法螺と戯言

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早川氏の地震予報、麻多智(安達)を考える

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:馴馬城址・堀跡)
馴馬城址堀跡1668


 久方の 温(ぬく)い陽(ひ)射しに 誘われて 昔の戦場に 思いを馳せる

 この城址について馴馬城堀 (南北朝期の城跡とも)が以下を書きます。
%%%%%馴馬城址と春日顕国
 馴馬の集落の南端部に南東方向にのびる細長い台地に占地していますが、後世の大がかりな地形改変などにより城跡全体の構造は分かりづらくなっています。南北朝時代のはじめ、当時南朝方の拠点であった城は、暦応4年(1341)に「馴馬楯等引き退き候き」と記されているように、南朝方の戦線の後退が行われていました(「北畠親房事書」)また、その3年後の康永3年3月4日大宝城(西暦1344年、将軍は足利尊氏)から脱出した春日侍従顕国は、「馴馬沼田城」を占拠しここに兵を挙げましたが、常陸国宍戸荘の領主である宍戸安芸四郎(宍戸朝里)の軍勢により落城させられました。(「鶴岡社務記録」)なお、春日顕国はその4日後再び大宝城に兵を挙げましたが、間もなく下総の結城直朝一族により捕縛されて4月に京都で斬首されました。その後戦国時代に入り、土岐原氏により再興され利用されていたものとも推定をされています。(「龍ヶ崎市史 中世編」より)
%%%%%

 ところで、今日はプレミア・フライデイです。40年近く昔、モスクワに居ました。勤務する研究所では、金曜日午後は誰も居ません。皆さん週末の買出しで忙しいのです。午前中には「生協」らしき移動店舗がやってきて、肉野菜を売って居り、所員はそれに群がって品定めをしていたことを思い出しました。

+++++地震の話
 米国科学雑誌上の記事「人工知能で地震を予知する」と言う題名の記事に関心を持ちそれを翻訳したために、世界の巨大地震の話が中途半端になっています。巨大地震の考察は、米国科学雑誌の記事と通底するものがあると思っています。地震を記述するに当っては、いろいろな”パラメータ“(地震特性を表現する記述詞)があります。震央、深さ、発震機構解、破壊様式等などです。これらのパラメタのゴチャゴチャとした細部にこだわらず、地球全体を一括して眺めると、何が見えるのか?巨大地震群の相互連関を示す”何か”が見えるかもしれないという「根拠レス」(コンキョless 和製英語です、根拠がないと言う意味)の期待です。なにやら「そう思えば、見えなくも無い」との感触を確認できました。しかし、このあたりが限界のようで、やはり地域的な傾向、あるいは深さなどの諸量にブレイクダウンするべきやも知れません。

 そんな作業をしていた矢先、東京電通大学の先生が地震予知に成功したという話がネットで騒ぎとなりました。2月19日の事です。手法については前回も紹介しました早川氏の地震予報 。 かいつまんで書くならば、地震は岩盤内のひび割れが、地圧によって擦れる。その際にひび割れ周辺に電位差が生ずる。電位差は、電流、つまり電子の移動を起こす。電子の移動は電磁波の生成です。そうして主ずる電波の波長が100km程度(ULF,Ultra Low Frequency)と早川氏は語ります。電波は地中から地表に染み出して大気圏、とりわけ荷電粒子がウヨウヨしている電離層に作用する。その結果、大気に散らばっていた荷電粒子の偏在をもたらす。これが電離層の変化である。その変化はFM波の伝播経路を変えてしまい、二点間の伝達時間を短くしたり長くしたりする。短くなった経路については荷電粒子の偏在帯が下降していることを意味する。

 これだけの物理機構がわかっているのであれば、モデルを設定して、数値シミュレーションが可能と思えるのですが、早川氏の話を聞く限りでは、20年間もの研究にも関わらず、それについての主張がありません。どうもモデル構築に成功していないらしいのです。岩盤内のクラックがどれだけ、どのくらいの大きさであれば、どれくらいの電磁波が生成されるのか、そしてそれが電離層の数kmほどの降下をもたらすに充分であるのか、と言った見積もりが出来ていないのです。つまり、現象の定性的解釈にとどまっており、定量的な検証ができていない、とは私の診たてです。

 本ブログでも2015年10月2日記事で早川氏の手法についてそのFS(Fail or Success)の成績表を掲載したことがあります(早川予報の当たり外れ )。これを見る限りでは予知の成功率は六〜七割と早川氏は自負していました。が、但しこれは、早川氏が主宰する「地震解析ラボ」によるもので、額面どおりには受け取りがたいのです。上記動画で、早川氏は自説に対する国民の認知度が低いと嘆いています。
 そうであれば、何よりも物理モデルによる検証が必要と思っています。れっきとした物理現象であるので研究室の大学院生などを督励してそうした検証を試みるべきと思っています。電波の送受信の乱れを引き起こす電離層の擾乱は、全て地下の地震にあるのでしょうか?私には、到底そうは思えない。太陽風(Solar window, 太陽から多様な荷電粒子が地球に飛んできている)の地球照射、海洋挙動、大気温度、地磁気変動など様々なものが影響を与えているはずです。そうした諸現象と電離層との相互関係はどうなっているのか?

 「予言したのに」地震が起きなかった。あるいは「予言できなかったのに」地震が起きてしまった、と言ったケースは、多々あった筈です。それらについても公開するべきでしょう。当然、研究者としてその原因解明作業をしているはずです。しかし、多分ビジネスにまで仕立て上げてしまっていますから、そうした非成功例の公開は難しいのかも知れません。

 2月19日に犬吠崎直下50kmでM5.4の地震が発生し、早川氏はその発生を予測したとジャーナリズムがはやし立てます。早川氏によれば、氏の手法は震源の深さは高々40km以浅と上記動画で語っています。あら捜しをする意図は無いのですが2015年10月2日記事で紹介した『FS成績表』には地表下500kmの地震も成功例に含めています。とすれば、なぜこの地震も成功例に含めたのか、説明があるべきなのです。そうあってこそ、地震予知作業の科学的な知見蓄積になる、それこそが「地震予知学」であると思っています。

 早川氏は、上記動画の冒頭で、「地震学」に対峙して「地震予知学」と言うものがあるのだ、と力説しています。しかし、その手法の背後にある物理学については、上に書いたように「定性的」説明にとどまり、それへの定量的裏づけが無い。その分、主張は『融通無碍』になり説得力を欠くことになります。それは「学」とはいえない。と思っています。

 2011年3月11日の東日本巨大地震の発生前、早川氏は同様の前兆を掴んでいたが、確証が無く公表を躊躇ったといいます。ところで、地震活動では、何がしかの前兆がほんとに無かったのか?電離層だけが東日本巨大地震の前兆をチラッとでも見せていたのか?との疑問が生じました。

 というわけで、3月11日前の地震活動が知りたくなりました。現在進めている巨大地震の話でも、興味深い事実を見つけたのですが、少し脇道に逸れさせてください。

 こうした関心に応える調査をネットでするのは、それほど手軽にはできません。なにより、希望に沿った地震活動図がネット上に用意されているわけではありません。そこで、気象庁のデータベース気象庁地震データベース を、私が愛用する無料科学計算ソフトScilabで作成したプログラムでもって調べてみます。

 気象庁の震源データによれば、2011年には、マグニチュードが負値(振幅の対数からそれは計算されるので、特に驚くことではありません)を取る極微小地震も含め、およそ30万個(309,506)の地震が登録されています。そこでその中からMが4.5又はそれ以上の地震を選び出すとその総数は2881個と激減します。つまり気象庁データベース全体の地震数の僅か0.9%に過ぎません。この大きな対照は現在の貧富格差問題と似てますね。地震現象では、まさに地震の大きさ分布が”べき乗則(Power law)”に従っていることなのでしょう。

 そこで、まずは、2011年1月1日から2011年3月11日14時47分までの地震活動を図1に示します。
(図1:気象庁地震データベースに見る2011年1月1日〜3月11日15時47分までの地震活動。黒丸が3月11日の巨大地震の震央。震央近傍域をのぞくと異様なまでの静けさが見て取れます)
201101-0311


 図2は、2013年10月26日空2017年2月20日までの同域の地震活動です。興味深い対照を見ることができます。尤も上の図はわずか二ヶ月強の期間であり、下の図はおよそ三年半の期間です。いずれ、詳細な対照に耐えうる図を本ブログに掲載します。
(図2:2013年10月26日のM7.7地震(黒丸)から2017年2月19日までの地震活動、Mが4.5以上の地震のみ)
s131026-170219

 図の比較から私が注目する一つは、“チバラギ”地震活動が311前には全く見られないことです。その他、論議したい点が多々あります。いずれ紹介します。
(つづく)

+++++行方の役(5)
 福島県の南北ほぼ中央に、日本のウイーンとも称される郡山市があります。あの大震災の前には、しばしば世界の名演奏家がこの地を訪れるためにそのように呼ばれるのだそうです。残念ながら2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染でこの地も生活全般にわたって深刻な打撃を受けています。私の親類も多く住まう地であり、住民の健康と生活の安全を切に願っています。

 この地には、安積国造神社と言う古社があります。この神社から概ねシリウス方向にあるのが安達太良山(標高1709m37.6212260,140.286664)です。そこで、この二つの場所の位置関係をまずは、計算して見ます:

-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\dms2d.sce', -1) 度・分・秒から度への変換プログラム
dms=[37 23 55.61]= 37.3988安積国造神社位置緯度(ウイキ http://c23.biz/cCBM より)
dms=[140 22 55.19]= 140.3820安積国造神社位置経度(同上)

 これを用いて、二点間の位置関係を算出します:
exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 二点間の距離・方位算出プログラム
epi(lat,lon)=[37.6212260 140.286664]  安達太良山位置緯度、googl map より
sta(lat,lon)=[37.3988 140.3820]  安達太良山位置経度、googl map より
Dlt,Azm,Bzm= 0.23(距離、度) 161.19(方位) 341.25 26.1 (距離、-km)

 算出で得た161.2度と言う値は誠に興味深いものがあります。私のシリウス星年代決定表に随えば、西暦620年代ごろ、ここに渡来族は陣屋を設営したと推定できます。
(表:2016年6月8日記事、シリウス年代表 )
シリウス暦150303


 但し、この陣屋は、後年破壊され、改築されたことが現在の神社境内配置の拝殿の向きからわかります。その時期は、祟神天皇によって東北日本に派遣された四道将軍大毘古命と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が会津(相津、「岩波文庫・古事記」、104頁)で出会った頃であろうと考えています。つまりそれは七世紀末ではなかったろうか。
(図3:安積国造神社境内。拝殿の向きが反シリウス方位を取っている)
安積国造無題


 この時期の推定については、異論をなす方も多かろうと思っています。私の論拠は前回書いた古事記・日本書紀における、神代から神功皇后紀までの“時間逆転” (2015年3月9日記事記紀の叙事・時間の逆転)です。祟神天皇の説話は、編纂に携わった藤原不比等にしてみれば、現代の直前、いわば近代史のようなものなのです。

 奈良の藤原不比等統括の東夷征討(東国野蛮人征服)軍は、最大の難敵が陣する常陸国をまずは回避して、現在の郡山とその北域の攻略をしたのです。その際に、渡来族の精神的支えでもあった陣屋を破壊したと考えています。その一環が安積国造にあった陣屋の破壊です。しかし、後述するように、この陣屋跡は「鎮魂」のために、後日建造されなおしたのです。しかし、元通り復旧したのではありません。『霊』が蘇ることを妨げるべく参道を「逆シリウス」方位に向けたのだろうと考えています。

 同じ、設計思想がこの神社のすぐ東の総産土阿邪訶根神社(そううぶすな あさかねじんじゃ)にも見ることができます(2011年10月17日記事総産土阿邪訶根神社)。それを理解する鍵が両方の神社が名称に持つ「アサカ」です。「ア」は何度も書きますが「火」、「明」を意味する「アピ、アビ、アベ、アメ」に由来します。そして「サカ」は渡来族の出自、すなわち遠い西域、ペルシャです(2月日記事夜刀神=ヤズドで地図を付しました)。彼らはゾロアスタ教を信奉する。つまり「拝火教」です。

 ここに陣屋を設営した理由が「安達太良山」です。つまり火を吹く神聖な山から、シリウス星の方位に現在の安積国造神社の地にまずは拠点を設営したと思われます。
「安達太良山」の「タタラ」、これは「鉄」を連想させます。実際、安達太良山系には「鉄山」(標高1709m)が、隣接しています。「タタラ」も古代ペルシア語に見ることができます:「tatahhor」(タタオール)は「清浄」と言う意味です。つまり、鉄を含む鉱石から雑物を取り除くという意味でしょう。鉱石について「コトバンク」は【鉄鉱石 iron ore】 コトバンク(鉄鉱石) は以下を書きます:
%%%%%
 鉄の原料として用いられる天然の鉱物で,鉄と酸素とからなる酸化鉄と総称される化合物と,シリカSiO2,アルミナAl2O3などの酸化物からなる脈石とを含んでいる。通常は高炉内に投入して酸化鉄に結合している酸素とその他の脈石分を取り除き,鉄分を溶けた状態の銑鉄として取り出し鋼の原料とする。
%%%%%
 鉄は人類文明に多大の影響を与えたことは多くの研究者が指摘しています。したがって「タタラ」も異なる由来があるのかもしれません。「たたらを踏む」の語源が金属精錬の際の「送風しかけ』である鞴(ふいご)の弁を足で交互に踏むことです。ここから、勢いつけて走っていたのに急に止まらざるを得なくなる場合の表現ともされます。

(図:安達太良神社の参道に明瞭に認められるシリウス星方位)
安達太良神社無題


 鉄の産出を重視した渡来族は、安達太良山の東麓にそのための施設を作ったのでは無かろうかと考えています。それが2月17日記事で書いた「アータシュキャデ」であり、現在の安達太良神社であろうと考えています。神社を紹介する前に、2月17日記事のその部分を再掲して置きます:
%%%%%2月17日記事紹介アータシュ=安達 
それでは、ここからはヤズド州内にあるゾロアスター教関連の見所についてお話しすることにいたしましょう。まずは、ヤズド市内にあるゾロアスター教神殿です。ここは、ペルシャ語でアータシュキャデ、即ち火の家とも呼ばれ、(以下省略)
%%%%%
 既に書きましたが、アータシュキャデの「アータ」が「アダタラ」の「アダ」の語源であることは明らかです。安達太良神社に祀られる神は誠に興味深いのです。
安達太良神社
%%%%% 安達太良神社HPより
御祭神
高皇産靈神 神皇産靈神 飯豊和氣神 飯津比賣神 陽日温泉神 彌宜大刀自神

福島県本宮市にある。JR本宮駅の北東1Kmほど、阿武隈川の西岸の菅森山と呼ばれた丘の上に鎮座。鳥居をくぐり、木々の鬱蒼とする階段を登ると東向きの社殿がある。
当社は、北西15Kmにある安達太良山(1700m)を遥拝する神社なので、正確には、社殿は南東向き、参拝者は北西を向く配置なのかもしれない。参道の階段脇や、境内の右手に幾つかの境内社がある。境内左手の道を進むと、本社の裏側あたりに古峯神社があるが、他の境内社と少し趣が違う。本殿は屋根で覆われた流造。
安達太良山嶺に鎮座の、
甑明神(飯豊和氣神)・船明神(彌宜大刀自神)・矢筈明神(飯津比賣神)・剣明神(陽日温泉神)と、
安達太良山支嶺大名倉山に鎮座の宇奈己呂別神(高皇産靈神・神皇産靈神)を、久安3年(1147)現在地に勧請したのが創祀。
「甑」とは古代の蒸し器のこと。安達太良山が湯気のような噴煙を上げていたことからその名がついたようだが、延喜式記載の飯豊和氣神社が、この甑明神であるといい、公式にではないが、式内社と見る説もある。
参道階段脇には、風神社(足尾様)、津島神社(天王様)、金刀比羅神社(こんぴら様)、貴船神社(蛇神様)。
境内右手には、
天満宮(天神様)、熊野大神・疱瘡神・大山祇神・稲荷大神、天照皇大神などがある。
%%%%%
 上に転載した神社の由緒を眺めてください。私が注目したのが:
安達太良山嶺に鎮座の、
甑明神(飯豊和氣神)・船明神(彌宜大刀自神)・矢筈明神(飯津比賣神)・剣明神(陽日温泉神)

 一節です。矢筈明神が祀られているのです。常陸国・風土記行方郡の条で登場する氏が神として祀られています。すなわち「箭括氏麻多智」です。この人物については以前書きました。箭括は青い草原であり、「麻多智」はヤズドの火を祀る神殿であると。長々と、福島県の話を書いてきた理由が実はこれであったのです。まさに「箭括氏麻多智」は「安達が原」の意でもあったのです。
(つづく)

夜刀の神(4)、人工知能による地震予知(2、米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:陽だまりでくつろぐ、猫。声をかけると“うるせーな!ほっといてくれ!”と、言わんばかりの表情でこっちを向きました。クリックすると拡大します)
猫1665


 ひさかたの ひかりのどけき 朝の日に ひだまり楽しむ 猫を羨む

 久しぶりの風のない穏やかな朝でありました。一匹の猫が陽だまりで陽光を楽しんでいました。そこから数歩進んだとき、なんと目に入ったのが住居焼け跡でした。ここを通るたびに挨拶をかわすおばあちゃんの家も西側が焼けていました。類焼は免れたようでした。つい近くに住んでいるのに、ちっとも気づきませんでした。2月4日の事だそうです。被災された方々にお見舞い申し上げます。
(写真:2月4日の近所の火事 当市の火事 クリックすると拡大します)
龍ヶ崎2月4日火事
 

 巷では稀勢里の出自を巡って未だに論争が続いています。龍ヶ崎なのか牛久なのか、と言う論争です。私は龍ヶ崎派であります。
 以下はそれを証拠立てるわが市の広報です(クリックすると拡大します):
きせちゃん1672


 まあ、大事なことは、三月場所、なんとか良い成績を上げてくれることです。なにせ、心無い連中が稀勢里をあちこちの催し物に引っ張り出して、稽古を妨げているのです。お願いだから、そうしたことを止めて欲しい。と思っています。

+++++行方制圧は夜刀攻撃で始まった
 西暦600年、そして607年に大陸の隋皇帝に使節を送った日本列島・倭国の王が一体誰であったのか、日本の古代史学専門家は「誰それである」と確言しません。隋書倭国伝には「阿毎多利思比弧』(あめのたりしひこ)と、明記されているのにも関わらずです。男王であることは明らかであることが、確言できない理由です。
 日本書紀の編年に従えば、遣隋使の派遣は推古天皇の時代です。しかし、この方は女性ですから、隋書倭国伝の記載とはどうにもかみ合いません。そこで、摂政なるポジションを案出した人物が藤原不比等です。博覧強記、頭脳明晰なこの御仁は「聖徳太子」という人物を歴史に登場させ、推古女帝を補佐させたと書くことで、齟齬への外界からの指摘を回避したのです。

 倭国の王が特定されていない。これは、七世紀初頭に限りません。宋書・倭国伝が書く「倭の五王」すなわち讃、珍、済、興、武 とは、一体誰であったのか?さらには、梁書に書く扶桑国の王「乙祁」とは誰であったのか?古代学者の研究対象は、長く、これら倭国の王として日本列島に影響力を持ったと思われる人物の特定に注がれました。『特定』作業の多大な努力があったとしても、何がしかの推論を得るためには多くの仮定を伴います。それが、概して論拠薄弱であったのです。

 主要な理由は藤原不比等が中心にあって編纂した古事記・日本書紀は、国外の文献を参照したことを明記しないからです。それは有名な魏志倭人伝も例外ではありません。藤原不比等にしてみれば、自らが編纂した古事記・日本書紀で記載される事件が、国外の文書によって時間的に特定されることを嫌ったのです。その大きな理由が一つは、九州に拠した倭国・八馬国連邦(通称は邪馬台国)の殲滅です。それを、遠まわしに語ったのが日本書紀が書く「壬申の乱」です。

 壬申の乱については、あたかも「天智・天武』による内戦であるかのごとくよそいながら日本書紀二十八巻の一巻をまるまる費やして記述しています。しかし、戦乱舞台が九州の北半分であったことが、万葉集の注意深い解読からわかるのです。
そもそも『壬申の乱』に先行して、神功皇后、祟神天皇、景行天皇と息子の倭建命、そして継体天皇などによる執拗な九州討伐はまるで九州虐めです。上にも書いたように、日本列島の歴史から九州の地を消し去ってしまいたいかの如くの強い執念が日本書紀・古事記からは見て取れます。
東国の歴史への抹殺の真実は、その藤原不比等が正史構想の背後に抱いた執念をはるかに上回り、それは妄念とでも言うべき蛮行であったのです。それは八世紀に止まらず、延々江戸時代にまで引きずられます。結果として歴史に残されたのが「東北差別」です。その具体的な端緒こそ、この常陸国侵略であり、その焦点が行方郡攻略なのです。だからこそ、常陸国風土記の記述で尤も多くの字数が費やされているのです。

 行方郡を攻略することで、現在の鹿島に拠点を置いた常陸国、いいかえれば扶桑国(東の倭国)の壊滅を達成できるのです。この地は、南下した渡来族の拠点であり、そもそもの出自は扶桑国です。九州への激しい憎しみを書いたことにに比べ、日本書紀では詳細を語らず結論だけを語ります。それは、読者が東国への関心を振り向けることを嫌った故であると私は考えています。それが、これまでもたびたび引用する神代紀の一節です:
  「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 上の引用文節で書く「名曰天津甕星。亦名天香香背男」こそが、『武王』またはその子孫であると思っています。この王は遠く西域からの渡来族です。日本列島北部から南下する過程で、在住の現地民と和合して大きな勢力に成長したたのでしょう。その中の最大勢力がアイヌ族(マタギ族)であったことを示すのが、福島県須賀川に残された巨大な遺構です(現在でも、誰もがその存在を確認できますアイヌ・スカ族連合の証拠)。その仮定で、鹿島に陣営本部を築き、さらには、新たな進出線である「那須岳―香取」の巨石運搬経路を構築したのです。こうした、連合部族が、南下の過程で現地住民と戦闘を交わして得るメリットはありません。むしろ平和的に南下進出は進捗していたのだろうと思っています。そうした実態は、この部族連合のいわば「書記官」の役割を担っていたであろう稗田阿礼一族によって克明に記憶されていったのです。

 しかし、この平和的南下は古事記・日本書紀によって虚偽の記載で以って隠蔽されたのです。そこでは、偉大な「武王」の事跡が倭建命なる人物の東国への進軍譚に置き換えられてしまったのです。倭の「武王」の英姿を重ねることで、その実態を隠蔽していたのです。こうして後世の、とりわけ常陸国に生きた人間には、武王と倭建命の混同が生じたのです。何故なら日本書紀は「倭建命』を「日本武尊」と表記するからです。意図的な混同によって、まともな治世者と侵略者の同一視をもたらしました。ここから、ある人は、常陸国に跋扈した野蛮人を想像し、ある人はその野蛮人に被抑圧部族を見るという相反する真反対の歴史理解ともなったのです。

 その真実は奈良の軍事政権の東国「野蛮人」征討の軍事を叙したものなのです。
この真実は、想像を超えた残虐なものであったのだと思います。当然、常陸国・風土記の編纂を担った方はしかるべき当時の知識層であったのだろうと想像します。奈良の政権の思惑に沿いつつ、真実を何処かしこにちりばめて置きたかったのではなかろうか?そんな想像をするほどに、ここ行方での戦闘はすさまじかったのでしょう。
すでに書いたように、最強の抵抗勢力が本陣である鹿島の周囲を固めているのです。南の下総(現在の千葉県北縁)から直接にこの本陣を攻め立てる戦術の不具合をさっとった奈良政権侵略軍は、大きく西側に迂回して、現在の栃木県南部から常陸国にまずは侵入したのです。侵入に際しては、多くの現地人を「扶桑国」の手先と認定し捕縛したのです。その地が「都賀」(トガ、咎あるものの捕囚地)であった。奈良軍勢側の手先としてどうやらこの西側からの侵入に際して軍功を上げたのが、下記の記事に登場する「壬生の連」であったと思っています。

 常陸国への侵入後、あちらこちらでの戦闘を経て、いまや霞ヶ浦を西に見て最大の難敵と奈良の軍勢は対峙することになったのです。それが常陸国・風土記。行方郡の条です。以下ににその最大の戦闘の件の原文を掲載しておきます。

%%%%%常陸国風土記行方郡の条、夜刀のくだり
有人 箭括氏麻多智 截自郡西谷之葦原墾闢新治田 此時 夜刀神 相群引率 悉盡到来 左右防障 勿令耕田 俗云 謂蛇為夜刀神 其形蛇身頭角 率引免難時 有見人者 破滅家門 子孫不継 凡此郡側郊原 甚多所住之 於是 麻多智 大起怒情 着被甲鎧之 自身執仗 打殺駈逐 乃至山口 標梲置境堀 告夜刀神云 自此以上 聴為神地 自此以下 須作人田 自今以後 吾為神祝 永代敬祭 冀勿祟勿恨 設社初祭者 即還 発耕田一十町餘 麻多智子孫 相承致祭 至今不絶

?其後 至難波長柄豐前大宮臨天皇之世 壬生連麿 初占其谷 令築池堤 時 夜刀神昇集池邊之椎株 経時不去 於是麿 挙聲大言 令修此池 要在活民 何神誰祇 不従風化 即令役民云 目見雑物 魚虫之類 無所憚懼 随盡打殺 言了応時 神蛇避隠 所謂其池 今號椎井池 池回椎株 清泉所出 取井名池 即 向香島陸之駅道也
%%%%%
 次回、この原文から、幾つかを取り出して私なりの戦闘事態を書きます。

+++++人工知能で地震発生を予測(2)
 2月18日(土)夕方6時過ぎに千葉県東部の海底でM5.5の地震が起きました。当地も大分揺れました。この地震については、東京電機大学の早川先生が事前に発生を予測していたということです。手法については早川氏の手法 で早川氏が語っています。
%%%%%人工知能をつかった地震予知(2)
Can Artificial Intelligence Predict Earthquakes?
Scientific American誌より
The ability to forecast temblors would be a tectonic shift in seismology. But is it a pipe dream? A seismologist is conducting machine-learning experiments to find out
地面のグラグラ震える予測が出来るとなるとそれは地震学ではテクトニック・シフトであろう。しかし、それは夢物語のなのか?ある地震学者が機械学習実験をしている。

===ここから前回の続き
Johnson and collaborator Chris Marone, a geophysicist at The Pennsylvania State University, have already run lab experiments using the school’s earthquake simulator. The simulator produces quakes randomly and generates data for an open-source machine-learning algorithm—and the system has achieved some surprising results. The researchers found the computer algorithm picked up on a reliable signal in acoustical data—“creaking and grinding” noises that continuously occur as the lab-simulated tectonic plates move over time. The algorithm revealed these noises change in a very specific way as the artificial tectonic system gets closer to a simulated earthquake—which means Johnson can look at this acoustical signal at any point in time, and put tight bounds on when a quake might strike.
For example, if an artificial quake was going to hit in 20 seconds, the researchers could analyze the signal to accurately predict the event to within a second. “Not only could the algorithm tell us when an event might take place within very fine time bounds—it actually told us about physics of the system that we were not paying attention to,” Johnson explains. “In retrospect it was obvious, but we had managed to overlook it for years because we were focused on the processed data.” In their lab experiments the team looked at the acoustic signals and predicted quake events retroactively. But Johnson says the forecasting should work in real time as well.
  Johnson and collaborator Chris Marone, a geophysicist at The Pennsylvania State Universityは、すでに 研究室の地震シミュレータを使ってラボ実験を行っている。シミュレータは、地震をランダムに生成し、オープンソースの機械学習アルゴリズムによってデータを生成する。学習システムはいくつかの驚くべき結果を達成している。研究者らは、コンピュータ・アルゴリズムが音響データ上で信頼できる信号を得ていることを発見した。“ラボシミュレートされたプレート運動が連続的に生み出す「揺らぎとすべり」による雑音である。このアルゴリズムは、人工的テクトニックな系がシミュレートする地震に近づくに連れて特別な具合に変化することをあきらかにした。つまり、ジョンソンはいつでもこの音響信号を見ることができ、地震が起こったときの情況を定めることができる。例えば人工地震が20秒以内に起きようとしていたなら研究者はそれを1秒以内に正確に予知するべく信号を解析できる。”
  そのアルゴリズムは非常に高精度で地震発生を予知できるばかりではない。それはわれわれが注意を払わなかった系の物理についても何がしかを教えてくれる。“とJohnsonは語る。”振り返ってみれば、それは明らかなのだが、何年間もそれをやるようにするべきであった。何故ならそれまでは処理されたデータのみを見てきたのだ“と。実験室では研究チームは音響シシグナルを凝視し、地震事象を遡って予期した。しかし、Johnsonは予想”予知と言う作業は実時間でも機能すべきなのだ“、と言う。

Of course natural temblors are far more complex than lab-generated ones, so what works in the lab may not hold true in the real world. For instance, seismologists have not yet observed in natural seismic systems the creaking and grinding noises the algorithm detected throughout the lab simulations (although Johnson thinks the sounds may exist, and his team is looking into this). Unsurprisingly, many seismologists are skeptical that machine learning will provide a breakthrough—perhaps in part because they have been burned by so many failed past attempts. “It’s exciting research, and I think we’ll learn a lot of physics from [Johnson’s] work, but there are a lot of problems in implementing this with real earthquakes,” Scholz says.
  勿論 自然地震は実験室で生成されたそれよりもはるかに複雑である。とすると実験室での何が自然界ではありえないのか?たとえば、地震研究者は実際の地震系でスベリ、摩擦音を未だ観測していない。それらは実験中には検知できるだが(Johnsonは音は存在すると考えているが、彼のチームはそれを吟味している)。多くの地震学者械は、機学習が何がしかのブレイクスルになることには懐疑的である。それは驚くことではない。たぶん彼らは過去の膨大な試みと膨大な失敗を経験してきたからであろう。“それはエクサイティングな試みだ。我々は[Johnson’s]の研究から多くを学ぶだろう。しかし、これを現実の地震の現場で実施しようとすると沢山の問題が” とScholzは語る。

Johnson is also cautious—so much so that he hesitates to call what he is doing “earthquake prediction.” “We recognize that you have to be careful about credibility if you claim something that no one believes you can do,” he says. Johnson also notes he is currently only pursuing a method for estimating the timing of temblors, not the magnitude—he says predicting the size of a quake is an even tougher problem.
But Scholz and other experts not affiliated with this research still think Johnson should continue exploring this approach. “There’s a possibility it could be really great,” explains David Lockner, a research geophysicist at the U.S. Geological Survey. “The power of machine learning is that you can throw everything in the pot, and the useful parameters naturally fall out of it.” So even if the noise signals from Johnson’s lab experiments do not pan out, he and other scientists may still be able to apply machine learning to natural earthquake data and shake out other signals that do work.
  Johnsonも大変に慎重で、彼のやっていることを地震予知と呼ぶことに躊躇いがある。”あなた方がやっていることを誰も信じないようであれば、それについての信頼性については注意深くあるべきと我々は認識している”と彼は言う。Johnsonは現在地震の発生時刻を見積もる手法を追及しているのであってその規模ではない、と。地震規模を予知することはいっそう難しい問題だという。

But Scholz and other experts not affiliated with this research still think Johnson should continue exploring this approach. “There’s a possibility it could be really great,” explains David Lockner, a research geophysicist at the U.S. Geological Survey. “The power of machine learning is that you can throw everything in the pot, and the useful parameters naturally fall out of it.” So even if the noise signals from Johnson’s lab experiments do not pan out, he and other scientists may still be able to apply machine learning to natural earthquake data and shake out other signals that do work.
 しかしこの研究チームには加わっていないScholz and other expertsは、  Johnsonがこの研究を続けるべきと考えている。”この研究が大きな成果を挙げる可能性がある“とDavid Lockner, a research geophysicist at the U.S. Geological Surveyは語る。機械学習の威力は何でもかんでもポットに放り込むことだ。すると、そこから有用なパラメータが零れ落ちるかも知れない。”と。Johnson’s lab experimentsがたとえご馳走を作らなくとも、彼とチームは機械学習を実際の地震データに適用し、それが機能するように他の信号を見つけだすだろう。

Johnson has already started to apply his technique to real-world data—the machine-learning algorithm will be analyzing earthquake measurements gathered by scientists in France, at Lawrence Berkeley National Laboratory and from other sources. If this method succeeds, he thinks it is possible experts could predict quakes months or even years ahead of time. “This is just the beginning,” he says. “I predict, within the next five to 10 years machine learning will transform the way we do science.”
  Johnsonはすでに実世界のデータに自分の技術を適用し始めている。機械学習アルゴリズムは、scientists in France, at Lawrence Berkeley National Laboratory and from other sourcesからの地震観測データを分析。 この方法が成功すれば、数ヶ月前または数年前に地震発生を予測する可能性があると彼は考えている。「これはほんの始まりだ」と彼は言う。「今後5〜10年以内に機械学習が科学のやり方を変えるだろうと私は予測している」と。
%%%%%記事紹介おわり

夜刀神論(3、常陸国風土記)、人工知能で地震予知(1)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:用水路の水面に同心円状の模様が見えます。右側の壁から湧き出す水が作ったのです。このあたりは太古の昔は流れ海ともよばれ、広大な沼であったとのこと。地下には未だに豊かな水があるようです。朝未明、畑を霜とは異なる雪か雹か白い粉状が覆っています。と言うわけで、昨日朝は真冬並み寒さで、用水壁の外は外気の冷たさが育てた霜で真っ白です。)
湧き水1650


 連日の 春一番に 埃舞う 西のお空に かすみがかかる

 連日の春一番とは妙な表現です。実際金曜あたりから強風続きです。どれが本物の「春一番なのか?」ぼんやりした西の空。あれぞ噂のpm2.5かと怯えています。

 東京新聞2月18日付の二面で今週の福島第一原子力発電所の四基の原子炉の状態をまとめています(二回記事をクリックすると画面が拡大されます)
原発1702181659


 下の写真は19日付TV朝日の報道から二号機格納容器下部の穴 
二号機の穴無題

 米国で70万人分の雇用を作り出すために日本人の年金を差し出すという、なんとも優しい我が国の首相。この年金支給、四月からは減額されます。福島では、今まで明るみにされなかった、しかし誰もが危惧していた原発核燃料、解けた燃料は格納容器を突き破った形跡が明るみに出ました。地下水が放射能で汚染されていることは間違いないところです。これが福島県民と我々周辺に住む人間の健康安全にどのように影響するのか?しかし、我が首相は「all are under control」とのたまわったんであります。国民の生命には一顧だにしません。にもかかわらず、先日の世論調査では首相への支持率が更に上がったというのです。我が日本国同胞諸君!あなた方は一体何を考えているのか!!、でありますよ。
 ったくもう!

+++++夜刀神(3)
 「ヤズド」と「夜刀」(やつと)、「アータシュキャデ」と「麻多智」(あたち)などなど常陸国風土記を解読する作業の中で、幾つかの言葉がゾロアスタ教の介在を明瞭に示していることが明らかになりました。本ブログの古くからの読者にとってはそれは特段驚くことではありません。そもそも、本ブログでは八溝山―鹿島聖線の方位は明確におよそ1500年前のシリウス星を指している事を2010年1月18日記事(1500年前のシリウス星方位)で指摘しています(夏至日の真夜中)。
 そうなると、更に詳しく風土記・行方郡の条を読み解かねばなりません。しかし、最近になって本ブログを訪ねてくださった方には違和感を持たれた方もあろうかと想像して居ます。そこで、簡単にこれまでのお浚いをしておくことにします。

 日本書紀の下記の二つの節を丁寧に解読するならば、さして驚くに当らないことなのです。
%%%%%日本書紀・神代紀より
(1)日本書紀 巻第二 神代《第九段本文》
言訖遂隠。於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命。
(2)《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」
%%%%%
 言うまでもないことですが、上記の(2)の文節が、私の関心を常陸国風土記に向けさせてくれました。後述しますが、風土記が語る風景は、この文節が語る時期㋾遡ることそれほど長くないと私は考えるからです。

 それはさておき、上記文節はこれまでもたびたび引用してきたので、文意を詳しく書き留めることはしません。が、「二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。」について注意を向けていただきます。曰く
 (1)は“日本列島の支配のために地上に遣わされた二神は“邪神および草、木、石に宿るという神を誅し、皆平伏させた。しかし、それに従わない神がいた。星神と名乗る香香背男である”と、書きます。

 岩波文庫『日本書紀(二)』の校注者は香香背男について次のような解説を付しています(121頁)『「香香」は「カカ」輝くという語。室町時代までは「カカヤク」と言う星音(濁音ではないということ)。「セヲ』は兄男の居であろう。星だけが例外であったという意。第二の『一書』では天津甕星と言う。なたの名を天香香背男』と。

 (2)に登場する天津甕星について同校注者は(137頁)、『「ミカ」は「ミイカ」の訳。「ミ」は祇、「イカ』は「厳」。神威の大きな星』と書きます。

 1994年の初版発行である岩波文庫「日本書紀」の四名の校注者には、著名な言語学者の大野晋氏が含まれて居ます(私の所持している版は1998年発行第七冊)。前回紹介した伊藤義教氏が「ペルシア文化渡来考』を著したのが1980年です。岩波文庫の校注者は、伊藤義教氏の研究成果、つまり日本列島古代史にはペルシアの影響が及んでいるとの成果を知るには充分な時間があったであろうことは間違いないことと思えます。

 校注者は全て東大文学部史学科に関わっています。一方の伊藤氏は京都大学で教鞭をとってこられています。夫々の方には夫々の興味・学問対象があろうと思いますが、これらの方々の古代日本は、そうした興味領域の積集合とでもいうべき共通する興味領域です。いくばくかの接点があったならば、相互批判も含め、夫々の研究者の視野を広げたのではなかろうか、と惜しまれます。

 尤も、京都大学と東京大学の史学は邪馬台国で激しい対立を経ています。その影響が、もしかしたら互いの相互批判、交流の妨げになったのかなとも想像します。邪馬台国については、京都学派は明らかに劣勢ですが、現在取り上げている課題では、伊藤氏にその視野の広さと卓見を見ます。

 私の2010年2月5日「香香背男」論香香背男、2015年㋄1日「甕星」論甕星で詳しく論じています。是非参照ください。「甕星」こそ「シリウス星」なのです。「香香背男」とはシリウス星信仰を持って日本列島に渡来した一族なのです。この一族は日本列島の日本海側では「古四王」と呼ばれます。新潟県を含む北陸三県の「越』(エツ又はコシ)の由来でもあります。

 上記は、本ブログではしつこいほどに々書いてきたことであり、決して「奇異な考え」では無いことを知っていただきたいと思っています。

 日本列島古代史の謎を封じている扉には大きな二つの鍵があると思っています。一つは、「東国の鍵」です。この鍵の使用に当っては「西域からの渡来族」と言う補助の鍵が必要になります。メインの鍵と補助の鍵で以って、「常陸国風土記行方郡』に登場する夜刀神の全体像が明らかになったのです。

 さて、もう一つの鍵は、古代日本列島に流れた時間です。その時間は日本書紀が書く順番で流れていたのだろうか?言うまでも無くその鍵は三十巻からなる日本書紀そのものに潜んでいます(古事記も同様です)。そのための補助キーが万葉集初期歌群の正しい解読です。万葉集初期歌郡の強引な解読が日本列島古代史の理解を歪めてきたのです。しかもどうやら専門家を自負・自認する読者自身が歌意を理解していないということが研究者自身の手になる解説書から窺われます。

 日本書紀にあっては、神代紀の一・二巻を除くと、古い事件から新しい事件へと、まさに時間順に(chronological)構成されていると考えられています。しかし、巻一から巻九(神功皇后紀)は、時間を逆転させている、つまり新しい事象から昔の事象へと記載の順序を変えているのです。記紀の編纂の統括をしたと思われる藤原不比等は日本列島正史の作成に当たって、まずは現代を執筆し、順次時代を遡って叙事した節があるのです(2015年3月9日記事記紀の叙事・時間の逆転)。既にこれについても詳述しているので、繰り返しませんが、「神代」なる巻は実は藤原不比等にとっての現代史、或いはcontemporaryの事象の記述なのです。勿論、その時代の政治的思惑から一〜九の巻にしかるべく『歴史的古色の彩り』をほどこして、現在の姿になったのです。

 本ブログ記事の冒頭に(1)を付して掲げた以下の文節:
 「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 は、まさに“同時代、つまり”藤原不比等にしてみれば”現代“の事件であり、古代の歴史的事件では無いのです。そしてその時代に、常陸国を藤原不比等が統括する征・東夷軍が侵略活動を展開し、その戦果が「楫取』(現在の千葉県香取)の奪還であったのです。

 次回は、再び「行方郡」の解読に戻ります。
(つづく)

+++++地震を機械に学習させる
 今回は大地震調査の続きを書こうと思っていました。が、米国科学誌が興味深い記事を書いています。今回はそれを紹介することにします。
%%%%%人工知能は地震を予知できるのか?
Can Artificial Intelligence Predict Earthquakes?
AIによる地震予知
The ability to forecast temblors would be a tectonic shift in seismology. But is it a pipe dream? A seismologist is conducting machine-learning experiments to find out
地面のグラグラ震える予測が出来るとなるとそれは地震学ではテクトニック・シフトであろう。しかし、それは夢物語のなのか?ある地震学者が機械学習実験をしている。
By Annie Sneed on February 15, 2017


Predicting earthquakes is the holy grail of seismology. After all, quakes are deadly precisely because they’re erratic—striking without warning, triggering fires and tsunamis, and sometimes killing hundreds of thousands of people. If scientists could warn the public weeks or months in advance that a large temblor is coming, evacuation and other preparations could save countless lives.
 
So far, no one has found a reliable way to forecast earthquakes, even though many scientists have tried. Some experts consider it a hopeless endeavor. “You’re viewed as a nutcase if you say you think you’re going to make progress on predicting earthquakes,” says Paul Johnson, a geophysicist at Los Alamos National Laboratory. But he is trying anyway, using a powerful tool he thinks could potentially solve this impossible puzzle: artificial intelligence.
Researchers around the world have spent decades studying various phenomena they thought might reliably predict earthquakes: foreshocks, electromagnetic disturbances, changes in groundwater chemistry—even unusual animal behavior. But none of these has consistently worked. Mathematicians and physicists even tried applying machine learning to quake prediction in the 1980s and ’90s, to no avail. “The whole topic is kind of in limbo,” says Chris Scholz, a seismologist at Columbia University’s Lamont–Doherty Earth Observatory.
 地震予知は地震学の聖杯である。地震は防ぎようがない。気まぐれであらかじめ警報できないし、火災や津波を引き起こし、時には何十万人もの人々を殺す。科学者が大規模地震の来襲を事前に公衆に警告することができれば、避難やその他の準備は無数の人生を救うことができる。
 これまで、多くの科学者が試みたにもかかわらず、誰も地震予測の信頼できる方法を見つけていない。何人かの専門家は、それが絶望的な努力だと考えている。Paul Johnson, a geophysicist at Los Alamos National Laboratoryは、「地震予知について進歩を遂げようとしていると言えば、狂人と見なされる。』と言う。しかし、彼はとにかく、この不可能なパズルを潜在的に解決できる強力なツールとして人工知能を使うことを試している。
 世界中の研究者たちは、地震予知を確実に予測できる様々な可能性の研究に何十年も費やしてきた:すなわち前震、電磁気擾乱、地下水化学変化、さらには異常な動物行動などの研究である。しかし、これらのどれも一貫して旨く行かなかった。数学者と物理学者は、機械学習を1980年代と90年代の地震予知に適用しようと試みたが、役に立たなかった。Chris Scholz, a seismologist at Columbia University’s Lamont–Doherty Earth Observatoryは、「全てが不確実な話であった』と言う。

But advances in technology—improved machine-learning algorithms and supercomputers as well as the ability to store and work with vastly greater amounts of data—may now give Johnson’s team a new edge in using artificial intelligence. “If we had tried this 10 years ago, we would not have been able to do it,” says Johnson, who is collaborating with researchers from several institutions. Along with more sophisticated computing, he and his team are trying something in the lab no one else has done before: They are feeding machines raw data—massive sets of measurements taken continuously before, during and after lab-simulated earthquake events. They then allow the algorithm to sift through the data to look for patterns that reliably signal when an artificial quake will happen. In addition to lab simulations, the team has also begun doing the same type of machine-learning analysis using raw seismic data from real temblors.
This is different from how scientists have attempted quake prediction in the past—they typically used processed seismic data, called “earthquake catalogues,” to look for predictive clues. These data sets contain only earthquake magnitudes, locations and times, and leave out the rest of the information. By using raw data instead, Johnson’s machine algorithm may be able to pick up on important predictive markers.
 しかし、技術的に向上した機械学習アルゴリズムやスーパーコンピュータの進歩、膨大な量のデータを保存して作業する能力を使うことで以って、Johnson氏のチームはそれに適した人工知能の開発を発想した。「10年前にこれを試しても、それはできませんでした」と、いくつかの機関の研究者と協力しているJohnson氏は言う。より洗練されたコンピュータに加えて、彼と彼のチームは、これまでに他の誰もしていない課題を試みている:すなわち彼らは、機械に生のデータ、それらは実験室でシミュレートされた地震事象の前、最中、そして事後に観測されたデータであるが、それらを入力した。アルゴリズムは、人為的な地震が発生したときに生ずる確実な信号パターンを探し、それに従って生ータをふるい分けることであった。ラボのシミュレーションに加えて、実際の地震の生データに対しても機械学習をさせた。
 これは、科学者が過去に地震予知を試みたのとは異なっている。昔は、予知の手がかりを探すために地震カタログと呼ばれる昔の地震データを使用していたからだ。これらのデータセットは、地震の大きさ、場所、時間のみが含まれ、残りの情報は除外される。そうではなく、生データを使用することにより、Johnsonの機械アルゴリズムは重要な予測マーカーを拾うことができるかもしれない。
(つづく)

常陸国風土記行方(夜刀とは?2)、蛸は地球外生物?

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:撮影者の背後3kmほどの沼から流れ出るせせらぎが前方にちらと見える蓮池に注ぎます。周囲の白は雪ではありません。あたりは未だ霜なのです)

小川1634


 蓮池に 投じた小枝 滑りおる 水も氷れり 江戸の北の地

 
+++++夜刀の神とヤズド(2)
 常陸国・風土記の行方郡を理解する鍵は「夜刀の神」の解明です。前回は、自らの考えを言うことを急ぎすぎて、学者先生の語る一般に流布されている説を紹介することを忘れていました。

「風土記」(小学館)の校注者であり訳者でもある植垣節也氏は以下を書きます(377頁):
%%%%%夜刀の神
 夜刀はヤト。東国方言のヤチ・ヤツと同じでヤマの谷合の湿地帯をいう。『大系』はヤツと訓むが刀をツの仮名に使った確例がない。夜刀の神は蛇をさす。
%%%%
 大方の流布されている理解は上記植垣氏のそれと大同小異です。そもそも、常陸国風土記ではまだ天照大神は登場しません。このことは、「天照大神」信仰大系が未だ確立していない、或いは東国にまではいきわたっていなかったことを示しています。常陸国風土記では普都大神(信太の条、上掲書364頁)、飯名神(信太、同書364頁)、香嶋大神(茨城、同書366頁)、県祇(行方、同374頁)、天大神(香島、同書388頁)が登場します。香嶋の条で登場する天大神が天照大神として後に(どれほどの年月後であるのかは定かでありませんが)日本歴史の大舞台の中心人物として君臨することになります。そして一方の信仰体系である仏教からは普都大神も登場して、神仏習合へとなだれ込んでゆくのです。このあたりは、次の鹿島の条を考察する際に、再度検討することにします。

 「カミ」なる音(おん)はアイヌ語の「カムイ」に由来すると以前書いて来ました。それに大陸の漢字に習熟した藤原不比等が「神」なる漢字を当てたのです。古代ペルシア語に「kommel」と言う語があり、「大きい」を意味します。此の語が現代語に転化したと思えるのが「kamal]で「完全な」です。西域からの渡来人にも「カミ」なる言葉は馴染み易かったのではなかろうかと考えています。

 さて、風土記に登場する上掲の五神のどなたもが、「崇敬の対象」として記載されています。新たに加わった「夜刀神」だけが、何故邪悪の蛇と解読されてしまうのか?そこに違和感を覚えない我が国の古代文学者の感性が問われてしかるべきでは無かろうか?と私は思います。

 実際、風土記では、上掲の件をさらに一行ほど読み進めると夜刀神の乱暴狼藉に怒った壬生麻呂が声を荒げて叫ぶと言う場面が描かれています。
「令修此池 要在活民 何神誰祇 不従風化」と。
「此の池を改修して、民の働き易いようにしているのだ。一体全体アンタ方は何の神なのだ?何故我々に逆らうのだ?」と叫んだ、と風土記は書きます。

 勿論、これは武王の時代、つまり六世紀前半以前の頃の話ではありません。八世紀初頭の奈良勢力の東国侵略に対する常陸国、とりわけ行方での原住民による激しい抵抗戦の話です。武王の成した輝かしい「善行」と、原住民の抵抗は時代を明確に異にしているのです。それを意図的に混同して描いているのが風土記です。勿論これは奈良政権の強力な指導があったゆえです。しかし、例によって、風土記編纂者はこっそりと「不従風化』と書き込むのです。つまり原住民の「乱暴狼藉」は実は「抵抗運動」であることを暗に書き込んでいると私は考えています。

 さて、その抵抗勢力の実態を知る興味深い記事が見つかりました。SOPHIAと言う旅行業者のHPでのイラン案内に当って研究者に執筆を依頼したのだろうと想像しています。少々長いので、著者には誠に失礼ですが、抜粋を以下に転載いたします:
%%%%%SOPHIAのHPよりヤズド訪問記
イラン中部・ゾロアスター教の中心地ヤズドを訪ねて(2)
2014年1月17日3476
前回は、イラン中部の砂漠地帯にあるヤズド州と、その気候を生かした生活手段としての施設などを中心にお伝えしました。今回は、ヤズドを代表するゾロアスター教関係の施設についてご案内します

ゾロアスター教の中心地としてのヤズドとその経緯


前回触れましたように、ヤズド州は、イラン南東部・ケルマーン州などと並んで、イラン有数のゾロアスター教の本拠地として知られています。ゾロアスター教は、火を聖なるものとして大切にすることから拝火教とも呼ばれ、イラン古来の宗教として、サーサーン朝時代にはイランの公式の宗教に定められました。しかし、7世紀のイスラム軍の進出以来、イランには次第にイスラムの影響が浸透し、現在ではゾロアスター教は少数派の宗教とされています。とはいえ、完全にイスラム化したかのように見えるイラン人の生活には、今でもゾロアスター教の名残が残っています。春の新年ノウルーズの祝祭や冬至・ヤルダーの儀式を初め、イランのほかにお隣のアフガニスタンでも使われている太陽暦は、ゾロアスター教の思想を源流とするものです。それでは、イスラム教徒が多数派を占めるイランにおいて、ヤズド州ではなぜゾロアスター教の影響が比較的強く残っているのでしょうか。
これはやはり、ヤズド州が置かれている地理的条件が最大の原因であったといえます。7世紀にイスラム軍が進出してきた際にも、ヤズド州は砂漠地帯にあるために食糧や飲料水の確保が困難であることから、イスラム軍はここを回避し、ヤズドは難を免れることが出来たのです。そのため、本来はイラン全土に散らばっていたゾロアスター教徒が難を逃れて、安全とされるヤズドに集まってきたことから、ヤズドには他の都市に比べて比較的多くのゾロアスター教徒が住んでいます。現在、ヤズドには推定でおよそ4万5000人のゾロアスター教徒がいるとされ、この他イラン国内では南東部ケルマーン州、そしてインドにも多数の信者が存在しています。

ゾロアスター教神殿、アータシュキャ

それでは、ここからはヤズド州内にあるゾロアスター教関連の見所についてお話しすることにいたしましょう。まずは、ヤズド市内にあるゾロアスター教神殿です。ここは、ペルシャ語でアータシュキャデ、即ち火の家とも呼ばれ、今からおよそ80年ほど前にインドのゾロアスター教徒からも資金援助を得て建てられました。この建物の正面の上の方には、翼をつけたゾロアスター教の守護霊プラヴァシの像があり、この建物がゾロアスター教の寺院であることを示しています。守護霊プラヴァシは腰の辺りに輪をつけていますが、これは人々のつながりの輪、そして平和を意味し、結婚指輪の習慣はここからきたとする説があります。さらに、左右に広がる翼は3段に分かれており、これはゾロアスター教がモットーとする善なる思想、善なる発言、善なる行動の3本柱を意味しています。また、建物の正面には6本の柱があり、これはイスラム建築ではなく、イランの古都ペルセポリスの王宮建築のスタイルが取り入れられています。いざ、中に入ってみると、ガラス越しに聖火壇があり、火が片時も消えることのないように焚かれていました。ちなみに、この聖火は1500年以上絶やされることなく燃え続けており、今からおよそ70年ほど前にイラン南部の町シーラーズ近郊ナーヒド・パールスの村にあるゾロアスター教神殿から、他の町を経由してこの神殿に運び込まれたということです。ちなみに、一説によりますとオリンピックの聖火リレーは、ゾロアスター教で火を聖なるものとして大切にする習慣から来ているとされています。

ゾロアスター教における火の位置づけ

それではなぜ、ゾロアスター教では特に火が大切にされているのでしょうか。今から1000年ほど前のイランの英雄叙事詩人フェルドウスィーが著した名作『王書』によりますと、今から4000年或いは5000年ほど前、古代のイランの2代目の王であるフーシャング王が狩猟に出かけたときのこと。フーシャング王は、獲物を射止めようと石を投げつけますが、それは獲物には命中せず、他の石に当たります。その瞬間に火花が散ったことから、人類は初めて火の存在を知ったというものです。火が存在しなければ、食物の調理もできず、また部屋の暖房なども使えず、また夜に灯りをともすこともできません。このように、火は人間にとって欠かせないものの1つであることから、ゾロアスター教では、火が聖なるものとして大切にされているということでした。また、火の他に、空気、大地、そして水が、決して汚されてはならないものとされています。
鳥葬に使用されていた「沈黙の塔」

さて、ヤズド州内にあるソロアスター教関連の見所で決して見逃せないのが、ヤズド市の南東約15キロ離れたところにある、ダフメイェ・ザルトシュティヤーン、『沈黙の塔』です。これは、ゾロアスター教徒の鳥葬台であり、過去にはこの場所で実際に鳥葬が行われていました。現在は観光・見学用となっていますが、1930年代にパフラヴィー朝の王レザー・シャーが鳥葬を禁止するまでは、実際に使われていたということです。先にお話しましたように、ゾロアスター教では火、水、そして土が神聖なものとされていることから、それらを穢すことになる土葬や火葬ではなく、遺体を鳥葬場に安置して鳥が食べつくし、自然に還す方法がとられていたのです。さて、この塔は50メートルほどの高さを持つ堆積した小高い丘の上にあり、500メートルほどの間隔をおいて2つ設けられています。いずれも石造りで、外壁は泥で塗り固められており、屋根はありません。2つある塔のうち、古いほうは直径が15メートルあり、今からおよそ170年前に、インド人のゾロアスター教徒の学者マーンクジー・ハトリアによって建てられました。また、新しい方の塔は直径が25m、高さはおよそ6メートルあり、今からおよそ80年ほど前に造られており、ゴレスタン、即ちバラ園と呼ばれています。なお、この2つの鳥葬の塔は、悪臭や汚物が住宅地に飛散しないよう、風向きや降雨量を観測した上で市の郊外に設けられています。またこれらの塔を上空から見て、中央部は子供用、外壁に近い外輪の部分は男性用、その中間の輪に相当する部分は女性用だったということです。下の写真に示されているように、一番外側の水色の部分は男性用、緑色の部分は女性用、赤い部分は子ども用、中央部にある穴は残った骨を入れる部分だということです。
ヤズドには、イランで最も有名なゾロアスター教の聖地・チェクチェクがあります。チェクチェクとは、ペルシャ語で水が滴り落ちるポタポタという擬声音を表します。この聖地は、ヤズド市内から北西に70キロほど離れており、周辺を砂漠と荒野に囲まれています。ですが、この聖地には、湧き水の出る岩山が存在しており、この湧き水が滴り落ちる音が、そのまま地名になったということです。ここでゾロアスター教の行事が開催される毎年6月の末には、イラン国内の他、インドなど、外国のゾロアスター教徒たちも巡礼者としてここを訪れます。この聖地については、次のような伝説があります。7世紀の半ばごろ、サーサーン朝最後の王ヤズデギルド3世の娘の1人ニークバーヌーが、イスラム軍の攻撃を逃れ、この聖地のある岩山に隠れます。彼女は、ゾロアスター教の神アフラ・マズダに自分を山の中で守ってくれるよう祈リ、そのまま山中で消息を絶ちます。彼女が消息を絶った場所で、彼女の持っていた杖が大木となったとされています。この伝説の大木は実在しており、ゾロアスター教徒の間では聖なる大木とされ、大きな岩の間から生えていることから大自然の奇跡の1つとされています。ゾロアスター教徒たちは、ここから水が滴り落ちているのは、ここに難を逃れてきたニークバーヌーの涙であり、彼女はまだ生きていて姿を隠していると考えています。(以下省略)
%%%%% 転載終わり

 前回も書きましたが、行方での奈良侵略軍と現地住民の抵抗戦は、さながらイスラムとゾロアスタ教信徒との戦闘の縮小版の如くです。上記の記事でもう一つ興味深いことは:
「ヤズド市内にあるゾロアスター教神殿です。ここは、ペルシャ語でアータシュキャデ、即ち火の家とも呼ばれ、・・・」
の件です。「アータシュキャデ」は前回書いた「麻多智」と音が酷似していることに気づいていただけたでしょうか?麻は「ア」と音し、それは「火」なのです。ということは、行方の地に神殿のようなものを建造していたのでしょうか?そう思うと、この地に石を運搬する、そしてその石で神殿を作る、そのための運搬経路としての那須岳―烏山ー笠間ー玉造の経路設営がうなづけます。

 何か、話がトントン拍子に整合的に進みます。嬉しいことです。
(つづく)

+++++タコの不思議
 面白い記事をスプートニク(sputonik)と題するHPで見つけましたので以下に紹介しておきます。
%%%%%えっ?タコは宇宙人?! 学者たちの驚くべき発見
c Sputnik/ V.Lebedev
サイエンス蛸は異星から 
2017年02月14日 09:24(アップデート 2017年02月15日 19:44)
科学者らは、蛸のゲノムは地球上のほかの生物のゲノムとも根本的に異なることを発見した。遺伝子学者らのこの研究はネイチャー誌に発表された。そういえば蛸は旨い 
科学者らがゲノム解読を行ったのはカリフォルニア・ツースポットタコ。分析のなかで12種類の組織の遺伝子発現も解読された。科学者らの目的は軟体動物頭足網がどのようにして固く閉められたビンの蓋を開け、中のえさを取り出す知能を持つ動物にまで進化できたかを知ることにあった。その結果、研究者らは驚くべきことを発見した。蛸のゲノムには地球上の生物にはないゲノムが多く見つかったのだ。このほか科学者らはタコの遺伝子が3万3千のコドンを含んでいるという帰結に達した。この数値は人体組織の中に含まれるコドンの数倍も多い。
蛸は稀有な軟体動物であり、地球上のほかのどの生物にも似ていない。吸盤のついた8本の触手、拡大、縮小が可能でよく動く瞳孔の巨大な目はフォトカメラさながらに動く。知能も異常なほど発達しており、ほかのものに変化して身を隠すことができる。
研究はシカゴ大学、カリフォルニア大学バークレー校、独ハイデルベルグ大学、沖縄科学技術大学院大学の学者らによって行われた。
先に、天文学者らは地球には準衛星あるいは擬似衛星と呼ばれる存在がさらに数体存在することを発表した。
%%%%%
 最後の行に、突然天文学の話が出現しました。タコの遺伝子は地球を周回する準衛星から持ち込まれたということを此の記事の執筆者は言いたいようです。そこでその記事も合わせて紹介しておきます。宇宙空間からの地上への落下物については2月10日宇宙からの落下物の恐怖に米国科学誌の記事を紹介しました。地球に住む生物と下は深刻な問題です。
%%%%%衛星は月だけじゃない 地球の近くに殺人天体が...
c Fotolia/ James Thew
サイエンス沢山の地球周回衛星 

2017年02月13日 19:59(アップデート 2017年02月13日 20:04)
天文学者らは地球には準衛星あるいは擬似衛星と呼ばれる存在がさらに数体存在することを発表した。これらの天体は定期的に地球に近づいてはその重力に影響を及ぼしている。そうした中でも最も巨大なのが地球近傍小惑星の「クルースン」。
クルースンはほかの地球近傍小惑星と同様、地球の軌道をしばしば横切るが、月と違う点は月は常に地球のそばに存在する点だ。
クルースンは今のところ地球の生命に危害を及ぼさない。が、なにしろ直径5キロとサイズが大きく、周遊する軌道が安定していないことが理由となって研究者らは将来起こりうるあらゆるリスクを想定している。
科学者らは古代、地球上の生物を全滅にいたらせた小惑星はクルースンより2倍大きく、地球に落下したものと考えている。クルースンは仮に地球に落下した場合、落下地点の町を丸ごと破壊するか、もしくは最大の威力を発揮する津波を引き起こすものと考えられている。
%%%%%

行方の条(夜刀の神、1)、巨大地震(6)、スノーデンと温暖化

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:一羽のカラス、仲間との諍いに弾き飛ばされ、むなしく凍てついた霜をほじっています)
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 諍いに 敗れしカラス 涙して 霜で凍てつく 田を突々き居る

 当地は未だ田んぼは白き霜で覆われています。しかし、生物の世界では、春の接近ゆえでしょうか。連日のように夜明け前にカラスがいがみ合っています。そんな争いからはじき出された一羽の鴉が田の土を突いていました。カメラを向けると、「カーッツ」と、威嚇の叫びを投げつけてきました。辛さ余って涙をこぼしていたのかも知れません。

+++++夜刀の神とヤズド
 前回に続き、常陸国風土記・行方の条の一節「有人 箭括氏麻多智 截自郡西谷之葦原墾闢新治田 此時 夜刀神 相群引率 悉盡到来」を考察しています。行方の条を解読するに当っては、遠く西域からの渡来族の活動した痕跡が地名・人名などの残っているはずであると思っています。何よりの根拠は、行方と北浦をはさんで東の鹿島の存在です。

 此の香島の由来については、古代史の専門家のどなたもが『闇の中』に放置したままなのです。ところが、2010年1月1日記事八溝ー鹿島聖線 で解明したように、鹿島には西域文明の影響、その信仰象徴であった「シリウス星」観測の形跡が現在ですら、誰しもが検証できる形でのこされていたのです。
(図:2010年1月1日記事 八溝ー鹿島聖線 の再掲)
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 尚、一つ付言しておきます。先日,市の図書館で「あなたの知らない茨城県の歴史」(山本博文著、洋泉社、2012)を手にしました。この類の本の古代史の記述は記紀、そして風土記の日本語訳にとどまります。「オメー、こんな事知らねいだらう」なぞと、優越感と 嗜虐感のない混じった気分で読むのが常でありました。全体としてはその気分で目を通したのですが、著者が続日本後紀巻四・承和三年の条を引用して言うことに目が留まりました。

%%%%%続日本後紀巻四・承和三年より
原文:承和三年(八三六)正月乙丑【廿五日、辛丑が朔】。詔奉充陸奧國白河郡從五位下勳十等八溝黄金神封戸二烟。以應國司之祷。令採得砂金。其數倍常能助遣唐之資也。(http://c23.biz/xQ6u 荒山慶一氏の大変なご努力による電子化によって古文書のアクセスが可能となっています。感謝であります)

文意:西暦836年正月25日に奉充陸奧國白河郡從五位下勳十等に詔りして八溝黄金神封と二烟(手持ちの藤堂明保監修1800頁学研漢和大字典には此の文字がない)を奉ずるよう命じた。國司がこれに応じて祷(これも前掲「大辞典」に見あたら無い。鋳か)することとな砂金を採得を命じた。其の量たるやこれまでに遣唐使費用の資として使ってきた金量の數倍にもなった。
 %%%%%
 西域渡来族は何故シリスス星を崇めるのか?それは天空にって最大の輝きを放つ一等星であるからです。それが、人類にとってもっとも苦手な闇夜を照らすのです。地上にあってはそれは『火』です。こうして拝火教は暗黒からの恐怖をやわらげるのです。

 西域から渡来した一族には八溝山での金の発見は最大の喜びであった筈です。須賀川市の西、天栄山の金の発見にもそうしたエピソードがあった筈です。思いもかけない所から、八溝山―鹿島聖線構築の精神史視点からの裏づけを得た想いです。

 こうした、視点に立つならば、「有人 箭括氏麻多智 截自郡西谷之葦原墾闢新治田 此時 夜刀神 相群引率 悉盡到来」の一節も、正しい古代史把握につなげる手掛かりが得られるはずです。

 そこで、私がかねて考えて居たことは「夜戸(やと)は“ヤズド”」ではなかろうかです。そこで、それを書いたウイキヤズド(ウイキ) 記事の一部を抜粋します。
%%%%%ヤズドに関するウイキ記事(抜粋)
歴史
ヤズドの歴史は3000年の長きにわたり、当時ヤズドはヤスティスないしイッサティスと呼ばれたメディア(メヂア人によりイランにあった王国)の時代まで遡る。しかしながら今日の名「ヤズド」はサーサーン朝(三世紀〜七世紀)の統治者ヤズデギルド1世に由来するものと思われる。サーサーン朝期、ヤズドはゾロアスター教の明らかな中心地となっている。イランのイスラーム征服後、近隣各地のゾロアスター教徒はヤズドに逃れた。イスラーム統治下に入った後もジズヤを納めねばならなかったが、都市住民の大部分はゾロアスター教徒であって、イスラームがヤズドで優勢な宗教となるまで非常に長い時間がかかっている。
%%%%%
 本ブログが関心を抱く日本列島での時代は、イスラム教が誕生した時期と重なります。とすると、西域からの渡来人は、上のウイキが書くようにイスラム教から逃れたゾロアスタ教信奉者である可能性も頭においておくべきと思っています。

 次回、もう一つ興味深い記事を紹介します。
(つづく)

+++++巨大地震(6)
 世界に例を見ないほどの稠密なGPSによる地殻の動きのほぼ連続観測“によって、我が日本列島の動きが目に見えるようになっています。その結果、通常とは異なる運動が検知され、それを地震発生予測に結びつける”事業“がジャーナリズムによっても注目されています。

 こうした稠密なGPS連続観測網構築は、私が記憶する限りでは、1980年代の「ロンーヤス」会談直後ではなかったか、と記憶します。時の首相・中曽根氏が米国から帰国後に、「詔」(みことのり)を発したのです。曰く「米国製品を購入せよ」と。国の研究機関がそれに逆らおうはずはありません。大学を含む国の研究機関は競って米国産大型コムピュタを導入します。また、米国製品購入の一環として国は国土計測事業としてGPS導入による大規模地殻観測網の設営に着手したのです。話はそれますが今般の”トラ・あべ”首脳会談が我が国の科学行政に何がしかのインパクトをもたらすのでしょうか。

 それはともかく、此のGPS観測網は、地震学にとてつもないほどの大きな果実をもたらしました。なにせ先の2011年3月11日の巨大地震直後の列島の動きを明瞭に見せてくれました。そうではあるけれども、GPSは地球規模の大規模な地面下の動きを露にはしません。GPSが計測する地表の動きが、どうやら地球下深部の動きと必ずしも連動していないが故でしょう。そして、地表下深部の動きはせいぜい、日本列島鹿島とハワイの間の距離を計測することで太平洋・プレートの運動を確認する程度にとどまっています。さりとて、こうした地表下深部の大規模運動は、火山観測ではもたらされません。何故ならばそれは火山噴火サイト、つまり点の情報であるからです。

 それでは、地震はどうなのか?近年のデジタル地震観測は1980年代前半に始まっていますから、高々半世紀の歴史しかありません。とは、いってもなにか手掛かりはないものか?

 2000年代のわずか17年間に二回、Mwが9又はそれを超える地震が起きました。思えば、カムチャッカ地震(1952、Mw9.0)、チリ地震(1960、Mw9.5 人類が知る限りでは地球上最大地震)、アラスカ地震(1964、Mw9.2)の三つのMw9を超える地震は僅か12年の間に“連発”しているのです。

 1,900年台以降では巨大地震連発の事例は僅か二つです。が、どうやら地球大規模変動を反映する巨大地震は「間歇的に」出現するのではなかろうか?そしてここから人間の目の届かない、それゆえに検知できてこなかった地下の大変動の一端でも見えてこないだろうか。こんな問題意識で、此の連載を続けていす。
 
 地球46億年史から見れば僅か17年間です。そんなことを期待できるはずがないとの意見は充分私には説得力があります。しかし、まあ、やってみて思う結果が出ないとしても、そこにいたるデータの取りまとめは後世に残る“礎石”の一つにはなるのではなかろうか、と思っています。

 地球規模で見える変動を地震を通して見たい。その一心で調べるのが、前回書いたΔD/ΔT、つまり見かけの“影響伝播スピード”です。まずはそれを調べることにします:
 (図1:(上)スマトラ地震(2004年12月、図で地震番号11、縦の緑線で示されている)から見た、”見かけ影響伝播速度の時間変動ΔD/ΔT、(下)東日本地震(縦の緑線)から見た見かけ影響伝播スピードの変動ΔD/ΔT。横軸は地震系列番号。実際の時間推移ではない。縦軸のスケールが常用対数であることに注意)。
velocity-comparison

 
 両方の図で気づくことは、Mwが9クラスの地震発生前には”見かけの影響度伝播速度、
ΔD/ΔT、が増大していることです。縦軸のスケールが常用対数表示であるので実際の増加は、線形ではなく指数関数的、つまり巨大地震に接近するほどにその”スピード“は増大していることを示します。例えば、図(上)で見ればそれは「0から1」つまり「cm/secから10cm/sec」にまで大きくなっていること、図(下)では「cm/secから30cm/sec」への増加を示しています。

 これが、事の真実を反映しているのかどうか?現時点ではわかりません。定性的にいえることは、巨大地震に近い地震ほど、地震発生の時間間隔が近くなります。一方地震間の距離が常用対数表現ではそれほど大きく変わらないとするならば、当然時間間隔の縮小は”スピード“の増大となります。

 しかし、時間間隔縮小が対数表示に反比例する、つまり指数関数的に巨大地震に近づくにつれて小さくなっているのか?それはそうであったとすれば誠に興味深いことです。

 現時点での認識、それは上の図は何がしかを示唆してはいるが、その背後をさぐる作業は凡人のなしえることではない、と言うことです。そこで、初志を翻し、前回の地震活動の地域分布を考慮した”見かけスピードΔD/ΔT“をみることにします。
(つづく)

+++++地球温暖化は現実の進行現象か?
 インタネットで興味深い記事を見つけましたので下に紹介しておきます。ここで引用されるスノーデンはかって米国の諜報機関で働いており、その際に米国が各国に対して仕掛けた盗聴活動に嫌気が差し、その内実の一端を公表し、現在米国諜報機関による暗殺を怖れてロシアに潜んでいる人物です。
 その主題は”地球温暖化“です。1990年台初頭、当時の米国大統領選挙に当って副大統領候補と目されたアル・ゴアが自らの著書「不都合な真実」を掲げ、地球温暖化危機を世に訴えたのです。しかし、その根拠ともなると、なかなかその評価が難しく、むしろゴア氏の原発推進の思惑までが疑われました。そしてには温暖化の小お異なるデータの改竄までが大ピらになったりした事件です(2,009年12月9日記事ホーッケイ・スティック曲線)。

%%%%%地球温暖化説はCIAの陰謀である
 スノーデン 
EDWARD SNOWDEN: “GLOBAL WARMING IS AN INVENTION OF THE CIA”
Moscow | National Security Agency whistleblower Edward Snowden, has made a new controversial claim yesterday during an interview, saying that he possesses some classified information proving that the CIA is behind the “theory of Global Warming”.
モスクワ発・米国NSA密告者Edward Snowdenは昨日のインタビューで新しい驚くべき告発をした。曰く「CIAが地球温暖化説の背後に居ることを書する情報を彼が持っている」と。
Snowden, who lives as a fugitive in Russia after leaking documents about the NSA’s surveillance programs, has made some previously unreported allegations during an interview with the Moscow Tribune.
SnowdenはNSAの長方プログラムについての書類をリークした後ロシアに居るが、以前に語らなかったことを公表した。

Mr. Snowden says the CIA first orchestrated the spread of the “Global Warming scare” in the 1950s, in order to divert the attention of the scientific community, from the dangers of the weapons race and reinforce its control over research institutes.
Mr. SnowdenはCIAは科学の世界の関心を軍事の世界が科学界をコントロールすることの危険性から目をそらすために1950年代当初地球温暖化切の拡散に同調したという。

“I have documents showing that the CIA invented the whole thing,” claims Edward Snowden. “Global Warming was invented to both scare people, and divert their attention from other human-made dangers like nuclear weapons. The CIA gave millions of dollars to any scientist who would confirm the theory, so many unscrupulous scientists did what they were told in order to get the money. Now, there is so much fake data to confirm that Global Warming “exists”, that they actually convinced everyone that it was real.”
Edward Snowdenは「CIAが全ての事を企んだことを示す文書を持っている』と言う。「地球温暖化は人々を脅すため、そして核兵器のような人類にとっての危険から関心を背けるタケに仕組まれたのだ。CIAはその理論を指示する科学者たちに数十億円を提供した。。その結果多くの誠実な研究者達がお金をえるために言いなりになった。いまやいまや地球温暖化が進行するというでっち上げデータが多く存在し、それが現実と確信する研究者が多くなっている。

Mr. Snowden says that the documents proving that the CIA invented the whole thing will be integrally reproduced in his new book, expected to be released in September 2016.
Edward Snowden was hired by an NSA contractor in 2013 after previous employment with Dell and the CIA. In the month of June of the same year, he revealed thousands of classified NSA documents to journalists. He also claims to be in possession of CIA documents, linking the agency to many illegal activities.
CIAが全てを仕組んだことを証拠立てる文書が彼のあったらしく出版する本に再現されて2016年秋には公開されるだろうとMr. Snowdenは言う。彼はDellとCIAで働いた後2013年にNSAと契約し、雇用された。その都市の6月に彼は数千の書類をジャーナリストに公表した。その際、CIAがカランが非合法な活動に関する文書も所持していると語った。

The US government filed espionage charges against him shortly after his revelations were made public. He has been living under asylum in Moscow, after fleeing the US for Hong Kong in the wake of the leaks.
On July 28 2015, the White House has rejected a “We the People” petition of nearly 168,000 signatories, to pardon him.
He has since threatened to release other documents in his possession, which he claims would be far more embarrassing for the American government than the ones he has already rendered public.
米国政府は彼のすっぱ抜きが公表されるや否や直ちにスパイ行為で告訴した。この漏洩行為の後彼は香港に逃げ、モスクワの保護施設で暮らしてきた。2015年7月28日に、ホワイトハウスはおよそ16万8戦もの彼への助命嘆願の署名を拒否している。それ以来彼は保持する他の書類の公表に脅威を感じている。それらはこれまで以上に米国政府を困惑させるはずのものであるからだ。
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2000年代巨大地震の動向(5)、常陸国風土記・麻多智とは?

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:霜畑の雉。ずいぶんと長いことご無沙汰してました。噂には聞こえていました。地震となるとケケーっと雄たけびで教えてくれていましたから)
雉1638


 連日の 寒さに震える 現地人 木々はすでに 春近きを知る

 当地は、今朝も寒かった。室内温度は五度です。しかし、外に出ると、木々には緑の若葉がチョロっと芽生え、蕾のふくらみもましています。

+++++麻多智(行方郡の条)
 行方郡の此の条の執筆者は、後世に継体天皇と諡号される奈良政権の人物が中央にあった時代に、渡来族が、もう一つの聖線構築に励んでいたことを知っていた。そのことを執筆者は「古老曰く」として、書き記します。その時代は、趨勢が藤原不比等の中央軍勢の勢力のほしいままになるという政治情勢ではなかったと思われます。聖線構築にあって、在地の資源を提供したのが“箭括氏麻多智”と書きます。
行方ー香島無題


 箭括(やはず)氏の麻多智(またち)とは?何者でしょうか?市図書館から借り出してきた「風土記」(植垣節也編、小学館)は「箭括(やはず)氏」とは、他に見えない氏族名であると、書きます(376頁)。『矢筈』は弓に矢をつがえるとき弓弦が食い込む矢の端の部分」と、同書は解説します。

 此の解説は、どうにもしっくりとしません。何故、ここに『矢』が登場するのか?『矢を括る』ことを生業(なりわい)とする氏(うじ)がいたのか?などなどです。風土記の此の条を執筆する時点で現地に存在していた言葉ではなかったのかと思えます。「ヤハズ」なる言葉に単に漢字を当てはめたのではなかろうか、つまり「表音』漢字です。そこで、音が似た言葉をアイヌ語に捜しますが、どうも見つかりません。

 そこで、いつもの手順です。古代ペルシア語です。継体天皇が奈良盆地での支配権を確立した頃、つまり大陸政権の影響が奈良を強く拘束し始めた頃、此の行方の地は、雲行きの悪化を案じつつも、渡来族・アイヌ族の影響下にあったのですから、ペルシャ語にたよるのは自然の成り行きです。

ところで、読者の方から「古代ペルシャ語」に由来を求めるのはよいが、どの言葉でも捜してみれば似たような音(おん)を持つものがあるのではないか」との指摘を頂いたことがあります。私もそのように思っています。私が古代ペルシア語に由来を求める最大の根拠は、日本列島に認められるサカ族の痕跡です。此のサカ族の出自については2015年1月12日記事サカ族の出自 で書きました。
カザフスタン無題


日本列島では「スカ(須賀)」、「サカ(栄)」、そしてそれが転化した「ソガ(蘇我)」として、あちこちに残されています。夫々の由来を求めると、「サカ」族に収斂するからです。私が古代日本列島の真実を探るきっかけも東北本線「須賀川」駅、一つ隣駅の「安積永盛」(アスカよ永く盛えよ)駅、更に北に一駅『郡山』([Khorre]( 光輪の意)への関心に始まりました。

 日本列島文化へのペルシア文化の影響については多くの研究者が言及しています。何と言っても真っ先に挙げるべきは「ペルシャ文化渡来考」(伊藤義教著、岩波書店、1980)です。さらには「天平のペルシア人」(杉山二郎著、青土者、1994年)、松本清張氏も小説「火の路」でペルシア文化の古代史への影響を論じています。
言葉の由来をペルシャ語に求めることは決して「奇」ではなく、むしろ在来の日本人古代研究者がそうした努力を怠っていることのほうが「奇」であると私は思っています。

 かって「宮」の由来を古代ペルシア語に求めたことがありました(1月11日記事宮とは?)。それは「中央」と言う意味の「miyanogei」(ラテン文字表記)であると考えています。それには理由があります。当時の日本列島では、部族を束ねる指導者とその配下を常駐させる機関と言う概念があったとは思われない。アイヌ族と連合して初めてそうした機能とそれを動作させるための場所が作られたのではなかろうか、と発想したからです。そこで、古代ペルシア語辞典のペイジを捲ることになったのです。本ブログでは未だ書いていませんが、「屋敷」、「館」など東北日本に多い地名もそうした統括体形の機能であったろうと思っています。これについてはいずれ書きます。

 さて、風土記に戻ります。ラテン文字表記「yakhzur」という語があります。「ヤフズール」とでも音するのでしょうか。「青々とした原」と言う意味です。風土記はこの氏の麻多智が「田」を提供したと書きます。まさに風土記執筆者は、言い伝えか何かでそれを知っていた節があるのです。

 そして麻多智です。これはどういうものか上記風土記の監修者は「マダチ」と仮名を振りますが、これは「アダチ」と読むことも出来ます。これから連想するのは福島県安達太良山の東麓の安達が原です。私は此の人物の出自は安達が原で、その業(なりわい)は鉄鍛造ではなかったかと考えています。
(つづく)

+++++巨大地震を探る(5)
 巨大地震発生系列にあっては、先行するそれが、次に起きる地震を励起するのかどうか?励起するとしても、現時点では、その物理機構は全くわかっていません。例えば、マントルを含む地震岩盤は長い時間では高粘性流体として挙動することが知られています。氷河期後のスカンディナヴィア半島隆起現象は、その粘性流体挙動として解釈されています。そこで、それを地震に適用すべく色々な研究、数値シミューレーションが為されていますが、どれも決定打とは言いがたいようです。 しかし、巷には、“遠く南米で巨大地震が起きると、或いはニュージーランドで起きると、日本列島の三陸沖で地震がおきやすい“などとまことしやかに語る学者さんもいます。

 複数の巨大地震が相互に連関しあっているらしいという現象が、“素人目”にも見えるのであれば、興味深いことです。そこで、2000年代に発生した巨大地震(Mwが7.8又はそれを超える地震)について調べてきました。試行錯誤、じぐざぐの経路を辿っており、かつ途中には計算プログラム中の誤りの発見をしたりで、読んでくださっている方々も戸惑われたかと想像します。ご寛恕をお願い致します。

(図1:2000年代、2016年12月31日までの巨大地震発生情況(Mwが7.8又はそれを超える地震)。横軸は2011年3月11日の東日本巨大地震を基準として勘定した時間(単位は日数)。地震の後の番号は本考察で便宜上付している地震番号。縦軸はMw.上の I,II,IIIは考察に当っての期間区分(本文参照)
発生系列無題


 ここでは、2000年1月1日から2016年12月31日までの17年間を3つの期間にわけて考えています。第一期間は2004年12月のスマトラ地震前まで、第二期間はスマトラ地震後、2011年3月11日の東日本巨大地震まで、そして第三期間は、東日本巨大地震以後です。
図1から一見してわかることは、スマトラ地震の前には地球は静穏であったということです。もっとも2000年以前についても同様の調査をするべきですが、”老いたる“身ではそこまで手が回りませんでした。
 念のために数を勘定すると、スマトラ地震前は10個(ほぼ6年間)、スマトラ地震から東日本地震までは17個(六年三ヶ月)、そしてそれ以後が18個(五年九ヶ月)となります。スマトラ地震前に比べて二倍近い発生頻度が現在も続いていることになります。その発生頻度は東日本地震の発生によっても変わっていないことに注目しておくことにします。

 次に、夫々の期間内での巨大地震発生場所をまず見ることにします(図2)。

(図2:3つの期間内の巨大地震発生推移。上:スマトラ地震(番号11)前、中:スマトラ地震から東日本地震(番号29)、下:東日本地震以後。番号は発生順にふされている、また図で、上の図破、スマトラ地震を中心に作図されており、中と下は東日本地震を中心に作図されている。
GreatEq-in3periods


 3つの図に顕著な違いがあれば、巨大地震の相互関係を探る手掛かりとなるはずです。

まず気が付くのは南米大陸周辺です。I期では1個であったものが、挟では3個、III期では4個と、巨大地震活動が増加しています。その活動域もサウス・サンドイッチ海溝にまで広がっています。

 アジア大陸内部はどうでしょうか。I期では2個、II期では僅か1個、それがIII期になると3個に増えます。そのうちの二つはインド大陸の東西付け根部分で起きています。

 メラネシア地震帯から東に伸びてトンガ・ケルマデック海溝、ニュージーランドでも顕著な変化が見られます。I期ではパプアニューギニアの東方と、ニュージーランド南端に地震が起きておりその中間は巨大地震と言う視点からは静穏でありました。II,III期になってその中間域を埋める巨大地震活動が活発になっていることが見て取れます。

 こうして地震活動が期の進展に伴って変化することが確認できました。確かに、巨大地震はどうやら相互に関わりあっているらしいということがわかります。関わりをもっとも直截に確認できるのは、影響の伝播です。

 2月8日の記事見かけ速度 では、2004年12月26日のスマトラ沖地震発生前にこうした巨大地震がどこで起きていたのかを見てきました。此の地震に先立つ10個の地震について、夫々の震央とスマトラ地震震央との距離、ΔD、を計算し、発生時間の差、ΔT,からΔD/ΔTを求め、それを図化し、これを“見かけの影響伝播速度”と呼びました(2月8日記事の図1)。スマトラ地震発生前に此の見かけの速度は一見、時間とともに(地震を重ねるごとに)大きくなっているように見えることを前回書きました。
さて、2月8日に記事同様に、2011年3月11日の地震から見た“見掛けの速度を調べてみます。
(つづく)

宇宙からの落下物体(3)、安倍氏を冷静に振り返る(毎日新聞)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:行きつけの私大図書館の途上の香りよい梅の花。桜も好きですが、自己主張をせず、楚々とたたずむ梅もいいですな。しかも恥じ入るようにほのかな香りがもれ出ています。その神聖なる梅ノ木で鴉が咆えています。ケシカラン!風情台無しじゃ!)
梅カラス1591


遺伝子の 指示に随い 梅が咲く 人の振る舞い 遺伝子ゆえなり

 行きつけのとある私立大学図書館、その途上の田の畦に咲く白梅。鼻を近づけるとホンワリとした香りを近辺に漂わせています。そういえば、文部科学省役人の天下りが問題となっています。
 此の私立大学も某著名大学退官教授のはけ口の一つに位置づけられているようです。これが我々市民にとっては時にありがたいんですね。というのは、こうして「天下りしてきた」偉い先生方がここも退職するときには貴重な蔵書をごっそりと此の私大に寄贈するのです。おかげで、神田の古本屋では入手できないような貴重な文献に接することがあるんです。

 大学からの天下りではなく、文部科学省からの役人さまの天下りともなると、そうした大学側にとってのご利益があるのかどうか?勿論、文科省からの補助金増と言う紐を伝ったゴリヤクはあります。そうした側面ではなく、大学の質の強化と言う面でそうのなのでしょうか。私がこれまで接してきた役人さん。あらゆる事態に即座に対応するべく、自らの内に多くの引き出しを持っています。国会議員からのとんでもない方向からの矢玉にも即座に対応できます。はてサテ、それが大学の使命のひとつとされる「知の創造力」に寄与するのか、どうなのか。私は懐疑的です。

+++++宇宙飛来物体(3)
 本ブログでも数回、地球絶滅の議論を紹介してきました。たとえば2013年5月1日記事ではメキシコに落ちた6500万年前の大事件 メキシコ隕石 (メキシコ)、2,014年4月11日恐竜絶滅 メキシコの大事件がインド・デカン高原の生成に絡んだのかどうか(2016年1月15日http://c23.biz/482H (デカン)デカン高原隆起 )などなどです。

 こればかりは、現時点では巨大地震同様予測の手立てがありません。地震と違って、それによって生ずる災害軽減の手立てもありません。喩え、x月x日に巨大隕石が地上に落下すると予測されても我々はなす術がありません。何時の日にか、予測技術は開発されるでしょう。しかし、その事件からどう逃れるのか?まさに絶望的です。此の絶望的な課題に目を向けているという話です。

%%%%%前回の続き
NEW STEP FORWARD
前進への新たなステップ

The working group represents an important advance in dealing with the NEO threat, says Lindley Johnson, NASA’s planetary defense officer within the space agency’s Science Mission Directorate who co-chaired the DAMIEN project. The effort was “really the first time we’ve sat down with an ‘all of government’ approach” that brought multiple federal agencies together, he says, “to do what needs to be done to be prepared to appropriately respond to discovery of a possible asteroid impact.” Johnson says that having an approved strategy “is a major first step,” but details of how to pursue these goals will be forthcoming via a yet-to-be-determined action plan. “Then the relevant departments and agencies will need to take the steps needed to accomplish that action plan,” he says.
Scoping out the action plan is the next order of business for DAMIEN as soon as President-elect Donald Trump’s new OSTP gets its feet on the ground, Johnson notes. “We have drafted a few things, but it is still to be written. That will take about another year, assuming we continue on this path.”
  ワーキンググループは、NEOの脅威に対処するための重要な進歩であるとLindley Johnson, NASA’s planetary defense officer within the space agency’s Science Mission Directorate は言う。彼はDAMIENプロジェクトの共同議長である。その努力は、「複数の連邦政府機関を結集した「政府のすべてのアプローチ」に着手した初めてのことであった」と彼は言う。「発見のために適切に対応するために何をすべきか」、Johnsonは、承認された戦略を持つことが「大きな第一歩である」と述べているが、これらの目標をどのように追求するかについての詳細は、未定の行動計画によって明らかになる予定だ。「関連する各省庁は、その行動計画を達成するために必要な措置を講じる必要がある」と。
ドナルド・トランプ次期大統領が新たなOSTP統括ポスとに付くとすぐに、それを行動計画のスコープとしてDAMIENの次の事業と位置づけている、とJohnsonは指摘する。「我々はいくつかのドラフトを策定したが、まだ書きおえていない。それは、我々がこの道を続けると仮定して、もう一年かかるだろう。

On the one hand, NEO experts are heartened by the OSTP document. But as always, paper strategies need to backed at some point by bucks. Ray Williamson, a faculty member of the International Space University in Strasbourg, France, salutes the White House OSTP report. As a former astronomer and a past member of the United Nations’ Action Team 14 that focused for years on the NEO danger, he finds the document says “all the right things and calls for the right approaches” to mitigating the peril of an incoming asteroid. But, as is the case with most high-impact, low-probability events, “motivating the several federal agencies to follow through on the good advice in this report will be a major task,” he adds. Making that job more daunting is that the White House strategy involves close cooperation with foreign entities. “Federal agencies, both here and abroad, generally feel that they have barely enough funding available to accomplish their primary mission and may well be reluctant to devote resources to such an effort,” Williamson says. “Making this strategy work will require significant attention to supplying the necessary funding for implementation.”

