法螺と戯言

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那須岳ー香取線(烏山(2))

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:フランス原発関連会社「アレバ」の福島原発事故見聞、東京新聞6月24日記事。このアレバが東電事故で稼いだ額は多額であったとのこと。しかし、アレバ社製の放射能除去装置は長期間稼動せず、おまけに会社は傾いているらしいと言います。上記は、所詮、白人の黄色蔑視線による観察ではなかろうかと、思ってます。そうではあっても、当時、東電と政府は、事故対応よりは原発政策の破綻隠蔽に気をとられていましたからアレバ社CEOの観察はそれなりにまっとうであったのでしょう)
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 嫌なこと 見ぬ振りするは わが民の 習い性である と世論が語る

 本日の大手新聞は一斉に来る参院選での各党の獲得議席予想を報じました。それによれば、自公与党は改憲可能とするほどに大幅に国会内勢力を拡大するであろうとのこと。日本人は一体何を考えてるんだ!と、上から目線で激怒するのは私を含めて老いぼれ連中です。先の党首討論での居丈高な安倍首相の傲岸な振る舞い、東電による燃料棒メルトダウン隠し、原発の「忘却」、などなど失政の事例枚挙にいとまなしというほどで上げれば限が無い安倍氏の愚政と人格欠損。「上から目線」と言われようとも、この首相はゴメンだと老いぼれたる私は思っています。

 6月17日記事で古代ペルシアの研究者である伊藤義教教授の著した本の一節、地下に人工的に作った水路(運河)の記述を紹介しました。これについて、本ブログを読んでくださっている方から以下のようなメールを頂きました。感謝いたしますと同時に他の読者にも興味深い事と考え、以下に紹介しておきます:
%%%%%カサの由来:"カーレーズ"のこと
前回出てきた"カーレーズ"は、「シルクロードの旅」
と云うツアーで実物を見ました。確かトルファン
だったと思います。地下トンネルのような場所で
かなり豊富な水が流れていました。

###以下:6月17日記事の再掲(伊藤教授著書より):
 イランやアフガニスタンでは地下にトンネルを掘って水を通し、蒸発消散するのを防ぎながら離れたところへ水を送る施設が発達していてカナート(qanat)とか"コレーズ(kah^rez)"とか呼ばれている。"コレーズ"は中東ペルシア語カハレーズ(kaha-rez)の転化であるが中世ペルシア語にはカハス(kahas)と言う語もありマニ教系の文献やその他の文献にも指摘されるから確実な形である。ところが、このkahasの“h”はとかく強くひびかないから飲み込まれる傾向きもあり母音間のそれは漢字表記されないこともしばしばである。そうするとカハスはカアスあたりとなるが、このカスあたりが狂心渠の中に隠されていると思うが、どうであろうか。
###再掲記事終わり
%%%%%メール紹介おわり

 私自身は、中国の西奥部を見聞したことはありませんが、35年ほど前の大昔にタシケントからサマルカンドへ旅行した際、砂漠であるはずの地が所々で緑で潤っているのを見ました。そこには地下から水が湧き出ているのです。これはオアシスではなく、人工的な地下水路からの水の供給であると現地の人に教えられました。

+++++香取神社(烏山(2))
 グーグルなどで烏山を検索すると、まずは東京の千歳烏山が出現します。どうも那須・烏山は全国に広くは知られていないようです。前回掲載した地図で見るように栃木県・県庁所在地である宇都宮の北東35kmに烏山は所在します。

 ウィキは烏山の地名由来として以下を書きます(http://j55.pw/ACbc ):
%%%%%地名由来(ウイキより)
応永年間、沢村五郎資重が、稲積城(那珂川の東側にあった)から城を移築する際、当初、那珂川の東側の山へ築城しようと用意をしていた。そのとき一羽の烏が飛来し、金の弊束(へいそく)を咥え、那珂川の西側の一番高い山の頂上にその弊束を落としたことから、それを見た資重は「烏は熊野権現の使いというから権現様のお告げではないか」と、那珂川の西側の山に城を築いた。それ以来、その城を烏山城ということになった。この話は昔から伝わる伝説で、そこから「烏山」という名がでてきたといわれている(烏山に伝わる民話「烏山の民話」からの要約)。
那須記では烏山城に因む地名とされている。もともと、この土地は8世紀末から『坂主』その後『酒主』と書かれてきた。一方で那珂川沿岸の丘陵には群鳥が棲む草叢があり『烏山』と呼ばれていた。そこへ築城した沢村(那須)資重が烏山城と名付け、地名も烏山としたと云われている。読み(音)からの推察では「川原(カワラ)」「洲(ス)」「山(ヤマ)」の転訛説がある[1]。
%%%%%
 地名の由来についての上記の説、私はこれに異論をさしはさむつもりはありません。異論を立てようにもその論拠が無いからです。私が注目しているのは「烏」です。これは「漢音」では「ウ」です。古代史調査ではこの「ウ」には大きな謎が潜んでいます。九州の「宇美」、「宇佐」そして「宇都宮」などなどです。実はこれがどうやら古代史解明の大きな鍵を握っていると思っています。そこで、これについては「回」を改めて議論します。

 烏山市のHPの歴史コーナでは鎌倉時代以降が記述され残念ながら、それ以前の詳細はつまびらかではありません。しかし、この地の歴史遺物は誠に豊かです。インターネットで見る限りでは、たくさんの調査研究がなされているようです。その一つが『曲田横穴(まがったよこあな)古墳群』など多くの横穴古墳群ですhttp://j55.pw/5DTQ http://j55.pw/KkiJ 図2参照)。渡辺豊和氏は埼玉県の大規模横穴古墳群・吉見百穴は渡来人の存在した証であろうと自著に書いています。

(図1:烏山周辺の古墳、http://j55.pw/5DTQ )
烏山横穴

 
 上の図に見るように五つの地点で横穴古墳群が発見されています。また大和久古墳など横穴古墳も調査されているようですが、その建造方位などの情報については、インタネット上では残念ながら見つけることはできていません。ここは、近日中にひとっ走り現地に飛ぼうかと考えています。

 上図で、気づくことの一つは、これらの墓群のほとんどが那須岳―香取線の西側に造営されていることです。というよりは、那珂川の西側と言うべきかも知れません。これは、エジプトのルクソールの「王家の谷」を連想させます。「王家の谷」に埋葬される墓はナイル河の西に群在するからです。西とは、太陽が沈む方向、つまり生者が死の世界に沈む方向です。どうやら中東・中近東の「死の世界観」が体現されているのかと想像したりします。

 序(ついで)ですので、私の過去記事(2013年3月1日 http://j55.pw/6eFV)の記事を参考のために再掲しておきます。ここでは、京都一の高峰である嵯峨・愛宕山(標高924m)と奈良の祟峻天皇を結ぶ線は「シリウス」方位をなしており、奈良盆地の古墳は全てこの線の東側にあるのです。この戊墳群設営の背景に藤原不比等の政治的主張があるはずです。近畿を横断するシリウス線の存在とともに、後日これを考察します。

(図2 京都ー奈良を貫くシリウス線、http://j55.pw/6eFV)
hasi_ata_blog


 さて、シリスス線の話がでたところで、烏山の那須岳から見た方位算出結果を下に記して起きます:
sta(lat,lon)=[36.6642853 140.147709] 烏山
Dlt,Azm,Bzm= 0.49 161.72 341.83 54.3 -km
 烏山の史跡としてどの場所を選ぶかは色々と議論があるやも知れませんが、本調査では、下の図の烏山城(図3参照)を古代人が陣屋として選択したのだろうと考えました。ここで得た方位161.7度を「シリスウス年代表」で西暦年に換算すると625.4年となります。ここで求まった年代は箸墓古墳と斗ほぼ同一時期です。これにどのような意味があるのか、興味深いことです。

 すでに計算され、推定されている笠間神社(652年)、香取神社(685年)の陣屋建造年代殿比較は誠に興味深いものがあります。年代算出(推定)にあっては、シリウス星の天空上の運行に生ずたかもしれないユラギなどで幾ばくかのずれが伴うやも知れません。従って、ここでは厳密な年ではなく、その順序に注目することにします。まずは烏山→笠間→香取の順に、つまり那須岳から遠ざかるにつれ、陣屋(宮)建造の年代も遅れていることがわかります。これは北から南下する渡来族が更なる南へ南へと勢力を広げていったことを意味します。話の辻褄は合っているということになります。

 ここで、烏山近辺および周辺の地図を見ることにします。
(図3 烏山と神長地区)
烏山航空写真
 

 烏山城址の地形は大古墳跡地に見えるなど、この航空写真は色々と想像をさせてくれます。ここで、まず注目したいのが、図の中央よりやや西より(左)に見える水田です。この農道がまさにシリウス方位に区画されていることです。これは大昔からの区画をそのまま踏襲しているのか、それとも度重なる農地改革で区画整理された結果であるのか、是非近日中に現地に出かけてみたいと思っています。
 さて、その特異な方位(私に言わせれば「シリウス方位」)を持つ田地のあたりは「神長」(かなが)と名づけられています。この地名は色々と想像させますが、それについてウイキは下記を書きます:
%%%%%神長(ウイキより)
http://j55.pw/5AF9 佐竹家臣 神長氏[編集]
『藤原氏神長系図伝書』によれば神長氏の本姓は藤原氏であるといい、常陸国の佐竹氏に仕えたとされる[1]。家紋は丸に下がり藤[2]。 永禄5年(1562年)8月15日、松岡領坂ノ上孫沢原にて行われた相馬氏との合戦では佐竹軍二番組衆に神長佐多衛門が名を連ねている[3]。また、佐竹家臣団の記録では、岩城衆・菊田郡衆に神長将監の名がある[4]。
秋田藩士 神長氏[編集]
佐竹家臣として同氏の出羽国秋田転封に随行する者として神長光勝の名が見える。光勝は初め弥右衛門、後に対馬と名乗り、慶長7年(1602年)、佐竹義宣が秋田に転封されるとこれに随行し、平鹿郡横手に住まうという。元和元年(1615年)、大坂夏の陣にも出陣する。元和9年(1624年)上洛に随行するという。万治2年(1659年)没するという。また、光勝の子を弥右衛門光元といい、元禄3年(1690年)没した。光元の後は光直、久右衛門光近と続いた。この他、神長出雲、神長與右衛門光里の名も見える[5]。
秋田藩士 神長氏系譜[編集]
『藤原氏神長系図家伝書』による[1]。
神長光勝―光元―光直―光近
水戸藩領内の神長氏[編集]
神長氏には佐竹移封後も常陸国に在国した家系があり、正徳3年(1713年)、久慈郡頃藤の東勝山長福寺の境内に、神長惣兵衛、兵衛の名が刻まれている[6]。
神永氏[編集]
同じく藤原氏族である。家紋は丸に五三の桐、丸に抱き茗荷、右三つ巴[2]。
幕末維新期に活躍した神長・神永姓の人物[編集]
• 神永玄春 久慈郡西金村の郷医。目見格。那珂湊から久慈郡中染村に進み、元治元年(1864年)9月11日、天狗党の乱では天狗党側に加わり、捕らわれて獄死する。享年32。靖国神社合祀[7]。
• 神永伝九郎 久慈郡頃藤村の里正。諱は義尽。天狗党側に加わり、捕らわれ、武蔵国川越より江戸佃島に移され、慶応2年(1866年)獄死する。享年56。靖国神社合祀[8]。
%%%%%ウイキ記事転載終わり
 神長なる姓がどうやら茨城の北部、あるいは栃木南部、すなわち上の図の神長に由来しているらしいことがわかります。私の思考順序はまずは「長」です。これが「塚」に由来するとすれば、このちは「神」の死を意味することになります。そうとすればその神とはだれであったのか?
(つづく)

香取神社(烏山)、格差拡大の仕掛け、(続)NSAによるGMO評価

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(写真:バイオリン演奏する黒沼ユリ子さん、6月18日千葉県・御宿「月の砂漠記念館」でのミニコンサートにて。挿絵画家の加藤まさおがこの地の風景に着想を得て詩「月の砂漠」を作ったとされる。黒沼さんはこの地に住んで、メキシコとの交流活動に大きな貢献をしておられる)
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国政に 我らの望みを 反映と 候補者達が 街で 叫びおるなり

 第24回参議院選挙が本日告示されました。少しでも多くの野党共同候補の当選を期待したいと思っています。先日の党首討論での安倍氏の取り乱しぶり。この狭量な人物が「独裁」暴走してきたのです。野党連合が、この暴走を取り鎮めてほしいものです。

(図1: 松原東大教授の見る格差拡大の仕掛け、6月18日付け東京新聞より)
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 税金逃れの仕組みを非常にわかりやすく解説しています。
 
+++++香取神社(栃木県・烏山)
 日本書紀巻二(神代紀・下)の国譲り神話の一つの説として(書紀では「一書に曰く」と書く)藤原不比等が書くこの説話には日本列島での宗教支配・改変の重大な意図が込められている。と、私は繰り返し書いてきました。その件(くだり)とは:
%%%%%日本書紀説話転載
「《第九段一書第二》
原文:
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

文意(岩波文庫〔日本書紀〕(一)) 136頁
一書は以下を書く。天神は経津主神と武甕槌神を遣して葦原中国を平定させようとした。その時二神は以下を申し述べた「天に悪神がいる。名は天津甕星と言う。亦の名は天香香背男である。ねがわくば(請)、先(ま)ずは、此神を誅したい。然後、地上に下りて葦原中国に撥したい。」と。是時の斎主の神号は斎之大人はである。此神は今は東国の楫取之地に在る也。(以下略)」
 %%%%%転載終わり

 古代史研究者たちが何故この説話を軽視、ないしは重要視しないのか?理由は明らかです。
説話に登場する「天津甕星」の実体に想いが及んでいないからです。例えば岩波文庫「日本書紀」校注者は以下を書きます:
「ミカはミイカの訳。ミは祇の意。イカは厳。神威の大きな星の意。」

 率直に言うなら、何を言ってるのか不明です。校注者自身もわかってはいないのだろうと想像できます。この説話は、七世紀末ごろ、日本列島でおおきな政治力と影響力を持っていた「シリウス星信仰」一族(「拝火教」と思われる)の殲滅軍事行動を書いているのです。天津甕星とはシリウス星です。そしてこの信仰がおおきな政治力と影響力を持っていた遺跡が列島に多数残されているのです。それが八溝山から鹿島神宮をつなぐ直線配置です。または王「ワカタケル」の宮と思える埼玉県志木の宮戸神社と、墓所である行田にある稲荷山古墳です。更には福島県須賀川市にある二つの神社と古墳の計画された配置などです。

 まさにこの政治力・信仰を排除するための武力行使が上の説話なのです。そして、この説話には、もう一つ重要なことが記載されています。それは、軍事行動後の「神学的」(表現の適切・不適切については脇に置いていただきますが)処置、つまり「鎮魂」の儀式に触れていることです。それが「斎」です。そしてその儀式を執り行ったのが楫取之地(現在の「香取」と考えてよい)なのです。いずれ、考察しますが、現在の「神道」の原点をここに置いたのが藤原不比等であろうと思っています。やがて、政治的思惑からそれは三重県伊勢に移されたのです。これについては後日考察します。

 以上、縷々書いてきたように、「香取神社」の創建年代、言葉を変えれば、この地に何がしかの宮建設を計画設計した年代推定は古代史の真実解明への大きな手がかりと思っています。
 ところで、シリウス信仰族を軍事的に誅する行動の指揮を取ったのが経津主神と武甕槌神の二神です。武甕槌神は名前が著すように「甕」星を信仰する一族を「武」で以って槌を下した神です。中臣の祖先とされ、何時の間には鹿島神宮の祭神として祀られてしまいます。しかし、鹿島神宮はそもそもは日本列島の北端から南下して鹿島に陣屋を設けた一族。つまりシリウス族です。 ところが、歴史史書はこの本来の祭神を押しのけて、それを武力で圧殺した側である藤原一族を祭神にしてしまっているのです。シリウス族の悔しさ、哀しさはいかばかりか!
 これでは殲滅された一族は浮かばれません。当然「祟ることもあった」でしょう。それが「斎」であったろうと思っています。

 さて、同様の歴史展開が香取神社にもあったに違いありません。どうやら、この神社には、二神のもう一人(神ですからヒトリと言う呼称が適切なのか?)の経津主神が関わっていると神社由緒が書きます。この神の背景ももしかすると洗い出せるのかもしれません。

 と、いうわけで那須山―香取神宮を結ぶ線上にあるもう一つの重要ポイントである烏山に話を進めます。
 まずはその場所です。

(図1:那須岳ー香取線と烏山およびすぐ東を南下する那珂川)
那須ー烏山ー香取


 那須岳の南西麓も「那須疎水」と呼ばれる用水網が発達しており、それはこれから考察しようとする烏山近くにまで及んでいます。しかし、烏山そのものは北から南に流下る那珂川に近い。舟による物流の絶好の地です。これこそが烏山の地が選択された理由であろうと考えています。
 ところで、烏山とはどのような場所であるのか、そしてそもそも烏山と言う地名の由来は何か?次回、考えてみたいと思います。
(つづく)

+++++GMOの安全性議論(前回のつづき)
  “米国科学アカデミ(national Acdemy of Science NAS)がGMOの安全性を確かめた”と題する記事が米国科学誌(Scientific American)に掲載されました。その記事の後半部です。NAS傘下の研究者が既存の膨大な研究成果を吟味し、どうやら人体にとっては安全であるらしい、しかも地球温暖化にも貢献するらしいとの結論を得たとの報告書です。私が懸念するのは、遺伝子工学技術の歴史はそれほど長くない。そうした短期間での研究が適用された食物が人体に無害であるとの結論に至るにはもっと長期間の追跡が必要なのではなかろうか?そうした私の疑問にはこの記事は応えていません。

%%%%%記事紹介(前回のつづき)
The National Academy of Sciences reaffirmed GMO safety and pointed to the potential for future improvements
http://j55.pw/LyfX (scientific american)

SOME CALL REPORT REASSURING
(人は再確認の報告とよぶ)
Genetic engineering approaches could be used along with conventional breeding and changes in farm management to help plants better survive environmental changes, they said.
A major challenge is that adding traits like heat tolerance is much more complex than altering a single gene to make a plant herbicide-resistant, said Richard Amasino, a member of the NAS committee.
“If we had the basic knowledge to enable corn to grow at higher temperatures, then we’ve got a buffer to climate change. But do we understand the basic biochemistry of how that might work? No. There is no one magic little protein you put in. So these are all very complex issues. Basically, as we go to more complex biochemical things, we’re going to have to have a lot more knowledge, and there is going to be a physiological limit,” Amasino said.
To help close that knowledge gap, committee members called for continued public funding of basic research for better understanding of the “physiological, biochemical and molecular basis of these important traits.”
 遺伝子工学的アプローチは、環境の変化のなかで、より良く植物生育を助け生き残るために従来の育種及び農業経営に使用することができる、と彼らは言う。
 大きな課題は、耐熱性のような特性を追加することであり、それは、除草剤抵抗性にする単一の遺伝子を変化させることよりも複雑である、とRichard Amasino, a member of the NAS committee語る。
 より高い温度で成長するトウモロコシを可能にするための基本的な知識を持っていた場合、気候変動へのバッファを持ったことになる。しかし、我々はそれがどのようにしてうまくいったのかに関する基本的な生化学を理解しているだろうか?そうとはいえない。魔法の小さなタンパク質があったわけではない。したがって、これらはすべて非常に複雑な課題なのだ。より複雑な生化学的なものにすすむにつれ、より多くの知識を持っている必要があり、生理的限界もあるだろう」、とAmasinoは言う。
 その知識のギャップを埋めるために、委員会のメンバーは、より良く理解するために「重要な形質の生理学的生化学的および分子的基礎を理解するための基本的研究への資金援助を継続するよう求めている。

They also noted that any benefits from the research would depend on the amount of social, political and economic support for genetic engineering.
Altogether, the committee members evaluated 1,000 scientific articles on GE crops; received input from scientists, industry and environmental groups during 80 presentations; and read more than 700 comments posted on the NAS website.
“I was really encouraged by the report; the process was extremely thorough,” said Sarah Davidson Evanega, director of the Cornell Alliance for Science at Cornell University.
“The report concludes that there are no negative impacts of GE crops. It’s encouraging to see a report from a trusted institution to come forward with that conclusion. That should be reassuring to the public that they are no less safe than their non-GE counterparts,” she said.
 研究からのいかなる利得もそれは、遺伝子工学への、社会的、政治的、経済的支援がどれだけあるかに依存するであろうと指摘する。
 委員会メンバーは、GEの作物にかんする1000論文を考査した;80もの発表は科学者、産業界、環境グループによる。そして、NASのウェブサイトに700以上のコメントが投ぜられた。
「私は本当にレポートによって勇気付けられた。プロセスは非常に徹底したものであった」と、Sarah Davidson Evanega, director of the Cornell Alliance for Science at Cornell Universityは言った。
「報告書は、GE作物には負の影響がないと結論づけた。その結論をおしすすめる信頼できる機関からのレポートを見ることは心強い。つまり、非GE農産物よりGE農産物が安全で無いということではないと国民に確信させる "と彼女は言う。

OTHERS BLAST IT AS ‘SCHIZOPHRENIC’
人はそれを「統合失調症」と呪う
According to Evanega, the high quality of the report could help improve the policy environment for GE crop use and to convince more people that there is scientific consensus about the safety of GE technology and that biotechnology can help the country respond to climate change.
Gould noted that as conventional plant breeding has become a more high-technology practice, the line separating GE and non-GE crops has blurred.
He emphasized the importance of evaluating genetic engineering based on the products created rather than based on the technological process itself.
“Would you want to say that genetically engineered crops are bad because there are herbicide-tolerant crops? Or would you want to say genetically engineered crops are great because it’s going to save people from blindness?” Gould said.
“They’re not the same. So the idea of putting them all in one basket, it’s something that’s easy to do, but that’s not in our report. We tried very much to steer away from those broad, sweeping generalizations. I know some people would like to have them, but it didn’t make sense to us after we examined the literature.”
 Evanegaによると、報告書の質の高さは、GE作物の使用のための政策環境の改善に役立つ可能性があり、GEの技術の安全性とそのバイオテクノロジーに関する科学的コンセンサスは国が気候変動への対応を支援すると多くの人々を納得させる。
 Gouldは、従来の植物育種は、より高い技術的になってきているように、GEと非GE作物を分離線がぼやけていることを指摘した。
 彼は技術プロセス自体に基づいてではなく、作成した製品に基づいて、遺伝子工学を評価することの重要性を強調した。
 「あなたは、除草剤耐性作物があるので、遺伝子組み換え作物が不良であることを言いたいのか?それとも、盲目から人々を救うために起こっているので、遺伝子組み換え作物は素晴らしいですと言いたいのでしょうか? "と、グールドは述べる。
 「それらは同じではない。だから、一つの籠にそれらすべてを置くとのアイデアは、それを行うのは簡単だが、それが私たちの報告書ではない。私たちはそれらの広い、抜本的な一般化から離れて非常に多くを試した。何人かの人々がそうしたいと思っているが、我々は文献を調査した後、それは私たちには意味がなかった。」と。

The report’s findings drew criticism and some praise from the Consumers Union, which opposes the use of genetic engineering and has been lobbying for GMO labeling on foods.
Michael Hansen, an evolutionary ecologist and senior scientist at the Consumers Union, called the report “schizophrenic” in its stance on safety testing of GE crops.
“On the one hand, it says that we should regulate by the product, and not the process, but then goes on to admit that the newer GE techniques, such as gene editing and synthetic biology, will produce more diverse and complex traits in more crops that could raise new safety concerns, noting that even the newer gene editing techniques have off-target effects,” he said.
Hansen lauded the report for saying that GMO labeling is not just about the science behind the technology but also an issue of the public’s “right to know.”

 レポートの調査結果は、消費者同盟から批判や賞賛をえた。消費者同盟は遺伝子工学の使用に反対し、食品にGMO標識を付するようにロビー活動してきた。
Michael Hansen, an evolutionary ecologist and senior scientist at the Consumers Union,は、GE作物の安全性試験上の立場でそのレポートを「統合失調症」のレポートと呼んだ。
 「一方で、過程ではなく製品によって規制するべきであるが、遺伝子編集や合成生物学などの新しいGEの技術は、より多くの、より多様で複雑な形質を生成することを認めることに進むだろう。新しい遺伝子編集技術がオフターゲット効果(方向をそらす)を持っていると指摘し、新たな安全上の懸念につながる作物 "と彼は言う。
 Hansenは、「GMO標識は、単に技術の背後にある科学だけでなく、公共の「知る権利」にかかわる問題である」という。
%%%%%米国科学雑誌記事紹介おわり

香取神社(5、笠間と涸沼)、米科学アカデミによるGMO評価(1)

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(写真:西暦1609年(慶長14年)メキシコ人400名弱が漂着した千葉県・御宿・岩和田海岸の風景)
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御宿(おんじゅく)の 民の関心 大なりしか 裸で漂着 紅毛の人に

 TVドラマ「真田丸」の主要登場人物である徳川家康が征夷代将軍に任ぜられたのが西暦1604年。その翌年3月、慶長の大地震が発生し、この御宿も強い震動とともに大津波で洗われた筈です。この地震の4年後1609年の9月4日(旧暦)、イスパニア船サンフランシスコ号がフィリッピンからメキシコ・アカプルコへ帰る途中暴風雨に遭遇、船は破壊・難破しました。乗組員は総勢373名、そのうち317名が千葉県御宿の岩和田海岸(上の写真)に漂着、御宿村民に救助されました。日本に滞在中、将軍徳川秀忠ばかりでなく、引退し駿河に引きこもった家康にも謁見したとのことです。家康は、彼らの京都などの国内旅行をアレンジしたばかりでなく、彼らのために帰国用の船を建造し、かくして彼らは大分からその船で帰国の途に着いたとのことです。四年後の1613年に渡欧した伊達藩士・支倉常長一行は途上に立ち寄ったアカプルコで大変な感謝の辞と歓迎で迎えられたのだそうです。この二年後の1615年、豊臣家が滅びます。1609年といえば、ガリレオが新しい望遠鏡で月の表面の凹凸を観測した年です。

+++++笠間の意味
 前回、伊藤教授の研究を引用して「かさ」または「かせ」を含む地名を持つ場所のあるものは古代ペルシャ語に由来するのではないか。その地には運河の痕跡があるのではないか、と書きました。
 本ブログでもかってその事例をあげたことがあります。2014年9月26日記事(http://j55.pw/DaZ3 )で、私は安積疎水の話を書きました。猪苗代湖の南東域は用水確保のための堀が掘削されてきました。こうして出来上がった水系は安積疎水と呼ばれています。降雨量が少なく、山地であっても多くの水が伏水流であり、地表での取水がむづかしく結果として渇水に悩まされた山村です。水を確保するために用水網を築造する。そうした事業について何がしかの大昔から伝えられた伝承があったのではなかろうかと想像しています。それが安積疎水の構築を発想する原点ではなかったろうか。

 この大昔から伝えれられてき伝承。それは、猪苗代湖と阿武隈川を水路で連結するという巨大土木事業です。その際の目的は灌漑と言うよりは、勢力圏の拡大と物資の運搬であったろうと想像しています。
(図1:須賀川市笠が森山の位置と周囲の水系)
猪苗代ー笠ガ森a


 笠ガ森山(標高1013m)の西麓から猪苗代湖に流れ込むのは舟津川で、猪苗代湖への注ぎ口は舟津です。この地名、川の名前はこの水路が舟運に使われていたことの名残と思ってよいでしょう。一方東側には阿武隈川に流れ込む小川があります。北方から南進してきた渡来族は東の太平洋側への進出経路構築を目論んでいたはずです。さしあたりは、太平洋に注ぐ阿武隈川と猪苗代湖の連結です。

 そこで、構想されたのが運河掘削です。山を削りとるのではなくトンネルの築造であったと思っています。水の蒸散を防ぐべく屋根のある運河、これこそが「カーサ」の原義だからです。

 さて、前置きはこの位にして笠間の話です。ここまでの話から、笠間の「笠」(かさ)も運河に関わっているではなかろうか、と推察いただけるかと思います。笠間のすぐ東にあるのが上質な石材、稲田石で知られる「稲田」です。笠間市のHPがこの稲田石を誇らし気に書いています:
%%%%%笠間市HPからの転載
「笠間地区一帯を産出地とする稲田みかげ石は、日本の誇る最高級石材です。
その品質の良さと風格から全国的に有名で、日本橋や東京駅、最高裁判所を はじめ全国の建造物に使われています。 」
%%%%%転載終わり
 この石材の運搬を渡来族が必要としたが故に笠間に陣屋が設営されたと思っています。さてそこで切り出された石材をどう運ぶのか。そこで登場するのが笠間から南東20km余の涸沼です。
(図2 涸沼と笠間、そして稲田)
笠間ー涸沼a


%%%%%ウイキが書く涸沼
涸沼は、東茨城台地、鹿島台地に囲まれた所に位置し、上流から笠間市を水源とする涸沼川や大谷川などが流れ込む。下流側では涸沼川[2]が那珂川に合流し、そのすぐ先で海と通じており、満潮時には海水が涸沼川を逆流し、淡水と海水が混ざりあう汽水湖となっている。また、那珂川の氾濫時には淡水が涸沼に流れ込み、地形的に遊水池ともいえる。なお国や県では涸沼川の一部分という見解が一般的である。

縄文時代、海水面が上昇し[3]涸沼周辺では入り江であった。その後、入り江の入り口が川の土砂、那珂川の自然堤防によってふさがれ涸沼ができた。
江戸時代では、東北や那珂川流域から物資を運ぶルートとして利用され、「内川廻り」といわれるルートの一部であった。さらに水戸藩が松波勘十郎に涸沼西部の海老沢から巴川流域の紅葉まで約10kmを結ぶ「紅葉運河」や涸沼川から大貫までの約1kmを結ぶ「大貫運河」を掘らせたが失敗に終わった。明治時代に入ってからも、大久保利通が大谷川から北浦の流入河川である鉾田川をむすぶ国家計画に着手したが、暗殺により頓挫した。いまでも旧旭村(現鉾田市)に切り通しの跡を見ることができる。1927年(昭和2年)より、涸沼干拓が始まり、前谷(茨城町下石崎)、広浦(大洗町神山町)、船渡(茨城町上石崎)、馬割(茨城町海老沢)、東永寺(茨城町上石崎)、宮ヶ崎と干拓され、水田として利用された。
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 ウイキでは笠間から流れ出て涸沼に注ぐのが涸沼川と書きますが、実際は上にも書いたように稲田石運搬のための運河として掘削され、涸沼に通じたのではなかろうかと考えています。切り出された石材は多分墳墓造営つまり古墳・棺に使われた、あるいは陣屋・館の礎石であったでしょう。運搬水路があるのですから、稲田石は全国的に使用されたと思います。その地域的分布を知りたいものです。
 渡来族にせよアイヌ族にせよ、我が列島が地震多発であることを充分に体験していたはずですから、住宅用建材としては危険であることも承知したであろうと思っています。

 笠間から西に10km余は「岩瀬町」です。現在の福島県須賀川市内のかっての磐瀬国からの移住者によって形成された集落であろうと考えています。渡来族と行動を共にしたアイヌ族が移り住んだのでは無かろうか、と考えています。余談ですが、私の大好きな女優さんである「サクラ」こと倍賞千恵子さんが戦後しばらく住んだ場所です。
 
 この岩瀬町と笠間の間にあるのが西念寺です。鎌倉時代の初期、新潟に流罪されていた親鸞が1214年からほぼ20年間60歳過ぎまで住み、浄土真宗の教えを広めたとされています。この寺を訪ねてみると、手水場が参道から拝殿に向かう左側にあります(2013年5月6日記事 http://j55.pw/XWa2 )。
写真:
P5060022


 しかし、この手水場は井戸であったと案内板は書きます。が、寺として造営れたのであれば、この井戸を本道から見て左に来るように設計できたはずです。つまり、井戸であったにせよ、この水場は意図的に本殿の右側に在するように境内は設計されたと考えています。それはさておき寺の案内板は以下を書きます:
%%%%%西念寺案内板
http://j55.pw/2usT 
神原の井戸  
鹿島大明神が老人になって、白髪の老翁となる。親鸞聖人の仏法をきいた。いっさいの衆生を必ず救いとって浄土に生まれさせよう聞法に大変喜び弟子となった。法名は、釋信海となる。鹿島大明神は、喜び鹿島七つ井のひとつを献じようとした。大地をたたいたところ清水が湧き出た。徳川光圀は、いわれを聞き、御影石の井筒を寄進した。  
二品尭胤親王の歌
神原のたえぬちぎりや法の井の 永く稲田にそそぐためしは   
一如上人の歌  
とし毎に水のみちひや六月の しるしなるらん神原の井   
易行院法海講師の歌  
うごきなき磐井の水を汲みて知る 神と佛の深き契りを  
(説明板より)
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 というわけで神の井として多くの僧が歌を詠んでいます。どうやらかっては、この地は「神社」として「祟る神」の鎮魂として機能していたのだろうと想像しています。とするならば、親鸞がこの地に長くとどまったのは、布教活動を通じた東国の民の慰撫であったのだろう、と私は考えています。つまりそれほどに藤原不比等に始まった東国殲滅の軍事行動は苛烈であったのだろうとも思っています。これは、大切な〔主題〕ですので、後日、詳細に検討します。

 本ブログ管理人のような視点から、笠間なり稲田石を考察するという研究が見当たらないのです。機会を見て現地調査をしてみたいと考えています。何せ、地元であります。

 さて、次は、那須岳―香取神社線に浮かび上がってくるもう一つの興味深い場所「烏山」です。

(つづく)
+++++GMOの安全性議論
  “米国科学アカデミ(national Acdemy of Science NAS)がGMOの安全性を確かめた”と題する記事が米国科学誌(Scientific American)に掲載されました。
http://j55.pw/LyfX (scientific american)
米国での農業行政に深く関わっているGMO(Genetically Modified Organisms 遺伝子組み換え生物)について、米国科学アカデミがその安全性を保証したとのこと。本当だろうか?と言うわけで、以下に記事を紹介しておきます。米国の科学界を束ねる組織が言うのだからと信じ込んだりせず、まずはその言い分を見てみようというわけです。

%%%%%記事紹介
The National Academy of Sciences reaffirmed GMO safety and pointed to the potential for future improvements
By Niina Heikkinen, ClimateWire on May 18, 2016
NSAはGMOの安全性を再確認し、将来の改善に向けてその可能性を指し示した。
Genetic engineering could play a role in making crops more resilient to climate change, but more research is still needed to understand the technology’s potential uses, the National Academy of Sciences said yesterday.
In a sweeping 400-page report, the country’s top scientific group found there was not evidence to support claims that genetically modified organisms are dangerous for either the environment or human health. At the same time, the introduction of genetically engineered crops had little apparent influence on the rate at which agricultural productivity was increasing over time.
In the future, the academy said, researchers and regulators should be sure to evaluate the safety and efficacy of specific crops, rather than focus on potential risk posed by the process of modifying the plants.
“The technology is changing so rapidly, we needed to see where it is taking us in the future,” said Fred Gould, chairman of the NAS Committee on Genetically Engineered Crops, which conducted the report, and a professor of entomology at North Carolina State University.
 遺伝子工学は穀物生産において、気候変動にたいして弾力性のある役割を果たしている可能性がある。が、より多くの研究がまだ技術の潜在的な用途を理解するために必要とされる、と全米科学アカデミーは昨日言った。
 400ページの報告書で、米国のトップの科学グループは、遺伝子組み換え生物が環境や人間の健康に危険であるとの主張を支持する証拠は無かったと書いている。同時に、遺伝子組み換え作物の導入農業生産性を高めているように見えるといった影響を与えた、とも書いている。
 将来的には、研究者や規制当局は、特定の作物の安全性と有効性を評価するだけではなく、植物を変更するプロセスによってもたらされる潜在的なリスクに焦点を当てるようにする必要がある、とNSAはいう。
「技術は急速に変化している、我々はそれが将来的に私たちを何処に導くのかを見る必要がある」と報告書をとりまとめたFred Gould, chairman of the NAS Committee on Genetically Engineered Cropsは言う。彼はa professor of entomology at North Carolina State Universityでもある。

The report takes an in-depth look at past research on and future potential of the often controversial application of genetic engineering to U.S. crops.
Supporters of the technology say genetically engineered, or GE, crops are necessary for meeting the nutritional demands of a growing global population. Opponents say that the crops could pose environmental and health risks, particularly over the long term.
Currently, most of the genetically modified crops commercially available have added traits that protect plants from pests and make them resistant to herbicides. But in the future, the technology could be used more to address crop vulnerabilities to climate change, by incorporating traits for drought resistance and for heat and cold tolerance, according to the report.
“Climate change will affect both the yields and the quality of produce in a number of ways. Increased temperatures will speed crop development and thus limit potential yields. In colder climates, increased temperatures may extend the growing season, particularly of crops with indeterminate growth such as cotton,” the committee members wrote.
 報告書は、過去の研究と将来の米国の作物への遺伝子工学の適用に関して論争となってきた将来の可能性を考察している。
 遺伝子技術を是とする技術者は、遺伝子操作された(GE)作物は増大する世界人口の栄養要求を満たすために必要であるという。反対派は、作物が特に長期的に、環境と健康リスクをもたらす可能性があるという。
現在、市販されている遺伝子組み換え作物のほとんどは、害虫から植物を保護し、除草剤にそれらを耐性に形質を追加した。しかし、将来的には、その技術が気候変動への耐性作物に向かうだろう。それは、旱魃耐性の形質を組み込み熱や温度への耐性を増す特性の組み込みでなされる、と報告者は言う。
 「気候変動は、農産物の収率および品質の両方に影響する。温度の上昇は、作物の生長をスピードアップする。したがって、潜在的な収量を頭打ちにする。寒い気候では、温度の上昇は、特に綿などでは、生育期を拡大することができる、と委員会のメンバーは書く。

(つづく)
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香取神社(4、「笠間」の意)、函館震度6地震情報、電通

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:苦労して 緻密なアミを つくれども 獲物かからず 雨滴でみちる
 晴れた朝未明であれば、築造者がアミの中央に鎮座しているのですが、今朝は、その主(あるじ)は何処へ行ったやら) 
P617蜘蛛巣3


 雨止(や)みて 雲雀さえずる 雲の中 雀飛び出し 我をお宿に

今朝は電車の中でよく体験するおば様方の止まらないおしゃべりを連想してしまいました。雨がちょっと止んだそのつかの間、厚い雲の向こうから雲雀のおしゃべりが始まりました。おば様方(がた)同様、キャツ等も心底しゃべりたいんですな。地上に目を向けると、ツバメが低空飛行、目前では雀が「お宿」へ私を導いています。私は自らが善人でないことを自覚しております。とすればお宿で頂く葛篭(つづら)の中身も想像がつくというものです。早々に雀の後ろに随(つ)くのを止めました。

 昨日、午後3時前、函館を震度6の地震が襲いました。幸いにして被害は軽微であったようですが、発生場所は、局所的にこれまでも集中的に小地震が起きてきた場所です。その発生場所が極めてロ-カル故か、GPS 連続観測でもその「前兆」らしき信号は無かったようです。
(図1:地震央位置と発震機構解)
函館1

(図2、図1で示した矩形内の地震についてその深さ分布と発生時間経緯)
函館2

 図2の上の鉛直断面から、この地震が北海道下に潜り込む太平洋プレートの運動とは直接関わっていないことがわかります。

(図3 余震分布、http://j55.pw/7ePJ より)
yosinn2016061619


 図1の発震機構解と図3の群発地震活動の分布(ずいぶんとばらついていますが)の方向から、この地震は左横ずれ成分を持つ逆断層地震のように見えます。北西―南東の引っ張り応力は、2011年3月11日地震後の地殻内部応力の解放過程のなかで発生したとして説明できるかもしれません。今後の推移を予測することは難しそうです。局地的に大きな地震動をもたらした地震、その岩盤の破壊性状は多分脆性度の高い物質環境を思わせます。

+++++笠間考(2)
 笠間神社の名前について書いておきます。 この地名、つまり「笠」を考えようというわけです。そもそものきっかけは「扶桑国王蘇我一族の真実」(渡辺豊和著、新人物往来社)が309頁に書く「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)への強い関心でした。渡来人の「運河掘削能力」が日本列島の多くの場所で発揮されていたことを指摘するものでした。氏は同書で、奈良盆地内のちいさな「せせらぎ」がシリウス方位を向いていることを指摘し、これは運河ではなかったか、と書いています。

 2008年3月末に私は九州旅行をする機会を得ました。大宰府に隣接する九州国立博物館見学で、私の古代史への関心は一段と高まりました。館内ガイドをしてくださったのはボランティア解説員T氏でした。とある大学で教鞭をとっておられた経歴ゆえでしょう、知的で落ち着いた語り口にさそわれ私の興味がさらに掻き立てられました。まずは大宰府の西を北西に流れ下る御笠川とその河口の西2kmほどにあった鴻臚館(倭国時代のいわば「鹿鳴館」)の解説からはじまりました。床の上に羽北九州の地図が広がっています。そこを流れる御笠川から直ちに連想したのが、上に書いた渡辺氏の一文でした。この御笠川は実は渡来人の手になる運河ではなかろうかと考えたのです。2009年4月22日記事でも書きましたが日本書紀には確かにそれらしい記載があります(http://j55.pw/22V2 )。まずは、その過去記事に引用する日本書紀巻九(神功皇后摂政前期)の説話です。
%%%%%2009年4月29日記事一部転載
日本書紀も暗に「御笠川」が運河であることを認めているのです。そこで、前回書いた「御笠川」が書紀の言う「渠」であるや否やを、日本書紀を参照しつつ検討してみることにします。
日本書紀巻第九、神功皇后摂政前紀によれば、三月、皇后自ら熊鷲征討に出陣します。
原文:『戊子 皇后欲撃熊鷲 而自橿日宮遷于松峽宮 時飄風忽起 御笠堕風 故時人號其處曰御笠也。

文意:岩波文庫「日本書紀(二)」140頁
香椎宮から松峽宮に遷る際、一陣の突風で笠が飛ばされ落ちた。そこで、この地を「御笠」と呼ぶようになった。

さらに日本書紀を引用します。同年4月に下記の記載があります
『時引儺河水 欲潤?田而掘溝 及于迹驚岡 大磐塞之 不得穿溝 皇后召武内宿禰 捧釼鏡令禱祈?祗 而求通溝 則當時 雷電霹靂 蹴裂其磐 令通水 故時人號其溝曰裂田溝也。##

文意(岩波文庫〔日本書紀(二)〕、142頁)
儺の河の水を神の田に引くべく、溝を掘った。ところが、大岩が邪魔をして掘り進めなかった。そこで、天神地祇に祈ったところ雷がこの岩を砕いてくれた。そこで、この溝を人は裂田溝と呼ぶようになった。』
%%%%%
 「裂田溝」なる地名は今も残されています。そして、それは那珂川であろうと多くの古代学者は考えておられると思います。私は、「儺」なる漢字が近畿に「輸出」されて「灘」に変わったこと(「箱庭」性策の一部)をおもうならば、那珂川には藤原不比等の政治的思惑がかぶされているのだろうと思っています。裂田溝は御笠川が北上して現在の板付飛行場で進路を西に曲げられるあたりでの掘削工事であったと想像しています。

 渡辺豊和氏に「狂心の渠」を運河ではなかろうかとの発想をもたらしたのが伊藤義教氏の著作「ペルシャ文化渡来考」(岩波書店、1980)です。私はどうしてもこの本を入手したく思い、江戸に出府するたびに神田の古本屋を丹念に探し回りました。そして何回目かの出府で、ついにこの本に出会うことが出来ました。かなり高価ではありましたが買い求めました。以下はその本からの転載です。

%%%%%運河を考える
出典:「ペルシャ文化渡来考」伊藤義教著、岩波書店、1980
 以下は上記出典文献からの抜書きである(P.44-47)
狂心渠とその背景
 (前略)イランやアフガニスタンでは地下にトンネルを掘って水を通し、蒸発消散するのを防ぎながら離れたところへ水を送る施設が発達していてカナート(qanat)とかコレーズ(kah^rez)とか呼ばれている。コレーズは中東ペルシア語カハレーズ(kaha-rez)の転化であるが中世ペルシア語にはカハス(kahas)と言う語もありマニ教系の文献やその他の文献にも指摘されるから確実な形である。ところが、このkahasの“h”はとかく強くひびかないから飲み込まれる傾向きもあり母音間のそれは漢字表記されないこともしばしばである。そうするとカハスはカアスあたりとなるが、このカスあたりが狂心渠の中に隠されていると思うが、どうであろうか。もっとも著者はこの狂心渠が果たして実在のものか、それとも「史記」の「河渠」に見える乾燥地帯の水路掘削の記事に托して捏造された虚構のものか、いずれとも断定できないが、いずれにしてもそしるために、カアスをわざと「狂心」で写音し、あとに意訳後「渠」をつけたもの−サハラ砂漠などのように−と考えざるを得ない。(以下省略)
%%%%%
 上記に引用した記述に先立って伊藤東大名誉教授は、そのことの考察対象である「狂心渠」が奈良盆地内の天香具山の西側を北西に走る小川であると想定していたようです。そしてこれを踏襲したのが渡辺氏の上に書いた記述です。

 ところで、先年死去した古田武彦氏は自著「壬申の大乱」のなかで、有明海に注ぐ「嘉瀬川」は運河であろうとの推論を書いています。そこにはとくに論拠は示されていません。私はこの古田氏の推論の妥当性を調べたことがあります(2013年2月4日〜4月17日記事、http://j55.pw/kDFr )。この調査からの私の結論は「嘉瀬川」の一部に確かに「運河」が含まれており、それこそが「狂心渠」であるというものでした。
(図3:嘉瀬川と 須弥山、そして砕石場であった白石山)
嘉瀬ー運河


 嘉瀬川(かせ)はまさに伊藤氏の指摘する「カアス」から由来しているのです。伊藤氏の記述から想像することは、白石山の南麓に地下水道を掘ったのではなかろうかとも思っています。そこで、この議論を今般の「笠間」神社に当てはめてみようというわけです。
(つづく)

+++++電通による国際五輪委員買収疑惑
 電通幹部によるIOC委員への贈賄がじわじわと明るみに出て着ました。最新号の〔週刊文春』誌がそれを報じています。長い記事ですが、備忘のために以下に掲載しておき舞う。
 %%%%%「東京五輪」招致 電通元専務への巨額マネー
http://9321.teacup.com/sinpo/bbs/2224
「週刊文春」2016年6月23日号 :東京新報

東京五輪・パラリンピック招致を巡る“裏金疑惑”は国会でも追及されたが、未だに疑惑は晴れていない。そんななか、問題となっている二億三千万円をはるかに超える資金が招致の“キーマン”に渡っていたことが分かった。果たしてこの資金は何に使われたのか。
 東京都が五十六年ぶりの五輪開催を勝ち取った“ブエノスアイレスの歓喜”からわずか三年足らず。東京五輪は“裏金疑惑”により、一転して批判の的になっている。
「国会でもJOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長(68)が厳しい追及を受けましたが、誰もが納得できるような説明は出来ていない。
 なかでも参院議員の松沢成文氏は、招致を勝ち取ったロビー活動の中心人物として、電通の元専務である高橋治之氏(72)を名指しして批判しています。松沢氏は彼を『国際的な司法機関から捜査の対象になるような疑惑だらけの人間』『フィクサー的な存在』などと指摘しています」(全国紙社会部記者)
 高橋氏は国際舞台におけるスポーツビジネスの草分けで、サッカー界に太い人脈を持ち、二〇〇二年日韓W杯の招致にも尽力した人物である。かつて「環太平洋のリゾート王」の異名をとったバブル紳士、故・高橋治則氏の実兄としても知られている。
 電通で専務にまでのぼり詰め、〇九年に退職、一一年まで顧問を務めた。現在は二〇二〇年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の理事に就任している。JOC会長兼組織委員会副会長にして招致委員会理事長だった竹田氏とは慶応幼稚舎時代からの付き合いで、極めて近い関係だ。
 その高橋氏の“裏金疑惑”への関与は高橋氏本人も竹田氏も否定しているが、彼は招致活動でどのような役割を果たしたのか。
 その詳細に触れる前に、今回の疑惑について改めて振り返っておきたい。
 疑惑の発火点は、英紙「ガーディアン」が五月十一日付で、東京五輪招致の“買収疑惑”を報じたことだった。
「フランス司法当局が、モナコに本拠を置く国際陸連の贈収賄事件の捜査に着手したことがきっかけでした。
■高級時計や宝石で買収工作?
 十六年間、国際陸連のトップに君臨したラミン・ディアク元会長は、セネガル出身。IOC(国際オリンピック委員会)委員として五輪の開催地決定の鍵を握るアフリカ票に絶大な影響力を持つとされていました。彼は息子のパパマッサタ氏を国際陸連のコンサルタントとして重用していた。そんなディアク氏周辺の金の流れをフランス司法当局が追うと、東京の招致委員会から振り込まれたカネが買収工作の資金だった疑いが浮上したのです」(同前)
 招致委員会は、東京五輪の開催が決まった二〇一三年九月七日を挟んで、七月と十月の二回に分けて計二億三千万円を、シンガポールの「ブラック・タイディングス社」(以下、BT社)なるコンサル会社の口座に振り込んでいた。
「BT社の代表は、パパマッサタ氏の友人。七月の振り込み直前、パパマッサタ氏はパリの宝飾店で高級時計や宝石を買っており、代金はBT社から振り込まれたことが分かっています。この高級時計もIOC委員の買収工作に使われたのではないかとみられているのです」(同前)
 果たして日本は本当にカネで五輪を買ったのか。
 ラミン・ディアク氏について陸上担当記者が語る。
「ディアク会長は二〇〇七年二月に、『東京マラソン』の第一回大会のために来日して、パーティにも出席していました。この時は二〇一六年の五輪招致をアピールする絶好の場でしたが、日本側はディアク会長があまりに大物過ぎて近づけないような状況でした。ただ、ディアク会長と旧知の仲だった電通の高橋氏だけが、彼と親しく話していたことは印象に残っています」
 二〇〇九年十月、東京はリオデジャネイロに敗れ、二〇一六年の五輪招致を逃したが、この時も日本が最後まで頼ったのがアフリカ票だった。
「開催地の発表が行われるコペンハーゲンに入った石原慎太郎東京都知事(当時)らが、高橋氏と一緒にディアク会長に接触すると、彼は『アフリカのIOC委員の十六票は纏めた』と明言したそうです。ところが、日本は惨敗と言っていい結果に。石原氏は帰国後の会見で『ブラジルの大統領が来て、かなり思い切った約束をアフリカの諸君としたようです』と話し、物議を醸しました。つまり、この時点ではディアク会長もアフリカ票を掌握しきれていなかったのです」(同前)
■強固な人脈を見込まれる
 その反省に立ってスタートした二〇二〇年の五輪招致活動では、電通や日本陸連がラミン・ディアク氏を完全に取り込んで行った。その起点となったのが〇七年八月にロンドンに設立された「電通スポーツヨーロッパ」である。
「高橋氏の部下だった中村潔氏(現執行役員)が社長に就任し、国際陸連のマーケティングを担っていました。当時国際陸連は、看板の大会『世界陸上』のスポンサー集めに苦慮していました。二〇〇〇年前後からスポンサー離れが始まり、二〇〇七年頃まではスポンサー枠をすべて埋めるのが大変だった。
 そんな時に新たな陸上大会である『ダイヤモンドリーグ』の創設やデジタルメディア『SPIKES』の立ち上げを提案したのがパパマッサタ氏と電通などでした。中村氏が〇九年に帰国し、電通のスポーツ事業局長に就任してからは世界陸上のスポンサー枠も埋まるようになった。
 中村氏はラミン・ディアク氏とは高橋氏以上に関係を深め、電話一本で話ができるほどの関係を築いたとされる」(同前)
 一方、電通を退職した高橋氏は「コモンズ」という会社の代表を務め、電通本社ビルでフレンチレストランなどを経営する一方、電通時代の人脈を生かしてコンサルタント業務を始めた。そして、二〇二〇年五輪招致委員会の「スペシャルアドバイザー」に就任するのだ。
 コモンズに関しては、大手民間信用調査会社が詳細な調査レポートを作成している。それによれば、コモンズの売り上げは、二〇一二年十二月期の約六億三千万円から、招致活動が山場を迎えた翌年には約十四億九千万円に跳ね上がっているのだ。
 その原動力となったのは会社のコンサル部門の収入だ。二〇一二年十二月期に約三億三千万円だったものが、翌年には高橋氏の強固な人脈を見込まれて招致に関わる各方面の調整活動を委託されたことで収入は跳ね上がった。コンサル部門は十一億円を超える大口収入となったと書かれている。
 つまり、現在問題になっている二億三千万円を超える巨額資金が、招致委員会などからコモンズに支払われているのである。
 一方で利益については、レポートによると、収益の大部分を占めるのはコンサルティング収入だ。だが、調整活動に奔走したことで支出も発生したため、増収効果は乏しく、営業利益は約一億八千万円に終わったという。
 つまり収入は大幅に増えたものの、「調整活動」にほとんど使ってしまったというわけだ。
 この“招致マネー”は何に使われたのか。
 高橋氏は小誌の質問に対し、弁護士名で「当社は収支の内容について公表しておりません」と答え、招致委員会からどれだけの報酬を得ていたかについては言及を避けた。
 招致関係者が振り返る。
「高橋氏のロビー活動の実態については招致委員会の幹部でも把握していた人は少ないと思います。ただ彼の人脈やノウハウが最大限に活かされたのが今回の招致でした。高橋氏は、招致委員会の委員長だったJOC会長の竹田氏とは昵懇の仲で、『八歳の頃から知っている』と話していました。竹田氏と高橋氏が同席する会合の時は、たとえ竹田氏がJOCの会長として招かれていたとしても、竹田氏は高橋氏が来るまで絶対に上座に座ることはありません。高橋氏が来て、『カズがそっちに座れよ』と言われて初めて上座に座るのです」
 高橋氏は、竹田氏の実兄と慶応幼稚舎からの同級生で、竹田氏は後輩にあたる。面倒見のよい兄貴分と弟分という関係性は、少年時代から今に至るまで変わっていないようだ。
■足利銀行の破綻の引き金
 招致の責任者とキーマンであった竹田氏と高橋氏。
 竹田氏と言えば、皇籍離脱した旧宮家の出身。父親の恒徳氏も六四年の東京五輪招致などに尽力して、“スポーツの宮様”と呼ばれたが、その三男である竹田氏は七二年のミュンヘン五輪と七六年のモントリオール五輪に馬術競技日本代表として出場した経験を持つ。
 その華々しい経歴の裏で、大物右翼の故・豊田一夫氏や“フィクサー”と言われる朝堂院大覚氏との交際なども確認されている。
 仕事としては、自身で旅行会社を経営している竹田氏だが、毀誉褒貶が相半ばするエピソードが多々ある。その象徴的な事例が、JOC会長に就任する直前、彼が理事長を務めた乗馬クラブ「ロイヤルホースライディングクラブ」の破綻劇だ。
 栃木県の老舗セメント関連会社「シモレン」が約六十億円の建設費をかけて国際競技会も開催できる豪華な乗馬施設を完成させたのは九四年のこと。シモレンの元幹部が当時を振り返る。
「創業百周年を記念した事業で、九〇年頃に日本馬術連盟の関係者から『乗馬クラブを作らないか』という話が持ち込まれ、竹田氏が総合監修という形で関わることになったと記憶しています。我々は何のノウハウもなかったので、竹田氏の助言通りに計画を進め、彼が社長を務める『ホースマンインターナショナル』と契約、コンサル料などを支払っていました」
 ニュージーランドやドイツから馬を輸入する際も竹田氏の会社を通し、ドイツ視察には、竹田氏が経営する都内の旅行会社に手配を依頼していたという。
「ロビーの椅子も、ブーツを履いた時に日本製だと低過ぎて痛いので、竹田氏の助言でわざわざ高さのある椅子をイギリスから取り寄せました。竹田氏は頑固で、一度『これがいい』と言うとなかなか引かず、みるみる予算は膨らんでいきました」(同前)
 一方で、オープン時には竹田氏が常陸宮妃華子様をお連れし、ロイヤルの称号に恥じない配慮もなされた。設立発起人には名立たる経済人に交じって、国際政治学者だった当時の舛添要一氏の名前もある。のちに東京五輪開催のキーマンとなる竹田・舛添の両氏は、奇しくもここで、すでに接点を持っていたのだ。
 しかし乗馬クラブは〇一年十月、シモレンの倒産で閉鎖を余儀なくされてしまう。負債額は実に三百七十五億円。乗馬クラブ建設費の借り入れ過多が一因とも報じられた。
「竹田氏はあれだけ湯水の如く会社に金を使わせたのに、会員権を一口も売りませんでした。私たちは一千万円の会員権を売るのにどれだけ苦労したか。社内でも彼への恨み辛みは凄かったです」(別の元幹部)
 のちにこのシモレンの大型倒産は地元の地銀、足利銀行の破綻の引き金となる。
 シモレン倒産と同時期、竹田氏は前会長の急逝により、JOCの五十代の若き会長として表舞台に登場した。その地ならし役を果たした一人が、高橋氏である。
「本来JOCの会長は無報酬なのですが、竹田氏の旅行会社はいつ倒産してもおかしくないほど業績が悪化しており、一定の収入を確保してあげる必要があった。そのため高橋氏やJOC名誉会長だった堤義明氏などが動いて、電通やミズノからお金が出るよう働きかけたのですが、うまく行きませんでした。そこで、一部の理事の反対を押し切り、JOCが約千五百万円の報酬を出すよう決めたのです。さらに、電通社内や一部の取引先に、航空券の手配などは出来る限り竹田氏の旅行会社に依頼するよう指令が下っていたとされています」(JOC関係者)
 竹田氏にとって高橋氏は、今も決して頭の上がらない存在なのだ。
「招致活動でも竹田氏が自ら金集めに動くことはありませんでした。彼は自分が動くと先方も断れないから申し訳ないという思いが先に立つのです。その点、高橋氏は慶応人脈をフル活用して、有力企業から支援を引き出してしまうのです。その意味で、高橋氏がいなければ今の竹田氏はないと言っても過言ではありません」(電通関係者)
 竹田氏は小誌の取材にこう答える。
「ロイヤルホースライディングクラブについては、僕は知人を介して個人的に依頼を受け、ノウハウを伝えただけです。本業の業績が悪くなったから畳んだのであって、私は投げ出していません。
 また、高橋さんは兄と同級生というだけで、私は別に友達でも何でもないです。高橋さんと招致委員会との間でコンサル契約があったのかどうかも知りません。高橋さんにスポンサーを集めてもらうようなことを頼んでいるとは聞いていましたが、招致活動で連携したことは全くありません。
■開催地決定後に助成金を申請
 それに国会で説明した通り、BT社の実績については電通に聞いたのであって、高橋さんに聞いたわけではありません」
 BT社への振り込みについては、小誌の取材で新たに不可解な構図が浮かび上がっている。
 招致委員会は二〇一三年九月七日に開催地が決定し、招致活動が終わったはずの九月十八日に「スポーツ振興くじ助成金」の増額という形で、二億七千五百万円を日本スポーツ振興センターに追加申請している。
 BT社への支払いは七月二十九日に九千五百万円、残金については成功報酬の意味合いもあり、収入確保の見通しが立った十月二十四日に一億三千五百万円を振り込んだとされている。実は十月二十四日はスポーツ振興くじ助成金の交付決定が下りた日なのだ。
 実際の交付時期にはタイムラグがあるが、補填する目途が付いたことから支払いを実行したのだとすれば、事実上助成金がBT社への支払いに充てられた可能性が浮上する。
 ある文科省幹部は「招致活動が終わった後で億単位の助成金を申請すること自体、不自然だ」と驚きを隠さない。
 招致委と東京都が纏めた招致活動報告書では、二年間で使われた招致推進活動経費は八十九億円で、うち東京都は三十五億円、残りは招致委員会が協賛金や寄付金などで民間から調達したとされている。果たしてそこに抜け道はないのか。
“疑惑の東京五輪”の汚名を返上するには、更なる情報公開が求められている。
%%%%

香取神社(3、笠間稲荷)、舛添騒動に太郎ちゃん、物申す!

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:青鷺の番がふわりと田に舞い降りてきました。距離を置き、見つめ合っています。背後の丘には中学校がありますが、これは前方後円墳であったとのことです)
P614青鷺


  マ”き”ゾエは 勘弁してねと 逃げ出す自公 アマリな五輪の 疑惑隠さん

 自公は、来る参議院選挙戦でマスゾエ議論の巻き添えを食らってはならないと警戒しているとの「駄洒落」でありますが、通じたでしょうか。関連記事を古代史記事の後ろに付けておきました。

+++++香取神宮創建年代推定(4)
 渡来族の新たな拠点作り。そのための測量基準として那須岳を選択したのではのなかろうか、つまり宗教的視点を満たす地として那須岳を選んだとの仮説は上手く機能しそうです。それは前回記事の図3で示した那須岳―香取神社線の上に日本の三大稲荷神社(笠間、豊川、伏見)の一つと呼ばれる笠間神社が位置しているからです。
図1:那須岳−香取神社線上にある笠間稲荷神社
那須ー笠間ー香取

 
 そこで、線上あるいはその近傍に笠間稲荷神社が位置することを確認するために、いつもの例に倣ってこの神社と那須岳との位置関係を算出しておきます。
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[37.1278111 139.956895] 那須岳
sta(lat,lon)=[36.3860259 140.284108] 笠間稲荷

Dlt,Azm,Bzm= 0.79 160.44 340.63 87.5 –km
 得た結果は160.4度(北19.6度西)です。この角度からシリウス星年代対照表を参照すると西暦652年と言う年代を得ます(この推定を得る手続きについては前回書きました)。日本書紀に従うならば大化の改新に直結した乙巳の変勃発、その後ほど無くしての創建が笠間稲荷と言うことになります。そしてこの線を更に南に伸ばして選定した地が現在の香取の地であったろうとは、私の読み取った歴史の筋書きです。それは笠間に出先陣屋を設営した約30年後です(後述)。神社由緒に拠ればこの神社の創建は西暦にして661年とありますから、シリウス年代から推定された創建年代とほとんど違っていません。

 しかし、神社の歴史を知る事ができる伝承に乏しいようで、精々常陸の国風土記に「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」と書き記されているのみです。それはさておき、この神社の地に陣屋が「乙巳の変」前後に創建されたことの意味は重大です。後日詳細に考察します。

 以後の考察にとって笠間神社をもう少しでも調査しておくことは意義があります。そこで、本論から少しずれますが
(1) 稲荷神社とは;
(2) 笠間と言うの意味言うも神社名
を、考えてみることにします。
 まずは、「稲荷」です。既に書きましたが「稲荷」の「イナ」はアイヌ族の家庭内信仰形態である「イナウ」に由来します。
(図2:『人間に寄り添うカムイ達』荻原真子(帝京平成大学)より抜粋(『歴史読本』2015年秋号、図をクリックすると拡大でき読みやすくなります)
1606アイヌ
 

 この文章はそもそもはアイヌ族の自然との共生を書くことが主題と思えます。が、私は、ここに登場する「アイヌ語」とその意味に着目しています。たとえば”アペフチカムイ”です。”アペ”は「火」、”フチ”は「知識と経験豊かな”慍”」です。そして「イナウ」は「火の女神」への仲介を担う、いわば火の神との接点であったと論文著者は書きます。一方、遠く中東から渡来した一族が信奉したと思われるのが「ゾロアスタ教」つまり「拝火教」です。だからこそ闇を照らす「シリウス星」(地上から見える最も明るい恒星)の明るさに神秘を感じたと思えます。
 かくしてこの「闇の中の火(あかるさ)」を両部族は精神的に共有共感したのだと考えます。本ブログでも見てきたようにこの部族の共生が幾つかの歴史遺構で発見されています(例えば2016年5月2日記事がかく須賀川の都市設計)。

 「稲荷」の「いな」は「稲」(米作のイネ)に由来すると考えられています。私はこの通説を否定します。これは、日本列島古代史の背景を隠蔽したい一族つまり藤原不比等の「史観」が拵えたものでありこ、これは日本列島宗教史の改竄であると考えています。この「米作の稲」論が長い歴史の中で定着してしまったため、稲荷社に祭られる神は「る宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)など〔米〕を中心とした穀物・食物の神を主な祭神とされてしまうのです。

 さらには、稲の穂が狐の尻尾に似ているとして、稲荷社が狐と関連付けられたりします。私の大好きだった落語家・柳亭痴楽の十八番は「痴楽綴り方教室です http://j55.pw/7Tea 」。この動画の5分40秒あたりで、映画館内の場内アナウンスの描写があります。かわいらしいアノウンス嬢の声で「初音ウグイス町の藤田さま、初音ウグイス町の藤田さん、表で美人が待ってます」と。それに反応する場内の人物はいかにも二枚目の紳士風です。ところが、場内アナウンスが男のだみ声・早口で「豊川稲荷の藤田さん、豊川稲荷の藤田さん、表で狐が待つてます」といった件(くだり、5分40秒あたり)があり大いに笑ったものでした。

 拙宅から3kmほどの所に「女化神社」と言う、東京を含む関東一円に広く信仰を集めている神社があります。正月などは参道が初詣客による延々と長い行列で身動きが取れないほどになります。参道沿いの石灯籠群は江戸の大店(おおだな)の主(あるじ)とぼしき名前が刻まれていたり、参詣のために組織された小田原あたりの講(こう)名が刻まれていたりします。
 この神社には、母狐の哀しい子狐への思いを「みどり子の母はと問わば女化の原に泣く泣く伏す」と唄った民話が知られています。これも稲荷神社です。

 「イナウ」に発する古代日本列島の〔思想状況〕が、改変され捻じ曲げられた結果であると私はおもっているのです。が、こうしたことを書くために「本ブログの古代史観は、従来学校の歴史教科で教えられる内容と大分違っていますね」などの感想をいただくことがあります。初めてこのブログに「不運!」にも遭遇した読者の方の感想は「荒唐無稽、話にならぬ」であったり「これまでの古代史知識の曖昧さがぬぐわれる思い」など様々です。

 「荒唐無稽」の議論の続きとして稲荷の話しを少し膨らませた「飯豊」にも触れておきます。
「イナウ」に「飯名」なる漢字表記を当てた人物がいたはずです。その痕跡が筑波山中腹の「飯名」神社です。「稲」を「飯名」とも表記したため、ますます誤解はふかまり、水田から育つあの「米」の草に由来するとの考えが固定してしまいました。
 飯豊の「豊」はラテン文字による表音「KHO」を漢字表記したものです。この表音は「高」と漢字表記されることも少なくありません。つまり「飯豊」は「飯高」と同じです。どちらも高一族とアイヌ一族の和合を表現しているのです。

 次回は笠間神社の名前「笠間」について興味深い考察をします。
(つづく)

+++++あの小沢問題を思わせる病的なマスゾエ報道
 2010年は、その初頭より日本のマスコミが民主党(当時)幹事長の小沢氏の陸山会・政治金問題で、大仰に長期間にわたって大騒ぎをした年でした。私なんぞは、この問題の甘利の、いや間違いました、余りの異常さに年甲斐も無く頻繁に江戸に走り「マスコミと検察特捜部の暴虐』への怒りの声を、そして民主党執行部(当時)への叱咤の声をあげたものでした。
 今般の舛添騒動はあの状況を思い起こさせるものでした。なぜなら、この問題よりもはるかに醜悪な問題、つまり甘利前TPP担当大臣の甘利(あまり)にも明白な収賄行為についての検察の不起訴、そして東京五輪招致に関わる電通を通じた買収(贈賄)が完全に追及のターゲットからはずされてしまったのです。さらにはフリーのジャーナリスト古川利明氏が
「盗聴ホウの実質全面解禁ホウアン」の与野党の共謀(凶暴)による強姦サイケツ劇だが、確かに、「ジャーナリスト」を名乗っておる有田芳生が、ヘイトスピーチ規制ホウアンと抱き合わせで、その成立とバーターで突っ走ったのは、論外だし、それは繰り返し徹底批判、弾劾されて、足りないことはない。」(http://toshiaki.exblog.jp/ )
と、咆えまくってきた「盗聴法」もいつの間にか成立してしまいました。せめて共産党ぐらいは世論に流されず、糾すべきところは糾す姿勢を堅持と思いきや、今や「舛添攻撃への批判は直ちに来る国政選挙での得票減に直結する」との思惑から「世論様子見・政党』の本質をさらけ出してしまいました。

 こうした政治状況の中、さすが我が太郎ちゃんは健在でした。見事に今般の馬鹿騒ぎの本質を突いた発言をしています。
%%%%%山本太郎氏の指摘 
http://j55.pw/WZV9 
 
山本太郎氏 舛添知事騒動に陰謀説 政権与党がスピンコントロール
2016年6月14日 20時43分
参議院議員の山本太郎氏(41)が14日、東京・渋谷で、7月10日投開票の参議院議員選挙に無所属で東京選挙区からの出馬を表明した、ミュージシャンの三宅洋平(37)の応援演説を実施。世間を騒がせている舛添要一都知事(67)の公私混同疑惑について、政権与党による“陰謀説”を唱えた。

 山本氏は舛添知事について「混乱を作り出した原因は舛添さんですが、中身はかわいいもんですよ。『セコい』の一言で終わり!」とし、「事務的な力はすごく高い方、仕事はちゃんとする人です。私物化をしたことは責められて当然ですが」と一定の評価を下した。

 その上で「『スピンコントロール』ってご存じでしょう?今、目の前にある本当に解決しなきゃいけない問題に煙幕を張る、フォーカスをそらすために、別のところで騒ぎが起こってるんですよ。舛添さんをやめさせる、やめさせないよりも、もっとひどいことが国家の中枢で行われてるんです!これは間違いなくスピンコントロール」と、政権による“隠蔽工作”であると主張。

 「参議院選挙に対しての注目をそらせる、現在の政権に対してネガティブな部分を出さない。だって、舛添さんがこれだけ叩かれてるのに、どうして甘利さんが睡眠障害が治ったと言って出てくるんですか?あり得ない話でしょう。舛添さんなみにバッシングしてみろと」と語気を強めた。

 山本氏はさらに「この国を、持続可能な形で次の代に続けていくために、これ以上行ったら引き返せないところまできている」と、日本が危機的状況にあることを強調。「だから今、国が決めている、政府がやっている、自民党がやっている、経団連がやっている、そのような状況に目を向けて、どうしていくべきかを話し合う時。いつまで(舛添知事を)叩いてるんだよと」と、報道のあり方にも苦言を呈した。
%%%%%

Blogosへの小林よしのり氏の投稿をもあわせ転載しておきます。まさに我が意を得たりでありますな。
%%%%%舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆
http://blogos.com/article/179381/
2016年06月14日 08:55
舛添都知事をギロチンにかけよという民衆の声が静まらない。都議会でもマスコミでも、集団リンチが続いている。
たまごサンドを買ったのか?中国服は書道に有効か?出版社の社長は来たのか?公用車で巨人戦や第九コンサートを見に行ったのか?ケチな追及を政治家や民衆が大真面目にやっている。

自公が参院選への影響を恐れて不信任案を提出するかもしれないそうだ。選挙のためなら集団リンチに加わるという。
舛添都知事は給料ゼロで働くと言う。タダ働きすると言ってるのに、それでも民衆は処刑台に上れと言っている。
次の都知事にはだれがふさわしいかと都民に尋ねたら、東国原とか橋下徹とか言っている。面白そうだからとか、大阪で頑張ってたから東京でもとか言っている。こんなバカどもが巨額の費用を使って、また面白いか否かの判断基準でリーダーを選ぼうとしている。

まさに『民主主義という病い』だが、この多数派の暴動を個人で止める術はない。テレビに識者で出てくる者も、辞任の必要はないなどと言おうものなら炎上して、次のテレビ出演はないだろう。そもそも集団リンチに加わらない識者などメディアには声もかからない。
「レ・ミゼラブル」のエピソードに倣って、コソ泥には銀の食器を与えよ、反省して死にもの狂いで働くからと言っても、聞く耳を持たない。

誰もが追及しやすいケチな金額だったことが舛添のミスだった。石原元都知事のように、週3日しか都庁に出て来なくて、舛添とは比較にならないほどの公私混同の贅沢三昧をして、新銀行東京の設立に都税1400億円を突っ込んで失敗しても、民衆は全然怒らない。民衆とはそうした愚昧な連中なのだ。
『民主主義という病い』はもう脳髄に達していて、治療不可能である。
%%%%%転載終わり

香取神社創建年代(3)、6月12日茨城南部地震

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:稀勢里の七月名古屋場所での優勝を期待して地元激励会を報ずる6月12日付東京新聞スポーツ欄。恥ずかしながら私、相撲のある月はスポーツ欄を見ることが出来ないんです。稀勢里の敗戦を知るのが辛いからです。勿論TVのスポーツ報道も見ません)
P613稀勢里2


 七(な)ごやでは 郷土の自慢 稀勢ちゃんに なんとしてでも 賜杯を期待

 まだ一ヶ月も先ですが、今から稀勢里の名古屋場所優勝を念じています。
昨日朝8時直前、当地は比較的大きな地震動に見舞われました。M4.9とのことでしたが5月16日以来の地震でありました。この地震の震源は以下です:
(図1:2012年1月1日から2016年6月12日の期間の茨城県周辺の地震活動。青M>5.5,座標系の原点は2013年10月26日地震の震央を原点として等距離・等方位図法。 図内の矩形については本文参照 http://www.hinet.bosai.go.jp/ より。)
160612s


 この地震は 一ヶ月前5月16日M6.0地震および、村井俊次東大名誉教授が予言したとされる2014年9月16日M5.6地震の近傍に発生しています。フィリピン海プレートの上縁で起きている地震活動です。
 図2は図1で示した矩形領域内の地震について辺ABにそってADからの距離に対して地震の深さと地震発生時との関係をながめたものです。図2の下の時間ー距離図を見ると次の事が見て取れます:
 2014年9月16日の地震はどうやらこの領域の地震としてはなにやら物理的に内在する因がほとばしった地震であるように思えます。つまり、この地震の発生前にはおよそ600日間に渡って地震活動の静穏期であったようです。この間に、GPS地殻変動連続観測に現出するような変化が生じ、それを村井グループがキャッチしたとも思えるのです。つまり色々と批判はあるが、村井グループの観測は二年間近い間の地殻変動であれば、それが、50km以浅の深所での出来事であっても検知できる能力を有しているのかもしれません。

(図2:(上)縦軸は矩形内地震活動の深さ。横軸は辺AD韓の距離。(下)矩形内地震活動の2013年10月26日地震からの時間経過(日数)、横軸は上と同じ)
160612d-t


 この図で見る限りでは、この地震活動は非常にゆっくりと(15km/600日=0.5cm/sec)浅いほうに向かって進行しているように見えます。6月12日の地震が40kmの深所で起きていますから、このスピードを維持するならば1600日=4.4年後、つまり東京五輪の年に地表に達するという計算になります。
 以前にも同様な見積もりをしており、それは今回の見積もりの半分程度でありました。短期間での地震活動から見積もる将来の地震発生の見積もりには大きなばらつきがあるということです。しかし、用心するに越したことはありません。

+++++香取神宮創建年代推定(3)
 香取の地に新たな政治的進出の建設拠点(後の香取神社)を設営するに当たっての宗教的拠り所は「シリウス星」であったろうとの前提で、その計測基準点を八溝山に求めたのが前回記事です。しかし、前回の記事で示したように結果は余り説得力のあるものではありませんでした。

 そこで、以前は「ありえない」として否定した那須岳(標高1915m)を計測基準点として前回同様の検証を行って見ます。ありえないとした理由は鹿島神社の参道・拝殿の方位(北20度西)と香取神社のそれら(北15度西)の比較に拠っていました。つまり後者は前者と比べて、より北に寄っていたからです。しかし、鹿島神社の北20度西の方位は八溝^鹿島神社の方位である北時計回り163度(北17度西)とは3度ほどずれています。

(図3:那須岳―香取線)
那須ー香取b


 というわけで、まずは渡辺氏の香取神社の拝殿・参道方位の測定はとりあえず脇に置いて、図3二示す可能性を探ることにします。那須岳も東北の高峰に見るように周囲に宗教的雰囲気を纏っています。それが白湯(しろゆ)山信仰です。その跡を訪ねたブログ記事は少なくありません。たとえば「那須嶽信仰関係関連年表」 ( http://j55.pw/pF3p ) は信仰が八世紀始めには存在していたと書きます。
 一方学術的には 「那須岳白湯山・高湯山信仰の分布について 」(歴史地理学 46-1 (217) 15~31 2004. 1、広本祥己著http://j55.pw/gX3h )が興味深い観察を論文に書き込んでいます。この論文の4頁に「三斗小屋口の石造物に見られる白湯山信仰の分布」と題された図が載っています。茶臼山頂点から南南東に多くの石造が並んでいます。まさにシリウス方位を形成していますが、これは山体の地形によるのか(尾根伝いの登山道など)など詳細を知りたいと思っています。

 まずは図3に基づいて那須岳と香取神社の位置関係を調べます。いつもの計算ですがその結果は:
epi(lat,lon)=[37.1278111,139.956895] 那須岳
sta(lat,lon)=[35.886091 140.528723] 香取
Dlt,Azm,Bzm= 1.32 159.52 339.86 147.2 –km
となります。那須岳から見た香取神社の方角は時計回り159.5度(北20.5度西)となります。これは本ブログで作成されたシリウス方位年代表に拠れば西暦685年頃となります。 

 ここで得た方位20.5度が渡辺豊和氏が鹿島神宮拝殿・参道方位計測で得た20度とほぼ一致していることに私は注目しています。勿論上記の計算結果は香取神社の那須岳から見た方位であって本来は無関係のはずなのです。注目する理由は後述します。

