ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

アメリカで結成されたバンドだけど、主にイギリスのパブなどで活躍した<Eggs Over Easy>という名前のバンドがあった。エッグス・オーバー・イージーとは、目玉焼きをひっくり返して、裏表を焼いた目玉焼きのこと。
アメリカでは無名に近かったはずだが、日本では1980年頃に「名盤復活」なるシリーズもので彼らのアルバムが復刻された。「Good 'N' Cheap」という題名。「美味しくて安い」か…でもプロデューサーがあのリンク・レイなんだよな。

ある評論家が「The Band」になり損ねたバンドだとか書いていたような覚えがある。確かに言い得て妙だ。彼らの歌は良いものを持っているけど、売れ線ではなかった。一捻りのアレンジともう少しの運があったならば、ヒット曲も出していたかもしれない。
でも、久しぶりに聞いてみるとなかなか聞きごたえがあったりする。それにやっぱり懐かしい。
Eggs Over Easy - Pistol On A Shelf

誰にもあるメランコリックな感情を掻き立てるような始まり。バンドの<In a Station>みたいな感じの曲なんだけど、少しは売れたのかしら?

Henry Morgan
これもバンドぽいかな。コーラスの被せ方なんかもそれとなく意識している感じがする。ただ、歌詞にもう少し捻りがあったら面白かったかもと思う。

Face Down In the Meadow
このアルバムのジャケットの絵を見て、ああ、どこかで見たことがあるような気がしないですか? 

そうそう、これですよ。
Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942
エドワード・ホッパーの「Nighthawks」という題の付いた絵でございますな。
この画家の絵は、僕には「舞台美術」を思い起こさせる。
どこかで見かけそうな光景なんだけど、本当は実在はしない。あくまでも架空の場面に登場する人物は大袈裟な仕草はしないけれど、そこはかとなくドラマを持っているのだ。

hopper-mural
こんなガソリンスタンドの絵の中にも、この裏にそれとなく何かドラマがあるのかも…。オッサン、心の奥に何を隠してるんだい? 
本当は晩御飯のことでも考えていたりして...。


ホッパーの世界と同じく、そこはかとないドラマを歌い紡ぐエッグス・オーバー・イージー…というこじつけっぽい言葉で終わりませうか?

最後にこの曲を紹介して終わります。ペーソスのある舞台の最後には相応しいメロディかねぇ。
Song is Born of Riff and Tongue

1229571

静かな夜にこの歌を聞いてしまうと、まるで昔からの知り合いに思いがけなく出会ったようで、しみじみとした気持ちになるのです。この曲が入っていた<ごあいさつ>は、日本のフォークアルバムの中でもベスト10に入ってよろしいと思う。
高田渡 / コーヒーブルース

三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダっていう珈琲屋へね…あの子に会いに? いや、好きな珈琲を少しばかり…>。

イントロは、ディランの<Don't Think Twice, It's All Right>からの借用だね。このアルバム・カバーもアンディ・ウォーホルがデザインしたベルベット・アンダーグラウンドのレコードのパロディなんだろうか。
歌詞の中、「最後も一滴が勝負さ」というところは、ミシシッピ・ジョン・ハートの<Coffee Blues>を意識してるのでしょうね。ジョンが歌の始めの語りで「缶に書いてるように、マックスウェルのコーヒーは最後の一滴まで美味しいんですよ」って言っていたので。

さて、コーヒー・ブルースという題が付く歌が多少ある。例えば、この大御所の歌。
Lightnin' Hopkins - Coffee Blues
母ちゃんはご立腹、父ちゃんがコーヒーを買って来なかったから。
「一体、あんた何やってるのさ?」
「いやあ、済まない、もうこんなことは二度としないから」
どうやら、父ちゃん、コーヒー買う金を他の場所で使ってしまったらしい。

これと似た話をどこかで聞いたことがある。親父さんが米を買う金を持って行ったがよいが、「金を落としたらしい」と手ぶらで戻って来たそうだ。済まなそうにしてる父ちゃんの面にカカアの声が。「またパチンコ? 米が無くて、どうして暮らして行くの? 情けない」と叱られたお父ちゃん。
この様なブルースを聞くと、どこの国でもカカアに叱られている男が居るんだなと分かる。

最後は手前味噌ですが、僕が19歳ごろに作ったブルース。いまだに歌ってます。
珈琲ブルース (Coffee Blues)
そう云えば、ニール・ヤングも「シュガーマウンテン」を19歳の時に作ったそうで、いまだに歌ってる。たわいもない歌詞の方が歳喰ってからも歌いやすい(かな?)。

