ぼちぼちと2

     生活や人生設計に間接的にかかわる防災や地球科学のおはなし

     ・・・でも毒にも薬にもならないお話が中心です。通勤途上の暇つぶしにご利用ください。

     『唯一生き残るのは変化できる者である』 チャールズ・ダーウィン

危機対応

カップラーメンが水でも食えることを知っていましたか?

『いますぐできる!岡本流家族を守る災害備蓄』の案内をもらい、すぐに購入したところキャンペーン期間中で0円でした。
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その中に、アルファ米とカップラーメンの食べ方が書かれていました。

アルファ米が水でご飯になるのは知っていましたし、実際山小屋に寝泊まりした時には、そのへんの湧き水をつかってやりました。災害時には、それを何度も食うことになるわけですが、水の代わりに野菜ジュースなどを使うと良いよなどは目からウロコでした。

さらにカップラーメンも常温で食べられるということは、実践してみたくなりました。トマトジュースで35分間。やったところ。たしかに食えます。割と美味しい。簡単に実験できますからみなさんもどうぞ。
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災害と防災のための心理学(4)リスク認識が歪んでいることを受け入れる

餅はサイレント・キラーと外国人が恐れる食材だそうです。日本人はそうは思っていません。日本人は餅のことをよく知っているし、親しみがあるからです。でも、喉につまらせて年間に600人が亡くなっています。

外国人は、餅に親しみがないので、年間600人も死ぬ食材である餅をとても警戒するそうです。日本に行ったら決して餅を食うな!的な感じです。

人間がリスクを高いと感じるのは、「よく知らないこと。未知なこと」や、「制御不可能なこと」だそうです。餅の話を聞くとよくわかります。

こういのを、心理学では「利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)」と言うのだそうです。入手しやすい、アクセスしやすい情報や、認知的に利用しやすい情報を優先して評価する意思決定プロセスのことだそうです。早い話、都合の良い情報だけを受け入れて判断するということです。身に覚えのない人はいないでしょう。

このように、リスク認識が歪むのは必然と考えたほうがよく、それを無理に否定するのではなく「寄り添いつつずらしていく」ということをしないと、正しい方向に導けないのだそうです。

そこで、防災では「人は不適切な判断をしてしまうものだ」という前提でものごとを考える必要があるということです。

避難勧告が出ても、殆どの人が避難しないというのはすでにわかっている話なので、私は「人は決して避難などしない」のを前提にしています。

だから、ソフト対策などという「考えることに期待する」ものではなく、「予防」しかないと思っているわけです。

災害と防災のための心理学(3)正常性バイアスを計算に入れること!

御嶽山の噴火で検死をされた方が、死因は石(車の大きさのものまで含めて)が当たって亡くなっていたのだが、その中の半分以上の人が、亡くなる前にある行動をしていたのがわかったのだそうです。

それは、「写真を撮っていた」のです。

世紀のスペクタクルを写真に収めたいという衝動は、自分だけは大丈夫の前提の上に成り立つ行動です。皆が正常性バイアスに支配されていたということです。

菊池先生は、「防災対策をする人が正常性バイアスを計算に入れていないのは間違い」と指摘されました。また「正常性バイアスを排除しようとするのも間違い」と言われました。

正常性バイアスについては、その言葉を知る前からビジネスの中にある「大丈夫バイアス」として理解していましたので、概念として知っていました。

知らなかったのが「ポジティブ幻想(possitive illusion)」です。自分は平均以上と思うかどうか?たとえばスポーツの試合での自分の貢献度や、会社組織の中でのイケテル度などです。社会の中の位置づけでも同様です。

それを尋ねると、自分が平均以上だと思う人が80%くらいになるそうです。平均以上は、理屈の上では50%しか無いはずなのに、80%になる。試合の貢献度の合計は200%を超えるのが普通、、、、。

自分はそこそこイケてる、という幻想に多くの人が支配されているわけです。

今まで自分は大丈夫だったという経験が、脳みその中で客観的な判断として認識されるからだそうです。

経験=客観となるわけです。経験は主観に過ぎないのに、どこかで客観と誤解する仕組みがあるのだそうです。

その結果、「死ぬのは他人ばかりなり」という幻想に支配されます。

このような楽観主義は、人間の精神の免疫システムなので、除去してはならないものでもあるというところが重要です。その免疫システムがなくなると、鬱になり、ストレスから体やココロに変調をきたします。

災害と防災のための心理学(2)動物はすべてバイアスに支配される

菊池先生は、北海道の新聞記事を紹介されました。その日の朝に仔馬を産んだ母親の馬が、火事になっていったん厩舎から逃げたのに、仔馬が逃げなかったので、厩舎に戻り親子ともに焼け死んだ。馬は愛情深い・・・・ということが書かれたあと、実は・・・

