ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

時々、様々なミュージシャンがカバーしている名曲を聴き比べたりしている。

今回の有名曲は、<Unchained Melody>。昔、<ゴースト>という売れ線の恋愛もの映画が有りました(まだ、デミ・ムーアが清楚な感じの頃の映画です)。
僕はてっきり、あの映画で流れていたライチャス・ブラザース<Righteous Brother>のがオリジナルだと思っておりました。<Righteous Brothers - Unchained Melody>

この歌は聞いていて、何だかこそばゆいんだよね。大げさ過ぎる。何回も続けて聴ける曲ではない。

しかし、この間、この歌のオリジナルは、刑務所を舞台にした映画(ほとんど知られていな)で使われた歌だ、ということを知ったのだ。
歌詞はムショ暮らしの囚人が「寂しいなあ、君に触れてみたいなぁ、でもここでは時間はとてもゆっくりと流れて行く。君はまだ僕のものかしら…」ってな感じだ。

Todd Duncan
聞いてみると、これが一番、自分の趣味に合うバージョン。バリトンの声が素晴らしいです
<Unchained Melody by Todd Duncan 1955>

このトッド・ダンカン(写真上)という人、ブルースやジャズの歌手ではなくて、アメリカのオペラ歌手。有色人種としては、初めて大きな舞台に立って歌った人だそうだ。何でも、ガーシュインのお気に入りで、オペラ<ポーギとべス>ではポーギ役でステージに立ったそうです。

上の動画を見ると、なんか刑務所の割にはこざっぱりした感じで上品ですよね。歌の歌詞も優しい。そして、刑期を終えたら、歌うのはこんな曲か?
<Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree>

責任感の強い僕は、この記事を書くために、様々なバージョンの<Unchained Melody>を、自分に課せた苦行の様に、聞いてましたが、途中で食傷気味。ライチャスBもエルビスのも、とにかく思い入れ一杯で何回も聞いていられる曲じゃない。

でも、次の二つのバージョンだけは、良いなあと思いましたよ。
<ROY HAMILTON - UNCHAINED MELODY 1955>
これも、本当に初期のバージョンですね。低音の声で落ち着いて歌われているので、安心して聞いていられます。

で、最後は、「さすがだなあ」という感じで、サム・クックのバージョン。
静かに歌われる歌は讃美歌の様で素直に感動出来ます。私生活でワイルドそうなサムさんですが、歌はこんなに落ち着いてます。だから返って情感が溢れるのよね。
<Sam Cooke - Unchained Melody>
結論として、この<Unchained Melody>という曲は、抑えた調子で静かに歌われた方が風情があるようです。うん!

今日は僕の誕生日なので、軽い話題でも、と。

ピッツバーグは、都心部の人口が30万人、周辺部を入れても120万人ぐらいの中規模の都市なんですが、戦前に鉄鋼業が盛んな頃は、かなり活気があり、ジャズも盛んでした。
ピッツバーグのジャズというと最初に思い浮かぶのが、ピアノの<Earl Hines>ですね。ハインズについて、<ピッツバーグの音楽の歴史>という題名で、紹介したことがありましたが、今回は、もう一人のピッツバーグ出身のジャズ・ピアニストを紹介します。名前はエロル・ガーナー(写真)。

garner

この人は音楽的には恵まれた環境に育ったにも拘らず、生涯、楽譜が読めなかったそうです。また、左利きでもあったそうで、独学で学んだピアノを自分の好きなように演奏していたとか。ただし、記憶力は抜群だったそうで、聞いクラッシックのピアノの演奏を聴いて、その曲を自宅でほぼ正確に再現出来たとそうです。

ある時、飛行機に乗っていて思いついたこの曲が彼の代表作でしょうか。
<Erroll Garner plays Misty>

エロルさんは、155センチ程度という小柄な人で、ピアノに添えられている椅子が低い時は、お尻の下に電話帳やクッションを置いて演奏したという逸話があります。

次の曲の題名は<Blues I Can't Forget>
日本語に訳せば、<忘れがたき憂鬱>でしょうか。なめらかでブルージィなメロディが、中年男の誕生日には相応しいような気がしますのことよ。

