法螺と戯言

ためになるブログ、面白いブログ、自己顕示のないブログ

イタリア地震(米国科学誌)、福島県産農産物

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
前回記事で書きましたが、ギックリ腰による痛みが老齢のためなかなか去りません。そのために長時間PCの前に座すことが出来ず、金曜日のブログ更新も途中挫折の已む無きとなりました。今回の記事は、金曜日のために準備していた記事に追加したものです。
(写真:過日の台風で公園斜面の木がなぎ倒されました)
P826台風


出戻って 大きくなって お騒がせ 十号の帰趨 大いに気になる

誠に不謹慎と思いますが、東へ進んだ台風十号、このまま南シナ海で横暴を為す中国政府を懲らしむるべく大陸に突っ込んでくれればなぞと思っていました。ところが、こともあろうに成長するにつれ、西にもどり、明日にも我が県を再襲撃するべく窺っているとのことです。どうぞご勘弁を、と台風の方角に向かって手を合わせております。
 
 日曜日夕方のBS放送で脳科学者の養老猛司氏が「ヒトが死んだ直後の体重は直前のそれと比べて32グラム軽い、と言う人がいる。それを以って、その差32グラムは魂の重さである。この差こそが魂の存在の証であり、死後人体から魂が離脱した証であると主張する。が、そうした議論には、なんら科学的な根拠は無い」と、語っていました。面白いですな。魂の重量が32グラムとは。

 ところで、知の巨人ともてはやされていた立花隆氏が一頃しきりに臨死体験を語り、確か出版物にもしていたはずです。この御仁は、「知性」を売りにするにしてはオカルト的発想に傾くことがしばしばありました。それを鋭く指摘したのが、もう十五年も昔になりますが当時東大の大学院生であった谷田和一郎氏のグループです。彼らは、「立花隆先生、かなり変ですよ」(洋泉社、2001年)と題する出版物を著しました。そこで立花氏の立論を厳しく批判しています。これについて、どういうものか、立花氏は反論をしていないようです。立花氏の角栄嫌いはヒステリックであることを本ブログでも書いたことがありますが、その「嫌い」は、「臨死体験」同様、養老氏の言う「壁=思い込み」に捕われたがる立花氏の気質であろうと見ています。

 そうではあっても、死後の世界について幻想を振りまく論調は絶えません。人にとっては死はなんとも不安であり、恐怖であるからです。宗教発生の起源でもあります。そんな折「死んだら無、死後の世界はない」と題する記事を週刊ポスト誌(ネット版2016.08.28 07:00)に見つけましたので転載します。以下の記事については、本ブログを読んでくださっている方々には当たり前のことと思われるでしょうが。
%%%%%【死後の世界は存在するのか】http://c23.biz/6PY3 
 人類にとって「あの世」は常に興味・関心の的であり、宗教も、科学も、その問いに答えを出そうとしてきた。

 科学の視点でいえば、そもそも「生」と「死」の境目は、はっきり断定できないところもある。数多くの臨終に接してきた、東邦大学医療センター大森病院の医師・大津秀一氏がいう。

「便宜的に心停止、呼吸停止、瞳孔散大をひとつの区切りとしていますが、生物が心停止した後でも脳波の変化はありますし、全ての細胞が死んでいるわけではなく、生きている部分もある。どう捉えるかは実は非常に難しいところなんです」

 その上で大津氏は、臨死体験者が見た「あの世」についてこう考える。

「最近ではラットの実験で、亡くなった後の数十秒間は脳波の活動が活発になるといわれていて、臨死体験に関係している可能性があると話題になっています。最後にぬくもりを見せてくれる脳の働きが観測されているのかもしれません」

『霊はあるか』(講談社)の著者で、自らも臨死体験がある立命館大学名誉教授の安斎育郎氏は「科学者の立場」という前提でこう話す。

「死んだら無に帰す。例えば体重の18%を占める炭素原子は、死んで焼き場で焼かれれば二酸化炭素となって飛び散っていく。科学的にはそれだけです。残念ながら、死後の世界はない。でも、それを思い描くのは人間の自由です」

 100年以上も前に遡るが、アメリカ・マサチューセッツ州の医師・ダンカン・マクドゥーガル博士は人が死ぬ瞬間の体重を計測し続け、死ぬと体重が21グラム減ることを発見した。そしてそれが「魂の重さ」だと結論づけたのだ。この説は現代科学では否定されているが、『21グラム』は2003年公開の心臓移植をめぐる映画のタイトルにもなった。

 それはつまり人間の魂や「あの世」への関心は科学的な知見の発展とは別のところで存在し続けていることを意味する。「あの世」がどんなものかを考えることが一人ひとりの「この世」に与える影響は決して小さくないのだ。

※週刊ポスト2016年9月2日号
%%%%%記事転載おわり

+++++2016年8月24日イタリヤ地震
 本ブログでは2009年4月6日にイタリア中部で発生したラクイラ地震をめぐる地震研究者への刑事告訴事件について紹介したことがあります。5日前の8月24日、ラキラ地震の北方50kmで地震サイズにおいても被災規模においてもほぼ同規模の地震が発生しました。被災者数についてはいまだ確定できないほどの混乱が続いています。

(図1: 2009年ラクイラ地震と2016年の今般の地震)
mp160824


 この地震について米国科学誌が論じていますので以下にそれを紹介しておきます。
%%%%%Scientific American 誌特別記事より
http://c23.biz/Lt6n 
Why the Earthquake in Italy Was So Destructive
何故、イタリアの地震はかくも破壊的なのか?
A complex underground collision ripped apart Earth's crust, killing more than 100 people
地下の衝突が地殻を切り裂き100名以上の死者をもたらした(8月29日の時点の報道によれば、300名弱)
• By Tia Ghose, LiveScience on August 24, 2016

Damage caused by a 2009 earthquake in L'Aquila, Italy. Credit: FLICKR
Powerful earthquakes like the 6.2-magnitude temblor that rocked central Italy early this morning (Aug. 24) are surprisingly common in the region, geologists say.
The shaking was caused by movement in the Tyrrhenian Basin, a seismically active area beneath the Mediterranean Sea. Here, the ground is actually spreading apart, said Julie Dutton, a geophysicist with the U.S. Geological Survey. The same underlying geology was responsible for the devastating 2009 earthquake in the city of L'Aquila, just 34 miles (55 kilometers) away from today’s quake. That earthquake killed more than 300 people.
"It's a pretty complicated or complex area for earthquakes," Dutton told
ce. "In this area, they have sizable earthquakes that cause destruction every so many years." [Photos of This Millennium's Most Destructive Earthquakes]
 8月24日早朝にイタリア中部を揺るがせたM6.2の強烈な自身は驚くべきことに、ここではそれほど珍しいことではない、と地質学者は言う。地中海域下の地震活動帯であるTyrrhenian Basinでの地殻が動いたことでこの地震は起きた、とJulie Dutton, a geophysicist with the U.S. Geological Surveyは言う。この同じ地学環境が2009年の55kmほど南で起きたラクイラ地震をも引き起こした。この地震では300名余の人命が失われた。“かなりこみいった色々な要素がこれらの地震に関わっている”とDuttonは言う。“それらがこので、頻繁に破壊的な地震が起こさせている”と。
COMPLEX DAMAGING GEOLOGY

              複合的な破壊的地質
The epicenter of today's quake, which hit around 3:30 a.m. local time, was about 6.2 miles (10 km) southeast of the historic tourist town of Norcia. The earthquake killed at least 73 people and turned scores of charming medieval buildings into rubble. The shaking was felt all the way in Rome, about 70 miles (112 km) southwest of the city.
 現地時間朝の3時半に起きた地震の震央はNorciaと言う歴史的観光の南およそ10kmにある。地震都市は少なくも73名余の人命を奪い(8月25日時点で判明した死者数)、中世の魅力的建造物を瓦礫にした。地震は112km離れたローマでも感じた。

(図2:震度分布、ローマが左下に見える)
italy-earthquake-160824 2


A 6.2-magnitude earthquake hit central Italy at 3:36 a.m. local time on Aug. 24, 2016. Credit: USGS
The temblor was caused by complicated geology. In northeastern Italy, the slow-motion collision of the African and Eurasian plates has pushed up the ground beneath the Alps. In fact, many of the quakes have occurred in towns fringing the Appenine Mountains, along the northeastern coast of Italy.
However, the quakes themselves are not caused directly by this uplift process. Instead, because the continental plate collision zone is drifting southeast, it is stretching the crust beneath a region of the Mediterranean Sea. This ground extension, which occurs at a 90-degree angle relative to the mountain range, is what was behind both the current earthquake and the 2009 L'Aquila temblor, Dutton said.
 地震は複合的な要素からなる複雑な地質環境で起きた。アフリカとユーラシアプレートのゆっくりとした衝突運動がアルプスの下の岩塊を押し上げている。実際、地震災害の多くがイタリアの北東沿岸沿いのアペニン山脈の縁の町で起きていた。
 しかしながら地震そのものはこの隆起過程によって直接的に起きているのではない。そうではなく陸の衝突域が南東にドリフトしているため、地中海域きの下では、地殻が広がっているのだ。この広がりは山脈尾根に90度の方向に向いており、それが今般の地震そして2009年のラクイラ地震の背景である、と Duttonは言う。

"It's a normal fault earthquake and it's an expression of the east-west extensional tectonics where the Tyrrhenian Basin is being opened up," Dutton said. Normal faults occur when the ground on one side of the fault slides down relative to the other side, and the motion goes in the direction expected based on the pull of gravity on the Earth, according to the Survey U.S. Geological.
This region is no stranger to ground shaking. In 2009, the 6.3-magnitude-6.3 that struck L'Aquila led to a trial in which the seismologists in the area were convicted of manslaughter for failing to predict the quake. (The guilty verdict against the scientists was later overturned.) In 1997, a 6.0-magnitude earthquake killed more than 100 people and damaged 80,000 homes. And records going back nearly 700 years document terrifying earthquakes in central Italy that caused people to abandon towns during the Middle Ages.
 “それは正断層地震で(次回ブログ記事で詳述します)、ほぼ東西の引っ張り型テクトニックを表している。かくして、Tyrrhenian Basinが拡大するという過程でもある”と 。断層地震は断層の一方の側が他方正に対して引きずり下ろされる際に生ずる。それは地球の重力にひっぱっられる方向でもあるとSurvey U.S. Geologicalは説明する。
この地域は地震が何時起きても不思議は無い。2009年のラキラを襲ったm6.3地震は裁判沙汰になり、地震予知をしそこなった廉でこの地の地震研究者たちが殺人罪で告訴された(後のその有罪判決は無罪となったが)。1997年には100名の人名が余失われ、8万もの人たちが家を失った。700年近くにわたる文書に拠れば中部イタリアではいくつもの地震が記載されており中世には多くの街が消滅している。
以下はこの地震に関連した情報:
The 10 Biggest Earthquakes in History http://c23.biz/nnZi 
L'Aquila Earthquake Gallery: A Day of Destruction http://c23.biz/83U4 
50 Interesting Facts About Earth http://c23.biz/DP7z 
%%%%%米国科学誌記事紹介終わり

+++++放射能汚染除去の努力
 台風9号が北関東から東北地方を重利する最中、所用で福島に行っていました。緊張のあまりギックリ腰を再発したことを以前書きました(いまだ痛みを抱えていますが)。その際、知ったことは、福島県農業従事者の涙ぐましい努力です。米、野菜、果物(桃など)の放射能汚染を回避するためにできることは全てやっていることを目の当たりにしました。かくして出荷する農産物はすべて法が定める基準値を下回っています。しかも、出荷に際しての検査は抜き取り検査ではなく、まさに全量検査なのです。
 購入したトマト、きゅうり、そしてモモは昔ながらに旨く美味で、このところ連日当家の食卓に上っています。しかし、あいもかわらず福島県産農産物への偏見が除去されていません。なんとかこうした偏見を取り除き、福島農業従事者の「働き甲斐」を回復するために力を尽くしたいと思った次第です。
%%%%%福島民報記事転載
県産米、基準超初のゼロ 27年産の全量全袋検査
http://c23.biz/Pv7D 
福島民報 8月25日(木)10時15分配信
福島県内で収穫されたコメに含まれる放射性物質を調べる全量全袋検査で、県が19日までの1年間に調べた平成27年産米約1050万袋全てが食品衛生法の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回ったことが24日、分かった。基準値超の数は検査を開始した24年産以降、減少傾向にあり、初めてゼロとなった。
 27年産は昨年8月20日から今月19日までの1年間に1049万6697点を調べ、99・99%に当たる1049万5897点が検出下限値未満だった。検査件数は全量全袋検査と詳細検査の合算。基準値超えの可能性があるコメについて調べる詳細検査により基準値を超えたのは24年産が全体の0・0007%の71点、25年産が0・0003%の28点、26年産が0・00002%の2点と年々減少している。自家用として生産されるなどし、基準値を超えたコメは流通していない。
 県はセシウムの自然減衰に加え、塩化カリウム肥料散布などセシウムの吸収抑制対策を進めたことが奏功したとみている。
 27年産の検査結果について、県水田畑作課は「これまでの地道な取り組みが結実した。基準値超えゼロは県産米の安全性をPRする上で重要な要素となる」と期待している。
 県は県産米に対する消費者不安の解消や基準値を超えたコメの流通防止を目的に、全量全袋検査を始めた。県は今後も検査を続けるとしている。
福島民報社
%%%%%新聞記事転載終わり

東北日本に頻発する地震

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)

 以下の記事の前半は、今週月曜日の記事として前日に用意されたものです。ただし、地震の部分については、防災科学技術研究所のデータが公開された後に付け加える予定でした。この日、年甲斐もなくあの台風九号が襲来する中、東北自動車を大いなる緊張感のなかで200kmほどを走りました。走行中前方視界は豪雨で遠くに及ばず、まさにその緊張がもろに腰に集中しました。かくして、夜ギックリ腰が再発し、身動きが出来なくなった次第です。已む無く本日水曜日に未だ痛む腰をかばいつつブログ記事の続きを書いております。情けない言い訳であります。

(写真:東京新聞8月21日付け一面記事より。説明の必要はないですね)
P8210005

 
特長の 世界が認める 短足で 勝ち得た銀は 立派の一言

 インターネット・ニュースでこの快挙を知り、「TVを見ておくんだった」と悔やみました。日本人は陸上トラック競技を得手としてきませんでした。しかし、今般のリオ五輪ではバトン引継ぎに工夫を凝らす、まさに技術立国・日本です。四名の走者に心からの祝福を送ります。
 吉田選手の号泣を前回記事で批判しました。女王を乗り越える新しい選手が輩出したのです。世界に長く君臨してきた元女王としては、自ら失墜を嘆くのではなく、世界的広い視野からは、新たな担い手の出現であり、そう思うのであれば、表彰台でも新女王を祝福できたのだろうと思います。日本人の狭量を見る思いがした次第です。

 私の年代からすれば、とりわけ不思議ではないのですが、ここ数年で、24名いた母方の従兄弟が3名(父方を含めれば6名)、そしてかっての職場の同僚や、上司が相次いで他界しています。おもえば、昨年死去したギリシャの友人も私のいわば戦友でありました(2015年3月2日記事 http://c23.biz/LU2v )。

 そして、つい先日も、かっての職場での同僚の一人が癌で死去しました。xx工学分野で、この男を知らずば「潜り」(もぐり)であるといわれたほどの名物男でありましたが、4年の病魔との闘いの末他界しました。かって、彼がインドネシア国で技術移転活動に力を尽くしていた頃に彼を訪ねたのが、後に京都大学総長の地位にまで上り詰めた尾池和夫氏です。尾池氏は、見たこと聞いたことがすべて即座に「活字」に変換されることで知られています。氏のインドネシア訪問記は「『インドネシアの旅 - ジャワとバリの火山を訪ねて』( 産業図書、1987年)として世に出、その世界ではひとしきり話題になりました。そしてこの書でとりわけ目立って描写された人物がまさに私の職場の同僚でありました。氏のご冥福を改めてお祈りする次第です。

 尾池氏の専門は地震学です。そういえばこのところ再び東日本の地震活動が、いささか不穏です。

(図:防災科学技術センタより)
20160821三陸9


 そこで例の如く昨今の地震活動を眺めておきます。
(図2:震央分布)
S160824


図3:図2に示す矩形領域内での地震の深さ分布(上)と時間分布(下)
dTD160824


 この下の図(距離ー発生時間)を見る限り、地震活動の遷移は明瞭には認められません。少なくもこの図から次の東北拠ダウ地震の予兆を議論することは出来ません。

 イタリアでもM6.2の地震が発生し10名ほどの犠牲者が亡くなっています。東北日本海域の地震も含め、詳述したいところですが、本日は腰痛で長時間PCの前に座っていることが出来ません。お許しください。

ソ連、崩壊前後を比べる(スプートニクより)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:農家の生垣の朝顔、拡大はクリック)
P814朝顔

 法師ゼミ もくれん経を 唱えだす 思えば朝晩 虫の唱和も

 酷暑のため、耳の穴からメルトダウンした脳がこぼれてきそうです。ところが、自然界は既に秋の気配を察知しているようです。数日前からツクツク法師が読経を始めています。朝晩には、空気はまだ蒸し暑いのに虫の鳴き声が大きく聞こえるようになりました。

 新聞で見るTV番組欄。NHKは今やスポーツ専用チャネルになったかの如くです。昼日中に高校野球、リオ五輪にかじりつく視聴者はそれほどに多いのかと疑問に思っています。報道されない、あるいは国民に知られたくないような事態が着々と進行しているのではないか?そんな不安を日刊ゲンダイ紙が書いています。
(図 日刊ゲンダイ紙8月19日付より)
アベノミクス160819


女子レスリングで長く無敗を誇った吉田選手が敗北し、試合直後から表彰式の後まで延々と号泣したとのことです。負けるはずが無かったといわんばかりで、それはずいぶんと相手選手に対して失礼ではなかろうかと思いますね。草野球のキャッチャですな(みっともない)。

+++++社会主義ソ連は良かったのか?悪かったのか?
 ネット情報誌「スプートニク」が興味深い記事を掲載していますのでそれを転載します。
%%%%%元ソ連人が、暮らし向きがよくなったのはソ連崩壊後か前かに答えた
http://c23.biz/mKe8 
c Sputnik/ Vsevolod Tarasevich
ロシア 2016年08月17日 21:38(アップデート 2016年08月18日 14:23)
 スプートニクによる世論調査によると、元ソ連諸国11カ国のうち9カ国の35歳以上の住民の大多数が、ソ連時代のほうが崩壊後よりも生活はよかったと考えている。

RIA NOVOSTI / VLADIMIR AKIMOV
ペテルブルグのデザイナー 世界のブランドを「ソ連風」にアレンジする
ソ連時代のほうが崩壊後よりも生活の質が上だったと答えた、ソ連に住んでいた回答者は、ロシアでは64%、ウクライナでは60%となり、そう答えた人が最も多かった国はアルメニア(71%)、アゼルバイジャン(69%)となった。
ソ連崩壊後のほうが生活がよくなったと答えたのは、35歳以上のタジキスタンの住民(55%)とウズベキスタンの住民(91%)だけだった。
ソ連での生活を覚えていない年齢18歳〜24歳のグループの回答者は、ソ連崩壊後に生活は向上したと答えた。たとえば、63%のロシアの青年回答者がそう答えた。唯一モルドバでは逆に考えられていて、69%の回答者が、崩壊後よりもソ連時代のほうが生活はよかったと答えた。そこでは崩壊後のほうがよかったと答えたのは17%だけだ。
このデータは、2016年7月4日〜8月15日に実施された世論調査の結果得られた。回答者は12645人となった。
先に、旧ソ連の調査団が原爆投下後の広島・長崎を撮影した映像が広島市・長崎市に提供された(http://c23.biz/e5pA )と報じられた。
%%%%%転載終わり

 ソ連が崩壊してから四半世紀がたちました。今では、ソ連時代と崩壊後を比べることが出来る世代は少なくなっているのでしょう。ましてや市場経済の時代、昔を懐かしんでいたら取り残されてしまいます。

 私は、2000年代の始めに7ヶ月間ほど旧ソビエト連邦にあって、ロシアとともにソ連邦を宇宙開発、原子力で支えていたカザフスタン共和国で過ごしたことがあります。滞在中、英語の通訳を主要な任務としながらも私の身辺の雑務を色々引き受けてくれた秘書さんは化学者である旦那さんとの間に一人の娘さんをもつ 同国の才女でした。私が行う講義については、あらかじめ彼女に草稿を渡しておくと、全てきちんとロシア語に翻訳してくれます。そのために私の話はほぼ完璧に受講者に伝わり、結果として質問も活発、演習も全員が熱心に取り組み、と言うわけで、私には誠に有意義な滞在でした。
 そして、朝晩の送り迎えをしてくれる運転手さんも秘書さんと同年代です。人生の半分を社会主義体制で過ごし、以後の半分を市場経済体制で過ごしたのです。昼食は運転手さんが近くの総菜屋さんで買ってくるカップラーメンやら何やらを三人で取ります。その際の話題の多くが、まさに上の記事で語られていることでした。

 当時のカザフスタンは、ソ連崩壊後まだ時間が経っていません。従って、彼ら二人はまだ新経済体制には慣れておらず、むしろ生活物資が確実に入手でき、医療サービスも確実に受けられるソ連邦体制を懐かしんでいました。例えば、崩壊後の家族の病気対応は大変であったと秘書さんは言います。小児科病院の治療費は高額で連れて行ったことがないといいます。又、旦那があるとき高熱をだして仆れたとの事。秘書さんはアポテカ(薬局)に走り注射液を購入し、旦那の尻をむいて、買い置きのぶっとい注射針を突き刺したとのことです。こうした不安が付きまとったとのことですが、あれから15年余、今はどうなのか?

 そんなことを思い出していたら、40年近く昔に滞在していた頃のモスクワの写真を見たくなりました。私が住んだアパートの現在と40年前のものです。興味がある方もおありかもしれませんので掲載しておきます。

(図1:グーグルによる現在のアパート写真、中央やや右にグプキナ通りと書かれた南東方向に走る道が見えます。その右側沿いに二棟のビルがあります。この北側棟の14階に家内と息子三人が住みました。その隣に見える赤い屋根は保育園で息子はそこに通園しました。拡大はクリック)
グプキナ


(図2:40年近く昔に撮影したアパート。当時は戸外で写真を撮ることはおおいに憚られたので私の住むアパートから隣のアパートを撮影したもの。ここにも日本人の家族が一世帯住んでいた)
mocow00アパート6

 
(図3:図1に写っている保育園を私が住む部屋から撮影したもの(上)。および保育園の緑多く広々した庭(下)にある四阿)
mocowヤスリ6


(図5 アパートのありかを示すモスクワの地図、周囲はソ連邦科学アカデミ地区で、ノーベル賞級の研究者を多く輩出している。左下はモスクワ大学。川を挟んですぐ北にオリンピック競技場がある。右上は赤の広場とクレムリン宮殿。アパート位置は図の中央部下に示されている)
モスクワ地図


 地図とグーグル地図を比べて、真っ先に気づくことはモスクワ大学の東脇から北東に走る「レーニン大通り」が別の名前に変わっていることです。

安倍氏、”核先制使用せず”に不同意、伊方原発(3)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:近くの農家の子猫。「おいで、おいで」と声をかけると、奴さん、どうしたものかと迷っている風です。頭上には大分大きくなった柿の実が見えます)
P814猫


 夜中じゅう 強い風と 雨の音 眠れぬままに 昔を想う

 台風7号とやらが当地の東脇を真夜中に走り抜けました。騒がしくもけたたましい音で、一晩中半覚醒状態でした。そうしたときにはえてして昔の事をいろいろと思い出します。あらためて、自らの罪業の深さを思い知った次第でありました。
 そして、台風一過、突然、脳を溶融させる酷暑の「つら〜い」一日となりました。私、今日は息絶え々であります。何せ暑苦しいニュースばかりです。以下はそうしたニュースの「コピペ」です。ご許しを。

 %%%%%まずは、米国副大統領の発言です(産経新聞より):
http://c23.biz/b7dt 
バイデン副大統領「私たちが日本国憲法を書いた。日本は核保有国になり得ない」 トランプ氏の容認論批判、異例の発言
 【ワシントン=青木伸行】バイデン米副大統領は15日、ペンシルベニア州で演説し、共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を批判する文脈の中で「(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか」と発言した。
 米政府の要人が、日本国憲法を米国が起草したと強調することは異例。バイデン氏は日本などの核保有容認論を展開しているトランプ氏を批判しようと、日本国憲法を持ち出した。
 バイデン氏は「(トランプ氏は)学校で習わなかったのか」とも皮肉り、「彼に(大統領として)核兵器発射のコードを知る資格はない」と非難した。
 バイデン氏は6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対し、北朝鮮の核開発を阻止しなければ「日本は一夜のうちに核を開発できる」と語ったことを明らかにしている。
%%%%%
 つい先日の新聞が「憲法九条の発想は幣原首相に由来する」との堀尾東大名誉教授の発言を報じていました。そうであっても、現今の憲法が米国の施政下で作成されたことは認めねばなりません。いかなる崇高な精神、いかなる非現実的な条文といえども、当時、日本国の政治家がそれに抗うことはできなかったのです。つまり、バイデン氏は歴史的事実と当時の世界政治認識をそのまま語っているのです。

 問題は、この米国のもとで作られた憲法が、戦後71年間、国民生活の向上・安全に桎梏となったことがあったのかどうかを省みるべきと思っています。桎梏となっているのは、安倍氏とその周囲にたむろする人たちにとってではなかろうかと思っています。
 九条についていえば、直接関わっているのが自衛隊です。憲法違反を承知で米国の都合で編成されたのが警察予備隊です。幸いにして、この予備隊が自衛隊なる「軍隊」に変容したけれども、他国への軍事進出は九条の存在が押しとどめてきました。とすれば、こうした現状を憲法上でもきちんと確立することは、20万余の自衛隊員とそのご家族の人権問題として憲法上まともな位置づけがなされるべきと私は思っています。

 次は東京新聞が報ずる「核兵器使用」問題です。
(図:唐拠新聞8月7日付一面記事より)
P8170004


 下に紹介する天木氏(元駐レバノン日本国大使)も指摘するように、国民の意識を肴でしかねない案件については、国民の知らぬところで、どんどん進めてしまう。これが阿部流政治です。
%%%%%天木氏ブログ転載

核先制不使用に反対していた事を米紙にばらされた安倍首相の恥
http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/08/17/post-5186/
17Aug2016 天木直人のブログ

 米紙ワシントンポスト(8月15日付)が報じたという。
オバマ大統領が検討している核兵器の先制不使用について、安倍首相がハリス米太平洋司令官に対し、みずから反対の意向を伝えていたと。複数の米政府当局者の話として報じたという。そういえば安倍首相がハリス司令官を官邸に呼んで会談した事がテレビなどで報じられたことがあった(7月26日)
 その時に伝えていたのだ。もし、このワシントンポストの記事が本当なら、安倍首相は総辞職ものだ。唯一の被爆国であり、非核三原則を国是としてきた日本の首相として、国民に対する裏切りになる。
 それだけではない。
 オバマ大統領の広島訪問や、終わったばかりの広島・長崎平和記念式典で語った核廃絶の誓いの裏で、舌をペロリと出していた事になる。これ以上ない被爆者に対する裏切りだ。このワシントンポストの報道に対し、外務省幹部は「首相はそうした発言はしていない」と否定したという(8月17日読売)
 それはそうだろう。そんなことを外務官僚が認めたら大変な事になる。しかし、その一方で別の外務省幹部はこう語っているという。「もし米政権が核の先制不使用を宣言すれば、日本を守る米国の拡大抑止は成立しなくなる。あり得ない話だ」と。(8月17日朝日)これを要するに、外務官僚とその振付に従って動きた安倍首相が、オバマの核先制不使用に反対したということだ。そして、それがばれても、知らぬ顔をしているということだ。これ以上の恥知らずはない。やはり総辞職ものである(了)
%%%%%天木氏ブログ終わり

 本日の報道によれば、オバマ氏は米国が核兵器先制使用することはないとの言明をしたとのことで、安倍氏は大変狼狽したとのことです。安倍氏は米国への忠誠心を表明したはずが「親分」から裏切られたということになります。
 それは、それとして、「抑止力」論は一見説得力がありますが、世界の現状を思うとおよそ非現実的と私は考えています。安倍氏の頭の中には「北朝鮮」が米国の手先たる日本に核兵器でちょっかいを出してくると言う事態があるのかもしれません。しかし、それをしたら、北朝鮮は国として存立できません。いかに現在の指導部が愚かであってもそれを考えないほどバカではありますまい。
 いかなる国といえども「核の不先制使用」宣言で重大な核攻撃に晒されるという事態を、私は想定できません。だからこそ、今重要なのが核兵器廃絶の国際的協議であろうと思っています。

 さて、本日の最後の「コピペ」は再再度「伊方原発」です。
+++++伊方原発稼動
伊方


%%%%%日刊ゲンダイ記事転載
やっぱり危ない伊方原発 発電初日の地震直撃に専門家警鐘
2016年8月17日
(写真:福島第1原発事故の本当の原因は地震か津波かいまだはっきりせず(東京電力提供)
拡大する
 発電初日、襲われた。15日山口県で起きた震度3の地震。伊方原発3号機がある愛媛県伊方町でも震度2を観測した。四国電力では12日に原発を再稼働し、15日から発電と送電を始めたばかり。いきなり地震に“直撃”され、周辺住民は「やっぱり伊方原発は危険だ」と不安を強めている。

 伊方原発は以前から、その“危険性”が指摘されてきた。わずか8キロ先に国内最大の活断層「中央構造線断層帯」があるからだ。4月の熊本地震はその延長線上の「布田川・日奈久断層帯」が動いて起きた。愛媛県の中村時広知事は「(伊方原発で)福島と同じことが起こることはない」と断言しているが、何を根拠に言っているのか。武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)がこう言う。

「熊本地震以降、震源地は周辺地域に広がってきています。今回の震源地の伊予灘は伊方原発のすぐ隣にある。非常に怖い場所で起こったといっていい。中央構造線断層帯沿いは、これまで地震が繰り返され、地震に弱い岩盤が広がっていて、不安要素は多いんです。しかも、福島第1原発事故の本当の原因は、まだ地震か津波か、はっきりしていない。そうした段階で、伊方原発を『安全』と言い切るのは早すぎるでしょう」

電力十分に原油安で再稼働必要なし

 そもそも、いま危険な「伊方原発」を再稼働させる理由はほとんどない。電力業界は「電力の安定供給に原発は欠かせない」と説明するが、原発稼働がゼロでも、電力は十分足りている。しかも、原油安の影響で火力発電の燃料費も安く済んでいる。「原発のほうがコストは安い」という言い分も、事故対応や廃炉への費用を考えると、正しい見方とはいえない。

 ジャーナリスト・横田一氏はこう言う。

「電力会社が再稼働を急ぐのは、すでに燃料も買って施設もあるからです。初期投資が大きい原発では、なるべく長期で使用したほうが、経営上はプラスになる。政治家側も、現在は電力会社から直接の政治献金はありませんが、選挙時に運動員を出すという人件費の無償提供を受けている。『脱原発』という候補には、『応援しないぞ』と脅しをかけるケースも多い。選挙を“人質”に取られ、原発推進にならざるを得ないんです」

 国民の安全よりも、大切なのはカネと選挙ということだ。発電初日に伊方原発を揺らした地震は、天の啓示ではないか。
%%%%%記事転載終わり

地震情報解析(4)、伊方原発再稼動(2)、防衛省委託研究

(本ブログは月水金に更新されますコメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へお寄せください)
(写真:まるでギリシャ神話に登場するナルシスであります。己が美しい姿を水田の水に映しうっとりする白鷺であります。と、言うのはゲスの勘繰りでしょう。多分ザリガニか何かを見つけたのでしょう。拡大はクリックしてください)
P810白鷺


 美しき 己が姿が 水に映(は)ゆ あのわずらわしき 鴨は去りぬる

 ここ、数日の間にどうやら鴨は新たな地を求めて当地を去ったようです。そういえば、雉もこのところ鳴き声を聞きません。酷暑の中にも時は過ぎているようです。

(図1:東京新聞二面記事より、拡大はクリック)
P815防衛省ファンド


 私は、「軍事研究反対」なるスローガンに違和感があります。科学者たるものが、それを拒否したところで国の要請があれば、誰かがそうした研究を引き受けることになるからです。鹿も、現在の我が国には憲法九条を巡るややこしい問題がつねにまとわりついています。
 防衛省が発注するからそれが軍事研究になるのか?必ずしも宗ではありません。民生向上の視点から同様の技術的問題意識を自らに課して研究を始めることは大いにありえるのです。そうなってくると軍事研究を識別できる基準がぼやけてきます。

 
+++++地震情報解読(4)
(図2:房総半島南沖の地震活動分布は、相模トラフを浮かび上がらせている。防災科学技術センタHPより)
相模トラフhinet


 図2は、8月14日朝の房総半島沖の地震に伴って、防災科学技術研究センタが公開した周辺の地震活動は、大変興味深い様相を浮かび上がらせています。図2の右橋から〕左上に向かう矢印の方向になにやら地震活動の帯らしきものが認められます。これは、相模海底渓谷であろうと思われます。その警告に沿って地震活動の帯が〕見えてきたということなのか?それともこうした帯びはいつもみえているのか?気になります。

 何故なら、この海底渓谷こそ、来るべき関東大地震の震源域であろうことを研究者が指摘しているからです。

 さて、地震情報解析の話の続きです。繰り返しになりますが、地球上の500近い地震観測所で記録された地震波形(例えば図4)を解析するということは、図3で示される数式に地震波形が当てはまるような最も尤もらしいMを求めることです。
図3: CMT(Centroid Moment Tensor) 解がよってたつ数式の簡略表現であり、正確ではない)

 equation1


(図4:上の数式を理解するための模式図。CMTとは観測される波形に最も良く会うようなテンソル量Mを求める作業である)
P813cmt



 (図5: 地震波解析に用いられる座標系)
P815テンソル座標


  equation3
、はモーメント・テンソルと呼ばれる量で、添え字は(1,2,3)のいづれかの値を取ります。それは前回ブログで図示しており、図5のような座標系では同図の右下のように考えてよいことになります。つまり図2の数式の左辺に付されている添え字は地面の運動方向です。添え字1は上下、2は南北、そして3は東西を表していると思うことが出来ます。

 ところで、テンソルとは、物理現象を定量的に表現するための量です。温度、エネルギなどはスカラ量と呼ばれ、速度、力はベクトル量と呼ばれます。テンソル量とは、現在論議している場合であれば力の方向とその力の働く面の向きを組み合わせた量と言うことが出来ます。それは図5に示したように行列の形で表現されます。
地震波の解析では、このモーメントテンソルが未知数で、それを地球上に配置された地震計で記録された地震波形から、最も最適な量(最尤値)を推定する作業なのです。添え字が1から3まで変化しますから、全部で9つの未知量を求めることになります。が、以前書いたように実際の未知量は6つに減じます。
 例えば下図で最上行中央は3軸の周りの右回転です(3軸の上から見ている)。一方中央行最左は3軸の周りの左回転です・地震源では、いかなる力が働こうとも「数学的には」そこの物質は回転せず、移動をしないことが前提されています。その結果、M1,2 =M2,1として解析されます。かくして未知数は6つになります。

 その6つの量がFDSNまたは気象庁のCMT解で示されているのです。以下はFDSN(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )による7月29日マリアナ諸島下207kmのM=7.7の地震の解析結果です。この表を得るためには下記の表を埋めねばなりません(ただし時間は日本時間ではなくUT;Universal time ですから注意が必要です。
(図6:地震検索)
CMT検索


 そうして検索された結果が下の表です。この表の上から6行目の最後の6つの数値がモーメント・テンソル量で、これを行列表現にしたものが図4の行列(右下)と対応しています。これらの量の次元は[cm・dyne](cgs系を未だ用いているので要注意です。ISOによればM・Newtonnを持ちいえるべき)でそのpowerがExpo=27、つまり10の27乗ということになります。
%%%%%FDSNの解析結果例
201607292118A MARIANA ISLANDS
Date: 2016/ 7/29 Centroid Time: 21:18:33.5 GMT
Lat= 18.59 Lon= 145.72
Depth=207.5 Half duration=17.5
Centroid time minus hypocenter time: 7.7
Moment Tensor: Expo=27 3.360 0.367 -3.720 -2.270 1.780 0.868
Mw = 7.7 mb = 0.0 Ms = 7.7 Scalar Moment = 4.66e+27
Fault plane: strike=190 dip=34 slip=130
Fault plane: strike=325 dip=65 slip=67
%%%%%
 そこで、上のモーメントテンソルを行列風に書き並べたものが下記です:
Tensor(rr,tt,ff,rt,rf,tf)=>[3.36 0.367 -3.72 -2.27 1.78 0.868]
pm_x = 3.36  - 2.27 1.78
    - 2.27 0.367 0.868
 1.78 0.868  - 3.72

 つまり観測された波形に最も良く理論波形をあわせるためには6個のMの値は上に与えられたようでなければならないというわけです。ここで念のために付記して置きますが、波形は一般には20〜30地点での地震記録です。しかも、夫々の観測点では地震動を、上下、南北、東西の3つの地震計で記録しています。そうなるとあわせねばならない波形の数は60〜90と言うことになります。だからこそ「最尤」のM値なのです。つまりあの観測点での波形には会うがこっちではまるっきりダメだというのでは話にならないのです。出来るだけ多くの観測点での地震波の「顔を立て」るようにM値は決まられるのです。

 下の図に照らし合わせるなら、7月29日のM=7.7地震では(1,1)タイプは3.36であったということになります。上下方向の引っ張り力が3.36であった、と言うわけです。又(1,2)タイプはー2.27、つまり3軸の周りのトルクの大きさはー2.27(符号は回転方向)であったというように解釈できます。 
(図7:モメント・テンソルの物理的意味)
cmt


 ところで、以前書きましたが、地震学で議論するモーメントテンソル量は、対になっている二つの力の向きとそれが作用する面の向き(言葉を変えると面に立てた垂線(法線)の向き)を組み合わせた量です(そのためにベクトルようなわかりやすい表現が出来ない)。このような場合、原点(この場合は震源)での座標系を回転することで、事態が単純に表せます。つまり「上下、南北、東西」と言う座標系にこだわらないということです。単純表現を与える座標を求める作業を「行列の対角化」と呼びます。次回そのことを書きます。これが終えると、やっと数学的準備が終了と言うことになります。
(つづく)

+++++伊方四国電力伊方原子力発電所三号機再稼動(2)
 前回も書きましたが、この四国の原発再稼動にも多大な問題があります。何よりもまず、この原発が日本列島を縦断する最大の活断層である中央構造線のまさに直近に位置することです。そして、この大断層の西では、つい四ヶ月前に多大の犠牲者損害をもたらした熊本地震が発生し、その活動が東進を窺っているかに見えることです。
 さらには、大事故が発生した場合、長細い佐多岬半島にあって住民の避難は誠に困難であろうことが想定されることです。そして放射能汚染物質が伊予灘、豊後水道に降り注ぐのです。佐賀の関のさばをはじめ海の行行産業は破滅的な打撃を受けます。 
 
%%%%%本日付愛媛新聞が伊方原発再稼動を厳しく批判しています:
核燃料サイクル 「破綻」状態での再稼働は疑問だ四国電力伊方原発3号機が再稼働した。

 原発内の使用済み核燃料プールはすでに8割が埋まっており、他県への搬出も難しい。 政府が固執する核燃料サイクルは事実上破綻状態で、高レベル放射性廃棄物の最終処分地もめどが立っていない。
「トイレなきマンション」と批判されてきた原発の根本的な問題は何一つ解決していない。 こうした状況での再稼働には大きな疑問を抱く。四電は新たな中間貯蔵施設の整備を検討しているが、問題の先送りにすぎない。
まずはこれ以上、使用済み核燃料や放射性廃棄物を増やさないことが肝要だ。やはり原発は止めなければならない。
四電は今年3月、老朽化した1号機の廃炉を決定した。使用予定だったウラン燃料93体が使用済み扱いとなり、伊方原発の使用済み核燃料は計1515体に増加。
プールの管理容量の80.2%が埋まる。四電はプールが満杯になる時期を「最短8〜9年後」としていたが、「6〜7年後」に2年繰り上がった。
使用済み核燃料は再処理し、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料として再利用する計画だった。
しかし日本原燃再処理工場(青森県)は本格稼働の見通しが立っておらず、加えて、再処理工場のプールはすでにほぼ満杯になっている。
このため四電は水で冷却するプールとは別に、「キャスク」と呼ばれる金属の容器に入れて空気で冷やす「乾式貯蔵施設」の新設を検討している。問題は建設地の選定だ。
伊方原発の敷地内は「狭い」とされ、敷地外の場合は原子力規制委員会の許可のほか、予定地の自治体や地権者の理解が必要になる。
時間的な余裕がない上に、このまま使用済み核燃料を搬出できない状態が続けば、貯蔵施設をつくったとしても、いずれあふれ出す。
「中間」とはいえ、再処理できず最終処分地も決まらなければ、なし崩し的に長期間貯蔵されることになる。原発の敷地内外を問わず、地域住民の同意を得るのは困難だろう。

 伊方3号機はプルサーマル発電でMOX燃料を使う。世耕弘成経済産業相は「核燃サイクルの観点から非常に意義がある」と再稼働を評価するが、
高速増殖炉のもんじゅ(福井県)は相次ぐトラブルで止まったまま。再処理工場も含めて、サイクルの見通しは全く立っていない。
国が年内に科学的有望地を示すとしている最終処分地も候補地の決定だけで今後20年程度を要する。
思惑通りに選定が進んだとしても、その前に全国の原発に使用済み核燃料が山積みになっている可能性が高い。
5年前の東京電力福島第1原発事故は、これまでの原発政策を見直す大きな契機となったはずだ。
にもかかわらず、根本的な問題の解決を先送りし、事故前に戻そうとするかのような安倍政権の姿勢を危惧する。
このまま後世に大きな負担を残していいはずがない。脱原発へと進むべきだ。
(図8:
使用済み0001

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201608146980.html
%%%%%

もう一つリテラによる指摘を転載しておきます:

%%%%%再稼働した伊方原発は日本で一番危険な原発だ! 安全審査をした原子力規制委の元委員長代理が「見直し」警告
http://lite-ra.com/2016/08/post-2491.html
2016.08.12. 再稼働した伊方原発は日本で一番危険! リテラ

 本日12日、愛媛県にある四国電力伊方原子力発電所3号機が再稼働された。鹿児島県の川内原発、福井県の高浜原発に続く、新規制基準下では3番目の再稼働だが、同原発の正門前では、朝早くから地元住民や市民団体が抗議を行い、3号機が起動した午前9時には「今すぐ止めろ」の怒号がとびかった。
 こうした声はたんに原発そのものへの反対というだけではなく、もっと切実なものだ。というのも、伊方原発は日本に55基ある原発のなかでも“もっとも危険な原発のひとつ”と指摘されているからだ。
 その理由はいくつかあるが、いちばん大きいのは、伊方原発が日本でも有数の大地震に襲われるリスクを抱えているということだろう。伊方原発のそばには日本最大級の断層帯である「中央構造線断層帯」が、南には活発で大規模な地震発生源の南海トラフが走っている。
 特に「中央構造線」は、九州の西南部から、四国を横断し紀伊半島、関東にまで延びる日本最大級の活断層で、熊本大地震で大きな注目を浴びたものだ。これまでこの「中央線構造線」は活動していないと思われていたが、実際には九州、四国などでおよそ2000年に1回動いており、1595年に四国西部から九州東部にかけ、「中央構造線」を震源とするマグニチュード8クラスの巨大地震が起こっていたことも判明している。
 そして伊方原発は、この「中央構造線」が走る断層からわずか5キロ、ほぼ真上といってもいい場所に立地しているのだ。
 しかも、「中央構造線」は熊本地震をきっかけに活動が活発化、熊本地震で断層の延長上にひずみがたまったことで、四国側の「中央構造線」が動く危険性が指摘されている。もし「中央構造線」を震源とする地震が起きれば、伊方原発を10メートルを超える大津波が直撃する恐れがある。
 しかし、四国電力は一貫して「瀬戸内海に津波は来ない」と津波対策をとっておらず、このままでは福島第一原発事故の再現が起きかねない。
 伊方原発は津波だけでなく、地震本体についてもまったく無防備だ。熊本大地震では垂直加速度1399ガルが記録されたが、伊方原発は最大でもたった基準地震動485ガルの想定でしか設計されていない。伊方原発付近でマグニチュード8〜9の巨大地震の可能性があることを文科省の特別機関である地震調査研究推進本部さえも認めているが、もしこの規模の地震が起きたら、とても耐えられる設計ではない。さらに発生確率が極めて高い南海トラフ巨大地震が起こった場合も同様だ。
 実際、今回、同原発の安全審査を合格させた原子力規制委員会で2014年まで委員長代理を務めていた島崎邦彦氏は、「これまでの原発の耐震設計基準では熊本地震と同レベルの地震に耐えられない」と基準地震動の「過小評価」を指摘、伊方原発3号機についても基準地震動の緊急な見直しが不可欠だと警告していたが、これも一切無視されたままだ。
 そして一度事故が起こってしまえば、その影響は甚大なものとなる。伊方原発は、日本で唯一、内海に面している原発であり、外海に面していた福島原発事故と比べても、瀬戸内海における放射能汚染の濃度は格段に高くなることが予想され、またその影響は長期に及ぶだろう。しかも、伊方原発ではプルトニウムMOX燃料が使用されるが、これも事故の際のリスクを高めるものだ。
 さらに、事故の際の住民たちの避難も困難を極める。伊方原発は佐田岬半島の入り口、付け根部分に立地しているが、その先の半島部分には実に5000人もの住人が生活している。もし伊方原発で事故が起こり、放射性物質が放出されても、住民は原発に向かってしか避難できないことになってしまう。つまり逃げ場を失ってしまうのだ。
 こうした現実には一切目を向けず、「新基準に合格した」ことだけを突破口にして再稼働にひた走る電力会社と政府。政府は「事故が起こったら責任を持って対処する」などとうそぶいているが、一旦事故が起きてしまったら、いくら「責任を持って対処」しても手遅れだし、そもそも福島原発事故の対応を見れば、政府が「責任を持って対処」することなど大ウソだということも明らかだ。
 伊方原発周辺で大地震が起きれば、必ず福島原発事故の再現となる。そして、多くの住民が犠牲となる。無謀な再稼働に対し、そのことだけははっきり明言しておきたい。
(伊勢崎馨)
%%%%%

地震解析情報(3)、伊方原発再稼動と山本議員の怒り

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:そろそろ稲が穂を実らせてきました。そうなると問題は鴉避けです。かくして案山子の登場です)

P810案山子


 カナカナが 雑木の中で 鳴いている 散歩の母子 家路を急ぐ

 夕方の雑木林で、早くもカナカナが鳴く時期となりました。このごろはアカトンボも目につくようになりました。幼子の手を引いて散歩していたお母さんが「カナカナが鳴いてるから、お家に帰ろうね」と話しかけていました。

+++++地震情報解読(3)
 地震研究の現場にいない多くの人にとっても、研究者であろうと素人であろうと、地震は大きな関心事です。突然足元を揺さぶり、場合によっては我々を生命の危険に晒します。そうした事情から、地震に関しては、あちらこちらで私を含め素人談義が絶えません。それはもっぱら一寸先の地震様相です。その談義の材料は気象庁が公開する地震発生状況(http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/index.html )、防災科学技術研究所(http://www.hinet.bosai.go.jp/ )、そして日本書紀に地震記載記事などに基づいて昔の地震発生の場所と時期を考察することになります。kのぎろんでは素人も玄人もありません。何せ、用いる史料は全く同一なのです。せいぜい異なることといえば、歴史地震に関しては、なかなか素人が手を出せない、と言うことぐらいです。あの「ミミズがのたっくったような」古文書は、確かに日本列島内外の地震活動についてその時間、空間領域を広げますが、それは、気象庁なり、防災権なりのデータの拡充に過ぎません。つまりその解析にあっては、いつもながらの地震活動の時間的変動、あるいは空間的遷移、そしてそれらの連関をむるにとどまります。これ以外、どうしようもないのです。
 とするならば、現今の公開されているデータを門外漢(ここでは地震研究の現場にない当意味)なりの視点から見てみようと思った次第です。FDSN(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )そして最近は気象庁も地震波の解析からCMT解とよばれる量を公開しています。示される諸量の中で何か使えるものがあるかも知れないというmわけです。そのために、十日ほど前の本ブログ記事をまずは復讐します:

%%%%%8月3日付け記事の再掲 
図: CMT(Centroid Moment Tensor) 解がよってたつ数式)
equation1

 
 上の式で、左辺は、 equation2での、つまり地震計設置場所、 、で時刻、、に地震記録上に観測された地震動の振幅、つまり地震波形です。現在の地震計は地震記録をデジタル量として記憶装置に書き込みます。例えば、地震計が0.1秒ごとにその振幅を記憶装置にかきこむとすれば、それが u と言うことになります。

(図2:上の数式を理解するための模式図。CMTとは観測される波形に最も良く会うようなテンソル量を求める作業である)
P813cmt


 u に付されている添え字は地面の運動方向、一般には上下、南北、そして東西を表します。これについては、次回説明します)
 一方右辺の第一項、equation3 、はモーメント・テンソルと呼ばれる量で、添え字は(1,2,3)のいづれかの値を取り、その物理的意味を示すのが下の図です。
テンソルとは、物理現象を定量的に表現するための量です。温度、エネルギなどはスカラ量と呼ばれ、速度、力はベクトル量と呼ばれます。テンソル量とは、現在論議している場合であれば力の方向とその力の働く面の向きを組み合わせた量と言うことが出来ます(もっときちんとした説明をすべきところですが、議論を複雑にしますのでここではそれを割愛します)。
 地震波の解析では、このモーメントテンソルが未知数で、それを地球上に配置された地震計で記録された地震波形から、最も最適な量を推定する作業なのです。添え字が1から3まで変化しますから、全部で9つの未知量を求めることになります。が、下の図に見るように或る重要な仮定をすると6つに減じます。
例えば下図で最上行中央は3軸の周りの右回転です(3軸の上から見ている)。一方中央行最左は3軸の周りの左回転です・地震源では、いかなる力が働こうとも「数学的には」そこの物質は回転せず、移動をしないことが前提されています。その結果、1,2 =M2,1として解析されます。かくして未知数は6つになります。
 は弾性体物理学理論から数学的に導出される関数で、弾性媒質中の或る点で力が働くと媒質中の異なる点でどのような変動が生ずるかを与えます。最後のfは力が働く際のその時間的挙動です。つまり、ゆっくりと働くのか、瞬時に短時間で働くのか等を記述する関数です。

(図:モメントテンソルの物理的意味)
cmt

  さて、軸1,2,3について次回説明します。

%%%%%8月3日記事加筆再掲おわり

+++++伊方原発再稼動
 愛媛県の伊方原発が再稼動します。この原子力発電所は熊本県中央部から四国を縦断する中央構造線の直情にあるのです。その西端では本年4月半ばにM>7の地震が発生し、その活動は東方に移動したことで、四国への活動の伝播が自身専門家によって深刻に危惧されている最中の「稼動」です。電力会社、そして稼動を是と判断した原子力規制委員会の「見識」を疑っています。
(図:8月12日付東京新聞記事)
P812伊方


 上記の「再稼動」について、山本太郎参議院議員がブログで怒りの声をあげています。
%%%%%山本議員の怒りの声転載
正気とは思えない“”
http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12189491723.html
2016-08-11 22:27:27 山本太郎オフィシャルブログ 
「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト

愛媛県の伊方原発が再稼動される。正気とは思えない判断だ。東電原発事故や熊本地震から一体、
何を学んだのだろうか?
「色々考えたら再稼動などできる訳が無い、とにかく、いける所までいってやろう」これが本音だろう。そうでなければ、再稼動など無理だ。熊本地震の原因になった、日奈久断層帯と布田川断層帯は、国内最大級の活断層「中央構造線」の延長線上にあり、伊方原発もその近くに立地する。断層帯が飛び火的に動く可能性もあり、熊本地震規模以上の地震が起こる可能性がある事は、
皆さんご存知の通り。
それに耐えられる安全対策など、できるはずもない。熊本地震で目の当たりにした家屋の倒壊、道路などの寸断。事故が起こった際に被曝を避ける屋内退避や、車両による避難、バスでお迎えにあがります、という避難の想定事体がどれほど現実味がないか、子どもでも理解できること。
なにより、避難計画が成り立っていない事を、1番判りやすく示しているのが、伊方原発の西側、
佐田岬半島の暮らす住民に対しての避難計画。有事には、佐田岬から船で九州側に船で避難するという。津波が来ている状況で、どうやって船で避難出来るというのか。
モーゼがやってきて海でも割ってくれるというのだろうか。無責任を通りこして、おめでたい状況に陥っている。避難計画でなく、現実逃避と呼ぶべきではないか?大規模な震災、伊方原発に過酷事故が起こった場合、愛媛の人々のみならず、大分、高知、山口、 広島などの周辺自治体住民も、避難民になる恐れがある。一体、これほどの避難民をどこが受け入れられるだろうか。
避難させない、という方針が打ち出される事が現実味を帯びる。東電原発事故時にも、放射性プルーム(放射能雲)となって、静岡まで到達した事は国も認めている通り、ひとたび原発事故が起これば、放射性物質は広く拡散される。
当然、周辺自治体の同意が必要な事は明らかではないだろうか。有事には巻き込まれる恐れがあるにも関わらず、周辺自治体の同意なし、民主的な手続き抜きで再稼動可能、などあり得ないこと。事故が起こったら国が責任を取る、と皆さんはお考えになるだろうか?残念ながら、責任は取らない。というより、責任など取れない。
東電原発事故後、38万人が受けた、福島県の県民健康調査では、173人(1名良性含む)が甲状腺がん又はその疑い。甲状腺がんは「100万人に1人」と言われていたのに、今や38万人中、173人。明らかに多発に違いないが、原発事故との因果関係は決して認めない。
そればかりか、周辺県への積極的な健康調査さえもしない。区域内の方々に対する精神的賠償なども次々に打ち切られ、区域外避難者(自主避難)に対する家賃のアシスト(みなし仮設) も打ち切られる。加害者側の一方的な線引きにより、被害者は泣き寝入り。これが既定路線だ。
安全基準を緩和し、大丈夫だ、騒ぐな、安心しろと、ねじ伏せられ、被害者はコストとみなし次々に切り捨てられる。 これが過酷事故が起きた際の、国の責任の取り方。
一方で事故を起こした事業者は、1人も逮捕される事も無く、あり得ないほど高額な退職金を手に次の天下り先へ。東電原発事故以前、安全神話のもと、嘘の上塗りを続け、ラッキーだけで過酷事故を免れてきた原発。地震、津波に対する防御方法も責任の取り方も存在しない事が、明らかになったのが、東電原発事故ではなかったか?

いまだ収束の方法さえもわからない、恐らく百年単位での収束作業がこの先も続く。新国立競技場の建設費問題などカワイク思える程のコストが皆さんの税金、電気料金から支払われる。
それに合わせて、100万年安全に管理されなければならない、核発電後の核のゴミのコストも皆さんの支払い。今まで核発電を使った事に対する負の遺産と、既に起こしてしまった事故の処理に、税や電気料金の負担が生じる事は当然だ。ただ、次々に進められるデタラメに近い形での再稼動によって、将来的に過酷事故が起こることは防げないだろう。
もう一カ所、原子力過酷事故がこの国で起こった場合、破綻は目に見えている。
それでも再稼動に踏み切る理由は何か?
原子力に関わる数々の企業への、 あめ玉を取り上げる訳にはいかない事。お前の国で安全でない、と再稼動もできないモノを俺たちに売りつけるのか? と言われてしまえば終わり。
海外へ原発輸出をする為にも、国内の再稼動は必須だろう。原発がなくても電力は安定している。代替の電源は、担保されている。現在、シェールガスなどの事業も四苦八苦する程、資源価格も下がり続けている。その中で、時代遅れであるばかりか、結果、コストがべらぼうに高くつき、
この国に生きる人々の暮らしをも脅かすエネルギー政策からの転換を今、行なわなければ取り返しがつかなくなる。それを決めるのは政治。私も、もちろん国会の場で、それを訴え続けますが、
今の国会のパワーバランスでは正直、抑止力にはなっていない悔しい状況。政権は玉砕覚悟で、原発政策に突っ走る気です。
これを変えるには、選挙で議席を入れ替えるしかないが、それには、まだ時間がかかる。
現在、愛媛県から、被爆者の方々が広島から、そして大分県からも司法に訴えています。
伊方原発運転差し止め訴訟の原告をカンパなどで、支えて戴けませんか。
どうかお力をお貸し下さい。
%%%%%山本太郎氏ブログより

函館・高龍寺と青森恐山

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:灼熱の太陽の下、恐山(おそれざん)入口を流れる「三途の川」にかかる橋をトボトボと渡る現ブログ管理人。生前(小生、まだ生きてますが)に重ねてきた数多(あまた)の罪業をつめこんだ黒い袋を背負わされています。  
 十年も昔のことですが、私の母が他界する前、孫たちに以下を語ったとのことです:
「おばあちゃんが死んだら、水着を棺に入れてね。死んで仏になるには三途の川を渡らねばならないのよ。舟で渡るんだけど、渡し守にお金を上げないと、途中で意地悪をされるかもしれないのよ。でも、おばあちゃんは、お金は全部この世に置いてゆくから舟には乗れないの。でも仏にはなりたいから、仕方ないから泳いで渡るのよ」と。
 反骨心旺盛であった母を想い、そして無事に仏になれることを願って、確かに棺に水着を納めました。その三途の川にも、昨今渡し舟に替わり橋が架かったんですな。阿漕(あこぎ)な渡し守が死者達から指弾され、地獄の頭領たる閻魔さんが渡し守を馘首し、橋を建造することを英断したのやもしれません)
160806_1143-01

 
 網の窓 四六時中に セミとまり 愛の絶唱 叫び居るなり

 当家の夏の風物詩であります。この時期、網戸に常時蝉が二〜三匹しがみつき、大声で、「求む!彼女」と叫んでいます。それも朝の五時前からです。ヤレヤレでありまするよ。

 二十数年前に他界した岳父の墓詣でに函館まで行ってきました。墓は函館で最古の名刹・高龍寺、函館山の東麓に在します。創建は西暦1633年とのことなので、成立間もない徳川幕府の威勢が充分には及ばない頃です。が、天台仏教は、津軽地方に拠した武家・豪族を通じて影響力を浸透させていたようです。

 多くの内地の商人、回船業者たちが北海道住民との交易で来道したけれども、帰国叶わず病などに仆れ、この地で没した人々も少なくなかったのでしょう。そうした人達の霊を弔うため、この寺が創建されたのだろうと思います。江戸幕府が北海道、当時の蝦夷地経営に大きな関心を示すのが田沼意次の時代です。江戸幕府にしてみれば十八世紀末よりの頻繁なロシヤ人の来道に神経を尖らせる時代でもありました。実際、この寺に隣接してロシア人墓地と小さなロシア教会があります。

 江戸時代の北方探検家としては近藤重蔵、間宮林蔵などが知られていますが、蝦夷の地に五回も足を踏み入れたのは山形県出身の最上徳内です。十八世紀末から十九世紀初頭の頃です。函館出身の作家・宇江佐真理が自著『たば風 蝦夷拾遺』で、この人物の来歴とその業績を詳しく書いています。この人物は数学を得意とし、江戸で著名な算術家に学ぶ中で、測量に強い関心を抱きます。宇江佐氏の本によれば、徳内は蝦夷の探訪で、当時の松前藩がアイヌの民をいためつけ、酷い収奪と残虐を繰り返しているのを見聞しています。それに、憤りを持っていたことから、あらぬ嫌疑を幕府からかけられています。

 岳父のご先祖さんがどういう経緯からこの函館に住むようになったのかは聞いていません。岳父は長ずるにおよび、北海道農業試験場の研究員としてそのキャリアを終えています。どうやら北海道米の改良研究に従事していたようで、なした子には、いずれも「穂」の字を当てていることから「米」への強い愛着が窺えます。

 私は40年ほど前の昔、北海道で五年程働きました。当時の農業関係者の大きな関心の一つが「北海道にうまい米」を作ることにあったようで、稲の改良から土壌の改良など様々な研究と工夫がなされていた時代です。当時の酒飲み仲間に北大農学部でまさにそれを研究テーマとしている若い助手がいました。普段は豪放磊落の好漢ですが酒飲むと「うまくない北海道米」との愚痴をクドクドこぼしていたことを思い出しました。北海道の名誉のために付言しますが、昨今の北海道米は本州のそれに劣りません。


+++++青森県北端
 折角函館まで来たので、帰途、青森県の恐山(おそれざん)に立ち寄ることとしました。この霊場の詳細はウイキなどを参照いただくことにして、ここでは旅の雑感を書きとめて置くことにします。
 本年三月北海道新幹線が開通したため、鉄路はおおいに変わり困惑しました。以前は函館・青森間の特急が津軽半島東岸の蟹田で停車しま。そこからフェリで下北半島に渡るのです。ところが新設の新幹線には蟹田なる駅は存在せず、津軽今別(津軽二股)駅で停車します。これは普通列車の蟹田駅の二つ手前です。蟹田に行くには、そこで鈍行に乗り換えねばなりません。その待ち時間がなんと二時間半です。駅は新設ですから、周辺には見物するところはないので、時間のつぶしようが無いのです。今夏一の酷暑の昼でした。周囲の豊かな緑を時間つぶしに散策する気分にもならず駅舎でボケーっと過ごしました。

 乗船客20数名、車十台程度とガラガラのフェリで津軽湾を横切り対岸の下北半島南西端の脇の沢につきます。そこでは、次の辛苦が待ち構えていました。むつ市中心部行のバスに乗るには一時間半待たねばなりません。かくして朝8時に函館を発ち、むつ市内の宿に辿りついたのが午後六時、延々十時間の旅でした。新幹線ならば函館―東京を往復できる時間です。

 マサカリの形をした下北半島の南西端から海沿いに東へ走るバスの車窓風景は「過疎」と言う感慨がまとわりつく一時間でした。美しい海、緑の林、そして豊かな流量の川、どれもが懐かしい風景です。しかし、子供、若者が見えない。実際、最西端の「脇の沢」地区にはいまや,小学校が無いのだそうです。後日聞くところでは、女性が少なく、「結婚産業(ビジネス)」が成り立たないとも聞きます。これでは、子供が出来ません。新幹線はこうした「過疎」に拍車をかけているかのようです。実際、昔は、蟹田駅からのフェリは満杯の人を下北半島に運んだと言います。

 (写真:宿から見る釜臥(かまふせ)山(標高878m、つくば山より1m高い)の東裾に沈む夕日。恐山はこの山の北方背後にある。太古の昔の噴火口跡と案内書は書く。TVローカル局が、恐山噴火の際の「東通・東北電力原子力発電所」への影響調査活動を報じていた。夕方なので鮮明には見えないが手前を田名部(たなぶ)川が右から左に流れている)
P806夕日

 
 翌朝、バスで恐山に向かいました。灼熱の太陽の下、恐山域に建つ菩提寺境内を見学した後、地獄の様相に仕立て上げられた寺域を周遊しました。そこには賽の川原、血の池、と銘打った「名所」が用意されています。
 北方原住民の宗教思想と後世の人間のそれへの畏敬、更には、これに遠く中東からの渡来族の信仰がない混じった風景、雰囲気を期待していた者としては、この観光化にはいささか失望しました。さらには、「イタコ」なる老女のたたずまいなどにも接したく思っていましたがそれもなりませんでした。恐山を仏教思想のみに基づく「霊場」に閉じ込めてしまうことは、日本列島の古代史と言う視点からも、見直すべきではなかろうかと思った次第です。

(写真:日本列島に渡来した人たちの渡来経路。本ブログでは北海道を経て本州にやってきた一族を議論している。東京新聞7月20日付記事より。)
P720古代


 実際、上の新聞記事にも見るように、遠く西域から渡来した人たちがこの地を通過したはずなのです(新聞記事右の地図で、「北海道ルート」と示されている)。その痕跡がどこやらに残っているはずです。恐山は宗教・精神史の現場です。だからこそ、そうしたもののかけらでも良いからとどめておいて欲しいものです。

 寺の域内の見物を結局一時間弱で全てを終え、あとは帰りのバスが来るまでの二時間、またもや待合所でじっと待機であります。今回の旅を一言で言うならば、「長時間待ちの辛苦」です。待っている間、同行した連れ合いは誰とでも気軽に話せると言う特技を生かして休憩所の係員などから色々な情報をかき集めてきます。

(写真:休憩所内に貼られた板。この施設がいわゆる「原発交付金」で作られたことを明示し、利用者にあまねく知らしめています。平成3年とある1991年は、東北電力と周辺漁業協同組合との保障協定成立の前年になる。さらには、事故を繰り返したため、あちこちで嫌われ、落ち着く先が無く日本列島の周囲をさまよった「原子力船むつ」の最終決着がついた年でもあります。むつ市内には、JR駅前の整備などにこの交付金が使われていることが明示されている。「あんたらは原発のおかげで快適な生活が出来てるんだよ」といわんばかりで押し付けがましいんですな。市内のとある食堂でそんな話が出ました。私が水を向けたわけでもないのに、住民はそのあたりをきちんと見抜いているので驚きました。)
P806原発2

 
 連れ合いが聞き込んだ情報に拠れば、昨今恐山界隈にはクマが増え、数日前に冒頭写真の三途の川橋の近辺で出現、恐山の寺域内ですら、ちょっとした潅木内でクマが昼寝していただとか、頻繁に出没しているのだそうです。ハイキング好きの士には恐山は格好のコースですが、現在それは大変危険であるようです。

 恐山訪問を終え、いよいよ帰宅です。まずは大湊線から野辺地を経て新青森駅に行かねばなりません。ところがこの日は東北地方の祭り「ネプタ」の当日です。車内はまるで東京の通勤電車の如き混雑です。一時間たちっぱなしで、ヘトヘトになりました。新青森駅で購入した「新青森・海鮮丼」(900円、これはお勧めです)と缶ビールを車内に持ち込み、なんとか生き返りました。

 さて、上にも書いたように、函館から青森にかけて、とりわけ恐山にはアイヌ族と西域からの渡来族の精神史のないまざった表現が散在しているのではとの期待がありました。それを見つけることは出来ませんでしたが、8月初旬の東北三大祭り、つまり仙台の七夕、青森のねぶた、そして秋田の竿灯こそがその表現ではないかと思っています。
 それに加えるならば、津軽今別の荒馬(あらま)まつりではなかろうかと思っています。これらの祭りの来歴は定かではなく、江戸時代に始まったなどの考証もあるようですが、私は、そこにいたる長い積み重ねあったに違いないと思っています。

 たまたま、津軽二股駅での二時間半、所在無げに駅で放映される「荒馬まつり」ビデオを眺めていました。馬役の青年と、それを調教する女性の踊りです。猛々しい馬の踊りから連想したのが北方に逃げたとされる源義経の姿です。思えば津軽二股から二つ北の駅が三厩です。ここは義経逃亡の痕跡をとどめる地とされています。以前も書いたように義経がジンギスカンであるかどうかはともかく、この人物の出自がモンゴル、西域であるとは私のかねての推論です。
 こうした想像に導くのが荒馬祭りです。ところで荒馬の馬は「バ」とオンします。そのように考えると荒馬は「アラバ」です。ここから連想するのが「荒吐」(アラハバキ)です。
これについて、ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキよりの転載
偽書である『東日流外三郡誌』では以下のようにある。従って、アラハバキに関し、この節にあるものに類似した記述には一般に注意を要する。
「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権によって東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とするもの。荒脛巾神(あらはばきがみ)ではなく「アラハバキカムイ」といい、遮光器土偶の絵が付されている(遮光器土偶は、『東日流外三郡誌』の地元である津軽の亀ヶ岡遺跡のそれが特に有名である)。また神の名だけではなく、民族の名としても使われ、蝦夷(えみし)という呼び方は大和朝廷からの蔑称であり、自称は「荒羽吐族」であるとしている。このため、神の名ではなく民族の名としてのアラハバキも一部に知られることになった。『東日流外三郡誌』では、アラハバキカムイは荒羽吐族の神々という意味の普通名詞ないし称号であり、具体的には安日彦と長髄彦であるとする説、いにしえの神で安日彦長髄彦と似た境遇(追放?放浪?)の神だったという説、イシカホノリ(「末代の光」という意味)という名の神であるとする説、死の神イシカと生命の神ホノリの二神であるとする説、などが出てくる。いずれにしろ『東日流外三郡誌』では、アラハバキというのは元は民族の名であって神の名ではなく、「アラハバキ族が信奉する神」という意味で後に神の名に転じたという認識になっている。
%%%%%
と、いうわけで、東北の祭りの背景に列島民族の精神史が顔をちたっと覗かせています。
(つづく)

夏休みのため更新を休みます。

酷暑、お見舞い申し上げます。夏休みのため更新を休みます。8月10日より再開いたします。

酷暑、お見舞い申し上げます。8月10日まで休載いたします。

酷暑、お見舞い申し上げます。8月10日まで休載いたします。

唐書が語る日本列島の政治、地震情報の解読(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:僅か一葉に重なり合ってぶらさがる「空(うつ)せ」の実。クリックすると拡大されます)
P731空蝉6


 ぞろぞろと 列をつくりて 這い出たか カリスマ・リーダ 見事な統率

 どうやって、こうした脱皮を順番に成し遂げたのか、見てみたいものです。しかもよりによって樹の幹ではなく頼りない葉の上(と言うのか、下というべきか)ですから、驚きです。先頭のカリスマ蝉が他を先導下のか、それとも他の蝉はすぐ目の前の蝉の尻を追っていただけなのか!そしてこうして世間に飛び立った蝉はどうなったのか?

