法螺と戯言

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先週の二つの心配な地震、額田と海面下に没しなかった朝房山、開成以外の選択

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:冬に入り当地の紅葉が急激に広がりました。拡大は図のクリックで)
公園の紅葉0427


 昨日の 温(ぬく)さが一転 震え居る 暦の上では 冬が始まる

+++++南海海底渓谷(南海トラフ)にかかわる地震?
 TVドラマ「日本沈没」もどうやら次回が最終回とのことです。一年以内に日本列島が沈没するというにしては、眉間に縦皺を作って深刻に駆けずる回っているのが主人公と官邸要人のみで飲み屋も明るく開いていると言うチグハグさが気になります。ドラマの筋立てをどのように決着つけるのでしょうか?すでに、関東地方を沈没させてしまったので、いまさら日本列島全域の沈没は「沙汰止み」になったと言う展開はないのだろうと想像しています。ところで、今回の古代史記事では茨城県の「朝房山(あさぼうやま、標高201m)」が登場します。私は完全に失念していましたが、小松左京氏原作のSF小説「日本沈没」では、茨城県のこの山は海水面下に没することがなかったとの設定であったとのことです。思いがけずも『日本沈没』が古代史と繋がりました。

 さてそれはさておき、先週はいささか気味の悪い地震が二回続けて発生しました。私自身のコメントは次回書くことにして今回は気象庁発表の資料から幾つかを抜粋して転載します。
令和3年12月3日06時37分頃の山梨県東部・富士五湖の地震について
(図1:発震機構。拡大は図のクリックで)
b211206JMA山梨

(図2:震源分布。拡大は図のクリックで)
211206aJMA山梨

(図3:今般の地震と地形。拡大は図のクリックで)
211206JMA山梨e

 次に和歌山県の地震です:
令和3年12月3日09時28分頃の紀伊水道の地震について
(図4:発震機構解。拡大は図のクリックで)
211206bJMA和歌山

(図5:震源分布。拡大は図のクリックで)
211206aJMA和歌山


+++++メディアの抱える諸問題・課題
 動画による政治課題の解説報道のパイオニアである神保哲生氏が現今のメディアの現状を分析します。
前編:【神保哲生×波頭亮】メディアをRethinkせよ。


+++++大国主命の子女(2)
  前回記事の続きです。日本列島政治史編纂を思い立った藤原不比等にとって、自らが指揮して打ち倒した蝦夷勢力は嫌っても嫌っても飽き足らないほどの存在です。しかし、その嫌った相手が小物であれば、それは自分への評価を貶め、ひいては自分の偉大さが浮かび上がってきません。そこで、大国主命の「脚色」がなされるのです。関係人物そして彼らの略歴は「大物」となります。となると、「子女」の名前には、歴史で記憶さるべき大物が潜んでいるのではなかろうか、と考えています。ところが、大国主命に「国譲り」決断をさせた「事代命」の母は、神屋盾比売命とあります。古事記研究者たる学者さん方もこの女性を考察することは無く例えば「古事記」(小学館、1986)でも校注者はスルーしています。

 と言うわけで、この調査は困難をきわめますが、何人かの妃やら生した子やらをスキップすると大国主命の孫が娶ったえらく長たらしい名前の女性が登場します。「日名照額田毘道男伊許知邇神」です。誰か(多分、平安時代または鎌倉時代の公家、僧などの知識人でしょう)がこの名前の「カナ読み」について本文中に書き込みをしています。すなわち「田の下の“毘”、又”伊“から下の“邇”は皆、音のまま」と。この注釈に基づいて「(ひなてるぬかだびちいこちに)』とカナが振られます。しかし、名前の考察については、古事記専門家はスルーし、注釈すらも付しません。
 この長い名前から「額田」を取り出すと、それから連想するのが「額田王」です。万葉集十三〜十五歌、そして二十〜二十一歌で歌われる三角関係の主人公です。因みに私のこれらの歌の解釈は「三角関係の存在とはまったく無関係」であると断じています(ここではそれを繰り返しません。例えば
090724記事”万葉集十六歌(二)”)。しかし通説に従う歌の解釈に従うと、西国にはこの美人さんに因んであちらこちらにその名前を見つけることができます。
 ところで、茨城県には、「額賀」と言った額田に由来すると思われる「姓」があります。今般の総選挙で茨城二区から十三回目の当選を果たした額賀福志郎氏です。実際、「ぬかだ」なる地名が茨城県水戸の北方にあります。
(図6:図を縮小すると地名が見難くなるので、ツマヨウジで重要場所を指示しておきます。左横から時計回りに…房山(『日本沈没』時に海面下に沈まなかった山)、◆慇顛声辧戞幣鑪国・二宮)、「額田」地区、で賄蓮埴輪および甕、瓫製作工場跡、ズ命Ц妬と横穴古墳と番号を付します。拡大は図のクリックで)
211206那珂0433


 常陸国風土記・那賀郡の上に以下のようなくだりがあります。
(図:常陸国風土記・那賀郡の条より。,聾什澆猟房山とされている上の図で最;左、△漏枦弔脳紊凌泙任榔上、は焼き物工房で右下から二番目の地。拡大は図のクリックで)
211206那珂p404


 上の風土記原文を上手にわかりやすく翻訳したインタネット記事をみつけたので以下に転載させていただきます。

%%%%%桜川のあゆみ 『常陸国風土記』とダイダラボウ
朝房山麓(風土記那賀郡の条 砲虜川水源付近
今年は風土記撰修の詔が発せられてから1300年という節目の年です。常陸国風土記にも桜川の記載があるのです。

いわゆる律令国家ができあがる奈良時代の初期、元明天皇は諸国を掌握するために、和銅6(713)年に、各国ごとに文化・風土・地勢などを記した「風土記」の編纂を命じる詔を発した。常陸国も編纂し朝廷にこれを献上。『常陸国風土記』は現存する五つの風土記の一つとして知られている。ここにも桜川に関係する以下のような伝承がみられる。
=====ここから風土記
  茨城の里。此より以北に高き丘あり。名を晡時臥の山と曰ふ。古老の曰へらく、
  兄妹二人有りき。兄の名は努賀眦古、妹の名は努賀眦廚箸い奸*・・・
 前述のように、常陸国那賀郡の桜川上流部には茨城郷(旧内原町一帯)があり、その北に晡時臥(くれふし)の山があると説明している。その近くにヌカビコとにヌカビメの兄妹がいたというのが物語のはじまり。以下現代語にて概略を説明しよう。
 この妹(ヌカビメ)のもとに毎夜通ってくる者がいて、妹はそのうち懐妊し、月満ちて一匹の蛇を産んだ。昼は口を利かず夜になると話すこの蛇の様子を見て、この蛇を神の子と信じた(神は夜語るものとされていたので)兄妹は、蛇を清らかな杯の中にいれて祭壇に祀って安置したが、成長が速く、杯を大きいものに変えても変えても足らず、もてあました妹(母)は、蛇に向かって天の父のもとに帰るように告げると、蛇は「従者をつけてくれ」とせがんだが、兄妹二人しかいないので無理だと断ると、伯父である兄を殺してそのまま天に昇ろうとしたので、驚いた妹(母)が蛇に瓫(素焼きの器)を投げ付けると蛇は昇天できず、そのまま晡時臥の山に留まった。その蛇の子をいれた瓫や甕が片岡の村にのこっていて、蛇神のための社が祀られた…というのがこの伝承の概略である。ここでいう「晡時臥の山」とは現在の朝房山つまり桜川の源流地である。晡時とは申の刻つまり夕暮れ時を意味している。
 『水戸概史』では、ここでいう片岡の村とは、水戸市木葉下(あぼっけ)町・谷津町付近を指しているのではないかとしている。事実、木葉下町一帯には、『風土記』が成立した8世紀から9世紀にかけての瓫や甕などを生産した窯業地跡の遺跡が多くみられる。木葉下町も桜川の源流部である。
 この伝承は学術的には、大和朝廷の領域拡大と蛇神・雷神の三輪信仰や雷神である鹿島信仰の拡大との関係で論じられるが、蛇神は、古来水の神であり、桜川水源地の朝房山に蛇神信仰と深く結び付く伝承がうまれるのは、当然のことといえよう。
=====以下は朝房山(晡時臥)
  
この民話には、ほかにもいろいろなパターンがある。水たまりの水がながれるように、大地を指で割くように一本の筋をつけて水を通したので、「割く川」が「さくらがわ」になったという話や、山を動かしたことで日の当たる時間が長くなり、村人たちがゆっくり朝起きられるようになったので、「朝寝坊山」から「朝房山」になった、というものである。また別の話ではくれふし(夕暮れ)の山なので、だれも朝が来たと思わないのでみな朝寝坊してしまうため「朝寝坊山」だというものもある。
ダイダラ坊の物語は『常陸国風土記』の大串貝塚の伝承で、巨人が海から貝をすくって食べた殻が堆積したものとして登場する。それが民話では朝房山・桜川創造の物語にまで展開していくのは実に興味深いが、「晡時臥の山」が「朝寝坊の山」に転化している点や、大足(おおだら)という地名が上流部に存在していることも、ダイダラ坊の物語をより説得力を持って聞かせる一つの素材となっている。民話を裏付けるように、大足町付近には遺跡も点在することから古代の人々が未開の山野を開発して田畑を切り拓いていく姿とこの物語は付合するといってよいだろう。また、後述するが、桜川の命名は江戸時代、水戸黄門徳川光圀によってなされた。このことから、この民話の成立は江戸時代以降と想像される。
なお、源流地の朝房山および木葉下(あぼっけ)*は小松左京の傑作SF小説『日本沈没』のエピローグに登場したことでかつて注目を集めたことがある。なぜ、朝房山が選ばれたのかは不明だ。

*努賀眦古、努賀眦廚痢巵邸廚了は正確には田へんに此を合わせた字。
*木葉下をあぼっけと読むのはアイヌ語由来であるという説がある。
*晡、学研「漢和大辞典」(藤堂明保監修)602頁によれば、「午後のおやつを食べる時刻。夕方の申の刻。午後二〜四時ごろ。

%%%%%
(つづく)

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+++++進学問題
 年が明けると受験シーズンの幕開けです。該当年齢の子女を抱える親御さんには胃のキリキリ痛む時期です。そうした憂いを解決するのか否かは定かでありませんが東京大学キャンパス界隈では受験体制に大きな変化が生じつつあるようです。
%%%%%中学受験「私立か公立か」開成と都立小石川中教の両方に合格したら…【受験戦線で要注意の新潮流】

【受験戦線で要注意の新潮流】  最近、中国の教育界で激震が走っている。習近平指導部が私立の小・中学校を公立化していく方針を打ち出したのだ。 麻布学園・平秀明校長に聞く コロナ禍でトップ進学校に生じた変化 「10年ほど前から私立校が急増。子どもを海外の大学に留学させたいという家庭がこぞって私立校を選択するようになっている」(中国紙記者)  今や米国の大学における留学生の3分の1は中国から。その多くは、新しいシステムを取り入れ、英語教育も充実している私立校の出身者だ。 「中国の公立校は暗記ばかり。創造性に乏しく、都市部の保護者からは評判が悪かった」(同)  だが、私立に行かせられるのは一部の富裕層。学費が中国人の平均年収(約120万円)の3倍以上もかかる小・中学校もめずらしくないのだ。みんなで豊かになるという「共同富裕」を掲げる習国家主席としては由々しき事態だった。  一方、日本も中高一貫校を中心に私立の人気は高い。その一番の理由は大学受験実績。21年の東大合格者数トップ10のうち、8校が私立中高一貫校だ。残りの2校は国立の筑波大附属駒場と都立日比谷高。唯一、3年制の日比谷の健闘が光るが、6年間かけて大学受験の準備ができる中高一貫校に比べ、相当なハンデを背負っている。
小石川と開成の教員レベルやカリキュラムに遜色はなし
 だが、中高一貫校の9割以上は私立。中国ほどではないにしても、学費はかなり高い。そんな中で注目を集めているのが公立の中高一貫校だ。そのトップを走る都立小石川中等教育学校(1学年定員160人)の21年の東大合格者数は18人。全員が現役合格だ。一橋大11人(現役10人)、東工大12人(11人)、京大5人(5人)と大学受験戦線では目覚ましい成果を出している。 「東京都は05〜10年に中高一貫校を次々に設立。私立に負けない学校をつくるのが目的でした。10校ある都立中高一貫校は現在、どこも高い進学実績を上げています」  中高一貫化プロジェクトに関わった都教育委員会の元職員はこう言って胸を張る。その人気はウナギのぼり。学習塾経営者も次のように証言する。 「小石川と開成の両方に合格した場合、小石川を選ぶ生徒が少なくない。教員のレベルやカリキュラムでも遜色がなく、特に理系を目指す生徒に人気が高い」  もうひとつは学費の安さ。中学にあたる1〜3年は義務教育に該当するので、入学金や授業料はなし。4年に上がる際に入学金5650円が徴収されるが、4〜6年の授業料は年間12万円と格安だ。一方、開成は入学金32万円、授業料は年間49万2000円(中高とも)。諸経費も含めると、6年間トータルで約5倍の費用がかかる。 「開成の学費は私立の中では安い部類に入る。それでもこれだけ開きがあるのですから、公立を選ぶ生徒が増えるのも当然かもしれません」(同)  ただし、公立と私立のどちらかをすべり止めにしようと思っても、現実には対応が難しい。公立では教科による入試が認められておらず、代わりに「適性検査」が行われる。「自分で考える力が試される問題が多く、私立の受験対策とは別物」(同)だという。  コロナ禍の中、学費を抑えたいと考える家庭が増え、公立中高一貫校の難易度は右肩上がり。受験戦争が過熱しすぎないことを祈るばかりだ。
%%%%%(田中幾太郎/ジャーナリスト)

