法螺と戯言

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東京の古代史、21年五輪中止(IOC決定)、赤木夫人の訴え(森友)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:久しぶりの朝焼けです。オーロラのような形状です。)
朝焼け8564

 
 東京の 古代のありよう わかるかも 拝火教を 思わす地名

 前回記事で、神奈川県の平塚市界隈の古代が、現在にも残る神社名等から推察できることを書きました。その鍵は七世紀前半まで日本列島に大きな影響を及ぼしていたと思われる拝火教(ゾロアスタ教)にありました。東京には多摩川の東岸の岩戸古墳群(狛江市)など多くの古墳・貝塚などがあります。それらは考古学者などの研究者によって丁寧な発掘・調査がなされています。また、JR京浜東北線・王子駅の飛鳥山古墳からも貴重な資料が発掘されて成果は学術誌、又は行政機関の学術刊行物などで公開されています。出土物の分析調査から年代推定されているものも少なくないようです。しかし、それらの「政治的背景」にまで思いを至らしめ、その結果として時代を有機的・体系的に語れるような風景につながる研究は無いようです。
 しかし、18年11月23日の記事で書きましたが、北々西―南々東を向いている拝殿を持つ靖国神社のように都内には時々「シリウス方位」を見かけます。
靖国神社境内 クリックすると境内図を見ることができます。
 前回記事で神奈川県大山の阿夫利神社を書きました。江戸時代に旅費を蓄えられなかった江戸庶民がお伊勢参りの代わりというわけで参詣した神社です。その大山の麓にある「比々多神社」はゾロアスタ教の「水の神霊」である「アナーヒタ」に由来するらしいと書きました。東京には似た名前の「日比谷」という地があります。これは「ヒヒタ」の音写ではなかろうか。実際、徳川家康が江戸に入る前のこのあたりは海の近くすなわち水辺であったことがわかっています。
 また京浜東北線・王子駅の飛鳥山公園はまさに「アスカ」(火を尊ぶスカ一族)です。隣接するのが「足立区」です。「アダチ」は「安達」の転じたものとすれば、「達」は「タル」の音写であることは以前書きました(例えば達磨は「ダルマ」と音する)。とするならば「アダチ」は実は「アタル」です。ゾロアスタ教の「火の神霊」が「アータル」です。八世紀末に現在の岩手県から秋田県にかけて奈良朝廷に激しく反抗した「アテルイの乱」のアテルイはまさに「アーテル」です。乱に敗れた後、アテルイの首は鹿島に飛んでいったと語り伝えられています。アテルイの怨霊は、まさに本拠地鹿島に戻って再起を期したはずです。が、藤原不比等が統帥する奈良軍勢が鹿島を軍事攻略し(常陸国風土記)、その地を藤原不比等は図々しくも、自らの出自の地として後世の民に語らせます。すなわち最も忌むべきいわば仇の人物をわれら常陸国原住民は祀っていることになります。
 それはさておき、東京の古代史を解明する重要な視点を本ブログは提供していると自負しています。
(つづく)

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 昨日、ビッグ・ニュースをyoutube動画で知りました。スイス・ローザンヌに本部を置くInternational Olympic Committee(IOC)会長が、日本の関係者に「来年の五輪を中止する」との決定を伝えてきたというものです。
 東京五輪中止で明らかになる超不平等オリンピック契約。既にIOCから日本に中止通達済みで動き出す利権の火事場泥棒。元博報堂作家本間龍さんと一月万冊清水有高。

 中止後の処理について、上記動画は日本側が五輪開催に当たってIOCから押し付けられた不平等な契約について言及しています。
あまりにも不平等なIOCと東京都の「開催都市契約」は、上の動画で語られているようにすさまじい、いかにも白人の黄色人観をうかがわせる露骨な上から目線です。

 日本では電通、そして国外の大手組織が金儲けの機会とばかりに禿げ鷹のように群がっていたことを想像させます。それでも損は無いと安倍氏と前任の都知事たちが、こうした屈辱的な契約を締結してしまったわけです。
 上の動画でも明らかなように中止決定の理由は新型コロナ感染の急拡大にあると想像できます。さて、その感染、最近は“goto eat” なるわけのわからない英語で日本中が浮き足立ち、コロナ恐怖はどこぞに吹き飛んだかのごとくです。が、欧州の感染暴発は近日中に日本に波及します。何せ、外国からの入国受け入れについても制限を緩和し拡大してしまっているのですから。
 再度のコロナ国内感染拡大の環境下にもかかわらず、あの正義の医師児玉龍彦先生は奮闘しておられます。
ウィズアウトコロナへ 〜経済を動かし日常を取り戻すために【児玉龍彦×金子勝 新型コロナと闘う】20201013 
 

+++++赤木雅子さんの訴え
 安倍氏辞任に伴って安倍氏が犯してきた数々の犯罪の一つ森友国有地不当安価払い下げに関わる一連の事件についてジャーナリズムは騒がなくなりました。しかし、どっこい、無念の思いを抱えて自死された財務省近畿財務局・赤木俊夫氏の夫人雅子さんが果敢にも真実解明のために裁判所に訴え出ています。先日、その二回目の公判が開かれ、それを元NHK 記者 相澤冬樹氏がレポートしています。
%%%%%「私と夫の立場に立って」赤木雅子氏に3人が目線を向けた 公開日:2020/10/16 06:00 更新日:2020/10/16 06:00
 財務省の森友公文書改竄事件を巡り、上司に改竄をさせられたことを苦に命を絶った近畿財務局の職員、赤木俊夫さん。その妻、赤木雅子さんが国などを訴えた裁判で赤木さんは、夫の死の真相につながる情報の提供を国に求めた。ところが国は「損害賠償のためには改竄の経緯や内容などの事実は必要ない」と拒否してきた。

 そこで14日の法廷では急きょ赤木さん本人が意見を読み上げた。被告席に国の代理人の訟務検事や財務省、財務局の担当者がずらりと並ぶ中で。

「国は、夫が改竄に追い込まれた具体的経緯や、夫が作成した(改竄に関する)ファイルやメモが存在するかどうかについて、回答する必要がないと主張しました。私はこの回答を聞いて、夫のことがかわいそうになりました。涙があふれました。夫が亡くなった真相を知りたいとお願いしているのに『そんなこと知らなくていい』と言われた感じがします。お願いですから私と夫の立場に立って下さい。皆さんの大切な夫や妻や子どもが自殺に追い込まれたことを想像して下さい。『そんなこと答える必要はない』という回答がどれだけ遺族の心を傷つけるか想像できると思います。私は真実が知りたいだけです。夫が作成したファイルやメモを開示し、自殺に追い込まれた具体的な経緯を教えて下さい。よろしくお願い致します」
その間1〜2分ほど、私は傍聴席でじっと見つめていた。赤木さんではなく、向かい側の国の代理人たちを。彼らがどんな表情、しぐさで、赤木さんの声を聴くのか見届けるため。10人以上いる代理人たちは手元の書面を見つめていた。だが赤木さんが「私と夫の立場に立って下さい」と読み上げた時、その中の3人だけ、すっと目線を赤木さんの方向に上げた。「皆さんの大切な夫や妻や子どもが自殺に追い込まれたことを想像して下さい」と続く言葉に、物思いにふける様子を見せる人もいた。どんな立場の人にも感情が、心がある。赤木さんの魂の叫びを受けて、思うところがあったのだろう。

 裁判が終わり法廷を出る時、赤木さんは被告席の横で国の代理人たちに声をかけた。「これからよろしくお願いします」……すると数人が戸惑った様子ながらも「よろしくお願いします」とお辞儀しながら言葉を返した。気持ちが通じたように赤木さんは感じた。きっと裁判もうまくいくに違いないと。
相澤冬樹大阪日々新聞・元NHK記者
大阪日日新聞(新日本海新聞社)論説委員・記者。1962年宮崎県生まれ。東京大学法学部卒業。1987年NHKに記者職で入局。東京社会部、大阪府警キャップ・ニュースデスクなどを経て現職。著書『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由 』(文藝春秋)がベストセラーとなった。
森友遺族・夫の死を巡る法廷闘争記
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 参考までに今般の裁判を後押しした相澤記者が以下の動画で語っています。
緊急特集 赤木さんの真実 〜「森友」を忘れない 200324

<<番外>>三浦半島〜横浜の悪臭騒ぎと相模国・二宮「川匂」神社

<<番外>>
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 最近の数回の記事で「西暦六世紀後半」に相模湾で巨大地震が発生していたのではないかとの「推論」を書きました。そんな折横須賀界隈で悪臭騒ぎが起きたので、何人かの方々が本ブログに関心を抱いてくださったようです。そこで、番外として関連過去記事をまとめておきます。初めて本ブログに足をとめてくださった方々には耳慣れない表現が使われていると思います。が、本記事ではそれらへの説明に字数を費やしません。解説・補足に追われ大筋が見えなくなる事を危惧するからです。また、図の挿入は理解を助けますが、それらは元ブログ記事で掲載しているので、それもここでは割愛します。疑問点については、本文の記事を参照くださるか、本ブログ管理人宛にメール(上記)をお送りください。

 日本列島古代史の話を前書きとする。四世紀半ば過ぎから七世紀半ばまでの日本列島には遠く西域ペルシアからの民が渡来し、日本列島古代政治史に本来であれば書きとめられるべき活動をしていた。六世紀半ばごろには、彼らは鹿島を中心とする東国と熊本を中心とする西国に分割して統治していた。しかし、奈良盆地内には、この勢力の支配を拒絶する勢力が存在した。この力の配置関係を変えたのが六世紀末に大陸中国に勃興した隋である。隋は七世紀はじめに日本列島内の力関係に干渉を始めた。具体的には奈良盆地の勢力を唆し、ペルシア系渡来一族の殲滅行動をはじめた。西暦618年に隋は滅びたがその活動を唐が引き継いだ。奈良盆地勢力は、唐の援護をうけ渡来一族を「蝦夷」(えみし)と蔑称し、七世紀半ばから八世紀初頭までの半世紀間にわたり、「蝦夷」の殲滅・征討の軍事行動をくりかえした。最大規模の戦闘は熊本を舞台とした「壬申の乱」、そして日本書紀は書かないが七世紀末の常陸国侵攻である。尤も一部の知識人、技術者は奈良盆地勢力によって保護された。稗田阿礼はその一人で、七世紀半ば以前の東国・西国の政治を奈良勢力に語った。これが古事記の「誦口」である。蛇足であるが、この征討は執拗残虐をきわめ、それが引き起こした一例が八世紀末のアテルイの乱である。残虐殺戮行為からの祟りを恐れて鎮魂のために興されたのが「天照大神」信仰であり、仏法の興隆である。

 西域ペルシアからの渡来民はゾロアスター教を信奉しており、天空のシリウス星を拝謁することでご神託が授けられる。この証拠が日本列島に多く残されている。松本清張の小説はとりわけ知られているが、故伊藤義教・京都大学名誉教授の古代ペルシア語解読を通じた研究は詳細を極めている。一方、地上にも厳然とその証が残されている。
 一つは、地名である。これについては後述することとして、遺跡・古社の配置である。茨城県には一宮の鹿島神宮、二宮の静(しず)神社、三宮の吉田神社という三大古社がある。この三社は北々西―南々東を向く「直線上」に驚くほどの精度で配置され、その延長上に茨城県の最高峰・八溝山頂がある。同様は、福島県須賀川市の西に位置する古社群でも確認できる。さらには、埼玉県行田の埼玉古墳群を構成する稲荷山古墳とその南々東に位置する埼玉県・志木市の宮戸神社でも認められる。
 測地学で使われる球面三角法で以って、これらの方位角を算出すると、その値は微妙に異なる。この方位角が地球上から見たシリウス星の夏至日・深夜の天空上の位置であると考えると、それらの違いが理解できる。シリウス星は恒星であるので天空上では固定されていると仮定できる。一方地球は、回転軸のふらつき、公転軌道もふらつく。その結果地上から見るシリウス星が天空上でゆっくりと位置を変えているように見える。太古の昔のシリウス星の位置がローマ時代の古代文書などから推定できるので、上記の方位角が観測された年代推定を可能にする。

 そうして得た推定年代が下記である:http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/52153682.html
 須賀川・二等辺三角形・中線(福島県):374年(19年9月23日記事 
飯豊山―伊佐須美神社(福島県、陸奥国二宮):450年(19年9月23日記事)
八溝山―鹿島神社(茨城県、常陸国一宮):464−531年(18年2月5日記事)
稲荷山古墳―宮戸神社(埼玉県志木):519年(18年2月12日記事) 
嵯峨愛宕―箸墓古墳(京都・奈良)570年(20年5月10日記事)
雷山―八代(福岡・熊本):657年(18年8月8日)
(八溝―鹿島線の二つの値の意味:八溝山での観測開始年が464年ごろ、鹿島への到達年が531年ごろという意味である。このほか、白山―白山比弯声辧△覆鼻多数の計算結果がある)
 シリウス星方位から推定した各地の年代から、北の地では古く、南では新しいことがわかる。すなわち、ここで議論の対象となっている渡来民は朝鮮半島を経て日本列島にやって来たのではなく、北から北海道又は東北日本に上陸し南に下ったことを思わせる。

 以上が、これから書く相模国論議の前段である。北から南下した渡来民は常陸国・鹿嶋に最重要拠点を置き周辺に二次拠点を設営した。埼玉県の志木は渡来民西進の二次拠点であり、そこから相模・武蔵国に進出した痕跡が認められるはずである。以下はその考察である。
 相模国に認められるゾロアスタ教の遺物の筆頭は大山・阿夫利神社である。この呼称はゾロアスタ教の最高神アフラ(英知)・マズダ(天の)に由来する。アフラを中心にして西に松田、東に町田を配する。町田の東にはもう一つのアフリ(麻生里、現在の川崎市麻生区)があるがここではそれには触れない。阿夫利神社が鎮座する大山の南麓に三つの古社とそれらに囲まれた石神(いわのかみ)を祀る神揃丘http://vbsoft.sub.jp/hana/fuusui3.html がある。この石神の丘を設けるにあたってシリウス星の神託を仰いだとすると、その方位角から西暦570年ごろとの年代が推定できる。この丘の呼称は「カミゾロイ」で、ゾロアスタ教に由来すると想像できる。鶴岡八幡宮は頼朝以前からゾロアスタ教に関わる陣屋が存在したことは確かで、その設営位置の決定では、北々星にある富塚八幡宮でのシリウス星神託に仰いだとすると、これも西暦570年ごろ、すなわちほぼ同時期となる。

 同一時期に相模湾沿いの異なる地点でシリウス星神託を仰がねばならない状況といえば、天変地異の発生である。すなわち巨大自然災害である。しかし、台風、洪水はほぼ毎年起きるので特別な礼拝所を設ける必要はなかろう。とすればそれは巨大地震しかない。そこで、改めて阿夫利神社の南に配される三古社を見ることにする。一宮である寒川神社は相模川の東岸にあり、祭神は未詳である。二宮は川匂神社(かわわ)で、JR東海道線「二宮」駅から遠くない。祭神は風の神とされる。まさに「匂い」を運ぶ神である。三宮の比々多神社は阿夫利神社と寒川神社の中間にあるが、その祭神は不明である。

 ところで、ゾロアスタ教の神々はヒエラルキ構造を形成している。最高神は上述のアフラ・マズダで二層目にアムジャ・スプンタ(大天使)、そして三層目に「ヤザダ」(ヤツド)と称される諸神霊が配されている。第三層は心霊面と物質面にわかれ、物質面は八つの神霊からなっている。八神霊の一人(?柱と書くべきか)である「地の神霊」は「ザム」で「寒(さむ)川」を連想させ、「大地震動」への畏怖をシリウス星に表明し救けを懇願した社屋と考えられる。「水の神霊」は「アナヒター」であり、その音は「比々多」を連想させ、それは大津波に加え湘南海岸に注ぐ河川を伝う津波の遡上への恐怖をシリウス星に訴えた屋であったと思われる。
 さて残る川匂神社(かわわ)の祭神は風であり、それは「ワユ(風の神霊)」と呼ばれる。神社名の由来は、風がそもそも「匂い」を運んできたとの故事ではなかろうか、と想像できる。
 何せ1500年以上も昔の出来事ゆえ、確たることを言えないことをお断りしておく。

 房総半島の階段状の隆起痕、三浦半島に残る幾重もの断層痕は、西暦六世紀ごろの地震発生を否定しない。また日本書紀欽明天皇二八年(五六七)紀には「郡国大水。飢。或人相食。転傍郡穀以相救。」なる記事があり、ここでいう大水は大津波ではなかったかと想像できる。周囲の文脈からは「郡国」がどこにあるのかは推定できない。が、近畿の嵯峨愛宕山―箸墓古墳線構築が同時期であるので、この地震は東海地方から広く東南海域にまたがった地震であったのかもしれない。この事件は渡来民と奈良の勢力との激しい戦闘が始まる70年ほど前に起きている。


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九月末の静岡地震、同一労働・同一賃金判決の考察(安富歩教授)

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(写真:昨日朝の寒さに身を縮める我が友・鷺ちゃん。拡大は図のクリックで)
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 悪臭の 元はどこだと 探せども 大気の成分 決め手にならず

 三崎―横浜に漂う悪臭源を大騒ぎしている中、静岡で地下からの湧水が発生しているとの報道に接しました。話は三浦半島から西に広がる雰囲気であります。
%%%%%静岡で「2011年以来」の異常な湧き水。首都圏大地震の発生は近いのか?ライフ2020.10.14 by gyouza(まぐまぐ編集部)

12日のJR横浜駅「ガス臭」騒動や、6月からの横須賀市など三浦半島周辺での「異臭」騒動がワイドショーなどで大きく報道される中、富士山の近くで新たな異常現象が起きている。静岡県のローカルテレビ局「テレビ静岡」によると、富士宮市の住宅街で湧き水が異常なほど湧き出している現象が7月頃から発生しているという。関東から富士山周辺の地下で今、一体何が起きているのだろうか?
【関連】横浜駅「異臭」は地震前兆か?関東大震災でも三浦半島に「ガス噴出」の記述
静岡・富士宮市で床下浸水が起きるほどの湧水異常
テレビ静岡が9月25日に報じた「長雨の影響か 静岡・富士宮市で湧水異常 住宅街にあふれる 床下浸水も」という記事によると、富士宮市淀師(よどし)にある同市が所有する土地で、7月頃から大量の湧き水が出るようになったほか、周辺の住宅10軒ほどでも同じように異常な湧き水が発生しているという。中には床下浸水まで起きた場所もあったとしている。
この富士宮市の湧き水騒動、実は今回が初めてではない。1998年と、9年前の2011年にも同じような湧き水騒動が50カ所で起きていたことが判明している。
2011年といえば3月11日に東日本大震災があった年である。実際に富士宮市で湧き水が発生したのは2011年の9月だというから直接の因果関係はないが、大震災の4日後の3月15日、富士宮市ではM6.4震度6強(深さ14km)という巨大地震が発生している。3.11の影に隠れてあまり大きく報じられなかったが、この地震は後に「静岡県東部地震」と名付けられた。
同年9月の湧き水は、この大地震の影響で湧き出した可能性も否定できない。と考えると、今回の湧き水は今後発生するかもしれない地震の「前兆」の可能性はないだろうか。現在、関東と富士山周辺の地下では、何か大きな変化が起きているのかもしれない。
井戸水や地下水の水位と地震の関係は?
以前より、井戸水や地下水の水位の変化が地震の前兆現象の一つとして注目されている。あの3.11が発生する約20日前と2日前、ツイッターには岩手県内で以下のようなツイートが投稿されていた。
 これが、のちの東日本大震災の前兆だったのかは定かではないが、神奈川県内の異臭、千葉県内での磁力の低下、そして富士山近くの湧水異常と、地震の前兆を思わせる現象が続く今、巨大地震発生の備えは急務ではないだろうか。
%%%%%ネット記事転載終わり

 通常と異なる現象が西に広がるとなると、思い出すのが9月27日の静岡県の地震です。
(図1:防災科学技術研究所Hinet より。拡大は図のクリックで)
200927静岡無題

 
( 図2:気象庁9月月例報告http://www.jma.go.jp/jma/press/2010/08a/2009kanto-chubu.pdfより。拡大は図のクリックで)
20200927静岡200927無題

 この地震で思い出すのが1917年(大正6年)ほぼ同じ場所で起きた地震です。
(図3:1917年静岡県中部地震、「地震学」(宇都徳治著、共立全書)226頁。拡大は図のクリックで)
浜名湖地震8490

 
 この地震について「地震の辞典」(朝倉書店)613頁は以下を書きます。
「M6.3 、静岡市でレンガ塀、レンガ煙突の被害多く清水、江尻でも同様の小被害あり、防火壁の倒壊により死者2、地裂あり、志田がP波初動分布の規則性を発見した地震」
 とあります。上の図で黒丸はP波初動が地面を下から突き上げる方向であったこと、白丸は地面を下方にひっパリ降ろす方向であったことを示します。実際、この志田順(京都大学)の発見が日本の地震学を世界のトップに押し上げる理論活動に導いたことで知られています。図1又は2に書き込まれている円(発震機構機解)は、この理論成果によります。それを図3と比べると、1917年の地震と103年後の今般の地震のそれはほぼ同一であり、本州下にもぐりこむフィリッピン海プレート内部で起きたようです。
 1917年の地震から6年後に関東大地震が起きています。フィリッピン海プレートが東京湾下にもぐりこむ正にその領域で起きていると理解されています。私が、本ブログで示唆している相模国での西暦六世紀後半の事件もそれが巨大地震とすれば、それはこのフィリピン海プレートの地震の運動、すなわち、1923年の巨大関東地震と同型であるらしいということになります。

 最後に最近2年間弱のこのあたりの地震活動を気象庁データベースを使って掲載しておきます。
(図4:広域の地震活動、2019年1月1日―2020年10月15日、M>2.0。拡大は図のクリックで)
20101717Seis-Mapjmad19_201016

 青線で示す矩形領域内の地震活動について、その時間経過を眺めたものが下の図です。
(図5:時間・空間分布。拡大は図のクリックで。)
20101717t=  0 a=  0 T200

 図でx−軸は、図4の左隅上から下(南)に引いた線を表し、y−軸は図の上方左隅から右(東)に引いた線を表しています。図の底面は2019年1月1日の地震活動であり、時間は上方に進みます。したがって、直方体の上面は昨日(2020年10月16日)を表します。この直方体をいろいろな角度から眺めると地震活動の時間的変化をつかめるはずです。これまで、手動で視点を動かし、それをビデオで撮影したものを掲載したことがあります。あるいは少しずつ動かし、それをコマドリシテGIFで表現もしましたが、どうも面白くありません。なんとかうまい表示方法がないものかと思案しております。

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 TVドラマ「半沢直樹」で取り上げられた幹事長スキャンダルと酷似した事件が現役の自民党幹事長をめぐって起きていたことが報じられています。
%%%%%二階俊博幹事長の後援企業が“和歌山カジノ”隣接地3000坪を買っていた
10/14(水) 16:01配信
 和歌山県が名乗りを上げているカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致を巡って、同県選出の二階俊博自民党幹事長の40年来の後援企業が、周辺の山林約3000坪を買っていたことが、「週刊文春」の取材でわかった。 【地図】二階幹事長の後援企業が所有する山林とIR予定地  IRが誘致された場合の予定地となっているのが、和歌山市南部に位置する人工島、和歌山マリーナシティ。ここから橋を渡ってすぐの山林が当該土地で、車で約3分の距離にある。  地元の不動産業者が解説する。 「この山林は、マリーナシティ開発のときに地元のディベロッパーも目をつけていたところです。夕焼けが美しく景観が綺麗なため業者としては手を付けたい場所ではあるのですが、開発許可が下りていないと聞いている。維持管理費や固定資産税のことを考えれば、坪単価1万円の約3000万円で買っても赤字になるので、なかなか買い手はつかないと思う。ただ、行政の開発許可が出るようなウルトラCがあれば、その価値は10倍にも跳ね上がるのではないか」  目下、IR誘致を巡っては、横浜市、大阪府・市、長崎県らが名乗りを上げているが、二階幹事長の地元・和歌山県がここにきて有力とされている。和歌山県がIR誘致に成功すれば、当該土地の地価は跳ね上がる可能性がある。  土地を取得しているのは、株式会社「和通」。社会福祉事業などを手掛ける和通グループの中核企業だ。3年前に亡くなった先代社長は、二階氏が和歌山県議時代から40年来の後援者であり、葬儀の際は二階氏自らが葬儀委員長を務めた。また、二階氏の政策秘書を務める長男は、和通グループ内の社会福祉法人の評議員を兼任しており、衆議院に兼業届けを提出している。  和通グループとの関係や、土地取得の経緯について二階氏に尋ねると、書面で概ね以下のような回答があった。 「(和通所有の)土地については全く承知していない。(先代社長には)選挙の時に報道対応を長年にわたりご担当いただいた。長男は(和通グループの社会福祉法人の)当初は理事、その後、評議員(いずれも無報酬)です」  先代の息子である和通の現社長に尋ねると、「先代が老人ホームを計画し、知人の不動産屋より(当該土地を)購入しました。市街化調整区域であるため、老人ホーム以外の用途の建物は建てられないと聞いています」と書面で回答した。  IRを巡っては、二階派の秋元司衆院議員が逮捕されるなど、激しい誘致合戦が繰り広げられている。和歌山県IR事業者募集要項には、<来訪者をIR区域外に誘導するための仕組みを構築すること>とあり、和歌山県が誘致に成功した際には、周辺地域のためにどのような対応をとるのか、注目される。  10月15日(木)発売の「週刊文春」では、カジノ予定地のもう一つの隣接地域を所有する関西電力と二階氏の関係、9月に田中角栄氏を抜いて幹事長在任最長記録を更新した二階氏の最近の言動や、IR誘致を巡る動きなどを、6ページにわたって詳報している。
%%%%%「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年10月22日号
【週刊文春】「二階幹事長の土地疑惑、まさに半沢直樹!!」


+++++同一労働。同一賃金をめぐって
今週二つの相反するような判決が最高裁によって審決されました。二番目の判決は昨今の権力にひたすら寄り添う最高裁判所の判決とは思えぬほどの「進歩的」なものでした。どうなってるんだろうかと、いぶかっていたところ、安富氏がその「疑念」を解きほぐします。どうやら結果として「竹中平蔵」路線に沿ったものであるらしいことを安富氏は解き明かしています。
(図5:10月14日付け東京新聞)
東京14日8551

(図6:10月15日付け東京新聞)
東京15日8552

 この最高裁判決、とりわけ16日に報ぜられた判決について安富氏が衝撃の考察をしています。
東大教授と語る【日本郵政格差解消とその影響】格差と差別で成り立ってきた日本経済と社会を破壊する衝撃。格差是正は良い事だ。しかしその衝撃に日本は耐えられるのか?安冨歩教授



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欽明二十八年紀が書く大水は津浪?、いよいよ特高警察のお出ましか!

 
(記事の更新は当面不定期です。ご意見は ryuuzaki_i@yahoo.co.jp へお寄せください)
(写真:霧の朝。拡大は図のクリックで)
朝霧8534


 警察が 統治に乗り出す きっかけは まさかと思った 学問の舞台

 老齢にも関わらず、ついつい夜中の蹴球試合を観戦してしまいました。脇にはいつもの通り安焼酎とつまみの煮干です。元鹿島アントラーズの私が贔屓にする二選手で決勝点を挙げたことはうれしく思いました。が、大きく世界の桧舞台で活躍してほしい久保選手が後半早々に引っ込められました。しかし、無能な森保一監督が外国スポーツジャーナリズムからほめられているとのこと。不愉快ですな。そういえば、今回はあのわざとらしいメモ帳持参の采配はありませんでした。どこぞから「あのパフォーマンスをやめろ」なぞと叱責されたのかもしれません。

+++++稲城(3)
 前々回、および前回記事では、西暦570年ごろ(シリウス方位から推定した年代)に相模湾に大きな地震が起きたのではないかの想像を書きました。同年代の欽明天皇二十三年紀記事(日本書紀編年では西暦562年)は、朝鮮半島で倭国支配下にあったとされる任那が新羅から攻撃を受け、同地を支配された云々(でんでん)なる出来事を書いています。日本書紀の頁を更にくくると日本書紀・巻十九・欽明天皇二十六年紀に以下の記述があります。
原文:
欽明天皇二八年(五六七)郡国大水。飢。或人相食。転傍郡穀以相救。

文意(岩波文庫「日本書紀(三)」340頁:
欽明天皇二八年(五六七)に郡国(くにぐに)大水いでて飢えで苦しみ或人は相(とも)食いもせり。傍の郡(こおり)が穀を以って、救ける。

 西暦567年に「どこぞで大水発生」との記事です。これぞ、相模湾に発生した巨大地震が引き起こした巨大津浪ではなかろうか!との短絡思考に走りたくなります。しかし、本ブログでは日本書紀の編年には「仕掛け」が施されており、その記載には注意深い精査が求められると書いてきました。
 自分の描く歴史のシナリオにそぐわないと「これは記紀に施された捏造」であると言いながら、都合のよい記載にはそれを「無条件に認めてしまう」というのが在野の歴史愛好家の「やり口」です。こうした非難をなんとかかわせないものか?

 岩波文庫版校注者はこの条について「漢書の一文の丸写しである」と、解説で書いています(同書342頁)
 確かに漢書は以下を書いているとのことです:
 漢書元帝紀、初元元年九月条の文「関東郡国十一大水、飢。或人相食。転傍郡銭穀以相救」

 日本書紀にあっては、上記の記事は、二十六年の高麗人の帰化(落ち着き先不明)、三十年は「租」に関する記事というわけで前後の関連性は全くありません。脈絡のない記事の列記に挟まれた記事の中から、こうした短文を漢書に見つけたのです。この短文を見つけ出したのは日本書紀・編纂者、具体的な執筆者ばかりではありません。1200年後の現代にあって、漢書出典を見つけた校注者にも感心してしまいました。
 私は、「大水」の事件は西暦567年に実際に起きており、一世紀半近くに渡ってその災害は伝承されていたと想像しています。「大水」は津浪であり、それは相模川を陸地奥まで遡上してのではなかろうか。藤原不比等は自らが指揮を執って編纂する日本列島政治史の信憑性獲得のため、特に史書の中で脈絡はないものの、この史実をしかるべき「年」に埋め込んだと考えています。伝承は詳細を伝えないので、当該執筆者は「漢書」の表現を探し出してそれを挿入したのです。
まとめますが、相模湾で発生した大地震とそれに伴う大津波および海水の遡上によって住民に多大な被害があったと仮説します。その災害鎮静のために「神揃山」にまずはティッシュタル(シリウス星)を恒常的にあがめていることの証を設営したのです。同じ目的で鎌倉にも設営されました。それが西暦570年ごろ、すなわち六世紀後半です。さらには、災害の形態に応じて、大水に抗する「アンーターヒ」神を祀る聖所が設定されたと思っています。この名称が土着の民に語り継がれ、後年その地に「多々比神社」なるものが建造されたけれども、それが「大水」からの災害を除けることは忘れられた。大地の揺れからの恐怖から民を守るはずの「サブ」神の聖所も同様な経過を辿りその音写として漢字に「寒」をあて、後年「寒川」神社なるものが作られたと想像しています。しかし、これについてもその由来までは近隣の民には伝えられず、誰を祭神とすべきかに困惑したはずです。そうした経緯を想像させるのが上記二つの神社に関するウイキ記事です。
 川匂(かわわ)神社については、祭神が「風」であることを考慮して前回記事で私の想像を書きました。本日以下のような記事をインタネットでみつけました。どうやらこのところ大きな話題となっていた異臭の成分はわかりつつあるそうです。しかし、その発生元は不明です。調査当局によれば、次は三浦半島から横浜にまで及ぶ広域の「臭い」現象の解明に入る、と記事は書いています:
参考:解明に大きな一歩!「横浜の異臭」採取&分析がついに初成功した意外な理由
前回の10月11日記事,「六世紀末に相模湾で大地震が発生した(川匂神社と異臭)?」,で書いたことを裏付けるような記事をネットで見つけたので紹介しておきます。
参考記事:文献が示す「異臭」と「地震」の関係 神奈川で相次ぐ異臭騒ぎ 関東・阪神淡路大震災の前後に“ガスの記録”


 ここで、 鎌倉・湘南を離れ、日本書紀・垂仁天皇五年(丙申前二五)十月己卯朔に登場する「稲城」考察に戻ります。そもそも「稲城」に着目した理由は相模国の東にあった麻生里(現在の川崎市麻生区)の存在です。これは、ゾロアスタ教の影響領域が大山阿夫利を中心として東西に広がっていたことを示すと考えています。東の端にある麻生里の北隣は「稲城」(現在の稲城市)です。日本書紀は二つの「稲城」を書きます。古代史研究者は「稲城」を「稲を積み上げた城」であるとして、歴史研究の対象として詳しく考察していません。たとえば、「稲城」を「イナギ」と訓まず、「イナシロ」と訓むならば、それは福島県の「猪苗代」と同義である可能性があります。これについては後日検討します。
 さて日本書紀で最初に登場する稲城(9月29日記事 )について垂仁紀を再掲します。
%%%%%文意(岩波文庫「日本書紀」(二)28頁):
紀元前25年冬十月、垂仁天皇は来目に行幸し高宮にいた。ある時天皇は皇后の膝枕で昼寝をしていた。皇后は既に成事をなすことはないと考えていた(中略。耳穴の掃除をしながらうっかりと涙をこぼすなどの挙動を不審に思った天皇に謀反を白状してしまう)。天皇は「是は非汝罪也。ただちに近県の卒をひきいて上毛野君の遠祖である八綱田の命じて兄である狭穂彦を撃つよう命じた。狭穂彦も兵を興して反撃し忽に稲をつんで城をつくる。其堅きこと破ることができないほどであった。此が謂稲城也。実に月をまたがって抗戦した。皇后悲しんで曰く「吾は皇后であるが兄王が亡ければ。面目がなく、天下の地位にいることはできない」と。王子である誉津別命を抱いて兄王のいる稲城にはいった。天皇は軍勢を増強し其城を包囲し城中に向かって曰く「ただちに皇后と皇子は城から出よ」と。然し、出てこないので、将軍八綱田は火をはなち其城を焚く。

 原文は上掲の9月29日記事で書いたので、省略します。
%%%%%文意おわり
 
 岩波文庫「日本書紀」(二)校注者は、和名抄を引いて天皇が行幸した木目(くめ)は「大和国高市郡」であると書きます。この天皇は日本書紀に従えば美麻貴天皇の三男で磯城・瑞垣に出生し和名は「活目入彦五十狭茅」(いくめいりひこいそさち)天皇です。「いくめ」は「木目」と同じ由来と思われます。本ブログでは美麻貴天皇は現在の埼玉県『志木=磯城』に設けた陣屋から常陸国の軍事侵攻の出撃したと書いてきました。
 このことを念頭において冒頭の「天皇幸来目」を考察します。「来目」は学者さんが言うように奈良県とは考え難い。それは埼玉県志木に使い場所ではなかろうか?そうです、近くに「久米」という地があります。
(図:東京都と埼玉県の境界に位置する「久米」。拡大は図のクリックで)
200929久米無題

 ウイキなどによれば「クメ」は「久米」とも漢字表記されて江戸時代以前からの地名であることがわかります。そこで、次回には、狭山湖周辺域を少し探索することにします。
(つづく)

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 さて、冒頭に掲載した駄首に関わる記事と動画です。
 今般の学術会議会員任命問題の裏の仕掛け人は79歳超高齢の警察官僚であるとのこと。つい最近までどろどろの暗闘が展開されていた新東大総長選出の問題の影にもこの人物の采配が及んでいたのではなかろうかと疑っています。
 警察国家は権力者にとってはその権力維持のための最高の「仕掛け」です。戦前の「特別高等警察」を想起するだけで十分です。これまでは安倍晋三氏の無能さに目を奪われて、警察支配の浸透に気づかされなかったんですな。それが菅政権になり公然と姿を現したんです。学術会議会員任命問題そのものはたいした問題ではないと高をくくっていましたが、どうやら菅氏には先を見通した深い戦略があるようです。
%%%%%「学者6人排除」の真犯人 “陰の総理”杉田官房副長官の思惑 公開日:2020/10/14 13:20 更新日:2020/10/14 13:20
 やっぱり、この男だったのか――。日本学術会議の任命拒否問題を巡り、学者6人排除の「真犯人」に浮上した杉田和博官房副長官。霞が関の幹部人事を一手に握り「陰の総理」「官邸の守護神」と呼ばれる警察官僚だ。安倍政権のこの8年間、官邸ポリスが暗躍していたとみられているが、とうとう学問の領域にまで手を突っ込んできた形だ。菅政権の“恐怖政治”は一気に加速している。

 ◇  ◇  ◇

 加藤官房長官は13日、学術会議の人選の起案について「事務方に任せていた」と説明。事務方トップの杉田氏が6人を選んだのは間違いない。

 杉田氏は警察庁出身。公安畑を歩み、“カミソリ”と恐れられた後藤田正晴元官房長官の秘書官も務めた。ゴリゴリの警察エリートだ。

 第2次安倍内閣がスタートした2012年12月から官房副長官を務め、就任から丸8年を迎える。すでに79歳の杉田氏は「12年の安倍首相就任会見中に倒れたこともあり、令和への代替わりが終わったら辞めるとみられていた」(永田町関係者)が、官僚組織を押さえるために安倍前首相が慰留。菅首相も続投を望んだという。一体、どんな人物なのか。

「本質は典型的な公安警察です。怒った時の迫力は相当なものだといいます。以前、文科事務次官だった前川喜平さんに『君、そんなところ(出会い系バー)に行っているのか。今後注意しろ』と、クギを刺したのも杉田さんです。その一方、フランクで物腰が柔らかい人物を『装える』人です。官僚として優秀なのは確か。内閣人事局のトップとして霞が関の局長クラスの人事はもちろん、天下り先まで差配している。官僚は皆、杉田さんの顔色をうかがっています」(官邸事情通)

 高齢の上、体調不良がくすぶっているが、後任の“本命”だった前官房副長官補の古谷一之氏(財務省)が公取委員長に就いてしまい、後釜がいないという。

「菅官邸としては『桜を見る会』や『ジャパンライフ』など、問題が目白押しなので、杉田さんを使って警察を握っておきたいのが本音でしょう」(霞が関関係者)

 今回、突如として杉田氏の名前が表に出てきたのは、官邸サイドの計算もあるという。

「野党は26日召集の臨時国会で菅首相を追及するだけでなく、杉田さんの参考人招致も求めています。ただ、官房副長官は慣例で国会に呼ばれないことになっている。つまり、杉田さんを矢面に立たせれば、学者6人を外した人選に菅首相は直接関わっていないとダメージをコントロールできる上、野党は杉田さんを追及できないので問題をウヤムヤにでき、得策というわけです」(前出の官邸事情通)
官邸は逃げ切り画策
 直近のNHKの世論調査によると、支持率は内閣発足直後から7ポイントもダウンしているのだが、官邸は「逃げ切れる」「大丈夫」とタカをくくっているという。

「官邸は任命拒否問題について、『国民はそんなに怒っていない』と考えているようです。というのも、任命拒否の撤回を求める署名が14万筆で、『女性はいくらでもウソをつける』発言で大炎上した自民党の杉田水脈議員の辞職を求める署名とほぼ同じ数だったからです。そのレベルの批判だから、黒川前検事長の定年延長問題ほど大きくならないと見ているのです」(政界関係者)

 6人の学者を直接排除したのが杉田氏だとしても、最終的に決裁した菅に全ての責任があることに変わりはない。思惑通りの“逃げ切り”を許してはダメだ。
%%%%%日刊ゲンダイ記事転載おわり

郷原信郎弁護士が法的問題を指摘しています。
%%%%%
日本学術会議任命問題、「改ざん」指摘の当否、首相決裁「虚偽公文書作成」の可能性
投稿日: 2020年10月12日投稿者: nobuogohara
日本学術会議の会員任命見送り問題に関して、菅義偉首相が、任命を決裁した時点で、6人がすでに除外され、99人だったと先週土曜日(10月10日)に報じられた。その直後にアップした記事【日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に】では、報道の通りだとすると、誰がどのような理由で、或いは意図で除外したのか、そして、6人の任命見送りの問題表面化直後に、菅首相が任命決裁の際に学術会議の推薦者名簿を見ていないのに「法に基づき適切に対応」と発言したことについて、「適切」というのがどういう意味だったのか重大な説明責任が生じることを指摘した。
 この問題について、学術会議側から、「学術会議は総理に対して105人を推薦している。総理に伝わる前に他の誰かがリストから6人を削ったのであれば、文書の改ざんとなり大きな問題」との指摘が行われていると報じられている【(TBS)学術会議側から「文書の改ざん」指摘相次ぐ】。
 学術会議側が指摘するように「文書の改ざん」に当たるのか、それに関して、どのような犯罪が成立し得るかについて考えてみたい。
 まず、日本学術会議が、内閣総理大臣に提出した「推薦者名簿」は、
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
と規定する日本学術会議法17条の規定に基づいて、日本学術会議会長の名義で作成され・内閣総理大臣に提出された「有印公文書」だ。
 もし、この推薦者名簿の中の6名を除外し、99名の推薦者名簿であるように内容を改変して菅首相に提出したとすると、「作成権限者である日本学術会議会長に無断で、既に存在する公文書である推薦者名簿に手を加えて、新たに不正な推薦者名簿を作り出した」ということになるので、有印公文書変造罪(1年以上10年以下の懲役:刑法155条1項)が成立する。
 しかし、会見での菅首相の発言を確認すると、(任命決裁の際に)「見たのは99人の任命者リスト、推薦者リストは見ていない」と述べている。この説明によれば、学術会議が提出した「推薦者名簿」自体は菅首相に提出されておらず、ニュース等で目にする「黒塗りの推薦者名簿」は、「105人の推薦者名簿」の一部を黒塗りにしたものを、「推薦者名簿」ではなく「99人の任命者名簿」として作成したものということであれば、内閣府側の作成名義による文書ということになり、「公文書の変造」は成立しない。学術会議側が指摘する「改ざん」にも当たらないということになる。
 そうなると、問題は、会員任命の首相決裁の際の「決裁文書」がどのような内容だったかである。「日本学術会議の会員推薦者が99名であった」かのような決裁文書が作成・提出されたのであれば、「事実に反する記載」ということになり、そのような内容の決裁文書を作成し、菅首相に提出する行為は、虚偽有印公文書作成・同行使罪に当たることになる(法定刑は有印公文書偽造・変造罪と同じ)。
 もっとも、菅首相の会見での発言からは判然としないが、任命見送りとなった6名については、「自分のところに任命の決裁が上がってきた段階で6名は任命対象から除外されていたので、除外された6名の名前は知らなかった」という趣旨であり、6名が除外された事実を知らなかったということも考えられる。実際の決裁文書には、推薦者が105名であったことが記載され、そこから選定された99名の「任命者リスト」が添付され、その99名を選定することの決裁を求めたというのであれば、決裁文書に虚偽の記載はないので、犯罪は成立しない。
 しかし、そうだとすれば、菅首相の説明は「舌足らず」であり、推薦者名簿が「改ざん」されたかのような誤解を学術会議側に与えたことについて責任がある。
 ノーカットで公開されている会見映像を見ると、菅首相は、記者の質問に答える際、終始手元の資料に目を落とし、「総合的、俯瞰的に」と言う言葉を繰り返している。そして、この問題について、唯一、自分の言葉で答えたのが、前記の「推薦者リストは見ていない」という言葉である。菅首相の説明能力・答弁能力の致命的な欠如を示していると言えよう。
 菅首相は、推薦者名簿の取扱い、決裁文書の作成経過などについて至急調査を行い、「見たのは99人の任命者リスト、推薦者リストは見ていない」と発言したことについて納得できる説明を行うべきである。
 官僚というのは、一般的には、「首相の意向を忖度するなどして、不当な行為を行うことはあっても、『違法行為』だけは絶対に行わない」という“習性”があるので、意図的に虚偽公文書を作成したとは思えない。しかし、まだ記憶に新しいところでも、森友学園問題での「財務省決裁文書改ざん問題」も発生しているので、全くあり得ないとは言えない。
 もし、その決裁の過程で、虚偽公文書作成などの犯罪が行われた疑いが生じた場合には、「公務員は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」として公務員の告発義務を定める刑事訴訟法239条2項の規定に基づいて、刑事告発を行わなければならない。
%%%%%
 この問題について菅氏は釈明のためにごく少数の報道関係者を集めたきわめて異常な会合を開いたことが報道されています。これについて安富氏が厳しく批判をしています。
東大教授と語る【学術会議の真の問題】菅義偉総理の権力集中は日本の国富を失わせるだろう。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 この異常な形態の記者説明には国外の報道関係者が「ありえないこと」と驚愕しています。
%%%%%菅首相の"えせ会見"に仏特派員も激怒「あり得ない閉鎖性」
菅首相は9日、代表3社のみのグループインタビューを行った。5日に続いて2度目。今回はインタビューの申し込み順から、朝日、毎日、時事通信が選ばれた。

 当日の朝に開催が決まり、本紙(日刊ゲンダイ)も急いで「日本雑誌協会」を通じて、傍聴希望を申請。前回の落選社が優先され、応募も少なかったようで、あみだくじの結果、本紙は当選した。
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 開始30分前に官邸北門の受付で「総理会見に来ました」と切り出すと、「グループインタビューですね」。あくまで会見にあらずの返事だ。

 別室で傍聴できる定員は40人。雑誌、外国メディア、フリーなどのメディア向けの10席は埋まったが、内閣記者会の常駐社の30席は10席ほどが空いていた。
空席が出るのは傍聴して理解できた。「傍聴部屋の撮影は禁止」「ニュースの配信は終了後」と規制だらけ。映像はなく、天井の2つのスピーカーから菅の声が流れてくる。校内放送で教頭の話を聞かされているようだ。

 菅首相の話は教頭に劣らず、面白みゼロ。記者の質問に準備していた回答例をピックアップして返すだけ。追質問にも掘り下げた回答をしない。例えば、日本学術会議推薦の6人を任命しなかった理由について「広い視野に立ち、バランスのとれた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべき」と同じ答えを何度も繰り返した。

 インタビューはわずか30分で終了。仏紙「リベラシオン」と「ラジオ・フランス」の特派員・カリン西村氏は傍聴を終え、うんざり顔である。話を聞いた。

「質問者をわずか3社の記者だけに限定し、他は傍聴部屋で映像すら見せない。国のトップがこのような閉鎖的な“会見”をするのは、あり得ない。私は20年以上、記者をしていますが、見たことも聞いたこともありません。政府側から、オープンな会見ではなく、こういう対応になっている理由の説明もない。しかも、今日の3人の記者はそのことを質問しませんでした。代表して質問しているのですから、まず1問目で、これから始まる異常な“会見”についてただすべきでしょう」

 外国メディアに異様な光景に映るのは当然の非常識対応。菅首相は日本の恥とならないよう、フツーの会見と国会論戦に臨むべきだ。
%%%%%

六世紀末に相模湾で大地震が発生した(川匂神社と異臭)?

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:本ブログの末尾に「横須賀での異臭騒ぎ」という報道があったので、それに関連するような地震活動の変化があるものかどうかを調べました。2019年1月1日より本年10月9日の期間内の南関東の地震活動を見る限りでは、相模トラフ界隈に異臭と関係するような地震活動異常がおきているようには見えません。)
(図1:南関東の地震活動の三次元(平面と深さ)表示。A点は図2の参照用地図に描かれる矩形のAで表示される点に対応している。図4もそうですが、刻みを細かくすると震源分布の様子が鮮明に見えるはずです。今回はこれでご勘弁を。)
201011南関東7

(図2:参照用地図。拡大は図のクリックで)
201011三次元地震b無題

(図3:地震活動の時(上)・空間(下)分布。拡大は図のクリックで)
 201011時間・空間地震b無題

 図4については、他の時期での様子と比べることで何がしかの推定が可能となるので、いずれ、2019年以前についても調べることを予定しています。
(図4:地震の時空間表示。縦軸は時間を表す。底面は2019年1月1日、上面は2020年10月9日)
201011Time37


    秋雨が 冷えた気分を 増幅し スガスガしさとは 間逆の世情 

 学術会議会員任命拒否をめぐる賛否両論の議論がTV,ネットで続いています。いわゆる良心的な評論家の方々が学問の自由を説き「怒り」を語っています。ところが私はその論調に素直に賛同・共感できないんですな。何がしかの違和感があります。「学問の自由」という言葉を口にすることに「くちはばったい」気分が付きまといます。戦前の日本にあっては湯川秀樹博士、仁科芳雄博士らが原子爆弾の研究に、朝永振一郎博士、南部洋一郎博士等が電波傍受を目的とした研究に駆り出されました。 国外にあってはせっかくナチの圧迫から逃れたアインシュタイン、エンリコ・フェルミ等が「ナチへの危機感」とはいえ、原子爆弾をはじめ各種軍事研究に駆り出されるなど著名な物理学者が同様な研究を強いられたことはよく知られています。
 学問の自由と聞くとこうした類まれな頭脳の研究者の苦悩と圧迫を連想しがちです。菅氏の任命拒否決断によって大多数の凡庸な研究者も一緒くたにして、一部進歩的日本人から「あがめ奉られる」んですな。とは言え、膨大な数の凡庸な研究者群による小さな積み重ねが巨大な知見への道筋であることも確かです。とするならば、学問の自由を物質的に支える研究者の研究費助成で大騒ぎしてほしいものです。大部分の研究者は国からの安定した助成金は少なく、もっぱら競争的研究助成金獲得で連日申請書類書きに追われていると聞きます。かのコロナで再び全国に名を馳せた児玉龍彦博士もあちらこちらから苦労して金をかき集めて国民の健康を守るための研究に取り組んでいます助成金の増額と政治家から独立した助成金の配分システム構築こそが学問の自由を保障するわけです。

+++++鎌倉(4、補記、関東地震か?)
 大山阿夫利神社から見た大磯町・神揃山の方位位置が162度であり、戸塚市の富塚八幡宮から見た鎌倉・鶴岡八幡宮の方位位置も162度であることを書きました。この二つの方位角度がシリウス星の天空上の相模の国から観測した位置と考えると、その観測をしたときは西暦570年ごろ(精度は士20年ほど)と推定できます。相模湾に面した二つの地点でほぼ同じときにシリウス星に向かって神託を請うたのです。このころに、相模の国を取り囲む政治・軍事環境の危機、あるいはもっと大きく日本列島周囲の政治環境の激変が出来(しゅったい)し、それへの緊急の対応が求められたのではなかろうか、と前回記事で書きました。日本書紀はそのころの事件として西暦562年(欽明天皇二十三年)の朝鮮半島南端部の倭国支配下にあった任那と朝鮮半島政治勢力の間の争闘を書いており、岩波文庫「日本書紀」・校注者の解説を紹介しました。解説はこの事件について一つの視点として西暦562年(欽明天皇二十三年)の「三国史記」 を引用しています。この書についてはその真偽がいろいろ取りざたされています。一番有名なところでは乙巳の乱(西暦645年)とそっくりな政変が朝鮮半島で起きていたと書きます。一部の歴史学者は、日本列島古代史での「乙巳の乱」は朝鮮半島の政変を我がことのように書いたもので、この「乱」はなかったと主張しています。朝鮮半島南端部での政治紛争が実際にあったとしても、相模国がそれへの対応策を取ったということは不自然です。朝鮮半島から遠い太平洋側で緊急の対応策が必要であったとの理解には「風が吹けば桶屋が儲かる」式の一理屈が必要になります。
 
 そこで、発想をdrasticに変えます。相模国の海岸沿いでシリスス星を通じた「天からのご託宣」を熱望・切望する事態とは、関東大地震の発生であった、と仮説することにします(本ブログの冒頭にGIF動画を配した理由でもあります)。西暦570年前後に、相模海底渓谷(相模トラフ)沿いに発生した大地震に恐れおののいたサカ一族が、まずは天なる神にすがったという事態を私は想像したというわけです。相模海底渓谷に発生した地震については、いくつかの文字による記録から明らかになっています。元慶地震(878年、M7.4)、慶長地震(1605、M7.9)、元禄地震(1703、M8.1)、関東大地震(1923、M7.9 )などです。

 こうした文書(こもんじょ)にくわえて、地震国日本には過去の地学的地震痕跡が各所に確認されています。その一つが海岸隆起であり隆起に関わる地表断層です。過去に繰り返された関東地震が地表に残した痕跡は房総半島、そして三浦半島に顕著で、研究者の精査な調査・研究が蓄積されています。
 図5−7を見ると、六世紀ごろに大きな地震が相模湾、あるいは相模トラフに発生し、しかるべき地殻変動という痕跡を残していたらしいことがわかります。
(図5:三浦半島での度重なる関東地震による地表の隆起痕跡
201010三浦隆起d無題

(図6:相模湾地震の大元である巨大断層の模式図 拡大は図のくりっくで) 
201010関東断層d無題

(図7:三浦半島の断層  
201011三浦過去地震無題

(図8:房総半島の隆起痕跡と、発生年代推定、 ,拡大は図のクリックで)
201010房総隆起b無題

 上の図を所載する論文は1923年の関東地震での地表の大きな隆起分布も示しています。
 (図9:1923年関東大地震によって生じた大規模地殻変動。拡大は図のクリックで)
201010房総隆起a無題

 上の図に見るように、1923年の関東地震では、まさに本ぶろぐで考察してきた地で大きな変動が起きています。六世紀末の地震がこの関東地震と同規模であったとすれば、当然この変動に先行して大きな揺れ、さらには津波も生じたでしょう。これだけの地動と津波は当時の民にとってはまさに天変地異であったはずです。アフラ・マズダの怒りであったとサカの民はひたすら怖れたと想像できます。かくしてアフラ・マズダ神の怒りを鎮めるべく必死の祈りがささげられた。それが「神揃山」であり、鶴岡八幡宮の地に設けた「聖所」ではなかったかと想像しています。

 さて、9月23日記事で、阿夫利神社の南に配置される三大古社を書きました。一宮の「寒川神社」、二宮の「川匂神社」、そして三宮の「比々多神社」です。この神社の呼称はゾロアスタ教ヒエラルキに従えば、その第三層の諸神霊(ヤザダ)を構成する八神の内の二神を連想させます。すなわち大地の神である「ザム神」(「寒」の和風音)、水の神である「アナーヒター」神(比多)です。
(図10:ゾロアスタ教の神のヒエラルキ。拡大は図のクリックで)
ゾロ神CIMG8359

 大地震動を鎮める「ザム」(寒川)神であり、大津波を鎮める「アナーヒタ」(比々多)神と理解できます。とすれば、「川匂神社」にもそうした痕跡があるのやもしれません。
ウイキは以下を書きます:
川匂神社は、 
「垂仁天皇御世に余綾・足柄両郡の東西海岸が磯長国であった頃、磯長国国宰である阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のために創建したのだと言う。『式内社調査報告 第11巻』も、この辺りが磯長国の中心地で、当社は磯長国造(しながのくにのみやつこ)に由縁のある神社であったと述べている。『新編相模国風土記稿 巻之40』によれば、「川勾」の地名は、往古にこの地で押切川が曲流していたことに由来すると言われ、川勾神社の名も地名に由来するのだと言う。
さらに『二宮川勾神社縁起書』によれば、磯長国造の大鷲臣命、相模国造の穂積忍山宿禰(ほづみおしやまのすくね、弟橘姫命の父と言われるが本来別族)によって神宝の奉納があり、日本武尊が東征の折に参拝し、允恭天皇の妃である衣通姫命が皇子誕生安隠のために奉幣祈願したと言うが、『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』ではいずれも伝承にすぎないと述べている。」と。
 川匂神社の祭神は古事記に登場する磯長(志那都)命であると書きます。そこで、その行(くだり)を眺めて見ます:
『古事記』は、「伊佐那岐、伊佐那美」が国を生み終えた後、次に神々を生むと書き、多くの神を列記します:
原文:
既生國竟。更生神。故生神名大事忍男神。次生石土毘古神。〈 訓石云伊波。亦毘古二字以音。下效此也。 〉次生石巣比賣神。次生大戸日別神。次生天之吹〈 上 〉男神。次生大屋毘古神。次生風木津別之忍男神。〈 訓風云加邪。訓木以音。 〉次生海神名大綿津見神。次生水戸神名速秋津日子神。次妹速秋津比賣神。〈 自大事忍男神至秋津比賣神并十神。 〉 此速秋津日子速秋津比賣二神。因河海持別而生神名沫那藝神。〈 那藝二字以音。下效此。 〉次沫那美神。〈 那美二字以音。下效此。 〉次頬那藝神。次頬那美神。次天之水分神。〈 訓分云久麻理。下效此。 〉次國之水分神。次天之久比奢母智神。〈 自久以下五字以音。下效此。 〉次國之久比奢母智神。〈 自沫那藝神至國之久比奢母智神并八神。 〉
次生風神名志那都比古神。〈 此神名以音。 〉

文意(岩波文庫「古事記」22頁より
既に國生(くにうみ)を竟え、更に神を生む。そこで生んだ神の名は大事忍男(おおことおしお)神、次に生んだのが石土毘古(いわつちひこ)神。〈 石は伊波という。亦毘古の二字は音写である。以下も同様である效此〉(中略)。次に生んだのが風の神で名は志那都比古(しなつひこ)神〈 此の神の名も音写。 〉(後略)
%%%%%
 川匂神社の祭神が「風」の神であることがわかりました。これが台風とすれば、まさに相模の国の三古社は自然災害鎮静の神ということになります。さてゾロアスタ教の三階層には「ワユ」と呼ばれる風の神がいます(図10参照)。「川匂」(かわわ)は「かわにおう」と音すれば「わゆ」と音が似ていると言えそうです。

 さて、「風」は匂いを運びます。それが川の呼称となり「川匂」なる呼称なったのでしょうか?すなわち六世紀末の関東地震は異臭を放っていたとも考えることができるのかもしれません。ところで下のような報道があります:
(図11:9月29日付日刊ゲンダイ紙。拡大は図のクリックで)
200929関東地震4629

 まさに「匂い」は空気の流れ、すなわち風が運びます。ここで再度ゾロアスタ教の八神霊(図10)を見ていただきます。確かに「風」の神である「ワユ」が列せられています。上掲新聞記事で奉ぜられている「異臭」の正体は定かではないのでなんとも気味の悪いことです。相模国の三古社、そして鎌倉鶴岡八幡宮の地が過去の大関東地震の鎮静に関わっていたらしいとの仮説は、なかなか説得力があると思っています。

 本ブログ冒頭の地震活動が、9月末に騒がれた異臭と関わっているのか?それはなんともいえないというので現今の判断であります。

 蛇足ですが、こんな際に地震学者は何の役にも立ちません。だからこそ、学術会議に関わる議論が喧しい昨今に「学者」さんの研究は何人と雖も、いかな権力者といえども口を挟めないほどの厳かな存在であるかのごとき「学者弁護論」を耳にすると鼻白むんであります。
(つづく)

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鎌倉の地(2)、学術会議論議(2)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:公園の蓮池に映る二十日月。画面中央の小さな白い丸は花びらではなく水面に映る月です)
二十日月8519


 秋なのに 氷雨激しく 屋根叩く 虫も演奏 中止か延期

+++++学術会議会員任命拒否事件
 2001年に内閣府の下に設置された「総合科学技術会議」Council for Science, Technology and Innovation(CSTI)は学術会議Science Councilof Japan)と違って「平和だ、軍事研究ダメダメ」なぞと小難しいことをガタガタ言わず、当面の科学技術政策の提言をします。当然、悪くいえば目先の利害、企業の利害に目が向き、さらには軍事研究への志向なども反映されます。こうした新たな機構はますます学術会議の存在理由を希薄にします。今般の菅氏の決断は二十年来の日本国の支配階級の潜在意向を反映したものであったと考えています。
 そうは言っても、その決断を安倍氏ではなく菅氏がやってのけたことに別の意味があるように思えます。それを安富氏が菅氏の心情とあわせ、いつもの独特な視線で分析しています。その分析を引き出す役割を担う清水氏の菅氏選挙区訪問体験が語られています。菅氏大好きの雰囲気に触れたと清水市は語ります。選挙区では如何な業突く張りの悪人も良い顔をするので、語られる体験は「ああそうかいな!」と聞き置くにとどめますが、驚いたのは熱〜いアンカケのかかったかき揚げそばをわずか五分で平らげるという菅氏の「スゴ技」が語られています。

東大教授と語る【既得権益破壊と国家破壊】二世三世議員を一掃せよ!菅義偉総理の横浜市議時代から培われた破壊者&改革者の性質。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 郷原弁護士がいつものように法律家として今般の問題を論じています。学術会議法の会員任命に関する改正は、何がきっかけであったかは失念しましたが大阪選挙区選出の中山衆議院議員(当時)が学術会議の問題点を提起したと記憶します。その頃は、学術会議を構成する各部で会員選挙が実施されていました。私の手元にも何人かの候補者から葉書が届いていました。「左翼系」とおぼしき研究者群が組織的かつ熱心に選挙運動をし、結果として、相当数の会員席を獲得していました。それが軍事研究反対などといった提言が出てくる背景でもありました。この傾向をきらって自民党筋が学術会議改組に動いたのでしょう。そうした動機から改組の主眼は会員の選出にあったと思われます。結局、学術会議が自主的に各研究分野の意向を尊重して会員候補名簿を作成し、首相にその承認を求める(任命)という手続きとなったのです。当然、心配性(しんぱいしょう)の野党側からは「任命拒否」を危惧する意見がでます。かくして中曽根首相の「任命は字面の上でのことで、学術会議の推薦を拒否することはありえない」との言質となります。
 現在、菅氏の「任命拒否」決断を批判するための武器として中曾根答弁がしばしば引用されます。が、その答弁は国会議事録には残されていても法律に銘記されているわけではありません。そもそも法律に明記するぐらいであれば、「任命」ではなく「届出」(しかるべき法律用語はあるのでしょう)であるべきです。と、いうわけで、今般の問題はなかなか難しいと考えています。
【「日本学術会議任命見送り問題」を、「黒川検事長定年延長問題」との比較で考える】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#37

 上の動画で郷原氏は最後に軍事研究反対の言について触れています。本ブログでもしばしば書いてきましたが、いまや軍事研究と非軍事研究の線引きはほとんど不可能です。「軍事研究反対」は単なるお題目となりかねません。多くの研究者は悩んでいるはずです。

 学術会議会員の問題を平野貞夫氏も重大視して語っています。国会の裏表を知り尽くした経験豊かな平野氏の語り口はまことに説得力があります。そこに割って入るのが佐高信氏です。話す内容に嘘があるとは思いませんが、菅氏を語る際に不要なそして品のない「形容詞」が付されるのです。そのくせ、語る内容にいたる論理的な説明がしばしば割愛されます。佐高氏は時折日曜朝の報道番組でもコメンテータとして出演します。こうした左翼系評論家のTV出演はまことに貴重なので、自らの分析を論理的に語り視聴者の共感を得られるよう意識的に発言するべきです。しかし、佐高氏はそうした絶好の機会を活用せず、短く皮肉っぽい言だけを語ります。そのくせ、動画などではTV出演での皮肉っぽい発言を自慢げに得々と語ります。この御仁は我々愚昧な大衆を啓蒙しようとの気持ちは無いのかと、腹立たしくなります。
【平野貞夫×佐高信×早野透】3ジジ放談 生配信!菅を許すな!学術会議と馬毛島疑惑 20201006


+++++鎌倉(2)
 前回記事の最後に「鎌倉」を書きました。鶴岡八幡宮に通ずる2kmの参道は南々西から北々東に向かって走ります。北方向となす角は28度です。それは夏至日或いは冬至日の太陽の出没方位ではない。シリウス方位を明確に否定するべく設計し施工された参道であることが見て取れます。私は、この事実に鎌倉神社建造者の強い「シリウス方位」拒否の意思を感じます。
(図:鎌倉八幡宮の長い参道。拡大は図のクリックで)
201008鶴岡参道無題

 かって大昔、この地を「陣屋」として選んだのがゾロアスタ教を信奉する勢力であり、その陣屋を蛇蝎のごとく嫌った勢力がその地を破壊し、跡形も無くするだけに留まらず、明確な反「シリウス」を表明していたと思っています。これは、埼玉県・行田市のサキタマ古墳、岡山県の造山古墳、作山古墳でも見ることができます。何が、こうした強烈な「反シリウス」表明に突き動かすのかは興味があるところです。
 それはさておき、破壊前の状態、すなわち鶴岡八幡宮の地に宮を構える過程をうかがわせる痕跡を探すことにします。まずは(1)周辺の古社で、(2)シリウス星方位の建造物配置を持つ神社です。この二つの条件を満足する神社の一つが深見神社(神奈川県・大和市)です。神社の呼称に「見」を含んでいることは、いかにもシリウス星観察を暗示しているのではとの期待から、鶴岡八幡宮との位置関係を調べた結果、その期待は外れたことを前回書きました。そこで、ほかの可能性を探ります。それは小学校時代の遠足の記憶です。

 私が小学校時代をすごした地は川崎市の麻生区と多摩区の境界近くにある生田です。小学校低学年時の遠足は徒歩で向丘遊園地でしたが、学年が上がると小田急線を使います。電車大好き児童であったので、小田急線の新宿―江ノ島駅名を諳(そら)んじていました。その一つに「長後」駅があります。古い地名では「塚」(又は「冢」)は音を同じくする「長」で置きかえられて表記されることがすくなくありません。それは、身分ある古代人の墓を意味することが多いことはわかっています。そのことを思い出し、地図を眺めると戸塚から西に伸びる「長後街道」が大山に通ずることを知りました。
(図:戸塚から西に走る長後街道は、富塚古墳を東西に貫くように走る22号線。拡大は図のクリックで)
201008長後街道無題

 
 上図で見るように図中央よりやや東側に赤印で示されている「富塚古墳」を貫くように東西に走る県道22号線の戸塚から西側部分が長後街道の出発地点になります。この街道は南北に走る小田急線を長後駅で横切り慶應義塾大学の北縁をさらに西に進んで、相模川を渡ります。さらに西進すると伊勢原の市街地です。まさに大山の山麓阿夫利神社の参詣口の近くに通じています。その富塚古墳を敷地内に置くのが富塚八幡宮です。
(図:横浜市戸塚区の富塚八幡宮)
201008富塚_戸塚無題

 富塚古墳は拝殿の北々西―南々東のシリウス方位にあります。実際は古墳が先で、その霊を鎮めるべく拝殿が建築されたのでしょう。いずれにしても、「長後」は「冢後」であり、貴人の墓所に関係する呼称であることがわかります。ウイキによれば祭神は富属彦(とつぎひこ)命と誉田彦命(応神天皇)です。誉田彦命が八幡様としてあがめられる嚆矢は源義家の崇敬、言葉を変えれば義家の奥州下向なる軍事行動に掲げる幟、すなわち政治的効果を意図して引きずり出されたと私は考えています。この八幡様の社殿建築は西暦1072年と由緒は書きます。すなわち由緒が「神社の創建」と記していないことに大きな意味があります。言葉を変えれば、この地には近隣住民にとっての神聖な共同施設が1072年以前に存在したことを意味しています。
 さて、もう一人の祭神「富属彦命」です。「属」を「ゾク」の音写と考えると、それは「続」の転じた漢字表記でもあります。これが「サク」に由来することは、万葉集一巻二十三歌に登場する「麻続王」の考察からも明らかで「アサカ」王です。すなわち、「サカ」族の一部隊の首領級の人物が、この地に埋葬され、祀られていたのです。さてこの神社が鎌倉とかかわりのある無しをいつものやり方で調べることにします。
富塚(lat,lon)=>[35.393647, 139.528710]
鶴岡(lat,lon)=>[35.324908 139.556055]
D,A,B= 8.0-km 162.02 342.03 0.07deg
 距離は8km、富塚八幡宮から見て162.02度の方位に現在の鶴岡八幡宮があり、その位置にかって、「陣屋」(拠点)が設営されたことがわかります。興味深いことは、ここで得た方位角が大山阿夫利神社と神揃山との位置関係とほぼ同じであることです。すなわち、富属彦命が葬られている古墳を基準として鎌倉の地にしかるべき聖所を定めたのが西暦570年ごろであることが判明しました。西暦570年前後の日本列島周辺に何が起きていたのでしょうか?日本書紀の編纂過程は、いろいろな政治時思惑が絡んでいることを承知の上で、西暦570年前後の記事を眺めて見ます。
日本書紀巻 欽明天皇二十三年紀は以下を書きます:
%%%%%《欽明天皇二三年(五六二)正月》
原文:
二十三年春正月。新羅打滅任那官家。〈 一本云。二十一年、任那滅焉。忽言任那。別言加羅国。安羅国。斯二岐国。多羅国。卒麻国。古嗟国。子他国。散半下国。乞〓[冫+食]国。稔礼国。合十国。 〉
文意(岩波文庫「日本書紀( 三)、328頁」
二十三年春正月。任那官家が新羅によって打ち滅される。〈 とある書が云うには、「二十一年、任那滅ぶ。忽は任那という。別ては加羅国、安羅国、斯二岐(しにき)国、多羅国、卒麻国(そちま)、古嗟(こさ)国、子他(した)国、散半下(さんはんげ)国、乞飧(こもさん)国、稔礼(にむれ)国の合せて十国。 〉
%%%%%
 この記述は藤原不比等が日本書紀を編纂するに当たりその信憑性を世に訴えるために付記(加筆)したと私は考えています。実際、岩波文庫の校注者はこの記載の注で以下を書いています。
(図:岩波文庫「日本書紀(三)328頁より,拡大は図のクリックで)
欣明23年8525

どうやら朝鮮半島で、倭国がらみの事件が発生し、日本列島はその対応をしたように思えます。その対応の一つが、神揃山と鎌倉ではなかったかと考えています。
(つづく)

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菅氏の恨み・つらみ(安富氏)、鎌倉の地

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:公園の樹枝で獲物を待つ蜘蛛。網糸を揺らしてちょっかいを出したところ、するスルと近寄ってきました。が、私のいたずらと判断し早々に元の位置にひきあげて行きました。)
蜘蛛8500

下:用水のフェンスに立つ知り合いの白鷺君。ここにかもが来てくれれば「サギがカモをみつけた」なる駄洒落小話ができるんですがね)
鷺8503

 陰湿に 恨みを晴らすか 菅政権 鬱屈の生き様 安倍氏に似たり

+++++菅政治(1)
 学術会議会員の推薦した研究者から6名が除外されたことについて、報道がいろいろと論じています。その中で私が注目するのがいつものように安富氏の考察です:
東大教授と語る【復讐政権】次のターゲットは?安倍晋三はやるフリだけだったが菅義偉総理は本当にやる。権力者の心の傷が国を破壊する。安冨歩教授電話出演。

 上掲動画の分析が実際を言い当てているのか否かはわかりません。しかし、菅氏の心情を想像する重要な手がかりであることには違いがありません。

 参考までに学術会議法から関連条文を下に掲載しておきます:
%%%%%日本学術会議法
(前文)
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、 わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する ことを使命とし、ここに設立される。
第一章 設立及び目的
第二章
第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。 2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。 3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。 (平一一法一〇二・平一六法二九・一部改正)
第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を 図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。
(中略)
第五条 日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。
一 科学の振興及び技術の発達に関する方策
二 科学に関する研究成果の活用に関する方策
三 科学研究者の養成に関する方策
四 科学を行政に反映させる方策
五 科学を産業及び国民生活に浸透させる方策
六 その他日本学術会議の目的の遂行に適当な事項
第六条 政府は、日本学術会議の求に応じて、資料の提出、意見の開陳又は説明をすることが できる。 第六条の二 日本学術会議は、第三条第二号の職務を達成するため、学術に関する国際団体に 加入することができる。 2 前項の規定により学術に関する国際団体に加入する場合において、政府が新たに義務を負 担することとなるときは、あらかじめ内閣総理大臣の承認を経るものとする。
(中略)
第三章 組織
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、こ れを組織する。 2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。 3 会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。
%%%%%(後略)
 
 以上は学術会議法の抜粋ですが、菅氏の任命拒否の論拠となった条文が2004年に附された以下の附則と思われます。
%%%%%附 則 (平成一六年四月一四日法律第二九号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、平成十七年十月一日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、 当該各号に定める日から施行する。 一 第十八条から第二十二条までの改正規定、第二十二条の二及び第二十二条の三を削る改 正規定並びに附則第二条から第四条まで、第五条第一項(内閣総理大臣に推薦することに 係る部分を除く。)
第四章 会員の推薦 (昭五八法六五・全改)
第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者の うちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦する
第十八条から第二十二条まで 削除 (平一六法二九)
(後略)
%%%%%附則抜粋終わり
 すなわち、削除された条文にありそうです。巷間語られていることは2016年ごろに内閣閣議で 学術会議の推薦人をそのまま受諾しないこともありえるとの解釈をしたようですが、それは学術会議法には記載されていません。「任命」という表現は「届出受理」とは違うので、拒否がありえるとの理屈なのでしょう。
因みに日本国憲法第六条は以下を書きます。
第六条
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
 すなわち、菅氏の論法に従えば、天皇は菅氏を首相として任命することを拒否できることになります。法学者はこのあたりをどのように整理しているのでしょうか?

+++++菅政治(2)
%%%%%日本学術会議問題で非難も菅首相とマスコミが「オフレコ懇談会」強行してパンケーキ! 幹事社から「オフ懇開催の隠蔽」メール 2020.10.03 
菅首相とマスコミが「オフレコ懇談会」パンケーキ! 開催の隠蔽指示も リテラ

  本サイトがいち早く報じた菅首相と総理番記者による朝食付き「完全オフレコ懇談会」の開催(https://lite-ra.com/2020/09/post-5657.html)。結局、きょう3日朝7時30分から予定通り開催された。しかも、このオフ懇が開かれたのは「Eggs ’n Things原宿店」。

 エッグシングスといえば、前参院議員でタリーズコーヒージャパンの創業者の松田公太氏が代表を務めるカジュアルレストランで、菅首相の好物パンケーキが有名なお店だ。

 周知のように、いま、菅首相をめぐっては「学問の自由」を踏みにじる日本学術会議の人事介入に大きな非難が巻き起こっている。〈#日本学術会議への人事介入に抗議する〉というハッシュタグは20万ツイートを超え、官邸前では数百人規模のデモも行われた。

 ところが、菅首相は昨日2日、記者団の問いかけに対し「法に基づいて適切に対応した結果」と言っただけで、なんの説明もしていない。記者会見の開催の要求にも応じていない。ところが、それでいて、このオフ懇だけは強行し、マスコミ各社の総理番記者たちとなかよくパンケーキをほおばったのである。

 安倍政権時代と全く変わらない国民を舐めきった姿勢には言葉を失うが、しかしもっと暗澹とさせられるのは、そのオフ懇に参加したマスコミだ。

 このオフ懇は本サイトが報道して以降、ネットで批判が広がっていたため、さすがにかなりの社が参加を拒否するのではないかと見られていたが、結局、現時点で拒否したことがわかっているのは朝日新聞と東京新聞、京都新聞の3社のみ。

 ところが、ほとんどの社は、日本学術会議問題の追及もせず、記者会見の早期開催の要求もせず、朝食付き完全オフ懇に馳せ参じて、嬉々としていっしょにパンケーキを頬張ったのである。

 いや、それどころか、マスコミは率先して情報隠蔽に加担していた。オフ懇の窓口である内閣記者会の幹事社は現在、NHKと西日本新聞だが、3日ほど前、その幹事社から以下のような内容のメールが、各社の総理番記者に届いたという。

〈ご報告です。 外部メディアから幹事社あてに、「総理と番記者の懇談が開かれるが事実か」と問い合わせがありました。幹事社で検討の上、「取材の過程にかかわることなので、懇談が開かれるかどうかについてはお答えできません」と回答することにしました。オフレコ取材である以上、外部に伝えるのは適当でないと考えるからです。
懇談ですが、会費制です。出席者で均等に折半していることを総理室で確認しています。一人2千円以内で検討しているとのことです。〉

 これはようするに、内閣記者会が批判が高まったのを受けて、懇談そのものを国民の目から隠蔽しようとしたということだろう。

 実際、当日、現地に取材に赴いたジャーナリストの田中龍作氏は、オフ懇のスタートが〈朝8時からが7時30分からに変更され、場所も直前まで伏せられた。〉とツイートしていた。

■朝日新聞は参加拒否「懇談ではなく会見で」日本学術会議問題の説明を求める真っ当な声明

 この隠蔽はまさに国民への背信行為ではないか。日本学術会議の人事介入が明らかなように、菅政権は安倍政権と全く変わらない、いや、それ以上の民主主義の破壊行為を推し進めようとしている。ところが、マスコミはそれを批判するどころか、菅政権の顔色だけを伺って、一緒になって情報を国民の目に見えないようにしているのだ。

 絶望的としか言いようのない状況だが、そんななかで唯一の救いは、朝日新聞がオフ懇を拒否しただけでなく、以下の声明を出したことだ。

〈朝日新聞の記者はこの懇談会を欠席しました。首相は日本学術会議の新会員に6人を任命しなかった問題をめぐり「法に基づいて適切に対応した結果です」と記者団に答えるにとどめています。朝日新聞は、首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました。〉

 本来ならこれはわざわざ褒めるような話ではなく、報道機関として当然の姿勢なのだが、しかし、菅首相については、朝日や毎日の政治部も歓迎ムードに包まれており、追及が甘くなるのではないかという見方も流れていた。そんな中で、朝日がこうした姿勢を示したことは積極的に評価すべきだろう。

 国民が菅政権の民主主義破壊を厳しく批判する一方で、こうした筋を通したメディアに対して後押ししていけば、後に続く動きを生み、政権の暴走を抑え込むことにつながるはずだ。

%%%%%(編集部)

+++++菅政治(3)
 TVドラマ「半沢直樹」が描いた日本の政治腐敗は絵空事と思わえません。だからこそあれだけの共感がこのドラマに寄せられた、と私は思っています。然るに、それとは間逆の反応を現実の政治に見せる我同胞。どうなっているんですかね?
%%%%%半沢直樹には快哉を叫び政権支持7割 ドラマと現実なぜ乖離 公開日:2020/09/30 06:00 更新日:2020/09/30 06:00
 27日放送の最終回で、平均視聴率32.7%を記録した堺雅人主演のTBSドラマ「半沢直樹」(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。2013年放送の前シリーズの最終回(42.2%)よりも下回ったとはいえ、新型コロナ禍の中で放送された今年のドラマの中では大ヒットと言っていいだろう。
「やられたらやり返す。倍返しだ」という決め台詞や、香川照之(大和田常務)や片岡愛之助(金融庁黒崎検査官)らによる“顔芸歌舞伎”が話題となったが、中でも注目を集めたのが虚実ない交ぜのストーリー展開だ。 舞台となった「帝国航空」は、2010年1月に破産申請した「日本航空(JAL)」、国交相役の白井亜希子(江口のりこ)は前原誠司衆院議員(現・国民民主党)がモデルだ。ドラマでは半沢が「帝国航空」の再建案を探る中で、進政党の箕部幹事長(柄本明)の「伊勢志摩空港」の土地売買をめぐる悪事に気付き「1000倍返し」することになったわけだが、この箕部のモデルではないかと言われているのが自民党の二階俊博幹事長(81)だ。
(図:箕部幹事長のモデルはこの人?(C)日刊ゲンダイ拡大する

ドラマで政治不信のストレス発散?
 半沢が箕部幹事長と対峙するシーンの長台詞は、まるで私利私欲にまみれた今の自民党政権に対する怒りの言葉のようだった。国民はそこに共感したはずだが、なぜか、現実の世界は視聴率とは正反対。箕部の“リアルモデル”といわれる二階氏が居座る菅政権の支持率は6割〜7割台だからワケが分からない。
「ドラマを見た政治部記者なら、誰でも箕部幹事長のモデルは『二階さん?』と思うでしょう。ドラマと同様、地元・和歌山の『南紀白浜空港』をめぐっては様々な疑惑がありますからね。例えば、滑走路延長の際の不明朗な不動産売買に運輸大臣(当時)だった二階さんの後援会幹部がかかわっていたことや、日本航空が1991年に二階さんの後援会幹部から和歌山市内の土地を想定の3倍にあたる約152億円で購入し、その交渉過程で二階さんも同席していたことが報じられています。ドラマの中で、半沢が『伊勢志摩空港』近くの動物園に立ち寄り、そこでパンダが出てきたら間違いないと思っていたのですが、さすがにそれはありませんでしたね(笑)」(野党議員秘書)
ドラマで政治不信のストレス発散?
 半沢が箕部幹事長と対峙するシーンの長台詞は、まるで私利私欲にまみれた今の自民党政権に対する怒りの言葉のようだった。国民はそこに共感したはずだが、なぜか、現実の世界は視聴率とは正反対。箕部の“リアルモデル”といわれる二階氏が居座る菅政権の支持率は6割〜7割台だからワケが分からない。
「国民が今の政治に対して不信を抱いており、ドラマがそのストレス発散になった面はあると思います。ただ、その一方で、現実の政治の世界は、ドラマのように善悪がハッキリしていないため分かりにくいのです。政治家の悪事の証拠だって、ドラマのように簡単には出てこないでしょう。現実世界はそう単純ではないということでしょう」(明大講師の関修氏=心理学) なるほど、ドラマでは白井国交相が箕部幹事長に反旗を翻す場面があったが、今の自民党政権では菅首相すら二階氏に歯向かうことはできないだろう。
 国民はドラマを見て快哉を叫ぶしか、政治不信のガス抜きをする方法がないのか……。
%%%%%

息抜きに猫動画を!
 Curious Kittens Keeps Eyes Glued To Ball Game


+++++鎌倉の鶴岡八幡宮
 本ブログ管理人の悪癖は「脱線」です。ある特定の主題を追いかけていたはずが、いつの間にかその道を踏み外して主題の道筋を見失うことです。そこで、今回は、現ブログ管理人が、現在歩いている方向を簡単に整理しておきます。

 そもそもは「神武天皇の東征」を考察していました。紀元前660年の神武天皇即位につながる経緯説話の吟味です。古事記・日本書紀が書き記す東征譚には多くの史実が取り込まれていると考えたからです。いかな藤原不比等が想像力に長けた超人に近い才能を有していたとしても、あれだけの「説話」を「無」から拵えあげることは難しかった筈です。藤原不比等がやってのけたことは、数多の関連「史実」群から拾い出した断片を繋ぎ合わせて一つの物語を組み立てることであった。
すでに書いたように、古事記・日本書紀記述は、神功皇后紀で時間の不整合・不連続をきたしています。言葉を変えれば、古事記・日本書紀にあっては、神功皇后紀以前の諸記述は時間順序を逆転して理解・解釈去るべきと本ブログでは指摘しました。この視点からすると神武紀そして神武紀と重なり合う崇神紀は、現実の歴史時間では七世紀後半から八世紀初頭にいたる歴史事象から構成されていることになります。
 日本書紀の編年では天智天皇の「実質の即位」は西暦661年(斉明女帝の死の翌年)です。ここで「実質」と書いたのは、日本書紀では天智天皇は斉明女帝の死後七年間もの長きに渡って皇太子として天下を治めたことになっているからです。一方、神武天皇の即位は紀元前660年です。記紀編纂に「キリスト教とキリストに誕生に始まる暦設定」の概念が日本列島に伝わっていたとするならば(その証拠はある!)、天智天皇と神武天皇の即位年は西暦元年を基点として折り返し(対称、鏡)関係にあります。すなわち、ここでも古事記・日本書紀の記載にあっては、大昔の事件が実はこの古事記・日本書紀が編纂された八世紀初頭に近い時の出来事であったことが暗示されています。古事記・日本書紀では神武紀に先行して神代紀の上下巻があります。ここで登場するのが建御名方命の諏訪幽閉と天照大神による「国譲り」です。上述を勘案するならば、「国譲り」、「諏訪幽閉」という二つの事象はまさに記紀編纂の直前であったと推察できます。

 続日本紀の冒頭で天武天皇の嫡男、すなわち草壁皇子、その和名は「日並知」皇子が登場します。同名・異字の皇子が常陸国風土記の冒頭・新治郡の条で美麻貴天皇の息子「比奈良珠」命として登場します。これは、上に書いた推論を裏付けています。すなわち、崇神天皇は太古の昔の人物ではなく七世紀末の人物であったのです。であるならば、崇神天皇に重なる神武天皇もその実在・非実在はともかく、その人物に比定される人物は七世紀末に「東征」なる行動をしていたと思わせます。それに重なってくる歴史事件は「建御名方」命の九州から東方への逃亡と終着地・諏訪での幽閉です。すなわち、神武東征の吟味から「建御名方」命の東方への逃亡こそが神武天皇東征の内実であったのです。

 本ブログではまさにその追跡作業をしてきました。そんな折、本年4月のNHK番組「ブラタモリ」を視聴しました。普段TVを視聴しない私にとっては数少ない愛好するTV番組です。タモリさんにつきそった解説者は、いわゆる「通説」を述べ立てます。私のこれまでの調査とはなはだしく異なっており、解説者の言への対抗心がわき上がり、再度日本書紀、とりわけ斉明紀、天智紀を読み返すこととなりました。こうして本来のブログ筋書きからの脱線が始まりました。

 ここから後の脱線具合は詳述しませんが、いわゆる世に言う「宗教戦争」の解明となりました。蘇我一族と物部一族との確執です。蘇我一族が与したとされる宗教は「仏教」ではなく、「ゾロアスタ教」であることは明らかです。その痕跡が常陸国に明瞭に遺されていることは、本ブログで詳細に解明しました。そこでフト湧き上がった疑問はこのゾロアスタ教の影響は常陸国に局在したのか、それとも東国域にも広がりを見せていたのか、というものです。
 その解明の鍵となったのが前回明らかにした大山「阿夫利神社」と「神揃(かみぞろい)山」との位置関係です。阿夫利神社から見た「神揃(かみぞろい)山」の方位は西暦570年ごろのシリウス星の方位(夏至日の真夜中でのシリウス星の輝く位置)です。どうやら、ゾロアスタ教を信奉するサカ族(西域ペルシアからの渡来民)が「神揃(かみぞろい)山」に陣屋を構えたのが西暦570年ごろであったと知ることとなりました。

 さて、ここで、前々回記事で調査対象とした武蔵国・狭山に話を戻したいところですが、せっかくですので、前回の話の続きをさせていただきます。「阿夫利神社」は現行の市制では伊勢原市域にあります。「伊勢」という呼称に一言しておきたいところですがそれは後日にすることとして、東に厚木市、座間市をはさんで「大和市」があります。次回考察するはずの武蔵国にも「東大和」市なる市があります。「ヤマト」を名乗るからにはその背後に遠大な古代史を潜ませているのかと思いきや、その命名は、夫々の「市報」によれば至極たわいのないものです。ウイキなどによればいくつかの町・村を合併して市を作るに当たってどれかひつの町名を市名としてしまうと「諍いが」起きる。そこですべてを丸く収めるには「和」が大事であるとして「大和」としたというものです。納得し難い経緯です。もっと別の史実があり「大和」なる呼称を選択したのだろうと考えています。
 この大和市の最大古社は「深見」神社です。この神社で興味深いことは上述の建御名方神(たけみなかたのかみ)が武甕槌神(たけみかずちのかみ)とともにご祭神として祀られている事です。その意味も考察したいところですが、いずれ別の機会に論じます。
(図:深見神社の境内。拡大は図のクリックで)
201005深見無題

 神社の境内の建築物は明瞭なシリウス星方位(南々東−北々西)を取っていることに着目しましたが、この神社に目をつけた理由はもう一つあります。それは「見」です。つまり何かを「見」た神社ではなかろうか?と想像しました。それは「シリウス星」です。そこで、この境内拝殿の方位を南々東に延長すると鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮に行き着きます。そこで、いつものように球面三角形計算で以って方位を算出して見ます:
深見(lat,lon)=>[35.468708 139.471627]
鶴岡(lat,lon)=>[35.324908 139.556055]
D,A,B= 17.7-km 154.40 334.45 0.16deg
 この方位、154.4度、は西暦897.5年のシリウス星の天空に輝く方向を意味します。貞観地震(869年)からおよそ30年後ということになります。また菅原道真の死去(西暦903年)の数年前ということになります。東国の蝦夷はすでに鎮圧され、ところどころでたまに焼けぼっくいの火が小さくあがるという時代です。この地にはゾロアスタ教の名残は消失していてもおかしくない時代です。すなわち単なる数式上の計算結果で格別に意味のある年代ではなさそうです。
 東国制圧で名をはせた源義家に代表されるように源氏一族は東国を敵視した一統です。源頼朝がこの地を敢えて選び、そこに幕府を設営した背景の一つが東国鎮圧であったでしょう。とすれば、守護神である八幡神を祀るにあたって、何がしかの東国反乱鎮圧を潜ませる何がしかの史実が背後にあったのではなかろうかと想像し上記の計算を書き添えました。
 例えば「カマ」は「神」の転じた表現であり、「クラ」は「巖座」(いわくら)に由来するとすれば、鎌倉はそもそもは「王=神」の座す宮であったと思えます。古代ペルシア語で「kalah」は王冠を意味します。ウイキにはそうした考察は書かれていません。
 尤も上記の計算は、二点間の位置関係を示したものです。したがって、深見神社がもう少し東にずれれば、その年代は古くなり、西にずれればもっと新しくなります。つまり恣意的に神社の位置を選択できるので、これは決定的なものではなくあくまでも参考論議にすぎません。
(つづく)

阿夫利神社(4,再度大磯界隈),学術会議、党人派vs官僚派

2020年10月2日(木)
(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:上は昨日夕方の満月の出。下は昼間から満月の出を当家で待つ青蛙)
満月8478

(当家の窓枠で満月の出を昼間から待ちわびる青蛙)
蛙8476


 枯れススキ 月は東に 日は西に 当家の蛙も 月の出を待てり

 当地の夕方5時半ごろ、月が東の地平に顔をだしました。どうやらほろ酔いかげんのようで赤い顔をしています。数時間もすると酔いが醒めたようで、素面に戻ったようです。月面で餅をついているはずの純白のウサギを早速双眼鏡でさがしました。が、私がいささか酩酊していたゆえか、定かには見えませんでした。

+++++政治経済の話題
(1)半沢直樹
 日曜日に最終回を迎えたはずのTV ドラマ「半沢直樹」の余韻がインタネット上には未だに残っています。その余韻をフォローする一般視聴者のコメントもすさまじい数に登っています。最終回に尻尾を巻いて退散した与党幹事長の醜態に溜飲を下げた人が多かったのでしょう。私もその一人です。それにしても安富教授の言ではありませんがなぜに 菅首相への支持率が斯くも高いのか?謎であります。
参考記事半沢に…与野党とも反応薄すぎ?「記憶ない通用しない」「説明できないなら謝罪!」 9/29(火) 23:03配信1105

(2)学術会議
 菅政権は、早くもみずからの戦前特別高等警察的体質をあからさまにしています。学者の世界に公然と手を突っ込んできました。歯止めの利かない恐ろしさを感じます。
(図:東京新聞10月2日付一面記事。拡大はクリックで)
学術会議8496

関連記事菅首相、日本学術会議「推薦候補」6人の任命拒否 「共謀罪」など批判、政治介入か 2020/10/01 14:57

(3)森永氏。外資を論ず
 金子勝氏(1975東大・経済学部卒)は森永卓郎氏(1980東大経済学部卒)を評して「彼は政府にたてつかない」と皮肉を飛ばしますが、私には森永氏の言説のほうに説得力を感じています。
[森永卓郎]経済評論家さんが隠している事。それは日本の大企業がほとんど外資に乗っ取られていて日銀の発行するマネーが毎日毎日海外に流出していること。【大竹まこと ゴールデンラジオ】


(4)党人派、官僚派
 さてさて、安富氏の現内閣分析です。「党人派」と「官僚派」の相克という面を抉り出します。一方で現内閣が(米国軍産複合体の圧力によってか)岸信介の亡霊をひきずりだしているとは安富氏の分析です(9月20日記事
東大教授と語る【自民党の崩壊】菅義偉総理の闇の戦い。二世議員貴族達と成り上がり達の国民無視の攻防。議会制民主主義と国民国家システムの問題点。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高


+++++阿夫利・サカと「稲城」
 神奈川県伊勢原市の北西端に在する標高1262mの大山(丹沢・おおやま)頂上近くに亜夫利神社は鎮座します。大山の、言葉を変えれば神社の南に配されている一宮〜三宮の呼称が、ゾロアスタ教を構成する八神(「ゾロアスタ教」、岡田明憲著)の内の三神の呼称を連想させることを書いてきました。いうまでもなく「阿夫利」が最高神・アフラマズダに由来した呼称であるので、それに驚きはありません。むしろ相模国とゾロアスタ教との密接な関係の傍証となっていると思っています。

 ところで、「密接な関係」を証拠立てるために本ブログで用いてきたのが「シリウス方位」です。ところがその「シリウス星」方位が相模国という現場に見つからないことが気になっていました。いずれ、その考察はせねばなるまいと思っていたところ、案の定、知人からその指摘を頂きました。改めて相模国を精査することとなりました。というわけで、前回の続きである「稲城」考察を次回に順延し、相模の国のゾロアスタ教痕跡の探索作業を今回の本ブログ記事で書きます。

「相模」(サガミ)なる呼称が「サカ」に由来していることは明らかです。必ずやどこぞにシリウス星観測の痕跡が見つかるはずです。先日、市の図書館で神奈川県に関する文献・資料などを眺めてきました。が、もとより茨城県の田舎市の図書館に他県の資料がそろっているわけではありません。ましてや、私の視点から神奈川県を論ずる本などの出版物はありません。それでも、気づかされたのがネット地図や、ウイキなどの通り一遍の探索では見えなかった「大磯」の重要性です。吉田茂元首相の生地であり、かつ別荘地などに強い反感意識があり、曇った目と先入観が禍いし大磯探査をスルーしてきました。「アフリ」(麻生)とは直接関係ないと想像しますが、吉田一族の娘が麻生財閥に嫁いで、現在のあの「無教養・傲岸」な副総理が生まれたこともスルーの一因かもしれません。

