ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

その昔、このブログでチャーリー・パットン様のことを三部作で書いたことが有りました。彼は当時、死亡記事が全国紙に載るほど有名だったんだけど、残された写真は一枚だけ。でも、お洒落なチャーリーさんなのであります。実はもう一枚あるんだけど、本当かどうか怪しい。
patton
さて、上の写真では、チャーリーは上から押さえるような弾き方を見せている。そんな弾き方があるんだろうか、と思っていたんだけど、あるんですねぇ。

ボツワナのロニーさんがこの弾き方を披露している。面白すぎる。それどころか、指の腹で言を押さえたりしていますな。正当な弾き方から見れば邪道かもしれないが、ブルースでもスライドギターなんて素敵な弾き方をしてるのだから、ギターの弾き方なんて好きなようにさせて欲しい。そういえば、コッティというアフリカのギタリストも<お匙を口に咥えて演奏>していたよ。

Botswana Music Guitar - Ronnie - "Happy New Year 2011">.


この演奏では、ギターが5弦ですね。弦なんて適当に張ってあればいいのか?
でも厚い音が出ていて流石だと思います。
Bosnian guitar
ところでこの人は男か女か分からないところも魅力で有ります。ついつい何度か見てしまう動画で有ります。

おまけ:
Ronnie "Ditsala tsame di Tsamaile"
ロニーさん、こんな声をしていたんか。やはり、男かもしれんて...。不思議な奴っちゃ、ね。こうして、ギターの不思議な世界は広がるのであります。

いま一生懸命、思いだそうとしているのが、僕のおばあちゃんは歌を歌ったかしら? ということ。
子守歌なんか歌ったかな。どうも思いだせない。おばあちゃんが、まだ若い頃の北島三郎の歌が好きだったことは、思い出すのだけど。食いしん坊の俺は、おばあちゃんの作ってくれた料理の味は思いだすのだな、これが。

考えてみれば、子供の時の僕は鰹節をかくのが好きで、おばあちゃんがみそ汁を作る時には、いつもお願いして削り節を削らせて貰った。でも、危ないからと刃の調整はさせてもらえなんだな。自分で少し削ってみて、「ほら、これでやってみい」なんて僕に渡したっけ。
そのせいか知らないが、僕は中学の「技術」で鉋をかけるのが上手だった。

asazaki_ikue_1

朝崎郁恵という名前のおばあちゃんの歌手の声を聴きながら、懐かしく祖母を思い出している僕なのだな。
朝崎郁恵 - あはがり

奄美の方言なんだろう、聴いていて少しも歌詞が分からないけれど、何だか波に優しく揺られている様な気持ちになって、ウトウトしたりする。ちょうど腕に抱かれた赤ちゃんが、お目目を開けたり閉じたりしてるようなもんです。四方を海に囲まれった日本は、海に揺られて浮かぶゆりかごみたいなもんだな、などと他愛のないことを書いたりする僕です。

北方のおばあちゃんたちも歌うのでしょうが、僕のおばあちゃんはどちらかといえば、南方系の顔立ちだったので、南の島の歌の方が耳には快かったりする。

よいすら節
「舟の舳先に白鳥がとまっています。白鳥ではありません。うなり神なのです」という歌詞ですが、何だか古事記の世界だねぇ。

santna

一度見ると、次々と聞き始めてしまう音楽がある。
サンタナのライブ。
始めにこの1969年のウッドストックのliveの動画を見てしまったのですが、それから、サンタナの動画を次々と観始めた私でありました。
<Santana - Soul Sacrifice 1969 "Woodstock">

ポンポコポンとパーカッションが始まると、もう駄目ね。サンタナの痙攣したようなソロで興奮し始めた。若い頃のサンタナは、向っ気の強そうな兄ちゃん、ボクサーなんかによく居そうなタイプだ。

このバンドを一躍有名にしたアルバム<Abraxas>は1970年に出されているので、その前年に撮られた彼らの雄姿です。ドラマーの兄ちゃん(マイケル・シュリーヴ)が若そうだと思って調べたら、20歳そこそこで、全出演者の中で一番若かったとか。もうノリノリの感じで太鼓を叩きまくっています。こんな風に太鼓を叩けたらいいだろうなあ。サンタナも若い。彼も22歳だ。もう若さがムンムンで、男の音楽だなぁ。

サンタナは何でも5歳から、<メキシコの楽団音楽マリアッチ>の音楽家だった父から音楽の手ほどきを受け始めている。こんな歳から始めれば、才能のある子は伸びる。

僕が大学の頃、大学の同好会か何かでサンバを演奏するグループがいたんだけど、聞いているうちに興奮し始めて、踊り出したわけ。すると、向こうの方にも俺と同じで踊り狂ってる奴がいて、よく見たら、仲の良い友達だった。同類項だな。どうもリズムのノリの良い曲を聴くと踊り出すのは子供時からで、盆踊りが好きだったのを思い出す。