  一方で、NEOの専門家は、OSTPの文書に勇気付けられている。しかし、いつものことであるが、紙の戦略は、ある時点では財政的に裏づけされねばならない。Ray Williamson, a faculty member of the International Space University in Strasbourg, France,はthe White House OSTPに敬意を表している。彼はthe United Nations’ Action Team 14のかってのメンバであり天文学者であるが、長年にわたってNEOに重大な関心を当ててきた人物だ。彼は此の文書を見て「やってくるかも知れない宇宙からの落下物の危険を減じるうえで正しい道筋を書いている、と言う。しかし、影響力が大きいが確率の低い事象の場合には、「いくつかの連邦機関にこの報告書の良いアドバイスをフォローするよう動機づけることは大きな課題になるだろう」と彼は付け加えた。その仕事をより困難にするのは、ホワイトハウス戦略が外国機関との緊密な協力関係を伴うことにある。Williamsonは、「国内外の連邦政府機関は、基本的な任務を達成するために十分な資金がほとんどなく、そのような努力に資源を費やすことに消極的かもしれないと一般的に感じている。この戦略作業が実施に必要な資金を供給することにかなりの注意を払うことが必要になる。」と、言う。
Case in point: earlier this month, NASA approved two new spacecraft missions to move forward out of a list of five candidates. A journey to Jupiter’s retinue of Trojan asteroids and a probe to study a giant metal asteroid known as 16 Psyche won out over a proposed Near-Earth Object Camera (NEOCam). This space-based telescope would spot and survey uncatalogued Earth-threatening asteroids and comets. Although NEOCam was not selected, NASA did award further funding to continue studying the NEOCam concept for another year. But whether that mission will ever fly is anyone’s guess. “I don’t yet know what we will do now for NEOCam—but we are working it,” NASA’s Johnson says.
今月初め、5つの提案リストの中から米航空宇宙局(NASA)は、2つの新しい宇宙船ミッションを承認したhttp://c23.biz/R9u7  。ジュピターのトロイの木馬小惑星への旅と、16プシュケと呼ばれる巨大な金属小惑星を研究するための探査機である。地球近傍物体カメラ(NEOCam)だ。この宇宙ベースの望遠鏡は、無秩序に地球を脅かす小惑星や彗星を発見して調査するだろう。NEOCamは選択されていないが、NASAはもう1年間NEOCamのコンセプトを研究し続けるために資金を授与した。しかし、そのミッションが飛行するかどうかは推測の段階だ。NASAのJohnsonは、「私はNEOCamのために今何をするのかはまだ分かっていないが、私たちはそれをやっている」と語る。

INTERNATIONAL WORK AHEAD
国際共同の前進


The push for international cooperation on the NEO threat is key, says Detlef Koschny, head of the NEO segment in the European Space Agency’s (ESA) Space Situational Awareness program. “Within ESA we are working on very similar steps to be prepared,” Koschny says. “In particular, we will fully continue to support the international collaboration, which is already very well underway.”
The 2017 International Academy of Astronautics meeting on planetary defense, to meet this May in Tokyo, will hold a “tabletop exercise” involving a make-believe asteroid strike on Earth. The rehearsal will help appraise leadership reactions, information requirements, threat corridors, emergency management responses—including evacuation route planning—in response to the hypothetical situation. Aerospace Corp.’s Ailor will chair that meeting and has coordinated similar exercises over the past few years with participants from NASA, the U.S. departments of Defense, State and Homeland Security (including its Federal Emergency Management Agency, or FEMA), along with the White House and others. The last such simulation was held October 25, 2016, in El Segundo, Calif. “A lot of work needs to be done at the international level,” he says, “to have people worldwide understand that this is really an international issue.”

  Detlef Koschny, head of the NEO segment in the European Space Agency’s (ESA) Space Situational Awareness program.はNeo脅威への国際協力に向けて各国政府をプッシュすることが鍵と言う。「ESAの中で、私たちは非常に似た手順で準備を進めている」とKoschnyは言う。"特に、我々は既に進行中の国際協力を完全に支援し続けるだろう。と言う。
”今年5月に東京で開催される国際宇宙飛行士会議(2017年宇宙飛行士会議)は、地球上での小惑星衝突を含む「円卓会議」を開催する予定だ。リハーサルは、仮説的状況に対応して、リーダーシップ反応、情報要件、脅威情況把握、避難経路計画を含む緊急事態管理の対応を評価するのに役立つだろう。Aerospace Corp.のAilorはこの会合の議長を務め、NASA、米国国防総省、国家と国土安全保障局(連邦緊急事態管理局、FEMAを含む)、およびホワイトハウスなどの現実環境を模擬的に訓練している。最後のシミュレーションは2016年10月25日、カリフォルニア州エルセグンドンで開催された。「国際レベルで多くの作業を行う必要がある」“とKoschnyは言う。。
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+++++毎日新聞連載記事より抜粋
 昨夕、安倍氏が米国新大統領との「会談」のため、米国に旅立ちました。新聞が報ずるところによると二泊三日、五回の食事を含むゴルフまみれと書きます。当然、このような日程で首相が日本国の明日を軽々に決めることは無いのでしょう。軽々な合意は、安倍氏につき従う麻生氏と官僚が、此の間ホワイトハウスでするんですな。
 我が国のマスコミは完全に牙を抜かれていますから、「大国たる米国にかくまでの高い待遇を受けた』安倍氏をもてはやす記事でしばらくは溢れかえるのです。
 私は、トランプ氏をこれまでもといわんばかりにこき下ろす我が国の左翼論調を批判してきました。私の視点は米国が自らの国益のためにトランプ氏をなりふり構わず大統領に選出したように、日本でもなりふり構わず、安倍氏に日本国民のためになりふり構わず自らの要求を堅持し言い募るべきとインテリ諸君が求めるべきであったのです。
 しかし、そうした議論はありません。どうなることやら。前回、本ブログ記事で書いたように、国民生活に』振る向けられるべき国が持つしさんまでも安倍氏はトランプ氏に貢いでしまうのではなかろうか!

 毎日新聞が先週に興味深い記事を連載しています。そのなから一つを以下に転載しておきます:
%%%%%毎日新聞記事「安倍氏の四年間」
安倍政権4年の「不都合な真実」 首相が語らない結果とは
毎日新聞2017年2月7日 東京夕刊
毎日新聞記事
 「政治は結果がすべて」。安倍晋三首相がよく口にするお好みのフレーズである。政権4年の成果を誇る姿をテレビで見た方も多いだろう。なのに私たちの先行きは相変わらず明るく感じられないのはなぜか。国会中継には映らない「不都合な真実」を検証する。【吉井理記】
80年代にも多かった緊急発進 「デフレ脱却」のごまかし 「女性活躍」の空疎
 思い出してほしい。安倍内閣が、安全保障関連法案を閣議決定した2015年5月14日のことだ。安倍首相は記者会見で、安保法が必要な理由を国民にこう語り掛けた。
 「自衛隊機の緊急発進、スクランブル回数は10年前と比べて実に7倍に増えた。(中略)日本が危険にさらされた時には、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていきます」
 全文は首相官邸のホームページに掲載されている。この説明に首をひねるのが、思想家の内田樹さんである。
 「安保法で『抑止力がさらに高まる』という。『さらに』は比較対象がなければ意味をなさない言葉です。記者会見で『抑止力』に関わる数値として唯一示されたのがスクランブル回数です。つまり、安保法施行後にこれが減少しなければ安保法は安全保障上、意味がないことになります」
 実際、他国は昨年3月に施行された安保法による「抑止力の高まり」は感じていないようだ。防衛省によると昨年4〜12月のスクランブルは883回で、既に施行前の昨年度の873回を上回る。スクランブル回数の増減を抑止力のバロメーターとするなら、数字上は安保法に「結果」は表れていない。
 「スクランブルは1980年代には900回を超える年も珍しくなかったのに、そこには一切触れず、前代未聞の危機が迫っているかのような物言いをする。そもそも一国の法に過ぎない安保法で『抑止力が高まる』という言説自体がうそです。他国は日本の事情ではなく、自国の都合で動く。恣意(しい)的なデータ利用は安倍首相の一貫した特徴です」
 不安の時代である。だからこそ安倍首相は、景気の良い話をよく持ち出すのか、とも勘ぐってしまう。
 昨年12月13日の参院厚生労働委員会では「もはやデフレではないという状況をつくり出した」。今年1月20日の施政方針演説では、3年連続の賃上げ実現▽名目国内総生産(GDP)44兆円増▽有効求人倍率が全都道府県で1倍超え▽正規雇用も増加▽企業倒産は26年ぶり低水準−−と、明るい話だらけだ。
 だが今や、事実かどうかは二の次となる「ポスト・トゥルース(真実)」の時代が到来していると言われる。語られない事実にこそ目を向けよう。
 「消費者物価も企業物価も下がっているのに『デフレではない』なんて、一体どういう理屈ですか」と苦笑いするのは、アベノミクスを批判してきた慶応大教授の金子勝さんだ。データを見てみよう。
 16年の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年比0・3%減の99・7。アベノミクスの前提である「年2%の物価上昇率達成」は遠い。安倍首相は「原油安の影響」と説明するが、この影響を除いた指数すらプラス0・3%にとどまる。企業物価指数は21カ月連続下落だ。
 家庭の台所はどうか。総務省の家計調査によれば、2年連続減だった家庭の消費支出は、昨年も減っている。実質賃金は昨年にようやくアップしたが、「賃上げ実現」と言っても、15年まで4年連続の下落だった。
 「安倍首相が繰り返し触れる有効求人倍率の上昇は、人口減で求職者が減っているからに過ぎません」と金子さん。企業倒産は08年から減り続けている一方で、休廃業・解散は安倍政権になってから増え、16年は過去最多の2万9583件に達したことには言及しない。「正規雇用の増加」は喜ばしいが、非正規雇用も政権交代前より180万人増えた現実がある。
 金子さんの表情が険しくなる。「深刻なのは異次元と称された金融緩和を続け、昨年からはマイナス金利政策にまで手をつけてもなおこの結果、という事実です」
 日銀は金融緩和で銀行から買い集めた400兆円以上の国債を抱えている。今後、欧米経済の混乱などで金利が上がり、国債価格が下がれば「日銀は、多額の国債の評価損を抱え、債務超過に陥って金融システムが崩壊する」と警鐘を鳴らすのだ。
 もう一つの金看板「女性活躍」はどうか。世界経済フォーラムが、国会議員の男女比や賃金格差などをもとに各国を順位付けした「男女平等ランキング」がある。日本は10年に94位だったが、政権交代後は過去最低水準で、16年は111位だった。これも「結果」である。
 「『女性活躍』に注目を集めた意義はありますが、中身が伴っていません」。日本女子大の大沢真知子教授(労働経済学)は肩を落とす。
 「安倍政権が15年に作った女性活躍推進法は、企業などに女性登用に関する情報公開を求めていますが、何を公開するかは企業任せ。企業の人材育成に男女差があり、女性は男性のようなキャリア形成が難しい。男女雇用機会均等法に基づいて女性に不利になる制度を見直し、あらゆる間接差別を禁じなければ駄目です」
 最大の問題は、非正規労働者の7割を占める女性の低賃金対策が手つかずであることだ。
 「昨年、廃止が議論された配偶者控除は、女性を含む非正規労働者の低賃金化の要因ですが、廃止するだけでは意味がない。貧困に悩むシングルマザーを含め、高賃金の仕事ができるスキルを磨けるよう、社会全体を底上げする必要があります」
 そもそも安倍首相は「ジェンダーフリー論」を批判し、05年のシンポジウムでは男女共同参画基本法の「根本的見直し」に言及した過去がある。政治学者として女性政策を検証する首都大学東京の堀江孝司教授が指摘する。「安倍首相が言う『女性活躍』は、労働市場に女性を参加させるための経済政策です。安倍首相から男女共同参画などの言葉は今も聞かないし、社会政策としての男女平等を追求したいわけではない。『女性活躍』の名の下、景気を良くして、悲願の改憲の地ならしをしたいのでしょう」
 安倍首相は再登板後の12年12月26日の会見で「前政権を批判しても課題は解決されない」と述べていた。それから4年。いまだに民主党政権を批判する国会答弁を見る限り、やはり「結果」が伴っているとは言い難い。
 さて再び内田さん。「今の日本は、楽観的で『強い』ことを言う人が評価され、政策の不安視やリスクの列挙は歓迎されない。『好循環している』『もはやデフレではない』と言えば済む。勇ましい言葉が飛び交い、無謀な戦争に突き進んだ戦前と驚くほど似ています」
 過ちを改めないことが、すなわち過ちである。今こそ「結果」に向き合うべきだ。

続報真相 「安倍語」を検証する 改憲論熱弁…一転、「貝」に
毎日新聞2016年11月4日 東京夕刊 http://c23.biz/5vQ6 

 改憲勢力が初めて衆参両院ともに3分の2の議席を超え、「安倍1強体制」が強まる中で開かれている臨時国会。だが、安倍晋三首相は悲願の改憲について、急に“だんまり戦術”をとり始めた。雄弁になった時は、比喩や情緒的反論で矛先を変える“はぐらかし戦術”で、議論は一向に深まらない。独特な「安倍語」をまたまた分析する。【横田愛】
戦略優先「答える義務ない」
 「今、いよいよ憲法改正がリアリティーを帯びてきている中で、私は自民党総裁として発言することは控えた方がいいと判断した」。安倍首相の口からこんな言葉が飛び出したのは、10月12日の衆院予算委員会でのことだ。民進党の山尾志桜里議員が「この国会、冗舌な総理が突然貝のように答弁をしなくなる場面が何回かあった。自民党憲法改正草案について質問されたときだ」と「貝」になった理由を尋ねたことへの答えだ。
 確かに首相はかつては冗舌だった。第2次安倍政権発足直後の2013年通常国会では、「憲法を改正する際には他国と同じように『国防軍』という記述が正しい」「まずは(改憲発議の要件を緩和するため)96条を変えていくべきだというのが我々の考え」と、とうとうと説明。今年の通常国会でも改憲項目への言及は減ったものの「在任中に成し遂げたい」と改憲への強い意欲を表明していた。
 過去の答弁は何だったのか。首相は12日の衆院予算委で「憲法審査会が動く前の段階だったから、自民党総裁の立場として機運を盛り上げるために紹介した」と説明。「(首相の立場としては)論評はできるが、答える義務はない」とも語った。
 首相が「語らなくなった」背景には、「タカ派」とみられる自らが改憲を語ると野党の標的になり、改憲がむしろ遠のきかねないとの計算があるようだ。現に首相は26日、首相官邸で会談した保岡興治・自民党憲法改正推進本部長に「自分は政局の一番中心にいるから党に任せる」と発言。首相に近い議員は「民進党議員には『安倍さんだけが問題だ』と言われる。首相も自分は何も言わないほうがいいと自覚している」と解説する。
 「だんまり」は野党をなだめて国会主導で改憲論議を進めるための戦略で、与党内ではこうした首相の変化を好意的に見る向きが多い。
 だが、政治家の言葉を専門的に研究する早稲田大教授のソジエ内田恵美さん(応用言語学)は首をかしげる。「安倍首相は何かを語りたいときは『自民党総裁』という形で語り、語りたくないときは『内閣総理大臣なので』語れないという。アイデンティティーをその場の都合で変えている」と言う。
 その指摘通り、9月30日の衆院予算委でも、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定めた憲法97条が自民党の改憲草案で削除されたことを巡って、細野豪志議員(民進党)が理由をただしたのに対して、首相は「逐条的にこれ以上議論を首相である私がするのは適当ではない」と答弁。答えぬ首相に業を煮やした浜田靖一衆院予算委員長に促され、渋々「条文の整理に過ぎず、基本的人権を制約するということではない」とだけ述べた。
 首都大学東京教授の木村草太さん(憲法学)は「首相は97条を削除すべきだと考えている政党の代表でもある。(行政府の長としても)97条が行政に対する不当な障害となっているのか、行政を良い方向に向ける働きを担っているのか、見解を述べるべきだった」とした上で、「首相が行政府の長として語らない、ということは、少なくとも行政に関わる分野では現行憲法に問題がないと考えているとも受け取れる」との見方を示す。
 一見、首相は持論を変えたのかとも映るが、さすがにそれはないだろう。ソジエ内田さんは「戦略性が目に付き、国民を議論に巻き込むという意識が弱い」と指摘。「『改憲を成し遂げたい』と言うなら、なぜ改憲が必要で、どこを変えたくて、改憲にどのような利点があるのか、逐条的な議論がなければ説明責任を果たしているとは言えないのではないか」と疑問を呈する。
 憲法改正と同様、けむに巻く答弁を繰り返しているのが、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊派遣を巡るやりとりだ。
 10月12日の衆院予算委で安倍首相は「南スーダンは例えば我々が今いる永田町と比べればはるかに危険な場所であって、危険だからこそ自衛隊が任務を負って、武器も携行して現地でPKO活動を行っている」と説明。一方、「任務が増えるからといって自衛隊員が実際に負うリスクは、1足す1足す1が3といった足し算で考えるような単純な性格のものではない」と語った。
 永田町と南スーダンを比べる発言に、質問者の高橋千鶴子議員(共産党)は「断じて許せない。そんな問題じゃないでしょう」とかみついた。
 現地で民生復興支援を行う日本国際ボランティアセンターの谷山博史代表理事は、国会の議論が「『言葉遊び』になっている」と批判する。治安が悪化する南スーダンの状況について「政府は答弁で『衝突』や『発砲事案』と言うが、現地は紛争状態。自衛隊が相対する勢力は紛争当事者であり、場合によっては政府軍になりかねないという事実を認識する必要がある。事実をもって、もっともっと追及しないとまずい」と危機感を募らせる。
 肝心なことを「語らない」首相について、ソジエ内田さんは「結論は既に決まっており、戦略的に不利だと判断した場合には『語らない』選択をする。実質的な議論をせずに済ませようという意図があるのではないか」と推測。「憲法など国家の根幹に関わる事柄がこれから議論となる中、首相は強い政治力を握っているからこそオープンな議論に努め、熟議を通じて国民的な合意を得ていくべきだ」と語る。
 肝心な時に議論しなければ、国民的な議論はいつするのか、ということだ。
「トランプ風」の情緒的切り返し
 安倍首相の言葉を海外から見るとどう映るのだろうか。「歴代首相の言語力を診断する」などの著書がある東照二・ユタ大教授(社会言語学)は「善きにつけあしきにつけ言葉の機能、力を非常に意識している人だ」と言う。
 この秋の臨時国会、盤石な体制を手に入れた上での所信表明演説では、「未来」を18回、「世界一」を8回も繰り返した。
 「世界的に今、『grandiosity(壮大さ)』がトップリーダーの言葉のはやりになっていて、安倍首相も非常に意識している。中身がどうかは二の次で、大切なのは壮大で光り輝いて見えること。多くの有権者をひきつけるために、簡単で平凡なキャッチフレーズや情緒的な言葉を多用するのが特徴です」と言う。
 ソジエ内田さんは、所信表明演説で多用されたキーワードについて「ポジティブなイメージで共感を呼びやすい表現だが、具体的な政策の方向性を示さず広告的と言える」と指摘。東さんも「反知性主義に近いものがあり、議論を避ける傾向が強い」と語る。
 第1次安倍政権当時のキーワードは「美しい国」。東さんは、首相のイメージ戦略がかつての「詩的なレベル」から、現在は「力強く壮大で自信のある姿」への脱皮を図ろうとしているが、自信が「過信」と映る発言も散見される、と指摘する。
 首相の情緒的な言葉が、議論を深める雰囲気を壊す場面も目立つ。
 例えば10月3日の衆院予算委では長妻昭議員(民進党)が、自民党改憲草案について「谷垣(禎一)総裁のときに作ったものを世に出したものだから、僕ちゃん知らない、と聞こえた」と投げかけたのに対し、首相は気色ばんで比喩に反論。「全く言っていないことを言ったかのごとく言うというのがデマゴーグなんですよ。これは典型例ですね、典型例じゃないですか。言っていませんよ」とまくしたてた。
 9月27日の衆院本会議でも民進党の野田佳彦幹事長に対し「決断すべきときに決断し切れない過去のてつは踏むことのないよう全力を尽くしたい」と過去の民主党政権をあてこすった。
 こうした攻撃的な態度について東さんは「レベルが低く首相らしさが欠けた発言です。感情をコントロールできておらず、少し(米大統領候補の)トランプ気味になっている」と指摘。「安倍さんは『自信の表れだ』と思っているのかもしれないが、自信が裏目に出て、重厚さや知的さ、リーダーとしてあるべき太っ腹の部分が欠けている。(自民党の総裁任期延長で)戦後最長の首相在任も視野に入っているのだから『宰相の器』を考えるべきだ」と語る。
 そのうえで東さんは野党にも「首相の情緒的な言葉に対して、情緒的に切り返していて、安倍さんのレベルで一緒に踊っている」と苦言。「情緒ではなく『情報』でもって反論しないと、議論はいつまでも深まらない」と語る。
 世界各地でトップリーダーたちの言葉が荒れ放題の今。安倍首相は「百の言葉より一の結果」と言うが、政治家には議論が深まるような言葉づかいをしてほしい。
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今国会で気になる安倍首相語録
 ◆だんまり戦術
 「逐条的な議論は憲法審査会でやっていただきたい」(改憲について、9月30日など)
「(首相の立場として)憲法について論評はできるが、答える義務はない。答える場合もあるし、答えられない場合もある」(同、10月12日)
 ◆けむに巻く言い回し
「(自民党改憲草案を)撤回しなきゃ議論をしないというのは、例えば、自民党の綱領は気に食わないから撤回しろよと言っているのとやや近いところがある」(改憲について、10月3日)
「南スーダンは我々が今いる永田町と比べればはるかに危険な場所」(南スーダンPKOについて、10月12日)
「我が党において、今まで結党以来、強行採決しようと考えたことはない」(環太平洋パートナーシップ協定<TPP>承認案の採決について、10月17日)
 ◆民進党攻撃
「決断すべきときに決断し切れないという過去のてつは踏むことのないように全力を尽くす」(TPPについて元首相の野田佳彦議員に、9月27日)
「民主党政権の3年3カ月、児童扶養手当はたったの一円も引き上がらなかった。重要なことは、百の言葉より一の結果だ」(子育て施策で蓮舫代表に、9月28日)
安倍首相、すぐキレるワケ 「ストレスためない」退陣の教訓か トランプ氏の手法と共通点
毎日新聞2016年3月8日 東京夕刊http://c23.biz/th6z 

ああいう話をしているから民主党政権は一銭も財政再建できなかったんですよ、みなさん! 我々は10兆円ですね、10兆円!
民主党が立党されてから随分たつんですが、議論して何か成果出ました?何も出ていないんですよ!(憲法の改正草案を)出していないのであれば弱々しい言い訳にすぎないんですよ
そんな議論は枝葉末節な議論であって……こうしたことばかりやっているようでは、民主党も支持率は上がらないのではないかと心配になってくるわけであります
•  国会で野党の質問に答える安倍晋三首相を見ていると、ため息が出てしまう。ヒートアップというか、かなりキレ気味なのだ。一国のリーダーが、あまりに攻撃的な態度を取るのはいかがなものか。【江畑佳明】
<安倍首相の国会答弁「〜ですよ」多用の上から目線度>
 まず、安倍首相の答弁を再現してみよう。
 玉木雄一郎議員(民主党) 総理の答弁で財政状況について無知だということがよく分かりましたよ。(中略)安定的な財源のめども立てずに歳出だけ先に約束するようなことをやめないと、日本の財政はよくならない!
 安倍首相 ああいう話をしているから民主党政権は一銭も財政再建できなかったんですよ、みなさん! 我々は10兆円ですね、10兆円! 10兆円! 国債の新規発行額を減額したのであってですね、それはしっかりと言わせていただきたいと思います!
 このやり取りは2月3日の衆院予算委員会。なぜこれほど「戦闘モード全開」なのだろう。
 「前回政権での反省があるからでしょう」と分析するのは、政治評論家の有馬晴海さん。「第1次政権では『消えた年金問題』や閣僚の不祥事が相次ぎ、民主党など野党から厳しく追及されました。それでストレスがたまって持病が悪化し、退陣を余儀なくされた。だからそうなる前に、批判されたらすぐに言い返そうとしているのでしょう」と語る。ストレスをためないことは大切。だとしても荒れた答弁は納得できない。
 有馬さんも同意する。「カッとなるのは人間だから仕方ないにせよ、感情のまま言い返したのでは議論になりません。野党は国民に代わって質問しているので、まともに答えないのは国民の疑問に答えていないのと同じ」と嘆く。さらにこう皮肉る。「安倍首相は昨年の安全保障関連法案の審議で『抑止力が大事』と繰り返し述べていましたが、自分自身には抑止力が働かないようですね」
 再び答弁を振り返ろう。2月4日の衆院予算委で、民主党の大串博志議員が憲法改正に関する首相発言を取り上げ、「首相は国民に改憲の議論を広げていく立場にあるのか」と詰め寄った。この場面の国会中継を見直すと首相の声は一段と大きくなっている。
 「民主党が立党されてから随分たつんですが、議論して何か成果出ました? 何も出ていないんですよ!」「(憲法の改正草案を)出していないのであれば弱々しい言い訳にすぎないんですよ。(中略)政治家だったらですね、そういうことを言うんだったら出してみてくださいよ! 御党がまとまるのであればね」
 質問に正面から答えず、議論が成立していない。
 「25万円」答弁を巡る言動にも注目したい。安倍首相が1月8日の衆院予算委で、アベノミクスの成果を強調するために「妻が景気がよくなっていくからと働き始めたら(月に)25万円」などと述べたのが発端だ。するとインターネットを中心に「こんな好条件なパートはない」との批判の声が上がった。民主党の山尾志桜里議員が1月13日の衆院予算委で追及。安倍首相はこう反論した。
 「まさに本質を見ない枝葉末節の議論でして、本質は何かということを見なければ経済はよくなりませんよ! (中略)そんな議論は枝葉末節な議論であって、こんな大切なテレビ入りの委員会でこうしたことばかりやっているようでは民主党も支持率は上がらないのではないかと心配になってくるわけであります」
 このような「キレ答弁」について、三重大人文学部の岩本美砂子教授(政治学、女性学)は「第1次安倍内閣ではもっと謙虚な口調だったのに」と残念がり、「『自分は強いんだ』とアピールするような攻撃的な口調は、国会中継を見ている女性に威圧感を与えます。私も少し怖いと思いました」と語る。
 実際、第2次安倍内閣以降では女性の支持率が男性よりも低い傾向にある。毎日新聞の今月の全国世論調査では男性の支持率47%に対し、女性は37%。岩本さんは理由の一つに「首相の答弁態度があるのでは」と指摘する。安倍政権は「女性活躍」を目玉政策と掲げているのだが……。
 岩本さんはこうも語った。「今夏の参院選は18歳から投票が可能になり、高校の先生たちは『主権者とは何か』を生徒に考えてもらう教育に取り組んでいます。でも、安倍首相の態度は教材としては不適切。反対論にも耳を傾け、議論を重ねながら法律を作り上げるというお手本にならないのですから」。痛烈な「駄目出し」である。
 内閣支持率は、今月の毎日新聞の世論調査では42%。1月末の前回調査(51%)からダウンしたが、おおむね堅調だ。その理由は答弁態度にもあるのだろうか。
 有権者心理に詳しい明治学院大法学部の川上和久教授(政治心理学)の分析は「感情をあらわにして有権者の心をつかむ手法が奏功している」。しかも安倍首相の手法は、米大統領選の候補者指名争いを戦い、過激発言で知られるドナルド・トランプ氏と共通点があるという。
 「政治家が(国外などに)敵を作って感情的に攻撃すると、日常的に不安や不満を抱えている有権者は『自分と一緒に怒ってくれた』と共感を覚え、支持につながる。特に支持政党が固まっていない人たちには、その効果はより大きい」。さらに日本では民主党の失敗の記憶が影響している。「安倍首相が民主党を攻撃すると『確かに駄目な政権だった』と同調しがち」。高等戦術の「民主党たたき」が成功したのか、同党の支持率は7%と低迷している。
 しかし、である。常に冷静に答弁するのが首相のあるべき姿ではないだろうか。
 40年以上官邸取材を続けている政治ジャーナリスト、泉宏さんは「既に首相としての品格の問題になっている」と指摘。安倍首相の対極にある首相として、大平正芳と竹下登両氏を挙げた。
 大平氏は一般消費税導入を提唱して激しい批判を浴びた。「アー、ウー」という口癖が有名だった。泉さんは「負けず嫌いで相当カッカする人。だけど『アー、ウーと前置きする間に心を静めて考えてるんだ』と話していました。それから『国会で追及するのが野党の仕事』ともね」。
 竹下氏は消費税導入やリクルート疑惑で激しく責められた。「『じっと我慢の竹下』と言われたように、野党の追及にも表情を変えず答えていました。でも質問者を上目遣いににらんでからでしたね」と泉さん。お手本になるような先輩はいるのだ。
 安倍首相は時折、座禅を組んでいるという。座禅の目的の一つは精神修養のはず。その成果を生かして、実りある議論をしてほしいのだが。
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巨大地震の前(1)、宇宙飛来物体(2)、軍事研究雑感

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:送電線鉄塔周辺で鴉を巡る何やら騒動が!)
カラス1581


 夜明け前 送電線の 鉄塔で からすの群が 雄たけび上ぐ

 当地のカラスになにやら緊急事態が発生したようです。十羽を超える鴉の群が電線にとまり叫んでいます。同様の風景を以前も見ました。そのときは、からすの群にトンビが闖入したことで「乱」が起きました。大将ガラスは近くの木の梢で「タクト」を振っていました。
 今般は群の中にいる大将があれこれの指示を出しているようです。斥候らしき一羽が時折周囲を巡回しています。大将の指示によったのか、それとも「エエカッコウ」したかった鴉なのか、なぞと地上の私は想像をめぐらしました。


 五十年以上も前の大昔の左翼学生も、いまや当時の気高い理念はすっかり褪せてしまっています。そのことを実感する政治課題が、憲法九条の改定の是非、そして以下に紹介する大学での軍事研究の是非です。
 大学研究者が選択するテーマは「戦時にあっていかに効率よく確実に敵戦力に打撃を与え得るか?」などと言った直裁な課題ではないはずです。効率よく敵戦力に損害を与えるために必要な環境整備、たとえば敵陣の所在地の高精度の確認といった課題でしょう。これは民生用技術として研究者が追求して不思議はありません。それが軍事用に転用されるのです。暗号研究然り、深海底での対象物探査然りです。素粒子物理学、天文学ですら例外ではありません。ジュネーブのLHCが一頃ブラックホールを作り出すや否やで裁判事態にまで発展しました。それとても軍人からすればその瞬時に蒸発するとされるブラックホールの寿命をのばし、軍事への転用を構想する軍機関が出現しないとは断言できません。もっと深刻であるのが生物兵器です。研究者の学問的興味が非常にたやすく軍用に転用できるのではなかろうか?

 とするならば、良心的といわれる大学研究者が“軍事研究をしない”と呼びかけをしても、現場の研究者にどれだけの説得力があるのだろうか?私にはわからない。以下に毎日新聞記事を転載しておきます。

%%%%%<米空軍>大学研究者に8億円超 日本の延べ128人 
毎日新聞 2/8(水) 7:00配信 http://c23.biz/WwYy 
◇10〜15年度 軍事応用の恐れ

 米空軍が2010年度以降の6年間に、日本の大学研究者ら少なくとも延べ128人に総額8億円超の研究資金などを提供していたことが、毎日新聞の調査で分かった。また、10〜16年度に京都大と大阪大の教授ら11人が米空軍と海軍から計約2億円の研究費を受けたことも、両大学への情報公開請求で判明した。

 米軍からの資金受領に法的問題はないが、科学者の代表機関・日本学術会議は1967年、研究者や学会が米軍から資金提供を受けていたことをきっかけに、軍事研究を禁じる声明を出した。今回、資金受領が判明した教授らは「研究は平和目的で軍事研究には当たらない」と説明しているが、研究成果を米軍が軍事応用する可能性がある。

 米空軍が毎日新聞に開示した資料によると、10〜15年度(米会計年度)に日本国内の研究者延べ128人に研究費として約7億5000万円を提供していた。さらに国際会議の費用と研究者の米国出張旅費でも計125件、計5000万円以上を支援した。研究者や大学名、個別の研究内容は明らかにしなかった。提供理由について、米空軍のダリル・メイヤー報道官は「米国だけでは手に入らない貴重な知見が得られるため」としている。

 一方、資金受領が判明したのは、京大情報学研究科の男性教授、阪大工学研究科の男性教授ら京大2人、阪大9人(現在は他大学に移った人も含む)。それぞれ米空軍のアジア宇宙航空研究開発事務所(AOARD)、米海軍の海軍研究局(ONR)の出先機関を通じて研究テーマを申請し、1人約150万〜4500万円を受け取った。

 教授らの研究分野は人工知能(AI)やレーザー技術など。米国防総省は14年に発表した技術戦略で、AIを搭載した無人兵器につながる自律型システムの重視を挙げた。また、レーザーは砲弾やミサイルに代わる新兵器につながるなど、米軍が将来兵器の技術として重視する分野と重なる。

 京大と阪大はともに「適切な学内手続きを経て、受け入れを了承した」としている。【千葉紀和】

 ◇軍備増強に加担するな

 山崎正勝・東京工業大名誉教授(科学史)の話 日本学術会議の声明に反するのは明らかで、日本の研究者が米軍の軍備増強に加担すべきではない。研究費は資金源と共にどういう文脈で出ているかが問われる。米軍資金による研究成果は民生利用できるとしても軍が使うことが前提であり、軍事研究そのものだ。これだけ多くの研究者が受け取っているのは問題で、学術界や国民的な議論が必要だ。
%%%%%記事紹介おわり

+++++巨大地震調査
 巨大地震について調べています。日本で大きな(必ずしも巨大地震ではない)地震が起きると、“そういえば、国外のあの地で比較的最近に起きていた”と語る人が少なくありません(勿論、”地震愛好家“を含みます)。その後、彼の地に大地震が起きると、「もうじき日本列島周辺に地震が起きるかもしれない」などと言って世の注目を浴びたがります。

 ある地震が次の地震を引き起こしたであろうと推測できるような事例が実際には少なくありません。そこでは先行する地震が作り出した地殻内の応力状態が次の地震周辺の応力状態を変化させたと理論から後付けできることもあります。
 しかし、空間的に、そして時間的に大きく隔たった二つの地震発生に因果関係の存在を検知した事例は皆無です。最大の理由は、因果関係を物理的に説明するはずの応力の伝播機構が全く解明されていないからです。上に書いた近地地震では「弾性体内に生じたクラックが作り出す応力分布」を計算するところから、その因果関係を推測できます。が、時空間で大きく隔たった二つの事象にあっては、その連関を探る手立てすらありません。まずは表面的な時空間での分布をみるしかありません。

 そこで、まずは時空間での巨大事象の分布をこれまで調べてきました。そこで見えてきたこと、それは2000年代の巨大地震(Mwが7.8又はそれを超える地震)については、その発生の鍵を握っているのが2004年12月26日にスマトラ島沖で発生した地震であったらしいことです。此の地震が作り出した巨大津波はインド洋の周辺域にとてつもない大災害をもたらし膨大な人命を奪いました。私は当時、とある地震観測を主務とする国外機関に勤務していました。そこにスリランカの大使が飛びこんできて、“此の機関は地震観測が主たる業務だろう!巨大な金をつぎ込んでいながら何故、今般の事態を予測できなかったのかっ!!」と組織の幹部連に声涙くだる叫びを発したことが記憶が頭にこびりついています。

 爾来、巨大地震の恐怖がいつも頭の中に棲み付いていました。その恐怖を再度体験したのが六年前の東日本巨大地震です。生きている間に二回も巨大地震と遭遇してしまいました。せめて生きている間に巨大地震発生を予測できるような何がしかに触れたいと常々考えてきました。さて、こうした個人的感傷はともかく、時空間上での巨大地震群の相互関係になにか規則的なものが現出していないだろうか?

 一つの試みが、二つの事象間の空間距離、ΔD,と時間的隔たり、ΔT,です。すでに空間距離について調べました。しかし、どうやらこれと言った目新しいものを認めることが出来ませんでした。そこで今回はΔD/ΔT なる量を見ることにしました。此の量を本ブログでは“見かけ速度”と呼ぶことにします。

 この量は「速度」の次元を持ちます。“二つの事象に物理的因果関係があり、最初の事象によって周囲の場が変化をしその変化が時間とともにある方向に拡大し、それが二番目の事象を引き起こす”と言う過程を想定していることになります。その際、ΔD/ΔTは巨大地震発生の周囲場変化の拡大速度と言うことになります。

 2004年12月のスマトラ巨大地震に先行する地球上の巨大地震発生が、実は此のスマトラ地震発生を準備していたと仮定します。この場合、夫々の先行地震がどれだけのスピードで自らの発生効果をスマトラ地震に及ぼしていたであろうか?それを見るために作成したのが図1です。

 (図1:ΔD/ΔT は常用対数で単位はkm/day(1.2cm/sec)。どちらもスマトラ地震からの震央距離、発生時間間隔。2004年スマトラ地震に先行する巨大地震がスマトラ地震に影響を及ぼす速度、およびスマトラ地震がそれに続く巨大地震に影響を及ぼす速度。緑の縦線は2004年のスマトラ巨大地震。黒四角(地震番号)は2011年3月11日の東日本巨大地震、赤はMwが8.5又はそれ以上の地震、青はMwが8又はそれを超える地震、それ以外はMwが7.8または8を超えない地震)
4Velsmatra170208
 
 
  今回は、図の緑縦線(2004年スマトラ地震)より左側の地震群について考察しています。縦軸に常用対数をとっているのは、その計算値幅が数桁を超えるほどに大きく最大は縦目盛り3.5つまり約30m/secから目盛り0つまり1cm/secと三桁にまたがるためです。
 
 誠に興味深いことは、このΔD/ΔT、“見かけ速度”が、地震発生を重ねるにつれcm/secのオーダから10cm/secのオーダに、つまり一桁増加していることです。そしてついにはそれが10番の地震にいたっては三桁にまで急増しています。

 此の10番地震は、スマトラ地震とは無関係であり、たまたま時間的に近接して起きたにすぎないと考えることも可能です。が、そうあっさりと此の地震を切り捨てることが出来ない事情があります。
 2013年4月22日記事(スマトラ地震が誘発した米国西海岸地震 )で紹介したように、此のスマトラ地震が二時間弱の間に米国西海岸カリフォルニアに影響をもたらし、その地での地殻内地震活動を活性化したらしいとの研究があるのです。これが真実とすればその見かけ速度は十万cm/secつまり弾性波のスピードであり、それは図1の縦軸にてらせば5.0にも相当します。このような視点からもスマトラ地震は地球の根底を(いささか大げさな表現ですが)揺さぶった地震であったということができそうです。

(図2:図1で示される地震群の緑の縦線左側の地震について、夫々の震央分布。左は、中心をスマトラ地震震央として作成されている;右はスマトラ地震震央の対極店を中心として作成されている。付されている番号は発生順。) 
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 図1にしめされる“見掛けの速度”の増大は上の図からも見て取ることが出来ます。中央のスマトラ地震の前にはごく近傍で地震、“1,2”が起きています。震央間の距離は2000km以内です。そして次に起きるのが“3,4,5”のグループで距離は5000kmと遠ざかります。そして次が地震群”7,8,9“で距離は5000〜8000kmに遠ざかります。そして10番の地震はスマトラ地震の直前(ほぼ発生の二日半前、12月23日14時、世界標準時)に8000km隔たった地で起きるのです。

 どうやら、スマトラ地震は、地震“1,2”が前兆ではあったけれども、これらの地震は直ちに2004年の地震発生には繋がらなかった。スマトラ域の東側5000〜8000kmの範囲内で進行した大規模な地学変動が最終的にスマトラに集約されてあの巨大地震が起きたと考えるべきではなかろうかと思っています。さて、5000〜8000km内の大規模な地学変動、そしてそれがスマトラに収斂する物理過程は皆目わかりません。どうすればそれが解明できるのか?チマチマしたGPS 観測もさりながら、月面に地球定常観測機を設置するなどが構想されるべきと考えています。

 こうした宇宙規模の観測は次に紹介する宇宙からの地上への落下物対策にも資するものであると思っています。

+++++宇宙の飛来物の落下(1)
 前回ブログ記事で、浜田氏によるブログ記事を紹介しました。関連する記事をScientific American誌に見つけたので以下に紹介しておきます:

%%%%%記事はじめ
New White House Strategy Preps Earth for Asteroid Hit Scenarios 
新しいホワイトハウス戦略はアステロイダからの地球防衛シナリオの準備である

米国科学誌記事
The Office of Science and Technology Policy has released a new plan for protecting Earth from hazardous space rocks
科学技術政策局が有害な宇宙空間ロケットから地球を防衛する新計画を発表している


There is no doubt big-time troublemakers lurk out there in the cosmos. We know that blitzkrieging asteroids and comets can make for a bad day here on Earth because our planet has been on the receiving end of many long-ago scurrilous intruders, and has the pockmarks to prove it. There was also the recent and loud wake-up call when an incoming space rock detonated in the skies near Chelyabinsk, Russia, in early 2013, causing significant injuries and property damage. The bottom line is that near-Earth objects (NEOs) have crosshairs on our world. But what to do about these cosmic demons from the deep is another matter.
 宇宙の中に巨大な厄介者が潜んでいることは間違いない。アステロイドと流星の爆撃は此の地球にとって最悪の日となる。何故なら、我々の惑星は長年にわたり激しく宇宙からの侵入物にさらされてきた。 そのことは地上の多くの痘状の痕跡からわかる。2013年始め、ロシアのチェリャビンスク近郊の上空での宇宙爆発が人々を驚かせた。それは、重大な傷害や財産の被害をもたらした。 near-Earth objects (NEOs)(近地球物体)( NeO記事 )が書くように大事なことは監視することだ(crosshairs とは望遠鏡のレンズの十字線)。しかし、これらの宇宙の悪魔について深いところから何をすべきかは別の問題である。

In the waning days of Pres. Barack Obama’s administration, the White House Office of Science and Technology Policy (OSTP) released a “National Near-Earth Object Preparedness Strategy” last week. The strategy outlines major goals the country will have to tackle to prepare to meet the NEO threat, signaling that some leaders are taking the danger more seriously. Whether the U.S. government is willing to put significant funding behind such efforts, however, still remains to be seen. “This has been something that for years was more or less a laughing matter,” says William Ailor, an Aerospace Fellow of The Aerospace Corp. The White House report shows that there is high-level interest in the NEO threat, and that even if incoming NEOs are not among the most likely threats we face, the consequences of an impact could be dire. “It’s a good thing to keep your eye on,” Ailor says, and the new report “brings reality home.”
 バラク・オバマ大統領の政権の終焉の日々に、科学技術政策・ホワイトハウス事務所(OSTP)は“National Near-Earth Object Preparedness Strategy」(OSTP) を公表した。この戦略は、NEOの脅威に対処する準備をするために国が取り組まなければならない主要な目標を概説し、一部の指導者が危険をより真剣に受け止めていることを示している。しかし、米国政府がこのような努力の背後に大きな資金を投入しようとしているかどうかはまだ分かっていない。「これは何年もの間、笑い事だった」とWilliam Ailor, an Aerospace Fellow of The Aerospace Corpは言う。ホワイトハウスの報告書によれば、NEOの脅威には高い関心があり、落下するNEOは、我々が直面する可能性が最も高い脅威の一つではないとしても、影響の結果は致命的である可能性がある、と書く。Ailorは「目を開き続け、現実の問題として捉える」との報告書を評価している。

SKYFALL STRATEGY
落下物体戦略

The 19-page report, the product of an interagency faction of experts convened in January 2016 dubbed the Detecting and Mitigating the Impact of Earth-Bound Near-Earth Objects (DAMIEN) working group, was released January 3. Overall, the group found the U.S. needs more tools to track space rocks, and that greater international cooperation is necessary. Specifically, the report outlines several goals, including increasing the ability both in the U.S. and in other countries to more rapidly detect NEOs, track their movements and characterize the objects more completely. It also says more research is needed to study how best to deflect and disrupt a space rock that might be on a collision course with Earth. Furthermore, the strategy calls for better and more integrated modeling of NEO trajectories to reduce uncertainties of their orbits and possible impact effects.
If indeed there is a NEO strike, the strategy also seeks to develop coherent national and international emergency procedures for different impact scenarios, be it an object hitting deep ocean, a coastal region or a major landmass. We must be prepared to respond as well as recover from such a blow in an orderly and timely manner, the report finds.
Lastly, the document’s strategic goals underscore the need to get all nations to agree that the potential NEO Earth impact risk is a global challenge, one that demands planetary coordination and cooperation. Protocols and thresholds for taking action, not only in the U.S. but internationally, are necessary.
 the Detecting and Mitigating the Impact of Earth-Bound Near-Earth Objects (DAMIEN) と命名された専門家作業グループが2016年1月16日に知見を統合した19頁の報告書を1月3日に公表した。米国は宇宙の岩石を追跡するためにより多くの技術が必要であり、より大きな国際協力が必要である、とグループ報告書は書いている。とりわけ、報告書は幾つかの目標について概要をかいている。それは、NEOをより迅速に検出し、動きを追跡し、オブジェクトをより完全に特徴付けるために、米国および他の国々の能力を向上させることを含む。また、地球と衝突する可能性がある宇宙岩をどのように逸らして破壊するのかを研究するためには、より多くの研究が必要であるとしている。さらに、この戦略では、軌道の不確実性や影響の可能性を減らすために、NEO軌道をよりよく統合したモデル化が求められている、と書く。
 実際、NEOの地上落下がある場合、この戦略は、米国内および他国での夫々の異なる影響シナリオを考慮した緊急手続きを開発することも求めている。それは深海沿岸、陸地でのシナリオとなろう。このような打撃から秩序ある回復を時宜にかなって実現するだけでなく、適切に対応する用意ができていなければならない、と報告書は書く。
 最後に、報告書の戦略的目標は、すべての国が潜在的なNEO地球への影響のリスクがあることに同意してもらうことの必要性だ。つまり惑星としての地球全体の強調と協力である。米国だけでなく国際的に行動をとるためのプロトコルと基準が必要だ、と報告書は指摘する。
(つづく)

稗田阿礼を考える(2)、宇宙からの飛来物体(1)

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(写真:気温が多少とも緩み始めたゆえでしょうか。用水池の鴨もいつもより早く眠りから覚めているようです)
鴨1574

 
春立てど 北関東は 未だ寒し 浮かぶ鴨見れど 人は震えおり

+++++常陸国・行方の戦乱(2)
  古事記の序文で、稗田阿礼の存在が記載されているのは何故か?中学・高校の日本歴史の授業では、「古代日本には文字が無かった。そこで、記憶力のよい人間に権力者と周辺の事象を記憶させた」と教えられました。思えば、余り不思議に思いませんでした。例えば、何故日本書紀にはそのことが書き込まれず、何故古事記にだけそれが書き込まれているのか?何故その古事記は推古紀で記載をおえているのか?などと言った疑問が今頃になって湧き上がってきます。

 さらには、日本列島古代史への関心は、私の先祖の出身地である東国に向かいました。何故、記紀にはほとんど東国の記載が無いのか?記紀史観にすっぽりと染まってしまっている日本の古代史研究者は「東国は野蛮人の住むところであって、記載すべきネタは無かったのである」として自らを納得させてしまいます。かくしてますます日本列島古代史から東国は除外されてゆきます。

 これは、実は東国にとどまりません。倭国(大陸の日本列島への呼称)の本家・本元の九州の地ですら徐々にないがしろにされてしまいます。その象徴的な事件、それが奈良盆地内の「箱庭」造成です(2016年7月18日記事奈良文化箱庭論 )。此の箱庭造成は東国の事件・人物にも適用され(例えば「飯豊天皇」)、全てが奈良中心に仕立て上げられてゆきます。これら日本列島における古代史研究での近畿中心主義を私は「近畿覇権主義」と呼んできました。この「近畿覇権主義」はついには明治の「古代学」にまで継承され、「邪馬台国・近畿説」なるなんとも馬鹿げた主張が、あたかも学問的に検証さるべき学説あるかの如き装いで大きな顔をしてのさばる始末です(2013年8月2日記事邪馬台国は九州 )。

 日本列島に生きる人はすべてこうした偏向した歴史観から自由で在りたいものです。史実に忠実な歴史観を持ちたいものです。その一つの重要な鍵が東国古代史の解明であると思っています。

 さて、記紀は、日本列島の事件・事象を語るに当って、明らかに東国の地名・人名を奈良盆地周辺での事件、人物であるかの如く書きます。このことをこれまでしばしば繰り返し指摘してきました。私は、「まあ、大人物・大事件であるのだから、当然知られていたのだろう」として、深く考えてこなかったのです。しかし、前回、「稗田姓」が現在の下毛野にあることを知り「目からウロコが落ち」たのです。

 白河風土記(白河藩主・松平定信お抱えの儒学者・広瀬典により1805年ごろ完成、白河風土記 、白河風土記(天) 白河風土記(地) )によれば「稗田氏」は豊臣秀吉治世下頃まで、那須氏の支族であり、その後に戦乱で稗田城が落ち、一族は分散したとあります。上記風土記には、現在の白河近辺に城を構えていた稗田與右衛門宛に秀吉からの感謝状が掲載されています。
 (図:秀吉の稗田稗田與右衛門宛感謝状、国会図書館所蔵の白河風土記より)
飯豊秀吉01

飯豊稗田02



 奈良には稗田と名づけられる村があるとのことですが、そのことは、稗田氏が奈良出身であることの証拠とはなりません。むしろ「稗田阿礼の出自は東国である。此の人物は遠く西域から北アジアを経て渡来した一族の血統である。」と考えたほうが、具合が宜しい。そのように考えると、上に書いた疑問の多くが解消できるからです。「何故、口誦でなければならなかったのか?」、「何故、東国の地名・人名が“近畿覇権主義文献”に登場するのか?」等々です。それらの一部は前回書きましたので、ここでは繰り返しません。

 そもそも藤原不比等が統御する奈良政権と渡来一族とは政治的にも軍事的にも対立していた、と本ブログでは書いて来ました。それが何故?との疑問は尤もです。此の人物はその政争の終盤で囚われ人となったのだと考えています。

 藤原不比等が古事記、そして日本書紀を完成させるためには稗田阿礼による東国の歴史に関する”情報“が不可欠であった。この人物からの知識を得て初めて、正史はその体裁を整える事が出来たわけです。しかし、不比等はその情報知識、稗田阿礼が伝えた真実を記紀に取り込むのではなく、自らが構想する「箱庭造成」に利用したのです。

 稗田阿礼が奈良権力の囚人になったのは遅くとも西暦712年以前でなければなりません。阿礼の伝える人名・地名・事件などの知識を表向きとはいえ取り入れて、記紀編纂作業する時間はどのくらいでしょうか。例えば10年とすれば、八世紀の始めと言うことになります。稗田阿礼が囚われ人となったのが東国の敗戦が決定的となった時期とそれほどは違わないはずです。

 ところで、稗田阿礼は鹿島・香取について語った形跡がありません。勿論、語っていたのだけれども、藤原不比等が政治的思惑から意図的にその部分は記紀編纂作業から除去したという可能性も小さくありません。その結果、常陸国周辺については、きわめて情報が乏しいのです。以下はその一例です。
 %%%%%日本書紀より引用(何回も囲繞すて居るので文意は付しません)
「「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 この地が現在の香取神宮あるいはその近辺であろうことは容易に想像がつきます。例えば岩波文庫「日本書紀(一)」137頁で岩波文庫版校注者は以下を書きます:
%%%%%
 下総国香取郡香取。今千葉県佐原市香取に香取神宮があり利根川とその沼沢を隔てて茨城県鹿島郡の鹿島神宮に相対する。両社とも大化前代の一時期における東国防衛の最先端か。香取の祭神は古語拾遺ではフツヌシ。続後紀ではイハイヌシ。経津主神を香取神社の祭神とするようになってからこの記事をそれと結びつけ通釈なども斎の大人を経津主神とするが記紀では武甕槌・経津主神を鹿島・香取の祭神だとする説明は無く、常陸風土記を見ても関係が明らかでない。両社の祭神はもともと土着の神で奈良時代になって神代の二人の武神と結びついたのだろう。
%%%%%

 上に見るように、日本列島古代史の専門家である岩波文庫「日本書紀」の校注者は、鹿島、香取については全くわからないと白状しているのです。

 大分、前置きが長くなりました。が、まずは行方郡の状に記載される“石村玉穂大八洲所馭天皇之世”です。この人物は継体天皇であろうとされています。私の作成した古代日本列島編年表(2015年4月8日記事ブログ管理人による古代史編年表(暫定版) )に従えば、この天皇即位は隋の建国とほぼ同時期であり、そのころに扶桑国(東の倭国)が那須岳―香取聖戦構築(2016年9月23日記事聖線構築年代図 )を始めています。これらは、本ブログ管理人の日本列島史観と整合します。

 と、するならば、もう一つ書きとめて起きたいことは「玉造」そして、行方周囲に多く見られる「石神」など「石」のつく地名です。此の天皇の出自は大陸です。直截に語るなら、日本列島支配のための偵察部隊としてまずは奈良の政権に送られてきた人物です(2016年4月11日http://c23.biz/uWM6 )。当然、此の人物の宮殿などは日本列島にあったはずがありません。そこで、「玉造」、「石」を組み合わせて”作り上げたのが“石村玉穂”なる名前であろうと考えています。つまり、偶然か、それとも風土記編纂者が意図したのか、その地名と宮廷名は重なってきます。
(つづく)

+++++宇宙からの飛来物落下にどう対応するか?
 米国政府破宇宙を飛び回る隕石などの飛行物体の一つが地球に落下する可能性を監視しているとのことです。どれが飛来するのかを識別するために間断なく宇宙を全方位でかんそくしているわけです。それに関して、本ブログでもしばしば紹介シルScientific American誌が記事にしています。それを次回紹介しますが、それに先立って、浜田かずゆき氏がブログ記事を今回は紹介しておきます。

%%%%%トランプ旋風にかき消された? 実はヤバイ、地球に迫る隕石の恐怖
浜田氏のブログ記事 
世界中で「トランプ旋風」が吹き荒れていますが、実は地球に未曾有の危機が迫っていることをご存知でしょうか。
メルマガ「浜田かずゆきの『ぶっちゃけ話はここだけで』」の著者で国際政治経済学者の浜田和幸さんによると、今年1月だけでも隕石が地球に3度も大接近しており、ひとたび衝突しようものならその被害は都市が消滅するレベル、さらにそんなサイズの隕石が100万個近く地球周辺に飛来しているとのこと。防ぐ手立てはあるのでしょうか?
地球に向かってくる100万個の隕石の群れ
世界も日本もこのところトランプ旋風にきりきり舞いだね。その陰で、地球が危ない目に遭っていることを皆、知らないんじゃないかな。ぶっちゃけ、心配な事態なんだよ。
なぜかって、2017年の1月だけで3度も隕石が地球とニアミスしているからさ。1月20日、25日、30日と続いたんだけど、政府もメディアも知らんぷり。
隕石の大きさは一軒家くらいから巨大なクジラ程度まであって、猛スピードで飛来してくるため、事前の予測や対策が立てにくいのが困りもんなんだ。今回も地球の側を通り過ぎる直前になってようやく、その存在が判明したくらいだから、避難勧告など出しようがないってわけさ。
2013年にロシア上空で隕石が爆発した際には3,000万ドルの被害が出たね。それでも、ほとんど人の住んでいない地域だったから、まだ被害は少なかったらしいけど、もし、都市部に衝突していれば、それこそ大惨事になっていたはず。
アメリカの天体観測の専門家アントニオ・パリス氏に言わせれば、「大きな隕石は見つけやすい。問題は小さな隕石だ。事前に見つけることは至難の業。たとえ見つけても、手遅れということだね」。
実際、地球の周辺には100万個に近い小規模の隕石が常に飛来しているというから、恐ろしい話さ。そのうちの1つでも大都市に落下すれば、その地域は消滅する可能性もあるからね。
世界経済にとっても「トランプ騒動」とは比較にならない影響があるだろうな。記録をひも解けば、1490年、明代の中国に隕石が落下し、数万人が命を失ったという。
2016年の暮れ、NASAの上級研究者ジョゼフ・ヌース氏は急増する隕石のデータを基に「国家を挙げての危機対応の必要性」を訴えたものさ。当時のオバマ大統領はその緊急性を理解し、ホワイトハウスに対応チームを立ち上げ、国際的な協力監視体制の構築を提唱したね。ところが、政権交代の時期と重なったせいか、どこの国からも反応はなかったようだ。
ぶっちゃけ、地震や火山の噴火も怖いけど、宇宙から飛んでくる無数に近い隕石の存在にも注意を払うことが必要だよ。さもなければ、三島由紀夫の描いた『美しい星』が一瞬にしてバラバラになるかも。
%%%%%

 次回関連する内容を取り上げている米国科学誌の記事を紹介します。そのタイトルは
New White House Strategy Preps Earth for Asteroid Hit Scenarios Scientific American誌より
The Office of Science and Technology Policy has released a new plan for protecting Earth from hazardous space rocks
というものです。
(つづく)

福島・矢吹界隈、行方での戦闘考察(1,稗田阿礼の出自)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
下に書いた事情で、2月1日付ブログ記事の更新が出来ませんでした。
(写真:JR東北線・久田野から白河。この区間で線路は南から一旦西に向きを変えるため、正面に那須岳が見える。ここ那須岳から香取を遠望し、水運による物資聖線が構築された( 2016年6月17日記事那須岳 )。南下を目論む渡来集団としては聖線の始点が那須岳であったことは極めて納得の行く自然の選択であったことがわかる。2回クリックすると写真は大きくなります)
泉崎ー白河1557


 ひたすらに 知識を求めた 我が叔父の 矍鑠たるや 生き様見事

 先日、矢吹に住む叔父が亡くなりました。私の父の弟に当ります。時勢ゆえ、高等教育を受けることは出来なかったにもかかわらず、高い知的好奇心と矜持を保ち続けた人でした。口から出る言葉の豊かさと的確な表現力は良質の頭脳をうかがわせたものでした。
 98歳の死の直前まで頭脳はしっかりと働いていたことが、死の直後に明らかになりました。手元の手帳になんと死の世界に旅立つに当ってのメッセージが書き遺されていました。そこには息子夫婦への深く暖かい感謝の言葉につづき、ご恩になった方への感謝の言が簡潔な言葉で記されていました。 
 そして、最後に“さよなら”と記されていたことに胸を打たれました。まさに死の直前に、きわめて冷静に自己の状態を見極め自らの死を悟り、書き記していたのです。小学生の頃は夏休み中この叔父の家で過ごすなど、まさに父親のような存在でした。此の叔父、そしてその叔父の兄たる私の父、彼らの両親を調べています。

 2016年9月21日記事(下都賀) に私の父方の祖母の事を書きました。常陸国風土記・行方郡の考察でも登場する下毛野・下都賀出身の獣医学の専門家で、中央の関連審議会の委員をつとめた人物の次女であったことがわかりました。
 日本で始めての国立牧場である「岩瀬牧場」の研究員であった獣医師の祖父の祖先も気になるところでした。因みに、この牧場で文部省唱歌「牧場の朝」が作られました。私の母親は自らの連れ合いの先祖は富山の薬売りであったらしいと言ってましたが、どうやら違っていました。それが「白河風土記」 を丹念に追ってゆく中で見えてきました。
(写真:JR白河駅から見た白河藩・小峰城。二回のクリックでお拡大できます)
小峰城1558


 豊臣秀吉の治世下で実施された検地・刀狩の時代にまで祖父の祖先を遡ることができそうです。このことはいずれ書きます。

 葬儀は、叔父一家の菩提寺である長徳寺の導きで挙行されました。西暦1500年ごろ地元豪族である高林氏出自の人物が出家して開基したといいます(『矢吹町史」)。宗派は東北日本に多い曹洞宗です。まずは死者の納棺の儀式です。参列者は、配られた手ぬぐいを首にかけ、死者の横たわる布団を囲みます。女性参列者が、中心となって死出の旅装束を調えます。足に足袋を履かせ、次に脚絆を脛に巻きつけ、手甲を手につけます。その後、足元に草鞋(わらじ)を置き、頭に菅笠、右胸元に杖を配し、最後に頭陀袋を死者の懐に納めます。袋には三途の川の渡し賃が入っています。

 そこで、今度は男衆の出番です。死者の横たわる布団を皆で静かに持ち上げ、丁寧に棺に納めます。その後、死者に持たせたい思い出の品々が棺に納められ、菊の花を中心とした花々で遺体を覆います。そして蓋をします。十年以上も昔の私の母の葬儀と比べると、叔父のそれは死者への温かみを感じさせます。東北日本に限らないのかも知れませんが、都会の葬儀に狎れて執り行った母にすまなかったなと思った次第です。

 矢吹のJRを挟んだ西側は、磐背国の南部に位置しています。私の関心事である日本列島東国古代史の原点であったことが調査の過程の中で判明しました(2,014年8月13日記事二等辺三角形状の宗教思想設計) 。そのため、ここ数年は昔の事を教えて頂きに叔父を数回訪ねました。今回、葬儀への参列を機に、白河から北へ走る鈍行列車の先頭車両、運転手さんの後ろ横に立ち、じっくりと左右を通り過ぎる風景を眺めました。白河の鹿島神社、泉崎の横穴古墳、そして東長峰(高一族の墓所、参考記事2014年8月1日矢吹西部の史跡 )等、かねてより訪ねたいと思っていた場所が山ほどありましたが、今回は、せめてその地学的雰囲気をしっかりと記憶に留めたく思いました。

 改めて確認したことは、ほぼ南北に走る東北本線の西側に連なる日光・那須山系の標高2000m級の山々は白河あたりで途切れ、そこから北は低高度の丘に変わります。東側には、高山は無く、なだらかな丘陵です。しかし、そこでは太平洋プレートの強烈な西進運動による活発な火成活動によってペグマタイト鉱床(鹿島神社のペグマタイト露頭 )が地表に顔を出し、それに取り込まれたウランが地表近くに存在しています。石川町はかってのウラン採掘の現場です。まさに矢吹の東隣です。石川町民族歴史博物館の館長さんは地質学者で、わかり易くウランや花崗岩ペグマタイト鉱脈の話をしてくれます(石川町のウラン )。
 古代にあって、渡来族・アイヌ族の聨合体が石川町のウランを認識していたのかどうか?ウランの自然な放射壊変が淡い光を放出することもあったとすれば、「火」を崇める彼らはその存在に気づいていたことでしょう。
 それはさておき、比較的穏やかな地形という環境のなかで、此の聨合体は現在の長沼あたりに本拠を置いた市街設計をしたのかと、思いをめぐらせました。

+++++行方での戦闘
 常陸国風土記行方郡の条は冒頭で、文字通り此の地の風土を語ります。記載は北の梶無川に始まり南の行方の海(霞ヶ浦側)へと移ります。そしてぐるりと大生の周囲の地を記載します。それは、あたかも大生の地を割けるかのごとく、反時計まわりの順です。これは強調すべき事実であおると考えています。
 さて,それはさておき、行方の海を記載した後に、郡家(ぐんか)周辺の記載が始まります。

(図:常陸国風土記行方郡の条)
行方−3


  前回、此の原文の現代文訳を添付しました。私は、そうした学者・研究者による現代文理解とやや異なる解読をしています。それらをざっと以下に見ることにします。

 まずは、赤点線で囲まれた文に五行ほど先行する“自郡西北提賀理古裕佐伯名手賀”なる文節です。“自郡西北”とあります。これから接近しようとするのは大生(おおう)は、北浦を挟んで香島に正面に向かい合う地です。その大生から最遠の地が“自郡西北”です。
 鹿島を守護するための陣営としては比較的手薄であった地での奈良軍勢のターゲットは捕虜の確保です。捕虜は咎人(とがにん)として幽閉されたに違いありません。「テガ」は「科(咎)』(トガ)の転じたものと思っています。既に書いたように『佐伯』は明らかに九州倭国と扶桑国(東の倭国)住民を意味します。そうであればこそ、香島を陥落させた後、ここに“香島神子の社”つまり、反乱軍の焼きぼっくいに火が付くのを抑える屯所を置いたのです。そして後に此の地は「曾尼」つまり「スカ(曾=すか)の死(尼=根)」と呼ばれたのだろうと考えています。

 行方の地は、いきなり戦闘の描写であることがわかります。そして本戦です。それが、赤点線枠で記述されます。勿論、此の風土記の編纂者に反政府思想が在ろうとも「奈良に本拠を置く“お上(かみ)”」の目がありますから、それを露骨には書けません。香島に陣取って抵抗する輩は蛮人として描くしかありません。そこで、本ブログはその行間を読んで見ようと思っています。

 その前段でもありますが、記紀に登場する人名の多くが東日本由来ではなかろうかと考えています。藤原不比等の時代、東国の大物の名前はよく知られていた。その好例が「シキ」(現在の埼玉県志木)に宮を構えた「ワカタケル」王です。
 そうした名前と人物の詳細を何処から仕込んだのか?と言う疑問が持ち上がります。藤原不比等は日本列島正史つまり「同時代史」(藤原不比等にとっては古代史ではなく、現代史なのです)を編纂するに当って、その時代の有名人の名前をあたかもその出自が奈良とその界隈であるかの如くに装ったのではなかろうかと疑っています。
 それを考える重要な手がかりが古事記の以下の件です。
%%%%%古事記・序第二段
原文:
帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家之經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。 時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。即勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。

文意(岩波文庫「古事記」15頁より)
(朕聞きたまえらく)「帝紀及本辭には既すでに正實が定かでないものがあり、虚僞が多く加わっている。今それを改めないと、時を失死、早晩その真実が失われる。斯は邦家之經緯であり王化之鴻基焉でもある。従って帝紀を撰録し、舊辭を討覈(とうかく、検討)し、僞を削除し真實を定むべし。こうして後の世にそれをつたえるべし」と詔した。 そのとき一人の舍人あり。姓は稗田で名は阿禮。年は是廿八。すこぶる聰明で一度目にしたものは直ちに記憶し誦口できる。一度耳にしたものは心にとどめる。そこで、阿禮に勅した「令帝皇日繼及先代舊辭を誦習するように」と。しかし、このときには然るべくことが運ばなかった」
%%%%%
 上の話は中学校の歴史の時間に教えられる事としてよく知られています。誰もが、ここに登場する稗田阿禮は、藤原不比等の部下、つまり現在の奈良県の出身と思い込んでいます。実際「名字由来ネット稗田阿礼 」は以下を書きます:
%%%%%
 現奈良県である大和国添上郡稗田村が起源(ルーツ)である、猿女君の子孫。ほか中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)長家流(現栃木県である下毛野)などにみられる。
%%%%%

 ここで、気になるのが「稗田」なる名字が東関東藤原長家の係流に在るということです。藤原長家について、あれこれ書くと、再び本ブログが冗長になりますので、それはWikiに任せます。問題は、なぜ稗田なる姓が東日本にあるのか?です。

 藤原不比等は現代日本列島正史を編纂するに当って、東国で主要な役割を果たしている人物を書き留めることは不可欠と判断したのです。それは中国の正史引用と同様、正史の信憑性を獲得するためです。上に例としてあげた「ワカタケル』がそうであり、「飯豊」、「角刺宮』(鉾衝)などなど枚挙に暇が無いほどです。それには東国の政治を見聞した人物の経験と知識が求められたのです。そうした要請から登用されたのが「稗田阿禮」であった。つまり、此の人物はれっきとした東国出自であったと考えています。

 と、するならば、此の人物も遠く西域からの渡来人ではなかったか。そこで例の如く古代ペルシア語辞典(黒柳恒男著、大学書林)で似た音の言葉を探してみます。
 “kiya”で音が表される言葉は王者、総督です。これはつくばの条でも書いたことがあります。そして”rayyes”なる語があり「呪い」を意味します。「稗」は[Kiya]が「ヒエ」に転じたのではなかろうか。「阿禮」は”rayyes”(らいえ)に由来するのではなかろうか、と考えています。

 稗田阿禮は、東国日本の支配機構(それは当時は扶桑国を名乗っていたのかも知れませんが)にあって王を補佐して神託をつかさどる立場にあった人物ではなかろうかと考えています。この人物の出自を奈良であると、学者さんは思い込んでいますがそう決め付ける根拠は全く無いのです。

 じつは、渡来族が文字を持っていたという形跡がありません。多分日本列島に移り住み徐々に漢字なる文字を習得したのでしょう。従って、西の倭国は九州に拠点があり大陸に近いので文字に慣れていたでしょう。しかし、東の倭国たる扶桑国での意志・指揮伝達は全てオーラルつまり話し言葉でなされていたに違いありません。渡来族には「度目誦口。拂耳勒心』に長けた人物がいたのです。つまり古事記は真実の一端を書いていたということになります。

 そうしたことを念頭に置いて図の赤点線の冒頭部分を考察して見ます。
(つづく)
 

+++++生活が苦しくなった実感
 老人にとっては、生活が苦しくなった実感があります。年金生活では、病院にも行くのもためらいがちで少々の不具合は我慢してしまいます。これが、安倍氏が望む“老人自滅”スタイルでもあります。その実感が図らずもエンゲル係数から裏付けられているとの記事を見つけたので
貼り付けておきます。
 日経新聞記事ですが、解説として、こんな条(くだり)賀あります。曰く
「食品価格の上昇に加え、外食や調理済み食品の利用増、食べることを楽しむ食のレジャー化などが要因」、つまり食べることを楽しむ文化に移行しているためにエンゲル係数賀上昇しているというのです。こうした分析をする記者の『経済通』としての常識、見識を私は疑っています
%%%%%小売り、「食」シフト対応 エンゲル係数、29年ぶり高水準
昨年、高齢化や世帯人数減で 丸井や西武が売り場拡大
日経新聞1月26日記事より 
 消費支出の「食」へのシフトが鮮明になっている。家計支出に占める食費の割合を示す「エンゲル係数」は2016年は1987年以来、29年ぶりの高水準になりそうだ。食品価格の上昇に加え、外食や調理済み食品の利用増、食べることを楽しむ食のレジャー化などが要因。丸井グループやそごう・西武が一部店舗で食品売り場を拡大するなど企業は対応を急ぐ。

 総務省の家計調査(2人以上の世帯)によると、16年1〜11月のエンゲル係数の平均値は25.7%。15年は通年で25.0%。例年12月は食費の割合が跳ね上がるため、16年の平均値がさらに上昇するのは確実で、26%を超えた可能性もある。
 1カ月当たりの消費支出は、全体では16年1〜11月の平均で27万8888円と前年同期比約2%減だった。だが食料支出は7万1603円と1.8%増えた。「被服および履物」「住居」など多くの主要項目で支出が減る一方、増えたのは食料のほか「保健医療」「教育」に限られた。
エンゲル係数170202


 エンゲル係数は13年まで20年近くほぼ23%台で推移してきたが、14年から急激に上昇した。消費増税や食品メーカーの相次ぐ値上げなどで、食品の単価が上がった。ただ、値上げが一服した16年もエンゲル係数の上昇は止まっていない。背景にあるのが人口構成やライフスタイルの変化だ。
 日本総合研究所の小方尚子主任研究員は「世帯の構成人数が減り、素材を買って家で調理するのが経済的に非効率になった」と指摘する。食への支出が高くなりがちな高齢者の増加に加え、家庭での調理から距離を置く「食の外部化」が影響している。
 第一生命経済研究所の星野卓也副主任エコノミストは「若い世代を中心に他の支出を抑制する一方、身近な楽しみとして食の重みが増している」と分析する。
 丸井グループは今夏に、大手アパレルなどが入居していた錦糸町店(東京・墨田)の地下1階を食品スーパーに改装する。そごう・西武は4月までに西武所沢店(埼玉県所沢市)で食品売り場を従来の地下1階に加え、地上1階にも新設する。
 コンビニエンスストアは調理の手間を減らしたい層の需要を取り込む。ローソンは店内で調理した弁当など提供する店舗を、現在の約3500店舗から18年2月期中にも5000店に増やす。
 ロイヤルホールディングス(HD)傘下のファミリーレストラン「ロイヤルホスト」では、16年12月に始めた比較的高単価なフェアメニューの売れ行きが想定の約2倍と好調だ。
 エンゲル係数は数値が高いほど消費者の生活は苦しいとされてきた。だが今は、調理の負担を減らしたり、安全安心への関心を満たしたりするために積極的に食に支出する傾向も強まっている。人口減で「国民の胃袋」は縮小が確実だが、支出の食シフトは新たな商機も生み出す。
[日経新聞1月26日朝刊P.13]
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巨大地震をプレート回転極から見る(2)、茨城三区統一候補

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:竹林の坂。日差しが漏れて、のどかな冬の午後の風景です)
竹林1523

 
支持率と 酷い施政の 大きな乖離 民の本心 本音はいずこ

 安倍首相への支持率は、何があっても調査するごとに上がるのだそうです。どうなってるんですかね。「アベノミクス」の成果で生活が向上したと喜んでいる人はまず見当たりません。これだけでも支持率は落ちるでしょう、普通は。
bアベノミクス2694

aアベノミクス2696

 TPPに関しては2012年の総選挙では反対と言っていながら、先般強行採決しても下がらない。嘘を言ってるのだから支持率は下がるでしょう、普通は。強行採決した矢先にトランプ米国大統領に梯子をはずされても、下がらない。こうなると、なにか仕掛けがあるとしか思えない。とすれば、世論調査なるものは無視したほうが宜しいようで。

(図:とあるツイートから。民進党議員が質問の最中に席を立ち、やがてトイレから帰ってきたときの首相だそうです。ズボンを挙げ、伸びをしてますな。まともに質問者の声を聞いていないことをわざわざあてつけるかのように見せ付けている。そして、それを笑ってみている閣僚達。”アンタ”たちが選んだ内閣だよ、と先般の総選挙で自民党に票を投じた方々に言いたいですな)
安倍ー国会2523


 昨日、我が選挙区で反安倍支持勢力の結集を呼びかける集会があるというので出かけてきました。200人程度の収容力規模の会場に超満員の参加者があり、予備椅子を出しても立ってる人がいました。参加者の八割以上はどう見ても高齢者(65歳以上)、それもばーちゃんが多かったですな。高齢者が生きることの不安を露(あらわ)に表明し始めたということでしょうか。この高齢者を支える年金財源は若者から中年までの勤労者です。所が現政府は此の勤労者を大切にしない。大切にされていない勤労者風世代の参加はごく僅かでありました。

 てな仕掛けで老人をいじめることで、老人減らしをする。これが経済成長一辺倒政策の哀しき一面です。

+++++巨大地震
 まずは前回の記事についてお詫びをせねばなりません。前回掲載した図4は正しくありません。あの図に違和感を覚えた方も居られたに違いありません。二つの図は、地球を真反対からみたものです。当然一方の側(極)から見た光景が、反対側(極)からも見えるはずは無いのです。極に対応する赤道(図の円に相当)の向こうは見えないはずです。それが見えてしまっていたのです。訝しく思い、計算プログラムを検討したところ、誤り(バグ)を発見しました。前回記事では、新たに作成した図にすでに取り替えております。
(図1: オーストラリア・太平洋プレートの相互運動の回転極から見た巨大地震分布。右は回転極の地球裏側極(antipodes)から見た震央分布。番号は、前回記事図3の横軸の番号をしめす。)
Au-Paback-pole


 一応計算プログラムの正常作動を確認しておきます。左の図で、中心(座標系原点)が極の位置になります。前回紹介した論文は極の位置を下の表のように記しています「60.1S,178.3 W」:
(表1:プレート相対運動の極の位置と回転速度プレート相対運動回転極 )
Plate-rotation-center


 そこで、此の回転極の真上から地球を眺めると図左のように見えるはずです。ここで、円は丁度回転極に対応する”赤道“です。図の左は前回と全く同じです。従って、円の外側の陸地は見えません。しかし、計算では確認のため、それを描いています。

 此の図では、オーストラリア大陸が左下に見えます。そのほぼ真ん中を円弧が走り抜けています。これが赤道に当ります。この円弧の外側は、極の真上からは見えないはずですが、読者の方々の理解を得るために便宜上描いています。この回転極の真下から地球を眺めたものが右の図です。オーストラリア大陸について、左図にみる赤道(円弧)で切り取られた部分が、円弧の中に描かれていることがわかります。

 どうやら、今回は作図の誤りはただされたようです。こうして描いた地図上に巨大地震を重ねています。番号は、前回記事図3の横軸の番号をしめす。番号を付さない四角黒塗は左端が2004年のスマトラ地震、中央近くのそれは2011年3月の東日本地震です。
そこで、あらためて震央分布を眺めてみることにします。

 まずはパプアニューギニアからフィジーに達する地震活動で、空間的に連続して発生しています。この活動は明らかにオーストラリア・太平洋プレートの直接的な相互作用がもたらした地震群です。

 もう一つの顕著な地震活動は、原点を通る横軸とその周辺に集中しているように見えます。此の傾向は南米にも続いています(右図)。

(図2:図1に示された地震番号とそれらの発生時、および調査期間の区分分け)
距離変化


 地震との対応をみたので、此の議論の冒頭に書いたように2000年1月1日から2016年12月31日をほぼ等間隔の期間に分けて夫々の期間内での地震活動を見ることにします。
(図3:上から期間(i),(ii),(III)です。
Pa-Au-before

 一番上の図を見る限りでは、僅か5年弱ですが、スマトラ巨大地震の発生予測させるような活動はしかとは確認できません。しかし、中央の図と比べるとパプアニューギニアの地震が前兆であったといえるのかも知れません。南米側も僅か3つで、これのどれかがスマトラ巨大地震の前兆であった、なぞとは到底言えません。

(図3 中)
Pa-Au-between


 さて、中央の図です。スマトラ巨大地震から東日本巨大地震までの期間での世界の巨大地震です(Mwが7.8又はそれを超える地震)。上で書いたパプアニューギニアから東へサモア真島列に沿って連発しています。明らかにスマトラ巨大地震によって誘発されたであろうことはあきらかです。又南米川にあっても四つに増えその一つは8.5を超える地震です。この地震は、東日本巨大地震のほぼ一年前に発生しています。
(写真2:チリ地震2014年5月30日記事 )2010年チリ地震
P5280015


 チリで巨大地震が起きると、東北日本沿岸で巨大地震が起きることがあるなぞと言ったことを一部の学者さんが指摘していました。スマトラ地震が此の地理の地震のお膳立てをして、それが東日本の地震の引き金となった、と言った筋書きは仮名が得られますが、なにせ物理的・力学的根拠は乏しいといわざるを得ません。

