2018年05月08日

神戸

なんとなく神奈川に似ている兵庫県。
大阪や東京の大都市の隣で、港があって
中華街があって、温泉があって
勝手に親近感に湧いている場所です。
去年の6月には神戸の、SPREADのTAKUYAさんにお呼ばれしてKINGSX BASEに行った。

Songs TOURはBLUE PORTに、Oath and TourもBLUE PORTに、SOUNDRIP TOURもBLUE PORTだった。
今回行くライブハウスはとても迷ったが、太陽と虎に行くことにした。

思えば、GRADATION TOURではSTAR CLUBに行ったんだ。
レコ発ツアーは15年バンド活動をしている割に、5回しかした事がない。
それでも、神戸という場所には必ず行っているんだ。
GRADATION TOURのSTAR CLUBで、初めて松原さんと出会った。
2004年7月16日だったかな、今から14年前だ。

自分が若い頃、ライブハウスの人って先生みたいな存在で、だいぶ年上だろうと思っていた松原さんは、1つ上だった。
その事を知ったのはその何年か後で。
今思えば、そんな若い時からあんなだったの!?と尊敬する。

初めて神戸STAR CLUBに行った時の事は今でも覚えている。
ライブハウスにブッキングをお願いしたんだけど、唯一知り合いのIQ20が、俺達も出ると言って出てくれた。
神戸はツアーの3日目だった。
1日目はACBで、2日目は大阪のBoomin' HALLだった。
関東から出た事がなかった俺らが、初めて外に出たのが大阪、そして神戸だった。
ワクワクと不安を胸に、初めて『ツアー』というものをした。
『CDをリリースする』という事に憧れていた時期からすると信じられない出来事で、凄い事を始めたと、期待が凄かった。
でも3日目の神戸で、現実を見せられた気がする。
まだまだレコ発とは言え、俺達の事は全然知られていない。
俺達を見にきてくれたのは、2人だった。
それは実力、しょうがない。
IQ20以外に対バンは誰か見ててくれたのだろうか、、、
俺達はフロアの5〜6人に向けてライブをした。
それでも俺達は初めてのツアーに喜びを感じ、楽しくライブをした。
それが初めての神戸、初めて松原さんと出会った日だった。
IQ20が連れていってくれたラーメン屋が上手かった気がする。

それからSTAR CLUBに何回行ったのだろう。
神戸に何回行ったのだろう。
記憶も曖昧になってきたもんだ。

なんとこの日は松原さんが、2年前に癌と宣告されて、『余命2年』と言われた日。
その『2年』を突破した、ちょうどその日だった。
リハーサルの時に顔を出してくれて、少しでも話が出来て嬉しかった。
松原さんが良く言葉にしているのを見たり聞いたりするけれど、音楽の力って本当に凄いな。
音楽という名の人間の力なのかもしれないけれど、実証してる人だなと思う。
みんなのおかげと言っているけれど、逆にどれだけみんなが励まされてるだろう。
元々の明るさもあるだろうけど、病にかかってあんなに明るく言葉を伝える事が出来るだろうか。
すごく強い人だなと思うし、支え、支えられている、周りの人達も含め、素晴らしいライブハウスだ。
今回のツアーの件で色々やり取りさせてもらったのは、松原さんではなく哲平だったけど
やり取りがスムーズで何もかもが完璧だった。
松原さんは『俺に何があっても任せられるようにしてある』と言っていたけど、それを任せる人、任される人、凄く美しいなぁと思った。
任す事が出来る人になりたいし、任される人になりたいよ。
この時点で、俺はすでにたくさんの物をもらってしまった。
また必ず、と約束をした。


神戸に出てもらったのはTHE→CHINA WIFE MOTORS。
SAKAI MEETINGには2度呼んでもらい、イベントでも数回対バンはあるものの、俺達が呼んだのは初めてだ。
どうしてもきちんと一緒にやりたかった。

初めて一緒にやったのは、実は古く
2005年の4月に、chickenraceのレコ発で近畿全府県を回っていたんだけど
その時に堺Goithで一緒にやらせてもらった。
あの時はバンド数も多く、打ち上げでは大音量でGARLIC BOYSが流れ、あらゆる場所で事件が起きていたような打ち上げで
全然話も出来なかった。

それから何年も対バンすることなく
数年後に初めて、GOOD4NOTHINGのゆーたんさんを交えて話をしてから、という感じだ。

リハーサルをしている最中から、先日亡くなったMr.BIGのパットトーピーを想いながら
お互いにMr.BIGのコピーが始まり
ライブが始まる直前までMr.BIGの話をしていた。
ここまでMr.BIGの話をしたのは初めてじゃないかってくらい、Mr.BIGの話をした。
THE→CHINA WIFE MOTORSのライブからは想像出来ないくらい、笑いながら話をした。

この日俺は『ジャンル』の話をした。
ジャンルとは、俺は、分かりやすいように誰かが引いた境界線だと思っている。
CD屋さんに行けば、商品がどこに置いてあるか分かりやすくするため。
国や街のように、誰がどこにいるのか、所在を明確にするような物な気がしている。
『音楽』というものを、『どんな?』と説明する時に便利な物。
だから、便宜上あるものであって、音楽の根本は『人』だと思っている。

俺も普段ライブハウスに行かない人に『どんな音楽やられてるんですか?』と聞かれて、何と答えれば良いか分からないでいる。
うーん、俺達は何なんだろう。
その線引きというのは、人によって違うのかもしれないね。
聞こえによって分けられる物と、精神性で分けられる物と、その分け方も違う人もいるので、分からない。

俺自身は『分からない』と言っているのが、意外に好きだ。
さっきも言ったけど、ジャンルは誰かが引いた境界線だと思っているから
『俺は境界線を引きたくない』
と、言っているようで好きだ。
だからこれからも『分からない』と言おうかな。
ライブハウスに行かない人に説明する時は
『なんだか速くてうるさい音楽ですよ』
とは言ってるけど(笑)

音楽に込められてるメッセージや歌詞は
聞こえる音が違っても、根本的には同じものがたくさんある。
俺はそれを『言い回し』だと思っている。
主格を『俺は』という歌と、『僕は』という歌と、『自分は』だなんていう歌もあるし
『ありがとう』『ありがとね』『ありがとよ』強く言うのか優しく言うのか、小声で言うのか大声で言うのか、近くにいる人に言うのか遠くに叫ぶように言うのか
そんな差みたいな物が、曲調の聞こえで違う気がする。
それは、どんな人がそれを言っているのか、みたいな感じに聞こえていて
だからこそ、ただの聞こえではなく、その音からその人自身を見ているし、聞いている。

だからどんな音だろうが、その人自身が見えて
その人が好きかどうかだけなんだよな、と思っている。
だからこそ、その人の事がよく見える『ライブ』というものが好きだし、その人自身をさらけ出すようなアーティストが好きだな。


太陽と虎は、電車の高架下にあって
STAR CLUBもそうだった。
大阪の2nd LINEもそうだね。
だからライブ中に、電車が上を走る音がする。
あれが好きだ。
あの電車の音さえも、拾えたりしたら面白いんだよなと、いつも思う。

そして太陽と虎には
ステージとフロアの間に『台』があって
ダイブしてきた人は、魚が釣り上げられた漁船や、市場のように台にゴロンと転がる。

その台に、、、乗らないように努力した。。。
でも出来なかった、、、

前はよくモニターに乗っていたんだ。
モニターって、演者が聞いてるステージ上にあるスピーカーね。
そもそも乗るものではないし、『乗らないで下さい』と書いてある場所もある。
逆に乗られても良いように補強されていたりする場所もあったりするんだけど

でもそもそもステージって
基本フロアより高い場所にあるし
ライブハウスによってその高さは様々だけど
ありがたくも皆さんより高い場所から音を出させてもらってるんですよ。
ライブハウスだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
だからわざわざ更にそれより高い場所に行かなくたって
むしろ、より高い場所に実際に行くんじゃなくて
自分自身が大きく見えるような存在にならないとなと思い
乗る事をパタリとやめました、最近。

俺達の先輩方って背が高い人が多くてさ
特にボーカルの人ってなんとなく背が高い人が多い気がする。
迫力もあるし、同時に怖かったりもした。
ステージに立つ人としてそれがカッコよくて
そういう先輩方ほど、モニターとか乗らないんだよね。
そんなに背の高い先輩じゃなくても、大きく見えた。
同じレベルの高さに立っていても、大きく見えるように努力していたんだろうと思うと
俺もそうありたいなと思ってライブしてたんだけど

登っちゃった!
モニターではないしね(笑)
と言い聞かせながら、初めは登るまいと誓ったのに
登っちゃった!



oat03 at 15:58コメント(0) 

2018年05月05日

札幌

札幌には毎年来る事は出来ているものの
ZEPP SAPPOROで行われる、POWER STOCKのみで
札幌のライブハウスでじっくりとライブが出来るのは本当に久し振りだった。
ZEPPでしかライブをしてないだなんて聞くと、どんだけ大きいバンドなんだろうだなんて勘違いさせる。
結果、ワンマンとなったが、札幌のみんなと、北海道のみんなと、じっくり対面出来るのが嬉しかった。
POWER STOCKでしか来ていなかったからこそ、KLUB COUNTER ACTIONでやりたかったし、やるべきだし、一択だった。
思えばSongs TOURは、KLUB COUNTER ACTION 2daysだった。
よくやったなぁ(笑)

