170617たときみタイトル2*ココロが壊れそうだよ

 水曜以来、イチルは学校を休んでいた。そのことに関してトワ自身はもちろん、ナコも多くを口にしようとしなかった。しかし、一度は関わるなと言ったはずの慎也が、金曜の放課後になって声をかけてきた。医務課管轄ホスピタル、四階南ウイングの特別室。そう手短に告げて、釘を刺すように付け加えた。
「俺じゃないぞ。由良からの言づけだ。会いに来てやってほしいと言っている」
 土曜日の朝になるのが待ち遠しかった。ろくに睡眠を取らないまま、面会許可の下りる午前九時に間に合うように斡旋住宅を飛び出した。
 無論、イチルの素性一切に対する疑念やはっきりとしない落胆は、どうにか心の奥に留めようと努めた。そんなものよりも正直、イチルに会いたいという思いのほうが強かった。
 医務課管轄ホスピタル南ウイングというのは、サキが収容されていた場所だ。三度目の訪問となったトワだが、やはり最初に受けた『ホスピタルというよりホスピスに近い』というイメージは変わらなかった。不吉な思いを抱きながらも、一階ホールに店舗を構えた小さなフラワーショップで、濃いピンクのガーベラを二輪だけ買った。資金は前日に、初めて機関に申請したものだ。まさか二輪しか買えないとは誤算も誤算だったが。
 息を弾ませて四階の特別室に向かう。
 エレベータを降りて南へ踏み出したところで、少年はハッと足を止めた。
 特別室とみられる部屋のスライドドアのすき間から身を滑り込ませるようにして、ひとりの少女が出てきたのだ。
 レースの縁取りのある薄衣のドレスをまとっている。おまけに裸足だった。童話の一ページから抜け出てきたかのような不思議な魅力と違和感が同居している。
「……」
 少女のほうもはっと目を丸くしてこちらをうかがった。ヘーゼルの瞳はいちると瓜二つだが、すぐにそこへ、どこか艶めいた大人っぽい光を宿した。
「イチルなら今はいないわ。あなたもお見舞い?」
「え、あ……うん」
 足音を立てずにふわふわと近づいてくる少女は、バレリーナのようだった。トワのところまでやってくると、ノースリーブのドレスから伸びたしなやかな腕で少年の持っていたブーケを絡め取るようにした。
「これ、受け取っておくわね」
「え、」
 すっ。有無を言う暇も与えられない。胸元にガーベラを抱いた少女は、上目遣いでトワを見る。
「ピンクのガーベラの花言葉は、童心に返る。それも二輪……意味深ね」
「……その、」
「心配しないで、ちゃんと渡すわよ」少女はくすくすと心底楽しそうに笑う。「イチルとはそうね、双子みたいなものなの。でも彼女はただの出来損ない、失敗作だった。破壊の色の試験投与に精神を侵され、適応できずに壊れかかっている。あなたも知っているわよね、サキも、その中のひとりだった」
「ハカイの、色だって……?」
 さっと青ざめる少年の顔を、少女はひたりと見据えている。だがそれも一瞬。こんどはヒステリックといっても良いような笑い声を立てた。
「そんな顔、する必要無いのよ。だって、あなたのせいじゃないんだもの」
「……きみは、いったい」
 こんな台詞、いつかイチルにも言ったっけ。冷静に思考しながら、戸惑いは消えない。
 少女はブーケの抱き方をすこし変え、すっと細い手を交差するようにした。
 何を意味するのかは見当もつかないが、まるでバレエのマイムのようだった。
「わたしは、マナ」ふわ。いっしょに踊りましょうと言わんばかりに少女は片手をトワに向けて差し出す。「そしてわたしこそが、銀河の瞳を持つ王子と結ばれることを運命づけられた、ほんとうのプリンセス」
「……本当、の?」
「手を、とってくれないの? 王子さま?」
「だって、」
「そうよね」マナは瞳にいたずらっぽい光を取りもどす。揶揄するように続けた。「先にイチルが、出来損ないのあの子のほうが、あなたをとりこにしてしまったんですものね」
「きみはさっきから、何言って、」
「だったらあなたは」
 マナの表情はくるくると変化する。今度はいっとき、真剣なまなざしがトワを射た。
「あなたはイチルを愛していますか」
「え」
「もしすべてが、大人たちの残酷なシナリオにしたがって作りあげられた、儚い物語だとしても――あなたはイチルを愛してくれますか」
「……」
「イチルは、小さい頃からあなたと結ばれることを夢みて、あなたのためだけに生きてきたの。たとえココロ引き裂かれても、あなただけを愛することを誓ったの」
 ――わたし、とわといっしょにいるの。ずっと。ずっとずっといっしょ……。
 幼い頃のビジョンがフラッシュバックした。
 気づけばトワは、自分でも信じられないことを口走っていた。
「そう……ボクはイチルを――愛し、たいんだ」
「――!」
 マナは表情を凍りつかせた。……そしてしばらくして、ふうっと、力の抜けたようなため息をつく。
「そう、わかったわ」声には感情が宿っていない。「用済みなのは、わたしのほうなのね」
 ふわ、マナは糸の切れたマリオネットのようにフロアへ膝をつく。黙ってうつむいた。
「大丈夫?」
 思わず傍らにしゃがみ込んだトワは、目を丸くした。透明な雫が床を濡らしていた。
「やだ、わたし、泣いてる」
「……ごめん、ボクは、」
「帰って」
「え」
「不愉快だわ。帰ってちょうだい」
「でも、」
「帰りなさい! もう二度と来ないで!」
「……う、」
 激しい拒絶。トワは言われるままフラフラと立ちあがり、少女に背を向けるしかなかった。次第に速度を上げ、南ウイングを走って突っ切ってゆく。途中、プラチナブロンドの青年とすれ違ったのにも気付かない。
「……?」
 由良はすこしばかり驚いた様子で、駆けてゆくトワの華奢な背中を目で追った。
 そして振り向くと、少女が病室の前でくずおれているではないか。さすがに慌ててそちらへ向かった。
「お嬢さま、おひとりで病室を出られてはいけません、まだ点滴が外れたばかりなのですよ」
 投げ出された二輪のガーベラを見て顔を曇らせる。
「……すみません、トワが、来ていたのですね。私としたことが、」
「由良、たすけて」抱き起こそうとして自分の傍らに片膝をついた青年に、少女は全身ですがって嗚咽を漏らした。「ココロが、壊れそうだよ」
「……」もう片方の膝をついてしっかりと少女を抱きしめる由良。耳もとでやや事務的に、静かに訊く。
「あなたは今、マナですか、それともイチル?」
「わからないの」声を震わせ、少女は泣き続ける。
「……わたしは、誰……?」

つづく
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