物理学者が解き明かす重大事件の真相』下条竜夫、ビジネス社、2016年1月15日発行、1800円(税抜)

「下条竜夫氏は、理科系の物理学者だが、技術屋だ、実験屋というらしい」

「物理学者が解き明かす」と冠された書籍『物理学者が解き明かす重大事件の真相』の中で、STAP細胞事件が1章として取り扱われていた。
STAP細胞事件についてはこれまで多くの専門家、非専門家が、実名やら匿名やらでさまざまな意見を語ってきたが、実名でしかも「物理学者が」とわざわざタイトルに入れた著作での言及は初めてだったので購入してみた。
STAP細胞以外にもさまざまなテーマについて、「物理学者」としての考えや見解を、著者はかなり率直に、忌憚なく披露している。それぞれ興味深いのだが(もちろん異論もある)、ここでは「第4章   STAP細胞と小保方晴子氏について〜緑色に光る小さな細胞は本当に存在する〜」を取り上げてみたい。
なぜなら「物理学者が解き明かす」と題された通り、これまであまりお目にかかったことのない興味深いアプローチが見られるからだ。
冒頭の副島隆彦による推薦文には「下条竜夫氏は、理科系の物理学者だが、技術屋だ、実験屋というらしい」とある。そうした著者の立ち位置が、細胞生物学者やその周辺の専門家(らしき人)やサイエンスライターの人たちには見えていない、あるいはさまざまなしがらみの中で表立っては言及できない事柄について、まったく違う角度からスポットを当てているのである。
もちろん情報不足、知識不足、検証不足と思われる個所も多い。文中で著者はそのことを次のように認めている。

「私の専門は物理化学であり、近い分野の生化学(生体内の化学物質がどう働くかを研究する分野)でさえもよくわからない。だから、生物科学の最先端技術はシロウトだ。STAP細胞があるかないかも判断できない。申し訳ないことだが、捏造があったのかどうかもわからない」
 
それでも現役の研究者、実験屋だからわかること、これまで誰も指摘してなかったことが書かれている。それをこれから紹介したい。

●「研究者の楽園」から「研究者の地獄」へ

まず、理化学研究所(理研)についてである。
理研の研究者は、研究員とその研究室の長である主任研究員からなるとされ、その社会的地位は高く、研究員は普通の大学の准教授クラス、主任研究員は大学の学部長クラスと紹介している。
また、理研では主任研究員が退職や異動をすると、その研究室は基本的に解体され、研究員は理研内の別のグループか外部かで新しい職場を見つけなければならないという。
若山輝彦教授は主任研究員にほぼ相当するリームリーダーだった。ただ2013年3月には山梨大学へ移転することが決まっていた。当然小保方さんも新しい職場を探すことになり、理研のユニットリーダーという職に応募して選ばれたという。
著者は、この大抜擢は周囲の研究者にかなりのショックを与えただろうと推測している。
また、理研は「研究者の楽園」というイメージがあるが、それは昔の話で、実際は「研究者の地獄」に近い状況にあるという。定年まで地位の安泰な正研究員ポストは非常に少なく、ほとんどの研究者が2年から5年の期限付き雇用だからだ。こうした理研の研究者の実状はこれまであまり紹介されていなかったのではないか。
著者は、若山氏の雇用形態についても、主任研究員の肩書きがなかったので期限付き研究員だったのではと推測している。
若山氏が山梨大に移動すれば、当然若山研究室はなくなり、その部屋の研究者全員が次の職場を探さなければならない。
そうした中で、あとから参加した小保方さんは大抜擢でユニットリーダーに選ばれたのである。他の研究者の思いはいかばかりだったか。

●「30歳の研究者は、ひとりでは、まともな英語論文は書けない」

つぎは、小見出しにもなっている「30歳の研究者は、ひとりでは、まともな英語論文は書けない」という指摘だ。
いや、おれは書けるよという人もいるだろうが、著者の見解はこうである。

「標準的な30歳の研究者がまともな英語論文を自力で書くのは無理だ。私も30歳ではまともな英語の文章は書けなかった。研究者なら、若くても書けると思うのは幻想だ」
 
さらに、次のようなエピソードも紹介している。

「世界的に有名な『ネイチャー』誌は、内容だけではなく、高い英語文章能力(ロジックやストーリー性)が強く要求される。私の友人のフランス人研究者は、『英語がネイティブな研究者でないとネイチャー掲載はなかなかむずかしい」とはっきり言っていた」
 
博論のコピペ騒動も、「普通は共著に後から参加するということはしない」のに、故笹井氏が参加した背景には、そうした事情があったのだろうと著者は推測している。

●「小保方晴子氏は天才実験家である」

そして最大の注目ポイントは、小見出しにもなっている「小保方晴子氏は天才実験家である」という指摘だ。 
「こういうすばらしい現象や、その技術を発見・発明できる小保方氏は、ある種の天才だ」と著者は断言する。
なぜそう言い切れるのか。少し長くなるが、著者がそう考える理由を以下に紹介しよう。