今週のテーマ音楽:
<Future Blues – Willie Brown>


戦後まもなく『ロボット三等兵』という漫画が発表され、人気があったそうだ。僕も子供時代にこの漫画を読んだ記憶がかすかにある。
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僕は時々、当てもないことをあれこれと考ええしまうことがある。これもそうだ。
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あと十年もすれば、町の通りに人間型ロボットが多く歩いているに違いない。その中には「ティッシュいかがですか?」なんて、微笑みながら手渡す乙女ロボもいて、目が悪い老人の私は相手が人間だと思って、最近の若者には珍しく丁寧な言葉を使う人だなと感心しながら、「ああ、ありがとう」などと受け取るのか。それもよかろう。
断言する。
将来、自分の糞ったれた子や孫ではなく、自分を誠心誠意に(とプログラムされた)介護ロボットを遺産の相続人にする人が出る。そうなると、そのロボットの後見人になりたがる、つまりロボットのお世話をする人間様が出てくることも考えられる。その時点でロボットも「三等兵」から将校レベルと昇格するのである。
学習によってロボットたちが人間に近い考え方をするようになると、ロボットも自分たちの廃油捨て場(人間のトイレにあたります)を主張するかもしれない。しかも、男型、女型、両性具有型、型転換したロボットが、それぞれのトイレを欲しがると、建物の4分の1ぐらいがトイレに占められることになるかも。もちろん、トイレの掃除は<お掃除ロボちゃん>だ。場末の横丁などでは、廃棄され行き場の無いロボ達が路地に垂れ流した腐った廃油の匂いがすることでしょう。

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映画「マイ・フェア・レイディ」のもととになったギリシャのピグマリオン<Pygmalion(写真上)>は、若者が彫刻の女性に恋に落ちる話だが、将来は裕福層の男も女もロボットの恋人を作るだろうか。自分の理想とする容姿を持ち、好きな性格をプログラミング出来るのだから、人間の恋人よりも魅力的であろう。そのプログラミングをその神話にちなんで<キューピッド>と名付けよう。 

その結果、裕福層に属する人間達は人類同士で子孫を残さなくなる。子もロボットであるということも考えられる。好きなモデルを指定出来、髪や肌の色などもカタログから選べる。この子供はいつまでも親に親切で、老後の世話も嫌がらずにやってくれよう。そして、あなたを看取る時には大粒の生理食塩水を頬に流すのだ。その代償として人は自分の生物学的な特徴を持つ子孫を残さなくなる。その時、人間は「自分の子孫を残す」意味をもう一度、考え直すことになるのだ。

裕福層に属さない人々は相変わらず、人同士が<生殖>により、時々は親に悪態をつく面倒な子を産み育てて行くが、そのうち<旧態依然で格好が悪い>と人同士の<生殖>も廃れて行く。そして、人類の数は徐々にロボットの数に置き換わられて行くのだ。生物としての人間はかなり珍しい存在になり、そのうちロボットによって<絶滅危機品種>として指定される。どうやって繁殖させようか悩むロボ達…。

だが、人よ、心配することはない。学習によって、人類以上の思考と感情を持ったロボット達が、「生きる意味」を僕ら以上に考え続けてくれるだろう。

宇宙の銀河に「ロボ生、不可解」と嘆いて、飛び込んでしまうロボットも出るであろうし、ワープブランコに寂しそうに座って、「カチューシャの唄」を口ずさむロボも居るでしょう。とにかく、ロボットは彼らなりに「生きること(存在すること)」を考えることを継続してくれます。でも、怒り、妬みや嫉み、品種差別など負の遺産も人から学んで引き継ぐのでしょうか?