次は、これを聞いてねよね。
Evil Ways 1969 "Woodstock"

11月12日午後4時24分。 庭の落ち葉の掃除を45分ぐらい行い、それからコーヒーを飲みに家に入る。たまにはシンプルで、安心して聞ける歌などを、考えていたら、ミシシッピ・ジョン・ハートを聞き始めている。
最近知ったんだけど、<ミシシッピ・ジョン・ハート博物館>というのがあるらしい。
サイトにはいくつか動画が載せられているので、お暇な時に見てくださいな。
この<動画>には、ジョン・ハートの孫娘メアリーさんが出て来ます。
MS John Hurt  Joe Alper

ジョンは、小学校を3年生ぐらいで中退し、それからは一生を小作人として働いていたそうだ。9歳ごろにギターを独学で引き始め、ユニークなスリーフィンガー奏法を身に着けた。何でも、母親が買い与えたギターは1ドル50セントだったとか。
ギターが上手になると、付近のピクニックなどで音楽を弾いて小銭を稼いだ。オーキィレーベルで戦前に幾つかレコードを吹き込んでいるけれど、商業的には成功しなかったとか。いわゆるブルース臭が少ないためだろうか。大恐慌の影響もありミシシッピに戻り、小作人として過ごす傍ら頼まれればギターも弾いた。時には白人たちの集まりでも弾いていたという。

1963年に白人のブルース好事家に再発見され、たちまち人気を博した。すでに70歳を過ぎていたけれど、ギターの腕前や歌声は少しも衰えていなかったとかで、ちょっと驚きだ。TVの番組にも呼ばれたりして人気もあったが、1966年に亡くなっているので、そのわずか3年間が、彼の名前を不動のものにしたわけだ。ギルドを愛用していたのもファンの間では有名かな。

高田渡やシバなどがジョン・ハートを聞いて酒を飲んでいると、必ず皆が涙ぐんだという話がある。中村とうようさんなどは、ジョン・ハートの音楽は「ブルース」でないと書いて物議をかもしたが、今考えると僕もとうようさんが正しいような気がする。ミシシッピ・ジョンには、「ソングスター」という名称の方が似つかわしいような気がする。温かみのある声で、色々なタイプの曲を弾いて見せた。僕の好きなジョセフ・スペンスもそうなんだけど、二人ともいわゆるブルースの「暗さ」や「濁り」を感じないんだね。ブルースに特有なチョーキングみたいなテクニックも出て来ない。だから、曲調が穏やかで、何となく寛いだ時間を過す時にはぴったりな歌。

僕が長年飼っていた猫(パンス)が老齢で亡くなった時には、この<Lonesome Valley>という曲を、寂しさを癒すために何回も聞き続けた。この曲を聴くと、今でもパンスとの楽しい日々を思い出して、涙が出そうになる。まあ、そんなわけもあって、ミシシッピ・ジョンのゴスペルは大好きだ。

MS John Hurt 2004 Folk Alliance International Lifetime Achievement Award Recipient
さて、ミシシッピ・ジョン爺さんは短躯だったせいかいつも帽子をかぶっていたが、動画の2:30ごろに無帽子の爺さんの姿が見られます。僕は初めて見ました。

Richland Women Blues
このギターのアレンジ、大好き。少しコピーして、人前で歌ったことが有ります。でも、本来なら女性のボーカリストの伴奏で弾きたいところですね。デートの前の女性のウキウキした気持ちをよく表現しています。以前、訳詩を載せたこともありましたっけね。

Chicken
この短い曲は初めて僕がコピーした彼の曲だと思う。ただ、当時の僕は歌詞が分からず、弾きながら歌うことは叶いませんでした。

Pay Day
給料日という歌。<俺が出来ることは何でもやったけど、何だか上手く行かない、お前と俺。お前を母親のところに連れて行こう、給料日には...>。母親の前で求婚でもするのかな。

最後に一番好きな曲を載せようと思ったが、難しい。何を聞いても素敵に聞こえしますから。
でも、これなんかいつ聞いても素敵だなと思う。彼の歌にしてはちょっと物騒な歌詞も出て来るね。<北に旅立つ前に、さあ、俺のために寝床を床に作ってくれな>という題ですね。出稼ぎに行くのかしらね。
Make Me a Pallet on the Floor