(図3 下)
Pa-Au-after


 一番下の図です。ユーラシア他意録での巨大地震が3発起きています。これはどうやら2011年の東日本地震の影響であろうと思えます。この地震は日本列島は言うに及ばず、大陸全体の地学環境を変えてしまったのではなかろうかと考えています。


(つづく)

 急な所用が発生し、その準備をせねばならなくなりました。行方郡の考察の続きは次回に順延します。 

常陸国・行方での戦闘、巨大地震をプレート回転から見る、太陽光発電

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:気象庁による当地の夜明け時刻前、二十分ほどです。真っ暗なはずのところ、もれ出るお日様のせいで空は赤く、周囲もはっきり見えます)
未明1520


 地平下(ちへいか)に 隠れ潜めど その光 地上にもれ出て 橙(だいだい)の空

 大地は、まるで雪が降ったかのように、白い霜で覆われています。今朝も寒かった。
 
 動画 安倍でんでん(云々) (安倍でんでん)は、どうやら安倍首相が「訂正云々」の「ウンヌン」を正しく読めず「デンデン」と誤読してしまったようです。これについては愉快な動画があります。それもあわせて紹介しておきます。総統閣下は「デンデン」を認知 。
 安倍首相は出身大学故にこうした「無知」がとりわけ大仰に語られます。しかし、それを出身大学のせいにするのは安倍氏の言い訳です。安倍氏は、人として最も理解力・思考力が発達する青年期にしっかりと勉強してこなかった。本もほとんど読まなかったと言います。それが、国会内外での言動から窺い知れます。「大臣席から飛ばす野次」、「言明したことをツラーッと無かったことにしてしまう」「平気で嘘をつく」などなどその無知・無教養・無知性・無節操は呆れるばかりです。あの饒舌ぶりから頭が殊更悪いとは思えません。
 こうした人物が日本国の経営総責任者の地位にある。これは何を意味するのか?日本国では、その地位に「頭が切れ思考力のある人物を置く」事は不要と言うことなのでしょう。つまりは政財界奥の院とその出先である官僚が全てを取り仕切っているからです。そうした国に日本を作り上げて来たのは勤勉な日本国民自身の血・汗・涙なのです。勤勉な我が同胞は知力で以って此の国の屋台骨を構築してきたのです。が、その成果は勤労国民には還元されず、それを掠め取るシステムが出来上がってしまっているのです。でかい面をした奥の院と官僚がそのシステムの維持につとめている、てなことを今回の「デンデン」を云々しつつ感じました。

+++++引き続き『行方』の条を読む
 前回、やっと「行方」なる地名の由来に関する議論を終えました。それは那須岳―香取聖線の構築時ではなく、八溝山―鹿島線の構築に伴ったエピソードの一つではなかろうかと考えています。時は、西暦6世紀末です。測量技術を駆使して、ついに100kmを超える聖線構築を終え、爽快な気分であった筈です。北浦を越えた西の陸領域を大いに歩き回ったはずです。そこからわきあがった喜びの気分が「自由」ではなかったかと考えています。その頃は未だ奈良の軍事侵攻も想定されていません。

 以前から古代ペルシア語辞典で「namekadar」を見つけてはいたのですが、いきなりそこへ行く前に、他の可能性を探ってみようと考えたわけです。おかげさまで「大生」の地の政治的・軍事的位置づけを風土記から推測するという成果もありました。
 
 しかし、風土記で最も重要な部分である、行方の条には更に重要な記載があります。その幾つかを拾っておこうと思います。行方の地は、何と言っても奈良の軍勢と、それに対抗する渡来・アイヌ・旧倭国(扶桑)の聨合体との衝突の舞台です。戦闘は熾烈を極めたものであったでしょう。

(図1:壮絶さを思わせる夜刀神との戦い)
行方−3


 まずは、『風土記』(小学館、376頁)による解読を書いておきます。
%%%%%上記常陸国風土記現代文訳(『風土記』(植垣節也訳、小学館、376頁より)
 古老が言うには、継体天皇の頃、一人の人物が居た。矢括氏麻多智(やはずのうじまたち)と言う。群役所から西の谷の葦原を切り開いて新たに開墾した田を献上した。このとき夜刀の神(やとのかみ)が相群れ引き連れて仲間全部がやってきてあれこれと妨害し田の耕作をさせなかった。(土地の言葉で蛇の事を夜の刀と言う。その形は蛇の形で頭に角がある。家族を引き連れて逃れると振り返って蛇を見るものがあると一族を滅ぼし、子孫が跡を継がなくなる。いったい、此の群役所には非常に沢山住んでいる).
 こういう情況にあって、麻多智は激しく怒りの感情を起こし甲冑を身につけ自分自身が鉾を持って撃ち殺し追い払った。そこで、山の上り口に来て境界の印の柱を境の塀に立て夜刀の神に告げて言ったことには「ここから上は神の地とするのを認めよう。ここから下は人の田を作るべきである。今から後、私は神主となって永く後代まで敬いまつることにする。どうか祟らないでくれ。恨まないでくれ」と言って神社をつくって初めて夜刀の神をまつったという。そうして、また耕田十町余りを開発し麻多智の子孫が代々受け継いで祭りを行って今になっても続けられてきた。

その後孝徳天皇の御世に壬生の連麻呂が、初めてその谷を占有して池の堤を築かせたとき夜刀の神が集まって池の辺の椎の木に上り集まって何時までも立ち去らなかった。そこで麻呂が大声で「此の池を営ませ約束をさせて人々を死から救おうとしているのだ。何処の何と言う神が皇家に随わないのか」と言った。直ちに、課役に来ている民に「目に見えるさまざまなもの、魚や虫の類はことごとく撃ち殺せ』と言った。言い終わるや否や、怪しい蛇はその場を去り隠れてしまった。ここに言ったその池は今椎の井と名付けている。池の西に椎の樹がある。清い泉あるので井の字を取り入れて池に名づけた。これは香島に向かう陸の駅道である。群の役所の南七里に男高の里がある。ずっと昔に佐伯小高と言うものが居た。
%%%%%
 
 明らかに、戦闘を書いているのですが、あからさまに奈良の軍勢による侵略とはかけない。それを読み解いて行こうと言うわけです。
(つづく)

+++++巨大地震
 巨大地震は球体である地球の表面を覆っているプレートと呼ばれる岩盤が地表をすべるように動くことによっておきます。これをプレート運動と呼びます。岩盤の運動は、地球という球表面上での運動に拘束されていますから、それは回転運動となります。それを前回書きました。地表には少なくも巨大なプレートが6枚あり、それが夫々の回転軸の回りで回転運動をしていることになります。これらのプレートが思い思いの回転をすることから、プレート間に衝突などの相互作用が発生します。これが地震と言うわけです。

 夫々のプレートの回転軸は地球に固定されているとの考えが最近は定説のようです。勿論それも最近数百万年、数千万年の事であり、地球生成以来と言うことではありません。二つのプレート運動に着目する限りでは、そしてましてや最近数百年の事に限れば、回転軸が固定されているか否かは重要ではなく、二つのプレートの相対的な動きを知るだけで大方の概略の理解が出来そうです。

 そこで、前回は、2011年の東日本巨大地震を起こした二つのプレート(太平洋プレートとユーラシアプレート)の衝突を引き起こすプレート回転運動の軸を考え、その周囲での巨大地震の分布を考えました。現在のプレート議論では、日本列島にあってはユーラシア・プレートと太平洋プレートとは直接の相互作用は無く、その間に北米プレートが介在しているとされています。しかし、それはまさに介在であり本質的な相互作用は太平洋とユーラシアの二つのプレートだろうと考えたからです。

 あまり細部にこだわると、物事の大まかな理解をかえって妨げるということがしばしばあるからです。参考までに役に立ちそうな文献として、以下を挙げておきます。これらはそうした理解の助けになろうかと思います。

オイラー角、2040頁 、
相対運動、17頁
プレート回転軸
アーストラリア・太平洋相対運動

 ところで、2000年1月1日から2016年12月31日の期間内に起きた巨大地震(Mwが7.8またはそれを超える)47個の内とりわけ大きくMwが9又はそれ以上であった地震が二つ、すなわち2004年12月のスマトラ沖地震と2011年3月の東日本地震です。前者は、オーストラリア・プレートとユーラシアプレート(スンダプレートが介在)間の地震、後者は太平洋プレートとユーラシアプレート(北米プレート)間の地震です。
図2:オーストラリアプレートとそれに接する太平洋プレート
AustralianPlate


 此の図は、オーストラリア・プレートと太平洋プレートが相互作用を密にしていることを示しています。とすれば、何がしかの示唆を与えてくれないだろうか、との期待㋾持ちます。この二つのプレートの相互作用回転極が太平洋ー豪州領プレートの相対回転運動の軸で示されています(勿論、夥しい地震発震機構解、海底地形解析、海底残留磁気解析などの集大成からもとめられた)。それによれば、それはアラスカ半島先端の西沖辺りとなります。それを用いてまずは、前回"深追い“しないと言ったにもかかわらず、此の回転極から、各巨大地震への距離変化をみることにします。
(図3:太平洋ー豪州両プレートの相対回転運動の軸からの巨大地震震央距離(縦軸、ただし常用対数)。黒の四角印はスマトラ、東日本地震)
3Au-PaTimes vs Distance for All


  
 性懲りも無く点群のグループ分けです。理由は、前回のグループ分けに比べて、それが恣意的とは映らないほどに明瞭だろうと思うからです。どうやら3つの群があるようです。一つは縦軸の4.0あたりの値に水平にまとわり付く点群です。そして青の点線域内の点群(b), 赤の点線で囲まれる領域内の点群( a)です。ここで、何よりも注目しているのがグループa内にあって、スマトラ地震が東日本地震に先行して発生したかのごとく見えることです。

 二つの点群はいずれも右下がりです。これは二つの地震活動a,bが回転極の方向にむかっているということです。その移動範囲は縦軸メモリで4から3です。つまり一万kmから千kmの範囲と言うことになります。これらの地震群の詳細を見るためにいつものように、回転極を中心した図を見ることにします。
(図4:(左) 太平洋ー豪州両プレートの相対回転運動の軸の周りの巨大地震震央分布、(右)軸の裏側の点周囲の巨大地震分布)
Au-Paback-pole


 大変興味深い巨大地震の配置です。議論が長くなりそうですので、説明は次回にします。読者の方々には、此の図をあらかじめじっくりと眺めていただきますようお願いします。
(つづく)


+++++自然エネルギ
 いささか旧聞でありますが、下記のニュースを以下に転載しておきます。2011年3月11日の福島第一原子力発電所の深刻な事故は、国民の生活への打撃に加え飛散した放射性物質による健康被害、福島の農・林・水産業への大打撃は未だにおさまっていません。そもそも安倍首相が外地で大見得を切ったにも関わらずその放射性物質の散逸は「under control」などと言った状態ではありません。それに加えて前回記事でも書いたように、福島から他県に非難した家族の子供達が言われ無きことで「虐め」にあっている。事故サイトの後処理、汚染地の被害補償などの額は当初の見込みを大幅にこえて増大しています。
 これらは全て電気料金増と税金によって負担されることになるのです。だからこそ、此の事故から学なんで、自然エネルギへの転換をとの機運が高まり、それに押された政府も積極的に太陽・風による電力生産を助成するかに見えました。
 しかし、一方であくまでも原発にこだわる政府に後押しされた電力会社は儲けを確保するために自然エネルギ事業を排除したい意向を露骨に示したのです。その結果政府も自然エネルギ産業に冷淡な姿勢をとりはじめます。それがこの間の経緯です。此の記事に書かれていること、それは政府が311の教訓を踏みにじっていることの表れなのです。

%%%%「太陽光関連事業者」の倒産が2016年は最多の65件発生
東京商工リサーチ 1/12(木) 15:00配信 太陽光関連事業 
太陽光事業無題


太陽光関連事業者の倒産 年次推移
 市場拡大を見込まれた太陽光発電だったが、「太陽光関連事業者」の倒産が急増している。
 2016年(1-12月)の太陽光関連事業者の倒産は65件(前年比20.4%増)で、調査を開始した2000年以降で最多を記録した。また、負債も大型倒産の発生で過去最高を更新した。
 時系列では、上半期(1-6月)だけで30件(前年同期比20.0%増)発生し、2014年までの年間件数を上回った。下半期(7-12月)は上半期をさらに上回る35件(同20.6%増)が発生、時間の経過とともに増加をたどっている。12月は単月最多の10件が発生し、太陽光関連事業者の経営環境の激変ぶりを象徴している。
 相次ぐ買い取り価格の引き下げや、2016年5月に成立した改正再生可能エネルギー特措法で事業用太陽光発電は2017年4月以降に入札導入の方針が示され、太陽光関連事業者は企業としての力量を問われている。有望市場への期待を背景に参入企業が相次ぎ、「太陽光関連」市場は活況をみせていたが、ここにきて資金面や準備不足など安易に参入した企業の淘汰が進んでいる。2017年はこれら企業の淘汰が本格化する可能性も出てきた。
※ 本調査はソーラーシステム装置の製造、卸売、小売を手がける企業、同システム設置工事、コンサルティング、太陽光発電による売買電事業等を展開する企業(主・従業は不問)を「太陽光関連事業者」と定義し、集計した。

負債額別 1千万円以上5千万円未満が5割増
 負債額別では、 1千万円以上5千万円未満が最多で23件(構成比35.3%)だった。次いで、1億円以上5億円未満の22件(同33.8%)、5千万円以上1億円未満が13件(同20.0%)と続く。
 前年比較では、10億円以上が25.0%減少だったのに対して、1千万円以上5千万円未満は53.3%増(15→23件)と大幅に増え、太陽光関連事業者は小規模企業ほど経営悪化が顕著なことを示している。

原因別 「事業上の失敗」が8割増
 原因別では、「販売不振」が最も多く35件(構成比53.8%)と半数を占めた。次いで、「事業上の失敗」が11件(同16.9%)、「運転資金の欠乏」が8件(同12.3%)と続く。
 前年比では、「事業上の失敗」の83.3%増(6→11件)、「運転資金の欠乏」の60.0%増(5→8件)が突出している。「事業上の失敗」は、太陽光関連市場を数少ない成長分野として参入し事業拡大を見込んだものの、実現性を欠いた安易な事業計画による業績の見込み違いから倒産するケースや、想定よりも市場が拡大せず思い描いた受注を獲得できず行き詰まったケースが目立つ。
 「運転資金の欠乏」では、売上高の急激な拡大ののち一気に受注減少に陥り、資金繰りに窮するケースや、つなぎ資金の欠乏や在庫負担で収支バランスが崩れて資金繰りが破綻した事例が多い。太陽光ブームに乗っただけの急成長企業に共通する財務基盤の脆弱さを克服できない企業の倒産は、今後も続発する可能性がある。

 2016年(1-12月)の太陽光関連事業者の倒産は、件数、負債ともに過去最多を記録した。
 2011年3月の東日本大震災を受け、再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス)固定価格買い取り制度(FIT)が成立し、一躍、太陽光関連業界は有望市場として注目された。しかし、度重なる固定買い取り価格の引き下げや、企業の相次ぐ新規参入などから業界環境は激変し、太陽光関連事業者の淘汰は2015年から急増している。
 2016年11月に大阪地裁から破産開始決定を受けた(有)橋本工務店(大阪府)は、同業他社との競合激化で値引き要請に応じざるを得ないなかで、リフォーム工事業者からの太陽光発電設備の販売代金が未回収となり資金繰りが悪化した。また、同年12月に東京地裁から破産開始決定を受けた(株)イー・エム・エンジニアリング(東京都)は、主要事業だった太陽光発電関連機器の販売で、主力先からの受注が激減して行き詰まった。このように太陽光関連事業者の倒産は、市場の成長が鈍化していることに加え、取引先の経営状態や発注動向に左右されるケースもある。市場の将来性を有望視し経営体力が伴わないなかで安易に参入した企業が、市況の変化についていくことができずに倒産を押し上げているともいえる。
 2016年の太陽光関連事業者の倒産推移を月次でみると、10月が9件、12月は過去最多の10件発生し、年後半の倒産が目立った。また、倒産に至らなくても信用不安が拡散している企業も少なくない。追い打ちをかけるように、固定買い取り価格の引き下げも待ったなしの状況だ。2017年は採算確保が厳しい太陽光関連事業者の淘汰が、2016年以上のペースで進むことが危惧される。
東京商工リサーチ
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常陸国・行方(考、8)、巨大地震をプレート回転極から見る

 茨城県は日本国民にとって最も魅力が無い、言い換えれば訪ねたくない県なのだそうです。その最も不人気な県から世界最強のクラブチームを脅かした 鹿島アントラーズ“が異議を宣し、今般、19年ぶりの日本人横綱稀勢里を輩出したのです。日本全土の我が同胞に「どうだ!見たか!」と私は胸をそらして叫んでいます。

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:やっと当家の梅の花、いくつかが綻び始めました)
梅1502


まちかねた 当家の梅が 花開く 此の目で実感 季節の移ろい 

%%%%%龍ヶ崎市が稀勢ちゃんに市民栄誉賞
 http://c23.biz/5KGY 
★ 稀勢の里関、横綱昇進が決定!
 龍ケ崎市立松葉小学校、長山中学校出身の龍ケ崎育ち 大相撲の稀勢の里関が横綱に昇進することが決定しました。横綱昇進を祝し、本日正午にお祝いの花火を打ち上げます。
★本市初!市民栄誉賞の授与を決定!
 龍ケ崎市では、稀勢の里関の1月場所での優勝および横綱昇進を踏まえ、本市として初となる市民栄誉賞の授与を決定いたしました。
<市民栄誉賞とは…>
 市民または市に縁故の深い方で、学術、文化、芸術、スポーツその他の分野において輝かしい成果を上げ、社会に明るい希望と活力を与え、市民に広く敬愛されていると認められる方の栄誉を称え、授与するものです。
問い合わせ:市長公室 64-1111(内線333)
koushitsu@city.ryugasaki.ibaraki.jp 
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+++++『放射能』菌なる脅しで「タカリ」
(新聞記事:東京新聞1月24日付け30面より)
いじめ1509

 『「脅し、たかり」ではない。「おごってもらった」と加害児童が言うので、いじめではない』と横浜市教育長は公式の場で述べたといいます。この発言に対して多くの非難が寄せられていると聞きます。そういえば、昨年8月、著名な女優の息子が宿泊先のホテルで女性従業員を強姦した事件がありました。その際、犯罪を犯した息子の女性弁護人が、被害者の言明を聞かずして「双方の合意の上での性交渉であった」との加害者側からの主張に基づき、「この事件は無罪になるだろう」と記者発表しました。此の記者発表を「鬼の首を取った」かのごとく、あちこちに流布したのが当該息子の母親でした。息子溺愛の「母親」なるものの挙動のすさまじさを見た思いがしました。私の母も生前は息子を守るために必死でしたから、多かれ少なかれそうした事があったのやも知れません。

 それはさておき、我が国では、多くの場合は、加害者の言が信用されるんですな。つまり強者の理屈が通ってしまうんです。強姦事件では著名な女優、そして今般は「モンスタ・ペアレント」がまさに強者として集団での強者として振舞った我が子を守りぬいたと言うわけです。強者には弱者の涙が見えないんですな。恐ろしいことです。

+++++行方考(8)
 「行方」を「ナメカタ」と音する謂れを突き止めるべく此の地を語る常陸国風土記をやや詳しく見てきました。政治的・軍事的視点からですした。そこで焦点を当てたことは北浦の湖畔にある「大生」(おおう)です。「生」は「イキる」です。「行」は「イク」です。そもそもは「いきる」であった表現に「行」と言う漢字を「表音」のために当てたのではなかろうか?と思いつき「大生」を考察してきました。実際、古代の文にはそうした事例が少なくありません。例えば、「行」は「コウ」と音するが故に、例えば「幸」という漢字で「表音」されることがしばしばです。天皇陛下がどこかへ旅をされるときに「行幸」と記載されます。

 「生」と言う漢字については、当時の日本列島に「生もの」(なま)という言葉があったとすれば、時の経過の中で「いく」(生)が「行」(いく)に転換した。一方「行く」(生)の由来を知っていた人はそれを「ナマ」と音した。この二つの過程が絡み合って「行方」が「なめかた」と音されるようになった。

 どうも、回りくどく、しち面倒なこじつけ風考察です。そこで、最後の切り札である古代ペルシア語に何がしかの手がかりを探すことにします。
 なんと、似た音の言葉があるんですな。ラテン文字表記で「namaqaddar」(そのまま発音すれば「ナマカダル」)です。意味は「ペルシア語辞典」(黒柳恒男著、大学書林)によれば
「自由な、運命付けられていない」です。

 行方が古代ペルシア語に由来するとすればそれは、藤原不比等による東夷征討軍が常陸国を進行した時代の前です。それは那須岳と現在の香取神宮を結ぶ「聖線構築」の時代です(2016年6月24日記事那須岳ー香取線 )。2016年10月7日記事聖線構築 に随えば、その聖線が行方に達するのは西暦671年ごろです。六世紀末には八溝ー鹿島の聖線構築を終えていますから、その時代まで遡ることも可能です。

 西暦671年といえば、既に九州の地では唐・新羅進駐軍に奈良の軍勢も加わっての軍事制圧に果敢に抵抗して居る時期です。この抵抗のリーダは勿論天武天皇ではありません。日本書紀が書く此の人物は、架空か否かは定かではないけれども、実在とすれば、藤原不比等政権の一翼を担った、奈良権力の幹部であったでしょう。
 日本書紀では大海皇子と書かれますが、上記の経緯からは皇子との呼称は正しくありません。仕方ないので、本ブログでは親しみを込めて「大海(おおあま)さん」でよびます。2015年9月7日記事大海の由来 で書きましたが、此の呼称には「隋書倭国伝」に登場する王の名前に由来するという歴史根拠があります。藤原不比等もその事情は承知していたのです。つまり「大」は「王」が変じたもの、そして「海」は「阿毎」が変じたものなのです。何故「海」は「毎」が転じたものであるのか。それは「漢字音」が「me(メ)」ですから同一です。

 既に書いたように渡来族とアイヌ族の連合体が那須岳から香取への聖線構築を開始したのが隋建国直後、すなわち日本書紀が書く継体天皇の日本列島出現の時期です(現ブログ管理人の編年による)。それから数十年後、日本列島を戦乱の黒雲が覆い始めます。そしてついには直接九州に拠した倭国への侵略が始まったのです。ちょうど此の頃、新たな聖線、すなわち那須岳―香取構築は現在の行方あちに達していたはずです。渡来族・アイヌ族連合体は逆風の時代を覚悟したのではなかろうか。しかし、このまま「運命の波に身を委ねることは無い」と決意した地、それが行方ではなかろうか、と想像しています。
 勿論、行方の地は第一の聖線すなわち八溝山―鹿島の構築の際に、既に認識されていたはずであり、渡来族アイヌ聨合体は常陸の国南部で自由を謳歌したはずです。行方がその際の呼称である可能性もあります。私はむしろこれが真実に近いのだろうと考えています。

 那須岳―香取の聖戦は程なく、八世紀の前半に現在の香取に到達します。が、それも束の間でした。藤原不比等を総帥とする東夷の軍勢にその地は占拠されます。その宣言が、日本書紀での下記の記事です(2016年6月3日”かとりの由来” )

%%%%%日本書紀より引用(何回も囲繞すて居るので文意は付しません)
「「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 この地が現在の香取神宮あるいはその近辺であろうことは容易に想像がつきます。例えば岩波文庫「日本書紀(一)」137頁で岩波文庫版校注者は以下を書きます:
%%%%%
 下総国香取郡香取。今千葉県佐原市香取に香取神宮があり利根川とその沼沢を隔てて茨城県鹿島郡の鹿島神宮に相対する。両社とも大化前代の一時期における東国防衛の最先端か。香取の祭神は古語拾遺ではフツヌシ。続後紀ではイハイヌシ。経津主神を香取神社の祭神とするようになってからこの記事をそれと結びつけ通釈なども斎の大人を経津主神とするが記紀では武甕槌・経津主神を鹿島・香取の祭神だとする説明は無く、常陸風土記を見ても関係が明らかでない。両社の祭神はもともと土着の神で奈良時代になって神代の二人の武神と結びついたのだろう。
%%%%%
 校注者は、八溝山―鹿島、そして那須岳―香取の聖線の存在に気づいていません。しかし、此の聖線の存在は何時でも誰でもが確認できる厳然たる”事実“です。とするならば、上記の校注は書き改めるべきでしょう。

 さて、以上から行方なる地名についての考察を終えたので、本筋に戻りたいところです。が、常陸国風土記を読み直すと色々と新しい発見があることを知りました。とりわけ、行方郡、香島郡の記述は、新しい視点からは、とてつもなく大きい日本列島古代史の宝庫であるようです。そこで、もう少し風土記考察を続けます。
(つづく)

+++++巨大地震考(5)
 前回、2004年のスマトラ地震震央から見た前後の巨大地震(Mw>7.7、モメント・マギヌチュードが7.8又はそれ以上)の推移を見ました。その図で一つ気になったのが、2011年3月11日の東日本巨大地震が二つの系列a,dの交差点で発生していることでした。
そこで、まずはそれが、検証に値する事象であるのか、それともたまたまスマトラ地震を中心にしたので見えた見かけ上の事象であるのかを調べておくことにします。なにせ現在進め居ている考察は、私の古代史考察同様「結論ありき」ではありません。いろいろやってみて駄目なら違う仮説をたてることの繰り返しです。はなはだ足元の定まらない覚束無い歩みと思う方も少なくないようです。しかし、底から得られるものは、事実ですので後の考察にとって必ず役に立ちます。

 そこで、2011年3月の東日本巨大地震から見た巨大地震の変遷を図にしたのが図1です。

(図1:2011年3月11日の地震から見た巨大地震震央への距離、縦軸は距離の常用対数であることに注意)
e0311dist



 1月20日に示した図とは大分違っています。スマトラ地震から発するように見えた震央の遷移は上の図ではぼやけています。しかし、2011年の東日本地震で交差する二つの遷移現象は保存されているかの如くです。それらは一つはa1+a2およびdです。

 さらには、これまでに識別できなかった遷移も認められます。とはいえ、上図のような地震のグループ分けには違和感を感じた方も多いでしょう。こうした空間上に分布する点を直線性なる心眼で分類する作業では大いに主観が入り込んでしまう好例となってしまったようです。

 総じていえることは、こうした図は何かを考える際の手がかりにはなりえるのかも知れませんが、深追いすることの意味は無そうです。

 とはいえ、あれこれ試したくなります。その一つが下の図です。地球表面は6枚ほどの大きな岩盤(プレートと一般には呼ばれている)で覆われています。夫々が、深部のマントルとよばれる領域内の運動に引きずられて動きます。その結果として接触するプレートの境界で、押し合ったり、引きちぎられたり、又は横に滑ったりします。それが地震を引き起こす。学校での理科で教えられる”地震の原因“です。
 プレートはマントルに引きずられて動くと上で書きました。ところで地球は球形です。従って、動くプレートはまっ平らな平面を動くのではなく、球面を動いているのです。長期的に不規則では合っても短期的にはどこかにある中心点(ポールとよばれる)の周りに回転運動をしていることになります。プレート理論解説 

 例えば、ユーラシアプレートが動かないとすると、北米大陸の北西にあるハドソン湾に回転ポールがあるかのように太平洋プレートは時計周りに回転していることが、膨大な数の地震の発震機構解の同時解析から算出されます。

 そこで、その太平洋プレートの回転中心からは巨大地震群はどのようにみえるのか?それを図示したのが図2です。

(図2:1Pacific-Eurasia plate rotation pole 絡み田巨大地震群。左図の原点がpoleの位置(プレート回転極位置 18頁)。左図の左上の黒四角が2011年3月11日の東日本巨大地震。右図の中央上部の黒四角は2004年のスマトラ巨大地震)
pa-eupole


 誤解を避けるために付言しますが、上図のハドソン湾内にとられた原点は不動点、つまり「此の点を中心として太平洋プーレートが時計回りに回転している」と言うことではありません。地震解析からユーラシアプレートとの相対運動がわかっています。ところがユーラシプレートが地球表面上で不動であるはずはありません。そこで、便宜上、どちらかを不動であると"仮定“するならば、あたかも一方は他方に対して回転する。その回転軸の座標がハドソン湾内に求まってくるということです。

 従って、此のハドソン湾内の点の地学的意味は無いと言ってもよいでしょう。しかし、地学的意味で最近の短期間(例えば千万年程度か)では、巨大地震と回転中心には上の図に示されるような幾何学的関係があるといえます。そうした視点から見ると此の図も中々興味深いことです。

 例えば、南米大陸西縁の青印の地震群の位置は東日本地震の震央と点対称に近い位置関係となっています。南米沖のナスカ・プレートは太平洋プレートでは無いとはいえ、太平洋プレートの動きに大いに影響されているはずです。かねてより、チリの地震が日本列島の地震を誘発するといった議論がされていましたが、その地学的根拠となるのかも知れません。

(つづく)

常陸魂はアントラーズから稀勢ちゃんへ、米大統領に思う

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)

 昨年12月、J1鹿島アントラーズが世界のトップチームであるスペインリーガ・レアル・マドリの心胆を寒からしめる戦いをし、世界を驚嘆させました。そして昨日、このアントラーズの奮戦は、大相撲の場で稀勢の里によって見事に受け継がれました。まさに常陸国魂の爆発であります。

 これに便乗して、本ブログでの常陸国風土記解読の読者も本年は激増するに違いありません。とはいえ、本日は稀勢ちゃんやらトランプ氏やらで、風土記の論は休載します。ごめんなさい。

【写真:東京新聞2017年1月23日付スポーツ欄。これからは稀勢ちゃんはもっと強くなり、優勝が当たり前の事になります。その意味で、この星取表は”お宝“級のnews-clipとなります。拡大は画面のクリックで】
星鳥表1507


 稀勢の里 ついに射止めた 大賜杯 ほっとしつつも 嬉しさ募る

 やっと勝ってくれました。休場力士が多かった、だのとケチをつける輩も居ないではありません。しかし、体への充分な注意を払って昨年一年間に積み上げた白星の数をみれば、もう立派というしかありません。気になるのはTVの報道が稀勢里の出身地として牛久市を紹介していることです。下の記事に見るように、稀勢の里はれっきとした龍ヶ崎っ子なんですな。いたずら好きの腕白坊主であった、と語る住民が当地には多いのです。中学卒業後すぐに元・横綱隆の里に素質を見込まれ、東京の相撲部屋に入門していますから、稀勢の里の真のふるさとは当地龍ヶ崎なのです。まあ、あまりせこい「縄張り争い」はしたくはありませんが、一言書き記しておきます。

(東京新聞、1月22日付記事、拡大は画面をクリック)
龍ヶ崎あ1508


 現在の力士の中で稀勢里は地力においては断トツであることは大方の専門家が語っています。更に強くなってくれることを切に期待しています。よかった!よかった!

+++++トランプ氏米国大統領に就任
 日本時間の土曜日(1月21日)未明ドナルド・トランプ氏が米国の新大頭領に就任しました。氏の就任演説を巡って改めて大きな反発が報道されています。米国では、かってないほどの反トランプ・デモだそうで、土曜日の朝のNHKニュースは長々とその様子を報じていました。
トランプ1505

 
 そして日本国内での大方の論調も、トランプ氏の就任演説には、米国の伝統的国是たる「自由、人権」などと言った理念の欠片も無いと扱き下ろします。
「読売」、「産経」そしてそれの系列であるTV局がそう叫ぶのにも、普段の彼らの論調を想起するならば大いなる違和感を感じます。が、比較的良心的といわれた報道機関、および評論家までが突然米国の拠って立っていたはずの「理念」なるものに言及してトランプ批判を展開することに驚いています。私は、大統領選挙の真っ最中から、「日本国の未来を危うくするのはクリントン候補」であると主張してきましたから、こうした日本の論調に馴染めずにおります田中宇氏の考察 堤未果氏の指摘 など。

 これほどまでに激しい米国の反トランプ扇動と歩調をあわせた大キャンペーン。どうやら裏に何かがあるのではないか?。あの八名の大金持ちhttp://c23.biz/f7ZEを含む世界を牛耳る「奥の院」の意向が嗅ってきます。 その核は、下にも紹介した東京新聞1月19日付社説がチラット書く「反グローバリズム」への警戒ではなかろうか?「グローバリズム」とは耳触りのよい響きです。しかし、その実態は「世界が仲良く」といった意味ではなかったのです。多国籍企業が、進出先の国の政治的・経済的事情を一切無視し、ひたすらにその国と民から富を掠め取ることを覆い隠すための「標語」であった。そうした企業の本籍の多くは米国であった。その米国で、まさに米国民からその「グロバリズム」に「否」の明確な意思表示がなされたのです。

 こうした実態を知ってか知らずにか、米国民が前代未聞の反トランプ大規模デモにかまけているとのこと。しかし、米国民は考えるべきなのです。自らの同胞が選挙と言う手段を通じてトランプ氏を大統領に押し上げたのです。とするならばデモ参加者はまずは、そうした同胞に向けられるべきなのです{何故、そんな人物を選んだのか?」と。そして、米国に本拠を置く多国籍巨万の富を抱える企業を断罪せずに米国労働者に職を確保できる道筋を語り説得すべきではないか。それが現実的でないことはデモ参加者もよくわかっているはずです。

 トランプ氏はオバマケア、TPPなど一部については既に政策の実施がなされているといいます。しかし、政策の本流は、未だです。それが米国民にとって不都合であるのか、そうでないのか、それはこれからです。政治運営は始まっていないのです。

 私は、これまでも繰り返し書きましたが、政府のトップにある人間が「まずは自国のための政治」を高らかに宣言して政策を練り実施するトランプ氏に敬意を表します。こうした政治家こそがトップとして求められるべきであると思っています、これは我が日本国のトップとは大違いであるからこそ、それを強く実感するのです。
 
 さて、トランプ氏の就任演説に対して、自らを『右翼』と分類する漫画家で政治論客でもある小林ヨシノリ氏が以下の感想を述べています。まさに同感であります:

%%%%%トランプ大統領の就任演説は立派だった
小林よしのりweb
2017.01.21 小林よしのりオフィシャルwebサイト
昨夜2時にトランプ大統領就任の演説を聞いて、何ひとつ違和感はなかった。 グローバリズム戦略から保護主義への転換、国境を高くして企業の国内回帰を促し、雇用を守る政策、さらにケインズ主義の採用によって国内のインフラ投資を進め雇用を生み出す政策、これらの経済対策で中間層を守ることを公約した。 さらに世界の平和よりもまず国内の平和を守ること、だがそのためにもテロリズムとの戦いを続けることを主張していた。
全部納得がいく。実に常識的な戦略転換であって、今のアメリカにも、さらには世界の国々のためにも、脱グローバリズムは評価されてしかるべきである。 移民で成り立つ国と言っても、限界はある。無制限に移民を受け入れることが、国家の崩壊を招くのなら、制限したり、調節したりするのは当然の政策だ。日本は今のところ、そうやって国民の秩序の安寧を保って
いるのだから、我々日本人がアメリカの移民政策を批判できるはずがない。
絵空事の「理念」をポエムのように語らず、やるべきことをしっかり語ったトランプは大したものである。さっそくTPP離脱、NAFTA見直しを表明したが、有言実行の速さも素晴らしい。
そう思っていたのだが、今朝の「ウェークアップ!ぷらす」という番組では、トランプの就任演説をボロクソに貶している。誰一人、トランプの保護主義を理解していない。自由や平等などの絵空事の民主主義の「理念」を言わなかったことが不満だとブーブー言っている。どこまで馬鹿を貫いてるんだ?
安易に「ポピュリズム」という言葉を使用して、トランプを選んだアメリカ国民を馬鹿にするのも全く不思議。ポピュリズムが嫌いなら民主主義を批判すればいいのに、民主主義は大好きというのだから頭の中が分裂している。寡頭政治にせよ、賢人政治にせよと言うのなら、わしも賛成
するが、そんな主張をする勇気はないのだろう。 グローバリズムで不安を抱え、疲弊した中間層を立て直すための保護主義のどこが悪いのか?グローバリズムの発信地であるアメリカとイギリスが、保護主義に舵を切ったのだ。もしトランプが失敗したり暗殺されたりしても、もうこの流れは止まるまい。サンダースのような政治家だって若者に支持されていたのだ。 今後10年くらいかけて、脱グローバリズムは進み、やがてナショナリズムの時代が来る。誰もかれもがグローバリズムは「歴史の不可逆的な流れ」と思い込んでいるが、それは人為的なものに過ぎない。人為的なイデオロギーだから、人為的に変えられるのである。トランプ大統領もメイ首相も、保護主義に転換するが、貿易はインターナショナルに進めるのである。グローバリズムとインターナショナリズムの違いも分からないような日本のアホ知識人が、言論界の「空気」を作って
いて、わしのような考えを披露する場所などないだろう。せいぜいブログか、動画で言っていくしかない。
それにしても安倍政権の遅れ過ぎた新自由主義感覚は、もはや恥である。いまだにTPPに未練たらたら、格差拡大を放置して、日米同盟が最高の価値だと力説している。ボケ野郎にしか見えないが、これを国民が支持しているのだからどうしようもない。

では日本はアメリカに追随せず、自由貿易・グローバリズムを追及し、このまま中間層を破壊し続ける覚悟があるのだろうか?やがて日本も保護主義へ行くべきと言論の空気も変化して、政策を変える政治家や政党が現われるのだろうか?今のところは自民党も民進党も、TPPに賛成していた通り、新自由主義路線のままである。共産党だけが不思議なことに保護主義的な主張をしているのだから皮肉なことである。
%%%%%

 上で、グロバーリズムを書きましたが、東京新聞がそれについて、社説を1月19日に書いています。率直な物言いに好感を抱きました。
東京・社説1503

東征軍の行方侵攻基地、巨大地震の遷移、勇気ある比国大統領

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
【写真:昨日、町内バス旅行で訪ねた川越の有名な時の鐘櫓。天気に恵まれ、初めての川越見物を楽しんできました。】
CIMG1485



 江戸からは くりよりうまい 十三里 蔵の街並 とうりゃんせの地

 私の三大苦手野菜(?)の一つが薩摩芋です。それがここ川越の名物です。家内の大好物ですが、私は胸焼けを起こします。川越の町には、蔵通り、時計櫓など昔の日本の風景が残っており、懐かしい気分となりました。川越城の中(川越城 )にある三芳野神社(とうりゃんせ )は江戸時代からの古謡である、童謡「とうりゃんせ」で歌われる天神さんと知りました。
【図1:川越の地図】
川越マップ無題


 近くには吉見百穴(上の地図参照)があります。日本列島古代史解明の重要な手がかりを与えている”さきたま古墳群”と”志木”はすぐ近くです。できればじっくりと個人的なドライブで見聞したかったところです。

+++++行方考察(7)
【図2:行方郡記載に当って地名の登場順番に大きな意味があります】
征討軍進軍経路


 上の図は前回記事の末尾に掲載したものです。緑の矢印に見るように奈良の東夷征討軍勢は現在の栃木県南部である下毛野から新治郡をまずは侵略し、筑波、信太、茨城と順次侵攻を広げてきました。そして、最大の難関である行方郡と対峙します。奈良軍勢にとって最大の攻撃目標は香島に本拠を置く東の倭国、すなわち扶桑国の常陸国本部です。そして行方郡はその本拠を守る要塞であったのです。

 奈良軍勢はいよいよその要塞への攻撃を開始します。その開始への手順が上の図の緑の四角で囲まれた記述から見えてくるのです。この四角内で、「風土記」(小学館)の編者である植垣節也氏は行方郡の風土を語った後に、その記述に出現する地名をまとめ、それらの出現順番(上の緑の四角内に付された番号)を書き連ねています。

 此の四角内に書かれている地名をその左の地図に参照すると、見えてくるのが北から南の順番になっています。ここ数回で問題となっている大生は22番で、記載の最後ではありません。これは、名前だけが「ちらり」と登場するのが22番目ですが、実際には前々回書いたように大生は行方郡の最後に登場します。これは奈良の軍勢が行方郡攻略に最大の力点を置いていたのが実は「大生」であったことを問わず語りに白状しているのです。

 そして更に注目すべきは、この大生こそは、北浦を挟んでまさに香島郡の本拠(図で香島郡地図で8番と表示されている)に対峙しているのです。行方郡に侵攻後、藤原不比等の軍勢は香島の本拠から遠い北の縁からソロリソロリと大生に接近して行ったのです。常陸国風土記の研究者達はこうした戦闘経緯をむざむざと見逃していたのです。

上に書いた経緯への理解を元に再度風土記の記述を見てみましょう。
【図3:常陸国風土記。行方郡のクダリの最終文節】
行方ー香島無題


 赤の転戦部分こそが、行方郡のクダリの最終部の一節です。この地で倭武天皇(古事記は倭建命と書く)が相鹿丘前の宮に座していた(図2で18番、22番である大生のすぐ北)。ここに膳炊屋舎を建造し、舟で渡河出来るよう舟が停泊できるような艀を作ったと書きます。

 行方郡の条はここまで具体的に書いていたのです。奈良の中央権力が何処まで真実を書き記すことを許していたのかどうかは定かでありません。図に見るようにまさに敵の中枢である香島の眼前に北浦の水を隔てているとはいえ陣屋を設営し、糧食供給そして水運までも整え、一気に香島に攻め入る体制を整えていたのです。行方の条はまさにそれを記録しているのです。しかし、奈良の中央権力を慮り、あたかもハイキングの如き書きっぷりです。

 さて、その地に大橘比売が自らやってきたと、風土記は書きます。とすれば、当然そこで子を生したでしょう。王の子です。つまり大【おう=王】の子が生まれたのです。かくして此の地は「大生」となったのです。私は、此の説話は奈良の軍事政権の指導者ではなく、香島に拠点を設けた王、つまり扶桑国(東の倭国)の幹部武将(もしかしたら武王自身であったかも)の話であろうと思っています。その事実を意図的に藤原不比等の軍勢にまつわるエピソードとして、風土記に書き加えたのです。勿論、ここで生まれた御子が後世どのような名前で日本列島で活躍するのか、現時点ではそれは定かでありません。
(つづく)

+++++巨大地震
(図4:2004年スマトラ地震震央から見た、2016年12月312日までに起きた巨大地震)
三巨大系列


 前回、上図の緑で囲まれた点線域内の地震群が線状の配列をしているかのように見えるのは、図の縦軸が常用対数であるためであると書きました。そうではあっても22番で示される2008年の四川地震は、2004年のスマトラ地震と2011年の東日本地震の仲介と言う役割をなしたのではなかろうかと思えます。この議論は、後日にします。

 上の図で、これも常用対数軸と関わるのですが、縦軸メモリの3.8を超えた領域に三つの線形配列がみえます。一つはa領域内の3.8を超えた地震群、およびc、dと言う点線で示される二つの直線状分布です。スマトラ地震の震央あたりから世界を眺めていると、地球上の遠地でおきる巨大地震が規則的な発生様式を取るように見えるのでしょうか?と言ってもここでも座標軸のトリックが関わっています。

 例えば、a の地震群はスマトラから6000kmはなれた場所(2011年の東日本地震の震央)から20,000km近くもはなれた巨大地震まで時間的に12年かけて遷移しているように見えます。又点線cに沿う地震群はスマトラから見ている遠く1万数千kmの遠地での巨大地震が千キロの近くまで7年間かけてじわじわと近づいているように見えます。

 そこで、まずは点線dの地震群を見ることにしましょう。このグループはスマトラ地震とは直接関わり無く、2011年の日本の巨大地震を巻き込んでいます。
(図5:スマトラ地震を中心にした地震震央位置)
系列d


 いくつか興味深いことがありますが、それは他の情報とあわせて考察することにします。

 そうではあっても、ここで再度対数軸が問題になります。遠い巨大地震ほど、遷移速度が大きくなります。まるで宇宙膨張speed(ハブルの法則)に似た話です。そこで、スマトラ地震から見て他の巨大地震がどのようなスピードで離れようとしているのか或いは近づこうとしているのかを調べてみます。
(つづく)

+++++ドテルテ大統領、安倍氏の武器供与を断る
 比国大統領が安倍氏のミサイル供与を断り、平和が大切と語ったとのこと。我が国の「親分」よりはるかに高尚な理念を持っていると感服しました:
%%%%%以下記事転載
Duterte: I rejected Japan missile offer ドテルテ比国大統領の言 
By Christina Mendez
Philippine StarJanuary 15, 2017
Duterte: I rejected Japan missile offer
More
President Duterte has declined an offer by Japanese Prime Minister Shinzo Abe to provide missiles to the Philippines, saying he does not want to see a Third World War.
Speaking at the 49th annual installation of trustees and officers of the Davao City Chamber of Commerce and Industry at Marco Polo Hotel in Davao, Duterte revealed the offer last night following Abe’s visit to Davao City on Friday.
“If we start a third world war, that would be the end (of the world),” he said.
“Actually, I told (Prime Minister) Abe, I don’t need missiles,” he said, noting that even leaders of the United States and Russia seem to be coming on good terms.
“If you just see now, Putin is conciliatory and now Trump (is reaching out to the world), “ Duterte said, referring to Russian President Vladimir Putin and incoming US President Donald Trump.
Japan’s offer came after Russia initiated an offer to provide the Philippines with submarines but Defense Secretary Delfin Lorenzana said the country couldn’t afford it.
With this, Duterte reiterated his intent to stop the country from having foreign military alliances with any country.
“I want the country free of foreign soldiers. Ayoko… sibat na kayo. (I don’t like it.. they have to go). We are good now, ” he said.
Duterte had earlier said he wanted the last American soldier to pack up and leave as a result of his anger against the US for allegedly meddling in the campaign against illegal drugs.
The President, however, has allowed the defense department to pursue exercises as long as the naval exercise will not be near or within the South China Sea.
Earlier, Japan Foreign Press Secretray Tasuhisa Kawamura said his country is keen on participating in the Balikatan exercises between the US and the Philippines.
On martial law
Meanwhile, Duterte blasted crafters of the 1987 Constitution for making it hard for the next president to declare martial law since the latter needs to report to Congress, and that any act can still be questioned before the Supreme Court.
Such instances would lead to the clash between the three branches of government, he said.
He called as “bull sh*t” insinuations that he would declare martial rule in a bid to extend his stay in office.
He, however, said if he has to declare martial law, it would be to preserve the nation.
Narco mayors
During the event, Duterte also expressed how he hates drugs, criticizing anew Cebu, Daanbantayan Mayor Vicente Loot whom he has called a narco-mayor.
He threatened to kill narco mayors if they would pursue their illegal drugs operations.
“I really told them, pardon my language, son of a b***h,” Duterte said as he showed the drug battle list to Davao-based businessmen.
“Drop your guns if you’re a terrorist. Drop shabu tonight and tomorrow it will be heaven,” he said.
On the local front, Duterte said he is ready to talk to his Moro brothers for peace.
%%%%%以下日本語訳
Duterte:私は日本のミサイル提供を拒否した

クリスティーナ・メンデス フィリピンスター2017年1月15日
Duterte:私は日本のミサイル提供を拒否した
もっと
大統領は、第三次世界大戦を見たくないと言って、フィリピンにミサイルを提供するという、日本の首相の安倍晋三首相による提案を辞退した。
ダバオのマルコポーロホテルで、ダバオ市商工会議所の第49回年次総会に出席したダウターテ氏は、金曜日にアバがダバオ市を訪問した後、昨夜の提案を明らかにした。
「第3次世界大戦を始めるなら、それは(世界の)終わりになるだろう」と彼は語った。
「実際には、私はミサイルを必要としない(首相)、ミサイルは必要ない」と述べ、米国やロシアの指導者さえも良い方向に向いているようだと指摘した。
プーチン大統領は、プーチン大統領とドナルド・トランプ大統領の言葉を引用して「プーチン大統領は今見ているとプーチン大統領が譲歩し、現在はトランプ(世界に手を差し伸べている)だ」と述べた。
ロシアがフィリピンに潜水艦を提供するという提案を出したが、Delfin Lorenzana国防長官は、同国がそれを買う余裕がないと述べた後、日本の提案が出た。
これを受けて、デュテート氏は、国が外国との軍事同盟を締結しないようにする意向を再確認した。
"私は外国に兵士がいないようにしたい。Ayoko ... sibat na kayo。(私はそれが好きではない..彼らは行かなければならない)。我々は今良いです "と彼は言った。
Duterteは先に、不法薬物に対するキャンペーンに干渉していると主張した米国に対する怒りの結果、最後の米軍兵士を詰めて去ることを望んでいたと述べた。
しかし、大統領は、海軍訓練が南シナ海の近くまたは中にない限り、防衛省が練習を追求することを許可している。
先日、川村康久外相は、米国とフィリピンのバリカタン演習に参加することを熱望していると述べた。
戒厳令について
一方、大統領は1987年の憲法の草分けを爆破し、次期大統領が戒厳令を宣言するのを難しくし、後者は議会に報告する必要があり、最高裁判所には依然として疑問が残る。
そのような例は、政府三支部間の衝突につながると彼は言った。
彼は、彼が就任期間を延ばすために戒厳令を宣言すると言った「ブル・シュート」と呼んだ。
しかし、彼は戒厳令を宣言しなければならないとすれば、国家を保護することだと述べた。
ナルコ市長
このイベントで、Duterteはまた、彼がナルコ市長と呼んでいたDaanbantayan市長のVicente Lootを新たに批判して、麻薬を嫌う方法を表現した。
彼はナルコ市長を殺害すると脅迫した。
DuterteはDavaoに拠点を置くビジネスマンに麻薬バトルリストを示したので、「私は本当に彼らに言いました。
"あなたがテロリストなら、あなたの銃を投げ捨てる。今夜はシャブを落としてください。明日は天国になるでしょう。
地元の前で、デュテーテは彼が平和のために彼のモロ兄弟と話す準備ができていると言いました。
%%%%%

続・金子ー室井対談、八名の大金持ち、常陸国侵略軍侵入路

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
【写真:廿日月です。満月から僅か五日たっただけで、右側部分(西側)が大分欠けてきました。。これからどんどん右側が痩せてゆきます】
廿日月1460

 
廿日月 雑木の隙間に 入り込み 凍える寒さに 震えおるなり

 連日の真っ白な田んぼ。雉もカラスもどこかでひっそりと暖を取ってるのでしょう。用水路も凍り、鴨もどこかに引っ込んでいます。というわけで、このところレンズを向ける対象を探すのに苦労しています。

+++++行方考(6)
 常陸国・風土記の行方郡の条は「大生」(おおふ)で終え、直ちに香島の条に移ります。前回書いたようにここには大変古くに立てられたと伝えられる大生神社と常陸の国で一二を争うほどの大きな古墳群があります。しかるべき伝承があった筈です。しかし風土記は何も語らない。つまり語りたいのだが語れない事情があると私は睨んでいます。その事情とはなにか?

 常陸国は、野蛮人が跋扈する地であった。そこに倭建命がやってきて野蛮人どもを武力で以って服従させ、その地に平和をもたらした。一見すると、風土記はこうしたシナリオを踏まえて書かれているように見えます。実際、多くの研究者もそのシナリオに基づいて、文脈を解釈し、用語の意味づけなどに腐心します。そのシナリオは古事記・日本書紀に描き出されている枠内にとどまっているのは当然の事で、そこに疑念が持ち込まれることは無かったのです。

 例えば、古事記が描くシナリオ(筋書き)によれば、倭建命は、まず伊勢の大神宮に詣で倭比売命に「父はオイラの事を死ねっていうのか」なぞと愚痴をこぼしつつ尾張の国から相武(さがみ)に出張ります。焼津での焼き討ち事件の困難を経た後、横須賀の走水の海をわたりそこで野蛮人どもを征伐します。足柄でもう一働きした後、常陸国新治で「東国制覇の勝利宣言」をなし、帰路につくにあたっては科野(しなの)経由と書きます。

 “荒ぶる“東国の民が跋扈した上総、下総、彼らの重要拠点であった筈の香島についての言及が無いのは、藤原不比等の記紀編纂の政治的意図からは当然としても、余りにもお粗末な東国平定史です。

 常陸国風土記の編纂者は、記紀に縛られた東国史に「史実」を、奈良の権力の目をかすめて書き込もうとしたのであろうと思えます。それが2016年12月23日奈良軍勢の常陸国侵略経路 記事に掲載した図です。

(図1奈良軍勢の常陸国侵略経路)
常陸順番


 その一番の要(かなめ)が常陸国を構成する群の記載順であったのです。図で各郡に付されている赤丸番号がそれです。現ブログ管理人は此の記載順に編纂者の隠れた思惑が潜んでいるのだろうと書きました。上で書いたように、奈良の中央から進軍してきた倭建命は、足柄山に寄り道をしたとしても、現在の横須賀の『走水』で海を渡って房総半島(記紀はその地をあからさまには書きませんが)に上陸し、そこで野蛮人をやっつけ常陸国に勇ましく南から流の海(現在の利根川)を渡河し侵入するはずであったのです。どうやらそれは、香島に拠した在地軍の軍勢にひるんだため変更を余儀なくされたのです。そこで、進軍路を変更し、毛野国経由の迂回路をとることになった。このように考えると、記紀の倭建命の東夷征討の記載が齟齬無く理解でき
ます。

 いうまでも無く、記紀が書く倭建命は大陸正史に記載される「武」王又はその係累ではありません。武王が列島で活躍した時代は、藤原不比等軍の東国侵攻を遡ること数百年前の時代です。
風土記に登場する「倭建命」率いる東夷征討軍とは、奈良に本拠を置き、藤原不比等に指令される軍勢です。風土記は『意図的』にその史実を書かずに「武王」の業績と重ねてしまうことで、後世に混乱を持ち込んでいるのです。

 それはさておき、上に書いた経緯があったればこそ現在の江戸川、つまりかっての利根川は死と生を境する川であったのです。現在の千葉県、とりわけ下総国では藤原不比等が総帥をつとめる軍勢の暴虐的軍事侵攻に夥しい犠牲者が出たのではなかろうかと想像しています。成田国際空港の北にある龍角寺古墳群こそは、そうした犠牲者が弔われた地なのかも知れません。

 さて迂回して常陸国を西から侵入した藤原不比等の軍勢はどうしたのか?風土記ではまず、下毛野国に接する新治郡を叙し、筑波、信太、茨城郡を叙して、行方郡を書きます。この順番は、まさに、香島郡をじわじわと取り囲むかの如くです。言葉を変えれば、恐る恐る香島に接近する。そのためには香島の要害となっている行方攻略に全力をあげたと理解できます。上総、下総から侵入したとすれば当然行方・香島がまずは記載されるはずです。しかし、それは上に書いたようにできなかったのです。

 行方・香島には精鋭の部隊が存在したからです。そこで南からは攻めず、一旦西に退き、新治郡から侵入した経緯、さらには、侵入後も恐る恐る香島本陣に接近する様子が風土記の記載順序から見えてくるのです。全く同じ行軍の様子が実は行方の条の記載順からも見えてきます。それが下の図です。

【図2:常陸国風土記・行方郡記載順序から見える奈良軍勢の東国侵略】
征討軍進軍経路


大変重要なポイントです。丁寧に書きたいと思いますので、続きは次回とします。
(つづく)

 次回順延とは、勿体つけていると思われるやもしれません。理由は、前回の金子・室井対談の後半部を今回記事に掲載したいがためです。さらには、「8名の億万長者の話」をも掲載しておかないと、記事がどんどんたまってしまいます。実はdark matterの話とか地球に接近しつつあるasteroidの話など、既にたまっています。ご寛恕願います。

+++++世界富豪トップ8人の財産、貧困層36億人分と同じ=慈善団体
 ネット評論誌で表題の記事を見つけましたので以下に転載しておきます。「格差拡大の目に見える証拠」なぞと月並みではあっても、怒りを表明しておくか、と思っています。この人たちが世界の政治・経済に大きな影響力を行使しているんですな。我が国の安倍氏なんぞも、此の8名を含む諸数の人たちの掌で転がされているのでしょう。「経済成長がウンタラかんたら・・・・」と口角泡を飛ばしている諸兄も、所詮はこうした大金持ちが分捕った残渣を語っているのでしょう。しかも、その残渣にもどうやら目をつけているらしい。それにしても、現在は「資本主義」体制なのか?素人にはわからない。何か別の経済がうごめいているのではなかろうか。
尚、原文はBBCニュースに掲載されておりEight billionaires 
そのタイトルは
“Eight billionaires 'as rich as world's poorest half'”
By Katie HopeBusiness reporter, BBC News, in Davos
%%%%% 世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ財産
八人の億万長者 (BLOGOS)
BBCニュース 2017年01月16日 17:19
慈善団体オックスファムは15日、世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ財産を所有しているとの推計を発表した。
オックスファムは今回の報告書について、これまで反論も出ていた統計方法が改善されたとし、貧富の差は「恐れられていたよりもずっと大きかった」とコメントした。
17日には、各国首脳や経営者などが集まり討議する世界経済フォーラム(WEF)がスイス東部ダボスで開幕する。
自由市場を擁護するシンクタンク、経済問題研究所(IEA)のマーク・リトルウッド氏は、オックスファムは富裕層の批判ではなく、成長促進策に焦点を置くべきだと語った。「オックスファムは『貧困と闘う』団体でありながら奇妙なことに、頭の中を占めているのは富裕層のことのようだ」。
リトルウッド氏は、「絶対的貧困の完全な根絶」を目指す人たちが意識を集中すべきなのは、経済成長を促進する方策だと述べた。
アダム・スミス研究所のベン・サウスウッド所長は、重要なのは世界の富豪が所有する財産ではなく、世界の貧困層の状況が年々改善していることだと語った。
「毎年、富に関するオックスファムの報告書で間違った考えを植え付けられている。データはクレディ・スイスのものできちんとしているが、解釈はそうでない」
オックスファムのグローバル渉外担当、カティ・ライト氏は、報告書が「政治、経済分野のエリートたちに働きかける助けになる」と語った。「ダボスが世界のエリートたちのおしゃべりの場にすぎないと分かっているが、集まる関心を利用しようと思う」と述べた。
英国のエコノミスト、ジェラルド・リヨンズ氏は、極端な富裕に焦点を当てるのでは「全体像がいつも捉えられるとは限らない」とし、「分配に充てられる経済規模の拡大の確保」に関心を持つべきだと指摘した。
一方でリヨンズ氏は、株主や経営幹部への報酬を増やすことにますます集中するビジネスモデルを持ち、格差拡大を促進しているとオックスファムが考える企業を特定し、批判するのは正しいと語った。
オックスファムのライト氏は、経済格差が政治の2極化を加速させていると指摘し、その例として米大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利や、英国の欧州連合(EU)離脱を決めた国民投票を挙げた。
同氏は、「人々は怒っており、別の選択肢を求めている。どんなに一所懸命働いても自分たちの国の成長の分け前を得られないために、取り残されたと感じている」と語った。

世界で最も富裕な8人と資産額(フォーブス誌)
1位 ビル・ゲイツ氏(米国) マイクロソフト創業者 750億ドル(約8兆5000億円)
2位 アマンシオ・オルテガ氏(スペイン) ZARA創業者 670億ドル 
3位 ウォーレン・バフェット氏(米国) バークシャー・ハザウェイの筆頭株主 608億ドル
4位 カルロス・スリム氏(メキシコ) グルポ・カルソ創業者 500億ドル
5位 ジェフ・ベゾス氏(米国) アマゾン創業者 452億ドル 
6位 マーク・ザッカ―バーグ氏 フェイスブック共同創業者 446億ドル
7位 ラリー・エリソン氏 オラクル共同創業者 436億ドル
8位 マイケル・ブルームバーグ氏 ブルームバーグ創業者 400億ドル
Richest72810dcf08a4e

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+++++金子勝・室井佑月対談(つづき)

 1月11日記事で、我が国のジャーナリズムの質の低下を書きました(http://c23.biz/hXsm )低質なジャーナリズムの中で孤軍奮闘するのが室井佑月さんです。その室井さんが気鋭の反骨精神旺盛な金子勝慶大教授と議論をしています。日本が抱える問題をずばりと語っています。以下は、前回の続き、つまり後半部分です。
%%%%% 議論の続き(開始)
右傾化するテレビで孤立、室井佑月が金子勝に弱音!「どんどん仲間がいなくなる」「右のやつらが羨ましい」(リテラ)
http://c23.biz/EXds 〔室井、金子170114〕

右傾化するテレビで孤立、室井佑月が金子勝に弱音!「どんどん仲間がいなくなる」「右のやつ
http://lite-ra.com/2017/01/post-2850.html 室井佑月がさまざまな学者やジャーナリストに会って、安倍政権のどこが危険なのか、安倍政権をどうしたら倒せるのか、を本気で考える連載対談「アベを倒したい!」。経済学者の金子勝氏を招いた第一回、前編では、オリンピック前、経済が破綻したあとに必ず揺り戻しがくる、という金子の予測が明らかにされた。後編はそこからメディアの問題に話題が移り、議論は白熱。室井の口からは思わぬ本音も飛び出した!
………………………………………………………
●左翼は安倍政権やネトウヨのやり方を見習うべきだ
室井 金子先生は、揺り戻しが必ずくると言うけど、でも、いまのメディアの状況をみていると、私はそういう風には思えない。高い支持率だって、責任はマスコミの報道のせいでしょう。安倍さんなんてスローガンだけなのに。スローガンを掲げて、すごく宣伝して。でも、マスコミは中身の検証なんかほとんどしないから、勇ましいスローガンだけが印象に残る。真珠湾訪問にしても、テレビでは1日中「安倍」「安倍」って連呼していたけど、政府からリークされた情報を垂れ流すだけで、それをどう評価するか、問題点は何かを一切報道していない。それどころか安倍礼讃一色だよ。
金子 たしかに、そういう部分はある。テレビで「真珠湾! 日米和解!」と聞き続けると、何も考えずに「安倍首相はいいことしてるんじゃない」って思うわけ。毎日、毎日垂れ流される情報で、みんな「安倍さんが活躍している」となる。こうしたマスコミ懐柔は菅義偉官房長官の存在が大きい。下から這い上がってきて、政敵を追い落として、金とポストの人間の汚さを知り尽くしている。内閣人事局を作って、官僚の人事で安倍に批判的な人を飛ばしたり直接的な人事をやるわけです。メディアもそうだけど、男はだめなんだ。金と出世をちらつかせられるとね。
室井 悔しいけど、安倍さんは攻め方がうまい。『報道ステーション』『NEWS23』「朝日新聞」とかメディアは名指しで攻撃されると、その恐怖が周りに伝播する。でも左側の攻め方って、メディアを批判はするけれど、特定ではなく全体としてのメディア評になっている。だから、怖くもなんともない。こっちも、名前を具体的に出して攻めることも必要だよ。ネトウヨや、ネトサポのやり方、向こうのやり口を真似すればいい。嘘、デマ、ヘイトなどの卑怯な攻撃に対して、こっちも同じように集中攻撃する。ネトサポのように組織化する。対抗するにはそれしかないんじゃない。左翼の人って、そんなの格好悪いとか、頭悪そうなんてよく言うけど、それじゃ勝てない。見せしめみたいに、ヘイトや嘘を拡散すると、こんな風に追い詰められるんだ、潰されるんだ、という恐怖を与える。それは向こうがやっていることだしね。卑怯な奴には卑怯な手段。私たちだって名前を出してギリギリでやっている。だからこれからは、きちんとメディア名や個人名をあげて批判しようと思ってる。「メディア全般がダメだ。安倍政権に懐柔されてる」なんていう、今までのやり方だと、誰も怖いと思わないんだよ。安倍政権のやり方は、狙い撃ちだったじゃない。そのやり方が怖いと思うんだったら、逆張りをやるしかない。
金子 民進党とかバカ正直だから、自民党がマスコミ対策をかなり緻密に研究し、実行しているのをみているのに、自分たちじゃ全然やってないけどね。
室井 知らないうちに、ほとんどのメディアが自民党に抑えられてる。国会中継でも安倍さんがやり込められるシーンは放映されないでしょ。YouTubeでも安倍さんが格好よく決まったセリフだけがアップされて、拡散していくけど、逆に追い詰められたときの動画がほとんど上がってない。だから追い詰められた動画をどんどん拡散しなくちゃ勝てない。政権批判する番組スポンサーに抗議の電話があったら、逆にそのスポンサーを賛美する電話をする。良いことを言った人を褒める電話ね。そして政権べったりのコメントをする芸能人、著名人には、そのスポンサーに抗議する。奴らの逆張りこそが有効なんじゃない? 15年の紅白の桑田佳祐や、安保や都知事選の石田純一、長渕剛、渡辺謙さんなどの著名人たちも、きちんと声をあげている。でも「バカみたい」とか、「中学生の作文レベル」という声が大勢を占めちゃう。そんな時に「感動した」という意見をもっともっと拡散して応援したい。ネトサポみたいに(笑)。そうすれば状況は、もっと変わっていくと思う。
金子 確かに、そのくらいやらないとダメかも。でも左翼って団結できないし、真面目なんだよね。
室井 それでもネット左翼の戦略的組織化は必要だよ。もう仕事やめてそっちやろうかな。キャンペーンを張ってみんなで一斉に攻撃する。数字やスポンサーが怖いテレビは特に効果的だと思う。ネトウヨ手法を見習う!  左はバカって言われるのを恐れるけど、バカくらいじゃないと現状は打開できるわけない。左の人たちは批判されるのをいやがって固すぎるんだよ。相手が卑怯なことやってるんだから、こっちも卑怯で対抗しないと。
金子 連載している日刊ゲンダイの記者が、最近困ったっていうんですよ。「俺たちはゲリラ・メディアのつもりで、人が批判しないタブーを発信していたつもりが、いま大手新聞がおかしくなって、自分たちが言ってることが“正論”になっちゃって」と。確かに室井さんや、ゲンダイの記者がいうように、今の日本はマスコミがおかしくなっている。でも、左の人たちは格好つけだし、批判されることを凄く嫌がるよね。頭が固すぎるんだ。批判されるとムキになる。僕なんかネトウヨにがんがん叩かれて嬉しくなるよ。きたな、きたな、嬉しいな拡散してくれて(笑)。この変動期に、物が言えたり書けたりするのは楽しい。時計に喩えると、時間を見るんじゃなく、時計の中身がどう動いているのかを探るのが商売だからね。それが手に取るようにわかるのがいい。
室井 それは金子先生が学者だからで、芸能人がやられたらやっぱり仕事に影響する。だからネトウヨに叩かれるような立派な発言した人には「あの発言はよかった」って反応を多くテレビ局やマスコミにも伝えればいいと思う。金子先生みたいな強い人が、「バカは気にしない」なんて言ってると、弱い立場の芸能人や反応を気にする著名人が声をあげられなくなって、今みたいになっちゃったんだからさ。
金子 別に芸能人じゃないから、発言する場がどこであってもかまわないわけで。みんな笑うかもしれないけど、僕は1000人しか読まないような難しい本を書いていこうと思っている。物事の本質をつくような。自己満足かもしれないけど、こういう時代だからこそ、ワクワクしながら楽しみたい。
室井 私はそんなことを言う人がカッコイイとは思わない。先生はそうかもしれないけど、どんどんそれで発言できる人が少なくなるんだから。萎縮しちゃうよ。
●安倍政権に見捨てられた地方から反逆の狼煙は上がる?
金子 でも希望はあるよ。僕は中央メディアからは声がかからなくなっても共同通信とか北海道新聞、信濃毎日とか、地方から注文がたくさんくる。それはなぜかと言うと、原発もTPPも基地も、あらゆるものが地方の問題で、押し付けられているという生活に密着した切実な問題があるからだと思っている。そして今、野党共闘や、沖縄の翁長雄志知事のもとでのオール沖縄、さらに山口県と佐賀県でオスプレイとTPP反対があり、新潟でも再稼働に慎重な米山隆一知事が誕生している。
室井 じゃあ、なぜ、地方でも安倍さんの支持率が高いの? おかしいでしょ。
金子 もう朝日VS読売の時代は終わったんだよ。民進党を始めとする野党が、中央VS地方という対立構図がわかってないからだね。相変わらず自民党に妥協的な事を言っているから、中央政治の時代の枠組みに取り残されてる。
室井 そんなことを言ってるだけじゃ絶対だめなんだよ。それだと何年かかるかわからない。地方に行ったらわかるけど、選挙のときに弁当屋はここ、印刷はここと、利権の分配が決まっていて、どっちが正しいとかじゃないんだよ。ちょっとでも高いお金をくれる方がいいに決まってる。どんないい政策を述べているかなんて関係ない。それに大手新聞VS地方新聞って言うけど、私はそうは思わない。沖縄のことだって地元の新聞は頑張ってるけど、中央の人たちが読んでない。発行部数もどんどん減ってきてるわけだから。メディアも既得権益にずっぽり浸かっていて、それを手放そうとしない。だから保守的、風見鶏的になる。若い子は新聞なんか読んでなくてネットで見るわけだから。例えば、見出しと本文が違う場合、それをいちいち指摘、批判して、突いて話題にしなきゃダメだと思う。
金子 僕は2018年から2019年に日本はひとつの転機を迎えると思っている。オリンピックに向け、海外メディアも日本の現状を積極的に伝えるだろうからね。日本のメディアが隠蔽してきた福島原発の現状、放射能、健康被害なでの実態が暴露される。
室井 まだまだ隠していることたくさんあると思うし、オリンピックは返上した方がいいと思う。北京五輪の時も公害を気にして参加しなかったアスリートもいた。日本もそうなるんじゃない? 福島県で野球を開催しようとして、世界連盟が否定的見解を出したけど、その本当の理由は絶対言わない。みんな思っているけど口にできないんだよ。「芝生じゃないのが嫌なんじゃないのか」とか、いろいろ言い訳ばかり考えて。
金子 実際、震災後に福島大学で「日本地方財政学会」の大会を開催した時も同じようなことがあった。毎年ゲストを呼ぶことになっていたが、何人かに拒否された。
室井 原発事故だけじゃない。震災以降、震度5以上の地震が多発して、2016年には33回もあったんだよ。震災後の2012年から年間10数回程度で収まっていたのに、多発している。しかも、こうした地震を安倍さんは利用しているし、大震災がくれば、安倍さんにとって有利じゃないの? 緊急事態だって言えるし、熊本震災の時も緊急事態条項を持ち出して、世論操作していたもの。安倍さんにとって、未曾有の大災害はいろいろ利用できるんだよ。危機を煽るのが得意だから。
金子 戦前もそうだったけど、ファシズムは国家的危機、国民が格差など苦しい状況に陥ると出てくるものなんだ。中間層、衣食足りて礼節を知る人たちが多い時はリベラルだが、しかし社会や経済が閉塞すると、洗脳政治にすごく弱くなる。そして強いスローガンを叫ぶ指導者に洗脳される。でも、ファシズムにはもろさもある。それは、独裁者が自分より優れた人間を側に置かないということ。安倍さんもそう。パンツ泥棒とかヤクザと繋がってるとか、政治資金絡みとか。普段だったら陣笠議員にしかなれない人間が大臣になる。だから後継者はいないし、縮小再生産がはじまって、やがて滅びる。実際、アベノミクス、デフレ脱却なんて言ってるけど、消費者物価、支出ともに9カ月連続マイナスが続いている。でもそれが報じられない。安倍政権は4年もそうした状態を放置して、選挙のたびに、「経済最優先」だもの。だから「アベノミクスが目標に達してない」「むしろ悪くなってる」と言い続けることが大事だし、僕はずっと言い続けている。
●2018年にチャンスは絶対にやってくる。それまで闘い続けろ
室井 でも発言する場所がなくなってきてる。私も、いつか振り子が逆に振れるだろうと思って頑張ってるけど、でも長いよ。本音を言える人がどんどんいなくなっていっちゃう。目立ちたくないのに。私なんて、ただのおばさんだよ。なんで怖い目に合わなきゃいけないの。もっとみんなが声をあげてくれたらと思うよ。
金子 室井さんは特異なキャラで、キツイこと言ってもそう受け止められない。
室井 私は嫌なんだって。仲間が減ってくのも嫌。しかも右の論客の人たちって楽しそうなんだよ。テレビに出てても群れて、我が世の春みたいで、すごい楽しそう。みんなで「先生のこの本、読みました!」なんて話しちゃってさ。仕事なんか回し合っちゃってさ。私は、どんどん仲間がいなくて寂しいのに。奴らが羨ましくてしょうがない。
金子 今は、安政の大獄だと思えばいい。国民の間に騙されたという感覚がある以上、揺り戻しは必ず来るから。
室井 私は、騙される人はまた騙されると思う。また力強く新しいのに騙されると思う。ずっとごまかされながら生きていく。だから大事なんだよ、メディアって。
金子 だからこそ、野党でもいいし、市民デモでもいい。ちゃんとしたオルタナティブになるようなスローガンがしっかり定着してこないと。持続する力を持たないといけない。
室井 でも私は、今の状況が嫌なの。自分だけなら気にしないで生きられるけど、子どももいるし。この空気は絶対に変えなきゃいけないって思う。女の勘ね。
金子 室井さんの気持ちはわかるけど、今は、安政の大獄なんだよ。さっきも言ったけど、耐えて次を準備するしかない。でも、数年の流れの中で考えてれば、決して無駄にはならない。今の時代にちゃんと言ってきたこと、その主張は自己満足かもしれないけど財産になると思うよ。虫眼鏡で見てると方向感がなくなるけど、望遠鏡だと小さい小石につまずいて転んじゃう。だから今は、地図をみて望遠鏡で見て虫眼鏡で確認して、きっちり見定めることが大事。僕は当面、ヨーロッパ、アメリカの動向を見ながら、2018年前後に何が起こるのか、どんなショックが起こるのか、それを見極めていきたい。
室井 私は全然違う。そんな長い間、頑張れない。今月のことしか考えられない。まだ長い時間かかるの? どこまで頑張って、いつまで我慢しなくちゃいけないの? 
金子 2018〜2019年が境目だよ。そのときが最初の勝負だ。
室井 金子先生がそこまで言うなら、それまで我慢するかな。でも、私なんてそれまでに消えちゃうかもな〜。
金子 室井さんは生き残らないとだめだよ。
室井 わかったよ。頑張って全身タイツみたいな仕事もするよ。
金子 僕もライザップ行こうかな。

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金子勝 経済学者、1952年生まれ。東京大学経済学部卒業後、茨城大学人文学部講師、法政大学経済学部助教授・教授などを経て、2000年から慶応義塾大学経済学部教授。『原発は不良債権である』『金子勝の仕事道! 人生を獲得する職業人』(岩波書店)、『戦後の終わり』(筑摩書房)など著書多数。
室井佑月 作家、1970年生まれ。レースクイーン、銀座クラブホステスなどを経て1997年作家デビューし、その後テレビコメンテーターとしても活躍。現在『ひるおび!』『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)、『あさイチ』(NHK)などに出演中。
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巨大地震(5、四川地震)、世の中どうなる(金子・室井対談)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:水田を真っ白にする降霜、さすがのカラスも地面を突くのを諦めてます。クリックすると図が拡大されます〕
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凍(こご)えます 凍(こご)え凍(こご)えて もういやだ 思えば暑き 夏に吐いた言

 齢を取ると、何せ堪え性がなくなります。暑きゃ暑いで、「もう嫌だ」と喚き、ここ数日の寒さで、又も「もう嫌だ」と叫ぶんですな。

 先日絵の上手なタレントさん(此の御仁は俳優・関口弘と歌手・西田佐知子の間にできた息子とのこと)のハンガリ旅行番組を見ました。このタレントさんのスケッチ画の見事な描写力に感心しています。今回の訪問先はハンガリのソプロンです。十数年ほど昔の冬、ウイーンから車を走らせた記憶がよみがえりました。勉強不足であったため、「ピクニック」なる英雄譚は知りませんでした(ウイキソプロンのピクニック)。積雪のソプロンから更に東へ雪道を30kmほど走ったところにあるエステル・ハージ宮殿を訪ねました(ソプロン郊外のエステルハージ宮殿 )。此の公爵にハイドンは音楽士として仕えました。近くのオーストラリア側のエイゼンシュッタトにもう一つ同名の宮殿が在り、その近くにはハイドンが葬られている教会があります。

 そんなことがありましたから、懐かしくその番組を見ました。季節が異なるので、思い出すのは真っ白な雪景色のみですが、宮廷内部の見学の記憶がよみがえりました。大雪の冬であるため観光客は家内と冬の休暇でウイーンに滞在していた娘の3人だけです。ガイドさんは通常はドイツ語のところを、英語で説明してくれました。聞き取り易い英語であったうえ、観光客が我ら3人と言うことで説明もありきたりでなく余談が交り、大いに楽しいものでした。娘なんぞは英語の勉強になったと喜んでいました。

 冷戦終結から十年余と言うわけで、未だ宮殿内部の修復が終えておらず、あちこち白い壁が目立ちます。ガイドさんが言うには大戦中は戦争による傷病者の野戦病院として機能していたとのこと。そのため、壁画などを白いペンキでおおっていたそうです。白壁はその名残であると語ってくれました。当時それを丁寧にはがしとっていました。図らずも欧州の第二次大戦の残渣に触れた思いがしました。そして、ここが東独の民の中立国たるオーストリアへの脱出の一つの現場であったとは。知識が無いため、みすみす見聞を広げる機会を失してしまいました。

〔写真:ソプロン訪問後、オーストリアに戻り西に走って出会った古城、ホホステルヴィッツ。故サッチャ英国首相など、ヨーロッパの多くの要人が此の古城を訪れている。クリックすると図が拡大されます〕
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 その後、もう一つの東欧からオーストリアへの脱出口を訪ねる機会がありました。ウイーンから東に50km余走ると旧チェコスロバキア(現在のスロバキア)との国境です。そこにmarcheggという古城があり近くの自然公園はコウノトリ棲息地であります。
【写真:ウイーン自然公園とコウノトリ生息林)
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 ここの東岸を南北に流れるのがモルダヴァ河です。冷戦終了の時期、此の地にも多くの東欧からの移民が押し寄せたそうです。まだそうした移民を監視するための小屋が河畔にありました。

(写真:オーストリアとスロヴァキア国境の風景、国境沿いに走る鉄道、クリックすると拡大)
Train01551

(写真)国境を定めるMarch(モルダヴァ)川、左はオーストリア、右はスロバキア、クリックすると拡大)
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 国境には、未だに当時の鉄条網の一部が残されており、東側に住む人たちの自由と生活への渇望が伝わってくる思いがしました。

 十余年前の生活を思わず懐かしんだ次第です。

+++++巨大地震
 前回記事では2004年12月26日のスマトラMw9の地震・震央から計測した世界中の2000年以降の巨大地震。震央との距離を時間順に並べた図を掲載しました。

〔図1:再掲図に地震番号〔横軸〕を加筆。クリックすると図が拡大されます〕
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 その図では46個の点が散布されていますが、良く見るとなにやら直線上の分布が幾つか見えてきます。祖のうちの最も顕著な点群を”a”名づけました。この群に属する自身は2011年3が宇11日の東日本地震を含めて5つあります。
 そこで今回はそれらを詳しく見ることにします。さて、図1を見る際に重大な注意を前回付しませんでした。それは、縦軸には距離の常用対数をとっていることです。これは距離がkmから数万kmに渡る値を一つの座標軸にオア冷める際の倭場常套手段です。
こうした対数軸を用いる際に注意せねばならないことがあります。それは広範囲にまたがる数値を一つの座標軸に納めるという利点の謂わば裏の顔とでもいうべきことです。小さい値についてはそれが大きく引き伸ばされてしまうのです。

〔図2:2004年12月26日から2011年3月11日間の巨大地震分布、右やや上の黒四角は2011年3月の東北日本巨大地震。クリックすると図が拡大されます〕
btwsmajap無題


 此の図からわかるように最初の3個の地震〔番号、12,19,20〕はスマトラ地震震央から至近距離〔と言っても最長1000kmに達します。スマトラ地震が如何に巨大であったかがわかります〕、つまり余震であったことがわかります。余震とはいえそのMw値からは巨大地震として分類されるほどの大きい地震なのですが。

 さて、そうなるともう一つの地震、つまり図2の地震番号22はどこで起きているのでしょうか?それは中国北西部奥四川の地震です。ウイキが書くように四川地震(ウイキ) 此の地震による死者は六万を超え、倒壊家屋は25万にも達するとのことです。
此の地震に関する多くの情報からさしあたり以下を挙げておきます。
四川地震〔動画) 〔四川地震〕
四川地震解析〔八木、筑波大学) (八木)
四川地震〔米国カリフォルニア工科大学) (caltech)
〔図3:GCCSから得られる発震機構解および他の諸量〔左上〕、発震機構解の図示〔右上、a,bは左の断層面幾何形状に付したa,bに対応している。クリックすると図が拡大されます〕、
地震活動と2008年5月12日地震の震央(CIT Home-pageより)より)
四川s0080512無題


 ところで上記ウイキは興味深いことを書きます:
%%%%%ウイキ記事抜粋
2001年11月14日のチベット北部の地震(M8.1)、2002年のアフガニスタン北部の地震(M7.4)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)、2005年のスマトラ島沖地震(M8.6)やパキスタン地震(M7.6)、2006年のジャワ島南西沖地震(M7.2)、2007年のスマトラ島沖地震(M8.5)、2008年の新疆ウイグル自治区の地震(M7.2)など、インドプレートとユーラシアプレートの境界地域で地震が頻発していることからこの地域が地震の活動期に入っており、向こう20年程度は大規模な地震が続発する恐れがあるとの指摘もある。〔中略〕
水平方向に伝播しやすく減衰しにくい表面波(レイリー波)が強くなったことなどが挙げられている。日本の長野県にある気象庁精密地震観測室(現・気象庁松代地震観測所)では15時41分、18時10分、20時40分(いずれもJST)の4回にわたって表面波を観測し、表面波が地球を2周したことがわかった[12]。また、東京大学地震研究所は、防災科学技術研究所の広帯域地震観測網(F-net)がとらえた地震波形の解析結果から、地震波が地球を6周したと発表した[13]。
%%%%%

 上記ウイキ記事の後半部については、いずれ書かねばならないことがあります。それは北方領土返還で問題となっているエトロフ島の下で起きた地震です。しかし、話が散漫になってしまうので後日書きます。
本ブログで書きたいことは前半部分です。地震専門家がしばしば「活動期」と言う言葉を口にするとき、私はそれを皮肉の念を持って聞き流してきました。しかし、今般、2004年のスマトラ地震と2011年の穂餓死日本巨大地震の間にこの四川地震が割り込んできたのです。関連があるとすれば、どのような経路であったのだろうか?これが私の最大関心事でありました。

〔図4:プレート、および小規模プレートとその境界。クリックすると図が拡大されます〕
四川ープレート無題


 巨大地震の震源が何がしかの物理的・力学的過程によって移動するらしいことは、これまでも多くの地震研究者によって指摘されてきました。しかし、話が余りにも漠としている故か、その物理を追及した研究者は多くないようです。第一に考えられるのは、地球を構成するプレートの対流運動です。しかし、マントル対流とするとその速度は年間高々数cmです。次回に詳しく書きますが、観察される地震の移動速度はそれよりおよそ10万倍速いのです。
 そうではなくて、マントルの物性、つまり岩盤の粘性流体としての流動拡散であろうとのモデルも考察されています。これは地球の粘性をどのように仮定するかで、いかようにも観測事実にあわせることが出来ますが、そうなると、それがかえって議論の信憑性を疑わせます。

 小さな地震の移動は去りながら、巨大地震の移動には特殊なメカニズムと特殊な移動経路があるのではなかろうか?次回そのあたりを探ってみたいと思っています。
(つづく)

+++++日本の先行きを金子氏と室井氏が論ずる(1)
 1月11日記事で、我が国のジャーナリズムの質の低下を書きました(権力のご機嫌を伺う当国マスコミ )。低質なジャーナリズムの中で孤軍奮闘するのが室井佑月さんです。その室井さんが気鋭の反骨精神旺盛な金子勝慶大教授と議論をしています。日本が抱える問題をずばりと語っています。以下に二回に分けて転載します。
 記事が長くなりましたので、「古代史」行方論は順延させてください。 
%%%%%対談紹介(1)
金子勝・慶應義塾大学経済学部教授(左)と作家・室井佑月(右)が安倍政権の経済政策をメッタ切り!!

