February 19, 2008

石と骨の博物館

気がつくと、サツキは見知らぬ部屋のソファに寝かされていた。
木目が基調の欧風の調度品に囲まれ、感覚が現実と結びつくのにしばらくの時間が必要だった。
―ここはどこだっけ、なんでこんなところのいるんだっけ?
と、サツキはなかなか自分に馴染んでこない意識の中でぼんやりと考えた。

「お気づきになりましたか?」
ゆっくりやさしく、そして極めてくせのない丁寧な英語で、初老の小柄な男性が話しかけてきた。
幾分フォーマルでこざっぱりとして、しかしながら肩の張らない格好の男性は、感覚の反射がままならないサツキに警戒心よりもある種の安心感を与えた。
「何か温かいものでもお飲みになりますか?コーヒーか紅茶か、、、」
サツキはその質問にはとっさにうまく答えることができず、もごもごと文法のままならない英語―whereという単語を何度も使った―を口にするのだった。
「ご安心ください、ここはプラハの国立博物館のキュレーター室です。
私はここのキュレーターのオズワルドと申します。
あなたは1時間ばかり前、本博物館の展示室でお倒れになり、この部屋に運ばれてきました。
しかしながら、これは私の勝手な判断ですが、そこまで深刻な容態ではない、単純な貧血のようなものだと判断しまして、ここで少し休んでいただくことにしたのです。
もちろん、あなたがあと数時間しても気づかれないようでしたら、病院へお願いするところでした。
ご気分はおいかがですか?」
オズワルドは(特にサツキのリクエストも聞かないまま)インスタントのコーヒーを入れ、サツキに差し出した。

コーヒーを口にしながら、サツキは徐々にはっきりとした感覚と記憶を取り戻しつつあった。
―そうだ、プラハでの商談が早めに片付いたからプラハの街を観光してまわってたんだ。
限られた時間で欲張りにいろいろ見て回って、最後にこの国立博物館を訪れて、、、

「ごめんなさい、大丈夫です。
私、ちょっと疲れてたみたい、無理して観光をがんばりすぎて。
ほら、プラハって素敵な街で、訪れるべき場所がたくさんあるから。
でも、そんな体調でここを訪れて、その展示品に圧倒されてしまったというか、『気持ちを持っていかれてしまった』というか、、、。」
「展示品に『気持ちを持っていかれた』?―ここの『石』と『骨』たちにですか?」
「ええ、こんなにもたくさんの『石』と『骨』に囲まれたことなんてなかったから。
なんだかその不思議な静けさと生々しさの滑稽さの前で、逆に生きていることのほうが恥ずかしいことのように思えてきて、何だか意識の深淵に転がり込んでいくような感覚に襲われて、、、。
その時にきっと倒れてしまったのね。
でももう大丈夫、ありがとう。」

「左様ですか、まずお身体が大丈夫なら何よりです。
しかし、あなたのおっしゃることは非常に面白いですし、私にもある意味でわかる気がします。
見ていただいたように、本博物館の鉱石、化石、生物の骨格、標本のコレクションは誇るべきものです。
これらは一見、何の脈絡もないようですが、よくよく考えると非常によく似ている。
あなたの表現をお借りするなら、これらは極めて『静か』です。
『静けさ』を文字通り『結晶』させることで、『時間』を閉じ込めています。
いや、『時間』を『結晶』させることで『静けさ』を閉じ込めているのかもしれません。
そしてその『純粋さ』は、逆に生々しくもある。
私がこの博物館のキュレーターを続けているのも、きっとそれらに魅せられているからでしょう。」

サツキは、自分の体調が十分自分の意識の管理下にあることを確認して、ゆっくりとソファを立ち、オズワルドに、世話とコーヒーのお礼を言った。
オズワルド氏は恭しく受け答えた。
「そういえば、クトナー・ホラはもう行かれましたか?」
サツキは、まだ行っていない、と答えた。

「では、時間がございましたら、ぜひ墓地教会に行ってみてください。
納骨礼拝堂ともよばれ、その名の通り骨の教会、4万人もの僧侶の骨で飾り立てられています。
あそこに行くと、『人は奇麗な骨になるためにきれいな生き方をすべきなのだ』と思い知らされます。
なにせ、『永遠』に近づけるわけですから。」

外に出ると、すっかり日は落ちていた。
ライトアップされたヴァーツァラフ広場の聖ヴァーツァラフ像が、国立博物館を従えるように威風堂々とそびえたっていた。
その時にはサツキは、会社に無理を言って帰国のフライトを遅らせ、もう数日をプラハとその近辺で過ごそうと心に決めていた。

