法螺と戯言

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常陸国風土記・茨城郡〔やつかはぎ)、粒はたまた波?〔2〕

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:夜明け直前の東の空に黒雲浮かび、南に向けて飛行機の点滅ライトが移動しています。しかし、それをのぞくと天空は何も無い青空です〕
朝未明1284

 
一片の 雲も 浮かばぬ 西の空 振りさけ見れば 東に黒雲

 相変わらず、経済学者の竹田氏の米国大統領選挙への非難がましい愚痴が続きます〔東京新聞12月8日付、ブログには転載しません〕。読むごとに思うにですが、「じゃあヒラリ氏であればよかったのか?」と。こうした日本のインテリを歌手の長渕剛が皮肉っています(下の動画参照)。私も同意見です。選んでしまった米国民に非難を浴びせても詮無きことです。我が国がそれで被害をこうむらぬよう頭を使い、適切な策を講ずるしかありません。
長渕剛の叫び 
 この筋書きには関係無いのですが思わず笑ってしまった動画を掲載しておきます。
まるでディズニ漫画 (青をクリックすると動画が始まります)

+++++常陸国・風土記と「やつかはぎ」
 参照の便宜のため、前回掲載した常陸国風土記茨城郡の条を再掲します。現在考察しているのは下記△任后
〔図1: 常陸国風土記、茨城郡より〕
茨城無題


 国巣〔クズ)と称される現住民を本文は「佐伯」〔さいき〕と書きます。どころが誰かが、そこに「茶々」を入れます。「茶々」ですからこっそりと小文字で書き込むわけです。
曰く:俗語(くにひとのことば)、つまり原住民は以下のように言ってるよ、との前置きを振ります。その上で、“国巣とは「都知久母」のことだよ”と。古事記・日本書紀にあっては、彼等は中央権力の討伐対象です。格別の集合的一族ではなく、単なる土着民であると、研究者は理解しているようです。
 しかし、前回、吟味したように、これは「熊襲」と同じ由来なのです。つまり「アイヌ族」の精神的支えである「クマ=カミ」と「襲=蘇我=サカ(これらの転換については既述)」の連合体を指しています。奈良の軍事部隊にたいして常陸の国のみならず、九州の地でも激しい抵抗戦を展開した「渡来族・アイヌ族」の連合部隊こそが「クマソ」なのです。

 因みに古事記・日本書紀はこの「渡来族(シリスス信仰族)の存在を、日本列島の“正史とされる日本書紀”〔正に括弧つきで、実は正史の装いを凝らしている文書〕から隠蔽するために“蝦夷」〔えみし〕”と言う漢字表記を用いていることは皆様ご承知の通りです。
 さて、土地の者が言う「夜都賀波岐」とは、?【八束脛】とも表記され「長いすねを持つ一族」とされる(コトバンク )ところから、アイヌ族の体形を言い表したのであると、歴史研究家の関裕二氏は書きます。コトバンクは上記に続けて
「古く、大和朝廷に服属しない先住民族を蔑視していう。つちぐも。 「国巣、俗の語に土蜘蛛、又−といふ/常陸風土記」
 と、書きます。現在議論している風土記に話が戻ってしまいました。笑い話ですね。なにやら循環論法風です。

 私は全く異なる考えを持っています。私の古代史観に随えば:
(1) 遠く西域から「サカ」を名乗る一族がアジア北方を経由してベーリング海を渡海した〔この頃は陸続きであったか否かは定かでない〕。この移動中にかっての匈奴族の一部であった様々な部族を糾合した。その中には青海界隈に盤踞した高昌族なども含まれていた。
(2) サハリンから北海道を経て青森・秋田を通過して、その間に現地住民の最大族であったアイヌ族が糾合された。かくして現在の福島・須賀川に最良の陣屋設営地を定めた。これが後の「岩瀬国」である。夏至時の太陽の登る方向が、30度の地である、夏至時のシリウス星方位計測に適した山があり、それらに囲まれた盆地で自然の要害ともなっている、さらには金を産出する天栄山がある等々がその理由であった。
(3) 須賀川に本陣をおいて、連合体は南進し、シリウス星の方位の導きを得て鹿嶋にもう一つ新たに第弐本陣を設営した。
(4) 鹿嶋での第二本陣完成を待たずに、連合部隊は日本列島太平洋側を西南に進み薩摩半島に到着。そこを鹿嶋〔鹿児島と同音〕と呼んだ。九州を北に進み、かっての「邪馬台国」跡に達する。そこで詠んだ歌が万葉集一〜二歌である。

 この二つの歌は、東日本からの移動集団が、初めてかっての邪馬台国の地を踏んだ際の感動を詠ったのです(2009年4月3日のブログ記事(万葉集一歌解読 )。
 邪馬台国が九州にあったのか、それとも近畿の奈良盆地にあったのかについて古代学者は二派に分かれて未だに論争しているとの事です。しかし、万葉集一・二歌をまっとうに読解するならば、邪馬台国が近畿ではなく北九州にあったことは明瞭です(2013年8月2日、5日記事 魏志倭人伝の真っ当な解読 )。それは、現時点での主要テーマではありませんので、本題に戻ります。
 第一歌が「やつかはぎ」に関わっていることを以下に書きます。
 %%%%%万葉集一歌
01/0001,"雜歌
題詞: 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌"
原文:,"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母",
訓:
"篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも",
%%%%%

 万葉集研究者によって著された幾つかの解説書のどれもが大変似通っています。それは、言葉の意味が曖昧なままに、無理やり解読するからです。例えば冒頭の
“篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持”
です。第二段落「母乳」は単なる当て字表現ではありません。万葉学者には、万葉集初期歌での漢字の使用法に「万葉仮名=当て字」なる思い込みがあります。これが正しく歌の内容をつかめない理由です〔例えば2009年8月7日記事万葉集・漢字の巧みな使用例 を参照〕。
 一歌の冒頭では明らかに女性の豊かな胸を詠っているのです。つまり表現したい対象についてしかるべき漢字を当てていることがわかります。漢字は「表音」のみならず、時には「表意」として用いているのです。万葉集では、特に初期歌群では、両方を適宜使い分けていることを万葉学者は知らなければいけません。

 さて、前の二段が女性の美しさを詠っているとするならば、それに続く二つの段落は男の逞しさを詠っていると考えるべきです。つまり「夫君志」〔ふぐし〕は男の股間にぶら下がっているものを表現しています。それを、確かめることが出来ます。古代ペルシア語辞典によればラテン文字表記“fagare”なる語があり、これは男根を意味します。つまり「フグリ」です。とすれば「美夫君志」は「美(りっぱな)ふぐし」との意です。イヌフグリと言う小さな花がありますが、この「フグリ」が実は古代ペルシャ語に由来し、2000年近くも使われてきたことが図らずもわかるのです。

 そう考えると「やつかはぎ」の「ハギ」は「フグリ」の転じた表現と考えることが出来ます。「や」は「八」に由来し、これは「邪馬台国」の「や」です(2013年8月5日 邪馬台国と番号 )。邪馬台国の跡地に立って、渡来人が見たのは立派な男根「はぎ」〔フグの転じたもの〕を持った男達であったことがわかります。
 邪馬台国の子孫は、立派な持ち物を持った男子であるとの認識が常陸国住民にあったのです。そして彼らも常陸の国に居たことを「やつかはぎ」なる”言い回し“でもって、露(あらわ)に主張しているのです。

 九州に渡った渡来族・アイヌの連合体は、九州の地にあって邪馬台国連邦の子孫をも糾合したのです。こうした部族の行動形態が「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著、日経ビジネス文庫、2003)で紹介されています。それこそが漢王朝を脅かした匈奴の優れた特徴なのです。つまり納得づくで異民族を糾合できる特質が日本列島でも発揮されたというわけです。

 万葉集一歌については、もう一つ興味深い論点があります。しかし、現在の話の筋書きからそれるので、別の機会に論じます。

(つづく)
+++++波か、はたまた粒か?〔2〕
前回紹介した記事の後半部分です。
%%%%%続き始まり
http://c23.biz/RVa3 
“If the Born rule is violated, then a fundamental axiom of quantum mechanics has been violated, and it should point to where one needs to go to find quantum gravitational theories,” says Quach.
Now, Quach has suggested a new way to test the Born rule. He started from another idea of Feynman’s: in order to calculate the probability of a particle reaching a certain place on the screen, you should account for all the possible paths it could take from the source to the screen, even ones that seem ridiculous. “This includes paths that go from here to the moon and back again,” says Quach.
Almost none of these paths should affect the photon’s final location, but there are some weird paths that could change the probabilities enough for us to measure the difference.
“If the Born rule is violated, it should point to how to find a theory of quantum gravity“
 もし、ボルン則が破れているならば量子力学の基本公理が破れていたことになり、そのことは量子重力理論を発見するに必要な方向をめざすべきとなる、とQuachはいう。
Quachはボルン則をテストするある方法をこれまでも語ってきた。彼はFeynmanのもう一つのアイデアから出発した:スクリ−ン上のある点に粒子が到達する確率を計算するにはスクリーンから光源までの全ての経路を考慮せねばならない。それは如何にも馬鹿げているとは思える。“この経路にはこの場所から月に行って戻ってくる経路も含まれる”とQuachは言う。
こうした経路のほとんどは光子の最終位置には影響しない、が幾つかの巧妙な経路があり、その違いを明瞭に計測できるくらい充分にその確率を変化させるのではないか。

For instance, say there are three paths that a particle could take through the apparatus instead of the obvious two. The Born rule lets you calculate probabilities by considering interference between pairs of paths, but not between all three paths at once.
Quach shows that if you account for interference between all three paths, the probabilities will be different from what the Born rule predicts (arxiv.org/abs/1610.06401v1).
He suggests testing this with a double-slit experiment that allows for a third path, a wandering zigzag in which the particle goes through the left slit, over to the right slit, then heads towards the screen. If that third path interferes with the two more straightforward ones, the results should deviate from what the Born rule suggests.
Quach’s work is “extremely interesting and thought-provoking”, says Aninda Sinha at the Indian Institute of Science in Bangalore, a member of the team that first proposed exploring violations of the Born rule using winding, non-classical paths.
But he points out that Quach’s experiment could fail to capture other paths that might muddy the results.
The stakes are high. Finding violations of the Born rule could be the thin edge of the wedge that pries open the door to a more fundamental understanding of reality.
 例えば、二つの孔の替わりに装置を通り抜ける三つの経路があると考えよう。ボルン則は二つの対の経路の干渉からその確率計算を可能ならしめる、が一時に全ての3つの経路全てではない。
Quach は「もし三つの経路間の干渉を説明するとすれば、その確率はボルンが予測するものとは異なるだろう。三番目の経路を許すような二重スリットによってテストする」よう提案している。粒子は左のスリットを通り越し、左のスリットを通過すると言ったジギザグに進行してスクリーンに達するのだ。もし三番目の経路が他の二つともっと直接に干渉しうるならその結果はボルン側が予言するものとは異なるだろう。
Quachの論文はきわめて興味深く思考を興奮させる、と Aninda Sinha at the Indian Institute of Science in Bangaloreは言う。彼はボルン則の破れを研究することを提案したチームメンバの一人である。そこでは曲がりくねった非古典的経路を考えている。
 しかし、彼は、Quachの実験は他の経路を捕まえそこない、結果が非鮮明になる可能性を指摘する。
 関心は高い。ボルン則の破れを見つけることが現実を理解する扉を持ち上げる楔の薄い縁になりえる。
This article appeared in print under the headline “Double-slit jeopardy”
%%%%%おわり
関連記事2010年1月4日外村博士 を参照してください。

常陸国風土記・茨城郡(1)、粒・粒子?(new scientist誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:休耕田のススキに混じる「蒲」。穂がはじける時期となり穂綿が露出しています。このやわらかい穂綿で稲羽の白兎は傷を癒したんですな)
蒲1267


 兎さん さぞかし痛く つらかろう 白き穂綿 苦痛を和らげ

  前世紀末に日本銀行の独立性を担保するとの趣旨で日銀法が改定されました。しかし、安倍政権下で、正にアベノミックスに積極的に加担することを意図して紙幣をジャンジャン増刷した挙句が下記の記事です。一民間銀行と化した日銀が債務超過で倒産なぞと言うことになるのでしょうか?せめて日銀総裁には気骨ある人物がその椅子に座るべきです。NHK会長の椅子も同様です。
〔図:日刊ゲンダイ紙12月6日付け記事〕 日銀債務超過!  
日銀1612073959


+++++風土記の行間から東国古代史・真相が見える
 引き続き、常陸国・風土記を辿ります。理由は、官製〔藤原不比等の史観に強く束縛されている書〕の古文書と雖も、行間、或いは紙背になにやら列島古代史の真相がチラリと顔をのぞかせているからです。今回は茨城郡を見ることにします。が、少しだけ「信太」郡の考察の補足をしておきます。それが、図1の,任后

 この文節に先行する部分はすでに信太郡・前半部 で示していますので、再掲しませんが、そこでは「信太郡は常陸の道の入口に当たる。人はそこで、手を洗い、口を漱いだ後、東を向いて鹿嶋大神を拝し、入国する」と書きます。
 東国制覇のメドが付いた後の東国へ入る経路を書いています。既に書いたように東国攻略にあっては、下毛野国〔現在の栃木県〕から、ドドーッと新治郡へ軍を侵攻させたことを書きました。それは、「東夷」つまり東国の野蛮人を平伏させることを旗印に掲げた戦です。しかし、風土記は“それは事実と違うよ。乱暴狼藉を働いた者たちは西から(下上野の側)来た”と、こっそりと書き込んでいたことに本ブログは言及しました荒ぶる西者 。

 風土記信太郡後半部のこのクダリはそうした戦乱が沈静化した後の事であることがわかります。もう一つ重要なことは、鹿嶋神宮です。 渡来族がこの鹿嶋に政治拠点を設営した年代が、渡辺豊和氏の着想の検証から明らかになっています。それは、天空をゆっくりと時計周りに移動するシリウス星の位置の観測から推定できます(2010年1月18日記事シリウス星の天体運行 )。 それによれば、八溝山から始まり鹿嶋に至る聖ライン構築に西暦442〜531年、つまり90年を要しました(聖線構築年推定 )。
 六世紀前半には、渡来族はここ鹿嶋に重要な陣屋を構えていたことになります。そこは、福島県須賀川市長沼の東倭国の最大拠点に次ぐ、二番目の重要拠点です。その拠点としての活動が六世紀前半に始まっています。

 藤原不比等が指揮する奈良の軍勢の東国制覇の最大の標的は、この鹿嶋でした。9月23日記事でも書いた「普都」大神を伴った「東夷懐柔」戦術行使よりは前であった筈です。常陸国風土記を書く直接のきっかけは、東国制覇のメドが立った頃であろうと書きました。それは、鹿嶋陣屋の軍事的攻略がなった時期と思えます。私は古事記撰上の西暦712年から日本書紀のそれの西暦720年の間ではなかろうかと考えています。この8年間に日本列島の政治趨勢が藤原不比等の意図したように固まってきたと思っています。

〔図1: 常陸国風土記、信太郡の後半,ら 茨城郡〕
茨城無題

 
 さて、茨城郡の考察をはじめます。冒頭の△法嶌濆饒磧∋海虜看譟¬遒虜看譴いて、洞窟やら穴に住んで・・・・」と書きます。「国巣」〔クズ〕とは「国に住む人、つまり原住民」であると解釈されています。それにしても「クズ」と読ませる、それは「屑」を連想させます。悪意を感じますね。
 それはさておき佐伯(さいき)といえば、このところニュースをにぎわせている二歳女児の事件です。何はともあれ、無事でよかった。三歳の孫女児を持つ老爺の実感です二歳女児・山中泊 。

 佐伯部についてウイキ佐伯〔ウイキ) は以下を書きます。
「佐伯部(さえきべ)は古代日本における品部の1つであるが、ヤマト王権の拡大過程において、中部地方以東の東日本を侵攻する際、捕虜となった現地人(ヤマト王権側からは「蝦夷・毛人」と呼ばれていた)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したもの。」
と、書きます。この議論の裏づけとして、現在考察している常陸国風土記茨城郡の一節を上げています。

 古代史研究者達は「佐伯」〔さいき〕の由来についてあれこれと論じています。私にはずいぶんと的外れに聞こえます。参考のために古代ペルシア語に似た「音」を持つ言葉を捜しますが、それと思しき語はみつかりません。
「佐伯」が「暴虐」を働いたとするならば、それは「西(さい)キ」ではなかったろうかと考えています。「キ」は国ですから「西」つまり奈良の「国」から来た武人〔兵〕への「あてつけて」です。風土記執筆者は大胆にも本文で露に藤原不比等率いる侵略軍の暴虐という真相を、それとなく佐伯と言う表現で批判したのかな、と思ったりします。

 さて、この本文に挿入された小文字による書き込みは興味深い。「国巣」とは、「つちくも」、又は「やつかはぎ」と、現地住民は言ったというのです。「ツチクモ」は「土蜘蛛」で、これは日本書紀景行紀で倭武王が九州熊本で退治した一族と、研究者は語ります。「土」は「ドまたはト」と音します。「ト」が「ソ」に転ずれば「襲」です。「クモ」は「クマ」の転じた語と思えば、「ツチクモ」は「ソクマ」、これを順序反転すれば「熊襲」です。日本書紀で倭武尊が退治したはずは「土蜘蛛」と「熊襲」の二大族となります。何のことは無い、大変な戦いであったとの粉飾のために二賊にしつらえ上げたのです。これも藤原不比等の“悪知恵”の一つでしょう。ところで、「ソ」を「襲」に置き換えましたが「ソ」を前回書いたように「ス」転じて「サ」と考えれば「熊襲」は「アイヌの信仰とサカ族」の合体を表象した表現となります。
 と言うわけで、ここでも藤原不比等が書く「官製日本列島視」への抵抗を小文字による書き込みで主張しているかに思えます。現地人と一部有識者の手による歴史の真相の後世への継承の意気を感じます。次回、更に興味深い真相暴きをします。
(つづく)

+++++波か、はたまた粒か?
 久しぶりに物理学の話題です。大学の理科系教養授業で「波」か「粒子」かの議論の存在を教えられます。これについては、本ブログでもたびたび外村彰氏の凄い実験を紹介してきました卓抜した実験外村氏記事。しかし、私が理解するところでは、これについての論争なり議論なりは未だにとどまるところを知らずの態であります。が、実用上は、この矛盾を「止揚」して、さまざまな技術開発では不可欠な要素となっています。運動方程式を量子化する過程には「虚数」なるものが入り込んできます。これは下の記事で言う「ボルン則」に関わってきます。しかし、数学界、物理学界のどちらでも虚数〔複素数)の不可思議さ・本質にはふれる議論は無いようで、数学技術として単なる手段化されているように思っています。
 それは、さておき、この「波か?」「粒か?」の議論は未だに自然界の認識論の根本としても大きな問題であり続けています。そうした話題をNew Scientist”誌が取り上げています。長いので、分割して紹介します。
%%%%%波か粒子か(1)
New Scientist 2016 Nov.02 New Scientist誌
Classic quantum experiment could conceal theory of everything
量子力学実験は理論を隠蔽しているのではなかろうか。

A tweak to the iconic double-slit experiment could reveal if quantum mechanics is incomplete, and maybe lead to a theory of quantum gravity

今やイコン風〔あえてコンピュタ用語の”アイコン”と訳さず、キリスト教信仰の道具イコン画になぞらえておきます〕の伝説でもある二重スリットの微調整が量子力学が不完全かどうかを露にし、もしかしてそれが量子重力理論への導き手となるやも知れない。

By Anil Ananthaswamy

AN ICONIC physics experiment may be hiding more than we ever realised about the nature of reality. The classic “double-slit” experiment reveals the strange duality of the quantum world, but it may behave more strangely than we thought – and could challenge one of the most closely held assumptions of quantum mechanics.
Revisiting it could help unify quantum mechanics with the other pillar of theoretical physics – Einstein’s general relativity – a challenge that has so far proven intractable.
The double-slit experiment involves shining a light at two close-together slits placed in front of a screen.
 イコン画にもなぞらえることができる物理実験が自然の実像についての我々のこれまでの認識を超えた何がしかを反映しており、それを隠す役割を果たしているのかも知れない。あの古典的な二重スリット実験は量子世界の奇妙な二重性を露にしている。が、それは我々が思う以上に奇妙な挙動なのかも知れない。そして量子力学についての仮説への挑戦となることができるのかも知れない。
 そのことを再び考えることで、量子力学をもう一つの基本理論つまりアインシュタインの一般相対性理論との統一に役立つのかもしれない。二重スリット実験はスクリ−リン前方の互いに近い二つのスリット孔に光を照らすことを含んでいる。

Our classical view of the world suggests that photons of light should pass through one slit or the other, and thus create two parallel bands on the screen behind. But instead, the light spreads out into alternating bands of light and dark.
This interference pattern appears even if you send in one photon at a time, suggesting that rather than moving in a straight line, light behaves as both a wave and a particle at the same time. US physicist Richard Feynman said this experiment embodies the “central mystery” of the quantum world.
“Every student of quantum physics is taught how to calculate the interference pattern of the double-slit experiment,” says James Quach at the Barcelona Institute of Science and Technology in Spain.
 世界についての我々の古典的な見解は光の粒である複数の光子(フォトン)は一つのスリット或いはもう一つのスリット穴を通過しているはずであり、背後のスクリーンには二本の帯が生成されるというものだ。しかし、実際はそうではなくて、明と暗の交互の帯びがスクリーン上に広がる。
 この干渉パターンはある瞬間にスリットに一個の光子を送り込んだとしても生ずる。このことはまっすぐに走る粒子と言うよりは、同時に光が粒と波の両方の振る舞いをする。と、解釈される。US physicist Richard Feynmanはこの実験は量子力学の中心的謎を体現している、と言う。
二重スリット実験での干渉パターンは物理学を学ぶ生徒であれば誰でも計算できるとJames Quach at the Barcelona Institute of Science and Technology in Spainは言う。

To calculate the probability that a photon will arrive at some location on the screen, physicists use a principle called the Born rule. However, there is no fundamental reason why the Born rule should hold. It seems to work in all the situations we’ve tested, but no one knows why. Some have attempted to derive it from the “many worlds” interpretation of quantum mechanics, which proposes that all the possible states of a quantum system could exist in different, parallel universes – but such attempts have been inconclusive.
That makes the Born rule a good place to look for cracks in quantum theory. To unite quantum mechanics, which governs the universe on minute scales, and general relativity, which holds at immense scales, one of the theories must give way. If the Born rule falls over, it could clear a path to quantum gravity.
 光子がスクリーン上のある位置に到達する確率を計算するには物理学者はボルン則と呼ばれる原理を使う。しかしながらボルン則が何故成り立つのか、それについての基本的理由はわかっていない。ボルン則は我々がテストする限りでは正しく働くのであるが、誰もその理由を知らない。ある研究者は量子力学の”多元世界”と言う仮設から、そのボルン則を導き出そうとする。それは全ての量子系の可能な状態は異なる並存する多元宇宙に存在すると仮定する。しかし、それは結論が出ているわけではない。
 量子論でのほころびを探すの二ボルン則は格好の手立てだ。微小スケールに渡って宇宙を支配する量子力学と巨大なスケールの宇宙二隊して成り立つ一般相対性理論を結びつけるには、それらの理論のどちらかが何がしかの方向を与えるべきだ。もしボルン則が成立しないのであれば、それが量子重力理論への道を指し示すだろう。

(つづく)

利根川の由来、米大統領選と米国報道姿勢〔田中宇ブログより)

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〔写真:この時期の早朝は用水池や堀に鴨が集合して、朝寝をまどろんでいます〔ブログ管理人の文学的言い回し!〕。眺めるうちに、青葱が重なってきます、“旨そうやな!”、写真の拡大はクリック〕
用水鴨1269

 
青葱を 背負った鴨が 目に浮かぶ 我の邪念を 奴(やつ)は知らずや

 昨日嬉しかったニュースです(川内三位 )。アフリカ勢を相手に30秒以内の差まで迫った力走。凄い!!!の一言です。

 もう一つは不快なニュース:先週金曜日の朝日新聞ネット記事です。
%%%%%福島で五輪野球、世界連盟が難色 「内野が芝でない」
朝日新聞デジタル 12/2(金) 3:39配信 福島野球五輪
雨の中、候補地の一つになっている福島県営あづま球場(福島市)を11月に視察した世界野球・ソフトボール連盟のフラッカリ会長
 2020年東京五輪の野球・ソフトボールの試合会場として候補に挙がる福島県内の3球場について、世界連盟(WBSC)のフラッカリ会長が、グラウンドの内野部分が芝ではなく土であることなどを理由に難色を示していることがわかった。主会場は6日からの国際オリンピック委員会(IOC)理事会で人工芝の横浜スタジアムに決まる予定だが、福島開催の決定は先送りになる可能性が高まった。野球・ソフトボールの福島開催を巡っては、10月に来日したIOCのバッハ会長が安倍晋三首相と面会した際、復興五輪の理念から、日本の開幕戦などを東日本大震災の被災地で開催することを提案。大会組織委員会は11月上旬、福島県で一部の試合を開催することを決めていた。フラッカリ会長も当初、福島開催に前向きな姿勢だった。だが複数の関係者によると、11月19日に県営あづま球場(福島市)と開成山野球場(郡山市)を視察し、いわきグリーンスタジアム(いわき市)を含む候補の3球場すべて、内野が土であることや、設備が貧弱なことに難色を示したという。「土のグラウンドでトップレベルの試合をするのは日本ぐらいで、国際標準は内外野ともに芝。福島県内の球場が五輪にふさわしいのか、疑問符がついた」と関係者は明かす。
朝日新聞社
%%%%%

 昨今の五輪は『地球にやさしく』挙行することが合意されています。しかし、この会長言うに事欠いて「施設が貧弱。芝生でない」などと難点を挙げたとのこと。本音は2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故による放射能汚染への恐怖であったと私は想像しています。五輪開催地・決定総会における安倍氏の「福島事故処理はアンダーコントロール」との大見得も、実は腹では会議委員の誰しもそれを信じていなかったことが、露呈したのです。

 昨今のドタバタを見るにつけ、東京開催の返上を申し出るべきではなかろうか、と思っています。

+++++常陸国南縁の利根川
 日本書紀・古事記は編纂した藤原不比等の日本列島での政治・精神史に関する現代・近代史です。常陸国・風土記の記載に当たっては当然、その史観に強く束縛されていたはずです。私は、これまでこの古文書は藤原史観に染まっている、すなわち政治「偏向」文書そのものと思い込んでいました。しかし、注意深く眺めてみると“中々どうして”と言うのが此れまでの実感です。

 行間、そして後日に加えられたと思える「書き込み」は概して小さな字で挿入されています。それが、本文の趣旨から逸脱している、又は付加的な情報となっている事に気づいたからです。風土記編纂に当たって実務を担当したスタッフの中に「ひねくれ者」というか、「骨のある」知識人が加わっていたことを思わせます。さらに驚くべきことは、こうした「反政府的」書き込みが「意図的に」見逃されて今日我々の目に触れているのではないか。

 と言うわけで、前々回、筑波から利根川の南岸に渡る領域には、奈良の軍勢によって殺戮された東国の民の怨霊が蟠っているのでは無いかと書きました。そしてその怨霊の鎮魂も藤原不比等が創設した日本列島の思想・精神体系である「斎」の大きな要素であったと書いてきました。

〔図1: 長豊街道と龍角寺古墳群、中央を東西に流れるのが利根川、図の拡大はクリック〕
龍角ライン


 この視点から、信太郡界隈の地名を見てみます。気がつくことは信太郡の南縁を東方に向かって流れる毛野川と流れ海〔現在の利根川〕に沿って「崎」がつく地名が少なくありません。東から「龍ヶ崎」、「江戸崎」、「角崎」、〔神埼〕、そして「波崎」と言う具合です〔それらの幾つかが図1に見られる〕。広辞苑によれば〔崎〕は「陸地が海に突きでている端」、「「山が突き出た突端」とあります。海では無いしろ水辺ですからこうした地名の存在は不思議ではないのかも知れません。この説明は古語辞典を参照しても同様です。

 所が、〔崎〕について学研大漢和辞典(藤堂明保編)はこの漢字の音を「キ」であるとして、その意味は「険しい地形」と書きます。つまり「さき」は「崎」の訓(よ)みであったことがわかります。どうやら「さき」は日本列島古来の言語であったようで、それに漢字を習得した人間が対応する漢字を当てたらしいことがわかります。
 古代ペルシヤ語辞典には、発音が似た言葉があります。ラテン文字表記で「saqi」で、それは酒盃を意味します。とすれば『鎮魂』の酒を注いだ地とも解されます。実際、図1の中央を西から東に流れる利根川を辿ると、中央からやや東側、千葉県側に「神埼」と言う地があります。ここは古来から酒造が盛んな地です。「神埼」は「神の酒」とも読めます。何はともあれ、自然科学と違って「一意的」な解釈があるわけではありません。色々な可能性を、後世の議論のために遺しておくことにします。

 次に考えたいのが「龍が崎」の「龍」です。福島県飯豊に存在する「五龍神社」は、白河風土記に拠れば「霊宮」と呼ばれていたと10月26日記事福島・矢吹五龍神社 で書きました。つまり、「五」は『御』が転じたものであり、「龍」は「霊」が転じたのです。同様の転換がこの地でも起きていた。「龍ヶ崎」の「龍」は実は「霊」の転じたものであろうと思えます。長峰古墳、長豊街道および、利根川をわたる長豊橋(11月28日記事参照 長豊・長峰 )の謂れを裏づけしているかのようです。
 
 つくば研究学園都市と成田国際空港を結ぶ国道408号線は長豊橋で利根川を渡ります。そのつくば側に角崎(すみざき)と言う地があります。古代ペルシヤ語辞典に拠ればラテン文字表記で「somut」と言う語があり、「沈黙」を意味します。私が此れにこだわるのは、上に書いた国道408号線を走り利根川を渡って成田に向かいますが、その西側が「龍角寺古墳」と言う巨大な古墳が集合している地なのです。どちらが先に命名されたかはともかく、「霊」たる『龍』と『沈黙』たる「角」がこの古墳群の名称で、そこに眠る幾多の死者の沈黙に押し込めたたぎる怒りを「鎮めて」いるのが龍角寺ということになります。

 かねてより、気になっていたのが龍ヶ崎市内の「根町」と呼ばれる地区です。上に書いたような経緯があるとすれば、この『根町』の存在に納得いく思いがあります。何故なら、「根」と聞いてまず連想するのが「根国」です。記紀を引用するまでもなく、それは「死者」の国です。例えば、出雲大社がある「島根」県の県名の由来をウイキ島根由来 は以下のように書きます:
『島根県の県名は、県庁の置かれた松江城周辺が旧島根郡(嶋根郡)に属していたことによる。嶋根の名は『出雲国風土記』での八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)の命名によると伝えられる。なお、松江城下は松江城が立地する島根郡(大橋川以北。橋北)と意宇郡(大橋川以南。橋南)にまたがる。』

 しかし、私は島根という県名の由来は「島=領域」、「根=亡くなった大国主命」にあると思っています。このように考えてゆくと気になるのが図1の中央を流れる「利根川」です。正に、死者の川であるならば、上に書いてきた筋書きに整合することになります。

〔図2:利根川流路の東遷概史より利根川変遷 〕
利根ー渡良瀬ー江戸川

 
私は、これまで利根川を引用するときには、『現在の』という接頭修飾詞を付してきました。何故なら太古の昔の利根川は銚子河口には流出せず、現在の江戸川に通じていたからです。「利根川」と言う呼称についてウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキ利根川名称 
 利根川の名称は、『万葉集』巻第十四に収載されている「東歌」のうち「上野国の歌」にある以下の和歌が文献上の初出である[36]。
刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敞流伎美可母
(利根川の 川瀬も知らず ただ渡り 波にあふのす 逢へる君かも)
— 『万葉集』巻第十四、東歌「上野国の歌」
この和歌の冒頭にある「刀祢河泊」がすなわち利根川のことである。意味は「利根川の浅瀬の場所もよく考えないで真っ直ぐに渡ってしまい、突然波しぶきに当たるように、ばったりお逢いしたあなたです」と解され、庶民女性による寄物陳思(ものによせておもいをのぶる)の表現様式を採る相聞歌である。これについて犬養孝は自著『万葉の旅(中)』において、上野国の歌でありかつ人が渡河できる程度の川幅であることから、歌に詠まれた利根川の位置は現在の沼田市から渋川市にかけてではないかと推定している[36]。
%%%%%ウイキ転載おわり
 万葉集巻十四には、歌番3348から3577、つまり230の歌群が納められています。万葉集全20巻には4516歌が収められていることを思えば、一巻あたりの平均的な歌数と言うことが出来ます。この巻十四では、冒頭の五歌が東歌(あずまうた)として分類され、その後ろに相聞歌76歌が続きます。さらに 譬喩歌(万葉集・比喩歌  万葉集における歌の分類の一。表現技法に基づく分類で,心情を直接表現せず,何かにたとえて詠んだ歌。内容は主として,恋歌。巻三・巻七等に部立てとしても見られる。たとえ歌。)9歌、雑歌、相聞歌、などが続き最後は防人(さきもり)歌、挽歌で終えます。上記の歌は3413歌で相聞歌に分類されています。
図3:万葉集巻十四、3403〜3438歌、「トネガワ」は三四一三歌に見える。図の拡大はクリック)
161205万葉集14

 
 図にみるように「利根川」歌の周囲がもっぱら「カミツケノ」であることから、この歌が詠まれた場所は現在の群馬県であったろうことが推測されます。 東歌、そして防人の歌は、奈良・京都の支配者による東国の民への過酷な支配を詠っているものです。それは被征服民への懐柔であったり、強制であったりであり、そこにレスペクトが欠落しているという本質は変わりません。いずれ、そのことを書きます。この歌が詠まれた時期、それは日本書紀などの記載から7世紀の半ば頃からの歌ではなかろうかとの考察がありますが、私はそうは思いません。早くとも8世紀半ば以降であろうと思っています。例えば参照「万葉集東歌」考万葉集東歌 )。

 さて、ここでは「利根川」の議論です。「根」は「死」で間違いないところです。さて、そうなると次は「利(ト)」です。
 図2の右下に千葉が見えます。その千葉を過ぎたすぐ南に蘇我と言う地があるのです。昔の利根川の河口から東に「蘇我」なる地があるのです。これが「と」を考察する上での大きな手がかりとなりました。
 もう一つの手がかりは、昔の利根川の東部および北側に「曽根」なる地名、人名が多いことです。例えば、元首相の中曽根氏の出身地がそうです。このように考えるならば「ト」は「ソ」が転化したものではなかろうか?日本列島ではそうした事例が少なくありません。「十」は「トウ」と音します。これが「三十」となると「ミソ」と音するようになります。
 「利根川」の「ト」は「ソ」であったのです。それは「ソガ」の「ソ」です。「ソガ」はそもそもは「スガ」を介して「スカ」の転化したものです。かくして「利根川」は「スカ族」の死の川、つまり、この川の東側、そして北側でかって隆盛を誇った渡来民「スカ」族が死に追いやられた。これが、利根川と言う川の名前の由来です。
(つづく)

+++++大統領選を巡る米国報道
 日本の「良心的」と自他共に認める方々の多くが、未だに次期米大統領に選出されてトランプ氏を嫌悪し、様々な「悪罵」を放っています。しかし、米国民自身による選択に対して、かくも執拗な非難を繰り返す方々に私は呆れる想いです。せめて、トランプ氏による米国経営が日本にどう関わるであろうか、日本国民の益を守るためには、どうした準備、心構えが必要であろうか、そうした視点からの議論こそが、我々庶民が眼にしたい論です。
 下記は、今般の米国大統領選での米国報道機関の「いいかげんさ」が指摘されています:
%%%%%偽ニュース攻撃で自滅する米マスコミ
2016年12月1日   田中 宇
田中宇のブログ
この記事は「マスコミを無力化するトランプ」の続きです。
 米国で、大統領選挙が終わると同時に「偽ニュース」(フェイクニュース、fake news)をめぐる騒動が始まっている。ことの発端は、大統領選挙でクリントン支持の政治団体やマスコミが、フェイスブックなど大手ソシャルメディアが偽ニュースへのリンクを規制しなかったので、クリントンが不正に負けてしまったと(負けおしみ的に)批判したことだ。 (Faceless monitors judge fake news on social media) (Using fake news against opposing views)
 クリントン支持者によると、選挙戦の末期にかけて、クリントンが病気であるかどうかなど、事実無根なことを書いた報道文や報道解説文の体裁をとった偽ニュースのページがウェブ上に出現し、それがフェイスブックなどを通じて猛烈に拡散され、米有権者の中にそれを信じる人が増えた。偽ニュースの多くは、ロシア人や米国人などのトランプ支持者が書いており、選挙不正なのでフェイスブックなどは偽ニュースのページへのリンクを禁じるべきだったのにそれをせず、不正なトランプの勝利を看過したと、クリントン支持勢力が主張している。 (`Fake News', `Post-Truth' and All the Rest) (Facebook's Mark Zuckerberg Finally Details Fake News Countermeasures)
 偽ニュースの執筆者は、クリントンを落選させるためでなく、偽ニュースのページに広告をつけ、広告収入を得ることが目的だったという指摘もある。今回の米大統領選挙では、米マスコミのほとんどがクリントン支持で、トランプを誹謗中傷する傾向も強かったため、トランプ支持者はマスコミを信用できなくなり、マスコミ以外のネット上の書き込みなどを情報源として重視した。ソシャルメディアで誰かが紹介した偽ニュースのページビューは異様に急増し、執筆者は多額の広告収入を得た。 (Fake news network 'tried to write fake news for liberals — but they just never take the bait.')
 フェイスブックからリンクされた外部ページの広告からの収入は、外部ページの執筆者とフェイスブックの両方が得る折半方式になっている。偽ニュースはネットでしか読めないため、人々が驚くような内容だと、本物のニュースに比べてクリック数が急増する。偽ニュースは、本数でみると少なくても、クリック数に比例しがちな広告収入が多くなる。選挙期間中のフェイスブックのニュースの閲覧数は、偽ニュースと本物ニュースがほぼ同じで、このためフェイスブックは偽ニュースへのリンクを切らなかったのだと指摘されている。 (Does Facebook Generate Over Half Its Revenue From Fake News?) (Inside a Fake News Sausage Factory: `This Is All About Income')
 批判に対してフェイスブックは、偽ニュースと言われるものの中には、その時点で事実かもしれないと思われる情報を含んでいるものが多く、いちがいに「意図的なウソ」と断定してリンクを断絶できないと弁明している。たしかに、クリントン陣営は病気説を「ウソ」と一蹴したが、クリントンは911の集会に参加した際に具合が悪くなって退席し、病気説に対する信憑性が高まった。病気説は偽ニュースでなく事実性を含んだ「疑惑」である。疑惑に便乗した「〇〇に違いない」という言説は多いが、その手の言説はトランプに対する非難中傷の中にも多い。米国のマスコミが発するロシア批判記事の多くも、濡れ衣や誹謗中傷であり、親露・親トランプの文書が偽ニュースなら、反露・反トランプの文書も偽ニュースである。 (Facebook's Fake News Crackdown: It's Complicated) (NY Times Attacks Trump's Twitter Account As Fake News While Lying About Ivanka)
▼トランプ当選で台頭する非主流派サイトを攻撃して自己救済するつもりが逆効果になる??
 誰が偽ニュースを流しているか、偽ニュースの定義について、当初は曖昧で、ロシアやマケドニアなどの親ロシアな人々が書いているとも言われていた。だがその後、米国の偽ニュース騒ぎは、米国内でマスコミやエスタブリッシュメント、軍産複合体、金融支配などに対する批判を展開している、特に右派の非リベラル、反リベラルな言論人のウェブサイトを標的にするようになった。エスタブ・軍産リベラル系のマスコミや言論人が、言論上の自分たちのライバルに「偽ニュース」のレッテルを貼って非難する動きに変質した。オバマ大統領も、偽ニュース批判を発している。 (Fake news website From Wikipedia) (Harsh truths about fake news for Facebook, Google and Twitter) (Here's why “fake news” sites are dangerous) (Obama Joins The War Against “Fake News”)
 米マサチューセッツ州のリベラル派の大学教員メリッサ・ジムダース(Melissa Zimdars)は大統領選挙の直後、人々が信じるべきでない偽ニュースのウェブサイトとして100以上をリストアップして発表した。その多くが、リベラルに対抗する右派のサイトだったため、この発表は大統領選に負けたリベラルが、勝った右派に復讐的な喧嘩を売っているのだとみなされ、右派の言論サイトで話題になった。 (Assistant professor Melissa Zimdars compiles list of fake news sites) (False, Misleading, Clickbait-y, and/or Satirical “News” Sources) (Zero Hedge Targeted On Liberal Professor's List of "Fake News" Sources)
 さらに、11月24日には、ワシントンポストが大々的な扱いで、ロシア政府系と、親露的な米国右派のニュースサイトが偽ニュースを流しまくった結果、トランプが勝ってしまったと指摘する記事を出した。記事は「専門家たちがこのように指摘している」という体裁で書かれており、その「専門家集団」の一つとして「プロパオアネット(プロパガンダじゃないのか) www.propornot.com 」というサイトが引用されている。同サイトは、RTやスプートニクといった露政府系サイトや、ゼロヘッジ( zerohedge.com )、ロンポール( ronpaulinstitute.org )、ポールクレイグロバーツ( paulcraigroberts.org )、グローバルリサーチ( globalreserch.ca )、ワシントンズブログ( washingtonsblog.com )、infowar.com、veteranstoday.com、activistpost.com といった、主に米国の右派系の著名なニュース解説サイトを、偽ニュースを流しトランプを不正に勝たせたロシアのスパイとみなして列挙している。 (Russian propaganda effort helped spread `fake news' during election, experts say) (Is It Propaganda Or Not?)
 興味深いのは、ワシントンポストのこの記事の主張の大きな根拠となっているプロパオアネットが、最近できたばかりの、正体不明なサイトであることだ。記事中で同サイトが発する主張は、すべて匿名で行われている。権威あふれる(笑)ワシポスが、トップ級の記事で依拠するには、あまりにチンケな、それこそ陰謀系のサイトだ。同サイトがロシアのスパイサイトとして列挙した上記のゼロヘッジやロンポールなどは、以前から的確な指摘や分析を発し続けている。その質はワシポスやNYタイムス、WSJ、FTなどのような権威あるマスコミと十分に互角か、時によっては、プロパガンダに堕しているマスコミより高度で、非常に参考になる分析をしている。 (Bait & Switch- Fake News, PropOrNot, the Real Inform & Influence Operation) (The Reality of Fake News)
 ワシポスやNYタイムスは、イラク侵攻以来、米政府の過激・好戦的な濡れ衣戦争の道具になりすぎ、歪曲報道が増えて、読むに耐えない記事が多くなって久しい。FTも(日本を代表する歪曲新聞である)日経の傘下になってから、明らかにプロパガンダな感じの記事が増え、質が落ちている(WSJは、昔から極右的だが悪化しておらず、わりと良い)。このようにマスコミの質が落ちるほど、上記のゼロヘッジやロンポールなど米国の非主流派のニュースサイトが、多くの人に頼りにされ、必要性が高まっている。 (The Mainstream Media Has Only Itself To Blame For The "Fake News" Epidemic) (The REAL FAKE NEWS exposed: '97% of scientists agree on climate change' is an engineered hoax ... here's what the media never told you)
 日本では非主流のニュースサイトがない。日本語のネットの有名評論サイトのほとんどが、マスコミと変わらぬプロパガンダ垂れ流しだ。だから日本人はマスコミを軽信するしかなく悲惨に低能だが、米国(など英語圏)にはマスコミを凌駕しうる非主流サイトがけっこうあり、これらを読み続ける人々は、ある程度きちんとした世界観を保持しうる。だから米国は、トランプのような軍産支配を打ち破れる人を大統領に当選させられる。
 RTやスプートニクといった露政府系のニュースサイトは、欧州や中東を中心とする国際情勢について、ワシポスなどより信頼できる報道をしている。人々は、米マスコミが自滅的に信頼できなくなったので、RTやスプートニク、イラン系のプレスTVなどを見て、的確な情報を得ようとしている。それらをまるごとロシア傀儡の偽ニュースとみなすワシポスの記事は、ライバルをニセモノ扱いして誹謗中傷することで、歪曲報道の挙句に人々に信用されなくなったワシポス自身を有利にしようとする意図が見える。 (`Fake news' & `post-truth' politics? What about those Iraqi WMDs?) ('Fake news' isn't the problem — mainstream news with an agenda is)
 しかし、そのライバル潰しで信頼回復を目的にした今回の記事の信憑性を、匿名だらけの怪しいプロパオアネットに依拠してしまったのは、あまりにお粗末で、突っ込みどころが満載だ。ゼロヘッジやロンポールは、さっそく売られた喧嘩を買い、ワシポスなど主流派マスコミこそ劣悪な偽ニュースだと逆批判している。元下院議員でリバタリアン政治運動の元祖であるロンポールはまた、今回のような主流派マスコミによる非主流派メディア・言論人に対する誹謗中傷濡れ衣的な攻撃は、今後まだまだ続くとの予測を発している。 (REVEALED: The Real Fake News List) (uspol Ron Paul Lashes Out At WaPo's Witch Hunt: "Expect Such Attacks To Continue") (Is "Fake News" The New 'Conspiracy Theory'?)
 ワシポスの今回の攻撃記事は、すでにマスコミが非主流メディアより信頼の低い弱い立場になってしまっていることを示している。マスコミが今回のような過激で稚拙なやり方で、ライバルの非主流派メディアを攻撃し続けるほど、マスコミ自身の信頼がさらに下がり、知名度が低かった非主流派メディアへの注目度や信頼性を逆に高めてしまう。ワシポスの記事のアイデアを誰が考えたか知らないが、今回のやり方は、稚拙な好戦策を過剰にやって米国覇権(軍産複合体)を自滅させた隠れ多極主義的なネオコンと同様、稚拙なライバル中傷を過剰にやって、軍産の一部であるマスコミを自滅させようとする隠れ多極主義的な策に見える。 (The Fake News Fake Story) (Glenn Greenwald Condemns Washington Post's "Cowardly Group Of Anonymous Smear Artists")
 マスコミ(など軍産)と、軍産マスコミを批判してきた非主流派メディア・言論人との戦いは、ロンポールが言うとおり今後も続きそうだ。だが、すでに軍産マスコミは、トランプの当選によって、権力から蹴落とされている。トランプと非主流派は、一心同体でない。両者は、米国のテロ戦争やロシア敵視、NATOや日韓との同盟関係を愚策とみなす点で見解が一致するが、そこから先は対立事項も多い。トランプは軍事費の急増を主張し、米国の馬鹿げた戦争にむしろ加担しそうに見える。非主流派は、米連銀などが進めるバブル膨張による金融システムの延命策に反対しているが、トランプは財務長官などの要職に米金融界の人間を任命し、バブル膨張策に反対しそうもない(故意に膨張させて崩壊させ、多極化を前倒しする策か??)。 (◆得体が知れないトランプ)
 これらの齟齬があるものの、トランプはおそらく、マスコミなど軍産を権力の座から蹴落とし、軍産を冷遇し続けて潰そうとしている(軍事費急増は目くらましかも)。トランプ政権の今後の8年(たぶん再選される)で、マスコミやNATOなど軍産は大幅に無力化されるだろう。世界の覇権構造はぐんと多極化する。最終的に、米国の覇権と軍事費は大幅に減る。多極化へのハードランディングとなる金融バブル再崩壊もおそらく起きる。非主流派の言論人たちが予測分析してきたような事態を、トランプが具現化することになる。 (The Fake Epidemic of Fake News) (Fake Science News Is Just As Bad As Fake News)
 米国で偽ニュースが騒がれ出したのとほぼ同時に、欧州ではドイツのメルケル首相が、ロシア敵視の一環として偽ニュース批判を強めた。欧州議会は偽ニュースの発信者としてロシアを非難する決議を出した。欧州において、トランプ陣営は、メルケルと敵対する独AfD、仏ルペンなど、極右や極左の反EU・反移民・親露な草の根ポピュリスト勢力を支援している。マスコミ(軍産エスタブ)とトランプ系の米国の戦いは欧州に飛び火し、メルケル(軍産エスタブ)と極右極左との戦いになっている。米国では、最終的なトランプ系の勝利がほぼ確実だ。欧州でも、メルケルは来夏の選挙に向け、どんどん不利になっている。メルケルは、負けそうなので危機感から偽ニュース攻撃を武器として使っている。米国でも欧州でも、偽ニュースを使った喧嘩は、ニュースをめぐる議論でなく、追い込まれたエスタブの最期の反攻・延命策の一つになっている。 (Merkel Declares War On "Fake News" As Europe Brands Russia's RT, Sputnik "Dangerous Propaganda") (EU Parliament Urges Fight Against Russia's 'Fake News') (Germany is worried about fake news and bots ahead of election)
%%%%%転載終わり

いわき界隈の不思議な地震活動、安倍氏の貧困老人いじめ

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:普段仲間とつるまない雉5羽が集まって何か語っています。よく見ると二親(ふたおや)と三羽の子供雉〕
雉1259


 先日の 地震警報 大手柄 あの経験を 子雉に語れり

「普都」大神の正体が見えました。これに付随する議論、たとえば「宇都宮」、「宇津峠」など東日本に多いこうした地名が、「ふつ」に関わっているのか、否か。「フツ」が「仏」であるならばそれを体現した史跡なり建造物は・・・と言った議論、さらには日本書紀に登場する「三宝」との関連等々、考察しておきたいことが増えてしまいました。そうではあっても、私の「斎」論議も到着点に接近しつつあるなとの実感があります。それを常陸国風土記をもう少し読み進めて確認することとします。その作業を次回以降に続けたいと思っています。

( 図1:昨日東京新聞一面トップ記事)
医療費1266

 
 先日の年金改革による年金支給減額、今般の老人医療費(上の記事)値上げ、アベノミクスの挫折、北方領土返還見通し真っ暗、原発事故補償・廃炉経費の国民負担などなど・・・昨年の安保、秘密保護法を持ち出すまでも無く、本年も安倍氏の失政は誰の目にも(と言っても一部大企業および5%富裕層を除く)明らかと思えるのです。が、なんと安倍氏への支持は世論調査によれば60%を超えるのだそうです。回答者に個々の政策を尋ねると、どれ一つをとっても安倍氏の政策に反対表示が上回っています。どうなってるのですかね!日本国民は異次元の空間にワープしてしまったようです。
 
 老人になってみると「社会に尽くしてきた年寄りに、早く死ね!と言うのか」なぞのセリフを口走利他句なります。しかし、その言は年寄りの“思い上がり・身勝手”と思われかねません。実際、口幅ったいものを感じます。が、これが現在の我が国に進行している実態であることは事実です。
何にせよ、若者に安定した雇用を提供し、その稼ぎから年寄りの生計を貢がせるのが、安倍氏の政策と思っていました。どうやらそれは大きな勘違いであったらしい。せめて年寄りのことはさておいても働き盛りの国民が安定した生計そして老後の安心を保てる政策を!と、安倍氏に訴えたいですな。

〔図2:私が大好きな室井佑月さんの発言、日刊ゲンダイ11月30日〕
室井3743


 
+++++福島沖地震余効
 週刊誌「女性自身」が立命館大学教授の談話として東日本での近日中の地震を予測したそうです:
(図3:高橋教授の地震予測 「女性自身」12月1日号)
biz5MTB無題


 高橋氏の地震予測について、その手法などは全く知りません。学術論文で高橋氏があげる論拠を、私は知りません。というわけで、その評価もできません。同様の予測を村井俊治東大名誉教授も行っています村井東大名誉教授の地震予測 。これについても私はコメントできません。昨今、こうした地震予測があふれています。良いことなのか、どうなのか?地震学者が口に出来ないことを在野の「地震愛好家」が口走るという印象です。

 こうした、地震予測・地震予言はさておいて、今回の記事では先日の福島沖地震についてのその後の展開についてふれておきます。

 先日、マイナヴィニュース(国土地理院測量 )が国土地理院による福島県沖地震後のGPS測量変動結果を報じていました:
%%%%%記事転載「福島沖地震、その後」
福島県沿岸部が北西に5センチ動く 22日の地震
2016/11/30(水) 01:33:34
22日早朝発生した福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.4の地震により、同県沿岸部の南相馬市の観測点が 北西方向へ約5センチ動く地殻変動が起きていたことが国土地理院(つくば市)の解析で分かった。
今回の地震について気象庁は断層が北西―南東方向に引っ張られて動く「正断層型」とみているが 同院は「気象庁の解析結果と整合する」としている。 国土地理院は設置されている基準点の地震前後の動きを詳しく調べた。
その結果、震源に近い南相馬市小高区の電子基準点が北西方向に約5センチ変動していたほか
福島県沿岸部の2基準点でもほぼ同方向に約4センチ変動していた。 22日の地震について気象庁などは、東日本大震災により震源域内の地震活動が活発化した「余震」と判断し 日本列島の陸側のプレート(岩板)内部で発生した「引っ張られる力」によってずれる正断層型とみている。
このタイプの地震は断層が上下方向にずれるために海底が上下方向に動いて海水を押し上げる。 このため津波が発生しやすい。
http://news.mynavi.jp/news/2016/11/28/450/
〔図4:国土地理院によるいわき界隈の地殻変動)
福島沖16112214804372140001


%%%%%記事転載終わり

 図4は地震発生前と後のGPS観測点位置の比較です。それが北西方向に大きいところで5cmほど移動しているというわけです。地殻が南東から北西方向に押されたために動いたという解釈も出来ますが、研究者達は福島県東岸の一帯が「南東と北西」の方向に引っ張られていると理解しています。そもそも観測点そのもの位置は、どこかに不動点を仮定して、それに照らして夫々の観測点がどのように動いたかを示すのが上図です。
 あたかも福島県の東岸域が猪苗代湖あたりに巣くう巨大な怪獣によって北西に引っ張られていると考えたくなります。が、もし今般の地震の震央の東側にもGPS観測点があるならばそこでの観測点は南東向きの矢印が分布するであろうと研究者は考えます。地震の発震機構図がそう考える根拠となっています。
 
 ところで、いわき沖を含むいわき界隈の地震活動は奇妙です。それを図5に示します。
〔図5:2011年4月11日の地震を含むMw>5.5の3つの地震と周辺域の地震活動,拡大はクリック〕
いわき界隈


 3月11日の巨大地震に誘発された福島県地震として要注意の地震が、あの巨大地震の一ヵ月後にいわき市内〔勿来の近く〕で起きています。「福島県浜通り地震」〔2011年4月11日〕2011年4月福島県浜通り地震 です。
 まず、着目したいのはこの地震の発震機構解です。それは今般の主震〔2016年11月22日〕、最大余震のそれらと大きく異なっています。節面の走向(発震機構図内に表れる二つの曲線)が今般の地震では概ね北東―南西を向いているのに対して、「福島県浜通り地震」は北西―南東を向いています。その結果、起震力と思われる張力の方向は、今般の地震が北西―南東向きであるのに比して、「福島県浜通り地震」では南西―北東、つまり90度反時計周りに違えていることです。にもかかわらず、圧縮応力は、どちらもほぼ鉛直です。誠に興味深いことですが、物理的な解釈をどうつけるのか?

 もう一つの興味深い事が、上の図で明瞭に観察できます。それは、直角三角形状の浅発地震活動分布です〔図の青色で示した〕。「福島県浜通り地震」は、この三角形の北西ー南東方向の辺に沿っておき〔ほぼ南北〕、今般の地震は、ほぼ東西(やや反時計方向に傾いている)の辺に沿って起きています。

〔図6;いわき界隈の地震活動分布の特異性〕
いわき界隈形状


 図5の直角三角形は上図ではAの矢印とBの矢印で示されます。Aの線の北端で「福島県浜通り地震」が発生しています。一方B線に沿った線状で今般の地震が発生しています。興味深いことは今般の地震活動は、A 線には達せず、C線でとどまっています。いわき沖とその界隈に地学的にどのような構造が介在しているのでしょうか?現時点では唯々「不思議、怪奇」としか言葉がありません。
 ついでですので、本記事とは直接の関係はありませんが、その北方に青線で示した領域内の地震活動が、「階段状」(Echelon)であることも興味深いこととして、本記事に書き留めておきます。地下での地学的構造に何がしかの不連続があるのでしょう。それがEchelonの形態をとると思っています。


 「福島県浜通り地震」が発生した頃は、防災科学技術研究所の「最近の大きな地震」コーナは未だ開設されていません。したがって、この頃の地震の性状はあきらかでありません。
そこでいつものようにGloval CMT Catalogue からこの地震の情報を転載します:
〔図7:この表は既におなじみとなりましたので説明は省略します。上は〔福島県浜通り地震〕、下は、11月22日地震の最大余震。発震機構図は図5に示したものと同じ〕
いわき界隈MT
 

 非DC成分が「福島県浜通り地震」については、なんと30%と言う大きな値になっています。数値計算をそのまま信用するならば、この地震では南東―北西からかなり強い圧力がかかっていたということを示します。この応力の方向は太平洋プレートが日本列島をのせる北米プレートを押し付ける方向です。話は辻褄が合うようです。が、よーく考えてみると、この地震が発生した時点では3月11日の巨大地震は既に発生しています。つまり「日本列島は、太平洋プーレートの強い圧迫から解放されていた状態」と、地震研究者が解釈していた時期です。そうした時期でもこの地にはその圧縮力が残存していたということなのでしょうか?

 と、いうわけで、たかが”いわき界隈”の地震活動といえども不思議なこと、未知なことが山ほどあります。”プレート運動がウンタラカンタラ”と講釈師の類の軽薄な弁を講じたとしても現実の地学現象が、ましてや将来の地学現象の推移がわかるとは思えない。着実な事実の積み重ねしかないようです。

「フツ」大神とは?筑紫に土塁跡

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:雑木林の小道を覆いつくす枯れ葉)
木漏れ日1264

 
木漏れ日が 雑木の隙間に 輝いて 小春日和の のどかな一時

〔図1:本日東京新聞朝刊一面「三八(さんやつ)」広告です〕
本1263


 本ブログでもしばしば論じたように、倭国は邪馬台国を継承したことは明らかです。たとえば、会津に「山都」と言う地があります。これは西倭国〔九州〕を追われた西倭国の民が住み着いた地です。この地を彼らは「ヤマ」の都と呼んでいます。倭国の民は邪馬台国を継承しているとの自負があったのだろうと思っています。そう思うので、大変興味深く、早速市の図書館に購入をお願いしようと思っています。

 もう一つ関連記事です。朝日ネットニュースが下記を報じていました。北九州の土塁で思い出すのは佐賀県の吉野ヶ里の南を東西に走る土塁跡です。これは万葉集七歌〔2009年6月17日記事 土塁跡 〕で詠われています。この土塁に繋がるのでしょうか?興味深いことです。
大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡

2016年11月28日 18時43分 朝日新聞デジタル http://c23.biz/bzA2 
 福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が見つかった。市教委が28日、発表した。古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、丘陵での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。
 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡地から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁のようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の最大幅は約13・5メートル、2段構造で東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの丘の尾根を、ほぼ南北方向に約500メートル(残存部分390メートル)にわたって走っている。周辺は区画整理事業のためどこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築技法で造られていた。
 古代大宰府は国家の対外政策の要で、朝鮮半島の百済救援に向かった日本が唐・新羅連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の直後、敵の侵攻に備えて水城や大野城、基肄(きい)城(いずれも国特別史跡)が平地や山上に急造された。市教委は「水城や大野城などの築造工法と共通し、出土した土器の年代などから、大宰府防衛の構造物である可能性が高い」という。

+++++見えてきた「ふつ」大神
( 図1:前回記事で掲載した信太郡記事原文 )
信太いいな


 今回は、上記図の△砲弔い胴佑┐泙后信太郡に様々な雑多な宗教が蔓延(はびこ)っていた時に天から神が降りてきた。その名は「普都大神」であると風土記・常陸国が書きます。この大神は何者なのか?

 「フツ」大神の正体について古代史学者は頭を悩ませてきました。その悩ましい実情が、既存の記載から見えてきます。この大神は何故か古事記には登場せず、日本書紀にのみ登場します。そこで、本来であれば日本書紀の原文を引用すべきですが、ウイキ記事を転載しておきます:
%%%%%「フツ」大神煮について〔ウイキ〕
http://c23.biz/dG5a (ウイキ)
経津主神経津主神(ふつぬしのかみ)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。 別名、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)。『出雲国風土記』では布都怒志命として登場する。
経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と、武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。
経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説がある。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し、刀剣の威力を神格化した神とする説のほか、「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説や[1]。神武東征で武甕槌神が神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)[2]の剣を神格化したとする説がある。なお、『先代旧事本紀』では経津主神の神魂の刀が布都御魂であるとしている。『古事記』では、建御雷之男神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)であるとし、建御雷之男神が中心となって葦原中国平定を行うなど、建御雷之男神と経津主神が同じ神であるかのように記載している。
布都御魂を祀る石上神宮が物部氏の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する中臣氏の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。
神話[編集]
『日本書紀』の神産みの第六の一書では、伊弉諾尊が軻遇突智を斬ったとき、十束剣から滴る血が固まって天の安河のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしている。 第七の一書では、軻遇突智の血が天の安河のほとりの岩群を染めたために岩裂神・根裂神が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神を生んだとしている。
葦原中国平定では武甕槌神とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をしている。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では経津主神のみが天降ったとしており、出雲の意宇郡楯縫郷(島根県安来市)で天石楯を縫い合わせたとの逸話が残っている。
脚注
1. 鹿島神宮社務所編集の「新鹿島神宮誌」によれば、「フツ」は「フル(震)」と同義であり、天にて震いて「建御雷」、地にて震い萌え出ずる春の草木、その洗練された象徴が「逆しまに立つ剣の形」であり、神武天皇以下、悪霊におかされて死にたるごとく伏したるを回復させ、奮い立たせるのもフルすなわちフツノミタマの力であるという。
2. または佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)(『古事記』の中つ巻に拠る)の
%%%%%
 上記は、この大神について日本書紀が語る謂わば経歴です。上に見るように、この記載は”研究”と言うには程遠く、日本書紀記事を謂わば現代文に訳した”丸写し”です。それほどに、この大神は平安時代から現代に至るまで古代学者を散々悩ませてきました。その”深い悩み”を端的に示しているのが岩波文庫「日本書紀(一)」の校注者による記述です。それを図2に示します。
〔図2 岩波文庫〔日本書紀(一)〕補注より、370頁〕
161128フツ大神


 一生賢明に調査して書かれた校注です。しかし、誠に非礼ですが面白くもなんとも無いのです。ここに、古代史研究者の困惑が吐露されていると私は思っています。それでは、この大神の出自を何処に求めるべきか?、その意味は何か?。
 ところで、この神は日本列島の信仰体系の柱として君臨して来たことは、以下の記事から明らかです。それは、日本書紀二巻の「一書に曰く」に始まっています:
原文:
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)

文意:〔岩波文庫「日本書紀〔一〕」130頁
 天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国の平定をさせた。その際、この二神が言うには「天の悪神有り。名を天津甕星〔天罪か星〕と言う。又の名を天香香背男〔あまかがせおお〕という。請う。この神を誅し、然る後に葦原中国をからわ」と。このとき斎主神を斎之大人と号した。この神、今は東国の楫取之地〔香取〕に在る。

 上の日本書紀記事から我々が知ることは、そして藤原不比等が意図したことは「経津主神。武甕槌神」の二神が葦原中国を平定し、「楫取之地」にあって「斎」なる祀りを執り行った事です。
楫取が古代史学者の誰しもが是認するように、現在の「香取」であるならば、葦原中国は信太・筑波とその周辺であらねばなりません。だからこそ、常陸国・風土記はそのことを直裁に記述するのです。が、此れの話になると古代史研究者は口を濁します。

 上記、日本書紀抜粋記事の一番目の要点は「楫取之地」(カトリ)で激戦の主導権を藤原不比等の側が握り勝利を確定したことなのです。その功を為したのが「軍事力」では武甕槌神です。正に「武を以って甕星〔シリウス星)を信仰する一族に槌(つい)を下した」のです。名前がそのままこの神の役割を体現しています。
 そしてもう一人の人物について、常陸国信太郡記事は、この大神の登場にあたって、信太郡に「跋扈する」雑多な宗教土壌を舞台設定にしつらえています。すでに書いたように「言葉」とは、単なる方言ではなく「精神体系」つまり宗教です。この「大神」は原住民の思想・精神面での懐柔を担ったのです。そこにこの大神の謎を解く鍵があると考えています。

 さて、この大神の実像であります。藤原不比等が支配者として導入した大神であるからには、その名称の由来が「古代ペルシア語」にあるとは思いがたい。香取―那須岳線を本ブログのテーマに掲げて以来ずっと頭にこびりついていた疑問でありました。それがいとも簡単に常陸国・風土記の記載から解けました。まさに「目からウロコ」であります。

 何のことは無い、それは「仏」(フツ、ブツ、ラテン文字表記 fu)です。既存の雑多な信仰に「仏教」を対置したのです。「仏法」については日本書紀推古紀より時折記載があります。疑義を唱える読者もおられましょう。八世紀始めの東国での戦乱にあって東国の民を慰撫できる「精神・思想」として他に考えられる何かがあるでしょうか?それを確固としたのが八世紀半ばの「聖武天皇」の大仏建立であったと思っています。
 
 私の両親、祖父母が眠る墓は浄土宗であり、曹洞宗ですから、仏教にはしかるべく通じているべきが、生憎無信心であるため、現時点で仏教を語ることは僭越に過ぎます。

 上記の日本書紀が語る「斎」は仏教法事も体系化されていたのです。どうやら、「斎」構想を藤原不比等は一朝一夕に発想したのではなく、かなり時間をかけて練りあげてきた思想体系であったらしいことが見えてきます。「仏教」を導入するからには既存の「ざわざわとした言語」と表現される宗教とどのように折り合いをつけるのか?そのあたりは宗教学者の研究にお任せします。しかし、これぞ神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏習合)であることだけは疑いようがありません。
(つづく)

北方領土、つくばー稲敷ー成田

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:朝日が近くの校舎を赤く照らしています。舟木一夫の歌であったでしょうか。田は白い霜で覆われ、台地に這うようにうっすらとした靄。まさに冬景色であります〕
赤い校舎1255

 
口よぎる 赤い朝日が 校舎を 染めて霜白き  田に狭霧立つ

 次に連想するのが 文部省唱歌であります。冬景色 (冬景色)

+++++信太郡〔3〕
 現在の利根川を挟んで相接し、北にあるのが信太郡、南は下総国です。信太郡の南縁は稲敷です。その稲敷を名前に持つ人物が日本書紀に二回登場します。天武元年紀、唐・新羅連合軍を率いた城郭務総への使者として「天智天皇」の死を告げた人物です。それを前回記事で書きました。

 二回目の登場を下記に転載します:
%%%%%日本書紀巻二十九転載
天武天皇十年(六八一)三月丙戌【十七日】
原文:天皇御于大極殿。以詔川嶋皇子。忍壁皇子。広瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連子首。小錦下阿曇連稲敷。難波連大形。大山上中臣連大嶋。大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋。子首親執筆以録焉。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕169頁
天皇は大極殿において、川嶋皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連子首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首等に以下の作業をするよう詔(みことのり)した。すなわち、帝紀および上古の諸事を整理し書き記すようにと。大嶋、子首が自ら筆をとって記す。
%%%%%
  
 そもそも、九州・熊本に陣取る西倭国は奈良・外国軍〔唐・新羅〕との戦闘の真っ最中であった筈です。そんな緊迫した時期に「史書」編纂を思いつくなぞはありえません。したがって、この記事は日本列島史編纂を目論む藤原不比等が後世の「アリバイ」作りのために挿入したと考えています。その論拠としては、編纂作業に選ばれた人たちです。この十二名の半数は王族です。私が注目しているのは、残る六名の内、少なくとも東国出身者が二名含まれていることです。一人は阿曇連稲敷〔常陸国代表〕、そしてもう一人が上毛野君三千〔毛野国代表〕です。あたかも、これから編纂する「正史」の公平さ・正確さを期するべく為された人選であるかの装いを取っています。

 本ブログでは、かなり詳細に天武紀を議論してきました(2013年5月22日天武論 〜7月31日天武論 )。この議論に当たって参照したのが万葉集に見る柿本人麻呂の歌群です。人麻呂の歌、そして壬申の乱を詠っている諸歌から窺い知るのは、倭国軍は戦乱を叙事する書記団を帯同していたことです。その筆頭が人麻呂であったのです〔例えば、2013年7月10日記事、万葉集二十九歌万葉集二十九歌 〕。この書記団は軍の司令部の移動にも随いていったのです。上記△里茲Δ併蔑疉員の会合は頻繁に開かれており、その会合には「書記団」は記録係として同席していたに違いありません。
 不比等はそうした会合を知っており、それを自らの正史編纂の会合としてしまったのです。

 ところで、常陸国風土記・信太郡の記載内容についてもう二点ふれておきます。
〔図1:常陸国・風土記、信太郡〕
信太いいな


 まずは図1〔上〕で示す記事で,鯢佞靴唇貔瓩任后
龍ヶ崎市内に、「飯名」神社の同属とされる「小祠」が遺されています。此れが、図1,言う飯名社であるとされています。その社は現在ひっそりと茨城県龍ヶ崎市の民家の庭に残されています〔図2左の写真〕。「飯名」は「イイナ」と音しますから、まさに「稲荷」〔いなり〕に通じます。そして「稲敷」の「しき」は、「稲荷」神の敷地であったと郷土史は書きます。
「シキ」で連想するのが埼玉県行田市の〔稲荷山古墳〕から出土した鉄剣です。それには「ワカタケル」と読み取れる銘文が刻まれていたことで、日本中の古代史学者は大興奮しました〔そこで為された議論のほとんどは誤りです〕。この鉄剣には「シキ」と読める「宮」の場所まで刻まれています。此れを巡る議論については長くなりますから、本ブログでの記事のみを紹介しておきます(2013年7月22日記事、ワカタケル )。その記事でも書いたように、「シキ」は埼玉県の「志木」です。その地に陣屋を構えていたのが「ワカタケル」王です。とするならば「タケル」はペルシア語かもしれません。古代ペルシア語では「男根、角がある羊、酒、背が高い若者〕の意です。この大王は逞しく背が高いりりしい青年であったと思わせます。

〔図2: 龍ヶ崎市と北隣のツクバ市にある“長峰”(長峰=長豊 )より)
筑波から信太


 図2右は過去記事の再掲です。その過去ブログ記事で書きましたが、この龍ヶ崎と現在のつくば市南部は「死」を思わせる地名が散在しています。まずは「長峰」です。この龍ヶ崎には、市内最大の古墳である長峰古墳があります。そして、北方10kmのつくば研究学園年には長峰と言う地区があります。現在、そこには気象研究所があります。このつくば研究学園都市内の長峰地区の東南角に「大角豆」〔おおさぎ〕と呼ばれる地があります。
 長峰と言う地名を考えて見ます。「長」は〔チョウ〕と音します。それは「冢」(ちょう)の転じた語ではなかろうか。最近は「塚」と書きますが「貴人の墓」を意味します。
次に「峰」です。これは「ホウ」とも音します。とするならばこれは「豊」が転じたのではなかろうか?これについては以前も論じてきたことですが再度繰り返します。

 プロ野球チームソフトバンクに韓国出身の強打者「李大浩」と言う選手がいました。日本人は彼を「リダイコウ」と音していましたが、彼のラテン文字表記は「イデホウ」です。実際〔学研大漢和字典〕によれば「浩」〔コウ、ゴウ〕のラテン文字表記による音は「hou」です。ところで宋書倭国伝に登場する倭の五王の一人「興」〔コウ、ゴウ〕も、そのラテン文字表記の音は「ハウ」です。西暦600年に大陸の皇帝に謁見した倭国使節は自らの王を「高」と告げたはずです。ところが、皇帝の書記官はそれを「興」と書き記したのです。この時点で「コウ」と「ホウ」の「音声」混同が既に発生していました。言い換えれば、朝鮮半島を含む大陸人には日本列島人が発する「高」は「コウ」とも「ホウ」とも聞こえるのです〔「ほう、そうですかね」なぞと駄洒落を飛ばさんでください〕。
 壬申の乱で九州倭国に進駐した唐・新羅連合軍は「高」を「ホウ」と聞いたのです。彼らの発声に、現地倭国の民は「豊」なる漢字を当てたのです。「豊」(フ、ブ、ホウ)の音はどうでしょうか。ラテン文字表記の音は「hou」なのです。こうした経緯を経ていつの間にか「高」は「豊」なる漢字に転じたのです。そしてその転化は東国では「ホウ」であれば何でも良いというわけで「峰」ナル漢字表記にまで変貌したのです。歴史研究者の間では「豊〕を「トヨ」と音することで以って、別の筋書きを考える一団もいないわけでは在りません。それは天照大神、稲荷信仰に関わっているとの筋書きにまで発展します。私はこうした筋書きに懐疑的であります。

 筑波から龍ヶ崎に存在する「長峰」は「高一族の墓所」なのです。実際、図2に見るように筑波長峰地区の南東に未だに大角豆と言う地名が残っています。これは「オオササギ」つまり「巨大な墓所」です。同様に 龍ヶ崎の長峰には市内最大の古墳「長峰古墳」、その周囲には大塚古墳があり、さらには愛宕山古墳などが未発掘のまま遺されています。

 これらの古墳を南に辿ると、現在の利根川です。それを渡る街道は現在、筑波研究学園都市と成田飛行場をむすぶ国道408号せんです。この国道は「長豊街道」とも呼ばれています。上記の議論から、「長峰=長豊」であることを説明する必要は無いでしょう。この街道のすぐ東側は「龍角古墳群」〔現在の房総〕です。こうしてみると筑波郡南部から信太郡そして利根川を越えた下総北部は「死者」の域であるかのごとくです。それを鎮魂するが故に「稲荷」信仰がこの地に発祥したと私は考えています。私はこの地に「成田不動」が存在するのも、そうした背景を知った人物によったのだろうと思っています〔後述〕。それを行間で裏付けるのが「常陸国風土記・筑波、信太郡」なのです。
 何よりも強調したいことは、奈良に陣取る藤原不比等が指揮する軍団が、東国のこの地で残虐の限りをつくし、死者累々たる惨劇があったのだろうと考えています。

 余談でありますが、1980年代、私の勤務地は東京新宿の百人町〔近くに名優西村功氏の私邸があった〕から筑波に変わりました。そのころ地元出身の事務系職員からよく聞かされた話です。“ここは、大昔から祟られていると爺ちゃんが言ってた”と前置きした上で、自らの体験談を聞かせてくれました。
 “先夜、溜まってる仕事を片付けるため残業をしてたんですよ。なにか遠くのほうで鞠をつく音がして、誰もいないはずなのにエレーベータの動く音がするんですよ。誰かいるのかとエレーベタの扉口に行ってみたが、自分が先刻乗り捨てた状態のまま。ボールの音も止んでいる。気のせいかと又部屋にもどると鞠の音とエレベータの音が再び聞こえる。昔お爺ちゃんから聞かされた話がよみがえり、恐ろしくなって残っている仕事を投げ出して家に急いだ」と、真顔で語るのです。

 次回は図1で 印をつけた”普都大神“を考察します。
(つづく)


+++++北方領土
 安倍氏が首相としての業績の目玉の一つとして掲げるのが日ソ平和条約締結と、それに基づく北方領土の返還です。何背、アベノミクスは破綻、TPPも先行きの展望なしとすれば、此れにすがりつきたくなります。しかし、これについても、どうやら、安倍首相の当初の目論みは大幅に後退してしまったようです。ビジネスジャーナル誌の論説を以下に転載しておきます。
%%%%%ロシアとの北方領土返還交渉
ビジネス・ジャーナル 
北方領土返還は絶望的…日ロ交渉が“破談”に終わった理由
 事前のシナリオが完全に狂ったのだろう。ペルーの首都リマで19日午後(日本時間20日午前)に行われた安倍首相とロシアのプーチン大統領の首脳会談。70分に及ぶ会談を終えた安倍首相の表情は、落胆した様子がアリアリ。北方領土問題を含む平和条約締結交渉の進展状況を記者団から問われると、「解決に向けて道筋が見えてはきているが、簡単ではない」と答えるのが精いっぱいだった。
 恐らく安倍首相は会談で、日本側が示した医療や都市整備、エネルギーなど8項目に上る「経済協力」と引き換えに、プーチンから北方領土返還に向けた何らかの“言質”を引き出したかったに違いない。
 ところがプーチンは、日ロ両国の貿易高が半年間で4割近くも減ったことを示して、「第三国による政治的な措置の結果」と指摘。ウクライナ問題で経済制裁を強める欧米に、足並みを揃える日本を批判したという。
 平和条約締結どころか、北方領土の2島返還すら絶望的な雰囲気だが、すでに“伏線”はあった。「経済協力」でロシア側の窓口だったウリュカエフ経済発展相が今月、巨額収賄の容疑で刑事訴追、解任されたからだ。
「訴追ということは、ずっと捜査が進んでいたわけで、プーチン大統領も知っていたはず。通常は外交交渉の窓口を突然パクることはしません。相手国に対して失礼に当たるからです。何の情報も掴んでいなかったロシアの日本大使館の“無能ぶり”にも呆れますが、外務省内では『これで日ロ平和条約は終わった』と囁かれていました」(外務省担当記者)
“破談”の理由はまだある。安倍首相と米国のトランプ次期大統領の会談を「失敗」とみたプーチンが、もはや日米関係など恐れるに足らず――と判断した可能性だ。
「(約50万円の)ゴルフクラブを贈ったことがトランプ会談を台無しにした」とみる国際弁護士の湯浅卓氏はこう言う。
「米国のビジネスマンや政治家が金品などの贈り物を受け取らないのは(贈収賄容疑を避けるための)“常識”です。トランプ氏はビジネスマンである上、(公職の)次期大統領です。会談に家族など第三者を立ち会わせたのは恐らく、安倍首相からゴルフクラブを贈られても、『私自身は受け取っていない』との立場を明確にするためでしょう。それぐらい神経を使うことなのです。そもそも、モノで相手の気を引こうなんて外交相手に失礼でしょう。ドイツのメルケル首相がトランプ氏と会う時、ベンツのキーを贈ると思いますか? 絶対にしません。英国と並ぶ外交大国のロシアのプーチン大統領が、安倍首相を冷ややかな目で見るわけです」
 ちなみに米国には「海外腐敗行為防止規制」があり、贈賄行為には特に厳しい。禁止の「利益供与」には、金品だけでなく接待や贈答も含まれる。トランプにとってゴルフクラブの贈り物は大迷惑だっただろう。そんな安倍首相の「朝貢外交」を見たプーチンが強硬姿勢に出るのは当然。結局、プーチンに「いいとこ取り」されてオシマイだ。
%%%%%転載おわり

 先日キューバの伝説的英雄であるフィデロ・カストロ首相が亡くなりました。ある人は「快哉」を叫びますが、元左翼少年の私は「悲しみ」の意を表明します。国の発展を米国による全く理不尽な制裁で阻害されながら、貧困といえども医療制度の拡充、国民の生活維持に気を配り餓死させない国家政策は高く評価されてしかるべきと思うからです。1990年頃でしょうか、キューバ地震研究所の女性研究員と一年近く一緒に仕事をしました。これは、大変物好きな日本のとある大学の先生がキューバを訪ねたことがきっかけでした。キューバ滞在中にその先生は在キューバ日本大使館に働きかけ、大使館が本国外務省にその話を持ち込んだことから女性研究員の滞日が実現したとのことです。この女性研究員、身なりも粗末、しかし、おおらかで、明るく、あの米国にいじめられている国から来たとは思えない人柄でした。というわけで私も一度生きているうちに彼女を訪ねたいと思っていたのですが、残念ながら老いてしまいました。

 ロシアの話から、目に留まったのが下記の記事です。関連記事を6月19日記事ソ連邦 で書きました。私も同様の想いを抱いている旧ソ連邦に住んだ人たちを見聞きしました。てなわけで、下記の記事を紹介しておきます。