 この方位がシリウス星方位カレンダとの対照から西暦685年頃と算出されました。ところで、「那須嶽信仰関係関連年表」によれば「役(えん)の行者、茶臼岳開基(「創垂可継(そうすいかけい)」)」とあります。
創垂可継について「大名 著書と文化」が
 「下野国黒羽藩主大関増業(おおぜきますなり 1782―1845)が、古記録や古老からの聞き取りをもとに、黒羽藩の歴史・諸制度・法制・農政・藩士の家譜・郷村の地誌等を編纂した叢書。撮要(要点の抄録)と付図(領内の地図)が添えられています。文化14年(1817)の自序と堀田正敦の序あり。本書のほかに「別集」も作成されましたが、文政5年(1822)に焼失しました。(http://j55.pw/2N4R )」
と書いています。
 年代の信憑性はともかく、その香取に拠点を設置した年代と那須岳に信仰拠点が設営された時期が近接しているらしいことは、二番目の仮説の信憑性に希望を持たせてくれます。
(つづく)

+++++マイナス金利と(普遍的)最低限所得保障
以下は 東京新聞記事の貼り付けです:
 口をいつも「への字」にきつく結んだ経済学者・浜短子教授が我々の疑問を明快に解き明かしてくれています。「経済学」とは「金をうごかす方策を編み出すための研究」であって、「経済学の深遠に潜む欲求の解明ではない」と、誰かが言ったそうです。しかし、5%の金持ちが世界の半分の富を占有しヘイブンに溜め込んでいては金は回らない。こういう実態を計算に取り込んだ経済成長なるものを見てみたいものです。マイナス金利の議論はいつのまにやら大手金融機関の国債見放しに至ってしまった。経済成長神話の崩壊の始まりなのでしょう。
(マイナス金利の現状)
P6120019


 次はおなじみの竹田茂夫氏のコラムです。今回の議論はわかりやすいです。「普遍的最低所得保障」とは持てる者がもっと持つためには持たざるものにある程度持たせたほうがよいとの発想です。しかし、もっと持たせる財源は持たざるものの税金です。持たざるものは自分の尻尾を食らって生きるとの構図です。

(UBIをどう見たらよいのか)
P6090001


香取神社創建年代推定(2)、山本太郎議員こそ民の代弁者

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:三日ぶりの晴れの朝。水田が朝日を反射しています。夏至が近く、ずいぶんと日の出の方向が北によってきました。)
P6100005

 
にぎやかな 小鳥のおしゃべりで 目をさます 久しぶりかな 明るい朝は

 夜明け直前、久しぶりの快晴で、小鳥たちも嬉しかったのでしょう。ウグイス、雲雀、雀、雉、鴨などの常連に加え色々な鳴き声が聞こえます。ツクバに住んでいたころ、学校の始まる前の早朝二人の子を連れて「バードウオッチング」に参加していました。リーダは農林省の研究者でしたが、その目の良さにずいぶんと驚かされました。鳴き声で、ピタリ鳥の名前を言いあてます。そしてじっとその方向を見つめて「あそこにいますね」と我々に教えてくれるのです。子供たちはしばらくしてその方向に件(くだん)の鳥を見つけるのですが、私はなかなか見つからない。
 このリーダの目の良さは信じがたいものでした。上空のはるか高所を飛行機が飛んでいたんですね。じっとながめて「全日空機ですね」と言ったのにも驚かされました。尾翼のマークまで識別していたんです。

 いつもながらの室井佑月さんの心に浸みる鋭い叫びです(日刊ゲンダイ6月9日号):
室井160610
 

 そういえば、山本太郎議員が出席したNHK政治討論会、司会者はあの島田敏男氏(通称 島田寿司男(スシオ))では無かったようです。なんせこの人物、自称ジャーナリストでありますが政府最高権力者である安倍氏との会食が頻繁であるところから、国際報道関係者連合からもつい最近「あるまじきこと」と指弾されています。

+++++香取神社創建年代推定(2)
 八溝山と香取神社を結ぶ最短線(地球一周距離4万kmに比べて100km程度は極(ごく)小さいのでほぼ直線)上に歴史遺物を探してみたのが図2のぁ銑Г任后

(図2:八溝―香取線上の神社、古墳など:ぁ〇害神社、ダ崢邑妬群  ν賀神社 藤内神社) 
八溝ー香取


 これらについて、考察します。まずは山王神社い任后H溝山からの方位、そして距離は:
sta(lat,lon)=[36.6278987 140.348773] 山王神社
Dlt,Azm,Bzm= 0.31 168.87 348.91 34.0 -km
です。この計算値を前回算出した八溝―香取神社の方位と比較します:
epi(lat,lon)=[36.9275 140.2753] 八溝山
sta(lat,lon)=[35.886091 140.528723] 香取神社
Dlt,Azm,Bzm= 1.06 a=168.84 b=348.99 d=118.0 –km
ほぼ、一致していることがわかります。しかし、これは当然ともいえます。それは上記地図で示される棒の上にあるからです。神社は森のなかの誠に小さな神社のようで、グーグル地図からは、その参道がシリウス方位であるらしいのですが境内の様子を見ることはできません。
 この神社の創建・経緯をうかがわせるような古文書でも発見されるならば、更なる議論が可能ですが、現時点では山王神社の存在を以って八溝ー香取線の構築が古代になされたとの推論の決め手にはならないようです。

次にこの線上にあると思われる赤塚古墳群イ任后水戸駅からJR常磐線で上野方向二駅目『赤塚駅』で下車して南西へ1kmに赤塚古墳群の一号基があります。遺された墳墓概観は「シリウス」方位に見えますが、確かではありません。注目すべきは、周辺の街路が「反シリウス方位」で配されていることです。これらの街路が古代の街路をそのまま踏襲して現在に至っているとすればそれはそれで興味深いことです。
 念のためにその八溝山からの方位を計算してみます:
epi(lat,lon)=[36.9275 140.2753] 八溝山
sta(lat,lon)=[36.37393 140.400306] 水戸赤塚一号墳
Dlt,Azm,Bzm= 0.56 169.69 349.77 62.6 km
  大変大きな値になってしまいました。図1で示したイ両貊蠅麓尊櫃寮崢邑妬よりも東によりすぎていました。この古墳の形状はグーグル地図で俯瞰するとシリウス方位であるように見えるのですが、どうやら、この古墳も八溝―香取線の存在を確認する決め手ではないようです。

 次は水戸の西にある有賀神社と言う古社です。この神社は八溝山―香取神社線上には無く、大きく西にずれていますから、現今の調査とは関連しません。しかし、そこに何がしか赤塚古墳と結びつける手がかりがないであろうか?と、考えこの神社を調べてみました。神社名の「賀」は須賀の「賀」または「高」の転じたものではなかろうかと思いついたからです。
 数年前、何かの用事で水戸へ出かけた際この神社に立ち寄ってみました。参道脇の「ウドン」が水戸市民に好まれているということで私もビールの肴に食してきました。美味でありました。図3に見るようにこの神社では、見事なシリウス方位の参道と拝殿です。
(図3:水戸・有賀神社の参道と拝殿)
有賀拝殿


 有賀神社の由緒は http://j55.pw/RLFe または http://www.genbu.net/data/hitati/ariga_title.htm で紹介されています。以下にその抜粋を転載します。 

%%%%%上記・HP記事の一部抜粋
此方は延喜式神名帳に記された式内小社、『常陸國那賀郡 藤内神社』の論社になります
(論者とは似たような名の神社が二つ以上あって、どれが『延喜式』に記されている神社か決定し難いものをいう:ブログ管理人注)
御祭神は経津主命と武甕槌命、配祀神として少彦名命、月読命となっています

御由緒として、創建は貞観元年(859)、中国造権尺馬命によって傷塗視されているそうです。創建当初は群西の要地藤内に鎮斎し藤内神社と尊称していたそうです。天正十八年(1590)に塚原城の兵火の類焼にかかり、翌十九年に現在地へ遷し鹿島明神と改めています。明治六年に青木神社を合祀し村社へ列格、同十年に有賀神社と社号を変更、同四十二年に末社疱瘡神社を合祀しています。

この建借馬命と言う方は、以前に紹介した水戸市飯富の大井神社の御祭神でもある方です。建借馬命が那珂国造に任じられたのは成務朝(131-190)の頃であり、水戸の愛宕山にある「愛宕山古墳」が建借馬命の墓であるとの言い伝えもあり、実際の当社の創建はその子孫の那珂国造なのでしょうかね?あるいは伝わるものよりずっと古い創建なのか?夢は膨らみますね( ´ ▽ ` )ノ

ちなみに同じ式内社『藤内神社』の論社である水戸市藤井の藤内神社も、御祭神は経津主命です。同じように社殿炎上の歴史がありますが、再建後の社号変更では『香取明神』になっています。一方の当社は経津主命と武甕槌命を祀って、社殿炎上後に『鹿島明神』となっています。この辺りは何か意味があるのか…と考えましたが、ちょっと情報が少ないヽ(´o`;それより何より参拝してその神社の空気を感じていくのが一番ですし、周囲の氏子さん達にとっては神社の存在自体が重要なのですよねヾ(@⌒ー⌒@)ノ

もう一つのHPは以下を書きます:
1.『新編常陸國誌』には、「中山信名原稿云、藤内神社、茨城郡阿佐保宇ノ麓ニアリ、今ノ谷津村ナル鹿島社ナリ、谷津ノ明神トモイフ、俗ニタチノ社トイフ、大足、牛伏、田島、黒礒、三ノ輪、谷津、三ヶ野七村ノ鎮守ナリ、コノ七村悉クアサボウ山ヲメグレル村里ナリ、阿佐保宇山
『式内社調査報告』には、
当社を式内社・藤内神社の論社として記されていないが、以下の理由により、掲載しておく。
ハ、古ク那珂郡輔時臥ノ転音ナリ」と記されており、藤内神社の論社を立野神社としている。
%%%%%一部抜粋終わり

 どうやら有賀神社は この地には無く、火災のあった天承18年(1590年)には他の場所にあったらしいこと。それが藤内神社であるとのことです(図2А法そこで、次に藤内神社を訪ねるのですが、有賀神社の「祭礼」について一言触れておきます。
 http://j55.pw/AVTk は有賀神社の祭礼についてそれが大洗磯前神社と関わりがあると書きます。その祭礼は有賀神社の磯渡御(ありがじんじゃのいそとぎょ)と呼ばれています。古くから「虫切り」で利益があると知られる有賀神社の秋の例大祭です。かつては旧暦の9月25日に行われていましたが、現在では毎年11月11日に執り行われています。有賀神社から「大鉾」を捧持した行列がお供えを持参し練り歩き、大洗磯前神社から魚類を贈答されます。神事は、出雲下りの古例により行われるもので歴史も古く、社伝によると大同2年(807)に始まったとされていますが、確認できる史料では天正2年(1547)9月25日と記されています。
 この神事の意味するところをいずれ考えてみたいと思って います。

 さて次は藤内神社(図2А砲任后http://j55.pw/kKDK は以下を書きます。
%%%%%藤内神社紹介
【御祭神】 経津主命
【御神徳】 国譲り及び東国開発で有名な神で武道の神様、商売繁盛、企業隆昌、必勝祈願、身体健全のご利益が有名である。
【御由緒】  養老5年(721)6月創立。
 当社の遥か西方にそびえる朝望山は磐筒男、磐筒女の神の御子経津主命の神山と伝う。養老五年四月十二日の暁、朝望の峰に霊光が輝き、その光が藤内郷を指して降りこのところにとどまった。人々驚き恐れ、謹んで同年6月15日社殿を竣功させ鎮斎した(祝詞)。仁和元年(885)5月22日官社に列し、延書式内小社、常陸28社の一つ。康平5年(1062)源義家征奥の途次、当社戊亥の峰に十万の勢を集め当社に武運長久を祈願し社前の藤の枝を申し受けて鞭とし勇気凄々進軍した。兵を集めたところを十万原という。大永年中(1521〜28)出火し社殿神宝焼失
%%%%%

 まずは八溝神社からの方位を算出します。
sta(lat,lon)=[36.445834 140.402321] 藤内神社
Dlt,Azm,Bzm= 0.49 168.02 348.10 54.7 -km
 それは、八溝ー香取神社間の方位168.8度と比較すると小さい値となります。八溝―鹿島線の三大古社の分布からしてこの角度差は小さくない。と私はおもっています。しかし、鹿島ー八溝線よりも100年以上も昔であればその測定精度が充分でなかった、あるいはこの神社はどういうものか数回の火災を経験している。そのたびに位置が変更されたなどの理由を想像することが出来ます。
 いずれにしても、どうやらこの藤内神社の存在も香取―八溝線の構築の強い証とはならなかったようです。
(図4:藤内神社の参道、再建された神社の拝殿、参道が「徹底して」反シリウスホウイで作られていることは興味深い)
藤内拝殿

 
 どうやら前回記事で書いた私の思惑・意気込みに反して考察結果は当初の仮説の全面否定ではないけれども、積極的な支持には達しませんでいた。こうしたことは技術屋たる私の調査ではしょっちゅうおきる事です。出発点の仮説が成立するとの確証が得られないとすれば、少しでも確度の高そうな仮説を設定しなおしてその検証作業にとりかかることとします。
(つづく)

香取神社創建年推定、消費増税延期批判論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:農家の門前で通行人を眺める猫)
P6070001

 
モフモフを させて欲しいと 熱っぽく 見つめて手招き されどシカトされる

 昨夕は、やらねばならぬことを抱えていたにもかかわらず、誘惑に負けてサッカー観戦をしてしまいました。リードされた後半、日本側のベンチを見ると負傷して出場できない香川・本田を除くと頼りになりそうなポイント・ゲッタがいません。躍動する武藤、安定した守備の内田、など才能溢れる選手が日本代表にはたくさんいると思っていたのですが、皆ケガだそうです。残念!そういえばロンドン五輪で世界を震撼させた快速・永井はどうしてるのか?

+++++香取神社創建年推定(1)
  八溝山→静神社→吉田神社→鹿島神宮と続く系列の神社群の夫々の拝殿への参道の方位は香取神社のそれと似ていることを前回書きました。それらは、本ブログが呼んで来た「シリウス方位」で、おおよそ北北西―南南東の向きです。渡辺豊和氏が、この二つの神宮の拝殿と参道比較を自著に掲載しています(図1)。

(図:1 鹿島神社と香取神社、「扶桑国王蘇我一族の真実」より
香取004


 渡辺氏は、何処へ出かけるにもコンパス(磁石方位計)と定規をかならず持参すると自らのHP(http://j55.pw/w5Wa WIKIによればこのアドレスへのリンクが出来ないとのこと。三年前にはメールで色々ご相談したのですが、そのときは体調が優れないとおっしゃっていたので案じております)で書いています。建築家(元京都造形芸術大学教授)のたしなみでもあるようです。そうした普段の心構えから上記の図は作成されたのです。図は、鹿島神宮と香取神宮の違いを見事に明るみにしています。北から反時計回り方向に鹿島神宮は20度とあり、香取神宮は15度とあります。拝殿への参道の向きが北ヨリに5度ほど小さくなっています。このことから鹿島、香取の二つの神宮の設計にあっては、その計測地点(レファレンス地点)が同一でありそれは八溝山ではなかろうかと思えます。それに基づいて早速計算をしてみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.9275 140.2753] 八溝山
sta(lat,lon)=[35.886091 140.528723] 香取神社
Dlt,Azm,Bzm= 1.06 a=168.84 b=348.99 d=118.0 -km
 左から、八溝山と香取神社の距離(ラディアン)、八溝山から見た香取神社の方位(北から時計回りに測った角度)、香取神社から八溝山を見た方位(北から時計回りに測った角度)、八溝山と香取神社の距離(km)。球形の地球上に分布する地形を平面に投影すると、地形を構成する地点間の関係は保たれません。上記の結果を例にとると、二つの地点が平面上にあればあれば b-a=180  となるはずなのです。しかし、そうはなっていません。これは八溝山と香取神宮の間の関係には地球が球であることが反映しているからです(三角形の内角の和が180度にならないため)。

 地球から見たシリウス星の天空上の位置は時間とともに変化します(それを計算したのが2012年1月15日記事です)。理由は地球の回転軸の向きが動いていること、地球の公転軌道も少しずつ時間とともにずれていることなど、天体運動と関わっています。これについては太鼓の昔から天体観測から知られています。その結果、シリウスセイの天空上の位置の遷移も観測されています。それがシリウス星位置を古代史年代決定に使える科学的根拠です。そうは言ってもこの遷移則は経験則です。例えば2011年3月11日(M9.1)の東北日本巨大地震、2004年12月24日(M9.2)のスマトラ沖巨大地震、1960年5月22日(M9.5)のチリ巨大地震などの巨大地震では地球の回転軸がずれることがわかっています。さらには縄文時代、海水量が急増し海域が大きく拡大しました。とうぜん地球上の質量分布が違ってくるため、それが地球の回転軸に影響を与えたはずです。従って、この方法も絶対とはいえませんが最近2000年間では、それほど大きな変動は無く、ほぼ定常的に遷移してきただろうと思われています。
(図2:八溝山と香取神社、“溝山、香取神宮、 鹿島神宮、~Г麓_鶺事で説明)
八溝ー香取


 以前にも書きましたが、史跡から発掘される木片などの有機物に残留する炭素同位体の残存比率、年輪間隔分布なども科学的年代決定法とされています。、窒素がニュートリノと言う宇宙線をあびて炭素放射性同位体にてんかんするわけですが、その生成同位体比率は宇宙空間、とりわけ太陽活動などの影響を受けることがあるとされ、しっかりとしたキャリブレーション(年代測定のための物差しとしての検定)が必要と認識されています。
 又材木の切り口に見られる年輪間隔分布では年代決定のためのリファレンス、そしてそのキャリブレーションのためのその地での気候変動(日射、降雨量など)を推定する作業が必要となります。更には岩石の表面の岩石成分の分析から、それが大きな岩体から切り出された時期を推定できるとの研究もあるやに聞きます。

 古代史学の鍵を握るのが『年代決定』です。しかし、そこにも色々と議論があったのです。その議論の一部を本ブログ(例えば2013年3月22日記事)で書きました。

 本ブログでは日本列島内での色々な地点間でこの「方位」を算出してきました。そこで得た方位角を大きいものから順に並べます。ところで2012年1月15日記事で書いたように1500年前の 西暦510年時のシリウス星方位をその表にはめ込みます。そうして作成されたのが表1です。
(表1:シリウス星方位と対応する西暦年。第15行が計算値で西暦510年に相当)
シリウス暦150303


 西暦253年ごろにこの配置が構築されたことになります。この年代は奈良盆地に発見された建築遺構の向きから推定された時期とほぼ同じです。が、何よりも邪馬台国にあって卑弥呼が死去した時期頃となります。生涯を日本列島古代史研究に捧げてこられた研究者にはこの推定は荒唐無稽と映り一顧だに値しない』のではなかろうかと思います。

(表2:卑弥呼時代の事件編年)
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 考古学の常識はさておくこととし、上で私が書いてきた推論には一つ問題があります。地図上で二点間の関係を求める際、一点は香取神社であるから既に定まっています。しかし、もう一点は恣意的にそれを選択できます。つまり当該論議で、何も八溝山をその相方として選択する必然性は無いのかもしれません。八溝山―鹿島神宮系列ではそうした他の選択は完璧に排除されています。四点(しかもそれは常陸の国の三大古社)が直線状に配列されることが偶然に起きる確率はきわめて小さいからです。従って、この事例では「人が計画設計した」と結論できます。

 香取神社の場合には、八溝山の北西45kmにある那須岳(標高1915m)、西南西70kmの日光男体山(標高2484m)が相方として選択される可能性は排除できません。その場合には、その高峰から俯瞰する香取の地の方位はおよそ夫々160度、140度となります。この方位角は、渡辺豊和氏の計測と整合しません。二つの神宮の設計にあっては、参道の向きについてその正確さはともかく「明確な違い」を強調しているからです。つまり香取神宮から見た方位測定基準点は鹿島神宮から見たそれよりも「より南北に近い」筈なのです。

 こうした考察からどちらも八溝山から計測・測量されたであろうと結論できます。そうであるならば、八溝―鹿島神宮系列のように、八溝―香取神宮の測線にそってシリウス信仰をおもわせる史跡があるはずです。それを次回探ってみます。

(つづく)

 前回、消費税の事を書きました。安倍氏が2014年の総選挙記事の公約を撤回して増税延期を決めたことについて、「日本の財政を”心底憂う有識者”」が批判を繰り広げています。前回書いたように消費税導入によって輸出業者は『消費税を負担しないばかりでなく、むしろ国から還付金が支給される』、軽減税率は「中間の事業体の活動の犠牲に立っている」などを単純な数式で持て説明しました。
 大手マスコミそして「日本の財政を”心底憂う有識者”」たちはこうした実態を見ずに「実施」を急げと批判しているわけです。これについて面白い記事をネットで見つけたので、その冒頭部分のみを転載しておきます。

%%%%%財務省よ、まだ無茶な「国民洗脳」を続けるつもりか! 「増税しなければ国が滅ぶ」の大ウソを暴く
乗っかる新聞も同罪
2016年06月06日(月) 高橋 洋一
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48836
新聞が増税延期に反対する情けない理由
財務省の官僚を中心とする増税派にとって、今回の消費増税の見送りは痛恨だった。その恨み節は「安倍首相が増税を明言していた。それなのに増税を見送るのは『公約違反』」という言葉で表された。
また先週2日の新聞各紙の社説を見れば、新聞社の恨みの深さもわかる。新聞は軽減税率を受けるので、消費増税は基本的に歓迎である。消費増税をしてもらわないと、軽減税率も受けられないから意味がない。だから、増税見送りを恨むのだ。
各紙の見出しを並べてみよう。
朝日「首相の会見 納得できぬ責任転嫁」
毎日「増税再延期表明 未来への責任はどこへ」
読売「消費増税延期 アベノミクスをどう補強する」
産経「消費増税の再延期 今度こそデフレ脱却を 社会保障への影響食い止めよ」
日経「参院選でアベノミクスに国民の審判を」
保守系は表現が穏やかであるが、いずれも増税見送りを評価しておらず、財政再建や社会保障のための財源はどうするのか、という批判的なトーンである。
そこまで心配するなら、新聞への軽減税率を辞退すべきだと思うが、自らの新聞だけは特別待遇というわけで、舛添氏の政治資金使用みたいに自分には甘すぎる論調である。
消費増税の最終的な根拠は、財政赤字の問題である。借金は悪いに決まっていると言えるかといえば、そうとも限らない。状況次第である。
(続きは上記アドレスで)
%%%%%

カトリ(4)、消費税(輸出戻し税、軽減税率)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:「カトリ」議論で登場する図1にみる「香取海」からはるか西の端の大きな沼地跡。向かいに見えるのが地盤の固い台地。台地上には縄文時代の住居跡、および古墳が多い)
P531流海


長年の 開墾・開拓 つみかさね 太古の沼地 今や米倉
+++++カトリ神社(4)
 雑談ですが、香取神社から連想するのは天保水滸伝です。幕末の時期、二つの任侠一家が利根川域で勢力を競ったとされます。笹川繁蔵一家と十手との二足わらじを履いていた飯岡助五郎一家です。江戸にあっては渡辺崋山を死に追いやった鳥居甲斐守耀蔵、人呼んで「妖怪(耀甲斐)」南町奉行が過酷な権力を振り回していた時代です。意外に思うのはこの妖怪奉行、なんと明治六年まで生存していたと言いますから驚きです。それはさておき、笹川一家の食客・用心棒が千葉道場の俊才平手造酒です。酒毒と労咳で死去した地がこの香取とのことです。

 日本書紀巻(二)神代紀(下)の記事からは、この香取神社の創建は七世紀末から八世紀始め頃と勝手に思い込んでいたのですが、どうもそれは誤っているようです。香取には先住の渡来族が館を構えていた、と考えるべきと思っています。その地を七世紀末から八世紀に駆けて藤原不比等の一派が武力で制圧したのだろうと今は思っています。この議論をするためには、渡辺豊和氏が示唆するように鹿島神社との深いかかわりを考慮せねばなりません。そこで、香取神社考察の前準備として、本ブログで書いてきた鹿島神宮についての記述をざっとお攫(さら)いすることにします。まずは二つの神社の位置関係です。
(図1: 鹿島神社と香取神宮、そして二つを隔てる大きな沼沢域、流海(ながれのうみ、当時は利根川ではなかった 『利根川 東遷』 による「利根水運」と銚子の興隆(上)http://j55.pw/WhBP より)の中央部を東に流れるのが後世の利根川)
利根川-1


 この二つの神社の関係考察には、それが隔てる「流海」の議論が必要となります。上の図に見るように、当時、この地域は流海(ながれのうみ)と呼称されていたと幾つかの文献が書きます。しかし、「とねがわ」は8世紀半ばにはすでに呼称として存在していました(例えば万葉集)。それが図の左(東)上方部にあります。そしてこのことも「カトリ」を語る上では欠かせないことで、いずれ明らかになります。
 さて鹿島神社調査のおさらいです。何と言っても強調せねばならないことが図2です:2010年1月1日記事、http://j55.pw/vN6y )。

(図2:八溝山(標高1022m、常陸の国最高峰)→静神社(常陸の国・二の宮)→吉田神社(常陸の国・三の宮)→鹿島神宮(常陸の国・一の宮)の直線状配列。興味深いことは夫々の神社の参道も北北西―南南東方向に作られている。何がしかの伝承を受け継いだのであろう)
大甕神社


 こうした歴史遺物の空間配置については、多くの歴史愛好家が地図上で線を引いたりしてその配列の“神秘性”のようなものを強調したがります。例えば2012年2月20日記事http://j55.pw/VTUs )で私は「週刊ポスト」誌1月27日号の巻頭グラビアを論じたことがあります。
(図3:ギザ・マチュピチュ・イースタ島の直線配列を書く週刊ポストグラビアより。世界地図帳の上で直線配列を見つけたとする)
DSC05600


 私は上のブログ記事で、地球が球である事を考慮してこの種の議論はなされるべきであると指摘しました。例えば、上記の茨城県の地図の縦軸は緯度ですが、地球が円いため北に行くほど1度の長さが短くなります。また同一緯度線上の緯線の長さが北に行くほど短くなるので、1度あたりの経度の長さも違ってきます。従って平面に投影された地図上で直線状配置に見える点列は必ずしも最短距離線上には無いのです。
 そこで、本ブログでは、上の図の四つの地点の位置(緯度、経度)を読みとり、球面三角法を用いて二地点間の距離と方向を算出します。http://j55.pw/vN6y に詳しく書いたように、八溝山から眺める3つの神社の方位は北から時計回りにはかって163.6度であり、三つの神社はその回りに僅か0.6度の範囲のずれで収まっていることが確認されます。つまり、この配置は計画的に設計されたのです。

 この方位角度には一体どのような意味があるのでしょうか?それを考える上で渡辺氏の着想、つまり「地球から見て最も明るく輝く恒星であるシリウス星の方位である」との示唆に従うことにしました。それを詳述したのが2012年1月15日記事 http://j55.pw/FM4G です。1500年前の夏至の日の深夜12時にシリウス星が天空に輝く方位と図3に示される方位が一致したのです。

 そして、古代史学で最も難問とされる「年代決定」がシリウス星方位によってなされうることをもわかってきました。そこで、これを香取神社創建年代推定に使ってみようというわけです。理由が図4に示されています。
(図4: 香取神社の参道の向きは、図2に示す常陸国の三つの神社と同じシリウス方位である)
カトリ03


 どうやら、香取神社の地の選定も、そもそもは鹿島神社系列と同じ宗教的背景(シリウス星信仰)から設計されたものと思えるからです。
(つづく)

+++++消費税とは、輸出戻し税、軽減税率還付金?
 安倍首相は、大多数国民に不評である消費増税実施を2019年まで延期することとしたので、今急いで消費税を書く理由はないのですが、自らの消費税に関するぼんやりとした認識を整理しておきます。
(I)消費税とは
 まずは私の消費税に関する理解です。これが誤っているとなると以下の議論は全て壊滅します。
実際の商取引は複雑なのでしょうが、ここではその過程を単純化して考察することにします。

 ある陶器職人Aさんのつくる陶器が小売業者を通して消費者の手元に届く過程を考えます。Aさんは家の近くの山から窯と陶器用粘土を自らの肉体労働で入手するので、そこには「商取引」は介在しません。窯焚きには周辺の薪を拾って使うのでここでも商取引は介在しません。
A さんは作った陶器の原価をA円と設定し、これを小売業者にA(1+a)円で売却します。ここでaは消費税率です。この商取引に伴って消費税が課せられるからです。
 小売業者のBさんは包装などの付加価値および自らの儲け(従業員給与を含む)としてB円を設定します。したがって消費者C(consumer)さんには 
売り上げ=(A(1+a)+B)(1+a) 円
で売却することになります。当然のことながら a=0 ならばC さんはこの陶器の入手に A+B円のみの出費ですみます。が、消費税のため 余計に a(B+A(2+a)) 円を支払わねばならないことになります。
 この場合、
小売業者Bさんの手元に残る額=(A(1+a)+B)(1+a)- a(A(1+a)+B)- A(1+a)・・・・(1)
です。ここで第一項は売り上げ、二項は税金、三項は仕入れ額となります。これを整理すると
小売業者Bさんの手元に残る額= B 円
となり、小売業者は当初目論んだ儲けB円を消費税のあるなしに関わらず得ることができます。
 陶器製造者AさんはBさんから支払われたA(1+a)円から消費税aA円を国庫に納入し、当初目論んだA円の儲けを得る。
 消費者であるCさんが負担した税金はBさん(事業者)とAさん(製造者)が夫々の分に応じて国に支払う。つまりC さんの納税をAさんとBさんは代行しているだけで、自らの取り分はしっかりと確保しています。つまり付加価値に対して税金がかからないので、結局「泣きを見るのは」消費者のみとなります。
 B(事業者)は、消費者の購買意欲を減退させないために、儲けBを縮小したり(勤労者への給与をへずる)、あるいは仕入れ価格の縮小(下請けいじめ)などを策することもあろうが、ここではそうした事は考えないことにする。(注:A さんとCさん(消費者)との間に複数の事業体が介在したとしてもそれは数式で簡単に表わせる。長たらしくなるのでここではあえて話を単純にしている)

 この生産→消費過程で国が得る税金収入は 消費者が負担するa(B+A(2+a)) 円となる。消費税制の下ではもっぱら消費者のみがこの税を負担をすることになる。

(II) 消費税制についての上記の理解に立って輸出免税、軽減税率還付について考えて見ます。
 世に「阿修羅」と呼ばれる巨大書き込み掲示板があります( http://www.asyura2.com/index.html )。この掲示板での論客のお一人「アッシラ」(HN)氏が精力的に消費税について論じています。その氏の議論を参照しながら私の考えをまとめて見ました。
(II-1)%%%%%あっしら氏の「輸出免税」(輸出売上に係わる消費税の税率は0%)議論引用
国内売上についての消費税額は、次の二つの式で計算できる。
http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/244.html

A:消費税額=売上×消費税実効税率−仕入×消費税実効税率
B:消費税額=(売上−仕入)×消費税実効税率
国内売上ではAもBも同値だからどちらの式でも同じだが、Bの算定式は、消費税が付加価値に課される税であることを明確に示す簡潔なものである。
簡潔で本質を示すBの算定式を使う前提なら、「輸出免税」で“利益”(消費税還付金)が生まれない。(消費税実効税率をマイナスにしなければならない)
輸出免税の議論では上式の変わりに次式を使うとわかりやすい:
輸出業者が支払う消費税額は
消費税額=売上×消費税実効税率‘−仕入×消費税実効税率
「輸出免税」でAの算定式が適用されることで、「売上×0%−仕入×消費税実効税率」=マイナスの値(還付)と消費税の還付が発生する。
「輸出免税」(輸出売上に係わる消費税の税率は0%)
もう一つの目的は、輸出に対して適用される「輸出免税」(輸出売上に係わる消費税の税率は0%)をもっともらしい公平で正当な制度と思わせることである。
 消費税の内実である「事業者は稼いだ付加価値について所定の税率で消費税を納付する」という説明をすると、輸出で稼いだ付加価値に消費税が課されないどころか、国内売上で稼いだ付加価値に対する消費税までが“減額”される「輸出免税」制度に対する理解を得られにくい。
(同じように事業努力しているのに、国内で稼いだ付加価値(荒利)には消費税が課され、輸出で稼いだ付加価値(荒利)には消費税が課されないという不公平がまかりとおるのかと、国内専業事業者から非難の声が上がる)
 あまり知られていないようだが、日本在住者が自動車の購入で負担したつもりになっている消費税は、自動車業界や関連業界のトータルの納付と還付の結果、1円たりとも国庫や地方自治体の金庫に入っていない。トヨタなどの自動車メーカーが受け取る還付金のほうが大きい。
 それが、「輸出免税」制度という詐欺の結果だと多くの国民が理解するようになれば、消費税制度そのものが廃止の危機に直面するだろう。
 多段階の取引過程で消費税が課され最終的には消費者が負担するものと説明することで、輸出では“外国”の消費者から消費税を徴収できないから、輸出事業者について“も”、仕入で“負担”した消費税を控除するという仕組みがもっともらしく見えるようになる。
 「輸出免税」がどのようなものか、簡単に説明する。
 「輸出免税」があると、輸出事業者は、仕入れ値と同じ価格で輸出したとしても、税制度を通じて利益を上げることができる。
 実際の数字を使って説明してみよう。
 消費税は8%(付加価値に対する実効税率は7.4%)とする。:a
 3千億円で仕入れたものをそのまま3千億円で輸出する。:A
この場合、輸出取引で利益(荒利:付加価値)はない(ゼロだ)が、消費税の還付として222億円を受け取ることになるのでそれが利益となる。: aA
 このロジックを知れば、日本経団連が「消費税の税率を引き上げろ!」と言い続けているワケがわかるだろう。(財政の健全化や社会保障制度の維持といった理由は、自分たちの利益を隠すためのダシである)
%%%%%アッシラ氏の議論参照おわり

 上の(1)式に従って金の動きを書き下すのであるが、式中に登場する消費税率については使い分けをせねばならぬ事情がありそうなので、それらを異なる記号で表すこととする。商品を売却 してのち、Aさんに代金を支払うと(税金の支払いが問われているのでその項は省かれている):

B氏の手元に残る金=(A(1+a”)+B)(1+a’) 円―A(1+a)円 ・・・・・(2)
         第一項は売り上げ、第二項が仕入れ経費となる
(2)式で a”=a’=a であるならば(通常の商取引)
         =B+ a(A(1+a)+B)
 となり、上式の第二項が納入すべき消費税となる。

 ところで、(2)式で本来はa“=a である。Bさんは商品を消費税を課さずに輸出しているので a’=0 とおくと、
B氏の手元に残る金= B 円
つまり、国庫に納めるべき消費税が手元に残っていない。しかし、消費税を納めなければ、当初目論んだB円が残る。国に対して税の免除を主張する根拠もあることになる。ところが、国はBさんにadditionalな恩恵をほどこすのである。

 (2)式でa”=a’=0と置いてみる。これが意味するところは実は「意味不明!」なのだ:
 (2)式第一項の意味は:
 BさんはA さんから製品を購入する際、それが輸出用であることを告げ、A円で仕入れた。これがa”=0 の意味である。一方(2)式第二項ではB さんは消費税込みでAさんから製品を仕入れていることになる。これが a≠0の意味である。矛盾である。 まさに「意味不明!」なのであるが、あえてその矛盾を無視すると
Bさんの手元に残る金=B-aA 円となる。

 輸出行為をすることで、Bさんの手元に残される金は当初目論んだ儲けB円には届かない。どうやらこれがアッシラ氏の主張のようである。アッシラ氏と言うよりは、これが政府の主張なのか?これが「輸出還付金」の根拠とすると、政府はその筋道を庶民に示すべきであろう。

 「意味不明!」事態の出所は『売り上げ』の内実(構成というべきか)をしめさず、「一括り」にしてしまったからである。「売り上げ金」の設定には仕入額が当然考慮されているはずなのだ。しかし、そうはしない。これは政府の「悪知恵」なのだろうか?
 アッシラ氏もこのからくりについて露(あらわ)には書かないが認識しているようで、上の議論の最後で「輸出事業者は、仕入れ値と同じ価格で輸出したとしても」と書く。これはまさにa”=a’=0であり、こうでないと還付金に化ける見かけの「負値」は生じない。

(II-2)%%%%%アッシラ氏の<軽減税率>議論紹介
http://www.asyura2.com/16/senkyo199/msg/833.html (軽減税率)
「軽減税率」制度は、「輸出戻し税」とまったく同じで、国家が、軽減税率適用品目を主として商う企業に対し、消費税を納税した企業(個人事業主)から利益(税)が移転する仕組みに他ならない。
 記事の発信元である日刊ゲンダイについて笑えるのは、「輸出戻し税」を批判していながら、新聞への軽減税率適用を問題視(批判)していないことである。
 「軽減税率制度」は軽減税率がゼロ%であれば、輸出か特定商品の売上げかという売上区分の違いだけで、輸出免税制度(「輸出戻し税」)とまったく同じ制度になる。
 適用される売上の対象が輸出なのか特定商品なのかの違いだけで、消費税を真に負担する企業から、売上にかかわる消費税を免れることで仕入にかかわる消費税を控除される企業に利益が移転することに変わりがないからである。
%%%%%アッシラ氏の議論紹介おわり

 再び(2)式にもどる。
B氏の手元に残る金=(A(1+a”)+B)(1+a’) 円―A(1+a)円 ・・・・・(2)

軽減対象物品にたいしては a”=a,で a’<a として処理される。
B氏の手元に残る金=B(1+a’)+a’(1+a)A
     =B+a’A(1+a) ・・・・・・・・・・・・・・・・・(3)
結果は極(ごく)まともで、Bさんが納入すべき税((3)式の第二項)には軽減税率が適用され、結果としてその物品については安くなる。
 しかし、ここでも一括りにされた「売り上げ」が以下の議論で悪さをする。つまり『売り上げ』金設定に仕入れ価格が考慮されているべきが、それを一括りにすることで無視してしまうからだ。
 それは(2)式で、a”=0 とするところから生ずる。その結果、
B氏の手元に残る金=B+(a’ーa)A ・・・・・(4)
 (4)式の第二項は a’<a であるので負となる。税金を払おうにも、手元にはその金が無い。それどころか、当初目論んだ儲けB円にも届かなくなる。政府が(a’ーa)A円を戻し税として還付するならば、そのやり口は輸出戻し税と同じになる。

 

カトリ(4)、STAP問題検証

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へお寄せください。きちんとお応えします)
(写真:飛ぶ姿を捉えられないだろうと諦めつつもレンズを向けたところ、見事に三羽が映っていました。頭を前方に突き出して飛んでいる姿はなにやら面白いですね。写真をクリックすると拡大できます)
P602飛かも


冷たさに 温(ぬ)くみを与える 朝の日が 草葉の露を 煌(きらめ)かせおる

 今朝は、空気がひんやりとしており、日のあたる場所が暖かいと思うほどでした。草の葉がたっぷりの露を乗せ、それが朝日にキラキラと輝いていました。

 「スシ友」なぞと揶揄されている日本の大手報道機関ジャーナリスト。昼の報道番組で私の大好きな室井佑月さんの言葉尻を一々とらえてイチャモン風コメントをする田崎司郎氏、NHK朝の政治討論番組で司会者にあるまじき偏向をあからさまにする島田敏男氏が昨日、安倍氏と京橋の高級日本料理店で会食をしたとのこと。今日の東京新聞「首相動静」欄がそれを報じています。
(写真:安倍氏、寿司トモダチと会食)
P603寿司トモ


 インタネットで「草刈正雄、ギャップ萌えで若者から注目集める “男前だけどお茶目”キャラ浸透」と題する記事を見つけました。草刈氏といえば、何と言っても「真田丸」での名演技です。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6203069 
 記事によれば、草刈氏は中学生時代には新聞配達をして家計を助けていたとのこと。現在東京新聞で連載されている林家木久扇(昔の木久蔵)も新聞配達をして家計を助けていたと書きます。
(写真:東京新聞連載「この道」4月23日付は林家木久扇の中学時代を書く)
P423木久


 私も中学時代、新聞配達で家計を助けていました。しかし、私はこのお二方と違って映画スターとして銀幕に踊り出ることはありませんでした。息子可愛い一心の母親は私をとあるハンサムスターに似てるといってましたが、後年それが身贔屓であったことを知りました。落語界の人気者になることも無く今日に至っています。
 新聞配達時の思い出といえば、犬に追いかけられた恐怖です。それを林家木久扇も上記コラムで書いています。とある購読者から販売店主に「このところ新聞が入らない」との苦情があり、店主さんは、私の跡をこっそりと追いかけたんですな。かくして「犬を怖れてその家を避けている」事がばれてしまったのです。この家は著名なマルクス主義経済学者である平野義太郎博士のお屋敷でした。犬の問題をこの学者さんに店主が話したようで、以後は犬が飛び出さなくなりました。つまらぬ昔話を思い出した次第です。

+++++カトリ神社(3)
 日本列島の古代史を語っているはずの記紀は多くの本質的な史実を隠しています。その重大な一つが東北日本にあった高い知性と技術を持った政治勢力です。この勢力は福島、新潟、富山、そして茨城県を拠点として、遠く九州にまでその影響力を広げていました。しかし、藤原不比等の『史観』はその政治勢力を完全に抹殺し無きも同然に扱ってきました。その地は「野蛮人」の跋扈する場所として「蝦夷」として記載されてきました。

 そして九州も然りです。日本書紀の記載が九州の地を語ることが余りにも多いため、藤原不比等史観はそれを無視できず相当量の分量を九州の地に割いています。しかし、それとても、壬申の乱の舞台を強引に近畿地方に持っていってしまう。万葉集で高らかに詠まれている舞台をも、香具山をはじめ全てを奈良盆地内に設定してしまったのです(私はこうした強引な史実改ざんを「箱庭」と呼んできました)。

こうした歴史改竄の締めくくりが日本書紀が神代紀(下)で書く以下の記事であったのです。
「「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 この地が現在の香取神宮あるいはその近辺であろうことは容易に想像がつきます。例えば岩波文庫「日本書紀(一)」137頁で岩波文庫版校注者は以下を書きます:
 下総国香取郡香取。今千葉県佐原市香取に香取神宮があり利根川とその沼沢を隔てて茨城県鹿島郡の鹿島神宮に相対する。両社とも大化前代の一時期における東国防衛の最先端か。香取の祭神は古語拾遺ではフツヌシ。続後紀ではイハイヌシ。経津主神を香取神社の祭神とするようになってからこの記事をそれと結びつけ通釈なども斎の大人を経津主神とするが記紀では武甕槌・経津主神を鹿島・香取の祭神だとする説明は無く、常陸風土記を見ても関係が明らかでない。両社の祭神はもともと土着の神で奈良時代になって神代の二人の武神と結びついたのだろう。

(写真: 香取神宮の由緒書
香取001

 
 この 拝殿の向きが極めて特異であることについては、既に渡辺豊和氏が自著「扶桑国王蘇我一族の真実」(新人物往来社、2004)で指摘しています。そして本ブログでもその事実を引用してその指摘が古代日本列島を特徴づける重要な史実であるとの考察を加えてきました。
 香取神宮は岩波文庫校注者の指摘にあるように鹿島神宮と関連させて議論がなされねばなりません。本ブログで羽そのことを繰り返し論じてきましたが、我が国の宗教体系と言う視点から再度見直したいと思っています。その際に参考になるのが、神社が参詣者に配布する『由緒です。

(写真:鹿島神社由緒書の裏面)
香取002

  上の栞で不思議に思うことは、「日本書紀」の記載に触れていないことです。どのような思惑があるのでしょうか?そして、この神宮は天皇との緊密な関係を強調していることです。この経緯背景の考察は何がしかのことを明るみに出すはずです。
(つづく)

+++++STAP問題を国会で検証せよ!
 本ぶろぐでも書いてきましたが、STAP問題は生命現象の未解明な部分についての重要なヒントを呈示したにとどまらなかったのです。その新発見を巡って政治が介入したことから大きな不幸とでも呼ぶべき事態が科学の世界を覆ったのです。最大の不幸は日本の財産である笹井博士を死に至らしめたことでした。そしてもう一つは政府の走狗と成り果てたNHKの策謀でSTAPがはらんでいた萌芽を乱暴に踏みにじってしまったことでした。これについて、我らの 期待の星、山本太郎氏がその回復の一歩を作り出そうとしています。
%%%%%
http://biz-journal.jp/2016/06/post_15341.html
ジャーナリズム
山本太郎議員、国会でSTAP問題再検証求め物議…「理研は小保方氏を差し出し組織守った」
文=上田眞実/ジャーナリスト

 5月10日、国会の内閣委員会で参議院議員の山本太郎氏が、今秋に新たに設置される「特定国立研究開発法人」(スーパー法人)の候補に、国立研究開発法人・理化学研究所(以下、理研)が含まれていることについて「STAP細胞論文の研究不正事件は解明されていない、まだ時期尚早だ」として候補から外すように求める動議を提出し、物議を醸した。

 5月11日に参議院本会議で可決した「特定国立研究開発法人による研究開発等の促進に関する特別措置法案」(以下、スーパー法人法案)は、10月1日に施行される予定。スーパー法人は研究機関として世界最高水準の研究成果を創出することを目的とし、優秀な人材を確保するために高額の報酬を理事長の裁量によって設定できる。理研の広報部によると、日本の研究機関は世界の研究機関よりも給与が安いことは以前から指摘されており、魅力的な待遇で優秀な人材を招聘したいという話は以前からあったという。
 逆に研究に成果が出ない場合は、所管の大臣が理事長を解任できるとしている。また、政府が特定の研究の実施を法人に要求できるようになるなど、政府が人事に直接介入することが可能になる。スーパー法人となる予定の研究機関は、理研と物質・材料研究機構、産業技術総合研究所の3機関。
 政府が研究内容を指定し、その成果が出れば高額の報酬が研究者に流れるシステムづくりが強化される制度改革に、山本氏は質疑で「STAP細胞問題、まだ検証は不十分、理研は小保方さん一人をスケープゴートに差し出して組織を守ったという印象がある」と指摘、理研がスーパー法人に格上げされるのは時期尚早だと、政府が推し進める国家的プロジェクトに噛みついた。

 山本氏はSTAP細胞論文をめぐる問題で責任を問われ、2014年12月21日付けで理研を退職した小保方氏の手記『あの日』(講談社)を読んで、検証委員会の公正さに疑いを持ったようだ。
「検証も不十分。もう一度やる必要がある」

 この問題について5月24日に参議院議員会館で行われた「生活の党と山本太郎となかまたち」の定例会見に出席した筆者は、改めて山本氏にSTAP細胞問題と理研が行った小保方氏の処遇について所感を求めた。以下が山本氏の回答。
「小保方さんは理研がスケープゴートに差し出して、これで一件落着ということで切り捨てられたんだろうと。私がそれを発言したのが、先日(5月11日)の特定国立研究開発法人の促進特措法案。3つの法人に対して、手厚くお金を出すと。そこに理研が含まれていると、あまりにもおかしいじゃないかと。こんなふうに人を切っておいて、そういう検証も不十分であると。だから、もう一度やる必要があるのではないかと。研究者として小保方さん復活はあり得るのか、という話を聞いたのですが、ちゃんとした答えは返ってこなかったという話です。

 これに対して、もう一度、検証委員会や調査委員会を立ち上げる、ということに関してどういうステップを踏めばいいのか、今の時点でアイデア、その方法を知らない状況なのです。だいたい検証委員会というのは怪しいものが多くて、たとえば東京電力のメルトダウン隠しでは、東電が第三者委員会、検証委員会を立ち上げています。この第三者検証委員会のメンバーは、自民党の小渕優子議員の(政治資金問題に関する)検証委員会のメンバーでもあります。
 検証委員会・調査委員って、世の中的にはあまり公正ではないような雰囲気を持たれると思いますが、何かの機会に私の立場で委員会で言えることがあれば、その事(STAP細胞問題の再調査)は求めていきたいとは思います。その時には、お知恵をお貸しください。細かい所のピースが、はまってないところがあるので」
科学者の身分制度

 スーパー法人法案が施行されると、政府の希望に沿って研究をする科学者は優遇される反面、そうではない科学者が冷遇されるというアンバランスな「科学者の身分制度」ができてしまう恐れがある。そして高額報酬で優秀な研究者を呼び込むために、日の当たらない分野の研究費が削られたり、早急に成果が見込めない研究を保護する理事長が解任されたりする事態になると、一体なんのための「世界最高水準」なのか。

 山本氏は10日の質疑で同法案施行に対し、「幅の広い層の厚い学問の蓄積、研究や発明につながっていくという原点を、見詰め直すべきではないでしょうか」と苦言を呈した。そして「理研は手厚いお金をもらう前にSTAP細胞問題の検証をやり直せ、話はそれからだ」と動議を提出したことにより、今秋から始まる「政府と理研の蜜月」に前もって横やりを入れたかたちだ。小保方氏の再チャレンジの可能性についても、国会議員からは初めて言及があった。
小保方氏の手記『あの日』を元に、STAP細胞問題の見直しの声は意外にも国会から火がつくのかもしれない。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)
%%%%%

「カトリ」(2)、昨今の事件概観

 一昨日は本ブログ更新日でありましたが、急いで終えねばならない事が出来(しゅったい)し休載いたしました。それにしても今日から6月。一月後には、本年の半分を終えたということになります。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:雲雀のおしゃべりの方角に上る朝日。ヨーロッパ印象派の有名画家による作品と思しき写真でありまするよ。薄い雲がかぶった朝日とその周囲の色合いをどのように絵の具で以って再現するのか?そこが腕の見せ所というわけです)
P528朝空

 
声高に ぺちゃくちゃ ぺちゃと しゃべりおる 雲雀のすがた 空に探せり

 今朝も、忙しげに雲雀がしゃべっています。ところがその姿を見つけるのは至難です(上の写真ではレンズをお喋りの方角に向けて撮ったのですが、それらしき飛影を見つけることができません)。しゃべりだけでなく、羽もせわしなくばたつかせています。そういえば、雉も声をあげる際羽を広げますな。羽を拡げることで胸郭を広げ、声量を増しているのかもしれません。

 この所、ニュースネタ 色々ありますな。消費増税を諦めると「アベノミクス」失敗と指弾される。それを避けるために「世界経済の危機」を突然叫んだのだが、他の先進国からは足元を見透かされてしまった。そこで、何と言っても驚きは、安倍氏の言です・・・・。

%%%%%ネット誌「リテラ」記事より転載
安倍首相が今度は「私はリーマンショックなんて言っていない」! ネットではとうとう「ホラッチョ」の称号が(リテラ) 2016.05.31 http://lite-ra.com/2016/05/post-2294.html  
本気でこの人、どうかしちゃったんじゃないだろうか。昨日30日に配信されたロイターの記事によると、安倍首相は同日夕方に開かれた自民党の役員会で、こんなことを言い出したらしい。
「私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」
 ……まさかの「俺、そんなこと言ってないもん!」発言。まさに、ぐうの音も出ないとはこのことだろう。予想の斜め上をゆくウソつきっぷりが壮絶すぎて、相手を絶句させてしまう、この破壊力はすごい。
 さすがにこのニュースには、ネトウヨや冷笑系の温床でもある2ちゃんねるでさえ「もういいよ安倍…」「記憶喪失かな?」「こんなアホが首相の国って…一体…」と、安倍首相に呆れるコメントが続出。ついには「ホラッチョ安倍」と呼ばれてしまうという有り様だ。
 ちなみに安倍首相は、同じロイターの報道によると「俺、言ってない」発言のあと、「中国など新興国経済をめぐるいくつかの重要な指標で、リーマンショック以来の落ち込みをみせているとの事実を説明した」と“言い訳”したのだという。いや、それも“リーマンショック前の状況に似ている”って言ってるようなものなのだが。
 だいたい、G7の席上で「リーマンショック直前の洞爺湖サミットでは危機を防ぐことができなかった。私は、その轍を踏みたくない」と言って各国首脳に資料を配ったのはこの人だし、「世界経済は分岐点にある。政策対応を誤ると、危機に陥るリスクがあるのは認識しておかなければならない」と主張したのもこの人だ。
 こうしたG7におけるもろもろの発言は、どう考えても「世界経済はリーマンショックの前と似た状況」という認識を示しているもので、これの報道を誤りだと言うなら、産経や読売新聞といった安倍応援団の国内保守メディアはもちろんのこと、世界のマスコミが“誤報”を流したことになる。そんなバカな!
 そもそも、「リーマンショック前の状況」だからという理由で与党は消費税率引き上げの延期を言い出したはずだが、当の首相が「言ってないし、認識を示してもない」と言い張るなら、一体、増税延期の根拠をどうするつもりなのだろう。
 まあ、この人が稀代の大嘘つきであることは、すでに自明の事実ではある。挙げ出すとキリがないが、たとえば、安倍首相は今年4月にも衆院TPP特別委で、「TPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから」と発言した。しかも、2012年総選挙時の「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」という自民党ポスターを突きつけている目の前で、である。
 このような言動を見るかぎり、公然とウソをつくことに慣れすぎて、「公人はウソは言ってはいけない」という正常の感覚さえ失ってしまっているのだろう。だが、国内メディアは黙らせられても、世界はどうか。こうしてG7での発言を議長国の首相が平然と否定したことが各国に伝えられたら、それでなくても呆れられているのに、ますます信用をなくし、相手にされなくなるのは必至だ。
 安倍首相はよく「国益」と口にするが、はっきり言って、その国益を損ねている最大の原因がこの人にあることは、もはや間違いないだろう。
(編集部)
%%%%%
 安倍氏が世界の経済について大いに危ぶんでいたのだとすれば、年金のGPIF( Government pension investment Fund)を運用と称して投機にまわすなどはありえないことです。実際、既に10兆とも15兆ともの我々の年金が投機損で失われたと言います。これについて小沢一郎氏が咆えています:
%%%%%小沢氏咆える!
【急所を突く】生活・小沢一郎代表「リーマン前の状況なら、何で年金の半分を株に投じて大損させたの?年金大損を参院選前に開示せよ」
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/17537 2016/05/30 健康になるためのブログ
 今日は小沢議員が吠えまくっております。
「リーマン前発言」と「年金運用株25%⇒50%に変更(2014年10月)」の整合性は取れないでしょうね(安倍総理には)。整合性を取ろうとしたら、「リーマン前の悪化している状況で年金運用を改悪・大失敗した」ということになってしまいますもんね(事実)。
%%%%%咆える小沢氏の言紹介おわり

 さて、お次の登場は甘利前経済産業省大臣、というよりは我が国の政治家の悪を糾す筈の検察特捜部です。
(写真:東京新聞6月1日付朝刊記事より)
P601甘利


 甘利氏不起訴処分については下記のブログ記事も参考になります。本ブログに転載させていただくところですが、長くなります。読まれますようお勧めいたします:
http://j55.pw/3y7N (桜井ジャーナルより)
http://j55.pw/xLr6 (郷原信郎氏 ブログ)
 これに関し、古川利明氏(元毎日新聞記者)がブログで以下を書いています:
%%%%%古川氏のブログ(6月1日付け記事の一部抜粋)
http://toshiaki.exblog.jp/ 
 産経が「政治、道義的責任は別だ」として、「あっせん利得処罰法も政治家を守るための法律となっていないか。議決権や質問権といった権限の有無が起訴の可否を分けるなら、法に不備があるとしか思えない。『あっせん』の事実なしに現金を受領していたなら、詐欺に等しい」とまで言い切っておってだな、まさにその通りだ。
%%%%%

 更には、JOCが東京五輪を買収するためにブローカに渡していた金は2億円を大幅に上回る40億円弱という巨額であったことも明るみに出ています。バドミントンの優れた選手を「賭博容疑」で放逐しておきながら、五輪では巨額の金を買収に使っていたのです。闇のフィクサは悪名高い電通であることもバレバレです。が、日本のマスコミにとってはそれを紙面、TV画面にのぼせることはタブーなのです。

%%%%%東京五輪中止」が現実味、
仏検察は裏金の総額は約37億円(プレイボーイ誌http://j55.pw/ivZG 2016年5月30日記事
「東京五輪が崖っぷちだ。」
 JOC(日本オリンピック委員会)と東京五輪招致委員会がコンサル会社に2億2千万円を支払い、五輪開催を「黒いカネ」で買った疑惑が浮上。そんな日本に国際社会の厳しい視線が注がれている。
その急先鋒がフランスの検察当局。捜査本部を設置し、「このまま東京五輪を開催させるものか!」とばかり、疑惑解明にひた走っているという。
なぜフランス検察は日本という遠い国で浮上した疑惑の解明にこだわるのか? この疑惑を最初に報じた英・ガーディアン紙の記者が言う。
「捜査の大号令をかけているのは、フランスのパトリック・カネールスポーツ大臣、ジャン=ジャック・ウルヴォアス司法大臣です。
カネール大臣はサマランチ体制下のIOC(国際オリンピック委員会)の金権体質を嫌い、欧州を挙げての五輪浄化を提唱してきた政治家。
そこに次期大統領選に色気があり、得点を稼ぎたいウルヴォアス大臣の思惑が重なり、2014年ソチ五輪のドーピング疑惑を念入りに捜査していた。
JOCの裏金問題は、そのドーピング疑惑の中心人物であるラミン・ディアク元IOC委員を捜査する中で芋づる式に浮上した。だから全容解明にも力が入るんです」
では今後、JOCに向けてどんな一手を打ってくるのか? 仏・ユマニテ紙記者が言う。
「フランス検察はJOCが支払った裏金の総額は約37億円とにらんでいます。
最初に送金された2億2千万円では、五輪開催地の決定権を持つメンバーへの付け届けには足りないとするラミン氏にJOCが追加送金した疑いがあると。それを解明するため、当初、東京五輪招致委員会の評議会議長である森喜朗元首相をスケープゴート的に召喚し、事情聴取する意欲を見せていました」
だが、竹田恆和(つねかず)JOC会長が5月16日に行なった国会答弁により、そのシナリオは大きく変わったのだという。独・シュピーゲル紙記者が話す。
「フランス検察は『契約書の開示は原則しない』という竹田会長の答弁を重視しています。これは契約書という物証が存在していることをJOC自ら認めたことを意味している。
贈収賄の立件に自信を深めたフランス検察は今後、招致委員全員を喚問して聴取、その上でJOCから裏金を受け取ったIOC関係者を訴追する動きに出るはずです」
そうなった場合、IOCの選択は以下の3案のどれかになる公算が大きい。(1)「JOC委員を全員罷免し、新執行委員会をつくるよう勧告」、(2)「IOC臨時総会を開いて東京五輪中止を決定。代替地にロンドンを推薦」、(3)「IOC浄化のため、今後の五輪開催予定を白紙化する」だ。
(取材/岸川 真)
%%%%%五輪買収記事引用終わり

 上記の腹立たしい記事に加えて、依然として止まない「枡添』騒動、安倍氏の外遊経費が40回80億円など書きたいことが山ほどあります。日本の政治家を国民は甘やかしすぎですな。必要以上に金を持たせているんです。費消せねば翌年は削減される。従って必要も無いことに金を使ってるんです。つまり単年度予算の欠陥であると同時に、実は政治家にそれほど金を持たせる必要は無いということです。政治家たるもの、そもそもは国民に奉仕したいとの自己犠牲精神に出発するのではなかったのか(怒っ!!!)。

+++++日本書紀「カトリ」記事の周辺
 前回、日本書紀巻(二)神代紀(下)が引用する『一書』に「ヤチマタ」なる場所が登場することを書きました。関東地方に住む人間、とりわけ千葉県民であれば直ちに「八街」(やちまた)を連想します。JR総武本線の八街駅は芝山から西へ10km弱のところにあります。芝山には明らかに中東からの渡来人と思わせるハニワが出土しています(2012年7月30日記事 http://j55.pw/8FLK)。
(写真:芝山古墳から出土した人物埴輪像)
5db0ff31-s


 この地名の由来についてウイキは日本書紀を全く引用せず、以下を書きます:
%%%%%ウイキ記事
 明治の初期、新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金牧・佐倉牧の開墾が進められることとなり、開墾局が開庁した(下総台地#開発参照)。明治2年5月25日(1869年7月4日)に、開墾着手の順序によって以下の地名が命名された。八街(やちまた)という地名はこれに始まる。
初富(はつとみ) 現在鎌ケ谷市の一部;二和(ふたわ)・三咲(みさき) 現在船橋市の一部
;豊四季(とよしき) 現在柏市の一部;五香(ごこう)・六実(むつみ) 現在松戸市の一部
;七栄(ななえ) 現在富里市の一部;八街(やちまた) 現在八街市;九美上(くみあげ) 現在香取市の一部;十倉(とくら) 現在富里市の一部;十余一(とよいち) 現在白井市の一部;十余二(とよふた) 現在柏市の一部;十余三(とよみ) 現在成田市、香取郡多古町の一部
%%%%%

 明治の初めにこの地一帯を開墾・開発するに当たりその順番がそのまま地名になったというのです。多分そうした作業記録が公文書として遺されているのでしょう。しかし、具体的地名を与えるには、何がしかの「言い伝え」のようなものが遺されていたに違いありません。「街」と言う字が選ばれ、それに「ちまた」と音を振ったのです。理由があった筈です。「八」番目の開墾地は「八畑」でもよいはずです。「八柱」でも良いでしょう。実際この地名は近くに存在します。

 ところで、この地一帯は下総国です。そもそもは「総国」であったのです(2015年12月2日記事、http://j55.pw/NJ7T )。その由来は邪馬台国を構成した「投馬国」です。「投」は紀元初期の住民による「数」をあらわす「音」、つまり「十」であり、「とお」です。幸いにしてその音が現在までも2000年にわたって受け継がれている表音です。
 房総半島は大隅半島と形状が似ています。九州にまで南下し、東北日本との間を行き来していた渡来民は房総半島を「そう(tho)」(トウ(tho)の転化した表音)と呼んだのです。当然それが「十」であることを知っていたはずです。このように見ると上記の名前群の多くに「十」が含まれていることがわかります。例えば「豊四季」は「十余(とよ)四」というわけです。

古くから住んでいる住民の話に耳を傾けるべきと思っています。
 ついでですので印旛についても書いておきます。ウイキは以下を書きます:
%%%%%下記ブログ記事からの転載
http://j55.pw/Ye8U 
有史以前の縄文および弥生時代における印旛沼は、現在の鹿島(茨城県)や銚子(千葉県)の方向から内陸に向かって広く開けた「古鬼怒湾(こきぬわん)」と称された内湾の中にある小さな入り江の一つであったといわれている。そして水は淡水ではなく、海水であったことは、利根川下流部の低地と台地が接する境界域の貝塚からアサリ、バカ貝、マガキ、ハマグリ、サルボウ、タマキ貝などの海産性や汽水性の貝類が数多く発掘されていることから明らかである。
 一方、ここで、現在の「印旛」と書く漢字についてであるが、この字が定着するまでには、「印波」、「印幡」、「印播」などのような当て字や、思いつき的な漢字が折々に用いられていたようである。
 そして恐らく、現在、用いられている「印旛」の漢字に最も近いと思われる「印波」という漢字が明記されたのは、和銅6年(713年)に筆録された「常陸国風土記」の中で“古き伝えに日へらく、大足日子(おおたらしひこ)の天皇、下総の国の印波(いなみ)の鳥見の丘に登りまして…”と記されているのが最古といわれている。
%%%%%

 ところで、因幡(いなば)の白兎で知られる地は現在の鳥取県、旧事本紀によれば因幡国です。漢字表記で見るならば「印」は千葉県にあり、「因は鳥取県にあります。音滋養に読めるのに、何故『読み方』(音)を変えねばならなかったのか?言い換えると何故同じような地名をこの地に持ってきたのか?そして研究者たちは何故この地を日本列島古代史に結び付けて考えることをしてこなかったのか?
 千葉県、昔の下総国は日本列島古代史の最も微妙な時代を抱え込んでいる地と思っています。「カトリ」がその中核と私は考えています。想像力豊かな学徒が出現しこの謎を解明してくれんことを期待したいと思っています。
(続く)

カトリとイセ(1)、パナマと財務省幹部、軍事研究

 水曜日、千葉に所用がありブログ更新が出来ませんでした。千葉から帰宅する際、香取神宮に立ち寄ってきました。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:香取神宮の参道途上のトイレ入り口にツバメの巣を見つけました。五羽ほどの子への給餌で親は頻繁に巣と餌場を往復しています。ヘトヘト、クタクタにならぬかと案ずると同時に、ヤッコさん、「子作りが過ぎたカナ」なぞと思ってるのかもしれません。ツバメは人を頼ってるんですね。私がカメラを構えていてもいっこうに警戒するそぶりがありません)
P525親子ツバメ


 まん丸に 口を開いて 餌をねだる 子ツバメ愛(め)でて 親はへとへと

 昨日から三重県志摩で『主要国首脳会議』が開かれています。「志摩」という地名は九州北部糸島半島西岸の志摩に由来します。北へ5kmほども行くと夕日のきれいな二見ガ浦です。既に機会あるごとに指摘してきましたが藤原不比等による日本列島正史からの九州政権痕跡の抹消の「逆」証拠です。しかし、「志摩」、「二見が浦」の存在までも消し去るわけには行かないことから、奈良に拠する藤原中臣創始の「中」政権はそれらを現在の三重県東部に移し変え、あたかもその地が列島の宗教の原点であるかのごとき筋書きをしつらえたのだと思っています。

 そのように思うと、九州人はあまりにも謙虚です。誠に歯がゆいばかりです。このことを声高に主張することをしません。壬申の乱と称される大規模な国内戦の舞台も然りです。九州人よ!真っ当な日本列島古代史の構築のため立ち上がれ!と、叫びたい気分です。

 さて、そうであるならば、この伊勢の由来は何処なのでしょうか。糸島には露(あらわ)には『伊勢』なる地名は見当たりません。日本書紀・古事記を解読する上で鍵となる漢字表記の一つが「伊」であると考えています。イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)、イザナギ(伊弉諾神伊邪那岐命)の『伊』であり、伊豆嶋の「伊」です。古代の列島で使われた言語の表音に用いられたのが「伊」なのだろうと思っています。その「意味」は奈辺にありや?それが伊勢の「伊」の謎を解くのだろうと思っています。一方「勢」(せ)の由来は九州北部を東西に走る背振山系の「背」(せ)と同じではなかろうか。あるいは「磐瀬」の「瀬」と由来を同じくするのかもしれません。

 そうしたことを考慮しつつも、『伊勢』は現在論議している「カトリ」に密接に関わっていると思っています。「伊勢」は日本書紀ではかなり頻繁に登場します。一方「楫取」は僅か一回のみの出現です。しかし、文脈からして日本列島の思想史的位置づけからはこの「楫取」こそが原点であると思っています。そこで、その「楫取」出現に登場する「伊勢」をまずは日本書紀に見ることにします。

+++++伊勢神宮と香取(カトリ=「楫取」)神宮
 カトリ(「楫取」)神宮については、日本書紀がその創建の由来を書いています:
「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」
 
 上で引用した記事は《第九段一書第二》の冒頭に置かれています。この直前つまり《第九段一書第一》(日本書紀巻(二)神代下)の末尾近くに「伊勢」が登場します。まずはそれを見ておくことにします。
%%%%%日本書紀巻(二)より
原文:
(二神が葦原中津国を征服し、天照大神の支配が始まるその経緯について書いた後に生じた出来事です。ここに居を構えて瑞穂の国を治めようと言う段です。)
已而且降之間。先駆者還白。有一神。居天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺余。当言七尋。且口・尻明耀。眠如八咫鏡而〓[赤+色]然似赤酸醤也。

文意:岩波文庫『日本書紀(一)132頁
 さて、天照大神の親族が地上に降りようとしたとき、物見の言うには「天八達之衢(雨のやちまた)と言う神が居る。鼻は長七咫背長七尺余。当言七尋。且口・尻明耀。眠如八咫鏡、というわけでまるで赤酸醤のようだ。」

原文:
即遣従神往問。時有八十万神。皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰。汝是目勝於人者。宜往問之。天鈿女乃露其胸乳。抑裳帯於臍下。而笑〓向立。是時、衢神問曰。天鈿女、汝為之何故耶。対曰。天照大神之子所幸道路。有如此居之者誰也。敢問之。衢神対曰。聞天照大神之子、今当降行。故奉迎相待。吾名是猿田彦大神。
文意:
 そこで重臣に問うも誰も応えられない。そこで、天鈿女(あめのうずめ)に「汝であれば位負けしないであろうから行って尋ねてくるように」と命ず。そこで、天鈿女は胸をあらわにし、帯をへその下にまで下ろして笑いかける。このとき件の神が問う「天鈿女よ、あんたは何でそんな格好をしているのだ?」。天鈿女は「天照大神之子がお通りになるこの場所に何故あなたは居るのか?」と問い返す。衢神(ちまたのかみ)が応える「天照大神之子がいま当地に下ってこられたと聴く。ゆえに迎えに出たのだ。わが名は猿田彦大神である。」と。

原文:
時天鈿女復問曰。汝将先我行乎。将抑我先汝行乎。対曰。吾先啓行。天鈿女復問曰。汝何処到耶。皇孫何処到耶。対曰。天神之子則当到筑紫日向高千穂〓[木+患]触之峰。吾則応到伊勢之狭長田五十鈴川上。因曰。発顕我者汝也。故汝可以送我而致之矣。天鈿女還詣報状。皇孫、於是、脱離天磐座。排分天八重雲。稜威道別道別、而天降之也。

文意:
天鈿女は復(また)問う「汝が先に行くのか?それとも我等が先か」と。猿田彦は「我が先に行く」と答える。天鈿女は復(また)問う「汝は何処に行くのか?皇孫を何処につれてゆこうとするのか?」と。「天神は筑紫日向高千穂の[木+患]触之峰(くじふるのたけ)に向かうのだろう。我は伊勢之狭長田五十鈴川上にむかう」と応える。「我が姿が見られてしまったのは汝のせいだ。従って汝は我を見送れ」と。天鈿女は還りてそのやり取りを報ずる。ここにおいて皇孫は天磐座を離れ天八重雲を掻き分けて稜威(いつ)道別から天を降りた。
%%%%%
 千葉県北部縁を西から東に流れる利根川の南側には古代日本列島に住んだ民の跡を思わせる地名が少なくありません。一つが現在考察している「香取神宮」であり、その西側一帯に広がる「アスカ」の名残をとどめる「栄」、「安食」などの地です。さらには印旛沼、我孫子、天王台などなどです。そして八街と表記する「ヤチマタ」です。この地名は上に引用した日本書紀記事を連想させます。
 しかし、ウイキはそれを全く否定します。次回、それを書きます。
(つづく)

+++++ 元外交官・孫崎氏にツイッタ
 孫崎氏が税逃れが目的かどうかは定かでないが、パナマ文書に財務省幹部の名前があると「呟いて」(ツイッタ)しています:
%%%%%
孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru 5月26日
孫崎 享さんが文鳥さん ぶんちょうさんをリツイートしました
本当か。脱税の先頭切っている人々に財務省幹部。日本は、もう、どうしようもない国になってきている。
===リツイートされた記事のタイトルは
「パナマ文書の功績 消えた年金2000億円もパナマにあるのか?財務省の官僚の名前までリストに載っていた」でその所在は下記です:
http://j55.pw/G3UH 
 さて、その記事によると組織暴力団「稲川組」やら「年金損失」のAIJ(淺川和彦)氏やらの名前が登場します。丹念に名前を追跡すると我が国の闇の一端が見えてくるという感があります。そしてなんと下記の財務省幹部七人衆の登場と言うわけです。
panamaMOF7


 安倍氏が率いる現在の日本。何があっても驚きませんが、庶民から消費税増税を、そして大企業の企業減税を主導する財務省幹部が、自らは税金逃れといわれても仕方が無いことをやっている! 呆れますな。

+++++軍事研究
 学問研究は軍事研究と馴染むのか、それとも馴染まないのか?本ブログでも何回か私の思うところを書いて来ました。物事の背後の理屈を知りたいと思って研究してきた。ところがその結果は戦争と言う殺人目的に使われてしまった。その最も端的な事例が原爆研究です。戦後、大方の研究者がこうした忸怩たる思いのなかで「大学と軍事研究』の峻別を主張したのだと思っています。
大昔、左翼学生であった私はその想いへの共感はあります。しかし、翻って思うに、現実の研究の現場にあったならば、それほど明確に軍事研究か否かの区別は誠に難しいのです。それを学術会議・会長が語っています。
軍事研究と言うと工学的研究が対象であろうと思うと「さにあらず」なのです。生命を大勝とする医学・薬学は言うまでも無く、心理学は敵対国住民の心理撹乱に、また古文書学ですら、それは暗号形成、解読に有用というわけで、およそ軍事に転用できない研究分野は無いだろうと思っています。
となると、大学研究者はその成果については結局のところ最終的に自らの研究が非軍事的であるということは確言できないのです。
P527軍事研究


 多分大方の研究者は上に書いたようなことを感じているのだろうと思っています。そうした気分を助長するのがしたの記事です。そもそも、防衛省は国の行政機関です。そこが求める研究課題を大学が拒否する論理は無いはずです。これまでの日本にあっては、戦前の悲惨な経験から私のような「軽薄な左翼」思考で、「パブロフの犬」さながらに拒否反応していれば少なくとも「自らの良心」にはそむかずに済んだのです。しかし、現時点ではそうした安直な「仕分け」は通用しません。研究者の諸氏は熟考が待たれます。
P516軍学共同
 

(続)「チバラギ地震(1)』、フランスメディアが指摘する電通問題

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:二階の窓枠にかけた鉢植えに、断りも無く 巣作り始める番の 鳩)
P522鳩


  人(ひと)様の 花鉢植えに ずかずかと 上がり来たるは 番(つがい)のピジョン

 ったく、何を考えているのやら、であります。鳩の糞はかなり強い臭いを発します。それを嫌って追い払うのですが、隙を見ては、何時の間にやら座り込んでいます。しかもであります。勝手に「彼女」を連れ込んでくるのですから怪しからぬ話です(写真で雄が雌の上にのっかて居ます)。私なんぞは純情でありますから思わず頬が赤らんでしまいました。

+++++「チバラギ」地震とフィリッピン海プレート地震(2)
 前回、2016年5月16日茨城県で震度5強を記録した地震の発生位置を議論しました。この地震はどうやらフィリッピン海プレートの関東地方へのもぐりこみに伴って発生しているらしいことを示しました。
 ところで私が長く気にしているのが「チバラギ」地震群です。この地震は地表下60km辺りに発生し、その震央は霞ヶ浦西方から千葉県市原までほぼ南北に線状配列するという「奇妙」な活動を形成しています。通常この位の深さで発生する地震は大きな災害をもたらしません。しかし、線状配列の長さが80kmにも達しています(図1参照)。これだけの長さの活動帯が地下に潜んでいるということになります。この活動帯の成因は定かでありません。が、2013年10月26日のM7.7地震後に突如この域で地震活動が活発になっていることは以前も指摘しました。
 この地震帯の成因、今後の活動を予測するためにも先日の地震とその周辺を調べてみる必要がありそうです。
(図1: 2016年5月16日M5.4地震と、その周辺および「チバラギ」地震。2012年1月17日以降、M>4.5の地震(青 M>5.5、赤 M>5.5)。 上:防災科研公表図に加筆。ほぼ一年前に周辺で起きた横ずれ地震 下 赤点線楕円領域がチバラギ地震群)
chibaragi-smap


 図1の矩形領域で発生している地震についてABの鉛直断面で眺めて見たのが図2上です。この矩形領域は、5月18日記事の図4で示した矩形領域を南西に少しずらしたものです。その結果、フィリッピン海プレート上で起きていると思われる別の地震活動をとらえることができるはずです。その領域の上縁に件(くだん)の奇妙な地震が起きています。この地震がフィリッピン海プレート上で起きているのか否か、それがまずは関心事です。

(図2:鉛直断面(上)と地震活動の時間的推移(下)。横軸は地震の辺ACからの距離(km)。)
chibaragi-ddt


 上図からは2015年5月25日の地震がフィリッピン海プレート上の地震群とは離れておきている事が見て取れます。実はこれは大変興味深いことです。同様の現象を北海道東沖でも見ることができます。そこで、これについては後日詳細な考察をします。
 図2の下に目を移すとフィリッピン海プレートにかかわりのある地震活動は浅いほうから深いほうに向かって移動しているように見えます(図のmigrationと付されて左上がりの青い点線)。これは、5月18日記事で記載したことと整合しません。それはどのように理解さるべきか?これも現時点では説明を留保しておきます。

 図2で最も注目さるべきは、「チバラギ地震群」がフィリッピン海プレート地震活動群の下で起きていることです。とすると、この二つの力学的関係が少し見えてくるのかもしれません。

 今回は、当該地域での地震活動に関する現状を整理しました。さてここから地震防災に資するような考察を少しずつ進めてゆきたいと思っています。
(つづく)
 
+++++2020年の東京五輪が、本格的に「中止」となる可能性
 「Business Journal」誌(インターネット)が表記記事を掲載しています。視聴者をひきつける催し物を招致すれば金が儲かる。だから、招致運動に「金のやり取り」は当たり前であるとの開き直った本音むき出しの議論も聞かれるようになりました。国際オリンピック委員会(IOC)でなされるのは上辺(うわべ)の議論と言うわけです。私も実態はそうなのだろうと思っています。日本に五輪を呼びこむことで大儲けを見込めるものが居るからです。その「見込み」につけ込んで暗躍するのが「ビュロ」活動を生業とする人たちです。
 日本にあって大儲けを見込んでいるのが「広告会社」である電通です。その電通について、フランスのジャーナリストが書いていますので、その記事も転載しておきます。まずは五輪関連です。
 %%%%%「東京五輪返上か!」5月18日記事転載はじめ
http://biz-journal.jp/gj/2016/05/post_422.html