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February 11, 2008

カレル橋を渡る

橋を渡る―その行動にいかなる意味が含まれるか、そんなことを慎平は考えたことはなかった。

日下慎平は新婚旅行の地として、妻(となったばかり)の美和とプラハを訪れていた。
旅行の目的地をプラハにしたいと主張したのは、美和だ。
少しばかりクラシック音楽の素養のある美和には、プラハは魅力的な選択だったに違いない。
彼女は、慎平の希望を聞き入れることもそこそこに、実にてきぱきと旅行のプランを立てていった。
ホテル然り、レストラン然り、コンサート然り、交通連絡然り、、、。
確かに、慎平にしたことろで、これといった希望があるわけではなかった。
旅行の計画なんてほとんどしたことがないし、特に海外旅行など初めてなのだ。
美和に任せておいた方が、すべてうまくいく。
思えば、結婚までの段取りにしても、出会ってからの細々としたプロセスにしても、今までのすべてがそう―美和がリードするのであった。
「あなたは、頓着がないものね」と美和はよく言った。

慎平は、公平かつ的確な表現をして、愚直であった。
香川県の片田舎で、靴屋を営む父と母、二人の姉と祖母という構成の、きわめて堅実で地方的な家庭に生まれ育ち、可もなく不可もない成績の学生時代を過ごした(大学は地元の国立大学の教育学部へ進学した)後、地元香川県の県職員として就職した。
毎朝、始業の2時間前には出庁し、所属する課の机を拭いてまわった。
仕事はどの課に配属されるかで忙しさがまったく異なったが(農林課の時は極めて仕事は少なかったし、福祉課はその逆であった)、どんな仕事にも愚痴をこぼさずひたむきに向き合った。
これといった趣味を持たず、同僚たちは「仕事以外の時間は何をしているのか?どうやって仕事の憂さを晴らしているのか?」と訝った。
そして、冷やかしというより心配に近い意味をこめて、仕事人間―彼の世代には極めて珍しいあだ名だ―と呼ばれた。

美和は対照的に、活動的で多趣味で都市的で自己主張をきちんとする女性だった。
ピアノを弾き、油絵を描き、旅行にもよく出かけた。
そんな二人が知人を介して出会ったとき、誰もが不釣り合いな二人だと思った。
しかしながら、そんな他人の心配をよそに、美和がリードし慎平がリードされる形で交際は順調に進んだのだった。

「このカレル橋、人生で絶対一度は渡ってみたいと思っていたの。」
旧市街広場からティーン教会を背にしてカレル通りを抜け、聖フランティスク教会前のカレル4世像まで来たところで、美和は言った。
その彫像が改修されたばかりの旧市街地塔をくぐれば、全長約520メートル、両端の欄干に30体の聖人像をたたえるプラハ最古の石橋、カレル橋だ。
対岸にはマラー・ストラナ地区、見上げれば聖ヴィート大聖堂の3本の尖塔が威厳を放つプラハ城。
橋下にはヴァルタヴァ川が悠然とその流れを続ける。

美和は意を決したように、歩を進めだす。
慎平はそれに続く。
足もとに石畳の不器用な頑固さを感じる。

「橋を渡るって、それ自身すごく象徴的な行為だけど、特にこのカレル橋は格別だと思わない?」
美和はしっかりと前を向いて歩きながら、でも慎平を下から覗き込むような口調で言った。
橋を渡る―その行動にいかなる意味が含まれるか、そんなことを慎平は考えたことはなかった。

「そっか、慎ちゃんは頓着ないものね。
でも、頓着がないっていうのはある場合には極めて重要なことかもしれない。
実は心の奥底で本当に大切なことが分かっていて、だからこそ表面的にあれがしたい、これがいいっていうのがないのかもね。
本当に大切なものを誠実に守っていって、後は時間が、歴史がその意味を付加してくれる。
この、カレル橋、そしてプラハを守ってきたチェコの人たちみたいにね。
どんな歴史的逆境があっても、彼らはプラハを守り抜いた。
慎ちゃんのそういう方向性のあるひたむきさに私は惚れたんだけどな。
私のこともこれから大切にしてくれる?よね?」

カレル橋を渡り切る頃、今までにはない決意に自分自身が満ちていることに、慎平は気づく。
目前には聖ミクラーシュ教会。坂を上がってゆけばプラハ城。
旅は、そして人生はまだまだ続いていく。

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February 05, 2008

message from PRAHA

その日も、のっぺりとした重苦しい雲に蓋をされたような空だった。
不吉な薄暗さが否応なく気分を重くさせた。
冬の中欧だし仕方がないか、と千秋は溜息交じりにつぶやいた。

千秋は、今回のヨーロッパ渡航に想像以上に馴染めていない自分に驚いていた。
学生のころも、就職してからも何度となく海外旅行を経験して世界中を廻ったし、その目的地がどこであれ、楽しめなかった旅行などなかった。
ほんの数週間ではあるが、ニュージーランドへのホームステイの経験もある。
(温かく迎えてくれたホストマザーとはいまだに連絡を取り合っている。)
英語も、職業にできるほど堪能とはいえないまでも、周りの友達や同僚と比べれば優秀なほうだったし、自信にもしていた。
なので、自分は世界のどこへいってもやっていける、とひそかに自負していたのだ。

