ぼちぼちと2

     生活や人生設計に間接的にかかわる防災や地球科学のおはなし

     ・・・でも毒にも薬にもならないお話が中心です。通勤途上の暇つぶしにご利用ください。

     『唯一生き残るのは変化できる者である』 チャールズ・ダーウィン

リスクコミュニケーション

直感はこれほどまでに予想通りに豪快に間違えを犯す!利用可能性ヒューリスティック

地球温暖化、土木の技術基準の一部、、、、これなんじゃないかなぁ。

いくらデータで示しても、頑として受け入れない方々は、利用可能性ヒューリスティック(Availability Heuristic)の罠にハマっているんじゃなかろうか?

利用可能性ヒューリスティック

災害と防災のための心理学(4)リスク認識が歪んでいることを受け入れる(2017/9/15)
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昔、友人と議論していた時「自分の意見の方が正しい。なぜなら、そう言う場合を自分の周りで最も多く見るから。自分の周りで多く起こることなら、統計的にも多いに違いないだろう。」と言われたことがある。けれど、その主張は完全に間違っていたことが利用可能性ヒューリスティックによって説明できる。自分の身の回りに頻繁に起こることが、必ずしも現実世界を正確に反映しているとは限らないからだ。
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「みんながそう言っているから」が根拠のときですね。。。

これと似たバイアスに「正常性バイアス」というのがあります。逃げずに被災する人たちに存在していると言われています。「自分だけはダイジョブだ」という思い込みのことです。思考停止に近いですね。

でも、正常性バイアスでの説明は違うように思い始めました。彼らは自分のことを決して「考えない人」だとは思っていないだろうし、大雨が降り始めたら「いろいろ考え」ていると思います。自分の望ましい結論があって、それを支持する情報だけを無意識のうちに集め、「熟慮」した結果逃げないのではなかろうかと思うようになりました。

「あなたは、正常性バイアスによって自分だけは大丈夫だと思って思考停止して逃げない」と言うと、「私はよく考える人間なので、そのグループには含まれない」と反論する人が大半だと思います。

「よく考えるけど、無意識に都合の良い情報だけを集めて判断している」と言うと、「そうかもしれない」と考えてくれるのではないでしょうか。

利用可能性ヒューリスティックって、語呂が悪いので、、普及させるために、Availability Heuristicから「アベヒュ」とでも言いましょうか。

地質リスクの共有

おそらく、全地連などの陳情の成果が上がったのだと思います。

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3者会議に地質技術者/リスク情報の共有徹底/国交省 直轄事業で試行開始2017-04-10
国土交通省は、2017年度から発注者と設計業務の受託者(設計者)が行う合同での現地踏査や、施工者を交えた3者会議に地質技術者を参画させる取り組みを試行する。地質調査で明らかになった地盤に起因するリスクを設計業務に的確に反映させることが狙い。より上流の段階から関係者間の情報共有を徹底することで、設計業務におけるミスや施工段階での手戻りを防ぐ。
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これは、とても良い方向に全体が動く可能性を感じることができて良いと思います。

1.施工者は、工事で予想が外れるとマズイ場所はわかるので、その場所の地質の推定の確実性について地質屋に聞いたら良いです。地質図や地質断面図になってしまうと、「推定の曖昧さ」の情報が消えてしまいます。これを確認することはとても意味があります。

2.推定の曖昧さは、実際に山を歩いて地質図を書いた人しかわかりません。「名ばかり地質屋(外注に歩かせた人)」には対応できなくなります。正常化への確かな一歩になるでしょう。

3.結果が地質屋にフィードバックされます。推定は「当たったか、外れたか」の答え合わせをして確度が磨かれます。これまでは、報告書の書きっぱなしということが多かったと思います。良く外れるから、設計者は頭から信用しないで、基準の標準値を使うし、施工者は独自に調査していました。

4.「地質リスク」についての知見が深まると思います。地質調査業界が「地質リスク」という時、えてして「ボーリングの数が少ないと地質の推定が曖昧になります」というバカみたいな説明をしていました。「何本なら良いんだ?」と返されると答えられませんでした。明確なあいまいさの指標が必要になります。

地球統計学では、推定の「確からしさ」や「不確からしさ」を確率で表現できます。確率の良いところは、期待値が計算できることです。確実性が小さくても、それで発生する手戻りが小さければ、無視しても良いという答えになることもあるでしょう。

逆に、確実性はとても高いが、絶対確実とまでは行かず、その影響が安全性や工期・工費に莫大な影響を与える、となれば「確度をあげられる場所」に追加調査を行う判断ができます(EVSはその場所を計算から導けます)。
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これまで地質屋は「勘」で対処してきました。理学的知識と経験に基づく「勘」なので、「当てずっぽう」とはかなり違います。でも、だからといって地質の素人が「勘」に納得するわけではありません。

勘と計算をミックスさせる必要があります。最低限、悲観的マップと楽観的マップくらいは作って説明する必要があるでしょう。
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地質調査業界が「ボーリング屋」から脱却する必要があるということです。

災害は人為的「事故」

naturaldisasterナショナル・ジオグラフィックのHPに、Natural Disastersのページがあります。Natural Disastersと書かれているので、被害の観点から書かれているのだということがわかりますが、もし書かれていなければ「活き活きとした大自然の営み」と書いてあっても違和感はないでしょう。

奥西先生の退官記念挨拶が書かれているページに、Natural Disastersについて、日本人の捉え方とイギリス人の捉え方が大きく異なるようだ、ということが書かれています。

災害についてイギリスで考えたこと 2.災害の認識について
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/Kazuo.Okunishi/retire.html

イギリス人は、Disasterを「事故」に近いイメージでとらえているようです。事故というからには、人間が引き起こしたもの、という意識なのだろうと思います。

自然が壮大な自然現象を常に引き起こすということは、当然のことです。その中で人間が比較的その確率が低いと思われる場所に住み、そうでないときには被害を回避するための措置をして都市を造ってきました。

したがって、災害=事故に遭うのは、自然に対する認識の甘さや、被害回避措置を造った時の知恵の不足という、「人間側の問題」です。

大きな災害が起きた後、「二度とこのような災害が無いように・・・」という常套句が言われますが、その中に「自分は何もしないけれど、行政にいろいろ頑張らせよう、自然現象が起きないようにしよう」という当事者意識の欠如が隠れているような気がしてなりません。もし、当事者意識があるのであれば、いま不足している回避措置を自ら補おうという行動をするはずだからです。

自然現象は全て善で、災害は全て人為的事故、というくらいに割り切って考えてみる必要があると思います。

輪島の漆塗り的防災啓発

先日脳梗塞を起こし治療して回復された方からお話を聞きました。「タバコはやめないかん、と言われた。というよりも、今ごろタバコ吸っている人がまだおったんや!と不思議そうに言われた」とのことでした。

いま地球温暖化同様に信じ込まれているタバコの害ですが、1492年にコロンブスがアメリカ大陸にでタバコに出会って以降長い間、“優れた薬効を持つ薬草””万能薬(特にペストに対する予防効果)”と信じられてきました。19世紀までは「薬」だったのです。

ここ20年くらいの間に、だれもが肺癌や脳卒中の原因となる毒物と信じるようになりました。しかし、武田先生が書かれているように、そのきちんとした根拠を知る人はほとんどいないようです。

タバコ・・・中間まとめ(感情的対立の原因)−2
http://takedanet.com/2012/03/post_bdce.html
”あまりに数が少ないのに断定的な結果を出したことに国際的にも糾弾されたのですが、その時に論文の著者は「タバコを廃絶したら、こんな論争は無くなる」と言いました。その後、この人の論文が日本の国の委員会でも問題になり、元データの提出を求めた委員に対して、座長が「資料は公開できません」と言った。”

タバコ・・・中間まとめ(感情的対立の原因)−1
http://takedanet.com/2012/03/post_80c8.html
”「それしかない」ということで、ほとんどすべてが「根拠を示していないいかがわしい論文」を参考にしているのが不思議です.”

