ブルブル ブルース (Blues)

荻哲の音楽日記−Blues、世界の音楽、よもやま話など

今回のイメージソング:
Shinda Gikombe_Njane Kanini


最近、アフリカ美術の展覧会を続けてみる機会があった。
しかし、アフリカは大きな大陸なので、一括りに「アフリカ」としてしまうのも、乱暴な話だ。今回、ここに載せているのはアフリカの中央西側、ナイジェリア付近からの作品。
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これらの絵は民話を下敷きにしてると思うんだけど、残念ながらそのその話は分からない。それで、自分で勝手な話を想像しながら眺めていた。

アフリカの芸術は、ピカソ、マチス、そして最近見たエッシャーなどなど、西洋の芸術家に多くのインスピレーションを与えていたといわれている。彼らの芸術を「ピリミティブ」と評する人も居るかもしれないが、決して「ピリミティブ」などではなく、西洋の美術などの「写実」とう考え方とは違う所から発想が出ているような気がする。しいていえば、「(自由な発想で」とにかく描ってみる、作ってみる」という姿勢だろうか。これらの絵を見ながら、小学校で受けた図画の授業を思い出したりもした。上手な絵とは形が上手に描かれ、色の塗り方が丁寧な絵だった。「何でもよいから、とにかく描いてみろ」という先生はいなかったなぁ。

写真が発明された時に、「絵画はこれから廃れて行く」と嘆いた画家が居たそうだが、アフリカの芸術家たちは全く気にしなかっただろう。彼らの色の使い方は、時に強烈だったりするけれど、最近のデジタル処理された色彩過剰とは違う。心地よいアクセントがある。
とにかく、眺めていて楽しい、というのが感想なのである。
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ハロウィーンの頃、お菓子をもらいに来る子供達にこの歌を演奏しようかと考えて、練習したのでした(実際は演じる機会はなかったけど)。
そういえば、クラプトンもパンデミックの時に、この歌を演奏してたな。
一応、載せておきませう。演奏の始まりの「ピーターに捧げます」と一言。
Eric Clapton - Black Magic Woman

サンタナで有名な曲ですが、この歌には3人のギタリストが関与しているのだとか。
一人目は、もちろん、ピーター・グリーン。
フリートウッドマック時代にこの曲を作ったギタリスト。これはライブでの演奏。
Fleetwood Mac - Black Magic Woman (Live)
始めて聞いた時には、古臭い感じで「サンタナの方がカッコいいや」と思ったが、改めて彼のオリジナルを聞いてみると、この古臭さっぽさが何だか心地良かったりする。白黒の画面も曲調に有ってる。ただし、歌詞はませた高校生が書いた程度なんだけど、これもご愛敬か。

そして、お次は、ブルース畑からオーティスさんの登場です。
Otis Rush – All Your Love
なるほど、<Black Magic Woman>に似たところがあるけど、ロールする独特のリズムが堪らん。トレモロを聞かせたソロも御ドロドロと響きます。上のピーターさんもこの曲を意識して<Black Magic Woman>を作ったようですな。この録音ではアイク・タナーもギターで参加しております。

そして、さて、最後はこのギタリスト。
Gabor Szabo - Gypsy Queen

サンタナは、Black Magic WomanとGypsy Queenをカップリングしておりますが、それがすごくラテン的で、中坊の頃の僕も、自分の部屋で人目を避けながら踊ってしまいました。
このザボの演奏も、シャウトが聞けたりしてワイルドだね、ガボール。
でも、ガボール・ザボさんはラテン系ではなく、ハンガリーはブタペストの出身。それでは、ジプシーの血が入ってるのか? 
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1956年、二十歳の時にハンガリーで内乱が起こり、アメリカに移り住ん出来たという経歴。とはいえ、その後もハンガリーには演奏旅行にちょくちょく行っていたようで、最後はハンガリーで客死しております。
まるで産卵しに生まれた川に戻る鮭の様なお方です。