+++++唐書と稚野毛二派皇子(3)
 ウイキなどで詳しく説明されていることですが、中国大陸の政権「唐」の正史は「唐書」です。しかし、この正史は二回書かれています。最初に書かれたそれは「旧唐書」と呼ばれています。編纂が終了したのが西暦945年とされています。しかしウイキは以下の事情からそれが書き直されたと書きます:
%%%%%ウイキ記事転載
完成と奏上は945年(開運2年)6月[1]だが、その翌年には後晋が滅びてしまうため、編纂責任者が途中で交代するなど1人の人物に2つの伝を立ててしまったり、初唐に情報量が偏り、晩唐は記述が薄いなど編修に多くの問題があった。そのために後世の評判は悪く、北宋時代に『新唐書』が再編纂されることになった。しかし、逆に生の資料をそのまま書き写したりしているため、資料的価値は『新唐書』よりも高いと言われる。
『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について「倭国伝」と「日本国伝」の2つが並立しており、「巻199上 列傳第149上 東夷[2]」には「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地[3]」とあり、日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合したと記述されている。そして、宋代初頭の『太平御覧』にもそのまま二つの国である旨が引き継がれている。これについては、編纂過程の影響であると考えるのが日本における通説である。異論も存在していて、例えば、森公章は「日本」の国号成立後の最初の遣唐使であった702年の派遣の際には国号変更の理由について日本側でも不明になっており、遣唐使が唐側に理由を説明することが出来なかった可能性を指摘する[4]。大庭脩は、これを単なる編纂過程のミスではなく「倭国伝」と「日本国伝」の間の倭国(日本)関連記事の中絶期間には、白村江の戦い及び壬申の乱が含まれており、当時の中国側には、壬申の乱をもって「倭国(天智政権)」が倒されて「日本国(天武政権)」が成立したという見解が存在しており、結論が出されないままに記述された可能性があると指摘している。 

%%%%%

 一方1060年に改訂された唐書(新唐書とも呼ばれ、旧版との差別化)は以下のように書きます:
%%%%%ウイキより
『旧唐書』では倭と日本が並立した状態で書かれているが、『新唐書』では「日本伝」としてまとめられている。隋の開皇末に天皇家の目多利思比孤が初めて中国と通じたと書かれている。そして、日本の王の姓は阿毎氏であること、筑紫城にいた神武が大和を統治し天皇となったことなどが記載されている。
其王姓阿每氏 自言初主號天御中主 至彥瀲 凡三十二世 皆以 尊 爲號 居築紫城 彥瀲子神武立 更以 天皇 爲號 徙治大和州 次曰綏靖 次安寧 次懿 次孝昭 次天安 次孝靈 次孝元 次開化 次崇神 次垂仁 次景行 次成務 次仲哀 仲哀死 以開化曾孫女神功爲王 次應神 次仁 次履中 次反正 次允恭 次安康 次雄略 次清寧 次顯宗 次仁賢 次武烈 次繼體 次安 次宣化 次欽明 欽明之十一年 直梁承聖元年 次海達 次用明 亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始與中國通 次崇峻 崇峻死 欽明之孫女雄古立 次舒明 次皇極
— 新唐書卷220 列傳第145 東夷[1]
%%%%%
 
 二つの唐書にあって、日本列島政治に関しての記述は「二つの政府」か、それとも「一つの政府」かで記述が異なっています。日本の研究者にとっては、旧唐書が書く「二つの政府」は、日本書紀、古事記と整合しないため、どうにも据わりが悪いのです。一方、新唐書はそれが日本書紀と整合する。おまけに、旧唐書は「記載が正確でない」との評判も或る。これは当たり前です。明らかに日本書紀からの「コピペ」なのです。しかし、、大方の日本の古代史研究者は新唐書に依拠して古代史を語ってきたのです。

 現ブログ管理人は、これまでの調査から旧唐書こそが日本列島の六世紀~八世紀の実情を語っていると考えています。しかし、旧唐書といえども、滅びた倭国の実情にまでは立ち入っていません。遠く中近東からの渡来人がその政府に大きな影響力を持っていたといった分析までには至っていません。それは、他国の事なので当然なのかもしれません。しかし、西暦663年の白村江海戦の直後、唐は軍事使節を当時の倭国(現在の九州から四国西半分および本州の広島あたりまでか)に派遣し、後に日本を名乗る奈良盆地勢力の倭国殲滅に手を貸した、と私は考えています。

 そうした、政治情勢の中で、仁徳天皇周辺の説話が日本書紀編纂作業の一環として語られたのです。その材料として採用されたのが「毛長」であり、転じて「髪長」になったと考えています。

  それにしても、唐書が私の立論をまさに支えていることを読者の皆様にはご理解いただけたでしょうか?この議論はもう少し「気長」云々を精査した後にじっくりと考察します。

(つづく)
 
+++++地震情報の解読(2)
 昨今の関東地方とりわけ北関東でこのところ有感地震が頻発しています。GPS観測網による地殻変動変化観測から村井俊次博士は先日、関東地方が一定程度の大きな地震発生危険に瀕しているとの警報を発行する情報誌に掲載したとのことです。
 先の熊本地震では、村井氏は地震に先立つこと二ヶ月前に、わざわざ九州は「当分地震はないだろう」と、その情報誌で言明していました。それが見事にはずれてしまったことをしきりに残念がっていましたから、今回はいわば「名誉挽回」と言うことでしょうか。
 幸いと言うか、当国では、色々な方々が「地震予測」をしていますから、その中で、村井氏のように「熊本は安全」と言ったから、と裁判にかけられることはありませんでした。イタリアで起きたような裁判になることはありませんでした。
(図1: 村井氏による地震警報 http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/20025 より)
村井1002


 さてそれはさておき、地震研究調査の現場にいない人間が入手できる限られた情報から、何かを言うことが出来るのかどうか、それを、本ブログでは」考えています。
 一番手っ取り早いのは地震発生を発生順に並べてその中に何か規則性を見つけ出すことです。特にそれらを古文書の記載と照合して、近い将来を予測することは可能か藻しれません。古文書解読を得意とする研究者がしばしば、発見された新文書をもとにこうした主張をします。尤も有名なのが石橋博士、羽鳥博士(当時地震研究所員)による駿河湾隆起記載文書です。

 しかし、この議論では地震が時間的な規則性を持って起きているとの前提があります。しかし、これは、長い時間スパンではどうも成立することが保証されていません。背後の物理学が未解明のためです。

 それでは、せめて、たった今起きた地震のなかに次の地震を起こすかもしれない「印」くぉはらんでいるのではなかろうか?と問題を立てて見ます。物理現象をもとに考えるならば、先行する地震が周囲の応力場を変えてしまった。そのために新しい応力場の元で、応力がたかまることで次の地震が起きやすくなる、あるいは応力がちいさくなることで、断層面間の摩擦が減じて地震がおきやすくなる、などなど、いろいろなシナリオを考えることが出来ます。しかし、これは、かなり高度な数学とその計算上への反映が求められます。

 もっと、簡便な道はないか?というわけです。そこでFDSNによるCMT解を調べてみようというわけです。一昨年ごろから気象庁も同様の解析結果を公表しています。それを議論するために前回記事で紹介した表を見る事にします。この表を作成する基となっているのが下の式です(厳密な表現式ではありませんが、理解には役立つはずです)
(図2: CMT、Centroid Moment Tensor, 解がよってたつ数式)
 cmt


 図2の式で、右辺は、地震計設置場所、x 、で時刻、t、に地震記録上に観測された地震動の振幅、つまり地震波形です。u に付されている添え字は地面の運動方向、一般には上下、南北、そして東西を表します。
 一方左辺の第一項、M、はモーメント・テンソルと呼ばれる量で、添え字は(1,2,3)のいづれかの値を取り、その物理的意味を示すのが下の図3です。Gは弾性体物理学理論から数学的に導出される関数で、弾性媒質中の或る点で力が働くと媒質中の異なる点でどのような変動が生ずるかを与えます。最後のfは力が働く際のその時間的挙動です。つまり、ゆっくりと働くのか、瞬時に短時間で働くのか等を記述する関数です。

(図3:モメントテンソルの物理的意味)
cmt


上図で、3つの軸にまずは、1,2,3と名前が付されています。これはたとえば1軸は南北方向、2軸は東西方向、3軸は上下動方向といった地震源を点と見なして、それを原点とする仮の座標軸です。と言うわけで、原点は震源位置を表します。そこで、まずはM11 です。これは図1の左上です。1軸が南北方向であれば、震源に南北方向から圧縮力が働く場合に相当します。次に M23を考えて見ます。これは図1中央右の場合です。3軸の周りに時計回りの回転力を現しています。

 さて、地震波の解析とはどういうことでしょうか?上の式で左辺は地球上に設置された地震計からの観測波形です。n個の地点での地震波形観測がうまくいっていたなら、観測量はn個と言うことになります。
 そこで、このn個の観測波形に尤も合致するような、M,f、そしてGにふくまれるtoをもとめる作業をCMT解析(Centroid Moment Tensor)と呼んでいます。

 前回、マリアナ諸島の地震についての解析例を示しました:

201607292118A MARIANA ISLANDS
Date: 2016/ 7/29 Centroid Time: 21:18:33.5 GMT
Lat= 18.59 Lon= 145.72
Depth=207.5 Half duration=17.5
Centroid time minus hypocenter time: 7.7
Moment Tensor: Expo=27 3.360 0.367 -3.720 -2.270 1.780 0.868
Mw = 7.7 mb = 0.0 Ms = 7.7 Scalar Moment = 4.66e+27
Fault plane: strike=190 dip=34 slip=130
Fault plane: strike=325 dip=65 slip=67

 この表を上式に照らして説明するならば、六行目の後ろの6つの値 (3.360 0.367 -3.720 -2.270 1.780 0.868) です。これについてはもう少し説明を要しますので次回詳述することにして、次に進みます。
 その一つ上にCentroid time minus hypocenter time: 7.7 とあります。これは 上式のt-to です。震源位置の計算はP波の到達時間から算出されます。ところが実際の地震波はP波を放射して直ちに大きな震動を地球内に放射するわけではなく、多くの場合は最初のP波放出の後一定時間を起きて大きな振動の波が放出されます。それは波形をあわせることからわかります。その時間差が、上の例で言うと7.7秒であったということになります。
 更に一行上(上から勘定すると四行目)の17.5秒は地面が地震時に最大に達するのに要した時間と言うことになります。この場合は17.5秒とありますから、かなりゆっくりと岩盤がずれ動いたということを意味します。
(つづく)

都民が忘れたい原発、中田(英)氏と日本語、世界の地震観測

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(写真:雨模様の早朝、遅植えの水田で鴨と口論の挙句そっぽを向く白鷺。クリックすると拡大できます)
P801白鷺


 敗因は 醜聞にあらず 気迫負け 安倍施政には なんら損無し

 前回の都知事選挙は2011年3月11日に起きたあの福島第一原子力発電所事故から三年後に行われました。東京では東京電力・原子力発電所が供給する電力に支えられて、地方都市と比較して格段の便利・快適な生活を東京都民は享受してきました。事故現場に住み暮らす福島県民は、あの事故で悲惨な犠牲を押し付けられ、それは未だに続いています。 廃炉は決まっていても、溶け出した核燃料の処理は五年経過した今もさだまっていません。それに加え、事故で放出された核物質に汚染された水、膨大な量の汚染土、などなど問題は山積しています。

 こうした認識は二年前には東京都民に取ってもきわめて強烈であった筈です。あのときに野党勢力が「反原発」で候補者を一人に絞っていたなら、必ずや勝利でき、それが以後の政府による原発政策に多大な影響を与え、脱原発に明瞭に転換できる第一歩になったであろうと確信しています。

 日本の安全なエネルギ政策への大転換も可能かと都民が期待した、その時に、都民の生活を守ることが重要であるとの主張に固執し、反原発を声高に叫ばなかったのが、今回、一部から強く批判されている宇都宮健児氏です。氏は、あろうことか、その選挙で、反原発を強く掲げた細川氏より得票で数万票上回ったことを喜び「勝利宣言」までなしたのです。
 こうした経緯を思い出し、私は、今般の選挙で、その宇都宮氏を推薦する気にはどうしてもなりませんでした。さりとて、大げさに語られているのかもしれないスキャンダル事件を抱える鳥越俊太郎氏も、およそ立候補者らしからぬ勉強不足は目を覆うほどでした。今般は、都民ではないことから、まあ高みの見物をさせてもらいました。

 鳥越陣営は「週刊誌報道」という「言論テロ」を敗因の一つに据えるのかもしれませんが、週刊誌が指摘するようなことは、よしんば氏が当選したとしても、早晩明るみに出るものです。野党陣営は候補者の選定で安易に過ぎたようです。

 と言うわけで、今般の選挙でも原発問題はどこかにすっ飛んでしましました。そんな都民の「忘れっぽさ」につけ込んで、原子力規制委員会が、専門家の指摘を公然と無視するという愚挙に出たことをTBSニュースが報じています。 
%%%%%大飯原発の地震想定、規制委「見直しの必要なし」
http://c23.biz/hpNN
TBS系(JNN) 7月28日(木)5時37分配信
 福井県にある大飯原発で想定されている地震の揺れに過小評価のお%%%%%それがあると指摘されていた問題で、原子力規制委員会は「見直しの必要はない」と結論付けました。

 関西電力・大飯原発で想定されている地震の揺れをめぐっては、原子力規制委員会の元委員の島崎邦彦氏が、いまの計算方法では過小評価のおそれがあると指摘したことを受けて、規制委員会が別の方法で計算をやり直していました(7月20日付け本ブログ記事参照)。

 規制委員会は、再計算の結果がこれまでの想定を下回ったことから、一旦は想定を見直さないと結論付けていましたが、その後、再計算に問題があったとして判断し直すことにしていました。

 27日の定例会合で規制委員会は、再計算に問題があったとする一方、「いまの想定は不確かさを考慮して十分に安全を見込んでいる」として、想定を見直す必要はないと結論付けました。

 「無理な計算をすると非現実的な結果が出ることがわかったのが一つの成果。島崎先生の指摘は素直に受け入れることはできない。現時点で大飯発電所の基準地震動を見直す必要はない」(原子力規制委員会 田中俊一委員長)

 田中委員長は新たな計算方法などについて、専門家同士の結論がある程度まとまらなければ、いまの計算方法は見直さない考えを示しています。(27日21:18)
%%%%%

 
 
+++++高浜原発「合格」も…再稼働には3年以上必要か
 福井県若狭湾の東、大島半島に大飯関西原子力発電所があり、四機の原子炉設置されています。3月11日の福島事故以後最初に一時的とは言え再稼動したのがここの三・四号機です。
 一方そこから若狭湾西方20kmの高浜発電所についてこのほど老朽化した1,2号機についてそれを廃炉にするのではなく再稼動のための条件基準を満たしたと規制委員会が判断しました(以下の記事参照)。

(図1:高浜原子力発電所一・二号機(右、左側は三。四号機)、応神天皇が神様と名前を取り替えたとされる気比神社が西に見える。クリックすると拡大できます)
高浜原発


%%%%%アサヒネットニュース
http://c23.biz/eMWs 
運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機が老朽化した原発としては初めて規制基準に合格しました。
 原子力規制委員会は国民から1カ月間の意見の募集を経て、20日の定例会合で高浜1、2号機について「合格証」にあたる審査書を正式決定しました。 ただ、今後も7月7日までに40年を超えた運転延長に特化した審査に合格する必要があります。
また、緊急時に対処するための施設を設置したり設備の改修工事が必要なため、関西電力はすべてが順調に進んでも再稼働まで3年程度はかかると見込んでいます。
%%%%%

これについて「東洋経済online」が、専門家による警告を紹介しています。
%%%%%"老朽"高浜原発の過酷事故対策はなってない「再稼働のための審査」と専門家が告発
http://toyokeizai.net/articles/-/129616
関西電力・高浜原子力発電所1、2号機の40年を超す運転延長が、6月20日、認められた。福島原発事故後に制定された
新たなルールのもとで、原子力規制委員会が40年を超える老朽原発の運転延長を認めたのは初めてのことだ。

だが、同原発に関しては原子炉圧力容器の中性子照射脆化など老朽化による安全性低下に懸念が持たれているほか、 炉心溶融などシビアアクシデント(過酷事故)対策についても疑問を抱く専門家がいる。
旧原子力安全委員会事務局で技術参与を務め、現在は「原子力市民委員会」のメンバーとして市民の立場で審査内容を検証している 滝谷紘一氏に、過酷事故時の対策を中心に新規制基準の内容や同基準に基づく審査プロセスの問題点について聞いた。

――関電・高浜原発1、2号機を例に、具体的にどのような点に問題があるとお考えでしょうか。
原発再稼働の必要条件となる新規制基準については、原発の立地評価外しに始まって、地震動・津波評価、プラントの設計評価から 防災対策に至るまでさまざまな問題点がある。
それらを貫いている根本的な疑問として、「原発の過酷事故対策は住民の安全を守るうえで果たして有効なのか」という問題がある。 突きつめて言うと、新規制基準のそれぞれの項目について、すでに存在する原発を再稼働できるように取り計らった規則や 審査ガイドになっているのではないかということだ。

一例として、過酷事故での水素爆発対策を取り上げたい。
新規制基準では、過酷事故時にこれから述べるような水素爆発を防止するための対策を電力会社に求めているが、 うまく機能するとは思えない。 水素爆発を防止するための対策として、高浜1、2号機も含めて加圧水型原子炉(PWR)では「イグナイタ」(ヒーティングコイルに 通電して加熱し、水素を燃焼させる装置)の設置を各電力会社が打ち出している。だが、この対策には問題がある。

労働安全衛生規則(厚生労働省令)第279条では「危険物等がある場所における火気等の使用禁止」が定められている。 水素ガスを意図的に燃焼させて濃度を下げることにより水素爆発を防ぐというイグナイタは、爆発の点火源となるおそれがあり、
その使用は危険性が高い。原発で働く労働者の安全を脅かすことはもちろん、格納容器の破損により周辺の住民に 甚大な放射線災害を与えると言わざるをえない。

――関電による計算結果についてはどう思われますか。
滝谷?炉心溶融が起きても格納容器内の水素濃度が13%以下に収まるという計算結果も信頼性が乏しい。 私の試算によれば、川内原発と同様の仕方で評価した場合、高浜1、2号機の水素濃度は約13.3%であり、判断基準をオーバーしてしまう。 この過小評価の問題については、高浜3、4号機についての新規制基準に基づく適合性審査書案のパブリックコメント(意見募集)で 意見を提出したが、規制委はまともな回答をしていない。また、審査が先に終わった他のPWRと同じように、高浜1、2号機を対象とした 過酷事故シミュレーションに関して、別の解析コードを用いたクロスチェックをしていないことも問題だ。 付け焼き刃の対策でむしろ危険度を増している

――本来の安全対策はどうあるべきだとお考えですか。
採用されている過酷事故対策は、原子炉施設本体はほぼそのままにして、代替格納容器スプレイポンプ、可搬式の電源車、 注水車など付け焼き刃的であるとともに、いずれも自動起動でなく手動操作によるものであり、作動の信頼性を欠いている。 過酷事故対策は、抜本的な安全対策になっているどころか、危険度を増やす対策が入っていると言わざるをえない。 原子炉格納容器の下部に水を注入して落下した溶融炉心を冷却する方法は、注水の実施そのものに不確実性があるうえに、 水蒸気爆発の危険性がある。これについても労働安全衛生規則第249条「水蒸気爆発を生じさせないために、 溶融高温物を取り扱うピットの内部には水を浸入させないこと」に違反している。 つまり、冶金工場や溶鉱炉など一般産業分野の「常識」に反しているのである。 このように、格納容器内の水素爆発防止対策、溶融炉心冷却対策とも、妥当性を欠くどころか、危険ですらある。 欧州の新型炉では「コア・キャッチャー」と呼ばれるドライ(水を用いない)な状態で溶融炉心を受け止める対策が導入されている。 すでに建てられた日本の原発に今から導入することは容易ではないだろうが、仮にも再稼働をめざすのであれば、 規制委は設置を義務付けるべきだろう。それができない原発は廃炉にするしかない。 労働者の安全確保のための審査が行われていない 関電は水蒸気爆発等の労働者の安全問題について、格納容器内に労働者がいないことを確認してから注水することを理由に 労働安全衛生規則第249条には違反していないと回答している。 また、厚労省は同規則第249条が適用されるのは製鉄所など溶けた金属をドライな状態で取り扱う施設を想定しており、 原発では重大事故時に溶融炉心を水で処理することを想定しているために違反しているとは言えないと回答している。

一方、規制庁は新規制基準の一部を構成する「炉心損傷防止対策及び格納容器破損防止対策の有効性評価に係る標準評価手法 (審査ガイド)」の策定に際して、労働安全衛生規則の条文を満たしているか否かについて、厚労省の担当部局に確認の手続きは
実施していないと回答している。いずれにしても労働安全衛生規則に照らしてきちんと審査が行われた事実はない。
%%%%%


+++++中田英寿氏の日本語に思う
 前々回、日本が生んだ世界的フットボーラ(サッカー選手、サッカは米語とのこと)中田英寿氏のことを書きました。前回書き漏らした動画を付け加えておきます(閲覧をお勧めします):http://c23.biz/YwHg 
 シャツを掴んで突進を阻もうとする相手選手をまさに振りちぎっています。またタックルされ、倒されても瞬時に立ち上がりボールを敵に渡しません。中田氏に言わせれば、タックルされ地面に転がっている時間が惜しい、と。中田氏の想像力・気迫溢れるプレースタイルは俊敏性、頑強性に支えられていることがわかります。これで10年間世界の一線を走ってきたのです。残念ながら氏を追う日本人選手が出てきていません。

 中田氏の理想は、味方選手がボールを得た瞬間、他の選手が次の展開、さらにその次の展開を想像して、一斉に走り出すことで、攻めの選択肢を一時(いちどき)にたくさん用意することにあります。だからこそ、味方の先輩・後輩を問わず、試合中に頭を働かすことを強く求めたのです。誠にインプレッシブで鮮烈であったと、中田氏のプレーを目のあたりにした当時のイタリアリーグ・セリアAの指揮官達が語っています。

 前回、中田氏の日本語能力について少し書きました。日本語は論理性と言う視点からはそれを操るのはかなり難しい言語です。例えば、以下です。
 英語仏語と日本語との違いは多々あると思いますが、其の一つが疑問文ですね。英仏では、人に物を尋ねる際には、まず「疑問代名詞」を先行させるか、あるいは、主語と動詞を逆転させます。Did you ….? Has he ….? です。会話の相手は、「これから何か訊かれるのだな」と覚悟を強いられ、正しく応えるべく相手の一言一言に注深く耳を傾けることとなります。
然るに、日本語では、「・・・・・・・・か?」と文尾をあげることで、初めて相手側は「何か訊かれたらしい」と知るのです。「どう行けば駅ですか?」なぞ「疑問代名詞」が先頭に来ることもありますが、「駅へはどういくのですか?」のように「疑問代名詞」が文中に紛れ込んでしまうと、相手側は、途中まで、それが疑問文であるのか否かが判断出来ません。

 狩猟の民と農耕の民の違い、足が長く高い鼻を有し彫りの深い面貌の民と短足ペチャ鼻ノッペリ民の違いがどのように上で書いたことに反映するのか?
 狩猟の民は広大な大地で他人と出会うことが少ない。従ってひとたび出会った際には、相手の主張をじっくり聴いて対応せねばならない。一方農耕の民はいつでも集団で動くので、其の都度相手への注意を払う必要が無い。なぞの屁理屈を考えたりします。それはさておき、異国の言語を学ぶ面白さは、こうした愚にもつかぬ事に思いをめぐらすことにもあると思っています。

 中田氏の言葉遣いを聴いていると、日本語について、上に書いたような曖昧さを極力明瞭に表現するとの意志が伝わってきます。西欧人とのコミュニケーショんによって磨き上げられた日本語と思います。外国語に堪能であるからこそ、正確な日本語表現をつねに心がけていたのでしょう。知性と言うものは、一つの分野のみにはとどまりえないことを、中田氏の「日本語能力」は示していると思っています。中田選手の事、サッカーの事を書きたいのですが、このくらいで留めておきます。


+++++地震間の連関を示唆する何かが無いものか?!(1)
 標記タイトルは、如何にも大仰です。残念ながら、これから囲うとすることには「格別の展望」が既にあるわけではありません。従って、本ブログ読者をしかるべき方向にお導きしようと言うものでもありません。誰でもがアクセスできるインタネット上の情報に、何がしかの見落とされた「連関」を探して見ようとの思考過程をそのまま、皆様にさらけ出そうというものです。私の古代史探求と同じスタンスであります。

 世間に公開されている地震情報といってもピン・キリです。例えば、地球上の極めて多数の場所には高性能の地震計が設置されています。
(図2:世界の高性能地震計設置点分布、図で中心は一昨日マライアナ島地下200kmの深所に発生したM7.7の地震の震央、IRIS - Incorporated Research Institutions for Seismology、IRIS is a consortium of universities dedicated to the operation of science facilities for the acquisition, management, and distribution of seismological data. クリックすると拡大できます)
VERTICAL


 地球内のM>4を超える地震については、それが何処におきようともこれらの地震計がその地震波をデジタル信号として捉えます。これには、核実験監視のためにCTBTO(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty Organization)が展開した地震観測網を構成する地震計群も含まれています。余談ですが、CTBTOが展開する地震観測網はどこぞの国が秘密裡に実施するやも知れない地下核実験探知を目的としています。従って、この観測網がつかまえた地震データについては、かねてより地震研究者から「データ公開」との強い要望があったにも関わらず非公開とされてきました。
 その頑なな国際機関の姿勢を打破したのが当時ウイーンに駐在したスリランカ国連大使でした。時は2004年12月26日早朝(インドネシア時間朝8時ごろ)です。大使は、この時にスマトラ沖に発生した巨大地震、それが作り出した巨大津波で多大の自国民が犠牲となったことを数時間後に知ったのです。怒りと哀しみに燃えた大使はウイーンのCTBTO事務局長を尋ね、局長に厳しく迫ったのです。「これだけの地震観測網をもっていながら、地震防災に何の貢献もできなかったのか!?」と。かくして以後、CTBTO加盟国は自らを縛る協定書を見直し、今や地震データは世界の地震学徒に公開されています。

 さて公開されている情報の中の一つである、地震波形については、高度の物理知識、数学解析技術が求められます。そこで、それらを解析した結果がIRISによって公開されています。

 3日前の7月29日に太平洋ど真ん中、マリアナ諸島沖、地下200kmでM7.7の地震が発生しています。この地震について、早速IRISは地震波の解析結果の一部を公開しています(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )。
以下はその結果です。

201607292118A MARIANA ISLANDS
Date: 2016/ 7/29 Centroid Time: 21:18:33.5 GMT
Lat= 18.59 Lon= 145.72
Depth=207.5 Half duration=17.5
Centroid time minus hypocenter time: 7.7
Moment Tensor: Expo=27 3.360 0.367 -3.720 -2.270 1.780 0.868
Mw = 7.7 mb = 0.0 Ms = 7.7 Scalar Moment = 4.66e+27
Fault plane: strike=190 dip=34 slip=130
Fault plane: strike=325 dip=65 slip=67

 この表で、最初の数行については、説明が不要と思います。しかし、中ごろの数行について、本ブログでしばしば引用するのですが、あえて説明を避けてきました。それを説明しながら、この表から、何が見えてくるのか?それを次回見る事にします。

稚野毛二派皇子と旧唐書(3)、イタリア地震裁判(Science誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:脱皮進行中のせみ。朝六時ごろ、近所のサクラの樹で遭遇. 写真拡大はクリック)
P729脱皮


空蝉を 桜樹(おうじゅ)に遺(のこ)し 現身(うつしみ)に  世にはばたきて 恋に身焦がさん

 サクラの樹や枝そして葉にも 鈴なり状態にたわわの空(うつ)せの実を眺めてました。今朝六時ごろです。なにやら白いものがずるずるとゆっくり「実」から這い出る様子。まさに脱皮の瞬間に立ち会いました。彼(彼女かもしれないが)は、これから耳をつんざくように大声で、恋に実を焦がし、新たな生命を創り出す筈です。その前に鴉なんぞに啄ばまれることの無いよう願っています。
  
+++++稚野毛二派皇子(3、旧唐書)
 応神天皇の皇子、仁徳天皇の異母弟の名前が長たらしくも、そこに「二派」なる漢字を含んでいます。これは藤原不比等が後世の学者さんに残した「いたずら心」溢れる史実解明のためのヒントです。もしかすると、大陸政権関係者が閲覧することを念頭に置いていたのかも知れないとも思います。
 応神天皇の息子の一派は仁徳天皇を通じて、二つの独立した系譜を作ったことは前回添付した年表に見ることができます。夫々の系譜での編年に法則的約束事が貫かれていることを、これまでも繰り返し指摘してきました。
すなわち、系図内で最も長く天皇位にある天皇の在位年数は、それ以外の天皇の在年数の総和に等しいというものです。私は、これぞ「隋書倭国伝」が書く「日出王」と「日入王」と言う二王制であろうと思ってきました。
 しかし、さらなる考察が進むに従って、その考えが変わってきました。つまり日本列島政治史は列島の東西に支配権を及ぼす倭国と、その二つの倭国に挟まれた奈良盆地に拠する「中」政権(中大王と中臣鎌足)との葛藤であったのです。本ブログの筋書きは、その流を追い続けています。

 この視点からは、前回、紹介した「旧唐書」の東夷伝が「倭国条」・「日本国条」二つの条から構成されていることは誠に納得が行くものです。言葉を変えるなら、唐の正史は、正確さは欠くにしても信頼に足るものであると考えることが出来ます。

先年死去された古田武彦氏は以下を書いています(http://c23.biz/7CmQ):
「唐が滅亡した直後に書かれた『旧唐書』では、木版本でも「倭国」と「日本国」の記述の間に改行があり、東夷の中の別項目という扱いになっている。
 これに対して、後代史料である『新唐書』では、2つの国を一本化して記述しているが、それは著者の欧陽脩が同時代の知識をもって“編集”したものと考えるのが妥当である。(もし、本当に倭と日本が同一連続王朝だとするならば、『旧唐書』がなぜ別国扱いにしているかをきちんと理由づけられなけばならない。)」

と指摘しています。私は、何故、藤原不比等が天皇の在位年数の「定め」を日本書紀に書きのこしたのかについて、改めて考えています。詳細は、後日に譲りますが、唐の日本列島政治史に関する認識を考慮したのではなかろうか、と考えます。つまり、日本国と倭国の相克は七席半ばに始まったのではなく、もっと昔から始まったのだ、と唐に示したかったのではなかろうか?つまり日本書紀の二十編年は国内向け、国外向け(唐向け)の二つの顔を持っていたのだと思っています。
 
 さて、それはさておき、旧唐書が欠く「日本国」こそが、本ブログが書く奈良盆地に拠した「中」一派の勢力なのです。本ブログの話の流れからは、後日にこの「旧唐書」を眺めようと考えていたのですが、ここで、ざっと概観しておくことにします:

%%%%% 旧唐書 巻199上 東夷伝
###「倭国の条 全文」
原文:
倭国者、古倭奴国也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中、依山島而居。東西五月行、南北三月行。
世與中国通。其国居無城郭、以木為柵、以草為屋。四面小島五十餘国、皆附属為。其王姓阿毎氏、置一大率、検察諸国、皆畏附之、設官有十二等、其訴訟者、匍匐而前地。多女少男、頗有文字、俗敬佛法、並皆跣足、以幅布蔽其前後、貴人戴錦帽、百姓皆椎髻無冠帯。婦人衣純色、裾長腰襦束髪於後、佩銀花長八寸左右各数枝、以明貴賤等級。衣服之制、頗類新羅。貞観五年、遣使献方物、太宗矜其通遠、勅所司無令歳貢。又遣新州刺史高表仁、持節往撫之。表仁、無綏遠之才、與

文意(古田武彦氏による http://c23.biz/7CmQ ):

 倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり、山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。世ヽ中国と通ず。其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為る。四面に小島、五十余国あり、皆焉(こ)れに附属す。
 其の王、姓は阿毎氏なり。一大率を置きて諸国を検察し、皆これに畏附す。官を設くる十二等あり。その訴訟する者は、匍匐して前(すす)む。地に女多く男少なし。すこぶる文字あり、俗、仏法を敬う。並びに皆跣足なり。幅布を以てその前後を蔽(おお)う。貴人は錦帽を戴き、百姓は皆椎髻(ついけい)にして冠帯なし。婦人の衣は純色、裙を長くして腰に襦、髪を後に束ね、銀花長さ八寸なるを佩ぶること、左右各々数枝なり、以て貴賤の等級を明かにす。衣服の制は、すこぶる新羅に類す。
 貞観五年、使を遣わして方物を献ず。太宗その道の遠きを矜(あわれ)み、所司に勅して歳ごとに貢せしむるなし。また新州の刺使高表仁を遣わし、節を持して往いてこれを撫せしむ。表仁、綏遠の才なく、王子と礼を争い、朝命を宣べずして還る。
 二十二年に至り、また新羅に附し表を奉じて、以て起居を通ず。

###日本国の条
原文:
日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中国疑焉。
又云、其国界東西南北各数千里、西界南界咸至大海、東界北界有大山為限。山外即毛人之国。
長安三年、其大臣朝臣真人、来貢方物。朝臣真人者猶中国戸部尚書、冠進徳冠其頂為花分而四散、身服紫袍、以帛為腰帯。真人好読経史、解属文容止温雅則天宴之於麟徳殿授司膳卿。放還本国。開元初、又遣使来朝、因請儒士授経、詔四門助教趙玄黙、就鴻臚寺教之。乃遣玄黙、闊幅布以為束修之禮題云。
白亀元年、調布人亦其偽此題所得錫賚盡市文籍泛海、而還其偏使朝臣仲満、慕中国之風因留不去、改姓名為朝衡、仕歴左補闕儀王友衡留京師五十年、好書籍放帰郷逗留不去。天寶十二年、又遣使貢。上元中、擢衡為左散騎常侍鎮南都護。貞元二十年、遣使来朝、留学生橘免勢、学問僧空海。元和元年、日本国使判官高階真人上言前件、学生藝業稍成願帰本国、便請與臣同帰従之。開成四年又遣使朝貢。

文意(冒頭部分書き下し、古田武彦氏による):
1. 日本国は倭国の別種なり。
2. その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
3. あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。
4. あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。
5. その人、入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。故に中国焉(こ)れを疑う。
6. またいう、其の国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界は咸(み)な大海に至り、東界北界は大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なり、と。
%%%%%
 誠に鋭くも的確な指摘が唐から日本国になされています。詳しい検討は次回に譲ります。
 (つづく)

+++++イタリア地震の最終審(Science Nov 20,2015)
(図:ラクイラはローマの東北東およそ60kmの山間地にある。地図拡大はクリック)
l'aquila1


上の地図のほぼ中央部山間地のラキラで2009年3月に微小な地震活動が活発となりました。この活動に伴って、いわゆる地震宏観現象と呼ばれる異常も発生したようです。この地震活動が来るべき大きな地震の前兆であるのか、それとも一時的な活動で収束するのか?地震研究者は検討の末大地震は起きないであろうとの判断をしました。この判断を受けて、村の地震防災担当責任者も「安全」宣言をし、住民には、「地震を怖れて戸外にとどまるのでなく、屋内にいることこの方が安全〕と勧告しました。ところが、この勧告が完全に裏目に出て300名余の人命が失われました。安全宣言のの数日後に大きな地震が発生してしまったのです。

 この経緯をイタリア検察庁は重要視しました。「安全」との判断に関わった地震研究者と、行政判断担当官が刑事事件犯罪者として告訴されました。裁判は地方審判から中級審をへて、このほど最高裁で結審しました。以下で米国科学週刊誌「Science」がこの経緯を書いています。

%%%%%イタリア最高裁はラキラ地震での科学者たちは間違っていなかったと審決した
Italy’s supreme court clears L’Aquila earthquake scientists for good
By Edwin CartlidgeNov. 20, 2015 , 6:45 PM
Six scientists convicted of manslaughter for advice they gave ahead of the deadly L'Aquila earthquake in 2009 today were definitively acquitted by Italy's Supreme Court of Cassation in Rome following lengthy deliberations by a panel of five judges. But the court upheld the conviction of a public official tried alongside them.
The ruling marks the end of a 5-year legal process that has proven immensely controversial in the scientific world and beyond. In 2010 the seven were placed under investigation for allegedly giving false and fatal reassurances to the people of L'Aquila a few days ahead of the earthquake, which struck on 6 April 2009, killing 309. The seven were put on trial a year later and in 2012 were each handed 6-year jail sentences. At an appeal last year, however, six of them—three seismologists, a volcanologist, and two seismic engineers—were acquitted. The seventh, Bernardo De Bernardinis, who at the time of the quake was deputy head of Italy's civil protection department, remained convicted but with a reduced jail term of 2 years.
2009年イタリア中部の村ラクイアラでの死者を伴う地震に対して「助言」をしたことで、(間接的)「殺人罪」に問われ、起訴されていた6名の科学者たちに、本日ローマのItaly's Supreme Court of Cassationは無罪を宣告した。それは5名の裁判官の長時間にわたる熟考似基づく審決であった。しかし、裁判所は、彼らの傍にいた公務員については下級審審決を変更しなかった。
かくして、この判決は5年間の法裁判の全過程を終えた。この過程は科学界のみならずそれをはるかに超えた分野で多くの論議となった。
2009年4月9日309名の死者を伴う地震が発生した。この地震の発生の二三日前にL'Aquila の住民に対して事実と異なる、そして結果として死にいたらしむる助言をなしたことで7名の関係者が審問に付された。2010年のことである。事件の一年後に、7名が裁判にかけられ2012年に6年の実刑判決があった。しかしながら、昨年の上訴で彼らの内の六名、3名の地震学者、一名の火山学者、そして2名の地震関連技術者が無罪判決を得た。7人目のBernardo De Bernardinis 、この人物は地震時に市民防災局・副局長であったが、については刑期は二年に短縮されたが有罪となった。
  
The hearing at the Court of Cassation, which started yesterday, took place after appeals prosecutor Romolo Como asked that the convictions be reinstated. Although that possibility appeared remote, the five-judge panel, headed by Fausto Izzo, remained closed in their chamber for 10 hours before confirming the lower court’s decision.
Following the verdict, Alessandra Stefano, who represented University of Pavia seismic engineer Gian Michele Calvi, said that "justice has finally been done." The convictions, she maintained, had "cried vendetta."
One of the other scientists to be acquitted, the then-president of Italy's National Institute of Geophysics and Volcanology Enzo Boschi, toldScienceInsider that he was "very tired" but "very relieved." He and another of the six experts put on trial, Giulio Selvaggi, he said, had their "consciences in place."
The victims' relatives had a different view. Maurizio Cora, whose wife and two daughters were killed, argues that all seven of those tried are guilty. "If they had said there was a risk they would have done their job," he said. "But they didn't have the balls to say that."
昨日始まったthe Court of Cassationで上訴後の陳述があった。控訴検察官Romolo Comoは彼ら7名の有罪判決を再度求めた。その可能性は大分現実からはかけ離れているようであったが、Fausto Izzoを長とする5名の裁判官は下級審の審決を確認するために10時間もの長い審理を非公開で行った。
判決に続いて、University of Pavia seismic engineer Gian Michele Calviを代表してAlessandra Stefanoは「正義が通じた」と言った。 「信念がもどった」と、彼女は続けた。
 無罪となった他の研究者の一人であり、当時president of Italy's National Institute of Geophysics and Volcanology Enzo Boschiであった人物はScience誌に「大変疲れたが解放された気分」と語った。彼ともう一人の被告仲間であったGiulio Selvaggiは善悪の判断が保たれたといった。
犠牲者の親族は異なる見解を持っていた。Maurizio Cora(彼の妻と2人の娘が亡くなった)は、7人のすべてが有罪であると主張した。「彼らは自分の仕事のリスクを認識していたら」と言い、「しかし、彼らはそれを言わなかった。」と。

The seven scientists took part in a meeting of an official advisory committee in L'Aquila on 31 March 2009, called to analyze the danger posed by an ongoing series of small- and medium-sized tremors that had shaken the town for several months. The judge in the original trial, Marco Billi, concluded that the experts carried out a "superficial, approximate and generic" risk analysis that persuaded townsfolk that they would be safe indoors on the night of the earthquake, with fatal results. The scientists, he said, were guilty not of failing to predict the quake, but of failing to discharge their duties under the law.
That reasoning was described by Fabrizia Francabandera and two other judges in L'Aquila's appeals court as "uncertain and fallacious." Instead, said Francabandera and her colleagues, Billi should have scrutinized the scientific content of the commission members' analysis. The experts, they ruled, could not be faulted for saying there was no reason to think that the risk of a major earthquake had increased following the earlier tremors. (Many other seismologists, however, say that the risk actually can rise after such tremors.)
7名の科学者たちは、数ヶ月間にわたって町を揺さぶった中小の一連の地震活動によってもたらされるかもしれない危険性を分析するために呼ばれ、2009年3月31日にラクイラでの公式検討委員会の会合に参加した。一審の裁判官、Marco Billiは、専門家は「概括的で、基本的な「リスク分析を行っていたと結論付けた。底での結論・助言は町民にたいして地震時の夜、屋内にとどまるよう説得するものであった。Marco Billiがいうには、科学者たちは地震を予知しそこなう罪を犯したが、法の下でその職務をしそこなったわけではない、と。
Fabrizia Francabandera and two other judges in L'Aquila's appealsが、その理由を語る。彼らは控訴裁判所に「不確定と誤謬」を理由に上訴した人物である。その代わりに、Francabanderaと彼女の同僚は、BILLIは、委員会メンバーの分析の科学的内容を精査している必要があった、と言う。専門家達は、大地震のリスクは、それに先立つ地震活動の増大を考慮したしなかったが故に誤ったのではない(しかしながら、他の多くの地震学者は、リスクが実際にそのような地震活動の増大後に上昇することがあり得ると言う)と。

Prosecutor Como in turn criticized the appeals judgment. In asking the Court of Cassation to review the verdict, he said that the appellate judges should have held the scientists to account for failing to object to the idea of an energy discharge. At the original trial, many witnesses described how their loved ones had been persuaded to stay indoors after De Bernardinis told a journalist, during a now infamous interview ahead of the commission's meeting, that the ongoing tremors were favorable because they discharged energy and therefore made a larger quake less likely.
検察官Comoは控訴判決を批判した。評決の見直しを裁判所に求めて、彼は控訴裁判官がしかるべき会合で、研究者達に地震エネルギー放出についての見込み失敗を説明させるべきと述べた。止まない微動はエネルギが放出されていることの証で大きな地震には繋がらないだろうとの予測に基づいて、一審裁判で、多くの証言者が屋内にとどまるべきとの助言に説得されたとのべた。それは審理の会合の前のインタヴュでのことでDe Bernardinisがジャーナリストに語ったことである。

Most scientists reject the discharge idea, and Como pointed out that when the experts were asked what they thought of it during the meeting, they said nothing. "Why on 31 March did no one dissent, no one jump up out of their seat, no one explain to the other people present of the scientific consensus that that was nonsense and not a positive signal?" he demanded.
However, Cassation prosecutor Giuseppina Fodaroni, whose role was to analyze the legal validity of the appeals court's judgment, took a very different view. Only De Bernardinis was guilty of having reassured the public, she said, having made his reassuring comments before the committee's meeting. What's more, she claimed, the message from the other experts during the meeting—that the chance of a major quake had neither increased nor decreased—was "neutral" and therefore not reassuring.
ほとんどの科学者は、地震エネルギ放出という考えを否定し、Comoは、専門家たちが、会議中にそれをどう思うか尋ねられたとき、彼らは何も言わなかったことを指摘した。何故3月31日に誰も反対意見もしなかったのか、誰もが自分の席から立ち上がらなかったのか、誰もがナンセンスではなく、正の信号であったことを他の人に説明しなかったのか?」。彼はそうしたことを説明するよう求めた。

しかし、Cassation prosecutor Giuseppina Fodaroni(彼の役割は控訴裁判所の判決の法的有効性を分析することであったのだが)彼は違った見解であった。唯一、De Bernardinisが住民の安全を請合ってしまったことで自分には罪があるといった。

That message, she argued, should have caused De Bernardinis to be more cautious in statements he made after the meeting, among them that no larger tremors were expected to occur. She argued, successfully, that his conviction should be upheld.
As judgment was being passed in Rome today, a parallel manslaughter trial against , head of the civil protection department in 2009, was postponed until 4 March. That trial centers on a phone call Bertolaso made to a local official in setting up the commission's meeting, in which he said he was sending the experts to L'Aquila on a "media operation" to reassure the public and "shut up" a technician in the nearby Gran Sasso nuclear physics laboratory who had allegedly made a series of alarming predictions of imminent strong earthquakes.
彼女が論議したそのメッセージは、何より大きな地震が発生することが予想していないとの声明についてDe Bernardinisの関心を引くはずのものであった。彼女は彼の信念を堅持すべきであると主張した。
判決が、今日ローマで交付されていたとき、 Guido Bertolaso(彼は2009年の地震時の行政府の責任ある他の投函であった)への殺人裁判は並行して審理されておりそれは、3月4日まで延期された。裁判センターは電話でDe Bertolaso が国民を安心させるために「メディア操作」のためラクイラに専門家を送っていたこと、近くのGran Sasso nuclear physics laboratory技術者を黙らせていたと語った。この技術者は、差し迫った強い地震について一連の驚くべき予測をしていた。
%%%%%science誌記事紹介終わり

 地震研究の現場にいない人間が、地震現象に関心を持ったとしても、なかなか、観測データに触れることは出来ません。よしんば、触れ得たとしてもそれを解析するツールはありません。そうだとすると公開されている地震活動データから何か素人でも気づくことはなかろうか?そんな思いからあれこれやと試みています。その一つを紹介しようと思いますが、若干数学的準備が必要です。まずはそれを次回書きます。

稚野毛二派皇子(2)と旧唐書、中田英寿本

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:セミの脱ぎ捨てた着物がサクラの枝に鈴なりであります。さあ、これから猛暑の日々なのでしょう。)
P725空蝉


空(うつ)せ実が 集まり重し 木々の枝 

 「現身」(この世に生きる人)も「ウツセミ」と訓(よみ)ます。この表現をセミの抜け殻と関連付けたのは誰なのでしょうか?どのような思考回路が働いたのか誠に興味があります。

「空蝉」と言う漢字表記が始めて登場するのは万葉集一巻。二十四歌です。
%%%%%万葉集二十四歌
題詞 (麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌)麻續王聞之感傷和歌
原文 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
訓読 うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食す
仮名 うつせみの いのちををしみ なみにぬれ いらごのしまの たまもかりをす
左注 右案日本紀曰 天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯三位麻續王有罪流于因幡 一子流伊豆嶋 一子流血鹿嶋也 是云配于伊勢國伊良虞嶋者 若疑後人縁歌辞而誤記乎
%%%%%

 この万葉古歌に触れた後世の文化人が「殻を脱ぎ捨てたセミが、残された僅かな生存日時を惜しんで子作りをなすという営みは、人間の生涯に通ずる」と見抜いたのかもしれません。人も母の胎内から生まれてそれほど時を経ずして子を生し、土に帰ります。「現身」なる漢字表記は「現在、人としてここにいる身は、それほど長くない」と悟っていた、との意味です。つまり、当時、人の寿命も短かったのでしょう。今は子を生してから概ね五十年は生きるのでしょうか。

 上の二十四歌は先行する二十三歌と関連付けて解釈されています。が、現在進行中の香取の地の宮建造、あるいは その地での新興宗教たる「天照大神」の聖地創建の時代と重ねて議論すべきです。このことは、既に書きましたが、いずれ、再考します。

 話は変わりますが、私が住まう地から江戸へ出るには列車で一時間余を要します。私は「携帯電話」、「スマホ」なぞの文明の利器を所持したことがありません。車内での時間を過ごすために本を持ち込みます。時代劇本であったり新書であったりしますが、先日は偶々図書館で借りた分厚い中田英寿本でした(「In this times」光文社、2007年)。中田氏自身の発言、周囲関係者の発言が時間順にまとめられています。著者自身(増島みどり)の中田氏への思い入れもあるのでしょうが、それは、書かれていないので、くどさを感じさせません。

 僅か10年強のプロサッカー選手生活が濃密に浮かび上がってき、楽しませて貰いました。「グロインペイン」と言ういわばスポーツ選手の業病とも言える苦痛を抱えていたにもかかわらず、それを一切言い訳せず、全力で試合に臨んできた中田氏はタダタダすごいと言うのみです。

 読了後、中田氏の生(なま)の映像と語り口(言語)に接したく思い、youtube動画を多数漁りました。誰しもが驚くことですが、まずは氏の言語能力です。氏のイタリア語、英語能力には定評があることは知られていました。それにとどまらず、中田氏は日本語をも実にきちんと論理的に話します。それは氏の知力の裏づけがあったなればこそなのでしょう。

 氏のサッカー・プレイ・スタイルに、深い思考とそれに裏付けられた洞察力が垣間見えるとは、氏のチームメイトとして或いは敵チームメンバとして戦った選手たちの言です。改めて、とてつも無いサッカープレイヤを日本が輩出していたことを知りました。

 思えば氏は昨年ノーベル医学賞を受賞した大村智氏と同郷、しかも同じ高校出身なのですね。ともかく数学が好く出来、テストで百点満点を取ることが珍しく中田(なかった)生徒であったとは、当時の担任の先生が語っています。

 とかく高校・大学でのスポーツ系クラブでは、理不尽な指導者の生徒への苦痛を伴う押し付け、先輩による下級生への暴力的強制が、批判を浴びつついまだに存続しています。しかし、二十年も前の昔にあって、中田氏はそれを断固拒絶していたとのエピソードも知りました。私が応援する野球選手、落合博満氏 と同じです。そういえば、落合氏も数学が得意、そして中田氏同様、すさまじい肉体トレーニングと技術習得訓練を自らに課していたことが知られています。

+++++稚野毛二派皇子(2)
 この皇子の名前は、実在したかどうかはともかく、藤原不比等の日本列島政治・精神史編纂にあっては、重要な分岐を位置づける人物です。後世の古代学研究者はこの名前を史実の手がかりと刷るべく、藤原不比等が意図的にこの人物をこの歴史時に設定したのではと私は考えています。
 岩波文庫「日本書紀(二)」補注(428頁)で校注者は以下を書きます。
(図:岩波文庫「日本書紀(二)」より、中央の黒線部分は読めなくなっていますが、本ブログの筋書きには直截関係しませんので、その部分を補っていません)
稚野毛二派003


 ここで私が注目しているのが「毛」を「息」に関連付けていることです。つまり、私の視点がはからずもこの校注者と合致しているのです。ただし、それへの接近は私のそれとは異なっています。

 ところで、「二派」とは、何か?本ブログでも繰り返し書いてきたことですが、仁徳天皇の次の世代から、あたかも天皇の家系が二重になっている、つまり二つの派(流)に分岐したかの如く日本書紀の記述が なされているのです。それを示したのが下記の表です。

(表:左の表については、すでに何回も本ブログで説明しています。例えば4月13日記事に付した説明を参照してください)
3rd_group

 この表は、日本書紀の記載をそのまま表にしたもので、底には私の作為hありません。しかし、古代史研究者は(私が知る限りでは)この事を誰も指摘していません。

 私は、何故このような年譜を藤原不比等が作らねばならなかったのか?について、ずいぶんと長く考えてきました。隋書倭国伝は

「開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌、遣使詣闕。上令所司訪其風俗。使者言倭王以天為兄、以日為弟、天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟。」

 と、書き、あたかも日本列島に二つの政権が存在したかのごとく書きます。しかし、この記述を見る限り、日本列島には、西暦600年の時点では支配権力は一つであったことが文脈からは窺えます。ただし、支配形態については東と西でいわば、支配分担をしていたことを書いています。

 ところで、大陸の史書「旧唐書」が日本列島内の二つの政権に言及しています。
%%%%%ウイキ記事転載
完成と奏上は945年(開運2年)6月[1]だが、その翌年には後晋が滅びてしまうため、編纂責任者が途中で交代するなど1人の人物に2つの伝を立ててしまったり、初唐に情報量が偏り、晩唐は記述が薄いなど編修に多くの問題があった。そのために後世の評判は悪く、北宋時代に『新唐書』が再編纂されることになった。しかし、逆に生の資料をそのまま書き写したりしているため、資料的価値は『新唐書』よりも高いと言われる。
『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について「倭国伝」と「日本国伝」の2つが並立しており、「巻199上 列傳第149上 東夷[2]」には「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地[3]」とあり、日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合したと記述されている。そして、宋代初頭の『太平御覧』にもそのまま二つの国である旨が引き継がれている。これについては、編纂過程の影響であると考えるのが日本における通説である。異論も存在していて、例えば、森公章は「日本」の国号成立後の最初の遣唐使であった702年の派遣の際には国号変更の理由について日本側でも不明になっており、遣唐使が唐側に理由を説明することが出来なかった可能性を指摘する[4]。大庭脩は、これを単なる編纂過程のミスではなく「倭国伝」と「日本国伝」の間の倭国(日本)関連記事の中絶期間には、白村江の戦い及び壬申の乱が含まれており、当時の中国側には、壬申の乱をもって「倭国(天智政権)」が倒されて「日本国(天武政権)」が成立したという見解が存在しており、結論が出されないままに記述された可能性があると指摘している。
%%%%%
 この唐書記述を次回、詳しく見る事にします。
(つづく)

 イタリアの地震裁判、関東地方の地震連発についての記事は次回に順延します。

都知事選雑感、地震学者が「地震が起きない」と言うには要勇気

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(写真:くぬぎの木に集まるたくさんの甲虫、この写真内だけで少なくも六(九?)匹が確認できます)
P725甲虫13


 想定外 余りに無残な 醜聞に 論戦色あせ 都民しらける

 自公勢力、あるいは自公勢力の殻を纏った二人の候補者に対抗して、良心的ジャーナリストと思しき人が「オリーブの木」の果実として東京都知事選挙戦に躍り出たのが十日前。私はおおいに期待し、勝利を確信しました。尤も76歳と高齢ですから、当選しても次はないであろうことに少なくない危惧を持ってはいました。

 しかし、選挙戦が始まると、まず露呈したのが「都政」に関するこの候補者の目を覆いたくなるような勉強不足でした。それは選挙戦が進んでも、改善の様子はありません。それに加わったのが「女性スキャンダル」です。週刊誌での報道記事は多分に脚色されているのかもしれません。とは言え、事実無根ではなかったようです。
 かくして「オリーブの木」を東京にしっかりと根付かせる機会は失われてしまったようです。余りにも杜撰な候補者選定であったようです。その選定過程の一端が下記の動画で語られています。
https://www.youtube.com/watch?v=W9uCHJNkUys 
https://www.youtube.com/watch?v=LLb7fAlo-s0 

 上記動画の演説者は、軍事問題の研究家として、おおくの著作を物しています。そうした方がどのような経緯から山口敏夫氏の応援をしているのかには多大の興味があります。それはおくとしても、有能さが高く評価されている岩手県の達増知事の秘書をしていたとの経歴を本人が語っているだけに不思議な気がします。この知事さんは「オリーブの木」の提唱者である小沢一郎氏と緊密な関係を築いてこられた方です。

 松原隆一郎氏が東京都政について書いています(下の図)。まさに選挙で論ぜられるべきテーマです。私にとっては、その本文もさりながら、冒頭で、先般の参議院選挙を概観しています。つまり、国民は「具体案」を呈示した自民党を支持したのだろうと書きます。私は、上の動画でも言及されている内部不和を抱える民進党に政治を任せることを国民が嫌った表われと見ていました。党内部の不和を安倍氏の強権(それが何によって維持されているのかはわかりませんが)によって押さえ込み、結果として安定した政権運営を曾いてのけている安倍氏に一種の「信頼感」を見たのではなかろうかと思っていました。
(図:7月23日付、東京新聞より)
P723都知事選挙


+++++「地震が来ない」と言うことには勇気が必要
 本ブログでもしばしば書いてきたことですが、「地震は起きない」と確言することには、多大の勇気が必要とされます。地震の専門家であれば、なおさらの事です。実際、日本列島はいわば地震の巣がいたるところにありますから、「ここでは当面地震は起きない」なぞは口が曲がってもいえないことになります。かくして「あそこも危ない、ここも危ない」と言うことが地震研究者には「保身」のため二なります。その行き着くところは、「狼少年」症候群です。「又か」ってなもので、学者の警告がまともに受け入れられないことになります。

 その最大の悲劇が2011年3月11日の大津波です。一年前の2010年2月に赤道の向こうチリに起きた地震は大きな津波を発生しました。津波は太平洋を横断して日本に達することは地球物理学からは当然予期されます。日本の気象庁は、当然警戒報を発しました。しかし、日本での津波高は予期されたほどには大きくありませんでした。尤も沿岸の牡蠣漁には多大の損害をもたらしましたが人命が奪われることはありませんでした。

 三陸沿岸の地は津波が頻繁に押し寄せることから、警報も頻繁でした。2011年3月11日の大津波に対しても少なくない住民が「またか」と考え、その来襲を軽視していたと語ります。「狼少年」症候群です。

 研究者が研究成果の一つとして、とある地震の襲来を確信するに至ったとして、その成果をどの用に公表するのか等も含め、地震予知情報の流布については、多くの防災関連研究者が色々と研究・考察していると聞きます。難しい研究課題であろうと想像して居ます。

 下記の事例では失敗していますが、「安全」宣言の出来る地震予知技術がもとめられていると私は考えています。どうするのか?私には現時点では答えが出来ていません。

 下に紹介する「イタリア」の事例は、まさに「地震研究者」が「地震は来ない」と確言してしまったために裁判沙汰となったのです。これについては本ブログでも数回ほど書いています。
(2014年11月21日記事 http://c23.biz/MNLT 、
2013年9月23日記事 http://c23.biz/JsT7 
2012年11月14日記事 http://c23.biz/nAws など)

%%%%%あいまいな「地震予知」がもたらす悲劇 イタリアで地震予知失敗の裁判
http://c23.biz/Zikr  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」 夕刊フジ2016.07.22

 2009年春、イタリアで地震予知に失敗した学者の裁判は、イタリアの最高裁でひっそりと終わっていた。昨年11月20日のことだ。最高裁は日本と同じく、法律や手続き上の間違いがなければ第二審を認めてしまうのが普通だからである。
 14年11月の二審では、12年10月の初級審の7人全員の有罪がひっくり返されて、学者は無罪、政府の防災庁幹部1人だけが執行猶予付きの禁錮刑になっていた。これが最高裁で確定していたのだ。
 イタリア中部ラクイラ。ここはふだんから月に数回の地震がある。大地震の前の半年間はさらに活発になった。大地震が来るという独自の地震予想を出す学者も現れた。地元の人々のなかに不安が広がっていた。
 このため「国家市民保護局」は学者を含む「大災害委員会」を開き「大地震は来ない」という安全宣言を出した。じつは政府が人心を鎮めようという方針を委員会の前に決めていた。政府が学者に期待したのは科学者のお墨付きだけだったのである。
 安全宣言が出されたので外に寝ていた人たちも家に帰った。しかし一週間後の4月6日午前3時半、マグニチュード(M)6・3の大地震が起きて309人が死亡してしまった。
 第二審での判決言い渡しのとき傍聴席にいた犠牲者の遺族らから「恥を知れ」との怒りの声が上がった。また、遺族らは「国家は裁かず、自らの保身に走った」「犠牲者は今回の判決で再び殺された」などと語った。
 イタリアの裁判は対岸の火事ではない。日本でも、国が安全を保証したのに大地震が起きたことがある。さる4月16日に熊本で起きた最大の地震の前がそうだった。4月14日の地震の後、気象庁や政府が「家に帰れ」と呼び掛けていたのだ。
 もっと大きな問題もある。いまは南海トラフ地震と一緒に起きると考えられている東海地震は「大震法」(大規模地震対策特別措置法)という法律ができていて、気象庁にある判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)が「予知宣言」を出し、それによって新幹線も東名道路も、デパートやスーパーの営業も止めることになっている。
 この地震予知が可能かどうかは強く疑われているが、阪神淡路大震災が起きたあとも、また東日本大震災が起きたあとも、政府の公式見解は「東海地震だけは予知できる」というものだ。
 しかし、なにか前兆風のものが見つかって、いったん「宣言」が出されてから、すぐに大地震が来なかったらどうするのか、その方針は決まっていない。宣言を取り消せる科学的な根拠や方程式はなにもない。
 新幹線や東名高速道路が止まり、静岡県などが孤立した状態は経済的にも人心にも打撃が大きい。それを何日も続けるわけにはいくまい。
 こうして判定会の科学者や気象庁の委員が、迷いながらでも、渋々でも、「宣言の解除」を出す。
 しかしそのあとで大地震が襲ってきたら…。イタリアとまったく同じことが起きるに違いない。
島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『地震と火山の基礎知識−生死を分ける60話』(花伝社)。
%%%%%

上の記事で引用されているイタリア最終審判決が科学雑誌"Science"
http://c23.biz/7kZC で紹介されています。長い文章なので次回にその内容を紹介します

関東地震の二年前の龍ヶ崎地震、稚野毛二派皇子

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:今年は朝の散歩中、あぜ道に蛇を見ませんでした。ついに「農薬を嫌って蛇君はこの地を去ったのか!」とさびしく思ってましたが、先日、「脱ぎ捨てられている着物」を見つけました。どうやら、どこぞで生き延びているようで、まだ当地を見捨ててはいなかったようです。一糸纏わぬ美女の姿で私の夢枕に・・・なぞと妄想しましたが、そうしたことは起きませんでした)
P7010蛇


 梅雨も末 あの青蛙 ベランダに 訪ね来ぬまま いよいよ真夏

梅雨時になると必ず、ベランダ手すりにうずくまっている、青蛙。どうしたものか、本年は姿を見せません。福島の原子力発電所事故のあった年の九月には「青変じて白」蛙として当家を訪ねてきたものでした(2014年9月29日記事)。

+++++地盤変動予測(続)
 (図1:7月21日付東京新聞二面より
P721規制委7


 前回記事で、原子力規制委員会に物申した島崎氏の指摘を書きました。どうやら19日の会合での田中委員長の対応に批判が出たのでしょうか?電力会社の内部操作が明るみに出たようです。原子力発電所への影響が「小さくなるような」地動予測を電力会社がしており、その予測に基づき、「大飯原発での想定される地震による地動の影響は小さい。従って原発の審査にあって、この項目はクリアされている」、と言う論理を主張していたことになります。改めて島崎氏の指摘が果たした役割の重要さを思っています。

 原子力発電は国の政策でありながら、実施は民間の電力会社が請け負ってきました。基本的な財政基盤は国が全て負担してきました。いわゆる原子力三法の整備です。潤沢な儲けが電力会社に入る仕掛けが整備されていたのです。しかし、設備が稼動しないことによる損を国が負担する論拠は現時点ではない。かくして、一銭たりとも損をしたくない電力会社は上の新聞記事にあるような姑息をすることになります。
 そもそも国の政策にのっかての企業活動ですから、こうした論理的でない筋の通らないことをするであろうことは予期されるのです。そうしたことをしたくても出来ないような筋の通ったエネルギ政策が構築できるように思うのですが、国と電力会社はもたれあってグジャグジャした関係がある限りでは、それは期待できないのかな、と悲観的です。


+++++稚野毛二派皇子野「毛」とは?
 藤原不比等にとっては、彼が生きている時代の過去300年つまり西暦四世紀から七世紀の日本列島史は、まさに近・現代史です。その歴史を編纂する上で、大きなポイントがありました。それは
(1) 卑弥呼から遣隋使までのいわゆる真っ当な列島史(これを、現ブログ管理人は草稿版と呼んで入る);
(2) 草稿版の時間を逆転させ、あらたに四世紀からの歴史を「構築するに当たっての整合性」の確保;
そして
(3) 最後は、九州に威を張っていた「倭国」勢力の殲滅史(日本書紀が書く壬申の乱)

です。

 現在論議しているのは、(3)の最終段階、つまり既存の宗教体系の中で藤原不比等が最も警戒した「シリウス星信仰」(ゾロアスタ教)の破壊とそれに取って代わる「天照大神」信仰の確立です。その確立への一つの重要過程が列島「正史」のシナリオ作り、つまり上記の(2)にあげた史書の構成です。ここで「正史」をあえて括弧「」で括ったのは、その正史なるものが藤原不比等の政治的思惑に満ちており、史実ではないことを強調したいが溜めです。
 この作業での最大の眼目は、実は継体天皇登場のお膳立てなのです。それは何故か?近日中に再度詳しく考察しますが、この天皇に重なる実在の人物は明らかに大陸政権、つまり隋国からの政治・軍事的使命を担って渡来したのです。この人物をしかるべく藤原不比等の編纂する列島近代史にはめ込まねばならないのです。

 この作業に、藤原不比等は多大の段階を踏んでいます。第一ステップとして、宋書倭人伝に伝えられる「興王」、「武王」に擬するべく「応神天皇」をしつらえます(天皇の和風諡号にそのことが現れていることを既に書きました)。次にこれも同じ大陸史書に記載される「讃王」、「珍王」に重なる人物として仁徳天皇がしつらえられます。ご丁寧なことに、仁徳天皇の存在の証として万葉集二歌、および八十五歌が、その歌意を「ねじまげて」さりげなく日本書紀に書き込まれます。

 藤原不比等の作業は、まだ続きます。強大支配者として列島に知れていたが故に、実在したことが確かな「ワカタケル」王の事跡(埼玉県、熊本県古墳出土の鉄剣銘文)を「虚実」取り混ぜて描きます。更には梁書倭国伝が伝える「扶桑国」王の「乙祈」を「仁賢」、「顕宗」天皇として、記紀に書き込みます。かくして、記紀に登場する天皇(日本列島国王)は、大陸正史に登場し、且つ日本列島に伝えられてきた叙事詩「万葉集」に詠われる事跡をも包含することになったのです。こうして、藤原不比等の史書は、その内容の「信憑性」を世に説得的に語ることになります。

 以上のお膳立てを経ていよいよ継体天皇の登板となります。藤原不比等は決して慌てなかったのです。大陸系人物の日本列島侵入物語をすんなりと史書に書き込むべく、用意周到の準備をしていたと言わねばなりません。それは、時間的な整合性を得るべく、かくも多くの天皇を史書に登場させました。そしてそれらの天皇については「万世一系」なる整合性の確保にも注意を払ったのです。

 そうした熟慮の中から編み出されたのがまずは「稚野毛二派」(わけぬけふたまた)皇子です。下の図に見るようにこの皇子の三代後に継体天皇が登場します。

 これだけの熟慮にも関わらず、この人物の登場は、それをどう描こうとも不自然さは免れません。岡田氏はじめ少なくない研究者もこれを指摘しており、素人たる私の思い込みではありません。そのことが、皇子の名前に体現されています。

(図2:継体天皇につながる天皇家系)
仁徳系図a


 まずは、皇子の名前がそもそもこんなに長ったらしい筈はありません。これは、この皇子の史書編纂に果たした役割を銘するために拵えあげられた名前であろうと考えるべきです。それは名前の「二派」(ふたまた)から見えてきます。倭国の従来の政治権力から新たに「派生」する権力の始祖であるとして、藤原不比等が「創造」した人物です。この人物を作り出すに当たって、「毛」なる漢字を含めたのです。これは異母兄である「仁徳天皇」と「髪長」姫との説話が既に藤原不比等の構想、あるいはシナリオに入っていたからではなかろうかと考えています。わたくしは この説話、そして「稚野毛二派」なる皇子名を思いついたのは日本書紀編纂作業の末期、つまり「中」連合が奈良盆地から本格的な東征と言う名目の東北日本軍事侵攻に踏み出した途上でのことではなかろうかと考えています。
(つづく)

+++++関東下で地震活動が活発化?
 前回書いたように、茨城県南西部では、この二ヶ月のM>5の地震が二回起き、それに加えて千葉県九十九里浜下でM>5の地震も起き、東京のすぐ北域は短期間に三回も震度4で揺さぶられました。この連続する地震こそはやがて必ず来るはずの関東地震の前兆ではなかろうかとの危惧が地震専門家が抱いているようです。理由は、1923年(大正12年)の関東地震に先立つこと一年九ヶ月前の1921年12月に龍ヶ崎でM=7の地震が発生しているからです。市内に損壊をもたらしています。M=7は地震有感域の広がりなどから推定したものです。
 この地震の震源については多くの研究がありますが、未だに定まった見解はありません。フィリッピン海プレートに起きたものであるのか(図3の 法△修譴箸盪笋かねがね発生を危惧しているチバラギ地震群(図3の◆砲紡阿垢襪里?