 というわけで、先入観を排し「大磯」を調べてみました。この調査で大磯には多くの歴史を暗示する事物が潜んでいることを知りました。順不同でそれらをあげると、まずは国府の存在です。現在の六所神社です。ウイキは以下を書きます:
六所神社  
「崇神天皇の時代、出雲国(現在の島根県東部)より移住しこの地を開墾した人々は、この地を柳田郷と名附け、出雲の祖神である櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊を祀って柳田大明神と称し、現在地より北西1kmの石上台(伊勢神台)に社殿を築いた。『六所明神之縁起』[注 1]によれば、創建の年は崇神天皇甲申年[注 2]と伝えられる。

養老2年(718年)元正天皇より国司に対し、勅を以って当社を相模国の神祇の中心として総社に定めるという宣下がなされ、これにより同年閏4月8日[注 3]に現在地へ遷座した。平安時代には国府に近い当社に国内有力5社の祭神の分霊を勧請し、国府六所宮とも称されるようになった。また社伝によれば、天応元年(781年)5月5日の早良親王夷賊征討に際し退攘祈願が行われたとしている。」
(図:主要地名 「地名辞典」より。中央海岸近くに「石神台」が見える。また「谷戸」(ヤツドの音写と考えられる)なる地名も複数見える。拡大は図のクリックで)
相模主要遺跡8470


 この記述からわかることは、この神社が崇神天皇と関係付けられていることです。そのままそれを信ずるならばそれは早くとも七世紀末即ち美麻貴天皇の常陸国軍事侵攻の前であろうと考えることができます。社殿は当初、「現在地より北西1 kmの石上台」に築かれたと書きます。石上は地図では「石神」と書かれています。この相模の地に関心を抱いたきっかけは常陸国行方郡に登場する麻生里(あふり)です。この地には「石神」なる地が残っています。さらには前回記事の「木目」(くめ)の近辺は「石神井川」の源流があります。

 もう一つ私が気にかけているのが高麗山 です。ウイキは以下を書きます:
「高麗山(こまやま)は神奈川県の平塚市と大磯町に跨る山。大磯丘陵の東端にあたり、標高168m。
広葉樹の自然林が残り、( 中略)名称は高句麗(中国東北部から朝鮮半島北部にわたる地域)からの渡来人に由来するといわれる。
歴史
地元では高麗寺山(こうらいじさん、こうらじやま)とも呼ばれているように江戸時代まで高麗寺という寺が山中にあり、現在の高来神社も高麗神社として寺内にあった。高麗寺は高句麗から渡来した高麗若光を祀った古い寺院と言われる(中略)
地名の由来
高麗寺山から現在の高麗山になった。否定する人もいるが、7世紀に滅亡した高句麗からの亡命者の一部がこの付近に定住し、寺院を建立してこの名をつけたと考えられている。このことは付近の古墳群から出土した装飾品や山の南側にもろこしが原(現在は唐ケ原、とうがはら)という地名が残っていることなどからも推測できる。唐ケ原は菅原孝標女(すがわら たかすえのむすめ)が更級日記に「もろこしが原に大和撫子(やまとなでしこ)しも咲きけむこそなど人々をかしがる」と書いた地とされる。この地に一旦は定住した大陸からの移住者は、その後現在の埼玉県にあった高麗郡に集められ移住していった。旧高麗郡の埼玉県日高市に高麗神社と高麗山聖天院(現在は真言宗)があり、どちらも高麗若光に縁がある。」

 前回記事で、書いた武蔵国「木目」(くめ)の北東にあるのが埼玉県日高市高麗神社です。現ブログ管理人は次回にこのことの来歴を書こうと考えており、次回の記事で詳述します。

 さてこうした日本列島古代史とりわけ相模国歴史を探る上での重要な史実の中でも、とりわけ重大な事実を知りました。それは「神揃山」の存在です。以下はその探索から知ったHP記事です。興味深いので全文を転載させて頂きます:
%%%%%神揃い山の神体石
大磯町国府の鬼門の方向には、神揃山があります。5月5日の国府祭(コウノマチ)の斎場のひとつで、相模の神々が集う神域となっています。そこには六社の神体石が置かれていていますが、その配置は謎となっています。
(図1:配置順 手前から三石は、川匂(かわわ)神社、平塚八幡神社、前鳥(さきとり)神社です。真ん中の二石は右から、寒川神社、六所神社です。遠くの一石は比々多神社です。拡大は図のクリックで)    
201001神揃いaP1260004

三石は、南北に並んでいます。二石は富士山の方向を向いています。一石はひとつなので
方向不明に見えますが、六所神社の一石には中心に穴があり、この穴から方向を見ると
鷹取山と大山の方向になります。不思議と思えるのは、神揃山からは鷹取山、大山が
直線上にあることです。カシミール3Dで検証すると342度で全く同一線上です。

配置の意味は、それぞれの神社の志向するところの、方向を示していると考えます。
三石の川匂神社、平塚八幡神社、前鳥神社は、南北を意識した神社。
二石の寒川神社、六所神社は、富士山を強く意識した神社。その理由として寒川神社は、
お彼岸の例大祭をもっとも大事な行事としており、その日に、ダイアモンド富士が神社で
見えます。
六所神社も櫛祭りの日にダイアモンド富士が、元あった石神台で見れます。
一石の比々多神社は、大山を意識した神社と思われます。

それぞれの、神体石の間隔の意味については、まだ、解釈できていません。
六所神社の神体石以外の5神体石は、実際の南にある神社の順に、川匂神社、
平塚八幡神社、前鳥神社、寒川神社、比々多神社と置かれています。
そこで六所神社の神体石が要石となって配置されていると思われます。
(図2:神揃山から鷹取山を経て大山に通じる直線。拡大は図のクリックで)
201001神揃いbsintaiseki2
  

(図3:神揃山。拡大は図のクリックで)
201002神揃いcshintaiseki

 %%%%%転載終わり
 図3でHP作成者が描く矢印は紛れもなくシリウス星方位です。作成者自身も図2でこの方位が162(342−180)度であることを実測しています。念のために先ずはそれを確認します:
exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 二点間の方位角、距離計算のプログラム。
epi(lat,lon)=>[35.431888,139.238235] 阿夫利神社の位置(緯度、経度)
sta(lat,lon)=>[35.316259 139.283621] 神揃山の位置
D,A,B= 13.5-km 162.24 342.27 0.12deg 阿夫利神社から見た神揃山の距離、方位
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1) 方位から推定される年代計算プログラム。
azimth= 162.2,age= 570.8 神揃年代
 HP作成者の計測と球面三角法による現今計算結果はピタリと合致しています。これは当たり前のことで驚くことではありません。 シリウス星が162.2度の方位に輝くのは西暦570.8年頃の夏至日深夜と算定されます(参考記事:2018年2月5日記事
 この年代の歴史的意味を考察する前に、本ブログが対象としてきたいくつかの代表的歴史地点での、夫々の設営年代を参考までに年代の古い順に見ておきます:
須賀川・二等辺三角形・中線(福島県):374年(19年9月23日記事 
飯豊山―伊佐須美神社(福島県、陸奥国二宮):450年(19年9月23日記事
八溝山―鹿島神社(茨城県、常陸国一宮):464−531年(18年2月5日記事
稲荷山古墳―宮戸神社(埼玉県志木):519年(18年2月12日記事) 
嵯峨愛宕―箸墓古墳(京都・奈良)570年(20年5月10日記事
雷山―八代(福岡・熊本):657年(18年8月8日

 すでに書いたように、私の日本列島古代史観では美麻貴天皇は「シキ」(埼玉県志木)に陣屋を構えていた。その地はかっては「ワカタケル王」(サキタマ古墳群から出土した金錯鉄剣銘に刻まれている)の「宮」であった。それを奈良の大和朝廷が東国征討のために軍事攻略して奪い取った。美麻貴天皇は最強の敵が待ち構える常陸国侵攻に先立って周辺国の軍事鎮圧を行っていた。その軍事行動の一つがここ相模国であり、さらには隣の武蔵国である。どちらも奈良の政権が蛇蝎のごとく忌み嫌う蝦夷でありその主力はゾロアスタ教信奉集団である。常陸国制圧後、殺害を許された被抑圧民が武蔵、相模に分断して配置されたのです。強制的に移住された民が蝦夷一派であったことを隠蔽するため、彼らは高句麗から来た一族と続日本紀は書きます。それが一般に流布されてる「高麗」です、こうした史実を隠蔽するために藤原不比等が考え付いた「筋書」である。と、私は考えています。

 神揃山上の計算(方位角)が意味するところは以下です。そもそもゾロアスタ教信奉者を中核とする蝦夷(奈良山と王朝が付した蔑称ですが便宜上このまま使用)は南進します。一隊は鹿島・行方に強固な陣地を構築します。もう一つは現在の埼玉県志木に陣屋を構え武蔵・相模の国に進出します。
 相模の国での陣屋設営の場所選定の重大作業がまずはシリウス星観測点の決定です。それが丹波大山です。そこからしりうし星の方位を精密に観測し、現在の神揃山に陣屋を置くこととしたのです。それが西暦570年ごろというわけです。大陸で隋王朝が建国される20年ほど前ということになります。西域からの渡来民が鹿島に拠点を設ける作業を開始したのが五世紀半ば、完了したのが六世紀半ばです(上述の計算)。
 一方、志木にももう一つの拠点を設営したのが六世紀初頭です(ワカタケル王)。鹿島に拠点を置いた一派はこれから遠く九州までその勢力を拡大すべく海路で遠征したでしょう。一方、志木の一派は近隣への勢力拡大です。それが、上に書いた大山ー神揃山シリウス星側線でそれは六世紀後半です。いろいろなことが時間順で理解できるようになったのです。「神揃」の「ぞろい」はゾロアスタ教・教祖「ザラストラス」の「ザラ」に由来しているのではなかろうかとかなとも思えます。

 要約すると、これまで明らかでなかった関東地方の古代史跡が時間的空間的につながって、結果としてその全貌が見え始めるのです。日本列島の古代史研究はこれまで「近畿覇権主義」によって厳しく視野を狭められてきたと思っています。西域からの渡来人を古代史研究の中に真っ当に位置づけることで以って関東地方の古代史がおぼろげながら見えてきました。
 (つづく)

阿夫利神社(4,稲城),半沢直樹感想(与党幹事長),菅政治(三橋貴明氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:朝の散歩道に散乱する団栗。)
団栗8459

 どんぐり


目の前の 政治にかさねる 芝居見て その面白さに 惹きこまれぬる

 飯時(めしどき)に、録画してあった「鬼平犯科帖」などのチャンバラ物を視聴する以外はほとんどTVを視聴しないのですが、「半沢直樹」は毎週欠かさずリアルタイムで視聴してしまいました。舞台にせよ映像にせよ「ドラマ」というものは真実をありのまま写し取ればよいというものでは無いんですな。それは小説も同じ、また歌舞伎、歌劇が成立するゆえんです。作者と演者が、筋書きのなかでとりわけ強調したい、観客に訴えたい力点の表現方法・形態こそがドラマの主題の訴求力を高めるということを知りました。
 とかく銀行は「貸し渋り」、「貸しはがし」そのくせ権力には逆らわず「不正融資」を重ねる。儲けに目がくらみ結果として莫大な不良債権をかさね国民の税金で補填する。池井戸氏の小説はこうしたこれまでのわれわれの銀行像とは違う様態を描き出します。多くの一般行員は「顧客獲得」の厳しいノルマに悲鳴を上げる、一方で支店長などの中間管理職は立身出世一筋、そこからこぼれる多くの彼らの悲哀、そして上級幹部の激しい派閥抗争を明るみに出しました。
 とかく銀行にはこうした悪役イメージ、暗いイメージが付きまとっているけれども、原作者の池井戸氏は現代社会での銀行の「社会発展」、「零細企業救済」、「技術開発援助」などの役割に焦点をあてそれを強調します。それを体現しているのが主人公の半沢直樹氏です。今般のドラマも社会が銀行に期待する役割と、銀行がかき集めてきた預金に意地汚く群がる悪徳政治家との息づまる攻めぎ合いでした。それだけにあの悪人面の2F( 二階)幹事長を髣髴とさせる、ドラマ中の幹事長の敗北はまことに気持ちのよいものでした。現実の政治もかくあってほしいものです。とりわけ2F氏への国民の信頼が崩壊し、結果として菅政治の終焉へのきっかけとならないかなどと夢想しています。
%%%%%「半沢直樹」根強い「ラスボス・箕部=二階幹事長モデル説」のリアルすぎる根拠 9/27(日) 22:15配信
 堺雅人(46)が主演するTBS系ドラマ「半沢直樹」が27日、最終回が放送された。  ドラマの終盤で強烈なインパクトを残したのが、柄本明(71)演じる進政党の箕部幹事長だ。最終回直前の第9話では、半沢に過去の不正を暴かれながらも、逆に半沢に土下座を要求。「この小わっぱぁ! はよやれえ!」とすさまじい形相で怒鳴りつけるシーンは、視聴者にかつてない衝撃を与えた。  その強烈な存在感もあってか、ネット上では箕部幹事長の爛皀妊訝気鍬瓩熱を帯びた。これまで民主党時代の小沢一郎幹事長(78)、仙谷由人官房長官(故人)などの名前が挙がったが、猖槎浸覘瓩気譴襪里自民党の現幹事長・二階俊博氏(81)説だ。  その根拠は、ドラマで箕部幹事長の不正がお膝元の「伊勢志摩空港」を舞台に行われている点にある。二階氏の選挙区は和歌山。「二階説」は役職が一致する上に、その地盤の犇瓩記瓩砲眄眛昔呂ある。  さらに「二階説」を後押しする強烈な根拠があった。1991年に二階氏の地盤・和歌山で行われた「日本航空社宅地3倍買収問題」だ。概要は、日本航空が社宅用地として和歌山市の山林を購入する際、地価の3倍にあたる約152億円で購入。その土地は当時自民党議員だった二階幹事長の後援会幹部が所有しており、二階幹事長は日本航空との交渉に同席したことも明らかになっている。  ドラマでは箕部幹事長の親族企業が持つ土地を、日本航空のモデルとされる「帝国航空」が伊勢志摩空港の建設予定地として高値で購入したことが猊埓記瓩糧端となっており、詳細は違えど当時の状況と酷似している。  ちなみに二階氏は93年に自民党を離党。新生党の議員として細川内閣で運輸政務次官の職に就き「影の運輸大臣」と呼ばれた。その後、2002年に自民党に復党。先の自民党総裁選では菅氏の当選を後押しし爛ングメーカー瓩屬蠅鯣揮するなど、80歳を超えた今もらつ腕ぶりを発揮している。  柄本明のド迫力の演技もあり「半沢直樹」でも牘△亮臾鬮瓩箸覆辰震部幹事長。ドラマ同様のことが現実に行われていたとしたら――。一部には「こんな銀行員、いるわけない」「脚本と演技が大げさすぎて、現実離れしている」という指摘もあった「半沢直樹」だが、リアルに迫るギリギリのストーリーも、高視聴率を支えた要因なのかもしれない。
%%%%%

 私の周囲にいる人たちのほとんどが「世論調査が菅首相への支持率七割越えを弾き出した」に言葉をなくしています。私もその一人です。いつも視聴する安富歩氏も「パンケーキがおば様方の胸にひびいた」とヤケクソ気味に語っています。何人かは世論調査の設問に疑問をぶつけます。江戸時代の民衆の権力畏怖意識が残存しているだの、欧州のような民主主義思想を日本人民は闘いとったのではなく、「お上から下げ渡された」からであるとか、論者は「八つ当たり気味」であります。
 そうした八つ当たり議論とは別視点から現在の政治を直視した議論を二つ以下に転載します。安富氏にしても、下の動画で語る波頭氏にしても共産党の主張への大きな敬意を表明します。にも拘らず「共産党」という呼称への固執が大多数国民の結集を妨げていることを率直に指摘します。十年ほど前は「確かな野党」なぞの世迷い言を口にしていたことを思えば、現今は大きく変割ってはいるのでしょう。この党が真に自公政治終焉を訴えるのであれば、更なる変貌が求められると思っています。
就職人気急上昇の外資系コンサルや金融マンはなぜネオリベにハマるのか?〜ゲスト企画第10弾経営コンサルタント波頭亮先生インタビュー〜

 
 以下の動画では、前半だけを視聴していると、「どうしようもない絶望感」に捕われます。どうすりゃいいんだ!。政治家と官僚の関係は「バランス」の保持であるはずが、今はその一方に偏っている。一昔前はその逆であった。それを国民視点から健全に糾すのは、結局は国会だけがその機能を有しているということを再認識させます。
【緊急配信】菅政権誕生、日本は竹中平蔵に乗っ取られるのか?国民の9割が知らない菅内閣が日本を滅ぼす3つの理由(三橋貴明)

 
社会・政治問題ランキング

 最近、国際五輪委員会の委員長・副委員長が相次いで来年の五輪実施を口にしています。客観情勢は、どう逆立ちしても五輪開催はできっこないと思えます。そのことにダンマリを決め込んでいた五輪スポンサ企業の一つである朝日新聞がついに重い口を開いたようです。
オリンピックは99%不可能と五輪スポンサーの朝日新聞社も言い出した意味。本来味方であるメデイアまで中止論を言い出しす。追い詰められた五輪貴族達。元博報堂作家本間龍さんと一月万冊清水有

関連記事:
%%%%%本間龍「東京五輪開催は99%あり得ない。早く中止決断を」スポンサー企業に名を連ねた新聞社に五輪監視は不可能だ 石川智也 朝日新聞記者 9月27日

+++++阿夫利神社(5)
日本列島古代史を議論している本ブログの昨今の記事の主役は「麻生」、「菅」なる呼称です。それだけをブログ記事で連呼していると、まるで現今の日本の政治状況を考察しているのではと勘違いされそうです。本ブログ管理人は東国生まれの東国育ちです。そして、八世紀の初頭、ゾロアスタ教最高神であるアフラ・マズダ(漢字音写は「麻生里」または「阿夫利」など)を信奉するサカ族(漢字音写は「菅」、「須賀」、「栄」、「佐賀」、「桜」、「蘇我」 など)は奈良の「大和朝廷」(この呼称も八世紀初頭後に生まれた)による残虐な軍事行動に殲滅されました。一部の残党がその殲滅を逃れ、遠く東北日本に逃れ、くすぶった火が燃え上がるかのように時たま反乱行動を起こしたのです。それが八世紀末の岩手の「アテルイ」の乱です。またくすぶった火は燃え上がらずとも地下に沈潜し白山信仰のような宗教を生みました。
 東国は八世紀以後長く近畿中央から厳しい差別と抑圧を強いられていたのです。菅首相の生地・秋田もそうした怨念が沈潜した地の一つであった。私はこの東国の「血と涙」を受け継ぐものとして「スカ」「アフリ」に強い共感を抱いています。しかるに、現今の政界最上層にいる「スカ」「アフリ」はどうなのか?あの「麻生氏の無知と傲慢」、「菅氏の秘密警察そのものの政治手法」に直ちに思いが至ります。そもそも1400年近くもの時の隔たりが日本列島の精神風土を変えたのでしょう。現今の政界最上層にいる「スカ」「アフリ」は、その精神風土の傍系にあって「こ狡ずる」区、生き延びた係累であろうと思うことにしています。彼ら自身はそのまま歴史の悲劇を放擲していると思っています。
(図:神奈川県南部の地図。赤丸は右下から足柄神社、大山阿夫利神社、町田、麻生地区。拡大は図のクリックで)
200927町田無題


 さて、前回の話の続きです。阿夫利神社から北東30kmほどに位置するのが 川崎市麻生区です。これは川崎市の人口が急増して1982年に新設された行政区です。調べてみると、この地区表示は露出しないまま深く長く潜行していた呼称であったことがわかります。言葉を変えれば、長い過去にさかのぼれるほどの昔からの呼称です。この麻生区の北隣にあるのが「稲城」で、日本書紀に数回登場します。研究者は稲を積んで作った城であると説明します。が、私はこの説明を疑っています。それが「原語」そのものを音写した漢字表記であれば、その原語を知らずしてこれ以上の議論はできません。「城」を「ギ」と訓(よ)むのは何時頃なのか?などなどわからないことだらけです。まずは日本書紀に登場する場面を以下に書きます:

 以下の記事の背景をまずはざっと書いておきます。崇神天皇の三男である垂仁天皇の治世五年の出来事を日本書紀・巻六は語ります。以前より、皇后の兄である狭穂彦は、連れ合いである天皇を亡き者にせよと妹に働きかけていたんであります。しかし、妹はなかなかそれを実行できぬままに時が経ち、皇后の挙動からその心情を天皇が知るところとなってしまいます。
原文:
《垂仁天皇五年(丙申前二五)十月己卯朔》五年冬十月己卯朔。天皇幸来目。居於高宮。時天皇枕皇后膝而昼寝。於是。皇后既無成事。(中略)天皇謂皇后曰。是非汝罪也。即発近県卒。命上毛野君遠祖八綱田。令撃狭穂彦。時狭穂彦興師距之。忽積稲作城。其堅不可破。此謂稲城也。踰月不降。於是皇后悲之曰。吾雖皇后。既亡兄王。何以面目、莅天下耶。則抱王子誉津別命。而入之於兄王稲城。天皇更益軍衆。悉囲其城。即勅城中曰。急出皇后与皇子。然不出矣。則将軍八綱田放火焚其城。

文意(岩波文庫「日本書紀」(二)28頁):
紀元前25年冬十月、天皇は天皇は来目に行幸し高宮にいた。ある時天皇は皇后の膝枕で昼寝をしていた。皇后は既に成事をなすことはないと考えていた(中略。耳穴の掃除をしながらうっかりと涙をこぼすなどの挙動を不審に思った天皇に謀反を白状してしまう)。天皇は「是は非汝罪也。ただちに近県の卒をひきいて上毛野君の遠祖である八綱田の命じて兄である狭穂彦を撃つよう命じた。狭穂彦も兵を興して反撃し忽に稲をつんで城をつくる。其堅きこと破ることができないほどであった。此が謂稲城也。実に月をまたがって抗戦した。皇后悲しんで曰く「吾は皇后であるが兄王が亡ければ。面目がなく、天下の地位にいることはできない」と。王子である誉津別命を抱いて兄王のいる稲城にはいった。天皇は軍勢を増強し其城を包囲し城中に向かって曰く「ただちに皇后と皇子は城から出よ」と。然し、出てこないので、将軍八綱田は火をはなち其城を焚く。

 上の説話は、美麻貴天皇(崇神天皇)の時代に近接しています。本ブログの論じてきた筋書きからすれば、それは紀元前25年ではなく、八世紀初頭ごろのことです。現在の埼玉県志木に陣屋をかまえて主として常陸国侵攻に力を注いだ結果、東国を制覇し御肇国天皇として古事記・日本書紀に銘記される美麻貴天皇の治世直前ということになります。常陸国制覇ではすでに書いたようにその侵入口は下毛野国です。当然、すでに支配下においていた毛野国の人間が軍事行動では登用されたでしょう。名前は「八綱田」とあります。「ヤツド」を連想させる呼称です。
 美麻貴天皇が行幸した「来目」は「粂川(久米)」の流域と思われます。この川は柳瀬川とも称されて現在の狭山湖あたりを源流として現在の東京都東久留米の北縁を東に流れ、やがて志木、すなわち美麻貴天皇の「宮」の南を東にながれる河岸川に合流し荒川に流入します。話の舞台が具体的に見えてきました。
(図:狭山湖(左中央)と久米(中央、所沢校の南々東500m)。久米の近傍を流れる川が柳瀬川と呼称を買えて志木をへて荒川に流入する。久米と狭山湖の中間あたりに「山口」城址があるが、これが稲城であるか否かは定かでない。拡大は図のクリックで)
200929久米無題

 「狭山」なる呼称は皇后の兄である「狭穂彦」に由来するのだろうと考えています。つまり、上記の説話は近畿の奈良界隈の出来事ではなく文字通り関東地方での出来事であることが見えてきました。

 次回、日本書紀に登場するもう一つの「稲城」を書きます。これも関東地方、しかも麻生近辺の出来事であると理解できる説話です。
(つづく)

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阿夫利神社(3),官僚論(古賀茂明氏)、村木事件(郷原氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:冬眠する時期が迫りなにかと忙しいのかもしれません。一匹の古蛇が草むらに向かってせかせかニョrニョロと「走って?」いました。蛇8439 


足早に 秋が深まり 蛇たちは 眠る準備で 急がし気(げ)なり

 前回記事では、外務官僚を話題にしましたが、今回は経済産業省官僚です。ここ二十年間は、小選挙区制のために二十万票足らずの得票で国会議員は衆議院に登院できます。日本国の有権者総数は七千万ほどでしょうか?わずかに0.3%です。地域少数の民から選出された彼らが「大きな顔」をして官僚を怒鳴りつけて私利私欲に走る。若手の有能な人材に議席を譲ることをせず、しがみつくために、なんと80歳を越える老人が「でかい面をして政治家でござい」と威張り腐っています。我が同胞はなぜかそうした現況を怒らず、それどころか七割以上が「よくやっている」なぞと好評価だそうです。先がもう長くない私、せめて日本国に正義が通ずる姿を見つつこの世をオサラバしたいものです。

古賀茂明と佐高信の『官僚と国家』第2回 安倍・菅の壊したもの 20200922


+++++日本司法は安倍時代を引きずるのか?
 河井元法相の裁判引き伸ばし作戦とそれを容認する検察、裁判所の「大甘」ぶり、そして一審で審議をつくした挙句の無罪判決を二審でろくな審議もせず、検察のメンツに忖度してあっさりとひっくり返す裁判所。改めて、日本の司法に取り込まれたら有罪を何が何でも覚悟せねばならないという恐ろしさを実感します。村木事件はまさに敵失に油断が重なったゆえの僥倖であったことを郷原氏の解説で理解しました。
(図:東京新聞9月21日づけ記事。拡大は図のクリックで)
村木裁判8450

関連記事:
%%%%%無実の勾留164日「検察権力は抑制的に使って」 元厚労次官・村木厚子さんの訴え 証拠改ざん事件10年 2020年9月21日 06時00分
大阪地検特捜部検事の証拠改ざん事件 元厚生労働次官の村木厚子さんが郵便不正事件で無罪になった直後の2010年9月21日、大阪地検特捜部の検事(当時)が証拠品のフロッピーディスクを改ざんしたとして逮捕された。元検事は証拠隠滅罪で懲役1年6月の実刑が確定。元特捜部長と同副部長は、改ざんが故意と知りながら過失として処理したとして犯人隠避罪に問われ、執行猶予付きの有罪判決を受けた。最高検は同年12月の検証報告書で「村木氏を起訴すべきではなかった」と指摘した。
(図:村木さんが勾留中に記した「被疑者ノート」の写し。「否認しつづけると重い刑になる」と書かれている=村木さん提供。拡大は図のクリックで)
200926村木無題

%%%%%
関連記事:
%%%%%関連記事: 「倍返しにしてやる」 検事は怒鳴って顔を近づけた 証拠改ざんから10年、道半ばの検察改革 2020年9月21日 06時00分

【大阪地検証拠改ざん事件から10年、改ざんはなぜ発覚したのか?真相に迫る!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#35


+++++コロナウイルスの空気感染可能性
 我々日本人にしてみれば今更何が問題になっているのかといぶかしい思いですが、米国のCDC指針をめぐってなにやら米国内で騒動があるようす。これは大統領選挙を控えるトランプ行政が関わっているのか、否かはニュースだけではわかりません。ともかく米国の権威ある機関であるCDCが本年2月の日本国内での「専門家会議」と同じように揺れているということなのでしょうか?
%%%%%New CDC guidelines say coronavirus spreads through air. Then CDC deletes them. By Yasemin Saplakoglu - Staff Writer 3 days ago
新しいCDCガイドラインは、コロナウイルスが空気感染すると書いていた。そして、CDCはそ野記述を削除した。
Yasemin Saplakoglu - スタッフライター 3日前
The agency says a "draft version" of the new recommendations was posted in error, and that it's currently "updating its recommendations."
CDC当局は「新しい指針の原案を誤って掲載してしまった。現在それを改定しているところだ」と語った。
Once again, the U.S. Centers for Disease Control and Prevention (CDC) has provided guidance on COVID-19, only to contradict itself later. The CDC acknowledged what many scientists have been saying for months: that the novel coronavirus can spread through small airborne particles that can linger in poorly ventilated areas. Then a few days later, the agency walked it back.
繰り返しになるが、米国疾病対策予防センター(CDC)はCOVID-19に関する指針を公表してきたが、それは以前のそれとは矛盾したものだった。CDCは、多くの科学者が何ヶ月にもわたって言っていることを認めた:新しいコロナウイルスは、換気が不十分な室内では小さな空中浮遊粒子を介して広がる可能性がある。それから数日後、CDCはそれを撤回した。

The CDC updated their guidance on Friday (Sept. 18) to say that the virus can be spread through aerosols, or small particles that can linger in the air, according to CNN. The virus commonly spreads "through respiratory droplets or small particles, such as those in aerosols, produced when an infected person coughs, sneezes, sings, talks or breathes," the agency website read. If a person inhales these particles through the nose, mouth, airways and lungs, they can cause infection, according to the website. "This is thought to be the main way the virus spreads," they added.
"There is growing evidence that droplets and airborne particles can remain suspended in the air and be breathed in by others, and travel distances beyond 6 feet (for example, during choir practice, in restaurants, or in fitness classes)," the website said. "In general, indoor environments without good ventilation increase this risk." New CDC Guidelines Deleted Soon After

CNNによると、CDCは金曜日(9月18日)にその指針を改定し、ウイルスはエアロゾル、または空中に残る可能性のある小さな粒子を通して広がる可能性があると書いた。ウイルスは通常、「感染した人が咳、くしゃみ、歌、会話、または呼吸するときに発生するエアロゾルなどの小滴や呼吸器の小滴を通じて」感染する、と当局のウェブサイトは書いている。ウェブサイトによると、人が鼻、口、気道、肺を通してこれらの粒子を吸い込むと、感染を引き起こす可能性がある。「これはウイルスが広がる主な様式であると考えられている」と付け加えた。
「飛沫や浮遊粒子が空中に浮遊したまま他の人に吸い込まれたり、移動距離が6フィートを超える可能性があるという証拠が増えている(合唱練習中、レストラン、フィットネスクラスなど)」とWebサイトは書く。「一般的に、換気が不十分な屋内環境では、このリスクが高まると」。新しいDCD指針はこの記述をすぐに消去したのだ。

The Centers for Disease Control and Prevention acknowledged what scientists have been saying for a while: the coronavirus can spread through the air. Then, they took it back.
In addition to wearing masks, washing hands, cleaning and disinfecting surfaces and staying at least 6 feet (1.8 meters) away from others, the CDC updated its recommendations to say that people should stay home, isolate when sick and "use air purifiers to help reduce airborne germs in indoor spaces," according to CNN.
CDCDはしばらくの間は研究者が指摘する注意すなわちウイルスの空気感染を是認していた。そして後にそれを撤回した。
CDCは、マスクの着用、手を洗う、表面の清掃と消毒、および他の人から少なくとも1.8メートルの距離を保つことに加えて、人々は家にいること、病気のときは隔離し、「空気清浄機を使用」を推奨するようにとの指針に更新した。とCNNは報じた。

But, these new guidelines were quickly taken down from the site and the CDC's current guidance on COVID-19 spread, as of Monday (Sept. 21) no longer acknowledges or even mentions airborne transmission.
"A draft version of proposed changes to these recommendations was posted in error to the agency’s official website," the CDC said at the top of the page. " CDC is currently updating its recommendations regarding airborne transmission of SARS-CoV-2."Once that process is completed, the updated language will be posted, the update reads.
Regardless of the CDC's back-and-forth recommendations, mounting evidence suggests that the virus can spread through the air.
しかし、これらの新しい指針はサイトからすぐに削除され、月曜日(9月21日)の時点でのCDCのCOVID-19普及に関する現在の指針は、空中伝染を認めたり言及していない。
「変更前の草案が、誤って政府機関の公式ウェブサイトに掲載された」とCDCはページの上部で述べた。「CDCは現在、SARS-CoV-2の航空機送信に関する推奨事項を更新した。」この更新プロセスが完了すると、更新された内容が投稿され、更新版が読めるようになる。

Back in July, after being urged by hundreds of scientists, the World Health Organization acknowledged that the virus can spread through aerosols, according to The Washington Post. A number of studies support this conclusion, including one published in May in the CDC's Morbidity and Mortality Weekly Report that found a person infected with SARS-CoV-2 spread it to 52 others at a choir practice in Washington.
This is the latest coronavirus guidance whiplash from the Centers for Disease Control and Prevention (CDC). Last week, the agency reversed controversial coronavirus testing guidelines that had suggested being exposed to a person with COVID-19 didn't necessarily warrant a test, Live Science previously reported.

ワシントンポスト紙によれば、7月に何百人もの科学者に促された後、世界保健機関はウイルスがエアロゾルを介して広がる可能性があることを認めた。5月にCDCの「Morbidity and Mortality Weekly Report」 で発表されたSARS-CoV-2に感染した人がワシントンの合唱団で52人に拡散したことが判明したなど、多くの研究がこの結論を支持していた。
これは、疾病管理予防センター(CDC)からの最新のコロナウイルス指針からの鞭打ちだ。
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+++++阿夫利神社(3)
 日本に渡来した「蘇我」一族の出自は古代ペルシアとその周辺に盤居したサカ族であると渡辺豊和氏は自著で主張しています。経済学者の栗本慎一郎氏が説得力ある論拠を調べた上で、その主張に同意しています。このサカ族の出自、地域的分布、そしてインド、「中国」王朝の版図周辺の諸族、および漢王朝との接触などについては多くの研究があります。杉山氏は以下を「遊牧民から見た世界」(日経ビジネス新書)で書いています。それによれば「中国歴代の王朝は、自らの周囲に跋扈する部族を蔑んでいた。ところが実際の交渉ではひたすら怯え、彼らの言いなりであった。人質を差し出して、彼らが領土内に侵略していることを防いだ。王昭君9Bの事例からもそれは明らかだ」と。  

 日本書紀には「香々背男」なるシリウス星信奉者が登場します。私はこの人物は「高昌(トルフアン)」ゆかりの人物であろうと本ブログで書きました。サカ族と中国王朝および周辺の部族との接触について世界の専門家たちはそれを当然視していたけれども物証が無かったといいます。それを裏付ける古文書が発見されたのは1970年代であり、それは「高昌文書」の中であったといいます(書名が不明ですがその第三部「西風中原に至る」の第四章「ゾロアスタ教東方へ」より、336頁)。
 因みに高昌の首領は「麴嘉(キクカ)」氏です。ウイキは「麴 嘉(きく か、生没年不詳、在位501年頃 - 525年頃)は、高昌国の王。字は霊鳳。金城郡楡中県を本貫とする漢人の後裔。 496年頃、馬儒が高昌王として立つと、麴嘉はその下で右長史となった。501年頃、馬儒を殺して即位した」と書きます。東進するサカ族と共に日本列島東北部に渡来したのがこの「キク」氏の一部であり、岩手県を中心として東北地方に多い「キクチ」姓の由来ではないかと考えています。さらに言うならば、「白山信仰」の主祭神である「菊理」姫の出自でもあったろうかと考えています。これらの研究をすべて俯瞰するべく更なる調査を進めたいところですが、老いさらばえた私の力の及ぶところではありません。念のために付記するならば、ゾロアスタ教が誕生した紀元前六世紀頃から、サカ族とは接触があったともの本は書きます。

 サカ族がササーン王朝の復興に伴って周囲に四散したのか、それとも四散したのは一部で、ほとんどは実はサーサン王朝を支えていたのかは定かでありません。いずれにしても彼らがゾロアスタ教徒であったことは間違いがないようです。
 ところで、紀元前三世紀広範な地域にまたがってに強大な勢力を築いた匈奴(ヒュン)は西に進出し東欧一帯を席巻します。それが「フン」です。サカ族はこの西に伸びた匈奴からも強い影響を受けていると私は考えています。匈奴の特徴を杉山正明氏は「遊牧民から見た世界史」(日経ビジネス文庫)で、その支配体制であると書きます。すなわち君主である「単宇」(ぜんう)と側近である「左右賢王」そして「休屠王」以下の幹部団です。その支配体系は、「左右賢王」すなわち領土を大まかに二つに分割して、二人の直近の腹心に夫々治めさせたといいます。日本に渡来したサカ一族はこの匈奴の権力体制に学んでいたと、私は考えています。日本列島全体でみれば 常陸国を本拠とする東蝦夷(エミシ)です。蛇足ですが付け加えると、常陸国に本拠を置く一族が自らを蝦夷(えみし)と名乗ったわけではなく、それは奈良のいわゆる大和朝廷による蔑視をこめた呼称です。しかし、本記事では便宜上その呼称を使っています。
 話を戻します。日本列島に渡来したサカ一族は常陸国に二人の側近のうちの一人を配し、もう一人を九州拠点に配したと考えています。それが西蝦夷(えみし)です。この西蝦夷は日本書紀が書く「天武天皇」に率いられて果敢に壬申の乱を戦いますが敗北し、東蝦夷に逃れます。その途上でおきたのが天武天皇の諏訪への追討です。これが建御名方命の諏訪幽閉事件です。当然ですが、「天武天皇」が西蝦夷の首領であったはずはなく、その実体・実名は藤原不比等によって隠蔽されたまま現在に至っています。サカ族の首領ですから、日本書紀の上では「蘇我一族」として記載されている人物かもしれません。

 話が脱線しそうなので元に戻します。東蝦夷の話です。現在の神奈川県にある「阿夫利神社」の存在から想像されるのが、東蝦夷版図内部にあっても、その支配は二名の主だった首領格の人物がそれを担っていたとことです。すなわち一つは、常陸国、そしてもう一つがこの相模国です。この相模国内での支配体系がまた二人の準首領格によって束ねられていたと思える節があります。
 それが二つの「マツド」です。「アフロ・マスダ」(ゾロアスタ教の最高神)の叡智を意味する「マズダ」です。一つは阿夫利神社から西の足柄山地のふもとの「松田」です。この地名が遠く平安時代にまでさかのぼる古い名であることは以前書きました。地震研究者にとっては忘れることのできない「神縄・松田断層」すなわち1923年の関東大地震の発生源である地震断層の西端です。この地のすぐ近くに「足柄神社」があり、その境内の拝殿は明瞭な「シリウス」方位、すなわち北北東―南南西方位をとります。残念ながら、地図で見る限りではこれ以上の調査は難しそうですが「足柄山の金太郎」伝説はそうした太古の昔の歴史が映し出されているのではなかろうかと想像しています。

 さて阿夫利神社の東には行政区分では東京都に含まれる「町田」があります。この地名も遠い過去にまでさかのぼることができることをウイキは書いています。この町田界隈にも「ゾロアスタ教を連想させる地名がふんだんに散見できます。何よりも小田急線を町田から新宿に向かって走ると隣の地区はなんと麻生なのです。ここは私が中学生になる前の幼少時代をすごした地であります。

(つづく)

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阿夫利神社(2)、鳩山首相を妨害した外務省

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:当地でもあちらこちらで異常な茸の発生が見られますが、昨日それは竹林でも起きていることを知りました。拡大は図のクリックで)
竹林茸8446


 彼岸過ぎ 暁気付かぬ 秋眠は されどコロナ故 無理して起きぬ

 涼しくなると、まさに「秋眠 暁を覚えず」状態です。コロナは老いぼれにはとりわけ過酷と聞き、それならば免疫力強化というわけで、朝の散歩を続けてきました。が、今朝なぞは「もう一眠り」との強い誘惑です。それを断ち切って布団から這い出ました。

 このところ、安富歩氏の「語り」を掲載することが頻繁です。政局に向ける視点が「ありきたり」ではなく「なるほど」と思わせるような別視点が提供されるからです。今回は「洋物」をありがたがる学者先生への強烈な皮肉です。
 安富氏の皮肉に大いに「溜飲を下げる」気分でありますが、それは私の体内にある「歪」の感応現象かもしれないとの自省があります。すでに本ブログでもしばしば白状してきたように「自身の黄色コンプレックス」、言葉を変えれば「白人への劣等感」が氏の「皮肉」に感応しているとの自覚があるからです。日本列島古代史への関心はその一つの表出なのかもしれません。近く安富氏の「キリスト教観」が語られるとのことで、期待しています。
東大教授と語る【読書とキリスト教】激動の自助時代を生き抜くための学びの大前提。いかにして自分の夢を実現するか。哲学、経済学、自己啓発に存在する大きな誤解。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 前回に続き、孫崎・天木対談です。収録は五年前ですが、提起されている問題・課題は決して古臭くありません前回の対談でチラリと名前が出てきた浅井基文氏が対談に加わるとさらに内容は豊かになるのであろうと思いながら視聴します。(参考:浅井基文氏のホームペイジ

 孫崎氏と天木氏が、今回は日本外交および官僚と政治家を語ります。孫崎氏はウズベク、イランの大使を歴任し、天木氏はレバノン大使在任中に解任という経歴から、中東については広い見識を持っているということが伺えます。
 動画視聴に先立って、私事を書かせていただきます:
 孫崎氏のソ連大使館勤務はモスクワ五輪の時期です。当時「日ソ文化交流」という外務省所管の事業があり、毎年5名程度の日ソ人事相互交流が行われていました。この事業に応募したところ幸いに合格し、モスクワ滞在の機会を得ることができました(16年8月19日記事 )。「合格」と自慢気に書きましたが、実態は競争率は1.0以下であったとのことです。同時期に滞・莫斯科(モスカ、モスクワの漢字表記)した方にはドストエフスキイ研究者の中村健之介氏(当時北大助教授)、教育学者の松野豊氏(東北大学教授)などでした。中村氏が著した「ニコライの見た日本」(中公文庫)は故司馬遼太郎氏が絶賛していました。ニコライとは御茶ノ水にあるニコライ堂にゆかりのロシア宣教師で、幕末から明治の時期の日本人を克明に書きとめています。いたるところに「貸し本屋」があり、江戸の民の識字率の高さに驚愕した等と書かれています。

 モスクワ全権特命大使であり「仏の魚本」と評判される魚本藤吉郎氏の存在が、孫崎氏にとって外交官としての見識を養う上で大きな影響があったと語ります。私ども「日ソ文化交流」滞在者も二回ほど大使公邸で夕食をご馳走になりました。当時のモスクワには日本食レストランなどはありませんから、刺身、日本からの蜜柑、焼き魚などを貪る様に食したことを覚えています。現地の高級ウオッカ、コニャック等もテーブルに並んでいましたが、それには目もくれず、この時ばかりは日本酒をグイグイと意地汚く体内に十分浸み込ませるべく「飲み貯め」しました。会食に同席した公使がドストエフスキの愛読者であったことから、食事中の話題はもっぱら中村氏が経巡ったという小説「罪と罰」の現場、例えばラスコーリニコフの下宿、金貸し・アルーナ婆さんの住まいであったりでありました。モデルがあったとはいえ小説の舞台装置が残されていることに驚いたものでした。その会食の席には孫崎氏は居られなかったようです(記憶が定かでない)。帰国後、現地の警察から一回、東京の警察庁・外事課から二回ほど「ソ連の話を聞きたい」との電話がありました。当時は冷戦時代です。

 四半世紀後に私は魚本大使のご子息と職場をご一緒することとなり大いに驚きました。ご子息の語る父親像は下の動画で孫崎氏が語る像とたがわぬことを確認しました。この時期に私は孫崎氏と二回目のすれ違いをしています。それはウズベキスタンです。氏はその頃ウズベキスタン大使を勤められており、私は国際連合事業・関係者としてタシケントに二週間ほどの滞在をしました。私にとっては二回目の滞在です。二回目のタシケント滞在は驚愕の連続でした。25年前にモスクワで一緒に共同調査をしていた若き研究者が故郷のタシケントに戻っていました。が、それは研究者としてではなく「商社マン」それも大成功を収めた、いわゆる「新ウズベキスタン人」としてタシケント経済界の大物にまでなっていたのです。現地通貨はインフレのため価値が下落したためでしょう。彼がレストランで支払いをするときの札束の厚みたるや10cmもあろうかと思われました。それを背広の両ポケットから取り出します。クレディット・カードなんぞは信用できないと言います。一流ホテルでの夕食後、いろいろな遊びに誘われ連れ回され、深夜たどり着いたのが高級マンションです。一階、二階の全フロアを占有しており、一階フロアには大型のドーベルマンが二頭徘徊しているんであります。ソ連崩壊後の著しい治安悪化への防御策でありました(16年4月11日記事 )。
 さて動画での対談内容です。前半は外務省内部での問題処理です。女にだらしない、傍若無人な振る舞いなど外地の外交官にまつわる不祥事は、かって鈴木宗男氏が国会の場で質問趣意書という形式で政府を糾していました。が、そうした低俗でミーチャン・ハーチャンが喜びそうな問題には触れません。外地にあったときには少なくない日本人外交官があの特別な宗教団体のメンバであることを知り驚いたものです。外交官の相当多数がメンバーであるとされる鳳会(おおとり)が、外務省政策立案にどれほど大きな影響を与えたのかについてについての言及がほしかったと思いました。これも外部のミーハ人間が食いつきそうな話題です。
 外務省が後世厳しく指弾されるとすればそれは鳩山内閣つぶしの首謀者であったことです。この動画はそれについて語っています。まさに日米同盟維持の主役として振舞ったのが外務省であったことを両氏は指摘しています。これはまさに官僚と政治家との関係です。結局ほんの一握りの志ある市かも声を出すことができる外交官が眺めた外務省譚というわけです。
『日本外交 現場からの証言』刊行記念対談 孫崎享・天木直人


+++++「アフリ(2)」
 茨城県行方市とその周辺に存在するゾロアスタ教信奉一族の痕跡を考察してきました。日本列島内でゾロアスタ教は常陸国と周辺にのみ限られて存在していたのであろうか?それとも列島内にある程度拡がっていたのであろうか?これを知ることは、ゾロアスタ教が日本列島内の政治・文化への影響を知るためには重要です。
 奈良の正倉院御物にゾロアスタ教の影響が認められることは伊藤義教氏が指摘するところです(「ペルシア文化渡来考」(岩波、83頁))。しかし、これは遠く西域から流れ辿り着いたペルシア人がもたらしたに過ぎないとすれば、それはたんなんる「点」です。ところが、伊藤氏は、奈良の二月堂など奈良の寺の仏事にもゾロアスタ教の影響が明らかであることを指摘しています(上掲書(岩波、119頁))。どうやら日本列島の宗教に影響を与えていたことがわかります。しかし、それは藤原不比等が日本列島の政治権力を実質的に握った八世紀のことです。それ以前はどうであったのか?
 伊藤氏は日本書紀を丁寧に読み取り、ペルシア人が彼ら関わったであろう土木工事等にも言及しています。現ブログ管理人は伊藤氏の調査に倣い、日本書紀、万葉集初期歌群を注意深く眺める作業を通じて同様がおきていたことを確認しました。例えば、肥前国(佐賀県)の土木工事にも認められと考えそれを本ブログで書いてきました。

 そこで、現在の日本列島にゾロアスタ教の痕跡を「地名」にとどめている地を探し始めました。鍵は「アフル」、「ヤツド」、「マスダ」などです。そうして探し得た一つが神奈川県の大山阿夫利神社です。
 この神社境内の拝殿は北北東―南南西すなわち反シリウス方位です。言葉を変えれば、この神社の地にはそもそも渡来民が拠点を構築しており、外周の一角に築いた門から陣屋へ通ずる路はシリウス星方位であったはずです。この先住の渡来民を暴力で追い出した奈良の大和勢力は、その地に渡来民を鎮魂するための施設を建造します。それが神社です。多分建造物の配置も似たようなものであったのかもしれません。唯一大きな違いは門から建造物へのアクセス路、すなわち参道です。勝利者たる奈良・大和朝廷はその参道をも先住者のそれに習うことに強い拒絶観があったのでしょう。かくして、「神社」の参道は逆シリウス方位として設計し建造したのです。その事例を本ブログでもいくつか見てきました。一つは埼玉県・行田市内の埼玉(さきたま)古墳群です。もう一つは岡山の造山・作山古墳です。
 阿夫利神社の南側に三角形の形状をなして三大古社が配置されています。武蔵国一ノ宮である寒川神社(さむかわ)、二宮である川匂神社(かわわ)、そして三宮の比々多神社(ひびた)です。
(図:一宮は図中央を南北に流れる相模川の河口から6kmほど上流西岸;二宮は湘南海岸大磯の西2km;そして三宮は阿夫利神社から南東6km(地図では標記されていない)。拡大は図のクリックで)
200920三古社無題

 阿夫利神社から見た一、二、三宮の方位にはシリウス星との関係は定かでありません。念のために書き添えておきます:
epi(lat,lon)=>[35.431888,139.238235] 大山阿夫利
sta(lat,lon)=>[35.379568 139.383273] 寒川神社 拝殿
D,A,B= 14.4-km 113.83 293.92 0.13deg
sta(lat,lon)=>[35.300368, 139.238130]  川匂(かわわ)神社
D,A,B= 14.6-km 180.04 0.04 0.13deg
sta(lat,lon)=>[35.417069, 139.274571]  比々多神社
D,A,B= 3.7-km 116.58 296.60 0.03deg

 唯一つ興味深いことは、阿夫利神社、一宮、二宮は辺長14.5kmの二等辺三角形を作っていることです。これが意味するところを想像するのも面白いかもしれません。二宮と一宮の距離は15kmで、精度を厳しく問わないとすれば、14.5kmに近い値です。もしかすると、そもそもは阿夫利ー寒川ー川匂の地点選定ではそれらが正三角形をなすように設計されていたのではなかろうかと考えています。
 三宮は一見仲間はずれのようですが、上の計算結果から、三宮は阿夫利神社―寒川(一宮)を1:4に内分する点に位置していることがわかります。こうしたことは意図されたる設計であるのか否か、そうであればそこにどのような意味づけをしたのか?現時点ではそれへの想像は私の能力を超えます。

これらの神社の拝殿方位を次に眺めておきます:
(図:相模国一〜三宮の拝殿方位。拡大は図のクリックで)
200923相模三古社無題

 比々多神社の北北西に「下谷戸」なる呼称があります。「ヤツド」ではなかろうかとの思いがよぎります。阿夫利神社周辺に配置される三つの古社について、先走るようですが、興味深いことを以下に付記しておきます。もう少し詳しい考察は後日しますが、忘れないうちに書き留めておこうというわけです。
 (図:ゾロアスタ教、神の系統図。拡大は図のクリックで)
ゾロ神CIMG8359


 上図は神の系統図ですが、三段目のヤザダ(yazada、諸神霊)は二つの系統に分岐します。右側の物質的神霊を眺めると興味深いことに気付くはずです。
 ザム(地)と表記される神霊は寒という漢字で音写できることがわかります。つぎにアナーヒター(水)は三宮である「比々多」で音写できそうです。とするならばワユ(風)は二宮である「匂川」の音写ではなかろうかと思えます。すなわちゾロアスタ教の三つの物神霊がここに祭られていたのではなかろうかとの思いにいたります。
 それ以外の物神霊は地、水、風(気)と異なり厳然と視認できます。最たるものがティッシュトリ(シリウス星)であり、日、であり月で、これは漠然とした存在ではなく特定できます。そして「アータル」はゾロアスタ教の要です。これについては後日に詳しく考察します。
 どうやら、相模国はかって常陸国とならんでゾロアスタ教の拠点であったらしいことが見えてきました。そこで、次回は阿夫利神社の西方域を見ることにします。
(つづく)

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びっくり!産経主張、日米関係、阿夫利神社

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:苦労人を売りに首相の座に上り詰めた菅氏の陰湿な過去が明るみに出てきました。東京新聞9月20日付三面より。拡大は図のクリックで)
新聞8442


 批判者を 影でごそごそ 追い出した あのやり口が これからおおっぴらに

+++++ジャパンライフ問題
以下のようなブログ記事を見て驚きました。なんとあの「産経新聞」の主張です。明日にでも雪が降るのかもしれません。

%%%%%産経新聞の主張(いわゆる社説だね)を見てびっくりだ。なんと「巨大詐欺事件 『桜を見る会』の再調査を」だってさ。アビルコビルとかのアベ尻舐め記者ワンサカのアベ御用新聞だぜ、社内クーデタでもあったのか。再調査すれば当然アベやゴロツキ政治屋も捜査対象だぜ 2020年9月19日 憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ
体調悪いんで、温泉で湯治しかないねと、東北の温泉へちょっと長めの湯治ドライブ旅行へ行こう、行こうと思いながら過ごしていたんだが、天候がイマイチ安定せず思案しているうちにもう9月も半ばが過ぎてしまった。4連休が明けたら出発かな。まあ、どうでもいい話だけどね。
ところで、産経新聞の主張(いわゆる社説だね)を見たらびっくりだ。

◆◆◆◆◆◆◆産経新聞主張
【主張】巨大詐欺事件 「桜を見る会」の再調査を
2020.9.19 05:00コラム主張
 「ジャパンライフ」の元会長、山口隆祥容疑者らが詐欺容疑で警視庁などの合同捜査本部に逮捕された。磁気治療器の預託商法などで全国の延べ1万人から約2100億円を集めたとされる巨大詐欺事件だ。
 山口容疑者は平成27年に安倍晋三首相が主催する「桜を見る会」に招待され、この際の招待状を勧誘セミナーの宣伝に利用していたことが分かっている。いわば詐欺の小道具に使われたことになり、招待の経緯について詳細な説明が求められるのは当然である。
 加藤勝信官房長官は18日の会見で「桜を見る会」への招待問題について、「過去の会合では名簿が保存されておらず、招待者推薦は個人情報であることから回答を控えている」などとして再調査に否定的な考えを示した。
 だが、これは多数の被害者が巨額を失った詐欺事件である。「首相から招待」の宣伝文句が被害者を信用させる役目を果たしたことは想像に難くない。名簿の消失や個人情報は言い訳になるまい。
 例えば同様の事件で、広告塔役を務めたタレントは強く指弾されるだろう。詐欺の意図を知る、知らぬにかかわらずだ。
 山口容疑者は昭和50年にジャパンライフ社を創業した。設立した健康産業政治連盟や多額の献金を通じて政治家との交流を深めてきた。59年には所得税法違反で有罪となり、60年には国会で、ジャパンライフのマルチまがい商法が厳しく追及された。
 永田町や事件関係者の間で山口容疑者はかなり有名な人物といえた。過去の事件を知らずに招待したとは信じ難く、もしそうであったならあまりに無警戒である。
 いずれにせよ、結果が重大にすぎる。誰が、どのような理由で招待したのか。新政権として「今から改めて調べても、確たることは申し上げることができない」(加藤官房長官)とする姿勢は、支持を得まい。
 菅義偉首相は「桜を見る会」について、来年度以降、中止する意向を表明している。同時に、安倍政権が行うとしていた会のあり方の見直し作業も中断する。
 やる前提であり方を見直すのだから、やらないなら検討する必要もない。そういう理屈なのだという。だが過去の会が事件に利用されてしまった以上、これはもう、屁理屈(へりくつ)ともなるまい。
◆◆◆◆◆◆◆産経新聞主張転載おわり
売国ゴロツキ政治屋アベデンデン野郎の首相在任中のモリかけ疑獄など数多くの犯罪をまるで何も問題ないかのごとくの記事を垂れ流してきたアベ御用マスゴミなんだが、この社説はあまりにまともすぎて、産経新聞が狂ってしまったのかと思ったわ。なにしろアビルコビルとかのアベ尻舐め記者がワンサカいるアベ御用マスゴミの象徴みたいな存在だぜ、社内クーデタでもあったのか。どうでもいいけど。再調査すれば当然アベやゴロツキ政治屋も捜査対象になるしかないが。下記のようなのがネット上にさらされてました。マスゴミのゴミ記者連中も薄汚い奴ばかり。それにしてもね、アベもそうだが、さくらの会疑惑を隠蔽する思考しかないカトー官房長官らはテメエらが大詐欺事件に利用されてんのに、詐欺師山口を訴えないのかな?訴えればテメエらの悪事がバラされると恐怖してんのかな。
%%%%%ブログ記事紹介おわり
 
+++++日米関係
 前回記事で孫崎享氏の「朝鮮戦争の正体」と題する動画を掲載しました。第二次世界大戦最終段階での戦後の日本処理について思惑をぶつけ合う連合軍指導者達の「言」を分析し、それが1945年8月15日の終戦でその言が体現される経緯を検証します。外務官僚であった吉田茂氏の醜悪な動きをも文書によって明らかにします。五年後の1950年6月に勃発した朝鮮戦争は一年余りの交戦後休戦に入り現在に至っています。が、戦争勃発から二ヵ月後に日本国に「警察予備隊」が創設されます。すでに日本国には新憲法が公布されていたにもかかわらず、この警察組織は国会の頭越しで創設されます。休戦直後に「サンフランシスコ講和」条約(Treaty of Peace with Japan)の締結です。
「警察予備隊」創設の経緯を孫崎氏は現存する文書を注意深く分析し、それが「米軍の雇用兵」(創設に関わった当時の警察官僚・後藤田正晴氏は「米国の歩兵師団」と喝破)であったとの米国の意図と実態を明らかにします。ことほど、さように終戦後の日本国の出発は米国による取り外しのできない頸木に始まります。その道筋を敷設し固めたのが岸信介氏です。

 上の文脈を経済学者・安富歩東大教授が今般の内閣改造から鋭く指摘しています。それは安倍晋三氏の弟である岸信夫氏が入閣したことの政治的意味の解読です。米国CIAの在日本列島幹部であった岸信介氏が構築した日米体制の強化維持の狙いがあると論じています(17年7月19日記事17年8月21日記事)。すなわち孫崎氏の語る「日米関係の正体」そのものです。米国側としては、岸信介氏が固めたはずの日米関係(正確には日本国の米国への隷従関係)がしばしば危険に晒されたことへの危惧です。それが田中角栄氏の出現であり、鳩山由紀夫・小沢一郎コンビの出現です。二回目の危機は、検察司法・メディア総動員の大騒動に仕立て上げ、結果として安倍氏を復権させることで危機を回避したのです。この点について、動画「天木・孫崎」対談で詳述されています。
 ところが、この安倍氏の低劣な知力、統治能力の欠如は目に余るものがあった。それに付け加え度重なる露骨な不正行為で、重大困難に直面してしまったのです。こうして、安倍氏を見限ることとなった。祖父が構築した日米体制を確実に維持せねばならない。それは米国奥の院の強い要請です。そこでそれを引き継ぐ人物として岸信夫氏の登用となった。早晩、首相にまつりあげられるのだろう、と安富氏は分析します。
 これが、いまだにくすぶっている阿部首相辞任をめぐる謎解きの本質でもあります。おもえば、8月末の二回にわたる慶応病院での長時間滞在は、「痛むお腹の診察」との口実で実は司直による河井問題ほかの尋問を受けており、それが阿倍氏への引導となった。いずれにしても安倍氏は仮病を使っていたことは間違いが無いようです。
東大教授と語る【新菅内閣の真の目的】蘇る昭和の妖怪。内閣・大臣閣僚発表で最も見逃されているあの人・・・岸信介の怨念。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 次の動画はお二人の元外交官による議論です。天木直人氏は1947年生まれですから、1943年生まれの孫崎享氏の四年後輩です。二年先輩の1941年生まれの淺井基文氏をあわせたお三方は外務省ではまさに異色の存在であったことはよく知られています。外務省ではこのお三方の後を受け継ぐ人材が輩出していません。先日、外務省出身の自民党衆議院議員・松川るい氏が大坂ナオミさんの勇気ある行動を讃える言をツイッタで公表しました。ところが、この言は一日も経たずして激しいバッシングにあいその言を撤回してしまいました。この実態を裏付けるように、動画の中での対談の中で淺井氏の「外務省の批判をしたら徹底的につぶす」と当時の外務省官房長・小和田氏(雅子皇后のご父君)から恫喝されたとの経験が紹介されています。そのタブーはいまだに厳然と生きながらえているという証左でもあります。となると、むしろ期待は防衛官僚ではないかとお二人は語ります。
天木直人✕孫崎享 特別対談「日米関係の問題をどう解決していくべきか?」

(つづく)

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+++++ゾロアスタの神々
 茨城県の霞ヶ浦と北浦にはさまれる現在の行方市について常陸国風土記は最も多くの字数を費やしています。そこには「ヤズド」(Yazda, ゾロアスタ教の諸心霊の統合表現)が露に明記されています。その漢字による音写が「夜刀」(ヤツト)です。しかし、「夜刀」についての学者さんの認識は混迷し、結局解明されずに今日まで放置されています。
 「夜刀」がゾロアスタ教の「ヤズド」であると見抜いた途端に、常陸国古代史の様相がよりはっきりと見えてきます。具体的には、地名とゾロアスタ教ゆかりの神々が重なってきます。その一つが「麻生里」(アフリ)で、ゾロアスタ教の最高神「アフラ・マズダ(ahura mazda)」の「アフリ」(天空の意味)に由来するであろうと前回記事に書きました。そうとするならば「明」を意味する「マズダ」を連想させる地名もあるのだろうか?それを探してみます。

 いずれ、詳しく調べたいと思っていますが、ひとつは「馬頭観音」です。「観音」についての考察はさておき、「馬頭」は「マズ」と音することができます。ウイキは以下を書きます:
「馬頭観音(ばとうかんのん、梵: हयग्रीव、hayagrīva[1]、ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意である。」
 通説では、インドからの伝来信仰が日本列島内においてその「表意」を列島内の言葉に置き換えているとされています。私はそうではなく、これもゾロアスタ教の神名の音写ではなかろうかと考えています。
 次の事例はJR常磐線駅「松戸」です。「松戸」なる名称は最近ではなく遠く時間をさかのぼることができると市広報に書かれています。近くに「岩瀬」(石世)なる地の古墳があるとのこと。岩瀬は渡来民の本拠地であったことは本ブログで書きました。賭するならば、松戸がマズダに由来する、あるいは何がしかの関連がある可能性があります。さらには、江戸川をはさんだ反対側には「葛飾柴又帝釈天」があります。帝釈天はゾロアスタ教の「武神」でもあるとウイキは書いています。柴又帝釈天そのものは十七世紀とウイキは書きます。が、その地には大昔からの渡来民に関わる何がしかの伝承がありその地にこの「武神」をすえたと考えることができるのかもしれません。

 もう一つの事例は神奈川県の松田です。平安時代には「松田」を名乗る武家がいたとウイキは書きますから、どうやらそれがゾロアスタ教の神に由来する可能性はあります。そこで、周辺の地図をなめるように眺めると、JR御殿場線松田駅から北東方向15kmになんと「大山阿夫利(あぶり)神社」があります。
 江戸の庶民が遠方のお伊勢参りのかわりに詣でた「大山詣で」の目的地である大山阿夫利神社です。この分社が北関東には少なくありません。%%%%%大山阿夫利神社
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社である。「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。『延喜式神名帳』に小社と記載された相模国の延喜式内社十三社の内の一社で、旧社格では県社に列している(現・神社本庁の別表神社)。
本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社に高龗神(タカオカミ、見たことのない難しい漢字)を祀る。
ただし、これらは明治になってから神仏分離の際に祀られるようになったものであり、江戸期以前の神仏習合時代には、本社には本来の祭神である石尊大権現(山頂で霊石が祀られていたことからこう呼ばれた)が祀られていた。また、摂社には、奥社に大天狗、前社に小天狗が祀られていた。
HPは祀られる祭神について以下を書いています:
大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)大山祗大神は、山の神・水の神として、また大山が航行する船の目印となった事から産業・海運の神としても信仰されています。別名、酒解神とも呼ばれ、酒造の祖神として信仰もされております。富士山の御祭神、木花咲耶姫の父君であると共に絆を取り持つ神と伝えられております。
高おかみ神(たかおかみのかみ)高龗神とは、日本書紀に記されている水神様です。
「癲廚六海鮖悗掘◆龗」は龍を指す龍神と伝えられております。
古来より祈雨・止雨の神として信仰されており、大山では小天狗とも称されております。
大雷神(おおいかずちのかみ)大雷神とは、日本書紀に記されている雷の神様です。古来より火災・盗難除けの神として信仰されており、大山では大天狗とも称されております。
%%%%%
 摂社には「天狗」が祀られていたとのこと。すなわちこの地には「天狗」のような面貌の一族、すなわちゾロアスタ教を信奉する一団が活動していたことを想像させます。

Googlemapで 境内を眺める戸、拝殿の妻方向は明らかに「反シリウス方位」です。
( 図:大山阿夫利神社の境内(上)と由緒(下)。HPより。拡大は図のクリックで)
200920安布里境内無題

(由緒)
200920あぶり印税41062322


 次回、相模三古社がこの阿夫利神社と、言葉を変えればゾロアスタ教と関わっているらしいことを書きます。これまで、東国といっても相模、武蔵野国の古代については古墳の発掘などの調査はあってもそれの時間的、政治的位置関係については全くわかっていないといっても言い過ぎではないほどで、仮説すらもありません。どうやらそれがちらりとその姿を垣間見せてくれるのかもしれません。
(つづく)

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古典原典にみるゾロアスタ教(3)、橋下氏の評価下落、朝鮮戦争(孫崎氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:(上)三色田で地面をついばむ白鷺)
三色8415

(下:全国で見られるという茸の以上繁殖を当地でも確認しました。おびただしい白の傘が地面に散らばっています)
雨後の茸8421


 どこぞにか 民への想い あるのかな? カンペー総理の 再来を憂う

 朝堂院大覚氏の政治寸評はなかなか興味深く、時々視聴しています。今回の動画はそのタイトルが過激です。氏が絶賛していた橋下氏の評価が地に落ちました。
橋下徹を投げ飛ばした小川淳也の一本勝ち 2020-09-15

 朝堂院大覚氏の語るTV放映番組動画を探したのですが見つからないので、どのようなやり取りがあったのかはわかりません。下の動画がその一部なのかもしれません。動画編集者の意図が入り込んでいるのかも知れませんが、橋下氏の菅氏への目を覆いたくなるような「ヨイショ」発言にあきれるというより気分が悪くなります。大阪人の悪口を言うつもりはありませんが、こんな人物とこんな人物に率いられている政党のどこが支持に値するのか?と、大いなる疑念を抱きます。
【自民党新総裁誕生!菅義偉氏の素顔を橋下徹が語る】報道1930まとめ20/9/14放送


 主題は最近の出来事ではありません。私が小学生のころの話です。注意深い調査が私の凡庸な認識を正してくれた思いです。
20200908 UPLAN 孫崎享「朝鮮戦争の正体」


+++++ゾロアスタ教に由来すると思われる地名・人名を拾う
茨城県行方市内の「麻生」なる地名はゾロアスタ教最高神であるアフラ・マズダに由来するのではなかろうか前回書きました。この地名は常陸国風土記行方郡条に「麻生里」として登場します。「みぞゆう」で全国に名を馳せた財務大臣の姓が「あそう」であることから、誰もこれを「アフ」とは音(おん)しません。それはともかく、風土記の漢字が当時の呼称の忠実な音写であるとするならば「麻生里」は「アフリ」すなわち「アフラ」とごく近い「音」となることがわかります。その麻生は行方市庁舎(,寮峇檗砲遼棉一帯です(下地図参照)。
(図:行方市南部と北浦を挟んで鹿島に通ずる水原洲吠崎(みず・はらす・ほえさき)。拡大は図のクリックで)
200917行方a無題


「生」に「フ」なる音を付す実例が同じ行方市内にあるからです。上記風土記の同じ条に「大生」なる地があり、「オオフ」と訓(よ)みます。その地は行方市庁舎から東に5kmほどにあり、そこには茨城県有数の大規模古墳群とそれを祀る古社・大生神社(おおふじんじゃ)があります。茨城大学の考古学者を中心として発掘もされ細部にいたる観察が分厚い出版物として公開されています。が、その古代史・時間軸上での位置が定まっていないようです。これは茨城県に限らず全国の古墳に共通することのようです。日本列島古代史研究界に卓抜した洞察力を持つ天才研究者の出現が待ち望まれているように思えます。こうしてみると「麻生」は「アフ」を音写するための漢字表記あることは確かと思えます。
市庁舎から北東2kmほどに「石神」という地があります。この地を囲むように西から時計回りに八坂、熊野、浅間、大生神社が配されていることも興味深いことです。夫々の神社の由緒はわかりませんが、伝承される石神に漂う怨念の鎮魂のために、後世の住民なり、この地の為政者なりが設営したのではなかろうかと想像しています。
常陸国風土記・行方郡条の夜刀神(やつど)の登場前段に「箭筈」(やはず)という言葉があります。私は古代ペルシア語「yakhzur」( 青々とした原)の音写であろうと考えていますが、「石神」の東2kmほどに「矢幡」(やはだ)なる地があります。これは「箭筈」の転じたものであろうと思っています。実際、「矢幡」は西からの丘陵がその高さを徐々に減じそのまま北浦に続くため、東方は「原」となる地です。
 大生神社の西南西に上に書いた古墳群です。神社と古墳群を結ぶ方位が「シリウス」方位と直交する関係にあります。これは大生神社はそもそもは「夜刀神」の鎮魂ではなく、渡来民の宿営地は陣屋跡ではなかろうかと思っています。
 上図で北浦に突き出した岬、水原洲吠崎は鹿島に対面する地です。ここで、美麻貴天皇率いる大和朝廷軍は、軍を結集し北浦を渡り鹿島に突入したのです。その顛末が常陸国風土記でも詳述されています。ただし、風土記では指揮を執ったのが倭武命ということになっています。17年1月20日記事行方郡の条の最後の文節を掲載しました。この文節は「安布賀」なる地名の由来を書いています。すなわち「安布」に「アフ」なる音写を付しています。これはまさに「アフラ・マズダ」の「アフ」に由来すると考えています。ところが残念ながら、上に掲載した地図では「アフ」を「オウ」であると読み替えて「大賀」と記載しています。地図に地名を書き込む場合には古来からの文献をも参照するなどの注意が必要な事例です。

 ところで「アフガ」の接尾詞「ガ」は「ラ」が転じた「音」ではなかろうかとの素人談義にお付き合いください。中近東の言語が少なからず後のラテン語に影響を与えている可能性についての私論です。伊藤氏の緻密な中世ペルシア語の分析を眺めていると、しばしば「フランス」語との類似性に気づかされます。たとえば語頭の「h」はしばしば発音されません。実はこれはペルシヤ語字典を参照する場合の要注意事項です。「イクラ」という語の意味を知りたい場合ラテン文字表記ではそれは「ikura, hikura」の二通りを考えねばならないからです。フランス語の「r」は「が行」の音を発します。「Rose」をフランス人は「ゴーズ」と発音します。古代ペルシア語にはそうした音の相互変換が在ったのではなかろうか。と、考えると「アフガ」を発した渡来民は「afura」と音したつもりではなかったか。ところが現地行方の住民には「afuga」と聞こえたのではなかろうか。

 話が少々脱線しますが、行方市の南に隣接するのが「潮来」(いたこ)市です。「いたこ」と聞けば青森県下北半島の「恐山」(おそれざん)です。「おそれ」の由来は「あしら」であり、後の「白山信仰」の精神的土壌を構成したと私は考えています。その地で「占い・呪術」に携わったのが「イタコ」です。この由来もゾロアスタ教または古代ペルシア語にあるのだろうと考えています。私事でありますが、こうした疑問への私の「駆け込み所」は近くの某私立大学図書館です。ここには故黒柳恒男氏の手になる「ペルシア語字典」(大学書林)が蔵されているのですが、本年はじめよりコロナ禍のため、学外の市民の閲覧ができなくなっています。
 いうまでもなく「占い・呪術」師の言はシリウス星に言及することでその説得性が裏づけられたはずです。古代ペルシア語ではティシュトリヤ (Tištrya、「ペルシア文化渡来考」88頁)です。同書104頁に「呪師アクトヤ」(Axtya)に関わるエピソードが紹介されています。TištryaとAxtyaを連結すると「イタク」に近い「音」が生成されるように思っているのですが、こじつけに過ぎますでしょうか?
 本ブログでも縷々書いてきたようにシリウス星方位が厳然と地上に遺されています。それは現在に生きる誰でもがその気になれば自らの目でそれを確かめることができます。これは古代史原典の恣意的な解釈からは独立しているがゆえに科学的事実と断定できます。

 ところが、Tištryaを音写したような地名なり人名なりが日本列島上そして古代史原典に見つかりません。何故なのか?藤原不比等が神経を研ぎ澄ませてそれらを削除してしまったからなのか?これは、私の日本列島古代史遍歴で大きな謎の一つです。なぜなら伊藤氏の著書にあるように、人名、事象、建造物には古代ペルシア語由来の「語」を音写したと思われる漢字表記がたくさん残されているからです。
 一つ思い当たるのが万葉集二歌、所謂「国見」の歌の「謎の表現」です。並み居る万葉集研究者がその解釈を放り出してしまった三文字からなる漢字列です。この文字列解読に本ブログでも何回か挑戦してきました。今回書くそれが決定版となれば嬉しいのですが。
%%%%%万葉集一巻二歌:
題詞:"高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌",
原文:"山常庭村山有 等取 與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜何國曽 蜻嶋 八間跡能國者",
 
解説:この歌については米国人日本文学研究者による解読について本ブログで批判的に書いたことがあります(12年8月22日記事 )
 それはともかく、この歌は邪馬台国の在り処が関西ではなく九州であることを決定付けています(http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51857270.html2013年8月5日記事)が、いまだに近畿奈良盆地にそれはあったと考える学者さんも少なくありません。
(図:9月7日付東京新聞記事より。拡大は図のクリックで)
邪馬台国8391

 歌意は「天の香具山に登って国を見渡すと民の竈の煙が龍のようにうねうねと立ち上り、海原には鴎が飛んでいる。なんという良いところだ(原文中の「何」はフォントが見つからないので置き換えてある。原文は人偏ではなくリッシン偏)。トンボのような形をした嶋も見える。ここが八女国(邪馬台国のこと)の跡地なのか」
 海、鴎などが詠われているので、この歌は奈良盆地内の風景を歌ってはいないとの指摘は少なからぬ万葉集研究者からの声が上がっていることで知られています。そうとすれば天香具山をどこに求めればとの問題が生じ学者先生は困惑し、この歌の解読には深入りしません。
 さて、それについては上記の本ブログ過去記事を参照いただくとして問題は
“山常庭村山有等 取與呂布
の解読です。研究者たちは「やまとにはむらやまあれどとりよろう」とかなを振るのですが、ここで彼らを困惑させているのが取與呂布です。例えば、古語辞典(旺文社)は「語義未詳」として解釈を放棄しています。
この歌は香具山に上り国を見渡すのですが、夜には香具山からはシリウス星を眺めたはずです。そこで、この歌の前半部分を以下のように分解してみます。
“山常(yabad) 庭 村山(murann) 有 等取(tis) 與(to)呂布(rya)”
 わが宮(庭)と住まい(住まい)のある荒地(yabad)からシリウス星を仰ぐための香具山に騰(のぼる)と・・・
と、私は読み解きたいと思っています。Yabadは「岩だらけの地」を意味する語のラテン文字による音写です。時に[b]は「m」と相互転換するので、ラテン文字表記は「yamad」でもあります。「庭」に宮廷を意味させる使い方は万葉集三歌で確認できます。さて
等取(tis) は「tou」[syu]であり、與を「to」の音写であることは万葉集十三歌で見ることができます。
 要は「取」を「トリ」、と「訓」むとすれば、外来語の音写という則に外れるのでこれは音写に徹する。そうとすれば「シュ」となります。
 かくして、この2歌にひっそりとシリウス星が詠み込まれていたというわけです。
(つづく)

考古学ランキング

怖ろしき幹事長(TVドラマ半沢直樹)、物理学者Pauli(nature誌)、長友頑張れ!!

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:ミーチャン・ハーチャンを自認する私が毎週楽しみにしているTVドラマが「半沢直樹」です。原作者・池井戸潤氏の著作は多分ほとんど読んでおり、そのTVドラマも視聴しています。俳優の演技もさりながら、そのストーリも大変面白い。こうした感想はどうやら多くの日本人が抱いているらしいことが
2週間ぶり「半沢直樹」第8話25・6% 番組最高を更新 8話連続大台超え!関西28・5% 30%視野と題されたyahoo記事からわかります。
 この記事には多くのコメントがふされています。下に示した三番目に登場するコメントに私も強く同意しましたが、2F氏( 二階氏のこと)はさぞかし不快であったろうと想像しました。もしかして、このTVドラマの筋書きを強引に書き換えるよう圧力をかけかねないと案じています。 (図:yahoo記事に付されたコメントから。拡大は図のクリックで)
200914半沢無題


 這い上がり やったぜ頂上 きわめたり されども民は 憂いの表情

 1400〜1500年前、遠く西域ペルシアおよびカスピ海周辺から日本列島に渡来したのがサカ族です。この一族は、中国王朝の北縁を東に進み間宮海峡をわたり樺太・北海道を通過して本州北端にやってきたのです。ペルシアに比べてはるかに小さい東北日本そして北関東には「スカ」(飛鳥、須賀)、「サカ」(佐賀、栄、坂、相良)、「スガ」(菅、須加、素賀)、「サガ」(嵯峨、雑賀)、「サク」(昨、柵、佐久、朝倉、サクラ)、「ソカ」(長曾我部)などが付された地名、人名をあちらこちらで見かけます。とりわけ忘れていけないのが日本列島古代史の主役である「蘇我」です。彼らの大半は西暦八世紀以降長きに渡って「蝦夷」として蔑まれ、差別されてきた一族でもあります。それは日本列島に沈潜する「東国差別」の原点でもあります。
 今般、日本国のトップにたって圧倒的多数の勤労国民を監視・使役することになった人物が、この「サカ」一族に関わっているとすれば 東国の民、差別されてきた民の「悔しさ」に思いをいたし、彼らの「理不尽への正義の怒り」をしっかりと受け継いでいてほしいものです。そうした心意気にみなぎる正義の政治を、菅氏はできるのか否か?しっかりと見守りたいものです。

 以下に三つの動画を参考までに付しておきます:
古賀茂明さん】「安倍政権ではなく今井尚哉政権だった?菅義偉さんは得体が知れない人。大手政治部を牛耳る。デジタル庁がなぜダメか?」


 【プロに聞く】安倍晋三と菅義偉を調べるための基本。真実はつまらないが知ることは楽しい。真のジャーナリズム・エンタメのフィクション。元朝日新聞記者ジャーナリスト烏賀陽


東大教授と語る【絶望社会】消費税0%VS30%!10%から更に増税?!菅総理候補の意見から考える。日本が持っている税制を超えた本質的な課題。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水


+++++フットボーラー長友氏にエールを送ります。
 どこぞの口先男と違って、長友は尊敬すべきフットボーラです。あの口先男も生きたいという強烈な欲求にもtづいてあのような身勝手をしていることは想像できますが、そのために有望なプレイーヤを犠牲にしてしまったことを忘れてはいけない。その点、長友氏は自らの力で新しい活躍の場を獲得したのです。心から応援しています。
%%%%%「あれほど模範的な選手を見たことがない」ハリルホジッチがマルセイユ加入の長友佑都を絶賛! 2020年9月13日 7時20分 Goal.com
元日本代表指揮官で、現在はモロッコ代表を指揮するヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、マルセイユに加入した長友佑都について語った。
7月にガラタサライとの契約が満了を迎え、フリーになった長友は、今夏に酒井宏樹が所属するフランスの名門マルセイユに加入。今シーズンのチャンピオンズリーグに出場するチームの中で、インテルやガラタサライ時代に同舞台を経験し、日本代表としてワールドカップに出場した34歳のサイドバックの経験値に期待が寄せられている。
2015年から3年間指揮をした日本代表で、左サイドバックの主力として長友を起用し続けてきたハリルホジッチ監督は、フランス『Le Phoceen』の中で同選手について「両足を均等に使え、素晴らしいプロ意識のおかげでフィジカル面でとてもシャープ。だから非常に運動量が多い。カウンターのときにはオフェンス面でも貢献できる。彼は常に100%全力で取り組む選手だ」と特徴を説明し、同選手のプロ意識への称賛を続けた。
「健康面に関して言えば、彼は模範的だ。朝や昼、夜に何を食べるかを理解している。これが優れたフィジカルコンディションの理由だ。夜になれば、早く部屋に戻り、寝る前に30分ストレッチをする。夜にプレイステーションで遊ぶこともない(笑)。このような模範的な選手をほとんど見たことがない」
そして、長友がリーグ・アン行きを決めたことについて「彼のリーグ・アン挑戦にとても満足している。彼はチームメイトとマルセイユに多くをもたらすはずだ」と話した同指揮官は、日本代表DFとの契約はマルセイユにとって非常に意義のあることだと強調した。
「君たち(マルセイユ)は彼をフリーで獲得したのだろ?マルセイユにとってのプレゼントだ。もちろん(リオネル)メッシや(クリスティアーノ)ロナウドと一緒にできるわけではないが、ウソ偽りはない。彼はマルセイユの太陽を浴びにここに来たわけではなく、クラブのために全力を尽くすためにここに来たんだ」
%%%%%

+++++量子力学理解に心理学者が介入(パウリとユング)?
 半月ほど前、nature誌の書評欄で興味深い本が紹介されていました。その書評記事を転載します。本のタイトルは
Synchronicity: The Epic Quest to Understand the Quantum Nature of Cause and Effect
Paul Halpern Basic (2020)
「Synchronicity:量子力学での因果律を理解するための問い」
というものです。この本で語られる物理学者Pauliは世界の並み居る物理学者のなかでもとびきりの存在であったようで、日本の物理学者もパウリについてしばしば語っています。下にその二例を挙げています。その記事では、日本国が生んだ世界に誇る物理学者・南部陽一郎氏のすごさを語るための「道具立て」、「引き立て役」として偉大なPauli博士が引用されます。
2013年10月18日記事 では、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構長・大栗博司氏の著書を引用しながら、氏自身のパウリ博士観、そして故西島和彦氏の「日経サイアンス」誌への寄稿を引用しています。そこでは以下を書いています:
(1)大栗氏は著書「強い力と弱い力」の200頁で次のように書きます:偉大な物理学者は三つのタイプ、賢者、曲芸師、魔法使い、に分けられる。賢者はアインシュタイン、パウリ。曲芸師はファインマン、そして歴史の中で、ごく稀にしか登場しないのが魔法使いでそれが南部氏だそうです。 以下は大栗氏が語るヒッグス粒子関連話についての私のいわばメモです。以前、地震動予測に関するnature誌の記事を紹介しました。その中で、金森博雄氏の先駆的な着想が具体化されつつあることを書きました。2011年3月11日に著者の大栗氏は、金森氏とたまたま東京で出会ったことを書いています(186頁)。お二人はカリフォルニア工科大学で同僚の関係にあり、あの巨大地震を日本で体験したわけです。この事を話の端緒として、大栗博士は超伝導体が引き起こすマイスナ効果を、質量を持った光で持って説明します。電磁場に縦波成分、つまり粗密波が生ずると書きます。この粗密波は地震で言えば、P波です(氏は「サザ波」に喩えますからレイリー波に近い?)。媒質の密度変化が時空間を伝播するのですが、素粒子の世界では、それを伝える媒質とはなにか?私の貧脳はそれをフォローできません;

(2)西島博士の「日経サイアンス誌」上での手記も面白いことを書いています(99頁)。「茫洋としたという言葉が南部さんを表すのに最もぴったりする。大きな仕事をいくつもされているが、論文などを読んで南部さんの凄さをわかるかというとそうではない。わかりにくいのだ。南部さんが65歳か何かのお祝いをシカゴでした時のことだった。あるアメリカの有名な物理学者が次のようなスピーチをした。『南部さんの考えは他の人より10年すすんでいる。だから自分も南部さんの論文を勉強して他の人より早く論文を書こうと思った。そうしたら南部さんの論文を理解するのに10年かかった』」。
 この手記には、ハイゼンベルグがパウリの顔色を窺いながら講演していたとか、オッペンハイマがディラックに発した質問へのディラックの返答が「your question is not interesting」であったとか、面白いエピソードが書き込まれています。

もう一つは
(3)「神と科学」(三田一郎著)からの転載です。そこではPauliの宗教観が紹介されているので
2019年5月1日記事 にその部分を再掲します。です。議論はディラックの宗教観に始まり、それをパウリが評じています。以下を順にクリックすると三田氏著書の該当頁を読むことができます。
神学1神学2神学3  

 私事でありますが、15年前に住んだウイーンの拙宅はパウリが卒業したギムナジウム(高校のようなものか)のすぐ近くでありました。
(図:パウリが卒業したギムナジウム(高校)。建物の1階右下に三枚のプレートが張られています。中央のパネルに1945年ノーベル賞受賞したPauliが本校を卒業したと刻まれています(2019年4月24日記事中に掲載したプレートクリックすると文字が読めます)。 
200912Pauli無題

 さて書評です:
%%%%% When quantum physics met psychiatry
Carl Jung and Wolfgang Pauli bounced ideas off each other, Paul Halpern’s book shows.
Anil Ananthaswamy
 2020年8月26日
量子物理学が精神医学に出会ったとき
Carl Jung and Wolfgang Pauliが考えをぶつけ合ったとPaul Halpern’s bookが書いている。
(図:Psychoanalyst Carl Jung (left) and physicist Wolfgang Pauli discussed the principle of acausal connections.Credit: ETH-Bibliothek Zurich/SPL, Bettman/Getty)
200913Pauli無題

The storytellers of modern physics are ever on the hunt for new ways to convey the tension between the contrasting realities of the general theory of relativity and quantum mechanics. Relativity argues for a universe in which causes lead to effects and nothing travels faster than light. Quantum physics tells of a quirkier world, in which things seem to happen at random and connections appear seemingly instantaneously. Both challenge our intuitions.
現代物理学の語り手は、一般相対性理論と量子力学の表現する世界と現実との間の緊張(断絶)を伝えるための工夫を常に模索している。相対性理論は、光を越えない速さで他者に影響を与える宇宙の仕組みを議論する。量子物理学は、奇妙な世界を語る。この世界では、物事はランダムに発生しているように見え、原因と結果の峻別はほとんどなくそれは瞬時の関係である。どちらも直観になじまない(例えばx月x日記事、机が壁を一兆年に一回すり抜けるとして、それは量子力学では瞬時の出来事として数学的に処理されるが、実験では何がしかの時間が経過していることがわかった)。

To explore this, theoretical physicist Paul Halpern finds inspiration in a relationship. In Synchronicity, he relates how Austrian physicist Wolfgang Pauli, distraught and drinking heavily after his divorce in 1930, sought out Swiss psychoanalyst Carl Jung for therapy. Jung, in turn, received a schooling in quantum physics. He learnt how measuring the state of one particle can seem to influence the state of another instantly, a property called entanglement.
Before meeting Pauli, Jung had coined the term synchronicity to describe the principle of acausal connections. He sought an explanation for his idea of a collective unconscious of human experience that influenced dreams, thoughts and behaviours. Pauli, helpfully, could recall his dreams easily and vividly.
For Jung, “analyzing a prominent quantum physicist, who happened to have complex dreams he could remember with ease, was an extraordinary find”, writes Halpern. For Pauli, the interactions led him to argue for the necessity of a unified theory of matter and mind. (He had done his seminal work on quantum mechanics in the 1920s, including formulating his exclusion principle, which explains why ordinary matter is stable and takes up space.)
この課題のために、theoretical physicist Paul Halpernはある事実を取っ掛かりにしようと思いついた。“Austrian physicist Wolfgang Pauliは1930年(30歳)に離婚し、その後大酒びたりとなり中毒症状にあった。そこで、治療のためにSwiss psychoanalyst Carl Jungを訪ねた”とSynchronicityは書いている。この面談でCarl Jungは量子物理学を学ぶこととなった。ある粒子の状態を測定すると、別の粒子の状態に瞬時に影響を与えるように見える、いわゆる量子もつれ(entanglement)なる現象も知った。
Pauliに会う前に、Jungは因果関係の原理を記述するSynchronicityという用語を編み出した。Jungは、夢、思考、行動に影響を与える人間の経験についての無意識の集合についてPauliの考えを求めた。Pauliが彼の夢を簡単かつ鮮明に思い出したことは大いに役に立った。
「Jungにとっては「たまたま複雑な夢を見る著名な量子物理学者の分析から、並外れた発見を得た」と著者Halpernは書いている。Pauliはこの面談が物質と心の統一理論の必要であるとの思考性するにいたった。(Pauliは1920年代に量子力学に関する独創的な研究をした。これには「角運動量」に基づく排他原理の定式化も含まれる。これにより、通常の物質が安定して空間を占める理由が説明される。)
(図:Pauliの排他原理。二本の電線は量子レベルをあらわしています。上のレベル(電線)には四羽の鳥が同じ方向を向いて止まっています。量子物理学では「排他原理」によって、こうした状態は起こらない。一方下の電線では三羽が止まっており手前の二羽は逆方向を向いているので、それは「原理」に反しません。一番右の鳥はもはや居所がないので、電線を去らねばなりません)
排他原理8413

物理学は歴史の波にいかに揺さぶられているか
How physics is rocked by the waves of history

The heart of Halpern’s book is the conflict between human intuitions of deep connections in the Universe, and the scientific case for such links. He sweeps the reader from the early Greeks to modern physics — from the works of Plato and Empedocles, Johannes Kepler, Galileo Galilei, Isaac Newton, James Clerk Maxwell and others, to the arrival of relativity and quantum mechanics — building a case for potential connections without causality. A coda deals with the most recent experiments on entanglement, involving satellites, and nods to complex theoretical work that connects entanglement to the nature of space-time.
It an often-told tale, but Halpern strives to keep it fresh. For example, the conundrum of black-body radiation was solved by German physicist Max Planck’s hypothesis in 1900 that energy must come in quanta — minimum units that cannot be divided further. Halpern explains this evocatively, in terms of a jet-black mug of tea with a lid, heated in a microwave oven to 100 oC. Pre-quantum theories predicted, implausibly, that this would be a source of hazardous, high-frequency ionizing radiation. Planck showed that quantization limits or even eliminates the energy emitted at high frequencies. His ideas kick-started quantum mechanics, and explain why we can sip hot tea without getting radiation burns. Despite such anecdotes, parts of the book could be hard going for those unfamiliar with the concepts.

Halpernの本の核心は、宇宙における深い諸々の関係性についての人間の直感的認識が、そのようなつながりの科学的表出と整合していないことを超克させることだ。Halpernは読者のためにギリシャ初期から現代の物理学まで因果律を特に問題視せずとも組み立てられる理論をざっとあげる。それはfrom the works of Plato and Empedocles, Johannes Kepler, Galileo Galilei, Isaac Newton, James Clerk Maxwell and othersであり、相対性理論と量子力学の到来までの物理学である。そのうえで、締めくくりの章では、エンタングルメントに関する最新の実験を扱っている。それは衛星、entanglement(もつれあい)、時空の性質に関連付ける複雑な理論的作業である弦理論に及んでいる。
しかし、Halpernは最新の話題をカヴァーするべく勤めている。たとえば、黒体放射の難問は1900年にGerman physicist Max Planckの“エネルギーは最小単位の量子である”との仮説にも触れている。Halpernは、電子レンジで100℃に加熱された蓋付きの漆黒のマグカップの喩えを用いて、これを刺激的に解説する。量子論前の理論では、これは危険な高周波電磁放射線の発生源になると予想されていた。Planckは、高周波数で放出されるエネルギーは有限であり、そ野エネルギは消失さえすることを示した。彼のアイデアは量子力学の出発点となり、なぜ放射線による火傷を負わずに熱いお茶を飲むことができるのかを説明している。そのような逸話にもかかわらず、本の一部は、こうした概念に不慣れな人には難しいかもしれない。

Conservation laws 保存則

One key to understanding a causal connections, often given short shrift, is the work of German mathematician Amalie ‘Emmy’ Noether, an important figure in Synchronicity. In the early twentieth century, she showed that symmetries in nature and the laws of conservation are two sides of one coin. For example, a spinning bicycle wheel has rotational symmetry: turning on its axis does not change the wheel. Conservation of angular momentum follows from rotational symmetry. Conservation laws, in turn, affect long-range, acausal phenomena. The angular momentum of two particles emitted from the same interaction has to be conserved, even if the particles end up kilometres apart. This leads to correlations in their measured properties.

