48*カズイの告白

「まったく、ヒスイの奴!」
 大皿いっぱいの料理と酒瓶を抱えたカズイが、扉を蹴破るようにして入ってくる。「先生はどうしてるのかって、俺に怒りやがる。たまには顔を出してやったらどうです、あの人に愛想を尽かされたら、どう考えたってもう後がないんだから」
 お前は。ユキサトはため息をついた。
「余計なお世話だ。それに、酒を頼んだ覚えはないね」
「何のための祭りですか! 街じゅうの酒が無くなる前に俺たちも、ほら、出会いと再会を祝ってぱーっと」
 な! 暖炉の前のコハクに調子良く同意を求める。昨晩の大騒ぎでも足りなかったらしい。
 やれやれ。いちいちとり合ってはいられないとばかりにユキサトはまたため息をつき、立ちあがってコハクの頭をぽんと撫でた。
「おまたせ、美味しい昼食の到着だよ。君を叩き起こしそうな勢いで騒ぐんで、仕方ないから地下へ調達に行かせたんだ。さあ、顔を洗っておいで」

 きのうは自棄を起こしたわけではない。楽しかったのだ。
 カズイというのは有り体に言ってみれば、悪くない男だった。
「幻の音楽を追いかけるなんて楽師の風上にも置けん」などと豪語する割にはコハクの話を真剣に聞き、彼なりに精いっぱい言葉を選んで答えた。おおかた「お前の言うことは解らん!」とか「もっと解りやすく言え」とかいう類いの返事ではあったが。
 アヲイトウワのことだって、本当は嫌いでも軽んじているわけでもなく、ただ、普段は天才だ新星だと仲間内でもてはやされている手前、面白くないだけなのだろう、そうマヒロも笑っていた。
「結局それは、お前が自ら勝ち取った能力ではない」といってコハクのことを睨みはしても、コハク自身を軽蔑したり、まして羨んだりする様子は微塵もなかった。なにより、不可思議な能力などなくとも、じぶんの演奏はコハクのそれに引けを取らない。そう信じているようだった。

