2017年03月03日

生産性 & 「有効性を意識した行動のできる人」: 温泉人(おふろうど)

生産性 & 「有効性を意識した行動のできる人」: 温泉人(おふろうど)

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生産性 & 「有効性を意識した行動のできる人」: 温泉人(おふろうど)
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52172159.html

生産性について、自分自身でもとても大事にしてきた考え方です。分母にインプット、分子にアウトプットを置き、その答えが生産性の定義です。ともすると分母のインプットを減らす効率性が目立つのですが、分母のアウトプットを最大にする有効性にもっと注目すべきと思うのです。限られた人生の時間の中で、アウトプットを最大にする生き方、ここに力点を置いた生き方を心がけて暮らしているのが、温泉人(おふろうど)です。(^.^) そうそう、競わないんです(競っても勝てないんです、実は・・)、差別化(個としての存在価値を高める)するんです。戦術家(HOW、無理のない無駄のない「手段」がサッと取れる人、スカラー量が大きい人も大切だけど、残念ながらこれが苦手なんですよ♪)でなくて、真の戦略家(WHATを決められる人、自分で方向決めができる人、ベクトルを向けるべき方向を間違わない人、「目的」から考えて方向を見誤らない人になればいい、そう思えたんです♪)なんですよ♪ それが、温泉人(おふろうど)として「自然と共に、自然体で!」&「もやもやすることをまとめるのが得意」って、それぞれ自分のライフとワークのテーマだと気づいたんです。後は日々実行あるのみ・・・ 温泉人(おふろうど)




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生産性の考え方を、ワークについて適用するだけではなく、温泉人(おふろうど)はライフに展開しました。 ⇒「ニュータイムス」への連載記事、その第2回が掲載されました。

今回は、効率性(What)と有効性(How)についてのお話をまとめました。
講演をさせていただく折りに、まとめとしてよくお話させていただくもので、とても好評です。

内容は本文に譲ることにしますが、「限りある人生の時間を、どのように決めれば、自分らしく生きたと思えるのか」について考えるときに、この視点は“暮らし”をより良くするとき役立ちます。

一方、ゴーイングコンサーンと言って、継続して事業を営もうとする“経営”にも、この視点は大いに役立つものと思います。

「目からウロコです!」と、言っていただくことの多い、多くの物事に関わる鳥瞰的視点なのです。




s-自然体の人間学(第2回)掲載
ニュータイムス(ジモアイを推進する地元のメディア) & 連載『自然体の人間学』
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52155139.html


■有効性を意識した行動のできる人

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生産性いう考え方があります。生産性=成果(O)/投入(I) をはかることによって、投入(I)に見合った成果(O)が得られたかを測定する指標です。

ちょっと固い話でしたが、この式はいろいろおもしろいことを教えてくれますのでご紹介しましょう。

どうですか。これまで学校生活で、頭の良い人ってどんな人だと思っていましたか。
きっと「テストの点数が良い人」と考えるのではありませんか。そうですね。テストでの問題を与えられて、人よりも正確に早く問題に回答できたかを測ることですね。たしかに同じ問題を解くのに、はやく正確に解くというのですから、きっと人よりも最短のルートで答えにたどりつく能力を言っているのだろうと思います。このことを先ほどの式で見てみると、同じ成果(0)を得るために、なるべく少ない投入(I)で問題を解くことでした。とても“効率的”だったと言いますね。
つまり、この効率的にしようとすることは、与えられた問題を一番うまい方法(HOW)で解いたかです。きっと、機械化やコンピュータによって置き換えられる方法なのだろうと思います。

さて、頭の良い人ってもう一つのタイプが思い浮かびませんでしたか。たとえば、あの人といっしょに居ると、同じ時間を使ったのに、とても充実した時間を過ごせたと思うことにたくさん出会うことが不思議、こんな人まわりにいませんか。どうして充実した時間の使い方ができるのでしょう。まず、いま与えられた時間で何をしようと決めたかです。たとえば、休日に家でTVを見て過ごすと決めるのも良いでしょうし、街に出かけて映画を見ると決めるのも良いでしょう。あるいは、アウトドアでご夫婦で自然の中で過ごすと決めるのも良いでしょう。もちろん、何も決めないという過ごしかたがあっても良いでしょう。いずれにしても、休日の時間は限りがあるわけですから、どのような過ごし方を自分で選ぶかは、自分の意思決定のことです。その結果が充実する時間を選んだとすれば、その意思決定は良かったことになるのでしょう。先ほどと同じように、式で置き換えて考えてみましょう。同じ投入(I:ここでは“時間”でした)で、成果(O:“満足”)が大きくなると、とても“有効”な時間だったと言いますね。
つまり、効果的な時間の使い方がじょうずな人とは、そうしようと決めた方向が求めているものにぴったり合っていることですね。そして、これまで出会ったことのないこと、やったことのないことの方が満足がありますね。また、内容の濃い価値の高いことに時間を使った方が、とても良かったと思えるようです。
このことは、有効性は、どのような方向に進むか、どういう時間で埋め尽くそうとするのか、何を(WHAT)決めたかによって決まってしまうのです。

