法螺と戯言

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常陸魂はアントラーズから稀勢ちゃんへ、米大統領に思う

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)

 昨年12月、J1鹿島アントラーズが世界のトップチームであるスペインリーガ・レアル・マドリの心胆を寒からしめる戦いをし、世界を驚嘆させました。そして昨日、このアントラーズの奮戦は、大相撲の場で稀勢の里によって見事に受け継がれました。まさに常陸国魂の爆発であります。

 これに便乗して、本ブログでの常陸国風土記解読の読者も本年は激増するに違いありません。とはいえ、本日は稀勢ちゃんやらトランプ氏やらで、風土記の論は休載します。ごめんなさい。

【写真:東京新聞2017年1月23日付スポーツ欄。これからは稀勢ちゃんはもっと強くなり、優勝が当たり前の事になります。その意味で、この星取表は”お宝“級のnews-clipとなります。拡大は画面のクリックで】
星鳥表1507


 稀勢の里 ついに射止めた 大賜杯 ほっとしつつも 嬉しさ募る

 やっと勝ってくれました。休場力士が多かった、だのとケチをつける輩も居ないではありません。しかし、体への充分な注意を払って昨年一年間に積み上げた白星の数をみれば、もう立派というしかありません。気になるのはTVの報道が稀勢里の出身地として牛久市を紹介していることです。下の記事に見るように、稀勢の里はれっきとした龍ヶ崎っ子なんですな。いたずら好きの腕白坊主であった、と語る住民が当地には多いのです。中学卒業後すぐに元・横綱隆の里に素質を見込まれ、東京の相撲部屋に入門していますから、稀勢の里の真のふるさとは当地龍ヶ崎なのです。まあ、あまりせこい「縄張り争い」はしたくはありませんが、一言書き記しておきます。

(東京新聞、1月22日付記事、拡大は画面をクリック)
龍ヶ崎あ1508


 現在の力士の中で稀勢里は地力においては断トツであることは大方の専門家が語っています。更に強くなってくれることを切に期待しています。よかった!よかった!

+++++トランプ氏米国大統領に就任
 日本時間の土曜日(1月21日)未明ドナルド・トランプ氏が米国の新大頭領に就任しました。氏の就任演説を巡って改めて大きな反発が報道されています。米国では、かってないほどの反トランプ・デモだそうで、土曜日の朝のNHKニュースは長々とその様子を報じていました。
トランプ1505

 
 そして日本国内での大方の論調も、トランプ氏の就任演説には、米国の伝統的国是たる「自由、人権」などと言った理念の欠片も無いと扱き下ろします。
「読売」、「産経」そしてそれの系列であるTV局がそう叫ぶのにも、普段の彼らの論調を想起するならば大いなる違和感を感じます。が、比較的良心的といわれた報道機関、および評論家までが突然米国の拠って立っていたはずの「理念」なるものに言及してトランプ批判を展開することに驚いています。私は、大統領選挙の真っ最中から、「日本国の未来を危うくするのはクリントン候補」であると主張してきましたから、こうした日本の論調に馴染めずにおります田中宇氏の考察 堤未果氏の指摘 など。

 これほどまでに激しい米国の反トランプ扇動と歩調をあわせた大キャンペーン。どうやら裏に何かがあるのではないか?。あの八名の大金持ちhttp://c23.biz/f7ZEを含む世界を牛耳る「奥の院」の意向が嗅ってきます。 その核は、下にも紹介した東京新聞1月19日付社説がチラット書く「反グローバリズム」への警戒ではなかろうか?「グローバリズム」とは耳触りのよい響きです。しかし、その実態は「世界が仲良く」といった意味ではなかったのです。多国籍企業が、進出先の国の政治的・経済的事情を一切無視し、ひたすらにその国と民から富を掠め取ることを覆い隠すための「標語」であった。そうした企業の本籍の多くは米国であった。その米国で、まさに米国民からその「グロバリズム」に「否」の明確な意思表示がなされたのです。

 こうした実態を知ってか知らずにか、米国民が前代未聞の反トランプ大規模デモにかまけているとのこと。しかし、米国民は考えるべきなのです。自らの同胞が選挙と言う手段を通じてトランプ氏を大統領に押し上げたのです。とするならばデモ参加者はまずは、そうした同胞に向けられるべきなのです{何故、そんな人物を選んだのか?」と。そして、米国に本拠を置く多国籍巨万の富を抱える企業を断罪せずに米国労働者に職を確保できる道筋を語り説得すべきではないか。それが現実的でないことはデモ参加者もよくわかっているはずです。

 トランプ氏はオバマケア、TPPなど一部については既に政策の実施がなされているといいます。しかし、政策の本流は、未だです。それが米国民にとって不都合であるのか、そうでないのか、それはこれからです。政治運営は始まっていないのです。

 私は、これまでも繰り返し書きましたが、政府のトップにある人間が「まずは自国のための政治」を高らかに宣言して政策を練り実施するトランプ氏に敬意を表します。こうした政治家こそがトップとして求められるべきであると思っています、これは我が日本国のトップとは大違いであるからこそ、それを強く実感するのです。
 
 さて、トランプ氏の就任演説に対して、自らを『右翼』と分類する漫画家で政治論客でもある小林ヨシノリ氏が以下の感想を述べています。まさに同感であります:

%%%%%トランプ大統領の就任演説は立派だった
小林よしのりweb
2017.01.21 小林よしのりオフィシャルwebサイト
昨夜2時にトランプ大統領就任の演説を聞いて、何ひとつ違和感はなかった。 グローバリズム戦略から保護主義への転換、国境を高くして企業の国内回帰を促し、雇用を守る政策、さらにケインズ主義の採用によって国内のインフラ投資を進め雇用を生み出す政策、これらの経済対策で中間層を守ることを公約した。 さらに世界の平和よりもまず国内の平和を守ること、だがそのためにもテロリズムとの戦いを続けることを主張していた。
全部納得がいく。実に常識的な戦略転換であって、今のアメリカにも、さらには世界の国々のためにも、脱グローバリズムは評価されてしかるべきである。 移民で成り立つ国と言っても、限界はある。無制限に移民を受け入れることが、国家の崩壊を招くのなら、制限したり、調節したりするのは当然の政策だ。日本は今のところ、そうやって国民の秩序の安寧を保って
いるのだから、我々日本人がアメリカの移民政策を批判できるはずがない。
絵空事の「理念」をポエムのように語らず、やるべきことをしっかり語ったトランプは大したものである。さっそくTPP離脱、NAFTA見直しを表明したが、有言実行の速さも素晴らしい。
そう思っていたのだが、今朝の「ウェークアップ!ぷらす」という番組では、トランプの就任演説をボロクソに貶している。誰一人、トランプの保護主義を理解していない。自由や平等などの絵空事の民主主義の「理念」を言わなかったことが不満だとブーブー言っている。どこまで馬鹿を貫いてるんだ?
安易に「ポピュリズム」という言葉を使用して、トランプを選んだアメリカ国民を馬鹿にするのも全く不思議。ポピュリズムが嫌いなら民主主義を批判すればいいのに、民主主義は大好きというのだから頭の中が分裂している。寡頭政治にせよ、賢人政治にせよと言うのなら、わしも賛成
するが、そんな主張をする勇気はないのだろう。 グローバリズムで不安を抱え、疲弊した中間層を立て直すための保護主義のどこが悪いのか?グローバリズムの発信地であるアメリカとイギリスが、保護主義に舵を切ったのだ。もしトランプが失敗したり暗殺されたりしても、もうこの流れは止まるまい。サンダースのような政治家だって若者に支持されていたのだ。 今後10年くらいかけて、脱グローバリズムは進み、やがてナショナリズムの時代が来る。誰もかれもがグローバリズムは「歴史の不可逆的な流れ」と思い込んでいるが、それは人為的なものに過ぎない。人為的なイデオロギーだから、人為的に変えられるのである。トランプ大統領もメイ首相も、保護主義に転換するが、貿易はインターナショナルに進めるのである。グローバリズムとインターナショナリズムの違いも分からないような日本のアホ知識人が、言論界の「空気」を作って
いて、わしのような考えを披露する場所などないだろう。せいぜいブログか、動画で言っていくしかない。
それにしても安倍政権の遅れ過ぎた新自由主義感覚は、もはや恥である。いまだにTPPに未練たらたら、格差拡大を放置して、日米同盟が最高の価値だと力説している。ボケ野郎にしか見えないが、これを国民が支持しているのだからどうしようもない。

では日本はアメリカに追随せず、自由貿易・グローバリズムを追及し、このまま中間層を破壊し続ける覚悟があるのだろうか?やがて日本も保護主義へ行くべきと言論の空気も変化して、政策を変える政治家や政党が現われるのだろうか?今のところは自民党も民進党も、TPPに賛成していた通り、新自由主義路線のままである。共産党だけが不思議なことに保護主義的な主張をしているのだから皮肉なことである。
%%%%%

 上で、グロバーリズムを書きましたが、東京新聞がそれについて、社説を1月19日に書いています。率直な物言いに好感を抱きました。
東京・社説1503

東征軍の行方侵攻基地、巨大地震の遷移、勇気ある比国大統領

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【写真:昨日、町内バス旅行で訪ねた川越の有名な時の鐘櫓。天気に恵まれ、初めての川越見物を楽しんできました。】
CIMG1485



 江戸からは くりよりうまい 十三里 蔵の街並 とうりゃんせの地

 私の三大苦手野菜(?)の一つが薩摩芋です。それがここ川越の名物です。家内の大好物ですが、私は胸焼けを起こします。川越の町には、蔵通り、時計櫓など昔の日本の風景が残っており、懐かしい気分となりました。川越城の中(川越城 )にある三芳野神社(とうりゃんせ )は江戸時代からの古謡である、童謡「とうりゃんせ」で歌われる天神さんと知りました。
【図1:川越の地図】
川越マップ無題


 近くには吉見百穴(上の地図参照)があります。日本列島古代史解明の重要な手がかりを与えている”さきたま古墳群”と”志木”はすぐ近くです。できればじっくりと個人的なドライブで見聞したかったところです。

+++++行方考察(7)
【図2:行方郡記載に当って地名の登場順番に大きな意味があります】
征討軍進軍経路


 上の図は前回記事の末尾に掲載したものです。緑の矢印に見るように奈良の東夷征討軍勢は現在の栃木県南部である下毛野から新治郡をまずは侵略し、筑波、信太、茨城と順次侵攻を広げてきました。そして、最大の難関である行方郡と対峙します。奈良軍勢にとって最大の攻撃目標は香島に本拠を置く東の倭国、すなわち扶桑国の常陸国本部です。そして行方郡はその本拠を守る要塞であったのです。

 奈良軍勢はいよいよその要塞への攻撃を開始します。その開始への手順が上の図の緑の四角で囲まれた記述から見えてくるのです。この四角内で、「風土記」(小学館)の編者である植垣節也氏は行方郡の風土を語った後に、その記述に出現する地名をまとめ、それらの出現順番(上の緑の四角内に付された番号)を書き連ねています。

 此の四角内に書かれている地名をその左の地図に参照すると、見えてくるのが北から南の順番になっています。ここ数回で問題となっている大生は22番で、記載の最後ではありません。これは、名前だけが「ちらり」と登場するのが22番目ですが、実際には前々回書いたように大生は行方郡の最後に登場します。これは奈良の軍勢が行方郡攻略に最大の力点を置いていたのが実は「大生」であったことを問わず語りに白状しているのです。

 そして更に注目すべきは、この大生こそは、北浦を挟んでまさに香島郡の本拠(図で香島郡地図で8番と表示されている)に対峙しているのです。行方郡に侵攻後、藤原不比等の軍勢は香島の本拠から遠い北の縁からソロリソロリと大生に接近して行ったのです。常陸国風土記の研究者達はこうした戦闘経緯をむざむざと見逃していたのです。

上に書いた経緯への理解を元に再度風土記の記述を見てみましょう。
【図3:常陸国風土記。行方郡のクダリの最終文節】
行方ー香島無題


 赤の転戦部分こそが、行方郡のクダリの最終部の一節です。この地で倭武天皇(古事記は倭建命と書く)が相鹿丘前の宮に座していた(図2で18番、22番である大生のすぐ北)。ここに膳炊屋舎を建造し、舟で渡河出来るよう舟が停泊できるような艀を作ったと書きます。

 行方郡の条はここまで具体的に書いていたのです。奈良の中央権力が何処まで真実を書き記すことを許していたのかどうかは定かでありません。図に見るようにまさに敵の中枢である香島の眼前に北浦の水を隔てているとはいえ陣屋を設営し、糧食供給そして水運までも整え、一気に香島に攻め入る体制を整えていたのです。行方の条はまさにそれを記録しているのです。しかし、奈良の中央権力を慮り、あたかもハイキングの如き書きっぷりです。

 さて、その地に大橘比売が自らやってきたと、風土記は書きます。とすれば、当然そこで子を生したでしょう。王の子です。つまり大【おう=王】の子が生まれたのです。かくして此の地は「大生」となったのです。私は、此の説話は奈良の軍事政権の指導者ではなく、香島に拠点を設けた王、つまり扶桑国(東の倭国)の幹部武将(もしかしたら武王自身であったかも)の話であろうと思っています。その事実を意図的に藤原不比等の軍勢にまつわるエピソードとして、風土記に書き加えたのです。勿論、ここで生まれた御子が後世どのような名前で日本列島で活躍するのか、現時点ではそれは定かでありません。
(つづく)

+++++巨大地震
(図4:2004年スマトラ地震震央から見た、2016年12月312日までに起きた巨大地震)
三巨大系列


 前回、上図の緑で囲まれた点線域内の地震群が線状の配列をしているかのように見えるのは、図の縦軸が常用対数であるためであると書きました。そうではあっても22番で示される2008年の四川地震は、2004年のスマトラ地震と2011年の東日本地震の仲介と言う役割をなしたのではなかろうかと思えます。この議論は、後日にします。

 上の図で、これも常用対数軸と関わるのですが、縦軸メモリの3.8を超えた領域に三つの線形配列がみえます。一つはa領域内の3.8を超えた地震群、およびc、dと言う点線で示される二つの直線状分布です。スマトラ地震の震央あたりから世界を眺めていると、地球上の遠地でおきる巨大地震が規則的な発生様式を取るように見えるのでしょうか?と言ってもここでも座標軸のトリックが関わっています。

 例えば、a の地震群はスマトラから6000kmはなれた場所(2011年の東日本地震の震央)から20,000km近くもはなれた巨大地震まで時間的に12年かけて遷移しているように見えます。又点線cに沿う地震群はスマトラから見ている遠く1万数千kmの遠地での巨大地震が千キロの近くまで7年間かけてじわじわと近づいているように見えます。

 そこで、まずは点線dの地震群を見ることにしましょう。このグループはスマトラ地震とは直接関わり無く、2011年の日本の巨大地震を巻き込んでいます。
(図5:スマトラ地震を中心にした地震震央位置)
系列d


 いくつか興味深いことがありますが、それは他の情報とあわせて考察することにします。

 そうではあっても、ここで再度対数軸が問題になります。遠い巨大地震ほど、遷移速度が大きくなります。まるで宇宙膨張speed(ハブルの法則)に似た話です。そこで、スマトラ地震から見て他の巨大地震がどのようなスピードで離れようとしているのか或いは近づこうとしているのかを調べてみます。
(つづく)

+++++ドテルテ大統領、安倍氏の武器供与を断る
 比国大統領が安倍氏のミサイル供与を断り、平和が大切と語ったとのこと。我が国の「親分」よりはるかに高尚な理念を持っていると感服しました:
%%%%%以下記事転載
Duterte: I rejected Japan missile offer ドテルテ比国大統領の言 
By Christina Mendez
Philippine StarJanuary 15, 2017
Duterte: I rejected Japan missile offer
More
President Duterte has declined an offer by Japanese Prime Minister Shinzo Abe to provide missiles to the Philippines, saying he does not want to see a Third World War.
Speaking at the 49th annual installation of trustees and officers of the Davao City Chamber of Commerce and Industry at Marco Polo Hotel in Davao, Duterte revealed the offer last night following Abe’s visit to Davao City on Friday.
“If we start a third world war, that would be the end (of the world),” he said.
“Actually, I told (Prime Minister) Abe, I don’t need missiles,” he said, noting that even leaders of the United States and Russia seem to be coming on good terms.
“If you just see now, Putin is conciliatory and now Trump (is reaching out to the world), “ Duterte said, referring to Russian President Vladimir Putin and incoming US President Donald Trump.
Japan’s offer came after Russia initiated an offer to provide the Philippines with submarines but Defense Secretary Delfin Lorenzana said the country couldn’t afford it.
With this, Duterte reiterated his intent to stop the country from having foreign military alliances with any country.
“I want the country free of foreign soldiers. Ayoko… sibat na kayo. (I don’t like it.. they have to go). We are good now, ” he said.
Duterte had earlier said he wanted the last American soldier to pack up and leave as a result of his anger against the US for allegedly meddling in the campaign against illegal drugs.
The President, however, has allowed the defense department to pursue exercises as long as the naval exercise will not be near or within the South China Sea.
Earlier, Japan Foreign Press Secretray Tasuhisa Kawamura said his country is keen on participating in the Balikatan exercises between the US and the Philippines.
On martial law
Meanwhile, Duterte blasted crafters of the 1987 Constitution for making it hard for the next president to declare martial law since the latter needs to report to Congress, and that any act can still be questioned before the Supreme Court.
Such instances would lead to the clash between the three branches of government, he said.
He called as “bull sh*t” insinuations that he would declare martial rule in a bid to extend his stay in office.
He, however, said if he has to declare martial law, it would be to preserve the nation.
Narco mayors
During the event, Duterte also expressed how he hates drugs, criticizing anew Cebu, Daanbantayan Mayor Vicente Loot whom he has called a narco-mayor.
He threatened to kill narco mayors if they would pursue their illegal drugs operations.
“I really told them, pardon my language, son of a b***h,” Duterte said as he showed the drug battle list to Davao-based businessmen.
“Drop your guns if you’re a terrorist. Drop shabu tonight and tomorrow it will be heaven,” he said.
On the local front, Duterte said he is ready to talk to his Moro brothers for peace.
%%%%%以下日本語訳
Duterte:私は日本のミサイル提供を拒否した

クリスティーナ・メンデス フィリピンスター2017年1月15日
Duterte:私は日本のミサイル提供を拒否した
もっと
大統領は、第三次世界大戦を見たくないと言って、フィリピンにミサイルを提供するという、日本の首相の安倍晋三首相による提案を辞退した。
ダバオのマルコポーロホテルで、ダバオ市商工会議所の第49回年次総会に出席したダウターテ氏は、金曜日にアバがダバオ市を訪問した後、昨夜の提案を明らかにした。
「第3次世界大戦を始めるなら、それは(世界の)終わりになるだろう」と彼は語った。
「実際には、私はミサイルを必要としない(首相)、ミサイルは必要ない」と述べ、米国やロシアの指導者さえも良い方向に向いているようだと指摘した。
プーチン大統領は、プーチン大統領とドナルド・トランプ大統領の言葉を引用して「プーチン大統領は今見ているとプーチン大統領が譲歩し、現在はトランプ(世界に手を差し伸べている)だ」と述べた。
ロシアがフィリピンに潜水艦を提供するという提案を出したが、Delfin Lorenzana国防長官は、同国がそれを買う余裕がないと述べた後、日本の提案が出た。
これを受けて、デュテート氏は、国が外国との軍事同盟を締結しないようにする意向を再確認した。
"私は外国に兵士がいないようにしたい。Ayoko ... sibat na kayo。(私はそれが好きではない..彼らは行かなければならない)。我々は今良いです "と彼は言った。
Duterteは先に、不法薬物に対するキャンペーンに干渉していると主張した米国に対する怒りの結果、最後の米軍兵士を詰めて去ることを望んでいたと述べた。
しかし、大統領は、海軍訓練が南シナ海の近くまたは中にない限り、防衛省が練習を追求することを許可している。
先日、川村康久外相は、米国とフィリピンのバリカタン演習に参加することを熱望していると述べた。
戒厳令について
一方、大統領は1987年の憲法の草分けを爆破し、次期大統領が戒厳令を宣言するのを難しくし、後者は議会に報告する必要があり、最高裁判所には依然として疑問が残る。
そのような例は、政府三支部間の衝突につながると彼は言った。
彼は、彼が就任期間を延ばすために戒厳令を宣言すると言った「ブル・シュート」と呼んだ。
しかし、彼は戒厳令を宣言しなければならないとすれば、国家を保護することだと述べた。
ナルコ市長
このイベントで、Duterteはまた、彼がナルコ市長と呼んでいたDaanbantayan市長のVicente Lootを新たに批判して、麻薬を嫌う方法を表現した。
彼はナルコ市長を殺害すると脅迫した。
DuterteはDavaoに拠点を置くビジネスマンに麻薬バトルリストを示したので、「私は本当に彼らに言いました。
"あなたがテロリストなら、あなたの銃を投げ捨てる。今夜はシャブを落としてください。明日は天国になるでしょう。
地元の前で、デュテーテは彼が平和のために彼のモロ兄弟と話す準備ができていると言いました。
%%%%%

続・金子ー室井対談、八名の大金持ち、常陸国侵略軍侵入路

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【写真:廿日月です。満月から僅か五日たっただけで、右側部分(西側)が大分欠けてきました。。これからどんどん右側が痩せてゆきます】
廿日月1460

 
廿日月 雑木の隙間に 入り込み 凍える寒さに 震えおるなり

 連日の真っ白な田んぼ。雉もカラスもどこかでひっそりと暖を取ってるのでしょう。用水路も凍り、鴨もどこかに引っ込んでいます。というわけで、このところレンズを向ける対象を探すのに苦労しています。

+++++行方考(6)
 常陸国・風土記の行方郡の条は「大生」(おおふ)で終え、直ちに香島の条に移ります。前回書いたようにここには大変古くに立てられたと伝えられる大生神社と常陸の国で一二を争うほどの大きな古墳群があります。しかるべき伝承があった筈です。しかし風土記は何も語らない。つまり語りたいのだが語れない事情があると私は睨んでいます。その事情とはなにか?

 常陸国は、野蛮人が跋扈する地であった。そこに倭建命がやってきて野蛮人どもを武力で以って服従させ、その地に平和をもたらした。一見すると、風土記はこうしたシナリオを踏まえて書かれているように見えます。実際、多くの研究者もそのシナリオに基づいて、文脈を解釈し、用語の意味づけなどに腐心します。そのシナリオは古事記・日本書紀に描き出されている枠内にとどまっているのは当然の事で、そこに疑念が持ち込まれることは無かったのです。

 例えば、古事記が描くシナリオ(筋書き)によれば、倭建命は、まず伊勢の大神宮に詣で倭比売命に「父はオイラの事を死ねっていうのか」なぞと愚痴をこぼしつつ尾張の国から相武(さがみ)に出張ります。焼津での焼き討ち事件の困難を経た後、横須賀の走水の海をわたりそこで野蛮人どもを征伐します。足柄でもう一働きした後、常陸国新治で「東国制覇の勝利宣言」をなし、帰路につくにあたっては科野(しなの)経由と書きます。

 “荒ぶる“東国の民が跋扈した上総、下総、彼らの重要拠点であった筈の香島についての言及が無いのは、藤原不比等の記紀編纂の政治的意図からは当然としても、余りにもお粗末な東国平定史です。

 常陸国風土記の編纂者は、記紀に縛られた東国史に「史実」を、奈良の権力の目をかすめて書き込もうとしたのであろうと思えます。それが2016年12月23日奈良軍勢の常陸国侵略経路 記事に掲載した図です。

(図1奈良軍勢の常陸国侵略経路)
常陸順番


 その一番の要(かなめ)が常陸国を構成する群の記載順であったのです。図で各郡に付されている赤丸番号がそれです。現ブログ管理人は此の記載順に編纂者の隠れた思惑が潜んでいるのだろうと書きました。上で書いたように、奈良の中央から進軍してきた倭建命は、足柄山に寄り道をしたとしても、現在の横須賀の『走水』で海を渡って房総半島(記紀はその地をあからさまには書きませんが)に上陸し、そこで野蛮人をやっつけ常陸国に勇ましく南から流の海(現在の利根川)を渡河し侵入するはずであったのです。どうやらそれは、香島に拠した在地軍の軍勢にひるんだため変更を余儀なくされたのです。そこで、進軍路を変更し、毛野国経由の迂回路をとることになった。このように考えると、記紀の倭建命の東夷征討の記載が齟齬無く理解でき
ます。

 いうまでも無く、記紀が書く倭建命は大陸正史に記載される「武」王又はその係累ではありません。武王が列島で活躍した時代は、藤原不比等軍の東国侵攻を遡ること数百年前の時代です。
風土記に登場する「倭建命」率いる東夷征討軍とは、奈良に本拠を置き、藤原不比等に指令される軍勢です。風土記は『意図的』にその史実を書かずに「武王」の業績と重ねてしまうことで、後世に混乱を持ち込んでいるのです。

 それはさておき、上に書いた経緯があったればこそ現在の江戸川、つまりかっての利根川は死と生を境する川であったのです。現在の千葉県、とりわけ下総国では藤原不比等が総帥をつとめる軍勢の暴虐的軍事侵攻に夥しい犠牲者が出たのではなかろうかと想像しています。成田国際空港の北にある龍角寺古墳群こそは、そうした犠牲者が弔われた地なのかも知れません。

 さて迂回して常陸国を西から侵入した藤原不比等の軍勢はどうしたのか?風土記ではまず、下毛野国に接する新治郡を叙し、筑波、信太、茨城郡を叙して、行方郡を書きます。この順番は、まさに、香島郡をじわじわと取り囲むかの如くです。言葉を変えれば、恐る恐る香島に接近する。そのためには香島の要害となっている行方攻略に全力をあげたと理解できます。上総、下総から侵入したとすれば当然行方・香島がまずは記載されるはずです。しかし、それは上に書いたようにできなかったのです。

 行方・香島には精鋭の部隊が存在したからです。そこで南からは攻めず、一旦西に退き、新治郡から侵入した経緯、さらには、侵入後も恐る恐る香島本陣に接近する様子が風土記の記載順序から見えてくるのです。全く同じ行軍の様子が実は行方の条の記載順からも見えてきます。それが下の図です。

【図2:常陸国風土記・行方郡記載順序から見える奈良軍勢の東国侵略】
征討軍進軍経路


大変重要なポイントです。丁寧に書きたいと思いますので、続きは次回とします。
(つづく)

 次回順延とは、勿体つけていると思われるやもしれません。理由は、前回の金子・室井対談の後半部を今回記事に掲載したいがためです。さらには、「8名の億万長者の話」をも掲載しておかないと、記事がどんどんたまってしまいます。実はdark matterの話とか地球に接近しつつあるasteroidの話など、既にたまっています。ご寛恕願います。

+++++世界富豪トップ8人の財産、貧困層36億人分と同じ=慈善団体
 ネット評論誌で表題の記事を見つけましたので以下に転載しておきます。「格差拡大の目に見える証拠」なぞと月並みではあっても、怒りを表明しておくか、と思っています。この人たちが世界の政治・経済に大きな影響力を行使しているんですな。我が国の安倍氏なんぞも、此の8名を含む諸数の人たちの掌で転がされているのでしょう。「経済成長がウンタラかんたら・・・・」と口角泡を飛ばしている諸兄も、所詮はこうした大金持ちが分捕った残渣を語っているのでしょう。しかも、その残渣にもどうやら目をつけているらしい。それにしても、現在は「資本主義」体制なのか?素人にはわからない。何か別の経済がうごめいているのではなかろうか。
尚、原文はBBCニュースに掲載されておりEight billionaires 
そのタイトルは
“Eight billionaires 'as rich as world's poorest half'”
By Katie HopeBusiness reporter, BBC News, in Davos
%%%%% 世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ財産
八人の億万長者 (BLOGOS)
BBCニュース 2017年01月16日 17:19
慈善団体オックスファムは15日、世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ財産を所有しているとの推計を発表した。
オックスファムは今回の報告書について、これまで反論も出ていた統計方法が改善されたとし、貧富の差は「恐れられていたよりもずっと大きかった」とコメントした。
17日には、各国首脳や経営者などが集まり討議する世界経済フォーラム(WEF)がスイス東部ダボスで開幕する。
自由市場を擁護するシンクタンク、経済問題研究所(IEA)のマーク・リトルウッド氏は、オックスファムは富裕層の批判ではなく、成長促進策に焦点を置くべきだと語った。「オックスファムは『貧困と闘う』団体でありながら奇妙なことに、頭の中を占めているのは富裕層のことのようだ」。
リトルウッド氏は、「絶対的貧困の完全な根絶」を目指す人たちが意識を集中すべきなのは、経済成長を促進する方策だと述べた。
アダム・スミス研究所のベン・サウスウッド所長は、重要なのは世界の富豪が所有する財産ではなく、世界の貧困層の状況が年々改善していることだと語った。
「毎年、富に関するオックスファムの報告書で間違った考えを植え付けられている。データはクレディ・スイスのものできちんとしているが、解釈はそうでない」
オックスファムのグローバル渉外担当、カティ・ライト氏は、報告書が「政治、経済分野のエリートたちに働きかける助けになる」と語った。「ダボスが世界のエリートたちのおしゃべりの場にすぎないと分かっているが、集まる関心を利用しようと思う」と述べた。
英国のエコノミスト、ジェラルド・リヨンズ氏は、極端な富裕に焦点を当てるのでは「全体像がいつも捉えられるとは限らない」とし、「分配に充てられる経済規模の拡大の確保」に関心を持つべきだと指摘した。
一方でリヨンズ氏は、株主や経営幹部への報酬を増やすことにますます集中するビジネスモデルを持ち、格差拡大を促進しているとオックスファムが考える企業を特定し、批判するのは正しいと語った。
オックスファムのライト氏は、経済格差が政治の2極化を加速させていると指摘し、その例として米大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利や、英国の欧州連合(EU)離脱を決めた国民投票を挙げた。
同氏は、「人々は怒っており、別の選択肢を求めている。どんなに一所懸命働いても自分たちの国の成長の分け前を得られないために、取り残されたと感じている」と語った。

世界で最も富裕な8人と資産額(フォーブス誌)
1位 ビル・ゲイツ氏(米国) マイクロソフト創業者 750億ドル(約8兆5000億円)
2位 アマンシオ・オルテガ氏(スペイン) ZARA創業者 670億ドル 
3位 ウォーレン・バフェット氏(米国) バークシャー・ハザウェイの筆頭株主 608億ドル
4位 カルロス・スリム氏(メキシコ) グルポ・カルソ創業者 500億ドル
5位 ジェフ・ベゾス氏(米国) アマゾン創業者 452億ドル 
6位 マーク・ザッカ―バーグ氏 フェイスブック共同創業者 446億ドル
7位 ラリー・エリソン氏 オラクル共同創業者 436億ドル
8位 マイケル・ブルームバーグ氏 ブルームバーグ創業者 400億ドル
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+++++金子勝・室井佑月対談(つづき)

 1月11日記事で、我が国のジャーナリズムの質の低下を書きました(http://c23.biz/hXsm )低質なジャーナリズムの中で孤軍奮闘するのが室井佑月さんです。その室井さんが気鋭の反骨精神旺盛な金子勝慶大教授と議論をしています。日本が抱える問題をずばりと語っています。以下は、前回の続き、つまり後半部分です。
%%%%% 議論の続き(開始)
右傾化するテレビで孤立、室井佑月が金子勝に弱音!「どんどん仲間がいなくなる」「右のやつらが羨ましい」(リテラ)
http://c23.biz/EXds 〔室井、金子170114〕

右傾化するテレビで孤立、室井佑月が金子勝に弱音!「どんどん仲間がいなくなる」「右のやつ
http://lite-ra.com/2017/01/post-2850.html 室井佑月がさまざまな学者やジャーナリストに会って、安倍政権のどこが危険なのか、安倍政権をどうしたら倒せるのか、を本気で考える連載対談「アベを倒したい!」。経済学者の金子勝氏を招いた第一回、前編では、オリンピック前、経済が破綻したあとに必ず揺り戻しがくる、という金子の予測が明らかにされた。後編はそこからメディアの問題に話題が移り、議論は白熱。室井の口からは思わぬ本音も飛び出した!
………………………………………………………
●左翼は安倍政権やネトウヨのやり方を見習うべきだ
室井 金子先生は、揺り戻しが必ずくると言うけど、でも、いまのメディアの状況をみていると、私はそういう風には思えない。高い支持率だって、責任はマスコミの報道のせいでしょう。安倍さんなんてスローガンだけなのに。スローガンを掲げて、すごく宣伝して。でも、マスコミは中身の検証なんかほとんどしないから、勇ましいスローガンだけが印象に残る。真珠湾訪問にしても、テレビでは1日中「安倍」「安倍」って連呼していたけど、政府からリークされた情報を垂れ流すだけで、それをどう評価するか、問題点は何かを一切報道していない。それどころか安倍礼讃一色だよ。
金子 たしかに、そういう部分はある。テレビで「真珠湾! 日米和解!」と聞き続けると、何も考えずに「安倍首相はいいことしてるんじゃない」って思うわけ。毎日、毎日垂れ流される情報で、みんな「安倍さんが活躍している」となる。こうしたマスコミ懐柔は菅義偉官房長官の存在が大きい。下から這い上がってきて、政敵を追い落として、金とポストの人間の汚さを知り尽くしている。内閣人事局を作って、官僚の人事で安倍に批判的な人を飛ばしたり直接的な人事をやるわけです。メディアもそうだけど、男はだめなんだ。金と出世をちらつかせられるとね。
室井 悔しいけど、安倍さんは攻め方がうまい。『報道ステーション』『NEWS23』「朝日新聞」とかメディアは名指しで攻撃されると、その恐怖が周りに伝播する。でも左側の攻め方って、メディアを批判はするけれど、特定ではなく全体としてのメディア評になっている。だから、怖くもなんともない。こっちも、名前を具体的に出して攻めることも必要だよ。ネトウヨや、ネトサポのやり方、向こうのやり口を真似すればいい。嘘、デマ、ヘイトなどの卑怯な攻撃に対して、こっちも同じように集中攻撃する。ネトサポのように組織化する。対抗するにはそれしかないんじゃない。左翼の人って、そんなの格好悪いとか、頭悪そうなんてよく言うけど、それじゃ勝てない。見せしめみたいに、ヘイトや嘘を拡散すると、こんな風に追い詰められるんだ、潰されるんだ、という恐怖を与える。それは向こうがやっていることだしね。卑怯な奴には卑怯な手段。私たちだって名前を出してギリギリでやっている。だからこれからは、きちんとメディア名や個人名をあげて批判しようと思ってる。「メディア全般がダメだ。安倍政権に懐柔されてる」なんていう、今までのやり方だと、誰も怖いと思わないんだよ。安倍政権のやり方は、狙い撃ちだったじゃない。そのやり方が怖いと思うんだったら、逆張りをやるしかない。
金子 民進党とかバカ正直だから、自民党がマスコミ対策をかなり緻密に研究し、実行しているのをみているのに、自分たちじゃ全然やってないけどね。
室井 知らないうちに、ほとんどのメディアが自民党に抑えられてる。国会中継でも安倍さんがやり込められるシーンは放映されないでしょ。YouTubeでも安倍さんが格好よく決まったセリフだけがアップされて、拡散していくけど、逆に追い詰められたときの動画がほとんど上がってない。だから追い詰められた動画をどんどん拡散しなくちゃ勝てない。政権批判する番組スポンサーに抗議の電話があったら、逆にそのスポンサーを賛美する電話をする。良いことを言った人を褒める電話ね。そして政権べったりのコメントをする芸能人、著名人には、そのスポンサーに抗議する。奴らの逆張りこそが有効なんじゃない? 15年の紅白の桑田佳祐や、安保や都知事選の石田純一、長渕剛、渡辺謙さんなどの著名人たちも、きちんと声をあげている。でも「バカみたい」とか、「中学生の作文レベル」という声が大勢を占めちゃう。そんな時に「感動した」という意見をもっともっと拡散して応援したい。ネトサポみたいに(笑)。そうすれば状況は、もっと変わっていくと思う。
金子 確かに、そのくらいやらないとダメかも。でも左翼って団結できないし、真面目なんだよね。
室井 それでもネット左翼の戦略的組織化は必要だよ。もう仕事やめてそっちやろうかな。キャンペーンを張ってみんなで一斉に攻撃する。数字やスポンサーが怖いテレビは特に効果的だと思う。ネトウヨ手法を見習う!  左はバカって言われるのを恐れるけど、バカくらいじゃないと現状は打開できるわけない。左の人たちは批判されるのをいやがって固すぎるんだよ。相手が卑怯なことやってるんだから、こっちも卑怯で対抗しないと。
金子 連載している日刊ゲンダイの記者が、最近困ったっていうんですよ。「俺たちはゲリラ・メディアのつもりで、人が批判しないタブーを発信していたつもりが、いま大手新聞がおかしくなって、自分たちが言ってることが“正論”になっちゃって」と。確かに室井さんや、ゲンダイの記者がいうように、今の日本はマスコミがおかしくなっている。でも、左の人たちは格好つけだし、批判されることを凄く嫌がるよね。頭が固すぎるんだ。批判されるとムキになる。僕なんかネトウヨにがんがん叩かれて嬉しくなるよ。きたな、きたな、嬉しいな拡散してくれて(笑)。この変動期に、物が言えたり書けたりするのは楽しい。時計に喩えると、時間を見るんじゃなく、時計の中身がどう動いているのかを探るのが商売だからね。それが手に取るようにわかるのがいい。
室井 それは金子先生が学者だからで、芸能人がやられたらやっぱり仕事に影響する。だからネトウヨに叩かれるような立派な発言した人には「あの発言はよかった」って反応を多くテレビ局やマスコミにも伝えればいいと思う。金子先生みたいな強い人が、「バカは気にしない」なんて言ってると、弱い立場の芸能人や反応を気にする著名人が声をあげられなくなって、今みたいになっちゃったんだからさ。
金子 別に芸能人じゃないから、発言する場がどこであってもかまわないわけで。みんな笑うかもしれないけど、僕は1000人しか読まないような難しい本を書いていこうと思っている。物事の本質をつくような。自己満足かもしれないけど、こういう時代だからこそ、ワクワクしながら楽しみたい。
室井 私はそんなことを言う人がカッコイイとは思わない。先生はそうかもしれないけど、どんどんそれで発言できる人が少なくなるんだから。萎縮しちゃうよ。
●安倍政権に見捨てられた地方から反逆の狼煙は上がる?
金子 でも希望はあるよ。僕は中央メディアからは声がかからなくなっても共同通信とか北海道新聞、信濃毎日とか、地方から注文がたくさんくる。それはなぜかと言うと、原発もTPPも基地も、あらゆるものが地方の問題で、押し付けられているという生活に密着した切実な問題があるからだと思っている。そして今、野党共闘や、沖縄の翁長雄志知事のもとでのオール沖縄、さらに山口県と佐賀県でオスプレイとTPP反対があり、新潟でも再稼働に慎重な米山隆一知事が誕生している。
室井 じゃあ、なぜ、地方でも安倍さんの支持率が高いの? おかしいでしょ。
金子 もう朝日VS読売の時代は終わったんだよ。民進党を始めとする野党が、中央VS地方という対立構図がわかってないからだね。相変わらず自民党に妥協的な事を言っているから、中央政治の時代の枠組みに取り残されてる。
室井 そんなことを言ってるだけじゃ絶対だめなんだよ。それだと何年かかるかわからない。地方に行ったらわかるけど、選挙のときに弁当屋はここ、印刷はここと、利権の分配が決まっていて、どっちが正しいとかじゃないんだよ。ちょっとでも高いお金をくれる方がいいに決まってる。どんないい政策を述べているかなんて関係ない。それに大手新聞VS地方新聞って言うけど、私はそうは思わない。沖縄のことだって地元の新聞は頑張ってるけど、中央の人たちが読んでない。発行部数もどんどん減ってきてるわけだから。メディアも既得権益にずっぽり浸かっていて、それを手放そうとしない。だから保守的、風見鶏的になる。若い子は新聞なんか読んでなくてネットで見るわけだから。例えば、見出しと本文が違う場合、それをいちいち指摘、批判して、突いて話題にしなきゃダメだと思う。
金子 僕は2018年から2019年に日本はひとつの転機を迎えると思っている。オリンピックに向け、海外メディアも日本の現状を積極的に伝えるだろうからね。日本のメディアが隠蔽してきた福島原発の現状、放射能、健康被害なでの実態が暴露される。
室井 まだまだ隠していることたくさんあると思うし、オリンピックは返上した方がいいと思う。北京五輪の時も公害を気にして参加しなかったアスリートもいた。日本もそうなるんじゃない? 福島県で野球を開催しようとして、世界連盟が否定的見解を出したけど、その本当の理由は絶対言わない。みんな思っているけど口にできないんだよ。「芝生じゃないのが嫌なんじゃないのか」とか、いろいろ言い訳ばかり考えて。
金子 実際、震災後に福島大学で「日本地方財政学会」の大会を開催した時も同じようなことがあった。毎年ゲストを呼ぶことになっていたが、何人かに拒否された。
室井 原発事故だけじゃない。震災以降、震度5以上の地震が多発して、2016年には33回もあったんだよ。震災後の2012年から年間10数回程度で収まっていたのに、多発している。しかも、こうした地震を安倍さんは利用しているし、大震災がくれば、安倍さんにとって有利じゃないの? 緊急事態だって言えるし、熊本震災の時も緊急事態条項を持ち出して、世論操作していたもの。安倍さんにとって、未曾有の大災害はいろいろ利用できるんだよ。危機を煽るのが得意だから。
金子 戦前もそうだったけど、ファシズムは国家的危機、国民が格差など苦しい状況に陥ると出てくるものなんだ。中間層、衣食足りて礼節を知る人たちが多い時はリベラルだが、しかし社会や経済が閉塞すると、洗脳政治にすごく弱くなる。そして強いスローガンを叫ぶ指導者に洗脳される。でも、ファシズムにはもろさもある。それは、独裁者が自分より優れた人間を側に置かないということ。安倍さんもそう。パンツ泥棒とかヤクザと繋がってるとか、政治資金絡みとか。普段だったら陣笠議員にしかなれない人間が大臣になる。だから後継者はいないし、縮小再生産がはじまって、やがて滅びる。実際、アベノミクス、デフレ脱却なんて言ってるけど、消費者物価、支出ともに9カ月連続マイナスが続いている。でもそれが報じられない。安倍政権は4年もそうした状態を放置して、選挙のたびに、「経済最優先」だもの。だから「アベノミクスが目標に達してない」「むしろ悪くなってる」と言い続けることが大事だし、僕はずっと言い続けている。
●2018年にチャンスは絶対にやってくる。それまで闘い続けろ
室井 でも発言する場所がなくなってきてる。私も、いつか振り子が逆に振れるだろうと思って頑張ってるけど、でも長いよ。本音を言える人がどんどんいなくなっていっちゃう。目立ちたくないのに。私なんて、ただのおばさんだよ。なんで怖い目に合わなきゃいけないの。もっとみんなが声をあげてくれたらと思うよ。
金子 室井さんは特異なキャラで、キツイこと言ってもそう受け止められない。
室井 私は嫌なんだって。仲間が減ってくのも嫌。しかも右の論客の人たちって楽しそうなんだよ。テレビに出てても群れて、我が世の春みたいで、すごい楽しそう。みんなで「先生のこの本、読みました!」なんて話しちゃってさ。仕事なんか回し合っちゃってさ。私は、どんどん仲間がいなくて寂しいのに。奴らが羨ましくてしょうがない。
金子 今は、安政の大獄だと思えばいい。国民の間に騙されたという感覚がある以上、揺り戻しは必ず来るから。
室井 私は、騙される人はまた騙されると思う。また力強く新しいのに騙されると思う。ずっとごまかされながら生きていく。だから大事なんだよ、メディアって。
金子 だからこそ、野党でもいいし、市民デモでもいい。ちゃんとしたオルタナティブになるようなスローガンがしっかり定着してこないと。持続する力を持たないといけない。
室井 でも私は、今の状況が嫌なの。自分だけなら気にしないで生きられるけど、子どももいるし。この空気は絶対に変えなきゃいけないって思う。女の勘ね。
金子 室井さんの気持ちはわかるけど、今は、安政の大獄なんだよ。さっきも言ったけど、耐えて次を準備するしかない。でも、数年の流れの中で考えてれば、決して無駄にはならない。今の時代にちゃんと言ってきたこと、その主張は自己満足かもしれないけど財産になると思うよ。虫眼鏡で見てると方向感がなくなるけど、望遠鏡だと小さい小石につまずいて転んじゃう。だから今は、地図をみて望遠鏡で見て虫眼鏡で確認して、きっちり見定めることが大事。僕は当面、ヨーロッパ、アメリカの動向を見ながら、2018年前後に何が起こるのか、どんなショックが起こるのか、それを見極めていきたい。
室井 私は全然違う。そんな長い間、頑張れない。今月のことしか考えられない。まだ長い時間かかるの? どこまで頑張って、いつまで我慢しなくちゃいけないの? 
金子 2018〜2019年が境目だよ。そのときが最初の勝負だ。
室井 金子先生がそこまで言うなら、それまで我慢するかな。でも、私なんてそれまでに消えちゃうかもな〜。
金子 室井さんは生き残らないとだめだよ。
室井 わかったよ。頑張って全身タイツみたいな仕事もするよ。
金子 僕もライザップ行こうかな。

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金子勝 経済学者、1952年生まれ。東京大学経済学部卒業後、茨城大学人文学部講師、法政大学経済学部助教授・教授などを経て、2000年から慶応義塾大学経済学部教授。『原発は不良債権である』『金子勝の仕事道! 人生を獲得する職業人』(岩波書店)、『戦後の終わり』(筑摩書房)など著書多数。
室井佑月 作家、1970年生まれ。レースクイーン、銀座クラブホステスなどを経て1997年作家デビューし、その後テレビコメンテーターとしても活躍。現在『ひるおび!』『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)、『あさイチ』(NHK)などに出演中。
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巨大地震(5、四川地震)、世の中どうなる(金子・室井対談)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:水田を真っ白にする降霜、さすがのカラスも地面を突くのを諦めてます。クリックすると図が拡大されます〕
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凍(こご)えます 凍(こご)え凍(こご)えて もういやだ 思えば暑き 夏に吐いた言

 齢を取ると、何せ堪え性がなくなります。暑きゃ暑いで、「もう嫌だ」と喚き、ここ数日の寒さで、又も「もう嫌だ」と叫ぶんですな。

 先日絵の上手なタレントさん(此の御仁は俳優・関口弘と歌手・西田佐知子の間にできた息子とのこと)のハンガリ旅行番組を見ました。このタレントさんのスケッチ画の見事な描写力に感心しています。今回の訪問先はハンガリのソプロンです。十数年ほど昔の冬、ウイーンから車を走らせた記憶がよみがえりました。勉強不足であったため、「ピクニック」なる英雄譚は知りませんでした(ウイキソプロンのピクニック)。積雪のソプロンから更に東へ雪道を30kmほど走ったところにあるエステル・ハージ宮殿を訪ねました(ソプロン郊外のエステルハージ宮殿 )。此の公爵にハイドンは音楽士として仕えました。近くのオーストラリア側のエイゼンシュッタトにもう一つ同名の宮殿が在り、その近くにはハイドンが葬られている教会があります。

 そんなことがありましたから、懐かしくその番組を見ました。季節が異なるので、思い出すのは真っ白な雪景色のみですが、宮廷内部の見学の記憶がよみがえりました。大雪の冬であるため観光客は家内と冬の休暇でウイーンに滞在していた娘の3人だけです。ガイドさんは通常はドイツ語のところを、英語で説明してくれました。聞き取り易い英語であったうえ、観光客が我ら3人と言うことで説明もありきたりでなく余談が交り、大いに楽しいものでした。娘なんぞは英語の勉強になったと喜んでいました。

 冷戦終結から十年余と言うわけで、未だ宮殿内部の修復が終えておらず、あちこち白い壁が目立ちます。ガイドさんが言うには大戦中は戦争による傷病者の野戦病院として機能していたとのこと。そのため、壁画などを白いペンキでおおっていたそうです。白壁はその名残であると語ってくれました。当時それを丁寧にはがしとっていました。図らずも欧州の第二次大戦の残渣に触れた思いがしました。そして、ここが東独の民の中立国たるオーストリアへの脱出の一つの現場であったとは。知識が無いため、みすみす見聞を広げる機会を失してしまいました。

〔写真:ソプロン訪問後、オーストリアに戻り西に走って出会った古城、ホホステルヴィッツ。故サッチャ英国首相など、ヨーロッパの多くの要人が此の古城を訪れている。クリックすると図が拡大されます〕
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 その後、もう一つの東欧からオーストリアへの脱出口を訪ねる機会がありました。ウイーンから東に50km余走ると旧チェコスロバキア(現在のスロバキア)との国境です。そこにmarcheggという古城があり近くの自然公園はコウノトリ棲息地であります。
【写真:ウイーン自然公園とコウノトリ生息林)
コウノトリ01587


 ここの東岸を南北に流れるのがモルダヴァ河です。冷戦終了の時期、此の地にも多くの東欧からの移民が押し寄せたそうです。まだそうした移民を監視するための小屋が河畔にありました。

(写真:オーストリアとスロヴァキア国境の風景、国境沿いに走る鉄道、クリックすると拡大)
Train01551

(写真)国境を定めるMarch(モルダヴァ)川、左はオーストリア、右はスロバキア、クリックすると拡大)
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 国境には、未だに当時の鉄条網の一部が残されており、東側に住む人たちの自由と生活への渇望が伝わってくる思いがしました。

 十余年前の生活を思わず懐かしんだ次第です。

+++++巨大地震
 前回記事では2004年12月26日のスマトラMw9の地震・震央から計測した世界中の2000年以降の巨大地震。震央との距離を時間順に並べた図を掲載しました。

〔図1:再掲図に地震番号〔横軸〕を加筆。クリックすると図が拡大されます〕
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 その図では46個の点が散布されていますが、良く見るとなにやら直線上の分布が幾つか見えてきます。祖のうちの最も顕著な点群を”a”名づけました。この群に属する自身は2011年3が宇11日の東日本地震を含めて5つあります。
 そこで今回はそれらを詳しく見ることにします。さて、図1を見る際に重大な注意を前回付しませんでした。それは、縦軸には距離の常用対数をとっていることです。これは距離がkmから数万kmに渡る値を一つの座標軸にオア冷める際の倭場常套手段です。
こうした対数軸を用いる際に注意せねばならないことがあります。それは広範囲にまたがる数値を一つの座標軸に納めるという利点の謂わば裏の顔とでもいうべきことです。小さい値についてはそれが大きく引き伸ばされてしまうのです。

〔図2:2004年12月26日から2011年3月11日間の巨大地震分布、右やや上の黒四角は2011年3月の東北日本巨大地震。クリックすると図が拡大されます〕
btwsmajap無題


 此の図からわかるように最初の3個の地震〔番号、12,19,20〕はスマトラ地震震央から至近距離〔と言っても最長1000kmに達します。スマトラ地震が如何に巨大であったかがわかります〕、つまり余震であったことがわかります。余震とはいえそのMw値からは巨大地震として分類されるほどの大きい地震なのですが。

 さて、そうなるともう一つの地震、つまり図2の地震番号22はどこで起きているのでしょうか?それは中国北西部奥四川の地震です。ウイキが書くように四川地震(ウイキ) 此の地震による死者は六万を超え、倒壊家屋は25万にも達するとのことです。
此の地震に関する多くの情報からさしあたり以下を挙げておきます。
四川地震〔動画) 〔四川地震〕
四川地震解析〔八木、筑波大学) (八木)
四川地震〔米国カリフォルニア工科大学) (caltech)
〔図3:GCCSから得られる発震機構解および他の諸量〔左上〕、発震機構解の図示〔右上、a,bは左の断層面幾何形状に付したa,bに対応している。クリックすると図が拡大されます〕、
地震活動と2008年5月12日地震の震央(CIT Home-pageより)より)
四川s0080512無題


 ところで上記ウイキは興味深いことを書きます:
%%%%%ウイキ記事抜粋
2001年11月14日のチベット北部の地震(M8.1)、2002年のアフガニスタン北部の地震(M7.4)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)、2005年のスマトラ島沖地震(M8.6)やパキスタン地震(M7.6)、2006年のジャワ島南西沖地震(M7.2)、2007年のスマトラ島沖地震(M8.5)、2008年の新疆ウイグル自治区の地震(M7.2)など、インドプレートとユーラシアプレートの境界地域で地震が頻発していることからこの地域が地震の活動期に入っており、向こう20年程度は大規模な地震が続発する恐れがあるとの指摘もある。〔中略〕
水平方向に伝播しやすく減衰しにくい表面波(レイリー波)が強くなったことなどが挙げられている。日本の長野県にある気象庁精密地震観測室(現・気象庁松代地震観測所)では15時41分、18時10分、20時40分(いずれもJST)の4回にわたって表面波を観測し、表面波が地球を2周したことがわかった[12]。また、東京大学地震研究所は、防災科学技術研究所の広帯域地震観測網(F-net)がとらえた地震波形の解析結果から、地震波が地球を6周したと発表した[13]。
%%%%%

 上記ウイキ記事の後半部については、いずれ書かねばならないことがあります。それは北方領土返還で問題となっているエトロフ島の下で起きた地震です。しかし、話が散漫になってしまうので後日書きます。
本ブログで書きたいことは前半部分です。地震専門家がしばしば「活動期」と言う言葉を口にするとき、私はそれを皮肉の念を持って聞き流してきました。しかし、今般、2004年のスマトラ地震と2011年の穂餓死日本巨大地震の間にこの四川地震が割り込んできたのです。関連があるとすれば、どのような経路であったのだろうか?これが私の最大関心事でありました。

〔図4:プレート、および小規模プレートとその境界。クリックすると図が拡大されます〕
四川ープレート無題


 巨大地震の震源が何がしかの物理的・力学的過程によって移動するらしいことは、これまでも多くの地震研究者によって指摘されてきました。しかし、話が余りにも漠としている故か、その物理を追及した研究者は多くないようです。第一に考えられるのは、地球を構成するプレートの対流運動です。しかし、マントル対流とするとその速度は年間高々数cmです。次回に詳しく書きますが、観察される地震の移動速度はそれよりおよそ10万倍速いのです。
 そうではなくて、マントルの物性、つまり岩盤の粘性流体としての流動拡散であろうとのモデルも考察されています。これは地球の粘性をどのように仮定するかで、いかようにも観測事実にあわせることが出来ますが、そうなると、それがかえって議論の信憑性を疑わせます。

 小さな地震の移動は去りながら、巨大地震の移動には特殊なメカニズムと特殊な移動経路があるのではなかろうか?次回そのあたりを探ってみたいと思っています。
(つづく)

+++++日本の先行きを金子氏と室井氏が論ずる(1)
 1月11日記事で、我が国のジャーナリズムの質の低下を書きました(権力のご機嫌を伺う当国マスコミ )。低質なジャーナリズムの中で孤軍奮闘するのが室井佑月さんです。その室井さんが気鋭の反骨精神旺盛な金子勝慶大教授と議論をしています。日本が抱える問題をずばりと語っています。以下に二回に分けて転載します。
 記事が長くなりましたので、「古代史」行方論は順延させてください。 
%%%%%対談紹介(1)
金子勝・慶應義塾大学経済学部教授(左)と作家・室井佑月(右)が安倍政権の経済政策をメッタ切り!!

室井佑月が経済学者・金子勝に訊く! このまま安倍政権が続いたら何が起きるのか、その恐怖のシナリオとは?
雑誌「リテラ」より 
http://lite-ra.com/2017/01/post-2849.html
2017.01.14. 室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第1回ゲスト 金子勝(前編) リテラ

 政権批判が完全にタブーとなり、安倍応援団やネトウヨコメンテーターにすっかり占拠されてしまった感のある日本のテレビ番組。そんななかで、安倍政権の危険性を伝えようと孤軍奮闘しているのが、作家の室井佑月だ。彼女はさまざまなワイドショーや情報番組に出演しながら、一昨年の安保法制でも、敢然と安倍政権のやり方に異を唱えてきた。
 しかも、室井がそのへんのリベラルと決定的に違うのは、その言動に「強度」があることだ。狡猾な安倍応援団の話のすり替えやごまかしにもけっして丸め込まれず、その言葉はまるで「王様は裸だ!」と叫ぶ子供のように本質を突く。『ひるおび!』(TBS)では、安倍の“寿司トモ”田崎史郎に食い下がり、逆ギレさせたこともあった。
 おそらく今のわれわれに一番、必要なのはこういう強度、タフさなんじゃないだろうか。すっかり室井に惚れ込んだリテラは新年に当たって、彼女にインタビュー連載をお願いしてみた。すると、彼女からは「あたしみたいなバカがひとりでしゃべったって仕方がない。それよりいろんな学者やジャーナリストに会って、安倍政権がどこがやばいのか、安倍政権をどうしたら倒せるのか。そのことを本気で考えたい」という返事。
 うーむ、室井はマジだ。ということで、今月より、室井佑月の連載対談を開始することにした。タイトルはそのまんま、「アベを倒したい!」。第一回のゲストは、経済学者で、慶応義塾大学経済学部教授の金子勝氏、テーマはもちろん、アベノミクスのインチキと危険性。しかし、対談は経済の話題だけにとどまらず、メディア支配などさまざまな問題について、強烈な言葉が次々と飛び出した。いったいどんな安倍批判が語られたのか。乞う御期待!
(編集部)
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●アベノミクス詐欺のせいでオリンピック前に経済破綻?
室井 新年早々いきなりだけど、金子先生、安倍政権がこのまま続くと、日本は本当にやばいことになると思うんだよ。で、どんなひどいことが起こるのか、ちゃんと教えてもらおうと思ってさ。
金子 僕は一応、経済学者なので、目の前の現実を見ながら、常に5年、10年先の経済状況をシミュレーションしているんだけど、安倍政権が続いたら、日本経済はこの先、ひどいことになるだろうね。すでに、マイナス金利の弊害が出てきていて、日銀は債務超過、損失が10兆円に近い。自己資本が7.4兆円だから、かなりオーバーしていて、ぎりぎりの状態だ。それでも伸びているのが不動産融資で、今年の前半で7兆円を超えた。まさにバブル状態で、このままいくと、確実に破綻する。
室井 不動産バブルが弾けちゃったら、結局またわたしたちが銀行を助けることになるんじゃないの? 
金子 そのとおり。でも、安倍首相はそんなことかまわず、破綻するまでこの路線でつっこんでいくだろう。債務超過だけど、お金をじゃんじゃん刷りまくる。どこまでお札(日銀券)を信用できるか。それがたぶん安倍さんの言う“挑戦”なんだと思う。いつまで成長戦略、アベノミクスと叫び続けられるか、国民を騙し続けられるかの“挑戦”だ(笑)。
室井 でも、そのわりには、見せかけですら景気がよくなっていない。不動産だって、もっと高くなったりするかと思ったけど、たいしたことない。
金子 不動産はもうアップアップ。東京都心では昨年11月くらいでピークアウトしている。だから今、福岡の天神とか、仙台とか、札幌の真ん中とか、そういうところに波及してる段階だ。逆に、こんなに金をつぎ込んでもこの程度だから、破綻はかなり早い。たぶんオリンピック前に、危ない局面がくる。
室井 でも、安倍さんは認めないんだろうな。逆にオリンピック使ってごまかそうとするんじゃない? マスコミを使ってオリンピックキャンペーン張って、「テロもあるし緊急事態条項が必要だ」とか言って。
金子 もうひとつ危ないのは、アメリカのいまのドル高・超高金利だ。日本の大手銀行も政府も、みんな外国債や海外投資に逃げていく。もう抜けられないところへどんどん突っ込んでいって、逆に地方は投資がまったくなくなって疲弊しきっていく。
室井 円安で株価はあがってるけど、もうかるのは、巨大輸出企業だけだもんね。
金子 その輸出産業もやばいよ。原発輸出だってトルコ、ベトナム、台湾、みんなだめになってる。安倍政権の成長戦略化けの皮全部剥がれている。たとえば東芝はセンサーや白物家電、医療機器などこれから伸びる商品を全部やめて、国家に頼って原発と半導体とインフラ事業に特化した。CB&Iという、ウェスティングハウスの買収の損失に加えて、原発建設関連の会社を買収したが、損失が5000億円になりそう。死に体だね。三菱重工はサンオノフレ原発で訴訟を受けて、9000億円もの賠償請求を受けて、100億しか払わないで揉めてる。日立も英国でコスト高の原発計画に突っ込んでいる。
室井 それって、もとをたどれば、安倍さんの無責任な原発政策のせいだよね。第一次安倍内閣の時、安倍さん自身が「原発の全電源喪失はない」と国会答弁していたわけでしょう。それが福島原発事故を招いたともいえるのに、まったく反省の色がなく、原発再稼働に邁進していった。その時、原発行政の責任者の経産相だったのが甘利明さん。なのに、事故直後にその責任を問われて、テレビ東京の取材で「日本なんてどうなってもいい、俺の知ったこっちゃない」って言ったんだよね。でもこの発言、全然大きいニュースにならなかった。
金子 甘利元経産相はテレビ東京を相手取って名誉毀損裁判を起こしたからね。みんなびびって報道しなくなった。しかも、一審判決では、テレ東が敗訴したでしょ。その判決を出した都築政則裁判長が、その後、前新潟県知事の泉田裕彦への脅しとして新潟地裁に異動し、柏崎刈羽原発関連の訴訟を指揮した……。
室井 なんだそれ。結局、裁判所も原発と安倍政権の味方なんだよね。
金子 とにかく、安倍政権は福島原発の事故については完全に責任をほおかむりして、第二次政権では、原発再稼働路線にひた走った。東芝も三菱重工も日立も結局、国家の事業にかなり依存して生きてるから、そのまま突っ込んでいっちゃった。
室井 でも、それがいまどんどん破綻してるんだもんね。このままいったら、東電だけじゃなくて、こういう原子力産業にも私たちの税金が使われるようになるんじゃない。
●経済破綻を隠すために安倍の極右路線はエスカレートする
金子 経済破綻のリスク要因としては、あと、ヨーロッパがすごく不安定。今年3月にオランダの総選挙、フランス大統領選が続き、秋にはドイツの連邦議会選挙がある。選挙結果によっては、EU離脱が相次ぎ、ヨーロッパで金融危機が起きかねない。ドイツ銀行もバ―クレイもクレディスイスも悪い。さらに、イタリア第3位のモンテ・パスキ銀行がいま、経営危機で公的資金が注入されるという話になってるけど、これにEU離脱が加わったら、自国通貨が暴落。ハイパーインフレとなり、イタリアの金融が潰れる。その国債を持っているヨーロッパの金融機関がアウトになる。
室井 金融危機はどんどん伝染するもんね。
金子 そう。もしヨーロッパで金融危機が起きたら、リーマン・ショック並に世界経済を直撃する可能性は十分ある。しかもこうした金融危機、景気循環のサイクルは10年なんだ。リーマン・ショックが08年。だから2017年から2019年が危ないと見ている。
室井 日本は不動産バブルが崩壊し、EU離脱ショックが加わり、とダブルパンチ。
金子 加えて、日本は地域がどんどん弱っていて、内需が弱り、労働分配率がどんどん落ちている。賃金も上がらず家計消費も上がらず、しかもイノベーションは起きないでしょ。そんななか、安倍が生き残るとしたら、ナショナリズムを煽る極右路線しかないんだ。実際、極右的な政治の跋扈は、常に経済状況の悪化が引き金になることが多い。日本だけでなく世界的にね。
室井 安倍さんの場合はもうやってるけどね、極右路線。でも、もっとひどくなるということか。マスコミをさらに懐柔して脅して。NHKなんか2018年からは震災復興のサポート番組を終了させて、オリンピック一色になっちゃうんじゃない。そんな気がする。震災は切り捨てて、国威発揚のためにオリンピック一色。この流れってもう止められないのかな? 
金子 僕は悲観してない。こんなものが永遠に続くわけがない。しかも騙され方がこれだけ酷いと、あとの怒りも大きくなる。こんなダメな世界だからこそ、次の世界は激変が起こる。それを考えるとワクワクするところがある。現在は、激動の大転換期に立ち会っていると思っているんだ。
室井 金子先生、ちょっと楽観的すぎなんじゃない。だって安倍政権の支持率が64%(日経新聞・テレビ東京合同16年12月調査)だよ。真珠湾行ったら国民の84%が評価するんだよ。騙されたとわかったときには、もう騙されたって声に出して言えなくなってるんじゃないの? 安倍さんは憲法改正についてGHQに押し付けられたみっともない憲法だって言ったのに、真珠湾訪問では「アメリカのお陰で」とか真逆のことを言ったのに。誰も気持ち悪いと思わないの? メディアも真珠湾訪問を評価するばかりで、こんな簡単な矛盾も指摘しない。評論家にしても記者にしても、昔は左だったのに、安倍政権になって右転換したら、すごい仕事がきて大儲けなんて話ばかりじゃない。私は逆だけど。
金子 でも室井さんは、言説を曲げていない。いま我慢するのが後で財産になる。それはカッコいいことだし、大切だよ。これが正しい道だと言い続ける。明るい未来を語る。
室井 明るい未来は語れない。消されちゃうかもしれないじゃん。この連載は、安倍をどうしたらやっつけられるのかがテーマだけど、金子先生の話聞くと、相手が弱っていくのを待つしかないのか、って気になっちゃう。
金子 大丈夫。歴史的に見ると、お札を刷りまくる悪貨改鋳はひとつの体制が終わる前の断末魔なんだ。この最後の無理に対して、僕たちのやっていることは犬の散歩で言うと、電信柱に小便をかけてマーキングしているようなものだから。たどってきた道をちゃんと振り返れば、言説がある。必ず生きてくる。安倍のような極右がいきなり何かをやろうとして、別のオルタナティブが見えなくなると、みんなそこに流れちゃう。だから流れを阻止するために、オルタナティブを言い続ける。闇の中だから光は輝く。室井さんは今、輝く星なんだよ。
室井 私は自分が輝いているなんてとても思えない。今は、ほとんど味方がいなくなってきてる。儲からないし。自分の言っていることを方向転換すれば儲かるだろうけど、私、名誉欲もないし、金もいらない。でも、この孤立感だけはどうにかしてほしい。
金子 でも、日本の人がちゃんとした情報提供されたら、それなりに判断する層はまだまだ残っている。原発も再稼働反対や、憲法9条改正に反対する人は多い。でも、民主党政権の印象が悪くて、そのイメージがすっかり植え付けられている。今の安倍政権の方がもっと酷いけど、“民主党は酷かった”と国民に強く印象づけられた。メディアもそれに乗って、潰されて。「政権は長い方がいい」ってバカなこと言うやつがたくさんでてきた。そして暴走がひどくなり、金、人、コネ、昇進、あらゆる悪の元、下賤な政治になっていく。信念も信条もなにもない政治、ごまかしだからね。でも、救いは、経済最優先とか言って、息を吐くように嘘をつき続ける政治を続ける安倍政権でも、国民は“騙されている”という感覚がどこかで残っていること。いつかは、必ず揺り戻しが来る。
(後編に続く)

巨大地震(4)、行方〔大生・おおう)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真1:朝焼けが関東平野をそめています。もうすこし高い場所であれば、利根川が遠望できたはずです、拡大はクリック〕
夜明け1443


 まん丸の 月に背を向け 朝焼けの 関東平野を 遠く望めり

“月がとっても丸いので”〔島倉千代子さんの歌〕なぞを口ずさみながら 霜で真っ白の田の畦を寒さで震えながら歩いてきました。今日は14日月です。散歩を終える頃、コンビニの向こうに大きな月が沈みかけていました。

〔写真2:沈み行く月が大変大きく見えます、拡大はクリック〕
夕月1447


+++++巨大地震(3)
 前回は、2000年1月1日から2016年12月31日の期間に世界で発生した巨大地震〔Mwが7.8又はそれを超える地震〕について、GCCSによる地震波波動解析で得たCMT解から導かれる発震機構解に伴って得られるセントロイド発震時刻(C-otと略記)と、通常の手続きから得られる発震時(O-t)との間に130秒と言う大きな違いがあることを書きました。この特異に大きい値であるC-ot発震時刻が、地学的大変動を示唆しています。
 ところでセントロイド発震時刻(C-otと略記)というからには、セントロイド震源位置(C-hypo)もあります。それは、波形に合うような震源位置です。これも通常の地震学的手法で得られる震源位置とは大きく異なるはずです。それも議論したいところですが、現時点では此の話はしません。

〔図1:2004年12月26日スマトラ地震(緑の縦線)と2000年代巨大地震との距離(km)。横軸は地震の発生順番。黒印は2011年3月11日東日本巨大地震〕
巨大地震

 
 2000年代の巨大地震は45個あると書きましたが、そのうちで世界を揺るがす大元となったのは、2004年のスマトラ地震であったらしいと以前書きました。そこで、まずは、他の44個の巨大地震とスマトラ地震とが空間的にどれだけ隔たっているかを調べたのが図1です。スマトラ沖から夫々の地震との間で測った距離〔km〕は10km程度から20000kmにまで渡っています。そこで、縦軸の距離については底を10とする常用対数で示しています。図を見るとなにやら3.8を境にして地震の数が異なっているように見えます。すなわち、10^3.8= 6309.5734kmあたりを境に地震の個数が異なる。それより近いところでの発生が15、遠いところが30、つまり1:2です。地球の半径が6371.2kmですから、個数の境目に相当する距離と近い。これは偶然でしょうか?実はそうではありません。地球の半周に相当する2万kmに渡り巨大地震は発生しているので、その1/3では相応の地震の数が起きているという、謂わば、当然の結果と言うことになります。つまり地球の半径を超えた距離に起きる地震が全体の2/3と言うことになります。

 図を客観的に眺めたい読者の方に先入感を与えることは本意では無いので、同じ図に何やらを描きいれて下に再掲載します。
〔図2:図1に現ブログ管理人が”主観“的に描き入れた地震群、拡大はクリック〕
遷移


 こうした図に主観的思い込みを描きこむ事ははなはだ非科学的であることは承知しています。こうした二次元平面上に分布する点群は、見る人によっては、様々な線形配列が見えてしまいがちなのです。そうしたことを承知の上で、まずはグループaに着目したいと思います。
 此のグループaは2004年12月のスマトラ地震のつぎに起きた地震を含む4つの巨大地震を経て2011年東日本巨大地震に連動していたかのように見えます。さらにはその連動が、2011年の地震で活性化され、図では右上方向に伸張しているように見えます。
 そこで、次回”群a”の地震を少し詳しく眺めることにします。

 さて、図2は、地震群aに加えて、b,c,dで示される地震の移動(migration)をも見ることができるように思います。これらについても次回考察します。
(つづく)

+++++行方(なめかた)考察
 地名に何がしかの謂れがあると考えるのは、今も昔も同じです。古事記、日本書紀に限らず、風土記においてもそれは同様です。しかし、そこで展開されている考察にはずいぶんと不自然な「説話」も少なくありません。その一つが現在考察している「行方」と思っています。その経緯を辿ることが思いもかけず古代史解明の手がかりとなるやも知れません。
 行方にこだわるのは、常陸風土記で最大の字数があてられているからです。古代東国での此の地の役割の重大さを反映していると考えています。

 ところで「生方」と言う姓があります。「生」を「ナマ」と訓すれば「ナマカタ」となり「ナメカタ」に似てきます。『生』と言う漢字を「マナ」と呼ぶ地が信太郡の南縁にあります。「生板」と書いて「まないた」読みます(不謹慎な男どもはにやにやと妙な連想をしかねないのですが)。この地には佐倉惣五郎に匹敵する三義人が貧困にあえぐ農民を救ったことで知られています。生板の三義人(片岡万平、石山市左衛門、成毛与五右衛門)です。

%%%%%村民を代官の苛政から救った(生板三義人(1) 又は 生板三義人(2) )
 生板の三義人河内町指定文化財 生板(まないた)の3義人供養塔
所在地 河内町生板4947番地 
管理者 満足山(まんぞくさん)極楽院(ごくらくいん)妙(みょう)行寺(ぎょうじ)
身命をなげうち地域農民を救おうと代官の暴政を訴え、捕らえられ獄死した3義人の供養塔である。高さは4.1m、中央に片岡万平(生板西坪(にしつぼ))、左に石山市(いしやまいち)左(ざ)衛門(えもん)(生板関場(せきば))、右に成毛与五(なるげよご)右(え)衛門(もん)(生板浄(じょう)玄(げん))戒名が、 義(ぎ)篤(とく)院慧戒徹證(いんえかいてっしょう)居士(こじ)、等(とう)岳照?(がくしょうじゅ)居士(こじ)、但(たん)然(ねん)慧(え)燈(とう)居士(こじ)と刻まれている。文化14年(1817)、代官吉岡次郎右衛門支配下の天領、生板村など8か村(現在の河内町・龍ヶ崎市・水海道市・石下町にわたる)農民430余名は、打ち続く凶作にもかかわらずかえって重い年貢を課した代官の非道を江戸の代官邸に訴え、万平らはさらに勘定奉行所に願い出て犠牲となった。しかし4年後、代官は解任され年貢は軽減された。近隣農民は3義人に感謝しその霊を供養するため、文政6年(1823)にこの法華塔を建立した。塔には万平らを陰で支えた亮海和尚の名が、台座には供養塔建立に協力した13か村百名に及ぶ村民の名が刻まれている。その後万平らが江戸に向け出立した10月20日を命日として供養が続けられてきたが、昭和47年(1972)「3義人顕彰会」がつくられ全町挙げて3義人百五十五年忌慰霊法要が盛大に行われた。現在は12月の第一日曜日に法要を行っ妙行寺は満足山極楽院と号する天台宗の寺で大同元年(806)満願上人の開基と伝えられ、江戸時代には上野寛永寺の直末寺として、末寺14か寺を数えた。本尊の木造阿弥陀如来座像は河内町唯一の茨木県指定の文化財で、慶派(運慶・快慶の系統)の鎌倉時代の作である。他に平安から室町時代にわたる仏像五躯と江戸時代の仏画一幅が町指定文化財になっている。平成12年3月 河内町教育委員会
〔図:三義人の碑、妙(みょう)行寺(ぎょうじ))
生板3gijin-1_r1_c2

%%%%%

 「生」なる漢字を引っ張り出してきたのには理由があります。行方市は東の北浦と西の霞ヶ浦に挟まれた地です。『行』の「ナマ」は「生」〔ナマ〕の転じたものであるとの可能性があります。

(図:大生古墳群(中央上部やや左よりの一帯)と大生神社(中央底部やや左より)。右上方の水辺が北浦、拡大はクリックしてください)
width="500" height="221" border="0" alt="大生無題" hspace="5" class="pict" />


 この北浦の畔から少し陸に入ったところに大生神社と言う古社があります(大生神社 実際は、行政区分では行方市ではなく潮来市なのですが)。この神社の来歴について、日本列島での正史古代史における徹底した東国差別扱いゆえ、上記のウイキによっても全くわかっていません。

 この神社の北に大生古墳群があります。下の記事にも見るように常陸国でも最大規模のもので、発掘は茨城大学の研究者を中心として丹念に調査が進められています。しかし、その発掘出土品から、被葬者の特定は為されているとは言いがたいようです。

%%%%%大生古墳群
 大生古墳群
 大生原台地には110余基からなる古墳群が存在し、県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成しています。
 この古墳群は古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群に四大別されますが、この古墳群は大生神社の西側に位置し、県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、子子舞(まごまい)塚古墳、天神塚古墳、白旗八幡古墳など20数基の古墳を包括する大生西部古墳群で面積8.8㏊の地域です。
 この古墳群は、古墳時代中期の築造と推定され、旧時の状態を良くのこしています。
 大生原古墳群の被葬者が鹿島神宮と密接な関係のあったオフ氏一族の奥津城であったことは各方面から立証されているところです。
%%%%

 私が注目するのは、常陸国風土記が此の神社と周辺域について多くを語っていないことです。行方郡の最後尾にそれに触れています。そこで、行方郡の記載部分を以下に添付します:

〔図:常陸国風土記、行方郡条の最後尾から香島条先頭へ、拡大はクリックしてください〕
行方ー香島無題

  文意(「風土記」(植垣節也、小学館、1997年)387頁より
 :ここから南に相鹿(あふか)、大生(おおふ)の里がある、古老が言うには「倭武の天皇が相鹿の丘前の宮に居ます。このとき炊事をする膳の建物を裏の浜にどっしりと立て、船をつなぎ並べて橋にして天皇のご在所に通わせた。大炊(おおい)と言う言葉からとって大生の村と名づけた。又倭武の天皇の妃大橘比売命が大和から下ってきて此の地でめぐり会われた。それで安布賀の村と言う」と。

 北浦と霞ヶ浦に挟まれる地で、最大の古墳群があり、住民から長く敬愛されてきた古社ガル。しかし、常陸国風土記行方郡の条はそれについて触れない。ここに隠された、言葉を変えれば、日本列島正史に書きとめたくない真実があると考えるのは合理的であると私は考えています。
 とするならば、「大生」とは何を暗意するのか?私は王が生まれた地であると考えています。
(つづく)

 

政から金を貰う報道、「宮」の由来

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:枯れ芝生にモグラの活躍の痕跡があちこちに遺されています。彼らの地下都市空間形成の成果をいつか見学したいものです。〕
MGRA1427

 
 日の出前 インフラ整備で 駆け回る さぞかし地下に 立派な宮殿

+++++行方考察(5)
 「行方」を「ナメカタ」とよむ由来を求めて万葉集初期の歌を調べてきました。その一歌に出現する「なべて」に着目する議論をした際に、「なべて」の前に接頭詞として付されている「オシ」に論議を集中しすぎたため、もう一つの接頭詞「シキ」の考察を書き忘れていました。それを簡単に補足しておきます。「シキ」が「siki」なるラテン文字で表記されるならばそれは古代ペルシャ語の「酒」を意味することは以前書きました。

 ところで、前回も書いたことですが、万葉集一歌の題詞に登場する雄略天皇については記紀が語るところは真実半分、虚偽半分ではなかろうかと書きました。つまり雄略天皇の実像が「ワカタケル」王であるならば、話の符牒がピッタリと合うのです。「半分嘘」とは、此の王は奈良盆地に宮廷を構えては居なかったからです。「ワカタケル」王の宮は「シキ」にあったのです。ここは現在埼玉県志木市の東南はずれにあり、そこには由緒定かでないにも関わらず住民の信仰を大昔より集めてきた「宮戸神社」があります。

 万葉集一歌での「シキナベテ」は若い男女が車座になって酒を酌み交わす光景を歌いながら、そこには「シキ」の地から付き従ってきた若者をも詠いこんでいると思うべきでした。初期万葉集がこうした「言葉あそび」、「意味の多重性」を巧みにすることを、本ブログでもたびたび紹介してきましたので、ここでは繰り返しません。「シキ」なる接頭詞は「シキ」に宮を置いていたワカタケル王だからこそ為しえた歌の巧みと思えるからです。

 ついでですから、「宮」についても一言書いておきます。上記の宮戸神社の「ト」はアイヌ語の場所です。「ミヤ」はアイヌ語起源ではないようです。行田の稲荷山古墳出土の鉄剣には「宮」なる漢字が彫り込まれています。既に「宮」なる概念が存在し、それは漢語で言うところの機能を備えていたのでしょう。この漢字を「ミヤ」とよませたのは後代、つまり記紀編纂時ではなかったかと考えています。この言葉は藤原不比等による記紀が登場して初めて「神宮」といった形で使われます。

 私は、渡来族が日本列島で拠点を構築する際、そこを「ミヤ」と呼んだのではなかろうかと想像しています。そこで、早速古代ペルシア語に当ってみました。あるんですな!!
 ラテン語表記で「myan」なる語があるのです。意味は「ものの中央、男根」です。まさにピタリです。渡来族は、拠点を定める際、その司令塔たるべき地を「ミヤ」と呼んだのです。いずれ書く常陸国風土記・鹿島郡に渡来族は重大な政治拠点を構築します。当然彼らはそこを「ミヤ」と呼んだのです。

 数百年後藤原不比等の軍勢が東国に侵攻し、一大拠点であった鹿島を制圧した際にそこに何がしかの建築物を作った。その建築物の命名に当っては「みや」を外すことは出来なかったのです。それは怨霊思考であったと私は考えています。そしてこともあろうに、此の地を中臣氏つまり藤原氏の祖の発祥地にまでしつらえ上げ、渡来族の怨念がむくむくと頭をもたげるのを押さえつけてしまったのです。それが「鹿島神宮」です。私が殊更に「鹿島アントラーズ」を応援する原点でもあるのです。