 私自身は、1921年の龍ヶ崎地震は「チバラギ地震群」であったろうと考えています。これは太平洋プレートの鉛直破断に伴う地震で、その破断面はまさに龍ヶ崎下を走っています。

(図3:茨城県南部下に存在する二つの地震巣、前回ブログ記事の図に加筆)
龍ヶ崎地震1921
 

 この種の議論では、いつも「過去の地震に照らして、何時起きても不思議は無い」と言った言い回しが使われます。しかし、これは、一般の市民に対してはすこぶる不親切な言い方です。それでは、違った言い方があるのか?と、問われると、ウーンとうなるしかありませんが。

 せめて、起きた地震群から、その地震が次の地震を惹起しそうであるのか、それともそうではないのかを知る手がかりが地震波解析から引き出せないものなのか?次回、それを試みてみようと思います。お断りしておきますが、それは私の思考過程をそのままさらけ出すということであり、しかるべき結論が用意されているわけではありません。

 以下に次の地震発生を危惧する専門家の意見を転載しておきます。

%%%%%ライブドアニュース記事転載
首都圏直下M7級の前兆? 関東で連日の地震 識者「明日、来てもおかしくない」
http://c23.biz/QU7y 2016年7月21日 17時12分
 不気味な揺れが続いている。20日、通勤ラッシュの午前7時過ぎ、茨城県南部を震源とするマグニチュード(M)5・0(推定)が発生。同県土浦市、さいたま市などで震度4、東京都、千葉県などで震度3を観測した。19日には茨城県沖、千葉県東方沖でも地震が起き、突然増えた感じがする。専門家は「関東の地下はプレートが複雑に入り込んでいるため、地震が多い」と指摘、「極端なことを言えば、明日M7級が来てもおかしくない」と警告する。
 ここ数日、関東地方で地震が相次いでいる。20日午前7時25分ごろ、茨城県南部を震源とする震度4が起き、19日午後0時57分ごろには千葉県東方沖(M5・2、震度4)、同4時28分ごろにも茨城県沖(M4・1、震度3)で発生した。茨城県に限れば17日の昼過ぎにも同県南部でM5・0、震度4を観測している。
 これだけ続くと、いつ起きてもおかしくないという「首都圏直下M7級」が近づいているのかとさえ思え不安になる。
 夕刊フジで「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」を連載する武蔵野学院大の島村英紀特任教授は、「関東の地下はプレートが複雑に入り込んでいるため、地震が多く、『地震の巣』とたとえられる。20日の揺れはマグニチュード5だったが、たまたまその規模だっただけで、いつ“7”が起きてもおかしくない。脅かすわけではないが、明日“7”が来ても不思議ではない」と指摘する。
 猛暑の中での連発だっただけに地震と気温に何か関係があるのかとも考えたくなるが、「地震学では気温との関係は否定されている。(外気の)温度が地中の奥まで届かないためだ。ただ、関東大震災が起きたのは(1923年)9月1日。用心するに越したことはない」(島村氏)。
 心構えだけはしておこう。
%%%%%記事転載おわり

 プレート理論の議論が日本で始まったのが1960年代半ばです。1960年代後半にはこの理論と地震現象との整合性を検証する物理的な研究が日本の金森博雄博士(当時は東大に在籍していた)などによってなされていました(例えば「巨大地震の科学と防災」37〜58頁)。そして次々に世に出る華々しい研究成果は、プレート理論への説得性を急激に高めていました。
 とはいえ、1960年代当時、地震予知連絡会・会長は、プレート理論に確信を持てず、言葉の端々に疑念がにじみ出ていた時代でもありました。こうした時代に、新興のプレート理論に最も頑強に異議を唱えたのが「地学団体連合会」(通称「地団研」)に結集する地学者たちでした。会員の多くは地質学者であったと聞きます。かっての地団研メンバが次々とプレート理論になびいていく風潮の中で、「反プレート」主義の旗を掲げて論陣を形成していました。そうしたグループの研究者が今も大きな声でプレート理論に異を唱えています。以下は、ネット雑誌 Business Journal 上での声をあげています。
「関東で地震が頻発、直下型大地震の前触れか?「伊豆・相模地域は警戒を」」
と題された長文を参考までに付記しておきます。
http://c23.biz/8SFW 

7月19・20日の地震、元原発規制委員・島崎氏の指摘

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:亀戸天神(左手前)の東を南北に流れる横十間川。正面の橋はJR総武線。左が「亀戸駅」。「亀戸」は「カメイド」と音します。それは「カムイ」に由来するのだろうと考えています。何時の頃か、江戸時代のはるか以前の昔、この地にアイヌ族が居した名残です。この川を北上(写真手前)すると浅草通りに並行に東西に流れる北十間川にぶつかります。右下は安藤広重による“江戸百景”画から。横十間川は絵の手間。)
横十間川


 江戸の地に アイヌの名残 とどめおる 菅公の御霊 勧請の地なり 

 昨日、今朝、当地は震度3〜4の地震に見舞われました。ネットなどでは、「関東大地震の再来」が近いのではないかなぞと「おびえ」の噂が飛び交っています。確かに下の議論に見るようにフィリッピン海プレートの浅い部分でこのところ地震が頻発しています。


+++++原子力発電サイトでの地震動予測
 先週土曜日の東京新聞が、島崎邦彦氏の地震動予測について、原子力規制委員会に重大な指摘をしたことを報じています。島崎氏は昨年9月まで原子力規制委員会の委員長代行の要職に会った地震学の専門家です。
(図1:7月16日付東京新聞記事より)
P717島崎


 この指摘について、その概要を島崎氏自身が科学月刊誌「科学」(岩波書店発行)七月号で書いています(「最大クラスでない日本海最大クラスの津波」pp654-659)。図2はこの寄稿文の冒頭部分です。2011年3月11日の東日本巨大地震とそれが引き起こした福島原子力発電所事故について、地震研究者としての痛恨の思いが陳述されています。今般の「執拗」とも思える原子力規制委員会への「重大指摘」もその思いに駆られた故であったろうと推察しています。

(図2 島崎氏が「科学」七月号に投じた論考の冒頭部分)
P71405島崎


 以下に、簡単にこの「科学」誌の記事を紹介しておきます。

 地震が原子力発電所への損壊・打撃をもたらす要因の一つは地震が引き起こす津波です。津波規模はひとえに海底での変動で決まります。とりわけ海底面の上下変動です。一方、原子力発電所近傍あるいは直下に活断層が走っている場合は、その活断層が地震時に引き起こす地面の変動は、まさに直接原子力発電所の諸施設への損壊をもたらす要因です。ここで言う変動とは所謂「地震の揺れ」(地震動とも言う)ではなく地震が起きている岩塊の動きです。

 まだおきていない地震について海底、あるいは地面の変動量をどのように見積もるのか?これが問題なのです。幸いにして、地震研究者は過去の大きな地震についてその地震規模を地震モーメントと言う物理量を、かなりの精度で求めて来ました。基本的には地球上に1000を超える地点に高性能-高精度の地震計が設置されています。その中から良質に記録された地震波記録を「地震メカニズム」理論に基づいて解析すること出、地震モーメントが得られます。地震のほとんどは地中深く、あるいは陸から遠い海底下で発生しており、地震源を直接観察、計測はできません。が、そのことにお構いなく、地震モーメントは正確に見積もることが出来るようになっています。

 ところで、この地震モーメントは上に書いたメカニズム理論から次式で表現されることが、1960年代、日本の地震学者丸山卓男博士によって理論的に導かれています:
 地震モーメント=(岩盤物性)*(岩盤の変動)*(破壊面の面積)       (1)

 上に書いた(1)式で、左辺の量は地震波の分析で精度良く得られます。右辺の第一因子、(岩盤物性)、は多様な計測、観測から良くわかっています。右辺の第三因子は、余震域の広がりと思うことにします。
 こうして、ひとたび地震モーメントが得られるや、その地震による地面の変動が推定できることになります。それが海底下であれば、直ちに津波の大きさの推定を可能にします。また、発電所近傍直下の活断層であれば、それは原発建屋は言うまでも無く格納容器、圧力容器、そしてそれらをつなぐ多様・複雑な配管系損傷の見積もりをも可能とします。

 京都大学の入倉孝次郎氏とお弟子さんの三宅氏は世界のすでに起きている多くの地震についてこの地面変動量を整理し、そこから統計的な処理をほどこして経験式を樹立しました。ところで、上の(1)式の右辺第三因子、(破壊面の面積)、は破壊面を矩形と仮定すればそれは(幅)*(長さ)です。地表から浅い場所で起きる地震については、その幅はそれほど違わないはずです。それもしかるべく仮定して、彼らは、地震時の地面の変動と断層の長さに次のような関係があることを突き止めました(島崎氏の論説はもっと丁寧ですが、それをここにそのまま書くと冗長になるので、あえて簡約しています:
(地面の変動、単位は m)=0.00227*(断層の長さ、単位は km)     (2)

 この関係式の有用性は、何よりも断層の長さから、その断層上で起きる地震による地面の変動量が推定できることです。特に我が日本列島では内陸のみならず周辺縁海も含め、活断層の発見と、その形状、長さなどが観測・測定されています。これは、原発への地震の影響見積もりに使えることになります。

 ところで、原子力発電所の津波に関する審査では、通常この入倉・三宅氏による推定手法ではなく、名古屋大学の武村唯之氏が導出した次式が用いられるのが通常であると、島崎氏は「科学」の論考で書いています:
(地面の変動、単位は m)=0.00904*(断層の長さ、単位は km)     (3)

 二つの式(2)と(3)の大きな違いに着目したのが名古屋大学の山中佳子氏と島崎氏です。彼等は関係式構築のための会席データを精査して次式を得たと書きます:
(地面の変動、単位は m)=0.00791*(断層の長さ、単位は km)     (4)

(図3:地面変動量と断層の長さの関係)
断層長さー地動


 (3)式と(4)式の係数の違いは高々一割程度で、地震学ではこの程度のばらつきは、途中の作業過程㋾こうりょすれば 許容範囲内と言うことが出来ます。しかし、(2)式の係数とは、実に4倍近く異なっています。これは由々しきことと島崎氏は考えたわけです。そしてその差異の原因として断層の形状、つまり断層面(破壊面)が鉛直であるか(入倉・三宅氏)、そうではなくて傾いているか(竹村氏、山中・島崎氏)についての取り扱いの違いにあることを突き止めたのです。

 日本列島内および周辺海域にある活断層では、すべてで断層面が鉛直とは限りません。最近の例では本年4月14,16日の熊本地震の発震機構解殻わかったことは、あの地震群の顕著な地震について断層面が鉛直ではなかったのです。つまり、川内原発の再稼動を原子力規制委員会が認可した際の判定基準が甘かったと言っても良い、つまり査定には深刻な不備があったということになるのです。だからこそ、島崎氏は「執拗」と思えるほどに規制委員会に見直しを求めていたのだと想像しています。

 地震予知に関わる研究者を除くと地震研究者への研究費配分は決して多くありません。そうした分野の研究者であればこそこうした勇気或る発言が出来たのかななぞとも思っています。

 さてこうした島崎氏の指摘に応えて、規制委員会は昨日島崎氏から直截ヒアリングする機会を設けたとのことです。氏の渾身の訴えへの規制委員会の対応を報じた藻記事が図5です。
(図4:島崎氏の意見陳述とそれに耳を傾ける田中規制委員会委員長。田中氏が頬杖をつき「ウンザリ」とした表情に見えなくもありません)
原発ー島崎


+++++7月19,20日の千葉・茨城地震報告
 上でも書きましたが、昨日、そして今朝の地震がやがて来る関東地震に関わっているのか否か、全くわかりません。気味が悪いというのが私の実感です。特に昨日の房総半島縁(へり)中部の地震が、フリッピン海プレートの地震であるのか、それともその上に乗る陸の地震であるのか、事情が見えてきません。何せ、この地震の発震機構も奇妙奇天烈なのです。
(図5 これまでにホンブログで掲載してきた図と同じですので、詳しい説明は省略します)
160719-20s

 
 上の図に見るように、霞ヶ浦の西方に地震活動の巣があり、その巣が活性化したのが2014年の9月16日の地震であったらしいということを、これまで書いてきました。その活動が、個々一ヶ月際立って活性化してきたことが、下の図6からわかります。
 そこで、この地震の巣の性状を調べるべく、特に定めた矩形領域内の地震活動を詳しく見てみようというわけです。それが図6です。この矩形の方位は暗黙裡にフィリッピン海プレートの陸上への投影と考えています。つまり辺ABがほぼこのプレートの進行方向であろうと言うわけです。

(図6:図5に示した矩形領域内の地震についてそのABを含む鉛直断面への投影。横軸はADからの距離)
160719-20ddt


 図6の上は矩形ABCDの辺ABを含む鉛直面への地震活動の投影です。矩形がフィリッピン海プレートの進行方向に沿っているので、図6の上の図では地震活動はこのプレートの形状を反映しているはずです。実際、今般の地震群はゆるい傾斜の右上がりの分布です。そしてその巣の端っこで地震活動が活発ですが、そこはまだ地表ではありません。
 問題はそのずっと右に昨日の千葉県の地震が起きたことです。これが、7月20日の地震を乗せるプレートの南東延長にあるのか否かが定かでないのです。そこで、図には”???”が示されています。その発震機構も解釈が難しい。

 折角ですからマスコミ受けできるような格好の良い地震予測をして見たいのですが、こうして実際の発生様式を目の当たりにすると、「わからない!わからぬ!」と一人ごつのみであります。

2016年7月17日昼過ぎの地震, 栃木・烏山・神長地区

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(写真:湿った大気、雲、その向こうにまん丸の朝日、午前5時半ごろ)
P717朝日1


 まん丸の 朝日が浮かぶ 薄き雲 小鳥も啼かずに 様子見守る

 連日のじっとりした重苦しい雲が天空を早朝から覆っています。そのわずかの薄い部分から朝日が地上の様子を窺っていました。雲のおかげでまん丸の太陽をデジカメが捉えました。誠に珍しいことです。

 トルコのクーデタ未遂事件には驚かされました。フランス・ニースでのトラック暴走による大量殺戮事件直後でしたから、何がしかの連鎖を想像しました。現時点では、そのあたりの連関は不明です。
齢を取ると老人ちゅう者は何かと昔語りをしたがるものです。20年ほど前、滞日していたトルコ人研究者を京都に案内したことがあります。「バリトン」のよく響く大変良い声のナイスガイでした。或る晩彼を連れて伏見の過激なXX劇場に行ったことがあります。思えば、一年間の日本での単身滞在ですから、私も罪なことをしたものと反省しました。
時計が進み、10数年後の1999年、トルコに二万一千余の犠牲者が出る大地震が発生しました(イズミット地震M 7.6)。私はこの地震後、トルコ国への技術援助計画を検討するために数回トルコを訪問しました。その際、かのトルコ人研究者は同国で防災局長の地位にありました。トルコ国の防災最高責任者として被災者救援、災害復旧、復興計画で多忙な日々でありました。が、訪トルコの私のために有能なスタッフを私のために派遣してくれるなど可能な限りの便宜を図ってくれました。今般のクーデタ事件で真っ先に安否を案じたのが彼でした。彼の無事を願っている次第です。

+++++2016年7月17日昼過ぎの地震
 日曜日の昼過ぎ、かなり大きな地震が私の住む茨城で発生しました。そのときに江戸にいた人の話では、建物のガラスがカタカタと鳴ったとのことでした。以下にこの地震の情報を掲載しておきます。
(図1:http://www.hinet.bosai.go.jp/ による地震活動状況、発震機構解を見る限りでは典型的な逆断層地震。圧力軸の向き、婦紙面の幾何的性状はこの地震がフィリッピン海プレート上面の地震であることを思わせる、◆2012年12月7日以後の地震課都度の内M>4.4の地震のみの活動状況。今般の地震の近傍に「地震の巣」の存在を思わせる。図中の矩形ABCについては図2を参照)

 図1で座標の原点は2013年10月26日に日本海溝はるか東沖で発生したM7.7の地震の震央を原点に取った座標系が用いられています。霞ヶ浦の西から南に直線状に分布する地震活動を、本ブログ管理人は「チバラギ」地震群と詠んでおり、その活動を警戒しています。
160717s


(図2:図1の中に示される矩形域内の地震について、調べている。上下二つの図で、横軸はABに沿って辺ACからの距離。上は書く地震の深さ、下は2013年10月26日を基点として計った発生時間(単位は日)。
160717ddt


参考までに6月13日に掲載した図を再掲しておきます。この図と上の図2を眺めると、今般の地震活動の始まりは2014年9月16日のM6地震であったことが見えてきます。この地震は村井俊次東大名誉教授がGPSの連続観測から発生を予告していたことで知られています。この地震の発生は50km弱の深さであったと報告されています。が、そのフィリッピン海プレートと北関東を乗せる北米プレートとのカップリングが強く、それが陸上でのGPS陸上観測に反映されたと解釈できます。
(図3:ほぼ二ヶ月前にこの地域近傍で起きた地震)
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+++++栃木県烏山の神長地区
 藤原不比等が編纂する日本列島の近・現代史にあって、その説得性、信憑性を支える史料はたくさんあった筈です。しかし、それらは焚書坑儒によって廃棄・隠匿されてしまいました(2012年9月14日記事)。

%%%%%焚書に関する過去記事再掲
 前回、藤原不比等に幾ばくかは良識が残っているのではないかと書きました。これについて本ブログの読者から日本書紀を編纂するにあたり、国記、天皇記をはじめ在来の記録に対する「焚書」をしているではないかとの指摘をいただきました。誠に尤もな話です:続日本紀はこんな記事を書いています。まさに古事記、日本書紀が世に出る直前の708年の事です。

%%%%%続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
《和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一)》和銅元年春正月乙巳。武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も語句につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
%%%%%抜粋おわり
 708年といえば、古事記が献上された和銅五年(712年、元明天皇、天智天皇の第四皇女)の直前、および日本書紀が奏上された養老四年(720、元正天皇、草壁皇子と元明天皇の娘)の直前です。藤原不比等による日本列島歴史観が「定め」られるにおよび、それと整合しない其れまでの古文書・記録は一切隠蔽されたことがこの記事から分かります。そうした文書を隠し持って山奥深くに逃げ隠れていたことが露見すると死刑に相当する極刑だったのです。まさに「焚書坑儒」です。しかも。この記事からは、古代「焚書坑儒」は、和銅五年に始まったことでは無く、以前からこれが大罪であったことが読み取れます。これを思うと、藤原不比等が歴史の真実に「忠実」である側面があったなぞとは言い切れないようです。
%%%%%過去記事再掲終わり

 従って、この近・現代史の信憑性を獲得するために藤原不比等は大陸王朝の正史を摘み食いします。それらは魏志倭人伝、宋書倭国伝、そして隋書倭人伝です。しかし、摘み食いにあたりその文献を明示することはありませんが、そうした「摘み食い」部分の記述は、後世の有識者をして、古事記・日本書紀が「史実」であると思いこませる効果があったのです。これらは、海外から見た日本列島の記載です。

 一方、国内の事象・事件の記述にあたり依拠したのが万葉集であったのです。多くは、九州等他の場所にあった地名を奈良盆地に持ち込むことで、太古の昔からならが列島の中心であったとの詐術です。
万葉集なかりせば、ちっぽけな奈良盆地内に香具山、畝傍山を持ち込むことによる「箱庭」小細工をほどこす必要も無かったのです。あるいは、須賀川の盆地に拠した飯豊女王を奈良盆地の南西の葛城近辺に移し変えることもなかった。更に言うならば、壬申の乱の舞台を九州熊本から琵琶湖南岸に「書き換えてしまう」必要も無かったのです。万葉集の存在は藤原不比等にしてみれば、誠に目障りであったに違いありません。とんでもない叙事詩集が出てきてしまったとの思いがあったに違いありません。

 編纂中の近・現代史に万葉集で叙事されている事象および地名を取り込むことで、その信憑性を増す効果があると判断したはずです。すでに書いたように日本列島正史の初期構想では、卑弥呼から始まり、武王時代、大足彦(景行天皇)治世、そして中大兄・中臣鎌足による列島制圧の始動、とどめは九州にあった建御名方(大海人)一派の信濃国封じ込めと言う筋書きです。これが7世紀末までの真実の列島史なのです。

 しかし、これでは七世紀の中大兄・中臣鎌足政権の権威付け・正当化には不足していると判断され、上述の史実の順序を逆転させたものを「正史」として編纂しなおしたのです。これが、古事記であり、日本書紀です。当然改定された「正史」では、個々の事象の時間的整合性を図るため、加筆修正されていることは言うまでもありません。

 さて、いずれにしても藤原不比等は卑弥呼を神功皇后に重ね合わせることには強いこだわりがあったようです。歴史の時間的整合性を考慮すれば、その部分は省いたほうが「正史」らしく見えたはずです。これにこだわった結果として登場するのが応神天皇と息子の仁徳天皇です。応神天皇の和風諡号が気比神宮に座した神と名前を取り替え神から名前を頂いたとの説話は象徴的です。宋書倭国伝に登場する「興王」、「武王」の名前を合成して作られたのが「KHO−MU」(ホムタ)であることは、この天皇が「捏造された」人物であることを自ら告白しています。

 そして次に登場する仁徳天皇の和風諡号は「大ササギ」です。これは、当時堺にあった巨大墳墓から命名されたものであり、たぶんそれは「珍王」、「讃王」の墳墓であったのかもしれません。仁徳天皇に重ねあわされたのが「珍王」と「讃王」の両方であったのではないかと私は考えています。

 しかし、史書と言うからには「でっち上げられた天皇」といえども、この仁徳天皇の実在性を「担保」する何がしかを記載せねばなりません。そこで持ち出された「担保物件」の一つが万葉集85歌であり、それに続く90歌までの六歌です。万葉集に歌われているからには、この歌の詠んだ女性が実在したのです。85歌と87歌を比べて眺めていると別人との可能性もあるのかなと思っています。

 ここで、栃木県の烏山の話にやっともどることができます。私は烏山の西にある「神長」地区は「気長」(万葉集85歌)に由来するのではなかろうかと考えています。前回書いたように歴史の変遷の中で「気」(き)は「気」(け)と音を変え、「け」(気)は「毛」とその表記を変えていったのではなかろうか。さらに「毛」は「髪」(かみ)に転じ、いまやそれは「神」になったと考えています。かくして「神長」地区と呼称されたのだろうと思っています。

 藤原不比等が神功皇后紀を修正し(なぜならば初期構想ではこの女性は卑弥呼王に重ね合わされていた)、そのうえで応神天皇、仁徳天皇紀を編纂する作業時、すでに万葉集85〜90歌が知られており、現在の栃木県北部にはこの歌を詠んだと思われる女性の存在も知られていたのだろうと思います。そこでこの女性を天皇紀に書きこむことで、仁徳天皇の存在の証としようとしたのです。
それを想像させるのが系図です:


  上の図の左に立の系列は継体天皇に繋がる系図であると記紀は説明します。その始まりは仁徳天皇の異母弟である稚野毛二派皇子です。誠に「意味深」な和名であるなと私は思っています。ここに「毛」なる漢字がひっそりと仕込まれていることに私は着目しています。
(つづく)

髪長媛(7、髪と霜)、都知事選と安倍氏の党内監視

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(写真:二つの朝日、本のつかの間に顔を出した朝日が水田に自らを映し出しました)
P715朝日

 
大雪の 二年半前の 大聴衆 反原発の 思いは今も

 二年半前の2014年2月、私は反原発への想いを声高に叫んだ細川・小泉連合の訴えに強く共感しました。細川氏の当選こそが、日本の原発行政を変える出発点となると考え、北関東の地から、はるばる汽車に乗って、氏の選挙事務所に手伝いに出かけたほどです。思えば、私が東京都知事選を手伝ったのは実に40数年ぶりでした。美濃部亮吉氏の再選を願って、教室の入口にポスタを貼ったりして教授に呼び出され叱られたことを思い出します。あのときの争点は「都政を伏魔殿から取り戻す!」ではなかったか、と記憶しますが定かでありません。
 二年半前の最大の争点は「原発」問題でした。その問題意識を共有していたはずの宇都宮氏との調整がつかず、共倒れになってしまいました。漁夫の利を得たのが、つい先日までメディアに連日叩かれ続けた舛添氏でした。幸い、今般の選挙では候補者調整も成功し鳥越俊太郎氏が擁立され、うれしく思っています。必勝を期待しています。

 今般の都知事選ではその前哨戦として「小池百合子騒動」がありました。すったもんだの末自民党が増田寛也元岩手県知事を候補者として決定した直後、自民党員に対して「都知事選挙における党紀の保持について」なる通達が出されたとのことです。その内容は「各議員(親族等含む)が非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象になります」とのことです。国会審議での党議拘束ではなく、地方自治体の首長選挙で、党員の造反を防ぐためにこうした厳しい措置をとるのです。昨今の自民党の反対者への非寛容な対応がそのまま表出しています。

 なんとも暗澹たる気分にさせられます。昨今の自民党の酷い様相を思う故です。一昔前の自民党は色々と胡散臭い人物が少なくなかったとはいえ、豊かな構想力の田中角栄氏、知性の宮沢喜一氏、反骨の白川勝彦氏、そして小沢一郎氏など多士済々でした。こうした人材を自民党は排除してこなかったのです。しかし、現在の安倍自民党総裁の下では一切の異端的、反逆的意見が聞こえてこないんですね。

 前回のブログで、ジャーナリストの池上彰氏による指摘を書きました。昨今の自民党は全てのTVプログラムを録画し、それを精査し、自民党の意に沿わないことの逐一を「事実と異なる」と決め付け、指摘するといいます。政権与党のそうした行為がジャーナリズムにとっては、自由な報道への規制と受け取ることは明らかです。これでは、ジャーナリズムは沈黙するしかないというわけです。これが、現今の我が国の言論状況です。

 この同じような規制・監視が自民党内でも働いているのではなかろうかと私は想像しています。個々の党員のいわば弱点、弱みをCIAさながらに探り出し、それを通じて「脅迫まがい」の党員支配をしているのではなかろうか?その端的な例が谷垣氏です。氏は多分中国人女性との怪しい関係がそのまま安倍氏への屈服になってるのではなかろうか?元気の良かった石破茂氏、野田聖子氏などが沈黙させられています。その仕掛けは世耕氏が率いる自民党CIAとその実行部隊たる「特別高等警察」ばりの自民党内監視集団機能のもとで、党員の自由が逼塞させられている結果なのではなかろうか。その一端を垣間見せたのが今般の「通達」ではなかろうか。安倍氏の「安定・長期」総裁のこれが内実と思っています。
 勇気ある自民党員、出でよ!と思っています。

 さて、今般の選挙にあっても最大の争点は原発行政のはずと思っています。東京電力・原子力発電所が作り出す電力の最大享受者である東京都民の原子力発電への危機意識が選挙で顕在化してこそ、日本の原子力行政が変わると思っています。

 その原子力発電所のあの事故後の収拾は未だに決着していません。その重大な一つが事故後の溶融した核燃料の所在です。
(図:東京新聞7月12日付け記事は、一号機の燃料がもはや圧力容器を突き破っておりその所在は定かで無いと報じています)
P715debris


圧力容器を突き破った核燃料を放置したまま、それを「見かけ上」封じ込めようとの計画を、NHKネットニュースが報じています。
%%%%%福島第一 廃炉計画で初めて「石棺」に言及
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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594121000.html

東京電力福島第一原子力発電所の廃炉に向け、国の専門機関は、事故で溶け落ちた核燃料を取り出すことがあくまで大前提としたうえで、 核燃料を建屋内で閉じ込める「石棺(せっかん)」と呼ばれる方法に初めて触れ、この方法に選択の余地を残した技術的な計画を示しました。
 福島第一原発の廃炉に向けた「戦略プラン」と呼ばれる技術的な計画について、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、 現場の調査状況などに応じて毎年見直しを行っていて、ことしの改訂版が13日公表されました。 この中で、事故で溶け落ちた核燃料をどう取り出すかについては、1号機から3号機までで状況が大きく異なる可能性があることから、 核燃料の上まで水を張って放射線を遮る「冠水工法」という方法や、水を張らない「気中工法」という方法を状況に応じて組み合わせるとしています。
そのうえで、旧ソビエトのチェルノブイリ原発で採用された核燃料を取り出さずに建屋の中に閉じ込める「石棺」と呼ばれる方法に初めて触れ、 石棺では長期にわたる安全管理は困難で核燃料を取り出すことが大前提としたうえで、「今後明らかになる内部状況に応じて、柔軟に見直しを図ることが適切である」と選択の余地を残しています。
そして「長期的な責任継承に関する不確実性や世代間での安易な先送り等に対する懸念を十分に踏まえることが求められる」としています。 国や東京電力は、核燃料をどう取り出すかについて来年の夏頃までに方針を決め、平成33年までに1号機から3号機までのいずれかで取り出しを始めるとしています。

「石棺は念頭にない」
東京電力福島第一原発がある福島県大熊町の渡辺利綱町長は「初めて聞くことで内容は精査したいが、国や電気事業者の責任で最終処分場を県外に確保するというのが約束なので、 しっかり守ってもらいたい」と話しました。 双葉町の伊澤史朗町長は「われわれとすれば当然燃料を取り出しての収束を期待しているし、石棺にするのは全然念頭にない。燃料を取り出して収束する取り組みをもっと進めてほしい」と話しました。 浪江町の馬場有町長は「今、取り出しをするためにいろいろな研究をやっているのだろうから、石棺などということはあってはならず、そんな結論では理解できない。 30年かけても40年かけてもやるんだということだったのでわれわれは信じるしかないし、初志貫徹でやってもらうしかない」と話しました。
南相馬市の桜井勝延市長は「廃炉がこれから続いて行くなかで、当初から言われていた県外処分が守られるよう国や東電に約束させなければいけない。そうでなければ安心して帰還なんてできるはずがない。 石棺ということばが出てくること自体、技術が確立されていないことの証しだと思うし、そんなことばを軽々しく出すべきでない」と話しました。
%%%%%ニュース紹介終わり

+++++髪長媛(5)
 日本列島の古代史を調査する上で、参照するのは古事記、日本書紀であるのは言うまでもありません。幸いにして八世紀の半ばにどのような経緯があったのかは定かでありませんが、これに「万葉集」が加わりました。万葉集に納められる4516歌のなかでとりわけ初期の歌群は、史実を反映した、まさに叙事詩であると私は考えています。
 しかし、そこから史実を引き出す際の作業で、いつも問題になるのが歌に付される「題詞」と「左注」です。この題詞、左注はきわめて強く日本書紀の記述に影響されています。もし、日本書紀なり古事記なりがその編纂責任者であった藤原不比等の思想下にあったとするならば、万葉集解読作業では、「題詞」、「左注」についてはその記載を一旦考慮せずに解読せねばならないはずです。そうした視点からは、万葉集解読の原点は「原文」つまり用いられている文字(漢字の事)に忠実であることだと思っています。
 そのように考えるならば万葉集85歌の主題とされる「仁徳天皇を慕った髪長媛」と言う筋書きは藤原不比等がしつらえたものであると考えるべきなのです。とするならば藤原不比等の思惑が、真の歌い手の思いをねじまげていることに想いをめぐらさねばなりません。

 そうした視点から八十五歌を見る事にします。

題詞  相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
原文  君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
訓読  君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
仮名  きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ
左注  右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉

 この歌の「氣長成奴」を、訓読は「日長くなりぬ」と解読し、一方仮名は「けながくなりぬ」とよませます。訓読は「気」を「日」に変えています。これは「気」では意味がつうじないとの判断が働いたのでしょう。

 例えば、久松潜一氏(東大名誉教授)は自著「万葉集秀歌(一」(講談社学術文庫、2001年、28刷)の225頁で「天皇が旅に出られて、日が長く経過した」と解読した上で、「この歌は感情の起伏がよく表れており、叙情歌としても優れているが(中略)作者は90歌の軽太郎女(かるのおおいらつめ)の歌であると見たほうが良い」と書きその論拠に古事記の記事をあげています(前々回記事で考察しています)。

 久松氏が言う九十歌は「氣長久成奴」とあり、「久」が補われています。どちらが元歌であるかの議論はともかく「久」がおぎなわれていることを前提としてこの「歌意」が確定したようです。一体誰が、何時頃にこの「歌意」を定めたのか?私には大変気になるところです。現在ではそれを探る手がかりはありません。

 「日長くなりぬ」をそのまま理解するならば、時期は夏至に近い頃です。そもそも「気」を「日」に置き換えてしまうのは、あまりにも乱暴であり、古代文学の研究者は鈍感に過ぎるのです。ましてや、この表現は「多大の日時が経過した」と解するには無理があります。

 それでは、どう解するのか?万葉集一巻の初期歌群を詳細に見るならば、歌人の巧みな「漢字遣い」を見るはずです。とすれば「気」をどのように音するのかに関心が向くはずなのです。「気」は呉音では「ケ」であり、漢音では「キ」であると藤堂明保監修の大漢和辞典は書きます。

 そしてその日本語の意、つまり「訓」は「いき」であるとも書きます。実はこれもこの歌のもう一つの論点です。話が散漫になるため、これについては後刻検討します。

 さて、「気」を「ケ」と音(おん)するならば、それは「毛」を連想させるのです。そう解すると、「氣長成奴」は「毛髪が長くなってしまった」、つまり長い時間の経過を「髪の毛の伸びる」ことで表現するという「歌の巧みさ」であることがわかります。

 この事情をもっと端的に直裁に詠ったのが八十七歌であることに得心が行きます。
%%%%%万葉集二巻 八十七歌
原文  在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読  ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
仮名  ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに
%%%%%

 余りにも長く待たされ、髪の毛に霜が降りるほどの時期になってしまった、つまり冬になってしまった。と、唄うのです。85歌に続く86〜90歌は85歌の「類歌」として整理されています。87歌が「霜」を唄うのであれば、時期は冬であり、それは盛夏、つまり日が長くなる夏至直前ではありません。
 以上の考察から、「気長」は「髪長」として読まれてきたことが明らかなのです。そしてこの歌の存在を藤原不比等は日本書紀編纂時に認識していたのです。そこで拵えあげたのが「髪長媛」と言う女性であったのです。

 話は本題からずれますが、読者の方々のお叱りを覚悟で、いささか下品な話を書きます。それは万葉集歌人の大いなる遊び心をこれまでにたくさん見てきたことに由来します。
 87歌は黒髪と霜を対比させています。霜は雪と違って真っ白では無いけれども「黒と白」の混じった状態です。つまり黒髪に白髪が混じるほどに待たねばならないのかとの嘆きを歌って入ると思います。そしてもう一つ「髪」は「上」で、「霜」は「下」です。「下の毛に白いものが混じってきます。寂しいです。あなたの熱い抱擁が」と熱い肉の交わりを求める切ない心情が、僅か二十の漢字に込められているように思い、それが私の心に切なくひびきます。

 さて、ここでもう一つ留意しておかねばならないことがあります。上で私は「気」の訓読みが「いき」であると書きました。万葉集85歌の題詞に登場する仁徳天皇の祖母は神功皇后とされます。その祖母の和風諡号が「気長足姫尊」です。この和風諡号に藤原不比等の日本列島近代史構想の一端がうかがえるのです。不比等は神功皇后を一方では卑弥呼に重ね合わせながら、一方で、万葉集に唄われる「気長」に重ね合わせているのです。どうやら日本列島の政治支配の始祖として「珍王」あるいは「讃王」を示唆しているのでは無いか、と私は考えています。これは後日検討します。

 ちなみに古事記は神功皇后の和風諡号を「息長帯日売命」と書きます。これは「気」の訓読「いき」を意味する漢字「息」に書き換えたに過ぎません。しかし、古代研究者たちは、これをもって神功皇后は現在の米原あたりに拠した息長族の出自であるとの珍妙な解説をします。歴史学者が気にかけるべきことは、なぜ、神功皇后に万葉集85歌を詠んだ女性を重ね合わせるが如き説話を藤原不比等がしつらえたのか、と言うことのはずなのです。

(つづく)

南シナ海国際法廷、反安倍陣営惨敗(再)愚痴、天皇生前退位

(写真:本日付東京新聞一面記事です。このようなごり押しに近い領土拡張行為は受け入れがたい。それをあえてやらんとする中国の思惑は奈辺にあるのか?フィリッピン・ベトナムを戦争に引きずり込めば米国の介入が当然ある。そうした筋書きが結果として中国の益にどうつながるのか。理解しがたいことです。)
P7130001

 
恣意的に 南シナ海に 線を引く 比国ベトナム 世界も反発

 中国の「暴挙」には、しかるべき計算・思惑が働いているのでしょう。当然世界の反発をも計算に入れての権益主張です。これがアドバルーンであるのか、その後に展開される次のシナリオが用意されているのか?最近とみに軍事志向を強める日本国をこの南シナ海に引きずり出そうとの戦略か?そうであるとするなら、それで中国はどう国益を増すのか?私にはわからないことだらけであります。いずれにしても、この中国の南シナ海での強権的覇権行為が、安倍氏の軍事思考への国民支持を増大させていることは確かです。それこそが中国の狙いであるのか?

 前回のブログ記事で、今般の参議院選挙での反安倍勢力の大きな後退について、「もう愚痴を言っても始まらない」と書きました。が、それでも「ジクジク」と愚痴気分が体内でうごめいています。今般の選挙比例区では青木愛さんにしようか小林節氏に投ずるか迷った結果小林氏に一票を投じました。そんなわけで日刊ゲンダイ紙7月12日付け記事を掲載しておきます。
選挙げんだい162


 どうにも今回の結果に納得できないのです。安倍氏の悪政に多大なる犠牲を強いられるとしても、老いぼれの身には、そうなる前にこの世から消えているはずです。後に残される老妻、子供達、孫に降りかかるであろう災厄を案じているからなのか?それはそうなのですが、どうもそれだけではなさそうです。すっきりしないんですね。

 同じ、負けるにしてもすかーっとした気分ではない。何故なのか?と、思っていたら、それに関係するような記事をみつけました。安倍氏は前大阪市長の橋下氏と同様、批判者の論理をはじめから受け付けない。まさに、批判者は即敵なんですね。したがって、批判のいささかの小さい芽であってもそれを摘み取らずにはいられない。かくして議論のマナーお構いなしに踏み潰そうとします。個々の論点でつぶすに性急で、全体としての論理構築が無い。それがメディアへの短兵急な対応になっているんですね。
いずれにしてもこれほどに余裕の無い権力者の狭量・卑劣な対応とそれから導かれる姑息な選挙戦術、これが、私は「じくじく」観を引きずる理由なのかもしれないと思っています。その体験を池上彰氏が語っています。

%%%%%池上氏による安倍氏のメディア干渉 
安倍政権下で激増するメディアへの「圧力」 池上彰氏らが一喝
http://j55.pw/8ETX 2016年7月8日 7時0分
ざっくり言うと
安倍政権下でメディアへの「言論統制」が激増していると筆者は述べている
池上彰氏は、テレビ局が次第に文句を言われない表現にするようになると指摘
原寿雄氏は、弱者に強く強者に弱くなったメディア側に問題があると一喝した
安倍政権下で激増するメディアへの抗議 池上彰VS原寿雄
2016年7月8日 7時0分
 参院選でも向うところ敵なしの安倍政権下でメディアへの「言論統制」が強まっている。ジャーナリストの池上彰氏、原寿雄共同通信社元社長が昨今のメディアのへたれぶりを一喝した。

原 日本人記者の根性には「お上の話を承る」という姿勢が昔からある。それが克服できていない。

池上 その傾向は年々強まっています。最近までは権力を持つ側は「メディアに圧力をかけてはいけない」というのが共通認識でした。政治家も、メディアから批判されたからといって、いちいち文句を言ってくることはなかった。「権力は抑制的であるべきだ」と考えられていたからです。だから、たまに権力欲のある政治家がメディアに介入する発言をすると、大騒ぎになった。ところが、安倍政権になってからは、自民党はおもなニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる。すると、テレビ局は「面倒くさい」となる。対応が大変で、次第に「文句を言われない表現にしようか」となってしまうのです。

原 トラブルが面倒になったら、ジャーナリズムは後退しますよ。「この権力野郎!」というぐらいの気持ちで仕事をし、その結晶で報道が生まれるようでないとダメです。

池上 ある番組で、安倍首相の映像がテレビで流れている時に、技術的なミスで違う映像が入ってしまったことがありました。すると「安倍政権を貶めようとしている」と言わんばかりに抗議が来るわけです。明らかに技術担当者のスイッチミスで、番組でも訂正と謝罪をしているにもかかわらずです。私が特定秘密保護法についてテレビで批判的な解説をした時も、すぐに役所から「ご説明を」と資料を持ってやってきた。こういうことが日常的にあるわけです。

原 私の現役時代はあまりなかったですね。覚えているのは編集局長時代、文部大臣自ら来て、私が言い分を聞いて帰ってもらったことぐらい。
池上 第1次安倍政権(06〜07年)の時に、メディアへの抗議が増えたんです。ところが、安倍さんが辞めた後にパタリとなくなりました。福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった。それが第2次安倍政権(12年〜)になって復活しました。
原 問題はメディア側にある。弱者に強く、強者に弱くなった。自分たちは読者・視聴者のために仕事をしていると思っていれば、政治家や役人、企業などからくる圧力とは断固として戦い、押し返せるものです。 
※「緊急復活 朝日ジャーナル」より抜粋
http://news.livedoor.com/article/detail/11737156/
 %%%%%池上氏指摘紹介おわり

+++++天皇陛下 「生前退位」の意向示される
 さて髪長媛の続きを書こうと思っていた矢先、大きなニュースが飛び込んできました。表題にあるように、天皇が自らの死を待たずに退位される意向を示されたとのことです。退位が近日中であるか否かは定かでありませんが、早晩皇太子に譲られるということです。

 わたくしは天皇の決断には、安倍首相の意向が強く影響しているのではなかろうかと想像しています。安倍氏は首相就任以来、あからさまな軍事志向の政策を進めてきました。安保法、そして武器輸出などなどです。それに対してやんわりと現行憲法の精神を機会あるごとに語っててきたのが今上天皇です。
 今般の参議院選挙で安倍氏はいよいよ改憲への重大な一歩を踏み出す環境を得ました。それを推進する上で、今上天皇の平和志向のお考えはいかにも都合が悪いのです。
 こうした状況に鑑み天皇陛下地震が安倍氏の意思を忖度したのか、それとも安倍氏がかなり露骨に「圧力」を変えたのか、いずれにしても、これは今般の選挙の一つの結果と思っています。

 それにしても、今日まで安倍氏の軍事志向に基づく「暴走」をやんわりtたしなめてそれを阻んできたのが、日本の「左翼」といわれる人たちではなく、天皇陛下であったということは後世長く語り継がれるべき偉業であろうとわたくしは思っています。

 そして、その後を継がれるのが皇太子殿下です。どのような考えをお持ちであるのか、今上天皇のように、政府の乱暴な蛮行をやわらかくたしなめるだけの豊かな表現力と勇気をお持ちであるのか?
 そうしたことは国民が自覚的にすべきことであった筈ですが、今や我が同胞にはそうした気概と知性は見当たりません。それが、今般の参議院選挙結果でありました。
 
%%%%%ヤフーニュース記事転載
http://j55.pw/mE9t 7月13日 19時00分
天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
天皇陛下は、82歳と高齢となった今も、憲法に規定された国事行為をはじめ数多くの公務を続けられています。そうしたなか、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。
天皇陛下は、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考え、今後、年を重ねていくなかで、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にとどまることは望まれていないということです。こうした意向は、皇后さまをはじめ皇太子さまや秋篠宮さまも受け入れられているということです。
天皇陛下は、数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
これについて関係者の1人は、「天皇陛下は、象徴としての立場から直接的な表現は避けられるかもしれないが、ご自身のお気持ちがにじみ出たものになるだろう」と話しています。
海外では、3年前、皇室とも親交の深いオランダの女王やローマ法王などが相次いで退位を表明して注目を集めました。
日本でも、昭和天皇まで124代の天皇のうち、半数近くが生前に皇位を譲っていますが、明治時代以降、天皇の譲位はなくされ、江戸時代後期の光格天皇を最後におよそ200年間、譲位は行われていません。
皇室制度を定めた「皇室典範」に天皇の退位の規定はなく、天皇陛下の意向は、皇室典範の改正なども含めた国民的な議論につながっていくものとみられます。
天皇陛下 象徴としての歩み
天皇陛下は、今の憲法のもとで初めて即位し、以来、象徴として望ましい天皇の在り方を求め続けられてきました。

平成元年の即位にあたっての記者会見では、「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしていきたい」としたうえで、「現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたい」と述べられました。

平成3年、長崎の雲仙・普賢岳の噴火災害では、そうした天皇陛下の考えが目に見える形で示されました。皇后さまとともに被災地を訪れ、避難所の板張りの床に膝をついて、被災者一人一人に同じ目の高さで話しかけられたのです。その後も、阪神・淡路大震災や東日本大震災など、大規模な災害が起きるたびに被災地を訪れ、被災した人たちに心を寄せられてきました。また、障害者や高齢者の施設を訪れるなど、社会で弱い立場にある人たちに寄り添われてきました。

こうした活動について天皇陛下は、平成11年、即位10年に際しての記者会見で、「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めである」と述べられました。そして、のちに、「天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます」と話されました。

こうした務めについて、天皇陛下は、「戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請に応えていくことは大切なことと考えています」と述べられていました。
天皇陛下は、「昔に比べ、公務の量が非常に増加していることは事実です」としながらも、「国と国民のために尽くすことが天皇の務めである」として、数多くの公務を一つ一つ大切に務められてきました。
天皇陛下の負担軽減が課題に
天皇陛下が、一つ一つの公務に精力的に取り組まれるなかで、年齢に応じた負担の軽減が大きな課題となってきました。

平成21年1月、宮内庁は、前の月に75歳になられた天皇陛下の負担軽減策を発表しました。心身のストレスによる胃や十二指腸の炎症が見られたためで、天皇陛下は、式典での「おことば」の多くを取り止め、宮中祭祀も減らされるなどしました。さらに、3年後には「狭心症」と診断されて、心臓の冠動脈のバイパス手術を受けられます。宮内庁は、天皇陛下が高齢であることや、前立腺がんの手術後、注射を続けている治療薬の副作用など、不安材料を挙げたうえで、さらなる負担軽減の必要性を強調しました。

一方で、天皇陛下は、退院から僅か1週間後に東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席されました。その年、79歳の誕生日を前にした記者会見では、負担の軽減について尋ねられ、「公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたい」と述べられました。天皇陛下は、天皇の公務について、公平に行われることが大切だとして、大きく変えられようとはせず、宮内庁による見直しも行事の内容や日程を工夫するにとどまり、負担軽減は思うように進んでいません。

そうしたなか、82歳の誕生日を前にした去年暮れの記者会見で、天皇陛下は、「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と率直に老いや間違いを認め、「少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と述べられました。
宮内庁は、ことし5月には、天皇皇后両陛下の年齢にふさわしい公務の在り方を考え、両陛下の公務の一部を取りやめると発表しました。公務の全体的な見直しが行われたのは7年ぶりでしたが、関係者によりますと、当初、宮内庁が示した大幅な削減案に天皇陛下が難色を示され、見直しはごく小規模なものにとどまったということです。
%%%%%

老人は次世代の不幸を危惧して選挙結果に絶望、誘発地震

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:亀戸天神境内にて。ここは「男はつらいよ、夢枕編」で、八千草薫さんが寅の言を自分へのプロポーズと勘違いして「承諾」する場面の舞台です。この天神様は亡き母の生まれ育った地で、母は二人の息子の息災を願って詣でを欠かしませんでした。何せ、道真公は学問の神様です。ところが、母は東大に隣接する湯島天神ではなく、この亀戸天神詣でをしていました。私自身は東京に長くいながらこれまで行ったことはありませんでした。本夏最高気温の中、訪ねてきました。写真に写る鳥は「青鷺」でしょうか?)
P7110006


 我が民の 問題意識は いずこにと 余りに違う 我の希望と

 いわでもがなであります。投票日以前からの予測どおりの結果です。従って大きな失望はしません。しかし、・・・・愚痴がこぼれるのであります。国会質疑中の野次、党首討論での意に沿わぬ発言をさえぎる挙動、その場しのぎの嘘を平気で口にする、・・・などなどこうした知性欠落丸出しの人物を国のリーダに再任する我が同胞! 私の理解を超えています。識者のある方々は「民主主義」云々を語ります。しかし、問題はそこには無いのです。もっと異なる理念から現在の政治環境の危うさを国民に浸透できるような語り口で展開できる政治家が求められているのだと思っています。

 きっと私の死後の何時の日か、20012年〜2016年の日本の政治状況について深い反省の念を以ってこのときの政府指導部と国民の政治意識について厳格な総括がなされれるであろうことを確信しています。

+++++誘発地震
 一昨日の夕刊フジ紙が「二酸化炭素地中封じ込めが誘発したと疑われる2007年7月新潟県中越沖地震(M6.8) 」を書いています。この地震が世界最大規模の電力生成(821万kw)で知られる柏崎刈羽(かりわ)原子力発電所(七基の原子炉)に多大な損害を与えたことはよく知られています。
 下の記事でも書かれていますが、この地震の前に地表の二酸化炭素を地下に封じ込める実験がなされていたところから、これが上記地震を誘発したのではなかろうかとの疑念が地震研究者の間でささやかれていたとのことです。
 これは、地表の二酸化炭素を削減するための方途として考え出されたアイデアです。成功すれば「地球温暖化防止策」への大きな貢献となりえるわけです。二酸化炭素削減への最大の貢献は「化石燃料からウラン」への転換である、とは世界の大きな論調です。その二酸化防止削減有効手段がそれの具体的な方途可能性実験で破綻してしまったというなんとも皮肉なことになってしまったのです。

 以前紹介したGMO(遺伝子改変有機物)もそれに貢献するなどの研究も米国科学アカデミのお墨付きです。ところで、世界中の研究者を動員しての地球温暖化なるものの実証では、未だに多くの疑念がくすぶっています。本当にそうなのか?というわけです。最大の根拠は温度変化の定点観測です。しかし、その定点にも都市化の影響が及びますから、そこでの昔の温度と現在を比べることの意味は余り無いといえます。更には二酸化炭素は大気温度を宇宙空間に逃がすことを邪魔してはいないとの研究成果を反映して」、最近は二酸化炭素と言う呼称から地球温暖化ガスと言うように呼称も変わってきてはいます。なにやらきな臭いのです。

 地球温暖化から予想される人間への悪影響としてまず上げられるのが海面上昇です。この結果陸地が減り大洋中の島の居住人が移転を余儀なくされるというものです。しかし、こうした自然現象の中で、それに対応すべく移住などの工夫でそれを免れてきたのが人間です。これを最大悪とするのはためにする議論のように私は思っています。

 むしろ温暖化がおきるとすれば多雨です。地球の砂漠化を食い止め、豊かな高地に転ずると言うもっと大きな利得が期待できるのではなかろうかとも思えます。しかし、ここで指摘せねばならぬことは人間活動の活発化は明らかに、人間生存環境に直接的に関わる大気への多様なこれまでには見られなかったガス成分の増加です。炭酸ガス濃度増もその一つです。そうした視点から、この問題は研究されるべきと思っています。

 話が大分逸れてしまったので、本題にもどります。
誘発地震と言う現象があります。これまでに知られているのはほとんどの場合地下に水を注入した場合に地震活動が誘発されることがありました。古くはインドでのコイナ地震(1962年)、米国デンバーでの軍需工場廃液を地下に圧力をかけて注入した(1965年)など事例は少なくありません。下の記事が示唆する二酸化炭素注入もそれを液化して地下に押し込むのです。
 それに加えてエジプト南部アスワンハイダム(1981、M5.6)、タイなど川をせき止めてダムなどで巨大な量の水をためると地震が誘発されます(1994, M6.3)。日本でも1984に長野県県生部で発生した地震(M6.2) がダムによる誘発地震であったろうと考えられています。

 液体を地中に押し込むことで時に地震が誘発される現象についての物理学的説明は本ブログでも紹介してきました。この研究が地震防災にリンクさせるには結局のところ地震予知議論に舞い戻ることなります。そして、日本国の否世界の地震学者がそれについては諦観であります。なにか新たなパラダイムの構築を、新進気鋭の研究者に期待しています。


%%%%%{夕刊フジ}紙より 
人の手が新たな地震を生み出しているのか 二酸化炭素を地下に圧入する実験
http://j55.pw/36JB 
2016.07.08 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 夕刊フジ

 この4月から、北海道苫小牧(とまこまい)市の沖で実証実験「CCS」が始まっている。二酸化炭素を地下に圧入する実験である。
 二酸化炭素ガスは地球温暖化の元凶とされている。このガスを減らすため、工業活動から出る二酸化炭素を深さ1000メートルを超える海底下に封じ込めるための実験だ。
 100〜200気圧といった高い圧力で圧入された二酸化炭素は、年月がたつと水に溶け込んだり、周囲の岩石と結び付くなどして安定化するとされている。
 この実験は日本では二度目のものだ。最初のものは2003年から1年半ほど、新潟県長岡市の天然ガス田で実施した。圧入したのは合計約1万トンだった。
 長岡で圧入された深さは1100メートルだった。液体を通さない層(キャップロック)が傘のような形をしていて、その頂上部の内側に圧入した。傘は学問的には「背斜(はいしゃ)構造」という。地層としては、ずっと深いところまで連続している。
 苫小牧での実験はずっと大規模なものだ。年10万トン以上で、能力的には年20万トンまで可能という。長岡での実験よりも1桁以上多い。
 しかし、人間が地球に何かをすることが、世界各地で地震を引き起こしはじめている。
 地震学の教科書には、「米国では西岸のカリフォルニア州と北部のアラスカ州以外には地震は起きない」と書いてある。
 しかし情勢は変わった。14年6月にはシェールガスの採掘がさかんな米国南部にあるオクラホマ州の地震数が全米一になったのだ。このほか、米国の東部やカナダなど、地震がなかったところでも地震が起きだしている。
 これらはいずれも、深い穴を掘ってシェールガスの採掘を始めてから地震が起き出したものだと考えられている。シェールガスの採掘には水圧破砕法が使われる。化学薬品を含む液体に高圧をかけて地中に圧入する手法だ。
 また、地震が起きなかったオランダでも天然ガスの採取によって地震が起きて騒ぎになっている。
 そのほか、世界各地のダムで、貯水後に、いままで起きていなかった地震が起きだしたことも知られている。1967年、インドでは死者200人弱を出した大地震が起きた。ダムの底から水がしみ込んでいって起こしたものだと思われている。
 じつは、長岡で二酸化炭素の圧入実験をした長岡ガス田は、後に起きた新潟県中越地震(2004年)の震央から約20キロ、新潟県中越沖地震(07年)のときにも反対側にやはり20キロしか離れていないところだった。新潟県中越地震はマグニチュード(M)6・8で68人の死者を生み、中越沖地震もM6・8で死者15人だった。
 二酸化炭素を地下に圧入する実験は日本に限らず、米国、ノルウェーなど世界の14カ所で行われている。最終的には1カ所で年に80万〜100万トンを圧入する計画だ。
 日本に限らず世界のどこかで、被害を起こすような地震が起きなければいいのだが。
■ 島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『地震と火山の基礎知識−生死を分ける60話』(花伝社)。
%%%%%夕刊紙記事転載終わり

髪長媛(5)、保守化する若者(日刊ゲンダイ紙)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:昨日は七夕です。笹の葉飾りに駆り出されました。近くの雑木林から手ごろな笹を選んでくるのが私の仕事です。なかなかこれと言うのがみつかりません。子供たちが小さい頃、私は車通勤でした。この時期になるとわざわざ竹薮のある道を走り笹を探したものでした。)
P70800笹

  
おりひめに 会いたい一心 ヒコボシの 想いをこめて 江戸への旅

 と、言うわけで当家の婆チャンは早朝から、織姫ならぬ孫娘に会いに食い物を詰め込んだ旅行バッグをずるずると引きずりながら二時間半かけて江戸にゆきました。いつもの通り、疲れきって二時間半かけて深夜に帰ってくるのでしょう。

 いよいよ、明後日が参議院選挙投票日です。日刊ゲンダイ紙が下記を報じています:
日刊ゲンダイ160708


 ウーンっと唸っています。非正規雇用の不安は老人だけであったのか!米国の戦争で自らの命を晒すことを現代の若者は厭わないのかっ!金持ちは所得を国外に隠しても怒らないのかっ!などなど。
 まあ、私は早晩この世から姿を消す身であるにもかかわらず安倍氏への怒りで連日身を捩(よじ)ってます。が、この無念の思いは同じ日本国民であっても若者とは共有しておらないようです。
 
+++++髪長媛(5)
 髪長媛にまつわる説話の一つは石之比売(いわのひめ)の仁徳天皇への慕情であり、もう一つの説は軽郎子姫(かるのいらつめ)の軽太子への慕情でした。後者については、軽郎姫子(かるのいらつめ)の亦の名が衣通姫であり、その姫は仁徳天皇の妃とも書かれています。どうやら万葉集の解釈として、どちらであってもかまわない。編者はこれらを仁徳天皇に関連付けたいとの意図があるようです。

 読んでくださっている方から、本ブログが「難解」であるとの感想を頂いています。理由の一つは、私の議論が依拠する三つの古典「万葉集」、「古事記」、「日本書紀」を引用するに当たり「原文」を出来る限り載せていることにあると思います。これは本ブログをアカデミックな装いにしようなどと言う言う意図ではありません。「原文」に用いられている漢字がしばしば重要な発見に私を導いてくれたからなのです。

 もう一つの理由は、本ブログで展開する私の「古代日本列島史」は 大学、あるいは関連する研究機関にあって正統な教育を受け、正統な研究活動を続けられてきた学者さんの唱えてきた主張とは全く異なルことにあると思っています。これまでの議論を見ずにいきなり本ブログに来られた方はまずは「荒唐無稽」と言う表現が頭をよぎるとのことです。一介の技術屋として出来るだけそうした感想を取り払っていただくために検証可能な「証拠」を提示しているつもりなのです。

 本ブログのための文章はそのまま私の思考過程を表しています。つまり全体を見通す視野とそれを裏付ける学問的バックグラウンドが欠落していますから、その都度、原点に立ち返ります。当初設定した「仮説」をひっくり返してきたこともしばしばです。

 これをやられると、読者はたまったものではありません。「ブログ管理人はこう思っているのだな」と得心していただいたことを否定してしまうわけですから。本ブログは「たいしたことは書いていない」にも関わらず、読みづらくしている最大の原因が、これであると常々反省しております。

 以前、こうした本ブログの筋書きをわかりやすくするために、別に「HP]または、「ブログ」を開設する構想を書きました。新たに開設する場所で、私の史観を整理し、議論をわかりやすくして、理解頂くための一助としたいと思いました。これを早急に実現いたします。さしあたり堪忍いただきますようお願い申し上げます。

 上記の「言い訳」が、これから書く話の実は伏線なのです。この考察をする出発点となった85歌に立ち返ることにします。
八十五歌:
題詞 相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
原文 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
訓読 君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
仮名 きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ
左注 右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉

 私が着目するのは「万葉集」にしばしば見られる言葉遊びです。有名なところで万葉集二十二歌で、この歌の巧みさを私はしばしば引用してきました(2013年6月5日記事)
 %%%%%二十二歌についての過去記事再掲
http://j55.pw/hZB2 
十市皇女の伊勢行きを前回書きました。伊勢と天照大神の謎に執着する余り、重要事を、書き落とすところでした。それは、万葉集二十二歌です。この歌の題詞、そして左注は、「十市皇女が伊勢神宮に参赴する際に供をした『フフキ』と呼ばれる刀自(女御)が詠った」と「解説」しています。しかし、その解説に沿ってなされる訓読文は意味不明なのです。:
 題詞:明日香清御原宮天皇代 [天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇] / 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹莞(草冠・欠)刀自作歌
原文:河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
訓読:川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて
仮名:かはのへの ゆついはむらに くさむさず つねにもがもな とこをとめにて
左注:吹莞(草冠・欠)刀自未詳也 但紀曰 天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴於伊勢神宮

 この歌の解読については、2013年4月17日の記事「古代編年・私見〔4、E期、狂心の渠(9)〕」 http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51841521.html を初め、私は繰り返し書いています(この記事では、二十二歌の舞台も明示しました)。
 この歌は「河上(佐賀県嘉瀬川中流の川上温泉)の湯が湧き出る岩々では、草が生えず、いつも赤味(常丹)を帯びた湯気〔毛〕が漂っています。そしてその場所にいつも〔常〕あの女性が湯に手を浸して(煮手)います』と言った何やら寂しげに湯辺に佇む女性を詠っているのです。およそ、伊勢参赴とは無縁の歌なのです。この二十二歌は二十、二十一歌と関連した歌であることがわかります。

 何故、この歌を、これまで繰り返し、くどくど書いたのか?理由は、万葉集解読の見本とでも言うべき表現手法がこの歌で使われているからです。それは、原文四文字目の「湯」そして最後の「煮手」です。古代文学の専門家たるもの、そしてその専門家が「感性豊か」であるなら、まずは原文から情景を思い描くべきなのです。ところが「常処女』を「何時までも処女であってほしい」なぞと、誠に品の無い解読を恥ずかしげもなく付してきたのです。供の女御が同性にそんなことを言うでしょうか?、これは、歌に付されている「題詞」、「左注」を無批判に受け入れてはいけないという格好の例でもあります。

 この歌に付された題詞と左注に惑わされて、「訳のわからない」訓読となったのであろうことは想像できなくもありません。伊勢神宮の巫女さんになるのであるから処女と短絡させたのでしょう
%%%%%過去記事再掲終わり

 上にも書いたように、万葉集には「落語」に通ずるような言葉遊び、それも漢字の巧みな使い方による「遊び」があります。これについて万葉学者は全く気づいていないのが不思議です。
 この巧みな使い方と言う視点で85歌を眺めてみるわけですが、そのヒントとなるのが下の87歌です。私は「吾黒髪尓」に目をつけたのです。

八十七歌
題詞 (相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文 在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読 ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
仮名 ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに

 この歌をもとに上の85歌を見直して気づくことは「氣長成奴」と言う表現です。 「髪」(かみ)は「毛」(け)です。一方「気」は「け」とも音します(例えば気配)。私は、この歌は「気長」に二つの意味、つまり「焦らずにいるという状態」と「髪の毛が長くなる」の二つを重ねた歌の読み手の「工夫」を見ます。
(つづく)

髪長媛(4)、何で自公が支持されるのかっ(涙)!

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:栗の木の花々が「イガイガ」に転じつつあります。)
P703栗13


 選挙戦 終盤予想も 悲観的 理解しがたき 民の安倍観

 本日朝刊が、参議院選挙戦の終盤の各党の情勢を報じています。自民・公明両党を中心とする改憲志向勢力は、参議院内でも改憲に必要とされる議席数に届きそうであるとのこと。私自身は自衛隊の存在が憲法解釈で「合憲」とされている現状を追認していますから、今更改憲の必要は無かろうと考えています。

 今般の選挙で安倍氏とその追随勢力に更なる勝利を与えてしまうことに多大の不安と恐怖を覚えます。何せ、国民の生活と安全に関わる政策について安倍氏は一度たりともじっくりと説明をしてこなかったのです。理由ははっきりしています。安倍氏は論理立てて語ること、違憲を異にするヒトとの論戦をとりわけ不得手とするからです。そうした首相の挙動を見ているはずの国民が政治は安倍に任せるといってるのです。大多数の民の思考を私は理解できません。{どーして、どーして、おせえーて」と言った気分であります。

 おもえば、2009年に発足した民主党による稚拙な政権運営が多くの国民の脳に刷り込まれているからです。米国の意向を強く忖度した日本国外務省の悪意あるあるいは虚偽の情報リークをこれでもかこれでもかと報ずることで、連日大騒ぎし、無能「鳩山」を喧伝し、鳩山氏の主張をまともに取り上げることなく辞任に追い込んだのです。先日の米軍・軍属の犯罪を無くすための方途をまじめに国民に訴えていたのが鳩山(当時)首相であった、なぞを我が国の大手報道機関は一言も語りません。そしてそれに続く小沢氏を巡る陸山会事件です。これも決着して明らかなことは、小沢氏に四億円の収賄をしたとの疑惑は無く、小沢氏の側には瑕疵がなかったのです。しかし「政治と金」の大kyンペーンで生まれたての民主党政権を悪し様にののしり、安倍氏の復活に手を貸した・その事実経緯も見ずに「民主党政権」はゴメンダとの雰囲気を国民に定着させてしまった、斗私は思っています。
 勿論、民主党政権の出発時の様々な不手際がそうした論調の醸成に与ったことも指摘せねばなりません。米国と日本国内の奥の院にそそのかされた世論形成の前に、民主党は団結できずに身内をそしりあったのです。その先頭にいたのが菅・野田の元首相と前原、枝野氏らの幹部連でした。何故、あの時不当な攻撃に晒されていた鳩山・小沢氏を守らなかったのか?
 個人的には、菅氏の「狡猾な人柄」、野田氏の「そもそもの自公思考」も影響したとは思っています。
かくして、国民は政権を「自民・公明」以外の政党に渡したら国が混乱すると思い込まされたまま今日に至っているのです。
 そう、勝手に決め付ける前に、2012年末以来の政府の施策を振り返り、投票に臨んで欲しいと切に思っています。

 関連記事を本ブログ末尾に転載しました。
 
+++++髪長媛(3)
 髪長媛を考えるに当たって私は万葉集の二巻85〜90歌を持ち出しました。この六つの歌が何故髪長媛を連想させるのか?85~89歌は同一の状況を違った表現で唄ったと思われます。ところが、90歌とほぼ85歌はほぼ同一です。しかし、歌の冒頭に付された題詞が著しく異なっています。これは一体どういうことなのか?
 当然、万葉集の編者(誰であるのかは定かでありませんが)もその同一性を承知しており、それが故に長い左注を付しています。今回のブログはそれに焦点をあてます。
 まずは85歌を再掲します:
八十五歌:
題詞 :
相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
原文:
君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
 
一方九十歌は使われている漢字はほぼ同一または仮名(よみ)は同じです。唯一異なっているのは「可将待」が九十歌では「者不待」とあり、一見表現が真逆であるように見えます。
九十歌:
題詞:
古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王 不堪戀<慕>而追徃時歌曰
原文:
君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
訓読 :
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
仮名:
きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ
左注:
右一首歌古事記与類聚<歌林>所説不同歌主亦異焉 因檢日本紀曰難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月天皇語皇后納八田皇女将為妃 時皇后不聴 爰天皇歌以乞於皇后云々 卅年秋九月乙卯朔乙丑皇后遊行紀伊國到熊野岬 取其處之御綱葉而還 於是天皇伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中時皇后 到難波濟 聞天皇合八田皇女大恨之云々 亦曰 遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇廿三年春<三>月甲午朔庚子 木梨軽皇子為太子 容姿佳麗見者自感 同母妹軽太娘皇女亦艶妙也云々 遂竊通乃悒懐少息 廿四年夏六月御羮汁凝以作氷 天皇異之卜其所由 卜者曰 有内乱 盖親々相奸乎云々 仍移太娘皇女於伊<豫>者 今案二代二時不見此歌也
 
 九十歌の題詞では古事記の言を引用します:すなわち「軽太子は軽太郎女(かるのおおいらつめ)と性的関係を持った。それゆえ太子は伊豫湯に流された。このとき衣通(そとおし)王が恋しい思いを堪えられず、太子を追って伊予に行った」と。この歌は衣通(そとおし)王が、その際に唄った歌である。
 因みに衣通(そとおし)王は軽太郎女の亦の名で、その意は「その身の光、衣より通り出なり」と古事記は書きます(岩波文庫「古事記」173頁)。

 この二人の父親は、允恭天皇、母は忍坂(おおさか)の大中津比売命、つまり父も母も同じくしています(図1参照)。近親結婚がそれほど珍しくない天皇一族にあっても、これだけは許されなかったというわけです。日本書紀は衣通(そとおし)王が大中津比売命(皇后)の妹と書きます。そうであるとすると軽太子との恋愛は伯母と甥の関係で、どちらにしても近親恋愛には違いありません。が、これは許される関係であったということでしょう。日本書紀は、そうしたことを承知の上で、軽太子は軽太郎女の近親愛を非難調に書きます。とすれば、衣通(そとおし)王と軽太郎女は別の女性であると日本書紀は考えているらしいのです。

(図1:天皇系図)
仁徳系図a
 

 日本書紀と古事記の相違は、本ブログの主題からは些細なことです。問題にしたいことは、ほぼ同一の歌でありながら、85歌が仁徳天皇と離れ離れの生活を余儀なくされた磐姫の切ない気持ちであるとします。いっぽう90歌は 仁徳天皇の孫である兄・妹の禁断の愛の歌で在ると題詞は書きます。

 記紀にはこうした真偽の定かで無い説話がふんだんに盛り込まれています。これは藤原不比等の熟慮を背景とした思惑野なせる事であろうと思っています。つまり近代史の編纂にあたり可能な限りの史料を渉猟したとのポーズであると思っています。

 もう一つ、序に付け加えておきます。それは「忍坂」です。多くの歴史研究者はこれぞ「大阪」と言う地名の由来であると指摘しています。しかし「忍坂」は「オシ」と「サカ」より構成されています。これは明らかに渡来人を思わせます。いずれ、これも考察します。

 さて、九十歌の左注をみてみます。
%%%%%文意:
右一首の歌は古事記による。類聚<歌林>の所説では歌主は同一かも知れないが亦(また)は異っているかもしれない。 そこで、そのわけを調べてみる。日本紀は以下を書いている:難波の高津宮に宮廷を構えた大鷦鷯天皇(仁徳天皇)は在位廿二年目の春正月に皇后に“八田皇女を妃にむかえたい”と言った。その 時 皇后はそれを聞こえない振りをした。 そこで天皇は歌で以って皇后の許しを乞うた。色々やり取りがあったが、皇后は許さなかった。在位 卅年秋九月乙卯朔乙丑に皇后は紀伊國に静養にでかけ、熊野岬に行った。そこで御綱葉(柏の葉という)を 取って還ってきた。 天皇は皇后が不在中に八田皇女を宮中に娶ってしまった。皇后 が難波にもどり、 天皇が八田皇女を娶ったと聞き大いにこれを恨んだ。

ブログ管理人注:上記は日本書紀巻十一に書く天皇二十二年紀のいわばコピペです。何故、これをもって九十歌の題詞としたのかが全くわからないのです。そこで、左注はもう一つの説を付け加えます。

 亦(また)曰(いわく): 遠飛鳥宮(とおつアスカ、現在の奈良盆地内の明日香と歴史学者は言う)の宮に居られる雄朝嬬稚子宿祢(おあさづまわくごのすくね)天皇(允恭)の在位廿三年春<三>月甲午朔庚子に 木梨軽皇子を太子(後継者)とする。 容姿は佳麗にして見る者はみな感心した。 母を同じくする妹の軽太娘皇女もまた艶妙であった。 遂に二人は竊(ひそか)に通じあい、悒(つね)に懐(おもい)あい少息(気持ち安らがなかった)。 廿四年夏六月御羮汁(なますのしる)が凝固し氷となってしまった。 天皇は、これを異(あやしく)思い、その理由を卜(うらな)わせた。 卜者(占い者)が言うには 「内乱がおき、 盖(けだし)、親々相奸がある云々」と。 そうしたことから、太娘皇女を伊<豫>に移した。 と言うわけで、現時点では(案)解釈が二つあり、それは二代にわたり二つの時であるがこの歌がどちらのものであるかはわからない。
%%%%%

 長い左注は結局のところ、この歌が仁徳天皇に向けて磐の媛が詠ったものか、それとも伊予に移された軽太娘皇女が詠ったものかわからないと書きます。そもそも、仁徳天皇は、歴史的にも実在が明らかになっている「ワカタケル」王の登場を促すためにしつらえられた非実在の天皇です。父親とされる応神天皇とともに歴史のギャップを埋める役割を担わされて登場する人物であることは以前にも書きました。藤原不比等の思惑はこの二天皇像を讃王、珍王のどちらかに重ねていることは明らかです。

 大阪堺にある仁徳天皇稜は「大仙」稜とも呼称されます。「仙」は「讃」の転化したものと考えることが出来るかもしれません。仁徳天皇の和風諡号は「大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)または大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)」です。天王墓を陵(みささぎ)と呼称する由来は、巨大な仁徳天皇稜に由来します。日本書紀は仁徳天皇のこの和風諡号について出生時の小鳥の説話によると説明します。事実は大規模墳墓が存在し、この墳墓と「仁徳天皇」を結びつける筋書きを不比等が思いついたのです。そこで、この天皇の和風諡号に「墳墓」を意味する「ささぎ」を付したのが真相であると思っています。

 しかし、依然として、髪長媛が万葉集85歌〜90歌にどう関わっているのか?これまでの議論では明らかになっていません。いよいよそれを次回書きます。
I(つづく)

+++++民意はどう発現するのか!
 冒頭にも書いたように、報道機関が立て続けに公表する「世論調査」なるものに少なく無い人が悲観的な感想を表明しています。以下もその一つです。
%%%%% 本澤二郎の「日本の風景」より転載
山は動かず!<本澤二郎の「日本の風景」(2407) <民進党振るわず、危うし3分の2阻止>
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52142557.html
2016年07月05日 「ジャーナリスト同盟」通信
<民進党振るわず、危うし3分の2阻止>
 あの「戦争法」反対の熱気はどうしたのか?「山は動かず」である。岡田・民進党に、土井たか子・社会党を期待したことが無理だったようだ。たとえば、ダッカ人質殺害事件について、なぜ堂々と「安倍責任」を問い詰めようとしないのか。日本人は安倍外交によって「十字軍兵士」にされてしまっている。安心して外国にも行けない。その結果責任を、体を張って追及しない野党と新聞テレビ。政府は遺族に対してわずかな金で処理して、この重大な危機を切り抜けようとしている。かくして、無念にも、眠っている無党派層は動かない。民進党の人気は上がらない。これでは、低投票率で3分の2阻止に失敗するかもしれない。危うし日本は、またもと来た道へと突き進むことになるのか。
<国家神道を継承する神社本庁の「日本会議」が主導する日本へ>
 神棚をご存知か。国家神道の家庭でのシンボルである。最近、これを政治資金を使って購入する「日本会議」の議員がいると聞いた。カルトがいとも簡単に公人の世界に入り込む戦後70年。神棚を自衛隊の司令官室でも見たことがある。自衛隊基地内に神社もある。「原始宗教の毛の生えた程度の宗教」である神道(神社)が、戦前の日本人の精神・文化を狂わせたことの反省が、まるでない。安倍は、そんな神社に率先して参拝「神風」を吹かすことに必死だ。祭政一致ではないか。これを誰も指摘しない。
 個人レベルならまだしも、公人としてとなると、憲法の政教分離に違反する。「日本会議」の公人たちは、みな憲法違反人間である。
 創価学会のすごいところは、この神棚を燃やすところから信仰が始まった。初代と二代の会長が、国家神道下の治安維持法で獄につながれたことも関係したのかもしれない。歴史の教訓を一番まっとうに体現した平和主義の教団だったのだが。いまは「日本会議」の戦略に従順であるのが脅威である。いずれにしろ、政治に宗教が関与すると、ろくなことが起きない。
<消費増税を忘れない市民>
 なぜ民進党は、野党第一党としての評価が上がらないのか。「甘利TPP事件」「原発不正五輪」「パナマ文書」と政府与党を追及する材料は事欠かない。振り返ると、憲法違反の集団的自衛権行使を跳ね飛ばすことに、体を張って阻止しなかった民主党。特定秘密保護法を阻止できなかった民主党。そして人々は何よりも消費大増税を強行した民主党を忘れていない。
 どんなに安倍・自公政権が失態を繰り返そうが、それを実力で阻止しようとしなかった議会対策にもある。年金を株ばくちに投入した反省も謝罪もない。支持母体の連合のいい加減さも起因しているだろう。
 筆者の誤算は、民進党不人気への甘い判断だった。もう一つは、読売・産経は別格として、他のメディアもまた、無気力な紙面に甘んじてしまったことを見抜けなかったことである。
<新聞テレビの劣化>
 朝日新聞の責任は大きい。毎日新聞は創価学会公明党批判が出来ない半分新聞だ。東京新聞は全国紙ではないのが残念である。一番新聞らしい新聞は「日刊ゲンダイ」である。権力に屈しない唯一の新聞である。
 同紙の威力を早く認識した政治家が、平和軍縮派の宇都宮徳馬だった。彼は議員会館の事務所でも購読していた。
 朝日新聞とテレビ朝日が共に奮戦すれば、極右の暴走を止められたのだが、その責任を果たしていない。電通に屈しているのだろう。残念の極みである。これも筆者の誤算となってしまった。
 民進党と朝日の評価に狂いがあったことを、認めるしかない。
<3割政党が国を動かす日本>
 歴史を軽視する民族に明るい未来はない。日本の若者の多くは、歴史の大事さを知らない。筆者も歴史を一番軽い学問として扱ってきたのだが、これは教師の責任もある。背後の行政府と右翼政党の圧力が影響したものであろう。
 中国では、当然のことながら歴史を学ぶ歴史館がかなりある。歴史を重視する学校教育である。それにテレビドラマでは、厳しい革命時をよく取り扱っている。今は周恩来である。二度と侵略を許さない、という精神をたたき込んでいる。これは自衛隊がまねることのできない士気であろう。中谷の知らない点だ。沖縄のスクランブル隊員の様子を見学したことがあるが、くれぐれも挑発するような行動をしてはならない。中谷よ!調子に乗るな。
 結局のところ政権担当与党も、国民の3割程度の支持でしかない。首相は野党批判に逃げ回っている。それでいて3分の2?目的のためには何でもあり、の安倍・自公政権である。せめて選挙は公正なものでなければなるまい。それにしても、山を動かした土井・社会党とは、似て非なる民進党にはがっくりである。
2016年7月5日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
%%%%%

「窃盗の発生自体が疑わしい」(神戸地検)、ドック入りするGDP(続)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:早朝の水田脇の雑木林です。樹液たっぷりのブナ(?)の木に二・三匹のカブトムシがへばりついていました。子供たちが小さかった数十年前の昔であれば、嫌がるカブトムシを幹から引っ剥がして虫かごに投ずるという酷いことをしていたでしょう。)
P702甲3

 
ぶなの木に ぴたっと張り付き 樹の液を 吸ってはあたりを うかがう甲(かぶと)
 
 バングラデシュでの酷い惨殺に大きな衝撃を受けています。ゲリラ活動の活発と言われる地にも何回か足を踏み入れたことがあります。コロンビアでは帰国前日にボゴタ飛行場で政府高官が暗殺される等と言う事件もありました。が、幸いなことに我々外国人にまでその恐怖が及ぶことはありませんでした。又本ブログでも書いたことがありますが、当方のドジでみすみす危険な状態に陥ったこともありましたが大事には至りませんでした。

 しかし、あの頃と現在は大分違っているようです。ここ二十年で世界は激変したと感じます。こうした一連の残虐事件が頻発する、そもそもの発端は2003年3月の米国によるイラク侵攻であったことは間違いありません。しかし、安倍氏はそのことに言及しない。従って問題の解決への提言と尽力はありえません。いうまでも無く我国の報道機関はそこにまで踏み込む勇気はありません。米国の暴虐こそが、難民、移民問題の深刻化、そして無差別殺戮事件」の根源です。米国に「贖罪」させることが問題解決への第一歩と想っています。しかし、米国背後の巨大多国籍企業は、こうした不安定な世界に乗じて経済格差を急激に拡大し、自らの富の集積に努めているとも思えます。大胆な専門家の説得力ある分析を得たいものです。

+++++ドック入りするGDP
 前回、科学雑誌nature書評欄に掲載された記事の前書き部分を紹介しました。評者はDiane Coyleです。
a professor of economics at the University of Manchester, UK, and author of GDP: A Brief but Affectionate History. She is also a member of the UK government's Natural Capital Committee and an Office for National Statistics Fellow.

