ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

前回の記事では、女性の(太ももの)おかげで神通力を失った仙人の話を書きましたが、今回はその続きかな。
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さて、「悪い悪い女」という題の歌があります。音楽的にはザイダコなんですが、メロディ自体はどこかで聞いたことがありますよね。
Bad Bad Woman - Beau Jocque

<悪い女のおかげで、家庭を失った〜>そうですな。確かに動画に出てくる女性たちを見ると、この俺も神通力を失いそうです。不思議なことに、神通力は失っても孫悟空の如意棒だけは健在ですかな?

さて、この歌はエイモス・ミルボンのこの歌が下敷きですね。こちらは、「悪い悪いウィスキー」ですね。
Bad Bad Whiskey‐Amos Milburn
<朝、お家を出る時には、今日は飲まないぞ~って決心したのに、駄目じゃないか〜、悪い悪いウィスキーの奴め>てな感じで、この歌は、多くの男性諸氏の共感を得たことでしょう。

同じく、彼の歌でこんな題名の歌もあります。<Vicious Vicious Vodka
お次は、「性悪、性悪、ウォッカ」とうわけです。実は、どんな酒の名前でもいいのでしょう。
とにかく、エイモス・ミルボンさんには、多くの酒飲み歌が残されてますね。

ところで、<Bad Bad>というフレーズを聞きますと、僕はこの歌も思い出しますのことよ。
Bad Bad Leroy Brown‐Jim Croce
この曲はヒット曲で、一頃、FENからよく流れて来ましたね。

皆様は久米仙人のお話をご存じで有りますか?

奈良時代ごろ、修行のおかげで神通力を得て、空を飛んでいたところ、川辺で洗濯する若い女性の太ももを見てしまい、神通力を失い、空から落ちて来た仙人の話です。
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堅苦しい見方では、「どの様に修業を積んだ人でも、油断をすると過ちを犯すのだ、修行に一層励め」ということらしいです。そういえば、高野山なども昔は女性が入ることを禁じていました。修行者にとって、女性の太ももチラリほど怖いものは無いというわけです!

でも、僕はこの話がとても好きです。
女性の太ももを見て、ムラムラっと来るなんて人間らしくていいじゃないですか。ちょっと、絵をご覧ください。川で洗濯してた女性の驚く表情も良いし、面目丸つぶれ!みたいな顔の久米仙人も楽しい。

それに、この仙人、しばらく仙界から下界に降りて、人としての暮らしを楽しみたかったとも考えられます。それが証拠に、彼はその女性と一緒に住み子供まで作ったそうですから。その後、大事があった時にもう一度修行を行い再び神通力を得たそうですが。

ブルースでも女性にたぶらかされたという歌詞は非常に多い、というか、それがブルースマンをブルースマン足らしめている感情なんでしょう。本当は自堕落な自分を責めるべきなんでしょうが、ついつい相手に責任を転嫁して相手の女性が悪いことにします。転がる嫁は後家にならない...何のこっちゃ?

ブルース界の色男マッコイ兄さんも<悪魔の女>という題でこんな歌を歌っております。

<Kansas Joe McCoy - Evil Devil Woman Blues>

始めに出て来る写真で隣に立ってる美しき悪魔は、メンフィス・ミニーという名前でございます。これじゃあ、たぶらかされてもしょうがないか。ミニーは13歳の時に家出し、街角などでブルースを演奏し始めたと言いますから、女性だてらに筋金入り、一筋縄じゃ行かないわけです。

メロディ的にはロバジョンのこんな曲を思い出させますね。ロバジョンに取りついた地獄の犬もメスなんでしょうか。
<Hellhound On My Trail>

16世紀後半から17世紀初頭まで活躍したカラヴァッジョというイタリアの絵描きは、絵も有名でしすが、乱暴者で手が負えなかったらしいです。とにかく、酒癖が悪い。なんでも、喧嘩になった時のためにいつも剣を携えていたそうな。絵を描いている時はひたすらアトリエに閉じ籠り、絵を描いていない時には酒場で騒動を起こしているという困った輩だったとか。人を殺めてローマから追放され、38歳で波乱万丈な人生を閉じたわけです。