ライ・クーダーは昔からのファンだし、レコードも初期の頃のものは必ず買っていた。
だから、彼の曲を聴くのは好きなんだけど、アメリカに来てから、聴くのに居心地悪い曲が出来た。それは、<FDR in Trinidad>という歌。

ギターワークも心地よいカリプソの曲で、大学の時には何回かコピーを試みたのでした(一部しか出来なかったけど)。曲自体は素敵だと思います。

これはフランクリン・ルーズベルトがトニダードに訪問した時のことを歌っていて、歌詞自体は、アメリカとの友好関係を築きましょう、ということを素朴な感じで歌っています。 歌っているのは、<アッチラ・フン>こと、レイモンド・ケベドさん。オリジナルはこれです。
<Roosevelt in Trinidad−Attila the Hun>

歌詞を聞いていると、ルーズベルトの気さくな笑顔、コーデル・ハルの平和の努力なんて部分もある。

ただし、彼らは別の顔も持っていた。
この二人は日米の開戦を避ける努力を目的に、日本から特使として送られてきた来栖特命大史と野村駐米大使には、全く逆の態度をとった。交渉の最後に冷たく日本が呑み込めない要求を突き付けて来た。
裏話として、彼らが在米中、日本本国との通信はすべて米国に傍受されていたという話もある。
アメリカでは敵国民として、日本人だけが強制的にキャンプに送られた。それどころか、米国籍の日本人から国籍まで剥奪した。これは憲法違反であるけれど、米国政府が日系米人に正式に謝罪したのは、レーガン大統領の時だと記憶している。なんでも、ルーズベルトは、日系人たちを南米に強制移住させる計画すら考えていたとか。
ドイツが核兵器を開発するという危機感から、原爆を作り上げた米国。マンハッタン計画はルーズベルのもとで行われた。しかし、そのドイツが降伏しても彼らは、その原爆を日本に使用した。二つの異なるタイプの原爆を、日本が降伏する間も与えずに、民間人の居住地に落とした。まるで実験を行うかのように。

下の写真は、日系人排斥運動の時代に撮られた一枚。
「私はアメリカ人だ」という張り紙がどれだけ切羽詰まったものだかを考えると切なくなる。
iamanamerican
MKbQl

とにかく、そんな理由で、この歌は聞いていて、複雑な気持ちになってしまう、私なのです。

「昭和史」という本を書いた半藤一利という作家は、この様に書いている。
「大事件は氷山の一角で、下にはいくつもの小事件が隠されている。突如、事件が起こるというものではなく、時間をかけて、連鎖的にゆっくり形づくられてきたいくつもの要因が、ある時、まとまって大事件として噴出してくる。ある時点での人間の小さな決断が、歴史をとんでもないほうへ引っ張っていくこともある。その恐ろしさはそこが知れない」
あのヒットラーですらきちんと選挙で選ばれたんだよな。

この歌を知ったのはいつだろうか。僕のあやふやな記憶が正しければ、大阪を舞台にした漫画に、「ここは天国、釜ヶ崎」というセリフが有ったように思う。
<釜ヶ崎人情 三音英次>

「通天閣さえ立ちん坊さ〜」というところに諧謔を感じますね。陳腐な言い方を許していただければ、これも日本式の流れ者のブルースかな、と。ところで釜ヶ崎という地名はもうないそうで、「あいりん」という名称の地区に含まれるとか。

そこで、関東生まれの僕はこの歌を思い出すのだす。
<山谷ブルース 岡林信康>
<今日の仕事は辛かった〜、あとは焼酎をあおるだけ>というこの歌の始まりは子供の僕でもすぐに覚えてしまいました。母親は、そんな歌を歌うんじゃないと𠮟りつけましたが。
この山谷という「ドヤ街」の地名も今は残っていないそうです。この山谷は、なんでも「明日のジョー」の舞台でもあったそうですね。あまり似ていないけれど、こんな銅像が立っているとか。
Jo

しかし昔の味のある地名が段々消えて行くのは残念。例えば、「箪笥町」とか「木挽町」とかの名称は今でも残っているのかしらん?