 日本列島古代史で重要な役割を担った鹿島の地を捻じ曲げてしまったのが上に書いた藤原不比等です。その捻じ曲げられた日本列島の精神史をそのまま引きずっているのが、安倍晋三氏の心の支えと聞く、「日本会議」および「神道政治連盟」です。
 日本国に生まれ、日本人として育ってきたはずの私が、『史実とは異なる歴史』を学ばねばならなかった。次世代に生きる人たちには、史実に基づいた認識、科学観が提供され、そこから教訓をくみ出しつつ生きがいのある日本を形成していって欲しいものと思っています。
(つづく)

 次に紹介するのはネット記事のコピペです。面白いが少々長い。と言うわけで、巨大地震の話は次回に順延します。

+++++困った評論家ランキング
 〔図1:1月10日付日刊ゲンダイ紙記事〕
マスコミ1701111445


 朝日新聞の購読者激減を契機に政府・官界による新聞広告が激増しているとのことです。それは、あたかも一般大手新聞の新聞販売利益減を補填するかの如くであると、日刊ゲンダイ紙は論じています。
 昨今の国民のTV離れなどとあわせ考るならば、大手報道機関の国民への情報提供のありかたに問題があるのでしょう。その現実を直視せず、報道機関が自らの経営にのみ傾斜するならば、ますますそれは国民から乖離し、政・官への依存はいっそう強まるのでしょう。2016年のとある調査によれば、日本の「報道の自由度」は世界72位とのこと(報道自由ランキング )。この調査にも納得がゆきます。

報道自由481


 しかし、依然として、ひたすらTV上で政府、そして安倍首相に「ヨイショ」する評論家・記者がなにやら賢しらに語っています。そんな評論家を槍玉に上げ順位付けをする記事を見つけました。以下に紹介しておきます。

%%%%%御用ジャーナリスト・ランキング
御用ジャーナリスト・ランキング 
安倍サマのためならデマも平気で垂れ流す、安倍政権御用ジャーナリスト大賞を発表! 2017年もコイツらには要注意
リテラ 雑誌リテラ 2017年1月4日 19時54分 (2017年1月8日 19時56分 更新)
 昨年2016年は『報道ステーション』(テレビ朝日)から古舘伊知郎が、『NEWS23』(TBS)では膳場貴子と岸井成格が、『クローズアップ現代』(NHK)で国谷裕子が一気に番組を降板するという異常事態が起こった。いずれも安倍政権が目の敵にしてきたキャスターたちだ。
 その一方、テレビでは"安倍応援団"であるジャーナリスト、文化人たちが跋扈。「権力の監視」という使命も忘れ、ただひたすらにヨイショに励んだ。結果、安倍政権で噴出した白紙領収書問題も、大臣たちの賄賂疑惑や女性スキャンダルも国民にしっかりと伝えられることなく覆い隠されてしまった。
 今回は、そうして報道を機能不全に陥らせている元凶ともいうべき「安倍アシスト隊」であるジャーナリスト、文化人をランキング形式で振り返りたい。

7位●岩田明子(NHK政治部記者、解説委員)
失態をすべて美化する「安倍首相にもっとも近い女性記者」

 安倍政権の広報部と化しているNHKにおいてもっとも露骨に安倍首相の功績をアピールする岩田記者。2007年に安倍首相が退陣した際には体重が5キロも減り、精神不安定になったとさえ言われるほどで、その盲信ぶりに「安倍教の信者」「安倍の喜び組」とも揶揄されている。
 もちろん、昨年も安倍首相の広報に精を出し、真珠湾訪問では「(安倍首相には)日米の間に刺さった、いわば心のトゲを抜き去って戦後を完全に終わらせたい、こういう思いがあった」などと気持ち悪い解説を展開。…
とくに9月に放送された『クローズアップ現代+』では、プーチン大統領からの贈り物エピソードを語り、日本政府関係者の「まるで日本への島の引き渡しを示唆しているように見えた」という言葉を披露、"安倍首相が領土問題を解決するはず!"と、さんざん盛り上げた。
 しかし、肝心のプーチン来日による日露首脳会談も大失敗で終了。すると岩田記者はその日の夜の『時論公論』で安倍首相が乗り移ったかのように「新しいアプローチ」というフレーズを連発して空疎な外交成果を大々的に喧伝した。"総理のやることは何でも素晴らしい"と言わんばかりのその姿は、もはや痛々しいほどである。

6位●青山和弘(日本テレビ報道局解説委員、政治部副部長)
単独インタビューのご褒美でフォローに走る「政権の腹話術人形」

 2015年の安保法制議論では「この法案が廃案にされては困りますので、うまくこう、巻き込んでいく」と安倍首相の思いを代弁して見せたことで本サイトが"政権の腹話術人形"と命名した青山記者は、2016年も絶好調。憲法記念日を目前にした4月下旬には安倍首相の単独インタビューをおこない、そこで安倍首相は憲法改正の必要性を強調するという舞台を用意した。
 そんななかでも、プーチン来日時には岩田記者同様、フォロー係として邁進。領土返還は絶望的であることは明白だったが、『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)での解説で青山記者は「共同声明は出さない。…
共同声明を出すとなると大変なんで」などと官邸に代わって言い訳を開始。司会の宮根誠司も「ああ、共同声明だとおおごとになりすぎるんでね」と言い、一緒になって外交の失敗を公にするまいと励んだ。
 ちなみに青山記者は、15年に『安倍さんとホンネで話した700時間』(PHP研究所)なるヨイショ本を出版。そのなかで〈メディアは真っ当な批判、正確な反論を続ける本当の力、強さが試されている〉などと述べている。実態は安倍首相の腹話術人形のくせに、この上から目線──政治部副部長がこんな態度なのだから、日テレの報道に期待しようというのが無理な話なのだ。

5位●辛坊治郎(キャスター)
デマを流してまで安倍政権をアシストする「大阪の腰巾着」

 ネトウヨ製造番組『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)で司会を務め、安倍首相にとって大阪の腰巾着となっている辛坊治郎だが、昨年も2月20日には冠のラジオ番組『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送)に安倍首相が生出演。安倍首相は「辛坊さんの番組に出るというのは大きなリスクなんですが(笑)」などと語ったが、何をか言わんや。辛坊は「(北方領土問題を)動かせるのはプーチン・安倍しかいない」と盛大にもちあげた。
 だが、辛坊が本領発揮するのは、日々の"政権アシスト"ぶりだ。たとえば、3月6日放送の『委員会』では、国民が支払った年金積立金140兆円を「ゴミみたいな額」と述べ、安倍政権が拡大させた公的年金の株式運用についても「こんなもの株で全部損したところで、年金財政全体に与える影響はゴミみたいなもの」と断言。…
また、稲田朋美防衛相ら閣僚の白紙領収書問題が取り沙汰されたときは、「(帳簿が)合ってる限りはじつはそんなに問題はない」(読売テレビ『朝生ワイド す・またん!』での発言)と言い放った。一般社会では文書偽造罪に問われる問題なのに"政治家の慣行だから"と目をつぶったのだ。
 さらに、辛坊は高江のヘリパッド建設工事問題でも「高江の地元ではヘリパッドを早くつくって欲しい人が圧倒的に多い」とデマを流したが(既報【http://lite-ra.com/2016/10/post-2640.html】)、先月起こったオスプレイ墜落でも「夜間の空中給油、怖いだろうな〜」と、周辺住民の安全よりも米軍を心配。「少なくとも降りるときはコントロールできていますからこれは間違いなく不時着です」と断言した。
 辛坊は朝日新聞のインタビューで「安倍政権になって、メディアの縛りが厳しくなったと言う人がいますけど、私はまったくそうは思いません」などと語っているが、そりゃこれだけ擁護しているのだから当然というもの。逆にここまで"偏向"を極める辛坊が野放図になっている事実こそ、都合の悪い報道だけを締め上げようとする安倍政権のメディア圧力の実態を表しているのだ。
 それにしても、ここまで目に余る言論を展開する者が報道キャスターを名乗っていることに戦慄を覚えるが、不幸中の幸いは、いずれもローカル番組での発言ということ。昨年はTBSの全国ネットでメインMCとしてゴールデン進出を果たしたものの3カ月で打ち切りとなったが、これ以上、この男をのさばらせてはいけないはずだ。…
4位●後藤謙次(『報道ステーション』コメンテーター)
自民党から金を受け取っていた過去も!「ダラダラ解説」で安倍政権をフォロー

 昨年4月、古舘伊知郎の降板とともに『報ステ』の月〜木曜コメンテーターとなった元共同通信社編集局長の後藤謙次。いまではダラダラと論点のボケた解説をして視聴者を煙に巻き、しかし結果的に安倍政権をフォローするという芸を身につけたようだ。
 なかでも、昨年5月に沖縄で起こった米軍属男性による強姦殺人事件へのコメントは、後藤のスタンスが露わになった。このとき、最初は「政府は早急にアメリカ政府に対して厳重抗議をするべき」「政府は果敢に動くことが大切」と語っていた後藤だが、岸田文雄外相とケネディ駐日米大使の会談が開かれるという速報が入ると「政府はやっぱり早く初動しようということだと思うんですね。この問題を封じるということだと思うんですね」と述べたのだ。
 つまり後藤が「政府は果敢に動くことが大切」と述べていたことの真意は、厳重抗議を行うことではなく「問題を封じる」こと、ようするに事件への怒りの声が沖縄で広がり、外交や政治問題へと発展する前に、政府は事件を「封じ」るべきだと述べたのだ。後藤が政権側に立って物事をみて解説していることは明白だろう。
 だが、それも当然だ。後藤には2011年から13年にかけて自民党の政党交付金から約37万円が支払われていたことが発覚。「遊説及び旅費交通費」として処理されていることから講演会に登壇した際のギャラと交通費と思われるが、安倍首相と会食する"お仲間"なだけでなく、政党から金をもらって"スポークスマン"となっているのだ。…
これで報道番組のコメンテーターを平気な顔をして務めているのだから、厚かましいにもほどがある。

3位●松本人志
孤高の芸人もいまは昔...安倍首相と同調し尻尾を振る「権力の犬」

 安保法制議論で「安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ!』っていう意見って、意見じゃないじゃないですか。対案が出てこないんで」と見事な安倍話法を踏襲させてみせ、すっかり安倍政権応援団に仲間入りした松本人志。こうしたエールに気を良くしたのはもちろん安倍首相で、昨年4月には『ワイドナショー』(フジテレビ)についに出演。熊本大地震の発生で放送は5月に延期されたが、そもそも予定されていた放送日は衆議院補欠選の選挙期間中で、安倍首相はこの前哨戦のために、自分の味方である松本と同番組を利用しようとしたのだ。
 選挙期間中に単独で情報バラエティ番組に出演......これぞまさに公平中立に反した放送法違反と言うべき放送が行われるところだったのだが、しかし、実際の放送を見ると、松本は安倍首相に利用されたわけではなかった。自ら尻尾をブンブン振り回していたからだ。
 たとえば松本は、安倍首相と同じように「おじいちゃん子だった」と言うと、「おじいちゃんたちが守ってきた日本が僕は大好き」「どこの国にも指図されたくないし、もうどこの国にも謝ってほしくないなって思う」と、ネトウヨでも言わなさそうな頭の悪い話を展開し、安倍首相に露骨に迎合したのである。…
おそらく、松本人志という芸人は想像以上に権力に対して弱いポチ体質をもっている、ということなのだろう。実際、松本は安倍首相が退場するとき、座ったまま4回ほど頭を下げた後、最後にさらに立ち上がり、90度体を追って深々とお辞儀していた。こんな礼儀正しい松本は見たことがない。
 孤高の芸人もいまでは権力の犬。──他の自称ジャーナリストたちとは違い、松本は図抜けた注目度を誇るだけに、その罪は深い。

2位●山口敬之(ジャーナリスト、元TBS記者)
「安倍首相と温泉に行った」と自慢しプロパガンダを垂れ流す癒着ジャーナリスト

 昨年6月、気持ちが悪いほどの安倍礼賛本『総理』(幻冬舎)を発表し、一躍"安倍応援団"の大型新人として名乗りを上げた山口敬之。じつは前職のTBS官邸担当記者時代から、NHKの岩田明子、産経の阿比留瑠比と並んで"安倍の太鼓もち番記者三羽烏"と呼ばれていた典型的な癒着ジャーナリストなのだが、本の出版を機にワイドショーに進出。"安倍首相のことなら何でも知っている"と言わんばかりの態度でプロパガンダを流すようになったのだ。
 たとえば、先月のプーチン来日時には『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)に出演し"安倍首相に大谷山荘へ2回連れていってもらった""相当仲良くならないと連れていってもらえない"と自ら語り、御用ジャーナリストっぷりを恥ずかしげもなく開陳したかと思えば、「まだあまり新聞には出ていませんが、プーチン大統領に対して『ロシアの法制度でも日本の法制度でもない枠組みで北方4島の共同経済協力をしましょう』と、これ繰り返し言ったそうです」などと述べた。…
つまり「北方領土返還」という外交ハードルを下げるためにポイントをずらしにかかったのだ。
 また、トランプ会談の際も、いかに安倍首相がトランプから特別待遇を受けているのかを熱心に語り、会談終了から30分ほど経った段階で「私、現地の関係者からついさっき話を聞いたんですが」と前置きし「日米同盟についてと、TPPについては、それぞれが自分のいまの考え方を述べられたと見られています、ほぼそういうことのようです」「(TPPのように)多国間でもルールをつくっていく、これが中国に対してもいいメッセージになるんだというのが日本のこれまでの立場ですというのを伝えたはずです」と解説した。同時刻にここまで会談の詳細を伝えたメディアはなかったが、これは安倍の側近からもたらされた事前情報をそのまま喋ったか、あるいは自分で政権の意向を忖度して適当に話したとしか思えないものだ。
 そんなものを垂れ流すことはジャーナリストの仕事ではないが、しかし今年はさらにこの山口がワイドショーで活躍することは必至。新顔だからと油断せず、この男の解説には十分に注意を払ってほしい。

1位●田崎史郎(時事通信社特別解説委員)
待機児童問題でもデマ、寿司だけじゃなく自民党から金も! 自他ともに認める「安倍政権の代弁者」

 安倍首相と会食を繰り返していることからネット上で"田崎スシロー"と揶揄されている田崎史郎だが、昨年も相変わらずメディアに引っ張りダコ。…
既報の通り【http://lite-ra.com/2016/12/post-2764.html】、『ひるおび!』(TBS)では司会の恵俊彰にも"政権の代弁者"というお墨付きが与えられたが、毎日のようにワイドショーで安倍政権をバックアップするその働きぶりで、当ランキングもぶっちぎりの1位となった。
 たとえば、先月9日放送の同番組で田崎は、カジノ法案を「会期内に必ず成立させるっていう決意でやっている」と、視聴者ではなく政権サイドに立って解説。しかも、ほかの解説者から強行的なスケジュールに対して批判が起こると、「政権側はどうしようとしてるかっていう説明を僕はしているんです!」と言って"政権の代弁者"であることを自分から強調するという醜態までさらした。
 さらには、3月に「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに端を発した待機児童問題が話題になった際は、「いい小学校に入れるためにはいい幼稚園、その前にいい保育園に入れなければいけない、その人気の保育園に集中していて、そこに入ろうとすると結果的に待機児童になってしまうと。そういう面もあるんですね」などと、保育園不足をお受験問題と意図的に混同しすりかえるデマ発言までしている。
 だが、こうした言動こそ田崎の特徴であり、同時に安倍首相と共通するものだ。現に安保法制のときも、共演者の室井佑月が"多くの国民が反対している"と述べると、田崎は「『国民』って誰のことですか? どこにいるんですか?」と発言。…
国民を軽視していることを開き直って堂々と居直るなんて、政治家は無論、ジャーナリストとしても信じがたい態度だろう。
 しかし、この田崎スシローにジャーナリズムなんぞを問うほうがバカバカしい話なのかもしれない。というのも、前出の後藤謙次同様、田崎もまた2013年に自民党本部から合計26万360円が支払われていることが判明。しかも、そのカネの出どころは政党交付金であり、言うまでもなく原資は国民の血税だ。
 このような人物をありがたがってコメンテーターに採用すること自体がバカげているが、田崎にはとにかく「恥を知れ」と言いたい。

.................................................................................

 ......いかがだろうか。めまいがするようなランキングとなってしまったが、こうした者たちが権力の思惑を代弁することで事実を隠蔽し歪めている、それがこの国の実情なのだ。そして、今年も安倍政権の暴走を彼らがアシストしていくことは目に見えている。だからこそ、視聴者がきっちり監視することが重要になってくるだろう。
(編集部)
%%%%%記事紹介終わり


 巨大地震の話を次回に順延したので、私が大好きな室井佑月さんのエッセイを付け加えおきます。いつもながらに鋭い切り口!!
%%%%%室井佑月「2017年もこれ」〈週刊朝日〉
週刊朝日・室井さんエッセイ
週刊朝日 2017年1月20日号


 作家・室井佑月氏は、日本を称えるようなメディアの風潮に、その背景にある政治との関係をみる。

*  *  * 
 2017年もあたしが言いつづけるのはこれ。この国は、歪(いびつ)になってきてやしないか? そして、その歪が当たり前になってきてはいないか? それはうんと恐ろしいことである。

 12月23日付の東京新聞「こちら特報部」の記事を取り上げる。

<テレビや本は今年も「日本スゴイ」の称賛であふれ返った。(中略)自己陶酔の先には何が待っているのか。この間、「世界の報道自由度ランキング」などで日本メディアの評判は下落の一途をたどった。戦時下の日本でも「世界に輝く日本の偉さ」が強調され、やがて破局を迎えた。タガが外れ気味の「スゴイブーム」を斬る>

 という良記事だ。記事の中で上智大の音好宏教授は、

「社会が閉塞する中で、日本をポジティブに紹介してくれる番組を視聴者が選ぶ状況になっている」と分析している。

 もう一人、出版人らでつくる「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」事務局の岩下結氏は、「原発事故によって日本の技術がこてんぱんに打ちのめされたが、いつまでも引きずっていたくない。被害妄想からまず嫌韓本が広まった。これが批判を浴び、置き換わる形で一五年ごろから日本礼賛本が目立ってきた」と分析している。

 つまり嫌韓本と日本礼賛本を好む層の根っこは、つながっている。嫌韓も「韓国は酷い。日本はスゴイ」と言いたいのだから。岩下氏は「言ってほしいことを確認することが目的になっている。自らを客観視できないことは非常に危険だ」と言っていた。あたしもそう思う。

 隣の国を叩いていれば、日本の技術力は上がるの? カジノ誘致で盛り上がっているが、博打の儲けを当てにする国になっていいの? ふたたび、技術力の日本という誇りを取り戻すため、メディアは安倍政権の間違った成長戦略を正すべきだろう。

 編集者の早川タダノリ氏は、「(満州事変以降、日本主義の)批判勢力が市場から締め出された。第二次世界大戦に突っ込んでいった一因とも言える」と言っている。そしてまた「政治家が『日本人としての誇りを取り戻せ』と振った旗に、メディアが呼応するようになった」と。

 最後に、この記事のおまけ、デスクメモが面白いので取り上げる。

<(略)安倍晋三首相は二十日夜、全国紙やテレビキー局の解説委員らと都内のしゃぶしゃぶ屋で会食している。首相と親交がある記者の集まりで、二〇〇八年ごろから定期的に開催されているという。「総理スゴイ」などと言って盛り上がったのだろうか>

 どうなんですか? BSジャパン・石川さん、読売・小田さん、日テレ・粕谷さん、NHK・島田さん、朝日・曽我さん、時事通信・田崎さん、毎日・山田さん、「スゴイ、スゴイ」と安倍さんをヨイショしながら食べるしゃぶしゃぶは旨かった?
%%%%%エッセイ紹介おわり

「なめかた」を考える、巨大地震の非DC成分

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:霜が覆いつくす水田に作られた正月松飾〕
松飾1416


 本年の 無事の豊作 祈りこめ 霜降るたんぼに 松飾たつ

〔写真:東京新聞1月7日付朝刊より)
CIMG1409

 トランプ米国次期大統領が、米国に籍のある、つまり世界の名だたる多国籍企業であるトヨタがメキシコに生産工場を建設することにストップをかけたとのことです。我が国のいわゆる左翼・知識人は暴言をことのほか叫ぶトランプ氏を忌み嫌っていますから、このアクションに「それ見たことか!」と叫んでいます。
 しかし、ちょっと待ってほしい。日本の大製造企業が途上国の低人件費につけこんで生産拠点を国外に移していたとき、日本の立国基盤の喪失と国内の雇用の喪失を指摘していたのが、左翼陣営ではなかったのか?トランプ氏を憎む余りに昔の論を捨て去ってしまったのか!と、私は言いたい。トランプ氏は自国民を守りたかったのだと。そして安倍氏にはこうした大胆な「国民を守る」との政策は今後も期待できないのだろうと。

+++++常陸国風土記行方郡
 「常陸国風土記」の「行方郡」の条を考察しています。一番の疑問は「行方」を何故「ナメカタ」と音するのか?にあります。繰り返し書いてきたように「バ」行の音はしばしば「マ」行と転換します。時にはそれは「ハ」行、「パ」行とも相互転換します。例えば「日本」は「ニッポン」であったり、「二ホン」であったりします。
 此の転換は世界に共通しています。一例が「アルバニア」と「アルメニア」です。さらには「ミャンマ」と「バーマ」〔びるま〕です。英単語ではp,bの直前には決してnは使われず、必ずmとなります。例えばimportantです。p、b、mの発音の際の口唇の使い方が世界共通であることによるのだろうと思っています。

 とすれば「行方」〔ナメカタ〕は「ナベカタ」の転じた語である可能性があります。そうであるならば、古代日本語の宝庫である万葉集にその由来を求めてみようということで、取り上げたのが万葉集一歌です。
 
 私は、概して万葉集の各歌の先頭に付されている「題詞」なるものについてはその信憑性を疑っています。例えば、二歌です。この歌の情景をそのまま「剽窃」したのが記紀の仁徳紀説話、「民の竈からの煙」です。これについては、万葉集の既存の解釈の『嘘』を本ブログで繰り返し指摘しました〔例えば2012年8月22日記事、万葉集二歌(1)万葉集二歌(2)〕。とうぜん、此の歌の題詞も「仁徳天皇」に言及しているかと思いきや、なんと推古女帝の後を襲った舒明天皇とされます。
 万葉集の二歌は一歌の反歌ではありませんが、この二つの歌はかっての八馬(やま)国連邦〔邪馬台国〕の跡地にたった人物が歌っています。三世紀の戦乱で荒廃していると想像していたのです。しかし、一歌で朗らかな人民を歌意、二歌で美しい景色を詠う、つまり「ワンセット」であるのです。文学者たるもの、何故そこに気づかないのか!と思っています。とするならば、詠んだ人物が異なるはずは無いのです。

 それはさておき、一歌の題詞で参照されるのが「ワカタケル」(日本書紀では漢風諡号「雄略」、和風諡号「大泊瀬幼武」です。
 本ブログでは万葉集一歌に出現する「おしなべて」、「しきなべて」が行方の由来と源を共通にしている可能性を探りました。万葉集一歌の「なべて」は古代ペルシア語の若者、少年・少女です。「オシ」も古代ペルシア語であり、その意味はそれがラテン文字表記のashuであれば「清い、神聖な」です。念のために付け加えると「ashras」であれば「勇敢な」と言う意味です。「おしなべて」は「清く若々しい男女」を詠ったのであろうと前回書きました。ここから類推できることは、「若い」(ワカ)と言う表現は古代日本列島住民の言語であったらしいことがわかります。

 ところで、「ワカタケル」なる人物名は埼玉県行田の稲荷山古墳から出土した鉄拳に刻まれた銘文から判明したものです。この地は、そもそも「おし」と呼ばれていたらしいのです。それが江戸時代の「藩」である「藩名」つまり「忍藩」として登場します。渡来族は「オシ」を「ワカ」に置き換えることで以って、積極的に現地の言語を取り入れることに注意を払っていたことがわかります。この事情をどうやら藤原不比等は承知していたらしい。それが、雄略天皇の和風諡号を「幼武」と表記したことからわかります。正に「幼」〔若い、清い〕なる漢字の使用に藤原不比等の博覧強記を思います。

 こうした考察を積み重ねるならば、当然「タケ」又は「タケル」もそもそも現地の言葉であったのではなかろうかとの推論に行き着きます。「幼武」の「武」は「武王」つまり大陸正史『宋書』倭国伝に登場する王のお一人です。この武王の活躍は日本列島にとどまらず、どうやら朝鮮半島にまで及んでいたらしいことは宋書から見えてきます。「ワカタケル」王は藤原不比等の命名からも想像されるように「武王」の息子、又は孫息子であったのです。当然、自らを「オシブ」〔若い武王〕とでも名乗っていたはずです。
 ここでも、現地住民の言語に配慮して作り出した工夫、それが「武」を「タケル」と訓することであったのです。偶然か否か、古代ペルシア語にtakalなる語があり、「背が高い若者、角がある羊」と言う意味です。現地語を取り込みつつ、それが自らのネーティブな言葉にも重なったのではなかろうか。

 さて、現在の主題は「ナメカタ」です。万葉集四歌に「ナメ」と訓される表現があります:
%%%%%万葉集四歌
題詞:(天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌)反歌",
原文:"玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野",
訓:"たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野",
仮名:"たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの"

 以前紹介した「万葉集秀歌(一)」(久松潜一著、講談社学術文庫)では、著者である久松氏によるこの歌の解読は自信無げです。一般に万葉集古歌について専門家の解読はどれも自信無げなのです。つまり依然として重大な研究対象であるはずが諦観、傍観の態なのです。困難は、万葉集を補足する関連文書が無いゆえです。平安時代以後の公家・僧侶と言った知識人が苦心して編み上げた「解読」にすがるしかない。それが現代の古代国文学研究者の苦悩ある現状と見ています。
 しかし、他分野の研究者から手がかりを示唆されていたのです。その意味で学問事情は、古事記・日本書紀研究と同じです。全く違った切り口があるはずで、きっと見つかると思うのですが。私も挑戦してみたいと思いますが既に充分老齢であります。

 此の歌について、本ブログでも独自の解読をしてきました(2009年6月5日 万葉集四歌)が、ここではその議論をくりかえしません。歌の冒頭に「玉」が出現します。そして「馬數而」の表現には「うまなめて」なる訓がふられています。行方という霞ヶ浦の地の玉造を連想させます。この歌には「玉」と「なめ」が歌われています。しかし、上記で書いた久松氏が嘆いているように冒頭の「玉尅春」で多くの専門家は解読作業を頓挫してしまうのです。
そこで、それを横において次は「馬數而」です。「数」と言う漢字が「表音」つまり音を表現するためにのみ用いられているのではなく、『表意』つまり漢字の意味を考慮した用法と思えば、これは「馬を多数頭並べて」という意です。「ならべ」の「べ」が「メ」に変じ、「ラ」がかけ落ちたと考えることができるからです。

 どうやら、現時点では常陸国風土記・行方郡を万葉集四歌と関係付けることは難しそうです。
(つづく)

+++++巨大地震〔3〕
 ニュージーランドで大きな地震が起きた、フィジで大きな地震が起きた、そのたびに我が国の地震『愛好家』は言うに及ばず、琉球大学で地学教育の教育・研究に携わる、従って当然の事ながらしかるべき地学教育を大学で学んだ立派な先生までもが、「あそこで起きた地震は日本列島に地震を引き起こした事例があるので要警戒!」なぞと無責任に夕刊紙などで叫んでいます。

〔図1:日刊ゲンダイ、1月7日号。木村教授の説を広めたいと考えて此の記事を貼付しているのではありません。むしろ、こうしたアヤフヤな議論が世に蔓延りすぎていることへの警鐘としてあげています。誤解なきよう〕
木村政昭1255


 本当に「あそこで起きたら日本でも地震が起きるのか?」。この問いかけにいくばくかの答えをみつけられないものか、というわけで「地球上の巨大地震」を調べる気になりました。これが本稿・スレッド立ての動機です。

 前回記事で、まずは2004年12月のスマトラ沖巨大地震こそ地球の大変動を体現した事件であったのではなかろうか!との問題設定をしました。その根拠はすでに前回記事で呈示してありますので繰り返しません。今回からはそれを前提とした幾つかの調査結果を紹介します:

まずは、専門家以外には面白くもなんとも無いと思うやもしれない調査結果です。

〔図2:スベリ角(負値は正断層地震)と非DC成分比。スベリ角が負の地震は正断層地震、0度又は180度に近い地震は横ずれ地震、それ以外は全て逆断層地震であることを示す〕
Slip vs nonDCBig


 モーメント・テンソル成分を対角化すると〔説明は2016年8月31日記事モーメント・テンソル解析 〕、主要な成分として発震機構解が得られますが、その際に余剰量として非DC成分が算出されます。非DC成分そのものの算出過程は、それが地震を引き起こした主応力の差です。つまり
(非DC成分率)=((張力、Tension)−(圧縮力,Pressure))/地震モーメント*100
であり、その作用方向は張力と圧縮力の両方に直交します〔中間主応力〕。これを文字通り解釈すれば、地震は卓越した二つの応力〔張力、圧縮力〕に加えて第三の応力が作用していることになります。その値が正であれば、張力であり、負であれば圧縮応力です。しかし、そもそも、此の非DC成分なるものは実際の地震波形に理論解析を適用した際のいわば誤差であろうとの見方もあります。

 意味が定かではない量とは言え、他の物理量との対照から見えてくるものがあるやもしれません。と言うわけで、非DC成分とスベリ角との関係を見てみたのが図2です。明瞭な関係は見えません。むしろ2000年代に発生した47個の巨大地震のうち80%弱が逆断層地震と言うことがわかります。その逆断層地震の多くで(非DC成分)が負値を取っています。つまり圧縮応力によったと結論できます。一方、7つの正断層地震については6つが正値、つまり張力が勝った地震となります。こうした概観は”常識”と整合しますから、非DC成分なるものは地震解析にあっては有用な量として認知されるべきなのかもしれません。

 そのように考えると比が30%を超える地震が気になります。一つはスマトラ島南沖で2000年6月18日、つまりあの巨大地震の4年半前に起きています〔図の左上)。正断層地震です。静水圧状態から大きく逸出した環境で、強烈な張力が働いたと理解できるのかも知れません。図1では此の地震はスベリ角が-150度と、-180度に近いことがわかります。正確な表現をするならば正断層成分を持つ横ずれ地震であったのです。とすれば大きな張力が理解できます。つまり4年半前からインド洋プレートはスマトラ島方向に強く引っ張られていたのです。その力は海溝の外側にも及んでおり、Mw7.9の巨大地震を引き起こすほであったということです。このようなすさまじいことは我が東日本巨大地震の前に海溝の東側では起きていません。

 もう一つは2007年12月9日にフィジ島南で発生。逆断層です。東日本巨大地震の3年4ヶ月前ということになります。ここでは、逆断層地震は圧縮力が働く故と言う大方の常識に反して、大きな張力が此の地震を起こしたことになります。どういうことでしょうか?考えられるのは潜り込んでいるプレートが上部・部分を鉛直下方に引きずり込むという仕掛けです。鉛直でないと、いわゆる”アウタ・リッジ”型となり正断層地震になってしまいます。実際此の地震は150kmほど地中深いところで発生していますから、潜り込むプレートが自らの上の部分を引っ張ったと解釈できます。その引っ張り力は尋常ならざるものであったので巨大地震となったのでしょう。後日、この奇妙な地震を調べたいと思っています。

 最後に、二つの奇妙な地震の震央を図3に示しておきます。
〔図3:二つの大きな非DC成分を持つ巨大地震の震央)
非DC地震

(つづく)

巨大地震は11月に起きやすい!、騒がしい福島・茨城(2)

 ここの所朝未明連夜私のベッドが揺すられます。というわけで、常陸国風土記の勉強を順延させてください。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:正月二日、宵の空に、すっきりと三日月が金星(?)を引き連れて浮かんでました。図拡大はクリック〕
三日月1388


一月の 二日に見ゆる 三日月は 四(酔)うておるのか 五十〔いそ=石〕にこけおり

 正月二日の宵に見つけた三日月です。大空を運行中に右〔東)に置かれた金星に躓いて、すってんころり。しかし酔っ払ってるのでしょう。大口開けて笑ってます。

 
+++++西暦二千年代の巨大地震(二)
 本ブログへの読者の注目を頂きたいとの邪な思惑から作成した図です。図そのものには嘘はありませんが、僅か17年だけの観察からは、こうした結論が導き出せるとは、ブログ管理人も持っていません、
〔図1:巨大地震(Mw=7.8およびそれ以上)の月別発生分布、ただし2000.1.1〜2016.12.31の17年間のみ〕
大地震月分布


 図1について現時点で語ることはありません。4月、9月、11月に発生回数が多い。そういえば1923年の関東大臣震は9月に発生しています。上の図の背後になにやらの地学的変動が蠢いているのやら否か、定かでありません。読者の関心を惹く為に作成したものです。

 GCCS(Global CMT Catalogue Search, 地震カタログ )によれば、2000年1月1日から2016年12月31日までの17年間に、Mwが7.8またはそれを超える地震〔巨大地震と呼称される〕の発生は47件に達します。Mwの下限値として7.8を設定したことには特別な物理的意味はありません。プレリミナリな調査では、データの数を増やしたくなかったに過ぎません。GCCSは夫々の地震についてモーメントテンソル成分を地震波動解析から算出しています。その副産物として得られるのがCMT発震時刻(C-otと略記)という量です。通常の発震時刻(Otと略記)と共に地震の発生時刻を意味しています。

 Otは地震波の初動P波の観測点への到達時刻から算出されます。P波は、岩盤がピチピチと壊れ始める際に放出されると考えられています。一方C-otは岩盤破壊がピチピチ段階をすぎて断層面での本格的・大々的すべりを始めた、或いは進行中の時刻と考えることが出来ます。
 そう考えると、C-otはOtよりも遅れることには納得がゆきます。更にいうならば、その遅れは、”一般“には、大きな地震ほど大きくなるだろうと。それを示したのが前回記事の図です。

 前回記事の図で気にかかるのは、2004年のMw=9の地震です(GCCSが算出したMw値)。なんとその遅れが140秒近い値となっています。一方、2011年3月の東日本巨大地震のそれは70秒程度で約半分です。この差には地震波の解析にあたっての手続きも関係してるかも知れません。そうではあってもずいぶんと大きな違いです。2004年12月のスマトラ地震こそMwと言う値には直接反映されない巨大な”天変地異“の現出であった、と思うべきかもしれません。

 そこで、17年間を三つの期間(I,II,III)に分割して、個々の期間での地震活動を観察することにします。
〔図2:2000年1月1日〜2016年12月31日、Mwが7.8又はそれを越える地震の発生状況。
横軸は2011年3月11日東日本巨大地震の発生時刻(C-ot)からの時間経過。棒の長さは地震規模、Mw,青棒は左がスマトラ沖地震、右が東日本地震)
巨大地震(days)


  図2で見ると、スマトラ地震発生前は、発生後に比べてその地震発生数は顕著に小さい。そしてそれ以後は、地震数が増えている。それは2011年3月の東日本地震でその傾向に著しい変化が生じているか否かは判別し難い。てなことが見えてきます。

 どうやら、世界は2004年のスマトラ地震を”総力挙げて“準備してきたのであり、現在は2011年東日本地震を含めその余効状態であるかのようです。そこで、2004年の地震を中心にすえて事態を眺めてみることにします。

〔図3:スマトラ地震を中心にすえた巨大地震分布〔左〕、スマトラ地震の反対位置に中心をすえた地震群〔右〕、図拡大はクリック〕
great forSmatra


 大きな地震が、地球を覆う巨大な岩盤〔プレートと呼ばれている〕の縁で起きることは、いまや中学生の教科書にも書かれているほどに、当たり前の知識となっています。そのプレートの縁の形状は、もしや何がしかの力学的要請によって形成されてきたのではなかろうかと思ったりしています。  それを思わせるのが上図の右です。2004年のスマトラ島沖地震の震央の地球の裏側の位置はコロンビア沖です(*印)。ナスカプレートとココスプレートの境界あたりです。そして、此の境界の東端を南に走るナスカプレートに沿って巨大地震が発生しています。詳細の考察を後日します。

(つづく)

+++++地震で騒がしい福島・北茨城〔2〕
 正月二日に加えこのところ、当家の足元がしばしば揺さぶられています。とりわけ、昨日朝の地震は図4で示す直角三角形の正に斜辺に相当する場所の真下に震央があります。”これは何じゃ!“と大いに興奮しましたが、結果は図5−6です。
〔図4 星印が1月5日未明深夜の地震。我がベッドを大いに揺さぶった。2016年12月30日記事中の図に加筆、図拡大はクリック〕
 いわき170105


 前回書きませんでしたが、上の図の直角三角形で辺AB(およその走向が南北)に沿う地震では張力軸が水平でかつ辺ABに直交、一方辺ACに沿う地震では張力軸が水平であるが、その走向はACに直交しています。そしてどちらの地震も圧力軸は鉛直というわけですから、地下の地震発生物理環境(テクトニックス)を合理的に解釈することが中々難しいのです。

 此の難しい解釈をさらにややこしくしているのが下の二つの図です。
(図5:毎度おなじみの図ですが、地震活動の進展に伴い少しずつ違っています。矩形領域内の地震についての調査結果が下の図です)
170105smap


〔図6:図5で示される矩形領域内の地震活動調査:(1、上)深さ方向の活動分布;(2、下)地震活動の時間変化〕
170105dep-time


上は図5のXYにおいた鉛直断面への地震活動の投影です。太平洋プレートがYからXのほうに向かって緩やかに 沈み込むことを反映した地震活動を示しています。注目すべきはその左上方の地震活動です。青Aは図4で示した直角三角形状地震活動域のABを南東から見た〔投影した〕点に対応します。A点から地震活動がXからY方向に傾いて分布するのが見て取れます。この傾きはABに沿って起きる正断層地震の断層面の投影になっているのでしょうか。その活動は太平洋プレートの上盤にまで及んでいるように見えます。そして、1月5日の地震が此の活動が太平洋プレートの上縁辺りで起きていることにも注意が向きます。一体、これは何なのか?

 下は地震活動の時間的分布です。上に行くほど時間は進みます。色々な方向に地震活動が伝播してゆくらしい様子が、少なくも4本の細い点線矢印で示されています。他にもそうした線形移動が認められます。例えば(100,0)(横軸座標、距離、縦軸座標、日数経過)から(0,900)に向かって900日間にわたって100kmを移動するような活動も見えます。スピードに換算すると0.1cm/sec程度となります。
 岩盤内の破壊が地震現象として、ゆっくりと、ある方向に向かって進展する。他の場所から進展してきた破壊と衝突し、事態は新たな展開をする。運動する粒子群模型でシミュレーションできないものかと思っています。

2000年代の47個の巨大地震(1)、今年こそ稀勢里優勝を!!

 
新年、明けましておめでとうございます。本年が皆様に良いお年であることをお祈りいたしております。
 とはいえ、我々老人にはいっそう厳しい年になるのではなかろうかとの危惧もあります。長寿と地球環境保全、働く世代の展望ある生活と我らの長寿、或いは高齢者医療が互いに相反するのか否か、どうやら老人に突きつけられている問題は多岐にわたるようです。どのように折り合いをつけるのか!悩ましいことです。


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:元旦の富士山と正月二日の筑波山〕
2017正月風景


朝酒を 好きだけ飲める 日々終わり 夢とチボウの 見えぬ一年

 と、詠んでみましたが、元旦早々、鹿島アントラーズが優勝しました(下の新聞記事)。こうなると弾みがつきます。初場所こそ稀勢里の初優勝を祈っています。現在、常陸国風土記の見直しをしているものとしては、大いに茨城県を盛り上げたいものです。
 〔図1:東京新聞1月3日付け、スポーツ面より」
鹿島1394

 新年初めてのブログ記事ですので、「古代史」の固い話は措いておいて、世界の大地震の事を書いておきます。“今年は大地震が起きますよ”、なぞと言った「予言」は私の力量を超えます。そうではなく21世紀の地球上の大地震の趨勢を振り返っておこうと言う話です。

 21世紀は2000年ではなく2001年に始まったのだそうですが、そうした厳密なことは大目に見ていただくなら、2000年1月1日から2016年末まで17年が経過しました。この17年間は概ね三分割できます。すなわち2000年1月1日から2004年12月26日までのほぼ5年間、これを期間(I)と名づけます。つぎに2004年末から2011年3月11日までのほぼ6年間余、これを期間(II)とします。そして2011年3月から2016年末までの5年9ヶ月です。これが期間(III)です。
 Mwが9などと言う巨大地震は地学現象としても地球にとって大変動の事件ですから、それがわずか5年の短期間で変化が見えてくるなぞはおよそ期待できませんが、その期待できない変化を確認してみようというわけです。データソースはGlobal CMT Catalogue Search (巨大地震検索)からMw>7.7(7.8以上の地震)の地震を上記の期間にわたって拾い出してきたものです。
 まず、上に書いた3つの期間を比較する前に2000年1月1日からの17年間の巨大地震の発生状況を見る事にします。

〔図2:2011年3月11日東北日本巨大地震からみた今世紀の巨大地震(Mw>7.7)
 左は東北巨大地震の真上から見た図。作図は、これまでと同じ等方位・等距離法による。この作図法のため世界地図が通常見られるのとは異なっています。
 白丸はMw < 8.0 青丸は7.9 < Mw < 8.5 赤丸は 8.4 < Mw < 9、黒四角は 8.9 < Mwの地震。
 地球は円いので、作図中心の真上から見た地球では、角距離が90度(およそ10000km)を越えた向こう側は見えない。そこで、その向こう側を作図したのが右の図。右の図での作図中心は東日本巨大地震・震央のいわば地球裏側となっている。*印で示している。尚、ブログ管理人のプログラム不備によって南極大陸に左側縁が欠けている。またアフリカ大陸の東側に見える二本の直線もプログラム不備によるもの。現在除去作業中。クリックすると拡大できます。)
BIg00-16

 
 最近17年間では、巨大地震は日本海溝、スンダ・ジャワ海溝、ペル・チリ海溝、そしてソロモン・ケルマデック海溝に集中していたことがわかります。これについては以後に詳しく眺めます。

 上記 カタログは個々の地震について、震源位置、モメント・テンソル成分を含む幾つかの情報が含んでいます。まずはこれらの情報から引き出される情報の“幾つか”(これは英語では”数片“とでも書くべき)を見る事にします。

 (図3:セントロイド時刻と発信時刻の差、2016年9月30日記事、Ct-Ot参照)
Mw vs Ct-OtBig2000


 地球上で発生するほとんどの地震については、その震源位置および発生時刻を知ることが出来ません。地震は地下、海底下で起きているからです。仕方が無いので地震発生時に震源から発射される地震波を使います。P波がそれです。一般に観測点への到達波形は鮮明ですので、此の到達時刻から逆算して、震源の位置と発震時刻を算出するのです。気象庁などが発表する震源位置、発震時刻は計算結果なのであった、気象庁職員が現場に行って決めたものでは無いのです。こうして決められた発震時をOrigin Time(OT)と呼びます。

 近年、地震計の技術開発が急速に進み、地震の波はデジタル量としてきわめて高精度にメモリに記録されることとなっています。こうなると観測点へのP波到達時刻ではなく、観測点での地震波形〔P 波のみならず、S波、表面波)などの波形が互いに整合性を持つように震源位置と発震時が求まるようになっています。それをCentroid Time(CT)と呼んでいます。

 此の二つの地震発生時刻は一般には異なっており、CTがOTに比べて遅くなります。図3は巨大地震ではどれだけ遅くなるであろうか、その遅くなり具合が地震の規模に関係しているのかどうか、を図示したものです。

 大きな地震ほど最大の地盤変動は遅れると考えることが出来るのですが、図3はそれを明示しているのかどうなのか。この図のみからは判断しがたいようです。
 

万葉集一歌に見る「ナメ」、12月28日茨城北地震考

2016年の最終ブログ記事をお送り致します。読者の方々には、本ブログにお付き合い頂いたことを心より感謝しております。有難うございました。新年は1月4日より再開いたします。面白い話題を提供できるよう努めたく思っております。
 皆様には良い新年を迎えられますよう心より祈念致しております。

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:このような時期にトンビを見るとは思いませんでした。縄張りを荒らされたと怒るカラス(送電線鉄塔に三羽)が執拗にトンビ(図のやや左中央〕を追いかけていました。写真には見えませんが、畦に植わっている木の梢で、アントラーズの柴崎選手さながらに部下ガラスの動きに指示を与える司令塔親分カラスがいました。拡大は写真をクリック〕
トンビ1374

 
珍らしや 未明の空に ピーヒョロが 鴉の群れに 追われ逃げおる

そういえば、カラスと言うのは集団での虐めが得意ですな。フクロウを集団でいじめるカラスの動画をお見せします(フクロウいじめの鴉 )。

+++++行方郡(2)
 前々回〔12月26日記事〕から「行方」なる地名の由来を考察しています。「行」を「なめ」と音させることの奇異です。大昔から、その奇異の解釈で僧・公家などの知識人が頭を悩ましてきた様子が窺えます。それは、現在の国文学者、古代史研究者にとっても同じです。

 『行方』は和風訓では「ゆくえ」です。この地に達した「武王」又はその係累が「以後の“行く方向”について、思案」したなぞと言ったエピソードでもあれば、納得が行きます。しかし、それはそれで、違う問題を引き起こします。つまり進行方向を思案するに当たって「行方」になぜ「ナメカタ」なる訓をふったのか?と言う疑問です。

 一方で「ナメカタ」が、先にありきと思うと、今度は何故それに「行方」なる漢字をあてたのか?つまり「ナメカタ」には「行方」〔ゆくえ〕に通ずる原義があったのだろうかとの問いを設定せねばなりません。そこで「なめ」なる語を古代の文献に求めることになります。記紀にそれを探すことも、勿論含みますが、記紀には藤原不比等の思惑が深く関わっています。何と言ってもまずは万葉集に立ち返るべきです。

 そこで、取り上げたのが、まずは万葉集一歌です。この歌には「おしなべて」、「しきなべて」なる表現があります。前回書いたように学者先生は苦慮の末、それなりの「解釈」を此の表現にほどこしました。が、どうやら彼ら自身がシカと確信している風ではなく頼りなげです。古代学者によるどの万葉集『読解』書を見てもそう感ずるはずです。

 さて、本ブログでは、「ナメカタ」の「ナメ」を解読する手がかりが此の歌にあるか否かを検証します。すでに「オシナベテ」が、どうやら古代学者は見当違いを起こしているらしいことがわかりました(12月26日記事、「おしなべて」の解釈 )。つまり「ナメ」は「ナベ」に容易に転化しますが、その「ナベテ」が『若者』との意であるとすると、此の一歌の意味が鮮明になってきます。

 ところで、この万葉集一歌にはもう一つ「なめ」が使われています:

01/0001,"雜歌 / 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",

 上の原文中で「ハイライト」で示したように「師<吉>名倍手」です。「おし」が古代ペルシヤ語であるとするならば、「シキ」も古代ペルシア語に由来するだろうというわけで、字典を調べてみます〔黒柳恒男著、大学書林〕。「シキ」は『酒』を意味するのです。

 こうして歌の全容が鮮明に見えてきました:
 歌の読み手は題詞にあるように「ワカタケル」王である可能性があります。彼は西域からの渡来人の血をひいて居るがゆえに無意識にペルシヤ語が口をついて出てくるのです。その人物が、現在の埼玉県「シキ」〔志木〕の宮廷から日本列島を海路・南進し、鹿児島に上陸し熊本を経て、辿り着いたのが肥前、多分現在の吉野ヶ里です。
 
 その地で目の当りにしたのが「戦乱で荒廃した」と聞いていたかっての八間国連邦〔邪馬台国〕の現様です。豊かな胸を揺らしながら生き生きと野菜を籠に収穫する女性、逞しい股間を誇示しつつ鍬をふるって開墾をする男たちです。そして作業の合間には若者が集まって談笑している。酒を飲みながら車座になって歌や踊りに興じている。歌の読み手は完全に此の光景に引き込まれ、自分も仲間に入れてくれと言っているのです。

 戦乱で荒廃していたはずの八間(やま)の国々の跡地では住民は明るく元気をとりもどしているという、日本列島古代史にとっては誠に貴重な情景を描き出しているのです。ここでは触れませんが、次の二歌も同様です。

 こうした歌が、古代文学の研究者の手にかかると、何がなにやら意味不明となります。

 例えば久松潜一氏は、此の一歌に以下の解説をします(『万葉秀歌』(一)、講談社学術文庫、2001年、50−53頁):
(図1:久松氏による万葉集一歌解説。クリックすると拡大します)
那珂郡410

那珂郡412


 細かい処々に気を配っておられるのは、さすが古代文学の大家と言うべきです。しかし、肝心の「心」とでも言うべき記載の解釈、いいかえれば筋書きを何故かスキップしてしまうのです。結局久松氏以前の学者さんの意見について気を配る余りご自身の大胆な創造力を発揮できていない。それが故の凡庸な解読になってしまうのです。これは久松氏に限りません。大方の学者さんが同じなのです。

 私の解読のほうがはるかに歌の情景を伝えているように思うのですが、いかがでしょうか。さてそうではあっても「ナメカタ」の謎解明には未だ程遠いようです。
(つづく)
 新年は、万葉集四歌に登場する「ナメ」を考察します。


+++++28日の震度6の北茨城地震について
 12月28日の茨城県北部の地震について、TVニュースが下記を報じています。
%%%%%茨城震度6弱 “未知の断層”が動き発生
日本テレビ系(NNN) 12/29(木) 21:29配信
NNN 

 28日に茨城県でNews発生した最大震度6弱の地震について、政府の地震調査委員会は、長さが15キロ程度の未知の断層が動いた、との見解を示した。

 28日夜、茨城県高萩市で震度6弱を観測した地震では、窓ガラスが割れたりする被害が出たほか、2人がケガをした。地震調査委員会は29日、臨時の会合を開いて活動を分析し、長さ15キロ程度の未知の断層が動いたことで地震が起きた、との見解をまとめた。28日夜の発生直後に比べて余震活動は低下しているという。

 今回の地震は5年前の東日本大震災の余震とみられているが、2004年にインド洋大津波を起こしたスマトラ沖地震では、発生から10年が経過しても周辺で大きな地震が繰り返し起きているため、今後の地震や津波にも注意が必要だとしている。
%%%%%

 既に本ブログでも指摘したように今般の地震は、既存の地震活動線に沿って発生していることは明らかです。それを図2に示しておきます。図2の直角三角形ABCの南北に走る辺に今般の地震は起きています。地震活動を注意深く見ていれば、そこに何がしかの構造線らしきものの存在を認識できたはずです。
〔図2 いわき・北茨城近辺の顕著地震とその発震機構図〕
いわき161228


 興味深いことは、直角三角形の南北走向の辺にそって起きる地震は南―西向きの張力が卓越しています。ところが、先の11月22日の地震を含む東西辺上に起きる地震は、北西―南東の向きの張力で起きているのです。地域的にかくも近傍の地震発生であって、その起震力の向きが90度異なっているのです。誠に珍しいことなのです。

〔図3: 2013年10月26日以降の地震活動、M>4.5 )
smap161228


 周辺の地震活動を2013年10月26日以降で眺めると図3のような活動分布が見えてきます。そこで、図3の矩形領域内の地震活動について少し食わし調べます。

(図4:上 地震活動図2013年10月26日〜2016年12月29日。矩形ABCに囲まれる領域の地震活動が下の図で分析されている。
 下〔上〕矩形ABC内の地震活動をABにおいた鉛直断面上に投影したものを南東から眺めた図;下〔下〕 矩形ABC内の地震活動を2016年10月26日の地震発生時からの経過日数で活動変化をみたもの)
161228cross-section


 特に興味深いことは、図4〔上〕で“acitivity descending Toward North-East”なる注を加えた地震活動分布です。これはAからB方向に地震発生の深さが大きくなっていることを示します。これは、図2で示す2011年4月の地震と2016年12月28日の地震が形成した地震断層が北東方面に傾く正断層地震であったらしいことを示唆しています。となると、地学的解釈は中々難しいことになりそうです。

A happy new year again !!

妊娠で女性の頭脳変化(2,米国科学誌),太陽エネルギコスト

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:昨日の美しい朝焼け。こういう日の天気は、必ず崩れます。午前中早々に強い雨でした。」
朝焼け1362


此の時期は 辛きことのみ 多かりき ガラス磨きに 賀状書きなり

 此の年になると、賀状のやり取りはかなりの苦痛であります。何せ、ものぐさが私の”長所“であります。てなわけで、60歳を過ぎた頃から徐々に年賀の交換を減らしてきました。いまや、私が書く賀状の枚数は片手ほどです。所がです。家内のそれはなんと三桁を越えます。そして、その印刷作業はPCが苦手であるとの理由から私に降りかかってきます。この仕事に昨日・今日と思わぬ時間がかかってしまいました。年取ると、昨年に習熟したはずのソフト操作勘を取り戻すのに時間がかかります。てなわけで、本日のブログ記事は前回の米国科学誌紹介の残り部分のみです。


+++++妊娠で女性の頭脳は変化し続ける(2)

 子供を宿すことが、脳の変化を引き起こすという記事を見つけました。コメントできるほどの知識を私は持ち合わせていませんが、前回掲載の後半部分を以下に紹介しておきます:
%%%%%Pregnancy Causes Lasting Changes in a Woman's Brain
妊娠は女性の脳の永続的な変化を引き起こす

New mothers showed evidence of neural remodeling up to two years after giving birth
新生児は、出産後2年までの神経リモデリングの証拠を示した
ことでキャサリン・カルーソ、2016年12月19日
Scientific American誌より
• By Catherine Caruso on December 19, 2016


%%%%%前回の続き
It is not entirely clear why women lose gray matter during pregnancy, but Hoekzema thinks it may be because their brains are becoming more specialized in ways that will help them adapt to motherhood and respond to the needs of their babies. The study offers some preliminary evidence to support this idea. Whereas the present study focuses primarily on documenting brain changes during pregnancy, she expects follow-up work to tackle more applied questions such as how brain changes relate to postpartum depression or attachment difficulties between mother and child.
Ronald Dahl, a neuroscientist at the University of California, Berkeley, who was not involved in the work, says he had “a delightful ‘wow’ moment” on seeing the study. “This is a pioneering contribution that not only documents structural brain changes linked to pregnancy but also compellingly offers evidence that suggests these represent adaptive changes,” he wrote in an e-mail.
 女性が妊娠中に灰白質を失う理由は完全にはっきりしているわけではないが、母親として乳児に適応し、乳児のニーズに対応するために脳がより特別な仕様になってきている可能性があると、Hoekzemaは考えている。その研究は、この考え方を支持するいくつかの予備的証拠を提供する。現在の研究は主に妊娠中の脳の変化を記録することに焦点を当てているが、脳の変化がどのように産後うつ病や母親と子供の間の愛着障害に関連するかなど、より多くの問題に取り組むためのフォローアップ作業になるだろうと彼女は言う。
 Ronald Dahl, a neuroscientist at the University of California, Berkeley,彼は此の仕事には参加していないが、この研究を見て、「楽しい」瞬間を覚えていると言う。“これは先見的な仕事である”と彼は言う。、脳の構造変化が妊娠と関連していることの記録にとどまらず、適応的な変化を表す証拠を説得力のある形で提供している」とEメールで書いている。

Mel Rutherford, an evolutionary psychologist at McMaster University in Ontario, is also enthusiastic about the study—which, to his knowledge, is the first that uses neuroimaging to track brain changes during pregnancy. “Probably the most exciting thing is that they were able to follow up two years after the birth of the baby,” he says, “So they have the longest-term evidence that we've seen of changes in the brain after pregnancy.” The results mesh with Rutherford’s own research on cognitive changes during pregnancy, which he approaches from an evolutionary perspective. “As a parent, you're now going to be solving slightly different adaptive problems, slightly different cognitive problems than you did before you had children,” he explains. “You have different priorities, you have different tasks you're going to be doing, and so your brain changes.”

 Mel Rutherford, an evolutionary psychologist at McMaster University in Ontarioも、彼の知る限り、妊娠中の脳の変化を追跡する神経イメージングを使用する最初の研究であることに強い関心を抱いている。「もっともエキサイティングなのは、赤ちゃんの誕生から2年間フォローアップできることだ」と言い、「妊娠後の脳の変化を最も永く観察してきた証拠だ」と語った。その結果は、妊娠中の認知的変化に関するラザフォード自身の研究と一致しており、進化の観点からアプローチしている。「親として、若干異なる適応問題を解決することになる。子どもが生まれる前とは少し異なる認知問題を解決する」と彼は説明する。「人は異なる優先順位を持っており、異なる仕事をしている。それが脳を変化させる。」
%%%%%

+++++古代史・閑話
 上に書いたような事情から、行方郡の続きを書くことが出来ませんでした。そこで、今回は私の大雑把な日本列島古代史観を書いておきます:

 以前、少しだけ言及しましたが、倭国の主体は日本列島に雑居した色々な部族の集合体であると書きました。その中心にあったのが、魏志倭人伝が書く、邪馬台国です。これは、九州と四国に半分を勢力圏に置く多部族の集合体です。「台」とは今で言う「連邦」のようなものです。
 此の邪馬台国が、外圧と内乱で崩壊した、およそ百年後に、日本列島に多大のアシカとを遺すことになる集団が渡来します。彼らの中心は遠く西域ペルシアの地に居たサカ族です。このサカ族が気候変動の故かどうか原因は定かでありませんが、中央アジア北部を経由して東に移動します。その移動の過程で、青海近辺に盤居した高昌族を取り込み北東アジア大陸に陣取る漢民族(或いはその系統)が占拠する域を北に迂回して大陸北東部に達します。そこで、多くは更に東に進みアリューシャン列島を経て米国大陸に移動したのでしょう。残された一部が間宮海峡を経て日本列島に移動してきたと思われます。こうした一族の足跡が近年頓に進展著しい遺伝子解析、とりわけ、男のみに受け渡されるY遺伝子・解析から明らかになっています。

 サカ族の移動軌跡は、かっては匈奴がフン族としてヨーロッパで怖れられた民族です。彼らが何故かくも強大な地域を支配下に納めることが出来たのか?「凶」から連想させるのは「刀と弓」による暴力です。しかし、それは匈奴を怖れる漢民族が呼称したものなのです。支配の実態は前回記事で紹介した「遊牧民からみた世界史」が詳述しています。むしろゆるい結合と納得ずくの連携であったのです。それだけの包容力無しではあれだけの広大な地域を支配下には置けなかったのです。同様の包容力と巧みな部族連携術をもってして、此の渡来集団は東北日本に政治拠点を置いたのです。これが梁書倭伝が書く「扶桑国」です。

 この「人心掌握のノウハウ」を身に付けた一族は、瞬く間に日本列島東部から九州にいたる巨大な支配域を傘下におさめることとなったのです。但し、そこに例外的な地がありました。それが現在に奈良盆地に盤居した一族です。この一族の由来は謎です。既に魏志倭人伝がこの一族の存在を買いとめています。さらには西暦708年に日本列島視察に訪れた隋の調査団もこの一族と面談し、彼らが大陸と同属であるとの報告を隋皇帝になしています。日本列島が見舞われたれたその後の悲劇はどうやらこの西暦607年にあったのです。何故なら、この奈良盆地にあった勢力が倭国壊滅の核となったからです。しかし、核となる奈良盆地勢力だけで日本列島の大半を支配下に置く東西倭国を殲滅させることは出来ません。そこに、大陸漢王朝末裔とその系統の大陸一族が強力な軍事支援をしたのです。具体的な軍事干渉は633年の白村江海戦とそれをフォロした壬申の乱です。しかし、それに先駆けての継体天皇による磐井の乱鎮圧です。

 本ブログは古文書を丁寧に考察する中で、上にかいたような倭国史観に到達しました。さて、大陸王朝は何故日本列島政権にそうまでして神経過敏であったのでしょうか?理由は明らかです。大陸王朝は長く北アジアの勇猛な軍事勢力の圧迫に頭を痛めてきました。いわゆる北狄(ほくてき)です。そこに、海を隔てているとはいえ東に北狄と同じうする一族が盤居するとなると、それは大陸政府の「安保」に関わる重大な環境変化であったからです。

 といった七世紀後半から八世紀全般の東アジアの情勢が、奈良の武装勢力による東国侵攻の根源的背景であったと考えています。さて、こうした筋書きに基づいて現在常陸国風土記・行方郡の考察をしています。

+++++太陽光発電のコストが史上初めて石炭火力と原子力を下回る
 以下のような記事を見つけたので、添付しておきます。
001 2016/12/27(火) 10:32:06
太陽光エネルキコスト
cost0001


全世界平均の太陽光発電の発電コストは約0.1cents/kWhで石炭火力と原子力を追い越して陸上型風力発電に次いで 安価なエネルギー源となったことがWorld Economic Forum (WEF) による調べにより明らかとなった。
WEFでは、既に世界30ヶ国では、太陽光発電のコストは、風力発電を超えてもっとも安価なエネルギー源ともなっているとしており 今後も太陽光発電のエネルギー変換効率が上昇し、販売単価の下落が続いた場合 早晩、太陽光発電は風力発電を超えて、世界で最も安価なエネルギー源となると見ている。 現在は、太陽光発電がもっとも安価なエネルギー源となっているのは、世界30ヶ国に限られてはいるものの WEFの予測調査では、世界の3分の2の国では、次の数年に太陽光発電のコストが風力発電のコストを下回ることとなり 名実ともに、太陽光発電はもっとも安価なエネルギー源となるだろうとまとめている。

%%%%%記事紹介終わり

常陸風土記・行方と万葉集一歌、妊娠と脳(1、米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:画面中央の鳥、鳩に見えますが、鳩ではありません。そもそも鳩のようなズングリ体形でなくスマートでありました。シジュウカラではなかろうか、と思っています〕
鳥1342

 
 葱畑 食欲そそる 鳥一羽 鴨なら鍋と 熱燗思う

 卑しさが丸出しの歌となりました。そんな私を憂えたのか、娘夫婦が東京駅・レストランでの昼食に誘ってくれました。婿殿のご家族と気楽な二時間の語らいの時でありました。休日の東京駅の人出に目が回りました。待ち合わせまでの時間、行きかう人を眺めていました。ダンナと子供を叱りつけながら足早に歩く、四十代前半と思しきお母さん。階段であられもない格好でずっこける二十歳前後の娘さん。人の群れに押し流されてヨタヨタしている七十は超えていると思しき年寄り夫婦等々。眺めていると飽きないものですな。そうした我らも何処からか観察されており“むさい爺(じじい)・婆〔ばばあ〕”てな具合に評されていたのやも知れません。

+++++行方郡〔2〕
 今回は、行方郡の冒頭文から下記い鮃佑┐泙后9塋(なめかた)と言う地名の由来です。風土記の説については、後世の学者さん〔公家、僧侶、そして国文学者など〕も、どうやら納得しがたいようで、あれこれの説を論じています。

(図1:行方郡の冒頭部分)
行方郡1


 そこで、風土記の原文記載を見る事にします。常陸国を巡狩している途上で立ち寄ったこの地で家臣に言った「輿を止めてくれ。あたりの景色を散策して楽しみたい。目を遠くにやると、うねうねと山並みが続き峰には白い雲が浮かんでいる。谷を霧が埋め風趣があり、誠に愛おしむべき景色である」と前置きして
“宣可此地名称行細国者” と語った。後世、此の事跡に従い『行方』となった。土地の言い習わしでは「立ち雨〔たちさめ〕ふる行方の国」と。

「風土記」〔小学館〕校注者はこれを「此の地の名はナミクワシの国と言うが良い」と訓を付します。風土記の編者がどのような意図を以って、こうした『漢字』を此の地の名として使ったのか?「行」を「ナメ」と音させる原住民の「言語」があったのは間違いないのでしょう。
 「行」が「行軍」という動詞に由来するとすれば「ならんで進む」と言うことです。「ならぶ」の「ブ」が「ム」に相互転換することは日本列島だけでなく、世界に共通していることは本ブログでしばしば指摘したことです。とするならば、これは「ナベカタ」であったのではなかろうか?

 そうではあっても、これに類似した語をアイヌ語に見出すことは出来ません。とすれば再び「伝家の宝刀」つまり「古代ペルシア語」辞典を紐解くことになります。

 「ナメ」なる表現について、かねてより気になっていたのが万葉集一歌および四歌です。
まずは一歌です:
01/0001,"雜歌 / 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",
仮名:"こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへきかな のらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそば のらめ いへをもなをも"

 此の歌については、12月8日記事(万葉集一歌 )で引用しています。それは、「ヤツカハギ」とは何者かの解明にありました。この一歌は日本列島古代史解明、とりわけ邪馬台国の所在について正に鍵となる歌であることを本ブログで論じてきました(2013年8月5日記事 魏志倭人での真っ当な解釈 )。

 それは上記の原文にあります。そこには“山跡乃國者”なる表現があります。
 ほとんどの古代学者はこれを「やまとの」国と読み下(くだ)し、これぞ「大和」なる呼称の原点であると「快哉」の声を挙げたのです。原文を注意深く見ると『「やま」という集合集落の「跡地」の場所』と書いているのです。実際、魏志倭人伝は「邪馬台国」と書いているのであって「ヤマト」とは書いていないのです。詳細は省きますが「台」は「ト」では無いのです。学研「漢和大字典」〔藤堂明保編〕もはっきりと書いています。「台」は「連合体」を意味する漢文用法なのです。万葉集が書く「山」は連合体の構成要素の一つである「邪馬」集落を指しているのです。その集合集落のいた国〔場所〕と、一歌は詠んでいるのです。

 初期万葉集の歌群にあっては、読み手が日本列島土着民の話し言葉に慣れきっていない。さりとて大陸の漢語についても習熟しているわけではない。こうした言語環境にあって、周囲の見聞・事象を叙事していたと思われます。詠う歌にはさまざまな語がない混じっていることに注意を払わねばならないのです。
 しかし、公式『正史」では、こうした用語は捨て去られ、それに伴う史実㋾語る叙事も 藤原不比等によって歴史から抹殺されてしまったのです。。

 此のやり口は先日のスーダンでの自衛隊の活動日誌が保存期限を待たずに廃棄された事情と酷似しています。支配者は何時でも庶民に対しては「知らしむべからず」なのです。さもなくば、事実を知った庶民が反逆するかも知れないからです。こうした「隠蔽」なる伝統はどうやら藤原不比等以来と言うことのようです。
〔図: 東京新聞12月24日付け一面〕
PKO1354


 話が横道に逸れましたが、上記原文に“押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手”という一節があります。「おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ」と訓(よ)まれています。
 「おしなべて」を旺文社・古語辞典で調べると「あまねく、何から何まで、全て、いちように、」とあります。小学館「国語辞典」は「〔古語〕なびかせる」と書き、使用例として正に上記の万葉集一歌を引用しています。
 これを解説します。万葉集をなんとか解読したいと平安期より多くの知識人が『あれやこれや』と知恵を振り絞ってきたのです。そこで、到達したのが「押しなべて」なる語の意味です。従って国語辞典に書いてある意味を以って一歌の解読をするとすれば、それは「循環論法」なのです。つまり、意味不明の語、および意味不明の文に出くわしたときには、一から考え直すことが肝要なのです。

 そこでそうした姿勢を以って此の歌を今一度解読してみます。
「おしなべて」を「オシ」と「なべて」に分解します。「おし」が古代ペルシヤ語であることは本ブログで書いて来ました〔http://c23.biz/z3TV”おし”を論ず〕。日本書紀に書かれる系図の中で仁徳天皇の係累に多く登場する名前に「オシ」が付されている野は少なくありません。古代ペルシヤ語で、「清い、新鮮な」という意味の「ashu」という語があります。又「勇敢な」と言う意味の「ashras」と言う語もあります。
 これまでに日本列島の歴史で登場する「オシ」は埼玉県北部の「忍」、或いは青森県下北半島の「恐山」など「勇敢な」と言う意味が相応しいようです。どちらの意味が相応しいのか?その判断はその次ぎに来る語によるのでしょう。つまり「なべて」です。
 さて、なんと[nabete]なる語が古代ペルシア語にあるのです。意味は「若者、少年、少女」です。つまり「おしなべて」は「若々しい青年たちよ」、あるいは「勇敢な青年たちよ」と、万葉集一歌の歌い手は詠みあげたのではなかろうか!
(つづく)

+++++妊娠で女性の頭脳は変化し続ける(1)

 子供を宿すことが、頭脳の変化を引き起こすという記事を見つけました。コメントできるほどの知識を私は持ち合わせて射ないけれども、興味を引かれたので以下に紹介しておきます:
%%%%%Pregnancy Causes Lasting Changes in a Woman's Brain
妊娠は女性の脳の永続的な変化を引き起こす

New mothers showed evidence of neural remodeling up to two years after giving birth
母になりたての女性は、出産後2年間、脳が再構築され続けるとの証拠がある
By Catherine Caruso on December 19, 2016
Scientific American


Growing a human being is no small feat—just ask any newly pregnant woman. Her hormones surge as her body undergoes a massive physical transformation, and the changes don’t end there. A study published Monday in Nature Neuroscience reveals that during pregnancy women undergo significant brain remodeling that persists for at least two years after birth. The study also offers preliminary evidence that this remodeling may play a role in helping women transition into motherhood.
A research team at Autonomous University of Barcelona, led by neuroscientist Elseline Hoekzema of Leiden University, performed brain scans on first-time mothers before and after pregnancy and found significant gray matter changes in brain regions associated with social cognition and theory of mind—the same regions that were activated when women looked at photos of their infants. These changes, which were still present two years after birth, predicted women’s scores on a test of maternal attachment, and were so clear that a computer algorithm could use them to identify which women had been pregnant.