何が違うのだろう―答えは簡単だった。
その地に存在するのに、旅行者としてと生活者としてでは、全く勝手や都合が違う。
旅行者の場合であれば、絶対的に責任を負わされることから解放され、いわば表面的にその場所の魅力を楽しみさえすればよいのだ。
そして、確約された「帰るべき場所」がその無責任性を約束する。
しかし、生活者であるならば、その街の抱える無慈悲、不条理、悲しみ、憎悪、勘違い、嫉妬、、、それらを含む全ての側面とも向かい合っていかなくてはならない。

百塔の街、プラハ。
ヨーロッパの音楽学校、黄金の街、北のローマ、神秘、、、様々な美辞麗句で形容されるこの街に海外赴任することが決定したとき、誰もが羨望の言葉を千秋に送った。
新しくプラハに展開される支店の、その立ち上げから軌道に乗せるまでを任されたのだ。
千秋自身も、この上なく魅力的な話だと思った―プラハという街の魅力と、自分のキャリアアップに対する魅力がそこにはあった。

しかしながら来てみると、仕事においても生活においても事態はそう簡単ではなかった。
チェコ語は想像以上に難しく―曲がりなりにも勉強してきたものはまったくと言っていいほど通じなかった―、自分の英語力の未熟さも痛感させられた。
食べることも住むことも、いちいち勝手が違うことに戸惑った。
もちろん、慣れるまでの辛抱、なのであるが、その慣れる・馴染むことに苦戦している自分自身に一番困惑していた。
さらには、滞在期間が不透明であることも不安を一掃掻き立てた。
しばしば、ひどく孤独であるように感じた。

その日の帰宅時、めずらしく重々しい雲に切れ間が生じ、茜空が顔を現した。
ふと顔をあげると、そこには夕焼けに照らされるプラハ城が見えた。
金色のプラハ城は、威厳と優しさをたたえながら、ただ静かにたたずんでいた。
そういえば、せっかくプラハに来たのに日々の生活に擦り切れ、観光などできていなかった。
―次の週末にはたっぷりとプラハを楽しんでみよう。
千秋は、自分の心で絡み合っていた紐がゆっくりとほどけていくように感じた。


という内容の手紙を数枚の写真とともに、慶介は千秋から受け取った。
宛名の「Airmail to Japan」の文字に筆記体とブロック体が混在するところに千秋らしさを感じて非常に愛おしく感じられた。
慶介は手紙を引出しにしまい、少し物思いにふけってから、ペンをとった。
そして、異国の地にいる恋人を想いながら、その返信をしたためた。

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November 01, 2007

雪に逢いたくて

随分御無沙汰しておりました。
11月になって身辺整理がつきました(?)ので、また投稿再開したいと思います。
よろしくお願いします。
今回は、5月に作成しました、童話です。
JOMO童話の花束、に応募してみましたが、あえなく落選しました。
でも個人的には気に入っています、読んでみてください。


以下本文+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

『雪に逢いたくて』

あったかいあったかい穴倉の中は、絶好の寝床でした。
寄り添っているのは、母グマと仔グマ。
これから寒さの厳しい冬の間を、二人は眠って過ごすのです。

でも、仔グマはちっとも眠くなりません。
うとうとしかけているお母さんに、何かお話してくれるよう、せがむのでした。
「仕方のない子ね、あなたは。お話を聞いたらいい子に眠るのですよ。
そうね、じゃあ、わたしたちが眠っている冬の間、外の世界はいったいどうなっていると思う?
何でも『雪』という小さな妖精が空からいっぱい降りてきて、あたり一面を真っ白に染めてしまうの。
お母さんも実際に見たことはないのだけれど、それはそれは綺麗なんですって。」

お話を聞き終わっても、仔グマは眠くなるどころか、『雪』のことが気になって気になって仕方ありません。
どうしても『雪』を、そしてその真っ白になった世界というのを見てみたいのです。
そして、とうとう仔グマは先に眠ってしまったお母さんに内緒で穴倉から出てしまったのでした。

外は一面の銀世界。
はじめてみる光景に、仔グマは思わず声をあげてしまいます。
「わぁ、本当に真っ白だ。きらきら、綺麗だなぁ。
でもやっぱり寒いし、この白いのはちょっと冷たいな。」
仔グマはどきどきしながら辺りを歩いてみます。
普段歩きなれているはずの場所が全く新しいものに見えて、とても不思議です。
足元の冷たさも心地よいくらいなのです。
でも、肝心の『雪』という妖精は見当たりません。
お母さんは『降りてくる』と言っていましたが、、、。
そこへ、ちょうどキツネが通りかかったので、聞いてみることにしました。

