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お知らせ

小熊秀雄・朗読会を開催

更新日:2016年11月22日

 旭DSC09913川ゆかりの詩人、小熊秀雄の作品を楽しむ朗読会「秋の詩(うた)2016」を11月14日夕、「じゃずそば放哉」(旭川市6の7ノムラビル1階)で開きました。
 市民にもっと小熊の作品に親しんでもらおうと、小熊秀雄賞市民実行委員会(橋爪弘敬会長)が四季に合わせて企画開催しており、今回で14回目となりました。
 市民6人が、市民実行委が編集・発行した小熊秀雄詩撰「星の光りのように」の中から、2〜3編の詩を朗読。参加した45人が、コーヒーとケーキを味わいながら静かに耳を傾けました。
 旭川工業高校の放送局で活動する1年生、中村怜奈さん、斎藤京弥君、村山裕篤君の3人は、緊張した様子でしたが、若者らしい清々しい声で聴衆を引き付け、大きな拍手を浴びました。
 初めて小熊の朗読会に足を運んだという五十嵐千枝子さんは、「みなさんの朗読を聞き終わったとき、なぜか懐かしい思いでいっぱいになりました。そして、母を思っていました。不思議なことですが、きっと朗読の力なのでしょうね。これを機会に朗読の奥深さを楽しみたいと思います」と話していました。
 次回の小熊秀雄・朗読会「冬の詩(うた)」は、来年2月か3月に開く予定です。

小熊秀雄を『しゃべり捲れ』講座に村田裕和准教授

更新日:2016年11月04日

 「小熊秀雄を『しゃべり捲れ』講座」が10月22日夜、
旭川市のときわ市民ホールで開かれた。
 旭川ゆかりの詩人、小熊秀雄(1901〜1940)の作品や
人となりをもっと市民に知ってもらおうと、小熊秀雄賞
市民実行委員会(橋爪弘敬会長)が不定期に企画開催
していて、今回が26回目。会員ら20人が集まった。
 講師は、北海道教育大学旭川校の村田裕和准教授。
 大正から昭和初頭にかけての時代、アナーキズムに
魅かれた詩人に興味を持って研究しているという
村田准教授が「小熊秀雄とアナーキズム詩人たち
―『沈黙』と『苦痛』の表現をめぐって―」と題して
爐靴磴戮蠏った瓠 
 村田准教授は、プロレタリア文学はマルキシズムと
見られがちだが、マルキシズムとアナーキズムの
違いはあまり理解されていない。小熊が多彩な作品を発表した
時代は、ダダイズムも含めて「イズムの時代」だった。
ある研究者は、その時代を「精神の解放区だった」と
表現している、などと説いた。
 その上で、小熊と同時代を生きたアナーキズム詩人たち、
萩原恭次郎、岡本潤、伊藤和の詩と小熊の詩に通じる精神と、
異なる表現などを独自の視点を交え、一時間余りにわたって解説した。

第26回小熊秀雄『しゃべり捲れ』講座のご案内

更新日:2016年09月30日

 「小熊秀雄を『しゃべり捲れ』講座」を、22日午後6時半から、旭川市ときわ市民ホール2階会議室で開きます。旭川ゆかりの詩人、小熊秀雄(1901〜1940)の作品や人となりをもっと市民に知ってもらおうと、小熊秀雄賞市民実行委員会(橋爪弘敬会長)が企画する市民講座です。
 26回目の講師は、北海道教育大学旭川校の村田裕和准教授です。1975年生まれ。立命館大学大学院修了。著書に、大杉栄やその仲間たちと文学者との交流を研究した「近代思想社と大正期ナショナリズムの時代」(2011)があります。
 村田さんが「小熊秀雄とアナーキズム詩人たちー「沈黙」と「苦痛」の表現をめぐってー」と題して講演します。
 村田さんは、「1930年代、小熊はマルクス主義の陣営に進みますが、その表現の『根っこ』は政治的なイデオロギーにあったのではありません。今回は、『沈黙』や『苦痛』の表現をめぐって、同時代のアナーキズム詩人たちの詩と比べながら小熊の詩の魅力を探ってみます」と話しています。
 参加費は500円。テキストとして実行委発行の「小熊秀雄詩撰 星の光りのように」を使います。当日会場でも販売します。税込1000円。
 問い合わせは、実行委事務局( あさひかわ新聞内27―1577)へ。

