ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

前略 天国のお袋さま

最近、小生の友達が、フェイスブックというところに李香蘭の<夜来香>のカバーを載せていました。それから、昭和初期の「懐メロ」を聞き続けています。懐メロ番組を子供の時にテレビなどで見ていると、色々と当時のことを解説してくれましたね。今でも、子供の時に聞き覚えた歌などを懐かしく聞くこともあります。お母さんもそちらでそんな曲を聞いているのでしょうか。ああ、それともタンゴかな。 

それでは、また。
草々
li koran


閑話休題
母親は大正の末年の生まれで、彼女の最後の子供が僕なんですが、自然と母の若い頃の流行歌などを聞いて育った僕です。おまけに兄や姉たちとも年が離れていて、彼らが聞く歌も聞かされております。だから、少しレトロな音楽に洗脳され続けておりました。
大瀧詠一さん<さらばシベリア鉄道>という歌を初めて聞いた時に皆さんは、どんなイメージを抱いたのでしょうか?

僕は、この懐メロを何となく思い出していたのです。どことなくロシアっぽい旋律。そして、厳寒の雪の荒野、恋人への想いなどが歌われていたせいでしょうか。

東海林太郎‐国境の町

へへへ、古臭い曲ですみません。
東海林太郎という歌手は、元々は満鉄に勤めていらっしゃったんですね。しかし、左翼的な思想の持主だということで、左遷されてしまったそうです。東京に戻ってからは弟と中華料理屋を開いていたそうで、順調な人生ではなかったようです。30歳を過ぎて歌手として成功した後も、戦後になると軍歌調の歌(<麦と兵隊>など)を戦前に歌っていたため、進駐軍から睨まれ、しばらくは人前で歌えなかったようです。苦労人ですねぇ。

もちろん、有名だと思いますが、<さらばシベリア鉄道>のギターの旋律はここから取られております。この曲もロシア風な感じで寒い感じのする歌であります。これも恋人への傷心が歌われています。画面にJoe Meekという名前が出ておりますが、これはこの歌のプロデューサーですね。
John Leyton ‐Johnny Remember Me

まあ、色々と雑多な曲を楽しんで聞いている僕ですが、その内、またもや夏に似合うユルユルした曲を聞き出すのでしょうね。その時はまたそんな曲のことを書きましょうね。

今日のイメージソング:<Charlie Patton - Banty Rooster Blues

昔から、大食漢だと思われがちな私。確かに食べるのが好きだ。そして、時々、食べたくなるものがある。昨日は、遅い朝のブランチとして、エッグ・ベネディクトが食べたくなった。 日本では、この料理は有名かしらん?

EGGSBENEDICT
簡単に言えば、トーストしたマフィンの上に、カナディアン・ベーコン(日本でいうハム)、半熟にしたポーチドエッグ、そして、オランデーズソースがかけてあれば良い代物である。
昨日はとあるところに行って頼んだけど、ダメだった。自分の方が上手に作れると食べていた(結局は食べるんじゃねーか!)。しばらく、不機嫌でありました。

うるさく言えば(書けば)、半熟の卵はナイフで切ると、とろ〜りと黄身が流れ出さなくてはいけません。流れた黄身は、待っフィンの端っこを切って、掬いあげてお口へ...。
そして、ソースが美味しくなければいけません(ソースが決めて)。タマゴの黄身とレモンジュースとバータを合わせたソースなんだけど、シンプルなソースだからかえって料理人の腕が出てしまうところだ。寿司職人の腕を見るのに、干瓢巻きを食べてみる、つのと同じ発想だね。実は、僕は隠し味として、少しマスタードを加えるのです。

付け合わせも、昨日のは良くなかった。炒めたポテトじゃしつこくてね。やはり、品の良いサラダを少々。口休めに、メロンを一切れとかお皿の脇に載せているともう高得点だよ。

そんな、うるさいことを書くのなら、自分で作れよ〜というご貴兄もいらっしゃるでしょう。確かに、その通り。しかし、たまにしか作らないので、いちいち材料を買うのも煩わしくてね。 いやいや、今度、作ろうとも考えています。貴方を招待したい。

CHANDOS3
うん十年前の記憶だからあてにならないのですが、大学時代の英語のクラスでジョージ・オーゥエルの随筆を読まされました。その中に、「シェイクスピアは剽窃の天才であった」とか書いてあったように思いだすのです。
調べてみると、当時一般的に行われていたそうですが、シェイクスピアも他の劇作家の作品から物語の筋を借りていたり、古い説話や歴史的な文献に手を加えたものが多々有るそうです。しかし、オーゥエルは、剽窃と言いながらも、彼の作品の中にの中にシェイクスピアの独創性やストーリーテラーとしての才能を認めているのでありました(と、僕は記憶している)。まあ、「シェイクスピアする」とでも言っておきましょう。

