青梅市長 大勢待としあき

青梅市長 大勢待利明(おおせまち としあき)の公式ブログです。

2014年11月

朝8時になると河辺駅北口では
シューベルトの「ます」がオルゴール調で流れます。
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知らない人のために曲はこれ↓
http://www.youtube.com/watch?v=jx57veQRbwA


この曲を耳にすると思い出すのは


①フットサル関係で時折連絡するS藤タケシくんの携帯呼び出し音。
※柄に似合わずシューベルト。

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②かつて西武ライオンズに所属したブコビッチの応援歌。
※「ライトースタンドの真中へ~♪」という歌。

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そして・・・
③小学生の時の音楽の授業。


①と②へのコメントは置いておきまして


小学校の時の音楽の授業は、とても記憶に残っていて
特にシューベルトの曲を何度も授業で聴いた覚えがあります。
先生の好きな曲だったんでしょうね。


そんな記憶が脳の中にあってか
5年前にオーストリアのウィーンの郊外にある
シューベルトの家に行ってみました。

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シューベルトの家

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シューベルトのメガネ。

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シューベルト・ハウス

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ここでは、シューベルトの曲をヘッドホーンで聴けるようになっていて
迷わず授業で聴いていた「ます」や「魔王」を視聴。
子どもの頃の記憶が呼び起こされて感慨無量。

そして、月日が経ちまして
河辺駅前で私の市議会のチラシを配っていて
駅に来る人がおおよそ少なくなる朝8時。

シューベルトの「ます」を聴くと
様々な記憶がよみがえり
「今日も一日がんばるぞ!!!」
という気分になります。

「自治会組織再生への試み」という報告会に行ってみました。

2014年10月30日(木)19:00~21:00 in 青梅市役所。


天ヶ瀬自治会の試みの事例報告。

...

組織の変更、負担の軽減、自治会員数upの試みなど
天ヶ瀬自治会長&副会長、すごいです!!!


今の時代に必要なのは、
「今までのやり方を見直して、新しい試みの試行錯誤を繰り返し、やり切ること」
に尽きますね。


質疑応答もたくさん出て、
非常に中身の濃い報告会だったと思います。


さて話を自分のところにもってくると
今年度から、"地元の子ども会の副会長"をしています。
就任時点で、子ども会に加盟する子どもはゼロ(orほぼゼロ)!?

子ども会への加入が選択制になったことで
数年前に約100名ほどいた子供が、
一気に脱会してしまい、7名になってしまったそうです。

ということで、今までの子ども会のやり方を一新して
新しい試みにチャレンジしようという意欲をいただいた報告会でした。
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○青梅せんべいについて

ネタ本は「青梅再発見」(大倉)です。

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要約
市内の和菓子屋で、青梅せんべいの元祖を名乗っている店はありません。
青梅せんべいの発祥については、資料が残されておらず、様々な資料から類推するに・・・。

幕末から明治にかけて、一本啓左衛門という人物が、上総から青梅の仲町に来て「一本(いちもと)」という青梅せんべいを売る店を創業。田島家を名乗る。本町の目抜き通りに店を移し、幕末から明治にかけて繁栄を築く。特に二代目が大きな財産を築いたが、三代目になると後継ぎがおらず、ある日突然、弟子たちに製造機材を譲渡して、店をたたみ、どこかへ忽然と消えてしまった。ということです。


以下は、レジュメ。
長いので興味のある方だけどうぞ。


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1 青梅の名物
1.1 五日市
・黒八丈(くろはちじょう)
黒八とも。よこ畝(うね)を表した黒色の絹織物。もと武蔵五日市が主産地であったので〈五日市〉とも称する。本来は織糸をヤシャブシで染めた。染色,地質とも丈夫で丹前,はんてんなどのそで口布やかけ衿に使われた。

1.2 青梅
・青梅縞・・・青梅で産した縞織物。古くは木綿と絹の交織であったが,のちには木綿織りとなった。主に夜具地用。

・梅の実・・・江戸時代から現在の梅郷地区で盛ん、馬の背に乗せられ、毎年江戸まで出荷されていたことが知られている。

・瓦せんべい・・・小麦粉・タマゴ・ザラメ糖を使い、梅花の型で香ばしく焼く。
どれ程古い歴史があるかは不明 → 文書となった資料が無い
・戦前…元来は、三輪の梅の花を重ねたデザイン
・戦後…二輪の短縮型が考案
・現在…各種味のバリエーション、小型のものも