人間を育くむことは、たいへんな偉業であるーそれが、新たに妊娠した女性が成し遂げている。彼女の体が大規模な物理的変容を経験するにつれて、彼女のホルモンは急増し、変化はそこで終わらない。
 月曜日発行されたNature Neuroscience誌が、「妊娠中の女性は、重大な脳の再構築を経ている。それは出産後少なくとも2年間は持続している」ことを明らかにした。この研究はまた、この再構築が女性が母性に移行するのを助ける役割を果たすかもしれないという予備的な証拠を提供している。
 neuroscientist Elseline Hoekzema of Leiden Universityが率いるA research team at Autonomous University of Barcelonaは、妊娠前後の母親の脳スキャンをはじめて行い、社会認知および心理理論と関係する脳領域に重大な灰白質の変化を見出した。それは、女性が幼児の写真を見るときに活性化された領域でもある。これらの変化は、出生後2年でまだ存在していたが、母性に関するテストで予測されていたことであり、女性の妊娠をコンピュタで識別する際に用いられるほどに明らかであった。

One of the hallmarks of pregnancy is an enormous increase in sex steroid hormones such as progesterone and estrogen, which help a woman’s body prepare for carrying a child. There is only one other time when our bodies produce similarly large quantities of these hormones: puberty. Previous research has shown that during puberty these hormones cause dramatic structural and organizational changes in the brain. Throughout adolescence both boys and girls lose gray matter as the brain connections they don’t need are pruned, and their brains are sculpted into their adult form. Very little research has focused on anatomical brain changes during pregnancy, however. “Most women undergo pregnancy at some point in their lives,” Hoekzema says, “But we have no idea what happens in the brain.”
Hoekzema and her colleagues performed detailed anatomical brain scans on a group of women who were trying to get pregnant for the first time. The 25 women who got pregnant were rescanned soon after they gave birth; 11 of them were scanned two years after that. (For comparison, the researchers also scanned men and women who were not trying to have a child as well as first-time fathers).
 妊娠の特徴の1つは、プロゲステロンやエストロゲンなどの性ステロイドホルモンの劇的な増加であり、それが、女性の身体が子供を胎内にはぐくむ準備をする助けとなる。私たちの体が同様に大量のこれらのホルモンを生成する時期がもう一つある:すなわち思春期だ。以前の研究では、思春期にこれらのホルモンが脳の劇的な構造変化および組織変化を引き起こすことがわかっている。思春期中ずっと、男女ともに、必要のない脳のつながりが刈り込まれ、灰白質を失い脳が成人の形に彫られてしまう。しかし、妊娠中の解剖学的脳の変化にはほとんど研究が集中してこなかった。「ほとんどの女性は、ある時点で妊娠を体験する」とHoekzemaは言う。「しかし、脳内で何が起こっているのかわからなかった。」と。
  Hoekzemaと彼女の同僚は、初めて妊娠しようとしている女性のグループについて、詳細な解剖学的脳スキャンを実施した。妊娠した25人の女性について、出産直後に再スキャンされた。;彼らの内の11人日ついては出産後の二年の後再度スキャンされた(比較のために、最初の父親だけでなく、子供を育てようとしていない男性と女性もスキャンした)。

During the postpartum period, the researchers also performed brain scans on the new mothers while they looked at photos of their infants. The scientists used a standard scale to rate the attachment between mother and infant.
The researchers found that the new mothers experienced gray matter reductions that lasted for at least two years after birth. This loss, however, is not necessarily a bad thing (according to Hoekzema, “the localization was quite remarkable”); it occurred in brain regions involved in social cognition, particularly in the network dedicated to theory of mind, which helps us think about what is going on in someone else’s mind—regions that had the strongest response when mothers looked at photos of their infants. These brain changes could also be used to predict how mothers scored on the attachment scale. In fact, researchers were able to use a computer algorithm to identify which women were new mothers based solely on their patterns of gray matter loss. Gray matter loss was not seen in new fathers or nonparents.
  産後の期間中、研究者たちは新しく母となった女性にたいして、乳児の写真を見ている新しい彼女らの脳スキャンをした。研究者たちは、母親と幼児の間の愛着を評価するために標準的な尺度を使用した。
 研究者らは、新しく母親戸なった女性の脳が灰白質の減少を体験していることを発見した。それは出産後少なくとも二年間はその在在していた。しかし、この損失は必ずしも悪いことではない(Hoekzemaによると、「局所化が非常に顕著であった」);それは脳内の社会認知に関わる領域で起きていた。とりわけ特に心の理論に特化したネットワークで起こっていた。これは、母親が幼児の写真を見たときに最も強い反応を示した領域について他人の同領域で起こっていることとの比較を考えるのに役立つ。これらの脳の変化はまた、母親がどのように愛着度計測スケールでのスコアを予測するのにも使用できる。実際、研究者はコンピュータアルゴリズムを使用して、灰白質の損失のパターンのみに基づいて、どの女性が母であるのかを特定することができた。灰白質の減少は、新しい父親または非親では見られなかった。
(つづく)

風土記・行方郡の記載量が多い理由、常温核融合〔続き〕

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:深夜の雨と強風は一体何で会ったのか!穏やかな当地の日の出前です。天空にはやせ細った二十三日月が明るい星を西側に侍らせて心細気にたたずんでいました。〕
 夜明け前1353

 
未明まで 強き風音 窓ゆすり 起きれば一転 春の陽気哉

 昨晩から今朝未明まで雨と強い風です。やれやれ今日は散歩を休める口実ができたわいと喜びました。所が5時過ぎにぱたっと風と雨が止み、おまけに気温も暖かい。フトンから抜け出る決断を要せずに起きました。

 〔図1:1500年前のシリウス星の夜の運行。各図で円の中心は八溝山・山頂、円は方位を表し、上が北、時計回りに東、南、西となる。赤い丸は午後6時から翌日朝6時までのシリウス星運行の30分毎の軌跡。赤丸から中心点までの距離はシリウス星の高度〔仰角〕をしめす。図の見方の例として、右上の1500年前の夏至日のシリウス星運行について解説します。この図で右下に赤丸でなく星印があります。これは夜中の0時の位置〔方位)です。この角度がシリウス星方位として本ブログでしばしば使われている。0時前に反時計回りに見える8つの赤丸は4時間分の軌跡、つまり夕方8時からのシリウス星軌跡。8時前は地平の下にあり八溝山からは見えないことを示す。シリウス星は午前0時から6時間後に丁度地平に達することを上記計算は示している。〕
鹿島シリウス


 そういえば、二日前は冬至です。太陽はいまや北半球に向かって歩み始めました。本ブログでは、かって南半球の天に輝く一等星シリウス星の地球から見た天空上の位置を計算しました。当然、それは地球上の見る位置によります。そこで、茨城県の北端にある最高峰八溝山から見たシリウス星の1500年前の位置計算が〔図1〕です。1500年前のシリウス星運行 

 上の四つの円は左上から春分、夏至〔右上〕、秋分(左下)、冬至(右下)です。夫々の図内の赤い点は、当該日の夕方6時から朝6時までのシリウス星の天空上の軌跡です。点列は時計回りで30分毎で示されています。詳しくは上記ブログ記事を見ていただきますが、冬至の日には、右下の図に、赤点がありません。これは、八溝山からシリウス星を見ることができないことを意味します。

+++++常陸国風土記行方郡の条
 常陸国・風土記を丁寧に眺めると、思いがけずも行間、或いは紙背に日本列島・東国の歴史の真実が潜んでいることをこれまでに見てきました。さて今回は行方郡です。まずは風土記の記載順序を再度振り返ってみることにします:
〔図2:常陸国を構成する郡と風土記での記載順序〔赤丸番号で示されている〕〕
常陸順番


 藤原不比等を総帥とした征・東夷軍〔東国の夷荻征伐のために編成された軍隊〕は、信濃国〔現在の長野県〕から毛野国〔現在の群馬・栃木県〕を進軍してきました。制覇した国の先々で反逆者を幽閉した地が名前に残されています。長野県では「科」〔又は戸隠山〕(とが)、栃木県の都賀(トガ)です。こうして、現在の茨城県へ侵入します。侵入地が現在の新治郡です。「新治」の名前は、常陸の国の東縁をまずは陥落させたことに因みます。
 新治の地を占拠した後、侵入軍は現在の利根川沿いを東に進み、筑波、信太、茨城と次々に陥落させます。こうして、扶桑国の最大拠点である行方と鹿島を西側から完全に包囲したのです。

 当然、ここでの戦い、とりわけ行方郡での戦闘は熾烈を極め、征夷軍の蛮行は残虐を極めたに違いありません。その戦闘を風土記は最大字数でもって描きます。郡の記載順 下記は常陸国の各郡について「風土記」〔小学館.刊〕が使っている頁数です。香島、行方郡がダントツに多いことがわかります。
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、香島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)

 追々書きますが、香々背男〔高昌、古四王、扶桑〕族の常陸国での政治拠点は鹿島に設営されています。それは八溝山・静・吉田ときた直線配列の終点が鹿島であるからです。そこは、正に日本列島西半分への進撃拠点であったのです。地の利には恵まれています。東は太平洋、西は霞ヶ浦・北の浦、南は現在の利根川〔当時は常陸川〕が自然の要害となっています。霞ヶ浦と北浦に挟まれる行方はまさに鹿島防衛の砦の役割であったのです。

 征東夷軍はだからこそ、この行方の地を征服するために全力を結集しました。その結果が風土記にあっては最大の記述量となったのです。

 まずは、冒頭部分を見て行きます:
〔図3:常陸国風土記、行方郡冒頭部分〕
行方郡1

  まず,任后私が気にしているのは、征東夷軍が常陸国に侵攻してきたのが新治郡です。その西隣が下毛野国、現在の栃木県です。この地に「都賀・壬生」と言う地があります。都賀は「トガ」、つまり「罪科」の転じたものです。現在の長野県の「科野」、富山県の「利賀」同様、九州に拠した倭国の指導部が、その位の高さからあえて死刑にせず、「幽閉」された地です。
 壬生なる人物は、その幽閉されていた地から、常陸国に関わったと思えます。背後に「芝居仕立て」にもしたようなドラマを思い浮かべます。この人物は科人〔とがにん〕の子孫として引き連れて来られたのだろうか、それとも征東夷軍に忠誠を誓ったのか?そもそも名前の謂れは「壬申の乱」の年に出生したのか・・・・。

  △侶錣任后図らずも歴史の一端を『白状』していると思えます。倭武天皇が天下を巡狩し海北を平らげた後に行方と呼ばれる地に来たと風土記は書きます。風土記(小学館)の校注者は「海北」とは文字通り行方の地の北であると書きます。その通りなのです。既に書いたように遥か西域からの渡来人とアイヌ族の連合体は正に北から南進してきているのです。
 
誤解、或いは混乱を避けるために繰り返しますが、藤原不比等を総帥とする征・東夷の軍隊は現在の栃木〔下毛野〕からまず新治に侵入しています。つまり常陸風土記は意識的に征・東夷軍の常陸侵略軍と、それに先んずること200−300年前の武王の南進を『意図的に』混在させているのです。

は、玉造と言う地をはじめとして、この地に散在する「玉」を付する地名の由来を述べたものです。明らかに「勾玉」の類ではありません。しかし、水と玉、どうにも結びつきません。「魂」の転化したものであるとの説を唱える人もいます。現時点では保留させてもらいます。
(つづく)


+++++常温核融合(2、米国科学誌より)
 前回の続きです。
%%%%%復活した?”常温核融合実験“
Scientific American誌より 
It's Not Cold Fusion... But It's Something
それは、常温核融合ではない・・・しかし何かである
An experiment that earned Stanley Pons and Martin Fleischmann widespread ridicule in 1989 wasn't necessarily bogus
1989年、Stanley Pons and Martin Fleischmannが嘲笑された一つの実験は必ずしも似非ではなかった。
By Steven B. Krivit, Michael J. Ravnitzky on December 7, 2016


 ===ここから前回の続き===
In October 1989, a workshop co-sponsored by the Electric Power Research Institute took place at the National Science Foundation headquarters, in Washington, D.C. Among the 50 scientists in attendance was the preeminent physicist Edward Teller. After hearing from scientists at the Lawrence Livermore National Laboratory and the Naval Research Laboratory who had observed isotopic shifts in room-temperature experiments, Teller concluded that nuclear effects were taking place. He even had a hunch about a possible mechanism, involving some sort of charge-neutral particle.
By October, tritium production and low-levels of neutrons in such experiments had been reported from a few reputable laboratories, including Los Alamos National Laboratory and the Bhabha Atomic Research Center in India. Moreover, BARC researchers observed that the tritium production and neutron emissions were temporally correlated. Outside reviewers selected by the Department of Energy and tasked with examining the worldwide claims included this data in a draft of their report. Before the document was finalized, however, they removed the tables containing that data.
 1989年10月に、the Electric Power Research Instituteと共催のワークショップがthe National Science Foundation headquarters, in Washington, D.Cで開催された。出席者の内の50名科学者の中ではよく知られていたのが物理学者Edward Tellerだった。the Lawrence Livermore National Laboratory and the Naval Research Laboratoryで行われた研究者からのヒアリングの後、Tellerある種の電荷中性粒子を含む可能なメカニズムを語った。
  10月までは、その実験でのトリチウムの生成と中性子の低レベルとの実験が報告された。その実験れには、Los Alamos National Laboratory and the Bhabha Atomic Research Center in Indiaが含まれていた。BARCの研究者は、トリチウムの生成と中性子排出量が時間的に相関していたことを観察した。the Department of Energyによって選ばれた外部査読者はレポート草稿の中に含まれるデータについて批判した。しかし、書類が完成する前に彼らはそのデータを含む表を削除した。

In the early 1990s, several researchers in the field strongly favored neutron-based explanations for the phenomena. By the mid-1990s, a vocal contingent of scientists attempting to confirm Fleischmann and Pons' claims promoted the room-temperature fusion idea. Other scientists in the field, however, observed evidence—isotopic shifts and heavy-element transmutations—that pointed not to fusion but to some sort of neutron-induced reaction.
 1990年台のはじめ、その分野の研究者がその現象に中性子ベースの説明が好ましいとと表明した。1990年代半までには、Fleischmann and Ponsの主張を確認し、室温融合アイデアを促進しようとする科学者の声もたまにはあった。この分野の他の科学者は、しかし、同位体シフトと重元素transmutations融合ではなく中性子誘起反応の証拠を示すものは見つけていない。

In 1997, theorist Lewis Larsen looked at some of this data and noticed a similarity to elemental abundances he had learned about while a student in Subrahmanyan Chandrasekhar's astrophysics class at the University of Chicago. Larsen suspected that a neutronization process was occurring in low-energy nuclear reactions (LENR). Physicist Allan Widom joined Larsen's team in 2004, and in 2006 they published a theory in the European Physical Journal C - Particles and Fields.
 1997年には、theorist Lewis Larsenは、このデータのいくつかを見て、彼は元素量の類似性に気が付いた。それは Subrahmanyan Chandrasekhar's astrophysics class at the University of Chicagoの学生であったときだ。Larsenは、中性子化プロセスが、低エネルギー核反応(LENR)で発生していることを疑った。Physicist Allan Widomが、2004年にLarsen's teamに加わり、2006年に、European Physical Journal C - Particles and Fields 誌にある論文を発表した。

The Widom-Larsen theory has nothing to do with fusion; the key steps are based on weak interactions and are consistent with existing physics. The theory explains how nuclear reactions can occur at or near room temperature through the creation of ultra-low-momentum neutrons and subsequent neutron-capture processes. Such neutrons, according to the theory, have a very large DeBroglie wavelength and therefore have a huge capture cross-section, explaining why so few neutrons are detected. Many-body collective quantum and electromagnetic effects are fundamental to Widom and Larsen's explanation for the energy required to create neutrons in LENR cells. Crucially, such reaction-rate calculations are based not on few-body interactions but on many-body interactions.
 The Widom-Larsen theoryは融合とは何の関係もなかった;重要なステップは、弱い相互作用に基づいており、それは既存の物理学と矛盾しない。理論は、核反応が超低運動量中性子とその後の中性子捕獲プロセスの生成を通じて、室温またはその近くでどのように発生する可能性があり得るかについて説明している。このような中性子は、理論によれば、非常に大きなDeBroglie波長を持っているので、大きな捕獲断面積を持つ。それが何故ほとんど中性子が検知されないかの理由を説明する。多体集団量子電磁効果がWidom and Larsen's explanation にとっては基本でありそれがLENR cells内で中性子生成のエネルギを説明する。重要なことに、このような反応速度の計算は少数体の相互作用ではなく、多体相互作用に基づいている。

After 2006, the scientists who remained wedded to their belief in the idea of room-temperature fusion rejected the Widom-Larsen theory. A few of these fusion believers began making unsupported claims of commercially viable energy technologies.
Hidden in the confusion are many scientific reports, some of them published in respectable peer-reviewed journals, showing a wide variety of experimental evidence, including transmutations of elements. Reports also show that LENRs can produce local surface temperatures of 4,000-5,000 K and boil metals (palladium, nickel and tungsten) in small numbers of scattered microscopic sites on the surfaces of laboratory devices.
 2006年以後、室温融合のアイデアに固執したままであった科学者はWidom-Larsen theoryを拒否した。これらの融合信者の何人かが、商業的に実現可能なエネルギー技術であると主張したがほとんど支持されなかった。
  混乱の中で、多くの科学論文が隠されていた。それらのあるものは著名な査読付き雑誌に掲載された。そこでは多様な実験的証拠が提示されていた。レポートはまたLENRs実験室用装置の表面で4,000-5,000 K及び沸騰金属(パラジウム、ニッケル及びタングステン)を示した。それは実験用の小さな装置表面の幾つかの散乱微小部位ではあったが。

For nearly three decades, researchers in the field have not observed the emission of dangerous radiation. Heavy shielding has not been necessary. The Widom-Larsen theory offers a plausible explanation—localized conversion of gamma radiation to infrared radiation. The implication is that immense technological opportunities may exist if a practical source of energy can be developed from these laboratory curiosities.
Perhaps most surprising is that, in the formative years of atomic science in the early 20th century, some scientists reported inexplicable experimental evidence of elemental transmutations. In the 1910s and 1920s, this research was reported in popular newspapers and magazines, and papers were published in the top scientific journals of the day, including Physical Review, Science and Nature. The experiments, using relatively simple, low-energy benchtop apparatus, did not use radioactive sources so the results defied prevailing theory. Several researchers independently detected the production of the gases helium-4, neon, argon, and an as-yet-unidentified element of mass-3, which we now identify as tritium. Two of these researchers were Nobel laureates.
  ほぼ三十年間、この分野の研究者は、危険な放射線の放出を確認していない。重シールドは必要ではなかった。The Widom-Larsen theoryは、ガンマ放射線の赤外線への局所的変換の一つの可能な説明となっている。もし、エネルギの実用的ソースが実験室での知的好奇心から開発できるとのであれば、このことは大きな技術開発機会が存在することお示唆している。

  おそらく最も驚くべきは、20世紀初頭の原子科学の形成期に、一部の科学者は、元素transmutationsの不可解な実験的証拠を報告していたことだ。1910年代と1920年代に、この研究は、一般的な新聞や雑誌に掲載され、論文はトップクラスの科学雑誌に発表された。それには Physical Review, Science and Natureを含む。比較的単純な、低エネルギーの卓上型装置を用いた実験では、放射線源を使用していない。何人かのの研究者は独立にヘリウム4、ネオン、アルゴン、それに、現在はトリチウムとして識別される質量-3のようなガスの精製を検知した。これらの研究の二つは、ノーベル賞を受賞した。

In 1966, physicist George Gamow wrote, "Let us hope that in a decade or two or, at least, just before the beginning of the 21st century, the present meager years of theoretical physics will come to an end in a burst of entirely new revolutionary ideas similar to those which heralded the beginning of the 20th century." LENR may very well be such an opportunity to explore new science.
  1966年、physicist George Gamowは、“少なくも十年または二十年の間、21世紀の前に、理論物理学の現在の貧弱な年は全く新しいのバーストで締めくくられることを期待する」と、書いた。「それは20世紀の始まりを予告しているものと同様の革新的なアイデアである」と。LENRは新しい科学を探求する機会なのかもしれない。
%%%%% 常温核融合記事紹介終わり

扶桑国、常温核融合実験(1、米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:未明の空の二十二日の月。東側(左側)下方に浮かぶ二つの明るい星をもレンズ視界に入れたはずですが、はっきりとは映っていないようです)
二十二夜1331


漆黒の 暗闇道を 二十二月 思いがけずも ほのかに指しぬる

 今朝は、とある事情で早朝4時半に起きました。所が、その事情に関わる用事が無くなりました。フトンに戻ることも選択肢でありましたが、そのまま漆黒の闇の中を散歩に出ました。案に相違して道がほのかに見えます。二十二月といえば、もう半分ほどに欠けているのですが、それでも道を照らすほどに明るいことを実感しました。
   
+++++梁書が書く「扶桑国」
 万葉集を除くと古事記、日本書紀と言う二大古文書はほとんど東国を語りません。語るときには、そこには征討・平定の対象たる野蛮人の跋扈です。そうした人々は「蝦夷」と蔑称されます。
 従って、国の様子を書き記しているとされる唯一の文書は常陸国風土記ということになります。しかし、この文書を研究する学者さんも多くはなさそうです。大方は今やお年寄りとなられ、そのお仕事をネットなどで見つけることは出来ません。

 そうした文献をあれこれ眺めているのですが、藤原不比等の東国観がそのままに投影されています。例えば「何故常陸国には西日本にある地名が多いのか?」との問題提起を自らに投げかけます。その例として「玉造」、「麻生」、「鳥栖」、「息栖」、「須賀」などなどを挙げます。結論は「文明がすすんでいた西国から、移住してきた」と言うことになります。移住できる環境を整備したのが藤原不比等の政治力であり、そのもとで展開された「東夷平定」事業である。と、いうわけです。

 こうした説を近畿・西日本の古代学者が陳述するのは仕方ないかも知れません。視野が広く在野の愛好家の考えにも虚心坦懐に向き合った故森浩一氏〔古墳発掘の専門家〕ですら、飯豊皇女から福島県を連想しませんでした。
 しかし、福島県、茨城県に在して古代研究をしている方々は、現場を踏む機会がいくらでもあり、残されている地名の由来を考えることも少なくなかったはずです。こうした方々は、古墳からの出土物、古代住居跡の発掘記録についてはまことに丁寧に記載します。それが研究者としての業績評価でもあるからです。しかし、その記録に付される解説は「東夷」の影が付きまとっているのです。

 須賀川市の鉾衝神社−神炊館神社−岩淵神社が形成するきわめて精度の高い低角30度の直角三角形そしてその中線〔垂直二等分線〕が指し示す特別な方位(須賀川市の二等辺三角形)。神社はかってこの地の首領級の人物の館であった筈です。その首領の下で、斯くも高度な建築物配置を設計し、それを地表に実現している。これが「東夷(東国の野蛮人)のなせる業か!」と私は思います。
 もう一つの例が八溝山−静神社―吉田神社―鹿島神社の配置が、見事な直線配置となっていることです(八溝山・静・吉田・鹿島の線状配列 )。ここにおいても指導力ある首領と首領の意思を体現できる有能な技術者集団が居たことは確かなのです。これがどうして「東夷」の為せる技なのか!

 藤原不比等の構想した日本列島史観は、意図的に東国の民が優れた知性とそれを体現する科学技術を有していたことを隠蔽することにあった、と思っています。その隠蔽につけた”理屈“が「東国の野蛮人の開化」で、その手段が軍事的蛮行であったことを本ブログで繰り返しかいてきました。

 その東国文明を隠蔽せんとの「策謀」として現出しているのが、現在考察している「扶桑」国です。古事記には「国巣」として僅か一回だけ登場しますが、その場所は吉野川とされ、これがまさか「扶桑」国とは誰も考えません。
 注意深い古代学者の何人かは古事記・日本書紀に「扶桑」国らしき存在が見つからないことを指摘します。結論は「扶桑国を記載する大陸史書・倭伝について藤原不比等はその信憑性を疑ったのではなかろうか」と推断するのです。かくして、日本の正当な歴史学者は梁書をきちんと考察しないのです。理屈として「この史書には化物の事などが書かれており信用なら無い」を付言したりします。

 前回書いたように、「扶桑」は「高昌=かがせお=香々背男」の転じたものであることは明らかです。香々背男は日本書紀では甕星(みかほし)を崇める邪教集団として描かれます(香々背男 )。「高」は、ラテン文字表記で「hou」に転化できます。「そう」は「せう」と同音で、それは「ショウ」とも同音です。更にいうならば秋田県から新潟県に多い「古四王」も同じ由来です。

 こうしたことを知ってか知らずか、常陸国風土記・茨城郡の条は冒頭であらわに「国巣」を登場させます。東国史に真実を盛り込むことには中央も神経を尖らせていたはずです。それを承知の上で、「国巣」を書き込んだ勇気ある執筆者に喝采です。”香々背男が”登場するのは不思議ではありません。常陸国風土記久慈郡では「静」神社が登場しますが、その神社由緒書に登場する神でもあります(静神社 )。

 さて、再びに戻ります。
茨城無題


 赤線を付した一節、つまり茨城国祖に関する書き込み部分です。それは多祁挙呂であると風土記は書きます。「挙呂」は「クロ」つまり「黒坂命」の「黒」でしょう。これが古代ペルシア語に由来するのかどうかはわかりません。因みに「kulo」は曲がったことを意味します。「kalale」は[父も子も無い子]を意味します。この語は倭国が朝鮮半島に築いたとされる「伽耶」と音が似ています。もしや武王時代の事跡をなした人物の末裔か、なぞと想像したりしています。
 いずれにせよ、東日本、北陸で威を張った渡来族に関わった名称であることは間違いなさそうです〔黒姫考察 〕。
 この人物は応神天皇の生誕と関わりがあると茨城郡の条は書きます。前回書いたように、古事記のホムタ紀に「国主」と漢字表記を変えて「扶桑国」がひっそりと記載されていることを前回書きました。実際には「ホムタ」天皇は藤原不比等史観の中で「様々な辻褄を合わせるために」しつらえ挙げられ多人物です(ホムタ天皇の名前の謂れ)。藤原不比等史観が隠す実在の「王」を大胆に記載し、それを「冗談」に紛らせる意図か、実在しない天皇を併記する。そのことで中央官憲の「検閲」をそらしたのであるとすると、この風土記の編者、只者ではないようです。

 と言うわけで、次回は「行方郡」の条です。
(つづく)

+++++常温核融合実験がもたらしたもの
 大分旧聞になってしまいましたが、9月中旬に日本経済新聞科学欄が、『米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速』と題する記事を掲載しました。
その冒頭部分を以下に転載します。
%%%%%日経記事転載
日経記事 
米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速

2016/9/9 6:30
 仙台市太白区にある三神峯(みかみね)公園は、500本を超えるサクラの名所として知られる。「東北大学電子光理学研究センター」は、同公園に隣接した緑の中にある。2つの加速器を備えるなど、原子核物理の研究センターとして50年の歴史を刻んでいる。
■わずか数百度で核反応が進む
 2015年4月、同センターに「凝縮系核反応共同研究部門」が新設された。「凝縮集系核反応」とは、金属内のように原子や電子が多数、集積した状態で、元素が変換する現象を指す。

 今の物理学の常識では、元素を持続的に変換させるには、1億℃以上のプラズマ状態の反応場が必要とされる。フランスや日本などは、国際協力の下で「ITER(国際熱核融合実験炉)」の建設を進めている。巨大なコイルによって、「1億℃」を磁場で閉じ込めておく手法だが、当初の目標に比べ、実用化は大幅に遅れている。
 凝縮集系核反応であれば、常温から数百℃という低温で元素が融合し、核種が変換する。東北大学電子光理学研究センターに建った、凝縮集系核反応共同研究部門の真新しい建屋に入ると、断熱材で覆われた実験装置がある。
 核反応が進行するチャンバー(容器)は円筒形。金属製なので中は見えないが、センサーによって温度を計測している。「実験を始めてまだ1年ほどですが、順調に熱が出ています」。同研究部門の岩村康弘特任教授は、温度を記録したノートを見ながらこう話す。
■三菱重工の研究者が東北大に移籍
 かつて、凝縮集系核反応は「常温核融合(コールドフュージョン)」と呼ばれた。1989年3月に米ユタ大学で、二人の研究者がこの現象を発表し、世界的に脚光を浴びた。だが、ユタ大学での報告を受け、各国で一斉に追試が行われた結果、米欧の主要研究機関が1989年末までに否定的な見解を発表、日本でも経済産業省が立ち上げた検証プロジェクトの報告書で、1993年に「過剰熱を実証できない」との見解を示した。
 しかし、その可能性を信じる一部の研究者たちが地道に研究を続け、徐々にこの現象の再現性が高まってきた。2010年頃から、米国やイタリア、イスラエルなどに、エネルギー利用を目的としたベンチャー企業が次々と生まれている。日本では凝縮集系核反応、米国では「低エネルギー核反応」という呼び名で、再評価する動きが出てきた。
(以下省略)
%%%%%記事紹介終わり

 上で書く常温核融合実験は大変”曰くつき”の実験で、長く「捏造」呼ばわりされてきたものです。ウイキがその経緯を書いています。
ウイキが書く常温核融合
 
 ところで、米国科学誌が最近の12月7日号で、この常温核融合実験を記事にしています。長いので数回に分けて紹介します。
%%%%%米国科学誌12月7日号記事紹介(1)
Scientific American 
It's Not Cold Fusion... But It's Something
それは、常温核融合ではない・・・しかし何かである
An experiment that earned Stanley Pons and Martin Fleischmann widespread ridicule in 1989 wasn't necessarily bogus
1989年、Stanley Pons and Martin Fleischmannが嘲笑された一つの実験は必ずしも似非ではなかった。

By Steven B. Krivit, Michael J. Ravnitzky on December 7, 2016

A surprising opportunity to explore something new in chemistry and physics has emerged. In March 1989, electrochemists Martin Fleischmann and Stanley Pons, at the University of Utah, announced that they had "established a sustained nuclear fusion reaction" at room temperature. By nearly all accounts, the event was a fiasco. The fundamental reason was that the products of their experiments looked nothing like deuterium-deuterium (D+D) fusion.
In the following weeks, Caltech chemist Nathan Lewis sharply criticized Fleischmann and Pons in a symposium, a press release, a one-man press conference at the American Physical Society meeting in Baltimore, Maryland, and during his oral presentation at the APS meeting. Despite Lewis' prominence in the media spotlight, he never published a peer-reviewed critique of the peer-reviewed Fleischmann-Pons papers, and for good reason. Lewis' critique of the Fleischmann-Pons experiment was based on wrong guesses and assumptions.
Richard Petrasso, a physicist at MIT, took Fleischmann and Pons to task for their claimed gamma-ray peak. Petrasso and the MIT team, after accusing Fleischmann and Pons of fraud in the Boston Herald, later published a sound and well-deserved peer-reviewed critique of what had become multiple versions of the claimed peak.
化学と物理学の分野で、新しい何かを探求する驚くべき機会が浮上している。1989年3月electrochemists Martin Fleischmann and Stanley Pons, at the University of Utahが室温で「持続核融合反応を確立」したと発表した。ほぼすべての報告では、その実験は大失敗であった。根本的な理由は、彼らの実験が生成したものは、重水素 - 重水素(D + D)融合のようなものではなかったからだ。
発表後の数週間に、Caltech chemist Nathan Lewが記者発表で Fleischmann and Ponsを鋭く批判した。それはAmerican Physical Society meeting in Baltimore, Marylandでのことで、そもそもはAPS会合での口頭発表でのことであった。メディアのスポットライトを浴びながらその査読論文への批判的差読については何がしかの理由から公開しなかった。
 Lewis'のFleischmann-Pons experimentについての批判は間違った推論と過程に基づいていた。そこではRichard Petrasso, a physicist at MITはFleischmann and Ponsが主張するガンマ線のピークを取り上げた。Petrasso and the MIT teamはBoston Herald紙で彼らの捏造を非難した後、説得力があり、しかるべく尊重さるべきあのピークに関する査読での批判を公開した。

From this dubious beginning, to the surprise of many people, a new field of nuclear research has emerged: It offers unexplored opportunities for the scientific community. Data show that changes to atomic nuclei, including observed shifts in the abundance of isotopes, can occur without high-energy accelerators or nuclear reactors. For a century, this has been considered impossible. In hindsight, glimpses of the new phenomena were visible 27 years ago.
 この疑いに始まる出発から驚きまで、核研究の新分野が世に登場した:それは科学コミュニティに巻九syべき分野を提供している。データは同位体の量の観測されるシフトを含む原子核の変化が高エネルギ加速器或いは原子力発電炉を用いずとも起き得ることを示している。過去百年間、これは不可能と考えられてきた。今になって、新しい現象のほのかな兆しが27年前に見えていたことを知ったようだ。
(つづく)
%%%%%米国科学誌紹介(1)終わり

「国巣」を考える、鹿島善戦に続け!稀勢里よ優勝せよ!

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:用水路に群れて朝のまどろみを楽しむ五羽の鴨。私のカメラに怒りの「ビービッ」でありました。すまぬ!〕
鴨131

 
 まどろみを フラッシュ一閃 ぶちこわし 怒りの声を 上げる鴨かな

 申し訳ないことをしました。「今日一日、何してすごそうかな」なぞと考えながら、多分ボケーッとまどろんでいたんでしょう。突然、ピカッと何かが光ったんですから、「グエーッ!」、「グエーッ!」と怒ってました。

〔東京新聞記事:12月19日付スポーツ欄、紙面拡大はクリック)
CIMG1322

 
 昨夕は久しぶりに良いゲームを見せて貰いました。負けたけれども柴崎岳選手の2ゴール。一時期は鹿島が逆転したのですから、驚きました。延長戦、力尽きたとはいえ、日本のサッカー見直しました。
柴崎2ゴール!!青をクリックすると動画を見ることができます。 
 日本代表チームより鹿島アントラーズの方が強いのではなかろうか?有頂天になってしまうところが、本ブログ管理人の軽薄なところであります。鹿島の選手、全員がめまぐるしいほどによく走ります。しかし、さすが、世界のトップスタです。あのクリ・ロナもここぞと言うときには凄まじいスピードで走ります。そのクリ・ロナは好機と言うと必ず最高のポジションに居るのだから驚きです。そして確実にゴール・ゲット。
 しかるに、我が本田圭祐はどうか。試合の戦況は見えているのだが体が付いてゆかない。体が止まってるからマークが付く。かくしてゴールが簡単に妨げられるんですね。筋肉トレーニングに加えて走る練習をして欲しいと。さすれば、まだまだ日本代表として働けるのでしょう。そんなことを思いながら鹿島選手の雄姿を見ていました。

 これで、来年初場所での稀勢里の優勝・横綱昇進に弾みがつきました。全国で最も人気の無いといわれる茨城県です。が、常陸国風土記が日本列島古代史の真実をひっそりとっ抱え込んでいます。本ブログでは、その真実を覆うベールを一枚一枚丁寧にはがす作業を正に今しております。

+++++梁書「扶桑国」考
 さて、鹿島の大々善戦に大いに気をよくして、風土記の解読の続きを書くのは快感です。前回予告に従って「扶桑」国を考えます。大陸の正史では、日本列島に存在する国々は魏志倭人伝に登場するそれらを除けば、常に倭国です。そして唐書にいたり新たに「日本」国が登場します。しかし、日本書紀、古事記は自らの国を「倭」とも「日本」とも呼称することはありません。ましてや、梁書に記載される「扶桑」国も登場しません。

 にもかかわらず、古事記では梁書で国王と書き記された王「乙祁」と同じ漢字で表記される天皇が登場します。「ケ」を表音する漢字は他にいくらでもあります。例えば「毛」もそうです。わざわざ、珍しい漢字を用いていることに、古事記編纂者の意図が込められていると思うべきです。古事記編集者は顕宗・仁賢の両天皇が扶桑国王である「乙祁」であると暗に主張したのです。所が古事記・日本書紀は大陸正史が日本列島の支配体制を記述していることを、自らの史書に書きとめたがりません。そこで、またもや常陸国風土記の出番です。
〔図1:常陸国風土記・茨城郡〕
茨城無題


 上図のをこれまで考察していたのですが、△北瓩蠅泙后赤線を引いた部分のすぐ前に「国巣」なる語があります。これに「風土記」(小学館、1997年)の校注者は「クズ」なる訓(よ)みをふり、欄外で「国主」、「国栖」、「国樔人」などとも書く、と注釈を付します(国巣参考議論)。「国巣」なる語は日本書紀には使われず、古事記にのみただ一箇所使われています。但し、古事記の応神天皇に関する説話の中で「国主」として登場します。後述しますが、この漢字表記には何がしかの政治的思惑がありますので、ここではそれを考えません。少し長くなりますが、その古事記の一節を見る事にします。

%%%%%古事記、神武天皇東征説話の一節より
原文:
〔前略〕召建御雷神而詔。葦原中國者。伊多玖佐夜藝帝阿理那理〔中略〕
高木大神之命以覺白之。天神御子。自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自天。遣八咫烏。
故其八咫烏引道。從其立後應幸行。 故隨其教覺。從其八咫烏之後幸行者。到吉野河之河尻時。作筌有取魚人。爾天神御子。問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂贄持之子。〈 此者。阿陀之鵜飼之祖。 〉從其地幸行者。生尾人。自井出來。其井有光。爾問汝誰也。答曰僕者國神。名謂井氷鹿。〈 此者。吉野首等祖也。 〉 即入其山之。亦遇生尾人。此人。押分巖而出來。爾問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂石押分之子。今聞天神御子幸行。故參向耳。〈 此者。吉野國巣之祖。 〉自其地蹈穿越。幸宇陀。故曰宇陀之穿也。

文意〔岩波文庫「古事記」82頁より〕:
前略部分:熊野の征討を終えた、神武率いる東征軍の武勇譚が語られる。
以下はウイキからの抜粋http://c23.biz/YNn8 :
“高倉下〔神武の側近と言うよりは現地の神職者らしい〕の夢の中で、天照大神と高木神が、葦原中国が騒がしいとの御託船があった。
中略部分:
建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天つ神の御子に献上しろ」と言った。そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、はたして本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られている。”
〔中略後〕
 高木大神之命は事態を覚り、天神御子に「ここより奥には荒神が甚だ多い。今天より八咫烏を遣わす。かくして其八咫烏が道案内をつとめ、それに随って進軍した。
吉野河之河尻に着いた時、筌(http://c23.biz/LQbj うえ)を作って魚を取ってる人が居たので天神御子は「汝は誰だ?」と問うたところ我は國神で名は贄持(にえじ)之子と答えた。〈 此者は阿陀之鵜飼之祖である 〉。この男が言うには、この先には尾が生えている人が井より出て來るはずだ。其井は光り輝いている。その者に「汝はだれか?」と問うと「僕者國神で名は井氷鹿(いいが)」と答えるだろう。〈 此者。吉野首等祖也。 〉 そこから山に入ると亦、尾の生えた人に出会う。此人は巖を押し分けて出てくる。名を問うと、石押分(いわおしわけ)之子と言う。今、天神御子がおいでになると聞いたので、迎えに出るはずだ、と。〈 此者は吉野國巣之祖である 〉
%%%%%
 
 改めて古事記を注意深く読むと、「あれ!これって常陸の国の事ではないのか」と思うほどにその状況は酷似しています。神武天皇の「東征」なるものは実は藤原不比等が統帥した日本列島東国への軍事侵攻であったのです。その戦闘舞台を近畿地方周辺に「書き換えて」いるのです。

 常陸国風土記の執筆に関わった人は当然現地の住民および彼らの父母、祖父母の体験談を聴取し、それが古事記の記述と重なることを知っていたはずです。かくして意図的に「その内容を酷似させた」のです。
 
 さて、ここで登場する「吉野」をして、古事記編集者はそれが奈良盆地の南に流れる吉野川と連結させるとの意図があります。さて、「吉野河之河尻」とは、実際はどこか?そのヒントを万葉集に求めてみます。
%%%%%万葉集巻十四、3392歌〔吉村誠教授編集、万葉集検索システムより〕
原文:
"筑波祢乃 伊波毛等杼呂尓 於都流美豆 代尓毛多由良尓 和我於毛波奈久尓",
訓:
"筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに",
仮名:
"つくはねの いはもとどろに おつるみづ よにもたゆらに わがおもはなくに"
%%%%%
 山深く分け入ると水が湧き出ている。その奥に磐を押し分けて「神」が居る。と古事記が書く風景は、正に筑波山の風景です。流れ出でる川は「恋瀬川」或いは「男女の川」、でしょう。そこに「吉野の国巣の祖」がいたと古事記は書きます。つまり、古事記はこの地、つまり茨城郡に「国巣」が居たと書きます。

 さて、前段が長くなりすぎました。面白いのはここからです。「国巣」は「コクソウ」と読めるのです。「ク」は時に「フ」に転化することは、以前「李大浩」と言う韓国人プロ野球選手のラテン文字表記が「ideho」であることを例示して書きました。どうです。常陸国風土記茨城郡は、はっきりと「フソウ」なる民または国名を明記していたのです。そして、古事記はこの「国巣」なる存在の出自をごまかすために、それを「吉野」と書き、さらにはそれでも不安で「国主」と書き換えてしまったのです。これがことの真相であったのです。
 どうやら、「ツクバ」がかって「紀」国であった頃の首領は「フソウ」国の指導者又は幹部であったらしいことが見えてきました。
(つづく)

「乙祁」考察(2)、米国の余命率減少議論(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:十六夜(いざよい)の月〕
十六夜月1312

 
 寒月が お日様出(いず)るを 待ちわびる

 寒い朝未明です。西の十六月が東をじっと眺めています。そこは赤みが増し、すぐにでも日が昇ってくる筈です。大地はこの冬初めての立派な霜柱が育っていました。

+++++「乙祁」考察(2)
 前回古事記の顕宗天皇紀に「參拾捌歳」なる漢字表記があることについて説明しませんでした。「捌」は「ハチ」と音しますが原義は「捌く、とりわける」と言う意味です。学研漢和大字典〔藤堂明保編)は、この語の二番目の意味として「数字の八」を書きます。私は、これは「倭習漢字用法」と思っています。日本列島に伝わった漢字が「偶々音が同じであるために、本来の意味が異なるにも関わらず同義として用いられるようになった」のだろうと思っています。日本だけで通用する漢字の意味を藤堂氏は字典に加えたのです。漢和字典を使う際に留意せねばいけません。

 古事記ではまさに「音」が同じであるため「八」として使われたのです。実際古事記には「八」も使われていますから、どうやら意図的に使い分けているようです。「捌」は「歳」を伴って年齢を表す時のみ遣われています。一つだけ年齢以外で遣われているのが「年」を著すときです。それ以外は「八洲」等、数量を表すには必ず「八」が遣われています。この使い分けにどのような意図が込められているのか、浅学の本ブログ管理人には理解が及びません。

 何故、こうした「細かいこと」が気になるのか?それは日本列島史の編集に当たった藤原不比等の異常なまでの「八」への拘りがあるからです。その一々をここでは書きませんが、多分それは「邪馬台国」への過剰なまでの意識であったろうと思っています。藤原不比等は邪馬台国は「八女国連邦」つまり魏志倭人伝に記載された邪馬台国が実は番号であることを知っていたのです(邪馬台国論)。藤原不比等の東西倭国殲滅の軍事行動は峻烈であったけれども、九州の地に残された「文化・文明」にまで破壊の手を及ぼしていない。それは「八女国連邦」の存在にあったのだろうと思っています。そして、それは謂わば国際的にも通ずる「倭国」の原点でもあるので、歴史から消し去るわけにはいかなかったのです。死して藤原不比等には、自らが為した「日本」こそ、その倭国を継承していると世界に主張する意図があったので巣。

 さて、本題に戻ります。「乙祁」なる「表音」漢字は、扶桑国の僧「慧深」が荊州に到達して、梁の皇帝の面前で陳述した内容をそばに侍る書記官が書きとめたものです。したがってそれの音は漢和字典にすがるしかありません。前回書いたように、「イツギ」とも「オツキ」とも音することができます。前者であれば、「イ」は書記官の聞き取った「音」であって、僧は「ヒ」と言った可能性があります。つまり「ヒツギ」です。これは王位継承者を意味します。
そのように考えると、「名國王為乙祁」は「国王として世継ぎ」を当てたと解釈できます。これが以前書いた私の解釈です。実際、古事記では、「即意祁命。知天津日繼」と書き、「日繼」を明示します。藤原不比等は梁書倭伝の上記フレーズを「お世継ぎ」と解釈し、古事記の記述となった、と言うわけです。

 しかし、これでは、和風諡号が互いに似通ったお二人の天皇の登場についての藤原不比等の意とが見えません。
前回、以下のような疑問をなげかけました:
「日本書紀では、億計王(後の仁賢天皇)、弘計王(後の顕宗天皇)と漢字表記されます。何と言っても奇妙なことはお二人の名前が酷似していることです。そこで後世だらが考え付いたのかわかりませんが、顕宗天皇の和風諡号は「をけ」とし、仁賢天皇のそれは「おけ」と訓(よ)まれています。そして常陸国風土記では「多祁」を、「おをけ」とでも訓(よ)ませるのでしょうか?」この疑問には呼称の似通った二人の天皇を正史に登場させた意図についての疑問も付くわ得ておかねばなりません。残念ながら現時点ではその疑問への答えを見つけ出すには至っていません。

 古事記では、もっと露に「袁祁之石巣別命」、「意祁命」と書き、「祁」を名前表記に使うことでもって、二人の天皇が梁書倭伝に記載される王であるかの如く書きます。渡辺豊和氏は二人の似通った呼称はさておき、「祁」に注目し、同様の推論をしています。
 私自身も「日繼」(ひつぎ)にこだわっているわけではありません。何故なら「祁」と音を同じくする漢字は他にいくらでもあるからです。にもかかわらず、「祁」をこの文脈で使う、そこには何がしかの意図があったと思うべきです。つまり梁書倭伝が語る国王と同じであると読者に思わせることにあったのです。自らが編纂する日本列島正史の「信憑性」を訴えるためです。これは「祁」を遣っている常陸国風土記も同様です。この視点から風土記を見る事になります。が、そこに議論を進める前に「扶桑国」について若干の考察を次回しておきたいと思います。

(つづく)

+++++米国での余命短縮論議(前回の続きです)。
 長寿、多分誰しもが望むのだと思います。しかし、人は一方で自然との共生を叫びます。間断の無い点滴、注射などきめの細かいケアで為される長寿と「自然との共生」という問題です。
 注射針は、針を通してのウイルス感染を防ぐため、使う旅に廃棄されます。一体どれだけの注射針が一日に廃棄されるのでしょうか?昔は煮沸消毒して何回も遣い回された針です。ガーゼなど植物繊維は再生植物で 代替できます。しかし鉄などの鉱物資源は目減りする一方なのではないか?そうとすれば、そうした資源は新たに生まれてくる新入りの人類のために取っておくべきではないのか?などと考えたります。医師で作家の里見清一氏がこの件で新潮45誌に書いています(里見清一氏 )。
私は、氏の意見に影響されすぎているのかも知れません。不快に思う方が居られるとしたらお詫び致します。老人を養うためにせっせと働く若年者は当然、子供を成したい。しかし、医療器材が老人の長寿に独占されたのでは若年層はどうすればよいのか?てなことを思うにつけ、私自身は早く死なねばいけないと、“今のところ”は思っています。が、いざ死期が迫ると、私は「生かしてくれーーっ」と泣き喚き散らすなどの醜態を晒すのやも知れません。

 それにしても、米国の死因の多くがインフルエンザと過剰薬物摂取であることに今更ながら驚いています。つまり国民皆保険制度が不完全であるため、自家療法に頼らざるを得ないのです。それは、かって実地で見聞きしたカザフタン国を思い起こさせます( 8月19日記事 自家治療 )。

%%%%%米国科学誌12月9日号(2)
 前回に続きSA誌編集部によるインタビュー記事です。
Scientific American 
What's Pushing Down U.S. Life Expectancy?
何が平均余命を押し下げているのか?

There were roughly 86,000 more deaths in 2015 than in 2014, with a variety of causes listed. Is there any reason there would be more deaths in 2015 from, say, Alzheimer’s and diabetes than in years past? What’s behind these increases?
2014年より2015年では約86000名の死者増加です。多様な死亡原因が列記されています。2015年の死者増加には何か理由があるのか:つまりこれまでと比べてアルツハイマとか糖尿などのこの増加のには何があるのか?

I wish I could explain them. There are certain aspects of mortality that are predictable and preventable, and certain aspects that are essentially random and unpredictable. With a one-year increase we really don’t know if we are looking at something that is predictable and preventable or whether it’s random.
The flu could be an explanation here and could explain across multiple causes of death, but it’s hard to say for sure. The flu can impact other causes of death, and it can cause people with existing chronic conditions to die from those conditions. So someone with heart disease who gets the flu, that flu can precipitate a heart attack or exacerbate existing chronic lung disease or many other things. For people who are very ill and may be hanging on, they can die sooner than they may have otherwise.
 それを説明できると良いんだが。背後予測出来予防ような解釈はできる。そして基本的にはランダムでしかも予測不能と言うよう状況だ。一年だけの増加からはそれが偶々なのか予測でき予防可能であったかなどはいえない。
 インフルエンザは一つの説明可能な理由だが、死亡については多様な説明も可能だ。それについて確たる説明は難しい。インフルエンザは死についての大きなインパクトでありそれが死に至るような持病を引き起こしたとも考えられる。インフルエンザにかかった心臓の持病を持った人にとっては、インフルエンザが心臓病なり他の持病の促進をすることはありえる。病気であったり、疾病中であったりする人には、さもなくば良くなるかとの思いと異なりより近い将来に死亡につながる。

In 2015 there were 240 more infant deaths than in 2014, and it is striking that there was an 11.3 percent increase in infant deaths due to “unintentional injuries.” I know that that official classification does not include sudden infant death syndrome, which also had a slight increase. So what are “unintentional injuries,” and how can we prevent them?
2015年には2014年に比べて240名以上の乳児死亡があったため乳児死亡で11.3パーセントの増加となった。それは「不慮の事故」とれている。公式の分類では、乳幼児の突然死症候群はそれには含まれないはずだ。とするならば"不慮の事故"とは何であり、どのように我々はそれらを防ぐことができるのか?

It appears the increase in unintentional injuries here is accidental suffocation—both in bed and not specified as such. We will be getting more into that soon.
ここで言う不慮の事故とはベッドある特定されない場所での窒息死だ。我々は、それについては近日中にもっと詳細を明らかにする。

So for adults, beyond flu, what were key drivers that we know about?
大人にとっては、インフルエンザ以外では、何が主な要因であるのか?

We know that for adults the big culprit from 2014 to 2015 is increases in drug overdose. That’s another thing we’ll be diving into in the coming weeks and we’ll have a report on that, probably in January, to detail that information. We have data on accidental poisonings overall—and the overwhelming majority of those are drug related—so that will give you an idea about what is going on with this. The accidental poisonings, which include drugs, alcohol poisoning and poisoning due to other toxic substances—that total number for 2015 is 47,478, and for 2014 it was 42,032. It’s really a big difference. And the overwhelming majority of those are drug-related overdoses.
大人にとっては、2014年から2015年までの大きな死者増加の犯人は、薬物の過剰摂取である。我々が今後数週間にそれを深く分析し一月にはそれについての報告書作成を終える。そこでは詳細な情報を公開するだろう。我々は偶然の毒物事故に関するデーターを持っている。それを見れば何が起きているのかがわかるはずだ。ドラッグ、アルコール、毒性薬物を含む意図しない毒性薬物、それらは2015年に47478件、2014年は42032件であった。この差は大きい。そして、それらの圧倒的多数は、薬物関連過剰摂取だ。

When was the last U.S. death rate increase?
最近の米国の死亡率の増加は何時であったのか?

Last time we saw an increase was from 2004 to 2005, and it just bumped up a tiny bit. We figured there that it was related to flu. This is a little bit bigger increase than from ‘04 to ‘05.
一番最近の死亡率増加は2004年から2005年までであり、それはほんの少しの増加であった。それはインフルエンザに関連していたと考えている。これは、'04から'05までよりも少し大きめの増加だ。

Right, so how can we explain 2015?
それはそう思う。しかし、2015をどう説明するのか?

The drug overdoses are a big part of this. But we also saw increases in heart disease and stroke mortality. The heart disease probably affects this more than anything else. For heart disease, the increase between the two years—2014 to 2015—was from 614,000 roughly to 633,000, so that’s almost 20,000 deaths due to heart disease. Part of that is due to the aging of the population, but the heart disease rate can be affected by the flu. Some people are also saying obesity is a possible explanation for those heart disease numbers—and maybe it is. I don’t know that there is any solid evidence that that’s what is going on here though.
薬物過剰摂取は、このの大きな部分だ。しかし、心臓病や脳卒中の死亡率の増加もある。心臓病は、おそらく他の何よりも、増加に影響を与えた。心臓病、この2年間-2014はから2015年にかけて614000からおよそ633000に死者が増えた。それが心臓病とほぼ死者数2万死亡に帰せられる。その一部は、人口の高齢化によるものであるが、心臓病率は、インフルエンザの影響を受けた。一部の人々はまた、肥満が心臓病を引き起こす可能な説明であるという。私はここで何が起こっているかについて確かな証拠はわからない。

Are we dying younger from heart diseases?
我々は心臓病で若死にするのか?

I don’t think so. We would have to take a closer look to see what the average age of death is for heart disease and whether it’s changed or not. I don’t think we have seen any dramatic shifts or any one-year shifts. The average age at death has obviously been increasing over time. I think we’ve gotten pretty good at keeping people with heart disease alive.
私はそうは思わない。私たちは、死の平均年齢は心臓病そして何か変わったかどうかを見るために詳しく分析するだろう。私たちは、何がしかの劇的な変化が1年間に間に起きたとは思わない。死亡時の平均年齢は明らかに時間の経過とともに増加している。私たちは生存している心臓病を持つ人々が長生きし続けていることは良いことだと思う。

Is there any good news in these 2015 numbers?
これらの2015年の数字には、なにがしかの良いニュースがありますか?

Cancer mortality continued to decline, which is good. But that’s about the only thing I can think of.
がん死亡率は減少し続けている。これは良いことだ。しかし、それが唯一だ。
%%%%%米国科学誌紹介終わり

梁書〔大陸正史〕にみる東日本,米国の余命率〔1、科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:初冬の冬空に葉を落とした木々〕
雑木1301


 寒々と 葉を落として 屹立す 雑木にすける 初冬の空哉

 我が郷土の誇り鹿島と稀勢里。その鹿島が【鹿島3-0ナシオナル】南米王者を完封! 鹿島がアジア勢として初めての決勝進出!!

オスプレイ事故報道、なにやら政治臭を感じます。報道された写真によれば機体は正に墜落。しかし、日本列島に配備されているという「政治環境」では、墜落するような飛行物体が上空を徘徊しているという状況は極めて「政治的」。かくしてこうした「不時着なる用語」となったのではと、勘ぐっています。

%%%%%沖縄オスプレイ事故、なぜ墜落ではなく「不時着」と報道? 防衛省に聞いた
オスプレイ墜落 BuzzFeed Japan 12/14(水) 11:23配信
防衛省によると、2016年12月13日午後9時半ごろ、沖縄県名護市東海岸から約1キロの沖合で、米軍MV-22オスプレイ1機が「不時着水」した。5人が搭乗していたが、全員が救助されたが、2人が負傷しているという。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
これを受け、稲田朋美防衛大臣は、マルチネス在日米軍司令官に、「事故に関する原因究明・情報提供、安全」が確認されるまで、オスプレイの飛行を停止するよう、電話で申し入れた。
墜落と不時着の違いは
実際、米保守系テレビ局「Fox News」なども「crashes」(墜落)という表現で事故を報じている。また、地元紙の沖縄タイムスや琉球新報は当初は「不時着」だったが、いまは「墜落」との表現を使っている。BuzzFeed Newsは防衛省に取材をした。報道担当者は「アメリカ側から説明を受けた時に『不時着水』という表現を使っていたため、報道資料にもその言葉を用いた」と説明した。英語では「landing in shallow water」だという。
旺文社の国語辞典には、「不時着」の言葉の定義として「飛行中の故障などで、臨時に目的地以外の場所に着陸すること」とある。
防衛省の認識としては、そのような事態があった場合、「機体のコントロールを失った状況で着陸または着水する状況が墜落」であり、「パイロットの意思で着陸または着水した場合は、不時着、不時着陸」になるという。機体の損壊具合は関係がないとのことだ。
防衛省は「おそらく不時着水」との認識
墜落だったのか、パイロットの意思があったかどうかを含め、詳細は米軍側に問い合わせ中だという。防衛省で独自の調査をしているわけではない。状況によっては「墜落という表現に変わる可能性もある」というが、取材に応じた担当者はこうも語る。「乗員5名が生存しており、意図せず墜落した場合はそういう風にならないという意見が防衛省内でもある。こちらも、おそらく不時着水であろうと認識しています」

国内での「不時着」は初めて
米海兵隊の普天間基地には現在、24機のオスプレイが配備されている。毎日新聞によると、2012年に配備が始まって以降、国内での「不時着」は初めてという。2007年から運用が始まったオスプレイはこれまで、海外でも繰り返し事故があり、その安全性を不安視する声が相次いでいた。2015年にはハワイで着陸に失敗、2人が死亡している。ただ、一概に事故率が高い機体であると言えるわけではない。防衛省の資料によると、「10万飛行時間あたり」の「被害総額が200万ドルを超えるや死者を出した」事故率は、2012年4月現在で1.93と、海兵隊の平均2.45よりも低い。米軍が運用している航空機の中でも平均以下だという。

防衛省はその安全性について、こう指摘している。
“様々な角度から安全性の検証を行った結果、機体の安全性には特段の問題はなく、MV-22オスプレイが他の航空機と比べて特に危険と考える根拠は見出し得ない“私も朝日新聞社の記者時代、オスプレイの体験搭乗に参加したことがある。独特の揺れはあるものの、飛行中、特段の危険性を感じることはなかった。「不時着」したオスプレイと同型機のMV-22に関しては、陸上自衛隊が2018年度までに順次導入することが決まっている。17機アメリカから購入する予定だ。
%%%%%
 
+++++梁書〔大陸正史〕にみる東日本
 風土記茨城郡は茨城造の祖先が「多祁許呂」なる人物であると書きます。常陸国が作られるる前はこの地は“国“であり、そこの首長であったということです。一方、大陸の梁(西暦502−557年)の正史である梁書(西暦627年完成〕の倭伝に「扶桑国」に関する記載があります。渡辺豊和氏の解読に拠れば、その地は現在の北陸地方であったと思われます。そこの国王名が「乙祁」です。原文は「名國王爲乙祁」とあり、国王として「乙祁」を任じた、との意味とは違うように思えます。以前、これが気になり2012年11月16日記事(梁書・倭伝 )で考察したことがあります。その部分のみを以下に転載します。大変重要な問題提起をしたのではなかろうかとの思いがありますので、今回も長くなりますが語容赦ください:
%%%%%過去記事一部転載
 ここで一つ注目しておくことがあります。前回引用した「梁書」倭伝では、「武」に東国将軍の爵位を授けたとの記事に次の記事がつづくのです:
「扶桑國者、齋永元元年、其國有沙門慧深來至荊州」
  
 渡辺豊和氏が自らの仮説を打ち立てる際のいわば出発点となった記事です。「永明(元とありますが明と思われます)元年に、扶桑国の沙門(僧のこと)である「慧深」が、荊州にやって来た」と、あります。永明元年は西暦479年です。倭国の王たる「武」が宋に使節を送ったのが西暦478年、つまり扶桑国の僧「慧深」が荊州に到達した一年前です。「宋」は、この年に滅亡し「斎」に変ります。
2008年12月19日記事(梁書・倭伝 ) で書きましたが、梁記では、僧「慧深」が、自らの国の風俗やらを語り、それらが記載されます。
 そして程なく「名國王為乙祁」なる記述になります。「国の王の名を乙祁と為(な)す」と書かれます。随分とおかしな言い回しです。あたかも「王」になると名前が変るかのようです。「乙祁」は僧の語ったことを聞き取り、その音に従って漢字を当てはめたものです。「おつき」、「いつぎ」などと読むべきでしょう。
 ところで、「名xx為」は「xx名前を・・・」にするという意味でしょうか?同様の表現が、以前このブログで紹介した「隋書」倭国条にもあります。「名太子為利歌彌多弗利」がそうです。「名」と「為」の間に身分(地位)を挟む表現です。私は「名」は名前を意味せず、「名目」つまり「状態」を意味するのではないかと思います。隋書で言えば、太子には、「利歌彌多弗利」を充てるという意味であろうと考えます。そうであれば、「名國王乙為祁」は「国王には乙祁」を充てると言うことだろうと思います。
 「乙祁」は「いつぎ」ではなく、「ひ」が「い」に転じて梁記に記載されたとすると、それは「ひつぎ」、つまり「太子」を意味します。「ひつぎ」とは、倭国では「王の後継ぎ」の意味であったろうと思います。僧「慧深」は、「ひつぎ」と言ったはずが、「ひ」と「い」の発音の違いをはっきりさせなかったことから梁の担当記録者は「いつぎ」と聞き、文書に「乙祁」と記したのです。僧「慧深」が倭国を出立したのが王「興」が死んだ前後です。誰が次の王になりどういう名を名乗るか分からない。そこで彼は「後継ぎが王になる」と語ったのです。扶桑国では「太子」は「ひつぎ」と呼ばれていたのです。

 因みに「扶桑国王蘇我一族の真実」の著者である渡辺豊和氏はこの著書で「乙祁」を「オキ」と音することで、二十三代「顕宗」天皇(日本書紀によれば在位は西暦485-487年)又は二十四代「仁賢」天皇 (488-498)ではないかと推定しています。「顕宗」天皇と「仁賢」天皇の和風名は夫々「袁祁」(をけ)、「億計」(おけ)というわけで、音が似ていること、更には梁記の記載年代ともおおむね合致するからです。渡辺氏の仮説は、日本書紀の編年史に基づいています。以上が、渡辺氏による讃王と日本書紀上の天皇との照合です。

 渡辺氏の推論過程とそこから導かれた結論は、私の推論とは異なります。それはとりあえずは横に置いておきます。私の論理に従えば、僧「慧深」が扶桑国を去る直前までの王は「興」ということになります。ここで私が注目するのが「興」は「コウ」と音します。これぞ他ならぬ「高」ではないか!!西暦479年まで、少なくとも北陸一帯(もしかしたら現在の福井にまで影響を及ぼしていた)の王は「高」一族であったらしいことが、宋書で以って裏付けられたと私は思っています。
%%%%%過去記事抜粋終わり

 渡辺氏はここに登場する王は古事記・日本書紀に登場する天皇であると推論します。
その部分のみを古事記から転載します:
%%%%%古事記より抜粋
原文:〔顯宗天皇、漢風諡号〕
袁祁之石巣別命。坐近飛鳥宮。治天下捌歳也。天皇。娶石木王之女。難波王。无子也。〔中略〕。 故天皇崩。即意祁命。知天津日繼。天皇。御年。參拾捌歳。治天下八歳。御陵在片岡之石坏岡上也。
〔仁賢天皇、漢風諡号〕
意祁命。坐石上廣高宮。治天下也。 天皇。娶大長谷若建天皇之御子。春日大郎女

文意:岩波文庫「古事記」、199−203頁
 袁祁之石巣別命(をけのいわすわけ)命(みこと)近飛鳥宮(ちかつあすか)に政庁を置き、天下を治めること捌年。石木王之女である難波王を娶るが、子が無かった。〔中略〕
故(この“故”には敵討ちにまつわる、飯豊天皇も関わる悲しい話があるが省略。例えばhttp://c23.biz/AYet を参照されたい)天皇が亡くなると、直ちに意祁命〔オケのみこと〕が天と津〔地〕を統治(知)する“日繼”とする。天皇、御年三十捌。墓は岡之石坏岡上。
 意祁命(おけ)は石上廣高に宮を構えた。大長谷若建(わかたける)天皇のむすめ春日大郎女を娶る。
%%%%% 古事記より

 日本書紀では、億計王(後の仁賢天皇)、弘計王(後の顕宗天皇)と漢字表記されます。何と言っても奇妙なことはお二人の呼称が酷似していることです。そこで後世誰が考え付いたのかわかりませんが、顕宗天皇の和風諡号は「をけ」とし、仁賢天皇のそれは「おけ」と訓(よ)まれています。そして常陸国風土記では「多祁」を、「おをけ」とでも訓(よ)ませるのでしょうか?大変重要なポイントですので、この詳論を次回に書きます。
(つづく)

+++++寿命
 前回、高齢者の認知症に関する米国科学誌の記事を紹介しました。今回は「余命」の記事を紹介します。ブログ管理人も齢を著しく重ね、こうした記事についつい目が移ります。老齢になるにつれ「死」とは否応無く面と向かい合います。私も中学生から高校生の頃、ふと「死」を意識しました。自分がこの世から居なくなるという現実を受け入れがたく思ったのです。たまらなく恐ろしかった。その恐怖が和らぎ、今日ではむしろ早く死なねばと思っています。
 しかし、もう少し齢を重ねると「生きたい」と言う願望が強くなる、と高齢者へのアンケートが語っているそうです。たとえば手術をするかしないかの判断を患者に尋ねると、高齢者ほど、家族の判断と違って手術を望むのだそうです。生物として「生きたい」との本能が発現するのでしょう。難しい問題です。「人」の場合は「宗教」無かりせば「手術」しか救いはありません。50代半ばで夭逝した親友は「キリスト」教に帰依しました。はてさて、私はどうなることやら。

%%%%%米国科学誌12月9日号
余命議論 
What's Pushing Down U.S. Life Expectancy?
何が平均余命を押し下げているのか?
Drug overdoses and flu may have been key drivers behind the latest death toll numbers
過剰薬剤投与、インフルエンザは最近の創始者数の背後にある鍵要因だ
By Dina Fine Maron on December 9, 2016

The latest official U.S. life expectancy numbers paint a relatively grim picture for the nation. For the first time in a decade our death rate increased from the year before; 2015 saw roughly 86,000 more deaths than 2014, according to the new report. The National Center for Health Statistics (NCHS), which released the numbers this week, found that in 2015 the death rate jumped 1.2 percent from 724.6 deaths per 100,000 people in 2014 to 733.1. The agency calculated that this spike pushed life expectancy down, too. Standard life expectancy at birth dropped to 78.8 years from 78.9 just a year earlier. Preliminary analysis suggests the increase in deaths may have been driven by drug overdoses and an unusually severe flu season in early 2015, which may have exacerbated potentially fatal conditions such as heart disease.
 最新の公式の米国の平均寿命は、国にとって比較的厳しい様相である。十年間で、はじめて死亡率が前年にくらべて増加した;2015年は2014年よりおよそ86,000以上の死者増加と、 new report 米国死亡統計 が報じている。今週、この数字をリリースしたThe National Center for Health Statistics (NCHS)は、2015年の死亡率は733.1人/10万人当でそれは2014年の724.6人にくらべ1.2パーセントジャンプした。当局に拠れば、このスパイクは、平均寿命を押し下げると試算する。出生時の標準的な寿命は、ちょうど前年の78.9から78.8年に落ちた。予備的な分析は、心臓病などの致命的な条件を悪化させた可能性がある2015年初冬のインフルエンザと薬物過剰投与によって駆動されている可能性を示唆した。

For insights into the reasons for the startling new figures Scientific American spoke with Robert Anderson, chief of the Mortality Statistics Branch at the NCHS.
[An edited transcript of the interview follows.]
 この驚くべき新しい数字の理由についての洞察のために本誌はRobert Anderson, chief of the Mortality Statistics Branch at the NCHSにインタビューした。

You already have some preliminary numbers from state death certificates about the first half of 2016. Do they suggest that the increase in deaths in 2015 was just a blip?
あなたはすでに2016年の前半についての暫定的な死亡統計を持っている。そのデータハ2015年に死亡の増加が一時的だったことを示唆しているのか?

Maybe. It’s really difficult to say, but our indications based on the provisional data suggest it may be a blip. We only have numbers for about the first half of 2016, so we do have to be careful about interpreting them. But it appears that if we look at the age-adjusted rate for 2015, which is about 733 deaths per 100,000 population, and look at the age-adjusted rate for the 12 months ending in June 2016, it drops back to 720 per 100,000—and that’s actually below the 2014 level, so it may very well be a blip. With that said, we still have the quarter three and quarter four of 2016 to come. We just entered the flu season now and things could be bad from a flu standpoint, which could drive the numbers up.
 多分、それを言うことは本当に難しい。が、暫定的なデータに基づくなら、それが一時的かもしれないと示唆してる。2016年の前半のデータにすぎないので、その解釈について注意する必要がある。しかし、人口10万人あたり約733人が死亡との2015年の年齢調整率を見て、2016年6月、12ヶ月間の年齢調整率を見るならば、10万人当たり720名の死亡率に低下する。それは実際に2014年レベルより下なので、それは正に一時的とおもえる。そうは言っても、我々はまだ第三、第四四半期がある。後半は、ちょうどインフルエンザシーズンに入り、それが死亡者を増加させうる。
(つづく)

多祁許呂(2、常陸国風土記・茨城郡)、高齢認知症の減少〔米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:当地では冬になると、ここからおよそ120km余西方に富士のお山を見ることができます。12月10日朝6時半ごろ撮影〕
MtFuji

 
神愛(め)でし つくばの山の 麓から 雪にふるえる 富士をながむる

 常陸国風土記・つくば郡の説話を歌に詠みました。もう少し冬がすすむともっと鮮明に見える筈です。

+++++茨城郡(3)
 前回「ヤツカハギ」について、その言葉の一部が「古ペルシア語」と考えると、万葉集一歌の文脈ばかりか、風土記の記事も整合的に解釈できると書きました。ところで「ヤツカハギ」の「ヤツ」は万葉集二歌が書くように「八」であろうと書きました。つまり、東国に九州の邪馬台国子孫が移り住んでいたことを示しています。藤原不比等軍勢によって九州の地を追われ東国に逃げのびて来たのか、それとも東西倭国の人的交流の結果として移り住んだのか、それは定かでありません。青森の八甲田山、茨城の八溝山、八郷村、福島の山都、矢祭町、矢田野などなどがその名残であろうと思っています。矢吹町もそうかも知れません。しかし、古ペルシア語に「yab」(ラテン文字表記)があり、それは「矢」そのものを意味します。

 風土記は「ヤツカハギ」の記述に続いて「茨城」なる地名の由来を語っています。”悪さばかりをする佐伯を懲らしめるために茨で城〔柵〕をつくり、佐伯をそこに追い込むと傷付いたり死んだりした”、これが「茨城」の由来であると。
 ところで、古代ペルシア語に「yabad」と言う語があり、それは「荒地」を意味します。北海道・札幌の中心部から北の石狩湾近くに「茨戸」〔ばらと)と言う地区があります。私は、この地の由来は「アイヌ語」ではなく、古代ペルシア語であろうと考えています。
 この古代ペルシア語に「茨」なる漢字を当てたのが「茨城」だろうと思っています。黒坂命は現地野蛮人虐めと言うよりは、荒地を耕作可能な土地に改変〔開墾〕する作業に多大の労力を払った人物というのが真相ではなかろうか。しかし、藤原不比等一派の検閲を免れるべく筋書きを改変したんだろうと思っています。
 何故、そう考えるのか?それは図1のの考察から見えてきます。
〔図1: 常陸国風土記、茨城郡より〕
茨城無題


  さて、今回は上図のです。“茨城国造の祖は多祁許呂である”と書きます。風土記校注者はこの人物に「タケ」と「音」させます。この人物は“息長帯比売に品太皇子誕生時まで仕えた。子が八人居り、中の子は筑波の「使主(おみ、校注者)」となった。”と、書きます。
 話は横道に逸れますが、記紀ではしばしば「比売」なる漢字表記を「ヒメ」と訓(よ)ませます。「売」の表音が「メ、バイ、マイ」だからです。大陸にあっても「マ」行音と「バ行音」の相互転換があったことを示しています。

 「祁」は「キ」と音し、「大きい」と言う意味です。この漢字から私が連想するのは梁書倭国伝です〔2008年12月19日記事〕梁記 
 上記の青をクリックして過去記事を見ていたいても良いのですが、大事なところなので、あえてその記事を少々長いのですが再掲します:

%%%%%過去記事抜粋〔生活描写については省略させてください。記事短縮のため〕
 梁記を素直に読むならば、「倭国」が九州にあれば、収まりがつきます。渡辺氏は倭国の中心を阿蘇山において、当時の「里」の長さを考慮して、「倭国」に連なる一連の国の位置を想定します。「文身国」は現在の山陰地方に収まります。「大漢国」は現在の近畿地方あたりとなります〔本ブログ記事の図2参照)。
 さて、そこで、長い記述のある扶桑国について考察してみましょう。

「扶桑國者、齋永元元年(西暦499年)、其國有沙門慧深來至荊州。」
先ずは、冒頭、慧深と名乗るこの国の僧が荊州(現在の中国南部)にやってきて語った、との前書きが着きます。つまり伝聞形式です。そのためでしょうか、日本の古代史研究者はこの史書に信憑性を疑っているようで、これを引用することはあまり無いようです。というわけで、その僧が語るには:
「説云「扶桑在大漢國東二萬餘里。」
扶桑国は大漢国の東二万里にある。渡辺氏はこの記述から、扶桑国が北日本西部一帯(北海道渡島半島から新潟県)と推定します(図2参照)。

「地在中國之東、其土多扶桑木。故以爲名。」
この地は中国の東にある。その土地には扶桑の木が多いのでそうした名前になった。

「扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之。」
扶桑の葉は桐に似ており、生育したての筍のよう味の実をつける、国の人々はこれを食する。

「實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。」
梨のような実は赤く、その樹皮をつむいで布となし、衣となす。木は板として家となす。

「無城郭、有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。」
城郭は無い。文字を持っている。扶桑の樹皮を紙としている。兵無く、戦争が無い。

「其國法、有南北獄。若犯輕者入南獄、重罪者入北獄。」
この国の法律では、獄舎は南と北にある。軽犯罪者は南の獄舎、重犯罪者は北の獄舎に収監される。

「有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。」
南の獄舎では赦免があるが、北の獄舎には無い。北の獄舎では男女が相配される。生まれてくる男子は八歳で奴となり、女子は九歳で婢となる。

「犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大會、坐罪人於坑。對之宴飲、分訣若死別焉。以灰繞之」
(北の獄舎の続き)犯罪者は、死ぬまで出ることができない。貴族が罪を犯した場合は、国中の人の前で、罪人を穴に座らせ、飲め歌えの宴を催して死別の別れをし、灰をかける(火葬か?)。

其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。
一回かければ、その人自身の災厄が退散し、二回かければ子孫、三回かければ、七世まで災厄を免れる。

名國王爲乙祁
国王の名を「乙祁」(おつき、いつぎ?)となす。

さらに原文を省略しますが下記が続きます:
高位の貴族は大きな家に、次の位は小さな家、三番目は質素な家に住む。奥羽が出かけるときは角笛が先導する。着物色は、改易に応じて変わる。(中略)角の長い牛がいる、角に物を載せて運ぶ。二十石以上を運ぶ。車あり。馬、牛鹿がこれを引く。
国の人鹿を養う。牛を飼うこと中国の如し。乳でチーズを作り。桑梨あり。一年中実る。桃多し。鉄無く銅を産す。金銀は貴重でない。市場にものの価格なし(物々交換ということか?)
婚姻は、婿が女の家に行き、門外に小屋を作る。朝から夕まで清掃する。一年たち女が満足せねば、すなわち追い出す。共に喜べば婚儀なる。婚礼は中国と同じ。
親が死んだら七日食わず。(中略)
霊を設け神仏となす。朝夕、尊び拝む。(不明)
(以下略)

 序ですから、扶桑国に続く次の国も紹介しておきましょう:
 慧深又曰。「扶桑東千餘里有女國。容貌端正、身體有毛、髪長委地
慧深が更に言うには、扶桑国の東、千里あまりに女国がある。容姿は美しく、体はたもう、髪の毛は地に届くほどに長い(以下略)。
%%%%%過去記事抜粋終わり

 私が注目するのは上記記事に登場する扶桑国王の名前「乙祁」(おつき、いつぎ?)です。話が面白くなってきました。風土記に登場するのは「多祁」であることを思い出してください。もしかして、同一人物ではなかろうか!「祁」で表記される人物は古事記・日本書紀には登場しないのです(似た名前の天皇は登場しますが、それは次回)。またもや藤原不比等が隠蔽したかった真相を「意図的」に風土記編集部に紛れ込んだ「ひねくれものスタッフ」が書き込んだのではなかろうか?

 かくして長くなりそうですので、上記梁書に基づいて渡辺豊和氏が作成した当時の日本列島の国は一図を下に添え、続きは次回とします。
〔図2:渡辺豊和氏が梁記から推定した「扶桑国」(扶桑国王蘇我一族の真実、新人物往来社刊、2004、36頁より)
梁_大漢国


+++++認知症
 アルツハイマを含む老齢での認知症。これは神の配慮ではなかろうかと思っています。つまり死に直面した人が「死への恐怖」を考えずにすむ仕掛けを心温かい神が用意した。
 とはいえ、老齢化に伴って、最大の恐怖が「認知症」です。誰しもが「ポックリ」と逝きたいと願っているのでしょう。しかし、長寿科学が進展するにつれ、一方で生きながらえつつも、「ぼけ」状態に陥ることを恐怖するのであります。
 ボケ状態に関する米国での統計学研究結果が話題になっているとのこと。その記事を紹介しておきます。
%%%%% 米国壮年世代の認知症比率が下がっている
米国科学誌11月21日号
米国科学誌2016年11月21日号 
Dementia Rates Falling Among U.S. Seniors
The drop suggests certain actions may reduce disease risk
• By Sharon Begley, STAT on November 21, 2016
 米国壮年世代の認知症比率が下がっている
 このことはある作用が発症リスクを減じたことを示唆している

The percent of older US adults with dementia, including Alzheimer’s disease, declined from 11.6 percent in 2000 to 8.8 percent in 2012, a decrease of nearly a quarter, scientists reported on Monday.
アルツハイマを含む米国成人の認知症患者の比率が2000年の11.6%から2012年の8.8%に下がっている。ほぼ四分の一ほどに相当する、と月曜日に研究者が報告している。
WHY IT MATTERS:
何故それが問題なのか

It had been thought that the baby boomers’ march toward old age would triple the number of Alzheimer’s patients by 2050. These new numbers not only portend a lesser burden on the health care system (and families) but also suggest that something has changed over the generations—and identifying that change could drive down dementia rates even further.
 ベビーブーム時代の年代が高齢化するということは2050年までにはアルツハイマ患者は3倍にもなるだろうと長く考えられてきた。この新しい数字は医療と家族への負荷を予兆するばかりでなく世代にわたる何がしかを示唆する。つまり認知症者の比率がいっそう増大するということの認識だ。
YOU’LL WANT TO KNOW:
読者諸兄は知ることになるだろう。

That’s a significant decline: If the rate of dementia in 2012 had been what it was in 2000, “there would be well more than 1 million additional people with dementia,” said John Haaga, director of the National Institute on Aging’s behavioral and social research, who was not involved in the study. As it is, an estimated 5 million Americans 65 and older are afflicted with Alzheimer’s or other dementia.
 これは顕著な減少だ:2012年の認知症発症率は2000年と同様であったとするなら100万位の更なる患者数増加があっただろうと、この調査に加わったJohn Haaga, director of the National Institute on Aging’s behavioral and social researchは言う。そうであれば65歳以上の500万人が認知症かアルツハイマに罹患していることになる。

THE NITTY-GRITTY:
核心:

Researchers led by Dr. Kenneth Langa of the University of Michigan analyzed data on more than 10,500 Health and Retirement Study participants aged 65 or older in 2000 and 2012.
The percent of seniors with dementia fell to 8.8 percent in 2012; accounting for the greater proportion of those who were 85 years or older, the decline was even greater: to 8.6 percent, the team reported in JAMA Internal Medicine.
One possible factor is education. The older adults in the 2012 group in the new study had, on average, about one year more education than the 2000 group. More education can produce greater cognitive reserve, in which people have enough backup synapses and neurons that losing some to Alzheimer’s still leaves them short of dementia. But the researchers found this didn’t explain the entire decline.
Dr. Kenneth Langa of the University of Michigan率いる研究者達は2000年と2012年に65歳以上以上10,500名の Health and Retirement Studyのデータを分析した。
 認知症の高齢者の割合は、2012年には8.8%に落ちた。そのほとんどは85歳以上だった人たちで、その年代では、減少はさらに8.6パーセントに縮小すると、JAMA内科チームは報告 している 。
 一つの可能性な要因は教育だ。新しい研究では、2012年グループ内の高齢者向けには、平均で、2000年のグループよりも約1年以上の教育を施していた。教育が多いほど認知能力維持力を作り出すのだ。それがシナプスやアルツハイマニューロンをバックアプする。これらを失うことで認知症が起きるからだ。しかし、研究者達はそれがあの減少の全てを説明するわけではないと考えている。

Curiously, being overweight or obese was associated with a decreased risk of dementia. Carrying excess pounds generally raises the risk of diabetes and heart disease, which are thought to increase the risk of dementia, but “late-life obesity may be protective,” wrote commentary authors Ozioma C. Okonkwo and Dr. Sanjay Asthana of the University of Wisconsin School of Medicine and Public Health. That may be especially true when people receive effective treatments for diabetes and heart disease, which also became more common with later generations.
 不思議なことに、過体重または肥満であることが認知症のリスクと関連していた。余分な体重を運ぶことは、一般的に認知症のリスクを高めると考えられている。それらは糖尿病や心臓病のリスクを上昇させる。が、“晩年の肥満は、防ぐことができ”るとcommentary authors Ozioma C. Okonkwo and Dr. Sanjay Asthana of the University of Wisconsin School of Medicine and Public Health、は書く。老年世代でより一般的な糖尿病や心臓病のための効果的な治療を受ける場合には、そのことが特に当てはまる。

WHAT THEY’RE SAYING:
彼等が言っていること

“This is great news,” as Haaga put it. A commentary accompanying the JAMA Internal Medicine paper points out that the national data jibe with other evidence: Earlier this year, the long-running Framingham study found that the risk of dementia in old age fell by about 20 percent every decade between 1977 and 2008.
That study came with an asterisk, however, because the Framingham participants come from one small geographic area (near Boston) and skew white and well-off. The new data are based on large numbers of people (10,546 adults in 2000 and 10,511 in 2012) and are nationally representative, Haaga pointed out, “including a good representation of people with less education and at the lower end of the income scale.”
The new data “reinforce the Framingham findings that age-specific risk of dementia may be decreasing,” said Dr. Sudha Seshadri, a professor of neurology at Boston University School of Medicine and senior investigator for the Framingham study.
  Haagaが指摘するように"これは、素晴らしいニュースだ“。A commentary accompanying the JAMA Internal Medicine paper JAMA内科誌のよれば、国家データが他の証拠でもってその趣のの向きを変えたと指摘している:今年の初めには、長期間にわたったFramingham調査は高齢者の認知症リスクが1977年から2008年まで10年ごとにおよそ20%も減少していることがわかった。

 しかしながら、この研究には要注意マークが付されてい。何故なら
Framingham調査の参加者はボストン近くの狭い地域出身であり、データ統計がひずんでいて、しまも裕福な出自である。新しいデータはもっと多数のサンプル(2000は10546、2012年は10511人)にに基づいており、全国的に典型パターンで低収入、低学歴の人たちをも含んでいると、Haagaは指摘する。
 新しいデータが Framinghamの知見を強化している。すなわち「認知症の年齢別リスクが減少している」とSudha Seshadri, a professor of neurology at Boston University School of Medicine and senior investigator for the Framingham study.は言う。

THE BOTTOM LINE:
まとめ:

The falling rates of dementia suggest there are modifiable factors, such as education and cardiovascular health, that reduce your chances of developing Alzheimer’s.
 認知症の減少率は、教育と、心血管の健康などに要因があり、それの解決がアルツハイマーを発症する可能性を低減すると、示唆している。

Republished with permission from STAT. This article originally appeared on November 21, 2016

常陸国風土記・茨城郡〔やつかはぎ)、粒はたまた波?〔2〕

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:夜明け直前の東の空に黒雲浮かび、南に向けて飛行機の点滅ライトが移動しています。しかし、それをのぞくと天空は何も無い青空です〕
朝未明1284

 
一片の 雲も 浮かばぬ 西の空 振りさけ見れば 東に黒雲

 相変わらず、経済学者の竹田氏の米国大統領選挙への非難がましい愚痴が続きます〔東京新聞12月8日付、ブログには転載しません〕。読むごとに思うにですが、「じゃあヒラリ氏であればよかったのか?」と。こうした日本のインテリを歌手の長渕剛が皮肉っています(下の動画参照)。私も同意見です。選んでしまった米国民に非難を浴びせても詮無きことです。我が国がそれで被害をこうむらぬよう頭を使い、適切な策を講ずるしかありません。
長渕剛の叫び 
 この筋書きには関係無いのですが思わず笑ってしまった動画を掲載しておきます。
まるでディズニ漫画 (青をクリックすると動画が始まります)

+++++常陸国・風土記と「やつかはぎ」
 参照の便宜のため、前回掲載した常陸国風土記茨城郡の条を再掲します。現在考察しているのは下記△任后
〔図1: 常陸国風土記、茨城郡より〕
茨城無題


 国巣〔クズ)と称される現住民を本文は「佐伯」〔さいき〕と書きます。どころが誰かが、そこに「茶々」を入れます。「茶々」ですからこっそりと小文字で書き込むわけです。
曰く:俗語(くにひとのことば)、つまり原住民は以下のように言ってるよ、との前置きを振ります。その上で、“国巣とは「都知久母」のことだよ”と。古事記・日本書紀にあっては、彼等は中央権力の討伐対象です。格別の集合的一族ではなく、単なる土着民であると、研究者は理解しているようです。
 しかし、前回、吟味したように、これは「熊襲」と同じ由来なのです。つまり「アイヌ族」の精神的支えである「クマ=カミ」と「襲=蘇我=サカ(これらの転換については既述)」の連合体を指しています。奈良の軍事部隊にたいして常陸の国のみならず、九州の地でも激しい抵抗戦を展開した「渡来族・アイヌ族」の連合部隊こそが「クマソ」なのです。

 因みに古事記・日本書紀はこの「渡来族(シリスス信仰族)の存在を、日本列島の“正史とされる日本書紀”〔正に括弧つきで、実は正史の装いを凝らしている文書〕から隠蔽するために“蝦夷」〔えみし〕”と言う漢字表記を用いていることは皆様ご承知の通りです。
 さて、土地の者が言う「夜都賀波岐」とは、?【八束脛】とも表記され「長いすねを持つ一族」とされる(コトバンク )ところから、アイヌ族の体形を言い表したのであると、歴史研究家の関裕二氏は書きます。コトバンクは上記に続けて
「古く、大和朝廷に服属しない先住民族を蔑視していう。つちぐも。 「国巣、俗の語に土蜘蛛、又−といふ/常陸風土記」
 と、書きます。現在議論している風土記に話が戻ってしまいました。笑い話ですね。なにやら循環論法風です。

 私は全く異なる考えを持っています。私の古代史観に随えば:
(1) 遠く西域から「サカ」を名乗る一族がアジア北方を経由してベーリング海を渡海した〔この頃は陸続きであったか否かは定かでない〕。この移動中にかっての匈奴族の一部であった様々な部族を糾合した。その中には青海界隈に盤踞した高昌族なども含まれていた。
(2) サハリンから北海道を経て青森・秋田を通過して、その間に現地住民の最大族であったアイヌ族が糾合された。かくして現在の福島・須賀川に最良の陣屋設営地を定めた。これが後の「岩瀬国」である。夏至時の太陽の登る方向が、30度の地である、夏至時のシリウス星方位計測に適した山があり、それらに囲まれた盆地で自然の要害ともなっている、さらには金を産出する天栄山がある等々がその理由であった。
(3) 須賀川に本陣をおいて、連合体は南進し、シリウス星の方位の導きを得て鹿嶋にもう一つ新たに第弐本陣を設営した。
(4) 鹿嶋での第二本陣完成を待たずに、連合部隊は日本列島太平洋側を西南に進み薩摩半島に到着。そこを鹿嶋〔鹿児島と同音〕と呼んだ。九州を北に進み、かっての「邪馬台国」跡に達する。そこで詠んだ歌が万葉集一〜二歌である。

 この二つの歌は、東日本からの移動集団が、初めてかっての邪馬台国の地を踏んだ際の感動を詠ったのです(2009年4月3日のブログ記事(万葉集一歌解読 )。
 邪馬台国が九州にあったのか、それとも近畿の奈良盆地にあったのかについて古代学者は二派に分かれて未だに論争しているとの事です。しかし、万葉集一・二歌をまっとうに読解するならば、邪馬台国が近畿ではなく北九州にあったことは明瞭です(2013年8月2日、5日記事 魏志倭人伝の真っ当な解読 )。それは、現時点での主要テーマではありませんので、本題に戻ります。
 第一歌が「やつかはぎ」に関わっていることを以下に書きます。
 %%%%%万葉集一歌
01/0001,"雜歌
題詞: 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:
"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",
%%%%%

 万葉集研究者によって著された幾つかの解説書のどれもが大変似通っています。それは、言葉の意味が曖昧なままに、無理やり解読するからです。例えば冒頭の
“篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持”
です。第二段落「母乳」は単なる当て字表現ではありません。万葉学者には、万葉集初期歌での漢字の使用法に「万葉仮名=当て字」なる思い込みがあります。これが正しく歌の内容をつかめない理由です〔例えば2009年8月7日記事万葉集・漢字の巧みな使用例 を参照〕。
 一歌の冒頭では明らかに女性の豊かな胸を詠っているのです。つまり表現したい対象についてしかるべき漢字を当てていることがわかります。漢字は「表音」のみならず、時には「表意」として用いているのです。万葉集では、特に初期歌群では、両方を適宜使い分けていることを万葉学者は知らなければいけません。

 さて、前の二段が女性の美しさを詠っているとするならば、それに続く二つの段落は男の逞しさを詠っていると考えるべきです。つまり「夫君志」〔ふぐし〕は男の股間にぶら下がっているものを表現しています。それを、確かめることが出来ます。古代ペルシア語辞典によればラテン文字表記“fagare”なる語があり、これは男根を意味します。つまり「フグリ」です。とすれば「美夫君志」は「美(りっぱな)ふぐし」との意です。イヌフグリと言う小さな花がありますが、この「フグリ」が実は古代ペルシャ語に由来し、2000年近くも使われてきたことが図らずもわかるのです。

 そう考えると「やつかはぎ」の「ハギ」は「フグリ」の転じた表現と考えることが出来ます。「や」は「八」に由来し、これは「邪馬台国」の「や」です(2013年8月5日 邪馬台国と番号 )。邪馬台国の跡地に立って、渡来人が見たのは立派な男根「はぎ」〔フグの転じたもの〕を持った男達であったことがわかります。
 邪馬台国の子孫は、立派な持ち物を持った男子であるとの認識が常陸国住民にあったのです。そして彼らも常陸の国に居たことを「やつかはぎ」なる”言い回し“でもって、露(あらわ)に主張しているのです。

 九州に渡った渡来族・アイヌの連合体は、九州の地にあって邪馬台国連邦の子孫をも糾合したのです。こうした部族の行動形態が「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著、日経ビジネス文庫、2003)で紹介されています。それこそが漢王朝を脅かした匈奴の優れた特徴なのです。つまり納得づくで異民族を糾合できる特質が日本列島でも発揮されたというわけです。

