さて、支えるむずかしさ (2) で、


相手からのSOSが出るまで、助けてはいけない。


と、書きました。

でも、これでは語弊があります。

 

そこが、むずかしい…。

 

相手のできない部分の支援を…


と、思って手をかけると、

そこは、相手ができる部分で、相手のプライドを傷つけたり、


かといって、何も手を出さない…


となると、そのままでは相手はなにも出来ないまま?

 

自閉症に関するブログで、

当事者も読まれたりなさいますので、


支援をするな と、書けば、

「アスペルガーの子どもがいて、支援をするなとはなにごと?」

と、極端に受け止められる方もいらっしゃるかもしれませんね。


私も、うまく文章にできなくて、もうしわけないのですが、

そうではなく、


本人が助けて欲しいと、SOSを出すまで、

支援する側も、どこを助けていいのかわからない障害…というべきでしょうか?

 

LDで、文字がうまく読めない。

そう診断されたのなら、そこを補うために

あれこれ、考えられると思います。

たとえば、一行一行、不透明な定規をあてがい、他の行へ目が飛んでしまわないような工夫をしたり、

文字を大きくしてみたり、

 

夏の、うちの子の制服こだわりがあったのならば、

では、長袖シャツなら校則内でしょう…ということで、本人にも納得させたり。

 

支援方法がわかる部分は、なんとか手伝いようもあります。

 

でも、その夏の制服こだわりにしたって、

本人と学校の校則内での間で、どこまでが本人の許容範囲なのか?

どう言えば本人が納得するのか?


気温を数字(温度計)で見せたら、夏は暑いとわかってくれるかな?とか。

(夏はこの子も暑いんですが、こだわりにとらわれると脳がいうことをきかないようでした…)

 

結局は、二学期という区切りに納得して(本人もその区切りに、自分を奮い立たせたのかもしれません)

二学期からは、規則どおり。

現在冬服への移行もスムーズ。

 

こう、あっさりスムーズになると、

今まで苦労していたのは、単に本人のわがままだったのか?とすら、

知らない人が見たら、そう映ってしまうでしょう。

 

どこまでが、本人が我慢してるのか?

そうじゃないのか?

 

そこで、

「本人は我慢して、つらいのかもしれない!

 なら、本人がもっと楽になれるような手段を考えてみては?」

としていいのか。

「いえ、今、本人の成長がそこまで伴ってきてるんですよ」

と、みるべきなのか。

「最初からできるのに、なまけてただけでしょ?」

なのか。

 

それが、実を言うと、

専門家にも、そばについてる親にも、しかも本人にすら


わからなかったりする…。

 

つまりは、患者自身、どこが痛いのか?言えないのに、

周囲が、本人の痛いところを察して治療するのは、無理でしょ?

ってこと

 

結局、子どもの場合ならば、

本人の表に出てきた症状を見て、親はあれこれ考えて行くのでしょう。

でも、手を出しすぎては

本人の自立の芽をつぶしてしまう。

 

これが、受動型の自分の気持ちを表へ表現できないおとなしい子だったりすると、

余計周囲は、

その子が無理をしてそこにいるのかな?

それとも、普通にできることなのかな?

と、わからない。

 

こちらから、どう手をさしのべていいかわからない上、

先走って手をさしだしてしまえば、

本人の自立をさまたげたり、

本人が怒り出したり。

 

だから、結局は

本人が、 「困ってるんです。助けてください」

と、言えないうちは、手のさしのべようがない。

だから、

 

その「困ってることを」を、本人も自覚できるよう

そして、周囲に上手に助けを求められるよう

教えていこう。

 

なのかな?

 

 

これは、とてもむずかしい課題です。

 

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