率直に、KLUB COUNTER ACTIONが大好きだ。
ライブハウスにも色々とタイプがあって
どういうタイプが嫌いとかはここでは言わないけど(笑)、心から好きなタイプは言いたい。
他はあそこと、あそこと、あそこと、、、
どういうタイプかというと、そのライブハウスに入った時から、ライブが始まってるようなライブハウスだ。
入った時からやる気しか起きない。
この場所でたくさん色んな事が起きたんだろうと、そう自然と思わされるライブハウスは
まさに作られてから今までに鳴らされた音と、そこにいた人の汗や魂みたいな物が完全に染み付いてるライブハウスだ。
いくら機材が良くても、いくら演奏が上手くても、あの場所で出る音ってのは他で出す音と違う。
だからこそ、逆に飲みこまれてしまいそうな時もある。
かしこまる事はなく、初めから戦闘態勢になれる空気感なのに
気を緩めると一発もらってしまうような場所だ。
前にもワンマンをやらせてもらった事はあるけれど、ワンマンだからこそ難しいって事も、理解しながら迎えた。

前に秋田の時にも書いたと思うけど、ワンマンは対バンが作る空気を受ける事もなく、始めから自分達が空気を作って、そして完結させなければならない。
いつもセットリストを作る時に考えている事ではあるけれど、ワンマンとなれば尚更それを考えなければならない。
どういうライブをするかは、どういう時間をどういうシナリオを描くか。
逆に言えばどんな絵だって描けるんだけど、その芯みたいな筋みたいな物がないと、やられてしまう。
特にKLUB COUNTER ACTIONみたいなライブハウスではボコボコにされてしまう。
だから大好きだし、だから気合いも入るし、気を緩められない。

久し振りの札幌でのライブという事で、来てくれたみんなが俺達を迎えてくれた。
札幌で初めてライブをしたのは2004年、あれから14年経った。
いつも札幌に来ると内容が濃くて、青春時代を共に過ごしたような感覚がある。
北海道という場所がそうさせるのかもしれないんだけど、地元の横浜・横須賀でブッキングをやってきた時代のような気持ちを、札幌でも過ごしてきたような錯覚を感じている。
俺達が札幌に行くといつも来てくれるみんながいる。
その数は、他の土地よりも何故か遥かに多い気がする。
俺達が足を運ぶ回数が少ないから、レアだからってのもあるけれど
俺達をきっかけに同窓会みたいにしてくれてたら嬉しい。
それは札幌に限らず、どこの土地でもそう思っているけれど。
一緒に歳を重ねているんだなと、思わせてくれるそういう土地だ。
他の土地よりもそう思わされるのは、もしかしたら海を隔てて、離れているからなのかもしれない。
北海道を離れる時は、いつも寂しいんだ。
ここを超えたら◯◯県、とかじゃなく
明らかに船や飛行機に乗らないと、別の土地へ行けない場所だから、北海道と沖縄はちょっと違うんだ。
だからちょっとだけ、ひいきをしてしまうような場所なんだ。

Songs TOURで俺は、毎ライブ声を潰すのが目標みたいに、毎回ガラガラになっていたけれど
今回のPressure TOURでは、スケジュールも過酷過ぎた訳ではないから、ある程度の調子を保っていたつもりが
この日はワンマンなのにハナから潰れてしまっていて、準備が不足してしまっていた。
ガラガラ過ぎて自分でも笑ってしまうくらい、そして笑われてしまっていたけれど、
もちろん万全の状態ですべきではあるけれど
KLUB COUNTER ACTIONには、そういう事じゃねぇ、と言われているような
とにかくそんな気持ちに負けるんじゃねぇ、言い訳するんじゃねぇと言われているような
ライブハウスにそう言われている気がする。
聞き苦しかったとは思うけれど、また忘れられない一日に到達した気がしたんだ。
みんなも凄い状態だったね。
あの"モヤ"がかかったあの空気、現実なんだけど、夢みたいな空間だったよ。
"ライブ"が出来て嬉しかった。
またやろうね。


oat03 at 14:37コメント(1) 

2018年05月01日

旭川

ツアースケジュールを組む時、この移動行程は可能か、体調的にも行けるか、などと色んな事を考えながらスケジュールを組む。
北海道に行く時には海を越える為、どこの港からフェリーで行くのか、もしくは飛行機?などと必ず考える。
横浜から北で、北海道に行く選択肢としては、大洗港、仙台港、八戸港、青森港、秋田港、新潟港などがある。
北海道には苫小牧港、小樽港、函館港とかがあって、どこの港からどこの港に行くのが、早くて、安くて、ラクに行けて、入り時間に間に合うか、そんな事を考えながら組むんだ。
フェリーの時刻表とも何度もにらめっこした。
そして、仙台港から苫小牧港に行って、◯時に乗って、◯時に着くから、旭川に◯時に着いて、、、とプランを立ててからスケジュールを決定し、タイムテーブルを考えながらOPEN/STARTとかも決めていく。
そして行程表を作ったり、なんだりと
移動行程について何度も何度も何度も確認しながら考えるんだ。

すると、何度も出てくる

『苫小牧港』
(正確には苫小牧西港を使ったんだけど)


仙台港から"苫小牧港"に行くフェリーで、、、

"苫小牧港"に◯時に着くから、、、

"苫小牧港"から旭川までは◯時間くらいで、、、

と、俺はパソコンに向かって何回『苫小牧港』という文字を目にして、頭に浮かべて、口にして、文字を打ち込んで、そしてクルーに伝えたか分かってくれますか?

『苫小牧港』

『とまこまいこう』

『と ま こ ま い こ う』

始めの4文字!
『と ま こ ま』
の時点でまず、母音は『お あ お あ』です
そして『ま』という、上唇と下唇がいちいち付かないと出来ない発音!
『と』と『こ』と組み合わせる事によって出来るリズム
『と』舌の先を上の前歯の裏側、上顎に当てて
『ま』上唇と下唇を合わせて
『こ』舌の腹を上顎に当てて
『ま』再び上唇と下唇を合わせます

バビブベボやパピプペポのような爆発音ではありませんが
小さなアタック音が繰り返されるのは
『ポッペン』を吹いているかのような感触

『とまこま』に組み合わさるのが
『まいこう』です。

そうです、『とまこま×まいこう』の組み合わせなんです。

『まいこう』は『Michael』と書きます。
日本人的な読み方で言うと『マイケル』ですが
発音は『まいこう』です。

つまり、『とまこま×Michael』です。
『とまこま×マイケル』ではなくて
『とまこま×まいこう』です。
最後の『l(エル)』は、優しく舌先を上の前歯の裏側に添えるように付けてください。

ボーリングの球をリリースした後、球を持っていた方の手が優しく自分の顔の前に来るかのように

もしくは野球のキャッチボールで、球を投げた後、利き足がゆっくりと地面に着地するのを確認するかのように

優しく舌先を添えて下さい。

『トマコマイコー!』のように雑に言ってはいけません。
そのうち、『とま』の時点から『To Mark, Michael』のような発音になってくるでしょう。

これを俺はずーっと1人で頭の中で言ってて

言いたくて言いたくてしょうがなくて

ついに言ってしまった時に、一番これを気に入ってくれたのは、ローディーのササダイでした。

石巻に入る時からずーっとこれを言っていて
HEY-SMITHが到着して、イイカワさんにノリノリでこれを言っていたら
『Oh...アライコウ!(大洗港)』
と返してくれました。
最高です。



そして3月12日、念願の苫小牧港に到着です!
(ここまで長っ)
で、まぁすぐ離れるんだけど、、、


久しぶりになった旭川。
G-FREAK  FACTORYのツアーで行ったのが最後かな。
だとしたら2014年の10月。
3年と5ヶ月振りになった。
あの日はSTOMPIN'BIRDのワンマンフリーライブが、横須賀の三笠公園という場所で行われた日。
札幌から旭川へ向かう俺達は道央自動車道を通り、『三笠IC』という名前のインターを通り過ぎて
『お、偶然にも程があるな』
と思っていた。

旭川に初めて行ったのはマキシマム ザ ホルモンの恋のメガラバツアーだったかな。
まだ前のCASINO DRIVEだった。
2006年だった。
SOUNDRIP TOURでは苫小牧、札幌、函館と周り、その後すぐにまた北海道に行けた時だった。

それから旭川では、謎にライブ以外の時間の記憶が強く残っている。
G-FREAK  FACTORYのツアーで行った時の打ち上げや、Songs TOURでのSNATCHとの打ち上げ、いつもCASINO DRIVEで打ち上げをするけれど、みんなすごく良い気分になっていくのを覚えている。
とにかく旭川では笑っている印象が強烈だ。

旭川に参加してくれたのはFREE KICK。
実はSOUNDRIP TOURの時の苫小牧を仕切ってくれたのはFREE KICKだった。
あれは2006年、もう12年前になる。
苫小牧でライブをしたのもあれが最初で最後。
あの時はL-CUBE、今はELLCUBEとなった。
それから八食やSUMMER CAMPとかで一緒に演ったりしたことはあったものの、ガッツリ一緒にってのは全然なかった。
FREE KICKからも一緒にやりたいと言ってくれて、こちらも是非是非という感じで出てもらう事になった。