<おまけ>
この歌は西田佐知子さんの<コーヒールンバ>の元歌。題名は、「コーヒーを挽きながら」。
ELENA /Yerevan/ Moliendo Cafe
こんな美人さんとならコーヒーも美味かろう。夜も楽しかろう。

prod-2in1-black-coffee-04

地質学の世界では、示準化石と呼ばれるものがある(あれ、ブルースの話題じゃないのか?とお思いの皆さま、ちょっとお待ちくだされ)。
ある地層に特定の化石が見られる場合、その地層の年代が推定出来るのだ。それらを「示準化石」と呼んでいる。例えば三葉虫が良い例。三葉虫は古生代のみ生息した動物だ。

さて、マディ・ウォーターズは、長いキャリアを持ったブルースマンだが、最近、彼のバンドに居たハープ吹きのリストを見つけた。そのハープ吹きの名前が分かれば、動画などを観た時、いつ頃に録画されたか推定出来るはずだ。これを「示準ハープ吹き」と名付ける。
Muddy Water and harmonica player

これなんか、1974年から1980年の間。ハープがジェリー・ポートノイだからさ。
Baby, Please Don't Go (Live)



そして、これは1971年かな。ハープ吹きはキャリー・ベルさんじゃな。
Muddy " Mississippi" Waters - Blow Wind Blow!


じゃ、これなんかどうよ?
You Don't Have to Go
う〜ん、残念だが、大リーグボールの様に、このリストを使った年代推定にも弱点があった。
ジョージ・バフォードがハープ吹きだから、1980年から1983年の間と書きたいところだが、このジョージさん、数回、入ったり出たりしてるのよ〜。
だから、正確な年代測定には、ギタリストなどのリストも必要じゃぁ…。

ここで、都都逸をひとつ。
<忙しいのは、質屋の娘。入れたり出したりせにゃならぬ>
こんな駄文を書きつつ、「なんて馬鹿な事を考えているんだろう、無駄じゃ無駄じゃ」と、僕の心の中のジャコウネズミが言うのだった。
mudaja

ああ、哀れ!これなんかも、外れ。沈没。
She's Nineteen Years Old
1971年なのに、ジョージ・スミスが吹いてるじゃん!
リストでは、キャリー・ベルのはずなのにさ。
ライブ直前に、人前に立つのが苦手だったキャリー・ベルが突然神経性の腹痛になり、代わりに、電話一本で快く引き受けたジョージ・スミスがステージに立っている可能性もありますよね。

何だか難しいねぇ。ああ、下手な考え休むに似たり…と申します。
黙って音楽を聞こうか。

中古で買った適当にスカやレゲエの曲を集めたCD。安かったたけど、結構聞けるねぇ。
夏には暑い所の歌に限るよ。ビールも同じ。冬に飲んだら美味しくないアメリカンなビールを、夏空の下では飲みたくなるのであります。ジャマイカのRedstripeや沖縄のオリオンビールでも良かよ。
「乾杯、乾杯、さびら〜」

CDを聞き始める…。お、これなんか、ブロンディが取り上げてヒットした曲の元歌だな。
The Paragons - The Tide Is High

聞いているとこんなスカっぽい歌が…。 
まだ、若い声だけど聞き覚えあるなあ、この声。将来、世界をレゲエで席巻したあの方の声だ。
The Wailing Wailers - Simmer Down

誰じゃこれはということで、CDのジャケットの細かい字を見ていると、The Wailing Wailersという名前が。ボブ・マーリーはまだ二十歳前の1964年に録音されてます。まだ、彼も溶接工として働いていた頃だね。でも、すでに既婚で子供も二人ほどいたはず(写真は若い頃のボブさん)
Bob-Marley-1965

調べてみると、この曲が入っているアルバムは、ボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、バーニー・ウェイラーの三人が<The Wailing Wailers>というグループを結成し録音したデビュー・アルバム。もちろんのこと、低予算で作られていて、音質も所々、悪い所がある。
それが夏には、逆に涼しく感じたりする(?)。

アルバムのジャケットでは、やけに軽めの笑みを浮かべて手を挙げているボブが居たりして。やけに背の高い兄さんは、ピーター・トッシュですな。彼の身長は2mぐらいだったはず。

それでも、売れ線を狙ってか、こんな曲も歌ってますね。元歌はトム・ジョーンズ。
The Wailing Wailers - What's New Pussycat
ちょっと消化不良の気味は有りますが、若い頃はこんな歌も歌っていたということで興味深い。

