ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

昨日の晩は、映画館にボブ・マーリー(マーレィ)の映画 <One Love>を観にいった。日本での公開は5月だとか…お先に、ごっちゃんです。

One Love - Official Trailer (2024 Movie)


彼が亡くなったというニュースはアルバイト先で聞いた。5月だけど夏を思わせる暖かい日だったかな。同じ会社でアルバイトしていた年上の女性からニュースを聞いて、愕然とした。ああ、彼女の可愛らしい顔も思い出せるよ。残念ながら彼氏がいた、なんて関係ない話。

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映画の感想? 
思いつくまま書いて行きましょうかね。
まず、非常に懐かしく思ったです。ニューミュージックマガジンで紹介されていた1975年のライブアルバム(日本では翌年発売だったかな)を買って、聞いて、すぐにのめり込んで、何回も掛けなおして聞いた。とにかく、最初の<Trench Town Rock>は、コンサートのオープニングにふさわしい曲で、この歳でも聞いたら踊りたくなる。

それから、ロンドンでのスタジオ録音の場面が出て来るんだけど、その描写が楽しい。スタジオでサッカーなんか始めちゃうしねぇ。マリファナももうスパスパでございます。歌合せでボブの歌が始めると、段々と音が重なって行く場面など、いい感じなんだ。ウェイラーズのメンバーも良い面子を集めてたんだなぁ、と改めて思った。

映画を見ていて時々、ジャマイカの英語がさっぱり分からないのは困った。
日本で公開される時は字幕が付くから、日本の皆様は大丈夫でしょうけど。
それと主演の男優の背が高いの気になった。ボブの十代の頃を演じたジャマイカの男優の方が、ボブに似ていると思った私だぞよ。

ボブ・マーリーは36歳で亡くなった。比較的短い人生ながら、その人生をを2時間余りの映画に詰め込むことは到底無理。ということで、映画は1976年の「ボブ・マーリー銃撃事件」頃からエクソダス<Exodus >の録音、そして1978年の「ワン・ラブ・ピース・コンサート」頃に焦点が当てられている。

この映画はボブの遺族(妻や息子達)の意向がかなり前に出されており、ボブ・マーリーのスキャンダラスな話はあまり出て来ない。
観ていてジャマイカのラスタファリ運動に影響されたボブの思想や行動に焦点が当てられているような気がした。ジャマイカでは公開と同時に大ヒットしたそうだが、このラスタファリ運動のことを知らないと、理解出来ない部分もあるんじゃないかな。

で、さて、ラスタファリ…簡単に(いい加減に)説明すると…世界各地に離散した(させられた)黒人達は、アフリカの地に再び帰すべきである、という考え方で20世紀初頭に提唱された。
旧約聖書の「出エジプト記<Exodus>」に似た話ですな。シオニズムの下にユダヤ人達は、戦後にイスラエルを建国したが、ジャマイカの黒人達も同じことを考えたのでしょう。

映画では、マーリーの父親は白人で、ボブを息子として認めることはなく母子を見捨てて行ったことが描写されている。ボブはそのことに負い目を感じていたようだで、スラムの貧しい育ちと共に暗い過去が時々彼の脳裏に上って悩ませた。
しかし、映画の最後に出て来る馬上の父のイメージは、その白人の父ではなく、ラスタファリが指導者と仰いでいたハイレ・セラシエ1世のように見えた。
ボブは、ジャー(神)の化身として崇められたセラシエ1世に父性を感じていたのか。
それとも、白人の西洋文化ではなく、黒人の固有の文化に価値を認めようとするラスタファリの考え方を暗示したものであろうか。

ボブは、旧約聖書を愛読していたといわれているが、考えてみれば、旧約聖書の登場人物はセム人や黒人が中心だったわけで、肌の白い人の物語ではない。

とまあ、堅苦しいことを書くと薄学の馬脚が現れそうなので、そろそろお仕舞い。

僕は、彼の歌でも特に好きな歌の一つのこれで終わろねぇ。
No Women No Cry



最後に:
今までに、何回かボブ・マーリーについて書いてるので、ここに並べて置きます。
若い頃のボブ・マーリー

ボブ・マーレイ

アメリカでは2月が「黒人歴史月間」ということなので、それに関連したお話。

I'm Going Home

昔読んだ、カントリーブルースに関する本にこんな話が載せられていていた。
うろ覚えで恐縮だけれども、ある英国の女優が、河で舟を漕ぐ奴隷達の歌を聞いた時の感想をこんな感じで書いていた。