理由がはっきりしないのに信じている状態、、、というのは、ワイドショーが大好きな「マインドコントロール」ネタそのものではないかと感じます。

理由がはっきりしていなくても、何度も何度も輪島の漆塗りのように脳味噌に情報を塗りこまれると、いつのまにかそれは真実であると思うようになります。ビジネスとして見ると、このことで利益を得るのは医療業界なんだろうなぁと漠然と思っています(ですからお医者さんがたは一生懸命PRに努めています。どうしてもタバコがやめられない「患者」がいることを知っているからだと思います)。

地球温暖化人為説も、刷り込みによって信じ込まされているものですね。これもCO2処理に関連した産業界と密接な関係があるとおもいます。地質学(地球の歴史)を勉強すれば、「何馬鹿なこと言ってんの」ですから。

話はタイトルに戻ります。

理由が無いのに信じ込まされているものがある一方で、理由があるのに、自発的な防災対策はほとんど誰もしません。情報の重ね塗り回数が乏しいからだと思います(もしかすると理由の無いものの方が刷り込みやすいのかもしれません)。大きな災害が起きた直後に1年間くらいヒートアップしますが、その後は次第に減ってきます。手段として「語り継ぐ」という善意・熱意だけに依存したやりかたをしていれば当然そうなります。

建築確認、開発確認申請時には必ず既存擁壁の健全度を調査しなさい、、、造成地の盛土地に家を建てる場合には地震時の安定性を検討しなさい、、、埋め立て地なら液状化・・・、、というように「制度で固定化」することが大切です。情報の上塗りの回数が増えます。

まさに防災マインドコントロールすべく、輪島の漆塗りに負けないくらい何度も何度も情報を上塗りしなければなりません。このブログで、軽いタッチで防災について何度も何度も情報発信しているのは、輪島の漆塗り作戦なのです。

いまだにうまくいったという実感はありませんが、タバコで成功したのと同じように「えっ!いまだに防災のことを検討せず立地条件や価格だけで不動産購入するようなアホな人がいるの!?信じられな〜い!」と多くの人が言うようになるところまでやっていく必要があります。結果として防災産業が潤う訳ですから、防災産業を生業にしようと考えている人たちは、一役担ってほしいものです。

防災教育と理不尽な法指定と

昨日の続きです。

「防災教育」というと釜石の奇跡などの美談がありますので、良いものという印象で捉えます。土砂災害防止法などによる「理不尽な法指定」というとお上の横暴という悪い印象で捉えがちです。

でも、何の指定もされていなかった、造成地の谷埋め盛土が地震時にどうなったか、浦安などの埋め立て地や沖積平野がどうなったのか、ということを思い出してみてください。

そこにある危険を全く知らないまま(専門家側からは全く知らせないまま)、大きく被災して大きな財産を失うという結果になりました。事前にその情報が知らされていれば、もっと安全な場所に引越だってできただろうし、高価と言っても一度きりの地盤補強対策を実行していたかもしれません。その時に備えて、蓄財していたかもしれません。

雨が多く地震が多い日本は、「自然が豊か」な半面「自然現象も豊か」で「自然現象を起因とした災害」も多いわけです。そのため自然崇拝的な原始宗教が日本人の心の中に根付いているとも言えます。

防災教育が行き届くのであれば、理不尽な法指定は単なる理不尽なのかもしれません。しかし、防災教育を受ける人は防災教育が必要のない意識の高い人ばかりで、防災教育が必要な人は決してそれを受けには来ない、という現実があります。機械的で理不尽な法指定は、極論ですが防災教育の代わりをしているとも言えます。

もし、一般市民が防災教育を受け、理解するようになれば、そもそも制約付き危険区域指定などは不要になるのです。現時点では、その見込みがまったくないように思えますので、しょうがないという面があります。

造成地の盛土で地震時に危険だと判定され区域指定されていたら、指定時に大文句をたれたとしても、被災を免れるかもしれません。ハザードマップで液状化危険性が示されていていても、建築確認申請要件に無いので無視し被災するのと、「液状化して財産を失っても不服は申しません」という誓約書に署名が必要でいろいろ思案の経験があるのと、どちらの人が生活再建が早いでしょう。

法指定を受けた人たちが、「危険な場所だったんだ!」ということに気づき、「でも機械的な指定なので本当のところはわからないから、専門家にセカンドオピニオンを求めてみよう」ということが当たり前になれば、それこそ時代の転換点になるのでしょう。

再建度マップ

燃えやすさ、揺れやすさ、液状化マップなどといった危険度マップは、消防屋さんや地盤屋さんたちが好んで作ります。しかし、一般市民の心には響きません。

災害に対して実感できる話は、ことが起きた後で元の生活に戻れるまでにかかる時間に関することです。たとえば地震が発生し、何らかの被害を受け、それから1週間後には元の生活に戻れるのであれば、それは何も恐れることはありません。しかし、それに3年かかるとすると、それまでに自己破産しているかもしれません。これは生活破綻です。

自然現象というどうしても避けられない事象に対して、それを一過性のものとできるのか、その後の人生に深い悪影響を与えるのかということを考えねばなりません。「命さえ助かれば良い」というのは防災・減災目標としては不適当だと思います。「短期に生活が再建されれば良い」であればOKです。

その目標を達成するためには、次の点が不可欠です。

(1)住居および周辺のライフラインなど生活に不可欠な設備の損傷が軽微であること
(2)仕事(収入)が継続できること
(3)収入が著しく低下しないこと、もしくは残された財産が十分であること

命があることとか、大けがをしないことについては、当然必要なのですが、そんなレベルの目標では全然ダメだと思います。ただし、公が行う防災では、そこが最重要になることは当然です。公の防災目標と、市民個人の防災目標は、当然違うのです。

道路や鉄道といった公共施設についても同様で、機能回復時間でものを考える必要があります。法面が崩れても、除去するだけで機能回復するのであればあまり対策はいりません。しかし、沢埋め盛土や谷渡り盛土のように、流失してしまうと仮設道や仮設橋が必要となるようなものは機能回復に相当の時間がかかりますので、事前に早期機能回復できるだけの被害で収まるような対策をしておく方が賢明です。

技術屋や研究者は、興味の深いものを重要視する癖があります。沢埋め盛土や谷渡り盛土が崩れることに学問的興味はあまりありません(必ずしもそうではないのですが)。しかし、切土法面が崩れるのはいろいろ興味深いことがあるので、そちらを重要視したくなります。でも防災の視点では、それは誤りです。