%%%%%ソ連が懐かしい
blogos 
「ソ連懐かしい」は国民の50%以上
 ソ連が崩壊して25年。にもかかわらず、世論調査によれば、ロシア人の半数以上が今日、ソ連崩壊を残念に思っている。社会学者はこの理由を、評価のわかれる国の過去の理想化と、社会的な保証の欠如だと考える。
 ソ連のロシア共和国、白ロシア共和国、ウクライナ共和国の3首脳がソ連を解体するベロヴェーシ合意に調印を行った1991年12月8日、マラトさん(本人希望により匿名)は生後数ヶ月であった。ソ連の生活を知らないが、ソ連を懐かしんでいる。
 マラトさんは現在25歳。ロシアのある省庁で働いており、給与と生活に満足している。それでも、ソ連時代の方が良かったと考える。「教育が無料、医療が無料」と、ソ連後期の優位性をあげる。「皆つつましく暮らしていたが、国は国民のことを気にかけていた。今はすべて金次第、ひどい格差で、強い者が正しい。ソ連時代にこんなことはなかった」とマラトさん。
どんな層に人気が高いのか
 ノスタルジーを感じているのはマラトさんだけではない。世論調査によると、ロシア人の50%以上が、ソ連崩壊を後悔している。ロシアの世論調査センター「レバダ・センター」の2016年4月の調査で、回答者の56%がこのような見解を示した。別の「全ロシア世論研究センター」の調査によれば、ロシア人の64%が、1991年3月17日に実施されたソ連維持の是非を問う国民投票のような投票が今行われたら、賛成票を投じると答えた。
 ソ連を懐かしむ人の割合は従来から、社会的に保護されていない層の55歳以上の世代および農村部の住民の間で最も高いと、レバダ・センターの社会学者カリーナ・ピピヤ氏は話す。だが、マラトさんのように、成功し、現代社会になじんでいて、ソ連で生活したことのない若者が、ソ連を懐かしむことも珍しくない。世論調査に応じた若者の約50%が懐かしんでいると、世論研究センターの調査プロジェクトの責任者ミハイル・マモノフ氏はロシアNOWに説明する。
経済低迷でノスタルジー
 マモノフ氏によると、ソ連に対して好意的な考えを持つ回答者は、社会的な保護、強い国家、公平さを理由としてあげるという。「どんなに少なくても、保証されている給与、保証されている雇用」は、激しい市場競争の時代に欠如しているものであり、人々はこれらすべてが整っていたと考える過去を振り返る、とマモノフ氏。
レバダ・センターのこれまでの調査によると、ソ連ノスタルジーがピークに達したのは2000年で、75%がこのように答えていた。2000年代に減り、2012年には49%しかノスタルジーを感じていなかった。だが2013年から新たな増加傾向が見られている。
 この傾向により、ソ連ノスタルジーの主な原因が経済であることがわかると、マモノフ氏。2000年は国民の貧困化のピークで、ソ連時代の安定が最も足りなかった。その後の2000年代は景気上昇にともない、国民の収入が増えていったため、過去を振り返る人は減った。だが経済危機が始まると、ノスタルジーは再び強まった。
ソ連の伝説と現実
 ニーナ・メチタエワさんは65歳。人生の大半をソ連で過ごした。だが、他の同世代の人とは異なり、昔のようになることを望まない。「今は理想的な状態にはほど遠いけれど、ソ連は良かったという人たちは、当時の生活が実際にどうだったかということを忘れてる。店や病院には行列、党会議(ソ連共産党の下級組織の会議)では国民の誰もがはるか昔に信じなくなった話ばかり。国は世界から閉ざされていた」。ソ連に戻りたいと考える人の多くは、自分の青春時代を懐かしんでいるだけだと、メチタエワさんは考える。
 マモノフ氏も、ソ連に対するノスタルジー的なイメージは、ソ連の現実とかけ離れていると考える。「ソ連は理想化されているところが大きい。良い側面ばかりがふくらみ、悪い側面がしぼんでいるかまたは喉元過ぎて熱さが忘れられているか」とマモノフ氏。
懐かしい=戻るではない
 社会主義のイメージが強いソ連時代の人気は高まっているものの、現代の社会主義系の政治運動(左翼政治運動)はそれほど成功していない。9月18日の下院選では、「ロシア連邦共産党」(党自らがソ連共産党の後身と位置づけている)の得票率は13%であった。2011年は19%であったため、党の人気は明らかに落ちている。
 「ソ連への愛は、現代の左翼(ロシア連邦共産党や労働組合)の成功につながっていない。大衆の意識では、イコールソ連とはイメージされない」とマモノフ氏。そして、こう指摘する。「ロシア人がいくらソ連を愛していても、その圧倒的多数(70〜75%)は、あの時代を取り戻すことはないと言っている」
%%%%%ブロゴス記事転載 おわり
なつかしの写真を数葉載せておきます。私にとってもモスクワには良い記憶しかありません。市内安全(ボリショイ・オペラ鑑賞三昧の家内は連夜の深更市電での一人帰宅も無事〔私はベビーシッタ))。風景良、美人多、食良、・・・・・。

( 写真2 1980年のモスクワ 左上:モスクワ河のゴリキ公園での橇遊び、右上:保育園〔ヤスリ〕の昼寝時間、左下:海洋研究所スタッフと美人院生、右下:ゴーリキ公園の夏 クリックすると拡大できます)
モスクワ1980

「斎」の一つ「稲荷信仰」、TPPとトランプ次期米大統領

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:今冬と言うべきか、今晩秋と言うべきか、はたまた、本年の晩雪〔おそい雪〕と言うべきか。朝未明の空に身を縮める月が寒そうに浮かんでいます。〕
雪161125


 雪景色 子供の頃は 嬉しくて 滑って転んで 友とはしゃげり
 残雪に 身を縮こます 二十六月

 年取ると雪の日はただひたすら寒いのみです〔又愚痴と思いなさるな〕。昨日は恒例の市の音楽会です。綺麗なおそろいの裾の長いドレス風おべべを纏ったご婦人がた〔ほとんどが中年を超えておられる〕がドタドタと集団で舞台にあがり「美声」を発していました。小生の連れ合いもそんな一人でありまして、いずれ機会があったらyoutubeに匿名でアップロードしてみようかと思っています。

+++++信太郡補足【2】
 稲荷信仰は、藤原不比等による日本列島の宗教体系「斎」構築の一部をなしていたと書きました。この体系の中で、まずは「神」なるものがしつらえあげられます。それはアイヌ族の精神的中心であった「カムイ」思想に由来します。極端な表現をするなら呼称ばかりでなく思考においてもアイヌ族の精神の『剽窃』です。その神の中の『王』が「大」に置き換わり「大神』となります。その何人〔?、後世“柱”と表す様になる〕かの「大神」の中心に座るのが「天照大神」です。

 稲荷信仰は、そうした「神々」の周囲を補完するべく、アイヌ族の家庭内での精神生活の一部であった「イナウ』を謂わば力づくで外部に引きずり出して拵え上げたものです。私は「宗教学」なるものをきちんと勉強したことはありません。本ブログでの関連記述も私の頭の中の感覚がそのまま表現されているのか否か、はなはだ心許無いことをお断りしておきます。

 いずれ書きますが、この当時にあっては「新興宗教」である「天照大神」の宗教儀式の根本は、「五穀豊穣」、「安寧息災」というよりはむしろ「怨霊鎮魂」に重心があったと思っています。まさに天才古代学者・梅原猛氏が聖徳太子についての広く深い研究と洞察から“探り当ててきた思想”です。この「怨霊鎮魂」説を梅原氏が提唱したとき、多くの古代史研究家は氏の説を無視しました。無視しないまでも、こうした怨霊思想が登場するのは早くとも八世紀以降であり、聖徳太子の生きた七世紀初めにはそうした精神の痕跡は見られないと指摘し、議論・考察の遡上に載せなかったことはよく知られています。古代学分野の研究者の閉鎖性・狭量が厳しく指弾されたことは記憶に新しいことです。 

 私は、梅原氏の説にのめりこむ余りに、こうした無視やら反論やらは既存の史学者が文献学にのめりこむ余りに、人間観察が欠落していたこと、そしてもう一つは、門外漢の古代史学への介入への強い反発があったのだろうと想像していました。

 今、思うに、この“怨霊鎮魂”こそが藤原不比等の「斎』なる宗教体系の重要な柱であると思えます。梅原氏の説の重要な論拠の一つが法隆寺の資材帳(『伽藍(がらん)縁起并流記(るき)資財帳』)です。これは明らかに八世紀以降にまとめられたものです。どんなに早くとも、「斎」なる宗教体系構築とほぼ同時期であったのです。聖徳太子に擬せられる人物の悲憤の生涯への、為政者による鎮魂の経緯です。つまり、何人かの歴史学者の指摘「七世紀には怨霊なる思考の存在は認められない」との指摘は、梅原氏へのあてつけでも何でも無く事実なのではなかったかと今は思っています。

 こうした発想の出発点、つまり“怨霊鎮魂”の発想は東国の民、東の倭国〔中心は猪苗代湖南域〕と西の倭国〔中心は九州、熊本〕への苛烈な軍事殲滅のすさまじい残虐行為ではなかったかと想像しています。

 神社とは、“怨霊鎮魂”の思想を具現するための謂わば「箱物」であったのです。そのことはその呼称からわかります。「神」はアイヌ族の信仰に由来し、「社」〔やしろ〕は「オシロ」つまり勇猛な渡来族の生き様を表現する言葉に由来するからです。殲滅した対象の名称を付することで鎮魂をはかったのです。
 
 こうして考えると、那須岳―香取線上にある良質石材の産出場であった笠間に、この新たに拵えあげた稲荷信仰の場を設営したことにはどうやら深謀があったということになります。残虐の限りを尽くした東国の民の「怨霊」による報復の怖れから逃れること。もう一つは、報復の精神的宗教的土台を断ち切っておくこと。この二つであったのです。
 東夷征伐軍が常陸国を制覇したのち渡来族の精神体系を寸断するべく、中間点にある笠間に後日、新たに拵え上げた宗教としての稲荷さんを構築したのです。これを正当化するための説話が常陸国風土記・久慈郡条(くだり)が書いています(後日紹介の予定)。

 『稲荷』信仰を作り上げる、これも藤原不比等の宗教体系である「斎」なるものの構築の重要一部であったことを書いて来ました。その狙いは、いうまでも無く、西域からの渡来族と行を共にしてきたアイヌ族の懐柔・分断の意図があったことも明らかです。

 さて、この信太郡の南縁に東西に広がるのが現在の稲敷市です。江戸時代の後期に活躍した第七代横綱・稲妻雷五郎(1802−1877)の出身地として知られています。常陸国出身の名相撲取り数々在れど、真の実力力士は稀勢里でやんす。何とか、私の命ある間に横綱にと切に期待しております。

〔図1:中央やや上の霞ヶ浦に接する稲敷市。その西南隣の淡青丸が龍ヶ崎市中心部。県境に沿って東西に流れるのが現在の利根川。大昔の利根川は今の江戸川。クリックすると拡大します)
稲敷・龍ヶ崎


 日本書紀には「稲敷」を名前に持つ人物が二回登場します:
%%%%%日本書紀巻二十八・二十九より
‥敬霤傾銚鞠(六七二)三月壬辰朔己酉【十八日】
原文遣内小七位阿曇連稲敷於筑紫。告天皇喪於郭務悰等。於是。郭務悰等咸著喪服、三遍挙哀。向東稽首。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕70頁
天武元年三月十八日、小七位の阿曇連稲敷〔あずみのむらじ・いなしき〕を筑紫に派遣し、「天皇が死去した」旨を郭務悰等に告げた。郭務悰等は喪服を着用し三遍哀悼の意を表し、東に向かって拝する。

天武天皇十年(六八一)三月丙戌【十七日】
原文:天皇御于大極殿。以詔川嶋皇子。忍壁皇子。広瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連子首。小錦下阿曇連稲敷。難波連大形。大山上中臣連大嶋。大山下平群臣子首、令記定帝紀及上古諸事。大嶋。子首親執筆以録焉。

文意:(岩波文庫「日本書紀」〔五〕169頁
天皇は大極殿において、川嶋皇子、忍壁皇子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連子首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首等に以下の作業をするよう詔した:帝紀および上古の諸事を整理し書きしるすようにと。大嶋、子首が自ら筆をとって記す。

%%%%%日本書紀記事転載おわり
 西暦663年、天智天皇が仕掛けたとされる白村江海戦は倭国の敗残で終わります。勝者たる唐・新羅連合軍が敗戦国の民を平定するべく日本列島に進駐します。西暦671年の年末、天智天皇は十二月に死去します。年が明けて三ヵ月後に郭務悰等が率いる唐・新羅連合軍が二回目の軍派遣です。場所は筑紫です。この際、倭国側は阿曇連稲敷を使者にたてて天皇の死を告げた。此れが,能颪記事です。
 藤原不比等はこのあたりの事情をどのように記載するかで頭を絞ったはずです。何故ならば、この時期、筑紫国とそれを含む九州一帯はすでに唐・新羅連合軍と奈良盆地を拠点とする政治勢力の影響下にあったからです。その筑紫国とそれを含む九州一帯ではその占領軍・奈良政治勢力合同軍への激しい抵抗が始まっていた。それが、まさに壬申の乱勃発時期です。

 したがって、阿曇連稲敷を使者に立てたのは、奈良勢力ではなく、九州の抵抗勢力であったと思うことが合理的です。つまり、九州の倭国軍には、東国信太の地からも人材、兵力が結集していたことが見えてきます。このことはこの人物の「官職」からも窺い知れます。つまり「阿曇」は「あつみ」に由来するからです。「あつみ」の漢字表記は「安積」であり、それは「アサカ」〔アスカ、JR東北線に安積永盛(あさかながもり)駅があります〕ですから「火のスカ族」から転化したことがわかります。これについて一部の歴史学者が。九州の地には「アズミ族」なる一族がいたと主張しています。それは間違いです。

 上記の日本書紀引用で△砲弔い討麓_鷭颪ます〔記事が長くなりましたので〕。それに加えて、次回には、信太郡のもう一つの南縁の龍ヶ崎市、および利根川〔当時は毛野川、流の海〕を挟んだ下総の北辺を見ます。
(つづく)

 
+++++TPPより怖い2国間交渉、トランプのしたたかさを侮るな(ダイヤモンド・オンライン)
 未だ、クリントン氏の総得票数がトランプ氏のそれを上回ったので、米国議会での大統領指名選で、クリントン氏の大統領指名がありえると米国CNNが大騒ぎしています。CNNは今般の選挙でクリントン氏に激しく入れ込んだ大手報道機関です。米国裁判所が、このCNNが騒ぎ立てる事態どのように処理するのかはわかりません。が、米国の選挙制度の在り方、公正さについての疑念を 世界に晒すものであることは間違いありません。

 本ブログで紹介する記事は安倍政権が入れ込むTPPが別の形態で日本にのしかかってくる可能性を指摘したものです。それは二国間貿易協定(FTA)です。米国と、メキシコ、カナダ、韓国との間で締結された貿易協定の不平等は此れまでも具体的に論じられてきました。その不平等が今回日本に向けられる可能性です。それをどう防ぐのか?政府と国民がどれだけ腰を据えて反撃するかにかかっています。
%%%%%ダイヤモンド記事転載
トランプ次期大統領
2016年11月24日 山田厚史の「世界かわら版」 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員] ダイヤモンド・オンライン

「大統領に就任したその日にTPPから離脱する」。トランプ氏のビデオメッセージが公開された。安倍首相がアルゼンチンで「米国抜きでは意味がない」と語った1時間後だった。2人は4日前に会った。「信頼できる指導者であることを確信した」と褒め称えた首相は、見事に無視された。
メディアは「米国の保護主義」というトーンで書いているが、「自由貿易か保護主義か」というモノサシは20世紀の遺物だ。
注目すべきは「TPP離脱」ではない。「TPPの代わりに」という後段に毒が盛られている。「雇用や産業を米国内に取り戻すため、公平な二国間の貿易協定を交渉してゆく」というメッセージだ。
自由で開かれた経済圏を環太平洋に、などと綺麗ごとをトランプは言わない。二国間交渉でお前の市場を取りに行く、という宣言である。
標的は日本。すでに下地はできている。
■大統領候補がこぞってTPP反対の陰に製薬業界
TPPの陰で日米は「並行協議」と呼ぶ二国間交渉を秘密裏に続けてきた。TPP協定が合意された2月4日、並行協議の成果はフロマン米通商代表と佐々江駐米大使の間で「交換公文」にまとめられた。
そこには日米が引き続き協議する項目が列挙され「公的医療保険を含むすべての分野が交渉の対象になる」と明記された。二国間交渉こそ日米の主戦場なのだ。
TPPは米国の主導で進んだが、米国は結果に満足していない。“米国”とは、議会の共和党、交渉を後押しした多国籍企業、戦略を陰で立案したロビイストなどTPP推進派のこと。任期中に実績となる「レガシー」を残したいオバマは最終局面で譲歩したと怒っている。
例えば知的財産権。バイオ医薬品の特許期間は「8年」で決着した。製薬業界は「敗北」と感じている。米国の主張は「20年」だった。それがオーストラリアなど薬剤消費国の抵抗に遭い押し戻された。交渉をまとめるためにベタ降りしたのだ。
推進派の急先鋒・ハッチ上院議員は「8年では短すぎる」とオバマの交渉を批判した。同議員は「製薬会社から2年間で500万ドルの政治献金を受けていた」とNYタイムスに報じられた族議員である。
製薬業界は農業団体や軍事産業を上回るロビー活動をしていると有名だ。その製薬業界が交渉結果に満足せず「やり直し」を求めていることが、大統領選挙で「TPP反対」が湧き起った底流にある。
TPPを推進した米国が、大統領選挙で有力候補がこぞって「TPP反対」を叫んだ。日本では意外に思う人が多いが、極めて当然のことだった。
推進派は「こんな合意では話にならない」と怒り、反対派は「ダメなものはダメ」という態度。ザックリ言えば前者は共和党主流、後者は民主党の予備選で善戦したバーニ―・サンダース氏だ。ヒラリー・クリントンは態度が曖昧だった。民主党候補として雇用を重視する労組に配慮しつつも、オバマ政権を支える支配構造(エスタブリッシュメント)を無視できない。悩んだあげく「米国の利益になる協定ではない」と表明した。
TPP自体は悪くはないが、合意した中味が米国の利益に合致しない、という理屈だ。大統領になったら再交渉する、という態度で国民に不人気なTPPを棚上げしたのがヒラリーだった。
トランプはTPPだけでなく北米自由防衛協定(NAFTA)までやり玉に挙げた。不満を抱える下層白人の受けを狙う「雇用重視」の姿勢を鮮明にした。ヒラリーのような曖昧さを残さず、きっぱりTPPと手を切る態度を示したが、サンダースとは違った。
サンダースは1%が99%を支配する米国の社会構造を問題にしたが、トランプは1%の利益を二国間協議でこれから推進することになるだろう。
この流れを理解するには、米国を巡る通商交渉の潮流変化を知る必要がある。
■他国市場を国がこじ開け企業が乗り込む「米国流」の歴史
自由貿易が米国の旗印だったのは70年代までだった。第二次大戦の一因に、各国が関税の壁を高くして他国製品を排除したことがあったという反省から、戦後、関税引き下げ交渉がガット(GATT=関税および貿易に関する一般協定)で始まった。自由貿易は世界の成長に欠かせない、という神話が生まれたのが60年代である。抜群の競争力を持つ米国が旗を振った。80年代は貿易摩擦の時代。米国はモノづくりで日本の追い上げを受け、鉄鋼・半導体・自動車など国内産業を保護する政策を迫られた。自由貿易を叫びながら裏で輸出を自主規制しろ、と二枚舌外交を始めたのが80年代だ。 
製造業で優位性を失った米国は金融・サービス・知的財産という新分野に活路を見出し「市場開放」を他国に要求するようになる。
90年代に入るとソ連が自滅し、世界丸ごと市場経済になった。国境を越える投資が盛んになり、共通の経済ルールが求められるようになる。誰に有利なルールを作るか、21世紀は交渉力が企業や国家の盛衰を左右する。
国際経済の主役は多国籍企業が演じるようになる。だが、たとえマイクロソフトやグーグルが強い企業でも、進出する国では当局の規制を受け、思い通りの事業はできない。頼れるのは母国の政府だ。他国の制度を変える外交・軍事力が米国にはある。
ホワイトハウスや議会を味方に付ければ、都合のいいルールを世界に広めることができる。アメリカは政治献金が青天井。ロビー活動は自由。グローバル化する経済に乗って多国籍企業は成長が期待できるアジア市場を取りに行く。中国に先手を打って米国に有利な経済ルールを既成事実化する、という「国取物語」である。
■トランプが復活させる「日本市場への注文」
その中で日米はどんな関係か。アメリカにとってGDP世界3位の日本が加わらないTPPは意味がない。経済圏として重みがないし、市場として魅力もない。
米国は経済ブロックとしてTPPを構築すると同時に、日本市場に米国企業が浸透する好機と位置付けた。
交渉参加が決まった2013年4月、麻生財務相は「かんぽ生命からがん保険の申請が出ても認可しない」と表明した。がん保険は日米保険協議の合意で米国の保険会社アフラックが日本で独占的に売っていた。この既得権をかんぽ生命が侵さないことを、日本はTPPの参加条件のひとつにされた。
かんぽ生命の動きを封じたうえで、アフラックは全国の郵便局でがん保険を売る特権を獲得した。TPP交渉と並行する二国間協議は、米企業が日本で有利に事業を展開できる取り決めをする場になった。
源流は89年に始まった日米構造協議だ。貿易不均衡の是正を目的とした二国間協議で、93年に日米包括経済協議へと名を変え、94年からは「年次改革要望書」として毎年、日本に注文を付けるようになった。
民主党政権で中断されたが「日米経済調和対話」と名を変え継続している。トランプがぶち上げた「二国間交渉」とは、まさにこの方式である。
連綿と続く米国の市場開放要求は、この3年はTPP交渉の裏でやってきたが、米国がTPPから離脱すれば、もとの「日米対話」に座敷を変えるだけのこと。それが米国の立場だ。
農産5品目など日本が守れなかった「聖域」や、30年後に引き延ばされた自動車関税など日本にとって痛恨の交渉結果は、日米二国間で決まった。TPPがなくても米国は約束の履行を求めてくるだろう。そして再交渉が始まる。 
ヒラリーが「米国の利益に合致しない。再交渉が必要だ」と語っていたのは、このことだ。一見、民主党支持の労組をおもんぱかっての発言に聞こえたが、製薬業界など交渉結果に不満を抱く強者に配慮した姿勢でもあった。トランプも同じだった。 
雇用に不満を抱える下層白人に配慮するそぶりを見せながら、共和党主流と同じ「強者」を代弁する交渉がTPP離脱後に始まるだろう。 
■米韓FTAは再交渉で韓国不利に日米の再交渉は二の舞にならないか
改めて注目したいのが2012年に発効した米韓FTAだ。TPPのお手本とされたこの協定は再交渉で誕生した。
ブッシュ政権時代に最初の協定が決まったが、08年の大統領選に出馬したオバマは「米国の利益を損なう」と反対した。当選後、再交渉となり韓国に厳しい内容になった。
北朝鮮と対峙する韓国は米軍の支援を抜きに安全保障を維持できず、隣接する中国との関係からも米国の後ろ盾を必要とする。李明博大統領は米国の要求を呑まざるを得なかった。再協議は秘密交渉で行われ、膨大な協定の中身は国会で十分な周知がないまま決まってしまった。
日本で再交渉が始まれば同様の事態になりはしないか。
焦点のひとつに薬価がある。日本は米国に次ぐ巨大市場だ。薬価を高値に維持する特許期間の延長が協議されるだろう。
日本の製薬会社も「8年では短すぎる」としている。TPPでは途上国が短縮を求め押し切ったが、日米協議に途上国はいない。
薬価の決め方も米国は突いてくるだろう。TPP協定付属文書に「医療品及び医療機器に関する透明性及び手続きの公正な実施」という規定が盛られた。当たり前のことが書かれているように見えるが、キーワードは「透明性」と「公正」。2011年の日米経済調和対話で「利害関係者に対する審議会の開放性に関わる要件を厳格化し、審議会の透明性と包括性を向上させる」という項目が入った。審議会とは厚労省の中央社会保険医療協議会。実務を担う薬価専門部会に米国製薬企業の代表を加えろ、と米国は要求している。
遺伝子技術の進歩で画期的なバイオ新薬がぞくぞくと登場したが価格がバカ高い。小野薬品工業のがん治療薬オプジーボは、患者一人に年間3500万円がかかる。健康保険が適用されるが財政負担が問題となり、来年から薬価が半額になることが決まった。
米国の製剤会社は日本の国民皆保険でバイオ製剤を売りたい。新薬認可や保険適応を円滑に進めるため、決定過程に入れろ、と圧力をかけている。高額薬品をどんどん入れれば財政がパンクし国民皆保険が危うくなる。
米国は国民皆保険がないため、病院に行けない医療難民がたくさんいる。オバマケアで最低限の保険制度を作る試みが始まったが財政負担が嵩み、金持ちや共和党が目の敵にしている。トランプは「撤回」を視野に再検討する構えだ。米国の製薬企業は、日本の皆保険は新薬の巨大市場と見ている。世界一薬価が高く政治力のある米国資本が薬価決定に参入すれば、日本の薬価はどうなるのか。 
こうした問題は日米交渉の一端でしかない。しかしTPPで何が話し合われたか、国会で真剣な協議が行われていない。二国間協議に移ればなおさらだ。
振り返れば、BSE(狂牛病)の取り扱いや、遺伝子組み換え作物の「微量混入」も、日本の自主的判断で、米国の要求に沿った解決になった。自動車摩擦の頃、日本が「自主規制」で米国の意に沿った決着に至ったのと同じことが今も行われている。
「TPP離脱」に、呆れている場合ではない。トランプはしたたかである。
%%%%%

福島沖地震、海外日本代表選手のゴール

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:2016年11月22日朝6時少し前に発生した福島県沖地震の震央位置。中央の白丸のあたり。震央を挟むように南北に走る窪んだ地形が見える。福島原子力発電所の正に真東約60km〕
海底地形161122


 桃太郎さん 第一家来 雉さんが 雄叫びあげて 犬さん続けり

 二人〔?、一羽と一匹〕が、地震を感じて周辺住民に警戒の声を上げてくれました。二人の活躍に目を覚まされた私は「鬼退治に出かける桃太郎」になった気分であります。猿はどうした?との声が聞こえます。どうやら猿は家来の中の内輪揉めのようですな。
 
 そろそろ起きようかなと思っていた矢先、久しぶりに雉の「ケーン」との雄たけび。そしてその直後、どこぞの飼い犬が臆病丸出しの心細げなそしてヒステリックな鳴き声。そして私のベッドがかなり長く揺れていました。このまま収まるのかなとの期待は裏切られました。十数秒後でしょうか、大きく揺さぶられました。家のどこかで何やらが落ちた音がします。これは、「でかい!」。

+++++2016年11月22日早朝の地震
 もしかしたら元禄大地震の再来か!と、慌てて階下に走り降りTVをつけると「津波が来ます!逃げてください!」なる絶叫画面。TV地震報道
津波逆流〔砂押川)
津波遡上〔多賀)
 どうやら震央は福島沖、1938年〔昭和13年〕の塩屋崎地震の発生場所近くであったようです。と言うわけで、今回の記事には、現時点で集まった情報を並べておきます。震央は冒頭のグーグル地図に示されています。

 まずは気象庁の記者発表資料です。
(図1:気象庁記者発表資料「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第78報) 平成28年11月22日05時59分頃の福島県沖の地震」より
 気象庁会見 )
Seismap161122
 

 東北日本の太平洋側は、あの2011年3月11日の地震以後、誠に騒がしくなったことが図1からわかります。この図から色々な特徴をあげつらうことは出来ますが、今ブログ記事では、情報の羅列のみにとどめておくことにします。
 〔図2:防災科学技術研究所提供の情報によるこの地域の地震活動背景。上の図との違いは、m>2の地震までをも含めていることにある。これによって、普段の背景活動〔back ground〕が見えてくる。中央の円は、防災科学研究所による発震機構図であるが、速報に間に合わせるためのもので、これは正しくないとされているhinet 〕
防災seis161122


 上の図で、赤で示される地震群は深さが10km以浅の極浅発地震、黄色はそれより深く30〜40km以浅の地震群を示しています。図2で注目したいことは、赤い点群が一様に分布するのではなく、東側のグループと西側のグループに分かれていることです。その分岐域を“青の点線”で示しています。今般の地震はこの浅い地震〔赤点群)が起きていないゾーンで起きています。
 何故、こうした浅い地震が起きないゾーンがあるのか?そこで何故今般の地震が起きたのか?現時点では、この二つの疑問への回答をブログ管理人は持っていません。

 今般の地震の破壊様式を、いつものようにGlobal CMT Catalogue(CMT Catalogue ) による波形解析結果からながめておきます。
〔図3:.癲璽瓮鵐肇謄鵐愁訐分、⊆膠力成分と非DC成分、H震機構図と主応力方向〕
fps161122


 NonDC成分は負値で、1.2%程度です。これはすぐ上の3つのeigen値の比較からもわかるように最大固有値〔三番目〕が一番大きく、最小のそれの絶対値を僅かに1.2%ほど上回ったことを示しています。つまり、張力〔最大固有値に相当)がこの地震を引き起こしたと理解できるのかも知れません(TVの地震研究者の解説と整合します)。が、この僅かな違いは、むしろこの地震が圧縮応力で起きた可能性もあったのやも知れません。実際、この地域での地震活動にはそれをうかがわせるものがあります。
 NonDCとは非ダブルカップルの意味です。地震時に地盤が震央の周りで瞬時といえどもどちら向きに回転したのかに関する情報と思いがちですが、それをこの量から推測することは出来ません。

Centroid time-Hypocenter time=9.4 秒です。これを2011年3月11日のあの巨大地震前後の値と比べたもの図4です。
 (図4:Global CMT Catalogue によるCentroid time-Hypocenter timeが Mwに対してプロットされている。選んだ地震は2008年1月1日から2011年4月1日の期間に東北日本で発生したもの。今般の地震が赤の楕円で示されている。理由は地震マグニチュードが気象庁によるその値と異なるため)
Ct-Ot


 今般の地震についてはCentroid time-Hypocenter time(Ct-Otと略称)の値は、異常ではなく、収まるべきところに収まっているようです。この図を見て改めて思うことは2011年3月11日の地震です。(Ct-Ot)値は他の点列からかけ離れたところにあります(図の右上)。
 あの地震を「巨大地震」として「地震」の範疇に閉じ込めた議論をすることは適切ではないと思わせます。地球上、それが大げさすぎるのであれば日本列島界隈で発生した一大地学変動事件と考えたほうが良いのかもしれません。巨大津波、巨大地震波の発生は、その大変動事件の単なる一つの発現事象であったと。とするならば、この地下での大変動の余効は現在も継続しているはずです。日本列島がこの大事件でどの方向に変貌を遂げつつあるのか?等々。それをどうやって捉えるのか?次世代の地球科学者に課せられた使命です。

(図5:2013年10月26日〜2016年11月22日の期間の地震活動。作図法は此れまでと同じ。座標の原点は2013年10月26日地震の震央)
Epi161122
 

 今般の地震・震央に地震群が集中しています。そこで、ABCD領域内の地震についてその発生様式を眺めたものが図6です。
〔図6:図5で示された矩形内の地震群を矩形の一辺ABから測った距離(km)で示したもの。上は、ABにおいた鉛直断面への地震群の投影を南西から眺めたもの:下は地震群の発生時間〕
cross-section161122

 まずは、上の鉛直断面投影図です。太平洋プレートの日本列島への潜り込む様子が明瞭に見て取れます。そして、今般の地震はそのプレートから遥か浅いところで発生しています。特に注目されるのは、今般の地震発生域の周囲の地震活動が欠落状態に近いことです〔緑の点線で囲まれた域)。つまりそこでは浅い地震が発生していません。これは図2で青い太矢印で示した浅い地震活動の低い帯状の域に対応しています。この帯状の域が2011年3月11日以降に作られたのか、以前からそうであったのか?誠に興味深いことです。此れも次世代の研究者への引継ぎ事項です。

 図6の下は、地震群の時間的発生順が極めて規則的であることです。それを矢印で示しています。つまり、矩形のB点からA点方向に向かって地震活動が移動していることが(migration)明瞭に見て取れます。今般の地震〔赤印〕はそうした系列からも離れています。大変に興味深いことです。

 終わりに:ブログ公開日に間に合うように図を作ることに時間を取られました。これらの図を作成するためにはScilabソフトで作成した計算プログラムを走らせます。見易い図を作ろうと、プログラムに手を入れると、それが仇になり変更によりプログラムが走らなくなったりします。年甲斐も無く、若い頃を懐かしみました。と言うわけで、古代史の話や科学雑誌の記事の紹介は休載となりました。

+++++嬉しいニュースです。
 本田圭祐選手など海外のチームに所属するサッカ日本代表選手の不振が心配されていました。そんな雰囲気の中で、香川、岡崎がやってくれました。
%%%%%記事転載
香川、2分間で圧巻の2ゴール! CL5年ぶりの得点でチームは逆転に成功
SOCCER KING 11/23(水) 5:14配信
香川2ゴール 
 チャンピオンズリーグ(CL)・グループステージ第5節が22日に行われ、日本代表MF香川真司が所属するドルトムント(ドイツ)とレギア・ワルシャワ(ポーランド)が対戦した。
 先制点を許したドルトムント。しかし17分、エリア右で横パスを受けたフランス代表MFウスマン・デンベレが浮き球のボールを供給すると、ファーサイドに走りこんだ香川が頭で押し込み同点ゴールを挙げた。さらに直後の18分、エリア右でデンベレからパスをもらった香川は左足で冷静にボールをトラップ。そのままDFをかわして左足を振りぬくと、シュートがゴール右に突き刺さり、逆転ゴールとなった。同大会で香川が得点を挙げたのは、初ゴールを挙げた2011年11月23日のアーセナル戦以来で、約5年ぶりのことだった。

岡崎ゴール 
レスター岡崎、CL初先発で記念すべき初ゴール! 日本選手6人目のCL得点者に
ゲキサカ 11/23(水) 5:13配信

 レスター・シティのFW岡崎慎司が、UEFAチャンピオンズリーグで初ゴールを決めた。
レスターは22日、欧州CLグループリーグ第5節でホームにクラブ・ブルージュ(ベルギー)を迎えた。欧州CL初先発となった岡崎は前半5分、カウンターから左サイドを駆け上がったDFクリスティアン・フクスの低いクロスを左足で合わせ、先制点を奪取。これが岡崎にとって、欧州CL初得点となった。
なお、『オプタ』によると岡崎は、本田圭佑(CSKAモスクワ)、中村俊輔(セルティック)、内田篤人(シャルケ)、香川真司(ドルトムント)、稲本潤一(ガラタサライ)に続いて、欧州CLでゴールを決めた6人目の日本人選手となった。
%%%%%記事転載終わり

おいなりさん、堤未果氏(東京新聞、11月19日付け)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:上ったばかりの円いお日様が濃い朝もやの向こうに見えます)
朝日1236

 
濃い靄を 透かして見ゆる 朝の日が くっきり丸く カメラに収まる

 依然として収まらないトランプ衝撃波。我が国の、親分何を思ったか、他国に先駆けて一番乗りでNY詣で。詣での見返りがあったのやら、無かったのやら。TV,新聞はトランプ次期大統領の周囲を固める政府要人の配置から、何がしかを読み取ろうと必死です。誰それは「極右」である、「好戦派」、・・・なんとやらです。そして、相変わらず「米国民は真っ二つである」との叫びをやめない米国有力紙とそれを受け売りする日本のジャーナリズム。
 民主主義を標榜する米国のジャーナリズムは反トランプを叫んで暴行を繰り返す一部市民を煽り立てているかのごとき報道。一体どうなってしまったのか?2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタ(WTC、2011年4月6日記事 2001.09.11 )での『胡散臭いテロもどき』事件での米国ジャーナリズムの取り乱しようを思うにつけ、「民主主義」なるものの儚さを改めて思います。しかし、これは他山の石ではありません。何せ、我が国のトップは「民主主義」へのコンプライアンス(遵守)とは一切無縁です。その都度、我々庶民は「それはおかしい!」と異議の声をあげるしかありません。しかし、それすらも政府要人に届くのかどうかは定かでありません。何せ、政府要人の辞書には「民主主義」なる単語は無いのですから。
 今般の米国大統領選挙について東京新聞が堤未果氏にインタビューをしています(参考記事、11月11日堤未果 )。
(図1:東京新聞11月19日付に掲載された堤未香氏のインタビュー記事)
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+++++信太郡(しのだのこおり)と稲荷信仰
 現時点での私のブログの焦点は日本書紀「神代下」の下記の一節の解読をすること、とりわけ「斎」とは何か?その内実の考察にあります。
 %%%%%日本書紀より
原文:神代下
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」136頁
 一書は書く。天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国を平定させた。その時この二神が言うには、「天には悪神がいる。その名を天津甕星、亦の名を天香香背男と言う。先ずは此神を征伐して然る後に葦原中国に進軍すべき。是時、斎主(いわいぬし)神を斎之大人と呼ぶ。此神は今は東国の楫取之地在乎東国楫(かとり)に在る。
%%%%%日本書紀記事抜粋終わり

 常陸国風土記をこの機会にあらためて丁寧に見るまでは(と、言っても、未だ全体の半分しか目を通していない段階ですが)、上に引用した日本書紀の一節の解読作業の手がかりが風土記これほどに豊かに潜んでいようとは思っていませんでした。
 信太郡の記事は、「斎」なるものを構成する重要な一部を語っていることがわかってきました。前回書いたように、風土記は日本書紀の表現を借りて、在来土着の宗教を語っていたのです。興味深いことは、日本書紀では公然と言及する「天の悪神、つまり天津甕星」には触れません。そして、稲荷信仰の発祥に言及するのです。後日、考察する「久慈郷」でも再度、この信仰が語られます。
 正確な表現をするならばアイヌ族の家庭内のささやかな信仰「イナウ」を外に引きずり出して一つの宗教を拵え上げたということです。この作業は藤原不比等の日本列島支配手段の一つの側面であったのです。Wikiは 稲荷信仰について「あれこれ」書いています。それらは、議論するに値しないと考えますので、ここではそれを転載することはしません。
 
 念のために付け加えておきますが、尤も重要な「斎」の主要な柱は、言うまでも無く「天照大神」の創出です。以後の日本列島の「神道」にあっては、この「大神」は常に中心に据えられてきました。しかし、この大神に付された名前は、その登場と役割が大仰にしては、ずいぶんとお座なりであったことを以前書きました。

 ここでその議論を簡単に振り返っておきます。「大神」の命名が隋書倭国伝に記載されている「倭国王」の名前、“倭王姓阿毎、字多利思比孤”に由来することを以前書きました。姓である“阿毎(あめ)”は古代ペルシア語由来で「火」、「明」を意味する言葉ですが、不比等はこれに「天」なる漢字をあて「(阿毎)アメ』転じて「アマ」と音させます。
 次に字(あざ)である「(多利思)タリシ」です。此れも古代ペルシア語に由来します。この意味は「黄金」、「輝く」と言う意味です。この二つを機械的につなぐと「アマ・タリシ」となります。これが転じて「アマテラス』となります。これは不思議でもなんでもないのです。既に書いたように東国と九州から構成される倭国は日本列島在住のアイヌ族と遠く西域ペルシアからの渡来族から成る一団であったので、首領の名前が古代ペルシア語に由来するのです。

 命名の作業は更に続きます。「(倭)王(おう)」を「大(大→おう)」に置き換えます。その上で、アイヌ族の信仰精神である「カムイ」に「神」なる漢字をあて、「カミ」と音させることで、「天照大神」が誕生したのです。日本列島に「神」なる漢字が登場したのは八世紀始めと言ってよいと考えています。

 この「大神』の“誕生”は藤原不比等の生きた時代(contemporary)の出来事なのであって、太古の大昔ではありません。なぜならば、此れも既に書いたことですが古事記・日本書紀が書く編年は現代から過去に遡っており(但し、応神紀まで)、「神代」紀が実は、正に現代史であるからです。勿論、後年の編集作業で、神代紀にはしかるべく「太古の時代」であるかのごとき装いをほどこしています。古代史研究者達はこの「装い」を見抜けず、その事象の時系列を妄信するがゆえに、記載の真偽に頭を痛めてきたのです。

 もう一つ付け加えておきます。古事記・日本書紀はこの「大神」が天御中主神によって創られたと率直に書いています。天御中主神の「中」はまさに、東西の倭国に挟まれ、その『中』にあって、列島制覇を企て実行した人物です。その人物とは中臣鎌足であり、中大兄の二人の「中」です。私は、この名前も怪しいものと思っています。それはともかく、この二人の「中」の謀議で日本国の「宗教」が作られたのです。

 安倍首相が自らの政治的理念の支えとする「日本会議」なるものは、そのHPで以下を主張しています:
%%%%%日本会議の書く「理念」
自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。
 また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。
%%%%%
 自らの国の成り立ち、宗教についての精緻な考察をせずして、記紀の記載を妄信し、それを国家運営の基本に据えることに私は限りない不安を感じています。日本会議は「天皇制」或いは「明治憲法」の復活と言う本音を隠すためにしきりに「伝統」その点それをと言う言葉で置き換えるのです。

 ところで11月14日記事  西部・小池対談 で紹介した西部・小池討論の終盤で西部氏もしきりに『伝統』を口にします。現行憲法を論じる際、西部氏は「戦力不保持」以外の条項は全く問題ないと言明します。つまり改憲の必要は無いと言い切ります。
 この西部氏が指摘する「戦力不保持」条項については 、私も同意見です。自衛隊の存続を正当と考えるのであれば、この条項は変更するしかないからです。

 その他の条項について、西部氏言う「他の条項」として例えば、13条(公共の福祉)、20条(信教の自由)を例に挙げて「日本国の伝統に照らして解釈すればよい」との自説を語ります。西部氏は1950年代末にあって全学連の指導部を構成した方です。デモ行進を規制する側の論拠が主として13条です。そして、当時日本の左翼勢力が最も神経を尖らせたのが「国家神道」野復活です。西部氏は、政府権力と対峙する中でこの二つの条文と長く向き合ってきたのでしょう。
 私は西部氏の言う「伝統」が「日本会議』のいう伝統と同様に曖昧であるがゆえに両者の言が重なって聞こえます。つまりあやふやな出発点を持つ日本国の支配体系・歴史を明らかにしないまま放置してそこに創られた慣習を「伝統』とよんでいるのではないか?
これについては、当面の本ブログの主題ではないので、ここで止めておきます。
(つづく)

常陸国・信太郡とオイナリさん、難病に立ち向かう大隣投手

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(写真:ひこばえに実がついて、「誰か、刈り取ってくれ〜」と叫んでいます。クリックすると写真が拡大されます)
ひこばえ1222


 小春日に 稲を実らす ひこばえ哉

 ひどい話です。北陸電力志賀原子力発電所での水漏れ事故です。この原発については深刻な「前科」があります。1999年、点検中のために稼動休中の制御棒誤操作のため、なんと臨界事故を起こしていたのです。しかもその事故の報告を8年間隠し続けました。今般の事故も、雨水流入にすぎないなぞと「軽く考える」ならば、大事故に発展しかねい類です。その事象の詳細を下記が伝えています。
%%%%%志賀原発の雨水流入問題 ほかの原発も調査へ
________________________________________
志賀原発
 石川県にある志賀原子力発電所2号機で、ことし9月、大量の雨水が原子炉がある建物に流れ込み、電気設備で漏電が起きた問題で 原子力規制委員会は、ほかの原発などでも同様のトラブルが起こりうるとして、全国の事業者に対策の状況の報告を求めることを決めました。
 北陸電力が再稼働を目指している志賀原発2号機で、ことし9月、原子炉がある建物に大量の雨水が流れ込んで 非常用の照明に電気を送る分電盤の1つで漏電するトラブルが起き、原子力規制庁はさらに流入すれば、安全上重要な機器の電源を失うおそれがあったとしています。
 一方、北陸電力は周辺の排水路が工事中で十分な排水ができなかったことなどが原因だったと報告しています。
%%%%%記事転載終わり

+++++風土記(信太郡)
 西に隣接する下毛野国を平らげた藤原不比等を総帥とする東夷軍(この時期はまだ「征夷大将軍」なる呼称は無かったと思われます)は、常陸国に乱入します。風土記・新治郡はその事態を「為平東夷之荒賊」と、書きます。「東側に(常陸国を指す)跋扈する暴虐三昧の賊である夷人(野蛮人)を平らげるために・・・云々」と。
 しかし、誰かがこっそりとこの表現に“いちゃもん”をつけたのです。それが後日或いは後年の書き込みです。興味深いことには風土記はその書き込みを削除せず放置したのです。その書き込みが誠に痛快です。
「俗云阿良夫流尓斯母之」と書き込むのです。私流に意訳するならば、「てやんでえ!、俺(おら)たちは知ってるど。暴虐三昧(あらぶるこうい)を振るった連中は、西(下野毛)から来た奴らだっぺ!」と(参考:9月21日記事 毛野国)。

 こうして、常陸国域で新たに東夷軍に降(くだ)ったのが新治郡であったのです。そして、次に狙われたのが南に在る筑波です。ここにはどうやら整然とした支配体系が整備されていたらしい。それが「この地はかって紀国」であったとの記述から判明します。「紀」が古代ペルシア語のkiyaに由来すると考えられるからです。これは「王、支配者、勇者、総督」を意味します。そこで筑波郡での諜報活動のために東夷軍が放ったのが「ツクタン」(諜報活動の意味)です。
 渡来族でない東夷軍が古代ペルシア語に由来する表現を風土記に持ち込むことはおかしいのではないか?との疑問を持つ方も居られるやも知れません。このあたりの詳細を語れるだけの手札はありません。しかし、東夷軍が捕虜として捕まえた人間を「ツクタン」(スパイ)として用いたなど、色々と想像を膨らませることは出来ます。「ツクタン」には後日「筑箪」なる漢字表記が当てられ、そこから弁当箱を経て『握り飯』説話になったのであろうことは以前書きました。

 屈服したご褒美の一つが「筑波郡」では衣食に困らなくなったとの説話です。「東の高峰・富士山は一年中雪を載せられ寒い想いをしているが、富士より寒いはずの当地には蜜柑が実るほどの温暖な環境を提供してあげる』と、風土記は書きます。

 何故、ツクバがこれほど重視されたのか?理由は明らかです。この南に下総国がでんと控えており、この地は、この時点では渡来族ーアイヌ族連合の支配下にあったからです。かくして東夷軍の次の標的が信太郡となります。信太郡と筑波郡に挟まれて「白壁」郡があります。何故かこの郡については常陸国風土記は口を閉ざしています。信太郡を考察した後に、この郡についての考察を少し書くつもりです。
 
【図1: 信太郡に関する風土記記事、クリックすると拡大できます】
161104風土記信太024a

 
 信太郡の冒頭は 「古老曰天地権與草木言語之時自天降来神名称普都大神巡行葦原中津国和平山河荒梗之類大神化道巳畢・・・・・及所玉珪悉皆脱蓰・・・(以下略)」と、書きます。
 図らずも漢語の勉強をすることとなりました。「権與」(けんよ、物事の始まり)は「秤の重りと、台」に由来するのだそうです(学研漢和大辞典より)。つまり天と地が出来上がったとき、草木は「ざわざわ」としゃべっていた、と書きます。これは新約聖書・ヨハネ福音書を連想させます:
%%%%%( ヨハネによる福音書1章1節 ヨハネ福音書 )
 はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
%%%%% 
 「草木言語」は、草木までもがしゃべっていた。これは民衆の素朴な宗教を形容しているのです。
この記載は日本書紀の記事を連想させます。それを
5月13日記事(列島既存宗教 )から転載します:
%%%%%日本書紀巻(二)抜粋
(1) 原文:神代下
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以為葦原中国之主。然彼地多有蛍火光神及蠅声邪神。復有草木咸能言語。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」110頁
 遂に皇孫である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立て、葦原中国之主(葦原中津国のぬし)とせんと欲する。然うして彼地には多くの蛍火の光る神や、蠅のようにブンブンとうるさく騒ぎ立てる邪(よこしまな)神が多く居た。さらには、草木までもが咸(よく)言語を話すことができた。

(2)原文:神代下
於是、二神誅諸不順鬼神等、〈一云。二神遂誅邪神及草・木・石類。皆已平了。其所不服者。唯星神香香背男耳。故加遣倭文神。建葉槌命者則服。故二神登天也。〉倭文神。此云斯図梨俄未。〉果以復命。

文意:岩波文庫「日本書紀(一)」120頁
 ここにおいて、二神(武甕槌神、経津主)は諸々の不順(まつろわぬ)鬼神等を誅(せいばつ)することとした。〈或る伝承は以下のように書く:二神は遂に邪神を征伐したさらには草・木・石に宿る神をも屈服させた。かくして皆これに平服した。しかし、其所そこ〉に不服者(従わない)者たちがいた。それは星神(ほしのかみ)である香香背男(かがせお=こうしょう=こしおう)であった。そこで倭文神(わぶみ)を派遣した。さらには建葉槌命(たけはつち)を派遣したところ平伏した。こうして二神は天にもどった。〉倭文神を斯図梨俄未(しとりがみ)と言う。〉こうして命を果たして復した。
%%%%%過去記事転載終わり

 藤原不比等がすでに新約聖書にまで目を通していたらしいことには、驚かされます。思えば、聖徳太子の母が厩の前でにわかに陣痛を覚えたこと、神武天皇の即位年設定にはどうやらキリストの誕生年が用いられた(2013年4月12日記事 神武天皇即位年設定 )ことなどを思い合わせれば、納得がゆかないでもありません。

 どちらが、どちらの真似をしたのか(剽窃)。この地にも東夷軍隊に随わぬ”異教徒“が多く存在しており、彼らを「和平」、つまり『和』(な)だめ「平」伏させたのが「普都大神」であったと風土記・信太郡は書きます。この「大神」の出自は古事記・日本書紀の両古書によって語られています。武甕槌命と共に「国譲り」事業での大立者です。そして、武甕槌命がパワーつまり軍事力で東国の野蛮人を屈服させた一方で、この大神はどうやら「宗教」を持ち込んでそれを通じて東国の野蛮人を征服させる。つまり二人は東国の征服事業に当たっての「硬軟」戦略を使い分ける任務を夫々が担っていたことが見えてきます。

 そのことは、上記に続く以下のクダリで明らかになります:
「其里西飯名社此則筑波岳所有飯名神別族也」
“この里の西に飯名社がある。これは筑波山にある飯名神の別族である“と、書きます。この地には「イナウ」に基づく信仰体系があったと書くのです。「イナウ」は、アイヌ族が各家の聖なる場所に安置して、一日の平穏無事を願う、宗教と言うよりはむしろささやかな精神安寧の象徴です。此れを家の外に引きずり出してあたかも既存の宗教体系であるかの如く描き出したのが上記の一節です。こうして「イナリ」信仰が無理やりに作られたのだと思っています。それは、後年「稲荷」なる漢字を当てられ「列島古来の宗教」として藤原不比等の在来宗教尊重姿勢の象徴とされるのです。
 ここにおいて、飯豊女王が在地のアイヌのささやかな信仰体系に払った敬意は権力による国家宗教に無理やり変えさせられたのです。此れも後日書く「斎」の一つの側面です。

 藤原不比等が風土記を作成するに当たって、宗教(精神)的側面を東国の野蛮人を服従させるための戦略の一つとして、この新宗教体系「イナリ」を活用したのです。実は、此れが後日語ることになる香取陣屋の簒奪とそこでオーソライズされる「斎』なる宗教儀式の集大成に繋がります。
 この信夫郡はその活動の具体化であると思っています。常陸国風土記・信夫郡のクダリは、日本列島の精神史の重大一面を語っていたと言うべきなのです。
(つづく)

+++++大隣投手(おおとなり ソフトバンク)
 私は、野球にはそれほどの関心は無いのですが、なんとなく流行を追っかけてきました。2000年代初めは落合博満氏を追っかけました。氏の率直な物言い、そして鋭い観察眼、“有言実行”に惹かれました。氏が中日監督を辞した途端熱が冷めました。自前の球団経営をしてきた貧乏な広島カープと、佐藤寿人がエースとして奮闘するサンフレッチェ広島を長く応援してきた経緯もあり、今度は激しい黒田博樹広島投手のフアンです。しかし、黒田投手は引退との事、まあ、齢ですから仕方ありません。
 
 何時であったか、普段ほとんど観ないTVで偶々野球観戦をしていた時に投げていたのがソフトバンクの大隣投手でした。この時には、なんと読むのかすら知りませんでした。ところが、この投手の表情、そしてベンチでの同僚選手との対応、自らの後を投げた投手への労(ねぎら)いの表情、仕草に清々しさを見て、以後この選手に注目するようになりました。日本代表にも選ばれるほどの実力のある投手でした。ところが、程なく大隣投手が国が指定するほどの大きな難病に取り憑かれてしまったのです。真っ先に連想したのが、悪性髄膜腫のため投手生命を立たれた盛田幸妃投手です。病を克服したけれども結局45歳の若さで他界を余儀なくされました。

 前回記事で強く批判をしたサッカの本田選手も、本人は語らないが、バセドウ氏病に罹患し、以後のサッカ・プレイヤとしての能力は大きく後退しました。思えば、私が敬愛する中田英寿氏もグロインペイン症候群を抱えながら世界の舞台で戦っていました。サッカーは「格闘技」そのもので、常に怪我のリスクに晒されています。

 野球では、ゲームの7割は投手によって決まるといわれています。つまり投手だけが常に他の選手より何倍ものリスクに晒されています。それに加えて難病です。詳細は下の記事を参照いただきますが、何とか大隣投手が難病と言う困難を克服して、輝かしい野球選手人生をこれからも長く続けて欲しいと心から願っています。

%%%%%ソフトB大隣が抱えた“爆弾” 一瞬を完全燃焼する男の生き様
大隣投手 2016年11月17日 10時44分
 爆弾がまだ3つある。彼は平然と言う。その穏やかな表情から深刻さの度合いは伝わってこない。だが、医師からこうも告げられている。「もう一度、出たら野球はできない」。ソフトバンクの大隣憲司投手(31、明日11月19日が誕生日)が国指定の難病・黄色じん帯骨化症の手術を行ったのは、2013年の6月。もう3年以上、付き合っている。

 「また、出たときは出たとき、しょうがないっす」。そう、明るく言うと、記者に向かって「変顔」を見せた。周囲に心配をかけさせたくない、この男ならではの気遣いだと思う。

 検診は年に一度。手術した箇所以外に再発する可能性がある部分が3つある。黄色じん帯の骨化で胸椎の神経に当たることにより、たちまちしびれなどの症状などを引き起こす。今年10月の定期健診では「厳密に言えば(神経に)当たっているものもある」と医師に指摘されたグレーゾーンも存在し、プレーできなくなる日が訪れるのは今日か、数年先なのか、また、出ないままなのかは分からない。

 この難病にかかった投手で史上初の1軍での勝利をマークした14年には、クライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージ第6戦に中4日で先発し、7回無失点。勝利投手になった。日本シリーズでも1勝し「陰のMVP」と賞賛される。ただ「難病」と言われるのは、困難が何度もやってくるからだ。今シーズンは7月10日の楽天戦(ヤフオクドーム)で6回1失点で白星も、直球の平均は130キロ台の前半。1試合のみで大半は2軍暮らしだった。

 「切れがない。思っているように(体が)軸回転できなかった。いろんなトレーニングをやったけど合わなかったですね」と原因不明のスピード不足に悩んだ。明確ではないが、理由は想像がついた。近鉄時代に同じ難病を患った宮本大輔氏とプレーした高村2軍投手コーチ(現1軍投手コーチ)に「黄色じん帯骨化症をやった投手は体の回転に苦しむことがある」という話を聞いたからだ。「自覚症状はなくとも、影響が出た可能性もあるのか…」。逃れようのない運命でもあるとも悟っている。

 11月上旬、福岡県筑後市のファーム施設で練習する大隣を訪ねた。普段、ベテランは肩肘を休ませる時期にブルペン入りしていた。「健太郎の目慣らしもありますよ」。オフに戦力外通告を受け、現役続行を目指す猪本の調整役を買って出た。ただ、それは同時に自分のためでもあるように思う。「今はいい状態になりつつあります。うまいこと(来春に)キャンプインできればいい。もう、ラスト1年のつもりでやらないと若い投手もいますし、簡単にはローテーションに入れない」。その姿はつかみかけた感覚を忘れないよう、その一瞬、一瞬を完全燃焼する男の生き様に見えた。

 いつ、終えるかも分からない野球人生。ならば全力で駆け抜ける。マウンドに立つ背番号28を見る機会があるならば、彼の背負う運命も合わせ、声援を送ってほしい。(記者コラム・福浦 健太郎)
%%%%%記事紹介終わり

常陸風土記(信太郡、1)、サッカ観戦

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:十七日月を夜明け前に眺めてきました・普段より大きいのか、小さいのか、肉眼ではしかとはわかりません。西にある月の下方には夜明け直前の太陽に照らされた雲が赤く染まっています)
十七月120

 
普段より 大きく見える お月さん 兎の餅つき しかとは見えず

 ついつい、ゲーム終了まで観戦してしまいました。20本近いシュートを放って僅か1点(残る1点はPKなので)。とりわけ本田選手の4本のシュートはどれも“おそまつ”。本田選手はシュートのための位置取りが大変良いので、絶好のパスが集まる。しかし、入らない。あそこに期待の大迫選手が居たらと思いました。ところが、大迫選手は、献身的に他の場所で、ボールを追って走り回っている。サイド違いではあるが、本田選手と同じポジションの原口がボールを追っかけて走り回っているときに、本田はボールへの反応が遅く、敵選手を追っかけまわすこともしない。試合前日に監督の自身への低い評価に公然と不満の弁を述べてました。が、あのパフォーマンスを見る限り劣化は間違いの無いところ。TVで中田英寿氏に熱っぽく語っていたあの頃の本田ではない。これがスポーツでの激しい競争なのでしょう。

 相も変わらずトランプ余波が日本でも収まりません。クリントン氏の落選は「米国民のベターな(ベストではない、念のため)選択であった」と考える人が、TVでおおっぴらに語ることをしないようです。それは新聞も同様です。前回紹介した、小沢遼子氏、西部氏なぞはいわば例外的な評論家ということです。
 こうした論調は、東京新聞も例外ではなく、いささか冷静さを欠いているように見受けられます。昨日付け(2016年11月15日付)紙面、「社会時評」コラムでは社会科学者の吉見俊哉氏が「三回にわたる二候補の討論で“トランプ氏の狂気に対して終始理路整然とした議論を展開したクリントン氏が当選しなかった”ことに強い疑念を表明し「トランプ氏への悪罵に近い評価」を書き連ねています。同じ紙面の『こちら特報部』は「民主主義がトランプを選んだ』との皮肉丸出しの見出しのもとで、「米国の理想主義が“劣情”に敗北した」との小見出しです。どちらも米国民自身の選択を尊重するという姿勢が欠落しています。いうに事欠いて「劣情」などとは、非礼極まりない。
 そして、自らの論調を正当化するために持ち出すのが「学歴」、『難民差別』です。これまた米国民への侮蔑的言辞であることを自覚すべきです。
 それほどにクリントン氏は立派な候補者であるのか?論者諸氏はまずはそれを読者に示すべきでしょう。繰り返し書きますがクリントン氏は今般の選挙戦でおおっぴらに二人のブッシュに公然と支持されてきた人物です。一人は湾岸戦争を仕掛けたパパ・ブッシュ、も一人はイラク侵攻・アフガン侵攻を仕掛けたジュニア・ブッシュです。何故この二人がクリントンを支持したのか?クリントンが米国の戦争政策を担う軍産複合体の代弁者であるからです。そして、格差社会で富者の代表である大手金融資本から莫大な支援を受けていたのがクリントン氏の側です。
 トランプ氏が難民について「きつい」発言を選挙戦の最中に繰り返しました。この難民問題はそもそもクリントン氏の背後に居る軍産複合体による戦争政策が生み出したものです。こうした経緯については一言も触れず、ひたすらトランプ氏の言を、まさに読者の『劣情』に訴えて書きなぐる。異常と思っています。

 選挙結果が決着したにもかかわらず、その結果が気に入らないとばかりにあちらこちらで暴行を繰り返す一部米国民にも呆れています。クリントン支持者の中の「暗黒部分」を見る思いがします。
前回紹介した西部・小池議論( プライムニュースyoutube)について、私が西部氏の議論を全て是としているかのごとき誤解を生んでしまっているようです。経済学者たる西部氏が広く現実社会に深い関心を寄せ、それについて思想家として、解釈・提言しようとしている姿勢に好感があるということです。氏の論点については、いずれ、本ブログで取り上げるつもりです。


+++++常陸国風土記行方郡への前段
 現時点でのテーマは香取の話です。それへの前置として、もう少し風土記の話を続けさせてください。風土記なるものは藤原不比等の日本列島史観を正当化し、補足するために作成されたものであることは疑いありません。しかし、その記載の行間に注意深く目を凝らすと、藤原不比等の政治的思惑がチラチラと顔を出しています。又、直接その歴史観に関わらないと思われる記載から、記紀では理解できなかったファクトが見えるやも知れません。

 常陸国風土記を眺める際の注意点は「倭武天皇」に関する記載です。大方の後世の読者(鎌倉時代以後)は、以下のように常陸国史を理解しています。太古の昔にこの地には神がいた。その地は鹿嶋に居られもう人神は「フツ」神である。その後、今度は景行天皇と息子の倭武天皇が西からやってきてこの常陸の国を新たに治め(新治)た。さらには、孝徳天皇の時代に治世を整えるべく郡の整備が始まった。

 この理解は、古事記・日本書紀が語る編年とは異なっています。この地に崇神天皇が遣わされた四将軍のお一人がこの地を通過して会津にまでその威勢を及ぼした、筈ですがその経緯はほとんど語られない。常陸の国で野蛮を極めたのは在地の「クズ」とも称される、「人」であるのか、「獣」であるのか、はたや『大蛇』であるのかわからない輩です。こうした「クズ」共を退治するべく奈良から派遣されたのが「倭武天皇」であるかのごとき記載です。

 この記述は、常陸国以外の住人にとってはさほどの抵抗感無く受け入れられますが、私どものようなこの国の住民にとっては、受け入れがたくそれは「敗者の立場で読む常陸国風土記」(杉崎健一郎著、雑誌「常総の歴史」、No.29,崙(ろん)書房刊)と読むのです。実在の倭国王「武」(宋書倭国伝)と、記紀に登場する倭武天皇(王)との”意識的“混同操作”によってもたらされたものです。本ブログのメインテーマとして力説してきたのが倭王「武」の南進です。一方、倭武天皇は奈良の藤原不比等から派遣された謂わば軍隊で、彼らは「北進」して常陸国を侵攻し、それを基調にして常陸国風土記を書き上げているのです。この重大な違いを年とにおきながら歴史の真実を見極めようと言う作業こそが、現時点での常陸国風土記解読なのです。 

 その一つとして、明らかになったのが、前回書いた「筑波命」、「紀国」です。この解明は藤原不比等の思惑を暴いたものと思っています。つまり、常陸国の七世紀以前の政情がうかびあがってきたからです。

 さて、現時点の論点は那須岳―香取線です。とりわけ「息栖』神社と鹿嶋・香取の「要石」と「玉造」なる地が関わっているのかどうか?これについて風土記が何がしかを示唆しているかもしれません。

風土記は筑波郡に続いて信太郡を書きます。その記事に触れる前に、もう一度、常陸国を構成する郡を再掲します:
(図1:常陸国を構成する郡。赤丸番号は風土記に記載されている順番。番号の無い郡(河内、白壁)の記載は風土記に見当たらな
常陸順番


今回ブログ冒頭で書いた背景を念頭に置くと、図1で示した常陸国風土記の郡の記載順序には重要な意味があることがわかります。真っ先に登場するのが新治郡です。これは下毛野国二隣接しています。
前々回の記事で新治郡の記載に以下の件(くだり)があることを紹介しました(11月9日記事 ):
「為平東夷之荒賊、俗云阿良夫流尓斯母之、・・・・」
「風土記」校注者の植垣節也氏はこれを「東国で荒れ狂う野蛮な賊どもを平らげるために・・・」と解読します。上記の引用節で「俗・・・」は別人が後に書き込んだものと理解されています。その内容は「世間(俗)が言うには、荒ぶる西者・・・」と読み取れるというわけです。
この書き込み文についての解読について、校注者は「意味不明」であると率直に白状しています。私は、事実を知る反体制の知識人が、こっそりと書き込んだものではないかとの想像しています。正に「西」から来た軍隊が常陸国に侵攻してきたことを書いたのだろうと、言うわけです。この私の想像を上の地図と重ね合わせると、その事態が鮮明になります。
奈良から派遣された軍勢は東進し、毛野国(現在の群馬県、栃木県)を征します。、そこから東隣の常陸の国になだれ込んできたのです。なだれ込んできたのは「正に西から来た荒くれ共」なのです。この書き込みが「東夷之荒賊』と整合しない理由はここにあったのです。風土記の記載から背後の歴史真実が見えてくる瞬間でもあります。

さて、こうした視点から信太郡の話に移ります。下毛野国から常陸国へ侵攻した奈良の軍勢が次に陥れたのが筑波です。筑波郡の記載は、「ここにはかって王国があった」(紀の国)とありますから重要な軍事標的です。そして次に侵攻するのがこれから書く 南西部に位置する「信太郡」です。この地は、下総国に隣接しています。次回、その本文と背景を書きます。

(つづく)

風土記筑波郡(5、紀之国とは?)、西部・小池氏が語る

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝の空に白線を引いたような飛行機雲)
飛行機雲1202


 まっすぐに 空に引かれた 白い線 もしやユーフォと 動きを見守る

 四・五年も前の事でしたが、某巨大掲示板で「ケムトレイル」論なるものをしきりに投稿していた御仁がいました。「空中に何やらの薬剤を散布する。それを吸引すると、人(ひと)は自らの頭で考える力を失ってゆく。これが“ケムトレール”(chem trail)。世界に新しい秩序を構築することを目論む特権グループが、圧倒的多数の人民を意のままに操って(奴隷状態という意)世界支配を達成する手段」とその人は主張します。 
 いわゆる「陰謀論者」です。この人にとってはあらゆる飛行機雲はこうした支配者の目論見に沿った「薬剤散布」行動と映ったようで、その都度、煙・雲の写真を投稿欄に貼り付けては大騒ぎしていました。久しぶりに見る飛行機雲から、そんなことを思い出しました。

 この御仁はそうした議論の中で”geoengineering”なるものを何処からか見つけてきました。これも「脳への薬剤」と思ったのでしょう。しかし、これは地球温暖化対策として米国の気象研究者が言い出したものです。「空中に太陽光線を反射させるような微粒子を散布し、それによって、太陽光を反射させる。結果として地上にやってくる太陽熱を減少させることが出来る」と言う主張です(2012年12月24日記事 ケムトレイル議論)。地球温暖化を熱心に言い立てる人は、大気圏のCO2を含む地球温暖化物質が人間の活動によって(anthropogenic)増大することが地球の温暖化の主因であるといいます。これに更になにやら得体の知れない物質を付け加えるというのです。私は胡散臭くトンチンカンな議論と思っています。

 トランプ当選の余波がおさまりません。トランプ当選を歓迎する人対しては”ネトウヨ”であるとか、“低学歴”であるとかなどの侮蔑的言が投げつけられています。私は”ネトウヨ”との自覚はありませんが、その一人と言うわけです。しかし、私は、そう宣まわる方々に「じゃあ、ヒラリ・クリントン氏は善玉なのか?」と問い返したいのです。氏は正に世界中を戦争に巻き込んでいる米国軍産複合体の代弁者です。個人的な「恨み、つらみ」ではありますが、2010年に民主党が衆議院選挙で大勝利を納め、首相に任命された鳩山由紀夫氏が「沖縄問題の解決で米国と筋の通った話し合いをする」と表明した際、「ジャップ奴(め)!」と口汚く呟いたとされる人物がクリントン夫人でもあります。

 さて、それはともかく、その 余波として、BSTV(プライムニュース)で誠に興味深い対談がなされました。それは下記のyoutubeに公開されています。
プライムニュース 
 これは経済学者の西部邁氏と日本共産党書紀局長の小池晃氏にキャスタの反町理氏が問うという形式で一時間余にわたって議論が進みます。論議の詳細は上記動画を視聴いただくとして、ここでは私自身の視聴の感想之一端を書き留めておきます。9月23日記事宇沢弘文で「二人の宇弘」なる記事を紹介しました。このうちのお一人宇沢弘文氏について、経済学の論客金子勝氏が、かって
金子勝Verified account ‏@masaru_kaneko Nov 5View translation
『宇沢弘文傑作論文全ファイル』(東洋経済新報社)を落手。「社会的共通資本」論を軸に、経済学の限界、環境、医療、教育、農村とコモンズ論などを体系的に追いかけています。思想家と呼べる経済学者が少なくなった今、読み返す意味は大きい。」

と、ツイートしています。
 西部氏の語り口と、西部氏も宇沢氏と同様車に乗らないという話からから宇沢弘文氏を連想した次第です。どうみても西部氏には、これまでの遍歴から「俗っぽさ」が付きまといますが、上で聴く氏の主張は明確です。教養の奥深さから医者である小池氏にはいささか重過ぎる相手ではなかったか、と観察しました。

 私は、かねてより西部氏の議論に惹かれるものがありました(2015年7月20日(日本の経済学者 ))。あるときは左高信氏、あるときは美人ソプラノ歌手・鮫島由美子氏と睦みあうなど、いささか俗っぽいのですが、しっかりと文献を読み、その上で自分の頭でそれらをしっかりと構成し、文字なり、言葉なりに変換してゆく能力を見せ付けられるのです。それを支えるのが強い「知的好奇心」です。とかく、昨今あちらこちらで見かける経済学者が「身につかない経済用語をまくし立てて何とか相手をやりこめよう」と言う議論とは違っています。

 この西部氏の議論を聴いて、更に連想したのが、偶々最近読んだ「政治家の本棚」(早野透、朝日新聞 2002)です。この本では朝日新聞記者であった著者が43名の政治家の「本棚」を語ります。西部氏についての私の観察に最も近い人物が上田耕一郎氏の本棚です。青年期の悩みと、知的好奇心がない混ざった読書遍歴に人間としての真摯さを感じました。驚いたのが氏は、左翼文献に自らを縛らないのです。「キッシンジャ回顧録」にまで目をひろげ、 さらには2010年代に小沢問題で大きく話題になった「日本権力構造の謎」(ウオルフレン、日本滞在が長いオランダ人ジャーナリスト)にまで目を通していたことに驚かされました。

 人が生きる支えの第一は「知的好奇心」つまり観察することの喜びです。自己愛、或いは自己中心的発想からは観察力は育ちません。そして観察された対象の挙動の謎解きをする喜びです。これは、先日ノーベル賞を受賞した大隅(おおすみ)良典(よしのり)栄誉教授(71)の言でもあります。他人様が言ったこと、書いたことを記憶するだけ、これは知的営みとは言いません。

+++++常陸国風土記(5)
 何時までも風土記の考察に立ち止まっているわけには行かないのですが、ついつい、「なんでだろう」との疑問が湧き上がり、寄り道をしています。前回、意識的にスルーした疑問があります。それは冒頭の「古老曰筑波之県古謂紀国」の件です。下の原文で右端です。
(図1:常陸国風土記・筑波郡の冒頭部分の原文)
筑波


 上記の件(くだり)は以下のように続きます(現代文):
崇神天皇之世に、采女臣の同属である筑箪命を紀国の国造にしたとき、筑箪命は「紀之国と言う国名を自分の名前に変えて後世に残したい」と望んだ。そこで、国の名を変えて筑波と称する事とした。
ウイキは以下を書きます:
%%%%%「紀伊」の名称と由来[抜粋] wiki,紀之国
 7世紀に成立した当初は、木国(現代の標準語・共通語表記:きのくに)であった。名称の由来として、雨が多く森林が生い茂っている様相から「木国」と命名された、という説がある。また、今の和歌山県北部が、有力豪族である紀氏が支配していた地域であるから「紀の国」というようになった、という説もある。実際に、律令制以前の紀伊国は紀伊国造の領土のみであり、熊野国造の領土(牟婁郡)を含まなかった。
 和銅6年(713年)に「雅字(良い文字の意)二文字で国名を表すように」との勅令が出された時、紀伊国と表記するようになった。現代の近畿方言では「木」(きい)、「目」(めえ)、「手」(てえ)のように、標準語・共通語における1拍語を母音を変化させて2拍語にする例が見られるが、木国も同様、もともと当地の発音で「きいのくに」だったため当て字して「紀伊国」とした、とする説がある[1]。逆に、「紀伊国」と書きながら「伊」は黙字で、後に「きいのくに」と読まれるようになった、とする説もある[2]。ただし、奈良時代の日本語の発音は不明の点も多く、はっきりしない。
沿革
 7世紀に成立した。
 紀伊国は歴史が古く、『古事記』には神武天皇が大和に入る時に紀伊熊野を通ったとされるなど、事実はともかく、奈良盆地を地盤とするヤマト王権から知られた国であった。王権は、海人集団を部民に編成する海部の設定を進めた。また、忌部の設定は「紀氏集団」の在地の祭祀権を揺るがした。しかし、部民の設定は充分に展開しなかった。王権はつぎに国造制の導入と屯倉の設定という方策をとった。
%%%%%
 実は、私はこのウイキの説に大きく影響されました。紀の国は「木」の国。とすれば筑波、筑紫、などは「筑』は「竹」を意味するので「竹」之国に由来すると考えていました。
 実際、中央アジアでは「竹」を見たことが無いという人が多いのです。十五年ほど前、仕事の都合でカザフスタンの研究者を一週間ほど日本に招待したことがあります。初めての日本とあって、その方は見るもの聴くもの何でも珍しく興味を持ちました。その中で特に忘れられないのが鎌倉の竹林でした(会合は鎌倉近くのホテルで開催されていたため)。竹が忘れられないと後日語っていました。中央アジアを経て日本列島に渡来した一族にとっても思いは同じであったかもしれないと想像したからです。

 しかし、前回書いたように「筑箪」が外来語である古代ペルシア語であるとするとその意味は「求める、探す、集める、蓄える』です。つまり、本隊に先駆けて未知の地を探り、情報を収集する人物であったことになります。そうとすると「キ」も外来語である可能性があります。
 
なんと“Kiya”(ラテン文字表記)は古代ペルシア語で「王」、支配者と言う意味なのです。話が見えてきました。つまり風土記・筑波郡の冒頭は以下のように読み取れるのです:
『本隊に先駆けてこの地に入った人物(「筑箪」)が、そのままこの地の「支配者」を任された。』
 つまり 昔、渡来族がこの地にやってきて、この地に本陣を構えた、との歴史事実を暗意しています。

 勿論原文に忠実であろうとするなら:
『王国があり、そこに「筑箪」が入り込んでそのまま「国造」すなわち支配者になった』とも読めます。このように読めば、それは奈良政権の手先が筑波之地を占領したという意味になります。しかし、これは、藤原不比等の風土記作成奨励をふくめ、日本列島の公然たる制覇の野望を隠したいとの意に反することのようにおもえます。

「筑箪」を古代ペルシア語とすればその意味は上記です。因みに「tuk」は古代ペルシア語では「見る」と言う意味です。筑紫、杵築、千曲、こうした地名には「見る」と言う行動が暗意されているのではなかろうかとも思っています。そういえば「目に付く」と言う表現が日本語にあります。そもそもの由来は古代ペルシア語ではなかろうか?
(つづく)

常陸国風土記(4、筑波郡)、トランプ氏各論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:近所の民家の庭に たわわになる蜜柑(左)と柿(右)。柿は当たり年と言うのがあるそうで、毎年[たわわ」と言うことは無いのだそうです。どうやら今年は「たわわ」年のようです。クリックすると拡大できます)
CIMG11柿


 たわわなり つくば名物 みかんに柿 太古の昔の 神の配慮

この歌の真意は 本日の記事で詳述されています。
+++++風土記常陸国、筑波郡
 前回、常陸国風土記の新治郡の件で「阿良夫流尓斯母之」を論じました。わたくしは物知りのしかも奈良政権に批判的な人間がこの風土記編纂に関わっていて、こっそりと「あらぶる人間と言うのはペルシアからの渡来人である」と書き込んだのではないか、との想像を書きました。これについて読者のお一人から鋭いご指摘を頂きました。それは文字通り「あらぶる西人」つまり「奈良政権から東国に派遣された軍事要員であった。つまり荒らっぽい振る舞いをつくした」人であった、「彼らは正に西からやってきた奴らだ」と読み取れる、と言うのです。その事実をこっそりと書き込んだのではないか、と。私は、このコメントに同意しています。
(図1:常陸国風土記、筑波郡より)
161104風土記筑波a


 風土記は「筑波」の由来を次のように書いています(図2右の数行):
「 崇神天皇の時代に筑箪(つくは)命が国の造に任ぜられた。命はこの地に自分の名前をつけたので、筑波郡と呼ぶようになった。風俗(くにぶり)の言葉に“握飯筑波の国”という。」
 この後に“何故富士山は一年中白く冷たい雪をかぶせられ、筑波山には何故ミカンが生るのか”との有名な説話が続きます(図2左の数行)。
(図2:常陸風土記、筑波郡つづき、クリックすると拡大され読みやすくなります)
筑波


 これが、筑波蜜柑の由来であります。つまり、おおもとの神様に筑波在住の神はなけなしの食料をはたいてもてなし、親切にもてなしたのです。寒風吹きすさぶ北関東(とりわけ一昨夜の風)の地にありながら、思ったほどすっぱくない蜜柑やら甘い柿が成育し、民は飢えに苦しまずにいるのはそのおかげというわけです。それが冒頭の写真のたわわな蜜柑なのです。
 ところで、この二つの関東の名山は距離にしてどれほど隔たっているのでしょうか。それを計算してみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[36.226 140.101] 筑波山頂
sta(lat,lon)=[35.363 138.730] 富士山頂
Dlt,Azm,Bzm= 距離:1.41(度) a=232.59 b=51.79 距離:156.5 -km

 富士山は筑波山から距離にして157km、方角は南西よりやや西よりにあることになります。十年以上筑波に住み、二人の子供が小さい頃はしばしば、徒歩で頂上を”極め”ました。天気が良いときにははっきりと肉眼で富士山を見ることができます。
ところで6月13日付記事(http://c23.biz/CchQ )で書きましたが、那須岳―香取間の水平距離は147kmです。ということは、那須岳から、香取の地は見えているはずです。また、香取の地から那須岳を肉眼で望めた筈です。
 実際には、渡来族の最大の関心事は方角にあったはずで、それには高精度の「測量」が必要でした。那須岳からの方位測定は夏至日の真夜中です。どのようにシリウス星方位を測定したのか?大変な興味があります。八溝―鹿島聖線の構築で、そのための技術が開発され、それを適用したのでしょう。多分、光源としての松明をしかるべき位置に配置することで、夜の計測をし、昼の計測で補正するなどの作業もあったと思われます。とりわけ、シリウス星は年経過に対して天球上を動きます。原則としては1回きりの計測となります。詳細の考察は別の機会に譲ります。

 上に紹介した風土記に「握飯筑波」なる風俗語が登場します。それは、図2に示す様に飢えた神様に筑波の神が飯を馳走したとの説話に由来します。「筑箪(つくは)」は「竹で編んだ箱」を意味します。つまり“竹の弁当箱”と言うことになります。江戸時代の幕府役人が役所に出勤する際、奥方から持たされるのが、この“竹で編んだ弁当箱”です。風が通るので中の握り飯が「いたまない」んですな。

 風土記の訳者は筑箪に“つくは”と仮名を振ります。筑は『竹』、箪は「箱」ですから、上に書いたように『竹で編んだ箱』となります。それから弁当が連想され、その弁当の中身である“握り飯”にたどり着いたのでしょう。「筑箪」を文字通りに音すると「チクタン」です。もしかしてこれは外来語ではないのか?その可能性をまずは「アイヌ語」辞典に探してみました。ありません。そこでいつもの通り「古代ペルシヤ語辞典に求めてみます。

 幸いにして、私が足繁く通うA経済大学の図書館には「新ペルシア語辞典」(黒柳恒男著、大学書林)が備えられています。この辞典は「新」と銘打ちますが「古」を付して古代ペルシア語をも含んでいます。嬉しいことです。早速頁を開くと目に入るのが
 “tukhtan”(ラテン文字表記、ペルシア語文字を書くことができないので)、まさに「ツクタン」です。この意味として付されているのが
「求める、探す、集める、貯える」です。どれが、ツクバの地にかって在留した渡来人の意向に適った行動であるのか。この地には「天狗」伝説が多いのです。「天狗」から連想するのが秋田の「ナマハゲ」など、正に鼻の高い「渡来人」つまり西域の人々です。そして彼らがこの地に南下して何を求めたのか?何を探したのか?何を集めたのか?そして何を貯えたのか?現時点での貧脳の私の創造力を超えています。

 ところで、日本列島のきわめて重要な場所に「チク」を名前に持つ土地(場所)があることにかねてより注目しています。まず最初にあげねばならないのが九州の「筑紫」です。ここは西の倭です。出雲の「杵築」は、梅原猛氏が言う日本国宗教の一つの結節点です。そして信州の「千曲」川、ここは西の倭国の首領を葬り去った地です。これは何か?私のかねてよりの疑問です。現時点では性急に答えを求めないことにしておきます。

(つづく)

+++++米国大統領選挙議論
 前回、本ブログ記事で米国大統領選挙についての私見を書きました。これについて、私が愛読している竹田茂夫氏は東京新聞で以下を書きます。
(図12:東京新聞11月10日付。連載コラムより。クリックすると拡大できます)
CIMG11竹田


 ウーンであります。にわかには同意しがたい。これまで東京新聞に豊富な読書歴を踏まえたコラム執筆者とは思えないほどの浅薄な内容と、私には思えます。たとえば「地球温暖化」否定を「非科学」的と断じます。私はこれに同意しません。ので、あえてこのコラム記事については、私のコメントはさしあたりひかえておきます。
 