れいわと維新、大国主命の子女、秋篠宮会見、2日未明の地震

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(写真:昨日の未明から一転して、今朝は雲のない東の空にかかる二十七夜の月が黄色く鎮座しています(私の拙劣な撮影技術のため二重になってしまった。拡大は図のクリックで)
二十七月0408

 三日月を 左右入れ替え 今朝の月 遠くでビーナス 白くかがやける

 三日月は新月から三日後の月です。太陽は月の西側にあるため東側には太陽光は当たりません。したがって、月は西側すなわち右側が明るく輝くのを見るのは夕方以降となります。一方、新月の三日前の月は太陽が東側を照らし西側が陰になるため、朝方には左側が明るく、それは夜明け前にはっきりと見えることになります。それが二十七夜の月です。そうした月が常陸国を照らしている本朝未明二時前に当家はかなり強い揺れに襲われました。おかげさまで、以後寝そびれてしまい、あくびがやたらと出ます。
(図:HINETによる12月2日未明の地震。拡大は図のクリックで)
211202霞ヶ浦西無題

 この地震は霞ヶ浦の北端から西にずれた位置に発生しているので、私がかねてより強い関心を抱いている「チバラギ」地震とは異なるようです。ところが、その発震機構解が酷似しています。わずかな違いは今般の地震が正断層であるんのにたいしてチバラギ地震群はおおむね逆断層です。まことに興味深いのです。いずれ、さらに詳しい考察を本ブログに掲載します。
(図:チバラギ地震の発震機構解)
20101110月7日記事”(M5.9気象庁)地震(「チバラギ」地震、明日は豪州戦”。拡大は図のクリックで)
211202霞ヶ浦西無題

 
 上図で見るように、東西方向に置いた鉛直断面に投影すると、どちらも東側がせり上がる岩塊運動と言うことになります。

+++++レイワと維新
 維新の創始者と自認する橋下氏が何かと言うとケチを付けたがる相手が山本太郎氏が率いる「レイワ新撰組」です。その代表者たる山本氏が長時間にわたる記者インタビュに答えています。
れいわ新選組・山本太郎代表インタビュー


 一方その維新のいかがわしさが若き論客「じゅんちゃん」によって鋭く明らかにされています。
「維新は不要」政党助成金が教える簡単な結論


+++++アジスキ考察(2)
 常陸国風土記は筑波以南に沼沢地が多かったと書きます。一方、紀元前四世紀ごろにアケメネス朝ペルシアが侵攻したスキタイ(現在のウクライナ)も多くが沼沢地であったとヘロドトスが「歴史」の中で書いています。
(図:40年ほど前に訪れたクリミア半島付け根にある山岳上の古代遺構。シンフェロポリ研究所の研究者が付き添ってくれた(右上。女性は新婚の美人)。多分スキタイの遺構とおもわれる(下の二葉と右中)。ケスタ(左上、左中)と呼ばれる階段状の地形がみられる。拡大は図のクリックで)
山岳都市遺構0414

 私はこうした多い沼沢地は氷河期が一旦中断したことによる海水面の上昇、すなわち縄文海進の時期であったろうと考えています。その氷河期についてわかりやすい解説動画が見つかりました。
割とガチ目に氷河期が起こる理由を解説 ミランコビッチ・サイクル


 古事記を眺めていて感ずることの一つは「やたらと長い名前」です。「あじすきたかねひこ」なる名前の考察にブログ数回分を費やしてしまいました。よしんば、本当にそうした長い名前の人物がいたとしても、普段の会話で、それが日常であっても公式の場であっても互いの呼称として使われていたとは思えません。ところが、正史に名前を書き留めるとなった途端に「出自のあれこれを書き添える」ことで、自らの「偉大な」出自を語ることになります。そのように考えると、前回記事で書いた「アジスキタカネヒコ」なる人物の実在あるいは非実在はともかくとして、編纂者たる藤原不比等にとっても正史の厳かさを保つために、そうした人物の登場を必要としたのだろうと言うことが想像できます。
 大国主命が娶った女性と彼らの間になした子供たちの数の多さには辟易させられます。子供の数がその人物の偉大さを象徴したのかも知れません。もっとも江戸時代の十一代将軍徳川家斉の時代ともなると、町民は尊敬どころかむしろ「軽侮」に近い感情を持っていたなぞと言う時代劇小説を目にすることはあります。また五十名を超える子女の養子先、嫁ぎ先として名指しされた大名も内心では迷惑していたと時代劇小説は書きます。
 数多い子女の一人一人にしかるべき「厳かな」な名前を付与せばなりません。こうした作業は藤原不比等の側近が必死になって知恵を絞ったのでしょう。

 本筋から少し外れますが、その幾つかを眺めておきます。眺めるに当たって、大国主神の節が描く時代について触れておきます。まずはこれから触れるはずの「国譲り」神話です。それは明らかに西暦七世紀末から八世紀初頭です。そのように断定できる根拠は美麻貴天皇の子であるか孫であるかは定かでありませんが、「日並知皇子尊」が西暦689年に死去した草壁皇子の存在です。
 と、するとこれまでに書いてきた大国主命にかかわる出生を含む多くの説話は、それ以前の出来事を虚実取り混ぜて作られたものとわかります。それは二つの時期に分けられます。近いほうでは、奈良の権力が渡来人主体の勢力と拮抗しあちらこちらでバトルが発生していた七世紀半ば以降です。もう一つは七世紀半ば以前です。その時代は奈良の権力が存在せず、歴史を稗田阿礼など渡来知識人の「語り」に基づいてつくりあげられています。このように考えると「スサノオ」命の登場なども理解に繋がることを前回書きました。

 大国主神の子女についてこれから眺める作業を通じて、この子女の生きた時代を朧気ながらも把握しようと試みます。しかし、ここで登場する人物が後に続く登場人物名との間で色々な齟齬があります。これは意図されたものなのか、単なる編纂者の点検ミスなのか、古事記研究者がそれらの一軒理解不能な記載をどのように考えてきたのかについては現時点では探る手がかりがないように見えます。
%%%%%古事記。大国主命の子女を考える:
(原文)
故此大國主神。娶坐胸形奧津宮神。多紀理毘賣命。生子。阿遲〈二字以音〉鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名。下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。 大國主神。亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八嶋牟遲能神。〈自牟下三字以音〉之女鳥耳神。生子。鳥鳴海神。〈訓鳴云那留〉
此神。娶日名照額田毘道男伊許知邇神。〈田下毘。又自伊下至邇。皆以音〉生子。國忍富神。 此神。娶葦那陀迦神。〈自那下三字以音〉亦名八河江比賣。生子。速甕之多氣佐波夜遲奴美神。〈自多下八字以音〉 此神。娶天之甕主神之女。前玉比賣。生子。甕主日子神。 此神。娶淤加美神之女。比那良志毘賣。〈此神名以音〉生子。多比理岐志麻流美神。〈此神名以音〉 此神。娶比比羅木之其花麻豆美神〈木上三字。花下三字以音〉之女。活玉前玉比賣神。生子。美呂浪神。〈美呂二字以音〉此神。娶敷山主神之女。青沼馬沼押比賣。生子。布忍富鳥鳴海神。 此神。娶若昼女神。生子。天日腹大科度美神。〈度美二字以音〉 此神。娶天狹霧神之女。遠津待根神。生子。遠津山岬多良斯神。

・・・・・主として名前の列挙であるので文意は省略。
%%%%%
 まずは「高日子根神」です。大国主命は自らの高貴な出自をこの息子に背負わせたと思えます。すなわち遠くスキタイの一族であり、かつ「高昌」の王族にもかかわった父。その息子であると強調します。尤もそれは 大国主命自身の自己誇示・宣伝ではなく、藤原不比等が大国主命への敬意を表明しているのです。次回に触れることになりますがこの人物は「建御名方」命と重なりますが、古事記は何故それに触れないのか?この命は公然と天照大神が差し向けた軍隊に反旗を翻した人物です。「国譲り」の節では公然とそれを書き記しています。
 同様は、妹の高比賣命です。「高」が付されていることは、兄と同じですが、またの名が下光比賣命です。「天照大伸』と対照を成す呼称であることがわかります。すなわち「天」ではなく「下」すなわち「地」です。また「照」すなわち「あまねく照らす」ではなく『一条』の「光」です。ところが、古事記・崇神記には似た名前の女性が登場します:

   %%%〔崇神天皇〕記
   
御眞木入日子印惠命。坐師木水垣宮。治天下也。 此天皇。娶木國造。名荒 河刀辨之女〈刀辨二字以音〉遠津年魚目目微比賣。生御子。豐木入日子命。次豐鉏入日賣命。〈二柱〉 ( 中略) 次豐木入日子命者。〈上毛野君。下毛野君等之祖也〉妹豐比賣命。〈拜祭伊勢大神之宮也〉次大入杵命者。(後略)

   文意(岩波文庫「古事記」99頁より
   御眞木入日子印惠命は師木水垣宮に坐し天下を治むる也。 此天皇は木國造の名は荒河刀辨之  女(刀辨の二字は音写)である遠津年魚目目微比賣を娶り生した御子が豐木入日子命、次に豐鉏 入日賣命の二柱を生んだ。 ( 中略) 次の豐木入日子命者は上毛野君、下毛野君等之祖であり、妹の豐鉏比賣命は 伊勢大神之宮を拜み祭る也。(後略)
   %%%
 崇神天皇記は豐鉏比賣命が伊勢神宮で「神を祀る」役割を担っていると書きます。この女性 は大国主命の長女「高比賣命。亦名。下光比賣命」と同一女性として編纂者は書き記したと思われます。なぜなら「高」は「豊」でどちらも「ホウ」と音することは本ブログで繰り返し指摘してきました。

 古事記では説話、系図はあちらこちらでいわば「使いまわし」されていると言うことです。
 (つづく)

