2012年07月07日

なまえ

昨年の秋、友人とあるゴルフ場に行き、私たちの道具が積まれているカートを探した。カートにはスタート時刻と共に代表者の名前が記されており、そこには「アウトコース10時12分スタート大島様」と書かれていた。
キャディーさんが恐縮し、すぐに書き直すと申し出たが、昔から大は小を兼ねるというのでそれを断り、そのまま大島になったつもりでプレーした。案の定、その日はなかなかのスコアで、次も大島と書いてくれるようマスター室にお願いし帰路に就いた。帰りの車で友人は、「野球は長嶋だし、ゴルフはやっぱり中嶋だよね。その方が良いスコアがでるよ」とさかんに言っていた。

今年の正月、心がほんのりする出来事があった。私宛に届いた年賀状を眺めていたら、急に視線がある箇所で止まった。宛名が「小鳥正晴様」となっていた。先輩からの年賀状だった。しかも毛筆で書かれたものだった。
小学校低学年の頃、同じ年に2人の友達が、年賀状に「小鳥」と書いてくれたのを思い出した。小学校4年生にならないと「島」の漢字を習わなかったため、自分なりにがんばって書いてくれたのだろう。小鳥正晴というのも、かわいらしい名前に思えた。

12年前、長男が小学校2年生の時のこと。私の友人のエドさんから結婚式の案内状が届いた。そこには私の長男の名前もあり、二人でフロリダに行くことになった。急だったこともあり、長男のパスポートの申請がギリギリのタイミングだった。授業中、担任の先生に事情を説明し、長男を廊下に連れ出した。パスポートの申請用紙の署名欄に、自筆で氏名を書かせる必要があった。自分の名前をひらがなで書くように長男に言ったのだが、長男は漢字で書けるから漢字で書くと言ってきかなかった。ボールペンは消しゴムで消えないから慎重に書くよう伝えたが、案の定間違えた。島が鳥になってしまった。申請用紙は1枚しかない。その日のうちに県庁に提出しないと旅行に間に合わない。無理やり、鳥の4つの点々を繋いで、なんとか島にした。
県庁の窓口で名前を呼ばれた。担当者が、これではパスポートが発行できないという。署名欄の字に訂正した跡があり、だめだとのことだった。困った。その日に受け付けてもらわないと間に合わない。なにがなんでも受け付けてもらわなければならなかった。
責任者の課長を窓口に呼んでもらった。そして丁寧に説明した。これは私の長男が必死に書いた自筆の署名であり、訂正したのではなく、字がたどたどしいだけである。私がしつこく説明したためか、「外国で入国の際にトラブルがあっても県は責任をとりませんよ」とのお言葉付きで受理してもらった。もちろん、入国審査でひっかかったことはその後一度もなかった。外国の入国審査の担当官に、島と鳥の違いがわかるわけがない。

昭和45年、私の小学校入学式の日。体育館での式典が終わり、1年5組の教室に入ると、担任の三富愛子先生が、「机の上に皆さんの名前が書いてあります。自分の席を探して、その場所に座ってください」と言った。私は自分の名前が書かれた机を探したが、見つからなかった。先生に「僕の名前がありません」と言いにいった。先生が一緒に探してくれたが見つからなかった。一つ空いている机があり、そこには「こばやしまさはる」と書かれていた。すぐに先生が私のために「こじままさはる」に書き直してくれた。そして「泣かないで先生のところに言いに来てくれて、えらいわねえ」とほめてくれた。出来立ての自分の席に座ったのがとてもうれしかった。

昨年、秋のお彼岸に、祖母の墓参りに行き、その足で、祖母がもらわれていった家の墓にもお参りに行った。その墓の前で母と議論になった。祖母は赤塚家の次女として生まれ、物心つく頃に料理屋を営む小島家に出された。小さい頃は苦労したようで、同級生が修学旅行に行ったときも店で天婦羅を揚げていたことなどを、生前よく私に語ってくれた。
その墓には、小島ではなく小嶋と刻まれていた。前にも来たことがあったが、その時はあまり気に留めなかった。祖母がもらわれていった家が小嶋だとすると、私の姓も小島ではなく小嶋であるべきではないか。しかし、戸籍には小島とある。母と話したが、祖母がその家を出たときに、何らかの事情で小嶋ではなく小島としたのだろうということで結論はでなかった。     (小島正晴)
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2012年06月02日

