とは比べ物にならないくらい謎に居心地が良い場所になっている。

大きさとか間取りとか、そんなんではなくて風水的なニュアンス?で、とにかく捗る場所になった。

それからは、やりたい事をやろうという始めの気持ちが継続し、前よりも色んな所とやり取りが出来るようになってきた。
まだまだ狭い世界ではあるけれど、KEYWORLDを作っていなかったらやれなかった事はたくさんある。

今考えると、やらなくてはならない理由を作ったような感覚かもしれない。

KEYWORLDはレーベルではなくて、事務所です。
特にKEYWORLDを推していくつもりもないけど、OVER ARM THROWの縁の下で支えている場所。
OVER ARM THROWが今、こんなに特殊な事が出来ているのは、KEYWORLDが法人として存在しているから出来ている事が多くある。
そして、法人だからこそ出来る事を、もっと考えていければなと思う。

本当に笑っちゃうくらい極小の法人ではあるけれどね
まだ何にも分かっていないし、シッカリもしていないし
それでも5年経ったなぁとしみじみ思う。
俺も代表取締役として5歳か。
あと何年やるんだろうな。

一歩踏み出したら、進むしかなくて
進んだら、進み続けるしかなくて
進み続け為にはどうしていくのか
ただただ続ける為だけにどうするかだけを考えるのはつまらないかもしれないけど
続けなきゃいけないってプライドもカッコ良いなと思うようになった。

バンドマンがただの経営者になったらつまらなくなってしまいそうだけど
幸いバンドマンという要素の方が大きいようで
どんな事をしたら楽しいか
そればかりを考えていられてるのは、自分の性格がラッキーだと思う。

ギリギリの時に踏ん張る力も今のところ足りてるし
マイナスをプラスにしようとする謎なメンタルもあるみたいだし

もうちょっとだけ色んなこと上手に出来るようになれば良いなと
それが目標でもある。

今はまだ予想もつかない
続けた先に何があるかワクワクしながら
また1年を重ねていければ良いなと思います。

初めは『ごっこ』
会社ごっこ

今も『ごっこ』だな

そんなもんかな

それでもこの5年、KEYWORLDは俺自身を成長させてくれたなぁと感謝しています。
これからも宜しくどうぞ!


2019年02月26日 01:50

いつも悩んでる。
すぐ決まる日もあれば、ライブの直前まで決まらない日もある。
セットリストを前々から決めて関係者各方面に送らなければいけない時もあるけれど、なかなかそれが出来ない。
早く決めた方がキクもエイジも頭の中でシュミレーション出来るだろうから良いだろう。
PA、照明、ライブで表現をしているのはメンバーだけじゃないから、早い方が良いだろう。

伝えることさえ出来るのならば、本当はライブ中に思い付いた物をやっていきたいくらいだ。
でも今の時点ではそんなに柔軟に出来るほどの実力もないし、きっとグダグダするのがオチだろう。
俺達のライブでたまに起こるミラクルもあるだろうけど、毎回それをやって成功する実力は今のところないかな。

でもライブ中に思い付いた曲をやっていきたいと思うのは本当にそうだ。
何でかというと、その瞬間の空気を分かっている中で決めるから、一番確実ではある。
逆に、前々から決めるということは、『空気を予想している』という事になる。

これはバンドとしての考え方で分かれる所ではあると思うけど
空気を完全に作るバンドと、空気を理解して対応するバンドと分かれるのではないかな、と思う。
もちろん、どのバンドでもどちらも出来るのだろうけど
空気を完全に作るバンドというのは、俺が思うに実力がきちんとないといけないと思う。
実力がなければ空気を作る事も出来ず、空気が変わったとしても軌道修正する事は出来ないと思う。
俺が思うに、俺達にはその実力はない。

だからなのか、今日はどんな空気なのかを、いつも考えている。
ライブハウスへ移動する車内とかでもずっと考えているんだけれど、数曲は頭に浮かんでも、順番含め、全曲が決まりきる事なんてほぼ無い。
大抵、決まるのはリハーサルの後が多い。