これまでは、どちらかというと前者の効率性が重視されてきたように思います。定量的に成果を測ることができましたし、量の拡大を重視する経済拡大優先の社会づくりにおいてはおおいに役立つ考え方だったと思います。
しかし、これまでとは違った社会、つまり経済優先から循環型経済、自然との共生を基盤に据えた社会づくりへの変換が求められる今、有限な資源をどのような方向に配分しながら生き続けるかといった有効性が重視される社会にする必要が出てきています。
また、私たちも個性を大切にするといった社会の価値に変化するにつれ、質の高さを要するようになってきました。

以上のべた考え方に立ってみると、これまでの人づくりと、これから必要な人づくりとの違いが見えてきます。

これまでの人づくりは、何をやるかについては取り合えず世界のレベルに追いつこうと、欧米の生活レベルを目標にし、どのようにしたらより効率的に目標達成できるかといった効率性重視になったようです。自分の学校時代を振り返っても、どの教科も同じ学級,学年の中で人との比較として自分の位置を知らされてきました。これは、OW
(いかに)といった能力の向上には大いに貢献したと思われます。この能力によってこれまでの日本の工業化社会,経済が強かった一つの要因にまちがいありません。しかし、この結果、人との比較によって能力の有り無しを決定するといったことになり、いかにやるかといった目標への到達の速さのみを競うこととなってしまったのでしょう。いまでも、この考えがあらゆる場面で能力測定の基準となっていることはまちがいないことです。

しかし、これから必要とされる人づくりは、人から与えられた目標に到達する速さを競うといったものではなく、自ら設定した人生目標に向かっていかに自分の与えられた有限な資源を有効に割り当てていくことができるかでると思われます。つまりWHAT(何を)にこだわりつづけていける目標設定型の人づくりと言えるのではないでしょう
か。ひとりひとりの人生目標は違って当然であって、その人の役割も、満足の度合も決して一律なものではありません。「皆が同じ条件で生活することは、決して幸福とはいえない。」といった言葉を思い出します。その人それぞれの持っているその人の可能性が最大に発揮されるようになることこそが、幸福の一つの尺度ではないでしょうか。自らの役割、それを自分らしさと言ってもよいのではないでしょうか。この自分らしさに気付く必要があるのは、誰でもなく自分そのものなのですから・・。

これまでの教育では、自分さがしの教育がほとんどなされていないと考えます。人から与えられた問題を解決することの速さを競う人づくり中心であって、自ら自発的に目標を設定し関係者を巻き込んで、目標に近づくために努力するといった目標設定型の人づくりは、まだまだこれからなのです。私の場合には社会人になってはじめてこういっ
た考えのあることを、実践の中で捕らえるチャンスが与えられました。そうして、あらゆる場面で、目標設定型の人づくりが不足していることを感じてきたのです。このことが、人との比較を気にする日本人、人と同じことをやることを安定と感じる日本人ができあがったのではないでしょうか。いま、人との差別化を指向することが、自己実現といった高い欲求に応えることなのではないでしょうか。有効性を重点にした判断尺度が今こそ、求められる時なのではないでしょうか。

自分で人生の時間の使い方を決める、そして、満足した人生だったと思う、その人はあなた自身なのですから・・・。
温泉人(おふろうど)




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「イノベータの条件」からの深化




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【アーカイブ】一日一行の日記♪:温泉人(おふろうど)
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52193205.html




イノベータの条件
これが、すべての原本です!






s-「自然体の人間学」へリニューアル



★イノベーターの条件&自然体の人間学、ニュータイムス誌に連載いただいております。現在、第11回まで来ましたが、原作の小生の原稿を編集者としてニュータイムスの社長から、ご支援を受けてこそここまで続けてこれました。感謝です。連載が完結した折には、書物として後世に残したいと思っています。今生きている人に、これからずっといのちを継承していく人に、メッセージを届けたいのです。



自分らしさの発見、育成、表現
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s-出典:「おはなしワーク・デザイン」IE誌





ワークデザインより





s-より高度化するネットワーク社会(PC作成)




毎日生きて、何か大切と感じたことをエッセイとしてカタチに残したいと思ってきました。その甲斐あって、毎日多くの人がこのBlogにおいでいただくようになりました。

自然に積極的に関わる生き方」を人生のテーマと考え、心と身体を動かしているうちに、いっさい人為的なことがなくても完成されたものとしてあるのだという自然(じねん)の考え方に出逢いました。