「生活破綻・家族離散の恐れが非常に高い」

土砂災害に対する警戒避難体制の整備・対応というセッションでの発表原稿の内容を思案中です。

「土砂災害の恐れが非常に高い」という表現が、大雨が降った時にテレビやラジオから流れてきます。よくわかりませんが一般市民は、下記のように捉えるのではないでしょうか。

「土砂災害」・・・イメージできない
「恐れ」・・・可能性がゼロではないことを言っているんだろう
「非常に高い」・・・行政用語だろうから、たいしたことはないだろう
全体として、なにかあったら公助でなんとかしてくれるだろう

また、「土砂災害の恐れが非常に高い」は、今頃言われたって逃げる以外何もできないじゃない!ということでもあると思います。ほとんどの財産が家とその周りに置いてあるのに、逃げられるかいな!ということもあるでしょう。

被災後にどうなるのか、という視点でとらえた場合、「土砂災害の恐れが非常に高い」は次のように言いかえられます。

「生活破綻・家族離散の恐れが非常に高い」

これならテレビドラマを見ている人たちにわかり易いのではなかろうかと思います。実際、被災とは、自然が人間生活をアタックした瞬間よりも、その後のマイナスからのスタートになる生活の過酷さの方が大きな「災害」なのです。

「その時逃げるだけなら、生活破綻・家族離散の恐れが非常に高い」

とまで前もって具体的に言っておけば、少しは真剣味が出るかもしれません。

その時に 逃げるだけなら 生活破綻 (標語風、5・7・5調)

その時に 逃げるだけなら 家族離散 
(語呂はこちらの方が良いが、家族離散は、生活破綻に引き続いてやってくるという説明まで必要なのでわかりにくいかも)

防災の目的は、生活破綻・家族離散を避けることです。命を守ることではありません。自らの命が失われても、残された家族が破綻せず、満足できる人生を送ることができるのであればそれで良いのです。自衛隊・消防・警察・海上保安庁・・・みなさんそうじゃないですか。これは特にオスの役割です。

防災小話

片田先生の言葉として週刊現代に書かれていました。「防災意識はあるのに、現実には何もしていないというケースが圧倒的に多い。個人も、行政もそうです。そして、何をすべきかわかっていながら、何もしないうちに”その時”を迎えてしまう。」

四コマ漫画で、防災のことを知ってもらうための原作をつくっています。(いまだ実現したことありません)

片田先生のお話しは、第三話と通じるものがあります。ちなみに「全部アンハッピーエンドだね!」と評されています。

第一話:「焼いちゃったとさ」
親孝行の息子夫婦と、優しい親夫婦が隣り合って住んでいたとさ。息子夫婦が家を建てるとき、一緒に丈夫な二世帯住宅にしようと思うんだがどうだい?と親夫婦に尋ねると、私らは先が短いんだから、自分たちの家にお金を使いなさい、と断ったとさ。大きな地震があって、息子夫婦の家はびくともしない。でも、親夫婦の家が倒れて、そこから火が出て、息子夫婦の家も焼いちゃったとさ。

第二話:「俺は運動神経抜群なんだぜ」
体力・運動神経に抜群のセンスを持つ若者は、貧乏だったとさ。ボロ屋に住んでいるけど、自分の運動神経を持ってすれば、ぴょんぴょんと瓦礫の中を逃げていけるのさ。でも大きな地震があって、家具が落ちて、足が折れて挟まって動けなくなって、そのあとで火が回ってきたんだとさ。

第三話:「何もしなくても十分ですの」
私はとても防災に興味がございますの。NHKスペシャルも欠かさず見るし、近くの防災講習会はもちろん、遠くても出かけていって聞きますの。いっぱいいっぱい興味を持ってますの。それで十分ですの。満足してますの。何も準備はしてませんの。ホホホ。

「では、どうするのか?」に答えるのが防災

なぜ有識者は橋下市長に議論で負けるのか
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120131/297845/?ST=business&P=1
田原総一郎氏が、橋下大阪市長について興味深いことを書かれています。

”討論の際、相手の批判を受けて橋下さんが「では、あなたならどうしますか」と問うと、対案が出てこないのである。日本の与党を批判する野党が、与党から「では、あなたならどうするか」と問われると対案が出てこないのと同じ構造だ。”

防災でも良く似たことがあるような気がします。災害が起きて、マスコミが偉い先生に「では、どうするのか」と問えば、調査をしてメカニズムを明らかにする、という答えが返ってきます。もちろん研究者はそれが仕事なので、その答えも間違いではありません。でも聞いている人は、私たち市民はどう備えたらよいのですか?という意味で聞いています。研究者がメカニズムを明らかにすることなど興味の対象外のはずです。

「じゃあどういう方法が良いか、ということは私にはわからないけど、とにかくあなたのやり方は、いくら当ると言っても理論的に矛盾があるので間違っている」と、メカニズム研究者は確かにおっしゃいますね。。。

東日本大震災で釜石の小学生が起こした行動は、群馬大学の片田先生が指導された成果でした。片田先生の避難三原則は、メカニズム論とは全く異なります。「では、(私たち市民は)どうするのか」の答えになっています。明快な答えというほどわかり易くないので、それを教育で繰り返し刷り込んでいかれたのだろうと思います。

一つ目は「想定にとらわれるな」

二つ目は「その状況下において最善を尽くせ」

三原則の最後は「率先避難者たれ」

有識者 VS 橋下市長の構図は、メカニズム研究者 VS 片田先生と似ているような気がします。もちろんメカニズム研究が良くないなどということはまったくありません。本来研究とはそういうものです。防災は科学ではなく技術なのです。研究がすぐに役立ったりはしません。役立たないから研究なのだ、と言い切っても良いと思います。

防災技術はいわゆる研究とは違って、いま置かれた状況の中で市民の「では、どうするのか?」に応えなければなりません。良く研究し、良く勉強してから、メカニズムを明らかにします、は求められている答えではありません。

脳科学や精神科学を一生懸命研究している人よりも、占い師の方を市民は頼りにするのと似ています。

ここらで災害発生メカニズム研究と防災とは異なるという認識をはっきり持ちましょう。

「義務付ける」のはやめて「知らせる」だけにしましょう

仕事柄、行政からの仕事を受ける場合もありますし、民間の企業からの場合もありますし、個人からの場合もあります。個人からの場合、当然のことながら自分に関係することで相談があります。

理想的には、「自分の住んでいる場所が安全か危険かを知りたい。もし危険であれば、安全になるように対策したい」という技術コンサル依頼を受けたいと思いますが、現実はそうはなりません。

規制・法制度・損害賠償云々といった、おどろおどろしい話になります。

その中で、法指定・規制に関するものは、世の矛盾を感じ、かつ行政の防災担当者を大変気の毒に思います。私個人の改善案も持っています。

土砂災害防止法による法指定(特に特別警戒区域)、造成宅地防災区域について懸念を持っています。

土砂災害防止法による法指定は、特別警戒区域に指定されると、構造物を強固にする義務が生じるとともに、地価(財産価値)が下がります。造成宅地防災区域は、ほとんど指定されていませんので未知数ですが、安全化対策の工事をする義務(しないときは罰則あり)が生じ、同時に地価が下がります。