2 元祖「青梅せんべい」
・青梅市に元祖と呼ばれる確かな店がない!?
つつじや、柳丸(りゅうまる)、まちだ


3 本家争いも無い
・各地の名所や観光地では本家や元祖を名乗る争いが多い。
→青梅せんべいには無い!?
・昭和56年のとある店主の証言
各店の創業者にあたる先代や先々代は、同じ店で修業をしていた。
・修業先
青梅本町の「一本(いちもと)」
→なぜか店をたたんでいる。

○証言
証言1…
「一本の名入りばんじゅう(菓子箱)を親方から貰い受けて、長く商売に使っていた」
証言2…
「つい先頃まで、作業場に漆塗りの蒸籠(せいろ)があり、一本と書いてあった。祖父がもらった」
証言3…
「古いせんべいの焼き型は「一本」から預かったもの、預けた本人は、青梅を出たきり行方知れず」


4 明治の名鑑に「一本」
・市内上町の桑田商店に明治27年の「関東商業名鑑」。三多摩が東京府になり間もない頃。
・青梅町の部に
銀行、鉄道、商店、材木商など40軒ほど。
「一本」も記載。田島忠兵衛の名。


5 町方文書に「青梅百文」
・青梅市教育委員会の青梅町方文書(まちかたもんじょ)の調査
ある商家の古文書から。
「青梅百文」→青梅せんべい
「錬り一本百弐拾文」→ようかん


6 元祖は「一本」
・「青梅せんべい」を焼いていた菓子商の「一本」はどこへ消えたか?
・田島忠兵衛は、どのような人物だったのか?
・幕末から明治にかけて「一本」を知る職人衆であれば、間違っても「青梅せんべい」の元祖とは言えない。


7 高額寄付の田島忠兵衛
○青梅市本町の保管文書。
・明治17年4月・・・本町の町内会が住吉神社の祭礼用に山車人形の購入を決定

※本町の山車人形は、「神功皇后(じんぐうこうごう)と応神天皇を抱いた 武内宿弥(たけうちのすくね)」
・購入資金のための寄付金・・・当時・最高額の7円20銭を
田島忠兵衛が寄付
明治25年4月・・・山車の購入の寄付
明治30年1月・・・住江町との共有のポンプの寄付 など


8 歴史の悲劇
・本町文書のどこにも「一本」が出ていない。
・田島忠兵衛の名があれば「一本」名を書き添える必要もなかった!?
・年月が過ぎ、田島忠兵衛とだけ書かれた高額寄付者が誰なのかさえ分からなくなった。
・「一本」田島家は、郷土の歴史から漏れ、活字になることがなくなった。

・今日、「青梅せんべい」の創始者は田島忠兵衛と確実視。
・明治の裕福な田島家 = 青梅せんべいの老舗「一本」
→知る人がいなくなってしまった。


9 菩提寺・天寧寺でも
・天寧寺の境内に近い、墓苑の入り口の一角に田島家累代の墓は、他の江戸期の墓所と一緒に存在。
・近年、墓地整備の際に、長らくの無縁墓所として取りまとめの対象に。

10 忠兵衛の後継者
○田島忠兵衛
・天保元年(1830年)4月16日生まれ。為造、権三郎の二人の息子。
・明治22年8月23日…59才で他界。
・明治25年3月11日…長男の為造(33歳の時)が、忠兵衛を襲名
・明治29年5月…弟の権三郎が他界(31才)
・弟の権三郎には子がない。
・また長男の為造も二度結婚、二度離婚。子宝に恵まれず。


11 明治の末年の旅立ち
・何年かは不明…「一本」伝来の菓子道具の全てを弟子達に託す。
→店をたたんで、二代目・長男の為造はどこかへ旅立つ。
○手がかり
・本町の町内文書に残る…父・忠衛門、二代目忠衛門。高額寄付者。
○天寧寺には…
・弟・権三郎の一周忌。先祖と弟の供養に納められた明治30年5月30日の位牌。
・願主は二代目・田島忠衛門。位牌は総高1尺5寸(約45cm)、淡い紫がかった漆の地。
・盛大な法要だったことがうかがわれる。


12 青梅鉄道の開業の頃
・明治27年11月・・・青梅鉄道開業
・明治28年末・・・石灰の貨物輸送。近代化への道。
・明治30年正月・・・繁栄する青梅の町並みの消防設備充実のため、住江町と本町が消防のポンプを新調。寄付集め。
↑田島忠衛門