それは、そのあるがままの姿、ぞして自然の子としてこの世に誕生したすべての人々、いろいろな考えがあってもいっさいの流れを止めないと言う。はじめ一滴の水滴は、集まって支流を、中流を、そして大河を作り、海に注ぎ込むといった自由主義の考え方を、筑波万博のアメリカ館展示で見つけました。

オープンなネットワークであるインターネットの開始に立ち会いましたが、その自由主義の考え方を具現化するものとして広め、広まったものと直感しました。

あるがままに完成された自然、その自然の子としての人々が、きっと一人ひとりが持ち合わせた“正しい”と感じる心を信じて、オープンな社会を作るんだという強い意志、哲学を感じるのです。

「これからは、個の存在価値が問われる世の中になる」(ネットワーク時代の“自分探し”より)と、確信したのです。

国も、地域も、会社や団体といった組織も、そして個人ひとりひとりが、“個”としての存在価値を問われるようになる、“この指とまれ”になる、そう思えたのです。

これからも、現地に立って、自ら感じ考えたものを、ほらね!自分らしさの発見・育成・表現 よりって、カタチにしていきたいと思います。

カタチにするために助けてくれた友人、多くの出逢いで想いを共有していただき、自信を持たせてくれた多くの方々に、この場を借りてお礼申し上げます。

これからも末長く、よろしくお付き合いください。

                        温泉人(おふろうど)

 




ネットワーク時代の“自分探し”
ネットワーク時代の“自分探し”
ネットワーク時代の“自分探し”
ネットワーク時代の“自分探し”
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ネットワーク時代の“自分探し” (1997.11 鈴木和夫)
http://www2c.biglobe.ne.jp/%7Eofur…/zibunsagasi-netzidai.htm

インターネットが始まった年にまとめたのが「ネットワーク時代の“自分探し” (1997.11 )」でした。19年前の出来事でした。
そして現在、どう進展したのかまとめ直してみました。これからの国のあり方、個人のあり方が問われそうです!

⇒「ネットワーク時代の自分探し」から、「より高度化するネットワーク社会で必要なこと!」
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52162772.html





あなたは青い





かえる
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自分で考え、自分で決める




★小生の資源




★小生の資源を生かした組織・個人




s-s-組織として個人として
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“組織として個人として”、温泉人(おふろうど)





人生プロジェクトへの展開





【アーカイブ】思い出の半導体・ICチップのタイピン♪
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52171025.html
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社会人になって実習を2年間、その後経営の管理改善スタッフとして、はじめての実践プロジェクトは、半導体の資材管理改善プロジェクトだったのです。リーダーのもと、わが国で最初の半導体の資材管理にMRPシステムを導入することとなり、ビル オブ マテリアル(BM)を品目ごとにつくるために、ウエハーからチップにして製品にする逆展開BMを作ったのです。

当時は、半導体は「産業の米」と言われ、米作りと同様にきれいな水と、勤勉な作業員があってこそ歩留まりの良い製品が出来るとされていました。温泉人(おふろうど)の故郷山形は、その条件に合っていて、半導体の主力工場がありました。

しばらくして、販売促進用にネクタイピンが作られ、自分でも愛用していたことがあったんです。思いがけずに街で再開し、当時のことが思い出されたのです。

ずいぶん昔の出来事です。いま半導体は、わが国での生産から海外へと移るなど、様変わりしています。温泉人(おふろうど)




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“プロジェクト”を学び体得させていただいた“場”
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“プロジェクト”を学び体得させていただいた“場”
映画「はやぶさ〜遥かなる帰還〜」、ここから感じること



“人生のテーマ”を決めたその心 & 温泉人(おふろうど)が育ち活動し想いをよせるところ! & 記憶の演出家

http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52167663.html

積極的に自然に親しむ人生を歩む

写真(写心)鳥瞰図




波暮旅二さんからの手紙(無常について)

波暮旅二さんからの手紙(無常について)





波暮旅二さんからの手紙(無常について)





波暮旅二さんからの手紙(無常について)




鳥は空を飛んで、地上を見渡します。同時に、地上に住んで多くのいきものたちと楽しんで暮らしています。この光景の中に身を置いて、感じる生き方の中にいて、この一見当たり前なことが良くわかるのです。

地上で暮らすいきものたち、ひとつひとつ“限りあるいのち”を持った、すべてのいきものたち。

今ここに生きていること、それが何よりいとおしく、大切に思えるのです。

今ここに生きていること、それが何より嬉しいのですから・・・。多くのいきものたちとともに、この地上に時間を共有して、今こうしていきていること、何よりもいとおしく思えるのですから・・・。

それがいいのです、“在る”ことでいいのです。自然はそうなっているのです、私たちも、自然の一部、“限りあるいのち”を持つすべてのいきものの仲間なのですから・・・。




“在る”こと
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“在る”こと


波暮旅二画伯の想い
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波暮旅二画伯の想い




【じねん(自然)】:あるがまま
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52131379.html
「価値逆転を招く 環境変化」:温泉人(おふろうど)




真の問題とは(人間社会の宿命)



なぜこのタイミングに、この記事を書こうと思ったのかをお話します。

上の図をご覧ください。この図を描いたのは、2006年9月22日でした。このときの想いが、今まさに現実となって起こっているさまざまな問題や出来事となったことを実感します。いかがですか?

