411*演奏会

 そして街じゅうで鳴りだした鐘の音とともに、三人の楽師による演奏会が幕を開けた。
 アヲイトウワの娘の――と銘打っておきながら、若き天才が「俺を最後にしろ」と譲らなかったので、演奏順はコハク、マヒロ、カズイと決まった。

 幾重もの灯りをまとったコハクがピアノのわきに立ち、形式ばったお辞儀をする。せいいっぱい、顔も定かでない父の真似をしたつもりだ。ゆっくり、落ち着いて。
 だが、いざ椅子に腰掛けてすぐにヨナの忠告を思い出し、結局そそくさと袖のボタンをはずした。さらには昼間の花の一件で、カズイが腹いせに言った「衣装に着られてるぜ!」というのが頭をめぐり、あわてて追い払った。
 大丈夫。ぼくはアヲイトウワの子。
 音を見る力はぼくに贈られた。最高の宝もの。

 静かに、竪琴の弦をつま弾くような手つきで前奏を入れる。
 物悲しい、ゆっくりとした舞曲だ。コハクの視界の中でまたたくまに舞台が客席が、赤と金の煌めきでみたされる。そのうち降りそそぐひかりが丸天井の絵画まで煌々と照らしだした。聴衆にもこの光景が伝わりますように。届け、届け。
 いく筋も、黄金の水糸が降りてくる。そしてあたたかな雪が舞う。
 光の糸は金細工の魚となり、朱く灯った雪は、古風な衣装の男女をなした。赤に、金に、ゆるく明滅する輪のなか、しずかに、悼むように踊る。
 ここは金色の羽の魚がおよぐ、渇いた海にしずむ町――。

 赤い天井画にちなんだ曲だ。
 コハクなりの幻想芸術を披露してみてはどうかと提案したのは、マヒロだった。
 彼は、歌にはあまり熱心でないかわりに古い楽譜や文献といったものに詳しかった。(これに関してもそれほど熱心とはいえなかったが。)記譜法にも精通していて、カズイが気まぐれに作る曲を記したり、彼の乱雑な下書きを清書したりして、物好きな金持ち連中に買ってもらうこともあるそうだ。マヒロによるとそういう、若く奇抜な作風を賞賛するような者の中には、コハクが語ったのとそう違わぬ説を唱える者が少なからずいるという。 アヲイトウワの定めた奏法による演奏、それが幻想芸術だ。幻想芸術とコハクの能力がひと組であるというコハクの持論をだれよりも理解したのは、マヒロだったのだ。
 この青年はほんとうに人が良い。荷物を持って走らされても、大男に殴られても、悪魔のような少年にに呪いのことばを吐かれても、三人ぶんの飲み代を払わされても、なかなかへこたれない。楽しんでいるようにさえ見える。
 なのでコハクが冗談交じりに、「なにかあったら力になるよ」と言うと
「だったら、俺が悪魔に悩まされたら助けてくれる?」などと笑った。
 あの時コハクは「もちろん!」と返事をしたのだが――。
 ふたたび例の少年にまみえることになるとは、彼も思っていなかったに違いない。


 丸天井に惜しみない拍手が、賛美の声が、二十三重にこだまする。
 文句なし、だ。
 熱いほどの灯りと音を浴びながら、コハクはうわずった呼吸をおし流すように、長く息を吐き出した。チカチカと、今しがた見ていた光の名残が、まだ目の中で踊っている。
 音を見るのに努力はいらないが、行為がシンプルなぶん聴かせるはの並大抵のことではない。コハクの場合は自ら奏でる音を感じ、そこから浮かぶ情景を聴き手に懸命に伝える。劇団の舞台やオーケストラをたったひとりで制御しているようなものだ。慣れないうちは頭の奥が高ぶったまま眠れなくなり、夜どおしチェスやポーカーにつき合わされる羽目になったユキサトには「もっと短い曲にすべきだ」と口酸っぱく言われた。
 そんなこともあり、今回いちばん頼りにしていた人物は、いまいち協力的ではなかった。
 彼なりの心配故だったのだろうが、ともかくこれで、少しは見直してくれるだろう。