動物はパニックになると、普段自分が寝る場所が一番安全と思い、そこに戻ろうとするのだそうです。その証拠に豚小屋でも同様のことがおきていた、とのことです。

安全性バイアスは、自分だけは大丈夫と思う心理のことを言いますが、これは希望を持って生きるために不可欠のもので、これを取り去ってしまうと鬱病にかかってしまうということとです。ですから、安全性バイアスがあることを前提に、防災を考えなければなりません。

工学的なリスクの概念は、客観的リスクです。客観的リスクは、発生確率×損失の大きさで表されます。これは常識です(斜面防災の技術者・研究者は、確率論を避けて確定論ばかりいまでも論じていますが。。。)。

心理学的においてリスクの考え方は、違います。人間は主観的リスク認知に基づいて意思決定し行動をするのだそうです。主観的リスクとは、「安心か不安か」ということです。

人間は確率を正しく判断できません。

その事例として、日本で1年間に死ぬ人の原因について聞かれました。

(a)肺炎、(b)自殺、(c)不慮の事故

自殺者は3万人くらいいると報道されていますし、交通事故は4000〜5000人になった。肺炎は病気だからそれなりに多いだろうが、あまり聞かない(私の父親も最後は肺炎で亡くなりましたが、それは本当の最後の方のことであって、もとの原因はそれではありませんでしたし)。

そう考えると、自殺が一番じゃないか、と思ったのですが、実はこの中で自殺が一番少ないのです!

圧倒的に肺炎が多く、次に不慮の事故、そして自殺の順番が正解でした。まったくもって主観に支配されています。

災害と防災のための心理学(1)人は不適切な判断をしてしまうのを前提とする

8月下旬に長野市で開催された日本地すべり学会研究発表会の前日に県民講演会というのがありました。

信州大学の菊池聡先生の「災害と防災のための心理学」は非常に参考になりました。

菊池先生は、「地すべり学会のみなさんがやっているようなことを補完するのが心理学です」とおっしゃっていましたが、防災を長くやっているとそうは思いません。「心理学が主体で、それを補完するものが技術」だと感じています。

「人は不適切な判断をしてしまうのを前提とする」べきと話されました。考えてしまうと、「論理的」に「何もしなくても安全だ」という判断をしてしまうのが人間なのだそうです。それは、人間が生きるために必要な能力だとも。

だから、「考えたら逃げられないのが当たり前」で、更に推し進めたら「人は逃げない」のを前提とするのが防災上は正しいのだろうと思います。

逃げられる人は、「考えずに行動を起こす訓練をして条件反射的に動く癖をつけている人」だけだそうです。考えるとバイアスに引っ張られて不適切な判断をしますので、考えないようにすることが肝要だそうです。

防災訓練は、そのために必要なことで、ダラダラしていたりマンネリ化していて良いのだそうです。避難勧告があったら、何も考えずに避難所に行くということを体で覚えさせるためのものであって、「適切に考えること」を期待する必要はないから(むしろそれは防災にとっては逆効果)です。

倫理的にしてはいけない実験

先日、喫煙と肺がんの統計がどのようにして導かれたかということを書きました。『統計学が最強の学問である』には、続きがあります。

喫煙と肺がんの因果関係をきちんと比較するためには、人にタバコを吸わせるか吸わせないかを、実験側が決めて「ランダム化比較実験」をすれば明快に答えが出る、、、、が、それは倫理的に許されることではないのでできない。と書かれています。
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私は、斜面のモニタリングや、防災教育で、その倫理的なものを感じます。

危険な斜面のモニタリングをしている直下にある家に、警報装置をつけるという「防災対策」が紹介されることがありますが、直下の家の住人はモルモットではありません。モニタリングしないといけないような斜面なら、安全にするか、移住させるのが倫理的に正しいと思います。

モニタリングは防災ではなく、勉強です。下に人が住んでいる斜面でやるべきでもないし、車が走っているところでもやるべきことではありません。そこは、予防すべき場所です。 

防災教育をした人の集団と、しない人の集団が、大災害の時にどちらがたくさん死ぬかということは、統計学的には意味のあることです。しかし、倫理的にしてはならない実験です。

倫理的に実験ができないものは、薬の世界では、動物実験をして大丈夫そうだと思えるだけのデータが取得できたら、臨床試験に回ります。そうやって倫理的な問題を回避しています。ところが災害は、そういうことをやりにくい問題です。