温泉人(おふろうど)は、これまで一貫してじねん(自然)について、そして自然の声を聴ける暮らしについて問いかけ続けてきました。

し かし、忘れることができない一年前に起こった東日本大地震での東北の人々の対応、日本全体の対応、そして世界の反応を受け止める中で、ここに温泉人(おふ ろうど)が考えてきたものを、多くの人に問いかけずにはいられないという気持ちが堰を切ったように大きくなってきたからです。

ぜひ、ここに改めて多くの人に問いかけたいと思います。
 

【じねん(自然)】:あるがまま、人為的なことを一切なくしたありのままの姿は、完成された姿であるという本来の意味です。

私たちは、自然を“しぜん”と発音していることを、これまでおかしいと感じたことがなかったように思います。
でも、「自」はひと文字では“じ”と発音し、「然」は“ねん”と読むはずです。なのに、「自然」を“しぜん”と発音するのは、不自然です。

「自然」の本来の意味は、あるがままの姿は完成されている姿であって、人為的な手を加えることは、自然のもともと完成されているバランスを崩し、不自然にしていることなのだと思い知ります。

これまで私たちは、数百年前に起こった産業革命を起点として、技術を得ることを加速し、経済と技術が手を結んで高度技術経済社会へと駒を進めてきています。

しかし、ここからもたらされる人間への利益とともに、自然へのダメージ、また自然のいきものの一部である人間へのダメージ(肉体的、精神的)が大きくなり、このまま進んで行くことは地球社会の崩壊へと向かうことは誰の目にも明らかです。

かつて友人だった目利きが、大企業の中にあって自らこのことへの警鐘を鳴らし、企業のあるべき方向を経営者に問いかけたことを共有しました。

ふとこのことと繋がって感じることがあります。それは縄文文化の在り方です。自然に寄り添って生きてきた文化です。
縁あって東北に生まれ育ち、縄文の文化を伝える水子貝塚の近くに住まいすることとなったことに、不思議な繋がりを感じます。

この度の東日本大震災は、東北の地で起こりました。そして東北の人々が取った言動や行動が、世界で驚きの目で受け止められています。
それは、いまもなお、じねん(自然)の文化、自然に寄り添う人々の価値観がしっかりと生きている地域だということでした。

このことと、「今の日本人は」として、同一視して語られることの不自然さを感じています。

東北の地に住む人々の価値観が、いまこそ持続可能な社会の在り方、それを支える根底の価値観として、世界的に求められていると確信するのです。
きっと、毎年3月11日は、日本からの世界に対する継続した発信の日となっていく、そう確信するのです。
メディア関係者やアーティストを始めとする多くの情報発信者は、自ら東北の地に立って自ら感じたそのままの真実こそが、心からの発信につながっていく、そう思えるのです。ぜひ、立っていただきたい。ぜひ、感じていただきたい。

東北の地で生まれ育つ中で育まれたもの、それをこれからも温泉人(おふろうど)の心の動きから読み取っていただければと感じています。東北の地で育ったものの心の動きを、伝え続けていけたらと思っているのです。

                        温泉人(おふろうど)




温泉人(おふろうど)
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里の情報誌「まほろば」表紙
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里の総合誌「まほろば」第2号へ原稿掲載

  田んぼに立って思うこと
 
                              温泉人 鈴木和夫



東 北に生まれ、四季折々田んぼの景色に親しみながら大人になった。育った家は町中にあったので、身近に田んぼがあったわけではないが、幼い頃から父が自転車 に乗せ、そして一人で乗れるようになってからは、自転車を連ねて田んぼが広がる道を走ってくれた。それは、近くを流れる小川へ魚取りにつれて行ってくれる ためだった。
父は、勤めや家業のあい間を利用して田んぼの近くを流れる小川で、私を楽しませてくれたのである。自転車のハンドルには、ミルクの空き缶に針金で取っ手を付けてぶらさげていた。後方の荷台には半月型の魚取り網がひもで結んであった。

