2012年11月22日

【アーカイブ】「まほろば」パーティー(波暮旅二さん主催)・中根千枝さんとの出会い

【アーカイブ】「まほろば」パーティー(波暮旅二さん主催)・中根千枝さんとの出会い

パーティーの控室にて(波暮旅二)





s-ら・みらどーる
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波暮旅二さんへの手紙





波暮旅二さんへの手紙





波暮旅二さんからの手紙





波暮旅二さんからの手紙





波暮旅二さんからの手紙





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中根千枝:「タテ社会の人間関係」






中根千枝:「タテ社会の人間関係」
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中根 千枝(なかね ちえ、1926年11月30日 - )は日本社会人類学者。専門はインドチベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。学者として女性初の文化勲章受賞者[1]。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。




中根千枝:「タテ社会の人間関係」



中根千枝:「タテ社会の人間関係」






中根千枝:「タテ社会の人間関係」





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中根千枝:「タテ社会の人間関係」 & 波暮旅二:「田園安居」
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中根千枝:「タテ社会の人間関係」 & 波暮旅二:「田園安居」、そして鈴木和夫:「心の風景のデッサン」





風の便り(波暮旅二)
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「風の便り」を含む記事;Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より



温泉人(おふろうど)
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里の情報誌「まほろば」表紙
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里の総合誌「まほろば」第2号へ原稿掲載

  田んぼに立って思うこと
 
                              温泉人 鈴木和夫



東北に生まれ、四季折々田んぼの景色に親しみながら大人になった。育った家は町中にあったので、身近に田んぼがあったわけではないが、幼い頃から父が自転車に乗せ、そして一人で乗れるようになってからは、自転車を連ねて田んぼが広がる道を走ってくれた。それは、近くを流れる小川へ魚取りにつれて行ってくれる ためだった。
父は、勤めや家業のあい間を利用して田んぼの近くを流れる小川で、私を楽しませてくれたのである。自転車のハンドルには、ミルクの空き缶に針金で取っ手を付けてぶらさげていた。後方の荷台には半月型の魚取り網がひもで結んであった。

田んぼが広がるあちこちの草むらには何本もの小川があった。水の流れに網を仕掛け、足で泥を探りながら網に小魚を追い込むと、たくさんの小魚が飛び跳ねた。 捕った魚は空き缶に入れる。魚のほかに、ゲンゴロウ、水カマキリ、タガメ、腹の赤いイモリなどがいっしょに網に掛かってきた。また、網ですくった泥の中に は無数の小さな生き物が体を動かしていた。初夏の夕暮れどきなどには、月見草が川沿いに咲きそろい、膝ほどの高さに育った稲の間や小川の草むらには、ホタ ルも淡い光を点滅しながら飛んでいた。

当時の我が家は、決して楽な暮らしではなく、一時は長屋住まいを余儀なくされ、再起を計って父母は力を合わせて苦労に耐えていた。家族が多かったので両親にとっては並大抵の苦労ではなかったはずだ。
生活は苦しかったが、父母は常に明るく振る舞って、子供たちには少しも暗い影を見せず、幾多の困難がやってきても、常に前向きに対処して、家族に明るい灯りをともし続けてくれた。

父は勤め人として働きながら、休日には家業の「最中の種屋」(「最中」のかわを作る商売)を手伝っていた。少しの時間でも惜しむかのように、畑に出てクワも 持った。落ち葉などを集めて腐葉土を作り、そこに種を蒔いていた。作業をしている父の姿は、いかにも楽しみながら働いているといった様子であり、作物を慈 しみ、育てる父の姿は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。土の中から這い出てくるミミズ、コガネムシの幼虫、ハサミムシなど、何が出てくるのかと、興味 津々と見入っていた。

一方夏休みともなると、決まって母方の実家に泊まりに行った。入り口の井戸には、冷たい水が満々と満ちていて透き通った水の底には虹色に光るカラスガイが沈んでいた。農作業を終えた近所の人が気軽に立ち寄っては、汗を拭きながら井戸水を飲み干した。
井戸水の流れ落ちる後方には、奥羽山脈の蔵王連峰が連なり、手前には、青々とした田んぼが広がっていた。
田んぼのあぜ道を歩き、所々に立ち止まってしゃがんでは、稲の根本に広がる浮き草の間からきょろっと覗いたカエルの目や、草わらの間にカサコソ動き回るコオロギなどを食い入るように見つめていた。
また、藁葺きの家の中で、開け放たれた広い座敷に横になり、頭の上に降るように響くセミの鳴き声、むせ返るような稲や草の薫りの中で昼寝をした。

このように、父や母とともに田んぼを身近に過ごした幼年期の体験は、多くの生き物が自然とともに生きる時間感覚、そして自然の懐に抱かれながら、心を解き放って過ごす手放しの安心感を十二分に身につけさせた。