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+++++秋篠宮の記者会見
 上で書いた天皇の家系であるとされる今上天皇の弟君とその長女がかかわる事件について評者が書いています。私自身は格別の意見を持ちませんが、後世のための記録としてここに転載しておきます。
%%%%%秋篠宮家のエゴイズム「特権は手放さずに運命からは逃れたい」が招く“皇室の崩壊” 12/1(水) 18:01配信
「眞子さん問題のひとつは“皇族の特権で困難は乗り越えられる”と現在も考えていることかもしれません。その意味では、自分の力で乗り越える教育が秋篠宮家には欠けている気がします。その秋篠宮家の子供への“過保護という弱さ”を、未来の天皇陛下となられる悠仁さまの今後に影響させないことが大切でしょう」 そう話すのは、静岡福祉大学の名誉教授で近現代の皇室制度に詳しい小田部雄次さん。  11月30日に公となった秋篠宮さまのお誕生日会見。その中では、小室圭さんと結婚された長女、眞子さんをフォローされる場面が多く見受けられた。
皇室が特権を享受できる理由
「結婚会見で双方向の会見にならなかった理由の1つとして、眞子さんが『複雑性PTSD』を患っていることを挙げ、“会見している際に発作などが起きることも考えられるでしょうから、やはり難しくなったのかなと思います”と、眞子さんが記者との問答ができない状態だったとフォローされました。  “眞子さんが『公』よりも『私』を優先している”という世間の風潮にも納得されていないご様子で“私よりも公を優先しなければならないなら、10年たっても20年たっても結婚することができなくなる”という趣旨のおことばも飛び出しました」(皇室担当記者)  皇族も『私』の部分はあって然るべきだが、公的立場であるという前提があるからこそ、皇室という存在が成り立っているという。 「皇族がプライベートを求めること自体は当然ですが、まずは公的立場にあることが前提です。だからこそ多くの特権を享受しているのです。皇族として生まれた以上、その運命から逃れることは難しい。  しかし、国民も自分の運命と向き合いながら懸命に生きています。むしろ国民の多くは運命に直面することはあるにしろ、特権はない。“特権も手放したくないし、運命からは自由になりたい”という、国民の苦労を意識しない考えを秋篠宮家の方々が強調し続ける限り、風当たりは弱まらないでしょう」(小田部教授、以下同)
秋篠宮家の“エゴイズム”
 皇族の運命から自由になりたいーー。その考え方は、いつ結婚されてもおかしくない秋篠宮家の次女・佳子さまにも引き継がれている可能性がある。 「これほどの騒ぎになった秋篠宮家と縁戚になることへの信念が求められるので、結婚のハードルは自然と高まるでしょう。それでも、佳子さまへの愛情で乗り越えてくださる方がおられることを願うのみです。  いちばん心配されるのは、佳子さまはお姉さまの眞子さんと心が通っておられるので、眞子さんと似たような皇室観、結婚観をお持ちだと想像されます。  国民に寄り添う皇室の一員としての自覚より、皇室という“籠”から逃げ出したいとお考えかもしれませんし、眞子さんと同じ騒動を佳子さまも引き起こされる可能性は否定できません」  今回の眞子さんの結婚騒動は少なからず、皇室にも影響を及ぼしている。 「国民に寄り添う平成までの皇室を敬愛してきた国民にとって、現在の秋篠宮家のなさりようは驚きの“エゴイズム”に映るでしょう。眞子さんは皇族としての苦悩があったのかもしれませんが、それを国民に吐露するのではなく、強引な皇室離脱という形で解決しようとしたことは大きな失敗だったと思います。  幸いにも、国民の多くは秋篠宮家の教育方針の問題としてとらえているので、皇室全体への影響は今のところ広がっていません。とはいえ、眞子さんの問題が皇族への特権的待遇や、皇室に対する忖度の根強さなどを広く世間に知らしめてしまいました」  国民が小室圭さんに対して不信感を抱き、眞子さんとの結婚を案じていたのは小室家のお金にまつわるトラブルや疑惑の数々が報じられたことも大きな要因である。  さらに、一部では“皇室利用”を指摘する声も。少なくとも皇室のお金を利用していないことを証明するために「使途明細を公表するべきなのでは」と小田部教授は提案する。
「適切な皇位継承者がいなくなる」
「愛子さまが紀宮さま(現・黒田清子さん)のティアラを借用されるという話題は、よかったと思います。国民への寄り添いという意味では、内廷費や皇族費の使途明細の公表も重要かもしれません。  オンラインでのご公務が増えた分、警備費用などはかなり浮いている状態です。宮内庁は、それが眞子さんの警備費用のために使われていないことくらいは、発表したほうがいいかもしれません。  金銭問題は無礼なテーマでもありますが、経済的苦境にある人々にとっては切実な問題です。内廷費や皇族費などからコロナ禍の国民支援のための費用を捻出すれば、皇室への敬愛はさらに高まるでしょう。一方で、コロナ禍で難儀する国民への寄り添うことなく、国外に脱出してNYのマンションでセレブ生活を満喫するというのは、一番の悪手です」  秋篠宮家の“個人の意思を尊重する”という教育方針が招いたと言われる、眞子さんの結婚騒動。次代の天皇家である秋篠宮家に対する風当たりは強まる中、目下政府が進めている皇位継承問題にも大きな影響を与え、いずれは「適切な皇位継承者がいなくなる危険性すら生じている」と小田部教授が続ける。 「今の天皇ご一家の節度あるふるまいで、皇室制度の崩壊が今すぐ起こるとは思いません。しかし、秋篠宮家への国民の不信感や、眞子さんのお相手選びの強引さなどから、今後の皇位継承問題に大きな影響を与え、令和以後の皇室制度の崩壊を促す可能性が生まれてしまいました。  愛子さまの皇位継承の容認、旧宮家の男系男子の皇室への復帰などが叫ばれていますが、そうした議論はすでに小泉純一郎内閣から続いており、いまだに決着していません。よほどの国民的危機感や政治的実行力がなければ、議論だけで終わるでしょう。  そのころには愛子さまも結婚されてしまい、旧宮家の方々への国民的シンパシーも希薄になって、適切な皇位継承者がいない状態になるかもしれません」  国民からの敬愛を取り戻すため、最大の危機を迎えている秋篠宮家の今後のなさりように期待するほかないだろうーー。
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古代ペルシャ版図とサカ族、台湾をめぐる米中対決(孫崎氏)

(写真:北関東寒村に逼塞する爺さん・婆さんを慰問してくれた孫に連れられて近所の標高41mの「たつのこ山」を登ってきました。そこからのぞむ筑波山を含む光景は見事でありました。当市に移り住んで20年を超えましたが、今回の147段の「登山」は初めてです。高齢のせいで、日をまたいだ本日も太股が張っております。拡大は図のクリックで)
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遠地から 変わらぬ激励 ありがたく 心の支え 他界される

 2008年3月の九州旅行の際に立ち寄った九州国立博物館で知り合いになった高禎助氏が他界されたとの報に接しました。氏は精巧な船舶プラモデルを作成されることで全国に知られた方です(170227記事” 2011年3月11日直前(2)、三笠公園(横須賀)を訪ねる”)。九州大学農学部に入学されましたが、氏の関心は「人間」にあったとのことで、入学後「心理学」の分野に転科されます。卒業後はその専門的知識を生かすべく長崎造船所で産業災害軽減に尽力されます。そこでの経験をまとめた研究論文は国際的に高い評価を受け、ドイツ国で開催された学会で講演をされるほどの研究者でもあります。職場での大型船舶との交わりが船への関心を高めたと聞きます。
 定年退官後も模型作りの技術を磨き上げる傍ら、九州国立博物館でボランティアで閲覧客向けの「解説員」をされています。私の「聞きかじり」の知識で語る九州古代史論に対しても上から目線で「諭す」のではなく、暖かい対応をして頂きました。その際に頂いた名刺から、実に今日まで十余年にわたって、心のこもった暖かい助言を頂きました。私の「壬申の乱の舞台=熊本」説を示唆してくださったのが高先生です。お家柄は新潟県の旧家、「上流階層」であったようで、色々と教えて頂きたいことがまだまだありました。ほんとに残念に思っております。心からご冥福をお祈りいたしたいと思っております。

+++++政治談議
 月に一回必ず視聴する、御なじみの鳩山氏と孫崎氏による政治放談です。今回の話題は台湾をめぐる中国・アメリカの対立です。とりわけ懸念されるのが軍事衝突です。米国の防衛・軍事専門家によってなされたというシミューレーションは、どれも米国の敗北で決着しているとのことです。議論の最後で、石炭エネルギが取り上げられています。野天掘りの石炭をそのまま火力発電に使うのではなく、日本のそれは、前処理も含め、二酸化炭素排出の削減のためにさまざまな工夫が為されていると聞きます。経済産業省の産業技術総合研究所の技術者が知恵を絞っており、しかるべき削減にも成功していると聞きます。声のでかい英米政治家に脅されるようにして、日本国の技術開発を見捨てるなぞは愚策であると考えています。原発が百年、専念にわたって後世に危険な放射の汚染物を残し、蓄積する愚と比べて、石炭は安全です。
https://www.youtube.com/watch?v=dy-eaiCGhzU
時事放談(2021年11月) 鳩山友紀夫×孫崎享


+++++スキタイからサカへ
 四・五世紀ごろに日本列島に渡来したサカ族の出自であるスキタイについて、杉山氏が著した「遊牧民から見た世界史」を参照しながら考察してきました。あらためて、そのスキタイとペルシアをめぐる地政学的配置を確認しておきます。ギリシアの史家ヘロドトスの「歴史」は、その視点がギリシアにあること、後世の西欧の歴史学もまたその視点の外には出ていないため、スキタイの研究が難しいことを杉山氏は指摘しています。これに加えて、文字を持たない「スキタイ」は「自史」を残していないことが、解明の困難を増しています。
 紀元前五世紀頃の強国アケメネス朝ペルシアにとって厄介な存在が現在のウクライナに跋扈したスキタイであったことが、下の図から見て取ることができます。
(1図:BC5世紀ペルシア帝国版図。拡大は図のクリックで)
211129ペルシア無題

 この図で確認できることは現在のウクライナ、白ロシアがスキタイのいわばmain land であるとともに現在のイランの東方にもスキタイの一部であったとされる「サカ」が威をはっていたと描かれていることです。すでに東方に君臨している匈奴が、紀元前三〜四世紀ごろ姿が見えなくなるスキタイの消長に関っているのかもしれません。

 話は脱線しますが、ペルシア湾奥にあるのが「スーサ」と言う古都です。ウイキが書くように、スーサもペルシアを舞台としたいくつもの戦闘にかかわり、アケメセス朝にあっても大きな都として栄えたと言われています。私自身は古事記が書く『スサノオ』はこの「スサ」に因ったと考えています。「スサノオ」命がこの「スサ」から渡来した人物の末裔であると考えているわけではありません。七世紀末、稗田阿礼から古代ペルシア王朝についての講義を受けた藤原不比等は日本列島政治史を編纂する上で、この古代ペルシアの大都市を連想させる人物名を作り出したのではなかろうかと想像しています。余談ですが、現在消滅の一歩手前といわれているアラル海がそれなりに存在感を見せています。40年ほども前の大昔、モスクワの国内便専用空港からタシケントへ向かう飛行機の上空から見たアラル海は、まだ十分に大きかったのです。現在はどうやら産業廃棄物捨て場のような惨状で、その面積もグンと縮小していると報じられています。

 話を戻します。図1と同様のペルシア帝国の地図です。同じような図を添付した意図は、図2ではサカである「Sacans(Scythians)」がイランの東方ばかりでなく、カスピ海の東隣にも威を張っていたことが見えることにあります。
(図2 :紀元前五世紀の地政。 拡大は図のクリックで)
211108ペルシア帝国無題

 幾つかの研究書は、古代三つのサカ族の存在を書きます。それは図1と図2をあわせ見ることからわかります。いささか冗長であるとは思いましたが、あえて二枚の似た図を掲載した理由は紀元前五世紀頃のサカを囲む地政学的環境が眺められからです。黒海の北方現在ウクライナのサカは「海の向こうのサカ族」(すなわちカスピ海または黒海を隔てた向こうの意か)、カスピ海の東岸は「尖帽のサカ族」、そしてインドとの国境に近い「ハウマ崇拝のサカ族」210318 記事“万葉集四歌(ハーレ山)、NTT疑惑、玉川ー田崎論争”。「尖帽のサカ族」については120730 サカ(スカ)から蘇我へ(4)”と言うことになります。埴輪
(図:千葉県芝山湖噴出土の「とんがり帽子をかぶった人物」埴輪。拡大は図のクリックで)
211129とんがり帽3e8d954a

 もっともこの古墳に出土した人物像こそ日本列島にユダヤ人が渡来した証であるとの論陣を張る古代史研究者もおられるようです。

 さてサカ族を包含するスキタイが遊牧民族と変貌を遂げるのか、あるいは匈奴などの大集団に糾合されるのか。それは杉山氏と言えども確言はできません。なにせ文字を持たないからです。これについては前回紹介した栗本氏が「文字を持たないが故の優れた統治能力』なる論をはっています(「シリウスの都、飛鳥」)。が、ここではそれを考察しません。
(図3:「遊牧民から見た世界史」112頁より。拡大は図のクリックで)
211129杉山P112

 杉山氏が「スキタイ」はサカであろうと書き、しかし、そのスキタイの消長については不明点が多すぎると嘆いておられます。上の図に見るようにスキタイが忽然と歴史の舞台から姿を消し、その後を襲ったのが「サルマタイ」であると書きます。私は「猿田彦」を連想します。道案内の神としてあちらこちらの街道の分岐点でも祭られている神です。考えて見入れば、藤原不比等が日本列島の歴史を編纂するに当たって彼が持つ資料は皆無に近いのです。なぜなら七世紀半ば以前、藤原不比等は日本列島の事件についての詳細を知るすべがないからです。あるのは学識ゆえの大陸中国正史のみです。正史を豊かにするためには、多くの人物の登場を待たねばなりません。すでに天照大神は西暦600年の隋書倭国伝から編み出しています。上に書いたように「スサノオ」も然りです。
 それはさておき、このサルマタイが「フン」族に吸収されたと杉山氏は書きます。フン族こそは匈奴の後身であるとされます。どうやらスキタイの一部は匈奴に吸収されたのではなかろうかと私は想像しています。杉山氏の学問的関心は著書の題名に見るように遊牧民です。したがってスキタイの消長ひいてはサカ族の消長にはそれほどの字数をついやしません。彼らが、中央アジア、北東アジアを経てどのように日本列島に渡来したのか、は解明されていないのです。にもかかわらず、古事記、常陸国風土記の注意深い観察(私は漢文の素養がないのでここではあえて精読と書きません)から、古代日本の政治が九州の邪馬台国とに少し遅れて東北日本に始まった。それからずっと遅れて奈良の権力が勃興した。それが正しい『歴史観』であろうとおもっています。

