出張移動の合間に、「羅生門(1950)」と「乱(1985)」を立て続けに鑑賞しました。


巨匠コッポラなどが敬愛してやまない我が国の巨匠黒澤監督 。

シェイクスピアの戯曲を映画化し、ほとんど言葉を使わず、その物語の本質を表現する。

天才ですね。


単に英米の人が、シェイクスピアを映画化すると・・・しゃべり過ぎ、説明し過ぎで面白くないことも。

つまり原典=戯曲のまま。映画の意味がないといわれています。



人間関係を抽象化したスーパー古典をさらに抽象化して外国人が物語を表現して、世界中の人を感動させる。

日本人にこのような芸当ができることが誇りです。


私たち専門家の仕事は高純度に蒸溜されて、無限の人々の役に立つものです。

黒澤監督に負けない独自の世界観をおのおのの専門家が構築する。

なせば成る。ですね。

とくに黒澤作品やそのもとになっている古典シェイクスピア、あるいはそこから影響を受けた一大叙事詩的な映画をみると、いわゆる『事業承継』が数千年の歴史のあるテーマだとわかります。

親子、兄弟、男女がいて生産手段たる財産があれば、問題と結末はほぼ類型化できるわけです。

そんなことをいえば身も蓋もありませんが、物語を知れば、いろいろな結末、回避シナリオを想定できる。

これもまた凄いスキルだと思います。