ここまで書いて思う。
宇宙人(👽)の顔が何となく生物的ではないのは、実はすでに「人」が死に絶えた星から来たロボット達だからかも。

その昔、感心した言葉がある。
あれは、事務所の引っ越し作業で要るものと要らないものを分けていた時だ。
もたもたと箱の中身を調べ、これどうしようかとか、これ懐かしいなとか、これ何ですかなんて話し声が聞こえて来たその時だ、事務所の先輩の指示がとんだ。
「5年間開けていない箱はそのまま捨てろ。(中身を)見ると捨てられなくなるぞ!」。

その時は、まあそんなもんだな、ぐらいに感じたのだけど、その後「「何かを捨てなければ鳴らない時」に、常にこの言葉を思い出し、その真実に感心するのだ。しかし、開けたくなるんだよね、逆に...。
多分、人と決別する決心をした時もあまり思い出の玉手箱の中身を開けない方が、たやすいのでしょう。開けてしまえば、決心が鈍る。

さて、実は引っ越しを考えています。
その準備として、家に20年以上の間、積もり積もったモノを処分しなければならないのだけど、捨てようとする古い箱を、ついつい開けて中身を見てしまうと、つまらないものでも子供に関連したものなどが入っていたりすると、しばらく思い出に浸り込んでしまい、捨てがたくなる。困ったもんだ。

面倒くさいから全部集めてガソリン振りかけて燃やしてしまおうかとも思ったりするが、消防車が来たりするとこれは困る。近所で古くなった物置小屋を壊すのが面倒だからと、火をつけて燃やした人が居たが、警察に放火で逮捕されてしまった。

お掃除のブルースといえば、これ。え、<お掃除おばちゃん>はって? 
いや、今回はSleepy John Estesのこの歌ですたい。
<Clean up at home>


スリーピーには、台所のネズミの話やお掃除の話など、意外と所帯じみた話題のブルースもあります。掃除をしている時に聞く音楽は、やはり溌溂とした音楽ですね。仕事がはかどります。

しかし、箱を開けるな、と言われると中身を見たくなるのはなぜでしょう。ギリシャ神話のパンドラの箱は、本当に人間の心理をついています。
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俺も箱に入りますので、そしたら、かわいい女性に「開けてはいけないよ」と言伝して下せい。
びっくり箱かって? へへへ。

2年ほど前に同じ題で記事<Am-G-F-E>を書いていますが、今回はその続編ということで。

僕の場合は、このデル・シャノンの曲で覚えたコード進行なので、最初にこの曲が、出るのはしゃーないのん。まあ、基本形ですね。
<Del Shannon – Runaway>
しかし、感心するのはこの歌(原題: Run away <家出>)に<悲しき街角>と邦題を付けたことだろう。歌詞をいくら聞いても街角を連想させる言葉は出て来ない。それに何で、街角が悲しいのだろう? 昔の日本人は街角に佇んですねたりしていたのだろうか? ちょっと、謎なネーミングです。

前回の記事では、洋物を並べたわけで、ボブ・ディランやニール・ヤングの曲なども紹介したわけですが、今回は少し和物を…。

まずは、泉谷しげるの<春夏秋冬>も、このコード進行で始まりますね。
この歌は、歌詞が非常に印象的です。さびの部分の<今日ですべてが終わるさ、今日ですべが変わる…>という下り、やけっぱちな祈りみたいです。

<情熱の砂漠>

歌の歌詞はかなり意味深です。
<愛されたその後で、私は死にたいわ。けだるい命のこのままで〜>
かなり激しい情事だったのねぇ。この曲が発表された当時、少年の僕が、この歌詞の意味を正しく理解していたとは思えません。
最後に付け加えときます。ザ・ピーナッツは永遠です!

さて、この曲は、中国人歌手のカバーがとても多いです。例えば私の大好きな歐陽菲菲のカバーなどで、どうでしょうか?

