2013年12月13日
心の風景 「もみじ公園」の紅葉へ父と行く・・・☆動画像も・・・(2013年11月18日)
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「城下町やまがた探検地図」上の★心の風景ポイント
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武鑑(ぶかん) & 川越(松平大和守)・出羽山形(中山・山辺)・水戸(日立・助川)の繋がり
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同級会(小学校6年3組):山形「紅の蔵」にて & 「もみじ公園」の紅葉
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新雪(山形・もみじ公園)
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春の「もみじ公園」
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根があれば・・・
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京文化と温泉人(おふろうど)の繋がり
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達人
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「心の風景のデッサン」:温泉人(おふろうど)・・・故郷、それは心の中にある「心の風景」に違いありません。決して消えることのない・・・
まえがき
誰にでも、生涯の中で忘れ難い自然や季節との思い出があります。でも、これは思い出といったものだけでは語れない「その人が大切にしてきたもの、これからも大切にしていきたい宝物」なのではないでしょうか。
昔のことを、そして自分の生まれ育った故郷を単に懐かしんでいるということではないのです。きっと大切にしたい何かがそこにあるからと感じるからなので す。自分の心の目で心地よいと感じ、大切にしたいと思っている価値観がそこにあるのかもしれません。きっかけは、小さいころに出合った光景だったかもしれ ません。でも、その時代、その場所に戻ることはできないし、その意味も違うのかもしれません。
ここ、もみじ公園でのことを書いた「心の風景のデッサン」掲載文を、以下にご紹介します♪
【冬】
・氷のいかだ
★氷のいかだ
池の氷の上に乗ったことありますか。
おそるおそる片足を氷の上に踏み込んでみる。大丈夫! 続いてもう一歩、大丈夫!
カチンカチンに冷える季節に、かなり信頼できる厚さの氷で、池一面が覆われることがある。このときがチャンス。
思
い思いに氷の上に立つ。そのうちに、誰からともなく氷を使ったイカダを作ろうと言うことになる。鉄の棒で足元の氷に穴を開けていく。数人が乗れる大きさの
氷のイカダが出来上がる。ひょいと飛び乗って見る。なかなか快適に浮いている様子を体で感じながら、程よい揺れを楽しんだ。
そうして、一人、また一人と数人が飛び乗ってくると、その重さで足元に水が回ってくることとなり、滑りやすくなってくる。
一人が、危うく滑りそうになって、ようやく体制を持ち直した。その勢いで、氷が大きく揺れ、他の数人も体制を建て直そうと、そろって同じ方向に重心を移動した。
こうなるとますます氷のイカダは傾き、皆もそろって同じ方向に動くため、ますますバランスを崩していく。
ついに、氷の上の乗客はバランスを失い、池の水の中へ落ちてしまった。
もともと一体であった“池の水”と“池の氷”が、一つ所に液体と固体が同居することになり、その双方の状態を使って楽しんだ? よくよく考えるとおもしろい。
どうです? こんな氷のイカダの存在、子供ならではの新しい遊びの発見ではなかったのだろうか。
それ以降、何十年とこのような光景に出会ったことがないが・・・。
「心の風景のデッサン」より
【春】
・ターザンごっこ
★ターザンごっこ
庭師が雪囲いをはずす時、これが春。
雪国の春を告げる景色に、冬の間中、降り積もった雪の重さに耐えるために枝を吊った雪囲いに使っていた縄をはずす作業がある。
そう、有名な金沢の兼六園の雪囲いを見たことはあるでしょう。樹木の中心に添って支柱を立て、それを支えに四方に伸びた枝を放射状に縄で吊っていく。きちんと揃えられた枝ぶりと縄は、それだけで美しい。
もう雪の心配も無くなった春先に、枝を
吊っていた縄が枝から外され置き去りになっていた。これを子どもたちが見逃すはずはない。何本かの縄をまとめて石の重りを付けたものを、枝振りの良い大木
の太い部分に放り投げて引っかけた。そして、ちょうど子どもの腰の高さに結び目を作り、そこに足の又をはさんで綱に体を固定できるように作った。
りっぱな、ターザンごっこの綱ができた。
起伏を利用して、垂れ下がった縄の綱に飛び乗ってしがみつき、その反動を利用して円弧を描いた振り子のように大きく揺れた。