「彼らの歌は、ユニゾンで歌われる。メロディ自体はスコットランドやアイリッシュの民謡や教会の賛美歌から借りたもので、私も知っているメロディが多い。彼らの言葉のアクセントや独特な節回しが彼らの歌に不思議な色彩を与えている。そして、何回か耳にしているうちに、その歌の中に何とも言い難い哀愁があることが分かる」

皆さんはファニー・ケンブルという名前を聞いたことがあるだろうか。
ファニー・ケンブルは英国生まれの女優で、若い頃から舞台で活躍し成功を収めた。彼女はまた、しっかりとした音楽教育も受けており、舞台でも歌った。
19世紀の半ば、大きな農園を持つ米国人地主と結婚しアメリカに移った彼女は、南部の黒人奴隷たちの貧しい暮らしぶりや過酷な扱われ方にショックを受けた。そして、見たことや感じたことを日記に書き綴った。

後に、出版されたその日記は多くの人に読まれ、奴隷制度廃止運動に一役かったという。奴隷制度廃止運動の文学としては、日本ではストー夫人が有名だが、19世紀には様々な人が奴隷制度を批判しており、ファニー・ケンブルもその一人だった。
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彼女がどんな歌を聞いたのかは、録音機械が発明される前なので分からないけれど、想像するに、最初に載せた歌や下の歌に近いのかな。そんな労働歌が次第にゴスペルやブルースになっていったのだ。
Hoe Emma Hoe


アメリカに連れられて来たアフリカ人達は、反乱などを起こさぬよう、同じ部族出身者達は別々にグループ分けされた。したがって、同じグループの奴隷達は互いに言葉も文化も違っていた。アフリカの文化や言葉、宗教などは禁止されたので、黒人達は耳にする白人の歌やキリスト教の賛美歌などのメロディを借りて歌うことになったわけだ。また、悲しい調べの歌や不満や反抗的な歌詞も歌うことを禁止されたという。怠業や反抗を防ぐためだったらしい。

しかし、黒人達は、色々な禁止事項がある中で、隠語を歌詞に隠して歌った。
たとえば、「彼らはジョージアに行くんだ。ジョージアには草が生えてないんだぜぇ」
「草」は、タバコのことだ。ジョージア州辺りでは葉タバコの収穫に従事させられるわけだが、南部の州に売られて行く連中はもっと重労働の「綿摘み」が待ってるんだ、という意味だとか。
のどかに聞こえる奴隷達の歌の中にもさまざまな気持ちが込められていたのでしょう。

さて、最後はサン・ハウスのこのアカペラを聞きいてお仕舞にしましょう。
Grinnin in Your Face

ある記事を読んでいたら、ヘンテコリンなものを写した写真が載せられていた。
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初めは戦争の時に使われた地雷か何かかと思ったが、二枚目の写真で正体が分かった。
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ハーモニカに、音を大きくするために鉄の湯たんぽみたいのを取り付けてあるのだ。

こんな形のハーモニカもある。
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さくら餅を取り付けているみたい。残念ながら、これを演奏してる動画が見つからなかった。
マイクロフォンやアンプが出る前は、皆さん、色々と工夫をしたんだなぁ。

で、思い出したのが、このホーナーのモデル。
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下はこのハーモニカの演奏の様子。
Hohner Trumpet Call review from playharmonica.co.uk
お値段は500ドルぐらい。音は何だかこもった感じだけど、面白いな。
でも、買わないよ、俺は。

下はハーモニカのガトリングガンみたいなもんだな。
Deuling Harmonicas with a "Hohner Tremolo Sextet"

重いので、腕力の無い方には不向きであります。Ebayでは、560ドルぐらいで売っております。

ハーモニカって、僕は10穴のやつしか持ってないけど、色々な大きさのものがあるのねん、というわけで、こんな動画も。
Take Five | Harmonica Cover | Perfect Fourth