さて、最近、この曲を耳にしてちょっと驚いた。
Jean Ritchie - Nottamun Town

ジーン・リッチーは、1922年生まれのフォークシンガーで、1948年から歌い始めている。
さて、この曲はイギリスの古謡だそうです。歌詞は違いますが、ボブ・ディランの<Masters of War>に似てます。というより、ボブさんが、メロディをシェイクスピアしたらしい。曲のアレンジが酷似してるとかで、ボブさんの弁護士がジーン・リッチー側に和解金を支払ったという話も有ります。

調べてみると、初期のボブ・ディランの曲は、昔のフォークソングなどからメロディを拝借して、歌詞を付けているものがいくつかあるのでした。まあ、ブルースなどでもよくあることですけど。でも、これによって、ボブさんの独創性やユニークさが崩れるわけではありません。ただ、ディランの歌は特に著作権にうるさいんで、ちょっと皮肉な感じもする。

クイズ:
じゃあ、この曲に似ているボブの曲は何でしょうか??
1.<Liam Clancy‐The Patriot Game

2.<No More Auction Block For Me
南北戦争当時の歌で、Auction Blockとは、奴隷を競りにかけるための台のことです。アメリカのフォークブームで歌われたのでしょうか。このメロディーは、ボブの歌の中でも良く知られているものの一つですね。

3.<Liam Clancy - The Parting Glass
おや、またリアム・クランシーですね。アイルランドのフォークシンガーでボブさんより、6つぐらい年上ですが、ボブさんもよく彼の歌を聞いていたそうです。特にリアムの歌を評して、「最高のバラッドの歌い手」と評価しています。

ところで、ボブさんは、自分の曲も新しい曲に作り直ししてます。<All Along the Watchtower>が、<Hurricane>と似ていると思います。この場合、著作権の問題は起こりません...よね。

番外:
僕の仲間内では有名でしたが、<純潔 - 南沙織>の出だしが、ヴァン・モリソンの曲と似ていたと評判でした。ハハハ。

今まで日本のロックで西南戦争とか会津の白虎隊の歌を歌ったグループは有るだろうか。
おおよそ、歴史的な出来事ほどロックという音楽に取り込みにくいものは無いんじゃないかな。でも、バンドというグループは南北戦争を題材にして名曲を残して居る。

<The Band−The Night They Drove Old Dixie Down>
https://youtu.be/jREUrbGGrgM


作詞はカナダ出身のロビー・ロバートソンが担当している。しかし、朗々と歌い上げるのは、バンドの中でもだた一人のアメリカ人で南部のアーカンソー出身のレボン・ヘルムだ。

勝てば官軍というけれど、戦争の最後では北軍はかなりひどいことを南部の人々に行っている。町々の焼き討ち、略奪などが当たり前のように行われていたそうだ。

昔、僕の隣人がこんな話をした。戦後間もなくの頃に弁護士だった父の仕事の関係でフロリダ州にしばらく引っ越したが、学校で友達は一人も出来なかったそうだ。彼は常に「ヤンキー」として仲間外れを受けていたそうだ。戦後百年近くたっても、彼らの恨みは連綿と残っていたようである。
レボンも老人たちから北軍の仕打ちを聞かされていたのだろう。

Dictator_at_Petersburg
歌詞は、バージニアのダンビルからリッチモンドまで、兵站の供給に使えれていたダンビル・リッチモンド鉄道(写真上)で、南軍の供給ラインを遮断するために北軍が、その鉄道を破壊した出来事を背景にしている。そのため南軍は敗北を喫するわけだが、食料もなく植えた南部の市民は、北軍に南へ南へと追いやられて行く。焼き払われた町では警鐘が打ち鳴らされる、「逃げろ、逃げろ」と。

米国は運の良いことに、大きな大戦では本土が戦場となったことはない。しかし、彼らは国が二つに分かれて戦う内戦を経験している。その記憶は長く人々の中に残っているように思われる。


ちょっと訳してみたです。

<奴らが南部を撃ち払った夜>
俺の名前はバージル・ケイン。 俺はダンヴィル鉄道で働いていた。でも、ヤンキー(北軍)が線路をずたずたに壊しやがった。
1865年のあの冬、人々は飢えて生きているのもやっとだった。
そして、リッチモンドが敵の手に落ちたのは、5月10日だったかな。あの時のことは忘れない。

