2007年01月12日

『三井物産初代社長』(中公文庫)小島直記


 「組織の三菱、人の三井」
 東京駅を挟んで、丸ノ内側と八重洲側で覇権を争った財閥を評した言葉だが、まさに三井財閥は「人」で持っていたといって言い。

 その人材を生むきっかけになっているのは、何と言っても三井が福沢諭吉と深く結び付いていることにある。福沢諭吉は慶應義塾を開き、そこで近代日本の礎となるような人材を育てていった。慶應義塾で学んだ多くの人材は、その後、三井財閥でその手腕を発揮している。

 さらには、第一財閥を興した渋沢栄一も、三井財閥に肩入れしている。これは、渋沢が八重洲側の日本橋界隈を金融の街に育てようとした目論みが、三井と合致したからだろう。

 本書のタイトル、三井物産の初代社長は益田孝である。益田孝は歴史の教科書などでは、あまり有名な存在ではないが、東京の都市計画などを見る上では、彼は決して無視できないぐらいの功績を残している。

 その益田孝が主人公だからなのか、三井財閥で益田孝とは別路線を歩み、独特の理論で益田とは違う分野に三井を広げてきた中上川彦次郎の評価は、本書ではあまりよくない。

 しかし、中上川こそが、福沢諭吉の親族であり、三井財閥に慶應義塾出身者を大量に招き入れるきっかけをつくった男でもあった。

 後に阪急の創業者なり、私鉄のビジネスモデルを打ちたてた小林一三も、中上川の経営戦略を模倣したというほどだった。

 小林一三も三井銀行出身であるから、そういうことを考えると、いかに三井には人材が傑出していたかがわかる。そうした人材の力が、今にも続く、三井グループの原動力になっている気がしてならない。



 三井物産初代社長


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