このアルバムではないんだけど、ボブさんも若い頃はビートルズの歌を歌ってたりする。
Bob Marley & The Wailers - And I Love Her
始めはおとなし気に歌い始めますが、最後辺りは彼らしさを感じさせるシャウトが出て来たりします。何回か聞いているうちに、「なかなか、良いじゃないか〜」と好きになったりする私めで有りました。

このデビューアルバムからは、下のヒット曲も出したようです。
The Wailing Wailers - Rude Boy
歌詞を聞く限り、何でタイトルが<生意気な小僧>なのか分かりませんが、しばらくジャマイカの若い人々の間で口ずさまれていた歌そうで、後年のレゲエの萌芽なんでしょうね。

それでも、聞いているとさすがに、将来に大ブレイクする歌い手だけある。これなどは、かなり聞かせる。
The Wailing Wailers - I'm Still Waiting
やはり、ボブ・マーリーの声って、説得力があるんだね。「僕は今でもまってるからねぇ〜」なんて電話口で言われると女性もついつい説得されてしまうのでした。

最後は、この若々しい歌声で終わりましょう。
The Wailing Wailers - One Love
まだ、政治的なメッセージは前面に出て来ていませんが、やはり、「栴檀(せんだん)は、双葉より芳し」と申しましょうか、やはり、デビュー作であっても、若さの中に可能性を秘めています。

僕だって中学生ぐらいまでは、人並みにTVで歌謡曲を聞いてたんだ。
友達と一緒にアグネス・チャンや山本リンダの物まねもした。ああ、思い出した。友達の宮本君のお姉さんがアグネス・チャンに似ていたんだよね。しばらく彼女に憧れてて、宮本君の家に行くのが楽しかった。

中学ぐらいからアメリカやイギリスのロックを聞き始めた僕は、高校入学ぐらいから自然とブルースを聞き始めたのであります。そして、ブルースは徐々に頭と体に浸み込んでいった…のだった。
ここに、初心なだった僕をブルースに引きずり込んだのかなぁ〜って曲を10曲程度並べてみましょう。

1.<Mississippi John Hurt - Coffee Blues
中坊の頃から高田渡のレコードは聞き始めていたのですが、彼について書かれた記事なんかを読むと、出て来るのはこの暖かい声のお爺さんの名前。今考えるとブルースってより、ソングスター的な人なんだけど、あの頃は違いなんて分からんかった。最後の一滴まで美味しいマックスウェルハウスのコーヒー…そう、コーヒーも茶店で飲み始めた頃だ。茶店で煙草を吸っている大学生が大人に見えた頃でした。

そして、これは年上の友人が聞かせてくれた本格的なブルース。
2.<Sleepy John Estes−Rats in My Kitchen
これは、レコード会社の売り込みが巧すぎだった。
「再発見された時には、すでにギターも売り払ってしまっており、電気や水道も無い家で年若い妻と子供数人を抱えて極貧の状態で…」とかなんとか書いてあり、しかも、この写真(下)だ。歌うは台所のネズミさん…。ブルースは「貧困系」というイメージを、僕の頭に刷り込んだ一曲。
Sleepy John Estes colored

聞き始めは、軽い感じのブルース。
初めて煙草を試した頃、友だちから軽いのを貰って、何となく吸う真似をしてみたという感じ。
しかし、そんな真似事を繰り返すうちに習慣になるんだよな。
3.<Ukadan - Smokin' Boogie
スライド・ギターの知識もろくそっぽ持っていなかった初心者の僕にゃ、彼らの音楽は衝撃的だったね。しかも、日本語を上手に載せて歌ってさ。彼らの演奏映像を初めて見たのがいつかは覚えてないけど、勘太郎のスライドギターには目を見張ってしまった。一応、「スライド系」と名付けておこう。

4.<Elmore James-Please Find My baby
で、スモーキン・ブギの繋がりから、今でも好きなエルモア・ジェームスを聞き始める。訛の強い英語は余り分からなかったけど、ド迫力だった。ブルースにはエステスの様な「シンミリ系」とエルモアの様な「けたたまし系」があることを知ったのでした。

5.<Jimmy Reed-Honest I Do
ニューミュージックマガジンに、矢沢永吉がキャロルを始める前にジミー・リードをよく聞いていたと書いてあったので、購入することにした。レコード屋には数枚ジミーのレコードが置いてあったが、結局、椅子のジャケットを選んだ。
聞き易さでは抜群のブルースでした。大学に入学した頃は、しばらく、このレコードを毎日聞いていたような気がする。ブルースにも「ロマンス系」があることを知る。
Jimmy Reed