第49回小熊秀雄賞選評

更新日:2016年05月03日

■ 最終候補作品(応募順・敬称略)
 ・『私たちはどんな時代を生きているのか考』(戸谷崗・埼玉県飯能市、影書房)
 ・『魂魄風』(網谷厚子・沖縄県名護市、思潮社)
 ・『初めの頃であれば』(花潜幸・東京都久留米市、土曜美術出版)
 ・『舵を弾く』(三角みづ紀・埼玉県越谷市、思潮社)
 ・『朝起きてぼくは』(金井雄二・神奈川県相模原市、思潮社)
 ・『九月十九日』(森水陽一郎・千葉県いすみ市、ふらんす堂)
 ・『生きようと生きるほうへ』(白井明大・沖縄県那覇市、思潮社)

 4月9日午後3時 最終選考会 市内高砂台の旅館「扇松園」

  
■ 選考委員
 ・石本裕之さん(旭川高専教授・旭川市)
 ・アーサー・ビナードさん(詩人・東京都)
 ・堀川真さん(絵本作家・名寄市)
 ・佐川亜紀さん(詩人・横浜市)


 【選考概略】
 7点の作品を1点ずつ丁寧に吟味する。その1回目の話し合いを踏まえて、『私たちはどんな時代を生きているのか考』『魂魄風』『九月十九日』『初めの頃であれば』『朝起きてぼくは』の5点に。さらに議論が続き、『私たちはどんな時代を生きているのか考』『魂魄風』の2点に絞られた。

 『私たちはどんな時代を生きているのか考』=自己の周辺や世界の現実には、様々な病の姿が見える。私性から他者へ、その逆へと往還しながら社会の病態や病因をえぐり出し、照射することを通して超克していく方途を見出そうとする。問題を自分にひきつけて、重いテーマをまっすぐに描いている。

 『魂魄風(まぶいかじ)』=多彩な内容を含む一冊が全て散文詩の形式に統一されているのだが、特有のリズムで歌っていて、その効果的な調べは全編を貫いている。しかも、詩人の確かな観察眼は、沖縄に根づいている。具体的な事象を通して、海の向こうや神の存在へと、さらに過去、未来を超えて詩的批評性が広がる。完成度が高い。

 2冊とも、洞察する言葉に貫かれていることを確認した。その上で、『私たちはどんな時代を生きているのか考』は、調査と取材に裏づけられ、批判性において他を凌ぐ労作と評価する声が強く、熱い議論が続いた。一方、『魂魄風』は、読者を自然と作品の世界に誘う一体感があること、一冊としての詩集全体から浮かぶ風景のすばらしさ、完成度の高さなどが評価された。
 3時間に及ぶ緊迫した選考会は、全員一致で『魂魄風』に賞を贈ることに決めた。
(石川郁夫・運営委員)

届く呪言
アーサー・ビナード

 詩集の「あとがき」に戸谷崗さんはこう書いている。「かつて、言葉は(じゅ)(ごん)の意味を持っていた。(中略)人々は、こうあって欲しいことや、こうあって欲しくないことを彌増(いやま)したり鎮めたりする思いを込めて、言葉を発して来た

 第四九回小熊秀雄賞の最終候補作品を読み込んでいく中で、戸谷さんのその指摘がぼくにとって、七冊を捉える見地になってくれた。

 『朝起きてぼくは』の金井雄二さんは、当たり前の日常生活を面白くくすぐり、揺り起こす呪言を編み出している。『舵を弾く』の三角みづ紀さんは、体内で日本語の「標準語」を艶やかな「三角語」に変換した上で、魅惑的な呪言をうたう。

『九十九日』の森水陽一郎さんは、偶然と必然を巧みに()()ぜながら、生きている不思議を感じさせる呪言を紡ぐ。白井明大さん生命の危うさを直視して、あらゆる生命体を脅かしている放射能汚染に対応し得る『生きようと生きるほうへ』と題した祈りを作り出している