もう少し彼の曲を聞いてみたい方はこちらをどうぞ。
Gabor Szabo – Spellbinder 1966

音楽の細野晴臣の祖父が、タイタニック号に乗っており、九死に一生を得たという話がある。タイタニック号の沈没は1912年のことだから、もう110年も前の話で、もちろん、僕は生まれていません。というか、僕の母すらも生まれていない昔のこと。
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人間の知恵の粋を尽くして作られた当時世界最大の豪華客船も、神の御業の下では、なすすべもなく冷たい海の底に沈んだ。このタイタニック沈没のニュースは多くの人々に驚きをもたらした。
下のゴスペルはそのタイタニック号の事故を歌ったものだ。リードを取るのは、ベッシー・ジョーンズ。
Bessie Jones - The Titanic

このゴスペルでは、「神の御業」というのがテーマだろう。確かに大きな事故や災害に遭った時には、人間は、はかない存在となる。ただただ、神の仕業に恐れおののき、祈るしかないようだ。そして、そんな時に限ってアメイジング・グレースの歌の様に、自分の過ちを悔いるのだ。

上のゴスペル歌を1929年に初めて吹き込んだのは、この盲目の歌い手だ。
Blind Willie Johnson - God Moves on The Water
せわしなく動くスライドが臨場感を煽る、「ただ事ではないぞよ」と。
この歌はゴスペルであるが、当時、字が読めない人も居た中で、ニュース的な役割も果たしたのでしょうか。悲劇は歌によって伝えられたのだ。
例えば、ジョン・リーさんの<Tupelo>なども災害を歌ったものでした。
この<God Moves on The Water>は、ブラインド・ウィリーが作者かというと、異説もあるようで、今ではすでに失われている古いゴスペル曲から採られたのだという説もある。

さて、最後は、マンス・リプスカムのカバーでも載せて終わりましょう。
Mance Lipscomb - God Moves On The Water
この動画はちょっと興味深い。スライドに小型のナイフらしきものを使ってる。ブラインド・ウィリーもナイフをスライドバーとして使っていたという話もあるので、ブラインド・ウィリーもこんな風に弾いていたのかもしれませんね。

テープレコーダーの時代の思い出。
今は昔。
車を運転しながらカセットテープを聞いていたら、突然、音が早回しになったので、焦った僕。車を停めて、絡まったテープを弾き出したが、悲しいかな、あわれれテープはプレーヤーの餌食となってしまった。
あのテープはスミソニアンから出ていた民族音楽集で、お気に入りのアンディス付近の古謡を集めたものだったのに…。

まあ、スミソニアンだからその内、新しくCDが出るだろうと思ってたのだが、そのテープは在庫切れになったまま。そして、いつの間にか、インターネットで探しても出て来なくなった。つまり、お蔵に入ってしまったのだろうが、一曲だけどうしてももう一度、探し出して聞きたい曲があった。

しかし、あの曲はどこにもない。大体、題名もアーティストも覚えてないんだからしょうがない。ペルーの古謡といっても、「コンドルは飛んでゆく」といった有名な曲とはちょっと違った曲なんだよ…。「ペルーのお祭りで、小さな村からやって来た老人が独特のチューニングでこの曲を奏でた」という簡単な曲の紹介を覚えているだけ。

と、ある日、こんな動画を偶然に見かけた。
探している曲ではないのだけど、リズムの間の取り方や曲調が非常に似ている。
Nazca, Peru Guitar Player 2

Mazcaは、ナスカの地上絵で有名な土地。その土地の音楽らしい。歌詞は分からないけど、僕が探している歌と同じ情念を持っている。この老人はペルーの小さな町の弁護士らしいが、13年前の録音だから、今はもう聞くことが出来ないかもしれない。

次も彼のギター演奏。
The Nazca, Peru Guitar Player 1
下の英語の解説では、古いインカの曲だとか。溜息が出る。この爺さんの顔が素敵だ。

