ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

数年前にコーエン兄弟が彼のことをモデルに映画(インサイド・ルーウィン・デイヴィス)を作ったので少しだけリバイバルした感じが有ったデイブ・ヴァン・ロンク(写真下 一番右)。

書きながら告白しますが、彼のレコードは一枚しか持っていなかった。
Dave Van Ronk -SongsForAgeingChildren
<Song for Ageing Children>というアルバムですが、その中で、すぐ僕の頭に頭に浮かぶのは、<Last Call>という歌。何となくキャンプファイヤーなんかで歌いそうな曲でありますが、好きだった歌なので、今聞いても懐かしいです。
Dave Van Ronk ‐Last Call

作詞と作曲はデイブさんになっていますが、スコットランドの歌「ロード・フランクリン」からメロディを拝借しているようです。

Martin Carthy - Lord Franklin
船歌の一つですが、冬の厳しい航海を歌っております。
海との激しいを続けながら、彼らは大きな氷の海を渡って行くのだ 革で覆われたエスキモーたちのカヌーだけが付近を滑って行くのが見える、という部分が好きです。

デイブ・ヴァン・ロンクというとしわがれ声が特徴的で、風貌もクマみたいで、それだけでもう個性的でアクが強い。で、しわがれ声をがなり立てて歌ったりするので、たまに聞いていて耳障りに感じたりすることがある。
例えば、この<Candy Man>なんかも、いい感じで始まるのですが、ねぇ。と言いつつ、聞いてみると懐かしくて最後まで聞いている俺なのでした。

さて、彼のレパートリーの中でも一番有名なのは、この歌なんじゃないかな。彼も優しい気な落ち着いた声で歌っております。
Green, Green Rocky Road
この曲、僕はしばらく「グイーン、グイーン、ロッキー・ロード」と歌っておりました。

dave-van-ronk-bob-dylan
しかし、何気なく道にタイヤがあるなんて..

ブルースを中国語で書くと「藍調」というらしい。「青い調べ」とはなかなかお洒落な感じじゃないか。

そして、この人の名前は、中国語で「約翰・李・胡克」。
写真はその方の手なんですが、何でこんなに指が太いの? 
親指が5本生えてるみたいです。
john_lee_hooker_hand

ブルースブラザースという映画で、「ブンブンブン」蜂が飛ぶとブルースを唸ったため、再び人気が出てしまいました。その後、白人のブルースミュージシャンなどとコラボして、何だか、ブルース界のボスの一人として扱われておりました。
John Lee Hooker
30歳でデビューという遅咲きながら、デビュー当時の写真を見ると可愛らしいベイビーフェイスだったりする。ま、ミシシッピ出の田舎のお兄ちゃんなんだよね。

(ここで言いよどむ)
しかし…ジョンリーのファンの方で怒る方がいるかもしれないが、僕的には、ジョンリーはデビュー当時から60年代ぐらいまでが旬だったような気がします。
「お父さんはブルースが好きだから」と、家族が1990年頃に出された彼のCDをプレゼントしてくれたことがありますが、白人のミュージシャンにサポートされたきれいな音のブルースは、二度ぐらい聞いて飽きてしまいました。昔の曲の焼き直しも有りましたが、正直言って、詰まらんかったのです。ここだけの話にしておいてください。ってか、娘も覚えちゃあいないでしょう。

今回、ここで取り上げるのは、ジョン・リー・フッカーの1948年から1951年までのアクがブクブク浮いいる様な録音。戦後から間もない当時の日本は飢えていたことでしょう。そして、デトロイトの貧しい労働者ジョン君は1948年に初めてレコード録音をやる機会を貰った。
ジョンリーと言えば、プリング・オンとオフでカラカラと弦を鳴らす音がお馴染みだけれど、この録音ではチョーキングの音が多いですね。それと大きな足を使った足踏みが弾き語りらしいアクセントを醸し出しています。この音が僕にとっては、ジョンリーなんだなと思うのです。

John Lee Hooker - The Classic Early Years - 1948 1951 - CD B

最初のブギ。おっ、初っ端から彼の出世作のブギチレンかと思いつつ、いつになっても「ブギチレン」という歌詞が出て来ない。そうか、これはブギチレンになる前のブギなんだな。彼のブギも「出世魚」並みで、これから一年後ぐらいに立派な(?)歌詞を頂いて、立派に「ブギチレン」に育ったんだろう。