『2020年の東京五輪が、本格的に「中止」となる可能性が浮上した。』

 2020年夏のオリンピックの東京への招致に関連して、日本側が国際陸上競技連盟に協賛金を振り込んだ可能性があるとフランスの検察当局が明らかにし、本格的に捜査を始めた件。仮に不正が見つかれば、開催地が「ロンドン」に変更される可能性があると、海外mailOnlineが報じた。
 東京五輪招致委員会は、シンガポールのブラック・タイディングス社に2回にわたって2億超にもなる金額を送金。受け取ったのは国際陸上競技連盟会長ラミーヌ・ディアク氏の息子、パパ・ディアク氏とのこと。JOCはこの金銭のやり取りを「コンサル料」や「成功要因分析」としているが、受け取りの張本人であるパパ・ディアク氏と現在連絡が取れず隠れているという状況を考えれば、説得力には乏しいだろう。この「裏金問題」には、五輪開催の際にそのマーケティング部分を掌握する大手広告代理店の電通が絡んでいるという情報もあるが、ペーパーカンパニーを経由して送金していたという事実からも疑いの目を向けざるを得ず、堂々とコンサル費を支払わなかった事実も説明がつかないだろう。まだ不正が確定したわけではないが、極めて厳しい状況といえる。最終的にはIOCが決定を下すので一概にはいえないが、情勢は最悪である。
 ネット掲示板や経済アプリなど、様々な媒体で様々な人が意見を出しているが、もはや東京五輪への期待や希望など皆無に等しい。「中止なら残念だが、仕方がない」「多額の税金が無駄になるけど言い訳のしようがない」「いっそここで中止にすれば余計な費用負担がなくていい」「これ以上恥をさらす前に」などなど、もはや開催に関してネガティブな回答だらけの状況。
 もともとエンブレム問題に競技場ならびに開催にかかる費用の問題などゴタゴタ続きだった東京五輪への動き。開催後の財源と終了後の施設維持や利用をどうするのかもはっきりせず「負の遺産」が残される可能性も指摘されていた。結局は中には今回の中止可能性の報道を「朗報」と捉える声すらある。2020年後のことを考えずに突っ走る「老人たちの自己満足」が寸断されたという理由からこういった声も非常に多いのだ
 象徴的なのは、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長である。森会長は16日、「NEWS23」(TBS系)に出演し、大会経費が大幅に増える問題について「最初から計画に無理があった」と発言。何を今さら、他人事かという話である。その計画をコントロールしマネジメントするのがトップの務めだろう。「無理があった」の一言ですむなら簡単なこと。結局森会長をふくめ、大会を動かすトップ層が自分本意であることをさらけ出してしまった。財源が無尽蔵にあると勘違いしているからこそできるこの発言。さすがは失言の帝王といったところか。
 もはや国民から「歓迎されない大会」に変貌しつつある東京五輪。政府や招致委員会、電通に東京都は、仮に本当に開催中止となったらどう責任を取るのか。開催しようがしまいが誰も喜べないこの状況に呆然とするばかりだ。舛添要一都知事どころではない。
(文=odakyou)
%%%%%インタネット記事紹介終わり

 上記の記事に登場する「電通」の問題をフランスのジャーナリストが指摘しています。広告代理店が何故それほど絶大な権力をマスコミ界に及ぼせるのか?誠に不思議です。TVはスポンサからの金でドラマを作り報道番組、そして娯楽番組を作ります。その際、TV担当者がスポンサ企業を訪ねて制作資金の供与を依頼するわけではありません。そうではなく「電通」に話を持ってゆくのです。『電通』は、TV局の持ち込んだ企画を査定し、それを買い取ります。その上で、この企画を適当と見繕ったスポンサに売りつけるのです。つまり、仲介者(ブローカー)です。
 ブローカであるが故にTV業界を俯瞰でき、かつスポンサーたる企業・業界の意向も熟知することとなります。その必然の成り行きとしてTV界を意のままに操作しています。最近では電通の側から企画を立案しTVに持ちかけることも少なくないと聞きます。TV側にしてみれば、それで金が入るのですから否応はありません。その一例が今般の五輪東京招致です。それが大きな金に直結するからです。そこでその企画の実現のための『暗躍』が、フランス国での調査から明るみに出てしまったのです。この介在が公になることは電通が最も嫌い、警戒してきたところです。
 昨日朝のTBS報道番組は五輪招致に関わる金のやり取りを図解していました。そこに図示されていたのは「広告代理店」とあるのみでした。「電通」の名は「しっかり」と隠されていました。

(写真:マスコミにとってタブーである電通を問題視する週刊ポスト記事)
P523週刊ポスト


 TVが国内にいっせいに普及した頃、とある評論が「一億総白痴化」なる明言を吐きました。まさに事態はその通りに進行してきたようです。TVを握ることで、世論を思う方向に動かせる。それに気づいた政府権力者が電通の役割を最重要視したのです。かくして、電通と政府は癒着とも言える関係を構築してきました。その最も醜悪な事例が電気事業連合による原発広告です。

 その一方でTV局の企画を安く買い叩き、スポンサには高く売りつけることで、巨額の金を溜め込み、タックスヘイブンに隠すというわけです。こうした醜悪を日本のマスコミが指摘できるわけは無く、なんと国外のメディアがその闇を指摘したのです。以下はフランス・メディアが指摘する問題点です。

%%%%%フランス・メデャアが指摘する電通の闇
フランスメディアが報じた「メディアを支配する電通の12の真実」
http://netgeek.biz/archives/73535 
2020年東京五輪の招致に電通が絡んでいたとあって、海外からは電通とは一体何者なのかという声が多数あがっている。そもそも海外では多数の広告代理店が均等に存在しているため、電通ほどの力を持つ広告代理店というのは想像しがたいのだ。ここでフランスのinaglobalが報じた「電通は日本のメディアを支配しているのか?」という記事を紹介したい。
日本のメディアが絶対に報じることができない不都合な真実が書かれている。
参考:Le publicitaire Dentsu tire-t-il les ficelles des medias japonais ?
1.電通は日本を牛耳る企業で、メディア関連としては世界5位に位置する巨大企業。原子力産業においては大きな利権を手に入れようとしており、反原発派の山本太郎がテレビに出ようとしたときは圧力をかけていた。
2.電通のシェアは独占状態といっても過言ではない。電通の広告シェアは50%で博報堂が20%なのでもはや独占禁止法に抵触していると捉える人もいる。ここまでシェアを握ってしまえば正しくないことが起きるに決まっている。
3.博報堂出身の本間龍氏によるベストセラー書籍「電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ」では、電通はとにかく何らかの形でメディアに食い込もうとし、原子力関連の8割の広告を支配していると書かれた。
4.原発事故が起きたとき、テレビ局は良いスポンサーである電力会社を敵に回したくないと、報道を一部自粛していた。
5.そんな日本において、堂々と政府批判をするテレビ朝日の報道ステーションは貴重で有益な存在であった。もっとも、古舘伊知郎氏は圧力に負けて辞めてしまったが…。
6.唯一スポンサー収入に依存しておらず、国民からの受信料で自由な報道ができるはずのNHKは会長が安倍政権とズブズブの関係を保っている。だから政権批判が出せず、政府発表を伝えるだけの政府広報メディアになっている。熊本で地震が起きたときも原発問題には言及しないよう命令が下った。
7.原発で何か問題が起きるとすぐに電通の社員が営業の人間経由でメディア側にやってきて報道を自粛するようにお願いしてくる。電通経由の広告で成り立っているメディア側は当然電通に逆らえない。
8.現場の記者は電通の圧力を知らず、自分が書いたスクープ記事が紙面に載らなかったり、一部表現が変わっていたりするのを不審に感じる。そもそも気づかないこともある。
9.福島原発事故が起きて以来、原子力関連の広告は減ったが、代わりに福島の農産物をPRするという美味しい仕事が電通に降ってきた。
10.電通が政府ともずぶずぶの関係にあってときに協力したりするのは、電通出身の政治家が多いから。安倍総理の奥さん安倍昭恵婦人も電通出身。
11.日本の報道の自由ランキングは発展途上国レベルまで転落している。
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※2016年は72位。

12.トヨタのアクセルペダルに不良が見つかったとき、日本のメディアは一斉に自粛し、不祥事をなかったことにしようとした。もっともトヨタの社長がアメリカ議会で非を認めて謝罪してからは隠しきれなくなって少し報道され始めた。言うまでもなくトヨタは有力な広告主なので怒らせてはいけない。
2020東京五輪の不正招致疑惑ではメディアが一斉に電通の名前を隠し、批判の声が高まってからも「D社」と表現し続けた。それにより電通とメディアの関係が不適切であるものということが確定した。
▼国会では、日本オリンピック委員会の竹田会長がコンサル会社の選定には電通からの助言があったと発言した。JOCの幹部はすでに竹田会長と矛盾する証言として「コンサル会社と陸連会長に裏の繋がりがあることを知ったうえでお金を振り込んだ」と認めている。
メディアを支配することで情報統制を行う電通はこのまま野放しにしておいてもよいのだろうか?日本は北朝鮮を笑っていられない。
ただ、これまではテレビ・ラジオ・新聞を牛耳れば容易に言論弾圧できたのに、ネットの登場で即座に真実が行き渡るようになった。
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とりわけウェブメディアとSNSの強力タッグは強い。スポンサーがつかないほど小さなメディアでも有益な記事を出せば、SNS経由ですぐに広まるからだ。無数にあるウェブメディアを全て掌握するのは不可能に近く、今後、電通が唯一頭を悩ませるところになりそうだ。
%%%%% 記事紹介おわり

小保方氏 不起訴、「かとり」問題は神道の起源

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝日を映す用水路に浮かぶ鴨。どうもこのところ写真題材は鴨に偏っています。用水路に一羽、右上方の水田に一羽。どうやら夫婦喧嘩で一羽はあてつけで用水路に飛び込んだのか?水田を低く滑空するツバメも撮りたいのですが、それは私の撮影能力を超えます)
P52用水路鴨

 
 朝の日を 赤く映した 用水路  一羽の鴨が さびしげに浮かぶ 

 
 熊本地震の背景を考えてみようとすると、茨城県南部地震が起きました。日本の宗教体系の考察を再開線とするとパナマ文書、五輪贈賄・収賄問題です。次から次と色々な事件が起きます。結果として本ブログもあちこちに話題が移り、誠に落ち着かない事態となっております。アルゼンチン・ブエノスアイレスで2020年夏のオリンピック開催地を決めるIOC国際オリンピック委員会の総会での、東京によるプレゼンテーションの一環として滝川クリステルさんが「おもてなし」の心をアピールし、IOC委員に東京招致を訴えた、との事です。「おもてなし」とは「表(おもて)無し=裏がある」との暗意であったとは、昨今ネットで囁かれている噂であります。

 色々あった中で本日書きとめて置きたいことはSTAP事件です。Business Journal誌が小保方氏の告訴を検察庁が立件しなかったことを論じています。事件の経緯を見守ってきた私には、今般の検察の「不起訴」処分はきわめて妥当と思えます。NHKと毎日新聞記者が理研の政治的思惑に便乗して殊更に大事件に仕立て上げたと思えるからです。以下にその議論を転載しておきます。

%%%%%小保方氏不起訴
http://j55.pw/NgbV 
STAP問題、小保方氏犯人説を否定する検察判断…嘘広めたNHKと告発者の責任問われる
文=大宅健一郎/ジャーナリスト

 STAP細胞をめぐる問題で、理化学研究所の研究室から何者かがES細胞を盗んだ疑いがあるとして2015年5月14日、元理研研究者である石川智久氏が刑事告発していた。しかし、1年あまりの捜査の結果、今月18日、神戸地方検察庁は「窃盗事件の発生自体が疑わしく、犯罪の嫌疑が不十分だ」として不起訴にした。

 地方検察庁が「窃盗事件の発生自体が疑わしい」という声明を出すのは異例だが、この騒動は一体なんだったのだろうか。
 告発者の石川氏は、当時メディアに対して次のように発言していた。
「私の調査から、小保方晴子氏が若山照彦教授の研究室(以下、若山研)からES細胞を盗み出したと確信した。(告発しなければ)さもないと日本の科学の信頼は地に落ちたままである」
 さらに石川氏は、独自に入手したという小保方氏の研究室(以下、小保方研)のフリーザーに残されていたサンプルボックス(細胞サンプルが入った容器)の写真をマスコミに提供し、そこにあるES細胞が動かぬ証拠だと主張していた。しかし、その後の調査によって、このサンプルボックスは若山研が理研から引っ越す際にそのまま残していった、いわゆるジャンク細胞(使い道のない細胞)であったことがわかった。
 理研では細胞などの試料を外部へ移動させる際には、MTA(試料提供契約)を必ず提出しなければならないことになっている。だが、証拠として示したサンプルボックスに関しては、若山研からMTAが出されていなかったのだ。さらに、理研に対し若山研から盗難届も出されていなかったことも判明した。
 理研関係者に取材したところ、若山研に限らず、研究室が引っ越しする際に使わない試料をそのまま置いていくことが多かったという。残されたジャンク細胞の処分問題に理研も苦慮していた。小保方研にあったサンプルボックスも、そのひとつだったのだ。
 このサンプルボックスは若山研が13年に理研から山梨大学へ引っ越す際に残したものだが、その時点ではSTAP細胞の主要な実験は終わっており、英科学誌「ネイチャー」向けの論文作成が佳境に入っている時期だった。
 石川氏の主張が正しいなら、小保方氏は実験終了後にES細胞を盗み、過去にタイムトラベルをしてES細胞を混入させたSTAP細胞を若山氏に渡したことになる。このような非現実的な主張を、当時のマスコミは裏も取らずに大々的に取り上げ、小保方氏をES細胞窃盗犯のように報道していた。
つくられた小保方氏犯人説

 さらにこの告発には伏線があった。14年7月27日に放送されたテレビ番組、『NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層』である。同番組内では、若山研にいた留学生と名乗る人物(後に、Chong Li博士と判明)が登場し、小保方氏の研究室にあったサンプルボックスについて次のように証言していた。
「びっくりしました。保存しているのは全部ES細胞ですので、なぜかSTAP細胞に関係があるところに見つかったのは本当にびっくりしましたね。(小保方氏に)それを直接私が渡したことはないです」(Li博士)
 この発言を受けて、番組では次のようなナレーションを流していた。
「なぜこのES細胞が小保方氏の研究室が使う冷凍庫から見つかったのか、私たちは小保方氏にこうした疑問に答えてほしいと考えている」
 Li博士に対しては石川氏も取材したといい、Li博士は「(若山研では、続きの実験が計画されていたので、実験を)山梨大で続けるつもりだったが、ES細胞を紛失したことで、それを断念した」と語ったと証言している(「フライデー」<講談社/15年2月6日号>より)。
 そもそもLi博士のES細胞は、STAP研究とはまったく関係のない種類のES細胞であることは、石川氏の告発状が出される時点で判明していた。それにもかかわらず、『NHKスペシャル』と同様に石川氏は、あたかもLi博士のES細胞がSTAP研究に混入されたとされるES細胞と同一であるかのような告発状を作成し、マスコミに配布していた。石川氏の告発内容がのちに虚偽であったことが判明したが、マスコミはその告発状の論旨をベースに国民をミスリードさせていった。
 また、若山研ではES細胞を紛失したため実験が続けられなくなったと報道されたにもかかわらず、若山研から理研に対し紛失届が出されていない。本当に必要なサンプルだったのならば、実験を断念せず、理研に紛失届を出すのが自然だろう。それを出さずにマスコミに「盗まれたかもしれない」とリークする目的はなんだったのだろうか。NHKや毎日新聞がそうであったように、石川氏も若山研を情報源とするものが多いが、何か理由があるのだろうか。
 同番組放送後、世間は一気に「小保方氏犯人説」に傾いていく。その影響は今なお色濃く残っている。NHKは十分な取材をしたと主張しているが、なぜMTAを確認するという基本的な裏取りをせずに、このようないい加減な放送をしたのか疑問である。
 同番組は、昨年8月からBPO(放送倫理・番組向上機構)の審理に入っている。今年4月26日、BPO臨時委員会が行われ小保方氏からヒアリングを行っている。同日出席するはずだったNHK番組関係者は、熊本地震の取材を理由に全員欠席した。
NHKスペシャル、そして石川氏による刑事告発によって、小保方氏の名誉は著しく毀損した。一人の研究者であり、ひとりの人間である小保方氏の人生を破壊しかねないこの事案に対して、今後どのような責任を取るのだろうか。そして野次馬のように小保方犯人説に便乗し、個人攻撃を徹底的に続けてきた無数の人物に問いたい。「あなたは、あなたの無神経な批判の刃の先に倒れたひとりの人間の人生を想像することができるのか」と。
(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)
%%%%%

+++++「神道」の起源
 2015年8月3日記事(http://j55.pw/E5W4 )で、私は藤原不比等が日本列島の宗教体系についての基本設計をしたのだろうと書きました。その出発点と思えるのが現在の「香取神社」であるらしい。その不比等の「構想」がどのようにこの神社にもりこまれているのだろうか?それが私の問題意識でありました。しかし、この自らの問いへの応答は、即、「神道」問題に足を突っ込無と言う無謀なる行為ではなかろうかと躊躇っています。私には過ぎた課題です。ここは、安直にこの問題をやり過ごすことにします。名瀬ならそもそもの考察は「中」一派の日本列島制覇の過程を辿ることにあるからです。

 ところで、「神道」とは、一体どういうものなのか?ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキ
 神道(しんとう)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[1]。
神道は古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[2][3]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[4]。
神道には確定した教祖、創始者がおらず[5]、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが[6]、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[7]。森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[8]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神と共にあるの意)」であるといわれる[9]。教えや内実は神社と祭りに中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる。
神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた(神仏習合)。一方で伊勢神宮のように早くから神仏分離 して神事のみを行ってきた神社もある。明治時代には天皇を中心とした国民統合をはかるため、全ての神社で神仏分離が行われた。
神道と仏教の違いについては、神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[2]。
%%%%%

 どうもウイキの記述はピンと来ないのです。ウイキ記事は
「山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神」
と、書きます。が、日本書紀はこれらの「信仰」体系を「平らげた」と露(あらわ)に書いていることを前回記事でも書きました。現実には「土産」(うぶすな)神に対しては、その支配は貫徹できなかったようで、地方ではひっそりと信仰が維持はされています。

 実際に多くの日本人が体験または見聞する「神道」はこうした緩やかなものではなく、もっとイデオロギッシュなものではないでしょうか?神道の実践の場が神社です。その神社をたばねて居るのが『神社本庁』です。これは勿論国の機関ではないけれども伊勢神宮に本拠を置き、『憲法改正運動』にも積極的に関わっています。又、今大きな問題となっている安倍首相の思想的背景もなす母胎である「日本会議」の副会長は神社本庁の総長です。と言うわけで、「神道」から多くの人が連想するのが「右翼思想」です。「左」、『右』に分類することの是非はともかく、我が国のあり方を一方の側に牽引せんとの強い意気込みを「神道」に感じます。私が強く危惧するのがその論拠を「古事記」、「日本書紀」に求めていることです。そのことを指して私は「強くイデオロギッシュ」と呼んでいます。そこでは、古事記、日本書紀を通じて列島の歴史を編纂した藤原不比等の政治的意図については全く勘案されずひたすら「万系一世」のみが一人歩きした史観に出発しています。これが、ウイキの記載にもかかわらず「神道」なるものを『狭く」してしまっているのです。

 この強いイデオロギ性の大元となっているのが日本書紀巻〔二〕の以下の記述です(何回も引用しているので現代文による文意は付しません)。
「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 「楫(かじ)取之地」からわかることは、ここが「水運」の地であったことです。不比等がこの地に込めた思想は上記の書紀の記述から想像するしかありません。そこで、まずは上記に記載された顛末にいたる経緯を簡単に振り返っておきます。

 七世紀初頭頃まで、九州、四国西半分および本州西端に覇をなしていたのがスカ・高一族と「磐」(アイヌ)の連合勢力です。スカ・高一族がシリウス星〔日本書紀はそれを「甕」(みか)星と書く〕を奉じ、五世紀頃に遠く西アジアから北方経由で東北日本に渡来します。その地にいたのが「磐」なる漢字で表記され、後に「蝦夷」と書かれる「アイヌ」族です。東北の地で、この二族は友好的な関係を築きます。その具体的痕跡が須賀川市に残されていることを書きました〔2014年8月15日記事〕。

 時は五世紀末から六世紀半ばごろ。彼らは日本列島の西南に勢力拡大を決行します〔7月29日記事中の表。それが気候変動による凶作によって誘導されたのか否かは現時点では定かでありません〔現在調査中です〕。

 七世紀の中ごろから大陸の勢力が奈良盆地に長く生息した勢力と結託して、九州の勢力に干渉を仕掛けてきます。それが磐井の乱であったろうと私は考えています。この乱をきっかけに九州の勢力と奈良盆地の勢力との間に軍事的衝突が繰りかえされました。その一つが「神仏戦争」であり、「乙巳の変」〔日本書紀によれば、西暦645年〕です。そしてこの戦いの優劣をほぼ決したのが、西暦663年の白村江の海戦とそれに引きつづく唐・新羅連合軍の九州進駐です。九州勢力による激しい抵抗が「壬申の乱」です。しかし力及ばず、彼らは東に追われます。日本列島にあってこの戦乱の主役をつとめたのが、唐・新羅進駐軍の軍事力に支援された藤原不比等の軍勢です。

 かくして、「スカ・高・磐」一派は追い詰められ、遂に現在の利根川の北に逃散したのです。
上の日本書紀の記事は不比等の側による戦勝宣言なのです。しかし、日本書紀はそれ以上を語りません。不比等の言わんとした事を香取・鹿島神社の配置から想像してみようというのが当面の目標です。 

(つづく)

茨城南部地震(5月16日夜9時半)、パナマ文書論議(ネット記事より)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:鴨というのは俳句の季語としては使いづらいのだそうです。「渡る」となれば秋、「帰る」となれば春、「居残る」となれば「???」であります。)
P5130006


 波(なみ)蹴(け)たて 番(つが)って 泳ぐ 夫婦(めおと)鴨   
 
 
 月曜日の夜9時半ごろ、突然下方から突き上げられるような震動を感じました。数秒後(いや、もっと時間が経過していたかもしれません)、大きく家が揺さぶられました。2011年3月11日後の連日の大きな一連の地震の再来かと危惧しました。なにやら物が落下する音、倒れる音がしました。幸いにして程なく揺れは収まりました。落下物も転倒物も大きな震害にはほど遠く安心しました。
 私は、かねてより「チバラギ地震〕(現ブログ管理人による造語、2014年10月13日記事参照)について危惧を感じていました。「いよいよ来たか!」、「1977年ルーマニア地震の日本版か!」などが頭を駆け巡りました。しかし、地震速報によれば、震央は「チバラギ地震〕群よりも大分西にずれていました。

 しかし、事態はそれで収まりませんでした。翌日早朝7時ごろ立て続けに二発の地震に見舞われました。いずれも最初は下方から持ち上げられるような揺れです。多分余震と思われます。地表下50km程度の深さの地震では顕著な余震を伴いません。これは異常事態襲来なのかもしれません。てなわけで、予定していた熊本地震関連の話を延期し、今般の茨城県南部地震を書きます。
(図1:東京新聞5月18日記事)
P518余震


 まずは防災科学技術研究所HP(http://www.hinet.bosai.go.jp/ )「最近の大きな地震」コーナの閲覧です。上の大きな図が最近の地震の震央分布です。その下が発震機構図で、これによるなら、今般の地震は傾斜角の浅い典型的な「逆断層型」です。その圧縮軸の方向からフィリッピンプレートの関東地方下への潜り込み運動が起こしたと考えることができます。
(図2:防災科学技術研究所HPより)
Hinet16051621


 下は、東西断面を南側から見た震源分布と、発震機構図の鉛直断面への投影です(南側から見ている)。いずれにしてもこの図を見る限りでは茨城県南部下の最も地震活動が「ゴチャゴチャ」している場所で発生していることがわかります。このあたりは、どうなっているのか?それが気象庁資料で見えてきます。

 通常、気象庁はこの程度の地震では「報道用資料」なるものをプレス関係者に配布しません。しかし、熊本地震ゆえでしょうか、それが準備され我々もネットで見ることができます: http://j55.pw/P2nn (気象庁発表文書)
 (図3:震源の位置、震央と深さ(気象庁発表資料より) http://j55.pw/P2nn )
JMA160516sd


 気象庁解説文書に付された図からわかることは昨日の地震は東京、千葉、茨城、埼玉、群馬の下に潜り込むフィリッピンプレート上で発生したことです。もう少し詳しいことが見えてこないものだろうか?因みに上の図で2014年9月16日の地震が示されています。村井俊治東大名誉教授が「予知」していたとしてマスコミで大いに評判になった地震です。
  
 ところで、私がかねてより危惧する「チバラギ」地震群と今般の地震には関わりがあるのでしょうか?それには、現ブログ管理人が作成したコンピュタプログラムを使います。地震活動が活発な地域ですから、調べる期間が長いほど特徴が隠れがちです。この地域では、既に書きましたが、2013年10月26日の日本海溝はるか東沖の地震後に地震活動が励起された気配があります。そこで、選ぶ地震はこの日以後で、且つM>4.5を満たすものに限るという制約をつけます。

(図4:茨城周辺の活動:地震活動期間2013年10月26日〜2016年5月16日、M>4.5、座標は2013年10月26日地震の震央を原点にして、東を横軸の正方向、北を縦軸の正方向にとっている。)
160516Siba1


 図中で“Saibaragu”とは、ブログ管理人の新たな造語です。左上に北西から南東に羽線状に並ぶ新たな地震群が見出されたのでそれに命名したものです。それは20kmほどの長さにわたっています。そこで、この地震系列を含む矩形領域を設け、その中での地震群の発生様式を見たものが下の図5です。
 
(図5: 図3で示された領域の地震活動についてその深さ分布,罰萋阿了間推移△鮗┐后 ↓△硫軸は図4で示した矩形領域のABに沿う距離をAから測った(km)。△僚勅瓦2013年10月26日地震発生時からの経過時間(day))
160516Siba03


図5,虜絃紊房┐靴震隶の先に線状の地震活動がみられます。この線状配列は関東地方の下に潜り込むフィリッピンプレートの形状を反映しているとか投げることが出来ます。具体的にはそのプレートの上面であろうと思われます。少なくとも地下60kmあたりまでは、関東地方を形成する陸のプレートとフィリピンプレートが相互作用(こすれあっている)していることを示しています。
 そこで、これらの地震活動の発生を時間経過に従って眺めたものが図5△任后左下の矢印に促される方向に分布する地震群が認められます。700日間で20kmほどのスピードで地震源が動いているようです。0.3mm/secときわめて低速です。プレートの傾斜角度を30度とすれば、地表までの距離は70kmと見積もることが出来ます。このスピードで震源が移動すると仮定すれば700days * 3.5 = 2450 days( = 6.7 years) 後に震源は地表に達する、つまり関東地震と言った予測もありえます。これは大変乱暴な推定です。たかが10kmほどの小さな領域での震源移動から出発しているからです。こんな推定もありえるという参考までに書きとどめました。

 最近の関東大地震は1923年9月1日、つまりおおよそ93年前に発生しています。気象庁が上記の解説文書はもう一つ図を添付しています。そこには、この近傍で、起きた顕著地震のいくつかが示されています。そのうちの一つは関東地震の8ヶ月前1月24日の地震です。、もうひとつはずによれば関東地震の発生したその日となっていますが、これは多分龍ヶ崎地震と思われます。そうとすればその発生は1921年12月8日で、およそ2年前ということになります。

 (図6:東京湾の 北茨城県界隈の顕著な地震活動)
JMA20160517-060544

 こうしてみると「サイバラグ」(埼玉茨城――群馬)地震活動線も「チバラギ〕地震群に加えて要監視であるということです。空間的に近いこの二つの地震群には関わりがあるはずですが、現時点ではそれを解明する手がかりはありません。何がしかのモデルを仮定して数値シミュレーションをするなどが必要かもしれません。

+++++パナマ文書(再)
 5月10日にインタネット上で公開された「パナマ文書」について、あの驚愕はやや収まった感があります。実際、名前だけからその内実に迫ることはジャーナリストにとってすら相当難しいようです。ここは各国政府の税担当部署に頑張ってもらわねばなりません。
 しかし、この「鎮静」は背後の闇の存在を思わせます。そんな指摘をしている記事を見つけましたので、少々長いのですが以下に添付します:
%%%%%『ビジネス知識源プレミアム』2016年5月11日号より
http://j55.pw/u7jn
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治 2016年5月12日
本稿では、バージン諸島のタックス・ヘイブンを暴く「パナマ文書」が公開された目的を推理します。南ドイツ新聞にファイルを送信した「ある人物」は、どんな目的でこの情報を公開したのか?単に正義感からというのはナイーブに過ぎるでしょう。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年5月11日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に無料のお試し購読をどうぞ。
決して正義感からではない、パナマ文書暴露「真の目的」とは
「富裕層のペーパー・カンパニー」は本題にあらず
5月10日にパナマ文書の内容が公開されて、波紋を広げています。しかし、富裕層や権力者がペーパー・カンパニーを作りそこにマネーを移動していることは、問題の本筋ではないのです。その金額は、全体から見れば小さい。
(注)ただし、中国の習近平国家主席の親族の口座の問題は、今後、体制を揺るがす問題に発展するかもしれません
大きな問題点は、世界のほとんどの大手金融機関が子会社やペーパー・カンパニーを作り、そこに資金を移動して運用していることが明らかになってきたことです。
【関連】「パナマ文書」の目的と国内マスコミが報じない国際金融の闇=吉田繁治
公開されたデータでは、バンク・オブ・アメリカ、ウェルズ・ファーゴ、JPモルガン・チェース、シティ・グループ、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスなど、ウォール街の大手銀行がほぼすべて出ています。
加えて、英国のグローバル・バンクであるHSBC、バーレイズ、ドイツ銀行、フランスのBNPパリバ、ソシエテ・ジェネラル、オランダのABNアムロ、スイスのクレディ・スイスやUBSなど、世界中の大手銀行の名前が出ているのです。大手グローバル・バンクは、子会社のプライベート・バンクも通じて、タックス・ヘイブン(租税回避地)を使う課税逃れを、顧客への金融商品にしてきたからです。
当然でしょう。『タックス・ヘイブンの闇(邦訳2012年)』を書いたニコラス・シャクソンは、「世界の銀行資産の50%は、タックス・ヘイブンにある」と書き、IMFもそれを肯定していたからです。
世界の銀行の総資産は、世界のGDP($60兆)の約2年分($120兆:1京3200兆円)くらいでしょう。その半分は、$60兆(6600兆円)です。わが国で最大の、三菱UFJフィナンシャルグループの総資産が286兆円(15年9月)ですから、その23倍です。<中略>
「パナマ文書」が暴露されるまでの経緯
経緯は、以下のように報じられています(ニューズウィーク誌)。
・2014年末に、ある人物が南ドイツ新聞の記者(バスチアン・オベルマイヤー)に暗号化されたチャットを通じ、連絡をつけてきた。
・その人物は、「犯罪を公にしたい」と言ったという。
・実際には顔を合わせず、連絡は、暗号化されたチャットのみだった。
・その理由は、「情報を暴けば命がなくなる」からだということだった。
オベルマイヤー記者は、暗号を使うチャットのチャンネルを時々変えて応対し、コミュニケーションの内容はその都度、消去している。パナマ文書のファイルは、少しずつ南ドイツ新聞に送られてきた。書類を作っていたパナマの法律事務所は、「モサク・フォンセカ」と言った。
1977年から2015年12月までの記録で、記事は1150万点に及ぶ。文書サイズも2.6テラバイトと巨大である。
2010年にウィキリークスによって暴露された米国外交文書が1.73ギガバイトでしたから、情報量はその1500倍です。
Next: 命の危険を冒して情報を公開した「ある人物」の本当の動機とは?
「ある人物」の本当の動機とは?
この文書を受け取った南ドイツ新聞は、非営利団体の「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」に連絡し、ICIJでは76か国の400人の記者が協力して解読したという。日本では、朝日新聞と共同通信が協力しています。
「ある人物」は命の危険を冒しながら、どんな目的で、この情報を公開したのか?単に正義感からというのは、ナイーブに過ぎるでしょう。
国際ジャーナリストの丸谷元人(はじめ)氏は、雑誌『VOICE』の6月号で以下のように書いています。
パナマ文書公開 真の目的
ドイツの金融専門家エリスト・ヴォリファ氏は『スプートニク』のラジオ放送において、その真の目的を明らかにしている。すなわちパナマ文書の目的とは、「ただ、米国内のタックス・ヘイブンに資金を流入させることだ」と言うのだ。
出典:雑誌『VOICE』6月号
米国のタックス・ヘイブンは「世界最高額」
米国には、デラウェア州をはじめ、ワイオミング州、ネバダ州、サウスダコダ州などにタックス・ヘイブンが存在します。タックス・ヘイブンは政府の規制を逃れた金融なので、その金額は不明です。
しかし、「米国のタックス・ヘイブンは世界最高額」とも言われてきたのです。
その機密を公開しない点では、悪名高いルクセンブルグとスイスを抑えて米国、特に「デラウェア州(人口90万人)」が1位とされます。
米国は、海外(オフショア)ではなく国内に強力なタックス・ヘイブンを持っているのです。2015年だけで、13万3297社が新規に法人登録されたという。これで、米国の公開会社のうち50%が、デラウェアで法人格を得ています。
オフショアに法人を作れば、そこであげた金融利益は、本国に持ち帰るとき(送金すれば)、その時点で、マネーの来歴が調査されて課税されます。しかし、米国内にあれば持ち帰る必要がない。
この意味で、米国企業と金融機関は、自己の内部に、タックス・ヘイブンをもつことが可能になります。デラウェア州の法人所得税は2%と言う。
Next: タックス・ヘイブンを「発明」した英国政府とペンタゴン(米国防総省)
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治
2016年5月12日
パナマ文書公開は、米国が世界に向かって仕掛けた「戦争」だ
パナマは独立国ですが、実体は、旧宗主国の米国が支配しています。このため、米国政府(ペンタゴン)にとって、パナマの民間法律事務所がもつ情報を、ハッキングという形をとりながら偽装して得ることは、簡単だったでしょう。
米国が、英国の支配下にあるタックス・ヘイブンの名簿を、ばらまいて世界に公開したことの目的が、「英国系のタックス・ヘイブンのマネーを、米国のタックス・ヘイブンに呼び込むこと」であるのは、傍証からではありますが確かなことのように思えます。
「英国系のタックス・ヘイブンは危ない。米国系は安全である」と示すためでしょう。2016年1月27日付けのブルームバーグは、「今や利に聡い富裕層はせっせと米国内に富を移動させている」とも言う。
パナマ文書を、「ある人が正義にかられ、命の危険を冒して暴露した」とは、到底思えません。本人にとっての利益がどこにあるのか、考えることができないからです。
パナマ文書は、米国が世界に向かって仕掛けた「金融情報戦争」でしょう。インターネット時代には、「兵器」も情報化しているのです。
オフショアからの日本株の売買と所有
日本の株の取引総額は、2016年は、1日2.5兆円くらいです。この売買のうち70%(1.75兆円/日)は、海外からの売買と集計されています。
海外から日本株を売買するのは、そのほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンからです。海外投資家の日本株の保有シェアは、日本人個人より大きくなっていて、30%です。
東証の時価総額は一部(508.0兆円)、二部(5.8兆円)、ジャスダック(7.8兆円)です。合計は521.6兆円です(16年5月10日:日経平均1万6576円)。一部(1956社)の全銘柄の予想PERは15.88倍です。予想PERが15.88倍ということは、一部の1956社の合計での、次期の税引き後純利益が「時価総額508兆円÷15.88倍=32兆円」と予想されていることを示します。
この日本の上場株のうち、30%(156兆円)のほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンにあることになります。当然この株投資の利益に対する課税はないのです。
本国に持ち帰ると、マネーの来歴の調査があった場合、利益分に課税されます。そのため、タックス・ヘイブンに置いたままにしている人が多い。このためもあって、タックス・ヘイブンのマネーが膨らみ続けているのです。
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治
2016年5月12日
最初にタックス・ヘイブンを「発明」した英国政府の狙い
マネーの運用で得た所得への課税を回避するタックス・ヘイブンの仕組みは、第一次世界大戦の後、英国政府が植民地に作ったものが最初です。戦争で産業が破壊され、空洞化した英国は、NYのウォール街のように、「世界からマネーが集まる金融システム」を作ろうとしたのです。
そのための仕組みが、タックスシェルター(租税の回避)になるタックス・ヘイブンでした。英国政府は、本国の課税が及ばない地域を作ったのです。
このため、タックス・ヘイブンのほとんどは、今も英国の旧植民地です。アジアでは、香港、シンガポール、インド(ムンバイ)などです。
今回、パナマ文書で明らかにされたのは、タックス・ヘイブンの中でも大きな、英領バージン諸島の名簿と取引内容です。
(注)当然のこととして、米国のタックス・ヘイブンの名簿は載っていません
「マネーがマネーを作る」仕組みを謳歌していた英国
タックス・ヘイブンのおかげで、英国の金融機関は、世界のマネーを集めています。集まったマネーは、金融商品(世界の株、国債を含む債券、デリバティブ)に投資し、マネーがマネーを増やす仕組みを作っていく。
「マネーがマネーを作る」ということが分かりにくいかもしれません。実例を言います。例えば株に1兆円の投資をします。これは1兆円の株を買うことです。株価は、売りより買いが多ければ、上がります。
株価が30%上がれば、投資した1兆円は、1兆3000億円に増えます。これが「マネーがマネーを作る」ことです。金融のキャピタルゲインは、買うお金を増やすことで「作ること」ができるのです。
(注)安倍政権も、GPIFの資金で、株価を上げ「マネーがマネーを作る」ことを行っていますが、2016年にはそれが剥がれています
「金融面での国防」をも担うペンタゴン(米国防総省)
ペンタゴン(米国防総省)は、物理的な国防と同時に、金融面での国防も担っています。私がこれを知ったのは、ジェームス・リカーズの『通貨戦争』によってでした(邦訳2012年:朝日新聞出版)。
リカーズは、ペンタゴン所属の、戦争の分析を行う「APL(応用物理研究所)」に招かれ、ヘッジ・ファンドや投資銀行を使った通貨戦争のシミュレーションに加わっています。その内容を書いたのが『通貨戦争』です。
Next: パナマ文書公開は、米国が世界に向かって仕掛けた「戦争」だ
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治
2016年5月12日
パナマ文書公開は、米国が世界に向かって仕掛けた「戦争」だ
パナマは独立国ですが、実体は、旧宗主国の米国が支配しています。このため、米国政府(ペンタゴン)にとって、パナマの民間法律事務所がもつ情報を、ハッキングという形をとりながら偽装して得ることは、簡単だったでしょう。
米国が、英国の支配下にあるタックス・ヘイブンの名簿を、ばらまいて世界に公開したことの目的が、「英国系のタックス・ヘイブンのマネーを、米国のタックス・ヘイブンに呼び込むこと」であるのは、傍証からではありますが確かなことのように思えます。
「英国系のタックス・ヘイブンは危ない。米国系は安全である」と示すためでしょう。2016年1月27日付けのブルームバーグは、「今や利に聡い富裕層はせっせと米国内に富を移動させている」とも言う。
パナマ文書を、「ある人が正義にかられ、命の危険を冒して暴露した」とは、到底思えません。本人にとっての利益がどこにあるのか、考えることができないからです。
パナマ文書は、米国が世界に向かって仕掛けた「金融情報戦争」でしょう。インターネット時代には、「兵器」も情報化しているのです。
オフショアからの日本株の売買と所有
日本の株の取引総額は、2016年は、1日2.5兆円くらいです。この売買のうち70%(1.75兆円/日)は、海外からの売買と集計されています。
海外から日本株を売買するのは、そのほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンからです。海外投資家の日本株の保有シェアは、日本人個人より大きくなっていて、30%です。
東証の時価総額は一部(508.0兆円)、二部(5.8兆円)、ジャスダック(7.8兆円)です。合計は521.6兆円です(16年5月10日:日経平均1万6576円)。一部(1956社)の全銘柄の予想PERは15.88倍です。予想PERが15.88倍ということは、一部の1956社の合計での、次期の税引き後純利益が「時価総額508兆円÷15.88倍=32兆円」と予想されていることを示します。
この日本の上場株のうち、30%(156兆円)のほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンにあることになります。当然この株投資の利益に対する課税はないのです。
本国に持ち帰ると、マネーの来歴の調査があった場合、利益分に課税されます。そのため、タックス・ヘイブンに置いたままにしている人が多い。このためもあって、タックス・ヘイブンのマネーが膨らみ続けているのです。
%%%%%ネット記事転載終わり

熊本地震一ヶ月

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:この時期は見かける鳥も種類が多くなりました。鴨、ツバメ、雉、背黒セキレイ、などなど。常連は鳩、カラス、雀。畦道を餌となるであろうカタツムリ、毛虫、ミミズなどが這いずっています、クリックすると拡大できます)
P516白鷺0


水面に 映る自分の 美しさ 思わず見ほれる 白鷺一羽

 
+++++熊本地震 一ヵ月
 安倍首相の支持率が上がったそうです。一昨年の広島地すべり大災害時にはゴルフにかまけていたことが明るみに出ました。それに懲りたのでしょう。「有能」なお側付き官僚の指示で今般の熊本地震では発災後数日で被災地を訪ね、被災者救援のための指示をする様子がTVの「絵」になっていました。それが支持率のアップに繋がったとの事です。
 内閣総理大臣への支持は国政全般および外交政策など広い視野からevaluate(横文字を使ったのは「評価」と言う日本語に曖昧さが漂うためです)されるべきです。目先の一々に「支持率」を問う現今のマスコミ報道のあり方には強い疑問があります。TVでの絵、それは『電通』の指図なのでしょう。その電通の醜悪な実像が、思いがけないところから見えてきました。国際五輪委員会へのワイロ疑惑の黒幕であったらしい事、そしてパナマ文書に見られる納税逃れ疑惑です。我が国の報道を縛り付けていると噂の高い電通についてはいずれ本ブログでも書かねばなりません。

 それはさておき、朝日新聞ネット記事で下記を見つけました:
%%%%%「熊本地震の地滑りで別荘が65メートル移動 中の夫婦は朝まで気づかず」
http://www.asahi.com/articles/ASJ5D2VPQJ5DPLBJ001.html
4月16日未明に起きた熊本地震の「本震」で、居住者ごと60メートル以上地滑りで動いた建物があった。 中にいた夫妻は激しい揺れに襲われたが、けがはなく、朝になってから事態に気づいたという。
斜面で地滑りが頻発した熊本県南阿蘇村河陽。16日未明、池田道也さん(62)と妻の祐代(ますよ)さん(61)は別荘で就寝中だった。
二人は熊本市のマンション住まいだが、14日夜の「前震」後、被害がなかった別荘に避難していた。
「バリバリ」「ガンガン」。爆発するような音を聞いた。建物ごと跳ね上がり、30秒ほど激しく揺れて照明が落ちた。体は起こせなかったという。 揺れが収まり、祐代さんがベッドから降りると床が傾いていた。 「すべり台にいる感じ」。それでも、「地滑りだとはまったく思わなかった」と道也さん。
玄関ドアを開けると先に続く階段がない。
ただ、別荘自体は窓ガラスも割れず、別荘前の道路は残り、車も無事だった。繰り返す余震が怖く、二人で道路に座って夜明けを待った。
午前8時すぎ、高台に避難しようと歩き始めた。
振り返ると、自分たちの別荘を含む付近の5棟すべてが流されている。地滑りにあったと気付いたのは、この時だった。
現地調査した防災科学技術研究所の井口(いのくち)隆研究参事は、
長さ約100メートル、幅約90メートル、深さ3〜10メートルほどの大きな塊のまま斜面が約65メートル滑り落ちたと推計する。 これほど広い範囲が形を保ったまま高速で滑るのは珍しいという。
(写真:住宅移動前と後)
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%%%%%記事紹介おわり

 この記事から直ちに連想するのが本ブログ4月18日の記事です。1300年余もの大昔、ほぼ同じ地で同様の事件が起きていたのです。日本書紀がまさにこの事件を書き留めています。
%%%%%4月18日記事再掲
http://j55.pw/HDuP 
%%%%%日本書紀・巻二十九より
 原文:
天武天皇七年(六七八)十二月、是月筑紫国大地動之。地裂広二丈。長三千余丈。百姓舍屋。毎村多仆壌。是時百姓一家有岡上。当于地動夕。以岡崩処遷。然家既全、而無破壊。家人不知岡崩家避。但会明後。知以大驚焉。

文意:岩波文庫『日本書紀』(五) 146頁より
 是の月、筑紫国地が大きに地動る(なう、地震のこと)。地は裂け、その幅は広さ二丈、長さは三千余丈に達する。百姓の舍屋は村々で多く仆(たお)れ、壊れる。是時、ある百姓一家が岡の上にいた。地震の起きた夕方、岡が崩れだしたので、避難した。もどってみると家は既に無かった。ところがその家は違う場所で全く壊れずに移動していた。岡が崩れたが家は無事であったことを家人は知らなかった。但し翌日朝にこれを知り大いに驚いた。
%%%%%過去記事再掲終わり
 
 西暦678年と言うと、奈良盆地に拠点を置く「中」一派による九州征討の軍事行動が始まって間もない時期です。日本書紀の編年に従うなら「壬申の乱」発生の六年後です。正統歴史学者は「壬申の乱」は琵琶湖・奈良・美濃周辺を舞台とした内戦であったと決め付けます。が、私はこの乱は現在の熊本を主要戦場として九州北半分が舞台であったと考えています(念のため書き添えて起きます)。

 九州・熊本を拠点とする「倭軍」の首領である「大海人」(おおあま、あえて天武とは書きません)率いる倭国軍は耶麻国(八女=かっての邪馬台国)連邦の末裔およびアイヌ人などとの緊密な連携を基に、大いに奈良からの侵略に抵抗していた時期ではなかろうかと考えています。
 日本書紀・天武紀の最大の特徴は40名をこえる「死者数」の記載です。それを見ると678年、679年の両年に、ともに6名を勘定します(日本書紀巻二十九)。ここで記載されている死者はいわば幹部のみです。従ってもっと多くの兵卒が戦死していたのだろうと想像しています。そうした厳しい時期に、上で書いた『大地震』です。 大海人陣営には誠に辛い打撃であった。もしかしてこれが「敗戦」への大きな転機となったのではなかろうか?と思っています。勿論藤原不比等が編纂する日本書紀はそうしたことは書きません。

 因みに今般の地震は熊本の中央部「益城町」に始まりました。この地名は大海人軍勢の幹部の一人であった「真敷」(ましき)に由来すると以前書きました。この方は「土師連」(はじのむらじ)に任ぜられていたと書紀は書きますが、無くなったのは西暦681年とありますから、戦乱の中盤から末期と言うことになります。

 この厳しい戦いを叙事する役割を担ったのが柿本人麻呂等です。この二重の苦難つまり侵略軍への抵抗と大地震をしかっりと書き留めていたのではなかろうか。しかし、万葉集にはそれらしき歌は見当たりません。藤原不比等は歴史の真実を隠すためにその記述を闇に葬ったのかな、と想像しています。今般の地震で益城町同様多大な震災を蒙った御船町を人麻呂がその叙事歌の中で詠っています(万葉集巻三・244歌)。
番号 03/0244
題詞 (弓削皇子遊吉野時御歌一首)或本歌一首
原文 三吉野之 御船乃山尓 立雲之 常将在跡 我思莫苦二
訓読 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思はなくに
仮名 みよしのの みふねのやまに たつくもの つねにあらむと わがおもはなくに
左注 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出

(図1:東京新聞5月14日付記事より、クリックすると図を拡大できます)
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 拡大する断層が何故、その拡大をやめるのかを前回考えました。断層拡大方向に固い障害物が存在すれば、破壊はそれ以上進行できません。そうした障害が無くとも、断層が曲がっていたり、あるいは繋がっておらず食い違っている場合も断層が拡大を止める因になりえます。そうではなく、折れ曲がりや、不連続が、破壊を促進するような応力環境を生成する場合もあると前回書きました。
 図1を見ると、布田川断層とその北東延長方向にある別府万年山断層帯には明瞭な不連続が認められます。この不連続が、熊本で始まった地震活動が四国に伸びる中央構造線にまで一気に拡大しなかった因となったのか?定かではありません。数学モデルでこの過程をシミュレーションすることは可能であるし有益と思います。

 熊本地震発生の4月14日から早一月余が経ってしまいました。余震の回数は、他のこれまでの顕著自身と比べると、その減り方が大変小さいという特徴を持っています(図1の左)。それに加え、4月16日早朝の地震は、長周期成分の大きい地震波を放出しています。この二つは内陸の顕著地震には珍しい現象として研究者たちが注目しています。このことを少し考えてみたいと思います。尚政府地震調査委員会が5月13日に開催した委員会で関連機関から提出された資料を公開しています:http://j55.pw/p2TL 
 この資料は4月1日の三重県南東沖の地震についての「まとめ」も含みます。まことに興味深いので、後日検討することにします。

 九州は地学的には南北に引っ張られているという力学環境にあります。その環境が熊本・八代から北東に向かって大分に達する地溝帯を形成したと研究者は語ります。上に書いた今般の地震の特徴は、「地溝帯」、「南北の引っ張り」に起因するのでは考えています。

 本題に移る前に「地溝帯」について少し考えて見ます。前回能登半島の「雨の宮古墳群」について書きました。この古墳は能登半島中央部を南西から北東に走る邑知(おうち)地溝帯の北側縁に造成されています。この地溝帯は幅5km長さ27kmの規模を持ちます。地質断層、つまり地震を起こしても不思議は無い断層であるとも考えられています。そうであるとするなら、現在考察している九州の八代―大分に通ずる地溝帯と共通しますが詳細は未解明のようです。

 地溝帯として世界に知られるのはアフリカ大陸東部を南北に走る東アフリカ大地溝帯です。この地溝帯に発生する地震の発震機構解は東西方向の引っ張り力です。まさにアフリカ大陸東部が東西に引っ張られていることを地震現象が示している場所です。この力の源泉(driving forceと言う)は、地球を覆う幾つかのプレート間のせめぎあいの結果として生じたと思われます。つまりアフリカ・プレートとアラビア半島を載せているアラビア・プレートがせめぎあいの結果として双方が互いに遠ざかる運動を余儀なくされた、と解釈されています。

 ここで翻ってわが九州に話を戻します。八代―大分を境にして何が九州を引張ってる力なのか?ここがプレートの境界で、九州の北と南は別のプレートに属するのか?そうした話は聞こえてきません。となると、何故九州は南北に分断させられようとしているのか?色々本やらインターネットやらを括ってみても説明は見つけられません。タダタダ、分断の観測事実のみが書かれているのみです。そこで、それを「講釈師、見てきたような・・・を言い」の類で考察してみようと思います。
(つづく)

古代信仰(かとり)、パナマ文書と東電事故サイトの医療活動

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(写真:田植えを終えた田に青空と雲が映っています。その映像を鴨が蹴飛ばしています)
P513鴨と空

 
青空に 浮かぶ白雲 映しこむ 田の水 蹴立て 泳ぐ鴨かな

 鴨のしぐさは見ていて飽きないですね。先日、飛び立った鴨、強風に煽られ狼狽(うろた)え失速しあわや墜落と言うところ羽を必死にばたつかせて機体ならぬ鴨体を立て直しました。今朝は水量(かさ)の少ない水田を泳がずに歩いていたんですね。突然、片足を深みに突っ込んでしまったんです。ずっこけて上半身が水に浸かってしまいました。ちらっと私のほうをバツ悪げに見て飛び立ちました(上の写真の鴨ではありません)。


+++++「カトリ〕と新宗教構築
 七世紀の日本列島は戦乱に明け暮れたと思っています。日本書紀が書く、宗教戦争、乙巳の変、そして壬申の乱がそうです。八世紀以後はその戦乱の場は「東に跋扈する野蛮人(夷)を平伏する」とのスローガンを掲げての「東夷」でした。
 その痕跡を石川、富山の両県を含む北陸から東日本のあちこちに見ることができます。藤原不比等はこの戦乱を意図的に「小さな」事件としてしか書きません。列島にしか生きる場のない民には誠に辛い時期であったと思っています。

 民が自らの苦しみを和らげる手立てが日本書紀巻二に記載されています:
%%%%%日本書紀巻(二)抜粋
(1) 原文:神代下
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以為葦原中国之主。然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神。復有草木咸能言語。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」110頁
 遂に皇孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立て、葦原中国之主(葦原中津国のぬし)とせんと欲する。然うして彼地には多くの蛍火の光る神や、蠅のようにブンブンとうるさく騒ぎ立てる邪(よこしまな)神が多く居た。さらには、草木までもが咸(よく)言語を話すことができた。

(2)原文:神代下
於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」120頁
 ここにおいて、二神(武甕槌神、経津主)は諸々の不順(まつろわぬ)鬼神等を誅(せいばつ)することとした。〈或る伝承は以下のように書く:二神は遂に邪神を征伐したさらには草・木・石に宿る神をも屈服させた。かくして皆これに平服した。しかし、其所そこ〉に不服者(従わない)者たちがいた。それは星神(ほしのかみ)である香香背男(かがせお=こうしょう=こしおう)であった。そこで倭文神(わぶみ)を派遣した。さらには建葉槌命(たけはつち)を派遣したところ平伏した。こうして二神は天にもどった。〉倭文神を斯図梨俄未(しとりがみ)と言う。〉こうして命を果たして復した。

(3)原文:神代下
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」136頁
 一書は書く。天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国を平定させた。その時この二神が言うには、「天には悪神がいる。その名を天津甕星、亦の名を天香香背男と言う。先ずは此神を征伐して然る後に葦原中国に進軍すべき。是時、斎主(いわいぬし)神を斎之大人と呼ぶ。此神は今は東国の楫取之地在乎東国楫(かとり)に在る。
%%%%%日本書紀記事抜粋終わり

 為政者を牽引した藤原不比等は当然の事ながら民が苦しみから逃れるための思考法を知っていた。それが、上記の日本書紀に記載されている神々です。草、木、石に宿る霊神です。それに加えて星の神です。
 既に書いたように日本書紀の初期の構成では、神代紀(下)は、現代史であったのです。つまり七世紀半ばから八世紀初頭までの列島の政治史、思想史です。しかし、藤原不比等が構築した日本列島の新たな信仰体系の正当性を主張するという政治的思惑からその順序を逆転させたのです。つまり上に書いた日本書紀抜粋記事は実は七世紀の日本列島の思想的、宗教的現状であったのです(神代上(日本書紀巻一)は「神性」を付与するための巻であったのです)。

 この新たな信仰体系(新興の宗教)の正当性と神性付与のためにまずは既存の思想、信仰を破壊せねばなりません。しかし、日本書紀は既存の信仰について、何が悪いのか、効能が無いからなのか、その理由を書かずして、ただ平らげたとのみ書きます。それが上に引用した日本書紀の二つの節です((1)、(2)と番号を付した)。

 そして新しく作り上げた宗教の前段が(3)に書く「此神今在乎東国楫取之地〕の件(くだり)です。しかし、ここでも何の説明も無く「斎」なる『様式』を持ち込み、このことを「カトリ」なる場所に帰するのです。ここにおいても日本書紀は(藤原不比等は と書くべきか)いかなる説明もしません。つまり、日本書紀でこの件(くだり)を記載した時点では、書紀の読者にとっては自明の事であったのやも知れません。

 そうしたことを書いてきた記事は昨年2015年8月10日記事以降長く中断してしまいました。丁度その時期に旅をした北陸域での見聞を忘れないうちに書いておこうと思った故です。案の定深みにはまってしまったわけです。しかし、黒部川の名前の由来を探る過程で天皇家系が「一系」ではないことを改めて確認できました。それは、仁徳天皇から始まる家系に「率直」に反映されていることを解明してきました。

 「カトリ」の話はまさに奈良盆地に拠点を持つ「中」一族が東国に軍事攻勢をかけ一定の成果を確保した時点での記録であろうと考えています。それを以下に考えてみることにします。
(つづく)

+++++パナマ文書に思う。室井佑月さんは言う。
 パナマ文書に言及しつつ室井さんが怒っています:
(1) %%%%%室井佑月「『税収が足りない』とか二度といわないで」〈週刊朝日〉
あたしたち国民に向かって、「税収が足りない」とか二度といわないでほしい
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160511-00000226-sasahi-pol
週刊朝日 2016年5月20日号

「報道の自由」は過去最低を更新し、パナマ文書は調査しない――。そんな日本に作家の室井佑月氏は唖然とする。
*  *  *
 国連人権理事会から特別報告者に選ばれたカリフォルニア大アーバイン校教授のデビッド・ケイさんは、一度は去年の12月に予定された調査を、日本政府になんたらかんたら理由をつけられ先送りされた。しかし、世界で「国連の調査を妨害している」と日本批判が起こったため、今回は予定通りに調査できたみたいだ。
 日本政府は、デビッドさんの視察を、「今年の秋以降で」といっていた。
 秋といったら、選挙が終わってから。それまで不都合な事実を隠したい、それこそ報道の自由を軽くみている証拠だわ。
「国境なき記者団」の「報道の自由度」ランキングが発表された。
「報道の自由度」、2010年に日本は過去最高の11位だったこともあるけど、安倍政権になって順位は下がってゆき、去年は過去最低の61位。今年はさらにその下の72位になっちゃった。
 そのうち、ロシアや中国や北朝鮮なみにするつもりか? それらの国は、ほかの国から白い目で見られているんですけど。
 菅官房長官も高市総務相も、デビッドさんの面談から逃げ回っていたというから、今現在、自分らはヤバイことしてるって自覚はあったに違いない。わかってやっているんだから、ほんとうのワルだよ。
 熊本地震は、震度7という巨大地震で、本震が起きてからも、ぐらぐらと揺れつづけている。熊本と大分の避難者は4万人を上回るらしい。
 しかし、熊本県知事が求める「激甚災害指定」を安倍首相はすぐに出さなかった。
「激甚災害指定」は被災自治体に対し、国が迅速にふんだんな財政支援を行えるものだ。
 結局、お金を出すのを渋っているのか。できることはぎりぎり地方でやれ、そういいたいのか。冷たいよな。
 海外にいっては、金をばらまいてきているのに。海外で自分らだけがいい顔をできればそれでOKか。でも、そのお金は血税だ。こういうときにこそ、使うべきお金。
 それと、あたしたち国民に向かって、「税収が足りない」とか二度といわないでほしい。そのまえにやることあるでしょう?
 世界を揺るがしたパナマ文書。4月20日付「日刊ゲンダイ」の「金子勝の天下の逆襲」にはこんなことが書かれていた。
「国際決済銀行(BIS)の公表資料によると、タックスヘイブンであるケイマン諸島に対する日本の金融機関の投資や融資残高は、2015年12月末時点で5220億ドル(約63兆円)もあるという」パナマ文書を調査しない国は、ロシアと中国と日本くらい。税収が足りなくば、法の抜け道を閉ざし、適正に課税して金持ちからお金をとったらいい。
%%%%%%

 前回も書きましたが、原発事故被害者への賠償責任を背負っているはずの東電がなんと税逃れ対策をしていたらしいとの記事をなんと産経新聞が報じています。
%%%%%(2)<パナマ文書> 文書に「テプコ」という文字が入る2法人記載、
「テプコ」(TEPCO Tokyo Electric Power Company )
http://www.sankei.com/affairs/news/160512/afr1605120061-n1.html
2016/05/13(金) 07:28:45 ID:IimnBz5haA
 タックスヘイブン(租税回避地)を巡り国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が報じたパナマ文書に 東電の英語の略称である「TEPCO(テプコ)」という文字が入る2法人が記載されていることが12日、分かった。
東電はこの日の定例記者会見で「当社が出資している企業ではない。関係企業でもない」と関係性を否定した。 パナマ文書によると、記載されているのは「テプコ・インベストメンツ・リミテッド」と「テプコ・リミテッド」。
このうちテプコ・インベストメンツは福島第1原発事故の約4カ月後の2011年7月22日に租税回避地のセーシェルに設立された。 テプコ・リミテッドは2009年、英領バージン諸島に設立。 東電関係者が株主となっていることを示す資料は、これまでのところ見つかっていない。
%%%%%

 東電原発事故で多大の苦しみを蒙ったのは近隣住民にくわえて、震災被害者の身体的苦痛の救済に奔走した医療従事者です。そうした苦労がネットで語られています: 
%%%%%(3)福島第一原子力発電所事故関連 「福島第一原子力発電所近くの医療従事者」 http://j55.pw/6Eae 黒川祥子
ノンフィクション作家。1959年、福島県生まれ。家族の問題を中心に執筆活動を行う。著書に「誕生日を知らない女の子 虐待―その後の子どもたち」など。
原発近くの病院で何が…大震災5年“今だから語れること”
開高健ノンフィクション賞受賞作家が寄稿
2011年3月15日、福島県南相馬市原町区。福島第1原発から25キロ、大町病院は最大の危機に立たされていた。震災当日には津波の被害者が次々に押し寄せ、病院は「泥の海」と化した。それでも看護部長、藤原珠世(当時52)には「乗り切れる」という確信があった。しかしその数時間後、「確信」はあっけなく吹き飛んだ。
福島第1原発4号機爆発を受け、国は大町病院が位置する半径20〜30キロを「屋内退避」に指定。外からの物流がぴたりと止まり、南相馬市はゴーストタウンと化した。病院に残るか、避難するか。職員200人のうち、勤務を選んだ看護師は17人。さらにそのうち7人が、全患者搬送が完了するまでの約1週間、24時間勤務を担った。
沢田真子(仮名、当時45)が勤務する4階療養病棟は、看護師全員が避難を希望した。「誰かが残るなら私も子供と避難しようと思った。でも、誰もいない。私が残るしかない」沢田は高3の息子と2人暮らし。この日初めて、息子の涙を見た。
「患者さんにもママしかいないかもしれないけれど、俺にも世界中で母親はあなたしかいない」 しかし、沢田は息子の涙を背中で振り切った。「医療従事者としてはいい選択でした。でも母親としては、一生負い目。母親失格だって」
点滴もオムツも少なくなり、給食委託会社も撤退
2階北病棟の師長、山崎由希(仮名、当時40)には小学4年と2年の娘がいた。この夜、身を切る決断をし、夫に電話で懇願した。「娘たちと、今すぐ実家の山形へ避難して」医局秘書の事務、中村真美(仮名、当時27)は、自宅が避難指示区域となり、16日には避難所にいた家族が市の誘導で別の場所に移ることに。「『一緒に避難したい』と上司に言ったら、人もいないし困るって」 家族がバラバラになる不安に涙しながら、中村は病院に残った。
去って行く側にとっても、苦渋の決断だった。3階東病棟師長、川上佐知江(仮名、当時48)は事故後、初めて「あの日」を語った。点滴もオムツも経管栄養も少なくなり、医師の判断で点滴の速度を緩め、全病棟で管を入れて尿を採ることにした。給食の委託会社も撤退する。十分な医療が提供できない。川上にとって、それは絶望を意味した。 
部下には幼子を持つ若い看護師が多い。「子どもがいる人は、避難していいから」
泣いていた看護師が、首を振った。「師長さん一人だけおいて避難でぎねえよ!」自分が、避難の妨げになっていた。川上は「辞表覚悟で」、全員の撤退を決めた。看護部長の藤原は一人で29人の患者の世話を引き受けた。医局秘書の中村が食事介助を行い、医師が慣れない手つきで食事を食べさせる。「疲労困憊でベッドを回る。ウンチまみれでウンチを壁になすりつける患者を見た時には、ああ、どうしようって」息子の懇願を振り切り残った沢田が「心の中で3人は殺してます」と吹っ切ったように笑う。
■毎日患者が亡くなった
 暖房もない病室で重症患者が耐えていた。17日から食事は、朝と夜の2回に。毎日、患者が亡くなっていった。残された看護師は皆、同じ思いだった。「何日、眠らないでやれるのか……」
18日夕、大町病院は搬送に向けて舵を切る。院長の猪又義光は言う。「患者全員の搬送を決意した理由は、十分な医療が提供できないから」21日、重症患者がヘリコプターで搬送され、患者全員の搬送が完了。大町病院はここでいったん閉院したものの、2週間後の4月4日に外来を再開。今も地域医療の拠点として住民の信頼は厚い。藤原には極限を生きた管理者として、揺るがぬ思いがある。「ここで仕事をすると決めた以上、笑顔で頑張れる看護師でいたい」
残った者と去った者、どちらが正しいかは誰にもわからない。ただ残った看護師がいたからこそ、助かる命もあったことも事実だ。あれから5年、24時間勤務を選んだ看護師で病院を去った者もいれば、一度は避難したものの、今は外来で明るく患者に寄り添う看護師もいる。
%%%%%

 原発事故サイトで被災者の救護に心身をなげうった医療従事者の悩み、命と言うものへの深刻な問いかけをしている一文が以下です:
%%%%%(4)里見清一氏の見聞「福島第一原子力発電所近くの医療従事者」◆
(写真:月刊誌「新潮45」2013年11月号より、拡大はクリックを)
160513文書004

%%%%%里見氏の稿抜粋終わり

 長くなりますので、この記載に続く4頁分はここでは割愛させてもらいます。
 私は2016年1月27日の記事で娘が嫁いだことを書きました。この娘があの原子力発電所事故時に研修医として勤務していた病院を上記の里見清一氏は書いているようです。
 氏はこう書いています:「原発事故の影響に脅えつつ今ここに居る病人やけが人の治療に当たるスタッフの姿は感動的などという陳腐な形容を超えて鬼気迫るものがある」と。
 娘を誇らしく思うと同時に、改めて娘が体験した恐怖感に思いを致しました。里見氏の文章は、この件(くだり)を書いた後、深刻な問題意識を読者に突きつけます。あえて、その問題提起についての私の思うところは書きません。「医療」、「命」そして「老い」について色々と考えさせられます。

パナマ文書

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:日刊ゲンダイ紙記事の転載)
Panama-ゲンダイ

 
  溜飲さげ 貧しき民が 喝采す 所詮は ひがみと 金持ち冷笑す

 民にとって、一昨日・昨日の最大関心事はパナマ文書の公開でした。民の関心に応えてこそ視聴率も上がりスポンサも大喜びと言う筋書き、TVは朝から晩までこの文書の分析報道をするかと思いきや。ところが、そうではなかったのです。TVタレントの不倫騒動、北朝鮮党大会などの様々な報道の一つとして取り上げられたに過ぎません。そして報道の中立を意識したのか「合法」「合法」の連呼、あるいは「違法ではないが・・・」と言った歯切れの悪い論調です。

 とある若手企業家は、企業が節税に走るのは「儲け」を追及しているのだから当然と主張します。又、元TVキャスタにいたってはICIJ(The International Consortium of Invetigative Journalists )の情報公開行為は他者の秘密を一方的に盗み見る犯罪(ハッカー)の上によったもので容認できないとまで言います。あの元キャスタがジャーナリストであるとの自覚があるならば、今般の公開に先だつICIJの「序言」についてもきちんとした反論をすべきでしょう。
The Panama Papers: An Introduction By ICIJ StaffApr 3, 2016
http://j55.pw/FmNC 
The Panama Papers is a global investigation into the sprawling, secretive industry of offshore that the world’s rich and powerful use to hide assets and skirt rules by setting up front companies in far-flung jurisdictions.
Based on a trove of more than 11 million leaked files, the investigation exposes a cast of characters who use offshore companies to facilitate bribery, arms deals, tax evasion, financial fraud and drug trafficking.
Behind the email chains, invoices and documents that make up the Panama Papers are often unseen victims of wrongdoing enabled by this shadowy industry. This is their story.

 「富めるものの税逃れが格差を拡大する」との議論、耳障りは良いが、これは我ら貧乏人の僻(ひがみ)みであると私は思っています。しかし、世の中を変えるのはこの僻み、かっこよい表現を使うなら「ルサンチマン」であろうと思っています。その意味では、今回の事態、もしかしたら「革命前夜」に突っ走るのではなかろうか。そもそも「合法」か、否かはそれほど問題ではないのです。法律と言うものは、そもそも権力者が被抑圧者、被搾取者の怒りの噴出を抑止するために設けているのです。

 秘密保護法と称して情報を為政者が独占するのはきわめてわかりやすい例です。上に立つ者、思想の左右を問わず、下のものとの情報の共有を嫌います。『知る』は「力」に直結します。上に立つものは、「力」を得た「民」の動きを「パニック」、あるいは「叛乱」と思い込み。これを極めて恐れるのです。これは共産党から自民党にまで貫かれるいわば法則のようなものです。

 ましてや、国の権力を握るものは、情報共有の機能をコントロールすることをまず考えるのです。かくして「知らしめず」であり、結果として「寄らしめず」となります。

 今般も民が気づかない限りにおいては、民は怒らない。怒れる民が居なければ法は不要なのです。従って「法」が無いのですから「合法」なのです。現在、「合法」を連呼する経済人・ジャーナリズムは、権力者と大企業、大金融資本の顔色を見るあまり、肝心な点、つまり民の怒りが見えていないのです。しかし、このまま富裕層は放置できるのか?

 これを鋭く指摘しているのがあのピケッティです。
(写真:ピケティの書簡、東京新聞5月11日付コラムより、拡大はクリックしてください)
P5110001


 こうした「利益隠し企業者」とその擁護者には、現時点が世界の貧困者による「革命前夜」であるのかもしれないとの想像力が欠落していると思っています。

 参考までに5月11日午前中までにパナマ文書で明らかになった日本人関連者をリストアップしておきます。
パナマ文書に発見される日本関係の企業、人のリスト(出典 http://j55.pw/wZUz ) 
創価学会 ドワンゴ★ 加藤康子(東京個別指導学院、内閣府) 上島豪太(UCC)
三木谷浩史(楽天)★ 柳井正(ユニクロ)★ 安田隆夫(ドン・キホーテ)
福武総一郎(ベネッセ) 岡田和生(ユニバーサルエンターテインメント)
三菱★ 三井★ 住友★ ソフトバンク 電通★ イオン 東京電力 丸紅★
伊藤忠商事★ 双日 豊田通商 ロッテ 原田泳幸(ベネッセ・日本マクドナルド)
日産 富士電機 重田康光(光通信) 日本経済新聞 バンダイナムコ
コナミ セコム★ オリックス★ 野村證券★ 大和証券★
ライブドア JAL★ ダイキン タニタ マルハニチロ NTTドコモ★
サントリー ソニー 株式会社やずや サトウテック NHK Global Inc.

上記のNHKについては昨日NHKが下記を報道したとの事です:
(写真:NHKのパナマ文書に関する報道から)
Panama_NHK

 NHK Global Inc.については、4月20日前後に明らかになったものです。しかし、NHKは多くの問い合わせに三週間近くダンマリを決め込んでいました。そしてやっと公表した回答ガ上記写真です。私はこのNHK回答を信じていません。 
 
 インタネット上で、とある評者がNHKの事態について以下を指摘しています: 
「NHKはそもそも特殊法人であり、その目的は営利ではない。しかし、タックスヘイブンへの資金移動には
〜点撚麋鮃坩戮量未あると共に、∋餠發了氾咾防佞い董外部から検証しにくくなる効果があり、役員や幹部職員による 横領行為を極めて容易にするという側面がある。つまり、仮に租税回避目的であっても現地法人を作っていたとすると、 本来の放送法が予定しているNHKの役割りを逸脱した行為をしていることになる。」
 税制上の優遇措置を受けている創価学会についても、本日夕がたの時点ではダンマリ状態です。

雨の宮古墳群(能登半島、邑知潟地溝帯(おうちがた))

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田の畦に広がるツメクと貧乏花)
P509白つめくさ


 田の畦に 雑草(あらくさ)のにおい なつかしき しろつめくさや びんぽう花やら

 当地の水田周囲、雑草に神経を配っている農家があり、そうでもない農家がありで、いろいろです。上の写真では、シロツメクサが畦にいっぱい咲いていました。子供の頃、女の子たちがこの花を茎ごと摘み、つないで輪にし、ハンサムな男児の首にかけたりしていました。私にはそうしたプレゼントを貰った記憶がありません。哀しい話であります。そういえば、いまどき四葉のクローバなんぞを探す若き乙女なんぞは生存してるんでしょうか。

+++++能登半島の古代(補)
 昨年8月の北陸見聞旅行を題材とした同地域の古代史探索に一区切りつけるつもりで居ました。今回からは長らく放置してきた「神社」問題に立ち返ろる筈でした。ところが昨日の東京新聞日曜版 は「古墳」の特集記事です。そこに掲載されているのは21の古墳です。その中に能登半島の「雨の宮古墳群」が紹介されています(図1)。
(図1:雨の宮古墳群、と今日新聞5月8日付け、日曜版より)
P509雨宮古墳1


 著名な考古学者で古墳研究の泰斗である松木武彦国立民俗博物館(千葉県佐倉)教授が選択した21の古墳のうちの一つです。というわけで、番外編としてこの能登の古墳に従来の視点から調べておくべきと思った次第です。まずは古墳の位置です(図2)。

(図2: 能登半島の注目すべき歴史サイト。図にも書き込みましたが、「富来」は「ト国に来た」の意を連想させます。安津見はまさに「安積」(あさか)、押水の押は渡来を、そして)族高松は「コウショウ」とよめばまさに「古志王」というわけで、鹿島も含め、ここの地には東北日本に拠点を置いたシリウス・アイヌ連合勢力の影響が見えています)
能登・富山索引2


 上図では前回、掲載した図に5つの新サイトを緑で示しました。そのうちの一つが、今回の雨の宮古墳です。能登半島中央部には南西から北東に走る邑知潟地溝帯(おうちがた http://j55.pw/yptx )と呼ばれる地質学的構造線が走っています。「潟」とあるように、この地溝帯の南西にはその沼が残っており、細長い低地が若狭湾側から七尾湾に続きます。この構造線は地震断層と地質学者は言います。
雨の宮古墳はこの窪地(地溝帯)の北側縁(へり)に建造されています。そしてこの窪地の両端に気多(けた)本宮と気多大社・羽昨神社があります(図2参照)。この神社については後刻考察することにして、まずは本論です。

 雨の宮古墳群の主要遺構が国土地理院の調査で浮かび上がっています(図3)。
(図3:うっそうとした木々の間に浮かぶあがる古墳群、出典は http://j55.pw/kgr8 ) 。
Amenomiya_kofungun_1975


 上図で、1(前方後方墳),2(前方後円墳)と付されているのが最大古墳です。どちらも方墳部分の”辺”の方位はシリウス方位を示しています。しかし、2番を付された前方後円墳についてはその方墳部分の方位は北から西により大きく傾いています。それから判断する限りでは、この前方後円墳はその東にある前方後方墳より時代としては新しいのではなかろうかと思えます。いずれにしてもこの主要な二つの古墳の築造はシリウス信仰の強い影響下でなされたと思えます。

 そうとするならば、この地を墳墓造成の地として選定するにあって、シリウス星位置の参照のための観測作業があった筈です。それはどこでしょうか。当然高地の筈です。図2に見るようにそうした観測がなされたのは碁石ガ峰(標高461m)と思えます。地名辞典(角川日本地名辞典、富山)によれば付近には縄文遺跡などが多く、古代にあっては「石動山文化」の一翼を担っていたと書かれています。近くには親王塚、鍋塚など解明さるべき豊かな史実をはらんでいる古墳も多いとのことです。

(図5:親王塚、鍋塚)
Kame-shinnou


そこで、この碁石ガ岳と雨の宮古墳群の位置関係を計算で求めます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.9138 136.886] 碁石ケ峰(標高461m)
sta(lat,lon)=[36.9761 136.8719] 雨の宮古墳群
Dlt,Azm,Bzm= 0.06 349.75 169.74 7.0 –km

 ここで得られた169.7度と言う角度をシリウス年代表に照らし合わせると(5月6日記事)、それは奈良盆地の「纏向遺構」に残される柱石跡から推定される年代とほぼ同一でそれは、西暦248年と推定されます(2014年2月10日記事)。方墳(四角形)であった須曾蝦夷穴古墳は西暦541年頃、氷見の桜谷古墳が西暦560年、婦中の王塚古墳は西暦710年ごろであろうとシリウス年代決定では求まっています。一方射水の串田遺跡(串田神社)が西暦364年頃とかなり古い年代が算定されました。表1は本ブログで以前まとめた古代日本列島の出来事編年です)

(表1:西暦0~300年頃の日本列島政治状況 2013年9月30日記事より http://j55.pw/ddpN )
ad5714-02


  この表に照らす限りでは、雨の宮古墳群建造は卑弥呼の死前後の日本列島混乱期と関わりがありそうです。その時期に既にシリウス信仰一族が日本列島に渡来していたらしいとの推論も生じてきます。そして 富山県の串田遺跡(射水)は卑弥呼の死後ほど無き頃と言うことになります。

 さらに須曾蝦夷穴古墳(能登島)、桜谷(氷見)もまた渡来族の強い影響下での能登界隈の政治状況を反映していると思えます。しかし、それから150年後の八世紀半ばの王塚(婦中)では、そうしたシリウス族の影響を強く排除した墳墓築造です。支配勢力が取り替わったということを映し出していると思います。私は『中』一族の本格的「東夷〕の反映と考えています。そうした政治動乱が、この北陸地方の歴史的遺構が忠実に物語っていると思っています。のめりこみそうな魅力的香りが漂っています。

  ところで 冒頭に書いた東京新聞日曜版には古墳形状の年代推移を図示しています。
(図6:古墳形状と築造年代)
P508古墳年代


 本ブログを読んでくださっている方々には、「シリウス星方位年代決定法」の信頼性を確信していただけるのではなかろうかと 思っています。炭素同位体法は一見科学的なのですが、それは大気圏上層部での窒素の放射性炭素への変換比率が長期間にわたって不変であるとの仮定に基づきます。しかし、最近の研究でそれは太陽から放射されるニュウートリノの量で変化することが知られてきました。それは、太陽表面活動、具体的には黒点の数で変化します。つまりかなり変動するのです。
 シリウス星方位は地球の太陽を周回する軌道と、地球自身の自転軸の揺らぎ(章動)によって地球から見た天球上の位置は一定ではありません。が、その変化は微小であるため。最近一万間では、その位置は規則的に変化すると考えられるのです。上記の計算はその仮定に基づいており、その日本列島上の遺構への適用は概ね成功しています。何故、研究者がこの新手法に注目しないのでしょうか?