室井佑月が経済学者・金子勝に訊く! このまま安倍政権が続いたら何が起きるのか、その恐怖のシナリオとは?
雑誌「リテラ」より 
http://lite-ra.com/2017/01/post-2849.html
2017.01.14. 室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第1回ゲスト 金子勝(前編) リテラ

 政権批判が完全にタブーとなり、安倍応援団やネトウヨコメンテーターにすっかり占拠されてしまった感のある日本のテレビ番組。そんななかで、安倍政権の危険性を伝えようと孤軍奮闘しているのが、作家の室井佑月だ。彼女はさまざまなワイドショーや情報番組に出演しながら、一昨年の安保法制でも、敢然と安倍政権のやり方に異を唱えてきた。
 しかも、室井がそのへんのリベラルと決定的に違うのは、その言動に「強度」があることだ。狡猾な安倍応援団の話のすり替えやごまかしにもけっして丸め込まれず、その言葉はまるで「王様は裸だ!」と叫ぶ子供のように本質を突く。『ひるおび!』(TBS)では、安倍の“寿司トモ”田崎史郎に食い下がり、逆ギレさせたこともあった。
 おそらく今のわれわれに一番、必要なのはこういう強度、タフさなんじゃないだろうか。すっかり室井に惚れ込んだリテラは新年に当たって、彼女にインタビュー連載をお願いしてみた。すると、彼女からは「あたしみたいなバカがひとりでしゃべったって仕方がない。それよりいろんな学者やジャーナリストに会って、安倍政権がどこがやばいのか、安倍政権をどうしたら倒せるのか。そのことを本気で考えたい」という返事。
 うーむ、室井はマジだ。ということで、今月より、室井佑月の連載対談を開始することにした。タイトルはそのまんま、「アベを倒したい!」。第一回のゲストは、経済学者で、慶応義塾大学経済学部教授の金子勝氏、テーマはもちろん、アベノミクスのインチキと危険性。しかし、対談は経済の話題だけにとどまらず、メディア支配などさまざまな問題について、強烈な言葉が次々と飛び出した。いったいどんな安倍批判が語られたのか。乞う御期待!
(編集部)
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●アベノミクス詐欺のせいでオリンピック前に経済破綻?
室井 新年早々いきなりだけど、金子先生、安倍政権がこのまま続くと、日本は本当にやばいことになると思うんだよ。で、どんなひどいことが起こるのか、ちゃんと教えてもらおうと思ってさ。
金子 僕は一応、経済学者なので、目の前の現実を見ながら、常に5年、10年先の経済状況をシミュレーションしているんだけど、安倍政権が続いたら、日本経済はこの先、ひどいことになるだろうね。すでに、マイナス金利の弊害が出てきていて、日銀は債務超過、損失が10兆円に近い。自己資本が7.4兆円だから、かなりオーバーしていて、ぎりぎりの状態だ。それでも伸びているのが不動産融資で、今年の前半で7兆円を超えた。まさにバブル状態で、このままいくと、確実に破綻する。
室井 不動産バブルが弾けちゃったら、結局またわたしたちが銀行を助けることになるんじゃないの? 
金子 そのとおり。でも、安倍首相はそんなことかまわず、破綻するまでこの路線でつっこんでいくだろう。債務超過だけど、お金をじゃんじゃん刷りまくる。どこまでお札(日銀券)を信用できるか。それがたぶん安倍さんの言う“挑戦”なんだと思う。いつまで成長戦略、アベノミクスと叫び続けられるか、国民を騙し続けられるかの“挑戦”だ(笑)。
室井 でも、そのわりには、見せかけですら景気がよくなっていない。不動産だって、もっと高くなったりするかと思ったけど、たいしたことない。
金子 不動産はもうアップアップ。東京都心では昨年11月くらいでピークアウトしている。だから今、福岡の天神とか、仙台とか、札幌の真ん中とか、そういうところに波及してる段階だ。逆に、こんなに金をつぎ込んでもこの程度だから、破綻はかなり早い。たぶんオリンピック前に、危ない局面がくる。
室井 でも、安倍さんは認めないんだろうな。逆にオリンピック使ってごまかそうとするんじゃない? マスコミを使ってオリンピックキャンペーン張って、「テロもあるし緊急事態条項が必要だ」とか言って。
金子 もうひとつ危ないのは、アメリカのいまのドル高・超高金利だ。日本の大手銀行も政府も、みんな外国債や海外投資に逃げていく。もう抜けられないところへどんどん突っ込んでいって、逆に地方は投資がまったくなくなって疲弊しきっていく。
室井 円安で株価はあがってるけど、もうかるのは、巨大輸出企業だけだもんね。
金子 その輸出産業もやばいよ。原発輸出だってトルコ、ベトナム、台湾、みんなだめになってる。安倍政権の成長戦略化けの皮全部剥がれている。たとえば東芝はセンサーや白物家電、医療機器などこれから伸びる商品を全部やめて、国家に頼って原発と半導体とインフラ事業に特化した。CB&Iという、ウェスティングハウスの買収の損失に加えて、原発建設関連の会社を買収したが、損失が5000億円になりそう。死に体だね。三菱重工はサンオノフレ原発で訴訟を受けて、9000億円もの賠償請求を受けて、100億しか払わないで揉めてる。日立も英国でコスト高の原発計画に突っ込んでいる。
室井 それって、もとをたどれば、安倍さんの無責任な原発政策のせいだよね。第一次安倍内閣の時、安倍さん自身が「原発の全電源喪失はない」と国会答弁していたわけでしょう。それが福島原発事故を招いたともいえるのに、まったく反省の色がなく、原発再稼働に邁進していった。その時、原発行政の責任者の経産相だったのが甘利明さん。なのに、事故直後にその責任を問われて、テレビ東京の取材で「日本なんてどうなってもいい、俺の知ったこっちゃない」って言ったんだよね。でもこの発言、全然大きいニュースにならなかった。
金子 甘利元経産相はテレビ東京を相手取って名誉毀損裁判を起こしたからね。みんなびびって報道しなくなった。しかも、一審判決では、テレ東が敗訴したでしょ。その判決を出した都築政則裁判長が、その後、前新潟県知事の泉田裕彦への脅しとして新潟地裁に異動し、柏崎刈羽原発関連の訴訟を指揮した……。
室井 なんだそれ。結局、裁判所も原発と安倍政権の味方なんだよね。
金子 とにかく、安倍政権は福島原発の事故については完全に責任をほおかむりして、第二次政権では、原発再稼働路線にひた走った。東芝も三菱重工も日立も結局、国家の事業にかなり依存して生きてるから、そのまま突っ込んでいっちゃった。
室井 でも、それがいまどんどん破綻してるんだもんね。このままいったら、東電だけじゃなくて、こういう原子力産業にも私たちの税金が使われるようになるんじゃない。
●経済破綻を隠すために安倍の極右路線はエスカレートする
金子 経済破綻のリスク要因としては、あと、ヨーロッパがすごく不安定。今年3月にオランダの総選挙、フランス大統領選が続き、秋にはドイツの連邦議会選挙がある。選挙結果によっては、EU離脱が相次ぎ、ヨーロッパで金融危機が起きかねない。ドイツ銀行もバ―クレイもクレディスイスも悪い。さらに、イタリア第3位のモンテ・パスキ銀行がいま、経営危機で公的資金が注入されるという話になってるけど、これにEU離脱が加わったら、自国通貨が暴落。ハイパーインフレとなり、イタリアの金融が潰れる。その国債を持っているヨーロッパの金融機関がアウトになる。
室井 金融危機はどんどん伝染するもんね。
金子 そう。もしヨーロッパで金融危機が起きたら、リーマン・ショック並に世界経済を直撃する可能性は十分ある。しかもこうした金融危機、景気循環のサイクルは10年なんだ。リーマン・ショックが08年。だから2017年から2019年が危ないと見ている。
室井 日本は不動産バブルが崩壊し、EU離脱ショックが加わり、とダブルパンチ。
金子 加えて、日本は地域がどんどん弱っていて、内需が弱り、労働分配率がどんどん落ちている。賃金も上がらず家計消費も上がらず、しかもイノベーションは起きないでしょ。そんななか、安倍が生き残るとしたら、ナショナリズムを煽る極右路線しかないんだ。実際、極右的な政治の跋扈は、常に経済状況の悪化が引き金になることが多い。日本だけでなく世界的にね。
室井 安倍さんの場合はもうやってるけどね、極右路線。でも、もっとひどくなるということか。マスコミをさらに懐柔して脅して。NHKなんか2018年からは震災復興のサポート番組を終了させて、オリンピック一色になっちゃうんじゃない。そんな気がする。震災は切り捨てて、国威発揚のためにオリンピック一色。この流れってもう止められないのかな? 
金子 僕は悲観してない。こんなものが永遠に続くわけがない。しかも騙され方がこれだけ酷いと、あとの怒りも大きくなる。こんなダメな世界だからこそ、次の世界は激変が起こる。それを考えるとワクワクするところがある。現在は、激動の大転換期に立ち会っていると思っているんだ。
室井 金子先生、ちょっと楽観的すぎなんじゃない。だって安倍政権の支持率が64%(日経新聞・テレビ東京合同16年12月調査)だよ。真珠湾行ったら国民の84%が評価するんだよ。騙されたとわかったときには、もう騙されたって声に出して言えなくなってるんじゃないの? 安倍さんは憲法改正についてGHQに押し付けられたみっともない憲法だって言ったのに、真珠湾訪問では「アメリカのお陰で」とか真逆のことを言ったのに。誰も気持ち悪いと思わないの? メディアも真珠湾訪問を評価するばかりで、こんな簡単な矛盾も指摘しない。評論家にしても記者にしても、昔は左だったのに、安倍政権になって右転換したら、すごい仕事がきて大儲けなんて話ばかりじゃない。私は逆だけど。
金子 でも室井さんは、言説を曲げていない。いま我慢するのが後で財産になる。それはカッコいいことだし、大切だよ。これが正しい道だと言い続ける。明るい未来を語る。
室井 明るい未来は語れない。消されちゃうかもしれないじゃん。この連載は、安倍をどうしたらやっつけられるのかがテーマだけど、金子先生の話聞くと、相手が弱っていくのを待つしかないのか、って気になっちゃう。
金子 大丈夫。歴史的に見ると、お札を刷りまくる悪貨改鋳はひとつの体制が終わる前の断末魔なんだ。この最後の無理に対して、僕たちのやっていることは犬の散歩で言うと、電信柱に小便をかけてマーキングしているようなものだから。たどってきた道をちゃんと振り返れば、言説がある。必ず生きてくる。安倍のような極右がいきなり何かをやろうとして、別のオルタナティブが見えなくなると、みんなそこに流れちゃう。だから流れを阻止するために、オルタナティブを言い続ける。闇の中だから光は輝く。室井さんは今、輝く星なんだよ。
室井 私は自分が輝いているなんてとても思えない。今は、ほとんど味方がいなくなってきてる。儲からないし。自分の言っていることを方向転換すれば儲かるだろうけど、私、名誉欲もないし、金もいらない。でも、この孤立感だけはどうにかしてほしい。
金子 でも、日本の人がちゃんとした情報提供されたら、それなりに判断する層はまだまだ残っている。原発も再稼働反対や、憲法9条改正に反対する人は多い。でも、民主党政権の印象が悪くて、そのイメージがすっかり植え付けられている。今の安倍政権の方がもっと酷いけど、“民主党は酷かった”と国民に強く印象づけられた。メディアもそれに乗って、潰されて。「政権は長い方がいい」ってバカなこと言うやつがたくさんでてきた。そして暴走がひどくなり、金、人、コネ、昇進、あらゆる悪の元、下賤な政治になっていく。信念も信条もなにもない政治、ごまかしだからね。でも、救いは、経済最優先とか言って、息を吐くように嘘をつき続ける政治を続ける安倍政権でも、国民は“騙されている”という感覚がどこかで残っていること。いつかは、必ず揺り戻しが来る。
(後編に続く)

巨大地震(4)、行方〔大生・おおう)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真1:朝焼けが関東平野をそめています。もうすこし高い場所であれば、利根川が遠望できたはずです、拡大はクリック〕
夜明け1443


 まん丸の 月に背を向け 朝焼けの 関東平野を 遠く望めり

“月がとっても丸いので”〔島倉千代子さんの歌〕なぞを口ずさみながら 霜で真っ白の田の畦を寒さで震えながら歩いてきました。今日は14日月です。散歩を終える頃、コンビニの向こうに大きな月が沈みかけていました。

〔写真2:沈み行く月が大変大きく見えます、拡大はクリック〕
夕月1447


+++++巨大地震(3)
 前回は、2000年1月1日から2016年12月31日の期間に世界で発生した巨大地震〔Mwが7.8又はそれを超える地震〕について、GCCSによる地震波波動解析で得たCMT解から導かれる発震機構解に伴って得られるセントロイド発震時刻(C-otと略記)と、通常の手続きから得られる発震時(O-t)との間に130秒と言う大きな違いがあることを書きました。この特異に大きい値であるC-ot発震時刻が、地学的大変動を示唆しています。
 ところでセントロイド発震時刻(C-otと略記)というからには、セントロイド震源位置(C-hypo)もあります。それは、波形に合うような震源位置です。これも通常の地震学的手法で得られる震源位置とは大きく異なるはずです。それも議論したいところですが、現時点では此の話はしません。

〔図1:2004年12月26日スマトラ地震(緑の縦線)と2000年代巨大地震との距離(km)。横軸は地震の発生順番。黒印は2011年3月11日東日本巨大地震〕
巨大地震

 
 2000年代の巨大地震は45個あると書きましたが、そのうちで世界を揺るがす大元となったのは、2004年のスマトラ地震であったらしいと以前書きました。そこで、まずは、他の44個の巨大地震とスマトラ地震とが空間的にどれだけ隔たっているかを調べたのが図1です。スマトラ沖から夫々の地震との間で測った距離〔km〕は10km程度から20000kmにまで渡っています。そこで、縦軸の距離については底を10とする常用対数で示しています。図を見るとなにやら3.8を境にして地震の数が異なっているように見えます。すなわち、10^3.8= 6309.5734kmあたりを境に地震の個数が異なる。それより近いところでの発生が15、遠いところが30、つまり1:2です。地球の半径が6371.2kmですから、個数の境目に相当する距離と近い。これは偶然でしょうか?実はそうではありません。地球の半周に相当する2万kmに渡り巨大地震は発生しているので、その1/3では相応の地震の数が起きているという、謂わば、当然の結果と言うことになります。つまり地球の半径を超えた距離に起きる地震が全体の2/3と言うことになります。

 図を客観的に眺めたい読者の方に先入感を与えることは本意では無いので、同じ図に何やらを描きいれて下に再掲載します。
〔図2:図1に現ブログ管理人が”主観“的に描き入れた地震群、拡大はクリック〕
遷移


 こうした図に主観的思い込みを描きこむ事ははなはだ非科学的であることは承知しています。こうした二次元平面上に分布する点群は、見る人によっては、様々な線形配列が見えてしまいがちなのです。そうしたことを承知の上で、まずはグループaに着目したいと思います。
 此のグループaは2004年12月のスマトラ地震のつぎに起きた地震を含む4つの巨大地震を経て2011年東日本巨大地震に連動していたかのように見えます。さらにはその連動が、2011年の地震で活性化され、図では右上方向に伸張しているように見えます。
 そこで、次回”群a”の地震を少し詳しく眺めることにします。

 さて、図2は、地震群aに加えて、b,c,dで示される地震の移動(migration)をも見ることができるように思います。これらについても次回考察します。
(つづく)

+++++行方(なめかた)考察
 地名に何がしかの謂れがあると考えるのは、今も昔も同じです。古事記、日本書紀に限らず、風土記においてもそれは同様です。しかし、そこで展開されている考察にはずいぶんと不自然な「説話」も少なくありません。その一つが現在考察している「行方」と思っています。その経緯を辿ることが思いもかけず古代史解明の手がかりとなるやも知れません。
 行方にこだわるのは、常陸風土記で最大の字数があてられているからです。古代東国での此の地の役割の重大さを反映していると考えています。

 ところで「生方」と言う姓があります。「生」を「ナマ」と訓すれば「ナマカタ」となり「ナメカタ」に似てきます。『生』と言う漢字を「マナ」と呼ぶ地が信太郡の南縁にあります。「生板」と書いて「まないた」読みます(不謹慎な男どもはにやにやと妙な連想をしかねないのですが)。この地には佐倉惣五郎に匹敵する三義人が貧困にあえぐ農民を救ったことで知られています。生板の三義人(片岡万平、石山市左衛門、成毛与五右衛門)です。

%%%%%村民を代官の苛政から救った(生板三義人(1) 又は 生板三義人(2) )
 生板の三義人河内町指定文化財 生板(まないた)の3義人供養塔
所在地 河内町生板4947番地 
管理者 満足山(まんぞくさん)極楽院(ごくらくいん)妙(みょう)行寺(ぎょうじ)
身命をなげうち地域農民を救おうと代官の暴政を訴え、捕らえられ獄死した3義人の供養塔である。高さは4.1m、中央に片岡万平(生板西坪(にしつぼ))、左に石山市(いしやまいち)左(ざ)衛門(えもん)(生板関場(せきば))、右に成毛与五(なるげよご)右(え)衛門(もん)(生板浄(じょう)玄(げん))戒名が、 義(ぎ)篤(とく)院慧戒徹證(いんえかいてっしょう)居士(こじ)、等(とう)岳照?(がくしょうじゅ)居士(こじ)、但(たん)然(ねん)慧(え)燈(とう)居士(こじ)と刻まれている。文化14年(1817)、代官吉岡次郎右衛門支配下の天領、生板村など8か村(現在の河内町・龍ヶ崎市・水海道市・石下町にわたる)農民430余名は、打ち続く凶作にもかかわらずかえって重い年貢を課した代官の非道を江戸の代官邸に訴え、万平らはさらに勘定奉行所に願い出て犠牲となった。しかし4年後、代官は解任され年貢は軽減された。近隣農民は3義人に感謝しその霊を供養するため、文政6年(1823)にこの法華塔を建立した。塔には万平らを陰で支えた亮海和尚の名が、台座には供養塔建立に協力した13か村百名に及ぶ村民の名が刻まれている。その後万平らが江戸に向け出立した10月20日を命日として供養が続けられてきたが、昭和47年(1972)「3義人顕彰会」がつくられ全町挙げて3義人百五十五年忌慰霊法要が盛大に行われた。現在は12月の第一日曜日に法要を行っ妙行寺は満足山極楽院と号する天台宗の寺で大同元年(806)満願上人の開基と伝えられ、江戸時代には上野寛永寺の直末寺として、末寺14か寺を数えた。本尊の木造阿弥陀如来座像は河内町唯一の茨木県指定の文化財で、慶派(運慶・快慶の系統)の鎌倉時代の作である。他に平安から室町時代にわたる仏像五躯と江戸時代の仏画一幅が町指定文化財になっている。平成12年3月 河内町教育委員会
〔図:三義人の碑、妙(みょう)行寺(ぎょうじ))
生板3gijin-1_r1_c2

%%%%%

 「生」なる漢字を引っ張り出してきたのには理由があります。行方市は東の北浦と西の霞ヶ浦に挟まれた地です。『行』の「ナマ」は「生」〔ナマ〕の転じたものであるとの可能性があります。

(図:大生古墳群(中央上部やや左よりの一帯)と大生神社(中央底部やや左より)。右上方の水辺が北浦、拡大はクリックしてください)
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 この北浦の畔から少し陸に入ったところに大生神社と言う古社があります(大生神社 実際は、行政区分では行方市ではなく潮来市なのですが)。この神社の来歴について、日本列島での正史古代史における徹底した東国差別扱いゆえ、上記のウイキによっても全くわかっていません。

 この神社の北に大生古墳群があります。下の記事にも見るように常陸国でも最大規模のもので、発掘は茨城大学の研究者を中心として丹念に調査が進められています。しかし、その発掘出土品から、被葬者の特定は為されているとは言いがたいようです。

%%%%%大生古墳群
 大生古墳群
 大生原台地には110余基からなる古墳群が存在し、県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成しています。
 この古墳群は古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群に四大別されますが、この古墳群は大生神社の西側に位置し、県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、子子舞(まごまい)塚古墳、天神塚古墳、白旗八幡古墳など20数基の古墳を包括する大生西部古墳群で面積8.8㏊の地域です。
 この古墳群は、古墳時代中期の築造と推定され、旧時の状態を良くのこしています。
 大生原古墳群の被葬者が鹿島神宮と密接な関係のあったオフ氏一族の奥津城であったことは各方面から立証されているところです。
%%%%

 私が注目するのは、常陸国風土記が此の神社と周辺域について多くを語っていないことです。行方郡の最後尾にそれに触れています。そこで、行方郡の記載部分を以下に添付します:

〔図:常陸国風土記、行方郡条の最後尾から香島条先頭へ、拡大はクリックしてください〕
行方ー香島無題

  文意(「風土記」(植垣節也、小学館、1997年)387頁より
 :ここから南に相鹿(あふか)、大生(おおふ)の里がある、古老が言うには「倭武の天皇が相鹿の丘前の宮に居ます。このとき炊事をする膳の建物を裏の浜にどっしりと立て、船をつなぎ並べて橋にして天皇のご在所に通わせた。大炊(おおい)と言う言葉からとって大生の村と名づけた。又倭武の天皇の妃大橘比売命が大和から下ってきて此の地でめぐり会われた。それで安布賀の村と言う」と。

 北浦と霞ヶ浦に挟まれる地で、最大の古墳群があり、住民から長く敬愛されてきた古社ガル。しかし、常陸国風土記行方郡の条はそれについて触れない。ここに隠された、言葉を変えれば、日本列島正史に書きとめたくない真実があると考えるのは合理的であると私は考えています。
 とするならば、「大生」とは何を暗意するのか?私は王が生まれた地であると考えています。
(つづく)

 

政から金を貰う報道、「宮」の由来

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:枯れ芝生にモグラの活躍の痕跡があちこちに遺されています。彼らの地下都市空間形成の成果をいつか見学したいものです。〕
MGRA1427

 
 日の出前 インフラ整備で 駆け回る さぞかし地下に 立派な宮殿

+++++行方考察(5)
 「行方」を「ナメカタ」とよむ由来を求めて万葉集初期の歌を調べてきました。その一歌に出現する「なべて」に着目する議論をした際に、「なべて」の前に接頭詞として付されている「オシ」に論議を集中しすぎたため、もう一つの接頭詞「シキ」の考察を書き忘れていました。それを簡単に補足しておきます。「シキ」が「siki」なるラテン文字で表記されるならばそれは古代ペルシャ語の「酒」を意味することは以前書きました。

 ところで、前回も書いたことですが、万葉集一歌の題詞に登場する雄略天皇については記紀が語るところは真実半分、虚偽半分ではなかろうかと書きました。つまり雄略天皇の実像が「ワカタケル」王であるならば、話の符牒がピッタリと合うのです。「半分嘘」とは、此の王は奈良盆地に宮廷を構えては居なかったからです。「ワカタケル」王の宮は「シキ」にあったのです。ここは現在埼玉県志木市の東南はずれにあり、そこには由緒定かでないにも関わらず住民の信仰を大昔より集めてきた「宮戸神社」があります。

 万葉集一歌での「シキナベテ」は若い男女が車座になって酒を酌み交わす光景を歌いながら、そこには「シキ」の地から付き従ってきた若者をも詠いこんでいると思うべきでした。初期万葉集がこうした「言葉あそび」、「意味の多重性」を巧みにすることを、本ブログでもたびたび紹介してきましたので、ここでは繰り返しません。「シキ」なる接頭詞は「シキ」に宮を置いていたワカタケル王だからこそ為しえた歌の巧みと思えるからです。

 ついでですから、「宮」についても一言書いておきます。上記の宮戸神社の「ト」はアイヌ語の場所です。「ミヤ」はアイヌ語起源ではないようです。行田の稲荷山古墳出土の鉄剣には「宮」なる漢字が彫り込まれています。既に「宮」なる概念が存在し、それは漢語で言うところの機能を備えていたのでしょう。この漢字を「ミヤ」とよませたのは後代、つまり記紀編纂時ではなかったかと考えています。この言葉は藤原不比等による記紀が登場して初めて「神宮」といった形で使われます。

 私は、渡来族が日本列島で拠点を構築する際、そこを「ミヤ」と呼んだのではなかろうかと想像しています。そこで、早速古代ペルシア語に当ってみました。あるんですな!!
 ラテン語表記で「myan」なる語があるのです。意味は「ものの中央、男根」です。まさにピタリです。渡来族は、拠点を定める際、その司令塔たるべき地を「ミヤ」と呼んだのです。いずれ書く常陸国風土記・鹿島郡に渡来族は重大な政治拠点を構築します。当然彼らはそこを「ミヤ」と呼んだのです。

 数百年後藤原不比等の軍勢が東国に侵攻し、一大拠点であった鹿島を制圧した際にそこに何がしかの建築物を作った。その建築物の命名に当っては「みや」を外すことは出来なかったのです。それは怨霊思考であったと私は考えています。そしてこともあろうに、此の地を中臣氏つまり藤原氏の祖の発祥地にまでしつらえ上げ、渡来族の怨念がむくむくと頭をもたげるのを押さえつけてしまったのです。それが「鹿島神宮」です。私が殊更に「鹿島アントラーズ」を応援する原点でもあるのです。

 日本列島古代史で重要な役割を担った鹿島の地を捻じ曲げてしまったのが上に書いた藤原不比等です。その捻じ曲げられた日本列島の精神史をそのまま引きずっているのが、安倍晋三氏の心の支えと聞く、「日本会議」および「神道政治連盟」です。
 日本国に生まれ、日本人として育ってきたはずの私が、『史実とは異なる歴史』を学ばねばならなかった。次世代に生きる人たちには、史実に基づいた認識、科学観が提供され、そこから教訓をくみ出しつつ生きがいのある日本を形成していって欲しいものと思っています。
(つづく)

 次に紹介するのはネット記事のコピペです。面白いが少々長い。と言うわけで、巨大地震の話は次回に順延します。

+++++困った評論家ランキング
 〔図1:1月10日付日刊ゲンダイ紙記事〕
マスコミ1701111445


 朝日新聞の購読者激減を契機に政府・官界による新聞広告が激増しているとのことです。それは、あたかも一般大手新聞の新聞販売利益減を補填するかの如くであると、日刊ゲンダイ紙は論じています。
 昨今の国民のTV離れなどとあわせ考るならば、大手報道機関の国民への情報提供のありかたに問題があるのでしょう。その現実を直視せず、報道機関が自らの経営にのみ傾斜するならば、ますますそれは国民から乖離し、政・官への依存はいっそう強まるのでしょう。2016年のとある調査によれば、日本の「報道の自由度」は世界72位とのこと(報道自由ランキング )。この調査にも納得がゆきます。

報道自由481


 しかし、依然として、ひたすらTV上で政府、そして安倍首相に「ヨイショ」する評論家・記者がなにやら賢しらに語っています。そんな評論家を槍玉に上げ順位付けをする記事を見つけました。以下に紹介しておきます。

%%%%%御用ジャーナリスト・ランキング
御用ジャーナリスト・ランキング 
安倍サマのためならデマも平気で垂れ流す、安倍政権御用ジャーナリスト大賞を発表! 2017年もコイツらには要注意
リテラ 雑誌リテラ 2017年1月4日 19時54分 (2017年1月8日 19時56分 更新)
 昨年2016年は『報道ステーション』(テレビ朝日)から古舘伊知郎が、『NEWS23』(TBS)では膳場貴子と岸井成格が、『クローズアップ現代』(NHK)で国谷裕子が一気に番組を降板するという異常事態が起こった。いずれも安倍政権が目の敵にしてきたキャスターたちだ。
 その一方、テレビでは"安倍応援団"であるジャーナリスト、文化人たちが跋扈。「権力の監視」という使命も忘れ、ただひたすらにヨイショに励んだ。結果、安倍政権で噴出した白紙領収書問題も、大臣たちの賄賂疑惑や女性スキャンダルも国民にしっかりと伝えられることなく覆い隠されてしまった。
 今回は、そうして報道を機能不全に陥らせている元凶ともいうべき「安倍アシスト隊」であるジャーナリスト、文化人をランキング形式で振り返りたい。

7位●岩田明子(NHK政治部記者、解説委員)
失態をすべて美化する「安倍首相にもっとも近い女性記者」

 安倍政権の広報部と化しているNHKにおいてもっとも露骨に安倍首相の功績をアピールする岩田記者。2007年に安倍首相が退陣した際には体重が5キロも減り、精神不安定になったとさえ言われるほどで、その盲信ぶりに「安倍教の信者」「安倍の喜び組」とも揶揄されている。
 もちろん、昨年も安倍首相の広報に精を出し、真珠湾訪問では「(安倍首相には)日米の間に刺さった、いわば心のトゲを抜き去って戦後を完全に終わらせたい、こういう思いがあった」などと気持ち悪い解説を展開。…
とくに9月に放送された『クローズアップ現代+』では、プーチン大統領からの贈り物エピソードを語り、日本政府関係者の「まるで日本への島の引き渡しを示唆しているように見えた」という言葉を披露、"安倍首相が領土問題を解決するはず!"と、さんざん盛り上げた。
 しかし、肝心のプーチン来日による日露首脳会談も大失敗で終了。すると岩田記者はその日の夜の『時論公論』で安倍首相が乗り移ったかのように「新しいアプローチ」というフレーズを連発して空疎な外交成果を大々的に喧伝した。"総理のやることは何でも素晴らしい"と言わんばかりのその姿は、もはや痛々しいほどである。

6位●青山和弘(日本テレビ報道局解説委員、政治部副部長)
単独インタビューのご褒美でフォローに走る「政権の腹話術人形」

 2015年の安保法制議論では「この法案が廃案にされては困りますので、うまくこう、巻き込んでいく」と安倍首相の思いを代弁して見せたことで本サイトが"政権の腹話術人形"と命名した青山記者は、2016年も絶好調。憲法記念日を目前にした4月下旬には安倍首相の単独インタビューをおこない、そこで安倍首相は憲法改正の必要性を強調するという舞台を用意した。
 そんななかでも、プーチン来日時には岩田記者同様、フォロー係として邁進。領土返還は絶望的であることは明白だったが、『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)での解説で青山記者は「共同声明は出さない。…
共同声明を出すとなると大変なんで」などと官邸に代わって言い訳を開始。司会の宮根誠司も「ああ、共同声明だとおおごとになりすぎるんでね」と言い、一緒になって外交の失敗を公にするまいと励んだ。
 ちなみに青山記者は、15年に『安倍さんとホンネで話した700時間』(PHP研究所)なるヨイショ本を出版。そのなかで〈メディアは真っ当な批判、正確な反論を続ける本当の力、強さが試されている〉などと述べている。実態は安倍首相の腹話術人形のくせに、この上から目線──政治部副部長がこんな態度なのだから、日テレの報道に期待しようというのが無理な話なのだ。

5位●辛坊治郎(キャスター)
デマを流してまで安倍政権をアシストする「大阪の腰巾着」

 ネトウヨ製造番組『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)で司会を務め、安倍首相にとって大阪の腰巾着となっている辛坊治郎だが、昨年も2月20日には冠のラジオ番組『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送)に安倍首相が生出演。安倍首相は「辛坊さんの番組に出るというのは大きなリスクなんですが(笑)」などと語ったが、何をか言わんや。辛坊は「(北方領土問題を)動かせるのはプーチン・安倍しかいない」と盛大にもちあげた。
 だが、辛坊が本領発揮するのは、日々の"政権アシスト"ぶりだ。たとえば、3月6日放送の『委員会』では、国民が支払った年金積立金140兆円を「ゴミみたいな額」と述べ、安倍政権が拡大させた公的年金の株式運用についても「こんなもの株で全部損したところで、年金財政全体に与える影響はゴミみたいなもの」と断言。…
また、稲田朋美防衛相ら閣僚の白紙領収書問題が取り沙汰されたときは、「(帳簿が)合ってる限りはじつはそんなに問題はない」(読売テレビ『朝生ワイド す・またん!』での発言)と言い放った。一般社会では文書偽造罪に問われる問題なのに"政治家の慣行だから"と目をつぶったのだ。
 さらに、辛坊は高江のヘリパッド建設工事問題でも「高江の地元ではヘリパッドを早くつくって欲しい人が圧倒的に多い」とデマを流したが(既報【http://lite-ra.com/2016/10/post-2640.html】)、先月起こったオスプレイ墜落でも「夜間の空中給油、怖いだろうな〜」と、周辺住民の安全よりも米軍を心配。「少なくとも降りるときはコントロールできていますからこれは間違いなく不時着です」と断言した。
 辛坊は朝日新聞のインタビューで「安倍政権になって、メディアの縛りが厳しくなったと言う人がいますけど、私はまったくそうは思いません」などと語っているが、そりゃこれだけ擁護しているのだから当然というもの。逆にここまで"偏向"を極める辛坊が野放図になっている事実こそ、都合の悪い報道だけを締め上げようとする安倍政権のメディア圧力の実態を表しているのだ。
 それにしても、ここまで目に余る言論を展開する者が報道キャスターを名乗っていることに戦慄を覚えるが、不幸中の幸いは、いずれもローカル番組での発言ということ。昨年はTBSの全国ネットでメインMCとしてゴールデン進出を果たしたものの3カ月で打ち切りとなったが、これ以上、この男をのさばらせてはいけないはずだ。…
4位●後藤謙次(『報道ステーション』コメンテーター)
自民党から金を受け取っていた過去も!「ダラダラ解説」で安倍政権をフォロー

 昨年4月、古舘伊知郎の降板とともに『報ステ』の月〜木曜コメンテーターとなった元共同通信社編集局長の後藤謙次。いまではダラダラと論点のボケた解説をして視聴者を煙に巻き、しかし結果的に安倍政権をフォローするという芸を身につけたようだ。
 なかでも、昨年5月に沖縄で起こった米軍属男性による強姦殺人事件へのコメントは、後藤のスタンスが露わになった。このとき、最初は「政府は早急にアメリカ政府に対して厳重抗議をするべき」「政府は果敢に動くことが大切」と語っていた後藤だが、岸田文雄外相とケネディ駐日米大使の会談が開かれるという速報が入ると「政府はやっぱり早く初動しようということだと思うんですね。この問題を封じるということだと思うんですね」と述べたのだ。
 つまり後藤が「政府は果敢に動くことが大切」と述べていたことの真意は、厳重抗議を行うことではなく「問題を封じる」こと、ようするに事件への怒りの声が沖縄で広がり、外交や政治問題へと発展する前に、政府は事件を「封じ」るべきだと述べたのだ。後藤が政権側に立って物事をみて解説していることは明白だろう。
 だが、それも当然だ。後藤には2011年から13年にかけて自民党の政党交付金から約37万円が支払われていたことが発覚。「遊説及び旅費交通費」として処理されていることから講演会に登壇した際のギャラと交通費と思われるが、安倍首相と会食する"お仲間"なだけでなく、政党から金をもらって"スポークスマン"となっているのだ。…
これで報道番組のコメンテーターを平気な顔をして務めているのだから、厚かましいにもほどがある。

3位●松本人志
孤高の芸人もいまは昔...安倍首相と同調し尻尾を振る「権力の犬」

 安保法制議論で「安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ!』っていう意見って、意見じゃないじゃないですか。対案が出てこないんで」と見事な安倍話法を踏襲させてみせ、すっかり安倍政権応援団に仲間入りした松本人志。こうしたエールに気を良くしたのはもちろん安倍首相で、昨年4月には『ワイドナショー』(フジテレビ)についに出演。熊本大地震の発生で放送は5月に延期されたが、そもそも予定されていた放送日は衆議院補欠選の選挙期間中で、安倍首相はこの前哨戦のために、自分の味方である松本と同番組を利用しようとしたのだ。
 選挙期間中に単独で情報バラエティ番組に出演......これぞまさに公平中立に反した放送法違反と言うべき放送が行われるところだったのだが、しかし、実際の放送を見ると、松本は安倍首相に利用されたわけではなかった。自ら尻尾をブンブン振り回していたからだ。
 たとえば松本は、安倍首相と同じように「おじいちゃん子だった」と言うと、「おじいちゃんたちが守ってきた日本が僕は大好き」「どこの国にも指図されたくないし、もうどこの国にも謝ってほしくないなって思う」と、ネトウヨでも言わなさそうな頭の悪い話を展開し、安倍首相に露骨に迎合したのである。…
おそらく、松本人志という芸人は想像以上に権力に対して弱いポチ体質をもっている、ということなのだろう。実際、松本は安倍首相が退場するとき、座ったまま4回ほど頭を下げた後、最後にさらに立ち上がり、90度体を追って深々とお辞儀していた。こんな礼儀正しい松本は見たことがない。
 孤高の芸人もいまでは権力の犬。──他の自称ジャーナリストたちとは違い、松本は図抜けた注目度を誇るだけに、その罪は深い。

2位●山口敬之(ジャーナリスト、元TBS記者)
「安倍首相と温泉に行った」と自慢しプロパガンダを垂れ流す癒着ジャーナリスト

 昨年6月、気持ちが悪いほどの安倍礼賛本『総理』(幻冬舎)を発表し、一躍"安倍応援団"の大型新人として名乗りを上げた山口敬之。じつは前職のTBS官邸担当記者時代から、NHKの岩田明子、産経の阿比留瑠比と並んで"安倍の太鼓もち番記者三羽烏"と呼ばれていた典型的な癒着ジャーナリストなのだが、本の出版を機にワイドショーに進出。"安倍首相のことなら何でも知っている"と言わんばかりの態度でプロパガンダを流すようになったのだ。
 たとえば、先月のプーチン来日時には『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)に出演し"安倍首相に大谷山荘へ2回連れていってもらった""相当仲良くならないと連れていってもらえない"と自ら語り、御用ジャーナリストっぷりを恥ずかしげもなく開陳したかと思えば、「まだあまり新聞には出ていませんが、プーチン大統領に対して『ロシアの法制度でも日本の法制度でもない枠組みで北方4島の共同経済協力をしましょう』と、これ繰り返し言ったそうです」などと述べた。…
つまり「北方領土返還」という外交ハードルを下げるためにポイントをずらしにかかったのだ。
 また、トランプ会談の際も、いかに安倍首相がトランプから特別待遇を受けているのかを熱心に語り、会談終了から30分ほど経った段階で「私、現地の関係者からついさっき話を聞いたんですが」と前置きし「日米同盟についてと、TPPについては、それぞれが自分のいまの考え方を述べられたと見られています、ほぼそういうことのようです」「(TPPのように)多国間でもルールをつくっていく、これが中国に対してもいいメッセージになるんだというのが日本のこれまでの立場ですというのを伝えたはずです」と解説した。同時刻にここまで会談の詳細を伝えたメディアはなかったが、これは安倍の側近からもたらされた事前情報をそのまま喋ったか、あるいは自分で政権の意向を忖度して適当に話したとしか思えないものだ。
 そんなものを垂れ流すことはジャーナリストの仕事ではないが、しかし今年はさらにこの山口がワイドショーで活躍することは必至。新顔だからと油断せず、この男の解説には十分に注意を払ってほしい。

1位●田崎史郎(時事通信社特別解説委員)
待機児童問題でもデマ、寿司だけじゃなく自民党から金も! 自他ともに認める「安倍政権の代弁者」

 安倍首相と会食を繰り返していることからネット上で"田崎スシロー"と揶揄されている田崎史郎だが、昨年も相変わらずメディアに引っ張りダコ。…
既報の通り【http://lite-ra.com/2016/12/post-2764.html】、『ひるおび!』(TBS)では司会の恵俊彰にも"政権の代弁者"というお墨付きが与えられたが、毎日のようにワイドショーで安倍政権をバックアップするその働きぶりで、当ランキングもぶっちぎりの1位となった。
 たとえば、先月9日放送の同番組で田崎は、カジノ法案を「会期内に必ず成立させるっていう決意でやっている」と、視聴者ではなく政権サイドに立って解説。しかも、ほかの解説者から強行的なスケジュールに対して批判が起こると、「政権側はどうしようとしてるかっていう説明を僕はしているんです!」と言って"政権の代弁者"であることを自分から強調するという醜態までさらした。
 さらには、3月に「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに端を発した待機児童問題が話題になった際は、「いい小学校に入れるためにはいい幼稚園、その前にいい保育園に入れなければいけない、その人気の保育園に集中していて、そこに入ろうとすると結果的に待機児童になってしまうと。そういう面もあるんですね」などと、保育園不足をお受験問題と意図的に混同しすりかえるデマ発言までしている。
 だが、こうした言動こそ田崎の特徴であり、同時に安倍首相と共通するものだ。現に安保法制のときも、共演者の室井佑月が"多くの国民が反対している"と述べると、田崎は「『国民』って誰のことですか? どこにいるんですか?」と発言。…
国民を軽視していることを開き直って堂々と居直るなんて、政治家は無論、ジャーナリストとしても信じがたい態度だろう。
 しかし、この田崎スシローにジャーナリズムなんぞを問うほうがバカバカしい話なのかもしれない。というのも、前出の後藤謙次同様、田崎もまた2013年に自民党本部から合計26万360円が支払われていることが判明。しかも、そのカネの出どころは政党交付金であり、言うまでもなく原資は国民の血税だ。
 このような人物をありがたがってコメンテーターに採用すること自体がバカげているが、田崎にはとにかく「恥を知れ」と言いたい。

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 ......いかがだろうか。めまいがするようなランキングとなってしまったが、こうした者たちが権力の思惑を代弁することで事実を隠蔽し歪めている、それがこの国の実情なのだ。そして、今年も安倍政権の暴走を彼らがアシストしていくことは目に見えている。だからこそ、視聴者がきっちり監視することが重要になってくるだろう。
(編集部)
%%%%%記事紹介終わり


 巨大地震の話を次回に順延したので、私が大好きな室井佑月さんのエッセイを付け加えおきます。いつもながらに鋭い切り口!!
%%%%%室井佑月「2017年もこれ」〈週刊朝日〉
週刊朝日・室井さんエッセイ
週刊朝日 2017年1月20日号


 作家・室井佑月氏は、日本を称えるようなメディアの風潮に、その背景にある政治との関係をみる。

*  *  * 
 2017年もあたしが言いつづけるのはこれ。この国は、歪(いびつ)になってきてやしないか? そして、その歪が当たり前になってきてはいないか? それはうんと恐ろしいことである。

 12月23日付の東京新聞「こちら特報部」の記事を取り上げる。

<テレビや本は今年も「日本スゴイ」の称賛であふれ返った。(中略)自己陶酔の先には何が待っているのか。この間、「世界の報道自由度ランキング」などで日本メディアの評判は下落の一途をたどった。戦時下の日本でも「世界に輝く日本の偉さ」が強調され、やがて破局を迎えた。タガが外れ気味の「スゴイブーム」を斬る>

 という良記事だ。記事の中で上智大の音好宏教授は、

「社会が閉塞する中で、日本をポジティブに紹介してくれる番組を視聴者が選ぶ状況になっている」と分析している。

 もう一人、出版人らでつくる「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」事務局の岩下結氏は、「原発事故によって日本の技術がこてんぱんに打ちのめされたが、いつまでも引きずっていたくない。被害妄想からまず嫌韓本が広まった。これが批判を浴び、置き換わる形で一五年ごろから日本礼賛本が目立ってきた」と分析している。

 つまり嫌韓本と日本礼賛本を好む層の根っこは、つながっている。嫌韓も「韓国は酷い。日本はスゴイ」と言いたいのだから。岩下氏は「言ってほしいことを確認することが目的になっている。自らを客観視できないことは非常に危険だ」と言っていた。あたしもそう思う。

 隣の国を叩いていれば、日本の技術力は上がるの? カジノ誘致で盛り上がっているが、博打の儲けを当てにする国になっていいの? ふたたび、技術力の日本という誇りを取り戻すため、メディアは安倍政権の間違った成長戦略を正すべきだろう。

 編集者の早川タダノリ氏は、「(満州事変以降、日本主義の)批判勢力が市場から締め出された。第二次世界大戦に突っ込んでいった一因とも言える」と言っている。そしてまた「政治家が『日本人としての誇りを取り戻せ』と振った旗に、メディアが呼応するようになった」と。

 最後に、この記事のおまけ、デスクメモが面白いので取り上げる。

<(略)安倍晋三首相は二十日夜、全国紙やテレビキー局の解説委員らと都内のしゃぶしゃぶ屋で会食している。首相と親交がある記者の集まりで、二〇〇八年ごろから定期的に開催されているという。「総理スゴイ」などと言って盛り上がったのだろうか>

 どうなんですか? BSジャパン・石川さん、読売・小田さん、日テレ・粕谷さん、NHK・島田さん、朝日・曽我さん、時事通信・田崎さん、毎日・山田さん、「スゴイ、スゴイ」と安倍さんをヨイショしながら食べるしゃぶしゃぶは旨かった?
%%%%%エッセイ紹介おわり

「なめかた」を考える、巨大地震の非DC成分

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:霜が覆いつくす水田に作られた正月松飾〕
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 本年の 無事の豊作 祈りこめ 霜降るたんぼに 松飾たつ

〔写真:東京新聞1月7日付朝刊より)
CIMG1409

 トランプ米国次期大統領が、米国に籍のある、つまり世界の名だたる多国籍企業であるトヨタがメキシコに生産工場を建設することにストップをかけたとのことです。我が国のいわゆる左翼・知識人は暴言をことのほか叫ぶトランプ氏を忌み嫌っていますから、このアクションに「それ見たことか!」と叫んでいます。
 しかし、ちょっと待ってほしい。日本の大製造企業が途上国の低人件費につけこんで生産拠点を国外に移していたとき、日本の立国基盤の喪失と国内の雇用の喪失を指摘していたのが、左翼陣営ではなかったのか?トランプ氏を憎む余りに昔の論を捨て去ってしまったのか!と、私は言いたい。トランプ氏は自国民を守りたかったのだと。そして安倍氏にはこうした大胆な「国民を守る」との政策は今後も期待できないのだろうと。

+++++常陸国風土記行方郡
 「常陸国風土記」の「行方郡」の条を考察しています。一番の疑問は「行方」を何故「ナメカタ」と音するのか?にあります。繰り返し書いてきたように「バ」行の音はしばしば「マ」行と転換します。時にはそれは「ハ」行、「パ」行とも相互転換します。例えば「日本」は「ニッポン」であったり、「二ホン」であったりします。
 此の転換は世界に共通しています。一例が「アルバニア」と「アルメニア」です。さらには「ミャンマ」と「バーマ」〔びるま〕です。英単語ではp,bの直前には決してnは使われず、必ずmとなります。例えばimportantです。p、b、mの発音の際の口唇の使い方が世界共通であることによるのだろうと思っています。

 とすれば「行方」〔ナメカタ〕は「ナベカタ」の転じた語である可能性があります。そうであるならば、古代日本語の宝庫である万葉集にその由来を求めてみようということで、取り上げたのが万葉集一歌です。
 
 私は、概して万葉集の各歌の先頭に付されている「題詞」なるものについてはその信憑性を疑っています。例えば、二歌です。この歌の情景をそのまま「剽窃」したのが記紀の仁徳紀説話、「民の竈からの煙」です。これについては、万葉集の既存の解釈の『嘘』を本ブログで繰り返し指摘しました〔例えば2012年8月22日記事、万葉集二歌(1)万葉集二歌(2)〕。とうぜん、此の歌の題詞も「仁徳天皇」に言及しているかと思いきや、なんと推古女帝の後を襲った舒明天皇とされます。
 万葉集の二歌は一歌の反歌ではありませんが、この二つの歌はかっての八馬(やま)国連邦〔邪馬台国〕の跡地にたった人物が歌っています。三世紀の戦乱で荒廃していると想像していたのです。しかし、一歌で朗らかな人民を歌意、二歌で美しい景色を詠う、つまり「ワンセット」であるのです。文学者たるもの、何故そこに気づかないのか!と思っています。とするならば、詠んだ人物が異なるはずは無いのです。

 それはさておき、一歌の題詞で参照されるのが「ワカタケル」(日本書紀では漢風諡号「雄略」、和風諡号「大泊瀬幼武」です。
 本ブログでは万葉集一歌に出現する「おしなべて」、「しきなべて」が行方の由来と源を共通にしている可能性を探りました。万葉集一歌の「なべて」は古代ペルシア語の若者、少年・少女です。「オシ」も古代ペルシア語であり、その意味はそれがラテン文字表記のashuであれば「清い、神聖な」です。念のために付け加えると「ashras」であれば「勇敢な」と言う意味です。「おしなべて」は「清く若々しい男女」を詠ったのであろうと前回書きました。ここから類推できることは、「若い」(ワカ)と言う表現は古代日本列島住民の言語であったらしいことがわかります。

 ところで、「ワカタケル」なる人物名は埼玉県行田の稲荷山古墳から出土した鉄拳に刻まれた銘文から判明したものです。この地は、そもそも「おし」と呼ばれていたらしいのです。それが江戸時代の「藩」である「藩名」つまり「忍藩」として登場します。渡来族は「オシ」を「ワカ」に置き換えることで以って、積極的に現地の言語を取り入れることに注意を払っていたことがわかります。この事情をどうやら藤原不比等は承知していたらしい。それが、雄略天皇の和風諡号を「幼武」と表記したことからわかります。正に「幼」〔若い、清い〕なる漢字の使用に藤原不比等の博覧強記を思います。

 こうした考察を積み重ねるならば、当然「タケ」又は「タケル」もそもそも現地の言葉であったのではなかろうかとの推論に行き着きます。「幼武」の「武」は「武王」つまり大陸正史『宋書』倭国伝に登場する王のお一人です。この武王の活躍は日本列島にとどまらず、どうやら朝鮮半島にまで及んでいたらしいことは宋書から見えてきます。「ワカタケル」王は藤原不比等の命名からも想像されるように「武王」の息子、又は孫息子であったのです。当然、自らを「オシブ」〔若い武王〕とでも名乗っていたはずです。
 ここでも、現地住民の言語に配慮して作り出した工夫、それが「武」を「タケル」と訓することであったのです。偶然か否か、古代ペルシア語にtakalなる語があり、「背が高い若者、角がある羊」と言う意味です。現地語を取り込みつつ、それが自らのネーティブな言葉にも重なったのではなかろうか。

 さて、現在の主題は「ナメカタ」です。万葉集四歌に「ナメ」と訓される表現があります:
%%%%%万葉集四歌
題詞:(天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌)反歌",
原文:"玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野",
訓:"たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野",
仮名:"たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの"

 以前紹介した「万葉集秀歌(一)」(久松潜一著、講談社学術文庫)では、著者である久松氏によるこの歌の解読は自信無げです。一般に万葉集古歌について専門家の解読はどれも自信無げなのです。つまり依然として重大な研究対象であるはずが諦観、傍観の態なのです。困難は、万葉集を補足する関連文書が無いゆえです。平安時代以後の公家・僧侶と言った知識人が苦心して編み上げた「解読」にすがるしかない。それが現代の古代国文学研究者の苦悩ある現状と見ています。
 しかし、他分野の研究者から手がかりを示唆されていたのです。その意味で学問事情は、古事記・日本書紀研究と同じです。全く違った切り口があるはずで、きっと見つかると思うのですが。私も挑戦してみたいと思いますが既に充分老齢であります。

 此の歌について、本ブログでも独自の解読をしてきました(2009年6月5日 万葉集四歌)が、ここではその議論をくりかえしません。歌の冒頭に「玉」が出現します。そして「馬數而」の表現には「うまなめて」なる訓がふられています。行方という霞ヶ浦の地の玉造を連想させます。この歌には「玉」と「なめ」が歌われています。しかし、上記で書いた久松氏が嘆いているように冒頭の「玉尅春」で多くの専門家は解読作業を頓挫してしまうのです。
そこで、それを横において次は「馬數而」です。「数」と言う漢字が「表音」つまり音を表現するためにのみ用いられているのではなく、『表意』つまり漢字の意味を考慮した用法と思えば、これは「馬を多数頭並べて」という意です。「ならべ」の「べ」が「メ」に変じ、「ラ」がかけ落ちたと考えることができるからです。

 どうやら、現時点では常陸国風土記・行方郡を万葉集四歌と関係付けることは難しそうです。
(つづく)

+++++巨大地震〔3〕
 ニュージーランドで大きな地震が起きた、フィジで大きな地震が起きた、そのたびに我が国の地震『愛好家』は言うに及ばず、琉球大学で地学教育の教育・研究に携わる、従って当然の事ながらしかるべき地学教育を大学で学んだ立派な先生までもが、「あそこで起きた地震は日本列島に地震を引き起こした事例があるので要警戒!」なぞと無責任に夕刊紙などで叫んでいます。

〔図1:日刊ゲンダイ、1月7日号。木村教授の説を広めたいと考えて此の記事を貼付しているのではありません。むしろ、こうしたアヤフヤな議論が世に蔓延りすぎていることへの警鐘としてあげています。誤解なきよう〕
木村政昭1255


 本当に「あそこで起きたら日本でも地震が起きるのか?」。この問いかけにいくばくかの答えをみつけられないものか、というわけで「地球上の巨大地震」を調べる気になりました。これが本稿・スレッド立ての動機です。

 前回記事で、まずは2004年12月のスマトラ沖巨大地震こそ地球の大変動を体現した事件であったのではなかろうか!との問題設定をしました。その根拠はすでに前回記事で呈示してありますので繰り返しません。今回からはそれを前提とした幾つかの調査結果を紹介します:

まずは、専門家以外には面白くもなんとも無いと思うやもしれない調査結果です。

〔図2:スベリ角(負値は正断層地震)と非DC成分比。スベリ角が負の地震は正断層地震、0度又は180度に近い地震は横ずれ地震、それ以外は全て逆断層地震であることを示す〕
Slip vs nonDCBig


 モーメント・テンソル成分を対角化すると〔説明は2016年8月31日記事モーメント・テンソル解析 〕、主要な成分として発震機構解が得られますが、その際に余剰量として非DC成分が算出されます。非DC成分そのものの算出過程は、それが地震を引き起こした主応力の差です。つまり
(非DC成分率)=((張力、Tension)−(圧縮力,Pressure))/地震モーメント*100
であり、その作用方向は張力と圧縮力の両方に直交します〔中間主応力〕。これを文字通り解釈すれば、地震は卓越した二つの応力〔張力、圧縮力〕に加えて第三の応力が作用していることになります。その値が正であれば、張力であり、負であれば圧縮応力です。しかし、そもそも、此の非DC成分なるものは実際の地震波形に理論解析を適用した際のいわば誤差であろうとの見方もあります。

 意味が定かではない量とは言え、他の物理量との対照から見えてくるものがあるやもしれません。と言うわけで、非DC成分とスベリ角との関係を見てみたのが図2です。明瞭な関係は見えません。むしろ2000年代に発生した47個の巨大地震のうち80%弱が逆断層地震と言うことがわかります。その逆断層地震の多くで(非DC成分)が負値を取っています。つまり圧縮応力によったと結論できます。一方、7つの正断層地震については6つが正値、つまり張力が勝った地震となります。こうした概観は”常識”と整合しますから、非DC成分なるものは地震解析にあっては有用な量として認知されるべきなのかもしれません。

 そのように考えると比が30%を超える地震が気になります。一つはスマトラ島南沖で2000年6月18日、つまりあの巨大地震の4年半前に起きています〔図の左上)。正断層地震です。静水圧状態から大きく逸出した環境で、強烈な張力が働いたと理解できるのかも知れません。図1では此の地震はスベリ角が-150度と、-180度に近いことがわかります。正確な表現をするならば正断層成分を持つ横ずれ地震であったのです。とすれば大きな張力が理解できます。つまり4年半前からインド洋プレートはスマトラ島方向に強く引っ張られていたのです。その力は海溝の外側にも及んでおり、Mw7.9の巨大地震を引き起こすほであったということです。このようなすさまじいことは我が東日本巨大地震の前に海溝の東側では起きていません。

 もう一つは2007年12月9日にフィジ島南で発生。逆断層です。東日本巨大地震の3年4ヶ月前ということになります。ここでは、逆断層地震は圧縮力が働く故と言う大方の常識に反して、大きな張力が此の地震を起こしたことになります。どういうことでしょうか?考えられるのは潜り込んでいるプレートが上部・部分を鉛直下方に引きずり込むという仕掛けです。鉛直でないと、いわゆる”アウタ・リッジ”型となり正断層地震になってしまいます。実際此の地震は150kmほど地中深いところで発生していますから、潜り込むプレートが自らの上の部分を引っ張ったと解釈できます。その引っ張り力は尋常ならざるものであったので巨大地震となったのでしょう。後日、この奇妙な地震を調べたいと思っています。

 最後に、二つの奇妙な地震の震央を図3に示しておきます。
〔図3:二つの大きな非DC成分を持つ巨大地震の震央)
非DC地震

(つづく)

巨大地震は11月に起きやすい!、騒がしい福島・茨城(2)

 ここの所朝未明連夜私のベッドが揺すられます。というわけで、常陸国風土記の勉強を順延させてください。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:正月二日、宵の空に、すっきりと三日月が金星(?)を引き連れて浮かんでました。図拡大はクリック〕
三日月1388


一月の 二日に見ゆる 三日月は 四(酔)うておるのか 五十〔いそ=石〕にこけおり

 正月二日の宵に見つけた三日月です。大空を運行中に右〔東)に置かれた金星に躓いて、すってんころり。しかし酔っ払ってるのでしょう。大口開けて笑ってます。

 
+++++西暦二千年代の巨大地震(二)
 本ブログへの読者の注目を頂きたいとの邪な思惑から作成した図です。図そのものには嘘はありませんが、僅か17年だけの観察からは、こうした結論が導き出せるとは、ブログ管理人も持っていません、
〔図1:巨大地震(Mw=7.8およびそれ以上)の月別発生分布、ただし2000.1.1〜2016.12.31の17年間のみ〕
大地震月分布


 図1について現時点で語ることはありません。4月、9月、11月に発生回数が多い。そういえば1923年の関東大臣震は9月に発生しています。上の図の背後になにやらの地学的変動が蠢いているのやら否か、定かでありません。読者の関心を惹く為に作成したものです。

 GCCS(Global CMT Catalogue Search, 地震カタログ )によれば、2000年1月1日から2016年12月31日までの17年間に、Mwが7.8またはそれを超える地震〔巨大地震と呼称される〕の発生は47件に達します。Mwの下限値として7.8を設定したことには特別な物理的意味はありません。プレリミナリな調査では、データの数を増やしたくなかったに過ぎません。GCCSは夫々の地震についてモーメントテンソル成分を地震波動解析から算出しています。その副産物として得られるのがCMT発震時刻(C-otと略記)という量です。通常の発震時刻(Otと略記)と共に地震の発生時刻を意味しています。

 Otは地震波の初動P波の観測点への到達時刻から算出されます。P波は、岩盤がピチピチと壊れ始める際に放出されると考えられています。一方C-otは岩盤破壊がピチピチ段階をすぎて断層面での本格的・大々的すべりを始めた、或いは進行中の時刻と考えることが出来ます。
 そう考えると、C-otはOtよりも遅れることには納得がゆきます。更にいうならば、その遅れは、”一般“には、大きな地震ほど大きくなるだろうと。それを示したのが前回記事の図です。

 前回記事の図で気にかかるのは、2004年のMw=9の地震です(GCCSが算出したMw値)。なんとその遅れが140秒近い値となっています。一方、2011年3月の東日本巨大地震のそれは70秒程度で約半分です。この差には地震波の解析にあたっての手続きも関係してるかも知れません。そうではあってもずいぶんと大きな違いです。2004年12月のスマトラ地震こそMwと言う値には直接反映されない巨大な”天変地異“の現出であった、と思うべきかもしれません。

 そこで、17年間を三つの期間(I,II,III)に分割して、個々の期間での地震活動を観察することにします。
〔図2:2000年1月1日〜2016年12月31日、Mwが7.8又はそれを越える地震の発生状況。
横軸は2011年3月11日東日本巨大地震の発生時刻(C-ot)からの時間経過。棒の長さは地震規模、Mw,青棒は左がスマトラ沖地震、右が東日本地震)
巨大地震(days)


  図2で見ると、スマトラ地震発生前は、発生後に比べてその地震発生数は顕著に小さい。そしてそれ以後は、地震数が増えている。それは2011年3月の東日本地震でその傾向に著しい変化が生じているか否かは判別し難い。てなことが見えてきます。

 どうやら、世界は2004年のスマトラ地震を”総力挙げて“準備してきたのであり、現在は2011年東日本地震を含めその余効状態であるかのようです。そこで、2004年の地震を中心にすえて事態を眺めてみることにします。

〔図3:スマトラ地震を中心にすえた巨大地震分布〔左〕、スマトラ地震の反対位置に中心をすえた地震群〔右〕、図拡大はクリック〕
great forSmatra


 大きな地震が、地球を覆う巨大な岩盤〔プレートと呼ばれている〕の縁で起きることは、いまや中学生の教科書にも書かれているほどに、当たり前の知識となっています。そのプレートの縁の形状は、もしや何がしかの力学的要請によって形成されてきたのではなかろうかと思ったりしています。  それを思わせるのが上図の右です。2004年のスマトラ島沖地震の震央の地球の裏側の位置はコロンビア沖です(*印)。ナスカプレートとココスプレートの境界あたりです。そして、此の境界の東端を南に走るナスカプレートに沿って巨大地震が発生しています。詳細の考察を後日します。

(つづく)

+++++地震で騒がしい福島・北茨城〔2〕
 正月二日に加えこのところ、当家の足元がしばしば揺さぶられています。とりわけ、昨日朝の地震は図4で示す直角三角形の正に斜辺に相当する場所の真下に震央があります。”これは何じゃ!“と大いに興奮しましたが、結果は図5−6です。
〔図4 星印が1月5日未明深夜の地震。我がベッドを大いに揺さぶった。2016年12月30日記事中の図に加筆、図拡大はクリック〕
 いわき170105


 前回書きませんでしたが、上の図の直角三角形で辺AB(およその走向が南北)に沿う地震では張力軸が水平でかつ辺ABに直交、一方辺ACに沿う地震では張力軸が水平であるが、その走向はACに直交しています。そしてどちらの地震も圧力軸は鉛直というわけですから、地下の地震発生物理環境(テクトニックス)を合理的に解釈することが中々難しいのです。

 此の難しい解釈をさらにややこしくしているのが下の二つの図です。
(図5:毎度おなじみの図ですが、地震活動の進展に伴い少しずつ違っています。矩形領域内の地震についての調査結果が下の図です)
170105smap


〔図6:図5で示される矩形領域内の地震活動調査:(1、上)深さ方向の活動分布;(2、下)地震活動の時間変化〕
170105dep-time


上は図5のXYにおいた鉛直断面への地震活動の投影です。太平洋プレートがYからXのほうに向かって緩やかに 沈み込むことを反映した地震活動を示しています。注目すべきはその左上方の地震活動です。青Aは図4で示した直角三角形状地震活動域のABを南東から見た〔投影した〕点に対応します。A点から地震活動がXからY方向に傾いて分布するのが見て取れます。この傾きはABに沿って起きる正断層地震の断層面の投影になっているのでしょうか。その活動は太平洋プレートの上盤にまで及んでいるように見えます。そして、1月5日の地震が此の活動が太平洋プレートの上縁辺りで起きていることにも注意が向きます。一体、これは何なのか?

 下は地震活動の時間的分布です。上に行くほど時間は進みます。色々な方向に地震活動が伝播してゆくらしい様子が、少なくも4本の細い点線矢印で示されています。他にもそうした線形移動が認められます。例えば(100,0)(横軸座標、距離、縦軸座標、日数経過)から(0,900)に向かって900日間にわたって100kmを移動するような活動も見えます。スピードに換算すると0.1cm/sec程度となります。
 岩盤内の破壊が地震現象として、ゆっくりと、ある方向に向かって進展する。他の場所から進展してきた破壊と衝突し、事態は新たな展開をする。運動する粒子群模型でシミュレーションできないものかと思っています。

2000年代の47個の巨大地震(1)、今年こそ稀勢里優勝を!!

 
新年、明けましておめでとうございます。本年が皆様に良いお年であることをお祈りいたしております。
 とはいえ、我々老人にはいっそう厳しい年になるのではなかろうかとの危惧もあります。長寿と地球環境保全、働く世代の展望ある生活と我らの長寿、或いは高齢者医療が互いに相反するのか否か、どうやら老人に突きつけられている問題は多岐にわたるようです。どのように折り合いをつけるのか!悩ましいことです。


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:元旦の富士山と正月二日の筑波山〕
2017正月風景


朝酒を 好きだけ飲める 日々終わり 夢とチボウの 見えぬ一年

 と、詠んでみましたが、元旦早々、鹿島アントラーズが優勝しました(下の新聞記事)。こうなると弾みがつきます。初場所こそ稀勢里の初優勝を祈っています。現在、常陸国風土記の見直しをしているものとしては、大いに茨城県を盛り上げたいものです。
 〔図1:東京新聞1月3日付け、スポーツ面より」
鹿島1394

 新年初めてのブログ記事ですので、「古代史」の固い話は措いておいて、世界の大地震の事を書いておきます。“今年は大地震が起きますよ”、なぞと言った「予言」は私の力量を超えます。そうではなく21世紀の地球上の大地震の趨勢を振り返っておこうと言う話です。

 21世紀は2000年ではなく2001年に始まったのだそうですが、そうした厳密なことは大目に見ていただくなら、2000年1月1日から2016年末まで17年が経過しました。この17年間は概ね三分割できます。すなわち2000年1月1日から2004年12月26日までのほぼ5年間、これを期間(I)と名づけます。つぎに2004年末から2011年3月11日までのほぼ6年間余、これを期間(II)とします。そして2011年3月から2016年末までの5年9ヶ月です。これが期間(III)です。
 Mwが9などと言う巨大地震は地学現象としても地球にとって大変動の事件ですから、それがわずか5年の短期間で変化が見えてくるなぞはおよそ期待できませんが、その期待できない変化を確認してみようというわけです。データソースはGlobal CMT Catalogue Search (巨大地震検索)からMw>7.7(7.8以上の地震)の地震を上記の期間にわたって拾い出してきたものです。
 まず、上に書いた3つの期間を比較する前に2000年1月1日からの17年間の巨大地震の発生状況を見る事にします。

〔図2:2011年3月11日東北日本巨大地震からみた今世紀の巨大地震(Mw>7.7)
 左は東北巨大地震の真上から見た図。作図は、これまでと同じ等方位・等距離法による。この作図法のため世界地図が通常見られるのとは異なっています。
 白丸はMw < 8.0 青丸は7.9 < Mw < 8.5 赤丸は 8.4 < Mw < 9、黒四角は 8.9 < Mwの地震。
 地球は円いので、作図中心の真上から見た地球では、角距離が90度(およそ10000km)を越えた向こう側は見えない。そこで、その向こう側を作図したのが右の図。右の図での作図中心は東日本巨大地震・震央のいわば地球裏側となっている。*印で示している。尚、ブログ管理人のプログラム不備によって南極大陸に左側縁が欠けている。またアフリカ大陸の東側に見える二本の直線もプログラム不備によるもの。現在除去作業中。クリックすると拡大できます。)
BIg00-16

 
 最近17年間では、巨大地震は日本海溝、スンダ・ジャワ海溝、ペル・チリ海溝、そしてソロモン・ケルマデック海溝に集中していたことがわかります。これについては以後に詳しく眺めます。

 上記 カタログは個々の地震について、震源位置、モメント・テンソル成分を含む幾つかの情報が含んでいます。まずはこれらの情報から引き出される情報の“幾つか”(これは英語では”数片“とでも書くべき)を見る事にします。

 (図3:セントロイド時刻と発信時刻の差、2016年9月30日記事、Ct-Ot参照)
Mw vs Ct-OtBig2000


 地球上で発生するほとんどの地震については、その震源位置および発生時刻を知ることが出来ません。地震は地下、海底下で起きているからです。仕方が無いので地震発生時に震源から発射される地震波を使います。P波がそれです。一般に観測点への到達波形は鮮明ですので、此の到達時刻から逆算して、震源の位置と発震時刻を算出するのです。気象庁などが発表する震源位置、発震時刻は計算結果なのであった、気象庁職員が現場に行って決めたものでは無いのです。こうして決められた発震時をOrigin Time(OT)と呼びます。

 近年、地震計の技術開発が急速に進み、地震の波はデジタル量としてきわめて高精度にメモリに記録されることとなっています。こうなると観測点へのP波到達時刻ではなく、観測点での地震波形〔P 波のみならず、S波、表面波)などの波形が互いに整合性を持つように震源位置と発震時が求まるようになっています。それをCentroid Time(CT)と呼んでいます。

 此の二つの地震発生時刻は一般には異なっており、CTがOTに比べて遅くなります。図3は巨大地震ではどれだけ遅くなるであろうか、その遅くなり具合が地震の規模に関係しているのかどうか、を図示したものです。

 大きな地震ほど最大の地盤変動は遅れると考えることが出来るのですが、図3はそれを明示しているのかどうなのか。この図のみからは判断しがたいようです。
 

万葉集一歌に見る「ナメ」、12月28日茨城北地震考

2016年の最終ブログ記事をお送り致します。読者の方々には、本ブログにお付き合い頂いたことを心より感謝しております。有難うございました。新年は1月4日より再開いたします。面白い話題を提供できるよう努めたく思っております。
 皆様には良い新年を迎えられますよう心より祈念致しております。

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:このような時期にトンビを見るとは思いませんでした。縄張りを荒らされたと怒るカラス(送電線鉄塔に三羽)が執拗にトンビ(図のやや左中央〕を追いかけていました。写真には見えませんが、畦に植わっている木の梢で、アントラーズの柴崎選手さながらに部下ガラスの動きに指示を与える司令塔親分カラスがいました。拡大は写真をクリック〕
トンビ1374

 
珍らしや 未明の空に ピーヒョロが 鴉の群れに 追われ逃げおる

そういえば、カラスと言うのは集団での虐めが得意ですな。フクロウを集団でいじめるカラスの動画をお見せします(フクロウいじめの鴉 )。

+++++行方郡(2)
 前々回〔12月26日記事〕から「行方」なる地名の由来を考察しています。「行」を「なめ」と音させることの奇異です。大昔から、その奇異の解釈で僧・公家などの知識人が頭を悩ましてきた様子が窺えます。それは、現在の国文学者、古代史研究者にとっても同じです。

 『行方』は和風訓では「ゆくえ」です。この地に達した「武王」又はその係累が「以後の“行く方向”について、思案」したなぞと言ったエピソードでもあれば、納得が行きます。しかし、それはそれで、違う問題を引き起こします。つまり進行方向を思案するに当たって「行方」になぜ「ナメカタ」なる訓をふったのか?と言う疑問です。

 一方で「ナメカタ」が、先にありきと思うと、今度は何故それに「行方」なる漢字をあてたのか?つまり「ナメカタ」には「行方」〔ゆくえ〕に通ずる原義があったのだろうかとの問いを設定せねばなりません。そこで「なめ」なる語を古代の文献に求めることになります。記紀にそれを探すことも、勿論含みますが、記紀には藤原不比等の思惑が深く関わっています。何と言ってもまずは万葉集に立ち返るべきです。

 そこで、取り上げたのが、まずは万葉集一歌です。この歌には「おしなべて」、「しきなべて」なる表現があります。前回書いたように学者先生は苦慮の末、それなりの「解釈」を此の表現にほどこしました。が、どうやら彼ら自身がシカと確信している風ではなく頼りなげです。古代学者によるどの万葉集『読解』書を見てもそう感ずるはずです。

 さて、本ブログでは、「ナメカタ」の「ナメ」を解読する手がかりが此の歌にあるか否かを検証します。すでに「オシナベテ」が、どうやら古代学者は見当違いを起こしているらしいことがわかりました(12月26日記事、「おしなべて」の解釈 )。つまり「ナメ」は「ナベ」に容易に転化しますが、その「ナベテ」が『若者』との意であるとすると、此の一歌の意味が鮮明になってきます。

 ところで、この万葉集一歌にはもう一つ「なめ」が使われています:

01/0001,"雜歌 / 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",

 上の原文中で「ハイライト」で示したように「師<吉>名倍手」です。「おし」が古代ペルシヤ語であるとするならば、「シキ」も古代ペルシア語に由来するだろうというわけで、字典を調べてみます〔黒柳恒男著、大学書林〕。「シキ」は『酒』を意味するのです。

 こうして歌の全容が鮮明に見えてきました:
 歌の読み手は題詞にあるように「ワカタケル」王である可能性があります。彼は西域からの渡来人の血をひいて居るがゆえに無意識にペルシヤ語が口をついて出てくるのです。その人物が、現在の埼玉県「シキ」〔志木〕の宮廷から日本列島を海路・南進し、鹿児島に上陸し熊本を経て、辿り着いたのが肥前、多分現在の吉野ヶ里です。
 
 その地で目の当りにしたのが「戦乱で荒廃した」と聞いていたかっての八間国連邦〔邪馬台国〕の現様です。豊かな胸を揺らしながら生き生きと野菜を籠に収穫する女性、逞しい股間を誇示しつつ鍬をふるって開墾をする男たちです。そして作業の合間には若者が集まって談笑している。酒を飲みながら車座になって歌や踊りに興じている。歌の読み手は完全に此の光景に引き込まれ、自分も仲間に入れてくれと言っているのです。

 戦乱で荒廃していたはずの八間(やま)の国々の跡地では住民は明るく元気をとりもどしているという、日本列島古代史にとっては誠に貴重な情景を描き出しているのです。ここでは触れませんが、次の二歌も同様です。

 こうした歌が、古代文学の研究者の手にかかると、何がなにやら意味不明となります。

 例えば久松潜一氏は、此の一歌に以下の解説をします(『万葉秀歌』(一)、講談社学術文庫、2001年、50−53頁):
(図1:久松氏による万葉集一歌解説。クリックすると拡大します)
那珂郡410

那珂郡412


 細かい処々に気を配っておられるのは、さすが古代文学の大家と言うべきです。しかし、肝心の「心」とでも言うべき記載の解釈、いいかえれば筋書きを何故かスキップしてしまうのです。結局久松氏以前の学者さんの意見について気を配る余りご自身の大胆な創造力を発揮できていない。それが故の凡庸な解読になってしまうのです。これは久松氏に限りません。大方の学者さんが同じなのです。

 私の解読のほうがはるかに歌の情景を伝えているように思うのですが、いかがでしょうか。さてそうではあっても「ナメカタ」の謎解明には未だ程遠いようです。
(つづく)
 新年は、万葉集四歌に登場する「ナメ」を考察します。


+++++28日の震度6の北茨城地震について
 12月28日の茨城県北部の地震について、TVニュースが下記を報じています。
%%%%%茨城震度6弱 “未知の断層”が動き発生
日本テレビ系(NNN) 12/29(木) 21:29配信
NNN 

 28日に茨城県でNews発生した最大震度6弱の地震について、政府の地震調査委員会は、長さが15キロ程度の未知の断層が動いた、との見解を示した。

 28日夜、茨城県高萩市で震度6弱を観測した地震では、窓ガラスが割れたりする被害が出たほか、2人がケガをした。地震調査委員会は29日、臨時の会合を開いて活動を分析し、長さ15キロ程度の未知の断層が動いたことで地震が起きた、との見解をまとめた。28日夜の発生直後に比べて余震活動は低下しているという。

 今回の地震は5年前の東日本大震災の余震とみられているが、2004年にインド洋大津波を起こしたスマトラ沖地震では、発生から10年が経過しても周辺で大きな地震が繰り返し起きているため、今後の地震や津波にも注意が必要だとしている。
%%%%%

 既に本ブログでも指摘したように今般の地震は、既存の地震活動線に沿って発生していることは明らかです。それを図2に示しておきます。図2の直角三角形ABCの南北に走る辺に今般の地震は起きています。地震活動を注意深く見ていれば、そこに何がしかの構造線らしきものの存在を認識できたはずです。
〔図2 いわき・北茨城近辺の顕著地震とその発震機構図〕
いわき161228


 興味深いことは、直角三角形の南北走向の辺にそって起きる地震は南―西向きの張力が卓越しています。ところが、先の11月22日の地震を含む東西辺上に起きる地震は、北西―南東の向きの張力で起きているのです。地域的にかくも近傍の地震発生であって、その起震力の向きが90度異なっているのです。誠に珍しいことなのです。

〔図3: 2013年10月26日以降の地震活動、M>4.5 )
smap161228


 周辺の地震活動を2013年10月26日以降で眺めると図3のような活動分布が見えてきます。そこで、図3の矩形領域内の地震活動について少し食わし調べます。

(図4:上 地震活動図2013年10月26日〜2016年12月29日。矩形ABCに囲まれる領域の地震活動が下の図で分析されている。
 下〔上〕矩形ABC内の地震活動をABにおいた鉛直断面上に投影したものを南東から眺めた図;下〔下〕 矩形ABC内の地震活動を2016年10月26日の地震発生時からの経過日数で活動変化をみたもの)
161228cross-section


 特に興味深いことは、図4〔上〕で“acitivity descending Toward North-East”なる注を加えた地震活動分布です。これはAからB方向に地震発生の深さが大きくなっていることを示します。これは、図2で示す2011年4月の地震と2016年12月28日の地震が形成した地震断層が北東方面に傾く正断層地震であったらしいことを示唆しています。となると、地学的解釈は中々難しいことになりそうです。

A happy new year again !!

妊娠で女性の頭脳変化(2,米国科学誌),太陽エネルギコスト

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:昨日の美しい朝焼け。こういう日の天気は、必ず崩れます。午前中早々に強い雨でした。」
朝焼け1362


此の時期は 辛きことのみ 多かりき ガラス磨きに 賀状書きなり

 此の年になると、賀状のやり取りはかなりの苦痛であります。何せ、ものぐさが私の”長所“であります。てなわけで、60歳を過ぎた頃から徐々に年賀の交換を減らしてきました。いまや、私が書く賀状の枚数は片手ほどです。所がです。家内のそれはなんと三桁を越えます。そして、その印刷作業はPCが苦手であるとの理由から私に降りかかってきます。この仕事に昨日・今日と思わぬ時間がかかってしまいました。年取ると、昨年に習熟したはずのソフト操作勘を取り戻すのに時間がかかります。てなわけで、本日のブログ記事は前回の米国科学誌紹介の残り部分のみです。


+++++妊娠で女性の頭脳は変化し続ける(2)

 子供を宿すことが、脳の変化を引き起こすという記事を見つけました。コメントできるほどの知識を私は持ち合わせていませんが、前回掲載の後半部分を以下に紹介しておきます:
%%%%%Pregnancy Causes Lasting Changes in a Woman's Brain
妊娠は女性の脳の永続的な変化を引き起こす

New mothers showed evidence of neural remodeling up to two years after giving birth
新生児は、出産後2年までの神経リモデリングの証拠を示した
ことでキャサリン・カルーソ、2016年12月19日
Scientific American誌より
• By Catherine Caruso on December 19, 2016


%%%%%前回の続き
It is not entirely clear why women lose gray matter during pregnancy, but Hoekzema thinks it may be because their brains are becoming more specialized in ways that will help them adapt to motherhood and respond to the needs of their babies. The study offers some preliminary evidence to support this idea. Whereas the present study focuses primarily on documenting brain changes during pregnancy, she expects follow-up work to tackle more applied questions such as how brain changes relate to postpartum depression or attachment difficulties between mother and child.
Ronald Dahl, a neuroscientist at the University of California, Berkeley, who was not involved in the work, says he had “a delightful ‘wow’ moment” on seeing the study. “This is a pioneering contribution that not only documents structural brain changes linked to pregnancy but also compellingly offers evidence that suggests these represent adaptive changes,” he wrote in an e-mail.
 女性が妊娠中に灰白質を失う理由は完全にはっきりしているわけではないが、母親として乳児に適応し、乳児のニーズに対応するために脳がより特別な仕様になってきている可能性があると、Hoekzemaは考えている。その研究は、この考え方を支持するいくつかの予備的証拠を提供する。現在の研究は主に妊娠中の脳の変化を記録することに焦点を当てているが、脳の変化がどのように産後うつ病や母親と子供の間の愛着障害に関連するかなど、より多くの問題に取り組むためのフォローアップ作業になるだろうと彼女は言う。
 Ronald Dahl, a neuroscientist at the University of California, Berkeley,彼は此の仕事には参加していないが、この研究を見て、「楽しい」瞬間を覚えていると言う。“これは先見的な仕事である”と彼は言う。、脳の構造変化が妊娠と関連していることの記録にとどまらず、適応的な変化を表す証拠を説得力のある形で提供している」とEメールで書いている。

Mel Rutherford, an evolutionary psychologist at McMaster University in Ontario, is also enthusiastic about the study—which, to his knowledge, is the first that uses neuroimaging to track brain changes during pregnancy. “Probably the most exciting thing is that they were able to follow up two years after the birth of the baby,” he says, “So they have the longest-term evidence that we've seen of changes in the brain after pregnancy.” The results mesh with Rutherford’s own research on cognitive changes during pregnancy, which he approaches from an evolutionary perspective. “As a parent, you're now going to be solving slightly different adaptive problems, slightly different cognitive problems than you did before you had children,” he explains. “You have different priorities, you have different tasks you're going to be doing, and so your brain changes.”

