青梅市長 大勢待としあき

青梅市長 大勢待利明(おおせまち としあき)の公式ブログです。

カテゴリ: 読書

2023.6.16(金)は
東青梅駅よりスタート!
そのあと地域まわりをしていたところ
「この本を読みなさい」と
田中角栄の本を3冊いただきました。
戸別訪問3万件
辻説法5万回、これをやれ。
やり終えたら改めて
オレのところに来い
というページを開いて渡されましたので
何とかクリアしてみたいと思います。

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本日(2023.5.19)の朝は
河辺駅よりスタート。
その後、図書館にて
『大田堯の生涯と教育の探求』を
読んでみました。
○以下、読後に思い浮かんだこと。
青梅市には、学校教育だけでなく、
自然、スポーツ、音楽、文化芸術など
体験系の豊かな学びの場が沢山ある。
この豊かな学びの場において
子ども達一人一人が、
好きなことに没頭して
ユニークな課題を見つけて、
ユニークな答えを出していく。
その子なりの「問いの立て方」
「答えの出し方」が大事で
その子の未来を創るエネルギーになる。
そして青梅市に留まらず、
未来の世の中を創っていくエネルギーになる。
こんな流れを創り出す青梅市の教育にしたいね。

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ここ最近の2か月。全くの別ルートで、2人の方から
「大勢待くん、この本は読んだ方がイイ!」
と薦められました。
「むむ。これは、今、読むべきである」
という天からのお告げと判断しまして
たった今、ヤフオクで購入。

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高橋是清を知ったのは、日露戦争について調べていた時のことです。
(私が大学2年生くらいの時だったでしょうか)

日露戦争といえば、バルチック艦隊を撃破した日本海海戦が有名。

しかし、そもそも戦争を始めるには、軍事兵器や石油・食料の買い付け
また軍隊の給与など、莫大な資金が必要なわけで、
資金をどれだけ準備できるかが戦争の勝敗を決定づけます。

当時、ロシアと日本を比べて、どちらが勝つかと見積もった場合、
世界の投資家はどう判断するでしょうか?
(圧倒的にロシアです)

そんな中、当時、日本銀行総裁の高橋是清は、
日本の外債を売りに海外を渡り歩き、13億円の資金調達に成功。
当時の日本の一般会計歳入は2.6億円。
日露戦争の総戦費が18億円ですから、
いかに莫大な金集めだったかは一目了然です。

日露戦争で、日本が勝っていなかったら今の日本はありえません。
高橋なくして、日露戦争の勝利なしですね。

高橋是清、本人の人生に注目してみると
生まれは私生児で、アメリカで奴隷になったり、就職しては辞めたりと波乱万丈。
しかしどんな逆境でも、それを糧として前へ進んでいくという
まさに型にハマらない人生、豪傑です。


以下、本の中から僕が気になった文章を抜粋
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~・~・~・~・~・~・~・~

人間の運命というのものは実に妙なものだ、もしこの場合、私が菓子屋の養子となっていたら、あるいは一生菓子屋で終わったかも知れぬ。少なくとも今とは全然異なった立場にあったに相違ない。人の一生は実に間髪の間に決るものだ。


私は子供の時から、自分は幸福者だ、運のいい者だということを深く思い込んでおった。それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつかよい運が転換してくるものだと、一心になって努力した。今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめる原因じゃないかと思う。


私がアメリカへたつ時、祖母は切腹の法を教えると共に一口の短刀を授けて男子万一の場合の心掛けを訓えてくれた。


祖母が人というものはいよいよ死ぬる際になると、ともすれば安心が出来ぬ、迷いが起る。その時は、はたから注意してやらねばならぬと始終いっていた。


死ぬる間際は、よほどの英傑でも、ややともすれば気が飢えて、心がうつろになるから、その時には、はたにいるものが、ちょっと気をつけてやらねばならぬ。


観音様の信者が観音様に参詣する時の気持――即ち信者を自分とし国家を観音様と見るならば国家というものは大切なもので、己れの恃むべき最上のものだとは思っていたものの、ちょうど観音様と信者のように国家と自分とは、離れた別個のものであるように理解しておった。
ところが前田君と二日ばかり話をしている間に、どうも自分の今までの国家観念が浅薄であったのに気がついた。国家というものは自己を離れて別にあるものではない。自己と国家とは一つのものである。観音様と信者とは一体になってこそ真正の信仰である。国家もこれと同じだ。とこういう風に考えるようになった。


私がよく「根本」「根本」といって、原内閣時代でも「君はいつも根本とか国家とかいうことぱかりいう」といわれたが、それは農商務省で前田君に始めて会った時に感じたことが因をなしている。今ここにある事柄が起り、これをどう処理したらよいかという場合、一時的のことは考えない。起れば起った原因から調べて行かねば気が済まぬ、これが前田君の意見書を作る時からズッと養われて来た考えだ。だから、私の意見は時に今日の世の人の意見とは合わないことが多い。


