昨晩は父の日だったわけだが、家族そろって名作をみるシリーズを実施。

過去、名作をいろいろみてみたが、ぐんとテイストを深めに設定してみようということになった。


デビッドリンチのエレファントマン(1980年公開)を、ゲオで108円で借りて、観た。


重い。

案の定だ。


公開当時、私は小学生だったので、映画のポスターと予告編しか見ていなかった。

もうこの年になれば大抵のことで、気が引くことはないと思ってみたが、かなり引きずった。

奇病(プロテウス症候群?)により数奇な人生を歩んだイギリスの青年の話である。


ところで医師役のアンソニーホプキンスが若い。

若いころよりメヂカラのある演技だった。

彼が登場するシーンは外科手術だ。

1860年ころか。

第1次産業革命からおよそ100年たった大都会ロンドンの大病院。

機械にはさまれ、めちゃくちゃになった虫の息の工場労働者を手術している。

彼の「機械はとまらないからな」といった言葉が妙に浮いていた。

そう、機械はとまらない。

喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみもなく、動き続ける。それが機械だ。

どれだけ、人を傷つけても、決してとまらない。

動き続けることが目的の物体。

片や、生命には目的がない。

簡単にとまる。

勝手にとまる。

とても適当な存在だ。

とんでもない愚考、奇行もする。

苦しむ原因も苦しみかたも、幸福の理由もその表現方法も十人十色。

人間らしさとはそこにあるのだろうと思える。



人類史を一変させるかもしれない人工知能が機械の究極の形だとする。

人間性とはなんだろう。

映画の最後の最後に、、主人公がとった「行動」を通じて、それが何かを深く考えさせられた。

そのシーンは今でも脳裏から離れない。

最後まで、こだわるべきは、その人なりの人間性だろうと思う。

最後まで、残るべきものも人間性だろう。