 Mel Rutherford, an evolutionary psychologist at McMaster University in Ontarioも、彼の知る限り、妊娠中の脳の変化を追跡する神経イメージングを使用する最初の研究であることに強い関心を抱いている。「もっともエキサイティングなのは、赤ちゃんの誕生から2年間フォローアップできることだ」と言い、「妊娠後の脳の変化を最も永く観察してきた証拠だ」と語った。その結果は、妊娠中の認知的変化に関するラザフォード自身の研究と一致しており、進化の観点からアプローチしている。「親として、若干異なる適応問題を解決することになる。子どもが生まれる前とは少し異なる認知問題を解決する」と彼は説明する。「人は異なる優先順位を持っており、異なる仕事をしている。それが脳を変化させる。」
%%%%%

+++++古代史・閑話
 上に書いたような事情から、行方郡の続きを書くことが出来ませんでした。そこで、今回は私の大雑把な日本列島古代史観を書いておきます:

 以前、少しだけ言及しましたが、倭国の主体は日本列島に雑居した色々な部族の集合体であると書きました。その中心にあったのが、魏志倭人伝が書く、邪馬台国です。これは、九州と四国に半分を勢力圏に置く多部族の集合体です。「台」とは今で言う「連邦」のようなものです。
 此の邪馬台国が、外圧と内乱で崩壊した、およそ百年後に、日本列島に多大のアシカとを遺すことになる集団が渡来します。彼らの中心は遠く西域ペルシアの地に居たサカ族です。このサカ族が気候変動の故かどうか原因は定かでありませんが、中央アジア北部を経由して東に移動します。その移動の過程で、青海近辺に盤居した高昌族を取り込み北東アジア大陸に陣取る漢民族(或いはその系統)が占拠する域を北に迂回して大陸北東部に達します。そこで、多くは更に東に進みアリューシャン列島を経て米国大陸に移動したのでしょう。残された一部が間宮海峡を経て日本列島に移動してきたと思われます。こうした一族の足跡が近年頓に進展著しい遺伝子解析、とりわけ、男のみに受け渡されるY遺伝子・解析から明らかになっています。

 サカ族の移動軌跡は、かっては匈奴がフン族としてヨーロッパで怖れられた民族です。彼らが何故かくも強大な地域を支配下に納めることが出来たのか?「凶」から連想させるのは「刀と弓」による暴力です。しかし、それは匈奴を怖れる漢民族が呼称したものなのです。支配の実態は前回記事で紹介した「遊牧民からみた世界史」が詳述しています。むしろゆるい結合と納得ずくの連携であったのです。それだけの包容力無しではあれだけの広大な地域を支配下には置けなかったのです。同様の包容力と巧みな部族連携術をもってして、此の渡来集団は東北日本に政治拠点を置いたのです。これが梁書倭伝が書く「扶桑国」です。

 この「人心掌握のノウハウ」を身に付けた一族は、瞬く間に日本列島東部から九州にいたる巨大な支配域を傘下におさめることとなったのです。但し、そこに例外的な地がありました。それが現在に奈良盆地に盤居した一族です。この一族の由来は謎です。既に魏志倭人伝がこの一族の存在を買いとめています。さらには西暦708年に日本列島視察に訪れた隋の調査団もこの一族と面談し、彼らが大陸と同属であるとの報告を隋皇帝になしています。日本列島が見舞われたれたその後の悲劇はどうやらこの西暦607年にあったのです。何故なら、この奈良盆地にあった勢力が倭国壊滅の核となったからです。しかし、核となる奈良盆地勢力だけで日本列島の大半を支配下に置く東西倭国を殲滅させることは出来ません。そこに、大陸漢王朝末裔とその系統の大陸一族が強力な軍事支援をしたのです。具体的な軍事干渉は633年の白村江海戦とそれをフォロした壬申の乱です。しかし、それに先駆けての継体天皇による磐井の乱鎮圧です。

 本ブログは古文書を丁寧に考察する中で、上にかいたような倭国史観に到達しました。さて、大陸王朝は何故日本列島政権にそうまでして神経過敏であったのでしょうか?理由は明らかです。大陸王朝は長く北アジアの勇猛な軍事勢力の圧迫に頭を痛めてきました。いわゆる北狄(ほくてき)です。そこに、海を隔てているとはいえ東に北狄と同じうする一族が盤居するとなると、それは大陸政府の「安保」に関わる重大な環境変化であったからです。

 といった七世紀後半から八世紀全般の東アジアの情勢が、奈良の武装勢力による東国侵攻の根源的背景であったと考えています。さて、こうした筋書きに基づいて現在常陸国風土記・行方郡の考察をしています。

+++++太陽光発電のコストが史上初めて石炭火力と原子力を下回る
 以下のような記事を見つけたので、添付しておきます。
001 2016/12/27(火) 10:32:06
太陽光エネルキコスト
cost0001


全世界平均の太陽光発電の発電コストは約0.1cents/kWhで石炭火力と原子力を追い越して陸上型風力発電に次いで 安価なエネルギー源となったことがWorld Economic Forum (WEF) による調べにより明らかとなった。
WEFでは、既に世界30ヶ国では、太陽光発電のコストは、風力発電を超えてもっとも安価なエネルギー源ともなっているとしており 今後も太陽光発電のエネルギー変換効率が上昇し、販売単価の下落が続いた場合 早晩、太陽光発電は風力発電を超えて、世界で最も安価なエネルギー源となると見ている。 現在は、太陽光発電がもっとも安価なエネルギー源となっているのは、世界30ヶ国に限られてはいるものの WEFの予測調査では、世界の3分の2の国では、次の数年に太陽光発電のコストが風力発電のコストを下回ることとなり 名実ともに、太陽光発電はもっとも安価なエネルギー源となるだろうとまとめている。

%%%%%記事紹介終わり

常陸風土記・行方と万葉集一歌、妊娠と脳(1、米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:画面中央の鳥、鳩に見えますが、鳩ではありません。そもそも鳩のようなズングリ体形でなくスマートでありました。シジュウカラではなかろうか、と思っています〕
鳥1342

 
 葱畑 食欲そそる 鳥一羽 鴨なら鍋と 熱燗思う

 卑しさが丸出しの歌となりました。そんな私を憂えたのか、娘夫婦が東京駅・レストランでの昼食に誘ってくれました。婿殿のご家族と気楽な二時間の語らいの時でありました。休日の東京駅の人出に目が回りました。待ち合わせまでの時間、行きかう人を眺めていました。ダンナと子供を叱りつけながら足早に歩く、四十代前半と思しきお母さん。階段であられもない格好でずっこける二十歳前後の娘さん。人の群れに押し流されてヨタヨタしている七十は超えていると思しき年寄り夫婦等々。眺めていると飽きないものですな。そうした我らも何処からか観察されており“むさい爺(じじい)・婆〔ばばあ〕”てな具合に評されていたのやも知れません。

+++++行方郡〔2〕
 今回は、行方郡の冒頭文から下記い鮃佑┐泙后9塋(なめかた)と言う地名の由来です。風土記の説については、後世の学者さん〔公家、僧侶、そして国文学者など〕も、どうやら納得しがたいようで、あれこれの説を論じています。

(図1:行方郡の冒頭部分)
行方郡1


 そこで、風土記の原文記載を見る事にします。常陸国を巡狩している途上で立ち寄ったこの地で家臣に言った「輿を止めてくれ。あたりの景色を散策して楽しみたい。目を遠くにやると、うねうねと山並みが続き峰には白い雲が浮かんでいる。谷を霧が埋め風趣があり、誠に愛おしむべき景色である」と前置きして
“宣可此地名称行細国者” と語った。後世、此の事跡に従い『行方』となった。土地の言い習わしでは「立ち雨〔たちさめ〕ふる行方の国」と。

「風土記」〔小学館〕校注者はこれを「此の地の名はナミクワシの国と言うが良い」と訓を付します。風土記の編者がどのような意図を以って、こうした『漢字』を此の地の名として使ったのか?「行」を「ナメ」と音させる原住民の「言語」があったのは間違いないのでしょう。
 「行」が「行軍」という動詞に由来するとすれば「ならんで進む」と言うことです。「ならぶ」の「ブ」が「ム」に相互転換することは日本列島だけでなく、世界に共通していることは本ブログでしばしば指摘したことです。とするならば、これは「ナベカタ」であったのではなかろうか?

 そうではあっても、これに類似した語をアイヌ語に見出すことは出来ません。とすれば再び「伝家の宝刀」つまり「古代ペルシア語」辞典を紐解くことになります。

 「ナメ」なる表現について、かねてより気になっていたのが万葉集一歌および四歌です。
まずは一歌です:
01/0001,"雜歌 / 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",
仮名:"こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへきかな のらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそば のらめ いへをもなをも"

 此の歌については、12月8日記事(万葉集一歌 )で引用しています。それは、「ヤツカハギ」とは何者かの解明にありました。この一歌は日本列島古代史解明、とりわけ邪馬台国の所在について正に鍵となる歌であることを本ブログで論じてきました(2013年8月5日記事 魏志倭人での真っ当な解釈 )。

 それは上記の原文にあります。そこには“山跡乃國者”なる表現があります。
 ほとんどの古代学者はこれを「やまとの」国と読み下(くだ)し、これぞ「大和」なる呼称の原点であると「快哉」の声を挙げたのです。原文を注意深く見ると『「やま」という集合集落の「跡地」の場所』と書いているのです。実際、魏志倭人伝は「邪馬台国」と書いているのであって「ヤマト」とは書いていないのです。詳細は省きますが「台」は「ト」では無いのです。学研「漢和大字典」〔藤堂明保編〕もはっきりと書いています。「台」は「連合体」を意味する漢文用法なのです。万葉集が書く「山」は連合体の構成要素の一つである「邪馬」集落を指しているのです。その集合集落のいた国〔場所〕と、一歌は詠んでいるのです。

 初期万葉集の歌群にあっては、読み手が日本列島土着民の話し言葉に慣れきっていない。さりとて大陸の漢語についても習熟しているわけではない。こうした言語環境にあって、周囲の見聞・事象を叙事していたと思われます。詠う歌にはさまざまな語がない混じっていることに注意を払わねばならないのです。
 しかし、公式『正史」では、こうした用語は捨て去られ、それに伴う史実㋾語る叙事も 藤原不比等によって歴史から抹殺されてしまったのです。。

 此のやり口は先日のスーダンでの自衛隊の活動日誌が保存期限を待たずに廃棄された事情と酷似しています。支配者は何時でも庶民に対しては「知らしむべからず」なのです。さもなくば、事実を知った庶民が反逆するかも知れないからです。こうした「隠蔽」なる伝統はどうやら藤原不比等以来と言うことのようです。
〔図: 東京新聞12月24日付け一面〕
PKO1354


 話が横道に逸れましたが、上記原文に“押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手”という一節があります。「おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ」と訓(よ)まれています。
 「おしなべて」を旺文社・古語辞典で調べると「あまねく、何から何まで、全て、いちように、」とあります。小学館「国語辞典」は「〔古語〕なびかせる」と書き、使用例として正に上記の万葉集一歌を引用しています。
 これを解説します。万葉集をなんとか解読したいと平安期より多くの知識人が『あれやこれや』と知恵を振り絞ってきたのです。そこで、到達したのが「押しなべて」なる語の意味です。従って国語辞典に書いてある意味を以って一歌の解読をするとすれば、それは「循環論法」なのです。つまり、意味不明の語、および意味不明の文に出くわしたときには、一から考え直すことが肝要なのです。

 そこでそうした姿勢を以って此の歌を今一度解読してみます。
「おしなべて」を「オシ」と「なべて」に分解します。「おし」が古代ペルシヤ語であることは本ブログで書いて来ました〔http://c23.biz/z3TV”おし”を論ず〕。日本書紀に書かれる系図の中で仁徳天皇の係累に多く登場する名前に「オシ」が付されている野は少なくありません。古代ペルシヤ語で、「清い、新鮮な」という意味の「ashu」という語があります。又「勇敢な」と言う意味の「ashras」と言う語もあります。
 これまでに日本列島の歴史で登場する「オシ」は埼玉県北部の「忍」、或いは青森県下北半島の「恐山」など「勇敢な」と言う意味が相応しいようです。どちらの意味が相応しいのか?その判断はその次ぎに来る語によるのでしょう。つまり「なべて」です。
 さて、なんと[nabete]なる語が古代ペルシア語にあるのです。意味は「若者、少年、少女」です。つまり「おしなべて」は「若々しい青年たちよ」、あるいは「勇敢な青年たちよ」と、万葉集一歌の歌い手は詠みあげたのではなかろうか!
(つづく)

+++++妊娠で女性の頭脳は変化し続ける(1)

 子供を宿すことが、頭脳の変化を引き起こすという記事を見つけました。コメントできるほどの知識を私は持ち合わせて射ないけれども、興味を引かれたので以下に紹介しておきます:
%%%%%Pregnancy Causes Lasting Changes in a Woman's Brain
妊娠は女性の脳の永続的な変化を引き起こす

New mothers showed evidence of neural remodeling up to two years after giving birth
母になりたての女性は、出産後2年間、脳が再構築され続けるとの証拠がある
By Catherine Caruso on December 19, 2016
Scientific American


Growing a human being is no small feat—just ask any newly pregnant woman. Her hormones surge as her body undergoes a massive physical transformation, and the changes don’t end there. A study published Monday in Nature Neuroscience reveals that during pregnancy women undergo significant brain remodeling that persists for at least two years after birth. The study also offers preliminary evidence that this remodeling may play a role in helping women transition into motherhood.
A research team at Autonomous University of Barcelona, led by neuroscientist Elseline Hoekzema of Leiden University, performed brain scans on first-time mothers before and after pregnancy and found significant gray matter changes in brain regions associated with social cognition and theory of mind—the same regions that were activated when women looked at photos of their infants. These changes, which were still present two years after birth, predicted women’s scores on a test of maternal attachment, and were so clear that a computer algorithm could use them to identify which women had been pregnant.

人間を育くむことは、たいへんな偉業であるーそれが、新たに妊娠した女性が成し遂げている。彼女の体が大規模な物理的変容を経験するにつれて、彼女のホルモンは急増し、変化はそこで終わらない。
 月曜日発行されたNature Neuroscience誌が、「妊娠中の女性は、重大な脳の再構築を経ている。それは出産後少なくとも2年間は持続している」ことを明らかにした。この研究はまた、この再構築が女性が母性に移行するのを助ける役割を果たすかもしれないという予備的な証拠を提供している。
 neuroscientist Elseline Hoekzema of Leiden Universityが率いるA research team at Autonomous University of Barcelonaは、妊娠前後の母親の脳スキャンをはじめて行い、社会認知および心理理論と関係する脳領域に重大な灰白質の変化を見出した。それは、女性が幼児の写真を見るときに活性化された領域でもある。これらの変化は、出生後2年でまだ存在していたが、母性に関するテストで予測されていたことであり、女性の妊娠をコンピュタで識別する際に用いられるほどに明らかであった。

One of the hallmarks of pregnancy is an enormous increase in sex steroid hormones such as progesterone and estrogen, which help a woman’s body prepare for carrying a child. There is only one other time when our bodies produce similarly large quantities of these hormones: puberty. Previous research has shown that during puberty these hormones cause dramatic structural and organizational changes in the brain. Throughout adolescence both boys and girls lose gray matter as the brain connections they don’t need are pruned, and their brains are sculpted into their adult form. Very little research has focused on anatomical brain changes during pregnancy, however. “Most women undergo pregnancy at some point in their lives,” Hoekzema says, “But we have no idea what happens in the brain.”
Hoekzema and her colleagues performed detailed anatomical brain scans on a group of women who were trying to get pregnant for the first time. The 25 women who got pregnant were rescanned soon after they gave birth; 11 of them were scanned two years after that. (For comparison, the researchers also scanned men and women who were not trying to have a child as well as first-time fathers).
 妊娠の特徴の1つは、プロゲステロンやエストロゲンなどの性ステロイドホルモンの劇的な増加であり、それが、女性の身体が子供を胎内にはぐくむ準備をする助けとなる。私たちの体が同様に大量のこれらのホルモンを生成する時期がもう一つある:すなわち思春期だ。以前の研究では、思春期にこれらのホルモンが脳の劇的な構造変化および組織変化を引き起こすことがわかっている。思春期中ずっと、男女ともに、必要のない脳のつながりが刈り込まれ、灰白質を失い脳が成人の形に彫られてしまう。しかし、妊娠中の解剖学的脳の変化にはほとんど研究が集中してこなかった。「ほとんどの女性は、ある時点で妊娠を体験する」とHoekzemaは言う。「しかし、脳内で何が起こっているのかわからなかった。」と。
  Hoekzemaと彼女の同僚は、初めて妊娠しようとしている女性のグループについて、詳細な解剖学的脳スキャンを実施した。妊娠した25人の女性について、出産直後に再スキャンされた。;彼らの内の11人日ついては出産後の二年の後再度スキャンされた(比較のために、最初の父親だけでなく、子供を育てようとしていない男性と女性もスキャンした)。

During the postpartum period, the researchers also performed brain scans on the new mothers while they looked at photos of their infants. The scientists used a standard scale to rate the attachment between mother and infant.
The researchers found that the new mothers experienced gray matter reductions that lasted for at least two years after birth. This loss, however, is not necessarily a bad thing (according to Hoekzema, “the localization was quite remarkable”); it occurred in brain regions involved in social cognition, particularly in the network dedicated to theory of mind, which helps us think about what is going on in someone else’s mind—regions that had the strongest response when mothers looked at photos of their infants. These brain changes could also be used to predict how mothers scored on the attachment scale. In fact, researchers were able to use a computer algorithm to identify which women were new mothers based solely on their patterns of gray matter loss. Gray matter loss was not seen in new fathers or nonparents.
  産後の期間中、研究者たちは新しく母となった女性にたいして、乳児の写真を見ている新しい彼女らの脳スキャンをした。研究者たちは、母親と幼児の間の愛着を評価するために標準的な尺度を使用した。
 研究者らは、新しく母親戸なった女性の脳が灰白質の減少を体験していることを発見した。それは出産後少なくとも二年間はその在在していた。しかし、この損失は必ずしも悪いことではない(Hoekzemaによると、「局所化が非常に顕著であった」);それは脳内の社会認知に関わる領域で起きていた。とりわけ特に心の理論に特化したネットワークで起こっていた。これは、母親が幼児の写真を見たときに最も強い反応を示した領域について他人の同領域で起こっていることとの比較を考えるのに役立つ。これらの脳の変化はまた、母親がどのように愛着度計測スケールでのスコアを予測するのにも使用できる。実際、研究者はコンピュータアルゴリズムを使用して、灰白質の損失のパターンのみに基づいて、どの女性が母であるのかを特定することができた。灰白質の減少は、新しい父親または非親では見られなかった。
(つづく)

風土記・行方郡の記載量が多い理由、常温核融合〔続き〕

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:深夜の雨と強風は一体何で会ったのか!穏やかな当地の日の出前です。天空にはやせ細った二十三日月が明るい星を西側に侍らせて心細気にたたずんでいました。〕
 夜明け前1353

 
未明まで 強き風音 窓ゆすり 起きれば一転 春の陽気哉

 昨晩から今朝未明まで雨と強い風です。やれやれ今日は散歩を休める口実ができたわいと喜びました。所が5時過ぎにぱたっと風と雨が止み、おまけに気温も暖かい。フトンから抜け出る決断を要せずに起きました。

 〔図1:1500年前のシリウス星の夜の運行。各図で円の中心は八溝山・山頂、円は方位を表し、上が北、時計回りに東、南、西となる。赤い丸は午後6時から翌日朝6時までのシリウス星運行の30分毎の軌跡。赤丸から中心点までの距離はシリウス星の高度〔仰角〕をしめす。図の見方の例として、右上の1500年前の夏至日のシリウス星運行について解説します。この図で右下に赤丸でなく星印があります。これは夜中の0時の位置〔方位)です。この角度がシリウス星方位として本ブログでしばしば使われている。0時前に反時計回りに見える8つの赤丸は4時間分の軌跡、つまり夕方8時からのシリウス星軌跡。8時前は地平の下にあり八溝山からは見えないことを示す。シリウス星は午前0時から6時間後に丁度地平に達することを上記計算は示している。〕
鹿島シリウス


 そういえば、二日前は冬至です。太陽はいまや北半球に向かって歩み始めました。本ブログでは、かって南半球の天に輝く一等星シリウス星の地球から見た天空上の位置を計算しました。当然、それは地球上の見る位置によります。そこで、茨城県の北端にある最高峰八溝山から見たシリウス星の1500年前の位置計算が〔図1〕です。1500年前のシリウス星運行 

 上の四つの円は左上から春分、夏至〔右上〕、秋分(左下)、冬至(右下)です。夫々の図内の赤い点は、当該日の夕方6時から朝6時までのシリウス星の天空上の軌跡です。点列は時計回りで30分毎で示されています。詳しくは上記ブログ記事を見ていただきますが、冬至の日には、右下の図に、赤点がありません。これは、八溝山からシリウス星を見ることができないことを意味します。

+++++常陸国風土記行方郡の条
 常陸国・風土記を丁寧に眺めると、思いがけずも行間、或いは紙背に日本列島・東国の歴史の真実が潜んでいることをこれまでに見てきました。さて今回は行方郡です。まずは風土記の記載順序を再度振り返ってみることにします:
〔図2:常陸国を構成する郡と風土記での記載順序〔赤丸番号で示されている〕〕
常陸順番


 藤原不比等を総帥とした征・東夷軍〔東国の夷荻征伐のために編成された軍隊〕は、信濃国〔現在の長野県〕から毛野国〔現在の群馬・栃木県〕を進軍してきました。制覇した国の先々で反逆者を幽閉した地が名前に残されています。長野県では「科」〔又は戸隠山〕(とが)、栃木県の都賀(トガ)です。こうして、現在の茨城県へ侵入します。侵入地が現在の新治郡です。「新治」の名前は、常陸の国の東縁をまずは陥落させたことに因みます。
 新治の地を占拠した後、侵入軍は現在の利根川沿いを東に進み、筑波、信太、茨城と次々に陥落させます。こうして、扶桑国の最大拠点である行方と鹿島を西側から完全に包囲したのです。

 当然、ここでの戦い、とりわけ行方郡での戦闘は熾烈を極め、征夷軍の蛮行は残虐を極めたに違いありません。その戦闘を風土記は最大字数でもって描きます。郡の記載順 下記は常陸国の各郡について「風土記」〔小学館.刊〕が使っている頁数です。香島、行方郡がダントツに多いことがわかります。
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、香島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)

 追々書きますが、香々背男〔高昌、古四王、扶桑〕族の常陸国での政治拠点は鹿島に設営されています。それは八溝山・静・吉田ときた直線配列の終点が鹿島であるからです。そこは、正に日本列島西半分への進撃拠点であったのです。地の利には恵まれています。東は太平洋、西は霞ヶ浦・北の浦、南は現在の利根川〔当時は常陸川〕が自然の要害となっています。霞ヶ浦と北浦に挟まれる行方はまさに鹿島防衛の砦の役割であったのです。

 征東夷軍はだからこそ、この行方の地を征服するために全力を結集しました。その結果が風土記にあっては最大の記述量となったのです。

 まずは、冒頭部分を見て行きます:
〔図3:常陸国風土記、行方郡冒頭部分〕
行方郡1

  まず,任后私が気にしているのは、征東夷軍が常陸国に侵攻してきたのが新治郡です。その西隣が下毛野国、現在の栃木県です。この地に「都賀・壬生」と言う地があります。都賀は「トガ」、つまり「罪科」の転じたものです。現在の長野県の「科野」、富山県の「利賀」同様、九州に拠した倭国の指導部が、その位の高さからあえて死刑にせず、「幽閉」された地です。
 壬生なる人物は、その幽閉されていた地から、常陸国に関わったと思えます。背後に「芝居仕立て」にもしたようなドラマを思い浮かべます。この人物は科人〔とがにん〕の子孫として引き連れて来られたのだろうか、それとも征東夷軍に忠誠を誓ったのか?そもそも名前の謂れは「壬申の乱」の年に出生したのか・・・・。

  △侶錣任后図らずも歴史の一端を『白状』していると思えます。倭武天皇が天下を巡狩し海北を平らげた後に行方と呼ばれる地に来たと風土記は書きます。風土記(小学館)の校注者は「海北」とは文字通り行方の地の北であると書きます。その通りなのです。既に書いたように遥か西域からの渡来人とアイヌ族の連合体は正に北から南進してきているのです。
 
誤解、或いは混乱を避けるために繰り返しますが、藤原不比等を総帥とする征・東夷の軍隊は現在の栃木〔下毛野〕からまず新治に侵入しています。つまり常陸風土記は意識的に征・東夷軍の常陸侵略軍と、それに先んずること200−300年前の武王の南進を『意図的に』混在させているのです。

は、玉造と言う地をはじめとして、この地に散在する「玉」を付する地名の由来を述べたものです。明らかに「勾玉」の類ではありません。しかし、水と玉、どうにも結びつきません。「魂」の転化したものであるとの説を唱える人もいます。現時点では保留させてもらいます。
(つづく)


+++++常温核融合(2、米国科学誌より)
 前回の続きです。
%%%%%復活した?”常温核融合実験“
Scientific American誌より 
It's Not Cold Fusion... But It's Something
それは、常温核融合ではない・・・しかし何かである
An experiment that earned Stanley Pons and Martin Fleischmann widespread ridicule in 1989 wasn't necessarily bogus
1989年、Stanley Pons and Martin Fleischmannが嘲笑された一つの実験は必ずしも似非ではなかった。
By Steven B. Krivit, Michael J. Ravnitzky on December 7, 2016


 ===ここから前回の続き===
In October 1989, a workshop co-sponsored by the Electric Power Research Institute took place at the National Science Foundation headquarters, in Washington, D.C. Among the 50 scientists in attendance was the preeminent physicist Edward Teller. After hearing from scientists at the Lawrence Livermore National Laboratory and the Naval Research Laboratory who had observed isotopic shifts in room-temperature experiments, Teller concluded that nuclear effects were taking place. He even had a hunch about a possible mechanism, involving some sort of charge-neutral particle.
By October, tritium production and low-levels of neutrons in such experiments had been reported from a few reputable laboratories, including Los Alamos National Laboratory and the Bhabha Atomic Research Center in India. Moreover, BARC researchers observed that the tritium production and neutron emissions were temporally correlated. Outside reviewers selected by the Department of Energy and tasked with examining the worldwide claims included this data in a draft of their report. Before the document was finalized, however, they removed the tables containing that data.
 1989年10月に、the Electric Power Research Instituteと共催のワークショップがthe National Science Foundation headquarters, in Washington, D.Cで開催された。出席者の内の50名科学者の中ではよく知られていたのが物理学者Edward Tellerだった。the Lawrence Livermore National Laboratory and the Naval Research Laboratoryで行われた研究者からのヒアリングの後、Tellerある種の電荷中性粒子を含む可能なメカニズムを語った。
  10月までは、その実験でのトリチウムの生成と中性子の低レベルとの実験が報告された。その実験れには、Los Alamos National Laboratory and the Bhabha Atomic Research Center in Indiaが含まれていた。BARCの研究者は、トリチウムの生成と中性子排出量が時間的に相関していたことを観察した。the Department of Energyによって選ばれた外部査読者はレポート草稿の中に含まれるデータについて批判した。しかし、書類が完成する前に彼らはそのデータを含む表を削除した。

In the early 1990s, several researchers in the field strongly favored neutron-based explanations for the phenomena. By the mid-1990s, a vocal contingent of scientists attempting to confirm Fleischmann and Pons' claims promoted the room-temperature fusion idea. Other scientists in the field, however, observed evidence—isotopic shifts and heavy-element transmutations—that pointed not to fusion but to some sort of neutron-induced reaction.
 1990年台のはじめ、その分野の研究者がその現象に中性子ベースの説明が好ましいとと表明した。1990年代半までには、Fleischmann and Ponsの主張を確認し、室温融合アイデアを促進しようとする科学者の声もたまにはあった。この分野の他の科学者は、しかし、同位体シフトと重元素transmutations融合ではなく中性子誘起反応の証拠を示すものは見つけていない。

In 1997, theorist Lewis Larsen looked at some of this data and noticed a similarity to elemental abundances he had learned about while a student in Subrahmanyan Chandrasekhar's astrophysics class at the University of Chicago. Larsen suspected that a neutronization process was occurring in low-energy nuclear reactions (LENR). Physicist Allan Widom joined Larsen's team in 2004, and in 2006 they published a theory in the European Physical Journal C - Particles and Fields.
 1997年には、theorist Lewis Larsenは、このデータのいくつかを見て、彼は元素量の類似性に気が付いた。それは Subrahmanyan Chandrasekhar's astrophysics class at the University of Chicagoの学生であったときだ。Larsenは、中性子化プロセスが、低エネルギー核反応(LENR)で発生していることを疑った。Physicist Allan Widomが、2004年にLarsen's teamに加わり、2006年に、European Physical Journal C - Particles and Fields 誌にある論文を発表した。

The Widom-Larsen theory has nothing to do with fusion; the key steps are based on weak interactions and are consistent with existing physics. The theory explains how nuclear reactions can occur at or near room temperature through the creation of ultra-low-momentum neutrons and subsequent neutron-capture processes. Such neutrons, according to the theory, have a very large DeBroglie wavelength and therefore have a huge capture cross-section, explaining why so few neutrons are detected. Many-body collective quantum and electromagnetic effects are fundamental to Widom and Larsen's explanation for the energy required to create neutrons in LENR cells. Crucially, such reaction-rate calculations are based not on few-body interactions but on many-body interactions.
 The Widom-Larsen theoryは融合とは何の関係もなかった;重要なステップは、弱い相互作用に基づいており、それは既存の物理学と矛盾しない。理論は、核反応が超低運動量中性子とその後の中性子捕獲プロセスの生成を通じて、室温またはその近くでどのように発生する可能性があり得るかについて説明している。このような中性子は、理論によれば、非常に大きなDeBroglie波長を持っているので、大きな捕獲断面積を持つ。それが何故ほとんど中性子が検知されないかの理由を説明する。多体集団量子電磁効果がWidom and Larsen's explanation にとっては基本でありそれがLENR cells内で中性子生成のエネルギを説明する。重要なことに、このような反応速度の計算は少数体の相互作用ではなく、多体相互作用に基づいている。

After 2006, the scientists who remained wedded to their belief in the idea of room-temperature fusion rejected the Widom-Larsen theory. A few of these fusion believers began making unsupported claims of commercially viable energy technologies.
Hidden in the confusion are many scientific reports, some of them published in respectable peer-reviewed journals, showing a wide variety of experimental evidence, including transmutations of elements. Reports also show that LENRs can produce local surface temperatures of 4,000-5,000 K and boil metals (palladium, nickel and tungsten) in small numbers of scattered microscopic sites on the surfaces of laboratory devices.
 2006年以後、室温融合のアイデアに固執したままであった科学者はWidom-Larsen theoryを拒否した。これらの融合信者の何人かが、商業的に実現可能なエネルギー技術であると主張したがほとんど支持されなかった。
  混乱の中で、多くの科学論文が隠されていた。それらのあるものは著名な査読付き雑誌に掲載された。そこでは多様な実験的証拠が提示されていた。レポートはまたLENRs実験室用装置の表面で4,000-5,000 K及び沸騰金属(パラジウム、ニッケル及びタングステン)を示した。それは実験用の小さな装置表面の幾つかの散乱微小部位ではあったが。

For nearly three decades, researchers in the field have not observed the emission of dangerous radiation. Heavy shielding has not been necessary. The Widom-Larsen theory offers a plausible explanation—localized conversion of gamma radiation to infrared radiation. The implication is that immense technological opportunities may exist if a practical source of energy can be developed from these laboratory curiosities.
Perhaps most surprising is that, in the formative years of atomic science in the early 20th century, some scientists reported inexplicable experimental evidence of elemental transmutations. In the 1910s and 1920s, this research was reported in popular newspapers and magazines, and papers were published in the top scientific journals of the day, including Physical Review, Science and Nature. The experiments, using relatively simple, low-energy benchtop apparatus, did not use radioactive sources so the results defied prevailing theory. Several researchers independently detected the production of the gases helium-4, neon, argon, and an as-yet-unidentified element of mass-3, which we now identify as tritium. Two of these researchers were Nobel laureates.
  ほぼ三十年間、この分野の研究者は、危険な放射線の放出を確認していない。重シールドは必要ではなかった。The Widom-Larsen theoryは、ガンマ放射線の赤外線への局所的変換の一つの可能な説明となっている。もし、エネルギの実用的ソースが実験室での知的好奇心から開発できるとのであれば、このことは大きな技術開発機会が存在することお示唆している。

  おそらく最も驚くべきは、20世紀初頭の原子科学の形成期に、一部の科学者は、元素transmutationsの不可解な実験的証拠を報告していたことだ。1910年代と1920年代に、この研究は、一般的な新聞や雑誌に掲載され、論文はトップクラスの科学雑誌に発表された。それには Physical Review, Science and Natureを含む。比較的単純な、低エネルギーの卓上型装置を用いた実験では、放射線源を使用していない。何人かのの研究者は独立にヘリウム4、ネオン、アルゴン、それに、現在はトリチウムとして識別される質量-3のようなガスの精製を検知した。これらの研究の二つは、ノーベル賞を受賞した。

In 1966, physicist George Gamow wrote, "Let us hope that in a decade or two or, at least, just before the beginning of the 21st century, the present meager years of theoretical physics will come to an end in a burst of entirely new revolutionary ideas similar to those which heralded the beginning of the 20th century." LENR may very well be such an opportunity to explore new science.
  1966年、physicist George Gamowは、“少なくも十年または二十年の間、21世紀の前に、理論物理学の現在の貧弱な年は全く新しいのバーストで締めくくられることを期待する」と、書いた。「それは20世紀の始まりを予告しているものと同様の革新的なアイデアである」と。LENRは新しい科学を探求する機会なのかもしれない。
%%%%% 常温核融合記事紹介終わり

扶桑国、常温核融合実験(1、米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:未明の空の二十二日の月。東側(左側)下方に浮かぶ二つの明るい星をもレンズ視界に入れたはずですが、はっきりとは映っていないようです)
二十二夜1331


漆黒の 暗闇道を 二十二月 思いがけずも ほのかに指しぬる

 今朝は、とある事情で早朝4時半に起きました。所が、その事情に関わる用事が無くなりました。フトンに戻ることも選択肢でありましたが、そのまま漆黒の闇の中を散歩に出ました。案に相違して道がほのかに見えます。二十二月といえば、もう半分ほどに欠けているのですが、それでも道を照らすほどに明るいことを実感しました。
   
+++++梁書が書く「扶桑国」
 万葉集を除くと古事記、日本書紀と言う二大古文書はほとんど東国を語りません。語るときには、そこには征討・平定の対象たる野蛮人の跋扈です。そうした人々は「蝦夷」と蔑称されます。
 従って、国の様子を書き記しているとされる唯一の文書は常陸国風土記ということになります。しかし、この文書を研究する学者さんも多くはなさそうです。大方は今やお年寄りとなられ、そのお仕事をネットなどで見つけることは出来ません。

 そうした文献をあれこれ眺めているのですが、藤原不比等の東国観がそのままに投影されています。例えば「何故常陸国には西日本にある地名が多いのか?」との問題提起を自らに投げかけます。その例として「玉造」、「麻生」、「鳥栖」、「息栖」、「須賀」などなどを挙げます。結論は「文明がすすんでいた西国から、移住してきた」と言うことになります。移住できる環境を整備したのが藤原不比等の政治力であり、そのもとで展開された「東夷平定」事業である。と、いうわけです。

 こうした説を近畿・西日本の古代学者が陳述するのは仕方ないかも知れません。視野が広く在野の愛好家の考えにも虚心坦懐に向き合った故森浩一氏〔古墳発掘の専門家〕ですら、飯豊皇女から福島県を連想しませんでした。
 しかし、福島県、茨城県に在して古代研究をしている方々は、現場を踏む機会がいくらでもあり、残されている地名の由来を考えることも少なくなかったはずです。こうした方々は、古墳からの出土物、古代住居跡の発掘記録についてはまことに丁寧に記載します。それが研究者としての業績評価でもあるからです。しかし、その記録に付される解説は「東夷」の影が付きまとっているのです。

 須賀川市の鉾衝神社−神炊館神社−岩淵神社が形成するきわめて精度の高い低角30度の直角三角形そしてその中線〔垂直二等分線〕が指し示す特別な方位(須賀川市の二等辺三角形)。神社はかってこの地の首領級の人物の館であった筈です。その首領の下で、斯くも高度な建築物配置を設計し、それを地表に実現している。これが「東夷(東国の野蛮人)のなせる業か!」と私は思います。
 もう一つの例が八溝山−静神社―吉田神社―鹿島神社の配置が、見事な直線配置となっていることです(八溝山・静・吉田・鹿島の線状配列 )。ここにおいても指導力ある首領と首領の意思を体現できる有能な技術者集団が居たことは確かなのです。これがどうして「東夷」の為せる技なのか!

 藤原不比等の構想した日本列島史観は、意図的に東国の民が優れた知性とそれを体現する科学技術を有していたことを隠蔽することにあった、と思っています。その隠蔽につけた”理屈“が「東国の野蛮人の開化」で、その手段が軍事的蛮行であったことを本ブログで繰り返しかいてきました。

 その東国文明を隠蔽せんとの「策謀」として現出しているのが、現在考察している「扶桑」国です。古事記には「国巣」として僅か一回だけ登場しますが、その場所は吉野川とされ、これがまさか「扶桑」国とは誰も考えません。
 注意深い古代学者の何人かは古事記・日本書紀に「扶桑」国らしき存在が見つからないことを指摘します。結論は「扶桑国を記載する大陸史書・倭伝について藤原不比等はその信憑性を疑ったのではなかろうか」と推断するのです。かくして、日本の正当な歴史学者は梁書をきちんと考察しないのです。理屈として「この史書には化物の事などが書かれており信用なら無い」を付言したりします。

 前回書いたように、「扶桑」は「高昌=かがせお=香々背男」の転じたものであることは明らかです。香々背男は日本書紀では甕星(みかほし)を崇める邪教集団として描かれます(香々背男 )。「高」は、ラテン文字表記で「hou」に転化できます。「そう」は「せう」と同音で、それは「ショウ」とも同音です。更にいうならば秋田県から新潟県に多い「古四王」も同じ由来です。

 こうしたことを知ってか知らずか、常陸国風土記・茨城郡の条は冒頭であらわに「国巣」を登場させます。東国史に真実を盛り込むことには中央も神経を尖らせていたはずです。それを承知の上で、「国巣」を書き込んだ勇気ある執筆者に喝采です。”香々背男が”登場するのは不思議ではありません。常陸国風土記久慈郡では「静」神社が登場しますが、その神社由緒書に登場する神でもあります(静神社 )。

 さて、再びに戻ります。
茨城無題


 赤線を付した一節、つまり茨城国祖に関する書き込み部分です。それは多祁挙呂であると風土記は書きます。「挙呂」は「クロ」つまり「黒坂命」の「黒」でしょう。これが古代ペルシア語に由来するのかどうかはわかりません。因みに「kulo」は曲がったことを意味します。「kalale」は[父も子も無い子]を意味します。この語は倭国が朝鮮半島に築いたとされる「伽耶」と音が似ています。もしや武王時代の事跡をなした人物の末裔か、なぞと想像したりしています。
 いずれにせよ、東日本、北陸で威を張った渡来族に関わった名称であることは間違いなさそうです〔黒姫考察 〕。
 この人物は応神天皇の生誕と関わりがあると茨城郡の条は書きます。前回書いたように、古事記のホムタ紀に「国主」と漢字表記を変えて「扶桑国」がひっそりと記載されていることを前回書きました。実際には「ホムタ」天皇は藤原不比等史観の中で「様々な辻褄を合わせるために」しつらえ挙げられ多人物です(ホムタ天皇の名前の謂れ)。藤原不比等史観が隠す実在の「王」を大胆に記載し、それを「冗談」に紛らせる意図か、実在しない天皇を併記する。そのことで中央官憲の「検閲」をそらしたのであるとすると、この風土記の編者、只者ではないようです。

 と言うわけで、次回は「行方郡」の条です。
(つづく)

+++++常温核融合実験がもたらしたもの
 大分旧聞になってしまいましたが、9月中旬に日本経済新聞科学欄が、『米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速』と題する記事を掲載しました。
その冒頭部分を以下に転載します。
%%%%%日経記事転載
日経記事 
米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速

2016/9/9 6:30
 仙台市太白区にある三神峯(みかみね)公園は、500本を超えるサクラの名所として知られる。「東北大学電子光理学研究センター」は、同公園に隣接した緑の中にある。2つの加速器を備えるなど、原子核物理の研究センターとして50年の歴史を刻んでいる。
■わずか数百度で核反応が進む
 2015年4月、同センターに「凝縮系核反応共同研究部門」が新設された。「凝縮集系核反応」とは、金属内のように原子や電子が多数、集積した状態で、元素が変換する現象を指す。

 今の物理学の常識では、元素を持続的に変換させるには、1億℃以上のプラズマ状態の反応場が必要とされる。フランスや日本などは、国際協力の下で「ITER(国際熱核融合実験炉)」の建設を進めている。巨大なコイルによって、「1億℃」を磁場で閉じ込めておく手法だが、当初の目標に比べ、実用化は大幅に遅れている。
 凝縮集系核反応であれば、常温から数百℃という低温で元素が融合し、核種が変換する。東北大学電子光理学研究センターに建った、凝縮集系核反応共同研究部門の真新しい建屋に入ると、断熱材で覆われた実験装置がある。
 核反応が進行するチャンバー(容器)は円筒形。金属製なので中は見えないが、センサーによって温度を計測している。「実験を始めてまだ1年ほどですが、順調に熱が出ています」。同研究部門の岩村康弘特任教授は、温度を記録したノートを見ながらこう話す。
■三菱重工の研究者が東北大に移籍
 かつて、凝縮集系核反応は「常温核融合(コールドフュージョン)」と呼ばれた。1989年3月に米ユタ大学で、二人の研究者がこの現象を発表し、世界的に脚光を浴びた。だが、ユタ大学での報告を受け、各国で一斉に追試が行われた結果、米欧の主要研究機関が1989年末までに否定的な見解を発表、日本でも経済産業省が立ち上げた検証プロジェクトの報告書で、1993年に「過剰熱を実証できない」との見解を示した。
 しかし、その可能性を信じる一部の研究者たちが地道に研究を続け、徐々にこの現象の再現性が高まってきた。2010年頃から、米国やイタリア、イスラエルなどに、エネルギー利用を目的としたベンチャー企業が次々と生まれている。日本では凝縮集系核反応、米国では「低エネルギー核反応」という呼び名で、再評価する動きが出てきた。
(以下省略)
%%%%%記事紹介終わり

 上で書く常温核融合実験は大変”曰くつき”の実験で、長く「捏造」呼ばわりされてきたものです。ウイキがその経緯を書いています。
ウイキが書く常温核融合
 
 ところで、米国科学誌が最近の12月7日号で、この常温核融合実験を記事にしています。長いので数回に分けて紹介します。
%%%%%米国科学誌12月7日号記事紹介(1)
Scientific American 
It's Not Cold Fusion... But It's Something
それは、常温核融合ではない・・・しかし何かである
An experiment that earned Stanley Pons and Martin Fleischmann widespread ridicule in 1989 wasn't necessarily bogus
1989年、Stanley Pons and Martin Fleischmannが嘲笑された一つの実験は必ずしも似非ではなかった。

By Steven B. Krivit, Michael J. Ravnitzky on December 7, 2016

A surprising opportunity to explore something new in chemistry and physics has emerged. In March 1989, electrochemists Martin Fleischmann and Stanley Pons, at the University of Utah, announced that they had "established a sustained nuclear fusion reaction" at room temperature. By nearly all accounts, the event was a fiasco. The fundamental reason was that the products of their experiments looked nothing like deuterium-deuterium (D+D) fusion.
In the following weeks, Caltech chemist Nathan Lewis sharply criticized Fleischmann and Pons in a symposium, a press release, a one-man press conference at the American Physical Society meeting in Baltimore, Maryland, and during his oral presentation at the APS meeting. Despite Lewis' prominence in the media spotlight, he never published a peer-reviewed critique of the peer-reviewed Fleischmann-Pons papers, and for good reason. Lewis' critique of the Fleischmann-Pons experiment was based on wrong guesses and assumptions.
Richard Petrasso, a physicist at MIT, took Fleischmann and Pons to task for their claimed gamma-ray peak. Petrasso and the MIT team, after accusing Fleischmann and Pons of fraud in the Boston Herald, later published a sound and well-deserved peer-reviewed critique of what had become multiple versions of the claimed peak.
化学と物理学の分野で、新しい何かを探求する驚くべき機会が浮上している。1989年3月electrochemists Martin Fleischmann and Stanley Pons, at the University of Utahが室温で「持続核融合反応を確立」したと発表した。ほぼすべての報告では、その実験は大失敗であった。根本的な理由は、彼らの実験が生成したものは、重水素 - 重水素(D + D)融合のようなものではなかったからだ。
発表後の数週間に、Caltech chemist Nathan Lewが記者発表で Fleischmann and Ponsを鋭く批判した。それはAmerican Physical Society meeting in Baltimore, Marylandでのことで、そもそもはAPS会合での口頭発表でのことであった。メディアのスポットライトを浴びながらその査読論文への批判的差読については何がしかの理由から公開しなかった。
 Lewis'のFleischmann-Pons experimentについての批判は間違った推論と過程に基づいていた。そこではRichard Petrasso, a physicist at MITはFleischmann and Ponsが主張するガンマ線のピークを取り上げた。Petrasso and the MIT teamはBoston Herald紙で彼らの捏造を非難した後、説得力があり、しかるべく尊重さるべきあのピークに関する査読での批判を公開した。

From this dubious beginning, to the surprise of many people, a new field of nuclear research has emerged: It offers unexplored opportunities for the scientific community. Data show that changes to atomic nuclei, including observed shifts in the abundance of isotopes, can occur without high-energy accelerators or nuclear reactors. For a century, this has been considered impossible. In hindsight, glimpses of the new phenomena were visible 27 years ago.
 この疑いに始まる出発から驚きまで、核研究の新分野が世に登場した:それは科学コミュニティに巻九syべき分野を提供している。データは同位体の量の観測されるシフトを含む原子核の変化が高エネルギ加速器或いは原子力発電炉を用いずとも起き得ることを示している。過去百年間、これは不可能と考えられてきた。今になって、新しい現象のほのかな兆しが27年前に見えていたことを知ったようだ。
(つづく)
%%%%%米国科学誌紹介(1)終わり

「国巣」を考える、鹿島善戦に続け!稀勢里よ優勝せよ!

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:用水路に群れて朝のまどろみを楽しむ五羽の鴨。私のカメラに怒りの「ビービッ」でありました。すまぬ!〕
鴨131

 
 まどろみを フラッシュ一閃 ぶちこわし 怒りの声を 上げる鴨かな

 申し訳ないことをしました。「今日一日、何してすごそうかな」なぞと考えながら、多分ボケーッとまどろんでいたんでしょう。突然、ピカッと何かが光ったんですから、「グエーッ!」、「グエーッ!」と怒ってました。

〔東京新聞記事:12月19日付スポーツ欄、紙面拡大はクリック)
CIMG1322

 
 昨夕は久しぶりに良いゲームを見せて貰いました。負けたけれども柴崎岳選手の2ゴール。一時期は鹿島が逆転したのですから、驚きました。延長戦、力尽きたとはいえ、日本のサッカー見直しました。
柴崎2ゴール!!青をクリックすると動画を見ることができます。 
 日本代表チームより鹿島アントラーズの方が強いのではなかろうか?有頂天になってしまうところが、本ブログ管理人の軽薄なところであります。鹿島の選手、全員がめまぐるしいほどによく走ります。しかし、さすが、世界のトップスタです。あのクリ・ロナもここぞと言うときには凄まじいスピードで走ります。そのクリ・ロナは好機と言うと必ず最高のポジションに居るのだから驚きです。そして確実にゴール・ゲット。
 しかるに、我が本田圭祐はどうか。試合の戦況は見えているのだが体が付いてゆかない。体が止まってるからマークが付く。かくしてゴールが簡単に妨げられるんですね。筋肉トレーニングに加えて走る練習をして欲しいと。さすれば、まだまだ日本代表として働けるのでしょう。そんなことを思いながら鹿島選手の雄姿を見ていました。

 これで、来年初場所での稀勢里の優勝・横綱昇進に弾みがつきました。全国で最も人気の無いといわれる茨城県です。が、常陸国風土記が日本列島古代史の真実をひっそりとっ抱え込んでいます。本ブログでは、その真実を覆うベールを一枚一枚丁寧にはがす作業を正に今しております。

+++++梁書「扶桑国」考
 さて、鹿島の大々善戦に大いに気をよくして、風土記の解読の続きを書くのは快感です。前回予告に従って「扶桑」国を考えます。大陸の正史では、日本列島に存在する国々は魏志倭人伝に登場するそれらを除けば、常に倭国です。そして唐書にいたり新たに「日本」国が登場します。しかし、日本書紀、古事記は自らの国を「倭」とも「日本」とも呼称することはありません。ましてや、梁書に記載される「扶桑」国も登場しません。

 にもかかわらず、古事記では梁書で国王と書き記された王「乙祁」と同じ漢字で表記される天皇が登場します。「ケ」を表音する漢字は他にいくらでもあります。例えば「毛」もそうです。わざわざ、珍しい漢字を用いていることに、古事記編纂者の意図が込められていると思うべきです。古事記編集者は顕宗・仁賢の両天皇が扶桑国王である「乙祁」であると暗に主張したのです。所が古事記・日本書紀は大陸正史が日本列島の支配体制を記述していることを、自らの史書に書きとめたがりません。そこで、またもや常陸国風土記の出番です。
〔図1:常陸国風土記・茨城郡〕
茨城無題


 上図のをこれまで考察していたのですが、△北瓩蠅泙后赤線を引いた部分のすぐ前に「国巣」なる語があります。これに「風土記」(小学館、1997年)の校注者は「クズ」なる訓(よ)みをふり、欄外で「国主」、「国栖」、「国樔人」などとも書く、と注釈を付します(国巣参考議論)。「国巣」なる語は日本書紀には使われず、古事記にのみただ一箇所使われています。但し、古事記の応神天皇に関する説話の中で「国主」として登場します。後述しますが、この漢字表記には何がしかの政治的思惑がありますので、ここではそれを考えません。少し長くなりますが、その古事記の一節を見る事にします。

%%%%%古事記、神武天皇東征説話の一節より
原文:
〔前略〕召建御雷神而詔。葦原中國者。伊多玖佐夜藝帝阿理那理〔中略〕
高木大神之命以覺白之。天神御子。自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自天。遣八咫烏。
故其八咫烏引道。從其立後應幸行。 故隨其教覺。從其八咫烏之後幸行者。到吉野河之河尻時。作筌有取魚人。爾天神御子。問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂贄持之子。〈 此者。阿陀之鵜飼之祖。 〉從其地幸行者。生尾人。自井出來。其井有光。爾問汝誰也。答曰僕者國神。名謂井氷鹿。〈 此者。吉野首等祖也。 〉 即入其山之。亦遇生尾人。此人。押分巖而出來。爾問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂石押分之子。今聞天神御子幸行。故參向耳。〈 此者。吉野國巣之祖。 〉自其地蹈穿越。幸宇陀。故曰宇陀之穿也。

文意〔岩波文庫「古事記」82頁より〕:
前略部分:熊野の征討を終えた、神武率いる東征軍の武勇譚が語られる。
以下はウイキからの抜粋http://c23.biz/YNn8 :
“高倉下〔神武の側近と言うよりは現地の神職者らしい〕の夢の中で、天照大神と高木神が、葦原中国が騒がしいとの御託船があった。
中略部分:
建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天つ神の御子に献上しろ」と言った。そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、はたして本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られている。”
〔中略後〕
 高木大神之命は事態を覚り、天神御子に「ここより奥には荒神が甚だ多い。今天より八咫烏を遣わす。かくして其八咫烏が道案内をつとめ、それに随って進軍した。
吉野河之河尻に着いた時、筌(http://c23.biz/LQbj うえ)を作って魚を取ってる人が居たので天神御子は「汝は誰だ?」と問うたところ我は國神で名は贄持(にえじ)之子と答えた。〈 此者は阿陀之鵜飼之祖である 〉。この男が言うには、この先には尾が生えている人が井より出て來るはずだ。其井は光り輝いている。その者に「汝はだれか?」と問うと「僕者國神で名は井氷鹿(いいが)」と答えるだろう。〈 此者。吉野首等祖也。 〉 そこから山に入ると亦、尾の生えた人に出会う。此人は巖を押し分けて出てくる。名を問うと、石押分(いわおしわけ)之子と言う。今、天神御子がおいでになると聞いたので、迎えに出るはずだ、と。〈 此者は吉野國巣之祖である 〉
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 改めて古事記を注意深く読むと、「あれ!これって常陸の国の事ではないのか」と思うほどにその状況は酷似しています。神武天皇の「東征」なるものは実は藤原不比等が統帥した日本列島東国への軍事侵攻であったのです。その戦闘舞台を近畿地方周辺に「書き換えて」いるのです。

 常陸国風土記の執筆に関わった人は当然現地の住民および彼らの父母、祖父母の体験談を聴取し、それが古事記の記述と重なることを知っていたはずです。かくして意図的に「その内容を酷似させた」のです。
 
 さて、ここで登場する「吉野」をして、古事記編集者はそれが奈良盆地の南に流れる吉野川と連結させるとの意図があります。さて、「吉野河之河尻」とは、実際はどこか?そのヒントを万葉集に求めてみます。
%%%%%万葉集巻十四、3392歌〔吉村誠教授編集、万葉集検索システムより〕
原文:
"筑波祢乃 伊波毛等杼呂尓 於都流美豆 代尓毛多由良尓 和我於毛波奈久尓",
訓:
"筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに",
仮名:
"つくはねの いはもとどろに おつるみづ よにもたゆらに わがおもはなくに"
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 山深く分け入ると水が湧き出ている。その奥に磐を押し分けて「神」が居る。と古事記が書く風景は、正に筑波山の風景です。流れ出でる川は「恋瀬川」或いは「男女の川」、でしょう。そこに「吉野の国巣の祖」がいたと古事記は書きます。つまり、古事記はこの地、つまり茨城郡に「国巣」が居たと書きます。

 さて、前段が長くなりすぎました。面白いのはここからです。「国巣」は「コクソウ」と読めるのです。「ク」は時に「フ」に転化することは、以前「李大浩」と言う韓国人プロ野球選手のラテン文字表記が「ideho」であることを例示して書きました。どうです。常陸国風土記茨城郡は、はっきりと「フソウ」なる民または国名を明記していたのです。そして、古事記はこの「国巣」なる存在の出自をごまかすために、それを「吉野」と書き、さらにはそれでも不安で「国主」と書き換えてしまったのです。これがことの真相であったのです。
 どうやら、「ツクバ」がかって「紀」国であった頃の首領は「フソウ」国の指導者又は幹部であったらしいことが見えてきました。
(つづく)

「乙祁」考察(2)、米国の余命率減少議論(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:十六夜(いざよい)の月〕
十六夜月1312

 
 寒月が お日様出(いず)るを 待ちわびる

 寒い朝未明です。西の十六月が東をじっと眺めています。そこは赤みが増し、すぐにでも日が昇ってくる筈です。大地はこの冬初めての立派な霜柱が育っていました。

+++++「乙祁」考察(2)
 前回古事記の顕宗天皇紀に「參拾捌歳」なる漢字表記があることについて説明しませんでした。「捌」は「ハチ」と音しますが原義は「捌く、とりわける」と言う意味です。学研漢和大字典〔藤堂明保編)は、この語の二番目の意味として「数字の八」を書きます。私は、これは「倭習漢字用法」と思っています。日本列島に伝わった漢字が「偶々音が同じであるために、本来の意味が異なるにも関わらず同義として用いられるようになった」のだろうと思っています。日本だけで通用する漢字の意味を藤堂氏は字典に加えたのです。漢和字典を使う際に留意せねばいけません。

 古事記ではまさに「音」が同じであるため「八」として使われたのです。実際古事記には「八」も使われていますから、どうやら意図的に使い分けているようです。「捌」は「歳」を伴って年齢を表す時のみ遣われています。一つだけ年齢以外で遣われているのが「年」を著すときです。それ以外は「八洲」等、数量を表すには必ず「八」が遣われています。この使い分けにどのような意図が込められているのか、浅学の本ブログ管理人には理解が及びません。

 何故、こうした「細かいこと」が気になるのか?それは日本列島史の編集に当たった藤原不比等の異常なまでの「八」への拘りがあるからです。その一々をここでは書きませんが、多分それは「邪馬台国」への過剰なまでの意識であったろうと思っています。藤原不比等は邪馬台国は「八女国連邦」つまり魏志倭人伝に記載された邪馬台国が実は番号であることを知っていたのです(邪馬台国論)。藤原不比等の東西倭国殲滅の軍事行動は峻烈であったけれども、九州の地に残された「文化・文明」にまで破壊の手を及ぼしていない。それは「八女国連邦」の存在にあったのだろうと思っています。そして、それは謂わば国際的にも通ずる「倭国」の原点でもあるので、歴史から消し去るわけにはいかなかったのです。死して藤原不比等には、自らが為した「日本」こそ、その倭国を継承していると世界に主張する意図があったので巣。

 さて、本題に戻ります。「乙祁」なる「表音」漢字は、扶桑国の僧「慧深」が荊州に到達して、梁の皇帝の面前で陳述した内容をそばに侍る書記官が書きとめたものです。したがってそれの音は漢和字典にすがるしかありません。前回書いたように、「イツギ」とも「オツキ」とも音することができます。前者であれば、「イ」は書記官の聞き取った「音」であって、僧は「ヒ」と言った可能性があります。つまり「ヒツギ」です。これは王位継承者を意味します。
そのように考えると、「名國王為乙祁」は「国王として世継ぎ」を当てたと解釈できます。これが以前書いた私の解釈です。実際、古事記では、「即意祁命。知天津日繼」と書き、「日繼」を明示します。藤原不比等は梁書倭伝の上記フレーズを「お世継ぎ」と解釈し、古事記の記述となった、と言うわけです。

 しかし、これでは、和風諡号が互いに似通ったお二人の天皇の登場についての藤原不比等の意とが見えません。
前回、以下のような疑問をなげかけました:
「日本書紀では、億計王(後の仁賢天皇)、弘計王(後の顕宗天皇)と漢字表記されます。何と言っても奇妙なことはお二人の名前が酷似していることです。そこで後世だらが考え付いたのかわかりませんが、顕宗天皇の和風諡号は「をけ」とし、仁賢天皇のそれは「おけ」と訓(よ)まれています。そして常陸国風土記では「多祁」を、「おをけ」とでも訓(よ)ませるのでしょうか?」この疑問には呼称の似通った二人の天皇を正史に登場させた意図についての疑問も付くわ得ておかねばなりません。残念ながら現時点ではその疑問への答えを見つけ出すには至っていません。

 古事記では、もっと露に「袁祁之石巣別命」、「意祁命」と書き、「祁」を名前表記に使うことでもって、二人の天皇が梁書倭伝に記載される王であるかの如く書きます。渡辺豊和氏は二人の似通った呼称はさておき、「祁」に注目し、同様の推論をしています。
 私自身も「日繼」(ひつぎ)にこだわっているわけではありません。何故なら「祁」と音を同じくする漢字は他にいくらでもあるからです。にもかかわらず、「祁」をこの文脈で使う、そこには何がしかの意図があったと思うべきです。つまり梁書倭伝が語る国王と同じであると読者に思わせることにあったのです。自らが編纂する日本列島正史の「信憑性」を訴えるためです。これは「祁」を遣っている常陸国風土記も同様です。この視点から風土記を見る事になります。が、そこに議論を進める前に「扶桑国」について若干の考察を次回しておきたいと思います。

(つづく)

+++++米国での余命短縮論議(前回の続きです)。
 長寿、多分誰しもが望むのだと思います。しかし、人は一方で自然との共生を叫びます。間断の無い点滴、注射などきめの細かいケアで為される長寿と「自然との共生」という問題です。
 注射針は、針を通してのウイルス感染を防ぐため、使う旅に廃棄されます。一体どれだけの注射針が一日に廃棄されるのでしょうか?昔は煮沸消毒して何回も遣い回された針です。ガーゼなど植物繊維は再生植物で 代替できます。しかし鉄などの鉱物資源は目減りする一方なのではないか?そうとすれば、そうした資源は新たに生まれてくる新入りの人類のために取っておくべきではないのか?などと考えたります。医師で作家の里見清一氏がこの件で新潮45誌に書いています(里見清一氏 )。
私は、氏の意見に影響されすぎているのかも知れません。不快に思う方が居られるとしたらお詫び致します。老人を養うためにせっせと働く若年者は当然、子供を成したい。しかし、医療器材が老人の長寿に独占されたのでは若年層はどうすればよいのか?てなことを思うにつけ、私自身は早く死なねばいけないと、“今のところ”は思っています。が、いざ死期が迫ると、私は「生かしてくれーーっ」と泣き喚き散らすなどの醜態を晒すのやも知れません。

 それにしても、米国の死因の多くがインフルエンザと過剰薬物摂取であることに今更ながら驚いています。つまり国民皆保険制度が不完全であるため、自家療法に頼らざるを得ないのです。それは、かって実地で見聞きしたカザフタン国を思い起こさせます( 8月19日記事 自家治療 )。

%%%%%米国科学誌12月9日号(2)
 前回に続きSA誌編集部によるインタビュー記事です。
Scientific American 
What's Pushing Down U.S. Life Expectancy?
何が平均余命を押し下げているのか?

There were roughly 86,000 more deaths in 2015 than in 2014, with a variety of causes listed. Is there any reason there would be more deaths in 2015 from, say, Alzheimer’s and diabetes than in years past? What’s behind these increases?
2014年より2015年では約86000名の死者増加です。多様な死亡原因が列記されています。2015年の死者増加には何か理由があるのか:つまりこれまでと比べてアルツハイマとか糖尿などのこの増加のには何があるのか?

I wish I could explain them. There are certain aspects of mortality that are predictable and preventable, and certain aspects that are essentially random and unpredictable. With a one-year increase we really don’t know if we are looking at something that is predictable and preventable or whether it’s random.
The flu could be an explanation here and could explain across multiple causes of death, but it’s hard to say for sure. The flu can impact other causes of death, and it can cause people with existing chronic conditions to die from those conditions. So someone with heart disease who gets the flu, that flu can precipitate a heart attack or exacerbate existing chronic lung disease or many other things. For people who are very ill and may be hanging on, they can die sooner than they may have otherwise.
 それを説明できると良いんだが。背後予測出来予防ような解釈はできる。そして基本的にはランダムでしかも予測不能と言うよう状況だ。一年だけの増加からはそれが偶々なのか予測でき予防可能であったかなどはいえない。
 インフルエンザは一つの説明可能な理由だが、死亡については多様な説明も可能だ。それについて確たる説明は難しい。インフルエンザは死についての大きなインパクトでありそれが死に至るような持病を引き起こしたとも考えられる。インフルエンザにかかった心臓の持病を持った人にとっては、インフルエンザが心臓病なり他の持病の促進をすることはありえる。病気であったり、疾病中であったりする人には、さもなくば良くなるかとの思いと異なりより近い将来に死亡につながる。

In 2015 there were 240 more infant deaths than in 2014, and it is striking that there was an 11.3 percent increase in infant deaths due to “unintentional injuries.” I know that that official classification does not include sudden infant death syndrome, which also had a slight increase. So what are “unintentional injuries,” and how can we prevent them?
2015年には2014年に比べて240名以上の乳児死亡があったため乳児死亡で11.3パーセントの増加となった。それは「不慮の事故」とれている。公式の分類では、乳幼児の突然死症候群はそれには含まれないはずだ。とするならば"不慮の事故"とは何であり、どのように我々はそれらを防ぐことができるのか?

It appears the increase in unintentional injuries here is accidental suffocation—both in bed and not specified as such. We will be getting more into that soon.
ここで言う不慮の事故とはベッドある特定されない場所での窒息死だ。我々は、それについては近日中にもっと詳細を明らかにする。

So for adults, beyond flu, what were key drivers that we know about?
大人にとっては、インフルエンザ以外では、何が主な要因であるのか?

We know that for adults the big culprit from 2014 to 2015 is increases in drug overdose. That’s another thing we’ll be diving into in the coming weeks and we’ll have a report on that, probably in January, to detail that information. We have data on accidental poisonings overall—and the overwhelming majority of those are drug related—so that will give you an idea about what is going on with this. The accidental poisonings, which include drugs, alcohol poisoning and poisoning due to other toxic substances—that total number for 2015 is 47,478, and for 2014 it was 42,032. It’s really a big difference. And the overwhelming majority of those are drug-related overdoses.
大人にとっては、2014年から2015年までの大きな死者増加の犯人は、薬物の過剰摂取である。我々が今後数週間にそれを深く分析し一月にはそれについての報告書作成を終える。そこでは詳細な情報を公開するだろう。我々は偶然の毒物事故に関するデーターを持っている。それを見れば何が起きているのかがわかるはずだ。ドラッグ、アルコール、毒性薬物を含む意図しない毒性薬物、それらは2015年に47478件、2014年は42032件であった。この差は大きい。そして、それらの圧倒的多数は、薬物関連過剰摂取だ。

When was the last U.S. death rate increase?
最近の米国の死亡率の増加は何時であったのか?

Last time we saw an increase was from 2004 to 2005, and it just bumped up a tiny bit. We figured there that it was related to flu. This is a little bit bigger increase than from ‘04 to ‘05.
一番最近の死亡率増加は2004年から2005年までであり、それはほんの少しの増加であった。それはインフルエンザに関連していたと考えている。これは、'04から'05までよりも少し大きめの増加だ。

Right, so how can we explain 2015?
それはそう思う。しかし、2015をどう説明するのか?

The drug overdoses are a big part of this. But we also saw increases in heart disease and stroke mortality. The heart disease probably affects this more than anything else. For heart disease, the increase between the two years—2014 to 2015—was from 614,000 roughly to 633,000, so that’s almost 20,000 deaths due to heart disease. Part of that is due to the aging of the population, but the heart disease rate can be affected by the flu. Some people are also saying obesity is a possible explanation for those heart disease numbers—and maybe it is. I don’t know that there is any solid evidence that that’s what is going on here though.
薬物過剰摂取は、このの大きな部分だ。しかし、心臓病や脳卒中の死亡率の増加もある。心臓病は、おそらく他の何よりも、増加に影響を与えた。心臓病、この2年間-2014はから2015年にかけて614000からおよそ633000に死者が増えた。それが心臓病とほぼ死者数2万死亡に帰せられる。その一部は、人口の高齢化によるものであるが、心臓病率は、インフルエンザの影響を受けた。一部の人々はまた、肥満が心臓病を引き起こす可能な説明であるという。私はここで何が起こっているかについて確かな証拠はわからない。

Are we dying younger from heart diseases?
我々は心臓病で若死にするのか?

I don’t think so. We would have to take a closer look to see what the average age of death is for heart disease and whether it’s changed or not. I don’t think we have seen any dramatic shifts or any one-year shifts. The average age at death has obviously been increasing over time. I think we’ve gotten pretty good at keeping people with heart disease alive.
私はそうは思わない。私たちは、死の平均年齢は心臓病そして何か変わったかどうかを見るために詳しく分析するだろう。私たちは、何がしかの劇的な変化が1年間に間に起きたとは思わない。死亡時の平均年齢は明らかに時間の経過とともに増加している。私たちは生存している心臓病を持つ人々が長生きし続けていることは良いことだと思う。

Is there any good news in these 2015 numbers?
これらの2015年の数字には、なにがしかの良いニュースがありますか?

Cancer mortality continued to decline, which is good. But that’s about the only thing I can think of.
がん死亡率は減少し続けている。これは良いことだ。しかし、それが唯一だ。
%%%%%米国科学誌紹介終わり

梁書〔大陸正史〕にみる東日本,米国の余命率〔1、科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:初冬の冬空に葉を落とした木々〕
雑木1301


 寒々と 葉を落として 屹立す 雑木にすける 初冬の空哉

 我が郷土の誇り鹿島と稀勢里。その鹿島が【鹿島3-0ナシオナル】南米王者を完封! 鹿島がアジア勢として初めての決勝進出!!

オスプレイ事故報道、なにやら政治臭を感じます。報道された写真によれば機体は正に墜落。しかし、日本列島に配備されているという「政治環境」では、墜落するような飛行物体が上空を徘徊しているという状況は極めて「政治的」。かくしてこうした「不時着なる用語」となったのではと、勘ぐっています。

%%%%%沖縄オスプレイ事故、なぜ墜落ではなく「不時着」と報道? 防衛省に聞いた
オスプレイ墜落 BuzzFeed Japan 12/14(水) 11:23配信
防衛省によると、2016年12月13日午後9時半ごろ、沖縄県名護市東海岸から約1キロの沖合で、米軍MV-22オスプレイ1機が「不時着水」した。5人が搭乗していたが、全員が救助されたが、2人が負傷しているという。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
これを受け、稲田朋美防衛大臣は、マルチネス在日米軍司令官に、「事故に関する原因究明・情報提供、安全」が確認されるまで、オスプレイの飛行を停止するよう、電話で申し入れた。
墜落と不時着の違いは
実際、米保守系テレビ局「Fox News」なども「crashes」(墜落)という表現で事故を報じている。また、地元紙の沖縄タイムスや琉球新報は当初は「不時着」だったが、いまは「墜落」との表現を使っている。BuzzFeed Newsは防衛省に取材をした。報道担当者は「アメリカ側から説明を受けた時に『不時着水』という表現を使っていたため、報道資料にもその言葉を用いた」と説明した。英語では「landing in shallow water」だという。
旺文社の国語辞典には、「不時着」の言葉の定義として「飛行中の故障などで、臨時に目的地以外の場所に着陸すること」とある。
防衛省の認識としては、そのような事態があった場合、「機体のコントロールを失った状況で着陸または着水する状況が墜落」であり、「パイロットの意思で着陸または着水した場合は、不時着、不時着陸」になるという。機体の損壊具合は関係がないとのことだ。
防衛省は「おそらく不時着水」との認識
墜落だったのか、パイロットの意思があったかどうかを含め、詳細は米軍側に問い合わせ中だという。防衛省で独自の調査をしているわけではない。状況によっては「墜落という表現に変わる可能性もある」というが、取材に応じた担当者はこうも語る。「乗員5名が生存しており、意図せず墜落した場合はそういう風にならないという意見が防衛省内でもある。こちらも、おそらく不時着水であろうと認識しています」

国内での「不時着」は初めて
米海兵隊の普天間基地には現在、24機のオスプレイが配備されている。毎日新聞によると、2012年に配備が始まって以降、国内での「不時着」は初めてという。2007年から運用が始まったオスプレイはこれまで、海外でも繰り返し事故があり、その安全性を不安視する声が相次いでいた。2015年にはハワイで着陸に失敗、2人が死亡している。ただ、一概に事故率が高い機体であると言えるわけではない。防衛省の資料によると、「10万飛行時間あたり」の「被害総額が200万ドルを超えるや死者を出した」事故率は、2012年4月現在で1.93と、海兵隊の平均2.45よりも低い。米軍が運用している航空機の中でも平均以下だという。

防衛省はその安全性について、こう指摘している。
“様々な角度から安全性の検証を行った結果、機体の安全性には特段の問題はなく、MV-22オスプレイが他の航空機と比べて特に危険と考える根拠は見出し得ない“私も朝日新聞社の記者時代、オスプレイの体験搭乗に参加したことがある。独特の揺れはあるものの、飛行中、特段の危険性を感じることはなかった。「不時着」したオスプレイと同型機のMV-22に関しては、陸上自衛隊が2018年度までに順次導入することが決まっている。17機アメリカから購入する予定だ。
%%%%%
 
+++++梁書〔大陸正史〕にみる東日本
 風土記茨城郡は茨城造の祖先が「多祁許呂」なる人物であると書きます。常陸国が作られるる前はこの地は“国“であり、そこの首長であったということです。一方、大陸の梁(西暦502−557年)の正史である梁書(西暦627年完成〕の倭伝に「扶桑国」に関する記載があります。渡辺豊和氏の解読に拠れば、その地は現在の北陸地方であったと思われます。そこの国王名が「乙祁」です。原文は「名國王爲乙祁」とあり、国王として「乙祁」を任じた、との意味とは違うように思えます。以前、これが気になり2012年11月16日記事(梁書・倭伝 )で考察したことがあります。その部分のみを以下に転載します。大変重要な問題提起をしたのではなかろうかとの思いがありますので、今回も長くなりますが語容赦ください:
%%%%%過去記事一部転載
 ここで一つ注目しておくことがあります。前回引用した「梁書」倭伝では、「武」に東国将軍の爵位を授けたとの記事に次の記事がつづくのです:
「扶桑國者、齋永元元年、其國有沙門慧深來至荊州」
  
 渡辺豊和氏が自らの仮説を打ち立てる際のいわば出発点となった記事です。「永明(元とありますが明と思われます)元年に、扶桑国の沙門(僧のこと)である「慧深」が、荊州にやって来た」と、あります。永明元年は西暦479年です。倭国の王たる「武」が宋に使節を送ったのが西暦478年、つまり扶桑国の僧「慧深」が荊州に到達した一年前です。「宋」は、この年に滅亡し「斎」に変ります。
2008年12月19日記事(梁書・倭伝 ) で書きましたが、梁記では、僧「慧深」が、自らの国の風俗やらを語り、それらが記載されます。
 そして程なく「名國王為乙祁」なる記述になります。「国の王の名を乙祁と為(な)す」と書かれます。随分とおかしな言い回しです。あたかも「王」になると名前が変るかのようです。「乙祁」は僧の語ったことを聞き取り、その音に従って漢字を当てはめたものです。「おつき」、「いつぎ」などと読むべきでしょう。
 ところで、「名xx為」は「xx名前を・・・」にするという意味でしょうか?同様の表現が、以前このブログで紹介した「隋書」倭国条にもあります。「名太子為利歌彌多弗利」がそうです。「名」と「為」の間に身分(地位)を挟む表現です。私は「名」は名前を意味せず、「名目」つまり「状態」を意味するのではないかと思います。隋書で言えば、太子には、「利歌彌多弗利」を充てるという意味であろうと考えます。そうであれば、「名國王乙為祁」は「国王には乙祁」を充てると言うことだろうと思います。
 「乙祁」は「いつぎ」ではなく、「ひ」が「い」に転じて梁記に記載されたとすると、それは「ひつぎ」、つまり「太子」を意味します。「ひつぎ」とは、倭国では「王の後継ぎ」の意味であったろうと思います。僧「慧深」は、「ひつぎ」と言ったはずが、「ひ」と「い」の発音の違いをはっきりさせなかったことから梁の担当記録者は「いつぎ」と聞き、文書に「乙祁」と記したのです。僧「慧深」が倭国を出立したのが王「興」が死んだ前後です。誰が次の王になりどういう名を名乗るか分からない。そこで彼は「後継ぎが王になる」と語ったのです。扶桑国では「太子」は「ひつぎ」と呼ばれていたのです。

 因みに「扶桑国王蘇我一族の真実」の著者である渡辺豊和氏はこの著書で「乙祁」を「オキ」と音することで、二十三代「顕宗」天皇(日本書紀によれば在位は西暦485-487年)又は二十四代「仁賢」天皇 (488-498)ではないかと推定しています。「顕宗」天皇と「仁賢」天皇の和風名は夫々「袁祁」(をけ)、「億計」(おけ)というわけで、音が似ていること、更には梁記の記載年代ともおおむね合致するからです。渡辺氏の仮説は、日本書紀の編年史に基づいています。以上が、渡辺氏による讃王と日本書紀上の天皇との照合です。

 渡辺氏の推論過程とそこから導かれた結論は、私の推論とは異なります。それはとりあえずは横に置いておきます。私の論理に従えば、僧「慧深」が扶桑国を去る直前までの王は「興」ということになります。ここで私が注目するのが「興」は「コウ」と音します。これぞ他ならぬ「高」ではないか!!西暦479年まで、少なくとも北陸一帯(もしかしたら現在の福井にまで影響を及ぼしていた)の王は「高」一族であったらしいことが、宋書で以って裏付けられたと私は思っています。
%%%%%過去記事抜粋終わり

 渡辺氏はここに登場する王は古事記・日本書紀に登場する天皇であると推論します。
その部分のみを古事記から転載します:
%%%%%古事記より抜粋
原文:〔顯宗天皇、漢風諡号〕
袁祁之石巣別命。坐近飛鳥宮。治天下捌歳也。天皇。娶石木王之女。難波王。无子也。〔中略〕。 故天皇崩。即意祁命。知天津日繼。天皇。御年。參拾捌歳。治天下八歳。御陵在片岡之石坏岡上也。
〔仁賢天皇、漢風諡号〕
意祁命。坐石上廣高宮。治天下也。 天皇。娶大長谷若建天皇之御子。春日大郎女

文意:岩波文庫「古事記」、199−203頁
 袁祁之石巣別命(をけのいわすわけ)命(みこと)近飛鳥宮(ちかつあすか)に政庁を置き、天下を治めること捌年。石木王之女である難波王を娶るが、子が無かった。〔中略〕
故(この“故”には敵討ちにまつわる、飯豊天皇も関わる悲しい話があるが省略。例えばhttp://c23.biz/AYet を参照されたい)天皇が亡くなると、直ちに意祁命〔オケのみこと〕が天と津〔地〕を統治(知)する“日繼”とする。天皇、御年三十捌。墓は岡之石坏岡上。
 意祁命(おけ)は石上廣高に宮を構えた。大長谷若建(わかたける)天皇のむすめ春日大郎女を娶る。
%%%%% 古事記より

 日本書紀では、億計王(後の仁賢天皇)、弘計王(後の顕宗天皇)と漢字表記されます。何と言っても奇妙なことはお二人の呼称が酷似していることです。そこで後世誰が考え付いたのかわかりませんが、顕宗天皇の和風諡号は「をけ」とし、仁賢天皇のそれは「おけ」と訓(よ)まれています。そして常陸国風土記では「多祁」を、「おをけ」とでも訓(よ)ませるのでしょうか?大変重要なポイントですので、この詳論を次回に書きます。
(つづく)

+++++寿命
 前回、高齢者の認知症に関する米国科学誌の記事を紹介しました。今回は「余命」の記事を紹介します。ブログ管理人も齢を著しく重ね、こうした記事についつい目が移ります。老齢になるにつれ「死」とは否応無く面と向かい合います。私も中学生から高校生の頃、ふと「死」を意識しました。自分がこの世から居なくなるという現実を受け入れがたく思ったのです。たまらなく恐ろしかった。その恐怖が和らぎ、今日ではむしろ早く死なねばと思っています。
 しかし、もう少し齢を重ねると「生きたい」と言う願望が強くなる、と高齢者へのアンケートが語っているそうです。たとえば手術をするかしないかの判断を患者に尋ねると、高齢者ほど、家族の判断と違って手術を望むのだそうです。生物として「生きたい」との本能が発現するのでしょう。難しい問題です。「人」の場合は「宗教」無かりせば「手術」しか救いはありません。50代半ばで夭逝した親友は「キリスト」教に帰依しました。はてさて、私はどうなることやら。

%%%%%米国科学誌12月9日号
余命議論 
What's Pushing Down U.S. Life Expectancy?
何が平均余命を押し下げているのか?
Drug overdoses and flu may have been key drivers behind the latest death toll numbers
過剰薬剤投与、インフルエンザは最近の創始者数の背後にある鍵要因だ
By Dina Fine Maron on December 9, 2016

The latest official U.S. life expectancy numbers paint a relatively grim picture for the nation. For the first time in a decade our death rate increased from the year before; 2015 saw roughly 86,000 more deaths than 2014, according to the new report. The National Center for Health Statistics (NCHS), which released the numbers this week, found that in 2015 the death rate jumped 1.2 percent from 724.6 deaths per 100,000 people in 2014 to 733.1. The agency calculated that this spike pushed life expectancy down, too. Standard life expectancy at birth dropped to 78.8 years from 78.9 just a year earlier. Preliminary analysis suggests the increase in deaths may have been driven by drug overdoses and an unusually severe flu season in early 2015, which may have exacerbated potentially fatal conditions such as heart disease.
 最新の公式の米国の平均寿命は、国にとって比較的厳しい様相である。十年間で、はじめて死亡率が前年にくらべて増加した;2015年は2014年よりおよそ86,000以上の死者増加と、 new report 米国死亡統計 が報じている。今週、この数字をリリースしたThe National Center for Health Statistics (NCHS)は、2015年の死亡率は733.1人/10万人当でそれは2014年の724.6人にくらべ1.2パーセントジャンプした。当局に拠れば、このスパイクは、平均寿命を押し下げると試算する。出生時の標準的な寿命は、ちょうど前年の78.9から78.8年に落ちた。予備的な分析は、心臓病などの致命的な条件を悪化させた可能性がある2015年初冬のインフルエンザと薬物過剰投与によって駆動されている可能性を示唆した。

For insights into the reasons for the startling new figures Scientific American spoke with Robert Anderson, chief of the Mortality Statistics Branch at the NCHS.
[An edited transcript of the interview follows.]
 この驚くべき新しい数字の理由についての洞察のために本誌はRobert Anderson, chief of the Mortality Statistics Branch at the NCHSにインタビューした。

You already have some preliminary numbers from state death certificates about the first half of 2016. Do they suggest that the increase in deaths in 2015 was just a blip?
あなたはすでに2016年の前半についての暫定的な死亡統計を持っている。そのデータハ2015年に死亡の増加が一時的だったことを示唆しているのか?

Maybe. It’s really difficult to say, but our indications based on the provisional data suggest it may be a blip. We only have numbers for about the first half of 2016, so we do have to be careful about interpreting them. But it appears that if we look at the age-adjusted rate for 2015, which is about 733 deaths per 100,000 population, and look at the age-adjusted rate for the 12 months ending in June 2016, it drops back to 720 per 100,000—and that’s actually below the 2014 level, so it may very well be a blip. With that said, we still have the quarter three and quarter four of 2016 to come. We just entered the flu season now and things could be bad from a flu standpoint, which could drive the numbers up.
 多分、それを言うことは本当に難しい。が、暫定的なデータに基づくなら、それが一時的かもしれないと示唆してる。2016年の前半のデータにすぎないので、その解釈について注意する必要がある。しかし、人口10万人あたり約733人が死亡との2015年の年齢調整率を見て、2016年6月、12ヶ月間の年齢調整率を見るならば、10万人当たり720名の死亡率に低下する。それは実際に2014年レベルより下なので、それは正に一時的とおもえる。そうは言っても、我々はまだ第三、第四四半期がある。後半は、ちょうどインフルエンザシーズンに入り、それが死亡者を増加させうる。
(つづく)

多祁許呂(2、常陸国風土記・茨城郡)、高齢認知症の減少〔米国科学誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:当地では冬になると、ここからおよそ120km余西方に富士のお山を見ることができます。12月10日朝6時半ごろ撮影〕
MtFuji

 
神愛(め)でし つくばの山の 麓から 雪にふるえる 富士をながむる

 常陸国風土記・つくば郡の説話を歌に詠みました。もう少し冬がすすむともっと鮮明に見える筈です。

+++++茨城郡(3)
 前回「ヤツカハギ」について、その言葉の一部が「古ペルシア語」と考えると、万葉集一歌の文脈ばかりか、風土記の記事も整合的に解釈できると書きました。ところで「ヤツカハギ」の「ヤツ」は万葉集二歌が書くように「八」であろうと書きました。つまり、東国に九州の邪馬台国子孫が移り住んでいたことを示しています。藤原不比等軍勢によって九州の地を追われ東国に逃げのびて来たのか、それとも東西倭国の人的交流の結果として移り住んだのか、それは定かでありません。青森の八甲田山、茨城の八溝山、八郷村、福島の山都、矢祭町、矢田野などなどがその名残であろうと思っています。矢吹町もそうかも知れません。しかし、古ペルシア語に「yab」(ラテン文字表記)があり、それは「矢」そのものを意味します。

 風土記は「ヤツカハギ」の記述に続いて「茨城」なる地名の由来を語っています。”悪さばかりをする佐伯を懲らしめるために茨で城〔柵〕をつくり、佐伯をそこに追い込むと傷付いたり死んだりした”、これが「茨城」の由来であると。
 ところで、古代ペルシア語に「yabad」と言う語があり、それは「荒地」を意味します。北海道・札幌の中心部から北の石狩湾近くに「茨戸」〔ばらと)と言う地区があります。私は、この地の由来は「アイヌ語」ではなく、古代ペルシア語であろうと考えています。
 この古代ペルシア語に「茨」なる漢字を当てたのが「茨城」だろうと思っています。黒坂命は現地野蛮人虐めと言うよりは、荒地を耕作可能な土地に改変〔開墾〕する作業に多大の労力を払った人物というのが真相ではなかろうか。しかし、藤原不比等一派の検閲を免れるべく筋書きを改変したんだろうと思っています。
 何故、そう考えるのか?それは図1のの考察から見えてきます。
〔図1: 常陸国風土記、茨城郡より〕
茨城無題


  さて、今回は上図のです。“茨城国造の祖は多祁許呂である”と書きます。風土記校注者はこの人物に「タケ」と「音」させます。この人物は“息長帯比売に品太皇子誕生時まで仕えた。子が八人居り、中の子は筑波の「使主(おみ、校注者)」となった。”と、書きます。
 話は横道に逸れますが、記紀ではしばしば「比売」なる漢字表記を「ヒメ」と訓(よ)ませます。「売」の表音が「メ、バイ、マイ」だからです。大陸にあっても「マ」行音と「バ行音」の相互転換があったことを示しています。

 「祁」は「キ」と音し、「大きい」と言う意味です。この漢字から私が連想するのは梁書倭国伝です〔2008年12月19日記事〕梁記 
 上記の青をクリックして過去記事を見ていたいても良いのですが、大事なところなので、あえてその記事を少々長いのですが再掲します:

%%%%%過去記事抜粋〔生活描写については省略させてください。記事短縮のため〕
 梁記を素直に読むならば、「倭国」が九州にあれば、収まりがつきます。渡辺氏は倭国の中心を阿蘇山において、当時の「里」の長さを考慮して、「倭国」に連なる一連の国の位置を想定します。「文身国」は現在の山陰地方に収まります。「大漢国」は現在の近畿地方あたりとなります〔本ブログ記事の図2参照)。
 さて、そこで、長い記述のある扶桑国について考察してみましょう。

「扶桑國者、齋永元元年(西暦499年)、其國有沙門慧深來至荊州。」
先ずは、冒頭、慧深と名乗るこの国の僧が荊州(現在の中国南部)にやってきて語った、との前書きが着きます。つまり伝聞形式です。そのためでしょうか、日本の古代史研究者はこの史書に信憑性を疑っているようで、これを引用することはあまり無いようです。というわけで、その僧が語るには:
「説云「扶桑在大漢國東二萬餘里。」
扶桑国は大漢国の東二万里にある。渡辺氏はこの記述から、扶桑国が北日本西部一帯(北海道渡島半島から新潟県)と推定します(図2参照)。

「地在中國之東、其土多扶桑木。故以爲名。」
この地は中国の東にある。その土地には扶桑の木が多いのでそうした名前になった。

「扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之。」
扶桑の葉は桐に似ており、生育したての筍のよう味の実をつける、国の人々はこれを食する。

「實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。」
梨のような実は赤く、その樹皮をつむいで布となし、衣となす。木は板として家となす。

「無城郭、有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。」
城郭は無い。文字を持っている。扶桑の樹皮を紙としている。兵無く、戦争が無い。

「其國法、有南北獄。若犯輕者入南獄、重罪者入北獄。」
この国の法律では、獄舎は南と北にある。軽犯罪者は南の獄舎、重犯罪者は北の獄舎に収監される。

「有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。」
南の獄舎では赦免があるが、北の獄舎には無い。北の獄舎では男女が相配される。生まれてくる男子は八歳で奴となり、女子は九歳で婢となる。

「犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大會、坐罪人於坑。對之宴飲、分訣若死別焉。以灰繞之」
(北の獄舎の続き)犯罪者は、死ぬまで出ることができない。貴族が罪を犯した場合は、国中の人の前で、罪人を穴に座らせ、飲め歌えの宴を催して死別の別れをし、灰をかける(火葬か?)。

其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。
一回かければ、その人自身の災厄が退散し、二回かければ子孫、三回かければ、七世まで災厄を免れる。

名國王爲乙祁
国王の名を「乙祁」(おつき、いつぎ?)となす。

さらに原文を省略しますが下記が続きます:
高位の貴族は大きな家に、次の位は小さな家、三番目は質素な家に住む。奥羽が出かけるときは角笛が先導する。着物色は、改易に応じて変わる。(中略)角の長い牛がいる、角に物を載せて運ぶ。二十石以上を運ぶ。車あり。馬、牛鹿がこれを引く。
国の人鹿を養う。牛を飼うこと中国の如し。乳でチーズを作り。桑梨あり。一年中実る。桃多し。鉄無く銅を産す。金銀は貴重でない。市場にものの価格なし(物々交換ということか?)
婚姻は、婿が女の家に行き、門外に小屋を作る。朝から夕まで清掃する。一年たち女が満足せねば、すなわち追い出す。共に喜べば婚儀なる。婚礼は中国と同じ。
親が死んだら七日食わず。(中略)
霊を設け神仏となす。朝夕、尊び拝む。(不明)
(以下略)

 序ですから、扶桑国に続く次の国も紹介しておきましょう:
 慧深又曰。「扶桑東千餘里有女國。容貌端正、身體有毛、髪長委地
慧深が更に言うには、扶桑国の東、千里あまりに女国がある。容姿は美しく、体はたもう、髪の毛は地に届くほどに長い(以下略)。
%%%%%過去記事抜粋終わり

 私が注目するのは上記記事に登場する扶桑国王の名前「乙祁」(おつき、いつぎ?)です。話が面白くなってきました。風土記に登場するのは「多祁」であることを思い出してください。もしかして、同一人物ではなかろうか!「祁」で表記される人物は古事記・日本書紀には登場しないのです(似た名前の天皇は登場しますが、それは次回)。またもや藤原不比等が隠蔽したかった真相を「意図的」に風土記編集部に紛れ込んだ「ひねくれものスタッフ」が書き込んだのではなかろうか?