そして、小学校に入学し間もない授業で、担任の先生が「今日は晴れているから、外に出ましょう」と田んぼに連れ出した。緊張しながら登校した最初の授業で、遊びとしてではなく正規の授業の場が田んぼだったことは、とても驚かされた。

近年になって、その時の担任の先生にお会いする機会があり、入学時の驚きの気持ちを伝えたところ、ほほえみながら「私は何もあなた方に教えませんよ、連れ出 しただけなのです」と返事が返ってきたのである。「教育とは決して一方的に教えるのではなく、自ら感じ考えるよう啓発をするのだ」という確固たる理念に裏 付けられたものだったのだ。

大人になった今も、小さい頃の記憶に突き動かされるかのように、田んぼに出かけるのである。“自分も生き物の一つ”といった感覚で心を解き放し、田んぼに立ち止まっている。
小川の草むらから聞こえてくるコオロギの声、月に照らされた田んぼの水面に響きわたるトノサマガエルやウシガエルの鳴き声など、まさに“命の声”に聴き入っている。

普段、都会の中では当たり前と思っていたものが、とても受け入れ難いものに見えてきた。遠くを走っている車の強烈なライトの明かり、人工的で規則的なエンジ ン音やタイヤの連続音、大音量のカーステレオなど、なんとも不愉快であり、自然界に同居している他の生き物の立場に立つと、何と身勝手なのかと思い知らさ れた。
そこには、自然に共存している生き物の“命の声”を聴こうとする姿勢は全くない。無責任なニュースや番組が繰り返し流され続ける社会に私た ちは生きている。“言論の自由”と言うが、「受け手は自立した正常な判断のできる人間である」との前提に立っているのだろう。しかし、世の中は常に精神的 に正常な人ばかりが生活している訳では決してないと思う。このような精神が左右されやすい生活者に対して、興味本位の番組や、人を殺したとか、盗まれたと かの過激で目立ったことのみがニュースとして取り上げらる。毎日毎日このような身勝手な情報が流され続け、受け取ることを拒否しがたい社会にあって、人間 として正常な精神を持ち続けることは大変難しいことに思える。いつしか心に支障を来し、肉体の健康すらも維持できない状態になってしまう。

90歳を越えた祖母に「どうして長生きできたのか」と問いかけたところ、すぐに「ニュースは見ない。どうせ人を殺したとか盗まれたとかの繰り返しだから・・。 90年間生きてきても、いつも内容は変わらなかった」との返事が帰ってきた。人間が勝手に作り上げた世の中の毒気から、自ら遠ざける工夫をしながら永らく 生きてきた、まさに人生の達人の言葉だった。

最近、未成年者が親や家族を殺害する事件が多発している。そのたびに、生身の人間に備わって いる精神の強さは、どれほどのものか疑わしく思えてきた。どれが本物でどれがフィクションなのか、どれがリアル(実体)でどれがバーチャル(仮想)なの か、まだ自分の頭で考え判断することに慣れていない、いわば詰め込み式の教育の最中にある我が国の未成年者にとっては、人間社会の生み出す身勝手な情報 は、濁流のようなものだ。しかも都会という人間の作った限られた空間の中に押し込められている。社会に船出した成人であれば、自分の意志と経済力で、そこ から脱出する方法も見いだせるが、まだ社会的にも、経済的にも自立できない未成年者にとって、社会の檻の中に閉じこめられたようなものだろう。このような 時期に、社会や自分自身を認識し、自らの意志で何に向かって生きるかを決めようとするには、何と人間の身勝手な社会や情報に取り囲まれているのかと恐ろし くなる。しかも、一筋の明かりを必死に探そうとする善良な者を標的にした組織も、人間社会には多く存在している。人間社会が作り出した濁流に飲み込まれた ら最後、人間のみの価値観で作られた檻から抜け出せない。

一方、成人した人々であっても決して“自立した市民”とは言えない。企業社会の中にあって多くの場合、立ち止まることは許されず、そして何よりも効率性を求められる。それは、組織が継続して生き延びていくために必要なことであり、決 してこのことを否定するものではない。そして、企業人として求められる行動様式も、これに合致した価値観が求められるのは当然である。
ところが、 企業にとって良いように育てられた行動様式が、知らず知らずに、我々の暮らし全体に渡るものであるかのような錯覚を自ら抱いてしまっていることが問題を生 んでいる。我々人間の体は、企業といった組織体は異なり、無限の時間を持ち続けることは絶対に不可能である。“限りある命”の持つ有限な時間の中で、いか に有効な時を過ごし、いかに社会に接し、次の命にバトンタッチするかを問われているのだ。

