ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

最近、ネットフリックスがロバート・ジョンソンのドキュメンタリーを作ったそうなので、早速、観てみた。
予告:Devil at the Crossroads

「ロバートの小僧、何であんなに上手なったんだ、しかもこんな短い間によ...」

この伝説のミュージシャンについては、これまで幾つもドラマやドキュメンタリーが作られている。さんざん色々とロバジョンのことを見たり聞いたり読んだりしている僕には、すでに知ってる事柄が多かったが、やはり、お仕舞まで真面目に観てしまうのだった。こりゃあ、ファンだから仕方ねえ。

でも、今回の映画で少し詳しく分かったことも有るので、そんなことを徒然に書きましょうか。
今回は孫であるスティーヴ・ジョンソンのインタビューが多く紹介されていた。
ロバジョンの生家と考えられている家がまだ保存されているのだとか本当かな。それとも、商売? 彼のお墓も二つあるそうだしさ。トラは死して皮を残すと言いますが、ロバジョンは死して金づるを残す。 
さて、ロバート・ジョンソンの息子は、一度だけ会いに訪ねて来た父親の姿を窓越しに見たことがあるそうだ。彼が7歳ごろの話らしい。しかし、信心深い彼の祖父が家に入るのを断った。「悪魔の歌を歌う奴にはここへ来て欲しくない」という理由で。そこで、ロバートはしかたなく持って来た金を祖父に手渡し去って行ったとさ。養育費のつもりだったのだろう。

自分の息子には自分の音楽の何も伝えられなかったが、義理の息子のロバート・ロックウッドにはギターの手ほどきをした。他に付き合いのあったミュージシャン、例えばジョニーシャインズなどには決して弾いているところを見せなかったそうだから、ロバジョンはこの義理の息子に好意を持っていたのだろう。

ロックウッドが語るには、ロバート・ジョンソンは読むのが好きだったそうだ。そして、時々、南部黒人の間で行われていた呪術Hoodooについて話をしてくれたとか。
HooDooの呪術はアフリカなどで行われた呪いが原型になっている。そして、彼の歌詞の中にはHooDooに関する言葉が多く出て来るのだ。 夜中に墓場でギターを弾いていたのも、亡者が音楽を教えてくれるからなんだそうで、骨身に染みる良い音でさ。

Hoodooだけではなくて、ロバートは自分の音楽のルーツがこのアフリカにある事を知っていたのでしょう。以前書いた記事<レグバはアフリカより来たり>でも、そんな事を書きましたかね。

土地に縛られた小作農であった南部の黒人達は、悪魔歌の歌い手としてブルースミュージシャンを忌み嫌っていたとしても、同時に「自由人として各地を放浪するギターを弾き」に憧憬を持っていたかもしれません。

何回も何回も語り口を変えて繰り返されるロバート・ジョンソンという青年は、その悪魔伝説と共に、人々の夢も加えられて、トリックスターになり始めている様な気がする。
ロバート・ジョンソンの物語も世代を超えて伝わるフォークロア(民間伝承)になりつつあるのでしょうか。

RJ JS
ところで、上の写真の真贋ははっきりしたんですかね。RJとジョニー・シャインズの写真だと言われてましたが。

おまけ:
ロバジョン関連の動画:
(一部で)有名な映画<「クロスロード」の始まりのシーン」>を鳥肌を立てながら観ていたのは、今は昔。もう一度観てもなかなか良く出来ている。特に当時の南部の黒人がそうであったように、白人の前では礼儀正しく振舞うロバートの神経質そうな様子が良く描かれている。録音風景のセットもLPのジャケットのイラストみたいでニヤリとしてしまった。
Robert Johnson’s recording scene

ロバートの最後の演奏の夜などについては、こんなミステリーっぽいのがあった。
Robert Johnson and the Devil

ケブ・モがロバート・ジョンソンを演じ、様々な有名なミュージシャンのインタヴューを載せた<CAN'T YOU HEAR THE WIND HOWL>は好きなフィルムの一つ。
この下のクリップでは、酒場での楽しい演奏が再現されてますね。
CAN'T YOU HEAR THE WIND HOWLからの場面