要するに、住民個人にとってみれば、防災という国や自治体がするものと信じていたものに対して、自分のお金を拠出しなければなくなり、かつ財産の価値が下がり、土地がれなくなるという、踏んだり蹴ったりの状況になります。

そして、出てくる苦情として最も多いのは、「迷惑だから指定を外せ」というものです。当然行政の方もそうなることを織り込み済みで、「ルール通りにやったので指定は外せない」ということになります。住民にとっては、財産の目減り阻止が最大の興味で、安全か危険かはあまり興味がありません。

規制や義務をかけるからそうなるのだろうと思います。私は、土砂災害防止法の精神、「(行政が危険情報を)伝える努力」「(住民が)知る努力」だけで良いともいます。そして、何もせず被害が発生した場合には、粛々と民法の工作物責任を適用する。

外為オンラインのCMで「あなたのためだから」と恩着せがましく言う面白いものがありますが、いまの法指定はまさにその感覚を感じます。「あなたのために安全化対策を義務付ける」とやると、「義務付ける」ところだけに反発してしまいます。

私の提案は、個人を尊重し、個人の自由と責任を明確化することだと思います。地盤の危険性だけでなく、法的責任についても伝えておく必要があるでしょう。そうすると、「危険・責任」のところだけが頭に残ることになると思います。

「あなたの場所は特別危険なのだけれど、行政側としてはそれを知らせたので、あとはあなたのお好きなように。もらい災害型の場合には、発生源の対策を所有者・占有者に要求してください。また、あなたの土地が原因者となる場合、すでに危険と評価されているのですから、何も対策せずに第三者に被害を及ぼした場合には、工作物責任(無過失責任)よりも重い賠償がくるかもしれませんよ。」

もらい災害型の場合、その原因が土石流や地滑りにある場合には、その対策があまりにも多額の費用になるため、移転制度などを行政型の仕組みとして持っておくのが良いのかもしれません(すでにあると言えばある)。直接対策する費用と、移転費用との天秤で考えればよいと思います。

自然現象が災害になるかどうかは、住んでいる場所とその自然との距離(いろんな意味で)の問題です。自然が大好きな人は、自然に近付こうとしますが、その分危険度は高まります。とはいえ生きている満足感は高くなるわけですから、自然から離れなさいと命令するのは個人の尊厳を無視した話です。

「そんな危ない場所だったとは知らなかった」と言わせない、ということが防災としてやるべきことです。それ以上のことは、当事者の判断に任せましょう。

「あなたを安全にしてあげるために、お願いですからこの対策をさせてください」というのは「あなたのためだから」のCMと同じくらい、変な話です。「危険性を教えてくれてありがとう。でも、天気予報を見て、避難勧告が出るずっと前に安全なところに避難することにしていますから私は大丈夫ですよ。たとえ家が壊れても、ちゃんと再起できるだけの準備もしていますからご安心ください。」という大人の会話ができなきゃだめです。

実際問題、1000兆の借金で、100兆予算の1/2を毎年借金している状態ですから、自然現象を起因とした災害に対しては、あまり遠くない将来、自治体単位の存亡に関わるレベル以外は対応できない、という時代が来るかもしれません。防災は自分で考えてやりましょう。

宅地盛土の地震時被害軽減を目的とした地盤技術者のアウトリーチ活動

jls20111207太田英将・廣野一道・林 義隆・美馬健二:”宅地盛土の地震時被害軽減を目的とした地盤技術者のアウトリーチ活動”、日本地すべり学会誌Vol.48、No.6、pp.40-45、が入った学会誌が送本されてきました。

この号は、「地震に伴う人工地盤の地すべり」特集号です。

jls20111207_2内容の大半は2005年に行ったものですが、発表の機会が無かったので、この機会に記録しておこうと思いました。著者の一人の廣野さんは、京都のお寺の住職さんですが、宅造法改正を担当された霞が関の行政官でした。

今回被害にあった東北地方太平洋側の方々に見ていただきたいのは、表-3です。神戸地震での被災地である6つの地方自治体および1つの大手ハウスメーカーにヒアリングをした結果を載せています。神戸地震直後ではなく10年以上経過した2005年9月のことです。

私がこのヒアリングを実施しましたが、正直言ってがっくりきました。あれだけの被害がでていて、地震後10年間のうちに様々な技術的な成果が出てきていて、しかもその担当部局の人たちの反応がこれだったのです!(当時の記録ともいえますが、雰囲気は何の改善もないようでした。なんといっても造成地内の盛土に対する認識がまるでなにもないのには驚きました。)

これから6年経って、東日本大震災での宅地盛土滑動崩落に対する国からの援助は、この表を見た後であれば「凄い!宅造法改正のおかげかも」と思えるものです。法改正までしているのですから「新発見」ではあり得ず自治体は調査をして被害を未然に防止しなければならない立場だったからです。

6年前には、まったくの無関心。そして5年前の2006年の法改正直後は、「なんて面倒なことをしてくれたんだ!」という空気(実際法改正後は梯子を外された)だったのですから、短い期間ですが隔世の感があります。

行政と法律との関係が少しわかった事例です。

災害予防効果がまだ現れていないので、結果として良かったのか悪かったのかすらよくわかりませんが、今回の被災者の方々を応援する側の政策(造成宅地滑動崩落緊急対策事業:事業費約297億円、擁壁復旧及び地盤対策への助成:助成額約25億円)に少しは役に立ったのではないかと思っています。

フェリー転覆事故もイギリスでは災害

ある地域の土石流の文献を探しているうちに、奥西先生のページに行き着きました。そしてイギリスの災害に対する考え方が書かれているところで、とても心に残る記載がありました。

災害についてイギリスで考えたこと「自然災害科学」第6巻第3号より転載
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/Kazuo.Okunishi/retire.html

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イギリスでは保険が発達しており,くだんのフェリー事故の時も多額の保険金が支払われたようである。保険は災害の経済的な側面の多くを個人的に解決し得るものにしたが,人命の損失や生き残った人達の精神的苦痛を直接的に解決することはできない。そのような被害が社会的に問題にすべきレベルである時,イギリス人はこの事態を災害と呼ぶようである。

エクセター近郊の高速道路のそばには石碑が建っていて,「環境庁の某と国会議員の某は高速道路を通すために,美しい村をひとつ破壊した。我々はそれを阻止出来なかったが,次の世代の人達はこんな馬鹿なことはしないでほしい」と激しい調子で記されている。このように,開発側と自然保蓑派の問の対立はかなり激しく,流血事件さえも起こるが,卑怯なことを決してしない点が日本と大違いである。

無知のために命を落とすことと,意義のある冒険をすることは別であることを皆が知っているから,人々に災害の危険を教える場合も,情報を詳しく提供するが,ああしろとか,こうしてはいけないとかは決して言わない。イギリスには海岸地すべりが多く,イギリス人の大好きな散歩道が壊れることが最大の災害であるが,本当に危なくなるまでは立ち入り禁止にはせず,詳しい情報を記した立札が建てられる。
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「情報を詳しく提供するが,ああしろとか,こうしてはいけないとかは決して言わない。」