 万葉集一歌については、もう一つ興味深い論点があります。しかし、現在の話の筋書きからそれるので、別の機会に論じます。

(つづく)
+++++波か、はたまた粒か?〔2〕
前回紹介した記事の後半部分です。
%%%%%続き始まり
http://c23.biz/RVa3 
“If the Born rule is violated, then a fundamental axiom of quantum mechanics has been violated, and it should point to where one needs to go to find quantum gravitational theories,” says Quach.
Now, Quach has suggested a new way to test the Born rule. He started from another idea of Feynman’s: in order to calculate the probability of a particle reaching a certain place on the screen, you should account for all the possible paths it could take from the source to the screen, even ones that seem ridiculous. “This includes paths that go from here to the moon and back again,” says Quach.
Almost none of these paths should affect the photon’s final location, but there are some weird paths that could change the probabilities enough for us to measure the difference.
“If the Born rule is violated, it should point to how to find a theory of quantum gravity“
 もし、ボルン則が破れているならば量子力学の基本公理が破れていたことになり、そのことは量子重力理論を発見するに必要な方向をめざすべきとなる、とQuachはいう。
Quachはボルン則をテストするある方法をこれまでも語ってきた。彼はFeynmanのもう一つのアイデアから出発した:スクリ−ン上のある点に粒子が到達する確率を計算するにはスクリーンから光源までの全ての経路を考慮せねばならない。それは如何にも馬鹿げているとは思える。“この経路にはこの場所から月に行って戻ってくる経路も含まれる”とQuachは言う。
こうした経路のほとんどは光子の最終位置には影響しない、が幾つかの巧妙な経路があり、その違いを明瞭に計測できるくらい充分にその確率を変化させるのではないか。

For instance, say there are three paths that a particle could take through the apparatus instead of the obvious two. The Born rule lets you calculate probabilities by considering interference between pairs of paths, but not between all three paths at once.
Quach shows that if you account for interference between all three paths, the probabilities will be different from what the Born rule predicts (arxiv.org/abs/1610.06401v1).
He suggests testing this with a double-slit experiment that allows for a third path, a wandering zigzag in which the particle goes through the left slit, over to the right slit, then heads towards the screen. If that third path interferes with the two more straightforward ones, the results should deviate from what the Born rule suggests.
Quach’s work is “extremely interesting and thought-provoking”, says Aninda Sinha at the Indian Institute of Science in Bangalore, a member of the team that first proposed exploring violations of the Born rule using winding, non-classical paths.
But he points out that Quach’s experiment could fail to capture other paths that might muddy the results.
The stakes are high. Finding violations of the Born rule could be the thin edge of the wedge that pries open the door to a more fundamental understanding of reality.
 例えば、二つの孔の替わりに装置を通り抜ける三つの経路があると考えよう。ボルン則は二つの対の経路の干渉からその確率計算を可能ならしめる、が一時に全ての3つの経路全てではない。
Quach は「もし三つの経路間の干渉を説明するとすれば、その確率はボルンが予測するものとは異なるだろう。三番目の経路を許すような二重スリットによってテストする」よう提案している。粒子は左のスリットを通り越し、左のスリットを通過すると言ったジギザグに進行してスクリーンに達するのだ。もし三番目の経路が他の二つともっと直接に干渉しうるならその結果はボルン側が予言するものとは異なるだろう。
Quachの論文はきわめて興味深く思考を興奮させる、と Aninda Sinha at the Indian Institute of Science in Bangaloreは言う。彼はボルン則の破れを研究することを提案したチームメンバの一人である。そこでは曲がりくねった非古典的経路を考えている。
 しかし、彼は、Quachの実験は他の経路を捕まえそこない、結果が非鮮明になる可能性を指摘する。
 関心は高い。ボルン則の破れを見つけることが現実を理解する扉を持ち上げる楔の薄い縁になりえる。
This article appeared in print under the headline “Double-slit jeopardy”
%%%%%おわり
関連記事2010年1月4日外村博士 を参照してください。

常陸国風土記・茨城郡(1)、粒・粒子?(new scientist誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:休耕田のススキに混じる「蒲」。穂がはじける時期となり穂綿が露出しています。このやわらかい穂綿で稲羽の白兎は傷を癒したんですな)
蒲1267


 兎さん さぞかし痛く つらかろう 白き穂綿 苦痛を和らげ

  前世紀末に日本銀行の独立性を担保するとの趣旨で日銀法が改定されました。しかし、安倍政権下で、正にアベノミックスに積極的に加担することを意図して紙幣をジャンジャン増刷した挙句が下記の記事です。一民間銀行と化した日銀が債務超過で倒産なぞと言うことになるのでしょうか?せめて日銀総裁には気骨ある人物がその椅子に座るべきです。NHK会長の椅子も同様です。
〔図:日刊ゲンダイ紙12月6日付け記事〕 日銀債務超過!  
日銀1612073959


+++++風土記の行間から東国古代史・真相が見える
 引き続き、常陸国・風土記を辿ります。理由は、官製〔藤原不比等の史観に強く束縛されている書〕の古文書と雖も、行間、或いは紙背になにやら列島古代史の真相がチラリと顔をのぞかせているからです。今回は茨城郡を見ることにします。が、少しだけ「信太」郡の考察の補足をしておきます。それが、図1の,任后

 この文節に先行する部分はすでに信太郡・前半部 で示していますので、再掲しませんが、そこでは「信太郡は常陸の道の入口に当たる。人はそこで、手を洗い、口を漱いだ後、東を向いて鹿嶋大神を拝し、入国する」と書きます。
 東国制覇のメドが付いた後の東国へ入る経路を書いています。既に書いたように東国攻略にあっては、下毛野国〔現在の栃木県〕から、ドドーッと新治郡へ軍を侵攻させたことを書きました。それは、「東夷」つまり東国の野蛮人を平伏させることを旗印に掲げた戦です。しかし、風土記は“それは事実と違うよ。乱暴狼藉を働いた者たちは西から(下上野の側)来た”と、こっそりと書き込んでいたことに本ブログは言及しました荒ぶる西者 。

 風土記信太郡後半部のこのクダリはそうした戦乱が沈静化した後の事であることがわかります。もう一つ重要なことは、鹿嶋神宮です。 渡来族がこの鹿嶋に政治拠点を設営した年代が、渡辺豊和氏の着想の検証から明らかになっています。それは、天空をゆっくりと時計周りに移動するシリウス星の位置の観測から推定できます(2010年1月18日記事シリウス星の天体運行 )。 それによれば、八溝山から始まり鹿嶋に至る聖ライン構築に西暦442〜531年、つまり90年を要しました(聖線構築年推定 )。
 六世紀前半には、渡来族はここ鹿嶋に重要な陣屋を構えていたことになります。そこは、福島県須賀川市長沼の東倭国の最大拠点に次ぐ、二番目の重要拠点です。その拠点としての活動が六世紀前半に始まっています。

 藤原不比等が指揮する奈良の軍勢の東国制覇の最大の標的は、この鹿嶋でした。9月23日記事でも書いた「普都」大神を伴った「東夷懐柔」戦術行使よりは前であった筈です。常陸国風土記を書く直接のきっかけは、東国制覇のメドが立った頃であろうと書きました。それは、鹿嶋陣屋の軍事的攻略がなった時期と思えます。私は古事記撰上の西暦712年から日本書紀のそれの西暦720年の間ではなかろうかと考えています。この8年間に日本列島の政治趨勢が藤原不比等の意図したように固まってきたと思っています。

〔図1: 常陸国風土記、信太郡の後半,ら 茨城郡〕
茨城無題

 
 さて、茨城郡の考察をはじめます。冒頭の△法嶌濆饒磧∋海虜看譟¬遒虜看譴いて、洞窟やら穴に住んで・・・・」と書きます。「国巣」〔クズ〕とは「国に住む人、つまり原住民」であると解釈されています。それにしても「クズ」と読ませる、それは「屑」を連想させます。悪意を感じますね。
 それはさておき佐伯(さいき)といえば、このところニュースをにぎわせている二歳女児の事件です。何はともあれ、無事でよかった。三歳の孫女児を持つ老爺の実感です二歳女児・山中泊 。

 佐伯部についてウイキ佐伯〔ウイキ) は以下を書きます。
「佐伯部(さえきべ)は古代日本における品部の1つであるが、ヤマト王権の拡大過程において、中部地方以東の東日本を侵攻する際、捕虜となった現地人(ヤマト王権側からは「蝦夷・毛人」と呼ばれていた)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したもの。」
と、書きます。この議論の裏づけとして、現在考察している常陸国風土記茨城郡の一節を上げています。

 古代史研究者達は「佐伯」〔さいき〕の由来についてあれこれと論じています。私にはずいぶんと的外れに聞こえます。参考のために古代ペルシア語に似た「音」を持つ言葉を捜しますが、それと思しき語はみつかりません。
「佐伯」が「暴虐」を働いたとするならば、それは「西(さい)キ」ではなかったろうかと考えています。「キ」は国ですから「西」つまり奈良の「国」から来た武人〔兵〕への「あてつけて」です。風土記執筆者は大胆にも本文で露に藤原不比等率いる侵略軍の暴虐という真相を、それとなく佐伯と言う表現で批判したのかな、と思ったりします。

 さて、この本文に挿入された小文字による書き込みは興味深い。「国巣」とは、「つちくも」、又は「やつかはぎ」と、現地住民は言ったというのです。「ツチクモ」は「土蜘蛛」で、これは日本書紀景行紀で倭武王が九州熊本で退治した一族と、研究者は語ります。「土」は「ドまたはト」と音します。「ト」が「ソ」に転ずれば「襲」です。「クモ」は「クマ」の転じた語と思えば、「ツチクモ」は「ソクマ」、これを順序反転すれば「熊襲」です。日本書紀で倭武尊が退治したはずは「土蜘蛛」と「熊襲」の二大族となります。何のことは無い、大変な戦いであったとの粉飾のために二賊にしつらえ上げたのです。これも藤原不比等の“悪知恵”の一つでしょう。ところで、「ソ」を「襲」に置き換えましたが「ソ」を前回書いたように「ス」転じて「サ」と考えれば「熊襲」は「アイヌの信仰とサカ族」の合体を表象した表現となります。
 と言うわけで、ここでも藤原不比等が書く「官製日本列島視」への抵抗を小文字による書き込みで主張しているかに思えます。現地人と一部有識者の手による歴史の真相の後世への継承の意気を感じます。次回、更に興味深い真相暴きをします。
(つづく)

+++++波か、はたまた粒か?
 久しぶりに物理学の話題です。大学の理科系教養授業で「波」か「粒子」かの議論の存在を教えられます。これについては、本ブログでもたびたび外村彰氏の凄い実験を紹介してきました卓抜した実験外村氏記事。しかし、私が理解するところでは、これについての論争なり議論なりは未だにとどまるところを知らずの態であります。が、実用上は、この矛盾を「止揚」して、さまざまな技術開発では不可欠な要素となっています。運動方程式を量子化する過程には「虚数」なるものが入り込んできます。これは下の記事で言う「ボルン則」に関わってきます。しかし、数学界、物理学界のどちらでも虚数〔複素数)の不可思議さ・本質にはふれる議論は無いようで、数学技術として単なる手段化されているように思っています。
 それは、さておき、この「波か?」「粒か?」の議論は未だに自然界の認識論の根本としても大きな問題であり続けています。そうした話題をNew Scientist”誌が取り上げています。長いので、分割して紹介します。
%%%%%波か粒子か(1)
New Scientist 2016 Nov.02 New Scientist誌
Classic quantum experiment could conceal theory of everything
量子力学実験は理論を隠蔽しているのではなかろうか。

A tweak to the iconic double-slit experiment could reveal if quantum mechanics is incomplete, and maybe lead to a theory of quantum gravity

今やイコン風〔あえてコンピュタ用語の”アイコン”と訳さず、キリスト教信仰の道具イコン画になぞらえておきます〕の伝説でもある二重スリットの微調整が量子力学が不完全かどうかを露にし、もしかしてそれが量子重力理論への導き手となるやも知れない。

By Anil Ananthaswamy

AN ICONIC physics experiment may be hiding more than we ever realised about the nature of reality. The classic “double-slit” experiment reveals the strange duality of the quantum world, but it may behave more strangely than we thought – and could challenge one of the most closely held assumptions of quantum mechanics.
Revisiting it could help unify quantum mechanics with the other pillar of theoretical physics – Einstein’s general relativity – a challenge that has so far proven intractable.
The double-slit experiment involves shining a light at two close-together slits placed in front of a screen.
 イコン画にもなぞらえることができる物理実験が自然の実像についての我々のこれまでの認識を超えた何がしかを反映しており、それを隠す役割を果たしているのかも知れない。あの古典的な二重スリット実験は量子世界の奇妙な二重性を露にしている。が、それは我々が思う以上に奇妙な挙動なのかも知れない。そして量子力学についての仮説への挑戦となることができるのかも知れない。
 そのことを再び考えることで、量子力学をもう一つの基本理論つまりアインシュタインの一般相対性理論との統一に役立つのかもしれない。二重スリット実験はスクリ−リン前方の互いに近い二つのスリット孔に光を照らすことを含んでいる。

Our classical view of the world suggests that photons of light should pass through one slit or the other, and thus create two parallel bands on the screen behind. But instead, the light spreads out into alternating bands of light and dark.
This interference pattern appears even if you send in one photon at a time, suggesting that rather than moving in a straight line, light behaves as both a wave and a particle at the same time. US physicist Richard Feynman said this experiment embodies the “central mystery” of the quantum world.
“Every student of quantum physics is taught how to calculate the interference pattern of the double-slit experiment,” says James Quach at the Barcelona Institute of Science and Technology in Spain.
 世界についての我々の古典的な見解は光の粒である複数の光子(フォトン)は一つのスリット或いはもう一つのスリット穴を通過しているはずであり、背後のスクリーンには二本の帯が生成されるというものだ。しかし、実際はそうではなくて、明と暗の交互の帯びがスクリーン上に広がる。
 この干渉パターンはある瞬間にスリットに一個の光子を送り込んだとしても生ずる。このことはまっすぐに走る粒子と言うよりは、同時に光が粒と波の両方の振る舞いをする。と、解釈される。US physicist Richard Feynmanはこの実験は量子力学の中心的謎を体現している、と言う。
二重スリット実験での干渉パターンは物理学を学ぶ生徒であれば誰でも計算できるとJames Quach at the Barcelona Institute of Science and Technology in Spainは言う。

To calculate the probability that a photon will arrive at some location on the screen, physicists use a principle called the Born rule. However, there is no fundamental reason why the Born rule should hold. It seems to work in all the situations we’ve tested, but no one knows why. Some have attempted to derive it from the “many worlds” interpretation of quantum mechanics, which proposes that all the possible states of a quantum system could exist in different, parallel universes – but such attempts have been inconclusive.
That makes the Born rule a good place to look for cracks in quantum theory. To unite quantum mechanics, which governs the universe on minute scales, and general relativity, which holds at immense scales, one of the theories must give way. If the Born rule falls over, it could clear a path to quantum gravity.
 光子がスクリーン上のある位置に到達する確率を計算するには物理学者はボルン則と呼ばれる原理を使う。しかしながらボルン則が何故成り立つのか、それについての基本的理由はわかっていない。ボルン則は我々がテストする限りでは正しく働くのであるが、誰もその理由を知らない。ある研究者は量子力学の”多元世界”と言う仮設から、そのボルン則を導き出そうとする。それは全ての量子系の可能な状態は異なる並存する多元宇宙に存在すると仮定する。しかし、それは結論が出ているわけではない。
 量子論でのほころびを探すの二ボルン則は格好の手立てだ。微小スケールに渡って宇宙を支配する量子力学と巨大なスケールの宇宙二隊して成り立つ一般相対性理論を結びつけるには、それらの理論のどちらかが何がしかの方向を与えるべきだ。もしボルン則が成立しないのであれば、それが量子重力理論への道を指し示すだろう。

(つづく)

利根川の由来、米大統領選と米国報道姿勢〔田中宇ブログより)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:この時期の早朝は用水池や堀に鴨が集合して、朝寝をまどろんでいます〔ブログ管理人の文学的言い回し!〕。眺めるうちに、青葱が重なってきます、“旨そうやな!”、写真の拡大はクリック〕
用水鴨1269

 
青葱を 背負った鴨が 目に浮かぶ 我の邪念を 奴(やつ)は知らずや

 昨日嬉しかったニュースです(川内三位 )。アフリカ勢を相手に30秒以内の差まで迫った力走。凄い!!!の一言です。

 もう一つは不快なニュース:先週金曜日の朝日新聞ネット記事です。
%%%%%福島で五輪野球、世界連盟が難色 「内野が芝でない」
朝日新聞デジタル 12/2(金) 3:39配信 福島野球五輪
雨の中、候補地の一つになっている福島県営あづま球場(福島市)を11月に視察した世界野球・ソフトボール連盟のフラッカリ会長
 2020年東京五輪の野球・ソフトボールの試合会場として候補に挙がる福島県内の3球場について、世界連盟(WBSC)のフラッカリ会長が、グラウンドの内野部分が芝ではなく土であることなどを理由に難色を示していることがわかった。主会場は6日からの国際オリンピック委員会(IOC)理事会で人工芝の横浜スタジアムに決まる予定だが、福島開催の決定は先送りになる可能性が高まった。野球・ソフトボールの福島開催を巡っては、10月に来日したIOCのバッハ会長が安倍晋三首相と面会した際、復興五輪の理念から、日本の開幕戦などを東日本大震災の被災地で開催することを提案。大会組織委員会は11月上旬、福島県で一部の試合を開催することを決めていた。フラッカリ会長も当初、福島開催に前向きな姿勢だった。だが複数の関係者によると、11月19日に県営あづま球場(福島市)と開成山野球場(郡山市)を視察し、いわきグリーンスタジアム(いわき市)を含む候補の3球場すべて、内野が土であることや、設備が貧弱なことに難色を示したという。「土のグラウンドでトップレベルの試合をするのは日本ぐらいで、国際標準は内外野ともに芝。福島県内の球場が五輪にふさわしいのか、疑問符がついた」と関係者は明かす。
朝日新聞社
%%%%%

 昨今の五輪は『地球にやさしく』挙行することが合意されています。しかし、この会長言うに事欠いて「施設が貧弱。芝生でない」などと難点を挙げたとのこと。本音は2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故による放射能汚染への恐怖であったと私は想像しています。五輪開催地・決定総会における安倍氏の「福島事故処理はアンダーコントロール」との大見得も、実は腹では会議委員の誰しもそれを信じていなかったことが、露呈したのです。

 昨今のドタバタを見るにつけ、東京開催の返上を申し出るべきではなかろうか、と思っています。

+++++常陸国南縁の利根川
 日本書紀・古事記は編纂した藤原不比等の日本列島での政治・精神史に関する現代・近代史です。常陸国・風土記の記載に当たっては当然、その史観に強く束縛されていたはずです。私は、これまでこの古文書は藤原史観に染まっている、すなわち政治「偏向」文書そのものと思い込んでいました。しかし、注意深く眺めてみると“中々どうして”と言うのが此れまでの実感です。

 行間、そして後日に加えられたと思える「書き込み」は概して小さな字で挿入されています。それが、本文の趣旨から逸脱している、又は付加的な情報となっている事に気づいたからです。風土記編纂に当たって実務を担当したスタッフの中に「ひねくれ者」というか、「骨のある」知識人が加わっていたことを思わせます。さらに驚くべきことは、こうした「反政府的」書き込みが「意図的に」見逃されて今日我々の目に触れているのではないか。

 と言うわけで、前々回、筑波から利根川の南岸に渡る領域には、奈良の軍勢によって殺戮された東国の民の怨霊が蟠っているのでは無いかと書きました。そしてその怨霊の鎮魂も藤原不比等が創設した日本列島の思想・精神体系である「斎」の大きな要素であったと書いてきました。

〔図1: 長豊街道と龍角寺古墳群、中央を東西に流れるのが利根川、図の拡大はクリック〕
龍角ライン


 この視点から、信太郡界隈の地名を見てみます。気がつくことは信太郡の南縁を東方に向かって流れる毛野川と流れ海〔現在の利根川〕に沿って「崎」がつく地名が少なくありません。東から「龍ヶ崎」、「江戸崎」、「角崎」、〔神埼〕、そして「波崎」と言う具合です〔それらの幾つかが図1に見られる〕。広辞苑によれば〔崎〕は「陸地が海に突きでている端」、「「山が突き出た突端」とあります。海では無いしろ水辺ですからこうした地名の存在は不思議ではないのかも知れません。この説明は古語辞典を参照しても同様です。

 所が、〔崎〕について学研大漢和辞典(藤堂明保編)はこの漢字の音を「キ」であるとして、その意味は「険しい地形」と書きます。つまり「さき」は「崎」の訓(よ)みであったことがわかります。どうやら「さき」は日本列島古来の言語であったようで、それに漢字を習得した人間が対応する漢字を当てたらしいことがわかります。
 古代ペルシヤ語辞典には、発音が似た言葉があります。ラテン文字表記で「saqi」で、それは酒盃を意味します。とすれば『鎮魂』の酒を注いだ地とも解されます。実際、図1の中央を西から東に流れる利根川を辿ると、中央からやや東側、千葉県側に「神埼」と言う地があります。ここは古来から酒造が盛んな地です。「神埼」は「神の酒」とも読めます。何はともあれ、自然科学と違って「一意的」な解釈があるわけではありません。色々な可能性を、後世の議論のために遺しておくことにします。

 次に考えたいのが「龍が崎」の「龍」です。福島県飯豊に存在する「五龍神社」は、白河風土記に拠れば「霊宮」と呼ばれていたと10月26日記事福島・矢吹五龍神社 で書きました。つまり、「五」は『御』が転じたものであり、「龍」は「霊」が転じたのです。同様の転換がこの地でも起きていた。「龍ヶ崎」の「龍」は実は「霊」の転じたものであろうと思えます。長峰古墳、長豊街道および、利根川をわたる長豊橋(11月28日記事参照 長豊・長峰 )の謂れを裏づけしているかのようです。
 
 つくば研究学園都市と成田国際空港を結ぶ国道408号線は長豊橋で利根川を渡ります。そのつくば側に角崎(すみざき)と言う地があります。古代ペルシヤ語辞典に拠ればラテン文字表記で「somut」と言う語があり、「沈黙」を意味します。私が此れにこだわるのは、上に書いた国道408号線を走り利根川を渡って成田に向かいますが、その西側が「龍角寺古墳」と言う巨大な古墳が集合している地なのです。どちらが先に命名されたかはともかく、「霊」たる『龍』と『沈黙』たる「角」がこの古墳群の名称で、そこに眠る幾多の死者の沈黙に押し込めたたぎる怒りを「鎮めて」いるのが龍角寺ということになります。

 かねてより、気になっていたのが龍ヶ崎市内の「根町」と呼ばれる地区です。上に書いたような経緯があるとすれば、この『根町』の存在に納得いく思いがあります。何故なら、「根」と聞いてまず連想するのが「根国」です。記紀を引用するまでもなく、それは「死者」の国です。例えば、出雲大社がある「島根」県の県名の由来をウイキ島根由来 は以下のように書きます:
『島根県の県名は、県庁の置かれた松江城周辺が旧島根郡(嶋根郡)に属していたことによる。嶋根の名は『出雲国風土記』での八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)の命名によると伝えられる。なお、松江城下は松江城が立地する島根郡(大橋川以北。橋北)と意宇郡(大橋川以南。橋南)にまたがる。』

 しかし、私は島根という県名の由来は「島=領域」、「根=亡くなった大国主命」にあると思っています。このように考えてゆくと気になるのが図1の中央を流れる「利根川」です。正に、死者の川であるならば、上に書いてきた筋書きに整合することになります。

〔図2:利根川流路の東遷概史より利根川変遷 〕
利根ー渡良瀬ー江戸川

 
私は、これまで利根川を引用するときには、『現在の』という接頭修飾詞を付してきました。何故なら太古の昔の利根川は銚子河口には流出せず、現在の江戸川に通じていたからです。「利根川」と言う呼称についてウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキ利根川名称 
 利根川の名称は、『万葉集』巻第十四に収載されている「東歌」のうち「上野国の歌」にある以下の和歌が文献上の初出である[36]。
刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敞流伎美可母
(利根川の 川瀬も知らず ただ渡り 波にあふのす 逢へる君かも)
— 『万葉集』巻第十四、東歌「上野国の歌」
この和歌の冒頭にある「刀祢河泊」がすなわち利根川のことである。意味は「利根川の浅瀬の場所もよく考えないで真っ直ぐに渡ってしまい、突然波しぶきに当たるように、ばったりお逢いしたあなたです」と解され、庶民女性による寄物陳思(ものによせておもいをのぶる)の表現様式を採る相聞歌である。これについて犬養孝は自著『万葉の旅(中)』において、上野国の歌でありかつ人が渡河できる程度の川幅であることから、歌に詠まれた利根川の位置は現在の沼田市から渋川市にかけてではないかと推定している[36]。
%%%%%ウイキ転載おわり
 万葉集巻十四には、歌番3348から3577、つまり230の歌群が納められています。万葉集全20巻には4516歌が収められていることを思えば、一巻あたりの平均的な歌数と言うことが出来ます。この巻十四では、冒頭の五歌が東歌(あずまうた)として分類され、その後ろに相聞歌76歌が続きます。さらに 譬喩歌(万葉集・比喩歌  万葉集における歌の分類の一。表現技法に基づく分類で,心情を直接表現せず,何かにたとえて詠んだ歌。内容は主として,恋歌。巻三・巻七等に部立てとしても見られる。たとえ歌。)9歌、雑歌、相聞歌、などが続き最後は防人(さきもり)歌、挽歌で終えます。上記の歌は3413歌で相聞歌に分類されています。
図3:万葉集巻十四、3403〜3438歌、「トネガワ」は三四一三歌に見える。図の拡大はクリック)
161205万葉集14

 
 図にみるように「利根川」歌の周囲がもっぱら「カミツケノ」であることから、この歌が詠まれた場所は現在の群馬県であったろうことが推測されます。 東歌、そして防人の歌は、奈良・京都の支配者による東国の民への過酷な支配を詠っているものです。それは被征服民への懐柔であったり、強制であったりであり、そこにレスペクトが欠落しているという本質は変わりません。いずれ、そのことを書きます。この歌が詠まれた時期、それは日本書紀などの記載から7世紀の半ば頃からの歌ではなかろうかとの考察がありますが、私はそうは思いません。早くとも8世紀半ば以降であろうと思っています。例えば参照「万葉集東歌」考万葉集東歌 )。

 さて、ここでは「利根川」の議論です。「根」は「死」で間違いないところです。さて、そうなると次は「利(ト)」です。
 図2の右下に千葉が見えます。その千葉を過ぎたすぐ南に蘇我と言う地があるのです。昔の利根川の河口から東に「蘇我」なる地があるのです。これが「と」を考察する上での大きな手がかりとなりました。
 もう一つの手がかりは、昔の利根川の東部および北側に「曽根」なる地名、人名が多いことです。例えば、元首相の中曽根氏の出身地がそうです。このように考えるならば「ト」は「ソ」が転化したものではなかろうか?日本列島ではそうした事例が少なくありません。「十」は「トウ」と音します。これが「三十」となると「ミソ」と音するようになります。
 「利根川」の「ト」は「ソ」であったのです。それは「ソガ」の「ソ」です。「ソガ」はそもそもは「スガ」を介して「スカ」の転化したものです。かくして「利根川」は「スカ族」の死の川、つまり、この川の東側、そして北側でかって隆盛を誇った渡来民「スカ」族が死に追いやられた。これが、利根川と言う川の名前の由来です。
(つづく)

+++++大統領選を巡る米国報道
 日本の「良心的」と自他共に認める方々の多くが、未だに次期米大統領に選出されてトランプ氏を嫌悪し、様々な「悪罵」を放っています。しかし、米国民自身による選択に対して、かくも執拗な非難を繰り返す方々に私は呆れる想いです。せめて、トランプ氏による米国経営が日本にどう関わるであろうか、日本国民の益を守るためには、どうした準備、心構えが必要であろうか、そうした視点からの議論こそが、我々庶民が眼にしたい論です。
 下記は、今般の米国大統領選での米国報道機関の「いいかげんさ」が指摘されています:
%%%%%偽ニュース攻撃で自滅する米マスコミ
2016年12月1日   田中 宇
田中宇のブログ
この記事は「マスコミを無力化するトランプ」の続きです。
 米国で、大統領選挙が終わると同時に「偽ニュース」(フェイクニュース、fake news)をめぐる騒動が始まっている。ことの発端は、大統領選挙でクリントン支持の政治団体やマスコミが、フェイスブックなど大手ソシャルメディアが偽ニュースへのリンクを規制しなかったので、クリントンが不正に負けてしまったと(負けおしみ的に)批判したことだ。 (Faceless monitors judge fake news on social media) (Using fake news against opposing views)
 クリントン支持者によると、選挙戦の末期にかけて、クリントンが病気であるかどうかなど、事実無根なことを書いた報道文や報道解説文の体裁をとった偽ニュースのページがウェブ上に出現し、それがフェイスブックなどを通じて猛烈に拡散され、米有権者の中にそれを信じる人が増えた。偽ニュースの多くは、ロシア人や米国人などのトランプ支持者が書いており、選挙不正なのでフェイスブックなどは偽ニュースのページへのリンクを禁じるべきだったのにそれをせず、不正なトランプの勝利を看過したと、クリントン支持勢力が主張している。 (`Fake News', `Post-Truth' and All the Rest) (Facebook's Mark Zuckerberg Finally Details Fake News Countermeasures)
 偽ニュースの執筆者は、クリントンを落選させるためでなく、偽ニュースのページに広告をつけ、広告収入を得ることが目的だったという指摘もある。今回の米大統領選挙では、米マスコミのほとんどがクリントン支持で、トランプを誹謗中傷する傾向も強かったため、トランプ支持者はマスコミを信用できなくなり、マスコミ以外のネット上の書き込みなどを情報源として重視した。ソシャルメディアで誰かが紹介した偽ニュースのページビューは異様に急増し、執筆者は多額の広告収入を得た。 (Fake news network 'tried to write fake news for liberals — but they just never take the bait.')
 フェイスブックからリンクされた外部ページの広告からの収入は、外部ページの執筆者とフェイスブックの両方が得る折半方式になっている。偽ニュースはネットでしか読めないため、人々が驚くような内容だと、本物のニュースに比べてクリック数が急増する。偽ニュースは、本数でみると少なくても、クリック数に比例しがちな広告収入が多くなる。選挙期間中のフェイスブックのニュースの閲覧数は、偽ニュースと本物ニュースがほぼ同じで、このためフェイスブックは偽ニュースへのリンクを切らなかったのだと指摘されている。 (Does Facebook Generate Over Half Its Revenue From Fake News?) (Inside a Fake News Sausage Factory: `This Is All About Income')
 批判に対してフェイスブックは、偽ニュースと言われるものの中には、その時点で事実かもしれないと思われる情報を含んでいるものが多く、いちがいに「意図的なウソ」と断定してリンクを断絶できないと弁明している。たしかに、クリントン陣営は病気説を「ウソ」と一蹴したが、クリントンは911の集会に参加した際に具合が悪くなって退席し、病気説に対する信憑性が高まった。病気説は偽ニュースでなく事実性を含んだ「疑惑」である。疑惑に便乗した「〇〇に違いない」という言説は多いが、その手の言説はトランプに対する非難中傷の中にも多い。米国のマスコミが発するロシア批判記事の多くも、濡れ衣や誹謗中傷であり、親露・親トランプの文書が偽ニュースなら、反露・反トランプの文書も偽ニュースである。 (Facebook's Fake News Crackdown: It's Complicated) (NY Times Attacks Trump's Twitter Account As Fake News While Lying About Ivanka)
▼トランプ当選で台頭する非主流派サイトを攻撃して自己救済するつもりが逆効果になる??
 誰が偽ニュースを流しているか、偽ニュースの定義について、当初は曖昧で、ロシアやマケドニアなどの親ロシアな人々が書いているとも言われていた。だがその後、米国の偽ニュース騒ぎは、米国内でマスコミやエスタブリッシュメント、軍産複合体、金融支配などに対する批判を展開している、特に右派の非リベラル、反リベラルな言論人のウェブサイトを標的にするようになった。エスタブ・軍産リベラル系のマスコミや言論人が、言論上の自分たちのライバルに「偽ニュース」のレッテルを貼って非難する動きに変質した。オバマ大統領も、偽ニュース批判を発している。 (Fake news website From Wikipedia) (Harsh truths about fake news for Facebook, Google and Twitter) (Here's why “fake news” sites are dangerous) (Obama Joins The War Against “Fake News”)
 米マサチューセッツ州のリベラル派の大学教員メリッサ・ジムダース(Melissa Zimdars)は大統領選挙の直後、人々が信じるべきでない偽ニュースのウェブサイトとして100以上をリストアップして発表した。その多くが、リベラルに対抗する右派のサイトだったため、この発表は大統領選に負けたリベラルが、勝った右派に復讐的な喧嘩を売っているのだとみなされ、右派の言論サイトで話題になった。 (Assistant professor Melissa Zimdars compiles list of fake news sites) (False, Misleading, Clickbait-y, and/or Satirical “News” Sources) (Zero Hedge Targeted On Liberal Professor's List of "Fake News" Sources)
 さらに、11月24日には、ワシントンポストが大々的な扱いで、ロシア政府系と、親露的な米国右派のニュースサイトが偽ニュースを流しまくった結果、トランプが勝ってしまったと指摘する記事を出した。記事は「専門家たちがこのように指摘している」という体裁で書かれており、その「専門家集団」の一つとして「プロパオアネット(プロパガンダじゃないのか) www.propornot.com 」というサイトが引用されている。同サイトは、RTやスプートニクといった露政府系サイトや、ゼロヘッジ( zerohedge.com )、ロンポール( ronpaulinstitute.org )、ポールクレイグロバーツ( paulcraigroberts.org )、グローバルリサーチ( globalreserch.ca )、ワシントンズブログ( washingtonsblog.com )、infowar.com、veteranstoday.com、activistpost.com といった、主に米国の右派系の著名なニュース解説サイトを、偽ニュースを流しトランプを不正に勝たせたロシアのスパイとみなして列挙している。 (Russian propaganda effort helped spread `fake news' during election, experts say) (Is It Propaganda Or Not?)
 興味深いのは、ワシントンポストのこの記事の主張の大きな根拠となっているプロパオアネットが、最近できたばかりの、正体不明なサイトであることだ。記事中で同サイトが発する主張は、すべて匿名で行われている。権威あふれる(笑)ワシポスが、トップ級の記事で依拠するには、あまりにチンケな、それこそ陰謀系のサイトだ。同サイトがロシアのスパイサイトとして列挙した上記のゼロヘッジやロンポールなどは、以前から的確な指摘や分析を発し続けている。その質はワシポスやNYタイムス、WSJ、FTなどのような権威あるマスコミと十分に互角か、時によっては、プロパガンダに堕しているマスコミより高度で、非常に参考になる分析をしている。 (Bait & Switch- Fake News, PropOrNot, the Real Inform & Influence Operation) (The Reality of Fake News)
 ワシポスやNYタイムスは、イラク侵攻以来、米政府の過激・好戦的な濡れ衣戦争の道具になりすぎ、歪曲報道が増えて、読むに耐えない記事が多くなって久しい。FTも(日本を代表する歪曲新聞である)日経の傘下になってから、明らかにプロパガンダな感じの記事が増え、質が落ちている(WSJは、昔から極右的だが悪化しておらず、わりと良い)。このようにマスコミの質が落ちるほど、上記のゼロヘッジやロンポールなど米国の非主流派のニュースサイトが、多くの人に頼りにされ、必要性が高まっている。 (The Mainstream Media Has Only Itself To Blame For The "Fake News" Epidemic) (The REAL FAKE NEWS exposed: '97% of scientists agree on climate change' is an engineered hoax ... here's what the media never told you)
 日本では非主流のニュースサイトがない。日本語のネットの有名評論サイトのほとんどが、マスコミと変わらぬプロパガンダ垂れ流しだ。だから日本人はマスコミを軽信するしかなく悲惨に低能だが、米国(など英語圏)にはマスコミを凌駕しうる非主流サイトがけっこうあり、これらを読み続ける人々は、ある程度きちんとした世界観を保持しうる。だから米国は、トランプのような軍産支配を打ち破れる人を大統領に当選させられる。
 RTやスプートニクといった露政府系のニュースサイトは、欧州や中東を中心とする国際情勢について、ワシポスなどより信頼できる報道をしている。人々は、米マスコミが自滅的に信頼できなくなったので、RTやスプートニク、イラン系のプレスTVなどを見て、的確な情報を得ようとしている。それらをまるごとロシア傀儡の偽ニュースとみなすワシポスの記事は、ライバルをニセモノ扱いして誹謗中傷することで、歪曲報道の挙句に人々に信用されなくなったワシポス自身を有利にしようとする意図が見える。 (`Fake news' & `post-truth' politics? What about those Iraqi WMDs?) ('Fake news' isn't the problem — mainstream news with an agenda is)
 しかし、そのライバル潰しで信頼回復を目的にした今回の記事の信憑性を、匿名だらけの怪しいプロパオアネットに依拠してしまったのは、あまりにお粗末で、突っ込みどころが満載だ。ゼロヘッジやロンポールは、さっそく売られた喧嘩を買い、ワシポスなど主流派マスコミこそ劣悪な偽ニュースだと逆批判している。元下院議員でリバタリアン政治運動の元祖であるロンポールはまた、今回のような主流派マスコミによる非主流派メディア・言論人に対する誹謗中傷濡れ衣的な攻撃は、今後まだまだ続くとの予測を発している。 (REVEALED: The Real Fake News List) (uspol Ron Paul Lashes Out At WaPo's Witch Hunt: "Expect Such Attacks To Continue") (Is "Fake News" The New 'Conspiracy Theory'?)
 ワシポスの今回の攻撃記事は、すでにマスコミが非主流メディアより信頼の低い弱い立場になってしまっていることを示している。マスコミが今回のような過激で稚拙なやり方で、ライバルの非主流派メディアを攻撃し続けるほど、マスコミ自身の信頼がさらに下がり、知名度が低かった非主流派メディアへの注目度や信頼性を逆に高めてしまう。ワシポスの記事のアイデアを誰が考えたか知らないが、今回のやり方は、稚拙な好戦策を過剰にやって米国覇権(軍産複合体)を自滅させた隠れ多極主義的なネオコンと同様、稚拙なライバル中傷を過剰にやって、軍産の一部であるマスコミを自滅させようとする隠れ多極主義的な策に見える。 (The Fake News Fake Story) (Glenn Greenwald Condemns Washington Post's "Cowardly Group Of Anonymous Smear Artists")
 マスコミ(など軍産)と、軍産マスコミを批判してきた非主流派メディア・言論人との戦いは、ロンポールが言うとおり今後も続きそうだ。だが、すでに軍産マスコミは、トランプの当選によって、権力から蹴落とされている。トランプと非主流派は、一心同体でない。両者は、米国のテロ戦争やロシア敵視、NATOや日韓との同盟関係を愚策とみなす点で見解が一致するが、そこから先は対立事項も多い。トランプは軍事費の急増を主張し、米国の馬鹿げた戦争にむしろ加担しそうに見える。非主流派は、米連銀などが進めるバブル膨張による金融システムの延命策に反対しているが、トランプは財務長官などの要職に米金融界の人間を任命し、バブル膨張策に反対しそうもない(故意に膨張させて崩壊させ、多極化を前倒しする策か??)。 (◆得体が知れないトランプ)
 これらの齟齬があるものの、トランプはおそらく、マスコミなど軍産を権力の座から蹴落とし、軍産を冷遇し続けて潰そうとしている(軍事費急増は目くらましかも)。トランプ政権の今後の8年(たぶん再選される)で、マスコミやNATOなど軍産は大幅に無力化されるだろう。世界の覇権構造はぐんと多極化する。最終的に、米国の覇権と軍事費は大幅に減る。多極化へのハードランディングとなる金融バブル再崩壊もおそらく起きる。非主流派の言論人たちが予測分析してきたような事態を、トランプが具現化することになる。 (The Fake Epidemic of Fake News) (Fake Science News Is Just As Bad As Fake News)
 米国で偽ニュースが騒がれ出したのとほぼ同時に、欧州ではドイツのメルケル首相が、ロシア敵視の一環として偽ニュース批判を強めた。欧州議会は偽ニュースの発信者としてロシアを非難する決議を出した。欧州において、トランプ陣営は、メルケルと敵対する独AfD、仏ルペンなど、極右や極左の反EU・反移民・親露な草の根ポピュリスト勢力を支援している。マスコミ(軍産エスタブ)とトランプ系の米国の戦いは欧州に飛び火し、メルケル(軍産エスタブ)と極右極左との戦いになっている。米国では、最終的なトランプ系の勝利がほぼ確実だ。欧州でも、メルケルは来夏の選挙に向け、どんどん不利になっている。メルケルは、負けそうなので危機感から偽ニュース攻撃を武器として使っている。米国でも欧州でも、偽ニュースを使った喧嘩は、ニュースをめぐる議論でなく、追い込まれたエスタブの最期の反攻・延命策の一つになっている。 (Merkel Declares War On "Fake News" As Europe Brands Russia's RT, Sputnik "Dangerous Propaganda") (EU Parliament Urges Fight Against Russia's 'Fake News') (Germany is worried about fake news and bots ahead of election)
%%%%%転載終わり

いわき界隈の不思議な地震活動、安倍氏の貧困老人いじめ

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:普段仲間とつるまない雉5羽が集まって何か語っています。よく見ると二親(ふたおや)と三羽の子供雉〕
雉1259


 先日の 地震警報 大手柄 あの経験を 子雉に語れり

「普都」大神の正体が見えました。これに付随する議論、たとえば「宇都宮」、「宇津峠」など東日本に多いこうした地名が、「ふつ」に関わっているのか、否か。「フツ」が「仏」であるならばそれを体現した史跡なり建造物は・・・と言った議論、さらには日本書紀に登場する「三宝」との関連等々、考察しておきたいことが増えてしまいました。そうではあっても、私の「斎」論議も到着点に接近しつつあるなとの実感があります。それを常陸国風土記をもう少し読み進めて確認することとします。その作業を次回以降に続けたいと思っています。

( 図1:昨日東京新聞一面トップ記事)
医療費1266

 
 先日の年金改革による年金支給減額、今般の老人医療費(上の記事)値上げ、アベノミクスの挫折、北方領土返還見通し真っ暗、原発事故補償・廃炉経費の国民負担などなど・・・昨年の安保、秘密保護法を持ち出すまでも無く、本年も安倍氏の失政は誰の目にも(と言っても一部大企業および5%富裕層を除く)明らかと思えるのです。が、なんと安倍氏への支持は世論調査によれば60%を超えるのだそうです。回答者に個々の政策を尋ねると、どれ一つをとっても安倍氏の政策に反対表示が上回っています。どうなってるのですかね!日本国民は異次元の空間にワープしてしまったようです。
 
 老人になってみると「社会に尽くしてきた年寄りに、早く死ね!と言うのか」なぞのセリフを口走利他句なります。しかし、その言は年寄りの“思い上がり・身勝手”と思われかねません。実際、口幅ったいものを感じます。が、これが現在の我が国に進行している実態であることは事実です。
何にせよ、若者に安定した雇用を提供し、その稼ぎから年寄りの生計を貢がせるのが、安倍氏の政策と思っていました。どうやらそれは大きな勘違いであったらしい。せめて年寄りのことはさておいても働き盛りの国民が安定した生計そして老後の安心を保てる政策を!と、安倍氏に訴えたいですな。

〔図2:私が大好きな室井佑月さんの発言、日刊ゲンダイ11月30日〕
室井3743


 
+++++福島沖地震余効
 週刊誌「女性自身」が立命館大学教授の談話として東日本での近日中の地震を予測したそうです:
(図3:高橋教授の地震予測 「女性自身」12月1日号)
biz5MTB無題


 高橋氏の地震予測について、その手法などは全く知りません。学術論文で高橋氏があげる論拠を、私は知りません。というわけで、その評価もできません。同様の予測を村井俊治東大名誉教授も行っています村井東大名誉教授の地震予測 。これについても私はコメントできません。昨今、こうした地震予測があふれています。良いことなのか、どうなのか?地震学者が口に出来ないことを在野の「地震愛好家」が口走るという印象です。

 こうした、地震予測・地震予言はさておいて、今回の記事では先日の福島沖地震についてのその後の展開についてふれておきます。

 先日、マイナヴィニュース(国土地理院測量 )が国土地理院による福島県沖地震後のGPS測量変動結果を報じていました:
%%%%%記事転載「福島沖地震、その後」
福島県沿岸部が北西に5センチ動く 22日の地震
2016/11/30(水) 01:33:34
22日早朝発生した福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.4の地震により、同県沿岸部の南相馬市の観測点が 北西方向へ約5センチ動く地殻変動が起きていたことが国土地理院(つくば市)の解析で分かった。
今回の地震について気象庁は断層が北西―南東方向に引っ張られて動く「正断層型」とみているが 同院は「気象庁の解析結果と整合する」としている。 国土地理院は設置されている基準点の地震前後の動きを詳しく調べた。
その結果、震源に近い南相馬市小高区の電子基準点が北西方向に約5センチ変動していたほか
福島県沿岸部の2基準点でもほぼ同方向に約4センチ変動していた。 22日の地震について気象庁などは、東日本大震災により震源域内の地震活動が活発化した「余震」と判断し 日本列島の陸側のプレート(岩板)内部で発生した「引っ張られる力」によってずれる正断層型とみている。
このタイプの地震は断層が上下方向にずれるために海底が上下方向に動いて海水を押し上げる。 このため津波が発生しやすい。
http://news.mynavi.jp/news/2016/11/28/450/
〔図4:国土地理院によるいわき界隈の地殻変動)
福島沖16112214804372140001


%%%%%記事転載終わり

 図4は地震発生前と後のGPS観測点位置の比較です。それが北西方向に大きいところで5cmほど移動しているというわけです。地殻が南東から北西方向に押されたために動いたという解釈も出来ますが、研究者達は福島県東岸の一帯が「南東と北西」の方向に引っ張られていると理解しています。そもそも観測点そのもの位置は、どこかに不動点を仮定して、それに照らして夫々の観測点がどのように動いたかを示すのが上図です。
 あたかも福島県の東岸域が猪苗代湖あたりに巣くう巨大な怪獣によって北西に引っ張られていると考えたくなります。が、もし今般の地震の震央の東側にもGPS観測点があるならばそこでの観測点は南東向きの矢印が分布するであろうと研究者は考えます。地震の発震機構図がそう考える根拠となっています。
 
 ところで、いわき沖を含むいわき界隈の地震活動は奇妙です。それを図5に示します。
〔図5:2011年4月11日の地震を含むMw>5.5の3つの地震と周辺域の地震活動,拡大はクリック〕
いわき界隈


 3月11日の巨大地震に誘発された福島県地震として要注意の地震が、あの巨大地震の一ヵ月後にいわき市内〔勿来の近く〕で起きています。「福島県浜通り地震」〔2011年4月11日〕2011年4月福島県浜通り地震 です。
 まず、着目したいのはこの地震の発震機構解です。それは今般の主震〔2016年11月22日〕、最大余震のそれらと大きく異なっています。節面の走向(発震機構図内に表れる二つの曲線)が今般の地震では概ね北東―南西を向いているのに対して、「福島県浜通り地震」は北西―南東を向いています。その結果、起震力と思われる張力の方向は、今般の地震が北西―南東向きであるのに比して、「福島県浜通り地震」では南西―北東、つまり90度反時計周りに違えていることです。にもかかわらず、圧縮応力は、どちらもほぼ鉛直です。誠に興味深いことですが、物理的な解釈をどうつけるのか?

 もう一つの興味深い事が、上の図で明瞭に観察できます。それは、直角三角形状の浅発地震活動分布です〔図の青色で示した〕。「福島県浜通り地震」は、この三角形の北西ー南東方向の辺に沿っておき〔ほぼ南北〕、今般の地震は、ほぼ東西(やや反時計方向に傾いている)の辺に沿って起きています。

〔図6;いわき界隈の地震活動分布の特異性〕
いわき界隈形状


 図5の直角三角形は上図ではAの矢印とBの矢印で示されます。Aの線の北端で「福島県浜通り地震」が発生しています。一方B線に沿った線状で今般の地震が発生しています。興味深いことは今般の地震活動は、A 線には達せず、C線でとどまっています。いわき沖とその界隈に地学的にどのような構造が介在しているのでしょうか?現時点では唯々「不思議、怪奇」としか言葉がありません。
 ついでですので、本記事とは直接の関係はありませんが、その北方に青線で示した領域内の地震活動が、「階段状」(Echelon)であることも興味深いこととして、本記事に書き留めておきます。地下での地学的構造に何がしかの不連続があるのでしょう。それがEchelonの形態をとると思っています。


 「福島県浜通り地震」が発生した頃は、防災科学技術研究所の「最近の大きな地震」コーナは未だ開設されていません。したがって、この頃の地震の性状はあきらかでありません。
そこでいつものようにGloval CMT Catalogue からこの地震の情報を転載します:
〔図7:この表は既におなじみとなりましたので説明は省略します。上は〔福島県浜通り地震〕、下は、11月22日地震の最大余震。発震機構図は図5に示したものと同じ〕
いわき界隈MT
 

 非DC成分が「福島県浜通り地震」については、なんと30%と言う大きな値になっています。数値計算をそのまま信用するならば、この地震では南東―北西からかなり強い圧力がかかっていたということを示します。この応力の方向は太平洋プレートが日本列島をのせる北米プレートを押し付ける方向です。話は辻褄が合うようです。が、よーく考えてみると、この地震が発生した時点では3月11日の巨大地震は既に発生しています。つまり「日本列島は、太平洋プーレートの強い圧迫から解放されていた状態」と、地震研究者が解釈していた時期です。そうした時期でもこの地にはその圧縮力が残存していたということなのでしょうか?

 と、いうわけで、たかが”いわき界隈”の地震活動といえども不思議なこと、未知なことが山ほどあります。”プレート運動がウンタラカンタラ”と講釈師の類の軽薄な弁を講じたとしても現実の地学現象が、ましてや将来の地学現象の推移がわかるとは思えない。着実な事実の積み重ねしかないようです。

「フツ」大神とは?筑紫に土塁跡

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:雑木林の小道を覆いつくす枯れ葉)
木漏れ日1264

 
木漏れ日が 雑木の隙間に 輝いて 小春日和の のどかな一時

〔図1:本日東京新聞朝刊一面「三八(さんやつ)」広告です〕
本1263


 本ブログでもしばしば論じたように、倭国は邪馬台国を継承したことは明らかです。たとえば、会津に「山都」と言う地があります。これは西倭国〔九州〕を追われた西倭国の民が住み着いた地です。この地を彼らは「ヤマ」の都と呼んでいます。倭国の民は邪馬台国を継承しているとの自負があったのだろうと思っています。そう思うので、大変興味深く、早速市の図書館に購入をお願いしようと思っています。

 もう一つ関連記事です。朝日ネットニュースが下記を報じていました。北九州の土塁で思い出すのは佐賀県の吉野ヶ里の南を東西に走る土塁跡です。これは万葉集七歌〔2009年6月17日記事 土塁跡 〕で詠われています。この土塁に繋がるのでしょうか?興味深いことです。
大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡

2016年11月28日 18時43分 朝日新聞デジタル http://c23.biz/bzA2 
 福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が見つかった。市教委が28日、発表した。古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、丘陵での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。
 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡地から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁のようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の最大幅は約13・5メートル、2段構造で東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの丘の尾根を、ほぼ南北方向に約500メートル(残存部分390メートル)にわたって走っている。周辺は区画整理事業のためどこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築技法で造られていた。
 古代大宰府は国家の対外政策の要で、朝鮮半島の百済救援に向かった日本が唐・新羅連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の直後、敵の侵攻に備えて水城や大野城、基肄(きい)城(いずれも国特別史跡)が平地や山上に急造された。市教委は「水城や大野城などの築造工法と共通し、出土した土器の年代などから、大宰府防衛の構造物である可能性が高い」という。

+++++見えてきた「ふつ」大神
( 図1:前回記事で掲載した信太郡記事原文 )
信太いいな


 今回は、上記図の△砲弔い胴佑┐泙后信太郡に様々な雑多な宗教が蔓延(はびこ)っていた時に天から神が降りてきた。その名は「普都大神」であると風土記・常陸国が書きます。この大神は何者なのか?

 「フツ」大神の正体について古代史学者は頭を悩ませてきました。その悩ましい実情が、既存の記載から見えてきます。この大神は何故か古事記には登場せず、日本書紀にのみ登場します。そこで、本来であれば日本書紀の原文を引用すべきですが、ウイキ記事を転載しておきます:
%%%%%「フツ」大神煮について〔ウイキ〕
http://c23.biz/dG5a (ウイキ)
経津主神経津主神(ふつぬしのかみ)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。 別名、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)。『出雲国風土記』では布都怒志命として登場する。
経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と、武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。
経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説がある。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し、刀剣の威力を神格化した神とする説のほか、「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説や[1]。神武東征で武甕槌神が神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)[2]の剣を神格化したとする説がある。なお、『先代旧事本紀』では経津主神の神魂の刀が布都御魂であるとしている。『古事記』では、建御雷之男神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)であるとし、建御雷之男神が中心となって葦原中国平定を行うなど、建御雷之男神と経津主神が同じ神であるかのように記載している。
布都御魂を祀る石上神宮が物部氏の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する中臣氏の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。
神話[編集]
『日本書紀』の神産みの第六の一書では、伊弉諾尊が軻遇突智を斬ったとき、十束剣から滴る血が固まって天の安河のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしている。 第七の一書では、軻遇突智の血が天の安河のほとりの岩群を染めたために岩裂神・根裂神が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神を生んだとしている。
葦原中国平定では武甕槌神とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をしている。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では経津主神のみが天降ったとしており、出雲の意宇郡楯縫郷(島根県安来市)で天石楯を縫い合わせたとの逸話が残っている。
脚注
1. 鹿島神宮社務所編集の「新鹿島神宮誌」によれば、「フツ」は「フル(震)」と同義であり、天にて震いて「建御雷」、地にて震い萌え出ずる春の草木、その洗練された象徴が「逆しまに立つ剣の形」であり、神武天皇以下、悪霊におかされて死にたるごとく伏したるを回復させ、奮い立たせるのもフルすなわちフツノミタマの力であるという。
2. または佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)(『古事記』の中つ巻に拠る)の
%%%%%
 上記は、この大神について日本書紀が語る謂わば経歴です。上に見るように、この記載は”研究”と言うには程遠く、日本書紀記事を謂わば現代文に訳した”丸写し”です。それほどに、この大神は平安時代から現代に至るまで古代学者を散々悩ませてきました。その”深い悩み”を端的に示しているのが岩波文庫「日本書紀(一)」の校注者による記述です。それを図2に示します。
〔図2 岩波文庫〔日本書紀(一)〕補注より、370頁〕
161128フツ大神


 一生賢明に調査して書かれた校注です。しかし、誠に非礼ですが面白くもなんとも無いのです。ここに、古代史研究者の困惑が吐露されていると私は思っています。それでは、この大神の出自を何処に求めるべきか?、その意味は何か?。
 ところで、この神は日本列島の信仰体系の柱として君臨して来たことは、以下の記事から明らかです。それは、日本書紀二巻の「一書に曰く」に始まっています:
原文:
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)

文意:〔岩波文庫「日本書紀〔一〕」130頁
 天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国の平定をさせた。その際、この二神が言うには「天の悪神有り。名を天津甕星〔天罪か星〕と言う。又の名を天香香背男〔あまかがせおお〕という。請う。この神を誅し、然る後に葦原中国をからわ」と。このとき斎主神を斎之大人と号した。この神、今は東国の楫取之地〔香取〕に在る。

 上の日本書紀記事から我々が知ることは、そして藤原不比等が意図したことは「経津主神。武甕槌神」の二神が葦原中国を平定し、「楫取之地」にあって「斎」なる祀りを執り行った事です。
楫取が古代史学者の誰しもが是認するように、現在の「香取」であるならば、葦原中国は信太・筑波とその周辺であらねばなりません。だからこそ、常陸国・風土記はそのことを直裁に記述するのです。が、此れの話になると古代史研究者は口を濁します。

 上記、日本書紀抜粋記事の一番目の要点は「楫取之地」(カトリ)で激戦の主導権を藤原不比等の側が握り勝利を確定したことなのです。その功を為したのが「軍事力」では武甕槌神です。正に「武を以って甕星〔シリウス星)を信仰する一族に槌(つい)を下した」のです。名前がそのままこの神の役割を体現しています。
 そしてもう一人の人物について、常陸国信太郡記事は、この大神の登場にあたって、信太郡に「跋扈する」雑多な宗教土壌を舞台設定にしつらえています。すでに書いたように「言葉」とは、単なる方言ではなく「精神体系」つまり宗教です。この「大神」は原住民の思想・精神面での懐柔を担ったのです。そこにこの大神の謎を解く鍵があると考えています。

 さて、この大神の実像であります。藤原不比等が支配者として導入した大神であるからには、その名称の由来が「古代ペルシア語」にあるとは思いがたい。香取―那須岳線を本ブログのテーマに掲げて以来ずっと頭にこびりついていた疑問でありました。それがいとも簡単に常陸国・風土記の記載から解けました。まさに「目からウロコ」であります。

 何のことは無い、それは「仏」(フツ、ブツ、ラテン文字表記 fu)です。既存の雑多な信仰に「仏教」を対置したのです。「仏法」については日本書紀推古紀より時折記載があります。疑義を唱える読者もおられましょう。八世紀始めの東国での戦乱にあって東国の民を慰撫できる「精神・思想」として他に考えられる何かがあるでしょうか?それを確固としたのが八世紀半ばの「聖武天皇」の大仏建立であったと思っています。
 
 私の両親、祖父母が眠る墓は浄土宗であり、曹洞宗ですから、仏教にはしかるべく通じているべきが、生憎無信心であるため、現時点で仏教を語ることは僭越に過ぎます。

 上記の日本書紀が語る「斎」は仏教法事も体系化されていたのです。どうやら、「斎」構想を藤原不比等は一朝一夕に発想したのではなく、かなり時間をかけて練りあげてきた思想体系であったらしいことが見えてきます。「仏教」を導入するからには既存の「ざわざわとした言語」と表現される宗教とどのように折り合いをつけるのか?そのあたりは宗教学者の研究にお任せします。しかし、これぞ神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏習合)であることだけは疑いようがありません。
(つづく)

北方領土、つくばー稲敷ー成田

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:朝日が近くの校舎を赤く照らしています。舟木一夫の歌であったでしょうか。田は白い霜で覆われ、台地に這うようにうっすらとした靄。まさに冬景色であります〕
赤い校舎1255

 
口よぎる 赤い朝日が 校舎を 染めて霜白き  田に狭霧立つ

 次に連想するのが 文部省唱歌であります。冬景色 (冬景色)

+++++信太郡〔3〕
 現在の利根川を挟んで相接し、北にあるのが信太郡、南は下総国です。信太郡の南縁は稲敷です。その稲敷を名前に持つ人物が日本書紀に二回登場します。天武元年紀、唐・新羅連合軍を率いた城郭務総への使者として「天智天皇」の死を告げた人物です。それを前回記事で書きました。

 二回目の登場を下記に転載します:
%%%%%日本書紀巻二十九転載
天武天皇十年(六八一)三月丙戌【十七日】
原文:天皇御于大極殿。以詔川嶋皇子。忍壁皇子。広瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連子首。小錦下阿曇連稲敷。難波連大形。大山上中臣連大嶋。大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋。子首親執筆以録焉。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕169頁
天皇は大極殿において、川嶋皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連子首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首等に以下の作業をするよう詔(みことのり)した。すなわち、帝紀および上古の諸事を整理し書き記すようにと。大嶋、子首が自ら筆をとって記す。
%%%%%
  
 そもそも、九州・熊本に陣取る西倭国は奈良・外国軍〔唐・新羅〕との戦闘の真っ最中であった筈です。そんな緊迫した時期に「史書」編纂を思いつくなぞはありえません。したがって、この記事は日本列島史編纂を目論む藤原不比等が後世の「アリバイ」作りのために挿入したと考えています。その論拠としては、編纂作業に選ばれた人たちです。この十二名の半数は王族です。私が注目しているのは、残る六名の内、少なくとも東国出身者が二名含まれていることです。一人は阿曇連稲敷〔常陸国代表〕、そしてもう一人が上毛野君三千〔毛野国代表〕です。あたかも、これから編纂する「正史」の公平さ・正確さを期するべく為された人選であるかの装いを取っています。

 本ブログでは、かなり詳細に天武紀を議論してきました(2013年5月22日天武論 〜7月31日天武論 )。この議論に当たって参照したのが万葉集に見る柿本人麻呂の歌群です。人麻呂の歌、そして壬申の乱を詠っている諸歌から窺い知るのは、倭国軍は戦乱を叙事する書記団を帯同していたことです。その筆頭が人麻呂であったのです〔例えば、2013年7月10日記事、万葉集二十九歌万葉集二十九歌 〕。この書記団は軍の司令部の移動にも随いていったのです。上記△里茲Δ併蔑疉員の会合は頻繁に開かれており、その会合には「書記団」は記録係として同席していたに違いありません。
 不比等はそうした会合を知っており、それを自らの正史編纂の会合としてしまったのです。

 ところで、常陸国風土記・信太郡の記載内容についてもう二点ふれておきます。
〔図1:常陸国・風土記、信太郡〕
信太いいな


 まずは図1〔上〕で示す記事で,鯢佞靴唇貔瓩任后
龍ヶ崎市内に、「飯名」神社の同属とされる「小祠」が遺されています。此れが、図1,言う飯名社であるとされています。その社は現在ひっそりと茨城県龍ヶ崎市の民家の庭に残されています〔図2左の写真〕。「飯名」は「イイナ」と音しますから、まさに「稲荷」〔いなり〕に通じます。そして「稲敷」の「しき」は、「稲荷」神の敷地であったと郷土史は書きます。
「シキ」で連想するのが埼玉県行田市の〔稲荷山古墳〕から出土した鉄剣です。それには「ワカタケル」と読み取れる銘文が刻まれていたことで、日本中の古代史学者は大興奮しました〔そこで為された議論のほとんどは誤りです〕。この鉄剣には「シキ」と読める「宮」の場所まで刻まれています。此れを巡る議論については長くなりますから、本ブログでの記事のみを紹介しておきます(2013年7月22日記事、ワカタケル )。その記事でも書いたように、「シキ」は埼玉県の「志木」です。その地に陣屋を構えていたのが「ワカタケル」王です。とするならば「タケル」はペルシア語かもしれません。古代ペルシア語では「男根、角がある羊、酒、背が高い若者〕の意です。この大王は逞しく背が高いりりしい青年であったと思わせます。

〔図2: 龍ヶ崎市と北隣のツクバ市にある“長峰”(長峰=長豊 )より)
筑波から信太


 図2右は過去記事の再掲です。その過去ブログ記事で書きましたが、この龍ヶ崎と現在のつくば市南部は「死」を思わせる地名が散在しています。まずは「長峰」です。この龍ヶ崎には、市内最大の古墳である長峰古墳があります。そして、北方10kmのつくば研究学園年には長峰と言う地区があります。現在、そこには気象研究所があります。このつくば研究学園都市内の長峰地区の東南角に「大角豆」〔おおさぎ〕と呼ばれる地があります。
 長峰と言う地名を考えて見ます。「長」は〔チョウ〕と音します。それは「冢」(ちょう)の転じた語ではなかろうか。最近は「塚」と書きますが「貴人の墓」を意味します。
次に「峰」です。これは「ホウ」とも音します。とするならばこれは「豊」が転じたのではなかろうか?これについては以前も論じてきたことですが再度繰り返します。

 プロ野球チームソフトバンクに韓国出身の強打者「李大浩」と言う選手がいました。日本人は彼を「リダイコウ」と音していましたが、彼のラテン文字表記は「イデホウ」です。実際〔学研大漢和字典〕によれば「浩」〔コウ、ゴウ〕のラテン文字表記による音は「hou」です。ところで宋書倭国伝に登場する倭の五王の一人「興」〔コウ、ゴウ〕も、そのラテン文字表記の音は「ハウ」です。西暦600年に大陸の皇帝に謁見した倭国使節は自らの王を「高」と告げたはずです。ところが、皇帝の書記官はそれを「興」と書き記したのです。この時点で「コウ」と「ホウ」の「音声」混同が既に発生していました。言い換えれば、朝鮮半島を含む大陸人には日本列島人が発する「高」は「コウ」とも「ホウ」とも聞こえるのです〔「ほう、そうですかね」なぞと駄洒落を飛ばさんでください〕。
 壬申の乱で九州倭国に進駐した唐・新羅連合軍は「高」を「ホウ」と聞いたのです。彼らの発声に、現地倭国の民は「豊」なる漢字を当てたのです。「豊」(フ、ブ、ホウ)の音はどうでしょうか。ラテン文字表記の音は「hou」なのです。こうした経緯を経ていつの間にか「高」は「豊」なる漢字に転じたのです。そしてその転化は東国では「ホウ」であれば何でも良いというわけで「峰」ナル漢字表記にまで変貌したのです。歴史研究者の間では「豊〕を「トヨ」と音することで以って、別の筋書きを考える一団もいないわけでは在りません。それは天照大神、稲荷信仰に関わっているとの筋書きにまで発展します。私はこうした筋書きに懐疑的であります。

 筑波から龍ヶ崎に存在する「長峰」は「高一族の墓所」なのです。実際、図2に見るように筑波長峰地区の南東に未だに大角豆と言う地名が残っています。これは「オオササギ」つまり「巨大な墓所」です。同様に 龍ヶ崎の長峰には市内最大の古墳「長峰古墳」、その周囲には大塚古墳があり、さらには愛宕山古墳などが未発掘のまま遺されています。

 これらの古墳を南に辿ると、現在の利根川です。それを渡る街道は現在、筑波研究学園都市と成田飛行場をむすぶ国道408号せんです。この国道は「長豊街道」とも呼ばれています。上記の議論から、「長峰=長豊」であることを説明する必要は無いでしょう。この街道のすぐ東側は「龍角古墳群」〔現在の房総〕です。こうしてみると筑波郡南部から信太郡そして利根川を越えた下総北部は「死者」の域であるかのごとくです。それを鎮魂するが故に「稲荷」信仰がこの地に発祥したと私は考えています。私はこの地に「成田不動」が存在するのも、そうした背景を知った人物によったのだろうと思っています〔後述〕。それを行間で裏付けるのが「常陸国風土記・筑波、信太郡」なのです。
 何よりも強調したいことは、奈良に陣取る藤原不比等が指揮する軍団が、東国のこの地で残虐の限りをつくし、死者累々たる惨劇があったのだろうと考えています。

 余談でありますが、1980年代、私の勤務地は東京新宿の百人町〔近くに名優西村功氏の私邸があった〕から筑波に変わりました。そのころ地元出身の事務系職員からよく聞かされた話です。“ここは、大昔から祟られていると爺ちゃんが言ってた”と前置きした上で、自らの体験談を聞かせてくれました。
 “先夜、溜まってる仕事を片付けるため残業をしてたんですよ。なにか遠くのほうで鞠をつく音がして、誰もいないはずなのにエレーベータの動く音がするんですよ。誰かいるのかとエレーベタの扉口に行ってみたが、自分が先刻乗り捨てた状態のまま。ボールの音も止んでいる。気のせいかと又部屋にもどると鞠の音とエレベータの音が再び聞こえる。昔お爺ちゃんから聞かされた話がよみがえり、恐ろしくなって残っている仕事を投げ出して家に急いだ」と、真顔で語るのです。

 次回は図1で 印をつけた”普都大神“を考察します。
(つづく)


+++++北方領土
 安倍氏が首相としての業績の目玉の一つとして掲げるのが日ソ平和条約締結と、それに基づく北方領土の返還です。何背、アベノミクスは破綻、TPPも先行きの展望なしとすれば、此れにすがりつきたくなります。しかし、これについても、どうやら、安倍首相の当初の目論みは大幅に後退してしまったようです。ビジネスジャーナル誌の論説を以下に転載しておきます。
%%%%%ロシアとの北方領土返還交渉
ビジネス・ジャーナル 
北方領土返還は絶望的…日ロ交渉が“破談”に終わった理由
 事前のシナリオが完全に狂ったのだろう。ペルーの首都リマで19日午後(日本時間20日午前)に行われた安倍首相とロシアのプーチン大統領の首脳会談。70分に及ぶ会談を終えた安倍首相の表情は、落胆した様子がアリアリ。北方領土問題を含む平和条約締結交渉の進展状況を記者団から問われると、「解決に向けて道筋が見えてはきているが、簡単ではない」と答えるのが精いっぱいだった。
 恐らく安倍首相は会談で、日本側が示した医療や都市整備、エネルギーなど8項目に上る「経済協力」と引き換えに、プーチンから北方領土返還に向けた何らかの“言質”を引き出したかったに違いない。
 ところがプーチンは、日ロ両国の貿易高が半年間で4割近くも減ったことを示して、「第三国による政治的な措置の結果」と指摘。ウクライナ問題で経済制裁を強める欧米に、足並みを揃える日本を批判したという。
 平和条約締結どころか、北方領土の2島返還すら絶望的な雰囲気だが、すでに“伏線”はあった。「経済協力」でロシア側の窓口だったウリュカエフ経済発展相が今月、巨額収賄の容疑で刑事訴追、解任されたからだ。
「訴追ということは、ずっと捜査が進んでいたわけで、プーチン大統領も知っていたはず。通常は外交交渉の窓口を突然パクることはしません。相手国に対して失礼に当たるからです。何の情報も掴んでいなかったロシアの日本大使館の“無能ぶり”にも呆れますが、外務省内では『これで日ロ平和条約は終わった』と囁かれていました」(外務省担当記者)
“破談”の理由はまだある。安倍首相と米国のトランプ次期大統領の会談を「失敗」とみたプーチンが、もはや日米関係など恐れるに足らず――と判断した可能性だ。
「(約50万円の)ゴルフクラブを贈ったことがトランプ会談を台無しにした」とみる国際弁護士の湯浅卓氏はこう言う。
「米国のビジネスマンや政治家が金品などの贈り物を受け取らないのは(贈収賄容疑を避けるための)“常識”です。トランプ氏はビジネスマンである上、(公職の)次期大統領です。会談に家族など第三者を立ち会わせたのは恐らく、安倍首相からゴルフクラブを贈られても、『私自身は受け取っていない』との立場を明確にするためでしょう。それぐらい神経を使うことなのです。そもそも、モノで相手の気を引こうなんて外交相手に失礼でしょう。ドイツのメルケル首相がトランプ氏と会う時、ベンツのキーを贈ると思いますか? 絶対にしません。英国と並ぶ外交大国のロシアのプーチン大統領が、安倍首相を冷ややかな目で見るわけです」
 ちなみに米国には「海外腐敗行為防止規制」があり、贈賄行為には特に厳しい。禁止の「利益供与」には、金品だけでなく接待や贈答も含まれる。トランプにとってゴルフクラブの贈り物は大迷惑だっただろう。そんな安倍首相の「朝貢外交」を見たプーチンが強硬姿勢に出るのは当然。結局、プーチンに「いいとこ取り」されてオシマイだ。
%%%%%転載おわり

 先日キューバの伝説的英雄であるフィデロ・カストロ首相が亡くなりました。ある人は「快哉」を叫びますが、元左翼少年の私は「悲しみ」の意を表明します。国の発展を米国による全く理不尽な制裁で阻害されながら、貧困といえども医療制度の拡充、国民の生活維持に気を配り餓死させない国家政策は高く評価されてしかるべきと思うからです。1990年頃でしょうか、キューバ地震研究所の女性研究員と一年近く一緒に仕事をしました。これは、大変物好きな日本のとある大学の先生がキューバを訪ねたことがきっかけでした。キューバ滞在中にその先生は在キューバ日本大使館に働きかけ、大使館が本国外務省にその話を持ち込んだことから女性研究員の滞日が実現したとのことです。この女性研究員、身なりも粗末、しかし、おおらかで、明るく、あの米国にいじめられている国から来たとは思えない人柄でした。というわけで私も一度生きているうちに彼女を訪ねたいと思っていたのですが、残念ながら老いてしまいました。

 ロシアの話から、目に留まったのが下記の記事です。関連記事を6月19日記事ソ連邦 で書きました。私も同様の想いを抱いている旧ソ連邦に住んだ人たちを見聞きしました。てなわけで、下記の記事を紹介しておきます。

%%%%%ソ連が懐かしい
blogos 
「ソ連懐かしい」は国民の50%以上
 ソ連が崩壊して25年。にもかかわらず、世論調査によれば、ロシア人の半数以上が今日、ソ連崩壊を残念に思っている。社会学者はこの理由を、評価のわかれる国の過去の理想化と、社会的な保証の欠如だと考える。
 ソ連のロシア共和国、白ロシア共和国、ウクライナ共和国の3首脳がソ連を解体するベロヴェーシ合意に調印を行った1991年12月8日、マラトさん(本人希望により匿名)は生後数ヶ月であった。ソ連の生活を知らないが、ソ連を懐かしんでいる。
 マラトさんは現在25歳。ロシアのある省庁で働いており、給与と生活に満足している。それでも、ソ連時代の方が良かったと考える。「教育が無料、医療が無料」と、ソ連後期の優位性をあげる。「皆つつましく暮らしていたが、国は国民のことを気にかけていた。今はすべて金次第、ひどい格差で、強い者が正しい。ソ連時代にこんなことはなかった」とマラトさん。
どんな層に人気が高いのか
 ノスタルジーを感じているのはマラトさんだけではない。世論調査によると、ロシア人の50%以上が、ソ連崩壊を後悔している。ロシアの世論調査センター「レバダ・センター」の2016年4月の調査で、回答者の56%がこのような見解を示した。別の「全ロシア世論研究センター」の調査によれば、ロシア人の64%が、1991年3月17日に実施されたソ連維持の是非を問う国民投票のような投票が今行われたら、賛成票を投じると答えた。
 ソ連を懐かしむ人の割合は従来から、社会的に保護されていない層の55歳以上の世代および農村部の住民の間で最も高いと、レバダ・センターの社会学者カリーナ・ピピヤ氏は話す。だが、マラトさんのように、成功し、現代社会になじんでいて、ソ連で生活したことのない若者が、ソ連を懐かしむことも珍しくない。世論調査に応じた若者の約50%が懐かしんでいると、世論研究センターの調査プロジェクトの責任者ミハイル・マモノフ氏はロシアNOWに説明する。
経済低迷でノスタルジー
 マモノフ氏によると、ソ連に対して好意的な考えを持つ回答者は、社会的な保護、強い国家、公平さを理由としてあげるという。「どんなに少なくても、保証されている給与、保証されている雇用」は、激しい市場競争の時代に欠如しているものであり、人々はこれらすべてが整っていたと考える過去を振り返る、とマモノフ氏。
レバダ・センターのこれまでの調査によると、ソ連ノスタルジーがピークに達したのは2000年で、75%がこのように答えていた。2000年代に減り、2012年には49%しかノスタルジーを感じていなかった。だが2013年から新たな増加傾向が見られている。
 この傾向により、ソ連ノスタルジーの主な原因が経済であることがわかると、マモノフ氏。2000年は国民の貧困化のピークで、ソ連時代の安定が最も足りなかった。その後の2000年代は景気上昇にともない、国民の収入が増えていったため、過去を振り返る人は減った。だが経済危機が始まると、ノスタルジーは再び強まった。
ソ連の伝説と現実
 ニーナ・メチタエワさんは65歳。人生の大半をソ連で過ごした。だが、他の同世代の人とは異なり、昔のようになることを望まない。「今は理想的な状態にはほど遠いけれど、ソ連は良かったという人たちは、当時の生活が実際にどうだったかということを忘れてる。店や病院には行列、党会議(ソ連共産党の下級組織の会議)では国民の誰もがはるか昔に信じなくなった話ばかり。国は世界から閉ざされていた」。ソ連に戻りたいと考える人の多くは、自分の青春時代を懐かしんでいるだけだと、メチタエワさんは考える。
 マモノフ氏も、ソ連に対するノスタルジー的なイメージは、ソ連の現実とかけ離れていると考える。「ソ連は理想化されているところが大きい。良い側面ばかりがふくらみ、悪い側面がしぼんでいるかまたは喉元過ぎて熱さが忘れられているか」とマモノフ氏。
懐かしい=戻るではない
 社会主義のイメージが強いソ連時代の人気は高まっているものの、現代の社会主義系の政治運動(左翼政治運動)はそれほど成功していない。9月18日の下院選では、「ロシア連邦共産党」(党自らがソ連共産党の後身と位置づけている)の得票率は13%であった。2011年は19%であったため、党の人気は明らかに落ちている。
 「ソ連への愛は、現代の左翼(ロシア連邦共産党や労働組合)の成功につながっていない。大衆の意識では、イコールソ連とはイメージされない」とマモノフ氏。そして、こう指摘する。「ロシア人がいくらソ連を愛していても、その圧倒的多数(70〜75%)は、あの時代を取り戻すことはないと言っている」
%%%%%ブロゴス記事転載 おわり
なつかしの写真を数葉載せておきます。私にとってもモスクワには良い記憶しかありません。市内安全(ボリショイ・オペラ鑑賞三昧の家内は連夜の深更市電での一人帰宅も無事〔私はベビーシッタ))。風景良、美人多、食良、・・・・・。

( 写真2 1980年のモスクワ 左上:モスクワ河のゴリキ公園での橇遊び、右上:保育園〔ヤスリ〕の昼寝時間、左下:海洋研究所スタッフと美人院生、右下:ゴーリキ公園の夏 クリックすると拡大できます)
モスクワ1980

「斎」の一つ「稲荷信仰」、TPPとトランプ次期米大統領

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:今冬と言うべきか、今晩秋と言うべきか、はたまた、本年の晩雪〔おそい雪〕と言うべきか。朝未明の空に身を縮める月が寒そうに浮かんでいます。〕
雪161125


 雪景色 子供の頃は 嬉しくて 滑って転んで 友とはしゃげり
 残雪に 身を縮こます 二十六月

 年取ると雪の日はただひたすら寒いのみです〔又愚痴と思いなさるな〕。昨日は恒例の市の音楽会です。綺麗なおそろいの裾の長いドレス風おべべを纏ったご婦人がた〔ほとんどが中年を超えておられる〕がドタドタと集団で舞台にあがり「美声」を発していました。小生の連れ合いもそんな一人でありまして、いずれ機会があったらyoutubeに匿名でアップロードしてみようかと思っています。

+++++信太郡補足【2】
 稲荷信仰は、藤原不比等による日本列島の宗教体系「斎」構築の一部をなしていたと書きました。この体系の中で、まずは「神」なるものがしつらえあげられます。それはアイヌ族の精神的中心であった「カムイ」思想に由来します。極端な表現をするなら呼称ばかりでなく思考においてもアイヌ族の精神の『剽窃』です。その神の中の『王』が「大」に置き換わり「大神』となります。その何人〔?、後世“柱”と表す様になる〕かの「大神」の中心に座るのが「天照大神」です。

 稲荷信仰は、そうした「神々」の周囲を補完するべく、アイヌ族の家庭内での精神生活の一部であった「イナウ』を謂わば力づくで外部に引きずり出して拵え上げたものです。私は「宗教学」なるものをきちんと勉強したことはありません。本ブログでの関連記述も私の頭の中の感覚がそのまま表現されているのか否か、はなはだ心許無いことをお断りしておきます。

 いずれ書きますが、この当時にあっては「新興宗教」である「天照大神」の宗教儀式の根本は、「五穀豊穣」、「安寧息災」というよりはむしろ「怨霊鎮魂」に重心があったと思っています。まさに天才古代学者・梅原猛氏が聖徳太子についての広く深い研究と洞察から“探り当ててきた思想”です。この「怨霊鎮魂」説を梅原氏が提唱したとき、多くの古代史研究家は氏の説を無視しました。無視しないまでも、こうした怨霊思想が登場するのは早くとも八世紀以降であり、聖徳太子の生きた七世紀初めにはそうした精神の痕跡は見られないと指摘し、議論・考察の遡上に載せなかったことはよく知られています。古代学分野の研究者の閉鎖性・狭量が厳しく指弾されたことは記憶に新しいことです。 

 私は、梅原氏の説にのめりこむ余りに、こうした無視やら反論やらは既存の史学者が文献学にのめりこむ余りに、人間観察が欠落していたこと、そしてもう一つは、門外漢の古代史学への介入への強い反発があったのだろうと想像していました。

 今、思うに、この“怨霊鎮魂”こそが藤原不比等の「斎』なる宗教体系の重要な柱であると思えます。梅原氏の説の重要な論拠の一つが法隆寺の資材帳(『伽藍(がらん)縁起并流記(るき)資財帳』)です。これは明らかに八世紀以降にまとめられたものです。どんなに早くとも、「斎」なる宗教体系構築とほぼ同時期であったのです。聖徳太子に擬せられる人物の悲憤の生涯への、為政者による鎮魂の経緯です。つまり、何人かの歴史学者の指摘「七世紀には怨霊なる思考の存在は認められない」との指摘は、梅原氏へのあてつけでも何でも無く事実なのではなかったかと今は思っています。

 こうした発想の出発点、つまり“怨霊鎮魂”の発想は東国の民、東の倭国〔中心は猪苗代湖南域〕と西の倭国〔中心は九州、熊本〕への苛烈な軍事殲滅のすさまじい残虐行為ではなかったかと想像しています。