<歐陽菲菲 - 熱情的沙漠>
読んでいてなんとなくわかるのが中国語。<我的熱情好像一把火、燃焼了整個砂漠>
わかるね?
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そして、彼女の大ヒットもこのコード進行系ですね。
作曲はベンチャーズ。中学時代の僕は、歐陽菲菲がかっこよくて好きでした。テレビの前で「オ〜ヤン、フイフイ!」と叫んだ僕でした。

<雨の御堂筋>
解説のアナウンサーの声が懐かしいですね。そうかあ、ほとんど日本語が出来なかったのか、日本に来た時は。でも、あの外国訛りが妙にこの歌にあいました。
歌詞の中の南は、御堂筋沿いのミナミだと知ったのは、かなり後になってからです。これはいわゆる「ご当地ソング」だったわけですね。とにかく、いい歌です。

この間、南ヨーロッパのユダヤ人の民謡を聞いていたら、聞き覚えのあるメロディが聞こえてきました。

<KlezRoym - Fel Shara>
このイタリアのカレズマのグループが奏でる哀愁のあるメロディは、あの江利チエミさんの歌なんだけど、「ウスクダラ〜」って始まりではないですね。この曲は主にスペインやイタリアに住む(住んでいた)ユダヤ人の言葉、ラディーノ語で歌われています。

ちょっと調べてみると、この歌は違う言葉で歌われていて、例えば、このグループはこの曲を、ラディーノ語、トルコ語、マケドニア語で歌ってます。
<Baklava - El amor kon un estranyo>

バクラバという名前は、中近東のお菓子の名前です(写真)。細かく砕いたクルミやピスタチオをパイ生地で挟んだもので、ハチミツで甘みを出しています。一口目はあま〜く感じますが、食べ始めると止まらない!くちのデザートです。
baklava

いろいろな人が国境を越えて音楽を持ち込むわけですが、ひょっとしてその人々は敵対関係にある人々だったかもしれません。しかし、例えばロシアの民謡がシベリアに抑留された日本人捕虜の心を慰めたように、音楽は宗教や政治的な違いや対立を超えて広がるものではないかと思ったりします。

僕は子供の時に江利チエミさんの<ウスクダラ>のエキゾチックな雰囲気がとても好きだったんですが、昔、<ウスクダラ>という題名で、記事を書いていたことを思い出しました。

ウスクダラはユスキュダル(トルコ語: Uskudar)のことで、イスタンブールに隣接する港街だそうです。いつかは行きますよ!
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前回の記事では、女性の(太ももの)おかげで神通力を失った仙人の話を書きましたが、今回はその続きかな。
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さて、「悪い悪い女」という題の歌があります。音楽的にはザイダコなんですが、メロディ自体はどこかで聞いたことがありますよね。
Bad Bad Woman - Beau Jocque

<悪い女のおかげで、家庭を失った〜>そうですな。確かに動画に出てくる女性たちを見ると、この俺も神通力を失いそうです。不思議なことに、神通力は失っても孫悟空の如意棒だけは健在ですかな?

さて、この歌はエイモス・ミルボンのこの歌が下敷きですね。こちらは、「悪い悪いウィスキー」ですね。
Bad Bad Whiskey‐Amos Milburn
<朝、お家を出る時には、今日は飲まないぞ~って決心したのに、駄目じゃないか〜、悪い悪いウィスキーの奴め>てな感じで、この歌は、多くの男性諸氏の共感を得たことでしょう。

同じく、彼の歌でこんな題名の歌もあります。<Vicious Vicious Vodka
お次は、「性悪、性悪、ウォッカ」とうわけです。実は、どんな酒の名前でもいいのでしょう。
とにかく、エイモス・ミルボンさんには、多くの酒飲み歌が残されてますね。

ところで、<Bad Bad>というフレーズを聞きますと、僕はこの歌も思い出しますのことよ。
Bad Bad Leroy Brown‐Jim Croce
この曲はヒット曲で、一頃、FENからよく流れて来ましたね。

皆様は久米仙人のお話をご存じで有りますか?