 かくして長くなりそうですので、上記梁書に基づいて渡辺豊和氏が作成した当時の日本列島の国は一図を下に添え、続きは次回とします。
〔図2:渡辺豊和氏が梁記から推定した「扶桑国」(扶桑国王蘇我一族の真実、新人物往来社刊、2004、36頁より)
梁_大漢国


+++++認知症
 アルツハイマを含む老齢での認知症。これは神の配慮ではなかろうかと思っています。つまり死に直面した人が「死への恐怖」を考えずにすむ仕掛けを心温かい神が用意した。
 とはいえ、老齢化に伴って、最大の恐怖が「認知症」です。誰しもが「ポックリ」と逝きたいと願っているのでしょう。しかし、長寿科学が進展するにつれ、一方で生きながらえつつも、「ぼけ」状態に陥ることを恐怖するのであります。
 ボケ状態に関する米国での統計学研究結果が話題になっているとのこと。その記事を紹介しておきます。
%%%%% 米国壮年世代の認知症比率が下がっている
米国科学誌11月21日号
米国科学誌2016年11月21日号 
Dementia Rates Falling Among U.S. Seniors
The drop suggests certain actions may reduce disease risk
• By Sharon Begley, STAT on November 21, 2016
 米国壮年世代の認知症比率が下がっている
 このことはある作用が発症リスクを減じたことを示唆している

The percent of older US adults with dementia, including Alzheimer’s disease, declined from 11.6 percent in 2000 to 8.8 percent in 2012, a decrease of nearly a quarter, scientists reported on Monday.
アルツハイマを含む米国成人の認知症患者の比率が2000年の11.6%から2012年の8.8%に下がっている。ほぼ四分の一ほどに相当する、と月曜日に研究者が報告している。
WHY IT MATTERS:
何故それが問題なのか

It had been thought that the baby boomers’ march toward old age would triple the number of Alzheimer’s patients by 2050. These new numbers not only portend a lesser burden on the health care system (and families) but also suggest that something has changed over the generations—and identifying that change could drive down dementia rates even further.
 ベビーブーム時代の年代が高齢化するということは2050年までにはアルツハイマ患者は3倍にもなるだろうと長く考えられてきた。この新しい数字は医療と家族への負荷を予兆するばかりでなく世代にわたる何がしかを示唆する。つまり認知症者の比率がいっそう増大するということの認識だ。
YOU’LL WANT TO KNOW:
読者諸兄は知ることになるだろう。

That’s a significant decline: If the rate of dementia in 2012 had been what it was in 2000, “there would be well more than 1 million additional people with dementia,” said John Haaga, director of the National Institute on Aging’s behavioral and social research, who was not involved in the study. As it is, an estimated 5 million Americans 65 and older are afflicted with Alzheimer’s or other dementia.
 これは顕著な減少だ:2012年の認知症発症率は2000年と同様であったとするなら100万位の更なる患者数増加があっただろうと、この調査に加わったJohn Haaga, director of the National Institute on Aging’s behavioral and social researchは言う。そうであれば65歳以上の500万人が認知症かアルツハイマに罹患していることになる。

THE NITTY-GRITTY:
核心:

Researchers led by Dr. Kenneth Langa of the University of Michigan analyzed data on more than 10,500 Health and Retirement Study participants aged 65 or older in 2000 and 2012.
The percent of seniors with dementia fell to 8.8 percent in 2012; accounting for the greater proportion of those who were 85 years or older, the decline was even greater: to 8.6 percent, the team reported in JAMA Internal Medicine.
One possible factor is education. The older adults in the 2012 group in the new study had, on average, about one year more education than the 2000 group. More education can produce greater cognitive reserve, in which people have enough backup synapses and neurons that losing some to Alzheimer’s still leaves them short of dementia. But the researchers found this didn’t explain the entire decline.
Dr. Kenneth Langa of the University of Michigan率いる研究者達は2000年と2012年に65歳以上以上10,500名の Health and Retirement Studyのデータを分析した。
 認知症の高齢者の割合は、2012年には8.8%に落ちた。そのほとんどは85歳以上だった人たちで、その年代では、減少はさらに8.6パーセントに縮小すると、JAMA内科チームは報告 している 。
 一つの可能性な要因は教育だ。新しい研究では、2012年グループ内の高齢者向けには、平均で、2000年のグループよりも約1年以上の教育を施していた。教育が多いほど認知能力維持力を作り出すのだ。それがシナプスやアルツハイマニューロンをバックアプする。これらを失うことで認知症が起きるからだ。しかし、研究者達はそれがあの減少の全てを説明するわけではないと考えている。

Curiously, being overweight or obese was associated with a decreased risk of dementia. Carrying excess pounds generally raises the risk of diabetes and heart disease, which are thought to increase the risk of dementia, but “late-life obesity may be protective,” wrote commentary authors Ozioma C. Okonkwo and Dr. Sanjay Asthana of the University of Wisconsin School of Medicine and Public Health. That may be especially true when people receive effective treatments for diabetes and heart disease, which also became more common with later generations.
 不思議なことに、過体重または肥満であることが認知症のリスクと関連していた。余分な体重を運ぶことは、一般的に認知症のリスクを高めると考えられている。それらは糖尿病や心臓病のリスクを上昇させる。が、“晩年の肥満は、防ぐことができ”るとcommentary authors Ozioma C. Okonkwo and Dr. Sanjay Asthana of the University of Wisconsin School of Medicine and Public Health、は書く。老年世代でより一般的な糖尿病や心臓病のための効果的な治療を受ける場合には、そのことが特に当てはまる。

WHAT THEY’RE SAYING:
彼等が言っていること

“This is great news,” as Haaga put it. A commentary accompanying the JAMA Internal Medicine paper points out that the national data jibe with other evidence: Earlier this year, the long-running Framingham study found that the risk of dementia in old age fell by about 20 percent every decade between 1977 and 2008.
That study came with an asterisk, however, because the Framingham participants come from one small geographic area (near Boston) and skew white and well-off. The new data are based on large numbers of people (10,546 adults in 2000 and 10,511 in 2012) and are nationally representative, Haaga pointed out, “including a good representation of people with less education and at the lower end of the income scale.”
The new data “reinforce the Framingham findings that age-specific risk of dementia may be decreasing,” said Dr. Sudha Seshadri, a professor of neurology at Boston University School of Medicine and senior investigator for the Framingham study.
  Haagaが指摘するように"これは、素晴らしいニュースだ“。A commentary accompanying the JAMA Internal Medicine paper JAMA内科誌のよれば、国家データが他の証拠でもってその趣のの向きを変えたと指摘している:今年の初めには、長期間にわたったFramingham調査は高齢者の認知症リスクが1977年から2008年まで10年ごとにおよそ20%も減少していることがわかった。

 しかしながら、この研究には要注意マークが付されてい。何故なら
Framingham調査の参加者はボストン近くの狭い地域出身であり、データ統計がひずんでいて、しまも裕福な出自である。新しいデータはもっと多数のサンプル(2000は10546、2012年は10511人)にに基づいており、全国的に典型パターンで低収入、低学歴の人たちをも含んでいると、Haagaは指摘する。
 新しいデータが Framinghamの知見を強化している。すなわち「認知症の年齢別リスクが減少している」とSudha Seshadri, a professor of neurology at Boston University School of Medicine and senior investigator for the Framingham study.は言う。

THE BOTTOM LINE:
まとめ:

The falling rates of dementia suggest there are modifiable factors, such as education and cardiovascular health, that reduce your chances of developing Alzheimer’s.
 認知症の減少率は、教育と、心血管の健康などに要因があり、それの解決がアルツハイマーを発症する可能性を低減すると、示唆している。

Republished with permission from STAT. This article originally appeared on November 21, 2016

常陸国風土記・茨城郡〔やつかはぎ)、粒はたまた波?〔2〕

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:夜明け直前の東の空に黒雲浮かび、南に向けて飛行機の点滅ライトが移動しています。しかし、それをのぞくと天空は何も無い青空です〕
朝未明1284

 
一片の 雲も 浮かばぬ 西の空 振りさけ見れば 東に黒雲

 相変わらず、経済学者の竹田氏の米国大統領選挙への非難がましい愚痴が続きます〔東京新聞12月8日付、ブログには転載しません〕。読むごとに思うにですが、「じゃあヒラリ氏であればよかったのか?」と。こうした日本のインテリを歌手の長渕剛が皮肉っています(下の動画参照)。私も同意見です。選んでしまった米国民に非難を浴びせても詮無きことです。我が国がそれで被害をこうむらぬよう頭を使い、適切な策を講ずるしかありません。
長渕剛の叫び 
 この筋書きには関係無いのですが思わず笑ってしまった動画を掲載しておきます。
まるでディズニ漫画 (青をクリックすると動画が始まります)

+++++常陸国・風土記と「やつかはぎ」
 参照の便宜のため、前回掲載した常陸国風土記茨城郡の条を再掲します。現在考察しているのは下記△任后
〔図1: 常陸国風土記、茨城郡より〕
茨城無題


 国巣〔クズ)と称される現住民を本文は「佐伯」〔さいき〕と書きます。どころが誰かが、そこに「茶々」を入れます。「茶々」ですからこっそりと小文字で書き込むわけです。
曰く:俗語(くにひとのことば)、つまり原住民は以下のように言ってるよ、との前置きを振ります。その上で、“国巣とは「都知久母」のことだよ”と。古事記・日本書紀にあっては、彼等は中央権力の討伐対象です。格別の集合的一族ではなく、単なる土着民であると、研究者は理解しているようです。
 しかし、前回、吟味したように、これは「熊襲」と同じ由来なのです。つまり「アイヌ族」の精神的支えである「クマ=カミ」と「襲=蘇我=サカ(これらの転換については既述)」の連合体を指しています。奈良の軍事部隊にたいして常陸の国のみならず、九州の地でも激しい抵抗戦を展開した「渡来族・アイヌ族」の連合部隊こそが「クマソ」なのです。

 因みに古事記・日本書紀はこの「渡来族(シリスス信仰族)の存在を、日本列島の“正史とされる日本書紀”〔正に括弧つきで、実は正史の装いを凝らしている文書〕から隠蔽するために“蝦夷」〔えみし〕”と言う漢字表記を用いていることは皆様ご承知の通りです。
 さて、土地の者が言う「夜都賀波岐」とは、?【八束脛】とも表記され「長いすねを持つ一族」とされる(コトバンク )ところから、アイヌ族の体形を言い表したのであると、歴史研究家の関裕二氏は書きます。コトバンクは上記に続けて
「古く、大和朝廷に服属しない先住民族を蔑視していう。つちぐも。 「国巣、俗の語に土蜘蛛、又−といふ/常陸風土記」
 と、書きます。現在議論している風土記に話が戻ってしまいました。笑い話ですね。なにやら循環論法風です。

 私は全く異なる考えを持っています。私の古代史観に随えば:
(1) 遠く西域から「サカ」を名乗る一族がアジア北方を経由してベーリング海を渡海した〔この頃は陸続きであったか否かは定かでない〕。この移動中にかっての匈奴族の一部であった様々な部族を糾合した。その中には青海界隈に盤踞した高昌族なども含まれていた。
(2) サハリンから北海道を経て青森・秋田を通過して、その間に現地住民の最大族であったアイヌ族が糾合された。かくして現在の福島・須賀川に最良の陣屋設営地を定めた。これが後の「岩瀬国」である。夏至時の太陽の登る方向が、30度の地である、夏至時のシリウス星方位計測に適した山があり、それらに囲まれた盆地で自然の要害ともなっている、さらには金を産出する天栄山がある等々がその理由であった。
(3) 須賀川に本陣をおいて、連合体は南進し、シリウス星の方位の導きを得て鹿嶋にもう一つ新たに第弐本陣を設営した。
(4) 鹿嶋での第二本陣完成を待たずに、連合部隊は日本列島太平洋側を西南に進み薩摩半島に到着。そこを鹿嶋〔鹿児島と同音〕と呼んだ。九州を北に進み、かっての「邪馬台国」跡に達する。そこで詠んだ歌が万葉集一〜二歌である。

 この二つの歌は、東日本からの移動集団が、初めてかっての邪馬台国の地を踏んだ際の感動を詠ったのです(2009年4月3日のブログ記事(万葉集一歌解読 )。
 邪馬台国が九州にあったのか、それとも近畿の奈良盆地にあったのかについて古代学者は二派に分かれて未だに論争しているとの事です。しかし、万葉集一・二歌をまっとうに読解するならば、邪馬台国が近畿ではなく北九州にあったことは明瞭です(2013年8月2日、5日記事 魏志倭人伝の真っ当な解読 )。それは、現時点での主要テーマではありませんので、本題に戻ります。
 第一歌が「やつかはぎ」に関わっていることを以下に書きます。
 %%%%%万葉集一歌
01/0001,"雜歌
題詞: 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:
"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",
%%%%%

 万葉集研究者によって著された幾つかの解説書のどれもが大変似通っています。それは、言葉の意味が曖昧なままに、無理やり解読するからです。例えば冒頭の
“篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持”
です。第二段落「母乳」は単なる当て字表現ではありません。万葉学者には、万葉集初期歌での漢字の使用法に「万葉仮名=当て字」なる思い込みがあります。これが正しく歌の内容をつかめない理由です〔例えば2009年8月7日記事万葉集・漢字の巧みな使用例 を参照〕。
 一歌の冒頭では明らかに女性の豊かな胸を詠っているのです。つまり表現したい対象についてしかるべき漢字を当てていることがわかります。漢字は「表音」のみならず、時には「表意」として用いているのです。万葉集では、特に初期歌群では、両方を適宜使い分けていることを万葉学者は知らなければいけません。

 さて、前の二段が女性の美しさを詠っているとするならば、それに続く二つの段落は男の逞しさを詠っていると考えるべきです。つまり「夫君志」〔ふぐし〕は男の股間にぶら下がっているものを表現しています。それを、確かめることが出来ます。古代ペルシア語辞典によればラテン文字表記“fagare”なる語があり、これは男根を意味します。つまり「フグリ」です。とすれば「美夫君志」は「美(りっぱな)ふぐし」との意です。イヌフグリと言う小さな花がありますが、この「フグリ」が実は古代ペルシャ語に由来し、2000年近くも使われてきたことが図らずもわかるのです。

 そう考えると「やつかはぎ」の「ハギ」は「フグリ」の転じた表現と考えることが出来ます。「や」は「八」に由来し、これは「邪馬台国」の「や」です(2013年8月5日 邪馬台国と番号 )。邪馬台国の跡地に立って、渡来人が見たのは立派な男根「はぎ」〔フグの転じたもの〕を持った男達であったことがわかります。
 邪馬台国の子孫は、立派な持ち物を持った男子であるとの認識が常陸国住民にあったのです。そして彼らも常陸の国に居たことを「やつかはぎ」なる”言い回し“でもって、露(あらわ)に主張しているのです。

 九州に渡った渡来族・アイヌの連合体は、九州の地にあって邪馬台国連邦の子孫をも糾合したのです。こうした部族の行動形態が「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著、日経ビジネス文庫、2003)で紹介されています。それこそが漢王朝を脅かした匈奴の優れた特徴なのです。つまり納得づくで異民族を糾合できる特質が日本列島でも発揮されたというわけです。

 万葉集一歌については、もう一つ興味深い論点があります。しかし、現在の話の筋書きからそれるので、別の機会に論じます。

(つづく)
+++++波か、はたまた粒か?〔2〕
前回紹介した記事の後半部分です。
%%%%%続き始まり
http://c23.biz/RVa3 
“If the Born rule is violated, then a fundamental axiom of quantum mechanics has been violated, and it should point to where one needs to go to find quantum gravitational theories,” says Quach.
Now, Quach has suggested a new way to test the Born rule. He started from another idea of Feynman’s: in order to calculate the probability of a particle reaching a certain place on the screen, you should account for all the possible paths it could take from the source to the screen, even ones that seem ridiculous. “This includes paths that go from here to the moon and back again,” says Quach.
Almost none of these paths should affect the photon’s final location, but there are some weird paths that could change the probabilities enough for us to measure the difference.
“If the Born rule is violated, it should point to how to find a theory of quantum gravity“
 もし、ボルン則が破れているならば量子力学の基本公理が破れていたことになり、そのことは量子重力理論を発見するに必要な方向をめざすべきとなる、とQuachはいう。
Quachはボルン則をテストするある方法をこれまでも語ってきた。彼はFeynmanのもう一つのアイデアから出発した:スクリ−ン上のある点に粒子が到達する確率を計算するにはスクリーンから光源までの全ての経路を考慮せねばならない。それは如何にも馬鹿げているとは思える。“この経路にはこの場所から月に行って戻ってくる経路も含まれる”とQuachは言う。
こうした経路のほとんどは光子の最終位置には影響しない、が幾つかの巧妙な経路があり、その違いを明瞭に計測できるくらい充分にその確率を変化させるのではないか。

For instance, say there are three paths that a particle could take through the apparatus instead of the obvious two. The Born rule lets you calculate probabilities by considering interference between pairs of paths, but not between all three paths at once.
Quach shows that if you account for interference between all three paths, the probabilities will be different from what the Born rule predicts (arxiv.org/abs/1610.06401v1).
He suggests testing this with a double-slit experiment that allows for a third path, a wandering zigzag in which the particle goes through the left slit, over to the right slit, then heads towards the screen. If that third path interferes with the two more straightforward ones, the results should deviate from what the Born rule suggests.
Quach’s work is “extremely interesting and thought-provoking”, says Aninda Sinha at the Indian Institute of Science in Bangalore, a member of the team that first proposed exploring violations of the Born rule using winding, non-classical paths.
But he points out that Quach’s experiment could fail to capture other paths that might muddy the results.
The stakes are high. Finding violations of the Born rule could be the thin edge of the wedge that pries open the door to a more fundamental understanding of reality.
 例えば、二つの孔の替わりに装置を通り抜ける三つの経路があると考えよう。ボルン則は二つの対の経路の干渉からその確率計算を可能ならしめる、が一時に全ての3つの経路全てではない。
Quach は「もし三つの経路間の干渉を説明するとすれば、その確率はボルンが予測するものとは異なるだろう。三番目の経路を許すような二重スリットによってテストする」よう提案している。粒子は左のスリットを通り越し、左のスリットを通過すると言ったジギザグに進行してスクリーンに達するのだ。もし三番目の経路が他の二つともっと直接に干渉しうるならその結果はボルン側が予言するものとは異なるだろう。
Quachの論文はきわめて興味深く思考を興奮させる、と Aninda Sinha at the Indian Institute of Science in Bangaloreは言う。彼はボルン則の破れを研究することを提案したチームメンバの一人である。そこでは曲がりくねった非古典的経路を考えている。
 しかし、彼は、Quachの実験は他の経路を捕まえそこない、結果が非鮮明になる可能性を指摘する。
 関心は高い。ボルン則の破れを見つけることが現実を理解する扉を持ち上げる楔の薄い縁になりえる。
This article appeared in print under the headline “Double-slit jeopardy”
%%%%%おわり
関連記事2010年1月4日外村博士 を参照してください。

常陸国風土記・茨城郡(1)、粒・粒子?(new scientist誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:休耕田のススキに混じる「蒲」。穂がはじける時期となり穂綿が露出しています。このやわらかい穂綿で稲羽の白兎は傷を癒したんですな)
蒲1267


 兎さん さぞかし痛く つらかろう 白き穂綿 苦痛を和らげ

  前世紀末に日本銀行の独立性を担保するとの趣旨で日銀法が改定されました。しかし、安倍政権下で、正にアベノミックスに積極的に加担することを意図して紙幣をジャンジャン増刷した挙句が下記の記事です。一民間銀行と化した日銀が債務超過で倒産なぞと言うことになるのでしょうか?せめて日銀総裁には気骨ある人物がその椅子に座るべきです。NHK会長の椅子も同様です。
〔図:日刊ゲンダイ紙12月6日付け記事〕 日銀債務超過!  
日銀1612073959


+++++風土記の行間から東国古代史・真相が見える
 引き続き、常陸国・風土記を辿ります。理由は、官製〔藤原不比等の史観に強く束縛されている書〕の古文書と雖も、行間、或いは紙背になにやら列島古代史の真相がチラリと顔をのぞかせているからです。今回は茨城郡を見ることにします。が、少しだけ「信太」郡の考察の補足をしておきます。それが、図1の,任后

 この文節に先行する部分はすでに信太郡・前半部 で示していますので、再掲しませんが、そこでは「信太郡は常陸の道の入口に当たる。人はそこで、手を洗い、口を漱いだ後、東を向いて鹿嶋大神を拝し、入国する」と書きます。
 東国制覇のメドが付いた後の東国へ入る経路を書いています。既に書いたように東国攻略にあっては、下毛野国〔現在の栃木県〕から、ドドーッと新治郡へ軍を侵攻させたことを書きました。それは、「東夷」つまり東国の野蛮人を平伏させることを旗印に掲げた戦です。しかし、風土記は“それは事実と違うよ。乱暴狼藉を働いた者たちは西から(下上野の側)来た”と、こっそりと書き込んでいたことに本ブログは言及しました荒ぶる西者 。

 風土記信太郡後半部のこのクダリはそうした戦乱が沈静化した後の事であることがわかります。もう一つ重要なことは、鹿嶋神宮です。 渡来族がこの鹿嶋に政治拠点を設営した年代が、渡辺豊和氏の着想の検証から明らかになっています。それは、天空をゆっくりと時計周りに移動するシリウス星の位置の観測から推定できます(2010年1月18日記事シリウス星の天体運行 )。 それによれば、八溝山から始まり鹿嶋に至る聖ライン構築に西暦442〜531年、つまり90年を要しました(聖線構築年推定 )。
 六世紀前半には、渡来族はここ鹿嶋に重要な陣屋を構えていたことになります。そこは、福島県須賀川市長沼の東倭国の最大拠点に次ぐ、二番目の重要拠点です。その拠点としての活動が六世紀前半に始まっています。

 藤原不比等が指揮する奈良の軍勢の東国制覇の最大の標的は、この鹿嶋でした。9月23日記事でも書いた「普都」大神を伴った「東夷懐柔」戦術行使よりは前であった筈です。常陸国風土記を書く直接のきっかけは、東国制覇のメドが立った頃であろうと書きました。それは、鹿嶋陣屋の軍事的攻略がなった時期と思えます。私は古事記撰上の西暦712年から日本書紀のそれの西暦720年の間ではなかろうかと考えています。この8年間に日本列島の政治趨勢が藤原不比等の意図したように固まってきたと思っています。

〔図1: 常陸国風土記、信太郡の後半,ら 茨城郡〕
茨城無題

 
 さて、茨城郡の考察をはじめます。冒頭の△法嶌濆饒磧∋海虜看譟¬遒虜看譴いて、洞窟やら穴に住んで・・・・」と書きます。「国巣」〔クズ〕とは「国に住む人、つまり原住民」であると解釈されています。それにしても「クズ」と読ませる、それは「屑」を連想させます。悪意を感じますね。
 それはさておき佐伯(さいき)といえば、このところニュースをにぎわせている二歳女児の事件です。何はともあれ、無事でよかった。三歳の孫女児を持つ老爺の実感です二歳女児・山中泊 。

 佐伯部についてウイキ佐伯〔ウイキ) は以下を書きます。
「佐伯部(さえきべ)は古代日本における品部の1つであるが、ヤマト王権の拡大過程において、中部地方以東の東日本を侵攻する際、捕虜となった現地人(ヤマト王権側からは「蝦夷・毛人」と呼ばれていた)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したもの。」
と、書きます。この議論の裏づけとして、現在考察している常陸国風土記茨城郡の一節を上げています。

 古代史研究者達は「佐伯」〔さいき〕の由来についてあれこれと論じています。私にはずいぶんと的外れに聞こえます。参考のために古代ペルシア語に似た「音」を持つ言葉を捜しますが、それと思しき語はみつかりません。
「佐伯」が「暴虐」を働いたとするならば、それは「西(さい)キ」ではなかったろうかと考えています。「キ」は国ですから「西」つまり奈良の「国」から来た武人〔兵〕への「あてつけて」です。風土記執筆者は大胆にも本文で露に藤原不比等率いる侵略軍の暴虐という真相を、それとなく佐伯と言う表現で批判したのかな、と思ったりします。

 さて、この本文に挿入された小文字による書き込みは興味深い。「国巣」とは、「つちくも」、又は「やつかはぎ」と、現地住民は言ったというのです。「ツチクモ」は「土蜘蛛」で、これは日本書紀景行紀で倭武王が九州熊本で退治した一族と、研究者は語ります。「土」は「ドまたはト」と音します。「ト」が「ソ」に転ずれば「襲」です。「クモ」は「クマ」の転じた語と思えば、「ツチクモ」は「ソクマ」、これを順序反転すれば「熊襲」です。日本書紀で倭武尊が退治したはずは「土蜘蛛」と「熊襲」の二大族となります。何のことは無い、大変な戦いであったとの粉飾のために二賊にしつらえ上げたのです。これも藤原不比等の“悪知恵”の一つでしょう。ところで、「ソ」を「襲」に置き換えましたが「ソ」を前回書いたように「ス」転じて「サ」と考えれば「熊襲」は「アイヌの信仰とサカ族」の合体を表象した表現となります。
 と言うわけで、ここでも藤原不比等が書く「官製日本列島視」への抵抗を小文字による書き込みで主張しているかに思えます。現地人と一部有識者の手による歴史の真相の後世への継承の意気を感じます。次回、更に興味深い真相暴きをします。
(つづく)

+++++波か、はたまた粒か?
 久しぶりに物理学の話題です。大学の理科系教養授業で「波」か「粒子」かの議論の存在を教えられます。これについては、本ブログでもたびたび外村彰氏の凄い実験を紹介してきました卓抜した実験外村氏記事。しかし、私が理解するところでは、これについての論争なり議論なりは未だにとどまるところを知らずの態であります。が、実用上は、この矛盾を「止揚」して、さまざまな技術開発では不可欠な要素となっています。運動方程式を量子化する過程には「虚数」なるものが入り込んできます。これは下の記事で言う「ボルン則」に関わってきます。しかし、数学界、物理学界のどちらでも虚数〔複素数)の不可思議さ・本質にはふれる議論は無いようで、数学技術として単なる手段化されているように思っています。
 それは、さておき、この「波か?」「粒か?」の議論は未だに自然界の認識論の根本としても大きな問題であり続けています。そうした話題をNew Scientist”誌が取り上げています。長いので、分割して紹介します。
%%%%%波か粒子か(1)
New Scientist 2016 Nov.02 New Scientist誌
Classic quantum experiment could conceal theory of everything
量子力学実験は理論を隠蔽しているのではなかろうか。

A tweak to the iconic double-slit experiment could reveal if quantum mechanics is incomplete, and maybe lead to a theory of quantum gravity

今やイコン風〔あえてコンピュタ用語の”アイコン”と訳さず、キリスト教信仰の道具イコン画になぞらえておきます〕の伝説でもある二重スリットの微調整が量子力学が不完全かどうかを露にし、もしかしてそれが量子重力理論への導き手となるやも知れない。

By Anil Ananthaswamy

AN ICONIC physics experiment may be hiding more than we ever realised about the nature of reality. The classic “double-slit” experiment reveals the strange duality of the quantum world, but it may behave more strangely than we thought – and could challenge one of the most closely held assumptions of quantum mechanics.
Revisiting it could help unify quantum mechanics with the other pillar of theoretical physics – Einstein’s general relativity – a challenge that has so far proven intractable.
The double-slit experiment involves shining a light at two close-together slits placed in front of a screen.
 イコン画にもなぞらえることができる物理実験が自然の実像についての我々のこれまでの認識を超えた何がしかを反映しており、それを隠す役割を果たしているのかも知れない。あの古典的な二重スリット実験は量子世界の奇妙な二重性を露にしている。が、それは我々が思う以上に奇妙な挙動なのかも知れない。そして量子力学についての仮説への挑戦となることができるのかも知れない。
 そのことを再び考えることで、量子力学をもう一つの基本理論つまりアインシュタインの一般相対性理論との統一に役立つのかもしれない。二重スリット実験はスクリ−リン前方の互いに近い二つのスリット孔に光を照らすことを含んでいる。

Our classical view of the world suggests that photons of light should pass through one slit or the other, and thus create two parallel bands on the screen behind. But instead, the light spreads out into alternating bands of light and dark.
This interference pattern appears even if you send in one photon at a time, suggesting that rather than moving in a straight line, light behaves as both a wave and a particle at the same time. US physicist Richard Feynman said this experiment embodies the “central mystery” of the quantum world.
“Every student of quantum physics is taught how to calculate the interference pattern of the double-slit experiment,” says James Quach at the Barcelona Institute of Science and Technology in Spain.
 世界についての我々の古典的な見解は光の粒である複数の光子(フォトン)は一つのスリット或いはもう一つのスリット穴を通過しているはずであり、背後のスクリーンには二本の帯が生成されるというものだ。しかし、実際はそうではなくて、明と暗の交互の帯びがスクリーン上に広がる。
 この干渉パターンはある瞬間にスリットに一個の光子を送り込んだとしても生ずる。このことはまっすぐに走る粒子と言うよりは、同時に光が粒と波の両方の振る舞いをする。と、解釈される。US physicist Richard Feynmanはこの実験は量子力学の中心的謎を体現している、と言う。
二重スリット実験での干渉パターンは物理学を学ぶ生徒であれば誰でも計算できるとJames Quach at the Barcelona Institute of Science and Technology in Spainは言う。

To calculate the probability that a photon will arrive at some location on the screen, physicists use a principle called the Born rule. However, there is no fundamental reason why the Born rule should hold. It seems to work in all the situations we’ve tested, but no one knows why. Some have attempted to derive it from the “many worlds” interpretation of quantum mechanics, which proposes that all the possible states of a quantum system could exist in different, parallel universes – but such attempts have been inconclusive.
That makes the Born rule a good place to look for cracks in quantum theory. To unite quantum mechanics, which governs the universe on minute scales, and general relativity, which holds at immense scales, one of the theories must give way. If the Born rule falls over, it could clear a path to quantum gravity.
 光子がスクリーン上のある位置に到達する確率を計算するには物理学者はボルン則と呼ばれる原理を使う。しかしながらボルン則が何故成り立つのか、それについての基本的理由はわかっていない。ボルン則は我々がテストする限りでは正しく働くのであるが、誰もその理由を知らない。ある研究者は量子力学の”多元世界”と言う仮設から、そのボルン則を導き出そうとする。それは全ての量子系の可能な状態は異なる並存する多元宇宙に存在すると仮定する。しかし、それは結論が出ているわけではない。
 量子論でのほころびを探すの二ボルン則は格好の手立てだ。微小スケールに渡って宇宙を支配する量子力学と巨大なスケールの宇宙二隊して成り立つ一般相対性理論を結びつけるには、それらの理論のどちらかが何がしかの方向を与えるべきだ。もしボルン則が成立しないのであれば、それが量子重力理論への道を指し示すだろう。

(つづく)

利根川の由来、米大統領選と米国報道姿勢〔田中宇ブログより)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:この時期の早朝は用水池や堀に鴨が集合して、朝寝をまどろんでいます〔ブログ管理人の文学的言い回し!〕。眺めるうちに、青葱が重なってきます、“旨そうやな!”、写真の拡大はクリック〕
用水鴨1269

 
青葱を 背負った鴨が 目に浮かぶ 我の邪念を 奴(やつ)は知らずや

 昨日嬉しかったニュースです(川内三位 )。アフリカ勢を相手に30秒以内の差まで迫った力走。凄い!!!の一言です。

 もう一つは不快なニュース:先週金曜日の朝日新聞ネット記事です。
%%%%%福島で五輪野球、世界連盟が難色 「内野が芝でない」
朝日新聞デジタル 12/2(金) 3:39配信 福島野球五輪
雨の中、候補地の一つになっている福島県営あづま球場(福島市)を11月に視察した世界野球・ソフトボール連盟のフラッカリ会長
 2020年東京五輪の野球・ソフトボールの試合会場として候補に挙がる福島県内の3球場について、世界連盟(WBSC)のフラッカリ会長が、グラウンドの内野部分が芝ではなく土であることなどを理由に難色を示していることがわかった。主会場は6日からの国際オリンピック委員会(IOC)理事会で人工芝の横浜スタジアムに決まる予定だが、福島開催の決定は先送りになる可能性が高まった。野球・ソフトボールの福島開催を巡っては、10月に来日したIOCのバッハ会長が安倍晋三首相と面会した際、復興五輪の理念から、日本の開幕戦などを東日本大震災の被災地で開催することを提案。大会組織委員会は11月上旬、福島県で一部の試合を開催することを決めていた。フラッカリ会長も当初、福島開催に前向きな姿勢だった。だが複数の関係者によると、11月19日に県営あづま球場(福島市)と開成山野球場(郡山市)を視察し、いわきグリーンスタジアム(いわき市)を含む候補の3球場すべて、内野が土であることや、設備が貧弱なことに難色を示したという。「土のグラウンドでトップレベルの試合をするのは日本ぐらいで、国際標準は内外野ともに芝。福島県内の球場が五輪にふさわしいのか、疑問符がついた」と関係者は明かす。
朝日新聞社
%%%%%

 昨今の五輪は『地球にやさしく』挙行することが合意されています。しかし、この会長言うに事欠いて「施設が貧弱。芝生でない」などと難点を挙げたとのこと。本音は2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故による放射能汚染への恐怖であったと私は想像しています。五輪開催地・決定総会における安倍氏の「福島事故処理はアンダーコントロール」との大見得も、実は腹では会議委員の誰しもそれを信じていなかったことが、露呈したのです。

 昨今のドタバタを見るにつけ、東京開催の返上を申し出るべきではなかろうか、と思っています。

+++++常陸国南縁の利根川
 日本書紀・古事記は編纂した藤原不比等の日本列島での政治・精神史に関する現代・近代史です。常陸国・風土記の記載に当たっては当然、その史観に強く束縛されていたはずです。私は、これまでこの古文書は藤原史観に染まっている、すなわち政治「偏向」文書そのものと思い込んでいました。しかし、注意深く眺めてみると“中々どうして”と言うのが此れまでの実感です。

 行間、そして後日に加えられたと思える「書き込み」は概して小さな字で挿入されています。それが、本文の趣旨から逸脱している、又は付加的な情報となっている事に気づいたからです。風土記編纂に当たって実務を担当したスタッフの中に「ひねくれ者」というか、「骨のある」知識人が加わっていたことを思わせます。さらに驚くべきことは、こうした「反政府的」書き込みが「意図的に」見逃されて今日我々の目に触れているのではないか。

 と言うわけで、前々回、筑波から利根川の南岸に渡る領域には、奈良の軍勢によって殺戮された東国の民の怨霊が蟠っているのでは無いかと書きました。そしてその怨霊の鎮魂も藤原不比等が創設した日本列島の思想・精神体系である「斎」の大きな要素であったと書いてきました。

〔図1: 長豊街道と龍角寺古墳群、中央を東西に流れるのが利根川、図の拡大はクリック〕
龍角ライン


 この視点から、信太郡界隈の地名を見てみます。気がつくことは信太郡の南縁を東方に向かって流れる毛野川と流れ海〔現在の利根川〕に沿って「崎」がつく地名が少なくありません。東から「龍ヶ崎」、「江戸崎」、「角崎」、〔神埼〕、そして「波崎」と言う具合です〔それらの幾つかが図1に見られる〕。広辞苑によれば〔崎〕は「陸地が海に突きでている端」、「「山が突き出た突端」とあります。海では無いしろ水辺ですからこうした地名の存在は不思議ではないのかも知れません。この説明は古語辞典を参照しても同様です。

 所が、〔崎〕について学研大漢和辞典(藤堂明保編)はこの漢字の音を「キ」であるとして、その意味は「険しい地形」と書きます。つまり「さき」は「崎」の訓(よ)みであったことがわかります。どうやら「さき」は日本列島古来の言語であったようで、それに漢字を習得した人間が対応する漢字を当てたらしいことがわかります。
 古代ペルシヤ語辞典には、発音が似た言葉があります。ラテン文字表記で「saqi」で、それは酒盃を意味します。とすれば『鎮魂』の酒を注いだ地とも解されます。実際、図1の中央を西から東に流れる利根川を辿ると、中央からやや東側、千葉県側に「神埼」と言う地があります。ここは古来から酒造が盛んな地です。「神埼」は「神の酒」とも読めます。何はともあれ、自然科学と違って「一意的」な解釈があるわけではありません。色々な可能性を、後世の議論のために遺しておくことにします。

 次に考えたいのが「龍が崎」の「龍」です。福島県飯豊に存在する「五龍神社」は、白河風土記に拠れば「霊宮」と呼ばれていたと10月26日記事福島・矢吹五龍神社 で書きました。つまり、「五」は『御』が転じたものであり、「龍」は「霊」が転じたのです。同様の転換がこの地でも起きていた。「龍ヶ崎」の「龍」は実は「霊」の転じたものであろうと思えます。長峰古墳、長豊街道および、利根川をわたる長豊橋(11月28日記事参照 長豊・長峰 )の謂れを裏づけしているかのようです。
 
 つくば研究学園都市と成田国際空港を結ぶ国道408号線は長豊橋で利根川を渡ります。そのつくば側に角崎(すみざき)と言う地があります。古代ペルシヤ語辞典に拠ればラテン文字表記で「somut」と言う語があり、「沈黙」を意味します。私が此れにこだわるのは、上に書いた国道408号線を走り利根川を渡って成田に向かいますが、その西側が「龍角寺古墳」と言う巨大な古墳が集合している地なのです。どちらが先に命名されたかはともかく、「霊」たる『龍』と『沈黙』たる「角」がこの古墳群の名称で、そこに眠る幾多の死者の沈黙に押し込めたたぎる怒りを「鎮めて」いるのが龍角寺ということになります。

 かねてより、気になっていたのが龍ヶ崎市内の「根町」と呼ばれる地区です。上に書いたような経緯があるとすれば、この『根町』の存在に納得いく思いがあります。何故なら、「根」と聞いてまず連想するのが「根国」です。記紀を引用するまでもなく、それは「死者」の国です。例えば、出雲大社がある「島根」県の県名の由来をウイキ島根由来 は以下のように書きます:
『島根県の県名は、県庁の置かれた松江城周辺が旧島根郡(嶋根郡)に属していたことによる。嶋根の名は『出雲国風土記』での八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)の命名によると伝えられる。なお、松江城下は松江城が立地する島根郡(大橋川以北。橋北)と意宇郡(大橋川以南。橋南)にまたがる。』

 しかし、私は島根という県名の由来は「島=領域」、「根=亡くなった大国主命」にあると思っています。このように考えてゆくと気になるのが図1の中央を流れる「利根川」です。正に、死者の川であるならば、上に書いてきた筋書きに整合することになります。

〔図2:利根川流路の東遷概史より利根川変遷 〕
利根ー渡良瀬ー江戸川

 
私は、これまで利根川を引用するときには、『現在の』という接頭修飾詞を付してきました。何故なら太古の昔の利根川は銚子河口には流出せず、現在の江戸川に通じていたからです。「利根川」と言う呼称についてウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキ利根川名称 
 利根川の名称は、『万葉集』巻第十四に収載されている「東歌」のうち「上野国の歌」にある以下の和歌が文献上の初出である[36]。
刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敞流伎美可母
(利根川の 川瀬も知らず ただ渡り 波にあふのす 逢へる君かも)
— 『万葉集』巻第十四、東歌「上野国の歌」
この和歌の冒頭にある「刀祢河泊」がすなわち利根川のことである。意味は「利根川の浅瀬の場所もよく考えないで真っ直ぐに渡ってしまい、突然波しぶきに当たるように、ばったりお逢いしたあなたです」と解され、庶民女性による寄物陳思(ものによせておもいをのぶる)の表現様式を採る相聞歌である。これについて犬養孝は自著『万葉の旅(中)』において、上野国の歌でありかつ人が渡河できる程度の川幅であることから、歌に詠まれた利根川の位置は現在の沼田市から渋川市にかけてではないかと推定している[36]。
%%%%%ウイキ転載おわり
 万葉集巻十四には、歌番3348から3577、つまり230の歌群が納められています。万葉集全20巻には4516歌が収められていることを思えば、一巻あたりの平均的な歌数と言うことが出来ます。この巻十四では、冒頭の五歌が東歌(あずまうた)として分類され、その後ろに相聞歌76歌が続きます。さらに 譬喩歌(万葉集・比喩歌  万葉集における歌の分類の一。表現技法に基づく分類で,心情を直接表現せず,何かにたとえて詠んだ歌。内容は主として,恋歌。巻三・巻七等に部立てとしても見られる。たとえ歌。)9歌、雑歌、相聞歌、などが続き最後は防人(さきもり)歌、挽歌で終えます。上記の歌は3413歌で相聞歌に分類されています。
図3:万葉集巻十四、3403〜3438歌、「トネガワ」は三四一三歌に見える。図の拡大はクリック)
161205万葉集14

 
 図にみるように「利根川」歌の周囲がもっぱら「カミツケノ」であることから、この歌が詠まれた場所は現在の群馬県であったろうことが推測されます。 東歌、そして防人の歌は、奈良・京都の支配者による東国の民への過酷な支配を詠っているものです。それは被征服民への懐柔であったり、強制であったりであり、そこにレスペクトが欠落しているという本質は変わりません。いずれ、そのことを書きます。この歌が詠まれた時期、それは日本書紀などの記載から7世紀の半ば頃からの歌ではなかろうかとの考察がありますが、私はそうは思いません。早くとも8世紀半ば以降であろうと思っています。例えば参照「万葉集東歌」考万葉集東歌 )。

 さて、ここでは「利根川」の議論です。「根」は「死」で間違いないところです。さて、そうなると次は「利(ト)」です。
 図2の右下に千葉が見えます。その千葉を過ぎたすぐ南に蘇我と言う地があるのです。昔の利根川の河口から東に「蘇我」なる地があるのです。これが「と」を考察する上での大きな手がかりとなりました。
 もう一つの手がかりは、昔の利根川の東部および北側に「曽根」なる地名、人名が多いことです。例えば、元首相の中曽根氏の出身地がそうです。このように考えるならば「ト」は「ソ」が転化したものではなかろうか?日本列島ではそうした事例が少なくありません。「十」は「トウ」と音します。これが「三十」となると「ミソ」と音するようになります。
 「利根川」の「ト」は「ソ」であったのです。それは「ソガ」の「ソ」です。「ソガ」はそもそもは「スガ」を介して「スカ」の転化したものです。かくして「利根川」は「スカ族」の死の川、つまり、この川の東側、そして北側でかって隆盛を誇った渡来民「スカ」族が死に追いやられた。これが、利根川と言う川の名前の由来です。
(つづく)

+++++大統領選を巡る米国報道
 日本の「良心的」と自他共に認める方々の多くが、未だに次期米大統領に選出されてトランプ氏を嫌悪し、様々な「悪罵」を放っています。しかし、米国民自身による選択に対して、かくも執拗な非難を繰り返す方々に私は呆れる想いです。せめて、トランプ氏による米国経営が日本にどう関わるであろうか、日本国民の益を守るためには、どうした準備、心構えが必要であろうか、そうした視点からの議論こそが、我々庶民が眼にしたい論です。
 下記は、今般の米国大統領選での米国報道機関の「いいかげんさ」が指摘されています:
%%%%%偽ニュース攻撃で自滅する米マスコミ
2016年12月1日   田中 宇
田中宇のブログ
この記事は「マスコミを無力化するトランプ」の続きです。
 米国で、大統領選挙が終わると同時に「偽ニュース」(フェイクニュース、fake news)をめぐる騒動が始まっている。ことの発端は、大統領選挙でクリントン支持の政治団体やマスコミが、フェイスブックなど大手ソシャルメディアが偽ニュースへのリンクを規制しなかったので、クリントンが不正に負けてしまったと(負けおしみ的に)批判したことだ。 (Faceless monitors judge fake news on social media) (Using fake news against opposing views)
 クリントン支持者によると、選挙戦の末期にかけて、クリントンが病気であるかどうかなど、事実無根なことを書いた報道文や報道解説文の体裁をとった偽ニュースのページがウェブ上に出現し、それがフェイスブックなどを通じて猛烈に拡散され、米有権者の中にそれを信じる人が増えた。偽ニュースの多くは、ロシア人や米国人などのトランプ支持者が書いており、選挙不正なのでフェイスブックなどは偽ニュースのページへのリンクを禁じるべきだったのにそれをせず、不正なトランプの勝利を看過したと、クリントン支持勢力が主張している。 (`Fake News', `Post-Truth' and All the Rest) (Facebook's Mark Zuckerberg Finally Details Fake News Countermeasures)
 偽ニュースの執筆者は、クリントンを落選させるためでなく、偽ニュースのページに広告をつけ、広告収入を得ることが目的だったという指摘もある。今回の米大統領選挙では、米マスコミのほとんどがクリントン支持で、トランプを誹謗中傷する傾向も強かったため、トランプ支持者はマスコミを信用できなくなり、マスコミ以外のネット上の書き込みなどを情報源として重視した。ソシャルメディアで誰かが紹介した偽ニュースのページビューは異様に急増し、執筆者は多額の広告収入を得た。 (Fake news network 'tried to write fake news for liberals — but they just never take the bait.')
 フェイスブックからリンクされた外部ページの広告からの収入は、外部ページの執筆者とフェイスブックの両方が得る折半方式になっている。偽ニュースはネットでしか読めないため、人々が驚くような内容だと、本物のニュースに比べてクリック数が急増する。偽ニュースは、本数でみると少なくても、クリック数に比例しがちな広告収入が多くなる。選挙期間中のフェイスブックのニュースの閲覧数は、偽ニュースと本物ニュースがほぼ同じで、このためフェイスブックは偽ニュースへのリンクを切らなかったのだと指摘されている。 (Does Facebook Generate Over Half Its Revenue From Fake News?) (Inside a Fake News Sausage Factory: `This Is All About Income')
 批判に対してフェイスブックは、偽ニュースと言われるものの中には、その時点で事実かもしれないと思われる情報を含んでいるものが多く、いちがいに「意図的なウソ」と断定してリンクを断絶できないと弁明している。たしかに、クリントン陣営は病気説を「ウソ」と一蹴したが、クリントンは911の集会に参加した際に具合が悪くなって退席し、病気説に対する信憑性が高まった。病気説は偽ニュースでなく事実性を含んだ「疑惑」である。疑惑に便乗した「〇〇に違いない」という言説は多いが、その手の言説はトランプに対する非難中傷の中にも多い。米国のマスコミが発するロシア批判記事の多くも、濡れ衣や誹謗中傷であり、親露・親トランプの文書が偽ニュースなら、反露・反トランプの文書も偽ニュースである。 (Facebook's Fake News Crackdown: It's Complicated) (NY Times Attacks Trump's Twitter Account As Fake News While Lying About Ivanka)
▼トランプ当選で台頭する非主流派サイトを攻撃して自己救済するつもりが逆効果になる??
 誰が偽ニュースを流しているか、偽ニュースの定義について、当初は曖昧で、ロシアやマケドニアなどの親ロシアな人々が書いているとも言われていた。だがその後、米国の偽ニュース騒ぎは、米国内でマスコミやエスタブリッシュメント、軍産複合体、金融支配などに対する批判を展開している、特に右派の非リベラル、反リベラルな言論人のウェブサイトを標的にするようになった。エスタブ・軍産リベラル系のマスコミや言論人が、言論上の自分たちのライバルに「偽ニュース」のレッテルを貼って非難する動きに変質した。オバマ大統領も、偽ニュース批判を発している。 (Fake news website From Wikipedia) (Harsh truths about fake news for Facebook, Google and Twitter) (Here's why “fake news” sites are dangerous) (Obama Joins The War Against “Fake News”)
 米マサチューセッツ州のリベラル派の大学教員メリッサ・ジムダース(Melissa Zimdars)は大統領選挙の直後、人々が信じるべきでない偽ニュースのウェブサイトとして100以上をリストアップして発表した。その多くが、リベラルに対抗する右派のサイトだったため、この発表は大統領選に負けたリベラルが、勝った右派に復讐的な喧嘩を売っているのだとみなされ、右派の言論サイトで話題になった。 (Assistant professor Melissa Zimdars compiles list of fake news sites) (False, Misleading, Clickbait-y, and/or Satirical “News” Sources) (Zero Hedge Targeted On Liberal Professor's List of "Fake News" Sources)
 さらに、11月24日には、ワシントンポストが大々的な扱いで、ロシア政府系と、親露的な米国右派のニュースサイトが偽ニュースを流しまくった結果、トランプが勝ってしまったと指摘する記事を出した。記事は「専門家たちがこのように指摘している」という体裁で書かれており、その「専門家集団」の一つとして「プロパオアネット(プロパガンダじゃないのか) www.propornot.com 」というサイトが引用されている。同サイトは、RTやスプートニクといった露政府系サイトや、ゼロヘッジ( zerohedge.com )、ロンポール( ronpaulinstitute.org )、ポールクレイグロバーツ( paulcraigroberts.org )、グローバルリサーチ( globalreserch.ca )、ワシントンズブログ( washingtonsblog.com )、infowar.com、veteranstoday.com、activistpost.com といった、主に米国の右派系の著名なニュース解説サイトを、偽ニュースを流しトランプを不正に勝たせたロシアのスパイとみなして列挙している。 (Russian propaganda effort helped spread `fake news' during election, experts say) (Is It Propaganda Or Not?)
 興味深いのは、ワシントンポストのこの記事の主張の大きな根拠となっているプロパオアネットが、最近できたばかりの、正体不明なサイトであることだ。記事中で同サイトが発する主張は、すべて匿名で行われている。権威あふれる(笑)ワシポスが、トップ級の記事で依拠するには、あまりにチンケな、それこそ陰謀系のサイトだ。同サイトがロシアのスパイサイトとして列挙した上記のゼロヘッジやロンポールなどは、以前から的確な指摘や分析を発し続けている。その質はワシポスやNYタイムス、WSJ、FTなどのような権威あるマスコミと十分に互角か、時によっては、プロパガンダに堕しているマスコミより高度で、非常に参考になる分析をしている。 (Bait & Switch- Fake News, PropOrNot, the Real Inform & Influence Operation) (The Reality of Fake News)
 ワシポスやNYタイムスは、イラク侵攻以来、米政府の過激・好戦的な濡れ衣戦争の道具になりすぎ、歪曲報道が増えて、読むに耐えない記事が多くなって久しい。FTも(日本を代表する歪曲新聞である)日経の傘下になってから、明らかにプロパガンダな感じの記事が増え、質が落ちている(WSJは、昔から極右的だが悪化しておらず、わりと良い)。このようにマスコミの質が落ちるほど、上記のゼロヘッジやロンポールなど米国の非主流派のニュースサイトが、多くの人に頼りにされ、必要性が高まっている。 (The Mainstream Media Has Only Itself To Blame For The "Fake News" Epidemic) (The REAL FAKE NEWS exposed: '97% of scientists agree on climate change' is an engineered hoax ... here's what the media never told you)
 日本では非主流のニュースサイトがない。日本語のネットの有名評論サイトのほとんどが、マスコミと変わらぬプロパガンダ垂れ流しだ。だから日本人はマスコミを軽信するしかなく悲惨に低能だが、米国(など英語圏)にはマスコミを凌駕しうる非主流サイトがけっこうあり、これらを読み続ける人々は、ある程度きちんとした世界観を保持しうる。だから米国は、トランプのような軍産支配を打ち破れる人を大統領に当選させられる。
 RTやスプートニクといった露政府系のニュースサイトは、欧州や中東を中心とする国際情勢について、ワシポスなどより信頼できる報道をしている。人々は、米マスコミが自滅的に信頼できなくなったので、RTやスプートニク、イラン系のプレスTVなどを見て、的確な情報を得ようとしている。それらをまるごとロシア傀儡の偽ニュースとみなすワシポスの記事は、ライバルをニセモノ扱いして誹謗中傷することで、歪曲報道の挙句に人々に信用されなくなったワシポス自身を有利にしようとする意図が見える。 (`Fake news' & `post-truth' politics? What about those Iraqi WMDs?) ('Fake news' isn't the problem — mainstream news with an agenda is)
 しかし、そのライバル潰しで信頼回復を目的にした今回の記事の信憑性を、匿名だらけの怪しいプロパオアネットに依拠してしまったのは、あまりにお粗末で、突っ込みどころが満載だ。ゼロヘッジやロンポールは、さっそく売られた喧嘩を買い、ワシポスなど主流派マスコミこそ劣悪な偽ニュースだと逆批判している。元下院議員でリバタリアン政治運動の元祖であるロンポールはまた、今回のような主流派マスコミによる非主流派メディア・言論人に対する誹謗中傷濡れ衣的な攻撃は、今後まだまだ続くとの予測を発している。 (REVEALED: The Real Fake News List) (uspol Ron Paul Lashes Out At WaPo's Witch Hunt: "Expect Such Attacks To Continue") (Is "Fake News" The New 'Conspiracy Theory'?)
 ワシポスの今回の攻撃記事は、すでにマスコミが非主流メディアより信頼の低い弱い立場になってしまっていることを示している。マスコミが今回のような過激で稚拙なやり方で、ライバルの非主流派メディアを攻撃し続けるほど、マスコミ自身の信頼がさらに下がり、知名度が低かった非主流派メディアへの注目度や信頼性を逆に高めてしまう。ワシポスの記事のアイデアを誰が考えたか知らないが、今回のやり方は、稚拙な好戦策を過剰にやって米国覇権(軍産複合体)を自滅させた隠れ多極主義的なネオコンと同様、稚拙なライバル中傷を過剰にやって、軍産の一部であるマスコミを自滅させようとする隠れ多極主義的な策に見える。 (The Fake News Fake Story) (Glenn Greenwald Condemns Washington Post's "Cowardly Group Of Anonymous Smear Artists")
 マスコミ(など軍産)と、軍産マスコミを批判してきた非主流派メディア・言論人との戦いは、ロンポールが言うとおり今後も続きそうだ。だが、すでに軍産マスコミは、トランプの当選によって、権力から蹴落とされている。トランプと非主流派は、一心同体でない。両者は、米国のテロ戦争やロシア敵視、NATOや日韓との同盟関係を愚策とみなす点で見解が一致するが、そこから先は対立事項も多い。トランプは軍事費の急増を主張し、米国の馬鹿げた戦争にむしろ加担しそうに見える。非主流派は、米連銀などが進めるバブル膨張による金融システムの延命策に反対しているが、トランプは財務長官などの要職に米金融界の人間を任命し、バブル膨張策に反対しそうもない(故意に膨張させて崩壊させ、多極化を前倒しする策か??)。 (◆得体が知れないトランプ)
 これらの齟齬があるものの、トランプはおそらく、マスコミなど軍産を権力の座から蹴落とし、軍産を冷遇し続けて潰そうとしている(軍事費急増は目くらましかも)。トランプ政権の今後の8年(たぶん再選される)で、マスコミやNATOなど軍産は大幅に無力化されるだろう。世界の覇権構造はぐんと多極化する。最終的に、米国の覇権と軍事費は大幅に減る。多極化へのハードランディングとなる金融バブル再崩壊もおそらく起きる。非主流派の言論人たちが予測分析してきたような事態を、トランプが具現化することになる。 (The Fake Epidemic of Fake News) (Fake Science News Is Just As Bad As Fake News)
 米国で偽ニュースが騒がれ出したのとほぼ同時に、欧州ではドイツのメルケル首相が、ロシア敵視の一環として偽ニュース批判を強めた。欧州議会は偽ニュースの発信者としてロシアを非難する決議を出した。欧州において、トランプ陣営は、メルケルと敵対する独AfD、仏ルペンなど、極右や極左の反EU・反移民・親露な草の根ポピュリスト勢力を支援している。マスコミ(軍産エスタブ)とトランプ系の米国の戦いは欧州に飛び火し、メルケル(軍産エスタブ)と極右極左との戦いになっている。米国では、最終的なトランプ系の勝利がほぼ確実だ。欧州でも、メルケルは来夏の選挙に向け、どんどん不利になっている。メルケルは、負けそうなので危機感から偽ニュース攻撃を武器として使っている。米国でも欧州でも、偽ニュースを使った喧嘩は、ニュースをめぐる議論でなく、追い込まれたエスタブの最期の反攻・延命策の一つになっている。 (Merkel Declares War On "Fake News" As Europe Brands Russia's RT, Sputnik "Dangerous Propaganda") (EU Parliament Urges Fight Against Russia's 'Fake News') (Germany is worried about fake news and bots ahead of election)
%%%%%転載終わり

いわき界隈の不思議な地震活動、安倍氏の貧困老人いじめ

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:普段仲間とつるまない雉5羽が集まって何か語っています。よく見ると二親(ふたおや)と三羽の子供雉〕
雉1259


 先日の 地震警報 大手柄 あの経験を 子雉に語れり

「普都」大神の正体が見えました。これに付随する議論、たとえば「宇都宮」、「宇津峠」など東日本に多いこうした地名が、「ふつ」に関わっているのか、否か。「フツ」が「仏」であるならばそれを体現した史跡なり建造物は・・・と言った議論、さらには日本書紀に登場する「三宝」との関連等々、考察しておきたいことが増えてしまいました。そうではあっても、私の「斎」論議も到着点に接近しつつあるなとの実感があります。それを常陸国風土記をもう少し読み進めて確認することとします。その作業を次回以降に続けたいと思っています。

( 図1:昨日東京新聞一面トップ記事)
医療費1266

 
 先日の年金改革による年金支給減額、今般の老人医療費(上の記事)値上げ、アベノミクスの挫折、北方領土返還見通し真っ暗、原発事故補償・廃炉経費の国民負担などなど・・・昨年の安保、秘密保護法を持ち出すまでも無く、本年も安倍氏の失政は誰の目にも(と言っても一部大企業および5%富裕層を除く)明らかと思えるのです。が、なんと安倍氏への支持は世論調査によれば60%を超えるのだそうです。回答者に個々の政策を尋ねると、どれ一つをとっても安倍氏の政策に反対表示が上回っています。どうなってるのですかね!日本国民は異次元の空間にワープしてしまったようです。
 
 老人になってみると「社会に尽くしてきた年寄りに、早く死ね!と言うのか」なぞのセリフを口走利他句なります。しかし、その言は年寄りの“思い上がり・身勝手”と思われかねません。実際、口幅ったいものを感じます。が、これが現在の我が国に進行している実態であることは事実です。
何にせよ、若者に安定した雇用を提供し、その稼ぎから年寄りの生計を貢がせるのが、安倍氏の政策と思っていました。どうやらそれは大きな勘違いであったらしい。せめて年寄りのことはさておいても働き盛りの国民が安定した生計そして老後の安心を保てる政策を!と、安倍氏に訴えたいですな。

〔図2:私が大好きな室井佑月さんの発言、日刊ゲンダイ11月30日〕
室井3743


 
+++++福島沖地震余効
 週刊誌「女性自身」が立命館大学教授の談話として東日本での近日中の地震を予測したそうです:
(図3:高橋教授の地震予測 「女性自身」12月1日号)
biz5MTB無題


 高橋氏の地震予測について、その手法などは全く知りません。学術論文で高橋氏があげる論拠を、私は知りません。というわけで、その評価もできません。同様の予測を村井俊治東大名誉教授も行っています村井東大名誉教授の地震予測 。これについても私はコメントできません。昨今、こうした地震予測があふれています。良いことなのか、どうなのか?地震学者が口に出来ないことを在野の「地震愛好家」が口走るという印象です。

 こうした、地震予測・地震予言はさておいて、今回の記事では先日の福島沖地震についてのその後の展開についてふれておきます。

 先日、マイナヴィニュース(国土地理院測量 )が国土地理院による福島県沖地震後のGPS測量変動結果を報じていました:
%%%%%記事転載「福島沖地震、その後」
福島県沿岸部が北西に5センチ動く 22日の地震
2016/11/30(水) 01:33:34
22日早朝発生した福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.4の地震により、同県沿岸部の南相馬市の観測点が 北西方向へ約5センチ動く地殻変動が起きていたことが国土地理院(つくば市)の解析で分かった。
今回の地震について気象庁は断層が北西―南東方向に引っ張られて動く「正断層型」とみているが 同院は「気象庁の解析結果と整合する」としている。 国土地理院は設置されている基準点の地震前後の動きを詳しく調べた。
その結果、震源に近い南相馬市小高区の電子基準点が北西方向に約5センチ変動していたほか
福島県沿岸部の2基準点でもほぼ同方向に約4センチ変動していた。 22日の地震について気象庁などは、東日本大震災により震源域内の地震活動が活発化した「余震」と判断し 日本列島の陸側のプレート(岩板)内部で発生した「引っ張られる力」によってずれる正断層型とみている。
このタイプの地震は断層が上下方向にずれるために海底が上下方向に動いて海水を押し上げる。 このため津波が発生しやすい。
http://news.mynavi.jp/news/2016/11/28/450/
〔図4:国土地理院によるいわき界隈の地殻変動)
福島沖16112214804372140001


%%%%%記事転載終わり

 図4は地震発生前と後のGPS観測点位置の比較です。それが北西方向に大きいところで5cmほど移動しているというわけです。地殻が南東から北西方向に押されたために動いたという解釈も出来ますが、研究者達は福島県東岸の一帯が「南東と北西」の方向に引っ張られていると理解しています。そもそも観測点そのもの位置は、どこかに不動点を仮定して、それに照らして夫々の観測点がどのように動いたかを示すのが上図です。
 あたかも福島県の東岸域が猪苗代湖あたりに巣くう巨大な怪獣によって北西に引っ張られていると考えたくなります。が、もし今般の地震の震央の東側にもGPS観測点があるならばそこでの観測点は南東向きの矢印が分布するであろうと研究者は考えます。地震の発震機構図がそう考える根拠となっています。
 
 ところで、いわき沖を含むいわき界隈の地震活動は奇妙です。それを図5に示します。
〔図5:2011年4月11日の地震を含むMw>5.5の3つの地震と周辺域の地震活動,拡大はクリック〕
いわき界隈


 3月11日の巨大地震に誘発された福島県地震として要注意の地震が、あの巨大地震の一ヵ月後にいわき市内〔勿来の近く〕で起きています。「福島県浜通り地震」〔2011年4月11日〕2011年4月福島県浜通り地震 です。
 まず、着目したいのはこの地震の発震機構解です。それは今般の主震〔2016年11月22日〕、最大余震のそれらと大きく異なっています。節面の走向(発震機構図内に表れる二つの曲線)が今般の地震では概ね北東―南西を向いているのに対して、「福島県浜通り地震」は北西―南東を向いています。その結果、起震力と思われる張力の方向は、今般の地震が北西―南東向きであるのに比して、「福島県浜通り地震」では南西―北東、つまり90度反時計周りに違えていることです。にもかかわらず、圧縮応力は、どちらもほぼ鉛直です。誠に興味深いことですが、物理的な解釈をどうつけるのか?

 もう一つの興味深い事が、上の図で明瞭に観察できます。それは、直角三角形状の浅発地震活動分布です〔図の青色で示した〕。「福島県浜通り地震」は、この三角形の北西ー南東方向の辺に沿っておき〔ほぼ南北〕、今般の地震は、ほぼ東西(やや反時計方向に傾いている)の辺に沿って起きています。

〔図6;いわき界隈の地震活動分布の特異性〕
いわき界隈形状


 図5の直角三角形は上図ではAの矢印とBの矢印で示されます。Aの線の北端で「福島県浜通り地震」が発生しています。一方B線に沿った線状で今般の地震が発生しています。興味深いことは今般の地震活動は、A 線には達せず、C線でとどまっています。いわき沖とその界隈に地学的にどのような構造が介在しているのでしょうか?現時点では唯々「不思議、怪奇」としか言葉がありません。
 ついでですので、本記事とは直接の関係はありませんが、その北方に青線で示した領域内の地震活動が、「階段状」(Echelon)であることも興味深いこととして、本記事に書き留めておきます。地下での地学的構造に何がしかの不連続があるのでしょう。それがEchelonの形態をとると思っています。


 「福島県浜通り地震」が発生した頃は、防災科学技術研究所の「最近の大きな地震」コーナは未だ開設されていません。したがって、この頃の地震の性状はあきらかでありません。
そこでいつものようにGloval CMT Catalogue からこの地震の情報を転載します:
〔図7:この表は既におなじみとなりましたので説明は省略します。上は〔福島県浜通り地震〕、下は、11月22日地震の最大余震。発震機構図は図5に示したものと同じ〕
いわき界隈MT
 

 非DC成分が「福島県浜通り地震」については、なんと30%と言う大きな値になっています。数値計算をそのまま信用するならば、この地震では南東―北西からかなり強い圧力がかかっていたということを示します。この応力の方向は太平洋プレートが日本列島をのせる北米プレートを押し付ける方向です。話は辻褄が合うようです。が、よーく考えてみると、この地震が発生した時点では3月11日の巨大地震は既に発生しています。つまり「日本列島は、太平洋プーレートの強い圧迫から解放されていた状態」と、地震研究者が解釈していた時期です。そうした時期でもこの地にはその圧縮力が残存していたということなのでしょうか?

 と、いうわけで、たかが”いわき界隈”の地震活動といえども不思議なこと、未知なことが山ほどあります。”プレート運動がウンタラカンタラ”と講釈師の類の軽薄な弁を講じたとしても現実の地学現象が、ましてや将来の地学現象の推移がわかるとは思えない。着実な事実の積み重ねしかないようです。

「フツ」大神とは?筑紫に土塁跡

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:雑木林の小道を覆いつくす枯れ葉)
木漏れ日1264

 
木漏れ日が 雑木の隙間に 輝いて 小春日和の のどかな一時

〔図1:本日東京新聞朝刊一面「三八(さんやつ)」広告です〕
本1263


 本ブログでもしばしば論じたように、倭国は邪馬台国を継承したことは明らかです。たとえば、会津に「山都」と言う地があります。これは西倭国〔九州〕を追われた西倭国の民が住み着いた地です。この地を彼らは「ヤマ」の都と呼んでいます。倭国の民は邪馬台国を継承しているとの自負があったのだろうと思っています。そう思うので、大変興味深く、早速市の図書館に購入をお願いしようと思っています。

 もう一つ関連記事です。朝日ネットニュースが下記を報じていました。北九州の土塁で思い出すのは佐賀県の吉野ヶ里の南を東西に走る土塁跡です。これは万葉集七歌〔2009年6月17日記事 土塁跡 〕で詠われています。この土塁に繋がるのでしょうか?興味深いことです。
大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡

2016年11月28日 18時43分 朝日新聞デジタル http://c23.biz/bzA2 
 福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が見つかった。市教委が28日、発表した。古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、丘陵での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。
 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡地から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁のようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の最大幅は約13・5メートル、2段構造で東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの丘の尾根を、ほぼ南北方向に約500メートル(残存部分390メートル)にわたって走っている。周辺は区画整理事業のためどこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築技法で造られていた。
 古代大宰府は国家の対外政策の要で、朝鮮半島の百済救援に向かった日本が唐・新羅連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の直後、敵の侵攻に備えて水城や大野城、基肄(きい)城(いずれも国特別史跡)が平地や山上に急造された。市教委は「水城や大野城などの築造工法と共通し、出土した土器の年代などから、大宰府防衛の構造物である可能性が高い」という。

+++++見えてきた「ふつ」大神
( 図1:前回記事で掲載した信太郡記事原文 )
信太いいな


 今回は、上記図の△砲弔い胴佑┐泙后信太郡に様々な雑多な宗教が蔓延(はびこ)っていた時に天から神が降りてきた。その名は「普都大神」であると風土記・常陸国が書きます。この大神は何者なのか?

 「フツ」大神の正体について古代史学者は頭を悩ませてきました。その悩ましい実情が、既存の記載から見えてきます。この大神は何故か古事記には登場せず、日本書紀にのみ登場します。そこで、本来であれば日本書紀の原文を引用すべきですが、ウイキ記事を転載しておきます:
%%%%%「フツ」大神煮について〔ウイキ〕
http://c23.biz/dG5a (ウイキ)
経津主神経津主神(ふつぬしのかみ)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。 別名、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)。『出雲国風土記』では布都怒志命として登場する。
経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と、武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。
経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説がある。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し、刀剣の威力を神格化した神とする説のほか、「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説や[1]。神武東征で武甕槌神が神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)[2]の剣を神格化したとする説がある。なお、『先代旧事本紀』では経津主神の神魂の刀が布都御魂であるとしている。『古事記』では、建御雷之男神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)であるとし、建御雷之男神が中心となって葦原中国平定を行うなど、建御雷之男神と経津主神が同じ神であるかのように記載している。
布都御魂を祀る石上神宮が物部氏の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する中臣氏の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。
神話[編集]
『日本書紀』の神産みの第六の一書では、伊弉諾尊が軻遇突智を斬ったとき、十束剣から滴る血が固まって天の安河のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしている。 第七の一書では、軻遇突智の血が天の安河のほとりの岩群を染めたために岩裂神・根裂神が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神を生んだとしている。
葦原中国平定では武甕槌神とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をしている。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では経津主神のみが天降ったとしており、出雲の意宇郡楯縫郷(島根県安来市)で天石楯を縫い合わせたとの逸話が残っている。
脚注
1. 鹿島神宮社務所編集の「新鹿島神宮誌」によれば、「フツ」は「フル(震)」と同義であり、天にて震いて「建御雷」、地にて震い萌え出ずる春の草木、その洗練された象徴が「逆しまに立つ剣の形」であり、神武天皇以下、悪霊におかされて死にたるごとく伏したるを回復させ、奮い立たせるのもフルすなわちフツノミタマの力であるという。
2. または佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)(『古事記』の中つ巻に拠る)の
%%%%%
 上記は、この大神について日本書紀が語る謂わば経歴です。上に見るように、この記載は”研究”と言うには程遠く、日本書紀記事を謂わば現代文に訳した”丸写し”です。それほどに、この大神は平安時代から現代に至るまで古代学者を散々悩ませてきました。その”深い悩み”を端的に示しているのが岩波文庫「日本書紀(一)」の校注者による記述です。それを図2に示します。
〔図2 岩波文庫〔日本書紀(一)〕補注より、370頁〕
161128フツ大神


 一生賢明に調査して書かれた校注です。しかし、誠に非礼ですが面白くもなんとも無いのです。ここに、古代史研究者の困惑が吐露されていると私は思っています。それでは、この大神の出自を何処に求めるべきか?、その意味は何か?。
 ところで、この神は日本列島の信仰体系の柱として君臨して来たことは、以下の記事から明らかです。それは、日本書紀二巻の「一書に曰く」に始まっています:
原文:
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)

文意:〔岩波文庫「日本書紀〔一〕」130頁
 天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国の平定をさせた。その際、この二神が言うには「天の悪神有り。名を天津甕星〔天罪か星〕と言う。又の名を天香香背男〔あまかがせおお〕という。請う。この神を誅し、然る後に葦原中国をからわ」と。このとき斎主神を斎之大人と号した。この神、今は東国の楫取之地〔香取〕に在る。

 上の日本書紀記事から我々が知ることは、そして藤原不比等が意図したことは「経津主神。武甕槌神」の二神が葦原中国を平定し、「楫取之地」にあって「斎」なる祀りを執り行った事です。
楫取が古代史学者の誰しもが是認するように、現在の「香取」であるならば、葦原中国は信太・筑波とその周辺であらねばなりません。だからこそ、常陸国・風土記はそのことを直裁に記述するのです。が、此れの話になると古代史研究者は口を濁します。

 上記、日本書紀抜粋記事の一番目の要点は「楫取之地」(カトリ)で激戦の主導権を藤原不比等の側が握り勝利を確定したことなのです。その功を為したのが「軍事力」では武甕槌神です。正に「武を以って甕星〔シリウス星)を信仰する一族に槌(つい)を下した」のです。名前がそのままこの神の役割を体現しています。
 そしてもう一人の人物について、常陸国信太郡記事は、この大神の登場にあたって、信太郡に「跋扈する」雑多な宗教土壌を舞台設定にしつらえています。すでに書いたように「言葉」とは、単なる方言ではなく「精神体系」つまり宗教です。この「大神」は原住民の思想・精神面での懐柔を担ったのです。そこにこの大神の謎を解く鍵があると考えています。

 さて、この大神の実像であります。藤原不比等が支配者として導入した大神であるからには、その名称の由来が「古代ペルシア語」にあるとは思いがたい。香取―那須岳線を本ブログのテーマに掲げて以来ずっと頭にこびりついていた疑問でありました。それがいとも簡単に常陸国・風土記の記載から解けました。まさに「目からウロコ」であります。

 何のことは無い、それは「仏」(フツ、ブツ、ラテン文字表記 fu)です。既存の雑多な信仰に「仏教」を対置したのです。「仏法」については日本書紀推古紀より時折記載があります。疑義を唱える読者もおられましょう。八世紀始めの東国での戦乱にあって東国の民を慰撫できる「精神・思想」として他に考えられる何かがあるでしょうか?それを確固としたのが八世紀半ばの「聖武天皇」の大仏建立であったと思っています。
 
 私の両親、祖父母が眠る墓は浄土宗であり、曹洞宗ですから、仏教にはしかるべく通じているべきが、生憎無信心であるため、現時点で仏教を語ることは僭越に過ぎます。

 上記の日本書紀が語る「斎」は仏教法事も体系化されていたのです。どうやら、「斎」構想を藤原不比等は一朝一夕に発想したのではなく、かなり時間をかけて練りあげてきた思想体系であったらしいことが見えてきます。「仏教」を導入するからには既存の「ざわざわとした言語」と表現される宗教とどのように折り合いをつけるのか?そのあたりは宗教学者の研究にお任せします。しかし、これぞ神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏習合)であることだけは疑いようがありません。
(つづく)

北方領土、つくばー稲敷ー成田

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:朝日が近くの校舎を赤く照らしています。舟木一夫の歌であったでしょうか。田は白い霜で覆われ、台地に這うようにうっすらとした靄。まさに冬景色であります〕
赤い校舎1255

 
口よぎる 赤い朝日が 校舎を 染めて霜白き  田に狭霧立つ

 次に連想するのが 文部省唱歌であります。冬景色 (冬景色)

+++++信太郡〔3〕
 現在の利根川を挟んで相接し、北にあるのが信太郡、南は下総国です。信太郡の南縁は稲敷です。その稲敷を名前に持つ人物が日本書紀に二回登場します。天武元年紀、唐・新羅連合軍を率いた城郭務総への使者として「天智天皇」の死を告げた人物です。それを前回記事で書きました。

 二回目の登場を下記に転載します:
%%%%%日本書紀巻二十九転載
天武天皇十年(六八一)三月丙戌【十七日】
原文:天皇御于大極殿。以詔川嶋皇子。忍壁皇子。広瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連子首。小錦下阿曇連稲敷。難波連大形。大山上中臣連大嶋。大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋。子首親執筆以録焉。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕169頁
天皇は大極殿において、川嶋皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連子首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首等に以下の作業をするよう詔(みことのり)した。すなわち、帝紀および上古の諸事を整理し書き記すようにと。大嶋、子首が自ら筆をとって記す。
%%%%%
  
 そもそも、九州・熊本に陣取る西倭国は奈良・外国軍〔唐・新羅〕との戦闘の真っ最中であった筈です。そんな緊迫した時期に「史書」編纂を思いつくなぞはありえません。したがって、この記事は日本列島史編纂を目論む藤原不比等が後世の「アリバイ」作りのために挿入したと考えています。その論拠としては、編纂作業に選ばれた人たちです。この十二名の半数は王族です。私が注目しているのは、残る六名の内、少なくとも東国出身者が二名含まれていることです。一人は阿曇連稲敷〔常陸国代表〕、そしてもう一人が上毛野君三千〔毛野国代表〕です。あたかも、これから編纂する「正史」の公平さ・正確さを期するべく為された人選であるかの装いを取っています。

 本ブログでは、かなり詳細に天武紀を議論してきました(2013年5月22日天武論 〜7月31日天武論 )。この議論に当たって参照したのが万葉集に見る柿本人麻呂の歌群です。人麻呂の歌、そして壬申の乱を詠っている諸歌から窺い知るのは、倭国軍は戦乱を叙事する書記団を帯同していたことです。その筆頭が人麻呂であったのです〔例えば、2013年7月10日記事、万葉集二十九歌万葉集二十九歌 〕。この書記団は軍の司令部の移動にも随いていったのです。上記△里茲Δ併蔑疉員の会合は頻繁に開かれており、その会合には「書記団」は記録係として同席していたに違いありません。
 不比等はそうした会合を知っており、それを自らの正史編纂の会合としてしまったのです。

 ところで、常陸国風土記・信太郡の記載内容についてもう二点ふれておきます。
〔図1:常陸国・風土記、信太郡〕
信太いいな


 まずは図1〔上〕で示す記事で,鯢佞靴唇貔瓩任后
龍ヶ崎市内に、「飯名」神社の同属とされる「小祠」が遺されています。此れが、図1,言う飯名社であるとされています。その社は現在ひっそりと茨城県龍ヶ崎市の民家の庭に残されています〔図2左の写真〕。「飯名」は「イイナ」と音しますから、まさに「稲荷」〔いなり〕に通じます。そして「稲敷」の「しき」は、「稲荷」神の敷地であったと郷土史は書きます。
「シキ」で連想するのが埼玉県行田市の〔稲荷山古墳〕から出土した鉄剣です。それには「ワカタケル」と読み取れる銘文が刻まれていたことで、日本中の古代史学者は大興奮しました〔そこで為された議論のほとんどは誤りです〕。この鉄剣には「シキ」と読める「宮」の場所まで刻まれています。此れを巡る議論については長くなりますから、本ブログでの記事のみを紹介しておきます(2013年7月22日記事、ワカタケル )。その記事でも書いたように、「シキ」は埼玉県の「志木」です。その地に陣屋を構えていたのが「ワカタケル」王です。とするならば「タケル」はペルシア語かもしれません。古代ペルシア語では「男根、角がある羊、酒、背が高い若者〕の意です。この大王は逞しく背が高いりりしい青年であったと思わせます。

〔図2: 龍ヶ崎市と北隣のツクバ市にある“長峰”(長峰=長豊 )より)
筑波から信太


 図2右は過去記事の再掲です。その過去ブログ記事で書きましたが、この龍ヶ崎と現在のつくば市南部は「死」を思わせる地名が散在しています。まずは「長峰」です。この龍ヶ崎には、市内最大の古墳である長峰古墳があります。そして、北方10kmのつくば研究学園年には長峰と言う地区があります。現在、そこには気象研究所があります。このつくば研究学園都市内の長峰地区の東南角に「大角豆」〔おおさぎ〕と呼ばれる地があります。
 長峰と言う地名を考えて見ます。「長」は〔チョウ〕と音します。それは「冢」(ちょう)の転じた語ではなかろうか。最近は「塚」と書きますが「貴人の墓」を意味します。
次に「峰」です。これは「ホウ」とも音します。とするならばこれは「豊」が転じたのではなかろうか?これについては以前も論じてきたことですが再度繰り返します。

 プロ野球チームソフトバンクに韓国出身の強打者「李大浩」と言う選手がいました。日本人は彼を「リダイコウ」と音していましたが、彼のラテン文字表記は「イデホウ」です。実際〔学研大漢和字典〕によれば「浩」〔コウ、ゴウ〕のラテン文字表記による音は「hou」です。ところで宋書倭国伝に登場する倭の五王の一人「興」〔コウ、ゴウ〕も、そのラテン文字表記の音は「ハウ」です。西暦600年に大陸の皇帝に謁見した倭国使節は自らの王を「高」と告げたはずです。ところが、皇帝の書記官はそれを「興」と書き記したのです。この時点で「コウ」と「ホウ」の「音声」混同が既に発生していました。言い換えれば、朝鮮半島を含む大陸人には日本列島人が発する「高」は「コウ」とも「ホウ」とも聞こえるのです〔「ほう、そうですかね」なぞと駄洒落を飛ばさんでください〕。
 壬申の乱で九州倭国に進駐した唐・新羅連合軍は「高」を「ホウ」と聞いたのです。彼らの発声に、現地倭国の民は「豊」なる漢字を当てたのです。「豊」(フ、ブ、ホウ)の音はどうでしょうか。ラテン文字表記の音は「hou」なのです。こうした経緯を経ていつの間にか「高」は「豊」なる漢字に転じたのです。そしてその転化は東国では「ホウ」であれば何でも良いというわけで「峰」ナル漢字表記にまで変貌したのです。歴史研究者の間では「豊〕を「トヨ」と音することで以って、別の筋書きを考える一団もいないわけでは在りません。それは天照大神、稲荷信仰に関わっているとの筋書きにまで発展します。私はこうした筋書きに懐疑的であります。

 筑波から龍ヶ崎に存在する「長峰」は「高一族の墓所」なのです。実際、図2に見るように筑波長峰地区の南東に未だに大角豆と言う地名が残っています。これは「オオササギ」つまり「巨大な墓所」です。同様に 龍ヶ崎の長峰には市内最大の古墳「長峰古墳」、その周囲には大塚古墳があり、さらには愛宕山古墳などが未発掘のまま遺されています。