6.<James Cotton−One more mile
このアルバムのジャケットは少年オギテツには刺激的、このアルバムを聞かせてくれた年上の姐御にも惚れていた。何でもそうだが、習い始めが一番楽しい。煙草の味も分かり始めたんかな〜?って頃だね。「もう1マイル、行かなくちゃ。俺の旅は辛いもんだが、もう泣かないぜ」。パワフルなハープが印象的な曲だから、「パワーハープ系」とでも。

そして、同じ頃に聞き始めたシカゴブルースの雄。
7.<Muddy Waters - Got My Mojo Working
「MOJO」が何であるかを知ったのは、かなり後のことでありますが、「モジョ」も分からないまま、一緒にモジョモジョと歌ってた私でありました。ここに来て、ブルースが習慣性になり始めた。毎日、ブルースを一服ってな感じで、カッコウを付け始めた頃ですな。もう、禁ブルースが難しくなっていた…。

8.<Mississippi Fred McDowell - You Gotta Move
これはローリングストーンズやボニー・レイトなどの入口から入ったブルース。「どんな人間にも、その時はやって来る。そしたら、行かなくちゃな」という歌詞は、「お説教系」ですな。ゴスペル風の曲も僕は今でも好きであります。

僕は色々なアーティストの曲を集めたレコードが好きでしたが、そんなレコードの中にあった曲。でも、これはブルースじゃないのかな...。
9.<Gus Cannon−Walk right In>
ガスさん、ガンジーに似ている。溌溂としたバンジョーやバックのハーモニカが何とも楽しい。タンポポの根っこを炒って淹れたコーヒーの様な「古き良き時代系」とでも名付けときましょ。

これもブルースじゃないんだけど、最後はこの人の曲。
10.<Blind Willie Johnson - Dark Was the Night
ライ・クーダーの演奏などで知っていた曲なんですが、ある時、ウィリー・ジョンソンのこの曲を寝る前に聞いていたら、突然、「ドシーン」と来た。感情が溢れ出したというか、とにかく、寝るのも忘れて、何回も何回もこの曲だけを聞き続けてしまった。これは、「天啓系」です。

補遺:
この曲もライ・クーダーで聞いていた曲だけど、何回トライしても弾きながら歌えないので、すねながら聞いていた頃が有りました。「テクニック系」でした(今は、弾きながら歌えますです)。
Blind Blake −Police Dog Blues

そして、これら以外にも善きブルースに出会いつつ生きて来た僕でありますのよ。

こんな動画を見つけた。
Joseph Kekuku and the origin of the steel guitar

ハワイのスティールギター奏法の創始だと言われるジョセフ・ケクク(1874–1932)に纏わる話だ。
「ケククも歩けば、ボルトにあたる」ということで、彼が11歳ごろのこと、ギターを持って歩いていた時に、線路にたまたま転がっていた金属のボルトを見つけて手にしたそうだ。そして、歩いて行くうちにボルトがギターの弦に触れて出した音に彼は興味を抱いた、というのが、そもそもの始まりらしい。
その後、ケククさんは、ハワイ風のスティールギター奏法を確立し、全米各地を回って公演したとか。これは戦前のお話であります。
Joseph Kekuku

このスティールギターが、ブルースのスライド奏法に影響を与えた、という説があり、確かにこの手のブルース(?)などを聞けば、成程とうなずいてしまう。
I Believe I'll Make a Change by Casey Bill Weldon
まあ、ブルースも色々な音楽から影響を受けているのは間違いないです。
カントリー音楽などでハワイアンのラップトップが導入されているので、カントリー音楽を経由してブルースに入った場合も有りますね。

さて、ハワイアンで使われるチューニングは、かなり緩いチューニングで、6弦のラップトップの場合は、AmやC6などのオープンチューニングを使うそうだから、ブルースのスライドでよく使われれるオープンGとかDとは異なる。

ここでもう一つ、ブルースのスライド奏法はアフリカから連れて来られた人々が、アメリカに持ち込んだのだという説を少し紹介します。
The History of The Diddley Bow
最初の所で、西アフリカで使われている一弦の楽器は、リズミックな重い音を奏でていますが、スライドには噛み煙草か何かの缶が使われています。また、途中で、セント・メリー・バッフィーが奏でている民族楽器は、弦楽器で口の形を変えて音を調節している。アイヌのムックリも同じ奏法ですよね。弓(Bow)を使った楽器はアフリカだけでなくて、世界の各地に見られます。
メロディックなハワイアンの奏法とブルースのスライドが決定的に違うのは、リズムが前面に出て来ていることでしょうか。

下のロニー・ピッチフォードのMy Babyはアフリカ風のブルース。
Lonnie Pitchford - Diddley Bow
このリズミックな奏法を聞くと、やはりブルースのスライド奏法はアフリカの土着の音楽がアメリカで生き残って、色々な他の音楽の影響を受けて変わって行ったものだろうとも思うのです。ハワイアンの影響もその一つなんでしょうか。