テスコと聞いて、思い浮かべるのはステテコとハウンド・ドッグ・テイラーであります。

テスコは1948年から1985年ごろまで有った日本のと楽器メーカーですが、僕が覚えているのは、中学時代に友人の家で読んでいた明星とかの雑誌の広告欄(8分の一位の大きさ)に廉価のエレキ・ギターとして宣伝されていたことでしょうか。
「うわー、安い、でも壊れるんだろな、すぐ」なんて、幼心に思っていたことでしょう。今まで手にして弾いたことは有るでしょうか。

しかし、ずっと後になって、ご機嫌で派手なハウンド・ドッグを聞いて、彼のことをインターネットで調べたりしていると…このテスコのギターのことが出て来るんですよ。
ハウンドのライブ 1973年

おお、アメリカのスモーキン・ブギじゃね。何となく、シカゴのマックスウェル・ストリートを彷彿させるような乗りと音でございます。

1960年ごろからテスコのギターはアメリカに輸出されていたのですが、その風変わりなデザインで人気が出たようで、今でもビンテージギターとして中古が結構、良い値段で出されていたりします。

なぜ、ハウンドはテスコを選んだか?
やっぱ、一番の理由はその値段の安さかもしれませんね。
また、そのデザインが装飾過多の派手派手でハウンドが好きそうな感じであります。幾つか下に写真を載せて置きますが、ボタン・スイッチがこれでもかと取り付けられているギターも有ります。

さて、ユウチュウブなどでテスコのヴィンテージギターの試し引きを聞いてみると、意外とメリハリがハッキリして骨太な音が出ている様な気がします。例えば、<これ>ね。

とにかく、このギターの音は、ハウンドのチャラチャラとしたスライドを際立たせるでしょう。繊細さよりノイズだ、字が書けなくても俺は腕力で勝負、という感じでしょうか。

その内、どこかでテスコを見かけたら、弾いてみたいですね。水玉のステテコでも履きながら。
tesco--vintage-guitars-unique-guitars
TEISCOTG-64montage

Hollerという英語は「叫び」と意味ことなんだけど、ここで云う「ホラー」は、アメリカの南部などで作業の時に歌われた労働歌みたいなものだ。有名な例としては、刑務所から駆り出された囚人たちが作業の時に歌ったホーラーで、お互いに歌いながら作業の足並みを揃わしていたわけだろう。
San House

労働で斧などで木を切り刻む作業の時にこんな歌が自然と出てくるようです。
Clyde Maxwell's wood-chopping holler #2


おや、R.L.バーンサイドの親父さんも、ホラーを歌ってますね。やはり、ミュージシャンだからか、歌に合わせて斧の音がきちんと入って来ます。
R.L. Burnside's wood-chopping holler

Belton Sutherland's field holler
僕のブログで何回か登場したキツネ目の男、ベルトラン・サザーランド(Belton Sutherland)のホラー。最後の方で、「もし、お前が駄目だったら、他の女なんか欲しくない」なんて歌ってますから、恋心の歌かしらね?

Joe Savage: John Henry verses
ジョーさんは、他の記事でも紹介したアカペラの歌い手。仲間が途中で、「こんな歌詞も有ったぞ」と歌い継ぎます。そして、またジョーさんがその後を続けます。何だか連歌みたいな雰囲気があって好きだ。ぼんやりと聞いてる薄緑のシャツのオッサンの無表情な顔が何とも言えずに良かったりする。

Gandy Dancers
調べたら、ガンディ・ダンサーというのは鉄道の保線労働者のこと。傷んだ枕木を交換したり、架線を移動させたりと重労働で有ります。
さて、この歌詞は下ネタですね。ちょっと日本風に訳してみました。
<俺は食べたことないけど、スージィは美味しいお饅頭を持っているそうな>、<スージィ、スージィ、俺はお前の腹を大きくすることが出来るんだよ、知ってるかい…>

パラダイス&ランチに入っていたこの曲も、もともとは鉄道で働くガンディ・ダンサーのホラーだったんでしょうね。以前にも書きましたが、Tamp ‘em Solidは<(枕木が沈まないように)硬く土を突き固めろ>という意味です。
Tamp ‘em up Solid
保線人夫の支払いは日当だったのでしょう。毎日が給料日だと歌ってます。しかし、きちんとその金を家に持って帰るのでしょうか。途中で液体に化けたり、サイコロ博打をしてしまったり、どこでお饅頭をつまみ食いしてしまったりして。

