2007年01月04日

憧憬と羨望の誤認。2

憧憬・・・あこがれる事。
羨望・・・うらやましく思う事。

現代この2点への認識が誤って取られている感がします。
この2点を誤認している限りステップアップは難しく、
いつまでもこの2点を"感じる側"に甘んじる事に
なると思います。




先にもお話をしました、
女性の憧れの的のエビちゃん。
あんなに可愛くて洋服を上手に着こなせる・・・
彼女に集まるは"憧憬の眼差し"と言えるでしょう。
テレビでも"憧れの人"には当然入るでしょうし、
他にも沢山の女優さんやアーティストの方々の
名が挙がると思います。

ですがここに大きな誤りがあると思います。

「憧れる」という感情には広辞苑によると、
"思い焦がれる"・"理想として想いを寄せる"と
いう風にあります。
では「羨望」である「羨ましい」は?
「羨ましい」とは、"うら"には心、"やまし"には
病む感じであるの意味があり、
「人に対する境遇や資質を自らと比べ妬ましく感じる
という意味があります。
上記の意味を汲み取ると「憧憬」という言葉は純粋で
美しい感情のように感じます。
一方「羨望」にはいやらしく汚らしい感情と受け取れます。

「ホリエモン」「村上ファンド」両事件の真実については
あくまでもニュースで知らされる情報しか得る事が出来ない
ので、有罪か無罪かの真実を知る事が出来ません。
村上ファンドの村上氏が会見で言った、
「儲け過ぎたから目をつけられた」
という発言は現代の"誤認"を現した言葉だったと思います。

確かにマネーゲームと呼ばれた彼らの"金稼ぎ"は、
喜ばしいものかどうかというと、そうでは無いでしょう。
"子供に株を教えている"だとか、学校でネットトレード
を教えようという意見も聞きます。
「お金を汗水垂らして稼ぐ」という"苦労"を教える前に
そんな事を教えてしまっては、お金というものを
数字でしか見れなくなる大人達が増えてしまいます。
昔からお金というのは卑しいものであり、海外でも
大金を稼いだ人間は、必ずといって良いほど慈善活動を
しています。
お金の量は一定で、誰かが増えれば誰かが失う、
マネーゲームというゲームで手に入れたお金の下には、
腰に持病があっても重い荷物を汗水垂らして運んでる人、
朝も早くから通勤電車に揺られて働くお父さん達の
"苦労"の上に成り立っている事も教えなくてはいけません。

それが理由なのでしょうか、やはりそういう稼ぎ方は
良くない事だとして村上氏は「稼ぎすぎて目をつけられた」
と発言したのでしょうか。
つまりは羨望が村上氏や堀江氏を潰したと言えます。
私も大々的にパソコンの前で大金を楽に稼げるという
イメージを持たす事には反対です。
そのイメージを大衆に知らせてしまったのが間違いでしょう。
ですが何も両者とも本当に楽をして稼いだわけではありません。
取引き内容に法律に触れる部分があったかどうかは、
検察や関係者の方にお任せするとして、
それなりの情報収集や勉強、日々の努力があってこそです。
努力なくして彼らのあの座は無かったのに、潰されました。

羨望にです。

彼らは努力をしました。
手段に異論はあるでしょうが、ゼロからあった地位では
ありません。
仕事が出来る人・お金を稼げる人には本来、"憧憬"が
与えられるべきだと思います。
ゼロから築き上げてきた地位に、ゼロから作り上げた
彼らの能力に、憧れるべきだと思います
ですが世間は彼らを卑しい羨望の目で見てしまい、
糾弾し、潰してしまいました。

では羨望は誰に与えられるべきか・・・
それこそ先にお話した「エビちゃん」にあると思います。
エビちゃんだけではなく、天性を与えられし者にこそ、
羨望の眼差しを与えるべきだと思います。
羨望には妬ましく思う気持ちがある、と言いました。
エビちゃんも努力をしているのは分かります。
スタイル維持・肌のお手入れ・美容に関しての努力は
凄まじいものだと思います。
ですがあの化粧・ヘアースタイル・ファッションが
似合う基盤は天性のものです。
みんなが同じくらい・それ以上に努力をしたらエビちゃん
と同じ・それ以上になれるかと言ったらそうでは無く、
あの基盤が無ければどうにもなりません。
憧憬=理想、という図式が出来ますが、エビちゃん
を理想においても限界があります。
では村上氏なのどの様に"お金持ちになる"という
憧憬=理想に限界はあるのでしょうか?
それは絶対に超えられる限界だと思います。
もしも限界があるのであれば、それは貴方自身が作って
しまう気持ち・やる気の限界だと思います。

宇多田ヒカルさんのように前代未聞のアルバムの
売り上げを樹立させたい・・・
柴咲コウさんのように歌も唄えて女優としても大活躍
出来る芸能人になりたい・・・
このような想いは残酷ではありますが限界があります。
「やって出来ない事は無い」という言葉がありますが、
天性のものに相対すると、この世には可能性0%のものが
沢山あります。
それら天性のものを持ち合わせ生まれた方々に対して、
憧憬を持ち、人生の目標とする事は大変に危険な
行為だと感じます。
特に女性に対する言葉には
「女性の足を引っ張るのは結局は女性」というのがあります。
キャリアウーマンや起業家の女性の話では仲間であった
彼女に裏切られたという話も聞きますし、そういった
ものを題材としたドラマなどもよく目にします。
仕事で・実力で財を成した方々は凄いんです。
ですから憧憬の眼差しを与えるべきなんです。
天性を与えられた方へは羨望を与えるべきなんです。
それがあべこべになっている現代ですから、何かが
おかしくなってしまっているんだと思います。

自らを高めたい・ステップアップしたい方々は、
「努力する人に憧憬し、天性の人に羨望する」
これに尽きると思います。
ですが気をつけておきたいのは、天性のものを持っている
人に羨望=卑しい感情、を与える事も意味がありません。
本当にステップアップをしたいのなら、羨望を軽く受け止め、
「あの歌声うらやましいなぁ〜」「顔が良くてうらやましいなぁ」
程度にしておくべきだと思います。
卑しい気持ちを持っている人は、顔がキレイであっても
周りからは汚く見えます。
私の周囲にいる「努力する人に羨望する」人達は、
同じ穴でじゃれ合い・かなり低次元な発言に終始します。
こんな阿呆な私から見てもそう映るのですから、他人から見たら
さざ醜く映るでしょうし、その穴で馴れ合っている以上、
自分が"憧憬の眼差し"を受ける側になる事は不可能だと思います。

obakasama at 18:31│Comments(0)clip!思想 

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