花潜幸さんは『初めの頃であれば』において、先人たちの体験と自分のそれを共鳴させ、読者が当事者になり得る呪言を繰り広げる。そして「呪言」のヒントを与えてくれた戸谷崗さんは、社会の病巣につぎつぎと身を投じ、まさに一人称の当事者になろうと『私たちはどんな時代を生きているのか考』の呪言を記した。

 七冊の中でひときわ美しく、もっとも力強い呪言を手渡してくれたのは、網谷厚子さんの『魂魄風()。いま生きているぼくらの現実と、先人たちが命を奪われた過去の事実を見事に融合させて読者を目覚めさせる詩集だ。しかもこの詩人は古典文学しなやかなリズム感を体内に宿してい新鮮な表現でありながら作品は揺るがない。

 「届かない」と題した一篇は「あの世とこの世 届かない 同じこの世でも届かない 声は届いても 届かない思い」と、だれもが日々味わうコミュニケーションのもどかしさの描写から始まる。それが具体的にぐいぐいと深まり、日本全体から沖縄にズームアップして、やがて「爆撃機を遠隔操作する兵士のように 痛みはさらに さらに遠く ゲームのボタンを押すように パチンと その手応えのなさに苛立ちながら 殺しているのは人?」と問いかける。

詩集を繰り返し読んで、網谷さんは「届かない思い」を届けるための呪言を見出していると感じ入った。多くの読者に届く魅力が、この『魂魄風』に漂っているのだ。


深いまなざし
石本 裕之

 「大自然の中に悠然と聳える大雪山の見守る中で小熊秀雄賞が決められるのは、至極当然のような気がしてくる」。三月に届いた会報『しゃべり捲くれ』第十五号、橋爪弘敬会長の「あとがき」の一節だ。静かながら高らかな宣言は、小熊賞に集う人々―書き手も、支える人も―皆を元気づけよう。選考会は四月九日、珍しく強い風が吹いていた。
 受賞作は網谷厚子さん『魂魄風(まぶいかじ)』。歴史が堆積する紺碧の海を眺める詩人のまなざしは深い。「時間がどれだけたとうと 消え去ることはない 変わることはない 無数のものたちの思いが縒り合わせられて 新たな生き物になる」(「魂魄風」)。
 「神はいまでもいる あなたが無力であるかぎり 冷たい風が吹きよせる 東(あがり)から」(「神の気配」)。
 期する所あり、今回初めて応募されたとお聞きした。網谷さんおめでとうございます。
 最終候補作には、持ち味の異なる個性豊かな七点が並んだ。
 花潜幸さん『初めの頃であれば』。「新しい言葉が何か見つかるように、頁の上にわたしたちの水晶を置いてみます」(「浜の記憶」)。懐かしい記憶の影を映し出す言葉が紡ぐ詩集。
 森水陽一郎さん『九月十九日』。詩編「空白の檻」のような清廉さが印象深い。殊に「初出一覧」にある八編には、丁寧に仕上げられた作品が持つ詩格の高さが感じられる。
 白井明大さん『生きようと生きるほうへ』。「ふり返ることが進むことの一部になるわけではなく、二つのことは同時に起きている。」(「(野朝顔)」)。「大事な何か」に胸焦がれる。
 戸谷崗さん『私たちはどんな時代を生きているのか考』。目次が示す「カルテ」=<1・若者><2・世界><3・家族>の三つの章で、現代日本の負の断面を詳細に描いている。
 残る二点はいずれも詩人の第六詩集、それぞれの「間(ま)」に魅力がある。
 三角みづ紀さん『舵を弾く』に作用する言葉の「間」。断続的に置かれる接続助詞「て」や、二〜五行程度の小テーマを形づくり聯を超えて変奏する、不思議なリズム。時々ちらつく懐中の刃。「切実な湯船は/たいてい深夜の出来事で/とりとめなく蒸気が/虚無をまとうんだった」(「浸潤」)。「しぬつもりで/しぬならば/幸福とよべるかもしれないが/しぬつもりで/いきていない/お前の息は/正しいか」(「水曜日、万有と」)。
 金井雄二さん『朝起きてぼくは』。中年詩人の平凡で単純な生活、という装いに騙されまいぞ。平凡な生活を切り取って人や物との距離を測り直し言葉を置き直した、再構成された日常に、秘めやかな諧謔が醸されている。「轢死が転がっている/頭の中に/カアンカン カアンカン/ランプの赤が交互にさみしいぞ」(「姿と形」)。尾形亀之助の『色ガラスの街』に、演劇的な「間」を取り入れて都会化したような空気が全体に感じられる。