さて、家を引越してみれば、今度はどうして家族を養うかということを考えねばならぬ身となった。
友人たちの中にはいろいろ親切に奔走してくれて、あるいは北海道庁とか某県の知事とか郡長とかに世話しようと再び官途につくことを勧めてくれたが、私はいずれも厚く親切を謝して断った。というのは、これまで私が官途についたのは衣食のためにしたのではない。今日まではいつでも官を辞して差支えないだけの用意があったのである。従って上官のいうことでももし間違っていて正しくないと思うたときは、敢然これと議論して憚るところがなかった。
しかるに今や私は衣食のために苦慮せねばならぬ身分となっている。到底以前のように精神的に国家に尽くすことは出来ない。時によれば自分の意に合わないことでも、上官の命であればこれを聞くことを余儀なくそれぬとも限らない。かかる境遇の下で官途につくことはよろしくないと考えた。


自分は昨年伊藤伯に向って、この時世は八方美人主義では渡られぬことをしばしば力説したが、伯は円滑主義に囚われ、あらかじめ一定の方針を樹てず、時の勢いに順うべきを唱えて止まない。よって自分は伊藤伯に向って、円にして方ならざれば今の世に処すること難し、自分は馬車馬主義である。君の壁馬主義にはお供は出来ぬ。君らはよろしく相伴って早稲田に至り、頭を下げて総理の職を隈伯に譲るべしといって物別れした。結局そうなるよりほかはあるまいといわれた。


講和談判の成行きについて列国は非常の注意を払っていたが、なかんずく露国は遼東半島の割譲をもって自国の東方経略を阻害するものとし、突如四月二十四日、仏独両国を誘い、我が外務省に対して正式干渉を提議して来た。即ち曰く「貴国が遼東半島を永久に領有するは東洋永遠の平和によろしからず、よってこれを清国に還付し、世界の平和の資せられんことを望む」と、干渉はわが政府並びに、国民にとって青天の霹靂であった。


当時私はわが通貨の不足を補うには、いたずらに支那から取った償金に頼るようではいけない。それよりもむしろ信用取引の増進を図ることが最大の急務であると考えていた。現に欧米諸国においては、例え百万円の資本を運用するにしても、現実に貨幣の流動する高はその二割に止まり、他の八割は信用取引によってこれを弁じている有様である。これに反して我が国においては信用取引に属するものは一割五分に過ぎずして、八割五分までは通貨の流動を必要とする状態にある。ゆえに資本増加の途は一に不足せる信用を堅実に涵養するにある。そしてこれを涵養するの手段はまず実業の大勢を整備せねばならぬ、と考えていた。


欧米の実業界においては、新たに事業を起しまたは会社を設立するなどの場合には、まずその基礎的計画は如何、これを担当する人々の人物如何ということをまず研究し、この二ツのことが備わって始めて金が集まるのである。しかるに我が国においては、名士の名によってまず金集めしかる後担当者を決める。従って基礎的計画の堅実さや担当者の技能如何は軽んぜられ、そのために最初にはプレミアムが附いた株も、事業着手の後予期に反することたびたびである。すでに民間の事業の状況は以上の通りである。


この時私はカーネギーの青年訓中、人間の三大敵として、飲酒、加判、投機の三ツを挙げてあることなどを思い出し、これに皆にも語り閑談数刻、おのおの歓を尽して夜遅く家に帰った。


その時私は、人間は感情の強いものであるから、船に乗った場合などに船長の批評をしたりすることは堅く慎まねばならぬものだ、と深く感じた。


アルフレッド・ロスチャイルド氏の別荘に招かれた時も、氏は日本が償金を要求することは当然であるが、あまり巨額になってはいけない、かつ償金が決定しても現金は困難であるから結局ロシヤの公債を受け取ることになるであろう、とてその場合における処理方法等を注意してくれ、またサー・アーネスト・カッセル氏ももし償金としてロシヤの公債を受取ったら、やはりロンドンとフランスの市場で売出したらよかろう、と言ってくれたくらいで、英米における財界の人々の間には、日本がロシヤから償金を取ることくらいについては、何人も異論のないところであった。

長崎の議員研修会で配られた資料の中に
観光パンフレットが入っていまして
その中に、
遠藤周作・原作の映画
「沈黙」の紹介がありました。
長崎が舞台の話です。
気になったので、早速チェックしてみました。
遠藤周作を読むのは久々です。
大学1年の時に
「キリスト教概論」という
全学部共通の
必須科目がありまして
その時の課題図書の1冊
遠藤周作「キリストの誕生」について
レポートを提出した記憶があります。
さて、今回読んだ遠藤周作の「沈黙」。
宣教師ロドリゴが、
これでもかというくらいに
キリスト教禁止の過酷な拷問(というか試練)を受け、
そんな中、神からの救いは何もなく、
神の救いの声は全く聞こえてきません(=神は沈黙する)。
敬虔なキリスト教の宣教師ロドリゴでさえも
「果たして神は本当にいるのか、いないのか?」
というところまで追い込まれます。
さて、宣教師ロドリゴは、どうなるか?
それは読んでのお楽しみ。
キリスト教を禁止する日本側の理由も
シッカリと書かれていて、
とてもよくできている小説であると思いました。
映画を観てから、小説を読むという順番がいいでしょう。
※写真の教会は、話の最初に出てくるマカオの教会(2006年訪問)
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