2015年08月06日

一本の鉛筆・・・& 温泉人(おふろうど)ライフへようこそ!

一本の鉛筆・・・& 温泉人(おふろうど)ライフへようこそ!

温泉人(おふろうど)ライフへようこそ!
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インターネットが一般に開始:普及した当時に、啓蒙活動に関わっていたことがありました。自らも個人ホームページを試行錯誤する中で、「温泉人(おふろうど)ライフへようこそ!」が生まれ、今日に引き継がれています。
★http://www2c.biglobe.ne.jp/~ofuroudo/

その後、BLOG「温泉人(おふろうど)ライフ」を開設し、日々の写心と想いをテーマに載せ、関連テーマと繋ぎながら、ここ10年ほぼ毎日の情報発信を続けて来ました。
★http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/
★http://blog.livedoor.com/10th/history/ofuroudo?_f=10thmail_view

こうした経過を積み上げて、さらに今、このフェースブックへと進化・深化してきたのです。

一人ひとりが、生きていることへの感謝、こう在りたいとの思いを、日々の出来事を通して感じたことを、世界の人へ自分の言葉で発信できる、なんと素敵なこ となんでしょう。生きていることの意味を、自分の言葉で語り続けられるのですから・・・。自分が、今、生かされていると言うことなのですから・・・。

生かされている意味、いきものが生かされている意味がある。生きものに感謝して、そして人としてこの世に生かされているもの同士を傷つけあう戦争は、絶対にしてはならない、どんな理由もあってはならない、そう温泉人(おふろうど)は思うのです。


国も会社も組織です。組織の目的はゴーイングコンサーン(継続し続けること)です。組織運営の立ち位置からは、いきもののいのちもまた、組織継続のための ものとしか見えていません。一つ一つの組織が、自らの継続目的を理由に戦い(時に戦争も)を正当化します。ここでいのちを傷つけ、奪い合うことまでもが正 当化されてしまいます。このことは、人間のどの時代の歴史を見ても明らかです。

しかし、いきもの、いのちあるいきものの立ち位置からみると、不思議です。与えられた一つ一つの限りあるいのちをいとおしみ、互いに愛し合って、生きていることを喜びあって感謝して生きて行くことが、自然なのですから。本来、いきものはそういうものなのですから。


私は、小学校のころ転校がきっかけでいじめに遭い、仲間と集団で遊ぶことから離れた数年間を経験しています。そのときに見た池の中でうごめくいのち、田ん ぼの小川で生きるちいさないのち、山道を駆け抜ける蝶やとんぼ、そのありのままの姿が、どれほど確かなものなのかを知ったのです。

この経験から、大人になって社会の中で、組織の中で生きて行くことが、どれほどの意味を持つのかを、その小ささを感じて育ったのです。


皮肉にも、組織を継続するための先頭に立って、経営の管理改善を推進する役割となったのです。そして、結局自らも組織継続の理由で、早期退職という怖さ・苦しみを味わいました。

運命はさらに続き、今度はいきていくものの側に立ったキャリアカウンセラー、そして個々のライフをデザインする側に立ったのです。いよいよ、生かされているいのちの在り様を支える立ち位置に立ったのが今です。


父は戦争体験者です。戦場体験者です。そして、全財産が無くなったところから立ち上がり、家族を、親戚を、職場を、地域を市民として支えつづけてきたかけがえの無い実践者です。

私は、その子として、「次世代の語り部」として、語り続けて行きたい!そう強く思って、毎日書き続けているのです!





物集め、情報集め、自分の心の風景(宝物)集めへの成長
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物集め、情報集め、自分の心の風景(宝物)集めへの成長
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物集め、情報集め、自分の心の風景(宝物)集めへの成長




温泉人(おふろうど)のライフ
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一人ひとりの人生は、いろんな出会いの中で選び取っていくことです。

私の家族の環境の中でも、財産がゼロになり、生涯をかけて再興に取組んだ父の生き方、生きたくても生きられなかった妹のいのち、そんな中で私が選び取った道を自分で確認しているだけです。
決して押し付けていません。選び取って人生を歩むのは、自分のことと思えるからです。


もっとやっていい事が有ったのに、気づかずに人生を終えるのが嫌なのです。やっていい事、気がついた 事、やれるだけやって行きたい、そう思っているのです。
自分で考えてやってみて、ホラね!って言ってみる。これが温泉人(おふろうど)の生き方、支えてくれた人への恩返しです。様々な人生があります。
だから決 して比較しないでください。同じでなくていいのです。