 本日朝のTBSラディオ朝8時のレギュラコメンテータの小沢遼子氏は米国在住の堤未果氏の著書を引用しつつ、今般の選挙結果は実は米国での民衆によるいわば「無血暴動・未成熟な革命」であったと思えるとの感想を語っていました。私自身は堤氏の著作は読んでいませんが、インターネットで堤氏の米国観察に触れることが出来ましたので以下に転載しておきます。この観察は、選挙結果前のもので、選挙後の後付け的議論ではありません。それだけに大変説得力があり、氏の観察眼の確かさを見る思いです:
%%%%%堤未果氏による米国観察
堤未果
 堤未果氏(国際ジャーナリスト)が出演した2016年11月4日放送のNHKラジオ第1「マイあさラジオ 今週のオピニオン」の書き起こしです。音声は下記URLで聞くことができます。
「アメリカ大統領選挙の隠れた争点」
11月4日(金)マイあさラジオ 今週のオピニオン
NHKでの堤未果
(書き起こしここから)
キャスター:堤さん、おはようございます。
堤:おはようございます。
キャスター:今回は、堤さんが注目されたテーマは何でしょうか?
堤:来週8日に投票日を迎えるアメリカ大統領選挙の隠れた争点に注目しています。
キャスター:隠れた争点、何でしょうか?
堤:いくつかあるんですが、その1つとして戦争ですね。
キャスター:戦争ですか。
堤:まず民主党のヒラリー・クリントン候補は、非常に好戦的だということでよく知られているんです。例えば2003年のイラク戦争に賛成している。それから2008年の大統領選挙の時に、イスラエルを擁護したイラン攻撃発言というのがあります。これは「イスラエルにイランが何かするようであれば、自分はイスラエル側に付いてイランを徹底的に潰す」というような、かなり積極的な発言をして問題になりました。
キャスター:前回の大統領選挙に出た時にそういった発言をしたということですね。
堤:はい。それからもう一つ、彼女が国務長官時代にサウジアラビアやクウェートなどおよそ20ヵ国へ、日本円で言うと16兆円ぐらいの武器の輸出を承認しているんですね、国務長官として。一方で同じ時期に、それらの国の政府ですとか軍需産業からクリントン夫妻の財団が数百万ドルの寄付を受けていた。この事実を、ABCニュースですとかニューヨークタイムスそれから非営利の政府監視機関が「これは利益相反じゃないか」と批判をしている。こういったことから、戦争に対して積極的な候補だというふうに見られています。
キャスター:一方の共和党のドナルド・トランプ候補なんですけれども、こちらはどうなんでしょうか?
堤:トランプ候補が訴えるのは米軍の海外介入反対。ロシアや中国などとも関係を改善していく。なので、非常に非戦闘的な外交政策ということで、これは対局にあるわけです。ですので、例えば今年の9月6日にトランプさんの陣営は、彼を支持する退役軍人、上級軍人も含む88人の「トランプさんを支持します」という署名文書を公表しています。それからNBCがこの夏に行った世論調査でも、軍関係者の支持率はヒラリー・クリントン氏の34%の対し、トランプ氏が49%と非常に優勢。
軍関係者は元々共和党候補を支持するという傾向はあるんですが、今回の大統領選挙の興味深いところは、軍需産業はヒラリー・クリントンさんを応援している。ですけれども、退役軍人とか現場の軍関係者はトランプさんを応援している。こういう対立図になっています。
キャスター:ヒラリーさんは、これまでのオバマ大統領の方針をおおむね引き継ぐと言っていると。しかもかなり戦争に積極的な面もあるんだと。一方でトランプさんは、比較的孤立主義と言いますか、世界の警察官的な役割を続けることには否定的だととられるような発言もしているということですね。
堤:おっしゃるとおりですね。
キャスター:その辺がトランプさんの場合には、具体的にちょっと見えない部分もあるけれども、発言の内容だけ見ているとそういった傾向が見てとれると。それが支持にも現れているということなんですね。
堤:そういうことですね。アメリカはご存じの通り世界100ヶ所に基地を持ち、不況の時は「戦争はアメリカにとっての公共事業だ」と言われる国なんです。その中で「米軍を海外の基地から撤退させる」というトランプさんの発言は非常に重いです。これは何を反映しているかと言いますと、国民の間で厭戦ムードが相当高まっているということなんですね。
キャスター:景気はすごくアメリカは良くなってきているという報道も一部ありますけれども、ただその使われ方を含めていろんな意見があるというような報道もされてますね。
堤:おっしゃるとおりですね。例えば、政府発表の16年度の財政赤字が日本円で約61兆円、前年より34%増えているという報道がされる中、この間続けている対テロ戦争の費用はというと、およそ73兆円と相当軍事予算に割いているわけです。
軍事費は拡大する一方で、例えば学資ローンを返せない国民が4000万人を超えている。それから金融危機以降500万人が家を失っている。それから15歳から29歳の若者の3人に2人が、経済的理由から親と同居せざるを得なくなっている。非常に国民生活というのが厳しくなっているわけです。
キャスター:言葉を変えれば、貧富の差であるとか公平性がやっぱりちょっとずれてきているんではないかというような感覚が広がっているのは間違いない、ということなんですね。
堤:そうですね。
キャスター:やっぱり民主党でサンダースさんがあれだけ伸ばしたというのは、そこも一つ原因としてあるんでしょうね。
堤:おっしゃるとおりですね。サンダースさんは特に若者の支持を集めた。やっと自分たちのために政治をしてくれる候補者が現れたということで、支持を集めたということですね。もう一つは、2001年の同時多発テロ以降、戦争の民営化というのが非常に加速しています。
キャスター:戦争の民営化ですか。
堤:はい。兵士だけではなくて、今、派遣社員という形でもうたくさんの国民が戦場に向かっています。
キャスター:民間の会社が現地に行っていて、そこにいわゆる貧困層の人たちが派遣社員として入って行っているということですか。
堤:そうですね。例えばイラクやアフガニスタンで私が取材したところによると、警備員とかトラックの運転手とか軍の中の例えば調理をする人だとか、そうした業務は給料はいいんですけれども、帰国後の補償はない。例えば米兵だったら、帰国して障害があったり生活に困れば補償されるんですね、家族も含めて。そういうのが一切ない。ただ、生活苦から派遣社員として戦地に向わざるを得ない、それしか選択肢がないという国民もどんどん増えています。
一方で、政府にとっては戦争を民間に一部委託することで、正規軍のような退役後の補償など障害コストというのを減らすことができる。それから派遣された民間人が死亡しても、戦死者としての政府発表をする必要がなかったり、反戦の世論を押さえ込める。政治的コストが削減できるというメリットがあります。
キャスター:そういった実態に国民が今少しずつ気づき始めているということなんでしょうかね。
堤:そういうことですね。兵士と民間労働者の比率というのは、第二次大戦の時に7対1、ベトナム戦争で5対1だったんですが、イラク戦争でほぼ同数なんですね。だからこの頃から派遣労働者という形で戦地に行く人が増え始めたということで、実感が広がってきたんですね。
キャスター:お話を伺っていると、来週の8日には新しい大統領が決まるわけですけれども、その後も引き続きそういった視点で見ていく必要がありそうですね。
堤:はい。安全保障問題は日本が米国から最も影響を受ける分野の一つですので、今この大統領選挙の報道って非常に表面的なことばかりなので、社会的・政治的コストの実態をしっかりと検証して、日本にとって何がベストかということを踏まえた国民的な議論が必要だというふうに思いますね。
キャスター:堤さん、ありがとうございました。
堤:ありがとうございました。
キャスター:今週のオピニオン、国際ジャーナリストの堤未果さんでした。
(書き起こしここまで)

[関連]
なぜ日本に“トランプ”は現れないか 堤未果 (プレジデント)- Yahoo!ニュース 2016年7月19日
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160719-00018516-president-bus_all&p=1
週刊エコノミスト記事掲載! | 堤未果オフィシャルウェブサイト 2016年10月17日
http://www.mikatsutsumi.org/news/?p=1457
【大竹まこと×堤未果×町亜聖】 政府の嘘を見抜け! 「大竹メインディッシュ」2016年9月7日放送分
https://www.youtube.com/watch?v=GuhCix7NYeQ
堤未果(@TsutsumiMika)さん | Twitter
https://twitter.com/tsutsumimika
%%%%%インタネット記事転載おわり

 次は、選挙結果判明後の安倍政権のアタフタぶりです。
%%%%%トランプ勝利を予測できず 安倍政権と大メディア“赤っ恥”
メディア 2016年11月10日
「トランプ氏は国内産業の保護やメキシコとの国境の壁建設などを公約に掲げていました。これらはいわば、グローバリズムに対する反発です。グローバリズムを定義するとすれば、巨大資本による世界規模の利潤追求であり、それが米国で1%の富裕層と99%の貧困層を生み出し、格差社会を招いた。英国のEU離脱の原動力になったのは移民、難民を制限して雇用を守る――ということでしたが、トランプ旋風も根っこは同じ。格差に対する怒りが勝利に結びついたと言っていい。メディアは世界に広がる反グローバリズム、反新自由主義の世論を理解していなかったのです」

 一方、予想外の結末に慌てていたのは安倍政権も同様だ。トランプ優勢が報じられると、官邸筋の談話として「人脈づくりから始めないと」なんて声が報じられる始末。安倍首相は夜に「日米は揺るぎない同盟国」なんて祝辞を出したが、“泥縄”はアリアリだった。
「私は全ての国民の大統領になる」「米国を再建し、アメリカンドリームを復活させる」――。ニューヨーク市で自信マンマンの勝利宣言だった。第45代大統領の座を手中に収めた共和党候補の実業家ドナルド・トランプ(70)。政府・軍での職務経験を持たない大統領は米国史上初だ。

 それにしても赤っ恥をかいたのは、日本の大新聞・テレビだ。選挙期間中、「トランプ旋風」「トランプの悪夢」と面白おかしく報じる一方で、トランプを差別主義者の異端児として勝手に泡沫候補扱いしてきた。9日の大統領選を中継したテレビ特番でも、投開票前は「ヒラリー当確」の雰囲気だったが、開票作業が進むにつれ、スタジオ内にピリピリした緊張感が漂う様子がハッキリ分かった。要するにメディアは、米国世論を完全に見誤っていたのである。

 埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏(経済学)はこう言う。
米国ベッタリ日本外交の見ちゃいられないアタフタ

 安倍官邸はマサカの展開にてんやわんやだ。トランプ当確を受けて、安倍首相は大慌てで河合克行首相補佐官に渡米を指示。「速やかに新政権との信頼関係を築くべき」ともっともらしい訓示を垂れたらしいが、時すでに遅しだ。トランプのアベ嫌いは筋金入りで、散々こき下ろしてきた。
〈安倍はトンデモナイことをした。円の価値を徹底的に下げて、米国経済を破壊している〉
〈安倍は米国経済にとって“殺人者”だ〉
 選挙戦を通じ名指しで安倍批判を繰り返し、言いたい放題だった。よほど感情的になったのか、9月に訪米した安倍はヒラリーとだけ会談。すでに共和党候補だったにもかかわらず、トランプをスルーしていたのである。国際ジャーナリストの春名幹男氏(早大客員教授)は言う。

「安倍政権は大混乱に陥っているでしょう。訪米中に挨拶ひとつしなかったことからも、トランプ側とのパイプは築けていない。イチから関係を構築するにしても、誰が政権入りするかも分からない。閣僚や官僚を含むスタッフは3000人ほどが入れ替わる。まさに手詰まりです。共和党からある程度は送り込むことになるでしょうから、そこのツテを探り、必死に働きかけるのが関の山。トランプ氏はアベノミクスを罵り、日本を中国同様に為替操作国と見なしています。円安誘導をしていると厳しい態度で迫られかねません」

 安倍はトランプに贈った祝辞で「同盟」を4回も強調。〈日米同盟の絆を一層強固にする〉〈日米同盟は、国際社会が直面する課題に互いに協力して貢献していく「希望の同盟」〉とすがっていたが、トランプにはヌカにクギだ。米国追従のツケがついに回ってきた。
%%%%%記事紹介おわり

 だからと言って、米国の日本にとってはうまい筋書きとは言えないことを以下のブログが論じています。はて、さて、どうなることやらであります。

%%%%%トランプの狙いは、日米FTAと日本の軍備増強。ペテン総理の思惑とも合致しているに違いない。(くろねこの短語)
それでもTPP国会承認?
2016年11月11日

 TPPからの撤退を公約にしたトランプが次期大統領に決まった直後に日本ではTPP承認案が衆議院を通過。普通、取引先の企業が社内抗争で社長交代したら、更迭された前社長と進めていたプロジェクトはいったんストップするもんじゃないのか。しかも、TPPに関しては日本はアメリカの下請けみたいなもんなんだから、どんなに契約続行を訴えたところで、「はいそれまでよ」って頭叩かれたら、それで一巻の終わりです。
・TPP承認案、衆院を通過 与党、発効遠のく中で採決強行
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201611/CK2016111102000129.html
 でも、ひょっとしたら、そこまで強気にTPP採決したってことは、大統領選にトランプが勝利直後の電話会談とやらで、ペテン総理は泣きを入れたのかもかもしれない。「TPP採決に関しては面子があるのでどうにかお許しを。その代わりにと言っちゃなんですが、思いやり予算はたっぷりはずみますし、なんなら軍備増強して、自主防衛ということで中国に積極的にプレッシャーかけてもよござんす」なんて具合だったんじゃないの。
 さらに、「TPPみたいな多国間交渉はやめて、この際ですから、日米FTAということでどうでしょう。もちろん。ISDS条項なんかも盛り込んで、米韓FTAをイメージしてます」とまで踏み込んでたりして。
 こんな妄想でもしなけりゃ、いくらなんだって衆議院でTPP採決なんて愚かしいことはできないだろう。
 TPP撤回の代わりに、日米FTAと東南アジア海域で米軍の肩代わりするための軍備増強。これがトランプの狙いで、それはまたペテン総理の改憲、国軍設置、核装備という野望にも合致しているのではなかろうか。「トランプ氏の大統領選勝利は、安倍政権の対米追従、沖縄軽視、社会保障より防衛関連重視の予算編成、改憲志向といった傾向をますます強化させることになるのだろう」としいう志葉玲氏の指摘は、おっしゃる通りなのだ。
・<トランプの米国>(上) TPP否定「貿易は2国間で」
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016111190070635.html
・トランプの勝因、日本への影響
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20161110-00064277/
 巷に谺する、「アメリカ大統領がトランプだからって何ヒビッてんだよ。日本なんて安倍だぞ」というつぶやきが、妙に心に刺さる雨の週末であった。
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常陸国風土記(3、新治郡)、記憶の繋がる機構(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:枯れ枝ではありません。この時期に登場するのは珍しいのですが、笄(こうがい)ヒルです。ゆっくりと右方に体をくねらせながら進んでいました。どうも、コイツには腹黒さを感じるので、触りたくないですな。それにしても自然界は奇妙な生物を創ります。)
PA29笄ひる


 謝々(シェイシエイ)と 感謝の言を 口にして 疲れた体を 座席に埋めり

 驚きました。米国の新大統領選挙で、トランプ氏が大差でクリントン氏を破りました。クリントン氏は米国の軍産共同体の強い意向を背負い、それあってか、国内にとどまらず、カタールなど国外の多国籍企業からも巨大な資金援助を得て今回の選挙に満を持して出馬しました。さらには、米国のジャーナリズムをはじめとして、日本を含む大方のジャーナリズムがクリントン氏があたかも自由と民主主義の旗手であるかのごとき幻想を撒き散らし、それが故に、おおっぴらにクリントン氏支持を表明し、選挙民をその方向に誘導すると言う恐るべき選挙でもありました。しかし、その米国支配層の期待を見事に打ち破ったのが米国民です。米国民の勇気ある賢明な選択に祝意を捧げたいと思っています。

 昨日は江戸に出府し、所用を終えた後、新宿と秋葉原をウロウロしました。くたくた状態で電車に乗ると目の前の中年ご婦人が私の腕を軽く叩き「座れ」と合図するのです。中国語が聞こえていたので、咄嗟に出た言葉が「謝々(シェイシエイ)」でありました。ご婦人から笑顔で何か言葉が返ってきました。多分「it’s my pleasure」を意味する中国語と思われます。
 中国人旅行者の無作法振りをネットで頻繁に見て呆れていました。電車内で子供に小便させる、バイキング・レストランでは根こそぎ料理を自分の皿に積み上げるなどなどの蛮行で欧州各国ではしかるべき警戒態勢・・云々などを聞いていました。ところが、昨日の中年ご婦人と連れと思える中年男女五名、優しい笑顔で私に応えるのですね。ネットで見聞きするような人たちとは全く異なる中国人を見た思いでした。

 十年近く足を踏み入れなかった秋葉原も大きく様変わりです。まずはあの“でっかいな〜”のCMソングで知られる「石丸電気」が消失していました。電気街のほとんどの店内は「爆買い」客対応で、いたるところに中国語です。しかし、昨日は爆買いの人達は少なかったようです。店員さんも日本語を話す中国人です。いきなりの質問が「#!@&?%ᴧ?」でした。私がキョトンとしていると「日本人ですか?」と外国訛りの日本語で尋ねます。探している電気用品を彼女に告げると、「最新・高価」製品が並んでる棚に案内してくれます。「日本人、金無い、高いのダメある」と、思わず私は片言の日本語をしゃべってました。彼女は魅惑的な小さく可愛らしい唇をちょっと歪めて苦笑していました。

+++++風土記(3)
 香島郡の件は、孝徳天皇の時代のことであると風土記は書きます。日本書紀編年に随えば、645年、蘇我入鹿が飛鳥板蓋宮の大極殿で暗殺されます。この暗殺事件は、その年が太歳乙巳(きのとみ、いっし)であることから「乙巳の変」と呼ばれています。この弑は時の女帝・皇極天皇の眼前で実行されたと日本書紀は書きます。そうした事情から皇極女帝は退位し、弟の軽皇子に譲位します。この方が漢風諡号孝徳天皇です。九年後に死去し、皇極天皇が天皇位に返り咲きます(重祚)。
私は「乙巳の変」なるクーデータ事件は、その内容が蘇我入鹿の弑と言うよりは、むしろ東西に威を広げる倭国へのおおっぴらな叛乱行動の始まりであったろうと考えています。この後日本列島は戦乱に陥り、やがて九州を舞台とする「壬申の乱」へと展開します。それが日本書紀編年では西暦672年です。このような戦乱の最中、奈良の勢力が悠長に鹿嶋郡のことに関わっている余力は無かったはずです。それは早くとも日本書紀の撰上の後、つまり西暦720年以後の事であったと思っています。西暦720年直前こそ、奈良の勢力が香取の地を押さえ、その上に立って香島攻略を仕掛けたのです。

 こうした経緯を考慮するならば、常陸国風土記が書く内容は日本書紀の記載・筋書きに縛られており、そのシナリオから逸脱することはできません。藤原不比等のシナリオでは、香島を含む常陸国の奈良中央政権への服属は七世紀の半ばということになっているのです。つまり幻の「大化の改新」にあわせ、この時代に律令の法整備、支配体制の大枠が定まったとしているのです。

 常陸風土記は、香島そして行方郡への奈良勢力による攻略を、あたかも倭建命による日本列島東部制覇行動として記述しています。まずは冒頭の「総記」のくだりを見る事にします。ここでは、常陸国の名前の由来を語る中で、早速、倭武天皇が登場しています(図1:右側頁の右から九行目)。曰く“倭武天皇巡狩東夷之国幸過新治之県・・・・・“(倭武天皇が東の野蛮人のたむろする国を武力で(狩)制圧しながら、新治のほうへ進む途中・・・・・)と総記は書きます。

(図1:常陸国風土記、「総記」(風土記(小学館刊、354頁より)
161104風土記総記023

 冒頭の「総記」で、いきなり、倭武天皇の「巡狩」(軍事行動)が東国の夷人(野蛮人)征伐であることを宣言するのです。そして、本ブログを長く読んでくださっている方には、“事実を捻じ曲げるどころか、真反対に描いている”と受け取ってくれたはずです。

 繰り返しますが、事実は、奈良盆地に拠点を置く藤原不比等に統帥された軍隊が「東夷」のために、東国に侵攻し、残虐の限りを尽くしたのです。その残虐行為を為したのは「倭武天皇」ではないのです。風土記が書く「倭武天皇」は、宋書東夷伝に記載される倭王「武」の英雄譚を藤原不比等の描いた史観にそって記紀に移し変えた人物です。実際、倭王「武」は東進どころか、むしろ南進後九州に向かって西進した英雄です。

 さて、風土記を丁寧に眺めていると、またもや本題から逸れて行きかねませんが、次の新治郡での記載に若干ふれておきます:

(図2:常陸の国風土記「新治郡」
161109風土記新治001


 冒頭に「為平東夷之荒賊、俗云阿良夫流尓斯母之、・・・・」とあります。『東夷』をここでも連呼して東国の耶馬人征伐であることを強調するのは既に書きました。私が着目しているのは
「阿良夫流尓斯母之」です。これは、どうやら本文の脇に注として誰かが書き加えたようです。風土記の現代語訳をしている植垣節也教授もその文意解読に困惑したようです。
  そのまま読み下すならば「あらぶるにしもの」つまり「荒々しく暴れる西から来た奴ら」となります。しかし、そうした荒々しい人は、まさにそこ常陸国にいるわけですから、「西者」(にしから来た者)では無いのです。西を「遠く西域、つまりペルシャ」から来た人たちと解釈すると、意味が通るのです。つまり、常陸風土記執筆者群に「見識ある知識人」が加わっており、彼らが風土記完本後こっそりと書き加えたのではなかろうか、と私は想像しています。

 ところで、古代文献を眺めていると「波斯」(はし)、または「破斯」(はし)と言う漢字を見ます。これは「ペルシア」の中国語表記です。日本の古代学文献では「はし」とルビを振り、「ペルシア」を意味すると解説します。学研大漢和辞典(藤堂明保監修)によれば「波」に付されている音のラテン文字表記が「puar」です。これに「斯」をつけると「プアルシ」つまり「ペルシャ」になります。これは『波』が「破」に変わっても同様です。
 ところで上の風土記での漢字表記です。「夫」の音のラテン文字表記は「piu」です。これに従えば「夫流尓斯」は「ピル(ニ)シ』つまり「ペルシア」に近い音となるのです。どうも、誰かが藤原不比等一派の横暴に対してこっそりと造反していたのではなかろうかと想像しています。

(つづく)

+++++How the Brain Builds Memory Chains(2)
 前回紹介した記事の後半部分です。記憶の積み重ねは知識ではない。記憶の間に連関を発見し、更には「蓋然性」を発見する。これが知識であり、「知」である。そこへの経路を研究する人たちの着実な認識の前進を以下の記事が書いています。

%%%%%Recollections of successive events physically entangle each other when brain cells store them
記憶を辿る機構
By Sara Chodosh on July 21, 2016
 
一連の事象を思い出すという脳内の作業は脳細胞が自らの内に蓄えているそれらを互いに絡み合わせることである。

The question was, did that principle apply to two memories that happen close together in time? Neurons in a newly formed memory trace are subsequently more excitable than neighboring brain cells for a transient period of time. It follows then that a memory formed soon after the first might be encoded in an overlapping population of neurons, which is exactly what Frankland and study co-lead author Sheena Josselyn, found.
Mice who formed a fear memory—one where they were given a foot shock in a particular environment—and then formed a second memory six hours later had formed those two memories in overlapping engrams. The rodents who formed the same memories 24 hours apart had separate sets of neurons related to each memory.
Josselyn, a neuroscientist at SickKids and the University of Toronto, and Frankland’s group was also able to tinker with the link between two memories by adjusting the excitability of neurons during different time points. Mice should normally form separate memories when events happen 24 hours apart, but when the researchers re-excited the neurons in the first memory engram while the second memory was forming, they could artificially link those experiences.
 疑問は、その原理は、時間的に近接して発生する二つの記憶に適用されたのか?というものです。記憶経路に新たに形成されたニューロンは、過渡的時間のために、周囲の脳細胞のため、より興奮していることになる。そのニューロンの重なりこそが、Frankland and study co-lead author Sheena Josselynが見つけたものだ。
 特別の環境で足にショックを与えられるという恐怖体験記憶を有し、6時間後の二番目の記憶が重なり合うengramsの中に二つの記憶をその実験鼠は形成している。24時間離れて、同じ記憶を形成した齧歯類は、各メモリに関連するニューロン・セットを分離していた。
 Josselyn, a neuroscientist at SickKids and the University of Toronto, and Frankland’s groupは二つの記憶の接合をいじくることが出来た。それは別の時点でのニューロンの興奮具合を調節することで、それを可能にした。鼠は通常は24時間はなれて事象が発生するときには別の記憶を京成するのであるが、二番目の記憶を京成している間に研究者が最初の記憶engramのニューロンを再励起すると、それらは人工的にこうした体験を接続してしまう。

When they tried to disentangle memories that happened six hours apart, however, they ran into trouble. Decreasing the excitability of the neurons in the first memory during the second event seemed to prevent the second memory from forming. “We were blown away by that,” Josselyn says. In these types of experiments, she explains, they are only ever manipulating about 10 percent of the neurons in the amygdala. If this second memory cannot form, however, that implies something is changing in the other 90 percent of neurons. Their findings mean that neurons are competing to be included in the new engram, and in this competition excitability rules. That 10 percent of neurons are the winners because they inhibit the other 90 percent—it is winner take all.
 しかしながら、6時間離れて起こった記憶を解きほぐそうとすると、トラブルになった。2つ目の事象の間に第一の記憶の中のニューロンの興奮性の低下が二番目の記憶形成を疎外するようになった。「私たちは、そのことによって吹き飛ばされた(これまでの理解が粉砕された、と言う意か?)」とJosselyn氏は述べている。これらのタイプの実験では、扁桃体のニューロンの約10パーセントを操作している。と彼女は説明する。しかしながら、この第二の記憶が形成することができない場合は、そのことは、残りの90パーセントで何か起きていることを暗意している。彼らの発見は、神経細胞が新しいengramの中と競争的興奮度ルールにもぐりこもうとしていることを意味している。その10%のニューロンが勝者である。何故なら他の90%の参入を抑えるのだから。

Being able to look inside a brain at this level of specificity is wholly novel, says neuroscientist Steve Ramirez at Harvard University who was not involved in the new study. “It’s the kind of research that literally 10 years ago it would have been just bananas to think that we could go in and find these memories,” he says. “The future of this research is to get a blueprint of how memory works.”
Although the researchers could only look at two memories at a time, the ultimate goal is to understand a whole network of memories. More than that, Josselyn says, the aim is to understand how memories layer on each other. Put more simply, she adds, “what is knowledge, as opposed to what is a specific memory?”
 特異性のこのレベルで脳の内部を見ることができるということはまさに小説である、と、この新たな研究に関与していないneuroscientist Steve Ramirez at Harvard Universityは述べている。「そうした領域に入り込み、こうした記憶を見つけ出すと考えるのは10年前であればまさにとんでもない研究であった。この研究の未来はどのように記憶と言う門が働くのかと言う研究についての青写真である」と彼は言う。
 研究者は一度に二つの記憶を単に見ることはできたが、最終的な目標は、記憶のネットワーク全体を理解することである。それ以上に、その目的は、記憶が互いにどのように階層をなしているかを理解することだ。と、Josselynは言う。もっと簡単に言えば、「特定のメモリであるものとは対照的な、知識とは何か?」と、彼女は付け加える。

To answer that question they must enter largely untrodden territory. To date this study is only the second of its kind. Josselyn and Frankland studied overlapping memory formation in a brain region called the amygdala, associated with fear experience recollection. In a Nature article published in June neuroscientist Alcino Silva at the University of California, Los Angeles, and his colleagues found the same principle to hold true in the hippocampus, which stores more factual knowledge.
The interaction between memories is in fact a fundamental part of how we form a coherent view of the world. That is a massive goal but these experiments have pushed us in the right direction. “This is a stepping-stone toward understanding how we link information across time,” Silva says, “and I think that’s one of the great mysteries of science because behind that is our ability to understand our world.”
 その質問に答えるためには、全く未踏の領域に入いる必要がある。これまでに本研究は、その種の第二に過ぎなかった。Josselyn and Franklandは恐怖体験回想に関連付けられていた扁桃体と呼ばれる脳の領域の重複記憶形成を研究してきた。Nature誌 6月に発表された論文で、neuroscientist Alcino Silva at the University of California, Los Angeles, and his colleaguesは、より多くの事実に基づく知識を格納する海馬に対して成立する同じ原理を発見した。
 記憶間の相互作用は、実際には、我々は世界のコヒーレントな認識がどのように形成されるかについての基本的な部分である。これは、大規模な目標であるが、これらの実験は、正しい方向に私たちを突き動かしてしている。「これは、時間経過にまたがって情報をリンクする方法を理解するための踏み台で、科学の大きな謎の一つである。何故ならその背後に私たちの世界を理解する能力あるからだ」と、Silva は言う。
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常陸国・香島郡、記憶を辿る機構

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当集落の鎮守様・拝殿への参道が緑の苔で覆われています。不思議に思っていることは、モグラの穴掘り工事跡が、参道の左側に偏在し、右側にはありません。なぜかなと考えています)
PB02鎮守様1

 
おだやかな 小春日和に ウトウトと 額(オデコ)でキイを 叩きけるなり

 ここ数日、暖かい日々が続いています。明日のブログ記事の準備をしつつ、居眠りをしています。何処からとも無く蚊の憎たらしい羽音がまとわりついて目をさまします。が追い払って再びウトウトであります。かくして首が前面に折れ、キーを顔で叩きました。

+++++常陸風土記(2)
 先代旧事本紀の十巻である国造本紀(くにのみやつこもとふみ)は、日本列島に135の国を置き、夫々に国造と呼ばれる「首長」をおいたと記します。しかし、ここには常陸国はありません。そのことを常陸国・風土記は冒頭で書いています。本来その冒頭をまず、考察すべきところでしたが(次回考察予定)、「息栖」の所在地にまずは関心があったため、いきなり「香島」郡の話となります。

常陸風土記の『香島』のくだりは、
“孝徳天皇五年(大化五年、西暦649年)に大乙中臣兎子などが惣領・高向大夫に請うて「下総の海上(うなかみ)造の領地、軽野より南の一里、と那賀国造の領地、寒田の北五里を割いて新たに「神の郡」を置いた。そこに居られる天大神の社、坂戸社・沼尾社の三処を併せて全てを香島の天大神と称す。こうして香島郡ができた”
との文で始まります。
香島郡が出来上がる経緯は興味深いものがあります。まずは、既に天大神の社、坂戸社があったと書きます。本ブログ管理人が描いてきたシナリオに随えば、その社は間違いなく五世紀半ばに設営された高・一族の陣屋であった。そして、その陣屋は、多分八世紀始めごろには、中央政権の軍事攻勢に備えた要塞と化していたのではなかろうかと想像しています。「社」は「屋代=屋城」であったろうと思います。
以前書きましたが、「社」(やしろ)は古代ペルシヤ語の「ashras」(ラテン文字表記)の転じた語ではなかろうかと思っています。この語の「音」から連想するのは仏教に登場する「阿修羅」です。仏教の守護神としての側面とヒンヅー教での悪神としての側面など中々厄介な存在のようです。ウィキはこの存在にゾロアスタ教の影響も見ることができると書きます。私はどれも事実なのであろうと思っています。
紀元一世紀ごろの西アジアから東アジアにいたる広大な地域は匈奴の西進などとあいまって、宗教、或いは思想が大いに混ざり合っていた筈です。その中から、「あしゅら」を「勇敢な」と言う意味に捉えた部族が遠くベーリング海を渡りサハリン・北海道を南下しまずは須賀川に一大政治拠点を築いたのです。

この部族が一時期滞留したのが、青森県下北半島の中央部「恐山」(おそれ)です。この名称は古代ペルシャ語「オシロ」に由来します。どのような事情があったのか?全く想像できませんか、その滞留地が以後、長く東北寒村で飢えと貧困に苦しむ農民に「救いの言葉」で安らぎを与える聖地になったのだろうと想像して居ます。しかし、現在そうした深い思想的・歴史的背景の残影をこの地に見ることはできません(8月10日記事恐山 )。

勇者の拠点として「オシロ」と呼んだ構築物がいつの間にか「ヤシロ」に転化したのでしょう。そして、そのヤシロを「社」で漢字表記をする。「社」の原義は「土地の神を祀ったところ」と言う意味です。この風土記を著した時点では、香一族は滅ぼされており、鎮魂を込めて祀られていたので、「社」なる表記をしているのです。そして、近日中に詳しく考察しますが、これが「斎」なるものの一つの内容であると思っています。

さて香島郡を定めるに当たってその南の境界が「軽野」の南にある「一里」(さと、集落とでも理解するのでしょうか)です。これが現在議論している旧息栖の地です。その際、下総の海上も合わせたと書きますから、これは、香取とも思えます。が定かでありません。いずれにしても息栖近辺では利根川を挟んで南岸域の一部をも香島郡に取り込んだと、風土記は書きます。
(つづく)

++++どのように脳は記憶のつながりを作るのか?
Scientific American誌7月21日号が脳と記憶に化する記事を掲載しています。面白そうですので、以下に二回に分けて紹介します。
%%%%%記事紹介はじめ(1)
記憶を辿る機構 
How the Brain Builds Memory Chains
Recollections of successive events physically entangle each other when brain cells store them
By Sara Chodosh on July 21, 2016
一連の事象を再収集するという作業は脳細胞がそれらを脳に蓄えるときには互いの混乱を物理的には引き起こしている。

Think about the first time you met your college roommate. You were probably nervous, talking a little too loudly and laughing a little too heartily. What else does that memory bring to mind? The lunch you shared later? The dorm mates you met that night? Memories beget memories, and as soon as you think of one, you think of more. Now neuroscientists are starting to figure out why.
When two events happen in short succession, they feel somehow linked to each other. It turns out that apparent link has a physical manifestation in our brains, as researchers from the Hospital for Sick Children in Toronto (SickKids), the University of Toronto and Stanford University describe in this week’s Science. “Intuitively we know that there’s a structure to our memory,” says neuroscientist Paul Frankland, affiliated with both the University of Toronto and SickKids. “These experiments are starting to scratch the surface of how memories are linked in the brain.”
大学の同級生に最初に会った時を考えてみよう。多分ナーバスであり、幾分大声で話し、大げさに笑ったりしただろう。他に何か心によみがえるものはありますか?後でランチを分け合いましたか??あなたはその夜、寮の仲間と会いましたか?思い出は思い出を生む。一つの事を考えると、さらに何かを思い出します。今、神経科学者は、その理由を理解し始めている。

2つの事象が相次いで発生すると、それらは相互にリンクされている感じる。見かけ上のリンクが脳の中では物理的実体をもつことがわかってきた、とthe Hospital for Sick Children in Toronto (SickKids), the University of Toronto and Stanford Universityの研究者達が今週のScience誌で書いている。「直感的に我々はメモリへの構造があることを知っている」と。neuroscientist Paul Frankland, affiliated with both the University of Toronto and SickKids.は「これらの実験は、記憶が脳内でどのようにリンクされているかについての謎の表面部分について引っかきはじめている」と言う。

In your brain, and in the brains of lab mice, recollections are physically represented as collections of neurons with strengthened connections to one another. These clusters of connected cells are known as engrams, or memory traces. When a mouse receives a light shock to the foot in a particular cage, an engram forms to encode the memory of that event. Once that memory forms the set of neurons that make up the engram are more likely to fire. Furthermore, more excitable neurons—that is, brain cells that activate easily—are more likely to be recruited into an engram, so if you increase the excitability of particular neurons, you can preferentially include them in a new engram.

あなたの脳、そして実験用マウスの脳で、思い出すと言う作業は互いのニューロンの接続が強化されることで表現される。こうした繋がりあう細胞の集まりはengrams又は記憶追跡として知られる。マウスがある特別のカゴの中で軽いショックを受けるとan engramが形成されその事象の記憶を記号化する。一旦、記憶がニューロの集合を作るとthe engramが活性化しやすい。また、より興奮し易いneuronすなわち簡単に活性化する脳細胞はよりan engramに取り込まれやすくなる。すると、もし特別なニューロンをより興奮させるならば、新しいengramをそのニューロンの中に優先的に含めることが出来る。

(つづく)

常陸風土記、生物種の危機(nature誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:11月1日付東京新聞投書欄で見つけた写真です。Youtubeでこれに類する写真は時々見ますが、北関東のお住まいの方の家の庭で撮影というところがなんともすごい・・・・)
161102蛙蛇


 三すくみ 輪っかの一部 眼前に 踏ん張るカエル 何を思うか

 蛇と蛙、そして蛞蝓は「三すくみ」、つまりこの強弱関係は「閉じた輪」作ります。この写真を撮った方には、この現場に蛞蝓を投入して欲しかったですな。今朝は『資源ゴミ』回収日とあり、安佐5時ごろ回収場所に行きました。日の出前の非貸しの空が明らみ、浮かぶ雲の縁が橙色に輝き空の青と絶妙の対照を成しています。この色合いはまさにイタリア絵画で見た「フレスコ画」のそれです。話は逆なんでした、フレスコ画が実際の空の色を写し取ってるんですね。と、思うと、イタリアの昔の画家が、この色をキャンバスに写し取るのに払った多大の努力・工夫に想いを馳せた次第。
 
+++++東国三社(6)
風土記についてWikiはwiki は以下を書きます:
%%%%%WIKI記事抜粋
風土記(ふどき)とは、奈良時代初期の官撰の地誌。元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、主に漢文体で書かれた。律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は、各国の事情を知る必要があったため、風土記を編纂させ、地方統治の指針とした。[2]
『続日本紀』の和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日)の条が風土記編纂の官命であると見られている。
(中略)
写本として5つが現存し、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損して残る[4]。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用された一部が残るのみである。ただし逸文とされるものの中にも本当に奈良時代の風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。
%%%%%
 風土記の中には、逸文と呼ばれるものがあります。風土記本体は発見されていないけれども、何がしかの書物に『風土記からの引用』として出典が記されていることがあります。いわば風土記の「欠片」(かけら)を逸文と言うのだそうです。下記の風土記が「逸文」として引用されていると、Wikiは書きます:
山城国風土記※、摂津国風土記※、伊勢国風土記※、尾張国風土記※、遠江国風土記※、
陸奥国風土記※、越後国風土記※、丹後国風土記※、伯耆国風土記※、備中国風土記※、
備後国風土記※、阿波国風土記※、伊予国風土記※、土佐国風土記※、筑前国風土記※、
筑後国風土記※、豊前国風土記※、肥後国風土記※、日向国風土記※、大隅国風土記※、
壱岐国風土記※
上のウイキ記事が書く和銅6年の詔に先だつこと五年の和銅元年に看過できない詔が発布されています(2012年9月14日記事(焚書 古代の焚書 ))
%%%%%続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
《和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一)》和銅元年春正月乙巳。武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も語句につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
%%%%%抜粋おわり

 712年が古事記の撰上、720年が日本書紀の撰上と続日本紀は書きます。その『史書』の編集作業の終盤で、列島内には様々な「禁書」があったのです。近く、完成する古事記なり、日本書紀なりの「日本列島歴史書」が、これらの禁書と整合しないことを不比等は怖れたのです。そこでその禁書を完全に歴史から抹殺、葬り去るとの重大な決意をしたのです。

 さて、風土記の詔は古事記撰上の翌年です。古事記編纂作業途上で回収された『禁書』群を吟味し、どうやら「妙な記載」が出てこないであろうとの判断を下したのでしょう。かくして、次の作業は古事記を改定し最終的な「正史」の完成を目指すことになった。その際に集まった『風土記』が活用されたのです。しかし、集まった風土記は最終編纂過程にある日本書紀の『藤原不比等史観』にそぐわないものがあったに違いありません。

 かくして、完全本に近い風土記は僅か五冊。つまり、この風土記だけは、日本書紀編纂方針に抵触しなかったのです。残りは廃棄されているか、或いは、全く作成されていないのです。

 風土記作成時期を念頭に置いて、改めて現存するもの、逸文として出現するものを眺めると合点が行くことが多いのです。
(図1:風土記の完本、又はそれに近い文書が残されている古代の国。東国は常陸だけであることに注目されたし)
161104風土記004


 一つは東国を語る風土記の存在です。熾烈な「陣地争い」があったと思われる常陸の国に多くの記述を割きます。野蛮人の跋扈する「常陸の国」が中央から派遣された文明人に服してゆく様子を書きます(私は、この記述について詳細な検討を後日加えます)。しかし、東国に関してはそれだけです。下総、上総でも熾烈な戦いがあった筈ですが、風土記はありません。
 さらには、万葉集85歌の主人公”毛長女”(けながひめ)の舞台「下毛野」、「ワカタケル」なる王名が刻まれた鉄剣が出土した「上毛野」、および「肥後」についても風土記が作られた様子はありません。東国の政治的拠点があった「磐瀬」については、風土記が「逸文』ですら残っていません。こ

 こうした欠落について、記紀史観に縛られる古代学研究者はいかなる疑問も持ちません。ワカタケル王も、飯豊姫も全て奈良盆地にいたと信じて疑わないからです。

 風土記の地理的偏りには、藤原不比等の政治的思惑があったと思うべきなのです。壬申の乱の主要舞台であった筈の「肥後国」、敗者を押し込めた「信濃国」などについて風土記が遺されていないのも同様の政治的思惑によるのです。

 このような作成時になされた時の権力の政治的思惑を念頭に入れて、「常陸風土記」にもどります。前回書きましたが、まずは郡の記載順に私は違和感を覚えています。

 前回記事の該当部分を再掲します:
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、香島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)

 記載は常陸国中西部に始まり、南部の郡を経て中央郡へと反時計回りにすすみ東部の行方、鹿島と移ります。その上で常陸の国北部へ移ります。その順序は南から北の順に記載されます。
 南半分を先に書き、北半分を次に書く。これは、日本書紀が書く日本建命の東国制覇、あるいは祟神天皇紀が書く「武渟川別命」の東征譚にしたがっているのです。そうであるならば、南半分の記載も通説言われているように「香島から上陸し・・・・」と言うわけで、南から北へ北上する順で記載するはずが、北西から始まっているのです。私は、倭王武の南進に強く影響されている記述ではなかろうかと考えています。

 さて、現時点でのブログの主題である「息栖」です。まずは風土記の原文を見る事にします:
(図2:「風土記」(植垣節也・校注、小学館、1997)、より。「香島」の件の先頭部分。右端に原文、左頁は訳注。」
161102風土記鹿島」

 
 上図で左の訳文を見る事にします。まず「香島」です。これは「コウシマ(又はカガシマ)」と訓(よ)まれて居たはずです。つまり「高一族(中国史書では「興」)」の支配する地の拠点と言う意味です。「コウ」は「カガ」とも音されるます。「カ」音を喉奥から強く息を吐き出して発音すると「カガ」になるからです。実際、既に書いてきたように常陸国に登場する悪神は「香々背男」と漢字表記されます。「香々」は「コウ」と同一なのです。万葉集14歌の冒頭は「高山・・・」で始まります。これは「カグ山」と訓(よ)みます。何故ならこれは「香具山」だからです。なぜ風土記は「高島」に書かずに「香島」と標記するのか?ここにすでに編集を支持した中央権力の意志が貫徹しているのです。
「高」と標記することで、歴史の経緯・背景を知識ある人が想像するかも知れない事を危惧したからです。
 
(つづく)

+++++科学雑誌トッピクス紹介
nature nature 2016.11.03
EVENTS
Italy hit by strongest quake in decades A magnitude-6.6 earthquake struck central Italy on 30 October, the most powerful such event in the country since 1980. The epicentre was about 115 kilometres northeast of Rome. The town of Arquata del Tronto suffered heavy damage and Norcia’s cathedral was destroyed, but no fatalities were reported. Italy’s civil protection agency said that more than 15,000 people are in temporary accommodation. The quake follows a series of tremors last week, and many towns in the region had already been evacuated following the magnitude-6.2 earthquake that hit the same area on 24 August and killed nearly 300 people, many of them in Amatrice (pictured). Geophysicists have been concerned about continuing activity in the region’s complex system of faults.

文意:イタリヤは最近数十年で最大の地震に襲われた。
 M6.6地震が10月30日イタリア中部を襲った。1980年以後では尤も大きな地震であった。震央はローマの北東約115kmであった。Arquata del Trontoの町は大きな損層を受け、Norcia’sの聖堂が崩壊した、が死者は報告されていない。イタリアの防災局によれば、一万五千人が避難した。その地震は先週からの一連の地震活動が先行していたこと、そして、その地域での多くの町ではすでにあの8月24日に300名もの人命を奪ったM6.2地震以後避難していたためである。300名の犠牲者の多くはアマトリチェの住民であった。研究者達はこの地域の入り組んだ断層系で起きている地震活動の監視を続けている。

(写真:Massimo Percossi/ANSA/AP Amatrice in central Italy has suffered extensive damage from the earthquakes.)
161030Italyquake


TREND WATCH (趨勢監視)
Wild populations of mammals, birds, amphibians, fish and other vertebrates declined by 58% between 1970 and 2012, according to the Living Planet Report 2016, published on 27 October. Freshwater populations, which fell by 81%, are thought to be faring worse than terrestrial ones. Habitat loss is the main threat, with overexploitation and human-induced climate change also major culprits. If the trend continues, by 2020 the world will have lost two-thirds of its vertebrate biodiversity, says the report.
 哺乳類、鳥、両棲類、魚、それ以外の脊椎動物の個体数が1970年から2012年の期間に58%も減っていると10月27日に刊行されたLiving Planet Report 2016,誌が書いているhttp://c23.biz/9zxF 。81%もの減少と見積もられる淡水生物は陸よりも環境がより悪化したためと考えられて居る。生息地を失うことは主要な脅威である。過剰な開発、人が引き起こした気候変動なども主要な原因である。もしこの傾向が続くと、2020年までには世界は脊椎動物の多様性の3分の2を失うだろう、とその報告者は書く。
(図3:生物種個体数の減少傾向)
nature-trendwatch-3-nov-2016

%%%%%

息栖神社(5、東国三社)、10.30イタリア地震、TPP

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:刈り取りを終えた田で、一人ぼっち(一羽ぼっちというべきか)土を突く白鷺)
PB020002


グローバルな 企業こそを 守ります 市場経済の 本心そこに

  今週の金曜にもTPP条約の批准が安倍首相の”嫌う“「強行採決」ではなく、国会衆議院を通過するとのことです。私の危惧を以下に繰り返しておきます:
この条約の本質はISD(Investor State Dispute)条項にあると考えています。各国の政府は自国民の生活安定と安全確保のためにしかるべき政策を取る義務と責任があります。例えば、車の廃棄ガス排出規制、走行スピード規制、薬品の安全規制、食料の安全規制(GMO、牛肉、米、柑橘類)、医療保険等々です。その政策に企業がクレームをつける権利をISD条項が明記しているのです。
 日本にそうしたクレームをつけるのは米国ではなく、米国のお面をつけた多国籍巨大企業であることが、TPPの本質です。彼らが、“市場経済という”錦の御旗を振りかざして各国の安全政策を敵視しかねないのです。多国籍企業はその国の政策が自らの企業活動を妨害していると見なした途端、「商売妨害」として国際法廷に訴えることができます。それがISD条項が企業に付与する提訴権です。この審理を貫く思想は「自由経済」です。これこそが審決の基準となります。おのずからその結果は100%近く企業側の勝利となります。

 現在の米国にとって目ざわりの一つが「日本の国民医療皆保険」です。「何でも裁判」と「何でも保険」(ユダヤ人が編み出した金儲け術、ベニスの商人が良い例)は、米国における新たな錬金術です。そこで、この日本の制度がISD裁判にかかれば、現在の医療保険制度は、保険産業のじゃまになるとの位置づけ認定がされるかもしれません。国ぐるみで自由たるべき保険活動を妨害していると認定されるからです。
 同様が薬品。日本の薬品審査は一方で血友病での非熱処理薬剤を米国の圧力であっさりと認可したが、全体としては安全サイドに立ってきました。しかし、薬品産業でぼろもうけをしてきた薬品製剤多国籍企業にとっては目障りであったのです。TPP後は充分安全性の確かでない薬品が出回る可能性があります。米、牛肉など、膨大な薬剤を投与された農業食品への日本政府による規制も今や風前の灯です。実際、牛肉の規制は、これまでは20ヶ月までの若い肉が安全とされていたが、より危険な高齢(48ヶ月)牛肉の輸入がすでに認可されています。TPPではこうした規制もISDにより取り払われる惧れがあります。
 米国では二人の大統領候補が揃ってTPPには反対との意思表示をしています。その理由は、自国の労働者の雇用が狭められるからとの米国民の意思を反映したものです。他国のの主権を損なうことへの配慮ではありません。

+++++東国三社(5、沖洲か息栖か?)
 「東国三社の一つである息栖神社の旧所在地は利根川河口北岸(日川域)のやや南、利根川河口内に形成された中州であった。それを定めた時期は香取神社の地を渡来族の新たな拠点に定めた後であった。」
 とのシナリオを頭に描きつつ、拠点の位置なぞを計算してきました。ところが、前回計算に基づいて描いた図によって、そうしたシナリオがひっくり返されてしまいました。

 さて、どうするか?何か“書かれた”手掛かりは無いものか!「常陸国風土記」はどうであろうか?それは新しい東国の支配者である藤原不比等一族によって厳しく検閲された筈です。当然記紀史観を逸脱するような記述は削除されているでしょう。とはいっても、もしかしたら「行間」に何かを嗅ぎ取ることが出来るかもしれません。詳細は別に考察しますが、二・三気づくことを書いておきます:
 今、私が参照しているのは「風土記」(小学館、植垣節也 校注・訳者 1997)です。それに拠れば、常陸風土記は十節からなります。この見出しだけ見ても興味深いことが見えてくるのです。上記本は夫々の節について原文と訳文を併記します。以下はその節に使われている頁数です。
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、鹿島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)
 何と言っても断トツに多くの頁数を使っているのが行方郡と鹿島郡です。次に久慈郡です。八溝−鹿島線、那須岳―香取線が通過する郡に対応することがわかります。三つの郡がとりわけ重視されたことを暗意しています。鹿島郡の冒頭の記載など、さらに興味深いこともあるのですが、それは次回に譲る事にします。ここでは、常陸国を構成する郡の配置、その中で、現時点で本ブログが関心を寄せている「旧息栖」と思しき場所を示しておきます。
(図1:常陸国の郡配置、日川に相当する場所が、丁度本のページのつなぎ目に当たっています。上掲「風土記」より)
常陸風土記


風土記を眺めることは次回にして、まず事実をもう一回整理します:
 五世紀末に八溝山頂に見晴台を設置し巨大な宗教的拠点配置事業が始まった。
 六世紀の前半(計算では西暦527年頃)、その事業は終了した。拠点の最終端の地は、利根川河口の中州であった(中州の手前にある日川でも良かったのかもしれない)。しかし、その地は洪水、あるいは巨大地震による津波の遡上など、防災視点からは極めて不安定であることが程なく判明した。代替地として、現在の鹿島に拠点が移築された。
 しかし、この旧息栖の地は海洋進出の拠点として長く廃棄されなかった。「息栖」の「イキ」は「オキ」の転化したものである。「オキ」は古代ペルシヤ語「oqyanus」(ラテン文字表記)に由来する。古代ギリシャ語で「オケアノス」は海洋を意味する。つまり遠く西域から渡来した部族が、ギリシャから伝わった外来語をそのまま用いていたんですな。
 かくして、「息栖」はまさに外来語であり、その原義は「海洋」であった。この地(旧息栖)は、磐瀬から八溝山―鹿島聖線を南下したサカ・高・アイヌ連合体の西進の基点となった。彼らの西進の軌跡を彼ら自身が為した「マーキング行為」で辿ることが出来る。まずは房総半島先端の「安房」(アバ=火が転じた)、三浦半島の横須賀の「スカ」はまさに「サカ族」に由来。そして「相模」の「サガ」は「スカ→スガ」の転じたもの。そして「駿河」(スルガはスガに由来)。この西隣に発したのが「相良」(サガラ)姓(『姓氏家系大辞典』(角川書店))。そして「渥美」(アツミ)半島の「アツミ」は「安積」(アズミ)の転化したものである。そしてそれは「積」が「シャク」と音することから「アサカ」に転じた。「ア」は「アベ」であり「火」または「明」。「アツミ」は「火を奉ずるサカ」族。福島県のJR駅「安積永盛」を思い起こすだけでよい。これが日本列島古代史で尤もよく知られる用語「アスカ」の起源。紀伊半島の南端近く「熊野」に、「アイヌ族」の信仰対象を「マーキング」し、四国に入り「阿波」(アハ=アバ=火)の足跡を遺して、九州の鹿児島(カゴ=カガ=高)に達した。この経路の多くの部分が「武王」又はその息子・孫の日本列島縦断の足跡戸思われる。そしてこれを逆さまに、つまり二誌から北へと描いたのが古事記の武倭尊であり、日本書紀の日本建命である。(扶桑国王蘇我一族の真実」を著した渡辺豊和氏はこの旧来の「常識」を覆した。

 上述の経路は日本列島縦断のいわば東南経路で、開拓されたのが西暦520年前後。とすると、やや遅い。とするならば、当然「北西経路」もあった筈。これはいきなり新潟の「青海」に陸路(あるいは阿賀野川沿い)で出て南西に進む。「加賀」(カガ=高)を経て出雲、「石見」(イワ=磐)をへて九州へ達する経路だ。そこから内陸に入り佐賀(サガ)平野です。そこで、見聞したのが「邪馬台国」の跡地です。その感動を詠ったのが万葉集一巻の一・二歌です。

 こうして、渡来族は邪馬台国跡に住んだ現地住民とも共生・融和して東日本(日出国)と九州を拠点とする西日本(日入国)を統合する巨大な倭国を形成するに至ったのです。但し、奈良盆地に盤拠した一族を統合することはできなかった。激しい抵抗があったのやも知れません。その抵抗がやがて暴力的な「反抗」となり、八世紀以降の「東夷」つまり「東国に住まう夷狄(野蛮人)征伐」と銘打った東国政権の「暴力的殲滅」の軍事行動となるのです。

 以上、簡単に私の古代史観を概略しました。香取地の拠点設営は藤原不比等一族による「東夷」の謂わば「二回戦」とも言うべきものです。一回戦であった「壬申の乱」の成功に味をしめたのです。
(つづく)

+++++10月末のイタリア地震
 イタリアの背骨たるアペニン山脈中央部で、つい先日の8月24日に被害地震が発生しました。ほぼ同じ場所で、10月30日に、死者こそ出なかったものの15,000名もの住民が避難する騒ぎとなった地震が起きています。BBCネットニュスが以下を報じています:
%%%%%BBCnews(抜粋、日本語訳はつけません)
BBC News (BBC on Italy quake)
Italy quake: At least 15,000 in temporary shelters

Italy's most powerful earthquake since 1980 has left more than 15,000 people homeless, according to the country's civil protection agency.No-one was killed in the quake but 20 were injured and damage to the area round the town of Norcia is extensive.The 6.6-magnitude quake struck near the central region where nearly 300 people were killed by a quake in August.Prime Minister Matteo Renzi is chairing a meeting of his cabinet to discuss emergency reconstruction.(中略)

Sunday's quake - 6.6 as measured by the US Geological Survey - came on top of August's quake and two last week of magnitude 5.5 and 6.1.Other towns and villages to have suffered damage include Castelsantangelo, Preci, Ussita and Arquata.Central Italy has seen several major quakes in recent years. Earthquakes which devastated the town of L'Aquila in 2009 and Amatrice in August this year killed about 300 people each.But they both measured 6.2 and were deeper than Sunday's earthquake.
%%%%%

この地震の情報を以下に書きとめて起きます:
(表1:Global Cmt Catalogueによるこの地震の解析結果)
Perugia161030

10月28日の地震は地下489kmに起きた深発地震で、アフリカ・プレートがイタリヤの地下深くに潜り込んでいると理解されています。が、既に潜り込み運動は停止しており、大昔に潜り込んだプレートの欠片(かけら)内で発生する地震との説もあるようです(http://c23.biz/jcFv )。発震機構解は図2を参照してください。この地震の非DC成分は“−8.4%”と算出されます。計算上は圧縮応力が大きかったことを示しています。総和を0とするために負量が非DC成分として残るからです。
 10月30日の地震は、8月24日の地震・震央の近傍で発生していますから、8月に始まった地震活動の延長上にあると理解すべきかもしれません(発震機構解は図2)。非DC成分は“8.1%”と産出されます。張力が大きかったとの算出結果の反映です。

(図2:IRISによる震央(IRIS )。この地震に先行して、イタリア西部の深所におきたM5.8の地震も示しています)
Italy16Octfps


 長靴型のイタリア南半分を北西―南東に走るアペニン山脈。その背骨中央部近辺で起きる地震が北東―南西方向の張力に支配されていることが、図3の発震機構解と比べることで改めて再認識できます。
 それにしても、このところ、日本とイタリアで起きる地震は顕著な前震活動が先行するという共通現象が見られます。にもかかわらず、その後に大きな本震が続くのかどうなのか?それを見極める手立てが無いようです。地震が続くようであれば、とりあえずは警戒する。それしか自らと家族を守る手立ては無い。これが地震防災の現状です。
 (図3:9月5日ブログ掲載の図再掲 イタリアの5つの被害地震
 五顕著地震


 

東国三社(4、息栖神社)、物理脳(米国科学誌より)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真: 左側の煙は朝靄ではありません。籾殻を焼く煙です。昨今は自働稲刈り機が夥しい量の籾殻を「排泄」(下品な表現、お許しください)します。その籾殻があぜ道のあちこちに積み上げられています。それに火をつけ、中に芋を突っ込んで、焼けるのを待つのが近所の婆(ばあ)様たちです。)
PA31籾殻焚


 秋の田の 積み上げられた 籾殻で 焼き芋待つは ばあさま二人

 先日、畦を歩いていると、二人の老婆から声をかけられました。「食ってけ」と。手にはホカホカの芋です。あいにく私は「サツマイモ、栗、かぼちゃ」の「胸焼けトリオ」は、大の苦手です。丁重にご辞退申し上げました。いよいよ、本年も残すところ二ヶ月となりました。「時の経つのは早い」、いつもの老いぼれの繰言です。

+++++東国三社(4)
 今回は「息栖神社は、昔は現在の地ではなく日川あるいはその近辺に設営されていた」との説を検証します。いうまでもないことですが、設営当初から、それが神社であった筈は無く、有力者の住まう陣屋、または砦のようなものであったのでしょう。その地にそうした建造物を置くことで、結果として東国三社が正三角形を形成するのは、偶然であるのか、それとも意図的であるのかを考えてみようというわけです。日川とは、下の図の右下に示される赤〔隶です。しかし、鹿島―香取を正三角形の一辺とするように、設計されたとすると、その地は日川よりやや南にずれます。それがの地です。
(図1:鹿島 香取◆β栖(一説にある位置)が作る正三角形、下右の赤,脇川、青丸は正三角形頂点位置。クリックすると拡大できます)
利根正三角形


 正三角形にこだわる、あるいは連想した背景が磐瀬の国・長沼で形成された底角30度の二等辺三角形配置です(図2、2014年8月13日記事長沼の二等辺三角形配置 )。長沼同様の精神的(宗教的)背景がその配置に潜んでいるに違いないと推断しました。
(図2:アイヌ族と渡来族の融合を表現する二等辺三角形、この三角形にはこの地特有の30度と言う角度と渡来族信仰のシリウス星方位の両方が巧みに組み込まれている http://c23.biz/TbLi より、クリックすると拡大します。)
 須賀ー三角


 図1で示すを仮に”旧息栖”戸呼ぶことにします。その地は、鹿島神社からは少なくも14kmを見渡すことが必要となります。そのためにはどれほどの高さの櫓が必要となるでしょうか?
-->D=15;
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh =0.0176576
 必要な櫓の高さはeh=18m 余となります。天井高が2.4mの集合住宅であれば8階建て相当です。18m程度の高さの櫓を作ることは可能であったと思えます。しかし、肉眼で15kmを見通すことつまり、15km先のカガミによる太陽光反射を識別することは可能でしょうか?古代人の身体能力はいかほどであったのでしょうか?

 話は脱線しますが、私は時代劇小説・TV(所謂チャンバラ)が大好きです。読むときは必ず手元に江戸地図を傍らに置くほどの凝り様です。鬼平犯科帳を読んだり、見たりして誠に不思議に感ずるのが、江戸時代の人間の顔の識別能力です。私なんぞは、つい今しがた会った人間ですら小一時間も経つと「はて!どんな顔であったかな?」と、戸惑います。しかし、長谷川平蔵の寒働きと、顔の記憶能力はすごい。あれは小説の舞台設定に過ぎないのでしょうか?それとも、画像記憶のハードウエアが無い昔は、人間のそうした能力は現在のそれよりも格段に優れていたのでしょうか?昔と現在の記憶力に関して比較が出来ないものかと思っています。

 話を戻します。鹿島から、日川方向に旧息栖神社の設営地を求める作業です。香取の方角は225度(北から時計回りに測る)ですから、その方角から60度反時計周りに戻してやればよいことになります。南中時刻を12時とすれば、15度つまり一時間戻せばよいので、午前11頃の太陽の方向に鏡を向ければよいことになります。
 これは、大雑把なやり方で、実際には古代人は60度と言う角度を地上へ写し取る手法は既に獲得していたはずです。こうして日川近辺の地で、鹿島から60度の方向に点列が形成されるはずです。同様の作業を今度は香取を基点にして実施し、そこから60度方向に並ぶ点列の交点が 前回記事で書いた、利根川河口域の中洲の地点となります。かくして、中洲に“将来息栖神社”となるであろう地点に何がしかの拠点設営地点を定めることが出来ます。

 さあ、次はこの設営の目的の考察です。政治的(軍事的)目的であったのか、それとも宗教的(精神的)狙いがあったのか?それを考えるために上の図を再度じっくりと眺めました。

 舞台裏を白状します。図1を作成するまでには、既に本日の記事の大要を頭の中で作り上げていました。ところが、図1からとんでもないことに気づかされました。それは、鹿島神社から見たの位置は、まさに“シリウス”方位にほぼ近いのではないか!ということです。これは衝撃でした。念のためにいつもの計算をしてみます:

-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) 二点間の方位・距離計算プログラム
epi(lat,lon)=[36.9294,140.271741] 八溝山(経度・緯度)
sta(lat,lon)=[35.8507,140.6715] 旧息栖(経度・緯度)
計算結果:
八溝―旧息栖 d=125.2(距離 –km)a=163.27(方位・度)

一方、2010年1月1日記事で( 八溝山−鹿島・聖線 )私は以下を書きました。
八溝―静  d=49.5307(km), a=164.2934, b= 344.3831
八溝―吉田 d=66.0126(km), a=163.4255, b= 343.551
八溝―鹿島 d=111.6941(km), a=163.1633, b= 343.3768

 八溝山から鹿島を遠望すると、鹿島は北から時計回りに測って163.2度の方角に見えます。一方旧息栖は163.3度の方位、つまりほぼ同一の方角です。距離が、既に書いたように14kmほど異なるだけです。
 因みにこの僅かの差を八溝山から計測する人間が識別できるかどうかをチェックしておきます。ただし、120kmもの遠方ですから、直接に鹿島なりなりを望めたとは思えません。中継点の設置など何がしかの工夫があったのでしょう(後述)。
いつものようにScilabを電卓代わりに使うと、
 -->(111.6941+125.2)*0.5*(163.1633-163.27)*%pi/180
ans = - 0.2205800
(上式で最初の因子は八溝山からの平均距離、次の因子は、”度“で測った角度差、最後の因子は”度“から”ラディアン”への変換)

 八溝山から見た場合、120kmの遠方では、0.11度の差は221mの横方向の違いとなります。つまり測定作業では充分認識できる差であることがたしかめられました。

 そこで、この僅かな方位の違いをシリウス星の天体上の位置移動に帰するとするならば、その築造年代の違いを見積もることが出来ます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1) シリウス年計算プログラム
旧息栖 Angle=?163.27、tc = 527.888
鹿島 Angle=?163.1633、tc =532.32672

 つまり5年ほど旧息栖が鹿島に先行しているということになります。私の頭の中で既に出来上がっていたシナリオは大幅に書き換えねばならなくなりました。
(つづく)

++++物理がわかる脳
 本ブログでは、しばしば、科学雑誌記事を紹介しながら「科学教育」なるものを考えてきました。時々、こうした議論が馬鹿らしくなることがあります。それは安倍首相が露骨に「文系教育」を軽視する言を発するにもかかわらず、依然として国の手綱を文系教育を受けた人間がしっかりと握り、彼らは「渡り」と称して退職後もあちこちで優遇され華麗な生活を全う出来ることです。

 つい愚痴がこぼれました。話を戻します。以前四回にわたって紹介した「英才教育の成果45年後は?」なる記事では、人間の成功が「特許、論文数、蓄財」で測られるかのごとき論調でした(9月28日記事 英才教育効果を45年後に検証する )。不快に感じた読者も居られたでしょう。
 さて、それはさておき、科学的思考、とりわけ物理思考はどうやって身につくのか?「観察」、「興味」、「解明の模索」の3kと思っています。そこから想像力が培われ、想像力は創造力へと発展するのだろうと思っています。その際、親又は教師の介入は?など、私自身の「科学教育論」は又別の機会に書くこととして、米国の心理学者の追跡がScentific American誌に紹介されています。
%%%%%米国科学誌、8月1日号より
How your brain learns physics 
How Your Brain Learns Physics
脳はどのように物理を理解するのか?
A new study shows the brain repurposes everyday neural networks to learn high-level scientific concepts
脳は高度の科学的概念を学ぶために神経ネットワークを目的に合うようにその都度編成している(repurpose)と言うことがわかった。
By Jordana Cepelewicz on August 1, 2016

Early Homo sapiens wasn't acquainted with Einstein's general theory of relativity, yet anyone in a physics class today is expected to understand its basic tenets. “How is it that our ancient brains can learn new sciences and represent abstract concepts?” asks Marcel Just, a neuroscientist at Carnegie Mellon University. In a study published in June in Psychological Science, Just and his colleague Robert Mason found that thinking about physics prompts common brain-activation patterns and that these patterns are everyday neural capabilities—used for processing rhythm and sentence structure, for example—that were repurposed for learning abstract science.
 初期のホモサピエンス(原生人類)はアインシュタインの一般相対性理論を知らなかった。今日でも物理クラスではまずは基本理論を理解することが求められている。古代人の脳が新しい科学を学び抽象的な概念を表現できるようになるとすれば、それはどんな風に、してなのか?とMarcel Just, a neuroscientist at Carnegie Mellon Universityは問う。Psychological Science誌6月号に投稿された研究論文でJust and his colleague Robert Masonは物理について考えることが脳活性化パターンを促進する、と書く。このパターンは、例えば毎日の文構造とリズムを処理するのに使われている神経能が抽象科学理解のためにrepurpose(適切な日本語が見つからないので英語のまま、その意味は冒頭のタイトルを参照)される。

Just and Mason scanned the brains of nine advanced physics and engineering students as they thought through 30 physics concepts such as momentum, entropy and electric current. The researchers fed the data from the scans into a machine-learning computer program, which eventually could identify which concept a volunteer was thinking about based on his or her brain activity. Why was this possible? Because the neural patterns involved in considering a particular topic—gravity, for instance—were the same in all participants. “Everyone learns physics in different classrooms, with different teachers, at different rates,” Mason says. “So it's surprising that the same brain regions are developed for understanding a physics concept in all these students.”
 Just and Masonは9人の上級物理と工学を学ぶ学生の脳をスキャンした。こうした学生たちは運動量、エントロピ、そして電流など30の物理概念を深く考えている筈だからだ。そのスキャンデータを機械学習コムピュタ・プログラムに投じた。結局のところ、どの概念を学生が自分の脳の活性化の基礎においているのかを識別できた。何故こんなことが可能なのか?重力のような特定のテーマを考える際に働く神経パターンは全ての生徒に共通していた。異なるクラス、異なる教師、しかも異なるスピードで物理学を学んできた、とMasonは言う。“全ての学生において脳の同じ部位が物理学概念を理解する際に開発されている”と。

To take it further, the scientists then compared the scans from their study with previous research matching neural activity to thought processes. They found that brain responses corresponding to the scientific concepts of “frequency” or “wavelength” occurred in the same regions that activate when people watch dancers, listen to music or hear rhythmic patterns such as a horse's gallop—likely because these all involve sensing “periodicity.” And when the students thought through mathematical equations, the engaged brain areas were the same as those that process sentences. These results suggest that general neural structures are repurposed for dealing with high-level science.
“So even though some of these concepts have only been formalized in the past couple of centuries, our brains are already built to deal with them,” Just says.
The findings may someday help determine which school lessons should be taught together for easiest consumption, Mason says. He and Just plan on continuing their work with other sciences our ancestors knew little about, including genetics and computer science.
This article was originally published with the title "Your Brain on Physics"
 さらに調査を推し進めるべく、研究者たちは、思考プロセスに合う神経活動に関するそれまでの研究と彼らのスキャン結果を比較した。脳は周波数あるいは波長と言う科学的概念に対応するものに反応することがわかった。それは人がダンスをするとき、音楽を聴いたりする際あるいはリズムを聞く際に活性化する脳の領域で起きているものだ。例えば馬のギャロップのようなもので、効した活性は“周期性”と言う意味を含んでいる。
"そして、学生が数学の方程式を熟考する際、使われる脳領域は、文章を処理する領域と同じであった。これらの結果は、一般的な神経構造が、高レベルの科学を扱うさいにはrepurposeされるということを示唆している。
「これらの概念は数世紀昔に定式化されてきたとしても、私たちの脳は既にそれらにたいおうできるように作り上げられている "と、Justは言う。何時の日か、最も容易なconsumption(文意?)には、どのような学校でのレッスンがなされるべき科の決定にこの発見が役に立つようになるかもしれない、とMason は言う。Mason and Justは我々の祖先がほとんど知らなかった他の科学領域についてもこの調査を続けることを計画している。それは遺伝学や計算機科学を含んでいる。
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東国三社(3)、物価2%あげることが大事?(わからぬ)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:田を巡る一周3kmほどのあぜ道を走るJK(女子高校生を意味する専門用語)たち。左下で先生が見守っています。)
PA28marathon

 
ほっぺたを 赤くそめつつ 髪ゆらし JK(じぇいけい)たちが マラソン走る

 今日は朝から、雪でも降るのかと思うほどの寒い天気です。そんな寒気の中、近くの女子高校生(JKが現代の用語)がマラソンをしていました。寒さでほっぺは赤く、後ろに束ねた狐の尻尾状の髪が右に左に揺れていました。臨場感を持ってその光景をカメラに収めたかったのですが、見張りの先生の「疑惑の篭った視線」にたじろぎました。何せ当地の防災無線網はすごいんですな。つい先日も、自転車で下校途中の女高生が、サドルの上にある尻を老人になぜられたとの放送が市全域に有線で流されました。私も今朝、シャッタを押していたら、ただちに、“お縄頂戴”の事態になり、家族からも離縁されたやも知れません。

+++++東国三社(3)
 ところで、私が本ブログで主張してきた二つの聖線、八溝山⇒鹿島、那須岳⇒香取、は節(node)とでも言うべき中継点を持っています。隣り合う中継転換の距離はほぼ40kmの長さです。この40kmの長さに相当する櫓の高さはどのくらいになるでしょうか?
-->Re=6371.2;-->D= 40;
二つの量を上のように与えた上で、二次方程式 eh^2+2*Re*eh-D^2=0 を解かねばなりません。二次方程式の根の公式 はeh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2)) です。
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh = 0.1255638
125mの高さの櫓が必要と算出されます。東大寺の高さが49m、法隆寺五重塔が32mだそうです。『平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌に歌われているのに「雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎」、というものがる。『雲太、和二、京三。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』(ウイキより)が書くように出雲大社の本殿が96mであったとの伝承があります。七・八世紀の職人技術を持って、125mの高さの櫓の構築はありえたのかも知れませんが、難しかろうと思えます。とすれば、どうしたのでしょうか?後日、それをも考えてみたいと思います。

今回は、息栖神社の設営地点をどのように定めたのかと言う議論にもどります。まず息栖神社の地を鹿島神宮から望むことを考えます。平地に立っていれば、僅か4kmの範囲しか見えないので、鹿島神宮から現在の息栖神社の地は見えないことになります。上の式の(見える距離)、D,として10を与えて、目の高さ、eh,を求めてみます。
-->eh=(-Re+sqrt(Re^2+D^2))
eh = 0.0078478 (km)
 8m程の高さの櫓を組めば、息栖の地を眺めることができることになります。 この櫓を組むには、しっかりとした足場が必要です。それがこの要石であったのでしょうか。

 櫓を組んだ後の実際の段取りはどうであったのでしょうか?私は以下のような作業を想像しています。鹿島に置いた陣屋に8mの櫓を組み立てる。人間は古代人にあっても裸眼で8kmまでは見えないのではなかろうか、思います。そこで、南に鏡面を向けた鏡をその櫓に置きます。南の位置(方向)は太陽の南中時から正確に設定できます。そのうえで、およその位置にスタッフを派遣し、鏡の太陽反射光を多くの地点で“南中時”に観測させます。その地点群は南北に並ぶ点列を構成しているはずです。

 同様を、今度は香取神社で実施します。ここでは8mの櫓に設置する鏡は東向きにせねばなりません。それは春分、または秋分の日の太陽の昇る方角から正確に設定できます。その後の段取りは上と同じです。この作業で、出来上がるのは東西に並ぶ点列です。かくして二つの点列がつくる直線の交点こそが、息栖神社を設営すべき地点となります。
 但しこの作業は、出来上がる配置が二等辺三角形となることを保証しません。どうやら、直角三角形説は”偶然”のなせる業であったようです。偶然とは、香取神社から見た鹿島神社の方学が、北から時計回りに測って46.4度、つまりほぼ45度であることによります。この配置も香取神社設営の際に考慮されていたと考えることも出来ます。が、わたくしは香取の地は那須岳を基点とするシリウス方位に則って定められたと思ってるので、この45度に近い角度は偶然であったろうと思っています。


 忘れないうちに書きとめて起きたいことがあります。それは、「鏡」に「カガミ」と言う訓(よみ)が付された経緯です。これは、アイヌ語にも古代ペルシア語にも似た音の語はありません。古来の列島住民の言語の一つであるのかもしれません。私は、「高」一族が測地事業で頻繁に鏡を用いたことにあるのではなかろうかと思っています。既に書いたように長沼地区での底角30度の二等辺三角形の設計と配置、八溝―鹿島、および那須岳―香取聖線の設営では、「カガミ」は不可欠な技術道具です。この道具をその設営に携わった高一族本人がどう呼んだのかはわかりませんが、共同作業をした仲間が「高一族が使用する遠くを見通す道具」と言う意を込めて「カガミ」と称したのであろうと考えています。「カガミ」とは「高」(カガ)一族が見(ミ)る行為に使われる技術(道具)というわけです。後年、その道具を表す漢字「鏡」を知り、「カガミ」なる「訓」(よ)みが付与されたと私は思っています。
(つづく)

+++++物価を上げることが経済に資する?(わからぬ!)
 大分古い話ですが、毎日新聞ネット記事が以下を配信しています。貧乏生まれの貧乏育ちの私には、経済の目標として「2%の物価上昇」を掲げるという「為政者感覚」がどうしても馴染めないんですな。物価は安いに越したことは無い。物価は上がらないほうが良い、というわけです。

 日本銀行のHPは『日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」』と書きます。つまり「物価の安定」を理念の第一義に据えているのです。日銀が問題視せねばならない論点は「リフレ」云々ではなかろうと思うのですが、所詮素人談義なのでしょう。政府の国策に寄り添う日銀、これは日銀がうたう政権から独立との「理念」に反すると思っています。しかし、そんな議論が日銀の内部で起きている。奇異であります。
 
 それはさておき、“物価が上がらなければ賃金が上がらない。生活向上には賃金上昇が不可欠”なぞという単純な理屈を日本の経済立案者は本心で考えているのであろうか?デフレ脱却こそが真の狙いとも聞く。物は作れども売れない。在庫が増える。これを解消するためには、勤労者の賃金を上げれば、買ってもらえる。つまり消費が増える。物の生産、販売に携わる人たちの賃金が上がるためには、その生産物が高く売れねばならない。こうした理屈のようです。しかし、上記の理屈には買う側の財布が考慮されていません。まず、給料をあげて購買力を高めることが先であると思っています。

 こうしたド素人の素朴な問いかけをはぐらかすのが「金は動いてこそ価値」なる「理論」(カッコつき)です。うえの議論で言えば、金をまずは天から降らせる。さすれば、それが巡りめぐって下層の庶民にいきわたり(トリクルダウン)、購買力が高まる。結果として、庶民は潤い、経済も活性化する。こんな理屈が、現実には働いていないように見える。こう考えると下に引用する記事が書く論議は、なんとも”庶民離れ”しており、物価安定を目標に掲げる日銀マンが口角泡を飛ばすところを間違えているように感じています。

%%%%%毎日新聞 10月12日(水)21時21分配信 転載
<リフレ派>日銀政策批判 エコノミストも「金利」重視反発
http://c23.biz/QDrP   



お金の量を増やしても物価上昇にはつながっていない
 日銀が先月の金融政策決定会合で、金融政策の枠組みを、銀行などに流すお金の「量」を重視する政策から、「金利」を重視する政策に転換したことに対し、「量」拡大を主張してきた「リフレ派」エコノミストらから批判の声があがっている。批判の矛先は、リフレ派にもかかわらず政策転換に賛成した日銀の政策委員会メンバーにも向かっており、今後の政策運営にも影響を与えそうだ。
日銀金


 「デフレ脱却のため、2%の物価上昇目標を目指すのがリフレ派だ。やり方はいろんな議論がある」。12日、長野県松本市での記者会見。日銀政策委員の中でリフレ派の代表格とされる原田泰審議委員はこう強調し、政策変更に理解を求めた。

 9月21日の決定会合で日銀は、短期金利をマイナス0.1%、10年物の長期国債利回りを0%程度に操作する「長短金利目標」を新たに導入した。一方、従来「年間80兆円ペースで国債を購入する」としてきた量的緩和の目標を「80兆円をめど」に後退させた。13年の黒田東彦総裁就任以来、大量の国債を購入してお金を世の中に流す量的緩和政策でデフレ脱却を目指してきた日銀だが、国債保有額が400兆円に膨らんでも物価上昇率がマイナス圏に低迷する中、政策転換を図った。いわば「『量』の目標を事実上捨てた」(日銀幹部)格好だが、リフレ派のはずの原田氏と岩田規久男副総裁は、賛成票を投じた。

 原田氏は、新たな枠組みで物価上昇率が安定的に2%に達するまで金融緩和を継続すると明言したことが「量に対する強い公約だ」と述べ、量的緩和は後退していないと強調した。だが、在野のリフレ派の批判は厳しい。元審議委員の中原伸之氏は、「原田、岩田両氏は敢然と反対すべきだった。日銀職員の説得と圧力に負けた」と厳しく批判。三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長の嶋中雄二氏も、「自分が委員なら反対した。今後の行動を注視していかないといけない」と指摘した。

 「量から金利」への枠組みの転換について、日銀の大規模緩和を後押ししてきた安倍晋三首相は現時点では「歓迎したい」と容認姿勢だ。ただ、首相の経済ブレーンでリフレ派の本田悦朗・駐スイス大使は米通信社の取材に「日銀は次回会合で追加緩和を行う必要がある。国債購入額はまだ拡大できる」と強調しており、円相場や株価の展開次第でリフレ派の巻き返しが強まる可能性もある。【安藤大介】
http://c23.biz/ivF6
リフレ派
緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。
リフレーションとは再膨張の意で、経済学的には景気循環においてデフレーションから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、加速度的なインフレーションになる前の段階にある比較的安定した景気拡大期を指す。リフレ派の主張は、政府・中央銀行が数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。
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東国三社(2)、電通

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真 昨日は二十四夜でした。これは三日月ではありません。三日月は右側(西)が太ってきます。しかし、この月は東側がどんどんやせ細り四日後には新月となり、一旦姿を消します。)
PA25二十四月


 久方の 光のどけき 秋の日に 静心無く 枯れ葉散るらむ

 本日は、お日柄もよく、雲ひとつ無い青い空そして暖かい日です。かくして“名歌”と自画自賛できる、ひさしぶりに「やった!」と思える会心の一首です。「待てよ、どっかで見た覚えが無いでもありませんw」なぞの声も聞こえてきそうです。字数が限られている「和歌」では、名歌はどうしても似て来るんでありますヨ。

+++++東国三社(2)
 渡来族・アイヌ族の連合体の南進方針の実施にあたり、五世紀半ばに設計された聖線の基点は八溝山、終点は鹿島でした。鹿島を越えた向こうは太平洋です。それから、およそ150年後の六世紀末に計画された新たな聖線の基点は那須岳です。ここからシリウス方位を辿り、且つ現在の利根川の向こう岸(南岸)となれば、それは香取又はそれ以南ということになります。何故、鹿島同様太平洋岸ギリギリまで、南へ伸張しなかったのか?鹿島に設営されている既存の拠点との”一身同体的”な役割を担うようにとの防衛的要請にあったのではなかろうかと想像しています。が、確たる論拠は今のところはありません。

 かくして、東国三社の内の二つの神宮の位置がまずは定まってしまいます。この視点からは、のこる息栖神社の設営位置(当時は神社として建造された筈は無いのですが)決定は、香取設営の後と言うことになります。つまり七世紀末以後です。
 そして、その位置が計画的に定められたのではなかろうかと考える古代学愛好家に私も同意します。何故なら、藤原不比等によって仕掛けられた日本列島の政治状況は穏やかならざるものとなっていたのです。したがって、藤原不比等の側が、鹿島・香取の拠点に揺さぶりをかけた可能性を考慮に入れつつt考察せねばなりません。

