March 13, 2007
オンナゴコロはワカラナイ
「『女心』がわかっていない!」
と叱責されたことがあります。
男性なら誰しも似たような経験はあることでしょう。
どちらかというと僕は「男はこう、女はこう」という決め付けに対しては否定的なスタンスをとっています。
とりわけ自身の性別を盾にわがままを押し通そうとする人間は男女問わず好きになれません。
そういったものへの反発もあり、以前はもっとラディカルに、
男女の考え方の違いなんてものは社会的に作られたものでしかなく、
人類共通の「理(ことわり)」のようなものがあるはずだなどと考えていたのですが、
最近では態度が軟化したというか、ヒトも有性生殖を行う動物の一種なのだから遺伝子の複製・種の保存へのアプローチの違い(=性別の違い)によって思考体系が異なる部分も多々あるのだろうと考えています。
前置きが長くなりました。
実は最近初めて女性のスタッフを監督することになったのですが、
そのスタッフがうまく機能していないこともあって、
どうも男性のスタッフと勝手が違うなぁと感じることが少なくありません。
最近は、古臭い表現になりますが「女性の社会進出」が(喜ばしいことに)進んでいるので、必然的に男性のビジネスパーソンと同じ業務を女性スタッフに求めることは当たり前になっています。
上述のとおり男女の間に何かしら価値観や考え方の違いというところもあるという前提に立つと、場合によっては男性スタッフに対するアプローチと女性スタッフに対するそれを使い分けることが肝要となるのでしょう。
その辺りの心得がまったくわかっていないので、
誰かに相談しなくてはいけないな、と思っています。
ちなみに冒頭の叱責を受けた時、
「僕のわからないものを『女心』と定義しているなら、それはトートロジーでしょ?」と、返す刀でぶった切ってしまったのを覚えています。
この辺が「女心がわかっていない!」と言われる所以なのでしょう(笑)
March 12, 2007
blogsphereの再構築。
初めてweb siteを作ったのは6年前、2001年のことだった。
6畳のワンルームマンションからダイヤルアップを通じて
世界になにごとかを発信するいくつかの試みは、
僕にweb site構築の楽しみを教えてくれた。
2004年、新たな試みとしてweblogを立ち上げる。
blogsphereへとcommitすることで、webにおける新たな地平を見た。
2006年、個人的な事情もありblogsphereから一時的に撤退。
SNSを通じた緩やかな紐帯の中での情報発信には違和感がつきまとった。
漠然とblogsphereへの回帰を考え、
散発的に新しい試みを起こそうともしたが、
軸足が定まらないまま、申し訳程度の試みに終始した。
2007年。
『ALL FOR 2017』を自身のスローガンに掲げた。
世界へとcommitする旅路の航海日誌も、
blogsphereという名の世界へとcommitすることが
最もふさわしい在りかただと感じている。
みなさん、こんにちは。
そして、ただいま。
これからも『千里の道も一歩から』をよろしくお願いいたします。
ALL FOR 2017!
2007年3月 いっぽ
6畳のワンルームマンションからダイヤルアップを通じて
世界になにごとかを発信するいくつかの試みは、
僕にweb site構築の楽しみを教えてくれた。
2004年、新たな試みとしてweblogを立ち上げる。
blogsphereへとcommitすることで、webにおける新たな地平を見た。
2006年、個人的な事情もありblogsphereから一時的に撤退。
SNSを通じた緩やかな紐帯の中での情報発信には違和感がつきまとった。
漠然とblogsphereへの回帰を考え、
散発的に新しい試みを起こそうともしたが、
軸足が定まらないまま、申し訳程度の試みに終始した。
2007年。
『ALL FOR 2017』を自身のスローガンに掲げた。
世界へとcommitする旅路の航海日誌も、
blogsphereという名の世界へとcommitすることが
最もふさわしい在りかただと感じている。
みなさん、こんにちは。
そして、ただいま。
これからも『千里の道も一歩から』をよろしくお願いいたします。
ALL FOR 2017!