「アーアア〜」
もうすっかりターザンになった気分で気持ちがいい。でも、何回か円弧を描いてし
がみついていると、体の重さに綱を握った手が耐え切れなくなってくる。もう我慢ができなくなって、一面を覆っていたササヤブの中に「ドサリ」。
順番に、何度も何度も「どさり」、一日中「どさり」。
皆が一度は、ターザンになったころのお話。
【夏】
・もみじと土ダンゴ
★もみじと土ダンゴ
もみじの木がたくさん植えてあった公園での思い出。
かつて京都からこの地に移植したと言われる枝振りの良いもみじが、池の正面にあった。これを囲むかのように何十本ものもみじの木が大きく繁っている。
この中で子供の好奇心を満たすように、池の生き物たちや山の生き物との出会いがあった。
ようやく、もみじの葉らしい形の葉を2〜3枚つけたばかりのものに出会った。
あの大木の子供とは思えないほど小さな苗、しかししっかりと茎は細くても強くしなやかである。この先にあのもみじの葉の形がしっかりと付いている。
あの大木が、こんなにもしっかりともみじの子としての姿を表していることに、おおいに驚いた。草花の苗とは違って、子供のもみじの姿に成長した大木の姿を重ね合わせてとらえているからだろうか。
笹藪の根元にしゃがみこむ。あるある、大木の子供たちが、柔らかい腐葉土に守られしっかりと成長している。なんとも頼もしく思えたのだろうか、この大木の子供を我が家で育てたいと考えた。
腐葉土の土はふわっと柔らかく、大切な根をつつんで守ってくれていた。数本まとめて根元に腐葉土を丸くにぎってダンゴ状にした。こうしていくつかの土ダンゴを家に持ち帰り、庭に埋めた。
もみじの子供は、その後しっかりと根をおろした。幹の部分は、近くの公園にあった太いもみじを思い出させる。横に張り出した枝に着いた小さな葉にやわらかい日差しが差し込み、心が和らぐ。(「心の風景のデッサン」より)
・蝉
★蝉
蝉、地面の中に7年も過ごして大きくなり、今日はいよいよ地上に這いだす日。
見上げる小さな穴からは、まぶしい日の光が見えている。さあ、これから一頑張り!
7年もの長い時を光のない地中で過ごした蝉の幼虫。これから地上に這い出て、大きな変化をする。いのちのドラマを演ずる時である。
夏場の夕方、毎日遊んでいる公園の大木の根元を歩きながらみつめる。すると、小さな黒い豆粒ほどの穴が地面にあるのを見つけるや、そっと手の指を突っ込んでみる。
すると、指の先をギュッと挟み返すものがいる。これが蝉の幼虫。土の下で暮らすに相応しく、固い殻につつまれながら腰を丸めた姿になっている。前足が大きいハサミ状の鎌を持ち、このもので挟み返してきたのだ。
挟む力が強力なことで、自らの体が地上に引き出されてしまった。地上に姿を表す時間が自らの力で這い出る時間とそれほど差がでなかったことで、羽化の時期が守られた。
幼虫を家に持ちかえり、使っていない水槽を利用し、中に幼虫を止まらせる止まり木を入れ羽化に最も安定した位置に幼虫を止まらせた。安心できるよう風呂敷を掛け、ちょっと一眠り。
ふ と目をさまし、そっと布団を抜け出す。静かに水槽に掛けてあった風呂敷を小さく開けて覗いてみると、すでに羽化が始まっていた。殻の背中部分に縦の割れ目 ができており、次第に抜け出していく。しばらくして、自ら脱いだ殻にしっかりつかまっては薄い黄緑の透き通った体を保持し、羽根の伸びきるのを待つ。
次第に昇る日の光を受けながら、透明な体に日の光の色で染まっていく。7年の土中の生活で準備されたすべてのものが、この数時間の中に一気に開いた。
いつのまにか、自ら脱ぎ捨てた過去の時間の脱け殻を離れ、地上で経験する超音速の時間の中へと飛び去っていった。生きた証を刻み、そして次の命へと繋ぐために。
・小さな生き物
★小さな生き物
池の濁った泥の中、その池の水の中をじっと見つめる。 ごちょごちょ動くものがいるいる、ちっちゃな生き物たち。
水中にいて、水の体がある。透き通った体に、透き通った水が閉じ込められたような小さな生き物たち。
生き物?それが動物か植物かなんてどうでもいい。ともかく生きている、生かされている生き物と言いたくなるほどに、シンプルな基本的な体つきの生き物に違いない。
この生き物が、とても魅力的に思えてくる。
なぜ、生きるかなんて問う必要もないほど、素朴な生かされ方。でも、“スミレは、ただスミレのように咲けばよい”といった岡 潔さんの言葉のように、しっかりとその生き物は、ただその生き物のように生かされている、といったことをこの小さな生き物を見ていると実感する。
小さなものを、より小さな生き物を見続ければ続けるほどかえって大きな宇宙に近づいていくのはなぜだろう。自らが直接に感じることの出来ないほどに広がりを持ち、到達不能と思われるほどの距離感を感じるからだろうか。この小さな生き物たちをじっと見つづけていると、巨大な宇宙の中を遊泳しているような気持ちになってくる。
その生き物は、水の動きに合わせて漂いながら、しなやかにしたたかに生きている。
ゆうゆうと、あるがままに・・・。
・蝉獲り
★蝉獲り
蝉獲りの方法、どんな方法でした?