 そろそろ本題に戻らねばなりません。さもなくば、一向に日本列島古代史の大切な部分がみえてきません。それは髪長姫の考察に始まりました。そこでは「応神天皇」が顔を出します。そもそも応神記を読み直すことになった理由は允恭記に書かれている「禁断の愛」事件をめぐる不可解な記述でした。この事件の顛末を古事記は万葉集巻二・九十歌(八十五歌)で締めくくっています。この歌群の主題は「髪長の美女」です。となると、その美女を語る応神記、仁徳記に触れておこうというわけです。この応神記には二人の女性が登場します。一人はいわずと知れた髪長比売で案の定、深くその記載を眺めると、応神天皇、あるいはその息子の仁徳天皇がこの美人ちゃんを匿っていた場所は奈良盆地界隈ではなかったことがあきらかになりました。すなわちこの「美人ちゃん」エピソードは長野県に覇をなしていた部族にかかわる説話を古事記編纂者が「剽窃」したものであることがわかります。そしてこの部族の主体こそ「古代イラン文明」を背負った西域からの渡来民であったとするのが私の「史観」です。時代は西域にゾロアスタ教を国教とするササーン朝ペルシアが覇をなしていた時代と重なっています。この天皇が祀られる宇佐神宮はそもそもは「建御名方」命を祀っているとの説を唱える人もいます。かくしてその父親である大国主命についても古事記を読み直すことで新たな発想が生まれるやもしれぬという発想で直近の記事が始まっています。

 大国主命を書く古事記の記述は、多分に渡来族の存在を意識させるものであることを指摘して来ました。その途次に話はスキタイに飛んでしまいました。話のきっかけは「アジスキ」(アジアのスキタイ)です( 211104”大国主命(5)、反自公後退(2)、アステロイド接近”)。
%%%%%古事記
(原文、文意は省略)
故此大國主神。娶坐胸形奧津宮神多紀理毘賣命生子。阿遲〈二字以音〉鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名。下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。 大國主神。亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八嶋牟遲能神。〈自牟下三字以音〉之女鳥耳神。生子。鳥鳴海神。〈訓鳴云那留>。
%%%%%
 此の大國主神は胸形奧津宮坐します神である多紀理毘賣命を娶り生した子が阿遲鉏高日子根神で、次に妹の高比賣命、亦の名が下光比賣命を生した。此の阿遲鉏高日子根神は今は謂揺る迦毛大御神者である。大國主神はさらに、神屋楯比賣命娶り生した子が事代主神、さらに八嶋牟遲能神(やしまむち〉之女鳥耳神を娶り。生した子が鳥鳴海神である(鳴はナルと訓む)。
(つづく)
 ここでは藤原不比等は登場人物の名称を「スキタイ」から借り入れるのではなく、一歩踏み込んで、大国主命が中近東の主役にも近い「スキタイ」とのかかわりを明示する意図があったと考えています。これは藤原不比等の取り巻き連中の国(民族?)意識を固めさせる上で大いなる効果があった。つまり、日本列島基盤創出を遠いペルシアからの渡来人に帰してはいけないとの思いに媚びたのです。

 さて、多くの歴史学者はこの「あじすくたかねひこ」が迦毛大御神(かも)であることに妙な納得をします。これぞ現在に残る「加茂」あるいは「鴨」神であるというわけです。すなわち真っ向からこの神の出自が渡来民であることを否定します。「カモ」は「カミ」すなわち「カムイ」に由来しますから、アイヌすなわち日本列島在来のカミであることになり納得するのです。

 次の妹は「下光比賣命」です。明らかに「天照大神」に対比させた呼称です。後日このカミは伊勢神宮において豊受大神として外宮に祀られることになります。国譲りで主役級ではあるが、しかしあまり格好良くない登場神を演ずる事代主神がやっと登場します。しかし、ここでは依然として建御名方命は記載されないのです。これはこれで藤原不比等の思考を色々と想像させ興味深いことですが、深入りはしません。

考古学ランキング

 なにやら日本国の雇用環境が大きな変貌を遂げようとしています。はじき出された方々の生き方が案じられます。
%%%%%フジテレビだけじゃなかった「希望退職」JT 2590人、ホンダ2000人、パナソニック1000人…40代以上の地獄が始まる 2021.11.26 19:17 FLASH編集部 Smart FLASH

 11月25日、フジテレビが希望退職者を募ることを発表した。勤続10年以上、満50歳以上の社員が対象で、退職金には特別優遇加算金が支給される。希望者には再就職支援もおこなわれる。フジテレビが希望退職者の募集をかけるのは、2017年以来だという。

【関連記事:早期退職しない限り面接が続き…「45歳以上クビ切り」横行中】

 しかし、希望退職者を募集している企業はフジテレビだけではない。東京商工リサーチによれば、2021年1〜10月、上場企業で実施したのは72社。

 そのうち、1000人以上となるのは、「日本たばこ産業」2950人、「本田技研工業」約2000人、「KNT-CTホールディングス(近鉄グループの旅行企業)」1376人、「LIXIL(トイレや建材を販売)」1200人、「パナソニック」約1000人の5社にのぼる。これは、金融危機が起きた2001年の6社以来の高い数字だ。

 詳細が公表されていない企業も多いが、たとえばLIXILでは、40歳以上かつ勤続10年以上の正社員が対象になっている。オリンパスでは、40歳以上かつ勤続3年以上の正社員など950人が対象。調査を見る限り、40歳以上が対象となるケースが多い。

 今後、募集が増える傾向は続くのだろうか。東京商工リサーチの担当者に話を聞いた。

「『増える』と断言はできないものの、現在、大企業が大型募集をかけやすい状況にあるのは事実です。コロナが少し落ち着き、人々の外出も増えて、世間の空気が上向きになりつつありますから。

 去年のように、飲食や小売り、観光などの雇用がコロナ禍で失われるなか、名の知れた企業があまり大きな募集をかけるのは悪目立ちしてしまう。実際、2020年の大型募集は2社のみでした。

 もともと経営計画に盛り込んでいたような企業も、コロナの影響が深刻な状況下では、なかなか予定どおりの実施もむずかしかったはず。日常が戻りつつある今、先送りしていた企業も、そろそろ動き出すタイミングです」

「大企業だから」と安心していられない現実もある。中小企業による300人以下の募集は「業績悪化」が理由であることが多いが、大企業の大型募集はそうとも限らない。

「大型募集をかけた5社のうち、4社は黒字です。今回募集をかけているLIXILも、過去に赤字・黒字両方の年で実施していました。大型募集になると、業績に関係なく、『業務の効率化』や『中長期での経営見直し』として、全社的におこなわれるパターンが多いんです」(前出・担当者)

 加速傾向にある企業の人切りで、「終身雇用」の時代は終わりつつある。40代以上の会社員にとっての地獄は、もうすでに始まっている。

%%%%%(SmartFLASH)

遊牧民元祖、農業立国(平野貞夫氏)、証明問題いろいろ


(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:用水路の水面に浮かぶ枯葉の隙間に姿を見せる二十一夜の月。初霜で凍える冷たい水に浸って、本来の美しい容姿が台無しです。気の毒であります。カメラのせいではなく私の腕の悪さゆえ、映像はかなり酷いことになっています。)
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 うっすらと 畑地を覆う 初霜に 凍える朝の 用水路の月

 今朝の散歩は震え上がりました。周囲の田んぼ、畑が二十一夜を過ごした月明かりで白く映えています。イヤア、寒い!

+++++定理の提唱
 そもそもは直感から始まります。ところがその直感を検証する中で、法則性が見えてきます。そして定理の仮説となります。果てさて難しいのはそれからです。どうやってそれを数学的厳密さで論理的に証明するのか?
%%%%%フェルマーの最終定理「おまけで証明」 IUT理論、京大・望月教授 11/24(水) 8:00配信
 京都大数理解析研究所の望月新一教授らが「宇宙際(うちゅうさい)タイヒミュラー(IUT)理論」を拡張し、解決までに350年以上かかった超難問「フェルマーの最終定理」を新たな方法で証明したとする論文が、東京工業大が発行する数学誌「Kodai Math.J.」に掲載されることが分かった。数学誌の編集委員会が、論文を受理したことを朝日新聞の取材に明らかにした。 【写真】フェルマーの最終定理
 IUT理論は、望月さんが約20年かけて築いた数学の理論。「足し算やかけ算をする世界(=宇宙)を縦横無尽につなげ(=際)、数を自在に行き来させる」という斬新なアイデアで、難問「ABC予想」を解いたとする論文が今春、京大の数学誌に載った。当初から、IUT理論ならABC予想に限らず、様々な難問を解けるのではないかという声があった。  IUT理論が今回、挑んだのは、仏ピエール・ド・フェルマーが1637年ごろに提案した「nが3以上の自然数(正の整数)の時、(xのn乗)+(yのn乗)=(zのn乗)を満たす自然数x、y、zは存在しない」という予想。
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  ■「余白が狭すぎる…」解決まで350年以上  nが2だとピタゴラスの定理となってx、y、zは無数に存在するが、3以上だと証明は極めて難しく、1995年に英国のアンドリュー・ワイルズ氏が楕円(だえん)曲線に関する「谷山・志村予想」の一部を解いて解決するまで証明されなかった。ワイルズ氏はこれで「数学のノーベル賞」とされるフィールズ賞の特別賞を受けた。  フェルマーは生前、蔵書の余白に「私は真に驚くべき証明を見つけたが、それを記すにはこの余白は狭すぎる」という有名なメモを残したことで知られる。蔵書のメモはたくさんあったが、これだけが350年以上解かれず、「最終定理」と呼ばれるようになった。  望月さんと京大数理研の星裕一郎准教授、英ノッティンガム大のイワン・フェセンコ教授ら5人は今回、IUT理論を拡張。「足し算とかけ算に関係する特別な不等式」を導いて最終定理の式に代入し、証明に行き着いたという。  従来のIUT理論では、この不等式に未知の変数があったが、今回、この値が特定でき、突破口につながったらしい。チームは昨年にもほぼ証明したと発表していたが、修正した今回が「完全証明」としている。
%%%%%朝日新聞社
関連記事:
200406 記事”ABC conjecture(予想)が600頁論文で証明される、扶桑国王「祁」考察”

%%%%%ピタゴラスは遅かった 三平方の定理「最古の応用例」 石倉徹也2021年8月8日 8時00分
(図: 畑の図面が記されている粘土板。三平方の定理を使って面積や形が正確に描かれている=豪ニューサウスウェールズ大提供。
211125ピタゴラス無題