トミー・キングがロバジョンらしき人物を演じるコーエン兄弟の録音のシーンも面白かった。
Man of Constant Sorrow
ここでは、ロバートならぬトミー・ジョンソンが悪魔に出会う代わりに白人の3人組に出会ってますな。実在するトミー・ジョンソンも悪魔に魂を売ったことで有名ですね。

おまけのしっぽ:
こっちのクロスロードの冒頭シーンもなかなかでしたが…<Crossroads−Britney Spears> 

「俺は歌い続けてもビンボーのままだけど、俺の歌をカバーした奴らには金が唸ってる」と、仰ったのは、アーサー・クルダップ(クルーダップ)。
arthurcrudup08


<Greyhound Bus Blues - Arthur Crudup & Sons>

四人の息子と演奏をするアーサー・クルダップ。亡くなる少し前に撮られたと思われるので、1970年頃でしょうか。

いま僕が住んでいる処から一時間ぐらい北に行った小さな海沿いの町に、彼の墓が有ることを最近知った。

生まれはミシシッピだが、仕事を求めてシカゴへ移り住んだ。移った当初は、荷物用の段ボール箱の中で寝泊まりしていたという逸話がある。タンパ・レッドなどと知己を得て、ようやく音楽で食べれるようになった。しかし、1950年代に音楽活動を辞めてから移ったのはバージニアの小さな町だ。辞めたとは言っても、時々、近くの酒場で演奏などを披露していたそうだけどね。

後に「ロックンロールの父 (The Father of Rock and Roll)」などという粋なニックネームをレコード会社は付けたが、彼自身はどうもいけ好かないニックネームだっただろう。
有名な<That's All Right>、<My Baby Left Me>、<So glad You’re mine>などはエルビスをはじめ多くのロックやカントリーのミュージシャンにカバーされたけど、彼のもとには印税が入って来なかったのだ。


彼が亡くなる前にこんな事を云ったんだとか。
「俺は、貧しく生まれ、貧困の中で暮らし、貧乏人として死んで行くんだ」。

しかし、アーサー王よ、俺は一番上の動画を見て、こんなことを思ったんだよ。
エルビスには金があったけど、結婚も続かなかったし、家庭も無かった。まして、子供と一緒に演奏するなんて夢にも叶わなかったんだ。金のない苦労が大変なのは知ってるけれど、あなたは貧しい中で子供を育てて、こうして一緒に音楽を演奏してる。
ちょっと素敵じゃないか。

最近、アメリカでマービン・ゲイの切手が発売されました(もちろん、買ましたよん)。
彼の誕生日が4月2日なので、それに合わせて発売されたようです。
marvin gaye stamps

モータウンで甘い歌声を披露していたマービン・ゲイも、1971年にこんなメッセージソングで大ヒットを飛ばしました。<What’s Going On>

美しいメロディラインを持つこの曲、でも歌詞の内容はなかなか辛辣です。
この1番の歌詞は、ベトナム戦争のことを歌ってるのでしょうか。特に黒人兵は危険な前線やきつい仕事につかせられるという話もありましたから。若い青年が大きな怪我をして戻って来たり、棺に入って戻って来たりを見るのは辛いことでしょう。
2番は父親による家庭内暴力がテーマ。彼も厳格な父親からのDVを受けていたので、歌のメッセージは父に対するものだったのでしょうね。しかし、4月1日にマービンはその父に45歳の誕生日を迎えることなく撃たれて亡くなります。現実はビターなもんです。
そして、学生活動などの世代間の軋轢が3番目の歌詞では扱われているようです。
「髪が長いからって僕らが間違ってるとは思わないでくれ、厳しく罰を与えても解決には繋がらない、さあ、話し合おうよ、何が起こってるのか、何が問題なのかを、さ」
この歌、今でも決してメッセージ性を失っていないような気がします。