13 後継者・弟の死去
・明治29年5月…弟の権三郎が他界(31才)
・明治30年5月…一周忌法要。
・その後、二代目忠衛門は妻と離縁。
→店をたたむ決意を固めたのではないか?
・明治の末・・・親子三代、暖簾を維持してきた青梅の地を後にして、再び戻ってくることはなかった。
※調査に関しては、田島家の事情を知っている方たちがいた時期を逃してしまったのが悔やまれる。


14 無類のせんべい愛好家
・三代目・青梅市長の榎本栄蔵。1963年(昭和38年) - 1967年(昭和42年)
第3代青梅市長榎本栄蔵氏は、「青年に夢を」という理念の下、ドイツの都市との姉妹都市提携を希望。日本になじみの深いシーボルトが住んだボッパルト市を選定し、1965年9月24日姉妹都市提携。『私語片々』著作。青梅にボーイスカウト。
・在職中に、市内各店のせんべいを食べ比べ。
・江戸時代にこの瓦せんべいを最初に青梅に、伝えたのはだれかという話。
・市長と同年輩の稲葉松三郎
「上総から青梅に来た一本という人が関係している、その人は剣術を良くする人だったと、古老に聞いた覚えがある」という話。
当初は「青梅せんべい」ではなく「一本やのせんべい」・「一本せんべい」と呼ばれていた。


15 気になる江戸の店箪笥
・郷土博物館の展示「机と生活」昭和57年度
・図録に紹介されている店箪笥
「青梅 仲町 天保11年(1840) 一本啓左衛門」
との銘。
・青梅宿の仲町に天保11年(1840)、一本を名乗る啓左衛門という人物が、店箪笥を新調。

・一本啓左衛門と田島忠衛門を結びつける資料は無い。
推測・・・父親の一本啓左衛門が、仲町で「一本」の店を創業し、本町の目抜き通りに店を移し、明治・幕末の店の繁栄を築いた・・・。

先日の西多摩地区議員研修会の様子。

政治ジャーナリストの泉宏さんの講演。

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政界の裏話など面白かったです。


...

小渕優子代議士の後援会問題についても話されていました。

誰がリークしたか、
永田町界隈では、わかっていないそうです。


(以下敬称略)
中選挙区時代、群馬旧3区は、
福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三が当選順位を争っていました。
総理大臣経験者が集まる選挙区だったんですね。
順位は、福田、中曽根、そして大きく遅れて小渕。


そして小選挙区制となり、
群馬旧3区は、群馬4区と群馬5区へ分割。
3人当選していたところが2人になりました。


現在、衆議院の選挙区。
群馬4区は、
福田赳夫(元総理)→福田康夫(元総理)→福田達夫

群馬5区は
小渕恵三(元総理)→小渕優子


あれっ。
中曽根は???ということで、

中曽根康弘(元総理)の息子・中曽根弘文が
群馬選挙区で参議院議員になっています。


ここで、小渕優子が議員辞職するかもしれない事態となり
中曽根康弘(元総理)の孫が選挙の準備を始めているとかなんとか。

という話もありました。


さて、話は変わりまして
議員になってから
市政に関する催しの予算については
こまめに調べています。


この毎年1度、開催される議員研修は、
議会費の「議長会負担金128万6,000円」の中から
費用を捻出して開催されています。

市民の税金です。


と考えると・・・。


この研修会への参加は必須ではありませんが、

「一度も参加しない」とか
「欠席して駅で演説してる」
とかは、あまりよろしくないなー。

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高校の時の体育の授業で
今でも記憶に残っているのが
バスケットボールの授業。...


ただの体育の授業に過ぎませんが
試合が非常に白熱しまして、
終了間際に、私・大勢待の放ったシュートが
スパっと決まりまして逆転勝利。


同じチームだった野球部のO山くんが
「スラムダンクみたいな展開だ!!!」
と、とてもハシャイデいた光景は
今でも鮮明に記憶に残っています。


それから、今年の夏のとある日。
総合体育館に立ち寄ったところ
中学生のバスケットボール大会がやっていました。

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試合を見ていたら
先の記憶に火がつけられたようで


「スラムダンク」を読まねば!
と思い続けて約3か月


先日、ついに近くのGEOで全巻借りてきました。


一気読みしました。


飲み会の席などで
時折、バスケットボールの話になると
飲むメンバーの年齢層にもよりますが
決まって
「スラムダンク」
の話が引用されます。


一般教養としての「スラムダンクの知識」は
必要だと思っていましたので
これで対応可能となりました♪

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