でも、私はいろいろなやり切れない出来事にも出会っても、少しでも納得のいく人生行路としたいと思っ ています。
だからこそ温泉人(おふろうど)は、常に先を見ながらオープンマインドで生きて行こうと思っています。
私も、もっと素敵な人生のあり方を、多く の身近な実践者人から学んでいきたいと思っています。継続する事が目的の組織の在り方も、かつての経営に近い立ち位置の中で、その問題解決技法などを学 び、推進しながら体得してきたものです。
でも今は、有限な人生を一緒に歩む“伴走者”としての役割です。私のブログやフェースブックでの 記事は、自分自らを整理し続ける中で、自分自らに気付く役割となりました。


でも、一方で、こういう生き方もあるんですよって言い続けていきたいと思えるよ うになってきています。
あ る人から、「あなたは、次世代の語り部だね」って言ってもらったり、またある人からは、「温泉人(おふろうど)なんて洒落ている のは、江戸時代にあった風流人の現代版だね。風流人っていうのは、あちらの世界に意識を置いて、現世で生きている人の事だよ」って教えていただきました。


いろいろ深いですね。☆〜(ゝ。∂)




波暮旅二さんからの手紙(無常について)

波暮旅二さんからの手紙(無常について)





波暮旅二さんからの手紙(無常について)





波暮旅二さんからの手紙(無常について)




鳥は空を飛んで、地上を見渡します。同時に、地上に住んで多くのいきものたちと楽しんで暮らしています。この光景の中に身を置いて、感じる生き方の中にいて、この一見当たり前なことが良くわかるのです。

地上で暮らすいきものたち、ひとつひとつ“限りあるいのち”を持った、すべてのいきものたち。

今ここに生きていること、それが何よりいとおしく、大切に思えるのです。

今ここに生きていること、それが何より嬉しいのですから・・・。多くのいきものたちとともに、この地上に時間を共有して、今こうしていきていること、何よりもいとおしく思えるのですから・・・。

それがいいのです、“在る”ことでいいのです。自然はそうなっているのです、私たちも、自然の一部、“限りあるいのち”を持つすべてのいきものの仲間なのですから・・・。




“在る”こと
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“在る”こと


波暮旅二画伯の想い
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波暮旅二画伯の想い




【じねん(自然)】:あるがまま

「価値逆転を招く 環境変化」:温泉人(おふろうど)




真の問題とは(人間社会の宿命)



なぜこのタイミングに、この記事を書こうと思ったのかをお話します。

上の図をご覧ください。この図を描いたのは、2006年9月22日でした。このときの想いが、今まさに現実となって起こっているさまざまな問題や出来事となったことを実感します。いかがですか?

温泉人(おふろうど)は、これまで一貫してじねん(自然)について、そして自然の声を聴ける暮らしについて問いかけ続けてきました。

し かし、忘れることができない一年前に起こった東日本大地震での東北の人々の対応、日本全体の対応、そして世界の反応を受け止める中で、ここに温泉人(おふ ろうど)が考えてきたものを、多くの人に問いかけずにはいられないという気持ちが堰を切ったように大きくなってきたからです。

ぜひ、ここに改めて多くの人に問いかけたいと思います。
 

【じねん(自然)】:あるがまま、人為的なことを一切なくしたありのままの姿は、完成された姿であるという本来の意味です。

私たちは、自然を“しぜん”と発音していることを、これまでおかしいと感じたことがなかったように思います。
でも、「自」はひと文字では“じ”と発音し、「然」は“ねん”と読むはずです。なのに、「自然」を“しぜん”と発音するのは、不自然です。

「自然」の本来の意味は、あるがままの姿は完成されている姿であって、人為的な手を加えることは、自然のもともと完成されているバランスを崩し、不自然にしていることなのだと思い知ります。

これまで私たちは、数百年前に起こった産業革命を起点として、技術を得ることを加速し、経済と技術が手を結んで高度技術経済社会へと駒を進めてきています。

しかし、ここからもたらされる人間への利益とともに、自然へのダメージ、また自然のいきものの一部である人間へのダメージ(肉体的、精神的)が大きくなり、このまま進んで行くことは地球社会の崩壊へと向かうことは誰の目にも明らかです。