ええい、江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇんだ…なんて粋がると体がもたねぇ。

先週の金曜日の夜は、<Blade Runner 2049>を観に行った。

日本ではもう公開されているのでしょうか。

オリジナルの<ブレード・ランナー>は、大学の終わり頃に観てかなりハマった。当時、付き合っていた僕の仲間内でも評判だった。あの時からもう35年以上経ったんだ。

観ながら、当時の回想が。なんだかんだ言っても、僕は若かった。人生の先も見えない頃、最後に「生」の肯定で終わったオリジナルのブレード・ランナーは、何となく生きる気力を僕に与えたようにも思う。当時、好きだった女性のことなども考えて、甘い痛みに胸が…ゲゲゲのゲ

新しい<ブレード・ランナー2049>を見ながら色々と考えたのですが、思いつくことを書き連ねましょうか。
1)オリジナルでは、ルトガー・ハウアーが凄みを見せていたが、新しい映画では、元プロレススラーのバティスタ(写真下)が不思議な風貌で良かった。ちょっとゴーレムを思い起こさせる特異な俳優だ。
ムム、Luv役のシルビア・ホークスが怖カワイイ…ええねぇ。ちょっとM気がある俺には魅力。舐めてると痛い目に遭わされます。
bautista-blade-runner-2049

2)以前から僕が老人になると英語を忘れると家族に言ってる。そんな時に僕の介護をするのは日本語が話せる介護アンドロイド(以後、介護のアンちゃんと呼称する)。孫娘の様なアンちゃんに、「おじいちゃん、お粥が出来たわよ」と日本語でやさしく言われて、「いつも済まないねぇ」と涙がポロリ...何だか僕が子供の時に見ていたシャボン玉ホリデーに逆戻りだ。
アンちゃんは少しも汚がらず僕のおむつを取り替えるだろう。汚がる、(面倒)臭がる人様よりましである。いやいや、映画ラストエンペラーに出て来た宦官のように、おむつの中の僕の落とし物をクンクンと匂い、指で調べつつ、「お爺ちゃんにはもっと野菜を食べてもらわないと」などと健気に言うかもしれない。
これを読んでいる方がどう思うかは知らないが、僕の場合は人様より気を使わないで済むから気楽で良いかな、という感じです。しかし、そのアンちゃんが「お爺ちゃん、最近物忘れがひどいでしょう。私は聞いたことを忘れないから、銀行の口座番号と暗証番号は、私が覚えといてあげるよ」などと言い出したら、要注意である。介護ロボットの貸し出し業者が、その個人情報を引き出す可能性が有るでしょう。新しいサービスには新型の詐欺が付随してやって来る。お互い気を付けよう!

前にも書いたけど、その内、介護ロボットに遺産相続をしようとする老人も出るだろうし、老いらくの恋の相手にもなるでしょね。ギリシャ神話の<ピュグマリオーン>よろしく、人間の頭はアンドロイド、ロボット、石の彫刻でも恋愛の対象としてしまう。
ところで、アンドロイドによる売春行為は違法なるのだろうか。新しい倫理規定が必要かな。最近のマリファナの様に部分的に解禁して、税金はしっかりとお上が巻き上げるのか?!

3)映画の中で、主人公のアンドロイドが、「自分の記憶は本当に起こったことなのか、それとも、誰かに移植されたものか」と訝しむ場面があった。
考えてみれば、自分が今、正確に思い出せる(と思ってる)記憶も、実は後付けで加わっている部分(特に細部など)がかなりあるはずだ。
昔、学生の時に読んだ本に、「目撃者の証言がどれほど正しいのか」という実験をレポートしたものがあった。結論を言えば、人間の記憶はかなり後付けで加わって変って行くようだ。
なぜか? ビジョン型の記憶では細部はぼんやりとしか思い出せないのだけど、無意識的に人の頭は、その細部を再構成してしまうようだ。
だから「友人の向かい側に座っていた人は、緑の帽子を被っていましたか」みたいな質問には、それらしく答えてしまいます。正しく、「向かい側に人などは座っていませんでした」と答えられる人は少なかったりする。

4)この映画に、まだハリソン・フォードが出て来た。もう70超えてるのにご苦労さんです。俺としてはもう少しオリジナルから離れて欲しかったんだけど、最初の映画の出来がよろしいといつまでも引きずってしまうね。しょうがないのね。