もし、僕がアメリカの民謡などで同じような曲を考える時、思いだすのはRamblin' Roundという歌。これも流れ者の歌ですね。同じメロディで<Good Night, Irene>という歌もありますが、アイリンという言葉が入るのは、ちょっとした偶然でしょう。リンクはRy Cooderのものを入れておきました。フラコ・ヒメネスのアコーディオンを入れたこの曲は、すごく情緒的なアレンジです。
<夜遅くまで博打を打つて過ごすのは止めなさいな。妻や子のいる家庭に戻って、一緒に過ごした方が良いよ>というあたり、やはり家庭を捨てた男には辛い言葉でしょう。

さて、僕はアーロ・ガスリーがお父さんの歌をカバーしたこの曲が好きなので、最後に載せておきます。
<Ramblin' Round - Arlo Guthrie>

今回は、子供の時にラジオで流れていた懐かしい曲を垂れ流すだけですので、ご容赦ください。
何となく、こんな風に曲を流してボーっとしていたい時があるのです、時には。

<Petula Clark ‐ダウンタウン>

<一人ぼっちで寂しかったら、ダウンタウンに行ってごらんなさい…>って始まりなんですが、どこのダウンタウンのことを歌ってるんでしょうか? まさか、酒場の名前? 

<亀さん達:一緒にハッピー>
能天気な感じのグループだったのね、タートルズって。でも、この歌、すごく流行った! 日曜日の朝の洋楽ベストテンなんかで良く掛かっていたもの。 陳腐な言い方すれば、あの頃は「ハッピーな時代」だったのかな?

Seeker
<The Seekers - Georgy Girl>
これってオーストラリアのグループだったんですね。いまだに新しい発見。誰かが日本語の歌詞で歌っていたんだけど、誰だったかしら?

<San Francisco - Scott McKenzie>
この曲は始まりがすごく良い。しかし、最後の方は少し飽きるのだよな。俺だけか? しかし、3分ぐらいの曲を大人しく来ていられないで、どうする?と自問する俺である。

<Aquarius - Let The Sunshine>
宇宙的な広がりがある歌、というとちょっと陳腐なんだけど、あの頃は、「戦争ばっかりしていがみ合う時代から、もっと思弁的な存在に人間が成れる時代が来る」なんて信じていたのですね。水瓶座の時代だそうですね。獅子座の俺には分からん時代か?

<Judy Collins - Both Sides Now>
もう20年ほど前だけど、アメリカで、ジュディさんのフリーコンサートを観に行ったことがある。この歌ももちろん歌いました。僕より少し上の世代には懐かしい曲じゃないかしら。

<The Association – Windy>

この曲、明るい雰囲気がいっぱい。ギターの東洋人系の人はフィリピン人だとか。しかし、正直を言うとウェス・モンゴメリーの<Windy>の方が好きなんだよん。ウェスの親指弾きはいつ見ても楽しいのだ! ギターの弾き方にルールは無い。

<The Mamas & The Papas - Monday Monday>
<夢のカルフォルニア>は有名だけど、俺はこちらの<月曜日はどうも調子が出ないなあ>という曲がとても好き。しかし、ギター弾きのお兄ちゃん、身長2メートルあるなあ、こりゃ。ジェームス・テイラーと背比べして欲しい。

ディランのノーベル賞受賞のニュースで何となく目立たなかったけど、10月13日はポール・サイモンの誕生日だった。今年で75歳である。

ディランは詩人として評価されたわけだけど、ポール・サイモンの歌詞も嫌いじゃない。

特に<恋人と別れる50の方法>というヘンテコな題名の曲は僕のお気に入りの一つ。スティーブ・ガッドのドラムのロールで始まるこの曲は、皮肉っぽい歌詞も短い小説みたいで好きだ。

さて、僕がはじめて彼の歌を聞いたのは、多分、<The Sound Of Silence>じゃないかな。
小6の時ぐらいに、友達の幸一郎と<卒業>という映画を観たんだな。幸一郎はしきりに良い映画だというのだけど、僕は「騒ぐほどの映画かな」と思った。あのように賑やかに結婚したカップルに限って、騒がしく離婚したりするのだ。
けど、その映画で使われていた音楽は好きで、小遣いを叩いて、サイモンとガーファンクルのLPやロス・インカスのドーナッツを買ったのでした。
<The Sound Of Silence>は、最近もカバーされて、中ヒットした。考えてみれば、もう50年以上前の曲なんだけど、まだインパクトがあるようだ。
<Disturbed - The Sound Of Silence>
この歌の最後の方の歌詞を聞いていて、今年のアメリカの大統領選挙の宣伝を思い起こしたりする。
<自ら創ったネオンの神に人々は頭を垂れて祈る、それからネオンの広告塔はメッセージを流すのだ。「預言者の言葉は地下鉄の壁やアパートの玄関先に書いてありますよ」と。そして、その呟きは沈黙の世界の中に静かに消えて行った>
候補者が互いに相手を非難するTVの広告は、何回も繰り返し流される視聴者への洗脳合戦だ。で、どちらにも魅力を感じなくなってしまっている自分が居たりする。過刺激で感覚がマヒしてしまいそう。