斜面のモニタリング実験は、下に家があるところではなく、実験装置でやるのであればOKだと思います。そして予防策がわかったら、下に住家がある斜面でそれを実施すれば良いと思います。人が住んでいる上の斜面で、モニタリングをするのは倫理的にアウトで、予防対策をすべきなのです。

防災教育も、災害発生の時の機敏な動きを訓練するのはアウトで、大きな土砂移動が起きても被災しないところに住むように教育するのであればOKだと思います。

モニタリングと防災教育には、倫理的にアウトのものが混じっているような気がしてなりません。

私は、斜面対策は「予測はできないけど予防はできる」と言っていますが、 倫理的な考えも少し入っています。前兆現象に気がついたら逃げろ、などというのは、倫理的に大丈夫なアドバイスだとは思いません。

災害時のクラゲ

NPOの防災講演会が12月19日にありました。イベントやりましただけの記録でもいいのですが、あとあと活用できないような記録があってもゴミみたいなものだから・・・ということで、詳しく講演記録をとるようにしています。私が、講演中ずっとパソコンで記録しています。


木村玲欧先生(兵庫県立大学環境人間学部 大学院環境人間学研究科 准教授) の「災害時対応受援体制を考える〜受け入れる側の受援計画と体制整備」という講演会でした。

どこかが被災すると、まわりからボランティア等が応援に行くわけですが、被災自治体は手いっぱいになっており、受け入れを拒否する(受け入れできる体制が無い)ということが繰り返されておりました。そこで、自治体に事前に援助を受けるプログラムをつくっておきなさい、ということになったのです。「受援計画」と呼ばれます。

お話の中で、クラゲの話がありました。

クラゲとは、被災地に応援に行ったはいいけれど、何をしていいのか指示もないし、わからないので、フラフラとしている人ことを言うのだそうです。新入社員が、職場でクラゲ状態になっているということはよくありますね。そんな感じです。

受援計画とは、クラゲを少なくしようということです。そのためには、あらかじめ準備しておこうということでした。

ただ、話を聞いていると、低頻度災害のためにやるべきことが多すぎて、これでは職員が通常業務をする余裕がなくなるような気がしました。最初の質問者は、記録者の私が特権で行えるようになっっていますので、そのことを聞きました。

アメリカのFEMAのように、国の機関として常に専従で訓練を行うことができる人たちがやった方が現実的ではないかという感想を持ちました。これから勉強を深めていくと、また違った考えになるのかもしれません。

上京時の持ち物

週刊現代ですので、それなりにお読みください。

首都直下M7.3巨大地震あなたと家族が生き残る、たった「五つのルール」「死者2万3000人」の政府シミュレーションは甘すぎる

河田先生が何度か登場されますが、週刊現代の記者が誇張していることを勘案の上お読みください。

「私は東京に出ていくときは、いつでも携帯ラジオ、ペットボトルの水、方位磁石、携帯電話の充電器、目薬、抗生物質の入った軟膏などのセットを持っていますよ。いつ首都直下地震が来てもおかしくないんですからね」(前出・河田氏)

私も東京に行くときには、必ずカメラを持っていきます。携帯電話でも撮れると言いつつも、やはり数多くの枚数を撮る必要がある場合にはカメラは別の方が良いです。そして、電源は「乾電池」がベストです。災害時に充電などできません。どんなに混乱しても、単三電池くらいなら調達できるでしょう。

私の上京時のカバンの中には、常に乾電池式デジカメが入っています。

なぜなら、「そういうことが起きるかもしれない」といつも思っているからです。

東大の目黒先生は、「災害イマジネーション」が最も大切だと言われ、時間の経過とともにイメージすることが特に重要だと言われます。そのために日ごろからイメージトレーニングするためのツールも公表されています。この方法論は大賛成なのですが、私は東京都心・首都圏でこのイメージが作れていません。大都市の過密は人間の手でどうにかなるレベルを超えているような気がしてなりません。

災害状況イメージトレーニングツール 目黒巻

http://risk-mg.iis.u-tokyo.ac.jp/meguromaki/meguromaki.html 

ソフト対策にはボスが必要

東日本大震災で多くの犠牲を出した大川小学校のニュースが出ていました。

大川小事故検証委 最終報告、来年1月以降に

遺族との意見交換の中で、「裏山への避難を指摘した教員が強く主張できなかった要因として、教員間の人間関係の分析も必要では」というものがあった、ということが書かれていました。