パターンとして
いつ、誰と、どこでやるのか
という所から考え始める。

そして、前回その場所へ行った時のセットリストを見直して
そこでなくても付近のライブのセットリストを見直して

そしてここ最近のセットリストを見直す。

必ずやりたい1曲、みたいなのはその時点で大体浮かんでくる。
その1曲をどこに置くのか、というのを考え始める。

ライブ前にスタジオに入って練習した時に、なんとなく調子良さそうな曲を見つける。
キクとエイジの表情や演奏を見て、これが良いかな、これはダメかな、なんて考える。

ライブ当日、メンバースタッフと会って今日の空気を見始める。

そしてライブハウスに入りライブハウスのスタッフや、対バンの人と顔を合わせたりして想像する。
ライブハウスのステージからフロアを見て想像し、フロアからステージを見て想像する。
今日はどんな人が来るのかな、と想像する。

そしてリハーサルで音を出して、音の感覚で想像する。

その間ずーっと、自分自身が本番どうであるか、想像している。
今日の自分はどうであるか、どうなりたいのか、どうしてきたのか
最終的にはそこである。

色んな事象が混ざって出来るのがその日のセットリスト。
ライブ前日までに決まる日もあれば、本番ギリギリまで決まらない日もある。
それは、想像出来たか、出来なかったか、の違い。

久し振りに行く土地ほど実は決めやすかったりするし、頻繁にやっている所ほどなかなか決まらない。
だから横浜や東京でやる時ほど決まらない。

いつも一番決まらないのは爆裂FxAxDかもしれない。
初期衝動コピーがあり、30分という中で、どの曲もよくやっていて、その年の最後にやるべき曲は、、、だなんて考えると全く決まらない。
だから毎年何の曲をやったのか、何年分も遡って考えている。


ワンマンなのか
2マンなのか
2マンなら誰とどこでやるのか
OVER ARM THROWの主催なのか、対バンの主催なのか
それともライブハウスやその他が主催なのか
出番は先なのか、後なのか
3マンなのか、もっともっとバンド数は多いのか

そして
持ち時間はどのくらいなのか

今日はよく喋るかな
あまり喋らずにパッといった方が良いかな
じっくりやった方が良いかな

そんな事も考える。

具体的に触れていこうと思う。

自分でも印象的なのは、2/8渋谷TSUTAYA O-EAST、Northern19主催のHOLY DIVERS。
みんなも驚いてくれたと思うけど、Hard to say I'm sorryをやった。

Hard to say I'm sorryをやろうとキクとエイジに言ったのは1月中。
いつ振りになるのか覚えてない。
エイジが入ってから2回目なんじゃないかな、と思うくらいなかなかやらない曲で
つまりここ約10年で2回しかやってないくらい珍しい曲。

これに関しては本当に理由はない。
ただ、久し振りにやったら驚くかな、くらいに思った程度。

自分達が主催するイベントでは、出来る限り普段あまり演る事の出来ない曲達を並べたりするけれど
では自分達が主催ではなく、呼んでもらったイベントで何をやるかって所を考えた時に
どちらもライブはライブ、と思ったんだ。

自分達が主催のライブに来てもらいたいと思うのは当然だけれど
誰に呼ばれたライブでも、持ち時間が少なくても来てもらいたいと思うのは当然で
『行っておけば良かった!』と思わせたいとは常に思っている。

しかもTSUTAYA O-EASTという場所は比較的大きな会場で、何年もやってなかった曲がいきなり響いたらどうなんだろう、という興味も凄くあった。
そして自分達の15周年のOVER ARMYの時には演らなかった曲でもあったので、なんとなくあの日の余韻を引きずるように入れてみたかった。

ただMCでそこに触れたりするつもりもなく、MC明けの1曲目にしたくなくて、セクションの最後にもしたくなかった。

繋がり的な話をすると、Hard to say I'm sorryのイントロは静かな始まりで、柔らかい始まり方をする。
そこにうまく繋がる曲、というのを考えた。
俺の中で思い浮かぶのは
Full a letter
Rotation
S.O.G
Dear my songs
辺り。
最後が柔らかい雰囲気で締めくくるもの。
そのような曲達の中から選んだのはZINNIAだった。

その日のMCでも話したけれど、Northern19が主催という事もあり、ZINNIAを入れたいと思っていた。
ZINNIA→Hard to say I'm sorry
この繋がりが決まった。

Hard to say I'm sorryの終わりは、キクの歌で終わる。
他にもキクの歌で終わる曲はあるけれど、ギターの歪んだ音が伸びたまま終わる曲は意外と少ない。
クリーントーンで緩やかな歌で終わるものは多いけれども。
そこから何をもってきたら良いか悩んだ。
でも直感的にoneだとはずっと思っていた。
ただ、oneだったとしても、その次に何が来るのか次第だな、と思っていた。