因果関係を理解するための1つの鍵は、難解な理論ではあるが、German mathematician Amalie ‘Emmy’ Noether(ネータ)の業績である。彼女はこの本in Synchronicityでは、重要な人物の一人である(2012年3月9日記事http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51777312.html)。20世紀初頭、彼女は自然の対称性と保存則が1つのコインの両面であることを示した。たとえば、回転する自転車の車輪には回転対称性がある。その軸を回しても車輪は変わらない。角運動量の保存は回転対称性から生じる。次に、保存則は遠く離れた場所での二つの因果関係のない現象に影響を与える。同じ相互作用から放出された2つの粒子の角運動量は、粒子が数キロメートル離れていても保存される。これにより、測定された諸性質(しょりょう)に相関関係が生じる。

A realist takes on quantum mechanics
現実主義者が量子力学を引き受ける

More than the physics, it’s the scuttlebutt about the personalities that makes the book shine. It’s shocking to read how Pauli and German mathematician Pascual Jordan (an early contributor to quantum mechanics) were interested in parapsychology. Jordan was taken with experiments by the US botanist Joseph Banks Rhine — ostensibly showing that some people could read minds, guessing the images on hidden cards at a rate better than chance. Pauli “was open to speculation about numerology and the supernatural, an interest cemented through his interactions with Carl Gustav Jung”, writes Halpern. It’s a reminder that even extraordinarily rational intellect can come up short when confronted with the subjective depths of one’s own being.
物理学そのもの以上に、この本を輝かせるのは人物の描写だ。Pauli and German mathematician Pascual Jordan (an early contributor to quantum mechanics)が超心理学に興味を持っていたとは衝撃的だ。Jordanは、the US botanist(植物学者!) Joseph Banks Rhineの実験台にされた。その実験では表が隠されたカードの画像を偶然よりも速い速度で推測することでもって、一部の人々が心を読むことができることを示した。Pauliは「数秘術と超自然現象についての憶測を受け入れた。Carl Gustav Jungとのやり取りを通じて興味を示した」とHalpernは書いている。自分自身の主観的な深部に直面すると、非常に合理的な知性ガ底荷追いつかなくなる。

It’s also shocking to see the unglamorous sides of Pauli and German theorist Werner Heisenberg. The charm and energy of youth behind them — along with their Nobel prizes — they struggled to remain relevant. Late in their careers, the duo developed the idea of a single field “from which all matter, energy, and natural interactions would coalesce as special cases”. When Pauli presented their ill-formed theory at a 1958 conference of the American Physical Society, he was met with derision.
To his alarm, Heisenberg began publicizing the work in Germany. Pauli wrote to a student about “Heisenberg’s radio- and newspaper-advertisement, with him in the principal role of super-Einstein, super-Faust, and super-human? His passion for publicity seems insatiable.” Albert Einstein spent his final years trying to reconcile relativity with quantum mechanics, but even his dogmatism was imbued with grace.
Connections between seemingly disparate elements and characters coalesce and connect in the book’s second half, a pleasing echo of the story. For example, Heisenberg and Pauli’s attempts recall Plato’s idea of a timeless realm of perfect forms underlying our observed reality. Rightly or wrongly, with much to uncover about how the Universe works, the allure of a causal connections remains.
Pauli and German theorist Werner Heisenbergのthe unglamorous(?適切な日本語訳)側面を見るのも衝撃的だ(冒頭の西島メモにHeisenbergがPauliの顔色を伺っていたとのエピソード)。若者の魅力とエネルギーは、苦労して獲得したノーベル賞もあわせて、妥当であり続けている(文意:不明?)。彼らのキャリアの後半、二人の物理学者は「単一の場ではすべての物質、エネルギー、自然の相互作用が特別なケースとして融合する」というアイデアを得た。Pauliが1958年のアメリカ物理学会会議でill-formed理論を発表したとき、彼は嘲笑された。
驚いたことに、Heisenbergはドイツでその研究成果を公にした。Pauliはとある学生に、Heisenbergのラジオ広告と新聞広告について手紙を書いている。そこではsuper-Einstein, super-Faust, and super-human(スーパ何者?)の役割が言及されていた。そして彼の手紙あh「宣伝に対する彼Heisenbergの情熱は飽くなきようだ。」と加えた。Albert Einsteinは、量子力学と相対性理論を調和させるために彼の最後の数年を費やしたが、彼の教義さえ優雅さで染められた(?)。
一見異なる要素とキャラクターが、本の後半で合体し、つながる。物語は心地よく響きあう。たとえば、Pauli and Heisenbergの試みは、観察された現実の根底にある完璧な形の永遠の領域というプラトンの考えを思い起こさせます。正しいか間違っているか、宇宙がどのように機能するかについて明らかにすることで、因果関係論議の魅力は残る。
Nature 584, 513-514 (2020)
doi: 10.1038/d41586-020-02456-5
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科学ランキング

映画「れいわ新選組」、ゾロアスタ教(6、ニーチェ)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:田植えが早かったところから順次稲刈りが始まっています。刈り終えた地は、地面がむき出しで茶色、刈りごろの田は黄色、刈り取りにはいまだという田は緑、かくして三色どんぶりを思わせる光景が描き出されます。若かりし頃の甘くもすっぱい記憶がよみがえります。2015年10月12日記事 )
三色8400


 稲刈りの 進捗映す 三色に 甘くすっぱい 記憶うかべり

 いつもながらの平野貞夫氏の秘蔵話。それにしても元朝日新聞の敏腕政治記者早野透氏のボケッぷりが気になります。司会役に徹するべく意図的であれば良いのですが。
3ジジ放談 生配信! 安倍退陣の真相 疑惑に蓋・利益再分配の安倍後継計画20200908 •2020/09/08 にライブ配33,941 回視聴信


 次を見据えた政治課題を設定するのが政治家と思います。その意味で下の動画は、大変示唆的です。ベーシック・インカムについても詳しく語られています。
参考動画:対談 鳩山友紀夫 × 波頭亮 


 正義の弁護士が若手政治学者の質問に答えて、自らの立ち位置を語っています。とかく刑事裁判では立憲されたら99%がそのままという現在の「司法」にあって、弁護士の立ち居地がどこにあるべきかを語っています。
企業不祥事や政治腐敗の原因を解説〜ゲスト企画:郷原信郎先生に聞く「法」とは何か〜


 下の動画を視聴するのは辛い気分を伴います。昨年の7月に大健闘をした「れいわ新選組」に将来の大躍進を期待をした国民は多かった。私もその一人です。乏しい年金から支援金を貢ぎました。この大躍進の予兆を捉えていたのが映画監督の原一男氏です。原監督によつて作られたドキュメタリ映画をめぐって安富氏が原監督と語りあいます。
 ところで、二ヶ月前に開票を終えた東京都知事選挙直後に「れいわ新選組」にお家騒動が勃発しました。始まりは高齢老人が若者・壮年者の生き様を妨げているか否かについての問題提起を「れいわ新選組」の一幹部が動画で語ったことでした。実際、高齢両親の介護のために退職を余儀なくされる「働き盛り」が大きな社会問題となっています。 
 2011年3月11日の東日本巨大地震では、多様な事象が発生しました。その一つが、震源の近くにあった、とある総合病院での話です。地震によって重傷を負い入院していた被災者が、寝たきり老人の入院のためにベッドを明け渡さねばならなくなり、他の病院への移動を余儀なくされたのだそうです。この取り扱いをめぐる病院の処置について、とある医師がある月刊誌に書いた記事を紹介します(2016年5月13日記事 
(図:上記記事で掲載した医師の寄稿、拡大は図のクリックで)
里見医師 クリックすると記事の抜粋を読むことができます。この記事は考えさせられます。果たした正解があるのか否かも定かでありません。こうした類の論議が二ヶ月前の「れいわ新選組」に発生しました。「生きる権利」という支店から例えば「災害緊迫時」に避けられないトリアージュ、などの議論もむしかえされます。論議はどうしてもプリミティブで熱っぽい議論と、ややそれから身を引いた議論の対立が生じます。それが、下に書く「二極」です。
 さて動画の冒頭で、安富氏は「れいわ新選組」の発足時から二極の存在が意識されており、頭脳明晰な山本氏はそれを十分に認識していたのではないか、と語ります。7月におきたお家騒動はその二極の不整合が顕在化したに過ぎない。と語ります。安富氏は、かって「れいわ新選組」に関わる組織論を語ったことがあります(8月17日記事)。
 山本氏が来るべき総選挙で「れいわ新選組」をどの様に舵取りをしてゆくのかはわかりませんが、舵取りがうまくゆき、再び多くの国民の支持を獲得するよう期待しています。書くべきことはまだまだあるのですが、しばらくは様子を見ることにします。せめて他の野党とりわけ立憲民主党が懐の大きさと原則の両方を注意深く意識し認識して大きな政治勢力を構築するべく力をつくしてほしいと願っています。 
日本の崩壊を観る!このままではこの国は壊れてしまう!【れいわ一揆】からみた日本の政治の現実。原一男監督特別出演。東京大学教授安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。 


+++++ゾロアスタ教(4)
 「世界哲学史2」(伊藤邦武他監修、ちくま新書、2020)と題される新書本の第7章「ゾロアスタ教・マニ教」を執筆している静岡大学・青木健教授は「この宗教の信者はきわめてノンシャラン(nonchalant, 無頓着)」と書きます。そうとするならば、日本列島内に達阿(日本名 稗田阿礼)等が遺した「名称」があちらこちらにあるなぞは期待できないのかもしれません。しかもほぼ同じ時期にペルシアに起こったと思われる「マニ教」はゾロアスタ教を包摂した教理を掲げていたと青木氏は書きます。ゾロアスタ教の最高神たるアフラ・マズダを「光の父ズルヴァーンの第一の騎士」と位置づけ(上記所77頁)、その第一の騎士が失敗するや、次の騎士・ミトラに託すという仕掛けを教理の内に組み込んでいるのだそうです。万葉集一巻三歌には「ミトラ」らしき神が読み込まれています。どうやら日本列島に到達していたのは、マニ教も含まれていたと思えます。
 幸い、青木教授が指摘するようにこの二つの宗教信者(ゾロアスタ、マニ)は「ノンシャラン」であるので、日本列島内で彼らが宗教的信念からいざこざを起こすことはなかったようです。一方、日本列島内には多くの「サカ」一族渡来の痕跡があります。彼らの宗教的立ち位置は定かでありませんが「シリウス星」信仰の痕跡が認められます。どうやら、日本列島に渡来した西域の民は、戦闘を好まず、「郷に入っては郷に従え」という処世術を身に着けて列島内に共同してその地歩を固めていたのではなかろうかと想像しています。

 ゾロアスタ教信者(マニ教信者も含め)はnonchalantである、私流の理解では「狂信的」ではない。これが、七世紀半ば、イスラム勢力によってササーン王朝を支えたイランの民が自らの地を放逐された背景であったろうと想像します。同様はカスピ海周辺域に屯(たむろ)していた三つのサカ族にも言えるのではなかろうか。後に「ハザール王国」を構成する一族にその地を追われ同じように散っていったのです。サカ一族を追い払ったその一族はイスラム教のすさまじい圧力に屈せず、自らの一族の宗教として「ユダヤ教」を選択します。これがハザール王国です。この王国は時代の変遷の中で影響力を東ヨーロッパンに拡げます。「アスケナジ」と呼ばれる一団で、やがてモーツアルト、アインシュタイン、フロイトなどの偉大な芸術家、科学者を輩出するとともに、一方で世界の金融を支配するロスチャイルド家などが世界の隠然たる支配者として君臨することになります(参考記事 )。現在イスラエルの地で原住民たるパレスチナ人に暴虐の限りをつくしている「自称ユダヤ人」がこうした外から入り込んできたアシュケナージであることは周知となっています。

 こうして故地を追われたゾロアスタ教の残像がヨーロッパ思想界に影を落としていることは、モツアルトの歌劇「魔笛」、ニチェの著作に認められ、青木氏も上記本の末尾でそれに触れています。
「・・・その残像はフリードリッヒ・ニーチェ(1844-1900)が敢えて反キリストの立役者としてザラストラスに仮託したツアラストラス(古代イラン語ザラストラスのドイツ語読み)かく語りき」にまで揺曳している。最もニーチェの選択には恋人ルー・ザロメ(1861−1937)の結婚相手となったゲッティンゲン大学イラン学教授カ−ル・アノドレアス(1846-1931)がたまたま古代イラン学創始者だったという個人的な事情も絡んでいると思われるのだが」
 ニーチェにあってはまさに「反キリスト」(大本のユダヤ教であり、出自を同じくするイスラム教)という視座を誇示することを意図していたようです。
 ところでニーチェとほぼ同時代にドイツで活動し、ニーチェにも多大な影響を与えたと思われるカール・マルクス(1818−1883)との接点はどこにあったのだろうか?以下の記事を見つけたので、その一部を抜粋しておきます(ゴッチクは興味深い指摘です): 
%%%%%ニーチェとマルクスから(石渡功)
19世紀中頃から人間が利他心をなくし利己心の強さから真理を無くし、経済の混乱からニヒリズム(虚無主義)に陥った時、ニーチェは自由思想家とは実際のところは、宗教の虚偽を一掃するために不可欠な誠実で勇敢な無神論者であるどころか、俗化されたキリスト教徒にすぎない。かれらが、キリスト教の神を排除しようとしてもそれはキリスト教道徳をいっそう敬虔に保持するにすぎないと。
 それゆえ、これらの自由思想家が自分の非道徳的戦略を妨害する危険があると見るや、ニーチェはかれらを敵視することになる。なぜなら、人は神を放棄すると、それだけいっそう堅く道徳にしがみつくものだと。そして、神々は死んだ、われわれは今や超人を欲すと言った。
 ニーチェは大学で専攻していたのが神学だったが「イエスの生涯」を読んだ後、神学から離れ信教徒の母親と争い、そして神を否定し観念論と形而上学を批判することに成るが、ニーチェがマルクスを学んでいたら、ニーチェの思想は変わっていただろうと言われている。(以上、文庫クセジュより、ジャン・グラニエ著・須藤訓任訳、1998年白水社出版「ニーチェ」から)
 ニーチェがマルクスを学んでいたら、ニーチェの思想は変わっていただろうということは、マルクスはニーチェと違って神を観念論を否定していなかったからだ。それは、人間はパンのみで生きるにあらず、神の口からでる言葉によって生きる。これが聖書の言葉で形而上学的観念論といわれ、マルクスは、されど人間はパン無くして生きるに能わず、と弁証法的唯物論を表したのだ。「廣松渉著、1990年講談社発行、今こそマルクスを読み返す”と先のニーチェより」
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 さらには、以下のような論評もあります。
%%%%%“ヘーゲルの次男”マルクスと三男・ニーチェが教えてくれる

本当の教養の意味
出口治明:立命館アジア太平洋大学(APU)学長
o キャリア・スキル 哲学と宗教全史
世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。
その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。
なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか?
脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。発売直後に大きな重版が決まった出口治明氏を直撃した。(構成・藤吉豊)
「ヘーゲルの次男」マルクスは「生産力」が歴史を動かすと考えた
――「ヘーゲルの長男」は、前回うかがったキルケゴールでしたが、次男は誰ですか?
出口:マルクスです。父、ヘーゲルのスケールに圧迫された感じの「長男キルケゴール」とは異なり、冷静に父の哲学を見つめる余裕があった次男マルクスは、ヘーゲルの哲学を修正し発展させる方向で、自分の学説を展開しました。ヘーゲルは「社会は絶対精神を実現するために進化を続けていく」と考えました。マルクスは、社会が進化するというヘーゲルの考え方を強く支持しています。
マルクスは、社会の構造を次のように考えました。社会は下部構造となる経済構造の上に政治・法制・イデオロギーなどの上部構造が乗る形で存在している。そして上部構造は下部構造によって規定され、両者は不可分に結びついている。したがって下部構造である経済構造が生み出す生産力が、上部構造の意識を形成していく。生産力が変化すれば生産諸関係が変化し、それが歴史を動かす原動力となるのだ、と。
――経済力や生産力が社会を成長させると考えたのですね。
出口:そうです。社会や歴史を動かすのは具体的な生産力だ、という思想をマルクスは確立しました。こうしたマルクスの思想を唯物史観(ゆいぶつしかん)と呼びます。
マルクスは多くの著書を残していますが、『賃労働と資本』(長谷部文雄訳)、『ドイツ・イデオロギー』(廣松渉編訳、小林昌人補訳)、『経済学・哲学草稿』(城塚登、田中吉六訳)、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一、北条元一訳)、『哲学の貧困』(山村喬訳)などが岩波文庫から出ています。
「ヘーゲルの三男」ニーチェは
「神は死んだ」と言い切った
――では、ヘーゲルの三男、ニーチェはどのような人物だったのですか?
出口:ヘーゲルの三男として位置づけたいニーチェは、いかにも末っ子らしくヘーゲル哲学を厳しく批判する立場を取りました。
ニーチェがヘーゲルやマルクスと最も異なるのは、時間のとらえ方です。2人とも歴史は理想的な方向に進化していくと考えました。しかしニーチェは、歴史は永劫回帰している、と考えました。
人間はさほど賢くなく、同じあやまちを繰り返してきた。進歩はしていない。歴史は直線的に進歩するのではなく、永劫に回帰する円環の時間なのである、という考え方です。仏教の輪廻転生の思想と同じです。
永劫回帰の理論は、ヘーゲルの進歩の思想を否定しました。そのうえでニーチェは、時間も歴史も進歩しない、そのような運命を正面から受け止めてがんばっていく人間。この強い人間を「超人」と呼びました。
キルケゴールは、最後に神にすがりました。神を信じて生きていけば、心は平安になれると考えたのです。
けれどもニーチェは神の存在を否定し、「神は死んだ」と断言しました。
――時間も歴史も進歩しない。神もいないとなれば、何を頼ればいいのですか?
出口:頼りにすべきものは自分自身しかありません。神もいない、進歩もしないという運命を受け入れ、頑張っていく人が超人であり、「強くありたい、立派でありたい、そのように生きたい」と目指す意志の力によって、世の中は動くのだとニーチェは考えたのです。
ニーチェの著作としては『悲劇の誕生』(秋山英夫訳)、『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳、全2冊)、『善悪の彼岸』(木場深定訳)が岩波文庫から出ています。新訳としては『ツァラトゥストラかく語りき』(佐々木中訳、河出文庫)がお薦めです。
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 歌劇「魔笛」についても多様な議論があるようです。そしてフリ−メソンなぞというややこしい話もあり、それは一部の人間が好む陰謀論にも広がります。それらを俯瞰することは私の能力を超えています。次回は、任列島古代史に登場するゾロアスタ教の痕跡に話を戻します。
マリア・カラスの「夜の女王のアリア」 

クルト・モル 「おお イシスとオシリスの神よ」 魔笛


(つづく)

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(つづく)

福井地震(9月4日、M5.1),マリオネット安倍氏、常陸国の麻生(アフ)


(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:9月7日朝の6時20分。西の空に二重虹を見ました。)
二十虹bCIMG8387


 連れ合いが 虹に向かって ブツブツと 祈るは孫と 子らの息災

+++++福井地震
9月4日に福井県北部を震度5の地震が襲いました。
(図1:過去の顕著地震。地震調査研究本部編より。拡大は図のクリックで)
地震活動福井8381
 
今般の地震は1948年6月28日16時に起きたM7.1の地震央と近接しているところから、地震防災関係者はさぞかし緊張したことであろうと想像しています。亡くなった方は3728名と報告され、上の図で見る“福井平野のほぼ全域で住宅全壊率が60%”を超えるほどの大災害をもたらした地震てす。以後47年間日本列島でこの死者数を上回る地震は1995年の神戸地震前まで起きていません。
まずは先日9月4日地震の報道記事です。
%%%%%福井震度5弱 震源付近に断層 専門家、連鎖警戒「大地震つながりかねない」 9/5(土) 9:03配信
(図2:福井県嶺北地域にある主な断層、拡大は図のクリックで)
200908b福井無題

 福井高専の岡本拓夫教授(地震学)によると、9月4日午前に福井県内で最大震度5弱を観測した地震の震源の平野部には断層があるとみられ「以前から地震を起こす可能性はあった」という。今後、マグニチュード(M)5・0クラスの地震が頻発するようであれば、周囲の断層と連鎖し「熊本地震のような大きな地震につながりかねない」と指摘する。 【図表】福井県が日本海で地震が発生した際の独自津波予測  岡本教授によると、今回の震源近くでは断層特有の構造でないと現れない後続波が過去の地震で観測されており、福井平野の西縁部には九頭竜川と日野川の合流部を南北に貫く形で断層があると推定されるという。  気象庁によると、今回の地震は両側から押されて上下方向に動く「逆断層型」であることが分かっている。岡本教授は、推定される断層面や震源から考察すると、福井平野西縁部の断層が引き起こした可能性があると指摘する。  今回の震源は、1948年6月28日の福井地震を起こした福井平野東縁断層帯からは西に約5キロ離れており、直接の関連はないとする。また、これまでの嶺北を震源とする震度4以上の地震とも「メカニズムや震源が違う」とした。  現状は本震余震型の地震に近いとするが、今後も今回と同じような規模の地震が続いた場合、南部には鯖江断層があるため「連鎖すると大きな地震につながる」と指摘する。その上で「1、2週間の余震活動の推移を注意深く見る必要がある」とした。  また今回の地震は直下型のため「緊急地震速報が間に合わない」という。今後の余震などについても「揺れを感じたら姿勢を低くして頭を守る行動をとってほしい」と呼び掛けている。
%%%%%
'図3:防災科学技術研究所Hinetによる地震活動の様相(左)。当該域の顕著地震活動(気象庁記者発表資料) 。拡大は図のクリックで)
200908g福井無題

 1948年の福井地震が周囲の地震環境に大きな影響を及ぼしていたらしいことが図の右下から見えてきます。1948年の地震発生とそのわずか10年余の間に顕著地震が3個も集中して起きています。1948年地震発生による地殻内の応力再配分の様式が定式化されるならば、この集中が力学的に説明できるのかもしれません。それによって地震活動が近接して起きた背景、ひいては、この地での「福井地震」再来の可能性を議論することがも可能になるやもしれません。

(図4:今般の地震の発震機構解と1948年福井地震の発震機構解(防災研究所資料 拡大は図のクリックで)
200908d福井無題


 二つの地震の発震機構解が異なっていることに驚きました。1948年のそれは左横ずれ断層( Left lateral strike slip)であるのに対して、今般の地震はそれとは似ても似つかぬ逆断層(reverse)です。記者発表資料によれば、震度5の地域は震央から北々西に広がっています。これから断層面は北々西に傾いた面と推察できますが、余震分布などからいずれ判明するのでしょう。地震学的には興味深いことで、将来起きるであろう類似地震による災害予測にはそれはまことに大事な情報となります。

参考記事:
%%%%%福井から不気味に伸びる断層…地震ノーマーク、京都&名古屋の危険度 内陸直下型潜む「動き残り」 専門家「無縁と思われる地域でも起きる」9/8(火) 16:56配信
 4日に福井県内陸部で最大震度5弱の地震が発生した。福井から関西地方や中部地方に伸びる断層では、かつて大きな地震が発生しており、あまり注目されていない京都府や名古屋市などの地域も例外ではないという。一方、過去に南海トラフで発生した地震の前年には今回のような内陸直下型の地震が発生しているとの指摘もある。 ◇  震源の深さは約10キロで、地震の規模はマグニチュード(M)5・0と推定される。  気象庁によると、福井県内で震度5弱程度以上の揺れが観測されるのは1963年3月27日の若狭湾を震源とするM6・9の地震以来。今回の震源は48年6月28日の福井地震(M7・1)を起こした福井平野東縁断層帯から約5キロ離れている。  福井周辺の断層が大地震を引き起こした例は複数あると指摘するのは、立命館大学環太平洋文明研究センター特任教授の高橋学氏。  「福井から兵庫県の六甲山を経て淡路島に至る断層では、1995年の阪神淡路大震災(M7・3)が起きた。一方、岐阜や愛知にかけて延びる断層では1891年に7000人以上の死者を出した濃尾地震(M8・0)を起こしている」という。  こうした断層の中には「動き残り」と呼ばれる地域があり、いつ地震が発生してもおかしくないという。高橋氏はこう続ける。  「福井から淡路島に伸びる断層の上には、京都府や滋賀県西部が位置している。また。JR名古屋駅近くまで伸びる断層付近には中央、東名など各高速道路が通る小牧ジャンクションもある。濃尾地震の例をみても、最大でM8程度の地震になるだろう」と警鐘を鳴らす。  今回の福井の地震について、「震源が浅いため、南海トラフ地震のさきがけとして起きる内陸直下型地震の1つではないか」とみるのは、夕刊フジで「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」を連載する武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏。  南海トラフでは、1944年に東南海地震が起きたが、その前年の43年には鳥取地震があった。46年の南海地震の前年には三河地震が発生した。いずれも内陸直下型地震だ。  「活断層は分かっているだけで約2000、分かっていないものはその3倍に及ぶとされ、地震が起きないと分からないものも多い。日本の場合、地震とは無縁と思われる地域でも起きる」と島村氏は強調した。
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科学ランキング

+++++首相投げ出しの顛末
 最近の朝日新聞世論調査によれば、安倍内閣支持率はなんと71%とのこと。また、首相適任者に関するアンケートでは菅氏が石破氏を逆転に留まらず大きく引き離し断トツとのこと。先日のどこぞのチャネルでのTVインタビュでは、キャスタの質問に歯切れ悪くモゴモゴと意味不明を語る様子が放映されていました。識者の分析では「(菅氏が)パンケーキが好物であること」、「集団就職で上京、法政大学夜間部卒業後ダンボール工場での勤労学生」などの生い立ちが一斉にTVで流されたことの効果で好感度が飛躍的にあがったのであろうと語っています。TVインタビュでは“モリカケサクラ”については「決着済み」と断言し、コロナ対策、異次元金融緩和を含む経済対策、拉致、北方領土、辺野古など重要課題については一貫して「モゴモゴ」何を言ってるかさっぱりわからないんであります。どうやら安倍路線の継承といってるようです。にもかかわらず、支持率は跳ね上がる?世論調査というものの実態、それに回答する我が同胞の思考、何がなにやらわからないんであります。

 前回記事で紹介した安富氏の分析が正しければ、日本国の真の支配者の意向に変化はないのだから、それに忠実であれば後任は誰でも良い。言葉を変えれば、石破氏など、なまじ己の理念を振りかざすような人間でなければ誰でも良いということなのでしょう。日本国民もずいぶんと見くびられたものです。
東大教授と語る【菅総理は安倍政権の闇を引き継ぐ】実はそもそも安倍内閣は菅内閣だった?!菅さんが前回の総裁選で安倍晋三の再出馬を押した人物。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。

 NHK岩田明子女史の安倍礼賛の背景はここにあったのかなぞなぞ、いろいろと考えさせられます。安倍氏をマリオネットたらしむる背後の傀儡師は性懲りもなく、どのような醜態を晒しても安倍氏に大金を持たせて外遊させてきた。その政治的狙いはいずこにあったのか?傀儡師の思惑はどこにかったのか?など疑問はつきません。
 上の動画でも語られていますがその元締めが表向きは「二階氏」とは?これも疑問です。旅行業利権が日本経済でどれほど大きいものであるのか?inboundなる掛け声で日本列島に押し寄せる外国人の多分6割は中国です。中国通の二階氏の利権基盤はそれであったのか?それが、首相を「顎でこき使う」ほどのすごいことであるのか?
 今般の首相交代もどうやら安倍氏の「投げ出し」というよりは二階氏による「使い捨て」と見えます。そして菅氏もやがて使い捨てされるのか?改めて二階氏はそれほどにすごい人物なのか?それにしては、氏の政治理念は見えない、氏の大局的政治観なんぞは聞いたことがありません。
 いずれにせよ、理念なき政治変動を見るにつけ改めて2010年6月の「鳩山騒動」を思い起こします。あの時、米国に本拠を置いて、日本国民の動向を監視している真の支配者は「鳩山」氏に大きな危機感を抱いたのだろうということを改めて感じました。実際当時のジャーナリズムの狂ったような鳩山・小沢叩きはすさまじかった。そして今でも、「鳩山・小沢」の理念を意図的に無視無能呼ばわりするジャーナリズムがいることにあきれています。と、いうわけで、下に紹介するのは、その鳩山氏の定期的に発行される動画です。
時事放談(2020年8月) 鳩山友紀夫 × 孫崎享(元外務省国際情報局長)


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+++++神・仏戦争
 日本列島古代にはゾロアスタ教にまつわる地名・人名が残されていることを京都大学名誉教授・伊藤義教氏は自著で数多い指摘をしています。時代は七世紀半ば以降です。その特筆すべき事例が日本書紀・斉明紀に登場する「達阿」であることを前回書きました。なんとこの人物が日本人なら誰でも知っている「稗田阿礼」です。
 この人物自身は遠く西域ペルシアでの戦乱から逃れてきた人物であったことが上記伊藤氏の著者から明らかとなりました。伊藤氏の著書はあちこちで示唆に富む記載に遭遇します。それらは、ブログ記事を書き進める中で折に触れ参照することにして、当面の主題である「神・仏」戦争、すなわち「蘇我・物部」の確執に戻します。すなわち、前々回記事「ゾロアスタ教」(岡田明憲著)の拾い読みの続きです。その前にゾロアスタ教に登場する神々です。
(図:ゾロアスタ教に登場する神々。「ぞろあすた教」(平河出版社)巻末付録より。拡大は図のクリックで)
ゾロ神CIMG8359


 カタカナ表示なので、例えば「r,l」の違いの混同を恐れず、あるいは誤解を恐れずにまずは見覚え聞き覚えのある呼称を拾い出すことにします。
 何よりも最高神「アフラ・マズダ」です。本ブログ記事では、日本列島、とりわけ常陸国をゾロアスタ教に関連付ける連想に導いたのが常陸国風土記・行方郡の条に登場する「夜刀神」です。風土記執筆者は「ヤツト」とカナを振ります。これは「俗」(くにびと)による言い伝えをそのままカナにしたと考えています。「やつと」を音写する漢字は例えば「谷戸」、「八戸」、「谷渡」などなどいろいろ考えられますが、風土記執筆者は敢えてこの漢字表記を選んだと考えています。
 それは「夜陰に乗じて刀を振り回して」襲い掛かってくる不逞の輩というイメージです。それが執筆者の狙いでもあります。ところで、音写漢字「八戸」で連想させるのが青森県{八戸}(はちのへ)です。私は、この青森の地は「ゾロアスタ」教一族がサハリンから南下して常陸国へ達する途上に築いた一つの拠点ではなかったかと想像しています。八世紀以後、この地のそうした歴史経緯を隠すために「一戸」〜「九戸」までも付け加えたのではなかろうか、と考えています。因みに前回記事で書いた須弥山石の作られた肥前にも「八戸」なる地があります。前回記事で書いたようにこの地はゾロアスタ教に深き関わりがあります。

 さて、最高神アフラ・マズダに話を戻します。
 上に書いた常陸国行方郡の郡衙は現在の行方市内のもっとも大きな区である麻生です。そしてこれは現職の副首相Mr.Mizoyuuで知られるように「アソウ」と「訓」(よ)まれてきました。ところでこの麻生地区の東に「大生」神社と古墳群があります。「オオフ」と「訓」みます。さて、前々回記事で書きましたが、日本列島古代史の原典に登場する「麻」は概して「マ」と音されます。その一番よく知られている例が「美麻貴」天皇で、「みまき」と音されてきました。この麻を「マ」と訓すべきか「ア」と訓すべきかは現時点では定説はありません。その詳細検討は次回に譲るとして、麻生の「麻」を「ア」と訓み「生」を「フ」と訓無ならば「麻生」は「アフ(ら)」となります。古代ペルシア語では「ラ」行は接尾詞のような役割をしていると思われますから「麻生」は、まさゾロアスタ教最高神に由来するのではなかろうかとの推論が可能です。
(つづく)

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首相辞任背後のおどろおどろしい闇(安富氏)、稗田阿礼の実像に近づく

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:早朝の日の出の方向に一陣の入道雲がモクモクと沸きあがっていました)
朝入道雲8377


 暗がりに うっそり潜む 支配者が その正体を ちらっと露呈せしか

 今般の安倍首相の辞任。新聞の見出しやら、TVでの大騒ぎの背後に、おどろどろしい不気味なモンスタ、すなわち日本国民の闇の支配者の正体がチラッとその姿を垣間見せたようだ、と安富歩東大教授が語っています。安富氏の言を理解するための前段としてまずは、宮台東京都立大学教授の言を視聴しました。ここには、わかりやすい、すなわち良心的な大学の先生の視点が披瀝されています。

【宮台真司さん×青木理さん】「安倍よりも菅義偉が日本を劣化させる」

 次期首相候補とされる菅氏の不気味さが元経済産業省官僚の口から語られています。言論界、報道界にずかずかと入り込んでじっと聞き耳をたてる菅氏。戦前の特高を思わせますが、その場での言論の中止は言い立てない。後日、その元締めに圧力をかけて言論を封じてゆくという菅氏の気味の悪さ、怖ろしさが伝わってきます。どうやら、安倍時代を超えた暗黒の日本への入り口であるかのようです。
古賀茂明と佐高信の『官僚と国家』第1回 菅は真綿でクビを締める 20200903

 こうした議論の極めつけが安富氏による診たてです。安倍氏は真の日本国支配者の傀儡であったと安富氏は語ります。モリ・カケ・サクラは思考しない安倍氏のいわば自業自得である。それによって安倍氏は、ますます、その支配者の「でくの坊」たる立ち位置を強固にした、との分析です。
東大教授と語る【安倍晋三と菅義偉】日本国民を全て不幸にする権力システムの正体と、そこから逃げる方法。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。

  なにやら稀代の低品質首相であった安倍氏に同情してしまいそうな分析です。この安倍氏が小泉内閣時代の官房副長官であったころ、NHK, 朝日新聞などの気に入らない報道の一々にいちゃもんをつけ、しばしば自ら報道機関に乗り込み早口でなにやらまくし立て応対側を震え上がらせたことはよく知られています。また自由な議論が保証さるべき国会で下劣なヤジを飛ばして質問妨害を図っていたことも事実です。こうした人物が上の動画で描かれる安倍像とは重なってこない。それにしても安倍氏を背後から操る存在が二階しなぞという小物ではないことは確かです。米国日本ハンドラを介した米国軍産複合体のようなものであろうか?そうであるならば、彼らは日本に何を求めているのだろうか?新たな冷戦、すなわち米中対立にあって米側のための楯であろうか?気味の悪いことです。

 この議論から連想したのが、yahoo記事で広告として表示されている以下の記事です。広告の書は購入していませんが、その概要は安富氏の言と符節があっているように思えます。
%%%%%独占公開安倍総理の告白 私には3つの敵がいる・・・そのせいで国民がどんどん貧しくなっている 2017年12月某日に明らかになった不都合な真実...


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 重い記事を上に並べたので、サッカー記事です。私がひいきにする鹿島アントラーズの名DF内田篤人氏が、本田啓祐氏について率直に語っています。他のサッカー選手はなぜか本田氏に対して腰が引けている中での勇気ある発言です。
%%%%%「勝っていない本田さんの考えが、なぜあんなに受け入れられる?」“筋を通す男”内田篤人の考え方 2020年9月2日 6時0分
文春オンライン
 日本サッカー史上最高の右サイドバックと評された鹿島の元日本代表・内田篤人(32)が現役引退を発表した。2014年に負った右ひざの大ケガ以降、ベストの自分を取り戻すために最後まで苦しみ、戦い抜いた。
「試合に出られなくても、若い選手に日々、勝利にこだわることの大切さを伝えていた。8月12日の清水戦後、『もはや理想のプレーはできない。鹿島以外でプレーする選択肢はなく、もうやめなければ駄目だ』と実感し、そのままクラブに引退を申し入れたそうです」(サッカー誌記者)

 その甘いマスクで絶大な女性人気を誇り、11年に出版したフォトエッセイは15万部を売り上げた。
「『サッカー選手はサッカーのみに真摯に取り組めばいい』など、無骨な考え方が披露され、女性ファンはギャップに虜になった。構成には最も熱心に取材をしていた新聞記者を内田自身が指名。少しでも記者にお金が入るようにと、版元とギャラのパーセンテージの交渉までしたとか」(同前)
 5年前には故郷・静岡の同級生と結婚。2人の女児をもうけている。
「奥さんとは10代の頃からくっついたり離れたりしていたようです。その間、女優の松下奈緒やモデルの中村アンなど芸能人からもアプローチが多くあり、本人も満更ではなかった。しかし最終的に、人生の伴侶には幼馴染を選んだ」(スポーツ紙記者)
「勝っていない本田さんの考えが、なぜあんなに世間に受け入れられるのか」
 筋を通すのは勝負の世界でも同じだった。14年のブラジルW杯では、旗振り役の本田圭佑をはじめ多くの選手が攻撃重視のスタイルに傾いていく中、1人、警鐘を鳴らし続けた。
「内田は本田よりもクラブで獲得したタイトルが多く、ドイツでは欧州最高レベルでの試合経験も豊富。『自分たちのサッカー』で世界一を狙う理想主義の本田に対し、現実に応じた策で勝つという考えで抗っていた。近い人間には常に『勝っていない本田さんの考えが、なぜあんなに世間に受け入れられるのかわからない』と漏らしていたそうです」(サッカー協会関係者)
 まだ32歳。気になるのは今後の人生設計だ。
「芸能界からのニーズも高いですが、本人は鹿島に“恩返し”したい気持ちが強い。今年に入って『指導者やクラブマネジメントにも興味が湧いてきた』と語っています。心酔する鹿島のレジェンド・小笠原満男は既にコーチをしており、将来は人望のある小笠原が監督、戦術家の内田がGMとしてタッグを組む可能性が高い。いわば、ジャニーズの滝沢秀明と同じような道を鹿島で辿ることになりそうです」(鹿島関係者)
 第二の人生でもブレずに筋を貫き通すことだろう。
%%%%%(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年9月3日号)
関連記事19年11月25日記事

+++++ササーン朝・ヤズデギルドIII世の側近・達阿
 須弥山をつくった斉明六年五月の二ヵ月後の七月にこの築造にかかわっていた(多分土木技術指導)に関わっていたと思われる都貨羅(トカラ)の人で波斯(ペルシア)人の「達阿」が帰国したいと申し出ます。このペルシア人でトカラにいた「達阿」なる人物はイスラムによって滅ぼされたササーン朝・ヤズデギルドIII世の側近であったろうと伊藤義教氏は分析します。
 この「達阿」なる漢字表記名を岩波文庫校注者は「ダチア」と仮名を振ります。校注者はさらに補注という別枠で続きを議論しますがそれはもっぱら都貨羅(トカラ)の所在地で、日本の多くの古代史研究者たちがあれこれと考察をしていたことがわかります。因みに校注者は「トカラ」を現在のタイ国と考えていたようです。
 さて、ペルシア人である達阿なる人物名の「表音」漢字が考え出された経緯を伊藤氏は洞察します。伊藤氏の考察はやや複雑です。漢語をネーティブとする大陸人による書物を参照したのではなく、日本列島在住の漢語に熟達した日本書紀執筆者が考え出した「漢字表記」であったと前提します。この熟達者はペルシア語の「音」の表記に当たって「梵語音」なるものを用いたと伊藤氏は指摘します。そう考えると「達」は「dhar-」の表音(写音)漢字である。例えば「達磨」は「ダルマ」と「音」します。「達阿」なる人物の呼称は、日本書紀校注者が付する「タチア」ではなく、「ダーラーイ」(Daray)であると論じます。

 伊藤氏の「ペルシア文化渡来考」を神田の古本屋で見つけたのが十年ほど前です。正価格1700円の本を1000年で入手しました。しかし、当時の問題意識とのずれもあってか、上に書いたような記載の重大性に長く気づかずにいたことはまことに迂闊でした。なぜ、こうした自己批判をここに吐露するのでしょうか?伊藤氏は更なる重大な示唆をしていたのです。再び日本書紀に戻ります:
“乾豆波斯達阿”の“乾豆”は“K’ien-dug”で”Hindug”を示すイラン語系呼び名の写音したものであると伊藤氏は書きます(同書14頁)。かくして“乾豆波斯達阿”はカナ文字表記すると「ヒヅ・ペルシア・ダーライ」、そこから“ペルシア”を省略すると「ヒヅ・ダーライ」
となります。この音から直ちに連想できるのが「ヒエダ・アレイ」すなわち「稗田阿礼」は古事記編纂者による「音写」漢字と考えることができます。
「稗田阿礼」といえば、学校の歴史の時間で必ず生徒が教わる人物です。
「日本列島の歴史書の編纂作業が七世紀末に行われた。編纂に当たっては、まだ人々が文字を持たない時代の出来事、人物のことも含めたい。当時の編纂責任者はそのように考えたはずです。幸いにそうした大昔の人物・出来事を先祖から口伝えで口授され、それを次代に口授する役割を担っていた人物がいた。早速、その人物を招聘し、昔のことを語らせ、それを書き留めた」
 その人物が稗田阿礼であると、古事記・上巻は冒頭の「併序」で書きます。この記述について大方の歴史研究者は「さもありなん」と、格別の疑いを持ちません。私は、日本列島東国の古代史を調査する過程の中で、巷間語られる稗田阿礼像に違和感を持つようになりました。この人物がペルシアからの渡来人であると結論しました。理由については本ブログで何回か書いてきましたが、それを簡単に振り返っておきます:
 時代は、七世紀前半から八世紀初頭です。日本には二つの大きな政治が存在し相互の軍事衝突も起きていた。一つの勢力は奈良盆地を拠点とし、日本書紀に従えば藤原不比等に統帥されていた。この勢力を本ブログでは「大和」と呼んできました。もう一つは「大和」勢力を東西から挟む勢力で、それを日本書紀は蝦夷(えみし)勢力と書いています。軍事衝突の始まりは七世紀前半で、以後、少なくも四回、国外との戦闘すなわち「白村江の海戦」を含めれば五回の大規模軍事衝突があったことが日本書紀から推察されます。
 日本書紀の記載に従えば、まずは男大迹による「磐井の乱」、次は「蘇我・物部」の確執(いわゆる神仏戦争)、壬申の乱、そして「白村江の海戦」を挟んで、八世紀前半の大和軍勢による常陸国制圧です。稗田阿礼はその出自からして当然蝦夷(えみし)勢力に与していたはずです。しかし、度重なる戦闘のどの段階であったかはわからないけれども稗田阿礼は「大和」側軍勢の囚われ人となったのです。この様な推察に至ったのは「大和」を統帥する藤原不比等が編纂した日本書紀・古事記の記事に見る整合性の欠如です。東国の実情、蝦夷側内部での事象・人物が日本書紀に記載されています。その情報は敵側すなわち蝦夷側内部の人物から得たにちがいない。それをもたらしたのが稗田阿礼であり、この人物は、巷間語られる文字の無い時代を語ったのではなく、蝦夷側の権力構造、事象に関する諸々を語ったに違いない。これが私の思考過程です。

 前回記事で、ベーローズ(ヤズドゲルドIII)はイスラムとの戦乱を抜け出し長安に逃れたとあるが、中世ペルシアの文献「ブンダヒシュン」(原初の創造)の一節では、ヤズドゲルドIIIの姿は消えたと斯いている。伊藤氏はそれに着目し、かつ日本書紀斉明紀を参照してヤズドゲルドIIIと側近の達阿は日本列島に滞在したと推断したのです。

 現ブログ管理人の推論について思わぬところからその正しさが裏づけらたと思っています。日本書紀「斉明紀」は「須弥山石造」記事に続いて「達阿」なる人物を登場させます。これは西域の文化技術の列島住民への移転の一環であったという事実に留まらない歴史背景を暗黙のうちに語っています。それは達阿すなわち稗田阿礼が、東日本だけではなく、こうして西蝦夷である九州の肥前にまで足を伸ばしていたことです。その時期は七世紀半ば(日本書紀によれば西暦659年)、すなわち「白村江」敗戦の4年前ということになります。

 以上のような考察に基づいて、常陸国、「須弥山石造」のある肥前国風土記、そして地名にはどうやらその名残が少なからず残されているように思えます。それは別の機会に考察することにします。
(つづく)

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本当に持病の悪化で辞任したのか?(lite-ra)、ササーン朝

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:“実るほど こうべをたれる 稲穂かな”なる光景です。近日中に稲刈りが始まるのでしょう。
稲穂8369

下は用水フェンスで周囲を睥睨する我が友人「青鷺」君であります)
青鷺8375

  
 国なおし 民を守る 気概なく ただただ権力 いとおぞましき

私はかねてより安倍氏の仮病を疑っていました。積み重ね繰り返してきた犯罪が司直によって暴かれ、悪くすれば収監される。その事態を避けるために知恵を絞り、司法との「談合」を謀ってきたのだと想像しています。結局最終的には辞職によって最悪の事態をまぬがれるということで合意したのではないか?
 だからこそ、辞意を表明した今日も日本国の備えるべき軍事力について指図がましいことを語っています。未練たらたらであります。はてさて、日本国の司法が信頼に立つものかどうか、鋭く監視せねばと思っています。
%%%%%安倍首相、辞任の真相ーー河井夫婦1・5億円一部還流疑惑に新展開
8月28日の記者会見時の安倍首相自身の説明によれば、辞任表明したのは、持病の潰瘍性大腸炎が再発したためとされる。
ところが本紙の元には、こんな情報が入って来た。
「当初、官邸側は慶応大学病院に診断書を出してもらい、それを公表するつもりだった。記者会見に医者同席の案もあった。ところが、大学病院側は拒否。なぜなら、潰瘍性大腸炎は再発しておらず、ストレスから来る一時的な症状悪化に過ぎないから。いくら何でも“虚偽診断”はできないと。
そして、実は慶応大学首脳は、“病気を政治に利用した”ということで内心はカンカンだというのです」
この告発者、その確かな情報源も具体的に明かしてくれた。
しかしながら、これを明かすとその情報源、引いては慶応大学側に迷惑がかかるので明かせないことをご容赦願いたい。
また、この告発者は『リテラ』というニュースサイトの8月29日に出た記事(下に転載)に触れ、いい目の付けどころをしているともいった。
是非、その記事を見ていただきたいが、安倍首相は会見で6月の定期健診で再発の兆候が見られたにも拘わらず、その時期以降の首相動静をチェックすると、連日会食、しかも仏料理にステーキなど、本当に再発の兆候が見られていたなら、絶対に避けるべき食事をしていると指摘した。
しかも、同記事によれば、第1次安倍政権を投げ出した前回も、潰瘍性大腸炎が原因とされるが、この際に同じく慶応病院の医師団が公表した診断は「潰瘍性大腸炎」ではなく、強度のストレスと疲労による「機能性胃腸症」だったと。それが今日、潰瘍性大腸炎が事実とされるのは、1回目の政権投げ出し後の08年1月発売の『文藝春秋』に安倍首相が寄せた手記でそういっているに過ぎないという。
%%%%%
 
 上の記事で引用されているlite-ra記事が見つかったので、それを以下に転載させていただきます。
%%%%%安倍首相が会見で語った「病状」が矛盾だらけ!「潰瘍性大腸炎の兆候」「体調異変」と説明した時期に連日会食、しかも仏料理にステーキ 2020.08.29 07:56
8月17日、安倍首相が慶應義塾大学病院を受診したというニュースが流れた直後、本サイトは「公然の受診や健康不安情報流出は安倍首相の“政権投げ出し”を正当化するための演出ではないか」という疑惑を指摘した。
 昨日28日の辞任表明会見をみて、その疑惑はますます濃厚になったというべきだろう。それは、安倍首相自身の病気や健康状態、辞任決断の経緯などに関する説明が、矛盾だらけのシロモノだったからだ。
 まず、安倍首相は、今回、辞任を決断した原因が持病の潰瘍性大腸炎の再発であるとして、その経緯をこう語った。
「本年、6月の定期健診で再発の兆候が見られると指摘を受けました。その後も薬を使いながら、全力で職務に当たってまいりましたが、先月中頃から、体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました。そして、8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました」
 つまり、安倍首相は、6月の段階で潰瘍性大腸炎再発の兆候があることを知り、7月中頃には体調が悪化していたというのだが、しかし、それにしては安倍首相、その6〜7月にやたら会食ざんまいの生活を送っているのだ。
 首相動静から、ざっとあげてみよう。まず、6月19日には、東京・虎ノ門のホテル「アンダーズ東京」のレストラン「ザ タヴァン グリル&ラウンジ」で麻生太郎副総理兼財務大臣、菅義偉官房長官、自民党の甘利明税制調査会長と会食しているが、この店は〈高温のオーブンで香ばしくジューシーにグリルした熟成肉〉(HPより)がウリの店だ。
 安倍首相はその翌日、6月20日にも永田町の「ザ・キャピトルホテル東急」のレストラン「ORIGAMI」で秘書官と食事。さらに、6月22日には、丸の内の「パレスホテル東京」の日本料理店「和田倉」で自民党の細田博之・元幹事長と、6月24日には赤坂の日本料理店「たい家」で自民党の二階俊博幹事長、林幹雄幹事長代理と食事している。
 安倍首相が「体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況になっていた」と説明した7月中旬以降もこの会食ざんまいは変わらない。というか、6月よりさらに料理がこってりしている感じさえする。
 7月21日には松濤のフランス料理店「シェ松尾 松濤レストラン」で長谷川榮一首相補佐官、前秘書官の鈴木浩外務審議官、秘書官らと食事し、翌日22日には銀座のステーキ店「銀座ひらやま」で二階幹事長、林幹事長代理、自民党の元宿仁事務総長、野球の王貞治氏、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏、洋画家の絹谷幸二氏と会食。
 さらに、7月30日には、丸の内の「パレスホテル東京」内の「和田倉」で自民党の岸田文雄政調会長と会食している。和田倉は日本料理店だが、新聞各紙の報道によれば、安倍首相はここでもステーキを注文。鶏の生姜焼きを注文した岸田政調会長とビール、ウイスキーの水割りを酌み交わしたという。
 これがほんとうに「潰瘍性大腸炎の再発の兆候」があり、「体調が悪化」した人の食生活なのだろうか。潰瘍性大腸炎の活動期は、消化しやすく、高たんぱく・低脂肪の大豆製品や鶏肉、魚類などが推奨され、脂肪の多い食品や、油を使用している料理、アルコール類は控えめにするよう指導されるはずなのだが……。
体調を理由に辞任表明しながら、同じ会見で「私の体調のほうは絶対に大丈夫」と豪語
 また、辞任を決断したというタイミングの説明も不可解だ。安倍首相は「先週と今週、検査を受け、今週の診察を受けた際に判断をした。月曜日に」と答えたが、一方で、「新しいお薬を使いまして、2回目のときにですね、検査もおこなったんですが、効果が出ているということでございました」とも答えている。
 つまり、今週月曜日、2回目の検査のときに効果が出ていることがわかったのに、逆に辞任を決めたというのである。
 しかも、説明を聞く限り、現在の病状もまったく逼迫したものにはみえない。安倍首相は今後、入院するわけでも静養するわけでもなく、「次の総理が任命されるまでの間、最後までしっかりとその責任を果たしてまいります」と宣言。質疑応答でも、「幸い、いま、新しい薬が効いておりますので、(次の総理が決まるまで)しっかりと務めていきたいと、こう思っております」と繰り返し、さらに、ロイターの記者が次期総裁決定までの期間を質問すると、こう答えた。
「ま、これは、私の体調のほうはですね、基本的には、その間は絶対に大丈夫だと、こう思っております」
「私の体調は絶対に大丈夫」──。これって、安倍首相の体調がいますぐ辞職しなければならないようなものではまったくなかったということではないか。
 にもかかわらず、安倍首相がこのタイミングで辞任を決断したのはなぜか。答えはただひとつ、コロナが招いた危機的状況に嫌気がさし、政権を投げ出してしまったのである。
「安倍首相がやる気がなくなっている、辞めたがっているという話は、すでに5月くらいから出ていて、週刊誌が書き立てていたからね。6月になると、それに拍車がかかって、判断能力が停止しているのかと思うくらい投げやりな態度を示すことも珍しくなくなった。それと、6月に国会を閉じた後は、とにかくもう国会に出たくない、の一点張り。病気以前に、モチベーションが完全に低下していた」(政治評論家)
 しかも、これから安倍首相を待ち構える事態は、さらに厳しくなるのが確実視されていた。新型コロナ感染は一向に収束する気配を見せず、対応の失態が次々明らかになる。経済はこれからますます悪化するのに、アベノミクスで金融緩和を限界までやっているため打つ手がない。政権浮揚のために一縷の望みを賭けてきた東京五輪は中止の可能性が高く、年金積立金の巨額損失や財政悪化など、自らの政策と政権運営のデタラメがバレて、責任を問われる問題が次々浮上する。
 おそらく、安倍首相はこれ以上政権に居座っても良いことはない、むしろこれまでの失政を追及され、責任をとらされると判断し、かなり早い段階で、総理在任最長記録を打ち立てた後の辞任を決めていたのではないか。
 そして、その日に向けて健康不安情報を少しずつ流し、潰瘍性大腸炎が再発したことを理由にして、辞任した。
•  潰瘍性大腸炎の再発が「仮病」だとまで言う気はないし、実際、自分への批判が高まったストレスで持病が悪化した可能性もあるが、しかし、前述したように、それは少なくとも辞任が必要なほどではなかった。賭けてもいいが、6月くらいの時点で支持率が回復していたら、もしくはコロナ感染が収束して東京オリンピック開催が確実になっていたら、安倍首相は絶対に辞任なんて表明しなかったはずだ。
安倍首相はもう元気 会見では「次なる政権に対して、影響力を発揮したい」と本音ポロリ
 そう考えると、これはまさしく第一次安倍政権の再現と言ってもいいだろう。第一次政権の辞任の理由も、いまは「持病の潰瘍性大腸炎が悪化したから」ということになっているが、これは完全に後付けで出てきたものだ。
 当時、第一次安倍政権では、次々と大臣の「政治とカネ」問題が噴出して“辞任ドミノ”が起こり、さらには「消えた年金」問題が追い打ちをかけ、2007年7月29日の参院選で安倍自民党は惨敗。与野党勢力が逆転する「ねじれ国会」となって、様々な法案審議がストップした。すると、それからわずか約1カ月半後の9月12日、安倍首相が唐突に辞意を表明するのだが、この辞任会見で安倍首相が語った理由は、テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動を続けるために「私が辞することによって局面を転換したほうがよいだろうと判断した」というものだった。
 翌13日に慶應大病院に入院し、24日にあらためて会見を開いて、「この1カ月間、体調は悪化し続け、ついに自らの意思を貫いていくための基礎となる体力に限界を感じるに至りました」と健康問題が理由であると修正したが、この時点でも「潰瘍性大腸炎」だとは一言も言わなかった。公表された医師団の診断も強度のストレスと疲労による「機能性胃腸症」というものだった。
 ところが、翌2008年1月発売の「文藝春秋」に安倍首相は「わが告白 総理辞任の真相──突如、襲った体の異変。今、初めてすべてを明かす」と題した手記を発表。そこで「潰瘍性大腸炎」という持病を抱えていることを告白して、辞任を正当化。これが復活の狼煙となって、最終的に政権に返り咲くわけだ。
 今回は辞任発表と同時に「潰瘍性大腸炎」を持ち出したという違いはあるが、やり口はこのときと同じなのではないか。辞任の本当の理由は政治的に追い詰められ、嫌気がさしたからにすぎないのに、政権投げ出しを正当化するために潰瘍性大腸炎を持ち出す──。
 昨日、立憲民主党の石垣のりこ参院議員が安倍首相の辞任を受け、「『大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物』を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の『選任責任』は厳しく問われるべき」とツイート、大炎上しているが、この指摘はけっして間違ってはいない。
 おかしいのは「病気をネタに攻撃するのは不謹慎だ」「人の病状を取り沙汰する行為は醜い」「病気で弱っている人を叩くな」「仮病扱い」などといって、追及を封じ込める意見のほうだ。
 何度も言うが、相手はその政策判断によって国民の生命や生活が一変するような権力を握っている一国の総理大臣なのだ。そんな人物が自ら健康不安情報を流しているのだから、その真偽や詳しい病状を追及するのは当然だろう。
 ところが、この国のマスコミはそういうくだらない批判に怯えて、追及や検証を放棄。その結果、安倍首相のような無責任な総理大臣を復活させ、同じことを繰り返させてしまった。
 いや、それは過去形ではない。今回の辞任会見で、テレビ朝日記者の「今後、対中・ロシアなどの外交に取り組まれる意欲はありますか?」という忖度丸出し質問に、安倍首相はなんと、こう答えたのである。
「次なる政権にですね、対しても、影響力……ま、当然のことなんですが、いち議員として協力してしっかり支えていきたいと思います」
 聞かれてもないのに「次なる政権に対しても影響力」と宣言……そう、この男、コロナの重圧からまんまと逃れてすでに元気を取り戻し、院政を敷く気満々なのである。安倍応援団の「病気で弱っている人を叩くな」などという圧力に従っていたら、みたび無責任男の復活を許すことになるだろう。
%%%%%(編集部)

 郷原弁護士の語るところでは、事態は安倍氏の思惑通りには進まない展開がありえるといいます。すなわち、1.5億円に安倍氏が関わっていたか否かを論争点にするべきであるというわけです。こうしてこそ政界の金の面での浄化への第一歩ともなりえます。
【初公判で追い込まれた河井前法相“大逆転の一打”とは?「安倍首相体調問題」との関係は!?】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#31


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+++++「ゾロアスタ教」(岡田明憲著)つまみ読み(2)
 標記本は市の図書館のゾロアスタ教に関する唯一の蔵書です。が、ゾロアスタ教の体系的な解説本というよりは、専門家向けの「教義」の紹介を目的とした著作のように思えます。多分、研究者の要望に応えることを目的としたのでしょう。「アヴェスタ」と呼ばれる経典については全三十章のうち七章についてその日本語全訳が300頁余に渡って掲載されています。ただし、テキストは古代ペルシア語に基づいたものではなく1889年にGeldnerによって出版されたものの日本語訳と著者は書きます。ゾロアスタ教の真髄に迫らんとする研究者にとってはこの上なく有用なのであろうと想像しています。

 私の関心は、ゾロアスタ教に由来すると思われる「語」(地名など)を日本列島内に見つけること、あるいは日本書紀などの原典にそれらを発見することです。せめて、固有の表現についてはカタカナであってもラテン文字表記であっても良いので、アベスタ日本語訳に付記しておいてほしかったと思っています。
 上記の執筆意図からでしょう。頁をめくる毎に突然新しい「語」が説明もなく出現し、しばらくするとそれが別の文脈で登場しそこからその意味するところを類推せねばならないというような事態が頻発します。こうした説明の配列は、私のようなゾロアスタ教初心者あるいは本気でそれを勉強する気がなく「都合の良いところのみをつまみ食い」せんとする横着な輩にはこの本はとっつきにくいのは仕方ないのかもしれません。市の図書館が市民の要望に応えてこの本を購入したとは到底思えません。宗教関係の研究をしてきた当地住民が断捨離の思いから寄贈したものであろうと想像しています。

 というわけで、この本の「眺め方」は、「見覚えのある単語」を拾い出し、文脈からその意味を探るというもので、その「単語」を順次列記するということになります。上にも書きましたが、せめてラテン文字表記が付記されていたならば、それが多様な想像の源になるのにと愚痴っぽく思ったりしております。そうした愚痴をお聞きいただいた上で、まずはゾロアスタ教に関する年表を見ることにします。
 (図: 古代イラン年表、上書付録より。拡大は図のクリックで)
年表8357

 表の右端を越えたさらに右にあるべきは紀元前630年(頃)のゾロアスタ教開祖・ザラストラスの誕生です。71年後の紀元前559年に登場するアケメネス王朝はザラストラスの教義を自らの統治理念の裏づけとして位置づけた(これには異説もあるようですが、現ブログ管理人はそのディーテイルには拘らない事にします)。時が経ち、王朝の都ペルセポリスは紀元前330年のアレクサンダ大王の東征の途上に位置したがために、崩壊しアケメネス王朝が滅亡します。約六世紀後の西暦222年にササン朝が発足します。そしてゾロアスタ教も復権しますが、400年後のイスラムの勃興で西暦651年にササン朝が滅亡しゾロアスタ教の衰退が始まります。
(図:ササーン朝ペルシア。拡大は図のクリックで) より。Western Gokturk は西突厥、Tokharistanは下で伊藤氏が議論の対象とする都貨羅(下の日本書紀記事を参照)。
200901ササーンPersia_600ad

 ササン朝支配域の南東端にはかって「サカスタン」(サカあるいはシャカ一族の源流)があった。と、古地図は記します。それが、いわゆる三つのサカ一族の源であったのか否かはわかりません(12年8月6日記事 );
 サカスタンとSindh(インダス河河口の東側)をはさんで東側にあるのがGurjaraです。この地は2001年に2万を越える人命を奪った「グジャラト大地震」が起きた地です。栗本愼一郎氏は古代トルコ語の発音と対照させて「グ」は「ク」、「ジャ」は「ハ」であることを突き止め、この地が七世紀〜十世紀ごろまで、カスピ海周辺に勃興したユダヤ教国「ハザール」王国ではないかと論じた地でもあります(18年6月27日記事)。アシュケナジと呼ばれる白い肌のユダヤ人の発祥地とも言われ、現在のイスラエルをめぐる中東でのパレスティナ人虐待の本源でもあるといわれる一群でもあります。
 ところで、上の地図ではカスピ海の北西に「Khaazars」なる国があります。これも「ハザール」と読めます。栗本氏の獲GujaraそしてKhazarsその両方がハザール王国の母体となったのでしょうか?興味深いのですが、話が主題から知れてしまいますので、これ以上は続けません。
参考:12年7月18日記事12年7月30日記事12年8月3日 。
 
 話をササーン朝に戻します。四世紀末から五世紀はじめにかけて王位にあったのがヤズデギルド1世 です。この王の末裔ヤズデギルド3世の御世にササーン朝は勃興してきたイスラム勢力によって滅亡します。このヤズデギルドIIIの最後について伊藤義教博士が以下を書いています:
(図:ヤズデギルドIIIの最後。「ペルシア文化渡来考」12頁より。拡大は図のクリックで)
伊藤12頁8371


 現今の関心事である「ヤズド」は、上に登場するヤズデギルドに由来するのではなかろうか、と考えています。すなわちサーサン王朝の王の名前です。上掲の記述は次の頁に以下のように続きます:
 ヤズデギルドIII世の挙兵したのは年齢15歳頃であり、若年なので誰かがこの王の軍事行動を助けたはずである。それが「達阿」であり、「達阿」は若き王子ヤズデギルドIII世を助けて戦陣を抜けだし、長安(中国の都)に「後図(こうと)を策した」と、伊藤氏はとある書の記述を紹介します。しかし、伊藤氏は王子ヤズデギルドIII世(ペーローズ)の戦陣からの脱却については異説があると書きます。それが上に掲載された記述です。

 さて、ここに登場する「達阿」は日本書紀に登場すると伊藤氏は書きます:
%%%%%日本書紀《斉明天皇六年(六六〇)紀より
原文:
五月是月 有司奉勅、造一百高座。一百衲袈裟。設仁王般若之会。』又皇太子初造漏剋。使民知時。』又阿倍引田臣。〈闕名。〉献夷五十余。又於石上池辺作須弥山。高如廟塔。以饗粛慎三十七人。』又挙国百姓無故持兵、往還於道。〈国老言。百済国失所之相乎。〉
秋七月乙卯【十六】秋七月庚子朔乙卯。高麗使人乙相賀取文等罷帰。』又都貨羅人乾豆波斯達阿欲帰本土。

文意(岩波文庫「日本書紀」(四)
 有司(つかさ)勅を奉(うけたまわ)りて、一百高座、一百衲袈裟を造りて仁王般若之会を設ける。又皇太子初めて漏剋を造り民をして時を知らしむ。又、阿倍引田臣〈名前は記録にないが。〉夷(えみし)五十余を献ずる。又、石上池辺において須弥山を作る。高きこと廟塔の如し。以て粛慎三十七人を饗す。又、挙国の百姓、故(ゆえ)なく武器を持ち、往還す。〈国老言うには、百済国で所を失った者たち。〉
秋七月庚子朔乙卯【十六日】 高麗使人である乙相賀取文等が帰国した。又都貨羅人乾豆波斯達阿が本土への帰国を欲(のぞ)む。
%%%%% 
 西暦660年5月に廟塔のように高い須弥山が作られます。研究者はそれを奈良盆地内の飛鳥の地にある高さ2m強の石造物であると断じています。佐賀県の中央部を北から南に流れ有明海に注ぐ嘉瀬川の中流域、現在の佐賀大和のすぐ北に「巨石パーク」と呼ばれる古代史跡があります。私はそれが日本書紀が書く須弥山と考えており、それはすでに書きました。さらに付言するならば、嘉瀬川はその一部が運河であるらしいことが日本書紀の記述から推察されていますが、この名称は古代イラン語で暗渠を意味する「カハス」に由来します。どうやら渡来したイラン人の土木工事技術が展開された活動痕跡があちらこちらに漂っている場所でもあります。
 さて、須弥山建造ごの二ヵ月後に“都貨羅人”である“乾豆波斯達阿”が帰国したいと願ったと書紀は書きます。“乾豆波斯達阿”について岩波文庫校注者は都貨羅人たち一行の首領格の人物であろうと書き、別に設けられた補注でさらに詳しくそれを書いています。そこで述べられる見解は伊藤氏のそれとは大きく異なっています。
 琉球海溝にそって屋久島から奄美大島まで並ぶ小島群はトカラ列島と呼ばれます(鹿児島県)。それは、上述の“都貨羅人”が遠くインドからアジア大陸南岸に沿って渡来してきた一団の経路であったことから、そのように呼称されたのだろうと考えられています(ウイキは異なる説明をしています)。

 ヤズデギルドIII世(ペーローズ)は、最終的には長安に行き着いたものの、それは日本列島経由であったのだろうと一般には語られているが伊藤氏は上掲の記事を元に、むしろその消息は不明となったと書きます。(上掲・伊藤氏著書)。当然、このヤズデギルドIII世に付き添った達阿も日本列島にいたことになります。
 ここで、伊藤氏は達阿についてまことに興味深い考察をします。それを次回に書きます。
(つづく)

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Eppur si move(3)、ゾロアスタ教本(岡田明憲著)つまみ食い、安部政治総括(安富氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:8月28日午後5時の退陣記者会見のハイライトは以下の画面にある、と私は考えています。安倍氏の「めちゃくちゃ」を許してきた責任の、一端どころか相当部分を萎縮した日本のジャーナリズムが追うべきであろうと思うからです。【神保哲生さん】「安倍総理の会見は最後まで異常だった」(安倍総理最後の会見Session22)


 犯罪の 糾明おそれ 退陣す 加担の官僚 このまま居座る?

 安倍政治を振り返る議論がネットで多く見られます。以下はそのうちの一つです。内心では、鬱積した国民を目覚めさせるような鋭いしかし明快な議論がないものかと思っています。
【プチ鹿島さん】「公文書管理をないがしろにする保守界隈の罪」・富永京子さん・木村草太さん(安倍総理最後の会見Session22) 


 中身スッカラカンであったことに加えこれだけの犯罪を積み重ねてきた人物が八年弱にもわたって首相の座を占めていた不思議。その犯罪を必ずしも必死になって隠してきたわけでもないのになぜか、糾明されずに最長の首相在職となった不思議。警察・公安官僚を中心にして固められた堅固な壁は、その秘密保持をボロをこぼしながら見事にやり遂げてきた不思議。こうした政府中枢が、このまま存在し続ける限りでは、国の政治は変わりますまい。安倍氏の重ねてきた犯罪の数々はまさに「ヤリ得」であったということです。
 しかし、下の動画で語られるアベノミクス論には驚かされました。急いで付け加えるとすれば、それは安倍氏が意図して得た結果ではないということは念頭においておきたいものです。
東大教授と語る【ポスト安倍】安倍政権の功罪を問う。見せかけの裏にある根本的な問題。経済は良くなったのか?賃金は上がったのか?安冨歩教授電話出演。


+++++それでも地球は動いている( Eppur si move、(3) )
 石垣のりこ参院議員が
「総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。 が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます」
 と、ツイッタか何かで書いたところ、すさまじい批判を浴び、結局枝野幸男党首ともども謝罪釈明をしたとのことです。石垣議員の発言のどこが非難されているのか、私には全く理解できません。「安倍&自民党批判が、難病に苦しんでいる人たちへの“ヘイト発言”にあたる」と、訳知り顔の解説者を含む石垣批判者は語ります。私は、本人の健康と、政治のトップとしてなしてきた不都合な行いへの真っ当な批判は切り離して考えるべきと思います。悪逆三昧を繰り返してきた犯罪者が「病気」を理由に免罪される。これはばかげたことです。
 この事態は、本ブログで書くガリレオの異端審判を思わせます。真っ当な真実は「同情」というなにやら得体の知れない感情で押しつぶされてしまいます。「同情」、それこそ一歩間違えれば、頑迷な宗教的感情の押し付けでもあると思うからです。石垣氏の指摘は「サレド地球は動いている」を指摘したことなのです。
%%%%%Did Galileo Truly Say, ‘And Yet It Moves’? A Modern Detective Story(3)

An astrophysicist traces genealogy and art history to discover the origin of the famous motto
• By Mario Livio on May 6, 2020
 本当にガリレオは“ Eppur si move”と言ったのか?その真実を探る(3)


Inquiry at Vleeshuis revealed that on September 13, 1933, Van Belle had indeed loaned it a painting entitled Galileo in Prison. The loan was also reported (with the title Galileo and His “E pur si muove”) in the Gazet Van Antwerpen on September 15, 1933. Further inquiries uncovered the surprising fact that Stedelijk Museum Sint-Niklaas (SteM Sint-Niklaas) in Belgium has in its collection a painting that appears to be identical to the one loaned to Vleeshuis. Moreover, a close inspection of the wall in front of Galileo in this painting revealed a drawing of Earth orbiting the sun, a few other drawings (possibly of Saturn or the phases of Venus) and the famous motto. This portrait was documented as having been painted in 1837 by the Flemish painter Romaan-Eugeen Van Maldeghem. It was donated to the city of Sint-Niklaas by art collector Lodewijk Verstraeten. And the museum obtained it after his wife’s death in 1904 or 1905.
Museum Vleeshuis in Antwerpでの調査により、1933年9月13日、Van Belleが実際にGalileo in Prisonと題された絵画を貸し出していたことが明らかになった。貸し出しは、September 15, 1933付けGazet Van Antwerpen紙でも明らかにされた(そのタイトルはGalileo and His “E pur si muove”)。さらに調査を行ったところ、ベルギーのアムステルダム市立近代美術館(SteM Sint-Niklaas)のコレクションに、Vleeshuis博物館に貸し出された絵と同じように見える絵画があるという驚くべき事実が明らかになった。さらに、この絵のガリレオの前面の壁をよく見ると、太陽を周回する地球の絵、いくつかの他の絵(おそらく土星または金星の段階)、そして有名な「言」があることも明らかになった。この肖像画は、1837年にFlemish painter Romaan-Eugeen Van Maldeghemによって描かれたと記録されている。それはアートコレクターのLodewijk VerstraetenからSint-Niklaasに寄贈されたとされている。博物館は、1904年または1905年にRomaan-Eugeen Van Maldeghemの妻が亡くなった後にそれを入手した。
(図:Detail of Van Maldeghem’s painting Galileo in Prison showing the motto “E pur si move” and Earth orbiting the sun. Credit: Gerald Delvaux (図:Van Maldeghemの絵画「Galileo in Prison 」には「E pur si move」なる言と太陽を周回する地球が描かれている。クレジット:Gerald Delvaux
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This development created a very interesting situation. There were two virtually identical paintings. One, owned by Van Belle, was claimed to have been painted in 1643 or 1645. The other, by Van Maldeghem, was painted in 1837. The Van Belle painting made its first documented public appearance in 1911. It was loaned to Vleeshuis in 1933 and was exhibited there in 1936. Since then its whereabouts have been unknown. The second painting has been in the collection of SteM Sint-Niklaas since 1904 or 1905. The extreme similarity of the two paintings left no doubt that either Van Maldeghem copied an earlier painting or that someone copied Van Maldeghem’s painting, either in the 19th or early 20th century.
To complicate things further, I discovered that in 2000 the Antwerp auction house Bernaerts Auctioneers took bids on a painting entitled Galileo in Prison. It was listed as having been painted by Flemish painter Henrij Gregoir in 1837—the same year in which Van Maldeghem painted his portrait of Galileo with the same title. Fortunately, I was able to obtain a photograph of the painting, and although the title is the same, the artwork is very different.
この調査は非常に興味深い状況を作り出した。ほぼ同一の絵画が2枚あった。Van Belleが所有していた1つは、1643年または1645年に描かれたという。もう1つのVan Maldeghem作とされる画は1837年とされている。Van Belleの絵は、1911年に初めて公式に公開され、1933年にVleeshuis博物館に貸し出され1936年に展示された。それ以来、その所在は不明となっている。もうひとつは1904年または1905年以後SteM Sint-Niklaasのコレクションにある。2つの絵画の極端な類似性により、Van Maldeghemが以前の絵画をコピーしたか、誰かによって19世紀又は20世紀初頭にコピーされたことに疑いの余地はない。
さらに物事を複雑にするのは、2000年にアントワープのオークションハウスBernaerts AuctioneersがGalileo in Prisonというタイトルの絵画を入札していたたことが発見されたことだ。その絵には1837年にFlemish painter Henrij Gregoirによって描かれたと記載されている。同じ年にVan Maldeghemは彼のガリレオの肖像画に同じタイトルを描いていた。幸いなことに、絵の写真を入手することができ、タイトルは同じだが、アートワークが大きく異なっていることがわかった。

EUREKA!

To make further progress, I tried to uncover more information about Van Maldeghem and his painting. Two Flemish books on the lives and works of Flemish and Dutch artists—one by J. Immerzeel, Jr., from 1842, and another by Christiaan Kramm from 1859—listed Galileo in Prison as one of Van Maldeghem’s original paintings , without any hint or suggestion that it might have been a copy. Significantly, these two books were published while Van Maldeghem was still alive, when all the information concerning the painting was still readily available. It was difficult, therefore, to avoid the impression that his painting was the original after all. This feeling was further enhanced by the realization that the theme of Galileo’s conflict with the Inquisition became quite popular with painters only in the 19th century. And it was also entirely consistent with the opinions previously expressed by the Murillo experts. Recall that one suggested that the painter was not Spanish, and another judged that the painting was from the 19th century.
ユーレカ!(わかったぞ)

さらなる解明のため、私はVan Maldeghemと彼の絵に関するより多くの情報を明らかにしようとした。フランダースとオランダのアーティストの生涯と作品に関する2冊のフランダースの本— 1つは1842年のJ. Immerzeel, Jr.によるもの、もう1つは1859年Christiaan Krammによる— がGalileo in PrisonをVan Maldeghemのオリジナルの絵画の1つとしてあげており、それがコピーである可能性についてのヒントやそれを示唆するような記載はない。重要なのは、これらの2冊の本は、Van Maldeghemがまだ生きている間に出版され、絵画に関するすべての情報がまだ容易に入手できたときであった。そのため、彼の絵がオリギナルであるという印象を避けることは困難であった。ガリレオの異端審問というテーマが19世紀になって画家の間で非常に知られる陽になったことがわかった。また、Murillo研究の専門家が以前に表明した意見とも完全に一致していた。画家がスペイン人ではないことを提起したことを思い出し、別の人はその絵画が19世紀のものであると判断したことを思い出すだけでよい。

All of this, however, still did not explain what happened to Van Belle’s painting after 1936. I could think of three main possibilities: The painting could have been sold by Jules Van Belle himself. Or it could have been inherited by a relative (and perhaps sold later). Or it might have been destroyed during World War II. Following this line of thought, I decided to attempt some genealogy research.
To make a very long story short, with a serious effort, considerable help and quite a bit of luck, I managed to find a living great-grandson of Van Belle’s niece. And through him, I discovered that in 2007 his grandmother sold a collection of paintings via the Campo & Campo auction house and gallery in Antwerp. Lot number 213 on the list was entitled Galileo in Prison. The auction house’s photograph shows it to be the very painting I was searching for. I rediscovered Van Belle’s painting!
しかし、これらすべては、1936年以降のVan Belle’所有の絵画に何が起こったかをまだ説明していない。3つの可能性が考えられる。この絵画は、Jules Van Belle自身によって売却された可能性があること。または、それは親戚によって継承されたかもしれない(そしておそらく後で売却された)。あるいは、第二次世界大戦中に破壊された可能性がある。この考えに従って、私はVan Belleの家系研究を試みた。
非常に長い物語を短くするために、真剣な努力と相当な助けとかなりの幸運をもって、私はVan Belleの姪のまだ生存している曾孫を見つけることができた。そして彼を通して、私は2007年に彼の祖母がアントワープのCampo&Campoオークションハウスとギャラリーを通じて絵画のコレクションを販売したことを発見した。リストのロット番号213には、Galileo in Prisonという題名があった。アークションの写真は、まさにそれが私が探していた絵であることを示している。Van Belleの絵を再度発見した!ということだ。
(図:The painting Galileo in Prison sold in 2007 by the Campo & Campo auction house. Credit: Campo & Campo 刑務所にあるガリレオの絵画は、2007年にCampo&Campoオークションハウスから販売されました。クレジット:Campo&Campo
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Common practice in the art world prevents auction houses from revealing the identity of buyers, but I did find out that the painting was bought by a private collector and not by a dealer. There were two other noteworthy pieces of information that were revealed in the auction. First, Campo & Campo judged the painting to be from the 19th century. Second, a close inspection did not find any date or signature. This observation was confirmed by a representative from the auction house.
So what can we say about the question of whether Galileo said those famous words? The historical evidence points to the story first appearing (or at least being documented) only in the middle of the 18th century—long after Galileo’s death. This makes the motto much more likely to be apocryphal. Nevertheless, it would be thrilling if (perhaps as a result of the present article) the current owner of Galileo in Prison will allow it to be thoroughly examined to determine its exact age.
美術界での一般的な慣習により、オークションハウスは購入者の身元を明かすことはできないが、その絵はディーラーではなく個人のコレクターによって購入されたことがわかった。オークションで明らかにされた他の2つの注目すべき情報があった。まず、Campo & Campoは、この絵が19世紀のものであると判断したこと。第二に、綿密な検査では日付や署名は見つからなかった。これは、オークションハウスの代表者によって確認された。
では、ガリレオがこれらの有名な言葉を言ったかどうかという謎について、私たちは何を言うことができるだろうか?歴史的証拠は、ガリレオの死後、18世紀半ばに初めて登場した(または少なくとも文書化された)という経緯を示している。これにより、あの"言“がapocryphal(でっちあげ)である可能性がはるかに高くなる。それでも、(おそらくこの記事の結果として)Galileo in Prison の現在の所有者が正確な作成年を決定するために徹底的に調査することを許可するなら、それはスリリングなことだ。
Even if Galileo never spoke those words, they have some relevance for our current troubled times, when even provable facts are under attack by science deniers. Galileo’s legendary intellectual defiance—“in spite of what you believe, these are the facts”—becomes more important than ever.
ガリレオがこの“言”を口にしなかったとしても、証明可能な事実さえ科学的否定者の攻撃を受けている現在、この問題解明には意義がある。ガリレオの伝説的な知的反抗—「あなたが信じるか否かにかかわらず、これらは事実である」—は、かつてないほど重要になっている。
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+++++蘇我・物部戦争(4)
 作家の松本清張氏をふくめ、ペルシャ文化研究者は日本の列島古代史に多くのゾロアスタ文化の痕跡を確認しています。これ自体はいまや周知の歴史的事実として認知されています。これらゾロアスタ教文明の日本列島への主要な伝播経路はいわゆるシルクロ−ド経由すなわち中国を通過して朝鮮半島からの渡来したペルシア人がもたらしたとされています。正倉院宝物に見るようなペルシア芸術品、そしてそれらの作成に関わったとされる技術職人の存在も、伊藤義教氏による日本書紀の注意深い解読から明らかにされています。
 こうした遠く古代ペルシア由来の遺物は、アジア大陸の東縁に位置する日本列島に流れついた西域文明のいわば残滓として捉えられてきました。だからこそそれはまことに珍しく貴重であり「宝物」として保存されてきたと思えます。
 ところがその古代ペルシア文明を思わせる遺物に「民」を思わせる集団すなわち古代ペルシア人集団の存在痕跡が「常陸国風土記・筑波郡行方郡」の条に書き記されているのです。それが、「筑箪」(ツクタン)であり「夜刀」(ヤツト)であると私は考えています。詳細は本ブログ過去記事を参照していただきますが、現ブログ管理人はこれらは「古代ペルシア」周辺に勃興していたゾロアスタ教に由来する名称の日本列島への痕跡であると考えています。その考察の参考のために、ウイキ解説を下に書きます:
%%%%%ヤズド
 ゾロアスタ教の聖地「ヤズド」についてウイキは以下を書きます:
ウイキが書くヤズド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ヤズド(ペルシア語: یزد‎; Yazd)はイラン中央部、ヤズド州の州都。イランにおいて古い歴史をもつ都市の一つで、ゾロアスター教文化の中心地である。エスファハーンの南東約280kmに位置する。人口は2005年の推計で433,836人[1]、2006年で505,037人[2]。世代をこえた砂漠環境への適応のため、ヤズドは建築学的にも独特の表情を持つ都市である。高品質の手工業品、特に絹織物と菓子で知られる。
ヤズドの歴史は3000年の長きにわたり、当時ヤズドはヤスティスないしイッサティスと呼ばれたメディアの時代まで遡る。しかしながら今日の名「ヤズド」はサーサーン朝の統治者ヤズデギルド1世に由来するものと思われる。サーサーン朝期、ヤズドはゾロアスター教の明らかな中心地となっている。イランのイスラーム征服後、近隣各地のゾロアスター教徒はヤズドに逃れた。イスラーム統治下に入った後もジズヤを納めねばならなかったが、都市住民の大部分はゾロアスター教徒であって、イスラームがヤズドで優勢な宗教となるまで非常に長い時間がかかっている。


(図:ゾロアスター教の神殿(アーテシュガーフ)。常陸国風土記行方郡条に登場する麻多智に由来すると私は考えます。総じて記紀、万葉集、風土記では「麻」に「マ」なるカナを振ります。が、それに、「ア」とカナを振ると意味が通ずるようになることが多いのです。「麻多智」を「アダチ」と訓むならば、それは「安達ケ原」など東北日本に多い地名です。また東京都の「足立区」もそれに由来するのだろうと、いずれは調査・解明したいと考えている地です。)
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(図:沈黙の塔。ゾロアスター教徒が鳥葬の場に使用した。)
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(図:沈黙の塔の平面図(「ゾロアスタ教」岡田明憲、平河出版社、1993より)。四隅突出型古墳を思わせる。私は日本列島に多く遺されている前方後円墳の原型ではなかろうかと考えています。)
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 ヤズドは遠隔の砂漠の地にあって攻めにくく、大規模な戦闘とそれに伴う破壊や惨劇を免れてきた。たとえばチンギス・ハーンによるモンゴル帝国のイラン侵入にあたっては、ヤズドは他地域住民の避難地となっている。1272年にヤズドを訪れたマルコ・ポーロはヤズドの優れた絹織物産業に言及している。14世紀、ヤズドは短期間だがムザッファル朝の首都となっており、1350–51年にシャイフ・アブー・イスハーク治下のインジュー朝による攻囲を受けている。おそらくはヤズドでもっとも重要な建造物であるヤズド集会モスクなどが建築されたのはこの時代のことである。18世紀以降、ガージャール朝下のヤズドはバフティヤーリー族のハーンらの統治を受けたヤズドには砂漠型の伝統的ペルシア建築における優れた例となる建物が複数存在する。ヤズドはその気候により世界最大のカナート網を持ち、そのカナート職工の腕はイランで最も熟練したものとされた。また夏の著しい暑さのため、ヤズドの旧建築の多くは大きなバードギールと地下室を設けている。また近傍の山地にある氷を蓄えるヤフチャール(氷室)を備えるものもあり、これについてもイランにおける代表的な例としてヤズドの建築が挙げられる。ほぼ全体が日干し煉瓦で建築された都市としても世界最大規模である。
ゾロアスター教の文化遺産の中心地としても重要である。郊外には沈黙の塔、また市中にはアーテシュガーフ(拝火神殿)を持つ。この神殿の火は西暦470年から連綿として燃え続けているものである。現在、ゾロアスター教徒の人口は2万から4万、比率にして5%から10%で、重要な少数派としての地位を占める。
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 前回記事で転載したウイキによる「ゾロアスタ教」解説を「ゾロアスタ教」(岡田明憲、平河出版社、1993(三刷))なる本の拾い読みで若干の補足をしておきます。拾い読みゆえに列記は順不同です。
(1)冒頭書籍の「序言」で鳥葬、近親婚といった得意な風習でゾロアスタ教は世界に知られると書きます(5頁)。
 (管理人注)鳥葬については松本清張氏が多大の注目をし、書にまとめています。日本列島に多い「ウ」で始まる地名には「宇」、「烏」、「羽」がなる漢字が当てられます。この多くは鳥葬の名残であると私は考えています。
 日本書紀は「近親婚」を多く記載しています。せまい地域での婚姻では「近親婚」は不可避と思われます。そうではあっても、日本書紀に頻発する「近親婚」は異常に多いように思えます。藤原不比等はゾロアスタ教文明のこの「様相」を得て、六世紀以前の天皇家系を「こしらえあげる」手段として近親婚を含めたのではなかろうか、と想像しています。
(2)ゾロアスタ教神官、ザラストラ(Zarathushtra)でZaratは黄色、 ushhtraはラクダを意味するが、ushが輝くの語幹であるところから「黄色の星」を意味するとの説もある。
 (管理人注)これぞまさに「シリウス星」です。
(3)ゾロアスタ教典「アベスタ」は、三十章から成り、その第一章は「アフラマズダ」、すなわち経典が崇敬を求める「神」に当てられている。「アフラ」は「主」、マズダは「智」、というわけでアフラ・マズダは「智なる主」を意味する。「ヤシュト」は、この経典の「祈祷文」にあたるとされている(40頁)。
(管理人注)本の著者である岡田氏は明記していないが、「ヤズド」の由来は「ヤシュト」ではなかろうかと私は考えています。すなわち、「祈祷文」が保管されていたのではなかろうかと想像しています。因みに、その十三章は「ティシュトリア」と題されており、「シリウス星」崇敬に当てられている。
(4)神界は相対立する「アフラ」(善)と「ダエーワ」(悪)から構成される(二元論)。二神はインドのskt.Ashuraと Skt.Devaに相当し神的存在であった。後世のインドではもっぱたdevaが神々の総称になって、アスラが悪魔的存在になった。一方イランではアスラが心的存在を示しダエーワは悪魔の総称となる。
 (管理人注)日本列島古代史にあってその真相に迫るための鍵の一つが「アシ又はオシ」であると、私はブログ記事の中で主張しつづけてきました。その由来は「アシラ又はオシロ」でもあるとも書いてきました。それは阿修羅を連想させることから、その整合的な理解に長く困惑してきました。その解答がまさに上述です。すなわち、インドとイランで「アシュラ」の役割は真反対に分化していたのです。
(この項次回につづく)

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Eppur si move (2),ゾロアスタ教聖地・ヤズド(夜刀)

(記事の更新は不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:湿気を多く含んで靄っている大気の向こうに丸い朝日が浮かんでいます)
朝日8348

(写真:白鷺家族のお父っつあんが妻子の安全のために警戒の目を周囲に光らせています。)
鷺8345


 ツクツクと 木魚叩く 法師ぜみ ありがたきかな もくれんの教え 

 八月も末になると、「もくれん経」の読経が朝っぱらから聞こえてきます。そういえば、一月足らず後に早くも彼岸であります。それにしても暑い!ぐったりしております。ツクツク法師の読経を聴きながら明日の記者会見での安倍氏の首相辞職表明と、その直後の氏の官憲による捕縛を念じました。

 明日は、久しぶりに安倍氏が記者会見をして、政府のコロナ対策を語るのだそうです。ついでに自らの身の振り方をも語るのか否かは定かではありません。
(図:8月27日付日刊ゲンダイ紙より)
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 急遽、本日付記事に追加割り込み書き込みをしました。なぜなら、本日午後5時に予定されている安倍氏の記者会見はすべて内閣記者会との間の「ヤラセ」と思われるからです。マスコミは何が語られるのか?なぞとわざとらしく大騒ぎしていますが、すでにシナリオはできがっていると思わねばなりません。とするならば、その記者会見チェックポイントはどこにあるのか?本朝の東京新聞がそこをついています(8月28日、午後2時追記)
( 図:8月28日付東京新聞、こちら特報部より。拡大は記事のクリックで)
東京8352

 今般の安倍氏によるコロナ失政の哀しい犠牲者が以下の記事で紹介されています。無能な政治トップである安倍氏が勤勉な庶民を苦しめている数多の事例の一つです。こうした政治を止めさせるためには、まずは安倍氏の退陣、そして来るべき総選挙での自民党・公明党の敗北しかありません。
%%%%「貯金は7月に尽きた」 50代女性 派遣終え5カ月 再就職めど立たず  <新型コロナと沖縄> 8/26(水) 6:04配信 琉球新報
 新型コロナウイルス感染症の影響が非正規労働者の不安定な雇用を直撃している。那覇市在住の50代女性は3月末に派遣の契約が切れた。求人が減る中、再就職先を見つけられずにいる。「貯金は7月に尽きた。いつ仕事に就けるか分からないから、借金は増やしたくない」。就職のめどが立たず、先行きが見えない不安を語った。   女性は母親と2人暮らし。20代から40代まではホテルで接客をしていたが、8年ほど前にうつ病を患い離職した。以降は生活保護を受給し、約10年かけてようやく働いたところだった。  2019年9月から病院のデイケアで給食を作る派遣業務に従事し、20年3月末で契約満了となり退職した。感染拡大の影響で求人が減り、就職活動は難航している。以前の職場に戻ることも考えたが、感染拡大でデイケアは利用中止となり、仕事量や就業時間は半減した。「少ない時間を働くよりもスキルを身に付けたい」と別の道を考えた。  現在、単発のバイトや日雇いの働き口を探しているが、仕事は見つからない。「スキルがないから仕事の幅も狭まる。コロナで現場も教える余裕はなく、企業は即戦力を求めている」と寂しそうに話した。  離職を機に生活保護を申請したが、貯金や特別定額給付金で預金残高が増え、11月まで受給は先延ばしになった。同時期、県外で働く弟が派遣切りに遭った。「弟には読み書きができない障がいがある。再就職先を探すのは弟の方が大変だ」と、女性は母親の分と合わせた特別定額給付金20万円を弟に送金した。  預金は7月に底を突いた。見かねた母親が那覇市社会福祉協議会から緊急小口資金を借り入れた。「旧盆が終わるまでの一時しのぎ」と女性はため息交じりにつぶやいた。昨年10月の消費増税、今年6月末までのキャッシュレス決済に伴うポイント還元の終了前にそれぞれ缶詰などの保存食を買い込んだ。光熱費数カ月分は手元に残している。「家賃は2カ月ごとで払うつもりだ。自分を少し追い込めば頑張れる。母の年金で食費はつなぐ。でも、家賃や光熱費は3カ月以上滞納はできない。その間に職を探さないと」と女性は前を見つめた。  ハローワーク那覇には足しげく通っている。「冬までには仕事を見つけたい」。そう話した表情は期待と不安が入り交じっていた。 (比嘉璃子)
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+++++蘇我・物部戦争(3)
 前回記事ではウイキの「ゾロアスタ」教の記載を転載しました。ヨーロッパ文明の一側面を象徴すると思われるモーツアルトの歌劇「魔笛」になぜ、この宗教の神官が登場するのか?現在ですらも世界の思想界に多大な影響を及ぼし続ける哲学者「ニーチェ」は、なぜ敢えてゾロアスタ教神官の名前でもって自らの思想を語るのか?
 ゾロアスタ教を生み出した民が、つい最近にはヒットラによって「優生思想」にまで高められたアーリア人であるとウイキは書きます。ゾロアスタ教誕生に先駆けること600年前にエジプトのテーバイ(現在のルクソール)で、ファラオの娘に救われた葦舟の赤子が長じてモーゼとなりユダヤ教が起こります。紅海をはさんで西側にユダヤ教、そして600年後に紅海の東側でゾロアスタ教というわけです。さらにその東側、インド・ネパール国境近辺ではゴーダマ・シッタルダなる人物が「仏教」を起こします。ほぼ100年をおいて中国に孔子が誕生します。大きな気候変動が地球を覆ったのでしょうか?地球は苦難に満ちており何がしかの「救いの思想」に飢えて伊亜tのだろうか、なぞといろいろな空想が頭をよぎります。
 後発のゾロアスタ教、仏教にユダヤ教の影響を見る研究も少なくないようですが、それらの考察は浅学の現ブログ管理人の能力をはるかに超えています。いずれにせよ、サカ族の末裔たる蘇我一族がゾロアスタ教と仏教を体内にそれほどの矛盾なく抱えこみ共存していたことに、後世の人間が大騒ぎするほどのことではないのかもしれません。

 藤原不比等は日本書紀を編纂する作業の中で、蘇我一族の抱え持つ二つの「思想」から、仏教を切り離し、さらには聖徳太子伝に見られるようなユダヤ教(キリスト教)を取り込んで、「天照大神」なる新興宗教を作り上げたことが見えてきます。その経緯はいずれ、書くこととして話を進めます。ゾロアスタ教を書くウイキ記事はその末尾で「ヤズド」に言及します。
 
 古代日本列島の歴史にゾロアスタ教の痕跡が認められることは作家松本清張氏の優れた著作で明らかになっています。しかし、それは清張に言及するまでもなく、大学研究者の手によって詳細に研究されてきました。本ブログでしばしば取り上げる伊藤義教・京都大学名誉教授の優れた多くの研究がまずはあげられます。日本列島古代史の考察に当たっては「原典」を直接眺めることこそがその第一歩であるべきと、現ブログ管理人は”力みかえって”いますが、遠く西域の古代文明にまではその“りきみ”は及びません。伊藤氏、そして次回記事で引用する岡田明憲氏といった研究者の成果に依拠して思考・考察を進めることになります。そうであるならば、本ブログでゾロアスタ教を、そして、これから語る「ヤズド」については、先人の成果を取り込んだ「ウイキ」記事を転載すればよいことです。
 ところが、それではすまなくなってきたのです。その事情を端的に表出したのがこれから語るヤズドです。そこで、以前から本ブログにお付き合いをいただいてきた方々にはおなじみのことですが、”ヤズド”の日本列島古代史への登場に触れておきます。それは常陸国風土記です。
(図:常陸国風土記行方郡条より。夜刀神の文節。拡大は図のクリックで)
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 小学館「風土記」(1997年刊)を校注した植垣節也氏(上記の伊藤義教氏と京都大学文学部でほぼ同世代と思われる)は上の原文に以下のような現代文訳を付します:
「継体天皇の御世、一人の人物がいた。箭括の氏で麻多智という人物だ。彼は郡役所から西ノ谷の葦原を切り開いて新たに開墾した田を献上した。このとき夜刀神(やとのかみ)が相群れ引き連れて仲間全部がやってきてあれこれと妨害をし田の耕作をさせなかった。俗(国のひと)は蛇のことを夜刀神という。その形は蛇の姿で頭に角がある。家族を引き連れて危険から逃れるときに振り返って蛇を見るものがあると一族を滅ぼし子孫が後を継がないといわれている。いったいこの郡役所の側の野原には非常にたくさん棲んでいる。こういう状況にあって麻多智は激しく怒りの感情を起こし、鎧を身に着け自分自身が仗を手に持って撃ち殺し追い払った。そこで、山の登り口に来て境界の標の柱を境の堀に立て・・・」
 植垣節也氏は夜刀神(やとのかみ)について以下の解説を施しています:
「夜刀」はヤト。東国方言の「ヤチ、ヤツ」と同じで山の谷合の湿原地をいう。「日本古典文学大系(秋本吉郎)」は”ヤツ”と訓むが刀をツの仮名に使った確例がない」

 風土記には一度しか登場しない人物やら、神やらが登場します。夜刀神(やとのかみ)もそのお一人(?)ですから、古代史研究者の多くはこの神に注意を払いません。私は、行方郡が鹿島の西隣にあることから、この神が「シリウス星に関わっている」との推測を働かせ、夜刀は「ヤツド」ではないかと結論しました。
 そうとすると、なぜここに「夜刀(ヤツド)」が登場するのかという新たな疑問が生じます。それを書く前に、ウイキが書く「ヤツド」を次回書きその上で、上記の疑問に立ち返ることにします。
(つづく)

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+++++それでも地球は動いている( Eppur si move 2)
2019年1月30日記事 で書きましたがガリレオをして「されど地球は動いている」とこっそりとつぶやかせしめた「異端裁判」(西暦1633年)から258年後の1981年ローマカトリック教会はガリレオに対して公式の謝罪をすることとなります。
 そんなことを念頭に置きながら前回記事の続きを眺めてゆくことにします:
%%%%%Did Galileo Truly Say, ‘And Yet It Moves’? A Modern Detective Story(2)

An astrophysicist traces genealogy and art history to discover the origin of the famous motto
• By Mario Livio on May 6, 2020
 本当にガリレオは“ Eppur si move”と言ったのか?その真実を探る(2)
But did Galileo really utter those famous words? There is no doubt that he thought along those lines. His bitterness about the trial; the fact that he had been forced to abjure and recant his life’s work; the humiliating reality that his book Dialogue Concerning the Two Chief World Systems had been put on the Church’s Index of Prohibited Books; and his deep contempt for the inquisitors who judged him continually occupied his mind for all the years following the trial. We can also be certain that he did not (as legend has it) mutter that phrase in front of the inquisitors. Doing so would have been insanely risky. But did he say it at all? If not, when and how did the myth about this motto start circulating?
Science historian Antonio Favaro dedicated four decades to the study and contextualization of Galileo’s life and work, eventually producing the monumental book Le Opere di Galileo Galilei (The Works of Galileo Galilei). As part of that Herculean effort, in 1911 he also published a few articles describing his extensive research devoted to uncovering the origins of the motto. Favaro determined that the earliest mention of the phrase in print was in a book entitled The Italian Library, published in London in 1757 by Italian author Giuseppe Baretti.
しかし、ガリレオは本当にこの有名な”言“を発したのだろうか?彼がそうした旨を考えたことは間違いない。審判への彼の苦い気分;一方で彼は自分の人生の研究を不当に取り消すことを余儀なくされたという事実;さらには、彼の著書Dialogue Concerning the Two Chief World Systems「天体対話」、1632年」が教会の禁書目録に載せられたという屈辱的な現実;そして、彼を裁判にかけた異端審問官に対する深い憎しみが、裁判後もずっと彼の心を占めていた。彼は(伝説とは異なり)異端審問官の前でそのフレーズをつぶやいたのではないと確信できる。そうすることは、めちゃくちゃ危険であった。しかし、彼はそれをまったく言わなかったろうか?そうでないとすれば、この”言“に関する神話はいつ、どのように広まったのだろうか?
科学史家のAntonio Favaroは、ガリレオの人生と仕事の研究とそれらの整理に40年を費やし、最終的には記念碑的な本Le Opere di Galileo Galilei (The Works of Galileo Galilei)を出版した。そのHerculean effort(あのギリシャ神話のヘラクルる張りの困難な努力)を通じて、彼は1911年に”言“の起源を明らかにするために、ガリレオの広範な研究を説明するいくつかの論文を書いた。Antonio Favaroは、この論文Italian author Giuseppe Barettiによる1757年にロンドンで出版されたThe Italian Library,の冒頭の一節を引用することをきめた。

Baretti colorfully wrote, “This is the celebrated Galileo, who was in the inquisition for six years, and put to the torture, for saying, that the earth moved. The moment he was set at liberty, he looked up to the sky and down to the ground, and, stamping with his foot, in contemplative mood, said, Eppur si move; that is, still it moves, meaning the earth.”
Even if we were to disregard the unhistorical embellishments in this account, it would be difficult to accept the testimony of a book that appeared more than a century after Galileo’s death as evidence of the veracity of the quote. Favaro was equally skeptical initially—until an unexpected event caused him to reconsider the question.
Barettiは次のように書く。「これはガリレオへの賛美の書である、ガリレオは6年間の審問を受け、拷問にかけられた。それはガリレオが「地球が動いている」と言ったためだ。彼は審問から解放された際、空を見上げて地面を見下ろし、瞑想的な気分で足を地面に押し付けるようにおろし、 Eppur si move と言った。つまり、まだ動いている、つまり地球だ。」
 この説明の非歴史的な装飾を無視したとしても、ガリレオの死後1世紀以上経って登場した本の証言をその信憑性の証拠として受け入れることは困難だ。Fabaroは当初、同様に懐疑的であった。ところが予期しない出来事によって彼はその疑問を再考することとなった。

AN INTRIGUING PAINTING

In 1911 Favaro received a letter from a certain Jules Van Belle, who lived in Roeselare, Belgium. Van Belle claimed to own a painting that had been painted in 1643 or 1645 that contained the famous motto. If true, this assertion would have meant that the phrase was already known very shortly after Galileo’s death in 1642.