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カラヴァッジョという名前を聞いて、僕がすぐに頭に浮かべるのは<ホロフェルネスの首を斬るユディト>という絵(下)。旧約聖書の中の話で、大雑把に言えば、ある街に居た美しい寡婦ユディトが、町を征服しに来た敵の陣営に入り込み寝ていた大将の寝首を掻いて、町を救ったという話です。
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色々な画家がこの話を題材に絵を描いていますが、以前の画家の作品とカラヴァッジョの絵の決定的な違いはその描写力と迫真性にあると思います。

この絵の美しく若い寡婦の顔のアップを見てみると、まだうら若き女性のしかめっ面。「いや〜、血が飛び散ってる」てな言葉が聞こえてくる。しかし、眉根を寄せたその顔はそれでも美しいです。隣で彼女に指揮を執っているのであろう老婆も「ほれ、もう一息で首が取れますぞ! がんばりなされ」てなことを言ってそうだ。誰が今までにしかめっ面のユディトを描くことを着想しただろうか。

そして、哀れな敵の断末魔の表情も恐ろしい(多分、情事の後で油断していたであろう)。「つい小一時間前までは、俺の耳元に甘い言葉を囁いていたのによ〜」とか...。彼も交尾の後でカマキリのメスにもりもりと食われるオスと同じような運命にあったのでした。

最近、このカラバッジオの真作であろうと思われる絵が、ある古い家の屋根裏部屋から発見されたという記事を読んだのですが、これも同じく<ホロフェルネスの首を斬るユディト>を題材にしたものです(写真下)。
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再発見された絵の方では、ユディトがこちらを見据えております。「見たな〜」じゃないけれど、見得を切ってるような風で、一度覚悟を決めた女性のしたたかさとでも言いましょうか凄みが有ります。カラヴァッジョは絵のモデルに高級娼婦などを用いたことが多いそうですから、この絵のモデルもそんな女性なのかもしれません。そして、指揮を執るのはその傍で助言を与えているお婆。首が何だかすごいですね。絵に存在する臨場感はやはりカラヴァッジョのものなんでしょう。

カラヴァッジョの描写力はさすがに素晴らしくて、下の絵などは20歳を少し過ぎた頃の若い時の作品ですが非凡なものを感じます。瑞々しい果物と一緒に虫食いのリンゴや病葉を描くあたり、実写的な描写を得意とする彼らしいです。
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「哲は、あほだらきょうなぁ、もう」。
子供の時分、お祖母ちゃんの前で冗談を言ったり、ふざけたりした時、たまにお祖母ちゃんは、笑いながらこんな奇妙なことを口にしました。意味などは分かりませんでしたが、「あほう」という言葉だけは知っていたので、「哲は、ばかだねぇ」ぐらいの意味だろうと思っていました。
人に笑われるのは好きではないけれど、笑わせるのは好きです。考えてみれば、幼いころから僕はひょうきんな子供でした。

さて、この間、ひょんなきっかけから「阿保だら経」という歌い芸が、実際に明治から昭和まで存在したことを知りました。一口で言えば、早口で駄洒落や冗談を連発する歌い芸で、いわば和製ラップミュージックみたいなもんです。

例えば、<東京と隠居を間違えて、戦とモグサと間違えて、ラッパと反っ歯と間違えて、按摩とサンマと間違えて...>と、延々と節に合わせて他愛もないことを歌い継ぐわけです。大道芸として披露され、踊りを付けたり、見物人に飴などを売ったとか。

当時の第一人者は<豊年斎梅坊主>という芸人で、昭和2年に亡くなってますので、活躍したのは明治の終わり頃から大正時代でしょうか。演じた場所は上野や浅草あたりだとか。また、<かっぽれ>という滑稽な踊りの名手でもあったそうです。

