2018年05月
A.I.に勝てるわけがないのです。
人工知能は、自然知能を先生にして、情報処理機能をあらたに作り出していく機械です。
私たちが、学校で学んでいる知識や関係性とか論理的予測とか。
いままで、人間が自然知能により、学校で習ってきたようなことは
社会で価値が高いから(社会で価値が高いから、習わせてきたわけで)、
機械に学習させる。
しかも、「秒」で。
そう考えると、今後は人間が同じ内容の学習して、
機械に敵うと考えるのがナンセンスですね。
だから、いままで、あまり、学校で教えてきていない内容の学習をすれば、機械にはまだまだ勝てるわけです。
マスプロ、一方通行では学べないもの。
芸と術(アルスとテクネ)。
大学でいえば、医学、防衛、家政など、昔でいう「代返」不能な学問。
いま、あらためてリベラルアーツが必要とよくいわれていますが、
人間、社会、世界、宇宙とかを対象に、最後は哲学的なアプローチ。
無意識に人が処理、直観的に対応している世界を、意識的に扱う、言葉にするような技術。
禅にも傾倒したといわれるスティーブ・ジョブズが、
テクノロジーを直観的に再構成して製品を生み出すように
直観はリベラルアーツの一成果でしょうね。
まずは、永年にわたり、超ろ過された純度の高い意識の塊である「古典」などを読んで、
人と意見を交える。
そんなことから始めてみましょう。
今、士業に必要なのは●●能力
子どもが将来、新型大学入試を受けることになるので、
とある京都の有名高校の校長先生の講演を聴いてみました。
要点は
今は先が見えない。
誰も正解が教えられない。
多様な人々との交わりを通じて、
主体的に目的を持ち、
課題を設定し、
仮説を立てて、
動く人材を育てていく。
そんな人材が通りやすい入試試験にするらしい
試験が大変ですね。日々の学生生活が超重要ということでしょうか。
昨日。
元大蔵省のとある方の金融検査監督方針についての銀行向けの講演を聞きました。
護送船団に組み込まれ、行儀を良くすることで生きてこられた銀行は昔の話。
バブル崩壊後の金融安定化のための恐怖の検査行政も様変わり。
銀行に求められるのは
個々の銀行が理念と具体的目標を掲げ、
それに相応しい業務を行う。
常にその検証を行い、顧客本位へ変革をしていく。
金融監督・検査はプリンシプルベースの個社対応の基準となる。
なんか似てますね。
国を挙げて、正しい答えのない世界で活躍できる人・機関を育てようという。
超高齢・人口減少国家、サイバー経済というのが未曾有の国難という認識なんでしょうね。
理念、目標から課題・施策には、仮説が伴います。
仮説は、外れることがあります。
仮説を立てると周囲から「できるわけない。バカだな。あいつ。」と思われます。
それに耐える文化、いやバカを賞賛する文化、社会がたぶん、日本に必要じゃないかということ
でしょうね。
「恥の文化」への挑戦ですね。
周りを見回しても
難関大学でても、難関資格とっても、難関会社にはいっても。
個人の理念を失い、ビジョンを描けない、目標設定ができない
だから多様な個性のなかでリーダーシップを発揮できない。
タコツボでは存在できても、一旦、多様な社会に出ると無能。
そしてさらに自信を失ってしまう。
立ち直る技術を提供する人とも関われない。
そんな現象が増えてきたような気がします。
WHAT これは何
HOW これはどういう仕組み
このあたりの知識を活かして
WHY で何でこんな仕組みのこんなモノが生まれたんだろう
なぜを繰り返す
いわゆる探求 QUEST
あるいは探究 INQUIRY
常識を疑い、自分ならでの答えを探し求め、なぜを何度も繰り返して理解を深める。
理科系でいえば、数学的・物理的な切り口だけではなく、生物学的なアプローチも必要
とされているのかなと思います。
というわけで、士業においてもまた同じで、そんな探求・探究能力が必要だと思います
さまざまな顧客・士業と交わって知見を増やし、人格や技術を高め、
自分たちの存在理由を記述・共有し、組織化・ネットワーク化する。
これより、先の見えない世界に適応していく。
士業にありがちな「自分の勉強したこと、知っていることのみに拘泥し、新しいことを
学ぼうとしない性癖」は非常にまずい。
自分の判断・常識を常に疑い、よりよく変化成長しようという開かれたマインドが必要
というわけです。
手前味噌ながら、名南コンサルティングネットワークはお客様からの教えに基づき、
先人の知恵をもって、そんな多様性に基づく探究文化に溢れていると考えています。
感謝しています。