 神社とは、“怨霊鎮魂”の思想を具現するための謂わば「箱物」であったのです。そのことはその呼称からわかります。「神」はアイヌ族の信仰に由来し、「社」〔やしろ〕は「オシロ」つまり勇猛な渡来族の生き様を表現する言葉に由来するからです。殲滅した対象の名称を付することで鎮魂をはかったのです。
 
 こうして考えると、那須岳―香取線上にある良質石材の産出場であった笠間に、この新たに拵えあげた稲荷信仰の場を設営したことにはどうやら深謀があったということになります。残虐の限りを尽くした東国の民の「怨霊」による報復の怖れから逃れること。もう一つは、報復の精神的宗教的土台を断ち切っておくこと。この二つであったのです。
 東夷征伐軍が常陸国を制覇したのち渡来族の精神体系を寸断するべく、中間点にある笠間に後日、新たに拵え上げた宗教としての稲荷さんを構築したのです。これを正当化するための説話が常陸国風土記・久慈郡条(くだり)が書いています(後日紹介の予定)。

 『稲荷』信仰を作り上げる、これも藤原不比等の宗教体系である「斎」なるものの構築の重要一部であったことを書いて来ました。その狙いは、いうまでも無く、西域からの渡来族と行を共にしてきたアイヌ族の懐柔・分断の意図があったことも明らかです。

 さて、この信太郡の南縁に東西に広がるのが現在の稲敷市です。江戸時代の後期に活躍した第七代横綱・稲妻雷五郎(1802−1877)の出身地として知られています。常陸国出身の名相撲取り数々在れど、真の実力力士は稀勢里でやんす。何とか、私の命ある間に横綱にと切に期待しております。

〔図1:中央やや上の霞ヶ浦に接する稲敷市。その西南隣の淡青丸が龍ヶ崎市中心部。県境に沿って東西に流れるのが現在の利根川。大昔の利根川は今の江戸川。クリックすると拡大します)
稲敷・龍ヶ崎


 日本書紀には「稲敷」を名前に持つ人物が二回登場します:
%%%%%日本書紀巻二十八・二十九より
‥敬霤傾銚鞠(六七二)三月壬辰朔己酉【十八日】
原文遣内小七位阿曇連稲敷於筑紫。告天皇喪於郭務悰等。於是。郭務悰等咸著喪服、三遍挙哀。向東稽首。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕70頁
天武元年三月十八日、小七位の阿曇連稲敷〔あずみのむらじ・いなしき〕を筑紫に派遣し、「天皇が死去した」旨を郭務悰等に告げた。郭務悰等は喪服を着用し三遍哀悼の意を表し、東に向かって拝する。

天武天皇十年(六八一)三月丙戌【十七日】
原文:天皇御于大極殿。以詔川嶋皇子。忍壁皇子。広瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連子首。小錦下阿曇連稲敷。難波連大形。大山上中臣連大嶋。大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋。子首親執筆以録焉。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕169頁
天皇は大極殿において、川嶋皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連子首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首等に以下の作業をするよう詔した:帝紀および上古の諸事を整理し書きしるすようにと。大嶋、子首が自ら筆をとって記す。

%%%%%日本書紀記事転載おわり
 西暦663年、天智天皇が仕掛けたとされる白村江海戦は倭国の敗残で終わります。勝者たる唐・新羅連合軍が敗戦国の民を平定するべく日本列島に進駐します。西暦671年の年末、天智天皇は十二月に死去します。年が明けて三ヵ月後に郭務悰等が率いる唐・新羅連合軍が二回目の軍派遣です。場所は筑紫です。この際、倭国側は阿曇連稲敷を使者にたてて天皇の死を告げた。此れが,能颪記事です。
 藤原不比等はこのあたりの事情をどのように記載するかで頭を絞ったはずです。何故ならば、この時期、筑紫国とそれを含む九州一帯はすでに唐・新羅連合軍と奈良盆地を拠点とする政治勢力の影響下にあったからです。その筑紫国とそれを含む九州一帯ではその占領軍・奈良政治勢力合同軍への激しい抵抗が始まっていた。それが、まさに壬申の乱勃発時期です。

 したがって、阿曇連稲敷を使者に立てたのは、奈良勢力ではなく、九州の抵抗勢力であったと思うことが合理的です。つまり、九州の倭国軍には、東国信太の地からも人材、兵力が結集していたことが見えてきます。このことはこの人物の「官職」からも窺い知れます。つまり「阿曇」は「あつみ」に由来するからです。「あつみ」の漢字表記は「安積」であり、それは「アサカ」〔アスカ、JR東北線に安積永盛(あさかながもり)駅があります〕ですから「火のスカ族」から転化したことがわかります。これについて一部の歴史学者が。九州の地には「アズミ族」なる一族がいたと主張しています。それは間違いです。

 上記の日本書紀引用で△砲弔い討麓_鷭颪ます〔記事が長くなりましたので〕。それに加えて、次回には、信太郡のもう一つの南縁の龍ヶ崎市、および利根川〔当時は毛野川、流の海〕を挟んだ下総の北辺を見ます。
(つづく)

 
+++++TPPより怖い2国間交渉、トランプのしたたかさを侮るな(ダイヤモンド・オンライン)
 未だ、クリントン氏の総得票数がトランプ氏のそれを上回ったので、米国議会での大統領指名選で、クリントン氏の大統領指名がありえると米国CNNが大騒ぎしています。CNNは今般の選挙でクリントン氏に激しく入れ込んだ大手報道機関です。米国裁判所が、このCNNが騒ぎ立てる事態どのように処理するのかはわかりません。が、米国の選挙制度の在り方、公正さについての疑念を 世界に晒すものであることは間違いありません。

 本ブログで紹介する記事は安倍政権が入れ込むTPPが別の形態で日本にのしかかってくる可能性を指摘したものです。それは二国間貿易協定(FTA)です。米国と、メキシコ、カナダ、韓国との間で締結された貿易協定の不平等は此れまでも具体的に論じられてきました。その不平等が今回日本に向けられる可能性です。それをどう防ぐのか?政府と国民がどれだけ腰を据えて反撃するかにかかっています。
%%%%%ダイヤモンド記事転載
トランプ次期大統領
2016年11月24日 山田厚史の「世界かわら版」 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員] ダイヤモンド・オンライン

「大統領に就任したその日にTPPから離脱する」。トランプ氏のビデオメッセージが公開された。安倍首相がアルゼンチンで「米国抜きでは意味がない」と語った1時間後だった。2人は4日前に会った。「信頼できる指導者であることを確信した」と褒め称えた首相は、見事に無視された。
メディアは「米国の保護主義」というトーンで書いているが、「自由貿易か保護主義か」というモノサシは20世紀の遺物だ。
注目すべきは「TPP離脱」ではない。「TPPの代わりに」という後段に毒が盛られている。「雇用や産業を米国内に取り戻すため、公平な二国間の貿易協定を交渉してゆく」というメッセージだ。
自由で開かれた経済圏を環太平洋に、などと綺麗ごとをトランプは言わない。二国間交渉でお前の市場を取りに行く、という宣言である。
標的は日本。すでに下地はできている。
■大統領候補がこぞってTPP反対の陰に製薬業界
TPPの陰で日米は「並行協議」と呼ぶ二国間交渉を秘密裏に続けてきた。TPP協定が合意された2月4日、並行協議の成果はフロマン米通商代表と佐々江駐米大使の間で「交換公文」にまとめられた。
そこには日米が引き続き協議する項目が列挙され「公的医療保険を含むすべての分野が交渉の対象になる」と明記された。二国間交渉こそ日米の主戦場なのだ。
TPPは米国の主導で進んだが、米国は結果に満足していない。“米国”とは、議会の共和党、交渉を後押しした多国籍企業、戦略を陰で立案したロビイストなどTPP推進派のこと。任期中に実績となる「レガシー」を残したいオバマは最終局面で譲歩したと怒っている。
例えば知的財産権。バイオ医薬品の特許期間は「8年」で決着した。製薬業界は「敗北」と感じている。米国の主張は「20年」だった。それがオーストラリアなど薬剤消費国の抵抗に遭い押し戻された。交渉をまとめるためにベタ降りしたのだ。
推進派の急先鋒・ハッチ上院議員は「8年では短すぎる」とオバマの交渉を批判した。同議員は「製薬会社から2年間で500万ドルの政治献金を受けていた」とNYタイムスに報じられた族議員である。
製薬業界は農業団体や軍事産業を上回るロビー活動をしていると有名だ。その製薬業界が交渉結果に満足せず「やり直し」を求めていることが、大統領選挙で「TPP反対」が湧き起った底流にある。
TPPを推進した米国が、大統領選挙で有力候補がこぞって「TPP反対」を叫んだ。日本では意外に思う人が多いが、極めて当然のことだった。
推進派は「こんな合意では話にならない」と怒り、反対派は「ダメなものはダメ」という態度。ザックリ言えば前者は共和党主流、後者は民主党の予備選で善戦したバーニ―・サンダース氏だ。ヒラリー・クリントンは態度が曖昧だった。民主党候補として雇用を重視する労組に配慮しつつも、オバマ政権を支える支配構造(エスタブリッシュメント)を無視できない。悩んだあげく「米国の利益になる協定ではない」と表明した。
TPP自体は悪くはないが、合意した中味が米国の利益に合致しない、という理屈だ。大統領になったら再交渉する、という態度で国民に不人気なTPPを棚上げしたのがヒラリーだった。
トランプはTPPだけでなく北米自由防衛協定(NAFTA)までやり玉に挙げた。不満を抱える下層白人の受けを狙う「雇用重視」の姿勢を鮮明にした。ヒラリーのような曖昧さを残さず、きっぱりTPPと手を切る態度を示したが、サンダースとは違った。
サンダースは1%が99%を支配する米国の社会構造を問題にしたが、トランプは1%の利益を二国間協議でこれから推進することになるだろう。
この流れを理解するには、米国を巡る通商交渉の潮流変化を知る必要がある。
■他国市場を国がこじ開け企業が乗り込む「米国流」の歴史
自由貿易が米国の旗印だったのは70年代までだった。第二次大戦の一因に、各国が関税の壁を高くして他国製品を排除したことがあったという反省から、戦後、関税引き下げ交渉がガット(GATT=関税および貿易に関する一般協定)で始まった。自由貿易は世界の成長に欠かせない、という神話が生まれたのが60年代である。抜群の競争力を持つ米国が旗を振った。80年代は貿易摩擦の時代。米国はモノづくりで日本の追い上げを受け、鉄鋼・半導体・自動車など国内産業を保護する政策を迫られた。自由貿易を叫びながら裏で輸出を自主規制しろ、と二枚舌外交を始めたのが80年代だ。 
製造業で優位性を失った米国は金融・サービス・知的財産という新分野に活路を見出し「市場開放」を他国に要求するようになる。
90年代に入るとソ連が自滅し、世界丸ごと市場経済になった。国境を越える投資が盛んになり、共通の経済ルールが求められるようになる。誰に有利なルールを作るか、21世紀は交渉力が企業や国家の盛衰を左右する。
国際経済の主役は多国籍企業が演じるようになる。だが、たとえマイクロソフトやグーグルが強い企業でも、進出する国では当局の規制を受け、思い通りの事業はできない。頼れるのは母国の政府だ。他国の制度を変える外交・軍事力が米国にはある。
ホワイトハウスや議会を味方に付ければ、都合のいいルールを世界に広めることができる。アメリカは政治献金が青天井。ロビー活動は自由。グローバル化する経済に乗って多国籍企業は成長が期待できるアジア市場を取りに行く。中国に先手を打って米国に有利な経済ルールを既成事実化する、という「国取物語」である。
■トランプが復活させる「日本市場への注文」
その中で日米はどんな関係か。アメリカにとってGDP世界3位の日本が加わらないTPPは意味がない。経済圏として重みがないし、市場として魅力もない。
米国は経済ブロックとしてTPPを構築すると同時に、日本市場に米国企業が浸透する好機と位置付けた。
交渉参加が決まった2013年4月、麻生財務相は「かんぽ生命からがん保険の申請が出ても認可しない」と表明した。がん保険は日米保険協議の合意で米国の保険会社アフラックが日本で独占的に売っていた。この既得権をかんぽ生命が侵さないことを、日本はTPPの参加条件のひとつにされた。
かんぽ生命の動きを封じたうえで、アフラックは全国の郵便局でがん保険を売る特権を獲得した。TPP交渉と並行する二国間協議は、米企業が日本で有利に事業を展開できる取り決めをする場になった。
源流は89年に始まった日米構造協議だ。貿易不均衡の是正を目的とした二国間協議で、93年に日米包括経済協議へと名を変え、94年からは「年次改革要望書」として毎年、日本に注文を付けるようになった。
民主党政権で中断されたが「日米経済調和対話」と名を変え継続している。トランプがぶち上げた「二国間交渉」とは、まさにこの方式である。
連綿と続く米国の市場開放要求は、この3年はTPP交渉の裏でやってきたが、米国がTPPから離脱すれば、もとの「日米対話」に座敷を変えるだけのこと。それが米国の立場だ。
農産5品目など日本が守れなかった「聖域」や、30年後に引き延ばされた自動車関税など日本にとって痛恨の交渉結果は、日米二国間で決まった。TPPがなくても米国は約束の履行を求めてくるだろう。そして再交渉が始まる。 
ヒラリーが「米国の利益に合致しない。再交渉が必要だ」と語っていたのは、このことだ。一見、民主党支持の労組をおもんぱかっての発言に聞こえたが、製薬業界など交渉結果に不満を抱く強者に配慮した姿勢でもあった。トランプも同じだった。 
雇用に不満を抱える下層白人に配慮するそぶりを見せながら、共和党主流と同じ「強者」を代弁する交渉がTPP離脱後に始まるだろう。 
■米韓FTAは再交渉で韓国不利に日米の再交渉は二の舞にならないか
改めて注目したいのが2012年に発効した米韓FTAだ。TPPのお手本とされたこの協定は再交渉で誕生した。
ブッシュ政権時代に最初の協定が決まったが、08年の大統領選に出馬したオバマは「米国の利益を損なう」と反対した。当選後、再交渉となり韓国に厳しい内容になった。
北朝鮮と対峙する韓国は米軍の支援を抜きに安全保障を維持できず、隣接する中国との関係からも米国の後ろ盾を必要とする。李明博大統領は米国の要求を呑まざるを得なかった。再協議は秘密交渉で行われ、膨大な協定の中身は国会で十分な周知がないまま決まってしまった。
日本で再交渉が始まれば同様の事態になりはしないか。
焦点のひとつに薬価がある。日本は米国に次ぐ巨大市場だ。薬価を高値に維持する特許期間の延長が協議されるだろう。
日本の製薬会社も「8年では短すぎる」としている。TPPでは途上国が短縮を求め押し切ったが、日米協議に途上国はいない。
薬価の決め方も米国は突いてくるだろう。TPP協定付属文書に「医療品及び医療機器に関する透明性及び手続きの公正な実施」という規定が盛られた。当たり前のことが書かれているように見えるが、キーワードは「透明性」と「公正」。2011年の日米経済調和対話で「利害関係者に対する審議会の開放性に関わる要件を厳格化し、審議会の透明性と包括性を向上させる」という項目が入った。審議会とは厚労省の中央社会保険医療協議会。実務を担う薬価専門部会に米国製薬企業の代表を加えろ、と米国は要求している。
遺伝子技術の進歩で画期的なバイオ新薬がぞくぞくと登場したが価格がバカ高い。小野薬品工業のがん治療薬オプジーボは、患者一人に年間3500万円がかかる。健康保険が適用されるが財政負担が問題となり、来年から薬価が半額になることが決まった。
米国の製剤会社は日本の国民皆保険でバイオ製剤を売りたい。新薬認可や保険適応を円滑に進めるため、決定過程に入れろ、と圧力をかけている。高額薬品をどんどん入れれば財政がパンクし国民皆保険が危うくなる。
米国は国民皆保険がないため、病院に行けない医療難民がたくさんいる。オバマケアで最低限の保険制度を作る試みが始まったが財政負担が嵩み、金持ちや共和党が目の敵にしている。トランプは「撤回」を視野に再検討する構えだ。米国の製薬企業は、日本の皆保険は新薬の巨大市場と見ている。世界一薬価が高く政治力のある米国資本が薬価決定に参入すれば、日本の薬価はどうなるのか。 
こうした問題は日米交渉の一端でしかない。しかしTPPで何が話し合われたか、国会で真剣な協議が行われていない。二国間協議に移ればなおさらだ。
振り返れば、BSE(狂牛病)の取り扱いや、遺伝子組み換え作物の「微量混入」も、日本の自主的判断で、米国の要求に沿った解決になった。自動車摩擦の頃、日本が「自主規制」で米国の意に沿った決着に至ったのと同じことが今も行われている。
「TPP離脱」に、呆れている場合ではない。トランプはしたたかである。
%%%%%

福島沖地震、海外日本代表選手のゴール

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:2016年11月22日朝6時少し前に発生した福島県沖地震の震央位置。中央の白丸のあたり。震央を挟むように南北に走る窪んだ地形が見える。福島原子力発電所の正に真東約60km〕
海底地形161122


 桃太郎さん 第一家来 雉さんが 雄叫びあげて 犬さん続けり

 二人〔?、一羽と一匹〕が、地震を感じて周辺住民に警戒の声を上げてくれました。二人の活躍に目を覚まされた私は「鬼退治に出かける桃太郎」になった気分であります。猿はどうした?との声が聞こえます。どうやら猿は家来の中の内輪揉めのようですな。
 
 そろそろ起きようかなと思っていた矢先、久しぶりに雉の「ケーン」との雄たけび。そしてその直後、どこぞの飼い犬が臆病丸出しの心細げなそしてヒステリックな鳴き声。そして私のベッドがかなり長く揺れていました。このまま収まるのかなとの期待は裏切られました。十数秒後でしょうか、大きく揺さぶられました。家のどこかで何やらが落ちた音がします。これは、「でかい!」。

+++++2016年11月22日早朝の地震
 もしかしたら元禄大地震の再来か!と、慌てて階下に走り降りTVをつけると「津波が来ます!逃げてください!」なる絶叫画面。TV地震報道
津波逆流〔砂押川)
津波遡上〔多賀)
 どうやら震央は福島沖、1938年〔昭和13年〕の塩屋崎地震の発生場所近くであったようです。と言うわけで、今回の記事には、現時点で集まった情報を並べておきます。震央は冒頭のグーグル地図に示されています。

 まずは気象庁の記者発表資料です。
(図1:気象庁記者発表資料「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第78報) 平成28年11月22日05時59分頃の福島県沖の地震」より
 気象庁会見 )
Seismap161122
 

 東北日本の太平洋側は、あの2011年3月11日の地震以後、誠に騒がしくなったことが図1からわかります。この図から色々な特徴をあげつらうことは出来ますが、今ブログ記事では、情報の羅列のみにとどめておくことにします。
 〔図2:防災科学技術研究所提供の情報によるこの地域の地震活動背景。上の図との違いは、m>2の地震までをも含めていることにある。これによって、普段の背景活動〔back ground〕が見えてくる。中央の円は、防災科学研究所による発震機構図であるが、速報に間に合わせるためのもので、これは正しくないとされているhinet 〕
防災seis161122


 上の図で、赤で示される地震群は深さが10km以浅の極浅発地震、黄色はそれより深く30〜40km以浅の地震群を示しています。図2で注目したいことは、赤い点群が一様に分布するのではなく、東側のグループと西側のグループに分かれていることです。その分岐域を“青の点線”で示しています。今般の地震はこの浅い地震〔赤点群)が起きていないゾーンで起きています。
 何故、こうした浅い地震が起きないゾーンがあるのか?そこで何故今般の地震が起きたのか?現時点では、この二つの疑問への回答をブログ管理人は持っていません。

 今般の地震の破壊様式を、いつものようにGlobal CMT Catalogue(CMT Catalogue ) による波形解析結果からながめておきます。
〔図3:.癲璽瓮鵐肇謄鵐愁訐分、⊆膠力成分と非DC成分、H震機構図と主応力方向〕
fps161122


 NonDC成分は負値で、1.2%程度です。これはすぐ上の3つのeigen値の比較からもわかるように最大固有値〔三番目〕が一番大きく、最小のそれの絶対値を僅かに1.2%ほど上回ったことを示しています。つまり、張力〔最大固有値に相当)がこの地震を引き起こしたと理解できるのかも知れません(TVの地震研究者の解説と整合します)。が、この僅かな違いは、むしろこの地震が圧縮応力で起きた可能性もあったのやも知れません。実際、この地域での地震活動にはそれをうかがわせるものがあります。
 NonDCとは非ダブルカップルの意味です。地震時に地盤が震央の周りで瞬時といえどもどちら向きに回転したのかに関する情報と思いがちですが、それをこの量から推測することは出来ません。

Centroid time-Hypocenter time=9.4 秒です。これを2011年3月11日のあの巨大地震前後の値と比べたもの図4です。
 (図4:Global CMT Catalogue によるCentroid time-Hypocenter timeが Mwに対してプロットされている。選んだ地震は2008年1月1日から2011年4月1日の期間に東北日本で発生したもの。今般の地震が赤の楕円で示されている。理由は地震マグニチュードが気象庁によるその値と異なるため)
Ct-Ot


 今般の地震についてはCentroid time-Hypocenter time(Ct-Otと略称)の値は、異常ではなく、収まるべきところに収まっているようです。この図を見て改めて思うことは2011年3月11日の地震です。(Ct-Ot)値は他の点列からかけ離れたところにあります(図の右上)。
 あの地震を「巨大地震」として「地震」の範疇に閉じ込めた議論をすることは適切ではないと思わせます。地球上、それが大げさすぎるのであれば日本列島界隈で発生した一大地学変動事件と考えたほうが良いのかもしれません。巨大津波、巨大地震波の発生は、その大変動事件の単なる一つの発現事象であったと。とするならば、この地下での大変動の余効は現在も継続しているはずです。日本列島がこの大事件でどの方向に変貌を遂げつつあるのか?等々。それをどうやって捉えるのか?次世代の地球科学者に課せられた使命です。

(図5:2013年10月26日〜2016年11月22日の期間の地震活動。作図法は此れまでと同じ。座標の原点は2013年10月26日地震の震央)
Epi161122
 

 今般の地震・震央に地震群が集中しています。そこで、ABCD領域内の地震についてその発生様式を眺めたものが図6です。
〔図6:図5で示された矩形内の地震群を矩形の一辺ABから測った距離(km)で示したもの。上は、ABにおいた鉛直断面への地震群の投影を南西から眺めたもの:下は地震群の発生時間〕
cross-section161122

 まずは、上の鉛直断面投影図です。太平洋プレートの日本列島への潜り込む様子が明瞭に見て取れます。そして、今般の地震はそのプレートから遥か浅いところで発生しています。特に注目されるのは、今般の地震発生域の周囲の地震活動が欠落状態に近いことです〔緑の点線で囲まれた域)。つまりそこでは浅い地震が発生していません。これは図2で青い太矢印で示した浅い地震活動の低い帯状の域に対応しています。この帯状の域が2011年3月11日以降に作られたのか、以前からそうであったのか?誠に興味深いことです。此れも次世代の研究者への引継ぎ事項です。

 図6の下は、地震群の時間的発生順が極めて規則的であることです。それを矢印で示しています。つまり、矩形のB点からA点方向に向かって地震活動が移動していることが(migration)明瞭に見て取れます。今般の地震〔赤印〕はそうした系列からも離れています。大変に興味深いことです。

 終わりに:ブログ公開日に間に合うように図を作ることに時間を取られました。これらの図を作成するためにはScilabソフトで作成した計算プログラムを走らせます。見易い図を作ろうと、プログラムに手を入れると、それが仇になり変更によりプログラムが走らなくなったりします。年甲斐も無く、若い頃を懐かしみました。と言うわけで、古代史の話や科学雑誌の記事の紹介は休載となりました。

+++++嬉しいニュースです。
 本田圭祐選手など海外のチームに所属するサッカ日本代表選手の不振が心配されていました。そんな雰囲気の中で、香川、岡崎がやってくれました。
%%%%%記事転載
香川、2分間で圧巻の2ゴール! CL5年ぶりの得点でチームは逆転に成功
SOCCER KING 11/23(水) 5:14配信
香川2ゴール 
 チャンピオンズリーグ(CL)・グループステージ第5節が22日に行われ、日本代表MF香川真司が所属するドルトムント(ドイツ)とレギア・ワルシャワ(ポーランド)が対戦した。
 先制点を許したドルトムント。しかし17分、エリア右で横パスを受けたフランス代表MFウスマン・デンベレが浮き球のボールを供給すると、ファーサイドに走りこんだ香川が頭で押し込み同点ゴールを挙げた。さらに直後の18分、エリア右でデンベレからパスをもらった香川は左足で冷静にボールをトラップ。そのままDFをかわして左足を振りぬくと、シュートがゴール右に突き刺さり、逆転ゴールとなった。同大会で香川が得点を挙げたのは、初ゴールを挙げた2011年11月23日のアーセナル戦以来で、約5年ぶりのことだった。

岡崎ゴール 
レスター岡崎、CL初先発で記念すべき初ゴール! 日本選手6人目のCL得点者に
ゲキサカ 11/23(水) 5:13配信

 レスター・シティのFW岡崎慎司が、UEFAチャンピオンズリーグで初ゴールを決めた。
レスターは22日、欧州CLグループリーグ第5節でホームにクラブ・ブルージュ(ベルギー)を迎えた。欧州CL初先発となった岡崎は前半5分、カウンターから左サイドを駆け上がったDFクリスティアン・フクスの低いクロスを左足で合わせ、先制点を奪取。これが岡崎にとって、欧州CL初得点となった。
なお、『オプタ』によると岡崎は、本田圭佑(CSKAモスクワ)、中村俊輔(セルティック)、内田篤人(シャルケ)、香川真司(ドルトムント)、稲本潤一(ガラタサライ)に続いて、欧州CLでゴールを決めた6人目の日本人選手となった。
%%%%%記事転載終わり

おいなりさん、堤未果氏(東京新聞、11月19日付け)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:上ったばかりの円いお日様が濃い朝もやの向こうに見えます)
朝日1236

 
濃い靄を 透かして見ゆる 朝の日が くっきり丸く カメラに収まる

 依然として収まらないトランプ衝撃波。我が国の、親分何を思ったか、他国に先駆けて一番乗りでNY詣で。詣での見返りがあったのやら、無かったのやら。TV,新聞はトランプ次期大統領の周囲を固める政府要人の配置から、何がしかを読み取ろうと必死です。誰それは「極右」である、「好戦派」、・・・なんとやらです。そして、相変わらず「米国民は真っ二つである」との叫びをやめない米国有力紙とそれを受け売りする日本のジャーナリズム。
 民主主義を標榜する米国のジャーナリズムは反トランプを叫んで暴行を繰り返す一部市民を煽り立てているかのごとき報道。一体どうなってしまったのか?2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタ(WTC、2011年4月6日記事 2001.09.11 )での『胡散臭いテロもどき』事件での米国ジャーナリズムの取り乱しようを思うにつけ、「民主主義」なるものの儚さを改めて思います。しかし、これは他山の石ではありません。何せ、我が国のトップは「民主主義」へのコンプライアンス(遵守)とは一切無縁です。その都度、我々庶民は「それはおかしい!」と異議の声をあげるしかありません。しかし、それすらも政府要人に届くのかどうかは定かでありません。何せ、政府要人の辞書には「民主主義」なる単語は無いのですから。
 今般の米国大統領選挙について東京新聞が堤未果氏にインタビューをしています(参考記事、11月11日堤未果 )。
(図1:東京新聞11月19日付に掲載された堤未香氏のインタビュー記事)
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+++++信太郡(しのだのこおり)と稲荷信仰
 現時点での私のブログの焦点は日本書紀「神代下」の下記の一節の解読をすること、とりわけ「斎」とは何か?その内実の考察にあります。
 %%%%%日本書紀より
原文:神代下
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」136頁
 一書は書く。天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国を平定させた。その時この二神が言うには、「天には悪神がいる。その名を天津甕星、亦の名を天香香背男と言う。先ずは此神を征伐して然る後に葦原中国に進軍すべき。是時、斎主(いわいぬし)神を斎之大人と呼ぶ。此神は今は東国の楫取之地在乎東国楫(かとり)に在る。
%%%%%日本書紀記事抜粋終わり

 常陸国風土記をこの機会にあらためて丁寧に見るまでは(と、言っても、未だ全体の半分しか目を通していない段階ですが)、上に引用した日本書紀の一節の解読作業の手がかりが風土記これほどに豊かに潜んでいようとは思っていませんでした。
 信太郡の記事は、「斎」なるものを構成する重要な一部を語っていることがわかってきました。前回書いたように、風土記は日本書紀の表現を借りて、在来土着の宗教を語っていたのです。興味深いことは、日本書紀では公然と言及する「天の悪神、つまり天津甕星」には触れません。そして、稲荷信仰の発祥に言及するのです。後日、考察する「久慈郷」でも再度、この信仰が語られます。
 正確な表現をするならばアイヌ族の家庭内のささやかな信仰「イナウ」を外に引きずり出して一つの宗教を拵え上げたということです。この作業は藤原不比等の日本列島支配手段の一つの側面であったのです。Wikiは 稲荷信仰について「あれこれ」書いています。それらは、議論するに値しないと考えますので、ここではそれを転載することはしません。
 
 念のために付け加えておきますが、尤も重要な「斎」の主要な柱は、言うまでも無く「天照大神」の創出です。以後の日本列島の「神道」にあっては、この「大神」は常に中心に据えられてきました。しかし、この大神に付された名前は、その登場と役割が大仰にしては、ずいぶんとお座なりであったことを以前書きました。

 ここでその議論を簡単に振り返っておきます。「大神」の命名が隋書倭国伝に記載されている「倭国王」の名前、“倭王姓阿毎、字多利思比孤”に由来することを以前書きました。姓である“阿毎(あめ)”は古代ペルシア語由来で「火」、「明」を意味する言葉ですが、不比等はこれに「天」なる漢字をあて「(阿毎)アメ』転じて「アマ」と音させます。
 次に字(あざ)である「(多利思)タリシ」です。此れも古代ペルシア語に由来します。この意味は「黄金」、「輝く」と言う意味です。この二つを機械的につなぐと「アマ・タリシ」となります。これが転じて「アマテラス』となります。これは不思議でもなんでもないのです。既に書いたように東国と九州から構成される倭国は日本列島在住のアイヌ族と遠く西域ペルシアからの渡来族から成る一団であったので、首領の名前が古代ペルシア語に由来するのです。

 命名の作業は更に続きます。「(倭)王(おう)」を「大(大→おう)」に置き換えます。その上で、アイヌ族の信仰精神である「カムイ」に「神」なる漢字をあて、「カミ」と音させることで、「天照大神」が誕生したのです。日本列島に「神」なる漢字が登場したのは八世紀始めと言ってよいと考えています。

 この「大神』の“誕生”は藤原不比等の生きた時代(contemporary)の出来事なのであって、太古の大昔ではありません。なぜならば、此れも既に書いたことですが古事記・日本書紀が書く編年は現代から過去に遡っており(但し、応神紀まで)、「神代」紀が実は、正に現代史であるからです。勿論、後年の編集作業で、神代紀にはしかるべく「太古の時代」であるかのごとき装いをほどこしています。古代史研究者達はこの「装い」を見抜けず、その事象の時系列を妄信するがゆえに、記載の真偽に頭を痛めてきたのです。

 もう一つ付け加えておきます。古事記・日本書紀はこの「大神」が天御中主神によって創られたと率直に書いています。天御中主神の「中」はまさに、東西の倭国に挟まれ、その『中』にあって、列島制覇を企て実行した人物です。その人物とは中臣鎌足であり、中大兄の二人の「中」です。私は、この名前も怪しいものと思っています。それはともかく、この二人の「中」の謀議で日本国の「宗教」が作られたのです。

 安倍首相が自らの政治的理念の支えとする「日本会議」なるものは、そのHPで以下を主張しています:
%%%%%日本会議の書く「理念」
自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。
 また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。
%%%%%
 自らの国の成り立ち、宗教についての精緻な考察をせずして、記紀の記載を妄信し、それを国家運営の基本に据えることに私は限りない不安を感じています。日本会議は「天皇制」或いは「明治憲法」の復活と言う本音を隠すためにしきりに「伝統」その点それをと言う言葉で置き換えるのです。

 ところで11月14日記事  西部・小池対談 で紹介した西部・小池討論の終盤で西部氏もしきりに『伝統』を口にします。現行憲法を論じる際、西部氏は「戦力不保持」以外の条項は全く問題ないと言明します。つまり改憲の必要は無いと言い切ります。
 この西部氏が指摘する「戦力不保持」条項については 、私も同意見です。自衛隊の存続を正当と考えるのであれば、この条項は変更するしかないからです。

 その他の条項について、西部氏言う「他の条項」として例えば、13条(公共の福祉)、20条(信教の自由)を例に挙げて「日本国の伝統に照らして解釈すればよい」との自説を語ります。西部氏は1950年代末にあって全学連の指導部を構成した方です。デモ行進を規制する側の論拠が主として13条です。そして、当時日本の左翼勢力が最も神経を尖らせたのが「国家神道」野復活です。西部氏は、政府権力と対峙する中でこの二つの条文と長く向き合ってきたのでしょう。
 私は西部氏の言う「伝統」が「日本会議』のいう伝統と同様に曖昧であるがゆえに両者の言が重なって聞こえます。つまりあやふやな出発点を持つ日本国の支配体系・歴史を明らかにしないまま放置してそこに創られた慣習を「伝統』とよんでいるのではないか?
これについては、当面の本ブログの主題ではないので、ここで止めておきます。
(つづく)

常陸国・信太郡とオイナリさん、難病に立ち向かう大隣投手

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(写真:ひこばえに実がついて、「誰か、刈り取ってくれ〜」と叫んでいます。クリックすると写真が拡大されます)
ひこばえ1222


 小春日に 稲を実らす ひこばえ哉

 ひどい話です。北陸電力志賀原子力発電所での水漏れ事故です。この原発については深刻な「前科」があります。1999年、点検中のために稼動休中の制御棒誤操作のため、なんと臨界事故を起こしていたのです。しかもその事故の報告を8年間隠し続けました。今般の事故も、雨水流入にすぎないなぞと「軽く考える」ならば、大事故に発展しかねい類です。その事象の詳細を下記が伝えています。
%%%%%志賀原発の雨水流入問題 ほかの原発も調査へ
________________________________________
志賀原発
 石川県にある志賀原子力発電所2号機で、ことし9月、大量の雨水が原子炉がある建物に流れ込み、電気設備で漏電が起きた問題で 原子力規制委員会は、ほかの原発などでも同様のトラブルが起こりうるとして、全国の事業者に対策の状況の報告を求めることを決めました。
 北陸電力が再稼働を目指している志賀原発2号機で、ことし9月、原子炉がある建物に大量の雨水が流れ込んで 非常用の照明に電気を送る分電盤の1つで漏電するトラブルが起き、原子力規制庁はさらに流入すれば、安全上重要な機器の電源を失うおそれがあったとしています。
 一方、北陸電力は周辺の排水路が工事中で十分な排水ができなかったことなどが原因だったと報告しています。
%%%%%記事転載終わり

+++++風土記(信太郡)
 西に隣接する下毛野国を平らげた藤原不比等を総帥とする東夷軍(この時期はまだ「征夷大将軍」なる呼称は無かったと思われます)は、常陸国に乱入します。風土記・新治郡はその事態を「為平東夷之荒賊」と、書きます。「東側に(常陸国を指す)跋扈する暴虐三昧の賊である夷人(野蛮人)を平らげるために・・・云々」と。
 しかし、誰かがこっそりとこの表現に“いちゃもん”をつけたのです。それが後日或いは後年の書き込みです。興味深いことには風土記はその書き込みを削除せず放置したのです。その書き込みが誠に痛快です。
「俗云阿良夫流尓斯母之」と書き込むのです。私流に意訳するならば、「てやんでえ!、俺(おら)たちは知ってるど。暴虐三昧(あらぶるこうい)を振るった連中は、西(下野毛)から来た奴らだっぺ!」と(参考:9月21日記事 毛野国)。

 こうして、常陸国域で新たに東夷軍に降(くだ)ったのが新治郡であったのです。そして、次に狙われたのが南に在る筑波です。ここにはどうやら整然とした支配体系が整備されていたらしい。それが「この地はかって紀国」であったとの記述から判明します。「紀」が古代ペルシア語のkiyaに由来すると考えられるからです。これは「王、支配者、勇者、総督」を意味します。そこで筑波郡での諜報活動のために東夷軍が放ったのが「ツクタン」(諜報活動の意味)です。
 渡来族でない東夷軍が古代ペルシア語に由来する表現を風土記に持ち込むことはおかしいのではないか?との疑問を持つ方も居られるやも知れません。このあたりの詳細を語れるだけの手札はありません。しかし、東夷軍が捕虜として捕まえた人間を「ツクタン」(スパイ)として用いたなど、色々と想像を膨らませることは出来ます。「ツクタン」には後日「筑箪」なる漢字表記が当てられ、そこから弁当箱を経て『握り飯』説話になったのであろうことは以前書きました。

 屈服したご褒美の一つが「筑波郡」では衣食に困らなくなったとの説話です。「東の高峰・富士山は一年中雪を載せられ寒い想いをしているが、富士より寒いはずの当地には蜜柑が実るほどの温暖な環境を提供してあげる』と、風土記は書きます。

 何故、ツクバがこれほど重視されたのか?理由は明らかです。この南に下総国がでんと控えており、この地は、この時点では渡来族ーアイヌ族連合の支配下にあったからです。かくして東夷軍の次の標的が信太郡となります。信太郡と筑波郡に挟まれて「白壁」郡があります。何故かこの郡については常陸国風土記は口を閉ざしています。信太郡を考察した後に、この郡についての考察を少し書くつもりです。
 
【図1: 信太郡に関する風土記記事、クリックすると拡大できます】
161104風土記信太024a

 
 信太郡の冒頭は 「古老曰天地権與草木言語之時自天降来神名称普都大神巡行葦原中津国和平山河荒梗之類大神化道巳畢・・・・・及所玉珪悉皆脱蓰・・・(以下略)」と、書きます。
 図らずも漢語の勉強をすることとなりました。「権與」(けんよ、物事の始まり)は「秤の重りと、台」に由来するのだそうです(学研漢和大辞典より)。つまり天と地が出来上がったとき、草木は「ざわざわ」としゃべっていた、と書きます。これは新約聖書・ヨハネ福音書を連想させます:
%%%%%( ヨハネによる福音書1章1節 ヨハネ福音書 )
 はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
%%%%% 
 「草木言語」は、草木までもがしゃべっていた。これは民衆の素朴な宗教を形容しているのです。
この記載は日本書紀の記事を連想させます。それを
5月13日記事(列島既存宗教 )から転載します:
%%%%%日本書紀巻(二)抜粋
(1) 原文:神代下
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以為葦原中国之主。然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神。復有草木咸能言語。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」110頁
 遂に皇孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立て、葦原中国之主(葦原中津国のぬし)とせんと欲する。然うして彼地には多くの蛍火の光る神や、蠅のようにブンブンとうるさく騒ぎ立てる邪(よこしまな)神が多く居た。さらには、草木までもが咸(よく)言語を話すことができた。

(2)原文:神代下
於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」120頁
 ここにおいて、二神(武甕槌神、経津主)は諸々の不順(まつろわぬ)鬼神等を誅(せいばつ)することとした。〈或る伝承は以下のように書く:二神は遂に邪神を征伐したさらには草・木・石に宿る神をも屈服させた。かくして皆これに平服した。しかし、其所そこ〉に不服者(従わない)者たちがいた。それは星神(ほしのかみ)である香香背男(かがせお=こうしょう=こしおう)であった。そこで倭文神(わぶみ)を派遣した。さらには建葉槌命(たけはつち)を派遣したところ平伏した。こうして二神は天にもどった。〉倭文神を斯図梨俄未(しとりがみ)と言う。〉こうして命を果たして復した。
%%%%%過去記事転載終わり

 藤原不比等がすでに新約聖書にまで目を通していたらしいことには、驚かされます。思えば、聖徳太子の母が厩の前でにわかに陣痛を覚えたこと、神武天皇の即位年設定にはどうやらキリストの誕生年が用いられた(2013年4月12日記事 神武天皇即位年設定 )ことなどを思い合わせれば、納得がゆかないでもありません。

 どちらが、どちらの真似をしたのか(剽窃)。この地にも東夷軍隊に随わぬ”異教徒“が多く存在しており、彼らを「和平」、つまり『和』(な)だめ「平」伏させたのが「普都大神」であったと風土記・信太郡は書きます。この「大神」の出自は古事記・日本書紀の両古書によって語られています。武甕槌命と共に「国譲り」事業での大立者です。そして、武甕槌命がパワーつまり軍事力で東国の野蛮人を屈服させた一方で、この大神はどうやら「宗教」を持ち込んでそれを通じて東国の野蛮人を征服させる。つまり二人は東国の征服事業に当たっての「硬軟」戦略を使い分ける任務を夫々が担っていたことが見えてきます。

 そのことは、上記に続く以下のクダリで明らかになります:
「其里西飯名社此則筑波岳所有飯名神別族也」
“この里の西に飯名社がある。これは筑波山にある飯名神の別族である“と、書きます。この地には「イナウ」に基づく信仰体系があったと書くのです。「イナウ」は、アイヌ族が各家の聖なる場所に安置して、一日の平穏無事を願う、宗教と言うよりはむしろささやかな精神安寧の象徴です。此れを家の外に引きずり出してあたかも既存の宗教体系であるかの如く描き出したのが上記の一節です。こうして「イナリ」信仰が無理やりに作られたのだと思っています。それは、後年「稲荷」なる漢字を当てられ「列島古来の宗教」として藤原不比等の在来宗教尊重姿勢の象徴とされるのです。
 ここにおいて、飯豊女王が在地のアイヌのささやかな信仰体系に払った敬意は権力による国家宗教に無理やり変えさせられたのです。此れも後日書く「斎」の一つの側面です。

 藤原不比等が風土記を作成するに当たって、宗教(精神)的側面を東国の野蛮人を服従させるための戦略の一つとして、この新宗教体系「イナリ」を活用したのです。実は、此れが後日語ることになる香取陣屋の簒奪とそこでオーソライズされる「斎』なる宗教儀式の集大成に繋がります。
 この信夫郡はその活動の具体化であると思っています。常陸国風土記・信夫郡のクダリは、日本列島の精神史の重大一面を語っていたと言うべきなのです。
(つづく)

+++++大隣投手(おおとなり ソフトバンク)
 私は、野球にはそれほどの関心は無いのですが、なんとなく流行を追っかけてきました。2000年代初めは落合博満氏を追っかけました。氏の率直な物言い、そして鋭い観察眼、“有言実行”に惹かれました。氏が中日監督を辞した途端熱が冷めました。自前の球団経営をしてきた貧乏な広島カープと、佐藤寿人がエースとして奮闘するサンフレッチェ広島を長く応援してきた経緯もあり、今度は激しい黒田博樹広島投手のフアンです。しかし、黒田投手は引退との事、まあ、齢ですから仕方ありません。
 
 何時であったか、普段ほとんど観ないTVで偶々野球観戦をしていた時に投げていたのがソフトバンクの大隣投手でした。この時には、なんと読むのかすら知りませんでした。ところが、この投手の表情、そしてベンチでの同僚選手との対応、自らの後を投げた投手への労(ねぎら)いの表情、仕草に清々しさを見て、以後この選手に注目するようになりました。日本代表にも選ばれるほどの実力のある投手でした。ところが、程なく大隣投手が国が指定するほどの大きな難病に取り憑かれてしまったのです。真っ先に連想したのが、悪性髄膜腫のため投手生命を立たれた盛田幸妃投手です。病を克服したけれども結局45歳の若さで他界を余儀なくされました。

 前回記事で強く批判をしたサッカの本田選手も、本人は語らないが、バセドウ氏病に罹患し、以後のサッカ・プレイヤとしての能力は大きく後退しました。思えば、私が敬愛する中田英寿氏もグロインペイン症候群を抱えながら世界の舞台で戦っていました。サッカーは「格闘技」そのもので、常に怪我のリスクに晒されています。

 野球では、ゲームの7割は投手によって決まるといわれています。つまり投手だけが常に他の選手より何倍ものリスクに晒されています。それに加えて難病です。詳細は下の記事を参照いただきますが、何とか大隣投手が難病と言う困難を克服して、輝かしい野球選手人生をこれからも長く続けて欲しいと心から願っています。

%%%%%ソフトB大隣が抱えた“爆弾” 一瞬を完全燃焼する男の生き様
大隣投手 2016年11月17日 10時44分
 爆弾がまだ3つある。彼は平然と言う。その穏やかな表情から深刻さの度合いは伝わってこない。だが、医師からこうも告げられている。「もう一度、出たら野球はできない」。ソフトバンクの大隣憲司投手(31、明日11月19日が誕生日)が国指定の難病・黄色じん帯骨化症の手術を行ったのは、2013年の6月。もう3年以上、付き合っている。

 「また、出たときは出たとき、しょうがないっす」。そう、明るく言うと、記者に向かって「変顔」を見せた。周囲に心配をかけさせたくない、この男ならではの気遣いだと思う。

 検診は年に一度。手術した箇所以外に再発する可能性がある部分が3つある。黄色じん帯の骨化で胸椎の神経に当たることにより、たちまちしびれなどの症状などを引き起こす。今年10月の定期健診では「厳密に言えば(神経に)当たっているものもある」と医師に指摘されたグレーゾーンも存在し、プレーできなくなる日が訪れるのは今日か、数年先なのか、また、出ないままなのかは分からない。

 この難病にかかった投手で史上初の1軍での勝利をマークした14年には、クライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージ第6戦に中4日で先発し、7回無失点。勝利投手になった。日本シリーズでも1勝し「陰のMVP」と賞賛される。ただ「難病」と言われるのは、困難が何度もやってくるからだ。今シーズンは7月10日の楽天戦(ヤフオクドーム)で6回1失点で白星も、直球の平均は130キロ台の前半。1試合のみで大半は2軍暮らしだった。

 「切れがない。思っているように(体が)軸回転できなかった。いろんなトレーニングをやったけど合わなかったですね」と原因不明のスピード不足に悩んだ。明確ではないが、理由は想像がついた。近鉄時代に同じ難病を患った宮本大輔氏とプレーした高村2軍投手コーチ(現1軍投手コーチ)に「黄色じん帯骨化症をやった投手は体の回転に苦しむことがある」という話を聞いたからだ。「自覚症状はなくとも、影響が出た可能性もあるのか…」。逃れようのない運命でもあるとも悟っている。

 11月上旬、福岡県筑後市のファーム施設で練習する大隣を訪ねた。普段、ベテランは肩肘を休ませる時期にブルペン入りしていた。「健太郎の目慣らしもありますよ」。オフに戦力外通告を受け、現役続行を目指す猪本の調整役を買って出た。ただ、それは同時に自分のためでもあるように思う。「今はいい状態になりつつあります。うまいこと(来春に)キャンプインできればいい。もう、ラスト1年のつもりでやらないと若い投手もいますし、簡単にはローテーションに入れない」。その姿はつかみかけた感覚を忘れないよう、その一瞬、一瞬を完全燃焼する男の生き様に見えた。

 いつ、終えるかも分からない野球人生。ならば全力で駆け抜ける。マウンドに立つ背番号28を見る機会があるならば、彼の背負う運命も合わせ、声援を送ってほしい。(記者コラム・福浦 健太郎)
%%%%%記事紹介終わり

常陸風土記(信太郡、1)、サッカ観戦

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:十七日月を夜明け前に眺めてきました・普段より大きいのか、小さいのか、肉眼ではしかとはわかりません。西にある月の下方には夜明け直前の太陽に照らされた雲が赤く染まっています)
十七月120

 
普段より 大きく見える お月さん 兎の餅つき しかとは見えず

 ついつい、ゲーム終了まで観戦してしまいました。20本近いシュートを放って僅か1点(残る1点はPKなので)。とりわけ本田選手の4本のシュートはどれも“おそまつ”。本田選手はシュートのための位置取りが大変良いので、絶好のパスが集まる。しかし、入らない。あそこに期待の大迫選手が居たらと思いました。ところが、大迫選手は、献身的に他の場所で、ボールを追って走り回っている。サイド違いではあるが、本田選手と同じポジションの原口がボールを追っかけて走り回っているときに、本田はボールへの反応が遅く、敵選手を追っかけまわすこともしない。試合前日に監督の自身への低い評価に公然と不満の弁を述べてました。が、あのパフォーマンスを見る限り劣化は間違いの無いところ。TVで中田英寿氏に熱っぽく語っていたあの頃の本田ではない。これがスポーツでの激しい競争なのでしょう。

 相も変わらずトランプ余波が日本でも収まりません。クリントン氏の落選は「米国民のベターな(ベストではない、念のため)選択であった」と考える人が、TVでおおっぴらに語ることをしないようです。それは新聞も同様です。前回紹介した、小沢遼子氏、西部氏なぞはいわば例外的な評論家ということです。
 こうした論調は、東京新聞も例外ではなく、いささか冷静さを欠いているように見受けられます。昨日付け(2016年11月15日付)紙面、「社会時評」コラムでは社会科学者の吉見俊哉氏が「三回にわたる二候補の討論で“トランプ氏の狂気に対して終始理路整然とした議論を展開したクリントン氏が当選しなかった”ことに強い疑念を表明し「トランプ氏への悪罵に近い評価」を書き連ねています。同じ紙面の『こちら特報部』は「民主主義がトランプを選んだ』との皮肉丸出しの見出しのもとで、「米国の理想主義が“劣情”に敗北した」との小見出しです。どちらも米国民自身の選択を尊重するという姿勢が欠落しています。いうに事欠いて「劣情」などとは、非礼極まりない。
 そして、自らの論調を正当化するために持ち出すのが「学歴」、『難民差別』です。これまた米国民への侮蔑的言辞であることを自覚すべきです。
 それほどにクリントン氏は立派な候補者であるのか?論者諸氏はまずはそれを読者に示すべきでしょう。繰り返し書きますがクリントン氏は今般の選挙戦でおおっぴらに二人のブッシュに公然と支持されてきた人物です。一人は湾岸戦争を仕掛けたパパ・ブッシュ、も一人はイラク侵攻・アフガン侵攻を仕掛けたジュニア・ブッシュです。何故この二人がクリントンを支持したのか?クリントンが米国の戦争政策を担う軍産複合体の代弁者であるからです。そして、格差社会で富者の代表である大手金融資本から莫大な支援を受けていたのがクリントン氏の側です。
 トランプ氏が難民について「きつい」発言を選挙戦の最中に繰り返しました。この難民問題はそもそもクリントン氏の背後に居る軍産複合体による戦争政策が生み出したものです。こうした経緯については一言も触れず、ひたすらトランプ氏の言を、まさに読者の『劣情』に訴えて書きなぐる。異常と思っています。

 選挙結果が決着したにもかかわらず、その結果が気に入らないとばかりにあちらこちらで暴行を繰り返す一部米国民にも呆れています。クリントン支持者の中の「暗黒部分」を見る思いがします。
前回紹介した西部・小池議論( プライムニュースyoutube)について、私が西部氏の議論を全て是としているかのごとき誤解を生んでしまっているようです。経済学者たる西部氏が広く現実社会に深い関心を寄せ、それについて思想家として、解釈・提言しようとしている姿勢に好感があるということです。氏の論点については、いずれ、本ブログで取り上げるつもりです。


+++++常陸国風土記行方郡への前段
 現時点でのテーマは香取の話です。それへの前置として、もう少し風土記の話を続けさせてください。風土記なるものは藤原不比等の日本列島史観を正当化し、補足するために作成されたものであることは疑いありません。しかし、その記載の行間に注意深く目を凝らすと、藤原不比等の政治的思惑がチラチラと顔を出しています。又、直接その歴史観に関わらないと思われる記載から、記紀では理解できなかったファクトが見えるやも知れません。

 常陸国風土記を眺める際の注意点は「倭武天皇」に関する記載です。大方の後世の読者(鎌倉時代以後)は、以下のように常陸国史を理解しています。太古の昔にこの地には神がいた。その地は鹿嶋に居られもう人神は「フツ」神である。その後、今度は景行天皇と息子の倭武天皇が西からやってきてこの常陸の国を新たに治め(新治)た。さらには、孝徳天皇の時代に治世を整えるべく郡の整備が始まった。

 この理解は、古事記・日本書紀が語る編年とは異なっています。この地に崇神天皇が遣わされた四将軍のお一人がこの地を通過して会津にまでその威勢を及ぼした、筈ですがその経緯はほとんど語られない。常陸の国で野蛮を極めたのは在地の「クズ」とも称される、「人」であるのか、「獣」であるのか、はたや『大蛇』であるのかわからない輩です。こうした「クズ」共を退治するべく奈良から派遣されたのが「倭武天皇」であるかのごとき記載です。

 この記述は、常陸国以外の住人にとってはさほどの抵抗感無く受け入れられますが、私どものようなこの国の住民にとっては、受け入れがたくそれは「敗者の立場で読む常陸国風土記」(杉崎健一郎著、雑誌「常総の歴史」、No.29,崙(ろん)書房刊)と読むのです。実在の倭国王「武」(宋書倭国伝)と、記紀に登場する倭武天皇(王)との”意識的“混同操作”によってもたらされたものです。本ブログのメインテーマとして力説してきたのが倭王「武」の南進です。一方、倭武天皇は奈良の藤原不比等から派遣された謂わば軍隊で、彼らは「北進」して常陸国を侵攻し、それを基調にして常陸国風土記を書き上げているのです。この重大な違いを年とにおきながら歴史の真実を見極めようと言う作業こそが、現時点での常陸国風土記解読なのです。 

 その一つとして、明らかになったのが、前回書いた「筑波命」、「紀国」です。この解明は藤原不比等の思惑を暴いたものと思っています。つまり、常陸国の七世紀以前の政情がうかびあがってきたからです。

 さて、現時点の論点は那須岳―香取線です。とりわけ「息栖』神社と鹿嶋・香取の「要石」と「玉造」なる地が関わっているのかどうか?これについて風土記が何がしかを示唆しているかもしれません。

風土記は筑波郡に続いて信太郡を書きます。その記事に触れる前に、もう一度、常陸国を構成する郡を再掲します:
(図1:常陸国を構成する郡。赤丸番号は風土記に記載されている順番。番号の無い郡(河内、白壁)の記載は風土記に見当たらな
常陸順番


今回ブログ冒頭で書いた背景を念頭に置くと、図1で示した常陸国風土記の郡の記載順序には重要な意味があることがわかります。真っ先に登場するのが新治郡です。これは下毛野国二隣接しています。
前々回の記事で新治郡の記載に以下の件(くだり)があることを紹介しました(11月9日記事 ):
「為平東夷之荒賊、俗云阿良夫流尓斯母之、・・・・」
「風土記」校注者の植垣節也氏はこれを「東国で荒れ狂う野蛮な賊どもを平らげるために・・・」と解読します。上記の引用節で「俗・・・」は別人が後に書き込んだものと理解されています。その内容は「世間(俗)が言うには、荒ぶる西者・・・」と読み取れるというわけです。
この書き込み文についての解読について、校注者は「意味不明」であると率直に白状しています。私は、事実を知る反体制の知識人が、こっそりと書き込んだものではないかとの想像しています。正に「西」から来た軍隊が常陸国に侵攻してきたことを書いたのだろうと、言うわけです。この私の想像を上の地図と重ね合わせると、その事態が鮮明になります。
奈良から派遣された軍勢は東進し、毛野国(現在の群馬県、栃木県)を征します。、そこから東隣の常陸の国になだれ込んできたのです。なだれ込んできたのは「正に西から来た荒くれ共」なのです。この書き込みが「東夷之荒賊』と整合しない理由はここにあったのです。風土記の記載から背後の歴史真実が見えてくる瞬間でもあります。

さて、こうした視点から信太郡の話に移ります。下毛野国から常陸国へ侵攻した奈良の軍勢が次に陥れたのが筑波です。筑波郡の記載は、「ここにはかって王国があった」(紀の国)とありますから重要な軍事標的です。そして次に侵攻するのがこれから書く 南西部に位置する「信太郡」です。この地は、下総国に隣接しています。次回、その本文と背景を書きます。

(つづく)

風土記筑波郡(5、紀之国とは?)、西部・小池氏が語る

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝の空に白線を引いたような飛行機雲)
飛行機雲1202


 まっすぐに 空に引かれた 白い線 もしやユーフォと 動きを見守る

 四・五年も前の事でしたが、某巨大掲示板で「ケムトレイル」論なるものをしきりに投稿していた御仁がいました。「空中に何やらの薬剤を散布する。それを吸引すると、人(ひと)は自らの頭で考える力を失ってゆく。これが“ケムトレール”(chem trail)。世界に新しい秩序を構築することを目論む特権グループが、圧倒的多数の人民を意のままに操って(奴隷状態という意)世界支配を達成する手段」とその人は主張します。 
 いわゆる「陰謀論者」です。この人にとってはあらゆる飛行機雲はこうした支配者の目論見に沿った「薬剤散布」行動と映ったようで、その都度、煙・雲の写真を投稿欄に貼り付けては大騒ぎしていました。久しぶりに見る飛行機雲から、そんなことを思い出しました。

 この御仁はそうした議論の中で”geoengineering”なるものを何処からか見つけてきました。これも「脳への薬剤」と思ったのでしょう。しかし、これは地球温暖化対策として米国の気象研究者が言い出したものです。「空中に太陽光線を反射させるような微粒子を散布し、それによって、太陽光を反射させる。結果として地上にやってくる太陽熱を減少させることが出来る」と言う主張です(2012年12月24日記事 ケムトレイル議論)。地球温暖化を熱心に言い立てる人は、大気圏のCO2を含む地球温暖化物質が人間の活動によって(anthropogenic)増大することが地球の温暖化の主因であるといいます。これに更になにやら得体の知れない物質を付け加えるというのです。私は胡散臭くトンチンカンな議論と思っています。

 トランプ当選の余波がおさまりません。トランプ当選を歓迎する人対しては”ネトウヨ”であるとか、“低学歴”であるとかなどの侮蔑的言が投げつけられています。私は”ネトウヨ”との自覚はありませんが、その一人と言うわけです。しかし、私は、そう宣まわる方々に「じゃあ、ヒラリ・クリントン氏は善玉なのか?」と問い返したいのです。氏は正に世界中を戦争に巻き込んでいる米国軍産複合体の代弁者です。個人的な「恨み、つらみ」ではありますが、2010年に民主党が衆議院選挙で大勝利を納め、首相に任命された鳩山由紀夫氏が「沖縄問題の解決で米国と筋の通った話し合いをする」と表明した際、「ジャップ奴(め)!」と口汚く呟いたとされる人物がクリントン夫人でもあります。

 さて、それはともかく、その 余波として、BSTV(プライムニュース)で誠に興味深い対談がなされました。それは下記のyoutubeに公開されています。
プライムニュース 
 これは経済学者の西部邁氏と日本共産党書紀局長の小池晃氏にキャスタの反町理氏が問うという形式で一時間余にわたって議論が進みます。論議の詳細は上記動画を視聴いただくとして、ここでは私自身の視聴の感想之一端を書き留めておきます。9月23日記事宇沢弘文で「二人の宇弘」なる記事を紹介しました。このうちのお一人宇沢弘文氏について、経済学の論客金子勝氏が、かって
金子勝Verified account ‏@masaru_kaneko Nov 5View translation
『宇沢弘文傑作論文全ファイル』(東洋経済新報社)を落手。「社会的共通資本」論を軸に、経済学の限界、環境、医療、教育、農村とコモンズ論などを体系的に追いかけています。思想家と呼べる経済学者が少なくなった今、読み返す意味は大きい。」

と、ツイートしています。
 西部氏の語り口と、西部氏も宇沢氏と同様車に乗らないという話からから宇沢弘文氏を連想した次第です。どうみても西部氏には、これまでの遍歴から「俗っぽさ」が付きまといますが、上で聴く氏の主張は明確です。教養の奥深さから医者である小池氏にはいささか重過ぎる相手ではなかったか、と観察しました。

 私は、かねてより西部氏の議論に惹かれるものがありました(2015年7月20日(日本の経済学者 ))。あるときは左高信氏、あるときは美人ソプラノ歌手・鮫島由美子氏と睦みあうなど、いささか俗っぽいのですが、しっかりと文献を読み、その上で自分の頭でそれらをしっかりと構成し、文字なり、言葉なりに変換してゆく能力を見せ付けられるのです。それを支えるのが強い「知的好奇心」です。とかく、昨今あちらこちらで見かける経済学者が「身につかない経済用語をまくし立てて何とか相手をやりこめよう」と言う議論とは違っています。

 この西部氏の議論を聴いて、更に連想したのが、偶々最近読んだ「政治家の本棚」(早野透、朝日新聞 2002)です。この本では朝日新聞記者であった著者が43名の政治家の「本棚」を語ります。西部氏についての私の観察に最も近い人物が上田耕一郎氏の本棚です。青年期の悩みと、知的好奇心がない混ざった読書遍歴に人間としての真摯さを感じました。驚いたのが氏は、左翼文献に自らを縛らないのです。「キッシンジャ回顧録」にまで目をひろげ、 さらには2010年代に小沢問題で大きく話題になった「日本権力構造の謎」(ウオルフレン、日本滞在が長いオランダ人ジャーナリスト)にまで目を通していたことに驚かされました。

 人が生きる支えの第一は「知的好奇心」つまり観察することの喜びです。自己愛、或いは自己中心的発想からは観察力は育ちません。そして観察された対象の挙動の謎解きをする喜びです。これは、先日ノーベル賞を受賞した大隅(おおすみ)良典(よしのり)栄誉教授(71)の言でもあります。他人様が言ったこと、書いたことを記憶するだけ、これは知的営みとは言いません。

+++++常陸国風土記(5)
 何時までも風土記の考察に立ち止まっているわけには行かないのですが、ついつい、「なんでだろう」との疑問が湧き上がり、寄り道をしています。前回、意識的にスルーした疑問があります。それは冒頭の「古老曰筑波之県古謂紀国」の件です。下の原文で右端です。
(図1:常陸国風土記・筑波郡の冒頭部分の原文)
筑波


 上記の件(くだり)は以下のように続きます(現代文):
崇神天皇之世に、采女臣の同属である筑箪命を紀国の国造にしたとき、筑箪命は「紀之国と言う国名を自分の名前に変えて後世に残したい」と望んだ。そこで、国の名を変えて筑波と称する事とした。
ウイキは以下を書きます:
%%%%%「紀伊」の名称と由来[抜粋] wiki,紀之国
 7世紀に成立した当初は、木国(現代の標準語・共通語表記:きのくに)であった。名称の由来として、雨が多く森林が生い茂っている様相から「木国」と命名された、という説がある。また、今の和歌山県北部が、有力豪族である紀氏が支配していた地域であるから「紀の国」というようになった、という説もある。実際に、律令制以前の紀伊国は紀伊国造の領土のみであり、熊野国造の領土(牟婁郡)を含まなかった。
 和銅6年(713年)に「雅字(良い文字の意)二文字で国名を表すように」との勅令が出された時、紀伊国と表記するようになった。現代の近畿方言では「木」(きい)、「目」(めえ)、「手」(てえ)のように、標準語・共通語における1拍語を母音を変化させて2拍語にする例が見られるが、木国も同様、もともと当地の発音で「きいのくに」だったため当て字して「紀伊国」とした、とする説がある[1]。逆に、「紀伊国」と書きながら「伊」は黙字で、後に「きいのくに」と読まれるようになった、とする説もある[2]。ただし、奈良時代の日本語の発音は不明の点も多く、はっきりしない。
沿革
 7世紀に成立した。
 紀伊国は歴史が古く、『古事記』には神武天皇が大和に入る時に紀伊熊野を通ったとされるなど、事実はともかく、奈良盆地を地盤とするヤマト王権から知られた国であった。王権は、海人集団を部民に編成する海部の設定を進めた。また、忌部の設定は「紀氏集団」の在地の祭祀権を揺るがした。しかし、部民の設定は充分に展開しなかった。王権はつぎに国造制の導入と屯倉の設定という方策をとった。
%%%%%
 実は、私はこのウイキの説に大きく影響されました。紀の国は「木」の国。とすれば筑波、筑紫、などは「筑』は「竹」を意味するので「竹」之国に由来すると考えていました。
 実際、中央アジアでは「竹」を見たことが無いという人が多いのです。十五年ほど前、仕事の都合でカザフスタンの研究者を一週間ほど日本に招待したことがあります。初めての日本とあって、その方は見るもの聴くもの何でも珍しく興味を持ちました。その中で特に忘れられないのが鎌倉の竹林でした(会合は鎌倉近くのホテルで開催されていたため)。竹が忘れられないと後日語っていました。中央アジアを経て日本列島に渡来した一族にとっても思いは同じであったかもしれないと想像したからです。

 しかし、前回書いたように「筑箪」が外来語である古代ペルシア語であるとするとその意味は「求める、探す、集める、蓄える』です。つまり、本隊に先駆けて未知の地を探り、情報を収集する人物であったことになります。そうとすると「キ」も外来語である可能性があります。
 
なんと“Kiya”(ラテン文字表記)は古代ペルシア語で「王」、支配者と言う意味なのです。話が見えてきました。つまり風土記・筑波郡の冒頭は以下のように読み取れるのです:
『本隊に先駆けてこの地に入った人物(「筑箪」)が、そのままこの地の「支配者」を任された。』
 つまり 昔、渡来族がこの地にやってきて、この地に本陣を構えた、との歴史事実を暗意しています。

 勿論原文に忠実であろうとするなら:
『王国があり、そこに「筑箪」が入り込んでそのまま「国造」すなわち支配者になった』とも読めます。このように読めば、それは奈良政権の手先が筑波之地を占領したという意味になります。しかし、これは、藤原不比等の風土記作成奨励をふくめ、日本列島の公然たる制覇の野望を隠したいとの意に反することのようにおもえます。

「筑箪」を古代ペルシア語とすればその意味は上記です。因みに「tuk」は古代ペルシア語では「見る」と言う意味です。筑紫、杵築、千曲、こうした地名には「見る」と言う行動が暗意されているのではなかろうかとも思っています。そういえば「目に付く」と言う表現が日本語にあります。そもそもの由来は古代ペルシア語ではなかろうか?
(つづく)

常陸国風土記(4、筑波郡)、トランプ氏各論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:近所の民家の庭に たわわになる蜜柑(左)と柿(右)。柿は当たり年と言うのがあるそうで、毎年[たわわ」と言うことは無いのだそうです。どうやら今年は「たわわ」年のようです。クリックすると拡大できます)
CIMG11柿


 たわわなり つくば名物 みかんに柿 太古の昔の 神の配慮

この歌の真意は 本日の記事で詳述されています。
+++++風土記常陸国、筑波郡
 前回、常陸国風土記の新治郡の件で「阿良夫流尓斯母之」を論じました。わたくしは物知りのしかも奈良政権に批判的な人間がこの風土記編纂に関わっていて、こっそりと「あらぶる人間と言うのはペルシアからの渡来人である」と書き込んだのではないか、との想像を書きました。これについて読者のお一人から鋭いご指摘を頂きました。それは文字通り「あらぶる西人」つまり「奈良政権から東国に派遣された軍事要員であった。つまり荒らっぽい振る舞いをつくした」人であった、「彼らは正に西からやってきた奴らだ」と読み取れる、と言うのです。その事実をこっそりと書き込んだのではないか、と。私は、このコメントに同意しています。
(図1:常陸国風土記、筑波郡より)
161104風土記筑波a


 風土記は「筑波」の由来を次のように書いています(図2右の数行):
「 崇神天皇の時代に筑箪(つくは)命が国の造に任ぜられた。命はこの地に自分の名前をつけたので、筑波郡と呼ぶようになった。風俗(くにぶり)の言葉に“握飯筑波の国”という。」
 この後に“何故富士山は一年中白く冷たい雪をかぶせられ、筑波山には何故ミカンが生るのか”との有名な説話が続きます(図2左の数行)。
(図2:常陸風土記、筑波郡つづき、クリックすると拡大され読みやすくなります)
筑波


 これが、筑波蜜柑の由来であります。つまり、おおもとの神様に筑波在住の神はなけなしの食料をはたいてもてなし、親切にもてなしたのです。寒風吹きすさぶ北関東(とりわけ一昨夜の風)の地にありながら、思ったほどすっぱくない蜜柑やら甘い柿が成育し、民は飢えに苦しまずにいるのはそのおかげというわけです。それが冒頭の写真のたわわな蜜柑なのです。
 ところで、この二つの関東の名山は距離にしてどれほど隔たっているのでしょうか。それを計算してみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.226 140.101] 筑波山頂
sta(lat,lon)=[35.363 138.730] 富士山頂
Dlt,Azm,Bzm= 距離:1.41(度) a=232.59 b=51.79 距離:156.5 -km

 富士山は筑波山から距離にして157km、方角は南西よりやや西よりにあることになります。十年以上筑波に住み、二人の子供が小さい頃はしばしば、徒歩で頂上を”極め”ました。天気が良いときにははっきりと肉眼で富士山を見ることができます。
ところで6月13日付記事(http://c23.biz/CchQ )で書きましたが、那須岳―香取間の水平距離は147kmです。ということは、那須岳から、香取の地は見えているはずです。また、香取の地から那須岳を肉眼で望めた筈です。
 実際には、渡来族の最大の関心事は方角にあったはずで、それには高精度の「測量」が必要でした。那須岳からの方位測定は夏至日の真夜中です。どのようにシリウス星方位を測定したのか?大変な興味があります。八溝―鹿島聖線の構築で、そのための技術が開発され、それを適用したのでしょう。多分、光源としての松明をしかるべき位置に配置することで、夜の計測をし、昼の計測で補正するなどの作業もあったと思われます。とりわけ、シリウス星は年経過に対して天球上を動きます。原則としては1回きりの計測となります。詳細の考察は別の機会に譲ります。

 上に紹介した風土記に「握飯筑波」なる風俗語が登場します。それは、図2に示す様に飢えた神様に筑波の神が飯を馳走したとの説話に由来します。「筑箪(つくは)」は「竹で編んだ箱」を意味します。つまり“竹の弁当箱”と言うことになります。江戸時代の幕府役人が役所に出勤する際、奥方から持たされるのが、この“竹で編んだ弁当箱”です。風が通るので中の握り飯が「いたまない」んですな。

 風土記の訳者は筑箪に“つくは”と仮名を振ります。筑は『竹』、箪は「箱」ですから、上に書いたように『竹で編んだ箱』となります。それから弁当が連想され、その弁当の中身である“握り飯”にたどり着いたのでしょう。「筑箪」を文字通りに音すると「チクタン」です。もしかしてこれは外来語ではないのか?その可能性をまずは「アイヌ語」辞典に探してみました。ありません。そこでいつもの通り「古代ペルシヤ語辞典に求めてみます。

 幸いにして、私が足繁く通うA経済大学の図書館には「新ペルシア語辞典」(黒柳恒男著、大学書林)が備えられています。この辞典は「新」と銘打ちますが「古」を付して古代ペルシア語をも含んでいます。嬉しいことです。早速頁を開くと目に入るのが
 “tukhtan”(ラテン文字表記、ペルシア語文字を書くことができないので)、まさに「ツクタン」です。この意味として付されているのが
「求める、探す、集める、貯える」です。どれが、ツクバの地にかって在留した渡来人の意向に適った行動であるのか。この地には「天狗」伝説が多いのです。「天狗」から連想するのが秋田の「ナマハゲ」など、正に鼻の高い「渡来人」つまり西域の人々です。そして彼らがこの地に南下して何を求めたのか?何を探したのか?何を集めたのか?そして何を貯えたのか?現時点での貧脳の私の創造力を超えています。

 ところで、日本列島のきわめて重要な場所に「チク」を名前に持つ土地(場所)があることにかねてより注目しています。まず最初にあげねばならないのが九州の「筑紫」です。ここは西の倭です。出雲の「杵築」は、梅原猛氏が言う日本国宗教の一つの結節点です。そして信州の「千曲」川、ここは西の倭国の首領を葬り去った地です。これは何か?私のかねてよりの疑問です。現時点では性急に答えを求めないことにしておきます。

(つづく)

+++++米国大統領選挙議論
 前回、本ブログ記事で米国大統領選挙についての私見を書きました。これについて、私が愛読している竹田茂夫氏は東京新聞で以下を書きます。
(図12:東京新聞11月10日付。連載コラムより。クリックすると拡大できます)
CIMG11竹田


 ウーンであります。にわかには同意しがたい。これまで東京新聞に豊富な読書歴を踏まえたコラム執筆者とは思えないほどの浅薄な内容と、私には思えます。たとえば「地球温暖化」否定を「非科学」的と断じます。私はこれに同意しません。ので、あえてこのコラム記事については、私のコメントはさしあたりひかえておきます。
 
 本日朝のTBSラディオ朝8時のレギュラコメンテータの小沢遼子氏は米国在住の堤未果氏の著書を引用しつつ、今般の選挙結果は実は米国での民衆によるいわば「無血暴動・未成熟な革命」であったと思えるとの感想を語っていました。私自身は堤氏の著作は読んでいませんが、インターネットで堤氏の米国観察に触れることが出来ましたので以下に転載しておきます。この観察は、選挙結果前のもので、選挙後の後付け的議論ではありません。それだけに大変説得力があり、氏の観察眼の確かさを見る思いです:
%%%%%堤未果氏による米国観察
堤未果
 堤未果氏(国際ジャーナリスト)が出演した2016年11月4日放送のNHKラジオ第1「マイあさラジオ 今週のオピニオン」の書き起こしです。音声は下記URLで聞くことができます。
「アメリカ大統領選挙の隠れた争点」
11月4日(金)マイあさラジオ 今週のオピニオン
NHKでの堤未果
(書き起こしここから)
キャスター:堤さん、おはようございます。
堤:おはようございます。
キャスター:今回は、堤さんが注目されたテーマは何でしょうか?
堤:来週8日に投票日を迎えるアメリカ大統領選挙の隠れた争点に注目しています。
キャスター:隠れた争点、何でしょうか?
堤:いくつかあるんですが、その1つとして戦争ですね。
キャスター:戦争ですか。
堤:まず民主党のヒラリー・クリントン候補は、非常に好戦的だということでよく知られているんです。例えば2003年のイラク戦争に賛成している。それから2008年の大統領選挙の時に、イスラエルを擁護したイラン攻撃発言というのがあります。これは「イスラエルにイランが何かするようであれば、自分はイスラエル側に付いてイランを徹底的に潰す」というような、かなり積極的な発言をして問題になりました。
キャスター:前回の大統領選挙に出た時にそういった発言をしたということですね。
堤:はい。それからもう一つ、彼女が国務長官時代にサウジアラビアやクウェートなどおよそ20ヵ国へ、日本円で言うと16兆円ぐらいの武器の輸出を承認しているんですね、国務長官として。一方で同じ時期に、それらの国の政府ですとか軍需産業からクリントン夫妻の財団が数百万ドルの寄付を受けていた。この事実を、ABCニュースですとかニューヨークタイムスそれから非営利の政府監視機関が「これは利益相反じゃないか」と批判をしている。こういったことから、戦争に対して積極的な候補だというふうに見られています。
キャスター:一方の共和党のドナルド・トランプ候補なんですけれども、こちらはどうなんでしょうか?
堤:トランプ候補が訴えるのは米軍の海外介入反対。ロシアや中国などとも関係を改善していく。なので、非常に非戦闘的な外交政策ということで、これは対局にあるわけです。ですので、例えば今年の9月6日にトランプさんの陣営は、彼を支持する退役軍人、上級軍人も含む88人の「トランプさんを支持します」という署名文書を公表しています。それからNBCがこの夏に行った世論調査でも、軍関係者の支持率はヒラリー・クリントン氏の34%の対し、トランプ氏が49%と非常に優勢。
軍関係者は元々共和党候補を支持するという傾向はあるんですが、今回の大統領選挙の興味深いところは、軍需産業はヒラリー・クリントンさんを応援している。ですけれども、退役軍人とか現場の軍関係者はトランプさんを応援している。こういう対立図になっています。
キャスター:ヒラリーさんは、これまでのオバマ大統領の方針をおおむね引き継ぐと言っていると。しかもかなり戦争に積極的な面もあるんだと。一方でトランプさんは、比較的孤立主義と言いますか、世界の警察官的な役割を続けることには否定的だととられるような発言もしているということですね。
堤:おっしゃるとおりですね。
キャスター:その辺がトランプさんの場合には、具体的にちょっと見えない部分もあるけれども、発言の内容だけ見ているとそういった傾向が見てとれると。それが支持にも現れているということなんですね。
堤:そういうことですね。アメリカはご存じの通り世界100ヶ所に基地を持ち、不況の時は「戦争はアメリカにとっての公共事業だ」と言われる国なんです。その中で「米軍を海外の基地から撤退させる」というトランプさんの発言は非常に重いです。これは何を反映しているかと言いますと、国民の間で厭戦ムードが相当高まっているということなんですね。
キャスター:景気はすごくアメリカは良くなってきているという報道も一部ありますけれども、ただその使われ方を含めていろんな意見があるというような報道もされてますね。
堤:おっしゃるとおりですね。例えば、政府発表の16年度の財政赤字が日本円で約61兆円、前年より34%増えているという報道がされる中、この間続けている対テロ戦争の費用はというと、およそ73兆円と相当軍事予算に割いているわけです。
軍事費は拡大する一方で、例えば学資ローンを返せない国民が4000万人を超えている。それから金融危機以降500万人が家を失っている。それから15歳から29歳の若者の3人に2人が、経済的理由から親と同居せざるを得なくなっている。非常に国民生活というのが厳しくなっているわけです。
キャスター:言葉を変えれば、貧富の差であるとか公平性がやっぱりちょっとずれてきているんではないかというような感覚が広がっているのは間違いない、ということなんですね。
堤:そうですね。
キャスター:やっぱり民主党でサンダースさんがあれだけ伸ばしたというのは、そこも一つ原因としてあるんでしょうね。
堤:おっしゃるとおりですね。サンダースさんは特に若者の支持を集めた。やっと自分たちのために政治をしてくれる候補者が現れたということで、支持を集めたということですね。もう一つは、2001年の同時多発テロ以降、戦争の民営化というのが非常に加速しています。
キャスター:戦争の民営化ですか。
堤:はい。兵士だけではなくて、今、派遣社員という形でもうたくさんの国民が戦場に向かっています。
キャスター:民間の会社が現地に行っていて、そこにいわゆる貧困層の人たちが派遣社員として入って行っているということですか。
堤:そうですね。例えばイラクやアフガニスタンで私が取材したところによると、警備員とかトラックの運転手とか軍の中の例えば調理をする人だとか、そうした業務は給料はいいんですけれども、帰国後の補償はない。例えば米兵だったら、帰国して障害があったり生活に困れば補償されるんですね、家族も含めて。そういうのが一切ない。ただ、生活苦から派遣社員として戦地に向わざるを得ない、それしか選択肢がないという国民もどんどん増えています。
一方で、政府にとっては戦争を民間に一部委託することで、正規軍のような退役後の補償など障害コストというのを減らすことができる。それから派遣された民間人が死亡しても、戦死者としての政府発表をする必要がなかったり、反戦の世論を押さえ込める。政治的コストが削減できるというメリットがあります。
キャスター:そういった実態に国民が今少しずつ気づき始めているということなんでしょうかね。
堤:そういうことですね。兵士と民間労働者の比率というのは、第二次大戦の時に7対1、ベトナム戦争で5対1だったんですが、イラク戦争でほぼ同数なんですね。だからこの頃から派遣労働者という形で戦地に行く人が増え始めたということで、実感が広がってきたんですね。
キャスター:お話を伺っていると、来週の8日には新しい大統領が決まるわけですけれども、その後も引き続きそういった視点で見ていく必要がありそうですね。
堤:はい。安全保障問題は日本が米国から最も影響を受ける分野の一つですので、今この大統領選挙の報道って非常に表面的なことばかりなので、社会的・政治的コストの実態をしっかりと検証して、日本にとって何がベストかということを踏まえた国民的な議論が必要だというふうに思いますね。
キャスター:堤さん、ありがとうございました。
堤:ありがとうございました。
キャスター:今週のオピニオン、国際ジャーナリストの堤未果さんでした。
(書き起こしここまで)

[関連]
なぜ日本に“トランプ”は現れないか 堤未果 (プレジデント)- Yahoo!ニュース 2016年7月19日
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160719-00018516-president-bus_all&p=1
週刊エコノミスト記事掲載! | 堤未果オフィシャルウェブサイト 2016年10月17日
http://www.mikatsutsumi.org/news/?p=1457
【大竹まこと×堤未果×町亜聖】 政府の嘘を見抜け! 「大竹メインディッシュ」2016年9月7日放送分
https://www.youtube.com/watch?v=GuhCix7NYeQ
堤未果(@TsutsumiMika)さん | Twitter
https://twitter.com/tsutsumimika
%%%%%インタネット記事転載おわり