次の歌ですが、最近、この歌を聞き直して、その歌詞の内容に驚かされた次第です。
The Temptations‐Papa Was A Rolling Stone
テンプテーションズって、マイガールみたいなヒットを出していたグループでしょう。でも、この歌はとてもシリアスな内容です。そして、この曲を聞きながら踊る若者達...何だか不思議な感じですよね。
「九月三日は忘れられない日さ、パパが亡くなった日だからね
パパに会うことも無かった俺だけど、パパについては悪い話しか聞いたことが無い
ねえ、ママ、彼のことを正直に話してくれないかな...

ママは下を向いて言った
パパは転がる石、帽子を脱いで置いた所が住家になるのさ
そして、私とお前たちは置き去りにされたのよ...」
続いて、よそに女と子供を作り、家にも寄りつかず、定職にもつかない自分勝手な父親のことが歌われて行きます。夜の裸電球の下で、子供たちがしんみりと亡くなった父親のことを母親に訪ねている光景が目に浮かびます。そして、父親の良からぬ話を聞きながら、子供たちはどう感じたでしょうか。
よく、この歌が堂々とナンバー1ヒットになったもんだと思いますが、似たような話は今でもあります。

こんな歌を聞きながら、人類の平和を望むのであれば、まずは自分の家族から幸せにしなさい、という聖人の言葉がしみじみと思い出されます。

私の名前は<てつお>です。昔、どんな漢字で書くかを人に説明する時に「哲学の哲、英雄の雄」と言いながら、恥ずかしく思うこともあった。 学も勇気も無い私なので。

mudaja

学生時代に美術関係の出版社でアルバイトをしていた。主な仕事は原稿を貰いに行ったり、美術館や博物館から写真やフィルムを借り出しに行ったりすること。行き先によっては、地下鉄で乗り換えたりして行くよりも、少し歩いた方が近い時がある。東京の街々は歩くと意外に近い。

その時も東京芸大の前あたりを歩きながら、東京国立博物館に向かった歩いていたのだと思います。
初夏のお日様のもと、僕はのんびりと幸せな気分で道を歩んでおりましたが、向こうから自転車で歩道に乗り込んでくる親父がいた。僕は歩行者のためにあるのであろう歩道を自分の足で歩行する立派な通行者でありましたので、脇には退きませんでした。
でも、その強面の親父は自転車から降りることもなく、「危ないな、どけ!」と叱ったのです。それは、こちらが言いたかったセリフであります。
幸せな気分をぶち壊されて、親父の顔を見るとどこかで見たことがある。そう、娘さんが変な名前の作家でご自身も共同幻想論などで有名なあのお方。あの先生、芸大で教えておられたのですかね、当時。

大学に入ったばかりで、そろそろ彼の著作も読もうかと思っていた頃なのですが、詰まらないことで叱られたのが癪で、結局、彼の本は読まずじまい。ま、いいか。
あそこで、もし言い返していたら、僕は殴られただろうか? そう思うと、貴重な経験を逃したのかもしれないとも思う。

大学を卒業してからももう一度、ある哲学者の方に電話口で怒鳴られてしまったことがある。I 市役所から依頼された仕事で原稿をお願いしたのでありますけども、書く事なんかないとむげにも断られた。少し粘って、何とか書く事を見つけられませんかといったら、怒り出した。その方の本を読む限りでは柔和な人物という印象を持っていたのですが...ね。

哲学者は癇癪持ちで怒鳴る人が多いのだろうか?