ちなみにほとんどのライブはAll right all wrongで締めくくるんだけれど
All right all wrongの前の曲はどの曲でもやれる訳ではない。
今のところの繋ぎ方では、実は数曲でしか繋がらなくて
法則があったりする。
この法則は秘密にしたいんだけど(3人しか知らない秘密)

ちなみに、oneからAll right all wrongは繋がらない。
だからその間に何かが必要なんだ。

ZINNIA→Hard to say I'm sorry→one→???→All right all wrong
という流れが決まった。

結果、Hard to say I'm sorryの最後の歌詞が

『Now I'm gonna be the lucky one』

で、最後の単語が『one』だと知ったのはライブ中で

『だからなんとなくoneだなって思ったのかな』だなんて、その時に俺は理解していた。


この時点で

ZINNIA、Hard to say I'm sorry、oneという曲達は全てOath and Night Warに収録されている曲達で、そこだけに固めたいと思っていなくて

いつも、出来る限りまんべんなく並べたいと思っているから、Songs -what I sing when a war resounds this-からも、Pressureからも選びたいと思っていた。


そして、さっきも書いたけど、TSUTAYA O-EASTという場所はOVER ARMYというイベントをやった場所で、その日にFRUITSを発表したという事もあり、もちろんその中からもやりたいと思っていた。

その中から何をやるかはどれでも良いんだけれど、繋がり的に相応しいものを、と考えたくらいだった。


この日はNorthern19主催でdustboxもいる。

絶対にやりたい曲のもう一つ、cave chairがあった。

cave chairのギターソロ後のイントロ中に『来いよー!』と叫んでいるのはdustboxのスガさん。

そしてサビのシャウトはNorthern19のケンタロウが参加してくれている。

その2バンドが揃うから、お願いしようと思っていた。


俺のベースは普段ドロップDチューニングで、cave chairは実はレギュラーチューニングの曲。

cave chairを演る時は、実は赤いベースを使っている。

ベースの持ち替えがあるので、cave chairの前後はこれまた考えなくてはならない。

cave chairだけ赤ベースで弾くのもなんだし、もう1曲くらいレギュラーチューニングで出来る曲を持ってこようと考えた。


そこで思いついたのはBy yourselfだった。

俺がレギュラーチューニングの曲を演ろうと思い始めたのは、実はPressureというアルバムから。

だからそれ以前の曲は全てドロップDチューニングで演っている。

でもBy yourselfのイントロフレーズを考えた時、ベースで考えたのではなくギターで考えたので(キクはレギュラーチューニング)

絶対にレギュラーチューニングの方が演りやすい曲である。

前々から『難しいなぁ』と思っていたんだけど、Pressure TOURからレギュラーチューニングも混ざり始めて、By yourselfをレギュラーチューニングで演り始めたんだ。