ヤンキーが南部を撃ち払った夜、街の鐘が鳴り響いていた
北軍が南軍を追いやった夜、みんなが口ずさんだ ナナナナナ

妻とテネシーに戻ったある日、彼女が叫んだ。「バージル、急いで、ロバート・リーが通るわよ」
木を切って暮らす生活にも甘んじよう、稼ぎが良くなくてもね
必要なものだけ手に入ればなんとかなる
(戦いで失ったものは多いけれど)でも奴らは、一番大切なもの(南部魂)は奪えなかった

親父と同じで俺は働くだけが取り柄の男さ、そして、兄のように南部に従軍した
南部人の誇りと勇気を持っていた兄は18歳で、北軍の奴等に命を奪われた
地面に眠る兄の血に誓うのさ、敗北を喫しても、ケインの男は逃げ腰にはならないと

ヤンキーが南部を撃ち払った夜、街の鐘が鳴り響いていた
北軍が南軍を追いやった夜、みんなが口ずさんだ ナナナナナ

NYタイムズで知ったブルース・ハーピストのジェームス・コットンの訃報。新聞の1ページを割いて彼の記事を載せていた。普段は飛ばし読みをする俺なんですが、この記事だけはていねいに読んだよ。読みながら、頭に浮かぶ彼の曲の幾つか。
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彼のアルバムで初めて聞いたのは、<Live & On The Move>。このアルバムの写真を見て、ハーモニカに成りたいと思ったのは、俺だけじゃないはずだ!
Cotton Boogie

聞きながら、ただただもうかっこ良くて、よだれが出そうになったら、次には<One More Mile>。
ベースラインもビンビンでこれでもか、これでもか…脳みそが痺れた。
とにかく、コットンは俺をブルースに引っ張り込んだミュージシャンの一人なんだ。

コットンは、幼い頃に父母と死別して、おじさんに引き取られたそうだ。そのおじさんが引き合わせてくれたのは、あのサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIだったそうで、実際に彼から手ほどきも受けている。

幼い少年の頃には、農作業をしている人々のために缶に水を汲んで渡すウォータボーイをして、小遣いを稼いだそうだ。そして、その傍ら、ハーモニカを吹いて農作業をする人たちの耳を楽しませたという逸話も残っている。

マディ・ウォーターズのバンドでハープを吹いてたことでも有名でしょうか。1990年に咽頭がんの手術を受けて、あのダイナミックな歌は歌えなくなったけど、その後もハープを吹きながら元気に活躍してました。
とにかく、最後は彼のライブの雄姿を見て、偲びたい。
ハープを吹きながら、横に顔を振るコットン。もう、吹き捨てるって感じ。
James Cotton Blues Band - Rocket 88

中学の終わりごろ、少しギターで弾けるようになったスカボロー・フェアという曲。サイモンとガーファンクルで有名な曲ですね。最近、ちょっとアレンジを変えて弾いて歌ったりしています。

Simon & Garfunkel - Scarborough Fair

イギリスの中部に位置するヨークシャー地方の古謡を幻想的な曲調にアレンジしたポール・サイモンですが、この人は様々な国の土着の音楽をアレンジし自分の歌に取り込むのが上手ですね。
そして、この美しい曲は色々な形で、沢山のアーティストにカバーされています。中にはハードロック仕様のものまであります。

下は21種類のバージョンを集めた動画などはいかがでしょうか。
21 Versions of Scarborough Fair

ところで、大人になった(別に大人でなくてもいいんですが)僕は、やはり歌詞の方も気になる。

始めの歌詞は、昔、恋人だった女性に対する懐かしい思い出と失恋を語っているようですが、2番目以降の歌詞はちょいと不思議だ。

<スカボローの祭りに行くのなら、パセリとセージとローズマリとタイム。そこに住むあの人によろしく言ってくださいな、彼女は私の本当の恋人であったから>
<昔の恋人に伝えてくれ、白い麻でシャツを作ってくれと。パセリとセージとローズマリとタイム、縫い目もなく、糸仕事も施していないシャツであれば、彼女は私の本当の恋人であると>
<昔の恋人に伝えてくれ、1エーカーの土地を見つけてくれと。パセリとセージとローズマリとタイム、海と海岸の間に、もしそれが探せたならば、彼女は私の本当の恋人であると>
つまり、無理難題を昔の彼女に与えているわけです。

調べてみると、色々な詩の解釈が有ります。
一つは、魔界の住人が人に謎かけをしている、というもので、四つのハーブの名前を言うことで、魔よけをしているというお伽話的な解釈。