 3700年前ごろの古バビロニア(現在のイラク)の遺跡から見つかった粘土板に、数学の「三平方の定理」を使った正確な直角三角形が描かれていたことがわかった。幾何学が進んでいた当時のバビロニア人が、土地の測量に定理を応用していたことを示す証拠という。豪ニューサウスウェールズ大の数学者が3日、国際誌に発表した。
粘土板に「直角三角形」 数学者が解明
 三平方の定理は、直角三角形の斜辺の長さの2乗は、他の2辺の長さの2乗の和に等しいというもの。中学校で学ぶ幾何学の代表的な定理の一つで、式で表すと「aの2乗+bの2乗=cの2乗」となる。紀元前6世紀に古代ギリシャの哲学者ピタゴラスが発見したとされ、「ピタゴラスの定理」とも呼ばれる。ただ、これまでの研究から、バビロニア人はピタゴラスより1千年も早く定理を理解していたことが明らかになっていた。今回の発見で、直角を必要とする実際の測量などに知識を応用していたことも確認されたことになる。
 ニューサウスウェールズ大のダニエル・マンスフィールド上級講師が分析したのは、メソポタミア文明の古バビロニア時代(紀元前1900〜1600年前)に作られた円形の粘土板(直径10センチほど)。1894年にイラクで発掘され、トルコの博物館に保管されているのを2018年、ダニエルさんが見つけた。
 くさび形文字や図形が刻まれた粘土板を解析したところ、3辺の長さの比が「5、12、13」の直角三角形と、「8、15、17」の直角三角形を二つ合わせた長方形が確認できた。それぞれの辺の長さや面積も記されていた。土地の契約に関する記述もあることから、畑を分割した時の「図面」とみられる。
 では、どうやって正確な直角三角形を描いたのか。そのヒントは、同じ時代の遺跡から見つかり、すでに分析されている別の粘土板に隠されている。
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%%%%%リーマン予想「証明」の数学者死去 論文の扱いどうなる 石倉徹也 2019年1月25日 18時02分
 数学の超難問「リーマン予想」を証明したと、昨年9月に発表した、英エディンバラ大名誉教授のマイケル・アティヤ氏(89)が今月死去していたことがわかった。科学誌に投稿中だった論文はどうなるのか?
• 幻のリーマン予想「証明」 ニュートン以来の数学者とは
 160年前に提案された謎の行方は――。
 リーマン予想は、ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンが1859年に提案した素数に関する未解決問題。2、3、5、7……と無限に続く素数の不思議な性質の解明につながるとされる。名だたる数学者が試み、証明の名乗りも何度もあったが、その度に誤りが判明し、160年間挑戦をはねつけている。
 アティヤ氏は、幾何学とトポロジーが専門で、20世紀の数学の金字塔と言われる「アティヤ=シンガーの指数定理」で名をはせた。数学の「ノーベル賞」と称されるフィールズ賞(1966年)やアーベル賞(2004年)などを受賞し、世界で最も偉大な数学者の一人に挙げられる。英王立協会などによると、1月11日に亡くなった。死因は明かされていない。
 アティヤ氏が、リーマン予想の「証明」を発表したのは、昨年9月24日、ドイツで開かれた数学フォーラムの講演だった。発表は事前に予告され、講演は世界に生配信された。ある物理定数を数学的に導出する過程で「リーマン予想が偶然解けた」と説明した。
 難攻不落の難問を「天才」と称された数学者が解いたのか――。ネット上で話題になる一方、見慣れぬ手法に専門家は懐疑的な見方も多かった。
参考記事:
101220”リーマン予想(2)”
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 こうした人類の知をつむぐ作業を担っているのが世界共通ですが「大学」と言う場です。ところが昨今、わが国の大学の位置がどんどん降下しています。
%%%%%「日本の大学」ランキングNo.1が決定! 3位は「東京工業大学」 11/25(木) 8:15配信
 イギリスの国際的な高等教育専門調査会社「QS Quacquarelli Symonds(QS)」が、「2022年版QSアジア大学ランキング」を発表しています。アジアの大学を対象としたこのランキングは今回で14回目となっており、687大学がランクインを果たしました。  今回はこのランキングに名を連ねた日本の大学から、上位20校を紹介します。なお、ランキングは「Academic Reputation(学術関係者からの評判)」「Citations per Paper(論文あたりの被引用数)」「Paper per Faculty(教員あたりの論文数)」など、11指標から大学を総合的に評価したものとなっています。 (出典:QS Quacquarelli Symonds「2022年版QSアジア大学ランキング発表」)
●第3位:東京工業大学
 第3位は「東京工業大学」でした。「QSアジア大学ランキング2022」におけるランキングは21位で、2021年版の20位からわずかにランクダウンしています。  大阪大学や東北大学を抑えて国内3位となった東京工業大学は、教養教育と専門教育を有機的に関連させた「くさび型教育」を展開し、幅広い価値観の養成を図っています。また、上位課程とのつながりや内容を分かりやすく示し、意欲と能力があれば先の課程の科目も履修できる「学修一貫・修博一貫」と呼ばれる独自の教育カリキュラムを取り入れているのも特徴です。
●第2位:京都大学
 第2位は「京都大学」。「QSアジア大学ランキング2022」におけるランキングは15位で、2021年版の17位から2位ランクアップしました。  京都大学は、東京大学と共に「International Research Network(国際研究ネットワーク)」の指標においてアジアTOP10にランクイン。「学生の国際性を涵養する教育の展開」「独創性溢れる研究の世界的展開」「地球社会の調和ある共存に資する活動の推進」の3つのビジョンを掲げ、高い専門性に根差した支援体制のもと、国際的な教育研究活動を展開しています。
●第1位:東京大学
 そして第1位は「東京大学」でした。「QSアジア大学ランキング2022」におけるランキングは11位。2021年版では15位となっており、4つランクを上げました。香港中文大学(CUHK)と肩を並べたものの、惜しくもTOP10入りを逃しています。  そんな東京大学は、「Academic Reputation(学術関係者からの評判)」と「Employer Reputation(雇用者からの評判)」の2つの指標において、アジア第1位に選ばれています。「Employer Reputation(雇用者からの評判)」の指標においては、上位100校のうち日本の大学が14校ランクインとどの国よりも多く、海外の雇用者からは高い評価を得ていることがうかがえます。
%%%%%ねとらぼ調査隊

+++++政治
 まずは、天下の政治を掌に収めていたと思ったのは単なる思い込みでであったと実感したのが元首相の安倍晋三氏のようです。それが裏切られ拗ねているのだそうです。とかくボンボン、苦労知らずに育った子供はどういうものかやたらと僻みっぽく、被害者意識が人一倍強いようです。そのもう一つの事例が先日米国に逃れた当該国の元皇女さまですな。
%%%%%ブンむくれの安倍晋三が派閥総会ドタキャンした理由! 2021年11月23日 半歩前へ
 安倍晋三が会長就任初の派閥総会をドタキャンしたのは「歓迎ムードに程遠い」ことを知ったからだ。いつまでも「オレが、オレが」の安倍に、議員たちもウンザリしたらしい。招かねざる男・安倍晋三。 国家の私物化を重ね、本来なら、とっくの昔にブタ箱に入っている男だ。韓国だったら終身刑ではないか。

 平野貞夫氏が今般の総選挙を独自の視点から論評しています; 日本国の国会を舞台としておきた殆どの問題を熟知する平野貞夫氏です。今般の選挙で突然、“連合”が立憲の野党共闘に横槍を入れてきた問題の背後には米国のJapan Handlerと称される米国政治家グループの強いが意向があったのではないか、と分析します。さらには、立憲のフラツキには仙谷由人以来の保守党との隠れた国策・連携が潜んでいるのではないか、枝野氏の挙動はそれを反映しているなどと言った指摘があります。そういえば、郷原信郎氏が自らのメルマガで以下を語っています:かっては仙谷氏からの協力依頼にしかるべくこたえていた。しかし、あの陸山会裁判以降、仙谷氏の側から一方的に連絡を絶ってきたなどを書いています(「責任野党」は“見果てぬ夢”か 〜15年前の「永田メール問題」から止まった時計)。
 その他、平野氏は、文交費、国会議員は税金で支えるべきか(歳費)とした問題提起に対応して立法化された議員法、寄付、などを論じます。さらには日本のあるべき将来像が農業立国であるとした小沢一郎氏の提言を紹介しています。その際に引用されているのが田中角栄氏の日本列島改造論です。こうした人たちを私は愛国者であると考えます。
平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ放談】生配信 2021年11月23日



 さて堅い話をつづけましたので、ここで休憩であります。
https://www.youtube.com/watch?v=ZJ4wlcmm0s8ショパンコンクール角野隼斗 特別トークイベントSNSで楽しむクラシックの魅力


+++++スキタイ(6、初代(?)遊牧民)
「遊牧民から見た世界史」を著した杉山氏の関心は、表題に見るようにペルシアースキタイ戦争を通じて「歴史の舞台に登場した」スキタイなる一団です。ここで私が「一団」と書くのは、杉山氏がその集団に付するべき呼称が見つからないと書いている故です。すなわち、国家でもない、族でもないということのようです。図2に記述されるようにサカ族はスキタイを包含していたようです。いずれにしても五世紀から八世紀初頭まで日本列島にあって、小人数ながら大きな威をなしていた「一団」の祖先がかってはペルシアの地の色々な戦闘の主役であったらしいことは興味深いことです。繰り返しますがその戦闘の一方の側は「サカ」族です。私の本ブログでの調査の出発点となった渡辺豊和氏による「扶桑国王蘇我氏の真実」(新人物往来社刊、2004年)がそれを詳論しています。この渡辺氏の所論に強い説得力を感じたのが経済学者で栗本慎一郎氏です。明治大学で教鞭を取られ、後に衆議院議員も務められた氏は「シリウスの都・飛鳥」(たちばな出版、2005刊)を著しています。慶応大学経済学部では小泉純一郎元首相と同窓で、氏からの強い勧めで衆議院議員に立候補したとのことですが、後に小泉氏の政治手法を強く批判し辞職しています。
(図1:「シリウスの都・飛鳥」の目次より。拡大は図のクリックで)
211125栗本0374

 第四章の小見出しからわかるように栗本氏は蘇我一族が遠くペルシアからの渡来民であることを疑ってはいないようです。氏の議論はそれなりに興味深いのですが、本ブログでは、私自身があちらこちらの議論を孫引きしているので、引用する文献についてはできるだけ孫引きに基づいた論議を控えたいと思っています。そういうわけで、栗本氏の詳論には立ち入りません。

 アケメネス朝ペルシア勃興の六年後にゾロアスタ教開祖者ザラストラスが死去しています。アケメネス朝を起こしたキュロス大王の信奉した信仰が現在知られているゾロアスタ教と同一であるか否かについては宗教学研究者の間で諸論議があるとのことですが、強い影響があったことは確かのようです。アケメネス朝ペルシアは紀元前330年に滅びます。杉山氏によれば、スキタイーペルシア戦争後もスキタイなる一団は紀元前四世紀まで存続し続け、黒海の南に陣取ったペルシアとまさに「南北対立」の関係にあったと書きます。アケメネス朝の滅亡とほぼ時を同じくしてスキタイなる一団も、どこかに移動したのか散らばってしまったのか消滅してしまったようです。なにせ彼らは自らの活動を記録する文字を持たなかったが故に詳細な消息を辿ることができません。

 それはさておき、このアケメネス朝滅亡の550年後の西暦222年にゾロアスタ教を国教としたササーン朝ペルシが再興されます(あちらこちらの書籍などの拾い読みによる受け売りが多いので用語の不正確さがあることをお許しいただきます)。このササーン朝ペルシアはイスラム教の台頭で西暦651年に滅亡します。やがてこの地を含む広大な地域にユダヤ教を国教とするハザール王国が登場します。ユダヤ教を国教として選択せねばならなかったこの地域、そしてその時代環境から見えてくるのは強大勢力に包囲された集団の苦境です。本ブログの主要主題ではありませんが、ハザール帝国もやがて分解し民は現在のカスピ海から東欧に四散します。いわゆるアシュケナジーユダヤ人の起源です(1976. The Thirteenth Tribe: The Khazar Empire and Its Heritage, by Arthur Kestler)。この議論の一つの結果が先の東京五輪開会式でのドタバタ(セレモニ演出を担っていた芸能人が解雇された)であり、もっと深刻な発現がパレスティナでのイスラエル政府による差別と人権蹂躙を含む暴政です。この国際問題にはここではこれ以上立ち入りません。

 話を戻します。松本清張氏の推理小説「火の回廊」などでも指摘されるように、日本列島には多くの外来ペルシア系文化遺物が残されています。それらは「古代イラン文化流入」と一括されています。詳しく眺めるとどうやらその文化は二層を成していると、杉山氏の著作を再読して思い直しています。これからおいおいスキタイを眺めてゆきますが、千年近くの大昔に中東の地で四散したスキタイの一部である「サカ」族が、五世紀頃に日本列島に渡来します。そして七世紀になり、かってはサカ族と敵対していたはずの「ゾロアスタ教系ペルシア人」が自国の政争混乱を逃れてきたのか否かは定かでありませんが渡来したと考えています。敵対関係にあったとはいえ、シリウス星への崇敬は共有していたところから、日本列島にあってもゾロアスタ教と明示されずとも、シリスス星の天体の位置から時代が決定できるという僥倖に我々は予かっていると言うことになります。

 ペルシアースキタイ戦争を通じて見えてきたスキタイの様相を杉山氏は以下のように書いています。
(図2:「遊牧民から見た世界史」96頁より。拡大は図のクリックで)
211125杉山96頁無題

 アケメネス王朝ペルシアとの抗争で見る「スキタイ」の硬軟取り混ぜた戦いぶりが、後の遊牧民国家の生存戦略・生存戦術にみられると杉山氏は書きます。そうした観点から改めてスキタイの特徴をヘロドトスの「歴史」に基づいて観察し、杉山氏は以下を纏めます。

(図3:「遊牧民から見た世界史」102頁より。拡大は図のクリックで)
211125杉山102頁無題

 文節△妨るように「スキタイ」なる一団は民族でもない、国家でもない、それ以外の「何か」ではあるが、国家に近いのかもしれないと書きます。
(図4:スキタイ遺跡分布。「遊牧民から見た世界史」104頁より拡大は図のクリックで)
211125スキタP1040388

(つづく)

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縄文海進と騰波江、TVドラマ「日本沈没」、祝!大谷MVP

2021年11月21日(月)
(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:19日夕方17時05分の月食の始まり。拡大は図のクリックで)
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(写真:一方その時の西の空。拡大は図のクリックで)
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 月欠けて 餅搗くウサギ うろたえる 捏ねる相方 臼から逃げり

 満月の夜です。太陽の光を一身にあびて祝いの餅搗きをしてました。ところがあれよあれよというまに太陽がかけ始め、月面は暗くなります。杵を振り上げるウサギ、相方として餅を捏ねるウサギは「何だ!なんだ?」とうろたえます。とりわけ相方は、杵が頭に落ちてきたら大変と臼からはなれたとさ。てな話をこしらえ上げ孫に語り聞かせようと待ち構えております。

+++++祝!大谷翔平氏のMVP授与
 これについては、私ただひたすらに嬉しく、ここに敢えて私の駄言を付しません。
福島良一×宮台真司×神保哲生:大谷翔平という奇跡を可能にしたもの【ダイジェスト】