日本語公用化

楽天やユニクロが、社内の公用語を英語にしたことが、しばしば話題に取り上げられる。楽天では会議や朝礼はもちろんのこと、食堂のメニューも英語表記だそうだ。世界規模でビジネスを展開し、世界中から人材を集める以上、さけて通れない道なのだと思う。
 当然、社員にはビジネスにかかわる情報共有が円滑にできるレベルの英語力が求められることになる。具体的にはTOEICの点数が、上級管理職(部長相当)で750点、中級管理職(課長相当)で700点、初級管理職(係長相当)で650点、アシスタントマネジャーで600点で、役員には800点以上が要求されている。
この前の日曜日の夕方、中学2年生の次男がサッカーの部活から帰宅した。炎天下の練習試合でさぞ疲れたことだろうと思い声をかけた。すると、「めっちゃ、楽しかった」と言う。練習試合の帰りのバスでのゲームが盛り上がったと言うのだ。
ゲームと言ってもルールは簡単で、会話をするときに外来語を使用禁止にする、それだけだ。次男はバスでの楽しさの余韻が冷めないようで、泥まみれのウエアを着たまま、「さあ、これから外来語禁止でーす!」と宣言した。妻と長女と私は、あっけに取られながらもそれに従った。楽天とは逆で、日本語公用化の実験が、我が家で始まった。
そのとき我が家の居間では、英国の首都で行われている五輪大会の開会式の映像が、動画映像受信機で映し出されていた。最初は、全員が細心の注意を払い会話をした。口から言葉を出す前に、一度反芻して、確かめてからしゃべるようにした。その影響で、皆、急に口数が少なくなった。
私は、最近のお気に入り、新潟限定ビイル「風味爽快ニシテ」を飲んでいた。硝子製取っ手付麦酒容器が空になり、冷蔵庫から銀色の麦酒缶を取り出した。すると、次男がすかさず「朝日超激辛麦酒だ」と叫んだ。(有名なスーパードライ)
やがて、夕食となり、長女は、伊太利亜風生野菜たれを野菜にかけ、私は、玉葱風味の生野菜たれを選択した。しかし、会話における集中力は段々と薄れ、次第に横文字が飛び出すことになった。薄型動画映像受信機の番組を変えようと思い、私はつぶやいた。「リモコンはどこだ」
言うや否や、突き刺さるような視線を感じ、思わず「あっ、ミスった」と、さらに横文字を重ねた。すると、すかさず次男は勝ち誇ったように私を指差し「父さん、アウト!」と叫んだ。本人は気づかなかったが、妻と長女に「それも横文字でしょ」と指摘され、しぼんでしまった。
映像受信機では、五輪で蹴球(サッカー)男子の日本が西班牙(スペイン)に勝った試合の映像が流れ始めた。すでに日本が勝ったことがわかっていても、力が入るものだ。しかし、横文字が使えないとサッカーの観戦はできない。パスやシュートはどう言えばいいのか。選手のポジションは?
さし当たってゴールキーパーの日本語化について話し合ったが、なかなか結論がでなかった。最終的には、昔、九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵を防人(さきもり)と呼んだことに因んで、籠人(かごもり)と命名した。命をかけて守りにつく必死の決意が感じられ、これなら外国のチームが攻めてきても、1点たりとも与えないに違いない。
その点、野球は明治の時代に日本に伝わり、ベースボールが野球と翻訳され、守備位置も日本語表記があてられた。この日本語化が、のちのWBCでの連続優勝につながったとみているのは私だけか。サッカーでワールドカップ優勝を目指すなら、日本語化を進めよと言いたい所だが、パスやシュートなら何とかなる気がするが、オフサイドになると観念してしまう。とりあえず、五輪開催中に横文字禁止令が出たら、サッカー観戦は止めて、柔道にすれば良い。
サッカーだけではない。ゴルフも日本語化が遅れている。ゴルフは、横文字なしでは、1ホールたりとも回れない。トリプルボギーを打ってしまったときは「鳥インフルエンザ」と言って誤魔化せばよいが、たまにのバーディーのときはどう喜びを表現すればよいのか。あ、インフルエンザは横文字か。鳥起因流行性感冒・・・。とにかく、ゴルフの日本語化が完了し、遼君がマスターズで優勝するのは、遠い将来のことになりそうだ。
夕食後も、長女と次男は、秋葉原48の名曲を「重〜い、繰り返しー♪」(ヘビーローテーション)と歌って喜び、妻は、お気に入りのローズヒップティーを飲んで、休日の夜の寛いだ雰囲気を楽しんでいた。だが、娘に「あ、薔薇けつ茶だ」と言われ、「せめて薔薇尻茶にして。もう台無し」と、横文字禁止ゲームから抜けていった。

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2012年05月03日

AKB

芸能界を引退して久しい。正確に言うと、積極的にテレビなどで芸能人を見るのをやめたという意味だ。もっと正確を期して説明すると、テレビで芸能人を見ても、曲名なのかグループ名なのか、判別ができなくなったということだ。
30年以上前、私の父が山口百恵と桜田淳子の区別がつかなかったのを見て人格を疑ったが、気がついたら私も同じ人種になっていた。
AKB48の後続として、SKE48、NMB48、HKT48、JKT48、TPE48(予定)、SNH48(予定)が発足しているらしい。
私も最近になって、AKB48がどのようなものなのかが、高校2年生の長女の指導のお陰で少しわかってきた。去年までは、うっかり「AKBよんじゅうはち」と言ってしまい、長女から駄目出しをくらっていた。町内のBBQ(バーベキュー)祭りで飲みながら話をしていたら、近所のおじさんは「AKBしーじゅーはち」と言っていた。私より上がいるものだと、ほっとした。
今年になって、ほぼ間違うことなく「AKBフォーティーエイト」と発音できるようになり、私の年齢も48になった。そして、この前、AKB48のメンバーに「こじはる」なる人物がいることを知った。おい、ちょっと待て。私も「こじはる」なんですが。ますます、身近に感じることができるようになった。