等々を映画を見ながら考えていた僕でした…。

先週末は家族と一緒にテキサスのオースティンに行きました。
旅の目玉は、ACL(オースティン・シティ・リミッツ)と呼ばれる音楽祭。金曜日から日曜日の3日間行なわれ、参加したバンドやアーティストは約120。だだっ広い会場に特設された7つのステージで、スケージュールに合わせて演奏をした。
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人、人、人だらけ。
それに10月半ばだというのに、夏の様な日差し。会場では水のボトルが無料で配られていました。
人に交じってステージを見ていると、匂ってくるのはマリファナ...。テキサスは医療目的のマリファナは解禁されているようですが、こんなコンサート会場だと、どこでも吸ってますね。野放し状態。
暑いからビールなどもよく売れておりまして、ハイな感じで音楽を聞いている若者も多い。
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僕らは土曜日だけ行きましたが、昼から夜の10時まで、だだっ広い会場に設置されたステージを廻っていたのですが、さすがに夕方ごろにはクタクタ...。 

ところで、エントリーされたバンドなどの名前を見てると、歳を感じましたねぇ〜。
だって知っている名前がほぼないに等しい。聞こえて来る曲の中で、かすかに「昔、ラジオか何かで聞いたことが有るなぁ」ぐらい...。

それにラップ系の奴らの音のデカいこと...。紙ナプキンを丸めて耳の穴に入れても、体を伝わってズンズンと響いて来ます。

でも、土曜日のトリには、僕でも知ってるレッド・ホット・チリ・ペッパーズが出て来ました。
フリーはベースを踊りながら弾いてました。やっぱ、見ごたえあるねぇ。そして、ドラマーがこれまた上手で、これもまた見惚れちゃいました。噂通りコメディアンのウィル・フェレルとうり二つで微笑ましかった。でも、ドラムは聞きものでした。
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最後は<Give It Away>で締めくくったわけですが、この懐かしい曲を初めて聞いたのは、僕が最初にピッツバーグに来た時で、もう25年前。まだ、有名でない彼らのプロモーションビデオをMTVで聞きながら、「ああ、こいつらビッグになりそうだな」と思ってました。
あれから、25年が経ったんだなあ、聞きながら感慨ひとしおで有りました。

この<One Meatball>という曲は多くの人がカバーしております。
Candy Candido
その中でも出色なのは、このキャンディ―・カンディード(写真上)でしょうか。三つの声色を使って歌っております。もともと俳優さんなので顔の表情も豊かです。
まずは聞いてご覧あれ。

Candy Candido One Meatball



その小柄の男は、道を行ったり来たり、
そして見つけた町の食堂に入りました

貰ったメニューを隅から隅まで読んで、
なけなしの15セントで何が食べれるか…

ミートボールを一つだけ、ミートボール一つだけ
注文出来るのは、ミートボールを一つだけ

そして、傍に居たウェイターに、
つつましやかな注文を告げたんですと

ウェイターが大きな声で注文を繰り返すと
その声に他のお客はびっくり

「ミートボールを一つだけ、ミートボール一つだけ
この旦那の注文は、ミートボールを一つだけ」

男はとても決まりが悪くなってしまいました。
「パンも一緒に来るの?」と恐る恐る聞くと

ウェイターが廊下に響くような声で、
「ミートボール一つじゃ、パンは付いて来ませんよ」だとさ。


「ミートボールを一つだけ、ミートボール一つだけ
ミートボールを一つだけじゃ、パンは無しだよ」

男は悲しくて仕方ありません
だって頼めるのはミートボール一つだけ

そして、今では夢の中でも、あの声が…

「ミートボールを一つだけ、ミートボール一つだけ
ミートボールを一つだけじゃ、パンは無しだよ」


この哀れな歌は、1944年の作となっておりますが、世界恐慌時代ごろをイメージして作られたのでしょうか。僕は、このライ・クーダーの歌で初めて聞きました。
Ry Cooder - One Meatball (Live)
そいえば、ライ・クーダーは、不況時代の歌をよく取り上げておりましたね。暮らしは厳しくともノスタルジックな雰囲気を持つ時代だったのでしょうか。

この歌で一番知られているバージョンは、多分このジョッシュ・ホワイトのものでしょうか。ライ・クーダーはこのホワイトを下敷きにしているようです。
Josh White - One Meat Ball