都会を離れ、郊外に広がった田んぼに立ち止まってみることで、自らも生き物の一つに過ぎないこと、そして自らが関わっている人間社会が、どれほど人間にとって身勝手に作られてきたかを思い知った。
産業革命以来、技術・経済中心で突き進み、化石資源の枯渇や人口増大、そして環境悪化、その結果ストレス社会が生まれるといったひずみを生んだ。
このような絶望の淵から這い上がるには、すべての人間の生き方が「地球そのものすら生き物ととらえ、地球上に存在を許されている生き物と共存していくような 「環境共生社会」の方向しかないことを知るべきである。世の中にあるすべての組織活動(たとえば企業は、すべての業種における商品やサービスの提供、そ して我々のライフスタイル)は、何らかの環境共生社会の方向を意識したものとならなければ生き残っていけない時代が、今まさに到来したのである。

人間が生きていくためには、何らかの“生産”が必要である。空腹を満たし、温度差や危険から体を守る衣服を作り、地球上に生きてきた。しかし、生産の方法に よっては、緑の地球環境を悪化させ破壊し、ついには砂漠にしてしまうこともあり、また反対に緑の地球環境を作り上げ、環境と上手に共生してきたことを教わった。

哲学者梅原 猛さんは、「稲作の文化(東洋文化)こそが、いつまでも自然とともに共生していくことができる文化である」「哲学の構築方向は、西洋哲学だけでなく、東洋哲学と融合する方向に向かうべきである」と述べている。
また、「一言でいうと、西洋は『小麦と牧畜』の文化であり、東洋は『稲作と養蚕』の文化である」「言い換えると、西洋は『パンとバター』の文化であり、東洋は『米とシルク』の文化と言えるだろう。」
「西洋(西アジアおよびヨーロッパの思想)は小麦栽培を行ってきたため(ほとんど水なしにできる、雨が降らない方が良い、だからどこでもできる、山の上まで畑 がある、耕して天に至る。どうしても耕せないところには家畜を放牧すればいい)、徹底して自然は痛めつけられた。だから歴史的な文明が発達したところ(中 央アジアとか西アジア)は、現在ほとんどが砂漠と化してしまった。最初から砂漠だったわけではなかった」
「ところが東洋はちがう。やっぱり稲作にとってなくてはならない水を確保するために森が大事。森は水を蓄えている。水を重んじる。特に森を重んじる。日本は、山にたくさん木があり、田んぼに水が引かれている豊かな自然がとても美しい。」

地球上を砂漠にしないのは、稲作文化の東洋だったという。これまで当たり前と思っていた田んぼを見る目が変わった。一粒のごはんを口に運ぶことがとても嬉し くなった。そして、田んぼによって米を生産し、緑の環境を維持しつづけている農家の方々に感謝するとともに、私たちの食生活も見直していきたいと考えるよ うになった。

ふと“自然の声を聞くことができる”という感性は、どのようにして育まれ、どのような意味を持つものなのか考えつづける中でその解の一つと言えるものに出会った。
それは、環境問題を最初に問いかけた名著「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソン、 その最期の執筆となった「センス・オブ・ワンダー」の一節に次のように述べられている。「小さい頃にこの『神秘さや不思議さに目を見はる感性』、この感性 は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、 かわらぬ解毒剤になるのです」

自らの生き方に照らしながら、考えてみた。決して、一目散に駆け抜けるのではなく、気にかかる所では積極的に“立ち止まる”ことを指向し、実行してきた。
結 婚し新しい家庭を持ち、家族子供が誕生してからというもの、週末ともなると家族を連れ、山懐に“気配”を求めては各地の温泉を訪ね歩いた。途中の道すが ら、なぜか不思議に心に止まる景色に出会うと、草むらに足を降ろし、五感のみならず六感以降の感覚をとぎすまして、自然の声に聴き入っていた。

こ のような暮らしを続けるうちに、いつしかこれまで日本の季節や自然と関わって生きてきた中で、忘れることのできない想いがあることに気づき始めた。それか ら数年に渡り、仕事帰りの通勤電車を利用して想いを書き止めた。そのことを通して、身近に自然に接しながら幼年期を過ごしたことが、自らを生き物と自覚 し、自然の声を聞くことができる感覚を育てたのだと確信した。

「 原っぱの子どもたちは、この地球の縮図のような空間の中で多くのことを体験した。雲と天候の移り変わりを感じていたし、朝露の降りた草の感触、カラカラに 乾燥した土ぼこりに耐える草のこわばり、やわらかくしなやかな春の草、一面真っ白に覆われた雪の下でじっと次の命の再生を待ち構える草など、草はそのとき どきで、さまざまに表情を変えていった。それらさまざまな草の表情について、触れた感触も含めて子どもの記憶の中に蓄積されていったのだろう。考えてみる だけで、そのときの草の表情を色合いのみならず感触までも思い出され、体が反応してくるのはおもしろい。
自然の中に身を置いていることは、ただそ れだけで自然そのものの自然な姿を、自分の体の中に写し込むことになっているのだろう。体験というけど、まさに体の中にあるがままの自然の動き、感触が写 し込まれていくように思えてならない。その証拠に、五感と六感以降の感覚でとらえた自然との接触の体験は、生き物と接して生きていくためのルールを誰から 教わったわけでもなく自然に身についていて、多くの生き物と、ともに生きていくことを楽しむ力を与えてくれたのかもしれない。」(「心の風景のデッサン」より)