 ――あいつ、今日は完璧だな!
 舞台袖から食い入るように見つめていたカズイが振り向き、小声、というには大きな声で言った。
 後ろで緊張に青くなっていたマヒロも思わず顔をほころばせるほど、爽快な笑みだ。
「じゃあ、コハクの勝ち」
「それはない。俺は今日も完璧だ」
 抱きこむように構えたバイオリンの弦をトントンとなぞって、小さな音に耳を傾けている。
 これから少しのあいだ、この男が場を繋ぐ。このあともマヒロの伴奏者として出番を控えるDに、ひと息つかせるためだ。
「逃げずに聴くように、ちゃんと言っておけ!」
 言って、また舞台のほうへ目をやった時だった。
 先に気づいたマヒロがひゃあと声を上げた。カズイの前で、通せんぼをするように腕を広げた者がいたのだ。
「馬鹿でもわかるように忠告してやったのに、無視しやがったな」
 白く光るプラチナブロンド。待ちかねたように悪魔、いやトキが歯を覗かせて笑っている。二の句が継げないでいる男の顔を、もったいぶるようにゆっくり見上げた。
「しっかしあいつ、いっぱしの演奏ができるようになったんだな。お前もすっかり夢中、ってか? ハハ、お客様を代表して、伝えてきてやんねぇと」
「何?」
「ああ悪い。やっぱり俺も、花くらい贈ってあげたくてさ」
 すっ。少年は手にしていた大きな花束を両腕で愛おしげに抱いた。黒薔薇は葬式に用いられる最も代表的な花だ。鼻先をうずめてすうと息を吸いこみ匂いを嗅ぐと、長身のカズイを上目遣いに、探るように見つめる。
「なあ、邪魔するなよ? ここからは俺の舞台だ」
「何を考えている! 嫌がらせにも程が――おい待て!」
 弓を持ちかえたぶん、引き止めようとした手が遅れた。黒ずくめに黒薔薇。見るからに不吉な出で立ちの少年は、こともあろうに大またで舞台に出てゆくはないか。
 舞台袖へ戻ろうと、こちらへ歩み出していたコハクは、びくりと足をすくませた。
 ト……。からからの喉に懐かしい名がはりついて止まる。
 少年は顎を上げてコハクを尊大に睨めつけ、かと思うと胸に手を当てて優雅な会釈をした。
 拍手が止む。
「悪魔も憂える退廃都市へようこそ、楽師どの?」
 何人かが甲高い悲鳴を上げる。大きなブーケの花が黒薔薇だと気づいたのだ。
 トキはそれに答えるように客席に向き直り、満足そうに微笑んだ。
「最高だったぜ、こいつの造った嘘だらけの音楽に酔いしれる、お前らの面はよ。――そうやってこれからも」言葉を切り、侮蔑に歪んだ唇を引き結んだ。「病みきった娯楽に我を忘れて、せいぜい俺を楽しませるがいい」
 ――この野郎!
 カズイが楽器を放りだし、舞台へ飛び出してくる。
 コハクは記憶の中の可愛い王子と、邪悪に歪んでもなお優美な顔を、信じられない思いで重ねる。男に押しのけられてよろめいても、目を離すことができない。
 だが、綺麗な瞳はもうこちらには向かない。コハクの存在を、あえて捉えないようにしているかのようだ。
「何が悪魔だ! とっとと失せろ!」カズイの怒号が響く。
 ――ハ。冗談も通じねえか。
 ふたたび悲鳴が上がった。トキは無造作に、客席に向かって花束を放り投げていた。殴りかかったカズイのこぶしを間一髪で避ける。
「こんな街、」ヒステリックな声で、少年は叫ぶ。「壊れてしまえばいいんだ!」
 ――! 反響する声。見開かれたコハクの目には、小さなトキを包んで、ボロボロの黒い羽が膨らむのが映った。続いて、腐った土色をした鳥のようなものたちが、カズイの前に立ちはだかる。
 だが、青年はひるまない。
 黒いピアノ椅子の足をわしづかみ、全身で大きく振り上げる。本気でトキを痛めつける気だ。
 さすがの少年の顔も、明らかな恐怖にひきつった。
「――やめて!」
 喉にか細く懇願するような声をからませカズイの前に飛び出そうとしたのは、コハクだった。混乱しきった足がもつれ、倒れ込む。驚いた青年がそれに気をとられた隙に、トキは忌々しげな唸りを上げて一歩、大きく飛び退く。
 狙いの逸れた椅子が生き物のようにたわみ、凄まじい勢いで舞台に叩きつけられた。
「お前……!」
 ほんの一瞬、傷ついたような顔をしたカズイは、かろうじて形をとどめている木の残骸を、乱暴に、あり余る力をぶつけるように投げ捨てると、残りの怒りをそっくりコハクに向けた。「ふ、ざ、けるな!」
 バシ、と音がしたと錯覚するほど突然に、舞台は暗闇に包まれる。
 マヒロがどうにか照明を落としたのだ。そのとき――
「音楽を続けよ」
 圧倒的な静けさを纏う音が、冷えた礼拝堂を貫いた。
 ジグ。闇の中、拍動する空気にはじかれるように、トキが後ずさるのがわかる。
「芸術を解さぬものは、この街では蔑まれる。悪魔を名乗ったとて、それは同じこと。――愚かな子だ」
 王……?
 王さま……。誰かがもらした掠れ声が、さざ波のように周囲へ広がる。
 窓の幻想的なステンドグラスを透かして、冴え冴えとした月光がさす。皆の凍りついた視線の先、客席の中ほど、つば広の帽子をかぶった老人が夢心地に、しかし目にはギラギラと渇望をたたえて繰り返すのだった。
「音楽を続けよ」

 ジグ、ジグと街じゅうの鐘が一斉に鳴りだした、いやそれは錯覚で、頭の中で鳴っているだけかもしれないが、どちらにしろトキに巣くう絶望を抉る。急に息が切れて苦しくなる。
 誰か助けてくれ!
 いつかの王の言葉が鮮明によみがえる。
 ――お前も、下手な買い物だったとは思わないか、ユキサト?

つづく
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