大川小学校の実情がどうだったのか全く知りませんので、私は何も言えません。

一般の仕事や生活の中でも、この状況はよくあるような気がします。力(権力・権威)を持っているが、責任ある立場ではない年配者、です。政治の世界でも、会社でも、よくあるように思います。力を持つ年配者が、善良な相談役に徹してくれるとよいのですが、責任は取らないくせに、言うことに力尽くで従わせる、ということになると、老害そのものです。「あなたの為だから・・・」のセリフを聞いたら要注意です。

だからこそ、責任を負うボスを決めておくことが必要です。若年者であっても「ボス」に指名されれば、結果責任を負うので無責任で力を持つ年配者の横やりを跳ね除けることができるようになります。責任と権限を与えなければ、老害に惑わされます。

大川小学校のような短時間での判断が必要な状況では、年配者の横やりに配慮していては死が待っています。被災回避責任者に権限と責任を与え、その人があきらかに間違いをしていると判断できる場合には、力尽くでその責任者を更迭するクーデターができる(だだしそれで失敗したときの責任はとても重い)、というルールを作り共有することが大事じゃないかと思います。

ソフト対策が不要だということはありませんが、ソフト対策は仕組み以外にも「年配者の横やり」という厄介なものなどが存在するのに、それらを無視して組み立てられているので、全幅の信用ができません。

容易ではない「ソフト」による災害対策
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/column/20131217/644951/ 

不公平な地震保険

生命保険に加入する際には健康診断が必要になります。すでに体の調子が悪かったり病気の治療をしている人は、保険に入れないか、保険料が高くなります。多くの人はそれを受け入れています。

ところが、地震保険は耐震化の有無は関係なく加入でき、耐震化していないからと言って保険料が高くなることはありません。これは公平なのでしょうか?耐震化対策した人が、非耐震化の人を援助する形になりはしないでしょうか?この悪平等が、高保険料と低補償料の元凶ではないでしょうか?

いわゆる地震保険とは違いますが、神戸地震を経験した兵庫県がつくったフェニックス共済というものがあります。この最大の特徴は以下の一文でわかると思います。「住宅の規模・構造や老朽度に関係なく」なのです。これに関していろいろ議論があったと聞いていますが、結局「弱者切り捨てにならないように」といういつもの論理でこうなってしまったようです。

■住宅の規模・構造や老朽度に関係なく、定額の負担で定額の給付。 

耐震化されていない家に住んでいるということは、生命保険で言うところの病気放置と同じです。治療しているならまだしも、放置しているような人を生命保険会社は拒否するでしょう。ところが、地震保険では違います。

瑕疵担保保険は、平常時に主構造に対して発生するものだけが対象ですから、著しい自然現象が原因となる「よくある災害」はほとんど対象外です。仙台地裁の判例で、震度5で壊れる地盤は瑕疵となりましたが、中央防災会議が想定している「知られてなない直下のM6.9地震」では日本全国どこでも最低震度6強です。

どこでも震度6強が起きると想定されるのに、瑕疵となるのは震度5までです。

防災専門家が、地震・土砂・洪水あるいは隕石衝突等々の可能性を確率的に評価しさえすれば、保険屋さんはその確率に儲けを載せて保険料を算定できます。建物の耐震性や地盤の耐震性などによって被災確率は違いますので、技術屋さんは活躍の場が多くなります。

そして大事なことは、保険で一銭も出すことなく元の状態が復元できるようにしなければならない、ということです。

今の地震保険の考え方は、被災後しばらくの間だけ生きていくことができる繋ぎ費用です。そんなものは「保険」と名乗る資格はありません。

なぜそうなってしまうのかと言うと、災害に対して何の準備もしない人が保険加入するからです。地震保険は民間保険会社が取り扱っていますが、実は国の保険です。公的保険なので「平等」でなければならないそうです。平等なので、何の準備もしていない人にとっては「お得感」があるため加入します。十分に準備をしている人にとっては「損する感じ」なので加入したがりません。この結果、高い保険料なのに、僅かな補償、という保険になってしまっています。

「どこでも起きる」震度6強の地震は、盛土造成地の多くを滑らせます。過剰間隙水圧比が0.5を超え1.0に限りなく向かっていくからです。盛土は水圧で浮き、ブレーキが無くなります。ちょっとでも傾斜していれば流れ出します。

運が良ければ、側方抵抗が効いたり、まだ機能していた暗渠工で過剰間隙水圧が排除されることもあるでしょう。でもあまりアテにしない方が良いです。アテにすると失望が大きくなりますので。

上越市の地すべりはなぜいつまでも止まらないのか

土の固体粒子同士が接触しているように見えるのに、田んぼの上をいつまでのゆっくりと動くということはとても不思議な光景に見えます。テレビに出てきて解説される方も、いつまで動くかとか、どうやって止めるとか、明快な答えを言われません。

