170617たときみタイトル2   *居眠り厳禁

 都市運営機関附属の学校エリアは広い。幼稚園、初等科、トワの通う中等科、高等科、大学、大学院が学部・学科ごとに点在し、さらにチャペルや大ホールなども存在する。まるで一つの村のような様相である。
 そのなかで中心に位置する学校本部の硝子張りの建物を抜け、三人はアヒトの所属する大学院薬学部へ向かった。自然、制服姿の学生たちが増えてくる。袖口と裾にブルーのラインがある薄灰色のブレザーとズボン。アヒトによると白のシャツにつけるループタイは、ループタイという形状を逸脱していない限りは個人の自由なのだという。それが大学生と院生の僅かな違いなのだ。
「おっかしいなあ」
 エントランスでIDカードの認証を済ませ、大講堂に入ると、アヒトは辺りを見渡して首をかしげた。「妙に聴講生が多い気がするんだけど、今日は特別講義か何かだったかな。……ああ、ねえ君たち、」
 ――! 声をかけられた二人の女子学生たちは近寄ってきたアヒトを見、そろって驚きをあらわにし、続いて何故か顔を赤らめた。もじもじとしながらアヒトの質問に答えている。
 ちなみに女子の制服は男子の対をなしていて、丈の短いブレザーにブルーラインのスカート、それに丸首のブラウスにループタイというデザインである。
「意外かもっ」イチルがトワの袖を引っ張った。「アヒトさんってもしかして人気者?」
「イチルってば」トワは声をひそめる。「意外とか失礼だよ」
 しかし確かに、金髪を無造作にヘアゴムでくくり分厚い丸眼鏡をかけた素朴な青年に対する態度としては、文字通り意外な印象を受けなくもない。
「やあやあわかったよ」
 足早にやってくるアヒトを見送る女学生たちは、まるで話しかけてくれてありがとうとでもいうように深々と頭を下げている。謎だ。
「やっぱり特別講義なんだってさ。ふたりとも良かったね、面白い話、聞けるかもしれないよ。まあ、医務課スタッフの派遣なんて正直期待できないけど。さ、適当なところに座ろう」
 今時珍しい木製の席はちょうど三人掛けだった。医務課と聞いて、それまでうっとうしいくらいに積極的だったイチルの姿勢はすこし変化した。身を隠すように講堂の端の席を選んだのである。イチルとてスタッフの一員である、いろいろあるのだろう、トワはそう解釈した。どのみち目立ちたくないのでその方が都合が良かったりもする。
 そして、そんな思惑をよそに特別講義が少々波乱の展開を迎えることになるとは、少年は予期していなかった。
 十三時を五分ほど回ったところで壇上に姿をあらわした『医務課スタッフ』に、ざわめきは一部の女学生たちの黄色い声を孕んですっと収束する。
 白と銀灰の衣服をまとった、長いプラチナブロンドの青年――。
「医務課専属スタッフ、由良と申します。すみません、約束というのが苦手なもので、五分も遅刻してしまいました。すぐに本題に入らせていただきます」
 かた。演台に今時珍しい、旧型のストップウォッチを置く。携えてきたのはそれだけのようだった。
「本日は現代社会に渦巻く闇について、心理学的観点から考察してゆきたいと思います。まずは都市が抱える心理的問題について、かいつまんでお話しします」
 ――ねえねえトワ。このあとね、アヒトさんが素敵なところに連れてってくれるんだ。
 イチルがひそひそと話しかけてくる。トワは仕方なく応じた。
 ――ま、まだどこか行く気? ていうかいま、これ始まったばっかりだろ。
 ――トワってば真面目なんだあ。すっごくすっごく意外っ。
 ――だ、だって、昼間の学校にきたかったんじゃ、
 ――そう、そして、授業中にないしょのおしゃべりっ。
 ――あのさ……。
 呆れた。それがイチルの目的だったのだ。
 由良のスピーチは流れるように続いている。
「先行きの見えない社会的不安、本来安らぎの場であるはずの家庭の崩壊……、現代を生きる私たちは、心理的瑕疵が生ずる要素を多分に抱えていると申し上げてよいでしょう。具体的には高齢化による独居老人の受け入れ困難、離婚やドメスティックバイオレンス、イル・トリートメント等、家庭内の問題は、未だ過去の事案としては分類されておりません。また理解に苦しむ犯罪の増加については、これらの事と関連づけられるとの見解が現在では一般的です」
 原稿を見ることはおろか、内蔵端末の投影機能も使わずに話している。トワは知らず、その姿に見入っていた。
「――ではここで、医学・薬学を志す皆さんに、専門分野外との連係・学際性の重要性について述べておきたいと思います。医務課では、臨床心理学は心理学理論を基礎とするだけでなく、さらに広い分野との連係をなすべき学問であると定義しております。例えば――」
 由良は言葉を切り、講堂内を見渡した。声のトーンをほんの少し上げる。
「せっかくですから本日の出席学生の中から、一番の成績上位者に答えてもらいましょうか」
 ――ねえねえトワ、どんなひとだろうっ。
 ――なにが。
 ――成績上位者っ。あんがい、アヒトさんだったりして?