これは土砂災害防止法の基本理念だったと思います。行政の知らせる努力、住民の知る努力・・・というような文言が当時は踊っていたように思います。

ところが、イエローゾーン、レッドゾーンの指定が進んでくると、当社に苦情がくるようになりました。○○市が造成して分譲した住宅地なのに、その○○市がイエローゾーンに指定するとは何事だ!それを解除してくれるための調査をお願いでいないか。。。

当社は、マニュアル・基準に従ってやる仕事はコンサルビジネスにならないと考えていますので、手掛けておりません。そこで、そういう基準作りをされるようなところに聞いてみますと、機械的に設定しているので(斜面勾配などで)、覆すのは無理だと思う、とのこと。お電話の方には「無駄な出費になるのでやめた方が良い」とお断りしました。

社会の仕組みは、人間が尊厳を持って豊かな気持ちで生きることができるようにするべきです。災害に関しては、情報提供が十分にあれば、あとは専門家の意見を聞いて(セカンドオピニオン)、自分の価値観でどうするかを選択すればよいと思います。数百年に一度の自然現象に対する考え方は、当然人によって異なるからです。

宅地被害の説明会

「仙台市 宅地被災 説明会」で検索すると

南吉成7丁目宅地被災者への 市説明会が開かれました
http://hanaki.air-nifty.com/burari/2011/04/7-fb04.html

仙台で地滑り「被災者の会」結成相次ぐ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20110601-OYT8T00084.htm

などが出てきます。個人の財産である宅地に対して行政が説明会を開き、対策を検討するということは市民の安全を守る自治体の仕事として納得がいきますが、どういう仕組みのもとで行われているのかがよくわかりません。

市はこの被災に対してどういう責任があるのか、ということです。都市計画法の開発許可を下したということで責任があるのでしょうか。でも、当時は合法なものだったはずです。違法な造成を見逃していたというのならば話は別ですがおそらくそうではないでしょう。しかし、住民が責任の全てを負うのも合点がいきません。とても難しい問題です。

おそらく、地盤問題以外にもこういう「いまになってわかった」問題はたくさんあると思います。その責任をだれが負うのか曖昧な問題はたくさんあるはずです。私のような市井の技術者ごときでは、その解決方法はわかりません。

阪神の時には、どうだったかということを調べたことがあります。詳しくはわからなかったのですが、行政の担当者に聞いたところ、「おそらく本人も盛土の問題が分かっているわけではないので、整地してまたその上に家を再建したのではないか」とのことでした。

kariwa中越地震の時は、道路の復旧に合わせて隣接する宅地盛土を直したようだ、という話を耳にしましたが確認できていません。刈羽村では、中越地震で被災し、地下水が原因だと考え、行政にその地域全体への対策の補助を訴えた人がいました。結局、それは認められず、しかたなく自分の宅地だけを自費で対策されました。中越沖地震で、そのお宅だけが被災を免れたことがニュースになりました。

柏崎市の山本団地地区では、大きく被災したため、宅地耐震化事業の第一号工事が行われました(地元負担が1/4ありました)。しかし、この事業は本来事前対策で行われるものなので、特例措置だったと思います。その隣接地が地盤改良していてほぼ無傷だったのが印象に残っています。事後の1/4負担+生活の不便と、事前対策との経済性の比較が行われると、事前対策の方が合理的ということになるのではないかと思っています。

不動産屋さんからの苦情

仙台市の宅地谷埋め盛土の被害調査結果をこのブログ等に掲載しておりましたが、その一部に対して地元の不動産屋さんから「営業に影響が出る」ということで削除依頼が来ました。自分の管理物件は被害を受けていないのに、被害を受けているような誤解を与える、ということだそうです。

見直してみたところ間違ったことを書いていたわけでもないので内容を修正しなければならないことはありませんでした(下記の公的資料でもその場所が変動地なのは公表されていますし、これまで数多くの変動盛土を見てきている目があります)。しかし、遠方の不動産屋さんと論争してまで掲載しなければならない理由もないですし、他の箇所の報告で十分仙台市内の宅地問題はわかります。ということで、削除しました(削除依頼理由は削除箇所に記しておきました。むしろ情報価値としてはこちらのほうが高いと思います)。

ある方は憤って、その不動産屋の名前を公表したらどうだと言われましたが、時間の浪費なのでやりません(すでに被災された地域の方々に伝える目的で書いていません。今後地震時に被災する可能性が高い地域でこそ価値がある情報です)。

ブログで調査結果等を公開する目的は以下の通りです。対象は、「まだ被害を受けていない地域の人」です。すでに被災した地域は、「防災」ではなく「事後処理」の段階になりますので行政の領分です。

(1)造成地盛土が地震時に変動するという現象を一般的に知られるようにすること。
   →被災しても何の公的援助の仕組みもありません(仙台市長が日経アーキテクチャで切実に訴えられています)。

(2)市民が土地購入の際に、地盤を意識することを常識にすること。
   →ユーザー側が知識を持たなければ、合法的無告知が続きます。その結果将来の無補償被害者の立場が約束されてしまいます。

(3)土地の取引や防災をビジネスとする人に、より詳しい情報を提供すること。
   →ビジネス側は知ろうとする姿勢があるのが当然なのですが、知らないことを武器とされる場合もあるので、知りたくなくても情報提供します。「プロが知らないのは罪」という環境をつくりたいと思っています。

sendaihisaitakuti宅地谷埋め盛土の問題は、不動産業界にとってはたいへん気分の悪いものだと思います。過去をほじくり出す行為だからです。

被災者が、補償をうけられるのであればそっとしておいても良いのかもしれません。しかし、被災者は何の補償ももらえません(被災者生活再建支援法以外で)。泣き寝入りするしかありません。問題が新しいので、過去の合法的取引にまで遡れないのです。

ならば、専門家はその情報(造成地盛土の中には地震時に変動するものがあるということ)を(まだ被災していない地方の)住民に知らせたいと思います。そして宅地耐震化の意識を高めてほしいと望みます。抗議文には「当社所有の物件(アパート)または地図が場所や物件名まで特定できる形で掲載されています」(原文のまま)と書かれています。気持ちはよくわかりますが、事実は事実です。

宅地耐震化問題に取り組み始めてから、不動産業界にとっては具合の悪い話が多く出てくるので、いろいろ抗議が来るだろうなぁと思っていましたが、実際に来たのは今回が初めてです。不動産業界以外からもう1件ありましたがそれはまったく別の趣旨のものでした。数が少ないということは、それだけ注目されていないということなので、むしろ抗議が増えるのは良いことだと思っています。というより抗議が来るのが普通と思います。

こういう難しい問題は、うまくいった情報より、うまくいかない情報の方がずっと価値があります。今後「住民の合意形成」というさらに難しい問題に入りこんでいくには、どれだけマズイ話を知っているかが鍵になると思っています。

ただ、不動産屋さんの中には、過去にフタをするよりも積極的に宅地盛土問題を把握し対策し、その安全性のアピールでビジネスを推進しようとされているところもある、ということは付け加えておきます。私は、特に不動産屋さんに悪感情を持っているわけではないので、「一緒に安全な土地にしようぜ!」という話なら大歓迎です。