 何故、息栖神社から、二つの神宮への距離がほぼ同じになっているのだろうか?愛好家はその理由にまでは言及しません。ただ、古代史の隠された神秘性を体感することに快感があるかのようです。が、その設営が真に「計画的」であったとするなら、本ブログはその「宗教的あるいは戦略的(軍事的)」背景に想いを致さねばなりません。

(図1:現在の息栖神社の境内。参道がシリウス方位と直行している。これは明確な「反シリウス」意志の表現ではないことは明らかです。つまり公然と「シリウス」派であることは主張しないが、さりとて「反シリウス」の旗をかかげるのにも躊躇いがある、と言うスタンスです。)
息栖マップ


 こうした神社は全国に幾つかあります。例えば、矢吹の「五龍神社」です。私は「五龍」は「御霊」の転じたものであると考えていました。それが、図らずも最近裏付けられました。本ブログを読んでくださっている方から、「白河風土記」なる書物を教えて頂きました。教えてくださった方は、どうやら古代の血筋につながるお人で、いずれ、ご本人の承諾を頂けたなら、ご紹介したいと考えています。この方のご先祖さんを辿ると、どうやら、藤原不比等が東国を「征夷」と称して屈服させた後の藤原不比等の叛乱勢力への懐柔策が垣間見えてくるのです。このような方が本ブログを読んでくださってることに大変驚くと共に、いろいろと教えていただこうと思っております。

 さて、「白河風土記」は白河藩に仕える儒学者広瀬典が十九世紀始めまとめたものです。この人物は、徳川幕府・老中を勤めたことのある松平定信公に仕えていたのでしょうか。松平定信公といえば、「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」との狂歌を歌われたほどの清廉な大名です。広瀬典は、この神社周辺の様子も丁寧に書きとどめた上で、「御霊宮」なる神社の存在を書き留めているのです。後日この神社が「五龍神社」と呼ばれたのであろうと考えています。

(図2:中央やや下に五龍神社と拝殿に通ずる参道が見えます。その向きが息栖神社と同じです。中央をほぼ南北に走る県道55号から参道への入口にある集会所広場には、時々紙芝居が来たものです。この55号道を北西に上ると飯豊女王が座した鉾衝神社。その途中には、飯豊女王の娘である磐女を祀る神社があります。右端を蛇行するのは隈戸川で、夏休みはここで毎日泳いだものです。参道方位をしっかりと見ていただくには図を2回クリックしてください)。
御龍神社無題


 長沼地区は、かっては「王一族」の『屋敷』地区です。藤原不比等の東国征討では、ずいぶんと酷い惨劇があったと想像して居ます。その犠牲者の霊が祀られていると思っています。なんとかその経緯を探りたいと思っています。県道55号の反対側の田のあぜ道の区画方位は「シリウス」方位であることに着目しています。

 さて、話を戻します。まず、現在の息栖神社の位置について考えます。それは“ほぼ”香取神宮の真東、そして鹿島神宮の真南に位置するといってよいでしょう。その結果、当然の事ながら三社は直角三角を形成しているというわけです(前々回書いたように実際は直角から6度ずれている)。おまけに直角をなす二辺もほぼ同じと神社愛好家は言います(実際は9.3kmと8.8kmであり、若干異なっている)。こうした設計・施工をどう作るのか?中学の数学は以下を教えます:

 (目の高さ、eh)*{(地球の直径,Re*2)+(目の高さ,eh)}=(見える距離,D)^2

(図2:中学の数学で課題とされた証明問題です。A空の直線がBとCで円Oと交わります。一方Aから円Oに接線を引き接点をD とします。そのとき、AB*AC=AD*ADなる関係が成り立ちます。)
PA260006


 この式に地球の半径として6371.2kmを、人の目の高さとして1m50cmを代入して計算します。こうした計算では、無料科学計算ソフト”Scilab”の利用をお勧めします。ダウンロードは簡単です。以下はその格好の使用例です。まず、式に出現する変数に数値を与えます。その上で計算式を入力すると計算値がでてきます:
 -->Re=6371.2;
 -->eh=1.5e-3;
  -->D=sqrt(eh*(2*Re+eh))
 =4.4 km
 を得ます。海岸に立って海を眺めたときに見える水平面までの距離でもあります。遠くに浮かぶ汽船の煙突が水平線ギリギリに見えるとすれば、それは海岸からほぼ4kmのかなたと言うことになります。

 目の高さを那須岳の頂上の標高1.915kmとすれば、
-->Re=6371.2;
-->eh=1.915;
-->D=sqrt(eh*(2*Re+eh))
=156 km
 を得ます。那須岳−香取は147kmです。充分に直進する光が届く距離、すなわち、那須岳からは香取を遠望すると、その地は地平に隠れることはありません。但し、肉眼では難しかろうと思えます。その間に中継点として光の受け渡しをする場所が必要であったと思えます。それが、烏山、笠間、玉造といった”陣屋”であったのだろうと思っています。中継点での古代技術については後日いろいろと想像したいと思っています。

 さて、この算数的準備を終えたので、いよいよ、鹿島、香取から息栖を眺める作業です。
(つづく)

+++++日本の政治を闇から動かす(?)電通
 電通、たかが広告斡旋業者と高を括ってはいけない、と知るようになったのは2011年3月11日の原発事故の後でした。”原発の安全性と地球温暖化防止への効用”を有名芸能人、知識人、などを動員して国民を”洗脳”すべくTV広告を通じて大々的に流布する仕掛けは電通が作ったのです。その電通が、今般の五輪でも影でごそごそ暗躍しています。そうして稼いだ大金がタックスヘイブンなる仕掛けを使って隠匿されているらしいことも、つい最近パナマ・リークで暴露されています。
 広告会社が国の『意」を受けて、僭越にも「国民の世論」を誘導する。承服しがたいですな。

 以下“livedoor news”記事を転載します。
%%%%%業界への絶大な影響力を持つ「電通」はどんな会社なのか
http://c23.biz/F3u3 
2016年10月21日 8時0分
新入社員の過労自殺が発生したことで、電通に対する世間の関心が高まっています。電通の業界における影響力は圧倒的といわれますが、なぜ、同社にはこのような巨大な力があるのでしょうか。
圧倒的な取扱高を誇る広告業界のガリバー
 電通は広告代理店の最大手で、テレビや新聞などの広告において圧倒的な取扱高を誇る業界のガリバーです。米国の広告業界では、広告を受け入れるメディア側の代理人(メディア・レップと呼ばれる(注))と広告を出す広告主側の代理人(エージェンシー)が明確に分かれており、双方が交渉する形で広告の出稿が決まります。

 日本では、電通のような企業がエージェンシーとレップを兼ねており、メディアと広告主の仲立ちをするような、少々曖昧な業界ルールになっています。もっとも日本では電通のような企業のことを広告代理店(エージェンシー)と呼びますので、どちらかというと広告主の意向が強い業界慣行ということになるでしょう。
その成り立ちは戦時中の軍国主義に
 電通は非常に派手なイメージの企業ですが、実はその成り立ちは戦時中の軍国主義にあります。日中戦争や太平洋戦争が始まる前の日本は、米国顔負けの自由競争の国で、新しい新聞や雑誌が次々と立ち上がり、健全な競争を繰り広げていました。広告代理店の数も無数にあったといわれています。

 しかし、こうした状況をすべてひっくり返してしまったのが軍国主義の台頭と資本主義の否定です。電通の前身となる企業は、ニュース通信社の日本電報通信社という企業ですが、これは現在の通信社と広告代理店を併せたようなビジネスモデルでした。

 軍国主義・反資本主義の高まりを背景に、政府はマスコミに対し、公平な報道をしていないと厳しく糾弾。マスコミ業界の統制に乗り出します。最初のターゲットとなったのが通信社で、1936年には大手だった日本電報通信社と新聞聯合社(聯合)が強制的に合併させられ、国策通信社である同盟通信社が発足しました。これによって、日本の通信社は同盟だけとなり、政府の意向に沿った報道しかしなくなります。両社の広告部門については電通に一本化され、電通は同盟の傘下で国策広告代理店となりました。これが現在の電通の前身です。
 敗戦とともに同盟は解体となり、経済報道部門は時事通信社、一般報道部門は共同通信社、広告代理店業務は電通として再スタートを切りました。電通の大株主が時事通信と共同通信なのはそういった理由からです。

 当初、国策通信社の設立に対して電通は激しく反発したといわれますが、結果的に電通は、日本中の広告を一手に引き受ける事実上の独占企業となりました。終戦直後からすでに独占企業なわけですから、電通の影響力が強いのは当たり前です。
「鬼十則」という名の社訓
 ちなみに同社には鬼十則と呼ばれる社訓があり、モーレツ主義の象徴といわれています。これは戦後、同社の社長を長く務めた吉田秀雄氏が作ったものです。「広告屋」と呼ばれ、蔑まれていた広告業界の地位を向上させるにはどうすればよいかという思いから生まれたといわれています。コンプレックスをバネに努力するという気持ちはわからなくはありませんが、結果的にはモーレツ主義だけが残ってしまったようです。

(注)日本ではインターネット上の広告代理店のことをメディア・レップと称するケースがありますが、これは本来の意味(媒体の代理人)とは異なります。
%%%%%

10月21日鳥取中部地震(2)、安倍氏について(古川利明ブログから)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントは"ryuuzaki_i@yahoo.co.jp" へ)
(写真:左に見える小鹿のバンビのような姿はアオサギです。右には蓮の葉が見えます。私は勝手にこの小池を「蓮池」と呼んでいます。三年前の大雪でもどった池の水が今も保たれています。クリックすると拡大できます)
PA240005


 蓮池に アオサギ一羽 憩(いこ)いける 朝の冷気に 心地良げなり

 
 日本気象協会(http://c23.biz/hu3Q )によれば2016年10月21日の鳥取県中部地震(Mw6.2 )は、顕著な前震活動が先行したとのことで、住民も「なんだかこのところ地震が多いね」と語りっていたそうです。地震活動は二ヶ月も前の8月20日頃から活発になり本震発生までに約20個(m>2.0)ほど勘定されています。本震発生3日前の10月18日以降では9個と激増していおり、本震当日の直前にはM>4を超える地震が2個たて続けに起きています。

 地震専門家はこの活動が「前震活動」であるのか、「群発地震活動」であるのか見極めがつかないまま、活動を拱手して眺めていたのだろうと思います。

 2009年4月6日のイタリヤ中部ラキラ地震M6.2 が辿った経過を思い出させます(9月5日関連記事、http://c23.biz/SxRk )。図1に見るようにほぼ一ヶ月前に始まった小地震活動について、住民は言うまでも無く現地在住の地震研究者が「近日中の大きな地震」の発生を危惧していたと伝えられます。しかし、現地防災担当官とほとんどの地震専門家たちは「その活動は、一過性であり大地震の前兆ではない」と考え「安全宣言」を出しました。そのために住民は戸外への避難を止めて家にもどったところで、本震が発生。結局300名余の犠牲者と多数の住宅倒壊、インフラ損傷という大きな災害となってしまいました。この宣言を出した責任を問われ行政担当者を含む7名が「殺人罪」の罪で検察から訴追された事件は本ブログでも書きました(7月29日記事http://c23.biz/DGFU )。

(図1: ラキラ地震に先行する活発な前震活動 http://c23.biz/u25P
foreshocksItalian


 太陽系外惑星探査機ケプラを宇宙空間に打ち上げる、一秒の億分の一と言う極小時間内の物質反応実験で宇宙創成の謎にせまる等々、想像もつかない発想を検証実験するための技術開発を人間はしてきました。
 ところが、自らが立つ足元を見ると、地下掘削技術は高々15km、地球の半径6371.2kmのわずか0.2%強までしか届いていません。火山など偶々地下から吹き出してくるマグマから地球内部の物質を推定する等地表上のちっぽけな地点で得たサンプル情報から地下の物質の重なり具合を“外挿・推定”してきました。
 幸い、「地震波解析技術を使う」ことで、発生した地震の数だけデータが増えますから、それに比例して「地球内部」の知見は確かに急激に蓄積できました。しかし、これらは所詮は「静的地球」の解明であり、地震発生と言う「動学的現象」ではありません。そのためにはもっと多様な事例解明が求められている。それが地震学の現状です。

 今般の事態も、「群発地震」なのか「前震なのか」見極めがつかないまま本震が起きる迄は拱手するしかなかった。今更「あれは前震であった」と言っても、それは「後だしジャンケン」です。

 思えば、鳥取県での記憶に残る大震災は1943年のM7.2 地震です。この地震の3年後に南海地震M8.0が起きています。早くもそれを指摘し警鐘を鳴らす学者さんも出現しています。
(図2:日刊ゲンダイ10月23日付)
鳥取地震2134


 「南海トラフで巨大地震が近づくと、その数十年前から近畿から西日本にかけて地震が多くなることを過去の歴史が示しています。73年前の鳥取地震の前は、兵庫県北部でM6.8の北但馬地震(1925年)、京都府の丹後半島でM7.3の北丹後地震(1927年)など、大きい地震が立て続けに近畿地方を襲いました。そして1943年に鳥取地震が発生すると、その翌年にM7.9の東南海地震が起き、1946年にM8.0の南海地震が発生したのです。つまり、見方によっては、今回の鳥取県中部の地震を南海トラフ地震の予兆と捉えることもできます」と、西田良平氏は語ったとのことです( 日刊ゲンダイ、10月23日 http://c23.biz/efrR )

しかし、この学者さんにしたところで、鳥取域で起きる地震活動と南海地震との力学的因果関係を踏まえているわけではありません。高々、高所的発想である「プレート」理論に照らして関連付けたという程度のものです。それは、解明したことにはなりません。そこが、地震予知・地震予測ビジネスの悩ましいところです。

 前置きが長くなりました。下の表は前回記事の再掲です。
(表1:上はGlobal CMT Catalogue より。最下段の二行が断層面として可能性のある二つの面(節面と呼ばれる)です。下は Global CMT Catalogue解析から導かれる震央に働く3つの応力の方向成分とその大きさ、および非DC量)
20161021鳥取b


 上の表(下)の”eigen”とある行の3つの数値は、最左が圧力応力(−2.8911dyne・cm)、最右が張力応力(3.1250)、そして中央が震源に働く全ての応力が”0”であるという条件下から導かれる「中間主応力(と呼ばれる、−0.2379)」です。地震波をこの条件下で解析するならば、震源では鉛直方向(何故ならこのケースでは、二つの応力はほぼ水平面上にある)に微小な“圧力”が働いていたことを意味します。しかし、この解釈はあくまでも数値解析から生じた量で、その解釈には色々と検討するべき問題がある事は以前書きました。そもそも、今回のような地下浅い場所で発生する地震源周囲は静水圧状態に近いのか?と言った疑問もあります。

 それはさておき、地震時には“張力”が大きく働いたという解釈も可能です。表1(下)のeigen 列で最右の値の絶対値が最左のそれよりも大きいからです。それは図1右の“T”が張力軸の方向です。気象庁の記者発表は、フィリッピン海プレートの運動方向に働く力、つまり”P”方向の力がこの地震を起こした、と言います。つまり、今般の地震の主要な起動力は「フィリッピン海プレートの北西方向の運動」であるという一般的な解釈に随(したが)ったのでしょう。

(図3:(左)地震発生前一週間の震央分布、(右)表1の解析から得られる発震機構図)
20161021鳥取a


 上の図の右と左を見比べることから、この地震の断層面の幾何学的性状は表1(上)の最下段に示される二つの節面の内“面-a”であることがわかります。左横ずれ断層です。

  今般の地震については、ネットおよび週刊誌などですっかりおなじみになった「地震予想専門家」の発生予測は無かったようです。尤もこれも「後出しジャンケン」に近い形ではありますが京都大学の地震研究者が「GPS観測から同域の地殻歪を認識していた」と談話していました。更には、地震予測で名を馳せたお一人はまさにGPSを専門とする東大名誉教授でしたが、今般は「この先生の成功譚は聞こえませんでした。

 その理由として以下を想像して居ます。「歪」というのは地表の二点間の距離が変化することで認識されます。これは地殻の変形によって生じます。したがってこの地殻が周囲から大きな力を受けても、それに抗って地殻が必死に抵抗してしまうと、「歪」は生じないことになります。地殻が強い力を受けても変形せずに「硬化」してしまう”hardening”を起こす事があるのではなかろうかと私は思っています。「ダイラタンシ」と言う考え方です。この場合には”変形“は小さいけれども、つまり”歪”は小さいけれども大きな力を受けているという状態です。近くの東郷池下の地下水の浸入でこのハードニングが起きていた。そして過剰な水の更なる浸入で間隙圧が上昇し地震に至ったとの筋書きを考えました(詳細はいずれ機会を見て書きます)。

 上にも書きましたが、昨今は「中央構造線が何時活動しても不思議でない」との論調があちこちに行き渡っています。今般の鳥取地震を起こすくらいの大きな力が働いたのであれば、「より割れやすい筈の中央構造線」を何故その大きな力は割らないのか?何故、わざわざ割れにくい鳥取の名も知れぬ断層を割ったのか?疑問は尽きないのであります。

+++++古川利明氏(10月21日)が書く安倍首相周辺(10月21日付けブログより)
 http://toshiaki.exblog.jp/ 
下に紹介するブログの管理人、古川利明氏は、慶大仏文科出身の元毎日新聞記者です。どういう経緯があったのかは知りませんが新聞社を退職し、現在はフリーのジャーナリストとして健筆を振るっています。このブログでは、古川氏が意図的に「ぞんざいで品の無い」文体を取っているために、胡散臭く感じ、読む側には端から受け付けないという人も居るやも知れません。しかし、私は、古川氏がこのブログを通して我々に提供してくれる情報は全て真実と思っています。それは、記事の背後に氏の注意深く丁寧な取材を感ずるからです。

 今回紹介するのは石原元東京都知事と安倍首相に関する記事です。
 元東京都知事の石原慎太郎氏と鹿島建設の癒着振りは目を覆わしめるものがありながら既存の大手マスコミは一切報道してきませんでした。その癒着の行き着いた先に今般の豊洲の闇が沈潜しています。石原氏のご両親は生まれてきた長男にどんな思いから「慎」と言う字をつけたのでしょう。「名は体の真逆」です。およそ「慎」まし句ありませんな。芥川賞受賞の経歴からは、「繊細、感受性」を連想しますがこれも真逆ですな。

 もう一つは安倍首相に絡む問題です。
(図4:安倍氏は2007年に突然「腸の病」を理由に首相の座を降りた。しかし、その真の理由は巨額の脱税が明るみに出ることを嫌った故であると週刊現代2007年9月29日号が報じています )
安倍脱税

 
 古川氏のブログ記事で得心が行ったのは、何故安倍氏の独裁的且つ強権的自民党支配がありえるのか?との年来の疑問への回答が用意されているように思えるからです。それは

『ちなみに、この「ジャーナリストのT」ってのは、おそらく、同一人物だと思うんだが、『四国タイムズ』の14年9月号が「アベの隠し子の存在」をスッパ抜いた際も、その直後にヤクザ筋とおぼしき者に呼び出され、東京西郊のしもた屋に連れ込まれるなり、左目に一撃を食らって、こう脅されておったんだよな。「これ以上、迫るな。いいか、オマエの左目は当分見えなくなる。右目が見えなくなりたくなかったら、もう迫るのはやめろ。鹿島のことに触れるな。大勲位のことに触れるな。今の首相のことをつつくな! ココでオマエの脊髄にカテーテルを差し込んでいいんだが、今日のところはこれで終わりにする。自分をもっと大切にしなさい。ワタシを追いかけても無駄だ』
 の件(くだり)です。日本の大手マスコミを黙らせたのも「ネチネチとした執拗な報道介入」と併せて、こうした暴力的威嚇では無かろうかと。叔父に当たる佐藤栄作元首相と某暴力団との親密な関係はしばしば、噂になったものでした。祖父の岸信介も同様でったのだろうと推察したものです。安倍氏に「民主主義」を説くことは、全く意味が無いとは思いますが、そうではあっても、民主主義とかくもほど遠い人物が国のトップにあることに、国民は警戒心を高めるべきと思っています。

%%%%%ブログ記事転載はじめ
#で、石原のおぢいちゃんとニコイチとなって、豊洲新市場地下の「ガラガラがらんどう」はもとより、築地を貫通する環状2号線といった巨大公共工事を、「東京五輪開催」を大風呂敷にガンガンと推進しマクっておる鹿島だが、うっかり、この鹿島の膿を炙り出しちゃった日には、ヤクザ筋を使い倒した「御礼参り」が待っておるんだよなあ。
 ってのは、今は無き『四国タイムズ』(今年4月より『日本タイムズ』に名称変更)の13年8〜9月号で、羽田空港の沖合展開、すなわち、新D滑走路の埋め立て建設工事で、事前に国交ショウには届け出ておらんかった、ヨコハマは山下町の再開発事業で出たガラをこっそり混入させておったジケンの詳細を報じた後、この20年余の鹿島の悪行の極みについて喋ったのをCDに録画されておる、例の住吉会の「大竹次郎」ってのが、たぶん、記事を書いた人間だと思うんだが、「ジャーナリストのT」ってのを呼び出すなり、一緒におったヤクザ筋が、突然、Tの胸に一撃を食わせ、そのまま、東海道線のグリーン車に乗せて、伊豆高原の別荘に丸1日監禁したってんだな。んで、その際、「ありったけのカネを出せ。最低でも20萬円用意しろ。生きて家族の元に帰りたいだろ?」って恫喝されマクったってんだよな。
 ちなみに、この「ジャーナリストのT」ってのは、おそらく、同一人物だと思うんだが、『四国タイムズ』の14年9月号が「アベの隠し子の存在」をスッパ抜いた際も、その直後にヤクザ筋とおぼしき者に呼び出され、東京西郊のしもた屋に連れ込まれるなり、左目に一撃を食らって、こう脅されておったんだよな。「これ以上、迫るな。いいか、オマエの左目は当分見えなくなる。右目が見えなくなりたくなかったら、もう迫るのはやめろ。鹿島のことに触れるな。大勲位のことに触れるな。今の首相のことをつつくな! ココでオマエの脊髄にカテーテルを差し込んでいいんだが、今日のところはこれで終わりにする。自分をもっと大切にしなさい。ワタシを追いかけても無駄だ」
 なお、四国タイムズは、この「アベの隠し子」について、渋滞のメカニズムを研究する「東大大学院工学研究科の講師」だとして、アベは、ケーサツの外郭団体である「ニッポン防犯安全振興財団」を、この隠し子にプレゼントすべく、虎視眈々と狙っておると「字」にしておったんだよな。ただ、フリーのブンヤの松田賢弥は、週現での連載(後に、講談社から『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』の題で単行本化)で、「隠し子」でのうて、「腹違いの弟」、つまり、父親の晋太郎がかなり歳を取ってから生ませた倅だとしておって、今、永田町では、この2説が流布しとるんだよな。しかし、いずれにせよ、アベの隠し子(or腹違いの弟)と抱き合わせで、鹿島の恥部を抉り出そうとすると、こうやって、ヤクザ筋が徹底的に口封じに出てくるんで、ビビッてしもうて、どこも後追いをせんのだよな(笑)

 #ほうー、今日(=10・22)のam10:26upの日刊ゲンダイ電子版に、石原のおぢいちゃんが、逗子に半世紀近くにわたって保有しておった別荘を、ぬあんと、鹿島と、その創業者一族の鹿島昭一で6割近くも株を持つ「かたばみ興業」(東京都港区)とかいう子会社に売却しておったっていうハナシが出ておったな。広さ540坪で、土地と合わせて時価3億円は下らんっていう物件だってんだが、買収金額は明かしておらんものの、コレまでの超ズブズブの仲ってことで、鹿島もちゃんとそれ相当以上のオモテナシで遇したんだろうなあ。
 ま、おぢいちゃん的には、都チジ時代はタダで乗り回せる公用車があったんで、週末とか、ナンボでも来れたんだが、都心からだと、逗子は、チョット距離があるし、あと、アレだけデカイと維持管理も大変で、固定資産税だってバカにならんから、「手放しどき」を見計らっておったんだろうな。
 じつは、ワシ、アソコは散歩道で、おぢいちゃんの別荘んところから、披露山へと抜けるけもの道があって、眼下に逗子湾が見下ろせる絶景が楽しめるんだわな。塀の上には有棘鉄線が張り巡らしてあって、前を通ると、即、ライトが点灯して、異様にモノモノしかったのを覚えてる。たまたま、ある日、近所の人と雑談してたら、「あら、アナタ、あそこの持ち主、誰か知らないの?」と耳打ちしてくれて、「へえー」と思ったな。とにかく、おぢいちゃんのおかげで、披露山に登るけもの道の手前まで、道路が舗装されたってことだった。しかし、鹿島も、石原のおぢいちゃんの背中の痒いところまで手を回しておるっていうんか、ホンマ、大事に、深い愛情を込めて、よう世話を焼いとるよなあ(笑)

 #で、今朝(=10・22)の東京、神奈川etcの地方紙に配信された共同電で、コイズミが顔出しで単独インタビューに応じておってだな、「原発即時ゼロ」で吼える吼えるってカンジで、スンゴかったな。東京シンブンが詳細な一問一答を載せておったんだが、以下の通り。
 ━今、現職首相なら、原発ゼロで信を問うか。
 「当たり前だ。野党は真っ青になる。首相が言えば反対できない」
 ━郵政民営化と比べて、どうか。
 「簡単だ。郵政はもっと厳しかった。自民党も反対、全政党も反対だった。非常識と言われながら、よく勝った。野党は原発ゼロに反対してない。自民党は民意を無視している。民意を無視する政党が政権を維持できるわけがない」
 ━9日の故加藤紘一元官房長官の葬儀時、安倍首相と会話した。
 「車を待っている間、『何で原発ゼロにしないのか』と言った。首相は苦笑して頭を下げながら、何も言わなかった。聞いていただけだった」
 ━首相は原発ゼロに踏み切れないか。
 「ここまで(再稼動に)踏み込み、輸出までしている。変えたら、遂に『ブレた』と批判される」
 ━もんじゅの評価は。
 「30年間で税金を1兆円も費やした。夢の原子炉が幻の原子炉だ。(核燃サイクル政策)全てが駄目だ。必要ない」
 ━使用済み燃料の再処理を認めた日米原子力協定のため、原発稼動をやめれないとの声もある。
 「うそだ。米国は日本が方針を決めたら、いやと言えない。(18年が期限の協定を)更新する必要はない」
 この最後んとこの「(3年後に30年間の契約期限が切れる)日米原子力協定は、更新する必要はない」と、コイズミが断言した点に、「んー、ココまで言ったかあ」だな。しかし、「原発即時ゼロ」なんだから、協定を更新せんで、亜米利加から発電用の低濃縮ウランの供給がストップしたところで、ニッポンは何も困ることはねえんだよなあ(笑)
%%%%%古川ブログ転載おわり

要石(2)、2016年10月21日14時鳥取地震速報

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝焼けの空カラスがカーと飛んでました。クリックすると写真が拡大できます)
PA21朝焼け


 朝もやを うっすら赤く 色づけて ただいま まさに 朝日がのぼる

 本日午後2時過ぎ、鳥取県中部で大きな地震がありました。防災科学技術研究所によれば、その第一報は:
14時 7分22秒 M=6.2 緯度=35.39 経度=133.85 深さ=9.5 断層面幾何:260、3、76、46、137、19

 この情報は程なく以下のように訂正されました。
14時7分28秒 M=5.5 緯度=35.05 経度=132.83深さ=34.3断層面幾何:38、138、74、59、147、19
 速報の値がずいぶんと変更されています。又Global CMT Catalogueが公表する数値とも異なっています。
(図1:今般の鳥取地震と最近一ヶ月の地震活動、http://c23.biz/2cpA
鳥取一ヶ月KINKI_MAP


Global CMT Catalogueに拠れば(http://c23.biz/s7Xp )、この地震は以下のように解析されています。
201610210507B WESTERN HONSHU, JAPAN
Date: 2016/10/21 Centroid Time: 5: 7:27.1 GMT
Lat= 35.40 Lon= 133.75
Depth= 15.1 Half duration= 3.3
Centroid time minus hypocenter time: 3.5
Moment Tensor: Expo=25 -0.224 2.040 -1.820 0.335 -0.681 -2.180
Mw = 6.3 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 3.01e+25
Fault plane: strike=69 dip=75 slip=-180
Fault plane: strike=339 dip=90 slip=-15
この結果から、以下が判明しました。
exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cmt2fdr.sci', -1)
Tensor(rr,tt,ff,rt,rf,tf)=>[-0.224 2.040 -1.820 0.335 -0.681 -2.180]
vctr1= 0.3872 0.9038 0.1821
vctr2= -0.2333 -0.0951 0.9677
vctr3= -0.8920 0.4172 -0.1741
eigen= -2.8911 -0.2379 3.1250
NonDC= -0.0791 (鉛直方向に僅かながらの圧力、物理的に有意であるか否かは不明)
(図:2016年10月21日14時の鳥取中部地震の発震機構解)
161021Tottori

 この地震についての詳細が判明次第、次回に紹介します。

%%%%%要石(2)
 「玉造」とは「石(磐)」の加工作業であるらしいことが、那須岳―香取のシリウス線上の陣屋群から推定できます。それによって出来る石造物とは何か?一つ思い当たるのが「要石」です。これは鹿島神宮境内と香取神宮境内脇に鎮座している磐(石)です。そのほとんどが地中に埋設されているようで、その全貌を見た人はいないということになっています。日本列島の森羅万象に多大な興味を示した水戸光圀公がこの磐の実態を調べんと、七日七晩、岩(磐)の周囲を部下に掘らせたんですな。しかし、夜の作業を終えて翌朝作業を再開しようとすると掘り返したはずの土が元にもどっていたんだそうです。結局この磐の根元を見る子ことが出来なかったなどの言い伝えがあります。
図1:要石とその由緒 http://c23.biz/LEeu 
要石無題

 
 神の御座(磐座、いわくら)と言う説もあるようです。神がこの石にお座りになって世界を見守っていたというわけです。そうであれば、こうした切り出した石材を円い石に加工することは神聖な作業と言うことになります。それに携わったのが「石神」というわけです。

 伝説の類として最も知られているのが上の図1です。鹿島、香取の地下には地震の元凶たる鯰が潜んでおり、“そ奴”が地下で暴れると地震になるので、暴れないようにと上から押さえつけているというわけです。確かに、この要石のおかげで、このあたりは関東域では地震が少ないといえるやも知れません。

 三十数年前、某大学の先生(故人)、某省若手官僚の三人で地震国ギリシャで、旅回り役者よろしく、四つの都市を巡回したことがあります。この時に通訳兼ガイドを務めてくれたのがポピーさんと言う60代の日本人女性でした。船員をしているギリシャ人の夫とは米国で知りあったと言います。ポピさんに付き添われて車でコリントス湾北岸をデルフィまで走りました。ここのアポロン神殿には「地球のへそ」といわれる大理石の丸みを帯びた石が鎮座しています。ペロポネス戦争、トロイヤ戦争などで時の為政者が幾度も神の託宣を求めて訪れた地です。「美男子のパリスが三人の美女の内の誰にリンゴを渡すべきか」の決断を迫られ「アフロディーテ」を選んだ。それは自分の考えか?それとも神のご託宣を仰いだのか?ポピさんの説明は「オイデプス」が関わっていました。「ギリシャンの男は、自分で物事は決められない。母が決める」、つまり「マザコン」ですな。と言う具合にポピさんは豊富な知識を面白おかしく語ります。

 この「ヘソ」なる大理石については、「地震を鎮める」とのご利益があるともポピさんは語ります。実際、コリントス湾は地震活動が活発です。1981年2月24日M6.7の地震は、コリントス湾で起きています。アテネ・アクロポリスの神殿の破風を損傷するなど多大の震害がありました。多くのアテネ市民が更なる地震を惧れ数晩にわたって野宿したと聞きます。この地震災害がギリシャ地震予知VANの世界へのデビューともなりました。VANはSESと呼ばれる地電流変動からこの地震を予知し、ギリシャ国の地震防災担当局に事前に通報していたというわけです(2011年5月27日記事「VANの話」http://c23.biz/b5rL クリックすると記事に飛ぶことができます )。

 聡明な女性、アリアドネの機転でミノス王の迷宮から逃れることが出来たテーセウス神話の舞台であるイラクリオンもずいぶんと津波に洗われたと、ポピさんは語ります。地球物理学者の竹内均博士の「サントリーニ島の大噴火が大津波を引き起こし、その引き波がスエズ湾を短時間陸続きにした(いわゆる「海が割れた」との旧約聖書の説話)」なる説をポピさんに話すと喜んでいました。

 このアポロン神殿に鎮座する石は地下の地震の巣を押さえつけるためであると古代人は考えたとしたら、鹿島・香取下のナマズを押さえつけるのと同じ発想です。
 日本列島為政者が鹿島・香取に鎮座する要石を通じて治世・戦争に関する託宣を求めたでしょうか?二つの巨石が異なるご託宣をしたのでは、それを願った側は戸惑うばかりです。どうもそれは違っているようです。

 脱線ついでにもうひとつ雑談です。旅回りを終え、アテネにもどったところで、とある方から夕食に招待されました。そこで、我々三名は夕刻6時にホテルのフロントで待ち合わせ、揃って出かけることとしました。当日はホテル前の大通りを核実験反対の大規模なデモ隊列が行進していました。さて、6時に私と大学の先生はフロントで、その若手官僚氏を待ちました。待てども暮らせども彼はフロントに降りてきません。一時間がたちました。部屋に電話をすれども応答がありません。デモを見に行ったのかと思い、更に30分待ちました。しかし、現れません。そこで、フロントの方に頼んで、彼の部屋を開けて貰ったんですな。なんと、彼は居たんです。しかし、在室ではなく窓の向こうのベランダに居て、こちらを哀しげにじっと見ていたんですね。当時のホテルでは、ベランダへ通ずる窓は閉めると自動的にロックされてしまうんです。と言うわけで、彼は二時間以上、なすすべなく部屋から閉め出されていたと言うわけでした。こういう愛嬌有る官僚も昔は居たんですね。今やとある自治体の首長を長く勤めています。

 又も脱線してしまいました。要石からつまらぬ記憶がよみがえったというわけです。

 いずれにしても、こうした作業あるいは完成石造物についての記載が記紀に見当たりません。唯一あるのが須弥山石です。これについては私は肥前の国大和の「巨石パーク」がそれであると考えていますが(2013年2月22日記事 http://c23.biz/VnHp クリックすると記事に飛ぶことができます)、通説は奈良盆地内のちっぽけな石像です。また史書には残されていないけれども土佐の唐人駄馬遺跡のような巨石建造物を計画したが、戦乱が差し迫ってきた状況でそれが放擲されたなどなど考えれば限がありません。
(図2 高知県足摺岬近くの唐人駄馬巨石遺跡、2013年9月18日、http://c23.biz/6uvb クリックすると記事に飛ぶことができます)

 ところで、鹿島と香取の要石の位置関係を算出してみます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[35.9687115 140.636251] 鹿島
sta(lat,lon)=[35.884972 140.527726] 香取
Dlt,Azm,Bzm= 0.12 226.41 46.35 13.5 –km
 何の変哲も無い数字です。ところで、この地域では東国三社と言う呼称があります。上記の二つの神宮に加えて「息栖神社」が仲間入りします。
(図3:東国三社)
東国三社



東国三社(とうごくさんしゃ)は、関東地方にある鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の総称で、ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキより転載
葦原中国平定の派遣神

主神 副神
古事記 建御雷神 天鳥船神
日本書紀 経津主神 武甕槌神
三社はいずれも関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社である。古代、この付近には「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっていた。これら三社の鎮座位置はその入り口にあたり、うち鹿島社・香取社は大和朝廷の東国開拓の拠点として機能したと推測される(息栖社も拠点とする見方はあるが不詳[1])。
また、三社はいずれも『古事記』『日本書紀』における葦原中国平定に関する神(右表参照)を祀っている。うち息栖社主祭神・岐神は、記紀に記載はないが東国に導いたと伝えられる神であり、同社では天鳥船神を配祀する。
江戸時代には「下三宮参り」と称して、関東以北の人々が伊勢神宮参拝後にこれら三社を巡拝する慣習が存在したという。三社の鎮座位置は、直角二等辺三角形を描くことが知られている(息栖神社が直角の頂点)[3]。位置関係は次の通り。
%%%%%
 さらにウイキは息栖神社について下記を書いています。
%%%%%息栖神社(ウイキより抜粋)
 社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという[3]。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える[3]。
当社の名称について『日本三代実録』では「於岐都説神」と記される。また元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるように、当社は「おきす」と呼ばれていた[4]。この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられている[5]。祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であることが示唆され[5]、鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であったという見方もある[5]。
%%%%

 諸々の考察をする前に、上記ウイキ記事をまずは検証することにします。まずは息栖神社と他の二つの神宮との位置関係です:
epi(lat,lon)=[35.9687115 140.636251] (鹿島)
sta(lat,lon)=[35.8857886 140.625117] (息栖)
Dlt,Azm,Bzm= 0.08 186.21(方位) 6.20 9.3 –km(距離)
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[35.884972 140.527726] (香取)
sta(lat,lon)=[35.8857886 140.625117] (息栖)
Dlt,Azm,Bzm= 0.08 89.38(方位) 269.44 8.8 -km(距離)

 上記の計算から、角度(鹿島−息栖−香取)=96.87度となります。等しかるべき辺の長さも500mほど異なります。最も古代の設計であればこれぐらいの差異が生じるのかもしれません。が、須賀川市の長沼地区で見た二等辺三角形の設計と施工に比べると見劣りがします。

 そこで、上記「第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという」と言う記載を検討してみます。ざっと当たってみると、ここでも二等辺三角形らしきものが見えてきます。そこで鹿島−香取を辺長とする正三角形の頂点の位置を計算してみます。
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\perpendicular.sce', -1)
lat,long=[35.9687115 140.636251]
alph,dlt(km)=[226.41 13.5]
結果は以下です。
lat,long= 35.8507 140.6715
そこで、その位置を地図上で確かめます:
(図4:赤印は日川地区。計算で得られた場所は青印で中州状の場所となる)
日川ー息栖無題


 興味深いことは、利根川河口域の中洲に位置したことになります。つまり、現在であれば、千葉県側にも茨城県側にも属さない場所に この神社(当時は陣屋または館)が設営されていたということです。上記の直角二等辺三角形よりは説得力がありそうです。太古の昔、ここに中州が存在したのでしょうか?

(図5: 太古の利根川河口図。この図には中洲は描かれていない)
古代利根川河口


 次回、この東国三社をもう少し考察します。
(つづく)

磐瀬から利根川へ、米国ユダヤ人協会の安倍氏表敬

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:向こうの台地の背後から太陽が顔をのぞかせました。そしてあっという間に全容が空へ。日の出の勢いとはこういうものかと思った次第)
PA15朝日


 枯れ草の 向こうの台地に 秋の日の 顔を出す位置 大いに移動せり 
 

 去る日曜日に投・開票された新潟県知事選挙で、原子力発電所がある市。村での住民の投票行動が以下です。興味深くこの得票数を眺めました。柏崎、刈羽住民が原発稼動を心から望んでいることを意味しているのではなかろう、と思っています。ややこしい地元政治家とのしがらみの中での苦悩する選択であったろうと想像しています。
2016年新潟県知事選挙 【NHK新潟】
当選:米山 隆一 
【全 県】 52万8,455票 得票率 52.2%   
【柏崎市】  1万9,481票 得票率 45.2%
【刈羽村】  1,040票 得票率 38.1%
落選:森 民夫
  【全 県】 46万5,044票 得票率 45.9%   
【柏崎市】  2万3,078票 得票率 53.5%
【刈羽村】 1,668票 得票率 61.1%


+++++玉造と要石
 五世紀半ばから、およそ60年弱を要して設計・建設されたシリウス聖ライン:
 八溝山から久慈川を伝って静の地(現在の常陸の国・二ノ宮である静神社)に拠点たる陣屋を設営し、さらに久慈川、太平洋、那珂川を経て水戸の吉田神社(常陸の国・三の宮)に次なる拠点を築いたシリウス星信仰の渡来族は更に南進します。ちなみに、この吉田神社に隣接して、「倭武尊が東を向いて御来光を仰いだという碑が建立されています。私の本ブログの筋書きでは、古くから住民に口伝された真実ではなかろうかと思っています。そして太平洋沿いに海路で鹿島に達し、現在の鹿島神宮に一大政治拠点を設営し、その陣屋で以後を展望し、そのための戦略を練ったのでしょう。

 このラインは高・サカ一族のひたすらの南進拠点構築にあったと考えます。ゾロアスタ教のご加護を確保するために、その拠点はシリウス星方位線でなければならないという宗教的縛りがあったのです。これから、鹿島を経て遠く九州の地まで、その威勢を広げる足がかりの構築です。こうして構築された政治・軍事拠点から渡来族は、同盟するアイヌ族と共に、次々と日本列島の太平洋岸沿いを西に進みやがて九州の地を踏みます。そこで詠んだのが万葉集一歌です。漢字に疎かったはずのこの集団がどのようにして文字を習得していったのか、一歌の微笑ましくも必死な心意気が見えるような気がします。そこで彼らは、邪馬台国(邪馬国連邦)の存在と、自らがその連邦の跡地に立っていることを実感したのです。そして、万葉集の二歌では、その跡地の住み心地の良さと、風景への感嘆を謳いあげます。これが一体何時頃の事なのでしょうか。六世紀半ば過ぎであることは間違いありません。

 九州の地への途上、彼らは奈良盆地に盤踞(ばんきょ)する「日本列島で一般的であった言語ではない異なる言語を話す」一団を認識したはずです。この一団こそ、魏志倭人伝でも触れられている「漢語」をあやつる部族であった。七世紀初頭、隋からの列島視察団からは「同属か」と認識されていたのです。この事情を隋書が書きます:
%%%%%隋書倭(俀)国伝
原文:
 明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。

文意:http://c23.biz/c3Vz より転載
 翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
%%%%%
 西暦600年に倭国から最初の使節が隋に派遣されました。7年後に二回目の使節が派遣されました。かくして隋は日本列島にしかるべく興味を抱き、列島に視察団を派遣します。その際の視察団の見聞が上の記事です。
%%%%%
「東至秦王國。其人同於華夏」
 誠に衝撃の見聞であると私は思っています。この「存在」が百年もたたずして強大になり、やがて日本列島の強権支配者となるのです。その象徴的存在が藤原一族、とりわけ藤原不比等です。

 この文書は「(俀)」(たい)国伝と標記されています。先年なくなられた古田武彦氏はこれについても「多言」あるところですが、本ブログではそれは「倭」の意であるとしておきます(実は私なりの考察もあるのですが、長くなります)。
 
 
 「渡来族・アイヌ」連合一族は、九州と利根川以北にあってこの奈良盆地集団が、大陸での隋帝国勃興に呼応してなにやらきな臭い動きを始めたことを察知したのです。そこで、予期される軍事攻勢への陣屋・防護柵の設営などを開始したと思われます。その最大の防御線と見なされたのが流浪(流の海・現在の利根川)であったのです。そこで、急遽、この利根川の南沿にもう一つの政治拠点を設けるべく設計されたのです。当然、ゾロアスタ教の導きに随いその設営手順はシリウス線であらねばなりません。しかし、今回の設営は八溝―鹿島とは異なり、軍事的に重要な役割を担っています。その一つの要素は「石材」の運搬であったのです。
(図:太古の昔の霞ヶ浦周辺、http://c23.biz/dgTj より)
太古霞ヶ浦


 新たに設計・構築される聖線の基点を何処にするのか?終点は利根川の対岸で無ければなりません。選ばれたのが那須岳です。そこから那珂川沿いに烏山です。ここで、石材運搬に使われる舟の建造などの木材が調達されたのでしょう。この地は、過去に「毛」長媛と言う美人を輩出した地です。新たな政治拠点を構築するに当たっては人力の供給もあったのでしょう。
 その地で、伐採去れた木で建造された舟は那珂川・逆川の水路を使って笠間に送られます。そこでは、既に稲田石という良質花崗岩の採掘が進んでいました。笠間のやや西に「岩瀬町」があります。私の大好きな女優さんである倍賞千恵子さんが戦争直後の数年を過ごした地です。東京新聞連載記事に拠れば、中学生ながらその美貌は近隣に知れ渡っていたとのことです。余計な脱線を書きました。その地には、大政治拠点たる「磐瀬国」の石(磐)採掘専門家集団が集結していたのでしょう。

 笠間の「石井神社」には、石採掘の指揮者が後世に祀られたのではなかろうかと考えています。
%%%%%石井神社の由緒
http://c23.biz/mvJ4 
祭  神:建葉槌命
説  明:茨城県神社庁発行の、「茨城県神社誌」を引用します。「創立年月日不詳。
     大同二年再建(社伝)。上古建葉槌命、鹿島香取二神の命をうけ、天の甕星亦の名
     香々背男を討給ひしに、大甕(久慈郡)の山に香々背男命、大石に化し、周四丈、
     高さ五丈、日夜に長じ、高天原日若宮を毀損するおそれあり。天神相議し鹿島・香
     取二神をして図らしめた。命をうけた建葉槌命、その石を蹴ったところ三段にとび、
     その一つは笠間に落ちた。石井の起因。香々背男の祟りをおそれ建葉槌命を奉祀し
       たといふ。」
  住  所:茨城県笠間市石井1074
%%%%%
 この神社にまつわる昔話が幾つか遺されています。例えば「笠間市の昔話」(筑林書房、1981)が上記の筋書きを紹介しています。この神社は「石」(磐)をめぐる戦争に直接関わっていた。そしてそれが地元住民に語り伝えられていたのです。しかも、その戦争の当事者として、本ブログのいわば主人公たる“天の甕星亦の名香々背男“が登場しているのです。つまり「天の甕星」すなわちシリウス星信仰一族が、民間に伝承されているのです。

 次の段階は採掘された石(磐)の加工です。笠間から涸沼川(多分一部は運河であった。それは「笠」と言う地名から想像できる)を経て、まずは涸沼に水路を経て届けます。さて、ここから目的地である香取にこの石材あるいは途中で加工した石造物をどう運搬するのか?涸沼から一旦太平洋に出て、利根川河口まで行き、そこから川を遡って香取と言う経路は一つの選択です。その経路は当然検討されたと思います。しかし、重量の有る石(磐)を荒波の中運搬することの不確定さに思い至り、まずは霞ヶ浦沿岸のしかるべき地点を選定することになったのです。選定作業は「一意的」(unique solution)でした。何故なら、シリウス方位と言う「神的」束縛があるからです。つまり、現在の玉造以外の地点はありえなかったのです。どうやらそこに石工(メーソン)が集められたのでしょう。その統括者が、後世に土地の鎮守様として崇められ、死後、立派な墓所が造営されたのです。それが現在の「石神館」であった。また統括者の屋敷跡は「石井戸稲荷神社」となったのです。

 こうして出来上がった軍事的目的で作成された石造物は霞ヶ浦を南下して香取に据えつけられたはずです。八溝山系列完成後およそ150年後、西暦592年頃にこの事業は始まりました。すなわち、上に書いたように隋建国直後と言うことになります。そのラインの完成はシリウス年代法によれば西暦680年頃と見られます。がそこには軍事的意図が込められていたと思えます。つまり要塞としての石材の運搬、そして、宗教的結束を図るための何がしかの建築物構築です。更には、戦闘用資材も当然含まれていたはずですが、この当時の主要な武器が何であったのか?矢、馬、は考え付きますが、知識の不足を痛感しております。いずれにしてもそれはかなり壮大な構築物ではなかったろうかと考えています。
 一体、それは何であったのか?全く想像がつきません。一つ思い当たるのが要石です。次回、それを考えます。
(つづく)

+++++ユダヤ人協会理事長による安倍総理大臣表敬
 本日の朝刊「首相の一日」欄で興味深い記載を見つけました。三段目に注目してください:
(写真:10月19日付東京新聞、より)
PA19ユダヤ1


 これについて外務省HPは以下を書きます:
%%%%%外務省HPより
http://c23.biz/eUEK
ハリス米国ユダヤ人協会理事長による安倍総理大臣表敬
平成28年10月18日

 本18日午後5時35分頃から約30分間,安倍晋三内閣総理大臣は,訪日中のデビッド・ハリス米国ユダヤ人協会理事長(Mr. David Harris, Chief Executive Officer, American Jewish Committee (AJC))の表敬を受けたところ,概要は以下のとおりです(先方同席者:シーラ・ローエンバーグAJCアジア太平洋研究所所長ほか,日本側同席者:長谷川榮一内閣総理大臣補佐官,兼原信克内閣官房副長官補,佐藤英夫外務省参与,森健良外務省北米局長ほか)。
1 冒頭,安倍総理大臣から,3年続けての訪日を歓迎するとともに,日本とAJCとの協力関係が順調に発展してきていることをうれしく思う,この協力関係の深化は日米同盟の絆を更に強める上で重要である,今後とも関係を継続し,更に強化していきたい旨述べました。
2 これに対し,ハリス理事長から,これまでの日本政府によるAJCへの協力に心から感謝する,テロ対策や中東和平への貢献を含め,日本は米国のパートナーとして国際社会において非常に重要な役割を果たしている,AJCとしても,太平洋をまたぐ日米の同盟関係を重視しており,この同盟は日米双方の外交政策の基軸であると確信している旨述べました。また,同理事長から,日本政府がTPPの早期発効に向けた手続を進めていることは,米国内のTPPに関する議論を後押しするものであり,歓迎する旨の発言がありました。
3 さらに,中東情勢を含む地域情勢についても話が及び,ハリス理事長から,地域と世界の平和と繁栄に対する日本の貢献を評価する,AJCとしても協力を続けていきたい旨の発言がありました。
4 両者は,日本とAJCの協力関係を更に深化させるため,今後とも努力を続けていくことで一致しました。
(参考)米国ユダヤ人協会
 1906年に創設。米国内外に支部を有し,世界のユダヤ人とイスラエルの福祉を向上させ,米国と世界における人権と民主的価値を推進することを使命として活動している。
________________________________________
関連リンク
薗浦外務副大臣とデビッド・ハリス米国ユダヤ人協会理事長との意見交換(平成28年10月17日)
スタンレー・バーグマン米国ユダヤ人協会会長による安倍総理大臣表敬(平成27年10月15日)
スタンレー・バーグマン米国ユダヤ人協会会長による安倍内閣総理大臣表敬(平成26年10月21日)
%%%%%
 この記事から直ちに連想するのは下記の記事です:
「☆安倍首相の2億ドル支援が理由=日本人殺害警告でイスラム国 http://c23.biz/3r3h
【エルサレム時事】過激組織「イスラム国」は日本人2人の殺害警告の理由として、安倍晋三首相が先にカイロで行った演説で、イスラム国対策として約2億ドルの支援を表明したことを挙げた。」

 まさにイスラム国に拉致された後藤、湯川の両氏が拉致されていた時期なのです。上記協会は既に情報を掴んでおり、イスラエル側に都合のよいような対応を日本政府がとるよう「工作」していたのではなかろうかと疑っています。

原発再稼動是非を争った新潟県知事選挙

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当地には大変珍しいことですが、先週の晴れた終末、15羽近い白鷺が刈り入れを終えた田の土を突いていました。嬉しくなりました。右方には子鷺が母の後を随いて回ってます)。 親ともなると、子を案じます。私は、レンズを向けているだけで他意も悪意も無いのですが、お母(かっ)さん白鷺が時折、当方を睨むように警戒の目を向けていました。
PA140010


 秋の田に 白鷺の群れ たわむれる 子連れの親が 我をにらめり

 “今朝は はや雨 誰も居ない外 ・・・・ ”、朝の散歩が出来なくなり、「越路吹雪の歌の“替え歌”を口ずさみながらボンヤリとしております。そこに嬉しいニュースが飛び込んできました。昨日投票された新潟県知事選挙で野党推薦候補が接戦をものにしました(http://c23.biz/J9Me )。
新潟県知事選挙の結果です。
▽米山隆一(無所属・新)当選、52万8455票
▽森民夫(無所属・新)、46万5044票
▽後藤浩昌(無所属・新)、1万1086票
▽三村誉一(無所属・新)、8704票
この得票を見て興味深く思ったことは朝日新聞の投票所出口調査です。
新潟出口調査1832


 当選した米山候補については得票率と出口調査には3%前後の差があります。が、次点の森候補の得票率はほぼ、出口調査の結果と一致しています。出口調査と言うものの精度の高さに驚いています。この出口調査については、それが時に候補者の当落に影響するということを、以前本ブログで書きました(2013年2月 6日記事http://c23.biz/zmMV )。投票最中に、特定候補の得票が伸びていないとの情報がその陣営にもたらされると、その陣営は急遽票の掘り起こしに走ることが出来るからです。実際、1998年の京都市長選でそれをやったのです。不正な選挙操作というわけです。味方陣営の劣勢を知った当時の自民党官房長が、直ちに友党の公明党に投票動員を依頼し、それが功を奏し自民党推薦候補が辛勝したのです。その「選挙犯罪」をその自民党幹部は得々と大ピらに週刊誌で語っていました。勿論、官房長に情報を提供したのは大手報道機関です(公にはその機関については語られていませんが)。

 当然、今回もNHKなり朝日新聞なりあるいは幾つかの報道機関が出口調査を行った。そして調査の目的は、開票作業後に出来るだけ精度良く、すばやく当選者を予測する事ではありません。そうではなく、その調査によって得をするする陣営に、結果を提供するためなのです。それが1998年の京都市長選で明らかになっています。
というわけで、今般の知事選でも、どこぞの報道機関から政府与党にその調査結果は伝えられていたと想像しています。森民夫氏を担いでいた自公は自陣営の劣勢を開票前には知っていたはずです。緊急投票動員をやったにも関わらず、森氏を当選ライイに押し上げられなかったのでしょうか?それとも京都市長選と異なり、投票当日の緊急動員では到底追いつけないほどの差であると諦めたのでしょうか?

 何はともあれ、米山候補の当選を心から祝福したいと思います。しかし、これからが大変です。それを予測させる記事が日刊ゲンダイ紙10月15日付に掲載されていたので、新しい記事ではありませんが、以下に貼り付けておきます:
新潟選挙前1795


 前知事の泉田裕彦氏が経験された脅迫まがいの政府・東電からの原発稼動圧力、福島原発の安全性に疑義をさしはさんだがために、検察特捜部から「謀略まがいの収賄容疑」で立件され、知事の座から追い落とされた佐藤栄佐久元福島県知事のご辛苦を、思うにつけ、米山候補の前に立ちはだかっているのは多大の障壁と困難であろうと思っています。しっかりと乗り越えていただきたいと思っています。

 ところで、泉田前新潟県知事をして原子力発電所の安全性にそもそもの疑惑を抱かしめたのは、2007年7月16日の新潟県中越沖を震源とするM6.9地震の発生です。発生後の16日10時25分頃、東京電力柏崎刈羽原子力発電所3号機変圧器から火災が発生したのです。
この発電所は、1号機から7号機までの7基の原子炉を有し、合計出力821万2千キロワットで、7号機の営業運転開始1997年7月2日時点で、それまで最大だったカナダのブルース原子力発電所の出力を抜き、世界最大の原子力発電所となっていました(ウイキより)。
「本当に原発は安全なのか」との疑惑が確信となったのが、2011年3月11日の福島第一原子力発電所での深刻な大事故です。爾来、泉田氏は、福島事故の総合的、科学的検証なくして原発再稼動はありえないという立場をゆるぎなく堅持されてきた方です。原発を所掌する経産省・官僚出身の知事さんがここまでやることに驚きを覚えつつ、敬意を払ってきました。泉田前知事の業績をしっかりと米山新知事さんが引き継いでくださると信頼しています。

 この新潟県中越沖地震に先立って、新潟県で有る実験が行われていたことが後日明らかになっています。
%%%%%過去記事一部再掲(2016年7月11日記事)
http://c23.biz/bbLR 
 この地震が世界最大規模の電力生成(821万kw)で知られる柏崎刈羽(かりわ)原子力発電所(七基の原子炉)に多大な損害を与えたことはよく知られています。
 下の記事でも書かれていますが、この地震の前に地表の二酸化炭素を地下に封じ込める実験がなされていたところから、これが上記地震を誘発したのではなかろうかとの疑念が地震研究者の間でささやかれていたとのことです。
%%%%%過去記事転載終わり

 地下に、水を押し込めると地震が起きることがある。この現象を島村英紀氏(元北大教授)が新潟日報紙で解説していますので、転載しておきます:
%%%%%人間が起こす地震(島村英紀/新潟日報)
尚、元記事が見つからないので、それを引用したインターネット記事のアドレスを下に付します:
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/654.html
現論 人間が起こす地震
島村 英紀 武蔵野学院大特任教授
新潟日報[29面 オピニオン] 2016年10月8日 ※
 地下開発に伴うリスク
 地震学の教科書には、「米国では西岸のカリフォルニア州と北部のアラスカ州だけに地震が起きる」と書いてある。しかし情勢は変わった。2014年には米国南部にあるオクラホマ州で地震が以前よりも50倍にも増えて、全米一になったのだ。
 同州では、この9月3日にマグニチュード(M)5・8の強い地震が起きた。近くに都会があれば、大きな被害を生みかねない規模だ。かつて11年11月に起きた地震でも負傷者が出たり、家屋が倒壊したりするなどの被害が出ていた。オクラホマ州では08年までの30年間に起きた地震は、ごく小さなM3まで数えても2回しかなかった。つまり日本とは違って、そもそもは先天的な無地震地帯だった。
最近起きている地震は、間違いなく「人間が誘発してしまった地震」である。人間が地球内部に対して何かをすれば地震を起こすことが知られるようになってきた。最初は1962年のことだった。米国のコロラド州の軍需工場で放射性廃液の始末に困って、約4キロもの深い井戸を掘って捨てた。ところが、それまで地震がまったくなかった所に地震が起き始めた。多くは小さな地震だったが、なかにはM5を超える結構な大きさの地震まで起きた。生まれてから一度も地震を感じたこともない地元では大きな騒ぎになった。
 このほか、世界各地でダムが地震を起こしている。大きな被害が出たものに67年にインド西部でM6・3の地震が起きて一説には約2千人もが死傷した例がある。コイナダムという巨大なダムを造ったことで引き起こされた地震である。最近、オクラホマ州をはじめ米国各地で起き始めているのはシェールガス採掘によるものだ。
 この採掘には「水圧破砕法(フラッキング)」という手法が使われている。化学物質を含む液体を地下深くに超高圧で注入して岩石を破砕する手法だ。これによってシェール(頁岩)層に割れ目を作る。そこから層内の原油やガスを取り出す掘削法である。この手法では大量の廃水が生まれる。これを地下1キロほどの深さに掘った廃水圧入井に圧力をかけて注入することで処分している。
 
 シェールガス採掘に限らず、石油や天然ガスの掘削、ダム、廃液の地下投棄。地球内部に影響を及ぽす作業が地震を起こす例は、このところ世界的に増えている。
 岩の中でひずみがたまっているとき、水や液体は岩と岩の間の摩擦を小さくして滑りやすくする、つまり地震を起こしやすくする働きをするのだ。いわば、地下のエネルギーを解放する「引き金」を引いてしまったのである。
 オクラホマ州では非常事態を宣言して、州内に3200ある廃水圧入用の深井戸のうち37カ所に対し、10日間の使用中止を指示した。この1月にも27カ所に停止を指示したことがある。これで事態が収まるかどうかは分からない。今までの世界の例だと、地下への注水量の急激な変化は、圧力が増える場合でも、また減る場合でも地震を多発させることがある。増減いずれの方向でも地下の圧力の変動は地震を起こすことがあるのだ。
 地震を多発させているのはオクラホマ州に限らない。米国で地震観測を担当している米国地質調査所 (USGS)は今年3月に公表した報告書で、地震発生予測地図の対象に初めて人為的な地震も含めた。
 USGSによると米国で人為的地震のリスクが多い
州は、危険度の高い順にオクラホマ、カンザス、テキサス、コロラド、ニューメキシコ、アーカンソーの各州だという。これらの州ではM3以上の地震が、11年段階ですでに20世紀の6倍にも増えている。いずれもシェールガス採掘が最近盛んになった州だ。化石燃料の中では環境影響が小さく、また安価なために「革命」とまでいわれたシェールガスだが、その開発にはさまざまなリスクが伴うことを忘れてはいけないのだろう。便利さだけを追求した技術は、いつかは地球にしっぺ返しをされるのかもしれないのだ。
%%%%%

 上の記事で「フラッキング」なる技術用語が使われています。この手法を図解した記事をScientific American誌記事に見つけたので、それを以下に貼り付けます:
論文のタイトルは
Fracking, Earthquakes and Visual Storytelling
”フラッキング、地震と目で見るその物理過程“と言うもので、ビデオでその解説をしています。
STAFFBy Amanda Montanez on June 23, 2016

http://c23.biz/nZAg
 その解説動画から写し取られた模式図が下です。英語ですが、特に訳を付さずとも“何がなされてどうなるのか”が理解し易く描かれていると思います。
FrackingsaWEB_Kuch_frack_desktopREV


 私は「株取引」なるものに関わったことがありません。したがって下の記事に言う「東電株は8%超安」は大きい下落であるのかそうではないのか、さっぱりわかりません。2011年3月以降動いていない原発が、今般の選挙結果で、その非稼動が更に順延するであろうことは確かでしょう。だからと言って、それによって東電からの配当金が直ちに減るわけではありますまい。しかし、株の持ち主が損を怖れて手放す。そう考える株持ち主が少なくない。かくして 価格が下がる。と、考えるのはド素人。もっと深い読みがあるのでしょう。
%%%%%東京株堅調も東電株は8%超安 新潟県知事選結果で再稼働の難航必至の見方
http://c23.biz/2ebM
産経新聞 10月17日(月)10時26分配信
 17日の東京株式市場は小幅続伸で始まった。序盤は堅調で日経平均株価は1万6900円台前半を中心に値動きしている。個別銘柄では東京電力ホールディングス(HD)の株価が8%超の急落となっている。新潟県知事選で東電柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な立場を取る米山隆一氏が当選し、再稼働の難航は必至との見方から売り注文が集まった。
東京電力HD株は一時、前週末終値比で35円(8.4%)安の383円まで下落した。東証1部で一時下げ幅2位となった。
日経平均株価の寄り付きは、前週末比15円47銭高の1万6871円84銭。その後、上げ幅を拡大、午前9時台に一時98円高まで値を上げる場面もあった。
対ドル円相場は104円台前半で値動きしている。前週末の欧米株はそろって上昇しており、プラス材料となっている。東証株価指数(TOPIX)の始値は、前週末比0.95ポイント安の1346.24。午前10時ごろは東証1部銘柄のうち6割にあたる1200ほどが値を上げている。
%%%%%


海苔弁資料、地震解析解読(NonDC成分)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:三色丼の風景(左の黄は炒り卵、中央は挽肉、右の緑はほうれん草)
PA130003


 三色に 塗り別けられた 田んぼ見て 甘い檸檬(レモン)の 青き記憶が

 今週始めの連休、娘夫婦に誘われ、婿殿のご家族と箱根に入浴に行ってきました。婿殿の生い立ちもご両親との会話から自ずと知れ、なかなか楽しい旅行でありました。箱根の風景は、昨年の今頃に書いたブログ記事の景色を思い起こさせました(2015年10月12日記事 http://c23.biz/VXZa) 。思えば、浅間山麓も箱根も火山で作られた風景です。連想が連想を呼んだところに、本年も“三色の田”を見ました。それほど、あの甘酸っぱい記憶にこだわっているわけではありません(念のため)。

 箱根は東京の”奥座敷“だそうです。そういわれて見ると、確かに、すれ違うご婦人のたたずまいは垢抜けており、私の住む北関東で行きかうご婦人方とは違っていました。入浴翌日に立ち寄った「箱根ガラスの森美術館」はベニス風建築です。ガラス工芸品やらイタリア人バイオリニストによるバイオリン演奏を楽しみました。十年以上昔ですが、外地滞在帰国直前の復活祭休暇を利用して三泊四日のベニス旅行をしました。このとき、旅行業者の甘言に乗せられガラス工芸の島にボートで連れてゆかれベネチアングラスの購入を迫られましたが耐え抜きました。宿は、誠に狭く汚らしいホテルでしたが、復活祭で観光客も多くホテル代はベラボーでした。てなことを思い出しながら館内を散策しました。

 帰宅の途次、東京駅の元中央郵便局舎を改装したレストラン街で道草(みちくさ)しました。50年以上も前の昔です。年末から正月にかけて、ここで一週間の年賀状・仕分けアルバイトをしました。未成年でありましたが(多分15歳)、最終日に冷酒を上司から振舞われ、ついついコップを重ね酔っ払ったまま、徒歩で白金にある北里研究所近くの自宅に帰りました。どうもその頃から酒好きであったようです。

(写真:「箱根湯元」駅前の国道一号線。正月の箱根マラソン山登り区間の風景、前方が往路ゴール方向)
PA10マラシン


 
+++++非DC成分 
 地震の波を解析する、すなわち世界中に展開されている400を超える高性能地震計(デジタル記録方式、広周波数帯域、広感度反応)で捕まえた地震波の波形に合うように、理論式が含む6つの定数(実際は5つ)を定める作業がセントロイド・モーメント・テンソル解析(CMT解析)です。

 Mwが5を超える世界中の地震についてその“6つの定数”がGlobal CMT Catalogue Searchのホームペイジ 上で公開されています(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html  by National Earthquake Information Center, USA)。データの探し方、そしてデータの見方については本ブログでも何回かに分けて説明してきました。
 
 今回は、公開されたデータから算出される“NonDC”なる量を考えて見ます。DCとは”Double Couple”の簡略表現です。Global CMT Catalogue Search が提供するデータ群の最後の二行(表1 参照)がその“Double”の意味です。

(表1:Global CMT Catalogue Searchに公開されるデータ例)
CMT-Catalogue


 CMT解析が拠って立つ理論では、”Double Couple”が前提となっています。そもそものモーメント・テンソルが対称行列で表現されているとして波動解析が出発しているからです。
例えば M(12)=M(21),・・・・・として、未知数の数を9つから6つに減らしています。この物理的意味は既に書きました。考え易さのために下の図のような場合を考えて見ます:
(図1:ダブル・カプルとは二つのシングル・カプルを重ねたもの)
PA14000x1


 上の図で、左のAでは、軸の回りに岩盤は右回りの回転しようとします。一方右のBでは岩盤は左回りに回転します。M(12)=M(21)とは、−軸の回りでの岩盤の回転が、つりあっているために消失していることを意味します。つまり回転は起きないことになります。同様な議論が◆歇粥↓ 歇瓦硫鵑蠅梁个領老呂任眄り立ちますから、くりかえしません。

 こうした前提で、地震波を解析すると、得られるCMT解は概ね、特定の軸の回りに回転をもたらす二つの力対を与えます。それが上の表の最後の二行です。この表で ↓△牢簇彳發棒犬犬進震未隆何性状を与えています。そして実際の地震で形成される断層面は、この二つの面のどちらかに極近いこともわかっています。地震断層が地表に顔を出す場合は、その顔を出した破砕線がこの二つのどちらかときわめて良く一致するからです。又、地震が海底下にあったり、地下深いところで起きたため断層が見えない場合でも、地震波に観察される「不規則さ」から、断層面が特定できることがあり(Inversion法と呼ばれる)、それは、二つの面のどちらかにほぼ合致します。

 というわけで、CMT解法は、地震源の断層の幾何学的性状をかなりの確度で与えてくれていることは間違いの無いところです。しかし、図に見るように実際の地震発生時には二つの面のどちらかが実際に動いたのです。つまり図1のAであるのか(ー瓦断層の走向)、それともBであるのか(⊆瓦断層の走向)、どちらかが断層面のはずなのです。二つの力対は地震発生時間内では同じではなく、短い時間といえども軸の回りで回転したのです。それを回転していないと仮定して推し進める解析ではその実際の回転分は、何らかの形で解析結果に残されるはずです。それがNonDC”です。

 Double Couple”ではない、つまり”Double Couple”では説明できない成分が残っているという意味です。この量は、張力(Tension)と圧縮( Compression)が異なる値をとることで現出します。実際には震源の周りに働く力は全て”0”と言う条件の下でCMT解析が行われますから、計算結果としては軸方向の力として表現されます。つまり軸方向の応力として押し付けられるわけです。

 さて、この軸方向に出現する力対は、NonDCとして、波動解析上に偶々出現してしまったものなのでしょうか?それとも本当に地震発生時に二つの主応力が作る面に垂直な方向(この例では軸方向)に作用したのでしょうか?これを理解するには、更なる吟味、精細な地震現場の観察と、波形解析と理論とのずれの分析などが必要となりそうです。

 前置きが長くなりましたが、2011年3月11日の東日本巨大地震前後でNonDC”の挙動をみることにします。まずはその性状を見る事にします。

(図2:発震機構解(スベリ角)と非DC成分(%)との関係、色の違いは10月10日記事の図1を参照)
NonDC


 横軸はスベリ角です。この角度が負であれば、その地震は正断層です。スベリ角が180度、−180度、そして0度に近い地震は横ずれ断層地震です。現在考察している地震では横ずれ断層地震が少ないことがわかります。
 何よりも驚くことは、逆断層地震(右側)の非DC成分は概ね、±10%に収まっているのに対して正断層の地震についてはそれが大きくばらついています。ばらついた地震について少し詳しく見る必要がありそうです。
(つづく)

+++++“海苔弁“資料の氾濫
 それにしても海苔弁とはなつかしい。小学生の頃に母親が持たせてくれた弁当は海苔弁でした。薄く米をつめまず一枚目の海苔を敷き、醤油をかけます。その上で、再び米をつめ又海苔を敷きます。もう一つ母が持たせてくれた弁当が「カレー弁当」でした。前夜作ったカレーは一晩たつとねっとりしています。それを弁当箱の下に敷き、上に米を乗せます。カレーがねっとり・どろどろしていてもランドセルに入れるわけにはいきません。風呂敷につつんでぶら下げて学校に持っていきました。うまかった。昼が楽しみでした。冬なぞは、それを石炭ストーブの上に乗せておくんです。うまさが倍増でありました。
 しかし、以下の記事はそんな旨い話ではありません。
(図:東京新聞10月13日付記事より)
 PA14海苔弁


 原発事故に関しては少なくも四つの事故調査報告書があります。そのうちの二つは国民の税金によって調査・作成れたものです。従って、あの事故によって何がしかの不利益を蒙った国民は、事故の詳細を可能な限り知る権利があるはずです。ところがこうした報告書ですら、その内容開示に当たっては黒塗り、つまり「海苔弁」状態のものが開示されることが頻繁でありました。
 それは、民主党政権時代でもそうでした。ひとたび権力を振るえる立場に立った途端、その人物たち、そしてそれを支える官僚群、官僚組織は「民が真実を知ること」に恐怖するのですね。「知らしめず」状態であれば、そうした恐怖は生じないのです。

 さて同様が、現在大騒ぎなっている「豊洲市場の地下空間」問題でも起きています。以下はそれを紹介するインターネット記事です。ここでも海苔弁です。
 
%%%%%豊洲市場資料で黒塗り公開、都庁「盛り土なし」を黙認か
http://c23.biz/D7jM
TBS系(JNN) 10月13日(木)20時52分配信
 豊洲市場をめぐる問題で、新たな事実です。新市場の設計を担当した「日建設計」が、設計担当に選ばれる際、都の市場担当者らの前で「盛り土を省略することでコストと工期を短縮できる」と説明していたことがわかりました。

 混迷を深める豊洲新市場の消えた盛り土問題。都は、「のり弁」と批判されていた資料の黒塗り部分を公開しました。そこには新たな事実が書かれていました。

 2011年2月、都が豊洲市場の設計業者を選ぶ際に開かれた会議の議事録です。選考に臨んだ2社のうち、「日建設計」の主任技術者がこう説明しました。

 「次に盛り土工事の省略によるコスト削減と工期短縮について説明させていただきます。土壌汚染対策を建物の基礎底盤のところで止めることによって、埋め戻し工事を最小限にすることができます。合理的に考えることによって無駄を省くことができると考えております」(日建設計主任技術者)

 建物の下に盛り土をしない設計案を、はっきりと提案していたのです。

 この現場には、選考にあたった専門家2人に加え都の市場担当の部長6人と課長1人がいましたが、盛り土の必要性を指摘する発言はなく、高い評価を得た日建設計が設計業者に選ばれました。

 都はこれまでこの資料を非公開としてきていて、都議会が要求した資料にも含めていませんでした。(13日18:38) 
%%%%%

 「海苔弁」は官僚と政治家の「保身」に起因することは明らかです。官僚とは、先輩の仕事に{傷をつけては」ならず、さらには、その「役得」を後輩に引き継ぐべく「無謬」であらねばならないのです。彼らは決して民の幸せは考えません。そうした輩が為政者を支えているのです。とするならば、「民よ!為政者を疑え!!」これが私の想いです。

三昧塚古墳(玉造)、サッカー監督論

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:二階屋根の庇にスズメバチの巣があることを近所の人が気づいてくれました。脚立を持ち出し、枝切挟みに更に長い棒をくくりつけ、巣を落しました。仕事人たる本ブログ管理人はマスク、手袋など完全防護、目だけを出しての作業でありました。落とした巣を水攻めの刑に処しました。)
PA11巣


 恐(おそろ)しや ひさしの下に すずめばち 知らぬ間に 巣をつくりおる

 サッカー試合での選手交替判断はずいぶんと難しそうです。私が高評価を与えていたザッケローニ氏も本番のブラジル大会では「交代カード」を切るタイミングを誤ったと見ています。昨夕のハリルホジッチ監督にいたっては、自らの焦燥感が体からあふれ出ており、あれでは冷静なチーム采配は出来なかろうと案じました。本田選手には気の毒ですが、もう90分動き回れないのですから、後半には足の速い選手に交替すべきでした。もう一人の犠牲者は義経の如く軽やかでありながら衝撃度の高いプレーをする香川選手です。昨日は守備に奔走させられ、得意の攻撃に絡めなかった。日本代表監督たるもの、こうした世界に通用する選手たちが目立つよう、しかるべき舞台をお膳立てして、再び香川、長友、岡崎と言った選手たちが欧州の一線で輝けるよう目を配るべきではなかろうか。それが、結局は監督としての自らのパフォーマンスの向上に繋がります。「イライラ」感の溢出からは得るところは何もありません。

 全体の流れから、次を予測し、それにあわせて適宜部下の特長を生かした配置をする。部下に喜びを与え、結果として組織を効率的に動かす心得です。「自分の手柄」にこだわっていては、部下の信頼も得られない、てな人身掌握的側面が見えたように思います。

 翻って、こうした視点からは、我が国親分はそれを上手にやっているのでしょうか。先般の国会での異常事象は安倍氏の巧みな人心掌握の成果なのでしょうか。相変わらず、国会審議最中に「野次」をとばし、反対論者との議論は逃げ回る。当然、国民は言うまでも無く、与党自公からも異論が噴出するはずなのです。本来であれば。
 しかし、何故か、我が国の政治の世界では「真っ当な競争。真っ当な政策論争」なるものは、長く途絶えています。それを活性化するはずの報道機関が「不倫、政治と金」には騒ぐけれども、「未収束原発( out of control)、貧困、沖縄、安保」などについてはきわめて寡黙であります。何せ、ジャーナリストと安倍氏の癒着は「スシトモ」(寿司友達の略, 高級寿司店で会食する仲)なる造語が出来るほどです。

 ハリルヒジッチ監督に対して更迭の批判が噴出するように、日本の政治にあっても政府首脳の交替論が出ても不思議ではないと思うのですが、国民との間にしかるべき緊張関係が生じないんですな。
 それが生じてこそ健全と思います。その緊張関係をほぐすために、そして国民の信頼を取り戻すために政府首脳が汗を流して国民を納得させる。出来なければ退陣する。こうしたまともな政治を死ぬまでには一度体験してみたいですな。それが「民主主義」というものだべ!と思っています。
 
+++++玉造(5)
 
 茨城県の旧玉造町には、「勾玉」そのものどころか、それらを製作した痕跡も見つかっていない。ただ伝承では「勾玉を作っていたらしい」と地名事典が書くのみです。前回も少し書きましたが、「玉造」とは「(石)玉造り」ではなかろうかと考えています。言い換えれば、日本列島古代史での「メーソン」(mason,石工)であったと考えています。それに「フリー」なる形容詞が付されれば、欧州十世紀前後「十字軍」に発したとされる「フリーメーソン」です。このところ、鳩山一族とのかかわりであるとか、陰謀集団であるとかの議論のタネになっています。が、我日本列島ではそれに先駆けての「石工」です。

 松本清張氏の論を俟つまでも無く、いわゆる日本にも「巨石」文明の担い手が存在したとの説には説得力があります。肥前大和の巨石パーク、9月23日記事に紹介した茨城県の北部にある堅破山(タツワレ、標高658m)の丸い半球などもその「石工」の成果の一つではなかろうかと思っています。また、JR東北本線の矢吹―郡山の中間にある「鏡石」駅は、そうした技術集団がいたのではなかろうかと想像しています。
既に気づいておられる読者も居られるかと思いますが、那須岳―香取線南端の香取神社の要石、そして八溝山ー鹿島終端の鹿島神社の要石も彼ら石工の「作品」ではなかろうか。これらの「要石」の宗教(精神)的意味づけについての議論は後刻に譲ります。

 その話に移る前に一つ触れておかねばならないことがあります。この地(玉造)の北々西に全国でも知られた古墳が四基存在します。
(図1:大塚初重博士による霞ヶ浦東岸縁の古墳調査報告書より)
三昧古墳報告書


 上記の古墳群のうち3つの古墳軸が、見事にシリウス方位を取っていることを指摘しておきます。これら四基の古墳の内で、全国にも知られるのがまずは4番の大日塚古墳(埼玉県行田にも同名の古墳があるので注意)から出土したなんと猿の埴輪です。
(図2: 猿の埴輪 http://c23.biz/v9Z4 より)
猿埴輪



  四基の古墳群の中で、比較的多く語られるのが三昧古墳です。
(写真3: 三昧塚古墳が画面中央の「沖洲」地区のやや右上(北東)に見える。典型的な前方後円墳。墳墓の軸は見事なシリウス方位。形状が整いすぎているのはこの古墳を歴史遺産として行政が整備したため。南の水域は霞ヶ浦の北縁)
三昧古墳x
 
 この墳墓については、明治大学に拠して多くの古墳を調査してこられた大塚初重博士の研究報告書(http://c23.biz/BXSJ)に基づいて書かれたと思われる“コトバンク記事”を以下に転載しておきます:

%%%%%コトバンクより転載http://c23.biz/TQ2y 
三昧塚古墳(さんまいづかこふん)
茨城県行方(なめがた)市沖州(おきす)の沖積地にある前方後円墳で周堀をもつ。1955年(昭和30)に採土工事で消滅寸前に茨城県教育委員会によって調査された。墳丘は長さ85メートル、後円部径48メートル、前方部幅40メートル、後円部高さ8メートルで埴輪(はにわ)列が三重に巡る。人物・動物などの形象埴輪は墳丘の片側のみを、円筒埴輪は全周している。後円部中央の深さ2.7メートルの位置に粘板岩製の箱形石棺があり、棺蓋の左右中央には1個ずつの縄懸(なわかけ)突起がつくりだしてある。棺蓋上には鉄製戟(げき)が置かれ、また棺外に副葬品収納のための木箱状遺構があり、鉄刀、短甲、挂甲(けいこう)、衝角付冑(しょうかくつきかぶと)などの武器・武具類と工具類、馬具、砥石(といし)などが出土した。棺内からは1体の遺骨と変形神獣鏡など鏡2面のほか、櫛(くし)、玉(たま)類、垂飾付耳飾(すいしょくつきみみかざり)、馬形飾付透彫金銅冠(うまがたかざりつきすかしぼりこんどうかん)、鹿角(ろっかく)装大刀(たち)、挂甲、鉄鏃(てつぞく)、勾玉(まがたま)形金銅製飾金具が発見された。5世紀末から6世紀初頭にかけ霞ヶ浦(かすみがうら)周辺を支配した20歳前後の男性の有力首長の墳墓。[大塚初重]
『斎藤忠他著『三昧塚古墳』(1960・吉川弘文館)』
%%%%%
 この古墳を日本中に知らしめたのが馬形飾付透彫金銅冠(うまがたかざりつきすかしぼりこんどうかん)です。この出土物について茨城県歴史博物館は以下を書きます:
http://c23.biz/Jg5W 
%%%%%冠「金銅製馬形飾付冠」
(図4:冠「金銅製馬形飾付冠」)
三昧塚koudouseiumagatakazaritukikannmuri_000

三昧塚古墳の後円部からは,埋葬施設として縄掛突起を持つ箱式石棺と,副葬品(死者に供えられた品物)を納めた木製の箱が発見されています。冠は人骨の頭部に近い位置に置かれており,埋葬時には死者の頭に装着されていたものと考えられています。また,この人骨の耳の位置には金銅製垂飾り付耳飾りが,首の位置からは碧玉の首飾りが発見されています。この冠は金銅製透かし彫りで,頂上部に馬の形と樹木を交互に造り出し,その下を方形に区切って中を幾何学的な文様とし,更に最下部を波形にしています。また,全体に歩揺が下げられており,日本国内でも例を見ない独特な形を造りだしています。これは,本来鍍金されていたもので,現在でも僅かながらその一部を見ることができます。
%%%%%引用おわり