田 んぼが広がるあちこちの草むらには何本もの小川があった。水の流れに網を仕掛け、足で泥を探りながら網に小魚を追い込むと、たくさんの小魚が飛び跳ねた。 捕った魚は空き缶に入れる。魚のほかに、ゲンゴロウ、水カマキリ、タガメ、腹の赤いイモリなどがいっしょに網に掛かってきた。また、網ですくった泥の中に は無数の小さな生き物が体を動かしていた。初夏の夕暮れどきなどには、月見草が川沿いに咲きそろい、膝ほどの高さに育った稲の間や小川の草むらには、ホタ ルも淡い光を点滅しながら飛んでいた。

当時の我が家は、決して楽な暮らしではなく、一時は長屋住まいを余儀なくされ、再起を計って父母は力を合わせて苦労に耐えていた。家族が多かったので両親にとっては並大抵の苦労ではなかったはずだ。
生活は苦しかったが、父母は常に明るく振る舞って、子供たちには少しも暗い影を見せず、幾多の困難がやってきても、常に前向きに対処して、家族に明るい灯りをともし続けてくれた。

父 は勤め人として働きながら、休日には家業の「最中の種屋」(「最中」のかわを作る商売)を手伝っていた。少しの時間でも惜しむかのように、畑に出てクワも 持った。落ち葉などを集めて腐葉土を作り、そこに種を蒔いていた。作業をしている父の姿は、いかにも楽しみながら働いているといった様子であり、作物を慈 しみ、育てる父の姿は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。土の中から這い出てくるミミズ、コガネムシの幼虫、ハサミムシなど、何が出てくるのかと、興味 津々と見入っていた。

一方夏休みともなると、決まって母方の実家に泊まりに行った。入り口の井戸には、冷たい水が満々と満ちていて透き通った水の底には虹色に光るカラスガイが沈んでいた。農作業を終えた近所の人が気軽に立ち寄っては、汗を拭きながら井戸水を飲み干した。
井戸水の流れ落ちる後方には、奥羽山脈の蔵王連峰が連なり、手前には、青々とした田んぼが広がっていた。
田んぼのあぜ道を歩き、所々に立ち止まってしゃがんでは、稲の根本に広がる浮き草の間からきょろっと覗いたカエルの目や、草わらの間にカサコソ動き回るコオロギなどを食い入るように見つめていた。
また、藁葺きの家の中で、開け放たれた広い座敷に横になり、頭の上に降るように響くセミの鳴き声、むせ返るような稲や草の薫りの中で昼寝をした。

このように、父や母とともに田んぼを身近に過ごした幼年期の体験は、多くの生き物が自然とともに生きる時間感覚、そして自然の懐に抱かれながら、心を解き放って過ごす手放しの安心感を十二分に身につけさせた。

そして、小学校に入学し間もない授業で、担任の先生が「今日は晴れているから、外に出ましょう」と田んぼに連れ出した。緊張しながら登校した最初の授業で、遊びとしてではなく正規の授業の場が田んぼだったことは、とても驚かされた。

近 年になって、その時の担任の先生にお会いする機会があり、入学時の驚きの気持ちを伝えたところ、ほほえみながら「私は何もあなた方に教えませんよ、連れ出 しただけなのです」と返事が返ってきたのである。「教育とは決して一方的に教えるのではなく、自ら感じ考えるよう啓発をするのだ」という確固たる理念に裏 付けられたものだったのだ。

大人になった今も、小さい頃の記憶に突き動かされるかのように、田んぼに出かけるのである。“自分も生き物の一つ”といった感覚で心を解き放し、田んぼに立ち止まっている。
小川の草むらから聞こえてくるコオロギの声、月に照らされた田んぼの水面に響きわたるトノサマガエルやウシガエルの鳴き声など、まさに“命の声”に聴き入っている。

普 段、都会の中では当たり前と思っていたものが、とても受け入れ難いものに見えてきた。遠くを走っている車の強烈なライトの明かり、人工的で規則的なエンジ ン音やタイヤの連続音、大音量のカーステレオなど、なんとも不愉快であり、自然界に同居している他の生き物の立場に立つと、何と身勝手なのかと思い知らさ れた。
そこには、自然に共存している生き物の“命の声”を聴こうとする姿勢は全くない。無責任なニュースや番組が繰り返し流され続ける社会に私た ちは生きている。“言論の自由”と言うが、「受け手は自立した正常な判断のできる人間である」との前提に立っているのだろう。しかし、世の中は常に精神的 に正常な人ばかりが生活している訳では決してないと思う。このような精神が左右されやすい生活者に対して、興味本位の番組や、人を殺したとか、盗まれたと かの過激で目立ったことのみがニュースとして取り上げらる。毎日毎日このような身勝手な情報が流され続け、受け取ることを拒否しがたい社会にあって、人間 として正常な精神を持ち続けることは大変難しいことに思える。いつしか心に支障を来し、肉体の健康すらも維持できない状態になってしまう。

