47*ユキサト

 コハクはあるとき友人から、美しい街の噂を聞いた。芸術家たちの生み出す色彩と音楽に満たされた街。消えた天才楽師が残した、終わらない物語のような『幻想芸術』の眠る街。
 アヲイトウワ。楽師の名は、忘れかけていた父のものだった。
 思わずにはいられなかった。音とともに現れるまぼろし、これがもし、まぼろしではないのだとするならば、自分こそ幻想芸術を手にするにふさわしいのではないかと。
 ひと晩にしてそれは確信に変わった。
「こんにちは、コハク」
 目を覚ますとそこには、いかにも俗世に疎そうな風貌の中年男がいた。古びた丸テーブルをはさんで向かい側からコハクを見下ろしている。呆れを通り越して無表情だ。
「十年ぶりに再会した教え子が泥酔っていうのは、あまり感動的じゃなかったな」
 無造作にひとくくりにしたダークブラウンの髪の毛にはだいぶ白いものが目立つようになったが、顔に似合わぬ気どった口調は変わっていない。
 ユキサト! コハクは驚きと懐かしさとで歓声をあげ、ソファーから飛び起きた……のは錯覚で、実際には寝ぼけ眼でつぶやいた。
「いつ、からここに、」
「いつから、だって?」何か書き物をしていたらしい、手にした紙切れの束がバサリと鳴った。「僕はずいぶん前からここに住んでいるんだけれどね、君が来たのは昨日の真夜中だよ。ちなみに今は正午をとっくに過ぎている、だからこんにちは」
 どうもそのようなのだが、見慣れたものとは違う色で部屋中にそそぐ陽光は、夜のように複雑にきらめき、夕日よりも艶やかだ。懐かしい人物を呆れさせるとわかっているのに、確かめずにはいられない。
「ぼくはこの街に、きのう着いた。音楽院の冬休みなの」
「そのようだね、一言も聞いていなかったんだけど。宿だって最初からここをあてにしていたそうじゃないか。僕を便利な親戚か何かと勘違いしているのかな」
 そんな失礼なことは、思っていたにせよ口に出した覚えはない。
「……酔っぱらっていたみたい、」
「だからそう言ってる。君を送ってきたカズイとマヒロも相当ね。追い返すのも一苦労」
「……ん」
 なにしろ長旅で相当疲れていたのだ。
 覚えているのは、あの男と無謀な飲み比べをしたことと、そして――。
「たのしくて、つい」コハクは布張りのソファーからのろのろと体を起こし、ようやく小声で「ごめんなさい」と言い、「ただいま」とつけくわえた。
 ユキサトは我慢していたように笑い出す。「おかえり。大きくなったね」
 ――やっと、じぶんのなかにかつて流れていた時間を証明できたと思った。
 教師で、肉親のように気さくで、この街にいてぼくのことを知る、ユキサト。
「夢じゃ、なかったんだ」
「あのねえコハク、」眼は笑ったまま、ユキサトはぴしゃりと言う。「飲み代をマヒロに払わせておいて、それはあんまりだと思わないのかな」
 飲み代!