僕のお祖母ちゃんは、どこでこの阿保だら経を聞いたんでしょうか。若い時分に東京に住んでいたという話は聞いたことがではないので、やはりレコードか何かで聞いたんだろうか。
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上の写真は梅坊主ですが、この写真を初めて見た時は少し驚きました。構えに隙が無いのです。下手に殴り掛かったら、やられますね。彼が武道をやっていたという逸話は発見していないので、偶然、こんな様子に写っただけかもしれませんが。

それでは、梅坊主の曲の紹介です。

<阿呆陀羅経三題>

最初の虫尽くしは、色々な虫の名前が出て来ますが、何だか「鳥獣戯画」的な面白さが有ります。90年ぐらい前の録音でしょうか。傷のせいもあると思うけれど、歌詞はしばらく聞かないとよく分からなかったりする。言葉は生き物で絶えず変わっているもんなんですね。

<出鱈目>
大学時代にこの歌をレコードで聞いたことがある。中村とうよう氏が監修したレコードで、世界の大衆音楽を集めたオムニバス盤。日本からはこの『出鱈目』が選ばれていました。

お祖母ちゃんが亡くなって、ずいぶん経ちますが、たまにはこんな古色の歌を聴きながら、故人を偲ぶのも良いでせう。

ボクサーとして油乗った25歳から3年間近くの間、アリはボクサーのライセンスを取り消され、試合をすることを許されなかった。おまけに世界チャンピオンのタイトルも剥奪された。

アリは最終的には、通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に輝いたけれど、もしプレスリーの様に良心的なアメリカの一市民としてさっさと兵役について居れば、二年もたたないうちに除隊が許され、防衛回数をもっと多く伸ばしていたに違いない。

徴兵拒否が正しいのかどうかは、僕には分からないし、下手な議論もしないでおこうと思う。
今、自分が住んでる国には、どこにあるのかも知らない国の戦場に送り込まれ、それが国民としての義務を果たすことだと信じて戦い、四肢を失ったり命を落としたりする若者が多くいる。人類の歴史からいつまでも戦争が無くならないから、その様な善良な市民に頼らざる負えないのが実情ではないか、とも思う。ちょど災害救助のあった時には、日本でも自衛隊が出動するのと似ている。汚れ役を引き受けてくれている。

1960年後半、アリの徴兵拒否は米国に賛否両論を巻き起こした。
しかし、アリが徴兵を拒否したのは、兵隊にとられたくなかったからではない。軍隊という組織の中に、いまだに根強く残る人種差別に対して抗議していたのだ。
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こんな噂が流れていた。
黒人の兵士は前線に送られて無くなる率が高い、でも昇進は遅い、などなど。事実は分からないけれど、今でも南部出身の兵士が多い軍隊の中で、南部の人種差別意識が根強く兵士の間であったであろうことは考えられる。アリは言った、「ベトコンの奴らは、俺たちをニガーとは呼んだことはない。〈生まれ故郷の)ルイヴィルでは、いわゆる黒ん坊が、いわれなき差別で人間としての権利を与えてられないのに、何でわざわざ何万マイルも離れたところにいる茶色のベトコンをやっつけに行かなくちゃならないんだ?」。
本当に戦うべき相手は、アメリカにいるぞ、というわけだ。

アリが偉大なのは、三年間の試合停止というボクサーとしては致命的な罰を受けてまで、国家を相手に「意地を張り通した」からだ。長いものには巻かれろ的な人ではなかった。そんな彼に人としての矜持を見た人も多いはずである。

ベトナムは事実上、アメリカの負け戦だったと云われる。そして、その戦争が終わると、人々は嫌なことはさっさと忘れたかったのだろうか、アリも無罪を勝ち取った。
ブッシュ大統領の頃になると、アリは「大統領自由勲章」を受賞し、大統領直々に勲章を首に掛けてもらった。あれは、米国の「あん時はすまなかった」なんだろうな、きっと。

さて、ブルースの世界でも、B・ブルンジ―とかジョッシュ・ホワイトなど、公民権運動時に政治的なプロテストをしたミュージシャンは多い。だが、「ベトナム」という言葉で最初に頭に浮かぶのはJ.B レノア―だ。
彼も土俵は違うが、彼なりに歌を通じて人種差別と闘っていた。