90 歳を越えた祖母に「どうして長生きできたのか」と問いかけたところ、すぐに「ニュースは見ない。どうせ人を殺したとか盗まれたとかの繰り返しだから・・。 90年間生きてきても、いつも内容は変わらなかった」との返事が帰ってきた。人間が勝手に作り上げた世の中の毒気から、自ら遠ざける工夫をしながら永らく 生きてきた、まさに人生の達人の言葉だった。

最近、未成年者が親や家族を殺害する事件が多発している。そのたびに、生身の人間に備わって いる精神の強さは、どれほどのものか疑わしく思えてきた。どれが本物でどれがフィクションなのか、どれがリアル(実体)でどれがバーチャル(仮想)なの か、まだ自分の頭で考え判断することに慣れていない、いわば詰め込み式の教育の最中にある我が国の未成年者にとっては、人間社会の生み出す身勝手な情報 は、濁流のようなものだ。しかも都会という人間の作った限られた空間の中に押し込められている。社会に船出した成人であれば、自分の意志と経済力で、そこ から脱出する方法も見いだせるが、まだ社会的にも、経済的にも自立できない未成年者にとって、社会の檻の中に閉じこめられたようなものだろう。このような 時期に、社会や自分自身を認識し、自らの意志で何に向かって生きるかを決めようとするには、何と人間の身勝手な社会や情報に取り囲まれているのかと恐ろし くなる。しかも、一筋の明かりを必死に探そうとする善良な者を標的にした組織も、人間社会には多く存在している。人間社会が作り出した濁流に飲み込まれた ら最後、人間のみの価値観で作られた檻から抜け出せない。

一方、成人した人々であっても決して“自立した市民”とは言えない。企業社会の 中にあって多くの場合、立ち止まることは許されず、そして何よりも効率性を求められる。それは、組織が継続して生き延びていくために必要なことであり、決 してこのことを否定するものではない。そして、企業人として求められる行動様式も、これに合致した価値観が求められるのは当然である。
ところが、 企業にとって良いように育てられた行動様式が、知らず知らずに、我々の暮らし全体に渡るものであるかのような錯覚を自ら抱いてしまっていることが問題を生 んでいる。我々人間の体は、企業といった組織体は異なり、無限の時間を持ち続けることは絶対に不可能である。“限りある命”の持つ有限な時間の中で、いか に有効な時を過ごし、いかに社会に接し、次の命にバトンタッチするかを問われているのだ。

都会を離れ、郊外に広がった田んぼに立ち止まってみることで、自らも生き物の一つに過ぎないこと、そして自らが関わっている人間社会が、どれほど人間にとって身勝手に作られてきたかを思い知った。
産業革命以来、技術・経済中心で突き進み、化石資源の枯渇や人口増大、そして環境悪化、その結果ストレス社会が生まれるといったひずみを生んだ。
こ のような絶望の淵から這い上がるには、すべての人間の生き方が「地球そのものすら生き物ととらえ、地球上に存在を許されている生き物と共存していくような 「環境共生社会」の方向しかないことを知るべきである。世の中にあるすべての組織活動(たとえば企業は、すべての業種における商品やサービスの提供、そ して我々のライフスタイル)は、何らかの環境共生社会の方向を意識したものとならなければ生き残っていけない時代が、今まさに到来したのである。

人 間が生きていくためには、何らかの“生産”が必要である。空腹を満たし、温度差や危険から体を守る衣服を作り、地球上に生きてきた。しかし、生産の方法に よっては、緑の地球環境を悪化させ破壊し、ついには砂漠にしてしまうこともあり、また反対に緑の地球環境を作り上げ、環境と上手に共生してきたことを教 わった。

哲学者 梅原 猛さんは、「稲作の文化(東洋文化)こそが、いつまでも自然とともに共生していくことができる文化である」「哲学の構築方向は、西洋哲学だけでなく、東洋哲学と融合する方向に向かうべきである」と述べている。
また、「一言でいうと、西洋は『小麦と牧畜』の文化であり、東洋は『稲作と養蚕』の文化である」「言い換えると、西洋は『パンとバター』の文化であり、東洋は『米とシルク』の文化と言えるだろう。」
「西 洋(西アジアおよびヨーロッパの思想)は小麦栽培を行ってきたため(ほとんど水なしにできる、雨が降らない方が良い、だからどこでもできる、山の上まで畑 がある、耕して天に至る。どうしても耕せないところには家畜を放牧すればいい)、徹底して自然は痛めつけられた。だから歴史的な文明が発達したところ(中 央アジアとか西アジア)は、現在ほとんどが砂漠と化してしまった。最初から砂漠だったわけではなかった」
「ところが東洋はちがう。やっぱり稲作にとってなくてはならない水を確保するために森が大事。森は水を蓄えている。水を重んじる。特に森を重んじる。日本は、山にたくさん木があり、田んぼに水が引かれている豊かな自然がとても美しい。」