しかし、大きいハーモニカは、肺活量も必要なんじゃないかしら。

ハーモニカはもともと、オルガンなどの調律用の笛から作られたという話だけど、初期の頃に作られたハーモニカはこんな形をしていたらしい。当時はハーモニカ吹きと喧嘩するとハーモニカで頭を叩かれたかもしれぬ。
1860 harmonica


さて、今回の掘り出し物はこれ。
John Sebastian Sr.~ "Malaguena"
ジョン・セバスチャンという名前は聞き覚えがある方も多いでしょう。
そう、フォークやロックで活躍したジョン・セバスチャンの父上であります。

ハーモニカによるブルース奏法(?)は1920年代に確立されたという説があるけど、これはそれ以前のサウンドかな。列車の音を真似た音がノスタルジック。
DeFord Bailey - Pan American Blues

19歳ぐらいの時、「ブラック珈琲ブルース」という題名で歌を作った。ニール・ヤングは19歳の時に「シュガー・マウンテン」という曲を作ったが、俺っちは背伸びをして、苦いコーヒーの歌を歌ったんだぜぇ。と、まあ自分の話はどうでもいい。

さて、最近、ちょっと思う所が有ってハンブルパイの<Black Coffee>って歌を探して聞いてみたんだ。
Humble Pie - Black coffee

今は亡き、スティーブ・マリオット。やっぱ、すごい歌い手だよなと久しぶりに聞いて感動す。コーラスのブラックベリーズとの掛け合いがなんとも楽しそうで、素晴しいビデオであります。1973年だから、ピーター・フランプトンは抜けた後だね。
昔のバンドの仲間が云うには、「柳ジョージは、一時音楽を止めようと考えてたんだけど、イギリスでハンブル・パイのライブを観て感動して、もう一度音楽を続ける決意をしたんだぜ」だとか。
その話が本当だったとすると、ちょうどこの頃のハンブルパイを観たのかな?

さて、知らんかったのでごんすが、この曲のオリジナルはアイクとティナ・ターナーなんです。
Black Coffee - Ike & Tina Turner
この曲では、「私の肌は茶色いけど、心は黒いのさ」と歌ってますが、上を聞き直すと、スティーブ・マリオットはその部分を「俺の肌は白いけど、心は黒いのさ」と替えてますね。
薬中で家庭内暴力のアイクだけど、ミュージシャンとしての力量は認めずにはおられんな。ティナの歌と相まって、コーヒーなんぞで良い気持ち…、アナタ、コーヒーに何か入れたか?ハハハ。

僕はコーヒーは、ブラックで飲むのが好きであります。ブラックコーヒーという題名でもう一つ有名な曲をば。
Sarah Vaughan - Black Coffee
う〜ん、分からん。なんで珈琲でこんなにムードが盛り上がってしまうのか。

ところで、コーヒー・ルンバで有名な西田佐知子も、ブラックコーヒーで歌っておりますが、何だか、南方のムードなんだよな。<ブラック・コーヒー

僕の通っていた中学校は、保護者なしで生徒が喫茶店に入るのを禁止していた。でも、中3にもなると、友人達と喫茶店に入って珈琲を注文した。小僧の僕は珈琲に砂糖とミルクを入れて…。今では考えられない甘ったるい珈琲を気取って飲んだ。でも、コーヒーゼリーの方が好きだったり…。隣で大学生たちが吹かす煙草の煙が漂って来たりしてさ。煙かったねぇ。
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あの頃の喫茶店は、サイフォンを使う所が多かったけど、理科の実験を見ているようで楽しかったな。昨年、日本に帰った時に、宇治で入った喫茶店がサイフォンを使っていたので、淹れるのを懐かしく眺めていた。昭和50年ごろの珈琲の値段は190円、ハイライトが120円だから、今と比べると珈琲は高価な飲み物だった。今では、お家で手軽に安くコーヒーが飲める。時代は変わる。