2007年3月 いっぽ
June 18, 2006
喜びとしてのイエロー 憂いを帯びたブルー
『13』。
その数字のせいではないが、いやな予感がした。
1997年、フランスW杯アジア予選、国立での韓国戦。
2004年、ユーロでのグループリーグ、オランダ対チェコ戦。
後半34分。
小野伸二の投入が中村でも福西でもなく、
柳沢との交代だと告げるナンバーボードの数字が掲げられたとき、
頭に浮かんだのはその2つの試合のことだった。
言うまでもなく、これらの試合の共通点と言えば
「前線の選手を減らして後ろの人数を増やしたのが裏目に出た逆転負け」。
柳沢に代えての小野の投入は、前線に次々に選手を投入してくるヒディンクにとっては願ったりかなったりだったに違いない。
結果、数分のうちにイエローとブルーの明暗は逆転し、
ジーコは加茂周やアドフォカートと同じ末路をたどった監督として記憶に刻まれることになった。
悔やまれる采配だったと思うのと同時に、
心のどこかでは「所詮、ジーコではこんなものかな」と思う気持ちもある。
もう最後の大会だからはっきり書こう。
そう、もはや監督には期待していない。
「選手が監督を育てる番」。
最近読んだ小説の一節だが、それくらいしか幸福な結末につながる道はないように思える。
そして日本代表にはそれを可能にする選手がそろっていると信じている。
すべては中田英寿、彼の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
日本代表、ただ可能の限界を汲みつくせ。
その数字のせいではないが、いやな予感がした。
1997年、フランスW杯アジア予選、国立での韓国戦。
2004年、ユーロでのグループリーグ、オランダ対チェコ戦。
後半34分。
小野伸二の投入が中村でも福西でもなく、
柳沢との交代だと告げるナンバーボードの数字が掲げられたとき、
頭に浮かんだのはその2つの試合のことだった。
言うまでもなく、これらの試合の共通点と言えば
「前線の選手を減らして後ろの人数を増やしたのが裏目に出た逆転負け」。
柳沢に代えての小野の投入は、前線に次々に選手を投入してくるヒディンクにとっては願ったりかなったりだったに違いない。
結果、数分のうちにイエローとブルーの明暗は逆転し、
ジーコは加茂周やアドフォカートと同じ末路をたどった監督として記憶に刻まれることになった。
悔やまれる采配だったと思うのと同時に、
心のどこかでは「所詮、ジーコではこんなものかな」と思う気持ちもある。
もう最後の大会だからはっきり書こう。
そう、もはや監督には期待していない。
「選手が監督を育てる番」。
最近読んだ小説の一節だが、それくらいしか幸福な結末につながる道はないように思える。
そして日本代表にはそれを可能にする選手がそろっていると信じている。
すべては中田英寿、彼の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
日本代表、ただ可能の限界を汲みつくせ。
April 29, 2006
千里の道も一歩から ver2.1 by DUOBLOG
http://blog.duogate.jp/ippo/
家でのんびり文章を書くことが減ってしまったので、
携帯から写真中心にやろうかと思ってます。
でもいまだにWINじゃないのでパケ代がやばくなりそうです。
家でのんびり文章を書くことが減ってしまったので、
携帯から写真中心にやろうかと思ってます。
でもいまだにWINじゃないのでパケ代がやばくなりそうです。
April 22, 2006
私信(4/22)
会社で配属が決まりました。
まだ部署だけの決定なので、本配属のわかる7月末まではとりあえず東京にいます。
住まいは府中から練馬に、オフィスは新宿から飯田橋に変わります。
ブロードバンドを引きたい、見直したいという方はご一報を。
まだ部署だけの決定なので、本配属のわかる7月末まではとりあえず東京にいます。
住まいは府中から練馬に、オフィスは新宿から飯田橋に変わります。
ブロードバンドを引きたい、見直したいという方はご一報を。
April 16, 2006
March 20, 2006
不発のKOREA 不屈のJAPAN
あの時も、西岡の流し打ちだった。
東京ドームでの韓国戦、満塁から右翼線を襲い、3点追加かと思われた打球は相手選手の好手に阻まれた。
今にして思えばこの1プレイはその試合のみならず、アメリカに舞台を移しての2次リーグにおける日韓両チームの明暗を分けた、とてつもなく大きな1プレイだったと思う。
WBC準決勝、3回表に日本は1死1,2塁と攻め立てた場面で打者は西岡。
今度は左打席からだったが痛烈な流し打ちで先制点を予感させたが、
不運にも3塁正面を突き、1走の青木が戻れず併殺になったシーンで、誰しもが冒頭のシーンを思い浮かべ、妙な不安に駆られたのではないかと思う。