あれだけはっきりと目で見える(もちろん表面だけ)ことでも、ちゃんとはわからないのです。被害さえ無ければ、科学小僧がわくわくする話だと思います。被害があると、そのような気分になりませんが。

テレビでは雪解けの水が多いから地すべりが発生したという表現をしています。実際には水の量ではなく水圧が高くなっているからなのです。量の方がわかりやすいからその表現を使っているのか、記者が理解できていないからなのかはわかりません。

応急対策として、水圧の発生元(だろうと思われる箇所)に穴をあけて、地下水の圧力を下げる対策が緊急的にとられています。水頭症の治療に脳脊髄液を抜く処置がとられるのに似ています。

上越市HP 地すべり災害対策本部を設置しています
http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/bousai/itakura-jisuberi.html

新潟県HP 平成24年3月上越市板倉区国川地区で発生した地すべり関連情報
http://www.pref.niigata.lg.jp/bosai/1331499696882.html

上越市板倉区国川地区地すべり応急対策工事 平成24年3月15日(木) 17時00分現在
http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/132/297/oukyuutaisakujyoukyou5.pdf

(以下は独り言)

kokugawa3図面や写真を見ると、いま家を壊している土砂が移動している田んぼの面は、標高70mくらい。地すべりは標高170mくらいから起きており、水抜きボーリングがされている一番低い位置は標高90mくらいか?水頭差は20m。除圧されない場合には10m厚くらいの土塊なら浮かせられる。

のろのろ動いている間は、先端部の土砂の底面摩擦はあまり無い状態にあるはず。(W-U)≒0.この水圧が被圧水的なものなら供給源の水頭を下げる今の工事は有効に機能するはず。一方、この水圧が逃げられない水に土塊自重がかかって発生しているもの(閉封飽和域的)なら、ちょいとやっかい。水圧をいまから開放する手段がなかなかない。リモコンで舌端部を割って入るような砕氷船ならぬ砕土船があれば、排水距離を短くして水圧低減できるのだが。。。

これが掲載される頃には、動きが終息していればいいが・・・。

自然現象を止める必要があるのか?

斜面災害、それも自然斜面の崩壊や地すべりというのは、あくまでも「自然現象」の中の侵食現象に過ぎません。遺伝子組み換えにしても、道路開発にしても、自然に手を加えることに対して非常にヒステリックに反応される方々でも、侵食現象を人間の手で止めることにはまったく無頓着です。

流れのあるものを止めると、それは後になって、より大きな現象を引き起こします。防災的表現でいえば、災害ポテンシャルが高まると言います。

斜面崩壊や、地すべりをハードな対策工で止めるということは一時的なものであって、その間動きを止められたことにより自然は災害ポテンシャルを高めます。

もちろん、防災のための対策工が必要ないと言っているわけではなく、対策工をすればどこでも「永久に」住めるようになるという発想が間違っているのではないかと思っているわけです。

最近は、都市部の造成地盛土に関わっています。造成地盛土は、もともとが自然物ではなく人工物です。そして、造るときにそれが地震時に滑るということは全く眼中になかったわけですから、まさに無知の産物です。ただ、もともとが人工物であるがゆえに、維持しようと思えば方法はあります。異物であるがゆえに、全体の自然の流れの中に組み込まれていませんから。

地震についても似たことを考えます。地震は自然が引き起こしているもので、災害ではありません。災害をつくっているのは人間の側の問題です。地震は大きなエネルギーを出します。たとえ予知が可能になったとしても、そのエネルギー量が小さくなるわけではありません。であれば、いつ地震があっても大丈夫な生き方・住み方をするということに力を注ぐ方が賢明です。

豪雨や津波についても同様です。

ただ、火山だけは違います。破局的噴火に対しては、生き方・住み方で対処不能です。深刻な放射能災害もよく似ています。広域に面的にくるものは、その地にいるだけでアウトです。『日本沈没』の流浪の民は、地震ではなく火山の破局的噴火でいつか現実のものとなる可能性があります。

「部分最適」の終焉

来年度の国家予算は、税収よりも国債の額の方が多いという。あまりにも金額が大きいのでピンと来ませんが、これが長く続くとは考えにくいと思います。利益集団から送り込まれ、少しずつ「部分最適」をやってきた結果が今の状態と考えると、これからはIMFが入ってくるのか、橋下氏のような「全体最適」指向の人がリーダーになるのかわかりませんが、「部分最適」の終焉が近いのでしょう。

「全体最適」指向は、税収の中で予算を組むということです。いままで積み上げてきた部分最適実績は、すべてチャラになります。

東日本大震災では、造成地盛土の対策に多額の国費が投入されることになりました、これは被災者の皆さんにとっては福音なのですが、次の大災害時に同じことができると期待することは難しいような気がします。

さらに、「盛土全体の滑動」と一口で言いますが、全体が滑動するとはどういうことでしょうか?今回の災害で、盛土全体が滑動したところはどこだったでしょうか?