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それでは、僕はどの様に考えたかというと、祭りに行くわけですから、そこには人々を楽しませるためにステージが設けられたでしょう。そして、舞台では道化や歌などが披露されたのではないかと。ちょうどアメリカのメディシンショーみたいに。
そして、この歌はカップルが掛け合いで演じたのではないかと想像します。美しい曲のイメージが壊れてしまいそうですが、掛け合い漫談みたいに、下世話な歌詞も有ったかも…。

下の動画が僕の考えるイメージです。
The Court Jester Sings The Terms

さて、美しいメロディに載せて、男は始めます。
「ああ、お前を本当に愛していたが、お前はとてもひどい仕打ちをしたね」と。そして、一番目の歌が歌われるわけです。物悲しいでしょう。

そして、女性の方はその仕打ちの謝罪をして、優しい言葉をかけたりします。
次に、「おや、よりを戻したいのかしらん?」と男。
そして、昔のしっぺ返しとして、彼女に無理難題を吹っ掛けるわけです。

「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」の部分は女性がコーラスで入れたかもしれませんね。魔よけのおまじないの言葉かもしれないし、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」みたいな口上かもしれません。これらのハーブは料理に使われるので、女性が口ずさんだ方が様になりましょう。

俺にあんな失恋の痛手を与えたのだから、ちょっとのことではよりは戻せないよ、との無理難題。この屈折した心理、分かりますよね。思うに、女性側からのカウンターとしての歌詞も有ったのでしょう。

ちなみにサイモンとガーファンクルでは、バッキング・コーラスに反戦歌的な歌詞を加えていますが、ちょうどベトナム戦争の頃でしょうから、時代も感じさせますです。

懐かしの一枚...。
1972に出された<Peter Gallway>というアルバム。あまり売れなかったようだけど、<名盤復刻>シリーズで出されていたので、買ってみた。軽いタッチで描かれた水彩画のようで、春の花曇りに何となく聞きたくなる曲がいくつかあった。

Decidedly Fun

決して売れ線ではないけれど、なんだかちょっとポップでしゃれた感じもするではないか。

Peter Gallway - Come On In

重たい晩御飯を食べた翌朝、軽くおかゆで胃に優しくという感じなんですが、こんな曲もたまには心に優しくて良いでしょう?

Gallway

ところで、このピーターさんのひげ面、一頃の久保田麻琴に似ているなあ、と思っていました。
ということで、久保田麻琴と夕焼け楽団の曲もついでに載せてしまう僕なのです。
久保田麻琴と夕焼け楽団 / 上海帰り

実は長年住んでいるピッツバーグから東海岸に引っ越しをする予定であります。
海岸の近くに引っ越すというので何となくウキウキとしてるのだけれど、長年ため込んだ垢というか、色々なものを整理しなくちゃ、というのが有って、掃除が大の苦手の僕としては苦戦の連続です。
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昔の様に、家財道具一式を大八車に積んでというのなら、気楽なんですけどね。それに家も売りに出さなきゃ、ということで頭が痛い。

というわけで、こんな音楽を聞いているところです。
Jim Kweskin / Moving Day

「今朝、家主が来て、もう出て行ってくれ、こちらも慈善事業をしてるわけじゃないだ」と。まあ、追い出されて引っ越しを余儀なくされるわけです。

元々の歌は、この辺りじゃないかな。
Charlie Poole - Moving Day

この歌を聞いていると、ライ・クーダーも取り上げた、こんな歌を思いだしますね。
Blind Alfred Reed- How Can A Poor Man Stand Such Times and Live
何となくのどかな感じの歌なんだけど、内容は厳しいもので、不況時代の人々の苦労が偲ばれます。
「(病気になって、)医者に来てもらったはよいが、少しの薬に多大な請求書が付いて来たよ。貧しい俺たちはどうやって生きて行けばいいんだろうか…。」

少なくても毎日3度のご飯にありついているのだから、僕らは日々の生活が出来ていることを有難く思わなくてはね。文句は言いっこなし。

僕は淋しいと中年。
でも、そんな寂しい時にね、女性のボーカルに慰められたりするんだよ。
そして、今は懐かしきモールス信号で、「誰か助けて!」とS.O.Sをオナラで「プププ、プウプウプウ、プププ」と打電したと考えておくんなさい。

あーら、するとどうでしょう。
懐かしい、モールス(モース)信号で、リー・モースという戦前に活躍した女性のジャズシンガーが現れたじゃないですか!