そう云えば、大学時代に読んだ「存在と時間」のハイデガ−も怖い顔をしていた。
Youtubeのおかげで貴重なフィルムが観れたりするが、大学時代の一時期、好きだったエリック・ホッファーなども、何となくおしゃべり好きなジジイに見えたりして幻滅したことがある。

哲学者などという方は、遠くから眺めるもんなのかもしれない。
人間臭い面は見ない方が良さそうであるな。


あ、今週のテーマ曲はこれね、
The Soul Of A Man
「誰か教えてくれないか、人間の魂とは何だかを?
偉い先生や法学者は、人間とは精神でしかないとおっしゃる。
だが、聖書を正しく読めば分かるだろう、精神よりも高位のものがあることを…」

去年の暮、知ってるジャズ歌手の方から「(ある時期まで)日本のブルースというのは、どうして(アメリカとは違った)あんな感じのブルースだったのか?」という疑問が出された。
日本のブルースというのは、例えば、淡谷のり子の「別れのブルース」や西田佐知子の「東京ブルース」など、名曲ではあるけれど、本来のブルースのメロディとは言いにくい曲に「ブルース」というタイトルが付けられています。
ぶっちゃけた話を書くと、僕はその疑問を聞いた時、「多分、セントルイス・ブルースなんかが日本のブルース感に影響したんじゃないかな」と漠然と思ったのです。そうそう、あの途中からマイナーに変わる辺りの曲調です。
でも、確かじゃない。 ので、調べるこの私。

ここで、疑問:日本の歌謡曲にブルースというタイトルが付いたのは何時なんだろう?
調べた甲斐が有って、見つかったのは、ヘレン・雪子・本田という人の<スヰート・ホーム・ブルース>という曲。昭和9年の作というから、1935年。
スヰート・ホーム・ブルース
「我が家の窓を知るや君」って聞かれても、困るよな〜ぁ。覗き見の趣味ないし。
聞いてみた人は分かるかも知れないけど、歌詞も曲も当時のアメリカのブルースには似ても似つかないっす。ちょっと不思議な訛りがあります。

さてさて、日本に「憂歌団」というバンドが有りましたが、「日本ではブルース=憂歌(憂鬱な歌)」だという認識は正しいと思います。
だから、マイナー系の淋しき曲は全部ブルースという云うタイトルがついてもおかしくないわけ。戦後の一時期、「かなしき...」、「涙の...」というタイトルが歌謡曲に多く付けられましたが、あれも目新しさから「ブルース」の代わりに題名に使われたのですね。「悲しき街角」は「街角のブルース」でも通用しますし、「最終列車のブルース」でも売れたかも。

awaya noriko

しかし、ブルースがタイトルに入った曲で、日本で初めて大ヒットしたのは、ご存じ、淡谷のり子が「別れのブルース」。上が写真です(日本のマ・レーニなんて云ったら叱られますよ)。

で、すげーしばらくぶりに聞いてみると...そこには新発見が有った
別れのブルース‐淡谷のり子

おお、淡谷さん、Bluesを「ブルーズ」って正しい英語で発音しているよ。さすが東京音楽学校を卒業しただけはある。途中で「踊るブルーズの切なさよ」と歌っていますから、ここではブルースは踊る曲として登場してます。ダンス曲としてのブルース?ということは、もともと日本に紹介されたブルースは、昔のビッグバンドやスイング、そしてニューオリンズスタイルみたいなジャズだったのか!? 

脇道に逸れますが、これなんかを聞いてみると、昭和の早い時期に日本の歌謡曲の中にジャズが導入されているのが分かります。
流行歌 故郷は豊年 - 加賀聖一
題名や歌は何とも日本的というか中国へ出兵した一兵士の語り節なんですが、間奏に入るソロなどはジャズっぽいす。妙な具合に和洋折衷で掴みどころがない曲。この歌が出された3年後には、アメリカさんと戦争するんですよねぇ。

考えるに戦争が本格的に始まるまでは、幾多のモボやモガが、ジャズでカフェで踊っておったのでしょうね。そのジャズの調べに「XXブルース」なんてのが付いていて、ジャズとブルースが混同された...まあ、ブルースのミュージシャンでもジャズっぽい曲を弾いていた人も居るしね。
The Alcoholic Blues
これなんかも「酒精中毒者の憂鬱(ブルース)」と題名が付けられてますが、曲調からブルーな雰囲気を感じるのは無理かな。酔っぱらってフラフラと千鳥足...。