※ちなみに阪神淡路大震災を経験した関西地区では、不動産屋さんは必死で活断層調査をされます。「トレンチ以外ではわからんよ」と言っても、それでもよいからとせっかくの宅地を掘り返してまで調査されます。活断層調査までして、そして有害な活断層が無かったという情報が土地の商品価値を高めるからです。

46分

東北地方太平洋沖地震が発生した時は仕事中でしたので、人から「なにやら東北地方で大きな地震があったようだよ」と言われるまで気が付きませんでした。大阪や神戸では揺れたそうですが、有馬温泉界隈では何の揺れも感じなかったのです。

発生時刻は14時46分。それを聞いた時に、デジャブに襲われた気分になりました。46分は兵庫県南部地震もそうだったからです。1/60の確率なので、それほど奇跡的でもないのですが、その2つの地震が、日本の歴史に残るような大被害を出したということでは驚くべき一致、なのかもしれません。科学的意味は何もないと思いますが。

平成7年(1995年)1月17日5時46分;兵庫県南部地震
平成23年(2011年)3月11日14時46分;東北地方太平洋沖地震

この2つの地震にはもう一つの共通点があります。

あまりにも他の被害が激しく、宅地の地盤災害が注目されにくかったこと、です。

阪神淡路大震災では、都市の破壊そのものでした。ビルは倒れたりへしゃげたり、木造家屋も揺れによって倒れていました。都市中心部が破壊し尽くされたのです。宅地谷埋め問題も深刻でしたが、「聞かなかったことにしてくれ」という気持ちも無理からぬことだったのかもしれません。しかし、それは現在でも自宅の被災が地盤のせいだったことを知らないので、同じように再築してしまった、という弊害ももたらしています。

東日本大震災は、非常に大きなエネルギーの地震でしたが、都市を破壊してはいません。海岸近辺の低地が津波で一掃され、原発からの見えない放射性津波で人が一掃されました。ここでも、宅地谷埋め盛土問題は、ひどいけどもっとひどいのがあるので後回し、になりました。

阪神と東日本の違いは、「宅地耐震化促進事業」の存在の有無です。前者にはこれがありませんでしたから、完全に黙殺することができました。後者ではこの事業がありましたので無視されませんでした。この違いは今後大きな違いとなっていくことでしょう。

宅地耐震化の本当の話(3)−住民合意は難しい−

阪神・淡路大震災のとき、マンションの建て替えで住民全員の合意が無いと次の行動に移れないという大問題が発生しました。その後、法律改正などで全員でなくても良くなったように記憶していますが、定かではありません。

宅地耐震化の話は、理解すればするほど恐ろしくなる話です。当社に相談がある事案は、とにかく怖くてしょうがないので何とかしてほしいというものが多いのです。確かに、一度被災現場を見て、さらにその人たちがその後に被る経済的被害を知ると、恐ろしくて夜も眠れなくなるというのが安全性バイアスに侵されていない正常な理性です。

kiridougokazu法律では3000m2以上の盛土に対して対策が行われます。道路込みで平均200m2/軒とすると、15戸になります。切土部は動きませんから、切盛境で隣り合う人たちは複雑な心境でしょう。15戸の中には年金生活の方もいらっしゃり、「もう年だから、わざわざそんな対策までしたくはないよ」という人が出てきても不思議ではありません。たぶん出てくるのが普通でしょう。

何もしたくない人と、怖くてしょうがない人が同居するのがこの宅地耐震化問題です。

15戸の中の対策をしたい宅地だけを守る対策工が必要だということです。この場合には、怖がっている人たちなので1/2補助にこだわらなくても良いかもしれません。とにかく変動しないように、そして家が壊れないようにする工法を用いればよいのです。ビジネスとして成立させるためには、大きな盛土の中の1戸だけでも動かないようにできる工法というものが必要です。

もちろん、そういう工法もあります。それは複雑な形状の谷を埋めた盛土がどのように動き、どのように動かなかったかを観察するとわかります。

(つづく)

釜石の成功例を過信するのは危険

kamaisi東日本大震災で釜石市の生徒が、日ごろの防災教育のおかげで「自分の頭で判断して」的確な行動を選択し見事に避難できたそうです。兵庫県にある防災を専門に学ぶ高校で授業にその事例が使われるということが神戸新聞の夕刊に出ていました。

(1)想定にとらわれない
(2)状況下で最善を尽くす
(3)まず自分の命を守り、他人を助ける率先避難者になる

という避難三原則を実践したということです。

これは、素晴らしいことです。この成功例は賞賛すべきことです。しかし、この事例を「想定」にしてはいけません。「防災三原則を守れば必ず避難できる」ことはありません。今回のように運が良ければ、という前提つきです。

たとえば、冬の嵐が来ている深夜に今回と同じ地震が発生していたらどうなっていたでしょうか。今回のようにうまくいったでしょうか。明治三陸津波は、冬の夜に発生しました。寒さのせいで迅速な非難に結び付かなかった例もあるようです(「三陸海岸大津波」吉村昭著)。

大船渡市綾里白浜では、明治三陸地震津波で38メートルの津波に襲われたため、地区住民のほとんどが高台に住み、今回の津波被害を免れたそうです。真冬の嵐の深夜でも、ここなら被害を防げます。真に賞賛され、皆が学ぶべきはこちらの事例です。防災三原則は、たまたま外出中に災害に襲われた時の鉄則と考えておくべきです。

安全な高台か、便利な海岸か 明暗分けた選択
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104230099.html
「谷底に住めば、毎日の漁は楽になる。でも80年間、誰も戻ろうと言い出さなかった」
”白浜集落と反対に、60年のチリ地震津波で50人が亡くなった大船渡港周辺の中心市街地は、被災地に街を再建。今回はここを中心に市内で約500人が死亡・安否不明になった。港近くで雑貨店を営んでいた男性(66)は「津波は覚えていたが、怖さを忘れていた。みんな便利な場所に住みたがった」と言う。”

安全を担保できるのは、「場所」だけです。防災三原則は素晴らしいのですが、あくまでも「次善の策」ということを肝に銘じておく必要があります。防災三原則を学んだから大丈夫だと過信すると、次の機会では死にます。

「学会提言」で効果があったものの比率は

災害が発生すると、災害調査に赴きます。学術学会は、ある程度優先的に調査に入ることが許されますし、この経験を生かしてくれるのは学者先生だという社会的な期待もあってそうなっているのだろうと思います。

そして、調査が終わると「報告会」が開催され、「提言」が出されます。私も何度か関わったことがあります。しかし、この報告会や提言が何らかの形で活かされた、という記憶は残念ながら一度もありません。おそらく、提言を活かしてもらおうとして書いているのではなく、出張報告と同様に義務として書いているという気分があるからではないかと思います。

sanyoudou01たとえば、中越地震で道路盛土がたくさん崩れました。能登半島地震では家屋がどうもないのに道路盛土は崩れました。しかし壊れたものを直すだけで、現存する盛土にはなんの改善もなされませんでした。盛土は技術基準に従って設計施工されているので、一般的な問題が潜んでいるとなると、すべての盛土に影響が及ぶという恐ろしい問題があります。技術基準を作った人はおそらく現在でも重鎮でしょうから、畏れ多くてそこに問題がると思ったとしても言いにくいのかもしれません。このため、どうしても「報告」はその場所特有の問題に収束しがちです。