ELMORE JAMES - Dust My Broom


フランク・ザッパが言ったのだ、「どのエルモアのレコードにも、あの有名なギター・リックが出て来るんだけど、それでも聞いたとたんにやっぱりハマっちまうんだ」と。
確かにそう。

しばらく聞いてないなぁエルモア、とか思って彼の曲をちょっと聞き始めると、しばらく続けて聞いてしまう。今まで何回も聞いた曲なのに、ツボにハマってしまうのだ。
多くの人が、Youtubeなどで「チャラら、チャラら、チャラら、チャラら、チャラりん」とエルモアの曲をカバーするけど、聞いていてしっくりと感じる演奏は余りない。
簡単そうなフレーズ、でも奥が深いのであります。

さて、今回、ここにエルモアを取り上げた理由はこれ。
Elmore set
あるサイトで<エルモアのスライドセット>という名目で売り出していた。

ええ、エルモアは金属のサムピックを使っていたのか? そして、使うは長めでちょっと重そうな真鍮のスライド!本当? でも、弦は何を使ってたのよ〜? 金属のサムピックを使ってたなら、太めの弦かしらね。3弦は巻きかプレインか?とか、色々と聞きたくなるのです。 
知っている人が居れば、是非、教えて頂きたい。

しかも、マイクはギターアンプに繋げられるようにアダプターを使っていたのだとか。ついつい、買いそうになるこの俺である。

Elmore James guitar 1
今回、色々な写真を探し出して見ていると、KAYのアコースティックにピックアップを取り付けてある(上)し、写真によっては(多分)4つか5つぐらいのピックアップがサウンドホールに取り付けてありそうなの(下)がある。 
Elmore guitar 2

まあ、ビッグ・ジョー・ウィリアムスもギターを改造して9弦ギターを弾いていたことで有名ですが、エルモアは特にギターの音質にこだわり、アコースティック・ギターにピックアップを取り付けて改造していた。好んで使ったのはDearmond製 のピックアップだとか。下はDearmondのリズム・チーフという名前のブツ。鈍く光っていて、何だか凄みがある。「オモチャじゃないんだぜ〜」と語り掛けて来る(わけはないか)。
dearmond-rhythm-chief-1000-xl

後世まで伝わるギターのリフを残した男(ブルースマン)のこだわりをこんなところに見ることが出来る。

僕が日本に帰った時の楽しみの一つに、兄と家族の昔話をするというのがある。
例えば、祖父にまつわる話なども、母から聞いていた話とは少し違う人物像が、兄の口から出て来たりする。母は自分の父が立派な人だと僕に言い聞かせたかったのだと思う。しかし、兄の口から出て来る祖父の人物像はもう少しくだけており人間臭い話も出て来る。もちろん、それで僕の祖父への尊敬が損なわれることは無いし、彼に対する愛情もそのままだ。

同じ人物の話にしても、語り部によって違いが出て来る。
「歴史とは畢竟、作りごとにて候」という言葉がある(山東京伝の言葉だったように覚えているけれど、自信がない)。そう、歴史とはその後の人々の創作なんだ。色々な資料や「史実と伝えられているもの」を集めて、解釈と取捨選択が行われて、ストーリーが再構築されるわけだ。

ロバート・ジョンソンが「悪魔の様なブルースマン」になったり、「どこにでも居そうな普通の青年」になったりする。あるいは両者を含めたトリックスターだったか…。
確実のなのは、彼はレコードを残しているという事実だけ。結局、彼について、どのストーリーを信じるかは聞き手の選択でしかありません。自分が一番納得するものや一番楽しいのを選べばいいじゃん、と思う次第です。

最近、発見されたロバジョンの写真についても、多くの修正が施された出鱈目な写真であるとの見解もあるようですが、これについても、最後に僕の意見を書いておきます。

前置きが長くなりました。
新刊「Brother Robert」がようやく送られて来ました。
副題は「ロバート・ジョンソンと共に育って」です。

作者のアニー・アンダーソンは昔、学校の先生だったそうで、教養もある女性ですが、予想した通り、自費出版の回顧録みたいな読み物。まあ、90歳を超えた老婆の回想なんですが、彼女の家族の一人にロバート・ジョンソンがいたわけ。彼とは血のつながりはないが、彼の義父の娘ということでロバジョンはこのアニーを妹として可愛がっていたようで、もちろん、アニーも彼になついていた様子が本から分かる。