「そうじゃないよ」コハクは慌てて言った。「悪かったと思ってる。ぼくの奢りのつもりが、まさか通貨がちがうなんて思っていなくて、それで、だから、お金のことはちゃんと覚えてる」
 すくなくとも体が。このすさまじい気怠さは、完璧な二日酔いだ。
 乱れた髪の毛を整えつつ、たしかめるように何度もまばたきをして、コハクは息をつく。
「きのう、ピアノを弾いたの。ぼくはまぼろしを見ていたんじゃない、音が、見えていたんだね」
 幼い頃から、アヲイトウワ直伝のピアノの腕は秀でていた。覚えたての曲をやっとこさ奏でると、周囲の者もとても喜んでくれたし、おかげで自分は誰からも一目置かれる存在だった。まるで王女さまのように。
 一方、コハクには秘密があった。音を聞くと不思議な光景が見える、このことはちょっぴり怖い父には話したことがなかったし、なにより誰にも、話すのが恐ろしかった。まぼろしは、ときにコハクに不安を与え、コハクは極力その一切を頭から追い払おうと努めた。
 ユキサトだけが、すべてを理解してくれた。ほんとうの父親のような存在だった。
 けれど北方都市音楽院に暮らすようになってからは、またコハクは孤独になった。寂しい悪夢を見ているようだった。こんどは寮で同室になった友人に、幼い頃みた夢まぼろしとして、不思議な物語をした。彼女はコハクの話を、いつもとても気に入ってくれた。
 夢見がちな少女、回りはそんなふうに解釈した。五年、十年と経つうち、北方での暮らしのほうがコハクにとっては第一の『現実』となっていったのだった。
「見くびってもらっては困るよ」ユキサトは笑っている。「君の不思議な能力については何もかもお見通しさ。トウワよりも僕のほうが詳しいくらいだ」
 そして何故か目を伏せ、横を向き立ちあがった。
「どうしたの、」
「うん? お湯が沸いたようだ」
 なんでもなさそうな答えにほっとして、コハクもあとを追う。
 いつから魔法屋なんて趣味の悪い名を名乗っているのか、未だ伴侶はいないのか、というか誰もが知っているという、ヒスイ嬢との噂は――。茶化したいことは山ほどあるのだが、今はそれどころではない。
 ほんのわずかな怒りをこめ、コハクは性急に切り出した。
「ユキサト、おしえて。幻想芸術と、ぼくのみている世界について」
「聞いてどうするんだい」
「どうって、ひどいじゃない、ぼくだけがなにも知らないなんて!」
「そうだね。じゃあその前に」ユキサトは一脚だけ暖炉の前に置いてある椅子に座り直した。「夢から覚めた君が、ひと晩で考えたことを話してごらん。できるだけ簡潔にね」
 十年経っても教師面。思わず悪態をつきかけたが、結局なつかしいようなうれしいような気分になったコハクは「ハイハイ、せんせ」とわざとらしく姿勢を正した。
「ぼくが、おばけやまぼろしだと思っていた不思議な絵物語。これは、音が見えるという確固とした能力に分類されるようです。音が見えるというのは、」
 芝居っ気たっぷりに、さくばん酔いつぶれるまでに導いた見解を語る。
 カズイたちの知る噂話をまとめ、さらに『悪魔に魂を売った天才楽師の禁断の力』だの『国を追われたその友人の最後の魔法』だのと、いかにもユキサトが喜びそうな尾ひれをのぞくと――
「つまり、ぼくの頭のなかには音を色や光景として変換する機構が存在している、ということです」
「ご名答!」
 ユキサトは満足げにうなずいた。つぎの言葉を待つコハクにそれ以上何も言わず、火かき棒で暖炉をつついている。
「ご名答って、それだけなの」
「それ以上的確な説明は、僕にも思いつかないよ。いやはや、優秀な生徒をもって、教師冥利に尽きるなあ」
 小遣い稼ぎだったくせに、よく言う。
「そうじゃなくて! どうしていままで、何もおしえてくれなかったの」
「さて、どうしてだと思う?」
 まただ。こうくるともう、思考を放棄するのを許してはくれない。うんざりしながら答えを考える。
「不思議な能力と、実際のピアノの技術が比例しないばあい、それは奢りにつながる。父さんは、それをおそれた」
「うん、そういうことだね」
 コハクはふくれ面をゆるめて、「父さんらしいや」とつぶやいた。
 顔はもうおぼろげだが、トウワのまとっていた空気を忘れることはできない。厳格な父だった。こと音楽に関しては。毎夜、父からピアノの手ほどきを受けるときには、ちいさなコハクの胸はいつも緊張でいっぱいだった。
 父の手を離れ、北方都市の学校へ行くのだと聞かされたときには、ぴんと張り詰めていたものが解け、生まれて初めて安堵を感じたほどだ。
 でも、晴れて大人の仲間入りをしピアニストとしても経験を積んだ今ならば、対等とは行かなくとも、一緒に音楽の話ができると思ったのだが。もちろん父の理想の音楽、幻想芸術のことだって。
