LE RETRAIT DE LA VÉRITÉ CHEZ GÖDEL
Une étrange condition du succè s de la science du réel [1]
Gabriel Lombardi [*]
より


# ゲーデルの論理とはラカンにおけるのと同様、現実の科学/science du réelであり、真理(においてはなんらかのréalitéの対象などは疑問がふされるものである)は伝統的な論理学が言っているような言語に内在するものではなく、このことが不可能であることを示すものである。

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論理学がめざすものは真理ではなく論証démonstrationである。そこでは意味論は度外視される。たとえば、syllogismeにおいて、ソクラテス、人間、死すべきものは、a, b, c, あるいはくじで割り振ることもできる。

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ラカンにとっては、真理は現実界からのtrouvaailleに本性上かかわるもの(Écrits p.864)であった。

もしlogiciensがめざすものがsémantiqueの排除でsyntaxique ordreにおける整合性conséquentな面だとすると、le nécessaireに対するle contingentbi-valencelogiqueaporieとなるともいえる。cesse de ne pas s’ écrireさらにcesse de s’ écrirele nécessaireと関係性をもつものなのかいなか。tri-valencelogiqueにおいては関係性ができあがるのか。すくなくともラカンにとってlogiqueScience du réelときていされている。ではla verite dans le discours de la scienceとは。

# 1930
年において、つまりゲーデルが加わっていた頃の、ヴィットゲンシュタインの影響下にあったウイーン学団においてはTractatusにおける「語ることのできないものについては沈黙しなければならない」がルドルフ・カルナップの数学についての定式、つまり「言語の統辞」、純粋の統辞を導き、そこには真理の希求は寸毫たりとも見出すことはできなかった。

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しかしゲーデルにとって、ある命題を含むシステムをどれだけ巨大なものにしても、そのシステム内においては、その命題を真と証明することができないのに、システムの外からは、直観的に真と判るようなケースがあることが問題であった不完全性定理(1931)

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『不完全性定理』をもって、ゲーデルはウイーン学団を去るが、同時にヒルベルトの形式主義からも訣別する。しかし直観的なやり方で示した不完全性定理を続いて証明することになるのだが、この証明をかれはすべて抹消してしまった。