言葉のすき間に見えるもの
堀川 真


 大切なことをわかってもらえるように伝えるには、どうしたらいいのだろう。そんな疑問がよぎるとき、私はある発達心理学者が「研究を突きつめるほどに対象である子どもの実像から離れていってしまう」と嘆いていたのを思いだす。理系の文章は、誰が読んでも同じ理解のできる書き方で、かつそれぞれの現場で再現性があるものでなければならない。だから、誠実でありながらもぽろぽろとこぼれ落ちてしまったものの中に、本当は書きたかった子どもの姿を感じていたのだろう。

 たぶん大切なことは、目にしているものの背景の中にある。詩ならば、その文字のつらなりのすき間から見える部分のことか。そこには誤解や誤読があるかもしれないが、よい作品にはそれさえ引き受ける大きさというものが備わっている気がする。言葉が言葉以上、言葉以外の意味を持って迫ってくるおもしろさだ。

 受賞作の『魂魄風(まぶいかじ)』は、視覚的にいえば言葉を一つひとつ積み上げた塊のような作品で、それを一語ずつ読み進めていく行為を通して一緒にものを見、一緒に詩を書いているような心持ちにさせられた。それと同時に、ここまでが一文かと自分の見立ての通り改行して「詩」っぽくかたちを整えたとしたら、大切な何かが霧散してしまうのではないかと思わされてはっとした。私は小さな白い「 」の中でこそ、じんわりと考えごとをしていたことに気づかされたのだ。詩に親しんできた人には自明のことなのかもしれないが、そこで私が身を置いた沖縄の洞や森、鉄条網や今をみなさんにもぜひ追体験して欲しい。

 字数も尽きるので最後になるが『初めの頃であれば』は、これからもくり返し読む一冊になると思う。道民であれば、大人であれば、ああ私の血の中にもそれがあるという共感がきっと生まれるはずだ。選考会の席上、私が小熊賞に推したもう一冊でもある。

批評の鼓動
佐川亜紀


 小熊秀雄の詩はいつまでも批評の鼓動がドキドキと響いている。リズムや生命力、本質を端的にずばりと表現する映像性は色褪せない。社会批評性と詩的な要素を考えて選考した。
 網谷厚子詩集『魂魄風(まぶいかじ)』は、沖縄の現在と歴史を書く独特の散文詩のリズムが印象的だった。ひたひたと迫る言葉の律動が緊密な詩の時空間を創っている。そのリズムで「敗者の中の差別 永遠の敗者 日本」という批評性を持っているのが優れて個性的だった。
 戸谷崗詩集『私たちはどんな時代を生きているのか考』は、ブラック企業批判や「自己免疫疾患に喘ぐアメリカの自滅へと向かう姿態」など現代世界の深部を意欲的に鋭くえぐっている。だが、説明的な散文で、自己感覚や詩的結晶に乏しいのが惜しかった。
 森水陽一郎詩集『九月十九日』は、一九七六年生まれの作者にして外部や他者とのつながりを表現しているところに大変好感を抱いた。祖父を通して戦争を身近に感じ、虐待やヘイトスピーチなどに若々しい角度で切りこみ、今後に一層期待したい。
 花潜幸詩集『初めの頃であれば』は、モダニズムの方法で叙事詩を表しているところが新鮮である。数字も詩語にしながら、「戦友の千切れた内臓を抱」く夢を想像する力に引かれた。
 白井明大詩集『生きようと生きるほうへ』は、原発事故で沖縄に避難した体験から書かれた注目の一冊だ。語り口は優しく大切なことを示したが、沖縄についてもさらに掘り下げてほしい。
 金井雄二詩集『朝起きてぼくは』は、生活者として詩作を続ける作者の姿が簡潔な日常語のうちにくっきりと浮び、言葉の有様が最も明確な詩集だった。
 三角みづ紀詩集『舵を弾く』は、言葉への配慮が十二分に行き届き、内面を描くことの完成度に秀でた詩集であった。