The painting, of which Favaro saw only a photograph, showed Galileo in prison. He held a nail in his right hand, with which he had apparently traced Earth moving around the sun on the wall with the words “E pur si move” written underneath.
Based on an unclear signature, Van Belle attributed the painting to the 17th-century Spanish painter Bartolome Esteban Murillo. And he speculated that it had originally belonged to the Spanish army commander Ottavio Piccolomini, brother of the Archbishop of Siena, in whose home Galileo served the first six months of his house arrest.
Favaro publicized this story of the presumed discovery of a portrait of Galileo dating to the 17th century and containing the celebrated motto, and the tale made it to the pages of several newspapers. Belgian physicist Eugene Lagrange even went to Roeselare to see the painting with his own eyes, which he reported in the Belgian newspaper L’Etoile Belge on January 13, 1912.
興味深い絵画

1911年、FavaroはJules Van Belle, who lived in Roeselare, Belgiumから手紙を受け取った(この人物の名前の前にa certainが付されている)。Van Belleは、1643年または1645年に描かれた有名な"言“が見える絵画を所有していると主張した。もし本当なら、この主張は1642年のガリレオの死の直後にあの'言‘が既に知られていたことを意味する。
Favaroが写真しか見なかったこの絵には、ガリレオの刑務所内の様子が描かれていた。彼は右手に釘を持ち、壁に描かれた太陽の周りを移動している地球を明らかになぞっている様子だ。下には「E pur si move」という言葉が書かれていた。
絵の署名は鮮明ではないが、Van Belleは17th-century Spanish painter Bartolome Esteban Murilloが描いたものと言った。そして、それはもともとSpanish army commander Ottavio Piccolomini, brother of the Archbishop of Siena,画っ有していたと推測した。その将軍邸でガリレオは最初の6か月を軟禁されていた。
Favaroは、17世紀にまでさかのぼる有名な'言‘を含むガリレオの肖像画とその発見の物語を公にし、その経緯がいくつかの新聞に掲載された。Belgian physicist Eugene Lagrangeは、Roeselareに行って自分の目で絵を見、1912年1月13日、Belgian newspaper L’Etoile Belge そのことを寄稿した。

The discovery of the painting definitely had an impact. Until then most historians had considered the famous phrase to be a myth, but the new finding caused a number of Galileo scholars to change their minds. Science historian John Joseph Fahie wrote in 1929, “We must revise our judgments, and conclude that Galileo did utter these words, not, however, in the awful chamber of the Inquisition, as the fable has it, but to some sympathetic friend outside, from one of whom, doubtless, Piccolomini had them.” Renowned Galileo scholar Stillman Drake also concluded, “In any case there is no doubt now that the famous words were attributed to Galileo before his death, not invented a century later merely to fit his character.”
Strangely, in spite of its great value for the history of science, Van Belle’s painting has never been subjected to any independent examination by experts. When I wanted to initiate such a scrutiny, I was astonished to discover that not only was the current location of the painting unknown but that, as far as I could initially determine, no science or art historian had even seen it after 1912. Naturally, I decided to search for it.
絵画の発見は確かに衝撃であった。それは、ほとんどの歴史家は有名なあの“言”を神話だと考えていたが、この新しい発見で、多くのガリレオ研究者たちは考えを変えた。Science historian John Joseph Fahieは、「私たちは自分たちの判断を修正せねばならない。ガリレオはあの“言”を口にしたのだと結論しなければならない」と1929年に書いた。「しかし、それはあの異端審問の忌まわしい室でではなく、審問後に友人に向かってこれらの言葉を口にした」と結論した。有名なGalileo scholar Stillman Drakeも「いずれにせよ、有名なあの“言”は彼の死の前にガリレオが口にしていたことは間違いない」という。
「奇妙なことに、科学の歴史に大きな価値があるにもかかわらず、Van Belleの絵画が専門家による独立した鑑識審査を受けたことはない。そのような精査を開始したいと思ったとき、私は絵画の現在の場所が不明であるだけでなく、私が知る限りでは、科学または芸術の歴史家が1912年以降それを見さえしなかったことに驚く。そこで、それを探すことにした」とStillman Drakeはつづける。

THE HUNT

First, I wanted to get an expert opinion on the attribution to Murillo. To this end, I sent a copy of the photograph of the painting to four Murillo specialists (two in Spain, one in the U.K. and one in the U.S.). They all independently responded that although it is difficult to provide conclusive opinions based on a photograph, when considering the style, subject matter and relevant historical facts, they were quite convinced that Murillo did not paint this portrait. One said that the painter was probably not Spanish, and another suggested that the painting was from the 19th century.
調査

Stillman Drakeは「まず、Murilloの作画であるということについて専門家の意見を聞きたかった。そのために、私は絵画の写真のコピーを4人のMurillo specialists(スペイン人2人、イギリス人1人、アメリカ人1人)に送った。写真だけで決定的な意見を述べることは難しいが、様式、主題、関連する歴史的事実を考慮すると、Murilloがこの肖像画を描いていないことにかなり確信していると彼らはすべて鑑定した。画家はおそらくスペイン人ではなかったと1人は言った、そしてもう1人はその絵画が19世紀のものであることを示唆した。」

Motivated to continue to investigate by these unanimous, unexpected judgments, I discovered that an article about the painting appeared simultaneously in two Belgian newspapers (De Halle and De Poperinghenaar) on February 23, 1936. The feature reported that an important portrait of Galileo had been exhibited at Museum Vleeshuis in Antwerp, Belgium.
これらの全員の一致、予想外の判断を知って調査の継続にやる気が出た。そうして一つの絵画に関する記事が two Belgian newspapers (De Halle and De Poperinghenaar) on February 23, 1936.)に寄稿されていることを知った。その記事はベルギーのアントワープにあるMuseum Vleeshuisの展示されていたガリレオンの重要な肖像画について書いていた。
%%%%%(続く)

「それでも地球は動いている」(1)、サカと釈迦

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:逆さま に羽化する蝉)
羽化8334

(写真下: 用水のフェンスで家族団らんの一時を過ごす鷺の母子。お父ッあんは木立の背後で見張りに立っていました)
白さぎ8332


七(ふみ)月の 雨の日々は うとましく されども八月(はづき)の 雨は嬉しき

 暑さバテでぐったりとなっていた昨日朝、詠んだ一首がこれです。高齢には酷暑はこたえますな。誰も引き止めないのだからさっさと逝ってしまえば良いのですが、ぐっずらぐっずらと“暑い暑い”のと愚痴をこぼしながら毎日を過ごしております。

 児玉先生のわかりやすいお話です。
「コロナを知り、コロナに勝つために。」 エッセイスト小島慶子氏 x 児玉龍彦名誉教授(2020年8月8日)


 本日、安倍氏が再診のため慶応病院へ出かけたとのこと。どのような「裁定」が医師から下されるのでしょうか?午後3時現在では病院から戻り「これからもガンバル」と語ったとの事です。
 下記動画で三名の論者は安倍氏の「体調不良を確信し、今後の政局」を、さまざまな取材ネタを引用しながら語るのに対して、右端の斉藤貴男氏のみが「仮病」説です。私もこの斉藤氏の「診たて」に同意していることは以前も書きました。安倍氏という人間は利己益のためには恥じ・外聞には全く頓着しないことを過ぎ去った8年間の間に散々見せ付けられてきたからです。動画中の三名の論者が並べ立てる論拠のどれもが「安倍氏のやらせ芝居のための道具立て」であるとしか、私には思えません。とするならば、いっそう、今後の安倍氏による反撃を国民は警戒せねばいけないのだろうと、思っています。

 上記、四名の論者による議論のもう一つのテーマが「経済」です。斉藤氏が「コロナ不況の現時点での消費税減税については同意できない」と語ります。同じ立場に立つ金子勝氏の「敵意・党派性むき出し感満々」の語り口と違って、斉藤氏は穏やかですが、その論調は金子氏と変わりません。ただし、斉藤氏は消費税のような貧者に過酷な税制はコロナ不況から脱した後はやめるべきだとも付け加えるので、そこは金子氏とは異なっているのかもしれません。
 「消費税を5%に戻せは、製造業者は中小業者・小売業者に更なる販売価格の低下を押し付けてくる」という論理は、金子氏もそれを主張するのですが、私にはその論理がどうしてもわからない。なぜなら、それは「消費税」なるもののいわばもって生まれた犯罪性であり、消費税の高低に関わらず、大手業者は末端・中小業者に低廉価格を押し付けてくることは当初から指摘され、中小業者が泣かされてきたことです。それをいまさら5%に下げたら中小等業者が泣きを見るという理屈が私には理解できません。
ソ―リ、もうお休みください コロナ・不況に無策は許されず WeN20200821


 ところが、以下の動画を見つけましたので転載しておきます。私にはまことに説得力があります。論者は、金子氏と同じ東大経済学部卒業ながら、いつも金子氏が批判するかたでもあります。
[森永卓郎]「政府、頭おかしいだろ」日本経済はパンデミック化【大竹まこと ゴールデンラジオ】


 上の動画でなされた「コロナ不況」を経済学者「安富歩」氏が論じています。聞き所満載です。私の感想を付け加えることは蛇足ですので、しません。
a href="https://www.youtube.com/watch?v=SGoJtlYr6II" target="_blank" title="">東大教授と語る【コロナ不況はいつ終わる?】戦後最悪のGDPの裏に隠された日本の構造的問題。問題に気付けばチャンスにもなる。安冨歩教授電話出演。一月


+++++敏達紀(3)
 日本書紀・欽明十三年紀、百済から献じられた仏像と関連文書への天皇の敬意表明をめぐって重臣間に対応の不一致が生じたと書かれています。これが「神・仏」戦争すなわち「蘇我・物部」戦争の嚆矢であると日本書紀は書きます。
 この戦争の結末が日本書紀編年に従えば西暦587年、六世紀末、隋建国の直前です。現ブログ管理人の見つけた「天皇在位二重則」は、日本書紀が語る六世紀末の政治的事象、そして政治的権力者についての不確実さを明示しています。
 現ブログ管理人はその不確実さは限定的であり、現今論議・考察している「蘇我・物部」戦争そのものは発生していたと考えています。その最大の論拠が万葉集初期歌群、そのなかで十三〜十五歌の存在です。以下の考察もこの戦争の実在が前提となっています。
 そこで、考察のはじめは蘇我一族が「仏教」を「礼」(うや) まった、すなわち仏教側に与したという日本書紀の記述です。本ブログ管理人は渡辺豊和氏の主張に同調し、蘇我一族の出自は遠く西域ペルシアに跋扈した「サカ族」であると考えています。ウイキに代表される古代日本列島史の研究者は蘇我一族の先祖が日本列島に古くから住み着いた豪族であることを縷々書きますが私はこれらの説のどれもが真実ではないと考えており同意できません。

 さて。その西域に出自を持つ蘇我一族がなぜ「仏教」の同調者であったのか?その問いへの答えの一端を下記に見ることができます。それは「シャカ族」です:

 %%%%釈迦族
(図:紀元前500年の十六大国の領域)
200824インド無題

釈迦族(しゃかぞく、Śākyaシャーキヤ)とは、古代北インドの一部族・小国である。釋迦族やシャーキヤ族とも。仏教の開祖ガウタマ・シッダールタが属していたことで有名である。
インドではサンスクリット語で शाक्य (śakya, シャーキヤ) 、パーリ語で sākiya(サーキヤ)と言い、「有能」という単語に由来する。
前6〜前5世紀ころ、インドの地には大小さまざまな国がひしめいていた。シャーキヤはカピラヴァストゥに都を置き、ヒマラヤ山麓にあった。(場所は現在のインドとネパールの国境地帯にあたる)。そして西隣のコーサラ国の支配下にあった。
シャーキヤ族は、政治形態としてはサンガを採用していた。つまり専制的な王を持たず、部族民の代表たちが集会堂に集まって政策を決定していたという。

伝説では、アーリヤ人のクシャトリヤ王統に属すると言われる
一説には、日種 (梵: sūryavaṃśa, 巴: ādiccagotta) に属し、甘庶王(かんしょおう、オッカーカ)系といわれる。
『漢書』張騫伝の「塞王」について、顔師古による注は「即ち仏経に釈種と謂う所の者。塞・釈は声(発音)近く、もと一姓なるのみ。」とあり、塞(そく)と呼ばれる種族(サカ)と釈迦族がもとは同じ民族であったとしている。サンスクリット文法上は śākya(シャーキヤ)を śaka (シャカ(=サカの梵語形))の派生語とするのは自然であるが、サカ族がインドに到達したのは紀元前2世紀で、仏陀の時代よりはるかに後であるという問題がある。
%%%%%
 サカ族はシャカ族と同根であることを上のウイキが書いています。「サカ」の一部が「シャカ」に呼称を変えインドにその拠点を定めたのが紀元前二世紀とすれば、それは仏教の発祥時期とは400年も後のこととなります。しかし、紀元前六世紀におきた新宗教の元祖はゴーダマシッダルダです。
 私は、2007年から2008年にかけて、二回、総滞在期間半年ほどミャンマに滞在しました。そのときに私に付き添ってくれ、仕事場とホテルの逝き帰りの車運転を勤めてくれたのが英語が達者な信仰心厚い仏教徒でした。私の仕事中の朝9時から17時まで、私の居室の片隅でジットうずくまっています。8時間もの間何をしてるのかと問うと「瞑想」しているといいます。その際に思い描くのは「ゴーダマシッダルダ」であるといいます。私の執拗な「それはシャカではないか?」と問いにも明確な否定です。

 現在の日本列島東国にのこるサカ族の痕跡はゾロアスタ教であり、地名など呼称に残る呼称にゾロアスタ教(あるいはザラストラ)を思わせるものはありません。にもかかわらず、日本列島にはゾロアスタ教をうかがわせる呼称を明瞭に常陸国風土記に見ることができます。そこで次にそのゾロアスタ教を見ることにします。ゾロアスタと聞いて直ちに連想するのがモーツアルトの歌劇「魔笛」に登場する神官「Zarastro」、19世紀末のフリードリッヒ・ニチェの著作『ツァラトゥストラはこう語った』(ツァラトゥストラはこうかたった、Also sprach Zarathustra)です。なぜヨーロッパ思想史の一局面でゾロアスタ教が登場するのかまことに興味深いことです。アーリア人神聖化のような思考があったのでしょうが浅学の私がそれを論ずることは荷が重過ぎます。そうは言っても、上述したように日本列島では六世紀にはその痕跡があることは興味深いことです:

%%%%%ゾロアスター教
ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、ペルシア語: دین زردشت‎ Din-e Zardošt、ドイツ語: die Lehre des Zoroaster/Zarathustra、英語: Zoroastrianism、祆教(けんきょう、拼音: xiān jiao シェンジャオ))は、古代ペルシア発祥の宗教である。聖典は『アヴェスター』。
(図:聖火台跡(イラン))
イラン200824無題

イラン高原に住んでいた古代アーリア人はミスラやヴァーユなど様々な神を信仰する多神教(原イラン多神教)であった。この原イラン多神教を基に、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)がアフラ・マズダーを信仰対象として創設したのがゾロアスター教のルーツである。
紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシア成立時、既に王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であったとも言われている。これに対し、3世紀のサーサーン朝成立まで、長らくアーリア人の諸宗教の一派に過ぎなかったとする見方もある。このため21世紀初頭のゾロアスター研究では、古代アーリア人の諸宗教を記述することでアーリア人の民族宗教研究に奥行きを持たせようとする傾向がある。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝パルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアーリア人の信仰は守られた。3世紀初頭に成立したサーサーン朝ペルシアでは国教とされ、王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた。サーサーン朝期には聖典『アヴェスター』が整備された。また、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジア・中国へも伝播していった。
7世紀後半以降、アラブ人イスラム教徒の支配でゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降、イギリスのアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒の関係が深まり、現在も少数派ながらインド経済社会で少なからぬ影響力を持つ。聖地はイラン、ヤズド近郊に位置するチャクチャク。
%%%%%
 この”ヤズド“こそが、まさに常陸国風土記に登場するのです。次回それを書きます。
(つづく)

考古学ランキング

 いささか古い記事ですが米国科学普及誌「Scientific American」で面白そうな記事を見つけたので、数回にわたり紹介しておきます:
+++++それでも地球は動いている
Did Galileo Truly Say, ‘And Yet It Moves’? A Modern Detective Story
An astrophysicist traces genealogy and art history to discover the origin of the famous motto
• By Mario Livio on May 6, 2020
ガリレオは本当に「それでも動く」と言ったのか?現代の探偵物語
• 天体物理学者が家系と美術史をたどり、有名なモットーの起源を発見する
(図:Galileo in Prison, by Romain Eugene Van Maldeghem. This painting is at Stedelijk Museum Sint-Niklaas in Belgium. Credit: Gerald Delvaux
刑務所のガリレオ、ロマン・ウジェーネ・ヴァン・マルデゲム作。この絵は、ベルギーのアムステルダム市立近代美術館にあります。クレジット:Gerald Delvaux)
200805ガリレオa_source


“And yet it moves.” This may be the most famous line attributed to the renowned scientist Galileo Galilei. The “it” in the quote refers to Earth. “It moves” was a startling denial of the notion, adopted by the Catholic Church at the time, that Earth was at the center of the universe and therefore stood still. Galileo was convinced that model was wrong. Although he could not prove it, his astronomical observations and his experiments in mechanics led him to conclude that Earth and the other planets were revolving around the sun.
That brings us to “and yet.” As much as Galileo may have hoped to convince the Church that in moving Earth from its anointed position, he was not contradicting Scripture, he did not fully appreciate that Church officials could not accept what they regarded as his impudent invasion into their exclusive province: theology.
During his trial for suspicion of heresy, Galileo chose his words carefully. It was only after the trial, angered by his conviction no doubt, that he was said to have muttered to the inquisitors, “Eppur si muove”(“And yet it moves)”, as if to say that they may have won this battle, but in the end, truth would win out.
「それでも動いている。」これは、有名な科学者ガリレオガリレイの最も有名な言だ。「それ」は地球を指す。「動いている」とは、当時カトリック教会によって採用されていた、地球が宇宙の中心にあり、したがって静止しているという概念の驚くべき否定であった。ガリレオはモデルが間違っていると確信していた。彼はそれを証明することはできなかったが、彼の天文観測と力学の実験により、地球と他の惑星が太陽の周りを公転していると結論づけた。
それが「そしてまだ」なるつぶやきになる。ガリレオは、地球が動いていることを教会に信じてほしいと願ったのであるが、教会当局者はそれが彼らの専権領域への厚かましい冒涜としてとらえ、受け入れなかった。
異端の疑いのための彼の裁判の間に、ガリレオは自らの言葉を注意深く選んだ。裁判の後、疑いの余地なく間違いなく、彼は審問官たちに「Eppur si muove」(そして「それでも動く」)とつぶやいたと言われる。
(つづく)

共産党宣言を読む(安富歩)、ゆり戻し地震(大西洋海嶺)

2020年8月20日(木)
(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:2016年太西洋海嶺で起きたMw7.1の地震では"揺り戻し"が起きていた!詳細は本文で。図の拡大は図のクリックで)
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 土地土地の 民の言葉と その真意 他国の民が 推し量る難しさ
 
 安富教授の「共産党宣言」解読を視聴(下に掲載した動画)しての感想が上の一首です。ところが、このもどかしさは、言語の違いでもなさそうです。安富教授は自らの理解を、選び抜いた言語で視聴者向けに注意深く語りますが、そこには教授自身の問題意識と問題への理解度が強く反映されています。視聴者たる私との間には彼我の差が存在することは避けられません。
 対象が自然科学となると話が違ってきます。そこには「数学」という万国共通の意思伝達の手法(言語)があるからです。「化学元素」を介した分子構造なども表現形式です。この表現形式に立ち返るならば、思考する「ヒト」は完璧に意思疎通が可能です。とはいっても、その自然科学的実態(体)の理解は、夫々の持って生まれた言語、それ以前にその人の経験に依存することになりますから、それらが完全な一致をしているのか否かは検証できない。例えば、前回記事で書いた量子力学で「手段」として使われる波動関数です。絶対値が存在確率をあらわしているとの理解は、論理的に導き出されたものではない。しかし、それは、自然界の現象を説明できかつ予測もする。摩訶不思議であります。
 最近の経済学でもやたらと数学が出てきます。どのようにして導き出されたのか全く想像もつかないような指数関数やら何やらを組み合わせた難解至極な数式が頻出します。これらの関数には、しかし、人間界の実態を反映して導き出されたとは思い難いものがあります。その良い例が「株価」です。先日の大きな話題はGDPが30%近くも下落したとの報道です。ところが株価にはそれが反映しておらずむしろそれは上昇傾向にあるというのです。「株価」とはいったい何なのだ?特に日本での株価とはいったい何なのか?というわけで、経済学にあっては数学が理解・認識のための共通言語にはなっていないようです。
 前置きが長くなりました。さてその経済学で、最も人間生活に密着していながら、「一見」数学が介在できる雰囲気をもつ分野です。が、その現象を「言語」で表現する際には、ましてや偉大な哲学者マルクスの言を理解するには「多様な」忖度がない交じり一筋縄ではすまないことが見えてきます。下の動画を見てて思うことは「経済学」とはおよそ社会の役には立たないが〔簿記を除く)、人間の知的遊戯としては最良なのかもしれないと思ったりします。
 さて、早速一回目の講義です:
(一回目の講義)
東大教授の本気の講義【人類全て搾取という恐怖】共産党宣言を読む。労働者だけでは無く資本家も搾取されているという恐怖。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。

 安富氏はドイツ語原文からマルクスの真意を探るという作業を視聴者の前でやってくれます。私はドイツ語はちんぷんかんぷんですのでその作業を「英語訳」を眺めながら視聴しました。
その英語訳の部分が以下です:

%%%%%Manifesto of the Communist Party
Karl Marx and Friedrich Engels, translated by Samuel Moore
II. Proletarians and Communists


But does wage-labor create any property for the laborer? Not a bit. It creates capital, i. e., that kind of property which exploits wage-labor, and which cannot increase except upon condition of getting a new supply of wage-labor for fresh exploitation. Property, in its present form, is based on the antagonism of capital and wage-labor. Let us examine both sides of this antagonism.
(4)To be a capitalist, is to have not only a purely personal, but a social status in production. Capital is a collective product,2010年1月22日 and only by the united action of many members, nay, in the last resort, only by the united action of all members of society, can it be set in motion.
(独)Das Kapital ist ein gemeinschaftliches Produkt und kann nur durch eine gemeinsame Thatigkeit
vieler Mitglieder, ja in letzter Instanz nur durch die gemeinsame Thatigkeit aller Mitglieder der Gesellschaft in Bewegung gesetzt werden.

(2)Capital is therefore not a personal, it is a social power.
(独)Das Kapital ist also keine personliche, es ist eine gesellschaftliche Macht.

(3)When, therefore, capital is converted into common property, into the property of all members of society, personal property is not thereby transformed into social property. It is only the social character of the property that is changed. It loses its class-character.
(独)Wenn also das Kapital in gemeinschaftliches, allen Mitgliedern der Gesellschaft angehoriges Eigenthum verwandelt wird, so verwandelt sich nicht personliches Eigenthum in gesellschaftliches. Nur der gesellschaftliche Charakter des Eigenthums verwandelt sich. Er verliert seinen Klassen-Charakter

Let us now take wage-labor.
The average price of wage-labor is the minimum wage, i. e., that quantum of the means of subsistence, which is absolutely requisite to keep the laborer in bare existence as a laborer. What, therefore, the wage-laborer appropriates by means of his labor, merely suffices to prolong and reproduce a bare existence. We by no means intend to abolish this personal appropriation of the products of labor, an appropriation that is made for the maintenance and reproduction of human life, and that leaves no surplus wherewith to command the labor of others. All that we want to do away with is the miserable character of this appropriation, under which the laborer lives merely to increase capital, and is allowed to live only in so far as the interest of the ruling class requires it.
In bourgeois society, living labor is but a mean to increase accumulated labor. In Communist society, accumulated labor is but a means to widen, to enrich, to promote the existence of the laborer.

(1)In bourgeois society, therefore, the past dominates the present; in communist society, the present dominates the past. In bourgeois society capital is independent and has individuality, while the living person is dependent and has no individuality.
独)In der burgerlichen Gesellschaft herrscht also die Vergangenheit uber die Gegenwart, in der kommunistischen die Gegenwart uber die Vergangenheit. In der burgerlichen Gesellschaft ist das Kapital selbststandig und personlich, wahrend das thatige Individuum unselbststandig und unpersonlich ist.

(4)And the abolition of this state of things is called by the bourgeois, abolition of individuality and freedom! And rightly so. The abolition of bourgeois individuality, bourgeois independence, and bourgeois freedom is undoubtedly aimed at.
(独) Und die Aufhebung dieses Verhaltnisses nennt die Bourgeoisie Aufhebung der Personlichkeit und Freiheit! Und mit Recht. Es handelt sich allerdings um die Aufhebung der Bourgeois-Personlichkeit, -Selbststandigkeit und -Freiheit.
( 以下省略)
 動画では(1)、(2)、(3)を付した順に安富氏が原文を逐語的に言葉の意味を考え考え解読してゆきます。英語がドイツ語の逐語訳ではないらしいことがまずはわかります。英語もドイツ語もケルト語に派生していると思えば、どちらが奥深い言語構造を有しているか、なんぞは大きな問題ではないのでしょう。むしろその言語がおかれた環境が「言語」に新たな意味を付加して行ったとおもえます。その意味では、「共産党宣言」の生まれた背景はむしろ英語圏すなわち英国にその思想的背景を求めるべきではなかろうか、なぞと考えています。言葉を変えれば日本語との間には大きな溝があるのだということを視聴から思い知らされます。

 安富氏の問題意識は「資本」の存在形態〔この表現が適当であるのか否かは措いておきますが)にあるので、それを解明する鍵はpersonalにあるとしてそこに拘ります。これは次に登場するindividualと関わってきます。さらには安富氏の思考はindependenceにまで及びます。ドイツ語では、それは「self-standing」であることを知りましたが、自然科学では、ある状態は、その当該の「物」にはよらない、影響されないと理解します。こうした理解が上記の文脈に適うのか否か?
 
二回目の講義:
東大教授と語る【搾取の本質】私達の不幸の本質。資本の自由を追求して全ての人間は不自由になった。その解決策について。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 動画では上の(1)の部分に焦点を当てて安富氏が解読します。

 マルクスの著作の英訳はエンゲルスが担っていたと聞いたことがあるように思います。しかし、安富氏は、”エンゲルスはマルクスの思考を完璧に理解しているとはおもえない節がある”と指摘します。ウイキの英語版はエンゲルスによるものでは無いと冒頭に書かれていますが、当然、それはエンゲルスの翻訳に依拠してつくられたものなのでしょう。安富氏が詳細をこだわる文節での英訳文は、岩波日本語版とも異なっています。しかし、上にも書いたように英語と独語のルーツを思うと英語を読むのも無駄ではないのかもしれません。
一つ気になるのは上の〔4)です。To be a capitalist, ではじまりそこに”、”が打たれています。これは対応する独語にはありません。訳者が自らの理解によって付したとすれば、そこには彼の独自の解釈があったのでしょう。すなわち動画では「資本家であることは、・・・」と、それが主語であるとして読み取っていますが、「資本家であるためには、(人は)・・・」と読み取るとすればマルクスのいわんとしていることが異なってきます。ましてやcapitalistを資本家ではなく、資本主義を信奉するものと解すればまた異なる意味が展開されます。

 上に掲載した二つの動画を見て、自画自賛でありますが、原文に戻ることの大切さを確認させられました。日本列島古代史の原典である万葉集、古事記、日本書紀、そして風土記を後世の研究者の解釈が色濃く反映されたものではなく原文を眺めることこそが真実への近道であるということでありました。

+++++行って帰る地震
驚きの「ブーメラン」地震、初の報告、衝撃波生む超高速で逆戻り
逆走は東北地方太平洋沖地震や熊本地震の余震で起きていた可能性も、筑波大ほか


 と題する記事をヤフー記事で見つけましたので、阿須はそれを以下にコピペしておきます:
%%%%%転載はじめ
RILEY D. CHAMPINE, NG STAFF. SOURCES: PETER BIRD, UCLA; USGS; GEBCO

 2010年のある春の日の午後、メキシコのバハカリフォルニア州をマグニチュード7.2の地震が襲った。クカパーの先住民の長老であるロザリオ・ガルシア・ゴンザレス氏は、地震発生時に自宅で目にした驚きの光景を、科学者に次のように語った。地震によって地割れが発生し、まるで荒野を自動車が高速で走り抜けるように砂ぼこりが舞い上がった、と。 ギャラリー:奇跡の一瞬!心ふるえる地球の名作写真50点  ところが不思議なことに、自動車が走ったかのようなその向きは、地震とは真逆に見えたという。  通常、地震で破壊される地割れの先端は、紙を破るように一方向へだけ進むものだ。しかしゴンザレス氏によると、科学者が考えていたのとは正反対に、砂ぼこりは震源地の方へ向かっていたようだったという。  この目撃証言は科学者たちを興奮させた。当時、メキシコのエンセナダ科学研究高等教育センターで博士号の取得を目指していたオーランド・テラン氏は、驚きの証言だったと感想を述べている。しかし、その日正確に何が起こったのかはわからない。というのも、ゴンザレス氏が見たものは地震データからは確認されなかったからだ。  だが、最近になって筑波大学を含む国際的な研究チームが別の場所で発生した「ブーメラン」地震の破壊過程をとらえることに成功し、8月10日付けで学術誌「Nature Geoscience」https://www.nature.com/articles/s41561-020-0619-9に論文を発表した。  それは、西アフリカの国リベリアから約1000キロの沖合、大西洋の底にある海嶺で発生したマグニチュード7.1の地震だ。地震はまず地下深くから上および東方向に進み、その後向きを変え、断層の上部を驚異的な速さで逆戻りした。  地震のひどい揺れは通常、地震が伝播する方向に集中する。しかし、ブーメランのように戻ってくる「逆伝播破壊」の場合、被害がより広い範囲に拡大する恐れがある。  ブーメラン地震はよくあることなのか、いつもこれほど驚異的な速さで伝播するものなのかはわからない。今回の研究は、こうした地震の背後にある複雑な地球物理学をひもとき、その潜在的な危険性を解明する重要なステップとなる。 「過去の地震による破壊、将来起こりうる地震破壊、そしてこれが人口密集地に近い断層の潜在的な影響力にどのように関連するのかを理解するうえで、このような研究は助けになります」。米国大学共同地震研究機関の地震学者ケイシー・エイダーホルド氏は、メールでそうコメントした。
帰ってきたロマンシェ地震
 このブーメラン地震は、大西洋の南米プレートとアフリカプレートがゆっくりと離れている中央海嶺付近で記録された。2016年春、地震データを収集してプレートの底部を可視化するため、39台の地震計が海嶺付近に設置された。  その数カ月後、マグニチュード7.1の地震が発生する。英インペリアル・カレッジ・ロンドンの地震学者で、論文の筆頭著者であるスティーブン・ヒックス氏によると、震源地は海嶺のそばにあるロマンシェ断裂帯だった。  不規則な曲線として描かれた地震計の記録の中に、一組のパルスらしきものが含まれていた。興味をそそられたヒックス氏と研究チームが詳しく調べたところ、地震が2つのステージに分けられることに気が付いた。震源の位置と、それぞれのステージで放たれたエネルギーを分析し、一見ばらばらな点と点をつなぐことに成功すると、地震による破壊は当初東へ向かって進んだが、その後進行方向を西へ変えて逆戻りしていたことが判明した。「大変珍しい形態です」と、ヒックス氏は言う。  本当に地震がブーメランのように行ったり来たりしていたのか、確信が持てなかったヒックス氏は、筑波大学の奥脇亮助教に協力を求めた。奥脇氏は、世界各地にある他の地震計がとらえたその地震のかすかなエコーを分析した。そして数日後、地震はおそらくブーメランのように逆戻りした、という結論に達した。  さらにコンピューターモデルによっても、地震は地下深くで発生し、東へ向かって伝播し、中央海嶺近くまで達した後、Uターンして断層の上部を逆伝播したことが示唆された。  第2ステージの地震は、時速およそ1万8000キロという驚異的な速さで移動した。北海道から沖縄までの距離をわずか10分で移動できるほどの速さで、地震のS波が地殻を通過する速さ(せん断速度)を超えるため、「超せん断速度」と呼ばれる。この速さで伝わる超せん断地震では、超音速で飛ぶ航空機が衝撃波を生み出すように、破壊力が増幅され、甚大な被害が出る恐れがある。
どれくらいの頻度で発生する?
 地震がもたらす様々なリスクに対処するためにも、なぜ、どんな時にブーメラン地震が起こるのかを理解することは重要だ。伝播する揺れは、進行方向側では強くなり、反対側では弱くなる。警笛を鳴らした電車が通り過ぎるとその音が低くなる「ドップラー効果に似ています」と、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の地震学者リングセン・メング氏は説明する。なお氏は今回の研究に参加していない。  揺れが強くなる部分は、通常一方向だけに集まると考えられているが、ブーメラン地震の場合双方向で揺れが強くなりうる。それがもし超せん断速度で起これば、揺れはさらに激しくなる恐れがある。  では、ブーメラン地震はどれくらいの頻度で発生するのだろうか。  大西洋で観測されたような「超せん断速度のブーメラン地震」は、おそらくそれほど多くはない。ニュージーランドの研究機関GNSサイエンスの地球物理学者、金子善宏氏は、今回の研究には関わっていないが、「私の知る限り、このような現象が報告されたのはこれが初めてです」と話す。  とはいえ、コンピューターモデルや研究室でのシミュレーションでは、ブーメラン地震の証拠は積みあがっている。「理論上では起こるとされてきましたが、(現実の世界で)見るのはとても困難です」と語るのは、英リバプール大学の博士研究員で地球物理学者のルイーザ・ブラザーソン氏だ。  数日から数カ月間かけてゆっくりと起こるスロー地震の最中に、ブーメラン地震が観測されたことがある、と話すのは、フランス、コートダジュール大学の地震学者ジャン・ポール・アンプエロ氏だ。氏は最近、コンピューターシミュレーション上で逆伝播地震の特定に成功した。  メング氏によると、2011年3月に発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震でも、ある程度の逆伝播破壊が起こっていたと考える科学者がいると話す。金子氏も、2016年の熊本地震の余震で同様の現象が起こった可能性があると指摘する。この時は、余震により2つの破壊現象が続けて起こり、そのうちの1つが逆戻りして最初の破壊部分に一部重なったという。 「思っていたよりも頻繁に発生しているのかもしれません」と、金子氏は言う。  それが単に、地震は一方向にしか伝播しないという思い込みに基づく一般的な地震解析法によって気づかれなかっただけだったのだろうか。「あえて探そうとはしていませんでした。まさかそんなことが起こるなんて、考えてもみませんでしたから」と、アンプエロ氏は言う。しかし、地震に関しては複雑性が例外ではなく当たり前の世界なのかもしれない。 「地震を研究すればするほど、未知の世界が見えてきます」と、ヒックス氏が言うように。
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参考記事:

Back-propagating supershear rupture in the 2016 Mw 7.1 Romanche transform fault earthquake
• Stephen P. Hicks, • Ryo Okuwaki, • Andreas Steinberg, • Catherine A. Rychert, • Nicholas Harmon, • Rachel E. Abercrombie, • Petros Bogiatzis, • David Schlaphorst, • Jiri Zahradnik, • J-Michael Kendall, • Yuji Yagi, • Kousuke Shimizu & • Henriette Sudhaus
Nature Geoscience (2020)Cite this article

Abstract
How an earthquake rupture propagates strongly influences the potentially destructive ground shaking. Complex ruptures often involve slip along multiple faults, which masks information on the frictional behaviour of fault zones. Geometrically smooth ocean transform fault plate boundaries offer a favourable environment to study fault dynamics, because strain is accommodated along a single, wide fault zone that offsets the homogeneous geology. Here we present an analysis of the 2016 Mw 7.1 earthquake on the Romanche fracture zone in the equatorial Atlantic, using data from both nearby seafloor seismometers and global seismic networks. We show that this rupture had two phases: (1) upward and eastward propagation towards a weaker region where the transform fault intersects the mid-ocean ridge, and then (2) an unusual back-propagation westwards at a supershear speed towards the centre of the fault. We suggest that deep rupture into weak fault segments facilitated greater seismic slip on shallow locked zones. This highlights that even earthquakes along a single distinct fault zone can be highly dynamic. Observations of back-propagating ruptures are sparse, and the possibility of reverse propagation is largely absent in rupture simulations and unaccounted for in hazard assessments.
参考記事:
Geoscientists Record ‘Boomerang’ Earthquake in Atlantic Ocean Aug 12, 2020 by News Staff / Source

Earthquakes occur when rocks suddenly break on a fault — a boundary between two blocks or plates. During large earthquakes, the breaking of rock can spread down the fault line. Now, geoscientists have recorded a ‘boomerang’ earthquake in the equatorial Atlantic, where the rupture initially spreads away from initial break but then turns and runs back the other way at higher speeds.

The 2016 7.1 earthquake on the Romanche Fracture Zone in the equatorial Atlantic. The map location is given by the red rectangle on the inset globe. Image credit: Hicks et al, doi: 10.1038/s41561-020-0619-9.
While large (magnitude 7 or higher) earthquakes occur on land and have been measured by nearby networks of seismometers, these earthquakes often trigger movement along complex networks of faults, like a series of dominoes.
This makes it difficult to track the underlying mechanisms of how this ‘seismic slip’ occurs.
Under the ocean, many types of fault have simple shapes, so provide the possibility get under the bonnet of the ‘earthquake engine.’ However, they are far from large networks of seismometers on land.
Dr. Stephen Hicks from Imperial College London and the University of Southampton made use of a new network of underwater seismometers to monitor the Romanche Fracture Zone, a fault line stretching 900 km (559 miles) under the Atlantic near the equator.
In 2016, the researchers recorded a magnitude 7.1 earthquake along the fracture zone and tracked the rupture along the fault.
This revealed that initially the rupture traveled in one direction before turning around midway through the earthquake and breaking the ‘seismic sound barrier,’ becoming an ultra-fast earthquake.
Only a handful of such earthquakes have been recorded globally.
The authors believe that the first phase of the rupture was crucial in causing the second, rapidly slipping phase.

Reconstructed image of the Romanche Fracture Zone. Image credit: Hicks et al, doi: 10.1038/s41561-020-0619-9.
“Whilst scientists have found that such a reversing rupture mechanism is possible from theoretical models, our new study provides some of the clearest evidence for this enigmatic mechanism occurring in a real fault,” Dr. Hicks said.
“Even though the fault structure seems simple, the way the earthquake grew was not, and this was completely opposite to how we expected the earthquake to look before we started to analyze the data.”
“However, if similar types of reversing or boomerang earthquakes can occur on land, a seismic rupture turning around mid-way through an earthquake could dramatically affect the amount of ground shaking caused,” the scientists said.
“Given the lack of observational evidence before now, this mechanism has been unaccounted for in earthquake scenario modeling and assessments of the hazards from such earthquakes.”
“The detailed tracking of the boomerang earthquake could allow us to find similar patterns in other earthquakes and to add new scenarios into their modeling and improve earthquake impact forecasts.”
The findings were published in the journal Nature Geoscience.
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S.P. Hicks et al. Back-propagating supershear rupture in the 2016 Mw 7.1 Romanche transform fault earthquake. Nat. Geosci, published online August 10, 2020; doi: 10.1038/s41561-020-0619-9
%%%%% 参考記事紹介終わり

 上記記事のなかで、S 波の地球内部を走る速さを越える速さで破壊が広がると書いています。通常の破壊力学では、破壊の粒(微小破壊域)が抱え持つエネルギを発散するためには、その領域を広げて、抱え持っていたエネルギを新たに広がった領域に分担させることで、エネルギ保存則を維持しようとします。それがエネルギ放出です。破壊が広がるスピードはS波の伝わる速さを超えられないというのが、いくつかの破壊物理モデルから得られてきた研究者の知見でした。ところがそれが必ずしも成り立たないという実験が2009年に論文になりました:
関連記事:2009年10月21日記事(スーパー地震)
 実際、こうした超高速破壊速度を有する地震が存在したとの報告があります。これをスーパ地震といいます。いくつかありますが、下はそのうちの一つです:
2010年1月22日記事

敏達紀(2)、「レイワ」の組織観

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:8月15日は「お月見の日」です。というわけで写真は満月と勘違いされる方もあるやも知れません。しかし、この日の月齢は5日すなわちほぼ新月に近い日でした。大気の湿気が異常に高く朝の太陽が霞んでしまっています。右の写真は蝉の羽化現場です。もっと安心して着物を脱ぐ場所を選べばよいものを、よりによってこんな不安定な細い枝先でした)
200817日の出無題


 逃げ回り 政務さぼりで 疲れきり 今夏のゴルフ 諦め病院

 あの国会議員会館自室で秘書たちの面前で業者からの現金200万円を何のためらいもなく背広の内ポケットにねじ込んだのに起訴もされなかった元経済産業省大臣で安倍氏の側近である甘利明・現自民党税務調査会会長、その甘利氏が安倍氏の過度の疲労を案じて「ちょっと休んでもらいたい。責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」と述べ「数日でもいいから強制的に休ませなければならない」と記者団に語ったと報じられています。 
 現今の官邸詰め記者の一人でもこの言に「皮肉」をとばしたのだろうか?大多数国民の観察は甘利氏のそれとは間逆です。むしろこのまま首相を退陣し、ずっとゴルフ三昧で休んだら良いと考えてるに違いありません。とはいえ、いくつかの報道では、退陣するや否や、悪行三昧ゆえにそのまま身柄を司直の手にとらえられてしまうとの恐怖に安倍氏が怯えているとの指摘もあります。「辞めるに辞められない」のかもそれません。甘利氏の言に呼応するかのごとく、今朝、安倍氏は信濃町の慶応大学病院で診察を受けたと報じられています。
(図:日刊ゲンダイ記事。拡大は図のクリックで)
200817休暇1480

 安倍氏の政治に関わる怠慢さが以下の動画で語られています。
コロナだけど安倍首相は夏休み?そもそも休んでいる場合か?忖度メデイアの弊害について専門家と語る。元博報堂作家本間龍さんと一月万冊清水有高。


 7月はじめに行われた東京都知事選挙で、私が昨年初めの結党以来応援してきた「レイワ」党首・山本太郎氏が惨敗とでも言うべき敗北を喫しました。そしてそれを契機に「れいわ」の一幹部が除籍されるなどのゴタゴタが起きています。これについて結党時の一員であった東大教授・安富渉氏が「レイワ」なる政治団体を語っています。これは都知事選前になされた観察であり、今後の「レイワ」の動向を考える上でまことに興味深いものがあります。
東大教授と語る【組織と暴力】れいわの新しい組織論について。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 大多数国民に負託され、要望・願いを背負ってそれらの実現を図るためには国会内でしかるべき数の勢力を持たねばなりません。しかし、上で安富氏が語るような現今の「れいわ」の組織論ではそれはなかなか難しそうです。山本氏の構想は、大昔のアテネの市民会議を思わせます。すなわち個々人が党派を形成せず、自由にものを言う中でものごとを決めてゆくというものです。
 しかし、国民の二極への分離、すなわち少数の富裕層と圧倒的多数の勤労者に分離されている現状では国会もそうした力関係を反映せざるを得ない。どのように物事を決めるのか?富裕層の放縦を制限し、勤労者の利益を確保するための法制定を国会内でどう実現するのか?今後とも暖かく「レイワ」を注視したいと思っています。

 科学誌[nature]が、地震観測とコロナ発生現象との関連記事を書いています。短い記事ですが、この言わんとしているところをつかみかねています。2011年3月11日の東日本巨大地震に先駆けて震央域上空大気に荷電粒子の集中が観測されました(2011年5月23日記事
(図:電離層内の荷電粒子の分布。拡大は図のクリックで)
200817電離層無題

 これらの荷電粒子が発光したのかどうかは定かでありませんが、上空の電磁環境では発光がありえたはずです。以下の記事はそれを書きたかったのだろうか?それともいまだに陰謀論の標的になっているHARRP(上記2011年5月23日記事)を指摘したかったのか?この記事の続報を待っています。
%%%%%Seismic sensors look skywards — and capture dazzling aurorashttps://www.nature.com/articles/d41586-020-02296-3
Earthquake-monitoring stations could also help to monitor the effects of incoming solar particles.
200814Aurorad41586-020-02296-3_18247238

Seismometers in Alaska that normally measure trembling in the ground also pick up signals from the Northern Lights shimmering overhead.
The Northern and Southern lights form when charged particles from the Sun slam into Earth’s protective magnetic shield, which funnels the particles towards the poles. There, the particles energize atmospheric atoms and molecules, which emit light when they relax. Geophysicists use cameras and magnetic instruments to record the polar light shows — also known as auroras — and to monitor the influx of solar particles.
Carl Tape at the University of Alaska Fairbanks and his colleagues found that on three winter nights from 2017 to 2019, the seismometer at Poker Flat, Alaska, detected seismic signals caused by magnetic fluctuations in the sky. Photographs showed the Northern Lights glowing dramatically on those nights, confirming that the seismometer was picking up fluctuations in Earth’s magnetic field that were linked to the aurora.
The network of more than 200 seismometers in Alaska could be used to study the effects of auroras across the state, the authors say.
地震センサーは上空のまばゆいオーロラも捉る
• 地震観測網は、入射する太陽粒子の影響を監視するのにも役立つ。
アラスカに設置されている地震計は通常地動を測定するが、頭上で揺らめくオーロラからの信号も拾う。
 
太陽からの荷電粒子が地球を囲む磁気シールドに衝突すると、オーロラとサザンライトが形成され、粒子が極に向かって流れる。そこで、粒子は大気中の原子と分子にエネルギーを与え、それらが光を放出する。地球物理学者は、カメラと磁気機器を使用して極光ショー(オーロラとも呼ばれます)を記録し、太陽粒子の流入を監視する。
Carl Tape at the University of Alaska Fairbanks and his colleaguesは2017年から2019年までの三回の冬の夜、Poker Flat, Alaskaにある地震計が、空の磁気変動によって引き起こされた地震信号を検出したことを発見した。写真はそれらの夜にオーロラが劇的に輝いていることを示しており、地震計がオーロラに関連している地球の磁場の変動を拾っていたことを確認した。
著者らによると、アラスカの200を超える地震計のネットワークは、州全体のオーロラの影響を研究するために使用できる可能性があるという。
%%%%%
 電離層での荷電粒子の発光が地動を引き起こすということを言ってるのだろうか?そうとすると陰謀論者が好むHAARPが地震を引き起こせるという主張を裏付けることになる。どうもこの記事の真意が不明です。

+++++敏達天皇紀を読む(2)
 敏達紀を注意深く眺めたいとの意図は西暦645年の「乙巳の変」の謂わば前段を敏達紀が語っているのではなかろうかと推論することです。真っ当な古代史研究者には「荒唐無稽」な一顧だに価しない話(推論)です。何せ、日本書紀編年では敏達天皇の在位は西暦572年〜585年です。しかし、「天皇在位二重則(下図)に従うならば、それは西暦625年〜658年のどこかということになります。
(図:天皇在位二重則、拡大は図のクリックで)
200319二重支配無題

隋建国と相前後して大陸から特別のミッションを負って「男大迹」王が渡日したのが、「天皇在位二重則を考慮した編年によれば西暦589年〜624年の間のしかるべき時です。
(図:天皇在位二重則による日本列島古代史編年、拡大は図のクリックで)
200427編年無題

「男大迹」王の渡日後の大きな事跡は一つは苦戦しながらも宇治の反「男大迹」王壁を突破し、奈良の勢力との接触に成功したことと九州・筑紫の磐井の乱のです。「男大迹」王の軍勢が九州反乱軍を鎮圧したかのように日本書紀は書きます。が、これは定かではありません。この乱は、万葉集三〜十二歌が叙事していると私は考えており、この歌からは、九州に拠した蝦夷(当時の倭国)が敗北したとの雰囲気を読み取ることはできません。この乱は日本書紀も実は語っていると私は考えています。それは、舒明天皇九年(西暦637年紀文)に記載される蝦夷の反乱とそれにまつわる騒動であったろう(2019年11月20日記事)と考えています。すでに書いたように日本書紀三十巻の中で「推古・舒明」紀は異質であることが、日本書紀の研究者である森博達氏によって指摘されています。すなわち、この二巻については「漢語ネーティヴ」ではない日本列島の漢文熟達者が執筆したと、森氏は指摘します。森氏は巻一〜十三についても同様を指摘します。が、日本列島支配権力の「正史」編纂を統括した藤原不比等にとっては、「乙巳の変」直前の「政治史」すなわち付保とにとっての現代史に直結する「近代」史についてはとりわけの最新の注意を払っていたということです。
 なぜ、舒明天皇九年紀(西暦637年)に記載される蝦夷の反乱が「磐井の乱」であると考えることができるのか?それは、この反乱の舞台が九州であることが「上野君形名」と奥方のエピソードと万葉集の七~八歌との照合から見えてくることを私は一つの論拠と考えています。

 日本書紀の語るところでは、藤原不比等にとっての日本列島内での近世史では、「戦闘」は少なくも二つあり、ひとつは、「磐井の乱」、それに続くもう一つが「神・仏」戦争で、その内実は「蘇我・物部」の確執戦闘です。このあとの「乙巳の変」を戦闘の一つとして勘定するかどうかについては、考察の余地が多々ありますが、「蘇我・物部」の確執戦闘が「乙巳の変」を直接的に準備した、あるいはまさにその延長上にあったのであろうと考えています。

 日本書紀は、百済から献ぜられた「仏法」についての評価が日本列島を二分する「争い」の出発点であったと書きます。欽明天皇と蘇我大臣稲目宿禰は「仏法」を受け入れることに好意的であったのに対して、物部大連と中臣連鎌子はそれに否定的であった。そして欽明天皇の後を襲って天皇位についた敏達天皇は仏法に関心を抱かなかった。

 欽明天皇十三年以来の重臣間の対立を十九年引きずって新天皇に時代が変わったので、それが顕在化するかと思いきや、そうした気配もなく敏達天皇十三年(西暦五八四年)まで時間が経過します。
 ところで、現ブログ管理人は建築家でかつ日本列島古代史研究者である渡辺豊和氏の主張を検証し、その合理性を認識してきました。その要は「蘇我一族」の出自は遠く西域古代ペルシア界隈に拠した「サカ族」であるというものです。このサカ族の信仰する宗教は「ゾロアスタ教」です。ところが、上で書いてきた「蘇我・物部」抗争では、蘇我一族は「仏教」を礼(うやまう)姿勢を見せています。
これはどういうことだろうか?それを次回に考えます。
(つづく)

考古学ランキング

「コロナ=ただの風邪』論、(続)トンネル現象、敏達天皇

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:白鷺の母と子が水田をつついています。息子(?)とお父つあんは100mほど隔たったところで世間を眺めていました)
白鷺母子8311


 ドロドロと 脳がとろける 八月に コロナコロナで 肺もゼイゼイ

 いつもの暑い夏にコロナ蔓延が重なり全国の高齢爺(私を含む)はさぞかし厳しい日々を過ごされているかとお見舞い申し上げます。酷暑で溶け出したのは、私の脳に留まりませんでした。愛用のPC電脳もこのところ小さなしくじりを重ねるようになりました。ハードディスク周辺は相当の高温のため小型扇風機で頻繁に風を送り、上に氷水を置いたりしてしのいでいます。これまでは秋になるとPCは平常に復していたので、今はひたすら夏が過ぎるのを待っています。

 ジャーナリストの田中宇氏は持論の「コロナはただの風邪」論に基づき、トランプ米国大統領の政治的思惑を「分析」しています。
 ただの風邪が覇権を転換するコロナ危機 2020年8月12日   田中 宇
いまやすでに知られネット上のあちこちで議論されている「コロナ=ビルゲイツの野望」論もいまだに根強いものがあります(例えば、コロナ事変の仕掛けはビル・ゲイツ ハ−バ−ド大学 実行部隊はWHO 2020-04-11 

 思えば、日本列島でこの新型コロナウイルスの流行が大きな社会問題となった二月はじめのころから「コロナ=少しだけ性悪(しょうわる)な風邪」論が、あちらこちらで流布されていました。流布する人たちの思惑は多様であったようです。一つは体制側からのそれで、それはPCR検査の抑制という政治的というよりは経済的思惑を秘めたものでしたが、この狙いは五輪の延期で論理破綻が明るみに出ました。もう一つが上に紹介した「世界的視野」を想像させる「陰謀」まがいの議論です。私自身はこのどちらにも説得力を感じません。AI(人工知能)の時代、大量データの時代ではあっても人間と病原体(ウイルス、細菌)との葛藤と共存の問題はほとんどわかっていないらしいという認識ゆえです。
 にもかかわらず、上の田中宇氏のようなインテリが「ただの風邪」と断定する発想が理解できません。ウイルスと細胞との連関、そしてウイルスが取り付いた細胞はどのような場合に破壊に導くかれるのか、全くわかっておらず、研究者がそれを口にするとすればそれは数少ない症例でしかないのです。そんなことを思うと下に掲載する動画は示唆的です。蛇足ではありますが、よしんば「ただの風邪」であったとしてもその蔓延状況を時間的に追跡することが次のエピディミクス防御への貴重な準備ともなっているのです。疫病との闘いは目先の収束ではなく、次のそしてまた次の流行に備えることでもあると思っています。それこそが、民を救うことと考えています。:
安富氏


 医師である児玉龍彦氏は、外野の「コロナ談義」をよそに連日感染から国民を守るための活動に日々現場を駆け回っています。
BS-TBS [報道1930] 2020年8月7日放送 コロナ検査 東大名誉教授 児玉龍二先生 「誰でも 何所でも 何時でも 何回でも できれば無料で」 世田谷モデル


 さて、安倍氏による不手際が斯くも忌まわしいコロナ感染状況に日本列島を追い込んだのですが、その張本人は「罪の自覚』無く「僕ちゃん、体の具合悪いんだ!」と仮病の真っ最中です。あわよくば、このまま数々の犯罪が司直の手によって暴かれる前にこのまま雲隠れせんとの下心と、私は見ています。早々に、ポスト安倍なる議論が出てきました。
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安倍首相に体調不良説、次期首相に麻生太郎氏が浮上…石破茂首相誕生を全力で阻止 2020.08.13 18:00 文=編集部 Business Journal
 永田町に一時期、突風のように吹き荒れた「解散風」がここにきて少し収まってきた。新型コロナウイルスの新規感染者数が東京だけでなく全国でうなぎ上りとなり、「4月とは状況が違う」という政府の強弁が通用しなくなりつつある。

 そんな局面で解散総選挙など到底無理、というのが表の理由だが、もうひとつ、裏の理由は安倍晋三首相の健康問題だ。安倍首相が7月6日に首相執務室で吐血したと週刊誌「フラッシュ」(光文社)が報じ、菅義偉官房長官は定例会見で「首相の体調不安説」を否定した。

「自民党内の一部に『7月上旬に総理が倒れた』という情報が流れたんです。吐血ではなく、嘔吐したという情報もありました。『なぜ1カ月以上も記者会見をしないのか』『なぜ国会に出てこないのか』などと批判されていますが、それが体調が原因なのかどうかはわかりません。ただ、党内の多くが『総理の顔色は悪い』と思っていますよ」(自民党ベテラン議員)

 早期解散ムードが萎むなかで、「ポスト安倍」に再浮上してきたのが菅官房長官だ。昨春、「令和おじさん」で人気となるものの、秋には子飼いの大臣らの不祥事が相次ぎ、安倍首相との不協和音も表面化し、一旦は脱落したとみられていた。

 ところが、安倍首相が長らく後継者にと想定してきた岸田文雄政調会長は、コロナ対策でも失点ばかりでパッとせず、このままでは世論調査で人気の高い石破茂元幹事長になってしまいかねない。それを全力で阻止したい安倍首相が菅氏にシフトした、というのである。

 7月前後から菅氏は自らが旗振り役である「Go To キャンペーン」の推進などコロナ対策でメディア露出を高め、安倍首相も7月発売の月刊誌「Hanada」(飛鳥新社)のインタビューで、菅氏について「有力候補の1人であることは間違いない」と発言したことから、突如、「菅後継説」が流布されるようになった。

■「ポスト安倍」の本命は菅氏ではない?

 だが、自民党内では「総理の意中の人物は菅氏ではない」という見方も根強い。そこで囁かれるもう1人の「ポスト安倍」が、麻生太郎副総理兼財務大臣だという。

「もし総理が体調問題などで自ら解散総選挙をしないで退陣する場合、来秋の自民党総裁任期満了までのワンポイントなら麻生氏の再登板だという話があるのです。麻生氏もまんざらではない様子。2009年の総選挙で惨敗し民主党に政権を奪われたので、『もう一度』というリベンジの気持ちが残っているのは間違いない。9月の誕生日で80歳と高齢ですから、もう1期というのは党内でも理解されないが、来秋までのワンポイントなら、ということのようです。

 逆に、総理は、一度でも隙間風が吹いた菅氏のことは後継として想定していないのではないか。麻生氏のことは盟友と思っているが、菅氏のことは根っこのところで信用していない」(自民党関係者)

 だからなのか、菅氏は二階俊博幹事長との連携をますます深めている。Go Toの推進で足並みを揃えるのは利害の一致という面もあるだろうが、両者は8月中に地方創生や防災をテーマにした派閥横断の議員連盟の設立も予定している。最近も二階氏は、菅氏のことを「立派な指導者として活躍している」とベタ褒めしていた。

 安倍首相は8月24日に、連続在任期間で大叔父の佐藤栄作元首相を抜いて歴代トップ(2799日)に躍り出る。この日を超えれば、いつ辞めてもおかしくないという声もあるが、“次”が安倍首相同様に庶民感覚とズレまくる麻生氏というのは、国民にとって悪夢でしかない。

%%%%%(文=編集部)

+++++トンネル効果は瞬時ではない(2)
 前回はこの記事の前半部分を紹介しました。後半はその「時間経過」の測定です。まずは測定の仕掛けです。量子力学上の現象を実験で再現する「仕掛け」といえば、直ちに連想するのが故外村彰氏の世界を揺るがした実験です。それは電子の波動性を明るみにした実験です。あのノーベル物理学賞受賞者の ファインマン博士ですら量子力学で数学的には理解できたとしてもそれを実験で明るみにすることはできないだろうと「予言」していた実験です。私は、外村彰博士を南部陽一郎氏と同等の日本が世界に誇る物理学者であると考えており、氏については本ブログでもずいぶんと繰り返し書いてきました。
2008年11月5日、 2010年1月4日、 2012年5月2日2014年12月31日
2016年4月6日2016年12月7日、 2019年2月8日、 2019年4月22日
外村博士による見事な実験に触発されて世界の実験物理学者は量子力学が語る現象を実験でもって検証・再現するべく次々に試みてきました。このトンネル現象によって物質がしかるべき時間をかけてバリアを通過するはずだとの着想もその一つであったのでしょう。
%%%%%Quantum Tunneling Is Not Instantaneous, Physicists Show(2

Careful analysis revealed that it was, mathematically speaking, the peak of the tunneling photons’ wave functions (the most likely place to find the particle) that was traveling at superluminal speed. The leading edges of the wave functions of both the unimpeded photon and the tunneling photon reach their detectors at the same time, however—so there is no violation of Einstein’s theories of relativity. “The peak of the wave function is allowed to be faster than light without information or energy traveling faster than light,” Steinberg says.
Last year Litvinyuk and his colleagues published results showing that when electrons in hydrogen atoms are confined by an external electric field that acts like a barrier, they occasionally tunnel through it. As the external field oscillates in intensity, so does the number of tunneling electrons, as predicted by theory. The team established that the time delay between when the barrier reaches its minimum and when the maximum number of electrons tunnel through was, at most, 1.8 attoseconds (1.8 x 10–18 second). Even light, which travels at about 300,000 kilometers per second, can only travel over three ten-billionths of a meter, or about the size of a single atom, in one attosecond. “[The time delay] could be zero, or it would be some zeptoseconds [10–21 second],” Litvinyuk says.
注意深い解析は超光速で移動しているのは数学的に言えば光子の波動関数のピーク(粒子を見つける可能性が最も高い場所)であることを明らかにした。ただし、バリアの上を通過した光子とトンネルを通過した光子の両方の波動関数の先端が同時に検出器に到達するため、アインシュタインの相対性理論に違反していない。 「波動関数のピークは、光よりも速いことがありえる、又は情報やエネルギーが移動することなく、光よりも速くなることができる」とSteinbergは言う。
昨年Litvinyukと彼の同僚は、水素原子の電子が外部電場バリアによって閉じ込められると、時々それを通り抜けることを示す結果を発表した。理論で予測されているように、外場の強度が振動すると、トンネルを通過する電子の数も振動する。研究チームは、障壁がその最小値に達する時刻と最大数の電子が通過するまでの時刻の間の時間遅延がせいぜい1.8アト秒(1.8 x 10 –18秒)であることを確定した。1秒あたり約300,000キロメートルで移動する光でさえ、1アト秒で3億分の1メートル、つまり1つの原子の大きさを超えて移動することはできない。[時間遅延]はゼロの場合もあれば、数ゼプト秒になる場合もある[10 –21 」、とLitvinyukは言う。

Some media reports controversially claimed that the Griffith University experiment had shown tunneling to be instantaneous. The confusion has a lot to do with theoretical definitions of tunneling time. The type of delay the team measured was certainly almost zero, but that result was not the same as saying the electron spends no time in the barrier. Litvinyuk and his colleagues had not examined that aspect of quantum tunneling.
Steinberg’s new experiment claims to do just that. His team has measured how long, on average, rubidium atoms spend inside a barrier before they tunnel through it. The time is of the order of a millisecond—nowhere close to instantaneous.
Steinberg and his colleagues started by cooling rubidium atoms down to about one nanokelvin before coaxing them with lasers to move slowly in a single direction. Then they blocked this path with another laser, creating an optical barrier that was about 1.3 microns thick. The trick was to measure how much time a particle spent in the barrier as it tunneled through.
一部のメディア報道は、the Griffith Universityの実験がトンネル現象が瞬間的であることを示したとの主張が論争の的になっていると書いている。混乱は、トンネル時間の理論的な定義に大きく関係している。チームが測定した遅延の種類は確かにほぼゼロであったが、その結果は、電子がバリアで時間を費やさない事と同じではない。Litvinyukと彼の同僚は、量子トンネリングのその側面を調べていない。
Steinbergの新しい実験はまさにそれを行うと主張していた。彼のチームは、ルビジウム原子が障壁を通過する前に障壁内で過ごす時間を測定しその平均を求めた。時間はミリ秒のオーダーであり、 瞬時に近いものではない。
Steinbergと彼の同僚は、ルビジウム原子を約1ナノケルビンまで冷却し始め、レーザーで一方向に原始がゆっくりと移動させた。次に、別のレーザーでこの経路をブロックし、厚さ約1.3ミクロンの光学バリアを作成した。仕掛けは、粒子がバリアを通過するときにバリア内で費やした時間を測定するためだ。

To do so, the team built a version of a so-called Larmor clock using a complicated assemblage of lasers and magnetic fields to manipulate atomic state transitions. In principle, here is what happens: Imagine a particle whose spin points in a certain direction—think of it as a clock hand. The particle encounters a barrier, and inside it is a magnetic field that causes the clock hand to rotate. The longer the particle stays within the barrier, the more it interacts with the magnetic field, and the more the hand rotates. The amount of rotation is a measure of the time spent in the barrier.
Unfortunately, if the particle interacts with a strong enough magnetic field to correctly encode the elapsed time, its quantum state collapses. This collapse disrupts the tunneling process.
そのために、チームは、レーザーと磁場を複雑に組み合わせて、原子の状態遷移を操作する、いわゆるLarmor clockの一バージョンを作成した。原理的には、次のことが起こる。スピンが特定の方向を向いている粒子を考える(時計の針と思えばよい)。粒子は障壁に遭遇する。その中には磁場があり、時計の針を回転させる。粒子がバリア内に留まる時間が長いほど、磁場と相互作用し、針が回転する。回転量は、バリアで費やされた時間として測定される。
粒子が経過時間を正しくエンコードするのに十分なほどに磁場と相互作用すると、その量子状態は崩壊する。この崩壊により、トンネリングプロセスが中断される。
So Steinberg’s team resorted to a technique known as weak measurement: An ensemble of identically prepared rubidium atoms approaches the barrier. Inside the barrier, the atoms encounter, and barely interact with, a weak magnetic field. This weak interaction does not perturb the tunneling. But it causes each atom’s clock hand to move by an unpredictable amount, which can be measured once that atom exits the barrier. Take the average of the clock-hand positions of the ensemble, and you get a number that can be interpreted as representative of the correct value for a single atom—even though one can never do that kind of measurement for an individual atom. Based on such weak measurements, the researchers found that the atoms in their experiment were spending about 0.61 millisecond inside the barrier.
そのため、Steinbergのチームは、弱測定と呼ばれる手法に頼った。同じように準備されたルビジウム原子の集合がバリアに近づく。バリアの内側では、磁場に遭遇し弱い磁場なので、そほとんど相互作用しない。この弱い相互作用は、トンネリングに影響しない。しかし、それは各原子の時計の針を予測できない量だけ動かす。これは、その原子がバリアを出ると測定できる。集合体の時計の針の位置の平均をとると、単一の原子の正しい値を表すと解釈できる数値が得られる。ただし、個々の原子に対してはそのような測定できない。そのような弱い測定に基づいて、研究者たちは実験中の原子が障壁の内側で約0.61ミリ秒を費やしていることを発見した。

They also verified another strange prediction of quantum mechanics: the lower the energy, or slower the movement, of a tunneling particle, the less time it spends in the barrier. This result is counterintuitive, because in our everyday notion of how the world works, a slower particle would be expected to remain in the barrier for a longer stretch of time.
Litvinyuk is impressed by the measurements of the rotation of the clock hand. “I see no holes in this,” he says. But he remains cautious. “How, ultimately, it relates to the tunneling time is still up for interpretation,” he says.
彼らはまた、量子力学の別の奇妙な予測を検証した。トンネル粒子のエネルギーが低いほど、または動きが遅いほど、障壁内で費やす時間が短くなる。この結果は直観に反する。世界がどのように機能するかという私たちの日常の考えでは、より遅い粒子はより長い時間にわたって障壁にとどまると予想されるからだ。
Litvinyukは、時計の針の回転の測定に関心を持った。「ここにはホールは無い」と彼は言う。しかし、彼は慎重だ。「どのようにして、それがトンネル時間に関連しているのか、まだ解釈の余地がある」と彼は言う。

Irfan Siddiqi, a quantum physicist at the University of California, Berkeley, is impressed by the technical sophistication of the experiment. “What we are witnessing now is quite amazing, in that we have the tools to test all of these philosophical musings [of] the last century,” he says.
Satya Sainadh Undurti, who was a member of Litvinyuk’s team and is now at Technion - agrees. “The Larmor clock is certainly the right way to go about asking tunneling time questions,” he says. The experimental set up in this paper is a clever and clean way to implement it.”
Steinberg admits that his team’s interpretation will be questioned by some quantum physicists, particularly those who think weak measurements are themselves suspect. Nevertheless, he thinks the experiment says something unequivocal about tunneling times. “If you use the right definitions, it’s not really instantaneous. It may be remarkably fast,” he says. “I think that’s still an important distinction.”
Irfan Siddiqi, a quantum physicist at the University of California, Berkeleyは、実験の高度な技術に感銘を受けた。「私たちが今目撃しているのは、驚くべきことだ。前世紀のこれらの哲学的な考察のすべてをテストするためのツールがそこにある」と彼は言う。
Sitya Sainadh Undurtiは、Litvinyukのチームのメンバーで、現在Technion、 Israel Institute of Technology in Haifa,はそれに同意する。「The Larmor clockは確かにトンネル時間の疑問への解を得るための正しい方法だ」と彼は言う。この論文で設定されている実験は賢くしかもクリアだと付け加える。
Steinbergは彼のチームの解釈が一部の量子物理学者、特に弱い測定自体が疑わしいと考える人々によって疑問視されることを認めている。それにもかかわらず、彼は実験がトンネル時間について明確な何かを言っていると考えている。「適切な定義を使用する場合、それは実際には瞬時ではない。それは著しく速いかもしれない」と彼は言う。「そこに重要な違いがある」」
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+++++神・仏(4)
 西暦552年(日本書紀編年による)、欽明天皇は百済王から献じられた仏教に深い感銘を受け、国全体がこの教えを礼(うやまい)たいと考え重臣にそれを諮ります。その意向に応えて蘇我稲目宿禰は「仏法」を敬うことを表明したが、物部大連と中臣連鎌子はそれに異議を唱えます。異議の理由は、日本列島原住民の魂のよりどころである八百万の神、すなわち国祇神への礼を失するというものでした。物部大連と中臣連鎌子が危惧したように、後年禍が頻発するにおよび、天皇は仏像を難波の堀に流棄するなどして沈静をはかるが、放火などの災厄は絶えなかった、と日本書紀は書きます。

 歳月が経ち十八年後の欽明三十一年春に蘇我稲目宿禰が死去し、翌年四月に欽明天皇が死去し淳中倉太玉敷天皇(敏達)が三十代天皇として即位します(日本書紀編年では西暦572年)。「二重天皇在位則(現ブログ管理人の発見)」に従えば、この天皇は、三十代〜三十五代(皇極)の天皇から構成されるグループに族し、このグループでの最長在位は35年天皇位にあったとされる推古天皇です。

 敏達天皇の和風諡号はその権威を誇示するためと思しき細工が露骨です。先頭の文字は「茅淳」(ちぬ)に由来するのでしょう。すなわちこの天皇は「珍」王の系統であることを主張してます。つぎの「中」は言うまでもなく「中臣」、「中大兄」さらには「天御中主」尊、そして「中津葦原」の「中」に由来します。すなわち、八世紀に日本列島の政治支配権を確立した一族であることを強調しています。「倉」は「磐座」(いわくら)であり、天皇位を意味しています。さらには「太」は「男大迹王=彦太尊」の係累であることをも合わせて主張し、さらには「敷」は崇神天皇(美麻貴)の宮との関わりも呼称に含め自らの血統を誇示していると思えます。というわけでかくも大仰な和名であることには、しかるべき日本書紀編纂者の政治的思惑があるはずです。
 この天皇紀は冒頭に以下を書きます:
原文:
《敏達天皇即位前紀》渟中倉太珠敷天皇。天国排開広庭天皇第二子也。母曰石姫皇后。〈 石姫皇后。武小広国押盾天皇女也。 〉天皇不信仏法、而愛文史。二十九年、立為皇太子。三十二年四月。天国排開広庭天皇崩。

文意(岩波文庫「日本書紀(四)」16頁より
《敏達天皇即位前紀》渟中倉太珠敷天皇は天国排開広庭天皇(欽明天皇)の第二子也。母は石姫(いわひめ)皇后〈 石姫皇后は武小広国押盾(宣化)天皇の女也。 〉。天皇は仏法を信ぜず、文史を好む。(欽明天皇)の二十九年に皇太子となる。三十二年四月に天国排開広庭天皇が崩御する。
 ((ブログ管理人による注: 渟中倉太珠敷なる人物の実在性に就いて私は疑っています。が、日本書紀の筋書き構成の都合でこの新天皇に配された皇后が「磐姫」です。すなわち、れっきとした蝦夷(エミシ)系の女性です。この女性の父である宣化天皇の和風名は「オシ」(押)を含みます。すなわち渡来一族であることを日本書紀がわざわざ明記します。この意図は何か?次回それを書きます))
《敏達天皇元年(五七二)四月是月》是月。宮于百済大井。以物部弓削守屋大連為大連。如故。以蘇我馬子宿禰為大臣。
 文意:《敏達天皇元年(五七二)四月是月》天皇に即位したこの月に宮を百済大井につくる。物部弓削守屋大連を大連。とし、これまでのように蘇我馬子宿禰を大臣とする(因みに父である蘇我大臣稲目宿禰は欽明天皇死去の前年に死去している)。

 「仏法」を好む欽明天皇と蘇我大臣が死去し、仏法を好まない新天皇が登場します。世は反仏派に利する情勢となったと日本書紀は書きます。いよいよ「神仏』戦争すなわち「蘇我・物部」抗争の準備が整ったということになります。それを日本書紀がどの様に描写するのかをこれから眺めますが、その前に私がかねてより疑問に思うことに触れておきたいと思います。そのためにはこのまましばらく敏達紀を追いかけます。
(つづく)

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蝉の羽化目撃、記者会見シナリオ、トンネル効果

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:朝の散歩で、しばしばセミの羽化に遭遇します。写真はその観察です。)
蝉羽化200810 


記者魂 あの安倍氏に 食らい付き 執拗に問いを 浴びせ続ける

 8月9日は米国による長崎原爆投下から75年目にあたります。自らの意思ではなく, 単なる一つの日常行事として安倍氏は恒例の式典挨拶をしました。が、その文面が広島での挨拶文と酷似していたことが各界の憤激を引き起こしているとのことです。
%%%%%首相の被爆地あいさつ、文面酷似 広島と長崎、何のために来たのか 8/9(日) 22:05配信
 8月6日と9日に広島市、長崎市の両被爆地でそれぞれ開かれた平和式典での安倍晋三首相のあいさつの文面が酷似しているとして、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が上がった。  官邸のホームページに掲載された双方の全文を比較すると、両市の原爆投下からの復興を称賛した一文や、「広島」「長崎」といった地名などは異なるが、その他は段落数や構成、表現が同じ。結びの段落の言葉も「永遠の平和が祈られ続けている」「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」などと完全一致している。
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 これについて小沢一郎氏が手厳しく批判しています。
%%%%%小沢一郎氏が安倍首相の爛灰團擇△い気鎚賢瓩鬟丱奪汽蝓峺斥佞世韻痢慂刃臓戮呂△覦嫐で一番罪深い」 2020年8月10日 13時7分
 国民民主党の小沢一郎衆院議員(78)が10日、ツイッターで安倍晋三首相(65)の爛灰團擇△い気鎚賢瓩鯡堡稟修靴拭
 6日に広島市、9日に長崎市の両被爆地でそれぞれ開かれた平和式典での安倍首相のあいさつの文面が酷似しているとして、被爆者からと怒りの声が上がったと報道された。
 小沢氏はこの記事を引用し「いつものこと。驚くには当たらない。単に官僚の作文を読んでいるだけ。記者会見すら、準備原稿を読み上げ」と指摘。
 続けて「総理として特段の思い入れがなく、広島と長崎が同じでも大した問題ではないと思っているということ。だから心に響かない。言葉だけの『平和』はある意味で一番罪深い」と一刀両断した。
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 長崎では、この挨拶後に首相の記者会見がなされ、いつもの「やらせ」応答がやりとりされたのですが、この終了直前に「衝撃」の画像がTVに映し出されたのです。下の動画の終了の一分ほど前から(16:50)視聴してください。
長崎原爆の日 安倍総理記者会見(20/08/09) 

(図:記者会見を終えて、気が緩んだのでしょう。カンニングペーパを隠して持ち去るはずがそのトップ頁がうっかりTV画面に映し出されてしまったのです。そこには、なんと記者の”やらせ質問”と総理の”回答”がプリントされています。恐るべき無能の首相と、恐るべき大手報道の退廃というべきです)
200810やらせ回答MA


 この画像は大島堅一@kenichioshima によるツイッタで紹介されています。氏は以下のコメントを付しています;
「長崎での首相会見、ネットでみました。あらかじめ送っておいた内容を質問者が読み、あらかじめ用意しておいた答を読む会でした。それなら事前に質問回答を書面で配っておき、会見ではそれを前提に質疑応答してはどうでしょうか。首相がこちらにカンペを見せてくれたので構図がはっきりわかりました。」

 この動画はツイイタ常用者の大きな反響をもたらしたようです。そのいくつかを以下に転載しておきます:
More Tweets
東ちづる Chizuru.Azuma@ChizuruA1 私が気に入っている女優さんです:
「首相の長崎での式典でのスピーチ。広島でのスピーチと地名以外はまったく同じだったんですね。コピペ・・・なんだか、本当に残念。というか、悲しいです。」

異邦人@Narodovlastiye
「広島市の松井市長に続いて、長崎市の田上市長もハッキリと「核兵器禁止条約」に言及し、中央政府に署名・批准を求めたが、安倍首相は条約に一言たりとも触れなかった。そればかりか、スピーチは殆ど完全コピーに近い使い回しだった。ここまで来ると、もはや被爆地と犠牲者に対する愚弄でしかな」
立川談四楼@Dgoutokuji 落語家ですね
「7月、安倍さんは首相補佐官に「憲法改正のメディア戦略や根回しを早く」と指示。補佐官は「コロナ禍ですからじっくり--」と諌めたが、安倍さんは「私には時間がない」と言ったそうな。安倍さんに問いたい。「改憲スケジュールをなぜあなたの任期に合わせる必要があるのか」と。憲法は国民のものだぜ。」

Conversation Tulsa Birbhum@74120_731241
「メディアと官邸がグルになった不誠実な会見が行われはじめて、もうどれくらいだろうか。安倍や政府が責任から逃げているのは言うまでもないが、メディアも同様に責任を放棄している。」

 この「やらせ」記者会見について重要なことは安倍首相の「無能・無気力」に加えて大手報道機関の「悪質な加担」です。彼らは、この実態を知りながら、あたかも安倍氏が真摯に諸課題に取り組んでいるかのごとき粉飾報道をして国民が真実を知ることを妨げてきたことです。

 安倍氏による記者会見の「いかがわしさ」については、”知る人ぞ知る”ひっそりと伝えられていましたが、それをyoutubeで明るみに出すという勇気ある告発をしたのが毎日新聞記者です。
 東京新聞の望月衣塑子記者を思わせる勇気ある新聞記者が登場しました。普段TVを視聴しないので、下記のような“事件”が起きていたとは知りませんでした。

新聞記者】安倍総理を直撃!なぜ国会を開かないのか!?【毎日新聞】


 東京新聞の望月記者は、相変わらず元気に貴重な情報を発信し続けています。下の動画で佐高信氏と対談しています。望月氏の安倍・菅観察は興味深いですね。「当意即妙の議論を大変苦手にしており、最も記者会見を嫌う人物である。」と。今般のコロナ騒動で、まさにその資質が世上に明るみに出てしまった。ますます、記者会見を疎ましく思うようになったのでしょうが、佐高氏にいわせれば、そもそも「この二人には話す中身がない」と、これまた厳しい酷評です。
 こうした資質の人間が、外交問題で日々しのぎを削ることを「政治」と心得る欧州、ロシア米国の首脳と互角に論議したはずはないのです。ところが、NHKの岩田明子女史をはじめ日本国の「マスゴミ」は「外交の安倍」だの「お得意の外交で失政をとりもどす」などのおべんちゃらを言ってきました。こうして、マスゴミは国民の信を失い、ひいては政治への無感心を助長してきたのです。そこに登場したのが上の動画の作成者・毎日新聞記者宮原健太氏です。緊張感欠く政治に国民の関心を向けることで以って政治を訊し、かつ政治を正すために大きな役割を果たしてくれるのでは、と期待しています。

【佐高信の隠し味】望月衣塑子さん 20200804

 上の対談で、毎日新聞編集局長の故岸井成格氏が話題になっています。大学時代の同級生であったと言う佐高氏が岸井氏の硬骨漢振りを面白おかしく語っています。八年以上も前の大昔、世は「反小沢一色」でした。小沢氏を嫌いな政治家と公言する弁護士の郷原信郎氏ですら、小沢裁判の判決は真っ当であり、小沢氏の無罪は当然であると語っていたにもかかわらず、当該岸井氏がTV政治番組で語っていたことを2012年4月29日記事 で私は批判しました。今でこそ、佐高氏は小沢応援団風の言説を吐いていますが、当時は反小沢の大声を上げていたことを思い出します。

 言論人が事実と論理に基づいて発する言語はその時々の認識として公になった「事実」に縛られるのは当然かもしれません。しかし、この「事実」が曲者です。ジャーナリストの真価が問われるのは、この「事実」なるものの多方面からの検証です。8年前の岸井氏にはそれが欠けていた。佐高氏も然りであった。と私は考えています。 時の風潮に迎合せざるを得ない強烈な雰囲気が日本を覆っており、それを疑うことができなかったのでしょう。報道についてはことさらに慎重に「事実」を見極めてほしいと佐高氏はじめ良心的といわれる言論人・有識者には求めたいものです。
 言論界が時の風潮に逆らえず、公然たる批判をしないまま75年の歳月が経っている深刻な問題の一つは「ホロコースト」問題であると私は考えています。この問題の真実に勇気を持って迫ったのが西岡昌紀氏(2019年2月18日記事)です。少なくない知識人が「ホロコースト」論のいかがわしさに疑いをさしはさめなかったことガ後日明らかになっています。例えば故野坂昭如氏もそのお一人であった。どういうものか、日本の左翼、とりわけ新左翼といわれる人たちは「ホロコースト」懐疑論者をひどく嫌っています。そうでありながら、イスラエルによるパレスチナ暴挙に声をあげます。テルアビブでの蛮行の首謀者とされる岡本幸三氏などはその好例とされます。彼らの中では、この二つの矛盾がどのように体内に収められているのか、私には不思議です。自己への評価につながる問題となることを危惧してか、明瞭な主張をしていないようです。 

+++++関東型コロナウイルス
 以下の記事は7月16日に児玉東大教授が国会参議院予算委員会で参考人として陳述した内容に合致した報道です。何故この記事が三週間以上もたった8月初旬に公表されたのか?そこに何がしかの政治的思惑があったのか?いろいろと勘繰りたくなる記事です。
%%%%%新タイプのウイルス、6月に突然出現…東京から感染拡大
 新しいタイプの遺伝子配列を持つ新型コロナウイルスが、6月以降全国に広がっているという分析結果を国立感染症研究所の研究チームが公表した。東京から地方への移動によって感染が拡大したことが、ウイルスの遺伝子分析からも推定される結果となった。研究チームは、日本人が感染した新型コロナウイルスの遺伝子に着目。配列の変化と流行の関係を調べた。
 その結果、3月からの感染拡大では、欧州系統の遺伝子配列を持つウイルスによるクラスター(感染集団)が全国各地で複数発生した。5月下旬にいったん収束したものの、6月中旬、東京を中心に新たなタイプの遺伝子配列のウイルスが突然出現。現在、急速に増加している全国の陽性患者の多くが、新タイプに属することが分かった。
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“goto”問題はすっきりしないまま、日本列島では進行中です。すぱっと中断できない事情の大元は2F氏の利権に関わっているようです。
関連記事:Go Toだけじゃない。自民・二階俊博幹事長「利権」のカラクリ 

 先週から突然、猛暑が北関東の寒村を襲っています。私の脳はいまや一部トロケかかっています。そこで、今回は、思考を求められる古代史考察記事は次回に順延させてください。
+++++トンネル効果(1)
 木製机を鉄の壁に繰り返しぶつけると、何億回、何兆回のうちの一回の確率でその机は鉄の壁を通り抜けるという現象が起こりえることを量子力学は否定していません。壁にあたかも机を通す穴(トネンル)が極(ごく)短い時間、瞬時に生ずるかの如くであることから「トンネル効果」と呼ばれています。われわれの身近な所では厚い壁で囲まれる部屋の中に置いた巨大スピーカの発する音が部屋の外にいる人間に聞こえる現象と思えばよいのかもしれません。
 実際に原子の世界では、壁の中の物質が壁を通り抜ける現象は観測されており、その現象は実用化されています。例えばジョセフソン効果(ジョセフソンこうか、英: Josephson effect)は、弱く結合した2つの超伝導体の間に、超伝導電子対のトンネル効果によって超伝導電流が流れる現象で. 1973年、ブライアン・ジョセフソンは江崎玲於奈らと共にジョゼフソン効果の研究によりノーベル物理学賞を受賞した。
量子力学という「数学」では、原子が波動関数すなわち「波」として表現され「波」その数学的手段に登場する「虚数」のが大きな役割を果たしていると、私のような素人は思い込んでいます。虚数は物理現象を表現するための単なる数学的道具であるのか、それとも自然現象の何がしかの実在を反映した「量」であるのか?誰も明快に応えていないようです。
 さて表題の記事では、上述したように壁を隔てる音波であれば、当然、外にいる人に音が聞こえてくるのにしかるべき時間が経過します。一方量子力学でのトネンル効果では、数学的には十分長い時間、言葉を変えれば、「気がついたら通り抜けていた」と理解されます。実際には、壁を通り抜けるのに時間を要しているのか?これを研究者が実験で確かめたということです。記事が長いので、複数回に分けて掲載します。
%%%%%Quantum Tunneling Is Not Instantaneous, Physicists Show

A new experiment tracks the transit time of particles burrowing through barriers, revealing previously unknown details of a deeply counterintuitive phenomenon
• By Anil Ananthaswamy on July 22, 2020
量子トンネリングは瞬時ではない、と物理学者が示した。
新しい実験は、障壁を通り抜ける粒子の通過時間を追跡し、反直観的な現象のこれまで知られていなかった詳細を明らかにした。
Although it would not get you past a brick wall and onto Platform 9¾ to catch the Hogwarts Express, quantum tunneling—in which a particle “tunnels” through a seemingly insurmountable barrier—remains a confounding, intuition-defying phenomenon. Now Toronto-based experimental physicists using rubidium atoms to study this effect have measured, for the first time, just how long these atoms spend in transit through a barrier. Their findings appeared in Nature on July 22.
The researchers have showed that quantum tunneling is not instantaneous—at least, in one way of thinking about the phenomenon—despite recent headlines that have suggested otherwise. “This is a beautiful experiment,” says Igor Litvinyuk of Griffith University in Australia, who works on quantum tunneling but was not part of this demonstration. “Just to do it is a heroic effort.”
To appreciate just how bizarre quantum tunneling is, consider a ball rolling on flat ground that encounters a small, rounded hillock. What happens next depends on the speed of the ball. Either it will reach the top and roll down the other side or it will climb partway uphill and slide back down, because it does not have enough energy to get over the top.
the Hogwarts Express(ハリーポッタに登場する急行とのこと、私はTV, 映画を見ないので詳細は不明)に乗るのにレンガの壁を越えてPlatform 9に入るわけではないが、量子トンネリング(粒子が乗り越えられないように見える障壁を「トンネル」する)は、直観的には理解をできない現象だ。現在、トロントに拠点を置く実験物理学者は、ルビジウム原子を使用してこの効果を研究し、これらの原子が障壁を通過するのに費やす時間を初めて測定した。彼らの発見はhttps://www.nature.com/articles/s41586-020-2490-77月22日にnatureに投稿された。
研究者たちは、量子トンネルは瞬間的ではないことを示した(少なくとも、最近の見出しに見るようにこの現象が違う風に理解されないではないが)。「これは美しい実験だ」とIgor Litvinyuk of Griffith University in Australiaは言う。彼は量子トンネリングに取り組んでいたが、このデモンストレーションには加わっていない。「それをするだけで、英雄的な努力だ。」と、付け加える。
量子トンネリングがいかに奇妙であるかを正しく理解するために、小さな丸みを帯びた平らな地面を転がるボールが、小丘に遭遇することを考える。次に何が起こるかは、ボールの速度に依存する。頂上に到達するのに十分なエネルギーがあれば、頂上に到達して反対側に転がるし、そうでなければ途中で戻ってしまう。