FREE KICKからは地元を大事にするという事、色んなカルチャーをミックスする事を凄く感じる。
シンプルに、これって俺達のようなバンド達が一番大事にしていないといけないような気がするんだ。
幸せにも色んな土地にツアーに行かせてもらって、歓迎される事はとても嬉しいけど
自分の地元から出発して、そこに帰るという事を忘れてはいけないし忘れたくない。
FREE KICKから苫小牧に来てと何度も言われたよ。
もちろん俺達も地元を大事にする気持ちはあるけれど、なんかもっと、なんかもっと、密着している感じが欲しいなぁと思っているんだよね、ずっと。
FREE KICKにはそれがある気がするんだ。

揺らす、揺れる、そんなフレーズに俺は引っ掛かり
他のどこかの会場でも話した事はあるんだけれど
それをFREE KICKが放ってくれていたから、俺もステージに持ち込んだ。

音楽って素晴らしいよね。
いやこの場合、ライブって言った方がピッタリなのかな。
どんなに知らないバンドでも、知らない音楽でも
そりゃ知ってるバンドの初めて聴く新曲だとしても
リズムとれるんだったら体を揺らした方が良い。
音楽の楽しみ方は自由なんだけど、これは推奨って感じかな。

例えば15年くらい前、俺達もまだまだだった時
観てくれている人達をどう揺らすか、ずっと考えていた。
ひたすら力技のようにその空間を揺らそうと必死だったなぁ。
今でもなかなか揺れないライブというものを見ると、どこか寂しくなるもんだ。
それって何がいけないのか分からないけど、真面目に見ようとしてしまう俺達(つまりみんな)がいけないのかもなぁ。
もっとラフで良いというか、気軽に入った方が良いのかも。
なんとなくFREE KICKはそれを体現しているバンドに思えるんだけど。

『世界を変える』という事をこのツアーでは何度も言ってきた。
まさにそれが言いたいんだけど。

せっかくライブハウスに来たのなら、世界を変えて欲しいんだ。


何度も言っている事を、しつこく書いてしまうけど

世界を変えるって、大口叩いたって
世界の全てを知らない俺には
どこを変えたら良いのかも
どう変わったら変えられたと言えるのかも
分かるはずがないんだ。

でもそれはみんな同じで
全てを知ってる人なんて、いない。

自分だって、世界の一部なはずで

自分しか知らない場所
自分しか知らない事
現に自分が今想ってる事なんて
他の誰も分からないんだから
全てを知ってる人なんていない。
それはみんな一緒。

だからこそ
自分は…
自分なんて…
自分が言える事じゃ…
だなんて思う必要はないよ、というのがキッカケだったんだけどさ

だから自分が変える、って言い切って良いんだと思ったんだよ、誰でも自信持ってね。

つまりは『自分が変わる』なんだと思うんだけど。

自分の見方次第で、物事の見え方が変わっていく。
物の捉え方で、解釈が180°変わったりもする。



そんな事を言っていても
具体的でないから分かりづらいだろうと、
ライブハウスの中で例を出すんだけど

ライブを見てて
目の前の人がいるから
あまり良く見えなくて
入ってこなかったとか
楽しめなかったとか
後から後悔したことって、きっとみんなあるよね。

俺もそういう風に思った事があるから言ってるんだけどね。

でもそれって、今見えてる世界が変わるのを待っていただけで
今見えてる世界を、自分が変えようとしなかった結果だよね。

目の前の人がいたから、、、
でも、その目の前の人をどかすのは違うよ
何か違う方法があるはずなんだ。


照明がバチバチに決まってて
色んな色で派手で
気分が高揚するほどの照明だったりすると
凄くステージに動きがあって素敵なんだけど

時に
照明が地味で
全然色が変わったりもしなくて
動きが見られなかったりすると、気分も落ち着いてきちゃったりするんだよね。

でも、体を揺らしていると
照明がピカピカとその空間を照らしてくれなくても
自分の視界が変わるから、視界が踊るんだよね。

どう?自分がノッテいる時と
ボーッと見ている時
受け止められ方は全然違うでしょう?


世界を変えられるとしたら
今、自分が見ている世界を変えること

音楽が素晴らしいのは
人を揺らす事が出来るからだと思うんだ。
もちろん気持ちを乗せたり、メロディーが心地良かったり、色んな素晴らしさがあるのはもちろんだけど


俺はステージから音を放つ立場ではあるけれど
人の音楽を受け止めるリスナーの立場でもあるからこそ
どちらの気持ちも言いたいんだけど


なかなか入ってこなくても
自分がリズムに乗って踊ったり、ノッたりするだけで
ライブが楽しいと思えるように段々なるし

一緒に歌えるのであれば歌った方が
もっとその一瞬のライブが濃くなる。

またまた言わせてもらうけど
見方なんて自由なんだけど、これは推奨ね。

知らないバンドでも、興味のないバンドでも
それを実行したら好きになってしまう可能性は絶対に高くなる。

好きなバンド、好きな音楽は絶対に多い方が良い。
多くて損する事はない。
好きか、自分には合わないとかは、後でそれぞれ勝手に判断してもらうとして
好きな音楽は多い方が良いんだし
そんなチャンスがライブハウスの中にあるのだとすれば
それを実行した方が絶対に良い。

それが良く言う
対バンを見てくれ、とか
なるべく全バンド見てくれ
って言葉なんだと思う。

誰の為に言ってる言葉なのかと言うと
絶対的にあなたの為に言っている。

俺達とも、もちろん
あなたの大好きなバンドに出会ったのって

誰かの対バンだったり
誰かの影響されたバンドだったり
誰かの繋がりのあるバンドだったり
そんな形で知ったのだろうから

あなたの一生の『my songs』と
出会えるチャンスがそこにあるのかもしれないから。

そのチャンスは、まず見る事なんだけど
そのチャンスから確実に自分の中に入れやすくする為には
まず『揺れる』事が良いんだと思うんだ。


みんなが揺れている時のライブ会場は圧巻だ。
すげぇライブがそこで行われているのが分かる。
100人なら100人、全員が揺れてたらヤバイ。

でもそれはライブ会場の100人を1つの絵として見てる。

そうでなくて

1人の人が揺れて
自分の見える視界を
自分の見える世界を
揺らして、変えてる人が

×100になってるって考えた方が
ヤバイんだ。


歌ったり、飛んだり
踊ったり、回ったり
拳あげたり、手を振ったり

色んな楽しみ方があるけど

まず始めに簡単に出来るのが
『揺れる』
だと思うんだ。

どんな時もそこから始めるのが絶対に良い。


こんな説明だらけの文章
堅苦しく考えて欲しい訳じゃないんだ。
分解して考えていくと、こう思う
ってだけで
もっと気軽に、もっとラフに
楽しんでくれればそれで良いんだけどね。

まぁ俺がこういう人間だからここまで書くけど

他の人がきっと、もっと気軽にあなたを揺らしてくれるでしょう。

きっかけはどこだって良いんだ。
何だって良いんだ。
揺れちゃえばね。


oat03 at 22:59コメント(2) 

2018年04月29日

3月11日

毎年この日は、仙台で行われるサーキットイベント"MASTER PEACE"に出演していて
今年も出演する気満々で、その流れで行けるようにツアーを組んでいた。
前後が決まっていき、さぁここで全体のスケジュールを見てみよう。
5連チャン、、、
これは無理だな、、、。
とても大切なイベントだし、その日だから意味があるイベントだし、でも今年は滅多にない自分達のレコ発ツアーに集中させてもらう事にしました。
3/11という日にちにやる事に意味があるイベントだから、曜日に合わせて行うイベントではないけど、今年は日曜日になった。
早くから行う事も出来るだろうし、俺達は出られなかったけど、足を運ぶ方も多くなればいいなと思っていた。

夕方北海道に向けて出航するフェリーまで、どう過ごそうか考えていたんだ。
MASTER PEACEに足を運ぶ事も考えたが、被災地の今の姿を見ておきたいと思って、石巻には何のツテもないけど、プラプラと歩いたり出来たら良いなと思っていた。

HAWAIIAN6が大船渡でライブだから、行ってみようかなと交通手段を調べてみたが、2時間以上かかる、、、石巻と大船渡も遠いんだなと諦めた。

前日にpicnic earthのカナさんと話をして、3/11は苗床に行ったり、行けるところ回ると言うので同行させてもらう事にした。
G-FREAK  FACTORYの茂木さんもMASTER PEACE出演の前に来るということで、午前中に石巻駅で待ち合わせする事になった。
この時点で俺がいる事を茂木さんには伝えていないのだが(笑)

石巻駅で待っていると
市内には放送が流れていた。
今日で大震災から7年。
午後2時46分に黙祷をすると、アナウンスが流れていた。
駅には喪服を着た方達がたくさん集まっていた。

カナさんと茂木さんと合流。
それでは俺が運転しますよと意気込んだけど、残念ながら俺は鍵を回す車にしか遭遇した事がない。
いや、正確にいうと、レンタカーでボタン式でエンジンがスタートする車には乗ったことはあったけど

大体右に付いてない?(笑)