 それにしても、「雨の宮」なる呼称が今日まで生き残っていることに強い感慨を覚えています。「雨」(アメ)は明らかに隋書倭国伝が書く「阿毎」(アメ)です。つまりこの墳墓の名称に「明」、「光」、「火」を崇めるシリウス信仰族の思いが伝承として保たれてきたことを示していると考えています。

 図2には、「気多本宮」、「気多大社」なる二つの神社を書き込んでいます。ところで、福井県若狭湾を臨む敦賀には「気比神社」があります。本ブログでも度々引用する神社です。応神天皇幼少のみぎり母親である神功皇后に連れられてこの神社を詣でた際、神社に祀られる神から「名前の交換」の申し出があり、以後神の名である「ホムタ」を名乗ったと伝承される神社です。
 「気」に始まる名前のこの三つの神社には多分何がしかの関連付けがなされていたはずです。「キ(またはケ)」を名乗る部族が居たのだろうと推測する古代史研究者も居ます。実際、気比神宮の西に「毛島」なる地があります。
 私はこの説には同意しません。この三つの神社の境内での拝殿の配置からは、全く異なる推論が働くからです。この推論は、上で書いた能登半島の政治勢力の栄枯盛衰の反映でもあると思っています。
 「気」になるのでありますが(駄洒落であることに「気」づいて頂けたでしょうか?)、長くなりましたので、いずれ機会を捕まえてこの続きを書きます。
 (つづく)

石動山から富山三遺跡を見る

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:竹林ににょきにょきと頭突き出す筍。運が悪かったんですな。人間に見つかり頭を刈られてしまったんです。それでもめげずに育ってます)
P506筍


 地面から ちょいと頭 突き出した 時期が悪るけり 頭を刈られぬ


+++++石動山から見た富山県の遺構
(図1:石動山と富山県の遺構分布。興味深い地名に私の主観を添えて図示しました)
能登・富山索引地図

 
 上図に見るように、石動山は石川県鹿島町にあります。「鹿島」の「鹿」は「高」(コウ)に由来することは以前書きました。ここは昔の「加賀」(カガ)です。「コウ」は発声する人とそれを聴く人によっては「カガ」と同音であることも昔書きました。それが遠く中近東からの渡来人の特徴の一つだからです。この地は、かって渡来人つまりシリウス信仰族の影響下にあったのです。そのことを以下で確かめてみます。

 図1の3つの遺跡についてその石動山から見た方位を計算します。まずは氷見市の桜谷古墳です。下で“epi”,”sta”とあるのは、これを計算するプログラムが地震調査用に作成されたもので、それを利用しているからで、格別の意味はありません。“epi”とは”epicenter(震央)“の、”sta”は”station(観測点)“の略表示です。つまり震央と地震観測点の間の地理的関係を夫々の座標(緯度、経度)から算出するものです(地球が球形であることが考慮されている)。
epi(lat,lon)=[36.9656944 136.970924] 石動山(標高564mhttp://j55.pw/pbZW 
sta(lat,lon)=[36.816478 137.029553] 桜谷古墳 http://j55.pw/GB8f 
Dlt,Azm,Bzm= 0.16 162.54 342.57 17.4 -km

 ここで、我々が注目するのは主として石動山から見た各遺跡の方位です。その方位が下の表を参照することで、桜谷の地に何がしかの建造物を構築(あるいは設計)した年代を推定させるというわけです。

(表1:シリウス星方位と対応する西暦年代。第四欄は方位が計測された歴史遺構)
シリウス暦150303


 上で算出された162.5度は上表の25行の162.6、26行の162.3度の中間です。対応する年は西暦550〜568年の間と言うことになります。機械的に算出するならばそれは西暦560.4年と言うことになります。2015年1月23日記事で考察した宮津界隈の「設計時」とほぼ同じ時期と言うことになります。そこでこの古墳についてやや詳しくネット情報を見てみます。

(図2:桜谷古墳、観光案内板)
sakuradani


 この古墳についての詳細は上記HPを見てください。私が着目した部分を抜粋しておきます:
「第1.2号墳とも内部は未調査ですが、第2号墳後円部から紡錘車・石釧が出土していることや古墳の形態から、第1・2号墳はいずれも5世紀初頭を下らぬ時代の築造と推定されていて、富山県富山市婦中町にある王塚古墳とともに県内最古の古墳となります。また、地方にはたいへん珍しい大型前方後円墳であることや、立地条件の良さから、この地方の有力首長の墓と見るべきでしょう。」

 上記HPは築造年代として五世紀を下らぬ、と書きますが、シリウス年代決定法ではそれは六世紀半ばに設計されたと算出されます。築造はそれより早い時期と言うことは考えにくいと思っています。
 上の案内板でも明らかですが図3の見取り図では、古墳1号基は明らかに方墳の部分の底辺がシリウス方位をとっていることがわかります。うえで計算から想定されることと調和しており、六世紀の半ば頃この地はサカ(高)一族の支配下にあったであろうことがわかります。

(図3 桜谷古墳の平面図)
桜谷siriusu方位


 上記HPでこの桜谷古墳は富山県最古でありそれと並ぶのが王塚であると書きます。そこで、曾\王塚についても同様の考察をして見ます。

(図4:王塚古墳の平面図。ほぼ南北を向いている)
王塚古墳5


計算結果:
sta(lat,lon)=[36.660526 137.115495] 王塚古墳  http://j55.pw/e8B4
Dlt,Azm,Bzm= 0.33 159.19 339.27 36.3 –km
 計算から得られる方位がシリウス星観測によって設計されたものとすると、表1に照らすならば、その時期は桜谷古墳よりも150年ほど後ということになります。これは考古学発掘による出土物の年代と整合するのかなとの疑問があります。図2に見るようにこの墳墓は南北を向いており、シリウス星信仰から「逃れたい」の強烈なメッセージとも見ることができます。「王塚」との命名の由来を知りたいものですが、現時点ではそのことについての記載に行き着いていません。

 下の図に見るようにこの古墳は幾つかの墳墓群から成っています。
(図5:王塚古墳と周囲の古墳群。四基の四隅突出型墳丘墓が含まれる)
王塚古墳3


 四隅突出型墳丘墓は前方後円墳よりも時代的には前であると考古学者は考えているようです。そうとすると、今回の計算結果との整合性を図るためにどのような解釈をすべきであるのか、現時点ではわかりません。私は図1で、その下部に表示した「利賀」(とが)にかかわりがあると見ています。つまり「利賀」(とが)は「科」(とが)であり、王族がこの地に流された痕跡ではなかろうかと考えています。その王とは誰か?天武天皇四年紀四月十八日に「伊豆嶋」に流されたと記載される麻続王の一子ではなかろうかと考えています。この事件の真相はこれまでの考察からだんだんと明らかになりつつあります。『中』一族の東日本への侵攻の初期のエピソードであろうと考えています。ここで、その事件に立ち止まってしまうと、又、全体の筋書きを混乱させかねません。後日、「中」一派の東日本進攻をつぶさに考察する中でこの事件を書きます。

 さて次は串田神社です。
sta(lat,lon)=[36.692921 137.044868] 櫛田神社 http://j55.pw/6G5r  
Dlt,Azm,Bzm= 0.28 167.74 347.78 31.0 -km
 表1に照らしながら上の計算結果を解釈すると西暦364年ごろにこの地に何がしかの建造物が設計 されたことになります。

(図6 櫛田神社社殿は明らかに「反シリウス方位」)
櫛田社殿


 石動山から見たこの神社の位置はシリウス星方位に照らすならば、卑弥呼死後の倭国大乱を経て更に百年後神埼古道(吉野ヶ里遺跡の西側の都市区画跡)の整備時期に当たります。(表2参照)。

(図7:串田神社周辺の重要史跡である串田新遺跡と小杉丸遺跡)
3櫛田神社と周辺


 櫛田神社の周辺には国指定の重要遺跡があります。南西300mにあるのが串田新遺跡です。HP(http://j55.pw/82en、http://j55.pw/ErzJ)  は「縄文時代中期の遺跡と、古墳時代の史跡があり集落遺跡としては珍しいものです。と」。しかし、古墳の形状、あるいは方位から何かを推察することはむずかしそうです。
更には国史跡小杉丸山遺跡は、神社の東1kmにあります。http://j55.pw/cC25は以下を書きます:
 「射水丘陵の南西部に位置する飛鳥時代後期(7世紀後半)の瓦や須恵器などを製作していたという瓦陶兼業窯跡とそれらを制作していた職人たちの堅穴住居跡、段状遺構が発掘され、窯跡と住居跡がセットで残っていた国内でもまれな遺跡です。北陸最古と言われる飛鳥時代の登り窯、奈良時代の製鉄炉跡も発掘されていて、この一帯が言わば当時の工業地帯であったと思われます。窯・工房・粘土採掘坑・工人の住居など、当時の窯業生産の全貌が伺える遺跡であり、出土した軒丸瓦は飛鳥時代の坂田寺の系統を引くものです。畿内政権と仏教の影響下で成立した北陸での瓦葺き建物造営の始まりと、その歴史的背景を具体的に示す貴重な遺跡です。」と。
(表2 改定の余地がありますが暫定的に現ブログ管理人が作成した古代日本列島編年)
編年150405

 
 今回は、資料が少ないため歯切れの悪い記述となりました。性急に結論を出さず、以後の調査・考察を重ねた後にここにもどってくることにしたいと思います。

 それにしても 古代の日本列島の調査では、机の上のPCだけでことを済まそうというのは虫が良すぎることを実感しました。現地の博物館なりに出かけて資料をじかに見るならば色々な発想も生まれてこようと言うものです。上記の古墳、神社については、ネット上で知ることはきわめて限られていました。
(つづく)

石動山(能登・鹿島町)、STAP事件と若山教授(BizJ誌より転載)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田から子連れで畑地に避難する雉)
P503雉


苗付けが 始まる時期と 察したか 畑に子連れで 雉 移り住む

当地でも一部の田で、苗付け(田植え)が始まりました。雉の親子も水田の中の藪から畑に移り住んだようです。姿は見えねどか細い声音が聞こえてきます。
 
+++++須曾蝦夷穴古墳
(図1:須賀川市内の古代の聖域建造配置)
須賀川annotation


 前回、掲載した須賀川市地図ではマーキングした幾つかの地点について説明をしていません。そこで図1で、それらを説明しておきます(この図は後日に再度引用することになります)。 
 まずは、図の底部にある「長峰」が付された場所です。「長」が「冢」つまり「墓」であり、「峰」は「豊」の漢字表記が転じたものと考えています。それは音が「KHO」であることを考慮すると,そもそもは「高」の転じたものであると、私は考えています。図1の底部の「長峰」は広大な墓所であったのです。何故、このような大規模な墓所がつくられたのか?それは「中」一派が九州の倭国を征伐した後の多分八世紀始まりから本格的になった東国への軍事攻撃、つまり「征夷」です。東国にれっきとして存在した「国」を「夷」の跋扈する野蛮人の群れと史書は『偽り』を書きます。その東国政権に執拗に攻撃を仕掛けたのです。それは、鎌倉時代まで続きました。

 その指揮を取った人物に当時の朝廷から下された称号がなんと「征夷大将軍」です。私はこの広大な墓域に眠る方々はこの野蛮な「征夷」を振りかざした殺戮行為によって亡くなられた民であると考えています。本ブログの大切な論点です。いずれ話の進展に従って詳細な考察をします。

 「長峰」なる地名は千葉県北部の利根川岸(長豊と表記)から龍ヶ崎、つくば市にもあります。つくば市中心部の「長峰」地区には「大角豆」と書いて「ササギ」(陵)と読ませる場所があります。これは『貴人』の墓所であったと考えています。
 『中』一族はその拠点を奈良から京都に拡大しました。史書と、学校教育で用いる歴史教科書は、その蛮行を東北の『野蛮人」(蝦夷)征伐であったと書き、教えてきたのです。とんでもなきことです。その内実は東北に拠点を持っていた一大政治勢力の殲滅であったのです。大変に重要な事件ですので、近日中に項を改めて詳しく考察します。

 図の上部、やや右寄りにJR須賀川駅・栄町があります。この栄町から大発見がありました(2012年2月3日記事)。シリウス方位で以って建造された建築物が消し去られその上に新支配者が新たな建築物を置いたとの証拠が発掘されています。一昨年夏の東北福島旅行で、長沼資料館からこれに関する貴重な資料を見つけました。ところが、それを書こうと思っていながら、目先の話題を追うことにかまけて、未だに紹介できずにいます。乞う!ご期待であります。
 図1については、まだまだ書きたいことがありますが、現時点での主題である能登島の「須曾蝦夷穴古墳」の話から逸れてしまいます。一つだけ付け加えて当面のテーマにもどります。

 図の右側(三角形遺構の東)で南(下)から北(上)に向かって流れるのが阿武隈川です。「阿武」は「アブ」であり、それは「火」または「明」を意味する古代語、アイヌ語に由来します。一方「隈」は「クマ」でありこれは「カミ」に転じます。後世になって藤原不比等はこの「カミ」に「神」という漢字をあてたのです。かくして「明神」という漢字表記がここから作られたのです。
 私が好きなサッカー選手に明神智和という選手がいます。日本代表監督であったフランス人フィリップ・トルシエの大お気に入りの選手でした。明神8人がいれば最高のチームとまで言うほどのほれ込みようでした。残りの3名は中田(英)、稲本、そしてGKであったろうと思っています。それはさておき、「明神」についてウイキは「明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つ。」と書きます。私はこれに異論を提起します。日本のいたるところにある明神様の由来はまさに渡来族と原住アイヌ族両者の信仰思想に起源するのです。藤原不比等はまさに古代の信仰体系「阿武隈」を「明神」に置き換え、信仰の簒奪をしたのだと思っています。図1についての更なる説明は後日に致します。

=====

 話を「須曾蝦夷穴古墳」に戻します。この古墳は小高い場所(標高80m)にあって、七尾湾はすっぽりと視界に入ります。が、富山湾の向こう氷見、婦中(ふちゅう)を望むことが出来るのかどうか。ましてや、シリウス方向ともなると能登半島南半分の丘陵地が視界をさえぎってしまいます。そこで、その視界を確保するべく、どうやら、場所を南に遷したようです。

 (写真:先崎神社鳥居から見た七尾湾とその向こうの富山湾遠景)
先崎神社ー能登


 それが、石川県鹿島町の石動山(せきどう、標高546m)です。この山は、須曾蝦夷穴古墳から真南16kmにあります。大変興味深く思っています。信仰体系維持のための測地と陣屋設計・配置にあって、その基準点を南北に移動することについては大きな固執は無かったようです。さて、石動山が都市設計のための新たな測量基準とすれば、そこは聖地であった筈です。とすれば、それに見合った史跡が残されているはずです。それが確かにありました。

(図2:能登石動五社権現の境内、http://j55.pw/6jLm より)
能登石動境内図


 石動山のやや南東に能登石動五社権現と呼ばれる寺院があります(http://j55.pw/6jLm )。五社と言うからには神様が祭られていたはずであり、実際に境内には能登二の宮とされた伊須流岐比古(いするぎひこ)神社が祀られています。残る四柱の神がどなたであるのかは定かでありません。いずれにしても五社権現の名前からわかるように五社の神様のいわば代理を務める仏寺であったようです。

 図2に見るように様々な建造物跡が発掘されています。概して目に付くのはシリウス方位を意識した伽藍の配置です。北縁の本社は明瞭なシリウス方位です。中心部に位置する心王院、そしてそれに繋がる参道もシリウス方位を取っています。下部の中央院跡もそうです。明らかにこの地はシリウス星信仰族が関わった、言い換えれば、彼らのこの地での政治的拠点であったことが想像できます。

 この地は、そもそもは軍事要塞的役割を担っていたのではなかろうかと思えます。そこで、この要塞の地理的位置づけを図3で見ることにします。
(図3:能登半島と石動山。ここから富山県の古代遺跡が展望できる)
能登石動014


 石動山に建造した建築物の方位、そしてそれらの配置がシリウス星を指しているとすれば、遠望するシリウス星方向に彼らの陣屋跡なり、墳墓なりが必ずや存在するはずです。そうした視点から見出されたの上図で番号を付した場所です。これらの詳細は次回に書くことにして、ここでは、その地名を記しておきます (右に夫々を説明するHPのアドレスを付します):
1. 須曾蝦夷穴古墳
2. 石動山
3. 櫛田神社  http://j55.pw/6G5r
4. 桜谷古墳  http://j55.pw/GB8f 
5. 王塚古墳  http://j55.pw/e8B4
 次回、個々の場所の考察とともに、シリウス星方位から推定される建造年代を見ることにします。
(つづく)


+++++STAP事件続報
 もはや旧聞に属する記事かもしれません。が、STAP事件の検証記事が一ヶ月前にインタネットの“Business Journal”に掲載されています。この問題について私は既に自分の考えを書いてきました。そうした私の視点からはすこぶる説得的な検証と考え、以下に「備忘」のために転載しておきます。
%%%%%引用開始
前編 http://j55.pw/EEQA 
 【STAP論文】若山教授、共同執筆者に無断で撤回が発覚…小保方氏捏造説へ誘導【前編】
文=大宅健一郎/ジャーナリスト
 一連のSTAP細胞論文問題をめぐり2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏が3月31日、自身の公式サイトとなる『STAP HOPE PAGE』を開設した。STAP細胞の詳細なプロトコル(作成手順)や、1月に出版された小保方氏の手記『あの日』(講談社)にも書かれている検証実験の結果が英文で記載されている。
 特に検証実験に該当するページ(「Protocol for STAP cells」)の最後にあるTypical Resultでは、STAP細胞の存在証明となる「緑色に光る細胞(Oct4-GFP)」の写真が掲載されている。この写真は、小保方氏が理化学研究所の検証実験中に写真に収めたもので、死細胞による自家蛍光とは明らかに異なるものだ。これまで理研の検証実験ではSTAP現象の証拠が得られなかったとされていたが、それを覆す決定的な証拠が初めて明るみになったことになる。
 小保方氏は、STAPサイト開設の目的を「将来、STAP現象に興味を持った科学者が研究に取り組めるように可能性を残すことにあり、未来の科学者がSTAP現象の研究を始める手助けにしたい」としている。
 しかし、STAPサイトが公開されてわずか数時間で、サイトの閲覧ができない事象が起き、その原因が「サイバー攻撃」であったことが小保方氏の代理人・三木秀夫弁護士への取材でわかった。三木弁護士によると、これはDDoS攻撃(複数のネットワークに分散する大量のコンピュータが一斉に攻撃すること)によるものと推定され、まだ犯人は特定できていないが、特定後も攻撃が続くようなら刑事告訴を検討するという。
ミスリード
 このサイバー攻撃に限らず、一連のSTAP細胞問題に関しては不可解な点が多すぎる。特にマスコミの報道姿勢がその最たるものだ。
 今年3月28日、兵庫県警は神戸の理研の研究室からES細胞が盗まれたとする窃盗容疑に関して、容疑者不詳のまま捜査書類を神戸地検に送付して捜査を終了した。これは、小保方氏のES細胞窃盗容疑はなくなったことを意味する。同じ容疑での告発はできないため、小保方氏が同じ容疑をかけられることは完全になくなったが、これを報道したマスコミはほとんどなかった。
  今年2月18日に兵庫県警がES細胞窃盗容疑の告発を受けて小保方氏を参考人として聴取した際には、ほぼすべてのマスコミが「ES細胞窃盗容疑で、小保方氏参考人聴取」と報道していた。まるで容疑者のような扱いだったが、容疑が完全に晴れた今、なぜかそれを報道しようとしない。結果、いまだに小保方氏をES細胞窃盗犯として疑う人々が少なくないのだ。
 そもそもこの刑事告発は、当初から論理破綻していた。告発では、小保方氏が理研時代に所属していた若山照彦・現山梨大学教授の研究室(以下、若山研)が2013年に理研から山梨大へ引っ越す際に、小保方氏がES細胞を盗んだとしていた。
 しかし、13年の時点ではSTAP細胞の主要な実験が終わっており、英科学誌「ネイチャー」向けの論文作成が佳境に入っている時期だった。小保方氏は実験後にES細胞を盗み、過去に戻って若山氏に渡したSTAP細胞にES細胞を混入させることなど不可能である。
 マスコミは結果的に冤罪とわかった小保方氏に対する謝罪はおろか、捜査終了の報道すらしない。この異常な状況を異常と思わないほど、STAP騒動をめぐっては多くの人の思考がミスリードされたままとなっている。その謎を解かない限り、この騒動の真相は見えてこない。
リンチピン分析
 CIAで情報分析を担当していた元情報本部長のダグラス・マキーチン氏は、情報分析を間違わない方法として「リンチピン分析」を提唱した。
 リンチピンとは、荷車の車輪が外れないように車軸の両端に打ち込む楔(くさび)のことである。マキーチン氏は、情報分析をする際に、そもそもその前提となる仮説が正しいかどうかを検討しないと、正しい結論は絶対に得られないと主張した。仮説を間違えれば、結論は自ずと間違うからだ。マキーチン氏は、前提となる仮説をリンチピンになぞらえた。真実を見つけるための情報分析にはリンチピン分析が欠かせない。誰もが事実だとして疑わない常識こそ、気をつけなくてはならないとマキーチン氏は言う。
 では、STAP騒動のリンチピンはなんなのだろうか。
 それは、「小保方氏が意図的に論文を捏造した」「小保方氏が意図的にES細胞を混入させた」である。この2つのリンチピンからは、「STAP細胞はない。騒動の責任はすべて小保方氏にある」という結論しか出てこない。
 だが、この2つのリンチピンはどちらも間違っている。「小保方氏が意図的に論文を捏造した」というリンチピンはさらに拡大解釈され、「STAP論文はほかの論文からのパクリだ」という説まで現れている。正しい事実を知らず、伝言ゲームで広がった情報をリンチピンにすれば、確実に間違った結論へと導かれる。
 「ネイチャー」に投稿されたSTAP論文では、小保方氏が自身のパソコンに保存していたテラトーマの写真を間違って掲載してしまい、ゲル写真を見やすいように加工したことで不正認定されてしまう。小保方氏は、このことに関して不注意で未熟だったと幾度も謝罪している。ちなみに、科学論文において図表等の間違いを修正することは、よくあることである。
 14年4月25日、STAP論文に疑義がかかった後、理研の野依良治理事長(当時)が理研内部の研究員に対し「論文を自己点検するように」と指示を出した。その後、修正された論文はかなりの数に上ったが、論文が撤回となることもなく、この事実が報道されることもなかった。
 さらに、STAP問題に対する調査委員会の委員のほとんどに論文の疑義がかかったが、その委員らはホームページなどで説明を行い修正することで終わっている。当時、小保方氏がホームページなどで情報発信することを禁じられていたことを考えると、非常に不公平な対応である。
 また、小保方氏の早稲田大学時代の博士号が剥奪された際にも、早大の内部調査で博士論文89本に不正が見つかり、そのほとんどが修正だけで済み、小保方氏のような博士号剥奪処分はなかった。
 さらに、14年4月、iPS細胞の発見でノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の論文の画像にも疑義がかかる。山中教授は論文の内容自体は正しいものの、自分以外の共同研究者の実験データが残っていなかったとして「心より反省し、おわび申し上げます」と謝罪して、この件は終了した。これら一連の事実だけでも、小保方氏への不公平な対処が際立つ。
 かつて評論家の故・山本七平氏は、日本人は事実ではなくその場の「空気」によって左右され、日本において「空気」はある種の「絶対権威」のような驚くべき力を持っていると喝破した。小保方氏を魔女のごとき存在に思わせる異常な空気が同調圧力となって、マスコミから国民全体まで覆っていた。
 では、なぜこの前提が蔓延したのか。それは、ある人物の不規則発言が原因だった。
突然の「論文撤回」
 小保方氏は、STAP論文に関する実験を若山研で行っていた際、ポストドクター(ポスドク)という不安定な身分であり、上司は若山照彦氏(現山梨大学教授)だった。部下である小保方氏に対する責任は当然、上司である若山氏にあった。若山研では若山氏のストーリーに合わせた実験が行われ、ストーリーに合わないデータは採用されないという強引な研究が行われていたことは、前回の記事で指摘したとおりである。
当時、小保方氏は、細胞に刺激を与えて万能性を示す状態となる「STAP現象」を担当しており、これは米ハーバード大学のバカンティ研究所でも成功させていた。小保方氏が記者会見で「200回以上成功した」というのは、このSTAP現象のことを指している。


「STAP細胞」実験の過程
stap01

 一方、若山氏は小保方氏が作成したSTAP細胞から、ES細胞のように増殖力を持つSTAP幹細胞をつくり、キメラマウスを作成するのが担当だった。
 STAP論文における小保方氏の写真の取り違えが判明し、マスコミの加熱する報道が起こり始めると、突如として若山氏は「論文撤回」を主張するようになる。しかも、理研の故・笹井芳樹教授やバカンティ教授など論文執筆者たちの承諾を得ないまま2014年3月10日、NHKの取材に対して勝手に論文撤回発言を行った。論文撤回するかどうかは、共同執筆者全員の賛同を得て初めて成り立つものであり、1人の執筆者が独断で行えるものではない。明らかなルール違反だった。
 この無責任な発言によってマスコミの報道が一気に沸騰し、修正で済むはずだったSTAP論文は「捏造」というキーワードと共に悪意ある偏見の目で見られるようになり、「重箱の隅をつつく」指摘が止まらなくなる。そして、STAP細胞そのものがなかったことになっていく。
 このNHK報道を契機として、若山氏は一方的に情報をリークできる立場を確保していく。特にNHKと毎日新聞への度重なる意図的なリークによって、自身に有利な世論を形成できる立場を得ていた。論文執筆者たちは、若山氏との話し合いの前に同氏の言い分を報道で知るという異常な事態となる。
 この「空気」を追い風に、マスコミを通じて情報発信できる立場を得ていた若山氏は、さらに追い打ちをかけるような情報を発信する。

後編 http://j55.pw/wmQJ 
【STAP論文】若山教授、小保方氏を捏造犯に仕立て上げ…論文撤回理由を無断で書き換え
 一連のSTAP細胞論文問題をめぐり、2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏の上司だった若山照彦・現山梨大学教授が、保身のために論文共同執筆者たちに無断で論文を撤回する動きを行っていた事実を紹介した。
 14年6月16日、若山氏は自身が作成したSTAP幹細胞を分析したところ、「自分の研究室にはないマウスだった」と発表した。これによって、小保方氏が外部からマウスを持ち込んだというイメージを世間に刷り込むことになる。この報道によって、世論は完全に小保方氏を悪魔のようにとらえるようになっていく。「名声のためなら嘘も捏造もやる女性」という印象が、この時に固定化されてしまう。
 しかし同年7月5日には、「自分の研究室にないマウス」だったはずのマウスが、若山研のマウスであったことが判明した。若山氏側の解析の間違いだったのだが、この事実をほとんどの大手マスコミは報道することはなかった。すでにこの時、「小保方が犯人」という世論が形成されており、それに反する情報には価値がないと判断されていた。2014年7月27日に放送されたNHKスペシャル『調査報告 STAP細胞 不正の深層』においても、若山氏の間違いが判明した後であるにも関わらず、小保方氏に疑惑があるという内容で報道されている。筆者はその当時からNHK報道の誤りを指摘してきた。
 そして今に至るまで、小保方氏にとって有利な情報の報道制限が行われるようになった。
●マスコミへのリーク
 若山氏は論文撤回において、共同執筆者の承諾なしに単独行動を繰り返すことになる。著者間で行われていたやりとりは、常に公開前にマスコミへとリークされていく。アメリカの著者のもとにNHKから取材が来たとき、著者間でしか知り得ない情報をすでにNHKが入手していたという。
 さらに、STAP論文が掲載された英科学誌「ネイチャー」に対する論文撤回の連絡も若山氏が独断で行うようになり、若山氏が責任著者でない論文(バカンティ教授が責任著者)に関しても、独自で撤回のやりとりを行っていたという。さらに若山氏は常軌を逸した行動に出る。
 14年6月、論文執筆者たちが事態を収拾するため、著者全員が論文撤回に同意した。その時同意した内容が若山氏によって巧妙に書き換えられたのだ。
 同意書には「STAP幹細胞は若山研に決して維持されていなかったマウスの系統であった」と書かれていたが、もともとの同意書には「STAP幹細胞は若山研に維持されていたマウスのES細胞の系統と一致する」と書かれていた。若山氏は「誰かが勝手に書き換えた」と新聞で一方的に発表していた。
 小保方氏が真相を確かめるために「ネイチャー」編集部に問い合わせると、若山氏が誰の相談もなく撤回理由を修正するメールを勝手に出していることが判明する。そして「ネイチャー」編集部は若山氏が送ったメールを転送してきて、それが物証となり若山氏の単独行動が明らかとなる。
 しかし、その事実を知らない若山氏は、「僕のほうからも笹井先生、小保方さんが私を含むほかの著者に無断で原稿を修正した事実はない旨、説明しましたのでご心配は不要です」というメールを送ってきたという。そのメールに論文著者たちは言葉を失った。だが時すでに遅く、さらなる混乱を避けるため、勝手に修正された撤回理由を修正することはなかった。
c Business Journal 提供
 これにより、STAP論文の撤回理由は、若山氏が作成したSTAP幹細胞に疑義があるということになった。しかも、事実とは異なる可能性、誰かがマウスをすり替えた可能性を示唆しつつ。つまり、STAP論文の撤回理由は「STAP現象」の否定ではなかった。
●研究仲間を欺く行為
 このように若山氏は不規則発言を繰り返し、研究仲間すらも欺いてきた。このような人物がリークする情報を事実確認もせず、さもスクープを取ったかのように連日のように報道してきたマスコミの責任は重大である。そして、その空気にフリーライドし、無責任に小保方氏を批判してきた専門家の責任も看過できない。
 さらに筆者は、若山氏が頻繁に重大な研究倫理違反をしていた疑いがある情報を得た。元若山研の関係者による内部告発である。そこには驚くべき事実と、その証拠となるメールが添えられていた。今後、その内容を発表することになるだろう。
 生物学は、結果が重視される世界である。結果が正しいならば、論文の執筆上のミスによって、その結果を否定することはできない。
「DNA二重らせん構造」の発見者・ジェームス・ワトソンはノーベル賞を受賞し、「遺伝学の偉人」として歴史に名を刻んでいるが、ワトソンが別の大学の女性物理化学者ロザリンド・フランクリンが撮影したDNA結晶のX線写真を、なんの断りもなく勝手に自分の研究成果に取り込み「ネイチャー」に論文を掲載していたことは有名な話である。不正を行っていながら、結果が正しかったということで彼の名声は今でも不動である。
 ワトソンの行為は決して許されるべきではない不正行為だが、科学とは「誰もが納得する結果」が重要であり、論文の記載ミスは些細な事である。
 たとえば14年4月、iPS細胞の発見でノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の論文の画像にも疑義がかかる。山中教授は論文の内容自体は正しいものの、自分以外の共同研究者の実験データが残っていなかったとして「心より反省し、おわび申し上げます」と謝罪して、この件は終了した。
 小保方氏の場合もSTAP現象が確認されれば、その成果を誰も否定することはできなくなるはずだ。
 小保方氏が希望(HOPE)を託した「STAP HOPE PAGE」には4月5日現在、107カ国からアクセスがあるそうだ。アメリカのハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学、ロックフェラー大学、イギリスのケンブリッジ大学など、世界中の著名な大学や公的生物学系研究機関、大手製薬会社からもアクセスが続いているという。サイトの広報活動を一切していないにもかかわらず、サイトの影響力は世界中に拡大している。
 一方的な偏向報道で雲散霧消したと思われたSTAP細胞の存在は、ふたたび小保方氏のサイトにより息を吹き返してきたようだ。小保方氏が望んだように、いつしかどこかの国の科学者が、STAP細胞を再現する日が訪れるのだろうか。
(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)
%%%%%記事転載おわり

須曾蝦夷穴古墳(2、能登島、金沢)、原発と温暖化(米国科学誌)

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あっという間に本年も残すところ僅か8ヶ月、一年の1/3が過ぎてしまいました。

(写真:キャベツの花が畑いっぱいです。白い蝶がその花にまとわりついているのですが、デジカメのレンズに写ったのはわずか一頭(真ん中よりやや左の上縁)。それにしてもこれだけの花を受粉させるとは、蝶には重すぎる」責任ですな)
P502玉名と蝶

 
白き蝶 たまなの花に まとわりて 仕掛け上々 受粉を助ける

 これだけの花がやがて丸くキャベツとして収まるのですから自然と言うものの(生物は)ひめたる生きる力に感嘆であります。とは言うものの個々の花にしてみれば自分こそは受粉したいとの思い切なるものであるに違いありません。しかしそれは所詮叶わぬのです。大多数の花にとってはまさに徒花(あだばな)なのです。
 先月号の「日経サイエンス」誌が働き蜂、働き蟻についての研究結果の一端を紹介していました。働かぬ蟻、働かぬ蜂がじつは一族を支えているというものです。受粉しない花にも立派な役割がある。とすれば、媚(こび)へつらって蝶の関心を惹かずとも良い、ということです。これは動物界でも観察されます。億二も達する精子が一個の卵子をめがけて突進します。このとき、卵子に到達できなかった精子は無駄死にであったのか?そうではなく、卵子に達した精子のためのいわば露払いの役割を結果として担ったのです。そうして整備された道を勝ち抜いた精子は清められながら卵子に達した。これが生殖過程であるのではなかろうか、と思っています。てなわけで、おびただしいキャベツの花に向かって「生きたいように生きたまえ!」と彼らを激励してきました。

+++++須曾蝦夷穴古墳(能登島、2)
 この古墳は方墳でしかも二つの玄室と夫々に通ずる二つの羨道を持つという珍しい型です。そしてその建造方位はなんとシリウス方位です。そこで、このシリウス方位の方向に神社、あるいは何がしかの古代遺跡を探してみます。まずは能登島の南側海に面して見つかるのが先崎神社です。

(写真:先崎神社。http://j55.pw/jVfU 参道および拝殿が”逆シリウス方位“である)
能登島ー古墳ー先崎社

 前回掲載した図に見るように、須曾蝦夷穴古墳は中央に見える先崎神社の北北東の丘の上にあります。そこで、その位置関係を調べてみると
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 科学計算プログラム Scilabで作成
epi(lat,lon)=[37.107933 136.966702]  須曾蝦夷穴古墳
sta(lat,lon)=[37.103353 136.968457] 先崎神社
Dlt,Azm,Bzm= 0.00 163.01 343.01 0.5 –km
 距離にして500mほど隔たり、古墳から見た神社の方位は163.01度と言う値を得ます。この値は、下の表に照らすと、この構図設計は西暦541年ごろと見積もることが出来ます。それは、シリウス信仰渡来族が岩瀬国から常陸の国へ進出し、ついに鹿島に宮を建造し、いよいよ太平世の海に乗り出す時期です。

(表:シリウス星年代対照表)
シリウス暦150303


 考古学的知見、出土物から古墳の造営は七世紀とウイキ は書きます。その確度がどれほどであるのかはわかりませんが、上記のシリウス星年代とのずれはいかようにも説明がつきます。
 いずれにしても、この古墳がアイヌ族とシリウス信仰族の両方の思想を体現していることが見えてきます。それは2014年8月13日記事(http://j55.pw/TbLi )で論じた須賀川市長沼の「都市設計」と同じであることを示しています。簡単にそれを振り返っておきます:

(図1:上記8月13日記事掲載図の再掲)
須賀ー三角


 古代史関連の事を本ブログでいろいろ書いてきました。そこで、私自身が気づいたことをかって本ブログ記事としてまとめたことがあります。2014年8月29日記事(http://j55.pw/JZ5x )から同年9月15日記事(http://j55.pw/tYe4 )です。当然、上の図もその一つとして含まれています。本当に思いがけない発見でした。

しかし、福島県中通南部についてはなじみのない方も少なかろうと思いますので、上図を含む広域図を図2に示します。
(図2、磐瀬国の二等辺三角形敏設計を広域から見る。橙々色が図1に示す三角形。東に上から下に蛇行する紫色は阿武隈川(アブ=火、クマ=神)、青で示される細線は釈迦堂川(=サカト川)、隈戸川(=クマソ)。幾つかの重要地点をマーカで示している。例えば右半分上部に「蝦夷穴」なる場所がみえる。JR東北本線「須賀川駅から南東に3kmのあたり」、図をクリックすると拡大できます)
須賀川013


 この地は会津盆地の南に位置します。東西と南を高地に囲まれ防衛上の視点からは安定して都市設計似千年できたと思っています。その都市設計をするに当たって考慮されたのが30度です。何せ、この地は石川県能登島の須曾蝦夷穴古墳と同じ北緯線にあります。従って太陽が夏至日には真東から北へ30度の方角(北60度東と表記することもあります)から上ります。

 小中学校の算数・数学で習ったことを覚えている方も多かろうと思いますが、30度、45度、60度、そして90度と言う角度は太古の昔から特別な角度でありました。それは定規とコンパスのみで正確に地面に作る事が出来るからです。こうして作成した図から2の平方根、3の平方根と言った^無理数が地面の上で作られてしまいます。多分、長いこと この3つの角度は耕地面積の配分などと言った「実利」を超えて、人間には『神秘』な存在であったと想像しています。

 能登島、須賀川はまさにそうした「聖地」であったのです。さてこれがどのようにアイヌ族の思考体系と結びつくのでしょうか?アイヌ族の生活は太陽の運行に強く影響を受けていたと多くの研究者が語ります。しかし、須賀川の都市設計の事例では、explicitな根拠があります。既に書いたことを繰り返しておきます。
図2の二等辺三角形の左端の頂点は古社「鉾衝神社」です。個々は飯豊皇女が「王」宮を構えた地です。日本書紀がそれを書いています。飯豊皇女の宮は「角刺宮」であったと。『鉾』は「角」です。「衝」は「刺」です。藤原不比等が奈良盆地内に「箱庭」を造成する際に名称を改変したのです。さて、この鉾衝神社の背後の丘は「亀居山」と呼ばれています。これは「カムイ」に由来することは明らかです。
 因みに、この神社のすぐ右下の神社が「磐女」(いわひめ)神社です。日本書紀に従えば、飯豊皇女の祖母と言うことになります。

 さて、つぎに三角形の右上の頂点です。これは神炊居神社(かみおたきあげ)です。神社の名称そのものが「カムイ」です。後世の人はこの名称の意味を理解できず「神が民のために米をたいて施した」といった説話を拵え挙げたのでしょう。しかし、この神社の祭事では、鉾衝神社との密接な関係が語られています。
2012年1月30日本ブログ記事は以下を書きます:
「さて、この神炊館神社の宮司さんから頂いた由緒書きにはもう一つ注目すべきことがかかれていました:特殊神事として以下が書かれています「秋季例大祭の際に執行される神事で,神官三人がお鉾を奉じして社殿を三周します。このお鉾はこれまで渡御祭で旗場をお払いした御幣を巻きつけ上部に突き出た鍬型の鉾の周囲を茅と榊で飾ってつくられています(下の写真、由緒書より」。

 かくして、二つの神社の密接な関係ばかりでなく、アイヌ族との密接なかかわりがわかりました。しかし、ここにはまだ30度と言う角度が登場しません。2014年8月29日から9月15日までの記事で詳細に書きましたが、鉾衝神社と神炊館神社を結ぶ線の中点に松塚神社があることに気づいたのです。そこで、そこから、この線への垂線を立てると、それはシリウス方位であり、その先に見えてきたのが岩淵神社でした。この神社は小高く土盛されており、その形状からして古墳と思われます。アイヌ語で「フチ」は「聡明な老女」です。一方「松」は「ショウ」ですから「香々背男〕(カガセオ=コウショウ)です。つまり松塚神社はシリウス星信仰渡来族の首長級人物の墓(塚)であるらしいことが見えてきます。驚くべきは、この角度がピタリ30度であったのです(図1で角<DAB )。そしてこの三角形は底角を30度とする二等辺三角をなしています。まさに驚きでした。平面上どこれだけの構図を実現している。それはナズカの地上絵にも匹敵する歴史的遺構であると私は思っています。

 こうして、この須賀川の都市配置は遠く中近東渡来族と原住のアイヌ族の和合政権によって計画され施工されたと結論しました。「渡来族とアイヌ族」の和合政権を読み解く鍵はまさに「30度」と「シリウス」方位にあります。この二つの鍵を使うなら、能登島の「須曾蝦夷穴古墳」の秘密も垣間見ることができます。
(つづく)

+++++原発と地球温暖化
 6日前の4月26日はチェルノブイリ原子力発電所の爆発から丁度30年目の日にあたります。この事故は「原子力」と言うもののすさまじさをあらためて世界に知らしめた大事件です。ここで「改めて〕と書いたのは、人類が最初にこの原子力の恐ろしさを知ったのが1945年8月6日、9日の広島・長崎への米軍による原爆投下でありました。
 しかし、広島・長崎の悲惨は、世界が原爆の恐ろしさを学ぶ機会とはなりませんでした。むしろこの恐怖の技術を世界制覇の、他国への脅迫の道具として使うことに大国の意識は向いたのです。1986年のセルノブイリはこうした世界の趨勢を見直し、核エネルギからの訣別を決意することになったのか?再度それはならなかったのです。そして、25年後の福島の惨禍です。しかし、これも世界の趨勢を転じるきっかけとはなっていないようです。むしろ、原子力への依存はむしろ強まった観すらあります。経済学者竹田氏が以下を書きます。
(図4 東京新聞4月28日付け朝刊、竹田茂夫氏コラムより)
P428竹田


 地球温暖化を阻止するためには化石燃料によるエネルギの供給を減らさねばならない。これまでのエンルギ供給を維持するためには原子力エネルギに頼るしかないという論理です。こうした主張への竹田氏の懸念を裏書するかのごとき記事が米国科学誌に掲載されています。露骨にその主張を書いています。ここには使用済み燃料の何百年いにわたって人類が抱えこまねばなら無い危険は殊更に見ぬ不利をしています。以下にその「リクツ」を紹介しておきます。
%%%%%米国科学誌記事紹介
 
http://j55.pw/jnH7 〔米国科学誌、3月21日号〕
Chernobyl Didn't Kill Nuclear Power
The accident was just one factor that makes it a hard sell to fight climate change
By Frank von Hippel on April 1, 2016
チェルノブイリは原子エネルギ利用を圧殺しなかった
あの事故は地球温暖化への戦いを困難にした一つの要因とはなったが。
Ross MacDonald
30年前の1986年4月26日午前1時24分、旧ソビエト連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ4号原子炉の容器と屋根を吹き飛ばし、大気中に放射性物質を吹き上げるという爆発事故が発生した。反応炉芯中の熱で突き動かされた湧出は次の週にはあらゆる方向に飛び散った。最終的には3110平方キロメートルの地帯は、セシウム137で汚染され避難を余儀なくされるレベルになった。チェルノブイリ事件によって核への嫌悪に転じるということは理解できる。そしてそれは30年経った現在ですらも強烈だ。化石燃料による気候変動に対抗する主要な代替手段であることに確信がないからだ。チェルノブイリ事故前の15年間では、毎年約20の新しい原子力発電用原子炉が建設されていた。事故後五年にそれは、一年間平均4つに減った。
しかし、実際の経緯はより複雑だ。チェルノブイリの人類への影響は、重要であるが、壊滅的ではなかった。避難区域外では、放射線の80年にわたる影響は、欧州全域癌の数十万の一程度と見積もられている。それは多いと聞こえるかもしれないが、通常の癌罹病率には検出不可能なほどの小さい。唯一の例外は、放射性ヨウ化物の摂取によって引き起こされる、甲状腺癌である:目に見えるくらい、つまり1〜2パーセントの死者増はあった。それはベラルーシ、ロシア、ウクライナの最も影響を受けた地域であった、
チェルノブイリ事故から推定された癌死亡率と日本の2011年、福島第一の災害にもかかわらず、原子力発電は依然として他のエネルギ源に比べると安全なのである。生成する電気エネルギーの単位当たりの平均死亡率からは石炭がずっと多い。米国のthe National Research Councilによる2010年の調査によれば、当時の米国での104機の原子炉が2005年に石炭の置き換わったとすると、それによる大気汚染が更に数千の幼児死亡を毎年増加させたであろう。
人々はまた、彼らは大気汚染の影響についてよりも放射線の長期的な影響について心配する傾向がある。チェルノブイリ後の20年のウクライナの人口の心理的満足度の調査では、1年間の余分な放射線線量被爆が生活の満足度に比例することを示したが、その増加は心理的なもので、疾患の増加や主観的な平均余命への不安と相関していた。
このような悩みは、チェルノブイリ後の新工場の建設の低下に影響したが、他の理由もあった。一つは、先進国の消費電力の成長が同じ時期に大幅に鈍化していたことだ。それは電気の価格が下げ止まっていからだ。1974年に米国の原子力委員会は、2016年までのたに000もの大規模原発が必要になるとの予測をした。今日、それは平均で見れば500程度で収まっている。勿論電力需要ピーク時にはもう少し必要だが。
もう一つの要因は、1950年代の「イケイケ!」の主張とは反対に、原子力発電がメートルにあまりにも安いとの予想に反してそれは非常に高価であることだ。燃料コストは低いが、建設費は、特に北米、ヨーロッパでは、巨大で、反応炉につき$ 6億から$ 12億である。この費用は、厳しい安全基準によるばかりでなく、発電所が少ないほど、能力を有する建設労働者少ないので建設費が増大するからだ。原発の未来は中国にかかっている。2008年に建設開始原子力発電用原子炉の約半分は中国で、中国の原子力産業が、他の国でのプロジェクトを促している。1970年台中国の建設費用は米国ヨーロッパよりはるかに低かったが、現在は世界は当時の3倍もの電力を使っている。国際エネルギー機関は、中国の発電の原子力シェアは2040年までに10パーセントに成長すると予測している。
人間のエネルギーの使用を化石燃料からシフトするために、原子力発電は役に立つが、現時点では主役ではない。チェルノブイリは、その見通しを損なったが、それは技術の衰退ということではなかった。
(以下原文)
Thirty years ago, at 1:24 A.M. on April 26, 1986, explosions blew the lid and roof off the Chernobyl Unit 4 nuclear reactor in Ukraine, in the former Soviet Union, blasting radioactive material into the atmosphere. The outflow, driven by a raging fire within the reactor core, blew in all directions during the following week. Ultimately an area of 3,110 square kilometers was contaminated with cesium 137, to a level requiring evacuation.
Superficially, it is reasonable to leap to the conclusion that fear generated by the Chernobyl disaster turned the public against nuclear power—so strongly that even now, three decades later, there is serious doubt that it will ever be a major alternative to climate-threatening fossil fuels. In the 15 years before the Chernobyl accident, an average of about 20 new nuclear power reactors came online each year. Five years after the accident, the average had dropped to four a year.
 
But the full story is more complex. The effects of Chernobyl on people, though significant, were not devastating. Beyond the evacuation area, it is estimated that the radiation will cause tens of thousands cases of cancer across Europe over 80 years. That may sound like a large number, but it is a mostly undetectable addition to the background cancer rate. One exception is thyroid cancer, caused by the ingestion of radioactive iodides: there have been visible epidemics—only 1 to 2 percent fatal, fortunately—in the most affected regions of Belarus, Russia and Ukraine.
Despite the projected cancer deaths from Chernobyl and the 2011 Fukushima Daiichi disaster in Japan, however, nuclear power still appears safer than coal, measured in terms of average deaths per unit of electric energy generated. According to a 2010 study by the National Research Council, if the U.S.'s then 104 nuclear reactors had been replaced in 2005 with coal plants, the increased air pollution would have caused thousands of additional premature deaths annually.
People also tend to worry more, however, about the long-term impact of radiation than they do about the effects of air pollution. A survey of the psychological well-being of Ukraine's population 20 years after Chernobyl found that an extra radiation dose equivalent to one year's natural background exposure was correlated with reduced life satisfaction, an increase in diagnosed mental disorders and a reduction in subjective life expectancy.
Such worries contributed to the drop in new plant construction post-Chernobyl, but there were other reasons. One was that the growth of electric power consumption in developed countries slowed dramatically at around the same time because the price of electricity stopped falling. In 1974 the U.S. Atomic Energy Commission was projecting that the U.S. would require the equivalent of 3,000 large nuclear power reactors by 2016. Today it would take just 500 such plants to generate as much electricity as we consume on average—although more capacity would be required for times of peak consumption.
Another factor is that, contrary to the claims of boosters in the 1950s that nuclear power would be “too cheap to meter,” it is quite expensive. Fuel costs are low, but construction costs are huge, especially in North America and Europe—$6 billion to $12 billion per reactor. This expense has been driven in part by more stringent safety standards but also by the fact that, with fewer plants being built, there are fewer construction workers qualified to build them, resulting in costly construction delays for corrections of mistakes. The future of nuclear power is now largely in the hands of China. About half of the nuclear power reactors under construction starting in 2008 are located there, and China's nuclear industry is beginning to propose projects in other countries. China's rate of construction is still far below that of the U.S. and Western Europe in the 1970s, however, and the world is consuming electric power at three times the rate it did then. The International Energy Agency projects that the nuclear share of China's electricity generation will grow to only 10 percent by 2040.
On the scale needed to shift human energy use away from fossil fuels, therefore, nuclear power has become a helpful but relatively marginal player. Chernobyl damaged its prospects, but it was not the only reason for the technology's decline.
%%%%%米国科学誌記事紹介おわり

須曾蝦夷穴古墳(能登島)

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(写真: 当地でも田に水が入り始めました。五月になると苗つけが始まります)
P429みずたx


 今般の熊本地震について気象庁が記者発表の場で「今までに経験したことのない地震活動である」と繰り返し語りました。私なんぞも実際そうであると思っていたので聞き流していましたが、ある記事を見て「はっと気づかされました:
 「経験則がない」は気象庁の嘘。慶長大地震を見よ!」と題する記事です。(http://j55.pw/trXu サンデー毎日 2016年5月 8日号)
 以下はその抜粋です:
%%%%% サンデー毎日記事の抜粋
 (前略)にもかかわらず、気象庁は「経験則がない」と逃げる?
「原発再稼働」と関係があるのではないか? 安倍政権の大方針に水を差す「地震予測」は自粛した方が良い、と思っているのでは?(僕は「一定期間、安全を優先に原子力発電は利用すべきだ」と考えているが)今回の地震で「地震国ニッポン」の原発はリスクが多すぎる!と思うようになった。
 丸川珠代・原子力防災担当相は4月16日、熊本地震の非常災害対策本部会議で、稼働中の九州電力川内(せんだい)原発について「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断」と報告した。
 原発では、周辺の活断層などで起こる大地震を想定して地盤の状態を加味し、原発直下の最大の揺れ「基準地震動」を見積もる。これをもとに原子炉、建屋、配管などの構造や強度を決めるが、川内原発ではそれが620ガル。
「今回の地震で川内原発において観測された地震動は最大で12・6ガル。620ガルの地震動を受けたとしても、安全上重要な機能は確保される」と言うのだが......川内は熊本地震の引き金になった「日奈久断層帯」の南西にある。少なくとも当分の間、稼働停止すべきではないのか?
 旧ソ連はチェルノブイリ原発事故で崩壊したが、日本が再び原発事故を起こしたら......東京五輪中止ぐらいでは収まらない。(後略)
%%%%%記事抜粋おわり

 そうであったのか!との思いです。NHKが意識的に川内周辺に関わる報道を避けたことと相通ずるものがあります。福島第一原子力発電所事故では、あの大津波を「想定外」であるとして政府も東電も責任を取ることから逃げました。今回、同様な事故が引き起こされた場合には、「想定外」を「未経験の地震であった」に置き換えて再び電力会社と政府はその責任をまぬかれようとの魂胆。その意志をきっちりと気象庁担当官の口から言わせたのです。悪賢い官僚はそこまで思いを致すのか!との思いです。勘ぐりすぎとは思えません。

+++++須曾蝦夷穴古墳(能登島)
(表1: 天皇グルーピング、図上でクリックすると拡大できます)
IVグループ


 第IV天皇群は、奈良盆地に棲息した「中」一派による倭国殲滅の狼煙が上がる事件で締めくくられます。それが「乙巳の変」です。このあと「大化の改新」となるわけです。このIVグループの後に続く天皇たちを語る日本書紀編年には、もはや「即位期間則」はありません(上表参照、水色の天皇群)。「中」一派の「のろし」と言うべきか「蜂起」というべきか、それにいたる準備経緯こそが、第IV天皇群ということになります。そしてこの「蜂起」が以後の日本列島の政治を規定したわけです。黒比売(黒姫)に始まる天皇群I〜IIIは「中」一族蜂起(叛乱と言い換えても良いのかもしれません)への経緯を、藤原不比等の視点から語ったものであることがわかります。本ブログでは経緯の大筋が天皇群のグルーピングから見えてきたわけです。その詳細な経緯については、改めて議論することにします。

 そもそもこの話は昨年8月末に北陸新幹線で富山、石川の両県をを訪ねたことから始まりました。観光案内書に言う黒部川の名前の由来に興味を惹かれたことがきっかけでした。調べてゆくと黒部川周辺との東北域には、五世紀から六世紀の日本列島の主要な政治勢力が見えてくることを書いてきました。彼らは、遠く中近東からの渡来族と日本書紀が「エミシ」と呼称する現地住民アイヌ族から構成されていたと思えます。

 しかし、日本書紀はこうしたことを書きません。倭国の活躍、活動勢力の舞台はすべて近畿地方とりわけ奈良盆地内に場所を移しかえられて記載されてしまうのです。この事情は、九州にあって「倭」なる政治勢力の活躍が、これまた近畿地方に移しかえられてしまった事情そのものです。私はこれを「奈良盆地への箱庭造成」と本ブログで書いてきました。

 倭国を支えた「倭」の勢力の活動の痕跡が次に訪ねた石川県能登半島に残されています。この話で私の北陸旅行の話を一段落させ、「列島の信仰体系」、つまり長く休んでしまった「カトリ」の話にもどることにします。

 昨年の晩夏、富山県に別れを告げ、次に訪ねたのが能登半島の東側中央部の七尾湾に浮かぶ小島、能登島です。この島に須曾蝦夷穴とよばれる古墳があります。
(図1: 能登島と須曾蝦夷穴古墳の場所)
七尾ー能登島


(図2:須曾蝦夷穴古墳内部への二つの横穴、http://j55.pw/Wfck より)
nt-susoezo21

 
(図3:須曾蝦夷穴古墳内部の玄室)
P826玄室


 ウイキペディアはこの古墳について以下を書きます:
%%%%%ウイキペディアより
七尾湾内に浮かぶ能登島の南岸に臨む字須曽の背後丘陵に所在し、標高約80メートルである。
一辺が20m程度、高さ約4.5メートルで、古墳時代後期に属する横穴式の方墳であるが、石室が二つ有ること、横穴が石室の長辺に接続していること、石室の天井部は隅三角持送技法によりドーム状になっていることなど、日本の古墳には例が少ない高句麗式の構造を備えている特長がある。二基の石室とも長い羨道部をもち、全長約7メートル前後ある。雄室と呼ばれる東側の石室は平面形はT字形で、雌室の方は逆L字形に造っている。石室用材は能登島に産出する安山岩室板石である。
構築されたのは古墳が殆ど作られなくなった7世紀中頃とされ、被葬者は判っていない。
%%%%%
 この古墳についてはインタネットに多くの人の観察やらを見ることができます(例えばhttp://j55.pw/Wfck )。この古墳で最も興味深いことは、石室が二つあることです。研究者達はこの墓の建造様式を朝鮮半島に求めています。そこには二つの石室を持った墳墓があります。これを知ったのは松木武彦・国立民俗博物館教授の講演でした。慶州(キョンジュ)皇南大塚(ファンナムデチョン)(http://j55.pw/23cS )です。新羅王国の首都に建造されたとの事です。

(図4:慶州(キョンジュ)皇南大塚(ファンナムデチョン)、http://j55.pw/23cS より)
慶州皇南大塚2


 松木教授の講演主題はこの墳墓ではありませんでしたが、興味深い発掘事実に触れていました。それによれば、埋葬された二人の人物について、王と王妃、王と息子、で議論が定まっていないようです。また王と一緒に埋葬されたということは、この人物は「殉死」と言うことなのであろうか?との議論もあるようです。何故こうした疑念が生ずるのか?それは墳墓の築造段取りが日本列島でのそれと異なっているからです。

 日本列島にあっては、生前から墳墓の築造が始まり、完成後竪穴、あるいは横穴を穿ち、そこから石室を作履、死者を埋葬するという段取りです。したがって、亡くなる時期が異なっても、後に亡くなった人をその墳墓に安置することができるというわけです。
 一方、新羅の墳墓では、貴人が亡くなると葬式後直ちに遺体を石棺に収め、人間の頭大の石を大量に積み重ねて棺を覆います。その上で、更に大量の土を積み上げてやっと墳墓が完成します。と言うわけで、別の時期に無くなった二人の人物を同一の墓に収めることが出来ないことになります。
 そしてこのことが後世の考古学者には有がたいことであったとの事です。なぜならば、「盗掘」が出来ないため、当時の状況、刀剣、宝物などの被葬物が保存されているからです。

 この築造の段取りを考慮すると、須曾蝦夷穴古墳はれっきとした羨道につながる横穴を持っていますから、二人の人物を埋葬しているとはいえ、慶州(キョンジュ)皇南大塚(ファンナムデチョン)とは異なっています。しかし、この古墳からは朝鮮半島由来と思わせるものが多く出土しているとのことですので、地理的な状況からしても半島との密接な関係があったであろうことは間違いないようです。

 ところで、この古墳に何故「蝦夷」なる表記がふされているのでしょうか?この古墳の敷地内に「蝦夷穴歴史センター」があり、そこで資料閲覧が出来る筈でした。しかし、私がこの地を訪ねたのが「博物館趣味者には魔の月曜日」でありました。世界中のどの地でも博物館は月曜日には閉ざされています。というわけで、旅から帰った後、インタネットでいろいろ調べてみました。加賀の前田藩の頃から、蝦夷古墳と住民が呼んでいたらしい事もわかりました。しかし、それ以上のことはわかりません。

 私は日本書紀が「蝦夷」とよぶアイヌ一族がこの地に関わっていたであろう事、むしろ強くこだわっていたであろうと考えています。それはこの地の緯度です。この墳墓の位置は東経136.97度、北緯 37.11度です。この『緯線』を東に辿ると福島県須賀川市長沼の旧磐瀬国造祉、西に日本海を越えてずんずん進むと中国・青海(チンハイ)湖です。この緯線上では、夏至時の太陽は真東から北にきっちりと30度の方角から上ってくるのです。この意味するところを2014年8月13日記事で書きました。次回それを振り返りつつ話を進めます。

 因みに、この同一緯線から僅か南にずれたところに新潟県の青海があり青海神社があります。

(つづく)

第IV天皇群、共産党元幹部の右翼誌投稿

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:横浜港に係留される氷川丸)
P4250020


 新しき 生活求め 南米へ 必死の思いが 胸にこたえり

 先日、町内会バス旅行に参加し、横浜を訪ねました。三渓園を訪ねたのははじめてです。収集を趣味とする御仁、色々居られますがまさか江戸時代以前の建築物を自らの邸内に移築してしまうとは、驚きでありました。和風の広大な庭園に、紀州藩主徳川頼宣公別邸やら、鎌倉の東慶寺本堂など十七棟が配置されていました。徳川頼宣といえば、油井正雪の乱の黒幕であったとか無かったとか。更には、徳川二代将軍秀忠に疎まれて紀州に移された等など、歴史小説好きには、色々とエピソードを思い起こさせる人物です。この人物の顔は知りませんが、なにやら知り合いの家を訪ねた気分でありました。

 東慶寺は人ぞ知る駆け込み寺です。井上ひさしの小説にもあるように、酷い旦那から必死の思いで逃げ出した人妻のためのまさに避難寺です。老齢になって知ることですが、連れ合いをそこまで追いかける旦那の気分が想像できなくなりつつあります。それはさておき、有名なところでは会津藩主・加藤明成の家老であった堀主水が藩主の暴政に逆らい妻子をこの寺に避難させた事から大騒動となったことは良く知られています。暴君明成は東慶寺にまで兵を差し向ける事態となった歴史小説の断片が色々と思い出されてきます。この本堂に堀主水の妻と娘が夫の無事を願って日夜詣でていたのだろうと、想像しました。騒動は徳川幕府の加藤家面子を重んじた介入で落着しました。しかし加藤明成は移封となり、その後を襲ったのが名君・保科正之です。

 そして、つぎが横浜湾で見た氷川丸です。かってはサンフランシスコ航路の主役として、米国、ペル、ブラジルに日本からの移民を運んだ大型客船です。移民の出身地は沖縄、そして今般大震災に苦しむ熊本県などです。思えば、四半世紀前に始めて訪ねたペルは大統領選挙の真っ最中でした。選挙戦序盤では泡沫候補といわれた熊本県出身の藤森候補がグングンと支持をのばし、ついには選挙戦を制するという歴史的時点でもありました。それから6〜7年後でしょうか。ペル大使館へのゲリラ兵による占拠事件が起きました。TVでの報道を見ながら、大使館を訪問し調査活動を報告した際の館邸の内部を思い起こしました。

 私の訪問目的はマチュピチュ遺跡の耐震性調査と言うものでありました。訪問の五年前にクスコのM6.5の地震がありクスコの大聖堂にいくばくかの損壊があったので、世界遺産たるマチュピチュの保存が問題意識にのぼったのです。リマからまずはバスでしかるべき列車駅に行き、そこからマチュピチュの麓駅まで行きます。バスを降りると駅前はものすごい人だかりなのです。人を掻き分け掻き分け駅舎に歩む途次、同僚が「盗まれた!」と大声を上げました。ポーチェと言うのでしょうか?腰にまきつけたポーチェから何かを盗られたというのです。ところが、程なく盗まれたものを「犯人」が手渡しで返却してきたというのです。それは「老眼鏡」だったんですね。年配の同僚には欠かせないものです。気の毒に思った「ドロちゃん」が返却してきたというわけです。

 以前、エジプト・カイロでの奇妙な体験を本ブログで書きましたが(2013年3月29日記事http://j55.pw/8KRb )、四半世紀前の世界は、なにか事件そのものが「おっとり」していたのではなかろうかと、ゲリラ事件を省くならば昔を「懐かし」んでも良いなかなと思っています。

+++++天皇IVグループ
 (図1:第IVグループ の天皇群と系図、図上でクリックすると拡大します)
IVグループ


 前々回書いた天皇第IIIグループについては、歴史家は謎に包まれる継体天皇に関心を集めますが、日本書紀の構成と言う視点からは、その記述量の多さから、欽明天皇の事跡記述の背後を検討すべきかなと考えています。それは、現時点での当ブログの文脈から脱線しかねないと思っていますので、後日にその作業をします。

 日本書紀の編年に貫かれている法則にしたがうならば「機械的」にその第IVグループ(世代とも言い換えることが可能なのかもしれません)を「定義」できます。それが図1で紫色で示される天皇群です。日本書紀が書く系図が右に図示してあります。古代史に詳しい人は、この表から大いなる異論の声を上げるのではなかろうかと思います。
 それは皇極天皇と斉明天皇です。日本書紀は皇極天皇と斉明天皇は同一人物と書くからです。同一人物が異なる天皇世代の両方に属するなぞは「おかしい」と言うわけです。勿論、私もその異論に同意します。
 しかし、皇極天皇の終焉は「乙巳の変」(いっしのへん)とよばれる「政変」です。この政変で専横を極めた蘇我入鹿は「中」連合(中臣、中大兄)によって政治の舞台から葬り去られたと、日本書紀は書きます。父であった蝦夷はこの事件の直後に自害したとされています。いずれにしても、この政変は「まさに世代交代」に相応しい事件と言うことが出来ます。従って、「皇極紀」がIVループの最後の天皇であるとの日本書紀の位置づけは整合的であり、そうした筋書きに沿って書紀が編纂されたのです。

 このように考えると、斉明女帝とは何者か?それは、ポストIV世代の話となります。このポストIV世代の先頭が孝徳天皇です。古代史研究者は、天智天皇の孝徳天皇への冷たい仕打ちに倣ってか、あまり重要視していないようです。しかし、前回書いたようにこの天皇に日本書紀が費やす文字数は、なんと上位三番目に位置するほど多いのです。それはこのIVグループについて、最も字数を費やされているのが推古天皇を上回っているのです。

 何故、日本書紀は記載する天皇紀について斯くも記載量が異なってくるのでしょうか?答えは明瞭です。政治史の転換点で多くの記述をすることで以って当時の識者の暗黙の合意と支持を獲得する意図があったのです。だからこそ推古帝について多くの字数を費やし、大化の改新の出発点となった孝徳紀に多くの字数を使ったのです。欽明紀同様、じっくりとこれらを精読せねばなりません。

 さて、上に書いてきたことを追いかけるとますます本ブログの当面の課題から逸れてしまいます。天皇グループIVの時代は、九州に拠点を置いた倭国への「中」勢力による殲滅戦の第二ステージです(第一ステージは継体天皇による「磐井の乱」)。しかし、現時点でこれを書くことは、本ブログの時間的整合性を著しく乱します。そこでこれは一旦ここで置いておき、まずは 黒部川から能登半島に場所を移すことにします。なぜならそれは最近のブログ主題が富山県そして黒部川の由来から始まったからです。これはブログ管理人の昨年八月末北陸旅行の見聞に始まっていました。
(つづく)

+++++共産党からはみ出た人
 私には読み進めるのが辛いブログを下に転載します。往年の共産党系論客・塩田庄兵衛氏の直弟子である五十嵐氏の痛切な思いが込められているのでしょう。左翼学生であった私はかって学園祭の講師に塩田氏をお招きするべくご自宅にまでお邪魔したことがあります。まことに暖かいお人柄とその謦咳に接したことは今でも記憶にあります。
 さて、現今の共産党について故塩田氏は愛弟子と同じ感想を抱かれるのだろうか?私の想像の域を超えます。研究者として、評論家として多様な声を発する人たちがいます。これらの人たちをその主張から分類することは可能です。しかし分類された人たちに「左」、「右」との呼称を貼り付けることにどうもすさまじい抵抗があるのです。
 聞くところではあの安倍五賢人の一人といわれた中西輝政氏が公然と安倍批判を開始したとのことです(http://j55.pw/VfW7 )。中西氏には氏特有の思惑があったとしても、「極右である」、との形容詞が先行することは、読者には大変非礼であると私は思います。同様に左翼系の論者にもそうした先入観を植え付けるような言葉使いは控えるべきでしょう。

 そう思うと、筆坂氏にはしかるべき主張があり、その主張の場が五十嵐氏が言うところの右翼雑誌であったのだろうと思っています。五十嵐氏は雑誌の「偏向」ではなく筆坂氏の主張について何がしかを書くべきと思います。実際、私が見るところでは筆坂氏は至極常識的な共産党への疑問をあげているに過ぎないと思えます。そして知れらは、本ブログで私が私的s手いることと隔たっていません。七月の国政選挙では、戦いが熾烈になれば、必ずや自公勢力から指弾される事項でもあります。共産党の誠実で丁寧な対応を筆坂氏は助言しているのだと思っています。
 
%%%%%五十嵐仁氏のブログより
筆坂秀世・兵本達吉両氏の無残な姿に心を痛める
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-04-27
2016-04-27 10:18 五十嵐仁の転成仁語

 何という無残な、という気持ちに襲われました。このような姿を目にしたくなかったとも。
 新聞の下の方にあった雑誌の宣伝を目にしたときの気持ちです。暗澹たる思いで、胸がいっぱいになりました。
 その雑誌というのは『月刊Hanada』6月創刊号で、「花田紀凱責任編集」とあります。飛び出したのか追い出されたのか知りませんが、これまで『Will』という雑誌の編集者であった花田さんが編集部を離れたことは知っていました。
 その花田さんが新しく始めた雑誌がこれです。記事として、小川榮太郎「TBSの『重大犯罪』」、百田尚樹「『カエルの楽園』は『悪魔の書』ではない!」、櫻井よしこ・小野寺五典・板橋功「緊急座談会 テロとの闘い本番はこれからだ!」などが掲載されています。
 極右編集者として知られている花田さんらしいラインナップになっています。そして、この創刊号の「目玉」として「本当は恐ろしい日本共産党」という「総力大特集」が用意され、ここに藤岡信勝「微笑戦術に騙されるな」という論攷とともに、筆坂秀世・田村重信「日本共産党は解党せよ」、兵本達吉「日本共産党の『黒い履歴書』」という2本の記事が掲載されています。
 こう書いただけで、私がどうして無残なという気持ちに襲われ、暗澹たる思いを抱いたかがお分かりいただけるでしょう。「とうとう、こんなところにまで行ってしまったのか」と、情けなく思ったからです。
 花田紀凱、小川榮太郎、百田尚樹、櫻井よしこ、藤岡信勝という名前が並ぶことには、何の違和感もありません。皆さん安倍首相のお仲間で極右論壇のスターたちですから、極右雑誌の創刊をにぎにぎしく飾るにふさわしい方ばかりです。
 しかし、ここに筆坂さんや兵本さんが加わっていることには心が痛みます。この2人が共産党にかつて属していた経歴を持っており、安倍首相の仲間になるなどとは思っていなかったからです。
 筆坂・兵本の両氏がこれらの記事で何を書き、どのような主張を行っているのか、まだ雑誌を読んでいませんので分かりません。その内容については批判されている当事者である共産党からの反論があるかもしれませんが、私が問題にしたいのは別の点にあります。
 何が悲しくて、花田紀凱、小川榮太郎、百田尚樹、櫻井よしこ、藤岡信勝、西尾幹二などと一緒に名前を並べることになってしまったのか、ということです。これらの人々がどのような政治的スタンスを取り、どのような主張を行っているか、まさか知らなかったわけではないでしょう。
 これらの人々が安倍首相の応援団であり、アベ政治のブレーンたちであることは世間周知のことではありませんか。どれほど共産党に反感を持ち、批判的な主張を行おうとも、アベ政治とは一線を画すという程度の判断や矜持くらいは持ち合わせて欲しかったと思います。
 しかも、筆坂さんは常任幹部会委員・参議院議員として、兵本さんは橋本敦参院議員の公設秘書として活動した経歴があり、共産党の幹部だったり中枢にいたりした人です。今回のような形で共産党を全面否定するような記事を、このような雑誌に、これらの筆者とともに書くことは、自らの過去を全面的に否定することになると思わなかったのでしょうか。
 本人からすればそれも覚悟のうえということかもしれませんが、そこまで追い込まれてしまったことに心が痛みます。自由や民主主義のために闘った自らの青春時代や半生を、それとは正反対の極右の立場から全面的に否定することになるのですから。
 しかも今、「アベ政治を許さない」という安保法反対などの運動が澎湃と盛り上がり、参院選に向けてアベ政治打倒の野党共闘が実現し、その推進力として共産党が大きな力を発揮しているその時に、「本当は恐ろしい日本共産党」という「総力大特集」に「日本共産党は解党せよ」「日本共産党の『黒い履歴書』」という記事を書いているわけです。そうすることがどのような政治的効果を持つのか、誰を利するのか、この2人のことですから分からないはずはありません。
 その経歴からして、共産党攻撃に大きな利用価値があると見込まれての起用でしょう。さすがは花田さんです。編集者としてのカンは衰えていないようです。
 その花田さんに足元を見られ、アベ政治擁護のために利用されていることが分からないほどに、この2人の政治的感覚は鈍ってしまったようです。それとも、貧すれば鈍すということなのかもしれません。
 極右論壇の片隅で原稿料を糧にしながら生きながらえることを選択したということなのでしょうか。それほど政治的な感覚や判断力が鈍ってしまった、あるいは経済的に窮してしまった、ということなのでしょうか。
 共産党に対する批判は、それが事実と道理に基づくものであれば有意義であり、共産党にとってもプラスになるものです。しかし、全面否定するだけでは、戦前・戦後の政治史に対する無知と自らの変節を告白するだけになってしまいます。
 このような哀れを催すほどの無残な姿を目にしたくはありませんでした。とりわけ、政策委員長であった筆坂さんについては、その能力をかい期待していたこともあっただけに残念でなりません。
%%%%%ブログ記事転載おわり

熊本地震と川内、そしてNHK

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:畦道の芥子の花が白っぽく色褪せています。全部ではないので除草剤のせいだろうか?といぶかっています)
P423芥子

 
あぜ道の 黄色い菜の花 退(しりぞ)きて 芥子の花々 蝶を惹き寄せる

 土曜日の東京新聞コラム「筆洗」が今般の熊本地震の川内原発への影響について「原子力規制委員会」のそっけない対応に言及しています。加速度(ガル値)による判定基準に基づいているから「科学的」判断であると同委員会は言います。そこに確信があるのであれば、言葉を尽くして九州の民を安心させるべきと思います:
(図 東京新聞4月23日付け、コラム「筆洗」より   
 P423東京


 %%%%%政府よりといわれる産経新聞が同委員会の対応を批判しています:
  http://j55.pw/jtrN 
 熊本地震で大いに株を下げた原子力規制委 
一般向け情報発信ゼロが首相官邸の逆鱗に触れ 背景には広報体制の軽視が…
 甚大な被害をもたらした熊本地震で、原子力規制委員会が“株”を下げた。
震源の周辺には、稼働中の九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)など4カ所の原発があり、安全性には何ら問題がなかったにもかかわらずだ。規制委は情報発信に失敗し地元住民の不安を解消できなかったばかりか、官邸から「情報発信を改善するように」と叱られる始末。国民のニーズをどうくみ取るか。とかく「独善」と批判されがちな規制委は、突如襲った試練にうまく対応できなかった。(原子力取材班)「率直に反省しなくては」、「国民の皆さんがいろいろ心配している。情報発信が十分でないと叱られているが、率直に反省しなければならない」。規制委の田中俊一委員長は4月18日の臨時会合で、規制委側の非を認める殊勝な姿勢を見せた。続いて原子力規制庁の清水康弘長官も「今回の対応については反省すべき点が多かった」と強調した。

 取材班は会合後の記者会見で、なぜ国民のニーズをくみ取ることに失敗したのか、と尋ねた。
 「原子力施設の状況についての報道は産経新聞も出されていたと思う。だから、そこが非常に難しいところで、ただ何もなくても規制委としての考えを出すべきだという意味では、少し不足していたことは否めない」。田中委員長はこう認めざるをえなかった。会見ではフリーのジャーナリストが“反原発”の立場から、次々と質問を投げかけた。「国民の最大の疑問は(川内原発を)なぜ止めることで予防しないのかということだ」「山火事がすぐそばまで迫っているのに花火大会をやっているのか」「規制委のあり方を改めるべきではないか」中には「仲間にも呼びかけて、止めてほしいという声を(規制委に)届ける!」と、ジャーナリズムの範疇からはみ出し、政治活動家のような発言をするフリー記者も現れた。

杓子定規な対応に官邸不満
 では規制委の情報発信とはどういうものだったか。熊本県で14日夜に震度7を観測した地震では、当初、規制委はメディア向けに「異常はない」というメール配信をしているが、一般向けに情報発信はせず、翌日午前になってようやく公表した。規制委のホームページ( http://j55.pw/AFLr )には、「新着情報」という項目がある。その中で「熊本県で発生した地震による原子力施設への影響について」という文書があり、「異常情報は入っていない」と記載されている。しかし、「緊急時情報ホームページ」という項目の中には、何も書かれていない。なぜなら、規制委の緊急時情報は、立地道県で「震度6弱以上」、立地市町村で「震度5弱以上」という規定に従っており、今回の地震では、鹿児島県内の最大震度が「5弱」、川内原発が立地する薩摩川内市での最大震度が「4」だったからだ。
 ただ、これではあまりに杓子定規すぎる。
 菅義偉官房長官は正確な情報を迅速に発信するよう原子力規制庁に指示。15日の会見では「規制庁におけるホームページやツイッターでの情報発信が不十分だとの意見を重く受け止め、私から正確な情報を迅速にしっかり発信するよう指示した」と述べた。

組織の存亡握る「顔」が不在
 官邸のあからさまな介入に、慌てた規制委は週が明けた18日に冒頭の臨時会合を開催。19日から情報発信を抜本的に変えた。震源に近い九州、中四国地方には4カ所の原発があり、それらの状況を毎日2回、異常があってもなくても定時に情報発信すると発表した。
 公表時刻は午前10時と午後8時で、対象は川内のほか、九電玄海原発(佐賀県)、四国電力伊方(愛媛県)、中国電力島根(松江市)。仮に震度5弱以上の地震が発生した場合は、別に速報を出すという。 ただ情報発信の内容を見ると、それほど変更点は見られない。すでに臨時会合の中で、なぜ大地震でも原発が安全かという疑問に対して、数値を示して公表しているから、それで十分かもしれない。つまり今回の規制委の“失敗”は、情報の中身というよりも発信のタイミングやアピールの仕方に起因するものだ。規制庁には毎週2回メディア説明に対応する「報道官」がいるが、総務課長が兼務している。広報室長は2月に代わったばかりで、前任は福島第1原発の事故が専門だった。広報対応に不慣れな点は否めない。取材班は規制委の発足当初から約3年半、この組織を見続けているが、規制委は広報専門家の育成の重要性をまともに考慮していないと断言できる。報道官はすでに4人目だ。広報を一手に引き受けるスポークスマンはその組織の“顔”でもある。組織の存亡がかかっているといっても過言ではない。今からでも遅くない。育成へ早急に着手すべきだろう。
%%%%%産経新聞記事引用おわり