阪神淡路大震災のときに起きた、西宮市仁川百合野町の大崩壊は「全体の滑動」に違いありません。しかし、それ以外の「少し動いた」盛土が全体の滑動なのかどうかは解釈の問題です。福島市あさひ台は、全体の滑動だったでしょう。では仙台市緑ヶ丘3丁目は?、、、緑ヶ丘4丁目は、全体の滑動と言ってもいいかもしれません。

全体の滑動という概念は難しいのです。事後の公助を期待するということは、その都度解釈が変わる恐れがあるので不確実です。

先々を考えると、大地震が来ても、被害が軽微で収まるようにしておくことが必要だと思うのですが、そういう流れはできるでしょうか?できると信じたいのですが・・・。宅建試験に地学・地理の共通科目ができれば、また違ってくるのでしょうけれど。

笹山幸俊 前神戸市長のご冥福をお祈りいたします

sasayama今朝の神戸新聞朝刊の一面トップに、1995年阪神・淡路大震災時の神戸市長だった笹山幸俊さんが亡くなられたことが報じられていました。ご冥福をお祈りいたしますとともに、技術者の防災活動への多大なるご理解と応援に対して深くお礼申しあげます。

改正宅造法で宅地耐震化が組み込まれたのは2006年ですが、これが実現するためにはいろいろな方々のご支援が必要でした。笹山さんはその中でも大きな力になっていただきました。とても紳士で優しいお人柄だったことが印象に残っています。震災の時には、現場の人たちが上司に許可を得るということではなく、責任は自分が取るので、現場の人たちは自分でその場で判断して動くよう指示されたということを聞いています。

私が、応用地質学会の斜面研究の委員会で、釜井先生らと「都市の埋もれた斜面」=谷埋め盛土問題に取り組み始めたのが、1990年代の後半です。2000年ごろにそのメカニズムが分かってきました。これを一般市民に周知してもらいたいということを考え、日本技術士会近畿支部に新たにできた防災研究会に参加しました。建設部会にも参加し、住都公団のOBさんを雇用し、いろいろなチャンネルで働きかけました。

しかし、造成宅地の盛土問題は、すでに建築を許可して家が建っている場所の危険性の話です。許可をした役所も、売った不動産業界も、触れてほしくないタブーでした。

いろいろな自治体に働きかけましたが、ほとんどダメでした。唯一、神戸市だけが情報として重要なので、NPOなどワンクッションおいて公表してはどうかと言ってくださいました。そして2004年にNPO都市災害に備える技術者の会を発足させ、初代理事長に笹山さんになっていただきました。

その後内閣府防災担当にいらっしゃった渋谷和久さんと知り合うことができ、造成地盛土問題の存在をお知らせすることができました。2004年10月に発生した新潟県中越地震の際、渋谷さんは国交省の宅地の担当部署にたまたま帰っておられました。2005年に廣野さんという砂防の技官の方が同じ部署にこられ、宅地耐震化の法制化にGOがかかりました。

渋谷和久(2007):宅地造成等規制法の改正−宅地造成地の耐震化対策−、地学雑誌
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf116-3-4/p511-515.pdf

そのころの経緯については、先日日本地すべり学会誌に発表しました。

太田・廣野ほか(2011):宅地盛土の地震時被害軽減を目的とした地盤技術者のアウトリーチ活動
http://www.ohta-geo.co.jp/tech_rep/2011JLS_40_6.pdf

なにか新しいことをしようとすると、応援して下さる方と、邪魔をしてくる方がいます。宅地耐震化は、数少ないが強力な応援してくださる方々のお力でできた制度です。神戸の経験を、学会等の活動で教訓(メカニズムと対策原理の解明)にし、制度として固定化したわけです。

宅地耐震化については、行政にとっても不動産業界にとっても面白くない話だということは十分認識していましたので、問題の存在を公表してもらうということだけを働きかけていたのですが、笹山さん、渋谷さん、廣野さんらの応援で、図らずも法制化に至りました。そしてこの法制化は個的資金を個人の宅地に投入できるという前代未聞のことを実現したのです。

