■第三章■
414*再会の再会

 めずらしく冬の寒さが緩んだ日だった。
 カードには旧市街を抜けた先の、とある場所までの地図が記されていた。
 知った道だった。
 しだいに石畳は隙間だらけになり、ほこりっぽい土にかわり、徒歩には少々長い距離だと息を切らす頃には湿り気を帯びた草地になった。
 ――砂銀ったらあなたのこと、王女さまみたいな子だったっていうのよ。ヨナは笑った。あたしにはそうはみえないわ。たしかにカズイに負けないくらい強いし、いつも難しいこと考えているみたいだけど、あなた、なんだか危なっかしいもの。
 王女さま。そうだった。ちいさなころは終わらない物語にと取り巻かれているような心地がしていた。子供にはごくありがちなことだろうが、コハクはその中ではいつも主役だった。
 ――いってらっしゃいな。あなたがこの街にもどるのを心待ちにしていたのよ。とても喜ぶわ。
 なかばヨナのペースに飲まれるようにして、1日がはじまったわけである。
 少々の疲れと、懐かしさで足並みがゆるくなる。あたたかい土と草のなす空気に感動していると、そこには知っている匂いが混じっていることに気づく。道を示すように、うすももいろの群れが揺れている。
 思い出した。年じゅう街に咲く花。あのころもこのあたりに咲いていた。
 喜ぶ、だって? コハクは複雑な気分だ。砂銀はともかく、トキが喜ぶわけがないだろう。ヨナだって演奏会での騒動を知らないはずはないのに。
 目を閉じても陽光がしみてくる。帰郷してまだひと月にもならない。かすかにつま先が沈み込むようなやわらかい地面の感触も、頬をひんやりとかすめ、髪を梳いてゆく風も、とうに忘れていたような気がする。
 終始にわたってほとんど無音である。音は、みえない。
 光と音に支配された街とはまるで別世界――ううん、これが本当は、本当の世界?
 ……ちがう。コハクはちくりと胸に宿ったものを振り払った。幻想芸術を手に入れるためにすべてを捧げようとしているじぶんに、そんなことはもはや関係無い。
 行く手にようやく、白い屋敷がみえてきた。


「ねえコハク、ここ、覚えてる? コハクが窓をこわして、みんなで中に入ったよね」
「そんなこと、」
 したかもしれない。
 とはいえ秘密基地だった時代の面影はほとんど無い。窓という窓は磨かれ、玄関ホールは眩しいひかりで溢れている。質素だが温かみのある織物や、丸みを帯びた不揃いな花瓶が点々と飾ってある。うすももの花は――
「コハク!」喜びの声をあげて鉱石人形が吹き抜けの階段を駆け下りてくる。
 花はこの子が生けたに違いない。
「僕が呼んだんだ。いい思いつきだろ?」砂銀は人形に目配せした。
 当時、かつてはどこかの貴族の別荘だったらしい、そんなうわさが子どもたちのあいだに残るだけで、三人で見つけたときにはすでに誰も住んでいなかった。茶色く枯れた蔓草が外壁に絡まって荒れ放題だった記憶があるが、古めかしさはそのままにずいぶんと綺麗にしてある。
「ここなら来てくれると思ってたよ。とけない疑問だらけだろうけど、うれしいよ」
 そう、べつに幼馴染みの奇妙なごっこ遊びの真相を質してカズイの無念を晴らそうなどと思ったわけではない。招待されたからと言い訳をして、会いに来たかった。
「お礼にひとつ、おしえてあげる」にこにこと笑いながら砂銀がささやく。「あの場にトキをけしかけたのは僕だよ。だからトキに怒ったって無駄だからね」
 ほら、やはりもう、わけがわからない。
 ――おい、なにを騒いで……、
 だるそうな足どりで、少年が広い階段を降りてくる。緻密な模様編みのざっくりとしたうすクリーム色の寝間着が肩からずり落ち、すそを踏むほど下がったズボンからのぞく白い足には靴すら履いていない。
 一瞬おいて砂銀がその姿に吹き出すのと、寝乱れてくしゃくしゃになったプラチナブロンドの前髪の奧のひとみが見開かれるのが同時だった。
「トキ、コハクがきたよ!」
「……な、」
 三度目の再会にして初めてまっすぐ自分を見たトキに、コハクはもやもやとした不安を沸き返らせながらも、やっぱり黒ずくめなんか似合わないんだな、などと冷静に、すこし安堵していた。