そして、<グレースランド>というアルバムが出た時は、CDを何回聞いたことか。
<The Boy In The Bubble (Live from The African)>

この最初のアコーディオンのリフを聞いただけで好きになったよ。このアルバムはアフリカ系のミュージシャンも参加したりしていて、ノリとにかくよかった。
Graceland_cover_-_Paul_Simon

高校時代かにラジオを聴いていたら、確か渋谷陽一だったと思うんだけど、「ポール・シモンは剽窃の天才」とか言っていた。色々な民族音楽などからアイデアを借りて来て自分の曲に取り入れるからだ。確かに、そうだなと思う。けど、ジョージ・オーウェルだったかが評論の中で、シェークスピアを「剽窃の天才」と書いていた。あまり有名でない物語から着想を得て、素晴らしい戯曲に仕立て上げたからだ。

ボブ・ディランも自分の音楽の中にいくつもの音楽の影響を認めてます。ボブもポールも自分の中にある色々な要素に独創的なアレンジ解釈を加えて曲を作るということでしょう。

ちょっと、落ち込んでしまうことがあると、最近はブルースじゃなくてゴスペルの方を聞いてしまいます。
ということで、この人のゴスペル。
<Nina Simone - Take Me To The Water>

河まで連れて行ってくれ、というからバプティスト系の歌ですね。聞いていて、ため息と共にちょっとばかり涙腺が緩んだりします。

Nina Simon
説教師の6番目の子供としてノース・カロライナ州で生まれたニーナ。その才能を田舎に埋もれさせぬようにと近所の人々が金を出して、ジュリーアード音楽大に行かせてくれたそうだ。しかし、大学時代の生活は楽ではなくバーなどでピアノの演奏などをしていた。才能に溢れた彼女だけど、下積みから上がって来る途中には苦労もかなりしてるだろうな、と思います。

<Cotton Eyed Joe>
ゲーテだったかな、こう書いたのは。「涙と共にパンを食べたことがない人に、人生の味は分からない」と。この言葉がいかほど正しいのか僕の様に浅い人間には分からない。けれど、芯がしっかりた、そしてどこか優しさも感じるニーナの声を聴いていると、その言葉は本当かも知れないなと思いたくなる。

幼い頃、ニーナの両親は彼女を教会のピアニストにと望んでいたらしい。歌だけでなくピアノの演奏も卓越してます。でも、全然鼻につくようなところが無くて嫌味じゃないんだよね。

<Nina Simone: Sound of Silence>
もう、お馴染みの曲なんだけど、何だかドラマティックで良いんだよね。即興演奏何だろうか? 最後にニコリともしないニーナの顔ですが、これも彼女らしくていいでしょう。

じゃあ、最後はこれで。
<Little girl blue>
<寂しそうな女の子、そこに座って、振って来る雨粒でも数えなさいな、する事もないんでしょう>。
寂しい気持ちの中年オヤジの僕ですが、窓から外を眺めながら、枝から落ちて来る枯れ葉でも数えようかな。他に何かしたいことがあるわけじゃないんだ。

秋は寂しい季節だが、自分の庭にキノコが生える。雨の後は庭を歩いてキノコを見つけるのが趣味さ。

僕は、キノコを手に取ってその形を眺めたり、撫でまわしたり、ひっくり返して裏を見たり、匂いを嗅いでみたりするのが好きです。 
いやいや、文字通りに受け取って下さいよ。変な想像を働かしては困りますよ。

今日の一曲:
<Clarence Garlow - She's So Fine>


この大きなキノコは知人の庭で取れたもので、残念ながら自分の庭に生え居ていたのではありません。
IMG_3591
英語では<Giant Puffball>と呼ばれていて、すごく大きくなるのです。この写真のキノコも径が25センチありましたよ。それでも、知人に言わすとまだまだ大きいのがあるんだとか。調べてみるとホコリ茸の種類だとか。しかも、食べれるのだよ。
下は二つに切ったところ。中は、何だか硬めのはんぺんみたいな感触。
IMG_3592
早速、スライスしてバターで炒めて…。

ちょっと怖いね。キノコの毒は怖いからねぇ。
大内コージというブルースマンの歌に、彼のお父さんがキノコに当たった歌が有りましたが…。
しかし、このパフボールに似た毒キノコは今のところ発見されていないのじゃ、さあ、男は度胸だよ、と。

食べてみたが、やはりはんぺん系の味だ。あんまり、これという独特の味がない。バターの味がするだけでした。舌触りもはんぺんみたいだ。

こんなキノコをハロウィーンのカボチャ代わりに、飾ろうかと思ったりするのです。

このページのトップヘ