<If want the rainbow (1928)>

<愚痴何かこぼしちゃダメ、もし虹を見たいのなら、始めに雨が降らなければ>
雨降って地固まるじゃないですが、辛い日々があるからこそ、次には幸せの虹が現れるということでしょうか。落ち着いた深みのある優しいボイスに慰められたこの中年オヤジでありました。
Lee Morse
ちょいと調べてみると、彼女の活躍したのは、1920年代から1930年初頭まで。歌い手だけではなく女優さんでもあったそうです。売れっ子でもあったようで、自分のバンドも持っていたようですね。
面白いと思うのは、彼女も含めて白人がジャズを演じていることで、ここでも人種的な棲み分けみたいなものが在ったんでしょうか。
1930年ごろから体調を崩してしまったらしく、しばらく一線から退いていたようですが、40年代後半から再び歌い始めたらしいのですが、残念なことに1954年に亡くなったそうです。

さて、彼女の歌のタイトルは面白いものがいくつかあります。
I'm An Unemployed Sweetheart (1931)
「私は失業中のかわいい子」という題なんですが、1931年にリリースされているので、大恐慌中の失業女性の歌なんですね。しかし、よく来てみると、「月の光の下で私を愛してくれる殿方」を探しておられるようで、日本でいえば夜鷹の歌なんですね。しかし、可愛らしく歌われております。彼女の深みのあるボーカルが大人の女性を感じさせますね。ラブ!

Tain't No Sin To Dance Around In Your Bones (1929)
「あなたのお骨の周りで踊っても罪じゃないでしょう」という題なんですが、人食い人種の歌ですかね。変な歌ではあります。

最近、ちょっと調べてみた曲に<The Cuckoo>という曲。Cuckooは、日本語ではカッコウですね。元々はイギリスの民謡だったそうです。

まず、始めに聞いておいたいのが、クラレンス・アシュリーの<Coo Coo Bird

この歌は、彼の高い声や憂鬱なメロディといい、一度聞くと耳について離れない不思議な曲であります。歌詞はといえば、いくつかの歌詞を寄せ集めたらしい脈略のないフレーズが並んでいる。

<山の高みに小屋を建てよう、ウィリーが行き来するのが見えるところに>と不思議な歌詞から始まる。ウィリーというのが何の隠語か分からないけれど、何となく密造酒がらみの歌詞の様な気する。
そして、題名のカッコウの歌詞が続く。<カッコウは美しい鳥だよ、飛ぶ時はよろよろと歩く、7月の4日まで、カッコーと鳴かないよ>と鳥のことを歌ったかと思うと、次にはギャンブルの歌詞が続く。<俺はイギリスでも、スペインでも、カードの賭博をしたのさ。そら、10ドルを賭けよう、今度は俺が勝つからな>

そして、興味深いのは次に続く歌詞。
<ダイヤのジャック、ダイヤのジャックは悪名高き奴。俺の貧しいポケットから金貨や銀貨を巻き上げやがった」という部分。
実はブルースの歌でも、<欲張りジャック>の歌詞がある。何故、欲張りかというと顔がダイヤを見つめているように描かれることが多いからだそうな。レモン・ジェファーソンも歌っていますが、今回は、ジョン・リーのモソモソとした歌を聞いてみましょう。
John Lee Hooker- Jack O' Diamonds

ブルースもスコットランドの民謡などから少なからず影響を受けているという話を前に読んだことがあるが、これなどは白人の歌う歌から歌詞を借りて来たという例でしょう。
イギリスのロック系のギタリスト、ロリー・ギャラガーもこの歌を吹き込んでいますが、歌詞はアシュリーに似ています。
Rory Gallagher - The Cuckoo


それでは、アメリカの山間部では、もともとどんな感じで歌われていたのだろうかという疑問がわいて来ます。
KellyHarrell

1920年代に吹き込まれたケリー・ハレル(写真)の<The Cuckoo She's a Fine Bird>が元歌に近いのじゃないかしらん。この人はバージニアの山奥で生まれた人で、いわゆるヒルビリー系のミュージシャンだろう。この歌、鳩時計のクックとフィドルの音がなんとも侘しい。
ところで、カッコーという鳥は、他の鳥の巣に卵を産み付けるそうで、その連想から不誠実な女性を意味するのだとか。歌詞にも「彼女は水は飲まない、いつもワインを飲んでるのさ」なんて部分が有ります。

その他にも、題名は違いますが、メロディは似ていて、これも古風なメロディで有ります。
Old Kimball
これなんかも如何にもアパラチアンの山間部の歌という感じがします。

気が付けば、また今回もだらだらと締まりなく書いてしまいました。

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