 さて書評されている本のタイトルは
The Great Invention: The Story of GDP and the Making (and Unmaking) of the Modern World
著者はEhsan Masood (born 9 August 1967)です。
a science writer, journalist and broadcaster. Since 2009 he has been the editor of Research Professional News (including Research Fortnight) and has been teaching international science policy at Imperial College London.[citation needed] since 2008.

 自然科学を対象とする週刊科学誌「nature」が経済に関する本を評しています。世に「経済」を学ぶ人士は少なくありません。私のような技術屋から見ると、この分野はずいぶんと中途半端です。一体、何なのか?と言うわけです。そうした{分けのわからなさ}の中心にあるのがGDPです。この書評を見て思うことの第一は「経済」と「経済学」はどうやら全く異なっているらしいということです。前者の「経済」にはまさに国民の所得、など人が生きてゆくための社会環境整備など国民の富と福祉に重大な関心をよせる姿勢が見られます。それを実現するための学問は「経済学」と誰しもが思っていたのですが、それはどうやら違っているらしい。「経済学」とは社会環境整備作業に不可欠な「財政・金融」と言う「金の動き」に重大な関心を寄せるという側面を持ってはいるが、その動機はヒトのための社会環境整備ではないようです。

 ピケッティの仕事が世界で大きな関心を集めたのですから、「GDPをドック入り」させるに当たっては、格差のもんだいをも論点の一つに据えるのかなと期待したのですが、どうやらこの書評の筋立てとは異なっていたようです。 
%%%%%ドック入りするGDP(前回の続き)
書評文のタイトル:
Diane Coyle savours a history of the long-standing economic measure and possible alternatives. 
http://j55.pw/DjN9 
(以下前回のつづき)
“The act of measuring economies would ultimately determine how economies would be managed.”
In The Great Invention, Ehsan Masood, editor of policy periodicals Research Europe and Research Fortnight, argues for an improved GDP. Into this single metric for economic-activity indicators — defined as the monetary value of all goods and services produced in a country — he would combine environmental impacts and human well-being. His book traces the history of GDP since its creation, as well as the calls for alternatives, mainly from environmentalists. Masood agrees with the sentiment of suggestions to use 'dashboards' that incorporate other economic data and supplementary indicators, but he concludes that GDP matters. As he writes of countries that adopted it: “The act of measuring their economies would ultimately determine how their economies would be managed.” And it matters despite, or because of, its flaws. GDP is too entrenched to be successfully replaced, he finds; instead, it needs radical reform.
「経済を計測するという行為が最終的には経済がどのようにマネージされるべきか決める。」
Ehsan Masood, editor of policy periodicals Research Europe and Research Fortnight,は著書「The Great Invention」で改良されたGDPを論じている。経済活動の単一の指標(それは国内で生産されるすべての財とサービスの貨幣価値として定義される)の中に、Masoodは環境への影響と人間の生活の幸福度を結び付けようとしている。彼の本は、主にそのGDP発明以来の歴史を追跡するだけでだけでなく、環境保護者からの代替案にも言及している。Ehsan Masoodは、他の経済データと補足的指標を組み込んだ「ダッシュボード」(色々な計測が同時に表示されている計器板)を使用するようにとの提案に同意するが、彼 はそのGDPが問題なのだと結論する。それを採用する国々について以下を書く:「経済を計測するという行為は、最終的には経済がどのようにマネージされるべきか決める」と。にもかかわらずそれが問題なのだ。何故ならそれが破綻しているからだ。「GDPがあまりにも定着しすぎており、成功裏に他のものに置き換えられなくなっている」、と。彼は言う「その代わりに急進的な変革が必要だ」と。

Formative factors
GDP began, as Masood notes, as an aggregate measure when the need arose for governments to manage economies during the Depression in the 1930s and the Second World War. Pioneers of the statistics involved, such as US economist and Nobel laureate Simon Kuznets, intended to create a metric to meaningfully capture a society's economic welfare.
There were other formative factors at work. One was the need to avoid suggesting that the war effort was reducing welfare. Another was the thinking of influential British economist John Maynard Keynes, as set out in his 1936 The General Theory of Employment, Interest and Money. Keynes theorized that raising aggregate demand or total spending in the economy through government expenditure can avoid the sort of mass unemployment that was seen in the Depression by stimulating growth and improving stability. He and his supporters were determined to make the new metric serve that government role by defining federal spending as a key component of the equation, along with consumer spending and investment. Thus, GDP was born as a transatlantic effort, led by Keynes's assistants in the UK treasury, Richard Stone and James Meade. By the end of the 1940s, it was standardized through the United Nations, and the same international process is in place today.
形成要因
Masoodがノ−トするするように、GDPは集計手段として始まった。つまり1930年代および第二次世界大戦時の大恐慌の際の政府の経済運営の必要から生じたのだ。使われる統計学の先駆者達たとえばUS economist and Nobel laureate Simon Kuznetsは社会の経済健全性を把握するための計量を作り出すことを意図していた。
他の形成要因もあった。一つは、戦争が福祉を損なうとの示唆を回避する必要があった。もう一つは当時影響力のあったBritish economist John Maynard Keynesの思考であった。それは彼の1936年の著書The General Theory of Employment, Interest and Moneyで主張されていた。Keynesは政府支出を通じて経済の中での増大する需要と消費が成長を促し安定性を改善することで大恐慌に見られた大量失業を回避できるとの理論を編み出した。彼と彼の支持者は、新しい計量を個人消費や投資に伴う、理論のキーコンポーネントとして連邦政府支出を定義することで、政府の役割を果たさせようと決意した。このように、GDPは大西洋にまたがる計量として誕生した。それはイギリスの財務省にいたケインズのアシスタント、Richard Stone and James Meadeが率いた。1940年代の終わりまでには、国連によって標準化され、同様の国際的プロセスは、今日も機能している。

Masood covers decades of challenges to GDP conventions that make for a fascinating institutional and human story. Those seeking an alternative included UN official Maurice Strong, a key figure in the 1972 UN Conference on the Human Environment and the 1992 Earth Summit. Other critics were Italian industrialist Aurelio Peccei and British civil servant Alexander King, who together established think tank the Club of Rome and published the influential report The Limits To Growth (Universe, 1972). Environmentalists, and the officials whom they influenced, were swift to point out that GDP doesn't take into account how natural assets are depleted to generate current income and consumption. Several proposals for new models have underlined the need to account for the environment; Masood (an erstwhile Nature journalist) praises a 1997 paper on these proposals co-authored by economist Robert Costanza (R. Costanza et al.Nature 387, 253–260; 1997). Economists James Tobin and William Nordhaus also took into account environmental costs — and the value of work in the home — in their 1972 proposal for a metric called the Measure of Economic Welfare.
Another challenge to convention came from Mahbub Ul Haq and Amartya Sen, who in 1990 created the now widely used UN Human Development Index (HDI), which includes factors such as life expectancy and education.
Masoodは、魅力的な制度と人間の物語のためのGDP協定に向けた数十年の挑戦を振り返っている。GDPに替る計量を求める人たちには、UN official Maurice Strong, a key figure in the 1972 UN Conference on the Human Environment and the 1992 Earth Summitが含まれていた。他の批評家としてはItalian industrialist Aurelio Peccei and British civil servant Alexander Kingがいた。彼はthink tank the Club of Romeを創った人物でありThe Limits To Growth (Universe, 1972)なる報告書を刊行した。環境保護者、および彼らの影響を受けた国連職員は、自然資産が現在の所得と消費を生成するために枯渇していることにGDPは考慮していないことを直ちに指摘した。新しいモデルのためのいくつかの提案は、環境を考慮する必要性を強調した;Masood(かつてのNatureジャーナリスト)は、1997年のeconomist Robert Costanzaによる提案を賞賛した(彼との共著論文、R. Costanza et al.Nature 387, 253–260; 1997)。Economists James Tobin and William Nordhausも又環境コストをthe Measure of Economic Welfareと呼ばれる計量コストに関する1972年の提案の中で考慮した(そして過程での労働の価値も)。
協定へのもう一つの課題はMahbub Ul Haq and Amartya Senによるものだ。彼は1990年に、UN Human Development Index (HDI)と現在呼ばれる仕組みを創生した。それは寿命と教育をも考慮に含めると言うものであった。

More social scientists are now exploring the definition and use of economic statistics. There is also policy interest alongside the scholarly debate. In 2008, then-French president Nicolas Sarkozy set up a commission led by Sen, Stiglitz and fellow economist Jean-Paul Fitoussi to investigate the measurement of economic well-being. And UK economist Charles Bean's 2016Independent Review of UK Economic Statistics (see go.nature.com/1tvadaj) raises fundamental questions about GDP's viability in a modern economy, for example concerning its mismeasurement of digital activity.
より多くの社会科学者は現在、経済統計の定義および使用を模索している。学術討論会と一緒に政策的関心もある。2008年には、当時のthen-French president Nicolas Sarkozyは、経済的福祉の測定を調査するためにSen, Stiglitz and fellow economist Jean-Paul Fitoussiが率いる委員会を設置した。そして、英国のeconomist Charles Bean's 2016Independent Review of UK Economic Statistics (see go.nature.com/1tvadaj)は、現代の経済におけるGDPの適用能力についての根本的な問題を提起した。例えば、デジタル表現での誤測定などだ。

One or many
“GDP is so tightly woven into the economic fabric that anything more complicated than a single number will put politicians and the media off.”
The balance of opinion in economics currently favours supplementing GDP with a dashboard that incorporates measures of environmental impacts, health and social indicators, as Costanza neatly summarized in his 1997 article (see also R. Costanza et al. Nature 505, 283–285; 2014). Economists are taking considerable interest in the measurement debate, although oddly, Masood claims that the profession is ignoring the issue. His own call for a nuanced metric that factors in natural capital and human well-being sticks to one indicator. He thinks that GDP is so tightly woven into the economic fabric that anything more complicated than a single number will put politicians and the media off. The solution, as he sees it, is “to value the things that matter and then incorporate this value into the GDP accounts”.

一つか、それとも多数か
「GDPは非常に緊密に経済構造に織り込まれているので、単一計量よりも複雑なものは政治家やメディアを寄せ付けなくなっている。」
経済学の中庸的意見は現時点ではダッシュボードで補われるGDPと言う考えに傾いている。それはCostanzaが1997年に彼の論文(R. Costanza et al. Nature 505, 283–285; 2014)で要約した環境への影響、健康と社会指標の対策を組み込んだものだ。経済学者たちは計測に関する議論にしかるべく関心を払っている。が、Masoodは奇妙なことに専門家達が問題を無視していると主張している。単一指標に自然資本と人間の幸福度をはりつける要因という意味の計量を彼は求めている。GDPが非常に緊密に経済的体系に織り込まれていると、彼は考える。それは単一数字というよりも複雑な何かで、その結果、政治家やメディアをおきざりしている、と。解決策は、「問題となっている物事を評価し、その評価をGDPに組み込むこと」だと彼は言う。

But single-indicator alternatives to GDP have a serious drawback. They hide relative valuations of their components, whereas GDP makes these explicit because it uses market prices. For instance, Martin Ravallion, former director of research at the World Bank, notes that the HDI implicitly values poor lives much less than rich ones. Because income and human life expectancy are combined into one index, there is an implied value of just US$0.51 for an extra year of life in Zimbabwe, compared to several thousand dollars in rich countries (see M. Ravallion Troubling Tradeoffs in the Human Development Index http://doi.org/d8d2cr; World Bank, 2010). This flaw could be corrected, but the point is that any single index internalizes such trade-offs.
しかし、GDPに替わる単一指標案は、重大な欠点がある。GDPが市場価格を使用しているためこれらの意味を明示的にするのに対し、代替案は、それらの成分の相対的な評価を隠してしまう。例えば、Martin Ravallion, former director of research at the World Bankは、HDIは、暗黙のうちに豊かなものよりもはるかに少ない貧しい生活に価値付けをすると指摘する。収入と人間の寿命が一つの指標に結合されているので、豊かな国での数千ドルに比べてジンバブエでの生活の余分年の0.51ドルが相当すると暗黙に価値付けされてしまう(参照M. Ravallion Troubling Tradeoffs in the Human Development Index http://doi.org/d8d2cr; World Bank, 2010)。この欠陥を修正することはできようが、ポイントは、いかなる単一指標と雖も指標が、そうした齟齬のトレードオフを内部化してしまう。

The debate over whether to use a dashboard or a single indicator is unresolved. Interest among economists, other social scientists and environmentalists has climbed in recent years, but there is much to research and discuss on how best to measure economic welfare, taking into account sustainability and the quality of life, before a new international standard is defined and adopted.
In hindsight, the original debate about GDP looks more compressed than it really was — some economists were still disputing it into the 1950s. A new shift will take just as long, but it is definitely under way. And about time too, for the reasons that The Great Invention explains so clearly.
ダッシュボードを用いるのかそれとも単一指標にするかをめぐる議論は未解決である。経済学者、他の社会科学者や環境保護者の関心は近年高まっているが、新しい国際標準が定義され、採用される前には、持続可能性生活の質を考慮に入れた、経済状態を計測定するための最善の方法について議論があるべきだ。および今にしてみえるのは、GDPの元の議論にはそれが本来にあったよりより圧縮されている(色々な要素が凝集されているという意か)-何人かのの経済学者はまだ1950年代に立ち入ってそれを論争した。新しいシフトは同じように時間がかかるが、それは間違いなく進行中だ。もうそろそろ決着をつけてよいのではなかろうか、あのThe Great Inventionが明瞭に説明しているのだから。

+++++理研OBによる小保方氏窃盗告訴は受理されず
 もう2年以上も昔の事になってしまいましたが2014年6月12日に開かれた小保方論文をめぐっての「研究不正再発防止のための改革委員会」の会見で、委員会の長が「世界の三大研究不正の1つに認定されている」との発言がありました。
ここで三大不正研究とは:
米ベル研究所での高温超電導研究に関する論文捏造(ねつぞう)、ソウル大教授の胚性幹細胞(ES細胞)研究に関する捏造、そしてSTAP細胞捏造です。

 このSTAP細胞捏造とされた研究の全ての科(とが)を小保方氏に押し付けたことから、この事件は「不正研究」にとどまらず、研究活動へのジャーナリズム(NHK 科学ジャーナリズムなど)の容喙という大きな問題を現出させました。

 権威なるものに弱い現ブログ管理人は、この研究がノーベル賞級の世界的研究者であった笹井芳樹氏の学問的直感に支えられていたことを重要視していたが故に、小保方氏への世の非難中傷に対して批判的な言動をあちらこちらでしておりました。

 学問的に確たる論拠は無かったのですが、事件から二年半を経た現在、私の小保方氏の研究へのスタンスはそれほどはずれていなかったらしいと思っています。こうした大事件に仕立て上げてしまった某研究者の現在の心境を思うにつけ、自然科学では名声にまどわされ、科学的研究を捻じ曲げることのむなしさを想像しています。

%%%%%BJ・ネットジャーナル記事転載
STAP問題、小保方氏は実験捏造していなかったと判明…小保方氏犯人説デッチ上げた犯人
http://j55.pw/arZU 
2016年7月1日 6時0分 ビジネスジャーナル

 STAP細胞論文をめぐる研究不正事件で理化学研究所(理研)を退職した小保方晴子氏を、元理研研究員、石川智久氏が刑事告発した事件は5月、神戸地検の不起訴処分により終結した。神戸地検は「窃盗の発生自体が疑わしい」としたコメントをメディアに発表する異例の事態となった。

 石川氏は2015年1月26日、「小保方氏がES細胞を盗み、STAP細胞と偽造していた」として理研(神戸)を所轄する神戸水上署に告発状を提出。その後、兵庫県警の扱いとなり、神戸地検へ送検されていた。石川氏は小保方氏が神戸で実験期間中、所属していた若山照彦チームリーダーの研究室から無断でES細胞を盗んで混入、その細胞塊サンプルを若山氏に渡して実験を実施させ、STAP細胞として英科学誌「ネイチャー」に発表し理研で不正な地位を得ていた、と告発していた。

 この騒動の特徴は、元警察関係者やジャーナリストが石川氏の告発を喧伝し、お墨付きを与えたことにある。週刊誌「フライデー」(講談社)はこの刑事告発に関して3回にわたり特集を組んだ。警察ジャーナリスト・津田哲也氏による記事の第1弾(15年2月6日号)は、『元理研研究者・石川智久氏 小保方晴子さんを窃盗で刑事告発する!』。第2弾(同2月20日号)は小保方氏代理人の反論を受けて『小保方晴子 私は盗ってないの 大ウソ暴く』で、第3弾(同6月5日号)では告発状の一部が修正され、兵庫県警が5月14日に被疑者不詳でES細胞窃盗の容疑を受理したのにもかかわらず、記事タイトルは『小保方晴子さんを追い込む警察捜査「我々は本気だ」』となっている。
 さらに普段は警察権力の腐敗を批判する元刑事の飛松五男氏が登場し、このようにコメントした。
「今回、兵庫県警が受理を決めたのは『窃盗事件』として立件できる見込みがあると判断したからにほかなりません。今後小保方氏は警察の詳しい取り調べを受けることになります」
 これは、小保方氏が「容疑者」だと多くの読者に誤解を与える事ことになった。筆者はこの刑事告発不起訴について、「フライデー」編集部に電話して事実関係を確認しようとしたが、当時の編集長も記事を担当した編集者も異動になっており、詳しい話を聞くことはできなかった。
●存在しない紛失・盗難届け
 石川氏は、小保方氏が盗んだES細胞は中国人留学生リ・チョン氏の細胞であると告発しているが、このES細胞はSTAP幹細胞のチューブから解析されたES細胞とは種類が違っており、小保方氏が盗む動機はないことは、早くからSTAP細胞問題を検証する人々から指摘されていた。「フライデー」でも、テレビ番組『調査報告 STAP細胞 不正の深層』(NHK/14年7月27日放送)でも、リ氏は中国からの留学生、または学生、と紹介されているが、11年には「博士」になっていることが筆者の調べでわかっている。

 さらに筆者が理研の施設内でSTAP細胞実験当時に細胞窃盗事件があったかどうか調べたところ、小保方氏が理研に通いだした10年から若山氏が理研を転出する13年3月まで、1件も発生していなかった。また、若山氏の転出先である山梨大学で若山研究室が創立されて以降も、遺伝子情報の紛失・盗難届けは文書として存在しない。
 若山研究室のメンバーも筆者の取材に対し、「細胞の盗難届けや紛失届けを出していない」と答えた。研究室が他の研究機関に引っ越すときに結ぶMTA(試料提供契約書)にも、リ氏の細胞を移管(管理、管轄を他へ移すこと)した記載はなく、移管が予定されたものでもなかった。STAP細胞実験に関連した研究室や研究所での盗難被害は確認できなかった。
 では、石川氏の刑事告発の証拠の出所はどこだろうか。理研は実験成果物の盗難事件は記憶にないとしている。肝心の持ち主が盗難事件を認めていないのだ。

 石川氏は自身のフェイスブック上で15年3月1日、小保方氏が窃盗行為をしたと絶対の自信を持って告発に臨んだのは証拠が揃っているからだと断言している。山梨大学へ出向き、若山氏本人と若山研のスタッフから証拠書類や証言を得たと明かしている。
 筆者も「フライデー」で小保方氏が刑事告発されるというスクープが出た直後の同年2月7日。記事執筆者の津田氏と東京都内で面会した。そして告発記事の情報源は若山研の研究員のひとりで若山氏の妻、清香氏であることを確かめた。そして清香氏は同誌(6月5日号)のP.20で細胞窃盗の被害者として登場する。

 その記事の小見出しは「フリーザーからES細胞が」で始まる。
「盗まれたのは当時の研究員、リ氏が作製、保管していたES細胞入りのチューブ78本と若山清香研究員が作製した同チューブの計80本。若山教授の山梨大への異動にともない、同大に移管する予定だった。(中略)この80本のチューブは、'13年1月〜4月頃に若山研究室から消え、昨年4月、小保方実験室に設置されたフリーザーの中から『紛失した当時とほぼ同じ状況』(理研スタッフ)で発見されている」(同誌より)

●公式書類に「引っ越しの残しもの」

 前述のように実験成果物の細胞を管轄する理研から盗難の被害届けが出ておらず、理研広報室では細胞の窃盗事件も記憶にないとしている。リ氏と清香氏が盗まれたとするのであれば、理研に被害を申し立てるのが筋だろう。務め先の物が盗まれたのに、勤め先には報告せずに第三者に窃盗事案として情報提供しているのだ。
 さらに細胞の窃盗時期も13年1月〜4月頃となっているが、小保方氏が若山氏とSTAP細胞実験に勤しんでいたのは11年から12年度末にかけてで、まったく窃盗時期の時系列が合わない。現在、小保方氏の人権侵害申し立てにより、放送倫理・番組向上機構(BPO)で審理入りしたNHKの『STAP細胞 不正の深層』でも、リ氏のES細胞を「引っ越しの時に持って行くはずだったもの」として紹介している。しかし、これも筆者の調べでリ氏は山梨大学と雇用関係を結んだ形跡はなかったことがわかっている。

 小保方氏が実験を捏造していたとする情報は14年6月18日、インターネット匿名掲示板に「小保方が引っ越しのどさくさに若山の所から盗んだ細胞が箱ごと発見されたことも公表しろよ。丹羽のTSもたくさん出てきただろ」と書き込まれたことによる。若山研の引っ越しは13年3月末なので、小保方氏が11年から12年度末に行っていたSTAP細胞実験にはES細胞を使っていなかった、STAP細胞はES細胞の混入なくつくれていたことになる。

 さらに神戸地検は「窃盗の発生自体が疑わしい」としたので、これにより小保方氏は細胞を窃盗しておらず、実験の捏造を行っていなかったことが証明された。清香氏は記者に「細胞が盗まれた」と情報提供したことについて説明責任がある。小保方氏はこの刑事告発について手記『あの日』(講談社)内で「私がES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれているように感じた」と綴っている。

 筆者が理研に情報公開制度を利用して小保方氏の保全された冷凍庫の中身、試料や実験材料の一覧表を手に入れたところ、リ氏のES細胞は「若山研の引っ越しに残っていたので保存していた」と備考欄にその残存した理由が書かれていた。小保方氏が盗んだかのように報じられてきたES細胞は、「引っ越しの残しもの」であり、ただの捨てられた実験材料だったのだ。小保方氏は勝手に処分する権限がないので、故・笹井芳樹博士の研究室に居候していた場所へ運び、自分の研究室ができた時にそこへ残すわけにもいかず、移動させただけのようだ。
 このような内部資料が公文書として残っていたにもかかわらず、小保方氏への「ES細胞窃盗説」は14年6月18日から、刑事告訴が不起訴に終わるまでの16年5月18日まで約2年間にわたり続いた。ネット上にはいまだに小保方氏が捏造したとの情報がそのまま残り、拡散される状況が続いている。マスコミを使った、大掛かりな冤罪事件をでっち上げた犯人は誰なのか。そこにSTAP細胞事件の真相が隠されている。
 そして国民総掛かりで小保方氏を「持ち上げて、落とす」狂騒に参加したことは、2年間にわたり犯罪者として世間の白眼視にさらされた女性研究者の人間らしい時間を奪った。それを、私たちは忘れてはならない。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)
%%%%%記事転載終わり

烏山5(髪長媛3)、落語家・林家彦六の遺言、緊急事態(東京新聞)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へお寄せください。頂いたコメントには必ず応答いたします)
 前回「ドック入りするGDP」なるタイトルのnature誌に掲載された書評の出だし部分を紹介しました。今回、その続きを掲載するはずでしたが、本ブログ記事が長くなりましたので、掲載を次回に順延します。
 (写真:舗装された田のあぜ道に、這いずり回るカブトムシの残骸が散乱しています。あるものはカラスにそしてあるものは車に轢かれた痕跡があります。辛うじて生きながらえたカブトムシを昨朝救出してきました。さらに今朝も二匹救出し、里子にだしました。写真の上にカーソルを置いてクリックすると拡大できます)
P63甲虫9

 
本年の 残りの半分 始まれり 老いては時が すばやく経ちぬる

 又も老いぼれの繰言であります。今日は7月1日。あっと言う間に本年の半分が終わってしまいました。こうして時間は光速の如く高速で過ぎてゆきます。そうなると考えるのが死です。昨日の東京新聞「この道」カラムで林家木久扇が落語家・林家彦六の死の間際を以下のように書いていていました。同感であります。私も自分の骸は医学に役立て、その後は近くの川にでも散布してくれと家内に言っております。家内が言うには「墓で待っている父母が可哀想だ」と、言うのですが。
(東京新聞、6月30日付より。写真の上にカーソルを置いてクリックすると拡大できます )
P630木久扇


+++++烏山(4、髪長媛)
 髪長媛の日本書紀への登場は、巻七では天皇の五番目の妃として記載されるのみでした。しかし、応神天皇紀では、媛の美貌を語り、仁徳天皇とのなれ初めを語りなど詳しい説話が展開されます。
 藤原不比等による列島史のドラフト版では、大陸史書に登場する倭国王は卑弥呼を含め三名のみです。しかし、大陸史書に明記された名前は景行天皇のみです。しかし、武王は景行天皇の息子として描かれます。どちらも巻七ですから、巻七の内部で時間の反転が起きていることを思うと、藤原不比等には七世紀の倭国王の名前を露に記紀に記すことを嫌ったのだろうとの思惑が見えます。言い換えれば、不比等羽大陸正史に記載される倭国王を日本列島の現代史に語ることを徹底して嫌ったのです。

 邪馬台国女王の卑弥呼については、日本書紀は「摂政三十九年紀」に魏志を引用して神功皇后があの女王であるかの如くを書くのみです。しかし、突然の魏志引用は藤原不比等の意図であったのかもしれないと私は思っています。この記載があることで、記紀初版(ドラフト版)の構想が見えて来るからです。つまり藤原不比等が後世の人に残した列島史真実解明の手がかりなのです。

 ところで、宋書倭国伝はいわゆる「倭の五王」を記載しています。「讃王」(西暦421年頃)、「珍王」(425年頃)、済王(443年頃)、興王(462年頃)、武王(478年頃)です。これらの王に加えて梁書倭国伝は扶桑国王として乙祈(479年頃)なる名前を記載しています。ここでカッコ内の「年」は、大陸正史に登場した時点を意味しています。実際はこの年の前後に日本列島の権力者として威勢を張っていたのでしょう。

 藤原不比等の編纂する日本列島近・現代史では上記の六名の王の名前が明示されていません。僅かにその華々しい活躍から「武」王に重なる人物が比定出来るのみです。8世紀初頭、諸般の政治環境から、史書の改定を余儀なくされた不比等は、初版の歴史書の時間順を逆転することとなった。かくして、改定された史書では「現代」が太古の時代に、そしてそれは卑弥呼の時代で締めくくらざるを得なくなったのです。

 卑弥呼の生存した時代は遅くとも三世紀末です。従って現代たる八世紀初頭にわたる列島歴史の編纂を藤原不比等はせねばならなくなったのです。その作業では当時の人々の記憶に残る「ワカタケル王」の生きた時代などを史書に整合的に組み込まねばなりません。一番の困難は卑弥呼直後の歴史をどう記述するのか

 この困難解決の方途として二人の天皇がしつらえ上げられたのです。それが応神天皇であり、仁徳天皇なのです。この二人の天皇の実在性(本当は実在していない)を裏付ける人物として髪長媛が登場させられたのです。何故、そう推論できるのでしょうか?

 それを示唆するのは万葉集二巻八十五〜九十歌までの六首です:
%%%%%万葉集85〜90歌です
吉村誠・山口大学教授編の万葉集検索システム(http://j55.pw/42yF )を用いると以下の表示が得られます:
八十五歌:
題詞:
相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
原文:
君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
訓読 :
君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
仮名:
きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ
左注:
右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉

この歌は、「相聞歌」つまり愛し合う男女の歌と考えられています。磐姫皇后が仁徳天皇を想って唄ったと「題詞」は書きます。これについては黒比売を論じた過去記事で、系図を参照しながら磐姫を論じたことがあります。記紀がここで磐姫を登場させたことも、仁徳天皇なる人物が実在したことを「何とか主張したい」藤原不比等の思惑です。この歌に題詞を付した人物(山上憶良か?)は、この藤原不比等の思惑にまんまと乗せられたのか、それとも史実を知りながら保身のために「史実」なるものに従ったのか?定かではありません。

 この歌の解釈は上記の訓読(あるいは仮名)の通りなのだろうと想っています。

上記題詞には四首とあります。そこで後続の歌も見ておくことにします:
八十六歌:
題詞:
(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文:
如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物<呼>
訓読:
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを
仮名:
かくばかり こひつつあらずは たかやまの いはねしまきて しなましものを

 ここで唄われる「高山」は現在の佐賀県にある「天山」であろうと考えています(2012年9月5日記事 http://j55.pw/QJN5)。「磐根四巻手」の解読に悩んでいます。

八十七歌
題詞 :
(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文:
在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読:
ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
仮名:
ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに

 万葉集をこの議論で持ち出したのは、この八十七歌を考察したかったからです。上に歌われる「黒髪」に私は着目しています。議論は次回に行います。

八十八歌
題詞:
(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文:
秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読:
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ
仮名:
あきのたの ほのへにきらふ あさかすみ いつへのかたに あがこひやまむ

 稲穂の上にまとわりつく靄と愛しき君を想う心が結びつかないのですが、まあ、よしとしましょう。

八十九歌
題詞:
(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)或本歌曰
原文:
居明而 君乎者将待 奴婆珠<能> 吾黒髪尓 霜者零騰文
訓読:
居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
仮名:
ゐあかして きみをばまたむ ぬばたまの わがくろかみに しもはふるとも

 ここでも黒髪が唄われています。議論は次回。

九十歌:
題詞:
古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王 不堪戀<慕>而追徃時歌曰
原文:
君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
訓読:
君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
仮名:
きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ
左注:
右一首歌古事記与類聚<歌林>所説不同歌主亦異焉 因檢日本紀曰難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月天皇語皇后納八田皇女将為妃 時皇后不聴 爰天皇歌以乞於皇后云々 卅年秋九月乙卯朔乙丑皇后遊行紀伊國到熊野岬 取其處之御綱葉而還 於是天皇伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中時皇后 到難波濟 聞天皇合八田皇女大恨之云々 亦曰 遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇廿三年春<三>月甲午朔庚子 木梨軽皇子為太子 容姿佳麗見者自感 同母妹軽太娘皇女亦艶妙也云々 遂竊通乃悒懐少息 廿四年夏六月御羮汁凝以作氷 天皇異之卜其所由 卜者曰 有内乱 盖親々相奸乎云々 仍移太娘皇女於伊<豫>者 今案二代二時不見此歌也

 この歌は八十五歌とほぼ同一です。しかし、題詞はこの唄われた状況を全く異なって捉えています。その事情を「左注」が書いています。何故、こうした「齟齬」が生じたのか?誠に興味深いものがあります。議論は次回に回します。

+++++緊急事態法
 本年4月半ばの熊本地震被災地にでかけた安倍首相は現地で「緊急事態法」制定の必要性を力説しました。これによって、「緊急事態」との特別認識で、権力者が「勝手し放題」できる状況を構築できることが狙いであろう、との危惧はこれまでの首相の言動から容易に想像できるものでした。
 現行の日本国憲法制定に大きな役割を果たした金森徳次郎氏は「緊急勅令は行政当局者にとっては便利だが、国民の意思をある期間有力に無視しうる制度」であると指摘したとのこと。

(写真:東京新聞7月1日付け一面記事より、写真の上にカーソルを置いてクリックすると拡大できます)
160701001

160701002


 この金森徳次郎氏については2013年2月6日記事 http://j55.pw/zmMV)で氏の長男である金森久雄氏の自伝を紹介しました。徳次郎氏の末男、金森博雄氏は世界の地震学を牽引してきた地震学者です。このブログでも何回か氏のお仕事を紹介してきました。
(写真:「巨大地震の科学と防災」金森博雄著、朝日新聞出版、2013年、左はこの本の末尾に添えられた著者自身の「あとがき」で、ご自身の家族について簡単に触れています)
kanamori -2013


 上記の本は、これまでに市販されてきた地震解説書とは大分異なっています。かねてより本ブログ でこの本の紹介をしたいと思っていながらできませんでした。これまでの解説書は、まずプレート理論から説き起こすことから始まります。しかし、この本は著者の学問的・知的好奇心の流がそのままいかなる力みも無く坦々と語られます。その業績のすごさを思うにつけ、この筆致は一体どういうことなのか!なぞと想ってしまいます。地震に関心のある方の一読をお勧めします。

烏山(4、髪長媛-2),ドック入りするGDP

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:水が多い遅(おそ)植えの田に鴨の群れがゆらゆらと朝寝をむさぼっていました。持ち主によって田植えの時期がずいぶんと違うものです。早いところは四月末、遅いとことは6月末。なんと二ヶ月も違います。) 
P6290002


じめっとした 重い大気を かきわけて 犬のあえぎは 誠につらげ

 気象予報に拠れば、梅雨は更に三週間ほど続くとのことです。湿気で重い大気の中、散歩中のワン公に似て、参議院議員選挙候補者が汗みどろで、投票日までまだ10日以上あるのに早くも声を枯らしてゼーゼーと言っています。NHKの朝ドラは、今が終戦直前を描いています。連日の米軍による空爆で、脅(おびや)かされる生命の安全、「お国のため」を連呼し生活苦を強制し、問答無用の忍従・屈服を強いる為政者。これが戦争の内実です。
 現在の安倍氏が推進する人権より国の安全と叫ぶ安保政策のすぐ向こうにある日本国の姿が重なってきます。この危惧のせめて一端を国民に訴えてほしい我が国の報道機関は、為政者の『威圧』の下で沈黙です。舛添騒動、麻薬騒動、などなどは、大事な政治課題を国民の目からそらすことが目的か!と勘ぐりたくなります。

 小沢一郎氏が提唱してきた「オリーブの木」構想が「野党連合」と言う実を付け出したと、好ましく思ってました。そんな中、この連合の今や中核とも言える共産党、その党の幹部が誠に不用意な発言を政治討論の場でしてしまったとのこと:
%%%%%産経新聞記事よりhttp://j55.pw/Kfyg 
共産党の藤野保史政策委員長は26日出演したNHK番組で、防衛費が初めて5兆円を超えた平成28年度予算を念頭に「人を殺すための予算でなく、人を支えて育てる予算を優先させていくべきだ」と述べた。
%%%%%
 左翼学生気分が抜けない誠に愚かな発言です。この御仁、党内での出世街道の中で「党内語」は流暢に使えてきたのでしょう。しかし、一般人に理解できる言語、語彙が決定的に不足、あるいはそうした訓練がほどこされてこなかったのでしょう。発言内容は不正確といえども100%誤っていたわけではありません。「人を殺す」を「軍事の」と言い換えるだけで十分に意が伝わったのです。「党内支持者」を意識した「向こう受け」を狙ったのでしょう。

 自公勢力は、この機を捉えて共産党の「憲法九条」観の矛盾をついて来ています。外に目を向けると、あたかも安倍氏のアジア観を助けるかのように北朝鮮のミサイル発射、中国艦の尖閣侵入です。こうした内外情勢の推移の中で野党連合はこの失言で失った信頼をどうつくろうのか?注目しています。

+++++烏山(4、髪長媛-2)
 日本列島の近・現代史編纂作業で、もっとも藤原不比等が注意を払った歴史時点は西暦600年です。この年、倭国から派遣された大陸・隋王朝への使節は隋皇帝の面前で自国の実情を語っています。その内容が隋の正史に記載されています。これを日本列島側の「正史」が無視することは出来なかった。それが藤原不比等の政治判断でした。前回書いたように、倭国の王の名前が、日本書紀七巻に名記されていることがそれをはっきりと見せています。そればかりではありません。以後の日本列島の「精神史」ともいうべき宗教体系(新道)の中心に座す神としてこの倭国の王の名前に因んだ命名がなされたのです。

 さて、景行天皇は皇后と五人の妃を持ちましたが、本ブログで関心を寄せる髪長媛はその四番目です。それほど重要視されていない存在に見えます。ところが、さにあらずなのです。

 日本書紀を引用してそのことを書く前に、前段として私の日本書紀観を繰り返しておきます。日本列島の近代・現代史編纂にあっては、当然の事ですが、事象を発生時に従って(chronological)構成していたはずです。当然、それは魏志が書く「卑弥呼」の時代から始まって、持統天皇の治世で完結していたのです。ところが、日本列島の八世紀初頭の政治状況の打開と言う狙いから、その「史書」の記載順をひっくり返すという荒業が用いられたのです。その結果、卑弥呼に擬せられる「神功皇后」の巻は最終巻となり(現存する日本書紀の九巻)、そもそも同時代(contemporary)を記述した「現代史」に相当する部分は卑弥呼以前の「超古代史」になってしまったのです(現存する日本書紀一・二巻、神代紀)。

前回引用した景行紀は七巻の位置を占めることとなります。さてこうなると、卑弥呼の時代から現代までを新たに「正史」として構築せねばならなくなります。それは神功皇后紀の続編でもあります。苦吟の作業で「創られたのが」まずは応神天皇紀(十巻)、そして孫とされる仁徳天皇紀(十一巻)です。その巻に「髪長媛」が登場するのです。そこで、その記載を見ることにします:
%%%%%日本書紀・巻十より
原文:
《応神天皇十一年(庚子二八〇)是歳》是歳。有人奏之曰。日向国有孃子。名髪長媛。即諸県君牛諸井之女也。是国色之秀者。天皇悦之。心裏欲覓。
《応神天皇十三年(壬寅二八二)三月》十三年春三月。天皇遣専使、以徴髪長媛。
《応神天皇十三年(壬寅二八二)九月》秋九月中。髪長媛至自日向。便安置於桑津邑。爰皇子大鷦鷯尊。及見髪長媛。感其形之美麗。常有恋情。於是天皇知大鷦鷯尊感髪長媛而欲配。是以天皇宴于後宮之日。始喚髪長媛。因以上坐於宴席。時〓大鷦鷯尊。以指髪長媛。乃歌之曰。
@伊奘阿芸 怒珥比蘆菟弥珥。比蘆菟濔珥。和餓喩区濔智珥。伽愚破志。波那多智麼那。辞豆曳羅波。比等未那等利。保菟曳波。等利委餓羅辞。濔菟愚利能。那伽菟曳能。府保語茂利。阿伽例蘆〓[土+烏]等〓[口+羊]。伊奘佐伽麼曳那。 

文意:岩波文庫「日本書紀(二)」200頁より
応神天皇十一年(庚子二八〇)是歳。ある人が奏うすには「日向国に孃子がいる。名は髪長媛(かみながひめ)。諸県君(もろがたのきみ)である牛諸井之女(むすめ)である。国をあげての容色優れた者である」と。天皇これを悦びて、心裏よりこの娘を得たいと欲す。
二年後の春三月,天皇は使いを出し、髪長媛を召しだす。
同年秋九月中、髪長媛は日向を出て天皇のもとに到着した。桑津邑(くわつのむら)に媛を安置(すまわせ)た。ところが皇子である大鷦鷯尊(おおささぎ)が髪長媛を見て、その美しさに感じいり、以後ずっと恋情を抱くようになった。天皇は大鷦鷯尊が髪長媛を欲しいと望んでいるのを知り宴が宮で行われる日に髪長媛をそこによび宴席の上席に座らせた。天皇は皇子である大鷦鷯尊をよびよせ、髪長媛を指差して歌を詠んだ:
(仮名文) いざあぎ のにひるつみに ひるつみに わがゆくみちに かぐはし はなたちばな しづえらは ひとみなとり ほつえは とりゐがらし みつぐりの なかつえの ふほごもり あかれるをとめ いざさかばえな (K035)

(岩波文庫校注者:上掲諸01頁
さおわが君よ。野に蒜摘みに行きましょう。蒜摘みに私の行く道に良い香りの花橘が咲いています。その下枝の花は人が皆取り、上枝は鳥が」来てちらしましたが、中の枝のこれから咲く美しい赤みを含んだ花のような美しい娘さんがいます。さあ、花咲くといいですね。
%%%%%
 この説話は古事記でもほぼ同一の内容を書き記しています。これは更に続きますが、それは省略します。既に書いてきたように二人の天皇は、卑弥呼時代と、宋書が書く倭の五王の時代のギャップを埋めるために創作された人物です。とはいえ、古事記、日本書紀が記す説話には、何がしかの人物の事跡をもとに創られているのだろうと思います。でっち上げの史書といえども「無」からそれを作り上げるのは難しいからです。

 そこで、現在の烏山の西にある「神長」と言う地が、「髪長媛」に縁のある地であるとしたら、上の説話に登場する「地」が推定できるだろうか?それを試みて見ます。まず上記の末尾に記した「比蘆」(ひる)です。烏山のごく近くに「蛭畑」と言う地が二箇所あります。
 次に髪長媛の出身地とされる日向、諸県です。岩波文庫・校注者は以下を書きます(「日本書紀(二)」77頁): 
「諸県」は日向国西部の地名。現在の宮崎県東・西・北諸県郡および、小林市、都城市、鹿児島県曽於郡の東部」
 と、書きます。日本書紀の解読が進んだ平安期には「日向」は現在の宮崎県東部あたりとの定説があったと思われます。それを前提として「諸県」の同定がなされたのだろうと思っています。従って、この校注には予断があります。私は、烏山の近辺でその地を探してみました。そこで、鍵となったのが「諸県」です。「諸」から連想したのが長野県の小諸です。
(図1 長野県東部、小諸とその近辺。小諸から東へ8kmほどに「北小牧」なる地が見える。ここは昔は「大日向」であった。クリックすると地図を拡大できます。)
小諸-大日向


 なんと、小諸の東に「大日向」なる地があったのです。この地の由来については現時点ではウイキに見る限りでは不明です。花が「咲く」を連想させる「佐久」、そして「牛諸」の牛に由来すると思える「臼田」なる地もあります。
 烏山に陣を張った渡来・アイヌ連合族はその威勢を現在の長野県東部にまで及ぼしていたのではなかろうかと想像しています。
(つづく)

 +++++GDPの話(natureの書評より)
 先週号のnatureの書評は“GDP in the dock”というものでした。本ブログでもしばしば書いてきたのが「経済とはなんぞや?」なる疑問です。それへの一つの回答をこの書評が示唆しているのかなと考え、以下にその書評を紹介しておきます。
%%%%%書評紹介(1)
Economics: GDP in the dock 22 June 2016
Diane Coyle savours a history of the long-standing economic measure and possible alternatives.
The Great Invention: The Story of GDP and the Making (and Unmaking) of the Modern World
Diane Coyleが長く使われてきた経済指標と可能な別の指標についての歴史を吟味する。
あの偉大なる発明:すなわちGDPと現在世界の構築(または破壊)
Ehsan Masood Pegasus刊: 2016.ISBN: 9781681771373

(写真:John Maynard Keynes (right, with Henry Morgenthau) laid the foundations for the GDP metric.
keynsa-i1


Since its invention during the Second World War as a thermometer of economic health, gross domestic product (GDP) has become a familiar incantation in claims and counter-claims about the well-being of nations. Some environmentalists and feminists were early critics, but until recent decades, few others questioned it. Now, campaigners ranging from left-wing Nobel-prizewinning economist Joseph Stiglitz to the free-market Economist magazine want to replace GDP with direct measurement of human well-being. The technology industry has joined them, bemoaning the failure of GDP to account properly for digital technologies, including free online services, because the relevant statistics are not collected or do not fit easily into existing categories. There is even a mini-boom in books about economic statistics. A decisive coalition is shaping up in favour of moving away from GDP. The question is what to use instead.
 第二次世界大戦中に経済の健康状態計測の謂わば温度計として考案されて以来、GDPは国の状態についての批判、反批判の中でのよく知られる「決まり文句」となってきた。環境主義者や女権論者は最近の数十年前までは早くに批判的であったが、概してGDPなるものへ疑問を呈する人は少なかった。今や左翼と思しきノーベル賞受賞者のeconomist Joseph Stiglitzから自由市場主義の雑誌 Economist magazineに至るまでの広い範囲にわたるキャンペーンがGDP にとってかわる人間生活状態を直接計測できる量に取り替えるべきと言う。技術産業がこれに同調しオンラインサーヴィスを含むIT技術に対する適切な評価を欠くGDPの欠陥を指摘していた。何故なら適切な統計処理がなされていなかったり現存するカテゴリに適切に合致させていなかったなどなどである。経済統計についてはちょっとしたブームがあるのである。 決定的な連携がGDPからの離脱を先鋭化している。問題はGDP以外に何が使われるべきかである。

(つづく)

烏山(3、神長と髪長媛)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真: 水田を四六時中見張っている龍の枯れ木に 緑の蔓が巻きついています。上は本年一月に撮影したもの。早くもカブトムシが畦道にころがっていました)
龍枯れ木

 
 つかの間の 雨なき朝を 逃すまじ 雲雀や鳥の 唄のざわめき

 このところ、連日朝は雨です。久しぶりの雨の無い朝は小鳥たちとりわけ雲雀の声高なおしゃべりで目覚めます。かなり自己主張の強い鳥も会話に加わっているのですが、名前がわかりません。

+++++香取神社(烏山(3))
 前回、烏山の西に「神長」なる地があることを書きました。航空写真で見ると、その地の区画割りは「シリウス方位」であることが明瞭です。「古代史」をごそごそと調べていると「神」、「長(塚)」なる文字にとりわけ敏感となります。何がしかの背景があるのではなかろうかと言うわけです。

 「神」を「カミ」と音するのは、アイヌ族の「カムイ」に由来することは以前書きました。この着想のそもそもは梅原猛氏の研究成果によるものです。これについては、後に振り返ることにして話を続けます。「髪」も「カミ」なので同じ音となります。日本書紀には「髪長」(かみなが)なる媛が登場します。まずは景行天皇四年紀です。:

%%%%%日本書紀・巻七・景行天皇四年紀より
原文:《景行天皇四年(庚戌七四)二月甲子(十一)》四年春二月甲寅朔甲子。天皇幸美濃。左右奏言之。茲国有佳人。曰弟媛。容姿端正。八坂入彦皇子之女也。天皇欲得為妃。(中略)仍喚八坂入媛為妃。生七男六女。第一曰稚足彦天皇。(中略)又妃三尾氏磐城別之妹。(中略)次妃五十河媛。(中略)次妃阿倍氏木事之女。(中略)。次妃日向髪長大田根生日向襲津彦皇子。是阿牟君之始祖也。

文意(岩波文庫『日本書紀(二)』62頁
四年春二月甲寅(きのえとら)朔(ついたち)甲子(きのえね)。天皇は美濃へ行く。左右の臣が奏すには「茲国に佳人(よきひと)がいる。弟媛(おとひめ)という。容姿は端正である。八坂入彦皇子之女である。天皇は妃にしたいと望んだ。(中略)八坂入媛を妃とし、七男六女生んだ。第一子は稚足彦天皇である。(中略)三尾氏磐城別之妹を妃とする。(中略)次の妃は十河媛。(中略)次の妃は阿倍氏木事之女。(中略)次の妃は日向髪長大田根である。日向襲津彦皇子の娘である。
%%%%%日本書紀引用おわり

 景行天皇といえば、藤原不比等が日本列島の近・現代史を構想するにあって最も重視した人物です。和風諡号は「大足彦忍代別」です。日本書紀はこの諡号に「おおたらしひこおしろわけ」なる「カナ(音)」を振ります。
ところで、西暦600年に倭国は時の大陸王朝に使節を派遣しています。その際にその王朝がこの使節の来朝を記録しています。それが「隋書・倭国伝」です。それは以下を書きます:
 %%%%%隋書倭国伝
原文:
開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌、遣使詣闕。上令所司訪其風俗。使者言倭王以天為兄、以日為弟、天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟。高祖曰:「此太無義理。」於是訓令改之。王妻號雞彌、後宮有女六七百人。名太子為利歌彌多弗利。

文意:
 開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌、遣使を王宮に詣でさせる。上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。王の妻は雞彌と号し、後宮には女が六〜七百人いる。太子を利歌彌多弗利と呼ぶ。城郭はない
%%%%%

 謁見する倭国の使節の言を隋皇帝の傍らでメモを取っていた『書記官』は「倭の王は阿毎(あめ)、名は 多利思比孤(たりしひこ)、で阿輩雞彌(あはきみ)と呼称されていると聞き取ったのです。

 ところで、日本書紀巻七はその冒頭で、天皇の名は「大足彦」と書きます。「大」は「阿輩雞彌(あはきみ)」の「あは」ですから、まさに隋書倭国伝に明記される人物がそのまま藤原不比等の編纂する列島近・現代史に登場しているのです。序に付記するならば、忍代は古代ペルシア語に由来しています。それを本ブログが書いていますのでそれを再掲します。

%%%%%「忍」とは?1月13日記事抜粋
http://j55.pw/hU7g 
 どうやら、この「忍」も色々と「わけあり」のようです。短絡的に連想することは、江戸時代に埼玉県北部から群馬県に拠した「忍藩」(おし)です。その居城は現在の行田です。行田といえば、稲荷山古墳です。その古墳から出土したのが銘が刻まれた鉄剣です。そこには「ワカタケル」と読める漢字が浮き出ていました。そのワカタケルなる人名が上掲の系図で「長谷・若建命」(ワカタケル)として登場しています。何たる符号の一致と感動のきわみであります。

 しかし、ウイキで見る限り「忍」(おし)が、行田近辺で古くから言い伝えられたとの歴史記述はありません。この地に起こったのが成田氏の側近としての阿部氏です。この阿部氏は幕末の開国を決断した安倍正弘老中の初代宗主です。「アベ」は古代中東域で「火、または輝くもの」をいいあらわす「アピ」であり、それはアイヌ語の「アペ」に由来します。どうやら、行田で覇をなした阿部一族は列島土着あるいは渡来族の血を惹いているのではと思わせます。尚、ここで書いた「阿部一族」は森鴎外の歴史小説とは関係ありません。

 そこで、再び「忍」〔おし〕論です。私は、この後に考察する飯豊姫ゆかりの地である〔忍海〕に由来すると考えています。思えば、景行天皇の和名〔和風諡号とも言います〕にはこの「オシ」が付されています:古事記は「大帶日子淤斯呂和氣天皇」(おおたらしひこおしろわけ)、そして日本書紀は大足彦忍代別天皇です。

 再度、ペルシア語辞典の頁(「現代ペルシア語辞典」黒柳恒男、大学書林、「現代」とありますが、言葉によっては「古」を付して、それが古語であることを示してくれています)をめくってみました。
 なんと“ashras”(ラテン文字表記)と言う古語がありそれは「勇敢な」と言う意味なのです。既に書きましたが、景行天皇の和名とされる「大足彦」はそのまま隋書倭国伝に記載される倭王のお名前「王多利思比孤」です。記紀ではそれに更に「勇敢な」なる形容詞を付していたことになります。

 そして、黒比売は自らが生んだ長男が「勇敢」であることを願って「忍」〔おし〕なる「音」〔音〕を付したのではなかろうかと想像しています。そうなると、間違いなくこの嫡男は渡来族の血をひく、日本列島にあっては東北の人間であったということが出来ます。ことの序に付記するならば、黒比売の父親とされる「葦田宿禰」の「葦〕〔あし〕はそもそも「オシ」であったのだろうと思っています。藤原不比等の思惑からそれを「葦」に替えて父ー娘―息子に流れる一族の背景を隠蔽したのではなかろうかと思っています。
%%%%%過去記事抜粋おわり

 藤原不比等が日本列島の近・現代史を編纂するに当たって「隋書・倭国伝」はその出典を明示せずとも(明示したくなかったようですが)、記載内容を無視するわけにはいかなかった事情があったのです。そのために、隋書に記載された王の名前を日本列島史書に書きとどめたというわけです。その後のこの史書が辿った経緯についてここで書くことは繰り返しません。

 上の過去記事抜粋でも書きましたが、この王の出自が遠く中東にあったことは明らかです。本人は列島に出生したとしても、その何世代か前は渡来人であったのです。そのことを示すのが「忍代」です。もう一つは隋皇帝の書記官が聞き取った倭国王の名「多利思比孤」の「利」です。これは漢音で「LI」であり「RI」ではありません。隋の書記官は「LI」と聞き取ったのです。日本列島に古くから住んでいたと思われるアイヌ族または在住の人間には「LI」なる「音」が無いので、それを発音できなかったはずです。しかし、隋に派遣された使節は「LI」と発音しているのです。これは当時の倭国王の出自を裏付ける重大な傍証であると思っています。

 ところで、一見話が飛ぶようですが、この景行天皇つまり「大足彦忍代別」こそが、香取神宮の由来いいかえれば「斎」、我が国の神道の出発点となっています。まさにその議論が現在進行中なのですが、良い機会ですので、それに触れておきます。

 上にも書いたようにこの天皇の国際的名称が隋書に書く「阿毎(アメ)多利思(タリシ)」です。これこそが日本列島全国の神社に祀られる「あま てらす」の由来です。藤原不比等は日本列島の新しい信仰体系を構築するに当たって、なんと西暦600年ごろに列島に君臨していた支配勢力の王の名前を「活用」したのです。藤原不比等にとっては、それほどに隋書倭国伝は強烈な影響を与えたのです。それゆえにでしょう、彼が編纂する日本書紀推古紀に「隋」は記載されていないのです。つまりそれが露(あらわ)になるならば、「天照大神信仰」は足元から崩れてしまうからです。

 髪長媛の話の前段が長くなってしまいました。媛の日本書紀への登場が、日本列島古代史に藻どうやらかかわっていそうなのです。話は次回です。

(つづく)

那須岳ー香取線(烏山(2))

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:フランス原発関連会社「アレバ」の福島原発事故見聞、東京新聞6月24日記事。このアレバが東電事故で稼いだ額は多額であったとのこと。しかし、アレバ社製の放射能除去装置は長期間稼動せず、おまけに会社は傾いているらしいと言います。上記は、所詮、白人の黄色蔑視線による観察ではなかろうかと、思ってます。そうではあっても、当時、東電と政府は、事故対応よりは原発政策の破綻隠蔽に気をとられていましたからアレバ社CEOの観察はそれなりにまっとうであったのでしょう)
P6240001a


 嫌なこと 見ぬ振りするは わが民の 習い性である と世論が語る

 本日の大手新聞は一斉に来る参院選での各党の獲得議席予想を報じました。それによれば、自公与党は改憲可能とするほどに大幅に国会内勢力を拡大するであろうとのこと。日本人は一体何を考えてるんだ!と、上から目線で激怒するのは私を含めて老いぼれ連中です。先の党首討論での居丈高な安倍首相の傲岸な振る舞い、東電による燃料棒メルトダウン隠し、原発の「忘却」、などなど失政の事例枚挙にいとまなしというほどで上げれば限が無い安倍氏の愚政と人格欠損。「上から目線」と言われようとも、この首相はゴメンだと老いぼれたる私は思っています。

 6月17日記事で古代ペルシアの研究者である伊藤義教教授の著した本の一節、地下に人工的に作った水路(運河)の記述を紹介しました。これについて、本ブログを読んでくださっている方から以下のようなメールを頂きました。感謝いたしますと同時に他の読者にも興味深い事と考え、以下に紹介しておきます:
%%%%%カサの由来:"カーレーズ"のこと
前回出てきた"カーレーズ"は、「シルクロードの旅」
と云うツアーで実物を見ました。確かトルファン
だったと思います。地下トンネルのような場所で
かなり豊富な水が流れていました。

###以下:6月17日記事の再掲(伊藤教授著書より):
 イランやアフガニスタンでは地下にトンネルを掘って水を通し、蒸発消散するのを防ぎながら離れたところへ水を送る施設が発達していてカナート(qanat)とか"コレーズ(kah^rez)"とか呼ばれている。"コレーズ"は中東ペルシア語カハレーズ(kaha-rez)の転化であるが中世ペルシア語にはカハス(kahas)と言う語もありマニ教系の文献やその他の文献にも指摘されるから確実な形である。ところが、このkahasの“h”はとかく強くひびかないから飲み込まれる傾向きもあり母音間のそれは漢字表記されないこともしばしばである。そうするとカハスはカアスあたりとなるが、このカスあたりが狂心渠の中に隠されていると思うが、どうであろうか。
###再掲記事終わり
%%%%%メール紹介おわり

 私自身は、中国の西奥部を見聞したことはありませんが、35年ほど前の大昔にタシケントからサマルカンドへ旅行した際、砂漠であるはずの地が所々で緑で潤っているのを見ました。そこには地下から水が湧き出ているのです。これはオアシスではなく、人工的な地下水路からの水の供給であると現地の人に教えられました。

+++++香取神社(烏山(2))
 グーグルなどで烏山を検索すると、まずは東京の千歳烏山が出現します。どうも那須・烏山は全国に広くは知られていないようです。前回掲載した地図で見るように栃木県・県庁所在地である宇都宮の北東35kmに烏山は所在します。

 ウィキは烏山の地名由来として以下を書きます(http://j55.pw/ACbc ):
%%%%%地名由来(ウイキより)
応永年間、沢村五郎資重が、稲積城(那珂川の東側にあった)から城を移築する際、当初、那珂川の東側の山へ築城しようと用意をしていた。そのとき一羽の烏が飛来し、金の弊束(へいそく)を咥え、那珂川の西側の一番高い山の頂上にその弊束を落としたことから、それを見た資重は「烏は熊野権現の使いというから権現様のお告げではないか」と、那珂川の西側の山に城を築いた。それ以来、その城を烏山城ということになった。この話は昔から伝わる伝説で、そこから「烏山」という名がでてきたといわれている(烏山に伝わる民話「烏山の民話」からの要約)。
那須記では烏山城に因む地名とされている。もともと、この土地は8世紀末から『坂主』その後『酒主』と書かれてきた。一方で那珂川沿岸の丘陵には群鳥が棲む草叢があり『烏山』と呼ばれていた。そこへ築城した沢村(那須)資重が烏山城と名付け、地名も烏山としたと云われている。読み(音)からの推察では「川原(カワラ)」「洲(ス)」「山(ヤマ)」の転訛説がある[1]。
%%%%%
 地名の由来についての上記の説、私はこれに異論をさしはさむつもりはありません。異論を立てようにもその論拠が無いからです。私が注目しているのは「烏」です。これは「漢音」では「ウ」です。古代史調査ではこの「ウ」には大きな謎が潜んでいます。九州の「宇美」、「宇佐」そして「宇都宮」などなどです。実はこれがどうやら古代史解明の大きな鍵を握っていると思っています。そこで、これについては「回」を改めて議論します。

 烏山市のHPの歴史コーナでは鎌倉時代以降が記述され残念ながら、それ以前の詳細はつまびらかではありません。しかし、この地の歴史遺物は誠に豊かです。インターネットで見る限りでは、たくさんの調査研究がなされているようです。その一つが『曲田横穴(まがったよこあな)古墳群』など多くの横穴古墳群ですhttp://j55.pw/5DTQ http://j55.pw/KkiJ 図2参照)。渡辺豊和氏は埼玉県の大規模横穴古墳群・吉見百穴は渡来人の存在した証であろうと自著に書いています。

(図1:烏山周辺の古墳、http://j55.pw/5DTQ )
烏山横穴

 
 上の図に見るように五つの地点で横穴古墳群が発見されています。また大和久古墳など横穴古墳も調査されているようですが、その建造方位などの情報については、インタネット上では残念ながら見つけることはできていません。ここは、近日中にひとっ走り現地に飛ぼうかと考えています。

 上図で、気づくことの一つは、これらの墓群のほとんどが那須岳―香取線の西側に造営されていることです。というよりは、那珂川の西側と言うべきかも知れません。これは、エジプトのルクソールの「王家の谷」を連想させます。「王家の谷」に埋葬される墓はナイル河の西に群在するからです。西とは、太陽が沈む方向、つまり生者が死の世界に沈む方向です。どうやら中東・中近東の「死の世界観」が体現されているのかと想像したりします。

 序(ついで)ですので、私の過去記事(2013年3月1日 http://j55.pw/6eFV)の記事を参考のために再掲しておきます。ここでは、京都一の高峰である嵯峨・愛宕山(標高924m)と奈良の祟峻天皇を結ぶ線は「シリウス」方位をなしており、奈良盆地の古墳は全てこの線の東側にあるのです。この戊墳群設営の背景に藤原不比等の政治的主張があるはずです。近畿を横断するシリウス線の存在とともに、後日これを考察します。

(図2 京都ー奈良を貫くシリウス線、http://j55.pw/6eFV)
hasi_ata_blog


 さて、シリスス線の話がでたところで、烏山の那須岳から見た方位算出結果を下に記して起きます:
sta(lat,lon)=[36.6642853 140.147709] 烏山
Dlt,Azm,Bzm= 0.49 161.72 341.83 54.3 -km
 烏山の史跡としてどの場所を選ぶかは色々と議論があるやも知れませんが、本調査では、下の図の烏山城(図3参照)を古代人が陣屋として選択したのだろうと考えました。ここで得た方位161.7度を「シリスウス年代表」で西暦年に換算すると625.4年となります。ここで求まった年代は箸墓古墳と斗ほぼ同一時期です。これにどのような意味があるのか、興味深いことです。

 すでに計算され、推定されている笠間神社(652年)、香取神社(685年)の陣屋建造年代殿比較は誠に興味深いものがあります。年代算出(推定)にあっては、シリウス星の天空上の運行に生ずたかもしれないユラギなどで幾ばくかのずれが伴うやも知れません。従って、ここでは厳密な年ではなく、その順序に注目することにします。まずは烏山→笠間→香取の順に、つまり那須岳から遠ざかるにつれ、陣屋(宮)建造の年代も遅れていることがわかります。これは北から南下する渡来族が更なる南へ南へと勢力を広げていったことを意味します。話の辻褄は合っているということになります。

 ここで、烏山近辺および周辺の地図を見ることにします。
(図3 烏山と神長地区)
烏山航空写真
 

 烏山城址の地形は大古墳跡地に見えるなど、この航空写真は色々と想像をさせてくれます。ここで、まず注目したいのが、図の中央よりやや西より(左)に見える水田です。この農道がまさにシリウス方位に区画されていることです。これは大昔からの区画をそのまま踏襲しているのか、それとも度重なる農地改革で区画整理された結果であるのか、是非近日中に現地に出かけてみたいと思っています。
 さて、その特異な方位(私に言わせれば「シリウス方位」)を持つ田地のあたりは「神長」(かなが)と名づけられています。この地名は色々と想像させますが、それについてウイキは下記を書きます:
%%%%%神長(ウイキより)
http://j55.pw/5AF9 佐竹家臣 神長氏[編集]
『藤原氏神長系図伝書』によれば神長氏の本姓は藤原氏であるといい、常陸国の佐竹氏に仕えたとされる[1]。家紋は丸に下がり藤[2]。 永禄5年(1562年)8月15日、松岡領坂ノ上孫沢原にて行われた相馬氏との合戦では佐竹軍二番組衆に神長佐多衛門が名を連ねている[3]。また、佐竹家臣団の記録では、岩城衆・菊田郡衆に神長将監の名がある[4]。
秋田藩士 神長氏[編集]
佐竹家臣として同氏の出羽国秋田転封に随行する者として神長光勝の名が見える。光勝は初め弥右衛門、後に対馬と名乗り、慶長7年(1602年)、佐竹義宣が秋田に転封されるとこれに随行し、平鹿郡横手に住まうという。元和元年(1615年)、大坂夏の陣にも出陣する。元和9年(1624年)上洛に随行するという。万治2年(1659年)没するという。また、光勝の子を弥右衛門光元といい、元禄3年(1690年)没した。光元の後は光直、久右衛門光近と続いた。この他、神長出雲、神長與右衛門光里の名も見える[5]。
秋田藩士 神長氏系譜[編集]
『藤原氏神長系図家伝書』による[1]。
神長光勝―光元―光直―光近
水戸藩領内の神長氏[編集]
神長氏には佐竹移封後も常陸国に在国した家系があり、正徳3年(1713年)、久慈郡頃藤の東勝山長福寺の境内に、神長惣兵衛、兵衛の名が刻まれている[6]。
神永氏[編集]
同じく藤原氏族である。家紋は丸に五三の桐、丸に抱き茗荷、右三つ巴[2]。
幕末維新期に活躍した神長・神永姓の人物[編集]
• 神永玄春 久慈郡西金村の郷医。目見格。那珂湊から久慈郡中染村に進み、元治元年(1864年)9月11日、天狗党の乱では天狗党側に加わり、捕らわれて獄死する。享年32。靖国神社合祀[7]。
• 神永伝九郎 久慈郡頃藤村の里正。諱は義尽。天狗党側に加わり、捕らわれ、武蔵国川越より江戸佃島に移され、慶応2年(1866年)獄死する。享年56。靖国神社合祀[8]。
%%%%%ウイキ記事転載終わり
 神長なる姓がどうやら茨城の北部、あるいは栃木南部、すなわち上の図の神長に由来しているらしいことがわかります。私の思考順序はまずは「長」です。これが「塚」に由来するとすれば、このちは「神」の死を意味することになります。そうとすればその神とはだれであったのか?
(つづく)

香取神社(烏山)、格差拡大の仕掛け、(続)NSAによるGMO評価

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:バイオリン演奏する黒沼ユリ子さん、6月18日千葉県・御宿「月の砂漠記念館」でのミニコンサートにて。挿絵画家の加藤まさおがこの地の風景に着想を得て詩「月の砂漠」を作ったとされる。黒沼さんはこの地に住んで、メキシコとの交流活動に大きな貢献をしておられる)
P6180014


国政に 我らの望みを 反映と 候補者達が 街で 叫びおるなり

 第24回参議院選挙が本日告示されました。少しでも多くの野党共同候補の当選を期待したいと思っています。先日の党首討論での安倍氏の取り乱しぶり。この狭量な人物が「独裁」暴走してきたのです。野党連合が、この暴走を取り鎮めてほしいものです。

(図1: 松原東大教授の見る格差拡大の仕掛け、6月18日付け東京新聞より)
P6220001a


 税金逃れの仕組みを非常にわかりやすく解説しています。
 
+++++香取神社(栃木県・烏山)
 日本書紀巻二(神代紀・下)の国譲り神話の一つの説として(書紀では「一書に曰く」と書く)藤原不比等が書くこの説話には日本列島での宗教支配・改変の重大な意図が込められている。と、私は繰り返し書いてきました。その件(くだり)とは:
%%%%%日本書紀説話転載
「《第九段一書第二》
原文:
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

文意(岩波文庫〔日本書紀〕(一)) 136頁
一書は以下を書く。天神は経津主神と武甕槌神を遣して葦原中国を平定させようとした。その時二神は以下を申し述べた「天に悪神がいる。名は天津甕星と言う。亦の名は天香香背男である。ねがわくば(請)、先(ま)ずは、此神を誅したい。然後、地上に下りて葦原中国に撥したい。」と。是時の斎主の神号は斎之大人はである。此神は今は東国の楫取之地に在る也。(以下略)」
 %%%%%転載終わり

 古代史研究者たちが何故この説話を軽視、ないしは重要視しないのか?理由は明らかです。
説話に登場する「天津甕星」の実体に想いが及んでいないからです。例えば岩波文庫「日本書紀」校注者は以下を書きます:
「ミカはミイカの訳。ミは祇の意。イカは厳。神威の大きな星の意。」

 率直に言うなら、何を言ってるのか不明です。校注者自身もわかってはいないのだろうと想像できます。この説話は、七世紀末ごろ、日本列島でおおきな政治力と影響力を持っていた「シリウス星信仰」一族(「拝火教」と思われる)の殲滅軍事行動を書いているのです。天津甕星とはシリウス星です。そしてこの信仰がおおきな政治力と影響力を持っていた遺跡が列島に多数残されているのです。それが八溝山から鹿島神宮をつなぐ直線配置です。または王「ワカタケル」の宮と思える埼玉県志木の宮戸神社と、墓所である行田にある稲荷山古墳です。更には福島県須賀川市にある二つの神社と古墳の計画された配置などです。

 まさにこの政治力・信仰を排除するための武力行使が上の説話なのです。そして、この説話には、もう一つ重要なことが記載されています。それは、軍事行動後の「神学的」(表現の適切・不適切については脇に置いていただきますが)処置、つまり「鎮魂」の儀式に触れていることです。それが「斎」です。そしてその儀式を執り行ったのが楫取之地(現在の「香取」と考えてよい)なのです。いずれ、考察しますが、現在の「神道」の原点をここに置いたのが藤原不比等であろうと思っています。やがて、政治的思惑からそれは三重県伊勢に移されたのです。これについては後日考察します。

 以上、縷々書いてきたように、「香取神社」の創建年代、言葉を変えれば、この地に何がしかの宮建設を計画設計した年代推定は古代史の真実解明への大きな手がかりと思っています。
 ところで、シリウス信仰族を軍事的に誅する行動の指揮を取ったのが経津主神と武甕槌神の二神です。武甕槌神は名前が著すように「甕」星を信仰する一族を「武」で以って槌を下した神です。中臣の祖先とされ、何時の間には鹿島神宮の祭神として祀られてしまいます。しかし、鹿島神宮はそもそもは日本列島の北端から南下して鹿島に陣屋を設けた一族。つまりシリウス族です。 ところが、歴史史書はこの本来の祭神を押しのけて、それを武力で圧殺した側である藤原一族を祭神にしてしまっているのです。シリウス族の悔しさ、哀しさはいかばかりか!
 これでは殲滅された一族は浮かばれません。当然「祟ることもあった」でしょう。それが「斎」であったろうと思っています。

 さて、同様の歴史展開が香取神社にもあったに違いありません。どうやら、この神社には、二神のもう一人(神ですからヒトリと言う呼称が適切なのか?)の経津主神が関わっていると神社由緒が書きます。この神の背景ももしかすると洗い出せるのかもしれません。

 と、いうわけで那須山―香取神宮を結ぶ線上にあるもう一つの重要ポイントである烏山に話を進めます。
 まずはその場所です。

(図1:那須岳ー香取線と烏山およびすぐ東を南下する那珂川)
那須ー烏山ー香取


 那須岳の南西麓も「那須疎水」と呼ばれる用水網が発達しており、それはこれから考察しようとする烏山近くにまで及んでいます。しかし、烏山そのものは北から南に流下る那珂川に近い。舟による物流の絶好の地です。これこそが烏山の地が選択された理由であろうと考えています。
 ところで、烏山とはどのような場所であるのか、そしてそもそも烏山と言う地名の由来は何か?次回、考えてみたいと思います。
(つづく)

+++++GMOの安全性議論(前回のつづき)
  “米国科学アカデミ(national Acdemy of Science NAS)がGMOの安全性を確かめた”と題する記事が米国科学誌(Scientific American)に掲載されました。その記事の後半部です。NAS傘下の研究者が既存の膨大な研究成果を吟味し、どうやら人体にとっては安全であるらしい、しかも地球温暖化にも貢献するらしいとの結論を得たとの報告書です。私が懸念するのは、遺伝子工学技術の歴史はそれほど長くない。そうした短期間での研究が適用された食物が人体に無害であるとの結論に至るにはもっと長期間の追跡が必要なのではなかろうか?そうした私の疑問にはこの記事は応えていません。

%%%%%記事紹介(前回のつづき)
The National Academy of Sciences reaffirmed GMO safety and pointed to the potential for future improvements
http://j55.pw/LyfX (scientific american)

SOME CALL REPORT REASSURING
(人は再確認の報告とよぶ)
Genetic engineering approaches could be used along with conventional breeding and changes in farm management to help plants better survive environmental changes, they said.
A major challenge is that adding traits like heat tolerance is much more complex than altering a single gene to make a plant herbicide-resistant, said Richard Amasino, a member of the NAS committee.
“If we had the basic knowledge to enable corn to grow at higher temperatures, then we’ve got a buffer to climate change. But do we understand the basic biochemistry of how that might work? No. There is no one magic little protein you put in. So these are all very complex issues. Basically, as we go to more complex biochemical things, we’re going to have to have a lot more knowledge, and there is going to be a physiological limit,” Amasino said.
To help close that knowledge gap, committee members called for continued public funding of basic research for better understanding of the “physiological, biochemical and molecular basis of these important traits.”
 遺伝子工学的アプローチは、環境の変化のなかで、より良く植物生育を助け生き残るために従来の育種及び農業経営に使用することができる、と彼らは言う。
 大きな課題は、耐熱性のような特性を追加することであり、それは、除草剤抵抗性にする単一の遺伝子を変化させることよりも複雑である、とRichard Amasino, a member of the NAS committee語る。
 より高い温度で成長するトウモロコシを可能にするための基本的な知識を持っていた場合、気候変動へのバッファを持ったことになる。しかし、我々はそれがどのようにしてうまくいったのかに関する基本的な生化学を理解しているだろうか?そうとはいえない。魔法の小さなタンパク質があったわけではない。したがって、これらはすべて非常に複雑な課題なのだ。より複雑な生化学的なものにすすむにつれ、より多くの知識を持っている必要があり、生理的限界もあるだろう」、とAmasinoは言う。
 その知識のギャップを埋めるために、委員会のメンバーは、より良く理解するために「重要な形質の生理学的生化学的および分子的基礎を理解するための基本的研究への資金援助を継続するよう求めている。

They also noted that any benefits from the research would depend on the amount of social, political and economic support for genetic engineering.
Altogether, the committee members evaluated 1,000 scientific articles on GE crops; received input from scientists, industry and environmental groups during 80 presentations; and read more than 700 comments posted on the NAS website.
“I was really encouraged by the report; the process was extremely thorough,” said Sarah Davidson Evanega, director of the Cornell Alliance for Science at Cornell University.
“The report concludes that there are no negative impacts of GE crops. It’s encouraging to see a report from a trusted institution to come forward with that conclusion. That should be reassuring to the public that they are no less safe than their non-GE counterparts,” she said.
 研究からのいかなる利得もそれは、遺伝子工学への、社会的、政治的、経済的支援がどれだけあるかに依存するであろうと指摘する。
 委員会メンバーは、GEの作物にかんする1000論文を考査した;80もの発表は科学者、産業界、環境グループによる。そして、NASのウェブサイトに700以上のコメントが投ぜられた。
「私は本当にレポートによって勇気付けられた。プロセスは非常に徹底したものであった」と、Sarah Davidson Evanega, director of the Cornell Alliance for Science at Cornell Universityは言った。
「報告書は、GE作物には負の影響がないと結論づけた。その結論をおしすすめる信頼できる機関からのレポートを見ることは心強い。つまり、非GE農産物よりGE農産物が安全で無いということではないと国民に確信させる "と彼女は言う。

OTHERS BLAST IT AS ‘SCHIZOPHRENIC’
人はそれを「統合失調症」と呪う
According to Evanega, the high quality of the report could help improve the policy environment for GE crop use and to convince more people that there is scientific consensus about the safety of GE technology and that biotechnology can help the country respond to climate change.
Gould noted that as conventional plant breeding has become a more high-technology practice, the line separating GE and non-GE crops has blurred.
He emphasized the importance of evaluating genetic engineering based on the products created rather than based on the technological process itself.
“Would you want to say that genetically engineered crops are bad because there are herbicide-tolerant crops? Or would you want to say genetically engineered crops are great because it’s going to save people from blindness?” Gould said.
“They’re not the same. So the idea of putting them all in one basket, it’s something that’s easy to do, but that’s not in our report. We tried very much to steer away from those broad, sweeping generalizations. I know some people would like to have them, but it didn’t make sense to us after we examined the literature.”
 Evanegaによると、報告書の質の高さは、GE作物の使用のための政策環境の改善に役立つ可能性があり、GEの技術の安全性とそのバイオテクノロジーに関する科学的コンセンサスは国が気候変動への対応を支援すると多くの人々を納得させる。
 Gouldは、従来の植物育種は、より高い技術的になってきているように、GEと非GE作物を分離線がぼやけていることを指摘した。
 彼は技術プロセス自体に基づいてではなく、作成した製品に基づいて、遺伝子工学を評価することの重要性を強調した。
 「あなたは、除草剤耐性作物があるので、遺伝子組み換え作物が不良であることを言いたいのか?それとも、盲目から人々を救うために起こっているので、遺伝子組み換え作物は素晴らしいですと言いたいのでしょうか? "と、グールドは述べる。
 「それらは同じではない。だから、一つの籠にそれらすべてを置くとのアイデアは、それを行うのは簡単だが、それが私たちの報告書ではない。私たちはそれらの広い、抜本的な一般化から離れて非常に多くを試した。何人かの人々がそうしたいと思っているが、我々は文献を調査した後、それは私たちには意味がなかった。」と。

The report’s findings drew criticism and some praise from the Consumers Union, which opposes the use of genetic engineering and has been lobbying for GMO labeling on foods.
Michael Hansen, an evolutionary ecologist and senior scientist at the Consumers Union, called the report “schizophrenic” in its stance on safety testing of GE crops.
“On the one hand, it says that we should regulate by the product, and not the process, but then goes on to admit that the newer GE techniques, such as gene editing and synthetic biology, will produce more diverse and complex traits in more crops that could raise new safety concerns, noting that even the newer gene editing techniques have off-target effects,” he said.
Hansen lauded the report for saying that GMO labeling is not just about the science behind the technology but also an issue of the public’s “right to know.”

