ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

昨年12月30日にある忘年会で少しギターの演奏をさせて頂きました。
会場は新宿区曙橋にある<Back in Town>というライブバー。地階にあるわけですが、中は広々としていて素晴らしい空間でした。その壁には、今まで出演したミュージシャンのサインや言葉なども書いてあるわけですが、<Jim Kweskin &Geoff Muldaur>なんてのがあったりする。そして、カタカナでこのミュージシャンの名前も。<ボブ・ブロズマン>…かあ。
さて、今回のテーマはハワイアン。音楽の研究家でもあったブロズマンは、ハワイの音楽も手掛けていて、彼によれば、ハワイアンは土着の音楽とハワイへと移住したメキシコ人がもたらした音楽の融合したものだそうな。
Bob Brozman Hawaiian guitar history

1900年代頃からシアーズ&ローバックのカタログ販売でギターを手にした人も多かったわけですが、いかんせん「チューニング」や「正しい弾き方」が分からなかった。だから、視覚的にもオクターブが理解しやすいオープンチューニングが広まるきっかけにもなったのだとか。そのオープンチューニングを使った独自のスライド奏法がハワイでも発達したというというわけらしい。

下は戦前にシカゴで活躍したハワイアンのデュオ。エキゾチックなメロディと高い技巧で人気を博したそうですが、残念ながらボブさんは若くして亡くなってしまいました。とにかく、彼らなどの活躍で、アメリカ本土にハワイの音楽が知られるようにわけです。
Jim & Bob the Genial Hawaiians - The Hula Blues

何となく甘くて物憂いメロディーが切ないですね。このスライドの音は初めて聞いた人達を驚かしたことでしょう。彼らの演奏は、Casey Bill Waldonなどのブルースのミュージシャンにも影響を与えたことが分かります。
500x500

ところで、僕がこの手の音楽を初めて聞いたのは、小学生の頃に行った千葉は鴨川のハワイアンセンターだったような気がする。ショーの踊り子はタヒチの女性だったわけで、かなりアバウトだが、幼い僕には違いが判らなかった。子供の時の僕が聞いていたハワイの音楽といえば、こんな感じかしら。
HOLO HOLO KAA Hawaiian Song Music 1949
戦後まもなくでも、ハワイの音楽は人気で、このラニ・マッキンタイアさんのスライドギターは、カントリーウェスタンにも広く取り入れられるきっかけとなったようです。

でも、最後はこの有名曲を聴きながらしんみりと終わりたいな。
Aloha 'Oe - Queen Lili`uokalani

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

ブログは、長い冬休みを取らせていただきました。三日にアメリカに帰って来ました。日本からの土産は風邪でございます。正月を風邪で祝うなんて相当久しぶり。

さて、太平洋を横断する飛行機の時間は得てして10時間以上掛かるわけですが、そんな機上で一つの楽しみがあるとすれば、機内映画でしょうか?
数は多くないですが、いくつか日本の映画も見られます。

その中で、観ようと選んだのは以下の通り。
映画『団地』予告編

今回のイチオシはこれ。題名が平凡なので期待していなかった分、出色でした。やはり、岸部一徳の演ずる陰気な感じの元漢方薬屋の親父が嵌っていて、この親父が床下の収納スペースにお隠れあそばすころには、眠いことも忘れてみてしまいました。団地という村の中のゴシップの作られ方や広がり方なども中々興味深いところがありました。観ているとじわーっと効いてくる映画です。

岸部一徳さんは、昔はタイガースのベーシストのサリーでした。ベーシストとしての評価も高いと言われております。そして、俳優としてもこんな滋味のある雰囲気を出している。才人ですね。まだ観てない方は、観ても損はないでしょう。


「シン・ゴジラ」と原発事故の類似性みたいなのは、多くの人が書いていると思いますので割愛。映画でまず僕が気になったことは、初めはウナギ目のウツボに似た、だらしなくエラから血みたいな液体を出す生き物が、最後には何であんなにも雄々しく変化したんだろう、ということ。各様の攻撃にも耐え、歌舞伎の見得の様なにらみを効かせておりました。例えば、小学校の時は鼻たれでとろかった<黒ちん>が、中学生3年ごろには背も高くなり、精悍で逞しい<黒川君>に変わったようなものでありましょうか。