 三昧塚古墳からは、玉類、“勾玉(まがたま)形金銅製飾金具”が出土したとあります。玉類が装飾用であるとすれば、その素材は石とは考え難い。なぜならば首にぶら下げるには重過ぎます。“勾玉(まがたま)形金銅製飾金具”も金属製で、小型です。それらを「玉造」なる地で製造していたとすれば、必ずやその製作跡が残されているのだろう。と、いうわけで、現在議論している玉造と装飾用玉類をつなぐ出土品は無いのです。

 この古墳について、私がもう一つ注目しているのは、墳墓の中に安置されている棺です。その棺が東西(東が頭)に向いていることです。

(図5 三昧塚古墳の棺の方向、http://c23.biz/sGA4 )
棺sanmai8


 墳墓の軸がシリウス星の方向(ゾロアスタ教)を向きながら、棺は東西を向いている。東西は「太陽神仰」を思わせます。渡来族の民と土着の民であるアイヌ族の信仰(精神)の融合を表現しているのではなかろうかと考えています。いずれ、もっと詳しく考察します。さらにはこの古墳の所在地名「沖洲」(おきす)についても考えるところがあります。が、長くなるので次回書きます。

 尚、もっと早く本ブログで紹介すべきことが福岡市博物館のHPで記載されています。題して“玉と石製品‘です。以下にそれを転載しておきます。
%%%%%玉と石製品
http://c23.biz/Khk8
勾玉(まがたま)は縄文時代に誕生し、弥生時代に定形化しますが、最も盛んにつくられ用いられた時代は古墳時代です。古墳時代には勾玉のほか、玉類や石製の品々が多数つくられました。日本列島で最も石の工芸品が愛好された時代といえます。
 古墳時代の石製品は単に装飾品や副葬品として用いられただけではありません。滑石でつくられた石製模造品(せきせいもぞうひん)は、集落や水辺、離島や山などの特別な場所で祭具としても用いられました。玉類が弥生時代の伝統を引くのに対し、石製模造品は古墳時代に新たに創造された石の文化なのです。


玉―伝統の装身具―
 石を装飾品として用いる行為は縄文時代にはみとめられ、勾玉の祖型もすでに縄文時代に存在します。弥生時代にはC字形をしたヒスイ製勾玉と細長い碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)という組み合わせが成立します。この勾玉と管玉を装飾品として用いる弥生時代の伝統は古墳時代にも受け継がれます。
 福岡平野周辺では勾玉が多数出土する前期古墳は少ないのですが、前期末〜中期初頭の古墳とされる老司(ろうじ)古墳と鋤崎(すきざき)古墳からは多くの勾玉や玉類が出土しています。老司古墳3号石室には複数の人間が埋葬されましたが、玉類の多くはそのうちの奥壁近くの被葬者の副葬品とみられます。しかし、玉の出土状況は謎に満ちたものです。玉群Aは勾玉2点と碧玉製管玉のまとまりですが、出土位置は腰の位置と推定され、首飾りではなかったようです。また、玉群Bと玉群Cはそれぞれ腕飾りほどの大きさの一連ですが、裏返した鏡と組になるように出土しています。玉群Dも裏返した鏡とともにあります。生前に用いていた玉類を死者にそのまま身につけさせたのではなく、玉と鏡を用いた死者への儀礼を行っていたことが想像されます。
 鋤崎古墳の玉類は1号棺の被葬者の上に振りまいたように出土していて、老司古墳とは違ったやり方で、玉を用いた儀礼が行われていたようです。
 弥生時代の伝統を引き継ぐ古墳時代の装飾品に腕輪形石製品(うでわがたせきせいひん)があります。もともとは弥生時代の北部九州で出土するゴホウラ貝を用いた腕輪(貝釧(かいくしろ))がその祖型です。古墳時代前期初め頃までは貝釧は装飾品として用いられていましたが、貝釧の形はそのままに素材を碧玉や緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)に替えて作った鍬形石(くわがたいし)や円形の石釧(いしくしろ)に取って代わります。
 鍬形石は嘉麻市沖出(おきで)古墳などから出土しますが、福岡平野の古墳からは出土していません。これは弥生時代終末期以来、貝釧の分布する「貝の道」から福岡平野が外れることと関連があるかもしれません。また、円形の石釧(いしくしろ)は佐賀県唐津市谷口古墳や春日市九州大学筑紫地区からも出土しています。
 古墳時代前期にはほかにも玉杖(ぎょくじょう)や合子(ごうす)などの石製品が、奈良盆地から伊勢湾沿岸にかけての狭い範囲の古墳に多種多量に副葬されます。老司古墳3号石室からも大型管玉1点が出土していますが、普通の管玉ではなく石製品の範疇としてとらえるべきものかもしれません。


老司古墳3号石室出土 勾玉・管玉(玉群C)
 古墳時代中期になると、今宿古墳群を除いて、福岡平野・糸島半島から大形の前方後円墳が築造されなくなります。それと軌を一にするように、古墳から出土する玉類や石製品が減少します。これは福岡平野周辺だけの現象ではなく、九州の大型前方後円墳も同様に玉類の出土数が減少しています。また、中期古墳である、うきは市月岡(つきのおか)古墳から金銅の帯金具が出土するなど、大陸式の新たな装身具が広まりつつありました。このことも玉類や石製品の減少の一因とみられます。
 古墳時代後期には列島全体で群集墳と呼ばれる小型の古墳が多数つくられるようになります。その副葬品として勾玉をはじめとする玉類が用いられ、出土数も増加します。形も勾玉・管玉のほか丸玉・切子玉・棗(なつめ)玉など多様に、素材もメノウや水晶など多彩になります。その一方で支配階級間の差は広がります。群集墳の被葬者の主な装飾品が玉類や金銅装耳環であるのに対し、藤ノ木古墳の被葬者は金銅製冠など朝鮮半島の支配者と同様のきらびやかな装飾品を身につけていました。しかし、7世紀以降古墳が造られなくなるとともに玉類を装飾品・副葬品として用いる風習はすたれていきます。
%%%%% 博物館HPからの転載終わり

サッカ弱いのは朝日・NHKのせいだ!、大地震の前兆

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田の脇を覆うコスモス。どんなに「百花繚乱」状態で咲き誇っても、この花には何か哀愁が漂うんでありますな)
PA秋桜
 

  
 田の脇に 秋の桜が 咲きにけり されど調和を 連想しがたき
 
 どうも意味不明の歌ですな。コスモスの花とcosmosの原義である「調和」を何とか結びつけて一首を狙ったのですが。反省です。

 +++++大地震の発生を予測する試み
 2011年3月11日の東日本巨大地震には、先行する幾つかの大きな地震が発生していました。多くの研究者がこれらの先行する幾つかの地震は、あの巨大地震の予兆であったと悔しさ一杯の表情で語ります。そして、それを「予兆」として認識できなかったことの痛切な想いを吐露しています。発生後、しばらくして大気圏上層電離層に荷電粒子の尋常ならざる集中が地震発生時にあったことが明らかになっています。

 これは、地震発生に関する非常に大きな知見を「ヒト」が多大な犠牲(2万余の人命、そして東京電力福島第一原子力発電所事故による多大な放射能被害 などなど)を払って獲得できたのでした。原発事故に関しては、こうした深刻な犠牲に関するきちんとした検証を嫌ったまま、すでに二つの原子力発電所が稼動を再開しています。

 地震学に関しては、こうした悲惨を検証して次の過酷な悲惨を繰り返さないなどを公言することは戯言に過ぎません。何せ、危険とわかっている原子力発電と異なり地震については未だに「起きてから学ぶ」つまり後追い状態であるからです。
せめて後追い状態から脱却するために在野の地震調査人にも何か出来ないだろうか、との思いから幾つか書きとどめておくことにします。

 9月30日記事で一端を紹介しましたが、現在当ブログ管理人は2011年3月11日の東日本巨大・津波地震前後の地震活動を調べています。この時点では防災科学技術研究所のデータベースは2available ではありません。一方気象庁のデータは大きすぎます。また独特の formatであるため、私が常用するScilab言語で解析するプログラム作成に手間取っています。そうした事情から、いつものように”Global CMT Catalogue Search”から地震をソートします。期間は2010年1月1日0時から2011年3月14日0時までです(図1 参照)

(図1:2010年1月1日〜2011年3月13日の期間内の上記データベースに記載される地震。
Open circle:Mw<5.5, Blue solid: 5.4  座標軸の原点はいつもの通り2013年10月26日の日本海溝遥か東沖のMw=7.7の地震震央においています。そこから等方位、等距離作図で下の図は作成されている)
BandA311smap


 上図で示される地震群(個数75)について、今回は以下の事を調べています。
 時間的に隣り合う2つの地震について、その震央間距離と発生時間間隔を計算します。75個の地震ですので74個のセットが出来ます。選ぶ地震規模の下限、深さ考慮など細かいことを考慮に入れねばならないほど精密な計算が必要とは、現段階では思えません。それらは、まずは無視し、雑駁な様相を把握できれば良しとします。

 そこで、地震Aは、一つ前(時間的に)の地震Bによって発生したと仮定することにします。Bの地震発生による影響がA の地震発生をもたらしたと考えると、その影響伝播スピードを計算することが出来ます。これを本ブログでは“見かけ速度”と呼ぶことにします。この計算された“見かけ速度”を74個のセットについて調べたものが図2です。

(図2:横軸は地震番号。発生順であるので概ね時間経過を表すが、地震の発生間隔は異なるので時間そのものではない。縦軸は“見かけ速度”。この“見かけ速度”は大きくばらつくので計算値の対数を取っている。従って、座標軸の右に付したように“2”は100km/日、“0”は1km/日となる。一方横軸下に付されている二つの上向き矢印は顕著な大地震を示している。但し発生時刻は日本時間ではなく世界標準時である。記号の色は図1の説明と同じ)
Vel-破壊3


 “見かけ速度”がランダムではなく、時間と共に規則的に変動している様子が見て取れます。まずは2011年3月9日の地震迄は大分ばらついてはいるけれども概ね10km/日の値を中心にゆっくりと増加しています。この速さは約10cm/sec に相当します。
 3月9日2時のMw7.5の地震後、この値は一桁上がり1m/secに上がったところで、本番の東北巨大地震です。この地震後“見かけ速度”は更に二桁ほどジャンプしそれは100m/secにもなります。その状態が地震番号50番(3月12日11時頃の地震(但し世界標準時、日本時間では20時ごろ))迄続き、その後に、“見かけ速度”は徐々に低下します。

 実際の地震破壊過程では地震Aを引き起こすのはその直前に起きた地震一個だけの影響と言うことは無いでしょう。少なくも複数個の地震が発生し、地震A周辺の力学場を地震が起きやすいように変化させているはずです(例えばCFSと呼ばれる量でその変化を計算したりする)。ですから、上の図はそうしたことからすると"第0近似"とでもいうべきものです。なにやら量子電磁力学のファインマン経路積分路を連想させます。考えられる経路について場の変化を重ね合わせてゆくなら、もしかすると、図2の分布は何がしかに収斂するのかな、なぞと思っています。

 なんだ、余震を見ているのではないか、との指摘はその通りです。余震はまさに本震が作り出した力学場が起こすのですから。いずれにしても、上図は雑駁ながらも東日本巨大地震発生前後の歪応力の変化を反映しているように見えます。そのメカニズムについては後日考察したいと思っています。例えば図の35番の地震は3月11日19時(日本時間で12日朝4時)に発生していますが、そのスピードはkm/secのオーダーです。つまり、弾性波(P,Sおよび表面波)が、近傍の破壊条件を作り出しているということです。2004年12月26日のスマトラ沖巨大地震で米国西海岸の地震活動が突然現出したという現象が学術誌に発表されたことがあります。論文著者は表面波がその環境変化を伝えたとの解釈を書いています。データの吟味が、こうした雑駁な”0”近似をより角度の高い知見に導くことを期待したいと思っています。

 “見かけ速度”が増加傾向をとるならば大地震を覚悟したほうが良いのかもしれません。
(つづく)  

+++++野球偏重とNHK・朝日の罪
 前回、日本のサッカーの現状について悲観していると書きました。中田英のような世界的な名選手を日本が輩出したなぞはどうやら奇跡に近かったのではなかろうかと思っています。その根源は奈辺にありや? 上の標題にも書きましたが高校野球を「持ち上げすぎる」朝日、NHK がその責(せめ)を負うべきと思います。優れたスポーツ能力を有する若者が多様な分野に関心を持つことをNHKと朝日は妨げてきたのですから。
 日刊ゲンダイ紙が興味深い記事を書いています。以下にそれを紹介しておきます:

%%%%%野球界には未来の五輪メダリストが埋もれている
http://c23.biz/DBnS 
スポーツ庁の鈴木大地長官が、高校球児の他競技転向を推奨するプランを披露した。20年東京五輪と、それ以降の大会でメダルを量産するための強化策のひとつで、「17万高校球児のうち10万人以上は試合に出ずに終わる。ここにも人材がいる」と言ったのである。

 確かに、野球界には才能があふれている。二刀流でとんでもないパフォーマンスを見せる日本ハムの大谷翔平(22)は、バレーボールなどの別競技をやっていても、超のつく一流選手になっただろうと想像できる。トリプルスリーのヤクルトの山田哲人(24)、ソフトバンクの柳田悠岐(27)だって、夢想するだけで楽しくなる逸材だ。

 一軍でなかなか結果が出ない選手にも人材は埋もれている。例えば巨人の大田泰示(26)。未完の大器といわれて8年目になるが、彼は前ラグビー日本代表ヘッドコーチのエディ・ジョーンズに見初められた。数年前、巨人のキャンプを表敬訪問したエディが大田の運動能力に一目惚れ。当時の巨人の原監督に「素晴らしい才能を持っている。私に預けてくれれば、数年で日本代表選手にします」と言ったのは、巨人内では有名な話である。
かくいう私も“スカウト”されたことがある。中日入団1年目の1961年に35勝を挙げた私を見て、日本人初の五輪金メダリストとなった三段跳びの織田幹雄さんに、「権藤君の脚力とバネがあれば3年後の東京五輪でメダルが取れる」と言っていただいたのだ。

 実は私は、佐賀の鳥栖高時代まで鈍足で有名だった。社会人のブリヂストンに進んで走りに走った結果、自分でもオッと実感するほどスピードが増した。細い体のどこかにバネが眠っていたのかもしれないが、身体能力では、私をはるかに上回る人たちが、当時のプロ野球にはゴマンといたのだから、まさに人材の宝庫だったと思う。

 昔に比べ、趣味が多様化した現在はさまざまなスポーツに才能が散らばるようになった。とはいえ、それでも野球はまだ人気スポーツとして君臨している。高野連の調べによれば、今年度の部員数は16万7635人。その中で大学や社会人、プロで野球を続けられる選手はそう多くはない。

 21年の指導者人生で、残念ながら運動能力と野球能力が一致しない選手を何百人と見てきただけに、高校で“引退”するその他大勢の中にダイヤの原石が埋もれていると断言できる。
%%%%%記事紹介終わり

霞ヶ浦東縁・玉造(4)、すばらしい山本太郎国会質問

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真: 何の変哲も無い、停車している電車と駅の風景です。ところが、投稿されたこの画像に「クスリ(笑)」とコメントを付する人が多い。しばらく眺めていて理由がわかりました。)
こいわ


髪量は 頭の質と 相関せず 己(おのれ)に暗示 かけれど気になる

 三十代半ばより頭髪量を気にしていた私としては、この画像は誠にほろ苦いものであります。「普通と思うけど、やっぱ薄いのかな」と自虐すると、「いや、未だ濃いわ、大丈夫よ」と“その場限りの気休め”をもらう、と言う構図です。画像はたまたまネットで見つけたもので、出典は不明であります。場所は京成電鉄「小岩」駅です。電車は多分上野発臼井行き(千葉県)でしょう。

 日本人最初のノーベル賞・受賞者である湯川博士は禿げてました。しかし、朝永博士、南部博士、益川博士、そして今般の大隅教授(年齢にしては豊か)、諸氏の頭髪量を見るにつけ、私も亡き母の言いつけを素直に聴き、ワカメを沢山摂取しておけばよかったと悔やむ今日この頃であります。何せ、私が敬愛・尊敬する東海林サダオ氏によれば「ハゲ・デバラ・タンソク(あるいはステテコ着用)」は尤も恥ずべき様態を他人様に晒していることであり、男として生きてる資格が問われるべきなのだそうであります。思えば、北海道留萌線に「増毛」(ましけ)なる駅がありましたな。本ブログでやたらと「毛」にこだわってきたのも、私の潜在inferiority complex意識の発現であったのかもしれません。

「青年よ!女(め)にもてたくば、まずワカメ!」
これが今後の日本を支える男児への私の心底からのメッセージであります。そしてもう一つのメッセージ、それは
「薄き者、大志を抱け! カミ(髪または神)様は 創りしものに 憐憫あたふ」
です。さもなくば、この世に神はいない、差別の世界となってしまうからです。

 それはさておき、2018年のワールドカップ・モスクワ大会への日本の出場は厳しそうです。本田選手の劣化は私のような素人目にも酷く映ります。ブラジル大会直前に発症した病の後遺と見ています。その病歴を負いながら念願のイタリア・セリアAの名門ミランに入団。しかし、最高の体調時であればともかく、今は無理。なんとも不憫に思っています。
 試合で出場選手を選ぶのは監督ですが、ピッチ上では選手が自分たちで状況、戦術判断をせねばなりません。「中田英」のような、しがみつく敵選手をひきずり振り落としながら走りつつ、リーダシップを取れる選手が現在の日本チームにはいません。皆、おとなしい。 

+++++玉造(4)
 ここで紹介するのはHP(http://c23.biz/9GHj)からの引用です。これは「余湖くんのホームペイジ」(http://yogokun.my.coocan.jp/ )の一部をなすものです。この方の来歴は不明ですが、大変な「古城マニア」とのことで訪ねた城は日本にとどまらず遠くヨーロッパにも及んでいます。
さてこの「余湖くん」、が玉造とその近辺である行方市について紹介する城址・館址は:
行方市(旧玉造町)    石神館、稲荷館、井上城、井上長者屋敷、姥ヶ谷長者館、大場家、岡部館、小貫城、右近館、沖洲城、京ノ内館、三併堀、諏訪館、芹沢城、高須館、玉造城、手賀城、手賀長者屋敷、鳥名木(となぎ)館、捻木城館、野口館、箱根館、塙館、羽生城、原田館、人見館、藤平館、山中館、若常館、蕨城、
と、なんと30に上ります。これらの調査に際しては、自治体の関連部署を訪ね信頼すべき史料を入手するなど大変な労力を積み重ねていることが窺えます。それらと自らの観察を元にこのHP記事を作成しています。すごいものと感嘆しております。

 そのHP上の玉造編で最初に紹介しているのが「石神城址」です。私もこの呼称つまり「石神」に着目しています。それが前回記事の最後尾に示した地図に「青印」で記された場所です。
(図1: 石神館俯瞰図、上記HP より)
玉造ー石神館

 本ブログを読んでくださっている方には、この形状から、直ちにシリウス方位をとる前方後円墳を思い浮かべることと思います。須賀川の岩淵城、烏山の烏山城など、中世の城館の多くが古代の古墳の上に築城(築館)されていることを本ブログでも書いて来ました。この石神館もその一つと私は考えています。後刻書きますがこの石神館の北西方向には全国の古代史研究者が注目する古墳が三昧塚古墳など四基も霞ヶ浦の東縁に沿って築造されています。

 さて、この地に築造された古墳に埋葬された人物の陣屋はどこにあったのでしょうか?これまでの論法からすればそれは南南東方向(シリウス星方位)にあると想像できます。それが前回掲載した地図の赤印です。しかし、「余湖くん」があげる30もの城館のどれもが候補であることは間違いありません。勿論そのうちの多くは中世の有力者によって築かれたと思っています。概してその地の有力者が住む邸宅が後にそこの守り神として祀られます。それが神社の由来でもあります。そうした視点からは三つが候補に上がります。そのうちの二つは上記HPが上げる「稲荷館」と「諏訪館」です。そして、私はこれに石井戸稲荷神社を加えます。このうち、「諏訪館」は形状から見て、そもそもはシリウス方位の前方後円墳であろうと認定するならば、残るは二つの稲荷神社です。

 話が、逸れますが「諏訪」の「スワ」は「スカ」の転じたものと考えています。平城京の初代の天皇は「桓武天皇」で「カンム」と表音すると私たちは学校で教えられてきました。この「桓」を漢和大辞典で引くと古代にはfuanとも huanとも音されたと書きます。現代の日本語表記では「ハ」は時に「ワ」と音されます。私は「諏訪」の「ワ」は古代には「ha」で表される音であり、それは「ka」が転じたものではなかったか、と思っています。つまり、この地も「高―サカ」と呼ばれる渡来民の拠した地であったことの証拠と考えています。

 さて、残る二つの稲荷神社には共通した特徴があります。境内の拝殿に通ずる参道が「これみよがし」の「反シリウス方位」なのです。私は、この地にあっても藤原不比等率いる(と言っても実際に軍団を率いたのは藤原不比等地震ではなく幹部将校であったのでしょう)東国蝦夷への激しいまでの敵対心を見る想いがします。陣屋の主は渡来族の一員であったでしょうから、敷地の門から屋敷本殿への道は「シリウス」方位で設計建築したはずです。しかし、奈良の軍勢はそれについては「強引」に反対方向に向けてしまったのです。しかし、その際「イナリ」つまりアイヌの信仰体系までも破壊することは無かった。それなりに土着の信仰を尊重したのでしょう。

 長く時間が経過した後、かってこの陣屋に住んだ主(あるじ)が土地の「守り神」として祀られたのでしょう。それが現在の稲荷神社です。
(図:二つの稲荷社の参道。どちらも参道は反シリウス方位です)
2玉造ー稲荷神社


 どちらを、石神の墳墓の主の陣屋と選んでも下に示す計算にはほとんど影響しません。ここでは、前回の地図に示した石井戸稲荷神社が、その陣屋跡であるとします。それには、「後付け」ともいえない理由があります。それを書く前にいつもの計算です:つまり那須岳から見たこの神社の方位を算出します。
 
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[37.1278111,139.956895] 那須岳山頂位置(緯度、経度)
sta(lat,lon)=[36.1055701,140.42153]  石井戸稲荷神社位置
Dlt,Azm,Bzm= 1.09 159.82(方位) 340.10 (逆方位) 121.0 -km (距離)

 そこで、この方位角に相当する年代計算です:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1)
Angle=?159.82
tc = 671.408

 ここ玉造に陣屋を築いたのは西暦671年ごろであろうと推定されます。

 さて二つの神社の内、石井戸稲荷神社を選んだ理由は「石」(イシ、または イワ=磐)にあります。何故ならこの地に設営される陣屋は笠間と密接に関係しているはずです。その笠間には「
石井神社」があります。笠間で採石された「稲田石」に何がしかの大きな細工をほどこしたのが玉造なる地名の由来ではなかろうかと考えています。勿論それは前回書いたような「勾玉」製造ではありません。しかし、この地の主は「石=磐」の加工成型に習熟した人物であったろうと考えています。それは何か?次回、書きます。
(つづく)

+++++国から独立した311事故検証機関の設置を
 2011年3月11日の東京電力福島原子力発電所事故について、その原因究明、そして事故後の対応不備に夜福島県民が蒙った多大の惨禍などについての検証がん去れないまま、今日に至っていると、本日付東京新聞が指摘しています。長らく停止していた発電所の再開に当たっては、この事故から学んだ教訓がしっかりと生かされているべきとの主張は至極尤もです。
 たとえば、核燃料の溶落(メルトダウン)の直接の原因です。津波の来襲によって原子炉の冷却装置が絶たれた。それはどういう経緯を辿ったのか?そこが不明なのです。下の記事にもあるように、そもそもは強い地震動の来襲が炉の周辺を巡る複雑な配水管システムを損傷した可能性が国会事故調査委員会によって指摘されています。この委員会には他の事故調査委員会には含まれていない自身専門家が委員として調査・検討に加わっています。それだけにこの指摘を政府は重く受け止めるべきなのです。
(写真: 東京新聞2016年10月7日付より。クリックすると記事が拡大されます)
PA事故調査06



 これに銜えて、昨日の国会審議で、山本太郎議員が熱の篭った追及議論を安倍首相に向けました。詳細は:
https://www.youtube.com/watch?v=59pQWwZYu9k 
この動画で、安倍氏答弁最中に、その右側に座っている大臣と思しき人物。居眠りをしてますな。

 農水産物の汚染問題と共に、子供達への健康被害が顕在化してきています。息を吐くように平気で虚偽の言を吐きつつ、論旨不明の答弁を繰り返す安倍首相への怒りが込みあがります。このような人物への支持が青年層で六割を超えるというのですから、これも老いぼれの私には理解できないことです。

玉造(3)、ヤフーメール・盗み見

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当家の東西南北には、このところ必ず蛙がいるのでありますよ。写真の中央のカエルは西側の花鉢に潜んで、当家を「監視」しているんであります。北、南にそして東には三匹です。一体誰の回し者であるのか?不気味であります)
PA0青蛙02

さぞかしや わが安倍君も やりたかろう 民の抗う 気持ちをおそれ

 いつも書きますが、一国の主たるものが民への自らの施政説明能力を欠き、ひたすら力づくで押し通す。そしてそれをわが同胞は「ひれ伏せんばかり」の高支持率で称える。「どうして!どうして?」これが私の偽らざる感想です。その鍵がマスコミです。安倍氏は自らの施政への毛ほどの些細な批判に対しても目くじらを立て、報道当局に強い異議を突きつけ圧力をかけてきたのです。
 小沢一郎氏がそんな安倍氏の異常振りを呟いています。曰く:
%%%%%
戦後の歴史をよくみるべき。国会のたびに総理が厳しく追及されるのは当たり前。それが仕事。また、野党が総理の資質・問題をわかりやすく噛み砕いて国民に説明するように質問するのも当たり前。基本中の基本。それを一々感情的に激高する総理などいなかった。やはり日本政治そのものが壊れている証拠。

▼9月30日の衆院予算委で野党委員が自民党憲法改正草案について、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と規定した憲法97条の条文が削除されている点を追及。安倍総理は「いちいちの条文について解説する立場にはない」と答弁。正に些細なことといわんばかり。安倍総理の「憲法観」がよくわかる。
%%%%%

 安倍氏の報道への神経過敏、これは、まさに当家を四方から監視するカエルであります(冒頭の写真をご覧あれ)。先日は家の中(うち)にまで侵入してきました。そいつを掴まえ「助けてやるから今度来たときは、ダイヤモンドの一つも銜(くわ)えて来いよ」と、言い聞かせ放ってやったんです。しかし、ダイヤの一粒も持ってこず、相変わらずの監視を続けています。

 民を監視する。これは誠にもって効果的な治世であることをしみじみと感じさせるのがわが国です。これに倣ったのかどうなのか、インタネットで下記記事を見つけました。もはや報道ではなく、一人一人の民に監視の目が向いたのです。勿論当面の理屈は「テロ」予防と言うことなのでしょう。しかしその行き着く先は!「若者よ、「目を覚ませ!」と言いたいですな:
%%%%%ヤフーが全受信メールを監視、米情報機関の要請で=関係筋
http://c23.biz/N85Qロイター 10月5日(水)9時30分配信
[サンフランシスコ 4日 ロイター] - 米ヤフー<YHOO.O>が昨年、米情報機関からの要請を受けてヤフーメールのユーザーのすべての受信メールをスキャンしていたことが、関係筋の話から明らかになった。

ヤフーの元社員2人と別の関係筋によると、ヤフーは米国家安全保障局(NSA)もしくは連邦捜査局(FBI)の要請に基づき、数億件のヤフーメールのアカウントをスキャンし、情報機関が求めていた特定の情報をサーチしていた。

情報機関はヤフーに対し特定の文字をサーチするよう要請していたが、どのような情報を求めていたのかは明らかになっていない。関係筋によると、メールもしくは添付ファイルに記載されたフレーズを求めていた可能性がある。

ロイターは、ヤフーが情報機関にデータを手渡したのであれば、それがどのような内容だったのか特定できていない。また、情報機関がヤフー以外の企業に同様の要請を行っていたのかも不明。

監視活動の専門家は、すでにメールボックスにセーブされているメールのスキャンやリアルタイムで少数のアカウントを監視するのではなく、すべての受信メールをサーチする要請に応じ、明るみに出た米企業としては初のケースになると指摘する。

ヤフーの元社員によると、情報機関の要請に応じるマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)の決定をめぐり、一部幹部は反発。昨年6月の情報セキュリティ責任者アレックス・スタモス氏の辞任につながったという。

ヤフーは情報機関からの要請をめぐるロイターの質問に対し、声明で「ヤフーは米国の法律を順守している」とし、それ以上のコメントを差し控えた。

情報機関もコメントを差し控えている。
%%%%%

 さて、もう一つ面白い記事を見つけました。本ブログを読んでくださっている方々にはさほど驚くことではありません。八世紀に日本列島を支配した藤原不比等勢力が、世界の多様な政治思想と技術・文化を取り入れていることには何の不思議もありません。 
%%%%%奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前
http://c23.biz/QLuH 読売新聞 10月5日(水)6時4分配信

 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。

 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。

 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯(はし)」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。

+++++玉造(3)
 前回、魏志倭人伝の最後の部分について原文と共に私の解釈を書きました。この部分については「日本の古代 1、倭人の登場」(森浩一編、中公文庫)が詳しい解説をしていますので、私の解読との比較のために下に添付しておきます:
(図1:「日本の古代 1、倭人の登場」176頁より、図をクリックすると拡大され、読みやすくなります)
160916魏志倭人伝末部


 専門家の知見を集めてこの文庫本は編纂されていますから、私の稚拙な解読と比べるべくもありません。そうではあっても、学者先生が指摘していない解読の幾つかを挙げておきたいと思います。
 まずは「掖邪狗」です。この人物は、内戦調停に当たってくれた帯方郡太守に「停戦」を報告するべく「壹與」(「臺與」であるべきとの議論はここでは措きます)が派遣したとされています。既に書いたように「掖邪狗」の「邪」は「邪馬台国」のそれであり、「狗」は「狗奴国」に由来するであろうことは容易に想像がつくはずです。
とすれば「掖」の意味を知りたくなります。「学研・漢和大辞典」(藤堂明保編、1990年版)は「ヤク、エキ わきの下に手を添えて助ける」と書きます。これは明らかに漢語ネーティヴな太守側の書記官の観察がそのまま文字になったのです。仲違をしていた両国の代表が、介在人と共に「出頭」したのです。情景が臨場感を持って描写されているのです。これは人名でないことが明らかなのです。学者先生の想像力欠如を指摘しておきたいと思います。

 次は「青句珠」の件です。当然研究者の誰もが「枚」なる助数詞の使用法に着目します。そしてその使用法、事例を他の文献に探し求めます。専門家ですから、当然探す場所についての見当もついています。かくして個数を勘定する際に「枚」を用いることが「珍しくない」ことを解きます。しかし、そうであるならば「白珠」についても何故「五千」枚と書かなかったのか?あるいは何故「五千」個と書かなかったのか?それは私も指摘していますが「孔」にその貢物の「意義」があったからです。これも太守側の書記官の観察がそのまま漢字表記されたのです。
 「青句珠」は「翡翠石で作られた勾玉」とは想い難い。と、私は考えます。何故なら、列島には多くの青色勾玉が出土しているとウイキは書きます。それほど貴重な「貢」であるならば、わずか二枚と言うことは無かろうと思えます。私は前回書いたように、二枚の貝殻に鎮座する飛び切り粒の大きなそして美しい光沢の真珠であろうと思います。それはこれも前回書いたことですが「勾」あるいは「句」はL字状に曲がったという意味です(上記、漢和字典より)。ここから連想できるのが下の写真です:
(写真: これぞ、漢語が言う「句」つまりL字型ではないだろうか!http://c23.biz/U33S より)
parl161005
 

 日本列島での勾玉の出土はガラス製も含めて地域的にきわめて偏在している。一方、歴史研究者たちは「玉作部」なる専門家集団が全国各地に存在したと書きます。「偏在」と全国の多数の「玉造部」とは明らかに矛盾しています。
 むしろ出土の偏在は玉造なる地名の偏在でもあるのです。例えば「角川日本地名辞典」(1,983年版)が挙げる玉造なる地名はわずか12地点です。そこには、これから挙げる「霞ヶ浦東沿岸」の玉造は何故か含まれていません。上記、12の「玉造」(または「玉作」)で露に「玉を作成」したと記載するのは大阪のみです。
 しかし、この{大阪」なる記載の出典は日本書紀の「仁賢紀」です。つまり“日本書紀が書くので、この地に玉造があったことにする“との後日の「工作」の臭いがするのです。そう思わせるのはその場所が「難波」であると「仁賢紀」が書くからです。しかし、この地名は、明らかに九州福岡県北岸にあった儺河(現在の那の津)に由来します。藤原不比等がしてのけたあの「箱庭造成」の一環なのです。詳細は後刻書きます。

 「玉造」議論の冒頭にも書きましたが、「玉」には日本列島古代史の謎が潜んでいます。しかし、現代の古代学者はこれについては「決着済み」扱いです。さて、これから茨城の「玉造」を書くにあたり、「日本地名大辞典、茨城編」(朝倉書店、1,968)、「郷土史料辞典、茨城編」(人文社1997年)をまずは開いてみました。これらの分厚い書物が書く玉造町については、「太古の昔にこの地に玉造部」があったとの伝承があり、それが町名の由来となっている」と書くのみで、この地から勾玉の類が出土した、あるいは鋳型が出土したとの記事は全く無いことは誠に奇異なのです。ここには日本でも知られた「馬の透かし彫り金細工」を出土した三昧塚古墳をはじめ多くの古墳があります。しかし、そこからも「玉」の類の出土は無いのです。むしろ、この地から浮かび上がってくるのは「磐=石」なのです。

 そこで、この実態についての考察は後刻にすることとして、茨城県霞ヶ浦の東岸にある玉造を眺めることにします。これについても旧玉造町を含む現在の行方市のHPもこの地について多くを語りません。まずは旧玉造町の地図です。
(図1:青印は玉造城址、赤は稲荷社(ここに陣屋を置いたと思われる)。尚、ここから南東16kmの北浦に面した地に大生(おおふ)古墳群がある。この名前には「王が出生した」と言うメッセージが込められている、と私は考えている)。
玉造ー稲荷


 図1に二つの印がついています。この地点では無いかとの示唆は下記の記述からです。:
http://c23.biz/9GHj (玉造町、霞ヶ浦)。良くぞここまで整理してくださったと感謝の気持ちです。この記事を次回詳しく見てゆきたいと思います。

(つづく)

+++++再度原発関連記事
 前回も書きましたが、核兵器保持と言う隠された野望を抱く日本国の奥の院は、原発を止めることが出来ないのです。それはプルトニュームを持ち続けたいからです。そしてその野望を隠す絶好の理屈が「核燃料サイクル」です。
 それの実現の可能性なぞはどうでもよい。ともかく「エネルギ資源に乏しい我が国のエネルギ常時確保政策」であるとして、それを掲げていることを通じて、原発を維持し続けることが出来るからです。

%%%%%経産省と原子力ムラが導入を狙う「次のもんじゅ」 
再び巨額の税金が浪費される恐れ
________________________________________
週プレニュース http://wpb.shueisha.co.jp/2016/10/01/72748/

原子力ムラはなんとしてでも「核燃料サイクル政策」を死守しようと、
もんじゅに代わる新しい高速増殖炉の導入を画策している。それがフランスと日本が共同開発を進める「アストリッド」だ。

アストリッドは半減期(放射性物質の放射線を出す能力が半減するまでの期間)の短い核燃料を作れることが売りで、
2025年の完成を目指している。歴代内閣がためらってきたもんじゅの廃炉に安倍政権が踏み切ることができたのは、
このアストリッドがあるからだ。
もう一点、もんじゅ廃炉の背景に、省益拡大を狙う経産省の蠢きがあることも知っておくべきだ。
もんじゅの所管は文科省なのだが、アストリッドは経産省が所管する。経産省にしてみれば、文科省の影響を弱め、
経産官僚が国の核燃料サイクル政策を差配することを意味するのだ。

官邸は資源エネルギー庁次長などを歴任した今井尚哉(たかや)首相秘書官ら、経産官僚が仕切っている。
もんじゅ廃炉の最終決定を12月にして、「安倍政権が歴史的決断を下した」とすれば、次の選挙の有力な宣伝材料になりますよ、
とアドバイスして首相をその気にさせたのだろう。ただ、核燃料サイクルは未完成の技術で、アストリッドも実用化の確証はない。
アストリッドが「第二のもんじゅ」になるリスクは極めて高いという見方もある。なんのことはない。
結局は、再び巨額の税金が浪費されることになるということなのだ。
%%%%%

玉(珠)を考える、原発事故賠償経費は国民負担?海水からウラン

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:手袋で作った狐で鴉を脅し畑の野菜を守ろうとしています。目の付け所が良いですな。効き目はどうなのでしょうか。拡大は写真をクリックしてください)
PA02狐


 鴉除(よ)け 赤い狐が 大役かって コーンと一鳴き 畑を守れり

 本日付のブログ記事を書いている最中に、大隅良典博士のノーベル医学・生理学賞受賞のニュースが報じられました。ジャーナリズムは日本の大学の世界ランキングが、アジアで第四位に落ちたなどと大々的に報じていました。わけのわからない物差しを大学評価に持ち込めば、その順位はいかようにも変動するであろうことは、本ブログでもつい最近書きました。日本の大学の知的活動能力そのものは依然として世界のトップレベルにあると私は考えています。それを継承する若手の研究者がどんどん育って欲しいと思っています。


+++++那須岳―香取線、玉造町
 6月22日記事で、那須岳から香取を結ぶ直線上に存在する歴史的史跡を示しました。それは烏山であり、笠間です。さて、笠間から香取を結ぶ線は霞ヶ浦の東縁を通ります。この日本で二番目の湖水面積を持つ湖の周囲にはいくつもの古墳があることが知られています。東岸域にも少なくも四つの古墳がありそれらは、「旧玉造町」、現在の行方市域内です。

  この「玉造」という地名は、「勾玉」を通じて多分古代日本列島史を背負っている筈ですが、ウイキでも詳細は語られません。そもそも「玉」なる表現は「珠」と言う漢字表記でもって魏志倭人伝に登場します。その部分を以下に掲載します。一番最後の行に「珠」は登場しますが、その登場までの経緯をも書いておいたほうが良いようです:
%%%%%魏志倭人伝「珠」の部分
原文:
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人
更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人復立卑彌呼宗女壹與年
十三爲王國中遂定
政等以檄告喩壹與壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還
因詣臺獻上男女生口三十人貢白珠五千孔青大句珠二枚異文雜錦二十匹

文意:http://c23.biz/Nu3f によります(現ブログ管理人の考えは下に書きます)。
卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った。奴稗百余人が殉葬された。
あらためて、男王を立てたが、国中が服さず、お互いに殺し合った。この時千余人が殺された。再び
卑弥呼の宗女の壱与という十三歳を立てて王とし、国中はやっと治まった。
張政らは激文を発し、壱与に告諭した。壱与は、倭の大夫率善中郎将掖邪狗ら二十人を派遣し、張政等が帰国するのを送らせた。
この折掖邪狗らは洛陽に行き、男女の奴隷三十人を献上し、白球を五千孔、青く大きいまがたま二枚、異文雜錦二十匹を献上した。
%%%%%

 上に引用した部分は、邪馬台国と狗奴国の激しい確執に関する出来事です。魏の治世下にあった帯方郡の太守王が魏皇帝の意を受けて、「仲良くせよ」と倭の王に指示した後の顛末です。和解、または停戦協議の最中であったのか、どうかは定かではないけれども、一方の旗頭であった卑弥呼が死んでしまったために、どうやら和解の協議はご破算となったのでしょう。邪馬台国の側は男の王を立てて戦線を立て直すが戦乱は収まらない。そこで、卑弥呼の齢十三歳の宗女「壹與」を「王」に擁立し、やっと国は治まった。と倭人伝は書きます。

 ここで宗女「壹與」が後世の研究者の論議の対象となります。「壹」は「臺」の”書き写し間違い“では無いかというわけです。もしそうであれば、「壹與」は「臺與」となる。これは「たいよ」と音することができ、それは「トヨ」に転化し「豊」と漢字表記されるようになった。と、大方の歴史学者は主張します。

 私は「卑彌呼宗女壹與」の表記が漢文らしくないとかねてより感じていました。例えば、卑彌呼宗女は漢語ネーティブであれば「宗女卑弥呼」と表記するのではなかろうか?これが的外れでないとすると「卑彌呼宗女壹與」の部分は漢語を生齧りしていた倭人の「言」をそのまま太守の書記官が史書に書き写してしまったのではないか、と。
 もしそうであるならば、「臺與」は正しい漢語表現であれば「與臺」とあるべきであった。つまり、「卑弥呼の宗女が臺国の治世に与った」。と倭国の使節は、太守に語った。あるいは倭国の使節は「卑弥呼の宗女が臺国の治世に与った」なる意を込めたつもりの倭習漢文・文書を太守に差出したのではなかったか、と思っています。大陸側は、かくして「臺與」を女王の後継者の名前と思い込んだのです。

 さて、その「臺與」は、太守の檄を受け入れて、使節が帰国する際に二十名を付き添わせた。掖邪狗です。使われている漢字から、彼らは喧嘩をしていた「狗」奴国と「邪」馬台国から選ばれた人士であることが想像できます。彼ら人士を挟むようにして介添人「掖」が同行したのです。こうして仲たがいをしていた二国の代表とその仲介者の存在を以って、太守に「和平が成立」したことの証としたのです。これに相当する魏志倭人伝表記はまさに太守側の使節の観察がそのまま漢字で記されたのだろうと思っています。

 私が、ここで、あえて原文を掲載したのは、「漢文を読む能力」を欠く現管理人にも、漢字列を眺めているだけで「実は多くの事柄が見えてくる」ことを示したかったからです。ましてや日本書紀、古事記、そして万葉集には日本列島に住む我々でしか見えない歴史の真実が、「原文」に潜んでいるのです。

 こうして、魏皇帝の意を受けた帯方郡太守の労への謝意が最後の行です。つまり「貢物」です。奴隷に加えて献上したのが「白珠五千孔青大句珠二枚」です。白珠とはガラス玉でしょうか。「ガラス質の珪酸」を流し込んで勾玉形状の「玉」を作成したと思われる鋳型が福岡県で発掘されています。
 こうして出来た生産物は「孔」の数で勘定したのでしょうか?とすると、この白珠の価値は「孔」にあるのです。紐を通して、首の周囲を飾ることに「権威付け」という大きな意味があったのでしょう。五千とはずいぶんと大きい数です。贈った側は何人分を想定したのでしょうか?それとも太守の使節が五千個を要求したのでしょうか?誠に興味深いのですが、これ以上の詮索のための材料はありません。

 さて、次に「青大句珠二枚」です。日本国の古代研究者はこれを翡翠の「勾玉」であろうと書きます。それにしてはたったの「二枚」です。インタネットで見る限りではその大きさは高々10cm程度のようです。これを「大」と表現するだろうか?そうとすれば僅か「二枚」とは?そして、何故「枚」という助数詞が用いられているのか?「句」は「勾」と同じくL字型に曲げるという意であり、「珠」は円いという意です。句珠はL字型に曲げられた玉と言うことで、我々が学校で教えられた「勾玉」と同じ形状です。しかし、それが大型で、僅か「二枚」。
 私は、これは阿古屋貝(あこやがい)、つまり真珠貝ではなかったかと想像しています。濃緑色の貝蓋つきの真珠を献上したのだろうと思います。貝であれば、それを「枚」で勘定することに不思議はありません。これは太守と言うより、魏皇帝と夫人に宛てたのでしょう。

 そうなると、古事記・日本書紀に登場する「玉(または珠)」とはなにか?「玉作」とは、一体何を作っていたのでしょうか?わからないまま話をすすめるしかありません。
(図1:10月3日付東京新聞より。一見古代史とは無関係の記事です。しかし、日本列島に住む人間が物に命名する際の「やり方」には太古の昔と、明治の時代そして現在と共通する手続きがあると私は考えています。その意味で、大変面白く詠みました)。
PA0呼称14


 「珠」(あるいは玉)に「タマ」なる表音を付したのは何時頃であったのか?卑弥呼の時代にすでに「タマ」なるものが存在していたことは確かでしょう。そしてそれは大陸の人間から見れば「珠」なる漢字で表現されるものであった。私は、五世紀に北方経由で渡来したシリウス信仰族が「珠」を見てそれを「タマ」と呼んだのではなかろうかと想像しました。そこで、ペルシア語辞典で「タマ」なる音を持つ言葉を捜してみたのですが、今のところそれらしい語は見つかっていません。もし、見つかればそこから「珠」の実体が見えてくるのだろうと期待していたのですが。
(つづく)

+++++原発事故倍賞
 原子力発電を国から押し付けられている民間会社にしてみれば、下の記事に書かれていることは当然の要求と思います。それを改めて民間会社が実感したのが2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所事故でした。原子炉周辺の深刻そのものの事故後始末に加え、汚染水、汚染土の始末、それ加え深刻な被災者への生活・産業補償を思うなら、こんな危ない商売はありません。
 原発業者は当然それを承知しています。それでも原発を引き受けているのは、損失に繋がる部分のほとんどを政府が引き受けることを前提にしているからです。損をする部分だけを政府が引き受け、得する部分を民間が引き受ける。つまり電力会社は原発によって儲かることが約束されています。だからこそ、電気事業連合会は大枚をTVマスコミに広告費を投じて、原発普及にあいつとめてきたのです。

 何故、政府は、国民に過重な負担をかけてまで、これほどに危ない原発を維持しようとするのか?膨大な経費を厭わないのか?それはプルトニューム生産にあるからと私は考えています。米国、IAEAなど世界から警戒心でにらまれても政府と財界奥の院は「核兵器」所有したいのです。プルトニュームを持ちたいのです。つまり「一人前」の軍事国家になりたいとの野望です。周辺国を威嚇できる軍事力です。すぐお隣の独裁国家と発想は同じです。


%%%%%原発事業者の事故賠償に上限案 超えた分は国民負担も
朝日新聞デジタル 10月2日(日)3時2分配信http://c23.biz/M9zN 
事故補償161002


原発事故での「有限責任」案とは?
 重大な原発事故を起こした電力会社などの賠償責任に上限を設け、超えた分は税金や電気料金などの国民負担で補う「有限責任」案が浮上し、具体案が明らかになった。国の専門部会が近く示す。現行の無限責任制度と比べながら、今年度中に見直し案をまとめる。

 東京電力福島第一原発の事故による損害は兆円規模となり、現行の民間保険や政府補償で備える最高1200億円を大きく超えた。電力業界から有限責任化を求める声が強まり、内閣府の原子力委員会が設けた専門部会(部会長=浜田純一・前東大総長)で昨年5月に議論が始まった。

 専門部会は3日から、責任範囲の集中審議に入る。内閣府は現行のまま「無限」とする案、「有限」として国民負担を求める案の両方を提示する。
%%%%%

 関連してScientific American誌に妙な記事を見つけました。短文なので、いかに紹介しておきます。「ヒト」という生物種の欲望は果てが無く、チェルノブイリ、福島の事故があっても未だにウラン、つまり原子力発電に強い執着を持っていることが明らかになる記事です。使用済み核燃料、放射能汚染機材などの処分は次に考えれば良いということなのでしょう。
%%%%%Scientific American誌、7月1日記事の紹介
http://c23.biz/Xfz5
Uranium Extraction from Seawater Takes a Major Step Forward
海水からのウラン抽出には大きな飛躍を要する
Earth’s oceans hold four billion tons of the element used to power nuclear plants
原発に力を与えるうらにゅーむを地球の海は四十億トンも抱えている
By Jennifer Hackett on July 1, 2016
Credit: Doug Lewis/Flickr, CC BY 2.0
The earth's oceans hold enough uranium to power all the world's major cities for thousands of years—if we can extract it. A project funded by the U.S. Department of Energy is making notable advances in this quest: scientists at Oak Ridge National Laboratory and Pacific Northwest National Laboratory have developed a material that can effectively pull uranium out of seawater. The material builds on work by researchers in Japan and consists of braided polyethylene fibers coated with the chemical amidoxime. In seawater, amidoxime attracts and binds uranium dioxide to the surface of the braids, which can be on the order of 15 centimeters in diameter and run multiple meters in length depending on where they are deployed. Later, an acidic treatment recovers the uranium in the form of uranyl ions, a product that requires processing and enrichment before becoming fuel. The procedure was described in a special report this spring in Industrial & Engineering Chemistry Research.
The process is still inefficient and expensive, but finding alternatives to uranium ore mining is a necessary step in planning for the future of nuclear energy, says Stephen Kung of the DOE's Office of Nuclear Energy, who was not involved in the project. Terrestrial sources of uranium are expected to last for only another 100 to 200 more years. “We need to take the longer view on this resource,” Kung says.
 地球海洋は、これからの何千年もの間世界の大都市の全てに電力を供給できるほどたくさんのウラニュムをかかえこんでいる;もし、それが抽出できたらの話ではあるが。米国エネルギ省予算による一つのプロジェクトがこの設問に注目すべき進展を成している:Oak Ridge National Laboratory and Pacific Northwest National Laboratorの研究者達が海水から効果的にウランを抽出できるような有る物質を開発した。その物質は日本人研究者による成果にもとづいており化学アミドキシムでコーティングされた編状ポリエチレン繊維で構成されている。海水中ではamidoximeは直径15cmであるが、広がりに応じてメートルの長さにも成長し、網上に二酸化ウランを集め、結合する。その後に酸化処理をしてウラニウムイオンの形で燃料になる前に濃縮などの処理が必要となるウランに戻す。その行程はこの春にIndustrial & Engineering Chemistry Research誌特別号に記述されている。この行程そのものは未だ非効率である高価であるがウラン鉱に替わる発見が核エネルギの将来を計画する必要な段階戸なる、とこのプロジェクトには関わっていないけれども、この分野の専門家であるStephen Kung of the DOE's Office of Nuclear Energyは言う。ウランの地上での量は僅か100~200年間しか持たないだろう。とすれば、“この資源ついてもっと長い視野を持つべきだ”とKungは言う。

BY THE NUMBERS(概量試算)
海水中のウラン量:3.3 Micrograms Per Liter (リッタあたり3.3マイクログラム)
Concentration of uranium in seawater
4 Billion Tons (海水中のル用可能な全ウラン量: 40憶トン)
Total uranium available in all Earth’s seawater
6 Grams (ウラン含有物質1kgから抽出できるウラン量:6g)
Weight of uranium extracted per kilogram of adsorbent material
8 Weeks (6g抽出に要する時間: 8週)
Time required to extract 6 grams
27,000 Kilograms (一年間に10億ワット出力に必要なウラン燃料:27トン)
Amount of uranium fuel needed to run a 1-gigawatt nuclear power plant for one year


SOURCES: COSTAS TSOURIS Oak Ridge National Laboratory (first, third and fourth items); COSTAS TSOURIS Oak Ridge National Laboratory AND STEPHEN KUNGOffice of Nuclear Energy, Department of Energy (second item); WORLD NUCLEAR ASSOCIATION (fifth item)
This article was originally published with the title "Water Power"

出典:コスタス悩みオークリッジ国立研究所(第一、第三及び第四の項目)。コスタス悩みオークリッジ国立研究所 AND STEPHEN KUNG 原子力、エネルギー省の事務(第二項目)。世界原子力協会(5番目の項目) この記事は"Water Power"と言うタイトルで出版された。
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神無月と玉造、何故地震動の始まりは小さい

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:撮影者の背後にある沼から流れ出る小さなせせらぎは、前方の蓮池公園に流れ込みます。四・五年ほど前の激しい住宅地造成で水脈が分断されたのでしょう。沼は干上がり、このせせらぎも前方の蓮池もただのぬかるみ状態でした。二年半前の大雪をきっかけにして破壊された水脈網の幾つかが回復したようです)
P930せせらぎ03


 秋(あき)盛(さか)み キンモクセイの 花香(かお)る 明日から神は 出雲へ出張る

 秋(あき)盛(さか)み: 秋が真っ盛りなので(本ブログ管理人の造語)

+++++玉造
 十月は神無月です。列島全土の神々は出雲に集合し日本列島の民が抱える諸問題を審議するのです。本年の主課題は一体何であるのか。思えば、現在の我が国の政治を担っている国会議員の多くが「日本会議」なる団体メンバです。この会議を「思想的」に支えているのが神道政治連盟です。この団体のHP(http://c23.biz/8Cfi )は以下を書いています:
「(略称・神政連)は、世界に誇る日本の文化・ 伝統を後世に正しく伝えることを目的に、昭和44年に結成された団体です。 戦後の日本は、経済発展によって物質的には豊かになりましたが、 その反面、精神的な価値よりも金銭的な価値が優先される風潮や、 思い遣りやいたわりの心を欠く個人主義的な傾向が強まり、 今日では多くの問題を抱えるようになりました。 神政連は、日本らしさ、日本人らしさが 忘れられつつある今の時代に、 戦後おろそかにされてきた精神的な価値の大切さを訴え、 私たちが生まれたこの国に自信と誇りを取り戻すために、 さまざまな国民運動に取り組んでいます。」
と、書き、この団体の主な取り組みとして
 「皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指します。」
を真っ先にあげています。

 古事記、日本書紀に忠実に従うとすれば、皇室の伝統なるものは、列島のいたるところで庶民を見守ってきた八百万の神々に支えられ、存続してきたのです。明日からの出雲の会議では、神々はこの「神政連」への疑義を噴出させるのではなかろうか、と思っています。

(図:9月29日付け、東京新聞竹田茂夫氏コラムより。上に紹介した「神政連」は「金銭的な価値が優先される風潮や、 思い遣りやいたわりの心を欠く個人主義的な傾向が強まり・・との憂いを表明しますが、それを助長しているのが神政連が進める現今の政治では無かろうか、と竹田氏は指摘します。そして、こうした政治は神々の想いとは逆行していると私は思うのでありまするよ」
P9300竹田


 八年前に初めて出雲を訪ね、本殿の脇に立つ神々の宿舎を見物しました。部屋の数が集合する神々の数に比して圧倒的に少ない。どうやら、相部屋なんですな。

 さて、この出雲に玉造湯と言う温泉郷があります。残念ながらそこを訪ねることは出来ませんでした。ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキが書く玉造温泉の歴史
 奈良時代開湯といわれる古湯で、少彦名命が発見したと伝えられている。『出雲国風土記』抄にも記載があり、神の湯として知られた。また江戸時代には松江藩藩主の静養の地となっており、湯之介と呼ばれる温泉を管理する役職も設けられていた。玉造という名の由来は、この地にある花仙山で良質の青瑪瑙が採掘できたために、この地の人々が玉造を生業としていたことに由来していると考えられる。三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によってこの地で造られたと言われている。玉作湯神社にはその櫛明玉命を祀っており、多数の勾玉や管玉が社宝として保管されている。
%%%%%
 私はかねてより、万葉集四歌の冒頭に読み込まれている「玉」とは何か?との疑問を持っていました:
万葉集四歌:吉村誠氏による検索システムより(http://c23.biz/Dgk2 )
 題詞 (天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌)反歌
原文  玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
訓読  たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
仮名  たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの

 この歌は先行する「三」歌の反歌です。従って三歌の解読が正しくなされなければこの四歌の歌意も正しく伝わらないことになります。万葉集の初期歌群の解読は多分鎌倉時代の僧侶、あるいは公家と言った当時の識者が先鞭をつけたのだろうと想像しています。そしてその解釈を700年以上にわたって今日までに引きずっているのが現在の「万葉集・解読学」であると私は考えています。
 実は万葉集が日本列島古代史解明の最大級の真実の史書なのですが、そこを鎌倉の時代から一貫して見失っているのです。そのために、初期歌群の解読はほとんど「頓珍漢」であることは、幾つかの市販されている本から明らかです。

 話は、ついつい「愚痴」になりました。ここで詠われている玉とはいわゆる「勾玉」(日本書紀では「曲玉」と漢字表記)なのでしょうか?「勾玉」の出土数が圧倒的に多いのが九州、それも福岡県ですから、上記四歌の舞台は北九州と言うことになります。この一点を見ただけでも、四歌のこれまでの解読は「怪しい」といわざるを得ません。

 さて、九州は福岡に圧倒的に多い「勾玉」の出土。その製造部局が「玉造部」であったと古代史研究家は書きます。それが、この島根県出雲近傍と大阪・難波であるといいます。これも大変「妙ちきりん」なのです。この議論については、後日再検討しますが、日本列島にはもう一つ「玉造」という地があるのです。そしてそれがなんと「那須岳―香取」線上にあります。今回は地図上でその地を示すにとどめ詳論は次回とします。
(図:常陸の国の玉造)
玉造160930


(つづく)
 余談ですが、昔「野武士集団」と呼ばれた野球チームが福岡にありました。そうです。「西鉄ライオンズ」です。そこに、なんと常陸国出身の名外野手がいました。「玉造陽二」選手です。当県で一・二を争う名門校である水戸一高出身と言いますから文武両道であったようです。


+++++
 前回、“Centroid time minus hypocenter time”(以後、C-h時間と略称)なる量について一つの考察を書きました。それに関して以前より注目すべきことが指摘されていました。そこで、それを実際に確かめてみました。
 
 Global CMT Catalog Search(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )にリストされる世界の地震から期間 2010年1月17日〜同年3月13日に北海道を除く東日本に起きた地震のみを拾い出します。その個数は70個です。いうまでも無いことですが、2011年3月11日の東日本巨大地震の発生前後の地震群です。
(図2 拾い出した地震群。M>5.5,青、>6.5 赤、>7.5、緑で表示されています。青の曲線は日本海溝の最深位置)
2010-20110314


 これらの地震について“C-h時間”と地震の規模、Mw,の関係を図示してみます。
(図3 “C-h時間”と地震の規模、Mw、との関係。横軸はモメントマグニチュード、Mw。縦軸は“C-h時間”、色は地震規模分類)
C-htime0311


 大きい地震ほど、“C-h時間”が長くなっていることがわかります。これは、震源での岩盤破壊過程の忠実な反映であろうと考えています。ある岩盤領域を周囲応力が寄って集(たか)って破壊せんとするのが地震です。その際、大きな領域を瞬時に破壊するよりは、領域の狭い領域に力を集中して、まずはそこを破壊するほうが小さな労力(エネルギ)で済みます。この小さな破壊域を手がかりにして、そこを拡大していったほうが実は小さなエネルギで全体が破壊できるのです(破壊領域の拡大過程)。かくして大きな地震ほど、破壊領域が大きいので時間がかかります。更には、後発の破壊が生成する地震波には、先発の破壊が射出した地震波が重なり波の振幅も大きくなります。こうして出来上がった地震波に理論を合致させるにはCentroid timeは実際のP波到達時刻より遅れが大きくなるのです。

 この調査では、他にも幾つかの関係を調べています。それを次回に書きます。
(つづく)

昨日の新聞に南海地震の規模に関する予測研究が紹介されていましたので、それを転載しておきます。
 
%%%%%【特集】“超巨大津波”の恐れ 南海トラフ地震でも
毎日放送 9月29日(木)14時25分配信http://c23.biz/L9Ef 日本列島の南側には深さ4000メートルの深い溝が横たわっています。これが南海トラフです。その南海トラフでこれまで想定されていなかったある動きが、名古屋大学の調査で初めて観測されたのです。この調査によって、巨大というより超巨大津波の恐れが高まっていることがわかりました。

 名古屋大学の田所敬一准教授らの研究グループは2013年から3年間、和歌山県新宮市の約100キロの沖合いの海底の動きを調べてきました。その結果ー

 「トラフ軸(海溝軸)の近くにも歪みをためていそうだ、陸に向かって押されてそうだ、ということがわかってきた」(名古屋大学大学院・地震火山研究センター 田所敬一准教授)

 「トラフ軸」とは一般的には「海溝軸」と呼ばれていますが、フィリピン海プレートが陸側のプレートに沈み込む境界付近のことです。そこに歪みが溜まると、何が起きるのでしょうか。

 静岡県の駿河湾から九州の東まで続く南海トラフの周辺では、100年から150年の周期で、M7あるいは8クラスの巨大地震が繰り返されてきました。巨大津波は駿河湾が震源の東海地震、その西の、三重県沖までを震源とする東南海地震、そして四国沖までを震源とする南海地震の、3つの地震が単独あるいは連動して起きたときに発生すると考えられてきました。

 しかし・・・5年前の東日本大震災がその考え方を一変させました。どうしてあれほどまでの巨大津波が発生したのか?地震後、研究者らが調査したところ、従来、想定していなかった場所、「海溝軸」の周辺で地震が起きていたことがわかったのです。東日本大震災では想定されていた震源域に加え、海溝軸周辺でも地震が起きたことで、津波がさらに大きくなったのです。なぜ、海溝軸が動くと超巨大津波になるのか?

 海のプレートが陸のプレートにちょうど入り込む「海溝軸」は、従来の想定された地震の震源域よりも浅い場所です。つまり海面に近い「海溝軸」の周辺が跳ね上がれば、短時間で大きな津波を引き起こすのです。東日本大震災では、この海溝軸周辺も跳ね上がり超巨大津波を発生させました。

 南海トラフで同じことが起きる恐れはないのか。名古屋大学の田所准教授らは、深さ約3500メートルの海溝軸周辺の3箇所に観測機器を設置。海上の船から音波を出して海底の動きを監視してきました。その結果、南海トラフでも海溝軸周辺にひずみを溜めていることがわかったのです。

 「南海トラフに非常に近くに場所、西北西に年間4センチくらい動いていることがわかった。この紀伊半島沖でプレート境界の近くが歪みをためているというのがわかったのは初めて」(名古屋大学大学院・地震火山研究センター 田所敬一准教授)

 つまり次の南海トラフの地震でも、海溝軸で地震が起き、東日本大震災と同じような超巨大津波を引き起こす恐れがあることになります。田所准教授らはこの調査結果を来月開かれる日本地震学会で発表するとともに今後、さらに観測点を増やし、調査を続けることにしています。

 そしていま、その巨大津波による被害軽減をめざして「ある技術」が注目を集めています。それは天気予報などで雨の粒を観測するレーダーの応用です。

 津波防災を研究する関西大学の高橋智幸教授が目をつけたのが、すでに実用化されている「海洋レーダー」というもので、海岸に設置したアンテナから海面に向かって電波を発射し、波に反射した電波を受信して波の形などを観測します。現在、海洋レーダーは海流の観測をはじめ、海面にたまったゴミを発見し、船で回収することなどに使われていて全国各地に設置されています。この「海洋レーダー」が東日本大震災の津波を捉えていました。

 「一般的に使われているレーダーは、ひとつの地点で5,60キロから200キロまで測ることができる。レーダーを1基いれるだけで相当広い範囲が測れる」(関西大学社会安全学部・高橋智幸教授)

 現在、気象庁による津波観測はGPS津波計によるもので、海上に設置した装置が襲来する津波をひとつのポイントだけで観測します。しかし、レーダーでは何十キロにもわたり津波を面でとらえることができ、速さや高さもわかることから、海岸部の市町村に詳しい被害予測を伝えられるようになります。

 超巨大津波の可能性が高まった次の南海トラフ地震。一方で、「津波レーダー」など新たなツールが活用できることが明らかになってきました。被害を軽減させる方策がますます重要になっています。
%%%%%記事紹介終わり

 もう一つ、地震の話題をネットで見つけたので転載しておきます。電離層での電子の数が地震の前で急増するとの観測が報告されたのは、2011年3月11日の東日本大地震を巡る諸物理化学現象の分析がなされた際でした。どうやら、この現象は大地震発生に先行する現象であったようだ、と京都大学研究者が明らかにしています。
%%%%%震災前、上空の電離圏に異常
http://c23.biz/kksF 
京大が検出、地震予測に道 2016/9/30 13:26

(図4:電子の数を測定するイメージ )
予知ー電子数


 東日本大震災やその前後にあったマグニチュード(M)7.0以上の地震が発生する20分〜1時間ほど前に、上空300キロ付近の「電離圏」で電子の数が増える異常があったことが京都大の梅野健教授(通信工学)のチームの分析で判明し、米専門誌に30日発表した。
 チームによると、M8.0以上の地震で電離圏の電子数が増えていることは知られていた。チームの手法は従来法と違い地震後のデータとの比較が不要で、分析速度を上げられれば地震を予測できる可能性がある。
 梅野教授は「現在はパソコンでの分析に時間がかかるが、将来は地震の警報システムに生かせるのでは」と話している。
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房総遥か東沖地震(補足)、英才教育(nature誌、最終回)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:撮れたて新鮮・生写真、第二弾!、ドングリが実を付け始めました)
P928どんぐり3


つかの間の 秋の長雨 一休み 周囲の木々は 蜘蛛の巣祭り

 二日続けて、朝の雨が止んでいます。この時を逃すと、又歩けなくなります。田んぼの畦から雑木林へ足を伸ばして驚きました。木々の枝に二重、三重に蜘蛛の巣が張っています。夫々、立派なオウナーが中央に陣取って周囲を睥睨しています。その中で、見つけたのがなんとハンモック型の巣でありました。

(写真:ハンモック型蜘蛛の巣)
P927ハンモック巣


 汚染水、汚染ダム、そして汚染土、どれもこれもが年月に比例して増加します。しかし、未だに処分法が定まっていない。実際、難しかろうと思っています。文字通り「取り返しのつかない事故」と言うべきです。金が際限なく使われます。東電で賄いきれない場合は国民負担です。それにしても、我が民は何故黙ってるのか?不安ではないのか?

%%%%%飯館村のフレコンバックは180万個一ヶ月に10万個のペースで増え続けている
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/333201 
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 「飯舘村のフレコンバッグは180万個あると、国が発表しています。翌月には190万個。一ヶ月に10万個のペースで増え続けている」
2016年9月22日、東京・代々木公園にて「9.22さようなら原発さようなら戦争大集会」が行われ、大雨にも関わらず全国からおよそ一万人が集まった。
集会では福島県飯舘村出身の長谷川健一氏がスピーチ。
汚染土などを入れた黒いフレコンバッグが一ヶ月に10万個ずつ増えるといい、原発事故から5年以上が過ぎた今も続く、汚染の深刻さを訴えた。
そんな中、政府は来年3月には飯舘村の避難指示を解除する方針。長谷川氏は「帰る人は自己責任で帰れと言っている。
そんなのはおかしい」と話し、安全が保障されていない中での一方的な帰還政策を批判した。
詩人のアーサー・ビナード氏や女優の木内みどり氏、作家の澤地久枝らが登壇し、スピーチ。
予定されていた集会後のデモ行進は、雨天のため中止となった。

>>フレキシブルコンテナバッグ (Flexible Containers) は、粉末や粒状物の荷物を保管・運搬するための袋状の包材のことである。略してフレコン[1]、コンテナバッグ、フレコンバッグとも呼ばれる。1トン程度の重量物を充填できる容積・強度のものが主流であることから、トン袋と呼ばれる場合もある。
ふれこんバッグ001

%%%%%
 
+++++房総半島沖地震(2016.09.21〜09.23)補足
 東京新聞毎週木曜のコラム担当者は法政大学の竹田茂夫氏です。限られた文字数に最大の情報が詰め込まれているせいでしょうか。「専門用語」には、実は多くの意味が込められており、それで以って長文を要する筈の説明が僅か数単語で済んでしまいます。しかし、これは読者に書き手の思いを伝えたことにはならないんですね。私も同じようなことをしているなと、前回のブログ記事を読み返して反省しました。
 前回記事は、9月21日に始まった房総半島東沖、三重会交点(Triple Junction、三つのプレートが一点で会交している)での活発な地震活動を書きました。二点ほど詳しい説明を省略してしまいました。そのことについて前回記事を補足して置きます。
%%%%%前回記事一部再掲
201609230613A NEAR EAST COAST OF HONSH
Date: 2016/ 9/23 Centroid Time: 6:13:21.3 GMT
Lat= 34.53 Lon= 141.55
Depth= 12.0 Half duration= 1.2
Centroid time minus hypocenter time: -2.8
Moment Tensor: Expo=24 0.217 -1.480 1.260 0.260 -0.155 0.105
Mw = 5.4 mb = 0.0 Ms = 5.1 Scalar Moment = 1.4e+24,NonDC=0.1691
Fault plane: strike=227 dip=78 slip=-1
Fault plane: strike=317 dip=89 slip=-168

 <<1>>9月23日15時の相模トラフ沿いの横ずれ断層地震については、そのNonDcの値が0.1691と大きく算出されています。どのような意味があるのか?断層面が滑らかでなくグサグサの環境下での地震とも思えます。観測された波形に大きなばらつきがありそれを反映している可能性があります。が、そうした可能性が排除されるとするならば、上下方向(鉛直方向)にかなり大きな引っ張り応力が地震発生時に働いていたということになります(NonDCの値が正なので)。つまり、二つのプレート△鉢の接触面で、△下方から引っ張られていた。その結果二つのプレートに働く摩擦力が減じた。かくして23日15時の地震が起きた、と言うシナリオです。これが真実とするならば、フィリッピン海プレートは”下方に動きたがっている“と、いうことになります。現時点ではそれを定量的に評価する理論的手段は無いようです。

 (補足)これは、文字によるのではなく、図で説明したほうがわかり易いと思います。
(図1:震源での力系、aとbは数学的に同等(equivalent)。大方の地震についてはその震源で働く力系はこれで説明できる。,cは実際の地震で放出された地震波の理論解析は図a,または bの力系に加えて橙色で示される力系が残留する。この残留力系が解析途上の誤差であるのか、それとも何がしかの物理過程を反映したものであるのか?)
P9280007


 図の説明でも書いたように、この残留力系が物理過程の実態を反映しているとするならば、その暗意することは誠に興味深いのです。つまり、震源では、岩盤を押し開く力が小さいといえでも働いたことを意味するからです。断層面を挟んで二つの岩盤が押し広げられる。これは岩盤の接触面が小さくなることを意味しますから、摩擦力が減じます。つまり岩盤を隔てる断層面は動き易くなるのです。

<<2>>さらに興味深いことはこの地震のCentroid time minus hypocenter time:=-2.8と負の値になっています。この意味については本ブログでは未だ説明していません。これから説明するはずでした。P波の観測点への到達が予想よりも遅れていることが理由であるとすれば、それは震源近傍の岩盤の物性環境を推定させる情報なのかもしれません。

(補足)Centroid time minus hypocenter time とは

(図2:二種類の地震計を通してみた地震波。,錬庁( Dynamic range Broad band)地震計。小さな地震から大きな地震まで記録でき(Dynamic range)カバーする周波数帯域が広い(Broad band)。△賄達信号に鋭敏に反応する短周期(Short Period)地震波用地震計)
P928初動
 

地震が発生した場合、その震源位置は各観測点での地震記録でのP波の到達時刻を読み取り、それをデータとして計算で算出します。何故なら、ほとんどの地震についてはその震源は地中深くであったり、海底下であるからです。人間が現場には行けないので計算で推定するしかないのです。出来るだけ精度良く到達時刻を計測するには△涼録矛廚向いています。しかし、この地震計は地震の波が含むゆっくりした震動(長周期震動)をフィルタ作用で除外していますから、地震の全容を体現していません。いずれにしてもこの情報で、地震源での「ピチッ」という微小な岩盤破壊の始まりの位置を定めることが出来ます。
 一方、岩盤に起きる破壊の全容はむしろ△涼録滅鳩舛鉾娠任靴討い襪塙佑┐蕕譴泙后この波形の特徴は最大振幅が到達時刻から遅れて現れます。ところでCMT解は波形を理論に併せるようにテンソル成分を決めると以前書きました。波形の合致では、最大振幅にあわせることが最優先です。そのためには理論波形の出現時刻をずらせるのです。このずれがCentroid time minus hypocenter timeです。図2の事例に見るようにそれは普通正の値です。ところが9月23日の地震では、P波の到達時刻の前に大きな振幅波が出現してしまったのです。考えられる理由のひつは、この地震が群発地震の中に取り込まれて起きたため、P波の到達時刻が決定しにくかったのではなかろうか、と私は考えています。

+++++英才教育(4、最終回)
 長い記事のもとは週刊科学誌natureです。それを米国科学誌(scientific American)が転載したものを本ブログで紹介してきました。45年間にわたる英才教育から教育心理学者が学んだことは下で読んで頂くとして、そもそも10,000人に一人の英才がどのようにして生まれ、育ったのか?私にはそれが大きな関心事でありました。記事の趣旨と異なる訳が多々あろうかと思います。おかしいと気づいた際には原文を参照ください。

%%%%%記事紹介はじめ
ON THE FAST TRACK
ファーストトラック上

When Stanley began his work, the choices for bright children in the United States were limited, so he sought out environments in which early talent could blossom. “It was clear to Julian that it's not enough to identify potential; it has to be developed in appropriate ways if you're going to keep that flame well lit,” says Linda Brody, who studied with Stanley and now runs a programme at Johns Hopkins focused on counselling profoundly gifted children.
At first, the efforts were on a case-by-case basis. Parents of other bright children began to approach Stanley after hearing about his work with Bates, who thrived after entering university. By 17, he had earned bachelor's and master's degrees in computer science and was pursuing a doctorate at Cornell University in Ithaca, New York. Later, as a professor at Carnegie Mellon University in Pittsburgh, Pennsylvania, he would become a pioneer in artificial intelligence.
“I was shy and the social pressures of high school wouldn't have made it a good fit for me,” says Bates, now 60. “But at college, with the other science and math nerds, I fit right in, even though I was much younger. I could grow up on the social side at my own rate and also on the intellectual side, because the faster pace kept me interested in the content.”
 Stanleyが彼の調査を始めたとき、米国で“できる子”どもたちの選択は限られていたので、彼は初期の才能が開花する可能性があった環境を探した。“Julianには才能を識別するためにそれが十分ではないことは明らかだった;炎を明るく灯し続けようとするなら適切なやりかた㋾開発せねばならない“と、Linda Brodyは言う。彼女はStanleyの共同研究者であった。そして現在はJohns Hopkinsで大変才能に恵まれている子供達のカウンセリングに関する調査プログラムを進めている。
まずは、多様な努力がケースバイケースでなされた。他の賢い子どもたちの親達が、Batesに関する調査を知った後、Stanleyに接近してきた。その頃、Batesは大学入学後も順調に才能を伸ばしていた。17歳までには、彼はコンピュータサイエンスで学士号と修士号を取得しCornell University in Ithaca, New Yorkで博士号取得を目指していた。後に, 彼は Carnegie Mellon University in Pittsburghの教授として人工知能のパイオニアとなる。
 "私は恥ずかしがり屋で、高校時代、周囲の人間関係による圧力のため、私はうまくいかなかった」”と60歳になったBatesは言う。しかし、大学では、他の科学や数学オタク達と、若かったとはいええまさにピタリとはまった。“私はそれなりのスピードで知的側面と同様に人間関係でも成長した。何故なら早いスピードのおかげで内容への興味を維持できたからだ。"

The SMPY data supported the idea of accelerating fast learners by allowing them to skip school grades. In a comparison of children who bypassed a grade with a control group of similarly smart children who didn't, the grade-skippers were 60% more likely to earn doctorates or patents and more than twice as likely to get a PhD in a STEM field. Acceleration is common in SMPY's elite 1-in-10,000 cohort, whose intellectual diversity and rapid pace of learning make them among the most challenging to educate. Advancing these students costs little or nothing, and in some cases may save schools money, says Lubinski. “These kids often don't need anything innovative or novel,” he says, “they just need earlier access to what's already available to older kids.”
 SMPYデータは、彼らが学校の学年をスキップ(飛び級)し、高速な学習を加速するという考えを支持した。同様によく出来るがそうした飛び級をしなかった子供と比較すると、飛び級した子供は60%以上も多く博士号や特許を獲得する可能性が高く、STEM分野では博士号を取得するのも二倍も可能性が高かった。加速教育はSMPYの一万人に一人エリートでは、共通している。彼らの知的多様性とすばやい習熟ペースは教育でのまさにチャッレンジングな課題になっている。こうした学生達を伸ばすことにはほとんど全く金がかからない、とLubinskiは言う。“これらの子供たちは、多くの場合、革新的なものや小説を必要としない”と。 "彼らは年長の子供たちにとって利用可能であったものに人より早くアクセスするだけだ。」と言う。

Many educators and parents continue to believe that acceleration is bad for children—that it will hurt them socially, push them out of childhood or create knowledge gaps. But education researchers generally agree that acceleration benefits the vast majority of gifted children socially and emotionally, as well as academically and professionally.
Skipping grades is not the only option. SMPY researchers say that even modest interventions—for example, access to challenging material such as college-level Advanced Placement courses—have a demonstrable effect. Among students with high ability, those who were given a richer density of advanced precollegiate educational opportunities in STEM went on to publish more academic papers, earn more patents and pursue higher-level careers than their equally smart peers who didn't have these opportunities.
Despite SMPY's many insights, researchers still have an incomplete picture of giftedness and achievement. “We don't know why, even at the high end, some people will do well and others won't,” says Douglas Detterman, a psychologist who studies cognitive ability at Case Western Reserve University in Cleveland, Ohio. “Intelligence won't account for all the differences between people; motivation, personality factors, how hard you work and other things are important.”
 多くの教育者や親は加速教育は子供には良くないと信じ続けている。-それは、社会的に子供達に害をなし、子供らしさなくし、知識のギャップを生ぜしめるなどなどだ。しかし、教育研究者たちは一般には加速教育を多くの才能有る子供達には社会的にも情緒的にも、更には科学的に、将来のキャリアと言う点からも良いことだと考えている。
 飛び級は選択と言うにとどまらない。SMPYの研究者は、控えめな介入、たとえば、このような大学レベルへの“飛び級コース”のような挑戦的な課題へのアクセスは明示的な効果があるという。STEMで高度な大学相当の教育を事前にうける機会に恵まれたような高い能力を持つ学生はより多くの学術論文を発表し、より多くの特許を獲得しより高度のキャリアを有するに至っている。それはそうした機械に務ぐまれなかった生徒のそれをはるかに凌いでいる。
 SMPYの多くの洞察にもかかわらず、研究者達はまだ天分と成功についてのイメージは不完全のままである。「私たちも、一部の人はうまくやり、他の人はやれていないことの理由をわかっていない」と、 Douglas Detterman, a psychologistは言う。彼はCase Western Reserve University in Cleveland, Ohioで認知能力を研究している。“インテリジェンスは、人々の間のすべての違いを説明しない:動機、人格要因は、どれだけ努力するか、 重要な他の要素などなど”と。

Some insights have come from German studies that have a methodology similar to SMPY's. The Munich Longitudinal Study of Giftedness, which started tracking 26,000 gifted students in the mid-1980s, found that cognitive factors were the most predictive, but that some personal traits—such as motivation, curiosity and ability to cope with stress—had a limited influence on performance. Environmental factors, such as family, school and peers, also had an impact.
 いくつかの洞察がSMPYのと類似の方法論を持つドイツの研究からもたされている。The Munich Longitudinal Study of Giftedness は1980年代半ばに26,000名の良く出来る学生の追跡調査を開始した。その研究で認知的要因が将来予測に関わることを発見したが、いくつかの個人的な特性、例えば動機、好奇心、ストレス解消力が、子供の能力発言に限られた影響を与えることも明らかとなった。家族、学校、仲間と言った環境的要素も一つのインパクトを持っていた。

The data from such intellectual-talent searches also contribute to knowledge of how people develop expertise in subjects. Some researchers and writers, notably psychologist Anders Ericsson at Florida State University in Tallahassee and author Malcolm Gladwell, have popularized the idea of an ability threshold. This holds that for individuals beyond a certain IQ barrier (120 is often cited), concentrated practice time is much more important than additional intellectual abilities in acquiring expertise. But data from SMPY and the Duke talent programme dispute that hypothesis. A study published this year compared the outcomes of students in the top 1% of childhood intellectual ability with those in the top 0.01%. Whereas the first group gain advanced degrees at about 25 times the rate of the general population, the more elite students earn PhDs at about 50 times the base rate.
But some of the work is controversial. In North America and Europe, some child-development experts lament that much of the research on talent development is driven by the urge to predict who will rise to the top, and educators have expressed considerable unease about the concept of identifying and labelling a group of pupils as gifted or talented.
  このような知的才能検索からのデータはまた、人々がさまざまな事柄への専門知識をどのように広げるかについての方法についての知見に役立っている。ある研究者や記者、著名な学者であるAnders Ericsson at Florida State University in Tallahassee そして 作家の Malcolm Gladwellは能力限界と言う考えを広めてきた。あるIQの壁を越えた個人(120が頻繁に引用されている)にとっては、集中的な実践時間が更なる知的能力よりも、専門知識を獲得するにははるかに重要であることを示した。しかしSMPYからのデータとDuke talent programmeはその仮説について論争している。今年発表された調査は、上位0.01%の小児期知的能力にあった生徒の成果を、上位1%にあった学生のそれを比較している。第一のグループは一般人の25倍も多く上級デグリをを獲得しているのに対して、エリート学生のグループの博士号獲得約50倍である。
 しかし、この研究のいくつかは議論の余地がある。北米と欧州では、児童能力開発専門家は、人材開発に関する研究の多くは、誰がトップにのぼりつめるかを予測したいとの衝動によって駆られていることを嘆いている。教育者達は子供の才能のあるなしで子供のグループにレッテルを貼るといったやり方に納得していない。