「私たち実験家が実験を成功させるためには、小さなアイデアをたくさんの実験で積み重ね、しかもいろいろな違った方法でトライしなければならない。新聞や雑誌の記事ではストーリーに面白さを求めるため、発見や発明は、大きなアイデアをひとつの実験で成功したことになっているが、そうではない。たくさんの実験をたくさんの手法でやればやるほど成功する確率が高くなる。優秀な実験研究者は誰でもそうしている。
 しかし、私を含め凡庸な実験家は、たくさんのアイデアは出せない。ましてや、同じような実験を何度もやるのは無駄が多いし疲れる。だから失敗したらそれで諦めてしまう。
 ところが、「小保方晴子氏は失敗すればするほど、さらに多くの実験を積み重ね、かつ失敗の原因を突き詰め、次の作戦を持って来た」と右の文章(引用者注:「梶原しげる『プロのしゃべりのテクニック』——「その時マウスは緑色に光った!」若山教授が語った幻のSTAP細胞誕生秘話 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20140410/392288/)にある。これができる小保方氏はすばらしい実験家だ。故笹井氏副センター長も、小保方氏に対して、「彼女は集中力がすごい」と、実験家としての才能を認める発言をはっきりしている。」

物理学者であり、技術屋であり、実験屋である著者ならではの見解というべきだろう。
これは想像だけで言っているのではない。実例がある。

●「全部で1,615個の細胞塊を宿主胚に移植し845個の胚発生を確認した」

それは、相澤検証実験チームによる「STAP現象の検証結果」(2014年12月19日)の以下の個所で紹介されている。

「③キメラ形成能の検証 
STAP様細胞がリプログラミングを反映していることを示す最も確実な指標は、同細胞が正常な胚発生環境下で三胚葉の各組織形成に寄与し、キメラマウス(胚)を生じることである。研究論文では、ES細胞のように個々の細胞に分散してから宿主胚に注入するという方法によってはキメラは得られず、STAP様細胞塊を小さな細胞塊にきざんで、宿主胚に注入する方法をとることが必要とされている。そこで、得られたSTAP様細胞塊を丸ごと、あるいは、加工したガラス針、レーザー、眼科用のメスによりさまざまにきざみ、宿主胚としては胚盤胞胚およびモルラ胚に注入して、キメラ形成能(主として9.5日胚で)を検討した。また、STAP様細胞塊採取後、宿主胚へ注入するまでの時間も、実験の物理的環境下で最短とする工夫も行った。以上のさまざまな組み合わせの下で、全部で1,615個の細胞塊を宿主胚に移植し845個の胚発生を確認したが、リプログラミングを有意に示すキメラ形成は認められなかった。
なお研究論文でのキメラ作成は、山梨大学の若山教授(当時発生・再生科学総合研究センターチームリーダー)によって行われたが、本検証実験でのキメラ作成は、検証実験チームの清成寛研究員(本務はライフサイエンス技術基盤研究センターユニットリーダー)により行われた。」
(「STAP現象の検証結果」理化学研究所 http://www3.riken.jp/stap/j/r2document1.pdf) 

ここで注目すべきは「全部で1,615個の細胞塊を宿主胚に移植し845個の胚発生を確認した」という途方もない実験の回数だ。
しかも、通常の環境での実験ではない。 

「これを小保方氏は、上司である笹井氏が自殺するという精神的にも追い詰められた状態で成し遂げた。しかも、「加工したガラス針、レーザー、眼科用のメスによりさまざまにきざみ」とあるから条件を変え試みたことになる。たいしたものだ。2015年に「ネイチャー」に再現実験論文が掲載されたが、試みた回数はたったの133回だった。」

「STAP現象の検証結果」は何度も目を通していたが、この回数の個所は見逃していた。キメラマウスの作成は検証実験チームの清成寛研究員が行ったということで読み過ごしていたのだが、少なくとも1615個のSTAP様細胞塊の樹立は小保方氏本人が行っただろうし、「STAP様細胞塊を丸ごと、あるいは、加工したガラス針、レーザー、眼科用のメスによりさまざまにきざみ、宿主胚としては胚盤胞胚およびモルラ胚に注入」することのアイデアも、「STAP様細胞塊採取後、宿主胚へ注入するまでの時間も、実験の物理的環境下で最短とする工夫」も、小保方氏によるものだろう。
もしSTAP細胞=ES細胞説が真相であり、それに小保方氏が深く関わっているとしたら、徒労に終わるとわかっている実験を1615回も繰り返し行えるだろうか。もちろんただの印象論にすぎないが、やったとしてもせいぜい数百回でお茶を濁すところではないか。 
「ネイチャー」に掲載された再現実験論文が試みた133回がどのような実験だったのかよくわからないが、著者の「発明は、大きなアイデアをひとつの実験で成功したことになっているが、そうではない。たくさんの実験をたくさんの手法でやればやるほど成功する確率が高くなる」という見地からすれば、あまりにも不十分な回数と言えるだろう。

●「STAP細胞問題」は「常温核融合問題」と同じ?

そして著者は最後に「STAP細胞の捏造は、小保方氏個人ではなく、若山研究室の問題である」と結論づける。
ここでは詳述しないが、その結論の当否については各人の判断に委ねたい。

最後にもう1つ、著者は面白い話題を提供している。
それは「STAP細胞問題」は「常温核融合問題」と同じ道をたどるのではないかというものだ。
常温核融合は、登場したときは大きな話題になったが、現在は、科学界では否定的に扱われている。そのような説を唱えようなものなら、嘲笑、冷笑、黙殺されるのがオチである。
いや、STAP細胞の場合、iMuSCs論文も登場したことだし、それは違うだろうと思ったら、最後に常温核融合の応用(転用)技術が、元素変換技術として実用研究に進んでいるという新聞記事が紹介されていた。それも放射性廃棄物の無害化処理(!)に道を開く夢の技術としてである(「放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ 2014/4/8」日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ040JJ_X00C14A4000000/)。
なるほど、「STAP細胞」も、応用技術、実用技術として、ある日突然われわれの前に登場するかも知れないということか。それならあり得る話かもしれない。