<J.B Lenoir - Vietnam Blues>

<神様、俺の祈りが聞こえたなら、ブラザー達をお守りください...大統領、貴方は平和を叫び続けているが、その家(ホワイトハウス)から出る前に、きちんと掃除をしてから出て行ってくれ>
「掃除をしてから出て行ってくれ」っていいフレーズだな。なっ、舛添さん。

今週のイメージソング:
<つめたく冷やして>


不謹慎な話だと思いますが、熊本の地震の報道を聞いた時に、最初に頭に浮かんだのは、「肥後守」という小型のナイフ〈写真下〉と五木食品のラーメンでした。

嗚呼、今では必要とされない技術かも知れませんが、僕は鉛筆をナイフできれいに削れます。私の娘が小学校の時に、友だちに見せるのだと言い、僕の削った鉛筆を持っていたのが懐かしいです。
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カミソリなどは、小学校の低学年の頃ぐらいから使い始めました。指なども良く切りましたが、あの時はオオカミのごとく、傷の直りが早かったことを覚えています。かなり深く切っても、次の日は塞がっていたもんなぁ。

近所の文房具店で初めて「肥後守」を買ったのは、小学校の高学年の頃でしょうか。あの文房具屋は「大岩」と呼ばれてましたが、小言の多い爺でした。念のため、記述しておきましょう。

「肥後守」は、その頃、よく作っていた模型の飛行機の工作に使うために購入。ニューム管(アルミニューム管)や竹ひごのフレームを転がしながら切る時に使いましたかね。中学になってプラモデルを作り始めるとオルファ・カッターに変わりましたが。残念なことに、肥後守は学校には持って行けませんでした。危ないからだったかな。

さて、小学校の理科クラブでは、年に2回ほどコンテストがあるわけですが、僕の飛行機は良く飛びました。
こんな昔の思い出は、ずっと忘れていたわけですが、設計図に合わせて竹ひごを蝋燭でゆっくり炙りながら図面に合うように曲げたり、翼に張った紙に霧吹きで水を吹き、ピンとさせたこともなどを思い出しました。飛行機は見た目も美しくないとね!
とにかく、6年生になった僕は理科クラブの部長として誰にも負けられなかったのです。

ライバルの山崎が、卑怯にも中学生の兄に手伝って貰って作った模型飛行機を持って来た事が有りました。模擬飛行では、僕の飛行機とほぼ互角…。あわや、王座を譲らねばならないかと心配しました…。

さて、模型飛行機の動力は長いゴム輪なんですが、巻く回数が指定されていた。しかし、本番で山ちゃん、ゴムを巻き過ぎて木の胴体が折れてしまった。へへへ、僕の不戦勝だい!
僕の模型飛行機は、翼に角度をつけてあり、空高く何回か旋回を繰り返しながら、ゆっくりと降りて来ました。

空を狙って45度の仰角に放つ時の緊張感とうまく飛んだ時の解放感。
思い出すに、もう一度、作ってみたいなぁ、と想うのです。
今日は風も穏やかな夏空。こんな日には模型飛行機だよ。
HIKOUKI

<後ろから、前から>(閲覧注意!)
おれ、この歌、苦手でした。

いえ、人間、正直にならないといけませんね。
聞きたくもあったかも知れませんが、若かったおれは、この歌を聞いてしまうと、体のある部分に微妙な変化を起こすことが心配され、人前で聞くことが不安でした。

おれがブルースという音楽を聴き始めた頃、「Back Door Man」という題名があって、英語の歌詞がわからなかったけど、「この殿方は、<後ろ派>なんだな、ひょっとして表門では無くて、裏門から入るのが好きなんだろか、汚ねぇ好みだな」なんて考えたおれは、不浄でした。許してください。

大きな戦争が終わって幸せな1946年ごろ、こんな色っぽい女性が<Back Door Man>を歌っていました。ちょっと、お馴染みのハウリン・ウルフの歌と違いますね。
<Vanita Smythe - Back Door Man>