 レポートの調査結果は、消費者同盟から批判や賞賛をえた。消費者同盟は遺伝子工学の使用に反対し、食品にGMO標識を付するようにロビー活動してきた。
Michael Hansen, an evolutionary ecologist and senior scientist at the Consumers Union,は、GE作物の安全性試験上の立場でそのレポートを「統合失調症」のレポートと呼んだ。
 「一方で、過程ではなく製品によって規制するべきであるが、遺伝子編集や合成生物学などの新しいGEの技術は、より多くの、より多様で複雑な形質を生成することを認めることに進むだろう。新しい遺伝子編集技術がオフターゲット効果(方向をそらす)を持っていると指摘し、新たな安全上の懸念につながる作物 "と彼は言う。
 Hansenは、「GMO標識は、単に技術の背後にある科学だけでなく、公共の「知る権利」にかかわる問題である」という。
%%%%%米国科学雑誌記事紹介おわり

香取神社(5、笠間と涸沼)、米科学アカデミによるGMO評価(1)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:西暦1609年(慶長14年)メキシコ人400名弱が漂着した千葉県・御宿・岩和田海岸の風景)
P618御宿

  
御宿(おんじゅく)の 民の関心 大なりしか 裸で漂着 紅毛の人に

 TVドラマ「真田丸」の主要登場人物である徳川家康が征夷代将軍に任ぜられたのが西暦1604年。その翌年3月、慶長の大地震が発生し、この御宿も強い震動とともに大津波で洗われた筈です。この地震の4年後1609年の9月4日(旧暦)、イスパニア船サンフランシスコ号がフィリッピンからメキシコ・アカプルコへ帰る途中暴風雨に遭遇、船は破壊・難破しました。乗組員は総勢373名、そのうち317名が千葉県御宿の岩和田海岸(上の写真)に漂着、御宿村民に救助されました。日本に滞在中、将軍徳川秀忠ばかりでなく、引退し駿河に引きこもった家康にも謁見したとのことです。家康は、彼らの京都などの国内旅行をアレンジしたばかりでなく、彼らのために帰国用の船を建造し、かくして彼らは大分からその船で帰国の途に着いたとのことです。四年後の1613年に渡欧した伊達藩士・支倉常長一行は途上に立ち寄ったアカプルコで大変な感謝の辞と歓迎で迎えられたのだそうです。この二年後の1615年、豊臣家が滅びます。1609年といえば、ガリレオが新しい望遠鏡で月の表面の凹凸を観測した年です。

+++++笠間の意味
 前回、伊藤教授の研究を引用して「かさ」または「かせ」を含む地名を持つ場所のあるものは古代ペルシャ語に由来するのではないか。その地には運河の痕跡があるのではないか、と書きました。
 本ブログでもかってその事例をあげたことがあります。2014年9月26日記事(http://j55.pw/DaZ3 )で、私は安積疎水の話を書きました。猪苗代湖の南東域は用水確保のための堀が掘削されてきました。こうして出来上がった水系は安積疎水と呼ばれています。降雨量が少なく、山地であっても多くの水が伏水流であり、地表での取水がむづかしく結果として渇水に悩まされた山村です。水を確保するために用水網を築造する。そうした事業について何がしかの大昔から伝えられた伝承があったのではなかろうかと想像しています。それが安積疎水の構築を発想する原点ではなかったろうか。

 この大昔から伝えれられてき伝承。それは、猪苗代湖と阿武隈川を水路で連結するという巨大土木事業です。その際の目的は灌漑と言うよりは、勢力圏の拡大と物資の運搬であったろうと想像しています。
(図1:須賀川市笠が森山の位置と周囲の水系)
猪苗代ー笠ガ森a


 笠ガ森山(標高1013m)の西麓から猪苗代湖に流れ込むのは舟津川で、猪苗代湖への注ぎ口は舟津です。この地名、川の名前はこの水路が舟運に使われていたことの名残と思ってよいでしょう。一方東側には阿武隈川に流れ込む小川があります。北方から南進してきた渡来族は東の太平洋側への進出経路構築を目論んでいたはずです。さしあたりは、太平洋に注ぐ阿武隈川と猪苗代湖の連結です。

 そこで、構想されたのが運河掘削です。山を削りとるのではなくトンネルの築造であったと思っています。水の蒸散を防ぐべく屋根のある運河、これこそが「カーサ」の原義だからです。

 さて、前置きはこの位にして笠間の話です。ここまでの話から、笠間の「笠」(かさ)も運河に関わっているではなかろうか、と推察いただけるかと思います。笠間のすぐ東にあるのが上質な石材、稲田石で知られる「稲田」です。笠間市のHPがこの稲田石を誇らし気に書いています:
%%%%%笠間市HPからの転載
「笠間地区一帯を産出地とする稲田みかげ石は、日本の誇る最高級石材です。
その品質の良さと風格から全国的に有名で、日本橋や東京駅、最高裁判所を はじめ全国の建造物に使われています。 」
%%%%%転載終わり
 この石材の運搬を渡来族が必要としたが故に笠間に陣屋が設営されたと思っています。さてそこで切り出された石材をどう運ぶのか。そこで登場するのが笠間から南東20km余の涸沼です。
(図2 涸沼と笠間、そして稲田)
笠間ー涸沼a


%%%%%ウイキが書く涸沼
涸沼は、東茨城台地、鹿島台地に囲まれた所に位置し、上流から笠間市を水源とする涸沼川や大谷川などが流れ込む。下流側では涸沼川[2]が那珂川に合流し、そのすぐ先で海と通じており、満潮時には海水が涸沼川を逆流し、淡水と海水が混ざりあう汽水湖となっている。また、那珂川の氾濫時には淡水が涸沼に流れ込み、地形的に遊水池ともいえる。なお国や県では涸沼川の一部分という見解が一般的である。

縄文時代、海水面が上昇し[3]涸沼周辺では入り江であった。その後、入り江の入り口が川の土砂、那珂川の自然堤防によってふさがれ涸沼ができた。
江戸時代では、東北や那珂川流域から物資を運ぶルートとして利用され、「内川廻り」といわれるルートの一部であった。さらに水戸藩が松波勘十郎に涸沼西部の海老沢から巴川流域の紅葉まで約10kmを結ぶ「紅葉運河」や涸沼川から大貫までの約1kmを結ぶ「大貫運河」を掘らせたが失敗に終わった。明治時代に入ってからも、大久保利通が大谷川から北浦の流入河川である鉾田川をむすぶ国家計画に着手したが、暗殺により頓挫した。いまでも旧旭村(現鉾田市)に切り通しの跡を見ることができる。1927年(昭和2年)より、涸沼干拓が始まり、前谷(茨城町下石崎)、広浦(大洗町神山町)、船渡(茨城町上石崎)、馬割(茨城町海老沢)、東永寺(茨城町上石崎)、宮ヶ崎と干拓され、水田として利用された。
%%%%%

 ウイキでは笠間から流れ出て涸沼に注ぐのが涸沼川と書きますが、実際は上にも書いたように稲田石運搬のための運河として掘削され、涸沼に通じたのではなかろうかと考えています。切り出された石材は多分墳墓造営つまり古墳・棺に使われた、あるいは陣屋・館の礎石であったでしょう。運搬水路があるのですから、稲田石は全国的に使用されたと思います。その地域的分布を知りたいものです。
 渡来族にせよアイヌ族にせよ、我が列島が地震多発であることを充分に体験していたはずですから、住宅用建材としては危険であることも承知したであろうと思っています。

 笠間から西に10km余は「岩瀬町」です。現在の福島県須賀川市内のかっての磐瀬国からの移住者によって形成された集落であろうと考えています。渡来族と行動を共にしたアイヌ族が移り住んだのでは無かろうか、と考えています。余談ですが、私の大好きな女優さんである「サクラ」こと倍賞千恵子さんが戦後しばらく住んだ場所です。
 
 この岩瀬町と笠間の間にあるのが西念寺です。鎌倉時代の初期、新潟に流罪されていた親鸞が1214年からほぼ20年間60歳過ぎまで住み、浄土真宗の教えを広めたとされています。この寺を訪ねてみると、手水場が参道から拝殿に向かう左側にあります(2013年5月6日記事 http://j55.pw/XWa2 )。
写真:
P5060022


 しかし、この手水場は井戸であったと案内板は書きます。が、寺として造営れたのであれば、この井戸を本道から見て左に来るように設計できたはずです。つまり、井戸であったにせよ、この水場は意図的に本殿の右側に在するように境内は設計されたと考えています。それはさておき寺の案内板は以下を書きます:
%%%%%西念寺案内板
http://j55.pw/2usT 
神原の井戸  
鹿島大明神が老人になって、白髪の老翁となる。親鸞聖人の仏法をきいた。いっさいの衆生を必ず救いとって浄土に生まれさせよう聞法に大変喜び弟子となった。法名は、釋信海となる。鹿島大明神は、喜び鹿島七つ井のひとつを献じようとした。大地をたたいたところ清水が湧き出た。徳川光圀は、いわれを聞き、御影石の井筒を寄進した。  
二品尭胤親王の歌
神原のたえぬちぎりや法の井の 永く稲田にそそぐためしは   
一如上人の歌  
とし毎に水のみちひや六月の しるしなるらん神原の井   
易行院法海講師の歌  
うごきなき磐井の水を汲みて知る 神と佛の深き契りを  
(説明板より)
%%%%%
 というわけで神の井として多くの僧が歌を詠んでいます。どうやらかっては、この地は「神社」として「祟る神」の鎮魂として機能していたのだろうと想像しています。とするならば、親鸞がこの地に長くとどまったのは、布教活動を通じた東国の民の慰撫であったのだろう、と私は考えています。つまりそれほどに藤原不比等に始まった東国殲滅の軍事行動は苛烈であったのだろうとも思っています。これは、大切な〔主題〕ですので、後日、詳細に検討します。

 本ブログ管理人のような視点から、笠間なり稲田石を考察するという研究が見当たらないのです。機会を見て現地調査をしてみたいと考えています。何せ、地元であります。

 さて、次は、那須岳―香取神社線に浮かび上がってくるもう一つの興味深い場所「烏山」です。

(つづく)
+++++GMOの安全性議論
  “米国科学アカデミ(national Acdemy of Science NAS)がGMOの安全性を確かめた”と題する記事が米国科学誌(Scientific American)に掲載されました。
http://j55.pw/LyfX (scientific american)
米国での農業行政に深く関わっているGMO(Genetically Modified Organisms 遺伝子組み換え生物)について、米国科学アカデミがその安全性を保証したとのこと。本当だろうか?と言うわけで、以下に記事を紹介しておきます。米国の科学界を束ねる組織が言うのだからと信じ込んだりせず、まずはその言い分を見てみようというわけです。

%%%%%記事紹介
The National Academy of Sciences reaffirmed GMO safety and pointed to the potential for future improvements
By Niina Heikkinen, ClimateWire on May 18, 2016
NSAはGMOの安全性を再確認し、将来の改善に向けてその可能性を指し示した。
Genetic engineering could play a role in making crops more resilient to climate change, but more research is still needed to understand the technology’s potential uses, the National Academy of Sciences said yesterday.
In a sweeping 400-page report, the country’s top scientific group found there was not evidence to support claims that genetically modified organisms are dangerous for either the environment or human health. At the same time, the introduction of genetically engineered crops had little apparent influence on the rate at which agricultural productivity was increasing over time.
In the future, the academy said, researchers and regulators should be sure to evaluate the safety and efficacy of specific crops, rather than focus on potential risk posed by the process of modifying the plants.
“The technology is changing so rapidly, we needed to see where it is taking us in the future,” said Fred Gould, chairman of the NAS Committee on Genetically Engineered Crops, which conducted the report, and a professor of entomology at North Carolina State University.
 遺伝子工学は穀物生産において、気候変動にたいして弾力性のある役割を果たしている可能性がある。が、より多くの研究がまだ技術の潜在的な用途を理解するために必要とされる、と全米科学アカデミーは昨日言った。
 400ページの報告書で、米国のトップの科学グループは、遺伝子組み換え生物が環境や人間の健康に危険であるとの主張を支持する証拠は無かったと書いている。同時に、遺伝子組み換え作物の導入農業生産性を高めているように見えるといった影響を与えた、とも書いている。
 将来的には、研究者や規制当局は、特定の作物の安全性と有効性を評価するだけではなく、植物を変更するプロセスによってもたらされる潜在的なリスクに焦点を当てるようにする必要がある、とNSAはいう。
「技術は急速に変化している、我々はそれが将来的に私たちを何処に導くのかを見る必要がある」と報告書をとりまとめたFred Gould, chairman of the NAS Committee on Genetically Engineered Cropsは言う。彼はa professor of entomology at North Carolina State Universityでもある。

The report takes an in-depth look at past research on and future potential of the often controversial application of genetic engineering to U.S. crops.
Supporters of the technology say genetically engineered, or GE, crops are necessary for meeting the nutritional demands of a growing global population. Opponents say that the crops could pose environmental and health risks, particularly over the long term.
Currently, most of the genetically modified crops commercially available have added traits that protect plants from pests and make them resistant to herbicides. But in the future, the technology could be used more to address crop vulnerabilities to climate change, by incorporating traits for drought resistance and for heat and cold tolerance, according to the report.
“Climate change will affect both the yields and the quality of produce in a number of ways. Increased temperatures will speed crop development and thus limit potential yields. In colder climates, increased temperatures may extend the growing season, particularly of crops with indeterminate growth such as cotton,” the committee members wrote.
 報告書は、過去の研究と将来の米国の作物への遺伝子工学の適用に関して論争となってきた将来の可能性を考察している。
 遺伝子技術を是とする技術者は、遺伝子操作された(GE)作物は増大する世界人口の栄養要求を満たすために必要であるという。反対派は、作物が特に長期的に、環境と健康リスクをもたらす可能性があるという。
現在、市販されている遺伝子組み換え作物のほとんどは、害虫から植物を保護し、除草剤にそれらを耐性に形質を追加した。しかし、将来的には、その技術が気候変動への耐性作物に向かうだろう。それは、旱魃耐性の形質を組み込み熱や温度への耐性を増す特性の組み込みでなされる、と報告者は言う。
 「気候変動は、農産物の収率および品質の両方に影響する。温度の上昇は、作物の生長をスピードアップする。したがって、潜在的な収量を頭打ちにする。寒い気候では、温度の上昇は、特に綿などでは、生育期を拡大することができる、と委員会のメンバーは書く。

(つづく)
%%%%%

香取神社(4、「笠間」の意)、函館震度6地震情報、電通

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:苦労して 緻密なアミを つくれども 獲物かからず 雨滴でみちる
 晴れた朝未明であれば、築造者がアミの中央に鎮座しているのですが、今朝は、その主(あるじ)は何処へ行ったやら) 
P617蜘蛛巣3


 雨止(や)みて 雲雀さえずる 雲の中 雀飛び出し 我をお宿に

今朝は電車の中でよく体験するおば様方の止まらないおしゃべりを連想してしまいました。雨がちょっと止んだそのつかの間、厚い雲の向こうから雲雀のおしゃべりが始まりました。おば様方(がた)同様、キャツ等も心底しゃべりたいんですな。地上に目を向けると、ツバメが低空飛行、目前では雀が「お宿」へ私を導いています。私は自らが善人でないことを自覚しております。とすればお宿で頂く葛篭(つづら)の中身も想像がつくというものです。早々に雀の後ろに随(つ)くのを止めました。

 昨日、午後3時前、函館を震度6の地震が襲いました。幸いにして被害は軽微であったようですが、発生場所は、局所的にこれまでも集中的に小地震が起きてきた場所です。その発生場所が極めてロ-カル故か、GPS 連続観測でもその「前兆」らしき信号は無かったようです。
(図1:地震央位置と発震機構解)
函館1

(図2、図1で示した矩形内の地震についてその深さ分布と発生時間経緯)
函館2

 図2の上の鉛直断面から、この地震が北海道下に潜り込む太平洋プレートの運動とは直接関わっていないことがわかります。

(図3 余震分布、http://j55.pw/7ePJ より)
yosinn2016061619


 図1の発震機構解と図3の群発地震活動の分布(ずいぶんとばらついていますが)の方向から、この地震は左横ずれ成分を持つ逆断層地震のように見えます。北西―南東の引っ張り応力は、2011年3月11日地震後の地殻内部応力の解放過程のなかで発生したとして説明できるかもしれません。今後の推移を予測することは難しそうです。局地的に大きな地震動をもたらした地震、その岩盤の破壊性状は多分脆性度の高い物質環境を思わせます。

+++++笠間考(2)
 笠間神社の名前について書いておきます。 この地名、つまり「笠」を考えようというわけです。そもそものきっかけは「扶桑国王蘇我一族の真実」(渡辺豊和著、新人物往来社)が309頁に書く「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)への強い関心でした。渡来人の「運河掘削能力」が日本列島の多くの場所で発揮されていたことを指摘するものでした。氏は同書で、奈良盆地内のちいさな「せせらぎ」がシリウス方位を向いていることを指摘し、これは運河ではなかったか、と書いています。

 2008年3月末に私は九州旅行をする機会を得ました。大宰府に隣接する九州国立博物館見学で、私の古代史への関心は一段と高まりました。館内ガイドをしてくださったのはボランティア解説員T氏でした。とある大学で教鞭をとっておられた経歴ゆえでしょう、知的で落ち着いた語り口にさそわれ私の興味がさらに掻き立てられました。まずは大宰府の西を北西に流れ下る御笠川とその河口の西2kmほどにあった鴻臚館(倭国時代のいわば「鹿鳴館」)の解説からはじまりました。床の上に羽北九州の地図が広がっています。そこを流れる御笠川から直ちに連想したのが、上に書いた渡辺氏の一文でした。この御笠川は実は渡来人の手になる運河ではなかろうかと考えたのです。2009年4月22日記事でも書きましたが日本書紀には確かにそれらしい記載があります(http://j55.pw/22V2 )。まずは、その過去記事に引用する日本書紀巻九(神功皇后摂政前期)の説話です。
%%%%%2009年4月29日記事一部転載
日本書紀も暗に「御笠川」が運河であることを認めているのです。そこで、前回書いた「御笠川」が書紀の言う「渠」であるや否やを、日本書紀を参照しつつ検討してみることにします。
日本書紀巻第九、神功皇后摂政前紀によれば、三月、皇后自ら熊鷲征討に出陣します。
原文:『戊子 皇后欲撃熊鷲 而自橿日宮遷于松峽宮 時飄風忽起 御笠堕風 故時人號其處曰御笠也。

文意:岩波文庫「日本書紀(二)」140頁
香椎宮から松峽宮に遷る際、一陣の突風で笠が飛ばされ落ちた。そこで、この地を「御笠」と呼ぶようになった。

さらに日本書紀を引用します。同年4月に下記の記載があります
『時引儺河水 欲潤?田而掘溝 及于迹驚岡 大磐塞之 不得穿溝 皇后召武内宿禰 捧釼鏡令禱祈?祗 而求通溝 則當時 雷電霹靂 蹴裂其磐 令通水 故時人號其溝曰裂田溝也。##

文意(岩波文庫〔日本書紀(二)〕、142頁)
儺の河の水を神の田に引くべく、溝を掘った。ところが、大岩が邪魔をして掘り進めなかった。そこで、天神地祇に祈ったところ雷がこの岩を砕いてくれた。そこで、この溝を人は裂田溝と呼ぶようになった。』
%%%%%
 「裂田溝」なる地名は今も残されています。そして、それは那珂川であろうと多くの古代学者は考えておられると思います。私は、「儺」なる漢字が近畿に「輸出」されて「灘」に変わったこと(「箱庭」性策の一部)をおもうならば、那珂川には藤原不比等の政治的思惑がかぶされているのだろうと思っています。裂田溝は御笠川が北上して現在の板付飛行場で進路を西に曲げられるあたりでの掘削工事であったと想像しています。

 渡辺豊和氏に「狂心の渠」を運河ではなかろうかとの発想をもたらしたのが伊藤義教氏の著作「ペルシャ文化渡来考」(岩波書店、1980)です。私はどうしてもこの本を入手したく思い、江戸に出府するたびに神田の古本屋を丹念に探し回りました。そして何回目かの出府で、ついにこの本に出会うことが出来ました。かなり高価ではありましたが買い求めました。以下はその本からの転載です。

%%%%%運河を考える
出典:「ペルシャ文化渡来考」伊藤義教著、岩波書店、1980
 以下は上記出典文献からの抜書きである(P.44-47)
狂心渠とその背景
 (前略)イランやアフガニスタンでは地下にトンネルを掘って水を通し、蒸発消散するのを防ぎながら離れたところへ水を送る施設が発達していてカナート(qanat)とかコレーズ(kah^rez)とか呼ばれている。コレーズは中東ペルシア語カハレーズ(kaha-rez)の転化であるが中世ペルシア語にはカハス(kahas)と言う語もありマニ教系の文献やその他の文献にも指摘されるから確実な形である。ところが、このkahasの“h”はとかく強くひびかないから飲み込まれる傾向きもあり母音間のそれは漢字表記されないこともしばしばである。そうするとカハスはカアスあたりとなるが、このカスあたりが狂心渠の中に隠されていると思うが、どうであろうか。もっとも著者はこの狂心渠が果たして実在のものか、それとも「史記」の「河渠」に見える乾燥地帯の水路掘削の記事に托して捏造された虚構のものか、いずれとも断定できないが、いずれにしてもそしるために、カアスをわざと「狂心」で写音し、あとに意訳後「渠」をつけたもの−サハラ砂漠などのように−と考えざるを得ない。(以下省略)
%%%%%
 上記に引用した記述に先立って伊藤東大名誉教授は、そのことの考察対象である「狂心渠」が奈良盆地内の天香具山の西側を北西に走る小川であると想定していたようです。そしてこれを踏襲したのが渡辺氏の上に書いた記述です。

 ところで、先年死去した古田武彦氏は自著「壬申の大乱」のなかで、有明海に注ぐ「嘉瀬川」は運河であろうとの推論を書いています。そこにはとくに論拠は示されていません。私はこの古田氏の推論の妥当性を調べたことがあります(2013年2月4日〜4月17日記事、http://j55.pw/kDFr )。この調査からの私の結論は「嘉瀬川」の一部に確かに「運河」が含まれており、それこそが「狂心渠」であるというものでした。
(図3:嘉瀬川と 須弥山、そして砕石場であった白石山)
嘉瀬ー運河


 嘉瀬川(かせ)はまさに伊藤氏の指摘する「カアス」から由来しているのです。伊藤氏の記述から想像することは、白石山の南麓に地下水道を掘ったのではなかろうかとも思っています。そこで、この議論を今般の「笠間」神社に当てはめてみようというわけです。
(つづく)

+++++電通による国際五輪委員買収疑惑
 電通幹部によるIOC委員への贈賄がじわじわと明るみに出て着ました。最新号の〔週刊文春』誌がそれを報じています。長い記事ですが、備忘のために以下に掲載しておき舞う。
 %%%%%「東京五輪」招致 電通元専務への巨額マネー
http://9321.teacup.com/sinpo/bbs/2224
「週刊文春」2016年6月23日号 :東京新報

東京五輪・パラリンピック招致を巡る“裏金疑惑”は国会でも追及されたが、未だに疑惑は晴れていない。そんななか、問題となっている二億三千万円をはるかに超える資金が招致の“キーマン”に渡っていたことが分かった。果たしてこの資金は何に使われたのか。
 東京都が五十六年ぶりの五輪開催を勝ち取った“ブエノスアイレスの歓喜”からわずか三年足らず。東京五輪は“裏金疑惑”により、一転して批判の的になっている。
「国会でもJOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長(68)が厳しい追及を受けましたが、誰もが納得できるような説明は出来ていない。
 なかでも参院議員の松沢成文氏は、招致を勝ち取ったロビー活動の中心人物として、電通の元専務である高橋治之氏(72)を名指しして批判しています。松沢氏は彼を『国際的な司法機関から捜査の対象になるような疑惑だらけの人間』『フィクサー的な存在』などと指摘しています」(全国紙社会部記者)
 高橋氏は国際舞台におけるスポーツビジネスの草分けで、サッカー界に太い人脈を持ち、二〇〇二年日韓W杯の招致にも尽力した人物である。かつて「環太平洋のリゾート王」の異名をとったバブル紳士、故・高橋治則氏の実兄としても知られている。
 電通で専務にまでのぼり詰め、〇九年に退職、一一年まで顧問を務めた。現在は二〇二〇年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の理事に就任している。JOC会長兼組織委員会副会長にして招致委員会理事長だった竹田氏とは慶応幼稚舎時代からの付き合いで、極めて近い関係だ。
 その高橋氏の“裏金疑惑”への関与は高橋氏本人も竹田氏も否定しているが、彼は招致活動でどのような役割を果たしたのか。
 その詳細に触れる前に、今回の疑惑について改めて振り返っておきたい。
 疑惑の発火点は、英紙「ガーディアン」が五月十一日付で、東京五輪招致の“買収疑惑”を報じたことだった。
「フランス司法当局が、モナコに本拠を置く国際陸連の贈収賄事件の捜査に着手したことがきっかけでした。
■高級時計や宝石で買収工作?
 十六年間、国際陸連のトップに君臨したラミン・ディアク元会長は、セネガル出身。IOC(国際オリンピック委員会)委員として五輪の開催地決定の鍵を握るアフリカ票に絶大な影響力を持つとされていました。彼は息子のパパマッサタ氏を国際陸連のコンサルタントとして重用していた。そんなディアク氏周辺の金の流れをフランス司法当局が追うと、東京の招致委員会から振り込まれたカネが買収工作の資金だった疑いが浮上したのです」(同前)
 招致委員会は、東京五輪の開催が決まった二〇一三年九月七日を挟んで、七月と十月の二回に分けて計二億三千万円を、シンガポールの「ブラック・タイディングス社」(以下、BT社)なるコンサル会社の口座に振り込んでいた。
「BT社の代表は、パパマッサタ氏の友人。七月の振り込み直前、パパマッサタ氏はパリの宝飾店で高級時計や宝石を買っており、代金はBT社から振り込まれたことが分かっています。この高級時計もIOC委員の買収工作に使われたのではないかとみられているのです」(同前)
 果たして日本は本当にカネで五輪を買ったのか。
 ラミン・ディアク氏について陸上担当記者が語る。
「ディアク会長は二〇〇七年二月に、『東京マラソン』の第一回大会のために来日して、パーティにも出席していました。この時は二〇一六年の五輪招致をアピールする絶好の場でしたが、日本側はディアク会長があまりに大物過ぎて近づけないような状況でした。ただ、ディアク会長と旧知の仲だった電通の高橋氏だけが、彼と親しく話していたことは印象に残っています」
 二〇〇九年十月、東京はリオデジャネイロに敗れ、二〇一六年の五輪招致を逃したが、この時も日本が最後まで頼ったのがアフリカ票だった。
「開催地の発表が行われるコペンハーゲンに入った石原慎太郎東京都知事(当時)らが、高橋氏と一緒にディアク会長に接触すると、彼は『アフリカのIOC委員の十六票は纏めた』と明言したそうです。ところが、日本は惨敗と言っていい結果に。石原氏は帰国後の会見で『ブラジルの大統領が来て、かなり思い切った約束をアフリカの諸君としたようです』と話し、物議を醸しました。つまり、この時点ではディアク会長もアフリカ票を掌握しきれていなかったのです」(同前)
■強固な人脈を見込まれる
 その反省に立ってスタートした二〇二〇年の五輪招致活動では、電通や日本陸連がラミン・ディアク氏を完全に取り込んで行った。その起点となったのが〇七年八月にロンドンに設立された「電通スポーツヨーロッパ」である。
「高橋氏の部下だった中村潔氏(現執行役員)が社長に就任し、国際陸連のマーケティングを担っていました。当時国際陸連は、看板の大会『世界陸上』のスポンサー集めに苦慮していました。二〇〇〇年前後からスポンサー離れが始まり、二〇〇七年頃まではスポンサー枠をすべて埋めるのが大変だった。
 そんな時に新たな陸上大会である『ダイヤモンドリーグ』の創設やデジタルメディア『SPIKES』の立ち上げを提案したのがパパマッサタ氏と電通などでした。中村氏が〇九年に帰国し、電通のスポーツ事業局長に就任してからは世界陸上のスポンサー枠も埋まるようになった。
 中村氏はラミン・ディアク氏とは高橋氏以上に関係を深め、電話一本で話ができるほどの関係を築いたとされる」(同前)
 一方、電通を退職した高橋氏は「コモンズ」という会社の代表を務め、電通本社ビルでフレンチレストランなどを経営する一方、電通時代の人脈を生かしてコンサルタント業務を始めた。そして、二〇二〇年五輪招致委員会の「スペシャルアドバイザー」に就任するのだ。
 コモンズに関しては、大手民間信用調査会社が詳細な調査レポートを作成している。それによれば、コモンズの売り上げは、二〇一二年十二月期の約六億三千万円から、招致活動が山場を迎えた翌年には約十四億九千万円に跳ね上がっているのだ。
 その原動力となったのは会社のコンサル部門の収入だ。二〇一二年十二月期に約三億三千万円だったものが、翌年には高橋氏の強固な人脈を見込まれて招致に関わる各方面の調整活動を委託されたことで収入は跳ね上がった。コンサル部門は十一億円を超える大口収入となったと書かれている。
 つまり、現在問題になっている二億三千万円を超える巨額資金が、招致委員会などからコモンズに支払われているのである。
 一方で利益については、レポートによると、収益の大部分を占めるのはコンサルティング収入だ。だが、調整活動に奔走したことで支出も発生したため、増収効果は乏しく、営業利益は約一億八千万円に終わったという。
 つまり収入は大幅に増えたものの、「調整活動」にほとんど使ってしまったというわけだ。
 この“招致マネー”は何に使われたのか。
 高橋氏は小誌の質問に対し、弁護士名で「当社は収支の内容について公表しておりません」と答え、招致委員会からどれだけの報酬を得ていたかについては言及を避けた。
 招致関係者が振り返る。
「高橋氏のロビー活動の実態については招致委員会の幹部でも把握していた人は少ないと思います。ただ彼の人脈やノウハウが最大限に活かされたのが今回の招致でした。高橋氏は、招致委員会の委員長だったJOC会長の竹田氏とは昵懇の仲で、『八歳の頃から知っている』と話していました。竹田氏と高橋氏が同席する会合の時は、たとえ竹田氏がJOCの会長として招かれていたとしても、竹田氏は高橋氏が来るまで絶対に上座に座ることはありません。高橋氏が来て、『カズがそっちに座れよ』と言われて初めて上座に座るのです」
 高橋氏は、竹田氏の実兄と慶応幼稚舎からの同級生で、竹田氏は後輩にあたる。面倒見のよい兄貴分と弟分という関係性は、少年時代から今に至るまで変わっていないようだ。
■足利銀行の破綻の引き金
 招致の責任者とキーマンであった竹田氏と高橋氏。
 竹田氏と言えば、皇籍離脱した旧宮家の出身。父親の恒徳氏も六四年の東京五輪招致などに尽力して、“スポーツの宮様”と呼ばれたが、その三男である竹田氏は七二年のミュンヘン五輪と七六年のモントリオール五輪に馬術競技日本代表として出場した経験を持つ。
 その華々しい経歴の裏で、大物右翼の故・豊田一夫氏や“フィクサー”と言われる朝堂院大覚氏との交際なども確認されている。
 仕事としては、自身で旅行会社を経営している竹田氏だが、毀誉褒貶が相半ばするエピソードが多々ある。その象徴的な事例が、JOC会長に就任する直前、彼が理事長を務めた乗馬クラブ「ロイヤルホースライディングクラブ」の破綻劇だ。
 栃木県の老舗セメント関連会社「シモレン」が約六十億円の建設費をかけて国際競技会も開催できる豪華な乗馬施設を完成させたのは九四年のこと。シモレンの元幹部が当時を振り返る。
「創業百周年を記念した事業で、九〇年頃に日本馬術連盟の関係者から『乗馬クラブを作らないか』という話が持ち込まれ、竹田氏が総合監修という形で関わることになったと記憶しています。我々は何のノウハウもなかったので、竹田氏の助言通りに計画を進め、彼が社長を務める『ホースマンインターナショナル』と契約、コンサル料などを支払っていました」
 ニュージーランドやドイツから馬を輸入する際も竹田氏の会社を通し、ドイツ視察には、竹田氏が経営する都内の旅行会社に手配を依頼していたという。
「ロビーの椅子も、ブーツを履いた時に日本製だと低過ぎて痛いので、竹田氏の助言でわざわざ高さのある椅子をイギリスから取り寄せました。竹田氏は頑固で、一度『これがいい』と言うとなかなか引かず、みるみる予算は膨らんでいきました」(同前)
 一方で、オープン時には竹田氏が常陸宮妃華子様をお連れし、ロイヤルの称号に恥じない配慮もなされた。設立発起人には名立たる経済人に交じって、国際政治学者だった当時の舛添要一氏の名前もある。のちに東京五輪開催のキーマンとなる竹田・舛添の両氏は、奇しくもここで、すでに接点を持っていたのだ。
 しかし乗馬クラブは〇一年十月、シモレンの倒産で閉鎖を余儀なくされてしまう。負債額は実に三百七十五億円。乗馬クラブ建設費の借り入れ過多が一因とも報じられた。
「竹田氏はあれだけ湯水の如く会社に金を使わせたのに、会員権を一口も売りませんでした。私たちは一千万円の会員権を売るのにどれだけ苦労したか。社内でも彼への恨み辛みは凄かったです」(別の元幹部)
 のちにこのシモレンの大型倒産は地元の地銀、足利銀行の破綻の引き金となる。
 シモレン倒産と同時期、竹田氏は前会長の急逝により、JOCの五十代の若き会長として表舞台に登場した。その地ならし役を果たした一人が、高橋氏である。
「本来JOCの会長は無報酬なのですが、竹田氏の旅行会社はいつ倒産してもおかしくないほど業績が悪化しており、一定の収入を確保してあげる必要があった。そのため高橋氏やJOC名誉会長だった堤義明氏などが動いて、電通やミズノからお金が出るよう働きかけたのですが、うまく行きませんでした。そこで、一部の理事の反対を押し切り、JOCが約千五百万円の報酬を出すよう決めたのです。さらに、電通社内や一部の取引先に、航空券の手配などは出来る限り竹田氏の旅行会社に依頼するよう指令が下っていたとされています」(JOC関係者)
 竹田氏にとって高橋氏は、今も決して頭の上がらない存在なのだ。
「招致活動でも竹田氏が自ら金集めに動くことはありませんでした。彼は自分が動くと先方も断れないから申し訳ないという思いが先に立つのです。その点、高橋氏は慶応人脈をフル活用して、有力企業から支援を引き出してしまうのです。その意味で、高橋氏がいなければ今の竹田氏はないと言っても過言ではありません」(電通関係者)
 竹田氏は小誌の取材にこう答える。
「ロイヤルホースライディングクラブについては、僕は知人を介して個人的に依頼を受け、ノウハウを伝えただけです。本業の業績が悪くなったから畳んだのであって、私は投げ出していません。
 また、高橋さんは兄と同級生というだけで、私は別に友達でも何でもないです。高橋さんと招致委員会との間でコンサル契約があったのかどうかも知りません。高橋さんにスポンサーを集めてもらうようなことを頼んでいるとは聞いていましたが、招致活動で連携したことは全くありません。
■開催地決定後に助成金を申請
 それに国会で説明した通り、BT社の実績については電通に聞いたのであって、高橋さんに聞いたわけではありません」
 BT社への振り込みについては、小誌の取材で新たに不可解な構図が浮かび上がっている。
 招致委員会は二〇一三年九月七日に開催地が決定し、招致活動が終わったはずの九月十八日に「スポーツ振興くじ助成金」の増額という形で、二億七千五百万円を日本スポーツ振興センターに追加申請している。
 BT社への支払いは七月二十九日に九千五百万円、残金については成功報酬の意味合いもあり、収入確保の見通しが立った十月二十四日に一億三千五百万円を振り込んだとされている。実は十月二十四日はスポーツ振興くじ助成金の交付決定が下りた日なのだ。
 実際の交付時期にはタイムラグがあるが、補填する目途が付いたことから支払いを実行したのだとすれば、事実上助成金がBT社への支払いに充てられた可能性が浮上する。
 ある文科省幹部は「招致活動が終わった後で億単位の助成金を申請すること自体、不自然だ」と驚きを隠さない。
 招致委と東京都が纏めた招致活動報告書では、二年間で使われた招致推進活動経費は八十九億円で、うち東京都は三十五億円、残りは招致委員会が協賛金や寄付金などで民間から調達したとされている。果たしてそこに抜け道はないのか。
“疑惑の東京五輪”の汚名を返上するには、更なる情報公開が求められている。
%%%%

香取神社(3、笠間稲荷)、舛添騒動に太郎ちゃん、物申す!

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:青鷺の番がふわりと田に舞い降りてきました。距離を置き、見つめ合っています。背後の丘には中学校がありますが、これは前方後円墳であったとのことです)
P614青鷺


  マ”き”ゾエは 勘弁してねと 逃げ出す自公 アマリな五輪の 疑惑隠さん

 自公は、来る参議院選挙戦でマスゾエ議論の巻き添えを食らってはならないと警戒しているとの「駄洒落」でありますが、通じたでしょうか。関連記事を古代史記事の後ろに付けておきました。

+++++香取神宮創建年代推定(4)
 渡来族の新たな拠点作り。そのための測量基準として那須岳を選択したのではのなかろうか、つまり宗教的視点を満たす地として那須岳を選んだとの仮説は上手く機能しそうです。それは前回記事の図3で示した那須岳―香取神社線の上に日本の三大稲荷神社(笠間、豊川、伏見)の一つと呼ばれる笠間神社が位置しているからです。
図1:那須岳−香取神社線上にある笠間稲荷神社
那須ー笠間ー香取

 
 そこで、線上あるいはその近傍に笠間稲荷神社が位置することを確認するために、いつもの例に倣ってこの神社と那須岳との位置関係を算出しておきます。
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[37.1278111 139.956895] 那須岳
sta(lat,lon)=[36.3860259 140.284108] 笠間稲荷

Dlt,Azm,Bzm= 0.79 160.44 340.63 87.5 –km
 得た結果は160.4度(北19.6度西)です。この角度からシリウス星年代対照表を参照すると西暦652年と言う年代を得ます(この推定を得る手続きについては前回書きました)。日本書紀に従うならば大化の改新に直結した乙巳の変勃発、その後ほど無くしての創建が笠間稲荷と言うことになります。そしてこの線を更に南に伸ばして選定した地が現在の香取の地であったろうとは、私の読み取った歴史の筋書きです。それは笠間に出先陣屋を設営した約30年後です(後述)。神社由緒に拠ればこの神社の創建は西暦にして661年とありますから、シリウス年代から推定された創建年代とほとんど違っていません。

 しかし、神社の歴史を知る事ができる伝承に乏しいようで、精々常陸の国風土記に「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」と書き記されているのみです。それはさておき、この神社の地に陣屋が「乙巳の変」前後に創建されたことの意味は重大です。後日詳細に考察します。

 以後の考察にとって笠間神社をもう少しでも調査しておくことは意義があります。そこで、本論から少しずれますが
(1) 稲荷神社とは;
(2) 笠間と言うの意味言うも神社名
を、考えてみることにします。
 まずは、「稲荷」です。既に書きましたが「稲荷」の「イナ」はアイヌ族の家庭内信仰形態である「イナウ」に由来します。
(図2:『人間に寄り添うカムイ達』荻原真子(帝京平成大学)より抜粋(『歴史読本』2015年秋号、図をクリックすると拡大でき読みやすくなります)
1606アイヌ
 

 この文章はそもそもはアイヌ族の自然との共生を書くことが主題と思えます。が、私は、ここに登場する「アイヌ語」とその意味に着目しています。たとえば”アペフチカムイ”です。”アペ”は「火」、”フチ”は「知識と経験豊かな”慍”」です。そして「イナウ」は「火の女神」への仲介を担う、いわば火の神との接点であったと論文著者は書きます。一方、遠く中東から渡来した一族が信奉したと思われるのが「ゾロアスタ教」つまり「拝火教」です。だからこそ闇を照らす「シリウス星」(地上から見える最も明るい恒星)の明るさに神秘を感じたと思えます。
 かくしてこの「闇の中の火(あかるさ)」を両部族は精神的に共有共感したのだと考えます。本ブログでも見てきたようにこの部族の共生が幾つかの歴史遺構で発見されています(例えば2016年5月2日記事がかく須賀川の都市設計)。

 「稲荷」の「いな」は「稲」(米作のイネ)に由来すると考えられています。私はこの通説を否定します。これは、日本列島古代史の背景を隠蔽したい一族つまり藤原不比等の「史観」が拵えたものでありこ、これは日本列島宗教史の改竄であると考えています。この「米作の稲」論が長い歴史の中で定着してしまったため、稲荷社に祭られる神は「る宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)など〔米〕を中心とした穀物・食物の神を主な祭神とされてしまうのです。

 さらには、稲の穂が狐の尻尾に似ているとして、稲荷社が狐と関連付けられたりします。私の大好きだった落語家・柳亭痴楽の十八番は「痴楽綴り方教室です http://j55.pw/7Tea 」。この動画の5分40秒あたりで、映画館内の場内アナウンスの描写があります。かわいらしいアノウンス嬢の声で「初音ウグイス町の藤田さま、初音ウグイス町の藤田さん、表で美人が待ってます」と。それに反応する場内の人物はいかにも二枚目の紳士風です。ところが、場内アナウンスが男のだみ声・早口で「豊川稲荷の藤田さん、豊川稲荷の藤田さん、表で狐が待つてます」といった件(くだり、5分40秒あたり)があり大いに笑ったものでした。

 拙宅から3kmほどの所に「女化神社」と言う、東京を含む関東一円に広く信仰を集めている神社があります。正月などは参道が初詣客による延々と長い行列で身動きが取れないほどになります。参道沿いの石灯籠群は江戸の大店(おおだな)の主(あるじ)とぼしき名前が刻まれていたり、参詣のために組織された小田原あたりの講(こう)名が刻まれていたりします。
 この神社には、母狐の哀しい子狐への思いを「みどり子の母はと問わば女化の原に泣く泣く伏す」と唄った民話が知られています。これも稲荷神社です。

 「イナウ」に発する古代日本列島の〔思想状況〕が、改変され捻じ曲げられた結果であると私はおもっているのです。が、こうしたことを書くために「本ブログの古代史観は、従来学校の歴史教科で教えられる内容と大分違っていますね」などの感想をいただくことがあります。初めてこのブログに「不運!」にも遭遇した読者の方の感想は「荒唐無稽、話にならぬ」であったり「これまでの古代史知識の曖昧さがぬぐわれる思い」など様々です。

 「荒唐無稽」の議論の続きとして稲荷の話しを少し膨らませた「飯豊」にも触れておきます。
「イナウ」に「飯名」なる漢字表記を当てた人物がいたはずです。その痕跡が筑波山中腹の「飯名」神社です。「稲」を「飯名」とも表記したため、ますます誤解はふかまり、水田から育つあの「米」の草に由来するとの考えが固定してしまいました。
 飯豊の「豊」はラテン文字による表音「KHO」を漢字表記したものです。この表音は「高」と漢字表記されることも少なくありません。つまり「飯豊」は「飯高」と同じです。どちらも高一族とアイヌ一族の和合を表現しているのです。

 次回は笠間神社の名前「笠間」について興味深い考察をします。
(つづく)

+++++あの小沢問題を思わせる病的なマスゾエ報道
 2010年は、その初頭より日本のマスコミが民主党(当時)幹事長の小沢氏の陸山会・政治金問題で、大仰に長期間にわたって大騒ぎをした年でした。私なんぞは、この問題の甘利の、いや間違いました、余りの異常さに年甲斐も無く頻繁に江戸に走り「マスコミと検察特捜部の暴虐』への怒りの声を、そして民主党執行部(当時)への叱咤の声をあげたものでした。
 今般の舛添騒動はあの状況を思い起こさせるものでした。なぜなら、この問題よりもはるかに醜悪な問題、つまり甘利前TPP担当大臣の甘利(あまり)にも明白な収賄行為についての検察の不起訴、そして東京五輪招致に関わる電通を通じた買収(贈賄)が完全に追及のターゲットからはずされてしまったのです。さらにはフリーのジャーナリスト古川利明氏が
「盗聴ホウの実質全面解禁ホウアン」の与野党の共謀(凶暴)による強姦サイケツ劇だが、確かに、「ジャーナリスト」を名乗っておる有田芳生が、ヘイトスピーチ規制ホウアンと抱き合わせで、その成立とバーターで突っ走ったのは、論外だし、それは繰り返し徹底批判、弾劾されて、足りないことはない。」(http://toshiaki.exblog.jp/ )
と、咆えまくってきた「盗聴法」もいつの間にか成立してしまいました。せめて共産党ぐらいは世論に流されず、糾すべきところは糾す姿勢を堅持と思いきや、今や「舛添攻撃への批判は直ちに来る国政選挙での得票減に直結する」との思惑から「世論様子見・政党』の本質をさらけ出してしまいました。

 こうした政治状況の中、さすが我が太郎ちゃんは健在でした。見事に今般の馬鹿騒ぎの本質を突いた発言をしています。
%%%%%山本太郎氏の指摘 
http://j55.pw/WZV9 
 
山本太郎氏 舛添知事騒動に陰謀説 政権与党がスピンコントロール
2016年6月14日 20時43分
参議院議員の山本太郎氏(41)が14日、東京・渋谷で、7月10日投開票の参議院議員選挙に無所属で東京選挙区からの出馬を表明した、ミュージシャンの三宅洋平(37)の応援演説を実施。世間を騒がせている舛添要一都知事(67)の公私混同疑惑について、政権与党による“陰謀説”を唱えた。

 山本氏は舛添知事について「混乱を作り出した原因は舛添さんですが、中身はかわいいもんですよ。『セコい』の一言で終わり!」とし、「事務的な力はすごく高い方、仕事はちゃんとする人です。私物化をしたことは責められて当然ですが」と一定の評価を下した。

 その上で「『スピンコントロール』ってご存じでしょう?今、目の前にある本当に解決しなきゃいけない問題に煙幕を張る、フォーカスをそらすために、別のところで騒ぎが起こってるんですよ。舛添さんをやめさせる、やめさせないよりも、もっとひどいことが国家の中枢で行われてるんです!これは間違いなくスピンコントロール」と、政権による“隠蔽工作”であると主張。

 「参議院選挙に対しての注目をそらせる、現在の政権に対してネガティブな部分を出さない。だって、舛添さんがこれだけ叩かれてるのに、どうして甘利さんが睡眠障害が治ったと言って出てくるんですか?あり得ない話でしょう。舛添さんなみにバッシングしてみろと」と語気を強めた。

 山本氏はさらに「この国を、持続可能な形で次の代に続けていくために、これ以上行ったら引き返せないところまできている」と、日本が危機的状況にあることを強調。「だから今、国が決めている、政府がやっている、自民党がやっている、経団連がやっている、そのような状況に目を向けて、どうしていくべきかを話し合う時。いつまで(舛添知事を)叩いてるんだよと」と、報道のあり方にも苦言を呈した。
%%%%%

Blogosへの小林よしのり氏の投稿をもあわせ転載しておきます。まさに我が意を得たりでありますな。
%%%%%舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆
http://blogos.com/article/179381/
2016年06月14日 08:55
舛添都知事をギロチンにかけよという民衆の声が静まらない。都議会でもマスコミでも、集団リンチが続いている。
たまごサンドを買ったのか?中国服は書道に有効か?出版社の社長は来たのか?公用車で巨人戦や第九コンサートを見に行ったのか?ケチな追及を政治家や民衆が大真面目にやっている。

自公が参院選への影響を恐れて不信任案を提出するかもしれないそうだ。選挙のためなら集団リンチに加わるという。
舛添都知事は給料ゼロで働くと言う。タダ働きすると言ってるのに、それでも民衆は処刑台に上れと言っている。
次の都知事にはだれがふさわしいかと都民に尋ねたら、東国原とか橋下徹とか言っている。面白そうだからとか、大阪で頑張ってたから東京でもとか言っている。こんなバカどもが巨額の費用を使って、また面白いか否かの判断基準でリーダーを選ぼうとしている。

まさに『民主主義という病い』だが、この多数派の暴動を個人で止める術はない。テレビに識者で出てくる者も、辞任の必要はないなどと言おうものなら炎上して、次のテレビ出演はないだろう。そもそも集団リンチに加わらない識者などメディアには声もかからない。
「レ・ミゼラブル」のエピソードに倣って、コソ泥には銀の食器を与えよ、反省して死にもの狂いで働くからと言っても、聞く耳を持たない。

誰もが追及しやすいケチな金額だったことが舛添のミスだった。石原元都知事のように、週3日しか都庁に出て来なくて、舛添とは比較にならないほどの公私混同の贅沢三昧をして、新銀行東京の設立に都税1400億円を突っ込んで失敗しても、民衆は全然怒らない。民衆とはそうした愚昧な連中なのだ。
『民主主義という病い』はもう脳髄に達していて、治療不可能である。
%%%%%転載終わり

香取神社創建年代(3)、6月12日茨城南部地震

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:稀勢里の七月名古屋場所での優勝を期待して地元激励会を報ずる6月12日付東京新聞スポーツ欄。恥ずかしながら私、相撲のある月はスポーツ欄を見ることが出来ないんです。稀勢里の敗戦を知るのが辛いからです。勿論TVのスポーツ報道も見ません)
P613稀勢里2


 七(な)ごやでは 郷土の自慢 稀勢ちゃんに なんとしてでも 賜杯を期待

 まだ一ヶ月も先ですが、今から稀勢里の名古屋場所優勝を念じています。
昨日朝8時直前、当地は比較的大きな地震動に見舞われました。M4.9とのことでしたが5月16日以来の地震でありました。この地震の震源は以下です:
(図1:2012年1月1日から2016年6月12日の期間の茨城県周辺の地震活動。青M>5.5,座標系の原点は2013年10月26日地震の震央を原点として等距離・等方位図法。 図内の矩形については本文参照 http://www.hinet.bosai.go.jp/ より。)
160612s


 この地震は 一ヶ月前5月16日M6.0地震および、村井俊次東大名誉教授が予言したとされる2014年9月16日M5.6地震の近傍に発生しています。フィリピン海プレートの上縁で起きている地震活動です。
 図2は図1で示した矩形領域内の地震について辺ABにそってADからの距離に対して地震の深さと地震発生時との関係をながめたものです。図2の下の時間ー距離図を見ると次の事が見て取れます:
 2014年9月16日の地震はどうやらこの領域の地震としてはなにやら物理的に内在する因がほとばしった地震であるように思えます。つまり、この地震の発生前にはおよそ600日間に渡って地震活動の静穏期であったようです。この間に、GPS地殻変動連続観測に現出するような変化が生じ、それを村井グループがキャッチしたとも思えるのです。つまり色々と批判はあるが、村井グループの観測は二年間近い間の地殻変動であれば、それが、50km以浅の深所での出来事であっても検知できる能力を有しているのかもしれません。

(図2:(上)縦軸は矩形内地震活動の深さ。横軸は辺AD韓の距離。(下)矩形内地震活動の2013年10月26日地震からの時間経過(日数)、横軸は上と同じ)
160612d-t


 この図で見る限りでは、この地震活動は非常にゆっくりと(15km/600日=0.5cm/sec)浅いほうに向かって進行しているように見えます。6月12日の地震が40kmの深所で起きていますから、このスピードを維持するならば1600日=4.4年後、つまり東京五輪の年に地表に達するという計算になります。
 以前にも同様な見積もりをしており、それは今回の見積もりの半分程度でありました。短期間での地震活動から見積もる将来の地震発生の見積もりには大きなばらつきがあるということです。しかし、用心するに越したことはありません。

+++++香取神宮創建年代推定(3)
 香取の地に新たな政治的進出の建設拠点(後の香取神社)を設営するに当たっての宗教的拠り所は「シリウス星」であったろうとの前提で、その計測基準点を八溝山に求めたのが前回記事です。しかし、前回の記事で示したように結果は余り説得力のあるものではありませんでした。

 そこで、以前は「ありえない」として否定した那須岳(標高1915m)を計測基準点として前回同様の検証を行って見ます。ありえないとした理由は鹿島神社の参道・拝殿の方位(北20度西)と香取神社のそれら(北15度西)の比較に拠っていました。つまり後者は前者と比べて、より北に寄っていたからです。しかし、鹿島神社の北20度西の方位は八溝^鹿島神社の方位である北時計回り163度(北17度西)とは3度ほどずれています。

(図3:那須岳―香取線)
那須ー香取b


 というわけで、まずは渡辺氏の香取神社の拝殿・参道方位の測定はとりあえず脇に置いて、図3二示す可能性を探ることにします。那須岳も東北の高峰に見るように周囲に宗教的雰囲気を纏っています。それが白湯(しろゆ)山信仰です。その跡を訪ねたブログ記事は少なくありません。たとえば「那須嶽信仰関係関連年表」 ( http://j55.pw/pF3p ) は信仰が八世紀始めには存在していたと書きます。
 一方学術的には 「那須岳白湯山・高湯山信仰の分布について 」(歴史地理学 46-1 (217) 15~31 2004. 1、広本祥己著http://j55.pw/gX3h )が興味深い観察を論文に書き込んでいます。この論文の4頁に「三斗小屋口の石造物に見られる白湯山信仰の分布」と題された図が載っています。茶臼山頂点から南南東に多くの石造が並んでいます。まさにシリウス方位を形成していますが、これは山体の地形によるのか(尾根伝いの登山道など)など詳細を知りたいと思っています。

 まずは図3に基づいて那須岳と香取神社の位置関係を調べます。いつもの計算ですがその結果は:
epi(lat,lon)=[37.1278111,139.956895] 那須岳
sta(lat,lon)=[35.886091 140.528723] 香取
Dlt,Azm,Bzm= 1.32 159.52 339.86 147.2 –km
となります。那須岳から見た香取神社の方角は時計回り159.5度(北20.5度西)となります。これは本ブログで作成されたシリウス方位年代表に拠れば西暦685年頃となります。 

 ここで得た方位20.5度が渡辺豊和氏が鹿島神宮拝殿・参道方位計測で得た20度とほぼ一致していることに私は注目しています。勿論上記の計算結果は香取神社の那須岳から見た方位であって本来は無関係のはずなのです。注目する理由は後述します。

 この方位がシリウス星方位カレンダとの対照から西暦685年頃と算出されました。ところで、「那須嶽信仰関係関連年表」によれば「役(えん)の行者、茶臼岳開基(「創垂可継(そうすいかけい)」)」とあります。
創垂可継について「大名 著書と文化」が
 「下野国黒羽藩主大関増業(おおぜきますなり 1782―1845)が、古記録や古老からの聞き取りをもとに、黒羽藩の歴史・諸制度・法制・農政・藩士の家譜・郷村の地誌等を編纂した叢書。撮要(要点の抄録)と付図(領内の地図)が添えられています。文化14年(1817)の自序と堀田正敦の序あり。本書のほかに「別集」も作成されましたが、文政5年(1822)に焼失しました。(http://j55.pw/2N4R )」
と書いています。
 年代の信憑性はともかく、その香取に拠点を設置した年代と那須岳に信仰拠点が設営された時期が近接しているらしいことは、二番目の仮説の信憑性に希望を持たせてくれます。
(つづく)

+++++マイナス金利と(普遍的)最低限所得保障
以下は 東京新聞記事の貼り付けです:
 口をいつも「への字」にきつく結んだ経済学者・浜短子教授が我々の疑問を明快に解き明かしてくれています。「経済学」とは「金をうごかす方策を編み出すための研究」であって、「経済学の深遠に潜む欲求の解明ではない」と、誰かが言ったそうです。しかし、5%の金持ちが世界の半分の富を占有しヘイブンに溜め込んでいては金は回らない。こういう実態を計算に取り込んだ経済成長なるものを見てみたいものです。マイナス金利の議論はいつのまにやら大手金融機関の国債見放しに至ってしまった。経済成長神話の崩壊の始まりなのでしょう。
(マイナス金利の現状)
P6120019


 次はおなじみの竹田茂夫氏のコラムです。今回の議論はわかりやすいです。「普遍的最低所得保障」とは持てる者がもっと持つためには持たざるものにある程度持たせたほうがよいとの発想です。しかし、もっと持たせる財源は持たざるものの税金です。持たざるものは自分の尻尾を食らって生きるとの構図です。

(UBIをどう見たらよいのか)
P6090001


香取神社創建年代推定(2)、山本太郎議員こそ民の代弁者

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:三日ぶりの晴れの朝。水田が朝日を反射しています。夏至が近く、ずいぶんと日の出の方向が北によってきました。)
P6100005

 
にぎやかな 小鳥のおしゃべりで 目をさます 久しぶりかな 明るい朝は

 夜明け直前、久しぶりの快晴で、小鳥たちも嬉しかったのでしょう。ウグイス、雲雀、雀、雉、鴨などの常連に加え色々な鳴き声が聞こえます。ツクバに住んでいたころ、学校の始まる前の早朝二人の子を連れて「バードウオッチング」に参加していました。リーダは農林省の研究者でしたが、その目の良さにずいぶんと驚かされました。鳴き声で、ピタリ鳥の名前を言いあてます。そしてじっとその方向を見つめて「あそこにいますね」と我々に教えてくれるのです。子供たちはしばらくしてその方向に件(くだん)の鳥を見つけるのですが、私はなかなか見つからない。
 このリーダの目の良さは信じがたいものでした。上空のはるか高所を飛行機が飛んでいたんですね。じっとながめて「全日空機ですね」と言ったのにも驚かされました。尾翼のマークまで識別していたんです。

 いつもながらの室井佑月さんの心に浸みる鋭い叫びです(日刊ゲンダイ6月9日号):
室井160610
 

 そういえば、山本太郎議員が出席したNHK政治討論会、司会者はあの島田敏男氏(通称 島田寿司男(スシオ))では無かったようです。なんせこの人物、自称ジャーナリストでありますが政府最高権力者である安倍氏との会食が頻繁であるところから、国際報道関係者連合からもつい最近「あるまじきこと」と指弾されています。

+++++香取神社創建年代推定(2)
 八溝山と香取神社を結ぶ最短線(地球一周距離4万kmに比べて100km程度は極(ごく)小さいのでほぼ直線)上に歴史遺物を探してみたのが図2のぁ銑Г任后

(図2:八溝―香取線上の神社、古墳など:ぁ〇害神社、ダ崢邑妬群  ν賀神社 藤内神社) 
八溝ー香取


 これらについて、考察します。まずは山王神社い任后H溝山からの方位、そして距離は:
sta(lat,lon)=[36.6278987 140.348773] 山王神社
Dlt,Azm,Bzm= 0.31 168.87 348.91 34.0 -km
です。この計算値を前回算出した八溝―香取神社の方位と比較します:
epi(lat,lon)=[36.9275 140.2753] 八溝山
sta(lat,lon)=[35.886091 140.528723] 香取神社
Dlt,Azm,Bzm= 1.06 a=168.84 b=348.99 d=118.0 –km
ほぼ、一致していることがわかります。しかし、これは当然ともいえます。それは上記地図で示される棒の上にあるからです。神社は森のなかの誠に小さな神社のようで、グーグル地図からは、その参道がシリウス方位であるらしいのですが境内の様子を見ることはできません。
 この神社の創建・経緯をうかがわせるような古文書でも発見されるならば、更なる議論が可能ですが、現時点では山王神社の存在を以って八溝ー香取線の構築が古代になされたとの推論の決め手にはならないようです。

次にこの線上にあると思われる赤塚古墳群イ任后水戸駅からJR常磐線で上野方向二駅目『赤塚駅』で下車して南西へ1kmに赤塚古墳群の一号基があります。遺された墳墓概観は「シリウス」方位に見えますが、確かではありません。注目すべきは、周辺の街路が「反シリウス方位」で配されていることです。これらの街路が古代の街路をそのまま踏襲して現在に至っているとすればそれはそれで興味深いことです。
 念のためにその八溝山からの方位を計算してみます:
epi(lat,lon)=[36.9275 140.2753] 八溝山
sta(lat,lon)=[36.37393 140.400306] 水戸赤塚一号墳
Dlt,Azm,Bzm= 0.56 169.69 349.77 62.6 km
  大変大きな値になってしまいました。図1で示したイ両貊蠅麓尊櫃寮崢邑妬よりも東によりすぎていました。この古墳の形状はグーグル地図で俯瞰するとシリウス方位であるように見えるのですが、どうやら、この古墳も八溝―香取線の存在を確認する決め手ではないようです。

 次は水戸の西にある有賀神社と言う古社です。この神社は八溝山―香取神社線上には無く、大きく西にずれていますから、現今の調査とは関連しません。しかし、そこに何がしか赤塚古墳と結びつける手がかりがないであろうか?と、考えこの神社を調べてみました。神社名の「賀」は須賀の「賀」または「高」の転じたものではなかろうかと思いついたからです。
 数年前、何かの用事で水戸へ出かけた際この神社に立ち寄ってみました。参道脇の「ウドン」が水戸市民に好まれているということで私もビールの肴に食してきました。美味でありました。図3に見るようにこの神社では、見事なシリウス方位の参道と拝殿です。
(図3:水戸・有賀神社の参道と拝殿)
有賀拝殿


 有賀神社の由緒は http://j55.pw/RLFe または http://www.genbu.net/data/hitati/ariga_title.htm で紹介されています。以下にその抜粋を転載します。 

%%%%%上記・HP記事の一部抜粋
此方は延喜式神名帳に記された式内小社、『常陸國那賀郡 藤内神社』の論社になります
(論者とは似たような名の神社が二つ以上あって、どれが『延喜式』に記されている神社か決定し難いものをいう:ブログ管理人注)
御祭神は経津主命と武甕槌命、配祀神として少彦名命、月読命となっています

御由緒として、創建は貞観元年(859)、中国造権尺馬命によって傷塗視されているそうです。創建当初は群西の要地藤内に鎮斎し藤内神社と尊称していたそうです。天正十八年(1590)に塚原城の兵火の類焼にかかり、翌十九年に現在地へ遷し鹿島明神と改めています。明治六年に青木神社を合祀し村社へ列格、同十年に有賀神社と社号を変更、同四十二年に末社疱瘡神社を合祀しています。

この建借馬命と言う方は、以前に紹介した水戸市飯富の大井神社の御祭神でもある方です。建借馬命が那珂国造に任じられたのは成務朝(131-190)の頃であり、水戸の愛宕山にある「愛宕山古墳」が建借馬命の墓であるとの言い伝えもあり、実際の当社の創建はその子孫の那珂国造なのでしょうかね?あるいは伝わるものよりずっと古い創建なのか?夢は膨らみますね( ´ ▽ ` )ノ

ちなみに同じ式内社『藤内神社』の論社である水戸市藤井の藤内神社も、御祭神は経津主命です。同じように社殿炎上の歴史がありますが、再建後の社号変更では『香取明神』になっています。一方の当社は経津主命と武甕槌命を祀って、社殿炎上後に『鹿島明神』となっています。この辺りは何か意味があるのか…と考えましたが、ちょっと情報が少ないヽ(´o`;それより何より参拝してその神社の空気を感じていくのが一番ですし、周囲の氏子さん達にとっては神社の存在自体が重要なのですよねヾ(@⌒ー⌒@)ノ

もう一つのHPは以下を書きます:
1.『新編常陸國誌』には、「中山信名原稿云、藤内神社、茨城郡阿佐保宇ノ麓ニアリ、今ノ谷津村ナル鹿島社ナリ、谷津ノ明神トモイフ、俗ニタチノ社トイフ、大足、牛伏、田島、黒礒、三ノ輪、谷津、三ヶ野七村ノ鎮守ナリ、コノ七村悉クアサボウ山ヲメグレル村里ナリ、阿佐保宇山
『式内社調査報告』には、
当社を式内社・藤内神社の論社として記されていないが、以下の理由により、掲載しておく。
ハ、古ク那珂郡輔時臥ノ転音ナリ」と記されており、藤内神社の論社を立野神社としている。
%%%%%一部抜粋終わり

 どうやら有賀神社は この地には無く、火災のあった天承18年(1590年)には他の場所にあったらしいこと。それが藤内神社であるとのことです(図2А法そこで、次に藤内神社を訪ねるのですが、有賀神社の「祭礼」について一言触れておきます。
 http://j55.pw/AVTk は有賀神社の祭礼についてそれが大洗磯前神社と関わりがあると書きます。その祭礼は有賀神社の磯渡御(ありがじんじゃのいそとぎょ)と呼ばれています。古くから「虫切り」で利益があると知られる有賀神社の秋の例大祭です。かつては旧暦の9月25日に行われていましたが、現在では毎年11月11日に執り行われています。有賀神社から「大鉾」を捧持した行列がお供えを持参し練り歩き、大洗磯前神社から魚類を贈答されます。神事は、出雲下りの古例により行われるもので歴史も古く、社伝によると大同2年(807)に始まったとされていますが、確認できる史料では天正2年(1547)9月25日と記されています。
 この神事の意味するところをいずれ考えてみたいと思って います。

 さて次は藤内神社(図2А砲任后http://j55.pw/kKDK は以下を書きます。
%%%%%藤内神社紹介
【御祭神】 経津主命
【御神徳】 国譲り及び東国開発で有名な神で武道の神様、商売繁盛、企業隆昌、必勝祈願、身体健全のご利益が有名である。
【御由緒】  養老5年(721)6月創立。
 当社の遥か西方にそびえる朝望山は磐筒男、磐筒女の神の御子経津主命の神山と伝う。養老五年四月十二日の暁、朝望の峰に霊光が輝き、その光が藤内郷を指して降りこのところにとどまった。人々驚き恐れ、謹んで同年6月15日社殿を竣功させ鎮斎した(祝詞)。仁和元年(885)5月22日官社に列し、延書式内小社、常陸28社の一つ。康平5年(1062)源義家征奥の途次、当社戊亥の峰に十万の勢を集め当社に武運長久を祈願し社前の藤の枝を申し受けて鞭とし勇気凄々進軍した。兵を集めたところを十万原という。大永年中(1521〜28)出火し社殿神宝焼失
%%%%%

 まずは八溝神社からの方位を算出します。
sta(lat,lon)=[36.445834 140.402321] 藤内神社
Dlt,Azm,Bzm= 0.49 168.02 348.10 54.7 -km
 それは、八溝ー香取神社間の方位168.8度と比較すると小さい値となります。八溝―鹿島線の三大古社の分布からしてこの角度差は小さくない。と私はおもっています。しかし、鹿島ー八溝線よりも100年以上も昔であればその測定精度が充分でなかった、あるいはこの神社はどういうものか数回の火災を経験している。そのたびに位置が変更されたなどの理由を想像することが出来ます。
 いずれにしても、どうやらこの藤内神社の存在も香取―八溝線の構築の強い証とはならなかったようです。
(図4:藤内神社の参道、再建された神社の拝殿、参道が「徹底して」反シリウスホウイで作られていることは興味深い)
藤内拝殿

 
 どうやら前回記事で書いた私の思惑・意気込みに反して考察結果は当初の仮説の全面否定ではないけれども、積極的な支持には達しませんでいた。こうしたことは技術屋たる私の調査ではしょっちゅうおきる事です。出発点の仮説が成立するとの確証が得られないとすれば、少しでも確度の高そうな仮説を設定しなおしてその検証作業にとりかかることとします。
(つづく)

香取神社創建年推定、消費増税延期批判論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:農家の門前で通行人を眺める猫)
P6070001

 
モフモフを させて欲しいと 熱っぽく 見つめて手招き されどシカトされる

 昨夕は、やらねばならぬことを抱えていたにもかかわらず、誘惑に負けてサッカー観戦をしてしまいました。リードされた後半、日本側のベンチを見ると負傷して出場できない香川・本田を除くと頼りになりそうなポイント・ゲッタがいません。躍動する武藤、安定した守備の内田、など才能溢れる選手が日本代表にはたくさんいると思っていたのですが、皆ケガだそうです。残念!そういえばロンドン五輪で世界を震撼させた快速・永井はどうしてるのか?