このアニー婆の思い出話がどれだけ正確は分からないけれど、本からは当時の平均的な黒人家庭の様子が垣間見られ興味深い。本の後半は、ロバージョンが亡くなってからの話が書かれていますが、こちらの方が面白いと思う人も居るかも(色々な訴訟などの話が書かれております)。

考えてみるとこのロバート・ジョンソンなる人物はもう109年前に生まれた人物。俺の爺さんより少し若いぐらいだ。しかも人種差別を受けていた黒人の青年。当時、レコードを何枚か出し、地元では有名なミュージシャンというだけで、しっかりとした資料が残っているわけがない。だから、色々な人の口から出て来るストーリーをつなげて彼の人物像が作り上げられて来た。彼の死因や墓の場所ですらはっきりしていない。本によれば、遺体が発見された時に腐敗が始まっていたので、家族を待たず埋葬されたそうだ。たしか、お墓も二か所くらいあるよね。

この本の最後の方で、「(黒人達は)白人が金をくれるから、喜ぶような話を『語ってみせる』のさ」みたいなことをアニー婆が書いている、例えば、ハニー・ボーイ・エドワードなどのことだ。確かに彼はドキュメンタリーなどでも「講釈師」の様にまるでその場で見ていたかのような語り口だった。ある心理学の実験では、人は普通の話より、少し尾ひれの付いた話を長く記憶にとどめる、という結果が出ている。そして、聞き手の関心をそそる為に意図的に話を面白く変えてしまうこともしばしば。金を貰えるならなおさらだ。
「悪魔と音楽」というロバジョンのイメージ、こりゃローリングストーンズも使った手だ。

まあ、本から少し面白そうな事を紹介しましょう。

美味しい話:
この本で一番美味しいのは…ロバジョンの好きだった料理の話。
yams-3
ソウルフードの中でも黒砂糖で甘くに付けたサツマイモ(写真上)だとかフライにしたカボチャだとか、日本のモツの煮込みに似た食べものが好みだったらしい。日本では大学イモとモツの煮込みといったところか。もちろん、BBQも好きだと書いてありました。
They’re Red Hot>という歌も、実際のメキシコ人の街角のタマーレス売りのことを題材にしたらしい。通りで彼が客寄せに歌ったことも考えられますな。タマーレス、喰いたし。

ジミー・ロジャース!:
この本の中では、ロバジョンが白人の音楽も好んで聴いていたことが書かれております。特に好きだったのはカントリーのJimmie Rodgersで、<Waiting for a Train>を好んでよく歌っていたらしい。ヨーデルの部分なんかも上手に歌ってたとか。
ああ、そうか<Love in Vain>って彼のトレイン・ソングだったんだ。「汽車は出る出る、あの子を乗せて、涙の別れのこの俺だぁ〜」。
ビング・クロスビーなんかの名前も出て来ます。

ジョニー・シャインズもインタビューで語っておりましたが、ロバ・ジョンは白人の聴衆のために歌うのも気にならなかったようで、「ホテルの裏口から出入りし、白人のために演奏した」という逸話が載せられていました。アニー婆さんが並べるロバジョンのレパートリーも、子供の歌からブルース、ジャズ、アイリッシュ民謡など様々で、頼まれれば色々な音楽を歌ったソングスターだったことがわかります。ロバジョンの「ホタルの光」を聞いてみたなぁ。

メンフィスで培ったギターの腕:
ロバジョンというとミシシッピの出身ということでデルタ・ブルースのミュージシャンと考えてしまいがちですが、この本を読んでいると、彼はもっとモダンなスタイルを目指していたらしい。メンフィスのビールストリート辺りで色々なミュージシャンと出会い、影響も受けたんだろうなと思います。特レコードを吹き込んだ後は、メンフィスなどの都市が彼の稼ぎ場所だったはず。若きビッグ・ワルター・ホートンなどとも演奏したと書かれてます。

紳士的な一面も:
家庭や近所のパーティで好まれていたのは、<Teraplane Blues>、<Come in my kitchen>、<Sweet home Chicago>などだったそうですが、子供が同席している場合、卑猥な表現が出て来る歌は控えていたとのことです(例えば、Tight Like thatやtraveling Riverside Blues)。
髪も手入れし身だしなみも整えていたお洒落さんというのが、アニーの思い出です。意外なことに家にいる時に飲むのはビールぐらいでロバートが強い酒を飲んで酔っぱらったのを見たことが無い、とも。
もちろん、アニーも兄ロバートが夜の酒場で演奏し、他の一面も有ったことを知ってましたが、彼がそんな話を子供の前で仄めかしたりすることを聞いたことが無かったとのこと。意外と礼儀正しい人物のか?