ブルースが好きな人はこの曲のことを考えたか知らん。
Mississippi John Hurt - Coffee Blues

世の中には「3大…(ビッグ3)」という言葉が有って、ブルースでは「3大キング」として、BBキング、フレディー・キング、アルバート・キングが選ばれております。

さて、漫画家ロバート・クラム関連の映画にこんなピアノ曲が使われている。
Ragtime Nightingale

古き懐かしいラグタイムなんだけど、決して古い録音じゃないのはスクラッチ音が無いのでもわかる。
ピアノ演奏はデヴィッド・ボーディンハウス(?)で現役で演奏している人。他の人の演奏も聞いてみたけれど、ボーディンハウスの演奏は少しゆっくりで、柔らかなタッチでメランコリックな情緒を表現しています。

上の曲は、ジョセフ・ラム(Joseph Lamb)の代表作で、彼は「古典ラグタイムの3大作曲家」とされているのです。残り二人は、「エンターテイナー」で日本でも知られたスコット・ジョプリン、ジェームス・スコットですがこの二人は黒人で、ラムさんだけが白人ということらしい。付け加えれば、戦後(1960年)まで生き残ったのは、ラムさん一人。ラムさんは三人の中で一番年上のジョプリンから影響を受けているとか。
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ラムさんが活躍したのは戦前ですが、1950年代に再発見された時に、彼がまだ存命であったこと、白人であったことなどが人々を驚かせたという逸話が残っています。

下は1950年代に、録音された彼の演奏を集めたレコードです。
亡くなる少し前の録音なので、ベストの演奏とは言えませんが、古き時代の少し埃臭い酒場の匂いがして来そうな…懐かしさ。
Joseph F. Lamb: Original Recordings (1957 & 1959)

せっかく、名前を出したんだから、ピアニストのボーディンハウスさんも少し紹介せよとの、お声がした(気のせいであります)。
でも、これなんかも良い感じだよ。
David Boeddinghaus - Frog-I-More Rag

さて、昔のラグタイムやブルースの良い所はどこでしょう?
色々と答えはありましょうが、僕が思うに、一つは曲が短いこと。まあ、戦前などは録音は3分以内という制約があったのだから、自然とそうなる。うっとりノスタルジックな気分に浸るには丁度良い長さ…じゃない。

David Boeddinghaus - Handful of Keys
最後はライブの様子。恰幅の良い紳士の手がヒラヒラと舞い踊ると、リズミカルなラグタイムが生まれて弾ける、というわけ。

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Youtubeで歌を聞きながら、グダグダと仕事をしていると、こんな曲が…。
ああ、この人の歌は柔らかくて優しいなぁと、暫しの間、手を休めて聞いていました。
Lift Him Up That's All – Washington Phillips

説教師だった彼の歌の内容は、聖書(ヨハネ)の中の<キリストとサマリアの女>の話を歌ったものらしい。そして、<キリストを讃え、いつも、その御心に従い生きなさい>みたいなことを歌う。

ああ、これは昔、ライのクーダーが、<Chiken Skin Music>に吹きこんでいた曲だったよなと、仕事も忘れ、さっそくライのバージョンを聞いてみたのだ、俺。
Always Lift Him Up / Kanaka Wai Wai
あれあれ、メロディは似てるけど、詞は違うような。
<憂鬱な時や何事もうまいくいかない時でも、自暴自棄になったり、女房に八つ当たりなどをしたりせず、主の名前を唱えて、心を改めてなさい>という感じの内容になってる。
ライ・クーダーの歌は、調べてみるとキリスト教の説教師でもあったアルフレッド・リードの歌が元歌だとか。
ちなみに、<Kanaka Wai Wai>も、ハワイの現地語で歌われるゴスペルだとか。
<富を持っていては天国に入ることは出来ない。喜捨し身を清めて天国へ入るのだ>みたいなことを歌ってるんだが、どうぞ、その喜捨は俺に施しておくれ。

これが、アルフレッド・リードの歌。
Blind Alfred Reed - Always Lift Him Up And Never Knock Him Down
これはこれで、素朴な響きがあっていいよなぁ。ざらざらと聞こえる擦過音…ああ、もう100年ぐらい前の歌かいな!と驚いたりもする。
それでは、「リードがフィリップスの歌をカバーしたのか?」と思った私。

調べてみると…アルフレッド・リードの録音は1927年12月19日の日付。
で、ワシントン・フィリップの録音は、1927年12月2日の日付…なんだこれ?
ほぼ時期に録音されている。ただの偶然??