かつて友人だった目利きが、大企業の中にあって自らこのことへの警鐘を鳴らし、企業のあるべき方向を経営者に問いかけたことを共有しました。

ふとこのことと繋がって感じることがあります。それは縄文文化の在り方です。自然に寄り添って生きてきた文化です。
縁あって東北に生まれ育ち、縄文の文化を伝える水子貝塚の近くに住まいすることとなったことに、不思議な繋がりを感じます。

この度の東日本大震災は、東北の地で起こりました。そして東北の人々が取った言動や行動が、世界で驚きの目で受け止められています。
それは、いまもなお、じねん(自然)の文化、自然に寄り添う人々の価値観がしっかりと生きている地域だということでした。

このことと、「今の日本人は」として、同一視して語られることの不自然さを感じています。

東北の地に住む人々の価値観が、いまこそ持続可能な社会の在り方、それを支える根底の価値観として、世界的に求められていると確信するのです。
きっと、毎年3月11日は、日本からの世界に対する継続した発信の日となっていく、そう確信するのです。
メディア関係者やアーティストを始めとする多くの情報発信者は、自ら東北の地に立って自ら感じたそのままの真実こそが、心からの発信につながっていく、そう思えるのです。ぜひ、立っていただきたい。ぜひ、感じていただきたい。

東北の地で生まれ育つ中で育まれたもの、それをこれからも温泉人(おふろうど)の心の動きから読み取っていただければと感じています。東北の地で育ったものの心の動きを、伝え続けていけたらと思っているのです。

                           温泉人(おふろうど)




温泉人(おふろうど)
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里の情報誌「まほろば」表紙
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里の総合誌「まほろば」第2号へ原稿掲載

  田んぼに立って思うこと
 
                              温泉人 鈴木和夫



東 北に生まれ、四季折々田んぼの景色に親しみながら大人になった。育った家は町中にあったので、身近に田んぼがあったわけではないが、幼い頃から父が自転車 に乗せ、そして一人で乗れるようになってからは、自転車を連ねて田んぼが広がる道を走ってくれた。それは、近くを流れる小川へ魚取りにつれて行ってくれる ためだった。
父は、勤めや家業のあい間を利用して田んぼの近くを流れる小川で、私を楽しませてくれたのである。自転車のハンドルには、ミルクの空き缶に針金で取っ手を付けてぶらさげていた。後方の荷台には半月型の魚取り網がひもで結んであった。

田 んぼが広がるあちこちの草むらには何本もの小川があった。水の流れに網を仕掛け、足で泥を探りながら網に小魚を追い込むと、たくさんの小魚が飛び跳ねた。 捕った魚は空き缶に入れる。魚のほかに、ゲンゴロウ、水カマキリ、タガメ、腹の赤いイモリなどがいっしょに網に掛かってきた。また、網ですくった泥の中に は無数の小さな生き物が体を動かしていた。初夏の夕暮れどきなどには、月見草が川沿いに咲きそろい、膝ほどの高さに育った稲の間や小川の草むらには、ホタ ルも淡い光を点滅しながら飛んでいた。

当時の我が家は、決して楽な暮らしではなく、一時は長屋住まいを余儀なくされ、再起を計って父母は力を合わせて苦労に耐えていた。家族が多かったので両親にとっては並大抵の苦労ではなかったはずだ。
生活は苦しかったが、父母は常に明るく振る舞って、子供たちには少しも暗い影を見せず、幾多の困難がやってきても、常に前向きに対処して、家族に明るい灯りをともし続けてくれた。

父 は勤め人として働きながら、休日には家業の「最中の種屋」(「最中」のかわを作る商売)を手伝っていた。少しの時間でも惜しむかのように、畑に出てクワも 持った。落ち葉などを集めて腐葉土を作り、そこに種を蒔いていた。作業をしている父の姿は、いかにも楽しみながら働いているといった様子であり、作物を慈 しみ、育てる父の姿は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。土の中から這い出てくるミミズ、コガネムシの幼虫、ハサミムシなど、何が出てくるのかと、興味 津々と見入っていた。