今でも、自らの心の中心に位置し続けている“心の風景”について書き出したことで、自らが抱き続けている価値観が鮮明に浮き彫りになった。そこには、田んぼ に関わった光景がとても多く、我が国に生まれ育ったものにとって、最も身近な自然であり、しかも、多くの生き物と出会い、自然の声を受け止める感覚を育て てくれたところであった。

田んぼに立ってみて、我々人間が作り出す社会のあり方や生き方について考えさせられた。足下の虫やカエルなどの声、そして草の擦れ合う風の音などが、我々に警鐘を打ち鳴らし、あるべき方向を訴えかけている自然の声に聞こえてきた。
その声は、社会のしくみや我々のライフスタイルの変革を迫っているものであることを人間社会に伝えていくことこそが、自らの命を授かった自然への恩返しと思えてきた。今、仕事と暮らしの両面で、手探りを始めている。

                                      温泉人(おふろうど)





“温泉”、東日本大震災が与えた影響
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日本人の自然観をいまこそ見つめ直すとき





「価値逆転を招く 環境変化」:温泉人(おふろうど)





「価値逆転を招く 環境変化」:温泉人(おふろうど)
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【提言】:地球環境問題とビジネスシフト
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【警鐘】:「 “素朴な暮らしを”」(波暮旅二) &【提言】:地球環境問題とビジネスシフト






波暮旅二さんからの手紙(〆)





波暮旅二さんからの手紙(〆)





波暮旅二さんからの手紙(〆)




写真展ご案内(開催済み): 「近くて懐かしい昭和のひとコマ」
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波暮旅二さんからの手紙1/2





波暮旅二さんからの手紙2/2





波暮旅二さんからの手紙(封筒表)





波暮旅二さんからの手紙(封筒裏)





波暮旅二さんからの手紙(無常について)
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波暮旅二さんからの手紙(無常について)




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波暮旅二さんからの手紙(〆)





旅二画廊






田園安居(波暮旅二)





田園安居(波暮旅二)

ラブhttp://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/50762228.html 田んぼ:「心の風景のデッサン」より

http://www2c.biglobe.ne.jp/~ofuroudo/off-road.htm 田んぼに立って思うこと:温泉人(おふろうど)





波暮旅二 画伯






波暮旅二画伯と温泉人(おふろうど)

http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/51808662.html 自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画):温泉人(おふろうど)



波暮旅ニさんへ

波暮さんの“想い”が凝縮された随筆集を、こうして届けて頂きましたことに、深く感謝いたします。

ご本を手にして、社会の在り方に対し筆と絵筆で問いかけ、厳しい射抜くような表情で語る波暮さんが思い起こされます。

いまこうして随筆集となったことで、真摯に人生を社会のあり方を問いかける人に、自然と共に歩むことがいかに大事かを伝え、社会に警鐘を鳴らし続けることになると確信しました。

所沢の自然派絵画・写真展に出かけ、会場で波暮旅ニさんに出会ったことが運命的出会いでした。当時、小生の立ち位置をどう捉えるべきか、考え続けていた時でした。

一つは、経営を支える革新者として、あるべき姿を描くこと、そして現実とのギャップつまり真の問題は何か、その問題解決のために人の心を動かすものは何かを試行錯誤しながら実践する毎日でした。

こ れに対しては、「日本は、四方を海に囲まれた豊かな自然があり、生産出来る海、そして生産出来る山にして、海と山の交換の場づくりをして、そのモデルにし たい」と、鴨川市の総合交流ターミナル「みんなみの里」の構想と実践を、そして地域情報誌「まほろば」の発刊による地域でのキーマンを巻き込んだ自然への 啓蒙などに、執筆者の一人に加えていただくなど、文章指導もいただきました。「絵や写真だけでは、その哲学的な想いの結晶化ができない。文章を書くように しなさい。おれは、随筆を書いて、協会に投稿して腕試しをするんだ」と、自らも手本を示しながら実践される姿を、間近に見させていただきました。

二つ目は、自然とともに自然体で生きる温泉人(おふろうど)として、全国各地の草深い山間の温泉に身を浸しながら、写真(写心)表現で問いかけている時期でした。

「お 前はなぜ温泉にでかけるのか」の問いかけに、とっさに「気配に出逢いに行くのです」と答えました。それに応えて波暮旅ニさんは、「いまの俺の絵に、何かが 足りないと感じていたが、気配だったんだ」「お前がそれを気づかせてくれた」と、後々になっても、いつも身に余る感謝の言葉が帰ってきました。
経験も未熟な年下の小生に、暖かく接していただけたことが、どれほど自信をつけさせていただいた事か、今の写真活動に繋がってきたことは、波暮旅ニさんとの出逢いだからこそです。

