2011年11月06日

がいらんご

がいらんご(おたまじゃくし)


愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)






がいらんご





がいらんご


 

小学校まで毎日、”お堀”に沿って学校へ通った。線路を渡り、お堀の近くに煎餅屋があり学帽をひっくり返して差しだしては、出来たてのくず煎餅をよく入れてもらった道。傘をズルズル引っ張ってはバタバタ歩き、傘の柄の先がすれて曲がってしまった道。そしてお堀の水かさの少なくなった、ドロの臭いのする道。

このお堀もまた、学校帰りに立ち寄る遊び場である。その中でよくやったのが”がいらんご”捕り。がいらんごとは、大きな頭をした(おそらく、食用蛙と思うが)おたまじゃくしのことである。お堀の土手に桜が咲き終わり新緑の中で水も温むころ長靴でドロの中に入り手づかみでがいらんご捕りをやった。頭が直径3〜4センチで尾までの長さが15センチほどの大きさである。頭でっかちで、動きはゆっくりしており、ドロと澄んだ水との境にそのものは、うずくまっている。1ぴき2ひきと、ほどほどの間隔でおもいおもいに寝そべっている。素手で掴んでも幾分か頭の部分が手ごたえのある堅さのみで、体全体がやわらかくドロくさい匂いと一体になった記憶がある。学友と夕方までお堀のドロの中の人となっていた。

お城の大きな石垣をかたわらに見、ようやく一人歩ける幅の踏み固めた土手の道が水辺まで草のしげみの中につづいている。これを伝ってお堀に降り立つのである。お堀の水のなまぬるい水の中で、きめ細かいドロの中で掴んだがいらんごの体の柔らかさと、その臭いの記憶は今も消えない。

がいらんごの入ったビニールの水が穴から漏れて無くならないうちにと、お堀の土手をいっきに駆けのぼり、いちもくさんに駆けて家にもどる。玄関先に流しを利用した箱庭が置いてあった。その景色も大木のしげみの中を渓谷が流れるように造ってあった。
この渓谷の中に、ようやく水の残ったビニールの中からがいらんごを放った。がいらんごは、箱庭の渓谷の中でじっと沈んだ雄大な生き物となった。

この中の幾匹かは、いつしか後足が生え、前足も引き続き、やがて尾もしだいに短くなり、しまいには消え去りどこかへ居なくなってしまった。

忘れた頃に時折、蛙の低い声が遠慮がちに響いていた。                                                                                    

                       「心の風景のデッサン」より




愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)





がいらんご
画像をクリックすると、HPにリンクします♪





片桐先生からの手紙

片桐先生からの手紙(1ページ)








片桐先生からの手紙(2ページ)







城下町・山形市

http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/50997108.html 城下町・山形市に生まれた意味






心の風景のデッサン
画像をクリックすると、HPにリンクします♪




カラスウリ(「心の風景のデッサン」表紙の撮影場所にて)
画像をクリックすると、HPにリンクします
カラスウリ(「心の風景のデッサン」表紙の撮影場所にて)


カラスウリ(よき便り) & 「心の風景のデッサン」
画像をクリックすると、HPにリンクします♪
カラスウリ(よき便り) & 「心の風景のデッサン」



数年前、小学校の同級生が当時の担任の先生に声をかけ、初めて小学校の同窓会を企画してくれたことがありました。会への出席は叶いませんでしたが、お送りした「心の風景のデッサン」に、担任の片桐先生から手紙を頂いたことがあります。

当時、小学校2年の秋に転校し、思うようにクラスに溶け込めず数年を過ぎたころ、片桐先生に出逢い、山形市の霞城公園内の児童文化センターの生物クラブに勧めていただいたことが、市民感覚を付けさせ、身近ないきものへの具体的な名前た飼い方などを学んだのです。

子供から大人への転換期ともいえた時期です。

のちに、小学校時からの友人の誘いで、新婚の片桐先生宅を訪ねたことがありましたが、「テレビのドラマが凄いと思うだろうが、現実の生きて行く体験の方が、もっとドラマなんだよ」「岡潔さんの『春宵十話』を、ぜひ読みなさい」と、アドバイスをいただきました。

大学4年次の研究室の教授からも、まったく同じように「岡潔の『春宵十話』を読みなさい」と勧められたことが、とても驚き、初めて買い求めて一気に読み、「なるほどと」納得し、今も人生で出逢った1冊の本と言われれば、これを言えるまでになりました。

「人間の中心は、情緒である」「情緒とは、人の悲しみが分かるこころである」と、冒頭に書いてあり、歳を重ねるにつれて、その意味を深く体得することとなりました。

お陰さまで、今の温泉人(おふろうど)が出来ました。感謝いたします!

                                          温泉人(おふろうど)


城下町山形市のお堀ばたで生まれ育ったことが、いま大人になって都内の皇居、外堀を歩き、川越を歩くとき、自然にその感覚が呼び起こされてきます。

霞城公園の土手で走り回ったこと、お堀に下りておたまじゃくし(がいらんご)を捕ったことなど、その光景は今の自分がものを見る感覚に引き継がれてきていることを、ときおり感じます。

また、足元の草の名前も、小学校のころに通った霞城公園内にある児童文化センターでの身近な生活者としての市民講師の方から、土手を歩きながら教わりました。いま市民講師(富士見市市民人材バンクなど)として活動を開始したことの市民感覚のめざめも、原点はここにありました。

赤い帯のあるヤマアリのこと、カラスノエンドウやスズメノエンドウなど草の名前を覚えたことで、いまでも足元の草木にも関心を抱けるようになったのです。

千鳥ケ淵での桜の見方、そして外堀での桜の花を、水面に伸ばした枝を下に見ての光景としてその美しさを捕らえてしまいます。

小さいころに身近な日々の光景の中で、“備わって”きた感覚なのだと、また新たに感じるのです。

多くの感覚を身につけさせてくれたところ、そして“立ち位置”を気づかせてくれたものが、城下町山形市の人と自然です。

 

温泉人(おふろうど)は、城下町育ちです

山形というと、広く田んぼが広がり、さくらんぼが採れ、温泉がたくさんあり、蕎麦がおいしい、こんなイメージでしょうか。

その中でも山形市は、城下町です。いまでは新幹線が停車する山形駅ですが、山形駅に沿って歩いてまもなく、城跡の「霞城公園」があります。

そのお堀ばたで、生まれ育ちました。城跡の土手で虫を追いかけ、草木の名前を教わり、その水辺に降りておたまじゃくし(がんらんご)捕りや、土筆採りをしたところです。

「心の風景のデッサン」の場面も、数多く描かれています。

温泉人(おふろうど)の感性、価値観が、ここで、この町で出来たといっても過言ではありません。

城下町育ちが、温泉人(おふろうど)です。

 

「霞城公園」に関するBlog「温泉人(おふろうど)ライフ」掲載記事:温泉人(おふろうど)
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/50997108.html 城下町・山形市に生まれた意味


http://www2c.biglobe.ne.jp/~ofuroudo/life.html 温泉人(おふろうど)のライフ

http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/51336088.html “人生のテーマ”を決めたその心:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より

ラブhttp://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/51875960.html 彩(いろどり):温泉人(おふろうど)



http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/51894859.html “心の風景”人と自然に遊ぶ魅力:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より

ofuroudo at 00:00│Comments(0)

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