無事にエンジンがかかり、3人で出発した。

『がんばろう!石巻』
の看板がある、海沿いに着いた。
ここは元々街があった場所。
そこに苗床はあった。

今日この日に、俺がこの場に足を運んで良いのだろうか、という気持ちは常に自分の中にあった。
でも、誰だか分からない俺に、よく来てくれましたと、豚汁を渡してくれた。迎えてくれた。
まだ何もしていないのに、いきなりくれた。

そして苗床を見せてもらった。

ビニルハウスの中で苗は育てられている。
このビニルハウスは台風で一度壊れたそうだ。
お金がかかるのは、苗だけではないんだと感じた。
『場所』が必要だった。

どんぐりを、山に拾いに行って
それを植えたらしい。
拾う事から始めていると知った。

そして、どんぐりは全部双子なんだって話をカナさんはしてくれた。

どんぐりの中には必ず2つの芽があって
どちらかがダメになってしまっても、もう片方が芽を出そうとする。
そして、ダメになった方の芽は、伸びていく芽の栄養分になるそうです。

生命力なんだろうな。
生きようとする為の、どんぐりの力。
必ず木になってやろうという想いなんだろうな。


大きめの鉢?プランター?に種は植えられる。
ある程度大きくなったら、1つ1つポットに分けられる。
もっと大きくなったら、ビニルハウスの外に出て、地面に植えられる。

種を拾うところから、地面に植えられるまで、『人』が必ずいた。

木も、人間と同じだと思った。

種から芽が出るのは、生命を預かったような
苗を1つずつ育てるのは、子育てのような
地面に植えるのは、大人になって羽ばたくような

愛を持って育てている人達を見て
人間と同じなんだなと思った。


いや、それだと人間が中心みたいな言い方だな。
人間も自然の生き物だからね。

『自らも然り』
自分もそのようだって事だよね。
言葉が教えてくれてるじゃんね。


東北の木は、東北で拾った種じゃないと育たないらしい。
関東で種を拾っても、ここでは育たないらしい。
生きやすい条件があるんだね。
何でもどこでも育つ訳ないもんね。

絶対にって訳じゃないけど
北海道でパイナップルとかサトウキビとかイメージないしね。柿やミカンも聞かないね。
神奈川でさくらんぼってあまり聞かないしね。
その土地に合った物が、その土地にあるんだよね。


そんなに長い時間ではないけれど、この場にお邪魔させてもらって
たくさんの事を感じる事が出来たし、知る事が出来た。


そしてカナさんは、俺達を数ヶ所連れて行ってくれた。
初めて会った人、初めて行った場所
その人達、その場所の事を俺は知らないけど
温かく迎えてくれた。
俺は何を話した訳でもなく
自分の事を言った訳でもなく、話を聞いた訳でもなく
でもカナさんや茂木さんが、会った人達と笑顔で話していたり
3月11日という日だからこそ、たくさんの人達が集まっていて
悲しい日をまた迎えながらも、集まった人達同士が笑顔で話していたり
子供達の成長とかを純粋に『大きくなったね』などと喜んでいたり
そして子供達が遊具で遊んでいたり
俺はそんな『人』達がそこにいて、深くは分からなくても、そこに行って見て感じる事が出来て
本当に良かったと思っている。
こればかりは、ここになんと書こうと、伝えられない物な気がしている。

『これから』なのかもしれないなと思った。
それは俺にとっての話ね、俺にとっては『これから』が大事なんだと思った。


今回はこうやって行くことが出来たけど、次にいつ行けるか分からない。
行ける人、行けない人
時間の問題もそう、距離の問題もそう
自分の環境もそれぞれあったりして
やれる事ってみんな違う。

もしかしたら自分に言い聞かせながら言っているのかもしれないけれど。


でも、そういう事を知らない人がいたり、何かやりたくても方法が分からない人がいたりしたら
俺が伝えられたら良いなと思っちゃうんだ。



バンドをやっている俺は
拡声器になりたい。

1人1人から話を聞いて
歌にしたり、気持ちにしたり
そして伝える事が出来る。



この間、腰が痛くて接骨院に行ったんだ。

『お仕事何されてるんですか?』

介護と、音楽を、、、

『どういう所で演奏されてるんですか?』

ーーー省略ーーー

『音楽は良いですね、いっぺんにたくさんの人を幸せに出来る。私は体が1つしかないから、その時間は施術で1人の人しか幸せに出来ませんからね。』

と、2時間くらいマッサージしてもらった。
幸せにしてもらった。




そう、音楽をやっていると
30分なら30分で
1時間なら1時間で
その場所にいる人をいっぺんに幸せに出来るし
いっぺんに伝えたい事を伝える事が出来るんだ。

『売れたい』理由があるとしたら、それだ。
なるべくたくさんの人に伝えたい事がある。
そして、なるべくたくさんの人に幸せになってもらいたい。

それが俺のやりたい事で、俺の原動力だ。


だから色んな事知りたい。
話を聞きたいし、見て感じたい。

そしてカナさんに、ファイナルの川崎と横浜、参加してもらえませんかとお願いしたんだ。



午後2時46分
俺達は車を停めて海辺にいた。

風が強く冷たかった。

海の方を見ると
右の方から太陽が

太陽と風が戦うように

ちょっと寒かったんだけど
暖かさの中にいた不思議な感じを
3人とも感じていた。


oat03 at 12:49コメント(0) 

2018年04月28日

石巻

東北ライブハウス大作戦の3つのライブハウスの中で、大船渡の新しくなったFREAKSにはまだ行けてないものの、石巻だけは一度しか行った事がなかった。
宮古のKLUB COUNTER ACTIONと、大船渡のFREAKSが出来た時には、自分達のイベントとしてすぐに行く事が出来たが、その時はまだ石巻BLUE RESISTANCEはまだ完成していなかった。

一度行った事があるというのは、何度も話が出てきている、横浜のバンド達で行った爆裂ツアーだ。
だから自分達のイベントとして石巻に行った事はなかった。
だから絶対に行くと、決めていた場所の一つだった。

爆裂ツアーの時はバンド数も多く、当日入って、宿泊先は仙台で、石巻をゆっくり出来なかった。
正直石巻をたくさん知っている訳ではない。
それでもBLUE RESISTANCEのタカオさんからはラブコールを何度もいただき、他のライブ会場でも何度も会っては話しをしてくれた。
今回ようやく行く事が出来て本当に良かった。

石巻に来てもらったのはHEY-SMITH。
宇都宮に続いて2回目だ。
宇都宮に来てもらった時にイガリと、今度は連続が良いとか、泊まれる場所が良いとか、そんな話をしてツアースケジュールを伝えた。
その日に『あ、石巻良いっすね』と、ほぼほぼ決まった状態だった。

宇都宮ではクリスマスの時期でもあり、イルミネーションの装飾だらけの中でHEY-SMITHを見て、輝いている事、光を放っている事、そんな事を思った時だった。
今回はもちろん装飾はせずに、BLUE RESISTANCEのバックドロップと、Pressure TOUR 2017-2018のバックドロップの前でライブをしてもらった。

もうすでにメンバーチェンジをしてからだいぶ経ってはいるが、新しく入った3人は、俺達と物凄く近くにいた3人だった。
俺はあまり関わりが無かったが、かなすはロリクレで働いていた事もあって、キクに凄く近くにいた存在だ。
イイカワさんはLONG SHOT PARTYで元々知っていて。
ちなみにLONG SHOT PARTYにはOath and Tourの時に、郡山と仙台に出演してもらっている。
ユウジは前のバンドが金沢のバンドで、金沢に行けば対バンしまくっていた。対バンじゃなくても必ずと言っても良いほど顔を出してくれていた。
Oath and Tour Returns!でも対バンしているしね。
そんな元から知っている3人だから、初めは意外な3人だったけど、すぐに馴染んだし、HEY-SMITHとの距離も一気に近くなった気がする。
改めてみんなとたくさん話しもできたし、このツアーの2回目に出てくれて本当に良かった。

盛岡の時のスケジュールの話の流れで、元々盛岡に3/10に行こうと思っていた時は、3/9に石巻にしようかなとか、前後の関係でコロコロ変わって
3/10に石巻に行けませんか?とお願いをしたら
実はBLUE RESISTANCEとpicnic earthのイベントを組もうとしていた所だったんだ。
でも、俺達がそこに来るのならば、何か一緒に出来ませんか?という事で、picnic earthがブース展開をしてくれた。
そう本当は、picnic earthがそこに入ってくれたんじゃなくて、俺達がそこに入ったんだ。

picnic earthのカナさんは俺達の事を知ってくれていたみたいだけど、俺達は知らなくて
その日に会ったのが初めて。
当日より前に少しだけコンタクト取ったけど、直接話したのは初めて。
ライブの直前に少しだけ話しただけだけど、短い時間の中で気持ちを色々汲み取れた気がしたから、そのままライブに持って行かせてもらった。

picnic earthでは東北の沿岸に、森の防潮堤を作る為に動いている。
富山の時のMCでも言ったしブログでも書いたけど、俺は黒部川の洪水について調べていて、家屋の周りに植える屋敷林が、洪水から家を守る役目でもある事とか調べていたし
(根が張るから地盤が強くなるってことね)
リンクしている事もあり、木を植える事への理解は妙に早かった気がするんだ。