ところで、僕は理屈っぽいので、映画を観ていて何かおかしいなと感じることが多いのです。自衛隊などがゴジラの頭部を攻撃している時に、ゴジラの目が傷つかないので、変だな感じたのです。人体で狙うのに効果的な部分は金的よりも「目」です。護身術でも最後には使う手だと思いますが、目は弱いのです。怪獣だってそうでしょう? ところが、最後にゴジラ君が熱線を吐く段階で、瞬膜みたいなものが眼球を覆いました。「なるほど、これだったか」と感心したわけです。この点は僕の負け。

残念なのは、アメリカの女性高官の英語がどうも耳障りだったこと。バイリンガルっぽくないんだよね、なんか。大体、あれだけ日本語のボキャブラリーがあって、丁寧語が苦手ってのも解せない。映画に出て来るキャリアの女性像、何か個性が無いような…。日本では、こうした女性像になにかステレオタイプ的なものが有るんでしょうか。何か不自然。


「海よりもまだ深く」
イケメンで背が高い阿部寛のダメ男ぶりが意外にも良かった。久しぶりに見たお母さん役の真木よう子さん。へへへ、良い女だな。


「君の名は」
この題名を見て、岸恵子と佐田啓二の名前を思い出した旧世代の生き残りの私であります。
二人の異なる人間の魂の入れ替えという着想は昔からありました。手塚治虫にもそんなマンガが有ったように記憶している。それに+αでタイムスリップ的な題材が加えられたというストーリー展開。久しぶりに、ジブリ系以外の日本のアニメを観たような気がする。でも、今いち感動が無かったかな。最後の方で、何とかハッピーエンドにしようという意図が見え見えだったかしら。

San House

21日の夕方に日本に到着するこの私めでございます。
まず、帰りますのが、ChicagoじゃなくてChiba...。シカゴと同じぐらいスイートな土地柄ですぜぇ。
久しぶりの日本の冬、楽しみです。京都辺りにも行きまっせ!

*****
12月25日には、国分寺の<Gee>というお店で、liveを行います。
2016-12-25 (日) [live] 19:30 【夜】出演:さにあらず/オギテツ/深川慶 <深川慶 企画>
*****

それでは、日本で逢いましょう。

Sweet Home Chicago

アンディ・ウォホールの知能指数は89だったとする話がある。ご存じのとおり、100が標準値だとされているので、意外に低い。本当かどうかは分からないが、美術の鬼才が89かぁ、と驚く。絵を描くことに執心し、勉強はおろそかだったのかも。でも、芸術的想像力とお金儲けという点では、A・ウォホールは大天才です。

andywarhol_large

今年亡くなった偉大なるボクサー、モハメッド・アリも学校の成績は良くなかったようで、知能指数は80程度とか言われています。しかし、あのスマートなボクシング、次から次と名言が出て来る語り、などを思い浮かべると、どうも不思議だ。あの悪態も自分を宣伝するためだとすればマーケティングのコツも知っていたわけだ。

大学時代にウェクスラー成人知能検査とか鈴木ビネー検査とかを心理学の授業で習いまして、僕も幾つかの知能テストを受けています。で、思うんですが、少しぐらい知能が高かろうが低かろうが、社会に出たら「並みの人」になるんだよね。自分よりも(何かに)優れた人は多いのだし、世間で突出するのは、やはり特殊な方々かと思う。運も必要だしなぁ。

ギターの天才と称されたジミヘンだって、ディランの「見張り塔から」をカバーしたは良いけれど、歌詞が全部覚えられなくて、ライブでは一番の歌詞しか歌わなかったとか言われてますから、知能テストは低そうじゃないか。でも、紛れもなく彼の独創性は天才の部類でしょう。
The Jimi Hendrix Experience - All Along the Watchtower