「おや、こんな季節にお前さん達が出歩くなんてめずらしいね、どうしたんだい?」
「キツネさん、僕は『雪』っていう妖精が見てみたくて出てきたんだ。
何か知ってるかい?」
「知ってるも何も、今お前さんの足元にある、その白くてふわふわしたのが雪さ。
冬になると空からわぁっと降ってきて、こうして積もるのさ。
妖精?そいつはどうかな。
でも確かに雪は六角形、おいら達と同じように、頭、右手、左手、右足、左足、それに尻尾がある。
一つ一つはとっても小さくて分かりにくいけどな。
そうそう、それに全部の雪は一つ一つ違う形なんだぜ。」

そのとき、仔グマの鼻の先に、冷たくて、でもやわらかいものがふわりと落ちてきました。
見上げると空から、真っ白い雪が舞い降りてきます。
「わぁ、お母さんの言ってたことは本当だったんだ。」
仔グマは自分の手の上に、降ってきた雪をとってみました。
キツネが言ったように頭や尻尾があるのか、それに全部が違う形なのか確かめたかったのです。
でも、手にとった雪は程なくして融けてしまうのでした。
仔グマは少し悲しい気持ちになり、同時に、それぞれ違った形をしているであろう雪たちのことを愛おしく思うのでした。

しばらく雪に見とれているうちに、キツネはどこかへ行ってしまっていました。
仔グマはふと我に返ると、大変なことに気づきました。
今、自分のいる場所かどこなのか、自分の家がどこなのか、ちっとも分からなくなってしまっていたのです。
急に不安になった仔グマは辺りを駆け回ってみました。
そんなに遠くに来てはいないはず。
でも見慣れない真っ白な世界の中では全く見当がつきません。
さっきのキツネはどこに行ってしまったのでしょう。
 
ずいぶん歩きました。
寒いからか、いつもより疲れてしまいます。
とうとう、仔グマは雪の上で横になってしまいました。
まぶたを閉じると、冷たい雪も何だかあたたかく感じられて、仔グマは眠ってしまいました。

次に目を覚ましたとき、仔グマは心休まるにおいと、ぬくもりに包まれていました。
ねぐらの中でお母さんに抱かれていたのです。
仔グマはびっくりすると同時に、お母さんが探してくれて、連れて帰ってくれたことに気づきました。
そして、この上なくほっとしました。 
お母さんはすやすやと眠っています。
今度、春が来て目が覚めたら、お母さんに『雪』のことを話してあげよう、と思いながら仔グマも眠りにつきました。
心の中で、お母さん、ごめんね、ありがとう、と言いました。  
Posted by ogane88 at 00:17Comments(0)TrackBack(0)童話

August 31, 2007

ミラノの風

―This article is not a fiction―

もはや毎年の恒例のこととなってしまいました。
国際学会参加前のドタバタ。
この一か月が過ぎることの、なんと早いことかといったら。。。

今年は、ミラノでの国際学会に参加してきます。
明日より、2週間弱の渡航です。
ミラノでの学会参加後、パリにストップオーバーし、現地の研究機関を訪問します。

ヨーロッパ渡航への回を重ねるにつれ、僕のスタンスも若干変わってきた気がします。
変な気負いがなくなり、自然な気持ちで臨めています。
一言でいえば小慣れてきたのでしょうか。
あまり気が緩みすぎるのももちろん良くないですが、、、。

では、行ってきます。
また、ミラノの風を受けて、それを反映できるような文章が書けたら、と思います。  
Posted by ogane88 at 00:00Comments(2)TrackBack(0)雑感

July 31, 2007

サンフランシスコ・グリフ

「私達、そろそろキリンに会いに行ってしかるべきなんじゃない?」
唐突に、かつ大胆不敵に彼女はそう言った。

僕は手に取りかけていた冷蔵庫の牛乳を、いったん置き直した。
彼女の言葉を噛み砕くのに数秒の時間が必要なのだ。
彼女はいつもそうだ―会話の原石をそのまんま、しかも急に投げかけてくる。
僕はその度になんとかその原石を受け取って、調べ、磨き、時にはブリリアントカットを施してから彼女に贈り返さなくては会話は成立しない。
そんなわけで僕は会話の原石を加工することに関してはちょっとした権威になれそうなほどだ。

「つまり、、キリンってのはあの首の長い偶蹄目の動物?
それとも中国の伝説上の、、、」
彼女は両手で首を伸ばすしぐさをしてみせた。実在のキリンの方だ。
辛抱強く会話の加工を進める。
「それは、アフリカかどこかへ行くってこと?
あるいは特定の会うべきキリンが、例えば小さい頃の思い出のキリンとかがいるのかな?」
「なんでもいいの、アミメキリンでもマサイキリンでも。
そんなに難しいことじゃないわ。
どこの動物園でも、キリンとゾウとフラミンゴくらいいるもんでしょ。
キリンっていえばとにかくキリンよ」