 次は、選挙結果判明後の安倍政権のアタフタぶりです。
%%%%%トランプ勝利を予測できず 安倍政権と大メディア“赤っ恥”
メディア 2016年11月10日
「トランプ氏は国内産業の保護やメキシコとの国境の壁建設などを公約に掲げていました。これらはいわば、グローバリズムに対する反発です。グローバリズムを定義するとすれば、巨大資本による世界規模の利潤追求であり、それが米国で1%の富裕層と99%の貧困層を生み出し、格差社会を招いた。英国のEU離脱の原動力になったのは移民、難民を制限して雇用を守る――ということでしたが、トランプ旋風も根っこは同じ。格差に対する怒りが勝利に結びついたと言っていい。メディアは世界に広がる反グローバリズム、反新自由主義の世論を理解していなかったのです」

 一方、予想外の結末に慌てていたのは安倍政権も同様だ。トランプ優勢が報じられると、官邸筋の談話として「人脈づくりから始めないと」なんて声が報じられる始末。安倍首相は夜に「日米は揺るぎない同盟国」なんて祝辞を出したが、“泥縄”はアリアリだった。
「私は全ての国民の大統領になる」「米国を再建し、アメリカンドリームを復活させる」――。ニューヨーク市で自信マンマンの勝利宣言だった。第45代大統領の座を手中に収めた共和党候補の実業家ドナルド・トランプ(70)。政府・軍での職務経験を持たない大統領は米国史上初だ。

 それにしても赤っ恥をかいたのは、日本の大新聞・テレビだ。選挙期間中、「トランプ旋風」「トランプの悪夢」と面白おかしく報じる一方で、トランプを差別主義者の異端児として勝手に泡沫候補扱いしてきた。9日の大統領選を中継したテレビ特番でも、投開票前は「ヒラリー当確」の雰囲気だったが、開票作業が進むにつれ、スタジオ内にピリピリした緊張感が漂う様子がハッキリ分かった。要するにメディアは、米国世論を完全に見誤っていたのである。

 埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏(経済学)はこう言う。
米国ベッタリ日本外交の見ちゃいられないアタフタ

 安倍官邸はマサカの展開にてんやわんやだ。トランプ当確を受けて、安倍首相は大慌てで河合克行首相補佐官に渡米を指示。「速やかに新政権との信頼関係を築くべき」ともっともらしい訓示を垂れたらしいが、時すでに遅しだ。トランプのアベ嫌いは筋金入りで、散々こき下ろしてきた。
〈安倍はトンデモナイことをした。円の価値を徹底的に下げて、米国経済を破壊している〉
〈安倍は米国経済にとって“殺人者”だ〉
 選挙戦を通じ名指しで安倍批判を繰り返し、言いたい放題だった。よほど感情的になったのか、9月に訪米した安倍はヒラリーとだけ会談。すでに共和党候補だったにもかかわらず、トランプをスルーしていたのである。国際ジャーナリストの春名幹男氏(早大客員教授)は言う。

「安倍政権は大混乱に陥っているでしょう。訪米中に挨拶ひとつしなかったことからも、トランプ側とのパイプは築けていない。イチから関係を構築するにしても、誰が政権入りするかも分からない。閣僚や官僚を含むスタッフは3000人ほどが入れ替わる。まさに手詰まりです。共和党からある程度は送り込むことになるでしょうから、そこのツテを探り、必死に働きかけるのが関の山。トランプ氏はアベノミクスを罵り、日本を中国同様に為替操作国と見なしています。円安誘導をしていると厳しい態度で迫られかねません」

 安倍はトランプに贈った祝辞で「同盟」を4回も強調。〈日米同盟の絆を一層強固にする〉〈日米同盟は、国際社会が直面する課題に互いに協力して貢献していく「希望の同盟」〉とすがっていたが、トランプにはヌカにクギだ。米国追従のツケがついに回ってきた。
%%%%%記事紹介おわり

 だからと言って、米国の日本にとってはうまい筋書きとは言えないことを以下のブログが論じています。はて、さて、どうなることやらであります。

%%%%%トランプの狙いは、日米FTAと日本の軍備増強。ペテン総理の思惑とも合致しているに違いない。(くろねこの短語)
それでもTPP国会承認?
2016年11月11日

 TPPからの撤退を公約にしたトランプが次期大統領に決まった直後に日本ではTPP承認案が衆議院を通過。普通、取引先の企業が社内抗争で社長交代したら、更迭された前社長と進めていたプロジェクトはいったんストップするもんじゃないのか。しかも、TPPに関しては日本はアメリカの下請けみたいなもんなんだから、どんなに契約続行を訴えたところで、「はいそれまでよ」って頭叩かれたら、それで一巻の終わりです。
・TPP承認案、衆院を通過 与党、発効遠のく中で採決強行
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201611/CK2016111102000129.html
 でも、ひょっとしたら、そこまで強気にTPP採決したってことは、大統領選にトランプが勝利直後の電話会談とやらで、ペテン総理は泣きを入れたのかもかもしれない。「TPP採決に関しては面子があるのでどうにかお許しを。その代わりにと言っちゃなんですが、思いやり予算はたっぷりはずみますし、なんなら軍備増強して、自主防衛ということで中国に積極的にプレッシャーかけてもよござんす」なんて具合だったんじゃないの。
 さらに、「TPPみたいな多国間交渉はやめて、この際ですから、日米FTAということでどうでしょう。もちろん。ISDS条項なんかも盛り込んで、米韓FTAをイメージしてます」とまで踏み込んでたりして。
 こんな妄想でもしなけりゃ、いくらなんだって衆議院でTPP採決なんて愚かしいことはできないだろう。
 TPP撤回の代わりに、日米FTAと東南アジア海域で米軍の肩代わりするための軍備増強。これがトランプの狙いで、それはまたペテン総理の改憲、国軍設置、核装備という野望にも合致しているのではなかろうか。「トランプ氏の大統領選勝利は、安倍政権の対米追従、沖縄軽視、社会保障より防衛関連重視の予算編成、改憲志向といった傾向をますます強化させることになるのだろう」としいう志葉玲氏の指摘は、おっしゃる通りなのだ。
・<トランプの米国>(上) TPP否定「貿易は2国間で」
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016111190070635.html
・トランプの勝因、日本への影響
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20161110-00064277/
 巷に谺する、「アメリカ大統領がトランプだからって何ヒビッてんだよ。日本なんて安倍だぞ」というつぶやきが、妙に心に刺さる雨の週末であった。
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常陸国風土記(3、新治郡)、記憶の繋がる機構(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:枯れ枝ではありません。この時期に登場するのは珍しいのですが、笄(こうがい)ヒルです。ゆっくりと右方に体をくねらせながら進んでいました。どうも、コイツには腹黒さを感じるので、触りたくないですな。それにしても自然界は奇妙な生物を創ります。)
PA29笄ひる


 謝々(シェイシエイ)と 感謝の言を 口にして 疲れた体を 座席に埋めり

 驚きました。米国の新大統領選挙で、トランプ氏が大差でクリントン氏を破りました。クリントン氏は米国の軍産共同体の強い意向を背負い、それあってか、国内にとどまらず、カタールなど国外の多国籍企業からも巨大な資金援助を得て今回の選挙に満を持して出馬しました。さらには、米国のジャーナリズムをはじめとして、日本を含む大方のジャーナリズムがクリントン氏があたかも自由と民主主義の旗手であるかのごとき幻想を撒き散らし、それが故に、おおっぴらにクリントン氏支持を表明し、選挙民をその方向に誘導すると言う恐るべき選挙でもありました。しかし、その米国支配層の期待を見事に打ち破ったのが米国民です。米国民の勇気ある賢明な選択に祝意を捧げたいと思っています。

 昨日は江戸に出府し、所用を終えた後、新宿と秋葉原をウロウロしました。くたくた状態で電車に乗ると目の前の中年ご婦人が私の腕を軽く叩き「座れ」と合図するのです。中国語が聞こえていたので、咄嗟に出た言葉が「謝々(シェイシエイ)」でありました。ご婦人から笑顔で何か言葉が返ってきました。多分「it’s my pleasure」を意味する中国語と思われます。
 中国人旅行者の無作法振りをネットで頻繁に見て呆れていました。電車内で子供に小便させる、バイキング・レストランでは根こそぎ料理を自分の皿に積み上げるなどなどの蛮行で欧州各国ではしかるべき警戒態勢・・云々などを聞いていました。ところが、昨日の中年ご婦人と連れと思える中年男女五名、優しい笑顔で私に応えるのですね。ネットで見聞きするような人たちとは全く異なる中国人を見た思いでした。

 十年近く足を踏み入れなかった秋葉原も大きく様変わりです。まずはあの“でっかいな〜”のCMソングで知られる「石丸電気」が消失していました。電気街のほとんどの店内は「爆買い」客対応で、いたるところに中国語です。しかし、昨日は爆買いの人達は少なかったようです。店員さんも日本語を話す中国人です。いきなりの質問が「#!@&?%ᴧ?」でした。私がキョトンとしていると「日本人ですか?」と外国訛りの日本語で尋ねます。探している電気用品を彼女に告げると、「最新・高価」製品が並んでる棚に案内してくれます。「日本人、金無い、高いのダメある」と、思わず私は片言の日本語をしゃべってました。彼女は魅惑的な小さく可愛らしい唇をちょっと歪めて苦笑していました。

+++++風土記(3)
 香島郡の件は、孝徳天皇の時代のことであると風土記は書きます。日本書紀編年に随えば、645年、蘇我入鹿が飛鳥板蓋宮の大極殿で暗殺されます。この暗殺事件は、その年が太歳乙巳(きのとみ、いっし)であることから「乙巳の変」と呼ばれています。この弑は時の女帝・皇極天皇の眼前で実行されたと日本書紀は書きます。そうした事情から皇極女帝は退位し、弟の軽皇子に譲位します。この方が漢風諡号孝徳天皇です。九年後に死去し、皇極天皇が天皇位に返り咲きます(重祚)。
私は「乙巳の変」なるクーデータ事件は、その内容が蘇我入鹿の弑と言うよりは、むしろ東西に威を広げる倭国へのおおっぴらな叛乱行動の始まりであったろうと考えています。この後日本列島は戦乱に陥り、やがて九州を舞台とする「壬申の乱」へと展開します。それが日本書紀編年では西暦672年です。このような戦乱の最中、奈良の勢力が悠長に鹿嶋郡のことに関わっている余力は無かったはずです。それは早くとも日本書紀の撰上の後、つまり西暦720年以後の事であったと思っています。西暦720年直前こそ、奈良の勢力が香取の地を押さえ、その上に立って香島攻略を仕掛けたのです。

 こうした経緯を考慮するならば、常陸国風土記が書く内容は日本書紀の記載・筋書きに縛られており、そのシナリオから逸脱することはできません。藤原不比等のシナリオでは、香島を含む常陸国の奈良中央政権への服属は七世紀の半ばということになっているのです。つまり幻の「大化の改新」にあわせ、この時代に律令の法整備、支配体制の大枠が定まったとしているのです。

 常陸風土記は、香島そして行方郡への奈良勢力による攻略を、あたかも倭建命による日本列島東部制覇行動として記述しています。まずは冒頭の「総記」のくだりを見る事にします。ここでは、常陸国の名前の由来を語る中で、早速、倭武天皇が登場しています(図1:右側頁の右から九行目)。曰く“倭武天皇巡狩東夷之国幸過新治之県・・・・・“(倭武天皇が東の野蛮人のたむろする国を武力で(狩)制圧しながら、新治のほうへ進む途中・・・・・)と総記は書きます。

(図1:常陸国風土記、「総記」(風土記(小学館刊、354頁より)
161104風土記総記023

 冒頭の「総記」で、いきなり、倭武天皇の「巡狩」(軍事行動)が東国の夷人(野蛮人)征伐であることを宣言するのです。そして、本ブログを長く読んでくださっている方には、“事実を捻じ曲げるどころか、真反対に描いている”と受け取ってくれたはずです。

 繰り返しますが、事実は、奈良盆地に拠点を置く藤原不比等に統帥された軍隊が「東夷」のために、東国に侵攻し、残虐の限りを尽くしたのです。その残虐行為を為したのは「倭武天皇」ではないのです。風土記が書く「倭武天皇」は、宋書東夷伝に記載される倭王「武」の英雄譚を藤原不比等の描いた史観にそって記紀に移し変えた人物です。実際、倭王「武」は東進どころか、むしろ南進後九州に向かって西進した英雄です。

 さて、風土記を丁寧に眺めていると、またもや本題から逸れて行きかねませんが、次の新治郡での記載に若干ふれておきます:

(図2:常陸の国風土記「新治郡」
161109風土記新治001


 冒頭に「為平東夷之荒賊、俗云阿良夫流尓斯母之、・・・・」とあります。『東夷』をここでも連呼して東国の耶馬人征伐であることを強調するのは既に書きました。私が着目しているのは
「阿良夫流尓斯母之」です。これは、どうやら本文の脇に注として誰かが書き加えたようです。風土記の現代語訳をしている植垣節也教授もその文意解読に困惑したようです。
  そのまま読み下すならば「あらぶるにしもの」つまり「荒々しく暴れる西から来た奴ら」となります。しかし、そうした荒々しい人は、まさにそこ常陸国にいるわけですから、「西者」(にしから来た者)では無いのです。西を「遠く西域、つまりペルシャ」から来た人たちと解釈すると、意味が通るのです。つまり、常陸風土記執筆者群に「見識ある知識人」が加わっており、彼らが風土記完本後こっそりと書き加えたのではなかろうか、と私は想像しています。

 ところで、古代文献を眺めていると「波斯」(はし)、または「破斯」(はし)と言う漢字を見ます。これは「ペルシア」の中国語表記です。日本の古代学文献では「はし」とルビを振り、「ペルシア」を意味すると解説します。学研大漢和辞典(藤堂明保監修)によれば「波」に付されている音のラテン文字表記が「puar」です。これに「斯」をつけると「プアルシ」つまり「ペルシャ」になります。これは『波』が「破」に変わっても同様です。
 ところで上の風土記での漢字表記です。「夫」の音のラテン文字表記は「piu」です。これに従えば「夫流尓斯」は「ピル(ニ)シ』つまり「ペルシア」に近い音となるのです。どうも、誰かが藤原不比等一派の横暴に対してこっそりと造反していたのではなかろうかと想像しています。

(つづく)

+++++How the Brain Builds Memory Chains(2)
 前回紹介した記事の後半部分です。記憶の積み重ねは知識ではない。記憶の間に連関を発見し、更には「蓋然性」を発見する。これが知識であり、「知」である。そこへの経路を研究する人たちの着実な認識の前進を以下の記事が書いています。

%%%%%Recollections of successive events physically entangle each other when brain cells store them
記憶を辿る機構
By Sara Chodosh on July 21, 2016
 
一連の事象を思い出すという脳内の作業は脳細胞が自らの内に蓄えているそれらを互いに絡み合わせることである。

The question was, did that principle apply to two memories that happen close together in time? Neurons in a newly formed memory trace are subsequently more excitable than neighboring brain cells for a transient period of time. It follows then that a memory formed soon after the first might be encoded in an overlapping population of neurons, which is exactly what Frankland and study co-lead author Sheena Josselyn, found.
Mice who formed a fear memory—one where they were given a foot shock in a particular environment—and then formed a second memory six hours later had formed those two memories in overlapping engrams. The rodents who formed the same memories 24 hours apart had separate sets of neurons related to each memory.
Josselyn, a neuroscientist at SickKids and the University of Toronto, and Frankland’s group was also able to tinker with the link between two memories by adjusting the excitability of neurons during different time points. Mice should normally form separate memories when events happen 24 hours apart, but when the researchers re-excited the neurons in the first memory engram while the second memory was forming, they could artificially link those experiences.
 疑問は、その原理は、時間的に近接して発生する二つの記憶に適用されたのか?というものです。記憶経路に新たに形成されたニューロンは、過渡的時間のために、周囲の脳細胞のため、より興奮していることになる。そのニューロンの重なりこそが、Frankland and study co-lead author Sheena Josselynが見つけたものだ。
 特別の環境で足にショックを与えられるという恐怖体験記憶を有し、6時間後の二番目の記憶が重なり合うengramsの中に二つの記憶をその実験鼠は形成している。24時間離れて、同じ記憶を形成した齧歯類は、各メモリに関連するニューロン・セットを分離していた。
 Josselyn, a neuroscientist at SickKids and the University of Toronto, and Frankland’s groupは二つの記憶の接合をいじくることが出来た。それは別の時点でのニューロンの興奮具合を調節することで、それを可能にした。鼠は通常は24時間はなれて事象が発生するときには別の記憶を京成するのであるが、二番目の記憶を京成している間に研究者が最初の記憶engramのニューロンを再励起すると、それらは人工的にこうした体験を接続してしまう。

When they tried to disentangle memories that happened six hours apart, however, they ran into trouble. Decreasing the excitability of the neurons in the first memory during the second event seemed to prevent the second memory from forming. “We were blown away by that,” Josselyn says. In these types of experiments, she explains, they are only ever manipulating about 10 percent of the neurons in the amygdala. If this second memory cannot form, however, that implies something is changing in the other 90 percent of neurons. Their findings mean that neurons are competing to be included in the new engram, and in this competition excitability rules. That 10 percent of neurons are the winners because they inhibit the other 90 percent—it is winner take all.
 しかしながら、6時間離れて起こった記憶を解きほぐそうとすると、トラブルになった。2つ目の事象の間に第一の記憶の中のニューロンの興奮性の低下が二番目の記憶形成を疎外するようになった。「私たちは、そのことによって吹き飛ばされた(これまでの理解が粉砕された、と言う意か?)」とJosselyn氏は述べている。これらのタイプの実験では、扁桃体のニューロンの約10パーセントを操作している。と彼女は説明する。しかしながら、この第二の記憶が形成することができない場合は、そのことは、残りの90パーセントで何か起きていることを暗意している。彼らの発見は、神経細胞が新しいengramの中と競争的興奮度ルールにもぐりこもうとしていることを意味している。その10%のニューロンが勝者である。何故なら他の90%の参入を抑えるのだから。

Being able to look inside a brain at this level of specificity is wholly novel, says neuroscientist Steve Ramirez at Harvard University who was not involved in the new study. “It’s the kind of research that literally 10 years ago it would have been just bananas to think that we could go in and find these memories,” he says. “The future of this research is to get a blueprint of how memory works.”
Although the researchers could only look at two memories at a time, the ultimate goal is to understand a whole network of memories. More than that, Josselyn says, the aim is to understand how memories layer on each other. Put more simply, she adds, “what is knowledge, as opposed to what is a specific memory?”
 特異性のこのレベルで脳の内部を見ることができるということはまさに小説である、と、この新たな研究に関与していないneuroscientist Steve Ramirez at Harvard Universityは述べている。「そうした領域に入り込み、こうした記憶を見つけ出すと考えるのは10年前であればまさにとんでもない研究であった。この研究の未来はどのように記憶と言う門が働くのかと言う研究についての青写真である」と彼は言う。
 研究者は一度に二つの記憶を単に見ることはできたが、最終的な目標は、記憶のネットワーク全体を理解することである。それ以上に、その目的は、記憶が互いにどのように階層をなしているかを理解することだ。と、Josselynは言う。もっと簡単に言えば、「特定のメモリであるものとは対照的な、知識とは何か?」と、彼女は付け加える。

To answer that question they must enter largely untrodden territory. To date this study is only the second of its kind. Josselyn and Frankland studied overlapping memory formation in a brain region called the amygdala, associated with fear experience recollection. In a Nature article published in June neuroscientist Alcino Silva at the University of California, Los Angeles, and his colleagues found the same principle to hold true in the hippocampus, which stores more factual knowledge.
The interaction between memories is in fact a fundamental part of how we form a coherent view of the world. That is a massive goal but these experiments have pushed us in the right direction. “This is a stepping-stone toward understanding how we link information across time,” Silva says, “and I think that’s one of the great mysteries of science because behind that is our ability to understand our world.”
 その質問に答えるためには、全く未踏の領域に入いる必要がある。これまでに本研究は、その種の第二に過ぎなかった。Josselyn and Franklandは恐怖体験回想に関連付けられていた扁桃体と呼ばれる脳の領域の重複記憶形成を研究してきた。Nature誌 6月に発表された論文で、neuroscientist Alcino Silva at the University of California, Los Angeles, and his colleaguesは、より多くの事実に基づく知識を格納する海馬に対して成立する同じ原理を発見した。
 記憶間の相互作用は、実際には、我々は世界のコヒーレントな認識がどのように形成されるかについての基本的な部分である。これは、大規模な目標であるが、これらの実験は、正しい方向に私たちを突き動かしてしている。「これは、時間経過にまたがって情報をリンクする方法を理解するための踏み台で、科学の大きな謎の一つである。何故ならその背後に私たちの世界を理解する能力あるからだ」と、Silva は言う。
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常陸国・香島郡、記憶を辿る機構

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当集落の鎮守様・拝殿への参道が緑の苔で覆われています。不思議に思っていることは、モグラの穴掘り工事跡が、参道の左側に偏在し、右側にはありません。なぜかなと考えています)
PB02鎮守様1

 
おだやかな 小春日和に ウトウトと 額(オデコ)でキイを 叩きけるなり

 ここ数日、暖かい日々が続いています。明日のブログ記事の準備をしつつ、居眠りをしています。何処からとも無く蚊の憎たらしい羽音がまとわりついて目をさまします。が追い払って再びウトウトであります。かくして首が前面に折れ、キーを顔で叩きました。

+++++常陸風土記(2)
 先代旧事本紀の十巻である国造本紀(くにのみやつこもとふみ)は、日本列島に135の国を置き、夫々に国造と呼ばれる「首長」をおいたと記します。しかし、ここには常陸国はありません。そのことを常陸国・風土記は冒頭で書いています。本来その冒頭をまず、考察すべきところでしたが(次回考察予定)、「息栖」の所在地にまずは関心があったため、いきなり「香島」郡の話となります。

常陸風土記の『香島』のくだりは、
“孝徳天皇五年(大化五年、西暦649年)に大乙中臣兎子などが惣領・高向大夫に請うて「下総の海上(うなかみ)造の領地、軽野より南の一里、と那賀国造の領地、寒田の北五里を割いて新たに「神の郡」を置いた。そこに居られる天大神の社、坂戸社・沼尾社の三処を併せて全てを香島の天大神と称す。こうして香島郡ができた”
との文で始まります。
香島郡が出来上がる経緯は興味深いものがあります。まずは、既に天大神の社、坂戸社があったと書きます。本ブログ管理人が描いてきたシナリオに随えば、その社は間違いなく五世紀半ばに設営された高・一族の陣屋であった。そして、その陣屋は、多分八世紀始めごろには、中央政権の軍事攻勢に備えた要塞と化していたのではなかろうかと想像しています。「社」は「屋代=屋城」であったろうと思います。
以前書きましたが、「社」(やしろ)は古代ペルシヤ語の「ashras」(ラテン文字表記)の転じた語ではなかろうかと思っています。この語の「音」から連想するのは仏教に登場する「阿修羅」です。仏教の守護神としての側面とヒンヅー教での悪神としての側面など中々厄介な存在のようです。ウィキはこの存在にゾロアスタ教の影響も見ることができると書きます。私はどれも事実なのであろうと思っています。
紀元一世紀ごろの西アジアから東アジアにいたる広大な地域は匈奴の西進などとあいまって、宗教、或いは思想が大いに混ざり合っていた筈です。その中から、「あしゅら」を「勇敢な」と言う意味に捉えた部族が遠くベーリング海を渡りサハリン・北海道を南下しまずは須賀川に一大政治拠点を築いたのです。

この部族が一時期滞留したのが、青森県下北半島の中央部「恐山」(おそれ)です。この名称は古代ペルシャ語「オシロ」に由来します。どのような事情があったのか?全く想像できませんか、その滞留地が以後、長く東北寒村で飢えと貧困に苦しむ農民に「救いの言葉」で安らぎを与える聖地になったのだろうと想像して居ます。しかし、現在そうした深い思想的・歴史的背景の残影をこの地に見ることはできません(8月10日記事恐山 )。

勇者の拠点として「オシロ」と呼んだ構築物がいつの間にか「ヤシロ」に転化したのでしょう。そして、そのヤシロを「社」で漢字表記をする。「社」の原義は「土地の神を祀ったところ」と言う意味です。この風土記を著した時点では、香一族は滅ぼされており、鎮魂を込めて祀られていたので、「社」なる表記をしているのです。そして、近日中に詳しく考察しますが、これが「斎」なるものの一つの内容であると思っています。

さて香島郡を定めるに当たってその南の境界が「軽野」の南にある「一里」(さと、集落とでも理解するのでしょうか)です。これが現在議論している旧息栖の地です。その際、下総の海上も合わせたと書きますから、これは、香取とも思えます。が定かでありません。いずれにしても息栖近辺では利根川を挟んで南岸域の一部をも香島郡に取り込んだと、風土記は書きます。
(つづく)

++++どのように脳は記憶のつながりを作るのか?
Scientific American誌7月21日号が脳と記憶に化する記事を掲載しています。面白そうですので、以下に二回に分けて紹介します。
%%%%%記事紹介はじめ(1)
記憶を辿る機構 
How the Brain Builds Memory Chains
Recollections of successive events physically entangle each other when brain cells store them
By Sara Chodosh on July 21, 2016
一連の事象を再収集するという作業は脳細胞がそれらを脳に蓄えるときには互いの混乱を物理的には引き起こしている。

Think about the first time you met your college roommate. You were probably nervous, talking a little too loudly and laughing a little too heartily. What else does that memory bring to mind? The lunch you shared later? The dorm mates you met that night? Memories beget memories, and as soon as you think of one, you think of more. Now neuroscientists are starting to figure out why.
When two events happen in short succession, they feel somehow linked to each other. It turns out that apparent link has a physical manifestation in our brains, as researchers from the Hospital for Sick Children in Toronto (SickKids), the University of Toronto and Stanford University describe in this week’s Science. “Intuitively we know that there’s a structure to our memory,” says neuroscientist Paul Frankland, affiliated with both the University of Toronto and SickKids. “These experiments are starting to scratch the surface of how memories are linked in the brain.”
大学の同級生に最初に会った時を考えてみよう。多分ナーバスであり、幾分大声で話し、大げさに笑ったりしただろう。他に何か心によみがえるものはありますか?後でランチを分け合いましたか??あなたはその夜、寮の仲間と会いましたか?思い出は思い出を生む。一つの事を考えると、さらに何かを思い出します。今、神経科学者は、その理由を理解し始めている。

2つの事象が相次いで発生すると、それらは相互にリンクされている感じる。見かけ上のリンクが脳の中では物理的実体をもつことがわかってきた、とthe Hospital for Sick Children in Toronto (SickKids), the University of Toronto and Stanford Universityの研究者達が今週のScience誌で書いている。「直感的に我々はメモリへの構造があることを知っている」と。neuroscientist Paul Frankland, affiliated with both the University of Toronto and SickKids.は「これらの実験は、記憶が脳内でどのようにリンクされているかについての謎の表面部分について引っかきはじめている」と言う。

In your brain, and in the brains of lab mice, recollections are physically represented as collections of neurons with strengthened connections to one another. These clusters of connected cells are known as engrams, or memory traces. When a mouse receives a light shock to the foot in a particular cage, an engram forms to encode the memory of that event. Once that memory forms the set of neurons that make up the engram are more likely to fire. Furthermore, more excitable neurons—that is, brain cells that activate easily—are more likely to be recruited into an engram, so if you increase the excitability of particular neurons, you can preferentially include them in a new engram.

あなたの脳、そして実験用マウスの脳で、思い出すと言う作業は互いのニューロンの接続が強化されることで表現される。こうした繋がりあう細胞の集まりはengrams又は記憶追跡として知られる。マウスがある特別のカゴの中で軽いショックを受けるとan engramが形成されその事象の記憶を記号化する。一旦、記憶がニューロの集合を作るとthe engramが活性化しやすい。また、より興奮し易いneuronすなわち簡単に活性化する脳細胞はよりan engramに取り込まれやすくなる。すると、もし特別なニューロンをより興奮させるならば、新しいengramをそのニューロンの中に優先的に含めることが出来る。

(つづく)

常陸風土記、生物種の危機(nature誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:11月1日付東京新聞投書欄で見つけた写真です。Youtubeでこれに類する写真は時々見ますが、北関東のお住まいの方の家の庭で撮影というところがなんともすごい・・・・)
161102蛙蛇


 三すくみ 輪っかの一部 眼前に 踏ん張るカエル 何を思うか

 蛇と蛙、そして蛞蝓は「三すくみ」、つまりこの強弱関係は「閉じた輪」作ります。この写真を撮った方には、この現場に蛞蝓を投入して欲しかったですな。今朝は『資源ゴミ』回収日とあり、安佐5時ごろ回収場所に行きました。日の出前の非貸しの空が明らみ、浮かぶ雲の縁が橙色に輝き空の青と絶妙の対照を成しています。この色合いはまさにイタリア絵画で見た「フレスコ画」のそれです。話は逆なんでした、フレスコ画が実際の空の色を写し取ってるんですね。と、思うと、イタリアの昔の画家が、この色をキャンバスに写し取るのに払った多大の努力・工夫に想いを馳せた次第。
 
+++++東国三社(6)
風土記についてWikiはwiki は以下を書きます:
%%%%%WIKI記事抜粋
風土記(ふどき)とは、奈良時代初期の官撰の地誌。元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、主に漢文体で書かれた。律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は、各国の事情を知る必要があったため、風土記を編纂させ、地方統治の指針とした。[2]
『続日本紀』の和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日)の条が風土記編纂の官命であると見られている。
(中略)
写本として5つが現存し、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損して残る[4]。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用された一部が残るのみである。ただし逸文とされるものの中にも本当に奈良時代の風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。
%%%%%
 風土記の中には、逸文と呼ばれるものがあります。風土記本体は発見されていないけれども、何がしかの書物に『風土記からの引用』として出典が記されていることがあります。いわば風土記の「欠片」(かけら)を逸文と言うのだそうです。下記の風土記が「逸文」として引用されていると、Wikiは書きます:
山城国風土記※、摂津国風土記※、伊勢国風土記※、尾張国風土記※、遠江国風土記※、
陸奥国風土記※、越後国風土記※、丹後国風土記※、伯耆国風土記※、備中国風土記※、
備後国風土記※、阿波国風土記※、伊予国風土記※、土佐国風土記※、筑前国風土記※、
筑後国風土記※、豊前国風土記※、肥後国風土記※、日向国風土記※、大隅国風土記※、
壱岐国風土記※
上のウイキ記事が書く和銅6年の詔に先だつこと五年の和銅元年に看過できない詔が発布されています(2012年9月14日記事(焚書 古代の焚書 ))
%%%%%続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
《和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一)》和銅元年春正月乙巳。武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も語句につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
%%%%%抜粋おわり

 712年が古事記の撰上、720年が日本書紀の撰上と続日本紀は書きます。その『史書』の編集作業の終盤で、列島内には様々な「禁書」があったのです。近く、完成する古事記なり、日本書紀なりの「日本列島歴史書」が、これらの禁書と整合しないことを不比等は怖れたのです。そこでその禁書を完全に歴史から抹殺、葬り去るとの重大な決意をしたのです。

 さて、風土記の詔は古事記撰上の翌年です。古事記編纂作業途上で回収された『禁書』群を吟味し、どうやら「妙な記載」が出てこないであろうとの判断を下したのでしょう。かくして、次の作業は古事記を改定し最終的な「正史」の完成を目指すことになった。その際に集まった『風土記』が活用されたのです。しかし、集まった風土記は最終編纂過程にある日本書紀の『藤原不比等史観』にそぐわないものがあったに違いありません。

 かくして、完全本に近い風土記は僅か五冊。つまり、この風土記だけは、日本書紀編纂方針に抵触しなかったのです。残りは廃棄されているか、或いは、全く作成されていないのです。

 風土記作成時期を念頭に置いて、改めて現存するもの、逸文として出現するものを眺めると合点が行くことが多いのです。
(図1:風土記の完本、又はそれに近い文書が残されている古代の国。東国は常陸だけであることに注目されたし)
161104風土記004


 一つは東国を語る風土記の存在です。熾烈な「陣地争い」があったと思われる常陸の国に多くの記述を割きます。野蛮人の跋扈する「常陸の国」が中央から派遣された文明人に服してゆく様子を書きます(私は、この記述について詳細な検討を後日加えます)。しかし、東国に関してはそれだけです。下総、上総でも熾烈な戦いがあった筈ですが、風土記はありません。
 さらには、万葉集85歌の主人公”毛長女”(けながひめ)の舞台「下毛野」、「ワカタケル」なる王名が刻まれた鉄剣が出土した「上毛野」、および「肥後」についても風土記が作られた様子はありません。東国の政治的拠点があった「磐瀬」については、風土記が「逸文』ですら残っていません。こ

 こうした欠落について、記紀史観に縛られる古代学研究者はいかなる疑問も持ちません。ワカタケル王も、飯豊姫も全て奈良盆地にいたと信じて疑わないからです。

 風土記の地理的偏りには、藤原不比等の政治的思惑があったと思うべきなのです。壬申の乱の主要舞台であった筈の「肥後国」、敗者を押し込めた「信濃国」などについて風土記が遺されていないのも同様の政治的思惑によるのです。

 このような作成時になされた時の権力の政治的思惑を念頭に入れて、「常陸風土記」にもどります。前回書きましたが、まずは郡の記載順に私は違和感を覚えています。

 前回記事の該当部分を再掲します:
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、香島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)

 記載は常陸国中西部に始まり、南部の郡を経て中央郡へと反時計回りにすすみ東部の行方、鹿島と移ります。その上で常陸の国北部へ移ります。その順序は南から北の順に記載されます。
 南半分を先に書き、北半分を次に書く。これは、日本書紀が書く日本建命の東国制覇、あるいは祟神天皇紀が書く「武渟川別命」の東征譚にしたがっているのです。そうであるならば、南半分の記載も通説言われているように「香島から上陸し・・・・」と言うわけで、南から北へ北上する順で記載するはずが、北西から始まっているのです。私は、倭王武の南進に強く影響されている記述ではなかろうかと考えています。

 さて、現時点でのブログの主題である「息栖」です。まずは風土記の原文を見る事にします:
(図2:「風土記」(植垣節也・校注、小学館、1997)、より。「香島」の件の先頭部分。右端に原文、左頁は訳注。」
161102風土記鹿島」

 
 上図で左の訳文を見る事にします。まず「香島」です。これは「コウシマ(又はカガシマ)」と訓(よ)まれて居たはずです。つまり「高一族(中国史書では「興」)」の支配する地の拠点と言う意味です。「コウ」は「カガ」とも音されるます。「カ」音を喉奥から強く息を吐き出して発音すると「カガ」になるからです。実際、既に書いてきたように常陸国に登場する悪神は「香々背男」と漢字表記されます。「香々」は「コウ」と同一なのです。万葉集14歌の冒頭は「高山・・・」で始まります。これは「カグ山」と訓(よ)みます。何故ならこれは「香具山」だからです。なぜ風土記は「高島」に書かずに「香島」と標記するのか?ここにすでに編集を支持した中央権力の意志が貫徹しているのです。
「高」と標記することで、歴史の経緯・背景を知識ある人が想像するかも知れない事を危惧したからです。
 
(つづく)

+++++科学雑誌トッピクス紹介
nature nature 2016.11.03
EVENTS
Italy hit by strongest quake in decades A magnitude-6.6 earthquake struck central Italy on 30 October, the most powerful such event in the country since 1980. The epicentre was about 115 kilometres northeast of Rome. The town of Arquata del Tronto suffered heavy damage and Norcia’s cathedral was destroyed, but no fatalities were reported. Italy’s civil protection agency said that more than 15,000 people are in temporary accommodation. The quake follows a series of tremors last week, and many towns in the region had already been evacuated following the magnitude-6.2 earthquake that hit the same area on 24 August and killed nearly 300 people, many of them in Amatrice (pictured). Geophysicists have been concerned about continuing activity in the region’s complex system of faults.

文意:イタリヤは最近数十年で最大の地震に襲われた。
 M6.6地震が10月30日イタリア中部を襲った。1980年以後では尤も大きな地震であった。震央はローマの北東約115kmであった。Arquata del Trontoの町は大きな損層を受け、Norcia’sの聖堂が崩壊した、が死者は報告されていない。イタリアの防災局によれば、一万五千人が避難した。その地震は先週からの一連の地震活動が先行していたこと、そして、その地域での多くの町ではすでにあの8月24日に300名もの人命を奪ったM6.2地震以後避難していたためである。300名の犠牲者の多くはアマトリチェの住民であった。研究者達はこの地域の入り組んだ断層系で起きている地震活動の監視を続けている。

(写真:Massimo Percossi/ANSA/AP Amatrice in central Italy has suffered extensive damage from the earthquakes.)
161030Italyquake


TREND WATCH (趨勢監視)
Wild populations of mammals, birds, amphibians, fish and other vertebrates declined by 58% between 1970 and 2012, according to the Living Planet Report 2016, published on 27 October. Freshwater populations, which fell by 81%, are thought to be faring worse than terrestrial ones. Habitat loss is the main threat, with overexploitation and human-induced climate change also major culprits. If the trend continues, by 2020 the world will have lost two-thirds of its vertebrate biodiversity, says the report.
 哺乳類、鳥、両棲類、魚、それ以外の脊椎動物の個体数が1970年から2012年の期間に58%も減っていると10月27日に刊行されたLiving Planet Report 2016,誌が書いているhttp://c23.biz/9zxF 。81%もの減少と見積もられる淡水生物は陸よりも環境がより悪化したためと考えられて居る。生息地を失うことは主要な脅威である。過剰な開発、人が引き起こした気候変動なども主要な原因である。もしこの傾向が続くと、2020年までには世界は脊椎動物の多様性の3分の2を失うだろう、とその報告者は書く。
(図3:生物種個体数の減少傾向)
nature-trendwatch-3-nov-2016

%%%%%

息栖神社(5、東国三社)、10.30イタリア地震、TPP

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:刈り取りを終えた田で、一人ぼっち(一羽ぼっちというべきか)土を突く白鷺)
PB020002


グローバルな 企業こそを 守ります 市場経済の 本心そこに

  今週の金曜にもTPP条約の批准が安倍首相の”嫌う“「強行採決」ではなく、国会衆議院を通過するとのことです。私の危惧を以下に繰り返しておきます:
この条約の本質はISD(Investor State Dispute)条項にあると考えています。各国の政府は自国民の生活安定と安全確保のためにしかるべき政策を取る義務と責任があります。例えば、車の廃棄ガス排出規制、走行スピード規制、薬品の安全規制、食料の安全規制(GMO、牛肉、米、柑橘類)、医療保険等々です。その政策に企業がクレームをつける権利をISD条項が明記しているのです。
 日本にそうしたクレームをつけるのは米国ではなく、米国のお面をつけた多国籍巨大企業であることが、TPPの本質です。彼らが、“市場経済という”錦の御旗を振りかざして各国の安全政策を敵視しかねないのです。多国籍企業はその国の政策が自らの企業活動を妨害していると見なした途端、「商売妨害」として国際法廷に訴えることができます。それがISD条項が企業に付与する提訴権です。この審理を貫く思想は「自由経済」です。これこそが審決の基準となります。おのずからその結果は100%近く企業側の勝利となります。

 現在の米国にとって目ざわりの一つが「日本の国民医療皆保険」です。「何でも裁判」と「何でも保険」(ユダヤ人が編み出した金儲け術、ベニスの商人が良い例)は、米国における新たな錬金術です。そこで、この日本の制度がISD裁判にかかれば、現在の医療保険制度は、保険産業のじゃまになるとの位置づけ認定がされるかもしれません。国ぐるみで自由たるべき保険活動を妨害していると認定されるからです。
 同様が薬品。日本の薬品審査は一方で血友病での非熱処理薬剤を米国の圧力であっさりと認可したが、全体としては安全サイドに立ってきました。しかし、薬品産業でぼろもうけをしてきた薬品製剤多国籍企業にとっては目障りであったのです。TPP後は充分安全性の確かでない薬品が出回る可能性があります。米、牛肉など、膨大な薬剤を投与された農業食品への日本政府による規制も今や風前の灯です。実際、牛肉の規制は、これまでは20ヶ月までの若い肉が安全とされていたが、より危険な高齢(48ヶ月)牛肉の輸入がすでに認可されています。TPPではこうした規制もISDにより取り払われる惧れがあります。
 米国では二人の大統領候補が揃ってTPPには反対との意思表示をしています。その理由は、自国の労働者の雇用が狭められるからとの米国民の意思を反映したものです。他国のの主権を損なうことへの配慮ではありません。

+++++東国三社(5、沖洲か息栖か?)
 「東国三社の一つである息栖神社の旧所在地は利根川河口北岸(日川域)のやや南、利根川河口内に形成された中州であった。それを定めた時期は香取神社の地を渡来族の新たな拠点に定めた後であった。」
 とのシナリオを頭に描きつつ、拠点の位置なぞを計算してきました。ところが、前回計算に基づいて描いた図によって、そうしたシナリオがひっくり返されてしまいました。

 さて、どうするか?何か“書かれた”手掛かりは無いものか!「常陸国風土記」はどうであろうか?それは新しい東国の支配者である藤原不比等一族によって厳しく検閲された筈です。当然記紀史観を逸脱するような記述は削除されているでしょう。とはいっても、もしかしたら「行間」に何かを嗅ぎ取ることが出来るかもしれません。詳細は別に考察しますが、二・三気づくことを書いておきます:
 今、私が参照しているのは「風土記」(小学館、植垣節也 校注・訳者 1997)です。それに拠れば、常陸風土記は十節からなります。この見出しだけ見ても興味深いことが見えてくるのです。上記本は夫々の節について原文と訳文を併記します。以下はその節に使われている頁数です。
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、鹿島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)
 何と言っても断トツに多くの頁数を使っているのが行方郡と鹿島郡です。次に久慈郡です。八溝−鹿島線、那須岳―香取線が通過する郡に対応することがわかります。三つの郡がとりわけ重視されたことを暗意しています。鹿島郡の冒頭の記載など、さらに興味深いこともあるのですが、それは次回に譲る事にします。ここでは、常陸国を構成する郡の配置、その中で、現時点で本ブログが関心を寄せている「旧息栖」と思しき場所を示しておきます。
(図1:常陸国の郡配置、日川に相当する場所が、丁度本のページのつなぎ目に当たっています。上掲「風土記」より)
常陸風土記


風土記を眺めることは次回にして、まず事実をもう一回整理します:
 五世紀末に八溝山頂に見晴台を設置し巨大な宗教的拠点配置事業が始まった。
 六世紀の前半(計算では西暦527年頃)、その事業は終了した。拠点の最終端の地は、利根川河口の中州であった(中州の手前にある日川でも良かったのかもしれない)。しかし、その地は洪水、あるいは巨大地震による津波の遡上など、防災視点からは極めて不安定であることが程なく判明した。代替地として、現在の鹿島に拠点が移築された。
 しかし、この旧息栖の地は海洋進出の拠点として長く廃棄されなかった。「息栖」の「イキ」は「オキ」の転化したものである。「オキ」は古代ペルシヤ語「oqyanus」(ラテン文字表記)に由来する。古代ギリシャ語で「オケアノス」は海洋を意味する。つまり遠く西域から渡来した部族が、ギリシャから伝わった外来語をそのまま用いていたんですな。
 かくして、「息栖」はまさに外来語であり、その原義は「海洋」であった。この地(旧息栖)は、磐瀬から八溝山―鹿島聖線を南下したサカ・高・アイヌ連合体の西進の基点となった。彼らの西進の軌跡を彼ら自身が為した「マーキング行為」で辿ることが出来る。まずは房総半島先端の「安房」(アバ=火が転じた)、三浦半島の横須賀の「スカ」はまさに「サカ族」に由来。そして「相模」の「サガ」は「スカ→スガ」の転じたもの。そして「駿河」(スルガはスガに由来)。この西隣に発したのが「相良」(サガラ)姓(『姓氏家系大辞典』(角川書店))。そして「渥美」(アツミ)半島の「アツミ」は「安積」(アズミ)の転化したものである。そしてそれは「積」が「シャク」と音することから「アサカ」に転じた。「ア」は「アベ」であり「火」または「明」。「アツミ」は「火を奉ずるサカ」族。福島県のJR駅「安積永盛」を思い起こすだけでよい。これが日本列島古代史で尤もよく知られる用語「アスカ」の起源。紀伊半島の南端近く「熊野」に、「アイヌ族」の信仰対象を「マーキング」し、四国に入り「阿波」(アハ=アバ=火)の足跡を遺して、九州の鹿児島(カゴ=カガ=高)に達した。この経路の多くの部分が「武王」又はその息子・孫の日本列島縦断の足跡戸思われる。そしてこれを逆さまに、つまり二誌から北へと描いたのが古事記の武倭尊であり、日本書紀の日本建命である。(扶桑国王蘇我一族の真実」を著した渡辺豊和氏はこの旧来の「常識」を覆した。

 上述の経路は日本列島縦断のいわば東南経路で、開拓されたのが西暦520年前後。とすると、やや遅い。とするならば、当然「北西経路」もあった筈。これはいきなり新潟の「青海」に陸路(あるいは阿賀野川沿い)で出て南西に進む。「加賀」(カガ=高)を経て出雲、「石見」(イワ=磐)をへて九州へ達する経路だ。そこから内陸に入り佐賀(サガ)平野です。そこで、見聞したのが「邪馬台国」の跡地です。その感動を詠ったのが万葉集一巻の一・二歌です。

 こうして、渡来族は邪馬台国跡に住んだ現地住民とも共生・融和して東日本(日出国)と九州を拠点とする西日本(日入国)を統合する巨大な倭国を形成するに至ったのです。但し、奈良盆地に盤拠した一族を統合することはできなかった。激しい抵抗があったのやも知れません。その抵抗がやがて暴力的な「反抗」となり、八世紀以降の「東夷」つまり「東国に住まう夷狄(野蛮人)征伐」と銘打った東国政権の「暴力的殲滅」の軍事行動となるのです。

 以上、簡単に私の古代史観を概略しました。香取地の拠点設営は藤原不比等一族による「東夷」の謂わば「二回戦」とも言うべきものです。一回戦であった「壬申の乱」の成功に味をしめたのです。
(つづく)

+++++10月末のイタリア地震
 イタリアの背骨たるアペニン山脈中央部で、つい先日の8月24日に被害地震が発生しました。ほぼ同じ場所で、10月30日に、死者こそ出なかったものの15,000名もの住民が避難する騒ぎとなった地震が起きています。BBCネットニュスが以下を報じています:
%%%%%BBCnews(抜粋、日本語訳はつけません)
BBC News (BBC on Italy quake)
Italy quake: At least 15,000 in temporary shelters

Italy's most powerful earthquake since 1980 has left more than 15,000 people homeless, according to the country's civil protection agency.No-one was killed in the quake but 20 were injured and damage to the area round the town of Norcia is extensive.The 6.6-magnitude quake struck near the central region where nearly 300 people were killed by a quake in August.Prime Minister Matteo Renzi is chairing a meeting of his cabinet to discuss emergency reconstruction.(中略)

Sunday's quake - 6.6 as measured by the US Geological Survey - came on top of August's quake and two last week of magnitude 5.5 and 6.1.Other towns and villages to have suffered damage include Castelsantangelo, Preci, Ussita and Arquata.Central Italy has seen several major quakes in recent years. Earthquakes which devastated the town of L'Aquila in 2009 and Amatrice in August this year killed about 300 people each.But they both measured 6.2 and were deeper than Sunday's earthquake.
%%%%%

この地震の情報を以下に書きとめて起きます:
(表1:Global Cmt Catalogueによるこの地震の解析結果)
Perugia161030

10月28日の地震は地下489kmに起きた深発地震で、アフリカ・プレートがイタリヤの地下深くに潜り込んでいると理解されています。が、既に潜り込み運動は停止しており、大昔に潜り込んだプレートの欠片(かけら)内で発生する地震との説もあるようです(http://c23.biz/jcFv )。発震機構解は図2を参照してください。この地震の非DC成分は“−8.4%”と算出されます。計算上は圧縮応力が大きかったことを示しています。総和を0とするために負量が非DC成分として残るからです。
 10月30日の地震は、8月24日の地震・震央の近傍で発生していますから、8月に始まった地震活動の延長上にあると理解すべきかもしれません(発震機構解は図2)。非DC成分は“8.1%”と産出されます。張力が大きかったとの算出結果の反映です。

(図2:IRISによる震央(IRIS )。この地震に先行して、イタリア西部の深所におきたM5.8の地震も示しています)
Italy16Octfps


 長靴型のイタリア南半分を北西―南東に走るアペニン山脈。その背骨中央部近辺で起きる地震が北東―南西方向の張力に支配されていることが、図3の発震機構解と比べることで改めて再認識できます。
 それにしても、このところ、日本とイタリアで起きる地震は顕著な前震活動が先行するという共通現象が見られます。にもかかわらず、その後に大きな本震が続くのかどうなのか?それを見極める手立てが無いようです。地震が続くようであれば、とりあえずは警戒する。それしか自らと家族を守る手立ては無い。これが地震防災の現状です。
 (図3:9月5日ブログ掲載の図再掲 イタリアの5つの被害地震
 五顕著地震


 

東国三社(4、息栖神社)、物理脳(米国科学誌より)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真: 左側の煙は朝靄ではありません。籾殻を焼く煙です。昨今は自働稲刈り機が夥しい量の籾殻を「排泄」(下品な表現、お許しください)します。その籾殻があぜ道のあちこちに積み上げられています。それに火をつけ、中に芋を突っ込んで、焼けるのを待つのが近所の婆(ばあ)様たちです。)
PA31籾殻焚


 秋の田の 積み上げられた 籾殻で 焼き芋待つは ばあさま二人

 先日、畦を歩いていると、二人の老婆から声をかけられました。「食ってけ」と。手にはホカホカの芋です。あいにく私は「サツマイモ、栗、かぼちゃ」の「胸焼けトリオ」は、大の苦手です。丁重にご辞退申し上げました。いよいよ、本年も残すところ二ヶ月となりました。「時の経つのは早い」、いつもの老いぼれの繰言です。

+++++東国三社(4)
 今回は「息栖神社は、昔は現在の地ではなく日川あるいはその近辺に設営されていた」との説を検証します。いうまでもないことですが、設営当初から、それが神社であった筈は無く、有力者の住まう陣屋、または砦のようなものであったのでしょう。その地にそうした建造物を置くことで、結果として東国三社が正三角形を形成するのは、偶然であるのか、それとも意図的であるのかを考えてみようというわけです。日川とは、下の図の右下に示される赤〔隶です。しかし、鹿島―香取を正三角形の一辺とするように、設計されたとすると、その地は日川よりやや南にずれます。それがの地です。
(図1:鹿島 香取◆β栖(一説にある位置)が作る正三角形、下右の赤,脇川、青丸は正三角形頂点位置。クリックすると拡大できます)
利根正三角形


 正三角形にこだわる、あるいは連想した背景が磐瀬の国・長沼で形成された底角30度の二等辺三角形配置です(図2、2014年8月13日記事長沼の二等辺三角形配置 )。長沼同様の精神的(宗教的)背景がその配置に潜んでいるに違いないと推断しました。
(図2:アイヌ族と渡来族の融合を表現する二等辺三角形、この三角形にはこの地特有の30度と言う角度と渡来族信仰のシリウス星方位の両方が巧みに組み込まれている http://c23.biz/TbLi より、クリックすると拡大します。)
 須賀ー三角


 図1で示すを仮に”旧息栖”戸呼ぶことにします。その地は、鹿島神社からは少なくも14kmを見渡すことが必要となります。そのためにはどれほどの高さの櫓が必要となるでしょうか?
-->D=15;
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh =0.0176576
 必要な櫓の高さはeh=18m 余となります。天井高が2.4mの集合住宅であれば8階建て相当です。18m程度の高さの櫓を作ることは可能であったと思えます。しかし、肉眼で15kmを見通すことつまり、15km先のカガミによる太陽光反射を識別することは可能でしょうか?古代人の身体能力はいかほどであったのでしょうか?

 話は脱線しますが、私は時代劇小説・TV(所謂チャンバラ)が大好きです。読むときは必ず手元に江戸地図を傍らに置くほどの凝り様です。鬼平犯科帳を読んだり、見たりして誠に不思議に感ずるのが、江戸時代の人間の顔の識別能力です。私なんぞは、つい今しがた会った人間ですら小一時間も経つと「はて!どんな顔であったかな?」と、戸惑います。しかし、長谷川平蔵の寒働きと、顔の記憶能力はすごい。あれは小説の舞台設定に過ぎないのでしょうか?それとも、画像記憶のハードウエアが無い昔は、人間のそうした能力は現在のそれよりも格段に優れていたのでしょうか?昔と現在の記憶力に関して比較が出来ないものかと思っています。

 話を戻します。鹿島から、日川方向に旧息栖神社の設営地を求める作業です。香取の方角は225度(北から時計回りに測る)ですから、その方角から60度反時計周りに戻してやればよいことになります。南中時刻を12時とすれば、15度つまり一時間戻せばよいので、午前11頃の太陽の方向に鏡を向ければよいことになります。
 これは、大雑把なやり方で、実際には古代人は60度と言う角度を地上へ写し取る手法は既に獲得していたはずです。こうして日川近辺の地で、鹿島から60度の方向に点列が形成されるはずです。同様の作業を今度は香取を基点にして実施し、そこから60度方向に並ぶ点列の交点が 前回記事で書いた、利根川河口域の中洲の地点となります。かくして、中洲に“将来息栖神社”となるであろう地点に何がしかの拠点設営地点を定めることが出来ます。

 さあ、次はこの設営の目的の考察です。政治的(軍事的)目的であったのか、それとも宗教的(精神的)狙いがあったのか?それを考えるために上の図を再度じっくりと眺めました。

 舞台裏を白状します。図1を作成するまでには、既に本日の記事の大要を頭の中で作り上げていました。ところが、図1からとんでもないことに気づかされました。それは、鹿島神社から見たの位置は、まさに“シリウス”方位にほぼ近いのではないか!ということです。これは衝撃でした。念のためにいつもの計算をしてみます:

-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 二点間の方位・距離計算プログラム
epi(lat,lon)=[36.9294,140.271741] 八溝山(経度・緯度)
sta(lat,lon)=[35.8507,140.6715] 旧息栖(経度・緯度)
計算結果:
八溝―旧息栖 d=125.2(距離 –km)a=163.27(方位・度)

一方、2010年1月1日記事で( 八溝山−鹿島・聖線 )私は以下を書きました。
八溝―静  d=49.5307(km), a=164.2934, b= 344.3831
八溝―吉田 d=66.0126(km), a=163.4255, b= 343.551
八溝―鹿島 d=111.6941(km), a=163.1633, b= 343.3768

 八溝山から鹿島を遠望すると、鹿島は北から時計回りに測って163.2度の方角に見えます。一方旧息栖は163.3度の方位、つまりほぼ同一の方角です。距離が、既に書いたように14kmほど異なるだけです。
 因みにこの僅かの差を八溝山から計測する人間が識別できるかどうかをチェックしておきます。ただし、120kmもの遠方ですから、直接に鹿島なりなりを望めたとは思えません。中継点の設置など何がしかの工夫があったのでしょう(後述)。
いつものようにScilabを電卓代わりに使うと、
 -->(111.6941+125.2)*0.5*(163.1633-163.27)*%pi/180
ans = - 0.2205800
(上式で最初の因子は八溝山からの平均距離、次の因子は、”度“で測った角度差、最後の因子は”度“から”ラディアン”への変換)

 八溝山から見た場合、120kmの遠方では、0.11度の差は221mの横方向の違いとなります。つまり測定作業では充分認識できる差であることがたしかめられました。

 そこで、この僅かな方位の違いをシリウス星の天体上の位置移動に帰するとするならば、その築造年代の違いを見積もることが出来ます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1) シリウス年計算プログラム
旧息栖 Angle=?163.27、tc = 527.888
鹿島 Angle=?163.1633、tc =532.32672

 つまり5年ほど旧息栖が鹿島に先行しているということになります。私の頭の中で既に出来上がっていたシナリオは大幅に書き換えねばならなくなりました。
(つづく)

++++物理がわかる脳
 本ブログでは、しばしば、科学雑誌記事を紹介しながら「科学教育」なるものを考えてきました。時々、こうした議論が馬鹿らしくなることがあります。それは安倍首相が露骨に「文系教育」を軽視する言を発するにもかかわらず、依然として国の手綱を文系教育を受けた人間がしっかりと握り、彼らは「渡り」と称して退職後もあちこちで優遇され華麗な生活を全う出来ることです。

 つい愚痴がこぼれました。話を戻します。以前四回にわたって紹介した「英才教育の成果45年後は?」なる記事では、人間の成功が「特許、論文数、蓄財」で測られるかのごとき論調でした(9月28日記事 英才教育効果を45年後に検証する )。不快に感じた読者も居られたでしょう。
 さて、それはさておき、科学的思考、とりわけ物理思考はどうやって身につくのか?「観察」、「興味」、「解明の模索」の3kと思っています。そこから想像力が培われ、想像力は創造力へと発展するのだろうと思っています。その際、親又は教師の介入は?など、私自身の「科学教育論」は又別の機会に書くこととして、米国の心理学者の追跡がScentific American誌に紹介されています。
%%%%%米国科学誌、8月1日号より
How your brain learns physics 
How Your Brain Learns Physics
脳はどのように物理を理解するのか?
A new study shows the brain repurposes everyday neural networks to learn high-level scientific concepts
脳は高度の科学的概念を学ぶために神経ネットワークを目的に合うようにその都度編成している(repurpose)と言うことがわかった。
By Jordana Cepelewicz on August 1, 2016

Early Homo sapiens wasn't acquainted with Einstein's general theory of relativity, yet anyone in a physics class today is expected to understand its basic tenets. “How is it that our ancient brains can learn new sciences and represent abstract concepts?” asks Marcel Just, a neuroscientist at Carnegie Mellon University. In a study published in June in Psychological Science, Just and his colleague Robert Mason found that thinking about physics prompts common brain-activation patterns and that these patterns are everyday neural capabilities—used for processing rhythm and sentence structure, for example—that were repurposed for learning abstract science.
 初期のホモサピエンス(原生人類)はアインシュタインの一般相対性理論を知らなかった。今日でも物理クラスではまずは基本理論を理解することが求められている。古代人の脳が新しい科学を学び抽象的な概念を表現できるようになるとすれば、それはどんな風に、してなのか?とMarcel Just, a neuroscientist at Carnegie Mellon Universityは問う。Psychological Science誌6月号に投稿された研究論文でJust and his colleague Robert Masonは物理について考えることが脳活性化パターンを促進する、と書く。このパターンは、例えば毎日の文構造とリズムを処理するのに使われている神経能が抽象科学理解のためにrepurpose(適切な日本語が見つからないので英語のまま、その意味は冒頭のタイトルを参照)される。

Just and Mason scanned the brains of nine advanced physics and engineering students as they thought through 30 physics concepts such as momentum, entropy and electric current. The researchers fed the data from the scans into a machine-learning computer program, which eventually could identify which concept a volunteer was thinking about based on his or her brain activity. Why was this possible? Because the neural patterns involved in considering a particular topic—gravity, for instance—were the same in all participants. “Everyone learns physics in different classrooms, with different teachers, at different rates,” Mason says. “So it's surprising that the same brain regions are developed for understanding a physics concept in all these students.”
 Just and Masonは9人の上級物理と工学を学ぶ学生の脳をスキャンした。こうした学生たちは運動量、エントロピ、そして電流など30の物理概念を深く考えている筈だからだ。そのスキャンデータを機械学習コムピュタ・プログラムに投じた。結局のところ、どの概念を学生が自分の脳の活性化の基礎においているのかを識別できた。何故こんなことが可能なのか?重力のような特定のテーマを考える際に働く神経パターンは全ての生徒に共通していた。異なるクラス、異なる教師、しかも異なるスピードで物理学を学んできた、とMasonは言う。“全ての学生において脳の同じ部位が物理学概念を理解する際に開発されている”と。

To take it further, the scientists then compared the scans from their study with previous research matching neural activity to thought processes. They found that brain responses corresponding to the scientific concepts of “frequency” or “wavelength” occurred in the same regions that activate when people watch dancers, listen to music or hear rhythmic patterns such as a horse's gallop—likely because these all involve sensing “periodicity.” And when the students thought through mathematical equations, the engaged brain areas were the same as those that process sentences. These results suggest that general neural structures are repurposed for dealing with high-level science.
“So even though some of these concepts have only been formalized in the past couple of centuries, our brains are already built to deal with them,” Just says.
The findings may someday help determine which school lessons should be taught together for easiest consumption, Mason says. He and Just plan on continuing their work with other sciences our ancestors knew little about, including genetics and computer science.
This article was originally published with the title "Your Brain on Physics"
 さらに調査を推し進めるべく、研究者たちは、思考プロセスに合う神経活動に関するそれまでの研究と彼らのスキャン結果を比較した。脳は周波数あるいは波長と言う科学的概念に対応するものに反応することがわかった。それは人がダンスをするとき、音楽を聴いたりする際あるいはリズムを聞く際に活性化する脳の領域で起きているものだ。例えば馬のギャロップのようなもので、効した活性は“周期性”と言う意味を含んでいる。
"そして、学生が数学の方程式を熟考する際、使われる脳領域は、文章を処理する領域と同じであった。これらの結果は、一般的な神経構造が、高レベルの科学を扱うさいにはrepurposeされるということを示唆している。
「これらの概念は数世紀昔に定式化されてきたとしても、私たちの脳は既にそれらにたいおうできるように作り上げられている "と、Justは言う。何時の日か、最も容易なconsumption(文意?)には、どのような学校でのレッスンがなされるべき科の決定にこの発見が役に立つようになるかもしれない、とMason は言う。Mason and Justは我々の祖先がほとんど知らなかった他の科学領域についてもこの調査を続けることを計画している。それは遺伝学や計算機科学を含んでいる。
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東国三社(3)、物価2%あげることが大事?(わからぬ)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:田を巡る一周3kmほどのあぜ道を走るJK(女子高校生を意味する専門用語)たち。左下で先生が見守っています。)
PA28marathon

 
ほっぺたを 赤くそめつつ 髪ゆらし JK(じぇいけい)たちが マラソン走る

 今日は朝から、雪でも降るのかと思うほどの寒い天気です。そんな寒気の中、近くの女子高校生(JKが現代の用語)がマラソンをしていました。寒さでほっぺは赤く、後ろに束ねた狐の尻尾状の髪が右に左に揺れていました。臨場感を持ってその光景をカメラに収めたかったのですが、見張りの先生の「疑惑の篭った視線」にたじろぎました。何せ当地の防災無線網はすごいんですな。つい先日も、自転車で下校途中の女高生が、サドルの上にある尻を老人になぜられたとの放送が市全域に有線で流されました。私も今朝、シャッタを押していたら、ただちに、“お縄頂戴”の事態になり、家族からも離縁されたやも知れません。

+++++東国三社(3)
 ところで、私が本ブログで主張してきた二つの聖線、八溝山⇒鹿島、那須岳⇒香取、は節(node)とでも言うべき中継点を持っています。隣り合う中継転換の距離はほぼ40kmの長さです。この40kmの長さに相当する櫓の高さはどのくらいになるでしょうか?
-->Re=6371.2;-->D= 40;
二つの量を上のように与えた上で、二次方程式 eh^2+2*Re*eh-D^2=0 を解かねばなりません。二次方程式の根の公式 はeh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2)) です。
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh = 0.1255638
125mの高さの櫓が必要と算出されます。東大寺の高さが49m、法隆寺五重塔が32mだそうです。『平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われているのに「雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎」、というものがる。『雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』(ウイキより)が書くように出雲大社の本殿が96mであったとの伝承があります。七・八世紀の職人技術を持って、125mの高さの櫓の構築はありえたのかも知れませんが、難しかろうと思えます。とすれば、どうしたのでしょうか?後日、それをも考えてみたいと思います。

今回は、息栖神社の設営地点をどのように定めたのかと言う議論にもどります。まず息栖神社の地を鹿島神宮から望むことを考えます。平地に立っていれば、僅か4kmの範囲しか見えないので、鹿島神宮から現在の息栖神社の地は見えないことになります。上の式の(見える距離)、D,として10を与えて、目の高さ、eh,を求めてみます。
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh = 0.0078478 (km)
 8m程の高さの櫓を組めば、息栖の地を眺めることができることになります。 この櫓を組むには、しっかりとした足場が必要です。それがこの要石であったのでしょうか。

 櫓を組んだ後の実際の段取りはどうであったのでしょうか?私は以下のような作業を想像しています。鹿島に置いた陣屋に8mの櫓を組み立てる。人間は古代人にあっても裸眼で8kmまでは見えないのではなかろうか、思います。そこで、南に鏡面を向けた鏡をその櫓に置きます。南の位置(方向)は太陽の南中時から正確に設定できます。そのうえで、およその位置にスタッフを派遣し、鏡の太陽反射光を多くの地点で“南中時”に観測させます。その地点群は南北に並ぶ点列を構成しているはずです。

 同様を、今度は香取神社で実施します。ここでは8mの櫓に設置する鏡は東向きにせねばなりません。それは春分、または秋分の日の太陽の昇る方角から正確に設定できます。その後の段取りは上と同じです。この作業で、出来上がるのは東西に並ぶ点列です。かくして二つの点列がつくる直線の交点こそが、息栖神社を設営すべき地点となります。
 但しこの作業は、出来上がる配置が二等辺三角形となることを保証しません。どうやら、直角三角形説は”偶然”のなせる業であったようです。偶然とは、香取神社から見た鹿島神社の方学が、北から時計回りに測って46.4度、つまりほぼ45度であることによります。この配置も香取神社設営の際に考慮されていたと考えることも出来ます。が、わたくしは香取の地は那須岳を基点とするシリウス方位に則って定められたと思ってるので、この45度に近い角度は偶然であったろうと思っています。


 忘れないうちに書きとめて起きたいことがあります。それは、「鏡」に「カガミ」と言う訓(よみ)が付された経緯です。これは、アイヌ語にも古代ペルシア語にも似た音の語はありません。古来の列島住民の言語の一つであるのかもしれません。私は、「高」一族が測地事業で頻繁に鏡を用いたことにあるのではなかろうかと思っています。既に書いたように長沼地区での底角30度の二等辺三角形の設計と配置、八溝―鹿島、および那須岳―香取聖線の設営では、「カガミ」は不可欠な技術道具です。この道具をその設営に携わった高一族本人がどう呼んだのかはわかりませんが、共同作業をした仲間が「高一族が使用する遠くを見通す道具」と言う意を込めて「カガミ」と称したのであろうと考えています。「カガミ」とは「高」(カガ)一族が見(ミ)る行為に使われる技術(道具)というわけです。後年、その道具を表す漢字「鏡」を知り、「カガミ」なる「訓」(よ)みが付与されたと私は思っています。
(つづく)

+++++物価を上げることが経済に資する?(わからぬ!)
 大分古い話ですが、毎日新聞ネット記事が以下を配信しています。貧乏生まれの貧乏育ちの私には、経済の目標として「2%の物価上昇」を掲げるという「為政者感覚」がどうしても馴染めないんですな。物価は安いに越したことは無い。物価は上がらないほうが良い、というわけです。

 日本銀行のHPは『日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」』と書きます。つまり「物価の安定」を理念の第一義に据えているのです。日銀が問題視せねばならない論点は「リフレ」云々ではなかろうと思うのですが、所詮素人談義なのでしょう。政府の国策に寄り添う日銀、これは日銀がうたう政権から独立との「理念」に反すると思っています。しかし、そんな議論が日銀の内部で起きている。奇異であります。
 
 それはさておき、“物価が上がらなければ賃金が上がらない。生活向上には賃金上昇が不可欠”なぞという単純な理屈を日本の経済立案者は本心で考えているのであろうか?デフレ脱却こそが真の狙いとも聞く。物は作れども売れない。在庫が増える。これを解消するためには、勤労者の賃金を上げれば、買ってもらえる。つまり消費が増える。物の生産、販売に携わる人たちの賃金が上がるためには、その生産物が高く売れねばならない。こうした理屈のようです。しかし、上記の理屈には買う側の財布が考慮されていません。まず、給料をあげて購買力を高めることが先であると思っています。

 こうしたド素人の素朴な問いかけをはぐらかすのが「金は動いてこそ価値」なる「理論」(カッコつき)です。うえの議論で言えば、金をまずは天から降らせる。さすれば、それが巡りめぐって下層の庶民にいきわたり(トリクルダウン)、購買力が高まる。結果として、庶民は潤い、経済も活性化する。こんな理屈が、現実には働いていないように見える。こう考えると下に引用する記事が書く論議は、なんとも”庶民離れ”しており、物価安定を目標に掲げる日銀マンが口角泡を飛ばすところを間違えているように感じています。

%%%%%毎日新聞 10月12日(水)21時21分配信 転載
<リフレ派>日銀政策批判 エコノミストも「金利」重視反発
http://c23.biz/QDrP   



お金の量を増やしても物価上昇にはつながっていない
 日銀が先月の金融政策決定会合で、金融政策の枠組みを、銀行などに流すお金の「量」を重視する政策から、「金利」を重視する政策に転換したことに対し、「量」拡大を主張してきた「リフレ派」エコノミストらから批判の声があがっている。批判の矛先は、リフレ派にもかかわらず政策転換に賛成した日銀の政策委員会メンバーにも向かっており、今後の政策運営にも影響を与えそうだ。
日銀金


 「デフレ脱却のため、2%の物価上昇目標を目指すのがリフレ派だ。やり方はいろんな議論がある」。12日、長野県松本市での記者会見。日銀政策委員の中でリフレ派の代表格とされる原田泰審議委員はこう強調し、政策変更に理解を求めた。

 9月21日の決定会合で日銀は、短期金利をマイナス0.1%、10年物の長期国債利回りを0%程度に操作する「長短金利目標」を新たに導入した。一方、従来「年間80兆円ペースで国債を購入する」としてきた量的緩和の目標を「80兆円をめど」に後退させた。13年の黒田東彦総裁就任以来、大量の国債を購入してお金を世の中に流す量的緩和政策でデフレ脱却を目指してきた日銀だが、国債保有額が400兆円に膨らんでも物価上昇率がマイナス圏に低迷する中、政策転換を図った。いわば「『量』の目標を事実上捨てた」(日銀幹部)格好だが、リフレ派のはずの原田氏と岩田規久男副総裁は、賛成票を投じた。

 原田氏は、新たな枠組みで物価上昇率が安定的に2%に達するまで金融緩和を継続すると明言したことが「量に対する強い公約だ」と述べ、量的緩和は後退していないと強調した。だが、在野のリフレ派の批判は厳しい。元審議委員の中原伸之氏は、「原田、岩田両氏は敢然と反対すべきだった。日銀職員の説得と圧力に負けた」と厳しく批判。三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長の嶋中雄二氏も、「自分が委員なら反対した。今後の行動を注視していかないといけない」と指摘した。

 「量から金利」への枠組みの転換について、日銀の大規模緩和を後押ししてきた安倍晋三首相は現時点では「歓迎したい」と容認姿勢だ。ただ、首相の経済ブレーンでリフレ派の本田悦朗・駐スイス大使は米通信社の取材に「日銀は次回会合で追加緩和を行う必要がある。国債購入額はまだ拡大できる」と強調しており、円相場や株価の展開次第でリフレ派の巻き返しが強まる可能性もある。【安藤大介】
http://c23.biz/ivF6
リフレ派
緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。
リフレーションとは再膨張の意で、経済学的には景気循環においてデフレーションから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、加速度的なインフレーションになる前の段階にある比較的安定した景気拡大期を指す。リフレ派の主張は、政府・中央銀行が数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。
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東国三社(2)、電通

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真 昨日は二十四夜でした。これは三日月ではありません。三日月は右側(西)が太ってきます。しかし、この月は東側がどんどんやせ細り四日後には新月となり、一旦姿を消します。)
PA25二十四月


 久方の 光のどけき 秋の日に 静心無く 枯れ葉散るらむ

 本日は、お日柄もよく、雲ひとつ無い青い空そして暖かい日です。かくして“名歌”と自画自賛できる、ひさしぶりに「やった!」と思える会心の一首です。「待てよ、どっかで見た覚えが無いでもありませんw」なぞの声も聞こえてきそうです。字数が限られている「和歌」では、名歌はどうしても似て来るんでありますヨ。

+++++東国三社(2)
 渡来族・アイヌ族の連合体の南進方針の実施にあたり、五世紀半ばに設計された聖線の基点は八溝山、終点は鹿島でした。鹿島を越えた向こうは太平洋です。それから、およそ150年後の六世紀末に計画された新たな聖線の基点は那須岳です。ここからシリウス方位を辿り、且つ現在の利根川の向こう岸(南岸)となれば、それは香取又はそれ以南ということになります。何故、鹿島同様太平洋岸ギリギリまで、南へ伸張しなかったのか?鹿島に設営されている既存の拠点との”一身同体的”な役割を担うようにとの防衛的要請にあったのではなかろうかと想像しています。が、確たる論拠は今のところはありません。

 かくして、東国三社の内の二つの神宮の位置がまずは定まってしまいます。この視点からは、のこる息栖神社の設営位置(当時は神社として建造された筈は無いのですが)決定は、香取設営の後と言うことになります。つまり七世紀末以後です。
 そして、その位置が計画的に定められたのではなかろうかと考える古代学愛好家に私も同意します。何故なら、藤原不比等によって仕掛けられた日本列島の政治状況は穏やかならざるものとなっていたのです。したがって、藤原不比等の側が、鹿島・香取の拠点に揺さぶりをかけた可能性を考慮に入れつつt考察せねばなりません。

 何故、息栖神社から、二つの神宮への距離がほぼ同じになっているのだろうか?愛好家はその理由にまでは言及しません。ただ、古代史の隠された神秘性を体感することに快感があるかのようです。が、その設営が真に「計画的」であったとするなら、本ブログはその「宗教的あるいは戦略的(軍事的)」背景に想いを致さねばなりません。

(図1:現在の息栖神社の境内。参道がシリウス方位と直行している。これは明確な「反シリウス」意志の表現ではないことは明らかです。つまり公然と「シリウス」派であることは主張しないが、さりとて「反シリウス」の旗をかかげるのにも躊躇いがある、と言うスタンスです。)
息栖マップ


 こうした神社は全国に幾つかあります。例えば、矢吹の「五龍神社」です。私は「五龍」は「御霊」の転じたものであると考えていました。それが、図らずも最近裏付けられました。本ブログを読んでくださっている方から、「白河風土記」なる書物を教えて頂きました。教えてくださった方は、どうやら古代の血筋につながるお人で、いずれ、ご本人の承諾を頂けたなら、ご紹介したいと考えています。この方のご先祖さんを辿ると、どうやら、藤原不比等が東国を「征夷」と称して屈服させた後の藤原不比等の叛乱勢力への懐柔策が垣間見えてくるのです。このような方が本ブログを読んでくださってることに大変驚くと共に、いろいろと教えていただこうと思っております。

 さて、「白河風土記」は白河藩に仕える儒学者広瀬典が十九世紀始めまとめたものです。この人物は、徳川幕府・老中を勤めたことのある松平定信公に仕えていたのでしょうか。松平定信公といえば、「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」との狂歌を歌われたほどの清廉な大名です。広瀬典は、この神社周辺の様子も丁寧に書きとどめた上で、「御霊宮」なる神社の存在を書き留めているのです。後日この神社が「五龍神社」と呼ばれたのであろうと考えています。

(図2:中央やや下に五龍神社と拝殿に通ずる参道が見えます。その向きが息栖神社と同じです。中央をほぼ南北に走る県道55号から参道への入口にある集会所広場には、時々紙芝居が来たものです。この55号道を北西に上ると飯豊女王が座した鉾衝神社。その途中には、飯豊女王の娘である磐女を祀る神社があります。右端を蛇行するのは隈戸川で、夏休みはここで毎日泳いだものです。参道方位をしっかりと見ていただくには図を2回クリックしてください)。
御龍神社無題


 長沼地区は、かっては「王一族」の『屋敷』地区です。藤原不比等の東国征討では、ずいぶんと酷い惨劇があったと想像して居ます。その犠牲者の霊が祀られていると思っています。なんとかその経緯を探りたいと思っています。県道55号の反対側の田のあぜ道の区画方位は「シリウス」方位であることに着目しています。

 さて、話を戻します。まず、現在の息栖神社の位置について考えます。それは“ほぼ”香取神宮の真東、そして鹿島神宮の真南に位置するといってよいでしょう。その結果、当然の事ながら三社は直角三角を形成しているというわけです(前々回書いたように実際は直角から6度ずれている)。おまけに直角をなす二辺もほぼ同じと神社愛好家は言います(実際は9.3kmと8.8kmであり、若干異なっている)。こうした設計・施工をどう作るのか?中学の数学は以下を教えます:

 (目の高さ、eh)*{(地球の直径,Re*2)+(目の高さ,eh)}=(見える距離,D)^2

(図2:中学の数学で課題とされた証明問題です。A空の直線がBとCで円Oと交わります。一方Aから円Oに接線を引き接点をD とします。そのとき、AB*AC=AD*ADなる関係が成り立ちます。)
PA260006


 この式に地球の半径として6371.2kmを、人の目の高さとして1m50cmを代入して計算します。こうした計算では、無料科学計算ソフト”Scilab”の利用をお勧めします。ダウンロードは簡単です。以下はその格好の使用例です。まず、式に出現する変数に数値を与えます。その上で計算式を入力すると計算値がでてきます:
 -->Re=6371.2;
 -->eh=1.5e-3;
  -->D=sqrt(eh*(2*Re+eh))
 =4.4 km
 を得ます。海岸に立って海を眺めたときに見える水平面までの距離でもあります。遠くに浮かぶ汽船の煙突が水平線ギリギリに見えるとすれば、それは海岸からほぼ4kmのかなたと言うことになります。

 目の高さを那須岳の頂上の標高1.915kmとすれば、
-->Re=6371.2;
-->eh=1.915;
-->D=sqrt(eh*(2*Re+eh))
=156 km
 を得ます。那須岳−香取は147kmです。充分に直進する光が届く距離、すなわち、那須岳からは香取を遠望すると、その地は地平に隠れることはありません。但し、肉眼では難しかろうと思えます。その間に中継点として光の受け渡しをする場所が必要であったと思えます。それが、烏山、笠間、玉造といった”陣屋”であったのだろうと思っています。中継点での古代技術については後日いろいろと想像したいと思っています。

 さて、この算数的準備を終えたので、いよいよ、鹿島、香取から息栖を眺める作業です。
(つづく)

+++++日本の政治を闇から動かす(?)電通
 電通、たかが広告斡旋業者と高を括ってはいけない、と知るようになったのは2011年3月11日の原発事故の後でした。”原発の安全性と地球温暖化防止への効用”を有名芸能人、知識人、などを動員して国民を”洗脳”すべくTV広告を通じて大々的に流布する仕掛けは電通が作ったのです。その電通が、今般の五輪でも影でごそごそ暗躍しています。そうして稼いだ大金がタックスヘイブンなる仕掛けを使って隠匿されているらしいことも、つい最近パナマ・リークで暴露されています。
 広告会社が国の『意」を受けて、僭越にも「国民の世論」を誘導する。承服しがたいですな。

 以下“livedoor news”記事を転載します。
%%%%%業界への絶大な影響力を持つ「電通」はどんな会社なのか
http://c23.biz/F3u3 
2016年10月21日 8時0分
新入社員の過労自殺が発生したことで、電通に対する世間の関心が高まっています。電通の業界における影響力は圧倒的といわれますが、なぜ、同社にはこのような巨大な力があるのでしょうか。
圧倒的な取扱高を誇る広告業界のガリバー
 電通は広告代理店の最大手で、テレビや新聞などの広告において圧倒的な取扱高を誇る業界のガリバーです。米国の広告業界では、広告を受け入れるメディア側の代理人(メディア・レップと呼ばれる(注))と広告を出す広告主側の代理人(エージェンシー)が明確に分かれており、双方が交渉する形で広告の出稿が決まります。

 日本では、電通のような企業がエージェンシーとレップを兼ねており、メディアと広告主の仲立ちをするような、少々曖昧な業界ルールになっています。もっとも日本では電通のような企業のことを広告代理店(エージェンシー)と呼びますので、どちらかというと広告主の意向が強い業界慣行ということになるでしょう。
その成り立ちは戦時中の軍国主義に
 電通は非常に派手なイメージの企業ですが、実はその成り立ちは戦時中の軍国主義にあります。日中戦争や太平洋戦争が始まる前の日本は、米国顔負けの自由競争の国で、新しい新聞や雑誌が次々と立ち上がり、健全な競争を繰り広げていました。広告代理店の数も無数にあったといわれています。