その後、静岡の名もない地震で東名高速道路の盛土が崩れました。お盆の直前だったので世間的に注目されました。地震がたいしたことなかったことと、超重要路線の超重要時期の事件だったので、今度はその場所特有の局所問題とはなりませんでした。そして同じ条件=スレーキング材を盛土として使っているところに限定してという条件付きですが再点検がなされ、対策工の試験施工もすこし始まりました(写真参照)。

今回の東日本大震災では、緊急輸送道路がずたずたになり、物資の輸送に時間がかかりました。しかしそれは以前から指摘されていたことでした。

当社は、2005年に民間企業からの技術提案として論文を投稿しました。しかし、「営業的過ぎる」ということでリジェクトされました。防災はボランティア的でなければならないと考える人が世の中にはたくさんいるようです。

緊急輸送道路確保のための盛土耐震補強工法(2005年)
 超広域巨大災害においては、緊急物資を輸送するための緊急輸送道路の確保が重要な課題となるが、道路盛土はそのために必要な耐震性を持っているとは言い難い。

研究者や技術者が学術学会の調査に行く動機は、次の3つに集約されるのではないかと思います。

(1)自分の研究分野においてのデータを収集するため
(2)自由に使える写真を撮るため(写真はとても著作権意識が強い)
(3)「私はその現場に行った」という自称現場派の満足のため

今後の防災に役立てるためということも入っていい動機ですが、そうするためには提言だけではとても無理です。その後の政治的根回しや、様々な手間暇かかることをしていかなければいけません。それがなされていなければ、上記の3つの動機のみと考えてよいと思います。

学会活動は、耐震化基準の改定などに役立っている部分もありますが、どちらかというとこれは実績を踏まえた改訂、という側面が強いので提言が活かされた分野とは言い難いと思います。

最大の障害は「現実派」の抵抗です。震度7の揺れで破壊された神戸で、それ以前に一部の研究者が「震度5の地域防災計画ではだめだ」と訴えていましたが、「震度設定を高くするのは現実的でない」ということで取り入れられませんでした。今回の津波も、貞観地震の研究例などで危険性が指摘されていたのですが、「オーサライズされてない」という学会の伝家の宝刀を抜かれています。

価値のある研究はオーサライズされないことが多い、という科学史があるような気がするのですが、長いものには巻かれるものだという気分が優勢かもしれません。。。また、研究のムラ社会の中では、オーサライズとは、先輩に敬意を払え、という意味なのかもしれません。これは、大陸移動説の時代もあったと本に書かれていますし、おそらくそれ以前からずっとあった科学の伝統なのでしょう。人間の基本的性質といったほうが正しいかもしれません。

しかし自然現象はそういった人間のメンツなどに構わずに発生し、知恵を絞って護りを固めていなければ自然は自然がやろうと思うことを無慈悲に行います。

防災というのは、個人の財産と命という価値の高いものを守るのが目的ですから、「お上(神)に任せる」ではなく「産業化して自ら事前に手当てしておく」ということにならなければ実効性は無いのでしょう。ずっと災害を評論する人の面子が同じということは、そこには経済的な競争がないということですから、産業化にはまだまだ遠い道のりが待っている、ということなのかもしれません。

「★平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震前に記載★」について

4月3日分まで、3月11日の地震前に記載したものが予約配信されます。大震災後に書いたものも途中で追加していますが、★平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震前に記載★と入れているものが、震災前の原稿です。3月は年度末で忙しいので、1ヶ月分近くがストックされていました。

東日本大震災後に、あえて書き換えなかったのは、普段考えることと大震災が起きて初めて考えることの違いを自分自身でも知りたかったからです。人間はえてして無意識のうちに都合のよいことを言いたがります。地震後のTwitterのいろいろな方々の発言を見ていると、やはりそう感じます。

ブログの内容は、たまたま大震災前には地震の話と津波の話が多くなっていますが、これは単なる偶然です。クライストチャーチの地震があったので、その話題が多くなったものだと思います。決して予測能力や予知能力があったからではありません。

大震災後に、土地購入の相談や今住んでいる場所の相談がいくつか寄せられています。どのようにアドバイスをするのかいつも悩みます。「絶対安全」は無く、どちらかというと危険なところが魅力的な土地だったりします(眺望が良いなど)。

どう考えても危険という場所も中にはあります。たとえば間違いなく液状化すると考えられる低地に直接基礎で家を建てるなど(液状化専門の方々はこういう宅地地版が供給され続けていることに対して、どんな提言をされていたのでしょうか)です。

しかし、安全や危険には様々なレベルがあり、注意し適切に維持しながらであれば大丈夫だが、注意を怠れば危ないというところもあります。所有者・占有者次第の部分をどう考えるかが難しいところです。

幼稚園で防災教育

bousaied01今年の1月に、NPOで防災教育をしたときのことが地域の広報誌に出ていたとのことでメールが届きました。私らが所属するNPOは、いわばおっさんの集団なので、幼稚園児に話をするのはとても難しく、かなり丸投げ外注しています。非営利なので「適材適所」ということでご勘弁願いたいのですが。

年齢の小さい子供には、おっさんはダメです。若いお姉さんが一番です。小学校の高学年くらいになれば、おっさんでもOKになってくるのですが、幼稚園は荷が重すぎます。ということで、ここも若いお姉さんたちにお願いしました。お姉さんたちは、独自の紙芝居やらなんやらもっていて、それはもうすばらしい。

奈良盆地なので津波が来るところではありませんが、将来そういうところに住むかもしれないし、自然現象を起因とする災害は津波や地震ばかりではないので、こういった経験が、ほんの少しでも役立って、1%の効果があれば良いと思います。100回やれば全員助かる、ということです。

「これ以上のことが他に何かあるでしょうか?」

防災教育、ソフト防災というのは大切だと言いながら、建設業界や建設関連業界は高く評価しない分野です。理由は簡単で、業界に利益が落ちないからです。しかし、ビジネス的な魅力はあまり感じないにしても、その重要性を否定するということでは決してありません。

ビジネス的でないけど重要なこと・・・これは研究やNPO活動などに向いた分野です。もちろん社会貢献を重視した企業にとっても、です。

今回の大災害の中で、とても大きな成果が表れたと報道されました。釜石で失われかけた多くの小中学生の命が、防災教育によって守られたという話です。読んでいくと、確かにその教育がなければ、少なく見積もっても半数以上の小中学生の命が失われたと思われます。

釜石が繋いだ未来への希望−子ども犠牲者ゼロまでの軌跡−
http://www.ce.gunma-u.ac.jp/bousai/research02.html

群馬大学の片田先生の研究室の成果が、多くの小中学生の命を助けました。強調表示をしている箇所は、片田先生の雄叫びのようでもあります。確かに、これ以上の成果はありません。

”こうして、津波襲来時に学校管理下にあった鵜住居小学校、釜石東中学校の児童・生徒約570人は無事に津波から生き残ったのである。”