彼女の眼差しにはなんとも自信に満ち溢れていた。
僕の位置からは逆光で彼女の顔はきちんと見えないはずなのに、瞳がきらきらと輝いているのがわかった。
『キリンっていえばとにかくキリンよ』
そんな風に言われたら、僕だってその気になってしまう。
『うん、そうかもしれない、キリンに会いに行くべき時がきたのかもしれない』
僕はようやく落ち着いて、牛乳をコップに注ぎ、一口飲んだ。
「おーけー、じゃあキリンに会いに行こう」

心積もりが着いてからの我々の行動は素早かった。
まずはサンフランシスコ動物園について調べ、サンフランシスコへのフライトを予約する。
ちょうどもうすぐ夏季休暇だ、どうせなら旅行も兼ねて、遠くへ行こう。
そうだ、サンフランシスコのキリンはどうだい?
僕はそう提案した。
せっかくキリンを見に行くんだから、ステファニーやミシェルが愛しているような、あの幸せなサンフランシスコのキリンを見るべきだ。
きっとキリンは地中海性気候のキンキンの青空の下にいる。
彼女は大賛成だった。

「あのね、実はわたし、ずっっっっと前からキリンに会いたかったの。
会いたいというより、気になる感じ。
ある日キリンというアイディアが私を襲って、それ以来ずっとキリンに捉われ続けたの。
キリンとは何か?
キリンの首はなぜ長いのか?
『キリン、の、首、は、なぜ、長い、のか?』
もう気になって気になって、どうしようもなかったの。
ゾウの鼻が長いのは納得できる、パンダの尻尾が白いのも納得できる。
カンガルーにポケットがあるのだって納得できる。
でもキリンのあの長い首と、丸い角と、網目模様と、その他もろもろは、だめなの。
気になるの。
でも、だからと言ってすぐには行動を起こさなかったし、実際起こすべきじゃなかった。
その時、がいつか来るってわかってて、それを待ち続けたの」

果たして、キリンはキンキンの青空のサンフランシスコの、その南西の海岸沿いにある動物園の、そのまた南西の区域に、シマウマとかクーズーといった他の偶蹄目の動物たちに囲まれて、いた。
雄と雌なのか分らないが、背の高さが少し違う2頭がいて、僕は、麒と麟かな、などと思った。
2頭はエネルギーを浪費することが決定的に誤った行為であると悟っているかのように、ほとんど動かなかった。
そして非常に穏やかな表情をしてたまに目を合わせ、それは会話なくしてコミュニケーションをとる老夫婦を思わせた。

彼女はひとしきり食い入るように2頭を眺めた後、全てを悟ったかのように目を細めた。
そして、「やっぱりキリンの首は長いのね」といった。
『やっぱり、キリンの、首は、長い、のね』
それは鍵を鍵穴に差し込んで、きちんと回るかどうかを確かめているような言い方だった。
キー・オブ・ライフ、と僕は思った。

園内は結構な広さだったが、僕らはその偶蹄目の一角と、ゴリラワールドしか見なかった。
(ゴリラは暑さに不満をぶつける派とあきらめてぐったりしている派に二極化していた)
動物園を後にした僕らは、金門橋の麓でビールを飲んだ。
太陽は傾きかけていたが、それでもやはりサンフランシスコの空はキンキンだった。  

July 12, 2007

under the creamy moon―注意深く歩くことについて

7月―
この時期になると、僕らは毎年、唄を贈り合うことになっている。
いや、贈り合うというのは正しい表現じゃない。
敢えていうなら、『唄を合作する』ということだろうか。
つまり、僕があるメロディを考えて彼女に贈り、彼女がそれに詩をつけ贈り返してくれる。
ないし、逆に僕が考えた詩に彼女がメロディをつけてくれる。

それは僕らにとっては欠くことのできない、ある種の宗教的儀式のような習わしとなっている。
僕らはその行動によってお互いを慰め合い、浄化し、意味を見つけ直す。
ふたりで、どちらからともなく始めたのだが、彼女は
「七夕の、私たちなりの祝い方みたいで素敵じゃない」
と、まんざらでもないようだ。

今年でかれこれ5年目か。


ある晩、久しぶりに彼女とゆっくり話をする機会をもてた。
最近はそれぞれ自分の仕事から手が離せなかったし、ちょっと空いた時間に会うにしては我々は遠くに離れすぎていた。

僕は彼女とゆっくり話をするのが好きだった。
彼女とだと、日々の下らない話から普段人とはできないような深みのある話まで、お互いがお互いを鼓舞するように会話が進む。
それは小気味のいいテンポで綴られ、うっとりしてしまうほどの甘美な時間の過ごし方となる。