This situation, however, does not hold for particles in the quantum world. Even when a particle does not possess enough energy to go over the top of the hillock, sometimes it will still get to the opposite end. “It’s as though the particle dug a tunnel under the hill and appeared on the other side,” says study co-author Aephraim Steinberg of the University of Toronto.
Such weirdness is best understood by thinking of the particle in terms of its wave function, a mathematical representation of its quantum state. The wave function evolves and spreads. And its amplitude at any point in time and space lets you calculate the probability of finding the particle then and there—should you make a measurement. By definition, this probability can be nonzero in many places at once.
If the particle confronts an energy barrier, this encounter modifies the spread of the wave function, which starts to exponentially decay inside the barrier. Even so, some of it leaks through, and its amplitude does not go to zero on the barrier’s far side. Thus, there remains a finite probability, however small, of detecting the particle beyond the barrier.
しかし、この状況は量子世界の粒子には当てはまらない。粒子が小丘の上部を通過するのに十分なエネルギーを持っていない場合でも、時々それは反対の端に到達するのだ。「まるで粒子が丘の下のトンネルを掘って反対側に現れたかのようである」と、トロント大学の研究共著者であるAephraim Steinbergは述べている。
そのような奇妙さは、粒子をその波動関数、その量子状態の数学的表現の観点から考えることによって理解されている。波動関数は進化し広がる。そして、時間と空間の任意の時点でのその振幅により、その場で粒子が見つかる確率を計算できる(測定を行う場合)。定義により、この確率は一度に多くの場所で非ゼロになる可能性がある。
粒子がエネルギー障壁に直面すると、この遭遇によって波動関数の広がりが変化し、波動関数が障壁の内部で指数関数的に減衰し始める。それでも、一部は漏れ、その振幅はバリアの向こう側でゼロにならない。したがって、バリアを超えて粒子を検出する可能性はわずかながらあり、有限の確率が残る。
Physicists have known about quantum tunneling since the late 1920s. Today the phenomenon is at the heart of devices such as tunneling diodes, scanning tunneling microscopes and superconducting qubits for quantum computing.
Ever since its discovery, experimentalists have strived for a clearer understanding of exactly what happens during tunneling. In 1993, for example, Steinberg, Paul Kwiat and Raymond Chiao, all then at the University of California, Berkeley, detected photons tunneling through an optical barrier (a special piece of glass that reflected 99 percent of the incident photons; 1 percent of them tunneled through). The tunneling photons arrived earlier, on average, than photons that traveled the exact same distance but were unimpeded by a barrier. The tunneling photons seemed to be traveling faster than the speed of light.
物理学者は1920年代後半から量子トンネリングについて知っていた。今日、この現象は、トンネルダイオード、走査型トンネル顕微鏡、量子コンピューティング用の超伝導キュビットなどのデバイスの中心だ。
実験家たちは、その発見以来、トンネリング中に何が起こるかを正確に理解するために努力してきまた。たとえば、1993年に、カリフォルニア大学バークレー校でSteinberg、Paul Kwiat、Raymond Chiaoは、光学バリア(入射光子の99%を反射する特別なガラス片、それらの1%)を通過する光子を検出した。トンネリング)。トンネリング光子は、平均して、正確に同じ距離を移動したが障壁によって妨げられていない光子よりも早く到着した。トンネル光子は光速よりも速く移動しているように見えた。
%%%%%(つづく)

蛙の尻から排泄される甲虫、交差免疫、日銀の実態、原爆投下

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真: 前回記事の冒頭で、朝の散歩で見つけた雌甲虫の雄を探していると書きました。昨日、その雄甲虫を発見し、直ちに当家にお招きし、手厚く歓待しました。まことに元気で飼育箱の中で元気に動き回り、先住の雌甲虫が恐れをなして天井に避難するほどでした。ところが、今朝、仰向けにひっくり返っていました。残念です。そんな折、下記の動画をみつけました。なんと、蛙に飲み込まれた甲虫が数時間後に五体満足のまま尻から出てきたというのです。下をクリックするとその動画を見ることができます)
After being swallowed alive, water beetle stages 'backdoor' escape from frog's gut

 四分の 三世紀後の 広島で 心のこもらぬ 安倍氏の挨拶

 相も変らぬ、棒読み挨拶、そして「やらせ記者会見」です。なんとこのぶら下がり記者質問と首相の応答も「筋書き」ができていると、どこぞの新聞記者が匿名で暴露していました。このような指導者を8年にもわたって祭り上げてきた自民公明、大手報道関係者と、それを(無関心ゆえに)容認してきた国民には、深刻な反省を促したいと思います。
 8月5日付けLos Angeles Times 紙が広島原爆は不要であったとの寄稿を掲載したとのことです。
%%%%% Op-Ed: U.S. leaders knew we didn’t have to drop atomic bombs on Japan to win the war. We did it anyway

opposite the editorial page / opposite editorial、オプ・エド 当該紙の編集委員会の支配下にない外部の人物が、ある新聞 記事に対して同じ新聞内で意見や見解(反論や異論)を述べる欄
Op-Ed:アメリカの指導者たちは、戦争に勝つために日本に原爆を投下する必要が無かったことを知っていたが、(でも)やってしまった。

At a time when Americans are reassessing so many painful aspects of our nation’s past, it is an opportune moment to have an honest national conversation about our use of nuclear weapons on Japanese cities in August 1945. The fateful decision to inaugurate the nuclear age fundamentally changed the course of modern history, and it continues to threaten our survival. As the Bulletin of the Atomic Scientists’ Doomsday Clock warns us, the world is now closer to nuclear annihilation than at any time since 1947.
The accepted wisdom in the United States for the last 75 years has been that dropping the bombs on Hiroshima on Aug. 6, 1945, and on Nagasaki three days later was the only way to end the World War II without an invasion that would have cost hundreds of thousands of American and perhaps millions of Japanese lives. Not only did the bombs end the war, the logic goes, they did so in the most humane way possible.
However, the overwhelming historical evidence from American and Japanese archives indicates that Japan would have surrendered that August, even if atomic bombs had not been used — and documents prove that President Truman and his closest advisors knew it.
• The allied demand for unconditional surrender led the Japanese to fear that the emperor, who many considered a deity, would be tried as a war criminal and executed. A study by Gen. Douglas MacArthur’s Southwest Pacific Command compared the emperor’s execution to “the crucifixion of Christ to us.”
 アメリカ人が自分たちの国での多くの痛みを伴う過去を再評価する際は、1945年8月の日本都市への核兵器使用についても率直に全国的に意見交換する好機とするべきだ。核時代を開くという運命的な決定が現代の歴史の流れを根本的に変え、爾来、それが私たちの生存を脅かし続けている。原子科学者によるDoomsday Clock終末時計が私たちに警告するように、1947年以来、世界は現在、核消滅に近づいている。
 過去75年間、米国で認知されていたことは、1945年8月6日に広島に爆弾を投下し、3日後に長崎に爆弾を投下して、侵略せずに第二次世界大戦を終わらせたおいうものであった。数十万人のアメリカ人、おそらく数百万人の日本人の命を犠牲にした。論理的には、その爆弾が戦争を終わらせただけでなく、可能な限り最も人道的な方法であった、と米国人は認識している。
 しかし、アメリカと日本に残される圧倒的な書類上の歴史的証拠は、たとえ原爆が使用されなかったとしても、日本がその8月に降伏したであろうことを示し、文書はトルーマン大統領と彼の最も近い顧問がそれを知っていたことを明言している。
 無条件降伏という連合軍の要求は、日本人をして、彼らが神と見なした天皇が戦争犯罪者として裁判にかけられ、処刑されることを恐れさせた。南西太平洋司令部・ダグラス・マッカーサー将軍に関する研究によれば、皇帝(天皇)の処刑は「米国人にとってのキリストのはりつけ」と同等の意味を持つものであった。
“Unconditional Surrender is the only obstacle to peace,” Foreign Minister Shigenori Togo wired Ambassador Naotake Sato, who was in Moscow on July 12, 1945, trying to enlist the Soviet Union to mediate acceptable surrender terms on Japan’s behalf.
But the Soviet Union’s entry into the war on Aug. 8 changed everything for Japan’s leaders, who privately acknowledged the need to surrender promptly.
Allied intelligence had been reporting for months that Soviet entry would force the Japanese to capitulate. As early as April 11, 1945, the Joint Chiefs of Staff’s Joint Intelligence Staff had predicted: “If at any time the USSR should enter the war, all Japanese will realize that absolute defeat is inevitable.”
Truman knew that the Japanese were searching for a way to end the war; he had referred to Togo’s intercepted July 12 cable as the “telegram from the Jap emperor asking for peace.”
Truman also knew that the Soviet invasion would knock Japan out of the war. At the summit in Potsdam, Germany, on July 17, following Stalin’s assurance that the Soviets were coming in on schedule, Truman wrote in his diary, “He’ll be in the Jap War on August 15. Fini Japs when that comes about.” The next day, he assured his wife, “We’ll end the war a year sooner now, and think of the kids who won’t be killed!”
The Soviets invaded Japanese-held Manchuria at midnight on Aug. 8 and quickly destroyed the vaunted Kwantung Army. As predicted, the attack traumatized Japan’s leaders. They could not fight a two-front war, and the threat of a communist takeover of Japanese territory was their worst nightmare.
1945年7月12日にモスクワにいた佐藤直武大使は、「無条件降伏が平和への唯一の障害である」と考え、ソビエト連邦に日本が受け入れ可能な降伏条件を調停するよう要請しようとした。しかし、ソビエト連邦が8月8日に参戦したことで、日本の指導者たちはすべてを変えた。
 連合国の諜報機関は、ソビエトの侵攻でもって日本が降伏するであろうことを数ヶ月前に報告していた。1945年4月11日、合同参謀本部の合同情報局職員は、「ソ連が戦争に参加すれば、絶対的な敗北は不可避であることを理解するだろう」と予測していた。
 トルーマンは、日本人が戦争を終わらせる方法を探していることを知っていた。彼は東郷に当てて送信された7月12日付け電報を傍受しており、そこでは「和平を求める日本天皇からの電報」を引用していた。
トルーマンはまた、ソビエト侵攻が日本を戦争から追い出すことを知っていた。7月17日、ドイツ・ポツダムでの首脳会談で、ソビエト軍が予定通り入ってくるというスターリンの確約に続けて、トルーマンは日記にこう書いている。 翌日、彼は妻に「私たちは1年早く戦争を終わらせ、子供たち殺されずにすむだろう!」と言った。
ソビエトは8月8日の真夜中に日本軍が占領する満州に侵入し、日本軍が自慢の関東軍を瞬時に破壊した。予想通り、攻撃は日本の指導者には大打撃であった。彼らは二面戦争を戦うことができなかった。そして日本領土の共産主義者による乗っ取りの脅威は彼らの最悪の悪夢となった。

Prime Minister Kantaro Suzuki explained on Aug. 13 that Japan had to surrender quickly because “the Soviet Union will take not only Manchuria, Korea, Karafuto, but also Hokkaido. This would destroy the foundation of Japan. We must end the war when we can deal with the United States.”
While a majority of Americans may not be familiar with this history, the National Museum of the U.S. Navy in Washington, D.C., states unambiguously on a plaque with its atomic bomb exhibit: “The vast destruction wreaked by the bombings of Hiroshima and Nagasaki and the loss of 135,000 people made little impact on the Japanese military. However, the Soviet invasion of Manchuria … changed their minds.” But online the wording has been modified to put the atomic bombings in a more positive light — once again showing how myths can overwhelm historical evidence.
Seven of the United States’ eight five-star Army and Navy officers in 1945 agreed with the Navy’s vitriolic assessment. Generals Dwight Eisenhower, Douglas MacArthur and Henry “Hap” Arnold and Admirals William Leahy, Chester Nimitz, Ernest King, and William Halsey are on record stating that the atomic bombs were either militarily unnecessary, morally reprehensible, or both.
 鈴木寛太郎首相は8月13日、「ソ連は満州、韓国、樺太だけでなく、北海道も占領するだろう。これは日本の基礎を破壊する。米国と取引し、戦争を終わらせなければならない。」と説明した。
大多数の米国民はこの歴史を知らないが、the National Museum of the U.S. Navy in Washington, D.C.,は、その原爆展示であいまいにその惨劇を「広島と長崎の爆撃による135,000人の人命殺戮は日本軍にほとんど影響を与えなかった。しかし、満州へのソビエトの侵略が彼らの考えを変えた。」と書いている。しかし、インタネット画面上では、原爆の役割ををより肯定的に宇垣出すべく修正されている。神話が歴史的証拠をどのように圧倒するかを示している。
1945年Seven of the United States’ eight five-star Army and Navy officersは、海軍の辛辣な評価に同意し、Generals Dwight Eisenhower, Douglas MacArthur and Henry “Hap” Arnold and Admirals William Leahy, Chester Nimitz, Ernest King, and William Halseyは、原爆は軍事的に不必要であったか又は、道徳的に非難されていたか、あるいはその両方だったとの言明を記録している。

No one was more impassioned in his condemnation than Leahy, Truman’s chief of staff. He wrote in his memoir “that the use of this barbarous weapon at Hiroshima and Nagasaki was of no material assistance in our war against Japan. The Japanese were already defeated and ready to surrender …. In being the first to use it we had adopted an ethical standard common to the barbarians of the Dark Ages.”
MacArthur thought the use of atomic bombs was inexcusable. He later wrote to former President Hoover that if Truman had followed Hoover’s “wise and statesmanlike” advice to modify its surrender terms and tell the Japanese they could keep their emperor, “the Japanese would have accepted it and gladly I have no doubt.”
Before the bombings, Eisenhower had urged at Potsdam, “the Japanese were ready to surrender and it wasn’t necessary to hit them with that awful thing.”
The evidence shows he was right, and the advancing Doomsday Clock is a reminder that the violent inauguration of the nuclear age has yet to be confined to the past.
Leahy, Truman’s chief of staffは、彼の非難に誰よりも反発した彼は回想録にこう書いている。「広島と長崎でのこの野蛮な武器の使用は、私たちの日本との戦争において物質的な助けにはならなかった。日本人はすでに敗北し、降伏する準備ができていた…。私たちはそれを最初に使用したときに、暗黒時代の野蛮人に共通の倫理基準を採用した。」
マッカーサーは、原子爆弾の使用は許されないと考えた。彼は後にフーバー元大統領に手紙を送り、トルーマンがフーバーの「賢明で政治家的な」忠告に従って降伏の条件を変更し、日本人に彼らの皇帝を守ることができるかどうかをたずねた。
爆撃の前に、アイゼンハワーはポツダム会談でで「日本人は降伏する準備ができていて、彼らにそんなひどいことで殴る必要はなかった」と促した。
証拠は彼が正しかったことを示しており、進行するDoomsday Clockは核時代の暴力的なはじまりがまだ過去にとじこめられていないことを思い起こさせる。
寄稿者プロフィール
Gar Alperovitz, author of “The Decision to Use the Atomic Bomb,” is a principal of the Democracy Collaborative and a former fellow of King’s College, Cambridge. Martin J. Sherwin is a professor of history at George Mason University and author of the forthcoming “Gambling With Armageddon: Nuclear Roulette From Hiroshima to the Cuban Missile Crisis.” Historians Kai Bird and Peter Kuznick contributed to this article.
「原爆使用の決定」の著者であるGar Alperovitzは、a principal of the Democracy Collaborative and a former fellow of King’s College, Cambridge.である。Martin J. Sherwinは、a professor of history at George Mason University教授であり、近刊の「ハルマゲドンとの賭け:広島からキューバのミサイル危機への核ルーレット」の著者だ。Historians Kai Bird and Peter Kuznickがこの記事に寄稿した。
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社会・政治問題ランキング

 8月7日に公表されたコロナ感染者数は東京で500人に近づきました。7月16日の国会参議院よさ人会で参考人として発言した児玉教授の予測どおりに事態は悲惨なシナリオを辿っているように見えます。そしてわが国の為政者は、それに対して有効な手立てを打つどころか、感染を東京などのエピセンタから全国に広げようとしています。その救い難い状況からの脱却のために元経済産業省官僚の古賀 茂明氏らがたちあがりました。したの動画はその発足にあたっての児玉東大教授による基調報告です。
フルオープン【8/1 18時〜 再配信】「来月になったら目を覆うことになる!」国会で証言した、東大先端科学技術研究センターの児玉龍彦氏が激白!〜7.21第1回集会 
28分ごろから


 上の動画で児玉氏が語る交差免疫(cross immunity)について米国大衆科学紙が書いていますので、その冒頭部分のみを抜粋し紹介しておきます:
%%%%%Common colds train the immune system to recognize COVID-19
普通の風邪が免疫系に作用してCOVID-19を認識せしめる

By Rachael Rettner - Senior Writer 3 hours ago
This existing immune system "memory" may explain why some people have milder COVID-19 infections.
Previous infections with common cold viruses can train the immune system to recognize SARS-CoV-2, the virus that causes COVID-19, according to a new study.
The study, published Aug. 4 in the journal Science, found that immune cells known as T cells that recognize common cold coronaviruses also recognize specific sites on SARS-CoV-2 — including parts of the infamous "spike" protein it uses to bind to and invade human cells.
This existing immune system "memory" may explain why some people have milder COVID-19 infections compared with others; however, the authors stress that this hypothesis is "highly speculative" and requires more research to confirm. That's because it's unknown exactly how big a role T cells play in fighting COVID-19 — T cells are just one part of a complex menagerie of molecules and cells that makes up our immune system.
"We have now proven that, in some people, preexisting T-cell memory against common cold coronaviruses can cross-recognize SARS-CoV-2, down to the exact molecular structures," study co-lead author Daniela Weiskopf, assistant professor at La Jolla Institute for Immunology in La Jolla, California, said in a statement.
既存の免疫システムの「記憶」が、一部の人々がより穏やかなCOVID-19感染ですませる理由を説明するかもしれない。
最近の研究によると、一般的な風邪ウイルスによる以前の感染は、COVID-19を引き起こすウイルスであるSARS-CoV-2を認識するように免疫システムを変えることができる。
Scienceジャーナルに8月4日発表された研究で風邪を認識するT細胞として知られている免疫細胞がコロナウイルスSARS-CoVの-2上の特定の部位である「スパイク」タンパク質を認識していることがわかった。その「スパイク」タンパク質は人間の細胞に結合し侵入する部位である。
この既存の免疫システムが保持している「記憶」は、一部の人々が他の人々と比較して重症化しないCOVID-19感染である理由を説明する。しかし、著者らはこの仮説は「非常に推論的」であり、確認するにはさらに調査が必要であることを強調している。これは、COVID-19との闘いにおいてT細胞が果たす役割が正確にわかっていないためだ。T細胞は、免疫システムを構成する分子と細胞の複雑な動物のほんの一部にすぎないからだ。
「一部の人々において、一般的な風邪コロナウイルスに対する既存のT細胞メモリーがSARS-CoV-2を正確な分子構造まで相互認識できることを証明した」と、Daniela Weiskopf, assistant professor at La Jolla Institute for Immunology in La Jolla, California は声明で述べた
%%%%%(以下省略、全文は冒頭のアドレスで)

+++++日本経済の方向
 世はコロナ不況です。日銀が大量にばら撒いた「お札」のほとんどは大企業の「内部留保金」に化けてしまい、トリクルダウンなんぞはどこぞの地球外の星の話です。内部留保金というものは、そもそもこうした経済危機に対応する「危機管理」策であったはずです。
%%%%%アベノミクス崩壊…企業の内部留保激増も家計には恩恵なし
 公開日:2020/08/05 06:00 更新日:2020/08/05 06:00
 アベノミクスは崩壊――。内閣府は景気拡大局面が2018年10月に終わり、後退に転じたと正式に認定した。拡大期間は第2次安倍政権が発足した12年12月〜18年10月の71カ月。戦後最大だった「いざなみ景気」(02年2月〜08年2月の73カ月)には届かなかった。政府は21年度のプラス成長を見込むが、新型コロナウイルス感染拡大は収束の兆しがなく、早期の回復は見通せない。

 政権発足時、安倍首相は「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の『3本の矢』で経済政策を力強く進める」と表明、経済最優先の姿勢を示した。

「第1の矢」として放たれたのが日銀の「異次元の金融緩和」だ。巨額のマネーを供給し、政権発足時に1万円前後だった日経平均は18年10月に2万4270円の高値を付けた。
 円安を追い風に、製造業を中心に最高益を記録する企業が相次ぎ、企業の内部留保(金融業、保険業除く)は12年度の304兆円から18年度には463兆円まで積み上がった。

 しかし、好調な企業収益が賃上げに回って個人消費が活性化する「経済の好循環」の勢いは弱いままに終わった。

 三菱UFJリサーチ&コンサルティングによると、物価上昇の影響を加味した実質賃金は、「いざなぎ景気」(65年11月〜70年7月)で年平均8・2%、「バブル景気」(86年12月〜91年2月)では1・5%とそれぞれ増えたのに対し、今回の景気拡大局面では0・5%減少。小林真一郎主席研究員は「多くの国民にとって実感の乏しい景気回復となった」と指摘する。

 ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎経済調査部長は、「アベノミクスが大失敗だったとは言えない。企業部門の収益が拡大し、設備投資も増えた。しかし、その恩恵は家計部門に波及しなかった。可処分所得が増えず、消費は盛り上がらなかった」としている。
一方、財政再建は後回しにされた。景気腰折れを恐れた政権は、14年4月に消費税率を5%から8%に引き上げた後、10%への引き上げを当初予定の15年10月から19年10月まで2度も延期。年々膨張する社会保障費が財政を圧迫した。「第2の矢」として財政出動を繰り返し、歳出削減は進まなかった。

 そこにコロナ禍が襲い、政権は総額200兆円超という空前の経済対策を打つ事態に陥った。12年度末に705兆円だった国債発行残高は、20年度末には964兆円と国内総生産(GDP)の1・8倍に膨らむ見通し。財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の榊原定征会長は「平時に財政健全化を進める重要性が再確認された」と指摘したが後の祭り。

 日本経済研究センターによる民間エコノミスト調査では、4〜6月期の実質GDPは平均値で前期比年率23・5%減と記録的な落ち込みが予想される。
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 アベノミクスの柱は日銀の量的緩和( Quantitative Easing)策に基づく大量の紙幣発行でした。一方で昨今の日銀の役割は株価支えです。それが日銀の役割か?という疑問と、その背景が以下の動画で語られています:

【週刊エコノミスト 経済の深層】中央銀行の罪 20200731収録


 米国での大いなる活躍を期待している大谷選手の腕は手術後の回復はいまだのようです。これも私がひいきにしているダルビッシュ選手が暖かいエールを送っています。両選手の活躍を心から期待しています。
%%%%%ダルビッシュ、大谷へ気遣いとエール「復帰して1、2年は普通じゃない状態になる」 8/7(金) 5:30配信
エンゼルスの大谷翔平投手(26)が5日(日本時間6日)のマリナーズ戦前、「右肘付近の屈筋回内筋痛」を発症後初めて取材に応じた。投手としての今季中の復帰は消滅。来季開幕から二刀流としての完全復活へ、覚悟をにじませた。右肘の同じ手術を受けた経験のあるカブスのダルビッシュ有投手(33)は、古巣・日本ハムの背番号11の後輩を気遣った。  15年にトミー・ジョン手術を受けたダルビッシュも、復帰後に何度もコンディション不良に悩まされた。「16、17年に4回くらい絶対、(じん帯が)また切れたと思うくらいの痛みがあった。復帰して1、2年は普通じゃない状態になる」。フォームを変えた影響で右肩や腰に不調を訴え、故障者リスト(現在の負傷者リスト)入りしたこともあった。  マイナーリーグが中止となった今季が復帰イヤーとなり「凄く調整が難しい。普通のトミー・ジョン手術から復帰した選手たちとは全く違うテーブルにいた。打撃もやらなきゃというのもある」と同情。苦境下で公式戦のマウンドに戻ってきたこと自体に「技術に絶対的な確信がない中で、いろんなものに勝ってあそこに立っている。そこはやっぱり凄い」と敬意を表した。  一方で今後、二刀流がプラスに働く部分もあるとし「僕たち普通の選手は駄目だったらシーズンが終わり。大谷君の場合は打者で貢献できるので、そこは凄く精神的には楽になるんじゃないかな」とエールを送った。  
%%%%%(杉浦大介通信員)

金子勝氏の消費税減税論、経済学者・安富渉氏、二人の中臣鎌子

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:朝の散歩道で見つけたカブトムシ。当家に連れ帰り林檎とバナナをあてがっています。このままだとあのメスはオールド・ミスになってしまうので、何とか連れいを探し嫁つがせたいと、ここ数日オスを探しています。例年であれば、一夏で十匹ほどの元気なカブトムシに遭遇するのですが、今年はコロナ蔓延の故か出会いません。カブトムシが高い確率で見つかる場所も毎朝おとづれるのですが、本年はやたらと腹をついばまれたオスのみが転がっています。なんとか彼らをカラスから救済したいものとおもっているのですが、うまくゆきません。)
甲8268


 梅雨明けて 閉じてた図書も 再開と 日射厭わず 距離歩く

 上の一首の解説は安倍氏関連記事の後に書きます。
 安倍氏の健康不安説が流れているとのことです。おもえば、13年前、突然に安倍氏が政権を投げ出したのが胃腸に関する難病の悪化とマスコミが報じました。しかし、その真相は安倍氏が自らの脱税疑惑によって検察取調べ逮捕から逃れるためであったという説が流布されていました。

(写真:http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/1134.html 本誌が追い詰めた安倍晋三首相「相続税3億円脱税」疑惑。拡大は図のクリックで)
200804脱税34234

 上の記事を思い出すならば、今般の「体調不良説」もそれに近いのではなかろうか、と私は想像しています。すなわち、政府高官筋が追い詰められた安倍氏を救出するべく意図的にリークした情報であろうと想像しています。新聞に掲載される「首相動静」によれば、つい先日も岸田政調会長とどこぞのホテルレストランで会食をしていたはずです。体調不良とは思えません。端的にいえば「仮病」であろうと疑っています。コロナという国難時には首相たるもの一身を投げ出して国民のために働く。これが期待される首相像です。
 安倍氏は敵のミサイル攻撃に対して先手を打てる装備を、と叫んでいます。先手を打ちそこなった場合は敵が我が日本列島に押し寄せてきます。そうした事態に、安倍氏が現今のように私邸に閉じこもってしまうか、どこぞの国外に逃亡してしまう姿しか、私には思い浮かびません。

%%%%%菅官房長官、安倍首相の健康不安説を否定 8/4(火) 12:28配信
 菅義偉官房長官は4日の記者会見で、安倍晋三首相の健康不安説について「私は連日お会いしているが、淡々と職務に専念しており、全く問題ないと思っている」と否定した。  首相は第1次政権末期に持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、約1年で退陣した経緯がある。  永田町では新型コロナウイルスへの対応が長期化し、豪雨災害も重なったため「首相が疲れている」との観測が出ている。4日発売の写真週刊誌「FLASH」は、首相が7月6日に首相官邸内の執務室で吐血していたとする情報を掲載した。
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 さて、本題に戻ります。やっと長い梅雨が明けました。それに時期をあわせたのか、行きつけの某A私立大学の図書館の再開です。やれ嬉しと、片道35分約六千歩の道を走るようにして出向(でむ)きました。ところがです。なんとここ数日のコロナ感染者の急増で、急遽予定されていた8月3日の再開日を8月末日に変更したと知らされました。がっくりであります。一月からですから、市民にとっては、なんと半年以上もの長き閉館です。
 この図書館には「新ペルシャ語大辞典」(黒柳恒男著、大学書林)が備わっています。私のブログ記事には欠かせない「必読」の書です。これは、あの国立国会図書館にもありません。この「大辞典」は、現代のペルシア語ばかりでなく、古代に使われていて、そのまま現代にも通用するペルシア語も所載されています。私は、調べたいペルシア語らしき言語を多数抱えて、かれこれ一年近くも「待ちぼうけ」状態です。というわけで、往復二里強の歩行による疲労と、「失望感」で昨日はブログ記事の更新気力が失せてしまいました。お許しください。
 この某A私立大学は近年、日本を代表するアスリートを多数輩出していることで知られています。彼らは五輪、ラグビーWcup,サッカーJクラブ等で活躍しています。しかし、そもそもは経済系の大学で、国立大学経済系を退官した研究者が教授として迎えられています。こうした先生方は退官に伴いおびただしい量の蔵書を持ち込むんですな。この大学の図書館では思いもかけない貴重な文献に出会うこともあります。
 今回の図書館再開で楽しみにしていたのが「貨幣の複雑さ」という本の閲覧でした。著者は昨年の参議院選挙比例区で「れいわ新選組」から立候補した安富歩・東大教授です。
東大教授本気の講義【貨幣の複雑性】人間社会の現象として現れる貨幣。経済学を静的なものではなく動的なものとして捉える。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。 

 多数の要素から構成されている「系」の挙動を調べるには、要素間の相互作用をしらべることになります。1個の元(要素)は自分以外のN-1個の元と作用しあいます。N 個のすべての元については相互作用の個数はなんとN!です。夫々について元(げん)のおかれた環境に依存する多用な相互作用が生起されます。その集大成をヒトは観察しているということになります。個々の相互作用を数式に書き下したとしてもその数式群は膨大で、それを丹念に解くことはできない筈です。そこで、その一部を切り取った上で、その挙動の時間的変貌をながめることになります。これがシミューレーションです。この発想を「貨幣」の出現に適用したと、上の動画で安富氏は語ります。どのような着想が出発点にあったのか、それを知りたく思った次第です。高安秀樹氏が、物理学の研究対象である複雑系を経済学に適用したとの話も聞きますが、安富氏の話はそれとは違うようです。某A私立大学の図書館の開館を心待ちにしています。

 世のエコノミスツ(複数形のつもり)の情報発信は「景気動向」という範疇でなされることが多いようです。そしてこの情報発信論議では時に地震予知が引用されます。すなわちほとんど「当たらない」という揶揄です。
 こうしたひねくれた視点が当てはまるのか否かは定かでありませんが、このところ金子勝氏があちらこちらで「消費税減税」は「日本を再び暗黒のデフレに導く」と叫んでいます。私が理解する「デフレ」とは、「物はあるけど、金がない」又は「供給はあるけれど需要がない」というきわめて安直です。この安直な理解にしたがって以下の金子氏の議論を考えてみました:
【金子勝の言いたい放題】常識を疑え!アベも言い出す消費税減税はデフレ不況をもたらす20200729
 金子氏はこれまで断片的に語ってきたこと(吼えてきたこと)を若干整理して語っています。しかし、それは従来の「咆哮」、そして、わかりにくさという点では大差ありません。7月19日記事で私の金子論への「反論」ではなく(素人の私にはアカデミックな反論のできようはずはありません)「感想」を書きました。
 金子氏の論点の一つは自民党若手100名ほどが「消費税減税」を言い出し、されに最近安倍氏自らもそれを口にし出している。「消費税減税」が近く予想される総選挙で自民党を利するからであると語ります。
 私は、これはおかしな議論と思っています。庶民の暮らし向きにとって良いことであるならば、それを誰が言い出そうと結構なことです。例えば、PCR検査について安倍氏は一日二万件(実際にはその半分にも満たないのが現状ですが)を目指すと叫んでいました。PCR検査を増やすことを安倍氏が言おうと児玉教授が言おうと、良いことは良いのです。私はこれを「左翼論法」と呼んでいます。

 金子氏にとっても自民党云々は瑣末なことで、どうやら業者が減税によって大きな損害を受けるということに力点を置きます。上の動画で持ち出した図は物価の下落です。金子氏にとっては物価の下落こそがデフレを危惧せねばならない最も明確な前兆であるとの認識を頻繁に強調します。そして、物価の下落の推移をずいぶんと大仰に強調し、以後の立論の伏線とします。しかし、しかし、物価の下落が庶民の購買力をそそる程ではないことについては金子氏は言及しません。
 金子氏は極端に言えば、今はデフレ状況に接近しているが、デフレではないと認識しているかのようです。物価の下落は、ものが売れない、すなわち消費が増えないことが原因です。したがってそれがデフレそのものと私には思えます。それは消費税増税がもたらしたからです。したがって消費税を維持することでいっそうのデフレ進行を押しとどめるとの議論立てには明らかに無理がある。と私は思います。金子氏の議論は「逆立ち論法」と、思います。これでは素人ですらも納得させられません。もうすこしその逆立ち論法を追ってみます。
金子氏の議論の出発点は消費税を5%に戻せば、業者の売り上げもその分減ってしまう。その減る分が業者いじめになる。という論法です。これが私にはわからない。それは当たり前のことだからです。ところが、この売り上げの減少分を製造元はひどく嫌うので、業者に売り上げ維持を迫る。だから末端業者はその圧力に負けて売り上げを伸ばすべく販売価格を低くする。結果として物価はさらに下落して、末端業者は自分の首を絞めることとなる。このシナリオがw託しには全くわからないのです。
 私はこの論法を聞いて想起するのが消費税導入時の議論です。まさに消費税はそもそもが末端業者をいじめる税制なのです。そこにこそ金子氏の視点が及ぶべきなのです。私に言わせれば、経済学者たるものが今そのことに気づいたのかと嘲笑したい思いであります。
 金子氏の議論は現在の10%消費税ありきから始まっていることがわかりました。個々の議論、すなわち金子氏が脳内で行っている「シミュレーション」には、論理的な説得力がないことを上の動画での言説は示しています。


+++++論理欠落の検察 
 安倍氏の体調不良が真実とすれば、その原因の一つがこの河井夫妻の選挙違反事件にあったのかもしれません。
%%%%%自民、河井夫妻の1.5億円「押収され関係書類ない」 党独自再調査は「困難」 8/3(月) 17:39配信
 自民党の林幹雄幹事長代理は3日、公職選挙法違反事件で起訴された前法相で衆院議員の河井克行被告と、妻で参院議員の案里被告がそれぞれ支部長を務める政党支部に、党本部から提供された1億5000万円について党独自の再調査が困難であるとの認識を示した。同席した二階俊博幹事長の記者会見で語った。「(支部側の)関係書類が(検察に)押収されていて、(政治資金を所管する)総務省に報告もできない状況だ」と述べた。  そのうえで林氏は「買収に使われるということは全くない。きっちりとは言わないが、大概は広報に使われている」と説明。二階氏も「買収資金なんてことはあってはならない。あれば事件になっているはずだ」と言葉を足し、改めて事件との関連性を否定した。
%%%%%【野間口陽】

 この違反事件についての検察の奇妙な対応を郷原弁護士が鋭く指摘しています。
5金映画スペシャル+α Part1】「法外の正義」どころか日本はまず「正義のイロハ」からやり直せ

参考:上の動画の後半【5金映画スペシャル+α Part2】「法外の正義」どころか日本はまず「正義のイロハ」からやり直せ

+++++上医師が語ります:
 医師の上昌広氏が現今のコロナ対策を鋭く批判しています。聞くところによると元大阪府知事の橋下徹氏がTV解説者である玉川徹氏を激しく論難しているとのことですが、橋下氏がまずするべきことは一月以来の自らの不適切な言説を省みることです。そもそも大阪の保険所を大幅に削減したのは橋下時代であり、それが大阪での医療体制困難に導いたのです。
Monthly日刊ゲンダイ【2020年8月号】ゲスト=上昌広氏(医療ガバナンス研究所理事長)/新型コロナウイルス/感染拡大/GoTo/PCR検査/第二波


+++++神・仏戦争
 そもそも、遠く西域からの渡来人とアイヌ一族との連合体が、奈良盆地の「大和朝廷」と一緒になって一人の天皇を戴くという政治体制が六世紀半ばには存在しなかったのです。一つの論拠は渡来人が北方経由で鹿島に進出しそこに拠点を構築したのが六世紀初頭であったことが明らかだからです。初めてこのブログ記事を読まれる方々のために付記するならば、それは古文書の恣意的な解釈ではなく、誰しもが検証できる地上の痕跡から導かれる「科学的」事実です。
 しかし、古事記・日本書紀が日本列島の「正史」として編纂された際には、編纂統括者の藤原不比等はそのようなことを渡来民の口誦者であった稗田阿礼から聞き知っていたはずですが、その事実は隠したのです。隠蔽による辻褄の綻びを「史実の改竄」と「事象生起時間の入れ替え」(最近の事件を昔におきたことにしたり、その逆をする)でもって繕ったのです。その具体的な事例がすでに書いた日本書紀編年にみられる天皇の「二重即位則」です。

 前回ブログ記事の末尾で、中臣鎌子が西暦552年、そして西暦644年に登場することを書きました。大学、あるいは博物館などで真っ当な日本列島古代史を学ぶ研究者にとっては、同一人物が100年近くも時を隔てて歴史に登場することはありえないと考えます。もちろん、これは史書がおおむね時間順に生起した事象を記載しているとの「史書」への信頼に基づいています。
 しかし、同一人物とすれば、疑うべきは「時間」ということになります。実際、日本書紀の編纂については、現ブログ管理人が指摘したような、重大な時間配列についての「改竄」とも言うべき「捏造が潜んでいるのです。
 そこで、二人の中臣鎌子が実は同一人物であると仮説するならば、二人の鎌子が登場する時代は時間的に離れていないという推論にわれわれを導きます。どうやら、552年の仏教伝来に端緒を持つ蘇我・物部二豪族の確執は実は六世紀半ばのことではなく、七世紀前半の事件であったのだろうと考えることが合理的です。仏教を礼(うやまう)よう欽明天皇から支持を受けた蘇我稲目が遭遇した事件をどのように理解するのか。それは、この事件の最終的な顛末を見た上で振り返りたいと思います。
 さて、この事実を念頭において日本書紀の記載を再度眺めておきます
 %%%%%2020年6月5日記事
崇峻天皇即位前紀用明天皇二年(五八七)秋七月。蘇我馬子宿禰大臣は諸皇子と群臣に物部守屋大連を滅ぼそうと謀る。泊瀬部皇子、竹田皇子、廐戸皇子、難波皇子、春日皇子、蘇我馬子宿禰大臣、紀男麻呂宿禰、巨勢臣比良夫、膳臣賀施夫、葛城臣烏那羅らは軍旅を編成し俱に進軍し、大連を討たんとする。大伴連噛、阿倍臣人、平群臣神手、坂本臣糠手、春日臣、も倶に軍兵を率いて、志紀郡から渋河家に到る。大連はみずから子弟と奴軍を率い。稲城を築いて而戦う。是こで、大連は衣揩朴枝間に昇り、如雨ごとく矢を射る。其軍勢強く家溢れる。皇子等軍と群臣衆は恐怖に怯弱え、三廻し退却する。
%%%%%
 この乱についてウイキは以下を書いています:
丁未の乱 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた内乱である。丁未の変、丁未の役、物部守屋の変ともいう。仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏が滅ぼされた。これから先、物部氏は衰退した。
経緯[編集]
587年7月、蘇我馬子は群臣と謀り、物部守屋追討軍の派遣を決定した。馬子は厩戸皇子、泊瀬部皇子、竹田皇子などの皇族や諸豪族の軍兵を率いて河内国渋川郡の守屋の館へ進軍した。 大和国から河内国へ入った蘇我陣営の軍は餌香川の河原で物部軍と交戦し、戦後の河内国司の言によれば双方合わせての戦死者は数百に上ったという。
守屋は一族を集めて稲城を築き守りを固めた。軍事を司る氏族として精鋭の戦闘集団でもあった物部氏の軍勢は強盛で、守屋自身も朴の木の枝間によじ登り雨のように矢を射かけ、大いに奮闘した。皇子ら追討軍の軍兵は恐怖し、退却を余儀なくされた。これを見た厩戸皇子は仏法の加護を得ようと白膠木を切り、四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努めると誓った。馬子は軍を立て直して進軍させた。
迹見赤檮が大木に登っている守屋を射落として殺し、総大将を失った物部軍は総崩れとなる。この好機に追討軍の寄せ手は攻めかかり、守屋の一族らを殺し、結果守屋の軍は敗北して離散した。
生き残った守屋の一族は葦原に逃げ込んで、ある者は名を代え、ある者は行方知れずとなった。
この結果、蘇我氏は親子二代に渡って対立してきた宿敵・物部氏の勢力を中央から完全に排除することに成功し、厩戸皇子と連携して更に権勢を強めていく。また、物部氏を中心としていた仏教反対派の発言力が衰え、仏教の国内浸透も本格化していくこととなった。この頃、厩戸皇子は摂津国に四天王寺を建立した。物部氏の領地と奴隷は両分され、半分は馬子のものになった。馬子の妻が守屋の妹であるので物部氏の相続権があると主張したためである。また、半分は四天王寺へ寄進された。
八尾市南太子堂には迹見赤檮が物部守屋を射たときの矢を埋めたとされる鏑矢塚[1]、その南西には弓を埋めたとされる弓代塚がある(迹見赤檮発箭地史蹟、とみのいちいはっせんちしせき)[2]。
%%%%%

(つづく)

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感染急増、神仏戦争(2、蘇我稲目)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:感染者数の推移. 東京の新規感染者は463人と小池都知事 7/31(金) 14:06配信
東京都の小池百合子知事は31日の定例記者会見で、新たに報告された新型コロナウイルスの感染者数を463人と述べた。拡大は図のクリックで)
200731感染者b無題


 二週前 国会で学者の 予想に ドンピシャリ コロナ感染
 
 7月16日の休会中の国会参議院予算委員会で参考人陳述をした児玉龍彦教授は、二週後、一月後の感染者の急速な増加を予測しました(7月16日記事動画)。事態はその予測どおりに深刻な事態に突入しています。本日の感染者数は一気に400名の半ばを突破しました。今後の推移を思うと暗澹たる思いであります。

 この深刻な事態の打開に何がしかの手立てを講ずるべくリーダシップを期待されている日本国の愚昧首相はあいも変わらず、国民の前から姿を消したままで、深夜になると高級料亭、レストランに現れるのだそうです。
%%%%%「新型コロナ最悪事態」知ったこっちゃない!安倍首相 国民の前から姿消し連夜の会食 2020年7月31日 11時53分  J-CASTテレビウォッチ
新型コロナウイルスの新規感染者数がきのう30日(2020年7月)は、全国でこれまでの最多を2日連続して更新して、各地の知事が警報を発し、休業や会食の自粛を要請するなか、安倍首相が6月18日(2020年)の国会閉会後、国民向けの記者会見を一度も行っていない。
キャスターの立川志らく「なぜ会見しないのかを聞きたいが、出てこないから聞けもしない」
アン ミカ(モデル・タレント)「こんな事態でも国のトップが姿を見せないのは、世界にないですよ。哀しい。トップの気概や姿勢を示すことが大事で、出てこないと保身と誤解されますよ」
山崎大祐(「マザーハウスカレッジ」主宰)「出ると説明できないことがあるから、出ないんですよね。毎日会見を開いている自治体トップとの差が激しい」
アベノマスクやGo Toキャンペーンでもたつき通しの点を質問されるのを避けているのだろうか。
政権延命で頭いっぱい!国内最多感染者の昨夜も岸田政調会長と政局話
東京都の小池百合子知事は「一刻の猶予も許されない」と、感染拡大特別警報を発し、沖縄県の玉城デニー知事は那覇市の飲食店に休業を要請、千葉県の森田健作知事も「多人数の会食を控えて」と呼びかけた。
そんなきのう夜、安倍首相は東京・丸の内のパレスホテル東京の日本料理店「和田倉」で自民党の岸田文雄政調会長と2時間会食していた。内閣改造や総選挙の政局めいた話と観測されるが、こうした会合は7月に入って5回目で、11時間もかけている。
新型コロナウイルスは国内で蔓延し始めた3月にも連夜の会食で、対策は後手後手に回った。安倍首相にとっては、国民の生命や健康より、政権延命が最優先なのだろう。
%%%%%

 この体たらくに東京都医師会長が激怒していると報じられています。
%%%%%首相の“逃亡”に都医師会長激怒 野党も臨時国会召集要求へ 公開日:2020/07/31 14:50 更新日:2020/07/31 14:58

(写真:緊急会見で危機感をあらわに、具体的な項目を上げ、はっきりと言及する東京都医師会の尾崎治夫会長(C)共同通信社,拡大は図のクリックで)
200731感染者医師会無題

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。東京都では30日、過去最多の367人の新規感染者が確認された。31日はさらに更新し、463人ということもすでに分かっている。

 もはや待ったなしの状況だが、「今が最後のチャンス」と危機感をあらわにし、政府に「今すぐ国会を開け!」とブチ切れたのが、東京都医師会の尾崎治夫会長だ。コロナ対策の前線に立つ医師からの異例の“物言い”。安倍首相はこれ以上、逃げるのは無理だ。

  ◇  ◇  ◇

 30日、緊急会見に臨んだ尾崎会長は、「新型コロナウイルス感染症の今後の対応」として、「エピセンター(感染の震源地)に対する施策」や「PCR検査の拡充」など5項目を掲示。都内のPCR検査拠点を8〜9月に、1400カ所に拡充すると表明した。

 さらに、エピセンター対策については、「このまま休業を『お願い』する形では、日本全体が感染の火だるまに陥っていく」と問題視し、「法的拘束力を持った補償を伴う休業要請を、限定地域で期間(14日程度)を定めて行うべき」と発言。休業要請に拘束力を持たせるため、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正の必要性にまで、はっきりと言及した。

 終始厳しい表情だった尾崎会長が会見終盤に掲げたフリップは、〈良識ある国会議員の皆さん〉と題され、〈コロナウイルスに夏休みはありません。一刻も早く国会を開いて、国が出来ること、しなければいけない事、国民に示し、国民を安心させてください〉と記されていた。
野党4党は臨時国会召集の要求で合意
 これに、SNSでは〈安倍晋三さん、逃げないで出てきて下さい〉〈これでも安倍政権は国会を開かないのか?〉といった声が続出。立憲民主党など野党4党の党首も30日、憲法53条に基づき臨時国会召集を要求することで合意。31日、衆院議長を通じて政府に求めた。

 そもそも、通常国会は野党の会期延長要求を与党が拒否して閉会。週1回の閉会中審査でお茶を濁し、安倍首相も「求められれば説明責任を果たす」と言っていたのに、結局、予算委にすら出てこなかった。この間、「Go To トラベル」「ワーケーション」など愚策を打ち出し続け、ロクな対策をとってこなかったうえに、安倍首相は1カ月半近く国会出席から逃げ続けてきたわけだ。現場の医師から“国会を開け”とお叱りを受けてなお、逃げ続けることができるのか。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。

「与党は2017年にも、野党から憲法53条に基づく国会の開会要求を受けましたが、徹底的に無視しました。ところが、この憲法53条による国会開会要求を巡っては、那覇地裁が今年6月、『内閣には国会召集義務がある』と判決を出した。そこに今回、さらに医師会の要求が重なったわけです。中身は『検査体制の拡充』『休業要請と補償』と、先進国が取っているコロナ対策と同様で、まっとうなものだと思います。これを無視するようでは、国民の命の軽視とみられても仕方ありません。政権トップの安倍首相自ら、国会を開き説明すべきです」

 説明責任を果たせないなら、退陣してもらうしかない。
%%%%%

+++++米中緊張
世界の二大大国の関係が危機的状況です。その背景について孫崎氏が以下を語っています。
 %%%%%拡大する格差 米中対立激化の背景にある経済力逆転の構図 公開日:2020/07/31 06:00 更新日2020/07/31 06:00
 米中関係が緊迫している。

 米テキサス州ヒューストンの中国総領事館について、ポンペオ国務長官が「スパイ活動と知的財産盗用の拠点だった」と位置づけ、その閉鎖を求めたことに中国政府が反発。四川省成都の米国総領事館閉鎖を要求した。

 ポンペオ長官はまた、「中国共産党政権の野望は、共産主義による世界的覇権の確立だ」と言い、さらに「1972年に米中国交を樹立したニクソン氏が始めた関与政策は中国に変化をもたらさず、むしろ国際社会を脅かす存在になった」として対中強硬路線への転換を強調。この演説をあえてニクソン大統領の記念館で行ったのである。

 なぜ、こうした現象が起きているのかを見極める必要があるだろう。

 米国の支配階級層は今、米国は中国に追い抜かれる――との強い危機感を持っている。日本では、中国の経済発展にはほとんど肯定的評価がなく、歪んだ像しかないが、米国は中国の実態をある程度、正確に把握しているので危機感が強いのだ。
 米情報機関のCIAのサイト「ワールド・ファクトブック」は、各国の経済力比較を掲載している。ここでは、比較に購買力ベースGDPで、中国を25兆3600億ドルとし、米国を19兆4900億ドルと記載している。新型コロナウイルスの感染下にあって、中国の第2四半期は3・2%の成長を記録し、他方、米国経済は歴史上最悪の状態の中にあり、格差は拡大している。

 日本国民の多くは、依然として中国の技術は遅れているとの認識を持っているが、次世代の経済活動を大きく変えるとみられる通信設備5Gでの特許は圧倒的に中国が保有し、米国の保有は少ない。

 また、英科学誌ネイチャーは、主要科学誌に2019年に掲載された論文数などにもとづく研究機関の研究力ランキングを発表しているが、トップは中国科学院で、米国のハーバード大学は2位である。もはや、量、質両面で中国経済が米国経済を抜く局面にきているのだ。

 おそらく米国は経済競争で中国に勝てない。この状況に危機感を持つ米国が、同盟国を引き込み、政治力で逆転させようとしているのが、今日の姿なのである。香港問題、南シナ海問題、総領事館問題、すべてがここに帰着する。
%%%%%
 一方、中国の現在の技術力について、かって後藤田正晴氏の側近として世界を駆け回っていた朝堂院大覚氏は次のように語ります。
%%%%%スパイ天国 リニアモーターの先端技術を中国に売った売国奴は誰か? 2020-07-30

https://www.youtube.com/watch?v=1bQDAsdOEis&t=1810s

+++++最近の重要トピックス
 検察庁は菅原前経産大臣による公職選挙法違反に関する市民の告発を不起訴としました。反発した市民はそれを不服として検察審査会への申し立てをしていましたが、検察は手続き上の理由をたてに受理を拒否していました。一旦は市民からの告発に「不起訴」を決め、さらには検察審査会への申し立てすらも受理しないという、理不尽な対応をしてきました。それに対して郷原信郎氏がことの理非をといて再度検察審査会への申し立てをしたところ、検察は不承不承それを受理したとのことです。
 五月半ばの検事長定年延長問題で、検察OBは立派な対応をし、正義を守りました。と思ったのはどうやら勘違いであったようで、その権力の忖度する体質に変わりはなかったようです。

【/原前経産大臣不当不起訴、検審申立受理!◆崚豕五輪1年前イベント」池江選手登場のデタラメは「桜を見る会」と同じ構図!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#26 

+++++神・仏戦争(2)
 百済の聖明王から仏教・経典、仏像などを献上された欽明天皇(十三年)は、「未だ曾(か)って是の如き微妙之法(おしえ)を聞くことを得ず」と、感銘を受け、その法を国のよすがの一つにしたいとの意向を語るも、自らはそれを決せず、側近である蘇我大臣稲目宿禰、物部大連尾輿・中臣連鎌子にその取り扱いを諮りました。
 重臣の一人は蘇我大臣稲目宿禰です。名前から想像できることは「サカ」族に出自を持つ人物です。「稲」なる漢字を併せ付されているので、「倭国」(奈良の大和政権は「蝦夷」と蔑称)の一員として連合する「アイヌ」一族との連絡・調整を担当していたと「想像」できます。
「稲」はアイヌ人の信仰を表象する家庭内に祀られた「イナウ」に由来します。常陸国風土記・「信太郡」の条は、筑波山腹の「飯名」(いいな)社と、その原祠(現在の龍ヶ崎市にその痕跡がある)に言及します。この原祠の東は現在の稲敷市です。「稲敷」を付した人物は日本書紀にはしばし場登場します。八世紀初頭奈良盆地に拠点を置いた「大和朝廷」によって「いなう」を「稲」で以って漢字表記するところから原祠はどうやら「稲荷信仰」に「拵え上げ」られたと私は考えています。
こうして出来上がった新興宗教である稲荷信仰を、八世紀中庸以降、時の中央政権は自らの宗教政策に組み込むばかりでなく、それを権威付けるために何がしかの神を割り当てます。それが例えば、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。こうした背景があるので、この神は大和朝廷の側の神として位置づけられ、武甕槌命が征討したとされる神々の中に含まれていないことになります。
日本書紀巻二(神代紀下)は
「於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命」(岩波文庫「日本書紀(一)」120頁)
 と、書きますがここには本来であれば征服されたはずの「アイヌ」一族の信仰を思わせる神が含まれて不思議はないのです。が、その神を連想させる神がいないことに注意を払うべきと考えています。
さらに日本書紀巻二(神代紀下)は
「天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。」(岩波文庫「日本書紀(一)」136頁)
 と、書きます。
 結局、主要な敵でかつ執拗な抵抗をした天津甕星、亦名天香香背男が退治され、新たにその怨霊を鎮める為の「斎」なる理念(新宗教)が構築されます。それに基づいてまずは主要な柱としての「天照大神」が構想され、上に書いたようにかっては天香香背男に共同していたアイヌ一族の信仰を、ゾロアスタ教一派から切り離して稲荷信仰をこしらえ上げたのです。常陸国風土記・信太郡の条は、いまだ稲荷信仰が世に出ていなかった時代の状況を垣間見せていると考えています。

 蘇我大臣稲目宿禰なる人物が実在したか否かは問題ではなく、藤原不比等が日本書紀編纂上での宗教改革(宗教創建)に当たって構想した筋書きを支える人物であったのです。この名前は、サカ一族とアイヌ信仰一族の名前をかぶせられています。その暗意としては「かって同盟関係にあった二つの派の一つを取り込む」ことにあったのだと想像しています。もちろん、その時代は八世紀末であって、日本書紀編年に従う六世紀半ばのことではないはずです。

 さて次に登場するのが、中臣連鎌子なる人物です。どこかで聞いたことのある人物です。それは日本書紀皇極天皇三年紀です:
《皇極天皇三年(六四四)正月乙亥朔》三年春正月乙亥朔。以中臣鎌子連拝神祗伯。再三固辞不就。称疾退居三嶋。』于時軽皇子患脚不朝。中臣鎌子連曾善於軽皇子。

 この人物は、皇極天皇三年(六四四)に中臣鎌子連が登場します。もし欽明天皇十三年(552年)に登場した人物と同一とすればその齢は92歳を超えています。
日本書紀研究者もさぞかし困ったことでしょう。岩波文庫「日本書紀」(三)で欽明紀の校注者は
 「当時の中臣氏の中心人物か。ただし中臣氏系図に引く延喜本系帳には鎌子の那覇見えない」(301頁)とあります。一方岩波文庫「日本書紀(四)」皇極紀の校注者は
「鎌子の初出。後に鎌足として現る。美気古の長子。推古二十三年の誕生であるからこの時三十一歳。このところ三年正月朔とあるが事実はかなり以前からのものをまとめて書いたものである」(215頁)。
 鎌子なる人物が宗教戦争の契機となった事象で登場することに藤原不比等によって仕掛けられた何がしかの暗意があると考えています。
(つづく)

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アラスカ地震(22 July),検察審査会回避(郷原氏)、神仏戦争(1、円生の落語)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:7月22日のアラスカ巨大地震(Mw7.8)の震央位置。下はアラスカの真上から地球を眺めた際の北半球の巨大地震の分布)
200728アラスカb無題

 アラスカの 半島ゆする 大地震 地球の知見 これにて増大す

 アラスカ半島と周辺は日本列島と同じく巨大地震の"産地"です。震央からは、居住地が最短でも96kmと離れていたせいでしょうか、幸いにして震害、津波災害は小さかったようです。しかし、地球物理研究者にとっては、こうした巨大地震は普段では手にできないような情報を得る機会です。今頃、計算機をぶん回して、震源域での岩盤の破壊形状を算出したり、震央近くの現場調査から何がしかの前兆現象、余効現象を求めて、研究者たちが歩き回っていることでしょう。
 
 以下は、米国科学誌からの速報です。
%%%%%Powerful 7.8-magnitude earthquake strikes off Alaska coast
 By Jeanna Bryer - LiveScience Managing Editor 12 hours ago
A 7.8-magnitude earthquake struck off the Alaskan coast on July 22, 2020.
(Image: c USGS)
200722Alaskan_a無題

A powerful 7.8-magnitude earthquake struck off the coast of Alaska, south of the Aleutian Islands, Tuesday night (July 21) local time, prompting fear of a tsunami, the U.S. Geological Survey reported.
The earthquake hit at 10:12 p.m. local time (2:12 a.m. ET on July 22, or 06:12 UTC) about 65 miles (105 kilometers) southeast of Perryville, Alaska, and 528 miles southwest of Anchorage. The tsunami warning, which had been issued for areas in south Alaska, the Alaska Peninsula and the Aleutian Islands, was later canceled.
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The shaking happened when one block of Earth's crust on the seafloor slid on top of another, in a process called thrust-faulting. In this case, the sliding happened on or near a subduction zone where the Pacific plate is slowly diving beneath (or subducting) the North American tectonic plate, according to the USGS. Thrust-faulting events similar to today's Alaska quake typically happen over an area about 75 miles long by 31 miles wide (120 by 50 kilometers), the USGS said.
The entire area is called the Alaska-Aleutian subduction zone, where earthquakes are relatively common. Since 1900, six other earthquakes of at least a magnitude 7 have struck within 155 miles (250 km) of today's event. The largest of these, a magnitude-8.2 earthquake, struck on Nov. 10, 1938, at almost the exact location of today's quake, the USGS said. The second-largest temblor recorded by modern seismic instruments happened in this subduction zone (but farther away from today's quake), triggering a magnitude-9.2 earthquake on March 27, 1964; that quake produced a small tsunami, but its remote location meant there was little impact on people or infrastructure in the area, the USGS said.
Today's quake is considered shallow at about 17 miles (28 km) deep. "Anything below 70 kilometers is considered a shallow quake," CNN meteorologist Allison Chinchar previously said. "That's important, because shallow earthquakes often cause the most damage, compared to the ones that are deeper, regardless of the strength."
Earthquakes with a magnitude above a 7.6 and that are also shallow and happen due to thrust-faulting are more likely than other types of quakes to trigger tsunamis, according to the USGS. Today's earthquake would be considered a shallow one, as the rupture occurred about 6 miles (10 km) deep.

文意:
アラスカ沿岸を襲った7.8マグニチュードの強力な地震
Jeanna Bryer - LiveScience編集長 12時間前

2020年7月22日にアラスカ海岸を襲ったマグニチュード7.8の地震。
米国地質調査所によると、火曜日の夜(7月21日)現地時間の7月21日(現地時間)に、アリューシャン列島南部のアラスカ沿岸で7.8マグニチュードの巨大地震が発生した。
地震は現地時間の午後10時12分(7月22日東部標準時午前2時12分、またはUTC 06:12)に発生し、アラスカ州ペリービルの南東約65マイル(105キロメートル)、アンカレッジの南西528マイル遠方であった。津波警報はアラスカ南部、アラスカ半島、アリューシャン列島に向けて発行されていたが、その後中止された。
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揺れは、海底にある地殻内の、逆断層運動と呼ばれるプロセスで発生した。USGSによれば、太平洋プレートが北アメリカプレートの下でゆっくりと潜っている(または沈み込んでいる)沈み込み帯の上または近くで滑りが起きた。USGSによると、今般のアラスカ地震の断層は、長さ約75マイル、幅31マイル(120 x 50キロメートル)の領域で発生したと見積もられている。
この地域全体はアラスカアリューシャン沈み込み帯と呼ばれ、地震が活動は高い。1900年以降、少なくともマグニチュード7の6つの地震が、今日の震央から155マイル(250 km)以内に発生している。USGSによると、これらのうち最大のマグニチュード8.2の地震が、1938年11月10日に今日の地震のほぼ同じ場所で発生した。現代の地震計によって記録された2番目に大きな地震は、この沈み込み帯で発生した(ただし、今日の地震から遠い)。1964年3月27日にはマグニチュード9.2の巨大地震を引き起こした。一方、今般の地震は小さな津波を引きおこしたが、離れた場所での地域の人々やインフラへの影響がほとんどなかったとUSGSは言った。
この地震は深さ約17マイル(28 km)と浅い。CNNの気象学者であるアリソンチンチャー氏は、「70 km未満は浅い地震と分類されている」と語った。「こは重要だ。なぜなら、浅い地震は、強度に関係なく、より深い地震と比較して、最も大きな被害をもたらすことが多い。」
USGSによると、 7.6を超えるマグニチュードの地震と、逆断層が原因で発生する浅い地震は、他の種類の地震よりも津波を引き起こす可能性が高いとされている。破壊は深さ約6マイル(10 km)で発生したため、今日の地震は浅い地震であった。
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この地震の幾何学的情報を以下にまとめておきます。
発震時 2020 722 6: 54.84 -159.27:
P-vect(震央の地球固定座標系から見た位置ベクトル)=-0.5386-0.2038 0.8175;
vctr1(P軸成分,SEU-座標系)= 0.7805 0.4126 -0.4696;
vctr3(T軸)= 0.4158 0.2182 0.8829;
vctr2(N-軸、モーメント回転軸)= 0.4668-0.8844-0.0013;
fixed Earth(地球固定座標から見たモーメント回転軸)=-0.6693 0.6923-0.2698;
eigen(固有値)= -7.3695 -0.0705 7.4340;
NonDC(非DC成分)= -1.0
 最適な節面の幾何学上方
fai,dip,rake(面1): 241.9401 16.9943 89.7549,
     (面2): 62.1965 73.0058 90.0749
 P波到達時から計算される震源位置とCMT解がもたらす震源域の比較は、地震物理学の貴重な情報の一つですが、ここでは詳論をしません。いずれ別の機会に考察します。

 今般の地震を含む世界の巨大地震について、いくつかの情報を下に示しておきます。
 (図2:最近80年間の世界の巨大地震。上は1940年代から先日7月22日までのMwが7.8以上の巨大地震の発生の時間系列(時間原点は2011年3月11日を0としている)。棒の長さがMwを表している。特に青はMwが9を越える地震。下は月別の巨大地震発生件数を南反響と北半球ごとに図示s手いる)
200728アラスカa無題

  上の図,埜ると1960年代後半から2000年ごろまでの期間、巨大地震の発生頻度が小さく、2004年のスマトラ地震以後、巨大地震の発生頻度が高くなっているように見えます。
 下の図△蓮月ごとの地震発生数です。北と南の夫々の半球で、明瞭に異なっていることに注目してください、どちらの半球にあっても冬至の時期に巨大地震の発生が多いことは興味深いことです。カイ二乗値はこの分布(冬至に多い)がランダムではなく統計的に有意であるらしいことが示唆されます。さてそうなると、この分布に導く地球力学とし手どのようなモデルを作れるのでしょうか?老いぼれの私の能力を超えています。

 菅原元経済産業大臣の公職選挙法違反について弁護士の郷原信郎氏が重大な指摘をしています:
%%%%%菅原前経産相不当不起訴の検察、告発状返戻で「検審外し」を画策か
 以下の動画出もこれに言及しています。
日本の権力を斬る #24


+++++神・仏 戦争
 男大迹命(漢風諡号 継体天皇)の古代史登場は西暦507年、その二十一年後の西暦528年に男大迹命は磐井の乱を制したと日本書紀は書きます(日本書紀巻十七)。さらに二十四年後の西暦552年、欽明天皇十三年紀に以下の記述があります。日本列島への仏教伝来を伝える記事として知られています。ただし、中学・高校の「日本史」の授業では仏教伝来は538年と教えられました。それにはいろいろな考察と後世に作られた「藤原家伝」などの文書記載との整合性が考慮された結果です。本ブログは日本列島古代史を学ぶ「原典」にできるだけ忠実でありたいとの「方針」に基づき、以下の原典を辿っておきます。ただし、いささか長いので途中しばしば中断することをお許しください:
%%%%%《欽明天皇十三年(壬申、五五二)十月》冬十月。
原文:
百済聖明王〈 更名聖王。 〉遣西部姫氏達率怒唎斯致契等。献釈迦仏金銅像一躯。幡蓋若干・経論若干巻。別表、讃流通・礼拝功徳云。是法於諸法中、最為殊勝。難解難入。周公。孔子尚不能知。此法能生無量無辺福徳果報。乃至成弁無上菩提。譬如人懐随意宝。逐所須用。尽依情。此妙法宝亦復然。祈願依情、無所乏。且夫遠自天竺。爰三韓。依教奉持、無不尊敬。由是百済王臣明謹遣陪臣怒唎斯致契。奉伝帝国。流通畿内。果仏所記我法東流。是日。天皇聞已、歓喜踊躍。詔使者云。朕従昔来、未曾得聞如是微妙之法。然朕不自決。乃歴問群臣曰。西蕃献仏相貌端厳。全未曾看。可礼以不。蘇我大臣稲目宿禰奏曰。西蕃諸国一皆礼之。豊秋日本豈独背也。物部大連尾輿。中臣連鎌子、同奏曰。我国家之王天下者。恒以天地社稷百八十神。春夏秋冬、祭拝為事。方今改拝蕃神。恐致国神之怒。天皇曰。宜付情願人稲目宿禰。試令礼拝。大臣跪受而忻悦安置小墾田家。懃脩出世業、為因。浄捨向原家為寺。』於後国行疫気。民致夭残。久而愈多。不能治療。物部大連尾輿。中臣連鎌子、同奏曰。昔日不須臣計、致斯病死。今不遠而復。必当有慶。宜早投棄。懃求後福。天皇曰。依奏。有司乃以仏像、流棄難波堀江。復縦火於伽藍。焼燼更無余。於是天無風雲、忽炎大殿。
 
文意(大変長い記事ですので、一部は省略します、岩波文庫「日本書紀(三)」298頁より)
百済聖明王〈 更名聖王。 〉が西部姫氏達率怒唎斯致契等を遣して釈迦仏金銅像一躯、幡蓋若干・経論若干巻を献した。別に讃流通・礼拝功徳云を書板文書を添えた。そこには
「是法於諸法中、最為殊勝。難解難入。周公。孔子尚不能知。此法能生無量無辺福徳果報。乃至成弁無上菩提。譬如人懐随意宝。逐所須用。尽依情。此妙法宝亦復然。祈願依情、無所乏。且夫遠自天竺。爰三韓。依教奉持、無不尊敬。由是百済王臣明謹遣陪臣怒唎斯致契。奉伝帝国。流通畿内。果仏所記我法東流。」(ブログ管理人注:釈迦仏の有り難味を書き連ねてありますが、長いので文意を付することを省略します)
と、書かれていた。
是日、天皇はそれを聞き、歓喜踊躍し使者に詔して云った「朕は昔より是のような微妙之法を未だ聞いたことはない。しかし、朕は直ちに受け入れを決めようとは思わない」と。そこで群臣に問う「西蕃から献上された仏の相貌は端厳で、未だ曾看たことがない。礼を以て受け入れ塚それともそうではないか」と。
蘇我大臣稲目宿禰奏して曰く「西蕃諸国は皆これを敬っている。豊秋日本だけがどうして一人それに背くことができようか」と。
物部大連尾輿、中臣連鎌子は口をそろえて奏して曰「我国家之天下の王は、恒以天地社稷百八十神を春夏秋冬にあって祭拝為事をしてこられている。今それを改めて拝蕃神することは恐れおおく、致国神之怒を買う」と。
天皇曰「それでは、とりあえず、稲目宿禰に試みに礼拝してもらおう。」大臣は跪いてそれをうけたまわり、悦んで小墾田家に安置し懃脩出世業とする。さらに向原家を寺とする。その後、国には疫気が流行し民は若死にをすす。それが時と友に愈多くなり、治療不能となる。
物部大連尾輿。中臣連鎌子、が口をそろえて奏して曰く「昔日このようなことがあり、致斯病死がでた。今のうちに以前のように戻すならば。必ずや慶キ状態になる。できるだけ早く投棄てて、後福を懃求べき。天皇曰「その奏に従おう」といい、有司は仏像、難波堀江に仏像を流棄した。さらには伽藍に火をはなち焼燼す。天に風雲無医にもかかわらず大殿忽炎す。
%%%%%
 
 これが、「神・仏の乱」の端緒です。余談ですが、上に登場するエピソードが円生の落語のネタになっています。
6代目三遊亭圓生『御神酒徳利』-rakugo-  40分ごろに上で記述されるエピソードが引用されます。

 もう一つ、この落語は日本列島住民の「宗教観」を見事に言い当てる言辞を含んでいます。それは「祟る神」です。「祟るからこそご利益がある」。これぞ民の宗教観です。言葉を変えれば、「神」は民の心情に反応するのです。一方、仏教はどうか?たしかに「仏罰」という表現がありますが、それを避けるための祭事はありません。一方の「神」については、毎年一回は神のご機嫌をとるために「神輿」に乗せて俗世間を見物させ、場所によっては船に載せて遊覧までします(渡船の儀)。
 三十五年後の西暦587年の直説的な衝突をこれから書きますが、上で書いた記事にはさらに二三留意すべきことがあります。
(つづく)

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そもそも総研(PCR検査)、上・郷原対談(PCR) ,無能を露呈する安倍氏

(記事の更新は当面不定期です。ご意見は ryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
 安倍氏関連の記事が重なってしまったので、「天智天皇」シリーズを休載します。一年ぶりにアラスカでM7.8の巨大地震が発生したのでそのことも書こうと思っていましたが、長くなりますので次回に書きます。さらには、発足以来応援してきた「令和新選組」の一幹部の「除籍」問題についても触れておかねばならないところです。が、まさに「除籍」問題の引き金となった「生きる価値」に関わる問題をめぐって、二人の医師による「身体障害者」の安楽殺人が起きてしまいました。現ブログ管理人には論評を直ちにできない難題となっています。本日飛び込んできたニュースによれば、創価学会を離脱した野原善正氏(昨年の参議院選挙・東京選挙区候補者)が本日令和離党宣言を本部に送付したとのことです。何とか党解体なぞという事態にならぬよう願っています。
 
(写真:当地では珍しいショットです。普段の青鷺は一匹狼ならぬ一羽“鳥”状態なのですが、なんと家族連れです。下は父(トウ)ちゃんが子供を食わせるべく働きに出ようという英姿であります。拡大は図のクリックで)
家族8215

飛青鷺8212


後世に 残る業績(レガシイ) 作らんと ヤラセあれこれ すべて実らず

 上記一首は安倍氏の現今の苦悩を詠ったものです。関係するいくつかの記事はPCR検査関連記事の後にいくつか転載します。

+++++PCR検査が拡大しない理由はいずこ?
 さて、現時点で感染を食い止めるために最も緊急で重要なことはPCR検査の大幅な拡大です。安倍氏は三月ほど前に一日三万件可能とするよう早急に対策すると大見得を切りました。が、現時点でやっとその半分です。検査拡充によって感染実情がより正確に把握でき、かつ非感染者の社会経済活動は保証できます。そうなれば、日本経済活動への打撃も少なくてすむはずです。ところが、いまだにそれが進まない現状は長く謎でした。
 TV朝日の朝の番組で玉川徹氏がこの問題の背後を探るべく調査し、現時点での調査結果が金曜日の朝の番組で放映されました。
 ここで語られていることがPCR検査が拡大しない理由のすべてとは思い難いのですが、国の機関の「人権侵害」への批判を避けたいとの気分があることがわかりました。
%%%%%そもそも総研、PCR検査が拡充しないのは人権侵害の恐れがあるから説
2020.07.23 まるこ姫の独り言
本当にいまさらながら変な国だ。
今日のモーニングショーでは、PCR検査が増えない原因の一つとして、PCR検査をして擬陽性が出た場合、隔離すると人権侵害に当たるからと一部技官の強力な意見が反映されているのではないかと言っていた。
以下をクリックするとTV番組をその場面を視聴できます:
TV番組動画 
 かつてハンセン氏病で隔離政策を取ってきた国が被害者から訴訟を起こされたことがすごいトラウマになっていて、PCR検査を拡充させることができないようなことも言っていたが、ハンセン氏病は、当時の国や国民の差別と偏見が大いに関係していたのではと思う。
「原因菌の感染力は非常に弱く、多くの方が自然免疫を持っている」のに、国が『「隔離政策」を取っていたことで、人々の間に「怖い病気」として定着してしまい、患者はもとよりその家族も結婚や就職をこばまれるなど、強い偏見や差別を受けてしまいました。』
国の方針(国が無知)が間違っていたところに、人々の無恥も重なりハンセン氏病患者に対して、無知であるがゆえに差別と偏見が助長して迫害をしてしまったという歴史であって、それと今回のコロナ禍のウイルス検査を拡充しない事とは、私は全然違うと思う。
その前に、熱があって具合が悪いのに検査が受けられない事こそ、人権侵害じゃないか。
コロナがどんな病気なのか多くの人は知っているし、擬陽性になってももう一度・二度とPCR検査をすることによって、陽性なのか陰性なのか判定が付く。
何日間の辛抱じゃないか。
宙ぶらりんの状態より、白黒はっきりした方が自分も社会も安心すると思うが。
陰性と判定されればそれで一安心だし、陽性になってもよほどの重症患者でなければ2週間程度隔離していたら社会に復帰できるわけだし、一生ものの病気じゃない。
ハンセン氏病のように一生隔離する訳でもなく、人生がそれで終わるわけでもなく、何をそこまで人権侵害になると恐れなければいけないのか。
頭が固すぎる。
やはりそこには、訴訟どうこうより、訴訟にかこつけた何らかの裏事情が絡んでいるのではないか。
世界各国は民主主義の国も多いのに、日本の何倍・何十倍のPCR検査をやってきている。
民主主義の先駆者である欧米各国で、PCR検査をしたら訴訟騒ぎになるのだろうか。
日本の黒歴史、ハンセン氏病で偏見と差別、そして感染力が弱いにもかかわらず患者を長年隔離してきたことで訴訟を起こされたことと、今、PCR検査を拡充したら擬陽性の人が出てくることによって訴訟騒ぎになるかも知れないと言う事は、別問題のような気がする
%%%%%

 厚労省の言い分の背景が次の動画で上先生がわかりやすく語っています:
【上昌広医師に新型コロナウイルス、検査・ワクチン・治療薬について聞く】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#25



 さて以下では、無能安倍氏を批判するインタネット記事からいくつかを拾い出しました:
 東京都のコロナウイルス感染者数が300の大台に接近した7月22日、感染爆発の不安でおののく国民を知ってか、知らずか、あの愚昧宰相は銀座のレストランで高級ビフテキを堪能していたと報じられています。同席したのがgotoキャンペーンで大いに旅行業界に面目を施した2F氏(二階幹事長のこと)、五輪組織委員会で要職を占める王貞治氏(この方の名前をこういう所で見たくなかった)、驚くべきことに1960年代の学生運動幹部で現在も反骨の政府批判を続けてきたと誰もが信じていた森田実氏他です。そういえば、この森田氏は数年前にも官邸で高級鰻を安倍氏に馳走になっていたとの記憶がよみがえります。
 安倍氏のこうした挙動はいまや驚くにあたりません。驚くべきは、この会食時間の真っ最中と思われる時間帯に普段はしないツイッタを20通近く連続発信しているのです。ビフテキを頬張りながらツイッタをしていたというのです。すなわちビフテキを頬張りながらも、常に「民の不安を慮(おもんばか)っていた」という美談であります。
 しかし、すぐにそのカラクリは露になります。非常事態での会食が民の怒りを誘うであろうことを察した側近がこのツイッタ発信をやっていたというわけです。言葉を変えれば、安部氏は口中のビフテキを堪能してる際には民のことなんぞは欠片も案じていない。そのことが露呈することを危惧した側近がなした小細工であったというわけです。

 こうした安倍氏の正体はいまや「バレバレ」です。昨日の毎日新聞が以下を報じています:
%%%%%世論調査「安倍首相いつまで?」 回答者の45%が辞任求める 毎日新聞2020年7月24日 15時50分(最終更新 7月24日 16時32分)
 社会調査研究センターと毎日新聞が7月18日に実施した全国世論調査では、携帯ショートメール調査の回答者735人を対象に「安倍晋三首相にいつまで首相を続けてもらいたいですか」と尋ね、自由に意見を書いてもらった。
 何らかの意見を書き込んだのは556人。その45%(全体の34%)に当たる252人が明確に辞任を求めた。即時辞任を求める意見が目立ったほか、早期、今秋、年内の辞任を求めた人もこの中に含めた。
 安倍首相の自民党総裁任期は来年9月までで、衆院議員の任期は来年10月まで。来年夏には東京オリンピック・パラリンピックが予定されている。「任期満了まで」「東京五輪まで」など来年まで首相を務めるよう求めたのは12%(全体の9%)に当たる67人だった。
 政権の継続を求めたのは26%(全体の20%)に当たる147人。そのうち「後継者が見つかるまで」との趣旨の回答をしたのが56人で、ほかに適任者がいないという理由に基づく消極的支持の側面もうかがわれる。新型コロナウイルスの感染収束までという条件をつけたのは23人。憲法改正の成就を求めたのは5人だった。
 寄せられた多様な意見を便宜的に<‖┿・早期・年内辞任><任期満了・来年まで><7兮魁筺祗い修梁勝笋4カテゴリーに分類し、回答者の承諾が得られたものについて社会調査研究センターのホームページに全文を掲載している。その一部を抜粋して以下に紹介する。誤字・脱字も原文のままとした。【平田崇浩、大隈慎吾】
<即時・早期・年内辞任>
 対応力がない。綺麗な言葉ばかりでごまかしていることが多いので、早く引退した方がいいと思います(40代男性)
 安倍さんにはもう続けて貰いたくない。かと言って自民党で首の挿げ替えだけされてもこまる。安倍さんだけの責任ではないと思う。菅さんも麻生さんなどの官僚全員がおかしい。私は看護師ですが経済を回すことだけ考えて現在の医療従事者に対しての配慮が全くないと感じている。なぜコロナの最前線にいる人のボーナスが少なくなるのか。なぜコロナ患者を受けると病院の経営が落ちるのか。私達はコロナだけではなく差別とも戦っているのに。その中でGOTOなんてしてさらに地方に感染が増えて私達への負担を増やさないで欲しい。賃金も少なく、コロナに怯え、差別され看護師に死ねとこの国は言っているも同じ。言い過ぎなのは分かっていますが言わなければ気が済まないところなできてます。それでも経済を回さなければというなら旅行する人全員がPCR検査陰性であることを証明するなどの義務を負うべきだと思う。自分達の関係団体の利益ばかり考えている政治家が多すぎて嫌になる。(30代女性)
 続けてもらいたくない。公私混同が多く、またそのために周囲の過剰な忖度を生んでいる。批判に真摯に向き合わず独善的。(40代男性)
 すべてにおいて信用ならない。国民の税金を自分の私用のお金として使っている。庶民は月数万で生活して税金を払っているのに湯水の如く税金をじゃんじゃん使っている。すぐにでも辞めてもらって構わないが、誰がなっても変わらないように思う。要するに国会議員にも定年が必要。頭の硬い現代にマッチしていない自分中心のおじいちゃんがたくさんいる限り日本は衰退する一方だと思う。(30代女性)
 長期政権で緩みが出てきている。政権交代した方が良い。(50代女性)
 無駄な金、国民の金を使いすぎ。早く辞めるべき。まだ続けている事がおかしい。(60代女性)
できるだけ早く退陣して公正な選び方で次の首相に譲っていただきたい(50代男性)
 まともに答弁しない事が当たり前となっていて、国会が意味を成していない。安倍総理の答弁方法が浸透してしまっているためすぐに辞めてもらいたい(40代男性)
 早く退陣して貰いたい。金持ち優遇の政治は庶民を不幸にする。政治家は底辺の方をよく見て施策を行って貰いたい。そうすれば、日本は大変立派な国になり経済大国になるでしょう。(80歳以上男性)
責任は痛感するものではなく、とるもの。日本が精神的にも経済的にも悪くなる。すぐに辞めてもらいたい。(50代男性)
 今すぐやめてもらいたい。安倍さんというか、自民党が今の調子で政権をになっている限りコロナの収束も経済回復も無理だと思う。(20代女性)
<任期満了・来年まで>
 来年9月まで。首相の後任たる人材がいない以上現政権が続投すべき。(60代男性)
 判断力・求心力に不安を感じる。その他多くのスキャンダルを抱え過ぎており、今期で退任を希望。(60代女性)
<継続>
 憲法改正実現まで。メディア、野党、諸外国、党内抵抗勢力に屈しないで頂きたい。(50代男性)
 今はコロナウイルスがあるのですぐにとは言わないけどある程度終息したら他の人に変わって欲しい(20代女性)
 少なくとも次期も続けてもらいたい。批判はいろいろあるが、結局他の人では務まらなさそう。(40代女性)
 内政はともかく外交特に、近隣国の脅威がますます上がってきている中、政権の外交政策は評価できるので、しばらくは続けてもらいたい。内政は周りがもっと頑張らないといけない。今回の第二波の対応は宜しくない。(40代男性)
 安倍さんより支持したい方が出るまで。今は支持したい方がいないので。(30代女性)
<その他>
 独裁政治防止のため、どなたでも二期までが良いと思います。また世襲制も二代までとかにすべきではないかと思います。国会議員の人数の削減や定年制度を早急に行って欲しいです。(50代女性)
 他がいないので何も言えない。安倍さんを支持していたがコロナや続く災害。優先順位や未来が見えない。何がしたいのか、何処を目指しているのか国民に全く伝わらない。子供を育てにくい国。何事も本質がわかってない国。(40代女性)
 いつまでというのはありませんが、現状、自民党政権は消去法で選ばれているに過ぎないと思っているので、各政党とももっと頑張って頂きたいです。(30代男性)
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 安倍氏が国のトップとしての資質と力量を欠いていることは、今ややっと国民の目に明らかになってきました。柳田邦夫氏が以下を書いています。
%%%%%心に全く響かない…安倍首相「戦後最悪の言語感覚」が日本を破壊する 7/17(金) 6:01配信
「国民の命を守るのは政治の第一の責務」とは、安倍晋三首相が繰り返してきたフレーズのひとつである。 【写真】この記事の写真を見る(3枚)  だが、今回のコロナ対策では、失策が続き、それをカバーしようと言葉を尽くして説明を試みるも、国民を説得することはできず、言葉が空回りする場面が目立った。  この安倍首相の「言語能力」を厳しく批判するのはノンフィクション作家の柳田邦男氏だ。
何を話していたのか頭に残らない……
〈もともと安倍首相は、語彙が乏しいとか、決まり文句を繰り返すだけで核心をそらすことが多く、本当の心情がつたわってこないと、政治記者などから評されていた〉 「スラスラだけどツルツル」。国会答弁やインタビューは常に立て板に水。だけど後から思い返すと、「何を話していたんだっけ?」と頭に残らない……安倍首相の不思議な“言語能力”がコロナ対策でも発揮されてしまったというのだ。  その言葉に実体が伴わないのも問題だ。柳田氏が例として挙げるのは、安倍首相がPCR検査件数を「1日2万件に倍増します」と繰り返し公言したことだ。 〈国内の1日当たりのPCR検査数は、3月中は、ずっと数百件から2000件程度で、横這い状態になっていた。4月6日になって、安倍首相が「2万件にする」と言うので、期待して見ていたら、4月はやっと増えて3000件から最大9000件を超えた日もあったが、2万件にはほど遠く、1万件さえ超えなかった〉 〈政権のトップが「2万」「2万」と叫んでも、目標に近づけないということは、どこをどうすることによって何千件増やすことができるという確かな具体策を見出せないまま、ただ面子を立てるために号令をかけているだけとしか思えない〉
「世界最大規模」と言ってのける“おかしさ”
 柳田氏は、安倍首相が巨額の補正予算を成立させたとき、「世界最大規模」と胸を張って見せたことにも、言語感覚のおかしさを感じ取った。  裏付けのない空約束を真顔で繰り返し、未来世代に税負担を残すことに何ら痛痒も感じていないように見える首相の姿に、柳田氏は「この国の未来」の危うさを感じ取った。 〈安倍首相の言語感覚は、戦後の権力者の中で最悪のレベルにまで堕ちたと言いたい。言葉を壊す政治家は、国を壊す。事態は深刻だ〉  柳田氏が安倍首相のコロナ対策を痛烈に批判した「 この国の『危機管理』を問う(2) 安倍首相の『言語能力』が国を壊した 」は、「文藝春秋」8月号及び「文藝春秋digital」に掲載されている。新聞やテレビでは言及されない「危機管理の大失敗」の本質がよくわかる、全16ページの論考だ。 ※「文藝春秋」編集部は、ツイッターで記事の配信・情報発信を行っています。 @gekkan_bunshun のフォローをお願いします。 ※音声メディア・Voicyで「 文藝春秋channel 」も放送中! 作家や編集者が「書けなかった話」などを語っています。こちらもフォローをお願いします。
%%%%%「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年8月号

 思えば、安部氏の貧弱な資質・能力欠落は何度も明るみに出ました。モリカケ・サクラに限りません。安保法制、機密保護法案の国会審議でも、答弁はかって私が若かったころにはおよそ見聞したことのない内容の伴わない貧弱な答弁、それに加え閣僚席からの質問者に向けた不規則発言(野次)でした。すべてが安倍氏の本性をそのままさらけ出していたにもかかわらずTV,大手新聞報道はそれらを大々的に報ずることはしてきませんでした。
 サクラ、検事長任期では辞任の今一歩手前のところまで安倍氏は追い詰められました。が、そこに降って沸いたのが「新型コロナウイルス」感染問題です。三月はじめ安倍氏は独断で「全校一斉休校」を宣しました。これは勇断と受け止められ、またもや一夜にして「救国の英雄」に変じ「窮地」を脱したかに思われました。政治評論家をして「安倍氏に神風が吹いた」と言わしめました。
 ところが、コロナは神風ではなかった。言葉を変えるならば、「コロナを神風にするほどの器量・才覚」が安倍氏にはなかったのです。感染の拡大とともに安倍氏は国会の場ではなく、報道関係者の面前で語らざるを得なくなったのです。その無能・無思考の人間性がありのままTV画面を通して国民の目に晒されることとなってしまったのです。安倍氏の正体は、NHK岩田明子記者に代表される飾り立てられた言葉によってではなく、映像として鮮明に国民の前に映し出されたのです。こうした安倍氏の実像を報道関係者は熟知していた筈です。それを国民に知らせることをしてこなかったことも同時に明るみに出してしまったというわけです。
 以下の対談で東京新聞の望月衣塑子記者が佐高氏に語っています。
%%%%%望月衣塑子、怒る…官邸にしっぽを振る「矜持なき記者たち」のダメっぷり 7/21(火) 7:01配信
 「安倍一強」が叫ばれて久しい。東京新聞記者の望月衣塑子氏と評論家の佐高信氏による新刊『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか』は、この政権の恐るべき権力基盤を「メディアとの関係」から描き出す。政権はいかにメディアをコントロールし、メディアはいかに権力に追従しているのか。この国の中枢の真実。 記者の凋落を示すダメ会見
 いまの記者は、みな揃っておとなしく、サラリーマン化が進んでいる。型にはまったこと以上の行動をするのを極端に恐れるあまり、取材相手を追及し、本音を吐き出させようとする気迫が感じられない。  六月一八日の午後六時から開かれた首相会見では、わずか会見の三時間前に河井克行前法相と妻の案里議員が公選法違反容疑で逮捕されたのにもかかわらず、事件についての質問は、事前に質問を投げていた幹事社・フジテレビだけ。  しかも、「自民党から振り込まれた一億五〇〇〇万円の一部が買収資金に使われたことはないということでいいのか」と、「ない」を前提にした誘導的な質問で、首相は「任命した者として責任を痛感している」と答えただけだった。  当然、記者は「どう責任を果たすつもりなのか」「買収資金に交付金が使われたか、調査するのか」など追及を重ねなければならないが、だれも続かない。産経新聞は憲法改正についての首相の意気込みを、NHKは北朝鮮対応を、日本テレビはポスト安倍について。その質問に答えるかたちで、首相は自分の支持者向けのメッセージとも聞こえる話を続けた。  質疑を見ていてめまいがした。国会議員二人による大規模な買収疑惑は、憲政史上まれにみる大事件。しかも一人は前法相だ。その質問がわずか一つしか出ないとは……。会見にいる政治部記者は疑惑の重大さを理解していないのだろうか。「黙って挙手して」など、官邸が勝手に決めたルールにおとなしく従っている場合ではない。制止を振り切ってでも追及すべき場面だった。記者の凋落ぶりを示すダメ会見で、これは後世に語り継がれるだろう。

 なぜ、内閣記者会は国民と乖離した質疑しかできなくなったのだろう。かつて首相会見の司会進行役は、幹事社の記者が努めていたという。現在は、実質的な司会進行を内閣府広報官の長谷川栄一首相補佐官に委ねており、「内閣記者会主催」はかたちばかりだ。結果、会見を官邸の“宣伝(プロパガンダ)”に利用されている。  さらに長谷川氏の指名を見ていると、NHKやテレビ朝日、日経新聞などが毎度のように指される一方で、朝日新聞や東京新聞、中国新聞などが指されることはまれだ(これらの社が幹事社の場合は除く)。  長谷川氏が政治部の記者を指名すると、首相は毎度、官僚が用意した手元の資料を読みながら答えている。差し障りのない質問を事前に官邸に通告した社ばかり指名されるのであれば、それは権力による選別と事前校閲であり、メディアが官邸に支配されているということに他ならない。  SNSが発達し、首相のプロンプターや資料の読み上げがバレ、国内外の市民やネットメディア、フリーランス、識者から疑問や改善を促されている。にもかかわらず内閣記者会は、事前通告を続け、首相の「猿芝居」の片棒を担ぎ、意識が変わる気配はなかなか見えない。  今年一月、官房長官会見で、私が挙手しても当てられないことが続いた。私が会見場で「まだ(質問が)あります」と声を出したとき、ある社の記者は「指されなくても、声は出さずおとなしくして」と言ってきた。別の社の官邸キャップは「うまく聞かないと引き出せない。(あなたのは)“負け犬の遠吠え”だ」とわざわざ言いにきた。  政治取材に長けたみなさんは、この首相会見でいったい、何をうまく引き出したのだろうか。しっぽをふっているのに餌がもらえなかった犬に見えるが、あとで「路地裏」で残飯でももらえれば「勝ち犬」なのだろう。
付記しておくと、「この後、外交日程がありますので」と一時間で終えようとする長谷川氏に対し、フリーランスや何人かの政治部記者たちは抗議の声を上げている。長谷川氏は「紙でお答えしますので、後で私宛に質問を出して欲しい」として打ち切った。  その後、朝日新聞と中国新聞、日刊ゲンダイは、河井夫妻の逮捕と首相の任命責任について官邸報道室に質問を出していたが、官邸報道室の回答は「国民の皆様にお詫び」「責任を痛感」「真摯に受け止め政権運営に当たりたい」など、中身のない官僚作文だった。会見の場で安倍首相が同じように答えていたならば、到底納得されない内容だ。「舐めるのもいい加減にしろ」と怒りに震えた記者もいるだろう。  ただ、それも長年、安倍政権のメディアコントロールを許してきたせいだ。首相会見も官房長官会見も、時間制限や指名の偏りに抗議の声を上げず、司会進行の主導権を奪われても抵抗せず、会見のあり方を改革しようとしてこなかった。  内閣記者会は世間からも見放されつつある。オフレコ取材を重視し、会見が形骸化すれば、会見も記者クラブも存在の意義がなくなるばかりか、今回の首相会見のように権力に利用されてしまう。  このままでは日本のジャーナリズムは完全に崩壊することになる。政治部記者はもっと危機感をもつべきだろう。  そんななか、既存のTVメディアの報道に限界を感じたディレクターたちが中心となって立ち上げたネットTV「Choose Life Project」が検察庁法改正案の議論が沸騰する最中、野党各党の幹部を呼んで連日、活発な議論を行い、ネット上で盛り上がったのは光明だった。どういう思いで議論やニュースを発信していくのか。そんな報道人としての根本的な姿勢がジャーナリズムとして大事であることを再確認できた出来事だった。
%%%%%望月 衣塑子(新聞記者)

 さてこうした安倍氏の無能な正体が、改めて海外でも報じられる仕儀となっています:
%%%%%安倍首相の「失策」再び!?「Go Toトラベル」気になる海外メディアの評価(井津川倫子) 2020年07月24日09時00分 井津川倫子のビジネスに使える「ニュースな英語」 J-CASTニュース
新型コロナウイルスの「感染第2波」が全国で広がっているなか、日本政府は多くの反対や見直しの声を押し切り、「Go To トラベル キャンペーン」に踏み切りました。
国内旅行を喚起して観光業や地方経済を救う目的のキャンペーンですが、対象時期の前倒しや「東京外し」などの強引な手法で日本中が大混乱に! さらに、「若者や高齢者除外」といった「曖昧すぎるルール」の対応に追われるなど、恩恵を被るはずの旅行業界からも悲鳴が上がっています。
日本国内では、一部で「アベノマスクに続く愚策」と酷評されている「Go To」事業ですが、海外メディアはどう評価しているのでしょうか? 欧米のメディアを追ってみました。
これはもう「GoTo『トラブル』」キャンペーンだ!(写真は、安倍晋三首相)
米通信社は「安倍首相の新たな『失策』だ」と報道
新型コロナウイルスで急減する消費を喚起する「看板政策」の「Go To」キャンペーン。この先、「Go Toイート(飲食業)」「Go Toイベント」「Go To 商店街」と、続々と計画されていますが、先陣を切った「Go Toトラベル」をめぐる政府のあまりのドタバタぶりに、自民党若手議員からも「方針が二転三転して、これじゃGo To『トラブル』だ」と、自虐的な声が出ているとか。果たして、海外からはどう見られているのでしょうか?
米通信社のBloombergは「東京外し」を見出しに掲げて、「Go Toトラベルキャンペーンに」批判的なトーンの記事を配信しました。
Japan Travel Campaign Delivers Double Whammy to Tokyo Residents
(日本の旅行キャンペーンは、東京都民にとって二重の打撃となった)
double whammy二重の打撃
Bloombergの記事は「東京都民」に同情的(!)です。
「国内で一番所得税を納めている」東京都民が制度の対象から外されるのは法的に問題があるのではないか、という意見を紹介していて、都民としては、「おっしゃる通り!」と思わず声が出そうになりました。 
さらに、他国に比べて「中国人観光客頼み」だった日本の旅行業界は、新型コロナによって大打撃を受けている。外国人観光客がほぼ100%近く減っているなかで、国内旅行の喚起策に「他国よりもさらに踏み込んだ」と分析していました。
なるほど、やはり日本の「Go Toトラベル」事業は、諸外国と比較しても「さらに踏み込んだ」政策なのですね。無理が生じるはずです。
そんな無理を押しての「看板政策」も、残念ながら「another misstep in Abe's management of the virus」(安倍首相のウイルス対策の新たな「失策」)だと捉えられていると伝えていて、安倍首相の手腕に疑問を呈していました。
「安倍首相は国民の怒りを買った」だけで1.7兆円はムダに!
「Go Toトラベル」キャンペーンの内容よりも、世論の反発にフォーカスしたのが米ニューヨーク・タイムズ紙です。ほとんど「無理筋」のキャンペーンが日本国内でいかに「不人気か」を強烈な見出しで伝えています。
Big Majority of Japanese Reject Government Tourism Campaign Amid New Coronavirus Fears
(日本人の大多数は、コロナ第2波に怯えるなかでの旅行キャンペーンを拒絶している)
「reject」は、「拒否する」「拒絶する」「却下する」といった強く否定する気持ちを表す単語です。ニューヨーク・タイムズ紙は、80%近い回答者がこの時期に「Go Toキャンペーン」を実施することに反対したという「世論調査」の結果を紹介。「観光客が押し寄せることで、医療体制が脆弱な地方に感染が広がるのではないか」という国民の不安を強調する結果だ、と論じています。
ロイター通信は、「Go Toトラベル」をめぐるドタバタ劇が安倍政権に与える影響にフォーカスしていました。
apan's Abe faces anger over tourism subsidy as Tokyo COVID-19 cases hit record
(日本の安倍首相は、東京のコロナ感染者が最多記録を更新するなかでの旅行補助策で、国民の怒りを買っている)
ロイター通信は、Abe has borne the brunt of the negative reaction」(安倍首相が批判の矢面に立たされている)だけでなく、コロナウイルス対策への批判がさらに高まり、「首相の支持が浸食されている(支持が落ち込んでいる)」と報じています。
さらに、「Go Toトラベルキャンペーン」は、「the number of examples of Abe's incompetence in governing」(安倍首相の数々の無能な政策)に新たに加わった「愚策」、という大学教授のコメントを紹介。アベノマスクや「10万円給付金」をめぐる政府の混乱ぶりもしっかりと伝えていました。
残念なことに、安倍政権が他国よりも踏み込んで実施した「看板政策」の「GoToトラベルキャンペーン」は、これまでの報道を見る限り、海外からも「冷たい目」で見られているようです。
ロックダウンを解除した海外では、観光地になかなか観光客が戻ってこないとニュースになっています。それでも日本政府のように、「この時期に無理を押して」観光客誘致に乗り出す例は見かけません。
1.7兆円もの大規模予算をつぎ込んでも混乱と批判を招くばかりでは、税金の使い方としてあまりにもずさん過ぎ。感染拡大も心配ですし、度重なる安倍政権の「コロナ失策」の中でも、歴史に残る「愚策」になるのではないでしょうか。(井津川倫子)
井津川倫子(いつかわりんこ)

津田塾大学卒。日本企業に勤める現役サラリーウーマン。TOEIC(R)L&Rの最高スコア975点。海外駐在員として赴任したロンドンでは、イギリス式の英語学習法を体験。モットーは、「いくつになっても英語は上達できる」。英国BBC放送などの海外メディアから「使える英語」を拾うのが得意。教科書では学べないリアルな英語のおもしろさを伝えている。

磐井の乱と蝦夷反乱(舒明紀)、暇をもてあます(?)安倍氏

(記事の更新は当面不定期です。ご意見は ryuuzaki_i@yahoo.co.jp へお寄せください)
(写真:女化け神社は稲荷神社の老舗として知られ、全国に多くの信者を持ち、多くの講からの寄進を集めています。この神社に絵馬を譲ったのが、当地の鎮守さんである「日枝神社」で西暦903年の創建とされています。写真はその奥の院です。うっそうとした叢(くさむら)に埋もれるように佇んでいます。幅1m足らずの参道に沿って、無花果、栗、柿、などが植えられ、ご祭神様に供せられています。拡大は図のクリックで)
200722奥の院無題


 国会が 無ければ毎度の 海外へ コロナのせいで どこで何をする?
 