地 球上を砂漠にしないのは、稲作文化の東洋だったという。これまで当たり前と思っていた田んぼを見る目が変わった。一粒のごはんを口に運ぶことがとても嬉し くなった。そして、田んぼによって米を生産し、緑の環境を維持しつづけている農家の方々に感謝するとともに、私たちの食生活も見直していきたいと考えるよ うになった。

ふと“自然の声を聞くことができる”という感性は、どのようにして育まれ、どのような意味を持つものなのか考えつづける中でその解の一つと言えるものに出会った。
それは、環境問題を最初に問いかけた名著「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソン、 その最期の執筆となった「センス・オブ・ワンダー」の一節に次のように述べられている。「小さい頃にこの『神秘さや不思議さに目を見はる感性』、この感性 は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、 かわらぬ解毒剤になるのです」

自らの生き方に照らしながら、考えてみた。決して、一目散に駆け抜けるのではなく、気にかかる所では積極的に“立ち止まる”ことを指向し、実行してきた。
結 婚し新しい家庭を持ち、家族子供が誕生してからというもの、週末ともなると家族を連れ、山懐に“気配”を求めては各地の温泉を訪ね歩いた。途中の道すが ら、なぜか不思議に心に止まる景色に出会うと、草むらに足を降ろし、五感のみならず六感以降の感覚をとぎすまして、自然の声に聴き入っていた。

こ のような暮らしを続けるうちに、いつしかこれまで日本の季節や自然と関わって生きてきた中で、忘れることのできない想いがあることに気づき始めた。それか ら数年に渡り、仕事帰りの通勤電車を利用して想いを書き止めた。そのことを通して、身近に自然に接しながら幼年期を過ごしたことが、自らを生き物と自覚 し、自然の声を聞くことができる感覚を育てたのだと確信した。

「 原っぱの子どもたちは、この地球の縮図のような空間の中で多くのことを体験した。雲と天候の移り変わりを感じていたし、朝露の降りた草の感触、カラカラに 乾燥した土ぼこりに耐える草のこわばり、やわらかくしなやかな春の草、一面真っ白に覆われた雪の下でじっと次の命の再生を待ち構える草など、草はそのとき どきで、さまざまに表情を変えていった。それらさまざまな草の表情について、触れた感触も含めて子どもの記憶の中に蓄積されていったのだろう。考えてみる だけで、そのときの草の表情を色合いのみならず感触までも思い出され、体が反応してくるのはおもしろい。
自然の中に身を置いていることは、ただそ れだけで自然そのものの自然な姿を、自分の体の中に写し込むことになっているのだろう。体験というけど、まさに体の中にあるがままの自然の動き、感触が写 し込まれていくように思えてならない。その証拠に、五感と六感以降の感覚でとらえた自然との接触の体験は、生き物と接して生きていくためのルールを誰から 教わったわけでもなく自然に身についていて、多くの生き物と、ともに生きていくことを楽しむ力を与えてくれたのかもしれない。」(「心の風景のデッサン」より)

今 でも、自らの心の中心に位置し続けている“心の風景”について書き出したことで、自らが抱き続けている価値観が鮮明に浮き彫りになった。そこには、田んぼ に関わった光景がとても多く、我が国に生まれ育ったものにとって、最も身近な自然であり、しかも、多くの生き物と出会い、自然の声を受け止める感覚を育て てくれたところであった。

田んぼに立ってみて、我々人間が作り出す社会のあり方や生き方について考えさせられた。足下の虫やカエルなどの声、そして草の擦れ合う風の音などが、我々に警鐘を打ち鳴らし、あるべき方向を訴えかけている自然の声に聞こえてきた。
その声は、社会のしくみや我々のライフスタイルの変革を迫っているものであることを人間社会に伝えていくことこそが、自らの命を授かった自然への恩返しと思えてきた。今、仕事と暮らしの両面で、手探りを始めている。

                                      温泉人(おふろうど)





田んぼにて:温泉人(おふろうど)
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田んぼに立つ、田んぼに感じる、田んぼに学ぶ:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より





自然と生きる“温泉人”








地球環境問題とビジネスシフト






提言
提言
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【提言】:地球環境問題とビジネスシフト
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【警鐘】:「 “素朴な暮らしを”」(波暮旅二) &【提言】:地球環境問題とビジネスシフト





温泉人(おふろうど)のライフキャリアレインボウ





生産性(特に有効性)・イノベーション・要求仕様定義



生産性(特に有効性)・イノベーション・要求仕様定義、ここに重点を置いた生き方、ふわっとしたことを、もやもやすることをまとめることが得意と言える生き方をしていきたいと思っています。

これからどう生きて行きたいか、描いて見ました。(^^♪ オフ ロードとして、一目散に駆け抜ける生き方でなく、道草を楽しむ生き方していきます! そして、ほらね!って示したいと思っています。



どこまでも温泉人(おふろうど)
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市民・地球市民として



愛車旧デリカとみどりの村キャンプ場サイト(2007.5.13)
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★みどりの村キャンプ場サイト(2007.5.13)&「温泉人(おふろうど)号」へ、感謝!