アンドリューワイエスの描く繊細なテンペラ画を虫眼鏡で食い入るように見つめ続け、道端の石に、眼から血が出るまでに見つめ続けた話は、自然のあるがままを、自然の姿を描くその後の姿の原点と受け止めました。
鴨 川市と姉妹都市のアメリカのマニトワック市に、鴨川市から渡った絵画「ワラボッチ」は、草木の生きる姿を繊細なタッチで描くことと、背景の山々の気配を感 じる様子は、日本の水っぽい気候での藁ボッチの在り様、土に生まれて土に返って行く姿、そして枯れ草の根元には新しい命が緑色で描かれたその哲学性が、波 暮旅ニさんの独自で生み出した画法で、他にない世界を築いたことをを見届けさせていただく貴重な場に立たせていただきました。

都会の住まいを捨て、自ら田園の広がる地を選び、想いをカタチに実践された生き方を、「田園安居」は語っていました。

その頑固なまでの生き方を、見守り支えて来られた奥さまを始め、多くの人支えられがあってこうしてカタチになり、手にすることができたことに深く感謝致します。

これからも、波暮旅ニさんから育てていただいたご恩に対し、具体的な日々の活動を通して少しでもお返しできたらと考えています。

いつまでも、見守っていてください。

                           温泉人(おふろうど)



 
波暮旅二 画伯と温泉人(おふろうど)
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田んぼに立つ、田んぼに感じる、田んぼに学ぶ:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より





波暮旅二画伯





西武デパート所沢店での展示(日本で最初で最後の展示)





波暮旅二さんの作品「藁ぼっち」全画面





波暮旅二さんの作品「藁ぼっち」





波暮旅二画伯の想い






気配
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“気配”:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より



どうしても、残しておきたいものがあります。それは、温泉人(おふろうど)に写真展の機会を与えていただき、その作品に込めた想いを明確に随筆といった文章で残すべきだと、具体的に手を取って教えていただいたのが、波暮旅二画伯です。

表現者とは、いかにあるべきか、そのことを厳しく実践して見せてくれました。

これまでの作品制作の中でも、書き上がった瞬間に立ち会えたときの、一枚の写真です。

「もう一筆たりとも、入れられない!」

こんなにも誇らしく、自分の想いを表現し尽くした瞬間の表情に出会ったことはありません。その場に居合わせた時の、強烈な印象が忘れられません。それほどに深い哲学的な想いが、画伯をして自然が描かせてしまったとしか言いようがないものだったのですから。

この絵はテンペラ画で描かれたもので、テンペラ画の巨匠アンドリューワイエスの生まれたアメリカの地に掲げられているのです。
西武百貨店での絵画・写真展に展示したのみで、すぐに日本の他を遠く離れてしまったのです。

その時の温泉人(おふろうど)の強い想いが、当時、波暮旅二画伯のアトリエのある千葉・鴨川市の市長に、一通の手紙を送るまでに心を動かしたのです。

以下に、その当時の手紙を紹介し、強い想いがあったことを記憶に止めておきたいと思えるのです。“表現するとは、これほどに強い想い・願いがあってのことなのだ”、という証明なのですから・・・。




          波暮旅二さんのテンペラ画「藁ぼっち」を拝見して

前略

西武所沢店の「自然派絵画・写真展」にて、テンペラ画「藁ぼっち」を拝見させていただきました。

大変、感動いたしました。

これまでの抽象的な絵画と違い、その絵の前に立ちすくむ来場者の方がなんと多かったか。そして、一見やさしい絵に見えますが、そのあるがままの自然そのものが強烈に訴えかけているような思いを感じたのです。

これは、単なる絵画ではないと感じました。見る人に、特に日本人に強烈に訴えかけているようです。立ち止まって見ている方々から次のような感想が聞こえてきます。


【立ち止まった方々の感想】

「所沢で長年、百姓をやってきたけど、この辺でも藁ぼっちあった。なつ かしい!」
「えっ、これ写真でしょう?」

「こんな緻密な描き方、テンペラ画ってはじめて見ました。すごい時間のかかる描き方ですね。近づいて見れば見るほど感動します」

「写真よりもこっちが本物だ!」

「どんなに大変なんだろう。気が狂いそうになるようなすごい筆の細かさだ」

「これ、日本の人にこそ見てもらいたいなあ。きっとだれも心打たれるだろうなあ」

「本当に、この絵は日本に残らないの?、なんで外国に展示されてしまうの?知らないでたまたまこの会場で見たけど、これはすごいよ。もっと多くの人に、それも日本の人にこそ見てほしい・・残念だ!」