だからBy yourselfという曲はレギュラーチューニングてもドロップDチューニングでも、どちらでも弾ける曲なんだ。

ちなみにBy yourselfだけでなく、Mr.know-it-allもとちらでも弾ける。けど、レギュラーチューニングの方が超弾きやすい。


そこでBy yourself→cave chairという流れが決まった。

cave chairで終わるのは何となく違うなと思っていて、その次にもってくる曲は何だろう、、、と考えている時に、レギュラーチューニングという壁が出てくる。

そのままMr.know-it-allというパターンも考えたけどなんとなく違った。

そこで思い出したのが、またOVER ARMYの時の事だった。

あの時、サブステージでエイジがドラムを叩いてる時に、赤いベースから青いベースに持ち替えて弾いたのはThe dancing rainだった。

あの日のセットリストはFrankenstein→The dancing rainだった。

実はFrankensteinもレギュラーチューニングの曲。

Frankensteinの終わりは扉が閉まる音。

そこからドラムソロを叩いてもらった。

俺が青いベースに持ち替えて、準備が出来た所でThe dancing rainに入るきっかけのエイトビートをエイジが叩いた。

それを少しの間だけ再現するように、cave chairが終わった後、エイジがエイトビートを叩く。

そして俺がThe dancing rainのフレーズを弾き始める、という事を考えて

By yourself→cave chair→The dancing rain

という流れが出来た。


FRUITSの曲をどこで入れよう、そして1曲目は何にしよう

と考えている時に、FRUITSの曲が1曲目でも良いか、と思いはしたが


前日、HEY-SMITHに呼ばれて滋賀のU☆STONEでライブだったんだけど

1曲目はAcross the fanfareで、なんとなく良い雰囲気で入れたからその感触をもう一度味わいたかった。


最近のライブの始まり方は、まずキクがなんとなく話してから始まるようになっている。

それをしだしてから、トップギアで入らずに、柔らかく入る事もすんなり出来るようになってきたのを感じていた。

Across the fanfareの始まり方は、クリーントーンのギターから始まる柔らかい始まり方。

それが滋賀では上手くハマったのでそんな始まり方がしたくなった。


Northern19に俺達のツアーに出てもらった甲府KAZOO HALLの事を思い出したんだ。

あの日のセットリストは、星の曲を4つやった後にTONIGHTを演った。

そのハマり方は綺麗でその印象も強くて

TONIGHTを1曲目に選んだ。

どうせなら星を繋げよう、と思ってStar RightかStargazerのどちらか。

終わり方を考えて、スパっと終えた所からBy yourselfに入りたいと思ってStar Rightを選んだ。

ちなみにBy yourselfの始まりはドラムなので、ドラムのあのフレーズをたくさん回してくれている間に、俺は赤いベースに持ち替えられるんだ。

そうして

TONIGHT→Star Right→By yourself→cave chair→The dancing rain

ZINNIA→Hard to say I'm sorry→one→???→All right all wrong

という順番が決まった。


これでFRUITSが1曲、Pressureが2曲、Songsが3曲、Oath and Night Warか3曲入った。


???にはバランスを見てPressureから入れたかった。

All right all wrongの前に入れられる曲は限られていて、Now or NeverかHand in handかな、と。

ここで持ち時間と、曲の時間を計算してみる。


Hand in handじゃ長くて入らねぇ!

という事でNow or Neverになりました。


と、こんな感じでセットリストを決めています。

本当はもっと書きたかったけど思った以上に長くなったから、また書きたくなったら時間がある時にでも書こうと思います。


セットリストを毎回公式Twitterにあげているのは

初めは『なんで勝手に載せるんだよ!』という反抗心からで

『どうせ伝わるのなら俺達から伝える!』と思って始めた。


それが途中から面白くなってね。

予想できるものならしてみろ、と思うようになったよ。

まぁそれが自分の首を絞めているんだけれど、今のところは苦しみながら楽しくセットリストを決めている。


いつも同じセットリストだとしても、会場が違えば、見てくれている人が違えば、俺達の気持ちが違えば、全然違うものになるから

いくらセットリストが出回ったとしても、その場にいた人にしか分からないものがある。


同じ曲があったとしても、順番を並べ替えただけで全然色味が変わる。

同じ順番だとしても、繋ぎ方が違えば全然変わる。

何も言わずに始めるのか、一言添えるのか

それで全然空気は変わるから

いくらセットリストが出回ったとしても、その場にいた人にしか伝わらないものは伝わらない。


でもセットリストを見るだけで、楽しいとか、悔しいとか、色んな風に思ってもらえたらそれはそれで面白い。


その場にいてくれた人には、公式で出したセットリストが答え合わせになれば良いし、記念になれば良い。


と、そんな感じで次のライブまでにまたセットリストを考えるよ。



2019年02月17日 00:13

新しい企画をやる事にしたんだ。
実は頭の中にはずっとあって、いつかやりたいと思っていた事。
きっかけの一つは九州を回ったTRIANGLEだ。
同じメンツで九州の各ライブハウスを回るTRIANGLEは、九州の人にとってとても大事なものだと感じていたし、自分達にとっても得るものがとても多かった。
今はそのTRIANGLEの会場は野外になり、福岡でのイベントだけど九州全体のパワーを感じる。
普段からいつもやっている事と、各地を回ったTRIANGLEがそうさせるんだと思った。
リスペクトを込めて、PROJECT FAMIRYには俺達も神奈川でやりますと、話をした。

俺達が回らせてもらったTRIANGLEは2011年と2012年。
東日本大震災があり、東北ライブハウス大作戦が発足し、その考え方から地元を大切にする心が今まで以上に芽生えた時だった。
だから尚更、TRIANGLEでライブハウスを回る事にとても意味を感じていた。

そして2013年には横浜のバンドで東北ライブハウス大作戦で出来た3つのライブハウスと、南相馬BACK BEATを合わせた4箇所を回った。それも地元を大切にしようと芽生えた心を表したツアーだった。