 6月17日に国会が閉会しました。その途端に安倍氏が表舞台から姿を消しました。いつもなら、用もないのに、そしてまともに相手にされないのに「海外要人との外交交渉」と称して特別仕立ての飛行機で欧米旅行です。しかし、現今はその欧米諸国はコロナ騒動です。別荘近くでゴルフ三昧というわけにも行かない。「何をなすべきか?」自問自答の日々なのかもしれません。
 コロナ感染者数が急増している現今、政府トップの立場から拡大防止に指揮棒を振ることはおろか、「揮ってます感」をつくる意思すら無いように見受けられます。
 感染者急増の中にもかかわらず前倒しになった”goto”キャンペーンが国民の反発を食らっています。二階幹事長は「命令してでも・・・」という剣幕で強行突破を居丈高に高言していました。何せ二階氏は旅行業界にあって長く重鎮の地位にあります(下の記事参照)。もちろん、ここでも安倍氏の指導力発揮はない。
 出所は忘れましたがどなたかが、「それほど国のことをやりたくないのなら、国会議員を辞めたらどうか」という皮肉なツイートがありました。まさにそのとおりです。
 下の動画で安倍氏の動静が語られています:
安倍氏の姿が見えない

 関連記事(長いので途中部分のみを抜粋コピペであります。安倍氏が行政のトップとしてリーダシップを発揮すること(発揮しているとみせかけることすら)に疲れ、やる気をなくしていると分析しています:
%%%%%Go To、アベノマスク…愚策で国民を翻弄する「陰の総理」今井氏の末路 「忖度補佐官」を放置していいのか 2020/07/21 15:00 元木 昌彦ジャーナリスト PRESIDENT Online
(以下抜粋)
“失敗”続きを見かねた安倍首相の思惑

国内旅行の半分額相当を政府が支援するというもので、「支援は一人二万円までとされているものの、宿泊日数や使用回数に制限はないという大盤振る舞いです。今年度の一次補正に盛り込まれた予算は約一兆四千億円。同じ一次補正で、感染拡大防止策や医療体制の整備に配分された約六千七百億円をはるかに上回ります」(官邸担当記者=週刊文春)

ここにも当然ながら、政局が絡む。公募で選ばれたのは大手旅行代理店や業界団体で構成される「ツーリズム産業共同提案体」というところで委託費用は1895億円にもなる。この中の業界団体は3つで、二階幹事長ベッタリの団体だといわれている。

最近、菅や石破茂と急接近している二階をつなぎ留めておくために、二階に安倍が配慮したということだろう。今井たちの相次ぐ“失敗”を見かねた安倍首相が、再び菅を頼るようになったと週刊文春が報じている。

石破に接近して、「俺が推せば石破は勝つ」と嘯いている菅をつなぎ留めておくために安倍は菅と会食する。その席で、菅が唱える「感染拡大防止と経済活動の両立」が実現すれば、落ち込んでいる支持率もアップするかもしれないと安倍は考え、「そのため菅氏は首相にとって有力な後継候補となったのです」(同)。

だがここでも大きな誤算が生じるのである。

「東京を除外」で謝罪する羽目に

菅が暴走してしまうのだ。「Go To」は8月からの開始が見込まれていた。だが、菅が旅行代金の割引に限り7月22日から実施すると主張したのである。

「一斉休校の影響で、八月になっても登校しなければならない子供もいる。そのため菅氏は、子供も大人も確実に休める七月二十三日からの四連休も割引対象とするべきだとしていた」(官邸関係者)

策士策に溺れるである。8月中に経済回復の兆しを安倍に見せなければ、ポスト安倍にはなれない。焦りが菅を自滅させたのであろう。

東京の感染者数が増え続けていた。小池都知事の、「無症状の感染者も出ている中で、どう仕切りをつけるのか。これは国の問題だ」という批判に菅は、「圧倒的に東京の問題」だと突っぱね、予定通りに実施すると強気だった。

だが、全国から東京の人間が観光に来てもらっては困るという声が上がった。安倍も計画を変更しないと強気だったが、7月16日、東京の感染者が過去最多の286人になったと聞くと、前言をあっさり撤回して、東京の発着旅行を対象から外すとしたのである。強気だった菅も、会見で「直前になって東京の感染が拡大をしているという現実の中で判断をさせていただいたわけでありますので、そこについては大変申し訳ない」と謝罪するはめになった。

菅は悔し紛れに、多くの感染者が出ているキャバクラやホストクラブに対して、風営法で警察官の立ち入り調査をやっていく必要があるという趣旨のことを、フジテレビの報道番組でしゃべったのである。

この責任は安倍首相1人のものか

官憲を導入して強制的に休業させることをやれば、次々に対象を広げていくに違いない。私などは、戦前の悪法「治安維持法」を思い起こす。コロナ感染に乗じて、ただでさえ私権の制限が狭められているのに、さらに警察まで動員しようという危険な考えに危機感を持たなくてはいけないはずだ。

6月18日以降、安倍首相は会見も、週1のペースで開かれている国会の委員会の閉会中審査にも出席していない(北海道新聞7/18 17:00)。さらに秋の臨時国会も開きたくないと漏らしているという。説明責任を放棄したということは、もはや政権運営の情熱を失ったと見るべきであろう。
%%%%%後略

 安倍氏のやる気のあるなしに関わりなく、国民の奈前途安心に関わる問題が山積しています。
 一つは「コロナ失政」の最大の問題である、国民の健康と生命の「安全保障」である医療の危機です。児玉龍彦氏は当初より厚生労働省の権益意識にとらわれた地方保健所への過重な負担ではなく、検査機能を有する大学、民間医療機関に依拠することでPCR検査の大幅増を説いてきました。しかし、それには一切耳を傾けなかった行政が惨憺たる現状をもたらしました。
病院「第2波までもたない」憤る事務長、地域医療崩壊の恐れ 

 コロナ騒ぎの中で表面に出てきていませんが、国の安全保障に関する深刻な事態にジャーナリストが警鐘を鳴らしています。イージス・オフショアの機能欠陥を口実として、「それなら、守ることではなく敵の攻撃拠点を攻撃すればよい」なる驚くべき主張が鎌首をもたげているというのです。的攻撃に先んじて先制攻撃を可能とするよう装備せよというのです。
なぜ敵基地攻撃か…半田滋氏が懸念「政治家の暴走」の結末 公開日:2020/07/20 06:00 

 さて、私のお気に入りの三爺放談です。平野貞夫氏のいつもながらの論理的で鋭い観察に敬服させられます。
三爺放談 

 今回は佐高氏の公明党批判で始まりました。1970年代末に創共協定が突然世に出て、驚かされたものでした。どうやら創価学会内部には「政治志向グループ」と「信教グループ」という二つの流れがあり、現在はその対立が深化しているようだとの観察が語られています。生死不明の池田大作氏は「信教グル−プ」派のようであると語られます。

+++++男大迹命から天智へ
 前回記事で引用した表を話の都合で再掲します。議論の対象とする期間は西暦583年―658年です。この期間にあっては、いわゆる「日本国」(旧唐書に記載されている)すなわち「大和王朝」の原型は日本列島古代政治史にはまだ登場していません。とはいっても新興国として勃興しつつある時期であったと考えられます。私の前回記事の末尾に書いた「想像」はそうした視点に基づきます。それが下の表で四欄(日本「中ツ国」)に天皇の名前がほとんど記入されていない理由です。
 一方三欄(倭「日入国」)、四欄(倭「日出国」)は、後に藤原不比等が「蝦夷」と蔑称する国です。本ブログでは便宜上西蝦夷、東蝦夷と表記しています。この欄に書き込まれている天皇名も定まったものではありません。なぜなら、それらは日本書紀が編纂された際の二重天皇という「細工」が施されているからです。
 
(表:二重王政を考慮した日本列島古代政治史事象。最左欄は西暦年。二欄は便宜上に付された識別コード、三〜五欄は天皇名。但し、この期間の歴史事象はされほど定かでは無いので、表の枠に書き込まれている個々の天皇の置かれている場所(西暦年代)は暫定的である。六欄は大陸・中国での事象・事件、七欄は日本書紀から拾い出した事件(対応する西暦年にはそれほどの確度が無い)、八欄は地上に残るシリウス方位配置から算出される事象の年代。拡大は図のクリックで)
200427編年無題


 この表に沿って私の想像の続きを書きます。
 隋皇帝の指示で日本列島の若狭に上陸した男大迹(古事記表記は袁本杼、継体天皇)は直ちに、漢民族末裔の屯(たむろ)する奈良盆地へ向かうが、どうやらその途次でさまざまな障碍に直面し、奈良盆地に到達できなかった。そうこうしている内に本国が倭国への視察団を送ってきた(西暦608年)。その視察団に合流してやっと、奈良盆地内勢力との接触を果たした。西暦608年の20年前はまさに隋建国年である西暦589年となる。男大迹が「越」国から宇治に達し、そこで20年近くウロウロしたとする日本書紀の記述は、「史実」を書いていると思える。
 男大迹の指揮の下で奈良盆地一族は倭勢力への攻撃を仕掛けることになる。それが「磐井の乱」である。この乱については本ブログでは様々な仮説を立て、夫々に基づくシナリオと万葉集、日本書紀の記載との照合をはかってきました。どちらも不確定な要素が多すぎ、ましてやその不確定さを定量化する術もありません。一意的に最良の仮説を定めることはできません。ここで書いているのは、現在展開している仮説シナリオです。種々の事象を整合的に説明できるのではなかろうか、と期待しています。

 倭国側は、大陸王朝に支援された奈良一族の軍事攻撃に対峙することになります。その様子を叙事したのが万葉集三歌〜十二歌です。倭国軍は有明海からの敵侵入への防備とともに(万葉集七歌・八歌)と同時に玄界灘から松浦湾すなわち九州北岸域の防衛のためのしかるべき配備をします(万葉集十二歌)。
 万葉集三歌〜十二歌で叙事されている倭国側の防衛整備の部隊進軍経路が「古代史と日本書紀」(山田宗睦著、ニュートンプレス、1999年)で再現されています。山田氏の描くシナリオは鹿葦津姫を「橿日(かしひ)」姫と読み取り神功皇后と重ね合わせます。その上で、日本書紀巻九(摂政前紀)が書く皇后の九州巡狩の旅程を図示しています。尚鹿葦津姫(日本書紀巻二に初出の女性で、古事記では木花之佐久夜毘売)は日本歴史上最高の美女とされる女性で神武天皇の曾祖母に当たると記紀は書きます。私は山田氏の描き出したシナリオには同意できませんが、神功皇后の九州巡狩が日本書紀記載を忠実に再現していることには驚いており、それが万葉集三歌〜十二歌の経路をそのまま写しとっていることに着目しています。
(図 日本書紀神功皇后進軍から作成された鹿葦津姫の進軍路。上記本97頁より。拡大は図のクリックで)
191118山田宗睦47e


 こうしてみると神功皇后の九州巡狩経路が上で書いた万葉集三―十二歌をなぞっていることは明らかです。編纂の最高責任者である藤原不比等は万葉集の背後の「史実」を知っていたことも明らかです。どのように知ったのか?父の中臣鎌子から聞かされていたとするならば、鎌子はまさに大和朝廷側の当事者であったということになります。いまさら言うまでも無いことですが、この「史実」は藤原不比等にしてみれば直近の過去に起きたであろう事もわかります。さらに想像をたくましくするならば、西蝦夷側にあって部隊を率いていたのはその人物が暗に神宮皇后にかさね合わされているとするならば、女性であったかも知れません。例えば、皇極(斉明)女帝かなと想像しています。日本書紀では皇極女帝の登場は西暦642年ごろとなってしまい遅すぎるとの疑問もありえます。が、それは日本書紀編年に従ったものであるので、否定の理由にはなりません。もちろん、この女性は日本書紀記載とは異なり、女帝ではなく、舒明天皇皇后ですから、舒明天皇治世時代に部隊の一部を率いていたと考えています。
 何故その事象を大昔の神宮皇后の事跡になぞられたのか?大和朝廷の視点から記述される「正史」には、それを銘記できなかったのでしょう。

 この「磐井の乱」がどのように決着したのかは定かでありませんが、少なくも倭国の側は有力な将軍を数名失ってしまったようです。この乱が”舒明天皇九年の蝦夷反乱”紀であるとすれば、それは西暦637年頃となります。上掲の表では対応する事変として「神仏戦争」が書き込まれています。上表を手直すべきと考えています。
 「磐井の乱」の後、どうやら大和朝廷の侵攻を蝦夷側が押し返し反撃します。それが神仏戦争です(6月5日記事 )。
(つづく)

考古学ランキング

天智天皇の后(2)、主婦を陥れる検察・警察(郷原信郎氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:当地の田植えはほぼ同時期に始まるというわけではありません。早いところは4月末、遅いと7月半ば過ぎです。写真の水田は遅い田植えのため、苗がしかとは見えません。そこに番(つがい)の鴨がやってきて仲良く田の泥の下にある小虫をほじっています。そこに割り込まんとしてやってきたのが「おじゃまむし」です。「おじゃまかも」なんぞといいながら、隙あらば彼女を偸「ぬす)まんとつがいの周囲をウロウロしています。
鴨8153


 低温と 雨天続きの 七月は 月見ぬ月に 日も見ぬ月

 イヤーア、昨夕昨晩は寒かったですね。なにやら寒気がして体もだるい。いよいよコロナにとり憑かれたかと覚悟しました。しかし、今朝のニュースで北関東は四月上旬の冷え込みであったとのこと、安心しました。となると、あの「体のだるさ」は何であったのか?理由がわかりました。あまりの寒さゆえ、暖をとらんと、いつもより多目のアルコール(安焼酎)摂取でありました。

 韋駄天・永井謙佑は8年前のロンドン五輪で世界を驚愕させました。誰もが追いつけないと考える遠方のボールに追いついてしまう。相手チーム選手のボール・トラップミスを誘うスピードある寄せに目を見晴らされたものです。ロンドンのスポーツ・ジャーナリズムの絶賛の記事がいまだ私に記憶に留まっています。五輪の後の一時期欧州のチームに移籍しましたが、成功せず日本に戻っていました。ずいぶんと長い間くすぶっていたようですが、昨年あたりから、復活を遂げつつあります。そうなるとまたあの快速を見ることができます。楽しみですな。
%%%%%FC東京・永井が明かした“三十路ブレーク”の秘密とは… 7/16(木) 13:54配信 東京スポーツ紙
 FC東京の日本代表FW永井謙佑(31)が16日、ウェブ上で取材に応じ“三十路ブレーク”の秘密を明かした。  右肩脱臼により7か月ぶりの実戦復帰となった12日の横浜M戦を振り返り「コンディション的に100%じゃなかった。チームがうまく潤滑するようなイメージでプレーした。自分が背後に行くことで相手がつられる。それで味方が受けられればいいと思ってプレーした」と語った永井。  昨季は2トップの一角として9得点をマーク。チームをクラブ史上最高の2位に引き上げた。4年ぶりに招集された日本代表でも代表初ゴールを含む3得点を挙げるなどキャリアハイとも言えるシーズンを過ごした。  30代を迎えての“ブレーク”に「リラックスができたり、余裕ができたというのがある」と自己分析。その理由として「練習のほうが激しいので。チームのトレーニングの寄せだったり、球際の激しさのほうがはるかに強度がある。そういう中でやっているので、試合中のほうが見えたりリラックスしてプレーできている」と、2018年に就任した長谷川健太監督(54)の指導が好影響をもたらしていると説明した。  再開されたJ1で今年も大暴れが期待できそうだ。
%%%%%
参考過去記事:2012年7月27日記事
参考動画


 金曜日午後のラディオ番組に赤木雅子さんと相澤冬樹氏が出演し、15日の裁判にいたるまでの経緯、心の動きなどを語りました。インタビュアとしていろいろ尋ねるあの大竹まこと氏が、しばしば声を詰まらせていました。連れ合いを無念の自死で失った雅子夫人の悲しみと、今般の裁判を決意するまでの心の動きに強く心を動かされていたのでしょう。
%%%%%大竹まこと ゴールデンラジオ! 2020年07月17日

 この訴訟が赤木雅子夫人の勝訴で結審することを心から願っています。が、そんな矢先に知ったのが同じ7月15日に判決のあった島根県のとある主婦の冤罪事件です。まずは郷原信郎氏のブログ記事です:
交通事故被害者の主婦が突然“被疑者”に〜不当捜査の訴えに裁判所が下す判断は? 投稿日: 2020年7月14日
 この裁判での審決を郷原信郎氏が以下の動画で語ってます。日本国の司法のなんとも理不尽なありように心から腹が立ちます。
島根県主婦冤罪事件 


 さて、ラディオ番組の続きです。いまや正義の医師として日本中から尊敬の眼差しでもって注目されている児玉達彦氏の威を借りて、金子勝氏が自らの持論である消費税減税否定の言の開陳に話の方向を変えてしまいます。金子氏はこのところ、「日刊ゲンダイ」紙、いくつかの報道関連youtube動画で同趣旨を声高に吼えています。金子氏の議論に異を唱えるような同席者がいないところでの言です。これは学者さんとしては公平を欠くように思っています。
 それはともかく、私には、金子氏の理屈はまことに奇妙に聞こえます。消費税減税は消費者を利することは確かであると金子氏は言います。私はこれにはもろ手を挙げて同意します。
 しかし、その後に「業者にとっては減税が負担増となる」と続けるのです。視聴する私にはこの論理がわからない。金子氏は「風が吹けば桶屋がもうかる」風の議論をならべたて「デフレ」が進行し、それこそ悲劇であると言います。この文脈は完全に理解不能です。この主張に説得力が無いことを自覚している故でしょうか、最近では「自民党の安藤国会議員なども消費税減税を主張している。近く想定される総選挙での対決点が消失し、それが自民党政治の停止を阻害する」などと新たな屁理屈まで言い出します。
 消費税増税故に小売業者は物を高く売らねばならず、それは売り上げを減ずる、という私の理解のどこか間違っているのだろうか?その説明はありません。一方で輸出企業など大企業が「還付金」なる「不当利益」を得ることで、庶民から吸い上げた税を強奪していることにも金子氏は触れません。
何故に、これほど執拗に消費税減税をあちこちで声高に叫びたてているのでしょうか?せめて消費税減税を主張する経済学者と公開の場で議論してほしい。これが私の金子氏への要望です。
 
+++++天智天皇の不思議(4)
 天智天皇の皇后となることを予定されていた女性が、初夜の晩の婚礼直前に何者かに犯されたというエピソードを日本書紀が書いています(前回記事)。この「何者」は「身狭臣」(むさのおみ)一族であると、日本書紀には書き込まれています。岩波文庫校注者は「家伝には弟武蔵」と付記します。「家伝」とは「藤氏家伝」で、その成立は西暦760年といいます。記紀には無い記事を含め、七世紀から八世紀半ばの藤原一族の歴史が書かれていると言います。私が注目するのは、天智天皇周囲にはその出自が明らかに東国と思しき人物が多数登場することです。いずれ、そのことに触れます。
 
 前回記事で中大兄の后の選定に関する記事を紹介しました(日本書紀皇極三年紀)。私の古代史探求はいまだにその途上であり、記紀の読み直し作業から、別の視点が浮かぶことがしばしばです。“中大兄の后選定は「政略結婚」であったとの可能性は無いだろうか?”と、フト考えました。
 そこで、あらためて七世紀前半の日本列島の政治勢力の趨勢を、私自身が作成した年表で眺めます。
(表:二重王政を考慮した日本列島古代政治史事象。最左欄は西暦年。二欄は便宜上に付された識別コード、三〜五欄は天皇名、六欄は大陸・中国での事象・事件、七欄は日本書紀から拾い出した事件、八欄は地上に残るシリウス方位配置から算出される事象の年代)
200427編年無題


 上表で、私が注目するのは西暦593年頃から672年までの期間です(黄色-紫-青)。黄色は欽明天皇に始まる四代の天皇からなるグループです。このグループは日本書紀編年では西暦507年に始まりますが、すでに書いた"二重則“に従うならば、それは593年頃に始まることになります。それは大陸で隋が建国された年の直後です。西暦600年に九州北部にあった「西」倭国(日本書紀が書くところの西蝦夷族)の王が表敬の使節を遣わします(「遣隋使」)。これが隋皇帝の倭国への興味を掻きたて、西暦608年に隋が倭国に視察員を派遣します(推古十六年夏、西暦608年)。彼らは、九州の倭国からさらに東に足を伸ばし奈良盆地内に逼塞していた「漢語」を話す一族を知ることになります(ただしこの視察員の観察・体験は日本書紀には記されておらず、隋書倭人伝にのみ記されている)。

 上に書いたことは、大陸王朝の正史に書かれていることです。私はその実相を以下のように想像しています:
 隋皇帝は建国直後から倭国に多大の関心があり、梁書倭国伝などから、九州の倭国の東に「大漢国」の存在を知っていた。そこで建国するや否やに「男大迹」に軍隊を随伴させて倭国派遣したのです。当然、その経路は朝鮮半島から対馬などを経て九州に達するそれではなく、朝鮮半島から直接若狭湾への経路をとらせ、敦賀で上陸させたのです。倭国王の阿毎多利思比弧(大足彦=景行天皇天皇)が、こうしたことを知らずに遣隋使を派遣したのか、それとも「男大迹」の敦賀到着は一回目の遣隋使の帰国の後であったのか?それはわかりません。いずれにせよ「男大迹」は敦賀から南下して現代の京都を縦断し奈良盆地に接近することを試みます。どうやら、この頃は、西倭国は奈良盆地の内部にまでその支配権が及んでおらず、その周辺で留まっていたのではなかろうか、とおもえます。そこで、「男大迹」の軍勢と倭国の京都南部駐留軍との軍事的にらみ合いが始まったのだろうと思います。
 かくして、ここから「男大迹」の苦労が始まります。

「つづく」

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天智天皇姻戚(3、皇后)、赤木雅子さん(森友スキャンダル)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:動画の冒頭で、たくましく身の丈の半分もあろうかという土塊を抱えて外に運び出す様子を撮っ立つ森でしたが、鮮明ではありません。カメラを向けるとそのザリガニは穴の奥に引っ込み、連れ合いと思われるザリちゃんがカメラを持つ私を威嚇するべく旦那が建設中の住まいに近寄ってきました。それにしてもザリガニの世界も大変ですな。件(くだん)の逞しい雄ザリガニは意中の雌ザリガニから「あたし、家の一つも作れない男とは一緒になれないわ」なんぞと厳しく言われたんですな。かくしてハッチャキになってかくも大きな愛の巣作りというわけです。https://youtu.be/012SATDYPqk


 笄を 頭に飾り ねりあるく 黄色く長い 蛭の雨の日

 連日の雨。湿った散歩道のあちこちに長々と黄色の「笄蛭(こうがいひる)」が寝そべっています(以前、当ブログに掲載しましたが、気味が悪いと指摘されました)。一見、長い枯れ枝のような擬態でゆっくりと前進しています。なんとも気味悪く、カラスも敬遠してるのか、啄ばむそぶりも見せません。これも「創造物」(神がお造りになったa creation)です。はて、新型コロナウイルス( covid-19)も創造物なのでしょうか?

 さて、本日の東京でのコロナ感染者数が300名に近づきました。 東大・児玉龍彦氏が国会で厳しい表情で、政府の対策を指弾しました。
%%%%%東京で最多の280人台が新型コロナ感染、検査4000件超−小池知事 延広絵美、関根裕之 2020年7月16日 11:37 JST 更新日時 2020年7月16日 15:49 JST
東京由来の新規感染者が首都圏外で見つかるケースも相次ぐ
新宿にエピセンター発生の可能性、国挙げて制圧を−東大・児玉氏
東京都内で16日、新たに280人台の新型コロナウイルス感染者が判明するとの見通しを小池百合子知事が明らかにした。1日当たり200人を超えるのは4日ぶり。10日に記録した過去最多の243人を上回ることになる。

  小池都知事は記者団に、検査件数が最多の4千数百件に上った点を指摘するとともに、新規感染者数は「途中経過だが、280人台に乗せるだろう」と述べた。NHKによると、新規感染者数は286人。
(中略)
  東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦氏は16日の参院予算委員会で、新宿区にエピセンター(感染集積地)が形成されつつあると指摘。「国の総力を挙げて止めないとミラノ、ニューヨークの二の舞になる」と述べ、大規模なPCR検査を実施するなどして制圧を図ることが急務との認識を示した。

  一方、新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長は参院予算委で、無症状感染者への検査の在り方が「だんだんと焦点となっている」として同日行う会合で「政府に提案する最終案をまとめたい」と語った。
%%%%%
 35分ごろから児玉龍彦氏の参議院委員会での参考人発言 です。



+++++森友学園への国有地払い下げ問題
 昨日から森友学園文書改竄で自死された赤木俊夫氏未亡人が求めた真相解明裁判が始まりました。
%%%%%森友文書改ざん問題の訴訟の弁論が始まる。自殺職員の妻が、真相解明を求める意見陳述(全文) 2020年 07月 16日 
 昨日15日、森友学園に関する財務省の公文書改ざん問題で、自殺した元近畿財務局職員赤木俊夫さん(当時54)=の妻雅子さん(49)が国と当時財務省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官に計約1億1200万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回弁論が大阪地裁で行なわれた。
『訴状によると、赤木さんは改ざんを強制され、長時間労働の結果うつ病を発症して、2018年3月に自殺。雅子さんは今年3月、国などを提訴し、改ざんは当時理財局長だった佐川氏の指示だったとする夫の手記を公表した。
 これに対し、国側は答弁書で、改ざんは当時の理財局幹部が関与し近畿財務局幹部の判断で協力したことを認めたが、反論は追って書面で行うとした。佐川氏側は、違法に損害を与えた公務員個人は賠償責任を負わず、国が負うので賠償請求は失当だと主張した。(時事通信20年7月15日)』
 この日、妻の雅子さんが法廷に立ち、意見陳述を行ない、このように訴えた。
『財務省幹部らの指示とされる改ざんについて、「夫は犯罪と受け止め、国民に死んでおわびすることにした。残した手記は国民への謝罪文だと思う。国は自死の真相を知りたい私の思いを裏切り続けてきた」と指摘。その上で「理財局幹部、近畿財務局幹部の人たちも事実をありのままに話してほしい。一番重視しているのは夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにすること」と訴えた。(同上)』
* * * * *
 雅子さんの意見陳述(全文)をNHKニュースが載せていたので、ここにそれをアップしたい。
『森友学園めぐる裁判 自殺した職員の妻 法廷での意見陳述 全文
私の夫、赤木俊夫は決裁文書を改ざんしたことを悔やみ、自ら人生の終止符を打ちました。
2018年3月7日のことです。
夫は震える手で遺書や手記を残してくれました。
私は夫の死後2年経過した2020年3月18日、やっと遺書や手記を公表しました。
そして、同じ日に夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにし、夫と同じように国家公務員が死に追い詰められることがないようにするため、そして、事実を公的な場所で説明したかったという夫の遺志を継ぐため、国と佐川さんを訴えるところまで進みました。
以下、この訴訟に対する私の思いを陳述させて頂きます。
夫は、亡くなるおよそ1年前である2017年2月26日(日曜日)私と神戸市内の梅林公園にいた時、近畿財務局の上司である池田靖さんに呼び出され、森友学園への国有地払い下げに関する決裁文書を改ざんしました。
決裁文書を書き換えることは犯罪です。
夫は「私の雇い主は日本国民。国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っています」と生前知人に話していた程国家公務員の仕事に誇りを持っていました。
そのような夫が決裁文書の書き換えという犯罪を強制されたのです。
夫の残した手記によると、夫は改ざんを指示された際に「抵抗した」とあります。
また、私は夫の死後、池田さんからも、夫は改ざんに最初から反対していたと聞きました。
夫が、決裁文書の改ざんによって受けた心の痛みはどれだけのものだったでしょうか。
国家公務員としての誇りを失ったでしょうし、強い自責の念に襲われたと思います。
夫は手記や遺書に「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わったものとしての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)」、「現場として相当抵抗し、最終的には次長が修正に応じ、修正前の調書に合わせて自ら、チェックマークを入れて体裁を整えました。事実を知っている者として責任を取ります」と書いています。
夫は、改ざんしたことを犯罪を犯したのだと受け止め、国民の皆さんに死んでお詫びすることにしたんだと思います。
夫の残した手記は、日本国民の皆さんに残した謝罪文だと思います。
国は、夫の自死の真相が知りたいという私の思いを裏切り続けてきました。
財務省は、夫が亡くなった5日後の2018年3月12日に改ざんしたことを認め、3か月後の6月4日に調査報告書を発表しました。
しかし、この調査報告書の中には、誰のどのような指示に基づいて夫が改ざんを強制されたのか記されていません。
夫が自死したことすら記載されていません。
夫の手記についても、提出を求められていないので当然ですが一切触れていません。
池田さんは、夫が亡くなってから1年後、自宅で私に「赤木さんはきっちりしているから、文書の修正、改ざんについて、ファイルにして、きちっと整理していたんです」、「パラッと見たら、めっちゃきれいに整理してある。全部書いてある。どこがどうで、何がどういう本省の指示かって。修正前と修正後、何回かやり取りしたような奴がファイリングされていて、パッと見ただけでわかるように整理されている。これを見たら我々がどういう過程で改ざんをやったのかというのが全部わかる」と仰っていました。
でも、調査報告書には、このファイルについても記載がありません。
私は、夫の自死が公務災害となった理由を知るため、人事院に対して情報開示請求をしました。
しかし、人事院の開示した文書は70ページのほとんどが黒塗りで、夫がなぜ自ら死を選び悩み苦しんだのか、私の知りたいことは何一つわかりません。
そこで私は、2020年4月13日に、近畿財務局に対して情報開示請求をしました。
しかし、1か月後の5月13日に開示されたのは、年金の金額や支払日などが書かれたたった10頁の文書でした。
残りの文書については、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言に伴う処理可能作業量の減少などを理由に、1年後の2021年5月14日までに開示決定をするそうです。
国はこの裁判でも同じような態度をとるのでしょうか?
これではこの裁判でも真実には近づけません。
私は、夫が自死に追い詰められた真相を明らかにするため、第三者委員会による再調査を求める電子署名を始めました。
電子署名には、35万人を超える方々から賛同の署名を頂きました。
電子署名は、2020年6月15日に安倍首相や麻生財務大臣へ提出しました。
しかし、安倍首相も、麻生財務大臣も、すでに検察の捜査も済んでいるので調査しないと、夫のことを切り捨てました。
でも、検察の捜査は刑事処分のためのもので、真相解明の調査とは別の物です。
国は、国民にも夫にも向き合わず、あるものを出さず、ズルズル先延ばしにして逃げています。
再調査を実施して、正直に全て明らかにしてください。再調査の結果はこの訴訟でも役に立つと思います。
安倍首相は、2017年2月17日の国会で、安倍首相や安倍昭恵さんが森友学園の国有地払い下げにかかわっていたら総理大臣も国会議員も辞めると発言しました。
財務省秘書課長は2018年10月、私に対して「この首相の発言によって、野党が理財局に対して資料請求するなど炎上したため、理財局は改ざん前の文書を出せなかった。その意味で、首相の発言と改ざんは関係がないとはいえない」と言いました。
安倍首相は、自分の発言が改ざんの発端になっていることから逃げているのではないでしょうか。
安倍首相は、自分の発言と改ざんには関係があることを認め、真相解明に協力して欲しいと思います。
安倍昭恵さんも森友学園への国有地売却の関係を明らかにしてほしいと思います。
池田さんも、池田さんの前任者も「裁判になれば、本当のことを話します」と私にはっきりと言いました。
この裁判では、前任者には、安倍昭恵さんと籠池夫妻のいわゆるスリーショット写真がどのように国有地の取引に影響したのかを、池田さんには、国有地値引きと決裁文書改ざんをめぐり、近畿財務局の中で何が行われたのかを話して頂きたいと思います。
また、佐川さんをはじめとする理財局の幹部の人達や、美並局長をはじめとする近畿財務局の幹部の人達も、事実をありのままに話して欲しいと思います。
もしこれらの人たちが裁判に来なかったり、裁判に来ても事実を話さなかったとしたら、国が本当にあったことを国民から隠し、全てなかったことにするために止めたのだと思います。
安倍首相、麻生大臣、私は真実が知りたいです。
夫は亡くなった日の朝、私に「ありがとう」と言ってくれました。
最期の夫の顔は「絶望」に満ち溢れ、泣いているように見えました。
決して生き残らないように、電気コードは首にきつく二重にくくりつけていました。
怖がりだった夫が、こんなことをしなければならないなんて。
真面目に働いていた職場で何があったのか、何をさせられたのか私は知りたいと思います。
最後に、裁判官の皆様にお願いがあります。
私は、訴状でも書いていますが、3つの目的のために訴訟を始めました。
その中でも一番重視しているのは1つ目の、夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにすることです。
訴訟の手続きは私には難しくて分かりませんが、是非とも夫が自ら命を絶った原因と経緯が明らかになるように訴訟を進めてください。
夫が作成したファイルを含めてできるだけ沢山の資料を集め、できるだけ沢山の人の尋問を行って事実を明らかにしてください。
そしてそのうえで、公正な判決を下してください。
宜しくお願い致します。 以上 』
%%%%%
 今般の訴訟にいたる経緯は下の動画で、元NHK記者の相澤冬樹氏が詳しく語っています。
森友新スクープ!赤木手記を掘り下げる!(修正版)


+++++天智天皇の皇后娶をめぐるドタバタ事件
 天智天皇の縁戚を調べています。古人大兄皇子の女(むすめ)である倭姫王を皇后にし、さらに四嬪を納(目)します。子を生なかったためとも思えますが、婚姻にいたる経緯も原因であったようです。それを日本書紀・皇極紀四年が書きます:
原文:
《皇極天皇三年(六四四)正月乙亥朔》三年春正月乙亥朔。(中略)便附心於中大兄。疏然未獲展其幽抱。偶預中大兄於法興寺槻樹之下打鞠之侶。而候皮鞋随鞠脱落。取置掌中。前跪恭奉。中大兄対跪敬執。自茲相善倶述所懐。既無所匿。後恐他嫌頻接。而倶手把黄巻。自学周孔之教於南淵先生所。遂於路上、徃還之間。並肩潜図。無不相協。』於是。中臣鎌子連議曰。謀大事者、不如有輔。請納蘇我倉山田麻呂長女。為妃、而成婚姻之眤。然後陳説、欲与計事。成功之路、莫近於茲。中大兄聞而大悦。曲従所議。中臣鎌子連即自徃媒要訖。而長女所期之夜被倫於族。〈 族。謂身狭臣也。 〉由是倉山田臣憂惶。仰臥不知所為。少女怪父憂色、就而問曰。憂悔何也。父陳其由。少女曰。願勿為憂。以我奉進、亦復不晩。父便大悦。遂進其女。奉以赤心。更無所忌。(後略)
文意(岩波文庫「日本書紀(四)」218頁より):
皇極天皇三年(六四四)春正月乙亥朔》(中略)
(中臣鎌子は蘇我入鹿の横暴を止めさせねばと思案した際に)中大兄なる人物に目をとめたが、その心中を思いやるほどの付き合いはなかった。たまたま中大兄が法興寺の槻樹の下で打鞠をした際にその仲間に加わった。その際、鞠が大きく外に逸れ、それをとりに行った際に親しく話す機会ができた。以後、思うところを語り合う間柄となった。しかし、親しく二人だけで話すところを見咎められることを避けるため、南淵先生のところで共に学ぶこととした。その往還に肩を並べあれこれと話し合った。その際に中臣鎌子連は以下を語った「大事を謀るには輔(たすけ)が要る。蘇我倉山田麻呂長女を妃として婚姻関係をむすび、以後、少しずつ計画を話し、この企てに加わることを求めよう。成功の路はここにある」と。中大兄はそれをきいて大悦し同意する。中臣鎌子連はただちに自ら赴きてこの話をまとめる。而るに、約束した夜に長女が族に倫(ぬすま)れる〈 族は身狭臣也という〉。是のため倉山田臣は憂い、お詫びの仕様がないと謝る。少女(むすめ)は父が憂いているのを不思議に思い、父にその理由を尋ねたので、父はことの次第を話した。少女は「どうぞ憂えないでください。今嫁いでも遅すぎない」と。父は大いに喜び、娘を進呈した。奉以赤心。更無所忌。(後略)
%%%%%
 前半は、有名な「法興寺の槻の木の下の盟約」です。一年後の皇極天皇四年(六四五)の六月八日の「乙巳の変」のまさに始まりとされる説話です。「乙巳の変」といえば、何人かの物識り学者さんは、この変が朝鮮半島でほぼ同時代に起きた政変の引き写しであると指摘しています。話は逸れますが、それについて触れておきます:
+++++2011年1月26日記事再掲
「三国遺事」が語る「ひどんの乱(647年、新羅)」
 「大化の改新」の突破口とされるのが、有名な「乙巳(いっし)の変」で、それは、西暦645年の6月(旧暦)に起きたとされています。しかし、万葉集十五歌に付された左注は、「紀」の記事を引用して、その年(645年)の秋に、大きな内乱とも言うべき戦争があったらしいことを詠っています。そして、この内乱について、日本書紀は語っていません。『紀』は「日本紀」であり、「日本書紀」とは違うとの研究がありますから、「日本書紀」編纂の前に作られたと思われる「日本紀」には、きっとこの事件が記述されていたのだろうと思われます。日本書紀編纂の責任者である藤原不比等が何がしかの政治的思惑から、この事件を削除し、「別件」を挿入したらしいのです。別件とは、『三国遺事』という朝鮮半島の歴史書です。そこに、「乙巳の変」とそっくりな事件が朝鮮半島で起きていたと書かれているのです。この『三国遺事』について、ウイキペヂアは、以下のような説明をしています。
『三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。
朝鮮半島における現存最古の史書である『三国史記』(1145年完成)に次ぐ古文献ではあるが、由来の怪しい古書を引用するなど、史書としての問題点は少なくない。しかし、三国時代及びそれ以前の朝鮮半島の歴史を記した資料は極めて乏しいということもあって、『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。また、『三国史記』が名だけを留めて収めなかった郷歌(ヒャンガ)を14首伝えており、言語学資料としての価値も高い。

さて、「三国遺事」によれば、7世紀半ばの朝鮮半島新羅で「ひ(田へんに比較の比)曇の乱」と呼ばれる政争があったとのことです。新羅の「いさんひどん」が唐にそそのかされて、女帝を排そうとして乱を起したが王子と重臣によって誅殺 されるという事件です。「いさんひどん」が乙巳の変の主役の蘇我入鹿、王子と重臣が夫々中大兄皇子、藤原鎌足に重なってくるというわけです。この誅殺に先だって王子と重臣は蹴鞠をしながら実行の意思確認をしたとのエピソードも日本書紀にそっくりです。この乱は647年とありますから、乙巳の変の2年後です。

「三国遺事」の編纂がウイキペディアでは十三世紀ですから、朝鮮史編纂に際して、日本書紀の記事を剽窃したとの考え方もありえるのかもしれません。歴史家は、「三国遺事」の記載の信憑性に疑いを抱いているようで、時々、訳知り顔の研究者が「歴史雑誌」にこれを面白おかしく紹介したりする程度です。

8世紀初めの日本列島西半分は唐・新羅連合軍の統治下にありました。その統治下で、「日本書紀」なる「正史」が編纂されていることを想起せねばなりません。すでに上に書いたように、「日本紀」では、多分書かれていたであろう、「内戦」の記述は、日本書紀では省かれています。しかし、この年に「大事件」が起きたことは8世紀初頭の識者は記憶していたはずです。何も書かずに済ますというわけには行きません。そこで、藤原不比等は、占領国の一つである新羅に「知恵」を求めたのでしょう。新羅の司令官は、645年近辺で自国に起きた事件をきっと幾つか挙げたに違いありません。こうして、藤原不比等は647年の新羅に起きた「ひどんの乱」を日本列島風に改ざんして、日本書紀の記事としたのだと思っています。

というわけで、蘇我倉山田麻呂は、日本古代史有数の大事件での主役級の役を割り当てられたにもかかわらず、どうもそれは「ガセ」であったと思えます。しかし、日本書紀によれば、蘇我倉山田麻呂はこの五年後に自らが逆臣の汚名を着せられ誅殺されてしまいます。
%%%%%

 朝鮮半島での似たような政変、そして以前書いたように万葉集一巻十三ー十五歌に付される左注、おまけに日本列島古代史の専門家の間では乙巳の変に始まる「大化の改新」の存否を疑う議論があるなど、この「政変」は現今の話題すなわち「天智天皇の正体」を探る上での一つの鍵となっています。話は脱線しましたが次回、この「槻木の下の盟約」について私の考えるところを書き、「天智天皇縁戚の続きに話を戻すことにします。
(続く)

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天智天皇の謎(3、縁戚)、コロナ感染増加

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:日々成長する稲の傍らで巣作りに励むザリガニ。左下で相棒が一生懸命に泥をかき出して巣穴を作っています。中央の相棒さんは周りをウロウロしています。幸いにカラス、白鷺は今のところ近くにいませんが、周囲には足やはさみの残骸が散らばっています。近くの雑木では、もうじきカブトムシのお出ましでしょう。)
ざりがに巣8158


  田の泥を 抱えて掻き出す すさまじさ 愛の巣つくり 相棒見守る

 一抱えもあろうかという大量の泥を 持ち上げ外に掻き出す作業を目撃しました。相棒はデジカメを向ける私に鋏を持ち上げ威嚇のポーズであります。

 常陸国・原住民たる私が元気になるのが鹿島アントラーズの勝利です。ところが、どうしたことか!なんと勝てないんであります。
 %%%%%泥沼開幕4連敗…鹿島アントラーズはなぜ勝てない? 7/13(月) 5:01配信
200713鹿島無題

 白星を手にできない。それどころか、ゴールすら奪えない。他のクラブの追随を許さない、史上最多となる8度のJ1リーグ優勝を誇る常勝軍団、鹿島アントラーズがクラブワースト記録を塗り替える開幕4連敗を喫し、単独最下位から抜け出せない未曾有の不振にあえいでいる。  浦和レッズのホーム、埼玉スタジアムに乗り込んだ12日の明治安田生命J1リーグ第4節。放った4本のシュートは枠をとらえられず、後半7分にはセットプレーから失点。0−1のまま90分間を終え、制限付きの観戦解禁を受けて駆けつけた、3094人のレッズファンやサポーターを喜ばせた。  2012シーズンの開幕3連敗を更新しただけではない。新型コロナウイルスによる中断前に行われたACLプレーオフ、YBCルヴァンカップのグループリーグ初戦を加えた公式戦でも全敗。6試合で奪ったゴールもわずかひとつだけで、それもオウンゴールという事実に深刻さが凝縮されている。 「五分五分だった前半から、後半は私たちが試合を支配し続ける、ほぼワンサイドの形になった。チャンスを作る、という状況にたどり着けなければ問題であり、いろいろと修正しなければいけないが、ご覧の通り私たちが表現しようとしているサッカーを、特に後半は見せられていた」  試合後のオンライン会見で、今シーズンからアントラーズを率いるアントニオ・カルロス・ザーゴ監督は問題なしを強調した。しかし、確かに後半はより多くの時間でボールを支配したが、放ったシュートは3本にとどまっている。51歳のブラジル人指揮官はこんな言葉もつけ加えている。 「あれだけチャンスを作りながら、ゴールを決められないのが非常に難しいところでもある。相手のゴール前へいくと、急にゴールが小さく見えてしまうからだろうか。自信の低下というものもあって、なかなか決められない。ただ、この状態がずっと続くわけではないので、下を向く必要もない」
%%%%%(以下略)

 東京で、コロナ感染者が急増するという状況の中で、政府は国民に「安くするから旅に出よ」とのキャンペーンです。改めて、わが政府が国民の健康を軽視していることがわかりました。
コロナ恐怖論VSコロナ楽観論。東京都の新型コロナ 「若者中心であり重症者が少ないから大丈夫」??同調圧力に流される日本社会。作家今一生さんと一月万冊清水有高。 


 さてその感染者の急増です。都知事は「検査数が増えれば、感染者数が増えるのは当たり前」都しれ^っと舌表情で語ります。今まで検査を抑えていたことについての反省の弁はありません。深刻な問題は要請率が上がっていることです。検査数が増えれば、陽性率(陽性者/検査数)は下がるだろうと野予想とは逆です。恐ろしいことになりかねません。

%%%%%東京都の検査陽性率、5%のボーダーラインを右肩上がりで超えっぱなし
◆ 都内の最新感染動向 
〈最終更新 2020年7月11日 19:15〉
モニタリング項目(4)
 ・検査の陽性率 『5.9 %』
 ※尚、5/6以前の当該グラフについては算入項目が異なるので無視してください(注を参照)──感染状況を監視するためのよりよい基準は、検査の陽性率、つまり検査件数の何パーセントが陽性かだとヌッツォ氏(ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターの疫学者)は言う。

世界保健機関(WHO)が推奨しているのは、流行が沈静化しつつある多くの国が行っているように、ロックダウンを解除する前に、COVID-19の疑いがある人を包括的に検査した場合の陽性率を、少なくとも14日間連続で『5パーセント以下』にすることだ。このラインを超えると、COVID-19の集団から集団への感染を抑えるのは難しくなる。 ──(P.4)
(図:コロナ検査と陽性率。拡大は図のクリックで)
200712ころな0001

%%%%
 東京が緊迫する中で、この緊迫に導いた都知事のずさんなコロナ対応の一端が東京新聞によって暴かれました。
 安倍官邸とそれに支配される省庁がここ八年間にやってきた文書改竄、文書隠蔽を東京都がそっくり真似していたのです。都知事選挙が終わったので、これからもずさんな東京都によるコロナ対応がボロボロと出てくるのでしょう。愚かな都民といってすむ話ではありません。
(図:東京新聞7月12日付一面。拡大は図のクリックで)   
新聞12日付け8184


 政府のずさんなコロナ対応で、多くのインフラが深刻な打撃を受けてきました。そのひ戸津が医療機関です。痛ましい記事を見ました:
%%%%%看護師400人超が退職希望 夏のボーナス全額カット…東京女子医大病院 FNN 2020年7月13日 月曜 午前11:50

医療現場で経営の危機が起きている。
看護師などの夏のボーナスを2019年より引き下げた医療機関が、およそ3割にのぼることがわかった。
日本医療労働組合連合会の調査によると、全国338の医療機関のうち、およそ3割にあたる115の医療機関が、看護師などの、この夏のボーナスを2019年より引き下げたと回答したという。
多くの医療機関が、新型コロナウイルスの影響で病院経営が悪化したことを原因に挙げている。
このうち、東京女子医科大学病院は、全職員の夏のボーナスを全額カットしていて、退職を希望している看護師は400人以上にのぼるという。
%%%%%

+++++天智天皇の縁戚(1)
 常陸国原住民ですが東京新聞を購読しています。先々週から「よもやま邪馬台国」なる週コラムが始まりました。執筆者は豊田滋通氏で、九州に主要な購読者を広げる西日本新聞社の幹部であった方のようです。コラム執筆者としての肩書きは「季刊 邪馬台国」特任顧問とあります。
以下はその方の二回目の記事です(一回目7月1日記事 参照)
(図:東京新聞7月7日付けより。拡大は図のクリックで)
伊都国8182

 天智天皇の話を書いている途上ですが、上のコラム記事について一言書いておきます。執筆者の関心は「糸島」です。この名称が魏志倭人伝に登場する「伊都」に由来するであろうことはいまや誰も疑っていません。
%%%%%原文:
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
文意:
東南に陸を五百里いくと、「伊都国」に到着する。官は「爾支」といい、副を「泄謨觚」「柄渠觚」という。千戸あまりである。代々国王がいて、みな女王国に統属している。ここは帯方郡の使者が往来する時には、常に駐まるところである。
%%%%%
 原文に登場する「伊都国」を「いとこく」と音することから、この「音」について多くの漢字表記が出現することとなっています。その一つが「糸」であり、「怡土」です。「伊都国」の「都」の「音」はどうであったのか?私はそれに興味を抱き、7年前の2013年8月5日記事に 私の発想を以下のように書きました。
 「学研大漢和字典」は「都」の「音」を「ト」(漢音)、「ツ」(呉音)と解説します。魏志倭人伝のこの文節は、魏国から派遣された「視察官」が倭国の訳語(をさ、通訳)の口頭による説明(表音)を漢字で以って書きとめたものです。したがって、その視察官が「伊都国」と書きとめた際にそれが「イト」、であったのか「イツ」であったのかは検証のしようがありません。詳細はブログ記事を参照いただきますがそれを「ツ」と音するならば、「伊都」(「イツ」)です。当時の九州とその界隈の原住民の、和風勘定である「数詞」「ヒ・フ・ミ・ヨ・イツ・ム・ナナ・ヤ・コノ・トウ」の一つである「五」ではないかと推論できます。この推論に従えば万葉集二歌の解読はいうまでも無く、魏志倭人伝に登場する邪馬台国以外の二十一国の呼称も理解できます。
 さらには、現今考察している天武天皇が納(め)した尼子娘(尼子のいらつめ)の父である胸形君徳善の出自が「ミナカタ」すなわち、当時の呼称を漢字表記するならば「彌奴=三七(みな)」であることがわかります。すなわち壬申の乱は三世紀の「倭国」という歴史過去を引きずっていたことが見えてきます。以上が、上記記事に関する私のコメントです。

 話を本題に戻します。日本書紀天智紀が記載する事象・事跡のすべてが天智天皇時代に起きてはおらず、他の天皇時代の出来事が混在していることを最近数回のブログ記事で書いてきました。それにとどまらず、直近の前天皇すなわち斉明天皇の事跡記載には、天智天皇時代のそれと思われるものが含まれていたりします。こうした多時にわたる事跡の混交が天皇自身の謎の多い出自と相俟って、七世紀前半から半ばにかけての歴史解明を困難にしています。

 こうした日本書紀巻廿六―廿九に見られる記載の「無秩序」は天智天皇の存在感をますます薄め、その実在性すらを疑惑させることとなります。後世の学者がこの点について疑念を抱くであろうことを藤原不比等は当然想定していたであろうと私は思います。その疑惑の深化は、日本書紀が撰上された時点で想定されていたオーディエンス(読者)がどこまで広がっていたかにもよります。広く読まれていたならば、荒唐無稽、史実とかけ離れた記載は憚られます。多分、この「史書」の公開は事情を知るもののみに限られていたのだろうと私は考えていますが、それについては全く考察材料を持ち合わせていないので、ここでは立ち入りません。

 倭国(西蝦夷=西エミシ)の隋への使節派遣をきっかけにして「男大迹」(オオド)に見出されたのが奈良盆地内にしていた珍王末裔です。一族の首領たる人物がいたにせよ、しかるべき権力構造を築いていたとは思えません。そもそも史書に盛り込むべき「統治」の内容があったのかどうかも疑われます。だからこそ、日本書紀・古事記の記載にあって「稗田阿礼」の口誦に頼ることになったのです。そして、藤原不比等が稗田阿礼なる人物を古事記の助言で明記してしまったことは「不用意」ではなく、それなりの計算がが働いていたのだろうと思えます。阿礼の正体が明るみに出なければ済む話であると判断したと思えます。

 上に書いた諸々に鑑みて天智天皇紀は「はすかい」に眺めることが余儀なくされているのです。この視点から以下の記事を眺めることにします。
《天智天皇七年(六六八)二月戊寅【二十三】》◆二月丙辰朔戊寅。立古人大兄皇子女倭姫王為皇后。遂納四嬪。

 上記の記事はもっぱら人名です。初っ端から「はてな?」と思わせる人名が登場します。それは皇后の出自すなわち父親、古人大兄皇子です。大方の学者さんはこの皇子は天智天皇の異母弟であると理解しています。しかし、正史たる日本書紀ですら天智天皇が古人大兄皇子の兄であることは明記していないことは、これまでも書いてきました。従ってそれをここで、大袈裟に騒ぎ立てることはしません。私が、問題にするのは、皇后はれっきとした蘇我一族の出自であることです。すなわち「サカ」族、渡来民、さらに言うならば、「蝦夷(えみし)」出自の娘です。天智天皇は奈良盆地に拠する「大和王朝」の首領であり、「蝦夷」は不倶戴天の敵です。この敵対関係から「日本国」を創出し、大陸の正史「唐書」にも記載をとどめさせたのです。その一方の旗頭が、敵対関係にある「倭国」首領の血統を持つ子女を皇后にすることはありえないと思っています。
 もちろん敵対関係が溶融し、その和解の結果がこの婚姻であったとの解釈もありえます。しかし、大和朝廷の壬申の乱後の蝦夷への征討は八世紀前半まで執拗残虐な軍事侵攻として続きますから、こうした和解も無かったのです。
 となると、この婚姻の実態を周囲の記載から探ってみるのですが、見えてきません。倭姫王の嫁いだ相手は本当は誰であったのか?奇異に思えるのはこの倭姫王は御子を生さなかったことです。それはともかく、私は、倭姫王を娶ったのは、そもそもがサカ一族と密接な関係があった天武天皇であったのだろうと考えています。そう考えると上記に続く記事も得心が行きます。
(つづく)

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天智天皇の謎整理(2)、コロナ抗体の消滅、山本氏はカルト?

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:連日の雨をいとわず、白鷺が当地に降り立ちます。困るのは田んぼのザリガニを食い散らかし、あちこちに足やらハサミやらの残骸が散らばっています。孫とザリガニ釣りを楽しみにしている老人はヤキモキであります
たんぼの白鷺


 未経験 強烈豪雨の 警報は ここ数年の 定番セリフ

 このところの大規模気象災害を報ずる気象庁の定番冠詞は「最近50年で未体験の」であります。九州・熊本、そして飛騨・高山での連日の豪雨と洪水で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。他国に比べて急流河川の多い日本が抱える宿婀かもしれません。球磨川流域の老人ホームで多数が犠牲になられました。ある住民が「いざとなっても逃げられない地に逃げられない老人を収容する施設をつくるなんて」と憤っていました。思えば、新聞広告チラシなどを見ると昨今の老人施設は、都会ではなく山間、よく言えば風光明媚な地に多いようです。「体(てい)の良い姥捨て」との年寄りのひがみも聞こえぬではありません。余命長くない現ブログ管理人の実感でもあります。
 
 東京都知事選挙の余燼がまだ、ネット世界では煙を上げているようです。まずは選挙前の経済学者・金子勝氏の発言です。
(図1:7月3日付け日刊ゲンダイ誌上での金子勝氏の発言)
200703金子10262


 上の発言をフォローするかのように三日後の7月6日に同氏は下記のツイートをしています。
%%%%%金子勝 @masaru_kaneko Jul 6
【山本太郎のクズ】コイケの圧勝を生んだのは山本太郎なことは明白だ。野党統一候補にと言われたのに断り、宇都宮けんじ氏が立候補したら財源論が違うといって立候補したえで、貨幣発行権のない地方自治体にMMTで15兆円の都債発行?野党分断のために行動するだけ。カルトを超えてアホの極みだ。
%%%%%
 昨年の参議院選挙での「レイワ新選組」の大聴衆をひきつける選挙運動と政策に辛辣な批判を浴びせてきた金子氏が、今般の都知事選挙直前にもこの新規政党に「カルト」呼ばわりの非難を投げつけ、選挙後には「アホの極み」と罵声を放っています。
 "あの(弱者の見方であった筈の)金子先生、一体どうしちゃったんだっ?!“と多くの驚きの反応をネットで見ました。「反小池勢力の分断に手を貸した」として金子氏に賛意を表する意見はそれほど多くありません。金子氏にとって最も気に食わないのが“MMT”あるいはそれに類する金バラマキの財政出動策です。金子氏が賛同する宇都宮陣営は「現在の財政規模の中で、予算の組み換えをする」というものでした。しかし、100年に一度のパンデミックス災害と消費増税による不況という環境下で、「予算組み換え」が、焦眉の課題解決に十分な資金を提供できるとは思えない。と、私は考えました。山本陣営は苦境にあえぐ現場を具体的に語り、かつ演説会でもその苦境の当事者の口から発言がありました。
 山本氏が提起した政策にはしかるべき現実に根ざした根拠があったというべきです。それに対して「カルトだのあほ」だのと悪罵を投げつける。心から反小池包囲網を構築したいと思うのであれば、まずはマスコミに自己顕示よろしく大声を上げるのでなく、裏方で反体制側の勢力間にあるわだかまりを粘り強くネチネチと調整する。それが心ある知識人の役割では無かろうか、と思います。

+++++コロナ抗体の消滅
「集団感染による集団免疫を通じた感染症の防御」なる策を根底から覆しかねない発見が世界の研究者のあちこちから報告されています。思えば、本日(7月10日)の東京感染者数は過去最大とのことです。
%%%%%コロナ3カ月で抗体減 集団免疫とワクチンは“風前の灯火”か 公開日:2020/07/09 15:00 更新日:2020/07/09 15:11
 新型コロナの抗体は3カ月しかもたない――。こんな研究結果が明らかになった。スペイン保健省が発表した。
 スペイン保健省は、同国の7万人を対象に3カ月にわたって3回の抗体検査を行った。1回目の抗体検査で陽性、つまり体に抗体ができていた被験者のうち14%は3回目で陰性となった。抗体は3カ月で減少することが判明したのだ。
 中国の重慶医科大学などの研究チームも6月半ば、同様の論文を発表している。それによると、感染後3〜4週間経つと80%の人から抗体が確認された。しかし、いったん抗体が検出された人でも、退院から2カ月後には、症状があった人の96・8%、無症状の人の93・3%は、抗体が減少していた。このことから「コロナ抗体は2、3カ月で激減する」と報じられた。
 新型コロナについては、当初から「集団免疫」が期待されてきた。国民の60%が感染して抗体ができれば、ウイルス感染を無力化できるという考え方だ。スウェーデンなどは集団免疫戦略を取り続け、現在、6%までこぎ着けている。
「今回の結果は重大な意味を持っています」とはハーバード大学院卒で医学博士・作家の左門新氏(元WHO専門委員)だ。
「スウェーデンだけでなく、日本の一部の医師からも集団免疫を期待する声が上がっていました。しかし免疫効果が3カ月しかもたないとなると、はかない夢が打ち砕かれたことになります。抗体が3カ月で消える感染症は、これまで人間の生活の中にほとんどありませんでした」
師や看護師などの負担も増大
 もっと深刻な問題がある。ワクチン接種だ。現在、日本を含む世界中で100種類以上のワクチンの候補が研究途上にある。だがワクチンも3カ月で効き目を失うかもしれないのだ。
「通常のインフルエンザのワクチンは1回注射すると約6カ月間、効果が持続します。10月に接種すれば翌年の4月まで効くのです。しかし新型コロナは抗体が3カ月しかもたないとすると、たとえば、10月にワクチン接種を受けたら、1月に2度目の接種を受けなければならない可能性が出てきます。費用の負担が増えるし、1度は受けたけど2度目は面倒くさいという人も出てくるでしょう。医師や看護師などの負担も4倍になるので現場が混乱しかねません。ワクチンが予防接種に有効かという疑問の声も上がりそうです」(左門新氏)
 新型コロナは夏になっても消えない。抗体の効き目が3カ月ならば、年間に4回も接種する必要が出てくる。ワクチンが完成しても効果が半減とは絶望的。本当に新型コロナは厄介だ。
%%%%%

 関連して、昨日TVで同趣旨を東大の児玉龍彦氏が語っていました。
そもそも総研・コロナで日本人に死者が少ないのは、東大 児玉名誉教授 


 さて今般の世界的なコロナ感染が喧伝される背後でひそかに進む「謀略」とでも呼ぶべき事態が進行していると米国在住の堤未果氏が指摘しています。
日本人が知らない5G導入のカラクリ〜Google・Facebook・YouTubeから5Gネタが削除される訳〜堤未果の月刊アンダーワールド 
 

+++++2020年7月9日朝6時の地震
 当地、北関東の寒村は朝6時過ぎ、下から突き上げるような地震で、近くの雉、犬が一斉に雄たけびをあげ、吼えたてました。彼らの同僚たる「猿」(かって私は「桃太郎」率いる軍団の一員でありました)を自称する私は、彼らを「騒ぐでない!」と一喝し、まずは防災科学技術研究所のHinetを開きました。TVも一斉に「地震発生」とガナリ立てていました。
(図2:2020年7月9日朝6時の地震と、動画のための参照図)
2007093dsmap無題


( 動画:震源の三次元表示)
震源分布の三次元表示

(動画:震源位置の時間的変化)
震央の字空間分布


(図3: 地震活動の時間的変動)
2007093時系列無題

 上の図で、地震活動が4月12日の地震(下の図参照)以後、顕著に減少しています。今般の地震(7月9日)はこの地震の極近傍で起きています。
(図4: 2020年4月12日の地震)
200412m57無題

上に書いたように、4月12日の地震後から、矩形領域内の地震活動は顕著な減少を辿り、その領域内近傍で今般の地震が起きています。これが減少傾向をストップさせるのか、それともさらなる減少が続き来るべき大きな地震の前兆となるのか、現ブログ管理人にはそれを判断する材料はありません。もう少し、様子を観察し続けます。

 茨城県・千葉県界隈と地下の地震活動を何とか見やすく表示できないものかと考えた挙句の三次元表示ですが、動画の場面ごとに説明を挿入するとわかりやすさが増し、結果としてより多くの関心がえられるのではと考えています。少し工夫をして見ます(老体に鞭を打って)。

+++++天智天皇の縁戚、臣下など
 天智天皇の即位はその七年(西暦668年)ではなく、一年前の近江遷都の年であると記した文書があると日本書紀の当該箇所に書き込みがあります。西暦708年に焚書坑儒の宣があり、正史の記載に整合しない文書の存在は許されなかったはずです。にもかかわらず、こうした「脇」文書が正史に「書き込み」という形式にせよ引用される。不自然であり、この書き込みには藤原不比等の意向が執筆者の筆に反映されているのではなかろうか、と疑っています。さらにいうならば、すでに書いたように遷都の八ヵ月後の十一月に高安城を築いています。もはや奈良盆地内の宮廷を守護する必要は無いはずです。
 言葉を変えれば、「天智天皇」の存在にまつわる疑義を、後世の読者に対して仄めかしているのではなかろうか、と私は考えています。あの世で、藤原不比等が口元に皮肉な笑いを浮かべて、現世の学者さんに対して「俺がせっかく遺してやった謎時の鍵がわかったかい?」と問いかけている様子が思い浮かびます。

 しかし、現世の学者さんは真正直に日本書紀の記載を捉え、矛盾点の理解のためにあれやこれや典籍の発掘に努め、それをもって矛盾点のほころびを繕うのです。「近江」なる地への遷都もその一つです。琵琶湖南岸にあるはずの天智天皇宮廷跡についてはいまだに決定的な物証が見つかっていません。あれがそうかも知れない、これがそうかもしれないという論議がいまだに続いていると聞きます。ある学者さんは壬申の乱で天武天皇軍勢によって跡形も無く焼き払われたからであるとしてその証拠に万葉集二十九歌をあげます。この歌の歌意については2018年5月21日記事で詳しく検討していますので、ここではそれを繰り返しません。二十九歌の舞台が滋賀県大津であるという根拠として学者は歌の中に読み込まれている「淡海」を持ち出します。これぞ「アワウミ」すなわち「オウミ」であることの論拠としてきたのです。しかし、「淡海」は、熊本の「端海野」(たんかいの)であることを(2013年7月10日記事)で明らかにしました。
 七世紀の半ばに時の権力者が「遷都」をしたとしても、その遷都先は滋賀県琵琶湖界隈ではなかった。すでに書いたように日本書紀天智天皇六年(西暦667年)は、
《天智天皇六年(六六七)三月己卯【十九】》◆三月辛酉朔己卯。遷都于近江。是時天下百姓不願遷都。諷諫者多。童謡亦衆。日々夜々、失火処多。
と、書きます。
 壬申の乱の一方の当事者である天武天皇(日本書紀の記載に倣っている)が、西蝦夷の宮(政庁)と思われる「朝倉」から白川中流域の「大津」への遷都を指していると考えています。これは唐・新羅連合軍による九州北半部進駐・駐留によって余儀なくされたものです。
 日本書紀は「近江」と書き、後には「大津」と書き加えるなど、その呼称は定まっていません。
「近江」として故古田武彦氏は、島原湾に注ぐ白川の河口から5kmほど南にあり西に突き出す宇土半島の中央南岸の「大見」(おおみ)であろうと自著で書きます(私は氏の講演録から知ったため、その著書に直接当たったわけではない)。
 私自身は白川の河口付近、熊本市南部の「近見」(ちかみ)と考え、地勢図鑑などをめくりましたが現時点では確証はありません。いずれにしても、この白川こそが、壬申の乱の中心的舞台です。すぐ東にある「瀬田」が軍事衝突の地であったことは日本書紀が書いています。

 こうして、日本書紀記載の事象に次の混乱が生じます。一番目の混乱は「天智天皇の出生と天皇即位までの不明朗」です。そして二番目が「天武天皇の事跡である、大津への避難を遷都と称して天智天皇の事跡にしてしまう」ことです。
(つづく)


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都知事選分析(安富氏)、天智天皇の謎整理(1)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:連日の熱のこもった多くの聴衆をひきつけての街頭演説にも関わらず、山本氏への都民の支持は緑のおばさまに遠く及びませんでした。反省点、教訓はいろいろあるとは思いますが、山本氏にはやはり国政でがんばってほしい。そのために街頭演説に加え、第二、第三の山本氏につぐ論客を育成し、全国津々浦々の地域での萌芽つくりにも力を向けてほしいと期待しています。)【都知事選投開票日 記者会見】山本太郎 東京都知事選挙 2020年7月5日 


 太郎ちゃん 健闘及ばず 大敗す 喘ぐ都民に 熱意届かず

 下の動画で安富氏が分析していますが、今般の小池氏の336万に小野氏の60万を加えた約400万票、これは東京都における自民・公明・維新の固定票です。この総数はちょっとやそっとでは崩れないほど強固な支持の存在を意味します。カイロ大学卒業したのか否か、コロナ対策は有効であったのか否かの検証、七つのゼロ公約の不履行の追及、そして投票日が近づくにつれて急激に増加するコロナ感染者数から生ずるはずの小池都政への危惧、そんなことは、あの400万都民には全く問題ではない。なんとも不思議です。
 安富氏が訝るように、今般の選挙は小池氏の圧勝が予期されていたので、まずは投票率が上がらないだろうと予期していたけれども、それほど低くはなかった。そして驚くべきことはこれらの人の六割が「小池」という名前を書くために投票所へ行った。コロナそのものへの不安と経済縮小による生活不安が都民をして投票所に駆り立てたのだろうか?そうであるならば、早々に小池氏はその希望を裏切るであろうことは目に見えている。その際、あの400万都民は相変わらず自公への期待を保ち続けるのだろうか?
 
 都民でない私はyoutube動画でのすさまじい聴衆の数と熱狂を視聴し、もしかしたら山本氏は小池氏に勝てないまでも肉薄するのではなかろうかとひそかに期待していました。しかし、わずか投票日前半月の活動では、どれほど政策が優れていようとも、一千万都民にそれが浸透するとは思えません。宇都宮氏の力量もすでに過去の選挙で見えており、両者の合計が上で書いた強固な400万に近づくとは思えません。そうなれば反小池の多様な批判があったほうが良いのです。山本氏の立候補はその意味では反小池票を大幅に掘り起こすのではなかろうかとひそかに期待していました。が、そうはならなかった。

 それにしても東京都民の政治挙動の不可思議さには改めて驚きました。多くの都民が日本国の経済活動の中心的役割を担うに値する知性と良識を有しているはずです。一方で、非常に多数の非正規労働者、さらには東京には日本の物造りを支える中小企業、零細自営業者など、そして大学生など山本氏が街頭で語るように今般のコロナで甚大な苦難を背負わされた人々も少なくないはずです。そうしたコロナ犠牲者が高々150万人程度であるはずは無い、と思えます。これらの人が投票行動に立ち上がれば上で書いた400万の牙城は突き崩せるのではなかろうか、と思っていました。
 しかし、そうは、ならなかった。
 東大教授と語る【都知事選検証】山本太郎65万票の意味。東京は昭和100年を生きている!安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。 


 前回記事で掲載した講演動画で東京台東区の「永寿総合病院」での悲惨ともいうべき「コロナ感染」を児玉龍彦氏が語られています。その医学的視点からの詳細にわたる経緯がいまだ公になっていないことについて児玉氏が厳しく批判しています。当該病院長が先日記者クラブで講演をしたとのことです。概要が報道されていますので、下に掲載しておきます。
%%%%%集団感染の発見遅れ…永寿総合病院・院長「深くおわび」 2020年7月2日 06時00分
200707永寿無題

記者会見で亡くなった患者や家族に謝罪する永寿総合病院の湯浅祐二院長=東京都千代田区で
 新型コロナウイルスで国内最大級の院内感染が起きた永寿総合病院(東京都台東区)の湯浅祐二院長が1日、日本記者クラブで初めて記者会見した。原因は新型コロナだと疑うのが遅れ、感染予防策が不十分だったと説明。亡くなった患者や遺族に「深くおわび申し上げる」と謝罪した。 (藤川大樹)
 湯浅院長によると、患者や職員の発熱から、病院では3月20日ごろに集団感染と気付いた。23日にPCR検査で患者2人の陽性が判明し、全患者と全職員の検査を開始。5月23日までに患者やその家族ら131人、職員83人の計214人が感染し、患者43人が死亡した。亡くなった人のおよそ半数が血液疾患で入院中だった。
 厚生労働省の報告書では、最初に陽性が判明した2人を起点に、3月14日ごろには集団感染が始まったとみられる。

 新型コロナウイルスで国内最大級の院内感染が起きた永寿総合病院=東京都台東区で
 湯浅院長は、感染が広がった理由の一つに「新型コロナを疑うタイミングの遅れ」を挙げた。永寿では、新型コロナ以外の発熱や肺炎を起こす病気を持つ患者は珍しくない。起点となった感染者の1人は3月5日に発熱していたが、「(食べ物が気管に入る)誤嚥(ご えん)を繰り返しており、そのための肺炎と診断していた」と話した。

 また、マスクの着用や手指の消毒など「基本的な感染予防策が不十分だった」と説明。病棟の休憩室や仮眠室、ロッカー室などが「密」な空間だったことも反省点に挙げた。
 約2カ月の外来診療や入院の受け入れ停止で大幅な減収となっており、「病院運営は危機的な状況。(国などに)救済措置を講じていただかなければ地域医療は守れない」と訴えた。
%%%%%

+++++天智天皇の事跡を“斜交い”に見る
 TV番組「ぶらたもり」奈良史跡編(四月中旬放映)に登場したお二人の学者さんによる解説への“対抗意識”(と言っても学者さんの側は、私がTVの画面に向かってメラメラと赤い炎を上げていることなどは知る由も無いのですが)が最近のブログ記事の出発点となりました。解説者が日本書紀には登場しない「中大兄皇子」なる言をしばしば口にしたことが理由です。日本書紀に登場するのは「中大兄」に限られることを本ブログで書いてきました。この事実は、天智天皇の正体解明の重要な鍵になると考えています。
それは、ともかく、「タモリ」氏が奈良盆地で検分した斉明天皇時代とされる工事の内実が、実は天智天皇の土木工事を混在させているのではとの疑念があります。その背景・実態を探ると、天智天皇の土木工事が、実は唐新羅連合軍による九州占領下での西蝦夷(倭国)叛乱の鎮圧を目的としていたことを明らかになりました。

 良い機会ですので、この際天智天皇(あるいは中大兄)に関する疑念をここで整理しておくことにします。そこから、何がしかの「説得力ある仮説」が生まれるやもしれません。日本書紀を原文で眺めて湧き上がってくる大きな謎の一つが「神武天皇・崇神天皇・天智天皇・天武天皇」の絡み合いです。この四者が渾然と交じり合っていて、かつ別人格であるという不思議な関係にあることがおぼろげながら霧に中に浮かんできます。
例えば、崇神天皇(和名「美麻貴(みまき)」天皇)は「比奈良珠」(ひならす)命に指示して常陸国「新治郡」の「荒ぶる蛮族」の征討に功績を挙げたと常陸国風土記は書きます。一方「続日本紀」はその冒頭で「日並知」(ひなめし)皇子が、持統天皇の夭折した「草壁皇子」であることを書きます。「日並知」は“ひならし”と訓(よ)めます。このことから、崇神天皇は天武天皇と重なってきてしまうのです。本ブログでは、壬申の乱の事後の経過を注意深く眺めると「天武天皇が神武天皇ともボンヤリと重なります。そして、上に書いた「天智天皇」の闇がそれらの上に覆いかぶさっています。
 
 四天皇の相関解明の手始めとして、天智天皇の即位を考えます。この人物が「中大兄」であるとするならば、天皇即位の機会は舒明天皇が在位十三年にして死去した西暦641年にありました。ところが、時の皇太子である「東宮開別皇子」は皇位を継がず母の皇極天皇が天皇位につきます。すでに書いたことの繰り返しですが、「東宮開別皇子」が「中大兄」であることは「自明」であると、学者さんは思い込み、この記載への疑念を抱きません。この呼称の意味は西の「倭」粉に対抗して「東に(あらたに)宮(政治権力)を開く(ことになる)」人物であることを宣言しているのです。もちろんそれは西暦641年にそれを予言したのではなく、「後世そうなる人物である」との予言を書き込むことで、将来の天皇たるこの人物に「箔」を与えたのです。そうではあっても、何故、「中大兄」とあらわに書かなかったのか?

 皇極天皇が乙巳の変で退位した西暦645年に二度目の即位機会がありますが、即位したのは叔父にあたる孝徳天皇です。三回目の即位機会は西暦654年です。このときは皇極天皇が二度目の即位(重祚)をします。そしてこの天皇が死去し四度目の機会が西暦661年です。実に二十年もの長きに渡ります。このときにも、即位はせず、結局七年後の西暦668年に即位したと日本書紀は書きます。二十七年もの長きにわたって「皇太子」として「天皇」を支えてきたという「美談」です。この不自然さを日本書紀執筆者も自覚していたようで「素服称制」なる「説明」を書き記しています。

 “天智天皇七年(六六八)春正月丙戌朔戊子【三日】皇太子即天皇位。〈或本云。六年歳次丁卯三月、即位。〉”
「或る本では、近江遷都の際に即位したと書いてある」と書き込まれています。そもそも、「中大兄」が舒明天皇と皇極天皇の間に生まれた嫡男であると銘記した史書はありません。嫡男は「葛城皇子」です。そしてこの史書に後日に何者かが「後の天智天皇」であると書き込みをした。そしてそれが「史実」となってしまったのです。そしてこの葛城皇子は二度と史書に登場することは無く、まさに突然に皇極紀三年正月に「中大兄」が何の説明も無く歴史に舞台に登場するのです。
さて、即位に当っていよいよ后などの姻戚関係構築が記載されます。これについての疑念を次回に書きます。
(つづく)

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山本氏の投票日直前の演説、真の専門家が見るコロナ問題、天智・斉明紀の混在


(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:【新宿駅南口街宣】東京都知事候補 山本太郎 街頭演説 2020.7.4 18時30分~【れいわ新選組公認】 
 

 政治家の 本性見ゆる 都知事選 適者生存 はたまた弱者か

 東京都民では無いけれども、利根川の向こうから、今般の都知事選挙を凝視しています。とりわけ、現職で緑の服と大きなマスクから眼しか見えない老婦人、小池百合子氏と、連日街頭でマイク片手に熱っぽく語る候補者、山本太郎氏。「公職選挙」にあっては、候補者は政治家としての理念を必死に語ることでもって自らの資質を選挙民に判断してもらう。それが第一の義務ではなかろうか?否、政治家たるもの頼まれずとも語りたくてたまらないのではなかろうか?しかし、小池氏は何も語らない。有権者、そして民の意を代弁していると「自称する」報道関係者は「何故、語らないのか?」と、その「奇妙さ」を指摘するべきです。報道が「マスゴミ」と揶揄される所以です。
 「緑婦人」は根底に「適者生存」すなわち「強いものが生き残る」社会こそが存在し続けるべきとの思いがあるのです。日本国民の長く培われた政治との関係性に言及することがその説明になっているのかもしれません。弱者は圧倒的多数でありながら、そこに由来する辛苦を声高に叫ばない。だから、山本氏は街頭で弱者の思いを引き出さねばならないのです。一方の「緑婦人」は、声を出さない弱者を放置していれば、「適者生存」に帰結すると楽観しているのです。

全ては繋がる。東京コロナ100人以上新規感染・福島原発事故・太平洋戦争。日本政府に共通する国民軽視の失敗とは?元朝日新聞記者ジャーナリスト烏賀陽弘道と一月万冊清水有高 

参考記事:
%%%%%都職員“小池怨嗟”の声 愚策「東京アラート」後は役割放棄 公開日:2020/07/04 06:00 更新日:2020/07/04 06:00

+++++新型コロナウイルス
 アビガンの有効性が五月末頃から論議の対象とされてきました。日本では著名人への投与が著しい効果を挙げていた。にも関わらず、国内では二つの医療機関での治験結果などから、厚生労働省認可の治療薬として認定されず不安におびえる国民は享受できなかった。一方、米国産の薬剤が認定されるなどの経緯がありました。それについて最近アビガンの有効性が米国で報じられました。
%%%%%Dr. Peter Michalos: Avigan 'Quite Amazing' in Reducing COVID-19 Recovery Time
Dr. Peter Michalos:アビガンがコロナ疾患の治癒期間を驚くほどに短縮した
(図:Anti-influenza Avigan tablets produced by Japan's Fujifilm are displayed in Tokyo on October 22, 2014.(Kazuhiro Nogi/AFP via Getty Images)
2014年10月22日のフジフィルム製造の抗インフルエンザ錠剤アビガン)

By Eric Mack | Sunday, 14 June 2020 12:47 PM
200704アヴィガン無題

A drug to treat coronavirus patients, Avigan, is being tested in Massachusetts and is "showing exciting" results and might be available soon thanks to the Trump administration's Right to Try Act, according to noted coronavirus expert Dr. Peter Michalos.
"There are clinical trials going on right now in Massachusetts, here in the United States," Dr. Michalos, Chairman of the Hamptons Health Society, told Sunday's "The Cats Roundtable" on WABC-770 AM-N.Y.
"Thanks to President Trump's 'Right to Try,' even if [Avigan] shows great results in Phase 2 before it's FDA approved, people will get the right to try the pill."
Dr. Michalos noted Avigan has shown in trials of treating COVID-19 to cut the recovery time down from 11 days to just five. It was developed in Japan many years ago for the flu and repurposed for Ebola a few years ago, he told host John Catsimatidis.
"The Chinese began testing on it [on coronavirus patients] and had some very exciting results," he added. "Now the Germans are using it, and the Russian ministry of health approved it. That was pretty dramatic, that with an oral pill, instead of being sick for 11 days, people were only sick for five days."
コロナウイルスの専門家であるDr. Peter Michalos、 Chairman of the Hamptons Health Societyによると、コロナウイルス患者を治療するための薬であるアビガンはMassachusettsでテストされており、「エキサイティングな」結果を示しており、トランプ政権の Right to Try Act(注:終末期患者に限り、まだ完. 全に認められてい ない治験薬を試験的に使用する. 権利を認める法律)おかげで間もなく利用可能になるかもしれない。
「現在米国のMassachusettsで臨床試験が行われている」とDr. Peter MichalosはWABC-770 AM-NYの日曜日の"The Cats Roundtable"に語った。
「'Right to Try Act,'のおかげで、[アビガン]がFDAの承認を受ける前にフェーズ2で素晴らしい結果を示したとしても、人々は錠剤を試す権利を有する。」
Dr. Peter Michalosは、アビガンがCOVID-19を治療する試験で、回復時間を11日間から5日間に短縮したことを示したと述べた。アビガンはインフルエンザのために何年も前に日本で開発され、数年前にエボラ出血熱のために転用されたと彼はhost John Catsimatidisに話した。
「中国では(コロナウイルス患者にたいして)そのテストを始め、そしていくつかの非常にエキサイティングな結果が出ていた」と彼は付け加えた。「現在、ドイツ人はそれを使用しており、ロシアの厚生省はそれを承認した。これはかなり劇的で、経口薬では11日間の疾病が、5日間に短縮された。」

The trimming of recovery time is important, because it is the rapid replication of COVID-19 in patients that renders acute cases that can require the use of ventilators and lead to death, according to Dr. Michalos.
"Avigan is looking quite amazing," he added, noting use of treatments like hydroxychloroquine and remdesivir has to come early as opposed to later, when the virus takes over the lungs and leads to the immune system destroying a patient from within.
"The trick with a lot of these medicines is early intervention so the virus does not replicate," Dr. Michalos concluded. "The problem is once it replicated and gets into the lungs and our immune system starts filling it up with fluid."
Dr. Peter Michalosによれば、人工呼吸器の使用を必要とするような死に至る可能性のある急性症例をもたらすのは、患者におけるCOVID-19の迅速な変異であるため、回復時間の削減は重要だ。
「アビガンはかなり驚くべきと思える」と彼は付け加え、ヒドロキシクロロキンやレムデシビルのような治療法の使用は、ウイルスが肺を乗っ取って免疫系が患者を破壊する前に用いるべきと付け加えた。
「これらの多くの薬の投与は、ウイルスが変異する前の早期介入である」とDr. Peter Michalosは結論付けた。「問題は、いったん変異されて肺に入り込むと、免疫システムが肺を液体で満たし始めることだ。」
%%%%%(最後の方は私の医学知識の貧困のため確かな訳ではありません)

 政府の専門家会議メンバーとして招聘されていなかったけれども、持ち前の正義感と医師としての豊かな経験に基づいて積極的に今般のコロナ問題を発言してこられた児玉龍彦氏が記者クラブで講演をしています。ご専門はスーパコンピュタを動かしてウイルスのワクチンを設計することであることを下の動画で知りました。核酸とそれから作られるRNAそしてタンパク質の相互作用は、超高分子化学です。それは化学反応として理解されますが、実際は量子力学反応です(量子化学)。それには分子動力学が必要となります。40年以上も前の大昔には、当時最高速の大型コンピュタを一週間回し続け、その間に十数本の2400フィート磁気テープをとっかえひっかえ入れ替えて、ヘモグロビンの鉄と酸素の結合・挙動を計算する研究者から話を聞いたことがあります。40数年後の現在、はるかに規模の大きい実際の分子に即したシミュレーションが可能になったようです。
 児玉氏の講演は、すべてがまことに貴重ですが、現在の感染症研究での大学研究者の役割が封じ込められていることへの鋭い指摘もあります。視聴価値の高い動画です。

「新型コロナウイルス」(33) 児玉龍彦・東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクト プロジェクト リーダー(東京大学名誉教授)/ 村上世彰・一般財 

参考動画: 
新型コロナ精密抗体検査プロジェクト 緊急鼎談!宮田裕章×児玉龍彦×川村猛(2020年6月24日) 
下の動画は、本ブログ5月26日記事で掲載したものの再掲です。編成が以前と異なっているように思われるので再掲します。
参考動画(5月26日記事の再掲):
児玉龍彦(東大先端研)コロナウィルス 

 一人の視聴者が、執拗に「ウイルス」の起源を児玉氏に尋ねていました。質問者の意図は定かでありませんが、そもそもは核酸の生成から始まり、それが結合して螺旋形状を形成してRNAになる過程は、もしかしたら分子動力学で再現できるのかも知れません。しかし、質問者の意図はそこには無いようです。児玉先生も執拗な質問に困惑していました。

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+++++天智天皇の事跡に??が付く
 万葉集七歌の原文に忠実な解読に当時の歴史の流れを重ね合わせると、「菟道」に「ウジ」(宇治)なるカナを振ることは正しくないことを前回書きました。「菟道」視察は、大和朝廷率いる天智天皇が施工してきた「土木工事」の背景をも見事に説明します。
年が明けて、天智六年に日本書紀は「斉明天皇と孝徳天皇皇后の合葬」を書きます。斉明女帝は西蝦夷側の女性です。この合葬が本当に実施されたとしてもそれは奈良盆地内ではありません。その埋葬地を岩波文庫・日本書紀(五)の校注者は奈良盆地内と書きますが、そうではなかったでしょう。私は九州朝倉の南西にある麻弖良山(標高295m)から、シリウス方位にある高御霊神社ではなかろうかと考えています(2018年7月25日記事)。麻弖良山を学者さんは「マテラ」と読みますが、私は「アテラ」であろうと考えています。八世紀末の北上川を舞台とする「アテルイの乱」と由来を同じくします。因みにそれは岐阜県・長野県の県境を走る「阿寺」活断層の由来でもあります。
女帝の死を哀しんで息子である「皇太子」(ひつぎのみこ)が「憂恤万民之故。不起石槨之役」(万民の恤と汗を伴う労苦を憂い、石槨之役をしばらくやめよう)と言ったと日本書紀は書きます。この表現が再度出現します。それを後に考察することとして、ここに登場する「皇太子」とは、一体誰か?
「合奏」は天智天皇紀に書かれています。しかし、天智即位は翌七年となっています。何故七年間の長きに渡って天皇位に就かなかったのか?学者さんは「中国皇帝」の故事に倣った(例えが「称制」)のだろうと説明します。それはさておき、合奏は天皇不在で挙行されたので、皇太子は「天智天皇」自身であるはずです。が、学者さんは天智天皇が実質天皇であるので、それは「大海皇子」とします。不自然の謗りを免れません。それはさておき、「皇太子」が「大海皇子」であったとの学者さんの「解釈」は「誤解」の上に「誤解」を重ねたがゆえに結果として「正解」であったと私は考えています。「斉明天皇と孝徳天皇皇后の合葬」ガ実施されたとすれば、それは当然、西蝦夷の支配域でなされたはずです。唐・新羅連合の進駐軍の目を掠めて挙行するしかなかった筈です。
皇太子が「大海皇子」であったとすれば、西蝦夷一族は、唐新羅連合軍の攻撃を想定し、肥前および朝倉にあったと思われる宮でのしかるべき防衛策を講じていたはずです。そしてその工事をやめて、宮を移します。すなわち葬儀の翌月の「近江」への宮の移動です。場所は熊本県中部を阿蘇山から流れ出でて、八代海に流れ出る白川中流域にある大津であり、琵琶湖南岸の地ではありません。
「おうみ」に「近江」なる漢字表記を付したのはどこぞの「悪智恵者」であろうと考えています。私は「おうみ」まさに「大海」から「思いついた」のであろうと想像しています。すなわち「おお(王)あま(阿毎)」です。隋書倭国伝が書く倭王です。日本書紀は西蝦夷の首領の名がこの倭王の息子あるいは孫であることを知っていたと思われます。そこで「アメ」の「毎」(メ)を「海」にとりかえ、且つ「王」を「大」にして「大海」皇子なる人物を拵え挙げたのです。このあたりは、2013年前半ごろの本ブログ記事「天武天皇」を参照ください。遷都にあたって、「天下百姓は遷都を願わず」とあります。非道な首領を謗(そし)ったかのごとくを付記します。実態は、良き首領であった「大海」がこの地を去ることを惜しんだのであろうと考えています。
遷都の後、皇太子は「倭京幸」とあります。これが、新しい宮である白川中流域の「大津」であるのか、やがて来るはずの大和朝廷軍の九州攻撃に備えるべく現在の大分県「京都」に西蝦夷の別拠点構築であったのかもしれません。この攻撃が「壬申の乱」であったと考えています。

一方、奈良の大和朝廷は、この年の年末に唐新羅の背後支援を得て
“倭国高安城を築く。讃吉国山田郡屋嶋城を築く。対馬国金田城を築く”
なる工事をします。すなわち、大和朝廷の側は、追い詰められた西蝦夷一派が、奈良盆地に攻め入ってくることを想定し極度に警戒したのです。なんといってもまずは南北に走る生駒・金剛山系の中央を穿つようにして奈良盆地に流れ込む大和川は、最も警戒すべき敵の進入経路です。その進入地点を見張るのが高安城ということになります。
「天智天皇八年(六六九)八月丁未朔己酉【三日】天皇登高安嶺。議欲修城。仍恤民疲、止而不作。時人感而歎曰。寔乃仁愛之徳、不亦寛乎。云々。」
とあります。にもかかわらず
「十二月 災大蔵。」
大和朝廷の関心は、高安城の増強です。八月には防備能力を視察し、増強工事をしたかったが、民の「工事疲れ」を考慮して断念した。そんな時に西蝦夷からの侵入があり、大切な食料庫に火をつけられます。
「是冬。修高安城、収畿内之田税。』于時災斑鳩寺。」
そこで、高安城の増強したけれども、高安城の生駒山を挟んで東側麓の大和朝廷政庁である斑鳩寺に放火されます。
天智天皇九年(六七〇)二月。造戸籍。断盗賊与浮浪。』于時天皇幸蒲生郡匱〓野而観宮地。』又修高安城、積穀与塩。又築長門城一。筑紫城二。
再度高安城増強です。しかも、長期の安定的な敵進入監視を可能とするために食料備蓄です。さらには西蝦夷軍の動向を事前に察知するために長門と筑紫にも要塞を築きます。

 こうして、奈良盆地の政治拠点を西蝦夷から護るための工事に力を注ぎつつ、(日本書紀は)天智天皇十年十二月三日に死去します。この死について、私の考察を書く前に、ざっと天智天皇の「土木工事」を振り返っておきます。
 過去二回ほどの記事で気付かれた方もあろうかと思いますが、日本書紀編纂を統括した藤原不比等は、天智天皇紀の執筆については、それが杜撰であるのか、それとも計算しつくされたものであるのか、なかなか見極めが難しいのです。
斉明紀日本書紀二十六巻二年(西暦656年)九月の記事は、A:奈良盆地内(珍王末裔、所為大和朝廷)の事跡;B:西蝦夷(所謂九州倭国末裔)の事跡に分けることができます(x月x日記事)。
A1:於飛鳥岡本更定宮地。時高麗。百済。新羅。並遣使進調。為張紺幕於此宮地、而饗焉。遂起宮室。天皇乃遷。号曰後飛鳥岡本宮。於田身嶺冠以周垣。〈田身。山名。此云太務。〉復於嶺上両槻樹辺起観。号為両槻宮。亦曰天宮。時好興事。
B1:廼使水工穿渠。自香山西至石上山。以舟二百隻載石上山石。順流控引於宮東山。累石為垣。時人謗曰。狂心渠。
A2:時人謗曰。狂心渠。損費、功夫三万余矣。費損造垣功夫七万余矣。宮材爛矣。山椒埋矣。又謗曰。作石山丘、随作自破。〈若拠未成之時、作此謗乎。〉
B2:又作吉野宮。西海使佐伯連栲縄。〈闕位階級。〉小山下難波吉士国勝等。自百済還、献鸚鵡一隻。
A3:災岡本宮。
%%%%%
 上に列記した斉明二年紀の記事には、天智天皇の時代になされた工事が書き込まれていると指摘してきました。次回は、そのもう一つの証を書いて、そうせざるを得なかった藤原不比等の思惑、言葉を変えれば謎の天皇である天智天皇を考えます。実はこれがそもそもの筋書きである神武天皇東征を考察することにつながります。
(つづく)

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進駐軍が視察した「菟道」と邪馬台国、ワクチン(児玉龍彦)、専門家会議

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:雨の合間の水田に青鷺が優雅に降り立ちました)
白鷺8103


 公職を 目指すからには 民に訴え 支持拡大の 努力をすべし

 表題の疑問に茂木氏が明快に答えています。それにしても、選挙で、審判されるべき当人が一切公の場に出てこない。このことを以って、私は小池氏は民主主義というものを全く理解していない人物であると断じます。youtube動画ですが、画面が表示できていないようです。が、青字をクリックしていただければ視聴できます。小池百合子さんはなぜ街頭演説をしないのか 

 長い不調のためにドイツ・スポーツジャーナリズムから厳しい批判に晒されていたアントラーズ出身の大迫勇也がどうやら復調しました。うれしい限りです。さらには本日の報道では久保建英もゴールこそ無かったものの見事な2アシストでスペインで絶賛されているとのこと。うれしい限りです。
%%%%%「ユウヤはようやく…」大迫勇也が“復活”した理由は? ブレーメン監督が明かす 
 ブレーメンの自動降格回避のためには勝つしかなかったブンデスリーガ最終節で、日本代表FW大迫勇也は、2ゴール・1アシストという活躍で勝利に貢献した。 現地紙『BILD』はこの試合で大迫に最高点の「1」をつけ、「彼にとってこのクラブでのベスト試合、ベストパフォーマンスだった」と称賛。また、フロリアン・コーフェルト監督は試合後のコメントで「彼はずば抜けたパフォーマンスを見せてくれた」と手放しで絶賛したと伝えている。「ユウヤはようやく、シーズン序盤と同じようなフィジカルコンディションに戻ってきた。ケガが多すぎたこともあったし、ようやくニクラス・フュルクルク、ミロト・ラシツァと一緒にプレーできたことも大きい」
 さらに、大迫のベストポジションは「彼の前にもうひとりいる状態だ」と語った。「彼は最前線のストライカーではないときに、快適に感じていると思う。今季は時折、ほかに選択肢がなく、その場所に置かなければならない状況がたびたびあった。だが、今は前にプレーヤーがいて、彼らと連動することでユウヤのプレー面、そして戦う姿勢が並外れたものになるんだと考えている。 また、現地メディア『deichstube』のビュルク・ニック記者は「入れ替え戦での勝利のためには、ゴールが不可欠」と綴り、大迫を前線のキーマンのひとりに挙げている。「コーフェルトは常々、8番のクオリティーについて言及し、信頼してきた。さらに、ケガ人たちがようやく戻ってきた。蘇った前線によるスコアは、奇跡の勝利のために必要だ。『彼らはまだ何も成し遂げていない』のだから」 2部3位のハイデンハイムとの昇降格プレーオフは、現地時間7月2日と6日に行なわれる。大迫はブレーメンを残留に導く活躍ができるか。
%%%%%構成●サッカーダイジェストWeb編集部

 児玉達彦氏がワクチンにからむ問題点を指摘しています。今般のウイルスが刻々とその様態を変異させているために、従来のワクチン製造のアルゴリズムを考えなおすことも視野においておかねばならない、と児玉氏は語ります。
ワクチン神話を疑え!SARSで17年ワクチンができないわけ【新型コロナと闘う 児玉龍彦×金子勝】20200624 
youtube動画ですが、画面が表示できていないようです。が、青字をクリックしていただければ視聴できます。
 このたび「お役御免」なる無情な決定を突きつけられた専門家・会議の座長さんがインタビュに答えています。そのなかで、検査数を押さえ込んだことへの厳しい批判に答えています(ハイライトされた文節)。これは言い訳にはなっていません。専門家の皆さんはそれぞれしかるべき大学で教育、訓練を受けてきたはずです。そうした訓練を経て現職にあるわけで、官の立場に立った途端に大学のやることは信用ならんというのは理屈が通りません。
%%%%%「議事録作成、僕らは嫌だと言っていない」 政府専門家会議・脇田隆字座長 2020年6月26日 05時50分
<新型コロナインタビュー>
 新型コロナウイルスの感染者が国内で初めて確認された今年1月以降、感染の拡大防止に取り組んだ関係者らは何を考え、どう行動したのか。インタビューで振り返り、再流行への備えに何が必要かを考える。
◆明らかに検査は足りない認識
 −最も危機感を抱いたのはいつか。
 
 3月に入り、欧米由来のウイルスが日本に入ってきたところだ。イタリア、フランス、スペインが軒並みオーバーシュート(感染爆発)し、欧米帰りの人から感染者が出てきた。
 ―PCR検査の能力が伸び悩んだことに批判の声が出た。
 専門家会議は「検査をとにかく広げないといけない」と言ってきた。特に4月は、東京で医師が必要と判断しても検査が受けられないという事例もあり、明らかに検査数が足りないという認識があった。
◆クラスター対策は重要
 ―大学などの研究室にも検査機器はあったが、活用は進まなかった。
 研究目的と異なり、臨床診断はミスが許されず精度が重要だ。
最近、Jリーグや大相撲、プロ野球でも民間検査が始まったが、(感染していないのに陽性となる)偽陽性などの問題が明らかになっており、検査の精度も注視するべきだ。
 ―感染経路を調べ、クラスター(感染者集団)を防ぐ対策は一定の効果があったとされるが、保健所の負担も大きかった。
 IT(情報技術)を使って経路を追跡できるシステムを導入するべきだし、保健所の業務もなるべく軽減させるべきだ。日本では一対一の感染ルートは少なく、クラスターが連鎖する感染が大きい。クラスターを防ぐ対策は重要だ。
 ―事後検証のため専門家会議の議事録作成を求める声がある。
 議事概要でもエッセンスは入っているが、きちんと検証できるようにするのはいいことだ。僕らは議事録作成が嫌とは言っていない。
◆流行続く可能性 
―再流行に備えるための課題は。
 
 東京の繁華街や北九州で起きた流行は今後も続く可能性がある。だが、われわれも多くの知識を得て賢くなっている。「食事の仕方まで指示するな」という声もあるが、「大皿は避けて、料理は個々に」など新しい生活様式も示した。クラスターが起きやすいハイリスクの場所では対策を徹底してほしい。国が検査、医療体制を整備しつつ、国民も感染が流行するリスクを自覚して行動してほしい。 (聞き手・原田遼)
 わきた・たかじ 1958年生まれ、名古屋市出身。名古屋大大学院医学研究科修了。2005年、東京都神経科学総合研究所でC型肝炎ウイルスの培養細胞内での増殖に成功。06年に国立感染症研究所に入り、18年から所長。
%%%%%
(図:朝日新聞6月29日記事)
200629専門家10084


 マスクの効用を数値シミュレーションした事例を見つけましたので転載しておきます(livescience誌)
(図:In a new visualization, researchers simulated a cough, which appears as a glowing green vapor flowing from a mannequin's mouth. The visualizations shows that face masks dramatically reduce the spread of cough droplet particles, from 12 feet without a mask to just a few inches with a mask. Homemade cloth masks (top) and cone-style masks (bottom) worked the best at reducing droplet spread, although there was some leakage at the top of the mask in each case.
(Image: c Florida Atlantic University, College of Engineering and Computer Science )
顔面マスクが咳から拡散する飛沫距離を12フィート(4m ,マスクなし)から数インチ(50cm,マスクあり)にまで短縮する。上は家庭で作るマスク、下はコーンタイプだが、漏れはあるが、飛沫拡を減じている。(注:私にはお手製のマスクのほうがコーンタイプより良いと見えます)
ここをクリックすると、その動画を見ることができる。拡大は図のクリックで )
200701コロナezP4mJGfHcp8spBSYMtoaD-1024-80


+++++安倍政権の今後
 さて板垣情報です。真偽のほどはわかりません。
%%%%%トランプ大統領は「安倍は、脅せ」と指令、麻生太郎副総理は、「安倍晋三は入院するから、9月は俺が総理だ」と、言いふらしているという(板垣 英憲)
2020年06月30日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 これは、イスラエル情報機関「モサド」に深く食い込んでいる情報通の説明である。
 安倍晋三、麻生太郎、竹中平蔵たちの海外隠し口座が、すべて米国にロックされて没収されている。安倍晋三は、オーストラリアの隠し口座が、やられたらしい。しかも、トランプからは「安倍は、脅せ」と指令が出ているという。米CIAは安倍晋三を9月の誕生日にキューバに呼び出し、厳しく拷問し、尋問する。安倍晋三の生年月日は、1954年9月21日 (年齢 65歳)、次の誕生日頃には、病気を理由に辞任すると見られており、安倍晋三は、命乞いに余念がなく、脅されたらなんでも言いなりになって、なんだかんだと理由をつけて、政府・自民党のカネを持って行っている。これに対して、麻生太郎は、「安倍晋三は入院するから、9月は俺が総理だ」と、身近な人に言いふらしており、それが広がっていっている。自民党内では人気がないので、総裁選挙をせず、衆院解散総選挙もせず、国会での首班指名選挙(衆院優越)で首相になろうとしている。加えて、麻生太郎は、裏の権力を持ちすぎてしまっている。水道利権もロスチャイルドにどんどん売っているし、それについて与野党ともに文句を言いきらない。やっていることは、完全にマフィアに成り下がっている。とんでもない「悪徳政治屋」だ。祖父・吉田茂元首相が、草葉の陰で泣いている。」
%%%%%

+++++天智天皇の土木工事(4)
 唐新羅連合軍の将官が対馬から筑紫の都督府への旅をした。その行程が50日ほどであるとの日本書紀記事を紹介しました。そしてこの記事が書く旅程の主要日数は、魏志倭人伝での魏国視察官の邪馬台国までの所要日数であると解釈した本ブログ管理人の持論を書きました。しかし、私の持論に接する機会の無かった学者さんたちはいまだにこの問題で困惑しています。その困惑を邪馬台国研究者が東京新聞で書いています。実は、私は、自らの持論を7年前の2013年に東京新聞学芸部に送付し、しかるべき欄への掲載を求めたのですが、「洟も引っ掛けて」もらえませんでした。愚痴であります。
(図:6月30日東京新聞記事より。拡大は図のクリックで)
200630邪馬台国8121

 日本書紀・巻二十七〜三十(天智・天武・持統天皇紀)の記載内容は、それを注意深く読むほどに謎路に入り込む気分に陥ります。言葉を変えると、見直すたびに新発見があります。
 白村江海戦で倭国が敗戦し、本拠九州に逃げ帰ってきたのが天智天皇二年晩秋です。翌年の三年に、勝者である唐新羅連合軍が九州に進駐し現地占領軍司令官府たる都督府を現在の大宰府に設け、倭国の「反撃」を鎮圧する態勢を構築します。その過程で彼らの反撃能力を見定めることとなります。さて、冒頭に書いた対馬から筑紫までの旅の記録です:
 ”天智天皇四年(六六五)九月庚午朔壬辰二十三日唐国は朝散大夫沂州司馬馬上柱国劉徳高等。〈等謂右戎衛郎将上柱国。百済将軍朝散大夫上柱国郭務悰。凡二百五十四人。七月二十八日、至于対馬。九月二十日、至于筑紫。二十二日、進表函焉。〉”
 天智四年にも来倭した進駐軍の旅程が日本書紀に記されています。それに拠れば、対馬経由で筑紫に到着するに要した日数が約五十日です。この日数は、現ブログ管理人が魏志倭人伝から読み解いた対馬―邪馬台国の旅程日数とほぼ同じです。
 前回記事で、この発見をもっと大げさに「快哉!!」と叫ぶべきであったなと考えています。さて今般の来倭は倭国軍の戦力評価です。それが次の文節です。
“冬十月己亥朔己酉(十一日)大閲于菟道。”
ここで問題は「菟道」です。岩波文庫「日本書紀(五)」校注者は以下を書いています(37頁)。
“「菟道」は「京都府宇治市付近。唐使に示威するための閲兵か”と。
 この解釈によって、唐新羅連合軍の倭国進駐軍は九州・筑紫に留まらず、さらに足を伸ばして奈良盆地北縁にまで出かけたと、校注者は考えていることがわかります。「菟」は「うさぎ」の「う」であり、「路」が「じ」と訓(よ)み、それは「道」と同義であることを論拠にして、「菟道」は「うじ」すなわち「宇治」であるとしたのです。

ところで、「菟道」について私が連想するのは万葉集七歌、および日本書紀巻二十三舒明九年紀です。まずは万葉集七歌です:
%%%%%万葉集七歌
原文:
01/0007,題詞:"明日香川原宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇] / 額田王歌 [未詳]",
原文:"金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念",
訓:"秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ",
仮名:"あきののの みくさかりふき やどれりし うぢのみやこの かりいほしおもほゆ",
左注:"右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 三月戊寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦
%%%%%
 この歌の検討はすでに複数回本ブログで記事にしています(
 2009年6月14日、 6月17日 、 8月30日 )ので、繰り返しません。左注はこの歌の歌意を知る作業で山上憶良が直面したのが「一書戊申年幸比良宮」です。すなわち「西暦648年(戊申年)」に「比良宮」に行った時の歌であると記した文書を山上憶良は知ったのです。となるとその時の天皇は弟である孝徳ということになり、題詞に反します。ところが、斉明紀五年(西暦659年)は、天皇が正月から五月にかけて温泉、吉野、そして「近江之平浦」に旅をした。とも書かれている。歌人である山上憶良は大いに悩んだに違いありません。「一書」を信ずるべきか、はたまた、撰上されたばかりの日本書紀を信ずるべきか!
 