こ のたび、波暮旅二さんの人生の集大成、画業の集大成ともいえるものを拝見し、この作品はどうしても日本に置いておくべき作品と思います。日本の地で生きる ものにこそ、「21世紀への道標としてこの大作の前にたたずむ者に語りかけるものであってほしい」と、心から念じております。
本当に、日本から他の地へ行ってしまうのでしょうか。単に、鴨川の風景画としてとらえているのであれば、あまりにもったいないと思うのです。

以下に、「藁ぼっち」のテンペラ画の前に立っての、強烈な印象をまとめます。どうぞ、単に鴨川市の一つの風景画としてとらることのないよう、その絵の価値をしっかり見ていただきたい、大切に大切に扱っていただきたいのです。

テンペラ画といえば、アメリカのケネディー大統領から最高の栄誉であるゴールドメダルを受賞したアンドリュー・ワイエスがあまりに有名です(秩父の加藤近代美術館にその絵を先日見にいってきました)。
し かし、今回見せていただいた波暮旅二さんの描いた「藁ぼっち」は、日本の独特の風土である水っぽさを感じる風景を、じつに良く描いており、ワイエスの絵に は見られない“ぼかし”があります。きっと、波暮旅二さん独特のテンペラ画として独自に開発した技法なのだろうと見惚れています。じつに見事に描かれてい ます。


(波暮旅二さんの絵と生き方からとらえた率直な感想)

■自然(じねん)が訴えてたい思いを、波暮旅二さんの筆を通して描かせてしまった。
・この絵は、波暮旅二さんの絵ではない。自然そのものが、今こそ語る 叫びの絵である。
・全世界に向けて思いを伝えていくことが、その声に応えること。「21世紀への道標」
・単に鴨川市を象徴する景色として「藁ぼっち」を描いたのではない。鴨川市のために描いたというより、日本、世界の人々に向けてより高い視座で描いたものであることはこの絵の前にたたずんだ人々は、すぐに直感するだろう。

■波暮旅二さんは、かつて風刺画家であったとのことであるが、人間社会と自然界をしっかり見すえる人
・この絵を通して、自然の言いたいことを代弁し、人間社会への警鐘を打ち鳴らすものとして描いたのだろう。
・単なる画家というのでなく、その描くことの意味、それを「風の便り」として、エッセイとともに語る画家である。いまこそ、自然画家として自然讃画を語る時であろう。

■「藁ぼっち」を描く意味
・「農と自然は、人類のふるさと」である。その自然との共生こそ、この地球上に生き物として生きながらえる方法であることを気づかせている。

■テンペラ画家としての波暮旅二さんの、画業としての集大成といえる作品
・自然の微妙なかたりかけは、テンペラ画独特の画風である細心の表現でこそ表せることがえきるものであり、他の画法(油絵、水彩画)では表せない。
・今回の藁ぼっちの絵は、「もう一筆も描けない」と自ら言わせるまでに集中して取り組み、波暮旅二さんのこれまでの画業における最高傑作といえるものだろう。
・フランスの画家ミレーは、「自分は農民を描く労働者である」というように、この自然画は、抽象画と違ってごまかしはきかない。しっかり時間を掛けたことが、だれの目にもわかるほど丹念に描かれており、見るものに感動を与える。
・構想3カ月、描き初めて3カ月、この「藁ぼっち」に掛かりきりになって描いた大作である。


以上、波暮旅二さんの「藁ぼっち」のテンペラ画を拝見し、率直な感想をなんとかお伝えしたいと思い、乱筆乱文を省みずまとめさせていただきましたものを、ここに送らせていただきます。

どうぞ、波暮旅二さんの絵の意味を、きっちりと受け止めていただき、正当な評価とその価値に合った扱いがいただけることを切にお願いいたしまして、ここに筆を置くことにします。
                                                                       草々



「鴨川市長への手紙」温泉人(おふろうど)より




「鴨川市長への手紙」温泉人(おふろうど)より

 





波暮旅二画伯の想い
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波暮旅二画伯の想い





自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画)





自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画)





自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画)





自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画)






自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画)
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自然の在り様を描く :波暮旅二 画伯(テンペラ画)




藁ぼっち
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藁ぼっち(波暮旅二画伯に学ぶ)



 

波暮旅二展・・・アートギャラリー銀座(2007.5.8)
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波暮旅二展・・・アートギャラリー銀座(2007.5.8)



アトリエでの波暮旅二さん
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風景画家・波暮旅二さん:楽園雑誌 渚でくらす 2008年5月5号




振れ幅
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振れ幅



s-市民講師
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★【仕事と暮らしを結ぶ情報学】 :市民講師による
『けんかつ・まなびあいセミナー(2002年)』パンフ




s-デイタムズ
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デイタムズ記事:「温泉人(オフロウド)流、温泉の楽しみ方」




s-往年のビバ!メンバー夫妻
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往年の「ビバ!キャンパークラブ」メンバー夫妻