夏休みの毎日は、蝉獲りに始まって蝉獲りで締めくくった。休みの初めは、ニイニイゼミがシ−シ−シ−と鳴きはじめ、休みの半ばにはジ〜ジ〜ジ〜と油ゼミ、そして休みも終わりに近づくと、ミンミンゼミへとバトンが渡っていく。
蝉取りの方法に幾通りかあるが、最も印象的なのは、鳥もちを長いサオの先に付けてくっつけて取る方法である。この方法は、蝉の体に直接にサオで触れて取ることで、魚釣りにも似て、釣り味を楽しむのだ。
この鳥もちは、貝殻の中に入れて、一銭店屋に並べて売られていた。しかし子供の小遣いにとってはなかなか高価なもので、ふんだんに使えるものではなかった。
そ こで、この鳥もちの代替手段として、噛み終えたチュ−インガムを使う方法を教わった。それは、母方のじいちゃんのアイデア。夏休みになり数日の間泊まりに 行くと、広口の瓶の中に噛み終えたチュ−インガムが大切にしまってあった。噛み終えたチュ−インガムが、互いにくっつきながら色とりどりの縞模様となっ て、透明な蜂蜜の入っていたガラス瓶越しに見えた。
この、簡易鳥もちは、思ったよりも良くくっついた。鳥は捕れないけど、蝉には十分といった具合。
ニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミへと季節が移っていく。子供たちも、心と体が一回りも二回りも大きくなっていく。そして、物の大切さ、工夫のおもしろさ、生き物との交わり方を体験した一夏であった。
また、来年も逢えるといいね。セミにも、友達にも・・。
・トンボの幼虫
★トンボの幼虫
“ヤゴ”、トンボの幼虫。水中のどろの中で、ほとんどドロ色で過ごしている生き物がいる。網で沼のドロをすくうと、水中に住むゲンゴロウやミズカマキリに混じってヤゴが採れてくる。
目玉はギョロッとしていて、顔だけみるとしっかりとトンボ。でも、姿を見ては、これがあのスマ−トな胴体を持ち、軽々と空中を飛び回るトンボになるとは、到底思えない。
このヤゴが夏のジリジリと照る日中、岸辺の石や草木によじ登ってくるものがある。それを手のひらに乗せて、時の来るのを待つ。
日の光に照らされ乾いたヤゴの背は、やがて1本の縦スジが入る。しだいにスジが広がり、透き通るように白っぽい青や緑の色をした背が見えはじめる。その後
ろに頭の部分が、そして前足から順に6本の足が、これまでの殻を残しながらゆるやかに動かしながら姿を現す。後ろへ反るような動きを繰り返しつつ、腹の部
分もすべて抜け出る。
ちぢれていて申し訳なさそうに付いている透き通る羽も、ゆっくりとシワを伸ばすように、しだいに伸びていく。
太陽の光とともに、殻から抜け出した体は、キラリとした深い青色や緑に染まり、しっかりとした足取りで、すっかり伸びきったカタビラを動かし、飛び立つ準備をはじめる。
こんなドラマが、広げた手の平の中で演じられる。
生き物が、一生の中で最も大切な時間を、人の手のひらで演じていることに不思議さを覚える。一転して、空中の眩しい光の世界へと数時間の間に変身してしまうのだ。
殻を脱ぎ捨てたトンボの目には、何が最初に映るのだろう。そして、何をめざして飛び出すのだろう。
「心の風景のデッサン」より
【秋】
・台風の日
★台風の日
いつも見慣れた通学路やその回りに立ち並ぶ家々の軒先、台風の過ぎ去った足跡を確認するかのように辺りをきょろきょろしながら歩く。いつもとは様子が違って見える。
その景色の中で、特に気掛かりなのは実のなる木。
台風って、いやなもの?