この調べは現代にも生きているようで、ナスカから少し内陸部に入ったアヤクーチョという町にも、こんな音楽がある。
洗練されてはいるが、ギター演奏がやはり特徴的だ。パオラ・ロペズ・アロニという女性ギタリストが美しい演奏を聞かせてくれる。
PUTKA MAYU - Paulino Lopez y Paola Lopez Aroni
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さて、最後はこの歌。探している曲とメロディが似ているので、最後に紹介します。
僕の探していた歌はギター一本と歌だけだったけど、これはヴァイオリンやアコーディオン、チャランゴなども加わって賑やかであります。よく見ると日本人に似た人も多いね。
歌ってチャランゴ弾いているオッサンの顔は俳優の西村晃の様な…。このハイメ・グアルディアさんは、アヤクーチョを代表するチャランゴの演奏者だった。
JAIME GUARDIA- MADRECITA
歌の一つの役割に、「人々の心を一つにする」という役割がある。動画を観ながら、歌の持つ力を感じております。

始めて、アメリカに移り住んで驚いたことは、多くの人が離婚を経験していることだった(まあ、今では日本でも珍しいことではないだろうけれどね)。
面白いと思ったのは、実質的には結婚生活は終わってるのだけど、慰謝料諸々が高いので一緒に住んでいるというカップルもいたりする。しかも、お互い恋人が居たりするのだから、まあ同居人という感じだな。
アメリカは弁護士がやたらと多い。当然、ピンからキリ。色々なことで訴訟が起こされるが、最後には弁護士が儲かる仕組みだ。離婚関連の弁護士も多いよ〜。

この歌は、ライクーダーのデビューアルバムのA面の最初だった。
裁判官の前で、「もう少し扶養料が安くならないですか?」と懇願する男の嘆きだ。ちょっと、聞いてみましょう。
Ry Cooder – Alimony


「子供は14人いるけど、俺と似ているのは二人だけなんです」と離婚は妻の浮気だったと仄めかしている。「友達の多くが証言するって言っているけど、誰がしてくれるのかな」とか。しかし、考えてみるとここら辺は意味深なことを云っているんじゃないかな。
「扶養費の支払いでもうスッテンテンなんです、もう少し額を下げて下さい」とか、言ってますが、弁護士も雇えず、負け戦なんだろうな。

調べてみたら、このアルバムでバックコーラスを務めますのは、マーク・ボランの内縁の妻だったグロリア・ジョーンズ。しかし、自分の最初のアルバムの最初にこの曲を置くところ、やはりライ君は変り者か。

これが元歌。
可笑しくも世知がない歌で、面白く聞いた後はほろ苦い。
Tommy Tucker – Alimony
ライのカバーには無かったけど、最後に「4年間? 何が?」なんて聞いてますね。裁判官は彼に何と言い渡したのでしょうか?

もちろん、嘆き悲しむのは白人も同じ。カントリーの曲でも同名の歌が。
Alimony−Bobby Bare
「手がボロボロになるまで働いて、稼いだ金は離婚の支払い」、「俺が稼いだ金も、誰かさんが使っちまうんだ」、「週末は給料日、貰った金を封筒に入れて送金…もうブルースだねぇ」、「ステーキ食べたい、でも安肉で我慢…ああ、(別れたのは)失敗だった」
頭に血が上る前ってカッカする前に、落ち着きましょうね、既婚の男性諸君。
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ところで、ライさんはまだ奥さんのスーザンと一緒なんでしょうかね。

だんだん寒くなって来てます。
夏はあれほど暑かったのに、今では長袖を着ております。夏の暑さを貯めて置いて、冬に放出出来るような装置は無いものでしょうか。
まあ、こんな時は、暖かい国の音楽をかけて心だけでも暖を取りましょう。