そして、最後は寸劇仕立てのこの動画です。ウェイターの顔が憎々しげなこと…
One Meatball

へへっへ、大きな声じゃ言えないが、いい歳してまた女に惚れてしまった。
誰に惚れやんしたか?と聞く声が聞こえましたが、実は可愛いキャロルなんだ。
ええ、見てくれよ下の写真をよ。可愛いでがしょう。
Carol Kaye 2

両親が音楽家という家庭で育った彼女は、14歳でジャズギタリストとしてプロになったそうだ。その後はスタジオのミュージシャンとして活躍してましたが、或る時、ベーシストがスタジオに現れなかったので、ベースを代わりに弾いたそうだ。それからは彼女はベーシストとしても数多の曲に登場するわけ。

最近は色々なところに女性が進出しているので、「女だてらに...」なんてセリフは廃れそうですが、この当時に女性のベーシストは余りいなかった。そして、キャロルは誰もが認める一流のスタジオミュージシャンだった。
ええい、もう、姐御と呼ばせてくだせい!

例えば、ビーチボーイズのこの曲のイントロのベース。1966年の曲ですが、かなり先進的でエモーショ鳴る。これも姐御が弾いていたんだ!  (注1)
The Beach Boys - Good Vibrations
この曲は、コーラスやメロディなどを聞いてみると、当時としては斬新で実験的な曲だと思いますが、その裏方に彼女の様なスタジオミュージシャンがいたのですよ。うっふん。

さてさて、スタジオ・ミュージシャンは歌舞伎で言えば黒子みたいなもんで有ります。特に当時はレコードにクレジットが残らない。ただ黙々とプロデューサーなどのリクエストに応えて、自分のパートをアレンジし演奏していたわけです。

十年前ぐらいにあるテレビ局が、当時のスタジオミュージシャン<Wrecking Crew(救援隊)>について特集を組んだらしく、彼女の演奏も再評価されたようです。姐御の場合も、レコードに名前は残っていないのですが、支払いの明細書なで、どの録音に参加していたかが確認出来るようです。
そんな彼女の別名は「世界で最もよく聞かれている無名のミュージシャン」。とにかく数多のヒット曲のスタジオ録音に参加していたわけ。

下の動画を見てると、この曲もキャロルの姐御が参加してるのかい、と!驚く。
リッチー・ヴァレンスのこのイントロもレコードでは彼女のギターだったんだ。サム・クックのサマータイムも! 素敵すぎる。
キャロル姐御


アメリカのどの町にでも居そうな可愛いお祖母ちゃんであります。この動画の録画当時、78歳。だけど、ベースを持たすと、もうカッコいいんだな。もちろん、売れっ子の姐御はフィル・スペクター、クインシー・ジョーンズ、ブライアン・ウイルソン(ビーチボーイズ)などのプロデュサーの下でスタジオの黒子として活躍していたのです。
動画の中で、まだまだ男尊女卑的な当時の音楽業界で女性がベースを弾いていたことを聞かれたのでしょう。彼女はこう答えます(5:08)。
<音で男だとか女とかを判断出来ないでしょう。そこには良い音と悪い音があるだけだから>

そして、現代のミュージシャンにはこんな小言を(5:42)。
<今のミュージシャンは自分のクレジットが残る事ばかり気にしてる。私が、私がって。でも、私達が当時考えていたのは「私たち」よね。全員で良い録音をすることが最優先。そうやって私たちは良い仕事をこなしてきたんだわ>
話す声が何となく小森のおばちゃまみたいで笑える。
多分、子育てなんかが有ったのでしょうか、キャロルの姐御は70年代初頭にスタジオミュージシャンを引退し、その後は大学で教鞭を取ったり、レッスンプロなどをしていたそうです。

考えてみれば、法隆寺なんかの歴史的建造物もそうですが、誰がデザインしたか、棟梁は誰だったかなんてわからないんですよね。ただ良い仕事が時の流れにも洗われずに残るだけなんですな。

おまけ1:
何と、キッスのジーンシモンズ君がレッスンを受けています。
Carol Kaye gives Gene Simmons a lesson on bass


おまけ2:姐御の演奏。
Carol Kaye - Green Apple Quickstep

(注1)この曲のファイナル・カットは別のベーシストだったという話もある。しかし、その話が正しいかどうかは僕には分かりません。この曲は10個以上カットが有るようで、キャロルが弾いているカットも存在するのは確か。

