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【75年目の告白】岐阜・黒川開拓団 満州で性的な接待を強いられた女性たち「歴史の渦の中で引き回され、きょうまで生きるとは」

戦前、岐阜県旧黒川村など(現白川町)から開拓団の一員として満州に渡った女性たち。彼女たちは敗戦後、生きて日本に帰るために、団からソ連兵に対する性的な接待を強いられました。 当時、18歳以上の女性が駆り出されたとされた“接待”でしたが、今回の取材で14歳の少女が犠牲を強いられたことや、“接待”は一度ではなかったことなどが、初めての告白により明らかになりました。 生きて日本に帰るために。そして仲間を救うために。終戦直後の混乱のなかで”接待“という名の性暴力の犠牲となった女性たちが、戦後75年のいま、当時の記憶を語ります。
開拓団として満州へ 敗戦で全てが変わった
佐藤ハルエさん(95)。戦後、岐阜県ひるがの高原に移り住んで70年以上、この地で語り続けていることがあります。
「ソ連の兵隊を頼むには、女を提供するということで、私どもは犠牲になった。仲間も性病と発疹チフスとでバタバタと亡くなっていた」(佐藤ハルエさん)
75年前の敗戦直後、中国北東部・満州。1932年から日本が事実上の植民地としていました。
日本は国策として、満州へと移住する人を募りました。その数、全国で27万人。岐阜県からも約1万2000人が海を渡り、ハルエさんもそのひとりでした。
政府が満州に開拓団を送りこんだ狙いのひとつは、大陸で戦う日本軍の食糧増産。その裏で「満州国」の支配、防衛という軍事的な目的もあったとされています。
日本軍が中国の人から不当に安く買いとった家に住み、広大な畑でアジア人労働者を率いて作物を作る日々。山のように取れる作物をみて、住み続けたいと思ったといいます。
「ジャガイモとか、トウモロコシ。ジャガイモはたくさんとれて、列車に積んで運んで、南の方の大きな会社へ(送った)」(佐藤ハルエさん)
しかし、敗戦ですべてが一変しました。1945年8月、ソ連が満州に侵攻し敗戦が決まると、家や土地を取り返そうと、現地の人の一部が暴徒と化し襲ってきたというのです。
「指輪とか時計を持っていたら、隠さないと取られてしまう。みんな取られてしまった」(佐藤ハルエさん)
「体を張って頼む」強いられた性的な接待
やがてハルエさんたち黒川開拓団に、悲惨な知らせが届きました。
熊本から来た来民(くたみ)開拓団の団員270人が、暴徒の襲撃に耐えられず集団自決を図ったというのです。
黒川開拓団の団員は約660人。集団自決も脳裏をよぎる中、団の幹部が出した答えは、侵攻してきたソ連兵に守ってもらうという選択でした。
その見返りは、女性。
団は18歳から21歳位までの女性15人ほどを集め、ソ連兵への性的な接待を強いたのです。
団の幹部が「既婚者に頼めば、必ずもめごとになる」と考えたため、未婚の女性が選ばれました。
「独身者だけ、どうかここを守るように、あんたら体をはって頼むといわれましたので。仕方がない、ここのためなら、と思いまして」(佐藤ハルエさん)
写真に映る8人の女性のうち、6人が無理やり接待に駆り出されたといい、ハルエさんもその1人でした。
“接待所”が作られ、1週間に2回から3回ほどソ連兵がやってきたといいます。

写る8人のうち6人が、性的な接待を強いられた

戦後75年目、始めての告白「銃でつつかれ、4人並べて強姦されたことも」
また、当時18歳以上という条件だったはずの接待も、複数の関係者を取材していくうちに、17歳で犠牲を強いられた女性がいるという証言も出てきました。
その女性は、家族には知られたくないとの思いから、長年当時の出来事を胸に秘めていましたが、今回、電話ならと取材に応じてくれました。
「男の人ってこんなひどいことするものなのかと、(当時)17歳だから泣くことしか知らない。手を握りこぶしにして、がまんがまんがまんって、みんな5回以上は(接待に)いってるのでは。銃でつつかれるから怖くて、4人並べて強姦されたこともあった」(接待を強いられた女性)
接待は、ソ連兵が撤退するまでの約2か月、続いたといいます。
妊娠・性病を防ぐため、手当てをした女性たち
接待が終わると、女性たちは医務室で消毒を受けました。
当時、2人の女性が処置を行っていました。高橋みね子さん(91)は、母親が助産師だったため、女性たちの処置を手伝うことになりました。
凄惨を極めた75年前の記憶。
一切、当時の出来後を口外しないと、黒川地区を離れ暮らしていましたが、何度か記者が訪ね、ハルエさんたち女性が声をあげていることを説明していく中である日、何か決意したように…ゆっくりと話し始めました。
記者:女性たちは朝に帰ってくるのですか?
「そうです。その足で医務室に来る。とにかく10分でも早く洗浄したいって気持ちが強かった。ベッドのようなものを作ってくださった。そこに寝てしまうわけじゃなくて、膣内を洗浄するんです。病気をもらわないようにってことと、妊娠しないようにと、一番届くところまでって(日本人の)衛生兵が教えてくれて」(高橋みね子さん)
全員、妊娠はしませんでしたが、みな性病にかかり、のちに4人は死亡しました。
特にハルエさんは“接待”に駆り出される数も多かったため、症状もひどかったといいます。
「ハルエさんがひどかった。よく立ち直ったと思う」(高橋みね子さん)
処置を主に行っていたのは、鈴村ひさ子さん(91)。当時、17歳でした。
「梅毒を拾うといかんし。それから妊娠、子どもなんかできたら困るで。そういうものを防ぐために全部洗浄したのよ。(使ったのは)軍隊のうがい薬と聞いたけどね」(鈴村ひさ子さん)
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2020/12/21 20:14:45
パート2に続く

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