秋元康氏のせいではないだろうが、アルファベット3文字の略語がやたらと目に付く。4月30日付日本経済新聞から拾ってみると、以下のものが記事に出てくる。

・RPS法(新エネルギー利用促進法)
 太陽光など再生可能エネルギーで発電した電気を買い取る新制度についての記事で。
(1面トップ)
・TPP(環太平洋経済連携協定)
 ニュースでこれを聞かない日はない。似ているものでTNPがあるが、これはダイハツの低燃費。
・CPI(消費者物価指数)
 エコノミストが「2月以降のCPIのプラスはテレビ価格の不自然な上昇によるもの」と指摘。

・LNG(液化天然ガス)
 原子力発電所の停止で最近脚光を浴びることに。
・LED(発光ダイオード)
 サムスン電子が、不況のなか高額製品であるLEDテレビを投入し、09年の収益に大きく貢献したとの記事。
・ADB(アジア開発銀行)
5月2日〜5日、マニラでADBの年次総会が開催。
・IMF(国際通貨基金)
EUの新たな財政条約への参加の是非を問う国民投票の結果によっては、アイルランドがIMFから受けている金融支援に影響が出ることが懸念。
・ECB(欧州中央銀行)
 5月3日、バルセロナでECB理事会が開催。
・SAP(高吸水性樹脂)
新興国で需要が伸びている紙おむつ向けの
SAPの販売が順調。
・SNS(インターネット交流サイト)
 SNSを使った製品紹介サービス。
・MRI(磁気共鳴画像装置)
MRIの画像を圧縮して短時間で送信できる技術を開発。

昔からある、SOS(遭難信号)、UFO(未確認飛行物体)、PTA(Parent-Teacher Association)などはなじみがある。芸能界と同じく、懐メロ級は自信があるのだが、最近のアルファベット3文字について行くのは、少々しんどいものだ。
サラリーマン川柳でも、アルファベット3文字があったなあ。

ISO(アイエスオー)
うちの会社はUSO800(嘘八百)

我が社では 決算したら 
NPO(Nonprofit Organization=非営利団体)

このコラムを書いているゴールデンウイークは、
TDLやUSJが、さぞかし賑わっていることだろう。(小島正晴)
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2012年04月03日

インテリジェンス

平成24年(2012年)3月16日。腹が減って目が覚めた。それもそのはず、昨日は夕飯を食べ損ねたのだった。「前日午後8時以降、食べ物は口にしないこと」と書かれた人間ドックの説明書に気づいたのは、帰宅した夜の9時前。律儀にその指示を守り、水だけ飲んで眠りについた。当然、朝食もなし。空腹をまぎらわすため、いつもより早めに出勤した。
テスト前の浅漬けのように、少しでも体に良いことをと思い、オフィスから人間ドックの会場までを20分かけて早足で歩いた。受付で名前を告げると、丁寧な説明があり、名前を呼ばれるまでロビーで待つよう案内された。美しい女性に応対されると、それだけで血圧上昇、不整脈など検査結果に悪影響がでそうだ。  
平静を装いソファーでくつろいでいると、私の名前が呼ばれた。精魂こめて提出した検便に問題があったらしい。検便の容器に氏名を記入するのを忘れていたのだ。麗しき女性の目の前で、自分のものに名前を書くことになった。とても気まずい思いをした。

日経新聞「私の履歴書」に、大和ハウスエ業会長、樋口武男氏の自叙伝が載っている。(平成24年3月現在)毎日興味深く読んでいるが、その中で、トイレのことが書いてあった。普通のトイレではない。それは、大和ハウス工業の「インテリジェンストイレ」だ。
朝起きて、手首にブレスレット(ワイヤレスタイプの血圧計)をはめて用を足すと、「尿糖値」「血圧」「体重」「尿温度(深部体温)」を測定することができる。さらに、「BMI値」の表示機能まであり、日々のデータがパネルに表示される。さらに、パソコンに接続すれば、測定したデータが自動送信され、日々の変化を週・月・年単位でグラフ化してくれる。
カタログでは、「光る採尿部に尿をかけると音が出るので、子どもでも楽しみながら測定することができます。最近では、幼稚園や保育園のプール授業の日には、毎朝の体温測定を義務付けているケースがありますが、その場合でも子どもが自分で簡単に計測できるため便利です」とあるが、私も是非やってみたいと思う。大人でも、毎朝のトイレが楽しくなり、人生が明るくなるはずだ。

日本のウォッシュレット付トイレは、世界でも人気だと聞いたことがあるが、このインテリジェンストイレこそ真の世界一ではないだろうか。トイレとパソコンを接続するなんてことは、汲み取り式の時代では想像できない画期的なことだ。
ただ、残念ながら、現在のところ小だけで大の検査はできないようだ。小だけではなく大も調べられるようにしてほしいものだ。これがあれば、わざわざ苦労して自分のものを採取し検査会場まで持っていかなくてもいいわけだ。