一方夏休みともなると、決まって母方の実家に泊まりに行った。入り口の井戸には、冷たい水が満々と満ちていて透き通った水の底には虹色に光るカラスガイが沈んでいた。農作業を終えた近所の人が気軽に立ち寄っては、汗を拭きながら井戸水を飲み干した。
井戸水の流れ落ちる後方には、奥羽山脈の蔵王連峰が連なり、手前には、青々とした田んぼが広がっていた。
田んぼのあぜ道を歩き、所々に立ち止まってしゃがんでは、稲の根本に広がる浮き草の間からきょろっと覗いたカエルの目や、草わらの間にカサコソ動き回るコオロギなどを食い入るように見つめていた。
また、藁葺きの家の中で、開け放たれた広い座敷に横になり、頭の上に降るように響くセミの鳴き声、むせ返るような稲や草の薫りの中で昼寝をした。

このように、父や母とともに田んぼを身近に過ごした幼年期の体験は、多くの生き物が自然とともに生きる時間感覚、そして自然の懐に抱かれながら、心を解き放って過ごす手放しの安心感を十二分に身につけさせた。

そして、小学校に入学し間もない授業で、担任の先生が「今日は晴れているから、外に出ましょう」と田んぼに連れ出した。緊張しながら登校した最初の授業で、遊びとしてではなく正規の授業の場が田んぼだったことは、とても驚かされた。

近 年になって、その時の担任の先生にお会いする機会があり、入学時の驚きの気持ちを伝えたところ、ほほえみながら「私は何もあなた方に教えませんよ、連れ出 しただけなのです」と返事が返ってきたのである。「教育とは決して一方的に教えるのではなく、自ら感じ考えるよう啓発をするのだ」という確固たる理念に裏 付けられたものだったのだ。

大人になった今も、小さい頃の記憶に突き動かされるかのように、田んぼに出かけるのである。“自分も生き物の一つ”といった感覚で心を解き放し、田んぼに立ち止まっている。
小川の草むらから聞こえてくるコオロギの声、月に照らされた田んぼの水面に響きわたるトノサマガエルやウシガエルの鳴き声など、まさに“命の声”に聴き入っている。

普 段、都会の中では当たり前と思っていたものが、とても受け入れ難いものに見えてきた。遠くを走っている車の強烈なライトの明かり、人工的で規則的なエンジ ン音やタイヤの連続音、大音量のカーステレオなど、なんとも不愉快であり、自然界に同居している他の生き物の立場に立つと、何と身勝手なのかと思い知らさ れた。
そこには、自然に共存している生き物の“命の声”を聴こうとする姿勢は全くない。無責任なニュースや番組が繰り返し流され続ける社会に私た ちは生きている。“言論の自由”と言うが、「受け手は自立した正常な判断のできる人間である」との前提に立っているのだろう。しかし、世の中は常に精神的 に正常な人ばかりが生活している訳では決してないと思う。このような精神が左右されやすい生活者に対して、興味本位の番組や、人を殺したとか、盗まれたと かの過激で目立ったことのみがニュースとして取り上げらる。毎日毎日このような身勝手な情報が流され続け、受け取ることを拒否しがたい社会にあって、人間 として正常な精神を持ち続けることは大変難しいことに思える。いつしか心に支障を来し、肉体の健康すらも維持できない状態になってしまう。

90 歳を越えた祖母に「どうして長生きできたのか」と問いかけたところ、すぐに「ニュースは見ない。どうせ人を殺したとか盗まれたとかの繰り返しだから・・。 90年間生きてきても、いつも内容は変わらなかった」との返事が帰ってきた。人間が勝手に作り上げた世の中の毒気から、自ら遠ざける工夫をしながら永らく 生きてきた、まさに人生の達人の言葉だった。

最近、未成年者が親や家族を殺害する事件が多発している。そのたびに、生身の人間に備わって いる精神の強さは、どれほどのものか疑わしく思えてきた。どれが本物でどれがフィクションなのか、どれがリアル(実体)でどれがバーチャル(仮想)なの か、まだ自分の頭で考え判断することに慣れていない、いわば詰め込み式の教育の最中にある我が国の未成年者にとっては、人間社会の生み出す身勝手な情報 は、濁流のようなものだ。しかも都会という人間の作った限られた空間の中に押し込められている。社会に船出した成人であれば、自分の意志と経済力で、そこ から脱出する方法も見いだせるが、まだ社会的にも、経済的にも自立できない未成年者にとって、社会の檻の中に閉じこめられたようなものだろう。このような 時期に、社会や自分自身を認識し、自らの意志で何に向かって生きるかを決めようとするには、何と人間の身勝手な社会や情報に取り囲まれているのかと恐ろし くなる。しかも、一筋の明かりを必死に探そうとする善良な者を標的にした組織も、人間社会には多く存在している。人間社会が作り出した濁流に飲み込まれた ら最後、人間のみの価値観で作られた檻から抜け出せない。