Mwanangu - Lala Frank and His Sisters

1950年代のタンザニアの音楽です。スワヒリ語で歌われる子守歌で、日本語に直すと「おやすみ、わが子よ」となるようです。ホンワカとしたコーラスが心地よく、聞いているうちに瞼が重くなって来ます。スワヒリ語ってなんとなく、日本語的な響きが有るような気がする。
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さて、このバンドはギタリストのフランク・ハンプリックと、彼の妹(姉?)二人で、1950年代に結成されたグループで、東アフリカでは人気が有ったグループだそうです。
Frank and Sisters – Nimechakaa

聞いていて何となく思い出されるのが、ジョセフ・スペンスが妻や近所の人たちと吹き込んだ、ゴスペル曲です。フランクさんのギターもなかなか聞かせますし、澄んでいる場所は違いますが、やはり暖かい国ののどかな雰囲気があります。
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何だか、タイガーウッズに似ているような…。

では、最後は、この曲で。
Shida Zako Nilitimiza
Shidaというのは「悩み」という意味で、「お兄さん、一体どうしたの?」という妹の問いかけから始まります。そして、彼は恋の悩みを語り始めます。
さて、スペンスもレンガ工などの仕事をしながらギターを弾いていましたが、このフランクさんも本業は農家で、トラクターを運転しながら、歌を考えたという話です。

オマケ:もう少し聞いてみた方にはこのサイトをご覧くだされ。
Frank and His Sisters

ケイトお姉ちゃんの様に上手にダンスが出来たなら、いいのに。お尻を皿の上のジェリーの様に揺らしながら…。
Sister Kate – The Ditty Bops
この歌の皿に置いたジェリーの様に尻が揺れるというイメージは素敵です。
居ますよね、たまに、腰を揺らしながら歩く女性。
町の男達にもてる姉の様に私も…という妹の心情を歌い込んでありますが、ああ、お嬢さん、それほど気にしなくても、あなたもお姉さんの年頃になれば!もてますよ。 それに、男の好みだって様々じゃあ。しばらくの辛抱じゃよ。妹の姉への羨望を歌い込んだ可愛らしい歌だ。
このThe Ditty Bopsは、女性二人のグループで、二人は婚姻関係にあるらしい。昔のフォークやジャズなどをジャンルにしていたんだけど、最近は余り音沙汰を聞かないなぁ。

この歌は結構カバー曲が多いのですが、元歌は1922年にまで遡るようですね。多分これ辺りが一番古いか。
I Wish I Could Shimmy Like My Sister Kate, 1922
演奏は、オリジナル・メンフィス・ファイブです。歌は入っておらず、曲だけ。

まあ、この歌を聞いていたら、ここに副産物が…。
Sister Kate - Judith Durham
これは、1973年の録音ですが、ジェリーならぬこのジュリー(ジュディス)・ダーラムって名前に、聞き覚えがあるぞ。
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そう、最近亡くなったオーストラリア出身のバンド、シーカーズのボーカリスト。彼女はてっきりフォーク系の歌手かと…。

次に、見つけたのがこの歌。昔、友人が持っていた古いニューオリンズジャズのレコードに入ってた楽し気な曲。このケーキ歩きの女の子の歌も彼女が取り上げてます。
Cake Walkin' Babies From Home−Judith Durham

ケーキの様に歩くとはどんな歩き方かな? まあ、甘い感じの歩き方なんだろうけど。歩くケーキちゃん、ちょっと頬でも舐めさせておくれ。
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これは、僕が昔から知ってるヴァージョン。
Cake Walking Babies (From Home)
ああ、何でこの時代のジャズってスムースに聞けるんだろう。演奏者にはルイ・アームストロング、シドニー・ベシェ。歌はクレジットがされていないけど、アルバータ・ハンターらしい。

さて、ジュリー・はもともとピアニストを目指していたようで、十代の頃からジャズバンドにも参加していたらしい。これでは彼女がピアノを披露している。
Judith Durham - Banana Rag - Maple Leaf Rag