結局、人の知能を多角的に評価することは限度があるので偏った評価方法しかないのかと思う。
芸術やスポーツ、音楽の才能は評価するのは各人の好みもあるので難しい。
戦争で勝った側の軍人の知能指数は高めに出され、敗将達の知能指数は低めに算定されたりするのだから、評価基準とやらも余りあてにもならない。人気のある大統領の知能は高く、人気のない大統領の知能指数は、チンパンジー並みである。

ところで、知能指数と聞くとこんな愚問を出したくなる。
<世界で一番高い知能を持つ人の知能は誰が測れるのか?>ということ。山のふもとから山頂を見ることが出来ないのと同じである。知能がとても高いであろう宇宙人から見れば、メンサ(MENSA)の会員だって、目くそ鼻くその類である。

何でも、ものの本によれば、人類の知能指数は年々向上しているらしい。
明治初年あたりのアメリカ人の平均値知能指数は90ぐらいと推定されている。学校教育のおかげであると言えるかもしれない。しかし、逆にこんなことも言える。都市化が進む中で、色々と便利なものの恩恵を受けている我々は、昔の人々が身に着けていた生きるための知識や技術をすでに失なっている。ナイフで鉛筆すら削れない子供の方が圧倒的に多いだろう。それを考えると昔の人の方が逞しいく賢いような気もするぞな。

島国で小さな国ということで「島国根性」なんて言葉がある。でも、そんなに卑下することは無い。大体、国土面積を比べてみると、日本はそれほど小さくないのです(ドイツと同じぐらい)。

それにアメリカみたいな大きな国だって、所々に島国が点在する。そんな所の住人は隣の州に行くのですら大旅行だし、近郊の大きな町も十年前に行ったきりだ、とか話し始めるはずだ。NYCみたいな所はテレビでしか知らない。ニュースでは、いつも犯罪のことばかり報道するので、NYCみたいな都市はとても危険で恐ろしい所だと洗脳されている。

今朝、寝床の中でうつらうつらしながら、トランプの他国に対する侮辱的な発言は<Vigilante Man>の時代を彷彿させるなあ、なんて考えていた。
Vigilante Man - Woody Guthrie


ここでは、小さなコミュニティーを自警する人々のことが歌われている。自警団はコミュニティーでは、信頼されている人々かも知れないが、「納屋の中でひっそりと雨宿りをしている住処を求めて移り歩くよそ者に対しては、ショットガンなどを突き付けて、有無も言わさず雨降る外に追いやる人々」なのである。
「メキシコ人の不法入国者を阻止するために国境に壁を作ろう、不法侵入者のメキシコ人の多くは犯罪者だぞ」という排他的な思想と同じものを感じる。

でも、そんな田舎の人々も糊口を求めて町に行ったりすると、都市の人々達はこんな口上で追い返そうとする。
<住むには良い所なんだけどね、お前さん、ドレミ(金が)が無けりゃ、駄目だよ。さもなければ、美しき故郷のテキサスやカンザスに戻りなさい>
Do Re Mi - Woody Guthrie
ドレミが何でお金の意味かといえば、<dough:パン、現金>から派生しているようです。ここでは、肌の色ではなく金の有無が差別の理由ですね。

何かしらの理由を付けて人間は区別や差別をしたがる。社会を構成する動物には必然的な行為なのかもしれませんね。だから、人間を<ホモ・シグリゲチオニス: 差別するヒト>と呼ぶことも出来そうですね。鶏に突っつき合いの順位があるように人様にも突っつき合いの順位がある。
動物学や文化人類学的には興味深い話だろうけど、自分や家族は、どうか一番下のところに属しませんようにと祈るばかりだ。

woody

さて、トランプさんで興味深い話が有る。あの人の父親はNYCでアパートを経営していたが、たまたまそのアパートにガスリーの家族が住んでいたことがあるそうだ。そのアパートの管理人にトランプ父が「犯罪者が多いから有色人種に部屋を貸してはならぬ」と話していたことを、子供の時のアーロ・ガスリーがたまたま聞いたことをアーローが紹介していた。

ウッディ・ガスリーに憧れて、NYにあるガスリーの家を訪れて来た青年に、受け答えしたのは少年のアーローだったわけですが、その青年もこんな歌を吹き込んでいます。今ではもうこの歌は歌わないでしょうけどね。