ただ、今植えるその木達は、役目を果たせる時が来るのは、生きていれば私達が100歳を超えているくらいの未来の話で
きっと誰も見れないのかもしれないけど

でも私達が生きている今は、昔の人達が作って来た今なのだから
私達が見れなくても、子供達に、未来の人達に残すものだと
そんな話をカナさんはしてくれた。

種を植えて、そこから木ができる事は
ZINNIAの話とリンクした。

Keep making the roadの話ともリンクしているんだ。
誰かが作った道を歩き始めたけど、気付けば自分も道を作っていた。
その道を歩いている人がいた。
よし、未来の人達の為に、街を作ろう、光を灯そう。

今生きている俺達も
昔の人も
未来の人も
過去から未来へ繋いでいるからね。
継ぐって事なんだよね。


7年前のこの日、2011年の3月10日は、プリプロに入っていて
いつもレコーディングしているLIGHT STUFFでDear my songsを完成させた。
あの日からアレンジも歌詞も何も変えていないんだ。

Dear my songsは震災が起きて作られたんですよね?と言われる事が多かった。
Songsのインタビューをされた時も、そう聞かれた。
でもその時は、『そうじゃないんです!』だなんて、なんとなく言えなかった。
むしろ『そうなんです』とも言いたくないから
、その質問は無しにしてもらった。

どう捉えられても良いから
誰かの力になれる歌だったのであれば、それで良かった。


震災が起きる前に俺がよく思っていたのは
何もかもが発達して
便利な物が普及しまくって
もともとそんな物たちがなくたってみんな生きてこれたのに
どうして便利さや手軽さ、ラクを求めていくんだろうと疑問を抱いていた。
俺は、もし無人島に行ったとしても生きていけるような術が欲しいなぁと、ずっと考えていた。
そう言えばだいぶ前に、G-FREAK  FACTORYの茂木さんに『いつか茂木さんと無人島に行きたいです』と言ったら、『おぉ、良いな、無人島』と言われた(笑)
なんとなくやっていける気がしたから(笑)

そう、どんどん進む時代が恐くなって
このままどうなってしまうんだろうとずっと考えていた。
子供の頃、何でも作っていた。
バスケットボールのゴールを作りたくて、みかんの籠を切り抜いて板に張り付けたり
秘密基地だって作った。
森の中を探検したし、木に登ったりしたし。

このまま便利な物が増えて
動かなくても手を伸ばせば何でも手に入って
そんな人間から、何もかも失われたら何が出来るんだろうって。

音楽もレコードからカセット、そしてCDになって、今は焼く事も出来て、ダウンロード、配信
どんどん形なんてなくなっていくことに寂しさを感じていて
でもライブって絶対なくならないんだよな、ここだけは絶対に守りたいなって
そんな事を考えていたんだ。

音を録音できなかった時は、楽譜を売ってたんだってね。

俺は小さい頃、町内会のお祭りの、神輿とかと一緒に街を歩き回る
綱を引っ張って動く車の上で、太鼓を叩いていた。

お祭りの日まで、町内会の太鼓保存会の人達に教えてもらうのに
毎晩タイヤを叩きに集会所へ行っていた。
楽譜なんてもんじゃない。
大きな紙に書かれていたのは

テテンコテン ソダ テンテン
ドドスコスコドンドンドンドド

こんなんが楽譜代わりだった。

きっと今なら、携帯で撮ったムービーで覚えれば一発だろう。

音楽の起源なんてそんなもんだろう。
どこか一ヶ所で始まった訳ではなくて
各地で楽器と呼ぶには難しいような
太鼓のように叩くもの
笛のような吹くものや
ギターや三味線だなんて立派な物じゃない、ジャカジャカ鳴るような物があったのだろう。
それを集まって楽しんで踊って
地域によっては、伝える物にもなったんじゃないかな。
そこにメッセージを込めるようになったんじゃないかな。
初めからあった『それ』が『ライブ』だったんじゃないかなと思うんだ。

だから歌おう。
そして共有しよう。
そこに何かを込めて
いつでも大切な事を忘れないように、その歌に閉じ込めよう。

『この歌を聞くとあの頃を思い出す』
というように、歌には気持ちを詰める事が出来る。
秘密の箱みたいな、タイムカプセルみたいな
そんな役目が歌にはあると思って

これからどんな時代が来ようとも
そして何が起きようとも
大切な事を忘れないようにと願って
Dear my songsを作ったんだ。

それが完全に完成したのが、2011年3月10日だったんだ。


あれから7年間、Dear my songsを演り続けてきた。
石巻でやるDear my songsは凄かったな。



oat03 at 22:08コメント(0) 

2018年04月26日

盛岡

本当に久し振りになってしまった盛岡。
UNLIMITSのツアー振りだろうか。

今回、宮古と大船渡には行く事が出来なかったが、やたら岩手県にたくさん行きまくってた時期もあった。
ちょっとご無沙汰だったからこそ、盛岡では絶対にやろうと思っていた。

ただなかなかツアースケジュールを組むのは難しくて。
MCでは話したけど、全く同時期にレコ発をやってるHAWAIIAN6
スケジュールを見てみると、マジでなんとなくの流れが似ている。
そういえば2007-2008年頃、俺達はOath and Tourだった頃も同じようなツアーを回っていた。
どっちが先だったか分からないけど、追っかけてるみたいだった。

実は初めは3/10に盛岡のライブハウスを仮押さえしてた。
そしたらHAWAIIAN6が3/10に宮古って情報を知り
なんか岩手県の方々に悪いよね!って、日程を調整し直し、3/9にしました。
そしたら、the five moriokaはビルの3階にあるんだけど
3/9、思いっきり同じ日にB1階のCHANGE WAVEでlocofrank、、、
後から発表された日には完全に笑ったよね。
俺達みんな近くに居過ぎじゃね?って。

まぁそのおかげか打ち上げはlocofrankのたっつぁんと楽しく過ごせたんだけどね(笑)


盛岡にはMrs.WiENERに来てもらいました。
前回の水戸に続き、同じ横浜のバンド。
新潟、高崎は千葉のバンドと来て
水戸、盛岡は横浜のバンドとなったのはマジでたまたまで。

Mrs.WiENERのヨシキと話をしていて、どこか一緒に行きたいねと。
何ヶ所か候補があって、どうしようか〜って話していたんだけど
ヨシキから連絡が来て
『俺達3/10に八戸が決まりそうです。』
って
これは一緒に盛岡に行けって事だよね?!と、話が決まっていきました。

Mrs.WiENERは俺達の前回のツアーのSongs TOURには呼べていなくて
2013年の爆裂ツアーから近くなっていった。
4ヶ所あった爆裂ツアーのうち、Mrs.WiENERが出演したのは宮古と大船渡だった。
そう、岩手県だった。
実際、東北地方の他の地域ではMrs.WiENERとやった事がなくて、謎に岩手県ばかりでやっている。
色んな事が偶然なのか必然なのか、3/9は一緒に盛岡にいる事になった。

昨年Mrs.WiENERがリリースしたCrush & Buildのツアーの初日に俺達は呼ばれ
Mrs.WiENERはファイナルを12月に終えた。
最近俺はヨシキと話す事が増えた。
俺よりも一回りくらい年下なのに、こんなに話を理解できるやつは珍しいと思うくらい
同じ目線で話が出来るやつだ。
分からない事を分からないときちんと言えて、理解した事を自分の言葉に変えて言えるやつだ。
もちろん先輩の分、多少なり俺の方が経験した事が色々あるけれども、この時点でそれだけの事を考えられているのは、この先が楽しみだと凄く思っている。
俺が知っていることは、出来るだけ教えてあげたいと思うやつだ。
同時に、色々深く話させてもらう事によって、自分の意識を再確認する事をさせてもらっているし
思い出させてもらっている。
話しをする事でギブアンドテイクが出来るって素晴らしいよね。


Songs TOURの盛岡は、B1階のCHANGE WAVEだった。
Jr.MONSTERとTHE LOCAL ARTと行った。
あの日、俺は音楽で世界を変えたいと思い、それを信じ、そして叫んだ。
あの日がきっかけだった。
世界とは?
変えるとは?
心から信じ切ったその発言を、自らを、きちんと見つめ直した。

それから『世界を変える』事の意味を真剣に考えるようになった。

3/9の盛岡the five moriokaで
俺は、俺の中での答えを見つけていながらも
このツアーでさらに確認したくて
その事に触れようか触れまいか
正直悩んでいた。

なんとなく、その事には触れず、明るくいたかったんだろう。

the five morioka、CHANGE WAVE、club changeのブッキングのノブさんは
凄く俺達の事を好きでいてくれて
盛岡で俺達のコピーバンドをしてくれている(笑)
だからノブさんは俺達の曲達を、凄く細かく聞いてくれている。
セットリストは、もちろんノブさんのリクエストにも答えた。

ノブさんは『ロックスター』について話してくれた。
みんなが思う『ロックスター』ってどういうイメージ?
日本にいる『ロックスター』って誰?