+++++香取神社創建年推定(1)
  八溝山→静神社→吉田神社→鹿島神宮と続く系列の神社群の夫々の拝殿への参道の方位は香取神社のそれと似ていることを前回書きました。それらは、本ブログが呼んで来た「シリウス方位」で、おおよそ北北西―南南東の向きです。渡辺豊和氏が、この二つの神宮の拝殿と参道比較を自著に掲載しています(図1)。

(図:1 鹿島神社と香取神社、「扶桑国王蘇我一族の真実」より
香取004


 渡辺氏は、何処へ出かけるにもコンパス(磁石方位計)と定規をかならず持参すると自らのHP(http://j55.pw/w5Wa WIKIによればこのアドレスへのリンクが出来ないとのこと。三年前にはメールで色々ご相談したのですが、そのときは体調が優れないとおっしゃっていたので案じております)で書いています。建築家(元京都造形芸術大学教授)のたしなみでもあるようです。そうした普段の心構えから上記の図は作成されたのです。図は、鹿島神宮と香取神宮の違いを見事に明るみにしています。北から反時計回り方向に鹿島神宮は20度とあり、香取神宮は15度とあります。拝殿への参道の向きが北ヨリに5度ほど小さくなっています。このことから鹿島、香取の二つの神宮の設計にあっては、その計測地点(レファレンス地点)が同一でありそれは八溝山ではなかろうかと思えます。それに基づいて早速計算をしてみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.9275 140.2753] 八溝山
sta(lat,lon)=[35.886091 140.528723] 香取神社
Dlt,Azm,Bzm= 1.06 a=168.84 b=348.99 d=118.0 -km
 左から、八溝山と香取神社の距離(ラディアン)、八溝山から見た香取神社の方位(北から時計回りに測った角度)、香取神社から八溝山を見た方位(北から時計回りに測った角度)、八溝山と香取神社の距離(km)。球形の地球上に分布する地形を平面に投影すると、地形を構成する地点間の関係は保たれません。上記の結果を例にとると、二つの地点が平面上にあればあれば b-a=180  となるはずなのです。しかし、そうはなっていません。これは八溝山と香取神宮の間の関係には地球が球であることが反映しているからです(三角形の内角の和が180度にならないため)。

 地球から見たシリウス星の天空上の位置は時間とともに変化します(それを計算したのが2012年1月15日記事です)。理由は地球の回転軸の向きが動いていること、地球の公転軌道も少しずつ時間とともにずれていることなど、天体運動と関わっています。これについては太鼓の昔から天体観測から知られています。その結果、シリウスセイの天空上の位置の遷移も観測されています。それがシリウス星位置を古代史年代決定に使える科学的根拠です。そうは言ってもこの遷移則は経験則です。例えば2011年3月11日(M9.1)の東北日本巨大地震、2004年12月24日(M9.2)のスマトラ沖巨大地震、1960年5月22日(M9.5)のチリ巨大地震などの巨大地震では地球の回転軸がずれることがわかっています。さらには縄文時代、海水量が急増し海域が大きく拡大しました。とうぜん地球上の質量分布が違ってくるため、それが地球の回転軸に影響を与えたはずです。従って、この方法も絶対とはいえませんが最近2000年間では、それほど大きな変動は無く、ほぼ定常的に遷移してきただろうと思われています。
(図2:八溝山と香取神社、“溝山、香取神宮、 鹿島神宮、~Г麓_鶺事で説明)
八溝ー香取


 以前にも書きましたが、史跡から発掘される木片などの有機物に残留する炭素同位体の残存比率、年輪間隔分布なども科学的年代決定法とされています。、窒素がニュートリノと言う宇宙線をあびて炭素放射性同位体にてんかんするわけですが、その生成同位体比率は宇宙空間、とりわけ太陽活動などの影響を受けることがあるとされ、しっかりとしたキャリブレーション(年代測定のための物差しとしての検定)が必要と認識されています。
 又材木の切り口に見られる年輪間隔分布では年代決定のためのリファレンス、そしてそのキャリブレーションのためのその地での気候変動(日射、降雨量など)を推定する作業が必要となります。更には岩石の表面の岩石成分の分析から、それが大きな岩体から切り出された時期を推定できるとの研究もあるやに聞きます。

 古代史学の鍵を握るのが『年代決定』です。しかし、そこにも色々と議論があったのです。その議論の一部を本ブログ(例えば2013年3月22日記事)で書きました。

 本ブログでは日本列島内での色々な地点間でこの「方位」を算出してきました。そこで得た方位角を大きいものから順に並べます。ところで2012年1月15日記事で書いたように1500年前の 西暦510年時のシリウス星方位をその表にはめ込みます。そうして作成されたのが表1です。
(表1:シリウス星方位と対応する西暦年。第15行が計算値で西暦510年に相当)
シリウス暦150303


 西暦253年ごろにこの配置が構築されたことになります。この年代は奈良盆地に発見された建築遺構の向きから推定された時期とほぼ同じです。が、何よりも邪馬台国にあって卑弥呼が死去した時期頃となります。生涯を日本列島古代史研究に捧げてこられた研究者にはこの推定は荒唐無稽と映り一顧だに値しない』のではなかろうかと思います。

(表2:卑弥呼時代の事件編年)
ad5714-02


 考古学の常識はさておくこととし、上で私が書いてきた推論には一つ問題があります。地図上で二点間の関係を求める際、一点は香取神社であるから既に定まっています。しかし、もう一点は恣意的にそれを選択できます。つまり当該論議で、何も八溝山をその相方として選択する必然性は無いのかもしれません。八溝山―鹿島神宮系列ではそうした他の選択は完璧に排除されています。四点(しかもそれは常陸の国の三大古社)が直線状に配列されることが偶然に起きる確率はきわめて小さいからです。従って、この事例では「人が計画設計した」と結論できます。

 香取神社の場合には、八溝山の北西45kmにある那須岳(標高1915m)、西南西70kmの日光男体山(標高2484m)が相方として選択される可能性は排除できません。その場合には、その高峰から俯瞰する香取の地の方位はおよそ夫々160度、140度となります。この方位角は、渡辺豊和氏の計測と整合しません。二つの神宮の設計にあっては、参道の向きについてその正確さはともかく「明確な違い」を強調しているからです。つまり香取神宮から見た方位測定基準点は鹿島神宮から見たそれよりも「より南北に近い」筈なのです。

 こうした考察からどちらも八溝山から計測・測量されたであろうと結論できます。そうであるならば、八溝―鹿島神宮系列のように、八溝―香取神宮の測線にそってシリウス信仰をおもわせる史跡があるはずです。それを次回探ってみます。

(つづく)

 前回、消費税の事を書きました。安倍氏が2014年の総選挙記事の公約を撤回して増税延期を決めたことについて、「日本の財政を”心底憂う有識者”」が批判を繰り広げています。前回書いたように消費税導入によって輸出業者は『消費税を負担しないばかりでなく、むしろ国から還付金が支給される』、軽減税率は「中間の事業体の活動の犠牲に立っている」などを単純な数式で持て説明しました。
 大手マスコミそして「日本の財政を”心底憂う有識者”」たちはこうした実態を見ずに「実施」を急げと批判しているわけです。これについて面白い記事をネットで見つけたので、その冒頭部分のみを転載しておきます。

%%%%%財務省よ、まだ無茶な「国民洗脳」を続けるつもりか! 「増税しなければ国が滅ぶ」の大ウソを暴く
乗っかる新聞も同罪
2016年06月06日(月) 高橋 洋一
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48836
新聞が増税延期に反対する情けない理由
財務省の官僚を中心とする増税派にとって、今回の消費増税の見送りは痛恨だった。その恨み節は「安倍首相が増税を明言していた。それなのに増税を見送るのは『公約違反』」という言葉で表された。
また先週2日の新聞各紙の社説を見れば、新聞社の恨みの深さもわかる。新聞は軽減税率を受けるので、消費増税は基本的に歓迎である。消費増税をしてもらわないと、軽減税率も受けられないから意味がない。だから、増税見送りを恨むのだ。
各紙の見出しを並べてみよう。
朝日「首相の会見 納得できぬ責任転嫁」
毎日「増税再延期表明 未来への責任はどこへ」
読売「消費増税延期 アベノミクスをどう補強する」
産経「消費増税の再延期 今度こそデフレ脱却を 社会保障への影響食い止めよ」
日経「参院選でアベノミクスに国民の審判を」
保守系は表現が穏やかであるが、いずれも増税見送りを評価しておらず、財政再建や社会保障のための財源はどうするのか、という批判的なトーンである。
そこまで心配するなら、新聞への軽減税率を辞退すべきだと思うが、自らの新聞だけは特別待遇というわけで、舛添氏の政治資金使用みたいに自分には甘すぎる論調である。
消費増税の最終的な根拠は、財政赤字の問題である。借金は悪いに決まっていると言えるかといえば、そうとも限らない。状況次第である。
(続きは上記アドレスで)
%%%%%

カトリ(4)、消費税(輸出戻し税、軽減税率)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:「カトリ」議論で登場する図1にみる「香取海」からはるか西の端の大きな沼地跡。向かいに見えるのが地盤の固い台地。台地上には縄文時代の住居跡、および古墳が多い)
P531流海


長年の 開墾・開拓 つみかさね 太古の沼地 今や米倉
+++++カトリ神社(4)
 雑談ですが、香取神社から連想するのは天保水滸伝です。幕末の時期、二つの任侠一家が利根川域で勢力を競ったとされます。笹川繁蔵一家と十手との二足わらじを履いていた飯岡助五郎一家です。江戸にあっては渡辺崋山を死に追いやった鳥居甲斐守耀蔵、人呼んで「妖怪(耀甲斐)」南町奉行が過酷な権力を振り回していた時代です。意外に思うのはこの妖怪奉行、なんと明治六年まで生存していたと言いますから驚きです。それはさておき、笹川一家の食客・用心棒が千葉道場の俊才平手造酒です。酒毒と労咳で死去した地がこの香取とのことです。

 日本書紀巻(二)神代紀(下)の記事からは、この香取神社の創建は七世紀末から八世紀始め頃と勝手に思い込んでいたのですが、どうもそれは誤っているようです。香取には先住の渡来族が館を構えていた、と考えるべきと思っています。その地を七世紀末から八世紀に駆けて藤原不比等の一派が武力で制圧したのだろうと今は思っています。この議論をするためには、渡辺豊和氏が示唆するように鹿島神社との深いかかわりを考慮せねばなりません。そこで、香取神社考察の前準備として、本ブログで書いてきた鹿島神宮についての記述をざっとお攫(さら)いすることにします。まずは二つの神社の位置関係です。
(図1: 鹿島神社と香取神宮、そして二つを隔てる大きな沼沢域、流海(ながれのうみ、当時は利根川ではなかった 『利根川 東遷』 による「利根水運」と銚子の興隆(上)http://j55.pw/WhBP より)の中央部を東に流れるのが後世の利根川)
利根川-1


 この二つの神社の関係考察には、それが隔てる「流海」の議論が必要となります。上の図に見るように、当時、この地域は流海(ながれのうみ)と呼称されていたと幾つかの文献が書きます。しかし、「とねがわ」は8世紀半ばにはすでに呼称として存在していました(例えば万葉集)。それが図の左(東)上方部にあります。そしてこのことも「カトリ」を語る上では欠かせないことで、いずれ明らかになります。
 さて鹿島神社調査のおさらいです。何と言っても強調せねばならないことが図2です:2010年1月1日記事、http://j55.pw/vN6y )。

(図2:八溝山(標高1022m、常陸の国最高峰)→静神社(常陸の国・二の宮)→吉田神社(常陸の国・三の宮)→鹿島神宮(常陸の国・一の宮)の直線状配列。興味深いことは夫々の神社の参道も北北西―南南東方向に作られている。何がしかの伝承を受け継いだのであろう)
大甕神社


 こうした歴史遺物の空間配置については、多くの歴史愛好家が地図上で線を引いたりしてその配列の“神秘性”のようなものを強調したがります。例えば2012年2月20日記事http://j55.pw/VTUs )で私は「週刊ポスト」誌1月27日号の巻頭グラビアを論じたことがあります。
(図3:ギザ・マチュピチュ・イースタ島の直線配列を書く週刊ポストグラビアより。世界地図帳の上で直線配列を見つけたとする)
DSC05600


 私は上のブログ記事で、地球が球である事を考慮してこの種の議論はなされるべきであると指摘しました。例えば、上記の茨城県の地図の縦軸は緯度ですが、地球が円いため北に行くほど1度の長さが短くなります。また同一緯度線上の緯線の長さが北に行くほど短くなるので、1度あたりの経度の長さも違ってきます。従って平面に投影された地図上で直線状配置に見える点列は必ずしも最短距離線上には無いのです。
 そこで、本ブログでは、上の図の四つの地点の位置(緯度、経度)を読みとり、球面三角法を用いて二地点間の距離と方向を算出します。http://j55.pw/vN6y に詳しく書いたように、八溝山から眺める3つの神社の方位は北から時計回りにはかって163.6度であり、三つの神社はその回りに僅か0.6度の範囲のずれで収まっていることが確認されます。つまり、この配置は計画的に設計されたのです。

 この方位角度には一体どのような意味があるのでしょうか?それを考える上で渡辺氏の着想、つまり「地球から見て最も明るく輝く恒星であるシリウス星の方位である」との示唆に従うことにしました。それを詳述したのが2012年1月15日記事 http://j55.pw/FM4G です。1500年前の夏至の日の深夜12時にシリウス星が天空に輝く方位と図3に示される方位が一致したのです。

 そして、古代史学で最も難問とされる「年代決定」がシリウス星方位によってなされうることをもわかってきました。そこで、これを香取神社創建年代推定に使ってみようというわけです。理由が図4に示されています。
(図4: 香取神社の参道の向きは、図2に示す常陸国の三つの神社と同じシリウス方位である)
カトリ03


 どうやら、香取神社の地の選定も、そもそもは鹿島神社系列と同じ宗教的背景(シリウス星信仰)から設計されたものと思えるからです。
(つづく)

+++++消費税とは、輸出戻し税、軽減税率還付金?
 安倍首相は、大多数国民に不評である消費増税実施を2019年まで延期することとしたので、今急いで消費税を書く理由はないのですが、自らの消費税に関するぼんやりとした認識を整理しておきます。
(I)消費税とは
 まずは私の消費税に関する理解です。これが誤っているとなると以下の議論は全て壊滅します。
実際の商取引は複雑なのでしょうが、ここではその過程を単純化して考察することにします。

 ある陶器職人Aさんのつくる陶器が小売業者を通して消費者の手元に届く過程を考えます。Aさんは家の近くの山から窯と陶器用粘土を自らの肉体労働で入手するので、そこには「商取引」は介在しません。窯焚きには周辺の薪を拾って使うのでここでも商取引は介在しません。
A さんは作った陶器の原価をA円と設定し、これを小売業者にA(1+a)円で売却します。ここでaは消費税率です。この商取引に伴って消費税が課せられるからです。
 小売業者のBさんは包装などの付加価値および自らの儲け(従業員給与を含む)としてB円を設定します。したがって消費者C(consumer)さんには 
売り上げ=(A(1+a)+B)(1+a) 円
で売却することになります。当然のことながら a=0 ならばC さんはこの陶器の入手に A+B円のみの出費ですみます。が、消費税のため 余計に a(B+A(2+a)) 円を支払わねばならないことになります。
 この場合、
小売業者Bさんの手元に残る額=(A(1+a)+B)(1+a)- a(A(1+a)+B)- A(1+a)・・・・(1)
です。ここで第一項は売り上げ、二項は税金、三項は仕入れ額となります。これを整理すると
小売業者Bさんの手元に残る額= B 円
となり、小売業者は当初目論んだ儲けB円を消費税のあるなしに関わらず得ることができます。
 陶器製造者AさんはBさんから支払われたA(1+a)円から消費税aA円を国庫に納入し、当初目論んだA円の儲けを得る。
 消費者であるCさんが負担した税金はBさん(事業者)とAさん(製造者)が夫々の分に応じて国に支払う。つまりC さんの納税をAさんとBさんは代行しているだけで、自らの取り分はしっかりと確保しています。つまり付加価値に対して税金がかからないので、結局「泣きを見るのは」消費者のみとなります。
 B(事業者)は、消費者の購買意欲を減退させないために、儲けBを縮小したり(勤労者への給与をへずる)、あるいは仕入れ価格の縮小(下請けいじめ)などを策することもあろうが、ここではそうした事は考えないことにする。(注:A さんとCさん(消費者)との間に複数の事業体が介在したとしてもそれは数式で簡単に表わせる。長たらしくなるのでここではあえて話を単純にしている)

 この生産→消費過程で国が得る税金収入は 消費者が負担するa(B+A(2+a)) 円となる。消費税制の下ではもっぱら消費者のみがこの税を負担をすることになる。

(II) 消費税制についての上記の理解に立って輸出免税、軽減税率還付について考えて見ます。
 世に「阿修羅」と呼ばれる巨大書き込み掲示板があります( http://www.asyura2.com/index.html )。この掲示板での論客のお一人「アッシラ」(HN)氏が精力的に消費税について論じています。その氏の議論を参照しながら私の考えをまとめて見ました。
(II-1)%%%%%あっしら氏の「輸出免税」(輸出売上に係わる消費税の税率は0%)議論引用
国内売上についての消費税額は、次の二つの式で計算できる。
http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/244.html

A:消費税額=売上×消費税実効税率−仕入×消費税実効税率
B:消費税額=(売上−仕入)×消費税実効税率
国内売上ではAもBも同値だからどちらの式でも同じだが、Bの算定式は、消費税が付加価値に課される税であることを明確に示す簡潔なものである。
簡潔で本質を示すBの算定式を使う前提なら、「輸出免税」で“利益”(消費税還付金)が生まれない。(消費税実効税率をマイナスにしなければならない)
輸出免税の議論では上式の変わりに次式を使うとわかりやすい:
輸出業者が支払う消費税額は
消費税額=売上×消費税実効税率‘−仕入×消費税実効税率
「輸出免税」でAの算定式が適用されることで、「売上×0%−仕入×消費税実効税率」=マイナスの値(還付)と消費税の還付が発生する。
「輸出免税」(輸出売上に係わる消費税の税率は0%)
もう一つの目的は、輸出に対して適用される「輸出免税」(輸出売上に係わる消費税の税率は0%)をもっともらしい公平で正当な制度と思わせることである。
 消費税の内実である「事業者は稼いだ付加価値について所定の税率で消費税を納付する」という説明をすると、輸出で稼いだ付加価値に消費税が課されないどころか、国内売上で稼いだ付加価値に対する消費税までが“減額”される「輸出免税」制度に対する理解を得られにくい。
(同じように事業努力しているのに、国内で稼いだ付加価値(荒利)には消費税が課され、輸出で稼いだ付加価値(荒利)には消費税が課されないという不公平がまかりとおるのかと、国内専業事業者から非難の声が上がる)
 あまり知られていないようだが、日本在住者が自動車の購入で負担したつもりになっている消費税は、自動車業界や関連業界のトータルの納付と還付の結果、1円たりとも国庫や地方自治体の金庫に入っていない。トヨタなどの自動車メーカーが受け取る還付金のほうが大きい。
 それが、「輸出免税」制度という詐欺の結果だと多くの国民が理解するようになれば、消費税制度そのものが廃止の危機に直面するだろう。
 多段階の取引過程で消費税が課され最終的には消費者が負担するものと説明することで、輸出では“外国”の消費者から消費税を徴収できないから、輸出事業者について“も”、仕入で“負担”した消費税を控除するという仕組みがもっともらしく見えるようになる。
 「輸出免税」がどのようなものか、簡単に説明する。
 「輸出免税」があると、輸出事業者は、仕入れ値と同じ価格で輸出したとしても、税制度を通じて利益を上げることができる。
 実際の数字を使って説明してみよう。
 消費税は8%(付加価値に対する実効税率は7.4%)とする。:a
 3千億円で仕入れたものをそのまま3千億円で輸出する。:A
この場合、輸出取引で利益(荒利:付加価値)はない(ゼロだ)が、消費税の還付として222億円を受け取ることになるのでそれが利益となる。: aA
 このロジックを知れば、日本経団連が「消費税の税率を引き上げろ!」と言い続けているワケがわかるだろう。(財政の健全化や社会保障制度の維持といった理由は、自分たちの利益を隠すためのダシである)
%%%%%アッシラ氏の議論参照おわり

 上の(1)式に従って金の動きを書き下すのであるが、式中に登場する消費税率については使い分けをせねばならぬ事情がありそうなので、それらを異なる記号で表すこととする。商品を売却 してのち、Aさんに代金を支払うと(税金の支払いが問われているのでその項は省かれている):

B氏の手元に残る金=(A(1+a”)+B)(1+a’) 円―A(1+a)円 ・・・・・(2)
         第一項は売り上げ、第二項が仕入れ経費となる
(2)式で a”=a’=a であるならば(通常の商取引)
         =B+ a(A(1+a)+B)
 となり、上式の第二項が納入すべき消費税となる。

 ところで、(2)式で本来はa“=a である。Bさんは商品を消費税を課さずに輸出しているので a’=0 とおくと、
B氏の手元に残る金= B 円
つまり、国庫に納めるべき消費税が手元に残っていない。しかし、消費税を納めなければ、当初目論んだB円が残る。国に対して税の免除を主張する根拠もあることになる。ところが、国はBさんにadditionalな恩恵をほどこすのである。

 (2)式でa”=a’=0と置いてみる。これが意味するところは実は「意味不明!」なのだ:
 (2)式第一項の意味は:
 BさんはA さんから製品を購入する際、それが輸出用であることを告げ、A円で仕入れた。これがa”=0 の意味である。一方(2)式第二項ではB さんは消費税込みでAさんから製品を仕入れていることになる。これが a≠0の意味である。矛盾である。 まさに「意味不明!」なのであるが、あえてその矛盾を無視すると
Bさんの手元に残る金=B-aA 円となる。

 輸出行為をすることで、Bさんの手元に残される金は当初目論んだ儲けB円には届かない。どうやらこれがアッシラ氏の主張のようである。アッシラ氏と言うよりは、これが政府の主張なのか?これが「輸出還付金」の根拠とすると、政府はその筋道を庶民に示すべきであろう。

 「意味不明!」事態の出所は『売り上げ』の内実(構成というべきか)をしめさず、「一括り」にしてしまったからである。「売り上げ金」の設定には仕入額が当然考慮されているはずなのだ。しかし、そうはしない。これは政府の「悪知恵」なのだろうか?
 アッシラ氏もこのからくりについて露(あらわ)には書かないが認識しているようで、上の議論の最後で「輸出事業者は、仕入れ値と同じ価格で輸出したとしても」と書く。これはまさにa”=a’=0であり、こうでないと還付金に化ける見かけの「負値」は生じない。

(II-2)%%%%%アッシラ氏の<軽減税率>議論紹介
http://www.asyura2.com/16/senkyo199/msg/833.html (軽減税率)
「軽減税率」制度は、「輸出戻し税」とまったく同じで、国家が、軽減税率適用品目を主として商う企業に対し、消費税を納税した企業(個人事業主)から利益(税)が移転する仕組みに他ならない。
 記事の発信元である日刊ゲンダイについて笑えるのは、「輸出戻し税」を批判していながら、新聞への軽減税率適用を問題視(批判)していないことである。
 「軽減税率制度」は軽減税率がゼロ%であれば、輸出か特定商品の売上げかという売上区分の違いだけで、輸出免税制度(「輸出戻し税」)とまったく同じ制度になる。
 適用される売上の対象が輸出なのか特定商品なのかの違いだけで、消費税を真に負担する企業から、売上にかかわる消費税を免れることで仕入にかかわる消費税を控除される企業に利益が移転することに変わりがないからである。
%%%%%アッシラ氏の議論紹介おわり

 再び(2)式にもどる。
B氏の手元に残る金=(A(1+a”)+B)(1+a’) 円―A(1+a)円 ・・・・・(2)

軽減対象物品にたいしては a”=a,で a’<a として処理される。
B氏の手元に残る金=B(1+a’)+a’(1+a)A
     =B+a’A(1+a) ・・・・・・・・・・・・・・・・・(3)
結果は極(ごく)まともで、Bさんが納入すべき税((3)式の第二項)には軽減税率が適用され、結果としてその物品については安くなる。
 しかし、ここでも一括りにされた「売り上げ」が以下の議論で悪さをする。つまり『売り上げ』金設定に仕入れ価格が考慮されているべきが、それを一括りにすることで無視してしまうからだ。
 それは(2)式で、a”=0 とするところから生ずる。その結果、
B氏の手元に残る金=B+(a’ーa)A ・・・・・(4)
 (4)式の第二項は a’<a であるので負となる。税金を払おうにも、手元にはその金が無い。それどころか、当初目論んだ儲けB円にも届かなくなる。政府が(a’ーa)A円を戻し税として還付するならば、そのやり口は輸出戻し税と同じになる。

 

カトリ(4)、STAP問題検証

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へお寄せください。きちんとお応えします)
(写真:飛ぶ姿を捉えられないだろうと諦めつつもレンズを向けたところ、見事に三羽が映っていました。頭を前方に突き出して飛んでいる姿はなにやら面白いですね。写真をクリックすると拡大できます)
P602飛かも


冷たさに 温(ぬ)くみを与える 朝の日が 草葉の露を 煌(きらめ)かせおる

 今朝は、空気がひんやりとしており、日のあたる場所が暖かいと思うほどでした。草の葉がたっぷりの露を乗せ、それが朝日にキラキラと輝いていました。

 「スシ友」なぞと揶揄されている日本の大手報道機関ジャーナリスト。昼の報道番組で私の大好きな室井佑月さんの言葉尻を一々とらえてイチャモン風コメントをする田崎司郎氏、NHK朝の政治討論番組で司会者にあるまじき偏向をあからさまにする島田敏男氏が昨日、安倍氏と京橋の高級日本料理店で会食をしたとのこと。今日の東京新聞「首相動静」欄がそれを報じています。
(写真:安倍氏、寿司トモダチと会食)
P603寿司トモ


 インタネットで「草刈正雄、ギャップ萌えで若者から注目集める “男前だけどお茶目”キャラ浸透」と題する記事を見つけました。草刈氏といえば、何と言っても「真田丸」での名演技です。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6203069 
 記事によれば、草刈氏は中学生時代には新聞配達をして家計を助けていたとのこと。現在東京新聞で連載されている林家木久扇(昔の木久蔵)も新聞配達をして家計を助けていたと書きます。
(写真:東京新聞連載「この道」4月23日付は林家木久扇の中学時代を書く)
P423木久


 私も中学時代、新聞配達で家計を助けていました。しかし、私はこのお二方と違って映画スターとして銀幕に踊り出ることはありませんでした。息子可愛い一心の母親は私をとあるハンサムスターに似てるといってましたが、後年それが身贔屓であったことを知りました。落語界の人気者になることも無く今日に至っています。
 新聞配達時の思い出といえば、犬に追いかけられた恐怖です。それを林家木久扇も上記コラムで書いています。とある購読者から販売店主に「このところ新聞が入らない」との苦情があり、店主さんは、私の跡をこっそりと追いかけたんですな。かくして「犬を怖れてその家を避けている」事がばれてしまったのです。この家は著名なマルクス主義経済学者である平野義太郎博士のお屋敷でした。犬の問題をこの学者さんに店主が話したようで、以後は犬が飛び出さなくなりました。つまらぬ昔話を思い出した次第です。

+++++カトリ神社(3)
 日本列島の古代史を語っているはずの記紀は多くの本質的な史実を隠しています。その重大な一つが東北日本にあった高い知性と技術を持った政治勢力です。この勢力は福島、新潟、富山、そして茨城県を拠点として、遠く九州にまでその影響力を広げていました。しかし、藤原不比等の『史観』はその政治勢力を完全に抹殺し無きも同然に扱ってきました。その地は「野蛮人」の跋扈する場所として「蝦夷」として記載されてきました。

 そして九州も然りです。日本書紀の記載が九州の地を語ることが余りにも多いため、藤原不比等史観はそれを無視できず相当量の分量を九州の地に割いています。しかし、それとても、壬申の乱の舞台を強引に近畿地方に持っていってしまう。万葉集で高らかに詠まれている舞台をも、香具山をはじめ全てを奈良盆地内に設定してしまったのです(私はこうした強引な史実改ざんを「箱庭」と呼んできました)。

こうした歴史改竄の締めくくりが日本書紀が神代紀(下)で書く以下の記事であったのです。
「「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 この地が現在の香取神宮あるいはその近辺であろうことは容易に想像がつきます。例えば岩波文庫「日本書紀(一)」137頁で岩波文庫版校注者は以下を書きます:
 下総国香取郡香取。今千葉県佐原市香取に香取神宮があり利根川とその沼沢を隔てて茨城県鹿島郡の鹿島神宮に相対する。両社とも大化前代の一時期における東国防衛の最先端か。香取の祭神は古語拾遺ではフツヌシ。続後紀ではイハイヌシ。経津主神を香取神社の祭神とするようになってからこの記事をそれと結びつけ通釈なども斎の大人を経津主神とするが記紀では武甕槌・経津主神を鹿島・香取の祭神だとする説明は無く、常陸風土記を見ても関係が明らかでない。両社の祭神はもともと土着の神で奈良時代になって神代の二人の武神と結びついたのだろう。

(写真: 香取神宮の由緒書
香取001

 
 この 拝殿の向きが極めて特異であることについては、既に渡辺豊和氏が自著「扶桑国王蘇我一族の真実」(新人物往来社、2004)で指摘しています。そして本ブログでもその事実を引用してその指摘が古代日本列島を特徴づける重要な史実であるとの考察を加えてきました。
 香取神宮は岩波文庫校注者の指摘にあるように鹿島神宮と関連させて議論がなされねばなりません。本ブログで羽そのことを繰り返し論じてきましたが、我が国の宗教体系と言う視点から再度見直したいと思っています。その際に参考になるのが、神社が参詣者に配布する『由緒です。

(写真:鹿島神社由緒書の裏面)
香取002

  上の栞で不思議に思うことは、「日本書紀」の記載に触れていないことです。どのような思惑があるのでしょうか?そして、この神宮は天皇との緊密な関係を強調していることです。この経緯背景の考察は何がしかのことを明るみに出すはずです。
(つづく)

+++++STAP問題を国会で検証せよ!
 本ぶろぐでも書いてきましたが、STAP問題は生命現象の未解明な部分についての重要なヒントを呈示したにとどまらなかったのです。その新発見を巡って政治が介入したことから大きな不幸とでも呼ぶべき事態が科学の世界を覆ったのです。最大の不幸は日本の財産である笹井博士を死に至らしめたことでした。そしてもう一つは政府の走狗と成り果てたNHKの策謀でSTAPがはらんでいた萌芽を乱暴に踏みにじってしまったことでした。これについて、我らの 期待の星、山本太郎氏がその回復の一歩を作り出そうとしています。
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http://biz-journal.jp/2016/06/post_15341.html
ジャーナリズム
山本太郎議員、国会でSTAP問題再検証求め物議…「理研は小保方氏を差し出し組織守った」
文=上田眞実/ジャーナリスト

 5月10日、国会の内閣委員会で参議院議員の山本太郎氏が、今秋に新たに設置される「特定国立研究開発法人」(スーパー法人)の候補に、国立研究開発法人・理化学研究所(以下、理研)が含まれていることについて「STAP細胞論文の研究不正事件は解明されていない、まだ時期尚早だ」として候補から外すように求める動議を提出し、物議を醸した。

 5月11日に参議院本会議で可決した「特定国立研究開発法人による研究開発等の促進に関する特別措置法案」(以下、スーパー法人法案)は、10月1日に施行される予定。スーパー法人は研究機関として世界最高水準の研究成果を創出することを目的とし、優秀な人材を確保するために高額の報酬を理事長の裁量によって設定できる。理研の広報部によると、日本の研究機関は世界の研究機関よりも給与が安いことは以前から指摘されており、魅力的な待遇で優秀な人材を招聘したいという話は以前からあったという。
 逆に研究に成果が出ない場合は、所管の大臣が理事長を解任できるとしている。また、政府が特定の研究の実施を法人に要求できるようになるなど、政府が人事に直接介入することが可能になる。スーパー法人となる予定の研究機関は、理研と物質・材料研究機構、産業技術総合研究所の3機関。
 政府が研究内容を指定し、その成果が出れば高額の報酬が研究者に流れるシステムづくりが強化される制度改革に、山本氏は質疑で「STAP細胞問題、まだ検証は不十分、理研は小保方さん一人をスケープゴートに差し出して組織を守ったという印象がある」と指摘、理研がスーパー法人に格上げされるのは時期尚早だと、政府が推し進める国家的プロジェクトに噛みついた。

 山本氏はSTAP細胞論文をめぐる問題で責任を問われ、2014年12月21日付けで理研を退職した小保方氏の手記『あの日』(講談社)を読んで、検証委員会の公正さに疑いを持ったようだ。
「検証も不十分。もう一度やる必要がある」

 この問題について5月24日に参議院議員会館で行われた「生活の党と山本太郎となかまたち」の定例会見に出席した筆者は、改めて山本氏にSTAP細胞問題と理研が行った小保方氏の処遇について所感を求めた。以下が山本氏の回答。
「小保方さんは理研がスケープゴートに差し出して、これで一件落着ということで切り捨てられたんだろうと。私がそれを発言したのが、先日(5月11日)の特定国立研究開発法人の促進特措法案。3つの法人に対して、手厚くお金を出すと。そこに理研が含まれていると、あまりにもおかしいじゃないかと。こんなふうに人を切っておいて、そういう検証も不十分であると。だから、もう一度やる必要があるのではないかと。研究者として小保方さん復活はあり得るのか、という話を聞いたのですが、ちゃんとした答えは返ってこなかったという話です。

 これに対して、もう一度、検証委員会や調査委員会を立ち上げる、ということに関してどういうステップを踏めばいいのか、今の時点でアイデア、その方法を知らない状況なのです。だいたい検証委員会というのは怪しいものが多くて、たとえば東京電力のメルトダウン隠しでは、東電が第三者委員会、検証委員会を立ち上げています。この第三者検証委員会のメンバーは、自民党の小渕優子議員の(政治資金問題に関する)検証委員会のメンバーでもあります。
 検証委員会・調査委員って、世の中的にはあまり公正ではないような雰囲気を持たれると思いますが、何かの機会に私の立場で委員会で言えることがあれば、その事(STAP細胞問題の再調査)は求めていきたいとは思います。その時には、お知恵をお貸しください。細かい所のピースが、はまってないところがあるので」
科学者の身分制度

 スーパー法人法案が施行されると、政府の希望に沿って研究をする科学者は優遇される反面、そうではない科学者が冷遇されるというアンバランスな「科学者の身分制度」ができてしまう恐れがある。そして高額報酬で優秀な研究者を呼び込むために、日の当たらない分野の研究費が削られたり、早急に成果が見込めない研究を保護する理事長が解任されたりする事態になると、一体なんのための「世界最高水準」なのか。

 山本氏は10日の質疑で同法案施行に対し、「幅の広い層の厚い学問の蓄積、研究や発明につながっていくという原点を、見詰め直すべきではないでしょうか」と苦言を呈した。そして「理研は手厚いお金をもらう前にSTAP細胞問題の検証をやり直せ、話はそれからだ」と動議を提出したことにより、今秋から始まる「政府と理研の蜜月」に前もって横やりを入れたかたちだ。小保方氏の再チャレンジの可能性についても、国会議員からは初めて言及があった。
小保方氏の手記『あの日』を元に、STAP細胞問題の見直しの声は意外にも国会から火がつくのかもしれない。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)
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「カトリ」(2)、昨今の事件概観

 一昨日は本ブログ更新日でありましたが、急いで終えねばならない事が出来(しゅったい)し休載いたしました。それにしても今日から6月。一月後には、本年の半分を終えたということになります。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:雲雀のおしゃべりの方角に上る朝日。ヨーロッパ印象派の有名画家による作品と思しき写真でありまするよ。薄い雲がかぶった朝日とその周囲の色合いをどのように絵の具で以って再現するのか?そこが腕の見せ所というわけです)
P528朝空

 
声高に ぺちゃくちゃ ぺちゃと しゃべりおる 雲雀のすがた 空に探せり

 今朝も、忙しげに雲雀がしゃべっています。ところがその姿を見つけるのは至難です(上の写真ではレンズをお喋りの方角に向けて撮ったのですが、それらしき飛影を見つけることができません)。しゃべりだけでなく、羽もせわしなくばたつかせています。そういえば、雉も声をあげる際羽を広げますな。羽を拡げることで胸郭を広げ、声量を増しているのかもしれません。

 この所、ニュースネタ 色々ありますな。消費増税を諦めると「アベノミクス」失敗と指弾される。それを避けるために「世界経済の危機」を突然叫んだのだが、他の先進国からは足元を見透かされてしまった。そこで、何と言っても驚きは、安倍氏の言です・・・・。

%%%%%ネット誌「リテラ」記事より転載
安倍首相が今度は「私はリーマンショックなんて言っていない」! ネットではとうとう「ホラッチョ」の称号が(リテラ) 2016.05.31 http://lite-ra.com/2016/05/post-2294.html  
本気でこの人、どうかしちゃったんじゃないだろうか。昨日30日に配信されたロイターの記事によると、安倍首相は同日夕方に開かれた自民党の役員会で、こんなことを言い出したらしい。
「私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」
 ……まさかの「俺、そんなこと言ってないもん!」発言。まさに、ぐうの音も出ないとはこのことだろう。予想の斜め上をゆくウソつきっぷりが壮絶すぎて、相手を絶句させてしまう、この破壊力はすごい。
 さすがにこのニュースには、ネトウヨや冷笑系の温床でもある2ちゃんねるでさえ「もういいよ安倍…」「記憶喪失かな?」「こんなアホが首相の国って…一体…」と、安倍首相に呆れるコメントが続出。ついには「ホラッチョ安倍」と呼ばれてしまうという有り様だ。
 ちなみに安倍首相は、同じロイターの報道によると「俺、言ってない」発言のあと、「中国など新興国経済をめぐるいくつかの重要な指標で、リーマンショック以来の落ち込みをみせているとの事実を説明した」と“言い訳”したのだという。いや、それも“リーマンショック前の状況に似ている”って言ってるようなものなのだが。
 だいたい、G7の席上で「リーマンショック直前の洞爺湖サミットでは危機を防ぐことができなかった。私は、その轍を踏みたくない」と言って各国首脳に資料を配ったのはこの人だし、「世界経済は分岐点にある。政策対応を誤ると、危機に陥るリスクがあるのは認識しておかなければならない」と主張したのもこの人だ。
 こうしたG7におけるもろもろの発言は、どう考えても「世界経済はリーマンショックの前と似た状況」という認識を示しているもので、これの報道を誤りだと言うなら、産経や読売新聞といった安倍応援団の国内保守メディアはもちろんのこと、世界のマスコミが“誤報”を流したことになる。そんなバカな!
 そもそも、「リーマンショック前の状況」だからという理由で与党は消費税率引き上げの延期を言い出したはずだが、当の首相が「言ってないし、認識を示してもない」と言い張るなら、一体、増税延期の根拠をどうするつもりなのだろう。
 まあ、この人が稀代の大嘘つきであることは、すでに自明の事実ではある。挙げ出すとキリがないが、たとえば、安倍首相は今年4月にも衆院TPP特別委で、「TPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから」と発言した。しかも、2012年総選挙時の「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」という自民党ポスターを突きつけている目の前で、である。
 このような言動を見るかぎり、公然とウソをつくことに慣れすぎて、「公人はウソは言ってはいけない」という正常の感覚さえ失ってしまっているのだろう。だが、国内メディアは黙らせられても、世界はどうか。こうしてG7での発言を議長国の首相が平然と否定したことが各国に伝えられたら、それでなくても呆れられているのに、ますます信用をなくし、相手にされなくなるのは必至だ。
 安倍首相はよく「国益」と口にするが、はっきり言って、その国益を損ねている最大の原因がこの人にあることは、もはや間違いないだろう。
(編集部)
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 安倍氏が世界の経済について大いに危ぶんでいたのだとすれば、年金のGPIF( Government pension investment Fund)を運用と称して投機にまわすなどはありえないことです。実際、既に10兆とも15兆ともの我々の年金が投機損で失われたと言います。これについて小沢一郎氏が咆えています:
%%%%%小沢氏咆える!
【急所を突く】生活・小沢一郎代表「リーマン前の状況なら、何で年金の半分を株に投じて大損させたの?年金大損を参院選前に開示せよ」
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/17537 2016/05/30 健康になるためのブログ
 今日は小沢議員が吠えまくっております。
「リーマン前発言」と「年金運用株25%⇒50%に変更(2014年10月)」の整合性は取れないでしょうね(安倍総理には)。整合性を取ろうとしたら、「リーマン前の悪化している状況で年金運用を改悪・大失敗した」ということになってしまいますもんね(事実)。
%%%%%咆える小沢氏の言紹介おわり

 さて、お次の登場は甘利前経済産業省大臣、というよりは我が国の政治家の悪を糾す筈の検察特捜部です。
(写真:東京新聞6月1日付朝刊記事より)
P601甘利


 甘利氏不起訴処分については下記のブログ記事も参考になります。本ブログに転載させていただくところですが、長くなります。読まれますようお勧めいたします:
http://j55.pw/3y7N (桜井ジャーナルより)
http://j55.pw/xLr6 (郷原信郎氏 ブログ)
 これに関し、古川利明氏(元毎日新聞記者)がブログで以下を書いています:
%%%%%古川氏のブログ(6月1日付け記事の一部抜粋)
http://toshiaki.exblog.jp/ 
 産経が「政治、道義的責任は別だ」として、「あっせん利得処罰法も政治家を守るための法律となっていないか。議決権や質問権といった権限の有無が起訴の可否を分けるなら、法に不備があるとしか思えない。『あっせん』の事実なしに現金を受領していたなら、詐欺に等しい」とまで言い切っておってだな、まさにその通りだ。
%%%%%

 更には、JOCが東京五輪を買収するためにブローカに渡していた金は2億円を大幅に上回る40億円弱という巨額であったことも明るみに出ています。バドミントンの優れた選手を「賭博容疑」で放逐しておきながら、五輪では巨額の金を買収に使っていたのです。闇のフィクサは悪名高い電通であることもバレバレです。が、日本のマスコミにとってはそれを紙面、TV画面にのぼせることはタブーなのです。

%%%%%東京五輪中止」が現実味、
仏検察は裏金の総額は約37億円(プレイボーイ誌http://j55.pw/ivZG 2016年5月30日記事
「東京五輪が崖っぷちだ。」
 JOC(日本オリンピック委員会)と東京五輪招致委員会がコンサル会社に2億2千万円を支払い、五輪開催を「黒いカネ」で買った疑惑が浮上。そんな日本に国際社会の厳しい視線が注がれている。
その急先鋒がフランスの検察当局。捜査本部を設置し、「このまま東京五輪を開催させるものか!」とばかり、疑惑解明にひた走っているという。
なぜフランス検察は日本という遠い国で浮上した疑惑の解明にこだわるのか? この疑惑を最初に報じた英・ガーディアン紙の記者が言う。
「捜査の大号令をかけているのは、フランスのパトリック・カネールスポーツ大臣、ジャン=ジャック・ウルヴォアス司法大臣です。
カネール大臣はサマランチ体制下のIOC(国際オリンピック委員会)の金権体質を嫌い、欧州を挙げての五輪浄化を提唱してきた政治家。
そこに次期大統領選に色気があり、得点を稼ぎたいウルヴォアス大臣の思惑が重なり、2014年ソチ五輪のドーピング疑惑を念入りに捜査していた。
JOCの裏金問題は、そのドーピング疑惑の中心人物であるラミン・ディアク元IOC委員を捜査する中で芋づる式に浮上した。だから全容解明にも力が入るんです」
では今後、JOCに向けてどんな一手を打ってくるのか? 仏・ユマニテ紙記者が言う。
「フランス検察はJOCが支払った裏金の総額は約37億円とにらんでいます。
最初に送金された2億2千万円では、五輪開催地の決定権を持つメンバーへの付け届けには足りないとするラミン氏にJOCが追加送金した疑いがあると。それを解明するため、当初、東京五輪招致委員会の評議会議長である森喜朗元首相をスケープゴート的に召喚し、事情聴取する意欲を見せていました」
だが、竹田恆和(つねかず)JOC会長が5月16日に行なった国会答弁により、そのシナリオは大きく変わったのだという。独・シュピーゲル紙記者が話す。
「フランス検察は『契約書の開示は原則しない』という竹田会長の答弁を重視しています。これは契約書という物証が存在していることをJOC自ら認めたことを意味している。
贈収賄の立件に自信を深めたフランス検察は今後、招致委員全員を喚問して聴取、その上でJOCから裏金を受け取ったIOC関係者を訴追する動きに出るはずです」
そうなった場合、IOCの選択は以下の3案のどれかになる公算が大きい。(1)「JOC委員を全員罷免し、新執行委員会をつくるよう勧告」、(2)「IOC臨時総会を開いて東京五輪中止を決定。代替地にロンドンを推薦」、(3)「IOC浄化のため、今後の五輪開催予定を白紙化する」だ。
(取材/岸川 真)
%%%%%五輪買収記事引用終わり

 上記の腹立たしい記事に加えて、依然として止まない「枡添』騒動、安倍氏の外遊経費が40回80億円など書きたいことが山ほどあります。日本の政治家を国民は甘やかしすぎですな。必要以上に金を持たせているんです。費消せねば翌年は削減される。従って必要も無いことに金を使ってるんです。つまり単年度予算の欠陥であると同時に、実は政治家にそれほど金を持たせる必要は無いということです。政治家たるもの、そもそもは国民に奉仕したいとの自己犠牲精神に出発するのではなかったのか(怒っ!!!)。

+++++日本書紀「カトリ」記事の周辺
 前回、日本書紀巻(二)神代紀(下)が引用する『一書』に「ヤチマタ」なる場所が登場することを書きました。関東地方に住む人間、とりわけ千葉県民であれば直ちに「八街」(やちまた)を連想します。JR総武本線の八街駅は芝山から西へ10km弱のところにあります。芝山には明らかに中東からの渡来人と思わせるハニワが出土しています(2012年7月30日記事 http://j55.pw/8FLK)。
(写真:芝山古墳から出土した人物埴輪像)
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 この地名の由来についてウイキは日本書紀を全く引用せず、以下を書きます:
%%%%%ウイキ記事
 明治の初期、新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金牧・佐倉牧の開墾が進められることとなり、開墾局が開庁した(下総台地#開発参照)。明治2年5月25日(1869年7月4日)に、開墾着手の順序によって以下の地名が命名された。八街(やちまた)という地名はこれに始まる。
初富(はつとみ) 現在鎌ケ谷市の一部;二和(ふたわ)・三咲(みさき) 現在船橋市の一部
;豊四季(とよしき) 現在柏市の一部;五香(ごこう)・六実(むつみ) 現在松戸市の一部
;七栄(ななえ) 現在富里市の一部;八街(やちまた) 現在八街市;九美上(くみあげ) 現在香取市の一部;十倉(とくら) 現在富里市の一部;十余一(とよいち) 現在白井市の一部;十余二(とよふた) 現在柏市の一部;十余三(とよみ) 現在成田市、香取郡多古町の一部
%%%%%

 明治の初めにこの地一帯を開墾・開発するに当たりその順番がそのまま地名になったというのです。多分そうした作業記録が公文書として遺されているのでしょう。しかし、具体的地名を与えるには、何がしかの「言い伝え」のようなものが遺されていたに違いありません。「街」と言う字が選ばれ、それに「ちまた」と音を振ったのです。理由があった筈です。「八」番目の開墾地は「八畑」でもよいはずです。「八柱」でも良いでしょう。実際この地名は近くに存在します。

 ところで、この地一帯は下総国です。そもそもは「総国」であったのです(2015年12月2日記事、http://j55.pw/NJ7T )。その由来は邪馬台国を構成した「投馬国」です。「投」は紀元初期の住民による「数」をあらわす「音」、つまり「十」であり、「とお」です。幸いにしてその音が現在までも2000年にわたって受け継がれている表音です。
 房総半島は大隅半島と形状が似ています。九州にまで南下し、東北日本との間を行き来していた渡来民は房総半島を「そう(tho)」(トウ(tho)の転化した表音)と呼んだのです。当然それが「十」であることを知っていたはずです。このように見ると上記の名前群の多くに「十」が含まれていることがわかります。例えば「豊四季」は「十余(とよ)四」というわけです。

古くから住んでいる住民の話に耳を傾けるべきと思っています。
 ついでですので印旛についても書いておきます。ウイキは以下を書きます:
%%%%%下記ブログ記事からの転載
http://j55.pw/Ye8U 
有史以前の縄文および弥生時代における印旛沼は、現在の鹿島(茨城県)や銚子(千葉県)の方向から内陸に向かって広く開けた「古鬼怒湾(こきぬわん)」と称された内湾の中にある小さな入り江の一つであったといわれている。そして水は淡水ではなく、海水であったことは、利根川下流部の低地と台地が接する境界域の貝塚からアサリ、バカ貝、マガキ、ハマグリ、サルボウ、タマキ貝などの海産性や汽水性の貝類が数多く発掘されていることから明らかである。
 一方、ここで、現在の「印旛」と書く漢字についてであるが、この字が定着するまでには、「印波」、「印幡」、「印播」などのような当て字や、思いつき的な漢字が折々に用いられていたようである。
 そして恐らく、現在、用いられている「印旛」の漢字に最も近いと思われる「印波」という漢字が明記されたのは、和銅6年(713年)に筆録された「常陸国風土記」の中で“古き伝えに日へらく、大足日子(おおたらしひこ)の天皇、下総の国の印波(いなみ)の鳥見の丘に登りまして…”と記されているのが最古といわれている。
%%%%%

 ところで、因幡(いなば)の白兎で知られる地は現在の鳥取県、旧事本紀によれば因幡国です。漢字表記で見るならば「印」は千葉県にあり、「因は鳥取県にあります。音滋養に読めるのに、何故『読み方』(音)を変えねばならなかったのか?言い換えると何故同じような地名をこの地に持ってきたのか?そして研究者たちは何故この地を日本列島古代史に結び付けて考えることをしてこなかったのか?
 千葉県、昔の下総国は日本列島古代史の最も微妙な時代を抱え込んでいる地と思っています。「カトリ」がその中核と私は考えています。想像力豊かな学徒が出現しこの謎を解明してくれんことを期待したいと思っています。
(続く)

カトリとイセ(1)、パナマと財務省幹部、軍事研究

 水曜日、千葉に所用がありブログ更新が出来ませんでした。千葉から帰宅する際、香取神宮に立ち寄ってきました。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:香取神宮の参道途上のトイレ入り口にツバメの巣を見つけました。五羽ほどの子への給餌で親は頻繁に巣と餌場を往復しています。ヘトヘト、クタクタにならぬかと案ずると同時に、ヤッコさん、「子作りが過ぎたカナ」なぞと思ってるのかもしれません。ツバメは人を頼ってるんですね。私がカメラを構えていてもいっこうに警戒するそぶりがありません)
P525親子ツバメ


 まん丸に 口を開いて 餌をねだる 子ツバメ愛(め)でて 親はへとへと

 昨日から三重県志摩で『主要国首脳会議』が開かれています。「志摩」という地名は九州北部糸島半島西岸の志摩に由来します。北へ5kmほども行くと夕日のきれいな二見ガ浦です。既に機会あるごとに指摘してきましたが藤原不比等による日本列島正史からの九州政権痕跡の抹消の「逆」証拠です。しかし、「志摩」、「二見が浦」の存在までも消し去るわけには行かないことから、奈良に拠する藤原中臣創始の「中」政権はそれらを現在の三重県東部に移し変え、あたかもその地が列島の宗教の原点であるかのごとき筋書きをしつらえたのだと思っています。

 そのように思うと、九州人はあまりにも謙虚です。誠に歯がゆいばかりです。このことを声高に主張することをしません。壬申の乱と称される大規模な国内戦の舞台も然りです。九州人よ!真っ当な日本列島古代史の構築のため立ち上がれ!と、叫びたい気分です。

 さて、そうであるならば、この伊勢の由来は何処なのでしょうか。糸島には露(あらわ)には『伊勢』なる地名は見当たりません。日本書紀・古事記を解読する上で鍵となる漢字表記の一つが「伊」であると考えています。イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)、イザナギ(伊弉諾神伊邪那岐命)の『伊』であり、伊豆嶋の「伊」です。古代の列島で使われた言語の表音に用いられたのが「伊」なのだろうと思っています。その「意味」は奈辺にありや?それが伊勢の「伊」の謎を解くのだろうと思っています。一方「勢」(せ)の由来は九州北部を東西に走る背振山系の「背」(せ)と同じではなかろうか。あるいは「磐瀬」の「瀬」と由来を同じくするのかもしれません。

 そうしたことを考慮しつつも、『伊勢』は現在論議している「カトリ」に密接に関わっていると思っています。「伊勢」は日本書紀ではかなり頻繁に登場します。一方「楫取」は僅か一回のみの出現です。しかし、文脈からして日本列島の思想史的位置づけからはこの「楫取」こそが原点であると思っています。そこで、その「楫取」出現に登場する「伊勢」をまずは日本書紀に見ることにします。

+++++伊勢神宮と香取(カトリ=「楫取」)神宮
 カトリ(「楫取」)神宮については、日本書紀がその創建の由来を書いています:
「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」
 
 上で引用した記事は《第九段一書第二》の冒頭に置かれています。この直前つまり《第九段一書第一》(日本書紀巻(二)神代下)の末尾近くに「伊勢」が登場します。まずはそれを見ておくことにします。
%%%%%日本書紀巻(二)より
原文:
(二神が葦原中津国を征服し、天照大神の支配が始まるその経緯について書いた後に生じた出来事です。ここに居を構えて瑞穂の国を治めようと言う段です。)
已而且降之間。先駆者還白。有一神。居天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺余。当言七尋。且口・尻明耀。眠如八咫鏡而〓[赤+色]然似赤酸醤也。

文意:岩波文庫『日本書紀(一)132頁
 さて、天照大神の親族が地上に降りようとしたとき、物見の言うには「天八達之衢(雨のやちまた)と言う神が居る。鼻は長七咫背長七尺余。当言七尋。且口・尻明耀。眠如八咫鏡、というわけでまるで赤酸醤のようだ。」

原文:
即遣従神往問。時有八十万神。皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰。汝是目勝於人者。宜往問之。天鈿女乃露其胸乳。抑裳帯於臍下。而笑〓向立。是時、衢神問曰。天鈿女、汝為之何故耶。対曰。天照大神之子所幸道路。有如此居之者誰也。敢問之。衢神対曰。聞天照大神之子、今当降行。故奉迎相待。吾名是猿田彦大神。
文意:
 そこで重臣に問うも誰も応えられない。そこで、天鈿女(あめのうずめ)に「汝であれば位負けしないであろうから行って尋ねてくるように」と命ず。そこで、天鈿女は胸をあらわにし、帯をへその下にまで下ろして笑いかける。このとき件の神が問う「天鈿女よ、あんたは何でそんな格好をしているのだ?」。天鈿女は「天照大神之子がお通りになるこの場所に何故あなたは居るのか?」と問い返す。衢神(ちまたのかみ)が応える「天照大神之子がいま当地に下ってこられたと聴く。ゆえに迎えに出たのだ。わが名は猿田彦大神である。」と。

原文:
時天鈿女復問曰。汝将先我行乎。将抑我先汝行乎。対曰。吾先啓行。天鈿女復問曰。汝何処到耶。皇孫何処到耶。対曰。天神之子則当到筑紫日向高千穂〓[木+患]触之峰。吾則応到伊勢之狭長田五十鈴川上。因曰。発顕我者汝也。故汝可以送我而致之矣。天鈿女還詣報状。皇孫、於是、脱離天磐座。排分天八重雲。稜威道別道別、而天降之也。

文意:
天鈿女は復(また)問う「汝が先に行くのか?それとも我等が先か」と。猿田彦は「我が先に行く」と答える。天鈿女は復(また)問う「汝は何処に行くのか?皇孫を何処につれてゆこうとするのか?」と。「天神は筑紫日向高千穂の[木+患]触之峰(くじふるのたけ)に向かうのだろう。我は伊勢之狭長田五十鈴川上にむかう」と応える。「我が姿が見られてしまったのは汝のせいだ。従って汝は我を見送れ」と。天鈿女は還りてそのやり取りを報ずる。ここにおいて皇孫は天磐座を離れ天八重雲を掻き分けて稜威(いつ)道別から天を降りた。
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 千葉県北部縁を西から東に流れる利根川の南側には古代日本列島に住んだ民の跡を思わせる地名が少なくありません。一つが現在考察している「香取神宮」であり、その西側一帯に広がる「アスカ」の名残をとどめる「栄」、「安食」などの地です。さらには印旛沼、我孫子、天王台などなどです。そして八街と表記する「ヤチマタ」です。この地名は上に引用した日本書紀記事を連想させます。
 しかし、ウイキはそれを全く否定します。次回、それを書きます。
(つづく)

+++++ 元外交官・孫崎氏にツイッタ
 孫崎氏が税逃れが目的かどうかは定かでないが、パナマ文書に財務省幹部の名前があると「呟いて」(ツイッタ)しています:
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孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru 5月26日
孫崎 享さんが文鳥さん ぶんちょうさんをリツイートしました
本当か。脱税の先頭切っている人々に財務省幹部。日本は、もう、どうしようもない国になってきている。
===リツイートされた記事のタイトルは
「パナマ文書の功績 消えた年金2000億円もパナマにあるのか?財務省の官僚の名前までリストに載っていた」でその所在は下記です:
http://j55.pw/G3UH 
 さて、その記事によると組織暴力団「稲川組」やら「年金損失」のAIJ(淺川和彦)氏やらの名前が登場します。丹念に名前を追跡すると我が国の闇の一端が見えてくるという感があります。そしてなんと下記の財務省幹部七人衆の登場と言うわけです。
panamaMOF7


 安倍氏が率いる現在の日本。何があっても驚きませんが、庶民から消費税増税を、そして大企業の企業減税を主導する財務省幹部が、自らは税金逃れといわれても仕方が無いことをやっている! 呆れますな。

+++++軍事研究
 学問研究は軍事研究と馴染むのか、それとも馴染まないのか?本ブログでも何回か私の思うところを書いて来ました。物事の背後の理屈を知りたいと思って研究してきた。ところがその結果は戦争と言う殺人目的に使われてしまった。その最も端的な事例が原爆研究です。戦後、大方の研究者がこうした忸怩たる思いのなかで「大学と軍事研究』の峻別を主張したのだと思っています。
大昔、左翼学生であった私はその想いへの共感はあります。しかし、翻って思うに、現実の研究の現場にあったならば、それほど明確に軍事研究か否かの区別は誠に難しいのです。それを学術会議・会長が語っています。
軍事研究と言うと工学的研究が対象であろうと思うと「さにあらず」なのです。生命を大勝とする医学・薬学は言うまでも無く、心理学は敵対国住民の心理撹乱に、また古文書学ですら、それは暗号形成、解読に有用というわけで、およそ軍事に転用できない研究分野は無いだろうと思っています。
となると、大学研究者はその成果については結局のところ最終的に自らの研究が非軍事的であるということは確言できないのです。
P527軍事研究


 多分大方の研究者は上に書いたようなことを感じているのだろうと思っています。そうした気分を助長するのがしたの記事です。そもそも、防衛省は国の行政機関です。そこが求める研究課題を大学が拒否する論理は無いはずです。これまでの日本にあっては、戦前の悲惨な経験から私のような「軽薄な左翼」思考で、「パブロフの犬」さながらに拒否反応していれば少なくとも「自らの良心」にはそむかずに済んだのです。しかし、現時点ではそうした安直な「仕分け」は通用しません。研究者の諸氏は熟考が待たれます。
P516軍学共同
 

(続)「チバラギ地震(1)』、フランスメディアが指摘する電通問題

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:二階の窓枠にかけた鉢植えに、断りも無く 巣作り始める番の 鳩)
P522鳩


  人(ひと)様の 花鉢植えに ずかずかと 上がり来たるは 番(つがい)のピジョン

 ったく、何を考えているのやら、であります。鳩の糞はかなり強い臭いを発します。それを嫌って追い払うのですが、隙を見ては、何時の間にやら座り込んでいます。しかもであります。勝手に「彼女」を連れ込んでくるのですから怪しからぬ話です(写真で雄が雌の上にのっかて居ます)。私なんぞは純情でありますから思わず頬が赤らんでしまいました。

+++++「チバラギ」地震とフィリッピン海プレート地震(2)
 前回、2016年5月16日茨城県で震度5強を記録した地震の発生位置を議論しました。この地震はどうやらフィリッピン海プレートの関東地方へのもぐりこみに伴って発生しているらしいことを示しました。
 ところで私が長く気にしているのが「チバラギ」地震群です。この地震は地表下60km辺りに発生し、その震央は霞ヶ浦西方から千葉県市原までほぼ南北に線状配列するという「奇妙」な活動を形成しています。通常この位の深さで発生する地震は大きな災害をもたらしません。しかし、線状配列の長さが80kmにも達しています(図1参照)。これだけの長さの活動帯が地下に潜んでいるということになります。この活動帯の成因は定かでありません。が、2013年10月26日のM7.7地震後に突如この域で地震活動が活発になっていることは以前も指摘しました。
 この地震帯の成因、今後の活動を予測するためにも先日の地震とその周辺を調べてみる必要がありそうです。
(図1: 2016年5月16日M5.4地震と、その周辺および「チバラギ」地震。2012年1月17日以降、M>4.5の地震(青 M>5.5、赤 M>5.5)。 上:防災科研公表図に加筆。ほぼ一年前に周辺で起きた横ずれ地震 下 赤点線楕円領域がチバラギ地震群)
chibaragi-smap


 図1の矩形領域で発生している地震についてABの鉛直断面で眺めて見たのが図2上です。この矩形領域は、5月18日記事の図4で示した矩形領域を南西に少しずらしたものです。その結果、フィリッピン海プレート上で起きていると思われる別の地震活動をとらえることができるはずです。その領域の上縁に件(くだん)の奇妙な地震が起きています。この地震がフィリッピン海プレート上で起きているのか否か、それがまずは関心事です。

(図2:鉛直断面(上)と地震活動の時間的推移(下)。横軸は地震の辺ACからの距離(km)。)
chibaragi-ddt


 上図からは2015年5月25日の地震がフィリッピン海プレート上の地震群とは離れておきている事が見て取れます。実はこれは大変興味深いことです。同様の現象を北海道東沖でも見ることができます。そこで、これについては後日詳細な考察をします。
 図2の下に目を移すとフィリッピン海プレートにかかわりのある地震活動は浅いほうから深いほうに向かって移動しているように見えます(図のmigrationと付されて左上がりの青い点線)。これは、5月18日記事で記載したことと整合しません。それはどのように理解さるべきか?これも現時点では説明を留保しておきます。

 図2で最も注目さるべきは、「チバラギ地震群」がフィリッピン海プレート地震活動群の下で起きていることです。とすると、この二つの力学的関係が少し見えてくるのかもしれません。

 今回は、当該地域での地震活動に関する現状を整理しました。さてここから地震防災に資するような考察を少しずつ進めてゆきたいと思っています。
(つづく)
 
+++++2020年の東京五輪が、本格的に「中止」となる可能性
 「Business Journal」誌(インターネット)が表記記事を掲載しています。視聴者をひきつける催し物を招致すれば金が儲かる。だから、招致運動に「金のやり取り」は当たり前であるとの開き直った本音むき出しの議論も聞かれるようになりました。国際オリンピック委員会(IOC)でなされるのは上辺(うわべ)の議論と言うわけです。私も実態はそうなのだろうと思っています。日本に五輪を呼びこむことで大儲けを見込めるものが居るからです。その「見込み」につけ込んで暗躍するのが「ビュロ」活動を生業とする人たちです。
 日本にあって大儲けを見込んでいるのが「広告会社」である電通です。その電通について、フランスのジャーナリストが書いていますので、その記事も転載しておきます。まずは五輪関連です。
 %%%%%「東京五輪返上か!」5月18日記事転載はじめ
http://biz-journal.jp/gj/2016/05/post_422.html

『2020年の東京五輪が、本格的に「中止」となる可能性が浮上した。』

 2020年夏のオリンピックの東京への招致に関連して、日本側が国際陸上競技連盟に協賛金を振り込んだ可能性があるとフランスの検察当局が明らかにし、本格的に捜査を始めた件。仮に不正が見つかれば、開催地が「ロンドン」に変更される可能性があると、海外mailOnlineが報じた。
 東京五輪招致委員会は、シンガポールのブラック・タイディングス社に2回にわたって2億超にもなる金額を送金。受け取ったのは国際陸上競技連盟会長ラミーヌ・ディアク氏の息子、パパ・ディアク氏とのこと。JOCはこの金銭のやり取りを「コンサル料」や「成功要因分析」としているが、受け取りの張本人であるパパ・ディアク氏と現在連絡が取れず隠れているという状況を考えれば、説得力には乏しいだろう。この「裏金問題」には、五輪開催の際にそのマーケティング部分を掌握する大手広告代理店の電通が絡んでいるという情報もあるが、ペーパーカンパニーを経由して送金していたという事実からも疑いの目を向けざるを得ず、堂々とコンサル費を支払わなかった事実も説明がつかないだろう。まだ不正が確定したわけではないが、極めて厳しい状況といえる。最終的にはIOCが決定を下すので一概にはいえないが、情勢は最悪である。
 ネット掲示板や経済アプリなど、様々な媒体で様々な人が意見を出しているが、もはや東京五輪への期待や希望など皆無に等しい。「中止なら残念だが、仕方がない」「多額の税金が無駄になるけど言い訳のしようがない」「いっそここで中止にすれば余計な費用負担がなくていい」「これ以上恥をさらす前に」などなど、もはや開催に関してネガティブな回答だらけの状況。
 もともとエンブレム問題に競技場ならびに開催にかかる費用の問題などゴタゴタ続きだった東京五輪への動き。開催後の財源と終了後の施設維持や利用をどうするのかもはっきりせず「負の遺産」が残される可能性も指摘されていた。結局は中には今回の中止可能性の報道を「朗報」と捉える声すらある。2020年後のことを考えずに突っ走る「老人たちの自己満足」が寸断されたという理由からこういった声も非常に多いのだ
 象徴的なのは、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長である。森会長は16日、「NEWS23」(TBS系)に出演し、大会経費が大幅に増える問題について「最初から計画に無理があった」と発言。何を今さら、他人事かという話である。その計画をコントロールしマネジメントするのがトップの務めだろう。「無理があった」の一言ですむなら簡単なこと。結局森会長をふくめ、大会を動かすトップ層が自分本意であることをさらけ出してしまった。財源が無尽蔵にあると勘違いしているからこそできるこの発言。さすがは失言の帝王といったところか。
 もはや国民から「歓迎されない大会」に変貌しつつある東京五輪。政府や招致委員会、電通に東京都は、仮に本当に開催中止となったらどう責任を取るのか。開催しようがしまいが誰も喜べないこの状況に呆然とするばかりだ。舛添要一都知事どころではない。
(文=odakyou)
%%%%%インタネット記事紹介終わり

 上記の記事に登場する「電通」の問題をフランスのジャーナリストが指摘しています。広告代理店が何故それほど絶大な権力をマスコミ界に及ぼせるのか?誠に不思議です。TVはスポンサからの金でドラマを作り報道番組、そして娯楽番組を作ります。その際、TV担当者がスポンサ企業を訪ねて制作資金の供与を依頼するわけではありません。そうではなく「電通」に話を持ってゆくのです。『電通』は、TV局の持ち込んだ企画を査定し、それを買い取ります。その上で、この企画を適当と見繕ったスポンサに売りつけるのです。つまり、仲介者(ブローカー)です。
 ブローカであるが故にTV業界を俯瞰でき、かつスポンサーたる企業・業界の意向も熟知することとなります。その必然の成り行きとしてTV界を意のままに操作しています。最近では電通の側から企画を立案しTVに持ちかけることも少なくないと聞きます。TV側にしてみれば、それで金が入るのですから否応はありません。その一例が今般の五輪東京招致です。それが大きな金に直結するからです。そこでその企画の実現のための『暗躍』が、フランス国での調査から明るみに出てしまったのです。この介在が公になることは電通が最も嫌い、警戒してきたところです。
 昨日朝のTBS報道番組は五輪招致に関わる金のやり取りを図解していました。そこに図示されていたのは「広告代理店」とあるのみでした。「電通」の名は「しっかり」と隠されていました。

(写真:マスコミにとってタブーである電通を問題視する週刊ポスト記事)
P523週刊ポスト


 TVが国内にいっせいに普及した頃、とある評論が「一億総白痴化」なる明言を吐きました。まさに事態はその通りに進行してきたようです。TVを握ることで、世論を思う方向に動かせる。それに気づいた政府権力者が電通の役割を最重要視したのです。かくして、電通と政府は癒着とも言える関係を構築してきました。その最も醜悪な事例が電気事業連合による原発広告です。

 その一方でTV局の企画を安く買い叩き、スポンサには高く売りつけることで、巨額の金を溜め込み、タックスヘイブンに隠すというわけです。こうした醜悪を日本のマスコミが指摘できるわけは無く、なんと国外のメディアがその闇を指摘したのです。以下はフランス・メディアが指摘する問題点です。