これから書く昔話が、どの位正しいか、自信が有りません。昔の思い出は美化されがちです(例:僕が付き合った女性は全員が美女で有りました)。

また、それと同じものを今食べて、あの時の様に美味しいと感じるかどうかも定かではありません。歳を喰って、舌が肥えてしまってるだろうし、考えたくもないことですが、美味しいと感じる脳の部分が加齢により劣化してしまっているかも知れません。

大学の4年から就職した後の3年間ぐらいは、僕にとっては「青の時代」でした。仕事の内容自体は面白い時も有りましたが、シャイだった僕はどうも会社や同僚に馴染めなかった感が有ります。そして、うんざりするほど残業ばかりの毎日。彼女も作れず...。そんな時に楽しみだったのは、大学時代の友人と会って話をしたり、食事をしたりすることでした。


友人のK君は当時、吉祥寺で下宿をしてまして、腹が減ると時々二人で吉祥寺の「ホープ軒」に参じました。そして、モヤシのたくさん載った東京風のとんこつラーメンを頬張りました。
hope ken
あのラーメンはとても美味かった。
書いてしまうと陳腐なもんです。それだけのことなんですが、あんな美味しいラーメンは二度と食べられないような気がしています。まだ、ホープ軒は中央線沿いに幾つか店が有りますから、ホープ軒のラーメンはレシピが変わっていなければ食べられますが、今、食べても当時の様に美味しく思わないかもしれません。

まず、僕自身が若くて食い意地が張っていた。今、油の浮いたこってりスープをあの時の様に、一滴残さず啜れるでしょうか。

「青の時代」の僕はいつも少しふさぎ気味でした。で、吉祥寺のホープ軒に行くと、店員さんが威勢が良くて、まずその声に励まされた。店の兄ちゃんが茹で上がった麺の入った籠を威勢よく振って水切するんですが、それが鯔背(いなせ)だったんだよね。手際よくラーメンを仕立てると、客が多かったのにも関わらず、間違いなく頼んだラーメンが目の前に(まあ、品数が少ないせいも有ったんだろうけど)。そうそう、切り胡麻をたくさん振りかけて食べたっけ。一杯が350円ぐらいだったろうか。あまり金のなかった僕らには御馳走でした。

冬の冷える夜なんか、あの店のぬくもりと出来立てのラーメンが体だけでなく心まで温めてくれた様な気がします。くぐって外に出る暖簾には「ホープ軒(希望)」って書いてあったよ。あの様な雰囲気で美味しいラーメンを啜ることはもうないんだろうなと思います。

美味しいという記憶は、単に料理の味だけではなく、周りの雰囲気や自分のその時の有様などが付随して来るのです。

実は最近、突然、手に入ったのが<Chess Blues>というCD4枚組のセット。何と、詳しいパンフまでついて来ている。そのパンフを開きますと、当然、様々なミュージシャンの名前が出て来る。中でも懐かしいのが<Baby face Leroy Foster>というブルースミュージシャン。ギターとドラムを演奏しましたが、優しい顔に似合わず荒々しい歌い方をする人でした。1958年に35歳という若さで亡くなったせいか、それほど著名では有りませんけれども、彼の曲は活きが良かったころのシカゴブルースそのもの。残念なことに、彼の写真はあまり残されていなくて、ネットで調べてると、優男風の写真がよく出て来ますが、ついこの間、こんな写真を探し出したのです。

baby face Leroy Foster

満月の様に真ん丸な顔をした女房の前で、なぜか小首をかしげておりますね。天下のリロイさんも女房の前では頭が上がらないという図でございましょうか。

<Chess Blues>のCDセットに入ってるリロイさんの歌は、<My Head Can’t Rest Anymore>という歌で、夜もおちおちと寝ていられない心配事があるリロイさんなのであります。 俺も寝苦しい夜はこんな感じだなぁ。


さて、以前、このブログで書きましたのが、マディー・ウォーターズが彼の<Rollin’ And Tumblin’>をパクった話。リロイのこの歌はパート1と2が有って、二つを併せて聴きますと、野生を呼び起こされるような気がいたします。
Rollin’ And Tumblin’ part 1&2
これなんかは、唸りやシャウトも入っていて、<呪術ブルース>って名付けたくなります。

興味がある方もいらっしゃると思いますので、以前書いた<リロイ・フォスター>の記事もここに紹介しておきましょう。
日付を見ると、もう一昔に書いたもの何ですねぇ(ため息)。

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