トイレに負けてはいられない。他の器具にも一肌脱いでもらおう。きっと、今世紀中には開発されるのではないだろうか。

【インテリジェンスベッド】
夜、熟睡している間に、採血、心電図、樟検査をやってくれるベッド。私は寝相が極めて悪いので、様々な角度からレントゲン写真が取れるはずだ。
【インテリジェンス洗面台】
洗面台の鏡を見つめると、ランドルト環が現れるので、リモコンの左右上下ボタンを押し視力測定を開始。同時に、眼底検査、眼圧測定もやってくれる。洗面台とコードで接続された付属の歯ブラシで歯を磨くと、虫歯の状態と歯茎の状態が鏡に内蔵されたモニターに表示され、最後に音声で歯磨きの指導を受けることができる。
【インテリジェンスちゃぶ台】
テーブル下の小型冷蔵スペースに野菜、肉、魚、調味料を補充しておくと、ボタンをひとつで、マージャンの自動卓のようにテーブルの中央部が作動し、料理が皿に載って出現する。
【インテリジェンス蛇口】
 水道の蛇口に特性カートリッジをつけるだけで、生ビール、日本酒、ワインが楽しめる。しかも飲み放題。文豪へミングウェイが愛したというシャトーマルゴーの特性カートリッジは人気で、注文しても6ヶ月待ち。これがあったら、翌日のインテリジェンストイレでの検査結果は×に違いない。(小島正晴)
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2012年03月03日

セイフディポジットボックス

1995年9月3日。サンフランシスコ入りした我々は、ユニオンスクエアの貴婦人と呼ばれるウェスティン・セントフランシスに宿泊した。翌4日、ホテルの会議室でのミーティングを終えた後、あわただしく荷物をまとめ、次の目的地であるサクラメントに向かうため、バスに駆け乗った。
 途中、ショッピングセンターで視察がてら軽くランチを取ることになり、敷地内のマクドナルドに立ち寄った。私は、チーズバーガーセットを注文し、ドリンクにはコカコーラのSサイズを付けた。テーブルに戻ると、同僚のO君がすでに食事を始めていたが、様子がおかしい。彼のテーブルには、ハンバーガーが5個、ドリンクが5個、そしてポテトが5個。必死の形相でアメリカンサイズのハンバーガーに喰らいついていた。
「どうしたんだ」と尋ねると、彼は恥ずかしそうに、「メニューボードにある5番のセットを、注文したつもりなんだけどねえ。ファイブって何回も言ったら・・・」と、モグモグしながら苦笑いしていた。結局、彼は持ち前の責任感の強さで、2セット半は胃に押し込んだが、残りは仲間の助けで消化することになった。
 午後、カリフォルニアの州都サクラメント国際空港まで移動し、ロビーでロサンジェルス行きの国内便を待っていた。急に、ズボンの右ポケットに違和感を覚えた。全身の血が逆流するような痺れが、私の神経を襲った。動揺する心を抑えて、右手の親指と人差指でつまむように、異物を静かにポケットから取り出した。悪い予感は的中した。見覚えのある金属製の鍵だった。
 前日の夜、会計担当のK君から私の部屋に電話があった。会社から預かっている現金40万円を部屋に置いたまま寝るのが不安だといった内容だった。「無くなったら、無くなったときだ」と返答したが、彼は几帳面な性格なため、それ以上彼を説得するのが面倒になり、私はその40万円を彼から受け取り、フロントのセイフティーボックスに預け、その時に鍵を渡されたのだった。
ホテルに電話をかけ、その現金を移動先のロサンジェルスに届けてもらう手段を模索した。しかし、いかなる事情があろうと、預けた本人が鍵を持参しない限り現金は渡せないとの一点張りだった。さすがは名門ホテル、安全性に抜かりはない。
飛行機の出発時刻まで、あと1時間半。ホテルまでは片道2時間半はかかる。答えは一つしかなかった。私一人、飛行機をキャンセルし、とりあえずホテルに向かうことに決めた。
空港のロビーを出ると、我々が先ほどまで乗っていた見覚えあるバスが、少し離れた駐車スペースに停まっているのが見えた。駆け寄り、コワモテの運転手に事情を話すと、彼はこれからサンフランシスコの会社まで、空っぽのバスで戻るとのことだった。私はちゃっかりと、彼の大型バスに一人だけ貸切状態で乗せてもらうことにした。
私が名前を名乗ると、彼は運転中にもかかわらず、器用にNick Asencioと書かれた薄茶色の名刺を取り出し、無造作に差し出した。年の頃は40歳前後で身長は165cmほど、短髪で筋肉質。両腕にはタトゥーが彫られており、サングラスの奥の瞳は射るような鋭い眼光を放っていた。
やがて彼は、ハンドルを握り前方に視線をやりながら、生まれはプエルトリコで、若い時に2年間海兵隊に所属し沖縄にいたこと、今でも納豆と温泉が大好きなこと、日本人のガールフレンドがいたがすぐに分かれたこと、横須賀と横浜での景色がきれいだったことなどを語ってくれた。
現金をホテルに置き忘れたショックと、同僚と離れ一人別行動になった不安で、私の心の中には霧が立ち込めていた。突然、彼が言った。「お前はラッキーだ」
「この時間帯だと、すぐ先にある橋を通過中に、サンフランシスコで一番のサンセットが拝めるぞ」
5分後、目にしたサンセットは、日暮れといった寂しさを感じさせるものではなく、まるでショーの開演のように、何かが湧き上がり世界中が紅く染まる情熱的な美しさだった。
その後、ホテルに到着し、礼を言うと、「まだ俺の仕事は終わっていない。サンフランシスコ国際空港まで送ってやる」と、彼は目元をほころばせた。ホテルで預けていた現金を無事受け取り、彼の言葉に甘え、空港に向かった。バスの中でロサンジェルス便のチケットの買い方のレクチャーを受け、最後に精一杯の感謝の気持ちを伝えた。
夜8時過ぎにサンフランシスコを出発した国内便は、2時間弱のフライトでロサンジェルス郊外のジョン・ウェイン空港に到着した。タクシーを走らせ、コスタメサにあるウエスティンホテルで、仲間と半日振りの再会を喜んだときは、夜の10時を過ぎていた。(小島正晴)