”中学生は訓練したとおりに、小学生の手を引き、避難を支援する。避難の道中、園児を抱えながら、たくさんの園児を乗せた散歩用の台車を押し、必死に避難する鵜住居保育園の保育士を生徒たちは確認する。ここでも生徒たちは教えられた通り、『助ける人』としての役割を果たすこととなる。保育士と一緒に園児を抱え、台車を押し、必死に避難する。襲い来る津波の恐怖に、子どもたちは福祉施設よりもさらに高台にある国道45号線沿いの石材店まで駆け上がる。中には敷地内の裏山まで駆け上がる生徒もいたほどだ。避難の列の最後尾の児童は、福祉施設にたどり着くまえに津波に追いつかれてしまう。とっさの判断で山を駆け上がり、間一髪のところで無事にみんなのところに合流することができた。”

”このように、彼らの学習は、犠牲者行方不明者が10,000人を超えるような大災害の最中で、自らの命を守っただけでなく、災害時に地域住民に活用され、そして被災後においても地域住民の役に立つことができたのです。日頃から防災教育を実施してきたことの成果として、これ以上のことが他に何かあるでしょうか?”

http://www.ce.gunma-u.ac.jp/bousai/research02_3.html

しかし、避難はいつもうまくいくとは限りません。静岡大学の牛山先生のページには、その無念が綴られています。

自然災害における「壊滅」の定義はありません
http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3048.html

”結果的には,ソフト防災の効果は明瞭には現れにくいと言わざるを得ません.この効果検証を行った地区は今回大規模な被害を生じています.痛恨事です.”

今回の大災害の犠牲者数(死者・行方不明者)は、昨日の段階で25,000人に達したとのことですが、まだ終息傾向は認められませんので、まだ増えていくことでしょう。その中でソフト対策・防災教育で守れる命は、比率としては1〜数%と僅かかもしれませんが、絶対数としては大きな数です。NPO活動などでは、こうしたことをしていかなければなりません。被災後の救援にはまったく無力なのですから。
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追記
東北学院大の宮城先生の成功例も紹介されていました。

迫る津波は想定以上 「危ない」リーダー機転60人救う
http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230182.html

「安全は危険から遠ざかることによって得られるもの」

★平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震前に記載★

防災格言「安全は与えられるものではなく、つくるもの」【小泉純一郎(1942〜 / 自民党政治家 第87〜89代内閣総理大臣)】は、小泉純一郎首相のときの所信表明演説に使われた文言だそうです。「成長は与えられるものでなく、自らの手で勝ち取るもの」をもじったものだそうです。

「安全は与えられるものではなく、つくるもの」・・・確かにその通りなのですが、この言葉を聞いて「よし自ら安全をつくろう」と奮い立つ人がどれだけいるでしょうか。具体的方法が一般市民には皆目見当がつかないのです。

「安全は危険から遠ざかることによって得られるもの」というのが現実的です。絶対安全というのは存在しない、ということはおそらく誰もが賛同する言葉です。危険から遠ざかる方が良い、というのは「君子危うきに近寄らず」という言葉を知っている日本人には受け入れやすいように思います。

なにが危険か、ということは視点によって異なりますが、ある程度の最大公約数的な答えはありそうです。地震で崩れるような弱いビルには近寄らない・入らない。堤防が決壊したらすぐに水が押し寄せてくる低地には住まない。土地代が周りと比べて安ければ、地盤が悪いことを思い浮かべる。等々、自衛手段はあります。そしてそれならば一般市民も実行することができます。

小泉さんは力強い言葉を好んで発する人でした。それが悪いということはありませんが、自然は征服すべき対象という西洋的な考え方に近いように感じます。それができるのは強者なので、一般市民が防災に関わる弱者の立場には別のキャッチコピーが必要です。

普段の生活で、治安の悪い地域にはいかない、薄暗い路地裏に行かない、悪い人間とは付き合わない、等々をやって防犯上の安全を相対的に高めています。西洋流は武装して安全を高めるという方法ですが日本ではできません。防災も日本流の同じやり方で良いと思います。

カンタベリー地震のようにM6.3という比較的小さな地震でも、都市直下で起きると被害は大きくなりますので、武装(耐震補強?)で防げるということではなく、被災確率を小さくする程度に考えておく必要があると思います。

「直接関連性は無い」「直ちに人体への影響は無い」

「直接」や「直ちに」という言葉の後に否定語が付く報道が毎日のようになされています。これらはものごとを曖昧にするので、情報としての価値がほとんどありません。

後者は、放射能の影響の話なので私がなにか言えるものを持っているわけではありません。

前者は、東北地震後に長野県北部や静岡県富士宮市の地震と東北地震が直接的に関連性は無いという情報発信のことを言っているのですが、これは地質学をやっていた人間でも「関係あるやろ」と思ってしまいます。ニュージーランドの先日の地震と、同じ太平洋部レートなのだから関連があると主張されると「?」ですが(もちろん全否定はできないのですが)。

以前は、火山噴火と地震は別物で直接の関係は無い、ということが良く言われていました。最近はそういうコメントを聞くことは無くなりましたが。

「直接的に」という表現は、その後の結果がどうなろうと逃げのびられる口上です。大切な時に、科学者や技術者のようなまじめな人々が使うべき表現ではありません。「直接的に」を使うのであれば、同時に「間接的には・・・」も組み合わせて説明することが必要でしょう。

直接的に・・・のみを言葉通り信じると、東北地震は救援・復興を除いて一件落着で、しばらく安定状態が続くというメッセージになります。被災しなかった地域には、大きな地震があったのだから、しばらくは大丈夫。特に防災のことは意識しなくてよいだろう、というメタメッセージを送ります。

間接的には、日本の近く全体のバランスが変わったので、他地域でも十分警戒を・・・ということまで言及すれば、防災意識の向上に役立つでしょうし、実際にそのことで救われる命も若干かも知れませんが増えると思います。

メタ・メッセージ(4)口を開けば

「何を考えているのかさっぱりわからん」と言われる人がいます。私もそう言われたことがありますが、あまり頻度は高くありません。わかりやすいタイプのようです。だいたいが歯に衣着せぬことが多いので、口は災いのもとになることが多く、加齢とともに自制が働くようになりました。

何を考えているかを察するのは、普通の会話の中で感じられるメタ・メッセージが多いようです。文字通りのメッセージでは感情や性格は読み取れませんが、メタ・メッセージの中にはそれらがふんだんに入ります。

ですから、何を考えているかわからないということは、メタ・メッセージがないか、メタ・メッセージの中に感情や性格といった情報を載せないことができる人ということになります。もちろんそれが自らの利益になるからその習性が身につくのだと思います。たしかにそういう立場の人はいます。(ギャンブラーのポーカーフェイスなど)

ということは、メタ・メッセージに感情や性格を載せなずに話せる人は、そのこと自体がメタ・メッセージになっているとも言えるわけですから、人は何がしかのメタ・メッセージを口を開けば発していることになります。

PRに使う文言は、メッセージよりも、メタ・メッセージに重点を置いて考えた方が良いのかも知れません。アイデアがあるわけではありませんが。

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