dd34ba4f.jpgいつかは書きたいと考えていても、書けないでいた大物、ハウリング・ウルフ。彼について書ける事は、いくらでもあるだろう。しかし、切り口を見出せないままでいた。彼の「赤い雄鶏」は自分の持ち歌の一つに加えているというのにさ。

そして、いよいよウルフ御大について書き始めている(ドキドキ)。話は変化球の様にコースを外れながら始まるのだが、上手くストライクゾーンに入って行くだろうか?

祖母がまだ元気に歩けた頃(もう40年前に近い話−もうずいぶん昔に亡くなっています)、母は年に一度、祖母を歌舞伎座に連れて出掛けた。祖母は歌舞伎の大ファンであったので、それをとても楽しみにしていた。そして、小学生の僕も連れて行かれた。その頃は視聴覚ガイドなんぞ無かったけれど、歌舞伎の舞台や衣装は派手なので、子供の僕でも充分楽しめた。一番、面白いのはカンバン役者が見得を切る時である。そして、観客席のあちこちらから声が飛ぶのである。例えば、市川海老蔵なら「成田屋!」と声が掛かる。

さて、アメリカン・ブルース・フォーク・フェスティバルの第1巻では、ハウリング・ウルフのパフォーマンス3曲が収められている。その最後の曲、May I Have A Talk With Youでは、途中で御大はやおら立ち上がる。ウルフというより、熊の様な巨漢だ。そして、ギターを脇に抱えて、左の頬に人差し指を置き、寂しそうに遠くを見つめるのだ。写真ような表情で。この表情は堪らん。

このシーンを見て思い出したのは、歌舞伎や国定忠治などの時代劇の見得だった。感極まった観客から「狼屋!」と声が掛かってもいいぐらいだ。臭い演技と笑う人もいるかもしれないけれど、僕はその臭いところが好きなんだからしょうがない。ブルース的な様式美なんだ。この仕草を見ながら、僕はある確信を抱いたのだ、<ブルースは全人格的なパフォーマンスである>と。

ウルフ、サニーボーイII、マディなど、一流のブルースマンは演奏時に誰にも真似が出来ない彼らだけのブルース空間を繰り広げる。怪獣ゼットンの作り出す空間に囚われてしまったウルトラマンのごとく、観客達はその異次元の空間に囚われてしまうのだ。ウルフの師匠チャーリー・パットンもそんなパットン空間を作り出していたのだろう。

また、ウルフは永遠の腕白小僧でもある。演奏が終わった後で、ハーモニカをベロベロ舐めたりする。とにかく、この写真を見て無理にでも納得して頂くしかないと思う。この写真を見て眉根を寄せてしまう方は、ブルースを聞かない方がいい。ところで、あのマディだったら、絶対こんな格好はしないだろう。

ウルフは有名になってからも、シカゴの自分の地元で演奏することを好んだという。このクリップ<Evil>を見ると彼がどんな感じの場所で歌っていたのか分る。晩年は体を悪くしていたそうだが、彼の迫力のあるダミ声は健在だ。気取りの無いウルフと観客との掛け合いが良い感じで、ますます御大が好きになる。

意外にも(?)、ウルフにはマネージャーとしての才覚があったようで、ヒューバート・サムリンのインタビューだったと思うのだけれど、こんな話を聞いたことが有る。「俺はウルフところだけではなくマディのバンドでも演奏したことがある。マディは少しずるい所があってよ、金をチョロまかしたり、支払いが遅れるたりすることもあったな。でも、ウルフはいつもキチンと支払いしてくれて、バンドのミュージシャンに組合に入るように説得したりするんだ。バンドの面子が気持ちよく演奏出来るように気遣いをしてくれてな」。ウルフはやはり親分肌だったのだろう。サムリンもそれに答えるようにウルフの為に良い演奏でバックアップした。

マディと同じく、ウルフも多くのロック・ミュージシャン達に影響を与えている。その中にはリトル・フィート、ドアーズ、ローリング・ストーンズなどが含まれている。ボニー・レイトなどは小娘時代にウルフのど迫力のパフォーマンスを見て、御大のほとばしる男性ホルモンに圧倒されてしまったそうだ。

さて、最後にこんな話を紹介したい。サンレコードの社長サム・フィリップのコメントだ。彼のレーベルにはエルビス、ジョニー・キャッシュ、ジェリー・L・ルイスなど名だたる連中が居たけれども、<録音していて最高のアーティストと実感したのは、間違いなくハウリング・ウルフ>だったそうだ。