リードがフィリップスの歌を聞いてカバーしたとは考えにくい。ひょっとして、コロンビアやヴィクターのためにタレントスカウトしていたフランク・ウォーカー(Frank Buckley Walker)という人物が関わっていたのかも…しかし、これも想像の域を出ません。

オマケにこんな偶然もある。アルフレッド・リードもワシントン・フィリップスも、1880年の生まれなのだ。そして、二人とも説教師などをしていたし、亡くなった年も1956年(リード)と1954年(フィリップ)と近い…。

この二人が「Lift Him Up」という題名で曲を吹き込んでということは、南部の教会で歌われていた共通した歌が存在するのかもしれませんね。

さて、最後に登場願うのは、今は亡きラルフ・スタンリーの最晩年の録音。
Ralph Stanley - Lift Him Up, That's All

こちらの歌は、ワシントン・フィリップスの歌の方のカバーですね。彼の最晩年の歌だから、ズッシリと心に響きます。アーメン。

「エド・サリヴァン・ショー」という番組をご存じでしょうか。
1948年から1971年まで続いたアメリカの長寿番組で、司会はエド・サリヴァンといういかついオッサン。1901年にニューヨーク市で生まれた。元々はスポーツのライターだったそうだが、そのうち芸能のゴシップ欄などを担当するようになり、芸能や音楽などの分野でも活躍するようになった。
さて、エドさん、いかつい顔つきの割には、彼の番組の内容には柔軟なところがあり、まだ人種差別が公然と行われていた時代に、黒人のミュージシャンもショーに出演させている。

番組は彼とゲストとのトークや彼らの芸などで構成される。音楽だけでなく、コメディアン、ダンサー、オペラ歌手や外国の歌手など、多彩で、あのピーナッツやブルーコメッツなども呼ばれた。
The Peanuts on The Ed Sullivan Show on April 3, 1966


まだ若い頃のファッツ・ドミノも出演者の一人。
Fats Domino "Blueberry Hill" on The Ed Sullivan Show

Bo Diddley on The Ed Sullivan Show

あれ、ボ・ディドリーってこんな顔してたっけ、ってぐらい若い。まだ四角のギターは登場していないしね。
ところで、番組の後でボ・ディドリーにエドさんは激怒したという逸話が残されている。打ち合わせた曲(16トン)ではなく、代わりに“Bo Diddley”を演奏したからだ。ボ・ディドリー曰く、演奏前に気が変わったらしく、白人の歌のカバーよりも一番自分らしい歌を演奏したくなったのだとか。


この番組の批判の一つに、演奏時間を短くさせてしまう、というのがある。普段より早いテンポで演奏させたり、演奏の部分を抜いた入りさせた。これなどは好例だろう。
Buddy Holly & The Crickets - That'll Be The Day

<Elvis Presley "Hound Dog" (September 9, 1956)
幾らなんでも短すぎな感じだ。ハシタナイ腰振りダンスを映さないように、下半身は移さないようにしたとか。

もう一つの批判は、ミュージシャンに歌詞を変えるように頼んだりしたことだ。
この番組は、人気が有り老若男女を問わない人々が見ていたため、当時のアメリカの保守層からの反発を避けるための策だったようだ。ボブ・ディランも呼ばれたそうだが、歌詞を変えて歌う様に指示されたため、出演を辞退している。

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この番組は1960年代になると、番組にロックのバンドなども出演して来た。イングリッシュ・インベージョンとして、ビートルズやローリングストーンズなども呼ばれた。

ローリングストーンズが演奏した曲の一つは、<Let’s spend the night together>だったが、歌詞の中の“Let’s Spend night together”は不道徳であるという理由から“Let’s spend sometime together”に変えて歌われている。
The Rolling Stones Let´s spend some time together