%%%%%フランス・メデャアが指摘する電通の闇
フランスメディアが報じた「メディアを支配する電通の12の真実」
http://netgeek.biz/archives/73535 
2020年東京五輪の招致に電通が絡んでいたとあって、海外からは電通とは一体何者なのかという声が多数あがっている。そもそも海外では多数の広告代理店が均等に存在しているため、電通ほどの力を持つ広告代理店というのは想像しがたいのだ。ここでフランスのinaglobalが報じた「電通は日本のメディアを支配しているのか?」という記事を紹介したい。
日本のメディアが絶対に報じることができない不都合な真実が書かれている。
参考:Le publicitaire Dentsu tire-t-il les ficelles des medias japonais ?
1.電通は日本を牛耳る企業で、メディア関連としては世界5位に位置する巨大企業。原子力産業においては大きな利権を手に入れようとしており、反原発派の山本太郎がテレビに出ようとしたときは圧力をかけていた。
2.電通のシェアは独占状態といっても過言ではない。電通の広告シェアは50%で博報堂が20%なのでもはや独占禁止法に抵触していると捉える人もいる。ここまでシェアを握ってしまえば正しくないことが起きるに決まっている。
3.博報堂出身の本間龍氏によるベストセラー書籍「電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ」では、電通はとにかく何らかの形でメディアに食い込もうとし、原子力関連の8割の広告を支配していると書かれた。
4.原発事故が起きたとき、テレビ局は良いスポンサーである電力会社を敵に回したくないと、報道を一部自粛していた。
5.そんな日本において、堂々と政府批判をするテレビ朝日の報道ステーションは貴重で有益な存在であった。もっとも、古舘伊知郎氏は圧力に負けて辞めてしまったが…。
6.唯一スポンサー収入に依存しておらず、国民からの受信料で自由な報道ができるはずのNHKは会長が安倍政権とズブズブの関係を保っている。だから政権批判が出せず、政府発表を伝えるだけの政府広報メディアになっている。熊本で地震が起きたときも原発問題には言及しないよう命令が下った。
7.原発で何か問題が起きるとすぐに電通の社員が営業の人間経由でメディア側にやってきて報道を自粛するようにお願いしてくる。電通経由の広告で成り立っているメディア側は当然電通に逆らえない。
8.現場の記者は電通の圧力を知らず、自分が書いたスクープ記事が紙面に載らなかったり、一部表現が変わっていたりするのを不審に感じる。そもそも気づかないこともある。
9.福島原発事故が起きて以来、原子力関連の広告は減ったが、代わりに福島の農産物をPRするという美味しい仕事が電通に降ってきた。
10.電通が政府ともずぶずぶの関係にあってときに協力したりするのは、電通出身の政治家が多いから。安倍総理の奥さん安倍昭恵婦人も電通出身。
11.日本の報道の自由ランキングは発展途上国レベルまで転落している。
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※2016年は72位。

12.トヨタのアクセルペダルに不良が見つかったとき、日本のメディアは一斉に自粛し、不祥事をなかったことにしようとした。もっともトヨタの社長がアメリカ議会で非を認めて謝罪してからは隠しきれなくなって少し報道され始めた。言うまでもなくトヨタは有力な広告主なので怒らせてはいけない。
2020東京五輪の不正招致疑惑ではメディアが一斉に電通の名前を隠し、批判の声が高まってからも「D社」と表現し続けた。それにより電通とメディアの関係が不適切であるものということが確定した。
▼国会では、日本オリンピック委員会の竹田会長がコンサル会社の選定には電通からの助言があったと発言した。JOCの幹部はすでに竹田会長と矛盾する証言として「コンサル会社と陸連会長に裏の繋がりがあることを知ったうえでお金を振り込んだ」と認めている。
メディアを支配することで情報統制を行う電通はこのまま野放しにしておいてもよいのだろうか?日本は北朝鮮を笑っていられない。
ただ、これまではテレビ・ラジオ・新聞を牛耳れば容易に言論弾圧できたのに、ネットの登場で即座に真実が行き渡るようになった。
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とりわけウェブメディアとSNSの強力タッグは強い。スポンサーがつかないほど小さなメディアでも有益な記事を出せば、SNS経由ですぐに広まるからだ。無数にあるウェブメディアを全て掌握するのは不可能に近く、今後、電通が唯一頭を悩ませるところになりそうだ。
%%%%% 記事紹介おわり

小保方氏 不起訴、「かとり」問題は神道の起源

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(写真:朝日を映す用水路に浮かぶ鴨。どうもこのところ写真題材は鴨に偏っています。用水路に一羽、右上方の水田に一羽。どうやら夫婦喧嘩で一羽はあてつけで用水路に飛び込んだのか?水田を低く滑空するツバメも撮りたいのですが、それは私の撮影能力を超えます)
P52用水路鴨

 
 朝の日を 赤く映した 用水路  一羽の鴨が さびしげに浮かぶ 

 
 熊本地震の背景を考えてみようとすると、茨城県南部地震が起きました。日本の宗教体系の考察を再開線とするとパナマ文書、五輪贈賄・収賄問題です。次から次と色々な事件が起きます。結果として本ブログもあちこちに話題が移り、誠に落ち着かない事態となっております。アルゼンチン・ブエノスアイレスで2020年夏のオリンピック開催地を決めるIOC国際オリンピック委員会の総会での、東京によるプレゼンテーションの一環として滝川クリステルさんが「おもてなし」の心をアピールし、IOC委員に東京招致を訴えた、との事です。「おもてなし」とは「表(おもて)無し=裏がある」との暗意であったとは、昨今ネットで囁かれている噂であります。

 色々あった中で本日書きとめて置きたいことはSTAP事件です。Business Journal誌が小保方氏の告訴を検察庁が立件しなかったことを論じています。事件の経緯を見守ってきた私には、今般の検察の「不起訴」処分はきわめて妥当と思えます。NHKと毎日新聞記者が理研の政治的思惑に便乗して殊更に大事件に仕立て上げたと思えるからです。以下にその議論を転載しておきます。

%%%%%小保方氏不起訴
http://j55.pw/NgbV 
STAP問題、小保方氏犯人説を否定する検察判断…嘘広めたNHKと告発者の責任問われる
文=大宅健一郎/ジャーナリスト

 STAP細胞をめぐる問題で、理化学研究所の研究室から何者かがES細胞を盗んだ疑いがあるとして2015年5月14日、元理研研究者である石川智久氏が刑事告発していた。しかし、1年あまりの捜査の結果、今月18日、神戸地方検察庁は「窃盗事件の発生自体が疑わしく、犯罪の嫌疑が不十分だ」として不起訴にした。

 地方検察庁が「窃盗事件の発生自体が疑わしい」という声明を出すのは異例だが、この騒動は一体なんだったのだろうか。
 告発者の石川氏は、当時メディアに対して次のように発言していた。
「私の調査から、小保方晴子氏が若山照彦教授の研究室(以下、若山研)からES細胞を盗み出したと確信した。(告発しなければ)さもないと日本の科学の信頼は地に落ちたままである」
 さらに石川氏は、独自に入手したという小保方氏の研究室(以下、小保方研)のフリーザーに残されていたサンプルボックス(細胞サンプルが入った容器)の写真をマスコミに提供し、そこにあるES細胞が動かぬ証拠だと主張していた。しかし、その後の調査によって、このサンプルボックスは若山研が理研から引っ越す際にそのまま残していった、いわゆるジャンク細胞(使い道のない細胞)であったことがわかった。
 理研では細胞などの試料を外部へ移動させる際には、MTA(試料提供契約)を必ず提出しなければならないことになっている。だが、証拠として示したサンプルボックスに関しては、若山研からMTAが出されていなかったのだ。さらに、理研に対し若山研から盗難届も出されていなかったことも判明した。
 理研関係者に取材したところ、若山研に限らず、研究室が引っ越しする際に使わない試料をそのまま置いていくことが多かったという。残されたジャンク細胞の処分問題に理研も苦慮していた。小保方研にあったサンプルボックスも、そのひとつだったのだ。
 このサンプルボックスは若山研が13年に理研から山梨大学へ引っ越す際に残したものだが、その時点ではSTAP細胞の主要な実験は終わっており、英科学誌「ネイチャー」向けの論文作成が佳境に入っている時期だった。
 石川氏の主張が正しいなら、小保方氏は実験終了後にES細胞を盗み、過去にタイムトラベルをしてES細胞を混入させたSTAP細胞を若山氏に渡したことになる。このような非現実的な主張を、当時のマスコミは裏も取らずに大々的に取り上げ、小保方氏をES細胞窃盗犯のように報道していた。
つくられた小保方氏犯人説

 さらにこの告発には伏線があった。14年7月27日に放送されたテレビ番組、『NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層』である。同番組内では、若山研にいた留学生と名乗る人物(後に、Chong Li博士と判明)が登場し、小保方氏の研究室にあったサンプルボックスについて次のように証言していた。
「びっくりしました。保存しているのは全部ES細胞ですので、なぜかSTAP細胞に関係があるところに見つかったのは本当にびっくりしましたね。(小保方氏に)それを直接私が渡したことはないです」(Li博士)
 この発言を受けて、番組では次のようなナレーションを流していた。
「なぜこのES細胞が小保方氏の研究室が使う冷凍庫から見つかったのか、私たちは小保方氏にこうした疑問に答えてほしいと考えている」
 Li博士に対しては石川氏も取材したといい、Li博士は「(若山研では、続きの実験が計画されていたので、実験を)山梨大で続けるつもりだったが、ES細胞を紛失したことで、それを断念した」と語ったと証言している(「フライデー」<講談社/15年2月6日号>より)。
 そもそもLi博士のES細胞は、STAP研究とはまったく関係のない種類のES細胞であることは、石川氏の告発状が出される時点で判明していた。それにもかかわらず、『NHKスペシャル』と同様に石川氏は、あたかもLi博士のES細胞がSTAP研究に混入されたとされるES細胞と同一であるかのような告発状を作成し、マスコミに配布していた。石川氏の告発内容がのちに虚偽であったことが判明したが、マスコミはその告発状の論旨をベースに国民をミスリードさせていった。
 また、若山研ではES細胞を紛失したため実験が続けられなくなったと報道されたにもかかわらず、若山研から理研に対し紛失届が出されていない。本当に必要なサンプルだったのならば、実験を断念せず、理研に紛失届を出すのが自然だろう。それを出さずにマスコミに「盗まれたかもしれない」とリークする目的はなんだったのだろうか。NHKや毎日新聞がそうであったように、石川氏も若山研を情報源とするものが多いが、何か理由があるのだろうか。
 同番組放送後、世間は一気に「小保方氏犯人説」に傾いていく。その影響は今なお色濃く残っている。NHKは十分な取材をしたと主張しているが、なぜMTAを確認するという基本的な裏取りをせずに、このようないい加減な放送をしたのか疑問である。
 同番組は、昨年8月からBPO(放送倫理・番組向上機構)の審理に入っている。今年4月26日、BPO臨時委員会が行われ小保方氏からヒアリングを行っている。同日出席するはずだったNHK番組関係者は、熊本地震の取材を理由に全員欠席した。
NHKスペシャル、そして石川氏による刑事告発によって、小保方氏の名誉は著しく毀損した。一人の研究者であり、ひとりの人間である小保方氏の人生を破壊しかねないこの事案に対して、今後どのような責任を取るのだろうか。そして野次馬のように小保方犯人説に便乗し、個人攻撃を徹底的に続けてきた無数の人物に問いたい。「あなたは、あなたの無神経な批判の刃の先に倒れたひとりの人間の人生を想像することができるのか」と。
(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)
%%%%%

+++++「神道」の起源
 2015年8月3日記事(http://j55.pw/E5W4 )で、私は藤原不比等が日本列島の宗教体系についての基本設計をしたのだろうと書きました。その出発点と思えるのが現在の「香取神社」であるらしい。その不比等の「構想」がどのようにこの神社にもりこまれているのだろうか?それが私の問題意識でありました。しかし、この自らの問いへの応答は、即、「神道」問題に足を突っ込無と言う無謀なる行為ではなかろうかと躊躇っています。私には過ぎた課題です。ここは、安直にこの問題をやり過ごすことにします。名瀬ならそもそもの考察は「中」一派の日本列島制覇の過程を辿ることにあるからです。

 ところで、「神道」とは、一体どういうものなのか?ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキ
 神道(しんとう)は、日本の宗教。山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[1]。
神道は古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[2][3]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[4]。
神道には確定した教祖、創始者がおらず[5]、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが[6]、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[7]。森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[8]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神と共にあるの意)」であるといわれる[9]。教えや内実は神社と祭りに中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる。
神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた(神仏習合)。一方で伊勢神宮のように早くから神仏分離 して神事のみを行ってきた神社もある。明治時代には天皇を中心とした国民統合をはかるため、全ての神社で神仏分離が行われた。
神道と仏教の違いについては、神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[2]。
%%%%%

 どうもウイキの記述はピンと来ないのです。ウイキ記事は
「山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神」
と、書きます。が、日本書紀はこれらの「信仰」体系を「平らげた」と露(あらわ)に書いていることを前回記事でも書きました。現実には「土産」(うぶすな)神に対しては、その支配は貫徹できなかったようで、地方ではひっそりと信仰が維持はされています。

 実際に多くの日本人が体験または見聞する「神道」はこうした緩やかなものではなく、もっとイデオロギッシュなものではないでしょうか?神道の実践の場が神社です。その神社をたばねて居るのが『神社本庁』です。これは勿論国の機関ではないけれども伊勢神宮に本拠を置き、『憲法改正運動』にも積極的に関わっています。又、今大きな問題となっている安倍首相の思想的背景もなす母胎である「日本会議」の副会長は神社本庁の総長です。と言うわけで、「神道」から多くの人が連想するのが「右翼思想」です。「左」、『右』に分類することの是非はともかく、我が国のあり方を一方の側に牽引せんとの強い意気込みを「神道」に感じます。私が強く危惧するのがその論拠を「古事記」、「日本書紀」に求めていることです。そのことを指して私は「強くイデオロギッシュ」と呼んでいます。そこでは、古事記、日本書紀を通じて列島の歴史を編纂した藤原不比等の政治的意図については全く勘案されずひたすら「万系一世」のみが一人歩きした史観に出発しています。これが、ウイキの記載にもかかわらず「神道」なるものを『狭く」してしまっているのです。

 この強いイデオロギ性の大元となっているのが日本書紀巻〔二〕の以下の記述です(何回も引用しているので現代文による文意は付しません)。
「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 「楫(かじ)取之地」からわかることは、ここが「水運」の地であったことです。不比等がこの地に込めた思想は上記の書紀の記述から想像するしかありません。そこで、まずは上記に記載された顛末にいたる経緯を簡単に振り返っておきます。

 七世紀初頭頃まで、九州、四国西半分および本州西端に覇をなしていたのがスカ・高一族と「磐」(アイヌ)の連合勢力です。スカ・高一族がシリウス星〔日本書紀はそれを「甕」(みか)星と書く〕を奉じ、五世紀頃に遠く西アジアから北方経由で東北日本に渡来します。その地にいたのが「磐」なる漢字で表記され、後に「蝦夷」と書かれる「アイヌ」族です。東北の地で、この二族は友好的な関係を築きます。その具体的痕跡が須賀川市に残されていることを書きました〔2014年8月15日記事〕。

 時は五世紀末から六世紀半ばごろ。彼らは日本列島の西南に勢力拡大を決行します〔7月29日記事中の表。それが気候変動による凶作によって誘導されたのか否かは現時点では定かでありません〔現在調査中です〕。

 七世紀の中ごろから大陸の勢力が奈良盆地に長く生息した勢力と結託して、九州の勢力に干渉を仕掛けてきます。それが磐井の乱であったろうと私は考えています。この乱をきっかけに九州の勢力と奈良盆地の勢力との間に軍事的衝突が繰りかえされました。その一つが「神仏戦争」であり、「乙巳の変」〔日本書紀によれば、西暦645年〕です。そしてこの戦いの優劣をほぼ決したのが、西暦663年の白村江の海戦とそれに引きつづく唐・新羅連合軍の九州進駐です。九州勢力による激しい抵抗が「壬申の乱」です。しかし力及ばず、彼らは東に追われます。日本列島にあってこの戦乱の主役をつとめたのが、唐・新羅進駐軍の軍事力に支援された藤原不比等の軍勢です。

 かくして、「スカ・高・磐」一派は追い詰められ、遂に現在の利根川の北に逃散したのです。
上の日本書紀の記事は不比等の側による戦勝宣言なのです。しかし、日本書紀はそれ以上を語りません。不比等の言わんとした事を香取・鹿島神社の配置から想像してみようというのが当面の目標です。 

(つづく)

茨城南部地震(5月16日夜9時半)、パナマ文書論議(ネット記事より)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:鴨というのは俳句の季語としては使いづらいのだそうです。「渡る」となれば秋、「帰る」となれば春、「居残る」となれば「???」であります。)
P5130006


 波(なみ)蹴(け)たて 番(つが)って 泳ぐ 夫婦(めおと)鴨   
 
 
 月曜日の夜9時半ごろ、突然下方から突き上げられるような震動を感じました。数秒後(いや、もっと時間が経過していたかもしれません)、大きく家が揺さぶられました。2011年3月11日後の連日の大きな一連の地震の再来かと危惧しました。なにやら物が落下する音、倒れる音がしました。幸いにして程なく揺れは収まりました。落下物も転倒物も大きな震害にはほど遠く安心しました。
 私は、かねてより「チバラギ地震〕(現ブログ管理人による造語、2014年10月13日記事参照)について危惧を感じていました。「いよいよ来たか!」、「1977年ルーマニア地震の日本版か!」などが頭を駆け巡りました。しかし、地震速報によれば、震央は「チバラギ地震〕群よりも大分西にずれていました。

 しかし、事態はそれで収まりませんでした。翌日早朝7時ごろ立て続けに二発の地震に見舞われました。いずれも最初は下方から持ち上げられるような揺れです。多分余震と思われます。地表下50km程度の深さの地震では顕著な余震を伴いません。これは異常事態襲来なのかもしれません。てなわけで、予定していた熊本地震関連の話を延期し、今般の茨城県南部地震を書きます。
(図1:東京新聞5月18日記事)
P518余震


 まずは防災科学技術研究所HP(http://www.hinet.bosai.go.jp/ )「最近の大きな地震」コーナの閲覧です。上の大きな図が最近の地震の震央分布です。その下が発震機構図で、これによるなら、今般の地震は傾斜角の浅い典型的な「逆断層型」です。その圧縮軸の方向からフィリッピンプレートの関東地方下への潜り込み運動が起こしたと考えることができます。
(図2:防災科学技術研究所HPより)
Hinet16051621


 下は、東西断面を南側から見た震源分布と、発震機構図の鉛直断面への投影です(南側から見ている)。いずれにしてもこの図を見る限りでは茨城県南部下の最も地震活動が「ゴチャゴチャ」している場所で発生していることがわかります。このあたりは、どうなっているのか?それが気象庁資料で見えてきます。

 通常、気象庁はこの程度の地震では「報道用資料」なるものをプレス関係者に配布しません。しかし、熊本地震ゆえでしょうか、それが準備され我々もネットで見ることができます: http://j55.pw/P2nn (気象庁発表文書)
 (図3:震源の位置、震央と深さ(気象庁発表資料より) http://j55.pw/P2nn )
JMA160516sd


 気象庁解説文書に付された図からわかることは昨日の地震は東京、千葉、茨城、埼玉、群馬の下に潜り込むフィリッピンプレート上で発生したことです。もう少し詳しいことが見えてこないものだろうか?因みに上の図で2014年9月16日の地震が示されています。村井俊治東大名誉教授が「予知」していたとしてマスコミで大いに評判になった地震です。
  
 ところで、私がかねてより危惧する「チバラギ」地震群と今般の地震には関わりがあるのでしょうか?それには、現ブログ管理人が作成したコンピュタプログラムを使います。地震活動が活発な地域ですから、調べる期間が長いほど特徴が隠れがちです。この地域では、既に書きましたが、2013年10月26日の日本海溝はるか東沖の地震後に地震活動が励起された気配があります。そこで、選ぶ地震はこの日以後で、且つM>4.5を満たすものに限るという制約をつけます。

(図4:茨城周辺の活動:地震活動期間2013年10月26日〜2016年5月16日、M>4.5、座標は2013年10月26日地震の震央を原点にして、東を横軸の正方向、北を縦軸の正方向にとっている。)
160516Siba1


 図中で“Saibaragu”とは、ブログ管理人の新たな造語です。左上に北西から南東に羽線状に並ぶ新たな地震群が見出されたのでそれに命名したものです。それは20kmほどの長さにわたっています。そこで、この地震系列を含む矩形領域を設け、その中での地震群の発生様式を見たものが下の図5です。
 
(図5: 図3で示された領域の地震活動についてその深さ分布,罰萋阿了間推移△鮗┐后 ↓△硫軸は図4で示した矩形領域のABに沿う距離をAから測った(km)。△僚勅瓦2013年10月26日地震発生時からの経過時間(day))
160516Siba03


図5,虜絃紊房┐靴震隶の先に線状の地震活動がみられます。この線状配列は関東地方の下に潜り込むフィリッピンプレートの形状を反映しているとか投げることが出来ます。具体的にはそのプレートの上面であろうと思われます。少なくとも地下60kmあたりまでは、関東地方を形成する陸のプレートとフィリピンプレートが相互作用(こすれあっている)していることを示しています。
 そこで、これらの地震活動の発生を時間経過に従って眺めたものが図5△任后左下の矢印に促される方向に分布する地震群が認められます。700日間で20kmほどのスピードで地震源が動いているようです。0.3mm/secときわめて低速です。プレートの傾斜角度を30度とすれば、地表までの距離は70kmと見積もることが出来ます。このスピードで震源が移動すると仮定すれば700days * 3.5 = 2450 days( = 6.7 years) 後に震源は地表に達する、つまり関東地震と言った予測もありえます。これは大変乱暴な推定です。たかが10kmほどの小さな領域での震源移動から出発しているからです。こんな推定もありえるという参考までに書きとどめました。

 最近の関東大地震は1923年9月1日、つまりおおよそ93年前に発生しています。気象庁が上記の解説文書はもう一つ図を添付しています。そこには、この近傍で、起きた顕著地震のいくつかが示されています。そのうちの一つは関東地震の8ヶ月前1月24日の地震です。、もうひとつはずによれば関東地震の発生したその日となっていますが、これは多分龍ヶ崎地震と思われます。そうとすればその発生は1921年12月8日で、およそ2年前ということになります。

 (図6:東京湾の 北茨城県界隈の顕著な地震活動)
JMA20160517-060544

 こうしてみると「サイバラグ」(埼玉茨城――群馬)地震活動線も「チバラギ〕地震群に加えて要監視であるということです。空間的に近いこの二つの地震群には関わりがあるはずですが、現時点ではそれを解明する手がかりはありません。何がしかのモデルを仮定して数値シミュレーションをするなどが必要かもしれません。

+++++パナマ文書(再)
 5月10日にインタネット上で公開された「パナマ文書」について、あの驚愕はやや収まった感があります。実際、名前だけからその内実に迫ることはジャーナリストにとってすら相当難しいようです。ここは各国政府の税担当部署に頑張ってもらわねばなりません。
 しかし、この「鎮静」は背後の闇の存在を思わせます。そんな指摘をしている記事を見つけましたので、少々長いのですが以下に添付します:
%%%%%『ビジネス知識源プレミアム』2016年5月11日号より
http://j55.pw/u7jn
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治 2016年5月12日
本稿では、バージン諸島のタックス・ヘイブンを暴く「パナマ文書」が公開された目的を推理します。南ドイツ新聞にファイルを送信した「ある人物」は、どんな目的でこの情報を公開したのか?単に正義感からというのはナイーブに過ぎるでしょう。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年5月11日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に無料のお試し購読をどうぞ。
決して正義感からではない、パナマ文書暴露「真の目的」とは
「富裕層のペーパー・カンパニー」は本題にあらず
5月10日にパナマ文書の内容が公開されて、波紋を広げています。しかし、富裕層や権力者がペーパー・カンパニーを作りそこにマネーを移動していることは、問題の本筋ではないのです。その金額は、全体から見れば小さい。
(注)ただし、中国の習近平国家主席の親族の口座の問題は、今後、体制を揺るがす問題に発展するかもしれません
大きな問題点は、世界のほとんどの大手金融機関が子会社やペーパー・カンパニーを作り、そこに資金を移動して運用していることが明らかになってきたことです。
【関連】「パナマ文書」の目的と国内マスコミが報じない国際金融の闇=吉田繁治
公開されたデータでは、バンク・オブ・アメリカ、ウェルズ・ファーゴ、JPモルガン・チェース、シティ・グループ、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスなど、ウォール街の大手銀行がほぼすべて出ています。
加えて、英国のグローバル・バンクであるHSBC、バーレイズ、ドイツ銀行、フランスのBNPパリバ、ソシエテ・ジェネラル、オランダのABNアムロ、スイスのクレディ・スイスやUBSなど、世界中の大手銀行の名前が出ているのです。大手グローバル・バンクは、子会社のプライベート・バンクも通じて、タックス・ヘイブン(租税回避地)を使う課税逃れを、顧客への金融商品にしてきたからです。
当然でしょう。『タックス・ヘイブンの闇(邦訳2012年)』を書いたニコラス・シャクソンは、「世界の銀行資産の50%は、タックス・ヘイブンにある」と書き、IMFもそれを肯定していたからです。
世界の銀行の総資産は、世界のGDP($60兆)の約2年分($120兆:1京3200兆円)くらいでしょう。その半分は、$60兆(6600兆円)です。わが国で最大の、三菱UFJフィナンシャルグループの総資産が286兆円(15年9月)ですから、その23倍です。<中略>
「パナマ文書」が暴露されるまでの経緯
経緯は、以下のように報じられています(ニューズウィーク誌)。
・2014年末に、ある人物が南ドイツ新聞の記者(バスチアン・オベルマイヤー)に暗号化されたチャットを通じ、連絡をつけてきた。
・その人物は、「犯罪を公にしたい」と言ったという。
・実際には顔を合わせず、連絡は、暗号化されたチャットのみだった。
・その理由は、「情報を暴けば命がなくなる」からだということだった。
オベルマイヤー記者は、暗号を使うチャットのチャンネルを時々変えて応対し、コミュニケーションの内容はその都度、消去している。パナマ文書のファイルは、少しずつ南ドイツ新聞に送られてきた。書類を作っていたパナマの法律事務所は、「モサク・フォンセカ」と言った。
1977年から2015年12月までの記録で、記事は1150万点に及ぶ。文書サイズも2.6テラバイトと巨大である。
2010年にウィキリークスによって暴露された米国外交文書が1.73ギガバイトでしたから、情報量はその1500倍です。
Next: 命の危険を冒して情報を公開した「ある人物」の本当の動機とは?
「ある人物」の本当の動機とは?
この文書を受け取った南ドイツ新聞は、非営利団体の「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」に連絡し、ICIJでは76か国の400人の記者が協力して解読したという。日本では、朝日新聞と共同通信が協力しています。
「ある人物」は命の危険を冒しながら、どんな目的で、この情報を公開したのか?単に正義感からというのは、ナイーブに過ぎるでしょう。
国際ジャーナリストの丸谷元人(はじめ)氏は、雑誌『VOICE』の6月号で以下のように書いています。
パナマ文書公開 真の目的
ドイツの金融専門家エリスト・ヴォリファ氏は『スプートニク』のラジオ放送において、その真の目的を明らかにしている。すなわちパナマ文書の目的とは、「ただ、米国内のタックス・ヘイブンに資金を流入させることだ」と言うのだ。
出典:雑誌『VOICE』6月号
米国のタックス・ヘイブンは「世界最高額」
米国には、デラウェア州をはじめ、ワイオミング州、ネバダ州、サウスダコダ州などにタックス・ヘイブンが存在します。タックス・ヘイブンは政府の規制を逃れた金融なので、その金額は不明です。
しかし、「米国のタックス・ヘイブンは世界最高額」とも言われてきたのです。
その機密を公開しない点では、悪名高いルクセンブルグとスイスを抑えて米国、特に「デラウェア州(人口90万人)」が1位とされます。
米国は、海外(オフショア)ではなく国内に強力なタックス・ヘイブンを持っているのです。2015年だけで、13万3297社が新規に法人登録されたという。これで、米国の公開会社のうち50%が、デラウェアで法人格を得ています。
オフショアに法人を作れば、そこであげた金融利益は、本国に持ち帰るとき(送金すれば)、その時点で、マネーの来歴が調査されて課税されます。しかし、米国内にあれば持ち帰る必要がない。
この意味で、米国企業と金融機関は、自己の内部に、タックス・ヘイブンをもつことが可能になります。デラウェア州の法人所得税は2%と言う。
Next: タックス・ヘイブンを「発明」した英国政府とペンタゴン(米国防総省)
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治
2016年5月12日
パナマ文書公開は、米国が世界に向かって仕掛けた「戦争」だ
パナマは独立国ですが、実体は、旧宗主国の米国が支配しています。このため、米国政府(ペンタゴン)にとって、パナマの民間法律事務所がもつ情報を、ハッキングという形をとりながら偽装して得ることは、簡単だったでしょう。
米国が、英国の支配下にあるタックス・ヘイブンの名簿を、ばらまいて世界に公開したことの目的が、「英国系のタックス・ヘイブンのマネーを、米国のタックス・ヘイブンに呼び込むこと」であるのは、傍証からではありますが確かなことのように思えます。
「英国系のタックス・ヘイブンは危ない。米国系は安全である」と示すためでしょう。2016年1月27日付けのブルームバーグは、「今や利に聡い富裕層はせっせと米国内に富を移動させている」とも言う。
パナマ文書を、「ある人が正義にかられ、命の危険を冒して暴露した」とは、到底思えません。本人にとっての利益がどこにあるのか、考えることができないからです。
パナマ文書は、米国が世界に向かって仕掛けた「金融情報戦争」でしょう。インターネット時代には、「兵器」も情報化しているのです。
オフショアからの日本株の売買と所有
日本の株の取引総額は、2016年は、1日2.5兆円くらいです。この売買のうち70%(1.75兆円/日)は、海外からの売買と集計されています。
海外から日本株を売買するのは、そのほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンからです。海外投資家の日本株の保有シェアは、日本人個人より大きくなっていて、30%です。
東証の時価総額は一部(508.0兆円)、二部(5.8兆円)、ジャスダック(7.8兆円)です。合計は521.6兆円です(16年5月10日:日経平均1万6576円)。一部(1956社)の全銘柄の予想PERは15.88倍です。予想PERが15.88倍ということは、一部の1956社の合計での、次期の税引き後純利益が「時価総額508兆円÷15.88倍=32兆円」と予想されていることを示します。
この日本の上場株のうち、30%(156兆円)のほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンにあることになります。当然この株投資の利益に対する課税はないのです。
本国に持ち帰ると、マネーの来歴の調査があった場合、利益分に課税されます。そのため、タックス・ヘイブンに置いたままにしている人が多い。このためもあって、タックス・ヘイブンのマネーが膨らみ続けているのです。
日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治
2016年5月12日
最初にタックス・ヘイブンを「発明」した英国政府の狙い
マネーの運用で得た所得への課税を回避するタックス・ヘイブンの仕組みは、第一次世界大戦の後、英国政府が植民地に作ったものが最初です。戦争で産業が破壊され、空洞化した英国は、NYのウォール街のように、「世界からマネーが集まる金融システム」を作ろうとしたのです。
そのための仕組みが、タックスシェルター(租税の回避)になるタックス・ヘイブンでした。英国政府は、本国の課税が及ばない地域を作ったのです。
このため、タックス・ヘイブンのほとんどは、今も英国の旧植民地です。アジアでは、香港、シンガポール、インド(ムンバイ)などです。
今回、パナマ文書で明らかにされたのは、タックス・ヘイブンの中でも大きな、英領バージン諸島の名簿と取引内容です。
(注)当然のこととして、米国のタックス・ヘイブンの名簿は載っていません
「マネーがマネーを作る」仕組みを謳歌していた英国
タックス・ヘイブンのおかげで、英国の金融機関は、世界のマネーを集めています。集まったマネーは、金融商品(世界の株、国債を含む債券、デリバティブ)に投資し、マネーがマネーを増やす仕組みを作っていく。
「マネーがマネーを作る」ということが分かりにくいかもしれません。実例を言います。例えば株に1兆円の投資をします。これは1兆円の株を買うことです。株価は、売りより買いが多ければ、上がります。
株価が30%上がれば、投資した1兆円は、1兆3000億円に増えます。これが「マネーがマネーを作る」ことです。金融のキャピタルゲインは、買うお金を増やすことで「作ること」ができるのです。
(注)安倍政権も、GPIFの資金で、株価を上げ「マネーがマネーを作る」ことを行っていますが、2016年にはそれが剥がれています
「金融面での国防」をも担うペンタゴン(米国防総省)
ペンタゴン(米国防総省)は、物理的な国防と同時に、金融面での国防も担っています。私がこれを知ったのは、ジェームス・リカーズの『通貨戦争』によってでした(邦訳2012年:朝日新聞出版)。
リカーズは、ペンタゴン所属の、戦争の分析を行う「APL(応用物理研究所)」に招かれ、ヘッジ・ファンドや投資銀行を使った通貨戦争のシミュレーションに加わっています。その内容を書いたのが『通貨戦争』です。
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日本の大マスコミが報道しない「パナマ文書」暴露、本当のタブー=吉田繁治
2016年5月12日
パナマ文書公開は、米国が世界に向かって仕掛けた「戦争」だ
パナマは独立国ですが、実体は、旧宗主国の米国が支配しています。このため、米国政府(ペンタゴン)にとって、パナマの民間法律事務所がもつ情報を、ハッキングという形をとりながら偽装して得ることは、簡単だったでしょう。
米国が、英国の支配下にあるタックス・ヘイブンの名簿を、ばらまいて世界に公開したことの目的が、「英国系のタックス・ヘイブンのマネーを、米国のタックス・ヘイブンに呼び込むこと」であるのは、傍証からではありますが確かなことのように思えます。
「英国系のタックス・ヘイブンは危ない。米国系は安全である」と示すためでしょう。2016年1月27日付けのブルームバーグは、「今や利に聡い富裕層はせっせと米国内に富を移動させている」とも言う。
パナマ文書を、「ある人が正義にかられ、命の危険を冒して暴露した」とは、到底思えません。本人にとっての利益がどこにあるのか、考えることができないからです。
パナマ文書は、米国が世界に向かって仕掛けた「金融情報戦争」でしょう。インターネット時代には、「兵器」も情報化しているのです。
オフショアからの日本株の売買と所有
日本の株の取引総額は、2016年は、1日2.5兆円くらいです。この売買のうち70%(1.75兆円/日)は、海外からの売買と集計されています。
海外から日本株を売買するのは、そのほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンからです。海外投資家の日本株の保有シェアは、日本人個人より大きくなっていて、30%です。
東証の時価総額は一部(508.0兆円)、二部(5.8兆円)、ジャスダック(7.8兆円)です。合計は521.6兆円です(16年5月10日:日経平均1万6576円)。一部(1956社)の全銘柄の予想PERは15.88倍です。予想PERが15.88倍ということは、一部の1956社の合計での、次期の税引き後純利益が「時価総額508兆円÷15.88倍=32兆円」と予想されていることを示します。
この日本の上場株のうち、30%(156兆円)のほとんどは、オフショアのタックス・ヘイブンにあることになります。当然この株投資の利益に対する課税はないのです。
本国に持ち帰ると、マネーの来歴の調査があった場合、利益分に課税されます。そのため、タックス・ヘイブンに置いたままにしている人が多い。このためもあって、タックス・ヘイブンのマネーが膨らみ続けているのです。
%%%%%ネット記事転載終わり

熊本地震一ヶ月

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:この時期は見かける鳥も種類が多くなりました。鴨、ツバメ、雉、背黒セキレイ、などなど。常連は鳩、カラス、雀。畦道を餌となるであろうカタツムリ、毛虫、ミミズなどが這いずっています、クリックすると拡大できます)
P516白鷺0


水面に 映る自分の 美しさ 思わず見ほれる 白鷺一羽

 
+++++熊本地震 一ヵ月
 安倍首相の支持率が上がったそうです。一昨年の広島地すべり大災害時にはゴルフにかまけていたことが明るみに出ました。それに懲りたのでしょう。「有能」なお側付き官僚の指示で今般の熊本地震では発災後数日で被災地を訪ね、被災者救援のための指示をする様子がTVの「絵」になっていました。それが支持率のアップに繋がったとの事です。
 内閣総理大臣への支持は国政全般および外交政策など広い視野からevaluate(横文字を使ったのは「評価」と言う日本語に曖昧さが漂うためです)されるべきです。目先の一々に「支持率」を問う現今のマスコミ報道のあり方には強い疑問があります。TVでの絵、それは『電通』の指図なのでしょう。その電通の醜悪な実像が、思いがけないところから見えてきました。国際五輪委員会へのワイロ疑惑の黒幕であったらしい事、そしてパナマ文書に見られる納税逃れ疑惑です。我が国の報道を縛り付けていると噂の高い電通についてはいずれ本ブログでも書かねばなりません。

 それはさておき、朝日新聞ネット記事で下記を見つけました:
%%%%%「熊本地震の地滑りで別荘が65メートル移動 中の夫婦は朝まで気づかず」
http://www.asahi.com/articles/ASJ5D2VPQJ5DPLBJ001.html
4月16日未明に起きた熊本地震の「本震」で、居住者ごと60メートル以上地滑りで動いた建物があった。 中にいた夫妻は激しい揺れに襲われたが、けがはなく、朝になってから事態に気づいたという。
斜面で地滑りが頻発した熊本県南阿蘇村河陽。16日未明、池田道也さん(62)と妻の祐代(ますよ)さん(61)は別荘で就寝中だった。
二人は熊本市のマンション住まいだが、14日夜の「前震」後、被害がなかった別荘に避難していた。
「バリバリ」「ガンガン」。爆発するような音を聞いた。建物ごと跳ね上がり、30秒ほど激しく揺れて照明が落ちた。体は起こせなかったという。 揺れが収まり、祐代さんがベッドから降りると床が傾いていた。 「すべり台にいる感じ」。それでも、「地滑りだとはまったく思わなかった」と道也さん。
玄関ドアを開けると先に続く階段がない。
ただ、別荘自体は窓ガラスも割れず、別荘前の道路は残り、車も無事だった。繰り返す余震が怖く、二人で道路に座って夜明けを待った。
午前8時すぎ、高台に避難しようと歩き始めた。
振り返ると、自分たちの別荘を含む付近の5棟すべてが流されている。地滑りにあったと気付いたのは、この時だった。
現地調査した防災科学技術研究所の井口(いのくち)隆研究参事は、
長さ約100メートル、幅約90メートル、深さ3〜10メートルほどの大きな塊のまま斜面が約65メートル滑り落ちたと推計する。 これほど広い範囲が形を保ったまま高速で滑るのは珍しいという。
(写真:住宅移動前と後)
land-slide001


%%%%%記事紹介おわり

 この記事から直ちに連想するのが本ブログ4月18日の記事です。1300年余もの大昔、ほぼ同じ地で同様の事件が起きていたのです。日本書紀がまさにこの事件を書き留めています。
%%%%%4月18日記事再掲
http://j55.pw/HDuP 
%%%%%日本書紀・巻二十九より
 原文:
天武天皇七年(六七八)十二月、是月筑紫国大地動之。地裂広二丈。長三千余丈。百姓舍屋。毎村多仆壌。是時百姓一家有岡上。当于地動夕。以岡崩処遷。然家既全、而無破壊。家人不知岡崩家避。但会明後。知以大驚焉。

文意:岩波文庫『日本書紀』(五) 146頁より
 是の月、筑紫国地が大きに地動る(なう、地震のこと)。地は裂け、その幅は広さ二丈、長さは三千余丈に達する。百姓の舍屋は村々で多く仆(たお)れ、壊れる。是時、ある百姓一家が岡の上にいた。地震の起きた夕方、岡が崩れだしたので、避難した。もどってみると家は既に無かった。ところがその家は違う場所で全く壊れずに移動していた。岡が崩れたが家は無事であったことを家人は知らなかった。但し翌日朝にこれを知り大いに驚いた。
%%%%%過去記事再掲終わり
 
 西暦678年と言うと、奈良盆地に拠点を置く「中」一派による九州征討の軍事行動が始まって間もない時期です。日本書紀の編年に従うなら「壬申の乱」発生の六年後です。正統歴史学者は「壬申の乱」は琵琶湖・奈良・美濃周辺を舞台とした内戦であったと決め付けます。が、私はこの乱は現在の熊本を主要戦場として九州北半分が舞台であったと考えています(念のため書き添えて起きます)。

 九州・熊本を拠点とする「倭軍」の首領である「大海人」(おおあま、あえて天武とは書きません)率いる倭国軍は耶麻国(八女=かっての邪馬台国)連邦の末裔およびアイヌ人などとの緊密な連携を基に、大いに奈良からの侵略に抵抗していた時期ではなかろうかと考えています。
 日本書紀・天武紀の最大の特徴は40名をこえる「死者数」の記載です。それを見ると678年、679年の両年に、ともに6名を勘定します(日本書紀巻二十九)。ここで記載されている死者はいわば幹部のみです。従ってもっと多くの兵卒が戦死していたのだろうと想像しています。そうした厳しい時期に、上で書いた『大地震』です。 大海人陣営には誠に辛い打撃であった。もしかしてこれが「敗戦」への大きな転機となったのではなかろうか?と思っています。勿論藤原不比等が編纂する日本書紀はそうしたことは書きません。

 因みに今般の地震は熊本の中央部「益城町」に始まりました。この地名は大海人軍勢の幹部の一人であった「真敷」(ましき)に由来すると以前書きました。この方は「土師連」(はじのむらじ)に任ぜられていたと書紀は書きますが、無くなったのは西暦681年とありますから、戦乱の中盤から末期と言うことになります。

 この厳しい戦いを叙事する役割を担ったのが柿本人麻呂等です。この二重の苦難つまり侵略軍への抵抗と大地震をしかっりと書き留めていたのではなかろうか。しかし、万葉集にはそれらしき歌は見当たりません。藤原不比等は歴史の真実を隠すためにその記述を闇に葬ったのかな、と想像しています。今般の地震で益城町同様多大な震災を蒙った御船町を人麻呂がその叙事歌の中で詠っています(万葉集巻三・244歌)。
番号 03/0244
題詞 (弓削皇子遊吉野時御歌一首)或本歌一首
原文 三吉野之 御船乃山尓 立雲之 常将在跡 我思莫苦二
訓読 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思はなくに
仮名 みよしのの みふねのやまに たつくもの つねにあらむと わがおもはなくに
左注 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出

(図1:東京新聞5月14日付記事より、クリックすると図を拡大できます)
160513文書008


 拡大する断層が何故、その拡大をやめるのかを前回考えました。断層拡大方向に固い障害物が存在すれば、破壊はそれ以上進行できません。そうした障害が無くとも、断層が曲がっていたり、あるいは繋がっておらず食い違っている場合も断層が拡大を止める因になりえます。そうではなく、折れ曲がりや、不連続が、破壊を促進するような応力環境を生成する場合もあると前回書きました。
 図1を見ると、布田川断層とその北東延長方向にある別府万年山断層帯には明瞭な不連続が認められます。この不連続が、熊本で始まった地震活動が四国に伸びる中央構造線にまで一気に拡大しなかった因となったのか?定かではありません。数学モデルでこの過程をシミュレーションすることは可能であるし有益と思います。

 熊本地震発生の4月14日から早一月余が経ってしまいました。余震の回数は、他のこれまでの顕著自身と比べると、その減り方が大変小さいという特徴を持っています(図1の左)。それに加え、4月16日早朝の地震は、長周期成分の大きい地震波を放出しています。この二つは内陸の顕著地震には珍しい現象として研究者たちが注目しています。このことを少し考えてみたいと思います。尚政府地震調査委員会が5月13日に開催した委員会で関連機関から提出された資料を公開しています:http://j55.pw/p2TL 
 この資料は4月1日の三重県南東沖の地震についての「まとめ」も含みます。まことに興味深いので、後日検討することにします。

 九州は地学的には南北に引っ張られているという力学環境にあります。その環境が熊本・八代から北東に向かって大分に達する地溝帯を形成したと研究者は語ります。上に書いた今般の地震の特徴は、「地溝帯」、「南北の引っ張り」に起因するのでは考えています。

 本題に移る前に「地溝帯」について少し考えて見ます。前回能登半島の「雨の宮古墳群」について書きました。この古墳は能登半島中央部を南西から北東に走る邑知(おうち)地溝帯の北側縁に造成されています。この地溝帯は幅5km長さ27kmの規模を持ちます。地質断層、つまり地震を起こしても不思議は無い断層であるとも考えられています。そうであるとするなら、現在考察している九州の八代―大分に通ずる地溝帯と共通しますが詳細は未解明のようです。

 地溝帯として世界に知られるのはアフリカ大陸東部を南北に走る東アフリカ大地溝帯です。この地溝帯に発生する地震の発震機構解は東西方向の引っ張り力です。まさにアフリカ大陸東部が東西に引っ張られていることを地震現象が示している場所です。この力の源泉(driving forceと言う)は、地球を覆う幾つかのプレート間のせめぎあいの結果として生じたと思われます。つまりアフリカ・プレートとアラビア半島を載せているアラビア・プレートがせめぎあいの結果として双方が互いに遠ざかる運動を余儀なくされた、と解釈されています。

 ここで翻ってわが九州に話を戻します。八代―大分を境にして何が九州を引張ってる力なのか?ここがプレートの境界で、九州の北と南は別のプレートに属するのか?そうした話は聞こえてきません。となると、何故九州は南北に分断させられようとしているのか?色々本やらインターネットやらを括ってみても説明は見つけられません。タダタダ、分断の観測事実のみが書かれているのみです。そこで、それを「講釈師、見てきたような・・・を言い」の類で考察してみようと思います。
(つづく)

古代信仰(かとり)、パナマ文書と東電事故サイトの医療活動

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:田植えを終えた田に青空と雲が映っています。その映像を鴨が蹴飛ばしています)
P513鴨と空

 
青空に 浮かぶ白雲 映しこむ 田の水 蹴立て 泳ぐ鴨かな

 鴨のしぐさは見ていて飽きないですね。先日、飛び立った鴨、強風に煽られ狼狽(うろた)え失速しあわや墜落と言うところ羽を必死にばたつかせて機体ならぬ鴨体を立て直しました。今朝は水量(かさ)の少ない水田を泳がずに歩いていたんですね。突然、片足を深みに突っ込んでしまったんです。ずっこけて上半身が水に浸かってしまいました。ちらっと私のほうをバツ悪げに見て飛び立ちました(上の写真の鴨ではありません)。


+++++「カトリ〕と新宗教構築
 七世紀の日本列島は戦乱に明け暮れたと思っています。日本書紀が書く、宗教戦争、乙巳の変、そして壬申の乱がそうです。八世紀以後はその戦乱の場は「東に跋扈する野蛮人(夷)を平伏する」とのスローガンを掲げての「東夷」でした。
 その痕跡を石川、富山の両県を含む北陸から東日本のあちこちに見ることができます。藤原不比等はこの戦乱を意図的に「小さな」事件としてしか書きません。列島にしか生きる場のない民には誠に辛い時期であったと思っています。

 民が自らの苦しみを和らげる手立てが日本書紀巻二に記載されています:
%%%%%日本書紀巻(二)抜粋
(1) 原文:神代下
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以為葦原中国之主。然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神。復有草木咸能言語。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」110頁
 遂に皇孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立て、葦原中国之主(葦原中津国のぬし)とせんと欲する。然うして彼地には多くの蛍火の光る神や、蠅のようにブンブンとうるさく騒ぎ立てる邪(よこしまな)神が多く居た。さらには、草木までもが咸(よく)言語を話すことができた。

(2)原文:神代下
於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」120頁
 ここにおいて、二神(武甕槌神、経津主)は諸々の不順(まつろわぬ)鬼神等を誅(せいばつ)することとした。〈或る伝承は以下のように書く:二神は遂に邪神を征伐したさらには草・木・石に宿る神をも屈服させた。かくして皆これに平服した。しかし、其所そこ〉に不服者(従わない)者たちがいた。それは星神(ほしのかみ)である香香背男(かがせお=こうしょう=こしおう)であった。そこで倭文神(わぶみ)を派遣した。さらには建葉槌命(たけはつち)を派遣したところ平伏した。こうして二神は天にもどった。〉倭文神を斯図梨俄未(しとりがみ)と言う。〉こうして命を果たして復した。

(3)原文:神代下
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」136頁
 一書は書く。天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国を平定させた。その時この二神が言うには、「天には悪神がいる。その名を天津甕星、亦の名を天香香背男と言う。先ずは此神を征伐して然る後に葦原中国に進軍すべき。是時、斎主(いわいぬし)神を斎之大人と呼ぶ。此神は今は東国の楫取之地在乎東国楫(かとり)に在る。
%%%%%日本書紀記事抜粋終わり

 為政者を牽引した藤原不比等は当然の事ながら民が苦しみから逃れるための思考法を知っていた。それが、上記の日本書紀に記載されている神々です。草、木、石に宿る霊神です。それに加えて星の神です。
 既に書いたように日本書紀の初期の構成では、神代紀(下)は、現代史であったのです。つまり七世紀半ばから八世紀初頭までの列島の政治史、思想史です。しかし、藤原不比等が構築した日本列島の新たな信仰体系の正当性を主張するという政治的思惑からその順序を逆転させたのです。つまり上に書いた日本書紀抜粋記事は実は七世紀の日本列島の思想的、宗教的現状であったのです(神代上(日本書紀巻一)は「神性」を付与するための巻であったのです)。

 この新たな信仰体系(新興の宗教)の正当性と神性付与のためにまずは既存の思想、信仰を破壊せねばなりません。しかし、日本書紀は既存の信仰について、何が悪いのか、効能が無いからなのか、その理由を書かずして、ただ平らげたとのみ書きます。それが上に引用した日本書紀の二つの節です((1)、(2)と番号を付した)。

 そして新しく作り上げた宗教の前段が(3)に書く「此神今在乎東国楫取之地〕の件(くだり)です。しかし、ここでも何の説明も無く「斎」なる『様式』を持ち込み、このことを「カトリ」なる場所に帰するのです。ここにおいても日本書紀は(藤原不比等は と書くべきか)いかなる説明もしません。つまり、日本書紀でこの件(くだり)を記載した時点では、書紀の読者にとっては自明の事であったのやも知れません。

 そうしたことを書いてきた記事は昨年2015年8月10日記事以降長く中断してしまいました。丁度その時期に旅をした北陸域での見聞を忘れないうちに書いておこうと思った故です。案の定深みにはまってしまったわけです。しかし、黒部川の名前の由来を探る過程で天皇家系が「一系」ではないことを改めて確認できました。それは、仁徳天皇から始まる家系に「率直」に反映されていることを解明してきました。

 「カトリ」の話はまさに奈良盆地に拠点を持つ「中」一族が東国に軍事攻勢をかけ一定の成果を確保した時点での記録であろうと考えています。それを以下に考えてみることにします。
(つづく)

+++++パナマ文書に思う。室井佑月さんは言う。
 パナマ文書に言及しつつ室井さんが怒っています:
(1) %%%%%室井佑月「『税収が足りない』とか二度といわないで」〈週刊朝日〉
あたしたち国民に向かって、「税収が足りない」とか二度といわないでほしい
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160511-00000226-sasahi-pol
週刊朝日 2016年5月20日号

「報道の自由」は過去最低を更新し、パナマ文書は調査しない――。そんな日本に作家の室井佑月氏は唖然とする。
*  *  *
 国連人権理事会から特別報告者に選ばれたカリフォルニア大アーバイン校教授のデビッド・ケイさんは、一度は去年の12月に予定された調査を、日本政府になんたらかんたら理由をつけられ先送りされた。しかし、世界で「国連の調査を妨害している」と日本批判が起こったため、今回は予定通りに調査できたみたいだ。
 日本政府は、デビッドさんの視察を、「今年の秋以降で」といっていた。
 秋といったら、選挙が終わってから。それまで不都合な事実を隠したい、それこそ報道の自由を軽くみている証拠だわ。
「国境なき記者団」の「報道の自由度」ランキングが発表された。
「報道の自由度」、2010年に日本は過去最高の11位だったこともあるけど、安倍政権になって順位は下がってゆき、去年は過去最低の61位。今年はさらにその下の72位になっちゃった。
 そのうち、ロシアや中国や北朝鮮なみにするつもりか? それらの国は、ほかの国から白い目で見られているんですけど。
 菅官房長官も高市総務相も、デビッドさんの面談から逃げ回っていたというから、今現在、自分らはヤバイことしてるって自覚はあったに違いない。わかってやっているんだから、ほんとうのワルだよ。
 熊本地震は、震度7という巨大地震で、本震が起きてからも、ぐらぐらと揺れつづけている。熊本と大分の避難者は4万人を上回るらしい。
 しかし、熊本県知事が求める「激甚災害指定」を安倍首相はすぐに出さなかった。
「激甚災害指定」は被災自治体に対し、国が迅速にふんだんな財政支援を行えるものだ。
 結局、お金を出すのを渋っているのか。できることはぎりぎり地方でやれ、そういいたいのか。冷たいよな。
 海外にいっては、金をばらまいてきているのに。海外で自分らだけがいい顔をできればそれでOKか。でも、そのお金は血税だ。こういうときにこそ、使うべきお金。
 それと、あたしたち国民に向かって、「税収が足りない」とか二度といわないでほしい。そのまえにやることあるでしょう?
 世界を揺るがしたパナマ文書。4月20日付「日刊ゲンダイ」の「金子勝の天下の逆襲」にはこんなことが書かれていた。
「国際決済銀行(BIS)の公表資料によると、タックスヘイブンであるケイマン諸島に対する日本の金融機関の投資や融資残高は、2015年12月末時点で5220億ドル(約63兆円)もあるという」パナマ文書を調査しない国は、ロシアと中国と日本くらい。税収が足りなくば、法の抜け道を閉ざし、適正に課税して金持ちからお金をとったらいい。
%%%%%%

 前回も書きましたが、原発事故被害者への賠償責任を背負っているはずの東電がなんと税逃れ対策をしていたらしいとの記事をなんと産経新聞が報じています。
%%%%%(2)<パナマ文書> 文書に「テプコ」という文字が入る2法人記載、
「テプコ」(TEPCO Tokyo Electric Power Company )
http://www.sankei.com/affairs/news/160512/afr1605120061-n1.html
2016/05/13(金) 07:28:45 ID:IimnBz5haA
 タックスヘイブン(租税回避地)を巡り国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が報じたパナマ文書に 東電の英語の略称である「TEPCO(テプコ)」という文字が入る2法人が記載されていることが12日、分かった。
東電はこの日の定例記者会見で「当社が出資している企業ではない。関係企業でもない」と関係性を否定した。 パナマ文書によると、記載されているのは「テプコ・インベストメンツ・リミテッド」と「テプコ・リミテッド」。
このうちテプコ・インベストメンツは福島第1原発事故の約4カ月後の2011年7月22日に租税回避地のセーシェルに設立された。 テプコ・リミテッドは2009年、英領バージン諸島に設立。 東電関係者が株主となっていることを示す資料は、これまでのところ見つかっていない。
%%%%%

 東電原発事故で多大の苦しみを蒙ったのは近隣住民にくわえて、震災被害者の身体的苦痛の救済に奔走した医療従事者です。そうした苦労がネットで語られています: 
%%%%%(3)福島第一原子力発電所事故関連 「福島第一原子力発電所近くの医療従事者」 http://j55.pw/6Eae 黒川祥子
ノンフィクション作家。1959年、福島県生まれ。家族の問題を中心に執筆活動を行う。著書に「誕生日を知らない女の子 虐待―その後の子どもたち」など。
原発近くの病院で何が…大震災5年“今だから語れること”
開高健ノンフィクション賞受賞作家が寄稿
2011年3月15日、福島県南相馬市原町区。福島第1原発から25キロ、大町病院は最大の危機に立たされていた。震災当日には津波の被害者が次々に押し寄せ、病院は「泥の海」と化した。それでも看護部長、藤原珠世(当時52)には「乗り切れる」という確信があった。しかしその数時間後、「確信」はあっけなく吹き飛んだ。
福島第1原発4号機爆発を受け、国は大町病院が位置する半径20〜30キロを「屋内退避」に指定。外からの物流がぴたりと止まり、南相馬市はゴーストタウンと化した。病院に残るか、避難するか。職員200人のうち、勤務を選んだ看護師は17人。さらにそのうち7人が、全患者搬送が完了するまでの約1週間、24時間勤務を担った。
沢田真子(仮名、当時45)が勤務する4階療養病棟は、看護師全員が避難を希望した。「誰かが残るなら私も子供と避難しようと思った。でも、誰もいない。私が残るしかない」沢田は高3の息子と2人暮らし。この日初めて、息子の涙を見た。
「患者さんにもママしかいないかもしれないけれど、俺にも世界中で母親はあなたしかいない」 しかし、沢田は息子の涙を背中で振り切った。「医療従事者としてはいい選択でした。でも母親としては、一生負い目。母親失格だって」
点滴もオムツも少なくなり、給食委託会社も撤退
2階北病棟の師長、山崎由希(仮名、当時40)には小学4年と2年の娘がいた。この夜、身を切る決断をし、夫に電話で懇願した。「娘たちと、今すぐ実家の山形へ避難して」医局秘書の事務、中村真美(仮名、当時27)は、自宅が避難指示区域となり、16日には避難所にいた家族が市の誘導で別の場所に移ることに。「『一緒に避難したい』と上司に言ったら、人もいないし困るって」 家族がバラバラになる不安に涙しながら、中村は病院に残った。
去って行く側にとっても、苦渋の決断だった。3階東病棟師長、川上佐知江(仮名、当時48)は事故後、初めて「あの日」を語った。点滴もオムツも経管栄養も少なくなり、医師の判断で点滴の速度を緩め、全病棟で管を入れて尿を採ることにした。給食の委託会社も撤退する。十分な医療が提供できない。川上にとって、それは絶望を意味した。 
部下には幼子を持つ若い看護師が多い。「子どもがいる人は、避難していいから」
泣いていた看護師が、首を振った。「師長さん一人だけおいて避難でぎねえよ!」自分が、避難の妨げになっていた。川上は「辞表覚悟で」、全員の撤退を決めた。看護部長の藤原は一人で29人の患者の世話を引き受けた。医局秘書の中村が食事介助を行い、医師が慣れない手つきで食事を食べさせる。「疲労困憊でベッドを回る。ウンチまみれでウンチを壁になすりつける患者を見た時には、ああ、どうしようって」息子の懇願を振り切り残った沢田が「心の中で3人は殺してます」と吹っ切ったように笑う。
■毎日患者が亡くなった
 暖房もない病室で重症患者が耐えていた。17日から食事は、朝と夜の2回に。毎日、患者が亡くなっていった。残された看護師は皆、同じ思いだった。「何日、眠らないでやれるのか……」
18日夕、大町病院は搬送に向けて舵を切る。院長の猪又義光は言う。「患者全員の搬送を決意した理由は、十分な医療が提供できないから」21日、重症患者がヘリコプターで搬送され、患者全員の搬送が完了。大町病院はここでいったん閉院したものの、2週間後の4月4日に外来を再開。今も地域医療の拠点として住民の信頼は厚い。藤原には極限を生きた管理者として、揺るがぬ思いがある。「ここで仕事をすると決めた以上、笑顔で頑張れる看護師でいたい」
残った者と去った者、どちらが正しいかは誰にもわからない。ただ残った看護師がいたからこそ、助かる命もあったことも事実だ。あれから5年、24時間勤務を選んだ看護師で病院を去った者もいれば、一度は避難したものの、今は外来で明るく患者に寄り添う看護師もいる。
%%%%%

 原発事故サイトで被災者の救護に心身をなげうった医療従事者の悩み、命と言うものへの深刻な問いかけをしている一文が以下です:
%%%%%(4)里見清一氏の見聞「福島第一原子力発電所近くの医療従事者」◆
(写真:月刊誌「新潮45」2013年11月号より、拡大はクリックを)
160513文書004

%%%%%里見氏の稿抜粋終わり

 長くなりますので、この記載に続く4頁分はここでは割愛させてもらいます。
 私は2016年1月27日の記事で娘が嫁いだことを書きました。この娘があの原子力発電所事故時に研修医として勤務していた病院を上記の里見清一氏は書いているようです。
 氏はこう書いています:「原発事故の影響に脅えつつ今ここに居る病人やけが人の治療に当たるスタッフの姿は感動的などという陳腐な形容を超えて鬼気迫るものがある」と。
 娘を誇らしく思うと同時に、改めて娘が体験した恐怖感に思いを致しました。里見氏の文章は、この件(くだり)を書いた後、深刻な問題意識を読者に突きつけます。あえて、その問題提起についての私の思うところは書きません。「医療」、「命」そして「老い」について色々と考えさせられます。

パナマ文書

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:日刊ゲンダイ紙記事の転載)
Panama-ゲンダイ

 
  溜飲さげ 貧しき民が 喝采す 所詮は ひがみと 金持ち冷笑す

 民にとって、一昨日・昨日の最大関心事はパナマ文書の公開でした。民の関心に応えてこそ視聴率も上がりスポンサも大喜びと言う筋書き、TVは朝から晩までこの文書の分析報道をするかと思いきや。ところが、そうではなかったのです。TVタレントの不倫騒動、北朝鮮党大会などの様々な報道の一つとして取り上げられたに過ぎません。そして報道の中立を意識したのか「合法」「合法」の連呼、あるいは「違法ではないが・・・」と言った歯切れの悪い論調です。

 とある若手企業家は、企業が節税に走るのは「儲け」を追及しているのだから当然と主張します。又、元TVキャスタにいたってはICIJ(The International Consortium of Invetigative Journalists )の情報公開行為は他者の秘密を一方的に盗み見る犯罪(ハッカー)の上によったもので容認できないとまで言います。あの元キャスタがジャーナリストであるとの自覚があるならば、今般の公開に先だつICIJの「序言」についてもきちんとした反論をすべきでしょう。
The Panama Papers: An Introduction By ICIJ StaffApr 3, 2016
http://j55.pw/FmNC 
The Panama Papers is a global investigation into the sprawling, secretive industry of offshore that the world’s rich and powerful use to hide assets and skirt rules by setting up front companies in far-flung jurisdictions.
Based on a trove of more than 11 million leaked files, the investigation exposes a cast of characters who use offshore companies to facilitate bribery, arms deals, tax evasion, financial fraud and drug trafficking.
Behind the email chains, invoices and documents that make up the Panama Papers are often unseen victims of wrongdoing enabled by this shadowy industry. This is their story.

 「富めるものの税逃れが格差を拡大する」との議論、耳障りは良いが、これは我ら貧乏人の僻(ひがみ)みであると私は思っています。しかし、世の中を変えるのはこの僻み、かっこよい表現を使うなら「ルサンチマン」であろうと思っています。その意味では、今回の事態、もしかしたら「革命前夜」に突っ走るのではなかろうか。そもそも「合法」か、否かはそれほど問題ではないのです。法律と言うものは、そもそも権力者が被抑圧者、被搾取者の怒りの噴出を抑止するために設けているのです。

 秘密保護法と称して情報を為政者が独占するのはきわめてわかりやすい例です。上に立つ者、思想の左右を問わず、下のものとの情報の共有を嫌います。『知る』は「力」に直結します。上に立つものは、「力」を得た「民」の動きを「パニック」、あるいは「叛乱」と思い込み。これを極めて恐れるのです。これは共産党から自民党にまで貫かれるいわば法則のようなものです。

 ましてや、国の権力を握るものは、情報共有の機能をコントロールすることをまず考えるのです。かくして「知らしめず」であり、結果として「寄らしめず」となります。

 今般も民が気づかない限りにおいては、民は怒らない。怒れる民が居なければ法は不要なのです。従って「法」が無いのですから「合法」なのです。現在、「合法」を連呼する経済人・ジャーナリズムは、権力者と大企業、大金融資本の顔色を見るあまり、肝心な点、つまり民の怒りが見えていないのです。しかし、このまま富裕層は放置できるのか?

 これを鋭く指摘しているのがあのピケッティです。
(写真:ピケティの書簡、東京新聞5月11日付コラムより、拡大はクリックしてください)
P5110001


 こうした「利益隠し企業者」とその擁護者には、現時点が世界の貧困者による「革命前夜」であるのかもしれないとの想像力が欠落していると思っています。

 参考までに5月11日午前中までにパナマ文書で明らかになった日本人関連者をリストアップしておきます。
パナマ文書に発見される日本関係の企業、人のリスト(出典 http://j55.pw/wZUz ) 
創価学会 ドワンゴ★ 加藤康子(東京個別指導学院、内閣府) 上島豪太(UCC)
三木谷浩史(楽天)★ 柳井正(ユニクロ)★ 安田隆夫(ドン・キホーテ)
福武総一郎(ベネッセ) 岡田和生(ユニバーサルエンターテインメント)
三菱★ 三井★ 住友★ ソフトバンク 電通★ イオン 東京電力 丸紅★
伊藤忠商事★ 双日 豊田通商 ロッテ 原田泳幸(ベネッセ・日本マクドナルド)
日産 富士電機 重田康光(光通信) 日本経済新聞 バンダイナムコ
コナミ セコム★ オリックス★ 野村證券★ 大和証券★
ライブドア JAL★ ダイキン タニタ マルハニチロ NTTドコモ★
サントリー ソニー 株式会社やずや サトウテック NHK Global Inc.

上記のNHKについては昨日NHKが下記を報道したとの事です:
(写真:NHKのパナマ文書に関する報道から)
Panama_NHK

 NHK Global Inc.については、4月20日前後に明らかになったものです。しかし、NHKは多くの問い合わせに三週間近くダンマリを決め込んでいました。そしてやっと公表した回答ガ上記写真です。私はこのNHK回答を信じていません。 
 
 インタネット上で、とある評者がNHKの事態について以下を指摘しています: 
「NHKはそもそも特殊法人であり、その目的は営利ではない。しかし、タックスヘイブンへの資金移動には
〜点撚麋鮃坩戮量未あると共に、∋餠發了氾咾防佞い董外部から検証しにくくなる効果があり、役員や幹部職員による 横領行為を極めて容易にするという側面がある。つまり、仮に租税回避目的であっても現地法人を作っていたとすると、 本来の放送法が予定しているNHKの役割りを逸脱した行為をしていることになる。」
 税制上の優遇措置を受けている創価学会についても、本日夕がたの時点ではダンマリ状態です。

雨の宮古墳群(能登半島、邑知潟地溝帯(おうちがた))

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田の畦に広がるツメクと貧乏花)
P509白つめくさ


 田の畦に 雑草(あらくさ)のにおい なつかしき しろつめくさや びんぽう花やら

 当地の水田周囲、雑草に神経を配っている農家があり、そうでもない農家がありで、いろいろです。上の写真では、シロツメクサが畦にいっぱい咲いていました。子供の頃、女の子たちがこの花を茎ごと摘み、つないで輪にし、ハンサムな男児の首にかけたりしていました。私にはそうしたプレゼントを貰った記憶がありません。哀しい話であります。そういえば、いまどき四葉のクローバなんぞを探す若き乙女なんぞは生存してるんでしょうか。

+++++能登半島の古代(補)
 昨年8月の北陸見聞旅行を題材とした同地域の古代史探索に一区切りつけるつもりで居ました。今回からは長らく放置してきた「神社」問題に立ち返ろる筈でした。ところが昨日の東京新聞日曜版 は「古墳」の特集記事です。そこに掲載されているのは21の古墳です。その中に能登半島の「雨の宮古墳群」が紹介されています(図1)。
(図1:雨の宮古墳群、と今日新聞5月8日付け、日曜版より)
P509雨宮古墳1


 著名な考古学者で古墳研究の泰斗である松木武彦国立民俗博物館(千葉県佐倉)教授が選択した21の古墳のうちの一つです。というわけで、番外編としてこの能登の古墳に従来の視点から調べておくべきと思った次第です。まずは古墳の位置です(図2)。

(図2: 能登半島の注目すべき歴史サイト。図にも書き込みましたが、「富来」は「ト国に来た」の意を連想させます。安津見はまさに「安積」(あさか)、押水の押は渡来を、そして)族高松は「コウショウ」とよめばまさに「古志王」というわけで、鹿島も含め、ここの地には東北日本に拠点を置いたシリウス・アイヌ連合勢力の影響が見えています)
能登・富山索引2


 上図では前回、掲載した図に5つの新サイトを緑で示しました。そのうちの一つが、今回の雨の宮古墳です。能登半島中央部には南西から北東に走る邑知潟地溝帯(おうちがた http://j55.pw/yptx )と呼ばれる地質学的構造線が走っています。「潟」とあるように、この地溝帯の南西にはその沼が残っており、細長い低地が若狭湾側から七尾湾に続きます。この構造線は地震断層と地質学者は言います。
雨の宮古墳はこの窪地(地溝帯)の北側縁(へり)に建造されています。そしてこの窪地の両端に気多(けた)本宮と気多大社・羽昨神社があります(図2参照)。この神社については後刻考察することにして、まずは本論です。

 雨の宮古墳群の主要遺構が国土地理院の調査で浮かび上がっています(図3)。
(図3:うっそうとした木々の間に浮かぶあがる古墳群、出典は http://j55.pw/kgr8 ) 。
Amenomiya_kofungun_1975


 上図で、1(前方後方墳),2(前方後円墳)と付されているのが最大古墳です。どちらも方墳部分の”辺”の方位はシリウス方位を示しています。しかし、2番を付された前方後円墳についてはその方墳部分の方位は北から西により大きく傾いています。それから判断する限りでは、この前方後円墳はその東にある前方後方墳より時代としては新しいのではなかろうかと思えます。いずれにしてもこの主要な二つの古墳の築造はシリウス信仰の強い影響下でなされたと思えます。

 そうとするならば、この地を墳墓造成の地として選定するにあって、シリウス星位置の参照のための観測作業があった筈です。それはどこでしょうか。当然高地の筈です。図2に見るようにそうした観測がなされたのは碁石ガ峰(標高461m)と思えます。地名辞典(角川日本地名辞典、富山)によれば付近には縄文遺跡などが多く、古代にあっては「石動山文化」の一翼を担っていたと書かれています。近くには親王塚、鍋塚など解明さるべき豊かな史実をはらんでいる古墳も多いとのことです。

(図5:親王塚、鍋塚)
Kame-shinnou


そこで、この碁石ガ岳と雨の宮古墳群の位置関係を計算で求めます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.9138 136.886] 碁石ケ峰(標高461m)
sta(lat,lon)=[36.9761 136.8719] 雨の宮古墳群
Dlt,Azm,Bzm= 0.06 349.75 169.74 7.0 –km

 ここで得られた169.7度と言う角度をシリウス年代表に照らし合わせると(5月6日記事)、それは奈良盆地の「纏向遺構」に残される柱石跡から推定される年代とほぼ同一でそれは、西暦248年と推定されます(2014年2月10日記事)。方墳(四角形)であった須曾蝦夷穴古墳は西暦541年頃、氷見の桜谷古墳が西暦560年、婦中の王塚古墳は西暦710年ごろであろうとシリウス年代決定では求まっています。一方射水の串田遺跡(串田神社)が西暦364年頃とかなり古い年代が算定されました。表1は本ブログで以前まとめた古代日本列島の出来事編年です)

(表1:西暦0~300年頃の日本列島政治状況 2013年9月30日記事より http://j55.pw/ddpN )
ad5714-02


  この表に照らす限りでは、雨の宮古墳群建造は卑弥呼の死前後の日本列島混乱期と関わりがありそうです。その時期に既にシリウス信仰一族が日本列島に渡来していたらしいとの推論も生じてきます。そして 富山県の串田遺跡(射水)は卑弥呼の死後ほど無き頃と言うことになります。

 さらに須曾蝦夷穴古墳(能登島)、桜谷(氷見)もまた渡来族の強い影響下での能登界隈の政治状況を反映していると思えます。しかし、それから150年後の八世紀半ばの王塚(婦中)では、そうしたシリウス族の影響を強く排除した墳墓築造です。支配勢力が取り替わったということを映し出していると思います。私は『中』一族の本格的「東夷〕の反映と考えています。そうした政治動乱が、この北陸地方の歴史的遺構が忠実に物語っていると思っています。のめりこみそうな魅力的香りが漂っています。

  ところで 冒頭に書いた東京新聞日曜版には古墳形状の年代推移を図示しています。
(図6:古墳形状と築造年代)
P508古墳年代


 本ブログを読んでくださっている方々には、「シリウス星方位年代決定法」の信頼性を確信していただけるのではなかろうかと 思っています。炭素同位体法は一見科学的なのですが、それは大気圏上層部での窒素の放射性炭素への変換比率が長期間にわたって不変であるとの仮定に基づきます。しかし、最近の研究でそれは太陽から放射されるニュウートリノの量で変化することが知られてきました。それは、太陽表面活動、具体的には黒点の数で変化します。つまりかなり変動するのです。
 シリウス星方位は地球の太陽を周回する軌道と、地球自身の自転軸の揺らぎ(章動)によって地球から見た天球上の位置は一定ではありません。が、その変化は微小であるため。最近一万間では、その位置は規則的に変化すると考えられるのです。上記の計算はその仮定に基づいており、その日本列島上の遺構への適用は概ね成功しています。何故、研究者がこの新手法に注目しないのでしょうか?