一方、成人した人々であっても決して“自立した市民”とは言えない。企業社会の 中にあって多くの場合、立ち止まることは許されず、そして何よりも効率性を求められる。それは、組織が継続して生き延びていくために必要なことであり、決 してこのことを否定するものではない。そして、企業人として求められる行動様式も、これに合致した価値観が求められるのは当然である。
ところが、 企業にとって良いように育てられた行動様式が、知らず知らずに、我々の暮らし全体に渡るものであるかのような錯覚を自ら抱いてしまっていることが問題を生 んでいる。我々人間の体は、企業といった組織体は異なり、無限の時間を持ち続けることは絶対に不可能である。“限りある命”の持つ有限な時間の中で、いか に有効な時を過ごし、いかに社会に接し、次の命にバトンタッチするかを問われているのだ。

都会を離れ、郊外に広がった田んぼに立ち止まってみることで、自らも生き物の一つに過ぎないこと、そして自らが関わっている人間社会が、どれほど人間にとって身勝手に作られてきたかを思い知った。
産業革命以来、技術・経済中心で突き進み、化石資源の枯渇や人口増大、そして環境悪化、その結果ストレス社会が生まれるといったひずみを生んだ。
こ のような絶望の淵から這い上がるには、すべての人間の生き方が「地球そのものすら生き物ととらえ、地球上に存在を許されている生き物と共存していくような 「環境共生社会」の方向しかないことを知るべきである。世の中にあるすべての組織活動(たとえば企業は、すべての業種における商品やサービスの提供、そ して我々のライフスタイル)は、何らかの環境共生社会の方向を意識したものとならなければ生き残っていけない時代が、今まさに到来したのである。

人 間が生きていくためには、何らかの“生産”が必要である。空腹を満たし、温度差や危険から体を守る衣服を作り、地球上に生きてきた。しかし、生産の方法に よっては、緑の地球環境を悪化させ破壊し、ついには砂漠にしてしまうこともあり、また反対に緑の地球環境を作り上げ、環境と上手に共生してきたことを教 わった。

哲学者 梅原 猛さんは、「稲作の文化(東洋文化)こそが、いつまでも自然とともに共生していくことができる文化である」「哲学の構築方向は、西洋哲学だけでなく、東洋哲学と融合する方向に向かうべきである」と述べている。
また、「一言でいうと、西洋は『小麦と牧畜』の文化であり、東洋は『稲作と養蚕』の文化である」「言い換えると、西洋は『パンとバター』の文化であり、東洋は『米とシルク』の文化と言えるだろう。」
「西 洋(西アジアおよびヨーロッパの思想)は小麦栽培を行ってきたため(ほとんど水なしにできる、雨が降らない方が良い、だからどこでもできる、山の上まで畑 がある、耕して天に至る。どうしても耕せないところには家畜を放牧すればいい)、徹底して自然は痛めつけられた。だから歴史的な文明が発達したところ(中 央アジアとか西アジア)は、現在ほとんどが砂漠と化してしまった。最初から砂漠だったわけではなかった」
「ところが東洋はちがう。やっぱり稲作にとってなくてはならない水を確保するために森が大事。森は水を蓄えている。水を重んじる。特に森を重んじる。日本は、山にたくさん木があり、田んぼに水が引かれている豊かな自然がとても美しい。」

地 球上を砂漠にしないのは、稲作文化の東洋だったという。これまで当たり前と思っていた田んぼを見る目が変わった。一粒のごはんを口に運ぶことがとても嬉し くなった。そして、田んぼによって米を生産し、緑の環境を維持しつづけている農家の方々に感謝するとともに、私たちの食生活も見直していきたいと考えるよ うになった。

ふと“自然の声を聞くことができる”という感性は、どのようにして育まれ、どのような意味を持つものなのか考えつづける中でその解の一つと言えるものに出会った。
それは、環境問題を最初に問いかけた名著「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソン、 その最期の執筆となった「センス・オブ・ワンダー」の一節に次のように述べられている。「小さい頃にこの『神秘さや不思議さに目を見はる感性』、この感性 は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、 かわらぬ解毒剤になるのです」

