トラウマの認知

 

 患者の自分自身の治療に対する支持という点が決定因子となる例は、ヴァーチャル・リアリティーを操作する技法が典型的な外傷後ストレス症候群に用いられる場合である。米国陸軍は、実際、多くのイラク帰還兵に対してどのように対処したらよいのか困惑している。ニューイングランド医学ジャーナル誌は、最近、6人に1人の割合で兵士が心的障害を呈していることを報じている。米陸軍は隊で普及しているヴィデオ・ゲームから治療への移行にスムースにもってゆけるのではと期待している。治療では、改造されたヴィデオ・ゲームを使用して、トラウマ的状況へと漸進的に患者兵士を没入させてゆく。アーリントンにある海軍研究所は、標準化された治療である抗うつ薬による薬物療法と認知行動療法の組み合わせとヴァーチャル治療との間の比較有効性試験の向こう3年間の実施に着手した。研究者たちはこの装置は単なるニュー・エイジの玩具に過ぎないのではと案じている。もっともではある、だかそれどころか、この装置はトラウマ的効果をもたらす危険さえあるのだ。端的に言えば、研究者たちは慎重姿勢を崩さず、南カルフォルニア大学助教授アルバート・リッゾ三世によれば、「われわれはまだ、人的支援を必要とする機器を開発するには至っていない。現機種では、優秀な臨床家の支えが必要である28」となる。この慎重姿勢によって、研究費は400万ドルに膨れ上がった。この金額で、どれだけの優秀な臨床家が養成されるのであろうか。

 

28. E. Eunjung Cha, «Recalling Iraq’s terrors through virtual reality», The Washington Post, 2005323日号参照のこと。

 

 ヴァーチャル・リアリティーの支持者は近いうち、アブ・グレイブ刑務所・で虐待を受けたイラク人捕虜を同様な方法で治療を行なうことを提案するはずである。このニュースもさらにまた極めて遺憾と言わざるを得ない。

 米国国防上層部も強い科学万能主義性向にブレーキをかけるだけの慎重姿勢が必要だ。米国陸軍は多勢の行動理論のエキスパートに頼っている。われわれは、このことと関連して、グァンタナモ刑務所・の医療要員についての情報を入手した。同様に、米国では情報機関がその活動の大幅な修正を強いられることとなりかねない大いなる疑惑の標的となっている。このような巨大な管理機構が機能不全に陥っているのはなぜなのか。エール大学政治学専攻の学生であるサルマン・ワシフ・カーンがこの問いに対する回答として述べたものがセンセーションを引き起こした。かれによれば、情報機関そのものを袋小路に追い込んでいる張本人が科学者たちなのだと。保守的なコメンテーターであるデイヴィッド・ブルックスは自身の分析を交え次のように締めくくっている。「米国情報機関の生みの親であるシャーマン・ケントは社会科学と情報分析はシステマチックな方法に依拠しなくてはならない、『物理学のように』だと強調している。{・・・}カーンは中国についてのCIAの情報分析とその評価について異なった時代のものを比較している。1960年代は{・・・}ドナルド・ゼイゴーニアのような大学人でゼネラリストの研究があった。社会や歴史に造詣の深いかれの中国観があってこそ、当時の中国の指導者たちの希望や恐れについて、ややロマネスクな書き方ではあったものの、まともなレポートが作成されたのである。ゼイゴーニアは想像していた。中国人にとって、アメリカ人はどのように映るのか、かれらの行動はどのように解釈されるのかと。」デイヴィッド・ブルックスはさらに、ゼネラリストの研究に支持を表明し、ジャック=アラン・ミレールも最近引き合いに出している作家を援用している。その作家とはマルコム・グラッドウェルのことである。かれの一瞬の閃き・によれば、だれでも、学識が深いひともそうでないひとも、ある領域においては創造的直観を発揮できるのだそうである。ミレールは閃きを利用しようとしていたが、これは行為と思考の積み重ねとの対比を強調することとなった。ブルックス自身が一瞬の閃きを買っているのは、新科学者のnéoscientiste些末な知見も、ある碩学の一刀両断の直観によって生きてくるからで、「マルコム・グラッドウェルの著作一瞬の閃きによって馴染みのものとなった神経科学の最前線から窺えるのは、人間の精神は、潜在意識モデルでの、複雑きわまりない情報認識reconnaissanceの作業をやり遂げるということだ。とり巻きの世界と人間を理解するため、われわれが観ている情景の裏には、強力なプロセスが働いているのだ。人間が関わる問題を、CIAがやっているような、系統だった、コード化された、そして官僚的方法によって捉えようとすると、道理を得ないこととなり、アーヴィング・クリストルがいう、道理の象化・をもたらすこととなる。とうろうが斧とはこのことだが、ケントなどの似非科学者たちは、かれらが、つかみ所がない老いたゼネラリストに替わって現代的、厳密な方法論を持ち込んだと意気込むが、実際、ゼネラリストの直観は、{・・・}似非科学の方法論より現代的で厳密であったのだ29。」

 

29. D. Brooks, «Reimagining intelligence», The International Herald Tribune, 200545日号。

 

 神経科学の規定している人間もこれに似たようなものだ。どうみてもソウル・ベロウのラヴェルステーン・の方が正しかった。統計論者は、偉大な政治la Grande politiqueについてはなにもわかっちゃいない。チックは語る、「この青年は並外れた精神の持ち主であり、偉大な政治についての真の理解を示していたのだ。一方統計論者は雑魚に過ぎない30。」さらに言わせてもらえれば、雑魚学者は患者の策略politiqueや症状の策略politiqueからなにも導くことができない。そこに、精神分析の出番のチャンスが回ってくる。別のひとつの政策politiqueへと転換するチャンスが。われわれが日頃追求しているのはこのことだ。

 

30. S.Bellow, Ravenstein, Paris, Gallimard, coll. «folio», 2002. p.87.