2018年02月12日 09:09
仙台
9月に仙台でワンマンをやって、それ以来だからそんなに日が経たずに来れた。
一時期は1年に一回とかになってしまったけど、こうやってコンスタントに行けるのは嬉しい。
dustboxとも2日目。
前日があるとやっぱり2日目っていうのは何か違う。
昨日を引き連れての今日、そして今日で終わってしまうのか、そんな気持ちが混ざる。
八戸と仙台に曲を分けて、ジョージさんとスガさんにゲストコーラスを入れてもらった。
レーベルメイトなのはSOUNDRIPからで、dustboxは4our Cherrysのタイミングだったかな。
だからレコーディングにはその度に来てもらったから、アルバムの節々にdustboxの声が入っている。
2人の声のキャラクターも凄くあるから、ここだというポイントに分かりやすく入っている。
その時はただただ楽しんでやってただけだけど、レーベルメイトとして12年くらい経ち、今となればレコーディングに入ってもらっているのは、歴史になった。
引き続きレーベルメイトとして、今回のPressureにも声を入れてもらった。
Pressureもまた、歴史になるんだろう。
Frankensteinに関しては、dustboxがいない時はオープニングSEを流していて、毎回ジョージさんがそこにいる(笑)
ジョージさんはそんな事も知らないだろうに(笑)
でも今回の2ヶ所は本物だった。
Frankensteinの真ん中の『Don't run away! Why don't you play with me?』のシャウトの部分は、dustboxの方というよりも、しけもくロッカーズの方なんですが(笑)
dustboxは普段のdustboxのライブの時からそういう楽しみ方をたくさんしている。
ゲストベースが入ってきたり、誰かのカバーをしたり、他のバンドとコラボしたりと
自分達だけという枠に捉われず、いつもみんなを楽しませてくれるよね。
ノリの良い人達、というよりは、純粋に楽しい事が好きな人達だ。
自分達が心から楽しむ事によって、周りを幸せにする人達だ。
固い事や重い事も、全部柔らかく温かく、『楽しい』や『幸せ』な方向にする人達だ。
ライブの時の雰囲気でも分かると思うけど、ライブではない所で一緒にいても
重たい雰囲気にはならず、悩みなどもフワッと軽くしてくれる不思議な人達だ。
お互い色々あったけど、悩んでいただろうに物凄く悩んでいるようには外にはあまり見せないし、そういう面が強い所だと思う。
仙台にも、東北にも、震災が起きてすごく悲しんで悩んで辛くて、色んな思いをした人がたくさんいると思うけど
こういう人達が凄く必要だったんじゃないかな。
もう発表されたから言うけど、俺達は今年、毎年出演させてもらっているMASTER PEACEには出演しません。
本当はそこに合わせてスケジュールを組んでいたんだけど、今のレコ発中は、出来る限りレコ発をやりたかった。
行けるようにはしていたのだけど、5連チャンになったり、移動が大変になったりもあって
今回は出演しない方向にさせてもらいました。
例えその日にライブをしなくても、MASTER PEACEの事は想っているし、同じ気持ちだし
別の日でも同じ事を想っている。
どこでやっていても想っている。
音楽は必要ないんじゃないか、力はないんじゃないかと深く考えた時期がみんなあった。
何も出来ないんじゃないかって。
衣食住とは違うし、娯楽といえば娯楽だけど
その娯楽があるからこそ、前向きになれるんじゃないかと思う。
震災とはまた違うけど
凄く悩んでいる人に声をかけるタイミングや、どんな言葉をかければ良いのかとか
ただそばにいるだけで良かったりとか
誰がそこに必要なのかとか
そういう事と同じように
時期などもあるだろうけど
少しでも前向きになれる時期になったら
直接的な事の解決は出来ないのかもしれないけど
プラスはたくさん増やす事が出来る。
きっとこれからも個人単位の話で、大きな事から小さな事、色んな事が起きる。
そんなプラスとマイナスの波がきっとあって、そのプラスを増やす事が出来る力が、音楽にはあるはずだ。
そう信じている。
少しずつ震災には触れなくなっていった。
忘れたい人、忘れられない人
心に刻んでおきたい人、きちんと心に置いておきたい人
忘れさせてほしい人、伝えたい人
色んな人がいて
自分の心の中にはきちんとありながらも
どんな言葉を並べれば良いのかなんて、今でも分かっていない。
間違った言葉をかけた時もあった。
傷つけただろうと、今でも後悔している言葉がある。
でも、いつどこでやっていても
心の中にはあの時の事がある。
正解は分からないし
きっとその正解は、その時によって違うのだろうけど
それでも救いたいし、力になりたいと思う。
言葉を発した時は、それが必要だと感じた時
言葉を発しなかった時は、今は必要ないと感じた時
きっとそうなんだろう。
俺は介護の現場にいて、そして親でもあって
お年寄りのそばにいながら、子育てをしている。
そこで学ぶ事がたくさんあるんだ。
同じようで全く違う事。
お年寄りは子供に返るというけど
間違いではないけど、それとも少し違う。
介護の現場には色々なお年寄りはいるけれど、考え方的には、どう最期を迎えてもらうか、という考え方がある。
『早く迎えが来て欲しいよ』と言うおばあ様方に『そんな事言わないの』とか『まだまだだよ〜』だなんて声をかけたりしながら
長生きしてほしいと思う事は当然にありながら
でも順番的に、自分よりは先に亡くなってしまう事は確かで
目の前で、ではなくとも、何人も最期までを一緒に過ごさせてもらった。
どういう気持ちで介護の現場にいるのかというと『感謝』だ。
そして子育ては『希望』だ。
俺は『感謝』と『希望』の中にいつもいさせてもらっている。
始めと、終わりがあって
その途中で、物凄く色んな事に悩んだりしながら、進んでいる。
人間は自然の一部であって
花や生き物などと同じなのだと思う。
すぐに解決出来ない事は無数にあれど
考え方次第で8割くらいは解決するのかも。
そんな簡単な事ではない事くらい分かっていながら
そして自分が絶対正しいだなんて思っていないけどね。
『辛い』という字に、『一』を足すだけで『幸い』になるのは
ちょっとした何かを変えるだけで、ちょっとした何かを足すだけで
大きく変わる事なんだと教えてくれている。
そして更に、『幸』という字は、上下逆さまにしても、『幸』なんだと
この漢字を作った先人は、きっと今の俺達に、何かを伝えるために残してくれたんだろう。
そんな先人のアドバイスを、勘違いなのかもしれないけど
自分の中で解釈しながら、発しさせてもらっている。