自由に生きる・アウトドアライフ
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自由に生きる・アウトドアライフ:Blog「温泉人(おふろうど)ライフ」より




ビバ!キャンパークラブ・浅間高原ファミリーオートキャンプ場
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ビバ!キャンパークラブ・浅間高原ファミリーオートキャンプ場



★アーカイブ:愛車旧デリカと内山牧場キャンプ場(2007.8.26)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと内山牧場キャンプ場(2007.8.26)



内山牧場キャンプ場&初谷温泉にて(2012.8.25/26)
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内山牧場キャンプ場&初谷温泉にて(2012.8.25/26)




★アーカイブ:愛車旧デリカと父と多賀城の海で(2006.12.31)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと父と多賀城の海で(2006.12.31)



★アーカイブ:愛車旧デリカと雪の山形の実家で父と(2009.1.1)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと雪の山形の実家で父と(2009.1.1)



★アーカイブ:愛車旧デリカと曲り屋を求めて山形へ(2009.5.2)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと曲り屋を求めて山形へ(2009.5.2)



愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと山形・宮城へ(2007.8.16:工坊さんと同行)




★アーカイブ:愛車旧デリカと小名浜の浜辺で星空(2008.12.30)




愛車旧デリカと小名浜の浜辺で星空(2008.12.30)
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★アーカイブ:愛車旧デリカと小名浜の浜辺で星空(2008.12.30:Com「想」さんと野宿)




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心の風景のデッサン
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「心の風景のデッサン」:温泉人(おふろうど)
・・・故郷、それは心の中にある「心の風景」に違いありません。決して消えることのない・・・

まえがき

 誰にでも、生涯の中で忘れ難い自然や季節との思い出があります。でも、これは思い出といったものだけでは語れない「その人が大切にしてきたもの、これからも大切にしていきたい宝物」なのではないでしょうか。

  昔のことを、そして自分の生まれ育った故郷を単に懐かしんでいるということではないのです。きっと大切にしたい何かがそこにあるからと感じるからなので す。自分の心の目で心地よいと感じ、大切にしたいと思っている価値観がそこにあるのかもしれません。きっかけは、小さいころに出合った光景だったかもしれ ません。でも、その時代、その場所に戻ることはできないし、その意味も違うのかもしれません。




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★曲り屋の四季 ★http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52138719.html






“センス・オブ・ワンダー”への想い
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“センス・オブ・ワンダー”への想い




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風の便り(波暮旅二) & 温泉人(おふろうど)



★年賀状(2013年年賀)
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★笑顔♪



“計画された偶発性”(計画的偶発性理論)を起こす行動様式
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“計画された偶発性”(計画的偶発性理論)を起こす行動特性





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トロイメライ



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新どこへでも温泉人(おふろうど)号 での、どこまでも、温泉人(おふろうど)!




振れ幅
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振れ幅


自分らしさの発見・育成・表現
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自分らしさの発見・育成・表現 
http://www2c.biglobe.ne.jp/~ofuroudo/zibunrasisa.htm

このコーナーは、当初「イノベータの条件」としてスタートし、改善プロジェクトメンバーと共有するために使っていました。これをベースに人生プロジェクトの作り方として「自分らしさの発見・育成・表現」にまとめなおし、ホームページに掲載したのです。そしてニュータイムスの連載として「自然体の人間学」へと進化・深化してきました。Blog記事の末文に掲載し続けたいと思います。




温泉人(おふろうど)
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略 歴(写真活動):温泉人(おふろうど)




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日立市田尻での講演にて
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(哲学堂公園のネコ)・クリックしてみてください。話の様子が聞こえますから。



FB
https://www.facebook.com/ofuroudo/posts/1923399747874291?pnref=story


温泉人(おふろうど)印です。(^_^*)
http://blog.livedoor.jp/ofuroudo/archives/52177563.html

温泉人(おふろうど)とは、 箸ふろ うど(温泉の狩人)”として、◆肇フ ロード(off Road)”として、温泉と道草を愛しながら、“自然と共に自然体で!”暮らす意味です。(^_-)-☆



木札:温泉人(おふろうど)
 温泉人(おふろうど)の意味 

 日本語ドメイン取得 http://温泉人.jp   


ofuroudo at 06:18│Comments(0)

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