もし前述のシーンと関係がなかったとしても、不用意な青木の飛び出し(捕球したサードにより近い2塁走者は戻れていた)で、この日から3番に入るイチローにチャンスを回せなかったというだけでも大きく尾をひきかねないプレイだった。
加えて7回には無死2塁から多村がバント失敗であえなく三振。
結果的にはこの次の打者の福留が値千金の2ランを打って試合を動かしたが、通常の試合であればこの多村の打席も「流れ」を相手に渡してしまうようなプレイだった。
多村のバント失敗の時点では、日本がチャンスをものにできないまま、終盤に韓国がワンチャンスをものにして勝ち星を拾うというようなシナリオが頭に浮かんでいた。
日本の勝因をあげるとすれば、「なんとしてでも勝つ」と言った王監督のもと、日本代表が見せつけた強靭な精神力だったと思う。
福留の2ランだけではなく、1点でも与えれば完全に流れを持っていかれる中、粘り抜いた上原の投球もまた絶賛に値するものだった。
いっぽうの韓国は福留の2ランで完全に意気消沈してしまったかのように見えた。継投も後手後手にまわった韓国、日本に2勝したせいか、兵役免除が見えてきたせいか、いつもの敵に回したくない『韓国らしさ』が感じられなかった。
「あの場面は自分の調子は関係ない。気持ちだけだった。気持ちで打った」
殊勲の福留の談話である。
この大一番を含め、WBCでの日韓戦は、日本と韓国のどちらの技量が勝っているという種類のものではなかったのだとつくづく感じさせられる。
東京ドームでの韓国戦、満塁から右翼線を襲い、3点追加かと思われた打球は相手選手の好手に阻まれた。
今にして思えばこの1プレイはその試合のみならず、アメリカに舞台を移しての2次リーグにおける日韓両チームの明暗を分けた、とてつもなく大きな1プレイだったと思う。
WBC準決勝、3回表に日本は1死1,2塁と攻め立てた場面で打者は西岡。
今度は左打席からだったが痛烈な流し打ちで先制点を予感させたが、
不運にも3塁正面を突き、1走の青木が戻れず併殺になったシーンで、誰しもが冒頭のシーンを思い浮かべ、妙な不安に駆られたのではないかと思う。
もし前述のシーンと関係がなかったとしても、不用意な青木の飛び出し(捕球したサードにより近い2塁走者は戻れていた)で、この日から3番に入るイチローにチャンスを回せなかったというだけでも大きく尾をひきかねないプレイだった。
加えて7回には無死2塁から多村がバント失敗であえなく三振。
結果的にはこの次の打者の福留が値千金の2ランを打って試合を動かしたが、通常の試合であればこの多村の打席も「流れ」を相手に渡してしまうようなプレイだった。
多村のバント失敗の時点では、日本がチャンスをものにできないまま、終盤に韓国がワンチャンスをものにして勝ち星を拾うというようなシナリオが頭に浮かんでいた。
日本の勝因をあげるとすれば、「なんとしてでも勝つ」と言った王監督のもと、日本代表が見せつけた強靭な精神力だったと思う。
福留の2ランだけではなく、1点でも与えれば完全に流れを持っていかれる中、粘り抜いた上原の投球もまた絶賛に値するものだった。
いっぽうの韓国は福留の2ランで完全に意気消沈してしまったかのように見えた。継投も後手後手にまわった韓国、日本に2勝したせいか、兵役免除が見えてきたせいか、いつもの敵に回したくない『韓国らしさ』が感じられなかった。
「あの場面は自分の調子は関係ない。気持ちだけだった。気持ちで打った」
殊勲の福留の談話である。
この大一番を含め、WBCでの日韓戦は、日本と韓国のどちらの技量が勝っているという種類のものではなかったのだとつくづく感じさせられる。
March 09, 2006
近況。
トリノ五輪について、WBCについて思うところを書こうと思いつつもなかなかうまくまとめられていません。これは近いうちに。
あと私事ですが、5年行った大学の卒業が決まりました。
あと私事ですが、5年行った大学の卒業が決まりました。
February 28, 2006
予感(3) -浦和版「黄金の中盤」-
日本代表の監督が標榜しつつもなかなか上手く機能しない「黄金の中盤」。
そのせいか小野、長谷部、ポンテが同時に出場することには若干の不安があった。
ところがフタをあけてみればこれが恐ろしいまでのサッカーを見せてくれた。
3人のうち誰かが前を向けばゴールへと向かうドリブルが始まるか前線へのラストパスが供給され、前を向けなくてもそこで「タメ」をつくっている間に後ろからどんどんと選手が飛び出してくる。
いわゆるジーコジャパンの「黄金の中盤」が上手く機能しないこととの差はどこにあるのだろうか。
クラブチームであるがゆえの連携の高さ、と言いたいが小野や前線のワシントンは合流して日が浅いことを考えると単純には比較できないだろう。
ではどこに差があるのか、考えられる点としては、ボールが収まり、かつゴールへの嗅覚の高いFW(ワシントン)の存在。あるいは、中盤の底をしっかりと締めているボランチ(啓太)の存在。そしてこの3人、とりわけポンテと長谷部の、「自らゴールへ持ち込む意識の高さ」あたりではないかと思う。