ワイルドな感じのローリングストーンズだが、さすがに紳士の国から来たバンドらしくその指示に従った。そのおかげかその後も彼らは何回か呼ばれている。

中にはエドさんの指示に従わなかったバンドも幾つかあった。ジム・モリソン率いるドアーズであるの話が有名だ。
途中の“Girl, we couldn't get much higher”という部分がマリファナなどの使用を連想させるため “Girl, we couldn't get much better”との頼みを全く無視する。当然のことながら、彼らは再び番組に呼ばれることはなかった。
The Doors - Light My Fire - Ed Sullivan Show 1967
聞いてみるとジムは全く無視して、当然のごとく“Baby get much higher”としっかり歌っています。


番組は1960年代後半になると、社会の価値観も変わり、内容もマンネリ化したため、1971年に終了した。そして、エド・サリヴァンはその3年後にガンで亡くなる。自分の役目を終えたかのように。
色々と批判もあった番組であるそうだが、保守的だった時代に幅広いジャンルのミュージシャンを出演させたというのは、この番組の功績だろう。人種差別が公然と行われていた時代、公民権運動が徐々に活発化する時代に、人種に偏ることなくゲストを呼んだのだから。

その番組の司会者が保守的でギロギロバッチン顔のエド・サリヴァンだったというのも面白い。

僕はクリスマスは祝わないので、少し口をひん曲げて、こんな歌を聞くのだ。
Santa Claus is Coming to Town

この人は歌詞を覚えられないというハンデが有ったようで、こんな横町のご隠居風のスキャットで誤魔化すわけですが、これはこれで合うのですね。
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いやあ、知らんかったなぁ、サンタさんは黒人だったとは。でも、可愛いね。
Santa Claus Is a Black Man


僕はやはりこの定番の歌が好きです。
前にこの歌が夏にアリゾナのホテルのプールサイドで作られたと書きましたが、夏の盛りだからこそ、雪景色を切望するのです(適当なことを書いてます)。
White Christmas ・ The Drifters

さて、年の瀬は家族や大切な人、そして猫と静かに過ごしませう。

「ハレルヤ」 = 「主を賛えよ」の意味。

映画(シュレック)に使われたおかげか、この歌は多くの人が歌う人気曲。
しかも、美しい声でメロディアスに。
でも、本当にこの歌はそんな歌なのか?

作詞と作曲はレナード・コーエン。
Leonard Cohen - Hallelujah

コーエンさんは二十歳からギターを弾き始めたそうで、歌も決して上手くない。
でも、この歌には、このたどたどしい様な歌い方が一番似合うと僕は思う。
Leonard-Cohen

歌詞を読んでいると、意味が取りにくい所もあるけど、諧謔や皮肉、悔悟の念などがちりばめられている。そして、共感出来る部分があるんだな。
ちなみに、この歌詞は数年もかけて書かれており、多くの詩節から幾つかを選んで歌われているのだとか。
二番目の詩句と四番目が好きなので、自分なりの解釈で意訳してみた。

<君の信心は強かったから、その証が欲しかったんだろう。でも、バト・シェバが屋上で沐浴をするところを見てしまった君は、月光の下の彼女の美しさに心を奪われてしまった。台所の椅子に縛られ、栄光の座から引き下ろされ、髪の毛を切り取られた君。彼女は、君の唇から「神に栄光あれ」と呻かせた>
十戒に限らず、色々な戒律で「姦淫」を戒める。我慢を強いられるのだ。そして、強い男でも愛欲の前には躓かなければならない…。
この部分は二つの聖書の故事から採られているようだ。
一つ目は、ダヴィデがたまたま屋上で沐浴する人妻の姿を見て惚れてしまい、その女性を口説いて姦通し、子供を産ませたという故事。二つ目は怪力無双のサムソンが、デリラという女性に髪を切られて怪力を失った話。

Samson_et_Dalila デリラに髪を切られたサムソン

神の前に額ずく時、私たちは厳かで清らかな気持ちになりますが、魅力的な女性に会うとついつい…心が乱されて…。 
<汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる>と日本の詩人も書いておりました。