 本ブログで何度も強調してきたことですが、万葉集の初期歌群(壬申の乱前後までの歌群)の日本列島古代史の史実に照らした「解読」は全く進んでいないのです。例えば、上に示した「歌意」を以って、この歌は完全に理解したと学者さんは胸を張れるのでしょうか?
 さて、私がこの歌に付した歌意は以下です。念のために付記しますが歌の舞台は奈良盆地から宇治を経て琵琶湖までの旅路ではありません。現在の佐賀県吉野ヶ里遺跡界隈です。:
七歌歌意:
“金立山で刈り取った萱をはこんで下山してきました。「ヒレ」ガ里(現在の平ガ里)にある借りの陣屋の屋根を葺くためです。この陣屋は膨大な(五百礒)砂利でもって造成された堤土塁道に造られるのです。そこを時々兎が走るので「兎道」(現在の田道)と人は呼んでいます。”

 この歌の背景には差し迫った戦争があります。その状況が三歌〜十二歌に渡って歌の形式で持って叙事されます。それは壬申の乱時の西蝦夷側の九州拠点防衛であったのか、それとも白村江海戦を控えての唐新羅連合軍による倭国侵攻に備えた防衛体制整備であったのか。多分後者であったろうと思っています。この歌に続く八歌はあの有名な「にぎたづに ふなのりせむと つきまてば・・・・」です。「にぎたづ」は筑後川河口域であり、四国の伊予ではありません。

 上に書いたように「兎道」は「ウジ」ではなく「トミチ」であり、それは土塁又は長大な城壁です。だからこそ、唐新羅連合軍の倭国進駐部隊はこの城壁を厳しく検分したのです。

 「兎道」が「土塁」であったと思われる記載を日本書紀巻二十三舒明九年紀に見ることができます:
《舒明天皇九年(六三七)是歳》是歳。蝦夷叛以不朝。即拝大仁上毛野君形名。為将軍令討。還為蝦夷見敗、而走入塁。遂為賊所囲。軍衆悉漏城空之。将軍迷不知所如。時日暮、踰垣欲逃。爰方名君妻歎曰。慷哉。為蝦夷将見殺。則謂夫曰。汝祖等。渡蒼海。跨万里。平水表政、以威武伝於後葉。今汝頓屈先祖之名。必為後世見嗤。乃酌酒、強之令飲夫。而親佩夫之剣。張十弓。令女人数十俾鳴弦。既而夫更起之。取伏仗而進之。蝦夷以為。軍衆猶多。而稍引退之。於是。散卒更聚。亦振旅焉。撃蝦夷大敗以悉虜。
文意:岩波文庫「日本書紀」(四)、178頁
《舒明天皇九年(六三七)九年春二月丙辰朔(一日がひのえたつ)戊寅(つちのえとら、二十三日)。大きな星東から流れ西へ。さらには音もあり雷に似ていた(隕石か?)。時の人が言うには「流星之音だ」。亦ある人が言うには「地の雷(いかずち)」と。ここで、僧旻(そうみん)僧(ほうし)は「流星ではなく、これは天狗である。其の吠声が雷(いかずち)に耳には聞こえる」と。
三月三月乙酉朔(きのととりついたち)丙戌(ひのえいぬ、二日)。日蝕あり。
是歳。蝦夷が叛き朝庭に詣でず。そこで、大仁・上毛野君形名を将軍として討罰を指令する。ところが、蝦夷に敗れ、而こうして塁に逃げ込んだため、賊に囲まれてしまう。軍衆は悉(ことごとく)漏れ、城は空になる。将軍は迷いなすすべを失う。日暮に、垣を越えて逃げんとする。ここにおいて、方名君の妻が歎いていうには「慷哉(うれたきかな、いまいましいことよ!)。蝦夷のために将が見殺しにされんとした。」と。さらに続けて夫に「あんたの祖は蒼海をわたり、万里をこえて平水表政(?おちかたのまつりごとをたいらげ)、武威をもって後の世に伝えてきた。然るに、アンタは今先祖之名をけがした。必らずや後世に嗤れるだろう。」といい、酌酒し、夫に飲むことを強いる。而うして親(みずから)夫之剣を佩き、十弓を張りて、女人数十に命じて鳴弦をせしむ。既に夫も再度決起し伏仗(つわものども)を指揮して進軍す。そのため、蝦夷は軍衆依然として多かったが、ようやくにして引き退る。ここで、散っていた卒を更(さいど)聚(あつめ)軍団を整え蝦夷を打ち破り大敗せしめ悉く虜にせり。
、2019年11月20日記事12月7日記事 )
 この戦争が何であったのか?それを特定するための同時代資料はありません。男大迹(継体天皇)天皇の仕掛けた戦争で、九州を舞台とした「磐井の乱」とすれば、この情景は、万葉集七歌が読む「兎道」すなわち土塁であったとも考えることができます。
(つづく)

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中大兄の土木工事(3)、都知事選挙情報、千葉東方沖地震(補足)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:選挙関連の映像の引用については制限があるのでしょうか。冒頭の画面が記事に掲載できませんので、下記をクリックして視聴願います。
【政見放送】山本太郎 東京都知事候補(れいわ新選組公認)【東京都知事選挙2020】 
関連動画:「宇都宮さんと政策が同じだと言われて…」東京都知事候補山本太郎(れいわ新選組代表) 
伝説の政治家 田中角栄と革命政治家 山本太郎  

 いつもとは 時間の進みが 早すぎて ふと気づくと 半年が消ゆ

 二月以来五ヶ月間に渡って政府のコロナ対策に助言を続けてきたのが「専門家会議」であると国民は考えてきました。だからこそ、PCR検査を拡充しない専門家会議の結論を批判してきました。感染者と非感染者を識別すための方策など、具体的な対応策をとるよう、TV記者である玉川徹氏などが官邸の理不尽な対応に晒されながら声を上げてきました。ひとえに専門家会議への不満でした。その専門家会議の解散を官邸が決定しました。元専門家会議座長から今更のように官邸の意向と専門家会議の乖離が語られ始めています。しかし、一方で、専門家会議の出自が厚生労働省であるところから、座長の言も「引かれ者の小唄」に聞こえなくもありません。出発点でのボタンの賭け違いです。上昌広氏が二月以来指摘してきたように、こうした優れて自然科学的な災害対応についての検討にあっては、官邸から独立した組織として出発するべきであったのでしょう。
関連記事:
東京都民に知ってほしい 小池百合子の「通信簿」 職員の評価は歴代最低、あの舛添さんより低かった! 
関連動画:
【小池都知事「都政大改革」とは何だったのか?川松真一朗都議と東京都政を語る!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#20 

 コロナ騒ぎが無ければ、今頃はサッカーの国際試合が頻繁に放映され、安焼酎とカキピを脇に侍らせて、M監督の采配に檄を飛ばし罵詈を浴びせていたことでしょう。サッカー協会が来年の五輪に向けて代表監督について論議を始めるとの事です。めちゃくちゃな采配で惨敗を繰り返した森保一氏の監督解任を願いたいものです。
参考記事:森保一監督、A代表専念へ 田嶋会長が検討を指示…東京五輪直前にW杯最終予選 

 サッカー協会を支配する電通の実相がコロナ災害被害者への「一時金配布」(持続的給付金)で明るみに出つつあります。しかし、相変わらずTVニュース番組では「電通」が露に論議されることはありません。TVが拠って立つ、直裁に言えば生命線である広告業務を電通が握っているからといわれています。その実体を以下の動画が語っています。
電通の権力【プロに聞く!】電通批判の記事が週刊ポストに載った裏話。実際に取材された作家が解説。元博報堂の作家本間龍さん 

+++++千葉沖地震の話(補)
 6月25日の本ブログ記事で同日早朝の千葉県東方沖地震について、気象庁データベースの簡単な調査結果を書きました。この地震を安富歩氏が以下の動画で語っています:
東大教授と語る【吃驚報道】今回の地震は3月11日の余震?千葉・震度5弱、「1週間ほど同規模地震に注意を」?ありえないニュース。安冨歩教授電話出演。 
 今から25年も前の神戸大震災の際に、当時の京都大学の地震の専門家が日本列島は「地震の活動期に入っている」との「警鐘」言をあちらこちらで発していました。しかし「活動期」なるものを規定する地震学的物差しはありません。一定期間内での一定規模の地震発生回数を物差しとするならば、その期間の長さ、その回数下限を定め、それを超えた時点を活動期の始点とする、などの定量化議論は全くありません。
 上記動画で二人の論者が語る「余震」についても全く同様です。大地震の後に続く地震活動が時間的に空間的にも近接していればそれらを「余震」と考えます。しかし、時間的に十分離れている場合の地震はどうなのか?1891年(明治24年)日本列島・内陸最大の地震「濃尾地震」が発生し、大きな断層が生成され、その一部は根尾谷断層として地表でも観察されました。この断層に沿っていまだに地震活動が続いています。これは濃尾地震が引き起こしたと考えれば余震です。しかし、根尾谷断層は日本列島内外の地質構造(テクトニックと呼ばれている)運動によって大昔に出来上がったものとするならば、1891年の巨大地震が地表に残した断層という傷跡は疾うに癒え、今やその傷の活性を図るべく新しい活動が始まっているとも言えます。前回記事で書いたように、地震現象を記述する物理数学は、ひとたび破壊が起きた時点ではきわめて精度良く地表の変動を算出し、且つ「逆問題」と呼ばれる複雑な解法を駆使して、地震源周辺の岩盤の運動までも解明します。しかし、これらは「地球物理学」であって、「地震予知学」ではありません。
「余震」論の根底には「地震現象が因果律に束縛されている」との信念、すなわち極端な言を借りるなら「ラプラスの悪魔」(2019年2月1日記事)に依拠しているのです。しかし、自然現象がこの「悪魔」によって原理的に理解されたとしても、現実の問題の解決にはなりません。前回記事でも書いたように、地震発生にいたる物理的素過程を積み上げて大地震発生につながるシナリオ構築することでもって地震間の連関把握をあきらめ、AIでもって闇雲に関連現象を坩堝にほおり込むというアプローチしかないのかもしれません。

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+++++天智天皇土木工事(3)
 できるだけ早く「神武東征」譚に、話を戻したいと書いておきながら、天智天皇時代の土木工事に拘(こだわ)っています。天智天皇と天武天皇の間で争われた「壬申の乱」の結末は「天武天皇側の東国へ向けた逃亡」であり、「逃げ切れずに信濃・諏訪での捕縛・幽閉」で一段落しました。その顛末の最終段階を唯一の正史「日本書紀」の紙背から読み取るとすれば、それが「神武天皇の東征」であると考えています。
 現在議論している天智天皇の「土木工事」は、「神武東征」譚の初期段階の一コマです(尤も、最初からその枠組みで考えていたわけではなく、タモリ氏の奈良ブラリが契機となったのですが)。タモリ氏が奈良盆地内で観察した史跡は日本書紀斉明紀の「狂心渠」のくだりです。このくだりには天智天皇が指揮したと思われる工事が意図的に紛れ込まされていると私は考え天智天皇紀で書かれる工事を、最近数回の記事で眺めています。

 工事の記事を列記し、それらの軍事的・政治的意義を考察する作業の中で「避けて通れない」表現が出てきます。それは「皇太子」、「大皇弟」です。この尊称で語られる人物は一体誰なのか?という疑問です。

 白村江海戦での惨敗(天智天皇二年九月、西暦663年)後の翌年春二月の「冠位」倍増とはこれ如何に!これは不謹慎というか、敗戦後の暗い雰囲気に馴染まない事象です。しかし、この「冠位」倍増が「祝事」としての陪臣への褒賞であるとしたら、頷けます。何回も書いてきたように天智天皇率いる「大和朝廷」は、唐・新羅連合軍の側にあって、倭国(西蝦夷)の足を引っ張り敗残に導いたと考えれば納得が行くからです。
 そうなると、「大皇弟」が後の天武天皇こと「大海皇子」とは思えなくなります。八年後の天武元年(西暦672)に勃発した壬申の乱の首謀者である「大海皇子」は、この時点で奈良盆地には居らず、九州の地にあって白村江海戦後の対応に追われていた筈なのです。日本書紀には何の説明も無く一回だけ顔を出してそれっきりという人物は沢山いますから、この人物を特定することは難しそうです。例えば、孝徳天皇は、斉明女帝の弟です。白雉五年(西暦654年)に死亡したとされます。前年に皇太子であったとされる中大兄は孝徳天皇の連れ合いである間人皇后をかってに奈良盆地に連れさったと日本書紀は書きます。通説では中大兄と間人皇后は「兄妹」、まさに近親相姦の関係です。図らずも日本書紀は事実の一端、すなわち中大兄が間人皇后とは他人の関係であった、言葉を変えればこの人物の怪しき素性をほのめかしているのだろうと想像しています。そして自分の嫁を中大兄に差し出した「孝徳天皇」なる人物は、実は中大兄の側近ではなかったかと想像しています。

 それはさておき、通信体制の整備は是歳(天智天皇三年)に構築されたと日本書紀は書きます。年が明けた八月に長門、筑紫、金田に築城(天智天皇四年)しますが、この年に日本書紀は以下の記事を書きます:
%%%%%日本書紀巻二十七
原文:
天智天皇四年(六六五)九月庚午朔壬辰二十三日唐国は朝散大夫沂州司馬馬上柱国劉徳高等。〈等謂右戎衛郎将上柱国。百済将軍朝散大夫上柱国郭務悰。凡二百五十四人。七月二十八日、至于対馬。九月二十日、至于筑紫。二十二日、進表函焉。〉
冬十月己亥朔己酉(十一日)大閲于菟道。
文意(岩波文庫「日本書紀(五)」36頁:
天智天皇四年(六六五)九月庚午朔壬辰二十三日 唐国遣朝散大夫沂州司馬馬上柱国劉徳高等を派遣した。〈等謂右戎衛郎将上柱国、百済将軍朝散大夫、上柱国郭務悰など凡そ二百五十四人で七月二十八日に対馬につき、九月二十日に筑紫に至り、二十二日に進表函焉する。〉
冬十月己亥朔己酉十一日 大閲于菟道。
三週間後の十月二十二日に菟道を視察する。
%%%%%
 少しだけ脱線させてください。上掲「七月二十八日、至于対馬。九月二十日、至于筑紫。」から連想したのが魏志倭人伝の下記文節です:
%%%%%魏志倭人伝抜粋
原文:
南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戸
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戸
文意:
南へ水行二十日で「投馬国」に至る。官は「彌彌」、副は「彌彌那利」という。五万余戸である。
南にいくと「邪馬台国」に至る。女王の都するところだ。水行十日と陸行一月である。官に「伊支馬」がある。次は「弥馬升」、次は「弥馬獲支」、次は「奴佳鞮」という。七万余戸だろう。
%%%%%
 この二つの文節の解釈こそが、邪馬台国のあった場所を決める重大なてがかりでありました。この二つの文節と、それに先行する文節群との間には、距離表記に明瞭な「違い」があります。学者さんはその違いをあれやこれやと論じ、ある学者さんは、邪馬台国は近畿地方・奈良盆地内にあった都市、ある学者さんは遠く南西の南シナ海にあったと声高に主張します。実際、現在ですら千葉県佐倉市の国立民俗歴史博物館の研究者グループは、奈良盆地内の箸墓古墳こそが邪馬台国首長卑弥呼の古墳であると主張しています。
  (図:対馬から筑紫までの行程に要する所要日数、2013年8月2日記事。拡大は図のクリックで)
180810邪馬台国3eec48f1-s


 対馬から「邪馬台国」までの距離は所要日数で換算すると船で十日、陸路一月、すなわち四十日です。ところで、日本書紀によれば対馬から筑紫までは約五十日です。ほぼ同じ所要日数であることがわかります。日本書紀の記述が実は邪馬台国の在り処を間接的に示していたのです。それは奈良盆地ではない、ましてや南シナ海のどこでもない、ということです。

 余談はさておき、次の文節を見ることにします。是は少し長い説明を要しますので、次回に回します。
(つづく)

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天智天皇の土木工事(2)、6月25日早暁千葉東方地震

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:関東地方にお住まいの方は、さぞかし安眠を妨げられ布団から飛び出したのではなかろうか、と想像しています。この地震が近い未来の地震災害の前兆であるのか否か、誰もわかりません(バックグラウンドのタローちゃんの演説動画音声が重なってしまいまいました【明大前駅中央口街宣】東京都知事候補 山本太郎 街頭演説 2020.6.25 12時00分~【れいわ新選組公認】 )200625千葉東方 
(図1:上掲動画のための参照用マップ。赤丸は対象域内の顕著地震。今朝の地震は赤字で示している。気象庁報道資料にある4つの2019年以前の顕著地震を含んでいる。拡大は図のクリックで)
200625千葉東方沖e無題

 コロナ禍の 明けぬ不安に 重なりて 地の底動き 暗い先行き

 今朝のTV報道番組で地震研究者の島村英紀氏が語るように、今朝の地震が今後の地震活動の何がしかの予兆であるのか否かはわかりません。先日、世界一の計算速度を有するコンピュタとして報道された「富岳」を以ってすれば、予測できるようになるのだろうか?富岳は今般のコロナウイルスの挙動シミュレーション計算で見事な結果を出しています。「富岳」にとって、あのシミュレーションが性能限界に近いものであったのか、それとも、政府からの研究補助金増額のためのデモンストレーションに過ぎず、十分に余力を残した計算であったのかはわかりません。
 ウイルスシミュレーションでは、多分ウイルスを粒子と見なしてその運動方程式を構成しそれを数値的に解く作業であったと思われます。粒子数は膨大で、方程式に課せられる境界条件も膨大、且つ複雑であったでしょう。そうではあってもあらかじめ境界条件には、想定できるものだけが選ばれていたでしょう。地震現象に関しては、現象そのものは破壊力学なので、破壊が放出する地震波の挙動については、厳密にそれを計算できます。が、地中の破壊能力を持っているがいまだ破壊に至っていない「大小無数の破壊源」分布、そしてそれらの相互連関と連関を定式化する数学表現はありません。とするならば、いっそのこと、物理表現をあきらめてAI手法でもって、ありとあらゆる物理量のなんでもを「鍋」の中に投入し、時間を含む多次元空間の中から相互連関を見つけだすという接近があってもよさそうです。まあ、言うは易し、するは難しいのかも知れません。

 (図2:今朝の地震と周辺の地震活動。気象庁による。拡大は図のクリックで)
200625千葉東方沖f無題

 右上の図は今般の地震が太平洋プレートの上面で発生したとの性情を示しています。
(図3:2019年1月1日以後の矩形領域内の地震活動の時間的推移と空間分布。拡大は図のクリックで)
200625千葉東方沖h無題


図3(左上)は地震活動(M>2地震個数)の時間的変動を20日間ごとにその回数をプロットしています。右端が2020年6月25日ですが、その前80日間でその回数が顕著に減少しています(赤矢印)。現象の始まりは5月22日の地震で、その震源位置が図1の緑で示されています。5月4日に近傍で顕著地震があり、その後、地震活動が低下したのです。このまま収束かと思いきや、最近では最大の地震が本日早暁に起きたということになります。
 図3(右下)は図1の矩形領域内では北の縁で断然地震活動が活発であることを示しています。右上は2019年1月1日(底面)から本日(上面)までの地震活動の時間分布です。これも、冒頭動画のように動かしてみると興味深い配列が見えてきます。いずれそのことを書きます。

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++++都知事選
東大教授と語る【山本太郎・都知事選出馬の真の理由 支持率低下と資金不足?】フェイクニュースの見分け方を参考に記事の信憑性を考える。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。 
参考動画:
【プロに聞く!】都知事選・小池百合子氏、宇都宮健児氏、山本太郎氏の公約をオリンピック視点で見てみる!元博報堂の作家本間龍さんと一月万冊清水有高
 
+++++米国のいいなり安倍氏
 いまさら言うまでも無いことなのですが、改めて安倍氏の対米隷従ぶりが米国の下政府高官の口から明るみに出てしまいました。
%%%%%ボルトン暴露「防衛費年間80億ドル」を否定する政府の欺瞞 2020/06/24 日刊ゲンダイ
 安倍首相が蜜月関係を築いたと思っているトランプ米大統領にとって、日本は単なる「金ヅル」としか映っていなかったことがハッキリした。
 ボルトン前米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が23日に出版した回顧録「The Room Where It Happened」で、在日米軍の駐留経費負担(思いやり予算)をめぐって衝撃的な暴露話がつづられていることが分かった。
 ボルトン氏は著書で、昨年7月に訪日した際、当時の谷内正太郎・国家安全保障局長に対し、トランプ大統領が防衛費の分担金として年間約80億ドル(約8500億円)の負担を求めている――と伝えたというのだ。
 ボルトン氏は帰国後、トランプ大統領に会談について報告すると、トランプ大統領は「米軍を撤収させると脅せば、非常に強力な交渉上の立場を得られる」と指示したという。
 80億ドルは日本が現在、負担している負担の4倍以上だ。日本政府はこれまで米側の負担増要求の報道について「そのような事実はない」(菅官房長官)と完全否定。23日の会見で、回顧録の記述についてあらためて問われた菅長官は、「回顧録の内容について一つ一つ政府としてお答えすることは差し控えたい」などとトボケていたが、この問題は3月の衆院外務委で取り上げられたばかりだ。
 当時の井上一徳議員(希望)の質問はこうだ。
「昨年の11月、米国の外交誌フォーリン・ポリシーにおいて、当時のボルトン米大統領補佐官が日本側の負担を4倍にふやすように要求したというような報道もありました。(略)これは政府としては公式にはまだ認めておられませんけれども、実際、米側からどういうような要求が今来ているのか、教えていただきたいと思います」
 これに対し、茂木敏充外相は「増額の要求は、米側からはございません」と突き放し、さらに「例えば、ボルトン前補佐官が岩屋前防衛大臣にどういうお話をされたかはわかりませんが、少なくとも、私、そしてまた外務省に対して、米国政府から米軍駐留経費の増額を要求された、こういった事実はございません」と全面否定していたのだ。
現在の駐留経費負担の総額は5940億円(在沖縄米海兵隊の射撃訓練)/(C)共同通信社

在日米軍費用が1兆円を超える日
 トランプ大統領から要求されたのであれば、「あった」と言えばいいだけ。その上で、「しかし、日本政府としては応じてはいない」と説明するのが筋ではないのか。それなのに、要求そのものが「なかった」とウソをつき、すべてを闇に葬る。安倍首相以下、閣僚が国会で平然と“虚偽答弁”するから、良識ある国民ほど安倍政権を信用しなくなるのだ。
 そもそも、現在の駐留経費負担は2000億円といわれているが、各省庁に計上された在日米軍絡みの費用負担を細かく見ると、防衛省分が約3900億円、防衛省以外の関係他省庁分として、基地交付金などで411億円、提供普通財産借り上げ試算で1641億円あり、これらの総額は5940億円に上っている。
 つまり、駐留経費が4倍になれば、在日米軍絡みの日本負担は、単純計算で軽く総額1兆円を超えることになるわけだ。
 現行の在日米軍駐留経費特別協定は来年3月末まで。次の協定に向けた日米交渉は米大統領選の直前に当たる今秋から始まるとみられるが、息を吐くようにウソをつく政府だけに、国民も今後の展開を注視する必要があるだろう。
%%%%%

+++++天智天皇の土木工事(2)
 前回記事の続きです。唐・新羅占領軍指令部、すなわち都督府が九州に設けられていることが、今回の事態を考える上での鍵です。なぜ占領軍司令部が奈良盆地内に設営されなかったのか?奈良盆地は生駒・金剛山系の背後(東がわ)にありそれが要害となっており、攻撃しにくい。従って、そこに司令部と軍を配置しなければ、唐新羅連合軍にとっては、「白村江海戦」の再発というリスクを生き永らえさせることになります。しかし、そうはしなかった。進駐軍にとっては奈良盆地は「リスク」ではなかった。むしろ奈良盆地の勢力は同盟軍であったからです。
 現在の九州大宰府に司令部たる「都督府」を設けた理由は、九州に存在する部族こそが鎮圧の対象だったのです。この部族の実体は西蝦夷です。すなわちペルシアからの渡来民と邪馬台国末裔一族との共同体です。対馬―筑紫を結ぶ通信体制構築は、想定される西蝦夷の叛乱の際、必要に応じて朝鮮半島経由で唐からの援軍要請のためでありました。
 このため、筑紫には司令部を守護するための水城造成に加え、翌年には、長門そして筑紫の国の大野、椽にも城を築くのです。これらの建設が唐・新羅連合軍による九州侵攻から「倭国」を守護するための工事でなかったことは明らかです。こうした西蝦夷の叛乱に対する防衛策は占領軍が自ら労をとったのではなく大和朝廷に指示してやらせた工事であった。なにせ進駐軍司令官は前年末に一旦九州を去っていますが、三地点での築城後の九月に再来しその年末まで司令部に滞在しています。先日、日本政府はイージス・アショア配備停止を決定しました。つい最近の日本国政府の様態はまさに七世紀の「大和朝廷」を思わせます。

 以上の考察をまとめると、通信体制の設営、筑紫と周辺の防衛用土木工事は、唐新羅連合軍の日本列島への侵攻に備えたものではなく、九州に拠していた西蝦夷の叛乱抑止、鎮圧のためであることがわかります。すなわち、白村江海戦は百済を舞台として、あるいは百済国への覇権をめぐっての唐・新羅連合軍と九州に拠していた西蝦夷一族との戦いであったのです。そしてこの戦いで、大和朝廷軍は、西蝦夷側には立たず、外国勢力の側に立っていたのです。この史実を公にしたくないとの思惑から、日本書紀巻二十七〜三十は、記載上の混乱があちらこちらに散見されます。古事記・日本書紀は「大和朝廷」の構想する「歴史観」に従って書かれているからです。その「歴史観」は上の事例にもあるように「歴史の真実」によっていないことが多々あります。そうした偏った歴史観と史実の狭間で、起きている混乱の一つが「天皇」です。
 上に書いた通信体制整備の前年、端的に言えば白村江海戦からわずか四ヶ月余の天智天皇三年二月に以下のような、「敗戦直後の暗い雰囲気」とはおよそ馴染まない記事があります:
%%%%%天智天皇三年(六六四)春二月紀
原文:春二月丁亥【九日】天皇命大皇弟。宣増換冠倍位階名及氏上・民部。家部等事。(以下略)
文意:天皇は大皇弟に以下を命じた「冠の位階および氏上、民部、家部を倍増するよう宣せよ(以下省略)」
%%%%%
 上記記事で書く「天皇」は、それが天智天皇紀で書かれている限りでは、間違いなく天智天皇であるはずです。ところが、日本書紀は、この天皇の即位は七年(西暦668年)と書きますから、この時点では「天皇」ではなかったはずです。日本書紀を読むほどに謎が深まるのが後に天智天皇となる「中大兄」です(2019年12月15日記事)。この記事で注目すべき点はいくつかありますが、一つは、「中大兄」が舒明天皇の息子であると明記された箇所は無いことです。後世の人間が、「文脈」から想像してそのようにしてしまったのです。もう一つは日本書紀では「中大兄」なる呼称は22回現れますが、一度たりとも「皇子」なる尊称は付されず「呼び捨て」なのです。にもかかわらず、学者さんはこの人物を引用するときには中大兄「皇子」と呼び、文書にもそうかきます。もちろんタモリさんを奈良盆地で案内した学者さんもそうです。 そうした疑問を思い出すと、上の記事の大皇弟は大変に気になります。通常の文脈からは後の「天武天皇」ですが、本当にそうなのか?
(つづく)

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天智天皇の土木工事、太郎ちゃんの演説、黒川弘務氏(平野貞夫氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:昨日は山本太郎東京都知事選挙候補者の街頭演説会に見入ってしまいました。本ブログでは同候補者を本物の政治家として褒めちぎってきました。ぜひ以下の動画を視聴いただきますよう、とりわけ東京都在住の本ブログ読者にお願いいたします。)
【立川駅北口街宣】東京都知事候補 山本太郎 街頭演説 2020.6.21 11 時〜【れいわ新選組公認】 

 夏至が過ぎ 梅雨真っ最中に 燕尾服 水面すれすれ 苗穂とたわむる

 「時がたつのは早いですね」とは、いつもの老いぼれの愚痴です。「孫子(まご・こ)が生きる時代がよりよい社会であるよう、生きている限りはそれに貢献したい」なんぞの美しいセリフを昔は吐いた記憶もあります。が、今は違います。あの総理大臣が積み重ねてきた自らの悪行三昧で獄舎に繋がれるのを見届けて、この世を去りたいものと思っています。
 というわけで、山本太郎氏の更なる飛躍へ向けての街頭演説への共感が広がることを期待しています。そんな中、小沢一郎氏の発言は見事です。
%%%%%小沢一郎氏 自民党議員に「目を覚ませ」…安倍首相に「愚かで幼稚な人物」 2020.06.22 デイリースポーツ
 国民民主党の小沢一郎衆議院議員が21日、ツイッターに投稿。安倍晋三首相について「愚かで幼稚な人物」と評し、自民党議員に「いい加減目を覚ました方が良い」と呼びかけた。

 小沢氏は「権力を縛るという憲法の本質を全く理解せず、憲法尊重擁護義務どころか、単に憲法を自分がやりたい放題できるよう勝手に作り変えたいという、愚かで幼稚な人物の最悪のわがままに付き合っている暇はない。自民党議員もいい加減目を覚ました方が良い。このままでは国が滅びる」と案じた。

 22日の投稿では「政府行事の桜を見る会に、無理やり千人近くの後援会員を紛れ込ませ、税金で焼き鳥や酒を振る舞う。しかも正式な招待者が来る前に会場入りさせてしまう」と安倍首相主催の「桜を見る会」について投稿。「総理は、現行憲法をみっともなくて、いじましいと言うが、本当にみっともなくて、いじましいのは一体何なのか誰なのか。冷静に考えられた方がよい」と記した。
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 さらに小沢氏は下記を呟いています:
小沢一郎(事務所) 
三権分立。憲法の精神には権力は常に暴走する可能性があるという性悪説がその根本にある。だから三権が相互に牽制する仕組みを取り入れている。戦後の歴代総理もそういう認識で国のかじ取りをしてきた。ところが安倍総理はなぜかこの政治の常識を全く理解していない。そこが最大の問題なのである。

+++++検察庁
 五月中旬の検察庁大物OBによる「検察庁法改正」への反対表明は、検察庁自身の「清廉・潔白」の姿勢を社会に誇示するかのごとくに受け止められたようでした。しかし、「検察庁は権力側が持つ暴力装置」であるという自己の本質を自省したわけではありません。その具体的事例を、田中角栄氏が陥れられたロッキード裁判、10年前の小沢一郎氏が巻き込まれた陸山会事件で我々は目撃してきました。ここでいう「権力」なるものが日本では、独特で且ついささか厄介です。日本国民が選挙を通じて自らが選んだ政治家によって形成される「政府権力」の支配が及ばないからです。たしかに手続きを見る限りではそう見えるけれども、実際は、太平洋を隔てた大国米国の強い働きかけが介在しているからです。「隷従」、そして米国大物政治家がときに不用意に口にする「属国」です。 日本の検察の目はどうやら日本国政治家による政府ではなく、米国を向いている風です。その実例が2010年6月末の鳩山内閣崩壊でもありました。日本国の政治を内側から観察してきた平野氏がその本質を指摘しています。
%%%%%黒川弘務とは何者なのか? 政権と検察庁の問題の「本質」<平野貞夫氏>  6/21(日) 8:34配信
検察の暴走を抑えるために検察庁法改正が必要だと主張する人たちは、検察が政権の意向を忖度し、恣意的な捜査を行ってきた過去を無視している。  6月22日発売の『月刊日本7月号』では第2特集として、「安倍vs検察 国民不在の権力闘争」という特集を組んでいる。今回は同記事から、参議院議員として司法制度改革に関わってきた平野貞夫氏に話を聞いたインタビューを紹介したい。
問題の本質は「検察の政治介入」だ
―― 安倍政権は世論の反発をうけて検察庁法改正案を見送りました。閣議決定で定年延長した黒川弘務・東京高検検事長も不祥事で辞職しました。 平野貞夫氏(以下、平野):政権に都合のいい人物を検事総長の座に就かせるための暴挙が挫折したということです。この問題をきっかけに政権支持率は30%を割り込み、初めて20%台にまで落ち込みました。安倍政権は完全に国民の信頼を失ったのです。  これまで安倍政権は検察を都合よく利用してきました。安倍政権の7年半、法に照らせば罪を問われるべき政府与党の疑惑は不問に付されてきた。甘利明元TPP担当相のあっせん利得処罰法違反、松島みどり元法相の公選法違反、小渕優子元経産相の政治資金規正法違反、佐川宣寿元理財局長の公文書管理法違反、菅原一秀元経産相の公選法違反、何より安倍総理の森友・加計・桜などの一連の疑惑は追及されないまま今日に至っています。  その背景にいたとされるのが、「官邸の守護神」の異名をとった黒川氏です。黒川氏は安倍政権の下で法務省大臣官房長、法務事務次官を務め、政権・法務省・検察・国会の間の調整を一手にひきうけてきた人物です。彼がいなければ、このような状況にはなっていなかったはずです。安倍政権と検察は黒川氏を媒介にして、歪んだ関係を築いてきたということです。  しかし、このような関係は安倍政権が黒川氏を検事総長にしようとした瞬間、一気に崩れ去りました。安倍政権による国家の私物化が頂点に達して自己崩壊したということです。今こそ政治と検察の関係を健全化すべき時です。  確かに、安倍政権が検察まで私物化しようとしたことは問題です。しかしそれ以上の問題は特に黒川弘務という特定の検事が法務官僚として政治に介入し、検察が政治の在り方そのものを歪めてきたということです。黒川氏はすでに個人的な不祥事で辞職していますが、それでこの問題の本質が解決されたわけではない。「第二の黒川」を出さないためにも、今ここで、黒川氏とはいかなる人物だったのか、政治と検察の関係の実態はどういうものだったのかという問題を総括しておく必要があります。
国家の正義より検察の保身を選び堕落した検察
―― 政権と検察の歪んだ関係は安倍政権に始まったことではありません。 平野:もともと自民党保守本流の旧田中派や宏池会は三権分立の何たるかを肝に銘じて、警察や検察とは一定の距離を保っていました。「今太閤」と呼ばれるほど絶大な権力を手に入れた田中角栄でさえ、警察や検察に手を出そうとはしなかった。  しかし岸信介以下、岸系の自民党議員にはこういう自制心がありません。むしろ警察力や検察力を利用して政権を維持し、国家を私物化するというぬぐい難い傾向がある。だからこそ、宏池会の前尾繁三郎・元衆院議長は「宏池会の使命は岸派に政権をとらせないことだった」と話していました。これは前尾が生前、私に直接言ったことです。実際、旧田中派の小渕政権が倒れた後から森、小泉、安倍と清和会政権が続いていくうちに、だんだん政権と検察の関係がおかしくなっていったのです。  その象徴が三井環事件です。2002年、大阪高検公安部長の三井環は、福岡高検検事長への栄転が決まっていた高松高検検事長が5億円の調査活動費を使い込んでいたという検察の裏金問題を告発しようとして、逆に詐欺容疑で逮捕されました。  この時、小泉政権は検察内部で決められた高松高検検事長の人事を撤回させようとしました。しかし、当時の原田明夫検事総長は「政治は検察の人事に介入しない」という原則を守るため、後藤田正晴を通じて小泉首相に働きかけ、裏金問題を不問にして予定通りの人事異動を実現してもらったのです。それ以降、検察は自民党政権に頭が上がらず、法の正義より政権の都合を優先して鈴木宗男事件や村上正邦事件、小沢一郎の西松建設事件、さらに陸山会事件を捜査していったわけです。  検察は国家の正義よりも自分たちの保身を優先した結果、政権に使われるようになってしまった。ここから政権と検察の堕落が始まり、岸直系の安倍政権の下で極まったということです。
「陸山会事件の黒幕」とされた黒川弘務
―― その中で、黒川氏はどういう存在だったのですか。 平野:永田町や霞が関では、黒川氏は「政治家たらし」という評判です。麻生政権の鳩山邦夫法相に仕えた時には「猛獣使い」、鳩山・菅政権の千葉景子法相に仕えた時には「千葉たらし」と呼ばれるほどでした。法務大臣をたらし込み、死刑を執行させるのも上手かったため、法務省の中で着実に力を増していったといわれています。  その一方で、黒川氏には「正義がない」という指摘もあります。これはある警察庁長官が私に直接言ったことです。正義なき検事が政治家をたらし込んで政治に介入したとすれば、これほど恐ろしいことはありません。  もともと黒川氏は「花の35期」として1981年に検事に任官、全国の地検に勤務してから法務省に異動、いわゆる「赤レンガ組」(法務省に勤務する検事)になりました。大臣官房秘書課長時代の2007年に鳩山邦夫法相の「友達の友達はアルカイダ」という問題発言をめぐる対応が評価されてから頭角をあらわし、翌年には法務省官房審議官(政務担当)に就任しました。官房審議官は大臣・法務省・国会の関係を調整する役職ですから、ここから黒川氏が政治に介入するようになったということです。 ―― 黒川氏は具体的にどのように政治に関与してきたのですか。 平野:黒川氏は「陸山会事件」に深く関わっています。政権交代の可能性が現実味を帯びてきた2009年、検察は民主党代表の小沢一郎を潰しにかかります。3月には西松建設事件で小沢の秘書である大久保隆規を逮捕して小沢を狙い、6月には郵便不正事件(村木事件)で厚労省局長の村木厚子を逮捕して民主党副代表の石井一を狙いましたが、いずれも不発に終わりました。  これらの捜査は麻生首相の下で東大同期の漆間巌官房副長官と樋渡利秋検事総長が主導したとされています。当時、黒川氏は森英介法相の下で政務を担当していましたから、西松建設事件や郵便不正事件にも当然関わっていたはずです。  8月には総選挙の結果、政権交代が起きました。しかし検察は小沢潰しを続け、政権発足当初から首相の鳩山由紀夫は母親からの「お小遣い」を調べられ、幹事長の小沢は政治資金団体「陸山会」を調べられましたが、またもや不発に終わりました。しかし11月に市民団体から告発を受けるという形で、陸山会事件は続いていきました。  民主党政権と検察、黒川氏の関係が変化したのは、2010年4月に法務省のスキャンダルが発覚してからです。民主党の看板政策である「事業仕分け」の過程で、法務省所管の社団法人「民事法情報センター」が元最高裁判事の香川保一理事長に1500万円を貸し付けていることが発覚したのです。この問題は最高裁や法務省を巻き込んだ一大スキャンダルに発展しかけましたが、民主党政権は1か月足らずで同センターを解散させてうやむやに終わらせました。  この時、政権交代前から引き続き官房審議官だった黒川氏は仙谷由人・行政刷新担当相と連携して千葉景子法相を説得して、この件をもみ消したといわれています。ここから黒川―仙谷―菅のラインが出来上がり、陸山会事件が民主党内部の権力闘争の様相を呈していくわけです。  2010年6月には鳩山首相と小沢幹事長が辞任、菅政権が発足しました。菅首相は「小沢は政治とカネの問題で国民の不信を招いた」と明言し、小沢排除の意思を明確にしていました。その後、黒川氏は8月に検事正になり松山地検に異動しましたが、10月には大臣官房付として法務省へ戻りました。その間に何があったのか。  実は、9月に民主党代表選が行われて菅が小沢を破りましたが、選挙不正が指摘されていたのです。小沢との権力闘争が激化する中で、菅と仙谷は改めて黒川氏の存在を必要とし、わずか2か月で官邸に呼び戻したということでしょう。その後、検察審査会は小沢氏に対して起訴議決を行い、翌年1月には強制起訴に踏み切りました。  黒川氏は菅首相、仙谷官房長官の下で小沢潰しに暗躍していたわけです。細かい話は省きますが、森ゆうこ参議院議員は著書『検察の罠』(日本文芸社、2012年)で、陸山会事件で小沢を陥れようとした「黒幕」の一人として黒川氏を名指しで批判しています。  小泉政権以降、日本の政治はメチャクチャになっています。民主党政権は陸山会事件で大混乱に陥り、安倍政権は法律違反・憲法違反の政治を続けていますが、その原因の一つは、検察が時の政権に利用される形で政治に介入するようになったからです。その中で、黒川氏は政治の在り方を歪めてきたと言わざるをえない。
検察は河井事件の使途不明金1億5000万円を徹底追及せよ
―― 時の政権と検察は持ちつ持たれつの癒着関係を続けてきた。しかし、これでは法の正義が成り立ちません。 平野:私は政治と検察の問題に特別な思いがあります。衆院事務局の時代にはロッキード事件やリクルート事件に深く関わり、参議院議員の時代には12年の議員生活のうち10年法務委員を務めて司法制度改革を担当しました。特に前尾繁三郎・元衆院議長からは「検察がしっかりしなければ民主主義は機能しない。何かあったら相談に乗ってやってくれ」と言われていました。そういう経緯から、法務省や検察とは深く付き合ってきたのです。だから私の問題意識は「いかに検察を健全化するか」、これだけです。  遺憾ながら、これまで政権と検察はお互いに不祥事をもみ消しあい、法の正義よりも政権の都合を優先してきました。そこから黒川氏のような検事が政治に介入する余地が生まれ、日本の政治がおかしくなっていったのです。  しかし、今こそ検察は政権との癒着を断ち切るべき時です。そのための試金石こそ、現在進行中の河井克行前法相とその妻・河井案里参議院議員の事件です。この事件では自民党から河井案里陣営に渡った1億5000万円の使途不明金が問題になっており、そのうち一部のカネが安倍晋三事務所や公明党に流れているという情報もあります。  検察は法の正義を守るために、この点を徹底的に追及すべきです。それができなければ、日本の検察は終わりです。 (聞き手・構成 杉原悠人) 平野貞夫●60年、法政大学大学院政治学専攻修士課程修了後、衆議院事務局に就職。園田直副議長秘書、前尾繁三郎議長秘書などを経て92年、参議院議員初当選。自由民主党、新生党、新進党、自由党などを経て2003年民主党に合流。議会運営と立法過程に精通する政治家として評価される。04年、政界引退 <6月22日発売『月刊日本7月号』より> 【月刊日本】 げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
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関連記事(1):「予備費10兆円も三権分立を壊す」のは何故なのか? 卑劣な政略で破壊される民主主義を止めるために 2020.05.29田中信一郎

関連記事(2):田崎史郎が『モーニングショー』から消えた! 玉川徹にツッコまれるのを嫌がり降板説 政権代理人が跋扈するテレビの体質は変わらない2020.06.22 田崎史郎が『モーニングショー』から消えた! 原因は玉川徹? リテラ
安倍政権の御用ジャーナリストの代表格、田崎スシローこと田崎史郎氏。田崎氏にある異変が起きているのにお気づきだろうか。

 と言っても、反安倍に転じたとかそういう話ではない。河井克行・前法相と河井案里参院議員が買収容疑で逮捕された問題でも、「常識外れかも知れないですけれども、政治の世界ではあり得ることなんですね」「陣中見舞い、当選祝いのかたちなら許される」と正当化したり、河井夫妻と安倍首相は親しくないと吹聴したり、相変わらず安倍擁護活動を展開している。

 ところが、そんな田崎スシローが最近、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)にめっきり出演しなくなっているのだ。

 田崎氏といえば『ひるおび!』(TBS)への出演が有名だが、安倍政権に不祥事が発覚したり、批判の多い法案の審議中など、政権のターニングポイントになると決まって『モーニングショー』にも出てきて、官邸の意向を代弁、ありえない論理で政権を擁護し、玉川徹氏らと舌戦を展開してきた。ところが、ここしばらくその田崎氏の姿がみられなくなってしまったのだ。

 いったいどうしたのだろうか。田崎氏といえば、昨年にも「桜を見る会」問題の最中、ジャパンライフとの癒着を理由に、一時期テレビ出演を辞退していたことがあった。しかし今回は、上述のとおり、河井前法相夫妻逮捕や持続化給付金をめぐる電通との癒着問題などをめぐり、『ひるおび!』や『とくダネ!』(フジテレビ)などに出ては政権を擁護している。出演していないのは、『モーニングショー』だけである。

 本サイトであらためて確認してみたら、緊急事態宣言発出された前後の4月第2週は毎日のように出演していたのだが、4月9日を最後に、もう2カ月以上も『モーニングショー』に出演していないのだ。
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+++++天智天皇の土木工事
 そろそろ神武天皇東征譚の追跡に戻りたいと思っているのですが、あちらこちら引っかかり寄り道をしてしまいました。早く神武天皇が「紀伊」を経て「熊野」へと達する行程を眺めたいと思っています。そのためにも、現今の話題に一旦けりをつけて置こうと思います。
 最近の寄り道の切っ掛けは4月末のテレビ番組「ブラタモリ」でした。番組に登場した奈良史跡の二人の専門家が語る紋切り型の解説に異を唱えておきたいとの「自己顕示欲」が体内にむくむくと生じたからでありました。異を唱える材料として本ブログ過去記事(2013年2月18日記事 を引用しつつ「狂心の渠」についての私の考察を再掲しました。日本書紀は斉明天皇二年紀で、大土木工事が施工されたと書きます。この記事では、あの大土木工事は、二つの政治勢力対立の顕在過程の中でなされたとの私の考えを書きました。それは歴史的背景の一つの帰結であったのでしょう。日本書紀の編年に仕掛けが施されており、それを除去すると、我々がこれまでに学校の歴史教育で教えられてきた編年とは異なる「時間軸」が浮かび上がってきます。その時間軸上では、六世紀末の隋建国が日本列島での政治勢力攻防史を作り出したと思えるます。具体的には、隋の政治的影響が「大和王朝」の源を作り出し、それを強化したという構図です。結果として二つの政治勢力は西暦672年の壬申の乱での下蝦夷西半分勢力の敗残でひとまず決着しました。が、抗争は結局現在の茨城県鹿島にまで持ち越され、そこでどうやら決着がつきます。しかし、余燼はくすぶり続けます。時には大きな火の手となることもありました。それが八世紀末の「アテルイの乱」です。
その二つの政治勢力とは、一つは奈良盆地に拠点を置く勢力です。この勢力は「珍王」末裔一族であり「大和朝廷」と仮に呼んでおきます。
 もう一方は「蝦夷」と蔑称される一族です。この一族は東西二つの勢力から構成されています。一つは鹿島に拠点を置く東の勢力で、「扶桑」一族とここでは読んでおきます(時に私は東蝦夷と表記しています)。もう一つは「邪馬台国」末裔一族です。西蝦夷と表記しておきます。
 タモリ氏がTV番組で見物した奈良の堀跡はこの二つの政治勢力の対立が先鋭化していた時期の大和朝廷側の軍備防御工事であったと考えています。したがって、この工事を統括したのは天智天皇であり、工事時期は西暦664−667年(天皇五年―六年)と思われます。藤原不比等はこの工事を斉明女帝二年(656)二月の西蝦夷領土内での工事に紛れ込ませてしまったのです。
 そこで、天智天皇在位期間の大工事を推測させる日本書紀(巻二十七)記事(抜粋)をいかに整理しておきます:
日本書紀・巻二十七より(抜粋)
原文:
(1)天智天皇四年 是歳(665年)。於対馬嶋。壱岐嶋。筑紫国等、置防与烽。又於筑紫、築大堤貯水。名曰水城。」
文意: 対馬嶋(つしま)、壱岐嶋(いき)、筑紫国等に防衛に与る連絡通信施設(烽:のろし)を置く。堤防を築き水を溜め、これを「水城」と呼んだ。
(2)「秋八月。遣達率答体[正しくは火偏]春初、築城於長門国。遣達率憶礼福留。達率四比福夫於筑紫国、築大野及椽二城。」
天智天皇五年(六六六)是冬。京都之鼠向近江移。(中略)
(3)春二月壬辰朔戊午【二十七日】合葬天豊財重日足姫天皇与間人皇女於小市岡上陵。(中略) 皇太子群臣に語りて曰。我奉皇太后天皇之所勅。憂恤万民之故。不起石槨之役。(中略)
三月辛酉朔己卯【十九】。遷都于近江。是時天下百姓不願遷都。諷諫者多。童謡亦衆。日々夜々、失火処多。
(中略)
八月皇太子幸倭京。
(中略)
(4)十一月是月。築倭国高安城。讃吉国山田郡屋嶋城。対馬国金田城。

文意:(岩波文庫「日本書紀(五)」38頁より
(1)文意: 対馬嶋(つしま)、壱岐嶋(いき)、筑紫国等に防衛に与る連絡通信施設(烽:のろし)を置く。堤防を築き水を溜め、これを「水城」と呼んだ。
(2)8月に、長門そして筑紫の国の大野、椽に城を築く」
(2013年4月24日記事)天智天皇五年冬 京都のねずみが近江へ向かう。
五年二月二十七日 天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)と間人皇女を小市岡上陵に合葬する。(中略)(3)皇太子群臣に語りて曰「我奉皇太后天皇之勅する所を奉り、万民之恤を憂て石槨之役を起さず。(後略)
三月十九日。近江于(へ)遷都。是時、天下百姓は遷都を願ず。諷諫者多し。亦童謡が衆口にする。日々夜々、失火(つけび)多し。
八月 皇太子倭京に行く
(4)十一月是月。倭国高安城を築く。讃吉国山田郡屋嶋城を築く。対馬国金田城を築く。
(2013年2月15日記事) 
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 西暦663年が有名な白村江海戦での倭国の敗戦です。ここで「倭国」とは西蝦夷です。しかし、学者さんは「倭国」とは日本列島に一つしかない政治権力「大和朝廷」であると考えます。ここから、日本列島古代史の理解に大きな混乱・誤解が生じたのです。
本ブログでも繰り返し書いてきたことですが、簡単に「白村江海戦」をおさらいしておきます。
この海戦に先立って大陸唐が周辺小国に仕掛けていたのが新羅と謀っての「百済」挟み撃ち戦争で、西暦660年に百済は滅亡します。この「挟み撃ち」戦略が「白村江海戦」です。この海戦では、西蝦夷が唐・新羅連合軍と大和朝廷の挟み撃ち作戦の罠にはまってしまったのです。西蝦夷はまんまと罠にはまり朝鮮半島に出兵し、惨敗を喫しまずは日本列島に逃げ帰ってきたのです。

 そうであるならば、なぜ大和朝廷の首領である天智天皇は奈良の周囲を固めるためばかりでなく、遠く対馬、そして大宰府など九州にも城などの防壁を造成したのか、との疑問があります。学者先生は、唐・新羅連合軍が戦勝の余勢をかって日本列島に攻め込んでくることが想定されたからであると書きます。とりわけ、上の土木工事については生駒山地南端の「高安城」の増強が繰り返し行われています。
 
 すでに書いてきたことなので、グダグダと書き連ねることはしません。その粗筋、事態の流れを日本書紀記載にしたがって見ておくことにします。日本書紀がどこまで史実を書きとめているのかという不確定さを念頭においておかねばならないことが、こうした議論の宿命でもあります。
 天智二年九月に倭国は白村江の海戦で敗戦しました。翌年五月に唐新羅連合軍の百済駐留司令部(百済都督府)が、連合軍の将軍を九州に派遣してきます。同将軍は同年十二月まで滞在します。目的は現在の大宰府に「都督府」すなわち倭国での駐留軍司令部を設置することであったはずです。
 司令官の滞在中に対馬嶋(つしま)、壱岐嶋(いき)、筑紫国等に防衛に与る連絡通信施設を作ったと日本書紀は書いています。それは新羅・唐の日本列島侵攻を防ぐ手立てであるはずがありません。これから戦うであろう敵の将軍の面前で防衛通信網の建築をするなんぞはありえないことです。
 そうであるならば、これは、占領軍司令官と通信網建設者の合意でなされたと思うべきです。さて占領軍と合意したのは誰か?そして占領軍とその合意者が想定した「共通の敵」とは誰か?

 この設問は、日本書紀記載の記事の真偽に関わらないしごく真っ当です。
(つづく)

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三爺放談(二階氏の本性)、東京湾口の地震(6月16日)、田中真紀子さん

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:所用、急用でインタネットからの情報をアクセスできない状態が続いており、だいぶ世の中の動きから取り残されてしまったようです。本日も“巻頭グラビア"は動画です。佐高信氏が対談の中で「小沢が顔を見るのも嫌だった」と白状しています。しかし、現時点で信頼できる政治家といえば小沢氏とタローちゃんしかいないなと思っています)
【佐高×早野+平野の3ジジ放談】経産国家の宿啊 二階小池の正体20200617 

太郎には 国政こそが あってると 思いはするが 出たからにゃ行け〜!!

 宇都宮健児候補との票の取り合いを危惧しましたが、どうやら質が違っているようです。宇都宮候補はきっちりと細かい字で真っ当な政策を書き連ねていますが、それを読み込んで周囲に訴えるという都民がどれだけ居るのかとなると甚だ心もとなく思っています。街頭での話しぶりも、所詮はインテリとの臭いを発散しています。
 知事になれば、良い仕事をきっとするとは思いますが、現時点で小池候補が獲得するであろう得票に肉薄できるとは思えません。それができるのは間違いなく山本太郎氏でしょう。そして当選後の副知事候補に挙げたのが、今回のライバル候補である宇都宮、小野両氏であると名言したことにも、山本氏のやる気をうかがわせます。こうなったら、何とか小池氏を一票でも上回る票を得て東京都知事になってほしいと期待します。
参考記事:
「学歴詐称疑惑」再燃の小池百合子…その「虚飾の物語」を検証する

参考音声:これはすごい。真紀子さんが元気です。
 【田中真紀子さん×久米宏さん】‥堙店喟鄒のような生き方 電通へのバラマキはオリンピック中止 アメリカと中国 し从僉´コ婬跳萃蝓´Ε▲瓮螢のポチの日本 

 持続化給付金事業での「トンネル企業」への丸投げが明るみに出たことで、これまでその醜悪な実態が表に出てこなかった、電通のすさまじい業態が少しずつですが知られるようになって来ました。その電通の素顔に迫った動画です。
電通って何?元博報堂の作家が語る謎の企業電通の解説。本間龍さんと一月万冊清水有高。   

 改めて「記者クラブ」なるものの醜悪な実像が指摘されています。
%%%%%総理会見を「総理慰労会」にした官邸記者クラブの常駐組〜それは既に情報統制の共犯者だ 立岩陽一郎 | 「インファクト」編集長 6/20(土) 12:12
問題は記者の側にある
「終わっている」
そう感じさせる記者会見だった。6月18日に行われた国会閉幕後の総理会見だ。
「終わっている」のは何か?勿論、国会閉幕という意味ではない。機能していないという意味での「終わっている」だ。それは、何を言っているのかわからない安倍総理か?違う。情報を統制しようとする官邸か?それも違う。
記者だ。終わっているのは官邸記者だ。正確には、官邸記者クラブの常駐組ということになる。具体的に言えば、全国紙、通信社、NHK、東京キー局の民放だ。
権力は情報を統制しようとする。それは古今東西を問わない。だから、安倍総理の説明が意味不明でも、官邸が情報を統制しようとしても別に不思議ではない。なぜなら、そこに記者が食らいつき、閉ざされた扉をこじ開けて情報を開示させる機能が働くからだ。それが民主主義国とそれ以外の国との大きな差だ。記者会見とは本来、そうした場である筈だ。
しかしここで、記者が権力の情報統制に加担していたら、その前提は崩れる。そしてまさに、その前提が崩れているのが日本であり、6月18日の総理会見はそれを象徴する出来事だった。
会見前の長い儀式
会見を振り返ってみたい。午後6時に安倍総理が記者会見室に入り、先ずは各社カメラマンによる写真撮影。不思議な光景だ。この明らかに不自然なポーズの写真は、記者会見の写真としては使えない。安倍総理の向こうに記者団さえ入っていないからだ。そして広報官による記者会見の説明。
「1社1問でお願いします」
「質問の有る方は黙って挙手をお願いします」
何度も繰り返されるこの説明は、限られた時間を官邸側が都合よく使っているようにも見える。
そしてこの後もお決まりの安倍総理の演説。これが20分。それも、世界が日本の新型コロナ対策に注目しているといった疑問の多い内容だったが、それについては別の機会に譲りたい。最も大きな問題はその後に行われる記者の質問にあったからだ。
河井議員夫妻の逮捕に触れたのは1度
最初は幹事社質問。今回はフジテレビと産経新聞。先ずフジテレビが幹事社質問にありがちな質問をする。幹事者質問は、時間の制約が有る中で幹事社が各社と質問を調整して最低限質問しておかねばならない点を問うものだ。これが事前に官邸側に伝えられて、答えが用意されていることは既に安倍総理が国会で明らかにしている。
質問は次の様な内容だ。
河井夫妻が逮捕されたことについて、責任を痛感していると述べられましたが、総理、総裁として具体的にどういった責任を痛感されているのかということと、自民党から振り込まれた1億5000万円の一部が買収資金に使われたことはないということでいいのか、お伺いします。
 そして、東京五輪についてですが、IOCなどが開催方式の簡素化を検討している中で、総理が述べてきた完全な形での実施ということに関して、考え方は変わりはないでしょうか。併せて、総理は治療薬やワクチンの開発も重要だということをおっしゃっていますけれども、これは五輪開催の前提になるのでしょうか。
 最後に、与野党の中に首相がこの秋に内閣改造をした上で衆議院の解散に踏み切るのではないかという観測が一部ありますけれども、現下のコロナ感染状況に照らして、総選挙の実施は可能と考えますでしょうか
網羅的だが、中身は薄い。これが幹事社質問の典型だ。
河井議員夫妻が公選法違反で逮捕されて数時間後の会見だが、この日、この「河井議員夫妻」に触れた質問はこの幹事社のもののみだった。しかも質問は「1億5000万円の一部が買収資金に使われたことはないということでいいのか」というものだ。これについての答えは、「大変遺憾であります」「襟を正さなければならない」という精神論であり、核心部分は、「言われているような使途に使うことができないことは当然でありますという説明を行われたというふうに承知をしております」という、何も言っていないに等しい説明で終わっている。そして、以後、この問題を問う記者はいない。
産経新聞は憲法改正にかこつけて総理の任期延長についての感触を探ろうとした内容とも言えるが、結果的に総理の憲法改正に向けた「所信表明演説」を聞かされるものとなっていた。
記者会見は所信表明演説の場に
続いて各社の質問に移るわけだが、総じて言えるのは、安倍総理が思いのたけを語る場になっているということだ。要は、所信表明演説だ。
例えば、NHKは、拉致問題についての対応を質問している。その安倍総理の答えは、「まだ皆さんの願いを実現できない。断腸の思いであります。あらゆる手段を尽くしてチャンスを捉え、果断に行動していきたいと思っております」と、これまた「所信表明演説」となっている。
拉致問題の解決は「政権の最重要課題」と言い続けてきてわけだが、具体的に動きが見えているのはトランプ大統領などへの協力要請のみだ。北朝鮮に働きかけるどころか、国連で各国に北朝鮮と対話を行わないようさえも求めている。そうした政策に問題は無かったのか?それを問う質問は当然の様に無い。
日本テレビのポスト安倍についての質問にいたっては、総理に対するお追従以外のなにものでもない。無視できないのは、安倍総理の回答がエールの交換となっていることだ。安倍総理は答えの中にわざわざ質問した記者の名前を入れている。これは、「あなたは私にとって特別な記者です」というメッセージであり、更にテレビ中継を通じて見ている記者の上司に対し、「私はこの記者を大事にしています」というメッセージでもある。こうやって第二、第三のNHK岩田明子記者は作られていく。
勿論、会見らしいやり取りもあった。日経記者の質問と、予定外で最後に質問した軍事専門誌ジェーンズの高橋博祐氏の質問は、確認すべき点を質していた。ただ、それらは全体の中から見れば例外でしかなかった。
情報統制を強める官邸
新型コロナウイルスへの対策で定期的に行われるようになった安倍総理の記者会見については、その最初となった2月29日の会見以後、新聞労連の南彰委員長らと議論を重ねてきた。そして新聞労連主催のオンラインシンポジウムなどで引き続き議論を続けている。
朝日新聞の政治部記者として官邸を取材した経験を持つ南委員長は、総理会見を「儀式」と呼んで批判した。そしてまともな記者会見の開催を求めた。私も総理会見を「演説会」と呼んで批判してきた。しかし6月18日の会見にいたっては、そういうレベルでもなかった。これは単なる「総理の慰労会」でしかなかったからだ。
この記者会見は官邸記者クラブが主催している。その運営に大きな発言力を持つのは前述の常駐組だ。繰り返しになるが、権力は情報を統制しようとする。それに抗って、事実を国民に知らせるのがメディアの役割だが、官邸記者クラブ常駐組は記者会見を「官邸記者クラブ主催の総理慰労会」にすることで、その役割を放棄している。それは、情報統制の「共犯者」と言うほかにない。
この日の総理会見については各社1記者のみの参加となっていた。これは既に菅官房長の会見で実施されている制限だ。それは緊急事態宣言を受けて3密回避のためとされたが、宣言が解除された後も踏襲されているのみならず、総理会見にも適用されたということだ。
• これについては、官邸記者クラブの非常駐組、つまり常駐社以外の社から異論が出た。当然の話だ。しかし、常駐組と官邸との話し合いの結果、官邸側の主張が通ったと言う。もはや、その話し合いの中身を確認する気にもなれない。主犯と共犯が話し合って、世の中にとって悪いことは止めようといった議論になるわけがない。


立岩陽一郎「インファクト」編集長 

調査報道とファクトチェックを専門とする「インファクト」編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクとして主に調査報道に従事。政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」など。
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+++++チバラギ・東京湾地震
 もう三週間も前の記事ですが、東京湾南で有感地震があり、東京都民は"すわッツ“ットおびえたとのことです。そこで、気象庁のデータベースを調べてみました。
参考記事:東京湾では48時間に地震7回も…アプリで助かる率を上げる 2020/05/31 日刊ゲンダイ

(図1:防災科学研究所Hinetによる地震情報。拡大は図のクリックで)
200620房総先端無題
 

(図2:地震活動:(上)震央分布、(下)三次元分布とその視点を動かした場合の参照。拡大は図のクリックで)
200620房総先端Index

(図3:動画 図2に示す矩形領域内の地震活動。大きな赤丸が東京湾地震。どこを見ているかわからなくなった際は最初の画面の左上にあるAが目印となります。)
房総200618 
 動画から、みえているのが太平洋プレートらしき、地震の塊です。その上にかぶさっていると思われるフィリッピン海プレートの形状ははっきりとはみえていません。グサグサになっているのでしょうか?

(図4:地震活動の時空間分布)
200620房総先端活動分布

 これまでの本ブログで示した図と異なり、標記の矩形領域内では最近の100日間(3ケ月)では、地震活動が急速に減少しています。それはそれで気味が悪いのですが、この図から一寸先すらも読めないのが地震学の現状です。


科学ランキング

山本太郎氏が立候補表明、七世紀前半に内戦を持ち込んだ男迹王

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
所用、急用が重なり、一週間もの長きに渡り、更新できませんでした。お詫びいたします。
(写真:いつも冷静に語る郷原氏が興奮気味に語っています。山本太郎氏出馬会見、都知事選大波乱の幕開けか!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#18 )

 あっと驚く タローちゃん 断固暴け 緑の狸の 枯葉の小判

 宇都宮健児氏との票の取り合いを案じ、ひそかに山本太郎氏の知事選出馬意思を憂えていました。しかし、昨日の発表を聞いて応援したくなりました。文字通り「令和の角栄」ですな。貧民が頼れる東京都知事!困窮する民が頼れる総理大臣!太郎ちゃんが目指しているのはこれでした。
 話を聞いていて立憲民主党が何故減税を口にできないのか?それが見えてきました。菅直人、野田佳明の元民主党首相が在職中に口にだしてしまった消費増税政策にいまだしがみついているからです。言葉を変えると、この両元首相が衣替えしたはずの立憲民主党に亡霊のごとく背中にへばりついているからです。自らの過ちが晒されることを警戒しているのでしょう。尤も現今党首枝野幸男氏も民主党時代、指導部一員としてその政策に関わっていましたから、ここで減税を口にすることは、自らの過ちを認める、すなわち経歴に傷をつけることになります。潔く自己批判すればよいものと私なんぞは思いますが、それができない。政治家としての器量が小さいんですな。これでは日本を変革できない。と、思うにいたりました。
 【記者会見】東京都知事選挙の対応について 2020年6月15日【れいわ新選組代表 山本太郎 】 
 関連:
 【予告なし街宣】東京・新宿駅西口小田急デパート前 2020年6月15日【れいわ新選組代表 山本太郎 】 

+++++七世紀前半の国内騒乱 
 前回記事で、七世紀前半の国内騒乱は男迹王(漢風諡号 継体天皇)が日本列島に引き込んだのではなかろうかとの仮説を書きました。学者先生は、「荒唐無稽」を通り越し「素人の無知丸出し議論」であると無視します。何せ時代が違います。男迹王が日本列島に登場したのが六世紀のはじめと日本書紀は書きますから(藤原不比等による編年に基づいて計算するという意味)、実に一世紀半もの長い時間の隔たりがあります。
 ところがその時間の隔たりが、日本書紀を注意深く眺めると一気に縮まってしまうことを前々回記事で書きました。この時間短縮で男迹王(漢風諡号 継体天皇)が、六世紀初頭から七世紀半ばに浮上してきてしまうのです。この人物の役割は、奈良盆地に逼塞していた珍王末裔一派に戦闘意思と戦闘能力を付与することであったと考えています。
 

 さて、話がどこからこういうことになってしまったのか?それは四月初頭に放映されたTV番組「ブラタモリ」の舞台(4月21日記事)が「奈良盆地」であったことにありました。奈良の遺跡を専門的に研究している二人の学者さんが奈良盆地に残る石造遺跡と、堀掘削について語ります。学者先生の解説は日本書紀中の以下の記事に依拠しています(2013年4月17日記事一部再掲)。下に引用した日本書紀記事こそは、男迹王が日本列島に持ち込んだ内戦の具体的発現事象であったと考えています。そして私の敬愛するタモリ氏を案内した、お二人の奈良史跡の専門家にはそうした東西の戦闘緊張関係という視点がないと感じた次第です。

%%%%%原文(以後の参照の便宜のために文節にA,Bの記号を付しています)
斉明紀(日本書紀二十六巻二年九月)に戻ります。この記事を、A:奈良盆地内(珍王末裔)の事跡、B: 西蝦夷(所謂九州倭国末裔)の事跡に分けます:
A1:於飛鳥岡本更定宮地。時高麗。百済。新羅。並遣使進調。為張紺幕於此宮地、而饗焉。遂起宮室。天皇乃遷。号曰後飛鳥岡本宮。於田身嶺冠以周垣。〈田身。山名。此云太務。〉復於嶺上両槻樹辺起観。号為両槻宮。亦曰天宮。時好興事。
B1:廼使水工穿渠。自香山西至石上山。以舟二百隻載石上山石。順流控引於宮東山。累石為垣。時人謗曰。狂心渠。
A2:時人謗曰。狂心渠。損費、功夫三万余矣。費損造垣功夫七万余矣。宮材爛矣。山椒埋矣。又謗曰。作石山丘、随作自破。〈若拠未成之時、作此謗乎。〉
B2:又作吉野宮。西海使佐伯連栲縄。〈闕位階級。〉小山下難波吉士国勝等。自百済還、献鸚鵡一隻。
A3:災岡本宮。」
%%%%%原文引用終わり
 学者先生は、この大規模工事があの狭苦しい奈良盆地で施工されたことに疑いを持ちません。200隻もの船で石を運んで造成したはずの石垣は見当たりません。その堀に築造して大仰に騒ぎ立てた須弥山石像は高々2m程度の規模です。
私は、上記の記述を二つに分類して考察しました。それがA,Bです。
 上に示した記事の分類から明瞭にわかることは、この記事には、九州を舞台とするものと、奈良盆地界隈を舞台とする出来事が混在していることです。Aは、田身嶺、そしてそこにめぐらした「垣」を語りますから、奈良盆地界隈です。この記事は、当時の政治環境をも想像できる手掛かりをも供しています。
 一方、Bについては、「香山」、「吉野」などから、それが九州であると判断できます。「香山」が「天の香久山」であり、現在の「天山」であることは、すでに書きましたから、ここでは繰り返しません。ただし其の事跡の時期に疑念があります。なぜなら、Aで記述されるような、工事、築造の切迫性が九州側には感じられません。藤原不比等が編纂の過程で、奈良権力の事跡録の中からこの部分をピックアップして、時期を移し変えて書紀に潜り込ませたのではと疑っています。そのことは、文節B2からも窺えます(後述)。

B1の解読です:
「廼使水工穿渠。自香山西至石上山。以舟二百隻載石上山石。順流控引於宮東山。」
 「香山の西から石上山まで渠を掘り、水を回す工事。船を二百隻使い、石を石上山に運んだ」と書きます。目的は、既に書きましたが、「須弥山」築造です〔現在の巨石パーク)。運河の経路は、天山の北麓であったろうと既に書きました。実際、天山の北東に「白石山」(標高794m)があります。石をここで掘り出したと思っています。現代ペルシア語辞書によれば「sira」は「場所」を意味するとのこと。まさに「白石」は「石のある場所」という意味になります。

 「順流控引於宮東山]は、嘉瀬川からの水を東の山に作った宮に引き入れたということだろうと思っています。巨石山の東の山とはどこか?万葉集九歌が言う「爪謁〔湯?〕気〔そとぎ〕」、現在の「都渡城」近辺であろうと思っています。

一つ注意を促すと、上のB1とA2はかぶさっています。同じような掘削工事が施工され、一方は頑健で、奈良盆地の工事はずさんであったと想像しています。

「時の人、謗りて言う「狂心渠」(たぶれこころのみぞ)と。3万余の人夫、垣造成に七万余の人夫、宮材、山椒埋など費えを損なう。また謗りて言う「石で作った山はおのずから崩れる」(作るそばからくずれる)と。」
 上記は、奈良側の工事であったことは、記事が「垣」の造成に言及していることから分かります。既に書きましたが、奈良権力は田身嶺の冠周囲、現在の高安山、信貴山の周囲に垣を廻らす工事をしたことを既に書いています。実際、現在も「垣内」なる地名が高安山の南西麓に存在することも以前書きました。その垣が、造れども造れども崩壊してしまうため、夥しい出費を強いられたと「愚痴」を書いています。

B2:吉野に宮をつくる。西海への使節、佐伯連栲縄(たくなわ)は位階を貰い、小山下難波吉士国勝などと百済から帰国した。鸚鵡を献上した。
 この件は、百済滅亡の前であるはずです。というわけで、Bに分類される文節は、西王(倭国王)下の事跡であり、それが、意図的に珍王末裔側の「狂心の渠」工事と一緒にされたのだろうと、私は考えています。

 そして、再度 A3です。岡本の宮は、本陣のあった斑鳩です。殲滅された西(九州権力)の残党と気脈通ずる分子による「抵抗」行為でしょう。

 何故、奈良権力側の工事にB2なる西王の事跡を紛れ込ませたのでしょうか。「西(九州権力)側政権が人民を酷使収奪している」との印象を読者および後世に伝えることを目的としたいわば「悪意」と考えます。何故なら、日本書紀を編纂する藤原不比等には、奈良権力側政権の正当性を強調するという露骨な意図が貫かれているからです。

ところで、「狂心渠」(たぶれこころのみぞ)について古代ペルシア文化の著名な研究者である伊藤義教氏が自著「ペルシア文化渡来考」(岩波書店、1980年刊)で以下を書きます。余談ですが、20年近くも前の大昔、この本を神田の古本屋で見つけたときは嬉しかったですね。値段を確かめずに買い求めてしまいました。
伊藤義教氏は日本書紀に登場する人物名、地名には古代ペルシア語に由来するものが少なくないとして数例を挙げています。斉明天皇二年紀に「廼使水工穿渠。自香山西至石上山。以舟二百隻載石上山石。順流控引於宮東山。累石為垣。時人謗曰。狂心渠」なる文節があります。文節の最後にある「狂心渠」は「たぶれごころのみぞ」とカナを振られる有名な一節です。伊藤氏は「狂心」は原古代ペルシア語の音を当てたものではなかろうかとの考察を丁寧にされています(同書46頁)。もっとも伊藤氏はその場所については、それが奈良盆地内であるとも九州佐賀の嘉瀬川であるとも言っていません。故古田武彦氏は、嘉瀬川は運河であるとの仮説を自著「九州王朝」(私事ながら、現在終活中でありまして、この本はどうやら処分してしまったようで、書棚に見つかりません)で唱えていました。その際の論拠は上記の日本書紀記事ではなかったと記憶しています。
(つづく)

考古学ランキング


田中角栄と安倍晋三、相模トラフ地震(2019年)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:金の集るところに必ず顔を出す竹中氏。金を懐に入れる仕掛けを考案するのが氏の得意技です(図の出典を失念したため無断の転載です。お許しください)。連想するのは大昔の片岡千恵蔵主演の映画「明智小五郎」ですな。あるときはプロフェッサー、あるときは政府アドバイザ、そしてあるときはマネーコレクタ)
200608竹中001


 マスクして 体温計りて 入館す されども長居 ダメと言わるる

 先週から、市の図書館が、一部開館しました。しかし、分厚い資料を引っ張り出して机でじっくり頁をめくることは禁ぜられています。そもそも椅子が全部どこぞに隠されしまわれています。ヤレヤレであります。
  
 国民の血と汗の凝集した税金を、政治家が自らの懐におさめてしまう仕掛けが、図らずも明るみに出ました。それも途端の苦しみにあえいで、「助けを求めている」民に手を差し伸べるふりをして、それを金儲けの機会としてしまう。いかにも竹中平蔵氏のやりそうなことです。
 そしてその仕掛けの中心にすえられているのが電通です。何せ、この電通、今般の東京五輪でガッポリと儲けるはずが、危うくなっている。少しでも損を減らさねばと必死です。そしてその電通に集(たか)って懐を潤してきた政治家も損してはならじと、大いに電通を盛り立てる構図です。
 そうした醜悪な構図が今般、かくも見事に晒け出せれてしまいました。まさにビックリポンであります。
%%%%% 給付金事業 電通7社に154億円 パソナへの外注費は明かさず 2020年6月6日 07時07分
200608電通無題

 国の持続化給付金で、一般社団法人サービスデザイン推進協議会から事業の大部分の再委託を受けた広告大手の電通と子会社六社がグループとして、少なくとも計百五十四億円を得る見通しであることが分かった。国からの委託費七百六十九億円が法人を通じ、電通グループ各社に配分される構図が浮かんだ。
 五日の野党合同ヒアリングで、経済産業省が電通から外注先である子会社への発注額を示した。法人から七百四十九億円で再委託を受けた電通は、システム構築を担当する電通国際情報サービスに十九億八千万円、ホームページ制作の電通デジタルに十六億三千万円など、計六百四十五億円を外注している。
 さらに、電通子会社の一部は、申請サポート会場の設置運営など大半の業務を人材派遣大手のパソナなどに外注。この外注分を除く少なくとも約五十億円が、電通子会社に渡る。
 設立に関与した企業に外注を重ねることで、管理費が膨らむ構図になっている。野党議員からパソナなどへの詳細な外注費を示すよう求められたが、経産省は金額を示さなかった。
 電通本体が「統合的な管理運営」の名目で得る金額についても、経産省は「百三億円」と明らかにした。同省は税抜き金額で記された資料に基づき、立憲民主党議員に外注費の金額を事前に説明していたが、五日のヒアリングではこの金額を「税込み」と説明。その結果、電通に渡る金額は三十八億円から百三億円と膨らむ形となった。子会社分を加えるとグループ全体には少なくとも百五十四億円が渡る。持続化給付金に関する委託費や外注費は補正予算に基づく数字で確定していない。
 一方、法律で義務付けられた決算開示を怠っていた法人は五日、二〇一六年度から三年分の決算をホームページで公表した。 (皆川剛)

【関連記事】「電通隠し」政府正当化 経産省の説明に矛盾
【関連記事】委託費 電通、パソナなど法人設立3社で分け合う 
 
 こうしたなんともせこい"政治家"がうごめく現在の日本にも、かっては本物の政治家がいたとの記事を見つけました。
%%%%%「田中角栄」と「安倍晋三」を比べたら コロナ対応を“シミュレーション”
サイズの小さい「アベノマスク」を着け続ける安倍総理。その妙な頑なさを見ているだけでも、この人で大丈夫なのかと不安になる。では、どのような人物がリーダーなら国民は安心できるのか。伝説的政治家・田中角栄がもしも生きていたら――というシミュレーションを行ってみると、理想のリーダー像が見えてきた。 【田中角栄の挨拶】大蔵官僚たちが「タダものではない」と表情を変えたワケとは
危機に直面した時、リーダーの姿勢や、発する言葉が極めて重要になることは言うまでもない。 「角栄さんは、国民から批判を浴びそうなものも、そうでないものもきちんと誠実に説明する方でした」  と、角栄の元番記者で新潟日報社長の小田敏三氏は言う。 「今回、安倍さんが批判されているのは、マスク配布、PCR検査、検察庁法改正案、どれを取っても誠実な説明がないから。国民は何かを隠されているのではないかと疑ってしまいますし、政権に対して信頼感、安心感を持てません。角栄さんにだってもちろんやれることとやれないことがあったでしょうが、やれないことはやれない、とはっきり説明したはずです」  無論、角栄はパフォーマンスにも興味がなく、 「安倍さんのように自分が自宅でくつろぐ様子を動画で配信しようだとか、小池百合子都知事のように、イギリスのジョンソン首相を真似て『ステイホーム』『東京アラート』などと口にするような発想は一切なかったでしょう」  そう語る小田氏は、次のような角栄の言葉にこそ、政治家としての姿勢がよく表れている、と指摘する。 「政治とは生活だ。政治の仕事は国民の邪魔になる小石を丹念に拾って捨て、国でないと壊せない岩を砕いて道をあける。それだけでいいのだ。政治家は目立たず国民の後ろに控えていて、三度の飯を食べさせられたらそれでいい。政治は吹き過ぎていく風でいい」  同様の姿勢で仕事をしている政治家が今、永田町にどれくらいいるだろうか。 「角栄さんは、ある時は政界に影響力を持ち続ける闇将軍、ある時はロッキード事件の刑事被告人である金権政治家、またある時は新潟の貧しい家から高等小学校卒で総理大臣にまでなった今太閤と、まるで多面体のようにいろいろな見方ができる政治家です。しかし、角栄さんが政治家としてとても真摯であったことは間違いありません」  と、小田氏は続けて語る。 「政治とは、決して上から目線ではなく、国民が苦労して汗をかいた分だけ報いなければならない、という考え方を角栄さんは持っていた。角栄さん本人が戦争を経験し、戦後、高等小学校卒で建設会社を興し、苦労してきた方なので、人の痛みや苦しみが分かる。だからこそ彼の言葉には説得力があったのだと思います」  そんな角栄とて、今回のような未曾有の災禍を前に、たった一人で戦うことはできまい。 「たとえ政敵であっても、きちんと対話できるのがオヤジさんでした。だから、オヤジさんだったら、コロナに打ち勝つためにまず内閣改造をすると思います。何よりもコロナ対策を重視しなければならない今は、平時と考え方を変えて、挙党体制を作るはずです」  角栄の元秘書の朝賀昭氏はそう話す。 「1973年の内閣改造で、オヤジさんは自分の右腕ともいわれた大蔵大臣の愛知揆一の後任に福田赳夫を任命しました。角福戦争といわれるほど激しく争った相手を抜擢したのです。当時は列島改造論やオイルショックによって、インフレ抑制策を取る必要に迫られていた。敵が外にあるなら、たとえ政敵であっても能力のある人物を登用すべきだと考えたのでしょう。そしてそう考えたらすぐに実行できる政治家だった」  角栄がロッキード事件で逮捕された後、初めてのインタビューに成功したモンゴル日刊紙東京特派員の佐藤修氏は、 「角栄さんなら、コロナについて政治家が徹底的に議論し、党派を超えて対策を練る場、例えば、コロナ対策特別委員会などをすぐに用意したのではないか」  と、語る。 「角栄さんは議員立法を通すことを重要視していましたが、ガソリン税を目的税にする議員立法は党派を超えて連携し、通しています。角栄さんは、実質的に自分が立案したけど立場上名前を載せなかったものも含めると110本もの議員立法に関わっている。道路整備を目的とした、いわゆる道路3法と呼ばれる法律や、貧困層に住宅を提供するための公営住宅法など、庶民の暮らしを良くしようとする法律が多かった」  残念ながら現実の国会では、「党派を超えた連携」どころか、コロナとは無関係の検察庁法改正案を巡って与野党が激しく対立。最終的に安倍総理は採決を見送ったものの、 「コロナショックで与野党の協力が必要な時に、政治的に対立するような法案を出してくること自体、角栄さんなら『今は休戦しなければならないのだから出すべきではない』と怒るのではないかと思います」(先の小田氏)