“A high test score tells you only that a person has high ability and is a good match for that particular test at that point in time,” says Matthews. “A low test score tells you practically nothing,” she says, because many factors can depress students' performance, including their cultural backgrounds and how comfortable they are with taking high-stakes tests. Matthews contends that when children who are near the high and low extremes of early achievement feel assessed in terms of future success, it can damage their motivation to learn and can contribute to what Stanford University psychologist Carol Dweck calls a fixed mindset. It's far better, Dweck says, toencourage a growth mindset, in which children believe that brains and talent are merely a starting point, and that abilities can be developed through hard work and continued intellectual risk-taking.
“Students focus on improvement instead of worrying about how smart they are and hungering for approval,” says Dweck. “They work hard to learn more and get smarter.” Research by Dweck and her colleagues shows that students who learn with this mindset show greater motivation at school, get better marks and have higher test scores.
 「テストでの高得点は、その子が高い能力を有しており、その時点でその特定のテストに良く合致しいることを示しているにすぎない」と、 " Matthewsは言う。“低得点は実際には何の意味も無い”と彼女は言う。何故なら多くの要因が彼らの成績の低下につながっているからだ。その要因としては文化的背景もある。高い賭けにも近いテストを受けることにどれだけの快感があるのだろう。Matthewsは子供の頃の達成感で高・低の両極端に近い子供達は将来の成功という言い方で評価されていると感じているということに疑念を呈する。そうした把握は子供達の学習意欲の崩壊となり、Stanford University psychologist Carol Dweckがfixed mindset (固定したものの見方とでも訳すのか) http://c23.biz/G3ns と呼ぶものに繋がる。Dweckは「子供達の変化成長するものの見方」つまり子供達が脳や才能は単なる出発点であることを信ずることとDweckはいう。「能力はしっかりした勉強とリスクがあろうとも知性を追い求めることで」とDw達成される」と。
“生徒たちはどれだけスマートにそしてどれだけ認められるかを気にするのではなく事故の改善に焦点を当てている“とDweckは言う。”そうすれば、彼らはもっと勉強し、もっと聡明になる“と。Dweckと研究同僚による研究はこの気構えを持った子供達が学校でも大きなやる気を見せ、結果としてテスチで高得点獲得につながっている。

Benbow agrees that standardized tests should not be used to limit students' options, but rather to develop learning and teaching strategies appropriate to children's abilities, which allow students at every level to reach their potential.
Next year, Benbow and Lubinski plan to launch a mid-life survey of the profoundly gifted cohort (the 1 in 10,000), with an emphasis on career achievements and life satisfaction, and to re-survey their 1992 sample of graduate students at leading US universities. The forthcoming studies may further erode the enduring misperception that gifted children are bright enough to succeed on their own, without much help.
“The education community is still resistant to this message,” says David Geary, a cognitive developmental psychologist at the University of Missouri in Columbia, who specializes in mathematical learning. “There's a general belief that kids who have advantages, cognitive or otherwise, shouldn't be given extra encouragement; that we should focus more on lower-performing kids.”
 Benbowは、標準化されたテストが生徒のオプションを制限するために使用されるべきものではなく、子供達の能力にあった学習教育戦略を開発すべきとの考えに同意する。さすれば、子供達は自らの能力を向上させ、自らのポテンシャルに到達できる、と。
来年、Benbow and Lubinskiは、大変優れた才能の子供達(一万人に一人)の中間状況調査をたちあげる。それはキャリアの達成度と生活満足感に力点を置いたものだ。更には一流米国大学院生の1992年調査事例の再調査もする。今後の研究は、子どもたちは多くの助けを借りずに、自分自身で成功するという誤った認識を正すことになるだろう。
 「教育界がまだこのメッセージに抗っている“と、David Geary, a cognitive developmental psychologist at the University of Missouri in Columbiaは言う。彼は数学学習の専門家である。「認知能力など利点に務ぐまれた子供たちには余分な励ましを与えられるべきではない;成果の低い子供たちにもっと焦点を当てるべきだ。との一般的な信念がある」と。

Although gifted-education specialists herald the expansion of talent-development options in the United States, the benefits have mostly been limited so far to students who are at the top of both the talent and socio-economic curves.
“We know how to identify these kids, and we know how to help them,” says Lubinski. “And yet we're missing a lot of the smartest kids in the country.”
As Lubinski and Benbow walk through the quadrangle, the clock strikes noon, releasing packs of enthusiastic adolescents racing towards the dining hall. Many are participants in the Vanderbilt Programs for Talented Youth, summer enrichment courses in which gifted students spend three weeks gorging themselves on a year's worth of mathematics, science or literature. Others are participants in Vanderbilt's sports camps.
“They're just developing different talents,” says Lubinski, a former high-school and college wrestler. “But our society has been much more encouraging of athletic talents than we are of intellectual talents.”
And yet these gifted students, the 'mathletes' of the world, can shape the future. “When you look at the issues facing society now—whether it's health care, climate change, terrorism, energy—these are the kids who have the most potential to solve these problems,” says Lubinski. “These are the kids we'd do well to bet on.”
This article is reproduced with permission and was first published on September 7, 2016.
 才能教育の専門家は、米国における人材開発の選択肢の拡大を語るのであるが、そのメリットはほとんどが才能と社会経済的曲線の両方の上部にある学生にこれまでは限られてきた。
"我々は、これらの子供たちを識別するための方法と彼らを助ける方法を知っている“、とLubinski氏は述べる。"そして、未だに我々は我国の賢い子供たちの多くを見逃している。”と付け加える。
LubinskiとBenbowが中庭を歩いているとき、時計が12時の鐘を打った。学生は一散に食堂へ走った。多くは、Vanderbilt Programs for Talented Youth, summer enrichment coursesの参加者である。そこでは、才能有る子供達が三週間で一年分の数学、科学、文学の学習をする。他の参加者はスポーツキャンプだ。
「彼らは別の才能を開発しているに過ぎない」と、Lubinski, a former high-school and college は言う。「しかし、私たちの社会では、知的才能よりも、競技の才能の育成を励ましてきた」と。
そうではあっても、これらの才能のある学生、世界の「mathletes」達が未来を形作る。「あなた方は現在社会が直面している課題、健康、気候変動、テロ、エネルギなどを見る。こうした問題を解くポテンシャルを持っているのが子供達なのだ。」とLubinskiは言う。
%%%%%

房総遥か沖地震、英才教育()、ダム湖底のセシウム

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:やっと、撮れたての生・新鮮な写真をお届けできます。実に何日ぶりでしょうか!雨の無い朝は!!)
P925蜘蛛0


木の枝に 見事な網を 張り巡らせ 餌を待つ蜘蛛も この日を待ったか

+++++房総半島遥か東沖の地震活動
 一昨日、土曜日のyahooニュースは気象庁の地震情報を報じていました。その内容は、看過できないと思いました。まずはその内容を以下に転載します。
%%%%%関東東方沖などでM4〜6台の地震相次ぐ
http://c23.biz/r264 
気象庁によると、きょう23日09:14頃、関東東方沖を震源とするM6.5の地震があり
東北、関東甲信、東海地方の広い範囲で震度1の揺れを観測しました。
なお、米国地質調査所(USGS)によると、この地震以外にも、きょう23日未明から千葉県東方沖や関東東方沖などを
震源とするM4〜5台の地震が相次いで発生しています。23日09:14頃発生の地震を除き
いずれの地震も日本国内で震度1以上の揺れを観測した地点はありません。

■関東東方沖およびその周辺を震源とする地震〔USGS/発生日時は日本時間〕
<23日>
・21:04 M4.9 ・20:04 M4.6 ・19:28 M5.2 ・19:27 M4.6 ・15:46 M4.7 ・15:13 M5.1 ・14:34 M5.2 ・09:42 M4.9 ・09:30 M4.5 ・09:14 M6.2(気象庁はM6.5、最大震度1) ・01:20 M4.7 ・00:57 M5.3
・00:56 M5.3
%%%%%
 この時点でM>5は本震を含め6回発生しています。その3回は本震前です。群発地震活動の特徴は、地震の粒(大きさ)が揃っていることと、言われますから典型的な群発地震活動なのかもしれません。何と言っても注目すべきはこの地震活動が北西―南東方向に線状に分布していること、そして中央部は海底の特別な場所にあたっていることです。

(図1:2016年9月21日の房総沖で発した群発地震、http://c23.biz/Qriz より転載させていただきました)
20160924b003432

 この地震活動は、かねてより地震防災関係者が案じていた場所なのです。それは後に書くことにしてまずは、地震の概要を模式的に図示したもの図2に示しておきます:

(図2:房総遥か東沖の地震と最大余震の発震機構解。この地震に先立つこと2日前に伊豆マリアナ海溝で発生した地震の発震機構図も併せて掲載)
fp160921Bosod


 上にも書きましたが、多分、多くの地震防災関係者がこの地震で「ドキッ」としたのではなかろうかと想像しています。上の図でTj,TJで示される二点を結ぶ曲線は相模湾海底渓谷(トラフ)です。この警告の西側(Tjに近いほう)で1923年(大正12年)の関東大震災が起きています。そして、今般はこの渓谷の東側に沿って起きています。過去にはこの場所で1677年のM=8.0の地震、そして1703年の元禄大地震(m=8.1)が起きたと推定されています。
 余談ですが、この元禄大地震発生に先だつこと9ケ月前の三月に忠臣蔵で知られる47名の赤穂浪士が、江戸の三つの大名邸で切腹をさせられています。そしてこの4年後の1707年に富士山が噴火しています(宝永の噴火)。直接関係無いことですが1707年は物理数学の基礎を作り上げた数学者オイラが誕生した年でもあります。

 それはさておき、今般の地震はこの二つの巨大地震が300年の時を置いて目を覚ます、その前兆ではなかろうかとの不安を抱かせるのです。実際にはこれまでもそうした不安を抱かせる地震が最近にも発生しています。一つは1953年11月26日のM7.5(壱節では7.9とも)の地震です。この地震の物理性状解明のために多くの研究者が力を尽くしましたが、終戦からわずか7年、地震観測網の整備は進んでいませんでした。少数の観測された地震波は誠に奇異な形で、数発の地震が短時間(数分以内)に起きたことを思わせると、有る研究者がどこかで書いていました。

 上の図にもどりましょう。まず二つのm>6地震、9月21日1時、9月23日9時の地震の発震機構解(左下、右上)は似ており、どちらも逆断層です。どうやら、プレート,プレート△硫爾砲發阿蠅海爐海箸波生したのでしょう。そして9月23日の15時の地震です、その発震機構解は図2の左上に示しされています。横ずれ断層です。断層が相模トラフの走向であれば、右横ずれ断層です(図に描き込まれている一対の矢印)。朝23日9時の地震発生でプレート△相模トラフに沿って北西に動いたらしいのです。これはまさに1923年の関東大地震時のプレート△瞭阿とほぼ同じです。

 研究者が危惧する元禄大地震再来の予兆を思わせる運動方向でもあります。事態は緊迫しているのかもしれません。警戒を怠らないことです。現時点では大地震の発生を押さえ込む技術はありません。個人個人が地震による災害を小さくする努力をするしかありません。家庭内の家具の固定、落下物防止、避難路の確保など、家の中の整頓は防災のイロハです。いざ、逃げようとする際に、乱雑に置かれた物が避難を妨げかねません。又乱雑さは無用な出火の原因ともなります。この地には10年ほど前にもM=6クラスの地震活動がありましたから「泰山・・・・」の喩えよろしく無事に収まるのかもしれません。しかし、用心するに越したことはありません。
 週刊誌などで地震発生予測の成功を誉められた人たちが、今般の事態では沈黙しています。陸から遥か離れているために手の出しようが無いのかもしれません。

ちなみにIRISによる解析情報を下に表としてまとめておきます。
(表:表の見方については既に本ブログで詳述しましたので、説明を繰り返しません。尚、
NonDCなる量を夫々の地震について計算したものを付加してあります)
201609201621A SOUTHEAST OF HONSHU, JAP
Date: 2016/ 9/20 Centroid Time: 16:21:20.7 GMT
Lat= 30.51 Lon= 142.13
Depth= 12.0 Half duration= 2.5
Centroid time minus hypocenter time: 3.8
Moment Tensor: Expo=25 1.030 0.005 -1.040 -0.467 0.667 0.200
Mw = 6.0 mb = 0.0 Ms = 6.1 Scalar Moment = 1.33e+25、NonDC=-0.0226
Fault plane: strike=183 dip=29 slip=115
Fault plane: strike=335 dip=64 slip=77
________________________________________
201609230014A OFF EAST COAST OF HONSHU
Date: 2016/ 9/23 Centroid Time: 0:14:39.8 GMT
Lat= 34.49 Lon= 141.79
Depth= 12.0 Half duration= 3.1
Centroid time minus hypocenter time: 4.8
Moment Tensor: Expo=25 2.010 -0.098 -1.910 -0.207 1.730 0.287
Mw = 6.2 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 2.64e+25, MonDC=-0.0207
Fault plane: strike=170 dip=24 slip=88
Fault plane: strike=352 dip=66 slip=91
________________________________________
201609230613A NEAR EAST COAST OF HONSH
Date: 2016/ 9/23 Centroid Time: 6:13:21.3 GMT
Lat= 34.53 Lon= 141.55
Depth= 12.0 Half duration= 1.2
Centroid time minus hypocenter time: -2.8
Moment Tensor: Expo=24 0.217 -1.480 1.260 0.260 -0.155 0.105
Mw = 5.4 mb = 0.0 Ms = 5.1 Scalar Moment = 1.4e+24,NonDC=0.1691
Fault plane: strike=227 dip=78 slip=-1
Fault plane: strike=317 dip=89 slip=-168

 9月23日15時の相模トラフ沿いの横ずれ断層地震については、そのNonDcの値が0.1691と大きく算出されています。どのような意味があるのか?断層面が滑らかでなくグサグサの環境下での地震とも思えます。観測された波形に大きなばらつきがありそれを反映している可能性があります。が、そうした可能性が排除されるとするならば、上下方向(鉛直方向)にかなり大きな引っ張り応力が地震発生時に働いていたということになります(NonDCの値が正なので)。つまり、二つのプレート△鉢の接触面で、△下方から引っ張られていた。その結果二つのプレートに働く摩擦力が減じた。かくして23日15時の地震が起きた、と言うシナリオです。これが真実とするならば、フィリッピン海プレートは”下方に動きたがっている“と、いうことになります。現時点ではそれを定量的に評価する理論的手段は無いようです。

 さらに興味深いことはこの地震のCentroid time minus hypocenter time:=-2.8と負の値になっています。この意味については本ブログでは未だ説明していません。これから説明するはずでした。P波の観測点への到達が予想よりも遅れていることが理由であるとすれば、それは震源近傍の岩盤の物性環境を推定させる情報なのかもしれません。

+++++英才教育、是か非か(3)
 この論文紹介、今回を最終回にしようと思っていましたが、残りの部分は思いのほか長いことと、地震の上の話が長くなったので、次回まで続けます。これまでの話の筋書きは、優秀な児童を見つけ出し、しかるべく英才教育をほどこすならば、その効果は明瞭に現れることが、調査研究から明らかになったというものでした。「当たり前の話じゃないか」とも思えます。しかし、この調査研究にたずさわる心理学者グループは、「優秀な児童を見つける方法を再吟味して、こぼれた人材を拾い出したい」と発想します。それが今回の空間識別能力です。そしてヨーロッパではこうした英才教育への反省が芽生えているようですがそれは次回です。

SPATIAL SKILLS
空間的スキル

As the data flowed in, it quickly became apparent that a one-size-fits-all approach to gifted education, and education in general, was inadequate.
“SMPY gave us the first large-sample basis for the field to move away from general intelligence toward assessments of specific cognitive abilities, interests and other factors,” says Rena Subotnik, who directs the Center for Gifted Education Policy at the American Psychological Association in Washington DC.
In 1976, Stanley started to test his second cohort (a sample of 563 13-year-olds who scored in the top 0.5% on the SAT, Scholastic Aptitude Test) on spatial ability—the capacity to understand and remember spatial relationships between objects. Tests for spatial ability might include matching objects that are seen from different perspectives, determining which cross-section will result when an object is cut in certain ways, or estimating water levels on tilted bottles of various shapes. Stanley was curious about whether spatial ability might better predict educational and occupational outcomes than could measures of quantitative and verbal reasoning on their own.
 データが広まるにつれ一方的な視点での才能教育が一般的には適切ではないということがあきらかになった。
 「SMPY( Study of Mathematically Precocious Youth (SMPY)、“数学的頭脳児童の研究プロジェクト“とでも訳すのでしょうか)は初めて大規模の基礎的標本を研究者にもたらした。それは、特定の認知能力、興味やその他の要因の評価のための一般的知識とは異なる、別の研究分野にとって有用であった」とRena Subotnik, who directs the Center for Gifted Education Policy at the American Psychological Association in Washington DCは言う。
 1976年、Stanleyは、空間能力に関して二番目の研究対象グループ(SAT、“勉強習熟テスト“とでも訳すのでしょうか、で上位0.5%におる563目に13歳の子供達だ)のテストを始めた。空間能力テストは異なる視点から見る対象物が同一であるか否かを判定させるという課題を含んでいる。それはある方向から切り取られる断面、或いは様々な形の水の入った壜を傾けその水準を見積もると課題を含んでいる。Stanleyは空間識別能力が教育的成果、あるいは将来の職業についてのベターな予測になりえるかどうかに関心を持った。それは、調査対象児童の口頭での説明や定量的な測定よりも良いのかもしれない。と、考えた。

Follow-up surveys—at ages 18, 23, 33 and 48—backed up his hunch. A 2013 analysis found a correlation between the number of patents and peer-refereed publications that people had produced and their earlier scores on SATs and spatial-ability tests. The SAT tests jointly accounted for about 11% of the variance; spatial ability accounted for an additional 7.6%.
The findings, which dovetail with those of other recent studies, suggest that spatial ability plays a major part in creativity and technical innovation. “I think it may be the largest known untapped source of human potential,” says Lubinski, who adds that students who are only marginally impressive in mathematics or verbal ability but high in spatial ability often make exceptional engineers, architects and surgeons. “And yet, no admissions directors I know of are looking at this, and it's generally overlooked in school-based assessments.”
 18、23、33、48歳時の調査のフォローアップが彼の予感をバックアップした。2013年の分析は、特許出願数や発表査読論文数と、SATの初期の成績、空間能力テストの間には相関が見られた。SATテストとの相関の分散は11%程度であった;空間能力尾の相関では分散は更7.6%二縮まった。
他の最近の研究のものと継ぎ合わせた知見では、空間能力は創造性と革新性に主要な役割を果たしていることを示唆している。"私はそれが人間の潜在能力に関する未開発の最大の源と考えうる"と、Lubinskiは言う。彼は数学や他の工学的能力ではそれほど目立たなくとも空間能力がしばしばとてつもない技師、建築家、外科医を作る、と付け加える。「それでも、これに気づいている入学管理者は見たことが無い。一般に学校ではそれが見逃されている“と。

Although studies such as SMPY have given educators the ability to identify and support gifted youngsters, worldwide interest in this population is uneven. In the Middle East and east Asia, high-performing STEM students have received significant attention over the past decade. South Korea, Hong Kong and Singapore screen children for giftedness and steer high performers into innovative programmes. In 2010, China launched a ten-year National Talent Development Plan to support and guide top students into science, technology and other high-demand fields.
In Europe, support for research and educational programmes for gifted children has ebbed, as the focus has moved more towards inclusion. England decided in 2010 to scrap the National Academy for Gifted and Talented Youth, and redirected funds towards an effort to get more poor students into leading universities.
 SMPYのような研究は教育者達が才能有る生徒の能力を識別し、彼らを支援するやり方を提供するのだが、こうした集団に関する世界的な関心は一様ではない。中東、東アジアでは、STEMでの高い資質の学生は、過去10年間にかなりの注目を集めてきた。韓国、香港、シンガポールは優秀な子供を選別し、革新的なプログラムでその能力を進展させる工夫をしている。2010年に、中国は、優秀な学生を支援して、彼らを科学、技術およびその他の高需要分野に導くための10年・国家人材開発計画を開始した。
欧州では、才能のある子供のための研究・教育プログラムのサポートは減退している。それは、焦点がより多種の包括に移っているからだ。イングランドは、才能と才能のある青少年のためのナショナル・アカデミーを廃棄することを2010年に決定し、一流大学により多くの貧しい学生を送り込むために資金を振り向けるようになった。
(つづく)
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 ほとんどの人は「三次元物体」について苦手意識をもっているようです。私なんぞも四次元物体を想像せよといわれても全く出来ませんが、数学者はちゃんと頭の中に何らかの像が形成されるのだそうです。大学の教養課程で学習する「作図」。これも三次元では把握しにくいので、断面と称して二次元に次元を落とします。三次元空間に生息しながらこの事態。空間識別能力のあるなしを問う前にどうしたらそうした能力を育めるのか知りたいものです。

+++++ダムに沈潜する高濃度セシウム
 今我が国を指揮している首相は数年前の国際五輪委員会で、「恥ずかしげも無く」、放射能汚染問題は「under control」と公言しました五輪委員会は安倍氏の言を虚偽と知りつつ、金のかかる五輪を引き受けたくない、しかし五輪を通して金儲けの機会を失いたくないとの思惑から、それを信じた振りをして日本に2020年の五輪開催を押し付けました。あの公言後も出るわ出るわ”out of control”の実態が。その中でも誠に深刻な問題であろう実態が報じられました。

%%%%%ダムの水底に高濃度セシウム
http://c23.biz/y67Q (福島セシウム)

<高濃度セシウム>福島第1周辺のダム底に堆積
毎日新聞 9月25日(日)9時0分配信◇10カ所で8000ベクレル超

 東京電力福島第1原発周辺の飲料用や農業用の大規模ダムの底に、森林から川を伝って流入した放射性セシウムが濃縮され、高濃度でたまり続けていることが環境省の調査で分かった。50キロ圏内の10カ所のダムで指定廃棄物となる基準(1キロ当たり8000ベクレル超)を超えている。ダムの水の放射線量は人の健康に影響を与えるレベルではないとして、同省は除染せずに監視を続ける方針だが、専門家は「将来のリスクに備えて対策を検討すべきだ」と指摘する。

 ◇貯水線量、飲料基準下回る

 同省は原発事故半年後の2011年9月、除染されない森林からの放射性物質の移動を把握するためダムや下流の河川などのモニタリング調査を開始。岩手から東京までの9都県のダム73カ所で1カ所ずつ数カ月に1回程度、観測している。

 このうち底土表層濃度の11〜15年度の平均値が指定廃棄物の基準を超えるダムは、いずれも福島県内の10カ所で、高い順に岩部(がんべ)ダム(飯舘村)1キロ当たり6万4439ベクレル▽横川ダム(南相馬市)同2万7533ベクレル▽真野ダム(飯舘村)同2万6859ベクレル−−など。ただ、表層の水は各ダムとも1リットル当たり1〜2ベクレルで、飲料水基準の同10ベクレルを下回る。

 同省の調査ではダム底に堆積(たいせき)したセシウム総量は不明だが、10ダムのうち福島県浪江町の農業用「大柿ダム」で、農林水産省東北農政局が13年12月、総量を独自調査。ダム底の110カ所から抜き取った堆積土の数値をもとに10メートル四方ごとの堆積量を試算。セシウム134と137の総量は推定値で約8兆ベクレルになった。

 国立環境研究所(茨城県つくば市)は近く、複数のダムで本格調査に乗り出す。環境省は「ダムに閉じ込めておくのが現時点の最善策。しゅんせつすれば巻き上がって下流を汚染する恐れがある」としている。【田原翔一、栗田慎一】
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英才教育追跡45年(2、nature誌)、那須岳ー香取線構築に要した技術

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
 表題にはありませんが、大学ランキングについても最後に少し書きました。
(写真:世界の知性・宇沢弘文氏を語る(「タンセイ」33号より)。日本の経済学は二人の世界的な「宇・弘」を輩出したと聞きます。すなわち、故宇沢弘文氏と「資本論研究」で知られる故宇野弘蔵氏です。後者は学生運動に関わった者には懐かしい名前です。尤も私なんぞは「資本論」は岩波文庫の最初の一冊すらも読了できずに終えました。全冊買い揃えたはずですが、時間の経過の中で全て消失しました。しかし、宇沢弘文氏の著書は「これぞ思想を持つヒトの生き様(イキザマ)」と深く私の心に刻まれました。)
160916drive002


 うちつづく 秋の雨日に うんざりし ぶあつい雲を 恨めしく眺む

 連日の朝雨で散歩ができないため、周囲の風景をデジカメに取り込めません。窓枠外の手すりにしがみ付いているカエルも既に本ブログで紹介してしまったので「ネタ」として使えません。かくして前回同様、出版物からの転載となってしまいました。昨日は秋分the autumnal equinox です。noxの派生語はnoxious(邪悪な、有害な)です。北半球にあっては、今日から「邪悪」がのさばるということです。そして、太陽は南半球を贔屓するわけです。この邪悪な暗黒をシリウス星が照らし出す。そうした発想には、当時生きた民の”苦しみからの脱却の願い”が凝集されているのかも知れません。まさに上に示した故宇沢弘文氏の思想です。

+++++那須岳―香取線構築の技術
 北方渡来族が八溝山から静神社、吉田神社をへて南下して鹿島神社に到達するコースについて、2010年1月1日の記事で考察しました(http://c23.biz/vN6y )。それを復習すると、静神社には西暦485年頃に進出拠点を設け、そこは八溝山から水平距離で、49.5kmと算出されます。吉田神社には523年頃に進出拠点を設け、そこの八溝山からの水平距離は66.0kmです。そして最終ゴールである鹿島神宮の地に陣屋を設けたのは西暦531年頃で、八溝山からの距離は111.7kmです。静神社には「ミカ星を信ずる軍団との戦闘」が伝承として残り、吉田神社の境内脇に敷地を隣接させて「倭建命」の遥拝跡をしめす碑が建立されているなど、まさに東北日本古代史の貴重な痕跡が認められます。

 同様の推定を那須岳から烏山、笠間、そして香取への南下ルートついて検討してみます。既に6月25日の記事で烏山には西暦625年頃に到達し、水平距離は54.3kmと算出されることを書きました。同様に、次の笠間には652年頃との推定(6月15日記事)で距離は、87.5kmです。そして最終であるか否かは定かでありませんが(後述)香取の地の陣屋設営は685年と推定できます(6月13日記事、http://c23.biz/CchQ)。那須岳からの距離は147.2kmと算出されます。このルートについては、笠間から香取に至る間にもう一つ陣屋(中継点)を置いたのではなかろうかと思っていますが、それは次回に検討します。

 そこで、夫々のルートの出発点つまり八溝山、那須岳の山頂に渡来族は何年頃に登頂し、南に広がる関東平野を眺望したのでしょうか?眺望を踏まえて、何がしかの戦略がそこで立てられたはずです。
 それを推定するために作ったのが下の図です:

(図1:横軸は西暦年、縦軸は出発点となる山頂からの距離。青点は
下から静神社、吉田神社、鹿島神宮、赤点は下から烏山、笠間、香取神宮)
二本シリウス線

 
 図1は本ブログ記事の冒頭に書いた、二つのルートの夫々の線上にある史跡と基準となる山の頂からの水平距離(横軸)と 史跡(陣屋)設営の西暦年代(縦軸)との関係を示したものです。青は八溝山ルート、赤は那須岳ルートと言うことになります。
 青ルートの3つの丸は下から静神社、吉田神社、そして一番上が鹿島神宮と言うことになります。一方赤ルートについては、下から烏山城祉、笠間神社、そして一番上は香取神宮と言うことになります。青丸、赤丸は夫々、右上がりに分布しています。そこで、これらの点分布に尤も良く合致する直線を求めてみます。それが、青の点線、と赤の点線と言うことになります。

 この二本の直線が距離0となる年代(つまりx軸との交点)、それが求めたい推定年となります。青ルートについては、渡来族が八溝鹿島ー線構築を設計したのは西暦442年頃と算出されます。これは、日本列島で武王が大活躍をしていた時期と重なります。一方赤のルートです。同様な手続きをすると西暦592年ごろとなります。大陸で隋が建国されて3年後のこととなります。このルートが香取に達したのが七世紀末、珍末裔の一族が九州に覇を成した大海皇子(日本書紀では天武天皇とされている)率いる「ヤサカ」国(私は大海人は自ら雅支配する列島の領域を邪馬台国の継承者と言う意味でヤサカと称していたと思っています)を殲滅し、その首領を信濃の諏訪に幽閉した数年後です。
 いずれにしても、青のルート完成には531-442=89年、赤のルート完成には685-592=93年を要しています。一人の支配者の治世下ではなく複数の治世者が関わったらしいことがわかります。

 さて、そうした歴史は、すぐにでも本ブログで議論します。が、現今・本ブログ記事では「技術論」のようなものを想像してみたいと思います。まず、図1で気づくことの第一点は赤点の並びが青点の配列に比べて整然としていることです。その結果、赤点は「アテハメ直線」の上にほぼ乗っています。一方の青点はかなりギクシャクしています。
 これは何を意味するのでしょうか。青点ルートの構築は5世紀半ばです。この頃は、未だ測量技術は確立していなかったと思えます。特に静神社から吉田神社へルートを延長するに当たっては38年を要しています。これは、静から吉田までの実際のルートを藪を掻き分けて開拓するという作業もあったでしょうが、むしろ八溝山から吉田神社の位置を特定する作業であった筈です。どうやって山頂から66kmはなれた地点を定めたのか?色々と想像するのですが一つは、岩石を割りその面をピカピカに磨きそれを鏡として使う。昼間にそれを山頂に配置し太陽の反射光を観測するといった作業が繰り返されたと考えています。福島県の須賀川のすぐ南にJR駅「鏡石」があります。また、茨城県の北部にある堅破山(タツワレ、標高658m)にはそれと思しき岩がそのまま残されています(12年9月5日記事、http://c23.biz/QJN5 )。

 興味深いことは、この最初の難作業で、大方の技術的問題は解決されたようです。なんと吉田神社設営から香取神宮設営は僅か8年で終えているのです。一つ考慮しておかねばならないことはシリウス星の天体上の特定は何時でも良いというわけにはいかないことです。それは夏至の日の深夜12時出なければなりません。その日の前後数日が雨天であれば測量は翌年、一年待たねばなりません。さらに、深夜の闇夜の0時をどのように知ることが出来たのか?昼であれば、太陽の南中でその時を知ることが出来ます。私は砂時計のようなものを用いたのではなかろうかと想像しています。

 赤点分布が滑らかである理由、それは青ルート構築で確立した技術が速やかに100年後に伝承されたゆえです。まさに「知の継承」です。一つ気になるのは、笠間と香取の間隔が大きすぎはしないか?つまり赤ルート設営には軍事防衛に加えて産業上の要請があったと書きました。とすると、この中間にもう一つの陣屋を設営したのではなかろうか。それはどこか?次回書きます。

(つづく)
  
+++++頭の良い子に育てる(2)
 誰しもが、子供が優秀に育って欲しいと願います。その願いを反映してのことかどうかは定かでありませんが、米国では優秀な児童、子供の成長について強い関心があったようです。特に優秀と認められた児童について45年間に渡ってその子供の成長を観察調査したのですね。そのデータの一部が研究成果として出版されたようです。そこから何を学ぶのか?米国科学誌が書いています(言論文はnature誌に掲載されたようです)。前回記事の続きです。

%%%%%天才を作る:45年にもわたる超聡明な子供の調査から学ぶ教訓(2)
http://c23.biz/bFiR
How to Raise a Genius: Lessons from a 45-Year Study of Supersmart Children
A long-running investigation of exceptional children reveals what it takes to produce the scientists who will lead the 21st century
• By Tom Clynes, Nature magazine on September 7, 2016
>>>ここから前回の続き
START OF A STUDY
研究の開始

On a muggy August day, Benbow and her husband, psychologist David Lubinski, describe the origins of SMPY as they walk across the quadrangle at Vanderbilt University. Benbow was a graduate student at Johns Hopkins when she met Stanley in a class he taught in 1976. Benbow and Lubinski, who have co-directed the study since Stanley's retirement, brought it to Vanderbilt in 1998.
“In a sense, that brought Julian's research full circle, since this is where he started his career as a professor,” Benbow says as she nears the university's psychology laboratory, the first US building dedicated to the study of the field. Built in 1915, it houses a small collection of antique calculators—the tools of quantitative psychology in the early 1950s, when Stanley began his academic work in psychometrics and statistics.
His interest in developing scientific talent had been piqued by one of the most famous longitudinal studies in psychology, Lewis Terman's Genetic Studies of Genius. Beginning in 1921, Terman selected teenage subjects on the basis of high IQ scores, then tracked and encouraged their careers. But to Terman's chagrin, his cohort produced only a few esteemed scientists. Among those rejected because their IQ of 129 was too low to make the cut was William Shockley, the Nobel-prizewinning co-inventor of the transistor. Physicist Luis Alvarez, another Nobel winner, was also rejected.
ある蒸し暑い8月の日に、Benbow and her husband, psychologist David Lubinskiは、SMPYの起源をVanderbilt Universityの構内を歩きながら語った。BenbowはかってJohns Hopkinsの大学院生であった。そのとき1976年に、Stanleyが授業で教えていて、彼女に出会った。Stanleyの退職以来、Benbow and Lubinski は共同研究者として、1998年にVanderbilt Universityにそれを持ち込んだのだ。
有る意味で、それはJulian's researchの研究の全てを持ち込んだといってよい、と言うのはこれは彼が教授としてのキャリアの出発点となったからだ“とBenbowは大学の心理学研究室の近くで語る。この研究室はこの分野ではこの大学では始めての建物であった。1915年に立てられ、旧式の計算機が備わっていた。それがStanleyが計量心理学のための統計的接近を始めた1950年代初期の定量心理学の道具でもあった。”科学的才能の開花“という彼の関心は心理学研究での最も有名な横断的研究の一つとなった。すなわち Lewis Terman's Genetic Studies of Genius.である。1921年始めにTermanは高IQを持つ10代の子供を選び彼らの成長を追跡しつつ、彼らの更なる成長を促した。しかし、Termanにとって無念であったことは、彼の生徒たちは、それほどの成功をおさめなかった。わずか129とい低IQであったために拒否された生徒の中にWilliam Shockley, the Nobel-prizewinningがいた。トランジスタの共同発明者でノーベル賞を受賞した人物だ。物理学者Luis Alvarez、や他にもノーベル受賞者が、拒否 されていたた。

Stanley suspected that Terman wouldn't have missed Shockley and Alvarez if he'd had a reliable way to test them specifically on quantitative reasoning ability. So Stanley decided to try the Scholastic Aptitude Test (now simply the SAT). Although the test is intended for older students, Stanley hypothesized that it would be well suited to measuring the analytical reasoning abilities of elite younger students.
Stanleyは、TermanがShockley and Alvarezを見つけそこなったのは生徒の定量的能力をきちんとテストする方法の信頼性に問題があったのではなかろうかと疑った。そこで、StanleyはScholastic Aptitude Test (now simply the SAT)を試みることにした。試験は、年長の学生を対象としていたが、Stanleyは、それがエリートたる若い学生の分析的推論能力を測定することに適しているであろうという仮説を立てた。

In March 1972, Stanley rounded up 450 bright 12- to 14-year-olds from the Baltimore area and gave them the mathematics portion of the SAT. It was the first standardized academic 'talent search'. (Later, researchers included the verbal portion and other assessments.)
“The first big surprise was how many adolescents could figure out math problems that they hadn't encountered in their course work,” says developmental psychologist Daniel Keating, then a PhD student at Johns Hopkins University. “The second surprise was how many of these young kids scored well above the admissions cut-off for many elite universities.”
Stanley hadn't envisioned SMPY as a multi-decade longitudinal study. But after the first follow-up survey, five years later, Benbow proposed extending the study to track subjects through their lives, adding cohorts and including assessments of interests, preferences, and occupational and other life accomplishments. The study's first four cohorts range from the top 3% to the top 0.01% in their SAT scores. The SMPY team added a fifth cohort of the leading mathematics and science graduate students in 1992 to test the generalizability of the talent-search model for identifying scientific potential.
1972年3月には、Stanleyはボルティモアエリアから450名の12〜14歳の子供達を対象に、SATの数学テストを課した。これが、最初の標準化された学術的才能を探す調査となった。(その後、研究者が口頭試験を課したり幾つかの他の評価を含むようになった。)
「最初の大きな驚きは、多くの青年は、彼らが今までに遭遇していなかった数学の問題を解いてしまうことであった」とdevelopmental psychologist Daniel Keating, then a PhD student at Johns Hopkins Universityは言う。「第二の驚きはこれらの若い子供たちの多くは、多くのエリート大学のための入試得点を超えていたことだ。」と。
Stanleyは幾十年にもわたる縦断的研究ではSMPYを想定しなかった。しかし、最初のフォローアップ調査の後の5年後、Benbowは研究対象の生徒たちの興味、嗜好、および職業と言う項目を追加して彼らの生涯にまで追跡するように研究を拡張することを提案した。調査の最初の対象はSAT での成績が0.01%から3%まで範囲を拡大することであった。SMPYチームは、科学的な能力を識別するための人材探索モデルの一般化をテストするために、1992年にはさらに大手理数科大学院生を五番目の研究対象として追加した。

“I don't know of any other study in the world that has given us such a comprehensive look at exactly how and why STEM talent develops,” says Christoph Perleth, a psychologist at the University of Rostock in Germany who studies intelligence and talent development.
"私は、なぜそしてどのようにSTEMの才能が伸びルのかと言うことに関して総合的な知見を与る研究について、世界を見渡しても他にどのような調査がなされているのか知らない、"と、Christoph Perleth, a psychologist at the University of Rostock in Germanyはいう。Perleth、は、知性と才能開発を研究する心理学者である。

(次回、最終回につづく、次回には思いがけない能力が指標を与えていることを書いています)
%%%%%記事紹介終わり

 大学は「知の探求」、「知の創生」、「知の継承」であるなぞと古き思い込みに囚われていると、下の記事にはついていけません。今や何故か「大学」は競争と言う舞台にも置かれているのです。実際、国外からどれだけ学生を受け入れているのか?これはグローバル性なる指標として大学ランキングの作業では重視されているのです。以下にその記事を紹介しておきます。

%%%%%東大、アジアで4位=また首位逃す―英誌大学番付
時事通信 9月22日(木)19時48分配信
http://c23.biz/EcWt 

 【ロンドン時事】英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は21日、2016〜17年の「世界大学ランキング」を発表した。
 欧米勢が上位を占める中、東京大は39位(前回43位)。アジアでは4位にとどまり、2年連続で首位を逃した。
世界トップは英オックスフォード大。英国の大学が首位となるのは初めてという。次点は米カリフォルニア工科大で、米スタンフォード大、英ケンブリッジ大が続いた。
アジア首位はシンガポール国立大の24位で、このほかは中国の北京大(29位)、清華大(35位)など。日本の大学で200位以内に入ったのは東大と京都大(91位)で、東北大、大阪大、東京工業大、名古屋大、九州大、豊田工業大も400位以内にランク入りした。
%%%%%記事紹介終わり

 ところで「知」とは、難解な数式を操る、または複雑な実験装置を組み立てる、難解な哲学を弁ずるといった事ではないと思います。自分が生きる周囲への「興味」、「関心」です。その実例が下の記事です。学校教育は子供達を導いて「なんにでも興味を持つ」思考様態を身に付けさせることにあると思っています。それが「知」への道と思ってます。
%%%%%「股のぞき効果」研究 日本人2人にイグ・ノーベル賞
朝日新聞デジタル 9月23日(金)8時0分配信http://c23.biz/z7Lv 

(図2:股のぞき)
イグノーベル


 「股のぞき」効果とは…
 世の中を笑わせ、考えさせた研究や業績に贈られる今年のイグ・ノーベル賞の発表が22日、米ハーバード大であった。前かがみになって股の間から後ろ方向にものを見ると、実際より小さく見える「股のぞき効果」を実験で示した東山篤規(あつき)・立命館大教授(65)と足立浩平・大阪大教授(57)が「知覚賞」を受賞した。日本人の受賞は10年連続。

 股のぞきをして景色を見ると、天地が逆さまになり、直立した姿勢で見た時より平らで奥行きが少ない印象を受ける。日本三景の一つ京都府の「天橋立」では、「股のぞき」をして景色を楽しむ風習があるなど、日本では昔から効果が知られてきた。

 実験心理学が専門の東山教授が主に研究を行い、足立教授が統計分析に協力。2006年に専門誌に論文を発表した。

 計90人に股のぞきなどをしてもらい、離れた位置に置いた目印(三角形の板)の見かけの大きさや距離を当ててもらう実験を繰り返した。その結果、股のぞきをすると、直立して見るより目印が小さく、遠くの目印が手前にあるように感じる錯視の効果が確認できた。股のぞき効果は、目印が大きく遠くにあるほど目立ち、45メートル離れた地点に置いた高さ1メートルの目印は高さ60センチ前後に感じるという。

 さらに錯視が起きる原因に、前かがみの姿勢が関係していることも示した。プリズムを使って上下左右が逆に見えるようにした「逆さ眼鏡」をかけて股のぞきをすると、見える景色は直立した姿勢と同じになる。ところが、その場合も、逆さ眼鏡をかけずに股のぞきをした時と同じような錯視が起きていた。姿勢などの体感が視覚に直接影響する証拠の一つという。

 東山教授は「実験に協力してもらおうと声をかけると、男性は『ようそんなことやっとるな』という顔をするし、女性には『恥ずかしいのでやりたくない』と言われる。初めて聞いたときにくすっと笑ってしまうテーマだったのが、評価された理由でしょう」と話している。

 今年のほかの主な受賞研究は次の通り。白馬がアブに刺されにくい理由とトンボが黒い墓石に引きつけられる理由(物理学賞、ハンガリーなど)▽自動車の排ガス問題を検査時に自動的に解消する方法(化学賞、ドイツ・フォルクスワーゲン社)▽体の左側がかゆいとき、鏡を見て右側をかくとかゆみが治まる発見(医学賞、ドイツ)▽1千人のうそつきにうそをつく頻度を尋ね、答えが信じられるかどうか特定(心理学賞、ベルギーなど)。(ケンブリッジ〈米マサチューセッツ州〉=小林哲)
%%%%%朝日新聞社記事転載おわり

毛野国・余話、 英才教育45年からの教訓(1、nature誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:「廃炉費用は電気利用料金に」と報ずる東京新聞9月21日付け一面記事」
P921廃炉 (2)


 一番の 安価な電力 原発は 311前の 虚偽の宣伝

 原発は他のどの電力源と比べても安く、しかも地球に優しい(温暖化に加担せず)などのTV宣伝をタレント、美人女優など有名人を使って散々撒き散らしていたはずです。実は、事故補償、廃炉、そして少なくも四万年にも渡る後世への「ツケ」などを考慮すると、その経費はとてつもなく高いことを自ら白状し、その白状に経産省が「前向きに」応えようとしているわけです空、この省の頭には国民は何のでしょう。電力会社とそれを容認する安倍氏の「阿漕」(あこぎ)を思っています。上記の新聞記事への私の浅薄な「賛同表明」は差し控え、かわりに秀逸な動画をお見せします。是非ともご覧ください。見事です。
https://www.youtube.com/watch?v=0CAeJqjjwsE (このアドレスを埋め込むと動画を見ることができます)
この「総統閣下」シリーズどれも見ごたえがあります。一体誰が作ってるのか!!

 原発関連記事です。本日のyahooニュースのトップ記事は深刻です:
%%%%%地下水上昇、地表面に=台風16号の降雨で―福島第1
時事通信 9月21日(水)0時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160921-00000004-jij-soci 
東京電力は21日未明、福島第1原発の護岸近くで、台風16号の降雨で地下水の水位が上昇し、地表面に達したと発表した。
護岸近くの地下水は放射性物質に汚染されている可能性があるとして、ポンプなどでくみ上げ作業が行われていた。
東電によると、護岸の東側は同原発の港湾となっている。20日午後10時前に護岸近くの観測用井戸で地下水が地表面に到達。地下水の噴き上げはないが、雨水が地下に浸透せず地表面を通って港湾に流れ込む可能性があるという。
東電は地下水のくみ上げ作業を継続するとともに、今後港湾内の海水の放射性物質濃度分析などを行うと説明している。第1原発1〜4号機の周辺では地下水が広範囲に汚染されており、東電は港湾への流出を抑制するための遮水壁を設置。さらに、その手前で地下水のくみ上げ作業を行っていた。
%%%%%記事紹介終わり

+++++毛野国・余話
 日本書紀が書く「カトリ」(「楫取」)神宮創建の由来に、奈良盆地勢力の東国制圧の端緒を見ることができます。制圧現場で行われたと思われる暴虐行為の合理化思想としての「斎」の構築であったと私は考えています。しかし、その日本書紀の記事たるや、誠に短く漢字数にして僅かに77文字です。周囲の事情を読み取ることで以って真実に迫ってゆくしかありません。
「《第九段一書第二》
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」

 この短文が以後の日本列島政治史、精神史の出発であったと考えています。日本の政治は安倍首相とほとんどの閣僚がメンバである「日本会議」が牛耳っているといわれています。その「日本会議」が掲げる理念なるものが、「日本の神とそれを体現するとされる」天皇であると「口先だけで固く信ずる」集団がいます。彼らの主張は誠に浅薄で、底の浅いことは、「斎」なるものの実態解明から見えてきます。それもむべなるかな。そもそも藤原不比等の打ち立てた歴史観の杜撰さにあるからです。

 このことを踏まえつつ、香取神宮を考察しています。勿論、この地に大昔から列島神学体系を体現する「神」を祀る施設が存在していたわけではありません。そこには上の日本書紀で描写される先住の支配者の宮(陣屋)が存在していたのです。それを征服者たる「珍」の末裔一派の軍事行動の結果として制圧したのでしょう。

 ところで、上に引用した日本書紀の一節に登場する二神、すなわち経津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌神(ためみかづちのかみ)とは一体何者であるのか?この二神を葦原中国に派遣するにあたってその人選(神選と言うべきか)に関わったのが思兼(古事記は金と表記)神であると記紀は書きます。

 話は横道に逸れますが、私の父方の祖母は栃木県下都賀郡寒川村です。この村のすぐ西を流れるのが思川です。この川は、「栃木県鹿沼市の足尾山地地蔵岳(標高1,274m)の東麓を源流とし、栃木県中西部を西から南へと流れ同県南端部にある渡良瀬遊水地に流入する利根川水系渡良瀬川支流の一級河川である」と、ウイキは書きます。

(図1: 思川、中央のハート型の池は渡良瀬遊水池。そのすぐ東を北東から南西に向かって流れるのが思川、拡大は図をクリック)
都賀・思川


 思兼(古事記は金と表記)神なる名称の由来はこの川にあるのではなかろうかと思ったりします。尤もウイキは「思川の名称の由来は、寒川郡胸形神社の主祭神である田心の媛にちなみ田心川と書かれたのが、いつしか思川となったと伝えられる。」と書きますから、この思い付きが私の背を押します。
 無論、これには根拠があります。まず、この川に胸形神社の主祭神が祀られていることです。胸形神社は天武天皇(むしろ大海皇子と書くべきですが、混乱を避けるためにここではこの呼称を用いています)と密接に関係しています。胸形徳善の女(むすめ)と天武天皇との間に生したお子が高市皇子です。従って胸形神社はどの地にもあるやも知れません。

 しかし、祖母の出生地「都賀」にこだわらねばならない事情があります。壬申の乱で敗残した天武天皇が幽閉されたのは信濃国です。この国は「科」国とも漢字表記し「しなの」と音します。又、この地には蕎麦がおいしい「戸隠山」(とがくし)があります。信濃には「トガ」つまり「政治犯が罪人として」幽閉されたことが地名に残っているのです。ちなみに古事記が書く「建御名方」(胸形と同じと多くの研究者が指摘)が幽閉されたのが信濃の国諏訪です。天武と「建御名方」は同一人物なのです。
 藤原不比等の編纂した日本列島政治史は実は藤原不比等の生きた時代つまり同時代(コンテンポラリ)の出来事を冒頭(巻一)で語ったものであった事がわかります。もしかすると、藤原不比等は列島政治史を編纂するに当たって、現代史から筆を起こし、時間を戻していったのかもしれません。これが日本書紀巻(一)〜(九)の時間逆転の真相なのかもしれません。

 もう一つの事例が富山県五箇山の「利賀」(とが)です。これも九州に覇を成した倭国の政治幹部が幽閉されたことを示すのだと思っています。話は直接関係しませんが、9月16日に富山気象台が富山県東部での微小地震の活動が活発化していることについて注意を呼びかけたとのことです(http://c23.biz/g2F8 )。先般の朝鮮半島南部の歴史的大地震と地学的背景を同じにする地震活動かもしれません。

 話を戻します。こうした事例にかんがみるならば、私の父方祖母の出生地「都賀」(ツガ)の由来は「トガ」であったはずです。そのように考えると、この地に胸形神社にかかわりのある神が祀られていることに不思議はありません。つまり、この地にも「反藤原不比等」の政治犯が幽閉されていたのだと私は思っています。

 以上の議論から、見えてくることは、日本書紀が編纂された時期にはどうやら奈良の軍勢は栃木県の南部を既に支配下に納めていたと想像できます。そういえば、葦原中国平定計画立案に加わった思兼神も一癖ありそうです。古事記が「金」と漢字表記をしているのを日本書紀が「兼」に変更しています。「金」(きん)が発音上では「珍」、「秦または信」に相互転換することは以前書きました。葦原中国平定計画立案にまさに「珍」一派が関わっていたことをうっかり古事記は白状してしまったのです。慌てた藤原不比等がそれに気づき訂正したのではなかろうか。いろいろと話が繋がり、何がしかが見えてくるのでありますよ。こうなると隣接する相模、武蔵はその頃どうであったのか?興味が尽きないのですが、とりあえずは道草をしないことにします。

 ついでですが、この祖母は私の父が弐十歳の時に43歳と言う若さで他界しています。祖母の父、つまり私の曽祖父をインタネットで検索したところなんとヒットしたのには驚きました。上記の都賀にあって、獣医学分野で活躍しており、しばしば東京の官庁の会議に出席ししかるべき発言をしていたなぞの話が出てきました。また明治の中頃ですが、朝鮮の関連政府機関に招聘され獣医学分野の技術指導にも出かけていたとの記録もありました。

 話を戻します。日本書紀が書く二神、経津主神、武甕槌神のうち、後者については「甕星を崇める一族を槌なる武力で制覇した神」というわけで、藤原不比等によってしつらえあげられた神であることがわかります。この神が歴史上のどの人物にになぞらえたのか、それについては定かでありません。さて、経津主神については どうも正体が見えてきません。岩波文庫「日本書紀(一)」で校注者が色々な考察をしています(370頁)。しかし、その説明は執筆者の想像の域を超えていないとの印象で、何も言っていないのと同様です。

 繰り返しになりますが、香取神宮の主祭神は、経津主神であると由緒書は書きます。那須岳―香取線の考察は経津主神解明の一つの手がかりたりえるかもしれません。それは、奈良盆地の部族の言語、つまり中国語(多分)に由来するのだろうか?「経」の字から仏教信仰族であろうか?なぞなぞです。現在こだわっているのが、烏山の南、栃木県の県庁所在地「宇都宮」です。この「宇」(う)はそもそもは「フ」ではなかったか?フランス語では語の先頭にある「h」は発音しません。伊藤義教氏の著作によれば古代ペルシア語でもそうしたことがしばしばあるとのことです。ということは、「うつのみや」はそもそもは「ふつのみや」であったのか、なぞの可能性も排除できません。が、結論を得るのは現時点では難しいのです。

 と、いうわけで、当面は、香取神宮のそもそもは、先住の支配者が何故この地に宮を設営したのかを探っています。その第一歩は、本ブログ論議での定石である“シリウス方位”の同定です。
(つづく)

+++++頭の良い子に育てる(1)
 誰しもが、子供に優秀な頭脳を持たせたいと願います。そのためには英才教育がさぞかし有効であろうと誰しもが考えます。英才教育を受けて育った子供達の45年後はどうであったのか。それを追跡した研究があるのだそうです。そこから学んだことは何か?米国科学誌が書いています。長いので、数回に分けてその記事を紹介します。
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http://c23.biz/bFiR
How to Raise a Genius: Lessons from a 45-Year Study of Supersmart Children
A long-running investigation of exceptional children reveals what it takes to produce the scientists who will lead the 21st century
By Tom Clynes, Nature magazine on September 7, 2016
天才を作る:45年にもわたる超聡明な子供の調査から学ぶ教訓
よくできる子供の長期間にわたる調査は、21世紀をリードする科学者を生成するために必要なものを明らかにした
 トム・クラインズ、ネイチャー誌( http://c23.biz/bFiR )2016年9月7日

On a summer day in 1968, professor Julian Stanley met a brilliant but bored 12-year-old named Joseph Bates. The Baltimore student was so far ahead of his classmates in mathematics that his parents had arranged for him to take a computer-science course at Johns Hopkins University, where Stanley taught. Even that wasn't enough. Having leapfrogged ahead of the adults in the class, the child kept himself busy by teaching the FORTRAN programming language to graduate students.
Unsure of what to do with Bates, his computer instructor introduced him to Stanley, a researcher well known for his work in psychometrics—the study of cognitive performance. To discover more about the young prodigy's talent, Stanley gave Bates a battery of tests that included the SAT college-admissions exam, normally taken by university-bound 16- to 18-year-olds in the United States.
Bates's score was well above the threshold for admission to Johns Hopkins, and prompted Stanley to search for a local high school that would let the child take advanced mathematics and science classes. When that plan failed, Stanley convinced a dean at Johns Hopkins to let Johns Hopkins, then 13, enrol as an undergraduate.
 1968年のある夏の日に、professor Julian StanleyはJoseph Batesという聡明な12歳の少年と会った。そのボルチモアの学生は、それまで、数学では彼のクラスでトップであった。彼の両親がJohns Hopkins University, where Stanley taughtで計算機科学を彼が専攻するように手配していたのだ。でもそれだけでは十分ではなかった。クラスを飛び越えて先輩たちを追い越してしまい、その子は大学院生にFORTRANプログラミング言語を教える忙しい日々となってしまった。
 Batesをどう扱うべきかがわからないままに、彼の計算機の指導者が彼をStanleyに引き合わせた。Stanleyは計量心理学分野、認識能力の研究、でよく知られた研究者である。若い天才の才能についての詳細を発見するために、StanleyはBatesにSAT collegeの入学試験のテストの一そろいを与えた。それは米国では16-18歳の学生に課せられるレベルのものであった。
 Bates'sの成績はJohns Hopkins大学への入学のための合格ラインを超えているほどに素晴らしかった。Stanleyは、その子のために高等数学、科学を学べるハイスクールを探すこととなった。それはうまくゆかなかったので、Stanleyは、Johns Hopkinsで学部長を説得して当時13歳であったbatesを大学院に入学させた。

Stanley would affectionately refer to Bates as “student zero” of his Study of Mathematically Precocious Youth (SMPY) which would transform how gifted children are identified and supported by the US education system. As the longest-running current longitudinal survey of intellectually talented children, SMPY has for 45 years tracked the careers and accomplishments of some 5,000 individuals, many of whom have gone on to become high-achieving scientists. The study's ever-growing data set has generated more than 400 papers and several books, and provided key insights into how to spot and develop talent in science, technology, engineering, mathematics (STEM) and beyond.
“What Julian wanted to know was, how do you find the kids with the highest potential for excellence in what we now call STEM, and how do you boost the chance that they'll reach that potential,” says Camilla Benbow, a protege of Stanley's who is now dean of education and human development at Vanderbilt University in Nashville, Tennessee. But Stanley wasn't interested in just studying bright children; he wanted to nurture their intellect and enhance the odds that they would change the world. His motto, he told his graduate students, was “no more dry bones methodology”.
 “Stanleyは愛情を込めてStudy of Mathematically Precocious Youth (SMPY、詳細はアドレス http://c23.biz/xh6T を参照、数学英才教育とでも訳すのだろうか)の研究についての対象としてBatesの面倒見る事になった。SMPYは、米国での才能ある子供達をどのように見つけ出し支援するかについての体制である。知的才能に恵まれる子供達についての横断的で最も長く続いている調査としてSMPYは45 年間にわたり5000人についてその子達の達成程度と職業を追跡してきた。その多くは優秀な科学者となっている。この現在も増大する調査でわかったことについて400以上の論文やら出版物が生み出しされている。科学、技術、工学、数学(STEMと称する)などでの才能を如何にに見出し発展させるかについての視点をこうした出版物が提供している。
 Julianが知りたいと思ったことは、STEMと呼ばれる分野で最高のポテンシャルを持つ子供の見つけ方だ“と、Camilla Benbow, a protege of Stanley's who is now dean of education and human development at Vanderbilt University in Nashville, Tennessee.は言う。しかし、Stanleyーは、優秀な子供達のみに関心があったわけではない;彼は知的な子供達の知性に栄養を与え、世界を変えるような機会に出会わせることをのぞんだ。彼のモットーは、「これ以上の干からびた骨はいらない」であると、彼は大学院生に言っている。

With the first SMPY recruits now at the peak of their careers, what has become clear is how much the precociously gifted outweigh the rest of society in their influence. Many of the innovators who are advancing science, technology and culture are those whose unique cognitive abilities were identified and supported in their early years through enrichment programmes such as Johns Hopkins University's Center for Talented Youth) which Stanley began in the 1980s as an adjunct to SMPY. At the start, both the study and the centre were open to young adolescents who scored in the top 1% on university entrance exams.Pioneering mathematicians Terence Tao and Lenhard Ng were one-percenters, as were Facebook's Mark Zuckerberg, Google co-founder Sergey Brin and musician Stefani Germanotta (Lady Gaga), who all passed through the Hopkins centre.
 最初のSMPY採用者達の最高時のcareerについて、明らかになったことは社会で彼らの影響力がどれだけ貢献しえたかということだ。科学、技術、文化を進めている革新の多くは、そのユニークな認知能力などがJohns Hopkins University's Center for Talented Youth(詳細は http://cty.jhu.edu/ で)の洗練された教程を通じて早くから識別され支援された。この Center for Talented Youth は Stanley がSMPYに関連付けて1980年に始めたものである。開始時に、研究とセンターの両方が、大学入試で上位1%得点した若い青年に開かれていた。先駆的なPioneering mathematicians Terence Tao and Lenhard Ngがそうした1%の生徒たちであった。Facebook's Mark Zuckerberg, Google co-founder Sergey Brin and musician Stefani Germanotta (Lady Gaga),も同様で、Hopkins centreを通過していった人たちだ。

(図: 2 能力有る生徒についての長期間追跡調査。能力あるとは、SATでの数学試験で上位1%の成績にあるもの。縦軸は生徒の最高キャリア。横軸は13歳時の数学得点。赤:何がしかの博士、緑:数学、技術、工学分野での博士、青:特許取得者、淡青:収入。能力あるものが他を圧倒していることを示すのがこの図である。)
Child_genius_chart_newsfeature_web



“Whether we like it or not, these people really do control our society,” says Jonathan Wai, a psychologist at the Duke University Talent Identification Program in Durham, North Carolina, which collaborates with the Hopkins centre. Wai combined data from 11 prospective and retrospective longitudinal studies, including SMPY, to demonstrate the correlation between early cognitive ability and adult achievement. “The kids who test in the top 1% tend to become our eminent scientists and academics, our Fortune 500 CEOs and federal judges, senators and billionaires,” he says.
 好むと好むまいとこうした人たちが社会をコントロールしている、と Jonathan Wai, a psychologist at the Duke University Talent Identification Program in Durham, North Carolina,は言う。この大学はHopkins centreと共同研究をしている。Waiは11の研究を時間順にそして時間逆順に横断的に結合して初期の認知能力と青年になってからの達成との間の相関を示している。上位1%の子供達は優れた研究者、学者になる傾向にあった。彼らはFortune 500 社のCEOs であったり連邦判事であったり 上院議員または億万長者であった。

Such results contradict long-established ideas suggesting that expert performance is built mainly through practice—that anyone can get to the top with enough focused effort of the right kind. SMPY, by contrast, suggests that early cognitive ability has more effect on achievement than either deliberate practice or environmental factors such as socio-economic status. The research emphasizes the importance of nurturing precocious children, at a time when the prevailing focus in the United States and other countries is on improving the performance of struggling students. At the same time, the work to identify and support academically talented students has raised troubling questions about the risks of labelling children, and the shortfalls of talent searches and standardized tests as a means of identifying high-potential students, especially in poor and rural districts.
 このような結果は、専門家の達成度は主に実践を通して達成されうると言う長く確立された思考とは矛盾する。それとは対照的にSMPYは、初期の認知能力が意図的実践や、社会経済的地位などの環境要因のいずれよりも効果を有することを示唆している。研究は、早熟の子供を育てることの重要性を強調している。一般には、米国でもその他の国でも支配的な焦点は苦労学生のパフォーマンスを向上させることにあるのであるが。同時に、学問的に才能のある学生を特定し、サポートするための作業が子供にレッテル貼りするというリスクに関する厄介な問題がある。農村または貧困な環境での育ったポテンシャルの高い学生を識別する標準的なテストでの欠陥も問題である。

“With so much emphasis on predicting who will rise to the top, we run the risk of selling short the many kids who are missed by these tests,” says Dona Matthews, a developmental psychologist in Toronto, Canada, who co-founded the Center for Gifted Studies and Education at Hunter College in New York City. “For those children who are tested, it does them no favours to call them 'gifted' or 'ungifted'. Either way, it can really undermine a child's motivation to learn.”
 「誰がトップに上がるのかの予測にあまりにも重点を置いて、我々はこれらのテストでは見逃されている多くの子供たちの能力の早まった評価と言う危険があった」と、Dona Matthews, a developmental psychologist in Toronto, Canada, who co-founded the Center for Gifted Studies and Education at Hunter College in New York City.は言う。「テストされる子どもたちのために、「彼らが才能ある」とか「生まれつき才能のない」などと呼ぶのは好ましくない。いずれにせよ、それは本当に学ぶためには、子供のモチベーションを弱体化させる。」と。
(つづく)

烏山・宮原八幡、高齢者運転講習

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:昨日、田で目撃した「白と黒」のコンビ。スタンダールの小説の舞台?あれは「赤と黒」でしたな。
白鷺:おめえ、まっくろけだな。腹も黒いんだべ。
鴉:うるせいやい。頭いいと、黒くなるんだ。写真拡大はクリック)
P917黒と白9


 叱責と 罵倒に耐えた ん十年前 涙のコースを 見事完走せり

 ウン十年前、北海道から東京の新宿に転勤となり、馬事公苑近くに住まうこととなりました。しかし、二年後には、勤務地の「つくば」移転が予定されていました。当時、つくばの地は、バスの便も良くないと聞いてました。慌てて自動車教習所に通う羽目となり、出勤前の朝早く自転車で多摩川近くの教習所の予約に駆けつけ、勤務あけ後の夜七時ごろ実地教習です。今はどうか知りませんが、当時は予約そのものが一苦労でした。東京と言うこともあったのでしょうが生徒がワンサカいます。そして実地教習では指導員から「プライド」をずたずたにされるような罵声を浴びせられます。まあ、取得後は、よく堪えたものと「自分を誉めてあげたい」気分でありました。

 さて、あれから40年以上が経ちました。自宅近くの自動車教習所で「高齢者講習」なるものを受講してきました。下の図は講習教程の一つであるシミュレータを用いた私の運転能力結果です。

(図:私の運転適性評価、自慢するつもりで掲載してます。が、普通は皆さん、もっと高得点なのでしょうか。シミュレータ検査の後、うん十年ぶりに教習所コースを走りました。初っ端のS字カーヴで脱輪しましたが、車庫入れ、障害物、クランク、交通法規遵守運転 などなど見事難関をクリアしました キリッ! )
160916drive001


 上図の数字は、私の技量でありまして、( )内の数字の30〜50歳の人の運転適正平均と比較して全く劣らない、項目によっては私の方が上であるとの評定を得て、大いに気分を良くし自慢したくなった次第です。

+++++烏山
 日本列島では古来より奈良盆地に本陣を置き、そこを拠点として周囲を窺っている勢力がいました。彼らは、大陸の言語(中国語と呼んでいいのでしょう)を話し、卑弥呼の時代には既に存在していたと疑心倭人伝は書いています。その勢力を引き継いだのか否かは定かでありませんが五世紀には「讃」「珍」と名乗る王がこの地に輩出していたことを宋書倭国伝が書きます。梁書倭国伝によれば六世紀にかけて「大漢国」が、九州の倭国と並立して存在していたようです。大漢国の首領はどうやら珍王の末裔であったようです。
 この勢力は、隋の勃興と呼応して、日本列島に侵攻してきた「継体天皇」の指揮の下、まずは九州の倭国勢力を攻め立てます。その軍事侵攻の終盤の苛烈な戦いこそ「壬申の乱」です(表1の本ブログ記事)。クドクドは書きませんが、「壬申の乱」の舞台は誰しもが琵琶湖周辺から奈良盆地にかけた地域つまり近畿戸信じています。それは正しくないのです。

(表1:本ブログでの「天武」および「壬申の乱」特集記事一覧、タイトルと掲載日)
壬申の乱ブログ記事



 こうした経緯の元で、「珍王」の末裔は東北日本に残存する倭国勢力の殲滅と言う軍事行動に取り掛かります。かなり早い時期に現在の長野県を制圧していたと私は考えています。この地の名前「信濃」(しなの)の「信」(しん)は「珍」(ちん)に由来します。「し」、「ち」、「き」が表音ではしばしば相互転換することは以前にも書きました。更なる東進、その対象が現在の群馬・栃木です。「毛野国」です。「上」と「下」が付される二つの国の一つです(もう一つが現在の房総半島「海上国」(うなかみ)です)。
 ところが、この侵攻はどうやらうまく達成されなかったようで、「珍」軍は途中で毛野国全域の制覇を断念したと考えています。それが「上」の国と「下」の国と言う呼称の由来であると思います。日本書紀は、その軍事行動に関わったと思われる人物を応神天皇二年紀で記しています。

%%%%%日本書紀記事より転載
原文:
応神天皇二年(辛卯二七一)春三月庚戌朔壬子。立仲姫為皇后。后生荒田皇女。大鷦鷯天皇。根鳥皇子。先是天皇以皇后姉高城入姫為妃。生額田大中彦皇子。大山守皇子。去来真稚皇子。大原皇女。〓来田皇女。又妃皇后弟弟姫。生阿倍皇女。淡路御原皇女。紀之菟野皇女。次妃和珥臣祖日触使主之女。宮主宅媛。生菟道稚郎子皇子。矢田皇女。雌鳥皇女。次妃宅媛之弟小〓媛。〈 小〓。此云烏儺謎。 〉生菟道稚郎姫皇女。次妃河派仲彦女。弟媛。生稚野毛二派皇子。〈 派。此云摩多。 〉

文意:日本書紀(二)(岩波文庫、192頁)
 応神天皇二年(辛卯二七一)春三月一日(庚戌かのえいぬ)壬子(水の餌ね)の日、仲姫をたてて皇后ろする。后は荒田皇女、大鷦鷯天皇、根鳥皇子を産む。これよりさき天皇は皇后の姉である高城入姫を妃とする。妃は額田大中彦皇子、大山守皇子、去来真稚皇子、大原皇女、〓来田皇女を生む。又皇后の弟である弟姫を妃として(?)阿倍皇女、淡路御原皇女、紀之菟野皇女生む。次の妃である和珥臣祖である日触使主之女である宮主宅媛が菟道稚郎子皇子、矢田皇女、雌鳥皇女を生む。次の妃である宅媛之弟小〓媛。〈 小〓。此云烏儺謎。 〉が菟道稚郎姫皇女を生む。次の妃である河派仲彦女である弟媛が稚野毛二派皇子を生む〈 派。此云摩多。 〉
 
%%%%%
 女優さんの息子の高畑某なる若者のはるか上を行絶倫く絶倫ぶりです。残念ながらこの人物、歴史上に実在せず、藤原不比等の歴史史観から作り出された人物です。如何様にでも都合の良いように史書にかきこめます。かくして上記の記事を系図にすると下図になります:
(図2:稚野毛二派皇子戸周辺の人脈)
仁徳系図a


  上図の左上に仁徳天皇の異母弟として稚野毛二派皇子なる名前が見えます。この皇子の実在または非実在はともかく、仁徳天皇の時代に毛野国が上下二つの国に分かれたことを暗示するために藤原不比等が拵えあげた皇子であったことが、今にして明らかになったのです。藤原不比等は「毛野国」に関わった人物として稚野毛二派皇子を登場させ、筋書きの整合性を用心深く図ったつもりでした。ところが、後世の識者、学者は藤原不比等の周到な準備に気づかなかったんですね。日本書紀を眺めていると、しばしば、こうした状況を思わせる説話に出会います。

 七世紀末になされたという「焚書」のために、これからも関連する史料の発掘は期待できないと思いますが、「倭国」政権が近畿に巣喰う一派を東西から挟み込みながら日本列島の大半にその支配力を及ぼしていた時代です。当然ですが、支配領土は細分化され、夫々に首領がいたらしいと言うことを、上に書いてきたことから推定できます。
 つまり毛野国は倭国の支配体系の一環として日本列島の歴史に存在していたのです。先代旧事本紀はまさにそうした先住の支配者が残した支配体系をそのまま記載したのだろうと思っています。そして、歴史の変遷に対応して、新たな変更部分、つまり「上」と「下」と言う国への分割を加筆訂正したのではなかろうと思っています。

  さて、稚野毛二派皇子なる人物が継体天皇の曾祖父に当たると日本書紀は書きます(上図参照)。私は、さもありなんとも思います。「珍」王の東征、つまり近畿圏から東、信濃とその向こうの更なる東への軍事行動にあっては、早くから「挑発行為」があったのかな、と思うからです。そうした行為の一端が仁徳天皇の数々の「女たらし」の説話であろうと思っています。

 以上長々と書いてきましたが、烏山の神長こそは美貌で聞こえた「毛長媛」が居た地であったろうと思っています。この美貌の媛の恋が万葉集に詠われ、それは、滅亡した「東」倭国に言い伝えとして残されていたのです。その「悲恋」スト−リを藤原不比等は自らの政治的野心の道具立てに使ったのです。
 こうした、万葉集に歌われるような地が藤原不比等の歴史観に長く残ってはいけない。藤原不比等の意を体現した武将は後世に思ったのでしょう。その痕跡を烏山の地に見ることができます。JR烏山駅の東、南北に流れる那珂川の対岸である東岸に宮原八幡神社があります。ここは、平安時代東征に向かう坂上田村麿呂の戦勝を祈願した地との伝承があります。この神社境内が図3です。参道の方位が反シリウスであることに注目しています。つまり明確な反「倭」の意志を表明していることがわかります。その意志を八幡宮に託しています。

(図3:烏山東の宮原八幡神社の境内。拝殿へ向かう参道が反シリウス方位であることにこの神社の強い主張を見ることができます)
烏山宮原八幡


 栃木県神社庁(http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=668)はこの神社について以下を書きます:
%%%%% 室町時代よりの那須の惣社
八幡宮は、縁起書によりますと坂上田村麿呂東征の途上延歴14年乙亥12月10日(795年)宇佐八幡宮を神職斎藤左衛門大夫宗隆が築紫山(烏山町城山と毘沙門天山の中間)上に勧請し、祭詩を建立祈願を斎行してより那須家を始め烏山歴代領主の守護神として奉斎し、明応年間現在地宮原(以前は琵琶の原と言う)に遷宮し参道を設け大久保候に至るまで崇敬され、明治以降は郷社に列格し当地の惣鎮護の守護神として篤く信仰されています。
%%%%%

 何時の日からか八幡様に祀られるのは応神天皇であるとされます。天皇と、関連する神社に関わる信仰体系、変遷についてはその由来起源を辿ることは難しい。なにがしかの理由があって、坂上田村麿呂は、宇佐神宮に勝利の加護を願ったのでしょう。そしてそれが、幸いにして「勝利」となって結実したのです。これが、きっかけとなって応神天皇は「勝利の神様」、「戦の神様」となって、以後武将に崇められることになったのだろうと想像しています。

 しかし、東国に住む民にとっては、残虐、殺戮、圧制、そのものであった筈です。「勝利」では断じて無いはずですが現在もこうして東国にも八幡様が祀られています。坂上田村麿呂は南米におけるコロンブスの先駆けでもあります。もしかして15〜16世紀のポルトガルは坂上田村麿呂の事跡を知り、それに学んだのかとすら思います。南米大陸住民の「キリスト」教信仰と全く同じように、「仏教」なる宗教が東日本にもあまねく行き渡り親鸞などと言うえらい坊さんが東国住民の精神的牙を抜くためか、長期に滞在します。権力者の支配維持の手法にあっては、東西、南北に大きな違いはなく、相通ずるものがあるようなのです。

 更に書くならば、現在の我が国の民も同様ですな。原爆を広島・長崎に落とした上に、今だに列島中に米軍基地を置いて軍事的に制圧し、TPPの先駆けでも或る肉牛輸入規制の撤廃、農薬付け米の受け入れ強制などで経済的にも我が国に君臨する米国に拝跪する私も含めた日本国民の姿でもあります。

 思わぬ、政治談議となってしまいました。応神天皇の和風諡号が「ホムタ」天皇です。宋書倭国伝に登場する倭の五王の内の二人の王の名前、つまり「興」王(KHO,ホウと音する)、「武」王(ブであり、ムでもある)を合成して藤原不比等が命名した天皇です。従ってこの王も実在しません。藤原不比等の日本列島政治史の都合で「作り出された天皇」です。この天皇が、「軍神」として祀られる経緯については、諸説ありますが不明としか言いようがありません。

 八は「耶麻台国」(八馬国)の「ヤ」つまり「八」です。「幡」はのぼりです。私は万葉集十五歌にその由来を求めるべきかと考えています。万葉集研究者である吉村誠氏(山口大学)が作成された万葉集検索システム(http://c23.biz/6CrT )で十五歌を検索します:
%%%%%万葉集十五歌
番号 01/0015
題詞: ((中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌)
原文: 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比<紗>之 今夜乃月夜 清明己曽
訓読: 海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ
仮名: わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ
左注: 右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次 亦紀曰 天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子
校異: 祢->紗[澤潟注釈][元][類][冷]弥
キーワード: 雑歌 / 作者:中大兄:天智 / 三山歌 / 兵庫 / 妻争い / 羈旅

 この歌も含め万葉集の初期歌群について説得力のある解読を成し遂げた研究者は皆無です。これは、驚くべきことです。にもかかわらず、研究者達は万葉集についてはもはや研究することは無いと思い込んでいる節があります。著名な研究者達の著した本で解読されている初期歌群のほとんどは、江戸時代またはそれ以前の解読を踏襲したもので、実ははなはだ説得力を欠いているのです。多分、学者さんたちはそのことを自覚しているはずです。

 さて、この十五歌の歌意そのものは読み取り易く思えるのですが、何故この歌が十三歌の反歌であるのかが理解できないと,左注を付した人間が告白しています。現代に生きる学者さんたちは昔の識者がそう言うと、端(はな)から解読を諦めてしまいます。

 本ブログではこの歌の解読をしていますので、ここでは繰り返しませんが、上に書いた奈良盆地軍勢と九州倭国間の戦争を詠っています。

(表2:万葉集解読記事、一部は訂正の要がありますが、本ブログ管理人の解読原点として公開しています。いずれ、見直し作業をします)
万葉集一〜二十二


 どうやらこの戦争は仲介者があって、九州に根を張っていた倭国側は優勢的に休戦をなしたと思われます。その際、勝利の喜びを象徴する箒雲(ほうきぐも)が空にたなびいている風景が詠われているのです。従って時期は秋です。

 万葉集歌人の「巧み」さは、九州の高(KHO,“こう”と発音する)勢力を音を同じくする「豊」(KHO.“ほう”と発音する)と漢字表記し、さらに戦勝の喜びで打ち振る旗を歌の聴き手の頭に想像させているのです。万葉集の歌は、「漢字表記」を目で味わい鑑賞することで、様々な情景があたかも眼前にあるかのごとく想像させる仕掛けを凝らしていることを以前書きました。

 私は、八幡の「幡」には万葉集十五歌が描き出す勝利が込められていると思っています。

 しかし、世が進むに連れ、つまり八世紀の末には、この八幡へ思いは侵略者によって簒奪されてしまったのです。それが、烏山の宮原八幡宮の境内の参道方位に体現されていると思っています。

 さて、次回は、那須岳と香取を結ぶシリウス線のもう一つの重要地点を考察します。
(つづく)

毛野国(2)、原発停止後も変わらぬ炭素排出量

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:このところ連日、窓の手すりに蛙がうずくまっています。夜になると塒に帰るようですが今朝も又来ています。緑ではないけれども青蛙と呼ぶのですかね)
P916蛙09


 増大する ウーマンパワーに おろおろす 思えば母系 自然の姿か

 小池都知事が幹部連に訓示をたれる英姿をTVが放映していました。頭を垂れてかしこまる中高年のおっさん連。哀しみが漂っていると思うのは私の僻みでしょうか。安倍首相は国の軍の長に 稲田朋美氏をあて、もっと女性幹部を増やせと防衛省に先日檄を飛ばしました。戦争を女が仕切り、女が男を守って武器を取る。何かおかしいと思いますが、海の向こう米国では大統領有力とされるヒラリ・クリントン氏は軍産複合体の熱い支持を背景に「好戦」的言辞で米国民を鼓舞しています。
 尤も、ヒラリおばさん、2012年の転倒事件で頭を激しく強打した後遺症が時折発症しているとの噂があります。そうなると民主党の大統領候補はサンダーズ氏なのでしょうか。蓮舫氏が民進党代表に選出され、最初の仕事が野田元首相の幹事長起用です。どうやらこの女性は世の期待に反して乗り越えるべき古い男の思考なのかと危惧します。
 それはさておき、ヒト科の生物における雄の役割は縮小し、つまるところ卵に生物化学的最初の一発刺激を当てるにとどまるのでしょう。まさにライオンの世界ですな。

 原発が稼動停止している間は化石燃料で電力を作り出さねばならない。とすれば炭酸ガス放出は2011年以後増加している筈。と、誰しもが考えます。ところが、そうではないらしい。これが真実なら、「地球温暖化阻止のために原発を!」なるスローガンは通用しないことになります。原発無しで二酸化炭素が増えないのなら、好き好んでこんな危ないものは持つ必要は無い。というわけで、興味深い記事を見つけたので、以下に転載しておきます:

%%%%%原発が全停止した日本、しかし炭素排出量は増加せず
2016/09/14(水) 14:31:58
http://wired.jp/2016/09/14/japans-lurch-away/
日本は福島原発事故以後、2年近くにわたってすべての原発を稼働停止させたが、節電などの効果により炭素排出量は増加しなかった という調査結果を米国エネルギー省が発表した。

 福島第一原子力発電所でのメルトダウン発生後、日本ではすべての原発の稼働が順次停止された。ほかの原発を検査し、より厳格な安全基準を設定するためだ。 2015年8月から一部の原発が稼働を再開したが、日本はそれまで、2013年9月以来、2年近くにわたってすべての原発を稼働停止させていた。
日本が事故前までその電気の4分の1以上を原子力に依存してきたことを考えれば、原発をすべて停止したことで炭素放出量は劇的に増加したと予想されるだろう。 しかし、そうはならなかった。
 米国エネルギー省エネルギー部(EIA)がこのほど発表した調査結果によると、日本では石炭の使用量は増加したものの、その増加率は10パーセントを超えていない。徹底した節電により、日本の電気の総使用量は、それまでの水準を下回った。
エネルギ源001


上のグラフを見ると、福島原発で事故が発生する前から、原子力は日本の電源構成において減少傾向にあり、一部が天然ガスや石油で置き換えられつつあったことがわかる。グラフによると、その傾向はその後もずっと続いている。
 原発事故後の節電努力により、日本の電気使用量はペタワット(1千兆ワット)時を下回った。さらなる努力によって、電気使用量の減少傾向は現在も続いている。石油使用量は増加しているが、予想されたほどではない。石炭の使用量の増加は8パーセント、液化天然ガスは9パーセントだ。これらによって、原発事故前に始まっていた「石油使用量の拡大」は減速された(なお、EIAの資料は、2011〜14年の間に液化天然ガスの価格は37パーセント、石炭の価格は19パーセント下がったにもかかわらず、日本の電気料金は2パーセントしか下がっていないとも指摘している)。
 水力発電を除いた再生可能エネルギーによる発電は、事故時と比べて2倍以上に増えている。水力発電所と合わせると、その発電量は石油を超えている。これらすべてが最終的に示すのは、炭素排出量にそれほどの変化はなく、日本の排出量が最大となった2007年を超えてはいないということだ。今後各原発が稼働を再開したら、日本の排出量は大幅に減少し始めると考えられるため(原発と排出量の関係には異論もある)、再生可能エネルギーの拡大と全体的な節電が今後も続けば、日本の排出量の減少は加速するに違いない。これは必須事項でもある。日本はその炭素排出量を、最近のピークである2013年のレヴェルから、2030年までに大幅に(26パーセント)減らすことを約束しているからだ。
%%%%%

+++++毛野国(2)
 先代旧事本紀第十巻である国造本紀は日本列島を構成するべく成立した135の国について、その国の主たる国造名と共に、成立の際の天皇の宮処を記しています。「歴史読本」2008年12月号は”先代旧事本紀”特集号です。この雑誌の153頁でどの天皇の御世に国の成立が多かったのかを表にしています(pp150-155,菅野雅雄)。この表によれば、志賀高穴穂朝の御世に135の国の半分に当たる65の首長、つまり国造が任命されています。