 上記記事は、「お上」である原子力規制委員会の国民への対応ですが、その背後に、そうした対応に導く国の指示が貫かれているのでは、と疑っています。その一端を今般の熊本地震が発生した際のNHKの放送で見ることができるように思っています。

それはyoutubeに遺されるNHKの報道です。まずは4月16日の午後9時半ごろの放映です。
https://www.youtube.com/watch?v=rniZGxCd76I (NHK16.04.14)
 川内の原子力発電所はどうであったのか!それが私の大きな関心事の一つでありました。放送後1分後にやっと各地の震度が地図に表示されます。が、川内の直北までで川内を含まないのです。せめて鹿児島県北西部の震度が表示されれば、川内での震度は推定できます。しかし、それはありません。この震度表示は東の海を越えた愛媛県での震度、または宮崎県でのそれは表示されているのです。

 そして、4月16日未明1時半の地震でもそれは同様です(http://j55.pw/Dme7 )。表示は依然として変わりません。九州全土での震度が表示される中で依然として川内周辺のそれは空白なのです。この速報報道でとりわけ注目したことは、NHKは津波の発生が危惧されていること、そして一部の沿岸ではそれが到達している可能性まで繰り返し報道しています(上記youtube を視聴してください)。当然、福島の2011年3月11日の悲惨な経験に照らして川内の状況が放映されるべきであったのです。にもかかわらず川内には言及が及んでいないのです。誠に不思議です。これは深夜の放送です。もしかして現場の報道マンの籾井検閲をかいくぐる逆説的)皮肉)報道であったのかなとすら想像した次第です。

そこで想起したのが「籾井NHK会長の部下への指示」です。

%%%%%籾井NHK会長による報道のあり方指示
<熊本地震>原発報道「公式発表で」…NHK会長が指示
毎日新聞 4月23日(土)2時30分配信◇識者「独自取材、萎縮させる」

 NHKが熊本地震発生を受けて開いた災害対策本部会議で、本部長を務める籾井勝人(もみい・かつと)会長が「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたことが22日、関係者の話で分かった。識者は「事実なら、報道現場に萎縮効果をもたらす発言だ」と指摘している。
 会議は20日朝、NHK放送センター(東京都渋谷区)で開かれた。関係者によると、籾井会長は会議の最後に発言。「食料などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい」とも述べた。出席した理事や局長らから異論は出なかったという。
 議事録は局内のネット回線を通じて共有され、NHK内には「会長の個人的見解を放送に反映させようとする指示だ」(ある幹部)と反発も聞かれる。
 砂川浩慶・立教大教授(メディア論)は「会長には強い人事権がある。発言が事実なら、萎縮効果をもたらす発言で問題だ。熊本地震で起きた交通網の遮断を前提に原発事故発生時の避難計画の妥当性を検証したり、自衛隊と地元自治体との連携について振り返ったりするといった独自取材ができなくなる恐れがある」と指摘する。
 NHK広報部は「部内の会議についてはコメントできない。原発に関する報道は、住民の不安をいたずらにあおらないよう、従来通り事実に基づき正しい情報を伝える」としている。【丸山進】
%%%%%

 このような指示に従って意図的に「川内原子力発電所」周辺の「震度公表」が回避されていたのだとすれば、「国民からの視聴料」で運営される公共放送局としてはあるまじきことです。
 思えば、原子力規制委員会は川内原発の再稼動を認可した際、原子炉そのものの技術的課題の評価について下に書く事例のよう奈指摘を受けています。免震棟の建設などもその一つです。しかし、委員会はこれについては「見ぬ振り」です。

 これに加えて、事故が発生した場合の周辺住民の放射能汚染からの安全確保についての判断を糾されています。しかし、委員会は地方自治体にその責任を押し付けてしまったのです。
 今般、九電が想定していなかったほどの大きな震動で事故が発生していたとしても、NHKはその震度を放送で公開しないことがありえるわけです。これは、2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故に際して、「パニック」を怖れるあまりむざむざと飯館住民を放射能汚染に晒してしまったと同じ事態になりかねなかったのです。
 
 +++++川内原発は緊急停止装置に問題があったのか?との疑念
 この川内原発に関しては、その稼動再開について原子力規制委員会が「お墨付き」を与えたものです。が、この再稼動については専門家から技術上の問題で深刻な懸念が出されていたことを下に紹介しておきます。昨年8月の記事です:
%%%%% 耐震データの疑惑
http://j55.pw/J6Sh 
“地震の時の制御棒挿入時間の疑惑”と題して規制委員会の審査で白抜きされている部分についての疑惑が指摘されています。それは「耐震性データの疑惑について」http://j55.pw/s6eW )と題されて詳細に検討されています。
川内原発が8月11日にも起動予定であることが九州電力から告知されています。しかし、起動後に大変重要な「原発を止めるためのブレーキである制御棒」について、大地震などの時にブレーキとして使い物になるのか懸念される様な疑惑があるのです。 大地震などの際に原発を緊急停止できず、重大事故に発展する恐れが高まる訳です。
元々、九州電力の耐震性評価などに関するデータの隠蔽が問題になってきました。一部開示されているデータからだけでも、重大な耐震性の問題が見え隠れするのです。 その問題を追及していて、現在非公開にされているデータで重要なものの幾つかが、以前の耐震評価の際には公開されていたデータの中に見つけることができました。
 それらのデータは現在も原子力規制委員会のサイトで公開されているものですが、それらの過去の耐震評価データから今の耐震評価の問題の詳細が見えてきたのです。加えて、制御棒については実際に振動台の上で揺らして実験してみた報告書があり、(この実験方法や評価には多くの問題があるのですが)参考になるデータもあります。
 これら今の(620ガル)での耐震評価と前の(540ガル)での耐震評価を比べ、実験データを使って分析すると、とても不自然な事実(データ)が存在するのです。元来270ガルで設計した川内原発1号です。今や620ガルに耐震基準を上げて、制御棒の耐震性に関する余裕を食いつぶしてきた結果、耐えられなくなったようです。 その事実が耐震評価で見えてきた時、正直に事実を記載することができなくなって、データを弄ってしまったのかもしれません。「認可」を得るために事実を隠蔽して。
とにかく、すでに公開しているのと同様の重要データを隠す理由は成り立ちません。制御棒が大地震に耐えられなくて燃料集合体に挿入できなければ緊急停止できません。ATWS (Anticipated Transient Without Scram:スクラム失敗を伴う予期された過渡事象)という最悪の事故の一つと考えられている、重大な問題が発生する要因になりえます。
 しかし、このような「原発を止められない」場合の事故を九電は想定していません。冷却水が太い配管が壊れて大量に漏れる事故想定も原発が止まっていることが前提です。核分裂反応が続いているままに漏れたら「炉心溶融までの時間・水素などのガス発生量、圧力や温度の上昇率・放射能の発生量や強度」などが停止した場合と違い悪化します。
さらに、30年以上の経年劣化により制御棒の挿入時間が遅くなる場合が検討されて、最悪の場合は少し時間が遅くなるが規定時間に収まるので大丈夫と評価されたようです。これも誰も実際に確かめた訳ではないので、耐震基準の引き上げと加われば脅威です。(地震動が大きくなると挿入時間が遅くなるが経年劣化による時間遅れまで加わるため)
(以下略)
%%%%%

 実際、上記の疑念に関わるような声をインタネット上で散見しています。曰く “今般の地震で反応を抑止する制御棒を挿入できなかったらしい。そのため停止したくとも出来なかった” と。その真偽は定かでありませんが、こうした疑念に、原子力規制委員会は対応をしなかったというのです(http://j55.pw/s6eW )。

 断層の力学について、前回に引き続いてもう少し立ち入った議論をするはずが、川内問題で字数を使ってしまいました。それは次回に書きます。


+++++パナマ文書
 ブログ http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/16070 によれば、パナマ文書を巡って日本の企業、団体が風評被害に困惑しているとのことです。真偽のほどはわかりませんが、そのパナマ文書には、以下の団体が記載されているとの事です:
(図 パナマ文書に見出された日本に本拠を置くと思われる団体)
パナマ文書


 何よりも驚くのがNHKです。何人かの方々がNHKに直接問い合わせをしたようですが、その回答はそっけないものであったとのことです。営利企業でないはずのNHKも最近は幾つかの企業組織を「子会社」にしたてあげて、利益の増大に勤めていることはよく知られています。これを支えるのが籾井会長を通じた安倍政権なのだろうとの構図が見えてきます。もう一つの団体も驚くべきです。日本では宗教法人へは格別な減税措置が講じられています。そうした負担すらも回避したいとの思惑があるのでしょうか?そして朝日新聞はこうした組織・団体が「無責任に」名前を公表されるために「風評被害」を蒙っていると書き、税逃れ組織・企業の代弁をしているように思えます。

 東京新聞が、この文書に記載されている企業・団体の税逃れ実態について論じています:
(図:東京新聞4月23日付記事)
P424パナマ


熊本地震(4)、今週の出来事

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:四月の半ば。ウロコ雲といえば秋と思いがちです。雲雀のさえずりが聞こえますが、姿を見つけることができませんた)
P419ウロコ雲


先(さき)を知る 先(さき)を見るとは 異(ことな)りて 経験依存の 統計予知なり

 地震は地球内部の破壊と言うれっきとした物理現象です。物理学・力学を駆使して起きてしまった破壊について、その過程を事細かに解明できる理論と解析技術は着実に蓄積され、今般の地震にあってもその能力は遺憾なく発揮されています。
更には、南海トラフ地震にそって起こるであろう南海巨大地震についての推移も現在の地震学は〔確かに〕先を見て、その発生を断言しています。それが「プレート理論」です。

 ところが、ひとたび一寸先の噺になると、その力学理論・物理理論は「無力」に変じます。その大きな齟齬、空隙(ギャップ)を埋めるには、「過去の地震」を持ち出すしかありません。しかし、それは古文書の記述ですから、そこからは個々の物理性状を推定するには限界があります。勿論最近は古代地質学とでも言うべき分野が高度な技術から地震化石(地表に残された地震の痕)を解明を広げつつあります。

 かくして、頼るのは「統計学」のみです。「統計学」では、同じような事象と、それらの時間的関係は繰り返されるとの前提に立っています。この議論では実は物理学は介在していないのです。更に言うならば、物理学が介在しないがゆえに、たとえば「本震はおろか、余震が何故起きる」との単純な質問にも回答できないのです。
 しかし、これをもって地震学者を責めるわけにはいきません。どのように物理学を介在させるかについての模索は大昔から続いてきたのです。が、〔どうしてよいか暗中模索〕の状態が長く続いています。以前書いた「パラダイム」の構築が求められているように思います。若い地震学者の奮起に期待したいものです。

熊本地震(4)
 熊本地震の複雑な推移は、所掌する気象庁を大いに困惑させています。それは一向に減少する気配を見せない余震活動です。それは、次の大きな地震発生への不安を増大させます。次に起きるかもしれない地震、それは、既に破壊された地震断層が更なる爆発的な拡大となるのか否かと言うことです。言い換えれば何故中央構造線と言う巨大な断層が厳然と存在していながら、当面は大分東部で拡大をやめているのかと言う疑問でもあります。さらには南進の気配を見せている日奈久断層は更なる動きを生ずるのかと言う不安でもあります。

 今回は、それへの私見を書いて見ます。
 地震による断層生成とは岩盤の内部に作られる破壊面です。この面は第一次近似としては平面であり、その形状は矩形と思ってよいでしょう(図1 ➀)。かくして、この面は長さ、L,と幅、W,を持ちます。
 地震時にはこのLとWを持つ矩形が瞬時にして形成されるわけではありません。極々(ごくごく)小さい粒のような破壊面が、広がって最終的にしかるべき破壊面を形成して終わります。この面の広がるスピード(破壊速度)はS波の伝播速度よりやや小さい程度と考えられています(これがS波より大きくなると衝撃波が生じます)。こうした過程を踏まえて理論的に合成される地震波は観測される地震波形とは良く合いますから、上記の近似は実際とそれほど違っていないはずです。 
 地震の断層が大きくなれない理由はこの破壊が前方の固い岩盤、あるいは断層周囲の力学環境(後述)でストップさせられてしまうからです。

(図 1:➀断層面とは岩塊の破壊面。この破壊面は瞬時に生成されるのではなく破壊が図のようにじわじわと広がって作られる(橙色の矢印)。或る時刻では破壊は図のような”前線”(フロント“を形成している.断層面はまっすぐな平面とは限らず、曲がっていることがある。 △涼覗悗鮠紊ら眺めた図。破壊はAから右上方向に広がりBに達した瞬間。破壊面ABの上方にあるブロックは、未だ動いていないBC 上方のブロックのため、「スベル」ことを一旦停止する。その領域が”b‘“で示されている。一方ABの下方の岩塊は左下方向にずれるため、B点の下の領域”b“は圧力が減少する。その結果ここで起きる摩擦力は減少し「すべり」が起きやすくなる可能性がある。
P4220002

 
 この断層面が図1の右(◆砲房┐垢茲Δ棒泙豢覆っている場合を考えて見ます。考察を単純にするためにこの面を上から見たとします()。そして、この断層が今般の熊本地震のように右横ずれである場合を考えます。八木氏の解析(4月18日記事参照)によれば、4月16日のM7.3地震は南西から北東に破壊が広がったとの事です。この場合、破壊の進行方向、つまりB点が、破壊から置き去りにされる方向A点よりも地震波の振幅(強度)は大きくなります(波の方向依存性、directivity)。

 図1で、左下(南西)から進んできた破壊前線(フロント)は折れ曲がりのB点に達します。この時点でB点の波の強度はA点のそれよりも大きくなっています。断層線ABの北側領域(b’で示されている)では右上にずれようとする岩塊は、まだ動いていないB点の右側にある岩塊に妨げられて動きにくくなります。一方 B点の南側(bで示されている)では、岩塊は左下方に動こうとしますから、B点の真下近傍が引っ張られます。ここでは岩盤を横から締め付ける応力が減るので、岩盤間の摩擦力が減ります。又地下の水などの流入もしやすくなり、岩塊間の間隙圧が上昇します。結果として摩擦力が減じ、ここで新しい地震がおきやすくなると言う仕掛けです。

 B点の上の領域(b’)と下の領域(b)との力学環境のせめぎ合いが次の地震の発生を制御するということなのでしょう。これに加えて、この事例では、破壊がAからBに進行しているため地震波の振幅も大きくなっており、領域“b‘”への破壊圧力は強まっているといえます。

(図2: ➀二つの断層がずれている場合で断層が右横ずれの場合、二つの断層がずれている場合で断層が右横ずれの場合、I枦沈鄰覗悗繁年山断層系
断層ー飛び
 
 

 固い岩盤が前進する破壊拡大に立ちはだかる、あるいは断層が折れ曲がっている、といった断層進展の停止メカニズムに加えてもう一つのメカニズムが図3です。ここでは最初の断層が左下でそれがB点で停止した、と言う場合です。それは既存の断層(活断層)が存在しないための停止です。さて、どうするかです。有り余るエネルギをどこに振る向けたものかと周囲を見回すと左前方にCから始まる活断層があります。そこに飛び移りCDに沿ってさらに走り続けんと言うわけです。が、BCに挟まれる空間はこの地の地質学的特性から“圧縮場”にあり、摩擦力が大きくスベリを起こさせる状態にはないのです。それを乗り越えるだけの余剰エネルギのありやなしやが断層が拡大する鍵となります。ここで一旦休止して、更なる断層の拡大を狙っている。これが現今の大分中部での状況ではなかろうか?と想像しています。つまり布田川断層とその先端お左にジャンプする別府―万年川断層の配置がそれに当たります。

 尚、図2△話覗悗左横ずれの場合です。クドクド書きませんが、この場合は断層のジャ
ンプと拡大は容易であるように思えます。
 
 いずれにせよ、こうしたシナリオを弾性体物理学理論で数学的に表現することは可能です(但し老いた当該ブログ管理人には無理)。色々発想を凝らす。これが停滞した地震学の新たな「ぱらだいむ」の構築二つながるのではなかろうか、と思っています。

 上に書いたようなシナリオを地震波解析から垣間見ることが出来るのか否かを次回考えて見ます。さらには、九州地方が南北からの「ヒッパリ」場の環境下にあるとの現状をもプレート理論から考えて見たいと思っています。

(つづく)
 
+++++今週の事件簿
 熊本地震について書いておきたいことがあったために、これまで掲載できなかった幾つかの記事を、「備忘」のために掲載しておきます。
(1) TPP、重要農産物すべて譲歩 特別委で農相説明
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS19H2M_Z10C16A4EE8000/
 19日開いた衆院環太平洋経済連携協定(TPP)特別委員会で、森山裕農相は政府が重要農産物としてきたすべての関税品目で 関税撤廃や引き下げなどの対応をしていたことを明らかにした。 政府は「緊急輸入制限措置(セーフガード)の創設などで影響を最小限に抑えた」と説明するが、民進党など野党は国会決議違反として追及する構えだ。
衆参農林水産委員会は政府がTPP交渉に入る前に、コメや麦、砂糖、牛肉・豚肉、乳製品の「重要5項目」について 「段階的な関税撤廃も認めない」とする決議をした。関税分類でみると594品目に分かれる。
TPPで外国産の安い農産物が大量に入ってきて、農家に打撃を与えるのを防ぐ狙いだった。
政府はこのうち関税を撤廃したのは170品目にとどまり、残りの424品目は「関税を残したので国益を守った」と説明してきた。

(2) 鹿児島県川内原発はなぜ稼動を停止しない?
 以前にも書いたのですが、川内原発からきわめて近い距離に特異な地震が1997年に発生しています、どうやら地質学的褶曲に関わる地震であったようです。
(図:日刊ゲンダイ紙より)
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/377.html 
川内160416

(図:北薩摩褶曲と、1997年の連続地震。これについては近日中に詳論します)
北薩摩褶曲


(3) 日本国の報道の自由
 WASPが主導する国連がアジア国に対してのたまう数々は私には不快です。しかし、ここで指摘されていることは事実には違いありません。『言論の自由』、「民主主義」これらについてはそれが本当に虐げられている庶民の武器足りえるのか疑問が体内にわだかまっています。いずれ書きます。
(図:東京新聞4月20日付け記事)
P420journalism

熊本地震(3)、天皇グループ

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:これは何と言う名の鳥でしょうか(シジュウカラ?)。ズームアップしている最中に飛び立つ気配、あわててシャッタ押しました。クリックすると拡大できます)
P419bird


 春の朝 わたしの財布 シジュウカラ

なんちゃって、落語家・林家喜久扇なみの駄洒落句であります。

+++++第IV天皇グループに移る前に一言
 古代天皇家の「万世一系」説は古代史研究者の間でも疑問視されていました。(関連記事http://j55.pw/72Mu )遠くは水野祐氏による河内王朝説もその一つです。飯豊皇女が暫定といえども天皇位にあったことがありや否かの議論をめぐって、天皇家の家系に幾つかの断絶らしきものが認められると岡田英弘氏は日本書紀の記述を読み解いて指摘しました(3月18日記事)。
 本ブログ管理人も、岡田氏とは全く異なる視点からそれを指摘してきました。本ブログ管理人の視点は、藤原不比等の手になると思われる日本列島の近・現代政治権力史(藤原不比等が編纂したのは決して古代史ではないのです)の編纂構想に思いを致すことにありました。そこから導き出された結論の一つが天皇のグルーピングです。その根拠は藤原不比等の「近現代史」構成に見ることのできる「編年」です。この編年は見る人によって異なってくると言うことのない、何人(なにびと)によっても検証できる事実です。これぞ、「科学的古代史探求」なぞと自画自賛しております。

 これから、その第IVグループを概観することになりますが、その前に一つだけ書きとめておきたいことがあります。日本書紀は歴代天皇紀として作られています。夫々の天皇について記載に要した文字数を調べてみると興味深いことがわかります:
 日本書紀全文のデジタル化が http://j55.pw/hNaF で実現されています。そこで、欽明紀での文字数を勘定してみると 17561字という字数を得ます。これには、幾つかの説明のための文字数そして“。、”といった句読点も含まれます。従って実際の字数はここで得たもののおよそ二割減と推定できますが、ここでは、17561と言う字数をそのまま使います。それは、単に他の天皇のために使われる文字数との比較のためであり、実際の字数そのものに格別の意味を持たせていないからです。

 次に、岩波文庫「日本書紀」で夫々の天皇に割かれている頁数を調べます。欽明天皇については116頁使われています。岩波文庫の一頁数あたりおよそ 17561/116=151.4 の漢字が使われていることになります。そこで、岩波文庫の頁数から各天皇の記載文字数を推定してみます。それを多い順に並べると次のように成ります:

天武下(巻二十九 P110-231(18318字)、岩波文庫(五))
欽明(G3,巻十九 P234-350(17561字) 岩波文庫(三))
孝徳(巻二十五 P236-329(14079) 岩波文庫(四))
神代上(巻一、P16-109(14079),岩波文庫(一))
神代下(巻二、P110-197(13171)岩波文庫(一))
持統天皇(巻三十、P232-316(12717)、岩波文庫(五))
雄略(G2,巻十四 P16-91(11354) 岩波文庫(三))
推古(G4,巻二十二、p82-151(10446) 岩波文庫(四))

 私はこの順位を大変興味深く眺めています。藤原不比等の編纂する日本列島近・現代史の最後は持統天皇であったとしても、その締めくくりは「天武」でしょう。従って、最も多い文字数が天武のために使われます。
さて次にランクインしているのが、なんと第IIIグループの「トリ」をつとめる欽明天皇なのです。第IIIグループは、奈良に拠点を置く「中」一族による日本列島制覇の出発点です。具体的には、〔中〕一族による「九州政権」討伐の基点です。そうした視点からは欽明紀が注意深く読まれるべきことを上記は示唆しています。

 第三位にランクされたのが第IVグループ終了直後に即位されたとする孝徳天皇です。これも私には「意表をつかれた」思いです。上記のランキングは本ブログ記事の節目節目で今後とも引用します。
 (つづく)

 +++++熊本地震(3)
 4月14日夜9時半直前に勃発した熊本地震はその活動が依然衰えず、被災者の方々には不安な日々が続いています。心よりお見舞い申し上げます。何と言っても余震活動が活発、とりわけ大きな震度をもたらす地震の発生がやまないことです。
(図1: 有感地震の時間ごとの頻度分布、気象庁4月20日記者発表資料より) http://j55.pw/g4uN )
熊本ー余震


 多くの地震では有感地震の発生回数は、図の4月14日午後9時から、16日午前1時までの推移に見るように急速に減少します。ところが、今般の地震では4月16日の未明午前1時半に起きたM7.3地震発生後の有感地震発生回数が時間とともに急激に減少しません。4月18日以降の地震活動はほとんど減少せず、あたかも“定常状態”のようです。これは一体どういうことか?

(図2:熊本地震を構成する三つの主震、気象庁4月20日記者発表資料よりhttp://j55.pw/g4uN )
JMA160420

 

 まさに3つの独立した地震活動が時間的、空間的に近接して起きた様子が窺えます。図の一番下の活動は日奈久断層に沿う活動ですが、これを右に追ってゆくと、その活動が南方(Bのほうに)転移しているようにみえます。ここから川内原子力発電所は50km以内です。

%%%%%地震による地変結果、NHKネットニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160419/k10010488941000.html?utm_int=news_contents_news-movie_003&movie=true  
熊本県で発生したマグニチュード7.3の大地震の影響などについて、国土地理院が衛星のデータを基に解析し た結果、北東から南西方向におよそ40キロにわたって地面が食い違うようにずれ動いたことが確認されまし た。想定よりも長い活断層帯がずれ動いたと考えられ、国土地理院はさらに解析を進めることにしています。
国土地理院は、熊本県で発生したマグニチュード7.3の大地震などで周辺の地面がどのように動いたか、地球 観測衛星「だいち2号」がレーダーで観測した地震前後のデータを基に解析しました。
 その結果、今回の大地震を引き起こしたと考えられる、布田川断層帯の一部の区間を含む北東から南西にかけて のおよそ40キロの範囲で、地面が食い違うようにずれ動いたことが確認されました。 最も変動が大きかった熊本県益城町では断層を境に、北側では2メートル以上東の方向へ、南側は西の方向へず れ動いていました。
大きな地面のずれは、布田川断層帯の端からさらに東側に当たる、震度6強を観測した熊本県の南阿蘇村付近で も確認されました。 これまでの調査で、周辺では大地震のあと地表に段差やひび割れが確認されていて、国土地理院は「布田川断層 帯が、これまで考えていたよりも数キロ東へ延びている可能性がある」と分析しています。
また、14日の震度7の地震を引き起こしたと考えられる、布田川断層帯の南に延びる「日奈久断層帯」の北の 端も、16日の大地震の際に再びずれ動いたとみられることが分かりました。地面の変動は、熊本と大分の県境 から長崎県の島原半島付近にかけての、東西100キロほどの範囲に及んでいるということです。
(図3:GPSデータの解析から得られる今般の地震の地変分布 http://j55.pw/KjJ5 )
熊本測地01

GPSで地震前の衛星と測定点との距離を計測しておきます。地震後に疎の測定点との距離を計測しその差を求めるものです。ただし、その違いは微小であるので、使っている電波の波長による波数の違いがもたらす干渉現象を用います。断層周辺の縞模様は地震前後の上下動の差を表しており、それは断層から遠ざかるにつれて小さくなる様子が縞模様で見えてきます。それは波数の違いによる「電波」の干渉によって作り出されるものです。

%%%%%

熊本地震(2)

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(写真:人家の屋根でくつろぐ鴨三羽)
P鴨三羽


戦乱に 踏みあらされし 狗奴国を 千五百年へて 大地震が襲う

 上に詠んだ歌の意については、下のほうで書いております。歴史学者の保立道久氏が 「火山地震104熊本地震と16世紀末の中央構造線連鎖地震」と題する論考をblogosに投稿しています。以下にその一部を抜粋しておきます:
%%%%%保立道久氏の論考抜粋
http://blogos.com/article/172160/ 
もちろん、678年の久留米の東の水縄断層を震源とした筑紫大地震では地震は大分の日田に及んだ。この断層は水縄山地とその北の筑紫平野を作り出した大断層であり、その全長は二〇舛呂△襪、このとき長さ九舛涼芭が地上を走ったことが『日本書紀』に記録されており、実際、この地域には、七世紀後半の地震によって噴出した砂層が何カ所も確認されている。『豊後国風土記』によると、日田郡五馬山(現在の栄村五馬市付近 の山)の稜線が崩れて温泉が噴きだし、その内の一つは直径三辰曚匹療鮓をもつ間歇泉で「慍湯」(いかりゆ)と呼ばれたというのが、それを示す記事である。
%%%%%抜粋おわり

 上で引用されている日本書紀記事は下記です:
%%%%%日本書紀・巻二十九より
 原文:
天武天皇七年(六七八)十二月、是月筑紫国大地動之。地裂広二丈。長三千余丈。百姓舍屋。毎村多仆壌。是時百姓一家有岡上。当于地動夕。以岡崩処遷。然家既全、而無破壊。家人不知岡崩家避。但会明後。知以大驚焉。

文意:岩波文庫『日本書紀』(五) 146頁より
 是の月、筑紫国地が大きに地動る(なう、地震のこと)。地は裂け、その幅は広さ二丈、長さは三千余丈に達する。百姓の舍屋は村々で多く仆(たお)れ、壊れる。是時、ある百姓一家が岡の上にいた。地震の起きた夕方、岡が崩れだしたので、避難した。もどってみると家は既に無かった。ところがその家は違う場所で全く壊れずに移っていた。家人はこのことを知らず岡が崩れたが家は無事であったことを知らなかった。但し翌日朝にこれを知り大いに驚いた。

 原文:
 天武天皇十三年(六八四)十月壬辰【十四日】、逮于人定、大地震。挙国男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。諸国郡官舍及百姓倉屋。寺塔。神社。破壌之類、不可勝数。由是人民及六畜多死傷之。時伊予湯泉没而不出。土左国田苑五十余万頃。没為海。古老曰。若是地動未曾有也。是夕。有鳴声。如鼓聞于東方。有人曰。伊豆嶋西北二面。自然増益三百余丈。更為一嶋。則如鼓音者。神造是嶋響也。

文意:岩波文庫『日本書紀』(五) 200頁より
 人々が寝静まった頃、大きく地震(ないふる)。国中で人々がさけび逃げ惑う。山が崩れ河が涌(あふ)れる。諸国郡の官舍及百姓倉屋、寺塔、神社など破壊之類(たぐい)は数えることが出来ないほどだ。是の地震に由り、人民六畜の多くも死んだり傷ついた。そのとき、伊予湯泉は没し、湯は不出となった。土左国の田苑のおよそ五十余万が海に没した。古老が言うには「是のような地動は未曾有(みぞゆう 麻生財務大臣によるカナふり風に従った)である」と。その夕方に鳴動がありそれは東方から鼓のように聞こえた。ある人が言うには「伊豆嶋の西北の二面で三百余丈もの隆起(?)あり、そのために更に一嶋が出現した。これが鼓のごとき音の主体である。神が是嶋を創った際の響也」と。
%%%%%日本書紀抜粋おわり

 今般の熊本地震の先行きを予想する議論の論点は
日本列島を縦断する中央構造線・断層を活性化するのかどうか;
南海・東南海地震発生を促すのか否か
 です。
 これについては、新聞、インタネットなどで多くの議論が登場しています。△竜掴世琉譴弔力正鬚箸覆辰討い襪里上記日本書紀二十九巻、天武十三年紀の記載です。この記載は南海・東南海地震を記載したものと読み取れるからです。それは熊本地震から六年後に発生したと日本書紀は書きます。
 プレート理論に基づくフィリッピン海プレートの挙動から、この二つの地震を連関させる議論は大いにありえるのでしょう。

 さて、今般の熊本地震の発端は熊本市内から東方の益城町直下に走る日奈久地震断層の活動であったとの事です。かっての益城郡の一部であり、肥後の国の一つの郡(こおり)であったとウイキは書きます。

地名由来辞典(http://j55.pw/N88d )は益城の由来を以下のように書きます。
%%%%%ましきまち【熊本県】[益城]
江戸期、細川藩の支配下に属した地。1954年、木山町、飯野村、広安村、福田村、津森村の合併により誕生した町名。町名は、郡内第一番目の合併村であったことから、古代以来の郡名を採用。「和名抄」は「益城」に肥後国「万志岐(ましき)」郡と訓を付し、国府所在地としている。郡名は、放牧場を意味する「馬城(まき)」、「柵木(ませき)」に由来する説、川筋などが交わる地・「マジ(交)・キ(場所)」とする説などがあるという。
%%%%%
 熊本県は魏志倭人伝が書くところの狗奴国であったろうと私は考えています。更には、大海人(おおあま、日本書紀は天武天皇の倭名と書く)の活躍の舞台、具体的には壬申の乱と後世の人々が呼ぶ「大規模内戦」の中心舞台は、この熊本であったろうと考え、それらを詳しく論じてきました(大津、菊池、当間などなどの地名の存在がそれを確かとしている)。日本書紀の二十九巻はこの大海人の治世を書きます。この巻の最大の特徴は、41名もの死者を書いていることです:
(表:日本書紀二十九巻が書く死者達、2013年5月31日記事に掲載)
tenm_deathV2


 この 表の天武紀十年に土師連真敷(土師のむらじましき)と言う方が亡くなっているとの記事があります。私は今般大きな震災で苦しむ益城の名前の由来は土師連真敷にあると思っています。つまり、この人物もまた、熊本、狗奴国の出自であったと思っています。

 日本書紀二十九巻には、熊本県に由来すると思われる人物名が沢山登場することを以前も書きました(2013年7月12日記事)。

 本ブログ記事の冒頭の歌は1500年も前の昔、奈良盆地に拠した「侵略者」に踏みにじられたことで勃発した「壬申の乱」と呼ばれる大規模「戦乱」で、この地の民は泣いた。そして現在、大地震で泣かされているとの意です。
 
(図1 大海人の活躍舞台を切り裂く地震断層、田んぼの稲のずれから明瞭な右横ずれがみとめられる。東京新聞4月18日付記事より)
熊本地震-地表断層2


+++++熊本地震(2)
 今般の地震で少なくない地震研究者が今般の地震が日本列島を縦断する中央構造線の西端部に位置することを指摘し、それが故に、今般の地震活動で認められた地震の東進を注目しています。これは、日本国民の安全に深刻に関わってくるからです。つまり、今般の地震が中央構造線を越えて豊後水道を横断するなら、そこには伊方原子力発電所があるからです。この原子力発電所については一号機の 廃炉は決断されたようですが、30年を超えた二号機については四国電力は稼動継続を考えているようです。ましてや二十年の運転歴を持つ三号機については積極的な運転継続の意向に沿って関係当局に働きかけています。

(図2:中央構造線はどうやら九州の西に伸びているらしい。その証拠が2015年11月14日の薩摩西M7.1 の地震の発生である)
熊本ー中央構造線


 上の図に見るように、中央構造線・断層の活性化の起点が鹿児島県西部地震であるとすると、この東進する地震断層活性化は五ヶ月前に始まっていることになります。さらなる東進の可能性は決して小さくないということが出来ます。それは伊方原子力発電所の事故に直結しかねません。それを住民そして国民が怖れることは極自然です。

 中央構造線・断層でのさらなる地震発生可能性を判断するための地震学的指標はあるのでしょうか?一つは今般の地震で形成された地震断層面の東端での応力分布、応力集中の具合を見積もることです。それを見積もるための理論も提案されています。クーロンの破壊関数(Coulomb Failure Function CFF CFS)と呼ばれています。しかし、現実の地震についてその先行き、とりわけ未だ起きていない地震についてのこの理論の適用は未だ成功しているとは言いがたいようです。 それよりは、まずは既に起きてしまった地震を『破壊物理学』理論から解明することのほうが、地震学の次のステップへの蓄積となるようです。
 その一つとして、この地震の最新の解析結果を紹介しておきます:
(図3:八木勇次氏(筑波大学)の解析:http://j55.pw/Fe4u 数式などの説明は本ブログ別記事で書きます)
八木の解析


 八木氏の解析によれば、4月16日深夜の最大地震では、破壊は阿蘇山の方向、つまり北東に進んだとのことです。これは、この地震断層生成後の応力が北東部分に集中したことを推測させます。かくして、六時間後の大分中部地震発生は理論的には説明が可能な事象であるということが出来ます。
 さて、問題は次のステップです。大分の地震後さらに活動が中央構造線にそって東に進むのでしょうか?そしてそのスピードはどれほどなのでしょうか?一つの鍵は大分地震の震源過程(上図のような解析)から見えてくるのかもしれません。しかし、八木氏の解析は、或る程度規模の大きな地震についてはその性状をあきらかにしますが、多分、大分中部地震のようなMが5程度であると、その解析結果には大きな期待が出来ないかもしれません。理由は、観測する地震波の中から地震源の〔対称性の破れ〕を見つけ出す困難があるからです。

 もっと、簡便な”見分け方“がないものだろうか?この手法の開発は”地震の予知が可能であったか否か“の議論と密接に関係します。おもえば、今般の地震活動にあっても、”本震“であったはずが”前震“に格下げとなり、挙句の果ては三つの独立した地震が時空間上で近接して発生したとの理解で落ち着いたようです。しかし、これらの三個の地震が相互に関係しあっていたことは間違いありません。理論的にそれらの関係を解きほぐす研究とともに、防災と言う視点からは”簡便・迅速“な判定手法の開発が待たれます。勿論それは理論的な背景が必要ですが、当面は”経験則“のようなものの構築を被災民は望んでいます。

4月14日・熊本地震、パナマ文書

今般の熊本地震で被災された方々に心よりのお見舞いを申し上げます。


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(図1:九州地方の2007-2010期間の地殻変動、国土地理院時報 No.124, 2013 (http://j55.pw/iet4 )より。不動点(中央の赤い星印)をどこに置いて計算するかにもよるが、九州と言う地塊の挙動が見えてきます:図でGNSSとは、「汎地球航法衛星システム」"Global Navigation Satellite System(s)" 、PSIは計算手法)
九州変位


何故なのか 地震の予知の 難しさ 自然の動き 推し量りがたし

 昨今、ジャーナリズムでもてはやされているのが村井俊次東大名誉教授による地震予知です。氏のホームペイジを眺めてみると:
%%%%%村井予測 http://j55.pw/UQki 
「【地震予知の村井俊治氏】4月、5月への予言!最新の地震予測とは? 
大地震の予知・予言のための週刊MEGA最新地震予測について
大地震予知・予言の村井氏による2016年4月6日発行分、MEGA最新地震予測の一般公開情報によりますと警戒リスク上昇地域と下降地域それぞれあるようです。
警戒リスクの上昇地域は、南西諸島(レベル1→レベル2)、北海道道南・青森県(レベル1)。逆にリスク下降の地域は、北信越地方・岐阜県(レベル4→3)、北海道北部周辺(削除)、鹿児島県・熊本県・宮崎県(削除)だそうです。
(参考:http://ch.nicovideo.jp/jesea/blomaga/ar1003813,4/6発行)
%%%%%村井氏ホームペイジ引用終わり

 熊本県での地震リスクは4月は低下したと書いています。つまり村井手法では、地震予兆は検知できなかったのです。村井氏を揶揄するとか貶めるとかの意図は全くありません。むしろ地震予知の難しさを改めて思うからです。何故なら、村井氏の観測とデータ整理はそれなりに手順を踏んでおり、他者による検証が可能です。しかし、その予兆計算手法が地震学的視点から論理的であるのかどうかは私には定かではありません。

 冒頭の図1はGPSの精度を更に高めた地殻変動測量の結果です。人工衛星と航空測量技術を統合した新技術と言ってよいかもしれません。SAR(Synthetic Apature Rader)と呼ばれています。指定された観測期間内での地表の動きを“cm”のオーダで計測できるとされています。但し、計測結果を図示する際には、或る特定地点を不動であったとして解析します。それが上図の星印です。
 不動点が今回の地震の震央近くであったゆえであるのか否か、九州の北西部はあたかも熊本から遠ざかるような(九州が北西-南東に伸張するような)変動が見えています。これは、今般の地震の発震機構解とも整合的です:
(図2:気象庁による本地震の発震機構解、プレス向け解説、第一報より(http://j55.pw/9xrc )
fps-kumamoto


 上図で、“T”が”N”の近くにあります。これは、この地震を引き起こした力がほぼ水平で、その方角が南北を向いていることを示しています。図1と図2を見る限りでは、九州の北半分は南北に引っ張られている、つまり阿蘇山から天草にかかる北東ー南西に走る地質構造線を境いにして、九州が南北に引きちぎられるような地学環境にあるらしいことがわかります。

 こうしたことは地震の発生状況からは見えてきません:
(図3:朝日新聞記事がまとめている吸収地塊内の地質構造、http://j55.pw/dpra (朝日新聞)より
九州断層5


 さて、今般の地震活動を当地の普段の活動に何がしかの予兆を発見することが出来たのでしょうか?図4に見るように、4月3日、6日に今般の地震の震央近くで地震が起きています。しかし、これが4月14日午後9時半の地震の予兆であると事前に断言できる地震専門家はいません。しかし、今にして思えばそうであったのでしょう。これが現在の地震学のレベルなのです。

(図4:気象庁による直前の熊本周辺地震活動、http://j55.pw/PVvc )
seis beforekumamoto

 
 以下に紹介する記事は、読者の皆様のご参考までに転載しておきます。登場する木村氏は、地学的教育を受け、その素養もしっかりとおもちの方ですが、とかく議論が大仰になりがちな方と私は見ています:

%%%%%「東京スポーツ紙」より http://j55.pw/pjWx
熊本の震度7大地震「巨大地震の前兆か」の声2016年4月15日 17時0分 東スポWeb

熊本城の石垣が崩れ、高速道路はデコボコに。熊本県中北部の益城(ましき)町で震度7を観測した14日午後9時26分ごろの地震で、熊本県警は15日、建物の倒壊などによる9人の死亡を確認したことを明らかにした。ほかに心肺停止になった人もいる模様。県内約500か所に一時計約4万4400人が避難した。国内で震度7を観測したのは2011年の東日本大震災以来で、九州では初めて。西日本の広い範囲に揺れが及んだこの地震は、さらなる巨大地震の前兆なのか、熊本・阿蘇山などの火山活動に影響を及ぼすのか。
余震とみられる地震も続いており、15日午前0時3分ごろに震度6強、14日午後10時7分ごろに震度6弱が観測された。気象庁によると、震度7の地震の震源地は熊本地方で、震源の深さは約11キロ。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6・5と推定される。
熊本県によると15日午前5時現在で、地震による同県のけが人は少なくとも860人で、うち53人が重傷。気象庁によると、余震は100回を超えた。
各地で道路の陥没や火災、停電、断水も相次ぎ、崩れたがれきなどで一時生き埋めになった人も。熊本城の石垣は崩壊した。
熊本県のほぼ中央北寄りにある益城町は熊本市の東に隣接するベッドタウンで、近くに布田川・日奈久(ふたがわ・ひなぐ)断層帯が存在する。
専門家は地震や余震の分布から、「日奈久断層がずれ動いたことによる地震の可能性が高い」と分析する
政府の地震調査研究推進本部によると、熊本県では1889年に熊本市付近でM6・3の地震が起き、死者20人の大きな被害が出た。江戸時代以降に布田川・日奈久断層帯周辺で起きた複数の地震の記録が残っている。
今月6日には県北部の菊池市で震度1の地震が発生。今年に入って熊本県内では震度1、2を観測する地震が複数発生。震源は約10キロと浅く、熊本地方や天草灘、阿蘇地方が震源となっている。
琉球大学名誉教授の木村政昭氏(75)は今回の地震について、昨年11月14日に九州南西沖で起きたM7・0地震との関連を指摘する。
「この時も震源は約10キロと浅かった。この地域は宮崎県、大分県にまたがる日向灘側のプレートから断続的にプレッシャーをかけられている。私は最終的に日向灘を震源とするM8・7の巨大地震が19〜20年ごろに起きると想定しており、今回の地震はその前兆かもしれない」
火山活動にも注意が必要だ。震源のすぐ近くには阿蘇山があり、数千年前の大噴火では九州全土に被害をもたらした。阿蘇山の中岳では活発な火山活動が続き、昨年9月の噴火では噴煙が高さ2000メートルに達した。今年は2月に1600メートル、3月に1000メートルまで噴煙が上がる噴火があった。
木村氏は「日向灘からの圧力で火山のマグマだまりは上に押し上げられる。九州には阿蘇山のほかにも鹿児島の桜島、雲仙岳、霧島などの活火山がある。地震が火山活動に影響を及ぼす可能性もあるので、しばらく注意が必要だ」と訴える。
日向灘の東方には巨大規模が予想される南海トラフ地震の震源域が横たわる。日向灘付近では昨年7月、大分県南部を震源とするM5・7、最大震度5強の地震が発生。南海トラフ地震の前兆かと懸念する声もあった。今回地震は日向灘の反対側。発生メカニズムの解明が待たれる。
%%%%%東スポ記事転載おわり

+++++パナマ漏洩
 パナマに租税回避をする世界の企業、金持ちのリストの一部が漏れ出たことで、胸に覚えのある関係者がビビッていると「日刊ゲンダイ」紙が報じています:
(図5:日刊ゲンダイ紙記事転載)
panama


 この租税回避措置について経済学者・竹田氏が明快に語っています。私がとりわけの解説を付すことも無いと思います。
(図6:竹田茂夫氏の指摘、東京新聞4月14日付けコラム記事より)
P414竹田

第III天皇グループ〔3〕, 真っ黒けな政府提出TPP資料

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:桜が盛りを過ぎつつあります。ふと梅ノ木を見ると小さな実を付け出していました。)
Pume

 
ちょっとこいと 何度も誘う こじゅけいが ウグイスの唄と 声量競えり

 この「ちょっとこい」は当地の雑木林では春の定番です。姿は見えねどその声量は見事です(http://j55.pw/HFBw )。ネットで調べると、こうして我々を呼びつけている鳥は「コジュケイ」とのこと。実物のお姿を拝見したいものです。一体、どこで声を張り上げているのやら。呼びつけられている私はどこへ行けば良いのか?

+++++第III天皇グループ〔3〕
(表: 〆澎滅数によって歴代天皇のグループ分け。第IIIグループにあっては、31.3年(欽明)〜24(継体)+安閑(4.8)+宣化(3.2)。,硫色のグループは系図上でも明瞭に一つのグループを構成している)
3rd_group
 

 藤原不比等が日本列島近代史編纂〔当時〕で一番苦心をしたのはこの第IIIグループです。神功皇后に続く天皇としてまずは応神天皇、仁徳天皇と架空の人物を設定し、それに引き続いて二つの天皇群を置いたことは既に書きました。一つは「ワカタケル」王を中心に据えたグループです。この王の宮廷の所在地については、後世の学者が「奈良盆地」と一方的に思い込んでいるの過ぎません。実際は、現在の埼玉県の志木であり、もう一つは熊本県の江田船山古墳近くであったことが、古墳の発掘からわかっています。しかし、古代史研究者は、この「ワカタケル」王と同一人物とは認めたくないのです。いずれにしても実在の人物をこの第Iグループに配しています。当時の歴史を知る「学者・文人」から史書の齟齬を厳しく指弾されることを避けることが出来たのです。この時代が40年余続いたのです。しかし、日本書紀ではこの同じ年数をグループの他の天皇で占めたと記載します。

 このグループの後を継承したのが第IIグループです。このグループの中心人物は「オケまたはヲケ」王です。この王も梁書倭国伝に記載される「乙祚」王としてその存在が認知されています。つまり実在の人物をこのグループにも配置しています。同時代の「評論家」の指弾を受けずに済みます。

藤原不比等は更に念を入れて「年」を二倍に引き伸ばすことで時間的な整合性も図ります。この手法は次の第IIIグループでも適用されます。

 現代も含む後世の古代研究者は二倍に引き伸ばされた「時間」を補正して、正しく時間順に配する事で持って、日本列島古代史を論ずることが出来たはずなのです。残念ながらそうした試みをする研究者がいないのです。驚くべきことと思っています。

  それはともかく、天皇グループI, そしてグループIIにあっては「倭国」支配者の存在を意識して編成されています。それが「クロヒメ」です。ところが、天皇グループIII では、その構図は保たれません。それはこのグループの中心に居座った人物が隋建国に関わった人物だからです。上図の左上,砲海離哀襦璽廚了妖傾弔力舵諡号が記されています。継体天皇を除く三名の天皇には「オシ」が付されています。つまり、彼等は「倭国」出自なのです。しかし、このグループの主人公は明らかに継体天皇です。この天皇が磐井の乱と呼ばれる「倭国」攻撃を仕掛けるのです。そしてそれに対抗する存在が倭国側の首領である「欽明天皇」との筋書きを藤原不比等は作り上げたのかもしれません。ところが、日本書紀・欽明紀を見ると、藤原不比等はこの記載になにやらの仕掛けを施し手いるようにも見えます。つまり藤原不比等の「学者」たる一側面からついつい「真実」をほのめかしてしまうという痕跡です。
というわけで、グループIIIは、まさに日本列島の支配地図の分岐点として捉え直すべき論点が多々ありそうです。これについては稿を改めて詳しく考察します。とりあえず、脱線を避けるべく次回は天皇グループIVに話をすすめ、黒部川から始まった「ト」国の議論をさしあたり収束させたく思っています。
(つづく)

+++++真っ黒けのTPP交渉文書
(図 政府提出の真っ黒けなTPP交渉文書、4月6日付東京新聞より)
P406TPP


 安倍氏は、「安保法制」議論の際と同様に、「国民の皆さんには丁寧に説明をしたい」と今般のTPP国会審議に先立って言明しました。しかし、提出された文書は「真っ黒」です。つまりこの協定は少なくも四年間は「秘密保持」が関係国の間で合意されていることを理由としています。 ずいぶんとおかしな話です。国民への情報開示無くして協定の国会での批准を求めるわけです。国会は何を審議することになるのか?
 
 これについて興味深い記事をネットで見つけましたので、ここに転載しておきます。そこでは「秘密保持」なるものが極めて緩やかなしばりであるとの理解を書いています:
%%%%%ニュージーランドの首席交渉官の書簡より
http://j55.pw/W8x9  
政府は、交渉過程の開示を全面的に拒む理由の一つとして、交渉参加にあたって署名した秘密保持契約の存在を上げる。
政府は、秘密保持契約の内容自体が秘密と言い張るため、どの範囲の事柄が秘密にされているのか、それ自体がわからないという、とんでもない事態になっている。

これまで秘密保持に関して、海外で明らかにされているのは、ニュージーランドの首席交渉官の書簡くらいしか見当たらない(他にあったらごめんなさい)。
ニュージーランドの首席交渉官の書簡は、「TPP‐Letter-on-confidentiality」の名称でUSTRのサイトに掲載されている。

ネットで検索しても、この日本語訳がないようなので(あったらごめんなさい)、二級国民が訳を試みた(二級国民の訳であるから二級訳であることをお断りしておく)。
政府は、ネットで容易に入手できる、この程度の情報ですら、秘密だと言い張っているのである。
Dear
As depository for the Trans-Pacific Partnership Agreement, we have been asked to advise participants of important points regarding the handling of the documents we exchange during these negotiations and seek confirmation that you agree with this approach.
「TPP協定の寄託国として、我々は交渉中に交換される文書の取扱に関する重要な点について参加国に助言すること、及びあなたが、このアプローチに合意することを確認するよう求めることを依頼されています。」
• First, all participants agree that the negotiating texts, proposals of each Government, accompanying explanatory material, emails related to the substance of the negotiations, and other information exchanged in the context of the negotiations, is provided and will be held in confidence,unless each participant involved in a communication Subsequently agrees to its release. This means that the documents may be provided only to (1) government officials or (2) persons outside government who participate in that government’s domestic consultation process and who have a need to review or be advised of the information in these documents. Anyone given access to the documents will be alerted that they cannot share the documents with people not authorized to see them. All participants plan to hold these documents in confidence for four years after entry into force of the Trans Pacific Partnership Agreement, or if no agreement enters into force, for four years after the last round of negotiations.
「第一に、すべての参加国は、交渉テキスト、各国政府の提案、添付説明資料、交渉の内容に関するEメール、そのほか交渉の文脈において交換された情報については、コミュニケーションに関わった各国が事後的に公開に同意した場合を除き、機密を保持することを条件に提供されることを合意しています。これは、(1)政府官僚、(2)政府の国内協議過程に参加し、もしくはこれらの文書に含まれる情報を精査し、助言する必要がある個人のみに文書が提供されることを意味します。文書に接したいかなる者も、文書を見る権限がない者と文書を共有することができないと警告されます。すべての参加国は、TPP協定発効後4年間、もしくは協定が発効しなかった場合は、最後の交渉ラウンドから4年間、これらの文書の機密を保持する計画です。」
• Second, while the negotiating documents are confidential, each participant may mail, e-mail, fax, or discuss these documents over unsecured lines with the groups of people mentioned above (i.e.,government officials and persons who participate in the domestic consultation process). The participants may also store these documents in a locked file cabinet or within a secured building; that is, the documents do not need to be stored in safes. Each participant can also create and store these documents on unclassified computer systems.
「第二に、交渉文書は機密にされる一方、各参加国は、上記した他の者のグループと、セキュリティの確保されていない通信網で、郵便、Eメール、ファックスなどで議論することができます(例えば、官僚と国内協議過程の参加者との間で)。参加国はまた、これらの文書を鍵のかかった書棚や安全な建物に保管することができます。すなわち、文書は金庫に保管する必要はありません。各参加国は、また、機密扱いを受けていないコンピューターシステム上で、これらの文書を作成し、保管することもできます。」
• Lastly, the participants will mark the documents they create in a manner that makes clear that the documents will be held in confidence.
「最後に、参加国は、作成する文書に機密であることを明確にするような方法で印を付けます。」
The policy underlying this approach is to maintain the confidentiality of documents, while at the same time allowing the participants to develop their negotiating positions and communicate internally and with each other. We look forward to your confirmation that you agree with this approach.
「このアプローチの基本的な方針は、文書に関する機密を保持するとともに、他方で同時に、互いに、参加国の交渉における立場を進展させ、内部のコミュニケーションを許すというものです。我々は、このアプローチに対するあなたの同意を確認できることを期待します。」
Yours sincerely
Mark Sinclair
TPP Lead Negotiator, New Zealand
交渉参加に当たって署名した秘密保持契約がこの書簡を踏まえたものだとすれば、全面墨塗りの理由には、到底成り立たない。
ここで、秘密扱いとされているのは、上記書簡から明らかなように、基本的に文書の扱いに関してだからである。
文書の扱いに関わらない部分まで墨塗りにしている政府のやり方は到底、許されるものではない。

しかも、書簡が求める文書の扱いは、金庫に保管する必要はないとし、機密扱いされていないコンピュータを用いることや、セキュリティのかかっていない通信網を利用することを認めており、これでは、特定秘密はもちろん、特定個人識別番号(マイナンバー)より取扱がゆるい。
つまり機密レベルは決して高くはないといえる。
国権の最高機関から求められれば、政府は、交渉過程文書であっても、上記書簡がいう「国内協議過程に参加する者」に準じて、文書を提供してしかるべきである。

秘密保持契約が政府のかたくなな秘密主義の理由にはなり得ないことを確認しておく。
%%%%%転載 終わり

+++++タックスヘイブン
 先週、世界を驚かせたのが「パナマ文書」です。たとえば http://j55.pw/Nnc3 が、詳細を書いています。消費税の10%増を巡っての論議が高まりつつあります。庶民には増税を、第企業には『税金逃れを』黙認する我が国政府への批判は当然です。それはさておき、この文書に登場する日本企業は下記とのことです。
電通、バンダイナムコ、バンダイ、シャープ、サンライズ、大日本印刷、大和証券
ドリームインキュベータ、ドワンゴ、ファストリ  、ファーストリテイリング(ユニクロ)
ジャフコ、ソニー、やずや、みずほFG、三井住友FG、JAL、石油資源開発、丸紅、三菱商事
商船三井、日本製紙、双日、オリックス、三共、パイオニア、ホンダ、東レ、日本郵船
大宗建設、ドリテック、ジー・モード、化粧品のトキワ、千代田リース、アーツ証券
山一ファイナンス、飯田亮(セコム取締役)、戸田寿一(セコム元取締役)
内藤一彦(東宣取締役会長)、内藤俊彦(東宣取締役社長)、KAORI INTERNATIONAL
KAWAGUCHI TECHNOLOGY、楽天ストラテジー、ソフトバンクグループ、SBI、セコム
有名ゲーム会社役員、元自民党議員、有名大学教授、アグネス・チャン
%%%%%
 日本のマスコミを牛耳る「電通」も含まれています。それが故に日本の報道機関は「パナマ文書」に大騒ぎすることを封じられているとの見方があります。なにせ電通に逆らったら最後、民間の報道機関は広告を通じての「糧食」を絶たれてしまうわけです。しかし、電通は何故そこまでの大きな権力を持つに至ったのか?日本の報道が今や世界の「報道の自由度」と言う物差しで計測すると低位にあることの根源の一つが電通なのです。

継体天皇(3)、細片から成る我が列島、森元首相の新聞軽視

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:近くの雑木林も淡い緑で色づいて来ました。ウグイスが「我が世の春」とばかりに大声で唄っています。はや桜は葉が目立ってきました〕
P4100015

 
木々の葉が 淡き緑に 変わる時期 姿見えねど うぐいす歌(うと)う

 木々が淡い緑にまとわりつかれる頃に思い出すのが、ウズベキスタン国の飛行場から首都タシケントへ向かう車の車窓の外の光景です。低い潅木群の林は、寒い冬から解き放たれたばかりの木々が若芽を萌えだし、うっすらと淡い緑に彩られるのです。春にしてはなんとも心もとないのですが、生命の弾ける直前と言う雰囲気でもありました。この10年後にソ連邦は解体します。私がソ連邦で感じたものが、まさに「はじける前夜」であったのかもしれません。
 車は進み、やがて点在する集落です。集落につながる道々に多くの老若男女が一斉に草むしりをしています。ソ連邦〔当時〕共和国では労働奉仕の日でした。その日は「レーニン」の誕生日、4月22日でした。三十年余も昔の事です。

〔写真:タシケントでのスナップ写真。老齢になるとこうして昔の写真を引っ張り出して、それらを眺めつつ、来し方を悔やむことが多い日々であります。時は春の始め。どこも淡い緑で満ちています。右上で、宴会場所の設営で立ち働く禿頭氏は恐れ多くも研究所の部長さんです。左下のトラックの前に立ちはだかるのは夥しい数のヒツジ〕
 タシケント


+++++仁徳天皇から派生する第三天皇群(2)
 継体天皇に始まる第三天皇群では欽明天皇がもっとも長く天皇位にあったと日本書紀は書きます。学生時代に習う日本史授業では、この欽明紀に日本列島に仏教が伝来したとされます:
%%%%%日本書紀記事転載
原文:
欽明天皇十三年(五五二)冬十月に百済の聖明王が遣西部姫氏達率怒〓[口+利]斯致契等。献釈迦仏金銅像一躯。幡蓋若干・経論若干巻。別表、讃流通・礼拝功徳云。(中略)
有司乃以仏像、流棄難波堀江。
文意:岩波文庫「日本書紀(三)」298頁
《欽明天皇十三年(五五二)冬十月。百済聖明王〈 更名聖王。 〉西部姫氏達率怒〓[口+利]斯致契(せいほうきしだちそつnyりしちけい)等を遣わし釈迦仏金銅像一躯を献上してきた。さらには幡蓋若干、経論若干巻も献上してきた。そこで、以下を天皇はその功徳を称えて表明した(中略、この部分でまさに神仏戦争の八反とも言うべき論争がなされたと日本書紀は書きます。挙句の果てに仏教に反感を持つ中臣、物部一派が蛮行に及びます)。
有司(つかさ)、仏像を難波の堀江に投げ捨てる。
%%%%% 日本書紀記事転載終わり

 演目数が最も多いといわれた落語家は三遊亭円生だそうです。その得意とする演目の一つが「御神酒徳利(おみきどっくり)」です。その噺の中で上記の「有司乃以仏像、流棄難波堀江。」説話が引用されます。それはさておき、藤原不比等が描く日本列島古代史の重要舞台設定が「神仏戦争」ですが、上記がそのまさに前段となっています。「神仏戦争」とは、中津国と倭国の争いであると私は考えています。今は、そのことに立ち入りません。

 この第IIIグループの時代に大陸政権が、登場〔介入)する時期であることが上記の記事から、見て取れますます。しかし、それは大陸政権が露に顔を出すのでなく、日本書紀では朝鮮半島を介在させることで大陸の介入を隠しているのです。

 継体天皇は応神天皇の五世孫と書きます。ところで応神天皇の母は神功皇后です。記紀はこの皇后と邪馬台国女王卑弥呼があたかも同一人物であるかのごとき思わせぶりな記事を掲載しています。とするならば、継体天皇は卑弥呼女王の六世の孫であることを強調すればその神性は増すはずですが、さすがに藤原不比等はそれをするほど厚顔ではなかったようです。

 日本列島の政治史を語る上で、政治的思惑から「事実を捻じ曲げた逆転記載」をしてしまったが故の自家撞着と言うべきでしょう。第三グループの成り立ちは、こうした矛盾を引きずっていることを念頭に置いておかねばなりません。
 
 前回記事の末尾で書きましたが、継体天皇は大陸政権からの派遣〔介入)部隊であったと私は考えています。この経緯をここで書き始めると再び著しい脱線になりますので、ここでは簡単に過去記事を再掲することで話を進めます。勿論、この続きはいずれじっくりと考察します。:
%%%%%過去記事の抜粋転載
〔表:天皇在位年数によるグループ分け。この表を始めて作成した際は「これぞ二王制」の証と大いに興奮しました。その喜びが、下記の過去記事にみられます。現在の認識では、それは二王制ではなく「二つの対立する政治権力」というものです)
http://j55.pw/CvBP 
3rd_group


 2012年9月28日の記事「九州に拠した権力機構の二王(4)」(http://j55.pw/myKw ) で、私は上の表を基に、履中天皇(西暦400年即位)から天智天皇(671年退位)の270年が実は2倍に引き伸ばされていることを指摘し、五世代の二王制が存在したのではないかと書きました(詳細は上記ブログ記事参照されたし)。
二倍の重複を取り除くと、第一世代は允恭―履中(允恭の兄)で、(400+(671-400)/2=)西暦536年から-577年となります。第二世代は顕宗―仁賢(顕宗の弟)で、西暦578年-589年。第三世代が欽明―継体体制で590年から631年となります。継体天皇亡き後は、安閑天皇に引き継がれますが、相方は依然欽明天皇というわけです。継体天皇の出現は支配者が変更したという意味では「王朝交代」を体現しているということが出来ますが、上の表に照らす限りでは、名称として「欽明王朝」が相応しい。そして第四世代が推古(欽明の娘)ー敏達(推古の夫)体制(西暦631年-661)、第五世代が天智-孝徳(天智の義兄)体制(661-671)となります。(注:年数算出上に発生する四捨五入操作のため一年余の食い違いがでています。)

 五世代の内、最初の二世代が兄弟で始まっています。これは、宋書倭国伝の「讃・珍」兄弟、「興・武」兄弟の記事を連想させ興味深いことです。但し宋書の倭国兄弟王は五世紀ですから、人物は重なりません。上の編年が概ね正しいとすると、欽明―継体体制の発足は、隋の建国とほぼ同時期となります。大陸の政変が倭国に強烈な影響を与えたのでしょうか?これを考えて見ます。
 其の時期は六世紀後半から七世紀前半で、七世紀の初頭、西暦600年および607年に大陸の大国・隋に使節を派遣しています。これは、文字通り新しい支配体制が構築されたことを表わしているのかもしれません。
 ところで、この継体天皇の出自の謎が歴史好き素人の関心を惹きます(ウイキペディアが色々な議論をしています)。越の国から紆余曲折を経て大和に上ったとされています。福井市内の小高い丘、足羽山に継体天皇像が建立されています。どのような伝承を得てこの像を建立したのかは定かでありません。十数年前に所要で福井を訪ねた際、この像を見物しました。その風貌とりわけ頭髪が中国の聖人君子像を連想させることが強く記憶に残りました。

(図:福井市内の継体天皇像。五代前の父祖である応神天皇は福井の気比神社で神様と名前の交換をしたという(これについては11月7日の記事「倭の二王(13),日比谷公園使用禁止」で、書きましたhttp://j55.pw/zgWk )。
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 応神天皇の五代後(孫の孫の子)と日本書紀は書きますが、歴史研究者はこれに疑義を抱いているようです。しかし、応神天皇との関わりから、其の出身地を福井県辺りとしたのでしょう。ところで、6世紀はじめに日本海側北部(現在の石川県から秋田県までを覆う地域)にあったと思われる扶桑国を考えれば、「越」の国から天皇が来ることは取り立てて目くじらを立てることではないのですが、日本書紀編纂者の藤原不比等には、それが好ましいことではなかったのかとも思えます。なぜなら、【扶桑国】は渡来族が建国したと思われるからです。
%%%%%過去記事再掲終わり

 さて、継体天皇が隋建国後に渡来〔正確には日本列島に存在した権力を支配下に置くための進軍〕したと私は考えています。その具体的進軍が西暦607年の「訪日調査団」の直後であろうと考えています。この訪日調査団は、奈良盆地に逼塞する「中国語」を話す「漢」一族と出会ったのです。
(つづく)

+++++日本列島の細片化
 前回、最新の研究を紹介するYoutube動画を引用しながら若干の考察をしました。最近の三~四年間の東北日本の地震活動には地震活動の遷移が明瞭に認められることを書きました。これが、マントルの粘性流体的挙動によるのか、それとも太平洋プレートの上にのしかかる陸側プレートのリバウンド過程であるのか?前回記事に掲載した図2で見る限りでは後者であるように思えます。2011年3月11日の巨大地震で、それまで西方に大きく押し込まれていた陸プーレートが、その押し込み圧力から開放された。それは地表の地震発生から裏付けられています〔例えば、長野県北部地震〔2011年3月12日〕、静岡県東部地震〔2011年3月15日〕など〕。そしてその「伸張過程」〔(押しちじめられていた岩塊が伸びる)が陸の深部でも発現したのだろう。と、私は考えています。

 さて、上で引用した日本列島のブロック〔細片構成〕についての私の考察を書いておきます。
〔図:日本列島内および周辺の活断層 http://j55.pw/kjCcより)
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 この図で見ると福井県から伊勢湾にかけて大きな活断層が走っています。以下の過去記事ではこの断層が論議されています。1891年〔明治27年〕の濃尾地震はこの断層が引き起こしたと思えます。そしてこの地震が「発生が予想されている東海地震」が未だに起きていないことの鍵を握っていると私は考えています。

%%%%%過去記事「東海地震を考える(3)」の抜粋再掲
http://j55.pw/r5Dg (東海地震、過去記事抜粋再掲)

 さて、前回、第二次世界大戦終戦前後に起きた地震のことを書きました。この時、どういうものか東海地震は起きていません。1707年、そして1954年には、南海・東南海(とうなんかい)・東海地震は時間的に極めて近接又は同時に起きたのに、終戦前後の地震では、紀伊半島沖で東南海地震が先ず起き、一年半後に四国沖で南海地震が起きました。二つは確かに時間的に近接して起きたわけです。わずか、一年半という時間差です。ところが、おきるはずの東海地震がそれから、実に64年も経っているの現在に至るまで起きていないのです。先に書いた東大の二人の地震研究者は、1944-45年の地震後時間的に近接して東海地震は起きるはずであったと考えたのです。それが、起きていないのであるから、「何時起きても不思議はない」と主張したわけです。これが「東海地震予知」といわれるものです。この「予言」に国中が大騒ぎをして「大規模地震対策措置法」なるものが成立し、さらには「地震予知判定会」も発足しました。この「予言」がなされたのが1976年ですから、その時点で既に30年が経過しています。と、すれば、1976年の時点で、地震研究者は「何故、東海地震が1944-46年の地震に連動しなかったのか?」との問いを自らに発するべきでした。しかし、それからさらに35年、1944-46年の地震からは65年が経過しています。東海地震は「明日起きても不思議ではない」地震ではなく、しかるべき物理的・力学的理由から起きずして起きなかったのです。しかし、地震研究者は「明日起きても不思議はない」との思いにとらわれ、何故起きないのかを研究してこなかったといえます。起きることを前提として国の膨大な金が東海地震の前兆を捉まえるべく投ぜられてきました。そのこと事態は地震学に新知見をもたらしたので一概に否定さるべきではありません。が、私は、36年前の「東海地震予言」騒動が、日本の地震研究を歪ませた一つの要因であったと考えています。この「予言」には物理的根拠は全く無く、ただひたすらに過去の極小のわずか二例の経験を延長した推論に過ぎなかったのです。

〔図:濃尾地震と東海地震、過去記事で掲載した図に加筆、2016年4月11日)
東海地震


 <<過去記事引用の前の若干の補足>>上の図は、前回のブログ記事に掲載したと同じですが、読者の方々の理解のために若干加筆してあります。例えば、赤い二本線(右上)を加筆しています。二本のうち、右は北米大陸の西側境界線と理解してください。一方左側は1891年の濃尾地震の際の巨大断層線を北西・南東に延長したものと思っていただきます。更には、緑の反対向き矢印対も加筆しました〔2016年4月11日)。これは濃尾断層地震を引き起こした断層が左横ずれ型であることを表したものです。(日本の矢印対の間に棒を立てたとします。地面がやじる失意のように回転すると棒は「左」回りにまわります。これを「左横ずれ」と言います)。つまり、濃尾地震では東側の岩塊は北西方向に動き、西側は南西に動いたことになります。このことを以下に書いています。
 
興味深いことは、濃尾地震断層の南西ブロック〔岩塊」が南西に動くということは、この岩塊と南海トラフでのフィリピン海プレートとの接触を強めることになります。つまりこれによって大きな歪が生じます。これが昭和の南海地震の発生を早めていたとkんが得ることが出来ます。
 
 <<補足おわり>>
 ユーラシアプレートの南東端つまり静岡・糸魚川線の西側部分は北米プレートを間に介在して激しく太平洋プレートから押されてきました。その結果、長野県富山県には多くの巨大な地質断層が存在し、地震研究者を脅かしてきました。この静岡・糸魚川線の西およそ100キロメートル離れた地(上図の左側の赤線の上方)で1891年(明治24年10月28日)マグニチュード8の巨大地震が発生しました。濃尾地震です。それが安政地震の37年後、終戦前後の地震の53年前です。この地震で大地がどのように動いたのかが現地調査からわかっています。それによれば、上の図で二本の赤線に挟まれる部分が北方にずれ動くような移動をしたのです。私は、ユーラシアプレートなどという巨大な陸塊はその縁辺では、必ずしも頑丈な岩盤として挙動するのではなく、ひび割れ状態を形成していると思います。その大きなひび割れが上図の左側の赤線です。二本の赤線に囲まれる部分はユーラシア・プレートの東南縁辺の微小部分プレートと考えてよいと思います。その微小部分プレートが濃尾地震で北にずれあがったとすると、その南では、フィリッピンプレートとの押し合いが減ずることになります。かくして、東海域では、終戦前後の巨大地震から60余年を経て未だ地震が起きていないのだろうと私は考えています。
 しかし、今般の三陸巨大地震が、上に書いてきたようなユーラシアプレート南東端微小部分プレートの物理的力学的配置にどのような変動をもたらしたのか?皆目検討がつきません。何しろそれを考察するための「パラダイム(物理的論理基盤とでも言うべきか)」を地震研究者が有していないからです。剛体でもあり、弾性体でもある陸塊縁辺の力学を考察する数学手段を地震研究者は持っていないのです。そしてこの力学には時間という変数を含めねばなりません。例えば、陸塊は有限要素法で近似してその挙動を探るという接近もありますが、私はそれは新パラダイムの構築たりえないだろうとの思います。

 というわけで、現在のままであるならば、地震が起きて初めて「こうであったのか?」と知見を付け加えるということになるのかもしれません。
%%%%% 過去記事転載終わり
 
 地震研究者は、プレートの配置状況を熟知しています。列島内の危険視される活断層も熟知しています。しかし、それが何時活動するかについての知識、あるいは説得力ある予測手法を持ちません。これだけ良く知っていながら、時間的挙動については知識がありません。従って「時間を棚上げにして、あそこも危ない、ここも危ない」と言うに留まります。言えば言うほど「狼少年」状態です。部外者からすれば「地震屋が又、地震(狼)が来るぞと叫んでるわい」と受け取ります。今回は、日本歴史にも長く記憶されるほどの大惨事となり、「危ない」と叫んでいた研究者にしてみれば、「それみたことか」というわけですが、それで日本列島の安全が一歩前進したことにはなりません。地震研究者は、何がしかの新たな地平を探り当てねばならないのです。地球の内部が地震波の精密解析からわかったからそれでよい、地震の破壊過程が地震波の解析から理解できたからそれでよいとしていてはいけません。

+++++我が国・為政者の報道機関軽視
 日本の報道機関が極めて権力に対して弱腰であることはよく知られています。為政者はそれをよく熟知していて、いとも簡単に報道機関を軽く扱います。その事例が、五輪報道でも現出しています。
%%%%%森元首相の報道機関軽視
http://j55.pw/6RV3 
東京五輪組織委会長・森喜朗が五輪不祥事を報道してきた東京新聞に対して「スポンサーから外せ」と圧力! 2016年4月10日 21時0分 LITERA(リテラ)
 今月8日、エンブレムの最終候補がようやく発表された東京五輪。しかし、当初3000億円といわれた運営費が5000億円にまで膨れる可能性が濃厚になったり、国立競技場の聖火台の設置場所がないことが発覚するなど、まだまだ問題は山積している。そんな迷走を続ける東京五輪をめぐり、かつて本サイトが指摘した事態が現実に起きてしまった。
 それは、大会組織委員会会長の森喜朗氏による新聞社への圧力事件だ。
 東京五輪の運営費を賄うため、組織委は企業とのスポンサー契約を進めているのだが、その中に、新聞社が含まれている。スポンサー契約はA、B-1、B-2、Cの4ランクに分けられ、全国紙には最上位はAランク15億円、ブロック紙にはB-1ランク5億円の協賛金が提示された。
 今年1月22日 には、朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞、読売新聞東京本社の4社が契約を締結し、現在は、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞などのブロック紙との交渉が進められている。
 ところが、その交渉の中で、中日新聞社に対して組織委会長である森氏が「東京新聞を外せ」と"圧力"をかけてきたというのだ。
 中日新聞社は東海地方で発行されている中日新聞に加え、東京本社では発行する東京新聞を発行している。そして、東京新聞は安倍政権への批判や原発問題などを果敢に展開することで知られ、全国紙とは一線を画したスタンスのメディアでもある。
「ようするに、中日新聞にスポンサーになってもらうが、東京新聞には、スポンサーとしての取材便宜を一切与えるな、ということだったようです。東京新聞はこの間、国立競技場などの五輪がらみの不祥事を徹底追及してきており、森会長のことも厳しく批判していた。その意趣返しということでしょう」(新聞関係者)
 この問題は「週刊新潮」(新潮社)4月14日号も報じている。同誌によると、森氏はこんな横やりを入れてきたという。
「今年2月、そろそろ正式に契約を結ぶという段になって、森さんは電通を通じてこんなことを言ってきたのです。"中日新聞社のうち東京新聞は国立競技場問題などを批判的に書いてケシカラン。組織委としては、五輪に批判的な東京新聞は外して、中日新聞とだけ契約したい"と」(「週刊新潮」より中日新聞関係者のコメント)
 何を虫のいいことを言っているのか、と唖然とするが、これは事実らしい。「週刊新潮」の取材に対し中日新聞の小出宣昭社長も「そのような問題は確かにありました」と認め、森氏だけでなく組織委の武藤敏郎事務総長も「スポンサーが五輪を批判するのはおかしい」と発言したことで、中日新聞はスポンサー撤退も検討されているという。
 なんとも呆れた組織委の見識と体質だが、しかしこうした事態は当然予想されたことだ。
 本サイトは昨年、組織委が大手新聞各社のスポンサー契約に向け動いていることを取り上げ、その上で言論機関としての問題点を指摘している。
 当初、五輪のスポンサーとして読売新聞1社が独占契約を行う交渉が続いていたが、そのオフィシャルパートナー契約は少なくとも50億円といわれ、読売単独では巨額すぎた。そのため日本新聞協会がスポンサー契約をする案が浮上したが、計130社が加盟する協会では足並みが揃うことはなかった。そこで、新聞各社が個別契約することになったのだが、結果、こうした言論・メディア企業各社が東京五輪のスポンサーになることによって、五輪の不祥事や問題点をきちんと報道できるのだろうかと疑問視してきた。
 実際、大手新聞社の報道はスポンサーになる以前から、五輪関連問題に関し腰が引けたとしか思えないものだった。
 新国立競技場が白紙撤回され、下村博文文科相が引責辞任しても、また電通出身の槙英俊マーケティング局長と企画財務局クリエイティブディレクターの高崎卓馬氏が更迭される事態へと発展しても、その追求姿勢は鈍く、最高責任者で"戦犯"であるはずの組織委会長の森氏に対する追求など皆無だった。
 特に読売新聞は顕著で、新国立競技場問題に関して、問題を矮小化し社説でもその論調は組織委サイドに立ったものだった。
 そして、読売だけでなく、朝日新聞や日本経済新聞、毎日新聞といった全国4紙もまた正式にスポンサーになった今、その傾向はますます強化されていくだろう。組織委や五輪関連の問題や不祥事は姿を消し、代わって五輪に関するヨイショ記事が氾濫、パブリシティ報道が大々的に展開されることになる。
 
 大手新聞が五輪スポンサーになることで、いみじくも森氏や武藤氏が放った「スポンサーだから五輪批判はまかりならん」という暴論が現実化されていく。そんな中、こうした森氏からの恫喝に中日新聞は反発し、スポンサー撤退も辞さないと通告したと伝えられる。
 中日新聞には言論機関としての矜持をつらぬき、組織委や森会長の圧力の詳細な経緯を是非とも紙面化してほしい。権力の言論介入をこれ以上許さないためにも、だ。
(伊勢崎馨)
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実在しなかった応神天皇(1),見えてきた地震リスク議論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:朝もやにかすむ公園の池〕
Pond


 麗しき コルラツーラを みがきあげ 夜明けの大気に 彩(いろど)りそえる

 大雨の翌日の春の晴れた夜明け、鳥がまってましたとばかりに一斉に唄っています。雉が「ケケーッ」と叫び、鴨がそれに「がーっ」と呼応します。そしてカラスが「アホー」と咆えます。かくして真打の登場です。ウグイスが見事なソプラノで早くも「谷渡り」の高等芸を披露します。そして雲雀、その他色々な鳥が囀っていました。皆、昨日の「花冷え」の鬱憤を晴らしてるんですな。

+++++実在しなかった応神天皇(1)
 藤原不比等が編纂作業の初めに構想した日本列島史〔当時の時点では近代史であり現代史〕は、まず卑弥呼の邪馬台国から始まり8世紀初頭の「大海人」(おおあま、日本書紀が書く天武天皇は実在が定かでない)が首領をつとめた「倭国」滅亡までを書き記すことでありました。勿論、この史書は藤原不比等の政治的思惑を色濃く反映しているが故に、史実の捻じ曲げ、無視があるであろうことは当然見ておかねばなりません。

 その事例の一つは、古事記にあって日本書紀が書かない記事です。それは国譲り説話での「建御名方」の反逆と信濃への幽閉です。この説話は日本書紀にあっては「天武紀」末期の「信濃への遷都」検討として「あっさり」と触れられているに過ぎません。
 もう一つの事例として、古事記が書かずに日本書紀が記載する記事は神功皇后です。皇后摂政39年から43年の事跡に国際関係が突然書き込まれるのです。それは、なんと魏志倭人伝の一節をひいていますす:

%%%%%神功皇后摂政三九年(己未二三九)〜四十三年〔日本書紀〕。
大歳己未。〈 魏志云。明帝景初三年六月。倭女王遣大夫難斗米等。詣郡、求詣天子朝献。太守〓夏遣使将送詣京都也。 〉
四十年(庚申二四〇)〈 魏志云。正始元年。遣建忠校尉梯携等、奉詔書・印綬。詣倭国也。 〉
四三年(癸亥二四三)〈 魏志云。正始四年倭王復遣使大夫伊声者・掖耶約等八人上献。 〉
以前にもこの件を引用してきましたので、現代文訳は付しません。
%%%%%日本書紀記事引用終わり

 日本書紀にあって、この記載は誠に唐突なのです。が、記事の流れから、作者の意図が「神功皇后は卑弥呼」であるとの印象付けにあると思われるのです。さすがに、古事記はそこまで露骨なことは書かず
「其大后息長帶日賣命者。當時歸神。」とのみ書くにとどめています。そうではあっても卑弥呼が邪馬台国でなしていた役割、つまり「預言」(自然界の摂理をつかさどる“聖なる何か”の言を預かる)と同様の役割をなしていたことをほのめかしています。

 この記紀の構成から推定できることは、藤原不比等の史書編纂の当初の構想です。つまり、当初は、史実に忠実に「時間経過」に則った史書であったのです。しかし、八世紀初頭の藤原不比等を巡る政治情勢が、藤原不比等に「ある種のひらめき」を与えたのです。それは、この当初構想の記載順をひっくり返すことでした。それを見事に体現しているのが日本書紀巻〔一〕〜「九」です。ひっくり返してしまったために史書の最後を「卑弥呼」で締めくくることになってしまったのです。

 そうなると困ってくるのは、卑弥呼以後の日本列島史を改めて構成することに伴う諸史実の取り扱いです。この困難を回避するために考え出されたのが「ホムタ王」つまり応神天皇です。この天皇はその経緯からして実在の人物ではありません。その非実在の人物の五世の孫なる議論が通用するはずはないのです。だからこそ、藤原不比等はいわば「開き直った」のです。一切の言い訳をせず、強引に押し通すことにしたのだろうと考えています。

 当然、その嫡男たる仁徳天皇も存在しなかったことになります。既に書いてきたように中津国とそれを東西で挟む倭国との抗争を「カモフラージュ」するために拵え挙げられた人物なのです。勿論、中津国に「仁徳天皇」に重なる「政界の大物」は存在したかもしれません。その可能性まで否定するつもりはありません。しかし、その人物が中津国と倭国の抗争のなかで描かれることはありません。

 さて、そうだとすると天皇IIIグループの実態はなかったのでしょうか?その謎を解く鍵が「角鹿」〔つぬが=現在の「敦賀」と考えられている〕です。継体天皇は現在の福井県に上陸した渡来人、つまり「大陸」出自の人物であったと考えるならば辻褄があってきます。だからこそ、藤原不比等はこの人物の出自を史書に書き残すに当たって苦慮したのです。

 渡来の時期は何時であったのか?私は大陸にあって隋王朝が成立して直後であったと考えています。いずれ、この時期の年表について整理しますが、暫定的に下の表を参照してください。この表は以前に本ブログで掲載したのですが、改定の必要があります。しかし、概ね本ブログ管理人の意図を体現しています。

(表:3つの天皇グループを勘案した日本列島古代史の編年)
編年150405


 この表の作成については既に縷々書いてきました。その後新知見の獲得に従って微細な改定が必要と思っています。そうではあっても全体は変更不要と考えています。要点は継体天皇の出現が隋の建国と重なってくることです。
(つづく)

+++++日本列島の地震環境
 過日、以下のyoutube動画を視聴しました。NHKが放映したものだそうです。 
https://www.youtube.com/watch?v=Wk0VwNdiUtM (巨大地震)
 この動画に登場する一線の研究者が指摘する論点は
1:プレート下のマントル流がその粘性流体としての性質を露にし、その上に乗っかる太平洋プレートに影響を与えている;
2:日本列島に無数に分布する活断層、および小地震活動のシステマティックな分布は、列島が大小さまざまな小片に分割されていることの証〔あかし、ブロック構造〕である、というものです。

 これらの結論の論拠が列島に張りめぐらされている稠密なGPS観測網がもたらした膨大なデータ群です。そもそも、日本の地震予知研究でいわば事務局の役割を担ってきたのが測地を主業務とする国土地理院です。地震予知にあっては、地震活動の推移を追跡する以上に有用であるのが地表〔地殻〕の緩やかな変動であるとの認識を研究者達は有していたからに他なりません。

 本ブログでもしばしば強調するように、地震とは地中内、地表に局所的に集中する応力の開放現象です。この応力が地中、地表に歪〔ひずみ〕を形成する。それを地殻変動測量がとらえることができれば、地震の予知につながるかもしれない、と言う論理です。

 従って、普段の地震活動の推移は、大地震の結果であるのか、それとも将来の地震への準備過程であるのかは、非常に見極めがたいのです。せめて、その発生パターンと地中内の歪(ひずみ)分布と関連付ける手法が開発されるならば、と思います。

 さて、上記」youtube動画に示唆される粘性流体、そしてブロック運動について、本ブログ管理人の調査に触れておきます。

〔図1 2011年12月6日以後、今日までの東北日本の地震活動図。但しM>4.5の地震のみ、出店独立行政法人防災科学技術研究所HPより http://www.hinet.bosai.go.jp/ 〕
160408NEJap


 図1の説明に書きましたが、最近三年間の東北日本の地震活動をその大きさがM>4.5の地震のみに限ると、興味深い発見があります。それは、地震活動がランダムではなく、幾つかの線状配列を形成していることです。

 そこで、今回はで示される線状配列に焦点を当ててみました。図の矩形内で発生した地震の鉛直断面BC〔図1にBCが示されている〕への投影を見たものが図2の上の図です。

〔図2:図1の矩形領域に起きた地震について調べている。〔上〕鉛直断面BCへの地震活動の投影、横軸は図1の矩形の辺ABからの距離(km)、左半分で、地震が左下がりの分布を示している。辺ABに近づくほど震源の深さが深くなっていることを示している: (下)夫々の地震について辺ABからの水平距離を横軸に、夫々の地震の発生時を縦軸にとってプロットしたもの。発生時は2013.10.26地震からの時間差〔日数〕で計っている〕 
160408NEJap-Sendai


 図から、この矩形内で起きる地震の深所への遷移スピードは200日で100km、すなわち0.6cm/秒程度である。このスピードが粘性流体の拡散速度と整合的であるのか否か。粘性率の見積もりでいかようにも合わせられます。とすれば、現時点では異なる視点からこの遷移メカニズムを考察すべきであろうと考えています。

継体天皇の第IIIグループ(2)、科学パラダイム転換(1)

(写真:十七世紀初頭、この地は家康によって伊達政宗に知行されました。その際の現地・代官屋敷跡に咲く桜が満開であります。)
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菜の花や 月は見えぬが 日は南 光のどけき 春の日かな

 有り余っていた(?!!!)はずの私の「歌詠み」の才もどうやら枯渇の症状です。先人の名歌の剽窃との謗(そし)りを甘んじて受けねばなりますまい。それはともかく四月に入って連日の肌寒い日が続きましたが、本日は久しぶりのポカポカ陽気です。猫が畑で居眠り、キャベツ畑で白い蝶が舞っていました。残念ながら明日から又“肌寒き日に逆戻り”、と気象予報士が語っています。

前々回、安倍首相の面前でスティグリッツ博士が語ったとされる「宇沢弘文氏」引用の言を紹介しました。曰く「経済学徒たるものの矜持は明確な価値観です。それは“第一に社会正義、第二に環境、第三に平和”」であると。東大の数学科を卒業した宇沢博士と雖も、数理経済学を通して、人間活動が色濃く映し出される経済学に貫かれる法則性に触れることの難しさを吐露したのがこの「価値観」であったろうと私は想像しています。さもなくば経済統計いじくりは「寄る辺」のない営為でしかないからです。これは経済学を含む社会科学全般に求められるものであろうと思っています。さもなくば、学問そのものの存在価値はなかろう、とは私の考えです。

 一方、自然科学では、こうした価値観が無くとも研究結果は自然現象の観察から否応無く検証されてしまいます。先日、『死ぬまでに学びたい5つの物理学』〔山口栄一著、筑摩選書、2014年〕を面白く読みました。この本の主意は自然観のパラダイム転換です。宇沢博士が「経済学でのパラダイム転換とは、なにであったか?」との問いにどのように応えるのか興味深いことです。残念ながら、氏は既に鬼籍に入ってしまわれました。

 さて、山口氏は、このパラダイム転換を五つの発見から説き起こしています。
〔図:内容目次〕
科学パラダイム


 この本を読んで思い出したのが「世界でもっとも美しい 10の科学実験 (ロバート・P・クリース著、青木薫訳、日経BP社)、2006年」です(2012年、6月2日記事、http://j55.pw/zAEc )。山口氏の著作でかたられる五番目の主題「波動か粒子か」に決着をつけた外村彰氏の実験が最大限の賛辞を以って語られています。

%%%%%「世界でもっとも美しい 10の科学実験」の目次頁より
序文 移り変わる刹那
第1章 世界を測る-エラトステネスによる地球の外周の長さの測定:なぜ科学は美しいのか
第2章 球を落とす-斜塔の伝説:実験とデモンストレーション
第3章 アルファ実験-ガリレオと斜面:ニュートン=ベートーヴェン比較論
第4章 決定実験-ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分析:科学は美を破壊するか
第5章 地球の重さを量る-キャヴェンディッシュの切り詰めた実験:科学と大衆文化の統合
第6章 光という波-ヤングの明快なアナロジー: 科学とメタファー
第7章 地球の自転を見る-フーコーの崇高な振り子:科学と崇高
第8章 電子を見る-ミリカンの油滴実験:科学における知覚
第9章 わかりはじめることの美しさ-ラザフォードによる原子核の発見:科学の芸術性
第10章 唯一の謎-一個の電子の量子干渉:次点につけた実験
終章 それでも科学は美しくありうるか?
%%%%%終わり
 
 二つの本を読んで思うことは著者の思惑とは異なるかもしれませんが、『自然現象の再現』つまり「実験」、言い方を変えるなら「自然現象の計測」です。上記の外村博士の「電子挙動」実験は先端技術の能力を最大限引き出すことで以って世界を「あっと」言わしめたものです。

 山口氏は光の速度の測定では30万km/秒の僅か0.46km/秒つまり1.5%の速度の違いを計測する技術を十九世紀末(1887年)に作り上げていたことを書いています。この実験はマイケルソン・モーリの実験としてよく知られており、大学教養での物理講義では必ず語られます。しかし、パラダイム転換という視点から、改めてこの実験の発想、着想そしてその精度について再認識させられました。
 この本で語られるエントロピ則の問題など、上記の本で著者が言わんとしている「パラダイム」変換については、後日もう少し詳しく考えてみたいと思わせる何かがあります。

+++++第IIIグループ
〔図2:前回記事に掲載した図の再掲)
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 天皇の第IIIグループが継体天皇に始まる四天皇であることが、四天皇の在位年数から見えてくることを前回指摘しました。しかしこのグループとりわけそのトップバッタである継体店のの実在性については多くの研究者が疑っています。それは記紀がこの天皇の出自を明確に記載していない故です。
〔図3:前回記事に掲載した図)
継体01


 上記の「日本書紀(三)」(岩波文庫)の校注者もその疑念表明を露にしています。継体天皇の系譜を書く上宮記そのものへの疑念でもあります。

 続日本紀が書くように、記紀編纂にあっては、大々的な焚書がなされています〔x月x日記事〕。従って、この8世紀初頭に記紀以外の歴史書が出現するとは思いがたいのです。
 それは、さておき、本ブログを読んでくださってる方々に尾kれては、そもそもこの「出自」なるものに根源的な疑念を抱いているに違いありません。それは「応神天皇」です。藤原不比等が日本列島近代史〔当時〕編纂に会って「拵え上げた」のが応神天皇であるからです。記紀はと言うより編纂者たる藤原不比等がそのことを白状しています。それは応神天皇の和風諡号「ホムタ」です。「ホムタ」についてはこれまでも南海か本ブログで論じてきました〔2013年8月14日記事〕。

%%%%%2013年8月14日記事一部抜粋(http://j55.pw/2gJ2 ) 
%%%%%日本書紀・巻(十)応神天皇即位前紀より
《応神天皇即位前紀》誉田天皇。足仲彦天皇第四子也。母曰気長足姫尊。天皇以皇后討新羅之年。歳次庚辰(仲哀天皇九年庚辰二〇〇)冬十二月。生於筑紫之蚊田。幼而聡達。玄監深遠。動容進止。聖表有異焉。皇太后摂政之三年(癸未二〇三)。立為皇太子。〈 時年三。 〉初天皇在孕而。天神地祇授三韓。既産之完生腕上。其形如鞆。是肖皇太后為雄装之負鞆。〈 肖。此云阿叡。 〉故称其名謂誉田天皇。〈 上古時、俗。号鞆謂褒武多焉。一云。初天皇為太子。行于越国。拝祭角鹿笥飯大神。時大神与太子名相易。故号大神曰去来紗別神。太子名誉田別尊。
文意:岩波文庫「日本書紀(二)」(190頁)
 応神天皇は足仲彦天皇(仲哀天皇)の四子。母は気長足姫尊(漢風諡号は神功皇后)。天皇が皇后に伴われて新羅討伐に出かけた年十二月筑紫の蚊田に出生。幼くして聡明、深慮の性。挙動、容貌優れ、聖人のおもむき。皇太后摂政之三年に立為皇太子。初めて天皇が母の腹に宿った際、天神地祇は三韓を授けることを約束した。生まれながらにして、腕の筋肉は隆々、その形状は鞆の如くであった。天皇を抱いた皇太后の姿は鞆を背負ってるようであった。そのため「譽田(ホムタ)天皇」とも呼ばれた。<以下その理由が注として付記されている:
一書が言うところでは、皇太子になった時、角鹿に祀られる笥飯大神を拝礼するべく越国に行った。この時、大神が名前を取り替えようと持ちかけた。こうして、大神の名は去来紗別神となり、御子の名は誉田別(ホムタワケ)尊となった。
%%%%%
 この説話は、多くの歴史家、歴史愛好家の頭を悩ませて来ました。意味がよく分からないというのです。名前交換については、本ブログ記事2012年11月7日に既に論じています。簡単にそれを繰り返しておきます:
宋書倭伝が書く「倭の五王」の二人の名前「興」王、「武」王から合成されたのです。つまり「興=高」はラテン語表記では「KHO」です。既に繰り返し書いていますが、これは「コ」とも「ホ」とも音するのです。一方「武」は「ム」です。こうして「ホム」という名が作られたのです。藤原不比等の広大な学識を反映する「詐術」と、私は思っています。

 さて、自らが両親からもらった名前を神に差し上げる。これは、神の世界に入った、つまり鬼籍に入った事を意味します。そして神から名前を戴く。これは仏教で言えば「戒名」です。しかもその名たるや、大国(南)宋の正史に書き留められている名前です。
%%%%%

 上記の過去記事で解明したように、応神天皇は実在の天皇ではなかったのです。その実在しなかった天皇の五世の孫なぞとの議論も信頼できないのは当然です。藤原不比等もそのことを招致していたがゆえに記紀でその出自を「ごまかした」のです。とすれば「上宮記」に期待された政治的役割が垣間見えてきます。それはさておきこの「名前取替えばや」説話の舞台である現在の福井県こそ疑問を解く鍵の一つとなっているのです。
(つづく)

仁徳天皇から派する第三天皇群

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)

(写真:近くの用水池で遊泳する番(つがい)の鴨の水面につくるる波紋形状が全く同じです。意図してそうしてるのか、それとも水鳥というものは泳ぎ方にほとんど違いが無いという事なのか。進む背後の波の形状が左と右で異なっています。カメラの向きのせいなのか、それとも左右の足の動かし方の違いなのか?)
P4020009


水面に 波紋をつくり 鴨がゆく
 
+++++仁徳天皇から派する第三天皇群
〔図1: ‥傾弔里梁┛夢間によるグルーピング、今回の主題では黄色のゾーンに着目してください。ここでは最長在位は欽明天皇の31.3年。一方、他の三天皇の在位年数の総和は24+4.8+3.2=32年となり欽明天皇の在位年数と同じとなります。この則は先行する赤ゾーン、オレンジゾーンに成立した「則」をみることができます。 日本書紀〔一部上宮記〕による継体天皇系図と天皇のグルーピング;)。,硫色ゾーンを構成する四天皇が第三のグループを構成していることがわかる。
3rd_group

  
 日本書紀が書く第二十六代継体天皇は「謎」だらけの天皇として古代史研究者の頭を悩ませて来ました。まずはこの天皇の出現を記紀に見ることにします。なるほどその出自に関しては記紀は詳細に語りません。それが「謎」たる由縁です:
%%%%%記紀関連記事
古事記原文:
繼體天皇〕
故品太天皇五世之孫。袁本杼命。自近淡海國。令上坐而。合於手白髮命。授奉天下也。袁本杼命。坐伊波禮之玉穂宮。治天下也。天皇。娶三尾君等祖。名若比賣。生御子。大郎子。次出雲郎女。〈 二柱。 〉又娶尾張連等之祖。凡連之妹。目子郎女。生御子。廣國押建金日命。次建小廣國押楯命。〈 二柱。 〉又娶意富祁天皇之御子。手白髮命。〈 是大后也。 〉生御子。天國押波流岐廣庭命。

文意:岩波文庫「古事記」204頁
袁本杼命〔おおどのみこと〕は品太天皇五世之孫である。近淡海國より都にのぼり手白髮命と結婚して天下を奉ずる。伊波禮之玉穂宮〔謂れの玉緒〕の宮で天下を納めた。天皇は三尾君等祖で名を若比賣と言う女性を娶る。大郎子、次に出雲郎女の 二柱を生む。又、娶尾張連等之祖で凡連之妹である目子郎女を娶る。生んだ御子は廣國押建金日命、次に建小廣國押楯命の 二柱。である。又、意富祁天皇之御子である手白髮命を娶る。 是大后也。生した御子が天國押波流岐廣庭命である。

日本書紀原文:
男大迹天皇 継体天皇
《継体天皇即位前紀》男大迹天皇。〈 更名彦太尊。 〉誉田天皇五世孫、彦主人王之子也。母曰振媛。振媛、活目天皇七世之孫也。天皇父聞振媛顔容姪妙甚有〓[女+微]色。自近江国高嶋
郡三尾之別業。遣使聘于三国坂中井。〈 中。此云那。 〉納以為妃。

文意:岩波文庫『日本書紀(三)』162頁
男大迹天皇の 又の名は彦太尊である。誉田天皇の五世孫である彦主人王の子である。母は振媛である。振媛は活目天皇七世の孫也。天皇の父は振媛の顔容が美しいと聞き。近江国高嶋
郡三尾之別業より、三国坂中井遣使を立て妃とする。
%%%%%

 上掲の古事記と日本書紀は継体天皇の出自について応神天皇の五世の孫であるとして書くのみです。にもかかわらず、図1には継体天皇を逆上ること四代にわたる人名が書き込まれています。
 この四代の人名は記紀によったのではありません。釈日本紀という古書によったものです。

%%%%%ウイキによる釈日本紀
• 釈日本紀(しゃくにほんぎ)は、鎌倉時代末期の『日本書紀』の注釈書。「釈紀」の略がある。全28巻。
成立
著者は卜部兼方(懐賢)。著作年代は未詳だが、平野社系卜部家であった兼方の父兼文が、文永元年(1264年)または建治元年(1275年)に前関白一条実経らに講義を行った[1]。このときの説話に、奈良時代以降の数々の『日本書紀』注釈史料を参照して編集したとする。正安3年(1301年)には写本が確認でき[2]、つまりはこの20余年の間に編まれたと考えられる。
%%%%%

 この釈日本紀が「上宮紀」と呼ばれる古書の記載事項を写し取っていると考えられています。 
%%%%%ウイキが書く上宮記(じょうぐうき・かみつみやのふみ)
 7世紀頃に成立したと推定される日本の歴史書。『日本書紀』や『古事記』よりも成立が古い。鎌倉時代後期まで伝存していたが、その後は散逸し、『釈日本紀』・『聖徳太子平氏伝雑勘文』に逸文を残すのみである(『天寿国曼荼羅繍帳縁起勘点文』所引の「或書」も上宮記と見なす説がある)。特に『釈日本紀』巻十三に引用された継体天皇の出自系譜は、『古事記』・『日本書紀』の欠を補う史料として研究上の価値が高い(この系譜は「上宮記曰く、一に云ふ〜」の形で引用されているので、厳密に言えば、『上宮記』が当時存在した別系統の某記に拠った史料である。つまり、某記の継体天皇系譜を『釈日本紀』は孫引きしているということになる)。
編者は不詳。上・中・下の3巻から成るか。書名の「上宮」は厩戸皇子が幼少・青年期を過ごした宮であるが(現奈良県桜井市)、『平氏伝雑勘文』に「太子御作」としているのは仮託であろう。本書の性格についても、聖徳太子の伝記とする説、上宮王家に伝来した史書とする説などがあって一定しない。神代の記述も存在したらしいが、まとまった逸文は継体天皇・聖徳太子関連の系譜で占められ、その系譜様式や用字法の検討から、本書の成立は藤原宮跡出土の木簡より古いこと、さらに推古天皇の時代まで遡る可能性も指摘されている。
%%%%%ウイキ転載終わり

〔図2:上宮紀が書く継体天皇の出自,岩波文庫「日本書紀(三)」382頁〕
継体02


〔図3:岩波文庫「日本書紀(三)校注者の指摘、383頁」
継体01


 図3に見るように、継体天皇に関しては実在性すらも疑う研究者もいます。
というわけで、次回、継体天皇を巡る謎と私の仮説を書きます。

(つづく)

磐女(2)、三重沖地震、国際金融経済分析会合(3)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:本日昼頃三重県南東沖にM5.8の地震が発生しました。図は防災科学技術研究所http://www.hinet.bosai.go.jp/ による調査です。上は震央分布、下は、南北鉛直断面の東側からの投影です。南海地震の発生が取り沙汰されているこの時期、なんとも地震研究者および防災関係者には悩ましい場所にこの地震が起きています。フィリッピン海プレートが日本列島下にもぐりこむ、その上面で起きているように見えます。この地震の発震機構解は防災研究所の解析によれば正断層型です。海の側のプレートが志摩半島下側のプレートを押し込んでいるために起きたのではない。そうではなく、志摩半島の下側のプレートが下方にプレートを引っ張り込んでいるように見えるというわけです〔下の鉛直断面)。これもなかなか解釈が難しそうです。後日、機会を見てもっと詳しく考察します〕
160441三重沖
 

 鼻水が シトシトピッチャン シトピッチャン かんでもカンでも 流れいづるなり

 上は本日の状態を唄ったものではありません。先週はじめから突然の「花粉症」らしきものに取り憑かれ、えらい目にあっていた際に苦し紛れに捻り出した歌です。

+++++仁徳天皇に派生する二番目の天皇グループ
 昨年八月末に訪ねた富山県。その東縁を日本海に向かって流れ落ちる黒部川の話がどんどんと膨らんでしまいました。「黒部川」の由来は「くろひめ」川であろう、つまり本来”メ”であったものが“べ”に置き換わったとの私の考察を書いてきました。論拠の一つが日本語に限らず、世界に共通する言葉の「音」(オン)の相互転換です。日本語で言えば「バ」行の音は「マ」行、「パ」行に転じます。例えば「馬」は「バ」とも「マ」とも発音します。「美」(ビ)、「無」(ブ)が同様です。「辺」は「ヘン」で時に「ペン」、そして「本」は「ホン」、「ボン〕、「ポン」と発音します。外国の地名では「アルバニア」、「アルメニア」は同じ語源と考えられています〔木村愛二氏〕。「ミャンマ」と「ビルマ」も同様です。

 発音する際の口唇の振るわせ方が互いに似通っているからです。それを反映して、ラテン文字でも“p”,“b”の前に“n”が置かれることは無く、“m”に替わります。例えば“important”などです。
 黒部が黒姫であろうとの推論は、まずは、黒部川の東側に黒姫山があることから導かれます。そこで、この黒姫山の「クロヒメ」は「黒比売」あるいは「黒媛」として古事記・日本書紀に登場します。日本書紀の編年では仁徳天皇の長男とそれに続く四名が、まずは天皇グループIを形成します。この長男の妃が黒姫です。お二人の生んだ孫が天皇グループIIを形成することになります。天皇グループIの最初の天皇の母が「石之日売〕〔いわのひめ〕です。この母を「磐女」と表記するするならば、そのお方は福島県須賀川市の西方にある天栄村・「飯豊」地区にある「磐女」神社で祀られています。

 この神社は創建はどうやら寺として始まったらしいことが手水場の配置からわかります。つまり磐姫の宮廷跡に磐姫の魂を弔うべく後日寺院が建造されたと思えます。そしてその寺は、さらに神社に作り変えられたと思えます。そのきっかけは、何がしかの「祟り」を思わせる大きな事件の出来〔しゅったい〕ではなかろうかと想像しています。それは東北日本を襲った超巨大地震〔例えば689年の貞観地震〕であるのか、大旱魃であるのか、それとも奈良政権による東北の民への大虐殺であったのか。なんとか解明したいものと思っています。

 万葉集八十五歌の題詞が仁徳天皇と磐姫の間に通う恋慕の情を唄ったものとの解釈がなされています。それは、この歌に付された『題詞』に大方の研究家が惑わされているからです。歌に登場する女性は「気長=髪長」を思わせる女性です。一方、仁徳天皇の祖母に当たる神功皇后の和風諡号は「気長足姫尊」です。この符牒には史書編纂に当たった藤原不比等の政治的思惑があります。これについては後日考察します。

 こうして東北日本には仁徳天皇にまつわる主だった女性がその名前を地名として残しているのです。この「不都合」を日本列島の「正史」には書き残したくない。それが藤原不比等の考えでした。古事記・日本書紀では、黒姫の舞台はもっぱら大阪から西に、飯豊皇女は奈良盆地に閉じ込められてしまったのです。

 さて、そろそろ天皇の第IIIグループに話を移すべきですが、第IIグループについて古事記・日本書紀が興味深いことを記載しているので、それを紹介しておきます。それは「志毘」(しび)なる人物が天皇の妃に予定されていた女性に横恋慕する説話です。横恋慕に伴う「いざこざ」が「歌垣」(かがい)なるやり方、つまり「歌」のやり取りの形式で論争されます。日本書紀では実際にこの女性を姦したと書きます。古事記はこの人物討伐の最終段階を以下に書きます:
%%%%%古事記
原文:
意富祁命。袁祁命。二柱議云。凡朝廷人等者。旦參赴於朝廷。晝集於志毘門。亦今者志毘必寢。亦其門無人。故非今。者難可謀。即興軍。圍志毘臣之家。
文意:「古事記」〔岩波文庫〕198頁
意富祁命と袁祁命(おけ)(をけ)はこの事態を同決着するかを話し合い以下を指示した」朝廷に仕えるものは旦あした)(は朝廷にしゅっぷし、昼は志毘の門前にあつまれ。必ずや志毘歯眠るであろうか羅門前に人がいなくなる。この機会をのがさねば謀はなる。)と。直ちに軍を起こし志毘の家を囲んだ。
%%%%%
 私がこの記載から連想したのが隋書倭国伝です。不比等歯、この部分の監修に当たって大陸正史を目にしていたと思えます。それはさておき、同様の説話を日本書紀が書きます。次の天皇である武烈紀のなかです。そこでの歌のやり取りに、興味深い記載があります。
%%%%%日本書紀・巻十六より抜粋
太子歌曰。
現歌:
於弥能姑能。耶賦能之魔柯枳。始陀騰余濔。那為我与釐拠魔。耶黎夢之魔柯枳。〈 一本。以耶賦能之魔柯枳。易耶陛〓羅〓枳。 〉 
仮名:
おみのこの やふのしばかき したとよみ なゐがよりこば やれむしばかき 〈 あるふみに、「やふのしばかき」をもちて「やへからかき」にかふ。 〉

 姫を取り返そうとする武烈天皇〔この時点では皇太子、つまりこの説話の時代が古事記と日本書紀では異なっているのですが〕に対して姫を奪った鮪(しび)臣が固い垣の守りを作ってそれを阻もうというわけです。それに対して太子「そんな守りを作っても地震〔ナイフル〕がくれば壊れてしまうだろう」と唄った、と記紀は書きます。つまり、この説話の時代にどうやら大きな地震があったらしいことをうかがわせるのです。 

 さて、天皇の第IIグループを語る記紀には東北日本を連想させる地名が頻繁に出現します。たとえば「浅茅原」、「日鷹〔日高見〕」、『飽田〔秋田〕』、『白髪(白河)」、「磐木」などなどです。しかし、学者先生方はこれらの名称は無視するか一方的に奈良盆地のどこかに帰するのです。

(つづく)

+++++国際金融経済分析会合(3)
 表記に関連して興味深い記事を見つけました。それは「民主党・スティグリッツ教授朝食講演会」と題する動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=RX334pHGOJM 
 この要旨が下記に和訳されているので一部を転載しておきます。スティグリッツ教授は冒頭宇沢弘文氏の業績を引用しつつ経済学者たるものの矜持に触れています。私は誠に説得力ある言葉と受け取りました。昨今の経済学者がしかるべき価値観、哲学を持たず現状容認と解釈にかまけている実態への厳しい批判であろうと思っています:
%%%%%
民主党・スティグリッツ教授朝食講演会 2016年3月17日[試訳]
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/323.html
○投稿者による抄訳

■宇沢弘文とグローバルな進歩主義[08:48/42:53]
 
宇沢弘文先生をしのびながらこのような会に参加させてもらえてうれしい。私は1965年シカゴ大学で、全米の最高の学生たちとともに宇沢先生のもとで数理経済学を学んだ。われわれは先生の力強い人柄にたちまち心服し、先生と一生の絆で結ばれた。先生はその世代の最高の数理経済学者の一人だった。先生の数理の下には深く根ざした価値観があった。第一に社会正義、第二に環境、第三に平和。(価値観の欠落した単なる数式いじり、統計いじりは経済学ではない!!、ブログ管理人の感想)

私がそうした問題について書くようになったとき、たとえばイラク戦争に反対した『世界を不幸にするアメリカの戦争経済』[1]を書いたとき、よく先生のことを思った。すなわち、GDPの最大化は社会の目的ではない。戦費はGDPに寄与するが、イラク戦争に投じられたお金で社会は豊かになっていない。イラクで殺された人たちにとってはなおさらのことだ。

私が議長を務めた「経済パフォーマンスと社会の進歩の測定に関する委員会」[2]では、GDPでは測れない生活の質を問題にした。このことは日本で特に重要だ。日本が経済成長をしていないとか、労働力人口が低下しているとかいった、統計にもとづく批判がある。しかし、時間あたり労働者あたりでみると、日本の生産性は最高水準なのだ。

グローバルな進歩主義とでもいうべき近年の動きは、宇沢先生と同じように社会正義、環境、平和に向けられている。その動きが米国ではこれまでになく強まっている。大統領予備選挙では、民主党の候補が2人とも不平等や環境問題への対策としてグローバルで進歩主義的な政策をかかげた。一方で、米国社会はこれまでになく分断されている。所得、資産、健康保険などにおいて格差がますます広がっている。

共和党側に見られる怒りは、ある部分でそれを反映している。日本は米国よりも平均余命が長い。国民皆保険制度が確立している。というより、健康にたいする権利が保障されていない先進国は米国くらいだ。近年では大学を出ていない白人男性の平均余命が大きく低下し、大学を出ていない男性の収入が年々低下している。男性全体の中位収入は40年前より低くなった。現在の実質最低賃金は60年前よりも低い。つまり低所得者の賃金は60年間上昇していない。この社会では高所得者が毎年ますます豊かになっているのに、圧倒的多数の人々はそうでない。それがある種の怒りを引き起こしている。しかし、残念ながらその怒りは建設的な方向に向けられていない。民主党の側では、同じ不満がこうした問題を解決する進歩主義的な方向に向けられている。
〔以下省略〕

%%%%%分析会合〔3、最終〕
前回のつづきです〔和訳は付しません〕。
[p.33]Other counterproductive supply side measures
 • Backward looking supply side reforms also will not work
  ・Reducing excess housing capacity in the US (empty homes in Nevada desert) would not havehelped US recovery
  ・Destroying excess chip capacity in Korean crisis (1998) would have impeded its recovery
 ・Ignored option value
  ・Arguments often made by those wishing a reduction in competition
 ・"national champions" = oligopolies
[p.34]Failure of Supply side measures
 • Supply side measures in US (and other countries) in early 1980s failed
  ・Didn't live up to promise of increasing tax revenues―actually fell
  ・Didn't live up to promise of increasing growth―actually fell
    ・Savings rate fell
      ・Same effect seen in more recent tax cuts in beginning of 2000s
    ・Labor force participation fell
  ・Worries about impact on inequality more than justified―have reached new heights
[p.35]IV. Financial sector and financial turmoil
 • Some of turmoil is reflection of lack of transparency in financial markets
• Some of turmoil is reflection of short-sighted nature of financial markets―they have always been very fickle
• Some of turmoil is reflection of deep uncertainty about the direction of the global economy
• Some of turmoil related to failure of countries to coordinate monetary policy, resulting
 uncertainty in exchange rates, large movements in destabilizing capital flows
・Facilitated by capital and financial market liberalization
• Much of the turmoil reflects failure to address fundamental problems in the financial sector
• Problem is that the turmoil is likely to have consequences for the real sector
[p.36]Reforming the financial sector
 • More than preventing the sector from imposing harm
  ・Through excessive risk taking
  ・Market manipulation, predatory lending, etc.
  ・Abuse of market power
• Ensuring that it plays societal role at low transactions costs
  ・providing SME and housing finance
  ・managing retirement accounts and running the payments system at low transactions cost So far, we have failed in both tasks
There is the need for broader and deeper reforms and broadening public instruments for providing access to credit
• Student loans
• Public option in mortgages
• Public option in retirement accounts
[p.37]V. Global Reforms
 • Need new global reserve system
  ・Current system is a historical anachronism
  ・Leads to biases towards surpluses
  ・Weaknesses in reserve currency countries
  ・A global reserve system, as suggested by Keynes and recent UN Commission would lead to greater global
[p.38]Global reforms
 • Need global coordination to reduce global imbalances
  ・China's surpluses are in process of being reduced
  ・But those in the Eurozone are increasing
    ・Will need deep reforms in Eurozone
• Need global macro‐economic (monetary and fiscal) coordination
  ・Was hope that this would happen after Global Financial Crisis
  ・Hasn't materialized―even greater asynchronous movements
• Need better ways of recycling surpluses
  ・New development banks move in the right direction
  ・But there is a need for governance reforms and recapitalization of Multilateral development banks
[p.39]Finance for development
 Could simultaneously recycle surpluses, adding to global demand, and promote development, but there are three impediments
• Debt markets: no international framework for debt restructuring
  ・Important initiative at the UN, supported by vast majority of countries
  ・But US and some European countries arguing against a "rule of law"
• FDI: investment agreements undermine the ability of countries to regulate
• Taxation of multinationals: international tax regime makes raising revenues difficult
  ・Race to the bottom
  ・BEPS agreement at G-20 left key issues unaddressed
  ・Deeper reform of global tax regime needed
[p.40]Action on climate change
 • Investments to retrofit the economy for climate change would provide needed stimulus to global economy
• Environment and economic growth are complementary
  ・Especially if we measure growth correctly
• Providing a price on carbon would provide incentives for investment
• Paris meeting was important in creating momentum, so business community realizes that in one form or another there will eventually be a price for carbon
  ・Key investments (infrastructure, housing, buildings, power plants) are long term
[p.41]VI. Reforms in the global decision making process
 • Global economic integration has outpaced than of global political integration
• Whenever there are spillovers, externalities need for collective action
• But we have no good framework for doing so at the global level
• Global economic policy too often reflects power and special interests
・Not necessarily focusing on areas where global cooperation and harmonization are necessary
・Excessive harmonization of IPR rules・Harmonization on rules that reflect special interests, with insufficient democratic accountability―different from what might emerge from a more global democratic process
・Especial concern that new trade agreements will impair ability of governments to perform essential regulatory functions in a democratic way
・Focus is on harmonizing down, to lowest common denominator
[p.42]Reforms in global decision making process
 • How to increase representativeness
  ・Under-representation of small and poor countries
  ・Important, even if they have little weight in global economy
• How to increase legitimacy
  ・UN is the international body with global legitimacy
  ・IMF has similarly more legitimacy within its remit
• Danger of "club" getting together to make decisions for all
  ・Undermines credibility of other organizations
• Alternative: Global Economic Coordinating Council
  ・Operating under the UN, IMF
[p.43]Rethinking global decision making
 • Variable geometry
  ・Recognizing that it will be difficult to get close to unanimity on many issues
• "Coalition of willing"―for instance on climate change
  ・With cross-border taxes to induce others to cooperate
• May not be able to get all to agree to new global reserve system
  ・Again coalition of willing―advantages will induce others eventually to join
• Thinking carefully about where externalities are most important
  ・Absence of collective risk bearing induces high level of savings, reduces global aggregate demand
  ・Global rules favoring capital increase inequality, with adverse effects on global aggregate demand
  ・Global instability creates inequality, leads to high savings, both of which contribute to deficiency in global aggregate demand
[p.44]VII. The World Today in Perspective
 • Many of the advanced countries began an experiment a third of a century ago―lowering taxes, deregulation
• There was a need to adjust economic framework to changing economic circumstances
・But they made wrong adjustments
• Consequence has been slower growth and increasing inequality
• Full effects are just now being felt―but they have been on their way
• If current course continues things will get worse
・With untold political consequences―some of which we are beginning to see
• This experiment can and should now be declared a major failure
• There is a need for a new course
・Minor changes, tweaking of current arrangements will not do
[p.45]Many pieces to this failed experiment
 • New approaches to monetary policy
  ・Focus on inflation, rather than balanced perspective―growth, employment and stability
• New approaches to fiscal policy
・In Europe, stringent constraints on deficits
• New emphasis on privatization
・Extending even to social security in some countries These too have not brought promised benefits
[p.46]Experiment in new global architecture is also a failure
 • Forty years ago would began experiment with unfettered capital flows
  ・Was supposed to bring a new era of stability
• Markets would do a better job than governments
• Instead it ushered in new era of global instability
  ・Especially associated with short term capital flows
• Now even the IMF says that there should be capital controls (capital account management)
[p.47]There is a way forward
 • Restoring the balance between the government and the market
• Recognizing the importance of the "third sector" and new institutional arrangements
• Ending austerity
• Global efforts to address global needs, global public goods, global externalities
  ・Beyond climate change to include a global science foundation
  ・Global efforts to increase productivity―instead of a race to bottom
• Commitment to measures to increase living standards for all
• Global reassessment of how we measure progress
・What we measure affects what we do
・Main message of the Commission on the Measurement of Economic Performance and Social
   Progress
・Work continuing at the OECD
[p.48]The World Economy: The Way Forward
• The New Mediocre, the Great Malaise, Secular Stagnation are not inevitable
・They are the result of failed policies
• In an increasingly integrated world, the best way forward would entail global cooperation in restoring balance and increasing aggregate demand
・Combined with cooperation, for instance, in the provision of global public goods
   ―research, global warming
・Achieving that cooperation has proven difficult
・Japan’s leadership in G-7 may be part of way forward
• But even lacking that cooperation, there is much that each country can do to strengthen demand and improve productivity within its own borders
・With significant spill-overs to others
%%%%%国際金融経済分析会合パワポ講演紹介終わり

福島県の飯豊(2),国際金融経済分析会合(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:千葉県房総半島中央部の夷隅に屹立する古城、大多喜城)
P3290013


大多喜の 小山に屹立せる 城に拠り 夷隅を支配せし 幾多の武将 

 近日中に考察することになる「継体天皇」、その長男とされる「安康天皇」の時代にこの地が歴史の舞台に登場する、と日本書紀は書きます。それは「珠」をめぐっての説話です。大多喜の南の勝浦で「珠」,真珠が採れたのでしょうか?

+++++福島県の飯豊(2)
 前回記事の冒頭で示した地図には「御座:〔みくら〕〕とも呼ばれる「飯豊」地区が示されています。そしてその近傍にあるのが「磐女」〔いわひめ〕神社です。
〔図1:磐女神社の全景。この図の後に続く写真が番号で示されている〕
磐女神社_全景
 

〔図2:/声卞發龍覆りくねった参道を北西から見ると、ゆるらかな勾配がわかる;◆2011年3月11日で崩壊したと思われる神社内の川壁〕
磐姫12


〔図3:神社の鳥居と参道途中の朱色の小さな橋)
磐姫34


 図2の説明にも書きましたが、参道に沿って置かれる手水場は拝殿に向かって右側に設けられています。これは九州大宰府の天満宮と同じです。天満宮は、そもそもは菅原道真公の墓所として建立された安楽寺であったのです。しかし、道真公の怨霊を鎮めるべく神社としての機能が付与されたと思われます。この磐女神社もそうした背景があったのではなかろうかと私は想像しています。

  神社〔もしかしたら元々は磐女に安眠していただく寺〕の設計に、小川を取り込んでいます。誠に風情ある光景です。道真公と同じように、後日、東夷軍を名乗る奈良盆地からの兵による蹂躙に、磐女の祟りとも思える事象が多く発現したのではなかろうか?かくしてこの寺は神社となり、磐女の鎮魂を担わされたのではなかろうかと思っていますが、史書にはそうした説話は記載されていません。

 「飯豊」と言う名称は今でも厳然と残っています。それを示したのが図4です。

〔図4;天栄村大字飯豊にある古社の由緒書〕
広戸小学校

 
 こうして、「飯豊」なる名称が福島に残っているのです。そして、既に書いたように仁徳天皇の周囲に登場する女性、青姫、黒姫は新潟県から富山県に分布します。こうした事実を知ってか知らずしてか、研究者たちはこれらの女性を近畿とその近隣に生きたと信じきっているのです。私には誠に不可解です。

 学者先生の論拠が忍海、そして角刺宮です。古事記、日本書紀を見る限りではこれらが奈良盆地であるとは明記されていません。しかし、後世の誰かがこの地を奈良盆地として定め、それをどこぞに書きのこしたのでしょう。そうなるとそれを疑わう研究者はうまれません。全ての議論はそこから出発します。東北北陸に残る伝承、地名は一顧だにされない。おかしいと思っています。

 私は、忍海は猪苗代湖であり、角刺宮が鉾衝神社であることを本ブログで論証してきました。「いなわしろ」はアイヌ人の土着信仰である「いなう」と、渡来族の出自を表現する「オシラ」が結合して生成されたと考えています。「忍海」の「忍」(おし)はまさに渡来族が命名した湖の名前であったのです。
 一方、「角刺」宮が須賀川市の古社である「鉾衝」と同義であることは明瞭です。つまり歴史編纂上、東国の政権を隠蔽したいが故に「鉾衝」は「角刺」に変えられてしまったのです。
 
 上記の考察から、飯豊皇女は、紛れも無く「岩瀬国」にあって女王であったのです。これまでの飯豊皇女論は前提が誤っているのです。

〔図6:忍海と角刺宮、図で北方向が右になっていることに注意〕
猪苗代湖_鉾衝


  (続く)

+++++国際金融経済分析会合(2)
 前回のつづきです〔和訳は付しません〕。
[p.17]Measures that would work 
3. Increasing government spending, financed partially by taxes, will stimulate economy
・Principle of balanced budget multiplier; with well designed taxes and expenditures,
   multiplier can be quite high
・Appropriate accounting framework looks at both sides of the national balance sheet, not
   just at liabilities
 ・Spending on education, health of young people are investments which improve asset side
     of balance sheet
 ・So do investments in infrastructure and technology
・Environmental taxes and land taxes will help restructure the economy to create sustainable growth
・So will government expenditures to promote structural transformation and promote equality
4. Other measures to increase equality will increase global aggregate demand
  ・Rewriting the rules: improving equality of market income
  ・Improving on transfer and tax system
  ・Measures that increases wages and worker security
  ・In some countries, improving legal framework surrounding unions/bargaining
5. A global reserve system will reduce need for demand-reducing build up of reserves
[p.18]Beyond global aggregate demand
 
 
• Especially as world moves to service sector economy, non-traded sector likely to be
 increasingly important
• Absence of domestic demand impairs supply
• Domestic demand is more than private consumption
・Includes investment in environment, people, technology (closing the knowledge gap),
   infrastructure, making cities livable
• Much of this domestic demand will have to be publicly financed
・Health and education are among key service sectors
[p.19]A. Ending austerity 
• Even the US has had a mild firm of austerity
・500,000 fewer public sector employees, normal expansion would have some 2 million more
• Notions of expansionary contractions and that there is a critical threshold, above which debt lowers growth have been discredited
• Even if that were the case, the balanced budget multiplier means that increasing taxes in tandem with investment spending increases GDP now and in the future
[p.20]Need balanced approach to finance―debt vs. tax
 • Will vary from country to country, depending on levels of debt and taxes, growth paths
 ・Always need to keep balance sheet perspective
• In all countries, raising environmental taxes ("charges", including congestion fees),
 including carbon tax, would generate substantial revenues and improve economic performance
• So too would a Financial Transaction Tax
• In virtually all countries, raising taxes on land and other natural resources ("inelastically supplied") would raise substantial revenues, increase growth (less diversion of savings to unproductive uses)
[p.21]Need balanced approach to finance―debt vs. tax (Cont'd)
 • Lowering taxes on corporations would not increase investment, since most investment is debt financed, and interest is tax deductible (lowering taxes raises net cost of capital, and thus discourages investment!)
・Increasing taxes on companies that do not invest in the country and create jobs may
   incentivize investment
• Some taxes actually stimulate spending today (carbon tax, inheritance tax)
• Balanced budget multiplier implies that raising taxes and spending in tandem stimulates economy
Well designed taxes would also address key issues of inequality, instability, and environmental degradation
[p.22]Beyond austerity
 Rethinking budgetary rules and frameworks
• Capital Budgeting
・Balance sheet perspective is especially important when cost of funds is low and returns
   to investments are high
• Using development banks to promote investment
・With well designed taxes and expenditures, multiplier can be quite high
[p.23]B. Spending money well: focusing on key long run problems―lack of productivity
 There has been under-investment in technology and infrastructure which is complementary to private investment
・with government support of basic research (as a percentage of GDP) lower than it was a half century ago
・wellspring of ideas driving new innovations to increase productivity may be drying up
What is need is more Investment infrastructure and technology
・since much of this public investment is complementary with private investment, private
   investment will be stimulated
・investment could be financed through an infrastructure bank
[p.24]C. Spending money well: focusing on key long run problems―Structural Transformation
 • Global manufacturing employment is in the decline
• With globalization, the advanced countries will be seizing a declining share of that employment
• Needs to be shift to service sector
・And in some countries, improving productivity of service sector
• Markets on their own do a poor job at managing the kind of large structural transformation thatis needed
・Evidenced in earlier transition from agricultural to manufacturing
• Among the service sectors that should be taking up the slack are education and health
・Government rightly plays an important role in these sectors
・Austerity has constrained the ability of the government to play that role
[p.25]Challenges posed by this structural transformation
 • New economy may be less capital-intensive
 ・So that the investment needed to support a given growth in GDP may be smaller
• Older workers especially may be ill-prepared for the new economy
・With the aging of the baby-boomers, a larger fraction of workers are older
・The societal costs of not retooling―of simply accepting their obsolescence―are higher
• Existing arrangements creating large issues for old and young
・Zero interest rate environment means that old who saved prudently through government
  bonds have low income
・Young can't afford to buy houses, often have to wait long time to get a job, when they get a job, it doesn't use their skills and talents, and in many countries, they are saddled with large debts
[p.26]Policies for promoting Structural Transformation
• In many countries government action was central in transition from agriculture to manufacturing
• The government needs to again take an active role, including through more active labor market policies.
• Such policies only work, however, if there are jobs for the retrained workers.
・There needs to be a comprehensive framework for restoring full employment
[p.27]D. Fighting Inequality
• More than redistribution
• Pre-distribution: Rewriting the Rules to ensure more equitable distribution of market income
・Markets don't exist in a vacuum: the way they are structured affects how they function,
   efficiency, and distribution
・Increases in rents explains the anomaly of an increase wealth/income ratio accompanied by a decrease in the ratio of productive capital to income
[p.28]Fighting Inequality
• These theories explain the marked disparity between the growth in labor productivity and real wages
・Wedge can't be explained by standard theories―skilled bias technical change or differential savings rates
• Reduced inequality would improve economic performance, in the short term, and in the long term
See Stiglitz, J. E., N. Abernathy, A. Hersh, S. Holmberg, and M. Konczal (2015).
Rewriting the Rules of the American Economy, New York: W.W. Norton, 2015.
[p.29]III. Structural Reforms
 Some basic principles
• In the absence of adequate demand, supply side reforms will increase unemployment, not
 promote growth
・Moving people from low productivity sector to zero productivity unemployment
・Supply does not create its own demand
・Indeed, supply side reforms can weaken demand and lead to lower GDP
・But well designed demand policies can increase supply/productivity, can increase GDP today and potential growth rates
[p.30]Supply side measures that would work
 Often working in conjunction with "demand"
• Increased investment in technology
• Especially important as one creating an innovation economy and a learning society
• Increased investment in people―creating a healthier and more productive labor force
• Industrial policies which help restructure the economy, moving from old sectors to new
・Markets don't make these transformation well on their own
• Competition policies―preventing the agglomeration of economic power
・Monopolies restrict output
• Financial market reform
・Not just prevent financial sector from imposing harms
・Encouraging it to do what it is supposed to do, intermediate, private finance, especially
   for small and medium sized enterprises
・Encouraging equity rather than debt
[p.31]Supply side measures that would work
• Measures to facilitate participation in labor force
・Good public transportation systems
・Parental and sick leave
・Child care
• Inclusion of groups that have been discriminated against and marginalized
・Women
・Minorities
・immigrants
[p.32]Supply side measures that would work
 • There are many ineffective (or counterproductive) supply side measures
 ・Lowering corporate income tax
 ・But lowering taxes on corporations that invest and create jobs and increasing it on
     corporations that don't would incentivize investment and job creation
 ・Financial market deregulation
 ・Leads to less investment, more speculation, instability
 ・Trade measures have not had hoped for supply side benefits
 ・Benefits always overestimated
 ・Current estimates of TPP for US around zero
 ・Growing consensus TPP is a bad trade agreement, will not be ratified by US Congress
 ・Investment provisions especially objectionable―introduce new source of
  discrimination, limits ability to regulate economy in ways that would lead to stronger growth, protect environment, etc.
(つづく)

国際金融経済分析会合(1)、福島県の飯豊(1)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:ひこばえの中を散策する雉(左上〕
Phikobae


ハックション クシャミ止まらず 鼻水も 突如に襲う 花粉の攻撃

 この二・三日すさまじい鼻水野湧出に悩んでおります。今までは花粉症なるものは他人事であったのですが。
 
+++++福島県の飯豊の地(1)
 これまで3回にわたって飯豊控除についてのお三方の考察を紹介してきました。お三方とも古事記・日本書紀の記述から登場人物についての精緻な像を描き出すことに勤めています。しかし、考えてみるとこうした努力は記紀、時に万葉集をくわえた僅か三点の古書だけに基づいたものです。同時代の他者の観察なり詩誌などは存在しないのです〔むしろ藤原不比等がそれらを歴史から抹殺してしまったことを以前書きました〕。そうなると、どのように新しい視点が加えられようとその議論に「新奇性」を期待することは難しいのです。

 一つだけ、考察に新視点を持ち込む「立場」があります。それは地名です。じつは上記の三方の議論でも「地名」が夫々の論拠の一つとして用いられています。例えば「忍海」、「角刺宮」などです。しかし、これらお三方を含め大方の歴史家の皆さんはなぜか「飯豊」については議論を一切しないのです。

 ここでは、議論の詳細は別の機会に譲ります。理由は現時点の論点の天皇のグルーピングです。これ自体が古代日本列島の主要な論点です。この話か羅逸れてしまうと、又読者の皆様から呆れられてしまうからです。

 と言うわけで、まずは飯豊なる地名を再度考察しておきます〔すでに何回もこの話をしてきたので、ここでは、皆様に過去の考察を主出していただきたいとの意図によります〕。
まずは福島県の地図です:
(図1:福島県域の飯豊、飯豊山の北方にも同名域があるがそれは山形県域なので除外している)
飯豊山_01


 この地図で、これまでに考察して来なかった神社があります。上図の伊佐須美神社です:この神社についてウイキは以下を書きます:

〔図2:伊佐須美神社航空写真、「逆シリウス方位」は、この神社が後日建て替えられたであろう事を思わせます)
伊佐須美神社


%%%%%伊佐須美神社についてウイキ抜粋
 伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は、福島県大沼郡会津美里町にある神社。式内社(名神大社)、陸奥国二宮〔一の宮は 鹽竈神社(陸奥国一之宮)とも八槻都々古別神社友言われている〕  会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である[1]。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が会津の開拓神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。

 祭神は次の4柱[2]。「伊佐須美大神」「伊佐須美大明神」と総称される[3]。
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)、伊弉冉尊 (いざなみのみこと)、大毘古命 (おおひこのみこと、大彦命) - 第8代孝元天皇の皇子。四道将軍の1人で、北陸道を進んだとされる。建沼河別命 (たけぬなかわわけのみこと、武渟川別) - 大毘古命の子。四道将軍の1人で、東海道を進んだとされる。祭神4柱は、いわゆる四道将軍説話に関係を有する[6]。四道将軍とは、『日本書紀』[原 1]に見える伝説上の4人の将軍、大彦命・武渟川別命・吉備津彦命・丹波道主命の総称である。同書では、4人は崇神天皇10年10月[原 2]にそれぞれ北陸・東海・西道・丹波に国土平定のため派遣され、崇神天皇11年4月[原 3]に平定を報告したという。一方、『古事記』[原 4]では派遣人物・時期において異同があるが、やはり大毘古命・建沼河別命を高志道・東方十二道に遣わしたとし、さらに大毘古命・建沼河別命が行き会った地を「相津」と名づけたと地名の起源を伝える(相津は会津を指す)。

〔図3:亀ヶ森古墳(河沼郡会津坂下町。亀はアイヌの「カムイ」に由来すると私は考えています)
 会津最大、ひいては東北地方で第2位の規模の古墳(第一位は雷神山古墳(らいじんやまこふん)とされる。所在地は、宮城県名取市植松)
亀が森古墳


 四道将軍説話については、『古事記』『日本書紀』での記述の異同の存在や、崇峻天皇2年(589年)[原 5]に近江臣満・宍人臣鴈・阿倍臣がそれぞれ東山道使・東海道使・北陸道使として派遣されたと見える記事の存在から、後世の出来事に基づく造作とする見解が強い[7]。一方で、大毘古命・建沼河別命の後裔である阿倍氏族の分布は下野から会津を経て越後へとつながっており、何らかの歴史的背景が存在したとする指摘もある[7]。併せて、会津地方には亀ヶ森古墳(河沼郡会津坂下町、東北第2位の規模)や三角縁神獣鏡を出土した会津大塚山古墳(東北第4位の規模)に代表される4世紀代(古墳時代前期)の大型前方後円墳が築かれており、早い段階でのヤマト王権の伝播が考古学の面からも指摘されている[8]。
〔以下省略〕
%%%%%ウイキ記事転載おわり
 伊佐須美神社を「会津」に関わる説話・伝承に関連付けているところに、実は背後に隠されている何がしかを思わせます。そこでそれを裏付けるためにいつものように飯豊山頂と伊佐須美神社との位置関係を計算しておきます。
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\dms2d.sce', -1) (度・分・秒から度への変換)
dms=[37 27 24.39] 37.4568 ウイキによる伊佐須美神社位置の経度
dms=[139 50 26.45] 139.8407 ウイキによる同神社位置の緯度
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 〔地球上の二点間の位置関係計算〕
epi(lat,lon)=[37.4568 139.8407] 伊佐須美神社の位置〔緯度、経度〕
sta(lat,lon)=[37.8549179 139.6843] 飯豊山の位置「緯度、経度」
Dlt,Azm,Bzm= 0.42 342.77 162.68 46.4-km 計算結果
 
上記の計算から、伊佐須美神社は飯豊山頂から見て真北から時計回りに162.7度 の方向にあり距離は46.4kmであることがわかります。ここで得た方位を「シリウス星―念代表」〔表3〕に照らし合わせると、この方位の構築は西暦にして553年ごろとなります。松塚―岩淵線構築から180年後となります。

〔表:シリウス星方位と西暦年代の対応表)
シリウス暦150303

 ところが、この神社の社殿配置、そして上図3の古墳の方位は「逆シリウス」です。このことの議論をこのまま続けると又「行くがた」定まりかねなくなりますので、現時点ではこの議論は中断させていただきます。
ついでですので、陸奥第二の巨大古墳の飯豊山からの方位も計算しておきます:
dms=[37 35 34.89]= 37.5930 亀が森古墳の緯度
dms=[139 49 44.77]= 139.8291 同古墳経度
epi(lat,lon)=[37.593 139.8291]
sta(lat,lon)=[[37.8549179 139.6843] 
epi(lat,lon)=[37.593 139.8291]  飯豊山緯度
sta(lat,lon)=[37.8549179 139.6843] 飯豊山経度
Dlt,Azm,Bzm= 0.29 336.43 156.34 31.8 -km
 飯豊山から見た古墳の位置は北から時計回りに156.34度なります。うえの表に照らすならば、古墳造営は宮廷建造より300年近くも後と言うことになります。古墳から見て宮廷はほぼ真南15km 隔たった場所に位置しますから
sta(lat,lon)=[37.4568 139.8407]
Dlt,Azm,Bzm= 0.14 176.13 356.14 15.2 -km
 この墳墓の建造はシリウス星とは無関係であったのやも知れません。しかし、古来からの伝承に配慮して「逆シリウス」設計としたとも思えます。
 もう一つの可能性は、この墳墓がシリウス星の飯豊山からの方位に基づいて設計されたとすると興味深い考察〔想像〕が可能です。それは西暦869年の貞観地震の発生時に近接しています。九世紀末ともなると、かっての精巧な技術を持った渡来族は東北地方でもほぼ壊滅状態であったと思われます。時々単発的な反抗を仕掛ける程度であったと思えます。彼らが持っていた精巧な測量技術が東夷討伐族に引き継がれていたとは思えません。そんな時期に2011年3月11日地震級の大地震が発生し、成願寺審でも建造物の崩壊などが発生したのではないか。それを天の祟り、具体的には自らがなした渡来族への残虐な討伐に対する報いと受け取り、京の政権がその祟りを鎮魂するためにこの墓を造成したのではなかろうか、と。

 さて、伊佐須美神社に加えて、ここで着目したいのが図1で示される「飯豊」地区です。ここは「御座」(みくら)とも呼ばれてきた場所です。何がしかを強く示唆する呼称です。この地にあるのが「磐女神社」〔いわひめ〕です。「磐」を「石」と書けばまさに仁徳天皇の妃「石日売」です。履中天皇ら三名の天皇の母です。
(つづく)
  
+++++国際金融経済分析会合(1)
3月24日付日刊ゲンダイ紙(http://j55.pw/2ctZ )が以下を報じています。
stegritz


50頁弱のパワポイント表示を用いて氏の見解が表明されたようです。資料32頁はTPPについて言及しています。資料的価値があると思いますので、以下に数回に分けて掲載しておきます。
%%%%%国際金融経済分析会合(1)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokusaikinyu/dai1/siryou1.pdf 
“Beyond the Great Malaise and Financial Stability towards Robust and Sustainable Growth”
 Joseph E. Stiglitz、Tokyo、March, 2016
[p.2]I. Where we are
 • Slow growth―Great Malaise, New Mediocre
 ・Not a crisis yet
 ・But with persistent moderately high unemployment (in some cases disguised) in
   many of G-7, higher unemployment among youth and marginalized groups
 ・Disproportionate share of slow growth going to a few at the top―growing inequality, wage stagnation
 ・Even in countries with low "official" unemployment, raising questions of quality of job growth and disguised unemployment
 ・World economy was weak in 2007, before crisis
 ・Only sustained by a bubble
 ・Restoring the world to 2007 simply restores us to the weak economy we had then
• Mixed prospects―small probably of returning to robust growth, large probability of recession or worse
 ・Justifiable concerns about asset price bubbles that might deflate
 ・Emerging markets facing massive capital outflows, with many countries and
   companies over-indebted
[p.3]Underperformance of US Economy
• GDP some 15% below what it would have been had the growth rates that prevailed between 1980 and 1998 continued
• Percentage of the working‐age population employed lower than it was in the early 1980s, when women were entering the workforce en masse
• Median real (household) income is less than 1% higher than it was in 1989
• Real wages at the bottom are lower than 60 years ago
• African-American youth unemployment rate is still 23.7%
[p.4]
[graph] United States GDP Trend Analysis [省略]
[p.5]Europe is even worse
• With higher levels of unemployment
• Especially youth unemployment
• And lower levels of growth
• Euro crisis is not over ― only under short term "remission"
・Haven't created institutions that are necessary to make a single currency work, and not
   likely to do so at time soon
• Gap between where they are and where they would have been growing
[p.6]Dismal European performance since crisis
[graph] Euro Area GDP Trend Analysis [省略]
[p.7]China
 • Has been driver of global economic since GFC
 ・Advanced countries affected directly and indirectly
• Likely to be significant slowdown
• Europe and US not likely to be able to make up for the slowdown of China's economy[p.8]Misdiagnosis of the Great Recession More than a financial crisis
• Banks' balance sheets are largely restored
• Some regulatory reform (Dodd Frank)
• Yet economy is not back to health
・Insufficient attention paid to improving credit channel
・Helps explain why monetary easing didn’t help as much as hoped
[p.9]Misdiagnosis of the Great Recession
 More than a balance sheet recession
• Balance sheet of large corporations largely restored
• It is not corporate balance sheets or their access to finance that are holding them back frominvesting
・It is lack of demand.
[p.10]Further concerns
• Persistent Global imbalances
・Eurozone has exacerbated problem
• Asymmetrical adjustment
・Countries (firms, households) facing a decline in income have to reduce consumption
・Those with increased income do not expand spending symmetrically
・Response to changes in oil price illustrates
・Many had expected lower prices to increase demand, but adverse effects of "losers"
     more than offsetting these benefits
[p.11]Diagnosis of the central problem
• Lack of global aggregate demand
• Combined with insufficient efforts in each country to support non-traded sectors
• Excessive reliance on debt, financialization
• More broadly, in large parts of advanced countries about a third of a century ago, there began a process of rewriting the rules of the market economy (redesigning tax structures, ill-thought out liberalization) that led to slower growth, more instability and more inequality―just the opposite of what was promised
[p.12]Great malaise hides deeper problems on which there is being made remarkable little
    progress
• Climate change
• Inequality, large number of individuals in poverty・With many dimensions―inequality in wealth, health (in countries relying on private provision of health care), and access to justice
・Hollowing out of the middle in advanced countries―and even in developing world
・Problems especially severe for marginalized groups and (often) youth
• Deep structural transformations needed to achieve sustainable growth
• Deeper problems in market economies leading to productivity slowdown
・Short termism in both private and public sector
・Insufficient investment in basic research, and in many countries, infrastructure
・Excessive financialization, part of process, part of cause
・Opening up major gaps between wealth and capital
・Capital output ratio in many countries going down even as wealth output ratio increases
・Failures to adapt education system
[p.13]II. Responding to the situation
 Conflicting views about obvious instruments: monetary policy
• Monetary policy has largely run its course
• Never very effective in deep downturns: the only effective instrument is fiscal policy
• Real problem not zero lower bound―slight lowering of interest rates (into negative territory) will not work
・Experiments with negative interest rates unlikely to stimulate much, may have adverse side effects
• QE increased inequality, did not lead to significant increase in investment (if any) and because of financial market imperfections/irrationalities may have led to mispricing of risk and other financial market distortions
・One of main benefits was competitive devaluation―but that's a zero sum game
・In absence of adequate fiscal policies, "only game in town"―matters would have been worse in its absence
[p.14]Conflicting views about obvious instruments: fiscal policy
• Worry that fiscal policy risks damaging build up of debts
・View that fiscal stimuli in 2008/2009 didn't work is absolutely wrong
・Reduced unemployment from what it otherwise would have been, prevented deeper recession, depression
・In crisis, didn't have time to optimize spending―but even imperfect expenditures were
 better than alternative of massive idle resources and depressions
・Worry about debts is fundamentally misplaced in balance sheet approach, where government
   spends money on productive investments
• Effectiveness of policies undermined by globalization―large spillovers to others, costs borne at home
・But global coordination sufficiently weak to provide "superior" globally coordinated solutions
[p.15]What will not work―or not be sufficient―to restore prosperity
1. Monetary Policy
・Underlying problem is not Zero Lower Bound
・Low interest rates induce capital intensive technology, may lead to "jobless" recovery
2. Trade agreements
・Tariffs already very low
・With G‐7 exporting capital intensive goods, importing labor intensive goods, a "balanced" increase in trade leads to lower employment
3. Misguided supply side measures
・Corporate income taxes
4. Another dose of austerity
Some of these measures would be counterproductive
[p.16]Remedies: Immediate issue―restoring global aggregate demand
1. Setting a high price on carbon (following up on Paris) will induce investments to retrofit the global economy for climate change
2. Recycle some of the surpluses, e.g. through recapitalization of development banks, or creating new development banks: would help meet deep investment needs, including infrastructure
・Private sector has proven itself relatively ineffective in intermediation
・Short term financial markets sit between long term investors and long term investments
(つづく)

飯豊姫の考察(和歌山県古社に伝わる鏡銘文)、脳疾患予防

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:十六夜〔いざよい〕の月が西の空に沈もうとしています。彼岸過ぎましたが、なんと朝の畑は水気が凍り真っ白です)
P3250007

 
朝未明 西の空に 真ん丸い 十六夜月と ウグイスの唄

+++++飯豊姫の考察(和歌山県古社に伝わる鏡銘文)
 今回紹介する飯豊皇女考察は、和歌山県古社に伝わる鏡銘文を解読し、それを日本書紀記載事項と照合しようと言うものです。所載は「歴史読本」2012年7月号(http://j55.pw/jnav )で『古代女帝特集号』と銘打たれています。因みにその目次から、取り上げられている天皇を列記すると:
%%%%%
古代女帝――研究の現状・・・・・・・・・荒木敏夫
近年、飛躍的に研究が進んだ背景とは? どんな議論がなされているのか
◎特集史論
天智と天武――女帝誕生をめぐる一系の皇統・・・・・・・・・遠山美都男
奈良時代の皇位継承は、天智・天武両方の血を受け継ぐことが尊重された
◎特集ワイド 古代女帝即位の謎(*印は同一人物:重祚)
推古天皇・・・・・水谷千秋 史上初の女帝の長き治世はどのように展開したのか?
皇極天皇・・・・・深津行徳 傍流出身でありながら即位した本当の理由はなにか?
*斉明天皇・・・深津行徳 重祚した異例ずくめの女帝は対外情勢にどう向き合ったか?
持統天皇・・・・・義江明子 歴代天皇のなかでも屈指の実力をいかに獲得したのか?
元明天皇・・・・・渡部育子 平城京遷都を実現し,律令国家の発展を実現できた理由とは?
元正天皇・・・・・渡部育子 なぜ元明天皇から続く母娘二代の女帝が誕生したのか?
孝謙天皇・・・・・佐藤長門 なぜ、日本史上初となる女性皇太子が誕生したのか?
*称徳天皇・・・佐藤長門 譲位からわずか六年後の重祚と道鏡寵愛の理由とは?

 この特集号では、日本書紀または触日本紀が生気の女帝と記す方々に加えて、以下の女性についても論説しています。私がとりわけ大きな関心を寄せているのが「中皇命」です。理由はお分かりと思いますが、お名前に「中」を背負っているからです(blog管理人注)。

天平の政治を左右した女性 光明皇后・・・・・西山 厚
歴代女帝と比べても遜色ない強大な権力を有した后の人物像
中皇命とは何者か?間人皇女…平林章仁(万葉集三・九歌題詞)
皇女にして大后、皇位にもっとも近い女性の正体とは?
斎宮 隔絶された女たち・・・・・遠藤みどり
都から伊勢へ、高貴な血を持つ彼女たちはなぜ送られていったのか?
『万葉集』からみた女帝の時代・・・・・梶川信行
女帝の時代に読まれた歌には、どのような意味が隠されているのか?
〔中略〕
◎特集論考
『万葉集』に中皇命と記された 謎の女王・間人皇女・・・・・平林章仁
皇女にして大后皇位にもっとも近い女性の正体とは?
◎特集論考
謎の女帝飯豊王女・・・石和田秀幸
伝承上の人物とされてきた王女の実在の可能性を、古鏡の銘文から読み解く
%%%%%

 この特集号の最後に飯豊皇女が論ぜられています。飯豊皇女は、前回も書いたように、皇位に就いたのかそれとも就かなかったのか?歴史研究者家の考えは様々です。しかし、この諸論も全て、古事記、日本書紀の記述をどのように解釈するのか?その違いで或ることは、前回の岡田氏による論考、前々回の森氏による論考にも見るように、記紀の解釈しかないのです。お二人は、ともに後世の文献に頼らず、注意深く記紀の記述を考察しています。これは誠に重大且つ重要な研究姿勢です。何故なら、後世の「飯豊姫」考もまた記紀の解釈にしか過ぎないからです。他に依拠すべき材料は無いのだろうか?

 さて今回紹介するのは、隅田八幡神社に伝わる古鏡の銘文を解読し、それを解釈した論説とのことです。それ自体は、記紀に頼らずに独立の資料を見つけてきたというわけです。と、言ってもこの資料自体は下に書くように既に知られていました。論者はこの銘文に新しい解釈を施したというわけです。
〔写真:「歴史読本」2012年7月号、188頁〜〕
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 なぜ、ここに飯豊皇女の話が伝わっているのでしょうか?論考の著者は、それが仁賢天皇に関わっているとの『推論』から始まります。まずはこの神社の所在地です:
〔図2: 隅田八幡神社の所在地、仁徳天皇稜の南東方向〕
隅田八幡


 神社は、生駒・金剛山系の西側麓にあります。神社は東北東から流れ下る吉野川が紀ノ川に移るあたりの北側です。市街路を眺めると、主要道路が「シリウス」方位です。偶々でしょうか?それとも計画的なのか?
 この神社が古代史研究で特に注目される理由は神社が所蔵する人物画像鏡です。この鏡はこの神社の近くにあった古墳から発掘されたと、上記考察者は書きます。

そこで、これについてのウイキ記事をまずは見ることにします:
%%%%%ウイキ記事
http://j55.pw/Eeeg 
隅田八幡神社人物画像鏡
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%%%%%隅田八幡神社人物画像鏡
隅田八幡神社人物画像鏡(すだはちまんじんじゃじんぶつがぞうきょう)は、和歌山県橋本市に所在する隅田八幡神社が所蔵する5 - 6世紀頃製作の銅鏡。鏡背の48字の金石文は、日本古代史、考古学、日本語史上の貴重な資料である。国宝に指定されている[1]。
古代日本において大王号を記す金石文としては稲荷山鉄剣銘、江田船山鉄刀銘があり、この人物画像鏡も大王号がいつ頃から使われたのかを知る手懸かりになるものである。また、いつヤマトの王が大王と称されるようになったかを解明する手懸かりになるものの一つとして注目される。
隅田八幡神社の人物画像鏡は青銅製で径19.9cm。近世の地誌類にもこの鏡についての記載がある[2]ことから、古い時代に出土したものであることは確かだが、正確な出土年代や出土地は定かでない。鏡背は円形の鈕を中心に、内区には古代中国の伝説上の人物である東王父・西王母(とうおうふ・せいおうぼ)など9名の人物を表し、その周囲には半円形と方形からなる文様帯、その外側には鋸歯文(きょしもん)を表し、周縁部には漢字48字からなる銘を左回りに鋳出する。
この鏡の原鏡(母鏡)となった画像鏡は、大阪府八尾市の郡川車塚古墳、同藤井寺市の長持山古墳、京都府京田辺市のトツカ古墳、福井県若狭町の西塚古墳、東京都狛江市の亀塚古墳などで、同型鏡または踏み返し鏡が知られている。しかし、手本となった鏡と本鏡とでは、東王父、西王母を中心として描かれた文様がすべてが逆に鋳造されている。
銘文と読み下し
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
(大意)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。
銘文の解釈
「大王」の「大」、「男弟王」の「男」など、必ずしも釈読の定まらない文字が多く、銘文の内容についても異説が多い。また「癸未年」がいつに当たるかについては多くの説があるが、西暦443年とする説、503年とする説が有力である。いずれも、斯麻(しま)、開中費直(かわちのあたい、河内直、『百済本記』云、加不至(カフチ))、今州利はそれぞれ人名と解釈されている。
443年説
• 倭王済が宋に使いを遣わして「安東将軍倭国王」の称号を得た年であるから、大王は、允恭天皇を指すものと解釈する。また、意柴沙加宮(おしさかのみや))は皇后・忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ、雄略天皇母)の宮処となる。この場合、男弟王は誰であるまだ分かっていない。
• 「日十」が「草」の簡体字であることからこれを「日下」と読み、日下大王、即ち大草香皇子(454年没)のことではないかとの説もある(森浩一)。
503年説
• 諱に「斯麻」を持つ百済の武寧王(在位:502年 - 523年)とする解釈が有力である。百済は当時倭国と緊密な外交関係をもち、大陸の文物を大量に輸出しており、鏡の作者「斯麻」を武寧王と推定する。
• 男弟王を(おおと、継体天皇)と解釈する。しかし、『日本書紀』に見える「磐余玉穂宮」(526年遷宮)の前に「忍坂宮」のある大和国に入っていたこととなり記述と矛盾する。
• 『古事記』の「袁本杼」は「ヲホド」であり、ハ行転呼以前の「男弟(オオト/オオド)」とは一致しないので継体天皇とは別人物であるとする説もある。
%%%%%ウイキ記事転載おわり
 
 この銘文について論考者は「独自の解読」を経て飯豊皇女の実在可能性を示唆します。しかし、癸未(きび、みずのとひつじ)についてはその対応する西暦年について何か言葉を濁しているように私は感じます。それは、この鏡がウイキが書く五〜六世紀制作ではなくもっと後年、八世紀以降、つまり記紀史観を世に定着せしめんとの藤原一族の政治的思惑に沿ったものであるが故と私は考えています。
(つづく)

++++腹話術名人「イッコク堂」の災難
 新聞報道によれば
「22日に事務所スタッフによって更新されたブログによると、いっこく堂は20日深夜に「迷走神経反射」とみられる症状により意識を失って自宅の廊下で転倒。顔が血だらけになっていたため、家族が救急車を手配し、搬送先の病院で頭のCTと血液検査したが、異常がなかったためこの日は帰宅した。」
とあります。
 
 二十年以上も昔、外地にいました。或る晩、帰宅途上の車が「ロータリ」(roundabout)に激突した夢を見たんですね。まあ夢で良かったと目覚めて思ったんですが、その朝、出勤前にネクタイの締める順序がわからなくなってしまったんです。そこで、あれは脳梗塞発現の夢への表出であったかと思いました。幸いにして数日後ネクタイを自分でしめることが出来るようになりました。
 いずれにせよ脳の疾患は恐ろしい。皆様におかれましてはどうぞ食事などに留意されますよう。数ヶ月ほど前の「日経サイアンス」誌によれば、「地中海食」〔Mediterranean Diet」〔グーグルでその内容を知ることができます)が脳の疾患予防に良いと書いていました。

政府の共産党観、日本の経済学者の偏向

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:先日品川駅で見た立ち食い寿司屋さんです。カレー、スパゲッティ今は何でもありますから、むしろ立ち食い寿司の登場も遅すぎたのかもしれません。と、言っても田舎者には驚きでも東京人には普通の風景のようです〕
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おおひばり 姿見えねど 歌声が 空から降りくる 彼岸の朝かな

 昨日のNHKニュースによると、政府は鈴木(元民主党)議員野質問主意書に応えて、共産党に関る答弁書を決定したとのことです(http://j55.pw/V97h )。
%%%%%NHKニュース記事転載
「共産党は今も破壊活動防止法の調査対象」答弁書決定[NHK]
3月22日 15時04分
政府は22日の閣議で、共産党について、現在も破壊活動防止法に基づく調査対象団体であるなどとした答弁書を決定しました。
この答弁書は、無所属の鈴木貴子衆議院議員が提出した質問主意書に対するものです。
それによりますと、昭和57年4月、当時の公安調査庁長官が参議院法務委員会で、共産党が破壊活動防止法に基づく調査対象団体の1つだと答弁したことに触れたうえで、「現在においても破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」としています。
そのうえで、「警察庁としては、現在においても共産党の『いわゆる敵の出方論』に立った『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している。政府としては、共産党が昭和20年8月15日以降、日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」としています。

=====これについて共産党は次のような談話を発表したとのことです:
「不当な侵害 厳重に抗議」
共産党の山下書記局長は記者会見で、「私たちは、日本の政治社会の変革については、言論や選挙を通じて、国民と共に一歩一歩、進歩させ前進させるという立場に立っており、破壊活動防止法の対象になるようなことは、過去にも、現在にも、将来にも一切ない」と述べました。そのうえで、山下氏は「憲法上の結社の自由に対する不当な侵害であり、改めて厳重に抗議し、答弁書の撤回を求めたい。公安調査庁は、存在意義のない行政機関になっており、速やかに解散すべきだ」と述べました。
=====
%%%%%

 7月〔4月末との噂もあります〕の国政選挙では野党が結束してこの選挙戦に臨むとの政治状況が作られつつあります。そうなると安倍氏が公言した「憲法改定」を可能にする国会内での議席数を政府与党が確保することは難しくなります。
 この「野党の結束」の実現に向けて牽引したのが方針転換をしたとされる共産党です。政府の答弁書がこうした政冶情況に「水」をさすために作成されたのであろうことは多分明らかです。自公による反撃が始まったのだと思っています。
 これについて、巨大投稿掲示板「阿修羅」の論客が興味深い投稿をしています:
%%%%%論客「あっしら」氏による投稿紹介
 「共産党は今も破壊活動防止法の調査対象」答弁書決定:『いわゆる敵の出方論』は民主政に対する“破壊活動”を前提とした論理
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/316.html
投稿者 あっしら 日時 2016 年 3 月 23 日 01:14:09: Mo7ApAlflbQ6s gqCCwYK1guc
     
 今の日本で、武力を行使して権力を奪取することは、議会選を通じて権力を奪取するより難しい。それはともかく、内閣の答弁書の内容が、「警察庁としては、現在においても共産党の『いわゆる敵の出方論』に立った『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」と、『いわゆる敵の出方論』を持ち出したのは笑える。
 『敵の出方論』に関する共産党の説明そのものがトンチキなのだが、『いわゆる敵の出方論』は、共産党主力の政治勢力が総選挙で多数派を形成したとしても、既存の統治機構がそれを認めず、警察や自衛隊などの“手の内”にある実力装置を行使して阻止する事態に対応する考え方で、共産党側になんら問題はない。
 問題なのは、「トランプ騒動」でも垣間見えるが、自分たちが気に入らない勢力が勢力を伸張すると“民主主義の危機”と言い募り、それを潰すことを正当化するような動きである。
 『いわゆる敵の出方論』が現実化したとき非があるのは、共産党ではなく、民主政の手続きを経て多数派になった政治勢力を認めず、彼らが権力を掌握することを暴力的に阻止しようとする政治勢力の側である。
 このような反論を行わず、「破壊活動防止法の対象になるようなことは、過去にも、現在にも、将来にも一切ない」とウソをついて(共産党は、戦後、分派状況とは言え暴力革命を志向した時期もある)乗り切ろうとする共産党に権力をとる力量はない。
%%%%%投稿記事紹介おわり

 昨年、反安保国民政府構築を共産党が呼びかけて以来、私は、その動向に注目してきました。この党に「危なっかしさ」を感じるが故に内外の情勢によっては、いつものように、野党結束の仲間に責任転嫁をして『身を退いて』しまうこともありそうだと懸念していました。

 その「危なっかしさ」とは、政府答弁者が書く「暴力」がらみの問題のみではありません。一つにはこの党の足腰の弱さです。党員数の激減、党機関紙購読者の激減、党財政の困窮化などを背景として、党員の戦闘力が時間とともに急激に弱まっているのではないか、と観察しているからです。現時点での「威勢のよさ」は、民主党政権時代の小沢氏放逐を軸とした菅・野田両元首相の拙劣な政治手法に呆れた国民が、さしあたりの受け皿として共産党を考えていたゆえです。こうした善意の人たちがこのまま共産党支持者にとどまるとは思えません。善意の国民を共産党が加わる野党連合から引き剥がす攻撃の一弾が、政府答弁書であろうと思っています。

 私がこの党に危惧する「危なっかしさ」の第二は、今後次々に放たれるであろう「政治攻撃」をこの党はしのぎきれるのだろうか?善意の国民のみならず、野党連合内部にも大きな動揺が生じるのではなかろうか?との危惧です。

 昨今のこの党は「大衆迎合」に固執するあまり、いとも簡単に過去に掲げた政策なり方針なりを「無かった」ことにしてしまいます。その一例が原子力発電に関する課題です。3月12日付けの東京新聞「この人」欄で、益川英敏氏は次のように書いておられます。
P3230007


 「原子力発電も将来のエネルギ源としては選択肢の一つである。従って、研究は続けるべきである」、と益川氏は書きます。益川氏が語っていない大きな問題は使用済み核燃料そして重度に放射能汚染された原発機器・部品類の安全な廃棄法が未だ確立されておらず、後世にツケをまわしていることです。

 そうではあっても、益川氏の考え方は2011年3月11日以前の共産党が掲げる科学政策の一つである原子力政策であった筈です。つまり原子力の平和利用という視点を持っていた筈であるし、今もそれを放擲していないはずです。しかし、あの福島第一原子力発電による過酷事故後数ヵ月後、この党は「昔から原発全廃を掲げてきた」と言明するんですね。

 「過去には原発の有用性について安全を配慮しつつ開発がなされるべき」であったと主張していたが、今般の事態の深刻さからそれを改めたと、何故率直に表明しないのか?憲法問題、具体的には第九条の問題でも同様の「ごまかし」があるのです。実際、小池氏は自民党の西田昌司氏との対談で、現憲法は「自衛権」を認めていると発言しています。そうとすると自衛隊は憲法違反の存在であるのかどうなのか?

