170617たときみタイトル2   *旧友

 たっぷり九十分間の講義を堪能、というかやり過ごしたあと、三人は他の学生たちに混じって講堂を出た。
「はあ」アヒトは盛大なため息をついている。「思いもかけず、散々だったなあ」
 由良はあのあともアヒトに容赦なく難題の集中砲火を浴びせたのだった。見かけによらずサディスティックな一面は、学生たちに由良という人物像をかえって魅力的に、くっきりと焼きつける結果となった。もちろん標的となったアヒトを除いて。
「でもアヒトさん、かっこよかったですっ」
「冗談じゃないよ。ああ、今夜あの人の夢でも見そうだ」
 イチルのフォローも、へとへとのアヒトには届かない。
 ――と、ふたりの後を大人しくついて歩いていたトワは、エントランスの方向からやってくる意外な人物をみとめてぎくりと足を止めた。できることならどこかに身を隠したかったが、残念ながらそう都合良くはいかない。
 適度に着崩した白シャツに細身の黒いタイ。スポーツ仕様のリストウォッチをつまらなそうに確認し、こちらを見たところで視線が交わる。
「お前たち」間違いなくトワとイチルに言葉を向けている。「一体何をしに来た」
「シンヤせんせいこんにちは! ぼくたち聴講? でーすっ」
 トワの腕をとりぎゅっと引き寄せると、イチルは得意そうににっこり笑った。
「ほう」慎也はというとそんなイチルではなくあからさまに気まずそうな表情を浮かべるトワのほうを見ている。
「由良の話をわざわざ聞きにきた訳か」
「……いえ、」
 トワは口ごもった。これぞまさしく偶然である。がそう言って納得する男ではない。
「気に食わんな、監察官が奴に交代したというのは聞いていたが、もうここまで心酔しているとは」
「……」いきなりの『奴』呼ばわりである。直情的な物言いはもともとだが、トワもさすがに戸惑う。
「慎也こそ、こんなところで何を」
「馬鹿。夜間部の教員だけで食っていけるほど世の中は甘くない。意外だろうが俺の専門は心理学だ、院生たちの講義も担当している」
「……つまり、由良監察官とは……」
「そうだ、顔見知りだ」思い切り嫌悪をあらわにしてトワの言葉を遮る慎也である。「それ以上でも以下でも無い」
「……でも、」
「仕方ないから忠告してやる」慎也は態度をやや緩めると、ふと、どこか遠い目をして言った。
「奴を信用しすぎるな、何かと裏のある男だ。しかも本人はそれを何とも思っちゃいない」
「……なにか、あったんですか」
「ほう、興味があるのか?」
「……いえ、でもボクは、」
 そのとき、女子学生らに囲まれて穏やかに談笑しながら講堂を出てきた由良そのひとが、こちらに気付いて近寄ってきた。
「慎也」まるで懐かしい友人に再会して喜んでいるような呼びかけ方だった。明らかにふたりの互いへの認識は大きく異なっている。「久しぶりですね。教師になったとは聞いていましたが、でもそうですね、あなたはセラピストなどよりも指導者であり教育者が向いているかもしれません」
「……」
 やはり慎也はかたくなな姿勢を崩そうとはしない。ぶっきらぼうに「お前は」とだけ言った。
「しがない医務課スタッフです。主に心理・精神面のサポートを専門にしております」
「……それは面白いな。持ち前の身勝手さで患者を右往左往させるわけか」
「身勝手ではなくフレキシブルと言ってほしいですね。まあ、必要があると判断した場合は揺さぶりをかけることもあります、ごく僅かにね」
「お前のことだ、特定の手法や療法など何処吹く風という感じなんだろうな」
「さすがですね。私が従事しているのは厳密には医療とは違いますので、大体がオリジナルです。受容的中立的というよりは、積極支持的に進めるのが得意です。時にはこちらの感情の開示といった、」
「だからそれが身勝手だと言っている」慎也は由良の言葉を遮り、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。「お前の性格もやり方も、俺は昔から嫌いだ」
「貴重なご意見、ありがとうございます」
「相変わらず馬鹿にポジティブだな。実際クライエントはいるのか」
「ええ、暇を持て余さぬほどには」
「杏樹もそのひとりか」
「さあ、どうでしょう。業務には守秘義務がございますので。しかし彼女との関係は非常に良好であると言わざるを得ません」
「よくまあ堂々とそんな言い方ができるものだ」
「事実です」
「……俺は」慎也は鋭い目つきで右手のこぶしを握る。今にも殴りかかりそうな空気をまとっている。「俺は認めんぞ。友人の女を寝取るような奴が人の心を癒そうなどと、思い上がりも甚だしい」
「人聞きが悪いですね。彼女を傷つけ、遠ざけたのはあなたの方ではありませんでしたか。単にあの頃の彼女にとって、残された居場所は私しかいなかった、それだけです」
「だからすんなり受け入れ、自分のものにした。随分と都合がいいな」
「都合も何も、それが彼女の意思だったのです。今になっても尊重できないのですか、あなたこそ子供のようなことを言う。彼女はモノではない、確固たる人格を持った女性なのですよ」
「ここで議論しても無意味だ。だがな、覚えていろ」
 慎也はまっすぐに由良を睨みつけた。漆黒の瞳の奧でごく僅か、深緑の光がちか、とまたたく。
「杏樹は俺のところに戻ってくる」
「ええ、それが彼女の意思ならば」
「余裕だな」
「誤解しないでください」由良は少しばかり困ったような口調を滲ませた。「私はまた、あの頃のように三人で楽しく過ごすことができればと」
「それをできなくしたのはお前だ」
「……残念です」
「ああ、俺もだ」
 ……。由良は無言で慎也の脇をすり抜け、去って行く。数歩あゆんで、名残惜しそうに一度だけ旧友を振り返った。弱々しいとも言ってよい仕草だった。
 慎也もほんのいっとき物思いに耽っていたが、あっけにとられているトワを見、もとの横暴教師の顔を取りもどした。
「……というわけだ。君にはまだ早い話だったかな」
「い、いや、その、」
「当ててやろう。あの男にそんな一面があったとは意外だった、そうだな」
「う……」
「再度忠告してやる。奴はお前が思っているよりずっと人間臭い。セラピストだかカウンセラーだか知らんが、その前にありふれたひとりの男だ。ちなみに君が奴に抱いている好意は専門用語では陽性転移と言う、少々歪んだ恋愛感情のようなものだ。くれぐれもこじらせるんじゃないぞ」
「よく、わかりません」
「それでいい。何でもかんでも解明すればいいというものではない。お前はお前のままでいればいい」
「……」
 ますますわからなくなる。
 困惑するトワをよそに、慎也は「じゃあな」と乱暴に少年の白い髪を撫で、大講堂のほうへと向かう。捨て台詞も忘れない。「言っておくが昼間こんなところで油を売っておいて、今夜の授業を欠席でもしたらただじゃ置かんぞ」

つづく
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