心の風景のデッサン
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心の風景のデッサン

・・・故郷、それは心の中にある「心の風景」に違いありません。決して消えることのない・・・






「真弓の実&しずく」
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尾瀬に向かう鳩待峠、峠から山を下って行く途中に、一面ブナ林が広がる中に流れる水は、そのまますくって飲めるほどです。

そこにある野営場に宿泊したときに、紅葉の背景に、真っ赤なツリバナマユミの実がしずくを伴って垂れさがる光景に心打たれました。

珠露(しずく)、こんな素敵な曲を、二胡の演奏と共にカタチにしていただいたのが、王 明君さんです。ゆっくりと、一粒一粒、しずくが落ちる様子が表現されました。

哲学的な表現を教えていただいた波暮旅二さん、お送りしたしずくの写心を、大切にしてくれていたことを、波暮さんからの自筆の手紙で知りました。

自然の姿、あるがままの姿は、こんなにも確かな人の心を打つものなんだと・・・。




波暮旅二さんからの手紙





波暮旅二さんからの手紙




珠露(しずく)
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珠露(しずく)




根があれば1





根があれば2




s-根があれば1
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根があれば・・・




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石(波暮旅二)
作: 波暮旅二



石(波暮旅二)
作: 波暮旅二




波暮旅二さんからの手紙「石」





波暮旅二さんからの手紙「石」





波暮旅二さんからの手紙「石」





波暮旅二さんからの手紙「石」




石(波暮旅二)
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自分の宝物と同時に、人の宝物を発見できる人




寒立馬 (かんだちめ)
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寒立馬 (かんだちめ)


s-作品と人とのコラボ(展示会場)
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作品と人とのコラボ(展示会場)


マッチの灯
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“マッチの灯” : Googleで「波暮旅二」「温泉人」を検索すると




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いつも「温泉人(おふろうど)ライフ」へお越しいただき、嬉しく思います。ここで、写真(写心)についてのこれまでの活動をまとめてみようと思います。

中学校のころに、星の写真を 撮り始めたことがきっかけでした。家にあった35ミリカメラで何もわからずただただ星の光をとどめたい一心でした。その後、社会人となって自分で始めてオ リンパスOM1、OM2を手にし、ここから本格的に動き始めました。実習先の方との出会いで、毎日写真の話をしているうちにいっしょに鎌倉、秩父と出歩 き、子供のころに出会った光景とダブっている自分に気が付くのです。そして、写真部に誘われ白黒写真の焼きやパネル張りができるようになり、写真の世界の 入り口に立ったのです。

仕事のかたわら、休日には家族と共に車中泊で温泉の気配を感じ、出逢う道すがらの自然な草の生える道端になぜか安心感を感じたのです。こんな折に、所沢の絵画展でテンペラ画の波暮旅二画伯に出会い、“気配”の話から、「次回からいっしょに写真展示しないか」と誘われたことが、写真展のきっかけでした。

その後は、なぜか心が波立つものにカメラを自分の“心の目”として撮り始め「心の風景のデッサン」そのものなのだと気が付くのです。そうして本の中に文章とともにその想いを綴っていくようになりました。

その出逢いによって、以下の写真活動に繋がっていくのです。そして、今はこうしたネットでいかに“自然の声”を伝えられるか、「次世代の語り部」として、試行錯誤しながら、日々心と身体を動かしているのです。

自然と共生し、人間社会で問題解決力をつけることで“自分らしく生きる”ことを「ほらね!」って言ってみたいのです。自然体で生きて行きたいと思うのです。写真は、そのものの見方を磨いていける大切な道具とも思えるようになっているのですから。

・・・・・⇒「これまで、芸術というと、人の想い人の目線で表現されたものを指していました」 「でも、それでは自然の持つ気配は消えてしまいます」 「あなたが気付かせてくれた“気配”とは、一生かかっても問いかけ続けるほどの確かなものです」 「あなたに、感謝状を送ります」(波暮旅二)


 

【略 歴(写真活動)】

鈴木 和夫(すずき かずお)
       
1953年、山形県山形市生まれ
現在、
埼玉県富士見市に在住

幼年期から田んぼや山に囲まれた山形の風土の中で過ごし、また宮城県の松島を眺める多賀城市七ヶ浜町の海に接して過ごした。
「積極的に自然に親しむ人生を歩む」との方向を学生時代に心に決めた。社会人となって仕事のかたわら各地の温泉を巡る中で、その土地での自然と人との出会いを通して多くのことを学んできた。
特に日本人の
四季を感じる自然観、そして「自然」を“じねん:あるがまま”といった本来のとらえ方に立ち、自然景観、自然環境の維持のための提言を行っている。

自称、
温泉人(おふろうど)