第49回小熊秀雄賞贈呈式のご案内

更新日:2016年04月26日

 第49回小熊秀雄賞の贈呈式を、5月14日午後3時から旭川市の旭川トーヨーホテルで行います。
 選考の過程を報告した後、受賞された沖縄県名護市の網谷厚子さんに正賞の「詩人の椅子」などを贈呈。網谷さんに、受賞した詩集『魂魄風(まぶいかじ)』を朗読してもらいながら、詩集や沖縄への思いなどを語ってもらいます。
 このあと、選考委員で名寄市立大准教授の堀川真さんに「選考委員席で詩を学ぶ」の演題で講演してもらいます。
 入場料は会員500円、非会員700円。終了後には、網谷さんを囲む会も立食パーティー形式で開きます。こちらの参加費は2000円です。問い合わせは、事務局の吉木(090−7517−7244)まで。

詩集『魂魄風(まぶいかじ)』より

更新日:2016年04月15日

網谷先生写真-001


詩集『魂魄風』より
(
)   
 (著者の網谷厚子さん=写真左)



 






魂魄風(まぶいかじ)

幾百もの獣の遠吠えのような 幾筋もの雨が叩きつける
ような 激しく押し寄せるものがある 暗い空を雷鳴を
伴って 何重にも紫に染め上げる 海底に花びらのよう
にひらひら落ちていった 甲冑をまとった肉体 船から
零れた 舵 帆柱 樽 地図 巻物 文人の髷がほどけ
て踊る 年月を忘れ 学んできたものが 敦煌の彼方ま
で行って 写してきたものが ただ魚類たちの胃袋で消
化されていく どこかに辿り着けるとは限らない 鳥し