徹底的に勉強
 また、安倍総理は会見の度に“専門家の意見もうかがいながら……”と口にするなど、「専門家会議任せ」の姿勢も透けて見える。 「角栄さんなら、専門家会議任せには決してしないでしょうね」  と、政治評論家の小林吉弥氏は言う。 「角栄さんは自分が理解できないことは徹底的に勉強する方でしたから。その上で専門的なことについては、医者や学者にデータを上げてもらい、それを厚労省に精査させて政治に生かす。専門家たちに対しては、『何かあれば自由に言ってくれ。責任は私が取る』と呼びかけたことでしょう」  角栄は「コンピューター付きブルドーザー」と評され、数字に非常に強かったことでも知られている。  自民党の石破茂元防衛大臣が言う。 「角栄先生なら、PCR検査で結果を判定するのにどれくらいの労力が必要か、臨床検査技師でなければ検査できないものなのか、検査機器が1台いくらするのか、誤判定する確率はどれくらいなのか……こういった点をデータに基づいて緻密に調べるよう指示されたことでしょう。どれくらいのスピードでやれば、どれくらいの検査数がいつまでにできるようになるのか、ということを数字で明らかにされただろうと思います」  一方、専門家会議が示した「新しい生活様式」については、 「角栄さんなら、『生活様式なんてお上が指図するものじゃないだろう。日本人はそこまで間抜けじゃない』と怒ったのではないでしょうか。一歩間違えれば箸の上げ下ろしまで指図されるような窮屈な社会になりかねません」  と、先の佐藤氏。 「こういう時こそ、選挙などなくても政治家は地元に帰り『何とか乗り切ろう』とみんなを元気づけてこい、角栄さんならそうおっしゃったんじゃないかな」  対策は専門家会議任せで、補償については場当たり的でスピード感もない。これでは国民の支持など得られるはずもないが、 「角栄さんなら安倍政権のような戦略なき政策ではなく、終息後のことまで見通した長期的な政策を打ち出すことは間違いない。新たな日本列島改造論ともいうような、日本再建のための20年計画を立てるのではないでしょうか」  と、先の小林氏は言う。 「新型コロナの流行で、地方経済も疲弊している。25年後の2045年は全ての都道府県で高齢化率が30%を超えると予測されている年で、地方経済の衰退は深刻化しているでしょう。そこでこのコロナ禍を機に、角栄さんなら東京一極集中を改め、道州制の実現を目指すなど、地方の力を高めるような経済対策を取るのではないでしょうか」  無論、全ては「夢想」に過ぎない。しかし、「角栄ならこうしたのではないか」という夢想の中に、事態打開のヒントが隠されているかもしれない。
%%%%%「週刊新潮」2020年6月4日号 掲載

%%%%%官僚の面従腹背をどう防ぐか エリートの心を一瞬で掴んだ角栄の「殺し文句」 • 国内 社会 2018年4月16日掲載

高等小学校卒の土建屋あがりの大臣が来たとたかをくくっていた大蔵官僚たちが、「この大臣はタダものではない」とこの“挨拶”で表情が変わった――。「史上最年少」蔵相の姿(撮影・田沢進/1963年12月)(他の写真を見る)

大臣の人心掌握術とは
 財務省の文書改竄問題や防衛省の日報問題の真相はいまだ不明だが、はっきりしているのは大臣と官僚との関係がうまくいっていないこと、あるいはそのせいで機能不全が起きているということだろう。
 もともと大臣は官僚にとっては、短ければ数カ月、長くても数年しかいない上司だ。それだけに面従腹背という事態を招きやすい。逆に言えば、短い時間でどれだけ官僚の心を掌握するかが大臣の腕の見せ所となる。
 この点、伝説となっているのが、田中角栄が大蔵大臣に就任してすぐに、大蔵官僚を前におこなったスピーチだ。言うまでもないが、大蔵省は現在問題の財務省の前身。当時も今も省庁の頂点に君臨する組織で、官僚たちはエリート中のエリートだ。そのエリートたちの心を田中は、「殺し文句」を用いて瞬時につかんだとされている。
速報自民党議員がご近所トラブル 焼肉店に「ダクトとファンを使うなら1日150万円払え」
 以下、古今東西の「殺し文句」を扱った『ザ・殺し文句』(川上徹也・著)の記述をもとに、この時のエピソードをご紹介していこう。
 田中は1962年(昭和37年)に、第2次池田改造内閣で大蔵大臣に就任した。44歳での蔵相就任は憲政史上最年少だ。
 大臣に就任した田中は、大蔵省の講堂でなみいる大蔵官僚たちに向かって、こう話しかけたという。
「自分が、田中角栄である。こ存じのように、わたしは高等小学校卒業。諸君は全国から集まった秀才で、金融財政の専門家だ。しかし、棘のある門松は、諸君よりいささか多くくぐってきている。
 しかし、今日から諸君と一緒に仕事をすることになるのだが、わたしは、できることはやる、できないことは約束しない。これから、一緒に仕事をするには、お互いをよく理解することだ。
 今日から、大臣室の扉は常に開けておくから、我と思わん者は誰でも訪ねて来てくれ。上司の許可はいらん。仕事は諸君が思うように、思いっ切りやってくれ。しかし、すべての責任は、この田中角栄が負う。以上」
相手のプライドをくすぐる
 高等小学校卒の土建屋あがりの大臣が来たとたかをくくっていた大蔵官僚たちは、この挨拶で表情が変わったという。「この大臣はタダものではない」と認識したのだ。
 これだけではない。
 新人の入省式の時には、大臣室で待つ20名の新人官僚の前に現れた田中大臣は、並んだ一人一人と握手をしながら「やー〇〇君、頑張りたまえ」と全員の名前を間違えずに呼びかけていった。メモも見ず、秘書官が耳打ちしたわけでもない。あらかじめ20名全員の顔と名前を覚えていたのだ。
 これには最難関の試験をくぐりぬけてきたエリートたちも度肝を抜かれた。さらに、彼らにはこんな訓辞をして、心をつかんだ。
「諸君の上司には、馬鹿がいるかもしれん。諸君の素晴らしいアイデアが理解されないこともあるだろう。そんな時は俺が聞いてやる。迷うことなく大臣室を訪れよ」
 2つのスピーチに共通するのは、何かあれば「大臣室に来い」という部分である。これが官僚への「殺し文句」となったのだ。川上氏はこう解説する。
「大臣である田中に、いつでも部屋を訪ねてきてくれ、と言われれば、官僚とくに新人官僚はプライドがくすぐられるわけで、悪い気がするはずがありません。
 結果として、官僚には田中シンパが増えていったのです。
 かつて小渕恵三元総理が頻繁に使ったとされる“ブッチホン”も似たような手法ですね。小渕さんは、新聞や週刊誌に自分について批判的な記事が出た時に、わざわざ書いた記者に電話をして『励ましてくれてありがとう。参考にします』『反省して頑張ります』などと伝えたそうです。
 記者は驚くと同時に、わざわざ総理が感謝の言葉を伝えてくるのですから、プライドがくすぐられる。
 話し手の地位が高い場合、このような『プライドをくすぐる』言葉は殺し文句となりやすいのです」

いかにしてなめられないようにするか
 田中は官僚の中でも特に課長、課長補佐という実務の中心にいる世代を重視した。次官や局長では自分の言うことは聞かないだろうという読みからだ。
 課長や課長補佐の入省年次、学歴、誕生日、家族構成、奥さんや子供の誕生日や結婚記念日まで細かく調べあげ、これと思う人材は自宅へ呼んで大蔵省内部の事情を聴き、実務の内容をくわしく尋ね、高価なお土産をもたせた。また結婚記念日、子供の入学などにもこまめに祝儀を贈った。
 こうして課長たちは、次第に田中に信頼をよせるようなり、省内の細かな情報さえも報告するようになったのだ。
 そして次官や局長などから説明を受ける時、「ここはおかしいんじゃないか」と事前に課長たちから得た情報を元にやり返したという。次官や局長は現場のことをすべて把握している訳ではないので、答えに窮してしまうこともしばしば。こうして次官や局長たちも田中に一目置くようになっていったのだ。
 国民の代表である政治家を官僚が軽視することは本来許されるものではないだろう。しかし、一方で政治家の側にも自然と敬意を持たれるような言動が求められるということなのかもしれない。「だれでも訪ねてきてくれ」「すべての責任は自分が負う」と言ってくれる大臣はどれだけいるのだろうか。
%%%%%デイリー新潮編集部
関連ビデオです。政治家としての田中角栄氏を高く評価していた小室直樹氏が語っています。
【Part1】小室直樹氏:日本人にはまだ憲法は書けない 
   

+++++茨城界隈の地震活動
 6月4日にも当地茨城県南部では有感地震が起きました。気象庁の決めたマグニチュードは4.8ということなので、重大視しませんでしたが、以前本ブログで掲載した図で、房総半島先端とその南東沖の地震が気になっていましたので、その二つの地震の位置を示しておきます。この二つは関東地震の発生源といわれる相模海底渓谷に関わっていますので、注意を向けておこうというわけです。
(図1:防災科学技術研究所、Hinet より。拡大は図のクリックで)
200609Hinet1906_10

(図2:(上)2019年1月1日―2020年6月8日までのm>2.5の地震活動。赤丸は顕著地震;(下)三次元分布を見るための参照用図。拡大は図のクリックで)
200609index無題


 関東200609 
(図3:(上)一ヵ月毎の地震回数変化、(下)地震活動の場所的分布。拡大は図のクリックで)
200609space_time無題

 最近の四ヶ月、地震の数が増加傾向にあります。どの酔うな推移を辿るのか。要注意です。

科学ランキング

神仏戦争,NHK,持続化給付金に食らいつく(電通,竹中平蔵氏)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:涼しい日が続いた五月を終え、六月に入り急激に暑くなったせいでしょうか。ホトトギスの鳴き声が耳につくようになりました。時には、気持ちよく唄っていたウグイスを黙り込ませています。苗の生長が著しい水田にはツバメが飛び交っています。何とか飛ぶ姿をデジカメに納めたいと構えるのですが、私をからかうようにレンズの前を横切ります。)
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 大声で トウキョウ・トッキョ キョカキョク 鶯に張り合う ほととぎすかな

 江戸時代のどこぞの大藩の悪徳家老あるいはお代官さま並みの悪行・腐敗がまかり通っています。先般のマスクをめぐる不明朗な発注の真相は究明されず、費用も466億円の高額が世論の非難を浴びたせいで256億円と言い直しているようです。民の非常時につけ込んで身内の金儲けの機会とさせてしまう。いつもの安倍氏のやり口です。ここから官邸政治家への「キックバック」が転がり込んでくるのでしょう。原資は税金です。税金を自分の懐に入れるというずるがしこい仕掛けを数年前から編み出していたといいますから、「金に執着する人間」の強欲さは並々ならぬものと思っています。
 そして、こうした機会に必ず顔をだすのが、金儲け機会を絶対に見逃さない竹中平蔵氏のリソナです。伝えられる所では、金儲け機会は座して待つのではなく、自ら動いて造るのだそうで、今般の「持続化給付金」も経済産業省の高級官僚と竹中氏によってつくりあげられた仕掛けであるともいいます。仕掛けの杜撰さにもかかわらず、それがばれないと高をくくっていたんですな。民は安く見られたもんです。
 官邸とそれに群がる悪徳商人の動きを支えているのが電通です。電通がでてきた日にゃ、さしもの民間報道機関、TV,大手新聞の関連報道は腰を引き気味です。なんといったってメディアの命綱である広告を握っているからです。こうなると、頼るは民から「視聴料」と称して金をむしりとっているNHKに「真実の報道」を期待するしかありません。ところが、そのNHKの無様な醜態には言葉がありません。以下の記事で記者が怒っています。
%%%%%NHKの安倍政権忖度が再びヒドい状況に! 持続化給付金の電通疑惑をスルーし続け『日曜討論』で野党排除、黒川検事長の問題でも… 2020.06.02 NHKが持続化給付金疑惑をスルー、『日曜討論』で野党排除 リテラ

 中小・個人事業者向けの「持続化給付金」の給付作業を、政府が実体の掴めない電通の“トンネル法人”に769億円で委託しているという問題。巨額の予算が電通やパソナといった安倍政権に近い大企業に流れているだけではなく、さらにはこのトンネル法人が“中抜き”した数億円もの金が経産省や政治家に還流しているのではないかという疑惑もあり、一大疑惑に発展する様相を呈している。

 昨日6月1日、本サイトでも報じたように、“電通タブー”のせいか、この問題をワイドショーはほとんど報じず。一方、先週から取り上げていたTBSを除く局のニュース番組も、昨夕からようやく取り上げはじめたが(それでも電通とは名指しせず「大手広告代理店」などと伝えているが)、そんななかでも無視を決め込んでいたのが、「アベさまの」NHKだ。

 実際、NHKの看板報道番組である『ニュース7』と『ニュースウオッチ9』(以下、『NW9』)は、昨晩、元AKB48の渡辺麻友が芸能界を引退したニュースは伝えたというのに、この「持続化給付金」問題を一切取り上げなかったのだ。

 しかも、本日2日になって遅れに遅れるかたちで取り上げたものの、正午のニュースでは、梶山弘志経産相が電通に再委託されたことを「問題ない」と言い張ったことをメインにして伝えたのである。

 民放のように電通に広告を依存していないというのに、なかなか取り上げなかった上、問題点を掘り下げることもなく政府の言い分を垂れ流す──。本日の『ニュース7』や『NW9』では詳しく報じるようになってはいたが、ここまで「持続化給付金」問題をNHKが取り上げなかったのは、新型コロナ対応で批判が高まっている安倍政権にさらなる大打撃を与えかねないため“忖度”してきた、ということだろう。

 だが、こうしたNHKの政権擁護の姿勢が、もっと露骨なかたちで表れている例がある。じつは、与野党の議員が意見を戦わせてきた討論番組『NHK日曜討論』が、この1カ月間、西村康稔コロナ担当相と加藤勝信厚労相を出演させつづけている一方、野党議員を一度も出演させていないとしてSNS上で話題になっているのだ。

 そして、本サイトでも確認してみたが、たしかに5月3日放送回で各党幹部が出演して以降、「政府と専門家による討論」「政府や経済界・労働界などが討論」などとし、加藤厚労相か西村コロナ担当相は毎週出演しながら、一度も野党議員が出演していなかった。

 そもそも『日曜討論』は毎回、与野党の議員が出演する討論番組ではないが、政府の新型コロナ対応が問われるなかで1カ月にもわたって与野党討論がないのは、あきらかにおかしい。

 実際、『日曜討論』では、WHOが「緊急事態」を宣言して以降、新型コロナの問題をテーマにして定期的に与野党討論を放送。たとえば、2月は4回の放送があったが、うち2回は加藤厚労相と専門家のみの出演だったものの、残り2回は与野党の政策責任者が顔を揃えていた。3月も5回の放送のうち、3.11を控えた8日放送回は新型コロナと東日本大震災の2本立てで加藤厚労相と田中和復興相、専門家の出演だったが、ほかの4回はすべて与野党の議員で討論。4月も4回の放送のうち2回は与野党議員による討論がおこなわれていた。

 それが5月3日放送回を最後に、野党議員を一切出演させず、新型コロナ対応にあたる大臣と専門家による討論だけを放送する──。野党の政府に対する対立意見や批判的検証が取り上げられないまま政権与党の大臣だけが一方的に主張するのは、「放送の不偏不党」「政治的公平」に欠けると言わざるを得ないだろう。

 しかし、5月3日まではかろうじて野党議員の出演があったというのに、なぜNHKはそれ以降、なくしてしまったのか。ここでひとつ思い当たることといえば、この1カ月間は検察庁法改正案と黒川弘務・前東京地検検事長の“賭けマージャン”問題で野党による追及が強まり、世論の反発も高まっていったという事実だ。

■検察庁法改正と黒川検事長賭け麻雀問題でNHKが見せた安倍政権への露骨なアシスト

 そしてこの間、検察庁法改正案と黒川氏の定年延長問題についてのNHKの放送姿勢は、あまりにも酷いものだった。

 たとえば、検察庁法改正案が衆院内閣委員会で審議入りした5月8日、『NW9』は審議入りしたことさえもスルー。『ニュース7』は法改正に反対する有志の弁護士でつくる団体がオンラインで記者会見を開いたこと、1500人もの弁護士が団体の活動に賛同していることを伝えたのだが、なぜかテロップは「“弁護士1500人が賛同”」という混乱を招くような表現になっていた。

 だが、8日に審議入りしたことを受けて、有名人を含む多くの市民による「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけた“Twitterデモ”が勃発。さすがにこれを無視することはできなかったのか、10、11日には『ニュース7』や『NW9』でも紹介。しかし12日の『ニュース7』では「“疑惑隠しで改正 指摘あたらず”」というテロップまで出して安倍首相の主張をメインに報道。『NW9』にいたっては問題を取り上げることさえしなかった。

 また、翌13日は『ニュース7』も『NW9』も衆議院内閣委員会の審議を取り上げたが、野党が森雅子法相の出席を求めて質疑の途中で退席したことを伝える一方で、内閣委員会の委員で自民党所属の泉田裕彦衆院議員がTwitterに〈強行採決は自殺行為〉〈与党の理事に強行採決なら退席する旨伝えました〉と投稿したことで自民党が泉田議員を内閣委員から外すという暴挙に出たことは伝えられることはなかった。

 さらに、15日には検察庁法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長ら検察OBが意見書を法務省に提出したが、〈ルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせる〉などと安倍首相を痛烈に批判したことは報じられず、「改正案 きょうの採決見送り」「検察庁法改正案 与野党が対立」などと政局の話に矮小化させてしまったのだ。

 無論、黒川氏の“賭けマージャン”問題での訓告という甘い処分が下された問題についても、安倍官邸が法務・検察の懲戒処分という提案を蹴ったという疑惑や、政権の責任を掘り下げるような報道は一切皆無。SNS上でこれまでにないほどに検察庁法改正案をめぐる安倍政権の対応に注目が注がれようと、NHKは“忖度”報道を繰り返したのである。

 そして、同時にこの期間、『日曜討論』という野党が与党に対して追及をおこなう場から排除されているという事実──。ようするに、NHKはあらかじめ検察庁法改正案や黒川問題を追及する声が出ることを、野党議員を出演させないことで封じ込めたのではないか。

 そもそもNHKは、新型コロナにかんする総理会見でも第1回目から、記者が挙手していても会見を打ち切って質問に答えるよう求める声が記者からあがる前に生放送を打ち切り、岩田明子記者の解説を垂れ流すという安倍首相のアシストをつづけている。その上、新型コロナ対応への不満が高まるなかで、野党が政府に対立意見をぶつけ検証する場さえなくしてしまうとは……。NHKがこの“忖度”をいつまでつづける気なのか。視聴者による監視が必要だ。

%%%%%(編集部)
 脳科学者の茂木博士は、国民にニュースを発信するということの意味をNHKに問うています。
【NHKがおかしい】茂木健一郎さん「政治部の力が強すぎる。視聴者のためのニュースバリューとは?」 
 森友問題でNHK上層部に疎んぜられた相澤冬樹氏がなんと「政府が右といったらNHKが左というわけには行かない」なる言を生した元NHK会長籾井勝人氏と語っています:
 「NHK会長とは何者か?」ゲスト:籾井勝人氏 

 以下の動画は、NHKと直接関わってはいませんが、わが国の未来を同作るのかが語られます。語るのは、山本太郎氏、森裕子氏、山尾 志桜里氏と並んで期待する衆議院議員・小川純也氏です。
5月26日 今夜は小川淳也がじっくり語ります!これまでの政治、コロナ後の社会 #小川に聞きたい 

社会・政治問題ランキング

+++++神仏戦争に関わったMr.男大迹
 5月29日記事で で男大迹(おおど、別名は彦太、継体天皇)こそが、七世紀前半のから半ばにかけての日本列島政治暗闘史の主役を担ったのではないかとの私の考えを書きました。私の作成した日本列島古代史編年にしたがえば、この人物の活動時期は、大足彦忍代天皇(景行天皇)の活動時期と重なっています。景行天皇は大陸隋の皇帝が「倭王」と認知した人物です。したがってMr.男大迹が倭国を代表する「天皇」であったはずはありません。むしろ、前回記事でも書いたように、日本列島内部の政治的混乱を持ち込んだ人物であろうと考えています。
 このことを露(あらわ)に反映しているのが日本書紀・推古紀です。日本書紀編年に従えば推古天皇は大陸に隋が興った西暦589年の三年後の西暦592年に即位しました。在位中の西暦618年に唐が建国されたことを知っていたかどうかは定かでありませんが628年に死去しています。ところが、推古紀には隋の話は出てきません。二回にわたる遣隋使の話、西暦608年の隋国からの倭国視察団の話も記載されていません。
 これについて大方の歴史学者は、「何かの勘違い。すなわち隋と唐を取り違えたのだろう」と理解し、それがそのまま放置されたのであろうとして、この「誤り」を重大視しません。しかし、森博達氏の研究によれば、日本書紀・推古紀は次の舒明紀とともにその執筆者は日本列島政治史に精通した人物であるとされています。語法に倭習漢文、すなわち日本人英語とでも言うべき語学レベルであるが、自国の歴史には精通しているので、藤原不比等の政治的思惑を忖度できる人物で無ければなら無かったのです。
 七世紀前半に起きたとされる政治動乱の一つが磐井造の乱です。Mr.男大迹が九州にわざわざ出かけて行ったとは想像でき難いのです。それは奈良盆地での、倭国王の部下である一将軍との戦いではなかったかと想像しています。その次におきる神仏戦争は、まさにMr.男大迹が積極的に仕掛けた戦争であり、それは西暦六世紀末ではなく七世紀前半であったろうと考えています。まずはその発端を日本書紀巻二十一は以下のように書きます:
%%%%%日本書紀・巻二十一
原文:
《崇峻天皇即位前紀用明天皇二年(五八七)七月》秋七月。蘇我馬子宿禰大臣勧諸皇子与群臣。謀滅物部守屋大連。泊瀬部皇子。竹田皇子。廐戸皇子。難波皇子。春日皇子。蘇我馬子宿禰大臣。紀男麻呂宿禰。巨勢臣比良夫。膳臣賀施夫。葛城臣烏那羅。倶率軍旅、進討大連。大伴連噛。阿倍臣人。平群臣神手。坂本臣糠手。春日臣。〈 闕名字。 〉倶率軍兵、従志紀郡到渋河家。大連親率子弟与奴軍。築稲城而戦。於是大連昇衣揩朴枝間、臨射如雨。其軍強盛。填家溢野。皇子等軍与群臣衆、怯弱恐怖。三廻却還。是時廐戸皇子束髪於額。〈 古俗、年少児、年十五六間。束髪於額。十七八間。分為角子。今亦為之。 〉
 文意(岩波文庫「日本書紀(四)」64頁より
崇峻天皇即位前紀用明天皇二年(五八七)秋七月。蘇我馬子宿禰大臣は諸皇子と群臣に物部守屋大連を滅ぼそうと謀る。泊瀬部皇子、竹田皇子、廐戸皇子、難波皇子、春日皇子、蘇我馬子宿禰大臣、紀男麻呂宿禰、巨勢臣比良夫、膳臣賀施夫、葛城臣烏那羅らは軍旅を編成し俱に進軍し、大連を討たんとする。大伴連噛、阿倍臣人、平群臣神手、坂本臣糠手、春日臣、も倶に軍兵を率いて、志紀郡から渋河家に到る。大連はみずから子弟と奴軍を率い。稲城を築いて而戦う。是こで、大連は衣揩朴枝間に昇り、如雨ごとく矢を射る。其軍勢強く家溢れる。皇子等軍と群臣衆は恐怖に怯弱え、三廻し退却する。是時、廐戸皇子が束髪於額(ひさごはな)で登場する〈 古ジンがいうには、年少児で年十五六ぐらいまでは束髪於額。十七八になると分けて角(あげまき)にする。今まさにそういう様相であった。 〉
%%%%%
(つづく)

考古学ランキング

今朝の茨城下地震、竹中平蔵氏の金儲けツール「サービスデザイン推進協議会」

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:今朝6時の茨城県霞ヶ浦下100kmほどの地震で当地は揺さぶられました。その速報です。どうやら二重震発面の下面の地震のようです。詳細は、気象庁によるデータベースがアップロードされた後再度掲載します。
2006013D無題

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 先月の 紙資源ごみ 多くない 大きく減った 新聞折込ゆえ

 当地では毎月一日は紙資源ごみ回収日です。今朝の量は、新聞を除くと格段に少ない。そういえば、あのうっとうしい新聞折込ビラが五月は激減していました。経済が縮小していることを北関東の寒村に住むオイボレも実感することとなりました。
 先日の記者会見で、安倍首相はずいぶんと大見得を切っていましたが、早速それを皮肉るツイッタが出回っていましたので、転載させていただきます:
(図: 「世界に誇る日本モデル 
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(図:給付金
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 コロナ不況から民を救うことのできる「経済政策」をすでに政府が策定しているとは思えません。前回記事で紹介した中傷企業給付金の配分をどこやらの「サービスデザイン推進協議会」(実体の無い幽霊団体であるとの指摘も多い)に丸投げ、この社団法人はそのほとんどを電通と竹中平蔵氏が取り仕切るパソナに丸投げをして、手数料だけはちゃんとくすねるというのです。
%%%%%「給付金」法人に14件1576億円 経産省が委託 7件は電通などに再委託 2020年6月1日 07時12分
200601給付金9890001

 国の持続化給付金事業を担う一般社団法人サービスデザイン推進協議会が設立から四年で、同事業を含め十四事業を計千五百七十六億円で経済産業省から委託されていた。うち九件を、広告大手の電通や人材派遣のパソナなどに再委託していたことも判明。残りの五件でも事業の大半を外注していた例があり、法人本体の実体の乏しさがより浮き彫りになった。 (森本智之)
 過去の再委託の事例は経産省が国会議員に示した資料で明らかとなった。法人が再委託をした事業九件のうち、電通グループに七件、パソナには二件と法人の設立に関与した企業を中心に事業を回していた。
 法人の不透明さが発覚する発端となった持続化給付金では、委託費の97%に当たる七百四十九億円が再委託費として電通に流れている。電通が設立に関与した法人から電通に事業が再委託される経緯について、両者はこれまで「回答を控える」としている。経産省は現時点で、持続化給付金以外の事業に関しては再委託費を明らかにしていない。
 ただ、税金の使い道を検証する政府の行政事業レビューによると、電通など五法人が再委託を受けた中小企業などへのIT導入支援事業(二〇一七年度)では、四百九十九億円の予算から、法人にひとまず入った金額の96%に当たる三十七億円が外部に流れていた。過去の再委託でも同様に、法人が事業の大部分を外部に回す手法が目立つ。
 さらに「再委託先はない」と経産省が説明する五件でも、レビューによると法人が事業を外注していた例があった。例えば外注割合はおもてなし規格の事業(一六年度)で68%相当、IT導入補助金(一七年度)では96%に上った。
 再委託と外注は契約形態が違うが、法人が自前で業務の大半を行わず外部に任せるという点では同じ。過去の事業でも法人が税金から得た金額が問題視されそうだ。
<持続化給付金事業の再委託> 経済産業省中小企業庁は中小企業などに最大200万円を給付する持続化給付金で、一般社団法人サービスデザイン推進協議会に769億円で事業を委託。この法人はサービス業の生産性向上を図る目的で2016年5月、電通、パソナ、トランスコスモス、日本生産性本部などによって設立された。委託費の97%に当たる749億円が、法人からの再委託で電通に流れることが判明。実質的な給付事業は電通が担っているといえ、法人の実体の乏しさが鮮明となった。一方、法人の代表理事は6月8日付で辞職するとしている。
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 しかも、その給付金の配分は大幅に遅れ、ピンチに晒される中小企業救済に間に合うのかが危ぶまれているといいます。
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悪評ふんぷんの中小企業給付金 大幅遅れの元凶はアベ友? 公開日:2020/05/28 13:20 更新日:2020/05/28 14:25
 新型コロナ禍で売り上げが半減した中小企業などに最大200万円を給付する政府の「中小企業持続化給付金」は、対応が遅いと悪評ふんぷん。その元凶が“アベ友印”の竹中平蔵東洋大教授が絡む企業だという疑惑が浮上してきた。
 給付作業を行っているのは、竹中氏が会長を務める大手人材派遣業「パソナ」や電通が設立した一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」。中小企業庁から第1次補正予算分として769億円の委託料が払われているが、28日の東京新聞によると、HPで電話番号は非公表で、登記簿上の所在地は東京・築地の小さなビルの2階というから怪しい。
 第2次補正予算と合わせて4兆円を超える給付金がこんな実態不明の団体に丸投げされたのでは、倒産の危機に瀕する中小企業の経営者は泣くに泣けない。
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 前回も書いたけれども素人考えでは、まずは大企業ががっぽりと溜め込んできた内部留保金を中小企業救済のために役立てる。これこそが、内部留保金という「危機管理」マネーの真っ当な使用法であり、官邸はそれを強く促すべきと思います。そのうえで、強力な「財政出動」と思います。財政出動に強く異論を唱えてきた金子勝氏の考えを伺いたいものです。
関連記事:新型コロナが引き起こす「MMTブーム」の第2波 2020年6月1日 6時20分  東洋経済オンライン

+++++五輪どうする
元外交官の天木直人氏が即刻安倍退陣を迫れと野党をたきつけています。
%%%%%五輪中止は決定済みと報じた週刊フライデーの衝撃 2020-05-29 天木直人のブログ
200601五輪8681


 きょう5月29日発売の週刊フライデーが(6月12日号)が安倍政権の帰趨を占う衝撃的な記事を掲載した。
 来年7月に延期された東京五輪が、実はすでに中止とすることで決定済みであるというのだ。
 そのことを示す極秘情報を週刊フライデーが入手したというのだ。
 すなわち、米政府との繋がりをバックに世界展開している大手旅行会社のマル秘レポートの「東京五輪は中止が決定している」という一文が見つかったというのだ。
 中止の理由は次の通りとなっているというのだ。
 ‖燭の国が代表選手を再選考するための大会を開催する余裕も時間もない
 ⇒菁は各国ともに財政立て直しが最優先される
 ワクチンができたとしても世界中に行き渡るだけの量を確保することは困難
 ぅ▲侫螢や中南米などの医療後進国はまだ第一波の真っただ中でこれからが大変
 いずれももっともな理由だ。
 私がこのスクープ記事を知って直感的に思ったのは、実はこの情報は安倍政権も知っていて、もはや無理だと観念した上で、自らの任期を引き延ばすために強がりを言っているのではないかということだ。
 今朝のNHKの早朝ニュースが報じていた。
 安倍首相は完全な形での東京五輪実現のためにコロナ危機に打ち勝つという考えを示したと。
 私は何かの聞き間違いかと思った。
 何が何でも開催したいから無観客でもいいから開催したいと、安倍首相が方針転換をしたのかと思った。
 ところが今でも完全な形の開催にこだわっているのだ。
 本気でそう考えているのなら完全に判断力を失っている。
 一刻も早く首相を辞めないと日本という国は危ない。
 佐藤栄作長期政権の記録を超えるために8月末まで引退時期を先延ばしするための嘘だとしたら、保身のために国民を欺いているということだ。
 これまた一刻も早く首相を辞めさせないと国民は馬鹿を見る。
 コーツIOC調整委員長は、「今年10月ごろに可否を判断する」と5月21日付の豪州紙「オーストラリアン」に語った。
 これに対し日本政府側はそんな話は聞いていないと否定している。
 とんでもない日本政府の反応だ。
 10月でも遅すぎるぐらいだ。
 コロナをめぐる世界情勢はどんどん不透明になってきている。
 東京五輪の中止決定は早ければ早いほうがいい。
 東京五輪の中止決定を安倍首相の辞任の花道にして、コロナ後の世界に、日本は一日もはやく新体制で取り組むべきだ。
 週刊誌の記事でなんでも動く野党だ。
 野党は今日発売の週刊フライデーの東京五輪中止決定というスクープ記事を引用して安倍首相にいますぐ退陣を迫るべきだ。
 安倍退陣の理由はどこにでも見つけられる
%%%%%(了)

緊急事態解除後、男大迹(おほど、継体)天皇(5)

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:Mozart K.596 'Sehnsucht nach dem Fruhling' Elisabeth Schwarzkopf   

 一年の 三分の一 瞬(またた)く間 コロナコロナで 薫風勾(かぎ)損(そこ)ねる

 二月〜五月、あっと言う間に過ぎ去りました。一年の三分の一にも相当する期間です。今年は風薫る五月は来なかったんであります。と、いうわけで冒頭動画で過ぎ行く五月を惜しむことにします。

 余命もそれほどあるわけではないので、粗だらけの安倍氏の粗探しをして、それに憤っていても仕方ないんでありますが、腹立つんですな。この腹立ちを、かっては「次世代に生きる孫・子のため」なぞと粋がった理屈をつけていましたが、胸に手を当てて心臓の辺りの音を探ってみると、それは、どうやら晋三氏への嫉妬、やっかみ、羨望ではなかろうか、と思えてきます。能力無い、言語力無い、知性無い、理念無い・・・の無い無い尽くしです。しかし、故祖父の残した政財両面での資産がふんだんにある。だから外国にもしょっちゅう行ける、連日うまいものをたらふく食える、の有る有る尽くしです。これが私には羨ましいんですな。せめて、悪事は我々の気に障らぬようこっそりとやって欲しいものだ。てなことを考えています。
 
 昨年4月のサクラ見る会をめぐる政治活動違反について一月に憲法学者が「安倍氏を告発していたけれども、検察庁はそれを門前払いをしていた」とのことです。あの黒川元高等検察庁検事長が暗躍していたと報道されています。悪事をこそこそとやろうが、おおっぴらにやろうがそれを不問にする仕掛けが黒川氏であったんですな。私もこんな仕掛けが欲しい。
200529黒川8526

関連記事:
%%%%%<桜を見る会>安倍告発を受理すらしない東京地検 黒川氏の意向か? 「告発権の侵害だ」と専門家憤る 5/28(木) 11:42配信

 この黒川氏の賭博問題は最近発覚したのではないとのことです。どうやら、かなり昔から官邸の「杉田和博なるお庭番」がきっちりとつかんでいたようです。力関係によっては、黒川氏の側が安倍氏の悪行をネタに安部氏に脅しをかけ大きな益を得ることもできたはずです。が、そうはならず、黒川氏の側が安倍氏に賭博という弱みを握られ、いいように悪事に加担させられていたという構図であったわけです。この黒川氏が「人でなし」ならぬ「人たらし」との一面を持ち合わせていると、下の動画で郷原氏が語っています。どうやらあの「オウム事件」でならした江川紹子氏はすっかり「黒川氏にたらしこまれ」てしまったということのようです。
黒川検事長の賭け麻雀辞任の真相に迫る!郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#15 

 さて、世の中というより官邸・財界の最大関心事は「コロナ」後に移っています。8年間にもわたる異次元金融緩和のトリクルダウン効果で庶民の懐はポッポポッポと温味を増すはずでした。ところがさにあらず、大企業の内部留保金だけが異次元に膨れ上がったと、大方のエコノミストが指摘します。そもそも「内部留保金」とは、今般のような非常時に対応するための「危機管理」策です。とすれば、大企業は今こそ、内部留保を全額とは言わないまでも吐き出して社会貢献をするべきではなかろうか、と思います。やれることは、中小零細企業救済、雇用の維持などいっぱいあるはずです。しかるにわが政府は、そこには目を向けず「大企業さん! さぞかし苦しかろう」と思いやるんであります。。
%%%%%大企業支援の拡大検討 コロナ対策、政投銀出資枠―西村再生相 
西村康稔経済再生担当相は10日、NHKの番組に出演し、日本政策投資銀行の大企業向け出資枠について、「どんなことがあっても日本の企業を支えることができるよう拡大することも考えていきたい」と述べた。新型コロナウイルスの感染拡大により財務基盤が脆弱(ぜいじゃく)になった大企業への支援強化策を検討する考えだ。
マツダ、3000億円の融資要請 新型コロナ影響長期化に備え
 日本商工会議所の三村明夫会頭は同番組で、「(大企業である)親会社が健全な形で存続してもらうことが、中小企業の存続のために非常に重要」と指摘した。
 政投銀の大企業支援をめぐり、政府は既に4000億円規模の追加の出資枠を設けている。西村氏は番組後の記者会見で、欧米経済の落ち込みが大きい状況を踏まえ、「(企業支援策の強化が)今後必要となってくる可能性もあり、必要な枠は用意したい」と強調した。
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関連記事:
%%%%%コロナ禍で吹き飛んだインバウンド消費は8兆円「観光立国」だけに力を入れ過ぎたツケ 
 私も、この記事に大いに賛同しています。自動車産業と観光優遇で、日本国の「ものづくり」産業が大きく後退してしまった。かっては製薬産業も日本国の世界に誇る技術力が支えてきたのです。が、現今大手製薬会社はすべて外国資本下に組み込まれている始末です。「アビガン」を使いたくとも米国製薬資本の思惑に阻まれてしまうという体たらくです。

 その異次元緩和を支えた日本銀行に不安の兆しです。中央銀行が、自国産業の株価を支えるために投資をするなんぞは他の先進国ではありえない、とエコノミストは言います。しかも少なくない企業での最大株主となっている。言葉を変えれば、日本の株価=景気は日本銀行が人工的に操作しているということです。これが、日本銀行の役割であるのか?
%%%%%日銀、年内にも日本市場最大の株主に 先進国では異例 
• 渡辺淳基2020年5月27日 22時28分
日本銀行の持つ上場投資信託(ETF)
 日本銀行が年内にも日本の株式市場最大の大株主となる見通しだ。27日発表した2019年度決算で、株式に幅広くお金を投じる上場投資信託(ETF)の3月末の保有額(時価ベース)が前年比7・9%(2兆3千億円)増の約31兆2千億円になった。新型コロナウイルスによる経済危機で、日銀は保有額を一層増やす。近く年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)を上回ることになる。
 ETFは日経平均などの株価指数に連動させる金融商品。幅広い銘柄を買うことになり、日銀は間接的な株主になる。中央銀行が株式市場へお金を投じるのは先進国では異例の対応だ。
 3月末時点の保有額は、東京証券取引所1部上場企業の時価総額の5・8%の規模。ニッセイ基礎研究所の井出真吾氏の試算では、ETFを通じて日銀が10%以上持つ企業数は3月末時点で56社に及ぶ。前年の37社を大きく上回る。

 国内株式市場で最大の保有者は現在、年金保険料を運用するGPIFだ。昨年12月末時点の保有額(時価ベース)は約42兆4千億円。株価下落を受けた3月末時点だと、日銀との差は数兆円ほどとみられる。
 日銀がETFを買うと株価の下支え効果が生じる。近年は年6兆円ペースで買い続けている。新型コロナの影響で株価が急落し、当面は年12兆円に倍増させることも決定。4月は約1兆2千億円、5月は4千億円超を買い入れた。今のペースだと、年内にも最大の保有者となる可能性がある。
 ただ、保有額を増やすと副作用もある。価格が大きく動くETFは日銀の財務に響く。買った時の価格(簿価)を時価が上回れば含み益が出る一方で、下回れば含み損に。引当金を積む必要が生じ、利益の押し下げ要因になる。前年の19年3月末に約3兆9千億円あった含み益は、今年3月末時点で約3千億円。3兆6千億円ほども減った。
 黒田東彦(はるひこ)総裁は3月中旬の国会答弁で「(当時の株価水準なら)含み損は2兆〜3兆円」との試算を示した。その後の株価回復で、含み損を回避できている。
 株式市場への影響も大きい。日銀の保有比率が増すと、公的なお金が株価に大きな影響を及ぼす「官製相場」につながる。いつまで持ち続けるかが不透明なうえ、売る場合は株価の下押し要因にもなり、売却の仕方が難しい。ETFを通じて株式を間接的に持っても株主総会で議決権は行使しない。日銀が「物言わぬ大株主」になることで、企業の経営改革スピードなどに悪影響を及ぼす恐れなども指摘される。(渡辺淳基)
(図の拡大はクリックで)
200529日銀無題

日本銀行のETF購入、主な効果と副作用
<効果>
・株価が下支えされ、投資家が安心して買える
・投資家の保有資産上昇で、消費意欲が高まる
・消費が増えれば、物価押し上げにもつながる
<副作用>
・大幅な買い入れで株価形成にゆがみが生じる
・株価が大きく下がると日銀が含み損を抱える
・「物言わぬ大株主」となり企業の改革が滞る
%%%%%
 
 もう一つ気になる記事がありますが、それについては東京新聞の一面記事のみを添付することにとどめます。
200528パソナ東京8492

 最後は、鳩山友紀夫 × 孫崎享(元外務省国際情報局長)対談の動画です。
時事放談 鳩山友紀夫 × 孫崎享(元外務省国際情報局長)

 日露北方領土交渉で、先般亡くなった岡本行夫氏は、多くの外務官僚が官邸に忖度した言動をとる中で、原則的な立ち居地を堅守していた、とか「香港」騒動を見る視点など、孫崎氏の言は興味深いです。とりわけ、香港問題は、今回は書きませんが、なにやら「コロナ=陰謀」論とも関わりがありそうです。

 最後は、残念な記事です。2000年初頭の国立大学独立行政法人化問題をはじめとして科学技術関連の問題で大いに存在感を放って、与党である自民党に対して鋭く本質を抉り出す国会質疑を仕掛けていたのが桜井充参議院議員です。一体何があったのでしょうか?確かに現今の立憲民主党・執行部の定見の無さはあきれ返ります。そうした執行部を見限ることはあっても、まさか自民党に入るとは!!。
%%%%%共産党支援で当選して自民党入り 桜井充の「変節」に地元からすさまじい怒り 2020年5月29日 6時0分
「新型コロナ対策一つとっても、与党でないと仕事ができない」
 そう宣言し、野党統一会派を離脱、5月21日に自民党会派入りしたのは桜井充参院議員(64)だ。東京高検の黒川弘務検事長が賭けマージャンで辞任し、政権の力が急落する最中の転身に野党担当記者は「コロナ対策で安倍晋三首相も野党の提案を受け入れる姿勢を示している。『与党でないと仕事ができない』とは大嘘」と呆れ返った。
 何しろ桜井氏、ついこの間まで安倍政権追及の急先鋒だった。首相が衆院を解散した2017年9月には「モリカケ追及逃れの解散だ。選挙がどうなろうと総理の関与は追及する」と宣言。自民圧勝に終わった選挙後も追及チームのリーダーとして厳しく迫った。
 桜井氏を知る地元・宮城の記者は「変節漢は昔から。偉くなりたいだけで筋の通った政治信条はそもそもない」。心療内科医の桜井氏は98年の参院選に宮城選挙区から民主党公認で出馬し初当選。地元の地方議員は明かす。「彼の素性を調べると、事前には自民にも共産にも『私を候補にして下さい』と声をかけていた」
 国政に進出してからの口癖は「将来は総理になる。だから衆院に鞍替えしたい」。事あるごとに「無所属でも衆院宮城一区から出る」と啖呵を切るも、決断できず機を逸した。民主党政権だった12年9月の代表選では、当時の野田佳彦首相に対抗しようと立候補を模索したが、推薦人が集まらず断念。
地元からすさまじい怒り
 昨年9月、野党統一会派が結成されたタイミングで「新しい挑戦をしたい」と国民民主からの離党を表明。統一会派に所属したまま、自民党側に接触を重ねた。岸田文雄政調会長と面会し、「ぜひ岸田派に入りたい」と懇願したかと思えば、麻生太郎副総理と縁のある宮城の有力者を頼って、その筋からも自民入りを画策したという。「もともと自民でも共産でも良かった桜井氏にとっては、派閥などどこでもいいのは当然だろう」(前出・地元記者)。
 今回の自民会派入りで地元の怒りはすさまじい。宮城選挙区の定数が1に削減された16年参院選では共産と手を握り、野党統一候補として四選しただけに、地元の共産関係者は「背信行為だ」と怒り心頭。一方で、地元の自民筋からも「共産と組んだ政治家が、今さら何だ」と散々で、五選を狙う再来年の参院選は視界不良だ。
 自民の世耕弘成参院幹事長からは「ハレーションが大きいから、すぐの派閥入りは控えて欲しい」とクギを刺されたという。変節を繰り返してきた桜井氏、与党会派入りでも仕事はできそうにない。
%%%%%(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年6月4日号)

+++++男大迹(おほど、継体)天皇(5)
 前回記事で、西暦608年の隋皇帝による日本列島視察団が、奈良盆地に隠棲していた「漢」人末裔と遭遇したことを書きました。この視察団はこのとき初めて日本列島にそうした部族の存在を知ったわけではなく、あらかじめ知っており、そのためにわざわざ、九州に政庁を構えていた倭王を表敬した後、奈良盆地にまで足を伸ばしたのでしょう。
 隋の建国から19年後のことです。日本書紀が語る男大迹の「大和周囲を経巡って20年」との説話とあい符合します。
 となると、日本書紀編年に従うならば、磐井の乱鎮圧はこの後ということになります。やっと漢民族の日本列島での存在を認知された「男大迹」が、踵を返して九州に攻め込むなんぞはありえないように思えます。が、私が気にかけているのが万葉集一巻三歌〜十二歌です(2009年5月10日記事から始まる一連の記事)。歌の舞台はが九州であること、そして戦乱を控えて緊張感が漂う叙事歌です。例えば、2014年5月28日記事 は万葉集三歌を解読しています。私のブログでは万葉集解読を繰り返ししてきました。万葉集初期歌群にすいては本当にその歌意をつかむのは難しいのです。
 何せ、西暦六世紀末から七世紀半ばにかけての日本列島政治史記述は藤原不比等がもっとも神経を行き届かせねばならなかった案件です。日本書紀編年に従えば、推古・舒明紀です。
詳しくは2019年11月14日記事 にはじまる9回の連続記事です。例えば2019年11月25日記事
は下の表を参照して以下を書いています(図の拡大はクリックで):
二国無題

%%%%%11月25日記事抜粋
それは右から四番目の欄(コラム)です。そこにはa,bなる文字が付されています。aはα群,bはβ群を意味します。つまりbが付されている巻は日本列島にいきわたっていた言語を母国語とする学者が書いたことを推察させます。推古紀、舒明紀はまさにそうした日本列島出自で育った学者が執筆したのです。そして同様は天武紀、および雄略天皇の前安康天皇以前仁徳天皇紀を含め神代紀までのすべてです。

 何故、推古紀―舒明紀がカテゴリbに属するのでしょうか?理由は明らかです。それは、上に書いたように「隋」を「唐」に置き換えるという「イカサマ」のせいです。すなわち、この二つの巻についてその中心的執筆者を大陸出自の漢語を母国語とする人物に任せてしまえば、その「イカサマ」はたちどころに露見してしまうからです。言葉を変えれば、この「イカサマ」は日本書紀編集の全体筋書きを監修する藤原不比等にとってはことのほか重要事であったと推察できます。
前回記事で提示した表を検討するにあたり、まずはE期から始めました。この時期は日本国古代史のいわば激動期です。最大の事件が白村江海戦での惨敗です。これに関って、多くの特筆すべき事件、出来事があったはずです。その一つが「狂心の渠」です。私は、これを、本年の2月4日から8回にわたって考察してきた後、箸墓古墳に話題を転じ、議論を放置してきました。
%%%%%
 日本書紀を正史たらしめるには、この時代をよけるわけにはいきません。そこで藤原不比等が正史に持ち込んだのが男大迹(おほど、継体)天皇です。中臣鎌足がこの人物に重なります。日本列島に「政変」を持ち込んだ人物です。相棒の中大兄は男大迹(おほど、継体)の息子又は孫でしょうか。藤原不比等が巧妙な細工を施した「正史」の中の重要な要であり、現時点ではそれを解きほぐすことができずにいます。
 学者である藤原不比等は必ずや、どこかにこっそりと解明の鍵を潜ませていると考えています。すなわち全くの虚構を貫き通すことは、中国大陸王朝の正史を参照するならばできなかったはずです。鍵の一つが、上表にみる天皇二重性と考えています。

 そのように思うと、磐井の乱、神仏戦争、そして乙巳の変には、この男大迹(おほど、継体)が関わっていると推察することが可能です。
(つづく)

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コロナとBCG(児玉博士)、黒川問題(平野貞夫氏)、大竹しのぶさん

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:二泊三日で欧州の田園地に旅してきました。というのは事実でありません。北関東の田舎にも欧州を思わせる風景を切り取ることができます。)
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  すかしっぺ 普段であれば 怒れども コロナでないと 安堵する日々

 下品な一首、お詫びいたします。知り合いが「やってくれたん」です。私が厳しく指摘しなければ、それは無かったことにされてしまいます。そこで、厳しく指摘しました。おもえば、「被害意識」があったということは、「嗅覚」は正常ということです。コロナに罹患していないということです。妙な安堵感がありました。

 検察庁法改正をめぐる主人公は黒川川弘務元東京高等検察庁・検事長とその背後で悪行三昧をむさぼってきた安倍晋三氏です。その黒川氏を国会の生き字引言われる平野貞夫氏が語っています。冒頭に紹介している二冊の本はいずれも本ブログで紹介しました。一つは森裕子参議院議員による「検察の罠」、もう一つは元東京地方検察庁検察特捜部・検事郷原信郎氏が著した「検察崩壊」です(5月23日記事 )
【佐高信×早野透+平野貞夫の3ジジ放談】清規と陋規 検察と政治20200521 
 検察をそそのかして小沢氏の有罪を目論んだのが当時の民主党の幹部、菅直人、仙谷由人、そして現在の立憲民党代表の枝野幸男氏らであることは当時から知られていました。なんせ口では美辞麗句を謳いながら、党内の派略と人気取りに固執し、天下国家・民の幸せにつながる理念を放擲してしまったわけです。今般の騒動で安倍氏が退陣し、自民党から政権を奪う政治家たちはこの民主党の辿った撤を踏まぬよう深刻に学んでほしいところです。昨今の枝野氏にはその気概が見えない、それを民は敏感に感じており低迷する支持率に羅会われてつながっています。上記の動画でもう一つ興味を引いたのが、佐高氏による政治評論家「森田実」氏評です。それは、今般の問題に関する「公明党」の定まらないスタンスへの森田氏のあいまいさを指摘したものです。それが下の参考動画が触れられています。
参考:【検察庁法改正 第4弾】黒川検事長の賭け麻雀 ー禧江,気鵝´田中康夫さん 石戸諭さん ど霤頂重瓦気鵝´ダ通斃さん λ拿瓩気鵝濺賃蔀匯劼気鵝´Ф晋郷郎さん ┯綟8次さん 
 もう一つ上の動画で田中康夫氏の「江川紹子」氏への言及も興味深い。これは、5月23日記事で紹介した江川評を裏付けるものです:
%%%%%(5月23日記事から)
“当時、郷原信郎弁護士と並んで、委員に就任し、冤罪を作らせないようにすると息巻いていた江川紹子氏が、会議が終わるころには、この刑事訴訟法「通過」を目指して奔走するようにまでなっていたその豹変ぶりに、私は驚きを隠せなかったものだ。”
%%%%%
 というのは、つい数日前であったかと思いますが、江川氏は突然フリージャナリストの青木理氏などの活動を指して「フリージャーナリストの無力」ぶりを揶揄する言をどこぞで発していたことに重なったからです。江川氏といえば、条件反射的に「オウム」事件を思い出します。勇気ある女性ジャ^ナリストと敬意を持っていたのですが、どうやらその期待は裏切られたようです。

参考:黒川辞任、実名報道しない理由は何か/政界地獄耳 2020年5月26日13時5分 日刊スポーツ
・・・前半部分は省略して、大竹しのぶさんのコメントのみを以下に転載します。
★女優の大竹しのぶは22日、インスタグラムに「検察官というのは法を犯した人を起訴できる唯一の仕事であるはずなのに、その人が、かけ麻雀をしていたなんて、しかも事実を伝えるべき仕事の新聞記者と」と記し「自粛を守り、沢山の人が苦しい思いをしています。長い間守ってきたお店を閉めた人、面会することも許されず、病院で亡くなった方もいることでしょう。先が見えずに命を絶ってしまった方もいました。犯罪に走った人も。そして命をかけて働いている医療従事者の方たち、明日からどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れている人たち。そんな人がいる中で、なぜ麻雀ができるのだろう。わからない」とつづっている。新聞は沈黙し続けるのか。(K)※敬称略
%%%%%

+++++コロナ問題
 次の動画は児玉教授の話です。大学での講義を聴いているようで、大変楽しい。以前教授がいくつかの動画で話をされていることに加え、今般は医療分野の方々の質問に答えています。
 そのうちの質問の一つが「BCG」の有効性でありました。動画を見ていただければよいので、私がここで繰り返すことも無いのですが、視聴した私の感想を書き留めておきます。
 教授の言の要点は「細胞、抗体をめぐる相互関係のメカニズム」です。「最新の医学知識に基づくならば、BCGがコロナウイルスの細胞への侵入あるいは人体細胞の破壊をふせぐメカニズムを想定できない」というものです。今般のコロナ騒動で現出した現象は多岐にわたる大量情報をつくっている。AI技術などを駆使して、その中から相関する関係諸量については今後とも調査研究を進めるのは当然。現時点では、よしんばBCGと感染の間に負の相関が見られたとしても(5月23日記事)、現時点ではそれは偶然としか言いようが無い。科学者らしい冷静な思考法と考えました。が、自然現象がチラリとその本性を垣間見せる「切り口」を見逃さない直感が科学者の資質ではなかろうかとも思えます。山中伸弥博士のBCG着目はその表れではなかろうかとも思えます。「それは、これまでの知見では説明できない」としてその仮説を捨てさってよいものなのか?もう少し詳しい論議をいずれ聞けるのかも知れません。

サイエンス映像学会第11回大会2020年5月23日(土)児玉龍彦   39分頃と53分ごろから実際の話がはじまります。

 この議論は、このところ本ブログで公開している地震源の三次元表示に現ブログ管理人にとっては関係ある話でもあります。限られた三次元空間内で発生する地震の間に何がしかの規則性を見出したいと試みです。そのためには三次元分布をいろいろな方角から眺めて、そこに何がしかの線状配列を探します。そうして見つかる線上配列は、その配列を含む画面に垂直な面上にあることを示します。それが、プレート境界であれば、まことに結構。そうではなくとも地下に潜伏する断層「面」であれば、今後の潜在地震活動として、防災計画に寄与できるというものです。地震活動が線状に見える方向は、現在使っている科学計算ソフトScilabで知ることができます(説明不足のマニュアルからこの項目を引っ張り出すのに苦労しましたが、愚痴でありまするよ)。ということは、線状配列を含む面の幾何学がわかるというわけです。
 同様は浅い地震についての三次元時空間分布(平面上の地震活動と縦軸に時間経過)での線状分布も興味深いのです。線状配列が乗る面の方程式は
ax+by+ct+d=0
で与えられます。ここから平面上を徘徊する地震活動の時間的推移がわかると同時に近接する地震群の時間的関係が見えてくるやも知れません。

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+++++継体天皇事跡考察(3)
 継体天皇が大陸出自であるとの私の仮説は、日本書紀編年での西暦400年〜西暦645年間までの245年という期間は二重に勘定されているとの「事実」に基づいています。すなわち、この245年は実はその半分である122年しか経過していないことを意味します。とするならば、実際の122年間を歴史の時間軸上にすえることになるのはおのずと明らかです。すなわち、より古いことは不確かであると考えれば、この123年は西暦543年ごろすなわち六世紀半ばとなります。「歴史史実の信頼性」が時間が古いほど、乏しいことを勘案すれば、妥当であると思えます。
 こうした作業から浮かび上がってくるのが継体天皇です。この見直された編年では継体天皇の日本列島政治史への登場は日本書紀編年の西暦507年ではなく、それよりほぼ100年後の中国大陸の新王朝「隋」建国とほぼ同じ時期となります。

 この当時の日本列島の政治支配環境は5月15日記事に掲載した図の如くであったろうと考えています:
扶桑国_

 ただし、この図は梁書倭国伝の記載を渡辺豊和氏が図にしたものです。それは五世紀末の頃と思われます。その後、シリウス星計測にしたがうならば、六世紀前半に倭国―扶桑国の連合体が、大漢国に侵入し、橋頭堡らしきものを建設した痕跡があります。それが嵯峨愛宕山―岩清水八幡宮線千です。
 ほぼ同じ時期に、八溝山ー鹿島が構築され、その年代はサキタマ古墳の鉄剣に刻まれる年代でもあります。すなわち東北日本に発した渡来族―アイヌ連合体は、西南日本への進出をいっせいに始めた時期でもあります。

 呼応して、その一部は九州にまで拡大した形跡がありますが、さしもの稗田阿礼の知識・記憶の範囲を超えているようです。
 そうこうする内に六世紀末、隋建国の時期となります。この頃倭国王は阿毎多利思比弧(大足彦忍代別)であったろうと考えています。後世八世紀に、漢風号である「景行」を諡られる天皇です。この天皇の時代にはすでに倭国は西の九州と、東の東北日本からなっていたはずです。常陸国国風土記が語るところでは、この天皇はしばしば常陸国に出没します。宮廷は鹿島にあったのではなかったかと私は想像しています。日本書紀景行天皇紀は九州の巡狩を語りますから、九州にも拠点があったはずです。
この筋書きからして、この人物が継体天皇であるはずはありません。すなわち、継体天皇は、景行天皇の対抗馬として日本列島に送り込まれた人物であると考えることができます。状況証拠があります。この御仁は、「応神天皇」の五代離れた子孫と謳っていますが、そもそも応神天皇は実在した人物ではないことを本ブログが解き明かしています。そして日本列島への入国の地は、敦賀、すなわち若狭湾、日本海側の地です。これが意味するのは、朝鮮半島から渡海してきた人物です。当然、軍事部隊を率いていたはずです。
琵琶湖を西岸か東岸を経巡って、奈良盆地に入ろうとしたが20年もの長きに渡って入れなかったのは、景行天皇天皇率いる倭国―扶桑国連合体が一定の地歩をすでに占めていたからです。

 どうやら西暦608年の隋からの視察団と倭国との協議でまずは視察団とともに「継体天皇」は奈良盆地に入ることができたと考えています。倭国の低い警戒心に漬け込んだのかもしれません。こうしていよいよ奈良盆地を拠点とする大陸ひも付き集団の蠢動が始まります。
(つづく)


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+++++日本の水問題
いささか古いニュースですが、書きとめておく意味があろうかと考え下に貼り付けておきます。

%%%%%水道料金の格差8倍 衛生面でも重要、その値段は適切か 5/12(火) 10:01配信

全国の水道料金最高・最低各上位10自治体
200512水道料金00001

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、水道料金が注目を集めている。在宅時間の増加によりかさむ水道料金の減免を一部自治体が打ち出しているからだ。しかし、全国の自治体(水道企業団)で比較するとその料金にはおよそ8倍の開きがある。どうしてこれほど違いがあるのか。生活用水としてだけでなく、衛生面でも大きな役割を果たしている水道を維持していくために、水道料金のあり方の議論はこれから活発化しそうだ。(藤原由梨) 【グラフ】主な政令市、県庁所在地などの水道料金  ■千種川(ちくさがわ)のめぐみ  「なぜ水道料金が安いのか、市民の方からよく問い合わせがありますが、特に市のほうでPRはしていないんです」  公益社団法人「日本水道協会」(東京)の平成31年4月時点のまとめで、月に水道水20立方メートルを使用した場合の料金が全国で最も安い853円だった兵庫県赤穂市の担当者はこう話す。20立方メートルは2、3人世帯の家庭の一般的な使用水量を想定したもの。このまとめで最高額だった北海道夕張市の6841円の約8分の1だ。  水道料金に差が出るのは、水道事業は水道法により市町村運営を原則にしているためだ。河川やダム、地下水などの水源の違いや水道管が敷かれた時期、建設費などが影響しているほか、人口密度や水質の変化、事業方針など自治体により条件が異なるため、料金にも大きな違いが生まれている。  岡山との県境の街、赤穂市は名水百選にも選ばれた千種川が市中心部を流れる水脈に恵まれた特徴がある。担当者は「水源となる川の水質が良いため、浄化のための薬剤の投入が少なく、設備のメンテナンス・維持費も安く済む」と胸を張る。水源から市街地までの距離も最大4〜5キロと近く、効率的な配水も可能だ。また、千種川の豊富な水量に助けられて、播磨灘を挟んだ離島などに海底水道管を通じて水を販売しているほか、市内には大企業の工場が複数あり、収益を還元できるため「家庭用の料金を抑えられる」という。  ■水利権も料金に影響  同じ都道府県内であっても、料金格差は生じている。大阪市によると、令和元年11月時点の大阪府内43市町村の平均料金は2915円(月額、20立方メートル)となっている。  琵琶湖から流れ出る淀川を水源とする大阪市は政令市と東京23区の中で、最も料金が安い2112円に抑えている。府内でも最低料金だ。担当者は同市が水道事業を始めたのは明治28年で、全国の自治体で4番目に早かったことを理由の一つにあげる。「早い段階から水利権の確保に努めてきたことで、水源開発にかかる費用負担が少ない」という。  また、節水意識の高まりや人口の減少に伴い、需要が低下すると見込み、業務委託なども推進しながら水道局の職員数をピーク時の半数以下の1318人(平成30年度末)に絞るなど組織のスリム化も進めて低料金を維持しているという。  同じ大阪府内で最も料金が高いのは京都府と兵庫県に近い豊能町で、4906円に達する。地理的要因が大きいといい、担当者は「山間部に位置するため、大阪広域水道企業団などから供給を受ける費用と、家庭までの配水管やポンプの維持管理費がかさむ。ぽつんぽつんと家があれば、配水効率がどうしても悪くなる」と、過疎化が進む自治体の苦労を説明する。  ■老朽化施設更新の後回しは将来の負担に  一方、水道管などの設備の老朽化問題や、人口減少による各自治体の財源確保の厳しさが、今後の水道料金に大きな変化をもたらす可能性がある。課題解決のために、昨年10月の改正水道法の施行をきっかけに、広域連携や官民連携の検討を進める自治体も増えているからだ。  現在の市町村による経営は限界を迎えており、民間の参画を含めた広域的統合が必要だと主張する近畿大の浦上拓也教授(公益事業論)は「安い水道料金に対する社会的要請があまりにも強いため、自治体が水道料金を値上げできず、結果として老朽化した施設の更新を後回しにしていることにつながっている」と指摘する。「自治体が適切な経営をしてこなかったツケを、将来の利用者が負担させられれば、料金格差が広がる可能性がある」と警鐘を鳴らす。  水道料金の値上げができないまま、老朽管が更新されなければ、破裂して断水が起こるリスクもある。「見かけ上水道料金は安くても、潜在的に高コスト体質になるという大きなリスクを抱えている」と浦上教授は話す。赤穂市の担当者も「過去に施設の更新をあまり行ってこなかったので、今後、その費用がかかる。今の料金を将来的に維持することは難しい」と打ち明ける。  新型コロナ感染拡大の影響で、自宅で過ごす時間が増えている今、生活用水としてだけでなく、衛生上の観点からも水道の重要性が注目されている。水道料金について思いをめぐらせる機会も増えた。浦上教授は「水道料金の範囲内で健全な経営を行う必要があり、広域化なのか、官民連携なのかそれぞれの地域にあった手段を考えていく必要がある」と訴えている。
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目付・黒川賭博守弘務と筆頭老中・安倍嘘吐守晋三、東京湾地震

(記事の更新は不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:【国会】黒川さん本人が3年前から月1〜2回賭け麻雀をしていたと認めていた!!(山尾志桜里議員)   
 
 長きこと 安倍虚吐守(きょとのかみ) 居座りて 目付け手なずけ 悪行三昧

 筆頭老中・安倍嘘吐守晋三による民を慮ること一切無い「今だけ金だけ自分だけ」なる治世が八年間もの長い間続いてきました。道理のない治世が引き起こす際限の無い「ご法度」逸脱に目をつぶってきた、あるいはもみ消してをしてきたのが目付たる黒川賭博守(とばくのかみ)弘務であります。本来、目付は幕閣から独立して捜査をする権限が公方(民)から与えられており、遠慮なく犯罪者をお縄にできるのです。が、賭博守は「ご法度」を遵守することなく、ひたすら嘘吐守に仕えてきました。かくして本年はじめには念願の「大目付」昇進を確約される処遇を得ることとなったのです。そんな折の疫病の蔓延にもかかわらず、嘘吐守は部下の奉行にすべてを押し付け連夜料亭で悪徳商人を相手に美食に耽っていたのであります。

 他の幕閣諸候は、我こそ次期筆頭老中との卑しい願望から、そうした「ご法度」違反に見ぬ振りをしてきました。その際たるが次席老中・麻生威張守太郎で、嘘吐守の意を受け勘定奉行と図り、民に過酷な祖を押し付ける傍らで吉原できれいどころを侍らせ一晩で大枚小判を費消する輩であります。となれば、民の苦しみと怒りに応えて嘘吐守をひっくくり伝馬町でびしびしと罪業を洗いざらい吐かせるのが目付たる賭博守に期待されるところでありました。
 が、嘘吐守は普段の無能振りとは裏腹に保身のためには悪知恵が回ります。賭博守の大目付昇進を目的とする「法度」の改悪です。民からの嘘吐守への非難は新「法度」でかわせるとの浅慮が今般裏目に出ました。かの八大将軍の発意による「目安箱」の現代版が火を噴いたのです。また、今まで黙りこくっていた隠居大目付までが、新「法度」に同意せずとの声を上げます。留めを刺したのが賭博守の習い性を暴いた「瓦版」でありました。かくして賭博守は、これまでの虚吐守の数々の罪業をもみ消してきたという甚大なる功にも関わらず、幕政関与から放逐されることとなってしまいました。
 この目付・賭博守による賭博行為を嘘吐守が知った経緯には興味があります。相手は、あれほど自らの「犯罪」もみ消しに力をつくしてくれた側近です。しかし保身に凝り固まる嘘吐守は、他人を信用しないのです。猜疑心から妖怪(耀甲斐)・杉田和博与力あたりに嗅ぎまわらせていたのでしょう。四年ほど前には、この妖怪は正義心あふれる一奉行・前川反骨守喜平を尾行し、醜聞を捏造し、「瓦版」に意図的に漏らしています。「瓦版」の原稿が「刷り上」がる前に、木版屋の手からひそかに幕閣に届いたとも考えられます。折りしも、目安箱には嘘吐守の悪行告発があふれんばかりに入っており、ウカウカすると賭博守自身で世話になった嘘吐守を裁かねばならなくなる。それを避けるべく自ら瓦版に噂を流したなんぞの見立てもあるそうな。

 賭博守への処罰もさりながら、今般の極悪人はなんと言っても悪行三昧を積み重ねてきた筆頭老中安倍嘘吐守晋三です。お縄にして自らの罪業を吐かせる事です。わが同胞におかれては、安倍嘘吐守晋三への非難を強め広げていただき、結果として嘘吐守の罷免にとどまらず長期の獄舎繋留を願っています。
関連記事: 「検事総長が辞めていれば」…泥沼にはまった官邸、政府高官恨み節

 鳩山友紀夫(由紀夫から改名)氏の動画は時の課題を丁寧になぞっているので、私は大変興味深く視聴しています。今回の相手は脳科学者の茂木健一郎氏です。この動画で、鳩山氏は小沢氏との現在の関係について言葉を濁しているように感じました。私は2010年5月末ごろ、民主党サポータとして当選挙区選出の代議士主催の国会見学バス旅行に参加したことがあります。その際、鳩山首相(当時)表敬もプログラムに組まれておりました。ところがその日は民主党の党首更迭をめぐる内部騒擾のピークでありました(2010年6月2日記事 )。この直後に鳩山氏は退陣し、人間的にも信用し難い菅氏が後を襲いました。
対談 鳩山友紀夫 × 茂木健一郎   
 
 関連動画:経済学者の森永氏が「コロナ不況の」深刻さを語っています。同じ東大経済学部出身の金子勝氏とは、議論の方向はそれほど違わないようですが、金子氏は森永氏を高く評価したがらない。学者の世界でもいろいろあることを想像させます。
【森永卓郎】※株価異常事態※ 死にたくない人は冷静に聞いて下さい 

+++++地震の話
 関東地方の地震活動について新聞が報じています。
%%%%%2020/05/21 05:44 ウェザーニュース
昨日から今日21日(木)未明にかけて、東京湾を震源とする小さな地震が頻発しています。
昨日20日(水)の14時54分と15時00分頃にマグニチュード2.9の地震が相次いで発生し、今日21日(木)未明には3回の有感地震(震度1以上の地震)が発生しました。
2時07分頃の地震はマグニチュード3.5と最も大きく、東京都江戸川区と千葉県市原市で震度2を観測しています。東京湾でマグニチュード3程度の地震は時々発生しており、5年前には数時間で小さな地震が5回続けて起こりました。
2015年には震度5弱の地震が発生
東京湾では2015年9月に震度5弱、1992年2月に震度5(当時の階級)の揺れを観測する地震があり、マグニチュード4〜5クラスの地震は数年に一度程度、起きています。
また、政府の地震調査推進本部では、東京湾を含む相模トラフ沈み込み帯でのマグニチュード7前後の地震の発生確率を、30年以内に70%程度と想定しています。今回の地震がすぐに、強い地震につながるかは不明ですが、常日頃の対策は必要です。
200521東京湾0005_top_img_A

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 そこで、気象庁データベースを用いて東京湾界隈の最近の地震活動(2019年1月1日から一昨日まで)を調べてみました。
(図2:東京湾界隈のMが 1.5を超える地震の震央分布。色はマグニチュドを示す。大きい赤丸は顕著地震。拡大は図のクリックで)
200522東京湾無題


 Gif動画は、手間がかかるにしては、事態の直感的把握にはつながらないようです。そこで、デジカメで撮影した動画を以下に貼付します。上の図△魍囘戮鯤僂┐督めてみたもの。

東京湾3D200523 
 (図:動画の一こま:)
200522東京湾3D空間無題


 赤矢印で示した方向に地震の線形状配列が見えます。太平洋プレート内の地震活動と思われます。したがってその上方の一見雑多な地震活動は、この太平洋プレートに濃厚接触しているフィリッピン海プレートでしょう。太平洋プレートの圧力で、ぐちゃぐちゃになっているのかも知れません。太平洋プレートとの接触面近辺では地震活動は疎で、そこから遠ざかるにつれ地震活動の塊が生じています。

 2019年1月1日以後の矩形領域ABCD直下の直方体内の地震活動の時間変化を見てみます。底面ABCD(2019年1月1日時点)に投影された地震活動の時間変化を2020年5月21日(直方体上面)まで追跡したもの。
東京湾時空間.wmv 
(図:震央分布の時間変化。上の三次元図の一コマを切り取ったもの)
200522東京湾時空間無題

 時間軸を含めた三次元図をいろいろな方向から眺めると、震央分布が突如一直線状に並んで見えることがあります。上の図では 下の図では△任后これは、この直線状配列を含む「面の存在」を意味します。それは地震発生の時間と空間を結びつけるものです。例えば、地震活動の時間的空間的移動を意味します。したがって、この直線的配列が地震物理学の真実を反映しているのか否かの調査が今後になされねばなりません。

 最後に最近17ヶ月の地震活動のすいいです。
(図:地震活動の時間的変化(一ヵ月後との地震発生数)と空間的分布。拡大は図のクリックで)
200522東京湾頻度無題

 二月以来、新型コロナウイルス蔓延に同期するかのように地震活動が活発化しているように思えます(冗談です)。

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+++++コロナ問題
 児玉教授が動画で情報を発信しておられますので転載しておきます。
国の抗体検査は杜撰】児玉龍彦さん「日本の死者数は東アジアで最大。しかも16分の1しか検知されてない可能性も。」 

 今般のような世界的大事件ともなると、世界の闇の支配者が仕組んだのではなかろうかとの見立てをする人間が必然的に出てきます。いわゆる「陰謀論」です。私はこうした陰謀論を頭から否定するものではありませんが、それをいきなり言い立てることは、それ以上の考察を力づくで停止させてしまうことにもなると思っています。もう少し医学的、科学的な考察をした後であれば、こうした陰謀論が成り立つものであるのか否かが見えてくると思っています。
 というわけで、以下の議論は私が肯定しているものではないことをあらかじめ お断りしておきます。
%%%%%新型コロナが計画されていたこれだけの証拠(上) 高橋清隆の文書館
 新型コロナ騒ぎは、人類奴隷化のためのやらせである。都市封鎖解除の後は、ナノチップ入りワクチン接種や、人々を引き離しておくための監視カメラ、顔認証による街頭での個人特定、マイナンバーカードを経由した現金給付による餌付けなど、「新しい生活様式」が待っている。
 アンドリュー・カウフマン医師は、新型コロナウイルス(COVID-19)は存在しないと主張している。同ウイルスは他の遺伝物質と分離できないからだ。PCR検査の偽陽性率は80%に上るとも指摘する。同検査を拡大するのはWHO(世界保健機関)の指示に沿って「コロナ」感染・死亡者を増やすため。米ミネソタ州議員のスコット・ジェンセン医師によれば、同国で新型コロナと診断すると、病院は1万3000ドル(約138.5万円)を受け取れる。
 にもかかわらず、「もっとPCR検査を」「80%でなく、1カ月の完全隔離を」など主張する人が多い。野党議員やその支持者、日頃から政権批判に熱心な識者ほど、その傾向が強いように感じる。行政やNHKが出す基礎情報の内容が「コロナの致死率が高い」「人同士の接触を断つことが一番の対策」「PCR検査できる場所は限られている」など、共通しているからだろう。
 今回は、新型コロナ禍の計画性を指摘することで、この騒動がやらせであることをご承知いただきたい。挙げる資料は実在する文書だから、大本営発表を疑わなかった方にも、説得力を与えるはずである。
 引用する記事はいずれもウェブニュース、『自由新聞』(“The Freedom Articles”)に掲載されたものである。
 同紙2020年4月28日付「コロナウイルスのために計画・用意された9つのシミュレーションと演習、法律」と題する記事は、2019年10月18日に米ニューヨークで開かれた「イベント201」に至るまで9つのシミュレーションや演習などが行われていたことを説明する。
(図:拡大は図のクリックで)
200522コロナ陰謀無題

 同記事によれば、準備は約20年前にさかのぼる。「この社会基盤は、20年以上にわたってはっきりと段取られてきた。“コロナウイルス作戦”が実行に移されたとき、全ての部分は人々をだまして奴隷にし、喜んでワクチン接収を受け入れるかそれを請う場所に彼らを連行するのを確実にするためである」。
 最初のものは2001年6月。「暗い冬」と題された作戦で、「NW0(新世界秩序)の支配階級と米国政府」が「生物戦争である炭疽(たんそ)菌攻撃をシミュレーションした」。同様の炭疽菌攻撃は実際、同年9月の同時多発テロ事件後に起きている。
 この作戦には、「イベント201」と同じく、ジョンズ・ホプキンス大学が関わっている。同大のホームページによれば、この作戦は「米国市民に対する隠密の天然痘攻撃を想定した架空のシナリオを描いている」。「このシナリオは2週間にわたって開かれた3回のNSC(国家安全保障会議)会合で設定された。この演習はワシントンDCのアンドルーズ空軍基地で開かれた」と説明している。
 ウェブニュース『最後の米国の放浪者』のホイットニー・ウェッブ記者は、記事で次の指摘をする。
 「“イベント201”と“深紅の感染(Crimson Contagion)”の両方の主要指導者は、米国の情報機関と国防総省との間に長年にわたる深いつながりがあるだけではなく、2001年6月の同じ“暗い冬”演習にも以前から関わっていた。これらの同じ人物の一部は、その後の炭疽菌攻撃に対するFBI(米連邦捜査局)の“手抜き”捜査にも関与し、現在新型コロナ機器に対する米国政府の対応の主要な側面を扱っている。これら人物の1人、ロバート・カドレックは米国人に新型コロナに不要に感染させた行動に対し、現在直接の責任を負う事実があるにもかかわらず最近、米国保健社会福祉省(HHS)の新型コロナ対応全般を担当している」
 「深紅の感染」とは、2019年8月に行われた米国政府が運営する演習で、正式名称は「深紅の感染2019機能演習」。同年10月に実施された「イベント201」ほど知られていないが、中国で発生してシカゴに上陸し、1億1000万人の米国人に感染したウイルスを予言的にシミュレーションした。「シミュレーション」の結論は、連邦政府がウイルスと効果的に闘うための資金や調整、資源を欠いていたというもので、感染爆発への準備としてさらに多くの支出を正当化する内容になっている。
 「イベント201」は皆さんご存じ2019年10月18日、米ニューヨークでジョンズ・ホプキンス大学健康安全保障センターが世界経済フォーラム(ダボス会議)、ビル&メリンダ・ゲイツ財団とともに開催した、世界的感染爆発のバーチャル演習。ブラジルで発生したコロナウイルスの流行が、米国に上陸するとの想定だ。参加者には、米CDCと中国のCDC、ジョンソン&ジョンソンのような大手製薬企業なども含まれる。
 コロナウイルスの流行を想定したことが明記されているだけで、今回のコロナがやらせであることは確定だろう。にもかかわらず、「イベント201」の公式ホームページのトップページには、「新型コロナとわれわれの感染爆発演習に関する声明」と題するジョンズ・ホプキンス大学の文書へのリンクを張っている。
 「最近、保健安全保障センターは感染爆発の演習は現在の新型コロナの中国での発生を予言したものかどうかについての質問を受け取ってきた。はっきりしておくが、同センターと協力者は机上演習の間、予言はしていない。このシナリオに関し、われわれは架空のコロナウイルスの感染爆発をモデルにしたが、予言ではないと明言している。……われわれの机上の演習は偽の新型コロナウイルスを含むが、その架空のウイルスの潜在的影響を具現化するのに使った素材は、現在の新型コロナ(COVID-19)と同じではない」
 明確な論拠を示さずに、否定を重ねている。『自由新聞』は「もちろん、これまたただの偶然である」と皮肉っている。同記事には、「ゲイツは感染爆発の間、MSMのプラットホームを使い、都市封鎖後に人々が再度渡航するのに必要となる強制ワクチン接種や “電子証明書”または“免疫パスポート”の可能性を説いて目立った」とある。
 事実、「イベント201」は「感染爆発への備えと対応のための官民協力」と題する文書で、7項目の「行動への呼び掛け」を示している。すなわち疫病の大流行に対処するためWHOの定めるワクチン供給量を各国が確保することや、都市封鎖による経済的打撃を緩和する資金を世界銀行や国際通貨基金(IMF)などを通じて調達することをうたう。
 記事を書くものとして個人的に気になったのは、7番目に情報統制についての記述があること。「政府と民間部門は、次の感染爆発への対応に先立ち、誤報・偽情報を撃墜する方法を開発することに最大の優先順位を割り当てる必要がある」と題し、各国政府が伝統的メディアおよびソーシャルメディア企業と協力して偽情報に対抗する機敏なアプローチを調査・開発する必要性を訴える。そして、次のように結ぶ。
 「国の公衆衛生当局はWHOと緊密に協力し、一貫した保健告知を迅速に開発および運用する能力を創造するする必要がある。これら部門にとって、メディア企業は権威筋の情報を優先し、科学技術を使っても偽情報を抑圧することを確実にする必要がある」
 まさに、テレビやネット上で起きていることはないか。テレビはジョンズ・ホプキンス大学発表の感染者・死者数を垂れ流し、WHO仕込みの「三密」を連呼する。PCR検査の有効性に疑問を持つ医療従事者のインタビューを編集し、真逆な主張にする。一方、ネット上でコロナウイルスの存在やPCR検査に疑問を投げ掛ける動画や記事は削除され、これらを紹介したブログは検索に引っ掛かりにくい。
 ユーチューブやフェイスブックには、情報が現れる前に「WHOや保健当局の発表を参照ください」などの警告が立ちはだかる。私自身、政府発表やマスコミ報道と違う見解の記事原稿は「独立系」ニュースサイトも掲載してくれなくなった。自分のブログに載せると、アクセスが倍増したのに順位が下がった。同記事をツイートすると、リツイートしてくれた人がいたのに表示は「0」のまま。「次の感染爆発への対応に先立ち」準備されていることを痛感する。(つづく)
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以下に続きます:
新型コロナが計画されていたこれだけの証拠(中) 高橋清隆の文書館
新型コロナが計画されていたこれだけの証拠(下) 高橋清隆の文書館

何故日本は死者が少ない(児玉龍彦教授)?何故黒川氏は辞職しない(前川元事務次官)?磐井の乱

(記事の更新は当面不定期です。ご意見はryuuzaki_i@yahoo.co.jpへお寄せください)
(写真:前回記事に紹介した白い羽の持ち主か?とすれば、この白鷺が天女に姿を変えたはよいが、まとっていた羽衣の羽が脱落、ほづれたため困惑しどこぞに身を潜めていた、なんぞの怪しからぬ想像をしてはいけません白鷺7947.MOV  )

 ウイルスと 生命体の 付き合いは 億年の長き 共存のみが道

 下に引用した児玉龍彦教授の言にもあるようにウイルスとおびただしい数の細胞からなる生命体との付き合いは数十億年の長きに渡ります。最近の二十万年に登場した人類にとっては、このウイルスはずいぶんと役立ったはずですが、一方で迷惑至極な存在でもあった。その迷惑なウイルスを絶滅させることはできません。できたとしても、それは人間と密接な関係にある他の生物の絶滅につながるかもしれません。とするならば、人間はその迷惑から逃げ回る知恵を身につけるしかなさそうです。

 つい最近まで政治話題の中心にいた黒川弘務東京高等検察庁検事長(どういうものか、「庁」のトップを長官とは呼ばないようです)の金銭がらみのスキャンダル記事を一ヶ月ほど前に、ネットで見ていました。
%%%%%政権末期の症状<本澤二郎の「日本の風景」(3667) 2020年04月27日 jlj0011のblog
<法務官僚・黒川弘務疑惑を「月刊タイムス」が決起報道>
 月刊タイムス5月号が自宅に届いた。注目の記事は、ジャーナリストの山岡俊介の「黒川弘務検事長に新たな疑惑」だろう。彼は録音データという逃げられない証拠まで提示しながら、犯罪もみ消し人の正体を暴いている。為にする報道であれば、即座に名誉棄損の網をかけられるはずだが、それがない。筆者が追及する「木更津レイプ殺人事件」の犯人、やくざ浜名追及においても、加害者は泥棒猫よろしく姿を隠して反論がない。事実報道に、犯人はたじろいでいる、そのためだ。法務官僚・黒川弘務も、油断してわきが甘すぎたのだろうが、それにしても犯罪処理に絡んでの500万円授受疑惑浮上!は、この政権の末期症状といってよい。
<政治にまとわりついて出世する法務事務次官>
 犯罪もみ消し人というと、最近では真っ先に元官房長官秘書官・同警視庁刑事部長から警察庁の頂点をうかがう中村格であることを、全国民が知っている。
 彼は政府の政治的横やりを、法治・法の下の平等に反して、堂々と処理する能力に長けた人物である。伊藤詩織さんを強姦したTBSの安倍側近を、いとも簡単に逮捕を止めてしまい、不起訴にしてしまった。強姦魔は居丈高になって、法外な損害賠償訴訟を伊藤さんに対して起こしたが、裁判所は逆に強姦事件を正当に判断した。
 最近、伊藤さんが、あのNHKの番組に登場したと報じられている。NHKの安倍側近記者も形無しだ。
 元千葉県警捜査二課長の経歴もある中村が、千葉県警の徳洲会医療事故捜査にも横やりを入れた、との疑惑も清和会OBが指摘している。なんと「木更津レイプ殺人事件」捜査にもブレーキを踏んだ、との憶測さえも。
 中村は警察官僚であるが、東京高検検事長の次期検事総長候補?は法務官僚であって、真っ当な検察官僚ではない。にもかかわらず、安倍内閣への貢献が著しかったことから、法務官僚の頂点に立った。それどころか、いまや飛ぶ鳥を落とせる検察の頂点が目の前にぶら下がっているという。
 そこに山岡爆弾が落ちて、検察内部の良識派に怒りと衝撃が走っている。
 議会・世論は、黒川「検事総長」に強く反発している。自業自得とはいえ、桜事件からモリカケなど、安倍関連の何から何まで、もみ消すだろうと信じ込まれているからである。
2020年4月27日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
%%%%%(以下省略)

今般の「検察庁法改正」をめぐって検察庁OBによる「反対意見書」、「ツイッタによる一千万弱の民の反対意思表示」などに動かされて、件(くだん)の人である黒川氏は自ら辞意を表明すると思いきや、そんな様子がみえません。なぜかなと思っていたところ、元文部科学省事務次官・前川喜平氏がその謎を解いてくれたようです。しかし、前川氏が語る「官邸に握られた何か・・」が上記のスキャンダルであるのか否かは定かでありません。上級国民たる黒川氏が「500万円」如きの金で犯人を隠匿するなぞの危険を冒すとは想像しがたい。とすれば、なにか?大いに関心があります。

%%%%%前川喜平氏 黒川弘務東京高検検事長は「やはり官邸に何かを握られているのでは」 5/19(火) 17:06配信 
 元文部科学省事務次官の前川喜平氏が18日にツイッターに投稿。黒川弘務東京高検検事長の定年延長について、「やはり何かを官邸に握られている」と推測した。前川氏は10日にも同様に投稿している。
 前川氏は「黒川氏はやはり何かを官邸に握られているのだろう。それが辞められない理由なのではないか?」とツイート。
 10日には「黒川氏が普通の常識人なら、これだけ批判を浴びれば自ら身を引くはずだ。辞めるに辞められぬ事情があるのではないか。アベ首相はどうしても彼を検事総長にしたいのだ。彼が政権の傀儡になってくれるからだ。政権を握る者の犯罪はすべて見逃されることになるだろう」とつづった。
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 それにしても、黒川氏の弱みを握った上で、安倍氏は自らの罪を免れるために、刑事司法を黒川氏にさせる。まさに江戸時代の悪徳老中ですな。そして屈辱にまみれながらも黒川氏は尻をまくれない。

%%%%%小沢一郎氏 “馬鹿”の語源持ち出し「愚かな政治は国を滅ぼす」
 小沢一郎衆院議員が14日、ツイッターに投稿。検察庁法改正に伴う自民党の手法を危ぶみ、馬鹿の語源に触れている中国の歴史書・史記の一節を引用した。
 検察庁法改正案の強行採決に反対した自民党の泉田裕彦衆院議員が、同案を審議する衆院内閣委員会から「はずされることになった」とツイートした記事を貼り付けたうえで、小沢氏は史記の一節を紹介。
 「宰相趙高『陛下、今日は珍しい馬を連れてきました』皇帝「これは鹿ではないか」趙高『馬であろう?』ある家臣『馬です』ある家臣『鹿です』。鹿と言った家臣は皆殺され、秦はやがて滅んだ。史記にある馬鹿の語源である」と記した。
 そして「愚かな政治は国を滅ぼす。与党であっても間違いは間違いと言わないといけない」と持論を展開。党内の異論が封じ込まれる事態を問題視した。
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 コロナ問題で、私が話を聞きたいと思っている研究者の一人が論理的で平明な語り口の児玉龍彦東大教授です。一緒に出演している金子勝教授には話量を少し控えていただいて、その貴重な時間を児玉教授に使ってほしいと毎回思います。今回の話のポイントの一つは「何故日本では欧米ほどの死者が出ないのか?」なる疑問への児玉氏の考えです。BCGとの関連(5月15日記事)に触れるかなと期待していましたが、それはありませんでした。もう一つのポイントは「アビガン」を治療に有効な薬品と位置づけていることです。これは昨今の報道内容とは間逆の評価です。しかし、治験の背後に昨今の厚生労働省または経済産業省の利権がらみの思惑があるのだとすると、「アビガンに薬効」なしの判定には信頼性を疑ってよいのかもしれません。何せ米国製薬資本に忖度するわが国行政の姿勢がうかがわれるからです。
コロナと闘う戦略図〜見えてきたウイルスの正体と闘い方【新型コロナと闘う 児玉龍彦×金子勝】20200516   
 児玉教授は、ウイルスと細胞、そして抗体生成へのからくりをわかりやすく語ります。そうした知見を獲得するための精密な実験、観察、そうした実験の発想には、それ以前に獲得された知見、知識があります。「こういう挙動であれば、こういう観察をすれば良いはずだ。そのためにはこの化学反応を用いた検出を・・・」といった思考の積み重ねがあったことを思わせます。こうしてウイルスと細胞間の精密な相互作用が把握されます。児玉氏の話では例えば細菌やウイルスなどに対して反応する抗体(IgGやIgMなど)の発現と、患者の重篤化との関連が把握できたとを語ります。生物科学技術の精密化を以ってしても、解明できなかった事象について、未体験の事例の注意深い探査から新たな知見が生まれます。医者に限らず医学研究者にしてみれば、誰しもが事例の豊富さの中から新たな発見を期待するはずです。そう思うと改めて厚生労働省の強い政治的思惑をそのまま忖度した「専門家」が今般の事態を先導してしまったことは決定的に誤っていたということになります。

 私が今般の事態から連想することは2011年3月11日の巨大津波・地震災害です。あの巨大災害に先行すること9年前には地震研究者が甚大災害に発展しかねない津波災害を予見し、警告したのです。しかし、その警告への対応は政府の意向を強く忖度する高級行政官が指揮することなりました(2018年10月12日記事)。
関連記事:「日本のコロナ対策は奇妙に成功」と米外交誌、日本のメディアもようやく気づき始めて…… 19(火) 11:31配信

 日本の安全保障の根幹は「民の健康と命、食料と生活」そして「他国からの侵略からの備え」であると思っています。今国会に上程されている「種苗法改正」はまさに民の食の安全を損なう法案です。それについて重要な動画を見つけました。視聴してみて改めてTPPを推進した安倍氏、その先鞭をつけた菅直人・元総理大臣の売国行為に怒りを覚えます。
元農林水産大臣の山田正彦氏が語る「売り渡される食料安全保障の真実」-ザ・リアルインサイト2020年3月号 
関連記事:「種苗法改正案」農家に打撃懸念 地域農業守る「在来種保全法案」を

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+++++継体天皇
 藤原不比等が日本書紀編纂で膨らませた245年の実態はその半分122年余であったと、ここ数回強調して書いてきました。その実質の122年を歴史の時間軸上のどこに据えるのか?これが問題です。わたくしは、西暦645年(乙巳の変)をこの122年の上端と設定しています。この合理的論拠を定めるのは現時点では難しいので、当面は状況から推論するしか方法はありません。
 すでに書いたように、10−20年過去にずらしても、それなりの理屈付けはできますから、当然それぐらいの誤差があるということでもあります。私の仮説で具合が良いことは、継体天皇の日本列島中央部、すなわち近畿地方への接近が、大陸での「隋」建国と時間的に近接することです。
(表:読んでくださっている方々の便宜のために繰り返し表示しているものです。拡大は図のクリックで)
200427編年無題


 継体天皇の即位は藤原不比等による日本書紀・編年では西暦507年すなわち六世紀初頭と書かれていますが、実際はそのほぼ百年後ということになります。
日本書紀は継体天皇が在位二十年にしてやっと落ち着く先とすなわち宮廷を磐余玉穂に定めたと書きます。
《継体天皇二十年(丙午五二六)九月己酉【十三】》二十年秋九月丁酉朔己酉。遷都磐余玉穂。
 それ以前は元年(西暦508年)に樟葉(大阪枚方)、五年(512年)には山背・筒城、十二年(519年)乙国(山城)と奈良盆地の周りをウロウロとしていたことになります。この徘徊について古事記は触れていません。
 これではせっかく大陸王朝から重大な使命を担ってきたはずが、奈良盆地に居り、味方であるはずの「漢民族末裔」との連絡が取れなかったことを思わせます。理由は明らかです。前回記事で書いたように、どうやらこの時期、奈良盆地は渡来族の制圧下にあり漢民族末裔は殲滅されてはいないけれども逼塞させられていたのであろうと想像できます。西暦523年ごろと推定される「シリウス方位構築がそのことをさしています(上の表参照)。
 当時、奈良盆地を制圧していたのは景行天皇の部下です。天皇自身は九州に宮を構えていたのでしょう(これまでの経緯を知らない方には、ここで景行天皇が登場することに奇異を感ずるでしょう。そうした方は2019年11月28日記事を参照ください)。
 同天皇の指示で「部下たる一将軍」が奈良盆地に駐留したいたのでしょう。彼にとっては、この大陸からの軍団は目障りであり、それを九州の景行天皇に相談したのです。そこで、この問題の解決を図るべく「遣隋使」を派遣します。隋皇帝は、ここで問題の解決のために倭国に「視察」団を派遣します。それが二回目の遣隋使が送られた西暦607年の翌年である西暦608年です。
%%%%%隋書倭国伝
 明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。

 翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
%%%%%

 この視察団は、景行天皇と面談、視察後この奈良盆地にまで出向きます(“又東至秦王國”)。視察団の使命は、奈良にいわば幽囚状態となっていた「漢民族末裔」すなわち「秦王国=珍」一族の解放であったと私は考えています。

 そして解放後に、「秦王国=珍」一族は反乱を起こし、その将軍と部下を殺戮したと思われます。これが、記紀が書く磐井の乱」であったろうと考えます。
(つづく)

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