「それで、ここからが肝心で、カズイとは意見がわかれるんだけど、幻想芸術は、」
 というよりあの男は『そんなものは存在しない』の一点張りなのでらちが明かない。
 続けようとするとユキサトが「そこまで」といって遮った。
「え?」
「幻想芸術はトウワのものだ。残念ながら僕には答える権利がないよ」
「そんな」
「でも、空想たくましい君のことだ、何を考えたのかは興味があるな。美味しい昼食を賭けて、どうぞ続けて」
 うまく煙に巻かれている気がしないでもない。ユキサトは先ほどから暖炉のそばで湯気を上げるケトルばかり見ている。取っ手を掴むものをさがしているらしい。
 変わらないなと思った。何を問うても、納得のゆく答えが返ってくることは滅多にない。そのかわり、何でも聞いてくれる。ちょっぴりの腹立たしさと、それをおおらかに包むなつかしい安心感がうずまく。
「せんせいの協力が得られないので、ざんねんながら仮説の域を出ませんが、」精一杯の皮肉のあと、コハクは顔を引き締めた。「ぼくは、幻想芸術の再現にはぼくの能力が不可欠である、とおもうんだ。アヲイトウワの残した幻想芸術はやはりこの街のどこかに存在していて、おそらくは楽譜やそれに近いかたちで記されている。そして、対となる変換機構をもつのはぼくひとり。つまり幻想芸術を手に入れ、その『物語のような音楽』を奏でることができるのはぼく、ただひとりだけ、ということになる」
 機械兵の行進などよりも、遥かに美しい光景が見え、それは観客の目や耳にも伝わることになる、きっと、そうだろう。
「なるほどね。それがこの街に帰ってきた理由かい」
「ご名答!」コハクはユキサトの口調をまね、にっこり笑った。暖炉わきの食器棚へ歩み寄る。お茶を入れるようなので手伝おうと思ったのだ。「でも父さんはどうせ留守、わかってたよ、」
 そこで絶句する。それは確かに食器棚なのだが、皿とともに本が雑多に詰められていて、ようやく見つけたポットに蓋は無く、さまざまなペンや工具がはみ出している。
「……なにこれ、」
「うるさいなあ、トウワがどうしたって?」
 褒められたものではないという自覚はあるらしい。ほんとうに変わっていない。コハクは苦笑しながら肩をすくめてみせた。
「父さんが旅行好きだなんて、しらなかった。ときどき、しらない国から絵はがきがとどくの。珍しい楽器を見たとか、波の音がどうの、とか。最後にとどいたのはもうずいぶんまえだから、もしかしたらもうこの街に帰ってきているかもしれないと思ったんだけど、今どこにいるんだろう」
「……初耳だよ」ユキサトはやれやれといってため息をついた。「まったく、親友には音沙汰無しなんてね! まあ僕にしてみれば、それこそトウワらしいんだけれど」
「父さんらしい?」
 そう、もちろんユキサトのほうがずっと若いのだろうが、彼は父の数少ない友人だ。
「素敵な父親像を壊したら謝るけど、君が生まれる前は、行き先も告げずにいなくなるなんてしょっちゅうだったよ。さすがに十年も姿を消して、消えた天才楽師なんて呼ばれるようになるに至っては、ものすごく心配したんだけど。今の絵葉書の話を聞いたら力が抜けたよ。――ほんと、親子そろって薄情なんだから。コハクもコハクだ、手紙が書けないわけでもあるまいに。字を教えてやったのは誰だと思ってる」
「ひどいよ、父さんはともかく、ぼくはまだ、こどもだったんだし」
 子供だった。この美しい街のことも、遠い夢の話だと思いかけていた。
 それにしても薄情とは、十年ぶりの再会なのだからもっと感動的なことが言えないのか。
 ……十年、か。
「じゃあ、消えた天才なんて言われて、まいとし誕生祭がひらかれていることも、父さんは知らないっていうの? 父さんったら、おどろくだろうなあ」
 父の名が街中で伝説のように語られているのには、十年どころか、ひと世紀も超えてきたような気分がしたものだ。
「いい気味だよ」などというユキサトにつられて笑い声を上げながら、
 ふいに、耳の端がチリと響いたような気がした。月影に舞った微細な砂粒のように、かすかに。
 消えた天才楽師。消えた、天才楽師。消えた、消えた……

 ――きえた王子さまは、悪魔になったのさ!

 あれも、夢ではなかったということ? あのあとユキサトが、ぼくに言ったことも。
 思わず深刻な顔で、ねえ、きのうの、とコハクがつぶやいたその時――
 今度は戸口の鈴がけたたましく鳴った。

つづく
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