僕は普段から、いろんなことを考えている。
マダガスカル島のこと、猫の餌のこと、ヴィスコスフィンガリングについて、トマトソーススパゲッティ、ベビーブームについて。
キリンのこと、ミズキ科の植物のこと、ラテン音楽のこと、ベルリーナ急行のこと、ベーサルプレインディスロケーションについて。
僕にはそれらが、何かの意味をもつように思える。
何か、真実に近づく鍵が含まれているように思える。
でも、そんなことは日々の生活の実際的な部分には(おそらく)不必要だし、いちいち取り合ってくれる相手もいない。
唯一、取り合ってくれているのが彼女なのだ。
なので僕は心許して彼女との会話に甘んじてしまう。

真実に近づいているかどうかはわからないけど―と彼女は言った。
「最近思うのは、とにかく丁寧にいよう、ってこと。
丁寧に、注意深く、日々の歩みを進めていこう、と。
なるべく丁寧に、なるべく注意深く、、、

ちょっと情けない話だけど、最近、『もう若くないんだ』って実感するわけ。
何も考えずに手放しでいても何かを享受できていた「時代」は、もう過ぎ去ってしまったんだ、
もうこれからは失うしかないんだって。
でも、悲しいけれど、おそらく本当のことなんだと思う。
そう思うようになってから、いやでも丁寧に、注意深く日々を過ごさざるを得ないの。
丁寧に歯を磨き、注意深くアイロンをあて、丁寧に靴を履き、注意深く歩く、みたいにね。
でもそう思い、そう行動することで唯一、『これからも成長できる』んじゃないかって気がするの。
いつまでも俺は若いって思っている人っているけど、結構見ていて悲しいものなのよね。
そういう人は成長を止めてしまっているのね、きっと。
『失うこと』を自覚して丁寧に生きることの方がよっぽど価値がある、と思うな」


その夜の帰り道には、大きな満月が浮かんでいた。
手を伸ばせば届きそうだったけど、字が書けるような透明感はなかった。
不思議な、淡白い、焼きあがる前のホットケーキのようなのっぺりとした月だった。
僕は、creamy moonだな、と思った。
とろり、という音が聞こえてきそうだった。
そういえば、その夜世界を包んでいた甘だるい空気は、その月のせいかもしれない。

僕は、今年の唄はcreamy moonというテーマがいいかもしれない、と思った。
そしてcreamy moonの下で、丁寧に、注意深く歩く彼女を思い描きながらメロディをつくり、
彼女に贈った。

しばらくして彼女から贈り返されてきた唄には、別れの詩がのせられていて、僕は、
ちょっとあんまりだ、と思った。
しかしながら、よくよく聴き直してみると、非常にいい唄に仕上がっていた。
聴いているうちに甘い涙が一筋流れてくるような唄だった。  

July 03, 2007

ノーネンさん

高校生の頃、夏休みの間だけなのだけれども、牧場でアルバイトをしていた。

牧場と言っても、緑の平原に馬や羊がぽつぽつ、といった牧歌的なタイプのものではない。
決して広くない牛舎に牛を詰め込み、肉牛として育てる、まさに畜産だ。
しかしながら、畜産、という言葉が一般的に連想させるようなほこりっぽさや汚さとは無縁の、こぎれいな「牧場」だった。
確かに牛の糞尿は牛舎中に散乱しいるわけだが、少なくとも僕は一度も汚いとか、臭いとかは思わなかった(牛舎の屋根に巨大な通風扇のようなものがあったからかもしれない)。
ましてや、ある種の偏屈な平等主義者の人たちがが声高に発しているような
「生き物を食用に閉じ込め肥大させることは、残忍だ」なんて、少しも思わなかった。
もしそういった考えを持っている人がいれば、一度牧場で真剣に働いてみるといい。
そんな地に足の着いていない考えのほうがよっぽど人間のエゴイズムであると気づくはずだ。

とにかく要約するならば、僕はその「牧場」で働くことが好きだった。

牧場は「中川牧場」といい、その名の通り中川氏によって経営されていた。
しかしながら経営者である中川氏本人は牧場に顔を出すことはめったになく、実質その牧場の管理、つまり牛の世話をしていたのは一人の老人だった。
ノーネンさんだ。
牛300頭程度の、そんなに大きいとは言えない規模の牧場だったので、最低限の仕事はノーネンさん一人でも十分こなせる。
しかし、暑さの厳しい夏の間、少しでもノーネンさんの負担を少なくしようと、手伝いのアルバイトが雇われる。
それが僕だった。