 更には、共産党内部の問題ですが、「民主集中制」なるきわめて外部にはわかりにくい党体制維持の「仕組み」があります。更には、故宮本顕冶氏を巡る諸疑念です。それは治安維持法下での「スパイ査問」事件そのものではなく、終戦後の宮本氏の米国占領軍の政治的思惑に基づいた処遇に関わる疑念です。これについては1976年ロッキード事件が表出した際、中曽根〔当時〕自民党幹事長が真っ先に米国政府日本部長に質してい田、つまり自民党にとって大きな関心事であったのです〔雑誌「世界」岩波書店2011年1月号〕。

 共産党にまつわりつく「危うさ」をどのように払い落とすのか?上記の投稿記事は、共産党に「もっと率直になれ」と提言しています。「隠すより現る」です。さもなくば、自公勢力が権力死守のために今後繰り出してくるであろう批判・攻撃に対抗できないのではなかろうか?と、思っています。共産党が上記の疑念を系統的に晴らしてゆくと言う姿勢を見せるならば、それらは短時間ですることもありません。じっくりと一つ一つ丁寧に自らを解きほぐしていただきたいと思っています。その際、党の最高幹部たる不破哲三氏が賄いつきの豪邸に住んでいることの経緯と党としてそれをどのように考えているのかなどもしっかりと国民に説明すべきと思っています。

+++++日本の経済学者が信用されない決定的な理由
 下記の記事は私がかねがね不思議に思っていたことでした。その疑念に応えてくれたのかっての財務官僚です。素人には、何故税金が上がらねばならないのか?さっぱりわからないのです。そして日本で流布される経済学者の議論は「わから無い」、そのことにむしろ「理が」ありそうです。
 
%%%%%日刊ゲンダイ紙記事転載
 
日本の経済学者が信用されない決定的な理由 メディアの重用が不思議でならない
http://j55.pw/3MBP 2016.03.23
政府の「国際金融経済分析会合」でジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授が消費増税の延期や積極的な財政政策を主張した。2014年11月に消費増税延期を安倍晋三首相に提言したポール・クルーグマン米プリンストン大名誉教授も22日の第3回会合に招かれた。

 一方で、以前の消費増税の際に開かれた点検会合では、国内の大半の経済学者やエコノミストは消費増税を進言してきた。同じ経済学者なのに主張が正反対というわけだ。

 率直にいえば、海外の学者にも増税派というべき人はいる。ただし、日本経済を比較的よくわかっている学者の中で、今の日本経済には消費増税が必要という人は少ない。スティグリッツ氏やクルーグマン氏も日本経済をよく知っているので、消費増税が必要と言うはずがない。もし、彼らが消費増税が必要という場合、それは景気が過熱して冷や水が必要な状況だろう。

 これに対し、過去の点検会合で消費増税を主張していた日本の経済学者やエコノミストは、「消費増税しても景気は悪くならない」と言ってきた。

 両者の違いは、はっきり言えば、マクロ経済をどう考えるかである。スティグリッツ氏やクルーグマン氏にはしっかりとしたマクロ経済の理解があるが、それが決定的に欠けている日本の学者も少なくない。

 筆者はプリンストン大で講義を行ったことがあるが、単なる理論ではなく、いかに現実の経済を説明できるかが求められる。授業の3分の1は今起こっている経済問題の説明、3分の1はそれへの対処方法と、その背景になる経済理論の説明、残り3分の1は学生からの質問とそれへの答え−という具合だ。ただ、日本では、現実問題とは無関係な理論の説明だけで講義を行うことも可能だ。

 両者の違いは経済学の教科書にも表れている。米国の場合、教科書は分厚く、随所に実例が取り込まれており、実践的な内容になっているが、日本のものは薄く、理論ばかりを書いており、実例が乏しいものが多い。

 こうした事情もあって、日本の多くの学者は、何らかの政策が実行された際、マクロ経済にどう影響するかを見通すことができない。

 政治家が、見解が異なる経済政策議論のどちらが正しいかを見極めるのは難しいが、まともな政治家は、将来を予測させれば当てられる経済学者と、外れる経済学者を見分けることができる。政治家にとっては、当然ながら予測が当たる経済学者の方が信頼するに値する。

 今の安倍政権では、安倍首相を含め主要な政治家にとって、日本の経済学者やエコノミストに対する信頼はあまりない。スティグリッツ氏やクルーグマン氏の方がはるかに信用できるのだろう。

 日本の多くの経済学者やエコノミストにとっては自業自得だが、不思議なのは、予測を外し信頼を失った人たちをマスコミが使い続けていることだ。分析会合について「ノーベル賞ブランドに弱い」と批判的なニュース番組もあったが、その番組が“ハーバードMBA”のブランドを詐称する人物を出演させていたのは皮肉なものだ。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
%%%%%

 さて、この記事に直接の関係は無いのですが、米国科学雑誌に興味深いタイトルの記事を見つけました。詳細は下記のアドレスから見てください:
http://j55.pw/4FLK
Political bias troubles the academy
By Michael Shermer on March 1, 2016
“政治的偏向がアカデミズムに混乱をもたらしている“
 とでも訳すのでしょうか?この記事には興味深い調査が紹介されています。曰く
Although there are many proximate causes, there is but one ultimate cause—lack of political diversity to provide checks on protests going too far. A 2014 study conducted by the University of California, Los Angeles, Higher Education Research Institute found that 59.8 percent of all undergraduate faculty nationwide identify as far left or liberal, compared with only 12.8 percent as far right or conservative. The asymmetry is much worse in the social sciences. A 2015 study by psychologist Jose Duarte, then at Arizona State University, and his colleagues in Behavioral and Brain Sciences, entitled “Political Diversity Will Improve Social Psychological Science,” found that 58 to 66 percent of social scientists are liberal and only 5 to 8 percent conservative and that there are eight Democrats for every Republican. The problem is most relevant to the study of areas “related to the political concerns of the Left—areas such as race, gender, stereotyping, environmentalism, power, and inequality.” The very things these students are protesting.〔日本語の訳は付しません〕

 ホンマかいな!と思えます。つまり米国の政策はアカデミズムには依拠していないということになるのでしょうか?米国大統領選挙の民主党候補でクリントン夫人の対抗馬であるサンダ氏の躍進がわかるような気がします。一方。米国共和党大統領候補に尤も近いと思われるトランプ氏が喜びそうな調査でもあります。

学者の飯豊皇女観(2)、福島の甲状腺癌検査(science誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:池に生き物がもどって来ました。写真は蛙の卵を包む細長い嚢〔中央よりやや左下〕。既に孵化した嚢から勢い良く飛び出しているおたまじゃくしも見ましたが、私の拙い撮影技術ではとらえることができませんでした〕
P3200018


春が来た 蛙の卵 はじけそう あせって飛び出す おたまじゃくしも 

 米国科学週刊誌“Science”が、原発事故後の福島県小児の「甲状腺癌」検査について、報じています:
%%%%%記事要旨のみの紹介はじめ
以下に紹介する記事の全文はhttp://j55.pw/BtEc 〔福島、癌、サイアンス誌、3月4日号〕で掲載されています。
Epidemic of fear
Dennis Normile
The general public's exposure to radiation due to the meltdowns at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant in Japan was limited because of prompt evacuations and swift control of the food supply. Nevertheless, Fukushima Prefecture launched a health monitoring program to assure residents and quickly identify any health problems that might result from the accident. As part of this program the prefecture is offering ultrasound thyroid examinations for all those aged 18 or younger at the time of the accident. Surprisingly, this program turned up thyroid growths in roughly 50% of those screened and more than 100 cases of cancer. Most scientists attribute the findings to the screening, which catches growths that would not normally be clinically identified and likely pose no health threat. The screening program might lead to a better understanding of thyroid growths and what they mean for patients.
日本の福島第一原子力発電所のメルトダウンによる放射能漏出による一般大衆の被爆は限られていた。何故なら速やかな避難と食料供給が機敏になされたからだ。それにもかかわらず、福島県は健康モニタリング・プログラムを発足させ、あの事故に起因するかもしれない健康問題の迅速な判別を行い始めた。このプログラムの一部として、県は、事故発生時点で18歳以下の県民を対象として超音波甲状腺調査をしている。驚いたことに、このプログラムは、スクリーニングされたそれらの約50%に甲状腺の成長を、および癌については100を超えるケースを見つけた。ほとんどの科学者はその発見はスクリーニング帰すると考えた。それは、普通臨床的には識別されず健康への恐怖が無い場合の成長である。スクリーニングプログラムが甲状腺増大調査結果につながったのではないかと。患者にとってそれが意味することについてのよりよい理解をもたらすことにつながるのだろうか。
%%%%%Science記事要旨

 私の読み違いでなければ「ずいぶんと偏った」論評に思えます。実態を知るべくなされた調査で、「危惧すべき結果が認められた」としたら、それはそれで直視すべきと思います。検診したら、普段でもあった「状態」が偶々明るみに出たに過ぎないのであって「おそるに足りない」と言う論評は「科学誌」らしからぬと思えます。更に言うなら「それは放射能のせいではない〕との言外の政治的メッセージとも思えます。
 
+++++飯豊皇女を論ずる大衆向け歴史雑誌
 大衆向け歴史雑誌といえば真っ先に思い浮かぶのが「歴史読本」です。残念ながら、この雑誌は昨年の秋期号を持って一旦休刊となってしまいました。多くの歴史愛好家が嘆きの声を上げたと聞きます。幸いにして、本年装いを新たに再刊するとのことです。以下は休刊のお知らせです:

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歴史読本・休刊のお知らせ http://www.chukei.co.jp/rekidoku/ 
『歴史読本』をご愛読・ご支援いただきましてありがとうございます。
昭和31年(1956)に『特集 人物往来』として創刊以来、59年にわたり多くの読者の皆さまに支えていただいた本誌『歴史読本』は、 誠に勝手ながら今号をもって定期刊行物としては休刊いたします。
今後『歴史読本』は、歴史愛好家・歴史ファンの新しいニーズに応えるため、刊行形態を変えるとともに、内容もさらに充実したものにしていきます。
古代史など人気の高いテーマを厳選して、カラーページを充実させた別冊歴史読本を刊行します;『奈良歴史読本』や『堺歴史読本』のように、地域に根差した歴史や文化を紹介する、いわば“ご当地”歴史読本を継続して刊行します;ご好評をいただいた『歴史読本』の特集をメインに、最新の学説や新発見記事などさまざまな情報をプラスし、読みごたえのある単行本「歴史読本BOOKS」シリーズを新たに刊行します;平成28年(2016)、『歴史読本』は新たなステージに入ります。ご期待ください。
歴史読本編集部
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 さて、この雑誌で2911年11月号〔大原発事故 大津波 地震 災害の年〕から考古学者・森浩一氏による「敗者の古代史」と題する連載読み物がはじまりました。このシリーズで取り上げられたテーマは:
¢疎日命、▲織吋魯筌縫慌Α↓6絞翩院↓しЫ韻糧十梟帥、デΨРΑ変御子)、
市辺忍齒王、菟道稚郎子、両面宿儺、墨江中王、大日下王、市辺忍齒別王
筑紫君岩井、物部守屋大連、崇峻天皇と蜂子皇子、山背大兄王、
袷媛羂靆棔η六辧Σ椣弌ζ鹿、瑛馬皇子、佳臘店鳥辧↓蛎舁Ч鳥
でした。
 この連載読み物の11回目〔歴史読本、2012年9月号〕に飯豊皇女が登場します。
 森浩一氏は著名な考古学者です。自ら汗を流して得た考古学的発見と記紀、古事記など古代文書の記載事項との照合に努力された方です。又、市井の歴史愛好家の「発見」にも謙虚に耳を傾け対応された方です。そのために氏の著した歴史著書は多くの読者をひきつけてきたと聞きます。勿論私も例外でありません。

 氏は晩年日本列島の歴史を語るためには、「東国」の歴史を知る必要があると、機会を捕まえては主張してこられました。しかし、氏の議論で、東国の政治権力が語られることはほとんど無いようです〔私の勉強不足かもしれません)、もっぱら奈良盆地周辺の経済圏から見た東国の市場あるいは経済・生産活動に関心がおありのようです。従って、東国の政治権力と言う問題意識が無いことに加え、前回紹介した「天皇一系」への岡田氏が提起していた疑問に言及されることも多くは無かったように思っています(これも私の勉強不足矢も知れません)。しかし、水野祐氏による河内王朝についてはどこかの雑誌で語っておられた記憶があります。

 上記の19の課題にあっても、➄,➅、で取り上げられる主題の舞台として東国が意識されることはありません。しかし、これは大方の古代学者に共通の事で、森氏にかぎったことではありません。記紀の既述に強く影響を受けて東国には政治権力はあった筈は無く、そこには蝦夷と言う討伐されるべき蛮族が蔓延っていたという認識です。しかし、森氏は視野が広い考古学者です。その意味では不満が残ります。

 私は、ここ数回の天皇系譜とりわけ仁徳天皇紀以後に記紀に登場する人物に「忍」、「または」「押」が付される人物が渡来系である、具体的には彼らは中国、あるいは朝鮮半島ではなく、遠く中東からの渡来人であると主張してきました。しかも彼らの渡来経路は、従来考えられてきた中国西岸あるいは朝鮮半島経由ではなく、間宮海峡を含む日本海北部の横断経路であったと書いてきました。 
この主張は私が知る限りでは、本ブログでも繰り返し紹介している渡辺豊和氏(「扶桑国王蘇我一族の真実」人物王来社刊)が嚆矢と思っています。しかし、この方も、正統の古代史専門家とは認識されていません。実際,氏のご専門は建築です。

 さて前書きはさておいて、森浩一氏の飯豊皇女観を、の議論で眺めてゆきたいと思っています。
古代史005


上記で橙色で括った部分の古事記原文とその岩波文庫版による文意を下に転載しておきます。
http://j55.pw/AFhH (敗者の古代史、講談社)
%%%%%古事記・記載転載
原文:
袁祁之石巣別命。坐近飛鳥宮。治天下捌歳也。天皇。娶石木王之女。難波王。无子也。 此天皇。求其父王。市邊王之御骨時。在淡海國。賤老媼。參出白。王子御骨所埋者。專吾能知。亦以其御齒可知。〈 御齒者。如三枝押齒坐也。 〉

文意〔岩波文庫「古事記」199頁
袁祁の石巣別(いわすわけ)命、近(ちかつ)飛鳥宮に天の下を治めること捌(ハチ)歳。天皇は石木王之女である難波王を娶ったが子がなかった。この天皇は父王である市邊王之御骨㋾探して淡海國に行ったとき、賤しき老媼がやってきて言うには「王子の骨を埋めた場所を私は知っている。それは歯で持ってわかります」と。<歯は三枝のような押齒であった(?意味不明)>。
%%%%%

 森氏の議論の中から橙色の部分を私は取り上げました。森氏は「歯」に着目して、それが朝鮮半島に残る「風習」を思わせると指摘しています。一方 私は「オシ」に着目し、この語源を古代ペルシア語に求めました〔既述)。そうだとすると「オシ」が付される人物〔またはその先祖)が遠く中東からの渡来人であった田考えるわけです。そして、こうした渡来人が東北に王国を形成したと思って本ブログを綴っています。この視点に強力な援軍が登場しました。千葉県佐倉の国立民俗博物館の松木教授です〔2015年2月25日記事)。私が知る限りでは松木氏が古代史研究者として始めて古代東国の政権を示唆した方ではなかろうか、と思っています。

 上記記事について、更に二、三付記したいのですが、それはもう一つの飯豊皇女観を紹介した後にまとめて書くことにします。
(つづく)
(つづく)

万世一系でとは思えない、素数の末尾桁数の奇妙なパターン(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:久しぶりの暖かさ。小鳥があちらこちらで歌を唄っていました。写真の左と中央やや上部で鳥が歌ってます〕
P2birds

 
春めきて 木々の小鳥も ピヨピヨと 高き声音(こわね)で 唄いおるなり

〔写真:本日東京新聞〔この道〕より、拡大はクリック〕 
P3180021

 
 「軍事研究にかかわらない」に越したことはありません。軍事研究とは防衛庁あるいは米軍による研究助成金を使ったそれらに限りません。軍儒用製造会社からの「産学協同」システムを通じて大学に流れる研究助成金もあります。
 もっと、重大なのは、最近の社会の進展に益する研究内容は多かれ少なかれ軍事・生活の両面で有用と言う性格を持っています。つまりどんな良い研究でも使う側がそれを軍事に転用できるのです。
 スローガンは尤もらしいのですが、じつはその識別は難しい問題です。益川氏はこれについて自らの頭の中をどのように整理して居られるのか、知りたいものです。

+++++飯豊王を論ずる学者〔2〕
 前回、歴史学者・岡田英弘氏(東京外語大学名誉教授)の日本書紀観の一端を、氏が2013年に月刊誌「新潮45」に連載した「日本書紀はどのように創られたか」シリーズ寄稿から紹介しました。2013年二月号〜三月号での寄稿で氏は自らのお考えを「大和朝廷は〔日本書紀の完全な創作であり七世紀より前には一片の伝承すら存在していなかった〕と要約しておられます。
このお考えに基づいて、そのシリーズ五回目の寄稿で「飯豊皇女はじつは天皇であった」と題する論説を書いています。
〔図1:五回目の記事の最初の頁、月刊誌「新潮45」2013年5月号より、174-181頁、拡大はクリック〕
古代史004

 
 上記の論考の冒頭で岡田氏は以下を書いています〔上図で橙々色の枠で示しています:
「日本書紀の伝える天皇家の家系には不自然な皇位の継承が四回ある。それで、私は天皇家には少なくとも五つの汪家があったと考える。まず、十三代の成務天皇と第十四代の仲哀天皇の間には断絶がある。次に第二十三代の清寧天皇と第二十四代の顕宗天皇の間、更には第二十六代の武烈天皇と第二十七代の継体天皇の間、最後に、第三十四代の推古天皇と三十五代の舒明天皇の間に皇位継承がスムーズでなかった形跡がのこる」
と。
 この岡田氏の主張には「日本国天皇は万世一系」説についての国民の一種の信仰的思い込みへの鋭いアンチテーゼをなしていると思っています。

図2: 仁徳天皇以後の天皇系譜
仁徳系図a


図3:顕宗天皇に始まるグループ系図、拡大はクリック
清寧_忍歯


 この指摘は、まさに私が本ブログでまさにたった今論議しているテーマです。岡田氏が言う、(1)清寧天皇と顕宗天皇、(2)武烈天皇と継体天皇の間の断絶は既に私が指摘していたことです〔但し、これについては、近日中に考察する予定でありました。
 以下の表が、私の論拠です。
〔表1:歴代天皇の在位期間から見た天皇のグループ分けが色で示されている。同色のグループ内では、最長在位天皇の在位期間は、それ以外の天皇の在位期間の和にほぼ等しい。たとえば、赤グループでは最長在位期間は允恭天皇の41.1年。このグループ内の他の天皇の在位期間の総和は5.1+5+2.7+23.8+4=40.6。同様は他の色グループについても成立している。日本書紀編年に基づいて作成。〕
dualV2


 上の表で示される17〜22代天皇グループ、23〜25代天皇グループが、まさに岡田氏の指摘する異なる王家に対応しています。そして未だ議論は及んでいませんが26代〜29代天皇、30代~35代天皇が更に別の天皇グループを形成していることが見えてきます。これはグループ間の〔断絶〕、つまり異なる王家を示唆することを示しています。
 こうした視点からは、岡田氏の言う33代推古天皇と35代舒明天皇の間にはそうした断絶は認められません。

 ところで、こうしたグループ分けに気づき、上記のような表を思いついたのは岡田氏の「新潮45」誌の論考によったのではありません。岡田氏のそれは2013年5月号です。実際にこの論考が世に出たのは同年4月と思われます。

 一方私が上記の表の作成を発想したのは2012年9月頃です。早速その第一版とも言うべき表を9月28日記事に掲載しました(http://j55.pw/myKw〕。更にこの表は改定され、それは同年12月24日記事に掲載しました(http://j55.pw/CvBP )。岡田氏の論考の半年以上も前にこの天皇家のグルーピングに気づいていた事を強調させていただきたく思っています。

 尤も、岡田氏が専門学術誌で五つの王家を論じて居られたのかどうかは定かでありません。その論文が出版されていたとして、それを私が見たのだろうという推論は成り立ちます。そうした説を「見ていない」との主張は立証できないがゆえに私の「オリジナリティ」の説得力が無いことは承知しています。

 しかし、岡田氏と私の天皇グループ論には明確な違いがあります。私のブログでは、その断絶〔天皇グループの存在〕を天皇の在位年数を用いて具体的に、つまり恣意的な解釈を使わずに示しています。つまり「物証」を添えてその断絶を明らかにしています。一方、岡田氏は、グループを形成する天皇群の最後に即位した天皇に継嗣がいないことに着目しておられるようです。

 天皇のグルーピングを私の独創的発見であると固執するつもりはありません。むしろ、逆に岡田氏が私の2012年9月のブログ記事を見ていたのではなかろうかなぞと考えることも可能です。

 日本列島の古代史を探索する上での原典は古事記、日本書紀、万葉集のみです。そして、岡田氏も指摘するように後世のいわば「解説本」は、ほとんどすべてが日本書紀を編纂したとされる藤原不比等の「史観」を疑ってかからないことに出発しています。
 識別のための最も重要なポイント、それは東国なのです。東国にれっきとして政治権力が存在したと考えることから、古代史の今まで見えなかった事象が見えてきます。これが私の視点です。現在考察する「飯豊皇女」の出自が「磐背」国であることは明らかです。しかし、古代史専門家は福島県と山形県の境にそびえる飯豊山〔標高2105m、「いいで」と呼称されている〕について、一顧だにしないのです。次回は、他の論者の飯豊皇女を紹介しますが、それらも全く同様です。

 それはさておき、今回の記事で私が強調したいことは、素人であっても注意深く、しかも想像力を凝らすなら一線級の研究者に伍して競うことが出来るということです。つまりあらゆる文献を渉猟しても古代日本列島が見えてくるわけではないからです。そうでは無く古事記、日本書紀、万葉集を丁寧に、時には注意深く原文を眺めて考えることです。素人といえども古代史の真実に接近できる自信を抱いた次第です。

(つづく)

+++++素数の性質(2)
 前回の続きです。
Peculiar Pattern Found in "Random" Prime Numbers
Last digits of nearby primes have "anti-sameness" bias
ランダムであるはずの素数に奇妙なパターンがある
隣り合う素数の最後尾桁の数字は均質でなくバイアがある
http://j55.pw/L9g8 

THE K-TUPLE CONJECTURE
K−タプル推測
(訳者注:タプルまたはチュープル(英: tuple)とは、複数の構成要素からなる組を総称する一般概念。数学や計算機科学などでは通常、順序付けられた対象の並びを表すために用いられる。個別的には、n 個でできた組を英語で「n-tuple」と書き、日本語に訳す場合は通常「n 組」としている。タプルの概念そのものも組と呼ばれる場合がある。なお、 n-tuple は数学のタプルを意味するほか、同様に double、triple などの拡張として倍数詞の表現にも利用される。以上ウイキより)

The mathematicians were able to show that the pattern they saw holds true for all primes, if a widely accepted but unproven statement called the Hardy–Littlewood k-tuple conjecture is correct. This describes the distributions of pairs, triples and larger prime clusters more precisely than the basic assumption that the primes are evenly distributed.
The idea behind it is that there are some configurations of primes that can’t occur, and that this makes other clusters more likely. For example, consecutive numbers cannot both be prime—one of them is always an even number. So if the number n is prime, it is slightly more likely that n + 2 will be prime than random chance would suggest. The k-tuple conjecture quantifies this observation in a general statement that applies to all kinds of prime clusters. And by playing with the conjecture, the researchers show how it implies that repeated final digits are rarer than chance would suggest.
 あの数学者たちは彼らが見つけたパターンが全ての素数に対して成り立つことを示せることができた。但しそれにはHardy–Littlewood k-tuple予想と呼ばれている主張が正しいと認めるとすればの話だ。しかし、その予想の正しさは未だ証明されては居ない。これはペア、3つあるいはそれ以上の素数集団の分布についてのべたものである。そこでは、素数はランダムであると思う以上にそうした集団に対してより正確であると言う。
 その背後のアイデアは起こりえない素数の配置があると言うことである。そしてそれが他の集団をより発生しやすくするというものだ。例えば一連の数字は素数となることはありえない。何故ならそこにはいつでも偶数がある。そういうわけで、もしnが素数ならばn+2が素数かもしれないことは、ランダムな機会以上にありそうなことである。The k-tuple予想とは全ての素数集団について適用できるような一般的ステートメントを定量化したものだ。そしてこのような推論を用いるならば研究者達は最後の桁の数字が続くことも偶然ではないと考えるだろう。

At first glance, it would seem that this is because gaps between primes of multiples of 10 (20, 30, 100 and so on) multiples of 10 are disfavoured. But the finding gets much more general—and even more peculiar. A prime’s last digit is its remainder when it is divided by 10. But the mathematicians found that the anti-sameness bias holds for any divisor. Take 6, for example. All primes have a remainder of 1 or 5 when divided by 6 (otherwise, they would be divisible by 2 or 3) and the two remainders are on average equally represented among all primes. But the researchers found that a prime that has a remainder of 1 when divided by 6 is more likely to be followed by one that has a remainder of 5 than by another that has a remainder of 1. From a 6-centric point of view, then, gaps of multiples of 6 seem to be disfavoured.
 一見して、素数間のギャップが10の倍数になるとは限らないためであると見える。しかし発見はもっと普遍的だ。そしてもっと奇妙だ。素数の最後の桁の数はそれを10で除したときの剰余である。しかし、かの数学者達はその非均質なバイアスがいかなる除数に対しても成立することを見つけている。例えば6の場合を考えてみよう。全ての素数は6で除すると剰余が1または5になる(さもなくば2または3で除しても良い)。二つの余りは均らしてしまえば、全ての素数間の剰余を表現していることになる。しかし、研究者達は6で除したときに1余る素数の次には、余りが5になる素数が続きがちであることを見つけている。と言うわけで、6-中心視点からは6の倍数ギャップこそは実態にそぐわない。

Paradoxically, checking every possible divisor makes it appear that almost all gaps are disfavoured, suggesting that a subtler explanation than a simple accounting of favoured and disfavoured gaps must be at work. “It’s a completely weird thing,” says Soundararajan.
 逆説的には、全ての可能な除数をチェックすることでほとんど全てのギャップが実態に合わないことが明らかになる。それはギャップを旨く説明するか否かの単純な予想を超えた微妙な解釈が機能するかどうかを示唆するのだろう。

MYSTIFYING PHENOMENON
困惑させる現象
The researchers have checked primes up to a few trillion, but they think that they have to invoke the k-tuple conjecture to show that the pattern persists. “I have no idea how you would possibly formulate the right conjecture without assuming it,” says Lemke Oliver.
Without assuming unproven statements such as the k-tuple conjecture and the much-studied Riemann hypothesis, mathematicians’ understanding of the distribution of primes dries up. “What we know is embarrassingly little,” says Lemke Oliver. For example, without assuming the k-tuple conjecture, mathematicians have proved that the last-digit pairs 1–1, 3–3, 7–7 and 9–9 occur infinitely often, but they cannot prove that the other pairs do. “Perversely, given our work, the other pairs should be more common,” says Lemke Oliver.
He and Soundararajan feel that they have a long way to go before they understand the phenomenon on a deep level. Each has a pet theory, but none of them is really satisfying. “It still mystifies us,” says Soundararajan.
 研究者は数兆の素数までチェックした。しかし、その奇妙なパターンがしっかりと成立しているように見えるk-tuple conjecture予想を必要とせねばならないと研究者達は考えている。“仮定なしで正しい予想を公式化するようなアイデアはどうやって得るのか”、とLemke Oliverは言う。k-tuple conjectureのような未だ証明されていない仮定と、もっとズット研究されてきたRiemann hypothesisなしでは、素数分布に関しての数学者の理解は干上がってしまう。”我々は困惑するほどに何も知らない“、とLemke Oliverは言う。例えば、the k-tuple conjecture を仮定しないで、3–3, 7–7 and 9–9の素数順が無限にしばしば起きることを示してきたが、彼らはそのペアの発生を証明できない。”逆に他のペアがもっと発生してくれたなら“と、Lemke Oliverは言う。 彼とSoundararajanは深いレベルでその現象を理解するにはまだ研究すべきことがあると感じている。それぞれが一つの持論(pet theory)を持っているがそのどれもが満足行くものではない。”依然としてなぞだ“と、Soundararajanは言う。 
This article is reproduced with permission and was first published on March 14, 2016.
%%%%%

 米国科学誌掲載の素数分布の話の要点は素数の末尾の数〔最後の桁の数字〕はランダムではなく、偏った分布をするという、数学者の発見です。
 前回書いた事例を再録すると:
Lemke Oliver and Soundararajan saw that in the first billion primes, a 1 is followed by a 1 about 18% of the time, by a 3 or a 7 each 30% of the time, and by a 9 22% of the time.
(Lemke Oliver and Soundararajan は数兆までの素数のなかで、”1”の後に”1”が続くものは18%、“3”または“7”が続く素数は夫々30%、そして“9”が最後尾の数であるものが22%である)。
つまり決して1379が同じ頻度では出現しないと言うものです(末尾が5になる素数は最初の5をのぞいて素数にはなりません)。これを奇妙なパターン(peculiar pattern)と著者たちは呼んでいます。このなぞを解く鍵〔図〕を私は前回のブログ記事で示しています。それを以下に再掲します:

〔図4:およそ2億までの整数に含まれる素数について二つの隣り合う素数間の差が横軸。縦軸はその差の出現頻度〔但し頻度の対数)。差が“2”である素数は「双子指数」と呼ばれるがその出現頻度はそれほど多くない〕
fig1sta_close-up

 

 この図からわかることは、ある素数に続く次の素数との差は6, であることが圧倒的に多いことです。次に12、そして次に2,4,10であることがわかります。どうやらこの傾向は2億までにとどまらず数兆まで続いているらしいのです。
 たとえば最後の桁が”1”である素数の次には、それに6を加えた“7”が出現しやすいことになります。そして“7”の次には、それに6を加えた13つまり“3”を持つ素数が出現しやすいことがわかります。そうなると次は“9”です。その次は9+6=15で”5”ですが、5で終わる整数は素数にはなりません。かくして”1”にもどるのは次のステップと言うことになります。これだけでは、”1379“の出現頻度は、どちらにしても同じであるべきです。しかし、9”と“1”の間の大きな空隙が”1”の出現頻度を減らしているのです。”5”で終わる数が素数でありせば、こうした不均等は起こりえなかったのです。

 どういうことか?こうした差”6”の出現頻度に続くのが差”12”の出現頻度です。1+12=3(mod 10))ですから“3”、“5”(3+12=5(mod 10)),”7”,”9”と続きやっと”1”にもどります。”12”のサイクルでも末尾を”1”〜”9”とする素数が作り出され、それらが”6”のサイクルが作り出す素数と重なってきます。つまり”6”のサイクルで”9”から”1”へのステップで素数生成を休んでいる間に、”12”のサイクルは働き続けます。が、そこでは末尾”3”の素数のあとにお休みがきます〔末尾が5になるので)。この間隙を縫って”6”のサイクルが4回分働くことになります(12*2=6*4であるので)。これが”3、7”末尾の素数が多く作り出される「仕掛け」であると思っています。これにときたま、”2,4,10”のサイクルが重なってきます。頻度が“1”を最終桁の数字に持つ素数が他の数に比べて出現しにくいことの背景〔仕掛け)が図3から見て取ることが出来るのです。この議論は“1”に始まらずとも、“3,7,9”のどれにでも適用できることは明らかですので、ここでは繰り返しません。

 さて何故6〔或るいはその倍数の12〕なのでしょうか?それは6が最小素数たる”2”と”3”の最小公倍数であることによります。

先達による飯豊王考察(1)、素数分布(1、科学米国誌より)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:本日は五時ごろに目が覚めてしまったので、冷気をおして歩いてきました〕
P3160005


朝未明 東の空の 明るみが 歩くにつれて 広がり来ぬる

 寒い日々が続いたので早朝散歩を止めていました。齢のせいであります。本朝は天気予報では暖かいと聞いたので、久しぶりに暗闇を歩いてきました。途上、雉は雄たけびを上げていました。

 元プロ野球選手清原氏の釈放のありやなしやが報道で取り沙汰されています。どっぷりと覚製剤の虜になってしまった氏を覚醒剤の呪縛から解き放ち、氏の今後の安らかな人生構築のためには、釈放は延期すべきではなかろうかと私は思っています。そして清原氏の覚醒剤使用は氏の巨人在籍当時も続けられていたと聴きます。その清原氏を「三顧の礼」でもって巨人に迎えた長島氏はこのことについて何も語りません。
 清原氏野巨人在籍時の時期と相前後して、当時の巨人監督原辰徳氏の不倫と一億円もの大金の暴力団への支払いが明るみに出ています。この事件は読売新聞の最大権力者で安倍首相の寿司友(トモ)である渡辺恒雄氏の強権によって、もみ消されてしまいました。そして今般の賭博です。どうやら全ては渡辺恒雄氏の巨人支配、読売新聞のマスコミ支配と密接に関わってきそうな状況です。これらの闇にうごめく醜悪な実態を既存のマスコミが明るみに出せるのでしょうか?

++++飯豊王
 清寧天皇亡き後の政治的空白を避けるために飯豊王が暫定的に皇位につきました。
日本書紀は「由是天皇姉飯豊青皇女於忍海角刺宮、臨朝秉政。自称忍海飯豊青尊」〔文意 岩波文庫〕三、1114頁 これにより忍海角刺宮におられた天皇の姉飯豊青皇女が朝にのぞみ政をとる。自らを忍海飯豊青尊と称する〕。
と、書きます。

 一方、古事記は「於是。問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也〔中略〕於是。其姨飯豐王。聞歡而。令上於宮〕〔文意:岩波文庫「古事記」196頁 ここに、日嗣知らしむる王を問うに市邊忍齒別王之妹である忍海郎女又の名を飯豐王と言う女性が葛城忍海之高木角刺宮に居られる。〔中略 その間清寧亡き後の天皇候補者として忍歯王の息子を見つけ出す〕こうして、おばに当たる飯豐王はそれを知り、大いに喜び宮廷にあげる〕と、書きます。

 飯豊姫、あるいはこの皇女が拠した角刺宮、忍海などについては下の表に見るように多数回に渡って本ブログ記事で書きました。「日繼〕と言う言い回しなど、上で引用した記紀記事はいわば考察のための宝庫と言うことが出来ます。
〔表:本ブログでの飯豊関連記事一覧〕
飯豊


 後日これらを再考察しますが、その前に一つ見ておきたいことがあります。
 日本列島古代史で女王であると認められているのが、七世紀以降の女性天皇をのぞけば、卑弥呼のみです。女王に匹敵したとされているのが、一人は神功皇后で、もう一人は飯豊王です。そうしたことから、古代史をあつかう一般向けの雑誌にもしばしば飯豊王が登場します。

 そこで、最近の幾つかの飯豊姫に関わる記事を紹介しておきます。まず見つけたのが「飯豊天皇は実は天皇だった」と題する記事です。これは月刊誌「新潮45」2013年5月号〔174-181頁〕に掲載されています。執筆者は岡田英弘氏(東京外国語大学名誉教授)です。この記事は「日本書紀はいかに創られたか」と言う五回にわたるシリーズの最終回にあたります。シリーズのタイトルに「いかに作られたか」ではなく、「いかに創られた」とあります。ここに氏の日本書紀観を見ることが出来ます。そこで岡田氏の人となりをウイキペディアで調べてみました(http://j55.pw/k8Pe):
%%%%%ウイキ記事一部抜粋

人物・主張[編集]
 中国史、古代日本史、韓国史などで、戦後流布された中国側の正史に追従した[要出典]日本の中国史学会に異を唱えた研究、発言、多くの著作がある。
 歴史を理論として確立しているのはヘロドトスに始まるヨーロッパ史と司馬遷らに始まる中国史だけであり、両者の歴史観はまったく原理を異にしていること、そしてその他の地域の歴史は両者いずれかの歴史観による焼き直しであることを主張した[2]。この観点から、両者を単に融合して世界史を記述するのではなく、両者を止揚・昇華させた新たな原理による世界史を構築する必要性を説き、世界史の始まりをモンゴル帝国によるヨーロッパ文明・中国文明の接触に求めている[3]。
 岡田は、「私は“群れる”ことができない性質なのを痛感しつつ、学者人生を過ごしてきた。学界では孤立したが、それを苦痛にも、寂しいとも思ったことがない。強がりではなく、どうも私にはそうした神経がないらしい。周囲を恨んだこともない。学界という狭い世界ではなく、メディアに広く求められ認められたことで、私はやりたい学問ができ、主張したいことを主張してこられた」[4]と述べている。
%%%%%ウイキ記事転載おわり

 〔いかに創られたか〕の暗意は「日本書紀は史実を語った文書」ではなく、「創作」であるとの主張です。そこで、氏が「新潮45」に寄稿された連載記事の二回目を一部抜粋しておくことにします:

〔写真:「新潮45」二月号寄稿からの抜粋〔1〕、冒頭部〕
古代史003


 冒頭にいきなり「神武天皇と天照大神」は七世紀に出現した」との大見出しと共に、「大和朝廷は〔日本書紀の完全な創作であり七世紀より前には一片の伝承すら存在していなかった〕との小見出しで始まります。その論拠を語った後に左下で〔橙色の傍線部〕冒頭大見出しの結論を再度書いています。
 大見出し「神武天皇と天照大神」は日本書紀のあるいは古事記の本質をついた指摘であろうと思っています。つまり日本書紀巻一〜九が日本列島古代史のダイジェスト版であるからです。そして、それは、政治的思惑から時間を逆転させたものであることは、本ブログで繰り返しかいてきました。
 その意味で、こうした視点を持つ歴史家は居たとしてもそれは異端に属する方と思ってきました。正統歴史研究者〔大学で歴史を学び、大学に属して歴史研究を続けてこられた、と言う意味〕がおられたことに驚いた次第です。いずれにせよ、上記にかみ合うような考察を私は既に繰り返し書いてきましたので、この場では、致しません。

 次に転載するのは、上記の続きです:
〔写真:「新潮45」三月号寄稿からの抜粋、冒頭部〕
古代史002


 この記事の冒頭部分が岡田氏の主張の要点と思われます。つまり“日本書紀が伝える〔大和朝廷〕の物語は全て舒明天応から天武天皇の世に起こった現代史にヒントを得て書かれている“と、言うわけです。発想は私の史観と似て非であると思っています。例えば、大見出しに登場する〔天武天皇〕です。その漢風諡号は「ヤマトタケル」に由来するのかもしれません。しかし、日本書紀が語る天武天皇の事跡は、「ヤマトタケル」とは重なりません。まだ書いておきたいことがありますが、上と同じ理由で、いずれ私の考察を再掲します。
(つづく)

+++++素数の性質
 本ブログではかって、素数を二億まで数え上げてその性質の一端を書いたことがあります〔2010年12月31日記事 http://j55.pw/MAdY 〕。

図1:隣り合う素数の間の差の分布〔この図をかって年賀状に貼り付けたことがありますが、それは不評でありました。横軸は隣り合う素数の差、縦軸はその差の出現頻度。5本の線〔点列〕は、左から2000個までの素数、20000個までの素数、二十万個、二百万個、そして最右は二千万個までの素数についての頻度分布〔但し自然対数目盛り〕です。二千万個の素数を調べるためには、二億個弱の数を調べねばなりません。この図の結論の一つは分布は“べき乗分布“ではなく、”指数分布“であることです。そしてその傾きは数が大きくなるにつれてゆっくりと小さくなっています〕
fig1sta

 

〔図2:上図の左上の一部拡大したもの。差が6の倍数である頻度が他に比べて大きい〕
fig1sta_close-up


 最近の米国科学雑誌 Scientific American 誌〔3月14日号)が、素数の分布はランダムではないとの記事を掲載しています。今回はその記事を二回に分けて紹介します:
%%%%%ランダムと思われた乱数の妙な分布〔米国科学誌より〕
http://j55.pw/L9g8
Peculiar Pattern Found in "Random" Prime Numbers
Last digits of nearby primes have "anti-sameness" bias
ランダムなはずの素数に見られる特殊なパターン
隣り合う素数の最後の桁は均質との潜入感とは異なっている
By Evelyn Lamb, Nature magazine on March 14, 2016

Two mathematicians have found a strange pattern in prime numbers—showing that the numbers are not distributed as randomly as theorists often assume.
“Every single person we’ve told this ends up writing their own computer program to check it for themselves,” says Kannan Soundararajan, a mathematician at Stanford University in California, who reported the discovery with his colleague Robert Lemke Oliver in a paper submitted to the arXiv preprint server on March 11. “It is really a surprise,” he says.
Prime numbers near to each other tend to avoid repeating their last digits, the mathematicians say: that is, a prime that ends in 1 is less likely to be followed by another ending in 1 than one might expect from a random sequence. “As soon as I saw the numbers, I could see it was true,” says mathematician James Maynard of the University of Oxford, UK. “It’s a really nice result.”
 二人の数学者が素数分布にあって理論で示されるようなランダムな分布とは異なる特異なパターンを見つけた。これを見つけたKannan Soundararajan, a mathematician at Stanford University in Californiaはhis colleague Robert Lemke Oliverとともに3月11日付で the arXiv preprint server誌に提出した。それは誰もがチェックできるという。これは驚きであると彼は言う。素数は最後の桁が同じ数になることは避けると数学者は言う。つまり1で終わる素数は1で終わる素数がその後に続くことはなさそうである。実際、それは事実であると mathematician James Maynard of the University of Oxford, UKは言う。 そのことが実際nice resultなのだ。

Although prime numbers are used in a number of applications, such as cryptography, this ‘anti-sameness’ bias has no practical use or even any wider implication for number theory, as far as Soundararajan and Lemke Oliver know. But, for mathematicians, it’s both strange and fascinating.
 
 なるほど、素数が実際の応用でも使われるが、Soundararajan and Lemke Oliver が知る限りでは、そうした同一性でないという特質が使われるわけではなく整数論でもそれは無い。

NOT SO RANDOM
〔素数は)それほどランダムではない
A clear rule determines exactly what makes a prime: it’s a whole number that can’t be exactly divided by anything except 1 and itself. But there’s no discernable pattern in the occurrence of the primes. Beyond the obvious—after the numbers 2 and 5, primes can’t be even or end in 5—there seems to be little structure that can help to predict where the next prime will occur.
 一つの明瞭なルールが素数たるものを決定している:すなわちそれは1と自分自身以外の数では割り切れないというものだ。しかし、素数の発生では明瞭なパターンは無い。2と5と言う素数をのぞくため素数は偶数でなく5の倍数ではない。かくして次の素数を予期するための明瞭なパターンは無い。

As a result, number theorists find it useful to treat the primes as a ‘pseudorandom’ sequence, as if it were created by a random-number generator.
But if the sequence were truly random, then a prime with 1 as its last digit should be followed by another prime ending in 1 one-quarter of the time. That’s because after the number 5, there are only four possibilities—1, 3, 7 and 9—for prime last digits. And these are, on average, equally represented among all primes, according to a theorem proved around the end of the nineteenth century, one of the results that underpin much of our understanding of the distribution of prime numbers. (Another is the prime number theorem, which quantifies how much rarer the primes become as numbers get larger.)
Instead, Lemke Oliver and Soundararajan saw that in the first billion primes, a 1 is followed by a 1 about 18% of the time, by a 3 or a 7 each 30% of the time, and by a 9 22% of the time. They found similar results when they started with primes that ended in 3, 7 or 9: variation, but with repeated last digits the least common. The bias persists but slowly decreases as numbers get larger.
 一つの結果として、整数論研究者は素数をあたかもそれを乱数発生装置から生成されたかのような擬似乱数として扱ったりする。しかし、その乱数列が真にランダムであればその最後の桁の数が1であるような素数は出現頻度四分の一で他の数で終える素数がつづくはずだ。何故ならば5以外では1,3,7、と9が最後の桁の数であるべきだからだ。これらは平均して他の素数でもそうであるはずだ。それは19世紀末に証明された定理による。それこそが素数分布についての我々の理解を元になっているものだ。(もう一つの素数定理は素数が大きくなるほどどれだけ疎(まばら)になって行くかを定量化したものだ)。
 そうではなく、Lemke Oliver and Soundararajanは最初の数十億個の素数では、その後に1が来るのは18%、3と7はおよそ30%そして9は22%であることを見つけた。更には3で終わる素数から始めると7または9がそれに続くと、同様な結果を見出した。しかし最後の桁数が続くことほとんど無い。こうしたバイアスは数が大きくなるにつれ減ってゆく。
(つづく)

第II グループ天皇群の身元をあらう, 高浜原発(2、日刊げんだい)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:用水池のコンクリート壁で一休みする青鷺〕
P青鷺0004


 くちばしと 頭を羽に つっこんで 寒さをしのぐか 池の青鷺

 この四〜五日、当地は真冬に逆戻りです。冷たい雨が朝から降り続いています。


+++++第II グループ天皇群の身元をあらう
 前回記事で第IIグループ天皇である顕宗天皇、仁賢天皇の登場は、第Iグループのトリを勤めた清寧天皇紀に遡ることを書きました。この天皇の和風諡号が億計(おけ)、弘計(をけ)といささか変わっています。
 3月9日記事で古事記、日本書紀を引用してその経緯を書きました。自らの血統を絶やしてしまった清寧天皇には妻女がいなかった。それでも、「飯豊皇女」とちぎったかのように書きます。が、一方で「男色」である可能性もあったなどとかなり「きわどい」ことを書いています。

 しかし、第IIグループの系譜が仁徳天皇につながっていることを書かねばなりません。そこで、この清寧天皇は天皇位を継ぐべき人物を探したと記紀は書くのです。家臣が、あちらこちらと探したところ、ワカタケル王に殺された忍歯王の二人の息子を見つけ出した。そこで、この二人のどちらかを天皇位につけることとした。との筋書きとしたのです。

 そこで、登場するのが飯豊皇女です。この女性は黒姫の娘です。この皇女は、二人の王子が天皇位を譲り合うという美談説話のなかで「暫定皇位」についたと記紀は書きます。

 藤原不比等が恣意的に古代列島政治史を執筆するのであれば、こうしたグループ分けをせずとも、次から次に〔思いつくまま〕人物を拵え挙げて「系譜」なるものを形成すればよいはずです。しかし、そうはしなかったのです。藤原不比等の周囲に侍る知識人の存在を無視できなかったのだと思われます。彼らは大陸の政治を見聞きしていたはずです。又、列島政治史たる記紀の編纂時には残存していたであろう倭国の状況も書き残されていたはずです。その一つが万葉集であったろうと思っています。不比等はできることならこの万葉集も歴史の闇に閉じ込めてしまいたかったのではなかろうか、と想像しています。

〔図:清寧天皇が探した忍歯王の二人の息子と彼らの伯母にあたる飯豊皇女)
清寧_忍歯


 それはさておき、周囲の知識人たちの納得できる政治史にこだわったがゆえにIとII、そして次に書くIIIの天皇のグループ編成となったのです。言い換えれば、このグループ分けはそれなりに史実を反映しているのだろうと思っています。

 さて、そうとするとIIグループ天皇群形成に決定的役割を果たした史実とは何か?それが、大陸に残る梁書倭国伝の記述です。これについては本ブログでも考察しています。それを以下に再掲します(2012年11月16日 http://j55.pw/FXhL ):
%%%%%過去記事再掲
 第二次世界大戦の終盤前後に登場した日本古代史研究の鬼才前田氏の「讃=応神天皇」説を考察しようとしています。既に書いたように、私は、「応神天皇の和名=「興」、「武」の合成」という仮説を既に提示しています。其の準備として扶桑国王蘇我一族の真実」の著者である渡辺豊和氏の「讃=仁徳天皇又は履中天皇」説を考えて見ます。そのために、宋書倭国伝の続きを先ずは下に転載します。
%%%%%宋書倭国伝(3)

順帝昇明二年、遣使上表曰:「封國偏遠、作藩于外、自昔祖禰、躬擐甲冑、跋渉山川、不遑寧處。東征毛人五十國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國、王道融泰、廓土遐畿、累葉朝宗、不愆于歳。臣雖下愚、忝胤先緒、驅率所統、歸崇天極、道逕百濟、裝治船舫、而句驪無道、圖欲見呑、掠抄邊隸、虔劉不已、毎致稽滯、以失良風。雖曰進路、或通或不。

 順帝昇明二年(478年)、遣使が上表して曰く「封国は残念ながら遠く、藩を外に作り、昔より祖先は自ら甲冑を着け、山川を跋渉し、安らかに暮らす暇なし。東に毛人を征すること五十五国、西に衆夷を服すること六十六国、(海を)渡り海北を平定すること九十五国。王道は安泰に調和し、国土を拡げ、京畿を遠く離れる。累代に亘って朝廷を尊び、歳を誤らず。臣は下愚といえども、忝くも後裔を先に残し、統べる所を率いて駆け、崇め帰すこと天を極め、道を百済に直行し、船舶を装備する。然るに高句麗は非道にも併呑を欲して謀り、辺境を略奪し隷属させ、(南朝宋の)劉氏を尊重して已まず、(そのために)いつも延滞させられ、(航行の)良風を失する。道を進むといえども、あるいは通じ、あるいは不通。
%%%%%一旦停止
 ここで一つ注目しておくことがあります。前回引用した「梁書」倭伝では、「武」に東国将軍の爵位を授けたとの記事に次の記事がつづくのです:
「扶桑國者、齋永元元年、其國有沙門慧深來至荊州」
  
 渡辺豊和氏が自らの仮説を打ち立てる際のいわば出発点となった記事です。「永明(元とありますが明と思われます)元年に、扶桑国の沙門(僧のこと)である「慧深」が、荊州にやって来た」と、あります。永明元年は西暦479年です。倭国の王たる「武」が宋に使節を送ったのが西暦478年、つまり扶桑国の僧「慧深」が荊州に到達した一年前です。「宋」は、この年に滅亡し「斎」に変ります。
2008年12月19日記事 http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51301922.html で書きましたが、梁記では、僧「慧深」が、自らの国の風俗やらを語り、それらが記載されます。
 そして程なく「名國王為乙祁」なる記述になります。「国の王の名を乙祁と為(な)す」と書かれます。随分とおかしな言い回しです。あたかも「王」になると名前が変るかのようです。「乙祁」は僧の語ったことを聞き取り、その音に従って漢字を当てはめたものです。「おつき」、「いつぎ」などと読むべきでしょう。
 ところで、「名xx為」は「xx名前を・・・」にするという意味でしょうか?同様の表現が、以前このブログで紹介した「隋書」倭国条にもあります。「名太子為利歌彌多弗利」がそうです。「名」と「為」の間に身分(地位)を挟む表現です。私は「名」は名前を意味せず、「名目」つまり「状態」を意味するのではないかと思います。隋書で言えば、太子には、「利歌彌多弗利」を充てるという意味であろうと考えます。そうであれば、「名國王為乙祁」は「国王には乙祁」を充てると言うことだろうと思います。
 「乙祁」は「いつぎ」ではなく、「ひ」が「い」に転じて梁記に記載されたとすると、それは「ひつぎ」、つまり「太子」を意味します。「ひつぎ」とは、倭国では「王の後継ぎ」の意味であったろうと思います。僧「慧深」は、「ひつぎ」と言ったはずが、「ひ」と「い」の発音の違いをはっきりさせなかったことから梁の担当記録者は「いつぎ」と聞き、文書に「乙祁」と記したのです。僧「慧深」が倭国を出立したのが王「興」が死んだ前後です。誰が次の王になりどういう名を名乗るか分からない。そこで彼は「後継ぎが王になる」と語ったのです。扶桑国では「太子」は「ひつぎ」と呼ばれていたのです。

 因みに「扶桑国王蘇我一族の真実」の著者である渡辺豊和氏はこの著書で「乙祁」を「オキ」と音することで、二十三代「顕宗」天皇(日本書紀によれば在位は西暦485-487年)又は二十四代「仁賢」天皇 (488-498)ではないかと推定しています。「顕宗」天皇と「仁賢」天皇の和風名は夫々「袁祁」(をけ)、「億計」(おけ)というわけで、音が似ていること、更には梁記の記載年代ともおおむね合致するからです。渡辺氏の仮説は、日本書紀の編年史に基づいています。以上が、渡辺氏による讃王と日本書紀上の天皇との照合です。

 渡辺氏の推論過程とそこから導かれた結論は、私の推論とは異なります。それはとりあえずは横に置いておきます。私の論理に従えば、僧「慧深」が扶桑国を去る直前までの王は「興」ということになります。ここで私が注目するのが「興」は「コウ」と音します。これぞ他ならぬ「高」ではないか!!西暦479年まで、少なくとも北陸一帯(もしかしたら現在の福井にまで影響を及ぼしていた)の王は「高」一族であったらしいことが、宋書で以って裏付けられたと私は思っています。

 次に前田氏の立論を考察します。氏の論拠の一つが宋書にある「自昔祖禰」という下りです。
(つづく)
%%%%%過去記事再掲終わり

 3年余も昔のブログ記事を引用したのには理由があります。色々と調べてゆくと以前に立てた仮説がどうやら成立しないということに気づかされます。その一つが扶桑国王名である「名國王為乙祁」の表現です。
何よりも私が注意を払わねばならなかったのは梁記倭国伝に登場する王の名前「乙祁』に使われている漢字「祁」です。この文字がそのまま古事記に使われています:すなわち「袁祁」です。
 藤原不比等は、天皇の和風名として夫々「袁祁」(をけ)、「億計」(おけ)を「編み出した』のです。その作業で梁書倭国伝の上の一節を参照したことで、自らの編纂する「政治史」の正当性、つまり信憑性を強調したかったのだと思っています。
 さて、この三天皇の時代を考察せねばならないところですが、もう少し、この天皇たちを記載する記紀の記事を見ておくことにします。
(つづく)

+++++高浜原発稼動停止命令
 大津地裁による高浜原発稼動差し止め命令について日刊ゲンダイの記事を紹介しておきます。司法の世界にあっても下級審では比較的民意を反映する判断が出される、と言うのが私ども庶民の感覚です。しかし、これは実は「政府権力による市民の怒りのガス抜き」であるとの論があります。
 実際想なのかもしれません。意図的に下級審では庶民よりの裁定を出し、上級審にすすむにつれ権力に寄り添った判決に変貌してゆく。これは多くの裁判で見聞してきたことです。
 そうは言っても、上の記事に見るように下級審を采配する裁判長の何人かは権力の意向に逆らった裁定のために「出世」の道を絶たれています。
 そんなことを考えると、「冷めた目で見ることなく」良い判決には「良い」と応援する声を上げることが大切なのかなと思っています。

高浜原発

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スマトラ沖地震(2)、高浜原発

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:東京新聞3月11日付け、益川敏英氏の連載「この道」より。この記事に登場する永田忍氏にお会いしたことがあります。1970年台半ば、北海道電力が原子力発電所建造計画を明らかにしました。場所は積丹半島の西側付け根近くの泊(とまり)です。当時札幌で働いていた私は、職場の職員組合の呼びかけに応え、この計画に反対するべく土曜日の午後に現地へでかけ民宿で一泊し翌日の集会に参加しました。この民宿でご一緒したのが永田先生でした。集会後、永田先生と積丹半島を小型船で周遊する旅にも同行させていただきました。集会での安斉育郎氏〔当時東大医学部助手〕による講演は、話の内容もさりながら理路整然とした話し方に強く印象付けられたことを憶えています。

 1940年8月2日深夜、この積丹沖でMw7.9の地震が発生し、波高3m超の津波が小樽など周辺域を襲っています。1970年台後半に、この域が北米プレートとユーラシア・プレートのぶつかる場所であったことが判明しました〔プレート・テクトニクス理論の誕生初期の頃です〕。余談ですが、民宿での朝食の膳にあがった捕れたてのイカサシの旨かったこと。これも未だに強い記憶です〕
P益川2


 後世に 汚染のツケを 押し付ける 何とかなるさの この身勝手さ

 五年前の3月11日は金曜日でした。午後3時前に日本列島は大きく揺れました。地震・津波で多くの人命が奪われました。また未だ2500余名もの方々の安否が不明のままです。犠牲となられた方々そしてご家族の皆様には心からのお見舞いを申し上げます。
それは、物理的揺れにとどまりませんでした。社会的、政治的、経済的にもすさまじく全土は揺さぶられました。その衝撃と傷跡は未だ癒えていません。

 この惨劇をいっそう甚大にしたのが福島第一原子力発電所で起きた深刻事故です。2008年の国会で、当時の安倍氏は共産党の吉井英勝氏の質問に答えて、「原子力発電所での全電源想喪失と言う事態は起こりえない」と答弁しました。しかし、その全電源喪失が実際に起きてしまったのです。

 この大惨事は、しかるべき必要な対策をとることによって防ぎえたのか否か、それともこの事故は「不可避的」であったのか?これについては未だに解明されていません。そこにつけ込むかのごとく東京電力は「想定外の自然災害」であったと主張しています。東京電力の三幹部を被告とする裁判でこれらが明るみに出ることを切に願っています。
 安倍当時首相が「全電源喪失事故」はありえないと断じた論拠は重大事故発生確率です。経済学者竹田茂夫氏が、この確率計算を鋭く批判しています。
〔写真:東京新聞3月10日付記事、竹田茂夫氏コラム〕
P3100016


 事故を起こした原子炉を冷やすための配水管が二つのシステムから構成されているとします。夫々のシステムの発生確率は10年に一回とします。この二つのシステムが互いに独立とすれば二つのシステムが同時に障害を起こす確率は 0.1x0.1=0.01 つまり100年に一度の確率と言うことになってしまいます。原子力発電で登場する確率計算はこうした「まやかし」とも言うべき「操作」が隠されています。

 最近は地震予知にも確率なるものが導入され、東京都が30年以内にM7程度の地震に襲われる確率は30%であるなどと言った論評がなされています。本ブログではこれ以上詳しく書きませんが、こうした確率が実生活上ではどのような意味があるのか?私は大変疑問に思っています。

 この大事故そのものへの対応経過、事故がもたらした放射能汚染への対応など、この事故がひきおこした大惨事の経緯のほとんどが未解明のままです。とりわけ、事故が進行中の政府・東京電力の拙劣な対応については、早急に究明さるべきです。そのために政府・国会が編成した事故調査報告書が国会で、詳細に論議されているとは聞こえてきません。むしろ「お蔵入り」ではなかろうかとの指摘も聞こえてきます。

 更には、膨大な量の放射能汚染とその除去対策です。国の内外で〔嘘〕を平気でつく安倍首相はオリンピック招致の委員会で「all are under control」と公言しました。が、それが真実ではないことは誰もが知っています。原発敷地に溜まる汚染水のタンクは今やほとんど満杯、タンク数を大幅に増やさねばなりません。福島県の東側の畑地には膨大な数の汚染土の黒い収納袋が積み上げられています。更には森林汚染には未だ手がつけられていないのです。これらを放置し、解決の方途も無いまま原発の現状を黙認する。政府には、国民の生命と安全に責任があるはずです。

 この大惨事から学ぶべき教訓、惨事を繰り返さぬために必要な方途の模索・構築すらも放置されたまま、九州・鹿児島では川内原発が既に稼動しています。こうして、原発への対応が意図的に「いい加減な」状態に放置されています。安倍氏は「原発は重要なエネルギ源であり、稼動を止めるわけにはいかない」と昨日公言しました。

 国民が原子力発電災害から蒙る被害を軽減するために放射の汚染の拡散状況を把握するために開発されたのがSPEEDIです。このシミュレーションがかなり正確であったにもかかわらず、国民のパニックを怖れて秘密にしてしまったのが民主党政権でした。最大の被害者が福島県飯館村の住民でした。国の政治のトップに立つと、国民が「知る」ことを怖れる。それは、自民党だけではありませんでした。民主党もそうであったのです。
%%%%%毎日新聞、SPEEDI
http://j55.pw/JaKt 
放射能影響予測、防災計画から除外 政府
毎日新聞2015年8月12日 東京夕刊
原発事故の際に放射性物質の放出量や気象条件、地形などのデータを基に放射性物質の拡散範囲や量を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)について、政府は7月、国や自治体の災害対応の基礎となる防災基本計画で住民の避難に活用しないことを決めた。「予測が不確実なため」としているが、住民避難で予測を参考にするとしてきた自治体や住民は反発している。
 SPEEDIは原発事故時の避難に活用すると位置づけられていたが、東京電力福島第1原発事故では予測の公表が遅れ、住民に無用の被ばくを強いたとして国が批判された。
 原子力規制委員会は2012年に新たな原子力防災指針を策定。原発から5キロ圏は即避難とする一方、5〜30キロ圏は屋内退避を基本とし、空間放射線量の実測値が毎時500マイクロシーベルトに達したら避難すると定めた。この時点で指針はSPEEDIを「参考にする」とし、同時期、防災基本計画も予測結果を「公開する」とした。だが、今年4月に指針からSPEEDIの記述が消え、7月には防災基本計画からも除外された。原子力規制庁幹部は「放射性物質の流れた方向が予測と異なることもあり不確実だ。実測値の基準では被ばくを完全には防げないが、世界でもスタンダードな方法だ」と説明する。
 国の「SPEEDI外し」に、新潟県の泉田裕彦知事は7月の中央防災会議で「被ばくが前提の避難基準では住民の理解は得られない」と訴えた。また、11日に再稼働した九州電力川内(せんだい)原発の地元、鹿児島県薩摩川内市などで開かれてきた避難計画の説明会でも、自治体はSPEEDI活用の考えを伝えていた。【関谷俊介、杣谷健太】
%%%%%

この頃になってやっと、この措置への見直しが始まったようです。
%%%%%自治体のSPEEDI活用「妨げない」 政府が見解
朝日新聞デジタル 3月11日(金)12時28分配信
http://j55.pw/R89j 
 政府は11日、原発事故時に放射性物質の拡散を予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)について、自治体が避難指示に活用することを「妨げない」とする見解を示した。東京電力福島第一原発事故で正確な予測ができず、国は使わないことを決めたが、自治体は活用を訴えていた。

 官邸で開いた原子力関係閣僚会議で、全国知事会が求めていた19項目の要望への回答をまとめた「原子力災害対策充実に向けた考え方」を決めた。新年度までに防災基本計画などに反映させる。自治体の要望に応える姿勢を示すことで、原発再稼働への地元同意を得やすくする狙いもある。
朝日新聞社
%%%%%時事通信
原発事故時のSPEEDI使用認める=自治体に裁量―政府方針
時事通信 3月11日(金)13時14分配信

 政府は11日、原子力関係閣僚会議を開き、全国知事会が要請していた原子力災害対策の拡充に向けた対応方針を決めた。
 原発事故時の避難経路の選択のため、大気中の放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を自治体が裁量で使用することを認めた。
 SPEEDIをめぐっては、東京電力福島第1原発事故の際に活用されず、情報不足から放射線量の高い地域に避難してしまった住民から批判を受けた経緯がある。
 原子力規制委員会は、原子力災害対策指針(防災指針)で、実際の放射性物質の放出量などが分からないと拡散予測は難しいとし、避難の判断には使用しない方針を示している。ただ今回の対応方針では、自治体からの強い要望を踏まえ、事故時に自治体が参考情報として使用することを認めた。
 原発事故の際に甲状腺被ばくを低減させる安定ヨウ素剤の事前配布についても、従来認めていた原発から半径5キロ圏内だけでなく、圏外の住民に対し、自治体の判断で平時に事前配布できることとした。
%%%%%一つの重要な教訓はSPEEDI〔朝日新聞デジタル〕

SPEEDIは政府の「やる気のなさ」を示す、ほんの一例です。原子力規制委員会は未だに原子力発電会社が事故時に周辺住民に対する避難計画、安全対策についての無策を容認しています。
こうした政府と電力会社による無策は、深刻な原発問題への国民の深い失望感をもたらしています。そうした絶望的雰囲気にあって、先日の大津地方裁判所による高浜原子力発電所の稼動停止命令は、我が国にも、国民の安全に向けた一抹の理性が司法に残っていることを感じさせました。

〔写真:東京新聞3月10日付一面記事〕
P高浜原発


P3100014


 上の新聞記事を改めてここでなぞることはしません。小泉元首相が危機感を露(あらわ)にするように原発は重大な核汚染物質を大量に放置せざるを得ない仕組みから逃れられていないのです。全ての〔危険のつけ〕は子・孫が背負わねばなりません。人間と言うものはそもそも何時の時代にも「無責任、やりっぱなし」、つまり身勝手に生きているのでした。
 まあいずれ、人は絶滅するのでしょうが、さしあたり子・孫の不幸までも「見ないフリ」ができるのでしょうか?人間と言うものは!

+++++海溝外側〔海側〕の大地震(2)
 本年3月2日にスンダ海溝の海側〔東〕にM7.9 の大地震が発生しました。スンダ海溝に沿って2004年12月24日にMw9クラスの巨大地震が発生しました。この地震が引き起こした巨大津波による犠牲者は周辺インドネシア、タイは言うまでも無く遠くインド、スルランカ、アフリカ東岸にまで及びその数は20万人を超えました。
「包括的核実験禁止機構」(CTBTO)が、地下核実験探知機能として世界中に地震観測網を展開していることを知っていた、当時のスリランカ大使が自国・国民が蒙った甚大な数の犠牲者に憤って、ウイーンのCTBTO事務所に「あんたがたは地震を観測していながらこんなことも事前に察知できなかったのか?!」と声涙をもって「怒鳴り込んだ」事はよく知られています。CTBTOが展開する地震観測網はその質の高さゆえに、世界の地震研究者、地震研究組織〔例えばIRIS〕などからデータの相互乗り入れなどの提案がなされていましたが、「国際的中立性」などを理由としてそれは実現していませんでした。

 しかし、あの地震を契機として、観測網のデータ交換など相互乗り入れが実現し、地震防災、津波防災にCTBTOが貢献する端緒となりました。

このスンダ海溝の巨大地震は、海溝沿いに幾つかのM8クラスの地震を繰り返しました。そして8年後、なんと海溝を挟んでスマトラ島と反対側のインド洋でM8クラスの地震を連発したのです。

〔図:巨大地震発生後の海溝外側の大地震。上は2011年3が11日東北日本巨大地震後に起きた大地震。鹿島海山列の北東端でMw7.7がおきた〔2013年10月26日〕。下は2004年12月24日巨大地震後に海溝外側で起きた3つの大地震〕
Sumatra_fplane

上の図についての説明は後日することにして、ここではnature誌に掲載された2012年4月の地震についての報告を転載しておきます(詳しい解説は次回します):

%%%%%2012年4月11日の地震(nature誌、2012年11月9日号)
En echelon and orthogonal fault ruptures of the 11 April 2012 great intraplate earthquakes http://j55.pw/YtLs Han Yue, Thorne Lay & Keith D. Koper
Nature490,245–249(11 October 2012)
エシェロン形状の2012年4月11日大きなプレート内地震

The Indo-Australian plate is undergoing distributed internal deformation caused by the lateral transition along its northern boundary—from an environment of continental collision to an island arc subduction zone1, 2. On 11 April 2012, one of the largest strike-slip earthquakes ever recorded (seismic moment magnitude Mw 8.7) occurred about 100–200 kilometres southwest of the Sumatra subduction zone. Occurrence of great intraplate strike-slip faulting located seaward of a subduction zone is unusual. It results from northwest–southeast compression within the plate caused by the India–Eurasia continental collision to the northwest, together with northeast–southwest extension associated with slab pull stresses as the plate underthrusts Sumatra to the northeast.
インド・オーストラリアプレートは、北端でのプレート衝突に夜内部的菜変形を受けている。2012年4月11日、これまでの記録最では最大の横ずれ地震(地震モーメントの大きさの1 M ワット 8.7)がスマトラ沈み込み帯の南西約100-200沖に起こった。沈み込み帯での大きな内陸横ずれ断層による地震発生が海溝の海側で発生することまれです。それは、インド・オーストラリアプレート内での北東南西向きの圧縮力が働いたことで起きたが、それと同時に南西―北東宝庫布引っ張りも関わっていたと考えられる。

Here we use seismic wave analyses to reveal that the 11 April 2012 event had an extraordinarily complex four-fault rupture lasting about 160 seconds, and was followed approximately two hours later by a great (Mw 8.2) aftershock. The mainshock rupture initially expanded bilaterally with large slip (20–30 metres) on a right-lateral strike-slip fault trending west-northwest to east-southeast (WNW–ESE), and then bilateral rupture was triggered on an orthogonal left-lateral strike-slip fault trending north-northeast to south-southwest (NNE–SSW) that crosses the first fault. This was followed by westward rupture on a second WNW–ESE strike-slip fault offset about 150 kilometres towards the southwest from the first fault. Finally, rupture was triggered on another en echelon WNW–ESE fault about 330 kilometres west of the epicentre crossing the Ninetyeast ridge. The great aftershock, with an epicentre located 185 kilometres to the SSW of the mainshock epicentre, ruptured bilaterally on a NNE–SSW fault. The complex faulting limits our resolution of the slip distribution. These great ruptures on a lattice of strike-slip faults that extend through the crust and a further 30–40 kilometres into the upper mantle represent large lithospheric deformation that may eventually lead to a localized boundary between the Indian and Australian plates.