ロバジョン後の人生:
ロバジョンには異母姉キャリーが居ました。この働き者の姉には良く世話になっていたようで、メンフィスでは彼女の家が定宿のようになったていたそうです。もちろん、アニーも一緒に育ちました。
彼の死後しばらくして、ある日、ブルースについて調べているというスティーブ・ラベアと名乗る白人青年がやって来て、キャリーにロバート・ジョンソンの本について書かせてくれと許可を求めたそうです。その時に、口に煙草をくわえた彼の写真を借りて行ったそうですが、結局、写真は返還されず、本のやレコードで入って来るはずだった金もキャリーには十分に支払われなかった…そのうち、ロバジョンの子供とその母親という女性が現れて財産の相続権を求めて裁判を起こしたなどなど…。本に書かれている出来事はもっと複雑なのですが、これ以上書く事を控えます。

考えてみると1960年頃からのブルースミュージシャンの再発見や歌のカバーは、白人たちによって行われ、彼らが成功を味わっている場合が多い。
アーサー・クラダップはバージニアの入り江に面したバージニアの小さな町の墓地に葬られていますが、墓石もすぐに作られなかった。しかし、彼の歌をカバーしたプレスリーは成功と富をものにしました。キラキラ輝くギターとラメで飾られたシャツを、ローリングトーンズのメンバーから送られたフレッド・マクダウェルは、それでも、「俺の歌はロックとかいうものとか違うんだ」と嘯かずにはおれなかった。
本の中でアニー婆さんがこんなことを書いてます。
「(KFCの)カーネル・サンダースは黒人からレシピを盗んでフライドチキンを売り出したのさ」と。もちろん、そのレシピを彼に教えた黒人には何も分け前は無かったわけです。

さて、ロバジョンも再発見で有名になり、色々な逸話や伝説も紹介されて来たわけですが、それらも出版社やレコード会社の白人さん達の売り込みの戦略だったのか。話を面白くするために、時には歪曲された人物像が語られてしまったことでしょう。
 
この本にある価値は、このアニー婆さんが「ロバジョンの普段の飾らない生活の様子を垣間見せてくれこと」です。少なくても、彼にも寛いで暮らせる場所があったということで、僕の心が和みます。
brotherrobert

写真について:
「虎徹を見たら偽物だと思え」ならぬ「ロバジョン写真を見たら偽物と思え」でしょうか。両者とも高い値が付くところが共通してます。あるサイトではギターの形がいびつで、後付けの修正であると指摘してました。僕もそれは気が付いたけど、この当時の写真ブースのカメラがどの位の性能だったのかも考えてしまいます。やはり、良くはなかったでしょう。写真館で良いカメラを使い撮った写真とは比べられません。
カメラの被写界深度も中央の顔あたりにピントが合うように浅くしているはずだから、被写体のピントが合っている場所から離れれば離れるほどブレが大きくなる。この写真ブースのカメラレンズの歪曲<ディストーション>も考えられるかもしれない。この写真ブースのカメラの質も考慮に入れなければと思います。長い間使われた古い機械だったらキャリブレションも十分にされていなかったでしょう。

この回想録の終わりで著者が「ビールストリートの写真ブースで撮ったこの写真が私の知っているロバート兄さんなのです」と書いていることで僕はもう十分納得かと思います。余計な詮索はしない。
この写真の中のロバート兄さんも晴れやかな笑顔を見せていますしね。

From Four Till Late

この街を旅立つ俺さ。さようならを言わなくてはな。
また、ここに戻って来た折には、色々な話を聞かせておくれ。

庭を掘っていたら芋虫が出て来た。大きな甲虫の幼虫だ。
そこで、僕は何を考えたかというと…。
「何匹かを串に刺して甘ダレを付ければ食えるんじゃない。まあ、その前に、数日間か絶食させてフンを出させて…」。
不覚にもプリプリと太った芋虫は美味しそうに見えた。考えてみれば、海老も海のダンゴムシみたいなもんでしょう。

51W68r2Jy7L._SX373_BO1,204,203,200_
外で泥だらけになって遊んでいたマディなガキの頃、石川球太氏の「冒険手帳」なるものを愛読していました。この本は何度も読み返した、いわば小学生のオギテツの座右の書だったんです。特に「火の起こし方」と「水の濾し方」の章は今でもよく覚えています。