自らの生き方に照らしながら、考えてみた。決して、一目散に駆け抜けるのではなく、気にかかる所では積極的に“立ち止まる”ことを指向し、実行してきた。
結 婚し新しい家庭を持ち、家族子供が誕生してからというもの、週末ともなると家族を連れ、山懐に“気配”を求めては各地の温泉を訪ね歩いた。途中の道すが ら、なぜか不思議に心に止まる景色に出会うと、草むらに足を降ろし、五感のみならず六感以降の感覚をとぎすまして、自然の声に聴き入っていた。

こ のような暮らしを続けるうちに、いつしかこれまで日本の季節や自然と関わって生きてきた中で、忘れることのできない想いがあることに気づき始めた。それか ら数年に渡り、仕事帰りの通勤電車を利用して想いを書き止めた。そのことを通して、身近に自然に接しながら幼年期を過ごしたことが、自らを生き物と自覚 し、自然の声を聞くことができる感覚を育てたのだと確信した。

「 原っぱの子どもたちは、この地球の縮図のような空間の中で多くのことを体験した。雲と天候の移り変わりを感じていたし、朝露の降りた草の感触、カラカラに 乾燥した土ぼこりに耐える草のこわばり、やわらかくしなやかな春の草、一面真っ白に覆われた雪の下でじっと次の命の再生を待ち構える草など、草はそのとき どきで、さまざまに表情を変えていった。それらさまざまな草の表情について、触れた感触も含めて子どもの記憶の中に蓄積されていったのだろう。考えてみる だけで、そのときの草の表情を色合いのみならず感触までも思い出され、体が反応してくるのはおもしろい。
自然の中に身を置いていることは、ただそ れだけで自然そのものの自然な姿を、自分の体の中に写し込むことになっているのだろう。体験というけど、まさに体の中にあるがままの自然の動き、感触が写 し込まれていくように思えてならない。その証拠に、五感と六感以降の感覚でとらえた自然との接触の体験は、生き物と接して生きていくためのルールを誰から 教わったわけでもなく自然に身についていて、多くの生き物と、ともに生きていくことを楽しむ力を与えてくれたのかもしれない。」(「心の風景のデッサン」より)

今 でも、自らの心の中心に位置し続けている“心の風景”について書き出したことで、自らが抱き続けている価値観が鮮明に浮き彫りになった。そこには、田んぼ に関わった光景がとても多く、我が国に生まれ育ったものにとって、最も身近な自然であり、しかも、多くの生き物と出会い、自然の声を受け止める感覚を育て てくれたところであった。

田んぼに立ってみて、我々人間が作り出す社会のあり方や生き方について考えさせられた。足下の虫やカエルなどの声、そして草の擦れ合う風の音などが、我々に警鐘を打ち鳴らし、あるべき方向を訴えかけている自然の声に聞こえてきた。
その声は、社会のしくみや我々のライフスタイルの変革を迫っているものであることを人間社会に伝えていくことこそが、自らの命を授かった自然への恩返しと思えてきた。今、仕事と暮らしの両面で、手探りを始めている。

                                      温泉人(おふろうど)





田んぼにて:温泉人(おふろうど)
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田んぼに立つ、田んぼに感じる、田んぼに学ぶ:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より





自然と生きる“温泉人”








地球環境問題とビジネスシフト






提言
提言
提言
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【提言】:地球環境問題とビジネスシフト
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【警鐘】:「 “素朴な暮らしを”」(波暮旅二) &【提言】:地球環境問題とビジネスシフト





温泉人(おふろうど)のライフキャリアレインボウ




これからどう生きて行きたいか、描いて見ました。(^^♪



どこまでも温泉人(おふろうど)
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市民・地球市民として



愛車旧デリカとみどりの村キャンプ場サイト(2007.5.13)
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★みどりの村キャンプ場サイト(2007.5.13)&「温泉人(おふろうど)号」へ、感謝!