 これらの古墳を南に辿ると、現在の利根川です。それを渡る街道は現在、筑波研究学園都市と成田飛行場をむすぶ国道408号せんです。この国道は「長豊街道」とも呼ばれています。上記の議論から、「長峰=長豊」であることを説明する必要は無いでしょう。この街道のすぐ東側は「龍角古墳群」〔現在の房総〕です。こうしてみると筑波郡南部から信太郡そして利根川を越えた下総北部は「死者」の域であるかのごとくです。それを鎮魂するが故に「稲荷」信仰がこの地に発祥したと私は考えています。私はこの地に「成田不動」が存在するのも、そうした背景を知った人物によったのだろうと思っています〔後述〕。それを行間で裏付けるのが「常陸国風土記・筑波、信太郡」なのです。
 何よりも強調したいことは、奈良に陣取る藤原不比等が指揮する軍団が、東国のこの地で残虐の限りをつくし、死者累々たる惨劇があったのだろうと考えています。

 余談でありますが、1980年代、私の勤務地は東京新宿の百人町〔近くに名優西村功氏の私邸があった〕から筑波に変わりました。そのころ地元出身の事務系職員からよく聞かされた話です。“ここは、大昔から祟られていると爺ちゃんが言ってた”と前置きした上で、自らの体験談を聞かせてくれました。
 “先夜、溜まってる仕事を片付けるため残業をしてたんですよ。なにか遠くのほうで鞠をつく音がして、誰もいないはずなのにエレーベータの動く音がするんですよ。誰かいるのかとエレーベタの扉口に行ってみたが、自分が先刻乗り捨てた状態のまま。ボールの音も止んでいる。気のせいかと又部屋にもどると鞠の音とエレベータの音が再び聞こえる。昔お爺ちゃんから聞かされた話がよみがえり、恐ろしくなって残っている仕事を投げ出して家に急いだ」と、真顔で語るのです。

 次回は図1で 印をつけた”普都大神“を考察します。
(つづく)


+++++北方領土
 安倍氏が首相としての業績の目玉の一つとして掲げるのが日ソ平和条約締結と、それに基づく北方領土の返還です。何背、アベノミクスは破綻、TPPも先行きの展望なしとすれば、此れにすがりつきたくなります。しかし、これについても、どうやら、安倍首相の当初の目論みは大幅に後退してしまったようです。ビジネスジャーナル誌の論説を以下に転載しておきます。
%%%%%ロシアとの北方領土返還交渉
ビジネス・ジャーナル 
北方領土返還は絶望的…日ロ交渉が“破談”に終わった理由
 事前のシナリオが完全に狂ったのだろう。ペルーの首都リマで19日午後(日本時間20日午前)に行われた安倍首相とロシアのプーチン大統領の首脳会談。70分に及ぶ会談を終えた安倍首相の表情は、落胆した様子がアリアリ。北方領土問題を含む平和条約締結交渉の進展状況を記者団から問われると、「解決に向けて道筋が見えてはきているが、簡単ではない」と答えるのが精いっぱいだった。
 恐らく安倍首相は会談で、日本側が示した医療や都市整備、エネルギーなど8項目に上る「経済協力」と引き換えに、プーチンから北方領土返還に向けた何らかの“言質”を引き出したかったに違いない。
 ところがプーチンは、日ロ両国の貿易高が半年間で4割近くも減ったことを示して、「第三国による政治的な措置の結果」と指摘。ウクライナ問題で経済制裁を強める欧米に、足並みを揃える日本を批判したという。
 平和条約締結どころか、北方領土の2島返還すら絶望的な雰囲気だが、すでに“伏線”はあった。「経済協力」でロシア側の窓口だったウリュカエフ経済発展相が今月、巨額収賄の容疑で刑事訴追、解任されたからだ。
「訴追ということは、ずっと捜査が進んでいたわけで、プーチン大統領も知っていたはず。通常は外交交渉の窓口を突然パクることはしません。相手国に対して失礼に当たるからです。何の情報も掴んでいなかったロシアの日本大使館の“無能ぶり”にも呆れますが、外務省内では『これで日ロ平和条約は終わった』と囁かれていました」(外務省担当記者)
“破談”の理由はまだある。安倍首相と米国のトランプ次期大統領の会談を「失敗」とみたプーチンが、もはや日米関係など恐れるに足らず――と判断した可能性だ。
「(約50万円の)ゴルフクラブを贈ったことがトランプ会談を台無しにした」とみる国際弁護士の湯浅卓氏はこう言う。
「米国のビジネスマンや政治家が金品などの贈り物を受け取らないのは(贈収賄容疑を避けるための)“常識”です。トランプ氏はビジネスマンである上、(公職の)次期大統領です。会談に家族など第三者を立ち会わせたのは恐らく、安倍首相からゴルフクラブを贈られても、『私自身は受け取っていない』との立場を明確にするためでしょう。それぐらい神経を使うことなのです。そもそも、モノで相手の気を引こうなんて外交相手に失礼でしょう。ドイツのメルケル首相がトランプ氏と会う時、ベンツのキーを贈ると思いますか? 絶対にしません。英国と並ぶ外交大国のロシアのプーチン大統領が、安倍首相を冷ややかな目で見るわけです」
 ちなみに米国には「海外腐敗行為防止規制」があり、贈賄行為には特に厳しい。禁止の「利益供与」には、金品だけでなく接待や贈答も含まれる。トランプにとってゴルフクラブの贈り物は大迷惑だっただろう。そんな安倍首相の「朝貢外交」を見たプーチンが強硬姿勢に出るのは当然。結局、プーチンに「いいとこ取り」されてオシマイだ。
%%%%%転載おわり

 先日キューバの伝説的英雄であるフィデロ・カストロ首相が亡くなりました。ある人は「快哉」を叫びますが、元左翼少年の私は「悲しみ」の意を表明します。国の発展を米国による全く理不尽な制裁で阻害されながら、貧困といえども医療制度の拡充、国民の生活維持に気を配り餓死させない国家政策は高く評価されてしかるべきと思うからです。1990年頃でしょうか、キューバ地震研究所の女性研究員と一年近く一緒に仕事をしました。これは、大変物好きな日本のとある大学の先生がキューバを訪ねたことがきっかけでした。キューバ滞在中にその先生は在キューバ日本大使館に働きかけ、大使館が本国外務省にその話を持ち込んだことから女性研究員の滞日が実現したとのことです。この女性研究員、身なりも粗末、しかし、おおらかで、明るく、あの米国にいじめられている国から来たとは思えない人柄でした。というわけで私も一度生きているうちに彼女を訪ねたいと思っていたのですが、残念ながら老いてしまいました。

 ロシアの話から、目に留まったのが下記の記事です。関連記事を6月19日記事ソ連邦 で書きました。私も同様の想いを抱いている旧ソ連邦に住んだ人たちを見聞きしました。てなわけで、下記の記事を紹介しておきます。

%%%%%ソ連が懐かしい
blogos 
「ソ連懐かしい」は国民の50%以上
 ソ連が崩壊して25年。にもかかわらず、世論調査によれば、ロシア人の半数以上が今日、ソ連崩壊を残念に思っている。社会学者はこの理由を、評価のわかれる国の過去の理想化と、社会的な保証の欠如だと考える。
 ソ連のロシア共和国、白ロシア共和国、ウクライナ共和国の3首脳がソ連を解体するベロヴェーシ合意に調印を行った1991年12月8日、マラトさん(本人希望により匿名)は生後数ヶ月であった。ソ連の生活を知らないが、ソ連を懐かしんでいる。
 マラトさんは現在25歳。ロシアのある省庁で働いており、給与と生活に満足している。それでも、ソ連時代の方が良かったと考える。「教育が無料、医療が無料」と、ソ連後期の優位性をあげる。「皆つつましく暮らしていたが、国は国民のことを気にかけていた。今はすべて金次第、ひどい格差で、強い者が正しい。ソ連時代にこんなことはなかった」とマラトさん。
どんな層に人気が高いのか
 ノスタルジーを感じているのはマラトさんだけではない。世論調査によると、ロシア人の50%以上が、ソ連崩壊を後悔している。ロシアの世論調査センター「レバダ・センター」の2016年4月の調査で、回答者の56%がこのような見解を示した。別の「全ロシア世論研究センター」の調査によれば、ロシア人の64%が、1991年3月17日に実施されたソ連維持の是非を問う国民投票のような投票が今行われたら、賛成票を投じると答えた。
 ソ連を懐かしむ人の割合は従来から、社会的に保護されていない層の55歳以上の世代および農村部の住民の間で最も高いと、レバダ・センターの社会学者カリーナ・ピピヤ氏は話す。だが、マラトさんのように、成功し、現代社会になじんでいて、ソ連で生活したことのない若者が、ソ連を懐かしむことも珍しくない。世論調査に応じた若者の約50%が懐かしんでいると、世論研究センターの調査プロジェクトの責任者ミハイル・マモノフ氏はロシアNOWに説明する。
経済低迷でノスタルジー
 マモノフ氏によると、ソ連に対して好意的な考えを持つ回答者は、社会的な保護、強い国家、公平さを理由としてあげるという。「どんなに少なくても、保証されている給与、保証されている雇用」は、激しい市場競争の時代に欠如しているものであり、人々はこれらすべてが整っていたと考える過去を振り返る、とマモノフ氏。
レバダ・センターのこれまでの調査によると、ソ連ノスタルジーがピークに達したのは2000年で、75%がこのように答えていた。2000年代に減り、2012年には49%しかノスタルジーを感じていなかった。だが2013年から新たな増加傾向が見られている。
 この傾向により、ソ連ノスタルジーの主な原因が経済であることがわかると、マモノフ氏。2000年は国民の貧困化のピークで、ソ連時代の安定が最も足りなかった。その後の2000年代は景気上昇にともない、国民の収入が増えていったため、過去を振り返る人は減った。だが経済危機が始まると、ノスタルジーは再び強まった。
ソ連の伝説と現実
 ニーナ・メチタエワさんは65歳。人生の大半をソ連で過ごした。だが、他の同世代の人とは異なり、昔のようになることを望まない。「今は理想的な状態にはほど遠いけれど、ソ連は良かったという人たちは、当時の生活が実際にどうだったかということを忘れてる。店や病院には行列、党会議(ソ連共産党の下級組織の会議)では国民の誰もがはるか昔に信じなくなった話ばかり。国は世界から閉ざされていた」。ソ連に戻りたいと考える人の多くは、自分の青春時代を懐かしんでいるだけだと、メチタエワさんは考える。
 マモノフ氏も、ソ連に対するノスタルジー的なイメージは、ソ連の現実とかけ離れていると考える。「ソ連は理想化されているところが大きい。良い側面ばかりがふくらみ、悪い側面がしぼんでいるかまたは喉元過ぎて熱さが忘れられているか」とマモノフ氏。
懐かしい=戻るではない
 社会主義のイメージが強いソ連時代の人気は高まっているものの、現代の社会主義系の政治運動(左翼政治運動)はそれほど成功していない。9月18日の下院選では、「ロシア連邦共産党」(党自らがソ連共産党の後身と位置づけている)の得票率は13%であった。2011年は19%であったため、党の人気は明らかに落ちている。
 「ソ連への愛は、現代の左翼(ロシア連邦共産党や労働組合)の成功につながっていない。大衆の意識では、イコールソ連とはイメージされない」とマモノフ氏。そして、こう指摘する。「ロシア人がいくらソ連を愛していても、その圧倒的多数(70〜75%)は、あの時代を取り戻すことはないと言っている」
%%%%%ブロゴス記事転載 おわり
なつかしの写真を数葉載せておきます。私にとってもモスクワには良い記憶しかありません。市内安全(ボリショイ・オペラ鑑賞三昧の家内は連夜の深更市電での一人帰宅も無事〔私はベビーシッタ))。風景良、美人多、食良、・・・・・。

( 写真2 1980年のモスクワ 左上:モスクワ河のゴリキ公園での橇遊び、右上:保育園〔ヤスリ〕の昼寝時間、左下:海洋研究所スタッフと美人院生、右下:ゴーリキ公園の夏 クリックすると拡大できます)
モスクワ1980

「斎」の一つ「稲荷信仰」、TPPとトランプ次期米大統領

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:今冬と言うべきか、今晩秋と言うべきか、はたまた、本年の晩雪〔おそい雪〕と言うべきか。朝未明の空に身を縮める月が寒そうに浮かんでいます。〕
雪161125


 雪景色 子供の頃は 嬉しくて 滑って転んで 友とはしゃげり
 残雪に 身を縮こます 二十六月

 年取ると雪の日はただひたすら寒いのみです〔又愚痴と思いなさるな〕。昨日は恒例の市の音楽会です。綺麗なおそろいの裾の長いドレス風おべべを纏ったご婦人がた〔ほとんどが中年を超えておられる〕がドタドタと集団で舞台にあがり「美声」を発していました。小生の連れ合いもそんな一人でありまして、いずれ機会があったらyoutubeに匿名でアップロードしてみようかと思っています。

+++++信太郡補足【2】
 稲荷信仰は、藤原不比等による日本列島の宗教体系「斎」構築の一部をなしていたと書きました。この体系の中で、まずは「神」なるものがしつらえあげられます。それはアイヌ族の精神的中心であった「カムイ」思想に由来します。極端な表現をするなら呼称ばかりでなく思考においてもアイヌ族の精神の『剽窃』です。その神の中の『王』が「大」に置き換わり「大神』となります。その何人〔?、後世“柱”と表す様になる〕かの「大神」の中心に座るのが「天照大神」です。

 稲荷信仰は、そうした「神々」の周囲を補完するべく、アイヌ族の家庭内での精神生活の一部であった「イナウ』を謂わば力づくで外部に引きずり出して拵え上げたものです。私は「宗教学」なるものをきちんと勉強したことはありません。本ブログでの関連記述も私の頭の中の感覚がそのまま表現されているのか否か、はなはだ心許無いことをお断りしておきます。

 いずれ書きますが、この当時にあっては「新興宗教」である「天照大神」の宗教儀式の根本は、「五穀豊穣」、「安寧息災」というよりはむしろ「怨霊鎮魂」に重心があったと思っています。まさに天才古代学者・梅原猛氏が聖徳太子についての広く深い研究と洞察から“探り当ててきた思想”です。この「怨霊鎮魂」説を梅原氏が提唱したとき、多くの古代史研究家は氏の説を無視しました。無視しないまでも、こうした怨霊思想が登場するのは早くとも八世紀以降であり、聖徳太子の生きた七世紀初めにはそうした精神の痕跡は見られないと指摘し、議論・考察の遡上に載せなかったことはよく知られています。古代学分野の研究者の閉鎖性・狭量が厳しく指弾されたことは記憶に新しいことです。 

 私は、梅原氏の説にのめりこむ余りに、こうした無視やら反論やらは既存の史学者が文献学にのめりこむ余りに、人間観察が欠落していたこと、そしてもう一つは、門外漢の古代史学への介入への強い反発があったのだろうと想像していました。

 今、思うに、この“怨霊鎮魂”こそが藤原不比等の「斎』なる宗教体系の重要な柱であると思えます。梅原氏の説の重要な論拠の一つが法隆寺の資材帳(『伽藍(がらん)縁起并流記(るき)資財帳』)です。これは明らかに八世紀以降にまとめられたものです。どんなに早くとも、「斎」なる宗教体系構築とほぼ同時期であったのです。聖徳太子に擬せられる人物の悲憤の生涯への、為政者による鎮魂の経緯です。つまり、何人かの歴史学者の指摘「七世紀には怨霊なる思考の存在は認められない」との指摘は、梅原氏へのあてつけでも何でも無く事実なのではなかったかと今は思っています。

 こうした発想の出発点、つまり“怨霊鎮魂”の発想は東国の民、東の倭国〔中心は猪苗代湖南域〕と西の倭国〔中心は九州、熊本〕への苛烈な軍事殲滅のすさまじい残虐行為ではなかったかと想像しています。

 神社とは、“怨霊鎮魂”の思想を具現するための謂わば「箱物」であったのです。そのことはその呼称からわかります。「神」はアイヌ族の信仰に由来し、「社」〔やしろ〕は「オシロ」つまり勇猛な渡来族の生き様を表現する言葉に由来するからです。殲滅した対象の名称を付することで鎮魂をはかったのです。
 
 こうして考えると、那須岳―香取線上にある良質石材の産出場であった笠間に、この新たに拵えあげた稲荷信仰の場を設営したことにはどうやら深謀があったということになります。残虐の限りを尽くした東国の民の「怨霊」による報復の怖れから逃れること。もう一つは、報復の精神的宗教的土台を断ち切っておくこと。この二つであったのです。
 東夷征伐軍が常陸国を制覇したのち渡来族の精神体系を寸断するべく、中間点にある笠間に後日、新たに拵え上げた宗教としての稲荷さんを構築したのです。これを正当化するための説話が常陸国風土記・久慈郡条(くだり)が書いています(後日紹介の予定)。

 『稲荷』信仰を作り上げる、これも藤原不比等の宗教体系である「斎」なるものの構築の重要一部であったことを書いて来ました。その狙いは、いうまでも無く、西域からの渡来族と行を共にしてきたアイヌ族の懐柔・分断の意図があったことも明らかです。

 さて、この信太郡の南縁に東西に広がるのが現在の稲敷市です。江戸時代の後期に活躍した第七代横綱・稲妻雷五郎(1802−1877)の出身地として知られています。常陸国出身の名相撲取り数々在れど、真の実力力士は稀勢里でやんす。何とか、私の命ある間に横綱にと切に期待しております。

〔図1:中央やや上の霞ヶ浦に接する稲敷市。その西南隣の淡青丸が龍ヶ崎市中心部。県境に沿って東西に流れるのが現在の利根川。大昔の利根川は今の江戸川。クリックすると拡大します)
稲敷・龍ヶ崎


 日本書紀には「稲敷」を名前に持つ人物が二回登場します:
%%%%%日本書紀巻二十八・二十九より
‥敬霤傾銚鞠(六七二)三月壬辰朔己酉【十八日】
原文遣内小七位阿曇連稲敷於筑紫。告天皇喪於郭務悰等。於是。郭務悰等咸著喪服、三遍挙哀。向東稽首。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕70頁
天武元年三月十八日、小七位の阿曇連稲敷〔あずみのむらじ・いなしき〕を筑紫に派遣し、「天皇が死去した」旨を郭務悰等に告げた。郭務悰等は喪服を着用し三遍哀悼の意を表し、東に向かって拝する。

天武天皇十年(六八一)三月丙戌【十七日】
原文:天皇御于大極殿。以詔川嶋皇子。忍壁皇子。広瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連子首。小錦下阿曇連稲敷。難波連大形。大山上中臣連大嶋。大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋。子首親執筆以録焉。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕169頁
天皇は大極殿において、川嶋皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連子首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首等に以下の作業をするよう詔した:帝紀および上古の諸事を整理し書きしるすようにと。大嶋、子首が自ら筆をとって記す。

%%%%%日本書紀記事転載おわり
 西暦663年、天智天皇が仕掛けたとされる白村江海戦は倭国の敗残で終わります。勝者たる唐・新羅連合軍が敗戦国の民を平定するべく日本列島に進駐します。西暦671年の年末、天智天皇は十二月に死去します。年が明けて三ヵ月後に郭務悰等が率いる唐・新羅連合軍が二回目の軍派遣です。場所は筑紫です。この際、倭国側は阿曇連稲敷を使者にたてて天皇の死を告げた。此れが,能颪記事です。
 藤原不比等はこのあたりの事情をどのように記載するかで頭を絞ったはずです。何故ならば、この時期、筑紫国とそれを含む九州一帯はすでに唐・新羅連合軍と奈良盆地を拠点とする政治勢力の影響下にあったからです。その筑紫国とそれを含む九州一帯ではその占領軍・奈良政治勢力合同軍への激しい抵抗が始まっていた。それが、まさに壬申の乱勃発時期です。

 したがって、阿曇連稲敷を使者に立てたのは、奈良勢力ではなく、九州の抵抗勢力であったと思うことが合理的です。つまり、九州の倭国軍には、東国信太の地からも人材、兵力が結集していたことが見えてきます。このことはこの人物の「官職」からも窺い知れます。つまり「阿曇」は「あつみ」に由来するからです。「あつみ」の漢字表記は「安積」であり、それは「アサカ」〔アスカ、JR東北線に安積永盛(あさかながもり)駅があります〕ですから「火のスカ族」から転化したことがわかります。これについて一部の歴史学者が。九州の地には「アズミ族」なる一族がいたと主張しています。それは間違いです。

 上記の日本書紀引用で△砲弔い討麓_鷭颪ます〔記事が長くなりましたので〕。それに加えて、次回には、信太郡のもう一つの南縁の龍ヶ崎市、および利根川〔当時は毛野川、流の海〕を挟んだ下総の北辺を見ます。
(つづく)

 
+++++TPPより怖い2国間交渉、トランプのしたたかさを侮るな(ダイヤモンド・オンライン)
 未だ、クリントン氏の総得票数がトランプ氏のそれを上回ったので、米国議会での大統領指名選で、クリントン氏の大統領指名がありえると米国CNNが大騒ぎしています。CNNは今般の選挙でクリントン氏に激しく入れ込んだ大手報道機関です。米国裁判所が、このCNNが騒ぎ立てる事態どのように処理するのかはわかりません。が、米国の選挙制度の在り方、公正さについての疑念を 世界に晒すものであることは間違いありません。

 本ブログで紹介する記事は安倍政権が入れ込むTPPが別の形態で日本にのしかかってくる可能性を指摘したものです。それは二国間貿易協定(FTA)です。米国と、メキシコ、カナダ、韓国との間で締結された貿易協定の不平等は此れまでも具体的に論じられてきました。その不平等が今回日本に向けられる可能性です。それをどう防ぐのか?政府と国民がどれだけ腰を据えて反撃するかにかかっています。
%%%%%ダイヤモンド記事転載
トランプ次期大統領
2016年11月24日 山田厚史の「世界かわら版」 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員] ダイヤモンド・オンライン

「大統領に就任したその日にTPPから離脱する」。トランプ氏のビデオメッセージが公開された。安倍首相がアルゼンチンで「米国抜きでは意味がない」と語った1時間後だった。2人は4日前に会った。「信頼できる指導者であることを確信した」と褒め称えた首相は、見事に無視された。
メディアは「米国の保護主義」というトーンで書いているが、「自由貿易か保護主義か」というモノサシは20世紀の遺物だ。
注目すべきは「TPP離脱」ではない。「TPPの代わりに」という後段に毒が盛られている。「雇用や産業を米国内に取り戻すため、公平な二国間の貿易協定を交渉してゆく」というメッセージだ。
自由で開かれた経済圏を環太平洋に、などと綺麗ごとをトランプは言わない。二国間交渉でお前の市場を取りに行く、という宣言である。
標的は日本。すでに下地はできている。
■大統領候補がこぞってTPP反対の陰に製薬業界
TPPの陰で日米は「並行協議」と呼ぶ二国間交渉を秘密裏に続けてきた。TPP協定が合意された2月4日、並行協議の成果はフロマン米通商代表と佐々江駐米大使の間で「交換公文」にまとめられた。
そこには日米が引き続き協議する項目が列挙され「公的医療保険を含むすべての分野が交渉の対象になる」と明記された。二国間交渉こそ日米の主戦場なのだ。
TPPは米国の主導で進んだが、米国は結果に満足していない。“米国”とは、議会の共和党、交渉を後押しした多国籍企業、戦略を陰で立案したロビイストなどTPP推進派のこと。任期中に実績となる「レガシー」を残したいオバマは最終局面で譲歩したと怒っている。
例えば知的財産権。バイオ医薬品の特許期間は「8年」で決着した。製薬業界は「敗北」と感じている。米国の主張は「20年」だった。それがオーストラリアなど薬剤消費国の抵抗に遭い押し戻された。交渉をまとめるためにベタ降りしたのだ。
推進派の急先鋒・ハッチ上院議員は「8年では短すぎる」とオバマの交渉を批判した。同議員は「製薬会社から2年間で500万ドルの政治献金を受けていた」とNYタイムスに報じられた族議員である。
製薬業界は農業団体や軍事産業を上回るロビー活動をしていると有名だ。その製薬業界が交渉結果に満足せず「やり直し」を求めていることが、大統領選挙で「TPP反対」が湧き起った底流にある。
TPPを推進した米国が、大統領選挙で有力候補がこぞって「TPP反対」を叫んだ。日本では意外に思う人が多いが、極めて当然のことだった。
推進派は「こんな合意では話にならない」と怒り、反対派は「ダメなものはダメ」という態度。ザックリ言えば前者は共和党主流、後者は民主党の予備選で善戦したバーニ―・サンダース氏だ。ヒラリー・クリントンは態度が曖昧だった。民主党候補として雇用を重視する労組に配慮しつつも、オバマ政権を支える支配構造(エスタブリッシュメント)を無視できない。悩んだあげく「米国の利益になる協定ではない」と表明した。
TPP自体は悪くはないが、合意した中味が米国の利益に合致しない、という理屈だ。大統領になったら再交渉する、という態度で国民に不人気なTPPを棚上げしたのがヒラリーだった。
トランプはTPPだけでなく北米自由防衛協定(NAFTA)までやり玉に挙げた。不満を抱える下層白人の受けを狙う「雇用重視」の姿勢を鮮明にした。ヒラリーのような曖昧さを残さず、きっぱりTPPと手を切る態度を示したが、サンダースとは違った。
サンダースは1%が99%を支配する米国の社会構造を問題にしたが、トランプは1%の利益を二国間協議でこれから推進することになるだろう。
この流れを理解するには、米国を巡る通商交渉の潮流変化を知る必要がある。
■他国市場を国がこじ開け企業が乗り込む「米国流」の歴史
自由貿易が米国の旗印だったのは70年代までだった。第二次大戦の一因に、各国が関税の壁を高くして他国製品を排除したことがあったという反省から、戦後、関税引き下げ交渉がガット(GATT=関税および貿易に関する一般協定)で始まった。自由貿易は世界の成長に欠かせない、という神話が生まれたのが60年代である。抜群の競争力を持つ米国が旗を振った。80年代は貿易摩擦の時代。米国はモノづくりで日本の追い上げを受け、鉄鋼・半導体・自動車など国内産業を保護する政策を迫られた。自由貿易を叫びながら裏で輸出を自主規制しろ、と二枚舌外交を始めたのが80年代だ。 
製造業で優位性を失った米国は金融・サービス・知的財産という新分野に活路を見出し「市場開放」を他国に要求するようになる。
90年代に入るとソ連が自滅し、世界丸ごと市場経済になった。国境を越える投資が盛んになり、共通の経済ルールが求められるようになる。誰に有利なルールを作るか、21世紀は交渉力が企業や国家の盛衰を左右する。
国際経済の主役は多国籍企業が演じるようになる。だが、たとえマイクロソフトやグーグルが強い企業でも、進出する国では当局の規制を受け、思い通りの事業はできない。頼れるのは母国の政府だ。他国の制度を変える外交・軍事力が米国にはある。
ホワイトハウスや議会を味方に付ければ、都合のいいルールを世界に広めることができる。アメリカは政治献金が青天井。ロビー活動は自由。グローバル化する経済に乗って多国籍企業は成長が期待できるアジア市場を取りに行く。中国に先手を打って米国に有利な経済ルールを既成事実化する、という「国取物語」である。
■トランプが復活させる「日本市場への注文」
その中で日米はどんな関係か。アメリカにとってGDP世界3位の日本が加わらないTPPは意味がない。経済圏として重みがないし、市場として魅力もない。
米国は経済ブロックとしてTPPを構築すると同時に、日本市場に米国企業が浸透する好機と位置付けた。
交渉参加が決まった2013年4月、麻生財務相は「かんぽ生命からがん保険の申請が出ても認可しない」と表明した。がん保険は日米保険協議の合意で米国の保険会社アフラックが日本で独占的に売っていた。この既得権をかんぽ生命が侵さないことを、日本はTPPの参加条件のひとつにされた。
かんぽ生命の動きを封じたうえで、アフラックは全国の郵便局でがん保険を売る特権を獲得した。TPP交渉と並行する二国間協議は、米企業が日本で有利に事業を展開できる取り決めをする場になった。
源流は89年に始まった日米構造協議だ。貿易不均衡の是正を目的とした二国間協議で、93年に日米包括経済協議へと名を変え、94年からは「年次改革要望書」として毎年、日本に注文を付けるようになった。
民主党政権で中断されたが「日米経済調和対話」と名を変え継続している。トランプがぶち上げた「二国間交渉」とは、まさにこの方式である。
連綿と続く米国の市場開放要求は、この3年はTPP交渉の裏でやってきたが、米国がTPPから離脱すれば、もとの「日米対話」に座敷を変えるだけのこと。それが米国の立場だ。
農産5品目など日本が守れなかった「聖域」や、30年後に引き延ばされた自動車関税など日本にとって痛恨の交渉結果は、日米二国間で決まった。TPPがなくても米国は約束の履行を求めてくるだろう。そして再交渉が始まる。 
ヒラリーが「米国の利益に合致しない。再交渉が必要だ」と語っていたのは、このことだ。一見、民主党支持の労組をおもんぱかっての発言に聞こえたが、製薬業界など交渉結果に不満を抱く強者に配慮した姿勢でもあった。トランプも同じだった。 
雇用に不満を抱える下層白人に配慮するそぶりを見せながら、共和党主流と同じ「強者」を代弁する交渉がTPP離脱後に始まるだろう。 
■米韓FTAは再交渉で韓国不利に日米の再交渉は二の舞にならないか
改めて注目したいのが2012年に発効した米韓FTAだ。TPPのお手本とされたこの協定は再交渉で誕生した。
ブッシュ政権時代に最初の協定が決まったが、08年の大統領選に出馬したオバマは「米国の利益を損なう」と反対した。当選後、再交渉となり韓国に厳しい内容になった。
北朝鮮と対峙する韓国は米軍の支援を抜きに安全保障を維持できず、隣接する中国との関係からも米国の後ろ盾を必要とする。李明博大統領は米国の要求を呑まざるを得なかった。再協議は秘密交渉で行われ、膨大な協定の中身は国会で十分な周知がないまま決まってしまった。
日本で再交渉が始まれば同様の事態になりはしないか。
焦点のひとつに薬価がある。日本は米国に次ぐ巨大市場だ。薬価を高値に維持する特許期間の延長が協議されるだろう。
日本の製薬会社も「8年では短すぎる」としている。TPPでは途上国が短縮を求め押し切ったが、日米協議に途上国はいない。
薬価の決め方も米国は突いてくるだろう。TPP協定付属文書に「医療品及び医療機器に関する透明性及び手続きの公正な実施」という規定が盛られた。当たり前のことが書かれているように見えるが、キーワードは「透明性」と「公正」。2011年の日米経済調和対話で「利害関係者に対する審議会の開放性に関わる要件を厳格化し、審議会の透明性と包括性を向上させる」という項目が入った。審議会とは厚労省の中央社会保険医療協議会。実務を担う薬価専門部会に米国製薬企業の代表を加えろ、と米国は要求している。
遺伝子技術の進歩で画期的なバイオ新薬がぞくぞくと登場したが価格がバカ高い。小野薬品工業のがん治療薬オプジーボは、患者一人に年間3500万円がかかる。健康保険が適用されるが財政負担が問題となり、来年から薬価が半額になることが決まった。
米国の製剤会社は日本の国民皆保険でバイオ製剤を売りたい。新薬認可や保険適応を円滑に進めるため、決定過程に入れろ、と圧力をかけている。高額薬品をどんどん入れれば財政がパンクし国民皆保険が危うくなる。
米国は国民皆保険がないため、病院に行けない医療難民がたくさんいる。オバマケアで最低限の保険制度を作る試みが始まったが財政負担が嵩み、金持ちや共和党が目の敵にしている。トランプは「撤回」を視野に再検討する構えだ。米国の製薬企業は、日本の皆保険は新薬の巨大市場と見ている。世界一薬価が高く政治力のある米国資本が薬価決定に参入すれば、日本の薬価はどうなるのか。 
こうした問題は日米交渉の一端でしかない。しかしTPPで何が話し合われたか、国会で真剣な協議が行われていない。二国間協議に移ればなおさらだ。
振り返れば、BSE(狂牛病)の取り扱いや、遺伝子組み換え作物の「微量混入」も、日本の自主的判断で、米国の要求に沿った解決になった。自動車摩擦の頃、日本が「自主規制」で米国の意に沿った決着に至ったのと同じことが今も行われている。
「TPP離脱」に、呆れている場合ではない。トランプはしたたかである。
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福島沖地震、海外日本代表選手のゴール

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:2016年11月22日朝6時少し前に発生した福島県沖地震の震央位置。中央の白丸のあたり。震央を挟むように南北に走る窪んだ地形が見える。福島原子力発電所の正に真東約60km〕
海底地形161122


 桃太郎さん 第一家来 雉さんが 雄叫びあげて 犬さん続けり

 二人〔?、一羽と一匹〕が、地震を感じて周辺住民に警戒の声を上げてくれました。二人の活躍に目を覚まされた私は「鬼退治に出かける桃太郎」になった気分であります。猿はどうした?との声が聞こえます。どうやら猿は家来の中の内輪揉めのようですな。
 
 そろそろ起きようかなと思っていた矢先、久しぶりに雉の「ケーン」との雄たけび。そしてその直後、どこぞの飼い犬が臆病丸出しの心細げなそしてヒステリックな鳴き声。そして私のベッドがかなり長く揺れていました。このまま収まるのかなとの期待は裏切られました。十数秒後でしょうか、大きく揺さぶられました。家のどこかで何やらが落ちた音がします。これは、「でかい!」。

+++++2016年11月22日早朝の地震
 もしかしたら元禄大地震の再来か!と、慌てて階下に走り降りTVをつけると「津波が来ます!逃げてください!」なる絶叫画面。TV地震報道
津波逆流〔砂押川)
津波遡上〔多賀)
 どうやら震央は福島沖、1938年〔昭和13年〕の塩屋崎地震の発生場所近くであったようです。と言うわけで、今回の記事には、現時点で集まった情報を並べておきます。震央は冒頭のグーグル地図に示されています。

 まずは気象庁の記者発表資料です。
(図1:気象庁記者発表資料「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第78報) 平成28年11月22日05時59分頃の福島県沖の地震」より
 気象庁会見 )
Seismap161122
 

 東北日本の太平洋側は、あの2011年3月11日の地震以後、誠に騒がしくなったことが図1からわかります。この図から色々な特徴をあげつらうことは出来ますが、今ブログ記事では、情報の羅列のみにとどめておくことにします。
 〔図2:防災科学技術研究所提供の情報によるこの地域の地震活動背景。上の図との違いは、m>2の地震までをも含めていることにある。これによって、普段の背景活動〔back ground〕が見えてくる。中央の円は、防災科学研究所による発震機構図であるが、速報に間に合わせるためのもので、これは正しくないとされているhinet 〕
防災seis161122


 上の図で、赤で示される地震群は深さが10km以浅の極浅発地震、黄色はそれより深く30〜40km以浅の地震群を示しています。図2で注目したいことは、赤い点群が一様に分布するのではなく、東側のグループと西側のグループに分かれていることです。その分岐域を“青の点線”で示しています。今般の地震はこの浅い地震〔赤点群)が起きていないゾーンで起きています。
 何故、こうした浅い地震が起きないゾーンがあるのか?そこで何故今般の地震が起きたのか?現時点では、この二つの疑問への回答をブログ管理人は持っていません。

 今般の地震の破壊様式を、いつものようにGlobal CMT Catalogue(CMT Catalogue ) による波形解析結果からながめておきます。
〔図3:.癲璽瓮鵐肇謄鵐愁訐分、⊆膠力成分と非DC成分、H震機構図と主応力方向〕
fps161122


 NonDC成分は負値で、1.2%程度です。これはすぐ上の3つのeigen値の比較からもわかるように最大固有値〔三番目〕が一番大きく、最小のそれの絶対値を僅かに1.2%ほど上回ったことを示しています。つまり、張力〔最大固有値に相当)がこの地震を引き起こしたと理解できるのかも知れません(TVの地震研究者の解説と整合します)。が、この僅かな違いは、むしろこの地震が圧縮応力で起きた可能性もあったのやも知れません。実際、この地域での地震活動にはそれをうかがわせるものがあります。
 NonDCとは非ダブルカップルの意味です。地震時に地盤が震央の周りで瞬時といえどもどちら向きに回転したのかに関する情報と思いがちですが、それをこの量から推測することは出来ません。

Centroid time-Hypocenter time=9.4 秒です。これを2011年3月11日のあの巨大地震前後の値と比べたもの図4です。
 (図4:Global CMT Catalogue によるCentroid time-Hypocenter timeが Mwに対してプロットされている。選んだ地震は2008年1月1日から2011年4月1日の期間に東北日本で発生したもの。今般の地震が赤の楕円で示されている。理由は地震マグニチュードが気象庁によるその値と異なるため)
Ct-Ot


 今般の地震についてはCentroid time-Hypocenter time(Ct-Otと略称)の値は、異常ではなく、収まるべきところに収まっているようです。この図を見て改めて思うことは2011年3月11日の地震です。(Ct-Ot)値は他の点列からかけ離れたところにあります(図の右上)。
 あの地震を「巨大地震」として「地震」の範疇に閉じ込めた議論をすることは適切ではないと思わせます。地球上、それが大げさすぎるのであれば日本列島界隈で発生した一大地学変動事件と考えたほうが良いのかもしれません。巨大津波、巨大地震波の発生は、その大変動事件の単なる一つの発現事象であったと。とするならば、この地下での大変動の余効は現在も継続しているはずです。日本列島がこの大事件でどの方向に変貌を遂げつつあるのか?等々。それをどうやって捉えるのか?次世代の地球科学者に課せられた使命です。

(図5:2013年10月26日〜2016年11月22日の期間の地震活動。作図法は此れまでと同じ。座標の原点は2013年10月26日地震の震央)
Epi161122
 

 今般の地震・震央に地震群が集中しています。そこで、ABCD領域内の地震についてその発生様式を眺めたものが図6です。
〔図6:図5で示された矩形内の地震群を矩形の一辺ABから測った距離(km)で示したもの。上は、ABにおいた鉛直断面への地震群の投影を南西から眺めたもの:下は地震群の発生時間〕
cross-section161122

 まずは、上の鉛直断面投影図です。太平洋プレートの日本列島への潜り込む様子が明瞭に見て取れます。そして、今般の地震はそのプレートから遥か浅いところで発生しています。特に注目されるのは、今般の地震発生域の周囲の地震活動が欠落状態に近いことです〔緑の点線で囲まれた域)。つまりそこでは浅い地震が発生していません。これは図2で青い太矢印で示した浅い地震活動の低い帯状の域に対応しています。この帯状の域が2011年3月11日以降に作られたのか、以前からそうであったのか?誠に興味深いことです。此れも次世代の研究者への引継ぎ事項です。

 図6の下は、地震群の時間的発生順が極めて規則的であることです。それを矢印で示しています。つまり、矩形のB点からA点方向に向かって地震活動が移動していることが(migration)明瞭に見て取れます。今般の地震〔赤印〕はそうした系列からも離れています。大変に興味深いことです。

 終わりに:ブログ公開日に間に合うように図を作ることに時間を取られました。これらの図を作成するためにはScilabソフトで作成した計算プログラムを走らせます。見易い図を作ろうと、プログラムに手を入れると、それが仇になり変更によりプログラムが走らなくなったりします。年甲斐も無く、若い頃を懐かしみました。と言うわけで、古代史の話や科学雑誌の記事の紹介は休載となりました。

+++++嬉しいニュースです。
 本田圭祐選手など海外のチームに所属するサッカ日本代表選手の不振が心配されていました。そんな雰囲気の中で、香川、岡崎がやってくれました。
%%%%%記事転載
香川、2分間で圧巻の2ゴール! CL5年ぶりの得点でチームは逆転に成功
SOCCER KING 11/23(水) 5:14配信
香川2ゴール 
 チャンピオンズリーグ(CL)・グループステージ第5節が22日に行われ、日本代表MF香川真司が所属するドルトムント(ドイツ)とレギア・ワルシャワ(ポーランド)が対戦した。
 先制点を許したドルトムント。しかし17分、エリア右で横パスを受けたフランス代表MFウスマン・デンベレが浮き球のボールを供給すると、ファーサイドに走りこんだ香川が頭で押し込み同点ゴールを挙げた。さらに直後の18分、エリア右でデンベレからパスをもらった香川は左足で冷静にボールをトラップ。そのままDFをかわして左足を振りぬくと、シュートがゴール右に突き刺さり、逆転ゴールとなった。同大会で香川が得点を挙げたのは、初ゴールを挙げた2011年11月23日のアーセナル戦以来で、約5年ぶりのことだった。

岡崎ゴール 
レスター岡崎、CL初先発で記念すべき初ゴール! 日本選手6人目のCL得点者に
ゲキサカ 11/23(水) 5:13配信

 レスター・シティのFW岡崎慎司が、UEFAチャンピオンズリーグで初ゴールを決めた。
レスターは22日、欧州CLグループリーグ第5節でホームにクラブ・ブルージュ(ベルギー)を迎えた。欧州CL初先発となった岡崎は前半5分、カウンターから左サイドを駆け上がったDFクリスティアン・フクスの低いクロスを左足で合わせ、先制点を奪取。これが岡崎にとって、欧州CL初得点となった。
なお、『オプタ』によると岡崎は、本田圭佑(CSKAモスクワ)、中村俊輔(セルティック)、内田篤人(シャルケ)、香川真司(ドルトムント)、稲本潤一(ガラタサライ)に続いて、欧州CLでゴールを決めた6人目の日本人選手となった。
%%%%%記事転載終わり

おいなりさん、堤未果氏(東京新聞、11月19日付け)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:上ったばかりの円いお日様が濃い朝もやの向こうに見えます)
朝日1236

 
濃い靄を 透かして見ゆる 朝の日が くっきり丸く カメラに収まる

 依然として収まらないトランプ衝撃波。我が国の、親分何を思ったか、他国に先駆けて一番乗りでNY詣で。詣での見返りがあったのやら、無かったのやら。TV,新聞はトランプ次期大統領の周囲を固める政府要人の配置から、何がしかを読み取ろうと必死です。誰それは「極右」である、「好戦派」、・・・なんとやらです。そして、相変わらず「米国民は真っ二つである」との叫びをやめない米国有力紙とそれを受け売りする日本のジャーナリズム。
 民主主義を標榜する米国のジャーナリズムは反トランプを叫んで暴行を繰り返す一部市民を煽り立てているかのごとき報道。一体どうなってしまったのか?2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタ(WTC、2011年4月6日記事 2001.09.11 )での『胡散臭いテロもどき』事件での米国ジャーナリズムの取り乱しようを思うにつけ、「民主主義」なるものの儚さを改めて思います。しかし、これは他山の石ではありません。何せ、我が国のトップは「民主主義」へのコンプライアンス(遵守)とは一切無縁です。その都度、我々庶民は「それはおかしい!」と異議の声をあげるしかありません。しかし、それすらも政府要人に届くのかどうかは定かでありません。何せ、政府要人の辞書には「民主主義」なる単語は無いのですから。
 今般の米国大統領選挙について東京新聞が堤未果氏にインタビューをしています(参考記事、11月11日堤未果 )。
(図1:東京新聞11月19日付に掲載された堤未香氏のインタビュー記事)
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+++++信太郡(しのだのこおり)と稲荷信仰
 現時点での私のブログの焦点は日本書紀「神代下」の下記の一節の解読をすること、とりわけ「斎」とは何か?その内実の考察にあります。
 %%%%%日本書紀より
原文:神代下
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」136頁
 一書は書く。天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国を平定させた。その時この二神が言うには、「天には悪神がいる。その名を天津甕星、亦の名を天香香背男と言う。先ずは此神を征伐して然る後に葦原中国に進軍すべき。是時、斎主(いわいぬし)神を斎之大人と呼ぶ。此神は今は東国の楫取之地在乎東国楫(かとり)に在る。
%%%%%日本書紀記事抜粋終わり

 常陸国風土記をこの機会にあらためて丁寧に見るまでは(と、言っても、未だ全体の半分しか目を通していない段階ですが)、上に引用した日本書紀の一節の解読作業の手がかりが風土記これほどに豊かに潜んでいようとは思っていませんでした。
 信太郡の記事は、「斎」なるものを構成する重要な一部を語っていることがわかってきました。前回書いたように、風土記は日本書紀の表現を借りて、在来土着の宗教を語っていたのです。興味深いことは、日本書紀では公然と言及する「天の悪神、つまり天津甕星」には触れません。そして、稲荷信仰の発祥に言及するのです。後日、考察する「久慈郷」でも再度、この信仰が語られます。
 正確な表現をするならばアイヌ族の家庭内のささやかな信仰「イナウ」を外に引きずり出して一つの宗教を拵え上げたということです。この作業は藤原不比等の日本列島支配手段の一つの側面であったのです。Wikiは 稲荷信仰について「あれこれ」書いています。それらは、議論するに値しないと考えますので、ここではそれを転載することはしません。
 
 念のために付け加えておきますが、尤も重要な「斎」の主要な柱は、言うまでも無く「天照大神」の創出です。以後の日本列島の「神道」にあっては、この「大神」は常に中心に据えられてきました。しかし、この大神に付された名前は、その登場と役割が大仰にしては、ずいぶんとお座なりであったことを以前書きました。

 ここでその議論を簡単に振り返っておきます。「大神」の命名が隋書倭国伝に記載されている「倭国王」の名前、“倭王姓阿毎、字多利思比孤”に由来することを以前書きました。姓である“阿毎(あめ)”は古代ペルシア語由来で「火」、「明」を意味する言葉ですが、不比等はこれに「天」なる漢字をあて「(阿毎)アメ』転じて「アマ」と音させます。
 次に字(あざ)である「(多利思)タリシ」です。此れも古代ペルシア語に由来します。この意味は「黄金」、「輝く」と言う意味です。この二つを機械的につなぐと「アマ・タリシ」となります。これが転じて「アマテラス』となります。これは不思議でもなんでもないのです。既に書いたように東国と九州から構成される倭国は日本列島在住のアイヌ族と遠く西域ペルシアからの渡来族から成る一団であったので、首領の名前が古代ペルシア語に由来するのです。

 命名の作業は更に続きます。「(倭)王(おう)」を「大(大→おう)」に置き換えます。その上で、アイヌ族の信仰精神である「カムイ」に「神」なる漢字をあて、「カミ」と音させることで、「天照大神」が誕生したのです。日本列島に「神」なる漢字が登場したのは八世紀始めと言ってよいと考えています。

 この「大神』の“誕生”は藤原不比等の生きた時代(contemporary)の出来事なのであって、太古の大昔ではありません。なぜならば、此れも既に書いたことですが古事記・日本書紀が書く編年は現代から過去に遡っており(但し、応神紀まで)、「神代」紀が実は、正に現代史であるからです。勿論、後年の編集作業で、神代紀にはしかるべく「太古の時代」であるかのごとき装いをほどこしています。古代史研究者達はこの「装い」を見抜けず、その事象の時系列を妄信するがゆえに、記載の真偽に頭を痛めてきたのです。

 もう一つ付け加えておきます。古事記・日本書紀はこの「大神」が天御中主神によって創られたと率直に書いています。天御中主神の「中」はまさに、東西の倭国に挟まれ、その『中』にあって、列島制覇を企て実行した人物です。その人物とは中臣鎌足であり、中大兄の二人の「中」です。私は、この名前も怪しいものと思っています。それはともかく、この二人の「中」の謀議で日本国の「宗教」が作られたのです。

 安倍首相が自らの政治的理念の支えとする「日本会議」なるものは、そのHPで以下を主張しています:
%%%%%日本会議の書く「理念」
自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。
 また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。
%%%%%
 自らの国の成り立ち、宗教についての精緻な考察をせずして、記紀の記載を妄信し、それを国家運営の基本に据えることに私は限りない不安を感じています。日本会議は「天皇制」或いは「明治憲法」の復活と言う本音を隠すためにしきりに「伝統」その点それをと言う言葉で置き換えるのです。

 ところで11月14日記事  西部・小池対談 で紹介した西部・小池討論の終盤で西部氏もしきりに『伝統』を口にします。現行憲法を論じる際、西部氏は「戦力不保持」以外の条項は全く問題ないと言明します。つまり改憲の必要は無いと言い切ります。
 この西部氏が指摘する「戦力不保持」条項については 、私も同意見です。自衛隊の存続を正当と考えるのであれば、この条項は変更するしかないからです。

 その他の条項について、西部氏言う「他の条項」として例えば、13条(公共の福祉)、20条(信教の自由)を例に挙げて「日本国の伝統に照らして解釈すればよい」との自説を語ります。西部氏は1950年代末にあって全学連の指導部を構成した方です。デモ行進を規制する側の論拠が主として13条です。そして、当時日本の左翼勢力が最も神経を尖らせたのが「国家神道」野復活です。西部氏は、政府権力と対峙する中でこの二つの条文と長く向き合ってきたのでしょう。
 私は西部氏の言う「伝統」が「日本会議』のいう伝統と同様に曖昧であるがゆえに両者の言が重なって聞こえます。つまりあやふやな出発点を持つ日本国の支配体系・歴史を明らかにしないまま放置してそこに創られた慣習を「伝統』とよんでいるのではないか?
これについては、当面の本ブログの主題ではないので、ここで止めておきます。
(つづく)

常陸国・信太郡とオイナリさん、難病に立ち向かう大隣投手

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(写真:ひこばえに実がついて、「誰か、刈り取ってくれ〜」と叫んでいます。クリックすると写真が拡大されます)
ひこばえ1222


 小春日に 稲を実らす ひこばえ哉

 ひどい話です。北陸電力志賀原子力発電所での水漏れ事故です。この原発については深刻な「前科」があります。1999年、点検中のために稼動休中の制御棒誤操作のため、なんと臨界事故を起こしていたのです。しかもその事故の報告を8年間隠し続けました。今般の事故も、雨水流入にすぎないなぞと「軽く考える」ならば、大事故に発展しかねい類です。その事象の詳細を下記が伝えています。
%%%%%志賀原発の雨水流入問題 ほかの原発も調査へ
________________________________________
志賀原発
 石川県にある志賀原子力発電所2号機で、ことし9月、大量の雨水が原子炉がある建物に流れ込み、電気設備で漏電が起きた問題で 原子力規制委員会は、ほかの原発などでも同様のトラブルが起こりうるとして、全国の事業者に対策の状況の報告を求めることを決めました。
 北陸電力が再稼働を目指している志賀原発2号機で、ことし9月、原子炉がある建物に大量の雨水が流れ込んで 非常用の照明に電気を送る分電盤の1つで漏電するトラブルが起き、原子力規制庁はさらに流入すれば、安全上重要な機器の電源を失うおそれがあったとしています。
 一方、北陸電力は周辺の排水路が工事中で十分な排水ができなかったことなどが原因だったと報告しています。
%%%%%記事転載終わり

+++++風土記(信太郡)
 西に隣接する下毛野国を平らげた藤原不比等を総帥とする東夷軍(この時期はまだ「征夷大将軍」なる呼称は無かったと思われます)は、常陸国に乱入します。風土記・新治郡はその事態を「為平東夷之荒賊」と、書きます。「東側に(常陸国を指す)跋扈する暴虐三昧の賊である夷人(野蛮人)を平らげるために・・・云々」と。
 しかし、誰かがこっそりとこの表現に“いちゃもん”をつけたのです。それが後日或いは後年の書き込みです。興味深いことには風土記はその書き込みを削除せず放置したのです。その書き込みが誠に痛快です。
「俗云阿良夫流尓斯母之」と書き込むのです。私流に意訳するならば、「てやんでえ!、俺(おら)たちは知ってるど。暴虐三昧(あらぶるこうい)を振るった連中は、西(下野毛)から来た奴らだっぺ!」と(参考:9月21日記事 毛野国)。

 こうして、常陸国域で新たに東夷軍に降(くだ)ったのが新治郡であったのです。そして、次に狙われたのが南に在る筑波です。ここにはどうやら整然とした支配体系が整備されていたらしい。それが「この地はかって紀国」であったとの記述から判明します。「紀」が古代ペルシア語のkiyaに由来すると考えられるからです。これは「王、支配者、勇者、総督」を意味します。そこで筑波郡での諜報活動のために東夷軍が放ったのが「ツクタン」(諜報活動の意味)です。
 渡来族でない東夷軍が古代ペルシア語に由来する表現を風土記に持ち込むことはおかしいのではないか?との疑問を持つ方も居られるやも知れません。このあたりの詳細を語れるだけの手札はありません。しかし、東夷軍が捕虜として捕まえた人間を「ツクタン」(スパイ)として用いたなど、色々と想像を膨らませることは出来ます。「ツクタン」には後日「筑箪」なる漢字表記が当てられ、そこから弁当箱を経て『握り飯』説話になったのであろうことは以前書きました。

 屈服したご褒美の一つが「筑波郡」では衣食に困らなくなったとの説話です。「東の高峰・富士山は一年中雪を載せられ寒い想いをしているが、富士より寒いはずの当地には蜜柑が実るほどの温暖な環境を提供してあげる』と、風土記は書きます。

 何故、ツクバがこれほど重視されたのか?理由は明らかです。この南に下総国がでんと控えており、この地は、この時点では渡来族ーアイヌ族連合の支配下にあったからです。かくして東夷軍の次の標的が信太郡となります。信太郡と筑波郡に挟まれて「白壁」郡があります。何故かこの郡については常陸国風土記は口を閉ざしています。信太郡を考察した後に、この郡についての考察を少し書くつもりです。
 
【図1: 信太郡に関する風土記記事、クリックすると拡大できます】
161104風土記信太024a

 
 信太郡の冒頭は 「古老曰天地権與草木言語之時自天降来神名称普都大神巡行葦原中津国和平山河荒梗之類大神化道巳畢・・・・・及所玉珪悉皆脱蓰・・・(以下略)」と、書きます。
 図らずも漢語の勉強をすることとなりました。「権與」(けんよ、物事の始まり)は「秤の重りと、台」に由来するのだそうです(学研漢和大辞典より)。つまり天と地が出来上がったとき、草木は「ざわざわ」としゃべっていた、と書きます。これは新約聖書・ヨハネ福音書を連想させます:
%%%%%( ヨハネによる福音書1章1節 ヨハネ福音書 )
 はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
%%%%% 
 「草木言語」は、草木までもがしゃべっていた。これは民衆の素朴な宗教を形容しているのです。
この記載は日本書紀の記事を連想させます。それを
5月13日記事(列島既存宗教 )から転載します:
%%%%%日本書紀巻(二)抜粋
(1) 原文:神代下
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以為葦原中国之主。然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神。復有草木咸能言語。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」110頁
 遂に皇孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立て、葦原中国之主(葦原中津国のぬし)とせんと欲する。然うして彼地には多くの蛍火の光る神や、蠅のようにブンブンとうるさく騒ぎ立てる邪(よこしまな)神が多く居た。さらには、草木までもが咸(よく)言語を話すことができた。

(2)原文:神代下
於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」120頁
 ここにおいて、二神(武甕槌神、経津主)は諸々の不順(まつろわぬ)鬼神等を誅(せいばつ)することとした。〈或る伝承は以下のように書く:二神は遂に邪神を征伐したさらには草・木・石に宿る神をも屈服させた。かくして皆これに平服した。しかし、其所そこ〉に不服者(従わない)者たちがいた。それは星神(ほしのかみ)である香香背男(かがせお=こうしょう=こしおう)であった。そこで倭文神(わぶみ)を派遣した。さらには建葉槌命(たけはつち)を派遣したところ平伏した。こうして二神は天にもどった。〉倭文神を斯図梨俄未(しとりがみ)と言う。〉こうして命を果たして復した。
%%%%%過去記事転載終わり

 藤原不比等がすでに新約聖書にまで目を通していたらしいことには、驚かされます。思えば、聖徳太子の母が厩の前でにわかに陣痛を覚えたこと、神武天皇の即位年設定にはどうやらキリストの誕生年が用いられた(2013年4月12日記事 神武天皇即位年設定 )ことなどを思い合わせれば、納得がゆかないでもありません。

 どちらが、どちらの真似をしたのか(剽窃)。この地にも東夷軍隊に随わぬ”異教徒“が多く存在しており、彼らを「和平」、つまり『和』(な)だめ「平」伏させたのが「普都大神」であったと風土記・信太郡は書きます。この「大神」の出自は古事記・日本書紀の両古書によって語られています。武甕槌命と共に「国譲り」事業での大立者です。そして、武甕槌命がパワーつまり軍事力で東国の野蛮人を屈服させた一方で、この大神はどうやら「宗教」を持ち込んでそれを通じて東国の野蛮人を征服させる。つまり二人は東国の征服事業に当たっての「硬軟」戦略を使い分ける任務を夫々が担っていたことが見えてきます。

 そのことは、上記に続く以下のクダリで明らかになります:
「其里西飯名社此則筑波岳所有飯名神別族也」
“この里の西に飯名社がある。これは筑波山にある飯名神の別族である“と、書きます。この地には「イナウ」に基づく信仰体系があったと書くのです。「イナウ」は、アイヌ族が各家の聖なる場所に安置して、一日の平穏無事を願う、宗教と言うよりはむしろささやかな精神安寧の象徴です。此れを家の外に引きずり出してあたかも既存の宗教体系であるかの如く描き出したのが上記の一節です。こうして「イナリ」信仰が無理やりに作られたのだと思っています。それは、後年「稲荷」なる漢字を当てられ「列島古来の宗教」として藤原不比等の在来宗教尊重姿勢の象徴とされるのです。
 ここにおいて、飯豊女王が在地のアイヌのささやかな信仰体系に払った敬意は権力による国家宗教に無理やり変えさせられたのです。此れも後日書く「斎」の一つの側面です。

 藤原不比等が風土記を作成するに当たって、宗教(精神)的側面を東国の野蛮人を服従させるための戦略の一つとして、この新宗教体系「イナリ」を活用したのです。実は、此れが後日語ることになる香取陣屋の簒奪とそこでオーソライズされる「斎』なる宗教儀式の集大成に繋がります。
 この信夫郡はその活動の具体化であると思っています。常陸国風土記・信夫郡のクダリは、日本列島の精神史の重大一面を語っていたと言うべきなのです。
(つづく)

+++++大隣投手(おおとなり ソフトバンク)
 私は、野球にはそれほどの関心は無いのですが、なんとなく流行を追っかけてきました。2000年代初めは落合博満氏を追っかけました。氏の率直な物言い、そして鋭い観察眼、“有言実行”に惹かれました。氏が中日監督を辞した途端熱が冷めました。自前の球団経営をしてきた貧乏な広島カープと、佐藤寿人がエースとして奮闘するサンフレッチェ広島を長く応援してきた経緯もあり、今度は激しい黒田博樹広島投手のフアンです。しかし、黒田投手は引退との事、まあ、齢ですから仕方ありません。
 
 何時であったか、普段ほとんど観ないTVで偶々野球観戦をしていた時に投げていたのがソフトバンクの大隣投手でした。この時には、なんと読むのかすら知りませんでした。ところが、この投手の表情、そしてベンチでの同僚選手との対応、自らの後を投げた投手への労(ねぎら)いの表情、仕草に清々しさを見て、以後この選手に注目するようになりました。日本代表にも選ばれるほどの実力のある投手でした。ところが、程なく大隣投手が国が指定するほどの大きな難病に取り憑かれてしまったのです。真っ先に連想したのが、悪性髄膜腫のため投手生命を立たれた盛田幸妃投手です。病を克服したけれども結局45歳の若さで他界を余儀なくされました。

 前回記事で強く批判をしたサッカの本田選手も、本人は語らないが、バセドウ氏病に罹患し、以後のサッカ・プレイヤとしての能力は大きく後退しました。思えば、私が敬愛する中田英寿氏もグロインペイン症候群を抱えながら世界の舞台で戦っていました。サッカーは「格闘技」そのもので、常に怪我のリスクに晒されています。

 野球では、ゲームの7割は投手によって決まるといわれています。つまり投手だけが常に他の選手より何倍ものリスクに晒されています。それに加えて難病です。詳細は下の記事を参照いただきますが、何とか大隣投手が難病と言う困難を克服して、輝かしい野球選手人生をこれからも長く続けて欲しいと心から願っています。

%%%%%ソフトB大隣が抱えた“爆弾” 一瞬を完全燃焼する男の生き様
大隣投手 2016年11月17日 10時44分
 爆弾がまだ3つある。彼は平然と言う。その穏やかな表情から深刻さの度合いは伝わってこない。だが、医師からこうも告げられている。「もう一度、出たら野球はできない」。ソフトバンクの大隣憲司投手(31、明日11月19日が誕生日)が国指定の難病・黄色じん帯骨化症の手術を行ったのは、2013年の6月。もう3年以上、付き合っている。

 「また、出たときは出たとき、しょうがないっす」。そう、明るく言うと、記者に向かって「変顔」を見せた。周囲に心配をかけさせたくない、この男ならではの気遣いだと思う。

 検診は年に一度。手術した箇所以外に再発する可能性がある部分が3つある。黄色じん帯の骨化で胸椎の神経に当たることにより、たちまちしびれなどの症状などを引き起こす。今年10月の定期健診では「厳密に言えば(神経に)当たっているものもある」と医師に指摘されたグレーゾーンも存在し、プレーできなくなる日が訪れるのは今日か、数年先なのか、また、出ないままなのかは分からない。

 この難病にかかった投手で史上初の1軍での勝利をマークした14年には、クライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージ第6戦に中4日で先発し、7回無失点。勝利投手になった。日本シリーズでも1勝し「陰のMVP」と賞賛される。ただ「難病」と言われるのは、困難が何度もやってくるからだ。今シーズンは7月10日の楽天戦(ヤフオクドーム)で6回1失点で白星も、直球の平均は130キロ台の前半。1試合のみで大半は2軍暮らしだった。

 「切れがない。思っているように(体が)軸回転できなかった。いろんなトレーニングをやったけど合わなかったですね」と原因不明のスピード不足に悩んだ。明確ではないが、理由は想像がついた。近鉄時代に同じ難病を患った宮本大輔氏とプレーした高村2軍投手コーチ(現1軍投手コーチ)に「黄色じん帯骨化症をやった投手は体の回転に苦しむことがある」という話を聞いたからだ。「自覚症状はなくとも、影響が出た可能性もあるのか…」。逃れようのない運命でもあるとも悟っている。

 11月上旬、福岡県筑後市のファーム施設で練習する大隣を訪ねた。普段、ベテランは肩肘を休ませる時期にブルペン入りしていた。「健太郎の目慣らしもありますよ」。オフに戦力外通告を受け、現役続行を目指す猪本の調整役を買って出た。ただ、それは同時に自分のためでもあるように思う。「今はいい状態になりつつあります。うまいこと(来春に)キャンプインできればいい。もう、ラスト1年のつもりでやらないと若い投手もいますし、簡単にはローテーションに入れない」。その姿はつかみかけた感覚を忘れないよう、その一瞬、一瞬を完全燃焼する男の生き様に見えた。

 いつ、終えるかも分からない野球人生。ならば全力で駆け抜ける。マウンドに立つ背番号28を見る機会があるならば、彼の背負う運命も合わせ、声援を送ってほしい。(記者コラム・福浦 健太郎)
%%%%%記事紹介終わり

常陸風土記(信太郡、1)、サッカ観戦

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:十七日月を夜明け前に眺めてきました・普段より大きいのか、小さいのか、肉眼ではしかとはわかりません。西にある月の下方には夜明け直前の太陽に照らされた雲が赤く染まっています)
十七月120

 
普段より 大きく見える お月さん 兎の餅つき しかとは見えず

 ついつい、ゲーム終了まで観戦してしまいました。20本近いシュートを放って僅か1点(残る1点はPKなので)。とりわけ本田選手の4本のシュートはどれも“おそまつ”。本田選手はシュートのための位置取りが大変良いので、絶好のパスが集まる。しかし、入らない。あそこに期待の大迫選手が居たらと思いました。ところが、大迫選手は、献身的に他の場所で、ボールを追って走り回っている。サイド違いではあるが、本田選手と同じポジションの原口がボールを追っかけて走り回っているときに、本田はボールへの反応が遅く、敵選手を追っかけまわすこともしない。試合前日に監督の自身への低い評価に公然と不満の弁を述べてました。が、あのパフォーマンスを見る限り劣化は間違いの無いところ。TVで中田英寿氏に熱っぽく語っていたあの頃の本田ではない。これがスポーツでの激しい競争なのでしょう。

 相も変わらずトランプ余波が日本でも収まりません。クリントン氏の落選は「米国民のベターな(ベストではない、念のため)選択であった」と考える人が、TVでおおっぴらに語ることをしないようです。それは新聞も同様です。前回紹介した、小沢遼子氏、西部氏なぞはいわば例外的な評論家ということです。
 こうした論調は、東京新聞も例外ではなく、いささか冷静さを欠いているように見受けられます。昨日付け(2016年11月15日付)紙面、「社会時評」コラムでは社会科学者の吉見俊哉氏が「三回にわたる二候補の討論で“トランプ氏の狂気に対して終始理路整然とした議論を展開したクリントン氏が当選しなかった”ことに強い疑念を表明し「トランプ氏への悪罵に近い評価」を書き連ねています。同じ紙面の『こちら特報部』は「民主主義がトランプを選んだ』との皮肉丸出しの見出しのもとで、「米国の理想主義が“劣情”に敗北した」との小見出しです。どちらも米国民自身の選択を尊重するという姿勢が欠落しています。いうに事欠いて「劣情」などとは、非礼極まりない。
 そして、自らの論調を正当化するために持ち出すのが「学歴」、『難民差別』です。これまた米国民への侮蔑的言辞であることを自覚すべきです。
 それほどにクリントン氏は立派な候補者であるのか?論者諸氏はまずはそれを読者に示すべきでしょう。繰り返し書きますがクリントン氏は今般の選挙戦でおおっぴらに二人のブッシュに公然と支持されてきた人物です。一人は湾岸戦争を仕掛けたパパ・ブッシュ、も一人はイラク侵攻・アフガン侵攻を仕掛けたジュニア・ブッシュです。何故この二人がクリントンを支持したのか?クリントンが米国の戦争政策を担う軍産複合体の代弁者であるからです。そして、格差社会で富者の代表である大手金融資本から莫大な支援を受けていたのがクリントン氏の側です。
 トランプ氏が難民について「きつい」発言を選挙戦の最中に繰り返しました。この難民問題はそもそもクリントン氏の背後に居る軍産複合体による戦争政策が生み出したものです。こうした経緯については一言も触れず、ひたすらトランプ氏の言を、まさに読者の『劣情』に訴えて書きなぐる。異常と思っています。

 選挙結果が決着したにもかかわらず、その結果が気に入らないとばかりにあちらこちらで暴行を繰り返す一部米国民にも呆れています。クリントン支持者の中の「暗黒部分」を見る思いがします。
前回紹介した西部・小池議論( プライムニュースyoutube)について、私が西部氏の議論を全て是としているかのごとき誤解を生んでしまっているようです。経済学者たる西部氏が広く現実社会に深い関心を寄せ、それについて思想家として、解釈・提言しようとしている姿勢に好感があるということです。氏の論点については、いずれ、本ブログで取り上げるつもりです。


+++++常陸国風土記行方郡への前段
 現時点でのテーマは香取の話です。それへの前置として、もう少し風土記の話を続けさせてください。風土記なるものは藤原不比等の日本列島史観を正当化し、補足するために作成されたものであることは疑いありません。しかし、その記載の行間に注意深く目を凝らすと、藤原不比等の政治的思惑がチラチラと顔を出しています。又、直接その歴史観に関わらないと思われる記載から、記紀では理解できなかったファクトが見えるやも知れません。

 常陸国風土記を眺める際の注意点は「倭武天皇」に関する記載です。大方の後世の読者(鎌倉時代以後)は、以下のように常陸国史を理解しています。太古の昔にこの地には神がいた。その地は鹿嶋に居られもう人神は「フツ」神である。その後、今度は景行天皇と息子の倭武天皇が西からやってきてこの常陸の国を新たに治め(新治)た。さらには、孝徳天皇の時代に治世を整えるべく郡の整備が始まった。

 この理解は、古事記・日本書紀が語る編年とは異なっています。この地に崇神天皇が遣わされた四将軍のお一人がこの地を通過して会津にまでその威勢を及ぼした、筈ですがその経緯はほとんど語られない。常陸の国で野蛮を極めたのは在地の「クズ」とも称される、「人」であるのか、「獣」であるのか、はたや『大蛇』であるのかわからない輩です。こうした「クズ」共を退治するべく奈良から派遣されたのが「倭武天皇」であるかのごとき記載です。

 この記述は、常陸国以外の住人にとってはさほどの抵抗感無く受け入れられますが、私どものようなこの国の住民にとっては、受け入れがたくそれは「敗者の立場で読む常陸国風土記」(杉崎健一郎著、雑誌「常総の歴史」、No.29,崙(ろん)書房刊)と読むのです。実在の倭国王「武」(宋書倭国伝)と、記紀に登場する倭武天皇(王)との”意識的“混同操作”によってもたらされたものです。本ブログのメインテーマとして力説してきたのが倭王「武」の南進です。一方、倭武天皇は奈良の藤原不比等から派遣された謂わば軍隊で、彼らは「北進」して常陸国を侵攻し、それを基調にして常陸国風土記を書き上げているのです。この重大な違いを年とにおきながら歴史の真実を見極めようと言う作業こそが、現時点での常陸国風土記解読なのです。 

 その一つとして、明らかになったのが、前回書いた「筑波命」、「紀国」です。この解明は藤原不比等の思惑を暴いたものと思っています。つまり、常陸国の七世紀以前の政情がうかびあがってきたからです。

 さて、現時点の論点は那須岳―香取線です。とりわけ「息栖』神社と鹿嶋・香取の「要石」と「玉造」なる地が関わっているのかどうか?これについて風土記が何がしかを示唆しているかもしれません。

風土記は筑波郡に続いて信太郡を書きます。その記事に触れる前に、もう一度、常陸国を構成する郡を再掲します:
(図1:常陸国を構成する郡。赤丸番号は風土記に記載されている順番。番号の無い郡(河内、白壁)の記載は風土記に見当たらな
常陸順番


今回ブログ冒頭で書いた背景を念頭に置くと、図1で示した常陸国風土記の郡の記載順序には重要な意味があることがわかります。真っ先に登場するのが新治郡です。これは下毛野国二隣接しています。
前々回の記事で新治郡の記載に以下の件(くだり)があることを紹介しました(11月9日記事 ):
「為平東夷之荒賊、俗云阿良夫流尓斯母之、・・・・」
「風土記」校注者の植垣節也氏はこれを「東国で荒れ狂う野蛮な賊どもを平らげるために・・・」と解読します。上記の引用節で「俗・・・」は別人が後に書き込んだものと理解されています。その内容は「世間(俗)が言うには、荒ぶる西者・・・」と読み取れるというわけです。
この書き込み文についての解読について、校注者は「意味不明」であると率直に白状しています。私は、事実を知る反体制の知識人が、こっそりと書き込んだものではないかとの想像しています。正に「西」から来た軍隊が常陸国に侵攻してきたことを書いたのだろうと、言うわけです。この私の想像を上の地図と重ね合わせると、その事態が鮮明になります。
奈良から派遣された軍勢は東進し、毛野国(現在の群馬県、栃木県)を征します。、そこから東隣の常陸の国になだれ込んできたのです。なだれ込んできたのは「正に西から来た荒くれ共」なのです。この書き込みが「東夷之荒賊』と整合しない理由はここにあったのです。風土記の記載から背後の歴史真実が見えてくる瞬間でもあります。

さて、こうした視点から信太郡の話に移ります。下毛野国から常陸国へ侵攻した奈良の軍勢が次に陥れたのが筑波です。筑波郡の記載は、「ここにはかって王国があった」(紀の国)とありますから重要な軍事標的です。そして次に侵攻するのがこれから書く 南西部に位置する「信太郡」です。この地は、下総国に隣接しています。次回、その本文と背景を書きます。

(つづく)

風土記筑波郡(5、紀之国とは?)、西部・小池氏が語る

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝の空に白線を引いたような飛行機雲)
飛行機雲1202


 まっすぐに 空に引かれた 白い線 もしやユーフォと 動きを見守る

 四・五年も前の事でしたが、某巨大掲示板で「ケムトレイル」論なるものをしきりに投稿していた御仁がいました。「空中に何やらの薬剤を散布する。それを吸引すると、人(ひと)は自らの頭で考える力を失ってゆく。これが“ケムトレール”(chem trail)。世界に新しい秩序を構築することを目論む特権グループが、圧倒的多数の人民を意のままに操って(奴隷状態という意)世界支配を達成する手段」とその人は主張します。 
 いわゆる「陰謀論者」です。この人にとってはあらゆる飛行機雲はこうした支配者の目論見に沿った「薬剤散布」行動と映ったようで、その都度、煙・雲の写真を投稿欄に貼り付けては大騒ぎしていました。久しぶりに見る飛行機雲から、そんなことを思い出しました。

 この御仁はそうした議論の中で”geoengineering”なるものを何処からか見つけてきました。これも「脳への薬剤」と思ったのでしょう。しかし、これは地球温暖化対策として米国の気象研究者が言い出したものです。「空中に太陽光線を反射させるような微粒子を散布し、それによって、太陽光を反射させる。結果として地上にやってくる太陽熱を減少させることが出来る」と言う主張です(2012年12月24日記事 ケムトレイル議論)。地球温暖化を熱心に言い立てる人は、大気圏のCO2を含む地球温暖化物質が人間の活動によって(anthropogenic)増大することが地球の温暖化の主因であるといいます。これに更になにやら得体の知れない物質を付け加えるというのです。私は胡散臭くトンチンカンな議論と思っています。

 トランプ当選の余波がおさまりません。トランプ当選を歓迎する人対しては”ネトウヨ”であるとか、“低学歴”であるとかなどの侮蔑的言が投げつけられています。私は”ネトウヨ”との自覚はありませんが、その一人と言うわけです。しかし、私は、そう宣まわる方々に「じゃあ、ヒラリ・クリントン氏は善玉なのか?」と問い返したいのです。氏は正に世界中を戦争に巻き込んでいる米国軍産複合体の代弁者です。個人的な「恨み、つらみ」ではありますが、2010年に民主党が衆議院選挙で大勝利を納め、首相に任命された鳩山由紀夫氏が「沖縄問題の解決で米国と筋の通った話し合いをする」と表明した際、「ジャップ奴(め)!」と口汚く呟いたとされる人物がクリントン夫人でもあります。

 さて、それはともかく、その 余波として、BSTV(プライムニュース)で誠に興味深い対談がなされました。それは下記のyoutubeに公開されています。
プライムニュース 
 これは経済学者の西部邁氏と日本共産党書紀局長の小池晃氏にキャスタの反町理氏が問うという形式で一時間余にわたって議論が進みます。論議の詳細は上記動画を視聴いただくとして、ここでは私自身の視聴の感想之一端を書き留めておきます。9月23日記事宇沢弘文で「二人の宇弘」なる記事を紹介しました。このうちのお一人宇沢弘文氏について、経済学の論客金子勝氏が、かって
金子勝Verified account ‏@masaru_kaneko Nov 5View translation
『宇沢弘文傑作論文全ファイル』(東洋経済新報社)を落手。「社会的共通資本」論を軸に、経済学の限界、環境、医療、教育、農村とコモンズ論などを体系的に追いかけています。思想家と呼べる経済学者が少なくなった今、読み返す意味は大きい。」

と、ツイートしています。
 西部氏の語り口と、西部氏も宇沢氏と同様車に乗らないという話からから宇沢弘文氏を連想した次第です。どうみても西部氏には、これまでの遍歴から「俗っぽさ」が付きまといますが、上で聴く氏の主張は明確です。教養の奥深さから医者である小池氏にはいささか重過ぎる相手ではなかったか、と観察しました。

 私は、かねてより西部氏の議論に惹かれるものがありました(2015年7月20日(日本の経済学者 ))。あるときは左高信氏、あるときは美人ソプラノ歌手・鮫島由美子氏と睦みあうなど、いささか俗っぽいのですが、しっかりと文献を読み、その上で自分の頭でそれらをしっかりと構成し、文字なり、言葉なりに変換してゆく能力を見せ付けられるのです。それを支えるのが強い「知的好奇心」です。とかく、昨今あちらこちらで見かける経済学者が「身につかない経済用語をまくし立てて何とか相手をやりこめよう」と言う議論とは違っています。

 この西部氏の議論を聴いて、更に連想したのが、偶々最近読んだ「政治家の本棚」(早野透、朝日新聞 2002)です。この本では朝日新聞記者であった著者が43名の政治家の「本棚」を語ります。西部氏についての私の観察に最も近い人物が上田耕一郎氏の本棚です。青年期の悩みと、知的好奇心がない混ざった読書遍歴に人間としての真摯さを感じました。驚いたのが氏は、左翼文献に自らを縛らないのです。「キッシンジャ回顧録」にまで目をひろげ、 さらには2010年代に小沢問題で大きく話題になった「日本権力構造の謎」(ウオルフレン、日本滞在が長いオランダ人ジャーナリスト)にまで目を通していたことに驚かされました。

 人が生きる支えの第一は「知的好奇心」つまり観察することの喜びです。自己愛、或いは自己中心的発想からは観察力は育ちません。そして観察された対象の挙動の謎解きをする喜びです。これは、先日ノーベル賞を受賞した大隅(おおすみ)良典(よしのり)栄誉教授(71)の言でもあります。他人様が言ったこと、書いたことを記憶するだけ、これは知的営みとは言いません。

+++++常陸国風土記(5)
 何時までも風土記の考察に立ち止まっているわけには行かないのですが、ついつい、「なんでだろう」との疑問が湧き上がり、寄り道をしています。前回、意識的にスルーした疑問があります。それは冒頭の「古老曰筑波之県古謂紀国」の件です。下の原文で右端です。
(図1:常陸国風土記・筑波郡の冒頭部分の原文)
筑波


 上記の件(くだり)は以下のように続きます(現代文):
崇神天皇之世に、采女臣の同属である筑箪命を紀国の国造にしたとき、筑箪命は「紀之国と言う国名を自分の名前に変えて後世に残したい」と望んだ。そこで、国の名を変えて筑波と称する事とした。
ウイキは以下を書きます:
%%%%%「紀伊」の名称と由来[抜粋] wiki,紀之国
 7世紀に成立した当初は、木国(現代の標準語・共通語表記:きのくに)であった。名称の由来として、雨が多く森林が生い茂っている様相から「木国」と命名された、という説がある。また、今の和歌山県北部が、有力豪族である紀氏が支配していた地域であるから「紀の国」というようになった、という説もある。実際に、律令制以前の紀伊国は紀伊国造の領土のみであり、熊野国造の領土(牟婁郡)を含まなかった。
 和銅6年(713年)に「雅字(良い文字の意)二文字で国名を表すように」との勅令が出された時、紀伊国と表記するようになった。現代の近畿方言では「木」(きい)、「目」(めえ)、「手」(てえ)のように、標準語・共通語における1拍語を母音を変化させて2拍語にする例が見られるが、木国も同様、もともと当地の発音で「きいのくに」だったため当て字して「紀伊国」とした、とする説がある[1]。逆に、「紀伊国」と書きながら「伊」は黙字で、後に「きいのくに」と読まれるようになった、とする説もある[2]。ただし、奈良時代の日本語の発音は不明の点も多く、はっきりしない。
沿革
 7世紀に成立した。
 紀伊国は歴史が古く、『古事記』には神武天皇が大和に入る時に紀伊熊野を通ったとされるなど、事実はともかく、奈良盆地を地盤とするヤマト王権から知られた国であった。王権は、海人集団を部民に編成する海部の設定を進めた。また、忌部の設定は「紀氏集団」の在地の祭祀権を揺るがした。しかし、部民の設定は充分に展開しなかった。王権はつぎに国造制の導入と屯倉の設定という方策をとった。
%%%%%
 実は、私はこのウイキの説に大きく影響されました。紀の国は「木」の国。とすれば筑波、筑紫、などは「筑』は「竹」を意味するので「竹」之国に由来すると考えていました。
 実際、中央アジアでは「竹」を見たことが無いという人が多いのです。十五年ほど前、仕事の都合でカザフスタンの研究者を一週間ほど日本に招待したことがあります。初めての日本とあって、その方は見るもの聴くもの何でも珍しく興味を持ちました。その中で特に忘れられないのが鎌倉の竹林でした(会合は鎌倉近くのホテルで開催されていたため)。竹が忘れられないと後日語っていました。中央アジアを経て日本列島に渡来した一族にとっても思いは同じであったかもしれないと想像したからです。

 しかし、前回書いたように「筑箪」が外来語である古代ペルシア語であるとするとその意味は「求める、探す、集める、蓄える』です。つまり、本隊に先駆けて未知の地を探り、情報を収集する人物であったことになります。そうとすると「キ」も外来語である可能性があります。
 
なんと“Kiya”(ラテン文字表記)は古代ペルシア語で「王」、支配者と言う意味なのです。話が見えてきました。つまり風土記・筑波郡の冒頭は以下のように読み取れるのです:
『本隊に先駆けてこの地に入った人物(「筑箪」)が、そのままこの地の「支配者」を任された。』
 つまり 昔、渡来族がこの地にやってきて、この地に本陣を構えた、との歴史事実を暗意しています。

 勿論原文に忠実であろうとするなら:
『王国があり、そこに「筑箪」が入り込んでそのまま「国造」すなわち支配者になった』とも読めます。このように読めば、それは奈良政権の手先が筑波之地を占領したという意味になります。しかし、これは、藤原不比等の風土記作成奨励をふくめ、日本列島の公然たる制覇の野望を隠したいとの意に反することのようにおもえます。

「筑箪」を古代ペルシア語とすればその意味は上記です。因みに「tuk」は古代ペルシア語では「見る」と言う意味です。筑紫、杵築、千曲、こうした地名には「見る」と言う行動が暗意されているのではなかろうかとも思っています。そういえば「目に付く」と言う表現が日本語にあります。そもそもの由来は古代ペルシア語ではなかろうか?
(つづく)

常陸国風土記(4、筑波郡)、トランプ氏各論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:近所の民家の庭に たわわになる蜜柑(左)と柿(右)。柿は当たり年と言うのがあるそうで、毎年[たわわ」と言うことは無いのだそうです。どうやら今年は「たわわ」年のようです。クリックすると拡大できます)
CIMG11柿


 たわわなり つくば名物 みかんに柿 太古の昔の 神の配慮

この歌の真意は 本日の記事で詳述されています。
+++++風土記常陸国、筑波郡
 前回、常陸国風土記の新治郡の件で「阿良夫流尓斯母之」を論じました。わたくしは物知りのしかも奈良政権に批判的な人間がこの風土記編纂に関わっていて、こっそりと「あらぶる人間と言うのはペルシアからの渡来人である」と書き込んだのではないか、との想像を書きました。これについて読者のお一人から鋭いご指摘を頂きました。それは文字通り「あらぶる西人」つまり「奈良政権から東国に派遣された軍事要員であった。つまり荒らっぽい振る舞いをつくした」人であった、「彼らは正に西からやってきた奴らだ」と読み取れる、と言うのです。その事実をこっそりと書き込んだのではないか、と。私は、このコメントに同意しています。
(図1:常陸国風土記、筑波郡より)
161104風土記筑波a


 風土記は「筑波」の由来を次のように書いています(図2右の数行):
「 崇神天皇の時代に筑箪(つくは)命が国の造に任ぜられた。命はこの地に自分の名前をつけたので、筑波郡と呼ぶようになった。風俗(くにぶり)の言葉に“握飯筑波の国”という。」
 この後に“何故富士山は一年中白く冷たい雪をかぶせられ、筑波山には何故ミカンが生るのか”との有名な説話が続きます(図2左の数行)。
(図2:常陸風土記、筑波郡つづき、クリックすると拡大され読みやすくなります)
筑波


 これが、筑波蜜柑の由来であります。つまり、おおもとの神様に筑波在住の神はなけなしの食料をはたいてもてなし、親切にもてなしたのです。寒風吹きすさぶ北関東(とりわけ一昨夜の風)の地にありながら、思ったほどすっぱくない蜜柑やら甘い柿が成育し、民は飢えに苦しまずにいるのはそのおかげというわけです。それが冒頭の写真のたわわな蜜柑なのです。
 ところで、この二つの関東の名山は距離にしてどれほど隔たっているのでしょうか。それを計算してみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.226 140.101] 筑波山頂
sta(lat,lon)=[35.363 138.730] 富士山頂
Dlt,Azm,Bzm= 距離:1.41(度) a=232.59 b=51.79 距離:156.5 -km