まだ宅地耐震化は予防防災という点ではまったく不合格です。しかしその目標に向かって今後も活動していきたいと思います。

東日本大震災では、宅地耐震化に緊急対策事業が行われることになりましたが、今後の地震でも同様の被害が出ることは明らかです。そのとき緊急対策事業が今回のように実施される保証はありません。被災後の恒常的な制度はなく、原則自己負担です。日本の財政事情を考えると、次も同じ手当てができるかどうかはわかりません。ですから事前の予防防災を普及させなければなりません。

転ばぬ先の杖

仕事柄、山の中に入ります。山には、ダニや蚊だけでなく、マムシなどの毒蛇、スズメバチなどがいます。山なので当然道路は近くになく、仮にそういう強力な毒を持ったものに襲われた際には、自分で救急対応しなければなりません。

10月初旬にもスズメバチに刺されました。スズメバチは2度目ですが、記憶にあるだけで、ミツバチ2回、よくわからない蜂1回と刺されています。でもそんなものじゃないと思いますので、大半は忘れたのでしょう。マムシには幸い噛まれたことはありません。

蜂に刺されると、アナフィラキシーショックの危険があります。抗体ができた2回目に刺された時になり、呼吸困難や血圧低下などの全身的な反応をする人がいます。重篤な症状を伴うものをアナフィラキシーショックといいます。

アナフィラキシー対策フォーラム
http://www.anaphylaxis.jp/index_flash.html

poison毒が体に入った時に、まずやるべきことは、毒を体内からできるかぎり抜くことです。当社では、山に入る場合にはザックにポイズンリムーバーを携行します(製品名はエクストラクター ポイズンリムーバーAP011)。スズメバチにさされても、2分以内に毒を抜くことができれば、腫れもひどくなりません。アレルギー症状が出た場合に備えて、抗ヒスタミン剤も携行しています。

夏は暑いので、自分が必要と思うよりも1本多めにペットボトルを持ちます。きつくなったら根性で登ったりはせず、休憩します。それでも8月には山の上で脱水症状になりました。5分ほど横になれば回復します。用心に越したことはありません。

先月まではスズメバチやマムシに出会いましたが、もう11月なのでもうあまり遭わないと思います(そう期待しています)。

トンネルは地下シェルターになる

先日土木学会の調査団で紀伊半島調査に行った際に、ある方から「今回の災害では、国道168号のトンネルに助けられた。」という話をお聞きしました。

山岳地において、最も安全な場所はトンネルなのかもしれません。下手な避難所よりもはるかに安全です。トンネルがある場所は通常あまり低い標高にはありませんので、土砂災害のみならず津波災害の避難所にもなると思います。問題となることがあるとすれば、アクセス方法です。車で行けばすぐ満タンになるでしょうし、お年寄りが歩いて行くには大変です。しかしそれを解決するくらいの知恵は出るでしょう。

土石流対策や津波対策のために新たにシェルターを造るのは大変なことですが、現在あるトンネルや、すでに計画されているトンネルを地下シェルター化するということはとても合理的な話だと思います。紀伊半島で実感されたこの知恵を活かせればと思いますが、私に何ができるわけでもありません。

フェリー転覆事故もイギリスでは災害

ある地域の土石流の文献を探しているうちに、奥西先生のページに行き着きました。そしてイギリスの災害に対する考え方が書かれているところで、とても心に残る記載がありました。

災害についてイギリスで考えたこと「自然災害科学」第6巻第3号より転載
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/Kazuo.Okunishi/retire.html

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イギリスでは保険が発達しており,くだんのフェリー事故の時も多額の保険金が支払われたようである。保険は災害の経済的な側面の多くを個人的に解決し得るものにしたが,人命の損失や生き残った人達の精神的苦痛を直接的に解決することはできない。そのような被害が社会的に問題にすべきレベルである時,イギリス人はこの事態を災害と呼ぶようである。

エクセター近郊の高速道路のそばには石碑が建っていて,「環境庁の某と国会議員の某は高速道路を通すために,美しい村をひとつ破壊した。我々はそれを阻止出来なかったが,次の世代の人達はこんな馬鹿なことはしないでほしい」と激しい調子で記されている。このように,開発側と自然保蓑派の問の対立はかなり激しく,流血事件さえも起こるが,卑怯なことを決してしない点が日本と大違いである。

無知のために命を落とすことと,意義のある冒険をすることは別であることを皆が知っているから,人々に災害の危険を教える場合も,情報を詳しく提供するが,ああしろとか,こうしてはいけないとかは決して言わない。イギリスには海岸地すべりが多く,イギリス人の大好きな散歩道が壊れることが最大の災害であるが,本当に危なくなるまでは立ち入り禁止にはせず,詳しい情報を記した立札が建てられる。
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「情報を詳しく提供するが,ああしろとか,こうしてはいけないとかは決して言わない。」