別に偉そうにしてればロックスターなんじゃないんだよね。
ちょっとこの話は割愛させてもらうけど
(俺とヨシキとノブさんの秘密の話)
ロックスターの要素の、ある一部分を俺はずっと手に入れたくて
それには覚悟も必要なんだけど
そんな事をずっと考えていた、とノブさんに話した訳ではないのに
ノブさんはいきなり熱く、まるでそれを知っていたかのように俺に話してきてくれて
俺は凄く嬉しかったんだ。

ノブさんは俺の事を『鈴野』と呼ぶんだ。

なぁ鈴野、どんなバンドになりたいんだ?
と、熱く聞いてきてくれた。
ヨシキと俺に聞いてきてくれた。
羨ましいな、こんなライブハウスの人がいるなんて。
バンドを始めた時のような話だよ。
それを15年やってきたバンドでまだ話せるなんて。
俺は『◯◯◯したい』
と答えたよ。

ハッキリとさせてもらえたんだよ。
言葉にする事で、曖昧な事を自覚させてくれて
次の場所へ行く勇気をくれたんだ。

また早く盛岡に行かないとな。


oat03 at 22:46コメント(0) 

2018年04月24日

水戸

昨年は自分達のワンマンで来れた水戸LIGHT HOUSE、そしてすぐにまたGOOD4NOTHINGのツアーで来れた水戸LIGHT HOUSE。
最近になって良いペースで来れているのが嬉しい。

なんとなく水戸っていうのは、独特の雰囲気があるんだ。
水戸の人にとっては当たり前なのかもしれないけど。
関東なんだけど関東じゃなくて、北関東かというと、群馬と栃木と少し違う感じがある。
もちろんそれぞれの県で色々違ってて当たり前なのだが、水戸に来るとそういう雰囲気を感じる。
LIGHT HOUSEが遊び場として定着している感じ、なのかな。
LIGHT HOUSEで教わっている事がたくさんあるんじゃないかなと、実は前から思っていた。
LIGHT HOUSEで育っているんだろう。

そういえばこの前ワンマンで来た時は花火大会だった。
今回は梅が全開の時期だった。
水戸には梅が似合う。

ワンマンの時はバックドロップを忘れたけど、今回はきちんとPressure TOURのバックドロップを持って来たよ。

水戸にはSPACE BOYSに来てもらった。
俺達と同郷の横浜のバンドだ。
SPACE BOYSは八王子の街全体を使ったイベント、HACHIDORIに出演してからダブルヘッダーで来てくれた。
そうしてでも参加したいと言ってくれた。
俺達のレコ発に出たいと言ってくれるバンドがたくさんいて、今回のツアーは本当に嬉しい。
SPACE BOYSとの出会いは、というよりか始めはドラムの亮との出会いだった。
SOUNDRIPのレコーディングの時、アンドリューさんに録ってもらった。
その時に、アンドリューさんの助手的な形でいたんだよね。
その時はSPACE BOYSの人だって知らなくて、むしろ亮が俺達の事を知ってる事すら知らなかった。
あれは誰だったんだろう?
みたいな感じだった。
後に、あの時にいたやつ!みたいになった。

そして対バンは、、、
Oath and Tourの八王子Match Voxかな?
それより前にあったかな?
ちょっと覚えてないけど、どちらにしても出会いは2005年とか2006年、一緒にやり始めたのは2007年くらいだった。
なんだかんだで、10年以上の関係になる。

亮が八王子RIPSにいたりもしたので、八王子のバンドという印象が強かったが
どうやらメンバーみんな、横浜ということを知るのも、その後だったんだ。
少しずつ少しずつ、横浜のバンド、というイメージに変わっていった。

Songs TOURの時は、名古屋HUCK FINN、八戸ROXX、仙台MACANA、宇都宮HEAVEN'S ROCK VJ-2の4箇所に出てもらった。
そんな感じで俺達が作品を出すたびに、なんらかしらの関わりがあるバンドだ。

横浜のバンドで石巻、南相馬、宮古、大船渡を回った爆裂ツアーも一緒に回った。
年末の爆裂FxAxDも毎年一緒に出ている。
とても大切な存在だ。

この日のアンコールは、SPACE BOYSからリクエストをもらったものだった。
なんとなくステージ上での空気感の持ち方がうちととても似ているSPACE BOYSだけど、、、自由なMCの中で、それぞれが俺達の好きな曲を言ってくれるなんて嬉しい事だった。



Songs TOURの水戸LIGHT HOUSEは、HARDCORE FANCLUBとG-FREAK  FACTORYとMEATBUNSだった。
あの日は出てくれた3バンドのライブに興奮し、俺は上がり狂って、ボリュームペダル(足元にある音量を大きくしたり小さくしたり出来るペダル)をガンガン踏みまくり
鉄?アルミ?の板が真っ二つに割れた日だった。
それからPA小島さんが、そのボリュームペダルを割り箸で補強してガムテープで完全に固定し
6年経った今も、割り箸内蔵ボリュームペダルは活躍しています。
ボリュームペダルを踏むたびに、その日を思い出す。


昨年のワンマンの日は、セキュリティーを用意してもらうのを忘れた。
ソールドアウトしてセキュリティーがいないのはかなりな状態だ。
だけど今回も大体同じような状態だった。

でもその時に、セキュリティーがいるからやれるのは違う、という事を思い、それでも出来るよね?とみんなでやっていこう!という会になった。
一つのテーマがそこで出来た。

もちろんケガはして欲しくない。
けどセキュリティーがいるから出来るんじゃない。
いなくたって出来た方が絶対に良い。

少し話は違うのかもしれないけど
俺達はたくさんのスタッフに囲まれてライブが出来ている。
メンバーは3人だけど、7〜8人で動いている。
多い時は10人だ。
バンドを組んだ当初はメンバー3人だけでやってきた。
今でもメンバー3人だけで100点でないといけないと思っている。
そして俺達が音を出し、それを200点にも300点にも500点、1000点にもして、みんなに届けてくれるのがスタッフ達だ。
スタッフがいるからといって、自分が頑張らなくて良いわけじゃない。
そうやって、自分は自分の出来ることを全力でやって
そして周りの人が、それを何倍にもしてくれる、と思っている。

セキュリティーの人がいなくたって、ライブは行われる。

セキュリティーがいるから、、、いないから、、、
いや、セキュリティーは万が一の砦だと思った方が良い。
セキュリティーにムカついてる人がたまにいるけど、ちょっと意味が分からない。
あなたの命を助けてるんだよ?
完全に気持ちが上がってしまっているその時の感情なのだろうから仕方がないのかもしれないけどね。

セキュリティーが必ずいるライブだけがある訳じゃない。
フェスや大きな会場に行けば、そりゃいてくれるだろう。
それに慣れてしまってはいけない。
そういう場しか知らない人もいるだろうけど。

だから、居なくても成立させるように出来たら
俺達もっと強くなれるし
もっと凄い事できるんじゃないかって考えたら
ワクワクしてしまってね。


まぁでも難しいよね。
ライブの見方云々とか
助け合って欲しいとか
どうやったら良いとか
バンドマンがあまり言い過ぎるのは、野暮ったかったり、立場的にどうとかあるけれど

良くなるのであれば、立場なんてどうでも良いから、思った事を言おうと思ったんだ。
水戸に限らず、全箇所ではないけど言ってきた。
言わなくても良いんだよ、言わないのも普通だし。
だからかな、俺は言おうかな。
ちょっと踏み込んでみようかな。
それでケガなく、でもヤンチャ出来て
完全に『成立』すれば、勝ちだもんね。
色んな人がいるから、いつも成立するとは限らないけど
でも目指したいよね。
グチャグチャなのに、ケガ人ゼロとかカッコ良いじゃん。


色々言うことが野暮でカッコ悪くても良いと思ったんだよね
それよりも成立させたい気持ちが勝ってるから。
結果の方が大事だよね。

まぁでも、水戸のみんなは元気だよ(笑)


エイジのドラムソロ良かったね!
また見たいな〜


oat03 at 11:11コメント(0) 

2018年04月18日

高崎

高崎に行くと、最近はSUNBURSTに行く事が多かった。
昨年6月にはTHE CHERRY COKE$のイベントでSUNBURSTに行った。
2015年には俺達が横須賀でやっているクリスマスイベントをSUNBURSTでやった。

今回はclub FLEEZで演りたい!という単純な想いからだった。
初めて高崎に行ったのはclub FLEEZ。
それもまた、locofrankのrippleツアーだった。
酒田、新潟、高崎と連続で、酒田からはマグネットコーティングも一緒に回った。
その時は知らなかったけど、club FLEEZは高崎に移店したばかりだったそう。
前橋にあった時のclub FLEEZには行った事がなかった。

それから10-FEETのツアーだったり、GOOD4NOTHINGのツアーだったりで、DORAMA TOURだったりで、club FLEEZには数回出演した事がある。
何度も行った事がある場所なのに、自分達のレコ発ツアーでは行った事がなかったので、改めて行く事が出来るのが新鮮だった。

会場に着いて、準備を始めるスタッフ達。
そしてスタッフ達の為に自然と『栄寿亭』のカツ丼を持ち帰りでライブハウスに持って来られるという流れは完璧だった。


高崎に来てもらったのはHOTSQUALL。
新潟のブログの時からも散々HOTSQUALLの名前は出してきたが。
HOTSQUALLも同時期にレコ発ツアーをやっていて、お互いなかなか予定が合わず、ツアーファイナル直後、二日後に高崎に来てくれる事になった。
その為、発表も直前になった。
俺達はHOTSQUALLのツアーに参加する事が出来なかった。
だからこそ、尚更一緒にやれる事が嬉しかった。