2017年1月にやったサーキットイベント"Sound Go Round"もそういう気持ちを表したイベントだった。

少しずつ『やりたい』と思った事を実現出来ていると思う。
色んな事を経て、今回ようやく実現できるのが"Can I get ONE?"だ。

Pressure TOUR 2017-2018でも、神奈川は40箇所中の6箇所をやった。
少し感覚を知りたかったんだと思う。
特に、行ったことがなかった小田原姿麗人に行けた良い機会だった。
厚木Thunder Snake、小田原姿麗人、横浜F.A.Dの3daysをやれた事によって、『絶対にやる』にシフト出来た。
やるつもりではあったんだけど、ギアがかかるのが遅い俺達は踏み込む勇気をもらった。

ゴールデンウィークはどこも渋滞するし、神奈川の中で渋滞しても最悪車を乗り捨てて、、、
って理由もあるけれど、まぁそれは一石二鳥的な話で
何より平成が終わる、って事が更にヤル気にさせた理由だったと思う。
なんか平成のうちにやっておかなきゃいけない気がして。
もう平成には戻れないんだ。
ミレニアムを迎えた時のような、21世紀になった時のような、きっと自分の人生の中でこんなタイミングはもう無いだろうと。
しかもそのタイミングで10連休。
やる理由は全て揃った。やらない理由が分からない。

リスペクトをしているイベントは他にもある。
10-FEETが主催している京都大作戦、G-FREAK  FACTORYが主催している山人音楽祭
あんなに大きな規模ではないけれど、地元を愛する、そして地元に恩返しをする、そんな意図をすごくリスペクトしている。
地元の人達に囲まれて、主催バンドだけでそれを成功させようとしているのではなく、そこの人達が成功させようと力を合わせている姿は、とても美しく見えていた。
俺達はそんな規模では出来なくとも、出来る事が目の前にあるのにやらないのか?
やっぱりやらない理由はなかった。

横浜で生まれて横浜で育った俺だけど、横浜の一番端に住んでいて、2〜3分歩けば藤沢市、みたいな所で
横浜駅が一番通った場所か?と聞かれると意外とそうでもなくて
小さい頃はチャリで江ノ島まで行ったりとか
祖父祖母が小田原の方にいたから毎月小田原には行っていた。

前のバンドでライブを始めた時は、横浜だけでなく、新横浜のBELL'Sや、鶴見のTOP'S(今はGIGS)、厚木Thunder Snakeになる前はFUZZYSCREAMでブッキングライブに出させてもらっていた。
あの頃の自分を考えたら、新横浜も厚木も『地元』だった。
OVER ARM THROWを組んで、だんだんと活動範囲を全国に広げる事が出来て、神奈川でやるとなったらF.A.Dとかぼちゃ屋が多くなったけれど
あの時に全然お客さんがいなくて、なかなか誰かに見てもらえなかった自分を思い出したいし
あの頃の自分に何か言ってやれる気がしてさ。
『色々あるけど続けてて良かったな』と。

だから地元を『横浜』とだけ言うのはなんかもったいない気がして
俺達の地元は『神奈川だ』って言いたくなった。

神奈川県には色んな所があって、誇りでさ
それは自分の地元で思い入れもあって、贔屓目に見ているけど
それでも自慢したい場所はたくさんある。
大好きな神奈川を、自分自身がより大好きになりたいし
素晴らしい所をたくさん知ってもらえたら嬉しいなと、思うんだ。
だから神奈川に足を運んでもらえるようなキッカケになったら、もうそれで俺は充分幸せだ。

世間はゴールデンウィークくらいからライブハウス以外でのライブも多くなる。
俺達も同じで、野外や大きな空間でライブをやらせてもらう機会が増えてくる。
毎年、そんなスケジュールを繰り返すようになってきたが、それでもいつでも365日ライブハウスは存在している訳で。
ライブハウスに育ててもらってきたから、どんなスケジュールになってこようと、ライブハウスに意識を置いておきたいと思っている。
根本は『どんな所でもやれる所でやる』だけれども。

4/28 横須賀かぼちゃ屋
4/29 江ノ島OPPA-LA
5/1 新横浜NEW SIDE BEACH!!
5/2 小田原姿麗人
5/4 厚木Thunder Snake
5/5 横浜F.A.D