か通わない 島から島の 宇宙のように深い底が 永遠

の眠りの床になるかもしれない 鉛色の巨大な船体で

火玉となって微細に砕けた 若者の意思の欠片 四方八

方に流れて散った 鉄の部屋で 息絶えるものたちの

唇が動く 故郷へ帰りたい 行って参ります と言った

からには 戻って参りました とお母様に まだ 船艦

の中で戦い続けているものたちの 血走った眼が そこ

ここで 青く輝く ブンブンと唸りながら 空を切って

まっさかさまに落ちていった 異国の黒い機体 珊瑚が

生い茂り 赤や黄色 真っ青な魚たちが群がる 町ごと

大きな波にさらわれ 深い海底へと引きずり込まれた

人々の 上げたかった叫び 流したかった涙が とめど

なく吹き寄せる 時間は 見えるところだけを 鮮やか

に塗り替えていく 時間がどれだけ経とうと 消え去る

ことはない 変わることはない 無数のものたちの思い

が縒り合わせられて 新たな生き物になる 無残に散っ

ていったこと 負けたこと 異国の脅威に 晒され続け

る人々 癒されることのない魂魄が まだ生きている

ここにいる と 海原から陸へと渡り 日本列島を 桜

前線のように 駆け上っていく



白い 翼


獰猛な唸り声を上げ 雨風が 大地を嘗め尽くし 木々

の葉を 夜も 朝も 昼も打ち叩く そんな風に 君の

薄い胸郭を 悲しみが かなしみが かなしみが かな

しみが打ち叩く 何時間も 何日も 何カ月も もしか

したら 何年も 君は さとうきび畑の間を じぐざぐ

に駆け抜け 泥だらけの島草履を脱ぎ捨て 真っ白い砂

に 一直線にくっきりと足跡を刻みつける 薄いコバル

トグリーンから紺碧へと 海が広がっている 君の見る

夢 夢はまだ 悲しみに濡れていない 砂が 君の足跡

を確かに刻むように 君は瞼を閉じ描く いつか コッ

クピットに座り 大空を飛び回る おじいもおばあも

ファーストクラスの皮のシートに深々と腰掛け ぼんや

り 巨大なスクリーンをみつめている これはおじいと

おばあでなくてはならない 雨風に洗われ 空から降り

注ぐ 堅い鉄の塊に打たれた 激しい轟音が 耳を襲い

続け 逃げ惑い 息絶えた 土まみれの 尊いたましい

たち 君は柔らかく唇を開け 挨拶をする 問題なく順

調に飛行中です 時折気流の激しいところを通過するた

め 飛行機が揺れることが予想されますが 飛行には支

障はございません やがて 朝陽が右前方の海上から昇

るのがご覧いただけるでしょう 平和まで あと少しで

はございますが ごゆっくりおくつろぎください 君は

唇を閉じ瞼を開ける まだ 何も始まっていない 何も

終わっていない ずんと痛くなるような じんじんする

ような熱い思いが 身体の中心から湧き上がる 君の胸

郭から かなしみが背中へとすり抜け 肩を小さく蹴っ

てから 真っ青な空へと飛び立っていく 両目から温か

い涙が流れる 強い(かじ)が 海面を震わせ 南から吹き寄

せる 君の夏が また 始まる




     

第49回小熊賞に沖縄の網谷さん

更新日:2016年04月11日

今年度の小熊秀雄賞の最終選考会を9日に旭川市の旅館「扇松園」で行い、受賞作品に沖縄県名護市在住の網谷厚子さん(61)の詩集『魂魄風』(まぶいかじ)を決定しました。沖縄県在住の受賞者は、第46回(2013年)の与那覇幹夫さんの詩集『ワイドー沖縄』以来3年ぶりとなります。

贈呈式は、網谷さんをお招きして514日午後3時から旭川市のトーヨーホテルで開催します。

 

■第49回小熊秀雄賞 選考経過

 

 1月31日 応募締切 全国32都道府県から89点の応募(前年は113点)

 

 2月23日 第一次選考 通過作品 13

      選考委員4氏に13点を送付

 

 3月25日 二次選考 最終選考会に進む7点に絞る

      ホームページに発表

  最終候補は次の7点(応募順・敬称略)

 ・『私たちはどんな時代を生きているのか考』(戸谷崗・埼玉県飯能市、影書房)

 ・『魂魄風』(網谷厚子・沖縄県名護市、思潮社)

 ・『初めの頃であれば』(花潜幸・東京都久留米市、土曜美術出版)

 ・『舵を弾く』(三角みづ紀・埼玉県越谷市、思潮社)

 ・『朝起きてぼくは』(金井雄二・神奈川県相模原市、思潮社)

 ・『九月十九日』(森水陽一郎・千葉県いすみ市、ふらんす堂)

 ・『生きようと生きるほうへ』(白井明大・沖縄県那覇市、思潮社)

 

 4月9日午後3時 最終選考会 市内高砂台の旅館「扇松園」

 

  選考委員は、次の4氏

 ・石本裕之(旭川高専教授・旭川)

 ・アーサー・ビナード(詩人・東京)

 ・堀川真(絵本作家・名寄市)

 ・佐川亜紀(詩人・横浜)

 

 経過

 7点の作品を1点ずつ丁寧に吟味する。その1回目の話し合いを踏まえて、『私たちはどんな時代を生きているのか考』『魂魄風』『九月十九日』『初めの頃であれば』『朝起きてぼくは』の5点に。さらに議論が続き、『私たちはどんな時代を生きているのか考』『魂魄風』の2点に絞られた。

 

『私たちはどんな時代を生きているのか考』

 自己の周辺や世界の現実には、様々な病の姿が見える。私性から他者へ、その逆へと往還しながら社会の病態や病因をえぐり出し、照射することをとおして超克していく方途を見出そうとする。問題を自分にひきつけて、重いテーマをまっすぐに描いている。

『魂魄風(まぶいかじ)』

 多彩な内容を含む一冊が全て散文詩の形式に統一されているのだが、特有のリズムで歌っていて、その効果的な調べは前編を貫いている。しかも、詩人の確かな観察眼は、沖縄に根づいている。具体的な事象を通して、海の向こうや神の存在へと、さらに過去、未来を超えて詩的批評性が広がる。完成度が高い。