HOTSQUALLとの関係を今更、、、とは思うが、最近俺たちを知ってもらった人もいるだろうから書こうと思う。

HOTSQUALLとの出会いは、どっちが先か分からないが
当時のうちのスタッフがイベントをやっていて、神奈川県の善行Zでたくさんバンドを呼んだ時だったか
新宿ACBで一緒のイベントに呼ばれた時か
どちらにしても2004年か2005年の話だと思う。
知り合ってから14年とかの関係だ。
すごく近付いたのはACBでやった時。
赤間ちゃんが当時使っていたベースアンプは、俺と同じだった。
一緒のベースアンプを使っている人にそれまで会ったことがなかったから、すごくそこに食いついた。
すぐにそこから仲良くなって、合同企画という物を初めて一緒にやったのはHOTSQUALLだった。
さらには、HOTSQUALLとJr.MONSTERとの3バンドの企画、それぞれの頭文字をとって『JOH』というイベントもやってきた。
お互いのツアーにはほとんど出た。
なんとなく、ほとんどの所に行った気がしている。

HOTSQUALLの方が結成は早いが、ほぼ同時期に活動を始めた事もあり、腐れ縁のような関係に今はなっている。
内容の濃い状態が、常にずっと続いていた関係な気がするんだ。
お互い呼び合わなくとも、同じ会場で顔を合わせるのも多くなった。
だけどほとんど呼ぶ機会がない俺達が呼ぶのは、やっぱり特別だった。

ツアーを終えたばかりのHOTSQUALLは、ゴールのテープを切ったのに
ゴールした事に気付かずに、まだ全力疾走してるかのような
勢いとパワーだらけのライブだった。

ずーっと昔よりも更に
純粋で真っ直ぐになった気がする。
すごく俺達を祝ってくれて、そして一緒にやる事の喜びを表現してくれて
本当に力をもらった。


HOTSQUALLの方から言ってきてくれたんだ。
『Chime聴きたい!Chime!』
と。

SOUNDRIPのレコーディングはアンドリューさんに録ってもらって
ゲストコーラスとして赤間ちゃんとちっくんに入ってもらった。
その再現をした事があるのはいつだろう、やっぱりSOUNDRIP TOURの千葉LOOKだったのかな。
それからも数回やった事がある気がするけど
今回のは本当に嬉しかったなぁ。

あそこのあの部分だけで、俺達の関係も、今までの歴史も、全部詰め込まれてる気がした。
それくらいの瞬間だった。

そんな一瞬の為という訳ではないが

積み重ねた時間や関係が、いつかのそんな一瞬のようになることを想像しながら

たくさんの関係を色んな人達と作りたいし

HOTSQUALLともまたそんな一瞬を作れる事を楽しみにしている。



oat03 at 13:02コメント(0) 

2018年04月17日

新潟

エイジの気合いが半端じゃなかった。
もうそれは行きの道中から感じられた。
(魚沼辺りを通過中寝てたけど)

前に新潟に行った時に、お米を土鍋で炊くと旨いことを聞き、すぐに土鍋を買った男
あれは確かNUBOとの2マンの時だった。
あれから何度も色んなバンドマンに土鍋の素晴らしさを説明しているのを何度も見た。
俺に対して直接的ではないけど
俺が一番その説明聞いてるよ…

初めて新潟に行ったのは2004年
locofrankが連れて行ってくれた。

この頃の話をするのは多いけど勘弁してね。

locofrankとマキシマム ザ ホルモンにツアーにまず初めに連れて行ってもらったのは
仙台、札幌、函館
秋田、酒田だった。
酒田でマキシマム ザ ホルモンと離れ、新潟はWレコ発ではなく、locofrankのrippleツアーだった。
秋田、酒田、新潟と3日連続で
酒田の後、機材車で東京に帰ったはずのマキシマム ザ ホルモン、、、
のはずが
大ちゃんとナヲちゃんが新幹線で新潟来てる!って、嬉しくなっちゃった日だった。

仙台から始まった2バンドのWレコ発ツアーに、全然無名の俺らが参加し
唯一リリースしていたGRADATIONを持って回っていたんだ。
仙台から物販で手売りしていたGRADATIONがなかなか売れず
でも札幌、函館、秋田、酒田と2バンドに食らいつくように必死になってライブした
だんだんとGRADATIONを手に取る人が増えて行ってくれて
そして新潟で一番たくさん売れたんだ。
本当に嬉しかった。
なんとなく、そのツアーで初めて、バンドというものに『本気』になれた気がしたんだ。
本気っていうのがそれまで、分かっていなかったんだ。
頭でなく、感覚で理解できたツアーだった。

その時のJUNK BOX miniは、まだ新潟駅の南口だった。

そして翌年
JUNK BOX miniは、今のGOLDEN PIGS BLACK STAGEの場所になった。

2005年9月
あれから、2バンドに連れていってもらった新潟や東北に全然行ってないと
自分達で機会を作ってでも行かないと!と思い、ライブハウスに電話をして
『行かせてください!』
とお願いをした。
誰かを連れていくなんて出来るようなバンドじゃなくて
レコ発でもなんでもなくて
ただの修行ツアー。
でもあの時GRADATIONがたくさん売れた事を信じて
あの時出会えた人に会いに行かなきゃと、組んだツアーがあった。

2005年の5月に
ChimeとFull a letterが入ったデモを売り始めた。
何か持っていかなきゃと、そのデモを持って回るつもりだった。
そしたら8月中に全部売れちゃって、、、(笑)
何も持たずに新潟JUNK BOX miniに行った。
そしたら『OVER ARM THROW レコ発!』と看板に書かれていた。
レコ発で無ければ、デモCDも持ってこれませんでした、、、
とそんな思い出がある。

そしてJUNK BOXは名前を変えて
GOLDEN PIGSとなった。
何気にそんな変化を見てきたんだ。

前回のSongs TOURの時はBLACK STAGEで、嬉しいことに完売となったので
今回はGOLDEN PIGS RED STAGEにした。

このGOLDEN PIGS RED STAGEは、旧JUNK BOX
すごく久し振りで、一度しかそのステージに立ったことがなかった。
前回ここに来たのは、マキシマム ザ ホルモンのツアーだった。
マキシマム ザ ホルモンと北海道を周り、苫小牧からフェリーで新潟に着いた。
それから何オフあったのだろう
新潟に何泊もした思い出がある。

久し振り過ぎて、どんな感じのライブハウスだったのかも忘れてしまった。
来てみたら『あぁ!こんな感じだったね!』と思わないくらい、久々だったみたいだ。


新潟に来てもらったのはFOUR GET ME A NOTS。
実に久々の対バンだ。
出会ったのはいつだろう、確実に覚えているのは、SOUNDRIP TOURの千葉LOOK。
その頃俺達はHOTSQUALLと合同企画、『ONION FORCE』というイベントをやっていた。
HOTSQUALLは今でも『ONION ROCK』という言葉を使いイベントをやっている。
その当時の俺達のイベント名は『FORCE OUT』というイベント名だった。
その2バンドのイベント名を合わせた『ONION FORCE』を、横浜と千葉でやった。
SOUNDRIP TOURの千葉編は、HOTSQUALLとの合同企画『ONION FORCE』だった。
その日に出てもらったのは、dustbox、そして名前は変わってしまったが、for better, for worse、そしてFOUR GET ME A NOTSだった。
当時、まだFOUR GET ME A NOTSは4人だったと思う。
その日の千葉LOOKは、バンドマンが全員ダイブする、みたいな思い出がある。
打ち上げはボーリングだった。
ボーリングの打ち上げというのはすごく良いと思った日だった。
スコアを見ると名前が書いてある。
近付くにはすごく良い打ち上げだった。

その前にも柏でも対バンした気がするけど、、、
それもHOTSQUALLのツアーだったんじゃないかな。
FOUR GET ME A NOTSとの間にはHOTSQUALLがいて、その2バンドとの対バンが続くツアーになった。

FOUR GET ME A NOTSとは松健アニキ祭りで、大分、松山、徳島、神戸を回ったり
FOUR GET ME A NOTSのツアーで、福島・いわきに連れて行ってもらった。
福島といわきは震災直後、Songs TOURの直前の2011年10月だった。
福島は初めてOUT LINEに連れて行ってもらい、いわきに連れて行ってもらったのも初めてだった。
今まで郡山しか行ったことのなかった福島県にたくさん連れて行ってもらった。
特にいわきのclub SONICに行った時には、ライブハウスに貼ってあった写真を見て、手を繋ぎあう人達の写真を見て、Hand in handという曲の考え方に、大事な意味が加わった日だった。
そしてまた別の日に、FOUR GET ME A NOTSが繋げてくれたOUT LINEが、南相馬に連れて行ってくれた。
南相馬にも、FOUR GET ME A NOTSと初めて行った。
その日から続いて、Pressure TOURの初日が南相馬となった。

やっぱり色々と繋がっていて
HOTSQUALLが繋げてくれたFOUR GET ME A NOTS
FOUR GET ME A NOTSが繋げてくれた福島県の各地だった。