上記6箇所でライブをさせて頂く事になった。

一つ一つ説明したいけれど、今回は2つだけ。

まずは江ノ島OPPA-LA
立地的にも最高な場所。
小田急片瀬江ノ島駅からすぐ。
だから新宿から、下北沢から、町田から、1本で来れる。
元々ライブハウスではなく飲食店で
でも土日はライブやイベントが多く行われている。
OVER ARM THROWとしてはOPPA-LAでライブをした事はない。前のバンドの時もない。
だからライブをするのは初めて。
15年くらい前に先輩のライブを観に行った時があって、そこからずっと気になっていた。
先日久し振りに挨拶も兼ねてOPPA-LAに行かせてもらったが、最高な場所だ。
ライブハウスのように黒く塗られた壁ではなく、窓があり
窓からは江ノ島が見える。
晴れればサンセットも見れるだろう。
普段はライブをする場所ではないので、ステージがある訳ではなく、フロアライブだと思ってくれた方が良い。
たくさんの人に来て欲しいと思うけれど、残念ながら6箇所中1番小さい。
それでも、チケットを取ってくれた人には江ノ島の観光も含めて、来てもらいたい場所だった。
神奈川で誇れる場所だ。
気に入ってくれたら、気になってくれたら、ライブをしていない時のOPPA-LAでゆっくりするのも良いと思う。

次に新横浜NEW SIDE BEACH!!
場所は横浜アリーナの1階
昔はARENA SOUND HALLという名前だった。
NEW SIDE BEACH!!という名前になってからライブをした事はないが、ARENA SOUND HALLも縁のある場所で。
俺とキクが初めて出会ったのは横浜の7th AVENUEっていうライブハウスで
そこで知り合って連絡先を交換して
ちょっとした知り合いの誘いでライブをする事になって、キクのバンドにも『一緒にやらない?』と声をかけたのは、今はなくなってしまったCLUB24 YOKOHAMAというライブハウス。
その次に一緒にやったのが、ARENA SOUND HALLだった。
キクのバンドと3回目に対バンしたライブハウス。
ぎこちなさも抜けてきて仲良くくだらない話をしたのを覚えている。
ARENA SOUND HALLでライブをする時には、『横浜アリーナでライブする!』とふざけて言っていたもんだ。
階は違えど建物内で間違いじゃ、、、いや、違うな。
名前は変わってしまったけど、NEW SIDE BEACH!!でライブをするのは18年振りくらいになるだろう。

Can I get ONE?の初日は横須賀かぼちゃ屋
京浜急行で品川や羽田空港から一本で来れる場所。
まだ分からない平成ではない次の年号の初めてのライブは、新幹線が止まる新横浜で
県外からの人も来やすい場所で待つつもりです。

OPEN/STARTは15:00/15:30
もちろんワンマンではなく、たくさんのバンドに協力してもらう。
とにかく賑やかに、懐かしい空気を味わいたいと思っている。

チケットの発売日は2/23(土)です。
でもその前に、出てくれるバンドのほとんどを発表するつもり。

出てくれるバンド達のお客さん達にも来てもらいたいんだ。
とにかく賑やかに派手にやりたいんだ。

いつも思っているけれど『自由でしょ』とも思っているから強くも言わないけれど
でも俺達からの願いとして強く言わせてもらいたい。
出来る限り始めから来て欲しい。
出来る限り全バンド見て欲しい。
予定ではリハーサルもやらないから、転換・音出しの時間も多く設けるし
再入場も出来るようにするからゆっくりしてくれて良いし
ただ音が鳴ったら一緒にライブして欲しい。

俺達の願いの、全部を楽しもうとしてくれる人に来てもらいたい。

いつも思っているけれど
強制することでもないから普段は言わないけれど
どのバンドがやっていてもパンパンな状態が見たいなぁと、そう願います。

それが出来ない人は来るななんて言わないけれど

まぁこれ以上言うのも野暮ったいね。


俺達のレコ発などのツアーとも違って
ワンマンとも違って
自分達企画の2マンとかとも違って
また別の企画だと思って欲しい。
俺達がトリでなくても良いと思っているくらいだ。

昔はよくやっていたライブハウスでのイベントを
またやりたいと思っているだけだ。
規模を大きくしてしまっては、なんか違うんだ。
そこでやるから意味があると思っている。