 しかし、こうした状況をすべてひっくり返してしまったのが軍国主義の台頭と資本主義の否定です。電通の前身となる企業は、ニュース通信社の日本電報通信社という企業ですが、これは現在の通信社と広告代理店を併せたようなビジネスモデルでした。

 軍国主義・反資本主義の高まりを背景に、政府はマスコミに対し、公平な報道をしていないと厳しく糾弾。マスコミ業界の統制に乗り出します。最初のターゲットとなったのが通信社で、1936年には大手だった日本電報通信社と新聞聯合社(聯合)が強制的に合併させられ、国策通信社である同盟通信社が発足しました。これによって、日本の通信社は同盟だけとなり、政府の意向に沿った報道しかしなくなります。両社の広告部門については電通に一本化され、電通は同盟の傘下で国策広告代理店となりました。これが現在の電通の前身です。
 敗戦とともに同盟は解体となり、経済報道部門は時事通信社、一般報道部門は共同通信社、広告代理店業務は電通として再スタートを切りました。電通の大株主が時事通信と共同通信なのはそういった理由からです。

 当初、国策通信社の設立に対して電通は激しく反発したといわれますが、結果的に電通は、日本中の広告を一手に引き受ける事実上の独占企業となりました。終戦直後からすでに独占企業なわけですから、電通の影響力が強いのは当たり前です。
「鬼十則」という名の社訓
 ちなみに同社には鬼十則と呼ばれる社訓があり、モーレツ主義の象徴といわれています。これは戦後、同社の社長を長く務めた吉田秀雄氏が作ったものです。「広告屋」と呼ばれ、蔑まれていた広告業界の地位を向上させるにはどうすればよいかという思いから生まれたといわれています。コンプレックスをバネに努力するという気持ちはわからなくはありませんが、結果的にはモーレツ主義だけが残ってしまったようです。

(注)日本ではインターネット上の広告代理店のことをメディア・レップと称するケースがありますが、これは本来の意味(媒体の代理人)とは異なります。
%%%%%

10月21日鳥取中部地震(2)、安倍氏について(古川利明ブログから)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントは"ryuuzaki_i@yahoo.co.jp" へ)
(写真:左に見える小鹿のバンビのような姿はアオサギです。右には蓮の葉が見えます。私は勝手にこの小池を「蓮池」と呼んでいます。三年前の大雪でもどった池の水が今も保たれています。クリックすると拡大できます)
PA240005


 蓮池に アオサギ一羽 憩(いこ)いける 朝の冷気に 心地良げなり

 
 日本気象協会(http://c23.biz/hu3Q )によれば2016年10月21日の鳥取県中部地震(Mw6.2 )は、顕著な前震活動が先行したとのことで、住民も「なんだかこのところ地震が多いね」と語りっていたそうです。地震活動は二ヶ月も前の8月20日頃から活発になり本震発生までに約20個(m>2.0)ほど勘定されています。本震発生3日前の10月18日以降では9個と激増していおり、本震当日の直前にはM>4を超える地震が2個たて続けに起きています。

 地震専門家はこの活動が「前震活動」であるのか、「群発地震活動」であるのか見極めがつかないまま、活動を拱手して眺めていたのだろうと思います。

 2009年4月6日のイタリヤ中部ラキラ地震M6.2 が辿った経過を思い出させます(9月5日関連記事、http://c23.biz/SxRk )。図1に見るようにほぼ一ヶ月前に始まった小地震活動について、住民は言うまでも無く現地在住の地震研究者が「近日中の大きな地震」の発生を危惧していたと伝えられます。しかし、現地防災担当官とほとんどの地震専門家たちは「その活動は、一過性であり大地震の前兆ではない」と考え「安全宣言」を出しました。そのために住民は戸外への避難を止めて家にもどったところで、本震が発生。結局300名余の犠牲者と多数の住宅倒壊、インフラ損傷という大きな災害となってしまいました。この宣言を出した責任を問われ行政担当者を含む7名が「殺人罪」の罪で検察から訴追された事件は本ブログでも書きました(7月29日記事http://c23.biz/DGFU )。

(図1: ラキラ地震に先行する活発な前震活動 http://c23.biz/u25P
foreshocksItalian


 太陽系外惑星探査機ケプラを宇宙空間に打ち上げる、一秒の億分の一と言う極小時間内の物質反応実験で宇宙創成の謎にせまる等々、想像もつかない発想を検証実験するための技術開発を人間はしてきました。
 ところが、自らが立つ足元を見ると、地下掘削技術は高々15km、地球の半径6371.2kmのわずか0.2%強までしか届いていません。火山など偶々地下から吹き出してくるマグマから地球内部の物質を推定する等地表上のちっぽけな地点で得たサンプル情報から地下の物質の重なり具合を“外挿・推定”してきました。
 幸い、「地震波解析技術を使う」ことで、発生した地震の数だけデータが増えますから、それに比例して「地球内部」の知見は確かに急激に蓄積できました。しかし、これらは所詮は「静的地球」の解明であり、地震発生と言う「動学的現象」ではありません。そのためにはもっと多様な事例解明が求められている。それが地震学の現状です。

 今般の事態も、「群発地震」なのか「前震なのか」見極めがつかないまま本震が起きる迄は拱手するしかなかった。今更「あれは前震であった」と言っても、それは「後だしジャンケン」です。

 思えば、鳥取県での記憶に残る大震災は1943年のM7.2 地震です。この地震の3年後に南海地震M8.0が起きています。早くもそれを指摘し警鐘を鳴らす学者さんも出現しています。
(図2:日刊ゲンダイ10月23日付)
鳥取地震2134


 「南海トラフで巨大地震が近づくと、その数十年前から近畿から西日本にかけて地震が多くなることを過去の歴史が示しています。73年前の鳥取地震の前は、兵庫県北部でM6.8の北但馬地震(1925年)、京都府の丹後半島でM7.3の北丹後地震(1927年)など、大きい地震が立て続けに近畿地方を襲いました。そして1943年に鳥取地震が発生すると、その翌年にM7.9の東南海地震が起き、1946年にM8.0の南海地震が発生したのです。つまり、見方によっては、今回の鳥取県中部の地震を南海トラフ地震の予兆と捉えることもできます」と、西田良平氏は語ったとのことです( 日刊ゲンダイ、10月23日 http://c23.biz/efrR )

しかし、この学者さんにしたところで、鳥取域で起きる地震活動と南海地震との力学的因果関係を踏まえているわけではありません。高々、高所的発想である「プレート」理論に照らして関連付けたという程度のものです。それは、解明したことにはなりません。そこが、地震予知・地震予測ビジネスの悩ましいところです。

 前置きが長くなりました。下の表は前回記事の再掲です。
(表1:上はGlobal CMT Catalogue より。最下段の二行が断層面として可能性のある二つの面(節面と呼ばれる)です。下は Global CMT Catalogue解析から導かれる震央に働く3つの応力の方向成分とその大きさ、および非DC量)
20161021鳥取b


 上の表(下)の”eigen”とある行の3つの数値は、最左が圧力応力(−2.8911dyne・cm)、最右が張力応力(3.1250)、そして中央が震源に働く全ての応力が”0”であるという条件下から導かれる「中間主応力(と呼ばれる、−0.2379)」です。地震波をこの条件下で解析するならば、震源では鉛直方向(何故ならこのケースでは、二つの応力はほぼ水平面上にある)に微小な“圧力”が働いていたことを意味します。しかし、この解釈はあくまでも数値解析から生じた量で、その解釈には色々と検討するべき問題がある事は以前書きました。そもそも、今回のような地下浅い場所で発生する地震源周囲は静水圧状態に近いのか?と言った疑問もあります。

 それはさておき、地震時には“張力”が大きく働いたという解釈も可能です。表1(下)のeigen 列で最右の値の絶対値が最左のそれよりも大きいからです。それは図1右の“T”が張力軸の方向です。気象庁の記者発表は、フィリッピン海プレートの運動方向に働く力、つまり”P”方向の力がこの地震を起こした、と言います。つまり、今般の地震の主要な起動力は「フィリッピン海プレートの北西方向の運動」であるという一般的な解釈に随(したが)ったのでしょう。

(図3:(左)地震発生前一週間の震央分布、(右)表1の解析から得られる発震機構図)
20161021鳥取a


 上の図の右と左を見比べることから、この地震の断層面の幾何学的性状は表1(上)の最下段に示される二つの節面の内“面-a”であることがわかります。左横ずれ断層です。

  今般の地震については、ネットおよび週刊誌などですっかりおなじみになった「地震予想専門家」の発生予測は無かったようです。尤もこれも「後出しジャンケン」に近い形ではありますが京都大学の地震研究者が「GPS観測から同域の地殻歪を認識していた」と談話していました。更には、地震予測で名を馳せたお一人はまさにGPSを専門とする東大名誉教授でしたが、今般は「この先生の成功譚は聞こえませんでした。

 その理由として以下を想像して居ます。「歪」というのは地表の二点間の距離が変化することで認識されます。これは地殻の変形によって生じます。したがってこの地殻が周囲から大きな力を受けても、それに抗って地殻が必死に抵抗してしまうと、「歪」は生じないことになります。地殻が強い力を受けても変形せずに「硬化」してしまう”hardening”を起こす事があるのではなかろうかと私は思っています。「ダイラタンシ」と言う考え方です。この場合には”変形“は小さいけれども、つまり”歪”は小さいけれども大きな力を受けているという状態です。近くの東郷池下の地下水の浸入でこのハードニングが起きていた。そして過剰な水の更なる浸入で間隙圧が上昇し地震に至ったとの筋書きを考えました(詳細はいずれ機会を見て書きます)。

 上にも書きましたが、昨今は「中央構造線が何時活動しても不思議でない」との論調があちこちに行き渡っています。今般の鳥取地震を起こすくらいの大きな力が働いたのであれば、「より割れやすい筈の中央構造線」を何故その大きな力は割らないのか?何故、わざわざ割れにくい鳥取の名も知れぬ断層を割ったのか?疑問は尽きないのであります。

+++++古川利明氏(10月21日)が書く安倍首相周辺(10月21日付けブログより)
 http://toshiaki.exblog.jp/ 
下に紹介するブログの管理人、古川利明氏は、慶大仏文科出身の元毎日新聞記者です。どういう経緯があったのかは知りませんが新聞社を退職し、現在はフリーのジャーナリストとして健筆を振るっています。このブログでは、古川氏が意図的に「ぞんざいで品の無い」文体を取っているために、胡散臭く感じ、読む側には端から受け付けないという人も居るやも知れません。しかし、私は、古川氏がこのブログを通して我々に提供してくれる情報は全て真実と思っています。それは、記事の背後に氏の注意深く丁寧な取材を感ずるからです。

 今回紹介するのは石原元東京都知事と安倍首相に関する記事です。
 元東京都知事の石原慎太郎氏と鹿島建設の癒着振りは目を覆わしめるものがありながら既存の大手マスコミは一切報道してきませんでした。その癒着の行き着いた先に今般の豊洲の闇が沈潜しています。石原氏のご両親は生まれてきた長男にどんな思いから「慎」と言う字をつけたのでしょう。「名は体の真逆」です。およそ「慎」まし句ありませんな。芥川賞受賞の経歴からは、「繊細、感受性」を連想しますがこれも真逆ですな。

 もう一つは安倍首相に絡む問題です。
(図4:安倍氏は2007年に突然「腸の病」を理由に首相の座を降りた。しかし、その真の理由は巨額の脱税が明るみに出ることを嫌った故であると週刊現代2007年9月29日号が報じています )
安倍脱税

 
 古川氏のブログ記事で得心が行ったのは、何故安倍氏の独裁的且つ強権的自民党支配がありえるのか?との年来の疑問への回答が用意されているように思えるからです。それは

『ちなみに、この「ジャーナリストのT」ってのは、おそらく、同一人物だと思うんだが、『四国タイムズ』の14年9月号が「アベの隠し子の存在」をスッパ抜いた際も、その直後にヤクザ筋とおぼしき者に呼び出され、東京西郊のしもた屋に連れ込まれるなり、左目に一撃を食らって、こう脅されておったんだよな。「これ以上、迫るな。いいか、オマエの左目は当分見えなくなる。右目が見えなくなりたくなかったら、もう迫るのはやめろ。鹿島のことに触れるな。大勲位のことに触れるな。今の首相のことをつつくな! ココでオマエの脊髄にカテーテルを差し込んでいいんだが、今日のところはこれで終わりにする。自分をもっと大切にしなさい。ワタシを追いかけても無駄だ』
 の件(くだり)です。日本の大手マスコミを黙らせたのも「ネチネチとした執拗な報道介入」と併せて、こうした暴力的威嚇では無かろうかと。叔父に当たる佐藤栄作元首相と某暴力団との親密な関係はしばしば、噂になったものでした。祖父の岸信介も同様でったのだろうと推察したものです。安倍氏に「民主主義」を説くことは、全く意味が無いとは思いますが、そうではあっても、民主主義とかくもほど遠い人物が国のトップにあることに、国民は警戒心を高めるべきと思っています。

%%%%%ブログ記事転載はじめ
#で、石原のおぢいちゃんとニコイチとなって、豊洲新市場地下の「ガラガラがらんどう」はもとより、築地を貫通する環状2号線といった巨大公共工事を、「東京五輪開催」を大風呂敷にガンガンと推進しマクっておる鹿島だが、うっかり、この鹿島の膿を炙り出しちゃった日には、ヤクザ筋を使い倒した「御礼参り」が待っておるんだよなあ。
 ってのは、今は無き『四国タイムズ』(今年4月より『日本タイムズ』に名称変更)の13年8〜9月号で、羽田空港の沖合展開、すなわち、新D滑走路の埋め立て建設工事で、事前に国交ショウには届け出ておらんかった、ヨコハマは山下町の再開発事業で出たガラをこっそり混入させておったジケンの詳細を報じた後、この20年余の鹿島の悪行の極みについて喋ったのをCDに録画されておる、例の住吉会の「大竹次郎」ってのが、たぶん、記事を書いた人間だと思うんだが、「ジャーナリストのT」ってのを呼び出すなり、一緒におったヤクザ筋が、突然、Tの胸に一撃を食わせ、そのまま、東海道線のグリーン車に乗せて、伊豆高原の別荘に丸1日監禁したってんだな。んで、その際、「ありったけのカネを出せ。最低でも20萬円用意しろ。生きて家族の元に帰りたいだろ?」って恫喝されマクったってんだよな。
 ちなみに、この「ジャーナリストのT」ってのは、おそらく、同一人物だと思うんだが、『四国タイムズ』の14年9月号が「アベの隠し子の存在」をスッパ抜いた際も、その直後にヤクザ筋とおぼしき者に呼び出され、東京西郊のしもた屋に連れ込まれるなり、左目に一撃を食らって、こう脅されておったんだよな。「これ以上、迫るな。いいか、オマエの左目は当分見えなくなる。右目が見えなくなりたくなかったら、もう迫るのはやめろ。鹿島のことに触れるな。大勲位のことに触れるな。今の首相のことをつつくな! ココでオマエの脊髄にカテーテルを差し込んでいいんだが、今日のところはこれで終わりにする。自分をもっと大切にしなさい。ワタシを追いかけても無駄だ」
 なお、四国タイムズは、この「アベの隠し子」について、渋滞のメカニズムを研究する「東大大学院工学研究科の講師」だとして、アベは、ケーサツの外郭団体である「ニッポン防犯安全振興財団」を、この隠し子にプレゼントすべく、虎視眈々と狙っておると「字」にしておったんだよな。ただ、フリーのブンヤの松田賢弥は、週現での連載(後に、講談社から『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』の題で単行本化)で、「隠し子」でのうて、「腹違いの弟」、つまり、父親の晋太郎がかなり歳を取ってから生ませた倅だとしておって、今、永田町では、この2説が流布しとるんだよな。しかし、いずれにせよ、アベの隠し子(or腹違いの弟)と抱き合わせで、鹿島の恥部を抉り出そうとすると、こうやって、ヤクザ筋が徹底的に口封じに出てくるんで、ビビッてしもうて、どこも後追いをせんのだよな(笑)

 #ほうー、今日(=10・22)のam10:26upの日刊ゲンダイ電子版に、石原のおぢいちゃんが、逗子に半世紀近くにわたって保有しておった別荘を、ぬあんと、鹿島と、その創業者一族の鹿島昭一で6割近くも株を持つ「かたばみ興業」(東京都港区)とかいう子会社に売却しておったっていうハナシが出ておったな。広さ540坪で、土地と合わせて時価3億円は下らんっていう物件だってんだが、買収金額は明かしておらんものの、コレまでの超ズブズブの仲ってことで、鹿島もちゃんとそれ相当以上のオモテナシで遇したんだろうなあ。
 ま、おぢいちゃん的には、都チジ時代はタダで乗り回せる公用車があったんで、週末とか、ナンボでも来れたんだが、都心からだと、逗子は、チョット距離があるし、あと、アレだけデカイと維持管理も大変で、固定資産税だってバカにならんから、「手放しどき」を見計らっておったんだろうな。
 じつは、ワシ、アソコは散歩道で、おぢいちゃんの別荘んところから、披露山へと抜けるけもの道があって、眼下に逗子湾が見下ろせる絶景が楽しめるんだわな。塀の上には有棘鉄線が張り巡らしてあって、前を通ると、即、ライトが点灯して、異様にモノモノしかったのを覚えてる。たまたま、ある日、近所の人と雑談してたら、「あら、アナタ、あそこの持ち主、誰か知らないの?」と耳打ちしてくれて、「へえー」と思ったな。とにかく、おぢいちゃんのおかげで、披露山に登るけもの道の手前まで、道路が舗装されたってことだった。しかし、鹿島も、石原のおぢいちゃんの背中の痒いところまで手を回しておるっていうんか、ホンマ、大事に、深い愛情を込めて、よう世話を焼いとるよなあ(笑)

 #で、今朝(=10・22)の東京、神奈川etcの地方紙に配信された共同電で、コイズミが顔出しで単独インタビューに応じておってだな、「原発即時ゼロ」で吼える吼えるってカンジで、スンゴかったな。東京シンブンが詳細な一問一答を載せておったんだが、以下の通り。
 ━今、現職首相なら、原発ゼロで信を問うか。
 「当たり前だ。野党は真っ青になる。首相が言えば反対できない」
 ━郵政民営化と比べて、どうか。
 「簡単だ。郵政はもっと厳しかった。自民党も反対、全政党も反対だった。非常識と言われながら、よく勝った。野党は原発ゼロに反対してない。自民党は民意を無視している。民意を無視する政党が政権を維持できるわけがない」
 ━9日の故加藤紘一元官房長官の葬儀時、安倍首相と会話した。
 「車を待っている間、『何で原発ゼロにしないのか』と言った。首相は苦笑して頭を下げながら、何も言わなかった。聞いていただけだった」
 ━首相は原発ゼロに踏み切れないか。
 「ここまで(再稼動に)踏み込み、輸出までしている。変えたら、遂に『ブレた』と批判される」
 ━もんじゅの評価は。
 「30年間で税金を1兆円も費やした。夢の原子炉が幻の原子炉だ。(核燃サイクル政策)全てが駄目だ。必要ない」
 ━使用済み燃料の再処理を認めた日米原子力協定のため、原発稼動をやめれないとの声もある。
 「うそだ。米国は日本が方針を決めたら、いやと言えない。(18年が期限の協定を)更新する必要はない」
 この最後んとこの「(3年後に30年間の契約期限が切れる)日米原子力協定は、更新する必要はない」と、コイズミが断言した点に、「んー、ココまで言ったかあ」だな。しかし、「原発即時ゼロ」なんだから、協定を更新せんで、亜米利加から発電用の低濃縮ウランの供給がストップしたところで、ニッポンは何も困ることはねえんだよなあ(笑)
%%%%%古川ブログ転載おわり

要石(2)、2016年10月21日14時鳥取地震速報

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝焼けの空カラスがカーと飛んでました。クリックすると写真が拡大できます)
PA21朝焼け


 朝もやを うっすら赤く 色づけて ただいま まさに 朝日がのぼる

 本日午後2時過ぎ、鳥取県中部で大きな地震がありました。防災科学技術研究所によれば、その第一報は:
14時 7分22秒 M=6.2 緯度=35.39 経度=133.85 深さ=9.5 断層面幾何:260、3、76、46、137、19

 この情報は程なく以下のように訂正されました。
14時7分28秒 M=5.5 緯度=35.05 経度=132.83深さ=34.3断層面幾何:38、138、74、59、147、19
 速報の値がずいぶんと変更されています。又Global CMT Catalogueが公表する数値とも異なっています。
(図1:今般の鳥取地震と最近一ヶ月の地震活動、http://c23.biz/2cpA
鳥取一ヶ月KINKI_MAP


Global CMT Catalogueに拠れば(http://c23.biz/s7Xp )、この地震は以下のように解析されています。
201610210507B WESTERN HONSHU, JAPAN
Date: 2016/10/21 Centroid Time: 5: 7:27.1 GMT
Lat= 35.40 Lon= 133.75
Depth= 15.1 Half duration= 3.3
Centroid time minus hypocenter time: 3.5
Moment Tensor: Expo=25 -0.224 2.040 -1.820 0.335 -0.681 -2.180
Mw = 6.3 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 3.01e+25
Fault plane: strike=69 dip=75 slip=-180
Fault plane: strike=339 dip=90 slip=-15
この結果から、以下が判明しました。
exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cmt2fdr.sci', -1)
Tensor(rr,tt,ff,rt,rf,tf)=>[-0.224 2.040 -1.820 0.335 -0.681 -2.180]
vctr1= 0.3872 0.9038 0.1821
vctr2= -0.2333 -0.0951 0.9677
vctr3= -0.8920 0.4172 -0.1741
eigen= -2.8911 -0.2379 3.1250
NonDC= -0.0791 (鉛直方向に僅かながらの圧力、物理的に有意であるか否かは不明)
(図:2016年10月21日14時の鳥取中部地震の発震機構解)
161021Tottori

 この地震についての詳細が判明次第、次回に紹介します。

%%%%%要石(2)
 「玉造」とは「石(磐)」の加工作業であるらしいことが、那須岳―香取のシリウス線上の陣屋群から推定できます。それによって出来る石造物とは何か?一つ思い当たるのが「要石」です。これは鹿島神宮境内と香取神宮境内脇に鎮座している磐(石)です。そのほとんどが地中に埋設されているようで、その全貌を見た人はいないということになっています。日本列島の森羅万象に多大な興味を示した水戸光圀公がこの磐の実態を調べんと、七日七晩、岩(磐)の周囲を部下に掘らせたんですな。しかし、夜の作業を終えて翌朝作業を再開しようとすると掘り返したはずの土が元にもどっていたんだそうです。結局この磐の根元を見る子ことが出来なかったなどの言い伝えがあります。
図1:要石とその由緒 http://c23.biz/LEeu 
要石無題

 
 神の御座(磐座、いわくら)と言う説もあるようです。神がこの石にお座りになって世界を見守っていたというわけです。そうであれば、こうした切り出した石材を円い石に加工することは神聖な作業と言うことになります。それに携わったのが「石神」というわけです。

 伝説の類として最も知られているのが上の図1です。鹿島、香取の地下には地震の元凶たる鯰が潜んでおり、“そ奴”が地下で暴れると地震になるので、暴れないようにと上から押さえつけているというわけです。確かに、この要石のおかげで、このあたりは関東域では地震が少ないといえるやも知れません。

 三十数年前、某大学の先生(故人)、某省若手官僚の三人で地震国ギリシャで、旅回り役者よろしく、四つの都市を巡回したことがあります。この時に通訳兼ガイドを務めてくれたのがポピーさんと言う60代の日本人女性でした。船員をしているギリシャ人の夫とは米国で知りあったと言います。ポピさんに付き添われて車でコリントス湾北岸をデルフィまで走りました。ここのアポロン神殿には「地球のへそ」といわれる大理石の丸みを帯びた石が鎮座しています。ペロポネス戦争、トロイヤ戦争などで時の為政者が幾度も神の託宣を求めて訪れた地です。「美男子のパリスが三人の美女の内の誰にリンゴを渡すべきか」の決断を迫られ「アフロディーテ」を選んだ。それは自分の考えか?それとも神のご託宣を仰いだのか?ポピさんの説明は「オイデプス」が関わっていました。「ギリシャンの男は、自分で物事は決められない。母が決める」、つまり「マザコン」ですな。と言う具合にポピさんは豊富な知識を面白おかしく語ります。

 この「ヘソ」なる大理石については、「地震を鎮める」とのご利益があるともポピさんは語ります。実際、コリントス湾は地震活動が活発です。1981年2月24日M6.7の地震は、コリントス湾で起きています。アテネ・アクロポリスの神殿の破風を損傷するなど多大の震害がありました。多くのアテネ市民が更なる地震を惧れ数晩にわたって野宿したと聞きます。この地震災害がギリシャ地震予知VANの世界へのデビューともなりました。VANはSESと呼ばれる地電流変動からこの地震を予知し、ギリシャ国の地震防災担当局に事前に通報していたというわけです(2011年5月27日記事「VANの話」http://c23.biz/b5rL クリックすると記事に飛ぶことができます )。

 聡明な女性、アリアドネの機転でミノス王の迷宮から逃れることが出来たテーセウス神話の舞台であるイラクリオンもずいぶんと津波に洗われたと、ポピさんは語ります。地球物理学者の竹内均博士の「サントリーニ島の大噴火が大津波を引き起こし、その引き波がスエズ湾を短時間陸続きにした(いわゆる「海が割れた」との旧約聖書の説話)」なる説をポピさんに話すと喜んでいました。

 このアポロン神殿に鎮座する石は地下の地震の巣を押さえつけるためであると古代人は考えたとしたら、鹿島・香取下のナマズを押さえつけるのと同じ発想です。
 日本列島為政者が鹿島・香取に鎮座する要石を通じて治世・戦争に関する託宣を求めたでしょうか?二つの巨石が異なるご託宣をしたのでは、それを願った側は戸惑うばかりです。どうもそれは違っているようです。

 脱線ついでにもうひとつ雑談です。旅回りを終え、アテネにもどったところで、とある方から夕食に招待されました。そこで、我々三名は夕刻6時にホテルのフロントで待ち合わせ、揃って出かけることとしました。当日はホテル前の大通りを核実験反対の大規模なデモ隊列が行進していました。さて、6時に私と大学の先生はフロントで、その若手官僚氏を待ちました。待てども暮らせども彼はフロントに降りてきません。一時間がたちました。部屋に電話をすれども応答がありません。デモを見に行ったのかと思い、更に30分待ちました。しかし、現れません。そこで、フロントの方に頼んで、彼の部屋を開けて貰ったんですな。なんと、彼は居たんです。しかし、在室ではなく窓の向こうのベランダに居て、こちらを哀しげにじっと見ていたんですね。当時のホテルでは、ベランダへ通ずる窓は閉めると自動的にロックされてしまうんです。と言うわけで、彼は二時間以上、なすすべなく部屋から閉め出されていたと言うわけでした。こういう愛嬌有る官僚も昔は居たんですね。今やとある自治体の首長を長く勤めています。

 又も脱線してしまいました。要石からつまらぬ記憶がよみがえったというわけです。

 いずれにしても、こうした作業あるいは完成石造物についての記載が記紀に見当たりません。唯一あるのが須弥山石です。これについては私は肥前の国大和の「巨石パーク」がそれであると考えていますが(2013年2月22日記事 http://c23.biz/VnHp クリックすると記事に飛ぶことができます)、通説は奈良盆地内のちっぽけな石像です。また史書には残されていないけれども土佐の唐人駄馬遺跡のような巨石建造物を計画したが、戦乱が差し迫ってきた状況でそれが放擲されたなどなど考えれば限がありません。
(図2 高知県足摺岬近くの唐人駄馬巨石遺跡、2013年9月18日、http://c23.biz/6uvb クリックすると記事に飛ぶことができます)

 ところで、鹿島と香取の要石の位置関係を算出してみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[35.9687115 140.636251] 鹿島
sta(lat,lon)=[35.884972 140.527726] 香取
Dlt,Azm,Bzm= 0.12 226.41 46.35 13.5 –km
 何の変哲も無い数字です。ところで、この地域では東国三社と言う呼称があります。上記の二つの神宮に加えて「息栖神社」が仲間入りします。
(図3:東国三社)
東国三社



東国三社(とうごくさんしゃ)は、関東地方にある鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の総称で、ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキより転載
葦原中国平定の派遣神

主神 副神
古事記 建御雷神 天鳥船神
日本書紀 経津主神 武甕槌神
三社はいずれも関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社である。古代、この付近には「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっていた。これら三社の鎮座位置はその入り口にあたり、うち鹿島社・香取社は大和朝廷の東国開拓の拠点として機能したと推測される(息栖社も拠点とする見方はあるが不詳[1])。
また、三社はいずれも『古事記』『日本書紀』における葦原中国平定に関する神(右表参照)を祀っている。うち息栖社主祭神・岐神は、記紀に記載はないが東国に導いたと伝えられる神であり、同社では天鳥船神を配祀する。
江戸時代には「下三宮参り」と称して、関東以北の人々が伊勢神宮参拝後にこれら三社を巡拝する慣習が存在したという。三社の鎮座位置は、直角二等辺三角形を描くことが知られている(息栖神社が直角の頂点)[3]。位置関係は次の通り。
%%%%%
 さらにウイキは息栖神社について下記を書いています。
%%%%%息栖神社(ウイキより抜粋)
 社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという[3]。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える[3]。
当社の名称について『日本三代実録』では「於岐都説神」と記される。また元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるように、当社は「おきす」と呼ばれていた[4]。この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられている[5]。祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であることが示唆され[5]、鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であったという見方もある[5]。
%%%%

 諸々の考察をする前に、上記ウイキ記事をまずは検証することにします。まずは息栖神社と他の二つの神宮との位置関係です:
epi(lat,lon)=[35.9687115 140.636251] (鹿島)
sta(lat,lon)=[35.8857886 140.625117] (息栖)
Dlt,Azm,Bzm= 0.08 186.21(方位) 6.20 9.3 –km(距離)
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[35.884972 140.527726] (香取)
sta(lat,lon)=[35.8857886 140.625117] (息栖)
Dlt,Azm,Bzm= 0.08 89.38(方位) 269.44 8.8 -km(距離)

 上記の計算から、角度(鹿島−息栖−香取)=96.87度となります。等しかるべき辺の長さも500mほど異なります。最も古代の設計であればこれぐらいの差異が生じるのかもしれません。が、須賀川市の長沼地区で見た二等辺三角形の設計と施工に比べると見劣りがします。

 そこで、上記「第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという」と言う記載を検討してみます。ざっと当たってみると、ここでも二等辺三角形らしきものが見えてきます。そこで鹿島−香取を辺長とする正三角形の頂点の位置を計算してみます。
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\perpendicular.sce', -1)
lat,long=[35.9687115 140.636251]
alph,dlt(km)=[226.41 13.5]
結果は以下です。
lat,long= 35.8507 140.6715
そこで、その位置を地図上で確かめます:
(図4:赤印は日川地区。計算で得られた場所は青印で中州状の場所となる)
日川ー息栖無題


 興味深いことは、利根川河口域の中洲に位置したことになります。つまり、現在であれば、千葉県側にも茨城県側にも属さない場所に この神社(当時は陣屋または館)が設営されていたということです。上記の直角二等辺三角形よりは説得力がありそうです。太古の昔、ここに中州が存在したのでしょうか?

(図5: 太古の利根川河口図。この図には中洲は描かれていない)
古代利根川河口


 次回、この東国三社をもう少し考察します。
(つづく)

磐瀬から利根川へ、米国ユダヤ人協会の安倍氏表敬

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:向こうの台地の背後から太陽が顔をのぞかせました。そしてあっという間に全容が空へ。日の出の勢いとはこういうものかと思った次第)
PA15朝日


 枯れ草の 向こうの台地に 秋の日の 顔を出す位置 大いに移動せり 
 

 去る日曜日に投・開票された新潟県知事選挙で、原子力発電所がある市。村での住民の投票行動が以下です。興味深くこの得票数を眺めました。柏崎、刈羽住民が原発稼動を心から望んでいることを意味しているのではなかろう、と思っています。ややこしい地元政治家とのしがらみの中での苦悩する選択であったろうと想像しています。
2016年新潟県知事選挙 【NHK新潟】
当選:米山 隆一 
【全 県】 52万8,455票 得票率 52.2%   
【柏崎市】  1万9,481票 得票率 45.2%
【刈羽村】  1,040票 得票率 38.1%
落選:森 民夫
  【全 県】 46万5,044票 得票率 45.9%   
【柏崎市】  2万3,078票 得票率 53.5%
【刈羽村】 1,668票 得票率 61.1%


+++++玉造と要石
 五世紀半ばから、およそ60年弱を要して設計・建設されたシリウス聖ライン:
 八溝山から久慈川を伝って静の地(現在の常陸の国・二ノ宮である静神社)に拠点たる陣屋を設営し、さらに久慈川、太平洋、那珂川を経て水戸の吉田神社(常陸の国・三の宮)に次なる拠点を築いたシリウス星信仰の渡来族は更に南進します。ちなみに、この吉田神社に隣接して、「倭武尊が東を向いて御来光を仰いだという碑が建立されています。私の本ブログの筋書きでは、古くから住民に口伝された真実ではなかろうかと思っています。そして太平洋沿いに海路で鹿島に達し、現在の鹿島神宮に一大政治拠点を設営し、その陣屋で以後を展望し、そのための戦略を練ったのでしょう。

 このラインは高・サカ一族のひたすらの南進拠点構築にあったと考えます。ゾロアスタ教のご加護を確保するために、その拠点はシリウス星方位線でなければならないという宗教的縛りがあったのです。これから、鹿島を経て遠く九州の地まで、その威勢を広げる足がかりの構築です。こうして構築された政治・軍事拠点から渡来族は、同盟するアイヌ族と共に、次々と日本列島の太平洋岸沿いを西に進みやがて九州の地を踏みます。そこで詠んだのが万葉集一歌です。漢字に疎かったはずのこの集団がどのようにして文字を習得していったのか、一歌の微笑ましくも必死な心意気が見えるような気がします。そこで彼らは、邪馬台国(邪馬国連邦)の存在と、自らがその連邦の跡地に立っていることを実感したのです。そして、万葉集の二歌では、その跡地の住み心地の良さと、風景への感嘆を謳いあげます。これが一体何時頃の事なのでしょうか。六世紀半ば過ぎであることは間違いありません。

 九州の地への途上、彼らは奈良盆地に盤踞(ばんきょ)する「日本列島で一般的であった言語ではない異なる言語を話す」一団を認識したはずです。この一団こそ、魏志倭人伝でも触れられている「漢語」をあやつる部族であった。七世紀初頭、隋からの列島視察団からは「同属か」と認識されていたのです。この事情を隋書が書きます:
%%%%%隋書倭(俀)国伝
原文:
 明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。

文意:http://c23.biz/c3Vz より転載
 翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
%%%%%
 西暦600年に倭国から最初の使節が隋に派遣されました。7年後に二回目の使節が派遣されました。かくして隋は日本列島にしかるべく興味を抱き、列島に視察団を派遣します。その際の視察団の見聞が上の記事です。
%%%%%
「東至秦王國。其人同於華夏」
 誠に衝撃の見聞であると私は思っています。この「存在」が百年もたたずして強大になり、やがて日本列島の強権支配者となるのです。その象徴的存在が藤原一族、とりわけ藤原不比等です。

 この文書は「(俀)」(たい)国伝と標記されています。先年なくなられた古田武彦氏はこれについても「多言」あるところですが、本ブログではそれは「倭」の意であるとしておきます(実は私なりの考察もあるのですが、長くなります)。
 
 
 「渡来族・アイヌ」連合一族は、九州と利根川以北にあってこの奈良盆地集団が、大陸での隋帝国勃興に呼応してなにやらきな臭い動きを始めたことを察知したのです。そこで、予期される軍事攻勢への陣屋・防護柵の設営などを開始したと思われます。その最大の防御線と見なされたのが流浪(流の海・現在の利根川)であったのです。そこで、急遽、この利根川の南沿にもう一つの政治拠点を設けるべく設計されたのです。当然、ゾロアスタ教の導きに随いその設営手順はシリウス線であらねばなりません。しかし、今回の設営は八溝―鹿島とは異なり、軍事的に重要な役割を担っています。その一つの要素は「石材」の運搬であったのです。
(図:太古の昔の霞ヶ浦周辺、http://c23.biz/dgTj より)
太古霞ヶ浦


 新たに設計・構築される聖線の基点を何処にするのか?終点は利根川の対岸で無ければなりません。選ばれたのが那須岳です。そこから那珂川沿いに烏山です。ここで、石材運搬に使われる舟の建造などの木材が調達されたのでしょう。この地は、過去に「毛」長媛と言う美人を輩出した地です。新たな政治拠点を構築するに当たっては人力の供給もあったのでしょう。
 その地で、伐採去れた木で建造された舟は那珂川・逆川の水路を使って笠間に送られます。そこでは、既に稲田石という良質花崗岩の採掘が進んでいました。笠間のやや西に「岩瀬町」があります。私の大好きな女優さんである倍賞千恵子さんが戦争直後の数年を過ごした地です。東京新聞連載記事に拠れば、中学生ながらその美貌は近隣に知れ渡っていたとのことです。余計な脱線を書きました。その地には、大政治拠点たる「磐瀬国」の石(磐)採掘専門家集団が集結していたのでしょう。

 笠間の「石井神社」には、石採掘の指揮者が後世に祀られたのではなかろうかと考えています。
%%%%%石井神社の由緒
http://c23.biz/mvJ4 
祭  神:建葉槌命
説  明:茨城県神社庁発行の、「茨城県神社誌」を引用します。「創立年月日不詳。
     大同二年再建(社伝)。上古建葉槌命、鹿島香取二神の命をうけ、天の甕星亦の名
     香々背男を討給ひしに、大甕(久慈郡)の山に香々背男命、大石に化し、周四丈、
     高さ五丈、日夜に長じ、高天原日若宮を毀損するおそれあり。天神相議し鹿島・香
     取二神をして図らしめた。命をうけた建葉槌命、その石を蹴ったところ三段にとび、
     その一つは笠間に落ちた。石井の起因。香々背男の祟りをおそれ建葉槌命を奉祀し
       たといふ。」
  住  所:茨城県笠間市石井1074
%%%%%
 この神社にまつわる昔話が幾つか遺されています。例えば「笠間市の昔話」(筑林書房、1981)が上記の筋書きを紹介しています。この神社は「石」(磐)をめぐる戦争に直接関わっていた。そしてそれが地元住民に語り伝えられていたのです。しかも、その戦争の当事者として、本ブログのいわば主人公たる“天の甕星亦の名香々背男“が登場しているのです。つまり「天の甕星」すなわちシリウス星信仰一族が、民間に伝承されているのです。

 次の段階は採掘された石(磐)の加工です。笠間から涸沼川(多分一部は運河であった。それは「笠」と言う地名から想像できる)を経て、まずは涸沼に水路を経て届けます。さて、ここから目的地である香取にこの石材あるいは途中で加工した石造物をどう運搬するのか?涸沼から一旦太平洋に出て、利根川河口まで行き、そこから川を遡って香取と言う経路は一つの選択です。その経路は当然検討されたと思います。しかし、重量の有る石(磐)を荒波の中運搬することの不確定さに思い至り、まずは霞ヶ浦沿岸のしかるべき地点を選定することになったのです。選定作業は「一意的」(unique solution)でした。何故なら、シリウス方位と言う「神的」束縛があるからです。つまり、現在の玉造以外の地点はありえなかったのです。どうやらそこに石工(メーソン)が集められたのでしょう。その統括者が、後世に土地の鎮守様として崇められ、死後、立派な墓所が造営されたのです。それが現在の「石神館」であった。また統括者の屋敷跡は「石井戸稲荷神社」となったのです。

 こうして出来上がった軍事的目的で作成された石造物は霞ヶ浦を南下して香取に据えつけられたはずです。八溝山系列完成後およそ150年後、西暦592年頃にこの事業は始まりました。すなわち、上に書いたように隋建国直後と言うことになります。そのラインの完成はシリウス年代法によれば西暦680年頃と見られます。がそこには軍事的意図が込められていたと思えます。つまり要塞としての石材の運搬、そして、宗教的結束を図るための何がしかの建築物構築です。更には、戦闘用資材も当然含まれていたはずですが、この当時の主要な武器が何であったのか?矢、馬、は考え付きますが、知識の不足を痛感しております。いずれにしてもそれはかなり壮大な構築物ではなかったろうかと考えています。
 一体、それは何であったのか?全く想像がつきません。一つ思い当たるのが要石です。次回、それを考えます。
(つづく)

+++++ユダヤ人協会理事長による安倍総理大臣表敬
 本日の朝刊「首相の一日」欄で興味深い記載を見つけました。三段目に注目してください:
(写真:10月19日付東京新聞、より)
PA19ユダヤ1


 これについて外務省HPは以下を書きます:
%%%%%外務省HPより
http://c23.biz/eUEK
ハリス米国ユダヤ人協会理事長による安倍総理大臣表敬
平成28年10月18日

 本18日午後5時35分頃から約30分間,安倍晋三内閣総理大臣は,訪日中のデビッド・ハリス米国ユダヤ人協会理事長(Mr. David Harris, Chief Executive Officer, American Jewish Committee (AJC))の表敬を受けたところ,概要は以下のとおりです(先方同席者:シーラ・ローエンバーグAJCアジア太平洋研究所所長ほか,日本側同席者:長谷川榮一内閣総理大臣補佐官,兼原信克内閣官房副長官補,佐藤英夫外務省参与,森健良外務省北米局長ほか)。
1 冒頭,安倍総理大臣から,3年続けての訪日を歓迎するとともに,日本とAJCとの協力関係が順調に発展してきていることをうれしく思う,この協力関係の深化は日米同盟の絆を更に強める上で重要である,今後とも関係を継続し,更に強化していきたい旨述べました。
2 これに対し,ハリス理事長から,これまでの日本政府によるAJCへの協力に心から感謝する,テロ対策や中東和平への貢献を含め,日本は米国のパートナーとして国際社会において非常に重要な役割を果たしている,AJCとしても,太平洋をまたぐ日米の同盟関係を重視しており,この同盟は日米双方の外交政策の基軸であると確信している旨述べました。また,同理事長から,日本政府がTPPの早期発効に向けた手続を進めていることは,米国内のTPPに関する議論を後押しするものであり,歓迎する旨の発言がありました。
3 さらに,中東情勢を含む地域情勢についても話が及び,ハリス理事長から,地域と世界の平和と繁栄に対する日本の貢献を評価する,AJCとしても協力を続けていきたい旨の発言がありました。
4 両者は,日本とAJCの協力関係を更に深化させるため,今後とも努力を続けていくことで一致しました。
(参考)米国ユダヤ人協会
 1906年に創設。米国内外に支部を有し,世界のユダヤ人とイスラエルの福祉を向上させ,米国と世界における人権と民主的価値を推進することを使命として活動している。
________________________________________
関連リンク
薗浦外務副大臣とデビッド・ハリス米国ユダヤ人協会理事長との意見交換(平成28年10月17日)
スタンレー・バーグマン米国ユダヤ人協会会長による安倍総理大臣表敬(平成27年10月15日)
スタンレー・バーグマン米国ユダヤ人協会会長による安倍内閣総理大臣表敬(平成26年10月21日)
%%%%%
 この記事から直ちに連想するのは下記の記事です:
「☆安倍首相の2億ドル支援が理由=日本人殺害警告でイスラム国 http://c23.biz/3r3h
【エルサレム時事】過激組織「イスラム国」は日本人2人の殺害警告の理由として、安倍晋三首相が先にカイロで行った演説で、イスラム国対策として約2億ドルの支援を表明したことを挙げた。」

 まさにイスラム国に拉致された後藤、湯川の両氏が拉致されていた時期なのです。上記協会は既に情報を掴んでおり、イスラエル側に都合のよいような対応を日本政府がとるよう「工作」していたのではなかろうかと疑っています。

原発再稼動是非を争った新潟県知事選挙

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当地には大変珍しいことですが、先週の晴れた終末、15羽近い白鷺が刈り入れを終えた田の土を突いていました。嬉しくなりました。右方には子鷺が母の後を随いて回ってます)。 親ともなると、子を案じます。私は、レンズを向けているだけで他意も悪意も無いのですが、お母(かっ)さん白鷺が時折、当方を睨むように警戒の目を向けていました。
PA140010


 秋の田に 白鷺の群れ たわむれる 子連れの親が 我をにらめり

 “今朝は はや雨 誰も居ない外 ・・・・ ”、朝の散歩が出来なくなり、「越路吹雪の歌の“替え歌”を口ずさみながらボンヤリとしております。そこに嬉しいニュースが飛び込んできました。昨日投票された新潟県知事選挙で野党推薦候補が接戦をものにしました(http://c23.biz/J9Me )。
新潟県知事選挙の結果です。
▽米山隆一(無所属・新)当選、52万8455票
▽森民夫(無所属・新)、46万5044票
▽後藤浩昌(無所属・新)、1万1086票
▽三村誉一(無所属・新)、8704票
この得票を見て興味深く思ったことは朝日新聞の投票所出口調査です。
新潟出口調査1832


 当選した米山候補については得票率と出口調査には3%前後の差があります。が、次点の森候補の得票率はほぼ、出口調査の結果と一致しています。出口調査と言うものの精度の高さに驚いています。この出口調査については、それが時に候補者の当落に影響するということを、以前本ブログで書きました(2013年2月 6日記事http://c23.biz/zmMV )。投票最中に、特定候補の得票が伸びていないとの情報がその陣営にもたらされると、その陣営は急遽票の掘り起こしに走ることが出来るからです。実際、1998年の京都市長選でそれをやったのです。不正な選挙操作というわけです。味方陣営の劣勢を知った当時の自民党官房長が、直ちに友党の公明党に投票動員を依頼し、それが功を奏し自民党推薦候補が辛勝したのです。その「選挙犯罪」をその自民党幹部は得々と大ピらに週刊誌で語っていました。勿論、官房長に情報を提供したのは大手報道機関です(公にはその機関については語られていませんが)。

 当然、今回もNHKなり朝日新聞なりあるいは幾つかの報道機関が出口調査を行った。そして調査の目的は、開票作業後に出来るだけ精度良く、すばやく当選者を予測する事ではありません。そうではなく、その調査によって得をするする陣営に、結果を提供するためなのです。それが1998年の京都市長選で明らかになっています。
というわけで、今般の知事選でも、どこぞの報道機関から政府与党にその調査結果は伝えられていたと想像しています。森民夫氏を担いでいた自公は自陣営の劣勢を開票前には知っていたはずです。緊急投票動員をやったにも関わらず、森氏を当選ライイに押し上げられなかったのでしょうか?それとも京都市長選と異なり、投票当日の緊急動員では到底追いつけないほどの差であると諦めたのでしょうか?

 何はともあれ、米山候補の当選を心から祝福したいと思います。しかし、これからが大変です。それを予測させる記事が日刊ゲンダイ紙10月15日付に掲載されていたので、新しい記事ではありませんが、以下に貼り付けておきます:
新潟選挙前1795


 前知事の泉田裕彦氏が経験された脅迫まがいの政府・東電からの原発稼動圧力、福島原発の安全性に疑義をさしはさんだがために、検察特捜部から「謀略まがいの収賄容疑」で立件され、知事の座から追い落とされた佐藤栄佐久元福島県知事のご辛苦を、思うにつけ、米山候補の前に立ちはだかっているのは多大の障壁と困難であろうと思っています。しっかりと乗り越えていただきたいと思っています。

 ところで、泉田前新潟県知事をして原子力発電所の安全性にそもそもの疑惑を抱かしめたのは、2007年7月16日の新潟県中越沖を震源とするM6.9地震の発生です。発生後の16日10時25分頃、東京電力柏崎刈羽原子力発電所3号機変圧器から火災が発生したのです。
この発電所は、1号機から7号機までの7基の原子炉を有し、合計出力821万2千キロワットで、7号機の営業運転開始1997年7月2日時点で、それまで最大だったカナダのブルース原子力発電所の出力を抜き、世界最大の原子力発電所となっていました(ウイキより)。
「本当に原発は安全なのか」との疑惑が確信となったのが、2011年3月11日の福島第一原子力発電所での深刻な大事故です。爾来、泉田氏は、福島事故の総合的、科学的検証なくして原発再稼動はありえないという立場をゆるぎなく堅持されてきた方です。原発を所掌する経産省・官僚出身の知事さんがここまでやることに驚きを覚えつつ、敬意を払ってきました。泉田前知事の業績をしっかりと米山新知事さんが引き継いでくださると信頼しています。

 この新潟県中越沖地震に先立って、新潟県で有る実験が行われていたことが後日明らかになっています。
%%%%%過去記事一部再掲(2016年7月11日記事)
http://c23.biz/bbLR 
 この地震が世界最大規模の電力生成(821万kw)で知られる柏崎刈羽(かりわ)原子力発電所(七基の原子炉)に多大な損害を与えたことはよく知られています。
 下の記事でも書かれていますが、この地震の前に地表の二酸化炭素を地下に封じ込める実験がなされていたところから、これが上記地震を誘発したのではなかろうかとの疑念が地震研究者の間でささやかれていたとのことです。
%%%%%過去記事転載終わり

 地下に、水を押し込めると地震が起きることがある。この現象を島村英紀氏(元北大教授)が新潟日報紙で解説していますので、転載しておきます:
%%%%%人間が起こす地震(島村英紀/新潟日報)
尚、元記事が見つからないので、それを引用したインターネット記事のアドレスを下に付します:
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/654.html
現論 人間が起こす地震
島村 英紀 武蔵野学院大特任教授
新潟日報[29面 オピニオン] 2016年10月8日 ※
 地下開発に伴うリスク
 地震学の教科書には、「米国では西岸のカリフォルニア州と北部のアラスカ州だけに地震が起きる」と書いてある。しかし情勢は変わった。2014年には米国南部にあるオクラホマ州で地震が以前よりも50倍にも増えて、全米一になったのだ。
 同州では、この9月3日にマグニチュード(M)5・8の強い地震が起きた。近くに都会があれば、大きな被害を生みかねない規模だ。かつて11年11月に起きた地震でも負傷者が出たり、家屋が倒壊したりするなどの被害が出ていた。オクラホマ州では08年までの30年間に起きた地震は、ごく小さなM3まで数えても2回しかなかった。つまり日本とは違って、そもそもは先天的な無地震地帯だった。
最近起きている地震は、間違いなく「人間が誘発してしまった地震」である。人間が地球内部に対して何かをすれば地震を起こすことが知られるようになってきた。最初は1962年のことだった。米国のコロラド州の軍需工場で放射性廃液の始末に困って、約4キロもの深い井戸を掘って捨てた。ところが、それまで地震がまったくなかった所に地震が起き始めた。多くは小さな地震だったが、なかにはM5を超える結構な大きさの地震まで起きた。生まれてから一度も地震を感じたこともない地元では大きな騒ぎになった。
 このほか、世界各地でダムが地震を起こしている。大きな被害が出たものに67年にインド西部でM6・3の地震が起きて一説には約2千人もが死傷した例がある。コイナダムという巨大なダムを造ったことで引き起こされた地震である。最近、オクラホマ州をはじめ米国各地で起き始めているのはシェールガス採掘によるものだ。
 この採掘には「水圧破砕法(フラッキング)」という手法が使われている。化学物質を含む液体を地下深くに超高圧で注入して岩石を破砕する手法だ。これによってシェール(頁岩)層に割れ目を作る。そこから層内の原油やガスを取り出す掘削法である。この手法では大量の廃水が生まれる。これを地下1キロほどの深さに掘った廃水圧入井に圧力をかけて注入することで処分している。
 
 シェールガス採掘に限らず、石油や天然ガスの掘削、ダム、廃液の地下投棄。地球内部に影響を及ぽす作業が地震を起こす例は、このところ世界的に増えている。
 岩の中でひずみがたまっているとき、水や液体は岩と岩の間の摩擦を小さくして滑りやすくする、つまり地震を起こしやすくする働きをするのだ。いわば、地下のエネルギーを解放する「引き金」を引いてしまったのである。
 オクラホマ州では非常事態を宣言して、州内に3200ある廃水圧入用の深井戸のうち37カ所に対し、10日間の使用中止を指示した。この1月にも27カ所に停止を指示したことがある。これで事態が収まるかどうかは分からない。今までの世界の例だと、地下への注水量の急激な変化は、圧力が増える場合でも、また減る場合でも地震を多発させることがある。増減いずれの方向でも地下の圧力の変動は地震を起こすことがあるのだ。
 地震を多発させているのはオクラホマ州に限らない。米国で地震観測を担当している米国地質調査所 (USGS)は今年3月に公表した報告書で、地震発生予測地図の対象に初めて人為的な地震も含めた。
 USGSによると米国で人為的地震のリスクが多い
州は、危険度の高い順にオクラホマ、カンザス、テキサス、コロラド、ニューメキシコ、アーカンソーの各州だという。これらの州ではM3以上の地震が、11年段階ですでに20世紀の6倍にも増えている。いずれもシェールガス採掘が最近盛んになった州だ。化石燃料の中では環境影響が小さく、また安価なために「革命」とまでいわれたシェールガスだが、その開発にはさまざまなリスクが伴うことを忘れてはいけないのだろう。便利さだけを追求した技術は、いつかは地球にしっぺ返しをされるのかもしれないのだ。
%%%%%

 上の記事で「フラッキング」なる技術用語が使われています。この手法を図解した記事をScientific American誌記事に見つけたので、それを以下に貼り付けます:
論文のタイトルは
Fracking, Earthquakes and Visual Storytelling
”フラッキング、地震と目で見るその物理過程“と言うもので、ビデオでその解説をしています。
STAFFBy Amanda Montanez on June 23, 2016

http://c23.biz/nZAg
 その解説動画から写し取られた模式図が下です。英語ですが、特に訳を付さずとも“何がなされてどうなるのか”が理解し易く描かれていると思います。
FrackingsaWEB_Kuch_frack_desktopREV


 私は「株取引」なるものに関わったことがありません。したがって下の記事に言う「東電株は8%超安」は大きい下落であるのかそうではないのか、さっぱりわかりません。2011年3月以降動いていない原発が、今般の選挙結果で、その非稼動が更に順延するであろうことは確かでしょう。だからと言って、それによって東電からの配当金が直ちに減るわけではありますまい。しかし、株の持ち主が損を怖れて手放す。そう考える株持ち主が少なくない。かくして 価格が下がる。と、考えるのはド素人。もっと深い読みがあるのでしょう。
%%%%%東京株堅調も東電株は8%超安 新潟県知事選結果で再稼働の難航必至の見方
http://c23.biz/2ebM
産経新聞 10月17日(月)10時26分配信
 17日の東京株式市場は小幅続伸で始まった。序盤は堅調で日経平均株価は1万6900円台前半を中心に値動きしている。個別銘柄では東京電力ホールディングス(HD)の株価が8%超の急落となっている。新潟県知事選で東電柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な立場を取る米山隆一氏が当選し、再稼働の難航は必至との見方から売り注文が集まった。
東京電力HD株は一時、前週末終値比で35円(8.4%)安の383円まで下落した。東証1部で一時下げ幅2位となった。
日経平均株価の寄り付きは、前週末比15円47銭高の1万6871円84銭。その後、上げ幅を拡大、午前9時台に一時98円高まで値を上げる場面もあった。
対ドル円相場は104円台前半で値動きしている。前週末の欧米株はそろって上昇しており、プラス材料となっている。東証株価指数(TOPIX)の始値は、前週末比0.95ポイント安の1346.24。午前10時ごろは東証1部銘柄のうち6割にあたる1200ほどが値を上げている。
%%%%%


海苔弁資料、地震解析解読(NonDC成分)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:三色丼の風景(左の黄は炒り卵、中央は挽肉、右の緑はほうれん草)
PA130003


 三色に 塗り別けられた 田んぼ見て 甘い檸檬(レモン)の 青き記憶が

 今週始めの連休、娘夫婦に誘われ、婿殿のご家族と箱根に入浴に行ってきました。婿殿の生い立ちもご両親との会話から自ずと知れ、なかなか楽しい旅行でありました。箱根の風景は、昨年の今頃に書いたブログ記事の景色を思い起こさせました(2015年10月12日記事 http://c23.biz/VXZa) 。思えば、浅間山麓も箱根も火山で作られた風景です。連想が連想を呼んだところに、本年も“三色の田”を見ました。それほど、あの甘酸っぱい記憶にこだわっているわけではありません(念のため)。

 箱根は東京の”奥座敷“だそうです。そういわれて見ると、確かに、すれ違うご婦人のたたずまいは垢抜けており、私の住む北関東で行きかうご婦人方とは違っていました。入浴翌日に立ち寄った「箱根ガラスの森美術館」はベニス風建築です。ガラス工芸品やらイタリア人バイオリニストによるバイオリン演奏を楽しみました。十年以上昔ですが、外地滞在帰国直前の復活祭休暇を利用して三泊四日のベニス旅行をしました。このとき、旅行業者の甘言に乗せられガラス工芸の島にボートで連れてゆかれベネチアングラスの購入を迫られましたが耐え抜きました。宿は、誠に狭く汚らしいホテルでしたが、復活祭で観光客も多くホテル代はベラボーでした。てなことを思い出しながら館内を散策しました。

 帰宅の途次、東京駅の元中央郵便局舎を改装したレストラン街で道草(みちくさ)しました。50年以上も前の昔です。年末から正月にかけて、ここで一週間の年賀状・仕分けアルバイトをしました。未成年でありましたが(多分15歳)、最終日に冷酒を上司から振舞われ、ついついコップを重ね酔っ払ったまま、徒歩で白金にある北里研究所近くの自宅に帰りました。どうもその頃から酒好きであったようです。

(写真:「箱根湯元」駅前の国道一号線。正月の箱根マラソン山登り区間の風景、前方が往路ゴール方向)
PA10マラシン


 
+++++非DC成分 
 地震の波を解析する、すなわち世界中に展開されている400を超える高性能地震計(デジタル記録方式、広周波数帯域、広感度反応)で捕まえた地震波の波形に合うように、理論式が含む6つの定数(実際は5つ)を定める作業がセントロイド・モーメント・テンソル解析(CMT解析)です。

 Mwが5を超える世界中の地震についてその“6つの定数”がGlobal CMT Catalogue Searchのホームペイジ 上で公開されています(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html  by National Earthquake Information Center, USA)。データの探し方、そしてデータの見方については本ブログでも何回かに分けて説明してきました。
 
 今回は、公開されたデータから算出される“NonDC”なる量を考えて見ます。DCとは”Double Couple”の簡略表現です。Global CMT Catalogue Search が提供するデータ群の最後の二行(表1 参照)がその“Double”の意味です。

(表1:Global CMT Catalogue Searchに公開されるデータ例)
CMT-Catalogue


 CMT解析が拠って立つ理論では、”Double Couple”が前提となっています。そもそものモーメント・テンソルが対称行列で表現されているとして波動解析が出発しているからです。
例えば M(12)=M(21),・・・・・として、未知数の数を9つから6つに減らしています。この物理的意味は既に書きました。考え易さのために下の図のような場合を考えて見ます:
(図1:ダブル・カプルとは二つのシングル・カプルを重ねたもの)
PA14000x1


 上の図で、左のAでは、軸の回りに岩盤は右回りの回転しようとします。一方右のBでは岩盤は左回りに回転します。M(12)=M(21)とは、−軸の回りでの岩盤の回転が、つりあっているために消失していることを意味します。つまり回転は起きないことになります。同様な議論が◆歇粥↓ 歇瓦硫鵑蠅梁个領老呂任眄り立ちますから、くりかえしません。

 こうした前提で、地震波を解析すると、得られるCMT解は概ね、特定の軸の回りに回転をもたらす二つの力対を与えます。それが上の表の最後の二行です。この表で ↓△牢簇彳發棒犬犬進震未隆何性状を与えています。そして実際の地震で形成される断層面は、この二つの面のどちらかに極近いこともわかっています。地震断層が地表に顔を出す場合は、その顔を出した破砕線がこの二つのどちらかときわめて良く一致するからです。又、地震が海底下にあったり、地下深いところで起きたため断層が見えない場合でも、地震波に観察される「不規則さ」から、断層面が特定できることがあり(Inversion法と呼ばれる)、それは、二つの面のどちらかにほぼ合致します。

 というわけで、CMT解法は、地震源の断層の幾何学的性状をかなりの確度で与えてくれていることは間違いの無いところです。しかし、図に見るように実際の地震発生時には二つの面のどちらかが実際に動いたのです。つまり図1のAであるのか(ー瓦断層の走向)、それともBであるのか(⊆瓦断層の走向)、どちらかが断層面のはずなのです。二つの力対は地震発生時間内では同じではなく、短い時間といえども軸の回りで回転したのです。それを回転していないと仮定して推し進める解析ではその実際の回転分は、何らかの形で解析結果に残されるはずです。それがNonDC”です。

 Double Couple”ではない、つまり”Double Couple”では説明できない成分が残っているという意味です。この量は、張力(Tension)と圧縮( Compression)が異なる値をとることで現出します。実際には震源の周りに働く力は全て”0”と言う条件の下でCMT解析が行われますから、計算結果としては軸方向の力として表現されます。つまり軸方向の応力として押し付けられるわけです。

 さて、この軸方向に出現する力対は、NonDCとして、波動解析上に偶々出現してしまったものなのでしょうか?それとも本当に地震発生時に二つの主応力が作る面に垂直な方向(この例では軸方向)に作用したのでしょうか?これを理解するには、更なる吟味、精細な地震現場の観察と、波形解析と理論とのずれの分析などが必要となりそうです。

 前置きが長くなりましたが、2011年3月11日の東日本巨大地震前後でNonDC”の挙動をみることにします。まずはその性状を見る事にします。

(図2:発震機構解(スベリ角)と非DC成分(%)との関係、色の違いは10月10日記事の図1を参照)
NonDC


 横軸はスベリ角です。この角度が負であれば、その地震は正断層です。スベリ角が180度、−180度、そして0度に近い地震は横ずれ断層地震です。現在考察している地震では横ずれ断層地震が少ないことがわかります。
 何よりも驚くことは、逆断層地震(右側)の非DC成分は概ね、±10%に収まっているのに対して正断層の地震についてはそれが大きくばらついています。ばらついた地震について少し詳しく見る必要がありそうです。
(つづく)

+++++“海苔弁“資料の氾濫
 それにしても海苔弁とはなつかしい。小学生の頃に母親が持たせてくれた弁当は海苔弁でした。薄く米をつめまず一枚目の海苔を敷き、醤油をかけます。その上で、再び米をつめ又海苔を敷きます。もう一つ母が持たせてくれた弁当が「カレー弁当」でした。前夜作ったカレーは一晩たつとねっとりしています。それを弁当箱の下に敷き、上に米を乗せます。カレーがねっとり・どろどろしていてもランドセルに入れるわけにはいきません。風呂敷につつんでぶら下げて学校に持っていきました。うまかった。昼が楽しみでした。冬なぞは、それを石炭ストーブの上に乗せておくんです。うまさが倍増でありました。
 しかし、以下の記事はそんな旨い話ではありません。
(図:東京新聞10月13日付記事より)
 PA14海苔弁


 原発事故に関しては少なくも四つの事故調査報告書があります。そのうちの二つは国民の税金によって調査・作成れたものです。従って、あの事故によって何がしかの不利益を蒙った国民は、事故の詳細を可能な限り知る権利があるはずです。ところがこうした報告書ですら、その内容開示に当たっては黒塗り、つまり「海苔弁」状態のものが開示されることが頻繁でありました。
 それは、民主党政権時代でもそうでした。ひとたび権力を振るえる立場に立った途端、その人物たち、そしてそれを支える官僚群、官僚組織は「民が真実を知ること」に恐怖するのですね。「知らしめず」状態であれば、そうした恐怖は生じないのです。

 さて同様が、現在大騒ぎなっている「豊洲市場の地下空間」問題でも起きています。以下はそれを紹介するインターネット記事です。ここでも海苔弁です。
 
%%%%%豊洲市場資料で黒塗り公開、都庁「盛り土なし」を黙認か
http://c23.biz/D7jM
TBS系(JNN) 10月13日(木)20時52分配信
 豊洲市場をめぐる問題で、新たな事実です。新市場の設計を担当した「日建設計」が、設計担当に選ばれる際、都の市場担当者らの前で「盛り土を省略することでコストと工期を短縮できる」と説明していたことがわかりました。

 混迷を深める豊洲新市場の消えた盛り土問題。都は、「のり弁」と批判されていた資料の黒塗り部分を公開しました。そこには新たな事実が書かれていました。

 2011年2月、都が豊洲市場の設計業者を選ぶ際に開かれた会議の議事録です。選考に臨んだ2社のうち、「日建設計」の主任技術者がこう説明しました。

 「次に盛り土工事の省略によるコスト削減と工期短縮について説明させていただきます。土壌汚染対策を建物の基礎底盤のところで止めることによって、埋め戻し工事を最小限にすることができます。合理的に考えることによって無駄を省くことができると考えております」(日建設計主任技術者)

 建物の下に盛り土をしない設計案を、はっきりと提案していたのです。

 この現場には、選考にあたった専門家2人に加え都の市場担当の部長6人と課長1人がいましたが、盛り土の必要性を指摘する発言はなく、高い評価を得た日建設計が設計業者に選ばれました。

 都はこれまでこの資料を非公開としてきていて、都議会が要求した資料にも含めていませんでした。(13日18:38) 
%%%%%

 「海苔弁」は官僚と政治家の「保身」に起因することは明らかです。官僚とは、先輩の仕事に{傷をつけては」ならず、さらには、その「役得」を後輩に引き継ぐべく「無謬」であらねばならないのです。彼らは決して民の幸せは考えません。そうした輩が為政者を支えているのです。とするならば、「民よ!為政者を疑え!!」これが私の想いです。

三昧塚古墳(玉造)、サッカー監督論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:二階屋根の庇にスズメバチの巣があることを近所の人が気づいてくれました。脚立を持ち出し、枝切挟みに更に長い棒をくくりつけ、巣を落しました。仕事人たる本ブログ管理人はマスク、手袋など完全防護、目だけを出しての作業でありました。落とした巣を水攻めの刑に処しました。)
PA11巣


 恐(おそろ)しや ひさしの下に すずめばち 知らぬ間に 巣をつくりおる

 サッカー試合での選手交替判断はずいぶんと難しそうです。私が高評価を与えていたザッケローニ氏も本番のブラジル大会では「交代カード」を切るタイミングを誤ったと見ています。昨夕のハリルホジッチ監督にいたっては、自らの焦燥感が体からあふれ出ており、あれでは冷静なチーム采配は出来なかろうと案じました。本田選手には気の毒ですが、もう90分動き回れないのですから、後半には足の速い選手に交替すべきでした。もう一人の犠牲者は義経の如く軽やかでありながら衝撃度の高いプレーをする香川選手です。昨日は守備に奔走させられ、得意の攻撃に絡めなかった。日本代表監督たるもの、こうした世界に通用する選手たちが目立つよう、しかるべき舞台をお膳立てして、再び香川、長友、岡崎と言った選手たちが欧州の一線で輝けるよう目を配るべきではなかろうか。それが、結局は監督としての自らのパフォーマンスの向上に繋がります。「イライラ」感の溢出からは得るところは何もありません。

 全体の流れから、次を予測し、それにあわせて適宜部下の特長を生かした配置をする。部下に喜びを与え、結果として組織を効率的に動かす心得です。「自分の手柄」にこだわっていては、部下の信頼も得られない、てな人身掌握的側面が見えたように思います。

 翻って、こうした視点からは、我が国親分はそれを上手にやっているのでしょうか。先般の国会での異常事象は安倍氏の巧みな人心掌握の成果なのでしょうか。相変わらず、国会審議最中に「野次」をとばし、反対論者との議論は逃げ回る。当然、国民は言うまでも無く、与党自公からも異論が噴出するはずなのです。本来であれば。
 しかし、何故か、我が国の政治の世界では「真っ当な競争。真っ当な政策論争」なるものは、長く途絶えています。それを活性化するはずの報道機関が「不倫、政治と金」には騒ぐけれども、「未収束原発( out of control)、貧困、沖縄、安保」などについてはきわめて寡黙であります。何せ、ジャーナリストと安倍氏の癒着は「スシトモ」(寿司友達の略, 高級寿司店で会食する仲)なる造語が出来るほどです。

 ハリルヒジッチ監督に対して更迭の批判が噴出するように、日本の政治にあっても政府首脳の交替論が出ても不思議ではないと思うのですが、国民との間にしかるべき緊張関係が生じないんですな。
 それが生じてこそ健全と思います。その緊張関係をほぐすために、そして国民の信頼を取り戻すために政府首脳が汗を流して国民を納得させる。出来なければ退陣する。こうしたまともな政治を死ぬまでには一度体験してみたいですな。それが「民主主義」というものだべ!と思っています。
 
+++++玉造(5)
 
 茨城県の旧玉造町には、「勾玉」そのものどころか、それらを製作した痕跡も見つかっていない。ただ伝承では「勾玉を作っていたらしい」と地名事典が書くのみです。前回も少し書きましたが、「玉造」とは「(石)玉造り」ではなかろうかと考えています。言い換えれば、日本列島古代史での「メーソン」(mason,石工)であったと考えています。それに「フリー」なる形容詞が付されれば、欧州十世紀前後「十字軍」に発したとされる「フリーメーソン」です。このところ、鳩山一族とのかかわりであるとか、陰謀集団であるとかの議論のタネになっています。が、我日本列島ではそれに先駆けての「石工」です。

 松本清張氏の論を俟つまでも無く、いわゆる日本にも「巨石」文明の担い手が存在したとの説には説得力があります。肥前大和の巨石パーク、9月23日記事に紹介した茨城県の北部にある堅破山(タツワレ、標高658m)の丸い半球などもその「石工」の成果の一つではなかろうかと思っています。また、JR東北本線の矢吹―郡山の中間にある「鏡石」駅は、そうした技術集団がいたのではなかろうかと想像しています。
既に気づいておられる読者も居られるかと思いますが、那須岳―香取線南端の香取神社の要石、そして八溝山ー鹿島終端の鹿島神社の要石も彼ら石工の「作品」ではなかろうか。これらの「要石」の宗教(精神)的意味づけについての議論は後刻に譲ります。

 その話に移る前に一つ触れておかねばならないことがあります。この地(玉造)の北々西に全国でも知られた古墳が四基存在します。
(図1:大塚初重博士による霞ヶ浦東岸縁の古墳調査報告書より)
三昧古墳報告書


 上記の古墳群のうち3つの古墳軸が、見事にシリウス方位を取っていることを指摘しておきます。これら四基の古墳の内で、全国にも知られるのがまずは4番の大日塚古墳(埼玉県行田にも同名の古墳があるので注意)から出土したなんと猿の埴輪です。
(図2: 猿の埴輪 http://c23.biz/v9Z4 より)
猿埴輪



  四基の古墳群の中で、比較的多く語られるのが三昧古墳です。
(写真3: 三昧塚古墳が画面中央の「沖洲」地区のやや右上(北東)に見える。典型的な前方後円墳。墳墓の軸は見事なシリウス方位。形状が整いすぎているのはこの古墳を歴史遺産として行政が整備したため。南の水域は霞ヶ浦の北縁)
三昧古墳x
 
 この墳墓については、明治大学に拠して多くの古墳を調査してこられた大塚初重博士の研究報告書(http://c23.biz/BXSJ)に基づいて書かれたと思われる“コトバンク記事”を以下に転載しておきます:

%%%%%コトバンクより転載http://c23.biz/TQ2y 
三昧塚古墳(さんまいづかこふん)
茨城県行方(なめがた)市沖州(おきす)の沖積地にある前方後円墳で周堀をもつ。1955年(昭和30)に採土工事で消滅寸前に茨城県教育委員会によって調査された。墳丘は長さ85メートル、後円部径48メートル、前方部幅40メートル、後円部高さ8メートルで埴輪(はにわ)列が三重に巡る。人物・動物などの形象埴輪は墳丘の片側のみを、円筒埴輪は全周している。後円部中央の深さ2.7メートルの位置に粘板岩製の箱形石棺があり、棺蓋の左右中央には1個ずつの縄懸(なわかけ)突起がつくりだしてある。棺蓋上には鉄製戟(げき)が置かれ、また棺外に副葬品収納のための木箱状遺構があり、鉄刀、短甲、挂甲(けいこう)、衝角付冑(しょうかくつきかぶと)などの武器・武具類と工具類、馬具、砥石(といし)などが出土した。棺内からは1体の遺骨と変形神獣鏡など鏡2面のほか、櫛(くし)、玉(たま)類、垂飾付耳飾(すいしょくつきみみかざり)、馬形飾付透彫金銅冠(うまがたかざりつきすかしぼりこんどうかん)、鹿角(ろっかく)装大刀(たち)、挂甲、鉄鏃(てつぞく)、勾玉(まがたま)形金銅製飾金具が発見された。5世紀末から6世紀初頭にかけ霞ヶ浦(かすみがうら)周辺を支配した20歳前後の男性の有力首長の墳墓。[大塚初重]
『斎藤忠他著『三昧塚古墳』(1960・吉川弘文館)』
%%%%%
 この古墳を日本中に知らしめたのが馬形飾付透彫金銅冠(うまがたかざりつきすかしぼりこんどうかん)です。この出土物について茨城県歴史博物館は以下を書きます:
http://c23.biz/Jg5W 
%%%%%冠「金銅製馬形飾付冠」
(図4:冠「金銅製馬形飾付冠」)
三昧塚koudouseiumagatakazaritukikannmuri_000

三昧塚古墳の後円部からは,埋葬施設として縄掛突起を持つ箱式石棺と,副葬品(死者に供えられた品物)を納めた木製の箱が発見されています。冠は人骨の頭部に近い位置に置かれており,埋葬時には死者の頭に装着されていたものと考えられています。また,この人骨の耳の位置には金銅製垂飾り付耳飾りが,首の位置からは碧玉の首飾りが発見されています。この冠は金銅製透かし彫りで,頂上部に馬の形と樹木を交互に造り出し,その下を方形に区切って中を幾何学的な文様とし,更に最下部を波形にしています。また,全体に歩揺が下げられており,日本国内でも例を見ない独特な形を造りだしています。これは,本来鍍金されていたもので,現在でも僅かながらその一部を見ることができます。
%%%%%引用おわり

 三昧塚古墳からは、玉類、“勾玉(まがたま)形金銅製飾金具”が出土したとあります。玉類が装飾用であるとすれば、その素材は石とは考え難い。なぜならば首にぶら下げるには重過ぎます。“勾玉(まがたま)形金銅製飾金具”も金属製で、小型です。それらを「玉造」なる地で製造していたとすれば、必ずやその製作跡が残されているのだろう。と、いうわけで、現在議論している玉造と装飾用玉類をつなぐ出土品は無いのです。

 この古墳について、私がもう一つ注目しているのは、墳墓の中に安置されている棺です。その棺が東西(東が頭)に向いていることです。

(図5 三昧塚古墳の棺の方向、http://c23.biz/sGA4 )
棺sanmai8


 墳墓の軸がシリウス星の方向(ゾロアスタ教)を向きながら、棺は東西を向いている。東西は「太陽神仰」を思わせます。渡来族の民と土着の民であるアイヌ族の信仰(精神)の融合を表現しているのではなかろうかと考えています。いずれ、もっと詳しく考察します。さらにはこの古墳の所在地名「沖洲」(おきす)についても考えるところがあります。が、長くなるので次回書きます。

 尚、もっと早く本ブログで紹介すべきことが福岡市博物館のHPで記載されています。題して“玉と石製品‘です。以下にそれを転載しておきます。
%%%%%玉と石製品
http://c23.biz/Khk8
勾玉(まがたま)は縄文時代に誕生し、弥生時代に定形化しますが、最も盛んにつくられ用いられた時代は古墳時代です。古墳時代には勾玉のほか、玉類や石製の品々が多数つくられました。日本列島で最も石の工芸品が愛好された時代といえます。
 古墳時代の石製品は単に装飾品や副葬品として用いられただけではありません。滑石でつくられた石製模造品(せきせいもぞうひん)は、集落や水辺、離島や山などの特別な場所で祭具としても用いられました。玉類が弥生時代の伝統を引くのに対し、石製模造品は古墳時代に新たに創造された石の文化なのです。


玉―伝統の装身具―
 石を装飾品として用いる行為は縄文時代にはみとめられ、勾玉の祖型もすでに縄文時代に存在します。弥生時代にはC字形をしたヒスイ製勾玉と細長い碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)という組み合わせが成立します。この勾玉と管玉を装飾品として用いる弥生時代の伝統は古墳時代にも受け継がれます。
 福岡平野周辺では勾玉が多数出土する前期古墳は少ないのですが、前期末〜中期初頭の古墳とされる老司(ろうじ)古墳と鋤崎(すきざき)古墳からは多くの勾玉や玉類が出土しています。老司古墳3号石室には複数の人間が埋葬されましたが、玉類の多くはそのうちの奥壁近くの被葬者の副葬品とみられます。しかし、玉の出土状況は謎に満ちたものです。玉群Aは勾玉2点と碧玉製管玉のまとまりですが、出土位置は腰の位置と推定され、首飾りではなかったようです。また、玉群Bと玉群Cはそれぞれ腕飾りほどの大きさの一連ですが、裏返した鏡と組になるように出土しています。玉群Dも裏返した鏡とともにあります。生前に用いていた玉類を死者にそのまま身につけさせたのではなく、玉と鏡を用いた死者への儀礼を行っていたことが想像されます。
 鋤崎古墳の玉類は1号棺の被葬者の上に振りまいたように出土していて、老司古墳とは違ったやり方で、玉を用いた儀礼が行われていたようです。
 弥生時代の伝統を引き継ぐ古墳時代の装飾品に腕輪形石製品(うでわがたせきせいひん)があります。もともとは弥生時代の北部九州で出土するゴホウラ貝を用いた腕輪(貝釧(かいくしろ))がその祖型です。古墳時代前期初め頃までは貝釧は装飾品として用いられていましたが、貝釧の形はそのままに素材を碧玉や緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)に替えて作った鍬形石(くわがたいし)や円形の石釧(いしくしろ)に取って代わります。
 鍬形石は嘉麻市沖出(おきで)古墳などから出土しますが、福岡平野の古墳からは出土していません。これは弥生時代終末期以来、貝釧の分布する「貝の道」から福岡平野が外れることと関連があるかもしれません。また、円形の石釧(いしくしろ)は佐賀県唐津市谷口古墳や春日市九州大学筑紫地区からも出土しています。
 古墳時代前期にはほかにも玉杖(ぎょくじょう)や合子(ごうす)などの石製品が、奈良盆地から伊勢湾沿岸にかけての狭い範囲の古墳に多種多量に副葬されます。老司古墳3号石室からも大型管玉1点が出土していますが、普通の管玉ではなく石製品の範疇としてとらえるべきものかもしれません。


老司古墳3号石室出土 勾玉・管玉(玉群C)
 古墳時代中期になると、今宿古墳群を除いて、福岡平野・糸島半島から大形の前方後円墳が築造されなくなります。それと軌を一にするように、古墳から出土する玉類や石製品が減少します。これは福岡平野周辺だけの現象ではなく、九州の大型前方後円墳も同様に玉類の出土数が減少しています。また、中期古墳である、うきは市月岡(つきのおか)古墳から金銅の帯金具が出土するなど、大陸式の新たな装身具が広まりつつありました。このことも玉類や石製品の減少の一因とみられます。
 古墳時代後期には列島全体で群集墳と呼ばれる小型の古墳が多数つくられるようになります。その副葬品として勾玉をはじめとする玉類が用いられ、出土数も増加します。形も勾玉・管玉のほか丸玉・切子玉・棗(なつめ)玉など多様に、素材もメノウや水晶など多彩になります。その一方で支配階級間の差は広がります。群集墳の被葬者の主な装飾品が玉類や金銅装耳環であるのに対し、藤ノ木古墳の被葬者は金銅製冠など朝鮮半島の支配者と同様のきらびやかな装飾品を身につけていました。しかし、7世紀以降古墳が造られなくなるとともに玉類を装飾品・副葬品として用いる風習はすたれていきます。
%%%%% 博物館HPからの転載終わり

サッカ弱いのは朝日・NHKのせいだ!、大地震の前兆

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田の脇を覆うコスモス。どんなに「百花繚乱」状態で咲き誇っても、この花には何か哀愁が漂うんでありますな)
PA秋桜
 

  
 田の脇に 秋の桜が 咲きにけり されど調和を 連想しがたき
 
 どうも意味不明の歌ですな。コスモスの花とcosmosの原義である「調和」を何とか結びつけて一首を狙ったのですが。反省です。

 +++++大地震の発生を予測する試み
 2011年3月11日の東日本巨大地震には、先行する幾つかの大きな地震が発生していました。多くの研究者がこれらの先行する幾つかの地震は、あの巨大地震の予兆であったと悔しさ一杯の表情で語ります。そして、それを「予兆」として認識できなかったことの痛切な想いを吐露しています。発生後、しばらくして大気圏上層電離層に荷電粒子の尋常ならざる集中が地震発生時にあったことが明らかになっています。