The Lonesome Death Of Hattie Carroll
中年の黒人の給仕の女性を、詰まらない粗相をしたというかどで、杖で打ち据えて殺した白人の男性が軽い罪で許されたという事件を歌いあげています。

その昔、このブログでチャーリー・パットン様のことを三部作で書いたことが有りました。彼は当時、死亡記事が全国紙に載るほど有名だったんだけど、残された写真は一枚だけ。でも、お洒落なチャーリーさんなのであります。実はもう一枚あるんだけど、本当かどうか怪しい。
patton
さて、上の写真では、チャーリーは上から押さえるような弾き方を見せている。そんな弾き方があるんだろうか、と思っていたんだけど、あるんですねぇ。

ボツワナのロニーさんがこの弾き方を披露している。面白すぎる。それどころか、指の腹で言を押さえたりしていますな。正当な弾き方から見れば邪道かもしれないが、ブルースでもスライドギターなんて素敵な弾き方をしてるのだから、ギターの弾き方なんて好きなようにさせて欲しい。そういえば、コッティというアフリカのギタリストも<お匙を口に咥えて演奏>していたよ。

Botswana Music Guitar - Ronnie - "Happy New Year 2011">.


この演奏では、ギターが5弦ですね。弦なんて適当に張ってあればいいのか?
でも厚い音が出ていて流石だと思います。
Bosnian guitar
ところでこの人は男か女か分からないところも魅力で有ります。ついつい何度か見てしまう動画で有ります。

おまけ:
Ronnie "Ditsala tsame di Tsamaile"
ロニーさん、こんな声をしていたんか。やはり、男かもしれんて...。不思議な奴っちゃ、ね。こうして、ギターの不思議な世界は広がるのであります。

いま一生懸命、思いだそうとしているのが、僕のおばあちゃんは歌を歌ったかしら? ということ。
子守歌なんか歌ったかな。どうも思いだせない。おばあちゃんが、まだ若い頃の北島三郎の歌が好きだったことは、思い出すのだけど。食いしん坊の俺は、おばあちゃんの作ってくれた料理の味は思いだすのだな、これが。

考えてみれば、子供の時の僕は鰹節をかくのが好きで、おばあちゃんがみそ汁を作る時には、いつもお願いして削り節を削らせて貰った。でも、危ないからと刃の調整はさせてもらえなんだな。自分で少し削ってみて、「ほら、これでやってみい」なんて僕に渡したっけ。
そのせいか知らないが、僕は中学の「技術」で鉋をかけるのが上手だった。

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朝崎郁恵という名前のおばあちゃんの歌手の声を聴きながら、懐かしく祖母を思い出している僕なのだな。
朝崎郁恵 - あはがり

奄美の方言なんだろう、聴いていて少しも歌詞が分からないけれど、何だか波に優しく揺られている様な気持ちになって、ウトウトしたりする。ちょうど腕に抱かれた赤ちゃんが、お目目を開けたり閉じたりしてるようなもんです。四方を海に囲まれった日本は、海に揺られて浮かぶゆりかごみたいなもんだな、などと他愛のないことを書いたりする僕です。

北方のおばあちゃんたちも歌うのでしょうが、僕のおばあちゃんはどちらかといえば、南方系の顔立ちだったので、南の島の歌の方が耳には快かったりする。

よいすら節
「舟の舳先に白鳥がとまっています。白鳥ではありません。うなり神なのです」という歌詞ですが、何だか古事記の世界だねぇ。

santna

一度見ると、次々と聞き始めてしまう音楽がある。
サンタナのライブ。
始めにこの1969年のウッドストックのliveの動画を見てしまったのですが、それから、サンタナの動画を次々と観始めた私でありました。
<Santana - Soul Sacrifice 1969 "Woodstock">

ポンポコポンとパーカッションが始まると、もう駄目ね。サンタナの痙攣したようなソロで興奮し始めた。若い頃のサンタナは、向っ気の強そうな兄ちゃん、ボクサーなんかによく居そうなタイプだ。

