参列舎城山氏カラー写真
また一人偉大なご意見番がいなくなってしまった。
城山三郎さん、3月22日他界。79歳だった。
ずっと生きていて欲しい人の一人だったのでせめて献花をしようと会場の東京プリンスホテルに出向いた。5月21日午後4時から鳳凰の間で開催。見事に晴れ渡った爽やかな日和だった。
城山氏著書
平服でと書いてあったので、黒のインナーに白のスカート、白のジャケットで出かけた私は会場に入って大いに後悔をする。迂闊だった!周りは黒一色。目立つこと目立つこと。一般読者もわんさか来ているだろうからと軽く出かけたのだが、会場は重鎮ばかりで城山さんの偉大さを思い知ることになった。

城山氏 写真ギリギリの時間に行ったのに前のほうの空いている席に座ることになり、至近距離に、中曽根康弘、三木睦子、小泉純一郎、菅直人、田中康夫、河野洋平、土井たかこ、五木寛之、(敬称略)その他名立たるジャーナリストの皆さんが列居。
冥福を祈るつもりが、エライとこへ来たな〜というのが正直な感想。

派手なことや虚飾が大嫌いな人だったことを尊重して祭壇も進行もとても簡素。参列者の知的豪華さと対照的だった。

お別れの会実行委員会は朝日、毎日、読売と日経。岩波書店角川書店講談社・・・NHKなどなど名だたる出版社が名を連ねていた。
開式、黙祷、弔辞と続く。
弔辞は辻井喬氏、佐高信氏、渡辺淳一氏
個人情報保護法や憲法改正にストレートな批判をしてきた城山さんの生き様などが弔辞で語られ、辻井さんは物静かな語り口調、佐高信さんは本当に残念さがにじみ出ていた。特に「戦争で得たものは憲法だけ、が口癖で城山さんの遺言だと思う」の部分に力が入り、周囲の長老の皆さんが大きくうなづく。中曽根さんの心中はいかばかりだったろう。

意外だったのは渡辺淳一さんで、なぜ硬派の城山さんとあの軟派の渡辺さんのウマが合ったのだろうと不思議に思っていると、ご本人も不思議だと言っておられた。

軟派の渡辺さんらしく、城山さんが奥様を亡くされた後気の毒に思い後添えを紹介したそうだ。もちろん即座に断られたそうだが、しばらく写真をみたあと、ポロッと「この人、君のお古じゃないだろうね」といったそうだ。このときばかりは会場に笑が起こったが、このとき下を向いた小泉純一郎さんの肩が大きく揺れていたのが、らしかった。
一旦は断った城山さん、後日渡辺さんに電話で、一人で旅行するのも寂しいので旅行だけ付き合ってくれる人はいないかと尋ねてきた。そんな都合のいい人はいないと今度は渡辺さんが断ったとか、堅物な城山さんの一面を語ってくれた。
人ごみを嫌い、目立つことも好きではない、心優しいことこの上なく、ゴルフ場ではキャディさんに一番もてたという。

ところで、前に私とのツーショット撮影に応じてくれたドクター中松氏をまたしても発見。あれれ?と思っていたところ、帰ってゆっくりお別れ会の「しおり」を読んで思い当たった。
引用すると
城山さんの実家稼業はインテリア。父は発明好きで折畳み式洋服箪笥などの特許を取り、東京に支店を出したこともある。母は短歌や琴を趣味としていた――――とあった。
察するにお父さんはドクターの先輩であったわけだ。

静寂な芝公園の緑に包まれたこの会場は城山さんにぴったりだった。
新聞発表によると参列者は750人。
長い間お疲れ様でした。合掌。