170617たときみタイトル2   *ネコネコナコ

 イチルのいうステキな場所というのが墓地だと聞いて、ボクは完全に意表を突かれた。薬学部の研究に用いられるマウスや鳥、犬や猫まで、多くの動物たちが葬られているという。
 そして実際に足を踏み入れてみて、ようやく納得した。
 墓地というのは名ばかりに思えたのだ。広大な敷地の真ん中に御影石の墓標とさまざまな動物たちの石像があり、アヒトによるとその地下に検体となった生き物たちが共同埋葬されているという。
 それ以外は見事な植物園がどこまでもどこまでも続いていた。品種ごとにエリア分けされた薬草は大半が色鮮やかな花を咲かせていて、それを目の当たりにしたイチルは大喜びだった。
「お花! お花お花お花、とってもきれい!」
「ちょうど初夏だからね、今頃がいちばん良く咲くんだよ。おっと、」アヒトは、真っ白な一輪の花を手でたぐり寄せて香りを嗅ごうとしたイチルを制した。「イチルちゃん、それはユリに似ているけれど、花粉に猛毒が含まれているんだ、そんなに顔を近づけちゃいけないよ」
「じゃあアヒトさん、これは?」
「それはブルーマロウという薬草。ハーブとしてお茶にすると甘くて美味しいよ。喉の炎症によく効くんだ」
「じゃあ、これはっ? ポンポンみたいでかわいい!」
「ユーカリプタス。面白い形だよね。南国の植物だからここでの栽培に成功するのに何年もかかったんだよ。少量なら薬、服用しすぎると毒になる珍しい植物さ」
「じゃあ、これっ、これこれこれ!」
 ……。
 ボクは花畑の中で嬉しそうに跳ね回るイチルを見ていた。まるで目にするものすべてが初めてで、今を生きているのが幸せで、嬉しくてたまらない。そういうのを全身であらわしているようだった。
 ちょっぴり、胸の奥があったかくなった。その感覚はどこかデータ転送に似ていた。懐かしい温度。ボクが感情を捨てた人形のようなものだとしたら、こうして心を取りもどしていくのも悪くない。そんなことを思った。
「こんなにきれいなお花畑をつくることができるなんて、アヒトさんはきっと、とってもきれいな心の持ち主なんですねっ」
 子どものような笑顔で振り返るイチル。アヒトさんはというと、何かを悟ったような、ほんのすこし愁いを含んだような声で答えた。
「でも気をつけたほうがいいよ、イチルちゃん。美しい花には毒がある。実験してみれば明白なことなんだ。よく覚えておいてね。……そうだ、せっかくだから動物たちも見学していく? 人間に馴れているから危険なことは無いよ」
「わあい。それって犬とか猫とか、猫とか猫とかのことですねっ!」
「へえ、イチルちゃんは猫派なんだ。もちろんかわいい子、いっぱいいるよ。この植物園の突き当たりに検体動物センターがあるんだ、行ってみるといい」