このバンドを一躍有名にしたアルバム<Abraxas>は1970年に出されているので、その前年に撮られた彼らの雄姿です。ドラマーの兄ちゃん(マイケル・シュリーヴ)が若そうだと思って調べたら、20歳そこそこで、全出演者の中で一番若かったとか。もうノリノリの感じで太鼓を叩きまくっています。こんな風に太鼓を叩けたらいいだろうなあ。サンタナも若い。彼も22歳だ。もう若さがムンムンで、男の音楽だなぁ。

サンタナは何でも5歳から、<メキシコの楽団音楽マリアッチ>の音楽家だった父から音楽の手ほどきを受け始めている。こんな歳から始めれば、才能のある子は伸びる。

僕が大学の頃、大学の同好会か何かでサンバを演奏するグループがいたんだけど、聞いているうちに興奮し始めて、踊り出したわけ。すると、向こうの方にも俺と同じで踊り狂ってる奴がいて、よく見たら、仲の良い友達だった。同類項だな。どうもリズムのノリの良い曲を聴くと踊り出すのは子供時からで、盆踊りが好きだったのを思い出す。

次は、これを聞いてねよね。
Evil Ways 1969 "Woodstock"

11月12日午後4時24分。 庭の落ち葉の掃除を45分ぐらい行い、それからコーヒーを飲みに家に入る。たまにはシンプルで、安心して聞ける歌などを、考えていたら、ミシシッピ・ジョン・ハートを聞き始めている。
最近知ったんだけど、<ミシシッピ・ジョン・ハート博物館>というのがあるらしい。
サイトにはいくつか動画が載せられているので、お暇な時に見てくださいな。
この<動画>には、ジョン・ハートの孫娘メアリーさんが出て来ます。
MS John Hurt  Joe Alper

ジョンは、小学校を3年生ぐらいで中退し、それからは一生を小作人として働いていたそうだ。9歳ごろにギターを独学で引き始め、ユニークなスリーフィンガー奏法を身に着けた。何でも、母親が買い与えたギターは1ドル50セントだったとか。
ギターが上手になると、付近のピクニックなどで音楽を弾いて小銭を稼いだ。オーキィレーベルで戦前に幾つかレコードを吹き込んでいるけれど、商業的には成功しなかったとか。いわゆるブルース臭が少ないためだろうか。大恐慌の影響もありミシシッピに戻り、小作人として過ごす傍ら頼まれればギターも弾いた。時には白人たちの集まりでも弾いていたという。

1963年に白人のブルース好事家に再発見され、たちまち人気を博した。すでに70歳を過ぎていたけれど、ギターの腕前や歌声は少しも衰えていなかったとかで、ちょっと驚きだ。TVの番組にも呼ばれたりして人気もあったが、1966年に亡くなっているので、そのわずか3年間が、彼の名前を不動のものにしたわけだ。ギルドを愛用していたのもファンの間では有名かな。

高田渡やシバなどがジョン・ハートを聞いて酒を飲んでいると、必ず皆が涙ぐんだという話がある。中村とうようさんなどは、ジョン・ハートの音楽は「ブルース」でないと書いて物議をかもしたが、今考えると僕もとうようさんが正しいような気がする。ミシシッピ・ジョンには、「ソングスター」という名称の方が似つかわしいような気がする。温かみのある声で、色々なタイプの曲を弾いて見せた。僕の好きなジョセフ・スペンスもそうなんだけど、二人ともいわゆるブルースの「暗さ」や「濁り」を感じないんだね。ブルースに特有なチョーキングみたいなテクニックも出て来ない。だから、曲調が穏やかで、何となく寛いだ時間を過す時にはぴったりな歌。

僕が長年飼っていた猫(パンス)が老齢で亡くなった時には、この<Lonesome Valley>という曲を、寂しさを癒すために何回も聞き続けた。この曲を聴くと、今でもパンスとの楽しい日々を思い出して、涙が出そうになる。まあ、そんなわけもあって、ミシシッピ・ジョンのゴスペルは大好きだ。