自由に生きる・アウトドアライフ
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自由に生きる・アウトドアライフ:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より




ビバ!キャンパークラブ・浅間高原ファミリーオートキャンプ場
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ビバ!キャンパークラブ・浅間高原ファミリーオートキャンプ場



★アーカイブ:愛車旧デリカと内山牧場キャンプ場(2007.8.26)
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内山牧場キャンプ場&初谷温泉にて(2012.8.25/26)
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内山牧場キャンプ場&初谷温泉にて(2012.8.25/26)




★アーカイブ:愛車旧デリカと父と多賀城の海で(2006.12.31)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと雪の山形の実家で父と(2009.1.1)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと曲り屋を求めて山形へ(2009.5.2)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと曲り屋を求めて山形へ(2009.5.2)



愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)




★アーカイブ:愛車旧デリカと小名浜の浜辺で星空(2008.12.30)




愛車旧デリカと小名浜の浜辺で星空(2008.12.30)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと小名浜の浜辺で星空(2008.12.30:Com「想」さんと野宿)




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温泉人(おふろうど)ライフ:HISTORY VIEW





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温泉人(おふろうど)ライフ:HISTORY VIEW & 一日一行の日記



こうして生きています(^^♪


★小生の資源





★小生の資源を生かした組織・個人





モヤモヤすることをまとめること
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s-一日を3等分して過ごしたことで
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一日を3等分して過ごしたことで、「どこまでも、温泉人(おふろうど)!」




s-★考えの発展:「時間の配分」




s-s-★考えの発展:「時間の配分」
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★考えの発展・実践!:「時間の配分(一日を三等分して過ごす)」



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「まほろば」パーティー:波暮旅二さん主催(アーカイブ)





風の便り(波暮旅二)
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「風の便り」を含む記事;Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より

 
波暮旅二 画伯と温泉人(おふろうど)
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田んぼに立つ、田んぼに感じる、田んぼに学ぶ:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より


波暮旅二さんの作品「藁ぼっち」全画面
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波暮旅二さん作品「藁ぼっち」は、日本にこそ残したい!


寒立馬 (かんだちめ)
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寒立馬 (かんだちめ)


田園安居
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田園安居(波暮旅二):Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より


中根千枝:「タテ社会の人間関係」 & 波暮旅二:「田園安居」
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中根千枝:「タテ社会の人間関係」 & 波暮旅二:「田園安居」、そして鈴木和夫:「心の風景のデッサン」




「城下町やまがた探検地図」上の★心の風景ポイント

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「城下町やまがた探検地図」上の★心の風景ポイント




東北の北の民の暮らす地、どこからも山が臨める山形盆地での水と空気と人、城下町の堀を近く過ごした八幡石、京文化の幼稚園・もみじ公園、奇跡とも思える出逢いの中で、いまこうして生きる温泉人(おふろうど)の感性が出来上がりました。

感謝です!<(_ _)>



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心の風景のデッサン
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「心の風景のデッサン」:温泉人(おふろうど)
・・・故郷、それは心の中にある「心の風景」に違いありません。決して消えることのない・・・

まえがき

 誰にでも、生涯の中で忘れ難い自然や季節との思い出があります。でも、これは思い出といったものだけでは語れない「その人が大切にしてきたもの、これからも大切にしていきたい宝物」なのではないでしょうか。

 昔のことを、そして自分の生まれ育った故郷を単に懐かしんでいるということではないのです。きっと大切にしたい何かがそこにあるからと感じるからなので す。自分の心の目で心地よいと感じ、大切にしたいと思っている価値観がそこにあるのかもしれません。きっかけは、小さいころに出合った光景だったかもしれ ません。でも、その時代、その場所に戻ることはできないし、その意味も違うのかもしれません。




“センス・オブ・ワンダー”への想い
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“センス・オブ・ワンダー”への想い




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風の便り(波暮旅二) & 温泉人(おふろうど)



★年賀状(2013年年賀)
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★笑顔♪



“計画された偶発性”(計画的偶発性理論)を起こす行動様式
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“計画された偶発性”(計画的偶発性理論)を起こす行動特性





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トロイメライ



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新どこへでも温泉人(おふろうど)号 での、どこまでも、温泉人(おふろうど)!




振れ幅
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振れ幅



温泉人(おふろうど)
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略 歴(写真活動):温泉人(おふろうど)




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日立市田尻での講演にて
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(哲学堂公園のネコ)・クリックしてみてください。話の様子が聞こえますから。



木札:温泉人(おふろうど)
 温泉人(おふろうど)の意味 

 日本語ドメイン取得 http://温泉人.jp   

ofuroudo at 00:00│Comments(0)

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