 それにしても、「雨の宮」なる呼称が今日まで生き残っていることに強い感慨を覚えています。「雨」(アメ)は明らかに隋書倭国伝が書く「阿毎」(アメ)です。つまりこの墳墓の名称に「明」、「光」、「火」を崇めるシリウス信仰族の思いが伝承として保たれてきたことを示していると考えています。

 図2には、「気多本宮」、「気多大社」なる二つの神社を書き込んでいます。ところで、福井県若狭湾を臨む敦賀には「気比神社」があります。本ブログでも度々引用する神社です。応神天皇幼少のみぎり母親である神功皇后に連れられてこの神社を詣でた際、神社に祀られる神から「名前の交換」の申し出があり、以後神の名である「ホムタ」を名乗ったと伝承される神社です。
 「気」に始まる名前のこの三つの神社には多分何がしかの関連付けがなされていたはずです。「キ(またはケ)」を名乗る部族が居たのだろうと推測する古代史研究者も居ます。実際、気比神宮の西に「毛島」なる地があります。
 私はこの説には同意しません。この三つの神社の境内での拝殿の配置からは、全く異なる推論が働くからです。この推論は、上で書いた能登半島の政治勢力の栄枯盛衰の反映でもあると思っています。
 「気」になるのでありますが(駄洒落であることに「気」づいて頂けたでしょうか?)、長くなりましたので、いずれ機会を捕まえてこの続きを書きます。
 (つづく)

石動山から富山三遺跡を見る

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:竹林ににょきにょきと頭突き出す筍。運が悪かったんですな。人間に見つかり頭を刈られてしまったんです。それでもめげずに育ってます)
P506筍


 地面から ちょいと頭 突き出した 時期が悪るけり 頭を刈られぬ


+++++石動山から見た富山県の遺構
(図1:石動山と富山県の遺構分布。興味深い地名に私の主観を添えて図示しました)
能登・富山索引地図

 
 上図に見るように、石動山は石川県鹿島町にあります。「鹿島」の「鹿」は「高」(コウ)に由来することは以前書きました。ここは昔の「加賀」(カガ)です。「コウ」は発声する人とそれを聴く人によっては「カガ」と同音であることも昔書きました。それが遠く中近東からの渡来人の特徴の一つだからです。この地は、かって渡来人つまりシリウス信仰族の影響下にあったのです。そのことを以下で確かめてみます。

 図1の3つの遺跡についてその石動山から見た方位を計算します。まずは氷見市の桜谷古墳です。下で“epi”,”sta”とあるのは、これを計算するプログラムが地震調査用に作成されたもので、それを利用しているからで、格別の意味はありません。“epi”とは”epicenter(震央)“の、”sta”は”station(観測点)“の略表示です。つまり震央と地震観測点の間の地理的関係を夫々の座標(緯度、経度)から算出するものです(地球が球形であることが考慮されている)。
epi(lat,lon)=[36.9656944 136.970924] 石動山(標高564mhttp://j55.pw/pbZW 
sta(lat,lon)=[36.816478 137.029553] 桜谷古墳 http://j55.pw/GB8f 
Dlt,Azm,Bzm= 0.16 162.54 342.57 17.4 -km

 ここで、我々が注目するのは主として石動山から見た各遺跡の方位です。その方位が下の表を参照することで、桜谷の地に何がしかの建造物を構築(あるいは設計)した年代を推定させるというわけです。

(表1:シリウス星方位と対応する西暦年代。第四欄は方位が計測された歴史遺構)
シリウス暦150303


 上で算出された162.5度は上表の25行の162.6、26行の162.3度の中間です。対応する年は西暦550〜568年の間と言うことになります。機械的に算出するならばそれは西暦560.4年と言うことになります。2015年1月23日記事で考察した宮津界隈の「設計時」とほぼ同じ時期と言うことになります。そこでこの古墳についてやや詳しくネット情報を見てみます。

(図2:桜谷古墳、観光案内板)
sakuradani


 この古墳についての詳細は上記HPを見てください。私が着目した部分を抜粋しておきます:
「第1.2号墳とも内部は未調査ですが、第2号墳後円部から紡錘車・石釧が出土していることや古墳の形態から、第1・2号墳はいずれも5世紀初頭を下らぬ時代の築造と推定されていて、富山県富山市婦中町にある王塚古墳とともに県内最古の古墳となります。また、地方にはたいへん珍しい大型前方後円墳であることや、立地条件の良さから、この地方の有力首長の墓と見るべきでしょう。」

 上記HPは築造年代として五世紀を下らぬ、と書きますが、シリウス年代決定法ではそれは六世紀半ばに設計されたと算出されます。築造はそれより早い時期と言うことは考えにくいと思っています。
 上の案内板でも明らかですが図3の見取り図では、古墳1号基は明らかに方墳の部分の底辺がシリウス方位をとっていることがわかります。うえで計算から想定されることと調和しており、六世紀の半ば頃この地はサカ(高)一族の支配下にあったであろうことがわかります。

(図3 桜谷古墳の平面図)
桜谷siriusu方位


 上記HPでこの桜谷古墳は富山県最古でありそれと並ぶのが王塚であると書きます。そこで、曾\王塚についても同様の考察をして見ます。

(図4:王塚古墳の平面図。ほぼ南北を向いている)
王塚古墳5


計算結果:
sta(lat,lon)=[36.660526 137.115495] 王塚古墳  http://j55.pw/e8B4
Dlt,Azm,Bzm= 0.33 159.19 339.27 36.3 –km
 計算から得られる方位がシリウス星観測によって設計されたものとすると、表1に照らすならば、その時期は桜谷古墳よりも150年ほど後ということになります。これは考古学発掘による出土物の年代と整合するのかなとの疑問があります。図2に見るようにこの墳墓は南北を向いており、シリウス星信仰から「逃れたい」の強烈なメッセージとも見ることができます。「王塚」との命名の由来を知りたいものですが、現時点ではそのことについての記載に行き着いていません。

 下の図に見るようにこの古墳は幾つかの墳墓群から成っています。
(図5:王塚古墳と周囲の古墳群。四基の四隅突出型墳丘墓が含まれる)
王塚古墳3


 四隅突出型墳丘墓は前方後円墳よりも時代的には前であると考古学者は考えているようです。そうとすると、今回の計算結果との整合性を図るためにどのような解釈をすべきであるのか、現時点ではわかりません。私は図1で、その下部に表示した「利賀」(とが)にかかわりがあると見ています。つまり「利賀」(とが)は「科」(とが)であり、王族がこの地に流された痕跡ではなかろうかと考えています。その王とは誰か?天武天皇四年紀四月十八日に「伊豆嶋」に流されたと記載される麻続王の一子ではなかろうかと考えています。この事件の真相はこれまでの考察からだんだんと明らかになりつつあります。『中』一族の東日本への侵攻の初期のエピソードであろうと考えています。ここで、その事件に立ち止まってしまうと、又、全体の筋書きを混乱させかねません。後日、「中」一派の東日本進攻をつぶさに考察する中でこの事件を書きます。

 さて次は串田神社です。
sta(lat,lon)=[36.692921 137.044868] 櫛田神社 http://j55.pw/6G5r  
Dlt,Azm,Bzm= 0.28 167.74 347.78 31.0 -km
 表1に照らしながら上の計算結果を解釈すると西暦364年ごろにこの地に何がしかの建造物が設計 されたことになります。

(図6 櫛田神社社殿は明らかに「反シリウス方位」)
櫛田社殿


 石動山から見たこの神社の位置はシリウス星方位に照らすならば、卑弥呼死後の倭国大乱を経て更に百年後神埼古道(吉野ヶ里遺跡の西側の都市区画跡)の整備時期に当たります。(表2参照)。

(図7:串田神社周辺の重要史跡である串田新遺跡と小杉丸遺跡)
3櫛田神社と周辺


 櫛田神社の周辺には国指定の重要遺跡があります。南西300mにあるのが串田新遺跡です。HP(http://j55.pw/82en、http://j55.pw/ErzJ)  は「縄文時代中期の遺跡と、古墳時代の史跡があり集落遺跡としては珍しいものです。と」。しかし、古墳の形状、あるいは方位から何かを推察することはむずかしそうです。
更には国史跡小杉丸山遺跡は、神社の東1kmにあります。http://j55.pw/cC25は以下を書きます:
 「射水丘陵の南西部に位置する飛鳥時代後期(7世紀後半)の瓦や須恵器などを製作していたという瓦陶兼業窯跡とそれらを制作していた職人たちの堅穴住居跡、段状遺構が発掘され、窯跡と住居跡がセットで残っていた国内でもまれな遺跡です。北陸最古と言われる飛鳥時代の登り窯、奈良時代の製鉄炉跡も発掘されていて、この一帯が言わば当時の工業地帯であったと思われます。窯・工房・粘土採掘坑・工人の住居など、当時の窯業生産の全貌が伺える遺跡であり、出土した軒丸瓦は飛鳥時代の坂田寺の系統を引くものです。畿内政権と仏教の影響下で成立した北陸での瓦葺き建物造営の始まりと、その歴史的背景を具体的に示す貴重な遺跡です。」と。
(表2 改定の余地がありますが暫定的に現ブログ管理人が作成した古代日本列島編年)
編年150405

 
 今回は、資料が少ないため歯切れの悪い記述となりました。性急に結論を出さず、以後の調査・考察を重ねた後にここにもどってくることにしたいと思います。

 それにしても 古代の日本列島の調査では、机の上のPCだけでことを済まそうというのは虫が良すぎることを実感しました。現地の博物館なりに出かけて資料をじかに見るならば色々な発想も生まれてこようと言うものです。上記の古墳、神社については、ネット上で知ることはきわめて限られていました。
(つづく)

石動山(能登・鹿島町)、STAP事件と若山教授(BizJ誌より転載)

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(写真:水田から子連れで畑地に避難する雉)
P503雉


苗付けが 始まる時期と 察したか 畑に子連れで 雉 移り住む

当地でも一部の田で、苗付け(田植え)が始まりました。雉の親子も水田の中の藪から畑に移り住んだようです。姿は見えねどか細い声音が聞こえてきます。
 
+++++須曾蝦夷穴古墳
(図1:須賀川市内の古代の聖域建造配置)
須賀川annotation


 前回、掲載した須賀川市地図ではマーキングした幾つかの地点について説明をしていません。そこで図1で、それらを説明しておきます(この図は後日に再度引用することになります)。 
 まずは、図の底部にある「長峰」が付された場所です。「長」が「冢」つまり「墓」であり、「峰」は「豊」の漢字表記が転じたものと考えています。それは音が「KHO」であることを考慮すると,そもそもは「高」の転じたものであると、私は考えています。図1の底部の「長峰」は広大な墓所であったのです。何故、このような大規模な墓所がつくられたのか?それは「中」一派が九州の倭国を征伐した後の多分八世紀始まりから本格的になった東国への軍事攻撃、つまり「征夷」です。東国にれっきとして存在した「国」を「夷」の跋扈する野蛮人の群れと史書は『偽り』を書きます。その東国政権に執拗に攻撃を仕掛けたのです。それは、鎌倉時代まで続きました。

 その指揮を取った人物に当時の朝廷から下された称号がなんと「征夷大将軍」です。私はこの広大な墓域に眠る方々はこの野蛮な「征夷」を振りかざした殺戮行為によって亡くなられた民であると考えています。本ブログの大切な論点です。いずれ話の進展に従って詳細な考察をします。

 「長峰」なる地名は千葉県北部の利根川岸(長豊と表記)から龍ヶ崎、つくば市にもあります。つくば市中心部の「長峰」地区には「大角豆」と書いて「ササギ」(陵)と読ませる場所があります。これは『貴人』の墓所であったと考えています。
 『中』一族はその拠点を奈良から京都に拡大しました。史書と、学校教育で用いる歴史教科書は、その蛮行を東北の『野蛮人」(蝦夷)征伐であったと書き、教えてきたのです。とんでもなきことです。その内実は東北に拠点を持っていた一大政治勢力の殲滅であったのです。大変に重要な事件ですので、近日中に項を改めて詳しく考察します。

 図の上部、やや右寄りにJR須賀川駅・栄町があります。この栄町から大発見がありました(2012年2月3日記事)。シリウス方位で以って建造された建築物が消し去られその上に新支配者が新たな建築物を置いたとの証拠が発掘されています。一昨年夏の東北福島旅行で、長沼資料館からこれに関する貴重な資料を見つけました。ところが、それを書こうと思っていながら、目先の話題を追うことにかまけて、未だに紹介できずにいます。乞う!ご期待であります。
 図1については、まだまだ書きたいことがありますが、現時点での主題である能登島の「須曾蝦夷穴古墳」の話から逸れてしまいます。一つだけ付け加えて当面のテーマにもどります。

 図の右側(三角形遺構の東)で南(下)から北(上)に向かって流れるのが阿武隈川です。「阿武」は「アブ」であり、それは「火」または「明」を意味する古代語、アイヌ語に由来します。一方「隈」は「クマ」でありこれは「カミ」に転じます。後世になって藤原不比等はこの「カミ」に「神」という漢字をあてたのです。かくして「明神」という漢字表記がここから作られたのです。
 私が好きなサッカー選手に明神智和という選手がいます。日本代表監督であったフランス人フィリップ・トルシエの大お気に入りの選手でした。明神8人がいれば最高のチームとまで言うほどのほれ込みようでした。残りの3名は中田(英)、稲本、そしてGKであったろうと思っています。それはさておき、「明神」についてウイキは「明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つ。」と書きます。私はこれに異論を提起します。日本のいたるところにある明神様の由来はまさに渡来族と原住アイヌ族両者の信仰思想に起源するのです。藤原不比等はまさに古代の信仰体系「阿武隈」を「明神」に置き換え、信仰の簒奪をしたのだと思っています。図1についての更なる説明は後日に致します。

=====

 話を「須曾蝦夷穴古墳」に戻します。この古墳は小高い場所(標高80m)にあって、七尾湾はすっぽりと視界に入ります。が、富山湾の向こう氷見、婦中(ふちゅう)を望むことが出来るのかどうか。ましてや、シリウス方向ともなると能登半島南半分の丘陵地が視界をさえぎってしまいます。そこで、その視界を確保するべく、どうやら、場所を南に遷したようです。

 (写真:先崎神社鳥居から見た七尾湾とその向こうの富山湾遠景)
先崎神社ー能登


 それが、石川県鹿島町の石動山(せきどう、標高546m)です。この山は、須曾蝦夷穴古墳から真南16kmにあります。大変興味深く思っています。信仰体系維持のための測地と陣屋設計・配置にあって、その基準点を南北に移動することについては大きな固執は無かったようです。さて、石動山が都市設計のための新たな測量基準とすれば、そこは聖地であった筈です。とすれば、それに見合った史跡が残されているはずです。それが確かにありました。

(図2:能登石動五社権現の境内、http://j55.pw/6jLm より)
能登石動境内図


 石動山のやや南東に能登石動五社権現と呼ばれる寺院があります(http://j55.pw/6jLm )。五社と言うからには神様が祭られていたはずであり、実際に境内には能登二の宮とされた伊須流岐比古(いするぎひこ)神社が祀られています。残る四柱の神がどなたであるのかは定かでありません。いずれにしても五社権現の名前からわかるように五社の神様のいわば代理を務める仏寺であったようです。

 図2に見るように様々な建造物跡が発掘されています。概して目に付くのはシリウス方位を意識した伽藍の配置です。北縁の本社は明瞭なシリウス方位です。中心部に位置する心王院、そしてそれに繋がる参道もシリウス方位を取っています。下部の中央院跡もそうです。明らかにこの地はシリウス星信仰族が関わった、言い換えれば、彼らのこの地での政治的拠点であったことが想像できます。

 この地は、そもそもは軍事要塞的役割を担っていたのではなかろうかと思えます。そこで、この要塞の地理的位置づけを図3で見ることにします。
(図3:能登半島と石動山。ここから富山県の古代遺跡が展望できる)
能登石動014


 石動山に建造した建築物の方位、そしてそれらの配置がシリウス星を指しているとすれば、遠望するシリウス星方向に彼らの陣屋跡なり、墳墓なりが必ずや存在するはずです。そうした視点から見出されたの上図で番号を付した場所です。これらの詳細は次回に書くことにして、ここでは、その地名を記しておきます (右に夫々を説明するHPのアドレスを付します):
1. 須曾蝦夷穴古墳
2. 石動山
3. 櫛田神社  http://j55.pw/6G5r
4. 桜谷古墳  http://j55.pw/GB8f 
5. 王塚古墳  http://j55.pw/e8B4
 次回、個々の場所の考察とともに、シリウス星方位から推定される建造年代を見ることにします。
(つづく)


+++++STAP事件続報
 もはや旧聞に属する記事かもしれません。が、STAP事件の検証記事が一ヶ月前にインタネットの“Business Journal”に掲載されています。この問題について私は既に自分の考えを書いてきました。そうした私の視点からはすこぶる説得的な検証と考え、以下に「備忘」のために転載しておきます。
%%%%%引用開始
前編 http://j55.pw/EEQA 
 【STAP論文】若山教授、共同執筆者に無断で撤回が発覚…小保方氏捏造説へ誘導【前編】
文=大宅健一郎/ジャーナリスト
 一連のSTAP細胞論文問題をめぐり2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏が3月31日、自身の公式サイトとなる『STAP HOPE PAGE』を開設した。STAP細胞の詳細なプロトコル(作成手順)や、1月に出版された小保方氏の手記『あの日』(講談社)にも書かれている検証実験の結果が英文で記載されている。
 特に検証実験に該当するページ(「Protocol for STAP cells」)の最後にあるTypical Resultでは、STAP細胞の存在証明となる「緑色に光る細胞(Oct4-GFP)」の写真が掲載されている。この写真は、小保方氏が理化学研究所の検証実験中に写真に収めたもので、死細胞による自家蛍光とは明らかに異なるものだ。これまで理研の検証実験ではSTAP現象の証拠が得られなかったとされていたが、それを覆す決定的な証拠が初めて明るみになったことになる。
 小保方氏は、STAPサイト開設の目的を「将来、STAP現象に興味を持った科学者が研究に取り組めるように可能性を残すことにあり、未来の科学者がSTAP現象の研究を始める手助けにしたい」としている。
 しかし、STAPサイトが公開されてわずか数時間で、サイトの閲覧ができない事象が起き、その原因が「サイバー攻撃」であったことが小保方氏の代理人・三木秀夫弁護士への取材でわかった。三木弁護士によると、これはDDoS攻撃(複数のネットワークに分散する大量のコンピュータが一斉に攻撃すること)によるものと推定され、まだ犯人は特定できていないが、特定後も攻撃が続くようなら刑事告訴を検討するという。
ミスリード
 このサイバー攻撃に限らず、一連のSTAP細胞問題に関しては不可解な点が多すぎる。特にマスコミの報道姿勢がその最たるものだ。
 今年3月28日、兵庫県警は神戸の理研の研究室からES細胞が盗まれたとする窃盗容疑に関して、容疑者不詳のまま捜査書類を神戸地検に送付して捜査を終了した。これは、小保方氏のES細胞窃盗容疑はなくなったことを意味する。同じ容疑での告発はできないため、小保方氏が同じ容疑をかけられることは完全になくなったが、これを報道したマスコミはほとんどなかった。
  今年2月18日に兵庫県警がES細胞窃盗容疑の告発を受けて小保方氏を参考人として聴取した際には、ほぼすべてのマスコミが「ES細胞窃盗容疑で、小保方氏参考人聴取」と報道していた。まるで容疑者のような扱いだったが、容疑が完全に晴れた今、なぜかそれを報道しようとしない。結果、いまだに小保方氏をES細胞窃盗犯として疑う人々が少なくないのだ。
 そもそもこの刑事告発は、当初から論理破綻していた。告発では、小保方氏が理研時代に所属していた若山照彦・現山梨大学教授の研究室(以下、若山研)が2013年に理研から山梨大へ引っ越す際に、小保方氏がES細胞を盗んだとしていた。
 しかし、13年の時点ではSTAP細胞の主要な実験が終わっており、英科学誌「ネイチャー」向けの論文作成が佳境に入っている時期だった。小保方氏は実験後にES細胞を盗み、過去に戻って若山氏に渡したSTAP細胞にES細胞を混入させることなど不可能である。
 マスコミは結果的に冤罪とわかった小保方氏に対する謝罪はおろか、捜査終了の報道すらしない。この異常な状況を異常と思わないほど、STAP騒動をめぐっては多くの人の思考がミスリードされたままとなっている。その謎を解かない限り、この騒動の真相は見えてこない。
リンチピン分析
 CIAで情報分析を担当していた元情報本部長のダグラス・マキーチン氏は、情報分析を間違わない方法として「リンチピン分析」を提唱した。
 リンチピンとは、荷車の車輪が外れないように車軸の両端に打ち込む楔(くさび)のことである。マキーチン氏は、情報分析をする際に、そもそもその前提となる仮説が正しいかどうかを検討しないと、正しい結論は絶対に得られないと主張した。仮説を間違えれば、結論は自ずと間違うからだ。マキーチン氏は、前提となる仮説をリンチピンになぞらえた。真実を見つけるための情報分析にはリンチピン分析が欠かせない。誰もが事実だとして疑わない常識こそ、気をつけなくてはならないとマキーチン氏は言う。
 では、STAP騒動のリンチピンはなんなのだろうか。
 それは、「小保方氏が意図的に論文を捏造した」「小保方氏が意図的にES細胞を混入させた」である。この2つのリンチピンからは、「STAP細胞はない。騒動の責任はすべて小保方氏にある」という結論しか出てこない。
 だが、この2つのリンチピンはどちらも間違っている。「小保方氏が意図的に論文を捏造した」というリンチピンはさらに拡大解釈され、「STAP論文はほかの論文からのパクリだ」という説まで現れている。正しい事実を知らず、伝言ゲームで広がった情報をリンチピンにすれば、確実に間違った結論へと導かれる。
 「ネイチャー」に投稿されたSTAP論文では、小保方氏が自身のパソコンに保存していたテラトーマの写真を間違って掲載してしまい、ゲル写真を見やすいように加工したことで不正認定されてしまう。小保方氏は、このことに関して不注意で未熟だったと幾度も謝罪している。ちなみに、科学論文において図表等の間違いを修正することは、よくあることである。
 14年4月25日、STAP論文に疑義がかかった後、理研の野依良治理事長(当時)が理研内部の研究員に対し「論文を自己点検するように」と指示を出した。その後、修正された論文はかなりの数に上ったが、論文が撤回となることもなく、この事実が報道されることもなかった。
 さらに、STAP問題に対する調査委員会の委員のほとんどに論文の疑義がかかったが、その委員らはホームページなどで説明を行い修正することで終わっている。当時、小保方氏がホームページなどで情報発信することを禁じられていたことを考えると、非常に不公平な対応である。
 また、小保方氏の早稲田大学時代の博士号が剥奪された際にも、早大の内部調査で博士論文89本に不正が見つかり、そのほとんどが修正だけで済み、小保方氏のような博士号剥奪処分はなかった。
 さらに、14年4月、iPS細胞の発見でノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の論文の画像にも疑義がかかる。山中教授は論文の内容自体は正しいものの、自分以外の共同研究者の実験データが残っていなかったとして「心より反省し、おわび申し上げます」と謝罪して、この件は終了した。これら一連の事実だけでも、小保方氏への不公平な対処が際立つ。
 かつて評論家の故・山本七平氏は、日本人は事実ではなくその場の「空気」によって左右され、日本において「空気」はある種の「絶対権威」のような驚くべき力を持っていると喝破した。小保方氏を魔女のごとき存在に思わせる異常な空気が同調圧力となって、マスコミから国民全体まで覆っていた。
 では、なぜこの前提が蔓延したのか。それは、ある人物の不規則発言が原因だった。
突然の「論文撤回」
 小保方氏は、STAP論文に関する実験を若山研で行っていた際、ポストドクター(ポスドク)という不安定な身分であり、上司は若山照彦氏(現山梨大学教授)だった。部下である小保方氏に対する責任は当然、上司である若山氏にあった。若山研では若山氏のストーリーに合わせた実験が行われ、ストーリーに合わないデータは採用されないという強引な研究が行われていたことは、前回の記事で指摘したとおりである。
当時、小保方氏は、細胞に刺激を与えて万能性を示す状態となる「STAP現象」を担当しており、これは米ハーバード大学のバカンティ研究所でも成功させていた。小保方氏が記者会見で「200回以上成功した」というのは、このSTAP現象のことを指している。


「STAP細胞」実験の過程
stap01

 一方、若山氏は小保方氏が作成したSTAP細胞から、ES細胞のように増殖力を持つSTAP幹細胞をつくり、キメラマウスを作成するのが担当だった。
 STAP論文における小保方氏の写真の取り違えが判明し、マスコミの加熱する報道が起こり始めると、突如として若山氏は「論文撤回」を主張するようになる。しかも、理研の故・笹井芳樹教授やバカンティ教授など論文執筆者たちの承諾を得ないまま2014年3月10日、NHKの取材に対して勝手に論文撤回発言を行った。論文撤回するかどうかは、共同執筆者全員の賛同を得て初めて成り立つものであり、1人の執筆者が独断で行えるものではない。明らかなルール違反だった。
 この無責任な発言によってマスコミの報道が一気に沸騰し、修正で済むはずだったSTAP論文は「捏造」というキーワードと共に悪意ある偏見の目で見られるようになり、「重箱の隅をつつく」指摘が止まらなくなる。そして、STAP細胞そのものがなかったことになっていく。
 このNHK報道を契機として、若山氏は一方的に情報をリークできる立場を確保していく。特にNHKと毎日新聞への度重なる意図的なリークによって、自身に有利な世論を形成できる立場を得ていた。論文執筆者たちは、若山氏との話し合いの前に同氏の言い分を報道で知るという異常な事態となる。
 この「空気」を追い風に、マスコミを通じて情報発信できる立場を得ていた若山氏は、さらに追い打ちをかけるような情報を発信する。

後編 http://j55.pw/wmQJ 
【STAP論文】若山教授、小保方氏を捏造犯に仕立て上げ…論文撤回理由を無断で書き換え
 一連のSTAP細胞論文問題をめぐり、2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏の上司だった若山照彦・現山梨大学教授が、保身のために論文共同執筆者たちに無断で論文を撤回する動きを行っていた事実を紹介した。
 14年6月16日、若山氏は自身が作成したSTAP幹細胞を分析したところ、「自分の研究室にはないマウスだった」と発表した。これによって、小保方氏が外部からマウスを持ち込んだというイメージを世間に刷り込むことになる。この報道によって、世論は完全に小保方氏を悪魔のようにとらえるようになっていく。「名声のためなら嘘も捏造もやる女性」という印象が、この時に固定化されてしまう。
 しかし同年7月5日には、「自分の研究室にないマウス」だったはずのマウスが、若山研のマウスであったことが判明した。若山氏側の解析の間違いだったのだが、この事実をほとんどの大手マスコミは報道することはなかった。すでにこの時、「小保方が犯人」という世論が形成されており、それに反する情報には価値がないと判断されていた。2014年7月27日に放送されたNHKスペシャル『調査報告 STAP細胞 不正の深層』においても、若山氏の間違いが判明した後であるにも関わらず、小保方氏に疑惑があるという内容で報道されている。筆者はその当時からNHK報道の誤りを指摘してきた。
 そして今に至るまで、小保方氏にとって有利な情報の報道制限が行われるようになった。
●マスコミへのリーク
 若山氏は論文撤回において、共同執筆者の承諾なしに単独行動を繰り返すことになる。著者間で行われていたやりとりは、常に公開前にマスコミへとリークされていく。アメリカの著者のもとにNHKから取材が来たとき、著者間でしか知り得ない情報をすでにNHKが入手していたという。
 さらに、STAP論文が掲載された英科学誌「ネイチャー」に対する論文撤回の連絡も若山氏が独断で行うようになり、若山氏が責任著者でない論文(バカンティ教授が責任著者)に関しても、独自で撤回のやりとりを行っていたという。さらに若山氏は常軌を逸した行動に出る。
 14年6月、論文執筆者たちが事態を収拾するため、著者全員が論文撤回に同意した。その時同意した内容が若山氏によって巧妙に書き換えられたのだ。
 同意書には「STAP幹細胞は若山研に決して維持されていなかったマウスの系統であった」と書かれていたが、もともとの同意書には「STAP幹細胞は若山研に維持されていたマウスのES細胞の系統と一致する」と書かれていた。若山氏は「誰かが勝手に書き換えた」と新聞で一方的に発表していた。
 小保方氏が真相を確かめるために「ネイチャー」編集部に問い合わせると、若山氏が誰の相談もなく撤回理由を修正するメールを勝手に出していることが判明する。そして「ネイチャー」編集部は若山氏が送ったメールを転送してきて、それが物証となり若山氏の単独行動が明らかとなる。
 しかし、その事実を知らない若山氏は、「僕のほうからも笹井先生、小保方さんが私を含むほかの著者に無断で原稿を修正した事実はない旨、説明しましたのでご心配は不要です」というメールを送ってきたという。そのメールに論文著者たちは言葉を失った。だが時すでに遅く、さらなる混乱を避けるため、勝手に修正された撤回理由を修正することはなかった。
c Business Journal 提供
 これにより、STAP論文の撤回理由は、若山氏が作成したSTAP幹細胞に疑義があるということになった。しかも、事実とは異なる可能性、誰かがマウスをすり替えた可能性を示唆しつつ。つまり、STAP論文の撤回理由は「STAP現象」の否定ではなかった。
●研究仲間を欺く行為
 このように若山氏は不規則発言を繰り返し、研究仲間すらも欺いてきた。このような人物がリークする情報を事実確認もせず、さもスクープを取ったかのように連日のように報道してきたマスコミの責任は重大である。そして、その空気にフリーライドし、無責任に小保方氏を批判してきた専門家の責任も看過できない。
 さらに筆者は、若山氏が頻繁に重大な研究倫理違反をしていた疑いがある情報を得た。元若山研の関係者による内部告発である。そこには驚くべき事実と、その証拠となるメールが添えられていた。今後、その内容を発表することになるだろう。
 生物学は、結果が重視される世界である。結果が正しいならば、論文の執筆上のミスによって、その結果を否定することはできない。
「DNA二重らせん構造」の発見者・ジェームス・ワトソンはノーベル賞を受賞し、「遺伝学の偉人」として歴史に名を刻んでいるが、ワトソンが別の大学の女性物理化学者ロザリンド・フランクリンが撮影したDNA結晶のX線写真を、なんの断りもなく勝手に自分の研究成果に取り込み「ネイチャー」に論文を掲載していたことは有名な話である。不正を行っていながら、結果が正しかったということで彼の名声は今でも不動である。
 ワトソンの行為は決して許されるべきではない不正行為だが、科学とは「誰もが納得する結果」が重要であり、論文の記載ミスは些細な事である。
 たとえば14年4月、iPS細胞の発見でノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の論文の画像にも疑義がかかる。山中教授は論文の内容自体は正しいものの、自分以外の共同研究者の実験データが残っていなかったとして「心より反省し、おわび申し上げます」と謝罪して、この件は終了した。
 小保方氏の場合もSTAP現象が確認されれば、その成果を誰も否定することはできなくなるはずだ。
 小保方氏が希望(HOPE)を託した「STAP HOPE PAGE」には4月5日現在、107カ国からアクセスがあるそうだ。アメリカのハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学、ロックフェラー大学、イギリスのケンブリッジ大学など、世界中の著名な大学や公的生物学系研究機関、大手製薬会社からもアクセスが続いているという。サイトの広報活動を一切していないにもかかわらず、サイトの影響力は世界中に拡大している。
 一方的な偏向報道で雲散霧消したと思われたSTAP細胞の存在は、ふたたび小保方氏のサイトにより息を吹き返してきたようだ。小保方氏が望んだように、いつしかどこかの国の科学者が、STAP細胞を再現する日が訪れるのだろうか。
(文=大宅健一郎/ジャーナリスト)
%%%%%記事転載おわり

須曾蝦夷穴古墳(2、能登島、金沢)、原発と温暖化(米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
あっという間に本年も残すところ僅か8ヶ月、一年の1/3が過ぎてしまいました。

(写真:キャベツの花が畑いっぱいです。白い蝶がその花にまとわりついているのですが、デジカメのレンズに写ったのはわずか一頭(真ん中よりやや左の上縁)。それにしてもこれだけの花を受粉させるとは、蝶には重すぎる」責任ですな)
P502玉名と蝶

 
白き蝶 たまなの花に まとわりて 仕掛け上々 受粉を助ける

 これだけの花がやがて丸くキャベツとして収まるのですから自然と言うものの(生物は)ひめたる生きる力に感嘆であります。とは言うものの個々の花にしてみれば自分こそは受粉したいとの思い切なるものであるに違いありません。しかしそれは所詮叶わぬのです。大多数の花にとってはまさに徒花(あだばな)なのです。
 先月号の「日経サイエンス」誌が働き蜂、働き蟻についての研究結果の一端を紹介していました。働かぬ蟻、働かぬ蜂がじつは一族を支えているというものです。受粉しない花にも立派な役割がある。とすれば、媚(こび)へつらって蝶の関心を惹かずとも良い、ということです。これは動物界でも観察されます。億二も達する精子が一個の卵子をめがけて突進します。このとき、卵子に到達できなかった精子は無駄死にであったのか?そうではなく、卵子に達した精子のためのいわば露払いの役割を結果として担ったのです。そうして整備された道を勝ち抜いた精子は清められながら卵子に達した。これが生殖過程であるのではなかろうか、と思っています。てなわけで、おびただしいキャベツの花に向かって「生きたいように生きたまえ!」と彼らを激励してきました。

+++++須曾蝦夷穴古墳(能登島、2)
 この古墳は方墳でしかも二つの玄室と夫々に通ずる二つの羨道を持つという珍しい型です。そしてその建造方位はなんとシリウス方位です。そこで、このシリウス方位の方向に神社、あるいは何がしかの古代遺跡を探してみます。まずは能登島の南側海に面して見つかるのが先崎神社です。

(写真:先崎神社。http://j55.pw/jVfU 参道および拝殿が”逆シリウス方位“である)
能登島ー古墳ー先崎社

 前回掲載した図に見るように、須曾蝦夷穴古墳は中央に見える先崎神社の北北東の丘の上にあります。そこで、その位置関係を調べてみると
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 科学計算プログラム Scilabで作成
epi(lat,lon)=[37.107933 136.966702]  須曾蝦夷穴古墳
sta(lat,lon)=[37.103353 136.968457] 先崎神社
Dlt,Azm,Bzm= 0.00 163.01 343.01 0.5 –km
 距離にして500mほど隔たり、古墳から見た神社の方位は163.01度と言う値を得ます。この値は、下の表に照らすと、この構図設計は西暦541年ごろと見積もることが出来ます。それは、シリウス信仰渡来族が岩瀬国から常陸の国へ進出し、ついに鹿島に宮を建造し、いよいよ太平世の海に乗り出す時期です。

(表:シリウス星年代対照表)
シリウス暦150303


 考古学的知見、出土物から古墳の造営は七世紀とウイキ は書きます。その確度がどれほどであるのかはわかりませんが、上記のシリウス星年代とのずれはいかようにも説明がつきます。
 いずれにしても、この古墳がアイヌ族とシリウス信仰族の両方の思想を体現していることが見えてきます。それは2014年8月13日記事(http://j55.pw/TbLi )で論じた須賀川市長沼の「都市設計」と同じであることを示しています。簡単にそれを振り返っておきます:

(図1:上記8月13日記事掲載図の再掲)
須賀ー三角


 古代史関連の事を本ブログでいろいろ書いてきました。そこで、私自身が気づいたことをかって本ブログ記事としてまとめたことがあります。2014年8月29日記事(http://j55.pw/JZ5x )から同年9月15日記事(http://j55.pw/tYe4 )です。当然、上の図もその一つとして含まれています。本当に思いがけない発見でした。

しかし、福島県中通南部についてはなじみのない方も少なかろうと思いますので、上図を含む広域図を図2に示します。
(図2、磐瀬国の二等辺三角形敏設計を広域から見る。橙々色が図1に示す三角形。東に上から下に蛇行する紫色は阿武隈川(アブ=火、クマ=神)、青で示される細線は釈迦堂川(=サカト川)、隈戸川(=クマソ)。幾つかの重要地点をマーカで示している。例えば右半分上部に「蝦夷穴」なる場所がみえる。JR東北本線「須賀川駅から南東に3kmのあたり」、図をクリックすると拡大できます)
須賀川013


 この地は会津盆地の南に位置します。東西と南を高地に囲まれ防衛上の視点からは安定して都市設計似千年できたと思っています。その都市設計をするに当たって考慮されたのが30度です。何せ、この地は石川県能登島の須曾蝦夷穴古墳と同じ北緯線にあります。従って太陽が夏至日には真東から北へ30度の方角(北60度東と表記することもあります)から上ります。

 小中学校の算数・数学で習ったことを覚えている方も多かろうと思いますが、30度、45度、60度、そして90度と言う角度は太古の昔から特別な角度でありました。それは定規とコンパスのみで正確に地面に作る事が出来るからです。こうして作成した図から2の平方根、3の平方根と言った^無理数が地面の上で作られてしまいます。多分、長いこと この3つの角度は耕地面積の配分などと言った「実利」を超えて、人間には『神秘』な存在であったと想像しています。

 能登島、須賀川はまさにそうした「聖地」であったのです。さてこれがどのようにアイヌ族の思考体系と結びつくのでしょうか?アイヌ族の生活は太陽の運行に強く影響を受けていたと多くの研究者が語ります。しかし、須賀川の都市設計の事例では、explicitな根拠があります。既に書いたことを繰り返しておきます。
図2の二等辺三角形の左端の頂点は古社「鉾衝神社」です。個々は飯豊皇女が「王」宮を構えた地です。日本書紀がそれを書いています。飯豊皇女の宮は「角刺宮」であったと。『鉾』は「角」です。「衝」は「刺」です。藤原不比等が奈良盆地内に「箱庭」を造成する際に名称を改変したのです。さて、この鉾衝神社の背後の丘は「亀居山」と呼ばれています。これは「カムイ」に由来することは明らかです。
 因みに、この神社のすぐ右下の神社が「磐女」(いわひめ)神社です。日本書紀に従えば、飯豊皇女の祖母と言うことになります。

 さて、つぎに三角形の右上の頂点です。これは神炊居神社(かみおたきあげ)です。神社の名称そのものが「カムイ」です。後世の人はこの名称の意味を理解できず「神が民のために米をたいて施した」といった説話を拵え挙げたのでしょう。しかし、この神社の祭事では、鉾衝神社との密接な関係が語られています。
2012年1月30日本ブログ記事は以下を書きます:
「さて、この神炊館神社の宮司さんから頂いた由緒書きにはもう一つ注目すべきことがかかれていました:特殊神事として以下が書かれています「秋季例大祭の際に執行される神事で,神官三人がお鉾を奉じして社殿を三周します。このお鉾はこれまで渡御祭で旗場をお払いした御幣を巻きつけ上部に突き出た鍬型の鉾の周囲を茅と榊で飾ってつくられています(下の写真、由緒書より」。

 かくして、二つの神社の密接な関係ばかりでなく、アイヌ族との密接なかかわりがわかりました。しかし、ここにはまだ30度と言う角度が登場しません。2014年8月29日から9月15日までの記事で詳細に書きましたが、鉾衝神社と神炊館神社を結ぶ線の中点に松塚神社があることに気づいたのです。そこで、そこから、この線への垂線を立てると、それはシリウス方位であり、その先に見えてきたのが岩淵神社でした。この神社は小高く土盛されており、その形状からして古墳と思われます。アイヌ語で「フチ」は「聡明な老女」です。一方「松」は「ショウ」ですから「香々背男〕(カガセオ=コウショウ)です。つまり松塚神社はシリウス星信仰渡来族の首長級人物の墓(塚)であるらしいことが見えてきます。驚くべきは、この角度がピタリ30度であったのです(図1で角<DAB )。そしてこの三角形は底角を30度とする二等辺三角をなしています。まさに驚きでした。平面上どこれだけの構図を実現している。それはナズカの地上絵にも匹敵する歴史的遺構であると私は思っています。

 こうして、この須賀川の都市配置は遠く中近東渡来族と原住のアイヌ族の和合政権によって計画され施工されたと結論しました。「渡来族とアイヌ族」の和合政権を読み解く鍵はまさに「30度」と「シリウス」方位にあります。この二つの鍵を使うなら、能登島の「須曾蝦夷穴古墳」の秘密も垣間見ることができます。
(つづく)

+++++原発と地球温暖化
 6日前の4月26日はチェルノブイリ原子力発電所の爆発から丁度30年目の日にあたります。この事故は「原子力」と言うもののすさまじさをあらためて世界に知らしめた大事件です。ここで「改めて〕と書いたのは、人類が最初にこの原子力の恐ろしさを知ったのが1945年8月6日、9日の広島・長崎への米軍による原爆投下でありました。
 しかし、広島・長崎の悲惨は、世界が原爆の恐ろしさを学ぶ機会とはなりませんでした。むしろこの恐怖の技術を世界制覇の、他国への脅迫の道具として使うことに大国の意識は向いたのです。1986年のセルノブイリはこうした世界の趨勢を見直し、核エネルギからの訣別を決意することになったのか?再度それはならなかったのです。そして、25年後の福島の惨禍です。しかし、これも世界の趨勢を転じるきっかけとはなっていないようです。むしろ、原子力への依存はむしろ強まった観すらあります。経済学者竹田氏が以下を書きます。
(図4 東京新聞4月28日付け朝刊、竹田茂夫氏コラムより)
P428竹田


 地球温暖化を阻止するためには化石燃料によるエネルギの供給を減らさねばならない。これまでのエンルギ供給を維持するためには原子力エネルギに頼るしかないという論理です。こうした主張への竹田氏の懸念を裏書するかのごとき記事が米国科学誌に掲載されています。露骨にその主張を書いています。ここには使用済み燃料の何百年いにわたって人類が抱えこまねばなら無い危険は殊更に見ぬ不利をしています。以下にその「リクツ」を紹介しておきます。
%%%%%米国科学誌記事紹介
 
http://j55.pw/jnH7 〔米国科学誌、3月21日号〕
Chernobyl Didn't Kill Nuclear Power
The accident was just one factor that makes it a hard sell to fight climate change
By Frank von Hippel on April 1, 2016
チェルノブイリは原子エネルギ利用を圧殺しなかった
あの事故は地球温暖化への戦いを困難にした一つの要因とはなったが。
Ross MacDonald
30年前の1986年4月26日午前1時24分、旧ソビエト連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ4号原子炉の容器と屋根を吹き飛ばし、大気中に放射性物質を吹き上げるという爆発事故が発生した。反応炉芯中の熱で突き動かされた湧出は次の週にはあらゆる方向に飛び散った。最終的には3110平方キロメートルの地帯は、セシウム137で汚染され避難を余儀なくされるレベルになった。チェルノブイリ事件によって核への嫌悪に転じるということは理解できる。そしてそれは30年経った現在ですらも強烈だ。化石燃料による気候変動に対抗する主要な代替手段であることに確信がないからだ。チェルノブイリ事故前の15年間では、毎年約20の新しい原子力発電用原子炉が建設されていた。事故後五年にそれは、一年間平均4つに減った。
しかし、実際の経緯はより複雑だ。チェルノブイリの人類への影響は、重要であるが、壊滅的ではなかった。避難区域外では、放射線の80年にわたる影響は、欧州全域癌の数十万の一程度と見積もられている。それは多いと聞こえるかもしれないが、通常の癌罹病率には検出不可能なほどの小さい。唯一の例外は、放射性ヨウ化物の摂取によって引き起こされる、甲状腺癌である:目に見えるくらい、つまり1〜2パーセントの死者増はあった。それはベラルーシ、ロシア、ウクライナの最も影響を受けた地域であった、
チェルノブイリ事故から推定された癌死亡率と日本の2011年、福島第一の災害にもかかわらず、原子力発電は依然として他のエネルギ源に比べると安全なのである。生成する電気エネルギーの単位当たりの平均死亡率からは石炭がずっと多い。米国のthe National Research Councilによる2010年の調査によれば、当時の米国での104機の原子炉が2005年に石炭の置き換わったとすると、それによる大気汚染が更に数千の幼児死亡を毎年増加させたであろう。
人々はまた、彼らは大気汚染の影響についてよりも放射線の長期的な影響について心配する傾向がある。チェルノブイリ後の20年のウクライナの人口の心理的満足度の調査では、1年間の余分な放射線線量被爆が生活の満足度に比例することを示したが、その増加は心理的なもので、疾患の増加や主観的な平均余命への不安と相関していた。
このような悩みは、チェルノブイリ後の新工場の建設の低下に影響したが、他の理由もあった。一つは、先進国の消費電力の成長が同じ時期に大幅に鈍化していたことだ。それは電気の価格が下げ止まっていからだ。1974年に米国の原子力委員会は、2016年までのたに000もの大規模原発が必要になるとの予測をした。今日、それは平均で見れば500程度で収まっている。勿論電力需要ピーク時にはもう少し必要だが。
もう一つの要因は、1950年代の「イケイケ!」の主張とは反対に、原子力発電がメートルにあまりにも安いとの予想に反してそれは非常に高価であることだ。燃料コストは低いが、建設費は、特に北米、ヨーロッパでは、巨大で、反応炉につき$ 6億から$ 12億である。この費用は、厳しい安全基準によるばかりでなく、発電所が少ないほど、能力を有する建設労働者少ないので建設費が増大するからだ。原発の未来は中国にかかっている。2008年に建設開始原子力発電用原子炉の約半分は中国で、中国の原子力産業が、他の国でのプロジェクトを促している。1970年台中国の建設費用は米国ヨーロッパよりはるかに低かったが、現在は世界は当時の3倍もの電力を使っている。国際エネルギー機関は、中国の発電の原子力シェアは2040年までに10パーセントに成長すると予測している。
人間のエネルギーの使用を化石燃料からシフトするために、原子力発電は役に立つが、現時点では主役ではない。チェルノブイリは、その見通しを損なったが、それは技術の衰退ということではなかった。
(以下原文)
Thirty years ago, at 1:24 A.M. on April 26, 1986, explosions blew the lid and roof off the Chernobyl Unit 4 nuclear reactor in Ukraine, in the former Soviet Union, blasting radioactive material into the atmosphere. The outflow, driven by a raging fire within the reactor core, blew in all directions during the following week. Ultimately an area of 3,110 square kilometers was contaminated with cesium 137, to a level requiring evacuation.
Superficially, it is reasonable to leap to the conclusion that fear generated by the Chernobyl disaster turned the public against nuclear power—so strongly that even now, three decades later, there is serious doubt that it will ever be a major alternative to climate-threatening fossil fuels. In the 15 years before the Chernobyl accident, an average of about 20 new nuclear power reactors came online each year. Five years after the accident, the average had dropped to four a year.
 
But the full story is more complex. The effects of Chernobyl on people, though significant, were not devastating. Beyond the evacuation area, it is estimated that the radiation will cause tens of thousands cases of cancer across Europe over 80 years. That may sound like a large number, but it is a mostly undetectable addition to the background cancer rate. One exception is thyroid cancer, caused by the ingestion of radioactive iodides: there have been visible epidemics—only 1 to 2 percent fatal, fortunately—in the most affected regions of Belarus, Russia and Ukraine.
Despite the projected cancer deaths from Chernobyl and the 2011 Fukushima Daiichi disaster in Japan, however, nuclear power still appears safer than coal, measured in terms of average deaths per unit of electric energy generated. According to a 2010 study by the National Research Council, if the U.S.'s then 104 nuclear reactors had been replaced in 2005 with coal plants, the increased air pollution would have caused thousands of additional premature deaths annually.
People also tend to worry more, however, about the long-term impact of radiation than they do about the effects of air pollution. A survey of the psychological well-being of Ukraine's population 20 years after Chernobyl found that an extra radiation dose equivalent to one year's natural background exposure was correlated with reduced life satisfaction, an increase in diagnosed mental disorders and a reduction in subjective life expectancy.
Such worries contributed to the drop in new plant construction post-Chernobyl, but there were other reasons. One was that the growth of electric power consumption in developed countries slowed dramatically at around the same time because the price of electricity stopped falling. In 1974 the U.S. Atomic Energy Commission was projecting that the U.S. would require the equivalent of 3,000 large nuclear power reactors by 2016. Today it would take just 500 such plants to generate as much electricity as we consume on average—although more capacity would be required for times of peak consumption.
Another factor is that, contrary to the claims of boosters in the 1950s that nuclear power would be “too cheap to meter,” it is quite expensive. Fuel costs are low, but construction costs are huge, especially in North America and Europe—$6 billion to $12 billion per reactor. This expense has been driven in part by more stringent safety standards but also by the fact that, with fewer plants being built, there are fewer construction workers qualified to build them, resulting in costly construction delays for corrections of mistakes. The future of nuclear power is now largely in the hands of China. About half of the nuclear power reactors under construction starting in 2008 are located there, and China's nuclear industry is beginning to propose projects in other countries. China's rate of construction is still far below that of the U.S. and Western Europe in the 1970s, however, and the world is consuming electric power at three times the rate it did then. The International Energy Agency projects that the nuclear share of China's electricity generation will grow to only 10 percent by 2040.
On the scale needed to shift human energy use away from fossil fuels, therefore, nuclear power has become a helpful but relatively marginal player. Chernobyl damaged its prospects, but it was not the only reason for the technology's decline.
%%%%%米国科学誌記事紹介おわり

須曾蝦夷穴古墳(能登島)

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(写真: 当地でも田に水が入り始めました。五月になると苗つけが始まります)
P429みずたx


 今般の熊本地震について気象庁が記者発表の場で「今までに経験したことのない地震活動である」と繰り返し語りました。私なんぞも実際そうであると思っていたので聞き流していましたが、ある記事を見て「はっと気づかされました:
 「経験則がない」は気象庁の嘘。慶長大地震を見よ!」と題する記事です。(http://j55.pw/trXu サンデー毎日 2016年5月 8日号)
 以下はその抜粋です:
%%%%% サンデー毎日記事の抜粋
 (前略)にもかかわらず、気象庁は「経験則がない」と逃げる?
「原発再稼働」と関係があるのではないか? 安倍政権の大方針に水を差す「地震予測」は自粛した方が良い、と思っているのでは?(僕は「一定期間、安全を優先に原子力発電は利用すべきだ」と考えているが)今回の地震で「地震国ニッポン」の原発はリスクが多すぎる!と思うようになった。
 丸川珠代・原子力防災担当相は4月16日、熊本地震の非常災害対策本部会議で、稼働中の九州電力川内(せんだい)原発について「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断」と報告した。
 原発では、周辺の活断層などで起こる大地震を想定して地盤の状態を加味し、原発直下の最大の揺れ「基準地震動」を見積もる。これをもとに原子炉、建屋、配管などの構造や強度を決めるが、川内原発ではそれが620ガル。
「今回の地震で川内原発において観測された地震動は最大で12・6ガル。620ガルの地震動を受けたとしても、安全上重要な機能は確保される」と言うのだが......川内は熊本地震の引き金になった「日奈久断層帯」の南西にある。少なくとも当分の間、稼働停止すべきではないのか?
 旧ソ連はチェルノブイリ原発事故で崩壊したが、日本が再び原発事故を起こしたら......東京五輪中止ぐらいでは収まらない。(後略)
%%%%%記事抜粋おわり

 そうであったのか!との思いです。NHKが意識的に川内周辺に関わる報道を避けたことと相通ずるものがあります。福島第一原子力発電所事故では、あの大津波を「想定外」であるとして政府も東電も責任を取ることから逃げました。今回、同様な事故が引き起こされた場合には、「想定外」を「未経験の地震であった」に置き換えて再び電力会社と政府はその責任をまぬかれようとの魂胆。その意志をきっちりと気象庁担当官の口から言わせたのです。悪賢い官僚はそこまで思いを致すのか!との思いです。勘ぐりすぎとは思えません。

+++++須曾蝦夷穴古墳(能登島)
(表1: 天皇グルーピング、図上でクリックすると拡大できます)
IVグループ


 第IV天皇群は、奈良盆地に棲息した「中」一派による倭国殲滅の狼煙が上がる事件で締めくくられます。それが「乙巳の変」です。このあと「大化の改新」となるわけです。このIVグループの後に続く天皇たちを語る日本書紀編年には、もはや「即位期間則」はありません(上表参照、水色の天皇群)。「中」一派の「のろし」と言うべきか「蜂起」というべきか、それにいたる準備経緯こそが、第IV天皇群ということになります。そしてこの「蜂起」が以後の日本列島の政治を規定したわけです。黒比売(黒姫)に始まる天皇群I〜IIIは「中」一族蜂起(叛乱と言い換えても良いのかもしれません)への経緯を、藤原不比等の視点から語ったものであることがわかります。本ブログでは経緯の大筋が天皇群のグルーピングから見えてきたわけです。その詳細な経緯については、改めて議論することにします。

 そもそもこの話は昨年8月末に北陸新幹線で富山、石川の両県をを訪ねたことから始まりました。観光案内書に言う黒部川の名前の由来に興味を惹かれたことがきっかけでした。調べてゆくと黒部川周辺との東北域には、五世紀から六世紀の日本列島の主要な政治勢力が見えてくることを書いてきました。彼らは、遠く中近東からの渡来族と日本書紀が「エミシ」と呼称する現地住民アイヌ族から構成されていたと思えます。

 しかし、日本書紀はこうしたことを書きません。倭国の活躍、活動勢力の舞台はすべて近畿地方とりわけ奈良盆地内に場所を移しかえられて記載されてしまうのです。この事情は、九州にあって「倭」なる政治勢力の活躍が、これまた近畿地方に移しかえられてしまった事情そのものです。私はこれを「奈良盆地への箱庭造成」と本ブログで書いてきました。

 倭国を支えた「倭」の勢力の活動の痕跡が次に訪ねた石川県能登半島に残されています。この話で私の北陸旅行の話を一段落させ、「列島の信仰体系」、つまり長く休んでしまった「カトリ」の話にもどることにします。

 昨年の晩夏、富山県に別れを告げ、次に訪ねたのが能登半島の東側中央部の七尾湾に浮かぶ小島、能登島です。この島に須曾蝦夷穴とよばれる古墳があります。
(図1: 能登島と須曾蝦夷穴古墳の場所)
七尾ー能登島


(図2:須曾蝦夷穴古墳内部への二つの横穴、http://j55.pw/Wfck より)
nt-susoezo21

 
(図3:須曾蝦夷穴古墳内部の玄室)
P826玄室


 ウイキペディアはこの古墳について以下を書きます:
%%%%%ウイキペディアより
七尾湾内に浮かぶ能登島の南岸に臨む字須曽の背後丘陵に所在し、標高約80メートルである。
一辺が20m程度、高さ約4.5メートルで、古墳時代後期に属する横穴式の方墳であるが、石室が二つ有ること、横穴が石室の長辺に接続していること、石室の天井部は隅三角持送技法によりドーム状になっていることなど、日本の古墳には例が少ない高句麗式の構造を備えている特長がある。二基の石室とも長い羨道部をもち、全長約7メートル前後ある。雄室と呼ばれる東側の石室は平面形はT字形で、雌室の方は逆L字形に造っている。石室用材は能登島に産出する安山岩室板石である。
構築されたのは古墳が殆ど作られなくなった7世紀中頃とされ、被葬者は判っていない。
%%%%%
 この古墳についてはインタネットに多くの人の観察やらを見ることができます(例えばhttp://j55.pw/Wfck )。この古墳で最も興味深いことは、石室が二つあることです。研究者達はこの墓の建造様式を朝鮮半島に求めています。そこには二つの石室を持った墳墓があります。これを知ったのは松木武彦・国立民俗博物館教授の講演でした。慶州(キョンジュ)皇南大塚(ファンナムデチョン)(http://j55.pw/23cS )です。新羅王国の首都に建造されたとの事です。

(図4:慶州(キョンジュ)皇南大塚(ファンナムデチョン)、http://j55.pw/23cS より)
慶州皇南大塚2


 松木教授の講演主題はこの墳墓ではありませんでしたが、興味深い発掘事実に触れていました。それによれば、埋葬された二人の人物について、王と王妃、王と息子、で議論が定まっていないようです。また王と一緒に埋葬されたということは、この人物は「殉死」と言うことなのであろうか?との議論もあるようです。何故こうした疑念が生ずるのか?それは墳墓の築造段取りが日本列島でのそれと異なっているからです。

 日本列島にあっては、生前から墳墓の築造が始まり、完成後竪穴、あるいは横穴を穿ち、そこから石室を作履、死者を埋葬するという段取りです。したがって、亡くなる時期が異なっても、後に亡くなった人をその墳墓に安置することができるというわけです。
 一方、新羅の墳墓では、貴人が亡くなると葬式後直ちに遺体を石棺に収め、人間の頭大の石を大量に積み重ねて棺を覆います。その上で、更に大量の土を積み上げてやっと墳墓が完成します。と言うわけで、別の時期に無くなった二人の人物を同一の墓に収めることが出来ないことになります。
 そしてこのことが後世の考古学者には有がたいことであったとの事です。なぜならば、「盗掘」が出来ないため、当時の状況、刀剣、宝物などの被葬物が保存されているからです。

 この築造の段取りを考慮すると、須曾蝦夷穴古墳はれっきとした羨道につながる横穴を持っていますから、二人の人物を埋葬しているとはいえ、慶州(キョンジュ)皇南大塚(ファンナムデチョン)とは異なっています。しかし、この古墳からは朝鮮半島由来と思わせるものが多く出土しているとのことですので、地理的な状況からしても半島との密接な関係があったであろうことは間違いないようです。

 ところで、この古墳に何故「蝦夷」なる表記がふされているのでしょうか?この古墳の敷地内に「蝦夷穴歴史センター」があり、そこで資料閲覧が出来る筈でした。しかし、私がこの地を訪ねたのが「博物館趣味者には魔の月曜日」でありました。世界中のどの地でも博物館は月曜日には閉ざされています。というわけで、旅から帰った後、インタネットでいろいろ調べてみました。加賀の前田藩の頃から、蝦夷古墳と住民が呼んでいたらしい事もわかりました。しかし、それ以上のことはわかりません。

 私は日本書紀が「蝦夷」とよぶアイヌ一族がこの地に関わっていたであろう事、むしろ強くこだわっていたであろうと考えています。それはこの地の緯度です。この墳墓の位置は東経136.97度、北緯 37.11度です。この『緯線』を東に辿ると福島県須賀川市長沼の旧磐瀬国造祉、西に日本海を越えてずんずん進むと中国・青海(チンハイ)湖です。この緯線上では、夏至時の太陽は真東から北にきっちりと30度の方角から上ってくるのです。この意味するところを2014年8月13日記事で書きました。次回それを振り返りつつ話を進めます。

 因みに、この同一緯線から僅か南にずれたところに新潟県の青海があり青海神社があります。

(つづく)

第IV天皇群、共産党元幹部の右翼誌投稿

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:横浜港に係留される氷川丸)
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 新しき 生活求め 南米へ 必死の思いが 胸にこたえり

 先日、町内会バス旅行に参加し、横浜を訪ねました。三渓園を訪ねたのははじめてです。収集を趣味とする御仁、色々居られますがまさか江戸時代以前の建築物を自らの邸内に移築してしまうとは、驚きでありました。和風の広大な庭園に、紀州藩主徳川頼宣公別邸やら、鎌倉の東慶寺本堂など十七棟が配置されていました。徳川頼宣といえば、油井正雪の乱の黒幕であったとか無かったとか。更には、徳川二代将軍秀忠に疎まれて紀州に移された等など、歴史小説好きには、色々とエピソードを思い起こさせる人物です。この人物の顔は知りませんが、なにやら知り合いの家を訪ねた気分でありました。

 東慶寺は人ぞ知る駆け込み寺です。井上ひさしの小説にもあるように、酷い旦那から必死の思いで逃げ出した人妻のためのまさに避難寺です。老齢になって知ることですが、連れ合いをそこまで追いかける旦那の気分が想像できなくなりつつあります。それはさておき、有名なところでは会津藩主・加藤明成の家老であった堀主水が藩主の暴政に逆らい妻子をこの寺に避難させた事から大騒動となったことは良く知られています。暴君明成は東慶寺にまで兵を差し向ける事態となった歴史小説の断片が色々と思い出されてきます。この本堂に堀主水の妻と娘が夫の無事を願って日夜詣でていたのだろうと、想像しました。騒動は徳川幕府の加藤家面子を重んじた介入で落着しました。しかし加藤明成は移封となり、その後を襲ったのが名君・保科正之です。

 そして、つぎが横浜湾で見た氷川丸です。かってはサンフランシスコ航路の主役として、米国、ペル、ブラジルに日本からの移民を運んだ大型客船です。移民の出身地は沖縄、そして今般大震災に苦しむ熊本県などです。思えば、四半世紀前に始めて訪ねたペルは大統領選挙の真っ最中でした。選挙戦序盤では泡沫候補といわれた熊本県出身の藤森候補がグングンと支持をのばし、ついには選挙戦を制するという歴史的時点でもありました。それから6〜7年後でしょうか。ペル大使館へのゲリラ兵による占拠事件が起きました。TVでの報道を見ながら、大使館を訪問し調査活動を報告した際の館邸の内部を思い起こしました。

 私の訪問目的はマチュピチュ遺跡の耐震性調査と言うものでありました。訪問の五年前にクスコのM6.5の地震がありクスコの大聖堂にいくばくかの損壊があったので、世界遺産たるマチュピチュの保存が問題意識にのぼったのです。リマからまずはバスでしかるべき列車駅に行き、そこからマチュピチュの麓駅まで行きます。バスを降りると駅前はものすごい人だかりなのです。人を掻き分け掻き分け駅舎に歩む途次、同僚が「盗まれた!」と大声を上げました。ポーチェと言うのでしょうか?腰にまきつけたポーチェから何かを盗られたというのです。ところが、程なく盗まれたものを「犯人」が手渡しで返却してきたというのです。それは「老眼鏡」だったんですね。年配の同僚には欠かせないものです。気の毒に思った「ドロちゃん」が返却してきたというわけです。

 以前、エジプト・カイロでの奇妙な体験を本ブログで書きましたが(2013年3月29日記事http://j55.pw/8KRb )、四半世紀前の世界は、なにか事件そのものが「おっとり」していたのではなかろうかと、ゲリラ事件を省くならば昔を「懐かし」んでも良いなかなと思っています。

+++++天皇IVグループ
 (図1:第IVグループ の天皇群と系図、図上でクリックすると拡大します)
IVグループ


 前々回書いた天皇第IIIグループについては、歴史家は謎に包まれる継体天皇に関心を集めますが、日本書紀の構成と言う視点からは、その記述量の多さから、欽明天皇の事跡記述の背後を検討すべきかなと考えています。それは、現時点での当ブログの文脈から脱線しかねないと思っていますので、後日にその作業をします。

 日本書紀の編年に貫かれている法則にしたがうならば「機械的」にその第IVグループ(世代とも言い換えることが可能なのかもしれません)を「定義」できます。それが図1で紫色で示される天皇群です。日本書紀が書く系図が右に図示してあります。古代史に詳しい人は、この表から大いなる異論の声を上げるのではなかろうかと思います。
 それは皇極天皇と斉明天皇です。日本書紀は皇極天皇と斉明天皇は同一人物と書くからです。同一人物が異なる天皇世代の両方に属するなぞは「おかしい」と言うわけです。勿論、私もその異論に同意します。
 しかし、皇極天皇の終焉は「乙巳の変」(いっしのへん)とよばれる「政変」です。この政変で専横を極めた蘇我入鹿は「中」連合(中臣、中大兄)によって政治の舞台から葬り去られたと、日本書紀は書きます。父であった蝦夷はこの事件の直後に自害したとされています。いずれにしても、この政変は「まさに世代交代」に相応しい事件と言うことが出来ます。従って、「皇極紀」がIVループの最後の天皇であるとの日本書紀の位置づけは整合的であり、そうした筋書きに沿って書紀が編纂されたのです。

 このように考えると、斉明女帝とは何者か?それは、ポストIV世代の話となります。このポストIV世代の先頭が孝徳天皇です。古代史研究者は、天智天皇の孝徳天皇への冷たい仕打ちに倣ってか、あまり重要視していないようです。しかし、前回書いたようにこの天皇に日本書紀が費やす文字数は、なんと上位三番目に位置するほど多いのです。それはこのIVグループについて、最も字数を費やされているのが推古天皇を上回っているのです。

 何故、日本書紀は記載する天皇紀について斯くも記載量が異なってくるのでしょうか?答えは明瞭です。政治史の転換点で多くの記述をすることで以って当時の識者の暗黙の合意と支持を獲得する意図があったのです。だからこそ推古帝について多くの字数を費やし、大化の改新の出発点となった孝徳紀に多くの字数を使ったのです。欽明紀同様、じっくりとこれらを精読せねばなりません。

 さて、上に書いてきたことを追いかけるとますます本ブログの当面の課題から逸れてしまいます。天皇グループIVの時代は、九州に拠点を置いた倭国への「中」勢力による殲滅戦の第二ステージです(第一ステージは継体天皇による「磐井の乱」)。しかし、現時点でこれを書くことは、本ブログの時間的整合性を著しく乱します。そこでこれは一旦ここで置いておき、まずは 黒部川から能登半島に場所を移すことにします。なぜならそれは最近のブログ主題が富山県そして黒部川の由来から始まったからです。これはブログ管理人の昨年八月末北陸旅行の見聞に始まっていました。
(つづく)

+++++共産党からはみ出た人
 私には読み進めるのが辛いブログを下に転載します。往年の共産党系論客・塩田庄兵衛氏の直弟子である五十嵐氏の痛切な思いが込められているのでしょう。左翼学生であった私はかって学園祭の講師に塩田氏をお招きするべくご自宅にまでお邪魔したことがあります。まことに暖かいお人柄とその謦咳に接したことは今でも記憶にあります。
 さて、現今の共産党について故塩田氏は愛弟子と同じ感想を抱かれるのだろうか?私の想像の域を超えます。研究者として、評論家として多様な声を発する人たちがいます。これらの人たちをその主張から分類することは可能です。しかし分類された人たちに「左」、「右」との呼称を貼り付けることにどうもすさまじい抵抗があるのです。
 聞くところではあの安倍五賢人の一人といわれた中西輝政氏が公然と安倍批判を開始したとのことです(http://j55.pw/VfW7 )。中西氏には氏特有の思惑があったとしても、「極右である」、との形容詞が先行することは、読者には大変非礼であると私は思います。同様に左翼系の論者にもそうした先入観を植え付けるような言葉使いは控えるべきでしょう。

 そう思うと、筆坂氏にはしかるべき主張があり、その主張の場が五十嵐氏が言うところの右翼雑誌であったのだろうと思っています。五十嵐氏は雑誌の「偏向」ではなく筆坂氏の主張について何がしかを書くべきと思います。実際、私が見るところでは筆坂氏は至極常識的な共産党への疑問をあげているに過ぎないと思えます。そして知れらは、本ブログで私が私的s手いることと隔たっていません。七月の国政選挙では、戦いが熾烈になれば、必ずや自公勢力から指弾される事項でもあります。共産党の誠実で丁寧な対応を筆坂氏は助言しているのだと思っています。
 
%%%%%五十嵐仁氏のブログより
筆坂秀世・兵本達吉両氏の無残な姿に心を痛める
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-04-27
2016-04-27 10:18 五十嵐仁の転成仁語

 何という無残な、という気持ちに襲われました。このような姿を目にしたくなかったとも。
 新聞の下の方にあった雑誌の宣伝を目にしたときの気持ちです。暗澹たる思いで、胸がいっぱいになりました。
 その雑誌というのは『月刊Hanada』6月創刊号で、「花田紀凱責任編集」とあります。飛び出したのか追い出されたのか知りませんが、これまで『Will』という雑誌の編集者であった花田さんが編集部を離れたことは知っていました。
 その花田さんが新しく始めた雑誌がこれです。記事として、小川榮太郎「TBSの『重大犯罪』」、百田尚樹「『カエルの楽園』は『悪魔の書』ではない!」、櫻井よしこ・小野寺五典・板橋功「緊急座談会 テロとの闘い本番はこれからだ!」などが掲載されています。
 極右編集者として知られている花田さんらしいラインナップになっています。そして、この創刊号の「目玉」として「本当は恐ろしい日本共産党」という「総力大特集」が用意され、ここに藤岡信勝「微笑戦術に騙されるな」という論攷とともに、筆坂秀世・田村重信「日本共産党は解党せよ」、兵本達吉「日本共産党の『黒い履歴書』」という2本の記事が掲載されています。
 こう書いただけで、私がどうして無残なという気持ちに襲われ、暗澹たる思いを抱いたかがお分かりいただけるでしょう。「とうとう、こんなところにまで行ってしまったのか」と、情けなく思ったからです。
 花田紀凱、小川榮太郎、百田尚樹、櫻井よしこ、藤岡信勝という名前が並ぶことには、何の違和感もありません。皆さん安倍首相のお仲間で極右論壇のスターたちですから、極右雑誌の創刊をにぎにぎしく飾るにふさわしい方ばかりです。
 しかし、ここに筆坂さんや兵本さんが加わっていることには心が痛みます。この2人が共産党にかつて属していた経歴を持っており、安倍首相の仲間になるなどとは思っていなかったからです。
 筆坂・兵本の両氏がこれらの記事で何を書き、どのような主張を行っているのか、まだ雑誌を読んでいませんので分かりません。その内容については批判されている当事者である共産党からの反論があるかもしれませんが、私が問題にしたいのは別の点にあります。
 何が悲しくて、花田紀凱、小川榮太郎、百田尚樹、櫻井よしこ、藤岡信勝、西尾幹二などと一緒に名前を並べることになってしまったのか、ということです。これらの人々がどのような政治的スタンスを取り、どのような主張を行っているか、まさか知らなかったわけではないでしょう。
 これらの人々が安倍首相の応援団であり、アベ政治のブレーンたちであることは世間周知のことではありませんか。どれほど共産党に反感を持ち、批判的な主張を行おうとも、アベ政治とは一線を画すという程度の判断や矜持くらいは持ち合わせて欲しかったと思います。
 しかも、筆坂さんは常任幹部会委員・参議院議員として、兵本さんは橋本敦参院議員の公設秘書として活動した経歴があり、共産党の幹部だったり中枢にいたりした人です。今回のような形で共産党を全面否定するような記事を、このような雑誌に、これらの筆者とともに書くことは、自らの過去を全面的に否定することになると思わなかったのでしょうか。
 本人からすればそれも覚悟のうえということかもしれませんが、そこまで追い込まれてしまったことに心が痛みます。自由や民主主義のために闘った自らの青春時代や半生を、それとは正反対の極右の立場から全面的に否定することになるのですから。
 しかも今、「アベ政治を許さない」という安保法反対などの運動が澎湃と盛り上がり、参院選に向けてアベ政治打倒の野党共闘が実現し、その推進力として共産党が大きな力を発揮しているその時に、「本当は恐ろしい日本共産党」という「総力大特集」に「日本共産党は解党せよ」「日本共産党の『黒い履歴書』」という記事を書いているわけです。そうすることがどのような政治的効果を持つのか、誰を利するのか、この2人のことですから分からないはずはありません。
 その経歴からして、共産党攻撃に大きな利用価値があると見込まれての起用でしょう。さすがは花田さんです。編集者としてのカンは衰えていないようです。
 その花田さんに足元を見られ、アベ政治擁護のために利用されていることが分からないほどに、この2人の政治的感覚は鈍ってしまったようです。それとも、貧すれば鈍すということなのかもしれません。
 極右論壇の片隅で原稿料を糧にしながら生きながらえることを選択したということなのでしょうか。それほど政治的な感覚や判断力が鈍ってしまった、あるいは経済的に窮してしまった、ということなのでしょうか。
 共産党に対する批判は、それが事実と道理に基づくものであれば有意義であり、共産党にとってもプラスになるものです。しかし、全面否定するだけでは、戦前・戦後の政治史に対する無知と自らの変節を告白するだけになってしまいます。
 このような哀れを催すほどの無残な姿を目にしたくはありませんでした。とりわけ、政策委員長であった筆坂さんについては、その能力をかい期待していたこともあっただけに残念でなりません。
%%%%%ブログ記事転載おわり
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