<お金は持っていないけど、気にしないわ、私の望みは彼と愛し合いたいだけ…>
困りますねぇ。つまり、裏口から通ってくる男を待ち望んでる歌なんですよ。

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そして、ここにアンサー・ソング。ウルフさん、上の歌聞いてこの曲を書いたんじゃないかしらん?
まあ、ただの空想ですけどね。
お馴染みの<Howlin' Wolf - Back Door Man>で御座います。
<野郎どもは知らないだろう、でも俺は女性達の御用達。俺はバックドアーマン、裏のドアからコソッと出入りする男。明け方に鶏が時を告げたら、裏からおさらばよ>。
いい加減にしときなさいな、気をつけないと相手の亭主に切られまっせ。

調べたら、Back Door のブルースは、まだまだありましたよ。
<SCRAPPER BLACKWELL−Back Door Blues' (1931) >
でも、歌の内容は間男ではないですな。おれの裏口にも朝日が差し込む日も来るだろう、としけた気分なんですね。家の裏に立ちながら、徒然なるままに…。安物のいがらっぽい煙草が似合いそうな曲です。

最後はぜひこれを聞いてちょうだい。
<EDDIE "CLEANHEAD" VINSON - Back Door Blues>
ピアノの伴奏でしんみりと歌われるこの歌。
雰囲気が有ってブルージィ。
<家の前から入っても出て行くのは裏口。お前が好きだけど、お前は人の妻…>
贅沢言ってやがんなぁ。まあ、間男にも悲哀があるようです。
ええ、あんた、いいじゃないかい、全部を手にして満足してしまうより、手に入らないものがある方が余計に燃えるのさ。罪の意識も恋のスリルを増すしなあ。
まあ、おれには関係ない話ですけど…。

ブログで10年以上も文章を書き溜めてると、時々前に書いたことをすっかり忘れてしまっていることがある。前に自分が書いた文章を読む。意外にも楽しく読めたりするが、「机の引き出しの隅にしまった忘れていたミルクキャラメルを見つけて、半分溶けたようなキャラメルを歯でしごいて味わう」ようなもんだと我ながら思う。

自分のブログに検索を掛ける。このバンドのことを前に書いたかどうか調べるためだ。前に<パールマンとカレズマ>という題で書いた記事で、少しカレズマティクスのことを紹介しているのだけど、少し補足的に書いてみましょうかね。

<Shprayz Ikh Mir>


考えてみれば、もう20年くらい前のことだ。以前勤めていた会社のアメリカ人の同僚が、「お前、こんなの好きだろう」と教えてくれたのが、このバンド。1980年半ばに結成され、メンバーが変わりながらも今も活躍している。

ご存じだろうか、ヨーロッパにはアシュケナージとセファディムという違ったユダヤ人がいる。荒い解説だけど、北の方のユダヤ人はアシュケナージと呼ばれ、イディッシュ語というドイツ語に近い言葉を話す。そして、南ヨーロッパのセファディムは、ラディーノ語と呼ばれるスペイン語に近い言葉を話す。ヨーロッパのユダヤ人はナチスの排斥のために数が減少したため、その二つの言語もすでに余り話されなくなっている。言語も文化の一つであるので、話し手がいなくなれば、廃れるのは当然だ。ちなみに、ボブ・ディランはトルコ辺りから移民したユダヤ人が祖父母にいたそうで、セファディムの流れも入ってる。

さて、カレズマティクスはアメリカのバンドなんだけど、多くの曲はイディッシュ語で歌われる。なんて書くと、古臭い曲ようだけど、現代風のアレンジが施された音色は聞きやすい。人によっては、カレツマ・ジャズという新しいジャンルで呼ぶ人もいるけれど、カレツマにしろジャズにしろ、色々な音楽のスタイルが混じり込んでいるということだろう。

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僕の好きな彼らのアルバムは、<Possessed>。上の<Shprayz Ikh Mir>は、その一番最初の曲。この曲だけで、すぐにファンになった。マイナーな曲調の歌には、それでも不思議な力強さに溢れている。