 

二冊とも、洞察する言葉に貫かれていることを確認した。

その上、『私たちはどんな時代を生きているのか考』は、調査と取材に裏づけられ、批判性において他を凌ぐ労作と評価する声が強く、熱い議論が続いた。一方、『魂魄風』は、読者を自然と作品の世界に誘う一体感があること、一冊としての詩集全体から浮かぶ風景のすばらしさ、完成度の高さなどが評価された。3時間の緊迫した選考会は、全員一致で『魂魄風』に賞を贈ることに決めた。

 

網谷(あみたに) 厚子(あつこ)さん 略歴

 1954年(昭和29年)912日、富山県中新川郡上市町に生まれる。61歳。お茶の水女子大学大学院修士課程修了・博士課程単位取得満期退学。都立高校の教諭・教頭・副校長を経て、現在、沖縄工業高等専門学校教授・図書館長併任。茨城大学五浦美術文化研究所客員所員。沖縄県名護市辺野古在住。

 詩集は8冊、茨城文学賞(第4詩集『水語り』)、第12回日本詩人クラブ新人賞(第5詩集『万里』)、第35回山之口貘賞(第7詩集『瑠璃行』)。文庫として『新・日本現代詩文庫57 網谷厚子詩集』がある。その他研究・評論などの著書6冊。日本現代詩人会・日本詩人クラブ・日本ペンクラブ・日本文藝家協会等会員。「万河・Banga」主宰、「白亜紀」同人。

 

  現住所   沖縄県名護市字辺野古

アーサー・ビナード連続講演

更新日:2016年04月05日

 4月9日の小熊秀雄賞最終選考会に小熊賞選考委員の詩人アーサー・ビナードさんが旭川市に来訪するのに合わせて、アーサーさんの連続講演会が道内で行われます。
 ◆10日(日)午後2時〜・旭川市勤労者福祉会館(5の4)
   今野大力没後80周年記念講演会「いま生きている大力」=記念事業実行委員会主催、小熊秀雄賞市民実     行委員会協賛。資料代500円、問い合わせは道北勤医協友の会の高野さん(0166・33・0854)へ。
 ◆11日(月)午後7時〜・旭川建設労働者福祉センター・サンアザレア(6の4)
   「アーサーの憲法のはなし」=市民グループ「チーム今だから」主催。前売りチケットは800円(当日1000円、大学生以下は無料)で、こども冨貴堂(0166・25・3169)で扱っています。
 ◆12日(火)午後7時〜・北見芸術文化ホール(北見市泉町1の3の22)
  「日本国?憲法」=実行委員会主催。チケットは一般1000円、大学生・障がい者500円、高校生以下無料。問い合わせは国府方(090−9437−7024)へ。

第49回小熊賞の最終候補作品が決定

更新日:2016年03月27日

小熊秀雄賞第49回(2016年)最終候補作品(応募順)


◆『私たちはどんな時代を生きているのか考』(戸谷崗、影書房)

◆『魂魄風』(網谷厚子、思潮社)

◆『初めの頃であれば』(花潜幸、土曜美術出版)

◆『舵を弾く』(三角みづ紀、思潮社)

◆『朝起きてぼくは』(金井雄二、思潮社)

◆『九月十九日』(森水陽一郎、ふらんす堂)

◆『生きようと生きるほうへ』(白井明大、思潮社)



実行委員会による第1次審査で、89点の応募作品から13点を選出。その中から、2次選考として実行委員会と4選考委員から各2点の作品を推薦してもらい、計7点を最終候補作品としました。

なお、最終選考会は49日(土)午後3時から旭川市の旅館「扇松園」で行います。選考会は、当会会員に公開します。白熱の論議をぜひお聞きください。

 

 

 

未発表長編叙事詩「蒙古の虫」

更新日:2016年03月10日

 会報15号を、3月10日付けで発行しました。会員の皆様には、今週中にお届けします。
 今回は、特集「小熊秀雄の未発表長編叙事詩」として「蒙古の虫」の全編40章を一挙掲載しました。
その中から解説と1、2、3章をご紹介します。