日本で<ブルースの女王>と言われた淡谷のり子自身は、「ブルースというのはやはりセントルイス・ブルース」みたいな曲でしょうと言ったことがあるそうです。彼女自身はブルースという音楽を知っていたんですね。
St. Louis Blues (1929)>

しかし、日本人に強く意識されたのは、後半の<St. Louis women wear diamond rings…>の辺りの調べでしょうか。情緒的で哀しい調べが好きな日本人はこのマイナーとセブンスの組み合わせにジンと来たことでありましょう。
この「別れのブルース」を作曲したのは、服部良一さんですが、この人、「ブルースの父」と呼ばれたWC ハンディの曲が好きだったようです。だから、彼の作曲に「セントルイス・ブルース」の影響が有っても驚きはない。

ただし、彼が「別れのブルース」のために考えていた曲想は、淡谷がすでに吹き込んでいたフランスのシャンソン「暗い日曜日」みたいなのを考えていたようなので、本場アメリカのブルースというよりヨーロッパ色の濃い日本風のブルースが誕生したようです。
まあ、コロッケにケチャップを掛けて、箸で食べるようなもんでしょうか?

もちろん、この曲がヒットしたおかげで、日本のブルースは暗い調子の曲で別れなどを歌った哀歌となった、というのが私の結論で有ります。

もちろん、折衷されて出来たブルースだからと言っても、幾つも傑作が生まれました。
俺はこの曲が好きです。エっへへ。
伊勢佐木町ブルース

おまけ:
ところで、青江三奈さんはスタンダードのジャズも歌ってましたんですよ。
You'd Be So Nice To Come Home To - Mina Aoe

本当は、書きたい話題があるのですが、何とはなしに筆が進まないので、こんな話題でワンクッション。

カントリーブルースの類を聞き出してからもうかなりの年月が経つ。

聞き始めた当時にはどんなミュージシャンがお気に入りだったのか、をしばらく考えていた。当時好きだつたミュージシャンでも、聞かなくって久しい人も居る。最初の頃は、ロバート・ジョンソンなどよりもローリングストーンズの曲で紹介されていたミシシッピ・フレッド・マクドウェルやマディ・ウォーターズなんかの方が入り良くて、好んで聞いてましたっけ。

ミュージシャンの名前もほとんど知らなかった僕は、色々なミュージシャンの曲を入れたオムニバス盤が好きで、レコード屋で漁っていた。ジャケットだけで買って失敗したり、逆に良いものに当たって喜んだり。宝くじみたいなもんですね。今みたいにブルースという音楽の情報が溢れていなかったので、名を知られていない良いミュージシャンを発見すると、自分だけの「お宝」のような気がした。

例えば、バーベキュー・ボブ。名前からして美味しい人だが、実際にBBQの調理人だったらしい。焼きながら、時々、歌も披露していたのですかね。下の写真なんかは、実際のバーべキュー・ピットで撮影されたものらしくて、「俺のBBQは格別っだけど、歌もうまいんだぜ〜」と笑っております。何となくBBQの匂いがして来ます。
Barbecue-Bob-in-chefs-apron

気楽そうな題名だと思いながらも、途中で入る見事なファルセットの声などに魅せられて、好きになった<Yo-yo blues>。
これがいわゆるオープンG(スパニッシュ)チューニングであることは、数年たってから分かりました。
「朝起きたらさぁ、俺のヨーヨママが何処かに行っちゃっのよ」と始まるわけですが、ヨーヨママとは何だろう? ヨーヨーマの奥さんかいな。ヨーヨの様に気分が上下して精神が不安定なママか。
実はヨーヨーという意味に性的な含みも有るらしく、歌詞の一部では、「どうでも良いことなんだけど、やっぱ良い事じゃないよな、他の男の女と一晩中ヨーヨーするのは」なんて言っています。
で、一番最後は、「朝目覚めたら、嫌な気分でね、自分の顔と手を洗うことぐらいしか出来なかったのさ」とか。 一つの歌とはいえ、歌詞に色々な内容が盛り込まれています。