 富士山は筑波山から距離にして157km、方角は南西よりやや西よりにあることになります。十年以上筑波に住み、二人の子供が小さい頃はしばしば、徒歩で頂上を”極め”ました。天気が良いときにははっきりと肉眼で富士山を見ることができます。
ところで6月13日付記事(http://c23.biz/CchQ )で書きましたが、那須岳―香取間の水平距離は147kmです。ということは、那須岳から、香取の地は見えているはずです。また、香取の地から那須岳を肉眼で望めた筈です。
 実際には、渡来族の最大の関心事は方角にあったはずで、それには高精度の「測量」が必要でした。那須岳からの方位測定は夏至日の真夜中です。どのようにシリウス星方位を測定したのか?大変な興味があります。八溝―鹿島聖線の構築で、そのための技術が開発され、それを適用したのでしょう。多分、光源としての松明をしかるべき位置に配置することで、夜の計測をし、昼の計測で補正するなどの作業もあったと思われます。とりわけ、シリウス星は年経過に対して天球上を動きます。原則としては1回きりの計測となります。詳細の考察は別の機会に譲ります。

 上に紹介した風土記に「握飯筑波」なる風俗語が登場します。それは、図2に示す様に飢えた神様に筑波の神が飯を馳走したとの説話に由来します。「筑箪(つくは)」は「竹で編んだ箱」を意味します。つまり“竹の弁当箱”と言うことになります。江戸時代の幕府役人が役所に出勤する際、奥方から持たされるのが、この“竹で編んだ弁当箱”です。風が通るので中の握り飯が「いたまない」んですな。

 風土記の訳者は筑箪に“つくは”と仮名を振ります。筑は『竹』、箪は「箱」ですから、上に書いたように『竹で編んだ箱』となります。それから弁当が連想され、その弁当の中身である“握り飯”にたどり着いたのでしょう。「筑箪」を文字通りに音すると「チクタン」です。もしかしてこれは外来語ではないのか?その可能性をまずは「アイヌ語」辞典に探してみました。ありません。そこでいつもの通り「古代ペルシヤ語辞典に求めてみます。

 幸いにして、私が足繁く通うA経済大学の図書館には「新ペルシア語辞典」(黒柳恒男著、大学書林)が備えられています。この辞典は「新」と銘打ちますが「古」を付して古代ペルシア語をも含んでいます。嬉しいことです。早速頁を開くと目に入るのが
 “tukhtan”(ラテン文字表記、ペルシア語文字を書くことができないので)、まさに「ツクタン」です。この意味として付されているのが
「求める、探す、集める、貯える」です。どれが、ツクバの地にかって在留した渡来人の意向に適った行動であるのか。この地には「天狗」伝説が多いのです。「天狗」から連想するのが秋田の「ナマハゲ」など、正に鼻の高い「渡来人」つまり西域の人々です。そして彼らがこの地に南下して何を求めたのか?何を探したのか?何を集めたのか?そして何を貯えたのか?現時点での貧脳の私の創造力を超えています。

 ところで、日本列島のきわめて重要な場所に「チク」を名前に持つ土地(場所)があることにかねてより注目しています。まず最初にあげねばならないのが九州の「筑紫」です。ここは西の倭です。出雲の「杵築」は、梅原猛氏が言う日本国宗教の一つの結節点です。そして信州の「千曲」川、ここは西の倭国の首領を葬り去った地です。これは何か?私のかねてよりの疑問です。現時点では性急に答えを求めないことにしておきます。

(つづく)

+++++米国大統領選挙議論
 前回、本ブログ記事で米国大統領選挙についての私見を書きました。これについて、私が愛読している竹田茂夫氏は東京新聞で以下を書きます。
(図12:東京新聞11月10日付。連載コラムより。クリックすると拡大できます)
CIMG11竹田


 ウーンであります。にわかには同意しがたい。これまで東京新聞に豊富な読書歴を踏まえたコラム執筆者とは思えないほどの浅薄な内容と、私には思えます。たとえば「地球温暖化」否定を「非科学」的と断じます。私はこれに同意しません。ので、あえてこのコラム記事については、私のコメントはさしあたりひかえておきます。
 
 本日朝のTBSラディオ朝8時のレギュラコメンテータの小沢遼子氏は米国在住の堤未果氏の著書を引用しつつ、今般の選挙結果は実は米国での民衆によるいわば「無血暴動・未成熟な革命」であったと思えるとの感想を語っていました。私自身は堤氏の著作は読んでいませんが、インターネットで堤氏の米国観察に触れることが出来ましたので以下に転載しておきます。この観察は、選挙結果前のもので、選挙後の後付け的議論ではありません。それだけに大変説得力があり、氏の観察眼の確かさを見る思いです:
%%%%%堤未果氏による米国観察
堤未果
 堤未果氏(国際ジャーナリスト)が出演した2016年11月4日放送のNHKラジオ第1「マイあさラジオ 今週のオピニオン」の書き起こしです。音声は下記URLで聞くことができます。
「アメリカ大統領選挙の隠れた争点」
11月4日(金)マイあさラジオ 今週のオピニオン
NHKでの堤未果
(書き起こしここから)
キャスター:堤さん、おはようございます。
堤:おはようございます。
キャスター:今回は、堤さんが注目されたテーマは何でしょうか?
堤:来週8日に投票日を迎えるアメリカ大統領選挙の隠れた争点に注目しています。
キャスター:隠れた争点、何でしょうか?
堤:いくつかあるんですが、その1つとして戦争ですね。
キャスター:戦争ですか。
堤:まず民主党のヒラリー・クリントン候補は、非常に好戦的だということでよく知られているんです。例えば2003年のイラク戦争に賛成している。それから2008年の大統領選挙の時に、イスラエルを擁護したイラン攻撃発言というのがあります。これは「イスラエルにイランが何かするようであれば、自分はイスラエル側に付いてイランを徹底的に潰す」というような、かなり積極的な発言をして問題になりました。
キャスター:前回の大統領選挙に出た時にそういった発言をしたということですね。
堤:はい。それからもう一つ、彼女が国務長官時代にサウジアラビアやクウェートなどおよそ20ヵ国へ、日本円で言うと16兆円ぐらいの武器の輸出を承認しているんですね、国務長官として。一方で同じ時期に、それらの国の政府ですとか軍需産業からクリントン夫妻の財団が数百万ドルの寄付を受けていた。この事実を、ABCニュースですとかニューヨークタイムスそれから非営利の政府監視機関が「これは利益相反じゃないか」と批判をしている。こういったことから、戦争に対して積極的な候補だというふうに見られています。
キャスター:一方の共和党のドナルド・トランプ候補なんですけれども、こちらはどうなんでしょうか?
堤:トランプ候補が訴えるのは米軍の海外介入反対。ロシアや中国などとも関係を改善していく。なので、非常に非戦闘的な外交政策ということで、これは対局にあるわけです。ですので、例えば今年の9月6日にトランプさんの陣営は、彼を支持する退役軍人、上級軍人も含む88人の「トランプさんを支持します」という署名文書を公表しています。それからNBCがこの夏に行った世論調査でも、軍関係者の支持率はヒラリー・クリントン氏の34%の対し、トランプ氏が49%と非常に優勢。
軍関係者は元々共和党候補を支持するという傾向はあるんですが、今回の大統領選挙の興味深いところは、軍需産業はヒラリー・クリントンさんを応援している。ですけれども、退役軍人とか現場の軍関係者はトランプさんを応援している。こういう対立図になっています。
キャスター:ヒラリーさんは、これまでのオバマ大統領の方針をおおむね引き継ぐと言っていると。しかもかなり戦争に積極的な面もあるんだと。一方でトランプさんは、比較的孤立主義と言いますか、世界の警察官的な役割を続けることには否定的だととられるような発言もしているということですね。
堤:おっしゃるとおりですね。
キャスター:その辺がトランプさんの場合には、具体的にちょっと見えない部分もあるけれども、発言の内容だけ見ているとそういった傾向が見てとれると。それが支持にも現れているということなんですね。
堤:そういうことですね。アメリカはご存じの通り世界100ヶ所に基地を持ち、不況の時は「戦争はアメリカにとっての公共事業だ」と言われる国なんです。その中で「米軍を海外の基地から撤退させる」というトランプさんの発言は非常に重いです。これは何を反映しているかと言いますと、国民の間で厭戦ムードが相当高まっているということなんですね。
キャスター:景気はすごくアメリカは良くなってきているという報道も一部ありますけれども、ただその使われ方を含めていろんな意見があるというような報道もされてますね。
堤:おっしゃるとおりですね。例えば、政府発表の16年度の財政赤字が日本円で約61兆円、前年より34%増えているという報道がされる中、この間続けている対テロ戦争の費用はというと、およそ73兆円と相当軍事予算に割いているわけです。
軍事費は拡大する一方で、例えば学資ローンを返せない国民が4000万人を超えている。それから金融危機以降500万人が家を失っている。それから15歳から29歳の若者の3人に2人が、経済的理由から親と同居せざるを得なくなっている。非常に国民生活というのが厳しくなっているわけです。
キャスター:言葉を変えれば、貧富の差であるとか公平性がやっぱりちょっとずれてきているんではないかというような感覚が広がっているのは間違いない、ということなんですね。
堤:そうですね。
キャスター:やっぱり民主党でサンダースさんがあれだけ伸ばしたというのは、そこも一つ原因としてあるんでしょうね。
堤:おっしゃるとおりですね。サンダースさんは特に若者の支持を集めた。やっと自分たちのために政治をしてくれる候補者が現れたということで、支持を集めたということですね。もう一つは、2001年の同時多発テロ以降、戦争の民営化というのが非常に加速しています。
キャスター:戦争の民営化ですか。
堤:はい。兵士だけではなくて、今、派遣社員という形でもうたくさんの国民が戦場に向かっています。
キャスター:民間の会社が現地に行っていて、そこにいわゆる貧困層の人たちが派遣社員として入って行っているということですか。
堤:そうですね。例えばイラクやアフガニスタンで私が取材したところによると、警備員とかトラックの運転手とか軍の中の例えば調理をする人だとか、そうした業務は給料はいいんですけれども、帰国後の補償はない。例えば米兵だったら、帰国して障害があったり生活に困れば補償されるんですね、家族も含めて。そういうのが一切ない。ただ、生活苦から派遣社員として戦地に向わざるを得ない、それしか選択肢がないという国民もどんどん増えています。
一方で、政府にとっては戦争を民間に一部委託することで、正規軍のような退役後の補償など障害コストというのを減らすことができる。それから派遣された民間人が死亡しても、戦死者としての政府発表をする必要がなかったり、反戦の世論を押さえ込める。政治的コストが削減できるというメリットがあります。
キャスター:そういった実態に国民が今少しずつ気づき始めているということなんでしょうかね。
堤:そういうことですね。兵士と民間労働者の比率というのは、第二次大戦の時に7対1、ベトナム戦争で5対1だったんですが、イラク戦争でほぼ同数なんですね。だからこの頃から派遣労働者という形で戦地に行く人が増え始めたということで、実感が広がってきたんですね。
キャスター:お話を伺っていると、来週の8日には新しい大統領が決まるわけですけれども、その後も引き続きそういった視点で見ていく必要がありそうですね。
堤:はい。安全保障問題は日本が米国から最も影響を受ける分野の一つですので、今この大統領選挙の報道って非常に表面的なことばかりなので、社会的・政治的コストの実態をしっかりと検証して、日本にとって何がベストかということを踏まえた国民的な議論が必要だというふうに思いますね。
キャスター:堤さん、ありがとうございました。
堤:ありがとうございました。
キャスター:今週のオピニオン、国際ジャーナリストの堤未果さんでした。
(書き起こしここまで)

[関連]
なぜ日本に“トランプ”は現れないか 堤未果 (プレジデント)- Yahoo!ニュース 2016年7月19日
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160719-00018516-president-bus_all&p=1
週刊エコノミスト記事掲載! | 堤未果オフィシャルウェブサイト 2016年10月17日
http://www.mikatsutsumi.org/news/?p=1457
【大竹まこと×堤未果×町亜聖】 政府の嘘を見抜け! 「大竹メインディッシュ」2016年9月7日放送分
https://www.youtube.com/watch?v=GuhCix7NYeQ
堤未果(@TsutsumiMika)さん | Twitter
https://twitter.com/tsutsumimika
%%%%%インタネット記事転載おわり

 次は、選挙結果判明後の安倍政権のアタフタぶりです。
%%%%%トランプ勝利を予測できず 安倍政権と大メディア“赤っ恥”
メディア 2016年11月10日
「トランプ氏は国内産業の保護やメキシコとの国境の壁建設などを公約に掲げていました。これらはいわば、グローバリズムに対する反発です。グローバリズムを定義するとすれば、巨大資本による世界規模の利潤追求であり、それが米国で1%の富裕層と99%の貧困層を生み出し、格差社会を招いた。英国のEU離脱の原動力になったのは移民、難民を制限して雇用を守る――ということでしたが、トランプ旋風も根っこは同じ。格差に対する怒りが勝利に結びついたと言っていい。メディアは世界に広がる反グローバリズム、反新自由主義の世論を理解していなかったのです」

 一方、予想外の結末に慌てていたのは安倍政権も同様だ。トランプ優勢が報じられると、官邸筋の談話として「人脈づくりから始めないと」なんて声が報じられる始末。安倍首相は夜に「日米は揺るぎない同盟国」なんて祝辞を出したが、“泥縄”はアリアリだった。
「私は全ての国民の大統領になる」「米国を再建し、アメリカンドリームを復活させる」――。ニューヨーク市で自信マンマンの勝利宣言だった。第45代大統領の座を手中に収めた共和党候補の実業家ドナルド・トランプ(70)。政府・軍での職務経験を持たない大統領は米国史上初だ。

 それにしても赤っ恥をかいたのは、日本の大新聞・テレビだ。選挙期間中、「トランプ旋風」「トランプの悪夢」と面白おかしく報じる一方で、トランプを差別主義者の異端児として勝手に泡沫候補扱いしてきた。9日の大統領選を中継したテレビ特番でも、投開票前は「ヒラリー当確」の雰囲気だったが、開票作業が進むにつれ、スタジオ内にピリピリした緊張感が漂う様子がハッキリ分かった。要するにメディアは、米国世論を完全に見誤っていたのである。

 埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏(経済学)はこう言う。
米国ベッタリ日本外交の見ちゃいられないアタフタ

 安倍官邸はマサカの展開にてんやわんやだ。トランプ当確を受けて、安倍首相は大慌てで河合克行首相補佐官に渡米を指示。「速やかに新政権との信頼関係を築くべき」ともっともらしい訓示を垂れたらしいが、時すでに遅しだ。トランプのアベ嫌いは筋金入りで、散々こき下ろしてきた。
〈安倍はトンデモナイことをした。円の価値を徹底的に下げて、米国経済を破壊している〉
〈安倍は米国経済にとって“殺人者”だ〉
 選挙戦を通じ名指しで安倍批判を繰り返し、言いたい放題だった。よほど感情的になったのか、9月に訪米した安倍はヒラリーとだけ会談。すでに共和党候補だったにもかかわらず、トランプをスルーしていたのである。国際ジャーナリストの春名幹男氏(早大客員教授)は言う。

「安倍政権は大混乱に陥っているでしょう。訪米中に挨拶ひとつしなかったことからも、トランプ側とのパイプは築けていない。イチから関係を構築するにしても、誰が政権入りするかも分からない。閣僚や官僚を含むスタッフは3000人ほどが入れ替わる。まさに手詰まりです。共和党からある程度は送り込むことになるでしょうから、そこのツテを探り、必死に働きかけるのが関の山。トランプ氏はアベノミクスを罵り、日本を中国同様に為替操作国と見なしています。円安誘導をしていると厳しい態度で迫られかねません」

 安倍はトランプに贈った祝辞で「同盟」を4回も強調。〈日米同盟の絆を一層強固にする〉〈日米同盟は、国際社会が直面する課題に互いに協力して貢献していく「希望の同盟」〉とすがっていたが、トランプにはヌカにクギだ。米国追従のツケがついに回ってきた。
%%%%%記事紹介おわり

 だからと言って、米国の日本にとってはうまい筋書きとは言えないことを以下のブログが論じています。はて、さて、どうなることやらであります。

%%%%%トランプの狙いは、日米FTAと日本の軍備増強。ペテン総理の思惑とも合致しているに違いない。(くろねこの短語)
それでもTPP国会承認?
2016年11月11日

 TPPからの撤退を公約にしたトランプが次期大統領に決まった直後に日本ではTPP承認案が衆議院を通過。普通、取引先の企業が社内抗争で社長交代したら、更迭された前社長と進めていたプロジェクトはいったんストップするもんじゃないのか。しかも、TPPに関しては日本はアメリカの下請けみたいなもんなんだから、どんなに契約続行を訴えたところで、「はいそれまでよ」って頭叩かれたら、それで一巻の終わりです。
・TPP承認案、衆院を通過 与党、発効遠のく中で採決強行
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201611/CK2016111102000129.html
 でも、ひょっとしたら、そこまで強気にTPP採決したってことは、大統領選にトランプが勝利直後の電話会談とやらで、ペテン総理は泣きを入れたのかもかもしれない。「TPP採決に関しては面子があるのでどうにかお許しを。その代わりにと言っちゃなんですが、思いやり予算はたっぷりはずみますし、なんなら軍備増強して、自主防衛ということで中国に積極的にプレッシャーかけてもよござんす」なんて具合だったんじゃないの。
 さらに、「TPPみたいな多国間交渉はやめて、この際ですから、日米FTAということでどうでしょう。もちろん。ISDS条項なんかも盛り込んで、米韓FTAをイメージしてます」とまで踏み込んでたりして。
 こんな妄想でもしなけりゃ、いくらなんだって衆議院でTPP採決なんて愚かしいことはできないだろう。
 TPP撤回の代わりに、日米FTAと東南アジア海域で米軍の肩代わりするための軍備増強。これがトランプの狙いで、それはまたペテン総理の改憲、国軍設置、核装備という野望にも合致しているのではなかろうか。「トランプ氏の大統領選勝利は、安倍政権の対米追従、沖縄軽視、社会保障より防衛関連重視の予算編成、改憲志向といった傾向をますます強化させることになるのだろう」としいう志葉玲氏の指摘は、おっしゃる通りなのだ。
・<トランプの米国>(上) TPP否定「貿易は2国間で」
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016111190070635.html
・トランプの勝因、日本への影響
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20161110-00064277/
 巷に谺する、「アメリカ大統領がトランプだからって何ヒビッてんだよ。日本なんて安倍だぞ」というつぶやきが、妙に心に刺さる雨の週末であった。
%%%%%

常陸国風土記(3、新治郡)、記憶の繋がる機構(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:枯れ枝ではありません。この時期に登場するのは珍しいのですが、笄(こうがい)ヒルです。ゆっくりと右方に体をくねらせながら進んでいました。どうも、コイツには腹黒さを感じるので、触りたくないですな。それにしても自然界は奇妙な生物を創ります。)
PA29笄ひる


 謝々(シェイシエイ)と 感謝の言を 口にして 疲れた体を 座席に埋めり

 驚きました。米国の新大統領選挙で、トランプ氏が大差でクリントン氏を破りました。クリントン氏は米国の軍産共同体の強い意向を背負い、それあってか、国内にとどまらず、カタールなど国外の多国籍企業からも巨大な資金援助を得て今回の選挙に満を持して出馬しました。さらには、米国のジャーナリズムをはじめとして、日本を含む大方のジャーナリズムがクリントン氏があたかも自由と民主主義の旗手であるかのごとき幻想を撒き散らし、それが故に、おおっぴらにクリントン氏支持を表明し、選挙民をその方向に誘導すると言う恐るべき選挙でもありました。しかし、その米国支配層の期待を見事に打ち破ったのが米国民です。米国民の勇気ある賢明な選択に祝意を捧げたいと思っています。

 昨日は江戸に出府し、所用を終えた後、新宿と秋葉原をウロウロしました。くたくた状態で電車に乗ると目の前の中年ご婦人が私の腕を軽く叩き「座れ」と合図するのです。中国語が聞こえていたので、咄嗟に出た言葉が「謝々(シェイシエイ)」でありました。ご婦人から笑顔で何か言葉が返ってきました。多分「it’s my pleasure」を意味する中国語と思われます。
 中国人旅行者の無作法振りをネットで頻繁に見て呆れていました。電車内で子供に小便させる、バイキング・レストランでは根こそぎ料理を自分の皿に積み上げるなどなどの蛮行で欧州各国ではしかるべき警戒態勢・・云々などを聞いていました。ところが、昨日の中年ご婦人と連れと思える中年男女五名、優しい笑顔で私に応えるのですね。ネットで見聞きするような人たちとは全く異なる中国人を見た思いでした。

 十年近く足を踏み入れなかった秋葉原も大きく様変わりです。まずはあの“でっかいな〜”のCMソングで知られる「石丸電気」が消失していました。電気街のほとんどの店内は「爆買い」客対応で、いたるところに中国語です。しかし、昨日は爆買いの人達は少なかったようです。店員さんも日本語を話す中国人です。いきなりの質問が「#!@&?%ᴧ?」でした。私がキョトンとしていると「日本人ですか?」と外国訛りの日本語で尋ねます。探している電気用品を彼女に告げると、「最新・高価」製品が並んでる棚に案内してくれます。「日本人、金無い、高いのダメある」と、思わず私は片言の日本語をしゃべってました。彼女は魅惑的な小さく可愛らしい唇をちょっと歪めて苦笑していました。

+++++風土記(3)
 香島郡の件は、孝徳天皇の時代のことであると風土記は書きます。日本書紀編年に随えば、645年、蘇我入鹿が飛鳥板蓋宮の大極殿で暗殺されます。この暗殺事件は、その年が太歳乙巳(きのとみ、いっし)であることから「乙巳の変」と呼ばれています。この弑は時の女帝・皇極天皇の眼前で実行されたと日本書紀は書きます。そうした事情から皇極女帝は退位し、弟の軽皇子に譲位します。この方が漢風諡号孝徳天皇です。九年後に死去し、皇極天皇が天皇位に返り咲きます(重祚)。
私は「乙巳の変」なるクーデータ事件は、その内容が蘇我入鹿の弑と言うよりは、むしろ東西に威を広げる倭国へのおおっぴらな叛乱行動の始まりであったろうと考えています。この後日本列島は戦乱に陥り、やがて九州を舞台とする「壬申の乱」へと展開します。それが日本書紀編年では西暦672年です。このような戦乱の最中、奈良の勢力が悠長に鹿嶋郡のことに関わっている余力は無かったはずです。それは早くとも日本書紀の撰上の後、つまり西暦720年以後の事であったと思っています。西暦720年直前こそ、奈良の勢力が香取の地を押さえ、その上に立って香島攻略を仕掛けたのです。

 こうした経緯を考慮するならば、常陸国風土記が書く内容は日本書紀の記載・筋書きに縛られており、そのシナリオから逸脱することはできません。藤原不比等のシナリオでは、香島を含む常陸国の奈良中央政権への服属は七世紀の半ばということになっているのです。つまり幻の「大化の改新」にあわせ、この時代に律令の法整備、支配体制の大枠が定まったとしているのです。

 常陸風土記は、香島そして行方郡への奈良勢力による攻略を、あたかも倭建命による日本列島東部制覇行動として記述しています。まずは冒頭の「総記」のくだりを見る事にします。ここでは、常陸国の名前の由来を語る中で、早速、倭武天皇が登場しています(図1:右側頁の右から九行目)。曰く“倭武天皇巡狩東夷之国幸過新治之県・・・・・“(倭武天皇が東の野蛮人のたむろする国を武力で(狩)制圧しながら、新治のほうへ進む途中・・・・・)と総記は書きます。

(図1:常陸国風土記、「総記」(風土記(小学館刊、354頁より)
161104風土記総記023

 冒頭の「総記」で、いきなり、倭武天皇の「巡狩」(軍事行動)が東国の夷人(野蛮人)征伐であることを宣言するのです。そして、本ブログを長く読んでくださっている方には、“事実を捻じ曲げるどころか、真反対に描いている”と受け取ってくれたはずです。

 繰り返しますが、事実は、奈良盆地に拠点を置く藤原不比等に統帥された軍隊が「東夷」のために、東国に侵攻し、残虐の限りを尽くしたのです。その残虐行為を為したのは「倭武天皇」ではないのです。風土記が書く「倭武天皇」は、宋書東夷伝に記載される倭王「武」の英雄譚を藤原不比等の描いた史観にそって記紀に移し変えた人物です。実際、倭王「武」は東進どころか、むしろ南進後九州に向かって西進した英雄です。

 さて、風土記を丁寧に眺めていると、またもや本題から逸れて行きかねませんが、次の新治郡での記載に若干ふれておきます:

(図2:常陸の国風土記「新治郡」
161109風土記新治001


 冒頭に「為平東夷之荒賊、俗云阿良夫流尓斯母之、・・・・」とあります。『東夷』をここでも連呼して東国の耶馬人征伐であることを強調するのは既に書きました。私が着目しているのは
「阿良夫流尓斯母之」です。これは、どうやら本文の脇に注として誰かが書き加えたようです。風土記の現代語訳をしている植垣節也教授もその文意解読に困惑したようです。
  そのまま読み下すならば「あらぶるにしもの」つまり「荒々しく暴れる西から来た奴ら」となります。しかし、そうした荒々しい人は、まさにそこ常陸国にいるわけですから、「西者」(にしから来た者)では無いのです。西を「遠く西域、つまりペルシャ」から来た人たちと解釈すると、意味が通るのです。つまり、常陸風土記執筆者群に「見識ある知識人」が加わっており、彼らが風土記完本後こっそりと書き加えたのではなかろうか、と私は想像しています。

 ところで、古代文献を眺めていると「波斯」(はし)、または「破斯」(はし)と言う漢字を見ます。これは「ペルシア」の中国語表記です。日本の古代学文献では「はし」とルビを振り、「ペルシア」を意味すると解説します。学研大漢和辞典(藤堂明保監修)によれば「波」に付されている音のラテン文字表記が「puar」です。これに「斯」をつけると「プアルシ」つまり「ペルシャ」になります。これは『波』が「破」に変わっても同様です。
 ところで上の風土記での漢字表記です。「夫」の音のラテン文字表記は「piu」です。これに従えば「夫流尓斯」は「ピル(ニ)シ』つまり「ペルシア」に近い音となるのです。どうも、誰かが藤原不比等一派の横暴に対してこっそりと造反していたのではなかろうかと想像しています。

(つづく)

+++++How the Brain Builds Memory Chains(2)
 前回紹介した記事の後半部分です。記憶の積み重ねは知識ではない。記憶の間に連関を発見し、更には「蓋然性」を発見する。これが知識であり、「知」である。そこへの経路を研究する人たちの着実な認識の前進を以下の記事が書いています。

%%%%%Recollections of successive events physically entangle each other when brain cells store them
記憶を辿る機構
By Sara Chodosh on July 21, 2016
 
一連の事象を思い出すという脳内の作業は脳細胞が自らの内に蓄えているそれらを互いに絡み合わせることである。

The question was, did that principle apply to two memories that happen close together in time? Neurons in a newly formed memory trace are subsequently more excitable than neighboring brain cells for a transient period of time. It follows then that a memory formed soon after the first might be encoded in an overlapping population of neurons, which is exactly what Frankland and study co-lead author Sheena Josselyn, found.
Mice who formed a fear memory—one where they were given a foot shock in a particular environment—and then formed a second memory six hours later had formed those two memories in overlapping engrams. The rodents who formed the same memories 24 hours apart had separate sets of neurons related to each memory.
Josselyn, a neuroscientist at SickKids and the University of Toronto, and Frankland’s group was also able to tinker with the link between two memories by adjusting the excitability of neurons during different time points. Mice should normally form separate memories when events happen 24 hours apart, but when the researchers re-excited the neurons in the first memory engram while the second memory was forming, they could artificially link those experiences.
 疑問は、その原理は、時間的に近接して発生する二つの記憶に適用されたのか?というものです。記憶経路に新たに形成されたニューロンは、過渡的時間のために、周囲の脳細胞のため、より興奮していることになる。そのニューロンの重なりこそが、Frankland and study co-lead author Sheena Josselynが見つけたものだ。
 特別の環境で足にショックを与えられるという恐怖体験記憶を有し、6時間後の二番目の記憶が重なり合うengramsの中に二つの記憶をその実験鼠は形成している。24時間離れて、同じ記憶を形成した齧歯類は、各メモリに関連するニューロン・セットを分離していた。
 Josselyn, a neuroscientist at SickKids and the University of Toronto, and Frankland’s groupは二つの記憶の接合をいじくることが出来た。それは別の時点でのニューロンの興奮具合を調節することで、それを可能にした。鼠は通常は24時間はなれて事象が発生するときには別の記憶を京成するのであるが、二番目の記憶を京成している間に研究者が最初の記憶engramのニューロンを再励起すると、それらは人工的にこうした体験を接続してしまう。

When they tried to disentangle memories that happened six hours apart, however, they ran into trouble. Decreasing the excitability of the neurons in the first memory during the second event seemed to prevent the second memory from forming. “We were blown away by that,” Josselyn says. In these types of experiments, she explains, they are only ever manipulating about 10 percent of the neurons in the amygdala. If this second memory cannot form, however, that implies something is changing in the other 90 percent of neurons. Their findings mean that neurons are competing to be included in the new engram, and in this competition excitability rules. That 10 percent of neurons are the winners because they inhibit the other 90 percent—it is winner take all.
 しかしながら、6時間離れて起こった記憶を解きほぐそうとすると、トラブルになった。2つ目の事象の間に第一の記憶の中のニューロンの興奮性の低下が二番目の記憶形成を疎外するようになった。「私たちは、そのことによって吹き飛ばされた(これまでの理解が粉砕された、と言う意か?)」とJosselyn氏は述べている。これらのタイプの実験では、扁桃体のニューロンの約10パーセントを操作している。と彼女は説明する。しかしながら、この第二の記憶が形成することができない場合は、そのことは、残りの90パーセントで何か起きていることを暗意している。彼らの発見は、神経細胞が新しいengramの中と競争的興奮度ルールにもぐりこもうとしていることを意味している。その10%のニューロンが勝者である。何故なら他の90%の参入を抑えるのだから。

Being able to look inside a brain at this level of specificity is wholly novel, says neuroscientist Steve Ramirez at Harvard University who was not involved in the new study. “It’s the kind of research that literally 10 years ago it would have been just bananas to think that we could go in and find these memories,” he says. “The future of this research is to get a blueprint of how memory works.”
Although the researchers could only look at two memories at a time, the ultimate goal is to understand a whole network of memories. More than that, Josselyn says, the aim is to understand how memories layer on each other. Put more simply, she adds, “what is knowledge, as opposed to what is a specific memory?”
 特異性のこのレベルで脳の内部を見ることができるということはまさに小説である、と、この新たな研究に関与していないneuroscientist Steve Ramirez at Harvard Universityは述べている。「そうした領域に入り込み、こうした記憶を見つけ出すと考えるのは10年前であればまさにとんでもない研究であった。この研究の未来はどのように記憶と言う門が働くのかと言う研究についての青写真である」と彼は言う。
 研究者は一度に二つの記憶を単に見ることはできたが、最終的な目標は、記憶のネットワーク全体を理解することである。それ以上に、その目的は、記憶が互いにどのように階層をなしているかを理解することだ。と、Josselynは言う。もっと簡単に言えば、「特定のメモリであるものとは対照的な、知識とは何か?」と、彼女は付け加える。

To answer that question they must enter largely untrodden territory. To date this study is only the second of its kind. Josselyn and Frankland studied overlapping memory formation in a brain region called the amygdala, associated with fear experience recollection. In a Nature article published in June neuroscientist Alcino Silva at the University of California, Los Angeles, and his colleagues found the same principle to hold true in the hippocampus, which stores more factual knowledge.
The interaction between memories is in fact a fundamental part of how we form a coherent view of the world. That is a massive goal but these experiments have pushed us in the right direction. “This is a stepping-stone toward understanding how we link information across time,” Silva says, “and I think that’s one of the great mysteries of science because behind that is our ability to understand our world.”
 その質問に答えるためには、全く未踏の領域に入いる必要がある。これまでに本研究は、その種の第二に過ぎなかった。Josselyn and Franklandは恐怖体験回想に関連付けられていた扁桃体と呼ばれる脳の領域の重複記憶形成を研究してきた。Nature誌 6月に発表された論文で、neuroscientist Alcino Silva at the University of California, Los Angeles, and his colleaguesは、より多くの事実に基づく知識を格納する海馬に対して成立する同じ原理を発見した。
 記憶間の相互作用は、実際には、我々は世界のコヒーレントな認識がどのように形成されるかについての基本的な部分である。これは、大規模な目標であるが、これらの実験は、正しい方向に私たちを突き動かしてしている。「これは、時間経過にまたがって情報をリンクする方法を理解するための踏み台で、科学の大きな謎の一つである。何故ならその背後に私たちの世界を理解する能力あるからだ」と、Silva は言う。
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常陸国・香島郡、記憶を辿る機構

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当集落の鎮守様・拝殿への参道が緑の苔で覆われています。不思議に思っていることは、モグラの穴掘り工事跡が、参道の左側に偏在し、右側にはありません。なぜかなと考えています)
PB02鎮守様1

 
おだやかな 小春日和に ウトウトと 額(オデコ)でキイを 叩きけるなり

 ここ数日、暖かい日々が続いています。明日のブログ記事の準備をしつつ、居眠りをしています。何処からとも無く蚊の憎たらしい羽音がまとわりついて目をさまします。が追い払って再びウトウトであります。かくして首が前面に折れ、キーを顔で叩きました。

+++++常陸風土記(2)
 先代旧事本紀の十巻である国造本紀(くにのみやつこもとふみ)は、日本列島に135の国を置き、夫々に国造と呼ばれる「首長」をおいたと記します。しかし、ここには常陸国はありません。そのことを常陸国・風土記は冒頭で書いています。本来その冒頭をまず、考察すべきところでしたが(次回考察予定)、「息栖」の所在地にまずは関心があったため、いきなり「香島」郡の話となります。

常陸風土記の『香島』のくだりは、
“孝徳天皇五年(大化五年、西暦649年)に大乙中臣兎子などが惣領・高向大夫に請うて「下総の海上(うなかみ)造の領地、軽野より南の一里、と那賀国造の領地、寒田の北五里を割いて新たに「神の郡」を置いた。そこに居られる天大神の社、坂戸社・沼尾社の三処を併せて全てを香島の天大神と称す。こうして香島郡ができた”
との文で始まります。
香島郡が出来上がる経緯は興味深いものがあります。まずは、既に天大神の社、坂戸社があったと書きます。本ブログ管理人が描いてきたシナリオに随えば、その社は間違いなく五世紀半ばに設営された高・一族の陣屋であった。そして、その陣屋は、多分八世紀始めごろには、中央政権の軍事攻勢に備えた要塞と化していたのではなかろうかと想像しています。「社」は「屋代=屋城」であったろうと思います。
以前書きましたが、「社」(やしろ)は古代ペルシヤ語の「ashras」(ラテン文字表記)の転じた語ではなかろうかと思っています。この語の「音」から連想するのは仏教に登場する「阿修羅」です。仏教の守護神としての側面とヒンヅー教での悪神としての側面など中々厄介な存在のようです。ウィキはこの存在にゾロアスタ教の影響も見ることができると書きます。私はどれも事実なのであろうと思っています。
紀元一世紀ごろの西アジアから東アジアにいたる広大な地域は匈奴の西進などとあいまって、宗教、或いは思想が大いに混ざり合っていた筈です。その中から、「あしゅら」を「勇敢な」と言う意味に捉えた部族が遠くベーリング海を渡りサハリン・北海道を南下しまずは須賀川に一大政治拠点を築いたのです。

この部族が一時期滞留したのが、青森県下北半島の中央部「恐山」(おそれ)です。この名称は古代ペルシャ語「オシロ」に由来します。どのような事情があったのか?全く想像できませんか、その滞留地が以後、長く東北寒村で飢えと貧困に苦しむ農民に「救いの言葉」で安らぎを与える聖地になったのだろうと想像して居ます。しかし、現在そうした深い思想的・歴史的背景の残影をこの地に見ることはできません(8月10日記事恐山 )。

勇者の拠点として「オシロ」と呼んだ構築物がいつの間にか「ヤシロ」に転化したのでしょう。そして、そのヤシロを「社」で漢字表記をする。「社」の原義は「土地の神を祀ったところ」と言う意味です。この風土記を著した時点では、香一族は滅ぼされており、鎮魂を込めて祀られていたので、「社」なる表記をしているのです。そして、近日中に詳しく考察しますが、これが「斎」なるものの一つの内容であると思っています。

さて香島郡を定めるに当たってその南の境界が「軽野」の南にある「一里」(さと、集落とでも理解するのでしょうか)です。これが現在議論している旧息栖の地です。その際、下総の海上も合わせたと書きますから、これは、香取とも思えます。が定かでありません。いずれにしても息栖近辺では利根川を挟んで南岸域の一部をも香島郡に取り込んだと、風土記は書きます。
(つづく)

++++どのように脳は記憶のつながりを作るのか?
Scientific American誌7月21日号が脳と記憶に化する記事を掲載しています。面白そうですので、以下に二回に分けて紹介します。
%%%%%記事紹介はじめ(1)
記憶を辿る機構 
How the Brain Builds Memory Chains
Recollections of successive events physically entangle each other when brain cells store them
By Sara Chodosh on July 21, 2016
一連の事象を再収集するという作業は脳細胞がそれらを脳に蓄えるときには互いの混乱を物理的には引き起こしている。

Think about the first time you met your college roommate. You were probably nervous, talking a little too loudly and laughing a little too heartily. What else does that memory bring to mind? The lunch you shared later? The dorm mates you met that night? Memories beget memories, and as soon as you think of one, you think of more. Now neuroscientists are starting to figure out why.
When two events happen in short succession, they feel somehow linked to each other. It turns out that apparent link has a physical manifestation in our brains, as researchers from the Hospital for Sick Children in Toronto (SickKids), the University of Toronto and Stanford University describe in this week’s Science. “Intuitively we know that there’s a structure to our memory,” says neuroscientist Paul Frankland, affiliated with both the University of Toronto and SickKids. “These experiments are starting to scratch the surface of how memories are linked in the brain.”
大学の同級生に最初に会った時を考えてみよう。多分ナーバスであり、幾分大声で話し、大げさに笑ったりしただろう。他に何か心によみがえるものはありますか?後でランチを分け合いましたか??あなたはその夜、寮の仲間と会いましたか?思い出は思い出を生む。一つの事を考えると、さらに何かを思い出します。今、神経科学者は、その理由を理解し始めている。

2つの事象が相次いで発生すると、それらは相互にリンクされている感じる。見かけ上のリンクが脳の中では物理的実体をもつことがわかってきた、とthe Hospital for Sick Children in Toronto (SickKids), the University of Toronto and Stanford Universityの研究者達が今週のScience誌で書いている。「直感的に我々はメモリへの構造があることを知っている」と。neuroscientist Paul Frankland, affiliated with both the University of Toronto and SickKids.は「これらの実験は、記憶が脳内でどのようにリンクされているかについての謎の表面部分について引っかきはじめている」と言う。

In your brain, and in the brains of lab mice, recollections are physically represented as collections of neurons with strengthened connections to one another. These clusters of connected cells are known as engrams, or memory traces. When a mouse receives a light shock to the foot in a particular cage, an engram forms to encode the memory of that event. Once that memory forms the set of neurons that make up the engram are more likely to fire. Furthermore, more excitable neurons—that is, brain cells that activate easily—are more likely to be recruited into an engram, so if you increase the excitability of particular neurons, you can preferentially include them in a new engram.

あなたの脳、そして実験用マウスの脳で、思い出すと言う作業は互いのニューロンの接続が強化されることで表現される。こうした繋がりあう細胞の集まりはengrams又は記憶追跡として知られる。マウスがある特別のカゴの中で軽いショックを受けるとan engramが形成されその事象の記憶を記号化する。一旦、記憶がニューロの集合を作るとthe engramが活性化しやすい。また、より興奮し易いneuronすなわち簡単に活性化する脳細胞はよりan engramに取り込まれやすくなる。すると、もし特別なニューロンをより興奮させるならば、新しいengramをそのニューロンの中に優先的に含めることが出来る。

(つづく)

常陸風土記、生物種の危機(nature誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:11月1日付東京新聞投書欄で見つけた写真です。Youtubeでこれに類する写真は時々見ますが、北関東のお住まいの方の家の庭で撮影というところがなんともすごい・・・・)
161102蛙蛇


 三すくみ 輪っかの一部 眼前に 踏ん張るカエル 何を思うか

 蛇と蛙、そして蛞蝓は「三すくみ」、つまりこの強弱関係は「閉じた輪」作ります。この写真を撮った方には、この現場に蛞蝓を投入して欲しかったですな。今朝は『資源ゴミ』回収日とあり、安佐5時ごろ回収場所に行きました。日の出前の非貸しの空が明らみ、浮かぶ雲の縁が橙色に輝き空の青と絶妙の対照を成しています。この色合いはまさにイタリア絵画で見た「フレスコ画」のそれです。話は逆なんでした、フレスコ画が実際の空の色を写し取ってるんですね。と、思うと、イタリアの昔の画家が、この色をキャンバスに写し取るのに払った多大の努力・工夫に想いを馳せた次第。
 
+++++東国三社(6)
風土記についてWikiはwiki は以下を書きます:
%%%%%WIKI記事抜粋
風土記(ふどき)とは、奈良時代初期の官撰の地誌。元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、主に漢文体で書かれた。律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は、各国の事情を知る必要があったため、風土記を編纂させ、地方統治の指針とした。[2]
『続日本紀』の和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日)の条が風土記編纂の官命であると見られている。
(中略)
写本として5つが現存し、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損して残る[4]。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用された一部が残るのみである。ただし逸文とされるものの中にも本当に奈良時代の風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。
%%%%%
 風土記の中には、逸文と呼ばれるものがあります。風土記本体は発見されていないけれども、何がしかの書物に『風土記からの引用』として出典が記されていることがあります。いわば風土記の「欠片」(かけら)を逸文と言うのだそうです。下記の風土記が「逸文」として引用されていると、Wikiは書きます:
山城国風土記※、摂津国風土記※、伊勢国風土記※、尾張国風土記※、遠江国風土記※、
陸奥国風土記※、越後国風土記※、丹後国風土記※、伯耆国風土記※、備中国風土記※、
備後国風土記※、阿波国風土記※、伊予国風土記※、土佐国風土記※、筑前国風土記※、
筑後国風土記※、豊前国風土記※、肥後国風土記※、日向国風土記※、大隅国風土記※、
壱岐国風土記※
上のウイキ記事が書く和銅6年の詔に先だつこと五年の和銅元年に看過できない詔が発布されています(2012年9月14日記事(焚書 古代の焚書 ))
%%%%%続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
《和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一)》和銅元年春正月乙巳。武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も語句につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
%%%%%抜粋おわり

 712年が古事記の撰上、720年が日本書紀の撰上と続日本紀は書きます。その『史書』の編集作業の終盤で、列島内には様々な「禁書」があったのです。近く、完成する古事記なり、日本書紀なりの「日本列島歴史書」が、これらの禁書と整合しないことを不比等は怖れたのです。そこでその禁書を完全に歴史から抹殺、葬り去るとの重大な決意をしたのです。

 さて、風土記の詔は古事記撰上の翌年です。古事記編纂作業途上で回収された『禁書』群を吟味し、どうやら「妙な記載」が出てこないであろうとの判断を下したのでしょう。かくして、次の作業は古事記を改定し最終的な「正史」の完成を目指すことになった。その際に集まった『風土記』が活用されたのです。しかし、集まった風土記は最終編纂過程にある日本書紀の『藤原不比等史観』にそぐわないものがあったに違いありません。

 かくして、完全本に近い風土記は僅か五冊。つまり、この風土記だけは、日本書紀編纂方針に抵触しなかったのです。残りは廃棄されているか、或いは、全く作成されていないのです。

 風土記作成時期を念頭に置いて、改めて現存するもの、逸文として出現するものを眺めると合点が行くことが多いのです。
(図1:風土記の完本、又はそれに近い文書が残されている古代の国。東国は常陸だけであることに注目されたし)
161104風土記004


 一つは東国を語る風土記の存在です。熾烈な「陣地争い」があったと思われる常陸の国に多くの記述を割きます。野蛮人の跋扈する「常陸の国」が中央から派遣された文明人に服してゆく様子を書きます(私は、この記述について詳細な検討を後日加えます)。しかし、東国に関してはそれだけです。下総、上総でも熾烈な戦いがあった筈ですが、風土記はありません。
 さらには、万葉集85歌の主人公”毛長女”(けながひめ)の舞台「下毛野」、「ワカタケル」なる王名が刻まれた鉄剣が出土した「上毛野」、および「肥後」についても風土記が作られた様子はありません。東国の政治的拠点があった「磐瀬」については、風土記が「逸文』ですら残っていません。こ

 こうした欠落について、記紀史観に縛られる古代学研究者はいかなる疑問も持ちません。ワカタケル王も、飯豊姫も全て奈良盆地にいたと信じて疑わないからです。

 風土記の地理的偏りには、藤原不比等の政治的思惑があったと思うべきなのです。壬申の乱の主要舞台であった筈の「肥後国」、敗者を押し込めた「信濃国」などについて風土記が遺されていないのも同様の政治的思惑によるのです。

 このような作成時になされた時の権力の政治的思惑を念頭に入れて、「常陸風土記」にもどります。前回書きましたが、まずは郡の記載順に私は違和感を覚えています。

 前回記事の該当部分を再掲します:
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、香島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)

 記載は常陸国中西部に始まり、南部の郡を経て中央郡へと反時計回りにすすみ東部の行方、鹿島と移ります。その上で常陸の国北部へ移ります。その順序は南から北の順に記載されます。
 南半分を先に書き、北半分を次に書く。これは、日本書紀が書く日本建命の東国制覇、あるいは祟神天皇紀が書く「武渟川別命」の東征譚にしたがっているのです。そうであるならば、南半分の記載も通説言われているように「香島から上陸し・・・・」と言うわけで、南から北へ北上する順で記載するはずが、北西から始まっているのです。私は、倭王武の南進に強く影響されている記述ではなかろうかと考えています。

 さて、現時点でのブログの主題である「息栖」です。まずは風土記の原文を見る事にします:
(図2:「風土記」(植垣節也・校注、小学館、1997)、より。「香島」の件の先頭部分。右端に原文、左頁は訳注。」
161102風土記鹿島」

 
 上図で左の訳文を見る事にします。まず「香島」です。これは「コウシマ(又はカガシマ)」と訓(よ)まれて居たはずです。つまり「高一族(中国史書では「興」)」の支配する地の拠点と言う意味です。「コウ」は「カガ」とも音されるます。「カ」音を喉奥から強く息を吐き出して発音すると「カガ」になるからです。実際、既に書いてきたように常陸国に登場する悪神は「香々背男」と漢字表記されます。「香々」は「コウ」と同一なのです。万葉集14歌の冒頭は「高山・・・」で始まります。これは「カグ山」と訓(よ)みます。何故ならこれは「香具山」だからです。なぜ風土記は「高島」に書かずに「香島」と標記するのか?ここにすでに編集を支持した中央権力の意志が貫徹しているのです。
「高」と標記することで、歴史の経緯・背景を知識ある人が想像するかも知れない事を危惧したからです。
 
(つづく)

+++++科学雑誌トッピクス紹介
nature nature 2016.11.03
EVENTS
Italy hit by strongest quake in decades A magnitude-6.6 earthquake struck central Italy on 30 October, the most powerful such event in the country since 1980. The epicentre was about 115 kilometres northeast of Rome. The town of Arquata del Tronto suffered heavy damage and Norcia’s cathedral was destroyed, but no fatalities were reported. Italy’s civil protection agency said that more than 15,000 people are in temporary accommodation. The quake follows a series of tremors last week, and many towns in the region had already been evacuated following the magnitude-6.2 earthquake that hit the same area on 24 August and killed nearly 300 people, many of them in Amatrice (pictured). Geophysicists have been concerned about continuing activity in the region’s complex system of faults.

文意:イタリヤは最近数十年で最大の地震に襲われた。
 M6.6地震が10月30日イタリア中部を襲った。1980年以後では尤も大きな地震であった。震央はローマの北東約115kmであった。Arquata del Trontoの町は大きな損層を受け、Norcia’sの聖堂が崩壊した、が死者は報告されていない。イタリアの防災局によれば、一万五千人が避難した。その地震は先週からの一連の地震活動が先行していたこと、そして、その地域での多くの町ではすでにあの8月24日に300名もの人命を奪ったM6.2地震以後避難していたためである。300名の犠牲者の多くはアマトリチェの住民であった。研究者達はこの地域の入り組んだ断層系で起きている地震活動の監視を続けている。

(写真:Massimo Percossi/ANSA/AP Amatrice in central Italy has suffered extensive damage from the earthquakes.)
161030Italyquake


TREND WATCH (趨勢監視)
Wild populations of mammals, birds, amphibians, fish and other vertebrates declined by 58% between 1970 and 2012, according to the Living Planet Report 2016, published on 27 October. Freshwater populations, which fell by 81%, are thought to be faring worse than terrestrial ones. Habitat loss is the main threat, with overexploitation and human-induced climate change also major culprits. If the trend continues, by 2020 the world will have lost two-thirds of its vertebrate biodiversity, says the report.
 哺乳類、鳥、両棲類、魚、それ以外の脊椎動物の個体数が1970年から2012年の期間に58%も減っていると10月27日に刊行されたLiving Planet Report 2016,誌が書いているhttp://c23.biz/9zxF 。81%もの減少と見積もられる淡水生物は陸よりも環境がより悪化したためと考えられて居る。生息地を失うことは主要な脅威である。過剰な開発、人が引き起こした気候変動なども主要な原因である。もしこの傾向が続くと、2020年までには世界は脊椎動物の多様性の3分の2を失うだろう、とその報告者は書く。
(図3:生物種個体数の減少傾向)
nature-trendwatch-3-nov-2016

%%%%%

息栖神社(5、東国三社)、10.30イタリア地震、TPP

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:刈り取りを終えた田で、一人ぼっち(一羽ぼっちというべきか)土を突く白鷺)
PB020002


グローバルな 企業こそを 守ります 市場経済の 本心そこに

  今週の金曜にもTPP条約の批准が安倍首相の”嫌う“「強行採決」ではなく、国会衆議院を通過するとのことです。私の危惧を以下に繰り返しておきます:
この条約の本質はISD(Investor State Dispute)条項にあると考えています。各国の政府は自国民の生活安定と安全確保のためにしかるべき政策を取る義務と責任があります。例えば、車の廃棄ガス排出規制、走行スピード規制、薬品の安全規制、食料の安全規制(GMO、牛肉、米、柑橘類)、医療保険等々です。その政策に企業がクレームをつける権利をISD条項が明記しているのです。
 日本にそうしたクレームをつけるのは米国ではなく、米国のお面をつけた多国籍巨大企業であることが、TPPの本質です。彼らが、“市場経済という”錦の御旗を振りかざして各国の安全政策を敵視しかねないのです。多国籍企業はその国の政策が自らの企業活動を妨害していると見なした途端、「商売妨害」として国際法廷に訴えることができます。それがISD条項が企業に付与する提訴権です。この審理を貫く思想は「自由経済」です。これこそが審決の基準となります。おのずからその結果は100%近く企業側の勝利となります。

 現在の米国にとって目ざわりの一つが「日本の国民医療皆保険」です。「何でも裁判」と「何でも保険」(ユダヤ人が編み出した金儲け術、ベニスの商人が良い例)は、米国における新たな錬金術です。そこで、この日本の制度がISD裁判にかかれば、現在の医療保険制度は、保険産業のじゃまになるとの位置づけ認定がされるかもしれません。国ぐるみで自由たるべき保険活動を妨害していると認定されるからです。
 同様が薬品。日本の薬品審査は一方で血友病での非熱処理薬剤を米国の圧力であっさりと認可したが、全体としては安全サイドに立ってきました。しかし、薬品産業でぼろもうけをしてきた薬品製剤多国籍企業にとっては目障りであったのです。TPP後は充分安全性の確かでない薬品が出回る可能性があります。米、牛肉など、膨大な薬剤を投与された農業食品への日本政府による規制も今や風前の灯です。実際、牛肉の規制は、これまでは20ヶ月までの若い肉が安全とされていたが、より危険な高齢(48ヶ月)牛肉の輸入がすでに認可されています。TPPではこうした規制もISDにより取り払われる惧れがあります。
 米国では二人の大統領候補が揃ってTPPには反対との意思表示をしています。その理由は、自国の労働者の雇用が狭められるからとの米国民の意思を反映したものです。他国のの主権を損なうことへの配慮ではありません。

+++++東国三社(5、沖洲か息栖か?)
 「東国三社の一つである息栖神社の旧所在地は利根川河口北岸(日川域)のやや南、利根川河口内に形成された中州であった。それを定めた時期は香取神社の地を渡来族の新たな拠点に定めた後であった。」
 とのシナリオを頭に描きつつ、拠点の位置なぞを計算してきました。ところが、前回計算に基づいて描いた図によって、そうしたシナリオがひっくり返されてしまいました。

 さて、どうするか?何か“書かれた”手掛かりは無いものか!「常陸国風土記」はどうであろうか?それは新しい東国の支配者である藤原不比等一族によって厳しく検閲された筈です。当然記紀史観を逸脱するような記述は削除されているでしょう。とはいっても、もしかしたら「行間」に何かを嗅ぎ取ることが出来るかもしれません。詳細は別に考察しますが、二・三気づくことを書いておきます:
 今、私が参照しているのは「風土記」(小学館、植垣節也 校注・訳者 1997)です。それに拠れば、常陸風土記は十節からなります。この見出しだけ見ても興味深いことが見えてくるのです。上記本は夫々の節について原文と訳文を併記します。以下はその節に使われている頁数です。
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、鹿島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)
 何と言っても断トツに多くの頁数を使っているのが行方郡と鹿島郡です。次に久慈郡です。八溝−鹿島線、那須岳―香取線が通過する郡に対応することがわかります。三つの郡がとりわけ重視されたことを暗意しています。鹿島郡の冒頭の記載など、さらに興味深いこともあるのですが、それは次回に譲る事にします。ここでは、常陸国を構成する郡の配置、その中で、現時点で本ブログが関心を寄せている「旧息栖」と思しき場所を示しておきます。
(図1:常陸国の郡配置、日川に相当する場所が、丁度本のページのつなぎ目に当たっています。上掲「風土記」より)
常陸風土記


風土記を眺めることは次回にして、まず事実をもう一回整理します:
 五世紀末に八溝山頂に見晴台を設置し巨大な宗教的拠点配置事業が始まった。
 六世紀の前半(計算では西暦527年頃)、その事業は終了した。拠点の最終端の地は、利根川河口の中州であった(中州の手前にある日川でも良かったのかもしれない)。しかし、その地は洪水、あるいは巨大地震による津波の遡上など、防災視点からは極めて不安定であることが程なく判明した。代替地として、現在の鹿島に拠点が移築された。
 しかし、この旧息栖の地は海洋進出の拠点として長く廃棄されなかった。「息栖」の「イキ」は「オキ」の転化したものである。「オキ」は古代ペルシヤ語「oqyanus」(ラテン文字表記)に由来する。古代ギリシャ語で「オケアノス」は海洋を意味する。つまり遠く西域から渡来した部族が、ギリシャから伝わった外来語をそのまま用いていたんですな。
 かくして、「息栖」はまさに外来語であり、その原義は「海洋」であった。この地(旧息栖)は、磐瀬から八溝山―鹿島聖線を南下したサカ・高・アイヌ連合体の西進の基点となった。彼らの西進の軌跡を彼ら自身が為した「マーキング行為」で辿ることが出来る。まずは房総半島先端の「安房」(アバ=火が転じた)、三浦半島の横須賀の「スカ」はまさに「サカ族」に由来。そして「相模」の「サガ」は「スカ→スガ」の転じたもの。そして「駿河」(スルガはスガに由来)。この西隣に発したのが「相良」(サガラ)姓(『姓氏家系大辞典』(角川書店))。そして「渥美」(アツミ)半島の「アツミ」は「安積」(アズミ)の転化したものである。そしてそれは「積」が「シャク」と音することから「アサカ」に転じた。「ア」は「アベ」であり「火」または「明」。「アツミ」は「火を奉ずるサカ」族。福島県のJR駅「安積永盛」を思い起こすだけでよい。これが日本列島古代史で尤もよく知られる用語「アスカ」の起源。紀伊半島の南端近く「熊野」に、「アイヌ族」の信仰対象を「マーキング」し、四国に入り「阿波」(アハ=アバ=火)の足跡を遺して、九州の鹿児島(カゴ=カガ=高)に達した。この経路の多くの部分が「武王」又はその息子・孫の日本列島縦断の足跡戸思われる。そしてこれを逆さまに、つまり二誌から北へと描いたのが古事記の武倭尊であり、日本書紀の日本建命である。(扶桑国王蘇我一族の真実」を著した渡辺豊和氏はこの旧来の「常識」を覆した。

 上述の経路は日本列島縦断のいわば東南経路で、開拓されたのが西暦520年前後。とすると、やや遅い。とするならば、当然「北西経路」もあった筈。これはいきなり新潟の「青海」に陸路(あるいは阿賀野川沿い)で出て南西に進む。「加賀」(カガ=高)を経て出雲、「石見」(イワ=磐)をへて九州へ達する経路だ。そこから内陸に入り佐賀(サガ)平野です。そこで、見聞したのが「邪馬台国」の跡地です。その感動を詠ったのが万葉集一巻の一・二歌です。

 こうして、渡来族は邪馬台国跡に住んだ現地住民とも共生・融和して東日本(日出国)と九州を拠点とする西日本(日入国)を統合する巨大な倭国を形成するに至ったのです。但し、奈良盆地に盤拠した一族を統合することはできなかった。激しい抵抗があったのやも知れません。その抵抗がやがて暴力的な「反抗」となり、八世紀以降の「東夷」つまり「東国に住まう夷狄(野蛮人)征伐」と銘打った東国政権の「暴力的殲滅」の軍事行動となるのです。

 以上、簡単に私の古代史観を概略しました。香取地の拠点設営は藤原不比等一族による「東夷」の謂わば「二回戦」とも言うべきものです。一回戦であった「壬申の乱」の成功に味をしめたのです。
(つづく)

+++++10月末のイタリア地震
 イタリアの背骨たるアペニン山脈中央部で、つい先日の8月24日に被害地震が発生しました。ほぼ同じ場所で、10月30日に、死者こそ出なかったものの15,000名もの住民が避難する騒ぎとなった地震が起きています。BBCネットニュスが以下を報じています:
%%%%%BBCnews(抜粋、日本語訳はつけません)
BBC News (BBC on Italy quake)
Italy quake: At least 15,000 in temporary shelters

Italy's most powerful earthquake since 1980 has left more than 15,000 people homeless, according to the country's civil protection agency.No-one was killed in the quake but 20 were injured and damage to the area round the town of Norcia is extensive.The 6.6-magnitude quake struck near the central region where nearly 300 people were killed by a quake in August.Prime Minister Matteo Renzi is chairing a meeting of his cabinet to discuss emergency reconstruction.(中略)

Sunday's quake - 6.6 as measured by the US Geological Survey - came on top of August's quake and two last week of magnitude 5.5 and 6.1.Other towns and villages to have suffered damage include Castelsantangelo, Preci, Ussita and Arquata.Central Italy has seen several major quakes in recent years. Earthquakes which devastated the town of L'Aquila in 2009 and Amatrice in August this year killed about 300 people each.But they both measured 6.2 and were deeper than Sunday's earthquake.
%%%%%

この地震の情報を以下に書きとめて起きます:
(表1:Global Cmt Catalogueによるこの地震の解析結果)
Perugia161030

10月28日の地震は地下489kmに起きた深発地震で、アフリカ・プレートがイタリヤの地下深くに潜り込んでいると理解されています。が、既に潜り込み運動は停止しており、大昔に潜り込んだプレートの欠片(かけら)内で発生する地震との説もあるようです(http://c23.biz/jcFv )。発震機構解は図2を参照してください。この地震の非DC成分は“−8.4%”と算出されます。計算上は圧縮応力が大きかったことを示しています。総和を0とするために負量が非DC成分として残るからです。
 10月30日の地震は、8月24日の地震・震央の近傍で発生していますから、8月に始まった地震活動の延長上にあると理解すべきかもしれません(発震機構解は図2)。非DC成分は“8.1%”と産出されます。張力が大きかったとの算出結果の反映です。

(図2:IRISによる震央(IRIS )。この地震に先行して、イタリア西部の深所におきたM5.8の地震も示しています)
Italy16Octfps


 長靴型のイタリア南半分を北西―南東に走るアペニン山脈。その背骨中央部近辺で起きる地震が北東―南西方向の張力に支配されていることが、図3の発震機構解と比べることで改めて再認識できます。
 それにしても、このところ、日本とイタリアで起きる地震は顕著な前震活動が先行するという共通現象が見られます。にもかかわらず、その後に大きな本震が続くのかどうなのか?それを見極める手立てが無いようです。地震が続くようであれば、とりあえずは警戒する。それしか自らと家族を守る手立ては無い。これが地震防災の現状です。
 (図3:9月5日ブログ掲載の図再掲 イタリアの5つの被害地震
 五顕著地震


 

東国三社(4、息栖神社)、物理脳(米国科学誌より)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真: 左側の煙は朝靄ではありません。籾殻を焼く煙です。昨今は自働稲刈り機が夥しい量の籾殻を「排泄」(下品な表現、お許しください)します。その籾殻があぜ道のあちこちに積み上げられています。それに火をつけ、中に芋を突っ込んで、焼けるのを待つのが近所の婆(ばあ)様たちです。)
PA31籾殻焚


 秋の田の 積み上げられた 籾殻で 焼き芋待つは ばあさま二人

 先日、畦を歩いていると、二人の老婆から声をかけられました。「食ってけ」と。手にはホカホカの芋です。あいにく私は「サツマイモ、栗、かぼちゃ」の「胸焼けトリオ」は、大の苦手です。丁重にご辞退申し上げました。いよいよ、本年も残すところ二ヶ月となりました。「時の経つのは早い」、いつもの老いぼれの繰言です。

+++++東国三社(4)
 今回は「息栖神社は、昔は現在の地ではなく日川あるいはその近辺に設営されていた」との説を検証します。いうまでもないことですが、設営当初から、それが神社であった筈は無く、有力者の住まう陣屋、または砦のようなものであったのでしょう。その地にそうした建造物を置くことで、結果として東国三社が正三角形を形成するのは、偶然であるのか、それとも意図的であるのかを考えてみようというわけです。日川とは、下の図の右下に示される赤〔隶です。しかし、鹿島―香取を正三角形の一辺とするように、設計されたとすると、その地は日川よりやや南にずれます。それがの地です。
(図1:鹿島 香取◆β栖(一説にある位置)が作る正三角形、下右の赤,脇川、青丸は正三角形頂点位置。クリックすると拡大できます)
利根正三角形


 正三角形にこだわる、あるいは連想した背景が磐瀬の国・長沼で形成された底角30度の二等辺三角形配置です(図2、2014年8月13日記事長沼の二等辺三角形配置 )。長沼同様の精神的(宗教的)背景がその配置に潜んでいるに違いないと推断しました。
(図2:アイヌ族と渡来族の融合を表現する二等辺三角形、この三角形にはこの地特有の30度と言う角度と渡来族信仰のシリウス星方位の両方が巧みに組み込まれている http://c23.biz/TbLi より、クリックすると拡大します。)
 須賀ー三角


 図1で示すを仮に”旧息栖”戸呼ぶことにします。その地は、鹿島神社からは少なくも14kmを見渡すことが必要となります。そのためにはどれほどの高さの櫓が必要となるでしょうか?
-->D=15;
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh =0.0176576
 必要な櫓の高さはeh=18m 余となります。天井高が2.4mの集合住宅であれば8階建て相当です。18m程度の高さの櫓を作ることは可能であったと思えます。しかし、肉眼で15kmを見通すことつまり、15km先のカガミによる太陽光反射を識別することは可能でしょうか?古代人の身体能力はいかほどであったのでしょうか?

 話は脱線しますが、私は時代劇小説・TV(所謂チャンバラ)が大好きです。読むときは必ず手元に江戸地図を傍らに置くほどの凝り様です。鬼平犯科帳を読んだり、見たりして誠に不思議に感ずるのが、江戸時代の人間の顔の識別能力です。私なんぞは、つい今しがた会った人間ですら小一時間も経つと「はて!どんな顔であったかな?」と、戸惑います。しかし、長谷川平蔵の寒働きと、顔の記憶能力はすごい。あれは小説の舞台設定に過ぎないのでしょうか?それとも、画像記憶のハードウエアが無い昔は、人間のそうした能力は現在のそれよりも格段に優れていたのでしょうか?昔と現在の記憶力に関して比較が出来ないものかと思っています。

 話を戻します。鹿島から、日川方向に旧息栖神社の設営地を求める作業です。香取の方角は225度(北から時計回りに測る)ですから、その方角から60度反時計周りに戻してやればよいことになります。南中時刻を12時とすれば、15度つまり一時間戻せばよいので、午前11頃の太陽の方向に鏡を向ければよいことになります。
 これは、大雑把なやり方で、実際には古代人は60度と言う角度を地上へ写し取る手法は既に獲得していたはずです。こうして日川近辺の地で、鹿島から60度の方向に点列が形成されるはずです。同様の作業を今度は香取を基点にして実施し、そこから60度方向に並ぶ点列の交点が 前回記事で書いた、利根川河口域の中洲の地点となります。かくして、中洲に“将来息栖神社”となるであろう地点に何がしかの拠点設営地点を定めることが出来ます。

 さあ、次はこの設営の目的の考察です。政治的(軍事的)目的であったのか、それとも宗教的(精神的)狙いがあったのか?それを考えるために上の図を再度じっくりと眺めました。

 舞台裏を白状します。図1を作成するまでには、既に本日の記事の大要を頭の中で作り上げていました。ところが、図1からとんでもないことに気づかされました。それは、鹿島神社から見たの位置は、まさに“シリウス”方位にほぼ近いのではないか!ということです。これは衝撃でした。念のためにいつもの計算をしてみます:

-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 二点間の方位・距離計算プログラム
epi(lat,lon)=[36.9294,140.271741] 八溝山(経度・緯度)
sta(lat,lon)=[35.8507,140.6715] 旧息栖(経度・緯度)
計算結果:
八溝―旧息栖 d=125.2(距離 –km)a=163.27(方位・度)

一方、2010年1月1日記事で( 八溝山−鹿島・聖線 )私は以下を書きました。
八溝―静  d=49.5307(km), a=164.2934, b= 344.3831
八溝―吉田 d=66.0126(km), a=163.4255, b= 343.551
八溝―鹿島 d=111.6941(km), a=163.1633, b= 343.3768

 八溝山から鹿島を遠望すると、鹿島は北から時計回りに測って163.2度の方角に見えます。一方旧息栖は163.3度の方位、つまりほぼ同一の方角です。距離が、既に書いたように14kmほど異なるだけです。
 因みにこの僅かの差を八溝山から計測する人間が識別できるかどうかをチェックしておきます。ただし、120kmもの遠方ですから、直接に鹿島なりなりを望めたとは思えません。中継点の設置など何がしかの工夫があったのでしょう(後述)。
いつものようにScilabを電卓代わりに使うと、
 -->(111.6941+125.2)*0.5*(163.1633-163.27)*%pi/180
ans = - 0.2205800
(上式で最初の因子は八溝山からの平均距離、次の因子は、”度“で測った角度差、最後の因子は”度“から”ラディアン”への変換)

 八溝山から見た場合、120kmの遠方では、0.11度の差は221mの横方向の違いとなります。つまり測定作業では充分認識できる差であることがたしかめられました。

 そこで、この僅かな方位の違いをシリウス星の天体上の位置移動に帰するとするならば、その築造年代の違いを見積もることが出来ます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1) シリウス年計算プログラム
旧息栖 Angle=?163.27、tc = 527.888
鹿島 Angle=?163.1633、tc =532.32672

 つまり5年ほど旧息栖が鹿島に先行しているということになります。私の頭の中で既に出来上がっていたシナリオは大幅に書き換えねばならなくなりました。
(つづく)

++++物理がわかる脳
 本ブログでは、しばしば、科学雑誌記事を紹介しながら「科学教育」なるものを考えてきました。時々、こうした議論が馬鹿らしくなることがあります。それは安倍首相が露骨に「文系教育」を軽視する言を発するにもかかわらず、依然として国の手綱を文系教育を受けた人間がしっかりと握り、彼らは「渡り」と称して退職後もあちこちで優遇され華麗な生活を全う出来ることです。

 つい愚痴がこぼれました。話を戻します。以前四回にわたって紹介した「英才教育の成果45年後は?」なる記事では、人間の成功が「特許、論文数、蓄財」で測られるかのごとき論調でした(9月28日記事 英才教育効果を45年後に検証する )。不快に感じた読者も居られたでしょう。
 さて、それはさておき、科学的思考、とりわけ物理思考はどうやって身につくのか?「観察」、「興味」、「解明の模索」の3kと思っています。そこから想像力が培われ、想像力は創造力へと発展するのだろうと思っています。その際、親又は教師の介入は?など、私自身の「科学教育論」は又別の機会に書くこととして、米国の心理学者の追跡がScentific American誌に紹介されています。
%%%%%米国科学誌、8月1日号より
How your brain learns physics 
How Your Brain Learns Physics
脳はどのように物理を理解するのか?
A new study shows the brain repurposes everyday neural networks to learn high-level scientific concepts
脳は高度の科学的概念を学ぶために神経ネットワークを目的に合うようにその都度編成している(repurpose)と言うことがわかった。
By Jordana Cepelewicz on August 1, 2016

Early Homo sapiens wasn't acquainted with Einstein's general theory of relativity, yet anyone in a physics class today is expected to understand its basic tenets. “How is it that our ancient brains can learn new sciences and represent abstract concepts?” asks Marcel Just, a neuroscientist at Carnegie Mellon University. In a study published in June in Psychological Science, Just and his colleague Robert Mason found that thinking about physics prompts common brain-activation patterns and that these patterns are everyday neural capabilities—used for processing rhythm and sentence structure, for example—that were repurposed for learning abstract science.
 初期のホモサピエンス(原生人類)はアインシュタインの一般相対性理論を知らなかった。今日でも物理クラスではまずは基本理論を理解することが求められている。古代人の脳が新しい科学を学び抽象的な概念を表現できるようになるとすれば、それはどんな風に、してなのか?とMarcel Just, a neuroscientist at Carnegie Mellon Universityは問う。Psychological Science誌6月号に投稿された研究論文でJust and his colleague Robert Masonは物理について考えることが脳活性化パターンを促進する、と書く。このパターンは、例えば毎日の文構造とリズムを処理するのに使われている神経能が抽象科学理解のためにrepurpose(適切な日本語が見つからないので英語のまま、その意味は冒頭のタイトルを参照)される。

Just and Mason scanned the brains of nine advanced physics and engineering students as they thought through 30 physics concepts such as momentum, entropy and electric current. The researchers fed the data from the scans into a machine-learning computer program, which eventually could identify which concept a volunteer was thinking about based on his or her brain activity. Why was this possible? Because the neural patterns involved in considering a particular topic—gravity, for instance—were the same in all participants. “Everyone learns physics in different classrooms, with different teachers, at different rates,” Mason says. “So it's surprising that the same brain regions are developed for understanding a physics concept in all these students.”
 Just and Masonは9人の上級物理と工学を学ぶ学生の脳をスキャンした。こうした学生たちは運動量、エントロピ、そして電流など30の物理概念を深く考えている筈だからだ。そのスキャンデータを機械学習コムピュタ・プログラムに投じた。結局のところ、どの概念を学生が自分の脳の活性化の基礎においているのかを識別できた。何故こんなことが可能なのか?重力のような特定のテーマを考える際に働く神経パターンは全ての生徒に共通していた。異なるクラス、異なる教師、しかも異なるスピードで物理学を学んできた、とMasonは言う。“全ての学生において脳の同じ部位が物理学概念を理解する際に開発されている”と。

To take it further, the scientists then compared the scans from their study with previous research matching neural activity to thought processes. They found that brain responses corresponding to the scientific concepts of “frequency” or “wavelength” occurred in the same regions that activate when people watch dancers, listen to music or hear rhythmic patterns such as a horse's gallop—likely because these all involve sensing “periodicity.” And when the students thought through mathematical equations, the engaged brain areas were the same as those that process sentences. These results suggest that general neural structures are repurposed for dealing with high-level science.
“So even though some of these concepts have only been formalized in the past couple of centuries, our brains are already built to deal with them,” Just says.
The findings may someday help determine which school lessons should be taught together for easiest consumption, Mason says. He and Just plan on continuing their work with other sciences our ancestors knew little about, including genetics and computer science.
This article was originally published with the title "Your Brain on Physics"
 さらに調査を推し進めるべく、研究者たちは、思考プロセスに合う神経活動に関するそれまでの研究と彼らのスキャン結果を比較した。脳は周波数あるいは波長と言う科学的概念に対応するものに反応することがわかった。それは人がダンスをするとき、音楽を聴いたりする際あるいはリズムを聞く際に活性化する脳の領域で起きているものだ。例えば馬のギャロップのようなもので、効した活性は“周期性”と言う意味を含んでいる。
"そして、学生が数学の方程式を熟考する際、使われる脳領域は、文章を処理する領域と同じであった。これらの結果は、一般的な神経構造が、高レベルの科学を扱うさいにはrepurposeされるということを示唆している。
「これらの概念は数世紀昔に定式化されてきたとしても、私たちの脳は既にそれらにたいおうできるように作り上げられている "と、Justは言う。何時の日か、最も容易なconsumption(文意?)には、どのような学校でのレッスンがなされるべき科の決定にこの発見が役に立つようになるかもしれない、とMason は言う。Mason and Justは我々の祖先がほとんど知らなかった他の科学領域についてもこの調査を続けることを計画している。それは遺伝学や計算機科学を含んでいる。
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東国三社(3)、物価2%あげることが大事?(わからぬ)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:田を巡る一周3kmほどのあぜ道を走るJK(女子高校生を意味する専門用語)たち。左下で先生が見守っています。)
PA28marathon

 
ほっぺたを 赤くそめつつ 髪ゆらし JK(じぇいけい)たちが マラソン走る

 今日は朝から、雪でも降るのかと思うほどの寒い天気です。そんな寒気の中、近くの女子高校生(JKが現代の用語)がマラソンをしていました。寒さでほっぺは赤く、後ろに束ねた狐の尻尾状の髪が右に左に揺れていました。臨場感を持ってその光景をカメラに収めたかったのですが、見張りの先生の「疑惑の篭った視線」にたじろぎました。何せ当地の防災無線網はすごいんですな。つい先日も、自転車で下校途中の女高生が、サドルの上にある尻を老人になぜられたとの放送が市全域に有線で流されました。私も今朝、シャッタを押していたら、ただちに、“お縄頂戴”の事態になり、家族からも離縁されたやも知れません。

+++++東国三社(3)
 ところで、私が本ブログで主張してきた二つの聖線、八溝山⇒鹿島、那須岳⇒香取、は節(node)とでも言うべき中継点を持っています。隣り合う中継転換の距離はほぼ40kmの長さです。この40kmの長さに相当する櫓の高さはどのくらいになるでしょうか?
-->Re=6371.2;-->D= 40;
二つの量を上のように与えた上で、二次方程式 eh^2+2*Re*eh-D^2=0 を解かねばなりません。二次方程式の根の公式 はeh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2)) です。
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh = 0.1255638
125mの高さの櫓が必要と算出されます。東大寺の高さが49m、法隆寺五重塔が32mだそうです。『平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われているのに「雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎」、というものがる。『雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』(ウイキより)が書くように出雲大社の本殿が96mであったとの伝承があります。七・八世紀の職人技術を持って、125mの高さの櫓の構築はありえたのかも知れませんが、難しかろうと思えます。とすれば、どうしたのでしょうか?後日、それをも考えてみたいと思います。

今回は、息栖神社の設営地点をどのように定めたのかと言う議論にもどります。まず息栖神社の地を鹿島神宮から望むことを考えます。平地に立っていれば、僅か4kmの範囲しか見えないので、鹿島神宮から現在の息栖神社の地は見えないことになります。上の式の(見える距離)、D,として10を与えて、目の高さ、eh,を求めてみます。
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh = 0.0078478 (km)
 8m程の高さの櫓を組めば、息栖の地を眺めることができることになります。 この櫓を組むには、しっかりとした足場が必要です。それがこの要石であったのでしょうか。

 櫓を組んだ後の実際の段取りはどうであったのでしょうか?私は以下のような作業を想像しています。鹿島に置いた陣屋に8mの櫓を組み立てる。人間は古代人にあっても裸眼で8kmまでは見えないのではなかろうか、思います。そこで、南に鏡面を向けた鏡をその櫓に置きます。南の位置(方向)は太陽の南中時から正確に設定できます。そのうえで、およその位置にスタッフを派遣し、鏡の太陽反射光を多くの地点で“南中時”に観測させます。その地点群は南北に並ぶ点列を構成しているはずです。

 同様を、今度は香取神社で実施します。ここでは8mの櫓に設置する鏡は東向きにせねばなりません。それは春分、または秋分の日の太陽の昇る方角から正確に設定できます。その後の段取りは上と同じです。この作業で、出来上がるのは東西に並ぶ点列です。かくして二つの点列がつくる直線の交点こそが、息栖神社を設営すべき地点となります。
 但しこの作業は、出来上がる配置が二等辺三角形となることを保証しません。どうやら、直角三角形説は”偶然”のなせる業であったようです。偶然とは、香取神社から見た鹿島神社の方学が、北から時計回りに測って46.4度、つまりほぼ45度であることによります。この配置も香取神社設営の際に考慮されていたと考えることも出来ます。が、わたくしは香取の地は那須岳を基点とするシリウス方位に則って定められたと思ってるので、この45度に近い角度は偶然であったろうと思っています。


 忘れないうちに書きとめて起きたいことがあります。それは、「鏡」に「カガミ」と言う訓(よみ)が付された経緯です。これは、アイヌ語にも古代ペルシア語にも似た音の語はありません。古来の列島住民の言語の一つであるのかもしれません。私は、「高」一族が測地事業で頻繁に鏡を用いたことにあるのではなかろうかと思っています。既に書いたように長沼地区での底角30度の二等辺三角形の設計と配置、八溝―鹿島、および那須岳―香取聖線の設営では、「カガミ」は不可欠な技術道具です。この道具をその設営に携わった高一族本人がどう呼んだのかはわかりませんが、共同作業をした仲間が「高一族が使用する遠くを見通す道具」と言う意を込めて「カガミ」と称したのであろうと考えています。「カガミ」とは「高」(カガ)一族が見(ミ)る行為に使われる技術(道具)というわけです。後年、その道具を表す漢字「鏡」を知り、「カガミ」なる「訓」(よ)みが付与されたと私は思っています。
(つづく)

+++++物価を上げることが経済に資する?(わからぬ!)
 大分古い話ですが、毎日新聞ネット記事が以下を配信しています。貧乏生まれの貧乏育ちの私には、経済の目標として「2%の物価上昇」を掲げるという「為政者感覚」がどうしても馴染めないんですな。物価は安いに越したことは無い。物価は上がらないほうが良い、というわけです。

 日本銀行のHPは『日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」』と書きます。つまり「物価の安定」を理念の第一義に据えているのです。日銀が問題視せねばならない論点は「リフレ」云々ではなかろうと思うのですが、所詮素人談義なのでしょう。政府の国策に寄り添う日銀、これは日銀がうたう政権から独立との「理念」に反すると思っています。しかし、そんな議論が日銀の内部で起きている。奇異であります。
 
 それはさておき、“物価が上がらなければ賃金が上がらない。生活向上には賃金上昇が不可欠”なぞという単純な理屈を日本の経済立案者は本心で考えているのであろうか?デフレ脱却こそが真の狙いとも聞く。物は作れども売れない。在庫が増える。これを解消するためには、勤労者の賃金を上げれば、買ってもらえる。つまり消費が増える。物の生産、販売に携わる人たちの賃金が上がるためには、その生産物が高く売れねばならない。こうした理屈のようです。しかし、上記の理屈には買う側の財布が考慮されていません。まず、給料をあげて購買力を高めることが先であると思っています。

 こうしたド素人の素朴な問いかけをはぐらかすのが「金は動いてこそ価値」なる「理論」(カッコつき)です。うえの議論で言えば、金をまずは天から降らせる。さすれば、それが巡りめぐって下層の庶民にいきわたり(トリクルダウン)、購買力が高まる。結果として、庶民は潤い、経済も活性化する。こんな理屈が、現実には働いていないように見える。こう考えると下に引用する記事が書く論議は、なんとも”庶民離れ”しており、物価安定を目標に掲げる日銀マンが口角泡を飛ばすところを間違えているように感じています。

%%%%%毎日新聞 10月12日(水)21時21分配信 転載
<リフレ派>日銀政策批判 エコノミストも「金利」重視反発
http://c23.biz/QDrP   



お金の量を増やしても物価上昇にはつながっていない
 日銀が先月の金融政策決定会合で、金融政策の枠組みを、銀行などに流すお金の「量」を重視する政策から、「金利」を重視する政策に転換したことに対し、「量」拡大を主張してきた「リフレ派」エコノミストらから批判の声があがっている。批判の矛先は、リフレ派にもかかわらず政策転換に賛成した日銀の政策委員会メンバーにも向かっており、今後の政策運営にも影響を与えそうだ。
日銀金


 「デフレ脱却のため、2%の物価上昇目標を目指すのがリフレ派だ。やり方はいろんな議論がある」。12日、長野県松本市での記者会見。日銀政策委員の中でリフレ派の代表格とされる原田泰審議委員はこう強調し、政策変更に理解を求めた。

 9月21日の決定会合で日銀は、短期金利をマイナス0.1%、10年物の長期国債利回りを0%程度に操作する「長短金利目標」を新たに導入した。一方、従来「年間80兆円ペースで国債を購入する」としてきた量的緩和の目標を「80兆円をめど」に後退させた。13年の黒田東彦総裁就任以来、大量の国債を購入してお金を世の中に流す量的緩和政策でデフレ脱却を目指してきた日銀だが、国債保有額が400兆円に膨らんでも物価上昇率がマイナス圏に低迷する中、政策転換を図った。いわば「『量』の目標を事実上捨てた」(日銀幹部)格好だが、リフレ派のはずの原田氏と岩田規久男副総裁は、賛成票を投じた。

 原田氏は、新たな枠組みで物価上昇率が安定的に2%に達するまで金融緩和を継続すると明言したことが「量に対する強い公約だ」と述べ、量的緩和は後退していないと強調した。だが、在野のリフレ派の批判は厳しい。元審議委員の中原伸之氏は、「原田、岩田両氏は敢然と反対すべきだった。日銀職員の説得と圧力に負けた」と厳しく批判。三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長の嶋中雄二氏も、「自分が委員なら反対した。今後の行動を注視していかないといけない」と指摘した。

 「量から金利」への枠組みの転換について、日銀の大規模緩和を後押ししてきた安倍晋三首相は現時点では「歓迎したい」と容認姿勢だ。ただ、首相の経済ブレーンでリフレ派の本田悦朗・駐スイス大使は米通信社の取材に「日銀は次回会合で追加緩和を行う必要がある。国債購入額はまだ拡大できる」と強調しており、円相場や株価の展開次第でリフレ派の巻き返しが強まる可能性もある。【安藤大介】
http://c23.biz/ivF6
リフレ派
緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。
リフレーションとは再膨張の意で、経済学的には景気循環においてデフレーションから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、加速度的なインフレーションになる前の段階にある比較的安定した景気拡大期を指す。リフレ派の主張は、政府・中央銀行が数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。
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