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2012年02月01日

親方の決断

昭和59年(1984年)2月下旬。冬でも日焼けでどす黒い顔をした白髪頭の爺さんが、煙草をふかしながらバイクで我が家を尋ねてきた。彼は祖母の弟で当時64歳。地元で従業員10人ほどの板金屋の社長をやっていた。挨拶もなしに家に上がり、私の顔を見つけ藪から棒に、「おい、仕事があるんだけど、来ねか(来ないか)」と、くわえ煙草で話し掛けてきた。職人だけあって、必要なこと以外は口にしないのだ。久しぶりだなあ、元気か、などの言葉は聞いたことがない。私は大学2年生で、春休みだったと思う。
「はい・・・。どこですか」
「浜松らて。明日の朝6時に来てくれや。ひと月ぐれらな(今回は、浜松だ。明朝6時に集合してくれ。期間は1カ月くらいになると思う)」
夏休みには、この会社で屋根仕事のアルバイトをしていたが、現場はだいたい新潟近郊だった。猛暑の屋根仕事は、地下足袋のゴム底が溶けるほどで、ジムに通うより三倍は汗をかくことができ、金属屋根の照り返しは日焼けサロン顔負けの効果があった。
それにしても、今回は突然で、しかも浜松だ。どうしたものかと考えていると、「旅館だっけ飯も出るし、パンツの着替えだけでいいわね」と言い残し、灰が落ちそうな煙草をくわえ、エンジンがかかったままのバイクにまたがり帰って行った。
次の日、適当に着替えをまとめ、日の出前の薄暗い中、家を出た。会社に着くと、若い職人がマツダ・ボンゴというワンボックスカーに荷物を積み込んでいた。出発して車内の人数を数えると、私を含め5人。社長は遠征には同行せず、社長の次男(当時35歳)が出稼隊の親方であった。
当時は、新潟からの高速道路が上越ICまでしかなく、そこからは国道18号線で長野に向かった。長野市内を抜ける頃には、出発してからすでに4時間ほど過ぎていた。  
親方も、飽きてきたのだろう。助手席でうなった。「あー、いやになった。何時間かかるんだ。おい、今日中に着くんか」そのあとすぐに、親方は運転手に停止命令を出した。道端に緊急停車し、ワンボックスの後に積んであった荷物を片側に寄せゴザを敷き、運転手以外の4人が車座なりあぐらをかいた。花札が始まった。この時代は、カーTV、携帯電話、ゲーム機などはない。これしかやることはなかった。
国道19号線に入り、松本を過ぎたところで昼食を取り、塩尻から20号線で諏訪、韮崎、そこから52号線で富士川沿いを下り太平洋を目指した。やがて日暮れとなり、札が見にくくなり、花札は終了した。地図では富士山が近いはずだが、見渡しても小雨が落ちる黒い空しか見えなかった。
清水の市街地に入り、東名高速道の清水ICを目指したが、なにぶんカーナビもなく勘ナビ頼みの運転である。道に迷い、疲れと焦りでイライラしていた親方が、突然大声で叫んだ。「前のセリカ、浜松ナンバーらて。あれに着いて行けや」親方の命令が功を奏し、水先案内人を得た車は、無事、東名に乗り浜松にたどり着いた。時計の針は夜9時を回っていた。浜松市内に入ると、親方は公衆電話で地元の工務店に電話をした。迎えに来てくれた人の良さそうな工務店の社長が旅館まで同行してくれて、顔合わせの宴会となった。
早速、翌日から仕事である。現場は、巨大な工場の建設現場だった。大手ゼネコンの現場だけあって、我々は事前チェックを受けることになった。現場事務所に呼ばれ、なにやら問診表のようなものを渡された。私は名前から書き始めた。すると親方が私の耳元で鋭くささやいた。「正社員」「2年」その通りに、従業員区分と経験年数の欄には記入した。その後、目を閉じての片足立ち、背筋、握力測定と続いた。その後現場に入り、屋根仕事のため足場をよじ登り、最上部の鉄骨の上に立ち浜松の街並みを見渡した。北東方向を望むと、頭が白く光った富士山が遠くに見えた。
次の日は朝から強い雨が降っていた。我々は朝食を済ませ現場に行ったが、屋根仕事は危険なため中止である旨の通知があった。宿に戻り親方がいろいろと電話で確認したところ、雨天中止の場合も我々には日当が出ることがわかり、職人達は喜び勇んでパチンコに出かけた。親方は一人でサウナに行き、私は終日、浜松の街をさまよった。その日の夜、親方の命令で、我々は酒を飲みながら雨乞いをした。しかし効果はなく、雨天中止はこの1回限りだった。
出稼ぎは1カ月の予定であった。ところが、2週間程したところで、夕食中、酒を飲んでいるときに、我々の親方と地元工務店の社長とが些細なことで言い争いの喧嘩になった。明くる朝、「頭にきたんで帰るぞ」という親方の声で叩き起こされ、朝飯も食べずにさっさと宿を引き払い帰路についた。
なににつけても、決断の早い親方であった。トップはこうでなくちゃいけない。
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2012年01月03日