 古事記は「志賀高穴穂に宮を構えたのは稚足彦天皇」と書きます。漢風諡号成務天皇です(日本書紀には、この成務天皇の宮は明記されておらず、そこは父親の景行天皇の宮とされている)。
 古事記は成務天皇について以下を書きます:
%%%%%
原文:
若帶日子天皇。坐近淡海之志賀高穴穂宮。治天下也。 此天皇。娶穂積臣等之祖。建忍山垂根之女。名弟財郎女。生御子和訶奴氣王。〈 一柱。 〉故建内宿禰爲大臣。定賜大國。小國之國造。亦定賜。國國之堺。及大縣。小縣之縣主也。

文意(「古事記」岩波文庫130頁より):
わかたらしひこ天皇は、淡海の近くにある志賀高穴穂に宮を構えて天下を治めた。この天皇は穂積臣等の祖で建忍山垂根(たけおしやまたりね)の娘である弟財郎女(音宝のいらつめ)を娶り和訶奴氣(わかぬけ)王を生(な)した。建内宿禰を大臣として大国、小国の国造を定めた。又国々の堺、大県、小県の主を定めた(あがたぬし)。
%%%%%
  
 つまり、成務天皇の時代に大・小の国造を定めたと書きますから、旧事本紀の記載と矛盾しません。そしてそれが、この天皇の大きな業績とされています。ところで、成務天皇紀は日本書紀巻七に含まれています。この巻は日本列島古代史の大事件を凝集している部分であることをこれまで繰り返し書いてきました。父親の景行天皇の和風諡号である大足彦は、そのまま、隋書倭国伝に登場する倭国王の名前であるからです。そして、その息子の倭武尊は日本列島を駆け回った挙句に非業の死を遂げる、まさに英雄です。その英姿は宋書倭国伝に登場する「武王」そのものです。

 大足彦は西暦600年に日本列島に実在した人物です。一方倭武尊が「武王」であるならば彼の生きた時代は五世紀後半です。すでに繰り返し書いてきたことですが、日本書紀七巻の中に時間的逆転つまり、古い事件が新しい事件の前に記載されているのです。しかもその時間差たるや100年余にも渡ります。
 
 この逆転記載の矛盾を、藤原不比等はなんとしてでも取り繕わねばならなかったのです。このあたりの経緯については既に書いてきましたから繰り返しませんが、一つの弥縫策が「成務天皇」の導入で、この人物に全国の制覇の業績を帰しているのです。和風諡号が「稚足彦」ですから、景行天皇の息子とすぐにわかる名前です。その名前を以って時間の連続性を強調します。これは隋書倭国伝が書く倭王息子の名前に「多弗利」(たふり)が付されていることに藤原不比等が注意を払ったからです。「多弗利」は古代ペルシア語に由来し意味は「子供、幼年時代」(2012年9月12日記事、http://c23.biz/2Vz6 )で、それはまさに「稚」と同義です。藤原不比等の知識の広さを窺わせます。つまり藤原不比等は七巻が内包する時間の矛盾の解決ばかりでなく大陸の史書にまで目を配っていたのです。こうした日本列島政治史の転換点が巻七に凝縮されています。

 思えば、漢風諡「成務」の「成」は「済]を、[務]は「武」、つまり歴史の転換点を担った倭の五王の名前から編み出されたのではなかろうか。藤原不比等亡き後、藤原不比等がしつらえあげた諸天皇に漢風諡号を奉った人物の頭には、この天皇に歴史の転換点を託す想いがあったのではなかろうかと想像しています。

 既に書いたように、毛野国には仁徳天皇が関わってきます。毛野国を二つにわけ、奈良から遠いほうを下毛野国として公認した時期を仁徳天皇の時代と書きます。記紀を注意深く読む限りでは、仁徳天皇が古代史に実在した人物ではないことは明らかです。
 この天皇が、藤原不比等によってしつらえ上げられた人物であったとしても、この天皇に擬せられる実在の人物がいたはずです。その人物は珍(秦?)王に直結する、つまり奈良盆地の一族の首領であったとはずです。この人物は奈良から東征し信濃を制覇し、次には毛野国の制覇を視野に置いていたはずです。この野望が古事記、日本書紀では仁徳天皇事跡として記載されたと思います。

 信濃の実際の支配は七世紀半ばから末のことです。それは日本書紀の天武紀から推定できます。と、いうことは、毛野国がそれ以前に奈良の勢力下に置かれていたとは、考えにくい。実際、毛野国、つまり現在の群馬県、栃木県には、そうした痕跡と推定されるような地名が見当たりません。

 地名といえば、上毛野国の「足利」の由来については、学者さん、地元の歴史愛好家が様々な議論をしています。が、どれも説得力はありません。私は、長く「タリ」の漢字表記かもしれないなぞと思っていました。しかし、もっと単純であったようです。文字通りそれは「アシカガ」なのです。「アシ」は「オシ」に由来し「カガ」は「高」です。つまり「勇敢な高一族」です。こうした呼称が伝承として遺されていたと考えています。

 もう一つ余談ですが、国造本紀が記載する135の国で上、下が付される国は「毛野国」に加えて「海上国」(みなかみ)があります。房総半島の中部(上)と北部(下)です。「海上」を「カイジョウ」と音するならば同様の音を持つ地が日本列島にはあります。それは「階上」です。青森県三戸と宮城県気仙沼にありますがいずれも「はしかみ」と音します。
 ところで、2011年3月11日の東日本大地震では、千葉県房総、そして三戸、気仙沼のそれらは、いずれも大津波に襲われています。西暦689年の貞観地震でもそうであったと考えられています。私はこの三つの地名の由来は「津波」ではないかと考えています。それは[海]であり、避難に当たっては「高い所(上方)に逃げる道」つまり階段です。

 ところで、上にも書きましたが、135の国のうち僅か2つだけが上xx国、下xx国と名づけられている。xxは「毛野」、「海上」です。それは、何故かを考えていました。奈良に拠した「珍」王末裔を名乗る軍勢は信濃を制圧し更に東進を図った。しかし、毛野国の民の屈強な反撃に遭い、全領土制覇を断念し、西半分にとどまったということではなかったか。それが上毛野国の由来であったと思えます。
 同様が房総半島でも起きたのです。ここでも利根川周辺の一族の反撃で、その南部分の制圧にとどまった。それが「上」、「下」との呼称になった。そのように考えると、実は海上国はどうやら現在の議論野発端である香取をめぐる戦闘の一舞台ではなかったろうかとの想像に繋がります。いずれ検討します。

 本題にもどりますが、以上の考察から、「毛野」は「珍」の転化した呼称ではないけれども、上毛野国については、その「毛野」に「珍」が色濃く反映していると思えます。

(つづく)

 前回書いた12日の韓国南部地震について日刊ゲンダイ紙が歴史学者の危惧を紹介しています。地震防災の視点からは参考にすべき事柄とは思えますが、これが、物理・地学現象解明の道具としての地震学に役立たせるにはまだまだ多くの時間と研究が必要です。現時点では「聞き置く」程度の扱いであるのは止むを得ないことと思います。
 前回記事の図でも示しましたが、この地震の起振力は東西圧縮型です。従って2011年3月11日の地震の影響がじわじわと及んだ結果であることは間違いないでしょう。しかし、「じわじわと影響がおよぶ」その機構を誰もが知らないのです。そもそも何故、朝鮮半島には地震が少ないのか?それも未解明です。
(図3:日刊ゲンダイ9月15日号記事)
Korea20160912

最近の地震、毛野国

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ
(写真:稲刈りを終えた田でくつろぐ白鷺の家族?写真に取り損ねてますが、2羽の大きな体の白鷺と小さな体2羽が田んぼで地面を突いていました。クリックすると白鷺の優美な立ち姿をめでることができます)
P914白鷺


 この土地に 生をうけたか ちびっこの 白鷺 ポーズで カメラにおさまる
 
 「高齢者運転講習」なる召集令状が届きました。免許証返納するかどうかで迷いました。が、今回は出頭することとしました。齢を重ねたとの実感でした。何時起きても不思議ではない[死]を強く意識することでもあります。昨日、かっての同輩が死去したことを知りました。以前も書きましたが、ここ数年周囲の知り合いの訃報が続いています。そういう年齢に私も達しているのだと改めて自覚しました。

 この同輩は、大学院在籍時代に同じ研究室に所属し、昼食時には教授の先生を先頭に院生五〜六名がぞろぞろと連れ立って学生食堂に出かけ仕事上の議論やら雑談やらを交わした仲間達の一人でありました。一旦沈静化した大学紛争が、この研究室を含む当部局で再発火し、数年間この部局の活動は完全停止を余儀なくされました。科学雑誌natureでもその停止についてeditorが「嘆かわしい」、「損失」などの表現をもりこんで論評した大事件でもありました。
 若くして世界的な仕事を幾つもされていた教授は、この事件で結局米国に移ることを決意されました。同輩を含む院生仲間と誘い合って、日本にとどまって欲しいと陳情に教授宅まで押しかけたりしました。同輩とは大学裏の赤提灯でしばしば飲んだくれました。
 その後、この同輩とは一時期、北海道でも職場を一緒にしました。彼はすぐに出身の部局にもどり、私はあちこちを渡り歩きましたが、定年近くに再度部局は異なれど同じ職場で働きました。というわけで、ずいぶんと長い付き合いでもありました。

 この業界で、長く日本の中心的な役割を担ってきた男でした。なんとも言葉がありません。心からのご冥福をお祈りします。自らの早晩の死を実感しました。いつでも旅立てるよう準備をせねばと思った次第です。
 とするならば、私の古代史調査も急がねばと思います。藤原不比等がしつらえあげた“日本列島古代史の虚偽を暴き”、“隠蔽された東北日本の古代史を明るみに出す”なぞと、ずいぶんと力(りき)んだ「自己鼓舞」に促されて作業を急ごうと思っています。まあ、何処まで行けるのか、定かではありませんが。

+++++最近の地震
 一昨日の夜8時半ごろ韓国南東部で、同国としては歴史に残るような大地震が発生、近隣の原子力発電所が運転を停止したとのことです。幸いにして被害はさほど大きくなかったとのことです。インタ・ネットで第一報を知った時は「スハッ!北朝鮮による二回目の核実験かっ!」と驚きました。

 (図1:一昨日の朝鮮半島南部地震。図の左縁の赤丸。緑の星で表示される地震は昨日早朝の茨城県南部地震。発震機構解から、私がかねて注目する「チバラギ]地震と思われる。M4.2であるので、防災科学技術研究所がまとめる「最近の大きな地震」コーナには含まれない」
Korea160913


 (表:朝鮮半島南部地震についてのIRISによる地震情報(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )
201609121132A SOUTH KOREA
Date: 2016/ 9/12 Centroid Time: 11:32:57.2 GMT
Lat= 35.82 Lon= 129.14
Depth= 18.4 Half duration= 1.4
Centroid time minus hypocenter time: 2.3
Moment Tensor: Expo=24 0.221 1.610 -1.830 0.547 -0.352 1.390
Mw = 5.5 mb = 0.0 Ms = 5.4 Scalar Moment = 2.3e+24
Fault plane: strike=26 dip=74 slip=180
Fault plane: strike=116 dip=90 slip=16

 上記の表に基づいて計算される発震機構図を図1右に示しておきます。さらにモーメントテンソルを対角化して得られる固有値は
- 2.4228021 0. 0.
0. 0.2390472 0.
0. 0. 2.1847548

であるので、NonDCは0.1038となります。鉛直方向に張力が残留応力として震源に作用した、とでも解釈するのでしょうか。本ブログでは、NonDCなる量の解釈については詳しく議論していません。そもそも、その物理学的意味が不鮮明なのですが、たくさんの地震についてこの量を調べると、そこに何がしかの分類が可能となり、ひいては、その地震学的意味が浮かびあってくるのかなとの期待をしています。
 意味がはっきりしない時点での考察ですが、通常この値は絶対値で0.05前後であり、0.1を越えることは多くありません。地震断層面が屈曲しているのでしょうか?いずれ議論します。

 もう一つ地震の話です。昨夕7時半ごろ当地はM5の地震に襲われました。震源は埼玉県下深部です。このところ、毎晩のように小規模な地震があります(図1に示される「チバラギ地震」もその一つ)。これは来るべき大きな地震の前触れであるのかどうなのか?その手がかりを得るための調査を今している最中なので、なんとも言えません。とりあえず昨夕の地震についていつもの図を示して起きます。
(図2:震央分布)
160913smap


 この地震で、一番興味深いことは正断層であることです。右下の鉛直断面に見るとどうやら太平洋プレートにかかわりの或る地震であると思えます。
(図3:ズ2で示す矩形図内の地震活動を、鉛直断面への投影と時空間分布で示す)
160913dtd


    40〜60kmの極狭い空間内で急速に地震活動がAからBの方向に遷移しているように見えます。しかし、時間、空間領域が限られているので、他の地震情報と関係付けて議論するべきでしょう。

+++++烏山・神長(3)
 現在の栃木県・群馬県はかっては毛野国と呼ばれていたと[先代旧事本紀](さきのよの古きことのもとつふみ)は書きます。といっても何時「国」なる概念なり実体なりが日本列島に作られたのか、定かでありません。「国造」(くにのみやつこ)なる、夫々の国の支配者が登場する時期も定かではありません。古事記も、日本書紀もその経緯については触れておらず、いきなり既にそうした役割を担っていた人物がいたかのごとく語るからです。

 先代旧事本紀]についてもその由来は定かでありませんが、それは十巻から構成され、その最終巻である十巻が国造本紀(くにのみやつこのもとつふみ)です。この書では、日本列島が135の国に分割され、夫々の国の主として国造を置いたと書きます。最初に登場する国の主は「椎根津彦命」で大倭国の国造であるとされます。以下順番に国造が列記されます。そして46番目に毛野国造として彦差間命が祟神天皇天皇の時代に任命されます。47番目には下毛野国の国造として奈良別を仁徳天皇の時代に定めた。これは毛野国を二つに分けて奈良に近い国を上毛野国(現在の群馬県)とし、遠いほうを下毛野国(現在の栃木県)としたというわけです。 

 下毛野国の創立が仁徳天皇の時代とあるのは、記紀の記述との整合性を図ったものです。つまりこの「古文書」も大方の記述においては藤原不比等史観から逃れられていないのです。つまり古事記、日本書紀、そして先代旧事本紀の三つの古文書は互いに独立して作成されたものではなく、先代旧事本紀は先行する記紀を補完するために作成されていると思うべきです。

 従って、下毛野国の創立が「仁徳天皇の時代」とあるから記紀の記載と整合するなどと喜んでもいられないのです。しかし、この文書が毛野国と仁徳時代を関連付けているということは、この古文書が編纂された時代の一つの暗黙の共通認識であったろうと思えます。

 さて、この「毛野国」と言う名称の由来は、前回書いた「気長」つまり「毛長」にあると私は考えるようになりました。すなわち従来の考えを変えるに至りました。
 そこで、私のこれまでの考えのあらましを以下に書いておきます(詳細は過去の記事にあります。例えば
 2015年9月11日記事、http://c23.biz/3ADk を参照してください。以下はその過去記事の概要です。

 宋書倭国伝に登場する倭の五王、すなわち、「讃」、[珍]、[濟]、「高」、「武」王がこの順番で日本列島の支配者となったのではなく、「讃」、[珍]の二王は現在の近畿地方に拠した、大陸系の王であった。彼らは、魏志倭人伝に記載される漢王朝の末裔であり、彼らを引き継いだのが西秦の系列です。隋書倭人伝で記載される近畿地方の部族の祖先であったのです。
 「秦」と「珍」がラテン文字表記ではどちらも「chin」です。つまり、「シ」と「チ」の間には語音での差異が消滅することがあるからです。隋書倭人伝に書くように彼らは「中国語」を母国語のように話したのです。
 さて、七世紀半ばから末にかけての動乱(壬申の乱)と時期相前後して、この「珍」の末裔は東進し、現在の長野県を制圧します。かくしてこの地は「シン」国となるのです。「シン」は信と漢字表記され、後に[信濃]とも表記されることになります。

 さて、ここで私は、この「珍」一派が更に東進をはかり毛野国にまでその勢力範囲を拡大したと考えたのです。それが、私の主張でした。信濃の国の東にあるのが毛野国です。ラテン文字表記の「chi」は「キ」とも音するからです。たとえば沖縄では「山崎」は「ヤマザキ」ではなく「ヤマサチ」です。つまり「キ」と「チ」の相互転化があるのです。
 この転化から「毛野」(ケノ)は「チノ」が転化したものではなかろうかと思ったのです。実際、長野県西部、つまり群馬県東部との境には「茅野」(チノ)なる地がありますから、この転化はありえます。「チノ」が「チン」に由来するとすれば、「けの」は[珍]または「秦」が転化したものと考えられます。こうした推論から、私は近畿奈良盆地に拠した「珍(または秦)]一派は、東征軍事行動の末、東はケヌ国、つまり現在の福島県近くにまで及んでいたと考えたのです。

 しかし、「毛の国」の由来は万葉集の八十五歌に詠まれている「気長」(毛長)であると考えたほうが、色々と整合するのです。何よりも古文書としての万葉集は、それを注意深く解読するならその史学的価値は記紀をはるかにしのいでいるからです。
(つづく)

MFLを聴く;STAPが世界で注目されている;左利き

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当地ではめったに見ることの無い[稲のかけ干し]。自動稲刈機の使用が一般的になり、こうした風景は茨城県でも北の地域でしか見られないと思ってました)
P9120016

 
 稲の穂を 束ねて刈り取る 職人技 百姓さんの 姿が浮かぶ 

 こうして干した稲を脱穀機にかけ、籾米と藁を分別します。藁は、縄によったり冬の樹木の寒さ避け囲い、あるいは野菜畑の霜よけ、などなどに使います。昔は自然が作り出した「物」は余すところ無く使いきっていたわけです。それは、地球への優しさでもあった。まさに自然との共生です。
 しかし、当地の米作従事者も高齢化し、そんな「綺麗ごと」を言ってはいられません。レンタル機械で作業を済ませた跡地は細粉された藁屑で覆われています。畦には、機械が吐き出す籾の粉が積まれています。時に近所の婆ちゃんがそこで芋を焼いたりしています。
 
 MFL管弦楽団(http://c23.biz/5URb)の第22回定期演奏会に誘われ立川に行きました。50年ほど昔、中央線・国立駅近辺に一時期住んでいた際、諸事情から帰宅はいつも深夜でした。或る晩、疲労困憊で中央線最終電車内で居眠りをし、ふと気づくと多摩川の向こう日野駅でした。東京方面行きの電車は疾うにありません。学生でしたから、タクシ代などは持っていません。徒歩で、多摩川にかかる長い橋を渡り、立川を通りすぎて家に辿り着いた記憶がよみがえりました。

 会場は一列26席で10列、300人弱収容の小ホールです。集った聴衆は200人ほど。今回の演目は、[序曲命名祝日](ベートーベン、1815年)、「ハフナー」(モーツアルト、1783年)、「セレナード一番」(ブラームス、1858年)です。ウイーンを活躍の舞台とした作曲家たちです。演奏に先立つ指揮者による解説では、大作曲家による大曲の影に隠れた作品を選んだとのことです。

 小ホールなので演奏は聴衆の目前でなされます。指揮者の譜面を捲る音が聞こえます。指揮者が二〜三回ほど譜面を数頁ほど前に戻すのも目撃。てっきり頁をうっかり捲りすぎたのかと思いました。同一旋律が繰り返される場合に、楽譜には重複部が掲載されないため頁を戻すのであると、後刻専門家から教えられました。
演奏者の表情、目の動きが見えます。不調な金管楽器に困惑した奏者が、手持ち無沙汰気にあらぬ方向を哀しげに見ていた様子も申し訳ないが興味深く観察しました。
 楽器に近いので、時に違和感を感じるような楽器音も聞こえます。が、これはミスではなく、譜面に記載されているコードに忠実な演奏であるのかもしれません。総勢40数名の団員による力(ちから)一杯の音の放出は小ホールの容量を超えることもあるようです。ハーモニー音が飛んでしまい、大音響のみが鼓膜を揺すります。知り合いの若いお母さんが二歳の幼児を抱えて視聴していましたが、あの大音響のなかでスヤスヤと眠っていたのには驚きました。

 ブラームスのセレナーデが一見(一聴と書くべきか?)「らしくない」ことに気づかされました。それはロマン派音楽的音の連なりであったからです。解説では25歳頃の作品とのこと。しかし、楽章が進むにつれて、一・四番の交響曲に登場するような[哲学的雰囲気]の荘厳音が時折顔を出します。まさに「らしさ」です。それがブラームスにあっては既に二十歳の半ばには芽生えていたらしいことを知り勉強になりました。

 曲の選定はどうしているのでしょうか。前回は、それが作曲された時代の音を演奏で再現してみたいとの意欲を指揮者は語っていました。が、その意図が果たされたのかどうか?指揮者から、それに関する言が聞かれなかったのは残念でした。今回の演奏については曲選定に際しての「考慮、思惑、意図」は奈辺にあったのでしょうか。
 プロの指揮者が率いるアマチュア管弦楽団演奏では、まずは指揮者と団員との共同作業のための緊密な意志疎通があるにちがいありません。その要が曲の選定であるはずです。同様に、指揮者に導かれる演奏と大多数ド素人聴衆を結びつける要の一つも曲の選定であると思います。
 プロの指揮者にとっては、新しい試みは大きな誘惑なのでしょう。その志向から「衒学的」と勘違いされかねないような選定もあるのかもしれません。世間に知られていない曲の選定意図には、団員さんの教育・技術トレーニングもあるのでしょう。が、我々、音楽(ド)素人には隠れた名曲も結構だが、知られた名曲も聴きたい。そこに仕込まれた作曲者の意図、演奏上の難しさ、工夫などの聴き所を事前にあるいはリーフレット上で語って欲しいものです。
 これは、かってBS・TVで放映されていた「音楽ミステリ」なる番組を愛聴していた者の感想です。さすれば、聴衆も演奏により強く反応し、その熱い反応が演奏者にフィードバックし、パフォーマンスも上がるのではなかろうかなぞとの感想を抱きつつ終演後、詠んだ一首。

我が咽喉(のど)が 可及的速やかにと 求めおる 
    黄色の泡液(きいろ・あわえき) 摂取に急(いそ)がん。


+++++小保方氏の研究が外国で引用されている
 2014年1月に始まったSTAP騒動の真実を最も忠実に映し出しているのは騒動の当事者が自ら著した「あの日」(講談社、2016年1月刊)であろうと私は考えています。以前にも書きましたが、騒動の顛末が誠に説得的に描写されているからです。この出版から遅れること3ヵ月後に[研究不正](黒木登志夫著、中公新書、2016年4月刊)なる新書が発刊されています。著者の黒木氏は、小保方氏の著書に目を通していたことが、文献一覧でわかります。しかし、その内容を著者の黒木氏が検証した形跡が見えません。養老氏の著作「xxの壁」では、ありませんが、世論の風潮に強く影響されたゆえでしょうか、氏の「思いこみ」が強すぎるのではなかろうかとの感がります。それは、世界を牽引した細胞化学研究者であった故・笹井芳樹博士への表面的な評価からも窺えます。

 黒木氏のこの新書で唯一興味深く着目した一節が下の図です。そこでは事件以後沈黙を続けている若山照彦山梨大学教授を著者の黒木氏が面談しているからです。面談は2015年8月とありますから未だ若山氏に疑惑の目は向かず、若山氏は沈黙の最中かにあった時期です。その部分を以下に掲載しておきます。

(図:「研究不正」(黒木登志夫著、中公新書、2016年4月刊)より、抜粋。小保方氏の「あの日」出版の三月後)
160911研究不正

 黒木氏は、面談時に若山氏に「何故騙されたのか」と質問しています。その質問は、まさに当事者への辛辣な質問であった筈です。もし、小保方氏の著作を心して読んでいたならば、この部分には何がしかの加筆があるべきと思うのですが、そうした考察の形跡はありません。

 いずれにしても、小保方氏著作の出版はこの分野の研究の歴史の転換点になりつつあるかの如くです。どうやら世界の風向きが変わってきたのではなかろうかと思えます。
 
%%%%%ウイキがまとめた事件・時系列
2016年1月28日、STAP細胞問題に触れた手記『あの日』を出版。手記の中で若山を批判し、STAP細胞再検証に対する疑問も提起した。
2016年3月25日、「STAP細胞作成を実現するための確実な証拠となるような情報を、科学界に提供すること」を目的とし、STAP細胞の作製手順や理研による検証実験の内容を自身のサイト「STAP HOPE PAGE[131]」で公開[132]。
2016年3月10日、ドイツハイデルベルク大学の研究チームが、小保方の作成手順を一部変更する形でT細胞に刺激を与える実験を行い、多能性を意味するAP染色要請細胞の割合が増加することを確認したとする論文を発表。
%%%%%
 上の時系列の最下段に示されるドイツの大学での研究に加えて、9月10日付のBusiness Journal誌が、新しい風向きを強く後押しするような研究成果を紹介しています。長い記事ですが全文を掲載しておきます。  
%%%%%
STAP論文、海外有力大学が論文で引用…英研究者「小保方氏の研究は価値ある貢献」(Business Journal)
http://biz-journal.jp/2016/09/post_16600.html
2016.09.10 文=上田眞実/ジャーナリスト Business Journal

 また海外の研究機関で小保方晴子氏筆頭の論文が引用され、再生医療の研究に貢献していることが明らかになった。引用されたのは日本では徹底的に否定された「STAP細胞論文」だ。

 STAP論文は「体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見」として2014年1月29日に独立行政法人(当時)理化学研究所(理研)が発表し、同30日に英科学誌「ネイチャー」に掲載された。しかし、すぐに画像の不備などが見つかり、同年7月2日に取り下げられることを理研が発表した。この論文は、マウスから取り出した体細胞を酸性浴で培養すると、初期化され多能性を持つようになった、とする論旨が示されていた。論文には酸性浴のほか、細胞を初期化するさまざまな刺激方法が書かれており、発表された当時は「世紀の発見」として科学界のみならず、多くの衆目を集めた。

 今回、小保方氏のSTAP論文をリファレンス(参考文献)に上げたのは、米セントルイス・ワシントン大学メディカルスクールの研究者グループで、「ネイチャー」の姉妹版ウェブ媒体「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された「酸性状態の培養でがん細胞をOCT-4へ誘導する事を4つのがん細胞で認めた」という論文。今年6月15日に公開された。

 この論文には、このように実験結果が報告されている。

「OCT-4は、酸性環境などのストレスによって誘導される、細胞の脱分化の重要なマーカータンパク質である。我々はこの論文において、固形腫瘍内のがん細胞が置かれている慢性的な酸性環境(酸性浴で培養したこと)ストレスが原因となって、これらのがん細胞が、線維芽細胞および他の間質組織の細胞において、OCT-4を誘導することを、4つのがん細胞で認めたことを示しています」

 つまり、小保方氏が書いたSTAP細胞論文で示した「物理的ストレスによって体細胞が初期化した」と同じ効果が、がん細胞のストレス実験で確認されたことが報告されている。がん細胞は酸性浴で正常な細胞に戻せることが確認されたのだ。今後は、細胞ががんになるメカニズムの解明や、がん細胞の動きを抑制してほかの臓器へ転移することを防ぐ研究が目覚ましい発展を遂げる可能性もある。

 研究の進歩によっては、がんは不治の病ではなくなり、高額のがん治療費は過去のものになるかもしれない。日本の科学界で放逐されたSTAP細胞論文は、海外の研究者の間でがん細胞のように、しぶとく生き残っていた。これはひとえに、小保方氏の研究のユニークさの賜物だ。

■「小保方氏の研究は価値ある貢献」

 この論文を速報したSTAP細胞論文問題を追及するブログ「白鳥は鳥にあらず」を運営する元・文部事務官で、社会科学と図書館学の研究者でもある中村公政氏に話を聞いた。中村氏は「世界最大の人道危機」と呼ばれる「スーダン・ダルフール紛争」の人権擁護活動なども行っていた。

――今年に入り、相次いでSTAP細胞論文が追試されたり、研究に引用されたりしています。
中村公政氏(以下、中村) 独ハイデルベルク大学のSTAP細胞の追試を報告した論文と、今回私が紹介したセントルイス・ワシントン大学の論文は、掲載誌への投稿日が同じで、研究の主題も「がん細胞を酸性浴で多能性を確認する」と同じでした。ハイデルベルク大は研究者の予想に反して多能性の確認まで至らず、結果が思わしくなかった。しかし、アクセプト(編注:学術誌に投稿した論文が審査を受けて掲載されること)された論文内で、STAP論文共著者である笹井芳樹博士へ哀悼の意を表し、この研究が笹井氏の遺志を継承するものであることを示しました。ハイデルベルク大はSTAP論文に書かれた方法でがん細胞を使って実験し、その成果をオランダの学術誌に発表しました。

――ハイデルベルク大の論文では、「STAP論文のプロトコル(実験の手順)で試したが、予想に反して論文と同じ結果は出なかった」と報告されました。一方、セントルイス・ワシントン大学は酸性浴でがん細胞を初期化させることに成功しています。内容はSTAP細胞のプロトコルではありませんが、参考文献として引用されています。

中村 セントルイス・ワシントン大学の場合、投稿してから掲載されるまでの期間が大変長く、新実験が行われ論文の修正が行われた可能性があり、そこで小保方さんが3月に立ち上げたサイト「STAP HOPE PAGE」を参照したのではないでしょうか。

――3月10日に公開されたハイデルベルク大の論文よりも、6月15日に公開されたセントルイス・ワシントン大学の論文のほうが、がん細胞を酸性浴で多能性に導くことに成功しています。やはり「STAP HOPE PAGE」の公開が実験に良いヒントを与えた可能性も大いにありますね。

中村 はい、そう思います。そして程度はともかく、OCT−4マーカーの実験に成功しました。

――細胞が多能性を示すと発現するOCT−4マーカーが、がん細胞から確認されたということは、がんが初期化されたことを意味しますね。酸性浴で細胞のがんの記憶を消したということでしょうか。酸性ががんに及ぼす影響や、がんが治療薬にどう反応するかなど、がんを治療する研究にSTAP細胞論文が引用され、実験成功へのヒントになっています。海外と日本とではまったく対応が違います。

中村 小保方さんは「婦人公論」(中央公論新社/6月14日号)に掲載された作家・瀬戸内寂聴さんとの対談で、海外からのオファーがあると堂々と話しました。セントルイス・ワシントン大メディカルスクール(日本の大学院相当)は、日本では無名ですが現役ノーベル医学生理学賞学者を多数擁する名門です。もしも、そこから小保方さんにオファーがあったとしたら、STAP特許の問題が解決するかもしれません。

――セントルイス・ワシントン大の医学部はアメリカでもっとも入学が難しいといわれていますが、再生医療に関係するベンチャー企業とのつながりも深い。

中村 そうです。また、理研特別顧問の相澤慎一氏がSTAP細胞の検証結果を投稿したサイト「F1000Research」に、英ケンブリッジ大学のオースティン・スミス博士からレビューがあり「小保方氏の研究は科学コミュニティへの価値ある貢献だ」と感想を述べています。そして、「小保方氏が共著者でないこの論文について、小保方氏の同意が得られることがなお重要にもかかわらず、小保方氏と連絡が取れないのは残念だ」と述べています。

■海外で引用され続けるSTAP論文

――このレビューからは、スミス博士が小保方氏の研究に多いに興味を持ったことがうかがえます。

中村 そうですね。この博士は幹細胞の専門家ですから、私は小保方さんがSTAP細胞を研究する道が途絶えたとは思えないのです。海外では5月頃からSTAP細胞論文に関する研究論文発表と特許取得への動きが盛んでした。その頃日本では「婦人公論」の寂聴さんとの対談に登場した小保方さんの姿に興味が集中していました。

――海外ではSTAP細胞論文が引用され、がん細胞治療の研究は進歩していますが、日本で話題になるのは「小保方さんのワンピースが白かった」などといったことばかりです。

中村 遺伝子の操作が不要なストレスの刺激という最先端とはいえない方法で、細胞が多能性を示すことを発見した小保方さんの研究は、それ自体とても重要です。キメラマウスができたかどうかではなく、基礎研究の発展に目を向けるべきなのです。

――ありがとうございました。

 海外では日本で吹き荒れた「噂の域」にすぎない研究者へのネガティブキャンペーンには興味を示さず、論文で報告された研究の概念、発見の価値に科学的意義を求めている。小保方氏の提唱したSTAP細胞の学術的価値に目を向けて、論文を修正する方向にならなかったのは日本の不幸といえる。日本は、自らの同調圧力で取り下げさせたSTAP論文が海外で引用され続けるのを、指をくわえて黙って見ていることしかできないのだろうか。

(文=上田眞実/ジャーナリスト)

+++++左利き
 大正生まれの母は「左利き」の私の将来を案じたのでしょう。小さい頃に、箸、鉛筆を持つ手について私はやかましく矯正されました。使いやすい手が右といわれ、時に左といわれますから頭の中は混乱してしまったのでしょう。未だに「右、左」そして東西について混乱することが多いんですね。車の運転中ナビゲータが右に曲がれとの指示があると、左に曲がってしまうこともあります。そんな左利き人間について米国のメディアが報じたそうです。

%%%%%私のコメントつき記事転載:
“左利きの人に関して、あまり知られていない「11のコト」”
http://news.livedoor.com/article/detail/12006047/
2016年9月11日 21時58分 TABI LABO

一説によると、左利きは全人口の10〜12%。圧倒的に少数派の彼らには、まだまだ世間に知られていない特徴が数多くあるのだとか。
正直、「それってホント?根拠は?」と思ってしまうものもありますが、米メディア「Higher Perspective」
“Here Are 11 Little Known Facts About Left-Handed People. The Last One Surprised Me!”
http://c23.biz/aZSw
にまとめられた“左利きの秘密”を紹介しましょう。
01.最近のアメリカ大統領7人のうち、4人が左利き
(バラク・オバマ、ビル・クリントン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジェラルド・R・フォード)
(私のコメント:オバマ氏はともかく、残りの三人は好きでないですな)
02.大卒で左利きの人は、右利きの人よりも裕福になる傾向がある
(私のコメント、全くの大はずれ。年金で細々と生きてます)
03.不眠症に苦しむ人が多い
04.右利きの人よりも、水中の景色をクリアに見ることができる
05.右利きの人よりも喘息やアレルギーの症状がひどい
(私のコメント、大当たり。喘息で呼吸不全に陥り入院経験あり)
06.3,000万人のアメリカ人が左利き(アメリカの人口は約3億人)
07.建築分野で優れた才能を発揮する傾向がある
08.言葉の才能がある
(私のコメント、全くの大はずれ)
09.40歳以上で出産すると、子どもが左利きになる可能性が高い
10.オサマ・ビンラディン、切り裂きジャック、ボストン・ストラングラーは、全員が左利き
(私のコメント、精神疾患を抱えているという意であれば、思い当たること有り)
11.左手のみを使って、キーボードで入力できる最長の単語は「sweater」「dresses」「tesserae」「decades」
%%%%%記事転載おわり

北朝鮮の核実験、烏山と神長(2)、原発事故始末の放置を非難

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:ウイーンのCTBTO準備事務所のHPトップ頁https://www.ctbto.org/より。準備事務所とあるのはこの条約が国際的には正式に発効していないため。理由は本文を参照されたい)
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 自己顕示 北朝鮮の 核実験 金正恩の 大国への甘え

 北朝鮮が建国記念日である9月9日に恒例の如く核実験を挙行したようです。これについての国際社会の反応は「織り込み済みシナリオ」をうかがわせるものです。当然安倍氏の「怒り」にもその迫真性は欠落しています。
 北朝鮮の思惑、それは自らの失政を棚に上げて国際社会の無関心と制裁に憤りの意志を込めていることを自国の民に誇示することが目的です。間違っても自国の軍事的優勢を誇示するものではないことぐらいの自覚はあるはずです。

 しかし、世界大戦はこうしたちっぽけな火遊びに点火されかねません。昨今の中東情勢に間違って点火しかねません。北朝鮮問題も、中東のイスラム問題も、そもそもは米国の軍産複合体の貪欲な思惑に指嗾された世界支配戦略から発したと、つまり大国の戦争ごっこに発したと思っています。日本国民は憲法九条にもたれかかってきたために戦乱から免れてきました。が、それを軽視しているが故に大きなしっぺ返しと言うべきか付けと言うべきか、を受け止めるはめになるのかもしれません。以下はCTBTOトップ頁より

%%%%%CTBTO事務局長は語る
CTBTO EXECUTIVE SECRETARY LASSINA ZERBO ON THE UNUSUAL SEISMIC EVENT DETECTED IN THE DEMOCRATIC PEOPLE'S REPUBLIC OF KOREA
Vienna, 9 September 2016
CTBTO事務局長、ゼブロ氏がTHE DEMOCRATIC PEOPLE'S REPUBLIC OF KOREA (DPRK) に発したとおもわれる異常な地震動を検知したと語った。

 CTBTOの監視システムが本日0時半にDPRKに発した地震事象を拾った。CTBTOのこれまでの25の観測点がその信号を解析している。この事象は本年1月6日に起きた事象より、幾分大きく、発した場所は1月6日の事象とほぼ同じ場所で起きている。CTBTOによる当初の推定位置は、その事象が北朝鮮の核実験サイト内で起きたことを示している。

 “もし、核実験であると確定されるなら、この行為は核実験に対する世界で合意された規範への更なる違背行為である;その規範とは1996年に183国の同意によって合意されたものである。更には、それは国際社会にたいして核実験を法的に禁ずることのいっそう緊急な行動を要請している。私は、DPRKが更なる核実験を廃棄して、CTBT条約に同意の署名をしてきた183の[署名国]に加わるようもとめる。本年は条約署名から20周年である。核実験への世界的な禁止を国際法機構にむけて力を尽くすべきときだ。私は切にこれこそが、国際社会がCTBTO条約の発効へ向けて目覚めるべきと願っている。”と、Lassina Zerbo, Executive Secretary of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization (CTBTO)は言った。

<<以下英語原文>>
“Our monitoring stations picked up an unusual seismic event in the Democratic People’s Republic of Korea (DPRK) today at 00:30 (UTC). So far 25 of our stations are contributing to the analysis. The event seems to have been slightly larger than the one our system recorded on 6 January this year and the location is very similar to that event. Our initial location estimate shows that the event took place in the area of the DPRK’s nuclear test site.

Our experts are now analysing the event to establish more about its nature and we are preparing to brief our Member States.

“If confirmed as a nuclear test, this act constitutes yet another breach of the universally accepted norm against nuclear testing; a norm that has been respected by 183 countries since 1996. It also underlines yet again the urgent need for the international community to act on putting in place a legally binding ban on nuclear testing once and for all. I urge the DPRK to refrain from further nuclear testing and to join the 183 States Signatories who have signed the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty (CTBT). As we commemorate the 20th anniversary of the opening of the Treaty for signature, it is high time that the global prohibition on nuclear testing is enshrined into a legally binding instrument. I sincerely hope that this will serve as the final wake-up call to the international community to outlaw all nuclear testing by bringing the CTBT into force,” said Lassina Zerbo, Executive Secretary of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization (CTBTO).

<<付加情報>>
Broadcast quality footage will be posted in the CTBTO Newsroom as it becomes available.
 関連情報は必要に応じて随時CTBTONewsroomに掲載される。
Background
背景


 CTBTは全ての核実験を禁止している、条約は以下の8つの国々が批准すれば発行する:すなわち、中国、エジプト、北朝鮮、インド、イスラエル、パキスタン、そして米国である。
 条約の遵守を監視するべく核実験・査察体制が確立されている。337の国際監視システム(IMS InternationalMonitoring System)の90%が既に稼動している。それはCTBTO/HPのマップで見ることができる。このシステムは迅速、正確に全てのこれまでの四回のDPRKによる核実験を検知した。2013年2月12日の北朝鮮がアナウンスした核実験後、CTBTOはその実験によって放出された放射性物質をも検知した。
CTBTOメンバ国には監視観測所によるデータとオーストリア二ある国際データセンタによるデータ分析結果が提供されている。一旦条約が発効すれば疑わしい事象については現地での査察もありえる。

<<以下原文>>
The CTBT bans all nuclear explosions. The Treaty will enter into force once signed and ratified by the remaining eight nuclear technology holder countries: China, Egypt, the DPRK, India, Iran, Israel, Pakistan and the United States.

A verification regime is being built to monitor compliance with the Treaty. Nearly 90 percent of the 337 facilities of the International Monitoring System (IMS) are already in place; see interactive map. The system swiftly, reliably and precisely detected all four DPRK’s declared nuclear tests. After the DPRK announced nuclear test on 12 February 2013, the CTBTO was the only organization to detect radioactivity attributable to the event.
 
CTBTO Member States are provided with data collected by the monitoring stations, as well as data analyses prepared by the International Data Centre in Vienna, Austria. Once the Treaty has entered into force, an on-site inspection can be invoked in case of a suspicious event.

For further information on the CTBT, please see www.ctbto.org - your resource on ending nuclear testing, or contact:
更なる情報は下記を参照されたい。
Elisabeth Wachter,
Chief of Public Information
T +43 1 26030-6375
E Elisabeth.WAECHTER@ctbto.org
M +43 699 1459 6375
I www.ctbto.org

Kirsten Gregorich Hansen, Public Information Officer
T +43 1 26030 6540
M +43 699 1459 6540
E kirsten.gregorich.hansen@ctbto.org

+++++烏山の神長地区(2)
 (図 那須岳ー香取線と、線上にある笠間神社および烏山)
那須ー烏山ー香取


 那須岳から南々東方位に夏至の真夜中に見ることができるシリウス星。その方向に進出拠点を定めそこに陣屋を設営する。これが、北方経由で日本列島に渡来した部族の列島南下戦略です。その行き着く先は、指し当たっては利根川(当時は広大な沼地であり、「流れの海」と呼ばれていたようです)の向こう岸出、そこに一大拠点を設営することとなります。後年、藤原不比等の指揮(実際に軍事行動の先頭に立ったということではない)の元でこの陣屋は「中」一派の、東北日本制覇の拠点となります。これが、旧唐書が記載する[日本国]です。話をいきなりそこまで時間を飛び越え手進めることは、現時点での本ブログの意図ではありません。、もうすこし南下する渡来族の足跡を辿ってみます。

 すでに書いたように、南下の第一段階として選ばれたのが烏山です。この地を拠点のひとつに選んだ理由。それは第一に水運であったと思えます。那珂川が南に下るまさにその西沿岸です。那須連山の木材など豊富な森林資源の輸送に加え、一族の容易な南進を実現したのだろうと思っています。勿論拠点ですから那珂川に沿って下流域の農産物など食料品などの搬入にも便利であった筈です。
 もう一つ考えられるのはここが盆地で、南北西の山塊と東に那珂川と言うわけで自然の要害に囲まれています。ここで次の段階の戦略を練ったはずです。

 さて、この地に長い黒髪の美女がいたんですね。彼女の美貌は近隣に聞こえていたのでしょう。その美女の心を捉えたのが、私の想像では渡来族のたくましい美青年ではなかったか。当然二人は恋に落ちる。しかし、娘の美貌も青年を何時までもこの地につなぎとめるには充分でなかったようです。「必ずもどる」と言いおいて青年は部下と共に、部族の支配域の拡大と言う任務を帯びて山・谷を超え西に向かったようです。
 この事情を詠ったのが万葉集二巻八十五〜九十歌です。
八十五歌:
題詞 相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
原文 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
訓読 君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
仮名 きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ
左注 右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉

 この若者率いる軍団は、あえて水路を辿らず、西に進みます。何故なら、八十五歌を詠んだ媛は「山多都祢](やまたずね)と唄っているからです。姫は恋しい若者が、総指揮官の指示で苦難の道、つまり水路をとらず、山道を進軍したことを知っていたのです。そこでまず辿りついたのが日向です。
 この考察は本年6月29日記事(http://c23.biz/DsG3 )で書きましたが、主要部を再掲します。
%%%%%過去記事再掲
苦吟の作業で「創られたのが」まずは応神天皇紀(十巻)、そして孫とされる仁徳天皇紀(十一巻)です。その巻に「髪長媛」が登場するのです。そこで、その記載を見ることにします:
%%%%%日本書紀・巻十より
原文:
《応神天皇十一年(庚子二八〇)是歳》是歳。有人奏之曰。日向国有孃子。名髪長媛。即諸県君牛諸井之女也。是国色之秀者。天皇悦之。心裏欲覓。
《応神天皇十三年(壬寅二八二)三月》十三年春三月。天皇遣専使、以徴髪長媛。
《応神天皇十三年(壬寅二八二)九月》秋九月中。髪長媛至自日向
再掲記事ですので原文の部分は掲載を省略します。 

文意:岩波文庫「日本書紀(二)」200頁より
応神天皇十一年(庚子二八〇)是歳。ある人が奏うすには「日向国に孃子がいる。名は髪長媛(かみながひめ)。諸県君(もろがたのきみ)である牛諸井之女(むすめ)である。国をあげての容色優れた者である」と。天皇これを悦びて、心裏よりこの娘を得たいと欲す。
二年後の春三月,天皇は使いを出し、髪長媛を召しだす。
同年秋九月中、髪長媛は日向を出て天皇のもとに到着した。桑津邑(くわつのむら)に媛を安置(すまわせ)た。ところが皇子である大鷦鷯尊(おおささぎ)が髪長媛を見て、その美しさに感じいり、以後ずっと恋情を抱くようになった。天皇は大鷦鷯尊が髪長媛を欲しいと望んでいるのを知り宴が宮で行われる日に髪長媛をそこによび宴席の上席に座らせた。天皇は皇子である大鷦鷯尊をよびよせ、髪長媛を指差して歌を詠んだ:
(仮名文) いざあぎ のにひるつみに ひるつみに わがゆくみちに かぐはし はなたちばな しづえらは ひとみなとり ほつえは とりゐがらし みつぐりの なかつえの ふほごもり あかれるをとめ いざさかばえな (K035)

(岩波文庫校注者:上掲諸01頁
さおわが君よ。野に蒜摘みに行きましょう。蒜摘みに私の行く道に良い香りの花橘が咲いています。その下枝の花は人が皆取り、上枝は鳥が」来てちらしましたが、中の枝のこれから咲く美しい赤みを含んだ花のような美しい娘さんがいます。さあ、花咲くといいですね。
%%%%%
%%%%%過去記事再掲終わり

 ここでは、私が非実在の人物と断じている仁徳天皇と神長媛の説話を紹介しています。この説話は、仁徳天皇に擬せられた渡来族若者と烏山の美しい黒髪の美女との実話を元に作成されたと、私は考えているからです。そうおもうと、「日向」なる地は、宮崎県の日向、あるいは福岡県の日向ではなく、現在の長野県の東縁の地であった筈です。それを全掲記事で書きましたが、その際に用いた地図を再掲しておきます。

(図2: 渡来族の若者が黒髪豊かな媛を烏山において向かった先は、現在の長野県小諸近辺であった。日本書紀説話に登場する「諸県君」の由来が小諸であろう。同様に、地図に見るように小諸のすぐ東の「大日向」なる地名がある)
小諸-大日向


 万葉集八十五歌の冒頭の「氣長成奴」は、「気長に待つべきか」との意と「毛が長くなってしまった」との意、つまり二つの意を重ねているのです。万葉集初期歌には頻繁に見られる誠に巧みな「歌風」です。そして毛が髪になり、髪が神に変じて現在の地名が「神長」となっているのです。

 ところで、こうなると大変興味深い事実に気付きます。それは「毛野国」なる「毛野」(けの)の由来です。本ブログでの大切な論点の一つですので、次回詳述します。
(つづく)

+++++原子力発電所にかかわる未解決問題
 私が、今心配しているのは、新潟県知事選挙です。新聞報道によれば、引き続き知事として我が国最大の原子力発電所である「東京電力刈羽原子力発電所」の安全性の保証を強く東電に求め続けてきたのが現知事である泉田裕彦氏だからです。その泉田知事が突然出馬しないことを宣言したことに大きな危惧を抱いています。
 きたるべき知事選挙にあって、新知事の座を狙うのが現長岡市長の森民夫氏(国土交通省出身)であるとされています。森氏を支持する政治グループからの包囲網の中で、泉田氏が謀略まがいの策略にあい立候補取り止めを余儀なくされたのではなかろうかとの声が聞こえてきます。

 原子力発電所は一介の電力会社のみが経営運営することはできません。前回書いたように一旦事故を起こしてしまえば、その保証金だけで経営は不可能となります。ただでさえ損をするのにもかかわらず、なぜ電力会社は運転再開にこだわるのか?それは、使用済み燃料の処分をふくむ尻拭いどころか、「草刈まがいの」前整備の全てを国が負担するからです。従って、電力会社は、「核燃料を燃やすだけ」ですから、儲かる仕組みとなっているのです。この構図は、原発を支えているのはお人良しの国民と言うことになります。汚染物質にまみれ、海を汚され産地を汚されても、なおお人好しでい続けるのか?それが問われているのです。

 関連記事を転載しておきます。
 汚染土の処分について
%%%%%埋設図不備 新築の下に汚染土 福島の会社員「市に責任」
http://c23.biz/A3YB 
 「いいかげんな図なら無い方がまし」。
東京電力福島第1原発事故に伴う住宅除染を巡り、福島市が作製した汚染土埋設場所の見取り図が誤っていたため汚染土の上に自宅を新築してしまった
会社員は怒りをあらわにした。市は今も責任を認めず、汚染土除去のめどは立っていない。
福島市の会社員、大槻真さん(37)夫妻は2013年11月、JR福島駅から北2キロほどの約300平方メートルの更地を買った。
敷地内に汚染土が埋まっているのは織り込み済みだったが、原発事故の避難者による住宅購入の影響で不動産価格が上昇する中、比較的安いのが魅力だったという。
前の土地所有者から市の文書「モニタリング票」を渡され、そこには除染前後の放射線量の測定値とともに埋設場所の見取り図が添付されていた。
その埋設場所を外し、自宅を新築。土地より建設費用がかさんで30年の住宅ローンを組んだが、ようやく手に入れたマイホームだった。
暗転したのは昨年10月。汚染土回収のため市の委託業者が敷地内を掘り返すと、汚染土を詰めたフレコンバッグが北東部の玄関ポーチや風呂場の下に入り込んでいた。
見取り図の埋設場所とずれており、市に抗議すると「モニタリング票は除染による線量低減を伝えるもので、見取り図は目安に過ぎない」と取り合おうとしなかった。
妻は一時、心労で体調を崩したという。
夫妻は納得できず、除染業者が撮影した作業写真などを個人情報開示請求で入手できないか考えた。
%%%%%


 先ごろ原子力規制委員会からも最後通牒を突きつけられた観のあるモンジュはどうするのか?
モンジュの経費に関して以下の情報を貼り付けておきます: 
%%%%%<もんじゅ>10年で6000億円 政府試算、廃炉含め検討
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160829-00000002-mai-sctch

 管理上の相次ぐミスで停止中の高速増殖原型炉「もんじゅ」について、現行計画に基づいて今後10年間運転する場合
国費約6000億円の追加支出が必要になると政府が試算していることが28日、分かった。
既に約1兆2000億円をつぎ込みながら稼働実績がほとんどなく、政府は菅義偉官房長官の下のチームで、廃炉も選択肢に含めて今後のあり方を慎重に検討している。 もんじゅを巡っては、原子力規制委員会が昨年11月、運営主体を日本原子力研究開発機構から他の組織に代えるよう所管の文部科学相に勧告。 それができなければ廃炉も含めた抜本的な運営見直しをすることも求めた。
文科省はもんじゅの運転・管理部門を同機構から切り離して新法人に移す方向で調整していた。 複数の政府関係者によると、もんじゅの再稼働には、福島第1原発事故を踏まえた高速増殖炉の新規制基準を規制委が作った上で これに適合させる改修工事が必要になる。運転には核燃料198体を4カ月ごとに4分の1ずつ交換しなければならないが もんじゅの燃料を製造する茨城県東海村の工場も新規制基準に対応しておらず、耐震補強などが必要だ。
内閣官房を中心にした費用の検討では、こうした対策費に10年間の燃料製造費や電気代、人件費などを加えると追加支出額は約6000億円に達するという。 停止中の現在も、維持費だけで年間約200億円がかかっている。
政府内には「(原型炉の次の段階の)実証炉を造れる金額。 それだけの支出に見合う存続の意義を国民に説明するのは難しい」という厳しい意見など、廃炉論さえある。 原子力機構は2012年、廃炉には約3000億円かかるとの試算をしており、再稼働するかどうかに関わらず今後も多額の国民負担が必至だ。
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 もう一つ、事故が汚染まみれにした野生動物のことです。前回記事で福島の農産物が極めて厳格な検査を経て出荷されていることを書きましたが、福島県内に棲息する野生し映物についてはいわば野放し状態です。そのけっか汚染されたくまいのししが森林を跋扈していることがかねてより危惧されていました。
%%%%%原発事故と野生動物:福島で爆発的に増加する汚染イノシシ、チェルノブイリで今も残る影響
http://newsphere.jp/national/20160417-1/
◆食用は無理。多すぎて処分できない
 ところが、駆除したイノシシをめぐり、問題が起こっている。ロシアのニュース専門局RT(電子版) は、
日本ではイノシシの肉は人気があるが、放射能に汚染された避難区域の植物、木の実、小動物を食べているイノシシたちからは、 基準の300倍という高いレベルのセシウム137が検出されており、食用には向かないと説明する。結局、廃棄するしかないのが実情だ。

 RTによると、二本松市では死骸を埋めるため、各600頭を収容できる3ヶ所のスペースを確保したものの、
ほぼ満杯になっているという。WPは、仕方なく自宅の庭に埋めたハンターもいたが、犬に掘り起こされるなどして、 処分に困っていると報じている。 最良の処理方法は焼却してしまうことだが、放射性物質の拡散を防ぐ機能を持つ、特別な施設が必要だとWPは指摘する。
相馬市の焼却場はその一つだが、イノシシ1頭の重さは100キロ近くにもなり、 1日に3頭の処理が限度で、解決には程遠いと同紙は説明し、農民たちにとっては、 イノシシの害がまさに経済的サバイバルの問題に発展していると述べている。
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原発事故保償、タイ戦辛勝、古代史(烏山、神長)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:台風の狭間での当地の朝焼け)
P906朝焼け


 圧勝を 酒の肴と 観戦す 出るわ出るわの ネット外シュート

タイ戦相手は、誠に失礼な言い方でありますが、数年前であれば10:0ぐらいで叩きのめせた筈です。しかし、試合展開はそうはなりませんでした。ドイツの一流どころを相手にあれほど点を取れる香川選手のシュートは全てキーパ正面。期待の武藤選手は後半終盤だけの出場。そして、本田選手には全く躍動感なし。それに加え終盤の味方ゴール近辺でのDFの最悪なパスミス等々。ずいぶんと質が落ちたものです。まあ、見放すわけにもいかないので、これからも応援はしますが。

 中田英寿のようなスーパ・ヒーロが出て欲しいものです。ドイツの武藤、鹿島の柴崎に期待してるんですが。てなわけで、中田の動画を懐かしんでいたところ、何故か、東京六大学野球の応援動画に行き当たりました。

 相手陣営に向かって黒制服学生がゲンコツを突き出して威嚇する応援技(?)に何故か魅せられました。この応援風景は西洋人にはずいぶんと異質なのだろうか、なぞと考えながらであります。
 そこで、六大学応援団のゲンコツ応援技パフォーマンスを比べました。早慶のそれが、力強くダントツに優れています。豊富な練習を窺わせます。試合中の彼らの運動量はグランドの選手のそれをはるかに上回っています。チャンスが続くとそれは長時間に及ぶのですが、時間と共に腕が下がるはずですが必死に頑張ってる様子が見えます。東大のゲンコツ応援技は、相手陣営に向かって力強く拳を突きつけていません。練習不足で、見る見るうちに腕が下がってきます。「要、更なる訓練」と、私は採点しました。立教は、まあまあ。明治はそうしたパフォーマンス無し。法政は空手技で、面白くありません。

 黒制服学生の応援技を挟むようにして踊るチアガールの一人が応援台から足を踏み外し、ころげ落ちたのには、ビックリしました。PCに向かっておもわず声をあげました。しかし、健気にもそのお嬢さん、何事も無かったように舞台に這い上がって、踊り続けました。

 いつも書いていることですが、三陸沖で、そして熊本で、房総で地震が起きるたびに「危ない!」「何時起きても不思議でない」、「暦史的にはあそこで起きると、こっちで起きた事例がある」なぞとの専門家のコメントが飛び交います(例えば、下に転載した週刊誌記事)。どれも嘘ではないでしょうが、それにしては、当たった例はなく、それを聞いた国民も何時のまにか忘れてしまいます。しばらくして、又何がしかの地震活動が勃発します。再び上に書いたようなことが繰り返されます。

 せめて、或る地震が発生した後、それが時間的・空間的近傍で次の地震を準備している、またはその兆しはない(つまりその事象で完結してしまっている)と言った情報を解析結果が示唆していないものだろうか?そうした問題意識から、「地震情報解読」なるシリーズを連載してきました。

%%%%%週刊実話記事転載2016年09月06日
恐怖の連鎖「マリアナの法則」巨大地震が日本を襲う“Xデー”
http://wjn.jp/article/detail/3689386/

 イタリア中部で8月24日未明にM6.2の大地震が発生した。防災当局によると、死者は8月30日午後の時点で292人に上り、360人以上が負傷する大惨事となった。余震が続くなか、避難を強いられた約3000人は、約60カ所ある避難民キャンプや車で不安な夜を過ごしている。同日にはミャンマー中部でもM6.8の地震が発生。死者や遺跡の被害が多く出ているという。日本も地震大国といえども、国外が震源地の場合は少々縁遠い感覚を受けるが、実は侮れないのだ。
 「7月30日、日本の南に位置する米マリアナ諸島近海で、M7.7の大地震が発生している。その後も同じ場所でM5前後の強い揺れがあったのですが、幸いにも被害はなかった。しかし、この震源付近は、専門家の間でも巨大地震の発生が指摘されている伊豆・小笠原諸島の延長線上にあり、フィリピン海プレートと太平洋プレートが隣接している。そのため今後、連動して日本でも大地震が発生する可能性があるのです」(サイエンスライター)
 実際に調べると、1987年4月14日にマリアナ諸島(以下同)M6.1→同年5月7日に日本海北部M7.0、'94年12月30日M6.3→'95年1月17日に阪神淡路大震災M7.3、'05年8月13日M6.0→同年8月16日に宮城県沖M7.3、'13年5月14日M6.8→5月18日に福島県沖M6.0といった具合だ。
 「マリアナ諸島近海が大きく揺れると、日本でも数日から数カ月後に巨大地震が訪れる現象は、『マリアナの法則』と呼ばれている。30日のM7.7の際には、1000キロ離れた日本でも広範囲で震度1〜2の揺れを観測しており、密接に関係していることを忘れてはいけません」(ある地震予知専門家)
 世界中の地震活動を監視している米地質調査所の観測によると、マリアナ諸島地域では、この100年で中規模以上の地震が100回近く発生しているという。その統計からも、地震発生直後に日本で連動して中規模以上の地震が起きていることが分かっている。
 この「マリアナの法則」について、武蔵野学院大特任教授で地震学者の島村英紀氏が言う。
 「学問的には実はよく分かっていません。それを裏付けるには、関連が疑われる地震自体が100以上なければなりませんね。ただし、太平洋プレートの場合は、大西洋プレートが1年間で1センチ動くのに対し8〜10センチ動く、世界一地震を起こしやすいプレートなのです。その意味でも、興味深い現象と言えます」
 恐怖の連鎖『マリアナの法則』がいま、海底を伝って日本に近づきつつあると想像するだに恐ろしい。
%%%%%週刊誌記事転載おわり

 こうした「警鐘」がどの程度検証に値するものなのか?これからのブログ記事で追々検討してゆきたいと思います。そのためにはHPなどで公開されている地震情報の解読が必要です。その作業の準備を長々と本ブログで書いてきました。結果、古代史の話が長くご無沙汰となってしまいました。この話も私には大変重要な関心事です。そろそろ再開したいと思います;

+++++烏山と神長地区
 利根川の南沿岸の香取には日本には三つしかない神宮に一つがあります。残りの二つは鹿島神宮、伊勢神宮です。藤原不比等が編纂する日本書紀ではこの三つの神宮の中で、香取神宮だけについては、その由来が記載されています。しかもそこにはこの神宮のそもそもの神的位置づけたる「斎」なる行為表現が、その具体的中身に触れずに記載されています。
 その後の日本列島の天皇による祭祀のいわば規範ともなった[行為]が「斎」と思えます。日本列島の政治史、精神史で最も重要な結節点、それは香取での儀式であったと私は考えています。

 その内容について、浅学の私にはそれ以上立ち入る能力も学識もありません。せめてそうした結節点の場として選ばれた香取とはどういう場所であったのか?そのことを議論してきました。

 その議論をするに当たっての重要な手がかりが、現在の香取神宮の参道を含む境内の幾何学的配置です。それは、明らかにシリウス星信仰の残滓が深く刻み込まれているからです。この地は、かっては、シリウス星信仰を奉ずる部族の重要な拠点、陣屋であったことを確信させるものです。だからこそ、藤原不比等はその部族の制覇・殲滅の象徴としてこの地に自分たちの「陣屋」を築いたのです。それが、時代変遷の中で[神宮]として崇められることになったのです。

 こうした、問題意識に基づくならば、シリウス信仰族がどういう経緯の中で、どういう設計にもとづいて香取の地に一大政治拠点である「陣屋」を設営したのかが解明されねばなりません。
 この解明作業で、私が依拠したのが、香取神社の東にある鹿島神宮と茨城県最高峰である八溝山頂を結ぶ直線の「特異性」でした。ここでは、クドクドと繰り返しませんが、この直線の方位は、およそ1500年前の日本列島(正確には八溝山頂)から見たシリウス星方位であることです。更に驚くべきことは、常陸の国の三大古社(重要陣屋)がこの直線上に見事に配置されていることです。

 香取神宮の地もそうした設計思想のもとで選ばれ、そこにもう一つの政治的拠点である陣屋が設営されたに違いありません。さて、鹿島神宮にとっての八溝山同様、香取の地にあっても同じ役割を担った高峰があった筈です。それはどの山でしょうか?そこで探り当てたのが那須岳です。那須岳と香取の地を結ぶ直線が当時のシリウス星方位であることは疑いがありあせん。この線上に当時の政治的経済的拠点が形成された痕跡を探してみます。第一に気付くのが「笠間神社」です。そして次に烏山です。

 まさにこの烏山で、議論が中座してしまったことをお詫びせねばなりません。何せ、調べるごとに、興味深い史実が次々に出現してきたためです。その一つがこの烏山にある「神長」地区です。ここから、話が、あれこれの経緯を経て大陸権力の正史である「旧唐書」にまで及んでしまいました。
 本ブログでは、日本列島に存在した二つの政治勢力に力点を置いて考察してきました。そして、そのことを新・旧の唐書東夷伝が語っていることを直近の記事で紹介してきました。この唐書については、大方の歴史研究者は新唐書のみにその信憑性を置き、旧唐書の記載を事実とは認めたがりません。それは、日本書紀の記載と整合しない、それだけの理由です。しかし、本ブログでは日本書紀の編成に立ち返って詳細な分析をしてきたつもりです。その結果あきらかになったことは、旧唐書の記載が史実とかけ離れていないことを、唐の文献に頼らずに書いてきたのです。

 まさに六世紀から八世紀にかけての日本列島の政治史ですから、更に詳論するべきところです。が、それは、後日にこの論点に立ち返ります。ここでは、下毛野、つまり現在の栃木県烏山とその周辺の話しをまずは完結させておくことにします。

 というわけで、古代史、具体的には那須岳―香取線上の古代史の話を再開する前書きを書きました。
(つづく)

+++++原発事故、国民負担額
 9月6日付東京新聞が、「全電源喪失の記憶」とだ知る連載記事で斑目当時原子力安全委員会委員長の言を引用しています:
(写真:東京新聞9月6日付紙面より、クリックすると拡大できます)
P906斑目


  世の多くの人たちがこの斑目氏の言を「デタラメ」と揶揄します。しかし、本ブログを昔から読んでくださった方々は、私が「斑目氏」を率直な研究者としてその挙動に注目していたことをご存知と思います。そして、上の新聞記事でも正直に自らの思うところを書いています。

 その最重要の指摘は事故後に発足した原子力規制委員会に関するです。この委員会は、現時点で見る限りでは、日本の原子力発電行政に「規制・技術成果の行政への反映」なる機能を果たしていないように見受けられます。以下はその原子力委員会のカバーする領域ではないのかもしれませんが、一旦事故を起こしたら当然国民につけが回ってくる事案です。規制委員会が何がしかの政府に対して、電力会社に対して意思表明すべきではなかろうかと思っています。しかし、田中規制委員長の言を借りれば「規制委員会」の役割は「安全の保証」ではなく、現行の施行されている基準を満たしているか、否かのチェックだけであると、自らを狭い枠の中に閉じ込めてしまうのです。
+++++原発事故、国民負担額
http://c23.biz/Dyu8 

%%%%%負担額4兆2000億円超す=福島原発事故で国民転嫁
http://www.jiji.com/sp/article?k=2016082800074&g=eco
経費001


 東電福島第1原発事故で掛かる除染や廃炉、損害賠償などの費用のうち、国民の負担額が2015年度末までに4兆2660億円を超えたことが28日、分かった。
日本の人口で割ると、1人3万3000円余り。東電は政府にさらなる支援を求めており、今後も拡大する見通しだ。

 時事通信は15年度までの復興特別会計の決算状況などを精査。原子力災害関連予算の累計執行額や東電など電力7社が電気料金の値上げ分に含めて賠償に回す一般負担金などを集計した。

 その結果、除染や汚染廃棄物の処理、汚染土などの中間貯蔵施設の費用に計2兆3379億円支出されたことが判明。政府が原子力損害賠償・廃炉等支援機構などを通じて立て替えている。

 除染や汚染廃棄物処理の費用は最終的に同機構が保有する東電株の売却益が充てられる計画。東電株の取得に際して金融機関が行った融資には政府保証が付き、株価低迷などで返済が焦げ付けば税金で穴埋めされる仕組みだ。

 政府は東電株の売却益を約2兆5000億円と見込むが、株価の大幅上昇が必要な上、環境省は今年度中に除染費用などの累計額がその額を上回る可能性があるとみている。

 中間貯蔵施設の費用にはエネルギー特別会計から計約1兆1000億円が支出されることになっており、その大本は電源開発促進税で、電気料金に含まれている。

 これ以外に、政府は直接の財政支出で廃炉支援や食べ物の放射能検査、研究開発の拠点整備などを実施。計1兆3818億円が使われた。

 また、東電など電力7社は事故後の電気料金値上げで、既に一般負担金分として少なくとも3270億円を上乗せ。
さらに、東電は汚染水処理装置の保守管理費や賠償相談のコールセンター運営費などで2193億円以上も消費者に転嫁した。

http://www.jiji.com/sp/article?k=2016082800074&g=eco

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イタリア地震(2、nature誌記事紹介)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:もう夏は終わらんとしています。しかし、当地には未だに多くのツバメが居残っています。貧乏人の事は心配せずに次の地に旅をしなさいと語りかけました)
P903ツバメ5

 
しあわせの 王子を泣かせる 民いずこ 晩夏のツバメ 海を渡れず

 当地には、王子を泣かせる哀しい話が多いのかな、なぞと案じています。もう晩夏、ツバメはそろそろ南国へ帰らねばならないはずです。しかし、かくも多くが未だ当地にとどまっています。
 ところで、涙をながしつつ、身につけた宝石をツバメに持たせている王子は当地の何処にいるのやら。

+++++地震情報解読(7)
 8月24日のⅯ6.2イタリア地震の地震波形記録に弾性体物理学理論から導出される地震波理論を適合させるには、理論が含む6つの量を求めねばならないと書いてきました。この量は地震モーメントテンソルと呼ばれ、下の左に示すように行列で表現されます。
(図1:観測波形から得られたモーメントテンソル行列(左)と座標回転による対角化されたテンソル行列(右)
Italy160824axisM

 
 左の行列を対角化して右の行列に変換する作業で得られる座標回転行列(固有値ベクトル)は断層面の幾何学および、地震の規模も与えると書いてきました。
 ところで、図1の左の行列にあって3つの対角成分の和は
-2.49+0.523+1.96=-0.007 となり、ほとんどゼロに近い値となります。行列の変換に関しては変換前の対角成分の和は、変換後のそれと同じになります(変換後の行列が対角化されていなくとも良い)。

実際、図1に示される右の行列の対角成分について同様を計算すると
-2.5894+0.0738+2.5086=-0.007となり全く同じ値となります。

 CMT解析では、6つのテンソル行列・成分を求めることが目的であると、これまで書いてきましたが、実はそれは6個ではなく5個なのです。つまり対角成分の総和が0と言う条件を課したので、実際の自由度(未知数の個数)は5と言うことになります。

 この条件の物理的背景は図の右側の行列からある程度推定できます。既に書いたように3つの対角成分の一番上の数値は震源を点と見なした際の震源への圧力と見なせます。実際には、この量の次元は単位面積当たりの力、つまり応力ではなく、偶力の次元を持っているので正確な言い方ではありません。同様に最下は張力となります。
 この二つの力が組み合わさって震源に二対の互いに反対方向の回転を生ずる偶力を生み、それが岩盤を破壊に至らしめる断層形成になります。
(図2:8月29日の記事の図の再掲であるが、文脈上はまず右の図があり、そこから左のダブルカップルの力系に導かれる)
P8310021


ただし、この二対の偶力のどちらが実際の震源力であるのかは、理論が点震源に基づく限りでは判別できません。

 それはともかく、この二対の偶力は同一の面にある、言い換えれば、この二つの偶力が一つの面を形成しています。そしてその面に立てた垂線は偶力の回転軸と並行であり、この方向には力が働いていないとされていました。地震は地球内部での現象、つまり四方八方からの地圧を受けた岩盤内で発生します。

 この地圧は静水圧状態に近いけれども、そうではない、方向によって静水圧からのずれがあり、それが地震を引き起こしています。つまり、回転軸の方(中間主応力と呼ばれる)からも力が働いている可能性があります。

 実際、上に示した図の右側行列の対角成分をみると、。真ん中の数値が小さいけれども、0.0738と言う一定の値をとっているのです。それは地震モーメント2.55に比べると僅か2.9%に過ぎません。これが、最適のモーメントテンソルを求める際の誤差であるのか<それとも何がしかの震源での破壊物理過程を反映した量であるのか?議論が定まっていないようです。いずれにしても気象庁が公開するCMT解に含まれる「非ダブルカップル率」とは、この回転軸方向の「力」の大きさです。

 この「非ダブルカップル率」が生ずる理由の一つは地震波形観測そのものに伴うエラー、そして波の伝播経路に伴うエラーなど、解析で生ずる様々なエラ−の積み重ねです。更には、地震源が点対称からずれており、対称性のずれつまり実際の震源が点ではなく有限の大きさを持っていることから来ます。また、じっさいの断層面はまっさらな平面であるはずはなく屈曲していたりするはずです。

 こうした、理論が想定する地震波形とのずれが「非ダブルカップル率」であると考えられます。
 イタリヤ地震の例で言えば、0.0738、つまり正の値です。この値が計算過程の中で生じた誤差で無いとするならば、それは図のような力が震源に働いていたことを示すものです:
(図3:震源に働く力の模式図、右上と左下に向く大きな→は岩盤を引き裂くように働く。結果としてTyrrhenian Basinが形成されていると米国科学誌記事は書く(8月29日本ブログ記事)
P9050001x


 かくして、地震情報解読と題した一連の記事を終えました。さて、それをどう料理するのか?本ブログでは、震源解析情報群を構成するものとして以下を考え、それらから何がしかの有意な知見を得る試みをしてみようと思います:
1. 発震機構解
2. 時空間分布
3. 「非ダブルカップル率」
4. セントロイド時間
5. 継続時間(half duration)

 これらを横並びにして眺めると「何か出てこないだろうか」と言うわけです。
(つづく)

+++++イタリア地震(nature 2016,09.02号)
nature 誌がイタリア地震を記事にしていますので、それを以下に紹介しておきます。
%%%%%nature 誌8月30日号より
http://c23.biz/W4FN nature Italian earthq
Italian scientists shocked by earthquake devastation
イタリア研究者は地震被害に衝撃をうけた
In a region known to be seismically active, destruction on this scale was still a surprise.
この地域は地震活動が活発であることはわかっている、それでもこの惨劇はすさまじい。
Alison Abbott & Quirin Schiermeier 30August2016 
AP/Press Association Images
The village of Amatrice was devastated by the earthquake that hit central Italy.
アマトリーチェ村はイタリア中央部を襲った地震で壊滅的被害をこうむった
nature160824a


A devastating 6.2-magnitude earthquake in central Italy on 24 August that killed more than 290 people was the country’s largest since a magnitude-6.3 earthquake in 2009 that hit the town of L’Aquila, about 40 kilometres away. That event killed 308 people, destroyed tens of thousands of homes and a university. Controversially, it also caused six scientists to be put on trial for manslaughter.
8月24日にイタリア中央部のm6.2の破壊的地震は290名以上の人命を奪った。この地震は2009年にここから40kmほど離れたラクイラの街のm6.3地震(308名の人命が失われ、数千の住居と一つの大学が破壊された)以後ではこの国での最大の地震であった。この地震では6名の地震学者が殺人罪で告訴された。
(関連情報を下記のアドレスで閲覧できる)
Related stories
• 'Terrifying shaking': Deadly Italian quake strikes 40 kilometres from L’Aquila
http://c23.biz/tp86 
• Italian seismologists cleared of manslaughter
http://c23.biz/H7i6 
• Italian seismologists fight to overturn convictions 
http://c23.biz/LtY2
More related stories(更なる情報は http://c23.biz/pw3s を参照)
 
Central Italy’s complex geological and tectonic make-up creates a notorious quake risk. The Adria micro-plate dives beneath the Apennine mountain range from east to west, creating seismic strain. The mighty Eurasian and African plates also collide here, with the Eurasian plate moving northeast at 24 millimetres per year.
The latest quake also injured hundreds and laid waste to historic villages in the Apennine mountains, including Amatrice (see‘Epicentre of a quake’). It was a result of increased horizontal stress perpendicular to the mountain chain.
中央イタリアの複雑な地質とテクトニックスがこの危険な地震環境を作り出している。アドリア・マイクロプレートがアペニン山脈の下に東から西に向かって突っ込みそれが一連の地震活動を生成している。巨大なユーラシアプレートとアフリカプレートもまたこの地で衝突している。そのスピードは年あたり2.4cmで北東に向かっている。前回の地震も数百人を負傷させ、アペニン山脈の歴史的村々を廃墟にしてしまった。山脈に直交する水平応力が増大した結果であった。

Seismologists had expected a rupture to occur near the location at any time. Still, Giulio Selvaggi, a research director at the National Institute of Geophysics and Volcanology in Rome, and one of those initially convicted of manslaughter — all six were cleared on appeal — says he was shocked by the death and destruction wreaked by last week’s quake. The mountainous region around Amatrice is sparsely populated, but the final death toll may exceed that of more populated and urbanized L’Aquila.
地震学者たちは、この地では何時地震が起きても不思議でないと考えていた。Giulio Selvaggi, a research director at the National Institute of Geophysics and Volcanology in Rome, and one of those initially convicted of manslaughter — all six were cleared on appeal —は今でも先週の地震による死者と都市の破壊に大きな衝撃を受けたと語っている。アマトリーチェ周辺の山脈は人口は少ないが、より都市化され人口も多いラクイラのそれを超えていた。
2016_WEB_1


Selvaggi seconds a public outcry over the failure of authorities to prioritize making old buildings more earthquake-resistant and notes that his team supplies earthquake maps to them. “We scientists have made a beautiful, detailed seismic hazard map, showing clearly the areas in greatest need of preventive measures,” he says. “But public authorities don’t take enough action.”
Selvaggiは古い建築物の耐震強化を優先的に対策してこなかった当局への住民の非難に同意して、彼のチームが地震マップを彼らに提供できていることを指摘して、“我々研究者は見やすいそして詳しい地震ハザードマップを作成した。そのマップは防災対策が必要であることをはっきりと示したものであった。しかし当局はそれへの充分な対応をしていない”と言う。

The court case over the L’Aquila earthquake came about because a local amateur researcher claimed to have evidence of an imminent, large quake. Six scientists and one government official who had publicly dismissed the amateur’s methods were accused of misinforming the public. Following an unprecedented trial, all seven were given six-year jail sentences for manslaughter, but the scientists were cleared on appeal in 2014.
ラキラ地震での裁判事例は地域の素人専門家たちが事態の切迫証拠を挙げたために発した。6名の地震学者と一人の自治体役人が素人の不安を軽視して住民への誤った情報提供下が故に非難された。前例のない裁判の結果、全ての7名には殺人罪の罪で6年の実刑判決がなされたが、2014年研究者達は上訴で無罪を得た。

Computer scientist Paola Inverardi, who is rector of the university in L’Aquila, says the rebuilding of the university is nearly complete, and that research activities had resumed by 2012. Science in the region has also benefited from supporting initiatives following the quake, she says. One of these is the Gran Sasso Science Institute, an international graduate school founded in 2012 to inject young intellectual life into L’Aquila. It has been so successful that in June it was awarded university status.
Unlike the earthquake in L’Aquila, which was preceded by frequent, mostly low-magnitude, tremors in the surrounding area, no seismic activity was recorded before the latest earthquake. “It came out of the blue, without the preceding tremors we experienced in ‘our’ earthquake,” says Inverardi. L’Aquila itself experienced virtually no damage, but, she says, “psychologically we were all pushed back”.
 ラキラ大学の学長であったComputer scientist Paola Inverardi,は”大学の再建は終えた。そして研究活動も再開した“と言う。ここでの研究活動は地震後の色々な活動への支援から利益をうけていると彼女は言う。これらの一つがthe Gran Sasso Science Institute、L’Aquilaだ。6月には大学に昇格するほどの成功をおさめている。
ほとんどは小地震であったが、頻繁に起きていた地震活動の後に発生したラキラ地震と違って、今回の地震にはそうした記録はなかった。”それは青信号の後の起きた。前震も無いままに、今般の地震を体験した“とInverardi.は言う。ラキラの地では被害は無かったが、心理的にはあの気分がもどってきた”とInverardiは付け加えた。
Nature537,15–16(01 September 2016)doi:10.1038/537015a
%%%%%科学雑誌nature記事紹介終わり

 参考までに今世紀にイタリアに起きたm>6の地震と、それ以前の二十世紀末に世界で話題になった二つの地震を下に示しておきます:

(図4:今世紀イタリアでのM>6の地震および二十世紀末の顕著地震とそれらの発震機構図)
五顕著地震


 この図のメンションすべき数点を書いておきます。まずは地震、◆↓、イ任后これらはアペニン山脈の西南麓に起きており、それらはいずれも正断層です。そしてその張力方向が北東―南西です。つまり、この方向に岩塊が引っ張られていると間ゲルことができます。上に転載したnature誌もそれを指摘しています。一方地震 ↓い任脇酲綿向の圧縮力で起きた逆断層地震です。つまり、これはアフリカ・プレートとヨーロッパ(ユーラシア)プレートの衝突でおきていると考えられています。

上図の地震について幾つかの情報を下に付しておきます。非ダブルカプル率(NonDC)藻併記しましたが、今回はそれについては議論しません。地震い砲弔い討呂修涼佑大きいことに注目していますが議論は後日に回します:
050676A AUSTRIA−Italy border( Friuli)
Date: 1976/ 5/ 6 Centroid Time: 20: 0:21.9 GMT
Lat= 46.33 Lon= 13.17
Depth= 15.0 Half duration= 4.2
Centroid time minus hypocenter time: 10.3
Moment Tensor: Expo=25 3.360 -3.400 0.040 5.060 1.740 0.040
Mw = 6.5 mb = 6.0 Ms = 6.5 Scalar Moment = 6.33e+25
 NonDC= -0.0376
この地震については、前兆があったとイタリア化学者が、膨大な調査結果に基づいて主張しています。その主張が
「調査動物は地震を予知する (朝日選書 (277)) 単行本 – 1985/4」(
ヘルムート・トリブッチ (著), 渡辺 正 (翻訳) http://c23.biz/PRvK )にまとめられています。大変興味深いので関心の或る方に一読を勧めます。訳者は東大名誉教授で化学者です)
112380A SOUTHERN ITALY, IRPINIA ( 同月8日にアルジェリアでの大震災が発生した)
Date: 1980/11/23 Centroid Time: 18:35: 6.8 GMT
Lat= 40.82 Lon= 15.39
Depth= 13.7 Half duration=12.0
Centroid time minus hypocenter time: 13.0
Moment Tensor: Expo=26 -2.467 1.465 1.003 0.479 -0.009 -1.115
Mw = 6.9 mb = 6.0 Ms = 6.9 Scalar Moment = 2.47e+26
 NonDC=0.0520
 この地震は1980年11月に地中海を立て続けに揺らした地震の一つです。死者数は2700名よ、そしてItalyの国民所得の10%にも相当する経済損失があったとされています。

200904060132A CENTRAL ITALY (ラキラ地震、地震学者裁判、一審有罪)
Date: 2009/ 4/ 6 Centroid Time: 1:32:49.2 GMT
Lat= 42.29 Lon= 13.35
Depth= 12.0 Half duration= 3.5
Centroid time minus hypocenter time: 10.2
Moment Tensor: Expo=25 -3.300 1.430 1.870 -1.430 -0.269 -1.770
Mw = 6.3 mb = 5.9 Ms = 6.3 Scalar Moment = 3.66e+25
 NonDC=0.0770
この地震については本ブログでも数回にわたって取り上げてきました。微小な地震活動が頻発する中で、地震学者が「大地震には繋がらない」と言明したために殺人罪で「裁判沙汰」になったことで世界の地震研究者が異議を唱えました。

201205200203A NORTHERN ITALYModena, Emilia-Romagna
Date: 2012/ 5/20 Centroid Time: 2: 3:56.2 GMT
Lat= 44.89 Lon= 11.44
Depth= 12.0 Half duration= 2.7
Centroid time minus hypocenter time: 4.4
Moment Tensor: Expo=25 1.470 -1.390 -0.076 -0.528 0.767 0.373
Mw = 6.1 mb = 5.8 Ms = 6.1 Scalar Moment = 1.74e+25
 NonDC= -0.0924

201608240136A CENTRAL ITALY(アマトリーチェ地震)
Date: 2016/ 8/24 Centroid Time: 1:36:38.1 GMT
Lat= 42.66 Lon= 13.20
Depth= 12.0 Half duration= 3.1
Centroid time minus hypocenter time: 4.5
Moment Tensor: Expo=25 -2.490 0.523 1.960 -0.384 -0.339 -1.040
Mw = 6.2 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 2.55e+25
 NonDC=0.0289

地震情報解読(6)、こんな酷いことをする安倍氏が高支持???