今のレッズを評して、クラブ関係者が「代表と戦わせてみたい」と言ったとか言わないとか。この3人を中心にした浦和レッズが、Jリーグという殻をぶち破るようなサッカーを見せてくれるのではないかという甘美な「予感」に今は浸っている。
そのせいか小野、長谷部、ポンテが同時に出場することには若干の不安があった。
ところがフタをあけてみればこれが恐ろしいまでのサッカーを見せてくれた。
3人のうち誰かが前を向けばゴールへと向かうドリブルが始まるか前線へのラストパスが供給され、前を向けなくてもそこで「タメ」をつくっている間に後ろからどんどんと選手が飛び出してくる。
いわゆるジーコジャパンの「黄金の中盤」が上手く機能しないこととの差はどこにあるのだろうか。
クラブチームであるがゆえの連携の高さ、と言いたいが小野や前線のワシントンは合流して日が浅いことを考えると単純には比較できないだろう。
ではどこに差があるのか、考えられる点としては、ボールが収まり、かつゴールへの嗅覚の高いFW(ワシントン)の存在。あるいは、中盤の底をしっかりと締めているボランチ(啓太)の存在。そしてこの3人、とりわけポンテと長谷部の、「自らゴールへ持ち込む意識の高さ」あたりではないかと思う。
今のレッズを評して、クラブ関係者が「代表と戦わせてみたい」と言ったとか言わないとか。この3人を中心にした浦和レッズが、Jリーグという殻をぶち破るようなサッカーを見せてくれるのではないかという甘美な「予感」に今は浸っている。
予感。(2) -ベンチ入り選手枠の拡大-
ベンチ入り選手枠の拡大、たかが「2」枠、されど「2」枠。
16→18、というとさほど大きな差ではないように思えるが、ベンチで試合開始を迎える選手の数に直すと5→7、さらにそのうちフィールドプレイヤーの数だと4→6になる。よほどのことがない限りはGKの交代は起こらないのであえて除外して考えると、交代枠3に対して準備する選手の数が4人か、6人か。これはかなり大きな差になるだろう。
ベンチのフィールドプレイヤーが4人とは、言ってしまえば選手交代のオプションはないに等しい。ただ複数のポジションをこなすことのできる選手にとっては、枠が少ないからこそ入れていたというところでもあるのだろう。
また、負傷や退場によって不測の交代を強いられる場合を考えると4人ではどうしても「遊び」を持たせることができないため、「大差がついたら投入してもいいかな」というような、特に若手の選手にとってはこれまでチャンスが少なく、そのためかユース代表等で活躍する選手でもなかなかJリーグでは出番がないことが多いように感じていたが、今後はユース年代やあるいは下部組織に所属する選手、特別指定選手などの出場機会が増えていき、若手の育成につながっていくのではないかという「予感」がする。
たとえばこの試合で途中出場した細貝なども、ベンチ枠が16人だったらベンチ入りできていたかどうかは微妙なところだったと思う。また、その細貝が途中から入った左サイドのポジションにも、攻撃的にいくなら相馬、守備固めなら細貝と、せいぜい1ポジションにつき1つしかなかったオプションが増えていたことも見逃せない。
その辺も含めて、今季は監督の振るうタクトにもより注目が集まるだろう。
16→18、というとさほど大きな差ではないように思えるが、ベンチで試合開始を迎える選手の数に直すと5→7、さらにそのうちフィールドプレイヤーの数だと4→6になる。よほどのことがない限りはGKの交代は起こらないのであえて除外して考えると、交代枠3に対して準備する選手の数が4人か、6人か。これはかなり大きな差になるだろう。
ベンチのフィールドプレイヤーが4人とは、言ってしまえば選手交代のオプションはないに等しい。ただ複数のポジションをこなすことのできる選手にとっては、枠が少ないからこそ入れていたというところでもあるのだろう。
また、負傷や退場によって不測の交代を強いられる場合を考えると4人ではどうしても「遊び」を持たせることができないため、「大差がついたら投入してもいいかな」というような、特に若手の選手にとってはこれまでチャンスが少なく、そのためかユース代表等で活躍する選手でもなかなかJリーグでは出番がないことが多いように感じていたが、今後はユース年代やあるいは下部組織に所属する選手、特別指定選手などの出場機会が増えていき、若手の育成につながっていくのではないかという「予感」がする。
たとえばこの試合で途中出場した細貝なども、ベンチ枠が16人だったらベンチ入りできていたかどうかは微妙なところだったと思う。また、その細貝が途中から入った左サイドのポジションにも、攻撃的にいくなら相馬、守備固めなら細貝と、せいぜい1ポジションにつき1つしかなかったオプションが増えていたことも見逃せない。
その辺も含めて、今季は監督の振るうタクトにもより注目が集まるだろう。