そんな意図を感じとってもらえたら、すごく嬉しいな。


2018年05月08日 15:58

なんとなく神奈川に似ている兵庫県。
大阪や東京の大都市の隣で、港があって
中華街があって、温泉があって
勝手に親近感に湧いている場所です。
去年の6月には神戸の、SPREADのTAKUYAさんにお呼ばれしてKINGSX BASEに行った。

Songs TOURはBLUE PORTに、Oath and TourもBLUE PORTに、SOUNDRIP TOURもBLUE PORTだった。
今回行くライブハウスはとても迷ったが、太陽と虎に行くことにした。

思えば、GRADATION TOURではSTAR CLUBに行ったんだ。
レコ発ツアーは15年バンド活動をしている割に、5回しかした事がない。
それでも、神戸という場所には必ず行っているんだ。
GRADATION TOURのSTAR CLUBで、初めて松原さんと出会った。
2004年7月16日だったかな、今から14年前だ。

自分が若い頃、ライブハウスの人って先生みたいな存在で、だいぶ年上だろうと思っていた松原さんは、1つ上だった。
その事を知ったのはその何年か後で。
今思えば、そんな若い時からあんなだったの!?と尊敬する。

初めて神戸STAR CLUBに行った時の事は今でも覚えている。
ライブハウスにブッキングをお願いしたんだけど、唯一知り合いのIQ20が、俺達も出ると言って出てくれた。
神戸はツアーの3日目だった。
1日目はACBで、2日目は大阪のBoomin' HALLだった。
関東から出た事がなかった俺らが、初めて外に出たのが大阪、そして神戸だった。
ワクワクと不安を胸に、初めて『ツアー』というものをした。
『CDをリリースする』という事に憧れていた時期からすると信じられない出来事で、凄い事を始めたと、期待が凄かった。
でも3日目の神戸で、現実を見せられた気がする。
まだまだレコ発とは言え、俺達の事は全然知られていない。
俺達を見にきてくれたのは、2人だった。
それは実力、しょうがない。
IQ20以外に対バンは誰か見ててくれたのだろうか、、、
俺達はフロアの5〜6人に向けてライブをした。
それでも俺達は初めてのツアーに喜びを感じ、楽しくライブをした。
それが初めての神戸、初めて松原さんと出会った日だった。
IQ20が連れていってくれたラーメン屋が上手かった気がする。

それからSTAR CLUBに何回行ったのだろう。
神戸に何回行ったのだろう。
記憶も曖昧になってきたもんだ。

なんとこの日は松原さんが、2年前に癌と宣告されて、『余命2年』と言われた日。
その『2年』を突破した、ちょうどその日だった。
リハーサルの時に顔を出してくれて、少しでも話が出来て嬉しかった。
松原さんが良く言葉にしているのを見たり聞いたりするけれど、音楽の力って本当に凄いな。
音楽という名の人間の力なのかもしれないけれど、実証してる人だなと思う。
みんなのおかげと言っているけれど、逆にどれだけみんなが励まされてるだろう。
元々の明るさもあるだろうけど、病にかかってあんなに明るく言葉を伝える事が出来るだろうか。
すごく強い人だなと思うし、支え、支えられている、周りの人達も含め、素晴らしいライブハウスだ。
今回のツアーの件で色々やり取りさせてもらったのは、松原さんではなく哲平だったけど
やり取りがスムーズで何もかもが完璧だった。
松原さんは『俺に何があっても任せられるようにしてある』と言っていたけど、それを任せる人、任される人、凄く美しいなぁと思った。
任す事が出来る人になりたいし、任される人になりたいよ。
この時点で、俺はすでにたくさんの物をもらってしまった。
また必ず、と約束をした。


神戸に出てもらったのはTHE→CHINA WIFE MOTORS。
SAKAI MEETINGには2度呼んでもらい、イベントでも数回対バンはあるものの、俺達が呼んだのは初めてだ。
どうしてもきちんと一緒にやりたかった。

初めて一緒にやったのは、実は古く
2005年の4月に、chickenraceのレコ発で近畿全府県を回っていたんだけど
その時に堺Goithで一緒にやらせてもらった。
あの時はバンド数も多く、打ち上げでは大音量でGARLIC BOYSが流れ、あらゆる場所で事件が起きていたような打ち上げで
全然話も出来なかった。