奈良時代ごろ、修行のおかげで神通力を得て、空を飛んでいたところ、川辺で洗濯する若い女性の太ももを見てしまい、神通力を失い、空から落ちて来た仙人の話です。
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堅苦しい見方では、「どの様に修業を積んだ人でも、油断をすると過ちを犯すのだ、修行に一層励め」ということらしいです。そういえば、高野山なども昔は女性が入ることを禁じていました。修行者にとって、女性の太ももチラリほど怖いものは無いというわけです!

でも、僕はこの話がとても好きです。
女性の太ももを見て、ムラムラっと来るなんて人間らしくていいじゃないですか。ちょっと、絵をご覧ください。川で洗濯してた女性の驚く表情も良いし、面目丸つぶれ!みたいな顔の久米仙人も楽しい。

それに、この仙人、しばらく仙界から下界に降りて、人としての暮らしを楽しみたかったとも考えられます。それが証拠に、彼はその女性と一緒に住み子供まで作ったそうですから。その後、大事があった時にもう一度修行を行い再び神通力を得たそうですが。

ブルースでも女性にたぶらかされたという歌詞は非常に多い、というか、それがブルースマンをブルースマン足らしめている感情なんでしょう。本当は自堕落な自分を責めるべきなんでしょうが、ついつい相手に責任を転嫁して相手の女性が悪いことにします。転がる嫁は後家にならない...何のこっちゃ?

ブルース界の色男マッコイ兄さんも<悪魔の女>という題でこんな歌を歌っております。

<Kansas Joe McCoy - Evil Devil Woman Blues>

始めに出て来る写真で隣に立ってる美しき悪魔は、メンフィス・ミニーという名前でございます。これじゃあ、たぶらかされてもしょうがないか。ミニーは13歳の時に家出し、街角などでブルースを演奏し始めたと言いますから、女性だてらに筋金入り、一筋縄じゃ行かないわけです。

メロディ的にはロバジョンのこんな曲を思い出させますね。ロバジョンに取りついた地獄の犬もメスなんでしょうか。
<Hellhound On My Trail>

16世紀後半から17世紀初頭まで活躍したカラヴァッジョというイタリアの絵描きは、絵も有名でしすが、乱暴者で手が負えなかったらしいです。とにかく、酒癖が悪い。なんでも、喧嘩になった時のためにいつも剣を携えていたそうな。絵を描いている時はひたすらアトリエに閉じ籠り、絵を描いていない時には酒場で騒動を起こしているという困った輩だったとか。人を殺めてローマから追放され、38歳で波乱万丈な人生を閉じたわけです。

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カラヴァッジョという名前を聞いて、僕がすぐに頭に浮かべるのは<ホロフェルネスの首を斬るユディト>という絵(下)。旧約聖書の中の話で、大雑把に言えば、ある街に居た美しい寡婦ユディトが、町を征服しに来た敵の陣営に入り込み寝ていた大将の寝首を掻いて、町を救ったという話です。
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色々な画家がこの話を題材に絵を描いていますが、以前の画家の作品とカラヴァッジョの絵の決定的な違いはその描写力と迫真性にあると思います。

この絵の美しく若い寡婦の顔のアップを見てみると、まだうら若き女性のしかめっ面。「いや〜、血が飛び散ってる」てな言葉が聞こえてくる。しかし、眉根を寄せたその顔はそれでも美しいです。隣で彼女に指揮を執っているのであろう老婆も「ほれ、もう一息で首が取れますぞ! がんばりなされ」てなことを言ってそうだ。誰が今までにしかめっ面のユディトを描くことを着想しただろうか。