MS John Hurt 2004 Folk Alliance International Lifetime Achievement Award Recipient
さて、ミシシッピ・ジョン爺さんは短躯だったせいかいつも帽子をかぶっていたが、動画の2:30ごろに無帽子の爺さんの姿が見られます。僕は初めて見ました。

Richland Women Blues
このギターのアレンジ、大好き。少しコピーして、人前で歌ったことが有ります。でも、本来なら女性のボーカリストの伴奏で弾きたいところですね。デートの前の女性のウキウキした気持ちをよく表現しています。以前、訳詩を載せたこともありましたっけね。

Chicken
この短い曲は初めて僕がコピーした彼の曲だと思う。ただ、当時の僕は歌詞が分からず、弾きながら歌うことは叶いませんでした。

Pay Day
給料日という歌。<俺が出来ることは何でもやったけど、何だか上手く行かない、お前と俺。お前を母親のところに連れて行こう、給料日には...>。母親の前で求婚でもするのかな。

最後に一番好きな曲を載せようと思ったが、難しい。何を聞いても素敵に聞こえしますから。
でも、これなんかいつ聞いても素敵だなと思う。彼の歌にしてはちょっと物騒な歌詞も出て来るね。<北に旅立つ前に、さあ、俺のために寝床を床に作ってくれな>という題ですね。出稼ぎに行くのかしらね。
Make Me a Pallet on the Floor

ライ・クーダーは昔からのファンだし、レコードも初期の頃のものは必ず買っていた。
だから、彼の曲を聴くのは好きなんだけど、アメリカに来てから、聴くのに居心地悪い曲が出来た。それは、<FDR in Trinidad>という歌。

ギターワークも心地よいカリプソの曲で、大学の時には何回かコピーを試みたのでした(一部しか出来なかったけど)。曲自体は素敵だと思います。

これはフランクリン・ルーズベルトがトニダードに訪問した時のことを歌っていて、歌詞自体は、アメリカとの友好関係を築きましょう、ということを素朴な感じで歌っています。 歌っているのは、<アッチラ・フン>こと、レイモンド・ケベドさん。オリジナルはこれです。
<Roosevelt in Trinidad−Attila the Hun>

歌詞を聞いていると、ルーズベルトの気さくな笑顔、コーデル・ハルの平和の努力なんて部分もある。

ただし、彼らは別の顔も持っていた。
この二人は日米の開戦を避ける努力を目的に、日本から特使として送られてきた来栖特命大史と野村駐米大使には、全く逆の態度をとった。交渉の最後に冷たく日本が呑み込めない要求を突き付けて来た。
裏話として、彼らが在米中、日本本国との通信はすべて米国に傍受されていたという話もある。
アメリカでは敵国民として、日本人だけが強制的にキャンプに送られた。それどころか、米国籍の日本人から国籍まで剥奪した。これは憲法違反であるけれど、米国政府が日系米人に正式に謝罪したのは、レーガン大統領の時だと記憶している。なんでも、ルーズベルトは、日系人たちを南米に強制移住させる計画すら考えていたとか。
ドイツが核兵器を開発するという危機感から、原爆を作り上げた米国。マンハッタン計画はルーズベルのもとで行われた。しかし、そのドイツが降伏しても彼らは、その原爆を日本に使用した。二つの異なるタイプの原爆を、日本が降伏する間も与えずに、民間人の居住地に落とした。まるで実験を行うかのように。

下の写真は、日系人排斥運動の時代に撮られた一枚。
「私はアメリカ人だ」という張り紙がどれだけ切羽詰まったものだかを考えると切なくなる。
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とにかく、そんな理由で、この歌は聞いていて、複雑な気持ちになってしまう、私なのです。

「昭和史」という本を書いた半藤一利という作家は、この様に書いている。
「大事件は氷山の一角で、下にはいくつもの小事件が隠されている。突如、事件が起こるというものではなく、時間をかけて、連鎖的にゆっくり形づくられてきたいくつもの要因が、ある時、まとまって大事件として噴出してくる。ある時点での人間の小さな決断が、歴史をとんでもないほうへ引っ張っていくこともある。その恐ろしさはそこが知れない」
あのヒットラーですらきちんと選挙で選ばれたんだよな。

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