青梅市長 大勢待としあき

青梅市長 大勢待利明(おおせまち としあき)の公式ブログです。

2017年11月

「青梅幼稚園父母会連合大会」が
本日あったようです。
青梅市内の幼稚園に通う児童の父母が集まる大会。
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気になったのが、来賓。

知人が参加しておりまして

「市議会議員の大勢待さん、なんで来賓で出席しなかったの?」
と言われました。。。

いえいえ、案内来てません><;

いろいろ聞いてみると
来賓は"自民党の議員のみ" だったようです。
※一人ひとり紹介されたという。

「青梅幼稚園父母会連合大会」については、
今年の3月に、昨年度の活動報告が
市議会議員の「全員」に配られています。
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当然、私の手元にあるので
中身を確認してみると

ふむふむ。

確かに来賓として案内を送る先は
"自民党の議員のみ"になっていました。
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こと、都議会議員に関しては

昨年は、野村有信さん(自民党)には、
案内を出していながら

今回、新しく都議になった
森村たかゆきさん(都民ファースト)には、
案内を送っていないようです。

それと 宣言決議」の文面に
"市議会議員の皆様をはじめ・・・"
とあるので
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少し考慮する必要があると思います。
※冒頭の知人には
大勢待議員は、サボりなのかと思われてしまいました。

こと、幼稚園や子育てに関する取り組みならば
公明党議員や、共産党議員、私の所属する改革フォーラムも
しっかり取り組んでいますよ!

なぜ"自民党の議員のみ"なのか?
(オレをよべーという意味ではありません…)

この辺りについて
誰の意思決定なのか
知りたいところです。

『青梅再発見あの人この人』(大倉十彌也)
読んでみました。
大倉

話のネタにレジュメ作成。

以下、興味のある方だけどうぞ。...

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「都市近代化の先達 中村信吾氏」

0 中村信吾氏
・青梅ガスの先代社長。もともとは染色業。大門あたり!?
・「青梅ガス株式会社」を立ち上げた
・都市基盤に欠かせない都市ガス事業に取り組む。
・現代のインフラ施設を民間主導で作り上げる。

1 青梅市の上水道は東京府下で一番
・根岸太助(青梅町長)の尽力で1928年(昭和3年)3月末に上水道工事を完了
・同年4月、東京府下で一番早く公共水道の給水を開始

2 「ガチャ万景気」と市制誕生
・戦後の物不足の中、青梅がいち早く取り組んだのが綿織物の「ふとん地」の生産
・町全体の産業を盛んにし、いわゆる「ガチャ万景気」と称される。
・夜具地を織る織機がガチャと動くたびに〇万円も稼げたと言う意味

3 初代青梅市長・中村来内氏は、中村信吾氏の岳父
・戦後の民主化政策の課題として、自治消防署の設置が求められた折、青梅町と隣接する調布村と霞村との三者が協同で消防署を設置
・消防署の設置が契機となり、町村合併の協議が進み、1951年(昭和26年)4月、東京都で五番目、三鷹市につぐ市として「東京都青梅市」が誕生
・合併時、青梅町最後の町長を務めていたのが、信吾氏の岳父の中村来内氏。青梅市の初代市長。

4 区画整理と新市街地
・合併による市制誕生1951年(昭和26年)で、町村時代には考えられなかった大規模な区画整理や水道のなかった地域への給水計画がたてられた。
・市立総合病院が建設され診療が始まったのは、1957年(昭和32年)の12月

5 将来のガス需要
・中村信吾氏は、青年実業家らしく、新規ガス事業への出資を地域の人々に呼びかける。
・伝統産業としての織物業が盛んであった青梅や長淵地区では、当時も石炭がひろく使用
・繊維関連の染色工場や紡績工場の石炭ボイラー用の煙突は、青梅の風景の一部。
・石炭に代わって、プロパンガスのボンベが、エ場のわきに並ぶさまは、見慣れない光景であった。

6 はるか遠い「都市ガス管」
・中村氏の苦労
・世界最大規模のガス会社「東京ガス」の配管は、当時、立川市までで途切れる。
・青梅ヘガス管を延長する計画は無いとされる。

7 独自方式のブタンガス
・大手供給元からのガスが得られない。
・中村氏は発想を切り替え、ブタンガスによる独自方式の供給が実現できることを探しあてた。
・地元ゆかりの六人の出資者を得て株式会社設立に向けて、具体的な準備を1959年(昭和34年)12月、青梅商工会議所の一角で開始。
→質問・6人の出資者はだれか?
・翌1960年(昭和35年)5月「青梅ガス株式会社」設立。