ドラッカー

マネジメントの父とされるピーター・F・ドラッカーが天国に旅立ってから6年が過ぎた。2年ほど前、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著)という、やけに長いタイトルの本が話題を呼んだ。この本の主人公で野球部のマネージャーのみなみちゃんが読んだのが、ドラッカー著「【エッセンシャル版】マネジメント 基本と原則」という本で、この本はドラッカーの大著「マネジメント」という約1400ページの本をまとめたものである。
今から5年ほど前、その1400ページの本を読もうとしたのだが、あまりの本厚さに頭痛を覚えて断念し、代わり買ったのが「ドラッカー365の金言」という本だった。この本が卓越している理由は、マネジメントの本質を突いた格言が1ページに1つずつまとめてあり、それがダイアリー形式になっていることだ。
例えば、1月1日のページを見てみよう。そこには、「組織の精神はトップから生まれる」とタイトルがある。「リーダーシップが発揮されるのは真摯さによってである」、「真摯さはごまかせない。ともに働く者とくに部下には、上司が真摯であるかどうかは数週でわかる。無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大かもしれない。だが、真摯さの欠如は許さない」と続いている。
そして、そのページの最後には、「ACTION POINT」として、「ヘッドハンティングされたらならば、先方のトップの人となりを見てください。仕事は真摯な人たちとしてください」と結ばれている。
元日を飾る言葉だけあって十分に重い。

「全くすべきでないことを能率的にする。これほど無駄なことはない」これもドラッカーの格言であり、私が好きな言葉だ。
サラリーマン時代、やたらと会議が多かった記憶がある。仕事に支障があるのでその旨をトップに進言したら、それ(会議)も仕事だと言われた。しかし、どう考えても、深夜にも及ぶ会議が仕事だとは思えなかった。だいたい会議を長時間やっていると、それだけで仕事をした気になってしまう。本来なら、会議の終了時には、参加者一人ひとりが、何をいつまでにやるのかが明確になっていなければならない。そして会議が終わるや否や、実行に移すのが理想である。そして大事なのは、会議で決まったことは何があっても実行すること。これが守られないようなら会議をやる意味はない。
この仕事をやるようになって、顧問先の経営者から、毎月やっている会議が停滞しているので活性化したいといった相談を受けることがある。停滞していると言うが、どんなことが問題なのかを尋ねると、参加者から意見が出ないとか、活気がないなどの事象が挙がってくる。しかし、ちょっと待ったである。意見を出すために、活気を出すために会議をやっているわけではないだろう。そもそも、その会議の目的は何なのか。これが曖昧ならば、会議を活性化することより、会議自体をやめることを考えたほうがよい。やめてみて支障がでるようなら、何が本当に必要なのかがわかるだろう。

とは言っても、自分自身の生活を見つめると、全くすべきでないことを意地になって能率的にやろうとしている場面が多いことに気づく。
・コカコーラなんて飲まなきゃいいのに、健康を気づかってコカコーラゼロを飲む。
・自動車という文明の利器があるのに、わざわざ自転車で通勤し、さらに、タイムを縮めるために新しい自転車を購入する。
・酒なんぞ飲まなくても死にはしないことはわかっているのに、まるで医師からきつく言いつけられたかの様に、毎晩忘れずに服用している。
・真夏の灼熱地獄で、また、時には大雨が降りしきる中で、いい大人が外に出て、芝生の上の白いボールを穴ぼこに入れようと四苦八苦している。しかも、どんなに一所懸命やっても、石川遼にはかなわないことは誰が見ても明らかなのに、本人はそれを認めない。

わかっちゃいるけどやめられないのです。ドラッカー先生、人生たまには無駄なことも許してください。この「つぶやき」を毎月書くのも、かなり無駄かもしれませんので。  
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2011年07月03日

トワイライトエクスプレス

東京での仕事が終わり、最終の新幹線に飛び乗った。4月というのに気温が上がり、人混みの中を早足で歩いたせいもあり、車内が蒸し暑く感じられた。疲れているはずなのだが、シートに身を沈めてみても神経が冴えていて眠れそうになかった。バッグのなかに入っていた文庫本を取り出し読もうとしたが、すでに読み終えたものだった。

ふと車内を見渡してみると、車両の一番後ろの棚に電話帳のように分厚い時刻表が置いてあった。暇なときはこれに限る。あてもなく時刻表をめくり始めた。新幹線が大宮駅を過ぎスピードを上げ始めた頃、時刻表のページをめくる指が不意に止まった。そのページにあった奇妙な列車を発見したからだ。

新津駅を発車すると次の停車駅は洞爺駅(北海道洞爺湖町)。始発駅の大阪を11時50分に発車し、新大阪、京都、敦賀、福井、金沢、高岡、富山、直江津、長岡と停車。19時39分に新津駅を出た後は、翌日7時18分に洞爺駅に停車し、東室蘭、登別、苫小牧、南千歳、そして終点の札幌駅には9時52分に到着する。新津の次の駅が北海道か。俄然、興味が湧いてきた。これなら、金曜日の仕事を終えた後、新津駅から乗車し、週末を札幌で過ごし、日曜の夕方、飛行機で新潟に帰ればいい。頭の中でのプランニングが完了した。