このハレルヤという歌を始めて僕が聞いたのは、実はレナード・コーエンのオリジナルじゃなくて、この人のバージョン。
Jeff Buckley - Hallelujah
ジェフ・バックレイは、歌声も美しく、弾くギターの調べも繊細でありました。
これは四番目の詩句。
<天上には神様がいらっしゃるのかもな…でも今まで愛から学んだことは、先に仕掛けてきた奴をいかにやっつけるか、ということなんだ。今夜、聞こえるのは絶望の叫びじゃない、光を見たと主張する聖者の声でもないだろう。それはね、寒々した途切れ途切れのハレルヤなのさ。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ…>
博愛の精神を持つのは人だ、そして、諍いを止めないのも人だ。神が居るにしろ居ないしろ、全ては人のなせる業であります。

さて、ちょっと、ジェフ・ベックリイのことを書いてみましょう。
ジェフの父はティム・バックレイというシンガーソングライター。しかし、彼がその父親に会ったのは少年の時の一度だけ。その後、父ティムはドラッグの過剰摂取で28歳の時に亡くなっている。父親との縁は薄かったジェフだが、父親に顔も声も似ているんだな。残念なことにお父さんと同じく若くして亡くなった。水難事故だったとニュースにあったのを覚えている。

Once I Was - Jeff Buckley
最初の部分で彼はこう話している。
「ずいぶん昔のことなんだけど、お母さんがこのレコードをかけて聞かせてくれたんだ。その時に、僕は初めてお父さんの歌声を聴いたんだよ。でも、つまらない歌だと思ったんだ、だって、まだセサミストリートなんかを楽しんでいた子供だったんだから…」。
そして、父の歌を歌いだす。
サビの部分の<時に思うんだ、君は僕のことを思い出してくれだろうかって>は、聞いていて哀しい。
この録音は多分、1991年の父親ティム・バックレイのトリビュートコンサートの時のステージからだろう。まだ無名だったジェフ・バックレイだが、その時の演奏が評判になり徐々に名前が知られて行く。これ、父の遺産と呼んでいいのかな。

最後に父親が歌った元歌を紹介してお仕舞い。
Once I Was ・ Tim Buckley

昔、勤めていた会社が、オハイオ州のホテルでセミナーを主催したことがある。そのセミナーが始まる少し前、その隣の部屋から歌声や手拍子が聞こえて来た時には、世話役だった僕は冷汗をかいた。
どうやらバプティスト教会の集まりらしい。ホテルの人に頼んで、少し音を控えめにしてもらうことにしたが、歌は聞こえて来た。だが、こちらのセミナーが始まる頃にはその集会も終わったようで、ホッとした。神も降臨したか。
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冷汗をかいたと書いたけど、本当は堅苦しいセミナーよりもゴスペルの歌を聞きたかったのが本音。

「昔は、教会や刑務所が、黒人達に音楽教育をしていた」と書いたことがあるけど、今回、紹介するエルダー・チャールズ・ベックのゴスペルを聞きながら、自分でその言葉に納得した。

チャールズ・ベック長老は1900年に生まれた人で、歌以外にピアノとトランペットを演奏する。
Shouting With Elder Beck

彼のゴスペルは、ロックやR&Bの前駆体の様な音楽。ゴスペルなしにはロックは誕生しなかったに違いない。

下は1948年の録音だとのことですが、もうこのギターのノリで踊りながら昇天しますかね。
You've Got To Move
残念ながらこのギタリストの名前が分かりませんが、このギターが大好き。

これは凄い。
Drive Old Satan Away
「さあ、サタンよ、ここから立ち去れ!>という題名なんだけど、1分を過ぎた頃からトランペットがジャズの様に吹き鳴らされ、コンガの刻むリズムでもうアフリカかどこかのノリ。聴衆たちは、エクスタシーの中できっと椅子から立ち上がり、踊っていたに違いない。

最後は1920年代に多くの犠牲を出した流行性感冒(別名スペイン風邪)のことを歌ってるこの曲を紹介しましょう。
Memphis Flu
日本でも江戸時代などに風邪などが大流行すると張りぼてなどで鬼の像(病気)を作り、町を練り歩いた後で最後に鬼を燃やしたり川に流した入りしたそうだ。メロディは、「コットン・フィールド」に似ているね。さあ、元気に手を叩いて病魔を追い払いましょうぞ。

さて、チャールズ・ベック長老は1960年に宣教師としてアフリカのガーナに渡り、1972年に彼の地で亡くなったそうです。アーメン。

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