■小説『鉱石しんどろーむ』(8)■ゥ▲アマリン

161107鉱石しんどろーむタイトル
 その日まちるは、なんだか疲れている様子だった。いつものように店のカウンター越しに座り、ちいさな青いベルベットの宝石ケースに見入りながら、どこか物憂げな表情を浮かべていた。
「こんにちは、お嬢さま」冗談めかして声をかけてもこちらを見向きもしない。いつもならお嬢さまなんて呼んだら、ほっぺを丸くして怒るのに。
 また、向こうの世界へ引き寄せられているんだ。僕は少し心配になって、
「ねえまちる、せっかく遊びに来てやったんだから、お茶の一杯でもごちそうしてくれないかなあ」
 と僕にしては少々横暴なお願いをした。
 まちるはそこではじめて、はっと顔を上げ、僕のほうを見た。何かを思い詰めた、今にも泣き出しそうな顔をしていた。それに自分で気づいたらしく、あわてて宝石箱を閉じてわきに押しやり、「ミルクティーでいい?」と無理に笑顔を作って言った。
 僕は無類の珈琲好きだ。多少ぼんやりしたところはいつものことでも、子どもの頃からの付き合いのまちるがそれを簡単に忘れるはずは無いのだけれど。
 といっても、まちるのミルクティーは絶品だ。お湯ではなく上質なミルクで茶葉を煮出してつくる。
 まっていてね、そう言うとまちるはキッチンの方へ向かう。
 僕に背を向ける一瞬、青い宝石箱を見た丸い瞳にはやはり憂いが宿っていた。
 どうにもこらえられない興味が湧いた。いま思えば本当に馬鹿だったと思うけど。
「……」
 かちゃかちゃという茶器の音を聞き、やかんからただよう湯気の香りを嗅いで、まちるがまだ戻ってこないことを確認する。そろそろを手を伸ばして、小さな宝石箱を手にとった。ネジバネ式の蓋は、ぱか、と僅かな音を立てて簡単に開いた。
 中には指輪が入っていた。外国の海を思わせる澄んだ水色の大ぶりな宝石。緻密なカットを施されたなみだ型をしていた。
 綺麗だった。そう、たましいを、奪われてしまいそうなほどに。
 次の瞬間、僕の世界は暗転した。

 ……。
 いいかい坊や、もうすぐこの国には征服者がやってきます。おまえの名誉が傷つけられるとき、耐えられない辱めを受けるとき、そのときはこれで自刃を遂げなさい。
 かあさま、どうして。これで闘えば、ぼくは自分の身を守ることができるよ。それにほら、ナイフの柄にはこんなにうつくしい宝石があしらわれているから、売ればどうにか生き延びられるよ。
 いけません。おまえは貴い王家の生まれ。たとえ死ぬときも、誇り高くありなさい。さあ、早くお行き。おまえが行ったら、私はここで命を絶ちます。

 ……。
 ……ああ、もうどのくらい、この砂漠を歩いただろう。もう何週間、水さえ口にしていないだろう。かあさま、ごめんなさい。ぼくはかあさまの教えを守れなかった。死の間際のあの言葉は、かあさまの魂の叫び。それをぼくは踏みにじるような真似をした。敵の恐ろしさのあまり王国を捨て、逃げた。
 そうだ、ぼくは自分で自分の名誉を傷つけたんだ。きっといまこそ、このナイフで命を絶つ時なのに違いない。
 ああ、もう足も動かなくなってきた。無様だな、熱く乾いた砂の中に跪いて、それでもまだ死ねずにいるとは。
 ……おや、こんなところに青い花が。いまにも枯れそうになっている。 
 ごめんね、美しい花よ。もう水は、飲み尽くしてしまったんだ。か弱き花一輪守れないなんて、ほんとうにぼくは、愚かでちっぽけだ。
 花よ、ぼくの死にざまを見届けてくれるかい? どうかそれまで枯れないでいておくれ。
 ……そうだ、水のかわりにぼくの血を全部あげよう。孤独を癒してくれたお礼に、ぼくの命を捧げよう。
 ――ああ。切りつけても、もう痛みも感じない。この腕の動脈はいったいどこだろう。もっと深く、もっとたくさん切りつけなくては。肉の中まで突き立て、骨をも砕くまで。
 ――いいぞ、絶え間なく滴りだした。さあ花よ、この血を吸うがいい。
 ――生臭い鉄の匂いがする。ぼくの生の証だ。これもまもなく熱い空気に溶けて消えてゆくだろう……。

 ……。
「ぐれん、ぐれん!」
 まちるの声で我に返ったときには、僕は鉱石屋の床に仰向けに倒れていた。全身の力が抜けていたが、小さな宝石箱を抱く手にはこれでもかというほど力がこもっていた。まちるは僕の指をいっぽんいっぽん引きはがすようにして箱を取りもどすと、大事そうに胸元に押し当てて、ぽろぽろ涙をこぼした。
「ナイフに飾られていた宝石は、追っ手によって奪われ、王子さまのなきがらは砂漠に捨て置かれたの。かたわらに、真っ赤な花が咲いていたのですって。とってもとっても、かなしいお話なの」

 何日かして初夏の香りがしてきた頃、まちるとふたりで海へ行った。僕の車で二時間とすこし。
 砂漠は暑かったでしょう。波打ち際、そういってまちるはそっと小さな両手で、指輪を海の水に浸した。そのまま何十分も水色の宝石に語りかけながら、静かな波とたわむれていた。
 白昼夢の中でみた王子の傍らに咲いていたのはたしか、青い花だった気がするのだけれど。まちるにそれを話したらきっとまた泣かせてしまうから、いまは僕だけの秘密だ。

■小説『鉱石しんどろーむ』(8)■ゥ▲アマリン 完 つづきます、たぶん。
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