お菓子の歌が多いところから、ジュリーさん、多分、甘いものがお好きだったのかしらね。ジェリービーンズのブルースなんてのも歌ってます。
Jelly Bean Blues

歌詞は、<私のあの人が今朝、姿をくらました…私は悲嘆にくれるばかり…私のジェリービーンズはどこに行ってしまったの?>という具合で、甘い歌詞ではありませんでした。

日本ではこんな歌が有ったのを思い出した。
お菓子と娘―萩野綾子
母が時々、お菓子を食べながら口ずさんでたな、<お菓子の好きなパリ娘…角の菓子屋にボンジュール〜>と…か。

一枚の写真。
Tampa Red
寂しそうな顔でビールと煙草を持つ小柄な老人。マリア様が彼を静かに見下ろしている。タンパの最晩年に撮られた写真だろう。

彼は戦前から1950年代前半までシカゴで活躍したミュージシャンだったが、1953年に愛妻を失ってから彼は酒量が増え、逆に仕事は減っていった。
晩年は彼は極貧だったそうな。
金に困り始めた彼は商売道具のギターを手放していったが、最後までギブソンのES330は手元に残していた。ある話では時にはドッグフードを食べていたということだ。売れっ子だった頃は、パーティで瀟洒な服を着て演奏し、高価なシャンペンなどを開けていた男がである。

彼の最後の録音は1961年か62年。サン・ハウスやスキップ・ジェームスなど共にブルースのリバイバルブームの中で、彼も再発見された形となった。
Tampa Red - I'm A Stranger Here

<俺はここではよそ者、風に吹かれてこの街に流れて来た、この街の皆が俺を犬の様に追い払う、俺の女は俺がこんな処に居るのを知ってるのかな、でも俺のことなんかもう気にもかけまいよ、街の角に立って寂しくブルースを口ずさむこの俺>
彼が56歳頃の録音。愛妻に先立たれてアルコール依存になってしまっていたタンパ。声は失われていないが、時々ギターの音が詰まる。タンパレッドは彼の境遇を歌ってるのだろうか。

彼の晩年を考えると、いかにも寂しい。
晩年を過ごした養老施設に彼を訪ねて来る人も少なかった。体は頑丈だったのかアルコール依存や貧困生活の中でも78歳まで生き延びたが、彼にとって最後の20年は付け足しの人生の様にも見える。

地方紙に載せられた彼の訃報は「一度は有名だったブルースマンが人知れずにこの世を去った」と伝えている(タンパ・レッドの死亡記事)。

最後は「ギターの魔術師」と形容された彼の全盛時の曲を聴きながらタンパ・レッドを偲びましょう。
Let's Get Drunk & Truck
ピアノにはBlack Bob、クラリネットには Arnett Nelsonなどが加わっております。1936年頃の録音ですが、落ち着いたタンパの声が聴けます。彼は歌も巧みでありました。

Big Maceo & Tampa Red (Winter Time Blues)
タンパ・レッドはビッグ・マシオというピアニストとコンビを組んでいた一時期が有りました。素晴らしい演奏です。

ヘミングウェイは頭を剃っていた一時期がある。
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というのは、嘘でこれはシェル・シルヴァスタインという人である。
イラストレーター、作家、ソングライターと様々な肩書がある人で、歌も生業の一つだった。
Boy Named Sue
聞いたことある方も居るだろう。
この歌は1969年にジョニー・キャッシュにカバーされて、グラミー賞にもノミネートされている。こちらが、ジョニーさんのバージョン。
Johnny Cash - A Boy Named Sue (at San Quentin, 1969)

動画はジョニーのサン・クエンティ刑務所でのライブ。コミカルな歌詞なので、いかつい顔の囚人たちの顔もいつしかほころぶのでした…。
歌詞は父親にスー(スーザン)と云名付けられた男の物語。なおんの名前を付けられたために、いじめにもあって散々な目に遭ったスー君、それでも逞しく育つのだが、気が荒く喧嘩っぱやい。ある時、酒場で憎っくき父親と出会い取っ組み合いの喧嘩を始める。喧嘩の最後に彼は父親に聞くんだな、「どうして俺にスーなんて女の名前をつけたのか?」と。すると親父はこう答えたのだ。「どっちみち俺は家庭を捨てるのが分かってたんだよ。父親が居ないお前にたくましく育って欲しいから、わざとそんな名前をつけたんだ」。そして、二人は和解をするわけだが、やはり、最後に彼は言うのだ。俺に息子が出来たら、ジョージとかビルとか、とにかく男の名前を付けてあげるんだ!