少し久し振りの対バン過ぎて、お互いに緊張感がありながらも
リハーサルから、チエちゃんにDear my songsを弾いて歌ってもらうという事件を起こした。
チエちゃんは弾き語りをやっていて、Dear my songsを歌ってくれている事を知っていたから。
チエちゃんもバンド形式でやることは初めて?だったかもしれないけど、すごく新鮮で面白い経験をさせてもらった。

俺達が新潟に来るのも久々になってしまった。
Northern19に呼んでもらったTOKI ROCK以来だろうか。
最近は贅沢にも、LOTSで演らせていただくことが多かった。

OATVを録り編集する杉野さんより
『エイジ、いつも食べ物のMCばかりだから、今回は食べ物のMCしちゃダメだからな』
という前振りからステージに上がった。

エイジはきちんと食べ物の話をしないように遠回しに遠回しに
お米の話をしていた。
『お米』という言葉を出さないように
頑張って、人と人について紐づけるように
お米の話をしていた。

途中から我慢できずに
お米という言葉を出し始めた。
『言いたい!』という気持ちが勝ったのだ。

この日のエイジのMCは素晴らしかった。
この日からエイジのMCが開花した気がしている。

最高の環境で育ったお米たちは
自立していると。

良いお米に出会った時
炊きあがりが最高だった時
米は潰れずに、一粒一粒がしっかりと立っていると。寝ていないと。
お互いがぐちゃぐちゃにくっつき過ぎることなく、でもお互い手を取り合って繋がっているお米たちが素晴らしいと。
我々人間もそんなお米のように、自立しながらも手と手を取り合う関係でいたいと。

超くだらない話からスタートしているかもしれないが
俺は最高な考え方だと思っている。

どんな事からも、どんな小さな事からも
拾い上げて学ぶことは素晴らしい。
俺もすごく楽しくなった。

この日のHand in handでの手を組み合わせる動作は
手でオニギリを表す形となった。


oat03 at 22:26コメント(2) 

2018年04月11日

千葉

Pressure TOURを組む上で、実は一番最後に決まったのがこの千葉LOOKだった。
LOOKのサイトウさんと数回連絡を取り、『本当にこいつら来るのか?』と思わせたに違いない。
決まったのは1ヶ月ちょっと前だった。

その為、失礼ながらBOMB FACTORYを誘ったのもギリギリになった。
このツアー中、妙に繋がりを感じるんだ。
頭の中に思っていた人から連絡が来る事とかが多い。
BOMB FACTORYから出演快諾の返事をもらった日
その日、たまたま飯田についてのブログを書いていたんだ。
飯田といえば、焼來肉ロックフェスが昨年中止になり、中止が決まってしまった日に飯田へツアーに行く事を決めた。
その焼來肉ロックフェスにしても、飯田CAFEINdustryにしても、繋いでくれたのはBOMB FACTORYだった。
そんなようなことをブログに書いている最中に、BOMB FACTORYのカズヤさんから電話が来てOKをいただいた。

MCの時にも話したが、俺がまだ前のバンドだった頃、いわゆる地元バンドっていうのは、勉強の為だったりでイベントの手伝いに駆り出されたりするんだ。
セキュリティー手伝ってくれとか、搬入手伝ってくれとか、ライブハウスの人やイベンターの人に頼まれたりする。
もちろん俺にもそんな時代があって、BOMB FACTORYが出演するイベントに原宿アストロホールまでお手伝いに行ったりした。
BOMB FACTORYがいるってだけで、凄く嬉しかった。
つい最近厚木の話もしたけど、BOMB FACTORYがDISCORDをリリースした頃、厚木のFUZZYSCREAMにライブを見に行ったりした。
そんな憧れだったBOMB FACTORYを、昨年はSound Go Roundに呼ぶ事が出来た。
BOMB FACTORYにはその時、7th AVENUEでの出演をお願いした。
そしたら、Sound Go Round当日、BOMB FACTORYが初めてライブをしたのが7th AVENUEだった事を教えてくれた。
たまたまだったが、本当に嬉しかった。
凄く優しい兄貴です。
カズヤさんは俺達と同じ横浜に住んでいるし、今回はジョウさんとシラさんの地元千葉で一緒にライブをする事が出来た。

あまりBOMB FACTORYの事を表現する上手い形容詞が出てこないんだけど
ライブがカッコ良すぎて俺はずっとニヤニヤしてる。
俺をいつも踊らせてくれるんだ。


千葉LOOKには毎年何度も来させてもらっている。
回数的に言えば、神奈川県内でなければ、一番と言ってもいいくらい多い。
嬉しいことに、千葉LOOKでのライブに誘ってくれる人達が多い。
つまりは、みんな千葉LOOKに必ず足を運んでいるんだね。
『ザ ライブハウス』の千葉LOOKに久し振りにようやく自分達のツアーで来れた。

千葉の名物は?的な話の流れで
『ディズニーランド』
という言葉が出た。

Pressureというアルバムに限らず、今まで作ってきた曲達をまとめて、どんなアルバム?OVER ARM THROWってどんなバンド?と表現したい場合、自分達でも困るくらいどんな物か言えなかった。
バンドを組んだ当初はそれに悩み、何がやりたいのか分からない、と言われたり自分達でも思ったりするくらいだった。
今でも何がやりたいのかとハッキリ言える訳ではないけれど、今は色んな曲達が集まっている事が気に入ってる。
1人の人間も、どんな人かと言われたら、一つの言葉で表せないくらい、誰だって色んな側面をもっているし
笑うし泣くし、怒るし悲しむし
それだけじゃなくもっともっと色んな感情や性格が絡みまくって自分が成り立っているから
OVER ARM THROWというバンドが表す曲達も、それで良いのかと思うようになれた。
また次に新しい作品を出せる時に、そんな切り口もあったのね、と思われても、OVER ARM THROWだからね、とそんな存在でいたいと思う。

そんな色んな曲達を、ディズニーランドのアトラクションに例えた。
トゥモローランド、ウエスタンランド、ファンタジーランド、のようになんとなくその場所にあったような曲達があるし、足りない物はまた新しく作っていきたいな。
でも比較的ファンタジーランドの曲達が多いね。
どんな曲調だとしても、希望や夢を含んだ曲が良いなぁ。
曲だけに限らず、活動や企画にしたって、ディズニーランドのようなバンドになりたいなぁ、と話した。

エレクトリカルパレードのように、観てるみんなはレジャーシートでも敷いて座っててもらって、バンドがトラックかなんかに乗って、演奏しながら何台もトラックが走るなんて、面白いだろうなぁ。

そんなバカな事を考えるんです。


この日はツアーで唯一、if time keep standing...をやった。
うーん、なんでだろう。
正直ね、セットリストを考えるにも煮詰まってきたタイミングだった。

関東は一都六県回るし、ついこの前神奈川3連チャンしたばかり。
そしてまたすぐ高崎があったりして
その場所にしか来ない人の事も考えながら、他にも来てくれる人の事も考えるんです。

神奈川3連チャンの時に頭を振り絞って悩み抜いたから、この千葉が実は難しかった。
でも神奈川3連チャンをやった時に思った事があって。

そのツアーにたくさん来てくれる人って毎回いるんだ。
俺達はそもそもそんなにCDを出していないし、
だからレコ発ツアーも少ないけどね。

SOUNDRIP TOURの頃によく来てくれてた人達
Oath and Tourの頃によく来てくれてた人達
Songs TOURの頃によく来てくれてた人達
そして今回のPressure TOURに来てくれてる人達

神奈川3連チャンで、それぞれの顔がよく見えたんだよね。
混ざり合ってる感じに見えて嬉しかったんだよね。

そしてまたライブハウスに戻って来てくれた人達もいたりして
なんだか凄く今回のツアーは、そういう意味でも嬉しい。

いつ出会えたかとかはさ
歳も違うし住んでる場所も違うし
出会うタイミングは違うに決まっているからさ
そんなのはあまり気にしたくもないんだけど

でも、これまでに一緒に作ってきた思い出達は宝物だよね。

どちらかというと、これからまた
どう一緒に未来を作っていけるのかと、考えていたいんだ。
過去を引き連れてね。

俺個人的には
もう若くないから、とかで落ち着いて欲しくはないし
『あの頃のように今でもやれるんだぜ』
ってなってくれた方が
個人的には嬉しかったりする。

一緒に歳を重ねてきて、大人になったけど
でもやる時はやれたら嬉しいよ。
『もうそんな歳じゃ、、、』
みたいなセリフは、出来るだけ伏せといて欲しいし
ずっとではなくても、いきなりスイッチ入れて欲しいよ。

なんとなくそんな事を思いながら
いつ出会ったのか分からないけど
今日もまたあの頃のように
そしていつかまた、今日のように
と、そんな気持ちを込めて
if time keep standing...をそこに置くと決めたら
千葉LOOKのセットリストは決まっていったんだ。


さて
次の新潟・高崎に呼んだバンドが
千葉のバンドが続くなんて
たまたまだったんだ。


千葉LOOKの一番後ろにいた人達
(段差上がった人達)
シャンデリアが消えたり光ったりしたの
面白かったでしょ(笑)
使えるものは使うよ!


oat03 at 10:41コメント(0) 
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