どーもです。ややこです。
みなさま、お久しぶりですね。
また少し時間が開いてからの更新となってしまいました。
暑さが厳しくなってきましたね。
みなさんはお元気でしたでしょうか。
わたしは本を出版してから、会社の業務も佳境にさしかかっていて
しばらく慌ただしい日々を送っていました。
それもようやく先週あたりから落ち着いてきて
すこしボーッとしたり身体と心を休めています。
やっとブログに向き合えそうだったので、
こうしてポチポチと打ってみています。
本を発売してからというもの、
いろんな方々からうれしいお言葉を
たくさんいただくことができました。
手に取ってくださった方、本当にどうもありがとうございます。
タイトルに書いたように、近況について
お話をさせていただきますね。
Twitterの方でもすこしご報告をさせていただいたのですが
今年2月ごろに、ふるさとに住む
母方の祖父が亡くなりました。
わたしもお母さんも、時間が経った今でも
おじいちゃんの話をしていると
どうしてもまだ、涙が出てきてしまいます。
実は去年の夏頃からしばらく意識レベルが低い状態が
つづいていました。
状況はお母さんから聞いていたのですが、
正直会いに行くのが怖いなという気持ちがありました。
それでもやっぱり、生きているうちに
おじいちゃんに会いたい。
そう思い、去年の8月に飛行機へ飛び乗りました。
ふるさとでは、おばあちゃんが笑顔で
迎えてくれ、すこしホッとしました。
認知症がゆるやかに進行していますが、
それでもわたしのことを覚えていてくれました。
おじいちゃんの入院している病院へは、
お母さんの弟である叔父さんに案内をしてもらいました。
病室へ行くと、おじいちゃんの姿がなく
看護師さんに尋ねるとリハビリをしているとのことで
間もなく戻るとのことでした。
しばらく病室で待っていると、おじいちゃんが
車椅子に乗せられて戻ってきました。
その姿を見て、わたしは思わず涙が出てしまいました。
残念ながら、おじいちゃんは
わたしのことはわからないようでした。
叔父さんがおじいちゃんの耳元で何度も
「じいちゃん、ややこが来たよ」
と、呼び掛けてくれました。
わたしも震える声をなんとか整えて、
「じいちゃん、ややこだよ」
と、何度も呼び掛けました。
時々目を動かしてわたしを見てくれましたが
返事をしてくれることはありませんでした。
あまりにも、あまりにも元気だった頃と
変わってしまっていて
もう、名前も呼んでもらえないのかと思うと
悲しくて、どうしていいのかわからなくて
それでも叔父さんが、
「じいちゃん、きっとややこが来たって
わかってくれてるよ」
と、言ってくれたので
わたしもそうであって欲しい、
そう信じよう、と決めました。
それから短い期間でしたが、
毎日おじいちゃんの病室に足を運んで
話し掛けたり、手を握ったりしました。
掌の感触は、わたしが小さい頃に
よく手を引いてもらったときと何も変わりません。
リハビリの様子を見せてもらったり
体を洗うところも見せてもらいました。
おじいちゃんは、まだ生きようとしているんだ。
数日かけて、わたしはようやくそう思うことができました。
ガンをはじめ、今までいろんな病気を患っても
その度に元気になって周りを驚かせていた、おじいちゃん。
きっと今も、必死に戦っているんだと感じました。
わたしもいつまでも後ろをを向いていられない。
おじいちゃんを全力で応援しよう、と心に決めました。
東京へ帰る二日前に、病室へ訪れたときに
おじいちゃんがわたしの方へ手をのばしてくれました。
これは、もしかしたら単なる偶然かも知れません。
それでもわたしは、とてもうれしく思いました。
のばされた手をギュッと握って、
声を掛け続けました。
後ろ髪を引かれる思いのまま、東京へ帰る準備を進めていると
おばあちゃんがきていろんな話をきかせてくれました。
おじいちゃんが入院してからというもの、
おばあちゃんのことも心配でした。
叔父さんや叔母さん、ヘルパーさんの援助を受けながら
一人暮らしをつづけていましたが
それもだんだん限界がきていました。
おじいちゃんの状況についても、おばあちゃんは
まだお喋りができる状態だと思っていました。
おじいちゃんに会いに行ったとき、
おじいちゃんはおばあちゃんの頭を撫でてくれて
「よく来たなあ」
と、言ってくれたとわたしに教えてくれました。
残念ながら、当時の状況から考えると
それはあり得ないことです。
その話を聞いて、わたしはまた泣いてしいました。
おばあちゃんの中のおじいちゃんは、
いつまでもやさしい人でいるんだということ。
そのことが実感できて、
二人の夫婦の絆を強く感じました。
東京に帰ってからも、お母さんや叔父さんから
おじいちゃん、おばあちゃんの様子を
教えてもらっていました。
年を越して、1月も終わりに差し掛かった頃
ふるさとに戻っていたお母さんから
電話がかかってきました。
おじいちゃんの容態があまり良くないこと。
お母さんは来週帰る予定で、
なるべく早く会いに来た方がいいと言われました。