BREAKING: Shohei Ohtani Wins 2021 AL MVP | CBS Sports HQ


+++++すさまじい物価高騰
%%%%%値上げラッシュが家計直撃…「モノが安い国・日本」はいよいよおしまい 公開日:2021/11/17 06:00 更新日:2021/11/17 06:00
小倉健一イトモス研究所所長:1979年生まれ。京都大学経済学部卒。国会議員秘書からプレジデント社入社。プレジデント編集長を経て2021年7月に独立。

いま日本は「モノが安くて過ごしやすい」状態だ。
 寿司チェーンの「くら寿司」は、日本では1皿110円の商品が主体だが、アメリカで展開する「くら寿司USA」は、1皿3.15ドル(2021年11月13日現在の為替では359円)と3倍以上に設定されている。
「くら寿司」は値段の開きについて、「(日本と比べて)人件費が高い」からだとする。同様に、うどんチェーンの「丸亀製麺」は、日本では「かけうどん並」が320円、アメリカのカリフォルニア店では「KAKE」が5.75ドル(655円)と約2倍だ。
 日本で「かけうどん」が600円を超えたら、高すぎて「えっ」と感じてしまうだろうが、アメリカでは安すぎて「えっ」と消費者は驚きの声をあげるのだという。マクドナルドの「ビックマック」は、日本では390円、アメリカでは5.65ドル(621円)だ。アメリカのマクドナルドでは今、ドリンクやポテトも頼んで1食1000円で済ますのは不可能だろう。
 過去20年の消費者物価指数(モノの値段がどれぐらい上がったかを示す)を見ると、日本はわずか2.6%だが、アメリカは54%、中国は60%、ユーロ圏では40%も上昇している。
 日本であまりに長期間にわたって起きたデフレによって、企業の「価格転嫁(値上げ)するメカニズム」が破壊されてしまったようだ。商品・サービスの値上げができないと企業は儲からず、賃金が上がらず、結果的に物価が上がらない。安い賃金で働く人が増えた結果、他国では絶対に成り立たないような格安のファストフードチェーンが誕生した。
 しかし、最近、家計を直撃する値上げラッシュが起きている。日本銀行が実施した「生活意識に関するアンケート調査」(2021年9月)によれば、「商品やサービスを選ぶ際に特に重視すること」は、「価格が安い」がトップの47.6%で、機能が良い(33.7%)、アフターサービスが充実している(13.4%)を大きく引き離す。いかに価格に敏感がよくわかる調査結果だ。
 気になるのは、「物価」に関する調査結果だ。1年前と比べてかなり上がったと考える人は、8.9%、少し上がったと感じる人の52.6%を足すと、実に61.5%の人が「物価が上がった」と感じているのだ。
 さらに、今年10月、農水省は製粉会社への小麦売価を20%近く値上げした。これにより、「山崎製パン」は食パンの「ロイヤルブレッド」や「超芳醇」「ふんわり食パン」などで平均9.0%、菓子パンの「高級つぶあん」「ナイススティック」などで平均6.8%それぞれ値上げする。
 欧州で問題になっている天然ガスの高騰で、ガソリン代は冬の到来で今後さらに高くなる可能性は高い。牛丼チェーンの「松屋」も牛丼並を320円から380円へと値上げした。「吉野家」もその動きに追随。100円ショップでは、300円、500円の価格帯の商品が今後ますます増えていくだろう。
「安くて過ごしやすい天国・日本」はいよいよ終わり、「給料は上がらないが物価だけ高くなる地獄」の門が開かれつつある。
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+++++TVドラマ「日本沈没」
 毎週日曜夜のTVドラマ「日本沈没」が多くの視聴者の関心を集めているとのことです。登場する地球物理学者『田所博士』の活躍を観ながら本年のノーベル物理学賞受賞者である地球物理学者・真鍋叔郎氏を連想しました。理由は、60年近く前の昔、著名な物理学者ラグランジュの名前を冠した国際的賞に日本の地球物理学者が始めて選ばれていたからです。映画「日本沈没」に科学者役として出演された竹内均東大理学部教授(当時)です。多分真鍋博士が東大に在籍する10年ほど前でしょう。地球物理学は主に地球とそれを取り囲む四つの「圏」すなわち「地圏」、「水圏」、「気圏」そして「超高層圏」を研究対象としています。真鍋博士の研究対象は「気圏」、竹内氏のそれは「地圏」と言うことになります。小説原作者の小松左京氏は執筆のため竹内氏の研究室を頻繁に訪ねていたと聞きます。竹内氏の受賞対象となった研究ではラグランジュアンと呼ばれる数学演算子に基づいて導かれた膨大な微分方程式群を解きます。時代は終戦前後ですから、電子計算機はありません。用いたのが手回しタイガ計算機です。十台を超える計算機が、内蔵する歯車の磨耗のために使い潰されたとのエピソードは伝説として関係者の間では広く語り伝えられています。こうした先人の血の滲む研究の賜物が科学技術立国日本の基盤であった筈です。尤も竹内氏は大学を退官後一般科学雑誌「ニュートン」の発刊を立ち上げています。TVドラマでは香川氏演ずる田所教授が「アインシュタイン」なる表紙の雑誌に所説を寄稿している場面がありました。いずれにしても、今や科学研究の世界ではわが国はトップ中国に遠く置き去りにされ、やっと十番目と言う低落ぶりです。知的好奇心を尊重し育む環境を構築することが日本の科学技術復活のために求められています。

 TVドラマの香川照之氏はいわば二代目と言うことになります。その田所博士の関心が関東東部から日本列島全土に移っています。日本列島を載せているプレートの移動速度は高々数十cm/年ですから、わずか二年程度で関東の沈没が日本全土に広がると言うことは考えにくいことです。そもそもプレートの配置と運動に照らして考えてみるならば、日本列島全部が海面下に沈み込む地学過程が起きることはありえないことだろうと思っています。TVドラマの中で特別に設定されたものと思ってよいのです。
 朝のTVニュース番組の天気予報コーナは毎日予報士さんの立ち居地が替わります。今朝は神奈川県伊勢原市の大山(標高1246m)です。紅葉の見頃とのことです。江戸時代、裕福な大店(おおだな)の主は家族連れでお伊勢参りをします。それが叶わぬ庶民がでかけたのが「大山(おおやま)詣で」です。この大山は「雨振山」とも呼ばれます。件の予報士さんはこの名前の由来を相模国風土記で古老が語る言を引用して、「四六時中雲が覆い、雨が降りやすいから」と解説していました。
 この山について201018記事“<<番外>>三浦半島〜横浜の悪臭騒ぎと相模国・二宮「川匂」神社” で、名前の由来がゾロアスタ教の最高神・アフラマズダの名前であると書きました。この神社界隈の史跡の配置、史跡名などから、古代の地震の発生を上記記事で書きました。日本列島内に古代ペルシアの痕跡を求めていたところ、図らずも西暦六世紀ごろの地震の発生に出会ったと言うことです。
 (図1:阿夫利神社は図の大山にある。拡大は図のクリックで)
201002神揃いcshintaiseki


+++++スキタイ(5、遊牧民)
 上で書いた事例は相模の国の話です。常陸国風土記筑波郡の条が書く「騰波江」なる呼称は古代ペルシア語に由来し、その原義は「海原のような水面」であろうと前回記事で書きました。伊勢湾に臨む三重県南東部の「鳥羽」はまさにその原義に適った地であるように思えます。かって、ペルシアからの渡来人が住まった地ではなかろうかと想像しています。伊勢湾を挟んで東側には愛知県の渥美半島があります。「渥美」は「安積」(あつみ)と音を同じくします。TBSアナウンサ、あるいは立憲民主党の国対委員長の『安住』なる姓も起源は同じでしょう。さらに言うならば長野県の「安曇野」も「アツミ」に由来すると考えます。かって古代史研究者が九州に「安曇」、「隼人」なる豪族がいたと学術書で書いていましたが、私はそれには同意しません。

 日本列島住民が語ってきた『言葉』を後世に伝えるために用いたのが「漢字」です。この使い方はまことに多様です。それを実感できるのが万葉集です。まるでラテン語の「アルファベット」のように、「音を写しとる」(音写という)に始まっています。しかし、時には「漢字の原義」を列島住民の言葉としてしまうこともあります。それが現代でいう「漢字の訓」です。
「音写で用いられる漢字」が場所と時代で変化することから漢字表現の多様な展開にも繋がっています。どうやらこの変化には「フィードバック」現象もあるようですが、ここでは詳論しません。   「アツミ」と音すれば水戸黄門さんの側近「安積格之進」です。上の「アツミ」に戻るならば「安積」を「アンセキ=>アサカ」と音すると、福島県のJR安積(あさか)永盛駅です。「アサカ(アスカ)」に由来するので、これも渡来民の痕跡地です。
 鹿島に大拠点を構築した渡来民は本州の太平洋岸沿いを南に下り鹿児島(カゴシマ<=かがしま<=鹿島)に達する途上のこの地にも「マーキング」をしたと想像できます。鳥羽、渥美半島の古代史発掘からそれを裏付ける物証が発掘されるのではなかろうか期待しています。

 前回記事では、騰波江なる大きな沼の縁に設営された渡来民の陣屋が後世の大宝八幡宮として民の崇敬するところになったのだろうと書きました。神社の参詣に当たっては拝殿に向かって参道の左側を歩き参拝後は右側を歩く、すなわち、参道を時計回りに歩くとされています。神社の設営目的は鎮魂です。鎮魂されるべき「主(あるじ、一般には怨霊と生りかねない恨みを抱いている)」を安置する場所が神社です。言葉を変えれば「閉じ込める」または「幽囚」する場所です。さもないと「主(あるじ)」は祟るのであります。日常に生きる庶民の多くが無慈悲な領主、自然災害などの天変地異に恐れおののく日々でありますから、「祟り」は「主(あるじ、シュと音するとキリスト教の神と誤解される)」からの感応でもあると受け取るのです。考えてみれば、仏様、神はやたらと説教するにしては、「祈願」しても「ウンでもなければスンでもありません」。すなわち「反応」が無いのです。一方「祀られる主(あるじ)」は祟りと言う形式を通じて「民に応えてくれる」のです。これが神社(詣で)信仰の原点と考えています。
 となれば、この「祀られる主(あるじ)」の意に沿うような参拝形式を民は色々と思案してきたのであります。それが、積み重なり神社の『由緒』ともなっています。例えば出雲大社、宇佐神宮での四拍・四礼がそうでしょう。「死者を悼む」との民の思いの発現です。参拝での「時計周り」もそうした思考から編み出された様式であると考えています。その発想は「祀られる主(あるじ)」の攻撃性にあるのだろうと私は想像しています。言葉をかえれば古来の人は「そのように思考」したのだろうと思っています。すなわち拝殿での「祀られる主(あるじ)」は当然参道の側を向いて鎮座しているはずです。実際には、中東域の宗教と同じで「偶像」信仰を廃するので、「ご神体」なるものは目に見えません。キリスト教はその意味では例外なのでしょう。
 さて、参詣者が参道の右側を歩くならば、「祀られる主(あるじ)」にとっては、心臓側になります。当然、「祀られる主(あるじ)」は警戒心を高めます。そうあってはならじと、神社参詣者は「祀られる主(あるじ)」の警戒心を解くべく参道の左側を歩くのです。
 この伝でいくならば、参詣される側が参詣者に「自分はあなた方に警戒心を抱いていないよ」と意思表示しているのが寺の仏像であろうと思っています。すなわち「仏」は参詣者に「自分の心臓に向かってきても良いよ」と宣言しているのです。それは仏像からも想像できます。
(図2:奈良の大仏。拡大は図のクリックで)
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 大仏さんの手は印相(いんそう)と呼ばれ、両手で示すジェスチャーの事を意味しているんです。 まずは右手、施無畏印(せむいいん)と呼ばれ、緊張をほぐし「恐れなくてもいいよ」と相手を励ましているポーズ、そして左手は与願印(よがんいん)と呼ばれ、願いをかなえて差し上げましょうという大変有難い形なのです。
 一方レオナルド・ダヴィンチが描く「最後の晩餐」では、中央に座すキリストの手が仏像と同じであることがわかります。仏の右手はひじを畳んで上に持ち上げられ、一方キリストは肘を伸ばし机面のうえに置かれています。どちらにあっても、手の甲は『自然体』のままです。それに引きかえ、左手は、そうした自然態ではなく掌を上にするべく肘を180度捻らねばなりません。すなわち参拝される側が「物理的に不自然に強制された」状態です。
信心のない私は、宗教から生ずる慈悲心と言うものは、祀られる側にとっては「無理をしている」状態であるのかと勘ぐったりします。
(図3:最後の晩餐(ダヴィンチ)、拡大は図のクリックで)
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 話を本筋に戻します。常陸国の南半分の沼沢形成は、二万年前に始まった「縄文海進」によるとは研究者の指摘です。
 %%%%%縄文海進https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%B5%B7%E9%80%B2と呼ばれる地学現象で裏付けられています。すなわち、一万九千年ほど前の昔に最終氷河期を終えた地球上では、大陸を覆っていた氷河が溶け始め海に流れます。その結果海水面が上昇し、それまで陸であった地が海中に没することとなります。この現象が顕著に観察されるのが関東平野であると言われています。その後極地方での寒冷化で再び海水が凍り結果として海水面が再び低下し、再度陸地が出現します。西暦五〜六世紀の関東地方は下の図に見るように陸域に深く海水が入り込んだ状態が残されており、入り込んでいた水が引ききらず残っている状況であったらしいことが地理学的調査からわかっています。結果として、利根川下流域(当時の常陸の川)は流浪海(ながれのうみ)と呼称されるほどであり、あちらこちらにが沼地であったようです。そうした状況を前回書いた図の文節△巴耋氏は語っています。
(図4:関東地方の古代、縄文海進で海面下に沈んだ地(上記ウイキ記事より)。拡大はクリックで)
211115縄文海進無題