それから何年も対バンすることなく
数年後に初めて、GOOD4NOTHINGのゆーたんさんを交えて話をしてから、という感じだ。

リハーサルをしている最中から、先日亡くなったMr.BIGのパットトーピーを想いながら
お互いにMr.BIGのコピーが始まり
ライブが始まる直前までMr.BIGの話をしていた。
ここまでMr.BIGの話をしたのは初めてじゃないかってくらい、Mr.BIGの話をした。
THE→CHINA WIFE MOTORSのライブからは想像出来ないくらい、笑いながら話をした。

この日俺は『ジャンル』の話をした。
ジャンルとは、俺は、分かりやすいように誰かが引いた境界線だと思っている。
CD屋さんに行けば、商品がどこに置いてあるか分かりやすくするため。
国や街のように、誰がどこにいるのか、所在を明確にするような物な気がしている。
『音楽』というものを、『どんな?』と説明する時に便利な物。
だから、便宜上あるものであって、音楽の根本は『人』だと思っている。

俺も普段ライブハウスに行かない人に『どんな音楽やられてるんですか?』と聞かれて、何と答えれば良いか分からないでいる。
うーん、俺達は何なんだろう。
その線引きというのは、人によって違うのかもしれないね。
聞こえによって分けられる物と、精神性で分けられる物と、その分け方も違う人もいるので、分からない。

俺自身は『分からない』と言っているのが、意外に好きだ。
さっきも言ったけど、ジャンルは誰かが引いた境界線だと思っているから
『俺は境界線を引きたくない』
と、言っているようで好きだ。
だからこれからも『分からない』と言おうかな。
ライブハウスに行かない人に説明する時は
『なんだか速くてうるさい音楽ですよ』
とは言ってるけど(笑)

音楽に込められてるメッセージや歌詞は
聞こえる音が違っても、根本的には同じものがたくさんある。
俺はそれを『言い回し』だと思っている。
主格を『俺は』という歌と、『僕は』という歌と、『自分は』だなんていう歌もあるし
『ありがとう』『ありがとね』『ありがとよ』強く言うのか優しく言うのか、小声で言うのか大声で言うのか、近くにいる人に言うのか遠くに叫ぶように言うのか
そんな差みたいな物が、曲調の聞こえで違う気がする。
それは、どんな人がそれを言っているのか、みたいな感じに聞こえていて
だからこそ、ただの聞こえではなく、その音からその人自身を見ているし、聞いている。

だからどんな音だろうが、その人自身が見えて
その人が好きかどうかだけなんだよな、と思っている。
だからこそ、その人の事がよく見える『ライブ』というものが好きだし、その人自身をさらけ出すようなアーティストが好きだな。


太陽と虎は、電車の高架下にあって
STAR CLUBもそうだった。
大阪の2nd LINEもそうだね。
だからライブ中に、電車が上を走る音がする。
あれが好きだ。
あの電車の音さえも、拾えたりしたら面白いんだよなと、いつも思う。

そして太陽と虎には
ステージとフロアの間に『台』があって
ダイブしてきた人は、魚が釣り上げられた漁船や、市場のように台にゴロンと転がる。

その台に、、、乗らないように努力した。。。
でも出来なかった、、、

前はよくモニターに乗っていたんだ。
モニターって、演者が聞いてるステージ上にあるスピーカーね。
そもそも乗るものではないし、『乗らないで下さい』と書いてある場所もある。
逆に乗られても良いように補強されていたりする場所もあったりするんだけど

でもそもそもステージって
基本フロアより高い場所にあるし
ライブハウスによってその高さは様々だけど
ありがたくも皆さんより高い場所から音を出させてもらってるんですよ。
ライブハウスだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
だからわざわざ更にそれより高い場所に行かなくたって
むしろ、より高い場所に実際に行くんじゃなくて
自分自身が大きく見えるような存在にならないとなと思い
乗る事をパタリとやめました、最近。

俺達の先輩方って背が高い人が多くてさ
特にボーカルの人ってなんとなく背が高い人が多い気がする。
迫力もあるし、同時に怖かったりもした。
ステージに立つ人としてそれがカッコよくて
そういう先輩方ほど、モニターとか乗らないんだよね。
そんなに背の高い先輩じゃなくても、大きく見えた。
同じレベルの高さに立っていても、大きく見えるように努力していたんだろうと思うと
俺もそうありたいなと思ってライブしてたんだけど

登っちゃった!
モニターではないしね(笑)
と言い聞かせながら、初めは登るまいと誓ったのに
登っちゃった!



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