私が赤芽球癆を発症した頃に出産した友人の娘ちゃんが
この春、小学校に入学するという 嬉しい知らせをもらった。

大きくなったねー!

そっか

あれから7年になるんだもんね。


7年という時間は
わたしにとっては、あっという間だったけれど
産まれたての赤ちゃんが、
小学生に入学する年月と考えると
ひとつの節目でもあるのかな、と。


当時、赤血球の赤ちゃん(網状赤血球)が
まったく産まれて来ない『0』という状態が4週間も続き、
これ以上、経過観察を続けるのは危険... と、
免疫抑制剤ネオーラルの投薬治療を開始する決断となりました。

ネオーラル投薬開始後は輸血を一切しないようにする為に、
1ヶ月ほど輸血を続けて、一時的に赤血球量を増やした状態に。

入院してからもじっくり準備し、
発症から3ヶ月の頃、ネオーラル開始。

2週間程で順調に薬の効果が出て
網状赤血球が少しずつ増加してくれました。

1ヶ月後には網状赤血球の数値が、
『54.0‰』と、脅威の数字も叩き出し
薬の効果が出ると同時に副作用も強くなりました。

入院中、手指が軋んで、
箸を持つ手が固まってしまい、
食事はスプーンを提供してもらったり。

文字を書く事も出来ず、
お手紙を頂いても返事を書けませんでした。

大量の薬を飲むために大量の水を飲み就寝するので
何度もWCとの往復... and 胃痛や吐き気で眠れない日々。

半年の入退院から解放され自宅療養になってからも
外といえば「ベランダ」というくらい、
引き込もっていました。

「絶対に風邪をひかないように...」という
主治医からの言葉にもセンシティブになっていましたね...

免疫を下げている状態がどの程度危険なのか
自分自身よくわかっていなかったから...
外の世界が怖かったのかも知れません。

「わからない」

ということが不安な気持ちになる。

発症当時、町の総合病院では手に負えず、
大学病院を紹介された時もそうだった...

総合病院でもわからない病気...?

大変な病気なのかな・・・と。


   あれから 7年。


『1』しか出ないサイコロを振って
一歩一歩、スゴロクの駒を進めてきました。

時に、『一旦休み』 したり...
急性虫垂炎の手術の為に治療を休止して、
『ふりだし』に戻ったり...

みんなが引っ張ってくれたお陰で
5つ〜6つワープみたいに飛ベたこともあったね♪


ネオーラル 300mg/dayから
少しずつ服薬量を減らす事ができて、
やっと今、200mg/day 。

主治医の希望としては、
最初の量の半分が目標らしいのですが、
どうやら、私の場合は200mgで落ち着いてしまったらしい。


欲張らず・・・
200mgで落ち着いてくれている事に
感謝するといたしましょう


昨年から引き続き、
「生きること」に真っ正面から向き合い、
病が発症する前と同じように『普通の生活』が出来るように
チャレンジしていきたいと思います。


「生きる」って大変だーーーっ!!


でも、楽しいことも いっぱいだもんね(^_-)


           


病友の中には、
ネオーラル卒業が叶った方もいます。
彼女は、私達の希望です。

彼女がこれからも病が再燃せずに
元気で過ごしてくれる事が何よりの励みになります。

同じ病と闘っている方が
このブログを見ていたら、
ぜひ、希望を捨てないで欲しいです。

そして、
この度の特定疾患医療費助成制度の改正により
後天性赤芽球癆が公費対象リストに加わる...という情報も
発表されました。

皆が安心して治療に専念できるようになれば私も嬉しいです。

一緒にがんばりましょう!