2012年4月11日の地震がなんと4っつの入り組んだ断層破壊、しかも160秒も継続した破壊であったこと、さらにはその地震の2時間後の大余震発生という性状を地震波解析から明らかにした。本震の破壊は、最初に大きな20〜30mもの大きな右横ずれスリップでそれはWNW–ESE方向沿いえ、、その後、WNW–ESEの向きの地震が惹起され、それはまさに最初の地震とは直行方向をなしていた。こに地震の後に西方に向かうWNW–ESE横ずれ断層地震がおき、それは150kmほど断層の方位は一番目の地震とはずれていた。
結局、断層はもう一つのechelon WNW–ESE fault上で引き起こされ田。それは東経90度か慰霊の野西330kmのところであった。主震のSSW方向185kmの大きな余震はNNE–SSW faultであった。この複雑な断層運動によってすべり分布の私達の解像度が制限された。こうした大きなはさいは地殻を越えて30-40kmの深度にも及ぶんで、それはリゾスpヘイアの変形にも関わってくる。その結果インドオーストラリアプレート間尾狭隘にも関わっているだろう。
%%%%% 論文転載おわり
(つづく)
本ブログはいささか長くなりましたので、解説は次回、または次々回に致します。

第IIグループ天皇群の身元を洗う(1)、スマトラ沖地震(1)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:市街地の外の草薮で所在無げに地中の虫を突く二羽のカラス)
P鴉


 人間(ひと)さまの 様子を窺い 水を飲む 当地は鴉に 生きにくかろう

 当地もカラスによる残飯荒らしをふせぐため色々な手立てを講じています。それゆえか、カラス君度も、もっぱら藪で虫を突き、たまり水で渇きを癒しています。

+++++第IIグループ天皇の身元を洗う(1)
仁徳_雄略


 上記の図に見るように天皇系譜のIおよびIIグループには、いわば断絶があります。このことは下の表でも歴然としています。
dualV2


 しかし、日本書紀の編纂ではこのIグループの「とり」( この語源由来については http://j55.pw/RZwR を参照)を務めた清寧天皇は、Iグループの天皇群とは別の巻つまり書紀十五に収められ、グループIIの二人の天皇の「紀」と一括りにされています。

 それはさておき、その清寧天皇の二年にグループIIの天皇が登場します:
%%%%%日本書紀巻十五・清寧二年紀より
原文:
清寧天皇二年(辛酉四八一)春二月。天皇恨無子。乃遣大伴室屋大連於諸国。置白髪部舎人。白髪部膳夫。白髪部靫負。冀垂遺跡、令観於後。
同年冬十一月。依大嘗供奉之料。遣於播磨国司、山部連先祖伊与来目部小楯。於赤石郡縮見屯倉首忍海部造細目新室。見市辺押磐皇子子億計。弘計。畏敬兼抱。思奉為君。奉養甚謹。以私供給。便起柴宮、権奉安置。乗騨馳奏。天皇愕然驚歎。良以愴懐曰。懿哉。悦哉。天垂博愛。賜以両児。
同年同月。使小楯持節将左右舎人。至赤石奉迎。語在弘計天皇紀。
清寧天皇三年(壬戌四八二)春正月丙辰朔。小楯等奉億計。弘計。到摂津国。使臣・連、持節以王青蓋車迎入宮中。
同年夏四月辛卯【七日】。以億計王為皇太子。以弘計王為皇子。
同年秋七月。飯豊皇女於角刺宮、与夫初交。謂人曰。一知女道。又安可異。終不願交於男。〈 此曰有夫、未詳也。 〉

文意『岩波文庫「日本書紀(三)」98頁より:
清寧天皇二年(辛酉(かのととり)西暦四八一年(日本書紀編年による)春二月、天皇は子が無いことを辛く思った。大伴室屋大連を諸国に遣わし白髪部舎人、白髪部膳夫、白髪部靫負を置いて、後の世に残さんと願った(注:白髪とは清寧天皇の和風諡号「白髪武広国忍稚日本根子』に由来する」

 十一月、大嘗供奉之料に依って播磨国二つかわした司(みこともち)である山部連先祖伊与来目部小楯が、赤石郡縮見屯倉首忍海部造細目新室で市辺押磐皇子の子である億計、弘計を見つけた。畏敬の念を抱き、君として奉じたくおもった。奉養はなはだ謹見、私を供給する(つかえたということか:ブログ管理人注)。柴宮を起こしそこに仮に住まわせ、馬にてただちに天皇に上奏す。天皇、愕然とし驚き嘆き、彼らを愴(いた)み懐しんで言う「懿(うれしき)哉。悦(よろこばしき)哉。天は博愛をもたらしてくれた。かくして両(ふたりの)児を授けてくださった」

 同年同月『十一月』小楯を持ち節(しるし)をつけた将である左右舎人が赤石に迎えに行く。詳しくは、弘計(をけ)天皇紀で記す。

 翌年(西暦482年)春正月丙辰朔(ひのえたつ一日)小楯等は億計(おけ)、弘計(をけ)を奉じて摂津国に行く。使臣・連が節をもち王を青蓋車にて宮中に迎えいれる。

 同年夏四月辛卯【かねのとう、七日】億計(おけ)王を皇太子となす。弘計(をけ)王を皇子となす。

 同年秋七月。飯豊皇女と角刺宮においてまぐわう。人々は曰う「女の道を知る。とりわけ異な事ではない。今度は男と交わりたいと願った」と。〈 これは夫(おとこ、つまり男性愛好者)がいたということなのか?、詳しくはわからない。 〉
%%%%%
 こうして次の天皇である億計(おけ)王、弘計(をけ)王が日本書紀に登場します。このお二人の王の登場を古事記はもっとあっさりと記します。文脈を辿る上で必要と思い、日本書紀引用と同様に、清寧天皇の冒頭記事から転載します:
%%%%%古事記・記事
原文:
〔清寧天皇〕
白髮大倭根子命。坐伊波禮之甕栗宮。治天下也。 此天皇。無皇后。亦無御子。故御名代定白髮部。 故天皇崩後。無可治天下之王也。 於是。問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。

文意『岩波文庫〔古事記〕195頁
 白髮大倭根子命(しらにのおおやまとねこ)は伊波禮(いわれ)之甕栗(みかぐり)に陣屋を構えて天下をおさめた。この天皇には皇后が無く従って子がいない。そこで御名代として白髮部を定めた。天皇崩御の後、天下を治める王がいなくなったので、日々の治世のために市邊忍齒別王之妹である忍海郎女、又の名を飯豐王を暫定の王とした。この王は葛城忍海之高木角刺宮に陣屋を置いた。
%%%%%

 書いておきたいことが沢山ありますがそれらは次回に書きます。
(つづく)

+++++海溝巨大地震の海溝外側の地震
 2011年3月11日、東北日本はマグニチュード9.1の巨大地震に見舞われました。この地震が引き起こした巨大津波は二万余の人命を奪いました。、改めてこの地震津波で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。又未だなお二千余の方々の安否が定かでありません。ご家族の不安なお気持ちはいかばかりでしょうか。心からお見舞い申し上げます。

 この地震は、更なる深刻・悲惨な打撃を日本国民に与えました。それは東京電力福島第一原子力発電所の全電源停止事故による甚大な放射能汚染です。誠に不思議なことですが、事故後五年が経過しましたが、この甚大事故について政府関係者、東京電力関係者を含め誰もその深刻な責任を問われていないのです。つい先日、検察審査会での決議によってやっと東京電力幹部の刑事責任を問う裁判が始まることとなっています。

 さて、その大地震・大津波・原発事故は2011年3月11日の金曜日午後4時前後です。そして本年3月11日は、その金曜日です。改めて震災軽減、津波早期警報、そして原子力発電の停止に向けて私も出来ることの何がしかをしたいと思っています。

 一週間前の3月2日にスマトラ島の南西沖でM7.8の大地震が発生しています。
sumatra_eq


 スマトラ島の沖合いを南東から北西にかけて走るスンダ海溝に2004年12月26日、M9を越える巨大地震が発生し、25万余の人命が津波によって失われました。先般の地震はこのスンダ海溝を挟んでスマトラ島側ではなく、インド洋側で発生しました(上図参照)。
%%%%%インドネシア報道機関が伝えるニュース
スマトラ島沖合のインド洋でM7.8の地震
http://j55.pw/9xc6 
大きな被害や犠牲者の報告なし
現地時間3月2日午後7時49分頃、スマトラ島沖合のインド洋でマグニチュード(M)7.8の地震が発生した。震源は、西スマトラ州沖合に位置するシベルト島の南西約660km、深さは約24kmと推定される。
 なお、インドネシア国家防災庁(BNPB)によると、震源に近いムンタワイ諸島や西スマトラ州沿岸では、地震による大きな被害や犠牲者の報告は入っていないという。
横ずれ型の地震のため、大きな津波なし
 津波警報は、インド洋に面したスマトラ島の沿岸やオーストラリアの西岸に発令された。そのため、シベルト島など、ムンタワイ諸島の住民らは津波を警戒し、高台へと避難した。
その後、インドネシア気象庁(BMKG)は、今回の地震が横ずれ型の地震であったことから津波の規模が小さいと判断し、数時間後に津波警報を解除した。
 なお、オーストラリア気象局も同国に発令していた津波警報を解除した。
 西スマトラ州の州都パダンの住民によると、めまいが起きているような揺れが感じられたが、周囲の人から地震が起きていると知らされ、建物の外へと避難したという
%%%%%
同様はNHKネットニュースによっても以下のように報ぜられました: 
%%%%%インドネシア スマトラ島沖でM7.8の地震
3月2日 23時04分 NHK
インドネシアで2日、マグニチュード7.8の地震がありインドネシア政府は津波のおそれがあるとして警戒を呼びかけています。
 アメリカのUSGS=地質調査所によりますと、インドネシアで2日午後7時49分、日本時間の午後9時49分にスマトラ島パダンの西南西およそ800キロの沖合いを震源とするマグニチュード7.8の地震がありました。震源の深さは24キロと推定されています。インドネシアの国家災害対策庁は、津波のおそれがあるとして警戒を呼びかけています。
 ロイター通信は、インドネシアの国家災害対策庁が西スマトラ、北スマトラそして、アチェに津波のおそれがあるとして警戒を呼びかけていると伝えています。
 ハワイにある太平洋津波警報センターは「われわれの担当範囲ではないが、地震の規模からすると、比較的小さいかもしれないが、インドネシアの一部の地域では津波が来る可能性がある」と話しています。
気象庁 「横ずれ」地震か
 気象庁によるこれまでの解析によりますと、今回の地震は、海底の岩盤が横方向にずれる「横ずれ」といわれるタイプの地震と推定されるということです。「横ずれ」の地震は、岩盤が上下にずれ動くタイプの地震よりも大きな津波が起きにくいとされています。
 4年前の4月には今回の震源地より北側のスマトラ島西方沖でマグニチュード8.6の巨大地震が発生し、この時も「横ずれ」タイプの地震で、スマトラ島北部で観測された津波は高さ1メートル余りでした。
地元メディア 住民が高台に避難
 インドネシアの地元メディアによりますと、震源から近い、西スマトラ州の州都パダンでは、地震による被害は報告されていないものの、津波に備え、住民が高台など安全な場所に避難を始めているということです。また、インドネシアの首都ジャカルタにある、NHKのジャカルタ支局では揺れは感じられませんでした。
 スマトラ島中部のホテル従業員「1分以上揺れた」
 スマトラ島中部のパダンにあるホテルの従業員の男性は、「揺れは感じた。はっきりとはわからないが、1分以上揺れていたと思う。ただ、皿が落ちたり誰かがけがをするような被害はない」と話していました。
地元のホテル従業員「様子を見ている」
 スマトラ島の南西部のホテルで働く女性は「特に揺れを感じず、棚からも何も落ちていない。地元政府が津波に警戒するよう呼びかけているので様子を見ている。ホテルからはビーチがみえるが今のところ潮位はいつもと変わらない」と話していました。
スマトラ島南部のホテル従業員「揺れは感じなかった」
 震源に近いスマトラ島の南部にあるホテルの従業員はNHKの取材に対し、「ロビーにいるが特に揺れは感じなかった。周りにも特に被害はなく、ホテルは通常どおりに営業を続けている」と話していました。
現地日本人 被害の情報なし
 外務省の海外邦人安全課によりますとインドネシアには企業の駐在員などおよそ1万8000人の日本人がいるということですが、これまでに今回の地震による被害の情報は入っていないということです。
 首都ジャカルタの日本大使館やスマトラ島のメダンなど各地の総領事館では揺れは感じられなかったということですが、被害が出ていないか確認を進めています。
%%%%%NHKネットニュース終わり
又、オーストラリアのSydney Morning herald 紙も詳細な報道を http://j55.pw/68Xk でしています。

 私が、この地震に注目する理由は、今般の大地震が海溝の外側で起きているからです。2011年3月11日の東北日本巨大地震にあっても、その2年7ヵ月後の2013年10月26日に日本海溝から東200kmほど隔たった場所でM7.7の大地震が発生しています。
 地震学的常識からは海溝の外側では地震活動は活発ではないと考えられてきました。このいわば経験則が地下核実験検知の一つの判断材料でもあります。つまり地震の起きるはずの無いところで地震が起きれば、それは怪しいというわけです。

 ところが、スマトラ沖に関してはまさにそれは例外的です。海溝の海側でも地震活動が活発です。これが海溝での巨大地震発生を制御することがあるのだろうか?そうした視点から3月2日の地震を眺めることにします。

(つづく)

若建王治世の後、創造主の登場と科学雑誌(nature誌より)

(写真:昨年の秋に刈り取りを終えた稲の残骸が散乱する田んぼです。近日中にここも本年の稲作のために土が掘り返されるはずです。つかの間の土の温かい感触を楽しむが如く雉が散策しています)
P雉


 においたつ 土に誘われ 雉(きじ)歩く 今日は啓蟄 虫も顔を出す

 春の到来を日に日に感じます。見慣れた雑木林も、未だ緑が見えないけれども真冬のそれとは違って見えます。  
+++++若建王治世の後
 東北日本と九州・四国西半分を支配域とする倭国は倭武王の嫡男である若建『ワカタケル』が王と君臨しています。若建王が固有名詞であるのか、それとも倭武王の息子であるという王の系譜表現名詞であるのかは定かでありません。何故、このようなことを書くのか?理由を2004年11月19日記事(http://j55.pw/b6VF )で書きました。つまり熊本県玉名の江田船山古墳から出土した鉄剣に「刻」まれた銘に「ワカタケル」と読み取れる漢字が認められるからです。
 藤原不比等は熊本に拠する「ワカタケル」を知っていた節があります。それを記紀でも記載しています。ワカタケル王である雄略天皇が狩猟に出かけた際、自らとそっくりの貴人に出会ったという件です。2014年11月21日記事(http://j55.pw/MNLT ):
+++++雄略天皇と酷似した神
 雄略天皇が葛城山を狩猟していた際、天皇と酷似した姿かたちの集団に出会ったという説話を前々回紹介しました。
 しかし、記紀では天皇と神の出会いの経過が若干異なっています。古事記ではこう書きます:
「天皇は自らに似た存在を神とは思わず、弓矢をしかけます。双方で小競合いになった後、天皇が再度神に名を名乗れと言います。神は本来は「名乗れと言った方が先に名乗るべきところである」がと前段をつけ、自分が神であるといいます。」

 倭国古代史を構想する際に、この説話は欠かせない要素であった。だからこそ、記紀の両方でこれは[記事]に仕立て上げられます。登場者は天皇と神ですから、「二王」とは位置づけが異なっているのかもしれません。いずれにしても、なぜか藤原不比等はこの経緯がお気に召さなかったようです。そこで、日本書紀ではその部分を以下のように改定するのです:
 「天皇は自らに酷似した「存在」を神であるとすぐにわかった。そこで、神と共に野原での狩猟を楽しんだ。楽しいときをすごした後、神は天皇を宮邸に送っていった。」
 
 すでに書きましたが、記紀が語る多くのエピソードは不比等の政治的拠点である奈良盆地界隈の支配者層を、[読者]と想定してるのであろう、と以前書きました。その論拠としたのが「二王」問題でした。
隋皇帝は西暦600年に「二王はよろしくない。」と倭国使節に明確に指摘しました。そのことは、隋の正史である「隋書」に明記されています。古事記は、このことに触れません。それには理由があります。古事記の描く[倭史]は、推古女帝の記述で終えているからです。推古女帝に関する記事は、わずか35字のみの記載にとどまっています。

 しかし、日本書紀が語る倭国史がカバーする時間域は、この遣隋使の史実を含むことができます。しかし、[隋]を「唐」にすりかえるなどの「小細工」を弄してまで、[二王]を一言も触れません。理由は明らかです。遣隋使は九州にあった政権の事績だからです。
 日本書紀は、概して大陸の出来事をあまり語りません。従って、書紀編纂者は、九州政権にかかわる史実についてはまことに神経質です。編纂者が想定する読者(多分奈良盆地界隈に跋扈する支配者層)さえ知らなければ、何も好き好んで、「九州」にあった二王制には触れずに済ましたかったのです。しかし、記紀はあえてそれに触れている。

 「二王制」を、記紀が想定する読者達は伝聞、あるいは旅行などで知っていたからです。それを欠落させては「正史」足りえないからです。
 
 かくして、景行紀では、記紀の編纂者グループが九州の地にあって二王が存在することを認識していると公言します。しかし、それは田舎のローカルな場所での事であり、しかもそれは大昔であると記紀には書きます。

 しかし、倭国史編纂では「二王」の存在を無視できない事情があったようです。景行時代から時間の経過の中で「二王」を変質させることになります。思えば、記紀が語る倭国史では、兄弟が天皇位を継承する事例が多い。時には、それがうまく機能せず争いになったりします。雄略天皇の祖父である仁徳天皇には兄がいました。記紀は「兄弟が天王位の継承を譲り合った」と美談に仕立て上げます。前々書いた景行天皇にも大臼命、小臼命の二人の兄弟があり、兄が悪し様に書かれています。弟がその分、良い思いをしたのかというと、そうでもない。弟は西に東に戦闘に駆り立てられています。挙句の果てには、この弟は戦死し、天皇位は、この二人の異母弟が継いでいます。景行紀では、それは大昔のしかもローカルな支配制度であったと書いたにもかかわらず、実際は、それが連綿と継続している。

 そこで、不比等は現行の奈良盆地の支配機構にあっても[二王]に似た支配機構を継承してきたかのごとく装うことで、記紀の語る倭国史の整合性を取ろうとしたのではないかと考えています。

 そして、それが、おもわぬ副次的な利得となったのです。この[二王]を同時に位に付かせず、兄弟継承のように順次天皇位を襲うことで、一気に時間経過を二倍に膨らませるという妙案を得たのだろうと思います。

 天皇位継承についてはこうした話が頻繁に出現するので、古代学者は天皇の「末子継承」なぞと言い出したりします。が、私は、記紀の語る王制、兄弟天皇継承を上のように考えています。

 雄略紀になり、この「二王制」からの脱却を図ったのではなかろうかと思っています。雄略天皇の後も史書の整合性維持という要請からか、弘計、億計天皇のような対が登場します。しかし、「二王制」から「一人の天皇」と「一人の神」への転換を図ったのが上記説話ではなかろうかと考えています。
%%%%% 過去記事転載終わり

 私の編年によればそれは五世紀末から六世紀前半の41年間です。しかし、記紀はそのことをありのままには記述せず、中津国からの「共演者」をもぐりこませました。その結果、84年間もの長きにわたる「書類上」(つまり日本書紀の上で)の治世期間となります。この間、倭国の支配域であった東北日本と九州・四国西半分に挟まれた中津国(=大漢国)の政状をなぜか藤原不比等は自らの史書である記紀に書き込みません。そして、記紀はこの84年間は後継王の無かった清寧王の死去で持って終わらせます。
 
 次に誰を、言い換えればどのようなグループを書類の上で擁立するのか?不比等は仁徳天皇の嫡子系統にその候補者を求めます。それが忍歯王です。この王は黒比売の息子です。つまり藤原不比等の編纂する古代日本列島史にあっても、この黒比売は実に大きな役割を担わされているのです。
(つづく)
 
+++++The Creator『創造主』を評価した論文を掲載した科学誌
 著名な世界的科学雑誌 nature が、新興の科学雑誌 “PLOS ONE”誌に掲載された論文を巡って起きた議論を紹介しています。この雑誌は、従来の「真っ当な」科学雑誌とは編集方針が異なっています。ウイキペデャイによるPLOS ONE の説明です。
「PLOS ONE(プロス ワン;旧称 PLoS ONE)は、2006年からPublic Library of Science社より刊行されているオープンアクセスの査読つきの科学雑誌である[1]。科学と医学分野の一次研究論文を扱っている。プレ出版において内部および外部の査読を通過した原稿は科学分野での重要性・関連性が低くても除外されない。概ね方法論が間違っていなければ掲載され、採択率は70%程度とされている。掲載に際して著者は1350米ドルを支払う。PLOS ONE オンラインプラットフォームでは刊行後に利用者が議論や評価を行うことができる。
伝統的な査読付き学術雑誌とは異なったコンセプトに基づいている。一つは、掲載の可否を決める基準として論文の「認識された重要性」を採用していないという点である。つまりPLOS ONE は、実験とデータ分析が厳密に行われたかどうかだけ確認し、重要性の判断は、出版後に議論やコメントを通じて科学コミュニティが行うものとしてそれを任せている」
%%%%% PLOS ONE誌概要『英語版ウイキペディアより』
Each submission will be assessed by a member of the PLOS ONE Editorial Board before publication. This pre-publication peer review will concentrate on technical rather than subjective concerns and may involve discussion with other members of the Editorial Board and/or the solicitation of formal reports from independent referees. If published, papers will be made available for community-based open peer review involving online annotation, discussion, and rating.[16]
%%%%%

 さて、こうした独自の編集、出版姿勢を持つPLOS ONE誌が掲載した論文に関して議論が持ち上がりました。それは「真っ当と思われる科学雑誌」が創造主つまり「神」を科学的研究対象とした論文を掲載したからです。原論文が紹介されていないので、詳細はわかりませんが、かって科学界で大きな議論となったID(Intelligent design)、つまり現在の宇宙は「何か知性のある存在によって設計された」という主張です。いいかえれば「神」の存在を前提とした「科学論」です。この議論はカソリック教徒には強い共感をよびました。
 さて、今回、この種の議論を「科学風」に展開したのが中国の研究者達です。そしてこの議論に対して欧米の研究者は強い危惧を表明したようです:

%%%%%「人間の手は創造主によってデザインされた」と主張する論文についての論議
http://j55.pw/wNK6
Paper Claiming Human Hand Was "Designed by Creator" Sparks Concern
人間の手は「創造主によってデザインされた」ことを主張する論文が関心を集めている
Allegations of creationist research prompt new round of debate about peer review and the editing process at journals
創造論者の主張が論文査読および雑誌の編集過程についての議論を促している
By Daniel Cressey, Nature magazine on March 4, 2016

Was the human hand designed by a Creator? A paper in PLoS ONE seems to suggest it.
人間の手は創造主によってデザインされたのか? PLoS ONEに掲載の一論文はそう言いたいようだ。
PDArt/Wikimedia Commons
Researchers who wrote “design by the Creator” in a paper about the function of the human hand have triggered a debate over the quality of editing and peer review at the journal that published it—and ultimately retracted it.
人間の手の機能について議論した論文が創造主(神を暗意する)によるデザインと書いたことが、論文の質に関わる議論を巻き起こした。そして結局は個の論文は取り下げられた。

The paper by Cai-Hua Xiong of Huazhong University of Science and Technology in Wuhan, China, and his co-authors appeared in the journal PLoS ONE on January 5. But it came to prominence this week after its apparently creationist slant was flagged on Twitter, spawning the hashtags #Creatorgate and #HandofGod.
James McInerney, who works on computational molecular evolution at the University of Manchester, UK, started the ball rolling when he tweeted:
McInerney later provided a caveat, saying: “My original tweet was strong because creationism is a nuisance to me for 20+ years.”
Cai-Hua Xiong of Huazhong University of Science and Technology in Wuhan(武漢), China, and his co-authorsによる論文が5日発行のjournal PLoS ONEに掲載された。しかし、そのどうやら創造説に傾いた論調がTwitterでフラグが付けられ、今週目立つようになった。例えば、#Creatorgate and #HandofGodである。
James McInerney, who works on computational molecular evolution at the University of Manchester, UK,はそれについてツイートしその考察を始めた。McInerneyは後に、警告を発して 言った: 創造説は、20年以上にわたって私には不快であるので、私の最初のツイートも強い調子ものであった、と。

The paper's authors asked volunteers to perform a variety of tasks with their hands, and the researchers concluded that “our study can improve the understanding of the human hand and confirm that the mechanical architecture is the proper design by the Creator for dexterous performance of numerous functions following the evolutionary remodeling of the ancestral hand for millions of years”. It also includes the sentence, “Hand coordination should indicate the mystery of the Creator’s invention”.
When contacted by Nature, Xiong said that he was discussing the issues raised with his co-authors and would respond as soon as possible. He added, “Indeed, we are not native speakers of English, and entirely lost the connotations of some words such as ‘Creator’. I am so sorry for that.”
 論文の著者たちは志しある人たちが自らの手で持って多様な課題をなすよう求め、研究者達は”その研究が人の手についての理解を改め、その機械的仕組みが創造主による適切なデザインであることを確認することであると結論した。そのデザインたるや多くの機能の巧みな統合であり、それは何百万年にわたる祖先の手の進化論的改良をフォロウするものである、と。それは以下の一文を含んでいる。すなわち“手の機能統合は創造主の知恵に関する謎でもある”、と。
Nature 誌の質問に答えてXiong は同僚と提起された諸課題について議論し出来るだけ早くお答えするといった。“実際、我々はnative speakers of Englishではないので、‘Creator’のような幾つかの重要な言葉についてその意味を完全には知っていない”と、付け加えた。

Other commenters expressed amazement that the paper had made it past peer review, and jokingly added that it should haveincluded a citation to an appropriate deity.
“There’s nothing wrong with the data that I can see, but the authors do make a surprising leap in the abstract and conclusion,” wrote biologist P. Z. Myers on his popular atheism and science blog Pharyngula.
 他のコメントはその論文が以前に査読をなされていたことへの驚きを表明し、その論文がしかるべき神への言及を含むべきであったと冗談交じりに付け加えた。“私が見る限りではデータに問題は無い。しかし著者たちは結論とその概要をまとめる作業で驚くべき飛躍をしている“と、biologist P. Z. Myers on his popular atheism and science blog Pharyngulaは書く。

QUALITY CONTROL
質の維持
Others used the paper to discuss broader issues of journal quality, many responding to McInernery’s ‘joke’ comment about PLoS ONE. Some argued that it showed the importance and growing role of post-publication peer review, whereas others continued to criticize or defend the actions of the publisher.
In online comments under the paper, various people who referred to themselves as PLOS editors expressed dismay that the paper had been published and threatened action, including resignations, if it was not retracted. Others said that the paper showed that peer-review standards at the journal were too low. (PLoS ONE accepts papers if reviewers find the science technically sound; it does not review for a paper’s importance or impact).
Enrico Petretto, a genomics researcher at Imperial College London, wrote: “This is outrageous. IfPLOS ONE does not do something about it, i.e., ask the authors to retract the paper, and in any case, if the paper isn’t retracted, my students, collaborators and I will have no choice but to refrain from considering (i.e., reading, reviewing and citing) papers published in PLOS ONE.”
 他のコメント者たちは雑誌の質についてのより広範な議論をするためにその論文を取り上げた。おおくはMcInernery’sの冗談交じりのPLoS ONEへのコメントに応えたものである。あるものは論文発表後の論文レビュの大事さと増大する役割である。一方、あるものは出版社の行為を批判ないしは擁護するものであった。
論文に付されたオンラインコメントのなかで、PLOS editorsは論文の掲載以後の編集者の辞職をふくむアクション等の危惧に晒されるとの困惑が表明された。ある者は、その論文では査読基準が極めて低かったことを示しているという(PLoS ONEは査読者が科学的技術的にしかるべきと判断すれば論文は受理される;論文の重要性やインパクトについては考慮しない)
Enrico Petretto, a genomics researcher at Imperial College Londonは“これはとんでもないことだ。PLOS ONE誌が何もしないのであれば、つまり著者たちに取り下げを求めないのであれば、私の生徒たち同僚はPLOS ONEに掲載された論文を読まないことになる”と。
But others defended PLOS, pointing out other high-profile papers that had been published after peer review and had since been found to be problematic, including ‘arsenic life’ in Science and ‘the memory of water’ in Nature.
Marc Robinson-Rechavi, an evolutionary biologist at the University of Lausanne in Switzerland, responded to McInernery’s tweet by saying “calling a journal which tries to publish honest reproducible science without concern for “impact” a joke is unjustified”.
 しかし、ある評者はPLOSを擁護して以下を指摘する“査読後に出版して問題がみつっかた論文が有名雑誌にもある。例えばScience ‘arsenic life’ であり and Nature ‘the memory of water’ だ。Marc Robinson-Rechavi, an evolutionary biologist at the University of Lausanne in SwitzerlandはMcInernery’sのツイートに応えて”インパクトと言った冗談への関心ではなく、再現可能で正直な科学の出版を雑誌には求めたい“と言う。

He told Nature “I do agree with more or less everyone that it is inappropriate to mention the creator with a capital C in the paper.”
But, says Robinson-Rechavi, who is an academic editor at PLoS ONE, journals that publish many papers inevitably make mistakes: “no human process is error free”. What matters now is howPLOS responds to this error, he says.
After the social-media storm, PLOS issued an initial statement to the media saying “PLOS has just been made aware of this issue and we are looking into it in depth. Our internal editors are reviewing the manuscript and will decide what course of action to take. The PLOS publishing team is also assessing its processes.”
 彼はNature誌に“論文中で大文字のCで書くthe creatorに言及することは適切ではないとの意見には大なり小なり賛同する”と言った。しかし、Robinson-Rechavi, who is an academic editor at PLoS ONE,は“論文とは間違いが避けられない”と言う。問題はPLOS がこの誤りにどう対応するかと言うことだ、と彼は言う。
 社会的な反響の後、PLOSはメディアに最初の声明を発した:曰く“PLOSはこの課題について認識しており、現在問題を精査している。我々の内部の編集担当は草稿を注意深く読みどのような行動を取るべきかを決めることになるだろう。PLOS出版チームも自らのプロセスを精査している。

Later, on March 2, the journal added an online statement to the paper: “A number of readers have concerns about sentences in the article that make references to a ‘Creator’. The PLOS ONE editors apologize that this language was not addressed internally or by the Academic Editor during the evaluation of the manuscript. We are looking into the concerns raised about the article with priority and will take steps to correct the published record.”
 3月2日に発行者はオンラインでその論文に声明を加えた:“何人かの読者がa ‘Creator’&を引用する論文の中の文章に関心を払っている。PLOS ONE編集部はこの言葉が内的に向けられたのではなく、あるいは草稿の評価の中でAcademic Editorによってむけられたのでもないことについてお詫びする。我々は優先権を持つこの論文について指摘される関心に目を向けている。そして出版過程記録を正すために一歩すすめるだろうう”と。

Andrew David Thaler, a marine scientist and blogger at Southern Fried Science, took a different tack:
On 3 March, the journal added in a further online statement that it would be retracting the article: "We have completed an evaluation of the history of the submission and received advice from two experts in our editorial board. Our internal review and the advice we have received have confirmed the concerns about the article and revealed that the peer review process did not adequately evaluate several aspects of the work.
In light of the concerns identified, the PLOS ONE editors have decided to retract the article, the retraction is being processed and will be posted as soon as possible. We apologize for the errors and oversight leading to the publication of this paper."
This article is reproduced with permission and was first published on March 3, 2016.
 Andrew David Thaler, a marine scientist and blogger at Southern Fried Scienceは異なる指針をとる: 3月3日、ジャーナルは、さらに その論文の撤回という オンラインの声明 を追加した。 我々は論文提出経過に関する評価を終えた。そして編集委員会の二名の外部専門家からの助言を受け取った。我々の内部レビューと受け取った助言は論文についての関心を確認、査読プロセスがその仕事についての適切に正しく評価しなかったことを明るみに出した。
 識別された懸念を踏まえて、 PLOS ONE 編集者は論文を撤回することを決定し、それが現在進行中である、出来る限りそれを掲載するであろう。我々は、この論文の出版につながる誤りと管理についてお詫びする。

天皇系譜・仁徳後の第競哀襦璽廖△靴燭燭な安倍政権

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:夜明け前の東の空にうかぶ二十三夜の月)
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 木の枝に 掛かりて身動き 出来ぬのか 今日の月は 二十と三日月

 夜明け前、東の空に二十三日月が輝いていました。時間の進行に従い、太陽の明るさには勝てず、己が姿は目立たなくなります。更には日毎にその西側(右側)が徐々にやせ細り四日後には、一旦姿を消します。しかし、即、新月として天空に再登場します。この現象の注意深い観察から古代人は「時」と言う抽象的概念の獲得に達した。その背後にそれを操る「クロノス」神にまでなぜか思いを馳せたのが古代ギリシャ人です。脳の思考・構想力の不思議さを思います。

 「読み切りノンフィクション ああ、灘高 日本で一番勉強ができた子たちの「その後」大人になって思う、僕たちは変人なのだろうか」
なる記事とネットで出会いました(http://j55.pw/R95g )。この記事は大変長いのでここに転載しません。とある巨大掲示板(http://j55.pw/2vd3 )にこの記事が紹介されました。するとそれに沢山のコメントが付されました。関心ある方は上記掲示板をご覧になることを勧めます。

 私は、この十年ほど安倍晋三氏を折に触れて書いてきました。とりわけ昨今の傍若無人、人をヒトと思わぬがゆえに無人の荒野を行くが如き独裁者然とした振る舞いを見せ付けられてきました。どうしてこうなったのか?それを理解したいと思ってきました。そこには「たかが三流大学・成蹊大学出の無能」と思い込んできた安倍氏が完全に自民党と報道界を押さえ込んでしまっている現実があるからです。
 当初は、岸信介氏、佐藤栄作氏から「金」(かね)では換えられない強力な人脈を引継ぎ、それが支えているのだろうと想像しました。実際、この二人が日本の闇を支配する「右翼」勢力と持ちつ持たれつの強固な関係をきづいていたことはよく知られています。

 しかし、昨今の国会での『巧みな(言い換えれば強引な)論点そらし、誰はばかることの無い虚言、強弁』を見聞するにつけ、どうやら只者ではなさそうであると思い始めています。上記の「ノンフィクション」が書く「頭のよいエリート」では御し切れないすごさを見る思いがするのです。上で紹介した『灘高」議論がなんとも現実に進行する政治の退化とかみ合ってきません。日本の左翼陣営は心して安倍氏への戦(いくさ)を仕掛けるべきではなかろうかと思っています。その一つのヒントが下記youtube (https://youtu.be/dIXmkWpZlU4?t=5 ) に 登場する山尾議員です。こうした真っ向からの論戦こそが安倍氏の欺瞞を打破する、その意味では正攻法の戦いしか、このしたたかな安倍氏をたじろがせる戦略はないと思えてきます。

 そして、その反安倍政策の矛先をそらすような今般の「辺野古移転」問題に関する「和解」への転換です。どうやら心して対峙すべきです。口先だけの「お涙頂戴風」議論、あるいは「旧態然としたステレオタイプの論戦」ではなく、有能な論客を国民は求めているのです。


+++++天皇系譜・第競哀襦璽
仁徳_雄略


  記紀による天皇系譜の最大の見所、言葉を変えれば「要」は仁徳天皇です。この要からまずは二つの天皇グループが作られます。そして、もう一つが近日中に考察する継体天皇のグループです。藤原不比等が倭国史編纂作業に当たって尤も苦心したのが個の継体天皇の「創生」であったからです。
 今回はその前段です。上図のIのグループは六名の天皇から構成されますが、その全天皇在位期間は西暦400年から484年つまり84年間にわたります。そしてその半分に当たる41年を允恭天皇が占めたと日本書紀は書きます。
 Iグループで、実際にその存在が「物証」によって確認されているのは若建王『ワカタケル』のみです。ということは、この人物が日本列島の「倭国」支配域にあって『王』として君臨した。その期間が40~42年間であった、と私は考えています。
しかし、倭国編纂に携わる藤原不比等にしてみれば、その歴史に讃王、珍王に由来する「大漢国=中津国」の存在を書き込むことは出来ません。そこで、上記図に見るように系譜に中津国出自の人間を潜り込ませたのです。
この倭国史編纂時には、隋書倭国伝が伝える日本列島の「二王」の存在を考慮せねばならなかったのです。そこで、史書の「捏造」批判へのいわば「言い訳」として在位年数を42年から二倍の84年にして、いざと言う場合の批判に応えるという意図があったと思っています。

 こうして、実際の年数経過は42年であったにもかかわらず、それを84年に膨らませたために全体の時系列操作にも余裕が出来たのです。卑弥呼の時代から8世紀初頭までに色々な埋め草を用意せねばならないはずのところが、それが半分だけ用意することで済んでしまうからです。

 そして、それがIグループの治世をきっちりと42年で閉じさせるために、清寧天皇には世継ぎが出来なかったことにしてしまいます。かくして第二のグループの出現の正当性をここで主張することになります。

 既に書いたようにこのグループの治世期間は上図に見るように20年余です。そしてその半分が仁賢天皇によって担われたと日本書紀は書きます『下表参照)。グループIの構成に関して私がなした議論の正しさが見事に裏付けられています。そしてこのグループを締めくくる武烈天皇には、「因果を含めて」、暴君のレッテルを張り後継者が絶えたことを書きます。

 『表 天皇在位期間に関する法則、現在の議論二照らしてみると仁賢天皇の在位期間10.6年は顕宗天皇のの2.3年と武烈天皇の8年をあわせた10.3年にほぼ等しい』
dualV2


 さて、グループIで論議した共通事項が、このグループIIでも見られるはずです。それは、この三名の天皇のうちの少なくも一人が実在したということです。それは大陸正史を参照することから確認できます。そのことを議論する前にグループIIの天皇の系譜をお浚いしておきたいと思います。

 第IIグループは仁徳天皇の長男『履中天皇』と黒姫の間に生まれた嫡子『忍歯王』に端を発しています。既に書きましたが履中天皇の母は倭国の東王権に生まれた石之日売です。そして、履中天皇の妃である黒比売の父は葦田宿禰です。「葦(あし)」は「忍『おし』」と同根です。既に書いたように「オシ」は古代ペルシア語に由来すると考えるとその筋道が見えてきます。大事な点ですので過去の議論を再掲しておきます。
2016年1月13日記事 (http://j55.pw/hU7g )
%%%%%1月13日記事再掲
さらに幾つか気づくことを上げておきます。黒媛が生んだ三柱のお一人は忍歯王〔おしは〕です。

 どうやら、この「忍」も色々と「わけあり」のようです。短絡的に連想することは、江戸時代に埼玉県北部から群馬県に拠した「忍藩」(おし)です。その居城は現在の行田です。行田といえば、稲荷山古墳です。その古墳から出土したのが銘が刻まれた鉄剣です。そこには「ワカタケル」と読める漢字が浮き出ていました。そのワカタケルなる人名が上掲の系図で「長谷・若建命」(ワカタケル)として登場しています。何たる符号の一致と感動のきわみであります。

 しかし、ウイキで見る限り「忍」(おし)が、行田近辺で古くから言い伝えられたとの歴史記述はありません。この地に起こったのが成田氏の側近としての阿部氏です。この阿部氏は幕末の開国を決断した安倍正弘老中の初代宗主です。「アベ」は古代中東域で「火、または輝くもの」をいいあらわす「アピ」であり、それはアイヌ語の「アペ」に由来します。どうやら、行田で覇をなした阿部一族は列島土着あるいは渡来族の血を惹いているのではと思わせます。尚、ここで書いた「阿部一族」は森鴎外の歴史小説とは関係ありません。

 そこで、再び「忍」〔おし〕論です。私は、この後に考察する飯豊姫ゆかりの地である〔忍海〕に由来すると考えています。思えば、景行天皇の和名〔和風諡号とも言います〕にはこの「オシ」が付されています:古事記は「大帶日子淤斯呂和氣天皇」(おおたらしひこおしろわけ)、そして日本書紀は大足彦忍代別天皇です。

 再度、ペルシア語辞典の頁(「現代ペルシア語辞典」黒柳恒男、大学書林、「現代」とありますが、言葉によっては「古」を付して、それが古語であることを示してくれています)をめくってみました。
 なんと“ashras”(ラテン文字表記)と言う古語がありそれは「勇敢な」と言う意味なのです。既に書きましたが、景行天皇の和名とされる「大足彦」はそのまま隋書倭国伝に記載される倭王のお名前「王多利思比孤」です。記紀ではそれに更に「勇敢な」なる形容詞を付していたことになります。

 そして、黒比売は自らが生んだ長男が「勇敢」であることを願って「忍」〔おし〕なる「音」〔音〕を付したのではなかろうかと想像しています。そうなると、間違いなくこの嫡男は渡来族の血をひく、日本列島にあっては東北の人間であったということが出来ます。ことの序に付記するならば、黒比売の父親とされる「葦田宿禰」の「葦〕〔あし〕はそもそも「オシ」であったのだろうと思っています。藤原不比等の思惑からそれを「葦」に替えて父ー娘―息子に流れる一族の背景を隠蔽したのではなかろうかと思っています。
%%%%%記事再掲終わり

(つづく)

仁徳系図、世界の富独占者

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(写真:昨日朝の雪にはビックリさせられました)
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 白雪に 春は名のみの この寒さ されど畦には 散歩人沸く

 三月になり、日の出時間も朝六時には既に明るくなりました。まだ寒いのですが当地の散歩銀座にも人が湧き出てきました。

+++++系図作成にもぐりこむ中津国
 藤原不比等は系図の作成にあたり「中津国」の正当性を確保すべく、「中」を付した人間をもぐりこませます。登場させらる『中」を付された人物たちが中津国『=大漢国』で支配層を構成していたのか否かは現時点ではたしかめようがありません。理由の一つを2014年5月2日のブログ記事(http://j55.pw/49TR )で以下を書きました。つまり藤原不比等の倭国史編纂過程でなされた焚書です。
%%%%%2014年5月2日記事再掲
設定した仮説にそぐわないときは日本書紀の記事を排除し、整合するときはそれを援用する。誠に恣意的であると言われても仕方ありません。しかし、これは倭国の古代史を調べる際に必ずや直面する問題です。なにせ、この時代を知るための文献は、日本書紀、古事記しかありません。それ以外には、当時存在したと思われる、「天皇記」、「国記」は抹殺されているからです。その事は、続日本紀がおおっぴらに記しています。まさに古代倭国で為された「焚書坑儒」です。
 以下は2012年9月14日記事からの抜粋です:
%%%%%続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一日)武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も獄につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
%%%%%抜粋おわり
 古事記三巻が天皇の献上されたのが西暦712年です。そして、日本書紀は、これに遅れること八年後の西暦720年に奏上されます。続日本紀巻八は以下を書きます:
養老四年(七二〇)五月癸酉【廿一日】太政官奏。(略)先是。一品舍人親王奉勅。修日本紀。至是功成奏上。紀卅巻、系図一巻。

 どちらも、古来あった文書を廃棄した後に完成させているのです。どの部分が正しい事実に基づいた記述であるのか?どれがそれらと異なるのか?何人も比較検討できないのです。とすれば、倭国史編纂を中心的に担った藤原不比等が、自己の「史観」に基づいて歴史事実をいじくり回したであろう事を疑うのは論理的なのです。
 天才不比等といえども、「弄繰(いじくり)り回す作業」にあって、すべての事実を無からひねり出して歴史を「fabricate」することは馬鹿げていると考えたはずです。とすれば、大まかな筋書き(Scenario)を組み立て、そこに過去の文書に記載されている事実を当てはめる、あるいは、事実の時間順序を組み替えるなどが為されたに違いありません。
%%%%%記事再掲終わり
 
上記の記事を書いた際には、未だ藤原不比等の倭国史編纂過程のカラクリには気づいておらず、何がしかの理由から天皇在位を二倍に膨らませ、その出発を履中天皇に帰しているとのみ認識していました。

 それは、さておき、わが日本列島の支配者が過去の記録を償却などして後世に自らの汚点を、知らしめないようにすることは、八世紀には既に始まったいわば伝統芸であることがわかります。ここには、自らの失敗を後世に残すことでそれを教訓として治世に生かすという発想はありません。ひたすら自らの「無謬」性のみにこだわるのです。私自身もかっては国民の皆様の税金を頂いて口に糊していた時期があります。そこでなされる上部機関からなされる「行政指導」はまさに「継承者に汚物を渡すな。」というものでありました。その伝統は現時点においては、政治の世界にあっても、政治勢力の左右を問わずきっちりと貫かれています。

 これを思うと、それでは欧米ではどうなのかと言うことが知りたくなります。少なくも機密保護法のようなものに基づいた永遠に機密が一部上層部によって保持されるという発想は無いようです。つまり、私がかねがね劣等感を抱く白人には「時間」への思いいれ、つまり孫・子の世代に有用な現時点での体験を出来るだけ正確に遺すという発想があるようです。『社会』と言うものを長い目で見ているのかもしれません。日本列島に住む人々にはそれが出来なかった。そうとすればそれはなぜか?

 話が、飛んでしまいました。次回は顕崇天皇に始まるグループの考察に入ります。

(つづく)

 +++++世界の大金持ち
 以下の記事は、大方の人たちが漠然と感じているであろう「世の不公平感」の代弁です。従って、殊更コメントを付さずに転載いたします:

%%%%%ネット週刊誌記事転載
「たった62人」の大富豪が全世界の半分の富を持つ
〜あまりにも異常な世界の現実


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47989 

ピケティ、クルーグマンも警告
大富豪が巨万の富を握り、庶民は重労働と薄給にあえぐ。そんな100年前の世界に、私たちは逆戻りしている。富める者はますます富み、一度落ちれば這い上がれない。これでいいわけがない。
ユニクロ柳井社長もその一人
もし、日本国民の半数が持っている資産と同じ額を、たったひとりが独占しているとしたら—多くの人は「いくら何でも、それはおかしい」と思うだろう。
実際には、日本でこのようなことは起きていないが、スケールを地球全体に広げてみると、あながち絵空事でもない。
世界経済に不穏な影が差し始めた今、国際貧困支援NGO「オックスファム」の報告が、各国に衝撃を与えている。
「世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」
大ざっぱに言えば、1台の大型バスに収まる程度の金持ちが、世界の人口の半数を養える額、約180兆円を持っているということ。気の遠くなるような話だ。
現在、世界の総資産額ランキングのトップは、マイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏の約9兆1000億円。以下、メキシコの通信王カルロス・スリム氏の8兆9000億円、投資家ウォーレン・バフェット氏の8兆3000億円……という具合に続く。
日本のトップであるファーストリテイリング・柳井正社長は、資産総額約2兆3000億円で第41位と、日本人ではただひとり、この「金持ちバス」の乗客名簿に名を連ねる。
上位10人の中には、米財閥一族のコーク兄弟や、ウォルマート創業家のウォルトン一家のように、家族・親族で複数ランクインしている金持ちもいる。まさに彼らは、生まれながらの「世界の支配階級」たちだ。
「この10年、世界中で金持ちと庶民の格差が広がり続けています。特に米国は経営者の年俸がうなぎ上りで、以前は100万ドル(約1億1500万円)もらっていた人物が、今は1000万ドルもらっているというケースも珍しくありません。
でも、いくら会社が儲かっていたとしても、社長の給料が10倍なんて、何を根拠に決めているんでしょう。説明がつかないと思いませんか」
こう肩をすくめるのは、'14年、著書『21世紀の資本』が日本を含め世界中でベストセラーとなった、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏である。ピケティ氏は、同書の中で「資本主義社会では、長い目で見ると、格差がどんどん広がってゆく」「20世紀は、戦争などの影響でたまたま格差が小さくなっただけ」と、科学的裏付けをもとに主張し、大反響を呼んだ。
「彼らのような大富豪の資産は、世襲による相続分や、金融資産もかなりの部分を占めています。
ビル・ゲイツ氏やアップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏のように、一般家庭に生まれ、何か新しいものを生み出して一代で大金持ちになった人は、まだいいでしょう。
例えば世界2位のスリム氏は携帯電話を作っているわけではなく、国営電話セクターの民営化で巨万の富を得た人物です。また、ヨーロッパ屈指の大金持ちであるフランスのリリアンヌ・ベタンクールは、化粧品会社『ロレアル』創業者の娘というだけで、経営者としての実績はまったくありません。こんな状況は、あまりにも不公平だと思います」(前出・ピケティ氏)
ビル・ゲイツだけで1億人分
ゲイツ氏ら世界のトップ中のトップが持つ資産額は、ギリシャやデンマークの国家予算にも匹敵する。夏には貸出料が週5億円のクルーザーに乗り、家族とバカンスを楽しむゲイツ氏は、現在軽井沢に要塞のような「別荘」を建設している。
また、総資産2兆6000億円を誇る世界34位の富豪・サウジアラビアのアルワリード・ビン・タラール王子は、一機あたり400億円の最新鋭旅客機・エアバスA380の内部を一流ホテルのように改装し、プライベート・ジェットとして使っている。
さらに東京・渋谷にある柳井氏の自宅は、周囲に高さ4m近い塀がぐるりと巡らされ、中にはテニスコートもあるという、まさに「城」だ。
彼ら大富豪が、スーパーで買い物でもするような感覚で数千万円、数億円を使える一方で、世界には1日100円足らずの生活費で暮らす極貧層が約12億人、200円以下で暮らす人がおよそ30億人いる。全人類の半分近くは、雀の涙のような収入で何とか糊口をしのいでいるのだ。
ゲイツ氏の全財産を使えば、単純計算で日本国民よりも多い、1億3000万人の貧困層を1年間養うことができる。だからといって、当然ながら、彼の命に貧しい人々の1億倍の価値があるわけではない。それに、ゲイツ氏に普通のサラリーマンの何百万倍も能力があるとは考えづらい。
これからの「正義」の話をしよう
はたして、一人の人物が億単位の人を養えるほどの大金を手にすることに、妥当性はあるのか。著書『これからの「正義」の話をしよう』がベストセラーになった、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が言う。
「普通に考えれば、数千億円、数兆円という富を一人の大富豪が独占することには、意味がありません。到底使い切れないですからね。せいぜい数十億円もあれば、一人の人間が満足できないということはないはずです」
'10年に来日して東京大学で授業を行った際、サンデル氏は学生に「イチロー選手の年俸はオバマ大統領の年俸の42倍(当時)だが、これは妥当か否か」という問いを出し、大激論となった。
影響力や責任の重さを考えれば、オバマ大統領の年俸はイチローより高くてもおかしくないだろう。しかし実際には、人は必ずしも世の中への貢献に見合った報酬がもらえるわけではないし、生まれた瞬間に莫大な資産を相続する者もいる。大企業の創業者ともなれば、自分の報酬額を自分で決めることさえできる。
日本もすでに超格差社会
その一方で、働けど働けど貧しいままの人は、世界中に数知れない。
「『カネを持っている』ということが、『休暇のあいだに贅沢をしたり、豪華なヨットや自家用飛行機を持つ権利がある』ということだけを意味するのであれば、あまり大した問題ではないでしょう。
でも実際には、高度な教育、手厚い医療、安全な暮らしといったものも、金持ちほど手に入れやすいわけです。政治権力への影響力もカネ次第です。事実、大富豪がやると決めた戦争で、今も庶民や貧困層が死んでいる」(前出・サンデル氏)
サンデル氏が教えるハーバード大学でも、学生の親の平均年収は約5000万円。金持ちの子は最高の教育を受けてエリートになり、ますます富と権力を得る。貧乏人の一族は、何代経っても貧乏なまま。今や、それが米国の常識だ。
金持ちと貧乏人の格差が、日に日に大きくなってゆく。すでに日本も、そんな「超格差社会」へ突入していると、前出のピケティ氏は警告する。
「日本の場合、少子化で人口が減っていることが大問題です。子供の数が少ないということは、これからは相続のとき、一人の子供に多額の資産が集中するということ。当然ながら、金持ち一族に生まれた子と、庶民の家に生まれた子では圧倒的な差が出てきてしまう。
出生率を上げない限り、日本国内の格差は今後、広がり続けます」
日本では今、上位1%の富裕層が、国富のおよそ1割を持つようになった。豊かな「1億総中流社会」が終わりつつあることは、国民も気づいている。何かと外国人を非難したり、かと思えば「日本はやっぱりすごい」と自画自賛したりする近年の風潮にも、もうすぐ「繁栄の終わり」がやってくるという心細さがかかわっているのだろう。
不安を紛らわそうとするように、日本政府は「トリクルダウン(富の浸透)が起きるから、心配はいらない」と連呼してきた。グラスタワーのてっぺんに注がれたシャンパンは、グラスのふちから溢れ出し、やがて最下層まで流れ落ちる。同じように、大企業が潤えばカネは末端まで行きわたり、庶民も豊かになる、と。
だが、アベノミクスの主唱者の一人、元経済財政担当相の竹中平蔵氏が、この年明けに突如「トリクルダウンはない」と発言。安倍総理以下、政権幹部もトリクルダウンを否定するようになり、国民を唖然とさせた。
ノーベル経済学賞受賞者の、ポール・クルーグマン氏が解説する。
「トリクルダウン説を支持する保守派の政治家や学者は、『富裕層の税金を軽くして、貧困層への福祉は削るべきだ』『さもないと、富裕層は働くのがバカバカしくなり、経済全体の成長が妨げられる』と主張してきました。
しかし、時が経つにつれて、トリクルダウンなど起きないということが次第に明らかになってきています。かくなる上は、高額所得者に重税を課し、その税収を貧困層支援に回すしか手はありません」
例えば、今春から所得の低い65歳以上の高齢者に配られる「臨時福祉給付金」は、予算額およそ3600億円。これで1250万人に一律3万円を支給できるというのだから、柳井氏が持つ2兆3000億円のうち、何分の1かだけでも召し上げて国民のために使うことができたなら、救われる人もいそうなものだ。
カネを転がすだけの人たち
とはいえ、相続で億万長者になった富豪ならまだしも、柳井氏のように、自らの才覚で富を築いた人物からウン千億円も巻き上げるのは、少し理不尽な気もする。日本の格差研究の第一人者で、京都大学名誉教授の橘木俊詔氏が指摘する。
「私は、自力で成功した経営者は世の中に貢献しているから、たくさんもらう資格があると思います。彼らは大きな会社を作り、何万人という雇用を生んでいますからね。
ただ、日本では所得税の最高税率が下がり続けています。30年前は最高で70%取られていたのが、今は45%。金持ちが税金を払うことを嫌がり、政府も彼らの言い分を認めているのです。
海外の富豪のように寄付をするなど、儲けた分だけ社会に還元するという文化が根付いていないことが、日本の金持ちの最大の問題点でしょう」
いつからか、日本人の間でも常識となった「自己責任」という考え方。これはつまり、「オレが手に入れたカネは、オレの才能のおかげだから、独占して当然だ」という論理の裏返しである。
しかし、どんな億万長者も、その事業にカネを払ってくれる庶民がいるから暮らしてゆける。それに、汗水流して働かず、他人のカネを転がして大金を得ているような人々は、本当に世の中を豊かにしていると言えるのか。格差・貧困研究が専門で、昨年度のノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートン氏も言う。
「大富豪といえども、全員が自分の力だけで地位を築いたわけでは決してありません。たまたま金持ちの家に生まれた人もいる。単に運がよかっただけの人もいる。逆に、彼らに劣らぬ才能を持っていたのに、環境やチャンスに恵まれなかったために、消えていった人もたくさんいます。
このまま格差が拡大し続け、すでに地位を得た富裕層だけが世の中のルールを作るようになるのは、非常に危険です」
ごく少数の人々が、圧倒的な富と力を独占している——世界を覆うテロの恐怖も、そんな庶民の怒りが形を変えて噴出したものだとも言える。
少なくとも、この「異常な社会」がまだまだ続くことは、目の背けようのない事実である。
%%%%%転載終わり

多元宇宙(2、nature誌)、MFLを聴く

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
 本年も早や残すところ十ヶ月のみです。あっと言う間に一年が経ってしまいそうです。
〔写真: 考古学者・松木武彦氏が語る「音楽の性による線引き」、東京新聞2月24日付け記事より。記事の上をクリックすると拡大され読み易くなります〕
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ハイドンと メンデルスゾーン 聴きました 府中の杜(もり)の 晩冬のゆうべ

 民間のオーケストラ、MFL,で木管楽器を受け持つ知人に誘われ、「ロンドン」と「スコットランド」を聴いてきました。上掲の松木氏の記事が記憶にあったので、この音楽はどちらの「性」に線引きされるのかな、なぞと考えました。
 演奏会聴衆に配布されたビラに指揮者の思いが書かれています。このオーケストラの問題意識が伝わってきたのでそのままそれを転載しておきます:
 『ハイドンの交響曲は全体の調和や音の強弱を意識しやすい面がありMFLで取り組むたびにアンサンブルの勉強になるなと感じています。譜面上のスッタカート、スラー強弱記号などについても当時の音に忠実でありたいと願いつつ演奏したいと思います』
と。
 なるほど!と思いました。現代人の思い込みに彩られた一人よがりの解釈ではなく、作曲者の思い描いていた音を再現してみたいとの思いに好感を抱きました。当時の楽器と現代のそれとはどれほど違っているのかなぞ、尋ねてみたいことがありますが、それらは又の機会と言うことにします。ハイドンの音階的に調和の取れた音楽〔専門家ではないのでこうした表現は適当でないかもしれませんが〕に続いて聴く「スコットランド」には作曲者の気持ちの強い思い入れが込められ過ぎているようで落ち着かない気分でありました。一方は仏国のバスチーユ牢獄襲撃直後(所謂フランス革命)、片方は英国の産業革命熟爛期, 後に世界を震撼させる「共産党宣言」『マルクス・エンゲルス著)の時代背景でしょうか。こういった社会の雰囲気が音楽家にどのような影響を与えていたのだろうか、なぞと取りとめも無いことを考えました。

 さて、上掲の松木氏のブルックナ・ショパン論です。私は松木氏のショパン観には同意しません。ショパンの音楽は「センチメンタルで甘い」と捉えるのは皮相です。本ブログでも度々書いてきた「男である証はY染色体です。生物学的研究によれば、個の染色体は、年月と共に縮んでいます。男の誰しもがこの宿命から逃れることは出来ない。そうした業(ごう)への哀しみ」とポーランドを含む東欧域での「アシュケナジ」浸透への嫌悪に近い危惧を私はショパンの音楽に感じるからです。まさに愛国心溢れる男の哀しみの音楽と思っています。

 ブルックナはオーストリアのリンツ近くで出生しました。ここは、ヒトラの出生地でもあります。リンツには立派なブルックナ胸像、そしてブルックナゆかりの教会があります。リンツで見つけたのが跪(ひざまづ)く和服婦人塑(彫?)像です。この像をリンツのどこで見つけたのやら10年以上も昔の事で全く記憶がありません(多分リンツ城博物館)。何せドナウ川沿いのうまいワインに酩酊していたのでしょう。しかし、確かにリンツの旅〔2005年5月31日〕で見つけたものです。婦人は下駄を履き、オタイコ帯を締めています。

〔写真:リンツでのスナップ写真。ウイーンからの日帰り旅行でした。なにせ酒に意地汚い私は、ワイン飲みたい一心で車ではなく汽車で出掛けました。左の婦人像はリンツ城博物館ではなかろうかと思っています。写真をクリックすると拡大されます〕  
Linz


+++++多元宇宙(2)

 前回記事紹介の続きです。どういう経緯を経ているのか、それについては私の理解をはるかに超えています。一般相対性理論に量子力学的演算を施す。これ自体が誠に難解であるようですが、なんとかそれを実行すると、色々な方程式が出現するらしいのです『もしかするとこの言い方は正しくないのかもしれません』。それを解くことは不可能に近いようですが、解の数を見積もることが出来るようです。それによれば、なんと10の555乗個もの宇宙が存在することになってしまうというのです。
 そうなると宇宙の英語訳“universe”は我々が存在する空間を正しく表現しない。つまりそれは”uni・・・“ならぬ”multi・・・‘に置き換える必要があるというわけです。それに多元宇宙という字を日本語では宛てます。
 さて、この多元宇宙を実験なり観測なりで確かめることが出来るのだろうか。それが、ここで紹介する記事の論旨です。どうやら物理学者の自らの手によってそれに決着をつけるのは難しかろうというわけで、「科学哲学者」の手もかりようというわけです。
 それでは、前回記事の後半です。訳している私にも理解しかねるところがあります。その場合は英文本文に立ち返ってください:

%%%%%無数の宇宙の理解には哲学者の助けが!(2)
http://j55.pw/wUxR (nature 2015年12月24日記事)
“Suggestions that we need ‘new methods’ have been made, but attempts to replace empirical testability have always failed.”
「私達に『新しい方法』が必要であるという提案はされたけれども、経験的試験可能性に置き換える試みはいつも失敗してきた。」

Workshop attendee Carlo Rovelli, a theoretical physicist at Aix-Marseille University in France, agrees that just because string theory is not testable now does not mean that it is not worth theorists’ time. But the main target of Ellis and Silk’s piece were observations made by philosopher Richard Dawid of Ludwig Maximilian University in his book String Theory and the Scientific Method (Cambridge Univ. Press, 2013). Dawid wrote that string theorists had started to follow the principles of Bayesian statistics, which estimates the likelihood of a certain prediction being true on the basis of prior knowledge, and later revises that estimate as more knowledge is acquired. But, Dawid notes, physicists have begun to use purely theoretical factors, such as the internal consistency of a theory or the absence of credible alternatives, to update estimates, instead of basing those revisions on actual data.
 ワークショップ出席者Carlo Rovelli, a theoretical physicist at Aix-Marseille University in Franceは、現在、弦理論が検証可能ではないというだけで、理論家がそれにかかずらわる価値がないわけではないと言う。しかし、Ellis and Silk’の主要な目標は、 String Theory and the Scientific Method (Cambridge Univ. Press, 2013)の著者であるphilosopher Richard Dawid of Ludwig Maximilian Universiによってなされる観察であった。Dawidは、弦理論家が、ベイズの統計原理を追うことから始めた、とその本で書く。ベイズ統計とは 一定の予測 事前の知識に基づいて、あることが真実である可能性を評価する手法であり、多くの知識が取得されるに伴い後の改訂も許容する。しかし、 弦理論家が、その見積もりを改訂する際、実際のデータの変更に基づくのではなく、信頼にたる代替足りえる別の理論、あるいは理論の内的無撞着と言った純粋に理論的適用を始めたことに着目している。

Dynamic discussion
ダイナミックな議論
At the workshop, Gross, who has suggested that a lack of alternatives to string theory makes it more likely to be correct, sparred with Rovelli, who has worked for years on an alternative called loop quantum gravity. Rovelli flatly opposes the assumption that there are no viable alternatives. Ellis, meanwhile, rejects the idea that theoretical factors can improve odds. “My response to Bayesianism is: new evidence must be experimental evidence,” he says.
 ワークショップでは代替の理論が無いことこそが現行理論の正しさを示唆するとしてきたGrossはRovelliと口論した。彼は量子重力ループと呼ばれる代替理論にに関わってきた。Rovelliは代替理論が無いとの仮説に反対している。一方、Ellisは理論的因子が確率を改善するとのアイデアを否定する。ベイジアン主義者への私の回答は:新証拠こそが実験的証拠である、というものだ。

Others flagged up separate issues surrounding the use of Bayesian statistics to bolster string theory. Sabine Hossenfelder, a physicist at the Frankfurt Institute for Advanced Studies in Germany, said that the theory’s popularity may have contributed to the impression that it is the only game in town. But string theory probably gained momentum for sociological reasons, she said: young researchers may have turned to it because the job prospects are better than in a lesser-known field, for example.
 他の研究者たちは弦試論を支えるベジアン統計の使用の周辺の別の課題を取り上げた。Sabine Hossenfelder, a physicist at the Frankfurt Institute for Advanced Studies in Germanyは理論の知名度はそれが唯一解との印象付けに寄与しているという。しかし、弦理論は多分社会学的理由からモメンタムを獲得した。彼女が言うには:若手研究者達がそれまでに知られていなかった研究分野からその分野に関心を持ち始めた、と。

Historian of science Helge Kragh of Aarhus University in Denmark drew on historical perspective. “Suggestions that we need ‘new methods of science’ have been made before, but attempts to replace empirical testability with some other criteria have always failed,” he said. But at least the problem is confined to just a few areas of physics, he added. “String theory and multiverse cosmology are but a very small part of what most physicists do.”
 Historian of science Helge Kragh of Aarhus University in Denmarkは歴史的な視点を引き出した。科学における新手法の必要性と言う示唆は以前になされてきた、が他のクライテリアによるテスト可能性にその試みを置き換えることには失敗してきた、と彼は言う。しかし、少なくも問題は物理学の少数の分野のみに絞られている、と彼は付け加えた。弦理論の多元宇宙ほとんどの物理研究者が関わる研究分野のホンの小さな部分である。

That is cold comfort to Rovelli, who stressed the need for a clear distinction between scientific theories that are well established by experiments and those that are speculative. “It’s very bad when people stop you in the street and say, ‘Did you know that the world is made of strings and that there are parallel worlds?’.”
 それはRovelliにはささやかな慰めだ。彼は、実験によって確立される科学的理論と思索的なそれらとの明白な区別の必要性を強調した。あなたは世界が弦で出来ていること、そして多元世界があることを知っていましたか?などと言って、人々を路上で立ち止まらせるのは良くないという。

At the end of the workshop, the feuding physicsts did not seem any closer to agreement. Dawid — who co-organized the event with Silk, Ellis and others — says that he does not expect people to change their positions in a fundamental way. But he hopes that exposure to other lines of reasoning might “result in slight rapprochement”. Ellis suggests that a more immersive format, such as a two-week summer school, might be more successful at producing a consensus.
 ワークショップの終わりに、反目しあうphysicsts達には協定は近いようではなかった。Dawidは−Silk, Ellisおよび何人かとの共同でワークショップを組織したのであるがー言う。人々が彼らの立ち位置を根本的なやりかたで変更することを期待しない、と。しかし、「わずかな和解を結果として合意が生じるかもしれないこと」を望む。Ellisは、没入型の集中議論〈2週夏の学校などの〉が合意を成功させるかもしれないと提案する。
Nature528,446–447(24 December 2015)
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 頭のよい人たちは、なんとか多元宇宙の証を見つけようとしています。絶対に我々人間は10の555乗個の内のどれか一つにですら行くことはできない。現在の銀河系、そしてそれからなる宇宙の果てには、重力波、あるいは宇宙背景放射などの電波観測から何とか目が届くようになっているわけです。しかし、その宇宙と別の宇宙は時空間を異にしているのでしょう。わけがわからなくなってきました。

STAP続報、ギッチョ

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
〔写真:八分咲きの当地の梅〕
P梅

 
ほんのりと 香る梅花に 顔を寄す 今が盛りの 花をめでる也

 この所連日寒い日が続いています。今朝なんぞは久しぶりの大型の霜を畦道に見つけました。それを足で踏むときのサクッと言う心地よい音と感触。小さい頃を懐かしみました。

+++++STAP問題(Livedoor news, 2月26日)
 小保方氏の著書が、再びSTAP問題への関心を集めています。本日のネットニュースがズバリと「真相」らしき記事を掲載しています。
 それはそれとして、本朝の東京新聞が「この道」で、益川英敏氏が博士論文の重要性、そしてそれをまとめるための指導教官たる教授と学生〔大学院生〕との不眠不休に近い努力を書き綴っています。これほどの厳しさは京都大学なればこそとは思います。小保方氏の学位論文、前書きは米国研究機関のHPからのコピペ、そしてその本論文の提出に当たってての下書きと清論文との取り違え、などなど、小保方氏のいい加減さは呆れるばかりです。それは言うまでもありませんが早稲田大学での研究者育成体制、とりわけ指導教官指導の杜撰さを改めて思った次第です。

〔東京新聞記事より)
P博士論文


 しかし、この小保方氏の博士論文作成・提出経緯の杜撰さをSTAP問題と直結させることは短絡に過ぎるようです。物理・数学系では、既にこのブログで紹介したような大発見が二十代後半の研究者が成し遂げることはしばしばありえます。が、そもそも、三十台そこそこの研究者が生物分野でノーベル賞級の発見を捏造する、それを並み居る熟達研究者の目を欺くなどとは少し冷静に考えてみればありえないことと思えます。

 小保方氏が、生物学のこれまで垣間見せなかった新現象に偶然出くわした、と言うことは大いにありえると思っています。そしてその生物学的深い意味を笹井氏が見抜いたという構図には変わりは無かった。と、私は診たてています。

%%%%%STAP問題と若山教授の記事
http://j55.pw/4SAb 
STAP問題の元凶は若山教授だと判明…恣意的な研究を主導、全責任を小保方氏に背負わせSTAP論文の共著者であるチャールズ・バカンティ博士は、米国誌「ニューヨーカー」(2月22日付電子版)の取材に対して、こう答えた。2015年にもSTAP細胞の研究を続け、万能性を示す遺伝子の働きを確認したという。
 
 また、「週刊新潮」(新潮社/2月11日号)では、理化学研究所・CDB(発生・再生科学総合研究センター)副センター長だった故・笹井芳樹博士の夫人が、インタビューにおいて次のように発言している。
「ただ、主人はSTAP現象そのものについては、最後まで『ある』と思っていたと思います。確かに主人の生前から『ES細胞が混入した』という疑惑が指摘され始めていました。しかし、主人はそれこそ山のようにES細胞を見てきていた。その目から見て、『あの細胞はESとは明らかに形が異なる』という話を、家でもよくしていました」
 ES細胞に関する世界トップクラスの科学者である2人が、ES細胞とは明らかに異なるSTAP細胞の存在を確信していたのだ。
 一体、あのSTAP騒動とはなんだったのだろうか――。
●ファクトベースで書かれた手記
 小保方晴子氏が書いた手記『あの日』(講談社)が1月29日に発刊され、この騒動の原因が明らかになってきた。時系列に出来事が綴られて、その裏には、関係者間でやりとりされた膨大なメールが存在していることがわかる。さらに関係者の重要な発言は、今でもインターネットで確認できるものが多く、ファクトベースで手記が書かれたことが理解できた。いかにも科学者らしいロジカルな構成だと筆者は感じた。
 しかし、本書に対しては「感情的だ」「手記でなく論文で主張すべき」などの批判的な論調が多い。特にテレビのコメンテーターなどの批判では、「本は読みません。だって言い訳なんでしょ」などと呆れるものが多かった。
 手記とは、著者が体験したことを著者の目で書いたものである。出来事の記述以外に、著者の心象風景も描かれる。それは当然のことだ。特に小保方氏のように、過剰な偏向報道に晒された人物が書く手記に、感情面が書かれないことはあり得ないだろう。それでも本書では、可能な限りファクトベースで書くことを守ろうとした小保方氏の信念を垣間見ることができる。
 また、「手記でなく論文で主張すべき」と批判する人は、小保方氏が早稲田大学から博士号を剥奪され、研究する環境も失った現実を知らないのだろうか。小保方氏は騒動の渦中でも自由に発言する権限もなく、わずかな反論さえもマスコミの圧倒的な個人攻撃の波でかき消された過去を忘れたのだろうか。このようないい加減な批判がまかり通るところに、そもそものSTAP騒動の根幹があると筆者はみている。
●小保方氏が担当した実験は一部
 STAP騒動を解明するために、基礎的な事実を整理しておこう。
 小保方氏が「STAP細胞」実験の一部だけを担当していたという事実、さらに論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったという事実は、しばしば忘れられがちである。いわゆるSTAP細胞をつくる工程は、細胞を酸処理して培養し、細胞塊(スフェア)が多能性(多様な細胞になる可能性)を示すOct4陽性(のちに「STAP現象」と呼ばれる)になるところまでと、その細胞塊を初期胚に注入しキメラマウスをつくるまでの、大きく分けて2つの工程がある。
 小保方氏が担当していたのは前半部分の細胞塊をつくるまでである。後半のキメラマウスをつくる工程は、当時小保方氏の上司であった若山照彦氏(現山梨大学教授)が行っていた。
 もう少し厳密にいえば、小保方氏が作製した細胞塊は増殖力が弱いという特徴を持っているが、若山氏は増殖力のないそれから増殖するように変化させ幹細胞株化(後に「STAP幹細胞」と呼ばれる)させるのが仕事だった。つまり、「STAP現象」が小保方氏、「STAP幹細胞」が若山氏、という分担だが、マスコミにより、「STAP現象」も「STAP幹細胞」も「STAP細胞」と呼ばれるという混乱が発生する。
 本書によれば、若山氏はキメラマウスをつくる技術を小保方氏に教えなかった。小保方氏の要請に対して、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」と答えたという。
 
 この若山氏の言葉は見逃すことはできない。なぜなら、STAP細胞実験を行っていた当時、小保方氏はCDB内の若山研究室(以下、若山研)の一客員研究員にすぎなかったからである。小保方氏の当時の所属は米ハーバード大学バカンティ研究室(以下、バカンティ研)であり、若山氏は小保方氏の上司であり指導者という立場であった。
 当時の小保方氏は、博士課程終了後に任期付きで研究員として働くいわゆるポスドク、ポストドクターという身分だった。不安定な身分であることが多く、日本国内には1万人以上いるといわれ、当時の小保方氏もそのひとりであり、所属する研究室の上司に逆らうことはできなかったのだ。
 この弱い立場が、のちに巻き起こるマスコミのメディアスクラムに対抗できなかった最大の理由である。メディアがつくり上げた虚像によって、まるで小保方氏が若山氏と同じ立場で力を持っていたかのように印象づけられていた。
●ストーリーありきの実験
 話を元に戻す。小保方氏は若山研の所属になる以前、留学先のハーバード大学でバカンティ教授からSTAP細胞の初期のアイデアを得ていた。バカンティ教授は、「非常に小さな胞子のようにストレスに強い共通の幹細胞が全身の組織に存在しているのではないか」という仮説を提唱していた。バカンティ教授はそれを「スポアライクステムセル(胞子様幹細胞)」と名付けていた。
 小保方氏はその仮説を検証するために日夜研究に没頭し、ついにその証拠(Oct4遺伝子発現)を得ることになる。その結果をバカンティ教授の前で発表すると、バカンティ教授は、両手で固くこぶしをつくった後に目を見開き、「過去15年で最高のプレゼンテーションだった」と喜んだという。
 しかし、細胞が多能性を持つかどうかを証明するには、その細胞からキメラマウスを作製しなければならなかった。現在の生命科学界ではそれが一番厳密な証明とされているからだ。小保方氏はキメラマウスの実験を行うため、他の教授からの推薦もあり「キメラマウス作製の第一人者」である若山氏を紹介され、バカンティ研の所属のまま若山研の客員研究員となったのだ。
 本書によれば、小保方氏はキメラマウスの作製方法を若山氏から教わることなく、若山研で細胞塊の作製を淡々とこなすようになる。いつしか研究は若山氏の主導のもと、海外の有力科学雑誌への論文投稿が目的化し、論文のストーリーに合わせた実験へと変節していく。「ストーリーに合わない、つじつまの合わないデータは使用しないように」という指導まで小保方氏は受けている。信じがたいことに、実験が正しいかどうかを判定するための「コントロール実験」も行わなかったという。研究メンバーも全員、若山氏の意向に沿うようになり、強引な研究姿勢に異を唱える者もいなかった。
 そもそもバカンティ教授の仮説から始まり小保方氏の検証から動き出した研究の主導権が、完全に若山氏に渡ってしまい、ついには若山氏が特許配分51%を要求するまでになる。バカンティ研所属でいながら若山研の客員研究員という複雑な立場の小保方氏は、アメリカと日本の大先生の板挟みとなっていく。
 小保方氏は、細胞で起こる「新たな現象」(STAP現象)の研究を深めていきたいと若山研に移ったが、いつの間にか若山氏しか成功していない「新たな幹細胞株の確立」(STAP幹細胞)の研究と論文作成を部下として手伝う立場になっていた。
 自ら選んだ研究テーマが、もはや自由に研究できる立場でなくなり、しかも若山氏が主導した論文のストーリーに合わせた研究が続く毎日。「もうアメリカに帰ろうと思っている」と研究メンバーに打ち明けた。その直後、CDBの小さな研究室のユニットリーダーに募集しないかと声をかけられ、自分が望む研究ができるならと面接を受け、紆余曲折を経て小保方氏はCDBのユニットリーダーとなる。
●若山氏の責任
 その間、若山研による論文投稿は難航していた。その状況を劇的に変えたのが笹井氏だった。笹井氏はネイチャー誌にいくつもの論文が掲載された実績を持ち、世界的にも有名な科学者だった。笹井氏の指導により、論文は見事に整理され、ネイチャーへの掲載も決まった。
 そして笹井氏の命名により、小保方氏が検証した細胞の現象を「STAP」(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency:刺激惹起性多能性獲得)と呼ぶようになった。この名称が示すように、「STAP」とは小保方氏が検証した細胞の現象を示す意味合いが強かったことがわかる。
 その後、論文に不備が見つかり、のちにこれが不正と判断されることによりマスコミの過剰報道を交えた大混乱が起こったのは周知のことだろう。画像の間違い等によるミスに関しては、小保方氏は会見や本書において何度も謝罪をしている。
 しかし、ポスドクの立場で部下として研究に携わり、当時の上司であり指導者であった若山氏が主導した論文投稿に協力した小保方氏に、全責任を負わせたのは明らかに間違いだといわざるを得ない。
 若山氏は、小保方氏と同じ責任を負ったのだろうか。いや指導者という立場であれば、研究員への指導責任によりはるかに重い責任が負わされたとしてもおかしくはないだろう。
 2月11日付当サイト記事において、東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏は、加藤茂明・東京大学分子細胞生物学研究所教授(当時)が責任著者として発表した複数の論文のなかにグループメンバーの一部による不正あったことに対する監督責任を取って、東大教授を辞職した例を挙げ、「なぜ、加藤氏と若山教授の扱いが、こんなに違ってしまうのだろう」と指摘している。
 さらに、若山氏が15年に、「絶滅動物の細胞再生および有用遺伝子回収方法の確立」というテーマで、基盤研究(A)として年間975万円の研究費を受け取っていたという事実から、「文科省のガイドラインに準じれば、そもそも彼には科研費に応募する資格がない。なぜ、山梨大も文科省も、このことを議論しなかったのだろう」と指摘している。
 前述のとおり、STAP論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったが、世間では小保方氏の画像の間違い等による不正認定が原因だと広く認識されている。
 次回は、その真相を探っていく。そこには、若山氏が責任を回避したマジックが隠されているのだ。
(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)
%%%%%STAP記事転載終わり

+++++ギッチョ問題
 本日ネットで嬉しい記事を見ました。私は小さい頃ギッチョでありました。その名残が未だにハサミ、刃物使いに残っています。しかし、箸、鉛筆は母の矯正で右手使いになりました:
%%%%%ネット記事転載

「なぜ、「左利き」には天才肌が多いのか?その理由6つ」http://j55.pw/R5VB 
2016年2月25日 22時0分 TABI LABO
世の中には左利きの人の方が圧倒的に少なく、一説には人口全体の10%程度という意見も。それゆえ、右利きがスタンダートとして作られた製品も多く、左利きは不便な思いをすることも。
こうした境遇を乗り越えてきたからかどうかはさておき、「Higher Perspective」の記事によれば、左利きの人特有の隠れた魅力がたくさんあるようです。では、それって一体なんだと思います?
01.そもそも、知性がある
最大のポイントは、知性があること。「メンサ」という人口上位2%の知能指数(IQ) を有する人の交流を目的とした団体では、メンバーの約20%が左利きなのだそうです。左利きの人は、右利きよりも多く脳を活用している?
02.世界人口のたった10%程度
貴重な存在
また、左利きの人は世界人口の約10%しかいないと言われています。彼らは特別な存在なわけですから、知り合いになれること自体が奇跡に近い!?
03.生まれつきリーダーの素質が備わっている!?
アメリカの歴代大統領には、左利きが多いそうです。ビル・クリントン、バラク・オバマ、ジェラルド・R・フォード、ジョージ・H・W・ブッシュなど。また、会社の経営者にも多い傾向があると言われています。もしかしたら、左利きには生まれつきリーダーとしての素質があるのかもしれませんね。
04.自立している裕福な人が多い
彼らは独立心が強く、自己管理が得意。左利きの人は、右利きの人よりも平均して15%以上裕福、といったデータも。左利きの人が高等教育機関に通っていた場合、その割合はさらに増し、約26%になるんだそう。
05.一度にたくさんこなすマルチタスク能力あり
また、生まれつきマルチタスク能力に優れているという説も。一度にいくつものタスクをこなせることは、どんな仕事でも重宝されるスキルですよね。
06.右脳をメインで使うから超クリエイティブ!
左利きの人はクリエイティブで、革新的な考えを持ち、芸術的な一面も。左脳より右脳メインで考えているので、音楽や芸術、言語能力を向上させることができるのです。かのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロも左利きだったといわれています。
Licensed material used with permission by Higher Perspective
%%%%%記事転載おわり
 上記記事を読んだ後大きく落胆しました。上記のどれも私には当てはまらないからです。持って生まれたギッチョを矯正しなければ、クリエイティブで裕福になったのかもしれません。亡き母を恨むべきでしょうか?
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