2013年03月14日

東急東横線渋谷駅(2013,3,13:あと3日で終了)

東急東横線渋谷駅

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さよなら東急線9000系
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相互接続路線図






川越と横浜が繋がる & “繋いで人生を創って行く”

川越と横浜が繋がる





「積極的に自然に親しむ人生を歩む」をテーマとして決めたのは、社会人になってすぐの頃でした。

なぜ、これがテーマとなって思い浮かんだかです。当時を振り返ってみたいと思います。

社会人としてのスタートは、生まれ育った東北の地を離れ、東京で切ることとなったのです。

当時、父は「自分の人生は、自分で切り開くものだから、山形の実家に戻ることは考えなくていい」が、口癖でした。長男の私でしたが、この背中を押してくれる父の言葉が無かったら、故郷を離れて暮らす勇気はなかったろうと思います。
子供はやはり、親の期待に応えたいと思うでしょうから、何もなければ親の近くに住むことが、親孝行であると考えたに違いありません。
でも、父の言葉は、自分で切り開け!でした。

この言葉は、今自分が家庭を持って、子育てをして、子供にも自立を促すよう考えてきたことは、父と同じ想いなのです。
「親ガメ転けても、子は転けない」が、結果として互いに良い関係になるように思えるのです。自分らしく生きていくには、経済も、住処も、家庭も、自分で親から離れて、まずやってみる、自分で人生を築き上げる経験があることで、大きな自信となると実感したからです。

その折りに、自分なりの生き方の根っこに、何を大事に生きていきたいかを考えたのですが、迷うことなく「積極的に自然に親しむ生き方」でした。なぜか、考えのよりどころに、自然の有り様から学ぶ姿勢が良いと思えたのです。
そう確信できた背景には、きっと“感じる心”が育ったことにあったと思います。暮らしの環境も、また出会った幼稚園小学校の恩師の暖かく接してくれた感じる心を醸成する教育(啓育)だったと思えるのです。

自然は、とても多くの事を気付かせてくれます。どんなに人間が作り上げたものも、自然にはかないません。ここで言っている自然とは、やがて
自然(じねん)という“あるがまま”といったもともと完成されている姿、という概念にたどり着きます。
その完成された自然から、どれだけ“感じる心”で、気が付くかなのだろうと思えるのです。

それで、とにかく自然を師として生きていくことが、一番バランス良く生きていくことに思えたのです。

学生の時に、宮城県の多賀城で海の側で下宿暮らしをするなかで、親もとを離れ、自然と接する生き方を指向し続けていました。一日一行の日記を付け、一日の中でどれだけ自然に親しんだのかを、一目で分かるように自然との関わりの項目を、緑のボールペンで書いたり緑のマーカーでマーキングしたりしていました。

そ れほどに小さい頃から、身近な自然をじっと見つめ、そこに多くの時間を過ごす子供だったのです。幼児のころの父に連れられてでかけた田んぼでの魚捕り、小 学校のころの石集め・蝶採取、中学校での星を見つめその写真撮り、高校での化石採り、そして大学時の海の近い下宿生活での貝ひろいなど、自然を友とし、師 とする下地が整っていたように思います。

こうして、社会人となって都会に出て来たことが、それまでの生き方を振り返りながら、先の暮らし方を決めるに何の迷いも時間もいりませんでした。

あとは、どうすれば、その暮らしができるのか、考え実行に移すのみです。こうして、いまの温泉人(おふろうど)ライフができてきたのです。

                           温泉人(おふろうど)





川越(地図)
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川越と横浜が繋がる
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中延を訪ねて(かつて住んだ街)
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中延を訪ねて(かつて住んだ街)



「池上線」

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ここ中延(なかのぶ)に、東京に上京して半年後から、弟らとともに5年間(うち結婚して1年は妻と)を、暮らした街です。

都営浅草線、東急池上線、東急大井町線の3つの駅がある、とても他へのアクセスに便利な街で、年寄りも多く暮らしていて人懐こい暮らしのところです。

約30年前に中延から、今の富士見市に移り住みましたが、今も中延での人懐こい人の中での暮らしが思い出されます。

駅前のてんぷらそば屋さん、定食屋さん、アパートをお世話になった不動産屋さん、お風呂屋さん、神社、そして今も残る古いアパート(2Fに畳が傾く6畳一間、半畳の台所、共同トイレ)も残っていて、タイムスリップしたように感じました。

当時の初任給が10万円で、職場の先輩の引っ越し手伝いをして、その笑顔を見てから絶対に家を持ちたいと思い、3万円を住宅財形に貯金を始めたのも、ここで の生活でした。同郷の山形が出身とのことがきっかけで、各所帯の電気の使用量を不動産屋さんに伝え、請求書で集金し、領収書を各所帯に手渡すなど信頼され 任されたことで、数千円を安くしてもらい格安で住むことが出来ていたのです。

知らない地に住むことになっても、やはり人との縁が助けてくれることを学んだのもここ中延でした。

いまこうして東京を勤務地として埼玉:富士見市で住まい出来るようになりましたが、人生を作って行く道のりは、人との偶然の出会いで起こるものを、自分の人生の計画に繋いで行くことで、カタチにしてゆくものなのだと、今は実践の中で分かるようになりました。

これからも、さまざまな出逢いを、自分で大切と思えるもののカタチに繋いで生きて行こうと思います。

                           温泉人(おふろうど)


 

http://allabout.co.jp/r_house/gc/31364/ 荏原中延、商店街が続く昭和の下町:「住みたい街・関東」より




川越と横浜が繋がる
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川越と横浜が繋がる & “繋いで人生を創って行く”


工坊さん(田坂 博さん)と祐天寺にて(2006年10月8日)
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工坊さん(田坂 博さん)と祐天寺にて(2006年10月8日)


愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)


温泉人(おふろうど)
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(哲学堂公園のネコ)・クリックしてみてください。話の様子が聞こえますから。


 日本語ドメイン取得 http://温泉人.jp   


ofuroudo at 00:28│Comments(2)

この記事へのコメント

1. Posted by 工坊   2013年03月14日 05:58
 東横線は、幼い頃から親しんだ電車です。緑色の下膨れのような可愛い顔の車両が渋谷駅の一角に飾ってあります。また、この渋谷駅の東急デパートが祐天寺の自宅からは唯一の高級品を購入する場所。うっすらとトロリーバスが渋谷駅の周りを往来していた頃のことを覚えています。私にとって渋谷駅は遠くに出かけるときの基点駅のような存在でもありました。貴重な映像有難うございました。
2. Posted by 温泉人(おふろうど)   2013年03月14日 19:47
工坊さん
工坊さんにとって、渋谷、東急東横線、祐天寺など、小さい頃からの暮らしの光景だったんですね。

私にとっても、東北の地から東京に暮らすことになり、不安の中にも安堵感をかんじさせてくれたのが、東急東横線の自由が丘、武蔵小杉、そして池上線の中延です。

惜しまれて東急東横線の渋谷駅舎は役目を終えますが、工坊さんの暮らす横浜地区、小生が暮らす東武東上線の富士見市、そして川越が相互に接続されることになるとは、不思議な縁です。

また新しい出会いが楽しみです(^^)

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