 アヒトとはそこで別れた。『ちょっとした約束』があるという。さすがに一日の睡眠が三時間未満だけのことはあり、会うたび何かと忙しそうだ。
 動物センターはすぐに見つかった。全体を白で統一された硝子張りの建物は、病院を思わせた。自動ドアを抜けてエントランスホールに入ると、受付のカウンターは無人で、『コミュニケーションルーム開放中』と書かれたシンプルなプレートが出ていた。
 案内通りに二階への階段を上がる。広い通路の両側はボックス状に仕切られていて、強化プラスチックの窓越しにさまざまな動物が格納されていた。犬や猫はもちろん、ウサギやモルモット、ハムスターにフェレット、ヘビや陸ガメまで――まるでひと世代前のペットショップのようである。
「わあっ」イチルは立ったりしゃがんだりを繰り返しながら、ワンボックスごとにのぞき込んでは感嘆の声をあげている。「すごいすごーい、こんなのぼく、初めて!」
 突き当たりのコミュニケーションルームにたどり着くまで、たっぷり十五分はかかった。『静かに開閉のこと』と張り紙がされていたので、イチルとトワはそろって息をひそめ、ゆっくりと重い防音扉を押し開けた。そして――。
「馬鹿っ、お前ばっかり食うな!」
 ――!
 カラフルな魚型の菓子を片手に十数匹の猫たちとたわむれていた人物を見て、トワはぽかんと口を開けた。イチルはというとこのとんでもない事態にまったく臆することなく、ミリタリージャケットの少年の方へ歩いてゆく。
「ナコナコナコ、ナコだあっ!」
「……な、」
 ナコの無邪気な笑顔は一瞬にして凍りつく。「……転、校生、なんで」
「トワもいるよっ」
「……」ナコはぎくりとして、戸口に突っ立ったままのトワを見た。琥珀色の瞳にいつもの敵意を宿すのを忘れているかのようである。「なにしに、来たんだよ、」
「なにって、決まってるじゃない」イチルが得意げにひとさし指をぴんと立てる。「デートデート、デートだよっ。ナコこそどうしてこんなところにいるの?」
「……す、」
「えっ?」
「水曜日は、ね……猫だからだ」
「ええっ、ナコってば猫派なのっ? ぼくたちもう、親しいおともだちだねっ」
「う、うるせえよ」
「それにしてもナコ、ここのことに詳しいんだね、だれに聞いたの?」
「院生のアヒトってひとが教えてくれた」
「アヒトさん?」少女はますます瞳をまんまるにしてみせる。「すごいすごいっ、共通のおともだちがいるなんて、やっぱりぼくたち、もう本当に本当のおともだちだねっ」
「お前、うるせえ上にしつこいな」
 といいつつ、ナコはまんざらでもない顔をしている。
「トワトワっ」そしてイチルは自分の言動にまったく頓着していない。ぱたぱたと手を振ってトワに合図を送る。「はやくおいでよ、猫だよ、猫猫っ」
「いや、ボクは、」
「トワ、もしかして犬派?」
「そうじゃなくて、みんなきっと、怖がるよ」
 トワはしぶしぶ猫の集まる部屋の中央へ歩んでいった。生まれてこの方、動物と触れあった経験など無い。脅かさないように、足音を立てないように細心の注意を払ったが、猫たちは少年のショートブーツが近づくと一斉に飛びのいて距離を取った。
「ほらね」
 特に落胆の気持ちも起きない。しかしイチルはちがうよ、といってトワに真剣なまなざしを向けた。
「ちがうよトワ。この子があなたを怖がっているんじゃない。怖がっているのはトワのほうなんだ。ほら、そんな顔をしていないで笑ってごらんよ、この子たちにほんとうの気持ちを話してごらんよ。きっとわかってくれるよ」
「……そんなこと、いわれたって、」
「トワ、スマイルスマイルだよっ」
「……だから、」
 その時ナコが「ああもう、仕方ねえな」とため息をついてゆっくりと立ちあがった。肩に乗った黒猫はいっしゅんぴくりと驚いたが、そのまま降りようとはしない。「まずはカリカリで釣れ。手、出せよ」
「かりかり?」
「バーカ、これのことだ、次から自分で買ってこい。ほら、手」
「う、うん」
 カラフルな小魚型の乾燥フードがナコの日焼けした手からトワの白い手へ、からからと音を立てながら渡った。そのまま戸惑いの表情を浮かべて立ち尽くすトワに、ナコはあいかわらずの命令口調でエサやり指南をする。
「突っ立っててどうすんだ、蒔く気じゃないだろうな。まずはしゃがんで目線を合わせろ。ゆっくり手を出して鼻先に……って、ぼんやりするな、全部食われるぞ」
「わっ」
 あっという間だった。真っ先に寄ってきたふさふさの虎猫は凄まじい勢いでカリカリを平らげ、得意そうにニャオと鳴いた。
「あーあ。俺もさっき、そいつに全部やられた」
 猫はまだ食べ足りないのか、空っぽになったトワの手をざらざらの舌で舐め回す。
「……も、もう無いったら」気がついたら少年は、猫に向かって話しかけていた。「見て分かるだろ、また、持ってくるからさ、もうやめろよ」
 ざらざら、ざらざら。
 ざりざり、ざりざり。
 ――不意に、おかしくてたまらなくなった。
「あ」イチルが信じられないといった様子でつぶやきを漏らした。そしてその声は、たちまち大切な宝物を見つけたかのように嬉しそうなものになる。
「トワ、ほんとに笑ってる。トワの笑顔、とってもきれい」
 ……。ナコが少し複雑な表情を浮かべたのには気付いていない。
「いいな、この子たち」トワは小さな子どものように笑った。「いつでもあったかくて、ごはんもたらふく食べられて、楽しくここで一生暮らせるんだろ」
「…………ちがうよ、トワ」
「え?」
 黙り込んだイチルの言葉を、ナコが引き継ぐ。
「こいつらはもうすぐ……死んじまうんだ。アヒトさんが言ってた。ここにいる動物たちはみんな実験体で、早い奴なら生まれてすぐ、開発途中の薬を注射されて、うまくいかなかったらすぐに死んじまうんだって」
「……そんな」
 実験体。ボクと、同じなんだろうか。
「でもね、しかたないの」イチルはそういってうつむく。「ぼくたちがすこやかに生きるためには、この子たちの命が、」
「おい、転校生。何、悟ったようなこと言ってんだよっ!」
 びく。イチルの肩が震えた。
「……ナコ、おこってるの?」
「俺、今日こそはと思って決めてきたんだ」ナコは慣れた手つきで虎猫を抱き上げた。「俺、こいつ連れて帰る。今はそれくらいしかできないけど、いつか、こんな悲しい奴らが一匹もうまれない世の中を創ってやる。見てろよ、転校生」
「ナコぉ……」イチルは感動で目をうるませた。
「ナコも、すっごくすっごく、かっこかわいい!」
「かわいいは余計だ!」

つづく
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