仕事は、主に掃除とエサやりだった。
朝6時に牧場へと出掛け、まずは牛舎の中央通路を隅から隅まで箒掃きする。
牛たちが餌箱の干し草を食べ散らかしているのだ。
この箒掃きだけでも意外と時間がかかり、うかうかやっていると簡単に1時間は経ってしまう。
次に、牛を牛舎の一所に移動させかためておいて、牛の足元の土の入れ替え。
糞尿で汚れた土をスコップでかきだし、日干ししてあった新しい土を敷き詰める。
これが終わると、チャオ、とよばれるフレーク状の特別な餌を牛たちに与える。
このとき、必ず少なくない量のチャオが餌箱からこぼれるので、今度はそれを片付ける。
そうこうしていると、僕らのお昼休憩の時間だ。
昼からは、ノーネンさんは干草の細断、僕は牛舎の外の掃除。
干草の細断が終わり次第、それを少なくなっている餌箱へ配っていく。
このあと、天気が良い日は次なる干草づくりに取り掛かる。
(実際僕が働いていた夏のこの時間に天気が悪いなんてことは一度もなかった。)
ロールとよばれる直径1メートル程度に巻き固められた草を、ほぐし広げて天日干しするのだ。
干された草は夕立の前に細断のところへと集められる。
そして一日の最後に、牛たちの夕食である「おから」をスコップで餌箱へと配っていく。

書き上げてみるとこの程度のことなのだが、一つ一つの作業にはかなりの力が必要で、僕は毎日汗だくになりながら仕事をこなした。
Tシャツの着替えは、日に3枚は必要なほどだった。
くたくたになって夕方に帰宅すると、とにかく眠る。
晩御飯は食べていたのだろうか?

ノーネンさんは僕の倍以上の仕事量を、黙々とこなした。
僕がバテていようが、体感気温が40度に迫ろうが、見学にきた家族連れがはしゃいでいようが、とにかく足を止めることがなかった。
てきぱき、という音が聞こえてきそうなくらいだった。
もちろん、慣れ、という部分もあるだろうが、夏休み以外にひとりですべての仕事をこなしていることを想像すると、敬服せざるを得ない。

ノーネンさんと初めてゆっくり話ができたのは、僕のアルバイトの最後の日だった。
夕暮れが濃い紫へと変わりつつある中、我々は桃をかじりながら牛舎の前に座っていた。
僕はノーネンさんに、今まで大変お世話になった、でも、ノーネンさんの仕事ぶりから比べれば、僕はあまりお役には立てなかったかもしれない、という旨のことを話すと、その小柄で寡黙な老人は照れくさそうな顔をして、ゆっくりと語ってくれた。


「いや、あんたはよく頑張ってくれたよ。
毎夏いろんな子が手伝いに来てくれるけど、あんたは群を抜いて一番よくやってくれた。
仕事が丁寧で、一生懸命だったしね。
愚痴も言わず、毎日遅刻したり休んだりもせずに。

生き物相手の仕事ってのは、待ってくれんのよ。
こっちの都合で、忙しい時、暇な時ってのを作れん。
面倒だから、って気を抜けば、もう駄目になってしまう。
死んでしまった牛は、言い訳なんかは聞いてくれやせんもの。
だから、毎日毎日、やっていくしかないんよ。

あんたには言う必要ないかもしれんけど、真面目にこつこつと積み重ねた仕事ってのは、残る。
いろんな意味で、残るよ。
例えば、あんたは今後、牛の世話をすることなんて、一生ないかもしれん。
でも、一生懸命、一生懸命やってたんなら、うちでやってたことは、無駄じゃあない。
目に見える形もあるだろうし、見えないものもあるだろうし、でもあんたの今後の人生の、糧になるだろうよ。
うわべだけの仕事ってのは、そのときはそれでえぇかもしれんけど、後には何にもなしさ。
あんたには、そういう残る仕事をこれからもしてもらいたいなぁ」


僕は桃の種を牛舎の横にそっと埋めておいた。
もう秋を感じるほどの夕暮れだった。  

June 21, 2007

アゼリアに寄せて

梅雨入り宣言が出たというのに、その矢先の快晴だった。
しかし、この季節の晴れの日はとても心地いい。
暑すぎず、寒すぎず、しかも雨が世界を洗った後なので、その透明感は果てしなく爽快だ。
さわやかな風が鼻をくすぐる。
その風は過ぎ去ってしまったはずのアゼリアの香りを運んでくる。

アゼリア、、、


大阪府道9号線、通称―山麓線。
池田市の五月山のふもとから東へと走り、箕面の山々の山麓をつたって粟生間谷へ。
今はめったに通ることはないけれど、この道を通るとき僕は少なからず感傷的にならざるを得ない。
それは、涙を浮かべるほどの、目頭が熱くなるといったほどの感情ではない。
でも、記憶の中の何かが、僕の心を揺さぶる。
眼底が少しばかり濡れていくのがわかる。
僕はそれを『瞳の奥で泣く』、と呼んでいる。

結局、人は自分の青春を想うとき、同じような感情を抱くのだろうか。

当時、僕には一人の友人がいた。
誰とでも気さくに付き合い、小気味のいい話で人を楽しませ、誰からも好かれる奴だった。
羨ましいとさえ何度も思ったことがある。
でも同時に、僕には彼がだれにも打ち明けられない影を抱えていることがわかっていた。