 由良は演台に設置された薄型モニタを操作し、座席表を表示させた。IDカードの認証により、学生のさまざまなデータとの連動が可能なようだ。
「アヒト・クライン」
 ――わ。うそっ。
 トワとイチルが顔を見合わせるのと同時、しんとした講堂にざわめきが走った。アヒト? アヒトだって? アヒトが講義に?
「……。返事がありませんね。C3列26番席、アヒト・クライン、起立を」
 席の位置を由良が読み上げたことで、学生たちの視線が一斉にこちらに集まる。トワは慌て、小声で隣の青年を呼んだ。
 ――アヒトさん、アヒトさん、アヒトさ……、
 愕然とする。
 アヒトは白目を剥いて寝ていた。かすかないびきまでかいている。
「おや」由良が状況を察し、まっすぐにこちらを見たのでトワは慌てて下を向き、顔を隠した。「仕方がありませんね、最近の若者は」
 青年はストップウォッチを手に取り、足音も立てずに洗練された身のこなしで席の間の細い通路を歩いてくる。アヒトは目の前に立たれても起きる気配を見せなかった。
 すっ。由良の右手が、アヒトの頬の辺りへ伸びる。
 一瞬、撲つのではないかと思ったトワは息をのんだ。そのくらい、この青年の行動は読めないのだ。だが。
 しなやかな手はアヒトの顎から耳の辺りまで差し込まれ、ぴたと静止する。
 ひやりとしたのかその逆か、アヒトは「ひゃっ」といって目を覚ました。由良は頭をやや傾けて、眼鏡越しに瞳を覗き込む。さらさらと白銀の髪が揺れた。
 何ともいえぬ絵面に、その筋の女子学生から黄色い声が上がる。
「……えっ、何、なんですか?」
「メディカルスキャンです。――前日の睡眠時間、トータルで二時間五十四分。単なる寝不足のようですね。勉学に励むのも結構ですが、居眠りをするようですと本末転倒では?」
「……も、申し訳なっ、ございません、」
「謝罪は結構。罰として、改めて質問させていただきます。アヒト・クライン、心理学が他分野と連係する上での重要性について、一分以内で回答を」
「……え、ええと、」
「起立」
「は、はあ、」
 いかにも眠そうな様子でゆらりと席を立ったアヒトだが、由良の手の中でストップウォッチが立てたぴっ、というアラーム音を聞いたとたん表情を一変させた。
 その声は凜と講堂内に響き渡る。
「……古くは、病理学や精神分析、精神医学、行動科学、生物学などの科学的要素、そして社会学や福祉、保健衛生等との連係が重要視されてきました。しかし現在ではこういった定義を超え、あらゆる分野・学問と繋がる学際性にスポットが当たっています。例えばクライアントの生存における背景――学問に当てはめると、文化学、人類学や歴史学、哲学および宗教学にいたるまで、カウンセラーに限らず僕たち医学を学ぶ者は常に視野を広く持つべきだと考えます」
 ――。沈黙。
「…………あの、以上、ですが、」
 ぴっ。由良はあいかわらずの無表情のままカウントを終了する。しかし目を細めて数字を確認したときには、小さくほう、と感嘆の声を漏らした。
「――三十六秒。やや箇条書き的に過ぎますが、さすがですね、完璧と言わざるを得ません。いいでしょう、着席を」
 そしてすこしだけ微笑み、付け加えた。
「アヒト・クライン、名前を覚えておきましょう」
 青年が去って行くと、アヒトは脱力したようにどさりと腰を下ろした。多くの畏怖の視線が絡み合い、やがてはそれぞれの席へ散っていった。
 ――いやあ、焦っ、たよ、ハハ……。
 ――アヒトさんっ。ないしょのおしゃべりは醍醐味でも居眠りはダメですっ。
 イチルは両のこぶしを握りしめて怒っている。
 ――よかった、イチルちゃん、楽しんでくれてる?
 ――だーかーら、居眠りは厳禁なのですっ。ね、トワ。
 ――いや……どっちもいけないんじゃ、
 ――ああ、はいはい、ごめんごめん、だって、あまりに退屈だったものだから。
「そこ」
 由良の声が飛んできた。
「少し静かに。アヒト・クライン、何ならもう一問、論じていただきましょうか」

つづく
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