8 需要は当初565件
・最初のガス供給プラントは、勝沼2丁目の山間に建設。1960年11月、都市ガスの供給が無事開始。
・社史にはこの時の需要がわずか565件にとどまったとある。
・日常生活の変革に関わる新規事業は立ち上げが困難。
・青梅の地形…丘陵と多摩川の変化に富む青梅の自然、複雑な地形の上に市街地で、ガスの供給管の設置が困難
・時に、社長の中村信吾氏は弱冠37歳

9 中村信吾氏の先見性
・公共性の高いガスの供給事業を、大企業の後ろだても無しに、多摩川の南がわの地区に、また山間部にも展開。
・都営や公社の住宅団地をはじめ、各駅周辺の市街地に限らず、長淵地区の高層マンションの建設を可能した大きな要因
・起業初期の困難な時代を経て、事業は発展。
・半世紀を過ぎた現在、初代社長のあとを継いだのが信吾氏の長男・中村洋介社長(現・安全協会会長)
・現在は20,000件を超える需要へ、
・新潟県の南長岡からの天然ガスに切り替えての供給も円滑におこなわれ「青梅ガス」は、青梅市での快適な住環境を得る上で公共性の高い企業となっている。

「道路・側溝・街路灯・街路樹、信号機の問題」については
直接、青梅市の管理課に問い合わせましょう!!!

9月議会では

...

『道路・側溝・街路灯・街路樹等の維持管理について問う』

というテーマで一般質問をしました。

市議会議員という立場になると、
市民の皆様からいろいろと要望を受けるわけで


よくお受けするのが、

「道路の補修をしてほしい」とか
「街路灯の交換・設置してほしい」とか
「街路樹を剪定・伐採してほしい」とか
「信号機の設置してほしい」など、

いろいろあります。


こういった話を聞いたのち、

市議会議員はどうするかというと・・・


主に、青梅市の管理課に出向き、


窓口で、
「道路を直してほしいという話が市民からありました」
とか
「街路樹を剪定してほしいという要望出てます」

ということを
管理課の職員に伝えます。


基本的に、市議会議員は、

「要望を伝えるだけ」で、

その先は各担当課で対応していただいています。


担当の職員が現地を確認し、
必要があれば改修等を行います。
必要がないと判断したら、改修しません。


誤解されている市民の皆様が多いのですが

「市議会議員が予算を付けて、計画を練って実行する」
ということは、100%ありません。


市民の方々が、
直接、管理課に行って話をされても同じです。
(市議会議員の口利きという方がさらに問題)


私が市議会議員になる前には


「ここの道路は〇〇議員が直してくれた」
とか
「うちの町から市議会議員を出さなければ、地元の道路が直せない!」
という話を、耳にすることがありましたが


自分自身が、市議会議員になってみて、わかりました。


「私が道路直しましたー!」
とか
「私が街路灯つけましたー!」
とか
「私が、信号機付けましたー!」
とか。


100%。ウソです。


いかにも自分がやったように見せて
次の選挙につなげるための手段の一つです。


私も「防犯のLEDつけた」とか、
「成木の橋を直した」とか
「河辺町の側溝直した」とか、
「長淵の信号機つけた」とか
言い切ってしまおうと、
フト思ったりもしますが


いえいえ、「窓口で伝えただけ」で
職員の皆様が、骨を折ってくれたことなので
「私がやりましたー!」
とは、言えません。


一方で
「オラが町から市議会議員を出さなければ、道路の補修や信号機が直せねー。」
とか
「あの先生がいるから、道路がなおった」
とか、ホント、だまされてます。


そういった議員に限って、
本議会や委員会において
行政の作った質問を棒読み!


青梅市の財政、政策の現状を読み解き、
行く末を提言するのが、市議会議員の役割だ!

今、青梅市の財政は、
市政の歴史で、最悪の事態だぞ。


・・・


今回、11月の、広報おうめに
「道路の異常を見つけたときは」
という情報が出ています。


H29年5月の広報おうめには
「街路灯の故障に気が付いたら連絡をお願いします」
という情報も出ています。


直接、青梅市役所に連絡すれば、OKです。


この辺りは、もっとシステマチックにして

『道路・側溝・街路灯・街路樹等の維持管理について』は
市民からの要望に、青梅市の管理課が誠実に対応しています。


市議会議員を会さなくて大丈夫。
そもそも市議会議員を介す必要がない。


ということを、もっと広報すべきです。


皆様。
頭に入れておいてください。
道路
街路灯

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