2006年07月14日

脳卒中の後遺症 半身不随 下半身完全麻痺 言語障害 空間無視と半盲 排尿、排便障害



   2009年12月9日移転のお知らせと漢方薬 化粧品の注文の件について


 45歳 男性
突然の、全く突然の脳卒中で倒れて、2年の入院生活を経て、関係者の御厚情で社会復帰に挑戦し始めて1年。

ただ ただ夢を追い求め、熱望した社会復帰への挑戦も、1年も経つと、その感激も心の昇りも、やや落ち着きを取り戻し、冷静な目で状況が把握できるようになると、日々の企業生活に於いて、健常者であった頃と現状とのギャップに恐れおののくばかりである。

 社会復帰に向けて住み慣れた病室を後にする時、社会復帰への道は相当苦難の道程である事は想定出来たし、それなりの覚悟も出来ていたはずであるが、救命率1%以下を宣告された脳卒中の後遺症は、予想を遥かに超える苦難の道程を私に強要した。

 左半身完全マヒ、空間無視と半盲、言語障害、排尿・排便障害とならぶ障害群は、各々重度の症状を呈し、まともな企業生活などとてもおくれる状況ではなかった。

 当然、仕事はミスに次ぐミスの連続。それを上司・同僚に指摘されるとただ黙って赤面し頭を下げるだけであった。

 今思っても、よく会社に籍をおいて頂けたとの感激の気持ちで一杯である。

 こういった状況が相当期間続くと、その結果自分の心に起こってきたものは、もう自分は駄目なので、人間として企業人として何一つ、一人前の事は出来ない。

 何かをすれば失敗し、他人に迷惑を掛ける、黙ってただじっとしておこう、絶望感とどうしようもない虚無感に完全に我心は支配され続け、いつしか笑いさえ忘れてしまっていた。
 
そんな時である。

古き友人に、一度騙されたと思って漢方の扉を叩いてみないかと声を掛けられたのは。自分の漢方医学観は極めて長い服用期間が必要である事、しかしてその薬効は、歯がゆいくらい穏やかなものであることぐらいであった。
 
もちろん今迄一度も服用した事もない。

正直に言えば、その友人には悪いが薬効を全く期待してはいなかったし、ただ副作用の不安が皆無という事と信頼出来る友人の勧めに従っただけの事であった。

ところがである。全く予期せぬ事が起こってのである。
それも、全く予想だにしなかった分野にその兆候が現れた。
 
 排尿障害に悩まされ続けてきた。
それは、尿意はかなり強いものを感じても心の緊張が解けず放尿できない。なんとも他人には説明し難いが、当人としては、その苦痛ときたら、膀胱はパンパンに張って足をバタバタする程の尿意を感じても一滴も放尿出来ない。

 コーラ・ジュースをがぶ飲みして頑張っても、3時間を経過して自然落下するまでは、自分の意志では何ともならない。

 いわゆる脳卒中の後遺症の一つ、排尿障害である。

 今までは、一度放尿してから後は、3時間経過するまでは、忍の一字であったが、その周期が1時間半〜2時間に縮まり、その都度尿の量も十分である。

心なしか今までより勢いもあり、、まるでほとばしり出るという表現がぴったりである。
 最初は、単純にその快感を喜んだものであるが、就寝中の深夜まで続き、2時間内に一度小用にベッドを立つ私に付き添ってくれている妻が寝不足と不平を言い出す始末である。

 私も少し不安になって数日経って、木室先生に電話を入れたが利尿剤は全く調合していないとの事。

腎機能を高め水分代謝を活発化させる事により、排尿障害を取り除き、それによって湿に害されて動かなくなた体が軽くなり、動きやすくなりますよ。という先生の説明にすっかり安心したものである。
 それから1週間ぐらいしてからであろうか。沈みきった我心に新しい波紋が起こったのは。

 とてもその事を具体的には文字や言葉では上手く表現できないが、現代流の表現を使えば、真っ暗闇の我心に朝日がニューパワーの訪れをうっすらと感じ始めたのである。

 失敗を恐れ事故の不安におののき、自己防衛意識に凝り固まり、無意識のうちに自分の魂の安まる場所(病室)を求め続けている、かなり病的と言えるであろう我心身に、よしやってみようじゃないか、出来なくても笑われてもともと。出来るところまでやろう。

 独り歩きで転倒しても頭部打撲だけなんとか防げば死には至らないであろうと。
 今までどうしても恐怖心で越えられなかった一線を乗り越えてみようという魂の塊の目覚めをかすかにではあるが、心の片隅に感じるようになってきた。

 何がどうしてどうなったかは自分自身でどうしても理解出来ずに、家族・同僚はもとより、会う人ごとにこの新しい現象を話したものである。

 が、聞く相手は怪訝な顔をするばかりでなかなか自分の言う事を理解してはもらえない。

 ただ、一人この漢方薬を調合してくっださった木室先生だけが、その現象をさもありなんという感じで、聞いて戴いた時は、子供が自分の悩みを親に理解してもらった時のように、安堵と将来への期待感の入り混じった幸福感に満ち満ちた一時であった。

 発作後気づいて以来このような気持ちになったのは、まぎれもなくこれが初めてである。

 何か人生観が変わったような日々が訪れた。
 
毎日毎日後遺症に対して嘆きとぼやきの日々を送っていたわけであるが、今は少し違う。

 リハビリの成果の向上。成果・障害のちょっとした改良に素直に喜びを感じられるようになってきて、隔日のリハビリ訓練に前にも増して熱が入るようになってきた。
 もともと負けじと魂だけは、人一倍であった私は、PT、ST、OT、その成果を認められるようになると、自然にその上を目指そうとする本来の自分の姿を時折感じられるようになってきた。
 
 もちろん様々な障害が霧散してしまったなどとは決して言わない。

 今でも、左半身は完全麻痺であるし、左半側空間無視、半盲、軽度の排尿排便障害、言語障害もずっしりと両肩に乗っているが、今では、それに負けない、泣き言は言わない、挑戦して何か一つでも克服して見せるぞという気力に肝をしっかり感じるのである。

 隔日のリハビリ訓練が待ち遠しくさえ感じる。

 精神が元に戻れば、いつの日か必ず身体は戻ってくると信じつつ、明日へ明日へと限りない挑戦を続けていこう。

 お世話になった方々に、いつの日か笑顔で感謝の御礼の言葉を言うまでは。
 妻と二人で二人三脚で歩き続けよう。
それだけが残された道だから。


2008年4月
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