Les non-dupes errentを読み進めるためには、結び目のトポロジーだけをやっているだけでは駄目で(というより、結び目のトポロジーが集合論やカントールとフレーゲの書簡でのやり取りを踏まえていることが ··· ou pireやsavoir du psychanalysteを読んでいると解ってきます。またこれを理解するにはその前年のDu discours qui ne serait pas semblantも読まなくてはなりません。«en-je lacanien»の第10号(2008年6月)に掲載されているMichel Bousseyrouxの«Le pastout : sa logique et sa topologie»にコンパクトに纏められているものに準じて、ここ暫く勉強会はこの論文そのもの、上記3つのセミネールについて勉強をすすめています。小生ひとりで歯がたちません。カントール(Lacanはanticantorienです)のいわゆる連続対仮説を巡る問題について、次回はKoideさんがリードしていただくことになりました。ここで極簡単にラカンにおけるsexuationの(非)論理から結び目のトポロジーへの移行の必然性について纏めてみます。
#ところがボロメオの輪は、そこにある結び目性(nodalitéをこう訳すのは問題だとKoideさんから指摘されましたが)により三つの輪はconsistanceをもつのです。nœuds borroméens généralisés(Miller版Encoreの113ページの図6に示されているのがその例です。どこかで誰かがこの図は間違っていると書いていましたが、ちゃんとテイク・ノートしていなかったので確認できません)ですと輪は3以上無限大にまで増やすことができ、つまり1から2には行かないのですが、3以上の自然数にはつねに後継数があるということになるのです。
今回アップするのは、主にSavoir du psychanalysteの最後(1972年6月1日)のセミネールです。