特集 小熊秀雄の未発表長編叙事詩



小熊秀雄の長編叙事詩は比較的に平易でわかりやすい作品が多い。だが、この「蒙古の虫」はかなり難解だ。中身を理解するためには、当時の日中戦争や古代中国の「史書」の知識などを知っていなければ立ち往生する。

 この作品は会報第13号(2015年2月)に掲載した長編叙事詩「影絵」と同じく、没後70年以上も経た2013年に北海道文学館によって初めて公表された。筑摩書房の編集者だった石井立氏の遺族が所持し、文学館に寄託されたものだ。

 文学館の吉成香織学芸員によると、この作品の語り手は蒙古の砂漠を彷徨するイナゴの群れの中の一匹=「私」である。日中戦争時代、日本軍が中国側から「イナゴ軍」と呼ばれていたことを踏まえるならば、このイナゴの大群に、満州に進出する日本軍のイメージが重ねられているであろうことは想像に難くない。

 全編をとおして、時事的な関心に豊富なイメージが読み込まれ、戦争とそれを取り巻く日本、世界の混沌とした状況が見事に表現されている。「虫」をとおして当時の日本の状況を風刺したこの作品は、小熊の想定したあり得べき「戦争文学」の体現としても読むことができる。(「石井立氏旧蔵・小熊秀雄資料について」から)

 第2次世界大戦の終了から70年。世界中で再び対立の火種が生まれている現在、ぜひとも小熊の精神を感じ取ってほしい。みなさんからの感想をお待ちしている。

 なお、掲載詩は現代表記に直し、旧漢字もできるだけ平易なものに変えた。

(文責・小熊秀雄賞市民実行委員会事務局次長 吉木俊司)


蒙古の虫

 

     一

私は群の統率された秩序を見た

私は周囲を見廻した

私は正しく昆虫の群の一匹であった

おゝ汎濫よ、そして退屈よ、私は大多数の行為について反省する

可憐な肉体を疲らせる

何処までこの退屈を持ち運ぼうというのだろう

しかし世の中には何ひとつ過失でないものはない

こんな旅行記を書き出すのも過失であれば

それを読んでくれていることも諸君の過失だ

とにかく睡眠の床が欲しい

私は仮眠の鼻を何やら酢のような匂いで煽

られた

私はふと眼をさました

ドン、ドン、ドンと筒抜けな大砲のような響

続けさまに物音は襲来する。

 


すると仲間は慌てて眼をさます

個人的な夢が破られると

共同的な恍惚とした倦怠な渦が、私達を待っている

体を揉みくちゃにしながら

私達は跳ねだし進む

私達を狩り立てるものは あの大砲のような物音でない

山火事の物凄い火焔でもない

 『山火事といふものは美しいものだね。』

 『まるで奴は、火薬の樹さ、ひと思いに梢まで燃えあがって   

たちまち次の朋友に火の束を渡す、   

すると獣の移住が始まる。』

私と友はこう語り合う

果して野鼠の数家族が避難してくる

火の幣束(へいそく)は飛んだ

硝子のようにキラキラと

そして一里もの遠くの樹に手渡すと

そこから又猛烈な新しい火が噴きだす

バリバリと歯噛みをする

彼奴の憤怒は群衆の憤怒だ。

      


群衆は機会について敏感であつた

私達蝗(いなご)の群も、この美しい山火事に

火焔の脂肪の地上を出発した

移住せよ、この大集団は何処から来たのか

そして何処へ行く、どの方角へ

馬鹿げて広い戦線のようなものだ

散壕は浅いか、深いか

一人の統卒者の真理は

どうせこの群の隅から隅まで命令が徹底するはずもなかろう

また無駄な伝令を何人出発させる

腹が空つたら自分の舌を食うばかりさ

群の進行に無数の仲間は落伍する

また無数の仲間は途中で参加する

次第に群は膨大となり

刻々と過失の量を増す

東京へもやがて蒙古の私達は押しかけるだろう

君等は歓迎してくれるか

私達の数は多数だ、やんちゃな、滑稽な、深刻ぶった、愚鈍な、

真実な、同時に散漫だ

無節操ではあるが、また何時でも花片だ

親密に寄り添い密集する