 アケメネス朝ペルシアが侵攻したスキタイの地は沼沢地であったと杉山氏は書きますが、この地学環境もどうやらこの縄文海進の残滓であったと思えます。

 ペルシアースキタイの戦闘はペルシア軍が大苦戦に陥ったため、侵略した戦地から撤退し、その矛先をギリシャに転じます。これが第一次ペルシアーギリシア戦争です。日本列島常陸の国での戦況はこうした筋書きを辿らず、奈良の軍勢は苦戦をなんとか凌いで、行方の防衛軍を撃破しついには聖地鹿島を占拠し、余勢を駆って北へ侵攻し、ついには常陸国の北方会津にまで達したようです。奈良の軍勢の苦戦振りについてはわずかに常陸国生方郡での「夜刀神」(やつど)との戦闘が書き記されるのみで、詳細な記述が残されていません。

 杉山氏が自著「遊牧民から見た世界史」の「スキタイ」の項でとりわけ重視したことは、アケメネス朝ペルシアの動向ではありません。ましてやこれから戦うギリシアでもなく、スキタイです。すなわち、ペルシアの侵攻を撃退し、その後はその地にとどまり続けたのではなく、生来の機動力豊かな活動性によったのか「遊牧」の民の元祖として遠く北東アジザにまでその影響を及ぼしたようです。その原点を垣間見ることにあったのだろうと想像しています、私がスキタイにこだわる理由は、繰り返し書いてきましたが、遊牧民の主力として東方に移動するスキタイが日本列島へのサカ族の渡来をもたらしたと考えるからです。そのためにも次回は杉山氏の著作をもう少し辿ることにします。

(つづく)

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スキタイ(5、騰波江)、大手報道機関の出口調査は不正投票を促す

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:このところ比較的暖かい夜明け前ですが、どういうものか鳥の鳴き声が少なくなっています。と言うわけで、今朝も行きつけの散歩道途上の公園の秋です。拡大は図のクリックで)
秋0351

 冬近し 近所の学童 走りおる 学校マラソン 上位を狙う

 COVID19蔓延の嵐が一旦休止したかのようです。近所の学校では早速恒例のマラソン大会です。このところ、散歩途上では小学生が一生懸命に練習する風景に出会います。白い息を吐きながら走っています。一等とまでは行かずとも上位を狙ってるなどの会話が耳に入ります。

 今般の総選挙での反自公勢力の後退を『総括』する議論がまだ続いています。今般の野党勢力の協同の橋渡しをしたのが市民連合です。その代表者である山口二郎氏が「野党共闘」を振り返っています。共闘の中心は最大野党である「立憲民主党」であるので、当然、山口氏は枝野氏の言動・挙動に多くの言を使います。そこから滲み出てくるのは、「レイワ」の軽視です。それは「レイワ」への恩着せがましい言に現れています。枝野氏のレイワへの対抗心として反映されていることを改めて知りました。それはさておき山口氏は重大な事実をさらりと述べていました:
「開票日のさなか、出口調査の中間情報を入手した。それによれば、野党勢力が大きく前進する勢いであることが見えてきた」と言うものです。すなわち出口調査なるものは投票終了まで完全に秘匿されるのではなく、調査機関がしかるべき筋に情報を流しているのです。となると劣勢の側は、自陣の有権者を借り出して投票させることで従来予期された得票に上積みをし、選挙結果に影響を与えることができるのです。これは「明白な不正」行為ではなかろうか!と、私は思います。
 私はかって出口調査が不正投票の温床になりえるので、大手報道機関が行う出口調査を禁止すべきと書いたことがあります(130206記事”回想記を読む(1)、「出口調査」が選挙結果を捻じ曲げた事例” )。
(図:その記事に添付したの月刊誌「現代」2004年3月号記事。拡大は図のクリックで)
211118出口調査7372c7aa

 今般の総選挙で、接戦を勝ち抜いた自公、維新勢力の逆転現象にこの出口調査が大いに与ったのではなかろうかと疑っています。そのことの理不尽を指摘しない山口氏には「知識人』の限界を見る思いがします。
 総選挙を読み解く〜野党共闘は敗れたのか【山口二郎のええ加減にせえ】20211112


異色の元防衛官僚柳澤協二氏が率直に日本国の安全平和問題を語っています。
柳澤協二(元内閣官房副長官補)×鳩山友紀夫


+++++スキタイ(5)
 スキタイが跋扈した地は現在のウクライナを含む東欧とカスピ海周辺です。その地に侵攻した強大国・アケメネス朝ペルシアは、戦場が慣れない沼沢地であったために苦戦を強いられたと杉山氏は書きます(『遊牧民から見た世界史』94頁)。日本列島にあって常陸国に侵攻した奈良軍勢の戦いぶりが想像できるかもしれません。日本書紀はこの戦いには一切言及しないので、常陸国風土記からそれを想像するしかありません。戦場が「沼地」であることに特徴付けられるこの戦を、中路氏は当時の常陸国の地学環境を指摘しながら丁寧に語っています。茨城県民である私より詳しく描写していることに驚いています。
( 図1:謄波江。「東北日本と王権」95−96頁」。より、拡大は図のクリックで)
211118x騰波江無題


 上に掲載文節の冒頭で中路氏は筑波山の西十里に謄波江なる大きな湖があったとの風土記の一節を引用しています。筑波山を西から眺める地と言うことになります(下図参照)。
(図2:騰波江と筑波山。図のほぼ中央部の下妻駅を通り南北に走る関東鉄道常総線を北に走り二つ目の駅。下妻駅のすぐ西には佐沼があり騰波江からは5km弱。騰波江と呼ばれた巨大な沼の名残ではなかろうか。拡大は図のクリックで)
211118騰波江無題


 上図の騰波江という駅名が古来から言い伝えられた名称に由来するのか、それとも後世の知識人が風土記筑波郡の条からその場所の見当をつけたものかは不明です。古代ペルシア語に、大きな「海」を意味する「tamtam」(ラテン文字表記)なる語があります。「マ行」の音と「バ」行の音はしばしば相互転換します。例えば「馬」は「バ」であったり「マ」であったりします。これから類推するに、古代ペルシア語の「大きな湖」は「タバ」と音されていた可能性があります。騰波なる漢字表記はそれの「音写」ではなかろうかと考えます。
 この大きな沼地の周囲にはペルシアからの渡来民が居住していたと思えます。「砂沼」のすぐ北東側にある大宝八幡宮にその痕跡を探すことにします。まずはこの神社の由緒を見ることにします。
だいぶ長い文ですがなかなか興味深いのです。
%%%%%八幡宮の創建と白鳳奈良時代の様子
大宝八幡宮は、白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(七〇一)(管理人注:草壁皇子の死後十二年)、藤原時忠が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)して創建されたという。東国平定のための鎮護の神として、八幡宮を勧請したのである。宇佐八幡宮は、莵狭津彦命を祖とする宇佐諸石が、欽明天皇二十九年(五六八)に八幡神を勧請したのに始まるという。八幡神とは、応神天皇を主座とし、文武の神として尊崇されており、八幡宮の祭神として祀られる。
当時の河内郡(管理人注:筑波郡の南隣)が現在のどこを特定しているかは不詳であるが、慶安元年(一六四八)七月十七日付の家光公の御朱印状には、常陸国河内郡下妻八幡宮領同郡大宝村云々とあり、江戸時代には、下妻、大宝は河内郡に含まれていたことになる。下妻、大宝あたりは古代には新治郡に含まれており、時代によって河内郡、新治郡、真壁郡などと呼ばれていた。
<<管理人注:以下の記戴は通説に従った記事作成者の史観であると考え、管理人は同意しません)
古事記(七一二)に、日本武尊が東征の時、足柄峠を越えて、甲斐(山梨県)に出、甲府市東方の酒折の宮に御座所を構えた時、次のように歌っている。「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と。これにたいして、火焼きの老人は、「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」と、歌をついだので、日本武尊は老人を誉めて、東国の国造にしたという。このことから、既に、常陸国の新治、筑波が史書に登場しており、東国の討伐支配が行われていたことが判る。この新治、筑波は、新治郷と筑波郷ともいわれ、筑波の西北一帯を指している。従って、東国平定の鎮護の神として、当地に八幡宮を勧請しても不自然ではないのである。
>>(ここまで。管理人が同意しない記戴)
 また、万葉集巻第九に、「筑波山に登る歌一首 短歌を併せたり」という雑歌があり「筑波嶺に登りて見れば…新治の鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ…」とあり、筑波山頂から西の方を眺望した鳥羽の淡海(大宝沼を含む)が詠まれており、当時は、下妻市から関城、明野町にかけては、満々と水を湛えた広大な湖沼があったことが判る。この歌は、養老三年(七一九)常陸国の国守として藤原宇合(うまかい・鎌足の孫)が赴任しており、前後して国府の主帳として赴任してきた高橋虫麿が、国司の財政監査のため大和からきた検税使大伴卿を筑波に案内した時に詠んだものといわれるから、七二〇年頃の作と推定される。大宝八幡宮が創建された頃の当地の情景を伝える歌でもある。なお、高橋虫麿は万葉集の歌人でもあり、宇合の下で常陸国風土記の編纂に参加している。
祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后であり、「大宝」という名称は、創建時の年号の「大宝」に由来し、大宝という年号は、三月に対馬の国から金が献上されたので文武天皇が「大宝」と改元したといわれる。それまでは年号で呼んだり、年号をつけずに持統、天武など天皇の御名で呼んだりしていたが、これ以後は年号で呼ぶことが定着している。さて、年号は、タイホウと読むが、大宝八幡宮は、訛ってダイホウと呼ばれている。千古の歴史を秘めた大変目出度く、由緒のある名称である。
<<管理人注:これも通説に忠実に従った解説で、管理人は同意しない。
仲哀天皇は、日本武尊の皇子であり、応神天皇は、仲哀天皇と神功皇后の皇子で、日本武尊の孫にあたる。日本武尊(小碓命・倭建命)は、古事記の記載によれば、熊夷征伐や東国征伐で知られている神話の伝説的英雄である。
<<
また、大宝元年八月には大宝律令が制定され、律令社会の始まりとなった年でもあり、天平時代の幕開けという、歴史的にも画期的な時期であり、大宝八幡宮は、その後日本の歴史、文化とともに壱千参百年を閲し、その間、何度か火災で社殿等も焼失しているが、その都度再建され、中断することなく連綿として現在に至っている。なお「大宝八幡宮往代記写」によると、修験道の祖といわれる役小角(えんのおづぬ)が大宝二年に、江(騰波の江)の古沢黒島の近くに出た怪しい青火を鎮めたことに始まり「舟守」の社として信仰を集めたともいう。この役小角は、妖言をなし世をまどわすとして、文武二年(六九九)、伊豆島に流がされたが、大宝元年(七〇一)一月に赦免されている。いずれにしても「大宝」という呼称から徴しても大宝元年頃の創建と考えられる。大宝八幡宮に関する奈良時代の記録や史料は見当らず、社伝の言い伝えだけであり、奈良時代の八幡宮についての由緒については詳らかではない。
%%%%%
 上記由緒では天皇の即位、そしてその時代が言及されています。神功皇后の時代を挟んでいるかのごとき記載は記紀に倣ったものです。古事記は明言しませんが日本書紀はあたかも神功皇后が卑弥呼であるかの如く書きます。この時点で、歴史学者たるものは、各天皇の存在はともかく、その治世の年代を疑うべきなのですが、それをまともに考察した研究はないようです。それはともかく、この神社の境内を眺めて気付くのが参道の走る方位です。
(図3a:大宝八幡宮境内。参道の走る方位がシリウス星方位であることに注意されたし。拡大は図のクリックで)
211118大宝神社無題

 因みに大分県の宇佐神宮の境内を見ると参道は拝殿から東南東に走ります。冬至の朝の日の出方位であると言う研究者もいるようです。私はシリウス方位とは直交する方位である、すなわち、シリウス信仰を拒否し否定する強い意思表示であろうと考えています。と、いうことは、この神社の位置にかってはペルシア系渡来民がしかるべき規模の陣屋を構えていたと考えています。しかし、九州にいた蝦夷一族が東方へ逃散した後、あるいは奈良の軍勢が壬申の乱でこの陣屋を占拠した後、陣屋は立て替えられたのだろうと考えています。