彼の歌詞は諧謔敵で皮肉も含まれている。
The Mermaid (Live)
可愛い人魚の彼女が出来た。彼女の可愛い顔立ちや上半身は好きだけど、魚の下半身はどうもいただけない。ある日、彼女の妹が現れた。上半身は魚だけど、下半身は人間の女性!。 
俺としては、よく分かるなぁ…。

彼はどうも放浪癖が有ったらしくて、旅をしながら暮らすようなタイプだ。まあ、変り者だと言ってよろしい。漂浪の坊主のシェルさんである。

彼の書いた児童文学は今でも人気がある。
その中でも有名なのは、<Giving Tree>だろうか。「おおきな木」という邦題がついてる。
簡単な英語で書かれているので、読んだことがない方は下のリンクでご覧ください。
The Giving Tree by Shel Silverstein
この物語から皆さんは何を考えるのだろうか。
この物語から僕が考えたのは、「親切や愛というものは見返りを求めない」ということでしょうか。話は人によって感じ方は様々でしょうね。
まあ、僕はこの話の主人公の様に人生を安寧に終える、というのが理想ですかね。ある意味で禅的な終わり方にも思えますが、さすがシェル坊主。

今週のイメージソング:
Bob Dylan - With God on Our Side

日本ではあまり大きなニュースにならなかったようだが、最近、心に残る記事があった。
それは、8月にローマ教皇がカナダを訪れた時に、先住民の人々に対して行われたキリスト教徒による「同化教育」についてへの謝罪である。
カナダでは19世紀から20世紀半ばまで、同化政策として、先住民の子供を親元から引き取り寄宿舎に入れた。そこでは先住民たちの文化は卑下され、髪も短く切られ、洋服を着せられ、英語しか話すことを許されなかった。入学中は親との面会も許されなかった。子供の中には折檻を受けて死亡したり、病気になっても十分な手当てもされないで亡くなる子もいた。その寄宿学校の約7割をカトリック教会が運営していたという。
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戦時中のカナダでの日本人排斥運動のことは前から知っていたけれども、同国が先住民に対して同化政策を行っていたことは、数年前にこのテレビシリーズから知った。
Anne With An E | Season 3 Official Trailer

「赤毛のアン」のTVシリーズ化なのだけど、この新作では人種差別、同性愛、先住民迫害、女性の自立などの現代的なテーマが原作に加えられている。
歴史的に二つの違う文化が出会う時、優勢な文化(力で勝る文化)がもう一方の文化を圧倒することが起こる。カナダでも例外なくそれが見られたわけだが、その同政策にキリスト教が加担していたというのは何とも悲しい。

ニュースからの抜粋:
<教皇はその後の演説で「許しを請い、後悔の念を伝える『悔悟の巡礼』の第一歩としてここにいる」と宣言。寄宿学校での「文化の破壊と強制的な同化計画」に関与したとして「深くおわびする」と語ると、会場に集まった人々から拍手が湧き起こった。>

悲しい出来事ではあったんだけど、それでも謝罪が正式に法王から行われた、というところに救いを感じる。人に謝るという行為は難しいものだ。たとえ遅れて行われた謝罪であっても、この法王の勇気と誠実さを感じる。
現在、カトリック教会は色々な不祥事で、糾弾されている。そのような時に、このアルゼンチン出身の法王が選出されたのは、それなりの理由があるのだろう。

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