 だからこそ意外だった。
 カズイが、自分も音が見たいのだと言い出したのは。

 ヒスイ嬢の料理は鮮やかさが売りだ。
 小ぶりのピザのすっかり溶けきったチーズはまだふつふつと気泡をあげ、色とりどりの野菜をのぞかせている。やわらかくボイルされた海老はオレンジ風味のソースを添え。香りの良い油をふんだんに使った貝や魚のマリネ。
「またどんな無茶を言い出すかと思えば」
 結局、マグカップにはお茶ではなくビールをなみなみと注がれ、ユキサトは呆れ顔でカズイを見ている。続いて「その顔、すごくユキサトらしいね」と茶々を入れるコハクも同様に。
「いったいどうやって、君が音を見るって言うんだ」
「先生なら鉱石人形を作るように、眼鏡や何かのかたちで作れるんじゃありませんか」
「無理だよ」
「俺の脳に何かを埋め込む」
「怖いことを言わないでくれ」
「だったら決まりだ」漆黒のまなざしが、少女のアンバーの瞳を射る。「妥協策でしかないが、コハクは俺の伴奏をして、俺の音がその目にどう映っているのかを俺に逐一語れ。契約は成立だ」
「どこが契約なの、一方的に、ぼくに伴奏を依頼しているだけじゃない」コハクはサラダのプチトマトを注意ぶかくかじりながらながら小首をかしげる。「言っておくけど音楽院ではね、友だちなら実技試験が終わったらちょっとしたプレゼントを贈るのが通例だし、演奏会規模になれば相応の謝礼を払うのが一般的で、」
「謝礼が欲しいのか」
「そんなことは思ってないけど」
「なら、すぐにとは言わん、もちろんただでともな。例えばこの街の王様が、俺の名前を覚えてからでも遅くはない」
 たとえ話のつもりは毛頭ないのだろう。自信に満ち満ちた様子のカズイに、ユキサトは一瞬、眉根を寄せてつぶやいた。
「王?」
「俺が王様に気に入られて、自分の腕に見合う報酬を得られるようになったら。そのときは、コハクにとっても悪い話では無いはずだ」
「あのね」コハクは噛んで含めるように言った。「ぼくはまだ学生で、音楽院の冬休みの間しかここにはいられないの、きみにしては悠長なこというんだね」
「学校なんかやめさせてやる。やめてでも、俺の伴奏者としていたいと思わせてやる」
「う、」あまりに強引な飛躍を遂げているカズイの理論に、コハクは喉を詰まらせた。「きのうと言ってることが違うじゃない! オレは金持ちにこびを売るつもりはない、オレには詐欺まがいの力なんか必要ない、天才とは、いや男とは、」
「俺は!」さすがのカズイも決まり悪そうに口ごもったが、つぎには完全に開き直った。「……冷静に考えたら欲しくなっただけだ。手にする可能性があるなら、なおさらな。ねじ伏せるより俺のものにしてしまう方が断然お得だ、そうだろう」
 いったい何の話なのか。というか、どのあたりが冷静なのか。
 バリバリと音をたてて海老を殻ごと頬ばる青年を見て、コハクは思わず身震いした。
「なんてよくばりなの」
「悪いか。それまでちやほやされると思ったら大間違いだぞ」
 カズイは何故か意味深な笑みを浮かべ、ユキサトに向き直りこうきり出した。
「先生、来週の演奏会は延期します。もっと広い場所でやりたいんです」
「魔法屋を貸し切るだけでは不満だと?」
「そういうことです」
「言ってくれるねえ」
 この青年が勝手な話を持ち出すのは、初めてではないらしい。ユキサトの反応も落ち着いたものだ。それにしても地下の酒場はもとはワインの貯蔵庫とはいえ、普段から中央に演奏の場を設けられるほどに広い。ちょっとしたコンサートホールとしては申し分ないはずなのだが。
「お願いします。俺はもう決めました。プログラムは作り直します」
 カズイはなおも食い下がる。悪びれる様子もない変わりに真剣そのものだ。
「頼まれなくったってその熱意は買うよ。でもいいかいカズイ」答えるほうもいたって真面目だ。「もともと当日の客入りは、普段より少なくなると踏んでいたんだ。これ以上席を増やしてどうする」
「問題ありません」
 さすがのユキサトも、つぎの言葉には顔をこわばらせた。
「アヲイトウワの娘の凱旋公演とふれ込んで、人を集めます」
「何だって? いつのまにそんな、」
 驚いてはす向かいを見ると、コハクもまた、ピザにかぶりついたまま静止している。ややあって、『そんなのきいてない』と首を横に振った。
 とたんにカズイが、もの凄い剣幕で怒鳴りだした。
「なんだそれは! お前が言い出したんだろうが!」
「んん?」まだ熱い、とろけるチーズを急いで口に押し込む。
「覚えてないなんて言わせんぞ!」
「おぼえて、」
 ――わからん奴だ、どうしてそうアヲイトウワにこだわる。父親だからか? それならなおさらだ、完成させたところで、それはお前の作品ではないんだぞ。
 ――おなじことだよ。ぼくが理想とするのは、音楽の天才というより、職人。完成形を描いたうえで、ひつような素材を意図的にあつめ、それを再構築する。作品もだけど、そういう仕組みを、ぼくの世界のなかで作りあげたいんだから。
 ――世界だと? よくわからん! いや、よくわかった。まったくお前はまれに見る偏屈な楽師だ! 今にわからせてやる、そういうひねた理屈がいかに不毛かってことをな!
 ――ふうん、だったら、ぼくと勝負でもする?
「……」しまった、確かに言った。
「ふん、まあいい」
 たちまち妬ましいくらいの自信と余裕を取りもどすと、カズイは挑むようにボサボサの頭を振った。
「なら今度は俺から言うぞ。再来週の演奏会にはお前も出てもらう。受けて立て、勝負だ」
 コハクに向けた真っ黒の瞳は、力いっぱい塗りつぶした、あの音符そのものだ。楽器を扱うとはとても思えぬ粗雑な手つきで泡のこぼれるジョッキを掲げる。
「コハク、俺が勝ったら、その時はあらためて伴奏者になることを考えてもらう。そもそも俺の才能は、お前の能力をもってしても陵駕することはできない、そう決まっている。少なくとも、音を見る力がお前には相応しくて俺にはそうでないなんて、言わせないからな」
「カズイ、」
 ユキサトはまた大きなため息をつき、もういい、とだけ言った。
 パアン。小気味よい音をたてて、カズイはコハクのグラスに自分のジョッキをぶつけた。

つづく
つぎのおはなしへ
前のおはなしへ
もくじへ