これは土砂災害防止法の基本理念だったと思います。行政の知らせる努力、住民の知る努力・・・というような文言が当時は踊っていたように思います。

ところが、イエローゾーン、レッドゾーンの指定が進んでくると、当社に苦情がくるようになりました。○○市が造成して分譲した住宅地なのに、その○○市がイエローゾーンに指定するとは何事だ!それを解除してくれるための調査をお願いでいないか。。。

当社は、マニュアル・基準に従ってやる仕事はコンサルビジネスにならないと考えていますので、手掛けておりません。そこで、そういう基準作りをされるようなところに聞いてみますと、機械的に設定しているので(斜面勾配などで)、覆すのは無理だと思う、とのこと。お電話の方には「無駄な出費になるのでやめた方が良い」とお断りしました。

社会の仕組みは、人間が尊厳を持って豊かな気持ちで生きることができるようにするべきです。災害に関しては、情報提供が十分にあれば、あとは専門家の意見を聞いて(セカンドオピニオン)、自分の価値観でどうするかを選択すればよいと思います。数百年に一度の自然現象に対する考え方は、当然人によって異なるからです。

定量化が想定外を乱造する

東日本大震災では「想定外」が乱発されました。

ここ20年くらいの傾向として、定性的な話は曖昧で悪い、定量的な話は論理的で明快、という風潮がはびこっています。これが想定外を乱造しているように感じます。

自然現象現象を観察し、定性的な理解を試みます。「理屈に合う」ようにして「腑に落ちる」まで考え詰めるのがこの作業です。しかし、そこでできる理解は専門家の言語の世界なので、それを専門外の人まで理解できる共通用語に翻訳する作業が必要になります。共通言語とは「数値」です。その数値化のことを定量化と言っているわけです。

数値化するためには、自然をモデル化することが必要です。しかし、人がわかる以上のことをモデル化することはできないので、その人の数量化能力の範囲内という制約が入ります。その制約を「想定」と呼ぶ習慣があります。想定外とは数量化能力外のことなのです。

過去に400ミリの連続雨量があって災害が起きたところに、何らかのモデルが作られ予測手法ができたとします。そこに800ミリの連続雨量があったとき、呑気に計測してデータを取って「判定」している場合ではなく、定性的に大丈夫な場所に逃げることが必要です。

定量化は、モデル化の時にはめた範囲内の時に通用する話です。

「危機」は、その範囲外の状態です。したがって、定量的判定は役に立たなくて当たり前です。危機の時には定性的判断を専門家が行うのが正しい行動だと思います。となると、「危機管理マニュアル」という言葉は、矛盾に満ちていることになります。

管理、マニュアルというのは定量的に把握できる範囲内で通用するものであり、危機はその範囲の外側にあるものです。災害というのは、観測史上1位などという状態で起きることが多いわけですから、管理マニュアルで対応できる範囲の外側にあります。すなわち、災害対応は、いつも「想定外」になる宿命を持っています。専門外の人が危機管理マニュアルに従って対処してうまくいくというのは、危機でないレベルの時だと思います。

今回の福島第一原発は、情報が少ないのでよくわかりませんが、所長が本社の命令を無視して対応していたという話がありました。でもこれこそ危機管理だと思います。専門家が、その場で、定量的指標に頼り過ぎず、それまでの経験と専門知識を駆使して今後起きる厄災をイメージし、それを事前に回避する行動をとったわけですから。(これが掲載されるときまでに破綻が起きていないことを祈ります)

以前、優れたトンネル工事現場の所長に、韓国の技術者の方をご案内したことがあります。韓国の技術者の方が「工事において何が一番大切なことですか」と聞かれた時、その所長はしばらく考えて「この先に起きることを良くないこと(想定外のこと)をいくつかイメージして、それが今の体制で対応可能かどうかを考えます。対応困難であれば、そうなることを回避するか、対応できる体制を事前に準備しておきます。」と話されました。安易なマニュアルや定量化といったことは危機管理ではないということだと思います。

定量化やマニュアルの議論は、危機に専門家でない人が適切に対応するというできっこないことを考えているようで、議論のための議論、責任分散化のための議論というような違和感を感じます。

危機対応は専門家にしかできない、となればエンジニアも精進のし甲斐があるというものです。「マニュアル作れ」「マニュアル通りにやれ」「マニュアルダメだったじゃないか」ではやる気も吹き飛びますから。

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