「あのカズイって男、なにものなの」
 砂銀はクスクス笑った。「トキが怖がってるの、ひさしぶりにみたよ」
 まるで正面にいるトキのことなど頭にないような言いぐさだ。
 てきとうなシャツに着替え、ひどい姿勢でほおづえをつく当のトキは、眠いのかふて腐れているのか、あるいはその両方なのかわからない。
「強くって、ばかで、コハクにお似合いだね」
「どうして?」危なっかしい音をさせながら硝子のティーセットを運んできた人形が訊く。「コハクは嘘が嫌いだけど、嘘つきなじぶんを理解されるのはもっと嫌い」
「?」コハクはゆっくりと首を傾けたあと、砂銀の眉間のあたりへひとさし指を突きつけた。「一般論。そんなの、だれにだって当てはまるよ」
 砂銀はあーあといって宙を見上げた。本気か冗談かをにおわせないところは、なんだかユキサトに似ている。
「あいかわらず手厳しいなあ。もっとも、うそかほんとうかなんて、どうでもいいんでしょ? コハクのルールは気まぐれだから」
「はいはい、降参。それは当たってるよ」
「ねえコハク、トキとはなかよしだったのよね?」
 コハクのとなりの席によじ登った人形が、丁寧にくしけずられた髪やレースの袖が触れるほど身を寄せ、ささやく。
 こまったな、なんて綺麗な子なんだろう。
 ぎこちなく微笑むばかりのコハクにかわって、砂銀は「もちろん!」と得意げな返事をした。ひとつまばたきをする。「ああ、でも、いちどだけ大げんかをしたことがあったよ」
「どうして?」人形がまた問う。
「めずらしい鉱石を、ふたりしてとり合ったのさ。トキのほうからしかけたんだ。それまでコハクの言うことなら、なんでも素直にきくばかりだったのにね」
「ひどい。コハクは女の子なのに」
「そういえばそうだね!」砂銀は心底おかしそうに笑い、でも、とまたつけくわえた。「あのころはみんな子どもで、おんなじくらいの背丈で、だけどコハクは僕らよりもすこしだけ力が強かった。あの日もやっぱり、コハクが勝ったんだ」
 何ともいえぬ表情でそっぽを向いたコハクを尻目に、続ける。
「みせたかったなあ、トキの勇姿を! それはもう、ふつうじゃなかった。大声あげて、ひっかいたり、かみついたり、」
 こつ。小さな音がして砂銀のカップが揺れた。
 トキが角砂糖をぶつけたのだ。
「やめろ」
「なにを? たわいのない、思い出ばなしを?」
 そうだ。とばかりにトキは砂銀を睨みつけたが、すぐにフンと鼻を鳴らして視線をポットのほうへそらした。
 まだ開ききらないキャラメルブラウンの茶葉が、あかく色づきはじめたなかを泳ぐのをみている。やがて痺れを切らしたように手を伸ばした。
「まだはやいって、」
「うるせえ」
 乱暴な口ぶりとは裏腹に、お茶を注意深くじぶんのカップへ注ぐ。角砂糖をふたつ入れ、スプーンできっちり二十回かきまぜると、立ち上る湯気をやさしくふうっと吹いた。やはりすこし神経質でありながらどこか優雅な印象は変わっていない。
 思わずコハクは頬をゆるませ、何とはなしに語りかけていた。
「そういえば、どこかにピアノがあったよね。いまもあのまま?」
「……」
 トキは答えない。
「そんなのあったっけ、ねえトキ」
 砂銀がわざとらしく身を乗り出し、トキの紅茶へ勝手に角砂糖を放り込む。続けてもうひとつ手に取る。もうふたつ。
「馬鹿……」根負けしたのか湯気の立つカップに手で蓋をすると、トキは「二階の物置だろ」とぼそりと言った。

つづく
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