ショックな気持ちが大きかったですが
お母さんの言葉に頷いて、帰る手配をしようとしていました。
その週の週末、知人のお宅で
行事のお手伝いをしていた時のことです。
携帯に電話が入ったのでみんなからすこし離れたところで
受けると、お父さんからの連絡でした。
「おじいちゃんが亡くなった」
そう言われて、一瞬何が起こったかわかりませんでした。
人がいたので泣き崩れる訳にもいかず、
グッと堪えてひとまず予定を一通りこなしてから、
事情を話して家に帰りました。
明日、帰れる飛行機を手配しよう。
荷造りを慌ててやって、お父さんに電話がをして
一緒にふるさとへ向かうことにしました。
このときわたしは、じっくり悲しむタイミングを
失っていました。
まだ、実感が湧いていなかったというのもあります。
それでも独りで部屋にいるのが不安で、
両親の家に向かい
お父さんといろいろ話をしていました。
お母さんが丁度ふるさとに帰っている時だったので
きっと、おじいちゃんはお母さんを
待ってくれていたんだと思います。
会社に事情を話してしばらくお休みをいただき
翌日、朝の便でふるさとへ帰りました。
家が近づくにつれ、だんだんと気が重くなりました。
会ったら、認めなければなりません。
いつもは楽しい帰路が、とても辛いものに感じました。
ふるさとの家につくと、お母さんが出迎えてくれました。
無理をして気丈に振る舞う様子に、辛くなりましたが
わたしもしっかりしなくてはと、おじいちゃんがいる
和室へと足を運びました。
白い布が顔に被さっていて、本当におじいちゃんなのかな?と
信じられない気持ちになりました。
「顔を見てあげて」
お母さんに促されて、白い布を恐る恐るめくりました。
本当に、眠っているような穏やかなお顔をしていました。
今にも起きて返事をしてくれるようで
よく来たなあと話しかけてくれるようで
抑えていた気持ちが堰を切ったように涙になって
溢れ出しました。
嗚咽をもらしているわたしの背中を、
涙声で「泣かないの」と言いながら
お母さんがさすってくれました。
それからお通夜、お葬式をして
多くの人がおじいちゃんの為に集まってくれました。
おじいちゃんはとても筆まめな人で、
毎年100枚以上の年賀状を一人一人に手書きをして送っていました。
わたしも数えきれないほどのお手紙を貰っていて
今でも大切にとってあります。
人を大切にし、人を笑顔にすることが大好きな人でした。
式では、おじいちゃんの生前の写真が
スライドで紹介されました。
おばあちゃんと結婚した時の写真
大好きなカラオケを歌っている写真
孫たちに囲まれて笑っている写真
犬の散歩をしている写真
闘病中に撮ったおばあちゃんとの笑顔の写真
横並びに座った私たち孫は、ずっと泣いていました。
私たちの後ろからも、すすり泣く声が
聞こえて来ました。
最後のお別れの時、
おばあちゃんがおじいちゃんにギュッと抱き付いて
頭を優しく撫でてあげていました。
「じいちゃん、良かったね。
どの孫も立派になって、心配な子は
ひとりもいないね
じいちゃんありがとう。愛してるよ」
わたしは、認知症のおばあちゃんがこうして
おじいちゃんのことを忘れてしまう前に
見送ることができて良かったと思っています。
わかっているのは辛いこともありますが
こうして長年連れ添って生きてきて
わからないままお別れのをするのは
どちらにとっても寂しいことだと思ったのです。
おじいちゃん、おばあちゃんには今まで
いろんなことを教えてもらいました。
お母さんが長い間入院しているときも
親代りになって私たちを育ててくれました。
強く生きていくということも
死んでいくということも
自分たちの人生を通して、わたしたちに示してくれました。
おじいちゃんが生きてきたこと
成し遂げてきたこと
わたしたちに教えてくれたことは
遺されたみんなで大切に守っていこうと決めました。
全ての日程を終えて、少し落ち着いたので
形見分けをすることにしました。
おじさんが気を効かせてくれて
おじいちゃんがいつも身につけていた時計を
わたしに持たせてくれました。
そして、小さい頃の眠っているわたしと
一緒に寝ているおじいちゃんの写真をもらいました。
これを持っていると、いつもおじいちゃんが
側にいてくれているような気がして
勇気が湧いてきます。
こんなことを考えたくはないのですが
おばあちゃんも、わたしの両親も
そして、わたし自身も
いつかはこの世を去る時がきます。
そう考えたとき、何でもない毎日が
愛しくて大切なものに思えてきますね。
1分でも1秒でも、大切な人たちと過ごせるように
時間を上手に使っていけるようになりたいです。
そのためには、おそうじや
身の回りのこともきちんとやっていかなくてはですね。
今回はおそうじと関係のない報告となってしまい
ごめんなさい。
今回のこと、きちんと皆さんにもお話をしようと思い
書かせていただきました。
こうして書いていくことで、わたしの気持ちもまた少し
整理されてきたように思います。
このような長文を読んでいただき、ありがとうございます。