台風は、恵みの風。こんなふうに思えてくるのも、無邪気な子供の心だったからだろうか。だって、高くて届かない所に口を開いている栗の実を、台風が大木の枝をゆすって振り落としてくれるのだから。
こんな時は、近所の子供らが連れ立って栗の大木の下に集まってくる。昨年はイガグリが顔に落ちて、たいそう痛い思いをしたから今年こそは水中メガネで防衛だ。
「お−い、落ちろ!」と大声で叫ぶが、思うタイミングで落ちてこない。
突然、風が強く吹き渡り、枝が大揺れに揺れた。バラバラッと大木の下草にばら蒔かれるやいなや、草をかき分け一目散に拾いだすのだ。
丸々と張り裂けるかのように実入った栗の実を、ひとつひとつ手のひらに取り上げては大事そうにポケットに入れる。いつもポケットは、木の実でいっぱい。
しっとりとした落ちたばかりの栗の実を、ポケットに手を差し入れてぎゅっと握る。
すべすべした握りの良い宝物。しっかりと握って。
だから、台風は子供にとってワクワクするものだった。
だって、普段なら手の届かない木の実が目の前に差し出される時なのだから。
このチャンスを見逃さないのは、子供たちと近所のお年寄り。きっと、自然の表情を見逃さないのだろう。
自然の表情が見えるのは、し・あ・わ・せ!。
・どんぐり
★どんぐり
一面の落ち葉、そこに見え隠れするどんぐり。
緩やかな斜面の山肌に、季節の知らせとも言えるようにパラパラ降り注ぐ枯れ葉。枯れ葉が先だったのか、あるいは同じ枝に付いていたどんぐりが落ちるのが先立ったのかはわからない。数え切れないほどのどんぐりが、辺り一面に降りている。
葉が先に降り立って地表を彩り、そして一面のベットを敷き詰めてくれる。その上に無数のどんぐりが降り注ぎ、つるっとした小さな粒がそのままの形で受け止められるように・・・。
一つ近寄って手にとってみる。その愛らしい表情に声をかけたくなる。「ねえねえ、高い枝で何をみてたの?」、「ねえねえ、これからどこに行くの?」、こんな 問い掛けに答えてくれそうに並んでいる。子供の目を引いてその木の実は取り上げられ、ポケットに詰め込まれる。子供たちポケットの中で遠くの町まで運ばれ ていく。
そうそう、子供にとってポケットは、遊びの空間の中で大切だと思ったものを入れておく特別なところだった。ポケットが、自分にとっての宝物集めのきっかけを つくってくれたのかもしれない。いろいろな物やいろいろな事に出会っていく中で、なんとはなしにそのまま放って置けないと心が動いた時、他のものとは違って手を伸ばしてそれをつかみ、大切なものとしてポケットの中にしまい込んだのではないだろうか。
自分の感覚で美しいと感じ、自分の行動でそれを獲得していくといったことが、ある意味で、自分らしい彩りを自らの手で築いていくといった能力を育てていったのではなかったのだろうか。
子供にとって、魅力的な木の実「どんぐり」。大人になった今、その素朴に、あるがままの木の実を美しいと感じる心を持てたこと、そのことがありがたい。
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城下町・山形市に生まれた意味
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【ずねんと:自然に、あるがままに】
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このまちにくらす:富士見市 & 点字図書:宮城県 (「心の風景のデッサン」の展開)
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【市民・地球市民として】:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より
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略 歴(写真活動):温泉人(おふろうど)
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