題名が付けられていないので、レコード化されていないのでしょうが、この曲では彼のブルージィな歌唱力を聞くことが出来ます。最後のファルセットが淋しく別れをつげる汽笛の様です。
Barbecue Bob - Untitled Song [1929]



Mississippi Heavy Water Blues
ブルースというのが、ただ女のお尻を追いかけたり、酒飲んで失敗しちゃった、という歌だけでないことを教えてくれたのもこの曲ったかもしれません。様々な出来事を交えて歌われたブルースも有ったというわけです。
これは1927年にミシシッピ州に起こった洪水の歌ですが、彼のレコードの中でもとくに有名な歌だとか。大きな元気な声の中にも、そこはかとなく悲しい響きが有ります。
結核で29歳で結核により早世していますが、彼の埋葬の時にはこの曲が流されたとか。
彼のレコードの売り上げ総数は当時のアトランタの他のブルース歌手全部を合わせた枚数よりも多かったという話も残っています。

何だか、BBQを食べたくなったオレ。

今日のイメージソング:
Arlo Guthrie - Coming Into Los Angeles

更新がしばらく遅れていましたが、色々と忙しくて(という言い訳)。
先週はロサンジェルスに三日ほど滞在しまして、ヴィバリーヒルズ、とかマリブビーチとか観光地も少し行ったりしました。
今の季節でも風光明媚で日差しも暖かく、食べものも美味しいし…と言いながらも、ガソリンの値段や家の値段が高いのです。家家、安い家もあるかも知れませんが、やはり治安の良い街区をと考えると家の値段もそれなりに高い。
民宿に泊まったあたりはビバリーヒルズに隣接したウェスト・ハリウッドという街区ですが、やはりそこら辺は住宅の値段が高かったです。ちょっと瀟洒な2LDKが一億円以上ですんでね。驚き。

さて、この看板。何を売っているか分かりますか?
仏具じゃないです。
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すでにカルフォルニア州では全面解禁されているマリファナの販売店。21歳以上でIDを持ってれば、誰でも買えるのです。
しかし、税金が25%だってさ、お上もアコギな商売してます。
そして、ヴェイパー式のマリファナは、化粧品か高級チョコレートかと思うようなぐらいお洒落。
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店の中はアップルストアみたいに明るく綺麗で、店員の応対も至極丁寧。色々な質問に答えてくれる専門の店員もおります。
考えてみれば、医療用のマリファナも売っているので、薬局と同じ感じもする。

店の中にはクッキーやチョコレート、ブラウニー、グミなどもあります。肌につける乳剤タイプもありましたね。もちろんのこと、マリファナ成分が入っています。初心者向けから上級者(?)までのレベルも選べます。
マリファナと言っても品種改良がされており、「痛みや不安は取り除くがハイにはならないもの」とか、「レクレーション用」のハイになりやすいものなどがあり。品種により香りなども違ったりする。柑橘類みたいな匂いのするのもあった。
店で色々と見学しておりましたが、やはり商売となると「売る」ということに金を使ってることが分かります。そして、彼らが「大麻=麻薬」というマイナスなイメージを払拭する努力をしてることも。

吸引の用具もカラフルで色々と有り、グラス製のものなどは工芸品だから綺麗なんですよね。品物の値段を見ながら、いくら州政府に金が行くかをすぐに考えてしまう僕はビンボー人の田舎者ですかな。