この本の中で、食べ物が無くて飢えた時に、地面から芋虫をほじくり出して食べる昆虫食が紹介されていたんだ。「虫も食えるんだ! 無視出来ないね」と駄洒落た小学生の私。

とにかく、僕も昆虫食で鍛えなければ〜と心に決めて、母親に頼んでイナゴの佃煮を買って来て貰いましたのじゃ。しかし、味わうよりも足が歯に挟まるばかりで、哀れイナゴ佃煮は、その後誰も食べないまま…。
その時に母親は、雀のつけ焼きなども一緒に買って来て食べていた。「頭が美味しいのよ」と言いつつ歯でこりっと頭を割り、脳みそをすすっていた。この母親の方がサバイバルしそうだったね。

そうそう、昔、このブログでこんなことを書いたことが有りました。
オギテツ昆虫記 酒の中の虫
ま、とにかく、今度昆虫食に出会ったら、食べてみたいと思っております。
あ、そこのねぇちゃん、悪い虫には気を付けてな。

おまけ1:
Eating Insects | National Geographic
見ていると、美味しそうな虫料理も出て来ますね。

おまけ2:
南部で綿花に多大な被害を与えたボーイヴォルという虫の歌。綿実を食べる虫だから食べるには油臭いかな。
Ma Rainey - Bo-Weavil Blues

こいつのおかげで多くの黒人労働者が綿摘みの仕事を失った。黒人の労働力が北に移る理由にもなったと言います。

今は昔。
まだ、高校生2年生のオギテツ君は、夏の汗をタオルで拭い、畳にじかに胡坐をかいて母親が作ってくれた濃い目のカルピスを飲みながら、ライ・クーダーの<流れ者の物語>を聞いていた、と思いねぇ(ちなみにこのアルバムは出された当初、売れ行きが悪かったそうだ)。あの黒いジャケットが渋かった。

そのアルバムの中に<チェリー・ボール・ブルース>って名前の曲が入っていましたが、「何だか、ブルースって感じじゃないけどなあ」と思ったりしたオギテツ君なのでした。
Ry Cooder−Cherry Ball Blues (Remastered Version)>

レコードのラベルには曲名の下にスキップ・ジェームスって名前が書いてある。
僕はそのヘンテコな名前を憶えていたので、数年後に初めてスキップ本人の<チェリー・ボール・ブルース>を聞いた時には、元気なインストルメンタルを期待していたのですが、ものの見事に肩透かしを食らった。
大体、スライドを使っていないじゃん!
SKIP JAMES - Cherry Ball Blues
「なんだ、この病人の様な声は! ライ・クーダーのと全然ちゃがう!」と思いつつ、この不思議なギターの音色と声にもいつしか魅せられてしまうのであった。ブルースは感染性ウィルスみたいなもんだ。しかも、そのオムニバス版のレコードには<イリノイ・ブルース>なんて美味しい曲も入ってたので、スキップ君も、じきに僕のお気に入りに入ったのでした。
CfafkeTVIAIz5c2
とにかく、ライ。クーダーがこの裏声のうらぶれた曲をあんなふうに様にアレンジしたことは、僕の心の中で「」として残ったのです。

最近、ミシシッピ・ブレシーなるブルース人が<チェリー・ボール>って題名で曲を吹き込んでいるのを発見(彼はイシュマン・ブレシーの親戚らしいっす)。録音されたのはスキップが同じ題名の曲を吹き込んだ頃だ。彼らは互いに知ったんだろうか? 二人ともミシシッピに住んでいたから、ジュークジョイントで一緒になったという可能性も有りますな。
Mississippi Bracy - Cherry Ball (1930)

こちらのチェリーボールもスキップの曲同様、浮気っぽい女性の事らしい。
こちらの方がライ・クーダーの曲に近いかも、なんて聞いていて思うんですが、ライがこの曲を参考にして録音したかは分からんです。
ま、「サクランボ玉の不思議」とでも名付けときますか。

下はチェリーボールと呼ばれるチューインガム。
cherry Ball


脇道それそれ
ところで、この<Cherry Ball Blues>が入ってるアルバムのタイトル曲<Boomer’s Story>なんですが、これの元歌は、Carson Robison & Frank Luther の<The Railroad Boomer>。
全然違う歌の様にも聞こえますが、歌詞は同じです。ライはかなりアレンジを加えて歌ってます。ライの方が年老いた季節労働者の人生談をしんみりと歌い込んでおり、枯れた雰囲気があります。
<いいかい、よく聞けよ、俺みたいな生き方を選んじゃ駄目だじぇ…頼むから、俺の亡骸は線路の傍に埋めてくれ…汽車の音が聞こえるようにさ>

ライ・クーダーと云えば、アメリカの昔懐かしい歌などを紹介しているミュージシャンという印象がありますが、ただそのままを演奏するのではなく、曲によってはかなりアレンジを加えているんですよね。

↑このページのトップヘ