 これは、地震発生に関する非常に大きな知見を「ヒト」が多大な犠牲(2万余の人命、そして東京電力福島第一原子力発電所事故による多大な放射能被害 などなど)を払って獲得できたのでした。原発事故に関しては、こうした深刻な犠牲に関するきちんとした検証を嫌ったまま、すでに二つの原子力発電所が稼動を再開しています。

 地震学に関しては、こうした悲惨を検証して次の過酷な悲惨を繰り返さないなどを公言することは戯言に過ぎません。何せ、危険とわかっている原子力発電と異なり地震については未だに「起きてから学ぶ」つまり後追い状態であるからです。
せめて後追い状態から脱却するために在野の地震調査人にも何か出来ないだろうか、との思いから幾つか書きとどめておくことにします。

 9月30日記事で一端を紹介しましたが、現在当ブログ管理人は2011年3月11日の東日本巨大・津波地震前後の地震活動を調べています。この時点では防災科学技術研究所のデータベースは2available ではありません。一方気象庁のデータは大きすぎます。また独特の formatであるため、私が常用するScilab言語で解析するプログラム作成に手間取っています。そうした事情から、いつものように”Global CMT Catalogue Search”から地震をソートします。期間は2010年1月1日0時から2011年3月14日0時までです(図1 参照)

(図1:2010年1月1日〜2011年3月13日の期間内の上記データベースに記載される地震。
Open circle:Mw<5.5, Blue solid: 5.4  座標軸の原点はいつもの通り2013年10月26日の日本海溝遥か東沖のMw=7.7の地震震央においています。そこから等方位、等距離作図で下の図は作成されている)
BandA311smap


 上図で示される地震群(個数75)について、今回は以下の事を調べています。
 時間的に隣り合う2つの地震について、その震央間距離と発生時間間隔を計算します。75個の地震ですので74個のセットが出来ます。選ぶ地震規模の下限、深さ考慮など細かいことを考慮に入れねばならないほど精密な計算が必要とは、現段階では思えません。それらは、まずは無視し、雑駁な様相を把握できれば良しとします。

 そこで、地震Aは、一つ前(時間的に)の地震Bによって発生したと仮定することにします。Bの地震発生による影響がA の地震発生をもたらしたと考えると、その影響伝播スピードを計算することが出来ます。これを本ブログでは“見かけ速度”と呼ぶことにします。この計算された“見かけ速度”を74個のセットについて調べたものが図2です。

(図2:横軸は地震番号。発生順であるので概ね時間経過を表すが、地震の発生間隔は異なるので時間そのものではない。縦軸は“見かけ速度”。この“見かけ速度”は大きくばらつくので計算値の対数を取っている。従って、座標軸の右に付したように“2”は100km/日、“0”は1km/日となる。一方横軸下に付されている二つの上向き矢印は顕著な大地震を示している。但し発生時刻は日本時間ではなく世界標準時である。記号の色は図1の説明と同じ)
Vel-破壊3


 “見かけ速度”がランダムではなく、時間と共に規則的に変動している様子が見て取れます。まずは2011年3月9日の地震迄は大分ばらついてはいるけれども概ね10km/日の値を中心にゆっくりと増加しています。この速さは約10cm/sec に相当します。
 3月9日2時のMw7.5の地震後、この値は一桁上がり1m/secに上がったところで、本番の東北巨大地震です。この地震後“見かけ速度”は更に二桁ほどジャンプしそれは100m/secにもなります。その状態が地震番号50番(3月12日11時頃の地震(但し世界標準時、日本時間では20時ごろ))迄続き、その後に、“見かけ速度”は徐々に低下します。

 実際の地震破壊過程では地震Aを引き起こすのはその直前に起きた地震一個だけの影響と言うことは無いでしょう。少なくも複数個の地震が発生し、地震A周辺の力学場を地震が起きやすいように変化させているはずです(例えばCFSと呼ばれる量でその変化を計算したりする)。ですから、上の図はそうしたことからすると"第0近似"とでもいうべきものです。なにやら量子電磁力学のファインマン経路積分路を連想させます。考えられる経路について場の変化を重ね合わせてゆくなら、もしかすると、図2の分布は何がしかに収斂するのかな、なぞと思っています。

 なんだ、余震を見ているのではないか、との指摘はその通りです。余震はまさに本震が作り出した力学場が起こすのですから。いずれにしても、上図は雑駁ながらも東日本巨大地震発生前後の歪応力の変化を反映しているように見えます。そのメカニズムについては後日考察したいと思っています。例えば図の35番の地震は3月11日19時(日本時間で12日朝4時)に発生していますが、そのスピードはkm/secのオーダーです。つまり、弾性波(P,Sおよび表面波)が、近傍の破壊条件を作り出しているということです。2004年12月26日のスマトラ沖巨大地震で米国西海岸の地震活動が突然現出したという現象が学術誌に発表されたことがあります。論文著者は表面波がその環境変化を伝えたとの解釈を書いています。データの吟味が、こうした雑駁な”0”近似をより角度の高い知見に導くことを期待したいと思っています。

 “見かけ速度”が増加傾向をとるならば大地震を覚悟したほうが良いのかもしれません。
(つづく)  

+++++野球偏重とNHK・朝日の罪
 前回、日本のサッカーの現状について悲観していると書きました。中田英のような世界的な名選手を日本が輩出したなぞはどうやら奇跡に近かったのではなかろうかと思っています。その根源は奈辺にありや? 上の標題にも書きましたが高校野球を「持ち上げすぎる」朝日、NHK がその責(せめ)を負うべきと思います。優れたスポーツ能力を有する若者が多様な分野に関心を持つことをNHKと朝日は妨げてきたのですから。
 日刊ゲンダイ紙が興味深い記事を書いています。以下にそれを紹介しておきます:

%%%%%野球界には未来の五輪メダリストが埋もれている
http://c23.biz/DBnS 
スポーツ庁の鈴木大地長官が、高校球児の他競技転向を推奨するプランを披露した。20年東京五輪と、それ以降の大会でメダルを量産するための強化策のひとつで、「17万高校球児のうち10万人以上は試合に出ずに終わる。ここにも人材がいる」と言ったのである。

 確かに、野球界には才能があふれている。二刀流でとんでもないパフォーマンスを見せる日本ハムの大谷翔平(22)は、バレーボールなどの別競技をやっていても、超のつく一流選手になっただろうと想像できる。トリプルスリーのヤクルトの山田哲人(24)、ソフトバンクの柳田悠岐(27)だって、夢想するだけで楽しくなる逸材だ。

 一軍でなかなか結果が出ない選手にも人材は埋もれている。例えば巨人の大田泰示(26)。未完の大器といわれて8年目になるが、彼は前ラグビー日本代表ヘッドコーチのエディ・ジョーンズに見初められた。数年前、巨人のキャンプを表敬訪問したエディが大田の運動能力に一目惚れ。当時の巨人の原監督に「素晴らしい才能を持っている。私に預けてくれれば、数年で日本代表選手にします」と言ったのは、巨人内では有名な話である。
かくいう私も“スカウト”されたことがある。中日入団1年目の1961年に35勝を挙げた私を見て、日本人初の五輪金メダリストとなった三段跳びの織田幹雄さんに、「権藤君の脚力とバネがあれば3年後の東京五輪でメダルが取れる」と言っていただいたのだ。

 実は私は、佐賀の鳥栖高時代まで鈍足で有名だった。社会人のブリヂストンに進んで走りに走った結果、自分でもオッと実感するほどスピードが増した。細い体のどこかにバネが眠っていたのかもしれないが、身体能力では、私をはるかに上回る人たちが、当時のプロ野球にはゴマンといたのだから、まさに人材の宝庫だったと思う。

 昔に比べ、趣味が多様化した現在はさまざまなスポーツに才能が散らばるようになった。とはいえ、それでも野球はまだ人気スポーツとして君臨している。高野連の調べによれば、今年度の部員数は16万7635人。その中で大学や社会人、プロで野球を続けられる選手はそう多くはない。

 21年の指導者人生で、残念ながら運動能力と野球能力が一致しない選手を何百人と見てきただけに、高校で“引退”するその他大勢の中にダイヤの原石が埋もれていると断言できる。
%%%%%記事紹介終わり

霞ヶ浦東縁・玉造(4)、すばらしい山本太郎国会質問

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真: 何の変哲も無い、停車している電車と駅の風景です。ところが、投稿されたこの画像に「クスリ(笑)」とコメントを付する人が多い。しばらく眺めていて理由がわかりました。)
こいわ


髪量は 頭の質と 相関せず 己(おのれ)に暗示 かけれど気になる

 三十代半ばより頭髪量を気にしていた私としては、この画像は誠にほろ苦いものであります。「普通と思うけど、やっぱ薄いのかな」と自虐すると、「いや、未だ濃いわ、大丈夫よ」と“その場限りの気休め”をもらう、と言う構図です。画像はたまたまネットで見つけたもので、出典は不明であります。場所は京成電鉄「小岩」駅です。電車は多分上野発臼井行き(千葉県)でしょう。

 日本人最初のノーベル賞・受賞者である湯川博士は禿げてました。しかし、朝永博士、南部博士、益川博士、そして今般の大隅教授(年齢にしては豊か)、諸氏の頭髪量を見るにつけ、私も亡き母の言いつけを素直に聴き、ワカメを沢山摂取しておけばよかったと悔やむ今日この頃であります。何せ、私が敬愛・尊敬する東海林サダオ氏によれば「ハゲ・デバラ・タンソク(あるいはステテコ着用)」は尤も恥ずべき様態を他人様に晒していることであり、男として生きてる資格が問われるべきなのだそうであります。思えば、北海道留萌線に「増毛」(ましけ)なる駅がありましたな。本ブログでやたらと「毛」にこだわってきたのも、私の潜在inferiority complex意識の発現であったのかもしれません。

「青年よ!女(め)にもてたくば、まずワカメ!」
これが今後の日本を支える男児への私の心底からのメッセージであります。そしてもう一つのメッセージ、それは
「薄き者、大志を抱け! カミ(髪または神)様は 創りしものに 憐憫あたふ」
です。さもなくば、この世に神はいない、差別の世界となってしまうからです。

 それはさておき、2018年のワールドカップ・モスクワ大会への日本の出場は厳しそうです。本田選手の劣化は私のような素人目にも酷く映ります。ブラジル大会直前に発症した病の後遺と見ています。その病歴を負いながら念願のイタリア・セリアAの名門ミランに入団。しかし、最高の体調時であればともかく、今は無理。なんとも不憫に思っています。
 試合で出場選手を選ぶのは監督ですが、ピッチ上では選手が自分たちで状況、戦術判断をせねばなりません。「中田英」のような、しがみつく敵選手をひきずり振り落としながら走りつつ、リーダシップを取れる選手が現在の日本チームにはいません。皆、おとなしい。 

+++++玉造(4)
 ここで紹介するのはHP(http://c23.biz/9GHj)からの引用です。これは「余湖くんのホームペイジ」(http://yogokun.my.coocan.jp/ )の一部をなすものです。この方の来歴は不明ですが、大変な「古城マニア」とのことで訪ねた城は日本にとどまらず遠くヨーロッパにも及んでいます。
さてこの「余湖くん」、が玉造とその近辺である行方市について紹介する城址・館址は:
行方市(旧玉造町)    石神館、稲荷館、井上城、井上長者屋敷、姥ヶ谷長者館、大場家、岡部館、小貫城、右近館、沖洲城、京ノ内館、三併堀、諏訪館、芹沢城、高須館、玉造城、手賀城、手賀長者屋敷、鳥名木(となぎ)館、捻木城館、野口館、箱根館、塙館、羽生城、原田館、人見館、藤平館、山中館、若常館、蕨城、
と、なんと30に上ります。これらの調査に際しては、自治体の関連部署を訪ね信頼すべき史料を入手するなど大変な労力を積み重ねていることが窺えます。それらと自らの観察を元にこのHP記事を作成しています。すごいものと感嘆しております。

 そのHP上の玉造編で最初に紹介しているのが「石神城址」です。私もこの呼称つまり「石神」に着目しています。それが前回記事の最後尾に示した地図に「青印」で記された場所です。
(図1: 石神館俯瞰図、上記HP より)
玉造ー石神館

 本ブログを読んでくださっている方には、この形状から、直ちにシリウス方位をとる前方後円墳を思い浮かべることと思います。須賀川の岩淵城、烏山の烏山城など、中世の城館の多くが古代の古墳の上に築城(築館)されていることを本ブログでも書いて来ました。この石神館もその一つと私は考えています。後刻書きますがこの石神館の北西方向には全国の古代史研究者が注目する古墳が三昧塚古墳など四基も霞ヶ浦の東縁に沿って築造されています。

 さて、この地に築造された古墳に埋葬された人物の陣屋はどこにあったのでしょうか?これまでの論法からすればそれは南南東方向(シリウス星方位)にあると想像できます。それが前回掲載した地図の赤印です。しかし、「余湖くん」があげる30もの城館のどれもが候補であることは間違いありません。勿論そのうちの多くは中世の有力者によって築かれたと思っています。概してその地の有力者が住む邸宅が後にそこの守り神として祀られます。それが神社の由来でもあります。そうした視点からは三つが候補に上がります。そのうちの二つは上記HPが上げる「稲荷館」と「諏訪館」です。そして、私はこれに石井戸稲荷神社を加えます。このうち、「諏訪館」は形状から見て、そもそもはシリウス方位の前方後円墳であろうと認定するならば、残るは二つの稲荷神社です。

 話が、逸れますが「諏訪」の「スワ」は「スカ」の転じたものと考えています。平城京の初代の天皇は「桓武天皇」で「カンム」と表音すると私たちは学校で教えられてきました。この「桓」を漢和大辞典で引くと古代にはfuanとも huanとも音されたと書きます。現代の日本語表記では「ハ」は時に「ワ」と音されます。私は「諏訪」の「ワ」は古代には「ha」で表される音であり、それは「ka」が転じたものではなかったか、と思っています。つまり、この地も「高―サカ」と呼ばれる渡来民の拠した地であったことの証拠と考えています。

 さて、残る二つの稲荷神社には共通した特徴があります。境内の拝殿に通ずる参道が「これみよがし」の「反シリウス方位」なのです。私は、この地にあっても藤原不比等率いる(と言っても実際に軍団を率いたのは藤原不比等地震ではなく幹部将校であったのでしょう)東国蝦夷への激しいまでの敵対心を見る想いがします。陣屋の主は渡来族の一員であったでしょうから、敷地の門から屋敷本殿への道は「シリウス」方位で設計建築したはずです。しかし、奈良の軍勢はそれについては「強引」に反対方向に向けてしまったのです。しかし、その際「イナリ」つまりアイヌの信仰体系までも破壊することは無かった。それなりに土着の信仰を尊重したのでしょう。

 長く時間が経過した後、かってこの陣屋に住んだ主(あるじ)が土地の「守り神」として祀られたのでしょう。それが現在の稲荷神社です。
(図:二つの稲荷社の参道。どちらも参道は反シリウス方位です)
2玉造ー稲荷神社


 どちらを、石神の墳墓の主の陣屋と選んでも下に示す計算にはほとんど影響しません。ここでは、前回の地図に示した石井戸稲荷神社が、その陣屋跡であるとします。それには、「後付け」ともいえない理由があります。それを書く前にいつもの計算です:つまり那須岳から見たこの神社の方位を算出します。
 
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[37.1278111,139.956895] 那須岳山頂位置(緯度、経度)
sta(lat,lon)=[36.1055701,140.42153]  石井戸稲荷神社位置
Dlt,Azm,Bzm= 1.09 159.82(方位) 340.10 (逆方位) 121.0 -km (距離)

 そこで、この方位角に相当する年代計算です:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1)
Angle=?159.82
tc = 671.408

 ここ玉造に陣屋を築いたのは西暦671年ごろであろうと推定されます。

 さて二つの神社の内、石井戸稲荷神社を選んだ理由は「石」(イシ、または イワ=磐)にあります。何故ならこの地に設営される陣屋は笠間と密接に関係しているはずです。その笠間には「
石井神社」があります。笠間で採石された「稲田石」に何がしかの大きな細工をほどこしたのが玉造なる地名の由来ではなかろうかと考えています。勿論それは前回書いたような「勾玉」製造ではありません。しかし、この地の主は「石=磐」の加工成型に習熟した人物であったろうと考えています。それは何か?次回、書きます。
(つづく)

+++++国から独立した311事故検証機関の設置を
 2011年3月11日の東京電力福島原子力発電所事故について、その原因究明、そして事故後の対応不備に夜福島県民が蒙った多大の惨禍などについての検証がん去れないまま、今日に至っていると、本日付東京新聞が指摘しています。長らく停止していた発電所の再開に当たっては、この事故から学んだ教訓がしっかりと生かされているべきとの主張は至極尤もです。
 たとえば、核燃料の溶落(メルトダウン)の直接の原因です。津波の来襲によって原子炉の冷却装置が絶たれた。それはどういう経緯を辿ったのか?そこが不明なのです。下の記事にもあるように、そもそもは強い地震動の来襲が炉の周辺を巡る複雑な配水管システムを損傷した可能性が国会事故調査委員会によって指摘されています。この委員会には他の事故調査委員会には含まれていない自身専門家が委員として調査・検討に加わっています。それだけにこの指摘を政府は重く受け止めるべきなのです。
(写真: 東京新聞2016年10月7日付より。クリックすると記事が拡大されます)
PA事故調査06



 これに銜えて、昨日の国会審議で、山本太郎議員が熱の篭った追及議論を安倍首相に向けました。詳細は:
https://www.youtube.com/watch?v=59pQWwZYu9k 
この動画で、安倍氏答弁最中に、その右側に座っている大臣と思しき人物。居眠りをしてますな。

 農水産物の汚染問題と共に、子供達への健康被害が顕在化してきています。息を吐くように平気で虚偽の言を吐きつつ、論旨不明の答弁を繰り返す安倍首相への怒りが込みあがります。このような人物への支持が青年層で六割を超えるというのですから、これも老いぼれの私には理解できないことです。

玉造(3)、ヤフーメール・盗み見

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当家の東西南北には、このところ必ず蛙がいるのでありますよ。写真の中央のカエルは西側の花鉢に潜んで、当家を「監視」しているんであります。北、南にそして東には三匹です。一体誰の回し者であるのか?不気味であります)
PA0青蛙02

さぞかしや わが安倍君も やりたかろう 民の抗う 気持ちをおそれ

 いつも書きますが、一国の主たるものが民への自らの施政説明能力を欠き、ひたすら力づくで押し通す。そしてそれをわが同胞は「ひれ伏せんばかり」の高支持率で称える。「どうして!どうして?」これが私の偽らざる感想です。その鍵がマスコミです。安倍氏は自らの施政への毛ほどの些細な批判に対しても目くじらを立て、報道当局に強い異議を突きつけ圧力をかけてきたのです。
 小沢一郎氏がそんな安倍氏の異常振りを呟いています。曰く:
%%%%%
戦後の歴史をよくみるべき。国会のたびに総理が厳しく追及されるのは当たり前。それが仕事。また、野党が総理の資質・問題をわかりやすく噛み砕いて国民に説明するように質問するのも当たり前。基本中の基本。それを一々感情的に激高する総理などいなかった。やはり日本政治そのものが壊れている証拠。

▼9月30日の衆院予算委で野党委員が自民党憲法改正草案について、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と規定した憲法97条の条文が削除されている点を追及。安倍総理は「いちいちの条文について解説する立場にはない」と答弁。正に些細なことといわんばかり。安倍総理の「憲法観」がよくわかる。
%%%%%

 安倍氏の報道への神経過敏、これは、まさに当家を四方から監視するカエルであります(冒頭の写真をご覧あれ)。先日は家の中(うち)にまで侵入してきました。そいつを掴まえ「助けてやるから今度来たときは、ダイヤモンドの一つも銜(くわ)えて来いよ」と、言い聞かせ放ってやったんです。しかし、ダイヤの一粒も持ってこず、相変わらずの監視を続けています。

 民を監視する。これは誠にもって効果的な治世であることをしみじみと感じさせるのがわが国です。これに倣ったのかどうなのか、インタネットで下記記事を見つけました。もはや報道ではなく、一人一人の民に監視の目が向いたのです。勿論当面の理屈は「テロ」予防と言うことなのでしょう。しかしその行き着く先は!「若者よ、「目を覚ませ!」と言いたいですな:
%%%%%ヤフーが全受信メールを監視、米情報機関の要請で=関係筋
http://c23.biz/N85Qロイター 10月5日(水)9時30分配信
[サンフランシスコ 4日 ロイター] - 米ヤフー<YHOO.O>が昨年、米情報機関からの要請を受けてヤフーメールのユーザーのすべての受信メールをスキャンしていたことが、関係筋の話から明らかになった。

ヤフーの元社員2人と別の関係筋によると、ヤフーは米国家安全保障局(NSA)もしくは連邦捜査局(FBI)の要請に基づき、数億件のヤフーメールのアカウントをスキャンし、情報機関が求めていた特定の情報をサーチしていた。

情報機関はヤフーに対し特定の文字をサーチするよう要請していたが、どのような情報を求めていたのかは明らかになっていない。関係筋によると、メールもしくは添付ファイルに記載されたフレーズを求めていた可能性がある。

ロイターは、ヤフーが情報機関にデータを手渡したのであれば、それがどのような内容だったのか特定できていない。また、情報機関がヤフー以外の企業に同様の要請を行っていたのかも不明。

監視活動の専門家は、すでにメールボックスにセーブされているメールのスキャンやリアルタイムで少数のアカウントを監視するのではなく、すべての受信メールをサーチする要請に応じ、明るみに出た米企業としては初のケースになると指摘する。

ヤフーの元社員によると、情報機関の要請に応じるマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)の決定をめぐり、一部幹部は反発。昨年6月の情報セキュリティ責任者アレックス・スタモス氏の辞任につながったという。

ヤフーは情報機関からの要請をめぐるロイターの質問に対し、声明で「ヤフーは米国の法律を順守している」とし、それ以上のコメントを差し控えた。

情報機関もコメントを差し控えている。
%%%%%

 さて、もう一つ面白い記事を見つけました。本ブログを読んでくださっている方々にはさほど驚くことではありません。八世紀に日本列島を支配した藤原不比等勢力が、世界の多様な政治思想と技術・文化を取り入れていることには何の不思議もありません。 
%%%%%奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前
http://c23.biz/QLuH 読売新聞 10月5日(水)6時4分配信

 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。

 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。

 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯(はし)」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。

+++++玉造(3)
 前回、魏志倭人伝の最後の部分について原文と共に私の解釈を書きました。この部分については「日本の古代 1、倭人の登場」(森浩一編、中公文庫)が詳しい解説をしていますので、私の解読との比較のために下に添付しておきます:
(図1:「日本の古代 1、倭人の登場」176頁より、図をクリックすると拡大され、読みやすくなります)
160916魏志倭人伝末部


 専門家の知見を集めてこの文庫本は編纂されていますから、私の稚拙な解読と比べるべくもありません。そうではあっても、学者先生が指摘していない解読の幾つかを挙げておきたいと思います。
 まずは「掖邪狗」です。この人物は、内戦調停に当たってくれた帯方郡太守に「停戦」を報告するべく「壹與」(「臺與」であるべきとの議論はここでは措きます)が派遣したとされています。既に書いたように「掖邪狗」の「邪」は「邪馬台国」のそれであり、「狗」は「狗奴国」に由来するであろうことは容易に想像がつくはずです。
とすれば「掖」の意味を知りたくなります。「学研・漢和大辞典」(藤堂明保編、1990年版)は「ヤク、エキ わきの下に手を添えて助ける」と書きます。これは明らかに漢語ネーティヴな太守側の書記官の観察がそのまま文字になったのです。仲違をしていた両国の代表が、介在人と共に「出頭」したのです。情景が臨場感を持って描写されているのです。これは人名でないことが明らかなのです。学者先生の想像力欠如を指摘しておきたいと思います。

 次は「青句珠」の件です。当然研究者の誰もが「枚」なる助数詞の使用法に着目します。そしてその使用法、事例を他の文献に探し求めます。専門家ですから、当然探す場所についての見当もついています。かくして個数を勘定する際に「枚」を用いることが「珍しくない」ことを解きます。しかし、そうであるならば「白珠」についても何故「五千」枚と書かなかったのか?あるいは何故「五千」個と書かなかったのか?それは私も指摘していますが「孔」にその貢物の「意義」があったからです。これも太守側の書記官の観察がそのまま漢字表記されたのです。
 「青句珠」は「翡翠石で作られた勾玉」とは想い難い。と、私は考えます。何故なら、列島には多くの青色勾玉が出土しているとウイキは書きます。それほど貴重な「貢」であるならば、わずか二枚と言うことは無かろうと思えます。私は前回書いたように、二枚の貝殻に鎮座する飛び切り粒の大きなそして美しい光沢の真珠であろうと思います。それはこれも前回書いたことですが「勾」あるいは「句」はL字状に曲がったという意味です(上記、漢和字典より)。ここから連想できるのが下の写真です:
(写真: これぞ、漢語が言う「句」つまりL字型ではないだろうか!http://c23.biz/U33S より)
parl161005
 

 日本列島での勾玉の出土はガラス製も含めて地域的にきわめて偏在している。一方、歴史研究者たちは「玉作部」なる専門家集団が全国各地に存在したと書きます。「偏在」と全国の多数の「玉造部」とは明らかに矛盾しています。
 むしろ出土の偏在は玉造なる地名の偏在でもあるのです。例えば「角川日本地名辞典」(1,983年版)が挙げる玉造なる地名はわずか12地点です。そこには、これから挙げる「霞ヶ浦東沿岸」の玉造は何故か含まれていません。上記、12の「玉造」(または「玉作」)で露に「玉を作成」したと記載するのは大阪のみです。
 しかし、この{大阪」なる記載の出典は日本書紀の「仁賢紀」です。つまり“日本書紀が書くので、この地に玉造があったことにする“との後日の「工作」の臭いがするのです。そう思わせるのはその場所が「難波」であると「仁賢紀」が書くからです。しかし、この地名は、明らかに九州福岡県北岸にあった儺河(現在の那の津)に由来します。藤原不比等がしてのけたあの「箱庭造成」の一環なのです。詳細は後刻書きます。

 「玉造」議論の冒頭にも書きましたが、「玉」には日本列島古代史の謎が潜んでいます。しかし、現代の古代学者はこれについては「決着済み」扱いです。さて、これから茨城の「玉造」を書くにあたり、「日本地名大辞典、茨城編」(朝倉書店、1,968)、「郷土史料辞典、茨城編」(人文社1997年)をまずは開いてみました。これらの分厚い書物が書く玉造町については、「太古の昔にこの地に玉造部」があったとの伝承があり、それが町名の由来となっている」と書くのみで、この地から勾玉の類が出土した、あるいは鋳型が出土したとの記事は全く無いことは誠に奇異なのです。ここには日本でも知られた「馬の透かし彫り金細工」を出土した三昧塚古墳をはじめ多くの古墳があります。しかし、そこからも「玉」の類の出土は無いのです。むしろ、この地から浮かび上がってくるのは「磐=石」なのです。

 そこで、この実態についての考察は後刻にすることとして、茨城県霞ヶ浦の東岸にある玉造を眺めることにします。これについても旧玉造町を含む現在の行方市のHPもこの地について多くを語りません。まずは旧玉造町の地図です。
(図1:青印は玉造城址、赤は稲荷社(ここに陣屋を置いたと思われる)。尚、ここから南東16kmの北浦に面した地に大生(おおふ)古墳群がある。この名前には「王が出生した」と言うメッセージが込められている、と私は考えている)。
玉造ー稲荷


 図1に二つの印がついています。この地点では無いかとの示唆は下記の記述からです。:
http://c23.biz/9GHj (玉造町、霞ヶ浦)。良くぞここまで整理してくださったと感謝の気持ちです。この記事を次回詳しく見てゆきたいと思います。

(つづく)

+++++再度原発関連記事
 前回も書きましたが、核兵器保持と言う隠された野望を抱く日本国の奥の院は、原発を止めることが出来ないのです。それはプルトニュームを持ち続けたいからです。そしてその野望を隠す絶好の理屈が「核燃料サイクル」です。
 それの実現の可能性なぞはどうでもよい。ともかく「エネルギ資源に乏しい我が国のエネルギ常時確保政策」であるとして、それを掲げていることを通じて、原発を維持し続けることが出来るからです。

%%%%%経産省と原子力ムラが導入を狙う「次のもんじゅ」 
再び巨額の税金が浪費される恐れ
________________________________________
週プレニュース http://wpb.shueisha.co.jp/2016/10/01/72748/

原子力ムラはなんとしてでも「核燃料サイクル政策」を死守しようと、
もんじゅに代わる新しい高速増殖炉の導入を画策している。それがフランスと日本が共同開発を進める「アストリッド」だ。

アストリッドは半減期(放射性物質の放射線を出す能力が半減するまでの期間)の短い核燃料を作れることが売りで、
2025年の完成を目指している。歴代内閣がためらってきたもんじゅの廃炉に安倍政権が踏み切ることができたのは、
このアストリッドがあるからだ。
もう一点、もんじゅ廃炉の背景に、省益拡大を狙う経産省の蠢きがあることも知っておくべきだ。
もんじゅの所管は文科省なのだが、アストリッドは経産省が所管する。経産省にしてみれば、文科省の影響を弱め、
経産官僚が国の核燃料サイクル政策を差配することを意味するのだ。

官邸は資源エネルギー庁次長などを歴任した今井尚哉(たかや)首相秘書官ら、経産官僚が仕切っている。
もんじゅ廃炉の最終決定を12月にして、「安倍政権が歴史的決断を下した」とすれば、次の選挙の有力な宣伝材料になりますよ、
とアドバイスして首相をその気にさせたのだろう。ただ、核燃料サイクルは未完成の技術で、アストリッドも実用化の確証はない。
アストリッドが「第二のもんじゅ」になるリスクは極めて高いという見方もある。なんのことはない。
結局は、再び巨額の税金が浪費されることになるということなのだ。
%%%%%

玉(珠)を考える、原発事故賠償経費は国民負担?海水からウラン

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:手袋で作った狐で鴉を脅し畑の野菜を守ろうとしています。目の付け所が良いですな。効き目はどうなのでしょうか。拡大は写真をクリックしてください)
PA02狐


 鴉除(よ)け 赤い狐が 大役かって コーンと一鳴き 畑を守れり

 本日付のブログ記事を書いている最中に、大隅良典博士のノーベル医学・生理学賞受賞のニュースが報じられました。ジャーナリズムは日本の大学の世界ランキングが、アジアで第四位に落ちたなどと大々的に報じていました。わけのわからない物差しを大学評価に持ち込めば、その順位はいかようにも変動するであろうことは、本ブログでもつい最近書きました。日本の大学の知的活動能力そのものは依然として世界のトップレベルにあると私は考えています。それを継承する若手の研究者がどんどん育って欲しいと思っています。


+++++那須岳―香取線、玉造町
 6月22日記事で、那須岳から香取を結ぶ直線上に存在する歴史的史跡を示しました。それは烏山であり、笠間です。さて、笠間から香取を結ぶ線は霞ヶ浦の東縁を通ります。この日本で二番目の湖水面積を持つ湖の周囲にはいくつもの古墳があることが知られています。東岸域にも少なくも四つの古墳がありそれらは、「旧玉造町」、現在の行方市域内です。

  この「玉造」という地名は、「勾玉」を通じて多分古代日本列島史を背負っている筈ですが、ウイキでも詳細は語られません。そもそも「玉」なる表現は「珠」と言う漢字表記でもって魏志倭人伝に登場します。その部分を以下に掲載します。一番最後の行に「珠」は登場しますが、その登場までの経緯をも書いておいたほうが良いようです:
%%%%%魏志倭人伝「珠」の部分
原文:
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人
更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人復立卑彌呼宗女壹與年
十三爲王國中遂定
政等以檄告喩壹與壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還
因詣臺獻上男女生口三十人貢白珠五千孔青大句珠二枚異文雜錦二十匹

文意:http://c23.biz/Nu3f によります(現ブログ管理人の考えは下に書きます)。
卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った。奴稗百余人が殉葬された。
あらためて、男王を立てたが、国中が服さず、お互いに殺し合った。この時千余人が殺された。再び
卑弥呼の宗女の壱与という十三歳を立てて王とし、国中はやっと治まった。
張政らは激文を発し、壱与に告諭した。壱与は、倭の大夫率善中郎将掖邪狗ら二十人を派遣し、張政等が帰国するのを送らせた。
この折掖邪狗らは洛陽に行き、男女の奴隷三十人を献上し、白球を五千孔、青く大きいまがたま二枚、異文雜錦二十匹を献上した。
%%%%%

 上に引用した部分は、邪馬台国と狗奴国の激しい確執に関する出来事です。魏の治世下にあった帯方郡の太守王が魏皇帝の意を受けて、「仲良くせよ」と倭の王に指示した後の顛末です。和解、または停戦協議の最中であったのか、どうかは定かではないけれども、一方の旗頭であった卑弥呼が死んでしまったために、どうやら和解の協議はご破算となったのでしょう。邪馬台国の側は男の王を立てて戦線を立て直すが戦乱は収まらない。そこで、卑弥呼の齢十三歳の宗女「壹與」を「王」に擁立し、やっと国は治まった。と倭人伝は書きます。

 ここで宗女「壹與」が後世の研究者の論議の対象となります。「壹」は「臺」の”書き写し間違い“では無いかというわけです。もしそうであれば、「壹與」は「臺與」となる。これは「たいよ」と音することができ、それは「トヨ」に転化し「豊」と漢字表記されるようになった。と、大方の歴史学者は主張します。

 私は「卑彌呼宗女壹與」の表記が漢文らしくないとかねてより感じていました。例えば、卑彌呼宗女は漢語ネーティブであれば「宗女卑弥呼」と表記するのではなかろうか?これが的外れでないとすると「卑彌呼宗女壹與」の部分は漢語を生齧りしていた倭人の「言」をそのまま太守の書記官が史書に書き写してしまったのではないか、と。
 もしそうであるならば、「臺與」は正しい漢語表現であれば「與臺」とあるべきであった。つまり、「卑弥呼の宗女が臺国の治世に与った」。と倭国の使節は、太守に語った。あるいは倭国の使節は「卑弥呼の宗女が臺国の治世に与った」なる意を込めたつもりの倭習漢文・文書を太守に差出したのではなかったか、と思っています。大陸側は、かくして「臺與」を女王の後継者の名前と思い込んだのです。

 さて、その「臺與」は、太守の檄を受け入れて、使節が帰国する際に二十名を付き添わせた。掖邪狗です。使われている漢字から、彼らは喧嘩をしていた「狗」奴国と「邪」馬台国から選ばれた人士であることが想像できます。彼ら人士を挟むようにして介添人「掖」が同行したのです。こうして仲たがいをしていた二国の代表とその仲介者の存在を以って、太守に「和平が成立」したことの証としたのです。これに相当する魏志倭人伝表記はまさに太守側の使節の観察がそのまま漢字で記されたのだろうと思っています。

 私が、ここで、あえて原文を掲載したのは、「漢文を読む能力」を欠く現管理人にも、漢字列を眺めているだけで「実は多くの事柄が見えてくる」ことを示したかったからです。ましてや日本書紀、古事記、そして万葉集には日本列島に住む我々でしか見えない歴史の真実が、「原文」に潜んでいるのです。

 こうして、魏皇帝の意を受けた帯方郡太守の労への謝意が最後の行です。つまり「貢物」です。奴隷に加えて献上したのが「白珠五千孔青大句珠二枚」です。白珠とはガラス玉でしょうか。「ガラス質の珪酸」を流し込んで勾玉形状の「玉」を作成したと思われる鋳型が福岡県で発掘されています。
 こうして出来た生産物は「孔」の数で勘定したのでしょうか?とすると、この白珠の価値は「孔」にあるのです。紐を通して、首の周囲を飾ることに「権威付け」という大きな意味があったのでしょう。五千とはずいぶんと大きい数です。贈った側は何人分を想定したのでしょうか?それとも太守の使節が五千個を要求したのでしょうか?誠に興味深いのですが、これ以上の詮索のための材料はありません。

 さて、次に「青大句珠二枚」です。日本国の古代研究者はこれを翡翠の「勾玉」であろうと書きます。それにしてはたったの「二枚」です。インタネットで見る限りではその大きさは高々10cm程度のようです。これを「大」と表現するだろうか?そうとすれば僅か「二枚」とは?そして、何故「枚」という助数詞が用いられているのか?「句」は「勾」と同じくL字型に曲げるという意であり、「珠」は円いという意です。句珠はL字型に曲げられた玉と言うことで、我々が学校で教えられた「勾玉」と同じ形状です。しかし、それが大型で、僅か「二枚」。
 私は、これは阿古屋貝(あこやがい)、つまり真珠貝ではなかったかと想像しています。濃緑色の貝蓋つきの真珠を献上したのだろうと思います。貝であれば、それを「枚」で勘定することに不思議はありません。これは太守と言うより、魏皇帝と夫人に宛てたのでしょう。

 そうなると、古事記・日本書紀に登場する「玉(または珠)」とはなにか?「玉作」とは、一体何を作っていたのでしょうか?わからないまま話をすすめるしかありません。
(図1:10月3日付東京新聞より。一見古代史とは無関係の記事です。しかし、日本列島に住む人間が物に命名する際の「やり方」には太古の昔と、明治の時代そして現在と共通する手続きがあると私は考えています。その意味で、大変面白く詠みました)。
PA0呼称14


 「珠」(あるいは玉)に「タマ」なる表音を付したのは何時頃であったのか?卑弥呼の時代にすでに「タマ」なるものが存在していたことは確かでしょう。そしてそれは大陸の人間から見れば「珠」なる漢字で表現されるものであった。私は、五世紀に北方経由で渡来したシリウス信仰族が「珠」を見てそれを「タマ」と呼んだのではなかろうかと想像しました。そこで、ペルシア語辞典で「タマ」なる音を持つ言葉を捜してみたのですが、今のところそれらしい語は見つかっていません。もし、見つかればそこから「珠」の実体が見えてくるのだろうと期待していたのですが。
(つづく)

+++++原発事故倍賞
 原子力発電を国から押し付けられている民間会社にしてみれば、下の記事に書かれていることは当然の要求と思います。それを改めて民間会社が実感したのが2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所事故でした。原子炉周辺の深刻そのものの事故後始末に加え、汚染水、汚染土の始末、それ加え深刻な被災者への生活・産業補償を思うなら、こんな危ない商売はありません。
 原発業者は当然それを承知しています。それでも原発を引き受けているのは、損失に繋がる部分のほとんどを政府が引き受けることを前提にしているからです。損をする部分だけを政府が引き受け、得する部分を民間が引き受ける。つまり電力会社は原発によって儲かることが約束されています。だからこそ、電気事業連合会は大枚をTVマスコミに広告費を投じて、原発普及にあいつとめてきたのです。

 何故、政府は、国民に過重な負担をかけてまで、これほどに危ない原発を維持しようとするのか?膨大な経費を厭わないのか?それはプルトニューム生産にあるからと私は考えています。米国、IAEAなど世界から警戒心でにらまれても政府と財界奥の院は「核兵器」所有したいのです。プルトニュームを持ちたいのです。つまり「一人前」の軍事国家になりたいとの野望です。周辺国を威嚇できる軍事力です。すぐお隣の独裁国家と発想は同じです。


%%%%%原発事業者の事故賠償に上限案 超えた分は国民負担も
朝日新聞デジタル 10月2日(日)3時2分配信http://c23.biz/M9zN 
事故補償161002


原発事故での「有限責任」案とは?
 重大な原発事故を起こした電力会社などの賠償責任に上限を設け、超えた分は税金や電気料金などの国民負担で補う「有限責任」案が浮上し、具体案が明らかになった。国の専門部会が近く示す。現行の無限責任制度と比べながら、今年度中に見直し案をまとめる。

 東京電力福島第一原発の事故による損害は兆円規模となり、現行の民間保険や政府補償で備える最高1200億円を大きく超えた。電力業界から有限責任化を求める声が強まり、内閣府の原子力委員会が設けた専門部会(部会長=浜田純一・前東大総長)で昨年5月に議論が始まった。

 専門部会は3日から、責任範囲の集中審議に入る。内閣府は現行のまま「無限」とする案、「有限」として国民負担を求める案の両方を提示する。
%%%%%

 関連してScientific American誌に妙な記事を見つけました。短文なので、いかに紹介しておきます。「ヒト」という生物種の欲望は果てが無く、チェルノブイリ、福島の事故があっても未だにウラン、つまり原子力発電に強い執着を持っていることが明らかになる記事です。使用済み核燃料、放射能汚染機材などの処分は次に考えれば良いということなのでしょう。
%%%%%Scientific American誌、7月1日記事の紹介
http://c23.biz/Xfz5
Uranium Extraction from Seawater Takes a Major Step Forward
海水からのウラン抽出には大きな飛躍を要する
Earth’s oceans hold four billion tons of the element used to power nuclear plants
原発に力を与えるうらにゅーむを地球の海は四十億トンも抱えている
By Jennifer Hackett on July 1, 2016
Credit: Doug Lewis/Flickr, CC BY 2.0
The earth's oceans hold enough uranium to power all the world's major cities for thousands of years—if we can extract it. A project funded by the U.S. Department of Energy is making notable advances in this quest: scientists at Oak Ridge National Laboratory and Pacific Northwest National Laboratory have developed a material that can effectively pull uranium out of seawater. The material builds on work by researchers in Japan and consists of braided polyethylene fibers coated with the chemical amidoxime. In seawater, amidoxime attracts and binds uranium dioxide to the surface of the braids, which can be on the order of 15 centimeters in diameter and run multiple meters in length depending on where they are deployed. Later, an acidic treatment recovers the uranium in the form of uranyl ions, a product that requires processing and enrichment before becoming fuel. The procedure was described in a special report this spring in Industrial & Engineering Chemistry Research.
The process is still inefficient and expensive, but finding alternatives to uranium ore mining is a necessary step in planning for the future of nuclear energy, says Stephen Kung of the DOE's Office of Nuclear Energy, who was not involved in the project. Terrestrial sources of uranium are expected to last for only another 100 to 200 more years. “We need to take the longer view on this resource,” Kung says.
 地球海洋は、これからの何千年もの間世界の大都市の全てに電力を供給できるほどたくさんのウラニュムをかかえこんでいる;もし、それが抽出できたらの話ではあるが。米国エネルギ省予算による一つのプロジェクトがこの設問に注目すべき進展を成している:Oak Ridge National Laboratory and Pacific Northwest National Laboratorの研究者達が海水から効果的にウランを抽出できるような有る物質を開発した。その物質は日本人研究者による成果にもとづいており化学アミドキシムでコーティングされた編状ポリエチレン繊維で構成されている。海水中ではamidoximeは直径15cmであるが、広がりに応じてメートルの長さにも成長し、網上に二酸化ウランを集め、結合する。その後に酸化処理をしてウラニウムイオンの形で燃料になる前に濃縮などの処理が必要となるウランに戻す。その行程はこの春にIndustrial & Engineering Chemistry Research誌特別号に記述されている。この行程そのものは未だ非効率である高価であるがウラン鉱に替わる発見が核エネルギの将来を計画する必要な段階戸なる、とこのプロジェクトには関わっていないけれども、この分野の専門家であるStephen Kung of the DOE's Office of Nuclear Energyは言う。ウランの地上での量は僅か100~200年間しか持たないだろう。とすれば、“この資源ついてもっと長い視野を持つべきだ”とKungは言う。

BY THE NUMBERS(概量試算)
海水中のウラン量:3.3 Micrograms Per Liter (リッタあたり3.3マイクログラム)
Concentration of uranium in seawater
4 Billion Tons (海水中のル用可能な全ウラン量: 40憶トン)
Total uranium available in all Earth’s seawater
6 Grams (ウラン含有物質1kgから抽出できるウラン量:6g)
Weight of uranium extracted per kilogram of adsorbent material
8 Weeks (6g抽出に要する時間: 8週)
Time required to extract 6 grams
27,000 Kilograms (一年間に10億ワット出力に必要なウラン燃料:27トン)
Amount of uranium fuel needed to run a 1-gigawatt nuclear power plant for one year


SOURCES: COSTAS TSOURIS Oak Ridge National Laboratory (first, third and fourth items); COSTAS TSOURIS Oak Ridge National Laboratory AND STEPHEN KUNGOffice of Nuclear Energy, Department of Energy (second item); WORLD NUCLEAR ASSOCIATION (fifth item)
This article was originally published with the title "Water Power"

出典:コスタス悩みオークリッジ国立研究所(第一、第三及び第四の項目)。コスタス悩みオークリッジ国立研究所 AND STEPHEN KUNG 原子力、エネルギー省の事務(第二項目)。世界原子力協会(5番目の項目) この記事は"Water Power"と言うタイトルで出版された。
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神無月と玉造、何故地震動の始まりは小さい

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:撮影者の背後にある沼から流れ出る小さなせせらぎは、前方の蓮池公園に流れ込みます。四・五年ほど前の激しい住宅地造成で水脈が分断されたのでしょう。沼は干上がり、このせせらぎも前方の蓮池もただのぬかるみ状態でした。二年半前の大雪をきっかけにして破壊された水脈網の幾つかが回復したようです)
P930せせらぎ03


 秋(あき)盛(さか)み キンモクセイの 花香(かお)る 明日から神は 出雲へ出張る

 秋(あき)盛(さか)み: 秋が真っ盛りなので(本ブログ管理人の造語)

+++++玉造
 十月は神無月です。列島全土の神々は出雲に集合し日本列島の民が抱える諸問題を審議するのです。本年の主課題は一体何であるのか。思えば、現在の我が国の政治を担っている国会議員の多くが「日本会議」なる団体メンバです。この会議を「思想的」に支えているのが神道政治連盟です。この団体のHP(http://c23.biz/8Cfi )は以下を書いています:
「(略称・神政連)は、世界に誇る日本の文化・ 伝統を後世に正しく伝えることを目的に、昭和44年に結成された団体です。 戦後の日本は、経済発展によって物質的には豊かになりましたが、 その反面、精神的な価値よりも金銭的な価値が優先される風潮や、 思い遣りやいたわりの心を欠く個人主義的な傾向が強まり、 今日では多くの問題を抱えるようになりました。 神政連は、日本らしさ、日本人らしさが 忘れられつつある今の時代に、 戦後おろそかにされてきた精神的な価値の大切さを訴え、 私たちが生まれたこの国に自信と誇りを取り戻すために、 さまざまな国民運動に取り組んでいます。」
と、書き、この団体の主な取り組みとして
 「皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指します。」
を真っ先にあげています。

 古事記、日本書紀に忠実に従うとすれば、皇室の伝統なるものは、列島のいたるところで庶民を見守ってきた八百万の神々に支えられ、存続してきたのです。明日からの出雲の会議では、神々はこの「神政連」への疑義を噴出させるのではなかろうか、と思っています。

(図:9月29日付け、東京新聞竹田茂夫氏コラムより。上に紹介した「神政連」は「金銭的な価値が優先される風潮や、 思い遣りやいたわりの心を欠く個人主義的な傾向が強まり・・との憂いを表明しますが、それを助長しているのが神政連が進める現今の政治では無かろうか、と竹田氏は指摘します。そして、こうした政治は神々の想いとは逆行していると私は思うのでありまするよ」
P9300竹田


 八年前に初めて出雲を訪ね、本殿の脇に立つ神々の宿舎を見物しました。部屋の数が集合する神々の数に比して圧倒的に少ない。どうやら、相部屋なんですな。

 さて、この出雲に玉造湯と言う温泉郷があります。残念ながらそこを訪ねることは出来ませんでした。ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキが書く玉造温泉の歴史
 奈良時代開湯といわれる古湯で、少彦名命が発見したと伝えられている。『出雲国風土記』抄にも記載があり、神の湯として知られた。また江戸時代には松江藩藩主の静養の地となっており、湯之介と呼ばれる温泉を管理する役職も設けられていた。玉造という名の由来は、この地にある花仙山で良質の青瑪瑙が採掘できたために、この地の人々が玉造を生業としていたことに由来していると考えられる。三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によってこの地で造られたと言われている。玉作湯神社にはその櫛明玉命を祀っており、多数の勾玉や管玉が社宝として保管されている。
%%%%%
 私はかねてより、万葉集四歌の冒頭に読み込まれている「玉」とは何か?との疑問を持っていました:
万葉集四歌:吉村誠氏による検索システムより(http://c23.biz/Dgk2 )
 題詞 (天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌)反歌
原文  玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
訓読  たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
仮名  たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの

 この歌は先行する「三」歌の反歌です。従って三歌の解読が正しくなされなければこの四歌の歌意も正しく伝わらないことになります。万葉集の初期歌群の解読は多分鎌倉時代の僧侶、あるいは公家と言った当時の識者が先鞭をつけたのだろうと想像しています。そしてその解釈を700年以上にわたって今日までに引きずっているのが現在の「万葉集・解読学」であると私は考えています。
 実は万葉集が日本列島古代史解明の最大級の真実の史書なのですが、そこを鎌倉の時代から一貫して見失っているのです。そのために、初期歌群の解読はほとんど「頓珍漢」であることは、幾つかの市販されている本から明らかです。

 話は、ついつい「愚痴」になりました。ここで詠われている玉とはいわゆる「勾玉」(日本書紀では「曲玉」と漢字表記)なのでしょうか?「勾玉」の出土数が圧倒的に多いのが九州、それも福岡県ですから、上記四歌の舞台は北九州と言うことになります。この一点を見ただけでも、四歌のこれまでの解読は「怪しい」といわざるを得ません。

 さて、九州は福岡に圧倒的に多い「勾玉」の出土。その製造部局が「玉造部」であったと古代史研究家は書きます。それが、この島根県出雲近傍と大阪・難波であるといいます。これも大変「妙ちきりん」なのです。この議論については、後日再検討しますが、日本列島にはもう一つ「玉造」という地があるのです。そしてそれがなんと「那須岳―香取」線上にあります。今回は地図上でその地を示すにとどめ詳論は次回とします。
(図:常陸の国の玉造)
玉造160930


(つづく)
 余談ですが、昔「野武士集団」と呼ばれた野球チームが福岡にありました。そうです。「西鉄ライオンズ」です。そこに、なんと常陸国出身の名外野手がいました。「玉造陽二」選手です。当県で一・二を争う名門校である水戸一高出身と言いますから文武両道であったようです。


+++++
 前回、“Centroid time minus hypocenter time”(以後、C-h時間と略称)なる量について一つの考察を書きました。それに関して以前より注目すべきことが指摘されていました。そこで、それを実際に確かめてみました。
 
 Global CMT Catalog Search(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )にリストされる世界の地震から期間 2010年1月17日〜同年3月13日に北海道を除く東日本に起きた地震のみを拾い出します。その個数は70個です。いうまでも無いことですが、2011年3月11日の東日本巨大地震の発生前後の地震群です。
(図2 拾い出した地震群。M>5.5,青、>6.5 赤、>7.5、緑で表示されています。青の曲線は日本海溝の最深位置)
2010-20110314


 これらの地震について“C-h時間”と地震の規模、Mw,の関係を図示してみます。
(図3 “C-h時間”と地震の規模、Mw、との関係。横軸はモメントマグニチュード、Mw。縦軸は“C-h時間”、色は地震規模分類)
C-htime0311


 大きい地震ほど、“C-h時間”が長くなっていることがわかります。これは、震源での岩盤破壊過程の忠実な反映であろうと考えています。ある岩盤領域を周囲応力が寄って集(たか)って破壊せんとするのが地震です。その際、大きな領域を瞬時に破壊するよりは、領域の狭い領域に力を集中して、まずはそこを破壊するほうが小さな労力(エネルギ)で済みます。この小さな破壊域を手がかりにして、そこを拡大していったほうが実は小さなエネルギで全体が破壊できるのです(破壊領域の拡大過程)。かくして大きな地震ほど、破壊領域が大きいので時間がかかります。更には、後発の破壊が生成する地震波には、先発の破壊が射出した地震波が重なり波の振幅も大きくなります。こうして出来上がった地震波に理論を合致させるにはCentroid timeは実際のP波到達時刻より遅れが大きくなるのです。

 この調査では、他にも幾つかの関係を調べています。それを次回に書きます。
(つづく)

昨日の新聞に南海地震の規模に関する予測研究が紹介されていましたので、それを転載しておきます。
 
%%%%%【特集】“超巨大津波”の恐れ 南海トラフ地震でも
毎日放送 9月29日(木)14時25分配信http://c23.biz/L9Ef 日本列島の南側には深さ4000メートルの深い溝が横たわっています。これが南海トラフです。その南海トラフでこれまで想定されていなかったある動きが、名古屋大学の調査で初めて観測されたのです。この調査によって、巨大というより超巨大津波の恐れが高まっていることがわかりました。

 名古屋大学の田所敬一准教授らの研究グループは2013年から3年間、和歌山県新宮市の約100キロの沖合いの海底の動きを調べてきました。その結果ー

 「トラフ軸(海溝軸)の近くにも歪みをためていそうだ、陸に向かって押されてそうだ、ということがわかってきた」(名古屋大学大学院・地震火山研究センター 田所敬一准教授)

 「トラフ軸」とは一般的には「海溝軸」と呼ばれていますが、フィリピン海プレートが陸側のプレートに沈み込む境界付近のことです。そこに歪みが溜まると、何が起きるのでしょうか。

 静岡県の駿河湾から九州の東まで続く南海トラフの周辺では、100年から150年の周期で、M7あるいは8クラスの巨大地震が繰り返されてきました。巨大津波は駿河湾が震源の東海地震、その西の、三重県沖までを震源とする東南海地震、そして四国沖までを震源とする南海地震の、3つの地震が単独あるいは連動して起きたときに発生すると考えられてきました。

 しかし・・・5年前の東日本大震災がその考え方を一変させました。どうしてあれほどまでの巨大津波が発生したのか?地震後、研究者らが調査したところ、従来、想定していなかった場所、「海溝軸」の周辺で地震が起きていたことがわかったのです。東日本大震災では想定されていた震源域に加え、海溝軸周辺でも地震が起きたことで、津波がさらに大きくなったのです。なぜ、海溝軸が動くと超巨大津波になるのか?

 海のプレートが陸のプレートにちょうど入り込む「海溝軸」は、従来の想定された地震の震源域よりも浅い場所です。つまり海面に近い「海溝軸」の周辺が跳ね上がれば、短時間で大きな津波を引き起こすのです。東日本大震災では、この海溝軸周辺も跳ね上がり超巨大津波を発生させました。

 南海トラフで同じことが起きる恐れはないのか。名古屋大学の田所准教授らは、深さ約3500メートルの海溝軸周辺の3箇所に観測機器を設置。海上の船から音波を出して海底の動きを監視してきました。その結果、南海トラフでも海溝軸周辺にひずみを溜めていることがわかったのです。

 「南海トラフに非常に近くに場所、西北西に年間4センチくらい動いていることがわかった。この紀伊半島沖でプレート境界の近くが歪みをためているというのがわかったのは初めて」(名古屋大学大学院・地震火山研究センター 田所敬一准教授)

 つまり次の南海トラフの地震でも、海溝軸で地震が起き、東日本大震災と同じような超巨大津波を引き起こす恐れがあることになります。田所准教授らはこの調査結果を来月開かれる日本地震学会で発表するとともに今後、さらに観測点を増やし、調査を続けることにしています。

 そしていま、その巨大津波による被害軽減をめざして「ある技術」が注目を集めています。それは天気予報などで雨の粒を観測するレーダーの応用です。

 津波防災を研究する関西大学の高橋智幸教授が目をつけたのが、すでに実用化されている「海洋レーダー」というもので、海岸に設置したアンテナから海面に向かって電波を発射し、波に反射した電波を受信して波の形などを観測します。現在、海洋レーダーは海流の観測をはじめ、海面にたまったゴミを発見し、船で回収することなどに使われていて全国各地に設置されています。この「海洋レーダー」が東日本大震災の津波を捉えていました。

 「一般的に使われているレーダーは、ひとつの地点で5,60キロから200キロまで測ることができる。レーダーを1基いれるだけで相当広い範囲が測れる」(関西大学社会安全学部・高橋智幸教授)

 現在、気象庁による津波観測はGPS津波計によるもので、海上に設置した装置が襲来する津波をひとつのポイントだけで観測します。しかし、レーダーでは何十キロにもわたり津波を面でとらえることができ、速さや高さもわかることから、海岸部の市町村に詳しい被害予測を伝えられるようになります。

 超巨大津波の可能性が高まった次の南海トラフ地震。一方で、「津波レーダー」など新たなツールが活用できることが明らかになってきました。被害を軽減させる方策がますます重要になっています。
%%%%%記事紹介終わり

 もう一つ、地震の話題をネットで見つけたので転載しておきます。電離層での電子の数が地震の前で急増するとの観測が報告されたのは、2011年3月11日の東日本大地震を巡る諸物理化学現象の分析がなされた際でした。どうやら、この現象は大地震発生に先行する現象であったようだ、と京都大学研究者が明らかにしています。
%%%%%震災前、上空の電離圏に異常
http://c23.biz/kksF 
京大が検出、地震予測に道 2016/9/30 13:26

(図4:電子の数を測定するイメージ )
予知ー電子数


 東日本大震災やその前後にあったマグニチュード(M)7.0以上の地震が発生する20分〜1時間ほど前に、上空300キロ付近の「電離圏」で電子の数が増える異常があったことが京都大の梅野健教授(通信工学)のチームの分析で判明し、米専門誌に30日発表した。
 チームによると、M8.0以上の地震で電離圏の電子数が増えていることは知られていた。チームの手法は従来法と違い地震後のデータとの比較が不要で、分析速度を上げられれば地震を予測できる可能性がある。
 梅野教授は「現在はパソコンでの分析に時間がかかるが、将来は地震の警報システムに生かせるのでは」と話している。
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房総遥か東沖地震(補足)、英才教育(nature誌、最終回)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:撮れたて新鮮・生写真、第二弾!、ドングリが実を付け始めました)
P928どんぐり3


つかの間の 秋の長雨 一休み 周囲の木々は 蜘蛛の巣祭り

 二日続けて、朝の雨が止んでいます。この時を逃すと、又歩けなくなります。田んぼの畦から雑木林へ足を伸ばして驚きました。木々の枝に二重、三重に蜘蛛の巣が張っています。夫々、立派なオウナーが中央に陣取って周囲を睥睨しています。その中で、見つけたのがなんとハンモック型の巣でありました。

(写真:ハンモック型蜘蛛の巣)
P927ハンモック巣


 汚染水、汚染ダム、そして汚染土、どれもこれもが年月に比例して増加します。しかし、未だに処分法が定まっていない。実際、難しかろうと思っています。文字通り「取り返しのつかない事故」と言うべきです。金が際限なく使われます。東電で賄いきれない場合は国民負担です。それにしても、我が民は何故黙ってるのか?不安ではないのか?

%%%%%飯館村のフレコンバックは180万個一ヶ月に10万個のペースで増え続けている
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/333201 
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 「飯舘村のフレコンバッグは180万個あると、国が発表しています。翌月には190万個。一ヶ月に10万個のペースで増え続けている」
2016年9月22日、東京・代々木公園にて「9.22さようなら原発さようなら戦争大集会」が行われ、大雨にも関わらず全国からおよそ一万人が集まった。
集会では福島県飯舘村出身の長谷川健一氏がスピーチ。
汚染土などを入れた黒いフレコンバッグが一ヶ月に10万個ずつ増えるといい、原発事故から5年以上が過ぎた今も続く、汚染の深刻さを訴えた。
そんな中、政府は来年3月には飯舘村の避難指示を解除する方針。長谷川氏は「帰る人は自己責任で帰れと言っている。
そんなのはおかしい」と話し、安全が保障されていない中での一方的な帰還政策を批判した。
詩人のアーサー・ビナード氏や女優の木内みどり氏、作家の澤地久枝らが登壇し、スピーチ。
予定されていた集会後のデモ行進は、雨天のため中止となった。

>>フレキシブルコンテナバッグ (Flexible Containers) は、粉末や粒状物の荷物を保管・運搬するための袋状の包材のことである。略してフレコン[1]、コンテナバッグ、フレコンバッグとも呼ばれる。1トン程度の重量物を充填できる容積・強度のものが主流であることから、トン袋と呼ばれる場合もある。
ふれこんバッグ001

%%%%%
 
+++++房総半島沖地震(2016.09.21〜09.23)補足
 東京新聞毎週木曜のコラム担当者は法政大学の竹田茂夫氏です。限られた文字数に最大の情報が詰め込まれているせいでしょうか。「専門用語」には、実は多くの意味が込められており、それで以って長文を要する筈の説明が僅か数単語で済んでしまいます。しかし、これは読者に書き手の思いを伝えたことにはならないんですね。私も同じようなことをしているなと、前回のブログ記事を読み返して反省しました。
 前回記事は、9月21日に始まった房総半島東沖、三重会交点(Triple Junction、三つのプレートが一点で会交している)での活発な地震活動を書きました。二点ほど詳しい説明を省略してしまいました。そのことについて前回記事を補足して置きます。
%%%%%前回記事一部再掲
201609230613A NEAR EAST COAST OF HONSH
Date: 2016/ 9/23 Centroid Time: 6:13:21.3 GMT
Lat= 34.53 Lon= 141.55
Depth= 12.0 Half duration= 1.2
Centroid time minus hypocenter time: -2.8
Moment Tensor: Expo=24 0.217 -1.480 1.260 0.260 -0.155 0.105
Mw = 5.4 mb = 0.0 Ms = 5.1 Scalar Moment = 1.4e+24,NonDC=0.1691
Fault plane: strike=227 dip=78 slip=-1
Fault plane: strike=317 dip=89 slip=-168

 <<1>>9月23日15時の相模トラフ沿いの横ずれ断層地震については、そのNonDcの値が0.1691と大きく算出されています。どのような意味があるのか?断層面が滑らかでなくグサグサの環境下での地震とも思えます。観測された波形に大きなばらつきがありそれを反映している可能性があります。が、そうした可能性が排除されるとするならば、上下方向(鉛直方向)にかなり大きな引っ張り応力が地震発生時に働いていたということになります(NonDCの値が正なので)。つまり、二つのプレート△鉢の接触面で、△下方から引っ張られていた。その結果二つのプレートに働く摩擦力が減じた。かくして23日15時の地震が起きた、と言うシナリオです。これが真実とするならば、フィリッピン海プレートは”下方に動きたがっている“と、いうことになります。現時点ではそれを定量的に評価する理論的手段は無いようです。

 (補足)これは、文字によるのではなく、図で説明したほうがわかり易いと思います。
(図1:震源での力系、aとbは数学的に同等(equivalent)。大方の地震についてはその震源で働く力系はこれで説明できる。,cは実際の地震で放出された地震波の理論解析は図a,または bの力系に加えて橙色で示される力系が残留する。この残留力系が解析途上の誤差であるのか、それとも何がしかの物理過程を反映したものであるのか?)
P9280007


 図の説明でも書いたように、この残留力系が物理過程の実態を反映しているとするならば、その暗意することは誠に興味深いのです。つまり、震源では、岩盤を押し開く力が小さいといえでも働いたことを意味するからです。断層面を挟んで二つの岩盤が押し広げられる。これは岩盤の接触面が小さくなることを意味しますから、摩擦力が減じます。つまり岩盤を隔てる断層面は動き易くなるのです。

<<2>>さらに興味深いことはこの地震のCentroid time minus hypocenter time:=-2.8と負の値になっています。この意味については本ブログでは未だ説明していません。これから説明するはずでした。P波の観測点への到達が予想よりも遅れていることが理由であるとすれば、それは震源近傍の岩盤の物性環境を推定させる情報なのかもしれません。

(補足)Centroid time minus hypocenter time とは

(図2:二種類の地震計を通してみた地震波。,錬庁( Dynamic range Broad band)地震計。小さな地震から大きな地震まで記録でき(Dynamic range)カバーする周波数帯域が広い(Broad band)。△賄達信号に鋭敏に反応する短周期(Short Period)地震波用地震計)
P928初動
 

地震が発生した場合、その震源位置は各観測点での地震記録でのP波の到達時刻を読み取り、それをデータとして計算で算出します。何故なら、ほとんどの地震についてはその震源は地中深くであったり、海底下であるからです。人間が現場には行けないので計算で推定するしかないのです。出来るだけ精度良く到達時刻を計測するには△涼録矛廚向いています。しかし、この地震計は地震の波が含むゆっくりした震動(長周期震動)をフィルタ作用で除外していますから、地震の全容を体現していません。いずれにしてもこの情報で、地震源での「ピチッ」という微小な岩盤破壊の始まりの位置を定めることが出来ます。
 一方、岩盤に起きる破壊の全容はむしろ△涼録滅鳩舛鉾娠任靴討い襪塙佑┐蕕譴泙后この波形の特徴は最大振幅が到達時刻から遅れて現れます。ところでCMT解は波形を理論に併せるようにテンソル成分を決めると以前書きました。波形の合致では、最大振幅にあわせることが最優先です。そのためには理論波形の出現時刻をずらせるのです。このずれがCentroid time minus hypocenter timeです。図2の事例に見るようにそれは普通正の値です。ところが9月23日の地震では、P波の到達時刻の前に大きな振幅波が出現してしまったのです。考えられる理由のひつは、この地震が群発地震の中に取り込まれて起きたため、P波の到達時刻が決定しにくかったのではなかろうか、と私は考えています。

+++++英才教育(4、最終回)
 長い記事のもとは週刊科学誌natureです。それを米国科学誌(scientific American)が転載したものを本ブログで紹介してきました。45年間にわたる英才教育から教育心理学者が学んだことは下で読んで頂くとして、そもそも10,000人に一人の英才がどのようにして生まれ、育ったのか?私にはそれが大きな関心事でありました。記事の趣旨と異なる訳が多々あろうかと思います。おかしいと気づいた際には原文を参照ください。

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When Stanley began his work, the choices for bright children in the United States were limited, so he sought out environments in which early talent could blossom. “It was clear to Julian that it's not enough to identify potential; it has to be developed in appropriate ways if you're going to keep that flame well lit,” says Linda Brody, who studied with Stanley and now runs a programme at Johns Hopkins focused on counselling profoundly gifted children.
At first, the efforts were on a case-by-case basis. Parents of other bright children began to approach Stanley after hearing about his work with Bates, who thrived after entering university. By 17, he had earned bachelor's and master's degrees in computer science and was pursuing a doctorate at Cornell University in Ithaca, New York. Later, as a professor at Carnegie Mellon University in Pittsburgh, Pennsylvania, he would become a pioneer in artificial intelligence.
“I was shy and the social pressures of high school wouldn't have made it a good fit for me,” says Bates, now 60. “But at college, with the other science and math nerds, I fit right in, even though I was much younger. I could grow up on the social side at my own rate and also on the intellectual side, because the faster pace kept me interested in the content.”
 Stanleyが彼の調査を始めたとき、米国で“できる子”どもたちの選択は限られていたので、彼は初期の才能が開花する可能性があった環境を探した。“Julianには才能を識別するためにそれが十分ではないことは明らかだった;炎を明るく灯し続けようとするなら適切なやりかた㋾開発せねばならない“と、Linda Brodyは言う。彼女はStanleyの共同研究者であった。そして現在はJohns Hopkinsで大変才能に恵まれている子供達のカウンセリングに関する調査プログラムを進めている。
まずは、多様な努力がケースバイケースでなされた。他の賢い子どもたちの親達が、Batesに関する調査を知った後、Stanleyに接近してきた。その頃、Batesは大学入学後も順調に才能を伸ばしていた。17歳までには、彼はコンピュータサイエンスで学士号と修士号を取得しCornell University in Ithaca, New Yorkで博士号取得を目指していた。後に, 彼は Carnegie Mellon University in Pittsburghの教授として人工知能のパイオニアとなる。
 "私は恥ずかしがり屋で、高校時代、周囲の人間関係による圧力のため、私はうまくいかなかった」”と60歳になったBatesは言う。しかし、大学では、他の科学や数学オタク達と、若かったとはいええまさにピタリとはまった。“私はそれなりのスピードで知的側面と同様に人間関係でも成長した。何故なら早いスピードのおかげで内容への興味を維持できたからだ。"

The SMPY data supported the idea of accelerating fast learners by allowing them to skip school grades. In a comparison of children who bypassed a grade with a control group of similarly smart children who didn't, the grade-skippers were 60% more likely to earn doctorates or patents and more than twice as likely to get a PhD in a STEM field. Acceleration is common in SMPY's elite 1-in-10,000 cohort, whose intellectual diversity and rapid pace of learning make them among the most challenging to educate. Advancing these students costs little or nothing, and in some cases may save schools money, says Lubinski. “These kids often don't need anything innovative or novel,” he says, “they just need earlier access to what's already available to older kids.”
 SMPYデータは、彼らが学校の学年をスキップ(飛び級)し、高速な学習を加速するという考えを支持した。同様によく出来るがそうした飛び級をしなかった子供と比較すると、飛び級した子供は60%以上も多く博士号や特許を獲得する可能性が高く、STEM分野では博士号を取得するのも二倍も可能性が高かった。加速教育はSMPYの一万人に一人エリートでは、共通している。彼らの知的多様性とすばやい習熟ペースは教育でのまさにチャッレンジングな課題になっている。こうした学生達を伸ばすことにはほとんど全く金がかからない、とLubinskiは言う。“これらの子供たちは、多くの場合、革新的なものや小説を必要としない”と。 "彼らは年長の子供たちにとって利用可能であったものに人より早くアクセスするだけだ。」と言う。

Many educators and parents continue to believe that acceleration is bad for children—that it will hurt them socially, push them out of childhood or create knowledge gaps. But education researchers generally agree that acceleration benefits the vast majority of gifted children socially and emotionally, as well as academically and professionally.
Skipping grades is not the only option. SMPY researchers say that even modest interventions—for example, access to challenging material such as college-level Advanced Placement courses—have a demonstrable effect. Among students with high ability, those who were given a richer density of advanced precollegiate educational opportunities in STEM went on to publish more academic papers, earn more patents and pursue higher-level careers than their equally smart peers who didn't have these opportunities.
Despite SMPY's many insights, researchers still have an incomplete picture of giftedness and achievement. “We don't know why, even at the high end, some people will do well and others won't,” says Douglas Detterman, a psychologist who studies cognitive ability at Case Western Reserve University in Cleveland, Ohio. “Intelligence won't account for all the differences between people; motivation, personality factors, how hard you work and other things are important.”
 多くの教育者や親は加速教育は子供には良くないと信じ続けている。-それは、社会的に子供達に害をなし、子供らしさなくし、知識のギャップを生ぜしめるなどなどだ。しかし、教育研究者たちは一般には加速教育を多くの才能有る子供達には社会的にも情緒的にも、更には科学的に、将来のキャリアと言う点からも良いことだと考えている。
 飛び級は選択と言うにとどまらない。SMPYの研究者は、控えめな介入、たとえば、このような大学レベルへの“飛び級コース”のような挑戦的な課題へのアクセスは明示的な効果があるという。STEMで高度な大学相当の教育を事前にうける機会に恵まれたような高い能力を持つ学生はより多くの学術論文を発表し、より多くの特許を獲得しより高度のキャリアを有するに至っている。それはそうした機械に務ぐまれなかった生徒のそれをはるかに凌いでいる。
 SMPYの多くの洞察にもかかわらず、研究者達はまだ天分と成功についてのイメージは不完全のままである。「私たちも、一部の人はうまくやり、他の人はやれていないことの理由をわかっていない」と、 Douglas Detterman, a psychologistは言う。彼はCase Western Reserve University in Cleveland, Ohioで認知能力を研究している。“インテリジェンスは、人々の間のすべての違いを説明しない:動機、人格要因は、どれだけ努力するか、 重要な他の要素などなど”と。

Some insights have come from German studies that have a methodology similar to SMPY's. The Munich Longitudinal Study of Giftedness, which started tracking 26,000 gifted students in the mid-1980s, found that cognitive factors were the most predictive, but that some personal traits—such as motivation, curiosity and ability to cope with stress—had a limited influence on performance. Environmental factors, such as family, school and peers, also had an impact.
 いくつかの洞察がSMPYのと類似の方法論を持つドイツの研究からもたされている。The Munich Longitudinal Study of Giftedness は1980年代半ばに26,000名の良く出来る学生の追跡調査を開始した。その研究で認知的要因が将来予測に関わることを発見したが、いくつかの個人的な特性、例えば動機、好奇心、ストレス解消力が、子供の能力発言に限られた影響を与えることも明らかとなった。家族、学校、仲間と言った環境的要素も一つのインパクトを持っていた。

The data from such intellectual-talent searches also contribute to knowledge of how people develop expertise in subjects. Some researchers and writers, notably psychologist Anders Ericsson at Florida State University in Tallahassee and author Malcolm Gladwell, have popularized the idea of an ability threshold. This holds that for individuals beyond a certain IQ barrier (120 is often cited), concentrated practice time is much more important than additional intellectual abilities in acquiring expertise. But data from SMPY and the Duke talent programme dispute that hypothesis. A study published this year compared the outcomes of students in the top 1% of childhood intellectual ability with those in the top 0.01%. Whereas the first group gain advanced degrees at about 25 times the rate of the general population, the more elite students earn PhDs at about 50 times the base rate.
But some of the work is controversial. In North America and Europe, some child-development experts lament that much of the research on talent development is driven by the urge to predict who will rise to the top, and educators have expressed considerable unease about the concept of identifying and labelling a group of pupils as gifted or talented.
  このような知的才能検索からのデータはまた、人々がさまざまな事柄への専門知識をどのように広げるかについての方法についての知見に役立っている。ある研究者や記者、著名な学者であるAnders Ericsson at Florida State University in Tallahassee そして 作家の Malcolm Gladwellは能力限界と言う考えを広めてきた。あるIQの壁を越えた個人(120が頻繁に引用されている)にとっては、集中的な実践時間が更なる知的能力よりも、専門知識を獲得するにははるかに重要であることを示した。しかしSMPYからのデータとDuke talent programmeはその仮説について論争している。今年発表された調査は、上位0.01%の小児期知的能力にあった生徒の成果を、上位1%にあった学生のそれを比較している。第一のグループは一般人の25倍も多く上級デグリをを獲得しているのに対して、エリート学生のグループの博士号獲得約50倍である。
 しかし、この研究のいくつかは議論の余地がある。北米と欧州では、児童能力開発専門家は、人材開発に関する研究の多くは、誰がトップにのぼりつめるかを予測したいとの衝動によって駆られていることを嘆いている。教育者達は子供の才能のあるなしで子供のグループにレッテルを貼るといったやり方に納得していない。

“A high test score tells you only that a person has high ability and is a good match for that particular test at that point in time,” says Matthews. “A low test score tells you practically nothing,” she says, because many factors can depress students' performance, including their cultural backgrounds and how comfortable they are with taking high-stakes tests. Matthews contends that when children who are near the high and low extremes of early achievement feel assessed in terms of future success, it can damage their motivation to learn and can contribute to what Stanford University psychologist Carol Dweck calls a fixed mindset. It's far better, Dweck says, toencourage a growth mindset, in which children believe that brains and talent are merely a starting point, and that abilities can be developed through hard work and continued intellectual risk-taking.
“Students focus on improvement instead of worrying about how smart they are and hungering for approval,” says Dweck. “They work hard to learn more and get smarter.” Research by Dweck and her colleagues shows that students who learn with this mindset show greater motivation at school, get better marks and have higher test scores.
 「テストでの高得点は、その子が高い能力を有しており、その時点でその特定のテストに良く合致しいることを示しているにすぎない」と、 " Matthewsは言う。“低得点は実際には何の意味も無い”と彼女は言う。何故なら多くの要因が彼らの成績の低下につながっているからだ。その要因としては文化的背景もある。高い賭けにも近いテストを受けることにどれだけの快感があるのだろう。Matthewsは子供の頃の達成感で高・低の両極端に近い子供達は将来の成功という言い方で評価されていると感じているということに疑念を呈する。そうした把握は子供達の学習意欲の崩壊となり、Stanford University psychologist Carol Dweckがfixed mindset (固定したものの見方とでも訳すのか) http://c23.biz/G3ns と呼ぶものに繋がる。Dweckは「子供達の変化成長するものの見方」つまり子供達が脳や才能は単なる出発点であることを信ずることとDweckはいう。「能力はしっかりした勉強とリスクがあろうとも知性を追い求めることで」とDw達成される」と。
“生徒たちはどれだけスマートにそしてどれだけ認められるかを気にするのではなく事故の改善に焦点を当てている“とDweckは言う。”そうすれば、彼らはもっと勉強し、もっと聡明になる“と。Dweckと研究同僚による研究はこの気構えを持った子供達が学校でも大きなやる気を見せ、結果としてテスチで高得点獲得につながっている。

Benbow agrees that standardized tests should not be used to limit students' options, but rather to develop learning and teaching strategies appropriate to children's abilities, which allow students at every level to reach their potential.
Next year, Benbow and Lubinski plan to launch a mid-life survey of the profoundly gifted cohort (the 1 in 10,000), with an emphasis on career achievements and life satisfaction, and to re-survey their 1992 sample of graduate students at leading US universities. The forthcoming studies may further erode the enduring misperception that gifted children are bright enough to succeed on their own, without much help.
“The education community is still resistant to this message,” says David Geary, a cognitive developmental psychologist at the University of Missouri in Columbia, who specializes in mathematical learning. “There's a general belief that kids who have advantages, cognitive or otherwise, shouldn't be given extra encouragement; that we should focus more on lower-performing kids.”
 Benbowは、標準化されたテストが生徒のオプションを制限するために使用されるべきものではなく、子供達の能力にあった学習教育戦略を開発すべきとの考えに同意する。さすれば、子供達は自らの能力を向上させ、自らのポテンシャルに到達できる、と。
来年、Benbow and Lubinskiは、大変優れた才能の子供達(一万人に一人)の中間状況調査をたちあげる。それはキャリアの達成度と生活満足感に力点を置いたものだ。更には一流米国大学院生の1992年調査事例の再調査もする。今後の研究は、子どもたちは多くの助けを借りずに、自分自身で成功するという誤った認識を正すことになるだろう。
 「教育界がまだこのメッセージに抗っている“と、David Geary, a cognitive developmental psychologist at the University of Missouri in Columbiaは言う。彼は数学学習の専門家である。「認知能力など利点に務ぐまれた子供たちには余分な励ましを与えられるべきではない;成果の低い子供たちにもっと焦点を当てるべきだ。との一般的な信念がある」と。

Although gifted-education specialists herald the expansion of talent-development options in the United States, the benefits have mostly been limited so far to students who are at the top of both the talent and socio-economic curves.
“We know how to identify these kids, and we know how to help them,” says Lubinski. “And yet we're missing a lot of the smartest kids in the country.”
As Lubinski and Benbow walk through the quadrangle, the clock strikes noon, releasing packs of enthusiastic adolescents racing towards the dining hall. Many are participants in the Vanderbilt Programs for Talented Youth, summer enrichment courses in which gifted students spend three weeks gorging themselves on a year's worth of mathematics, science or literature. Others are participants in Vanderbilt's sports camps.
“They're just developing different talents,” says Lubinski, a former high-school and college wrestler. “But our society has been much more encouraging of athletic talents than we are of intellectual talents.”
And yet these gifted students, the 'mathletes' of the world, can shape the future. “When you look at the issues facing society now—whether it's health care, climate change, terrorism, energy—these are the kids who have the most potential to solve these problems,” says Lubinski. “These are the kids we'd do well to bet on.”
This article is reproduced with permission and was first published on September 7, 2016.
 才能教育の専門家は、米国における人材開発の選択肢の拡大を語るのであるが、そのメリットはほとんどが才能と社会経済的曲線の両方の上部にある学生にこれまでは限られてきた。
"我々は、これらの子供たちを識別するための方法と彼らを助ける方法を知っている“、とLubinski氏は述べる。"そして、未だに我々は我国の賢い子供たちの多くを見逃している。”と付け加える。
LubinskiとBenbowが中庭を歩いているとき、時計が12時の鐘を打った。学生は一散に食堂へ走った。多くは、Vanderbilt Programs for Talented Youth, summer enrichment coursesの参加者である。そこでは、才能有る子供達が三週間で一年分の数学、科学、文学の学習をする。他の参加者はスポーツキャンプだ。
「彼らは別の才能を開発しているに過ぎない」と、Lubinski, a former high-school and college は言う。「しかし、私たちの社会では、知的才能よりも、競技の才能の育成を励ましてきた」と。
そうではあっても、これらの才能のある学生、世界の「mathletes」達が未来を形作る。「あなた方は現在社会が直面している課題、健康、気候変動、テロ、エネルギなどを見る。こうした問題を解くポテンシャルを持っているのが子供達なのだ。」とLubinskiは言う。
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