〔略 歴〕
■『東京都品川区区民文化祭』にて金賞を受賞(1979.10.28)
    『つくる』:山形県山寺で、こけしに目を描く子供の表情

■『GARR RV(RV&CAMPING MAGAZINE)』(1992.9)
『ガルヴィの旅:全国温泉めぐり・オートキャンプ』での写真掲載

■『日本オート・キャンプ協会 第六回フォトコンテスト』にて、金賞を受賞
(1995.1.15)
『かたらい』:群馬県高山村「みどりの村キャンプ場にて朝もやの中にて

■『第9回 自然派絵画・写真展』(1995.5)
                             (絵画:波暮旅二、写真:大森  盂、鈴木和夫他)
      所沢 市民ギャラリー

■『第10回 自然派絵画・写真展』(1996.5.8〜5.13)
                             (絵画:波暮旅二、写真:大森  盂、鈴木和夫他)
西武百貨店所沢店 7階コミュニティーギャラリー


■『心の風景のデッサン』写真展(1996.7.15〜7.26)
(前田徳彦/鈴木和夫の二人展)
東京都港区 CAFE&DINING+GALLERY『BLANCO』

■『第11回 自然派絵画・写真展』(1997.5.7〜5.12)
                             (絵画:波暮旅二、写真:大森  盂、鈴木和夫他)
西武百貨店所沢店 7階コミュニティーギャラリー

■『第12回 自然派絵画・写真展』(1998.5.6〜5.11) 
                             (絵画:波暮旅二、写真:大森  盂、鈴木和夫他)
西武百貨店所沢店 7階コミュニティーギャラリー

■『心の風景のデッサン(mind story)』(自分流選書)での写真掲載
 (1998.5.9)

■『心の風景のデッサン』写心展(出版記念展)(1998.6.15〜6.29)
東京都港区 CAFE&DINING+GALLERY『BLANCO』

■『ふじみ社会教育だより』の表紙に写真掲載(2000.9.10)
みてみて富士見『家を守る屋敷林』

■『温泉人(おふろうど)写真展』(2000.9.27〜10.8)
      埼玉県越谷市蒲生寿町 手炒り珈琲・ギャラリー『木土水』

■『土笛(オカリナ)〜土はふるさと〜』表ジャケットに写真「藁ぼっち」掲載
 (2002.10.31)
発売元:オカリナアートJOY、野口喜広

■ 「自然の気配」(2005・3・2〜) アルクトゥルス

『富士見市で出逢える自然(じねん)』写心とエッセイ展(2008.9.23〜2008.10.5) 富士見市・難波田城資料館

■ 写心&陶によるコラボレーション 「自然(じねん)」(2009.9.24〜2009.9.30) 飯田橋・RAMLAエントランスホール(主催:高橋工房)

■ 「書と写心によるコラボレーション“円満”」(2009.11.24〜12.26) 炭火焙煎珈琲「円満茶房」(富士見市)

「近くて懐かしい昭和のひとコマ」(2010.6.14〜2010.6.24) ギャラリー 蒼(東京・高橋工房)


案内状






















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温泉人(おふろうど)
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略 歴(写真活動):温泉人(おふろうど)




身近な自然に
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身近な自然に


田植えの終えた田んぼの畦道に、陽の光を受け、通る風に揺れながら咲く野の花がありました。

「野に咲く花のように♪」のメロディーが、聞こえてくるようです。

いつも思いだす事があります。

それは、冬の田んぼの側の小川に薄氷が張り、霜の降りた枯れ草に朝の陽射しが差し込む、そんな光景でした。
写心の道へ導いてくれた画家の波暮旅二画伯に、「写真がどうこうというより、ここを撮ろうと思ったことが素晴らしいのだ!」と。

なぜ撮ろうとしたのか、心が波立ったのか。

なぜ・・・。

ここに大切な想いが在ることを、しっかり認識することを示してくれました。“感じる”、その大切さが何よりの物であることを、確信できるようになったのです。

あるがままの自然のところに立つ、そこから“感じる”こころを持ち、そして“表現者”として自然の声を伝え続けて行くことで、人としての生き方、社会の在り様を問いかけて行く、大切なことを身を持って教えていただいた恩師です。




いのち




いのち
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いのち




波暮旅二の作品集「四季の風景」

波暮旅二の作品集「四季の風景」




いのちの在り様を想う(七ヶ浜町にて)




いのちの在り様を想う(七ヶ浜町にて)
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いのちの在り様を想う(七ヶ浜町にて) &「NHK『小さな旅』





旅二画廊





波暮旅二





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「 “歪められる過去の風景”」波暮旅二 & 「写心」温泉人(おふろうど)



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「まほろば」パーティー:波暮旅二さん主催(アーカイブ)



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波暮旅二回顧展


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飛翔




日立市田尻での講演にて

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(哲学堂公園のネコ)・クリックしてみてください。話の様子が聞こえますから。



木札:温泉人(おふろうど)
 温泉人(おふろうど)の意味 

 日本語ドメイン取得 http://温泉人.jp   



ofuroudo at 00:00│Comments(0)

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