バイクの免許を取ってバイク(suzuki、GSX-Rだ)に乗り始めたばかりの頃、バイク乗りの先輩である彼(彼はYAMAHA、SRに乗っていた)と一緒にいろんな所へ出掛けた。
そんなときに教えてもらったのが、山麓線沿いにある、箕面スカイアリーナ。
その総合運動場の体育館には裏のほうから何枚かの柵を乗り越えていくと、体育館の屋根の上へあがる梯子へとたどり着く(断わっておくが、今はもう入れなくなってしまっている)。
その梯子から体育館の屋根へと上がると、大阪平野が一望できるのだ。
特に夜景は素晴らしい。
六甲や生駒のように見下ろす夜景もいいけれど、スカイアリーナからは、眼前に200度以上の視野で夜景が広がるのだ。
おそらく知っている人は知っているに違いないが、最高の穴場、秘密のスポットだった。
我々は、夜景の綺麗そうな夜には度々その屋上を訪れ、様々なことを語り合ったものだった。

ある日、突然彼が、結婚する、と言った。
かなり唐突な話だったし、僕らには『そんな用意がなかった』から、僕はひどく驚いた。
少なくとも、僕には『そんな用意がなかった』。
もっと現実的な問題もあったはずだった―当時の僕らには稼ぎといえるほどの稼ぎはない。
それでも彼は、結婚する、ときっぱりと言い、そしてバイクを降りるとも言った。

その後、彼とは一度も会っていないし、連絡もとっていない。
僕のほうはといえば、大切な人を何度かスカイアリーナへと招待した。
一度、バイクを全損させるほどの事故にあい、バイクを買い直し、そしていつの間にかバイクを降りてしまった。

彼はきっとしたたかに、万人を愛し、そして万人に愛されながら生きていることだろう。
誰にも打ち明けられない影を抱えながら。
そして僕は、『瞳の奥で泣き』ながら、アゼリアに思いを馳せるのだ。  

June 11, 2007

さるすべり的成長論

子供の頃、さるすべりの木に登り、滑り落ちたことがある。

あれは小学生の時だった。
小学校には二つの中庭があり(運動場ではなく、鯉がいるような池や植え込みがあるような庭だ)、比較的控え目な中庭のほうに「さるすべり」はあった。
そのさるすべりの木は葉をたたえたり花をつけたりすることがなく(本当はあったのだろうが、僕の記憶にはない)、裸の幹だけが現代アートのように奇妙な格好を誇示していた。
つるんと、ぼこぼことした幹はコーヒーに垂らしたミルクをそのまま三次元化したように思えた。

なぜ、そんな展開になったのかは思い出せない。
何故かしら、僕はそのさるすべりに登ることになり、そして滑り落ちた。
それはそうだ、猿だって滑るのだもの。
子供心に妙に納得した、というか実感したのを覚えている。
さるすべりの木の傍らには、菱形の小さな池(ほんとに小さな池だ。中庭にはなくてはならないから仕方なく申し訳程度にある、といった)があったのだけれど、そこに落ちなかったのが不幸中の幸いだった。

とにかく、かつて僕はさるすべりに登り、落ちた。
今は、さるすべりになんて登らないし、滑り落ちることもない。
どう考えたってさるすべりに登る必要性なんて見当たらないし、本当に馬鹿だったと思う。

そうして考えると、僕の人生は後悔ばかりだ。
後になって自分の行動の間違いに気付いては嫌になる。
今の僕ならあの時こうしたのに、とか、こうすべきではなかったのに、とか。
いつになったら気の利いた答えをその場で出せるんだろうね?――


ここまで話したら彼女は意地悪そうな目つきをして言った。
「それって自慢?」
僕はびっくりして彼女の後頭部が見えそうになるくらい瞳をのぞきこんでしまった。
「後悔してるっていってるんだよ?どうして自慢になるんだい?」

「あなたはさるすべりに登って、滑り落ちた。
そして、さるすべりの木は滑りやすく、木登りには適していないと肌で知った。
貴重な『経験を得た』と言えるわ。
その経験をもとに人生を重ね、今はさるすべりの木に登る必要性がないことを認識している。
『成長』してる、ってことでしょ、後悔してるってことは」

「誰だって小学生からなら少なからず成長しているよ」
「でも、私はさるすべりに登ったこともなければもちろん滑り落ちたこともない。
あなたに聞くまではさるすべりが登るべき木かどうかも、考えたことすらなかった。
そういった意味で私はまださるすべり的成長を遂げていないのよ」
僕よりよっぽど上手に料理をし、ピアノを弾き、人と会話している彼女にそう言われるのは少々くすぐったかった。

「私は、少なくとも、そうやって後悔―過去の自分を見つめ直しながら生きている人が好きよ。
自分がすべて正しい、一番だ、ってふんぞりかえってる人よりはね」

「なんでこんな会話になったんだっけ?」
「ほら、あなたが猿に似てるから、木登りもうまいの?って」