そう云えば、アーロ・ガスリーもマリファナ解禁論者でした。

冴えないカバー写真だった。何だかむさ苦しい男が四人、廃屋かどこかで立ってるだけ。

多分、このアルバムは売れなかったでしょうねぇ。赤いシャツ着ているのが、ジェシー・コリン・ヤング。名前を聞いたことあある人も居るでしょうか。彼には<Get Together>というヒット曲がありますね。
このアルバムの中に入っていた曲を懐かしく聞いているのです。選曲やアレンジの田舎臭いところが何となく好きで、高校時代にときどき聞いていました。ヤングブラッドってバンドネームも何だか芸が無いねぇ。でも、途中のハープなんか70年代のカントリーロック風で良いでしょう?
<Stagger Lee by The Youngbloods>

で、今日は歌の題名であるStagger Leeって誰ってことを調べてみたのです。
下はマンガに掛かれたスタッガ・リーです。彼は寄り目だったのでしょうか。
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上の歌のオリジナルはロイド・プライスが1959年にヒットさせた同名のR&B曲。
Lloy Price - Stagger Lee
上の曲は二つともスタッガ・リーと呼ばれる黒人の無法者のことを題材にしてますな。なんでも、賭博を一緒にやっていたビリーという男と口論になり、命乞いをするビリーを無慈悲にも撃ってしまった悪漢のようです。
調べてみると、驚いたことにスタッガ・リーは、19世紀末から20世紀初頭まで生きていた実在の人物で、本名はリー・シェルトン(Lee Shelton)というらしいです。セントルイスをシマにする博徒で、売春宿などの仕事にも関わっていたそうで、あだ名にはスタッガ・リーの他にStaco LeeやStack‐O‐Leeなどの綴りがります。

この男は、民間の伝承されるフォークソングにもしばしば取り上げられる人物ではありますが、白人の警官などに反逆する反逆者、自由気ままに渡り歩く流れ者などの意味合いが付けられることもあったようです。土地に縛られ過酷な労働を課せられた黒人の小作人にとっては、彼は自由人に見えたということでしょうか。
Stackolee Mississippi John Hurt
ミシシッピー・ジョンのバラッドでは、スタッガ・リーの無慈悲なさまが歌い込まれています。事件簿みたいな感じでスタッガ・リーを紹介していたのでしょうか。途中で相手が「二人の幼子と妻がいるから」と命乞いしている場面が印象的です。もちろん、命乞いの甲斐なく撃たれた傷がもとで口論の相手だったビリーは亡くなっています。

補遺:
リー・シェルトンは1912年に獄中で結核のため病死しましたが、戦前からフォークソングやジャズの歌にしばしば登場しています。次の歌なども並べておきましょうかね。
Gertrude 'Ma' Rainey - Stack O'Lee Blues
これは古色豊かなマ・レイニーの歌。ちょっとのどかな雰囲気がありますね。

Furry Lewis-Billy Lyons And Stack O'Lee


RL Burnside - Stack-O-Lee
これなどは語りと共に歌われておりますが、珍しいバージョンかと思います。

この間、ワシントンDCにある美術館にいったら、中にこのオジサンが裸で座っていた。
そのオジサンは「なに、ジロジロと見てんだよ」と僕をにらみつけた。
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オジサンはただじっと座っているだけで、身動き一つしない。
精神病院の一室の様な感じもするが、そこは美術館。
彼は息もしていなかったじゃないか。

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彼を見ながら、昔、新大阪の駅でジャイアント馬場と目が合ってしまった時のことや両国国技館でアンドレ・ザ・ジャイアントの姿を間近で見て驚いた時の事を思い出した。
そう、オジサンの身長は立てば、3メートル70センチぐらいはあるだろう。彼(作品)の名前は<Big Man>だ。その作品の芯はファイバーグラスで作られ、その上に樹脂を塗って行ったそうだが、すぐ近くから見てもかなりリアルな出来だ。
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この彼を創造したロン・ミュネク<Ron Mueck>は、オーストラリアのハイパーリアリズムの彫刻家。元々は映画やテレビのマペットを制作していたが、38歳ごろに彫刻家に転向した。彼の作品は人間の体を細部まで再現しているが、作品は実際と比べて、極端に大きかったり、小さかったりする。
作品の傍に立つと何とも不思議な気分になる。ジロジロ見るのは不躾と承知しているが、彼はどうしても見られてしまう対象として生まれて来たのです。