妻にこのことを話したら、興味を持ってくれ、ゴーサインがでた。第一関門は突破した。しかし、次なる関門が待っていた。調べてみると、その列車はトワイライトエクスプレスと言う粋な名称がついており人気が高く、寝台チケットの入手がかなり困難とのこと。1カ月前の午前10時にみどりの窓口に行き・・・、と入手方法が記されていたが、面倒くさがり屋の私には所詮無理。そこで、インターネットオークションを覗いてみたら、あるではないか。見事、札幌行きのチケットを競り落とし、準備完了。

当日は大型連休の狭間であり、少々早めに仕事を切り上げ駅に向かった。当初、19時39分に新津駅から乗車する予定だったが、その時刻ではすでに真っ暗で、肝心のトワイライト気分が味わえない。直江津駅から乗れば、この時季ならちょうど鯨波付近で日本海に沈む夕日にお目にかかれるはずと思い、金沢行の特急北越に駆け込み、一旦、札幌とは逆方向に進路を取った。

定刻どおり直江津駅の5番ホームに、深緑の塗装がなされた9両編成のトワイライトエクスプレス号が、電気機関車に引かれ優雅に入線してきた。早速2号車に乗り込み5号室に入り荷物を置くと、17時59分、滑るように列車は直江津駅を発車した。車掌が個室の設備について説明をし、次に食堂車のスタッフがウエルカムドリンクの注文を聞きにきた。列車が海沿いに出た。赤ワインのグラスを片手に4号車サロンカーに移動しソファーでくつろぎ、ワイドビューが楽しめる大きな窓から静かな日本海を眺めた。薄曇りの空をオレンジ色でにじませながら、太陽は沈んでいった。

やがて列車が新津駅に差し掛かるころ、車内放送でディナーの準備が整ったとのアナウンスがあった。食堂車で改めてワインを注文し、列車での料理を満喫した。その後、トワイライトエクスプレス号は、日本海沿いをひたすら北上し、眠りにつくころは秋田付近を走行していた。ワインの酔いを感じながらうとうととしていると、急に窓が霧で曇り、体が海底百メートまで吸い込まれるような感覚に陥った。青函トンネルに突入したに違いない。次に目を覚ますと、眼前には津軽海峡の眺望が広がり、その先に下北半島が見えた。いつの間にか北の大地に上陸したようだ。

朝7時を過ぎる頃、列車は内浦湾のヘリを沿うように走り、新津の次の駅である洞爺に停車し、約12時間ぶりに客車の扉が開いた。この駅で積み込んだ朝刊がモーニングコーヒーと共に部屋まで届けられた。室蘭付近で再び食堂車に移り、朝食を取りながら、昭和新山や樽前山といった北海道の雄大な風景を車窓から味わい、終点の札幌には9時52分に到着した。約16時間のあっという間の旅だった。久しぶりに旅と言える旅だった。札幌の街は、5月というのに氷のような小雨が降っていた。

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2011年05月17日

石川遼

石川遼と私の長男とは同い年。身長も体重もほぼ同じだ。(ほかは大分違うようだが)
先日も、家でダラダラとしていた長男を見つけ説教をした。「同い年の石川遼は、一所懸命働き賞金を1億円以上も稼いでいるのに、お前は何をやっているのだ」
すると、思わぬ反撃にあった。「親父はいくら稼いでいるんだ」予期せぬことであったので、「世の中、金ではない」と答えるのが精一杯であった。二人の最大の違いは、父親か・・・。

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2010年02月14日

出張中

 夜10時。出張先での仕事が遅くまでかかり、ホテルでチェックインを済ませた。遅めの夕食をと、一人ホテルを出た。最初にたどり着いたレストランはラストオーダーが10時ということで断念。エレベーターでそのビルの3階に行くとイタリアンレストランらしきエントランスがあり、看板によればラストオーダーまで30分近く時間あった。

 腹がへっていたが、まずはビール。バランスよくクリーミーな泡が立った小さめのジョッキが運ばれてきた。続いて、なにやらカタカナで書かれたわけのわからない前菜とトマトソースのスパゲティーをオーダーした。予想どおりあっという間にビールジョッキは空になった。次はワイン。トスカーナの重そうなものをグラスで頼んだ。

 ここで問題が発生した。前菜とスパゲティーを食べたのだが、酒の勢いもあり、もう少々腹に入れたくなった。メニューを見ると、うまそうなピザがあった。しかし、写真を見ると直径が30センチほどありそうだ。夜も遅い。スパゲティーの後にこのピザを一人で食べるのは困難だとあきらめた。

 そして5分ほど。トスカーナを飲んでいると、あきらめたはずのピザが無性に食べたくなった。「すみません、ちょっと」とウエイターを呼び止めた。先ほどの若い男性とは別の少し年配(40歳ほどか)の男性で、胸の名札に「店長」と書かれていた。「このピザ、一つお願いします」そして私は彼の対応に驚かされた。

 「こちらのピザでございますね・・・。もしよろしければ、特別に小さ目に焼きましょうか。」と、ささやくように私にきいてきた。


 まるで、私の腹の中を透かして見たかような対応。しかも、メニューにはない特別なサイズの提案。

 運ばれてきたピザはなるほど小さ目で、食後に一人でつまむにはちょうどよいサイズのものだった。一人で寂しく食事をしていたが、なんだかとっても幸せな気分になった。すると今度は、ワイングラスに注がれていたトスカーナが底をついた。先ほどのすばらしい対応のお礼をと、もっと飲むための理由を勝手に考えて、グラスワインをもう一杯注文した。