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)

(写真:公園のツツジの籬(まがき)に手広く張られた蜘蛛の網。中央のやや凹んだところにオウナーは潜んで、じっと獲物を待っていました。この網、未だ新築のようですな。)
P902蜘蛛の巣



本日の 糧を得るべく 築きたり 時に施主が 見回りおる也

 偶々、カメラを向けたとき、オウナたる件の蜘蛛氏は新築の我が家を見回っていました。その姿を捉えんとレンズを向けると中央のやや凹んだ場所に隠れてしまいましたが、じっと観察していると時に目だけ出して当方を窺い見ています。

 狂牛病が人に伝染することが明らかとなり、日本政府は、輸入「肉牛」の検査をしてきました(関連記事、2012年1月18日記事)。感染源の肉牛への発現を考慮して、生後20ヶ月までの肉は安全としてして良いとの日本の基準を生後30ヶ月にせよとの米国の強い要求があったりして論議を呼んだのが、つい四年前です。今やそれは48ヶ月つまり四歳牛にまで緩和されています。ところが、その検査すらも、廃止しようとの方針を安倍政権は打ち出したのだそうです。NHKインタネットニュースがそれを報じています:

%%%%%安倍、BSE検査 廃止へ  廃止しても安全性に問題なし
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160831/k10010661341000.html
牛の病気の1つであるBSE対策として国内で行われている、生後48か月を超える牛を対象とした検査について、 食品安全委員会は、廃止しても安全性に問題はないとする評価結果を厚生労働省に答申し、BSEの検査は原則廃止される見通しとなりました。
BSEに感染した牛は国内では平成13年9月に初めて確認され、その翌月から食肉になるすべての牛を対象に検査が始まりましたが、 その後、段階的に緩和され、平成25年7月からは生後48か月を超える牛を対象に検査が続けられています。
この検査について、厚生労働省から諮問を受けて検討してきた食品安全委員会は30日の会合で、
一般から募集した意見も踏まえて最終的な議論を行いました。 その結果、現在続けられている検査を廃止しても人の健康への影響は無視できるとして、 安全性に問題はないと結論づけた評価結果をまとめ、厚生労働省に答申しました。
その根拠として、感染防止に極めて重要な飼料規制などの対策が行われているなかでは、 BSEが発生する可能性はほとんどなく、BSEに感染した牛はこの7年間で1頭も確認されていないことを挙げています。
一方、運動障害や知覚障害などがある生後24か月以上の牛については引き続き検査が必要だとしています。
答申を受けて厚生労働省はBSE検査を原則廃止する方針です。
%%%%%記事転載終わり

 狂牛病については私は2012年1月18日記事で狂牛病の原因に関わる「不安」がいまだ解明されていないことを福岡伸一氏の著作「プリオン説は本当か」(講談社ブルーバック)などを引用して書きました。つまり狂牛病の発症因が変質したプリオンなる変質タンパク質であるとの研究には未だ疑念が去っていないのです。つまり極小のウイルスである可能性が排除されたとは言いがたいのが現状です。いずれにしても狂牛病の直接の原因が「肉骨粉」つまり、牛が牛の肉を食するということに因していることが明らかになっています。
 一方、米国の肉牛に対する処理過程が極めて杜撰であることは危惧されていたにもかかわらず肉牛業者の強い圧力から米国の農務省はかねてより日本側の無条件受け入れを強く求めてきたという経緯があります。
 米国にとっては、米国産農産物の輸出にかかわる日本側の抵抗はTPP締結によってクリアされるはずでした。が、昨今、言い出しっぺの米国が国内世論動向からTPP締結に消極的です。となれば、米国はTPPに拠らずして日本側の牛肉輸出の障害を取り除かねばなりません。まさにこうしたタイミングで安倍政権は検査廃止を自ら申し出て米国の意向に迎合しているのではなかろうかと勘ぐっています。

 国民の生命・健康に頓着しない安倍政権の政治には呆れますが、それでも安倍氏への支持率は六割を越えるといいます。何処の誰が支持しているのか?との思いです。先ごろの調査によれば、大手新聞購読者の選挙行動、つまり実際に投票に行く人が八割近くといいます。これらの人の投票によって安倍氏への支持が支えられているとするならば、未だに日本の新聞の国民への影響は大きいのかもしれません。

 安倍氏の治世の一々が気に触りますな。上記の肉牛輸入問題に加えて原子力発電所の炉の中で核燃料の反応を制御する制御棒の廃炉後の処分について原子力規制委員会がその処分方法を決定したとのことです。この問題を含めNHKの原子力関連の科学担当記者が深夜の番組で一時間にわたり議論しており、それがユーチューブに搭載されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=pv3pH9e2RpU (NHK報道)
 正直のところ、NHKに心ある、つまり真実を報道したいと願う記者さんがいることを知り驚くと同時に籾井会長の下でのこの番組を作成した心意気に胸打たれる思いでした。これは必見です。著作権なぞとNHK当局が言い出しかねません。早めに皆様方のPCに保存されるようお勧めします。

 さて制御棒処分についての報道記事を転載しておきます。10万年後に放射能で汚染された制御棒が安全になるという。言葉を返せば、かくも長きに渡って原子力発電にかかわる諸々は危険であり続けるのです。ましてや、原子炉の中心部である圧力容器そのものと周辺の諸機材はどうなのでしょうか?文字通り負の遺産と言うべきです。:

%%%%%制御棒処分、70m以深 国の管理10万年 規制委方針
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00000013-asahi-soci
原子力規制委員会は31日、原発の廃炉で出る放射性廃棄物のうち、原子炉の制御棒など放射能レベルが比較的高い廃棄物(L1) の処分の基本方針を決定した。地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300〜400 年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する。これで、放射能レベルの高いものから低いものまで放射性 廃棄物の処分方針が出そろった。

 原発の廃炉で出る放射性廃棄物は、使用済み核燃料から出る放射能レベルが極めて高い高レベル放射性廃棄物と、L1、原子炉圧 力容器の一部などレベルが比較的低い廃棄物(L2)、周辺の配管などレベルが極めて低い廃棄物(L3)に大きく分けられる。

 埋める深さは放射能レベルによって変わる。高レベル放射性廃棄物は地下300メートルより深くに10万年、L2は地下十数メートル 、L3は地下数メートルとの処分方針がすでに決まっていたが、L1は議論が続いていた。大手電力会社でつくる電気事業連合会は、 国内の原発57基が廃炉になれば、L1だけで約8千トンの廃棄物が出ると試算している。

 規制委はL1について、コンクリートなどで覆って70メートルより深い岩盤内に少なくとも10万年間は埋める必要があると結論づけた。
%%%%%


地震情報解読(6)
Global CMT Catalog Search(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html)による2016年8月24日のイタリア地震についての地震情報を題材として議論しています:

(表1:Global CMT Catalog によるイタリア地震情報)
201608240136A CENTRAL ITALY
Date: 2016/ 8/24 Centroid Time: 1:36:38.1 GMT
Lat= 42.66 Lon= 13.20
Depth= 12.0 Half duration= 3.1
Centroid time minus hypocenter time: 4.5
Moment Tensor: Expo=25 -2.490 0.523 1.960 -0.384 -0.339 -1.040
Mw = 6.2 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 2.55e+25
Fault plane: strike=142 dip=45 slip=-106
Fault plane: strike=343 dip=47 slip=-75

 この情報表の上から6行目がモーメントテンソル成分です。この6つの数値から下図の発震機構図を描くことが出来ます。具体的には図中の3つのベクトル位置および断層面幾何学(F-plane1,2、表の最下段二行)はこれら6つの数値から導くことができます。
Italyfps160824

 かくして、この6つのテンソル成分が多くの情報を内在していることを前回書いてきました。

 次に、まだ説明していない表中の下から三行目の数値群
Mw = 6.2 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 2.55e+25
を今回は考えることにします。
 上に書いたCMT解として得られた6つのテンソルを対称行列形式で表現し、その対角化をはかる作業をおこなうと、テンソル行列は対角線上に並んだ3つの数値群に変換されます。それが、下の結果です:
Italy160824axisM

 
 左辺の行列の要素は「cm・dyne」です。座標変換で、その次元が変わることはありませんから右辺の数値の次元も同じです。「長さ・力」の次元ですから「偶力」ともいえるし「エネルギ」と考えることも出来ます。いずれにしても右辺のそれは、前回書いたように一番左上の数値は圧縮力に相当する量、右下の数値は張力に相当するモーメント次元を持つ物理量と言うことになります。

 地震の大きさを表すのに使われる「地震モーメント」とはこの二つの値の絶対値の平均です:つまり
(2.5894+2.5086)*0.5=2.549 まさにこれが上の表の Scalar Moment = 2.55e+25 です。既に以前書きましたが このScalar Moment、Mo、こそが地震規模の物理的実体を表現していると考えられています。その理由が下の式です:
モーメント地震


 Rigidityとは地震源とその周囲の岩盤の物性です。剛性率と呼ばれます。Dislocationは断層面を挟んだ一歩の側の岩盤の他方に対する[ずれ]の量、Fault-Areaは断層面の面積です。この式は経験式ではなく、弾性物理・理論から導かれるが故に最も信頼できる地震規模・物理量ということができます。
。しかし、一方、世間では、長く地震マグニチュード、M.と言う量でもって地震規模を表してきました。1930年代半ばにリヒタと言う米国人地震研究者が考案した量です。このMは地震波の初動P波の最大振幅を使って計算されmbという表記が使われています。一方弾性物理学からP波の振幅が地震源で放射されるエネルギと関係付けることが可能であったことが、このマグニcグード表示が長く使われている理由です。
さらには、地震波の表面波の振幅を使ったMsなるものも使われています。ところが、mbマグニチュードの物差しで測る大規模の地震の大きさはほとんど違わなくなります。いわば針が「振り切れる」(正確な表現ではありません)ようなものです。

 地震観測観測所所がふえるにつれて、地震研究の精度が急激に向上しました。そうなると、[実際の規模]を出来るだけ物理実態に即した物差しで計測したくなります。そこで、モーメントを従来のMsまたはmbと比較できかつ大規模の地震の規模をも計測できるとの問題意識からMwなる量が考案されたのです。(モーメントマグニチュードと呼ばれ、日本人地震学者金森博雄氏による)。そうして導入された経験式が
モーメント換算
 

Scilabコンソールでの計算過程は
-->(25-16.1+log10(2.55))/1.5=6.2043601
です。上式にScalar Moment量を代入して得られるMwをモーメント・マグニチュード呼びます。

(図 2:地震モーメントとMs,mbの関係。地震規模が大きくなるとmbはその大きさに対応できていないことが明瞭にみてとれる)
mom-mbms


 ところで、今や気象庁に限らず何処の地震関連機関も使っているモーメント・マグニチュード、Mw,は上の計算でしめされるようにモーメント値を代入することで得られます。これが、上表の7行目の3番目に示される数値です。

 さて、最近の気象庁の地震発震機構情報には「非ダブルカプル成分」なる量が含まれています。次にこれについて書きます。が、若干説明を要しますので次回に回します。
(つづく)

地震情報解読(5)、ぎっくり腰

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
 一月末の本ブログ記事冒頭で、「本年も、早残り十一ヶ月となってしまいました」と書きました。が、それは当然「ウケ狙い」でありました。しかし、本日は本年も残り四ヶ月となってしまいました、と深刻な表情で書かねばなりません。あっと言う間に一年が経ってしまいそうなのです。
(写真:農家のおばちゃんが田を見回ってるのかと思いました。カカシでした。それにしても、八月末、早、田んぼは黄色です)
P829案山子


早朝の 涼気が肌に 心地よし 虫の合奏 耳にさわやか

 台風が去り、久しぶりのゆったりとした朝でした。五時ごろ、このところ姿を見せなかった雉の鳴き声をベッドで聞きました。程なくグラグラと来ました。このところ当地は小さな字振動が多いようです。

+++++地震情報解読(5)
 弾性物理学から導き出された理論式が含む6つの物理量を膨大な観測波形から求める作業の概要を書いてきました。この作業から得られるのがCMT解です。6つの物理量はモーメント・テンソルとよばれ、3行3列の対称行列を構成する6つの要素です。
 この行列は
テンソル行列


 と表現され、赤点線でかこまれた6つの要素 が観測される波形に合うような最適な値として算出されることになります。これらの量の物理的意味は既に書いてきましたが、依然として直感には訴えがたいところがあります。本ブログでは以前次のような図を掲載したことがあります(2015年11月9日):

(図1: 2015年11月9日掲載の図に加筆、二対の偶力が張力ー圧力系と数学的に同等であることを示す)
DC-stresses


  図1に示すように、軸aa’軸bb’が夫々軸―1,2に対応するならば、円内の二対の偶力はこM12に相当します。つまりaa’に平行な偶力は紙面に垂直な-軸の回りに左回り運動を、bb’に平行な偶力は右回り運動を表していることになります。震源の周りで、この二つの偶力の大きさが異なると、剛体の回転に関わる運動方程式が機能するために岩盤は回転運動をしてしまいます。実際にはそうしたことは 起きないと「数学的には」仮定しますから、かくしてM(1,2)=M( 2,1)であるとします。これは「ダブルカプル理論」と呼びます。この理論の構築では本多広吉博士が世界に先駆けてその正当性を主張しました。

 ところが、地震の現場では、M(1,2)またはM(2,1)のどちらかが機能するが故に断層が生じます。いわゆる、地震現象における「対象性の破れ」ということです。地震破壊現象が進行している極短時間(小さい地震であれば数秒、大きい地震であれば数分間)では、震源域では対象性が破れているのですが、波動解析では「対象性は保たれている」と仮定せざるを得ません。さもなくば、新たに未知数を増やすことになってしまうからです。
 実験あるいは観測値をしかるべき理論で解釈する試みでは、まずは理論に含まれる未知量の個数は少なくして出来るだけ単純化することが事態の基本的流を掴むための定道です。そのうえで、理論と観測の齟齬(ギャップ)を未知量を増やすことで埋めてゆくという作業を積み重ねて自然界のより正確な理解に到達するという過程です。上に書いた「対称性の破れ」をまずは無視することも、その過程の一つです。

 話を本題に戻します。上述は「ダブルカプル〕力系が、圧力―張力系と数学的には全く同等であることを説明したのですが、下の図を用いて説明を繰り返します。

(図2 テンソル行列を対角化することの幾何学的意味)
P8310021


 1−軸、2-軸からなる座標系を3-軸の周りに反計方向に45度回転時したものが1‘、2’、3‘軸による座標系です(橙色の座標系)。この新たな座標系では、M(1,2),M(2,1)に相当する力系が消失し、そのかわりにM(1,1)とM(2,2)の力系に置き換わっています。この例は非常に単純なケースですが、じつはこれが、テンソル量の表示では大きな役割を果たします。この作業は行列の対角化と呼ばれています。

 実際の事例で、上述をなぞって見ます。8月24日にイタリア中部で発生した地震(http://c23.biz/6xt8 にこの地震の記事があります)についてのIRIS(Incorporated Research Institutions for Seismology https://www.iris.edu/hq/ )による解析結果です(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )これを得るための作業については前回書きました:

201608240136A CENTRAL ITALY
Date: 2016/ 8/24 Centroid Time: 1:36:38.1 GMT
Lat= 42.66 Lon= 13.20
Depth= 12.0 Half duration= 3.1
Centroid time minus hypocenter time: 4.5
Moment Tensor: Expo=25 -2.490 0.523 1.960 -0.384 -0.339 -1.040
Mw = 6.2 mb = 0.0 Ms = 6.2 Scalar Moment = 2.55e+25
Fault plane: strike=142 dip=45 slip=-106
Fault plane: strike=343 dip=47 slip=-75

この表の6行目に並ぶ6つの数値、
-2.490 0.523 1.960 -0.384 -0.339 -1.040
がモメントテンソルです。これらの数値の次元は[cm・dyne]でそれに10の25乗をかけたものが実際の値となります。世界標準機構(ISO)ではMKS系つまり[m,kg,sec]を使うことが合意されているのですが、上記の表では昔ながらの慣習で[cm,g,sec]系で表示しています。

 そこで、この量を行列表示し、ある種の数学的操作(行列の対角化)をしてやると
Italy160824axisM


 と、なります。つまり元々のテンソル量は、南北、東西、鉛直成分を表現する座標軸系で与えられていたのですが、その座標系を原点を動かさずに三次元的に回転したのです。もともとの南北、東西、鉛直軸の新しい座標系での表現は「固有ベクトル」と呼ばれ、それが下記です。
Italy160824v


 こうした演算はScilabソフトウエア(無料科学演算ソフト)では
 [VCTR,v] = spec(pmx);
 との単純なコマンドで達成できます。ここで
pmx = 0.523 - 1.04 - 0.384
     - 1.04 1.96 - 0.339
     - 0.384 - 0.339 - 2.49
です(上の行列の順番と違いは計算の都合によります。要素の値は全く同一です。このブログをみて検証する方のためにこの注を付しています)。

さて上に示したベクトルの意味を考えます。
vctr1= 0.1576 0.1092 0.9815 は圧力方向であることが、図1からわかります。同様に、
vctr3= 0.4601 -0.8875 0.0248 は張力方向です。震源の周りの回転軸方向は
vctr2= 0.8738 0.4476 -0.1901 で与えられます。
この3つのヴェクトルからこの地震の発震機構図が以下のように作図できます。

(図4:2016年8月24日イタリア地震の発震機構図
Italyfps160824


 既に書いたことですが、発震機構解で、圧力軸の位置が、中心(震源)と同じ象限にあるときは、この地震は正断層地震で(前回記事における米国科学誌がこの地震が正断層であることを書いていました)、東西からおよそ30度ほど北にふれる方向から引っ張られておきた地震であることがわかるのです。

 小難しいことを書いてきました。丁寧に読んでくださっている読者がおられるので、つい、熱がはいってしまいました。この続きは次回に書きます。もう難しい話はありません。ご安心ください。
(つづく)

+++++なぜ? 「ギックリ腰なら安静に」は“百害あって一利”なし
 先週の火曜に再発したギックリ腰、痛みがなかなかとれず苦労しました。三十数年前の昔、幼稚園年長の娘を抱えて走った際に発症しました。「ギックリ腰」などとは思っても見なかったので、大いにうろたえ、このまま寝たきりかと絶望しながら布団に転がっていました。痛みが長引くのでヨタヨタと這うようにして形成外科医を訪ねたところ、太(ブット)い注射一本で痛みが取れました。椎間板ヘルニアとの診断です。これは完治はありませんから、死ぬまで「奴(ヤツ)」をなだめすかしながら共に生きるしかありません。とうぜん、その後も、奴の機嫌を損ね、しばしば症状が出ましたが何とかしのいで来ました。

 ところが、8年前ミャンマ滞在中にひどい痛みを発症しました。失礼な言葉ですが、途上国での注射はなんとしても避けたいと思っていましたから、必死になって立ち上がりホテル内を徘徊しました。幸い、仕事終了の二・三日前でしたから、差しさわりが少なくすみました。タイの飛行場での乗り換えは相当歩かねばなりませんが、そこでもヨタヨタと這うようにして成田行き便になんとか乗り込みました。

 そして、今回です。ベッドから立ち上がろうとすると、もはや「ゴリッ」と言う感じではなく「グシャッ」と言う感じの気味の悪い痛みが体を貫きます。しかし、今までの経験から「痛みに慣れる」ことこそ、回復への道であると信じ、立ち上がり、痛み止めの薬とシップに頼りながら歩行訓練を繰り返しました。かくして今日の私がありますキリッ!(えばれたセリフを吐くほどの事も無いのですが)。

 そんな折、昨日の日刊ゲンダイ紙が、まさに私の実感をそのまま記事にしたのではなかろうかと思うほどの解説を書いています。ギックリ腰にお悩みの方の参考になれば幸いと考え以下に転載しておきます。 
%%%%%日刊ゲンダイ記事転載
http://c23.biz/Dyu8 2016年8月30日 日刊げんだい

 ギックリ腰を起こしたのでコルセットを着けて安静に――。腰痛対策の“あるある”だが、実はこれが腰痛をさらに悪化させている。
「近年、腰痛の研究が飛躍的に進み、これまで常識とされていたことが当てはまらなくなってきた」
こう話すのは、「腰痛は『動かして』治しなさい」(講談社新書+α)の著者で、東京大学医学部付属病院特任教授の松平浩医師。ギックリ腰に関しては、ベッドなどで横になるのは長くても2日間まで。西欧諸国の多くの腰痛診療ガイドラインでは「2日を超えるベッド上での安静は支持すべきでない」という記載があるという。
松平医師らの研究では、ギックリ腰で医療施設を受診した勤労者のうち、「安静を指導された群」は、「活動してよいと指導された群」の3倍以上再発リスクが高く、再発回数が多く、慢性腰痛に陥りやすいという結果だった。つまり、安静はNG。むしろ、「百害あって一利なし」ともいえる。
「安静がよくないのは、腰を支える筋肉が衰え、脊椎や背筋を含む運動器の柔軟性が落ち、血流が悪くなって疲労を促進させる発痛物質が増えるから。さらには、腰痛を常に意識して動くため、かえって腰痛への不安や恐怖が強くなり、脳の機能に不具合を生じ、脳が持つ痛みを和らげる働きが妨げられるのです」
ギックリ腰は、発症直後は激痛が走るが、まったく動けないのは数分。落ち着けば電話口まで這ったりする程度はできる。その段階で、「ギックリ腰は基本的に心配する必要がない青信号の腰痛! だけど大事にし過ぎると治りにくい黄信号に変わりやすいという。私は大丈夫」と自分に言い聞かせることが重要だ。
「痛み止めの薬を嫌がる日本人は多いですが、短期間だけきちんと使い、できそうなことは普段通りする。活動的であるほど、腰痛は気にならなくなります」
ギックリ腰や慢性腰痛は、ほとんどが原因となる明確な病気がない。椎間板や腰の関節のちょっとしたズレや傷、炎症や血流不足が関係している。これを「非特異的腰痛」といって、通常は遅くとも3カ月以内によくなる。だから安心して、体を動かすべきなのだ。
■「恐怖回避思考」が痛みを長引かせる
しかし、3カ月経っても腰痛が消えず、悩んでいる人も少なくない。
「先に挙げた脳の機能の不具合から痛みが長引いている可能性が高い。私は『恐怖回避思考』と呼んでいます。痛みの体験が痛みへの恐怖を引き起こし、過剰な警戒心から腰を過度に大事にする回避行動を取らせ、体を動かさなくなる。恐怖回避思考が持続している限りは、腰痛から解放されず、再発を繰り返すのです」
役立つのが松平医師考案の「これだけ体操」だ。
「最初はできる範囲で。回数を重ねるごとに骨盤への押し込みを強くし、反らす角度を少しずつ大きくしていくとより効果的。『痛いかも』という気持ちから『意外にできる』『痛くない』と、いい方向に循環し、恐怖が薄れていきます」
つまり、正しい情報で恐怖心をなくす。楽観的に痛みと向き合えるようになり、痛みは軽快し、やがては回復に向かう。
「これだけ体操」は非常に簡単だ。

‖を肩幅より広めに平行に開き、膝を伸ばし、リラックスして立つ
⇔昭蠅鬚覆襪戮近づけてお尻に当て、指は下向きにそろえる
Bを吐きながら上体をゆっくりしっかり反らす。3秒キープし、元に戻す。腰痛持ちなら、治療として3秒キープを10回、予防のためなら3秒キープを1〜2回が目安

 病院へ行く前に、まずは自分でやってみよう。
%%%%%記事転載終わり

イタリア地震(米国科学誌)、福島県産農産物

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
前回記事で書きましたが、ギックリ腰による痛みが老齢のためなかなか去りません。そのために長時間PCの前に座すことが出来ず、金曜日のブログ更新も途中挫折の已む無きとなりました。今回の記事は、金曜日のために準備していた記事に追加したものです。
(写真:過日の台風で公園斜面の木がなぎ倒されました)
P826台風


出戻って 大きくなって お騒がせ 十号の帰趨 大いに気になる

誠に不謹慎と思いますが、東へ進んだ台風十号、このまま南シナ海で横暴を為す中国政府を懲らしむるべく大陸に突っ込んでくれればなぞと思っていました。ところが、こともあろうに成長するにつれ、西にもどり、明日にも我が県を再襲撃するべく窺っているとのことです。どうぞご勘弁を、と台風の方角に向かって手を合わせております。
 
 日曜日夕方のBS放送で脳科学者の養老猛司氏が「ヒトが死んだ直後の体重は直前のそれと比べて32グラム軽い、と言う人がいる。それを以って、その差32グラムは魂の重さである。この差こそが魂の存在の証であり、死後人体から魂が離脱した証であると主張する。が、そうした議論には、なんら科学的な根拠は無い」と、語っていました。面白いですな。魂の重量が32グラムとは。

 ところで、知の巨人ともてはやされていた立花隆氏が一頃しきりに臨死体験を語り、確か出版物にもしていたはずです。この御仁は、「知性」を売りにするにしてはオカルト的発想に傾くことがしばしばありました。それを鋭く指摘したのが、もう十五年も昔になりますが当時東大の大学院生であった谷田和一郎氏のグループです。彼らは、「立花隆先生、かなり変ですよ」(洋泉社、2001年)と題する出版物を著しました。そこで立花氏の立論を厳しく批判しています。これについて、どういうものか、立花氏は反論をしていないようです。立花氏の角栄嫌いはヒステリックであることを本ブログでも書いたことがありますが、その「嫌い」は、「臨死体験」同様、養老氏の言う「壁=思い込み」に捕われたがる立花氏の気質であろうと見ています。

 そうではあっても、死後の世界について幻想を振りまく論調は絶えません。人にとっては死はなんとも不安であり、恐怖であるからです。宗教発生の起源でもあります。そんな折「死んだら無、死後の世界はない」と題する記事を週刊ポスト誌(ネット版2016.08.28 07:00)に見つけましたので転載します。以下の記事については、本ブログを読んでくださっている方々には当たり前のことと思われるでしょうが。
%%%%%【死後の世界は存在するのか】http://c23.biz/6PY3 
 人類にとって「あの世」は常に興味・関心の的であり、宗教も、科学も、その問いに答えを出そうとしてきた。

 科学の視点でいえば、そもそも「生」と「死」の境目は、はっきり断定できないところもある。数多くの臨終に接してきた、東邦大学医療センター大森病院の医師・大津秀一氏がいう。

「便宜的に心停止、呼吸停止、瞳孔散大をひとつの区切りとしていますが、生物が心停止した後でも脳波の変化はありますし、全ての細胞が死んでいるわけではなく、生きている部分もある。どう捉えるかは実は非常に難しいところなんです」

 その上で大津氏は、臨死体験者が見た「あの世」についてこう考える。

「最近ではラットの実験で、亡くなった後の数十秒間は脳波の活動が活発になるといわれていて、臨死体験に関係している可能性があると話題になっています。最後にぬくもりを見せてくれる脳の働きが観測されているのかもしれません」

『霊はあるか』(講談社)の著者で、自らも臨死体験がある立命館大学名誉教授の安斎育郎氏は「科学者の立場」という前提でこう話す。

「死んだら無に帰す。例えば体重の18%を占める炭素原子は、死んで焼き場で焼かれれば二酸化炭素となって飛び散っていく。科学的にはそれだけです。残念ながら、死後の世界はない。でも、それを思い描くのは人間の自由です」

 100年以上も前に遡るが、アメリカ・マサチューセッツ州の医師・ダンカン・マクドゥーガル博士は人が死ぬ瞬間の体重を計測し続け、死ぬと体重が21グラム減ることを発見した。そしてそれが「魂の重さ」だと結論づけたのだ。この説は現代科学では否定されているが、『21グラム』は2003年公開の心臓移植をめぐる映画のタイトルにもなった。

 それはつまり人間の魂や「あの世」への関心は科学的な知見の発展とは別のところで存在し続けていることを意味する。「あの世」がどんなものかを考えることが一人ひとりの「この世」に与える影響は決して小さくないのだ。

※週刊ポスト2016年9月2日号
%%%%%記事転載おわり

+++++2016年8月24日イタリヤ地震
 本ブログでは2009年4月6日にイタリア中部で発生したラクイラ地震をめぐる地震研究者への刑事告訴事件について紹介したことがあります。5日前の8月24日、ラキラ地震の北方50kmで地震サイズにおいても被災規模においてもほぼ同規模の地震が発生しました。被災者数についてはいまだ確定できないほどの混乱が続いています。

(図1: 2009年ラクイラ地震と2016年の今般の地震)
mp160824


 この地震について米国科学誌が論じていますので以下にそれを紹介しておきます。
%%%%%Scientific American 誌特別記事より
http://c23.biz/Lt6n 
Why the Earthquake in Italy Was So Destructive
何故、イタリアの地震はかくも破壊的なのか?
A complex underground collision ripped apart Earth's crust, killing more than 100 people
地下の衝突が地殻を切り裂き100名以上の死者をもたらした(8月29日の時点の報道によれば、300名弱)
• By Tia Ghose, LiveScience on August 24, 2016

Damage caused by a 2009 earthquake in L'Aquila, Italy. Credit: FLICKR
Powerful earthquakes like the 6.2-magnitude temblor that rocked central Italy early this morning (Aug. 24) are surprisingly common in the region, geologists say.
The shaking was caused by movement in the Tyrrhenian Basin, a seismically active area beneath the Mediterranean Sea. Here, the ground is actually spreading apart, said Julie Dutton, a geophysicist with the U.S. Geological Survey. The same underlying geology was responsible for the devastating 2009 earthquake in the city of L'Aquila, just 34 miles (55 kilometers) away from today’s quake. That earthquake killed more than 300 people.
"It's a pretty complicated or complex area for earthquakes," Dutton told
ce. "In this area, they have sizable earthquakes that cause destruction every so many years." [Photos of This Millennium's Most Destructive Earthquakes]
 8月24日早朝にイタリア中部を揺るがせたM6.2の強烈な自身は驚くべきことに、ここではそれほど珍しいことではない、と地質学者は言う。地中海域下の地震活動帯であるTyrrhenian Basinでの地殻が動いたことでこの地震は起きた、とJulie Dutton, a geophysicist with the U.S. Geological Surveyは言う。この同じ地学環境が2009年の55kmほど南で起きたラクイラ地震をも引き起こした。この地震では300名余の人命が失われた。“かなりこみいった色々な要素がこれらの地震に関わっている”とDuttonは言う。“それらがこので、頻繁に破壊的な地震が起こさせている”と。
COMPLEX DAMAGING GEOLOGY

              複合的な破壊的地質
The epicenter of today's quake, which hit around 3:30 a.m. local time, was about 6.2 miles (10 km) southeast of the historic tourist town of Norcia. The earthquake killed at least 73 people and turned scores of charming medieval buildings into rubble. The shaking was felt all the way in Rome, about 70 miles (112 km) southwest of the city.
 現地時間朝の3時半に起きた地震の震央はNorciaと言う歴史的観光の南およそ10kmにある。地震都市は少なくも73名余の人命を奪い(8月25日時点で判明した死者数)、中世の魅力的建造物を瓦礫にした。地震は112km離れたローマでも感じた。

(図2:震度分布、ローマが左下に見える)
italy-earthquake-160824 2


A 6.2-magnitude earthquake hit central Italy at 3:36 a.m. local time on Aug. 24, 2016. Credit: USGS
The temblor was caused by complicated geology. In northeastern Italy, the slow-motion collision of the African and Eurasian plates has pushed up the ground beneath the Alps. In fact, many of the quakes have occurred in towns fringing the Appenine Mountains, along the northeastern coast of Italy.
However, the quakes themselves are not caused directly by this uplift process. Instead, because the continental plate collision zone is drifting southeast, it is stretching the crust beneath a region of the Mediterranean Sea. This ground extension, which occurs at a 90-degree angle relative to the mountain range, is what was behind both the current earthquake and the 2009 L'Aquila temblor, Dutton said.
 地震は複合的な要素からなる複雑な地質環境で起きた。アフリカとユーラシアプレートのゆっくりとした衝突運動がアルプスの下の岩塊を押し上げている。実際、地震災害の多くがイタリアの北東沿岸沿いのアペニン山脈の縁の町で起きていた。
 しかしながら地震そのものはこの隆起過程によって直接的に起きているのではない。そうではなく陸の衝突域が南東にドリフトしているため、地中海域きの下では、地殻が広がっているのだ。この広がりは山脈尾根に90度の方向に向いており、それが今般の地震そして2009年のラクイラ地震の背景である、と Duttonは言う。

"It's a normal fault earthquake and it's an expression of the east-west extensional tectonics where the Tyrrhenian Basin is being opened up," Dutton said. Normal faults occur when the ground on one side of the fault slides down relative to the other side, and the motion goes in the direction expected based on the pull of gravity on the Earth, according to the Survey U.S. Geological.
This region is no stranger to ground shaking. In 2009, the 6.3-magnitude-6.3 that struck L'Aquila led to a trial in which the seismologists in the area were convicted of manslaughter for failing to predict the quake. (The guilty verdict against the scientists was later overturned.) In 1997, a 6.0-magnitude earthquake killed more than 100 people and damaged 80,000 homes. And records going back nearly 700 years document terrifying earthquakes in central Italy that caused people to abandon towns during the Middle Ages.
 “それは正断層地震で(次回ブログ記事で詳述します)、ほぼ東西の引っ張り型テクトニックを表している。かくして、Tyrrhenian Basinが拡大するという過程でもある”と 。断層地震は断層の一方の側が他方正に対して引きずり下ろされる際に生ずる。それは地球の重力にひっぱっられる方向でもあるとSurvey U.S. Geologicalは説明する。
この地域は地震が何時起きても不思議は無い。2009年のラキラを襲ったm6.3地震は裁判沙汰になり、地震予知をしそこなった廉でこの地の地震研究者たちが殺人罪で告訴された(後のその有罪判決は無罪となったが)。1997年には100名の人名が余失われ、8万もの人たちが家を失った。700年近くにわたる文書に拠れば中部イタリアではいくつもの地震が記載されており中世には多くの街が消滅している。
以下はこの地震に関連した情報:
The 10 Biggest Earthquakes in History http://c23.biz/nnZi 
L'Aquila Earthquake Gallery: A Day of Destruction http://c23.biz/83U4 
50 Interesting Facts About Earth http://c23.biz/DP7z 
%%%%%米国科学誌記事紹介終わり

+++++放射能汚染除去の努力
 台風9号が北関東から東北地方を重利する最中、所用で福島に行っていました。緊張のあまりギックリ腰を再発したことを以前書きました(いまだ痛みを抱えていますが)。その際、知ったことは、福島県農業従事者の涙ぐましい努力です。米、野菜、果物(桃など)の放射能汚染を回避するためにできることは全てやっていることを目の当たりにしました。かくして出荷する農産物はすべて法が定める基準値を下回っています。しかも、出荷に際しての検査は抜き取り検査ではなく、まさに全量検査なのです。
 購入したトマト、きゅうり、そしてモモは昔ながらに旨く美味で、このところ連日当家の食卓に上っています。しかし、あいもかわらず福島県産農産物への偏見が除去されていません。なんとかこうした偏見を取り除き、福島農業従事者の「働き甲斐」を回復するために力を尽くしたいと思った次第です。
%%%%%福島民報記事転載
県産米、基準超初のゼロ 27年産の全量全袋検査
http://c23.biz/Pv7D 
福島民報 8月25日(木)10時15分配信
福島県内で収穫されたコメに含まれる放射性物質を調べる全量全袋検査で、県が19日までの1年間に調べた平成27年産米約1050万袋全てが食品衛生法の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回ったことが24日、分かった。基準値超の数は検査を開始した24年産以降、減少傾向にあり、初めてゼロとなった。
 27年産は昨年8月20日から今月19日までの1年間に1049万6697点を調べ、99・99%に当たる1049万5897点が検出下限値未満だった。検査件数は全量全袋検査と詳細検査の合算。基準値超えの可能性があるコメについて調べる詳細検査により基準値を超えたのは24年産が全体の0・0007%の71点、25年産が0・0003%の28点、26年産が0・00002%の2点と年々減少している。自家用として生産されるなどし、基準値を超えたコメは流通していない。
 県はセシウムの自然減衰に加え、塩化カリウム肥料散布などセシウムの吸収抑制対策を進めたことが奏功したとみている。
 27年産の検査結果について、県水田畑作課は「これまでの地道な取り組みが結実した。基準値超えゼロは県産米の安全性をPRする上で重要な要素となる」と期待している。
 県は県産米に対する消費者不安の解消や基準値を超えたコメの流通防止を目的に、全量全袋検査を始めた。県は今後も検査を続けるとしている。
福島民報社
%%%%%新聞記事転載終わり

東北日本に頻発する地震

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)

 以下の記事の前半は、今週月曜日の記事として前日に用意されたものです。ただし、地震の部分については、防災科学技術研究所のデータが公開された後に付け加える予定でした。この日、年甲斐もなくあの台風九号が襲来する中、東北自動車を大いなる緊張感のなかで200kmほどを走りました。走行中前方視界は豪雨で遠くに及ばず、まさにその緊張がもろに腰に集中しました。かくして、夜ギックリ腰が再発し、身動きが出来なくなった次第です。已む無く本日水曜日に未だ痛む腰をかばいつつブログ記事の続きを書いております。情けない言い訳であります。

(写真:東京新聞8月21日付け一面記事より。説明の必要はないですね)
P8210005

 
特長の 世界が認める 短足で 勝ち得た銀は 立派の一言

 インターネット・ニュースでこの快挙を知り、「TVを見ておくんだった」と悔やみました。日本人は陸上トラック競技を得手としてきませんでした。しかし、今般のリオ五輪ではバトン引継ぎに工夫を凝らす、まさに技術立国・日本です。四名の走者に心からの祝福を送ります。
 吉田選手の号泣を前回記事で批判しました。女王を乗り越える新しい選手が輩出したのです。世界に長く君臨してきた元女王としては、自ら失墜を嘆くのではなく、世界的広い視野からは、新たな担い手の出現であり、そう思うのであれば、表彰台でも新女王を祝福できたのだろうと思います。日本人の狭量を見る思いがした次第です。

 私の年代からすれば、とりわけ不思議ではないのですが、ここ数年で、24名いた母方の従兄弟が3名(父方を含めれば6名)、そしてかっての職場の同僚や、上司が相次いで他界しています。おもえば、昨年死去したギリシャの友人も私のいわば戦友でありました(2015年3月2日記事 http://c23.biz/LU2v )。

 そして、つい先日も、かっての職場での同僚の一人が癌で死去しました。xx工学分野で、この男を知らずば「潜り」(もぐり)であるといわれたほどの名物男でありましたが、4年の病魔との闘いの末他界しました。かって、彼がインドネシア国で技術移転活動に力を尽くしていた頃に彼を訪ねたのが、後に京都大学総長の地位にまで上り詰めた尾池和夫氏です。尾池氏は、見たこと聞いたことがすべて即座に「活字」に変換されることで知られています。氏のインドネシア訪問記は「『インドネシアの旅 - ジャワとバリの火山を訪ねて』( 産業図書、1987年)として世に出、その世界ではひとしきり話題になりました。そしてこの書でとりわけ目立って描写された人物がまさに私の職場の同僚でありました。氏のご冥福を改めてお祈りする次第です。

 尾池氏の専門は地震学です。そういえばこのところ再び東日本の地震活動が、いささか不穏です。

(図:防災科学技術センタより)
20160821三陸9


 そこで例の如く昨今の地震活動を眺めておきます。
(図2:震央分布)
S160824


図3:図2に示す矩形領域内での地震の深さ分布(上)と時間分布(下)
dTD160824


 この下の図(距離ー発生時間)を見る限り、地震活動の遷移は明瞭には認められません。少なくもこの図から次の東北拠ダウ地震の予兆を議論することは出来ません。

 イタリアでもM6.2の地震が発生し10名ほどの犠牲者が亡くなっています。東北日本海域の地震も含め、詳述したいところですが、本日は腰痛で長時間PCの前に座っていることが出来ません。お許しください。

ソ連、崩壊前後を比べる(スプートニクより)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:農家の生垣の朝顔、拡大はクリック)
P814朝顔

 法師ゼミ もくれん経を 唱えだす 思えば朝晩 虫の唱和も

 酷暑のため、耳の穴からメルトダウンした脳がこぼれてきそうです。ところが、自然界は既に秋の気配を察知しているようです。数日前からツクツク法師が読経を始めています。朝晩には、空気はまだ蒸し暑いのに虫の鳴き声が大きく聞こえるようになりました。

 新聞で見るTV番組欄。NHKは今やスポーツ専用チャネルになったかの如くです。昼日中に高校野球、リオ五輪にかじりつく視聴者はそれほどに多いのかと疑問に思っています。報道されない、あるいは国民に知られたくないような事態が着々と進行しているのではないか?そんな不安を日刊ゲンダイ紙が書いています。
(図 日刊ゲンダイ紙8月19日付より)
アベノミクス160819


女子レスリングで長く無敗を誇った吉田選手が敗北し、試合直後から表彰式の後まで延々と号泣したとのことです。負けるはずが無かったといわんばかりで、それはずいぶんと相手選手に対して失礼ではなかろうかと思いますね。草野球のキャッチャですな(みっともない)。

+++++社会主義ソ連は良かったのか?悪かったのか?
 ネット情報誌「スプートニク」が興味深い記事を掲載していますのでそれを転載します。
%%%%%元ソ連人が、暮らし向きがよくなったのはソ連崩壊後か前かに答えた
http://c23.biz/mKe8 
c Sputnik/ Vsevolod Tarasevich
ロシア 2016年08月17日 21:38(アップデート 2016年08月18日 14:23)
 スプートニクによる世論調査によると、元ソ連諸国11カ国のうち9カ国の35歳以上の住民の大多数が、ソ連時代のほうが崩壊後よりも生活はよかったと考えている。

RIA NOVOSTI / VLADIMIR AKIMOV
ペテルブルグのデザイナー 世界のブランドを「ソ連風」にアレンジする
ソ連時代のほうが崩壊後よりも生活の質が上だったと答えた、ソ連に住んでいた回答者は、ロシアでは64%、ウクライナでは60%となり、そう答えた人が最も多かった国はアルメニア(71%)、アゼルバイジャン(69%)となった。
ソ連崩壊後のほうが生活がよくなったと答えたのは、35歳以上のタジキスタンの住民(55%)とウズベキスタンの住民(91%)だけだった。
ソ連での生活を覚えていない年齢18歳〜24歳のグループの回答者は、ソ連崩壊後に生活は向上したと答えた。たとえば、63%のロシアの青年回答者がそう答えた。唯一モルドバでは逆に考えられていて、69%の回答者が、崩壊後よりもソ連時代のほうが生活はよかったと答えた。そこでは崩壊後のほうがよかったと答えたのは17%だけだ。
このデータは、2016年7月4日〜8月15日に実施された世論調査の結果得られた。回答者は12645人となった。
先に、旧ソ連の調査団が原爆投下後の広島・長崎を撮影した映像が広島市・長崎市に提供された(http://c23.biz/e5pA )と報じられた。
%%%%%転載終わり

 ソ連が崩壊してから四半世紀がたちました。今では、ソ連時代と崩壊後を比べることが出来る世代は少なくなっているのでしょう。ましてや市場経済の時代、昔を懐かしんでいたら取り残されてしまいます。

 私は、2000年代の始めに7ヶ月間ほど旧ソビエト連邦にあって、ロシアとともにソ連邦を宇宙開発、原子力で支えていたカザフスタン共和国で過ごしたことがあります。滞在中、英語の通訳を主要な任務としながらも私の身辺の雑務を色々引き受けてくれた秘書さんは化学者である旦那さんとの間に一人の娘さんをもつ 同国の才女でした。私が行う講義については、あらかじめ彼女に草稿を渡しておくと、全てきちんとロシア語に翻訳してくれます。そのために私の話はほぼ完璧に受講者に伝わり、結果として質問も活発、演習も全員が熱心に取り組み、と言うわけで、私には誠に有意義な滞在でした。
 そして、朝晩の送り迎えをしてくれる運転手さんも秘書さんと同年代です。人生の半分を社会主義体制で過ごし、以後の半分を市場経済体制で過ごしたのです。昼食は運転手さんが近くの総菜屋さんで買ってくるカップラーメンやら何やらを三人で取ります。その際の話題の多くが、まさに上の記事で語られていることでした。

 当時のカザフスタンは、ソ連崩壊後まだ時間が経っていません。従って、彼ら二人はまだ新経済体制には慣れておらず、むしろ生活物資が確実に入手でき、医療サービスも確実に受けられるソ連邦体制を懐かしんでいました。例えば、崩壊後の家族の病気対応は大変であったと秘書さんは言います。小児科病院の治療費は高額で連れて行ったことがないといいます。又、旦那があるとき高熱をだして仆れたとの事。秘書さんはアポテカ(薬局)に走り注射液を購入し、旦那の尻をむいて、買い置きのぶっとい注射針を突き刺したとのことです。こうした不安が付きまとったとのことですが、あれから15年余、今はどうなのか?

 そんなことを思い出していたら、40年近く昔に滞在していた頃のモスクワの写真を見たくなりました。私が住んだアパートの現在と40年前のものです。興味がある方もおありかもしれませんので掲載しておきます。

(図1:グーグルによる現在のアパート写真、中央やや右にグプキナ通りと書かれた南東方向に走る道が見えます。その右側沿いに二棟のビルがあります。この北側棟の14階に家内と息子三人が住みました。その隣に見える赤い屋根は保育園で息子はそこに通園しました。拡大はクリック)
グプキナ


(図2:40年近く昔に撮影したアパート。当時は戸外で写真を撮ることはおおいに憚られたので私の住むアパートから隣のアパートを撮影したもの。ここにも日本人の家族が一世帯住んでいた)
mocow00アパート6

 
(図3:図1に写っている保育園を私が住む部屋から撮影したもの(上)。および保育園の緑多く広々した庭(下)にある四阿)
mocowヤスリ6


(図5 アパートのありかを示すモスクワの地図、周囲はソ連邦科学アカデミ地区で、ノーベル賞級の研究者を多く輩出している。左下はモスクワ大学。川を挟んですぐ北にオリンピック競技場がある。右上は赤の広場とクレムリン宮殿。アパート位置は図の中央部下に示されている)
モスクワ地図


 地図とグーグル地図を比べて、真っ先に気づくことはモスクワ大学の東脇から北東に走る「レーニン大通り」が別の名前に変わっていることです。

安倍氏、”核先制使用せず”に不同意、伊方原発(3)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:近くの農家の子猫。「おいで、おいで」と声をかけると、奴さん、どうしたものかと迷っている風です。頭上には大分大きくなった柿の実が見えます)
P814猫


 夜中じゅう 強い風と 雨の音 眠れぬままに 昔を想う

 台風7号とやらが当地の東脇を真夜中に走り抜けました。騒がしくもけたたましい音で、一晩中半覚醒状態でした。そうしたときにはえてして昔の事をいろいろと思い出します。あらためて、自らの罪業の深さを思い知った次第でありました。
 そして、台風一過、突然、脳を溶融させる酷暑の「つら〜い」一日となりました。私、今日は息絶え々であります。何せ暑苦しいニュースばかりです。以下はそうしたニュースの「コピペ」です。ご許しを。

 %%%%%まずは、米国副大統領の発言です(産経新聞より):
http://c23.biz/b7dt 
バイデン副大統領「私たちが日本国憲法を書いた。日本は核保有国になり得ない」 トランプ氏の容認論批判、異例の発言
 【ワシントン=青木伸行】バイデン米副大統領は15日、ペンシルベニア州で演説し、共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を批判する文脈の中で「(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか」と発言した。
 米政府の要人が、日本国憲法を米国が起草したと強調することは異例。バイデン氏は日本などの核保有容認論を展開しているトランプ氏を批判しようと、日本国憲法を持ち出した。
 バイデン氏は「(トランプ氏は)学校で習わなかったのか」とも皮肉り、「彼に(大統領として)核兵器発射のコードを知る資格はない」と非難した。
 バイデン氏は6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対し、北朝鮮の核開発を阻止しなければ「日本は一夜のうちに核を開発できる」と語ったことを明らかにしている。
%%%%%
 つい先日の新聞が「憲法九条の発想は幣原首相に由来する」との堀尾東大名誉教授の発言を報じていました。そうであっても、現今の憲法が米国の施政下で作成されたことは認めねばなりません。いかなる崇高な精神、いかなる非現実的な条文といえども、当時、日本国の政治家がそれに抗うことはできなかったのです。つまり、バイデン氏は歴史的事実と当時の世界政治認識をそのまま語っているのです。

 問題は、この米国のもとで作られた憲法が、戦後71年間、国民生活の向上・安全に桎梏となったことがあったのかどうかを省みるべきと思っています。桎梏となっているのは、安倍氏とその周囲にたむろする人たちにとってではなかろうかと思っています。
 九条についていえば、直接関わっているのが自衛隊です。憲法違反を承知で米国の都合で編成されたのが警察予備隊です。幸いにして、この予備隊が自衛隊なる「軍隊」に変容したけれども、他国への軍事進出は九条の存在が押しとどめてきました。とすれば、こうした現状を憲法上でもきちんと確立することは、20万余の自衛隊員とそのご家族の人権問題として憲法上まともな位置づけがなされるべきと私は思っています。

 次は東京新聞が報ずる「核兵器使用」問題です。
(図:唐拠新聞8月7日付一面記事より)
P8170004


 下に紹介する天木氏(元駐レバノン日本国大使)も指摘するように、国民の意識を肴でしかねない案件については、国民の知らぬところで、どんどん進めてしまう。これが阿部流政治です。
%%%%%天木氏ブログ転載

核先制不使用に反対していた事を米紙にばらされた安倍首相の恥
http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/08/17/post-5186/
17Aug2016 天木直人のブログ

 米紙ワシントンポスト(8月15日付)が報じたという。
オバマ大統領が検討している核兵器の先制不使用について、安倍首相がハリス米太平洋司令官に対し、みずから反対の意向を伝えていたと。複数の米政府当局者の話として報じたという。そういえば安倍首相がハリス司令官を官邸に呼んで会談した事がテレビなどで報じられたことがあった(7月26日)
 その時に伝えていたのだ。もし、このワシントンポストの記事が本当なら、安倍首相は総辞職ものだ。唯一の被爆国であり、非核三原則を国是としてきた日本の首相として、国民に対する裏切りになる。
 それだけではない。
 オバマ大統領の広島訪問や、終わったばかりの広島・長崎平和記念式典で語った核廃絶の誓いの裏で、舌をペロリと出していた事になる。これ以上ない被爆者に対する裏切りだ。このワシントンポストの報道に対し、外務省幹部は「首相はそうした発言はしていない」と否定したという(8月17日読売)
 それはそうだろう。そんなことを外務官僚が認めたら大変な事になる。しかし、その一方で別の外務省幹部はこう語っているという。「もし米政権が核の先制不使用を宣言すれば、日本を守る米国の拡大抑止は成立しなくなる。あり得ない話だ」と。(8月17日朝日)これを要するに、外務官僚とその振付に従って動きた安倍首相が、オバマの核先制不使用に反対したということだ。そして、それがばれても、知らぬ顔をしているということだ。これ以上の恥知らずはない。やはり総辞職ものである(了)
%%%%%天木氏ブログ終わり

 本日の報道によれば、オバマ氏は米国が核兵器先制使用することはないとの言明をしたとのことで、安倍氏は大変狼狽したとのことです。安倍氏は米国への忠誠心を表明したはずが「親分」から裏切られたということになります。
 それは、それとして、「抑止力」論は一見説得力がありますが、世界の現状を思うとおよそ非現実的と私は考えています。安倍氏の頭の中には「北朝鮮」が米国の手先たる日本に核兵器でちょっかいを出してくると言う事態があるのかもしれません。しかし、それをしたら、北朝鮮は国として存立できません。いかに現在の指導部が愚かであってもそれを考えないほどバカではありますまい。
 いかなる国といえども「核の不先制使用」宣言で重大な核攻撃に晒されるという事態を、私は想定できません。だからこそ、今重要なのが核兵器廃絶の国際的協議であろうと思っています。

 さて、本日の最後の「コピペ」は再再度「伊方原発」です。
+++++伊方原発稼動
伊方


%%%%%日刊ゲンダイ記事転載
やっぱり危ない伊方原発 発電初日の地震直撃に専門家警鐘
2016年8月17日
(写真:福島第1原発事故の本当の原因は地震か津波かいまだはっきりせず(東京電力提供)
拡大する
 発電初日、襲われた。15日山口県で起きた震度3の地震。伊方原発3号機がある愛媛県伊方町でも震度2を観測した。四国電力では12日に原発を再稼働し、15日から発電と送電を始めたばかり。いきなり地震に“直撃”され、周辺住民は「やっぱり伊方原発は危険だ」と不安を強めている。

 伊方原発は以前から、その“危険性”が指摘されてきた。わずか8キロ先に国内最大の活断層「中央構造線断層帯」があるからだ。4月の熊本地震はその延長線上の「布田川・日奈久断層帯」が動いて起きた。愛媛県の中村時広知事は「(伊方原発で)福島と同じことが起こることはない」と断言しているが、何を根拠に言っているのか。武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)がこう言う。

「熊本地震以降、震源地は周辺地域に広がってきています。今回の震源地の伊予灘は伊方原発のすぐ隣にある。非常に怖い場所で起こったといっていい。中央構造線断層帯沿いは、これまで地震が繰り返され、地震に弱い岩盤が広がっていて、不安要素は多いんです。しかも、福島第1原発事故の本当の原因は、まだ地震か津波か、はっきりしていない。そうした段階で、伊方原発を『安全』と言い切るのは早すぎるでしょう」

電力十分に原油安で再稼働必要なし

 そもそも、いま危険な「伊方原発」を再稼働させる理由はほとんどない。電力業界は「電力の安定供給に原発は欠かせない」と説明するが、原発稼働がゼロでも、電力は十分足りている。しかも、原油安の影響で火力発電の燃料費も安く済んでいる。「原発のほうがコストは安い」という言い分も、事故対応や廃炉への費用を考えると、正しい見方とはいえない。

 ジャーナリスト・横田一氏はこう言う。

「電力会社が再稼働を急ぐのは、すでに燃料も買って施設もあるからです。初期投資が大きい原発では、なるべく長期で使用したほうが、経営上はプラスになる。政治家側も、現在は電力会社から直接の政治献金はありませんが、選挙時に運動員を出すという人件費の無償提供を受けている。『脱原発』という候補には、『応援しないぞ』と脅しをかけるケースも多い。選挙を“人質”に取られ、原発推進にならざるを得ないんです」

 国民の安全よりも、大切なのはカネと選挙ということだ。発電初日に伊方原発を揺らした地震は、天の啓示ではないか。
%%%%%記事転載終わり

地震情報解析(4)、伊方原発再稼動(2)、防衛省委託研究

(本ブログは月水金に更新されますコメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へお寄せください)
(写真:まるでギリシャ神話に登場するナルシスであります。己が美しい姿を水田の水に映しうっとりする白鷺であります。と、言うのはゲスの勘繰りでしょう。多分ザリガニか何かを見つけたのでしょう。拡大はクリックしてください)
P810白鷺


 美しき 己が姿が 水に映(は)ゆ あのわずらわしき 鴨は去りぬる

 ここ、数日の間にどうやら鴨は新たな地を求めて当地を去ったようです。そういえば、雉もこのところ鳴き声を聞きません。酷暑の中にも時は過ぎているようです。

(図1:東京新聞二面記事より、拡大はクリック)
P815防衛省ファンド


 私は、「軍事研究反対」なるスローガンに違和感があります。科学者たるものが、それを拒否したところで国の要請があれば、誰かがそうした研究を引き受けることになるからです。鹿も、現在の我が国には憲法九条を巡るややこしい問題がつねにまとわりついています。
 防衛省が発注するからそれが軍事研究になるのか?必ずしも宗ではありません。民生向上の視点から同様の技術的問題意識を自らに課して研究を始めることは大いにありえるのです。そうなってくると軍事研究を識別できる基準がぼやけてきます。

 
+++++地震情報解読(4)
(図2:房総半島南沖の地震活動分布は、相模トラフを浮かび上がらせている。防災科学技術センタHPより)
相模トラフhinet


 図2は、8月14日朝の房総半島沖の地震に伴って、防災科学技術研究センタが公開した周辺の地震活動は、大変興味深い様相を浮かび上がらせています。図2の右橋から〕左上に向かう矢印の方向になにやら地震活動の帯らしきものが認められます。これは、相模海底渓谷であろうと思われます。その警告に沿って地震活動の帯が〕見えてきたということなのか?それともこうした帯びはいつもみえているのか?気になります。

 何故なら、この海底渓谷こそ、来るべき関東大地震の震源域であろうことを研究者が指摘しているからです。

 さて、地震情報解析の話の続きです。繰り返しになりますが、地球上の500近い地震観測所で記録された地震波形(例えば図4)を解析するということは、図3で示される数式に地震波形が当てはまるような最も尤もらしいMを求めることです。
図3: CMT(Centroid Moment Tensor) 解がよってたつ数式の簡略表現であり、正確ではない)

 equation1


(図4:上の数式を理解するための模式図。CMTとは観測される波形に最も良く会うようなテンソル量Mを求める作業である)
P813cmt



 (図5: 地震波解析に用いられる座標系)
P815テンソル座標


  equation3
、はモーメント・テンソルと呼ばれる量で、添え字は(1,2,3)のいづれかの値を取ります。それは前回ブログで図示しており、図5のような座標系では同図の右下のように考えてよいことになります。つまり図2の数式の左辺に付されている添え字は地面の運動方向です。添え字1は上下、2は南北、そして3は東西を表していると思うことが出来ます。

 ところで、テンソルとは、物理現象を定量的に表現するための量です。温度、エネルギなどはスカラ量と呼ばれ、速度、力はベクトル量と呼ばれます。テンソル量とは、現在論議している場合であれば力の方向とその力の働く面の向きを組み合わせた量と言うことが出来ます。それは図5に示したように行列の形で表現されます。
地震波の解析では、このモーメントテンソルが未知数で、それを地球上に配置された地震計で記録された地震波形から、最も最適な量(最尤値)を推定する作業なのです。添え字が1から3まで変化しますから、全部で9つの未知量を求めることになります。が、以前書いたように実際の未知量は6つに減じます。
 例えば下図で最上行中央は3軸の周りの右回転です(3軸の上から見ている)。一方中央行最左は3軸の周りの左回転です・地震源では、いかなる力が働こうとも「数学的には」そこの物質は回転せず、移動をしないことが前提されています。その結果、M1,2 =M2,1として解析されます。かくして未知数は6つになります。

 その6つの量がFDSNまたは気象庁のCMT解で示されているのです。以下はFDSN(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )による7月29日マリアナ諸島下207kmのM=7.7の地震の解析結果です。この表を得るためには下記の表を埋めねばなりません(ただし時間は日本時間ではなくUT;Universal time ですから注意が必要です。
(図6:地震検索)
CMT検索


 そうして検索された結果が下の表です。この表の上から6行目の最後の6つの数値がモーメント・テンソル量で、これを行列表現にしたものが図4の行列(右下)と対応しています。これらの量の次元は[cm・dyne](cgs系を未だ用いているので要注意です。ISOによればM・Newtonnを持ちいえるべき)でそのpowerがExpo=27、つまり10の27乗ということになります。
%%%%%FDSNの解析結果例
201607292118A MARIANA ISLANDS
Date: 2016/ 7/29 Centroid Time: 21:18:33.5 GMT
Lat= 18.59 Lon= 145.72
Depth=207.5 Half duration=17.5
Centroid time minus hypocenter time: 7.7
Moment Tensor: Expo=27 3.360 0.367 -3.720 -2.270 1.780 0.868
Mw = 7.7 mb = 0.0 Ms = 7.7 Scalar Moment = 4.66e+27
Fault plane: strike=190 dip=34 slip=130
Fault plane: strike=325 dip=65 slip=67
%%%%%
 そこで、上のモーメントテンソルを行列風に書き並べたものが下記です:
Tensor(rr,tt,ff,rt,rf,tf)=>[3.36 0.367 -3.72 -2.27 1.78 0.868]
pm_x = 3.36  - 2.27 1.78
    - 2.27 0.367 0.868
 1.78 0.868  - 3.72

 つまり観測された波形に最も良く理論波形をあわせるためには6個のMの値は上に与えられたようでなければならないというわけです。ここで念のために付記して置きますが、波形は一般には20〜30地点での地震記録です。しかも、夫々の観測点では地震動を、上下、南北、東西の3つの地震計で記録しています。そうなるとあわせねばならない波形の数は60〜90と言うことになります。だからこそ「最尤」のM値なのです。つまりあの観測点での波形には会うがこっちではまるっきりダメだというのでは話にならないのです。出来るだけ多くの観測点での地震波の「顔を立て」るようにM値は決まられるのです。

 下の図に照らし合わせるなら、7月29日のM=7.7地震では(1,1)タイプは3.36であったということになります。上下方向の引っ張り力が3.36であった、と言うわけです。又(1,2)タイプはー2.27、つまり3軸の周りのトルクの大きさはー2.27(符号は回転方向)であったというように解釈できます。 
(図7:モメント・テンソルの物理的意味)
cmt


 ところで、以前書きましたが、地震学で議論するモーメントテンソル量は、対になっている二つの力の向きとそれが作用する面の向き(言葉を変えると面に立てた垂線(法線)の向き)を組み合わせた量です(そのためにベクトルようなわかりやすい表現が出来ない)。このような場合、原点(この場合は震源)での座標系を回転することで、事態が単純に表せます。つまり「上下、南北、東西」と言う座標系にこだわらないということです。単純表現を与える座標を求める作業を「行列の対角化」と呼びます。次回そのことを書きます。これが終えると、やっと数学的準備が終了と言うことになります。
(つづく)

+++++伊方四国電力伊方原子力発電所三号機再稼動(2)
 前回も書きましたが、この四国の原発再稼動にも多大な問題があります。何よりもまず、この原発が日本列島を縦断する最大の活断層である中央構造線のまさに直近に位置することです。そして、この大断層の西では、つい四ヶ月前に多大の犠牲者損害をもたらした熊本地震が発生し、その活動が東進を窺っているかに見えることです。
 さらには、大事故が発生した場合、長細い佐多岬半島にあって住民の避難は誠に困難であろうことが想定されることです。そして放射能汚染物質が伊予灘、豊後水道に降り注ぐのです。佐賀の関のさばをはじめ海の行行産業は破滅的な打撃を受けます。 
 
%%%%%本日付愛媛新聞が伊方原発再稼動を厳しく批判しています:
核燃料サイクル 「破綻」状態での再稼働は疑問だ四国電力伊方原発3号機が再稼働した。

 原発内の使用済み核燃料プールはすでに8割が埋まっており、他県への搬出も難しい。 政府が固執する核燃料サイクルは事実上破綻状態で、高レベル放射性廃棄物の最終処分地もめどが立っていない。
「トイレなきマンション」と批判されてきた原発の根本的な問題は何一つ解決していない。 こうした状況での再稼働には大きな疑問を抱く。四電は新たな中間貯蔵施設の整備を検討しているが、問題の先送りにすぎない。
まずはこれ以上、使用済み核燃料や放射性廃棄物を増やさないことが肝要だ。やはり原発は止めなければならない。
四電は今年3月、老朽化した1号機の廃炉を決定した。使用予定だったウラン燃料93体が使用済み扱いとなり、伊方原発の使用済み核燃料は計1515体に増加。
プールの管理容量の80.2%が埋まる。四電はプールが満杯になる時期を「最短8〜9年後」としていたが、「6〜7年後」に2年繰り上がった。
使用済み核燃料は再処理し、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料として再利用する計画だった。
しかし日本原燃再処理工場(青森県)は本格稼働の見通しが立っておらず、加えて、再処理工場のプールはすでにほぼ満杯になっている。
このため四電は水で冷却するプールとは別に、「キャスク」と呼ばれる金属の容器に入れて空気で冷やす「乾式貯蔵施設」の新設を検討している。問題は建設地の選定だ。
伊方原発の敷地内は「狭い」とされ、敷地外の場合は原子力規制委員会の許可のほか、予定地の自治体や地権者の理解が必要になる。
時間的な余裕がない上に、このまま使用済み核燃料を搬出できない状態が続けば、貯蔵施設をつくったとしても、いずれあふれ出す。
「中間」とはいえ、再処理できず最終処分地も決まらなければ、なし崩し的に長期間貯蔵されることになる。原発の敷地内外を問わず、地域住民の同意を得るのは困難だろう。

 伊方3号機はプルサーマル発電でMOX燃料を使う。世耕弘成経済産業相は「核燃サイクルの観点から非常に意義がある」と再稼働を評価するが、
高速増殖炉のもんじゅ(福井県)は相次ぐトラブルで止まったまま。再処理工場も含めて、サイクルの見通しは全く立っていない。
国が年内に科学的有望地を示すとしている最終処分地も候補地の決定だけで今後20年程度を要する。
思惑通りに選定が進んだとしても、その前に全国の原発に使用済み核燃料が山積みになっている可能性が高い。
5年前の東京電力福島第1原発事故は、これまでの原発政策を見直す大きな契機となったはずだ。
にもかかわらず、根本的な問題の解決を先送りし、事故前に戻そうとするかのような安倍政権の姿勢を危惧する。
このまま後世に大きな負担を残していいはずがない。脱原発へと進むべきだ。
(図8:
使用済み0001

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201608146980.html
%%%%%

もう一つリテラによる指摘を転載しておきます:

%%%%%再稼働した伊方原発は日本で一番危険な原発だ! 安全審査をした原子力規制委の元委員長代理が「見直し」警告
http://lite-ra.com/2016/08/post-2491.html
2016.08.12. 再稼働した伊方原発は日本で一番危険! リテラ

 本日12日、愛媛県にある四国電力伊方原子力発電所3号機が再稼働された。鹿児島県の川内原発、福井県の高浜原発に続く、新規制基準下では3番目の再稼働だが、同原発の正門前では、朝早くから地元住民や市民団体が抗議を行い、3号機が起動した午前9時には「今すぐ止めろ」の怒号がとびかった。
 こうした声はたんに原発そのものへの反対というだけではなく、もっと切実なものだ。というのも、伊方原発は日本に55基ある原発のなかでも“もっとも危険な原発のひとつ”と指摘されているからだ。
 その理由はいくつかあるが、いちばん大きいのは、伊方原発が日本でも有数の大地震に襲われるリスクを抱えているということだろう。伊方原発のそばには日本最大級の断層帯である「中央構造線断層帯」が、南には活発で大規模な地震発生源の南海トラフが走っている。
 特に「中央構造線」は、九州の西南部から、四国を横断し紀伊半島、関東にまで延びる日本最大級の活断層で、熊本大地震で大きな注目を浴びたものだ。これまでこの「中央線構造線」は活動していないと思われていたが、実際には九州、四国などでおよそ2000年に1回動いており、1595年に四国西部から九州東部にかけ、「中央構造線」を震源とするマグニチュード8クラスの巨大地震が起こっていたことも判明している。
 そして伊方原発は、この「中央構造線」が走る断層からわずか5キロ、ほぼ真上といってもいい場所に立地しているのだ。
 しかも、「中央構造線」は熊本地震をきっかけに活動が活発化、熊本地震で断層の延長上にひずみがたまったことで、四国側の「中央構造線」が動く危険性が指摘されている。もし「中央構造線」を震源とする地震が起きれば、伊方原発を10メートルを超える大津波が直撃する恐れがある。
 しかし、四国電力は一貫して「瀬戸内海に津波は来ない」と津波対策をとっておらず、このままでは福島第一原発事故の再現が起きかねない。
 伊方原発は津波だけでなく、地震本体についてもまったく無防備だ。熊本大地震では垂直加速度1399ガルが記録されたが、伊方原発は最大でもたった基準地震動485ガルの想定でしか設計されていない。伊方原発付近でマグニチュード8〜9の巨大地震の可能性があることを文科省の特別機関である地震調査研究推進本部さえも認めているが、もしこの規模の地震が起きたら、とても耐えられる設計ではない。さらに発生確率が極めて高い南海トラフ巨大地震が起こった場合も同様だ。
 実際、今回、同原発の安全審査を合格させた原子力規制委員会で2014年まで委員長代理を務めていた島崎邦彦氏は、「これまでの原発の耐震設計基準では熊本地震と同レベルの地震に耐えられない」と基準地震動の「過小評価」を指摘、伊方原発3号機についても基準地震動の緊急な見直しが不可欠だと警告していたが、これも一切無視されたままだ。
 そして一度事故が起こってしまえば、その影響は甚大なものとなる。伊方原発は、日本で唯一、内海に面している原発であり、外海に面していた福島原発事故と比べても、瀬戸内海における放射能汚染の濃度は格段に高くなることが予想され、またその影響は長期に及ぶだろう。しかも、伊方原発ではプルトニウムMOX燃料が使用されるが、これも事故の際のリスクを高めるものだ。
 さらに、事故の際の住民たちの避難も困難を極める。伊方原発は佐田岬半島の入り口、付け根部分に立地しているが、その先の半島部分には実に5000人もの住人が生活している。もし伊方原発で事故が起こり、放射性物質が放出されても、住民は原発に向かってしか避難できないことになってしまう。つまり逃げ場を失ってしまうのだ。
 こうした現実には一切目を向けず、「新基準に合格した」ことだけを突破口にして再稼働にひた走る電力会社と政府。政府は「事故が起こったら責任を持って対処する」などとうそぶいているが、一旦事故が起きてしまったら、いくら「責任を持って対処」しても手遅れだし、そもそも福島原発事故の対応を見れば、政府が「責任を持って対処」することなど大ウソだということも明らかだ。
 伊方原発周辺で大地震が起きれば、必ず福島原発事故の再現となる。そして、多くの住民が犠牲となる。無謀な再稼働に対し、そのことだけははっきり明言しておきたい。
(伊勢崎馨)
%%%%%

地震解析情報(3)、伊方原発再稼動と山本議員の怒り

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)
(写真:そろそろ稲が穂を実らせてきました。そうなると問題は鴉避けです。かくして案山子の登場です)

P810案山子


 カナカナが 雑木の中で 鳴いている 散歩の母子 家路を急ぐ

 夕方の雑木林で、早くもカナカナが鳴く時期となりました。このごろはアカトンボも目につくようになりました。幼子の手を引いて散歩していたお母さんが「カナカナが鳴いてるから、お家に帰ろうね」と話しかけていました。

+++++地震情報解読(3)
 地震研究の現場にいない多くの人にとっても、研究者であろうと素人であろうと、地震は大きな関心事です。突然足元を揺さぶり、場合によっては我々を生命の危険に晒します。そうした事情から、地震に関しては、あちらこちらで私を含め素人談義が絶えません。それはもっぱら一寸先の地震様相です。その談義の材料は気象庁が公開する地震発生状況(http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/index.html )、防災科学技術研究所(http://www.hinet.bosai.go.jp/ )、そして日本書紀に地震記載記事などに基づいて昔の地震発生の場所と時期を考察することになります。kのぎろんでは素人も玄人もありません。何せ、用いる史料は全く同一なのです。せいぜい異なることといえば、歴史地震に関しては、なかなか素人が手を出せない、と言うことぐらいです。あの「ミミズがのたっくったような」古文書は、確かに日本列島内外の地震活動についてその時間、空間領域を広げますが、それは、気象庁なり、防災権なりのデータの拡充に過ぎません。つまりその解析にあっては、いつもながらの地震活動の時間的変動、あるいは空間的遷移、そしてそれらの連関をむるにとどまります。これ以外、どうしようもないのです。
 とするならば、現今の公開されているデータを門外漢(ここでは地震研究の現場にない当意味)なりの視点から見てみようと思った次第です。FDSN(http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html )そして最近は気象庁も地震波の解析からCMT解とよばれる量を公開しています。示される諸量の中で何か使えるものがあるかも知れないというmわけです。そのために、十日ほど前の本ブログ記事をまずは復讐します:

%%%%%8月3日付け記事の再掲 
図: CMT(Centroid Moment Tensor) 解がよってたつ数式)
equation1

 
 上の式で、左辺は、 equation2での、つまり地震計設置場所、 、で時刻、、に地震記録上に観測された地震動の振幅、つまり地震波形です。現在の地震計は地震記録をデジタル量として記憶装置に書き込みます。例えば、地震計が0.1秒ごとにその振幅を記憶装置にかきこむとすれば、それが u と言うことになります。

(図2:上の数式を理解するための模式図。CMTとは観測される波形に最も良く会うようなテンソル量を求める作業である)
P813cmt


 u に付されている添え字は地面の運動方向、一般には上下、南北、そして東西を表します。これについては、次回説明します)
 一方右辺の第一項、equation3 、はモーメント・テンソルと呼ばれる量で、添え字は(1,2,3)のいづれかの値を取り、その物理的意味を示すのが下の図です。
テンソルとは、物理現象を定量的に表現するための量です。温度、エネルギなどはスカラ量と呼ばれ、速度、力はベクトル量と呼ばれます。テンソル量とは、現在論議している場合であれば力の方向とその力の働く面の向きを組み合わせた量と言うことが出来ます(もっときちんとした説明をすべきところですが、議論を複雑にしますのでここではそれを割愛します)。
 地震波の解析では、このモーメントテンソルが未知数で、それを地球上に配置された地震計で記録された地震波形から、最も最適な量を推定する作業なのです。添え字が1から3まで変化しますから、全部で9つの未知量を求めることになります。が、下の図に見るように或る重要な仮定をすると6つに減じます。
例えば下図で最上行中央は3軸の周りの右回転です(3軸の上から見ている)。一方中央行最左は3軸の周りの左回転です・地震源では、いかなる力が働こうとも「数学的には」そこの物質は回転せず、移動をしないことが前提されています。その結果、1,2 =M2,1として解析されます。かくして未知数は6つになります。
 は弾性体物理学理論から数学的に導出される関数で、弾性媒質中の或る点で力が働くと媒質中の異なる点でどのような変動が生ずるかを与えます。最後のfは力が働く際のその時間的挙動です。つまり、ゆっくりと働くのか、瞬時に短時間で働くのか等を記述する関数です。

(図:モメントテンソルの物理的意味)
cmt

  さて、軸1,2,3について次回説明します。

%%%%%8月3日記事加筆再掲おわり

+++++伊方原発再稼動
 愛媛県の伊方原発が再稼動します。この原子力発電所は熊本県中央部から四国を縦断する中央構造線の直情にあるのです。その西端では本年4月半ばにM>7の地震が発生し、その活動は東方に移動したことで、四国への活動の伝播が自身専門家によって深刻に危惧されている最中の「稼動」です。電力会社、そして稼動を是と判断した原子力規制委員会の「見識」を疑っています。
(図:8月12日付東京新聞記事)
P812伊方


 上記の「再稼動」について、山本太郎参議院議員がブログで怒りの声をあげています。
%%%%%山本議員の怒りの声転載
正気とは思えない“”
http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12189491723.html
2016-08-11 22:27:27 山本太郎オフィシャルブログ 
「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト

愛媛県の伊方原発が再稼動される。正気とは思えない判断だ。東電原発事故や熊本地震から一体、
何を学んだのだろうか?
「色々考えたら再稼動などできる訳が無い、とにかく、いける所までいってやろう」これが本音だろう。そうでなければ、再稼動など無理だ。熊本地震の原因になった、日奈久断層帯と布田川断層帯は、国内最大級の活断層「中央構造線」の延長線上にあり、伊方原発もその近くに立地する。断層帯が飛び火的に動く可能性もあり、熊本地震規模以上の地震が起こる可能性がある事は、
皆さんご存知の通り。
それに耐えられる安全対策など、できるはずもない。熊本地震で目の当たりにした家屋の倒壊、道路などの寸断。事故が起こった際に被曝を避ける屋内退避や、車両による避難、バスでお迎えにあがります、という避難の想定事体がどれほど現実味がないか、子どもでも理解できること。
なにより、避難計画が成り立っていない事を、1番判りやすく示しているのが、伊方原発の西側、
佐田岬半島の暮らす住民に対しての避難計画。有事には、佐田岬から船で九州側に船で避難するという。津波が来ている状況で、どうやって船で避難出来るというのか。
モーゼがやってきて海でも割ってくれるというのだろうか。無責任を通りこして、おめでたい状況に陥っている。避難計画でなく、現実逃避と呼ぶべきではないか?大規模な震災、伊方原発に過酷事故が起こった場合、愛媛の人々のみならず、大分、高知、山口、 広島などの周辺自治体住民も、避難民になる恐れがある。一体、これほどの避難民をどこが受け入れられるだろうか。
避難させない、という方針が打ち出される事が現実味を帯びる。東電原発事故時にも、放射性プルーム(放射能雲)となって、静岡まで到達した事は国も認めている通り、ひとたび原発事故が起これば、放射性物質は広く拡散される。
当然、周辺自治体の同意が必要な事は明らかではないだろうか。有事には巻き込まれる恐れがあるにも関わらず、周辺自治体の同意なし、民主的な手続き抜きで再稼動可能、などあり得ないこと。事故が起こったら国が責任を取る、と皆さんはお考えになるだろうか?残念ながら、責任は取らない。というより、責任など取れない。
東電原発事故後、38万人が受けた、福島県の県民健康調査では、173人(1名良性含む)が甲状腺がん又はその疑い。甲状腺がんは「100万人に1人」と言われていたのに、今や38万人中、173人。明らかに多発に違いないが、原発事故との因果関係は決して認めない。
そればかりか、周辺県への積極的な健康調査さえもしない。区域内の方々に対する精神的賠償なども次々に打ち切られ、区域外避難者(自主避難)に対する家賃のアシスト(みなし仮設) も打ち切られる。加害者側の一方的な線引きにより、被害者は泣き寝入り。これが既定路線だ。
安全基準を緩和し、大丈夫だ、騒ぐな、安心しろと、ねじ伏せられ、被害者はコストとみなし次々に切り捨てられる。 これが過酷事故が起きた際の、国の責任の取り方。
一方で事故を起こした事業者は、1人も逮捕される事も無く、あり得ないほど高額な退職金を手に次の天下り先へ。東電原発事故以前、安全神話のもと、嘘の上塗りを続け、ラッキーだけで過酷事故を免れてきた原発。地震、津波に対する防御方法も責任の取り方も存在しない事が、明らかになったのが、東電原発事故ではなかったか?

いまだ収束の方法さえもわからない、恐らく百年単位での収束作業がこの先も続く。新国立競技場の建設費問題などカワイク思える程のコストが皆さんの税金、電気料金から支払われる。
それに合わせて、100万年安全に管理されなければならない、核発電後の核のゴミのコストも皆さんの支払い。今まで核発電を使った事に対する負の遺産と、既に起こしてしまった事故の処理に、税や電気料金の負担が生じる事は当然だ。ただ、次々に進められるデタラメに近い形での再稼動によって、将来的に過酷事故が起こることは防げないだろう。
もう一カ所、原子力過酷事故がこの国で起こった場合、破綻は目に見えている。
それでも再稼動に踏み切る理由は何か?
原子力に関わる数々の企業への、 あめ玉を取り上げる訳にはいかない事。お前の国で安全でない、と再稼動もできないモノを俺たちに売りつけるのか? と言われてしまえば終わり。
海外へ原発輸出をする為にも、国内の再稼動は必須だろう。原発がなくても電力は安定している。代替の電源は、担保されている。現在、シェールガスなどの事業も四苦八苦する程、資源価格も下がり続けている。その中で、時代遅れであるばかりか、結果、コストがべらぼうに高くつき、
この国に生きる人々の暮らしをも脅かすエネルギー政策からの転換を今、行なわなければ取り返しがつかなくなる。それを決めるのは政治。私も、もちろん国会の場で、それを訴え続けますが、
今の国会のパワーバランスでは正直、抑止力にはなっていない悔しい状況。政権は玉砕覚悟で、原発政策に突っ走る気です。
これを変えるには、選挙で議席を入れ替えるしかないが、それには、まだ時間がかかる。
現在、愛媛県から、被爆者の方々が広島から、そして大分県からも司法に訴えています。
伊方原発運転差し止め訴訟の原告をカンパなどで、支えて戴けませんか。
どうかお力をお貸し下さい。
%%%%%山本太郎氏ブログより
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