人間が遠近感を獲得するには、実は後天的な学習が必要らしいとか。彼の作品は、「遠くある物体は小さく見える」という私達の感覚を歪ませる。馬場やアンドレを見た時も何も不思議な感じがしたのと同じだ。ちょうど、騙し絵を見た時の様な感覚だ。おとぎ話に小人や巨人がちょくちょく登場するのも、彼らが出て来ることで、お話の不思議感が増すからに違いない。

僕が行った美術館は、ハーシュホーン美術館といい、入場料は無料。美術館の庭には、草間彌生の黄色い水玉カボチャやらミス・岩石に押しつぶされた車が置かれていた。

美術館を訪れたのは寒かったが晴れた天気の良い日で、アメリカの政府はまだシャットダウンを続けていた。この国の大統領も鉄製の壁という役にも立たなそうな芸術作品を作りたがっているのである。

kusamaIMG-0011

lowell Fulson tramp
まだ十代の頃、このアルバムの表紙を見てしまい、「この人は何じゃろうか?」と思ったのは僕がまだ若過ぎたからだ。でも、その数年後、ブルースを聞き出すとは自分でも思っていなかった。
Lowell Fulsom – Tramp
「トランプ」という題名のアルバムなんだけど、あの大統領じゃない。こちらの綴りだと「流れ者」というような意味。でも、何故ボロ服をまといつつも両手に花なのかは定かでは有りません。
俺としては左のネェちゃんに一票...かな。でも、右のおネェちゃんも捨てがたい。困るなあ。お、脇道に逸れたね。
「ちょっと、よれた格好してるけど、俺はLoverなんだよ。お袋も、親父もそうだった」とのことですが、愛し合うDNAが体に流れているといいたいのですかね。

Lowell Fulson kun
そして、次にこの写真を見た僕は、「柔道体型」と思った。蟹さんの様なガタイである。ギターも大きいし、何かプロポーションが変だよね。

でも、久しぶりにフルソン節を聞いてみると、何だか良いんだな。
Lowell Fulson 1963 'You're Gonna Miss Me' Live Clip

これが60年頃の典型的なブルースのライブって感じでしょう。
<もう、愛なんて信じたくない>とか歌ってますね。
親指に付けたピックで力強くダウンストロークしながらバキバキ音を出しておりますが、いい歳した野郎まで踊らせてしまう活きの良いサウンドであります。

さて、このフルソンさんですが、生まれはオクラホマのインディアン居留地ということで、彼の中にはアフリカ人の血と共にアメリカンインディアンの血も色濃く流れているようであります。

フルソンの最初のレコード録音は、1946年に吹き込まれたこれです。1948年のヒット曲だそうです。
3 O’clock morning blues
僕がこの歌を始めて聞いたのは、BBキングのカバー。ずっとBBの歌だと思っおりました。何でも、BBのカバーが売れたおかげで、フルソンの曲も再び脚光を浴びたそうであります。
<ああ、もう朝の3時だというのに目が冴えてしまって眠れない>
どうやら、女が逃げてしまってようですな。27歳のフルソンさん、ラバーさんが欲しいと泣いておる。
因みに、こちらが、BBの<3 O’Clock Blues>。
やはり、ギターワークや歌などを比べてもッスムース。やっぱ、いいすね。フルソンのブルースがコーンウィスキーだとしたら、こちらはバーボンみたいなもんか。ブルースが特に好きでない人も聞きやすい曲でしょう。

最後に紹介するのは、フルソンさんのインストの曲なんですが、こんな感じの軽妙なブルースも時々聞かせてくれます。
Lowell Fulson - Guitar Shuffle
何だか、がに股で体を横に揺らしながら、歩いている様な感じで、彼の体つきにマッチしているような。聴いていて、楽しいよね。

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