<An Undoing world>は、英語で歌われている。歌詞に出て来る“Refugee”は難民という意味。ロシアやドイツで排斥され、追われたユダヤ人のこととも受け取れるけれど、いまだに世界各地で、戦火を逃れて移民をする人々のことを悲しく考えてしまうのです。

<Eyn Mol>というのは、安息日に皆でテーブルを囲んで、歌いながらワインで酒盛りしている感じだ。アルバムの最後に置くには良い曲だろう。

ということで、今回はお仕舞。

クリーブランドは北部のオハイオ州にあるので、てっきり北部系のブルースかいな、と思って聞いてみたのですが、出て来たのは、ケイジャンの音。

<CLEVELAND CROCHET / SUGAR BEE>

名前は<Cleveland Crochet>だけど、英語式にクロチェットと発音するのか、クロシェと発音するのか定かではないです。彼はケイジャンのフィドル弾きで、ヒルビリー・ランブラーズというバンドを率いていました。
1961年に出された「ハニービー」は、ケージャンのジャンルでは初の全国的なヒットだったようです(ビルボードのホットヒット100に入ったくらいですけどね)。しかし、悲しいかな商業的には成功したとは言い難く、その後もクリーブランドさんは、ルイジアナのローカル辺りのみでの活躍だったそうです。

初期のロックとケ―ジャンの間にも相互の影響もあると思われますが、このケイジャン曲もご機嫌な感じでロックしてますね。途中の節操無いスライドのソロも思わずツボにはまり、随喜の涙を流す息子さん、じゃなかったオギテツであります。この様なドロドロした音楽などは、特に好き! 
この音楽を食べ物に例えると、「油でこんがりソテーしたチキンの上に、これでもかと掛けられたグレービー。その横には二人分ぐらいのマッシュポテト…」。分かるね?

クリーブランドさんは、2011年に92歳で亡くなったようですが、晩年もフィドルを弾いている写真が残っています。ケージャン料理みたいな脂っこい料理食っても長生きは出来る?のかな。

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それでは、最後は少し落ち着いた曲でも。
<Telephone Port Arthur - Cleveland Crochet>

「小さなデスクコンサート」っていうミニ・コンサート。NPRという放送局の中にあるデスクの前で、こじんまりとした演奏が行われている。

歳のせいだろうか、大きな会場で行われるコンサートにはどうも行く気が起きにくい。駐車する場所を探して、あっちにこっちに右往左往していることなどを考える始めると行く気が萎えてしまう。僕としては小ぶりな会場で行われるコンサートの方が行きやすい。会場から一歩出れば、すぐに普通の街並みに溶け込めるしね。

<Sister Sparrow & The Dirty Birds>

このネェちゃん、なかなかソウルフルな歌いっぷりでいい。売れ筋だと思います。
さて、この「小さなデスクコンサート」。新人のアーティストが多いのかなと思ったら、意外にも大物が出演している。

例えば、<ピーター・フランプトン>
若い頃の彼の歌は余り関心が無かったけれど、12:20ごろから始まる<Baby, I Love Your Way>は、僕でも知っているぐらいの流行歌でした。でも、こうしてアコースティックで聞かされると、いい歌なんだな、これが。観客と演奏者の距離もすぐ近くだから、良いコミュニケーションが出来てます。

<テデスキ・トラック・バンド>も、ビッグネームですかね。

それと、今ではユセフ・イスラムと名前を変えた<キャット・スティーブンス>
昔ほど声が伸びないが、それでも最後に演奏される<父と息子>には、しみじみとさせられてしまいます。昔は若者として、今は父として歌える曲です。

Nick Lowe
やや、ニック・ロウも発見! 
<Rome Wasn't Built In A Day>
ギター一本の弾き語りでも聞かせてくれます。上手いスね。

良く名前を知られているミュージシャンも余り聞いたことのない名前の人も居ますが、少しつまみ食いをしながら、自分の趣味に合いそうな動画を探してみるのも楽しいのです。
そういえば、日本にいる時に、デパートの地下街で食べものの試食をするのが好きでした。まあ、僕の場合、結局何かを買うので、まあ悪い客じゃないでしょう?

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