 先ほどの店長が、落ち着いた笑顔とともにトスカーナのボトルを携えて近づいてきた。「ピザはちょうどいい大きさでした。ありがとうございました。」と私は礼を言った。彼は「それはよかったです。」とにこやかに応えながら、ワインをグラスに注ぎ始めた。

 トッ、トッ、トッ、トッ・・・。おっと。店長は、大き目のワイングラスに並々とトスカーナを満たしてくれた。(1杯目のグラスワインは、ワイングラスの半分弱の量だったのに)店長はいたずらっ子のような目で言った。「すみません、入れすぎてしまいました」

 またしてもやられた。私が酒飲みでしかも赤ワインが大好きだということを、見事に見透かされてしまった。私が目で礼を伝えると、さりげない笑顔で厨房にもどって行った。ピザをつまみに、疲れた体にトスカーナを流し込んだ。ワインの赤い液体が五臓六腑に染みわたった。 (2月13日 水道橋にて 小島 正晴)

officemasaharu at 23:09|この記事のURLComments(1)TrackBack(0)コーチ 

2009年09月04日

ハイボール

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ビアガーデン最終日。日ごろお世話になっているPTAの役員と楽しく一杯!ハイボールもなかなかうまい。梅ハイボールはもっとうまい。夏が終わった。
officemasaharu at 21:49|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

2008年12月25日

クリスマス

6c48f4e7.jpgクリスマスイヴ。
今日、顧問先の社長から電話があり、なにやら急いでいる様子。とにかく会社にすぐに来てほしいとのこと。担当のTさんを携帯で呼び出し急行させた。年末で渋滞しているなか車を走らせオフィスに戻ってきたTさんが手にしていたのは、四角い箱だった。急用とはクリスマスケーキ!オフィスは暖かい空気に包まれた。

小島正晴

officemasaharu at 09:45|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

2008年04月21日

ヨコハマ

e8985bee.jpgエレベーターで30階のボタンを押した。新横浜のホテルでセミナーの懇親会あと、明日のクリニックに備え、部屋に戻った。

15年前に新横浜に来たときは、夜9時を過ぎるとどの店も閉店しており開いている店はなかった。純粋なビジネス街で夜は閑散とし、ひとけがなかった。今は、様変わり。横浜エリアで、みなとみらいに次いで活況を呈しているらしい。

士業の事務所経営についてのセミナーだった。弁護士事務所(15人規模)、会計事務所(30人規模)、弁理士事務所(250人規模)、給与アウトソーサー(250人規模)の見学。どのオフィスも、窓からの眺めがきれいでした。特に、最後に訪問した弁理士事務所のビルは圧巻。25階のオフィスからはカレッタ汐留、右を向けば東京タワー。こんなところで仕事してみたいものです。

officemasaharu at 21:19|この記事のURLComments(1)TrackBack(0)コーチ 

2008年04月15日

鯉のぼり

187d2a4a.jpgランチタイムにオフィス脇の信濃川のほとりを散歩。桜と鯉のぼり。

officemasaharu at 12:49|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

2008年03月29日

弥彦山

a30c7fe0.jpg山登り。春と言えど、まだ冷たい空気の中、弥彦山(638メートル)に登った。山道はぬかるんでおり、慎重に登った。1時間と20分。下山後帰宅し、町内会の懇親会で消費したカロリーをビールで補給した。正しくは、補給しすぎた。

officemasaharu at 22:34|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

2008年02月04日

ビッグスワン

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暖冬。雪が少ない。寒いといっても昔にくらべれば、たいして寒くない。
アルビレックスのサッカーでお馴染みのビッグスワンスタジアムも雪化粧。
4万人収容のスタジアムの会議室で6人の会議。ちょっと寂しい。
officemasaharu at 22:56|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

2008年02月02日

プリウス

私の車がプリウスになってから、もうすぐ1年になる。

以前のシトロエンXMは、走行距離21万キロで廃車となった。

プリウスとシトロエンXMとの共通点が見つかった。
それは、アイドリングストップ。
信号で停止するとアイドリングが自動的にストップする。
プリウスは想定内だが、シトロエンは想定外。
シトロエンの場合はアイドリングストップとは呼ばず故障という。

officemasaharu at 14:32|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2007年02月16日

出張の楽しみ

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朝はパワーを充電。今日も一日がんばるぞー。たまには、ルームサービスでのんびり朝食にしましょう。ちょっと疲れ気味かもしれない。
officemasaharu at 19:36|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

シトロエン

652073de.jpgシトロエンXM。ついに、走行距離が20万キロを超えた。かなり、やばい。いい車なんだけどなあ。
officemasaharu at 19:35|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 

2007年01月31日

セミナー

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officemasaharu at 15:54|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)コーチ 
Profile
小島 正晴
◇1964年2月8日生
◇2000年に社会保険労務士事務所を開業
◇2001年にコーチングに取り組む
◇進化し続ける企業をクライアントに「人」の問題解決業を営む
◇最近、社会保険労務士+コーチングの相性がとってもいいみたい