そして、哀れな敵の断末魔の表情も恐ろしい(多分、情事の後で油断していたであろう)。「つい小一時間前までは、俺の耳元に甘い言葉を囁いていたのによ〜」とか...。彼も交尾の後でカマキリのメスにもりもりと食われるオスと同じような運命にあったのでした。

最近、このカラバッジオの真作であろうと思われる絵が、ある古い家の屋根裏部屋から発見されたという記事を読んだのですが、これも同じく<ホロフェルネスの首を斬るユディト>を題材にしたものです(写真下)。
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再発見された絵の方では、ユディトがこちらを見据えております。「見たな〜」じゃないけれど、見得を切ってるような風で、一度覚悟を決めた女性のしたたかさとでも言いましょうか凄みが有ります。カラヴァッジョは絵のモデルに高級娼婦などを用いたことが多いそうですから、この絵のモデルもそんな女性なのかもしれません。そして、指揮を執るのはその傍で助言を与えているお婆。首が何だかすごいですね。絵に存在する臨場感はやはりカラヴァッジョのものなんでしょう。

カラヴァッジョの描写力はさすがに素晴らしくて、下の絵などは20歳を少し過ぎた頃の若い時の作品ですが非凡なものを感じます。瑞々しい果物と一緒に虫食いのリンゴや病葉を描くあたり、実写的な描写を得意とする彼らしいです。
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「哲は、あほだらきょうなぁ、もう」。
子供の時分、お祖母ちゃんの前で冗談を言ったり、ふざけたりした時、たまにお祖母ちゃんは、笑いながらこんな奇妙なことを口にしました。意味などは分かりませんでしたが、「あほう」という言葉だけは知っていたので、「哲は、ばかだねぇ」ぐらいの意味だろうと思っていました。
人に笑われるのは好きではないけれど、笑わせるのは好きです。考えてみれば、幼いころから僕はひょうきんな子供でした。

さて、この間、ひょんなきっかけから「阿保だら経」という歌い芸が、実際に明治から昭和まで存在したことを知りました。一口で言えば、早口で駄洒落や冗談を連発する歌い芸で、いわば和製ラップミュージックみたいなもんです。

例えば、<東京と隠居を間違えて、戦とモグサと間違えて、ラッパと反っ歯と間違えて、按摩とサンマと間違えて...>と、延々と節に合わせて他愛もないことを歌い継ぐわけです。大道芸として披露され、踊りを付けたり、見物人に飴などを売ったとか。

当時の第一人者は<豊年斎梅坊主>という芸人で、昭和2年に亡くなってますので、活躍したのは明治の終わり頃から大正時代でしょうか。演じた場所は上野や浅草あたりだとか。また、<かっぽれ>という滑稽な踊りの名手でもあったそうです。

僕のお祖母ちゃんは、どこでこの阿保だら経を聞いたんでしょうか。若い時分に東京に住んでいたという話は聞いたことがではないので、やはりレコードか何かで聞いたんだろうか。
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上の写真は梅坊主ですが、この写真を初めて見た時は少し驚きました。構えに隙が無いのです。下手に殴り掛かったら、やられますね。彼が武道をやっていたという逸話は発見していないので、偶然、こんな様子に写っただけかもしれませんが。

それでは、梅坊主の曲の紹介です。

<阿呆陀羅経三題>

最初の虫尽くしは、色々な虫の名前が出て来ますが、何だか「鳥獣戯画」的な面白さが有ります。90年ぐらい前の録音でしょうか。傷のせいもあると思うけれど、歌詞はしばらく聞かないとよく分からなかったりする。言葉は生き物で絶えず変わっているもんなんですね。

<出鱈目>
大学時代にこの歌をレコードで聞いたことがある。中村とうよう氏が監修したレコードで、世界の大衆音楽を集めたオムニバス盤。日本からはこの『出鱈目』が選ばれていました。

お祖母ちゃんが亡くなって、ずいぶん経ちますが、たまにはこんな古色の歌を聴きながら、故人を偲ぶのも良いでせう。

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