 宇佐神宮から『神』を勧請したと由緒は書きますが、不思議なことがあります。それを下図で示します。
(図3b:大宝八幡宮の境内。管理人が気にしているのは手水舎が本殿に向かって右側にあることです。拡大は図のクリックで)
211118大宝神社境内無題

 通常、神社の手水場は参道に向かって左側にあります。大分県の宇佐神宮もそれは左にあります。参拝前に手を浄めるに当たって参拝者は参道の左側を拝殿に向かって歩くからです。この神宮が多くの武芸者によって崇敬されていたとすると、これは重要です。なぜなら武芸者の多くは右利きですから刀は左腰に差しています。もし右腰に刀を差していれば、参拝帰りの武芸者の刀の鞘がぶつかるいわゆる「鞘当て」が生じ、『神様』の面前でいさかいごとを起こすということにもなりかねません。 私はこの地はかって寺であった時期もあったに違いないと考えています。それがこの地に何某かの宗教施設が創建されるまであるのか、あるいは創建後のしかるべき時期であったのか、それはわかりません。逆もあります。寺境内の手水社が本殿に向かって左側にある寺もあります。芝の増上寺、葛飾の帝釈天、茨城県笠間の西念寺(十三世紀はじめに20年間、親鸞が住んだ寺)などなどです。何せ日本列島内での神社と仏寺は、神仏混交、あるいは廃仏棄釈などの相互変転を経ています。これについては考えるところもありますがそれは後日に書きます。
 
 筑波山の西側ということで、思い出した動画があります。思わず笑ってしまったので、紹介しておきます。登場人物は茨城県出身の野球選手です。
第一話【広澤さん登場】思い出したくもない、地獄の明治大学野球部

 ヤクルト・スワローズの強打者でありホームラン・バッタの広沢克実氏が生まれ育った地がどうやらこの騰波江界隈であったようです。茨城弁をめぐっての「言い合い」には思わず笑ってしまいます。つくばで働いていた頃、職場には幹部達の秘書さん、事務のお手伝いさんなど多くの若くて美形のお嬢さん方が多く働いていました。休憩時などに茶の用意をする厨房近傍を通りかかると「女性同士の口喧嘩」かと思わせる音声が耳に入ったものです。それは言い合いなぞではなく日常の会話だったんですな。
 この広沢氏は、まさか自分が明治大学で野球をするとは思わなかったと言う気持ちが言葉の端々に表れています。じつは大変知的な野球人であることが下の動画でよくわかります。なにやら複雑な疾患を持病として抱えているため、プロ野球チームのコーチなどにはなれないようですが、カンボディア国で野球少年指導など、世界に目を向けた活動をしてきた人物でもあります。少年指導の休憩時に弁当箱をひろげたところ、あっという間に真っ黒になったなぞと言う嘘か真かわからない体験談をどこかで語っています。原因はおびただしい量(数を超えたすさまじさがこの表現から想像できます)の蝿の大群が集(たか)ってきて、米が見えなくなったとのことです。

 バットでボールを叩く際の力学に立ち入って考察していることに驚きました。プロ野球界一のインテリと評判の高い古田氏も感服しています。
 https://www.youtube.com/watch?v=l7tk0XYAq20
金本&山&広澤&和田が激論!飛距離を伸ばす打撃術【バッターズバイブル】

(つづく)

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宮台真司×波頭亮、スキタイ(4、常陸国風土記と似た風景)、米原潜が海山と衝突

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝の散歩道から見た日の出直前。太陽の光が上方に向かって広がっています。拡大は図のクリックで)
放射状0341

(写真:朝靄が立ち込める北関東寒村の風景。拡大は図のクリックで)
朝靄0350


 朝靄が 用水堀の 上を這う 籾焼く煙 合わさりおる

 昨日の昼の陽気で用水堀の水が温んでいたようです。水は熱容量が大きいので、一晩たっても水温は大気ほどには下がりません。かくして明け方の急な温度降下する大気と用水からの蒸気が衝突し、蒸気が水滴となったようです。初冬のいつもの景色です。用水路の脇に積み上げられた籾から煙が昇っています。多分、昨日の午後にでも近くに住む婆さんたちが集って、籾殻に突っ込んだ芋でも焼きながら食っちゃっべっていた名残のようです。

今般の総選挙結果についての考察がいまだに続いています。なるほどと思える指摘が多い中で、とりわけ納得したのが「自民党は政権から離れたら生きてゆけない』との政権への強い執着です。それが危機感となりまさに「火事場泥棒」的な力を出したのではなかろうかとの観察が下の動画で語られています。この党には、自らの政策そしてそれを支える政治理念を提示して国民の選択に俟つという姿勢はさらさらありません。ひたすら「政権」すなわち「政治権力を使った利権の確保」なのです。2009年の民主党政権によって野党に転落したことがもたらした「利権の剥奪」が骨身に堪えているのです。立民をはじめとする野党がそこを見抜けない限り口先でどのように理屈を並べ立てようとも政権交代はありえないと感じた次第です。つまり日本国は明治維新以来150年間もの間「一党支配」であり、わずかに2009年に一瞬だけ、政権から離れたに過ぎないのです。それでもあれだけの恐怖を自民党に与えたのです。とするならば、次の選挙ではどっしりと腰をすえて完璧な野党共同戦線構築を以ってして、政権交代を図るしかありません。
リベラルは生き残れるのか。白井聡 ✕ 川村晃司 ✕ 高瀬毅 【The Berning Issues】


 次の動画は総選挙直前に収録されたようです。それだけに「政権交代」なぞと言った上っついた議論ではなく、かなり深くに立ち入った分析があります。すなわち次の国政選挙ではしっかりと見据えておくべき視点が提示されています。
前篇:【宮台真司×波頭亮】現代社会をRethinkせよ。


後篇:【宮台真司×波頭亮】現代社会をRethinkせよ


+++++スキタイ(4)
 紀元前五世紀はじめ、西隣に位置するギリシャとの対決に先んじてスキタイとの戦闘を開始したアケメネス王朝ペルシアの苦戦振りをヘロドトスが「歴史」で書いており、杉山氏がその概要を「遊牧民からみた世界史」(90−123頁)で紹介しています。本ブログではそれを参照しつつ(孫引きということになります)スキタイの実相に触れてみようと言うわけです。日本列島で、あたかもマ−キングのごとくあちらこちらに見かける「サカ」族の痕跡、そのサカ族の出自こそ「スキタイ」であると現ブログ管理人は考えています。

 さて、侵攻したペルシア軍が足を踏み入れた地はクリミヤ半島を含む黒海北岸の地です。杉山氏が書くところによればその向こう側に広がる現在のウクライナ南部は沼・沢地であった。侵攻軍はこの自然環境にまず大いに苦しめられた。おまけに、敵の軍勢に攻勢をかけると、さっと撤退する。そこで追撃を止めるとどこからともなく攻撃を仕掛けてくる。1960年代ベトナムに侵攻した米軍の苦戦を連想してしまいます。この戦状の光景は、古事記「国譲り譚」および常陸国風土記が描き出す常陸国の情景をも連想させます。
(図1:常陸国風土記の新治郡の条(右)、筑波郡の条(左)。拡大は図のクリックで)
211109常陸無題


 同じような想像をされたのが中路正恒氏で自著の「古代文化と王権」(講談社現代新書)94頁で風土記の記載を考察しています。中路氏の歴史認識は私の「史観」(風土記読解)とは異なっていますが大変参考になるので、ここにその一部を紹介しておきます。
(図2:「古代東北と王権」より転載。94−95頁、拡大は図のクリックで)
211115中路a無題


 図2の文節,録啓7瓦某攻した比奈良珠命の事跡である「井戸」の掘削を考察しています。これは図1の右側の記載を解釈したもので、「比奈良珠命」についての古代史研究者が受け入れている理解が記されています。いわゆる『通説』です。ところで続日本紀冒頭に次のような一節があります:
%%%%%続日本紀冒頭部
原文:
続日本紀 巻第一〈 起丁酉年八月尽庚子年十二月 〉
 従四位下行民部大輔兼左兵衛督皇太子学士
 臣菅野朝臣真道等奉勅撰。
天之真宗豊祖父天皇〈 文武天皇 第冊二 〉
天之真宗豊祖父天皇。天渟中原瀛真人天皇之孫。日並知皇子尊之第二子也。〈 日並知皇子尊者。宝字二年有勅。追崇尊号。称岡宮御宇天皇也。 〉母天命開別天皇之第四女。平城宮御宇日本根子天津御代豊国成姫天皇是也。天皇、天縦寛仁。慍不形色。博渉経史。尤善射芸。高天原広野姫天皇十一年。立為皇太子。

文意:「続日本紀」(上)宇治谷孟著、講談社学術文庫、2000発行より
続日本紀 巻第一〈 起丁酉年(西暦697)八月から庚子年(西暦700年)十二月 まで〉
 従四位下行民部大輔兼左兵衛督皇太子学士
 臣菅野朝臣真道等勅を奉じて撰す。
天之真宗豊祖父天皇は天渟中原瀛真人天皇之孫で日並知皇子尊之第二子也。〈 日並知皇子尊は宝字二年(西暦758年)勅有りて尊号を追贈し岡宮御宇天皇と称也。 〉母は天命開別天皇之第四女である。平城宮で治された日本根子天津御代豊国成姫天皇がその母である也。天皇は天を縦寛され温厚で怒りを顔に出すこともなく、博く経史を渉猟され、射芸にも秀でていた。高天原広野姫天皇十一年のときに皇太子となられた。
%%%%%
 私が注目したのは日並知(ひなめし)皇子尊です。この人物は天渟中原瀛真人天皇之孫すなわち天武天皇の孫で母は持統天皇の四女(元明女帝)です。ところで、天武天皇が持統天皇との間にもうけたのは草壁皇子、お一人です。とするならば、自動的に日並知(ひなめし)皇子尊は草壁皇子ということになります(岩波文庫「日本書紀」(五)の校注者は検証なくそう書いています)。ところが日本書紀には日並知(ひなめし)皇子尊なる漢字表記を持つ皇子はまったく登場しないのです。どうも天智天皇にかかわる日本書紀の記載は「いかにも何かを隠蔽」している感に満ちているのです。因みにこの草壁皇子は西暦689年28歳の若さで夭折しています。
 一方風土記では「比奈良珠(ひならす)命」なる人物が登場します。この人物は美麻貴天皇の時代に「ヤマト」から派遣されたと中路氏は書きます(図2文節)。
 日並知(ひなめし)皇子と比奈良珠(ひならす)命の二つの名前が酷似していることに気付いていただけたでしょうか!「並」を「ナメ」と訓まずに「ナラブ」の「ナラ」と訓むならば実は同一人物であるとの疑いが生じます。すなわち、新治郡で井戸を掘った人物は実は持統天皇にとって目に入れても痛くないほど愛おしい息子「草壁皇子」と言うことになります。この息子が28歳の若さで西暦689年に夭折してしまったのです。
 万葉集110歌は草壁皇子が詠んだ歌とされていますが、私は皇子の死を悼んだ歌ではなかろうかと考えています:
万葉集二巻(相聞)110歌
02/0110,"日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首 [女郎字曰大名兒也]",
"大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八",
"大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや",
"おほなこを をちかたのへに かるかやの つかのあひだも われわすれめや"

 恋人が石川女郎であったか否かは定かでありませんが、日並皇子が野辺の中で亡くなってしまったとの報に接した誰かが悲しんだ歌ではなかろうか。と、するならば、この皇子は井戸掘りをしたのち、次の戦場である白壁郡、または筑波郡で、敵の攻撃の犠牲となり戦死したのではなかろうかと想像します。そしてそれが西暦689年と言うことになります。さてそうなると日本書紀では卑弥呼の時代をはるか昔に存在したはずの崇神天皇すなわち美麻貴天皇は、実は七世紀後半の人物と言うことになります。これを裏付けるには年代決定が重要です。こうしたことも含め通説とはまったく異なる新たな「古代史」が必要となります。その多くについては本ブログではすでに解明したと自負しています。それらについては後日、再論します(例えば、
190211記事”美麻貴天皇7、物理の謎(5,Livescience),外人記者相手の会見に応じない安倍氏”を参照)。

 杉山氏の書くペルシアースキタイ戦争でのペルシア側の苦戦を日本列島古代史に重ね合わせると、戦闘の規模においては大きな違いがあります。カスピ海の西方にひろがるウクライナであり、方や日本列島の現在の茨城県です。単純に比べられることではありませんが、ここの戦闘では似た局面が展開されていたに違いありません。

 さらに付記しておきます。文節,砲弔い特耋氏は井戸の掘削に大きな意味を持たせています。私の考えは前回書きました。が、繰り返しておきます。美麻貴天皇は現在の埼玉県志木に本拠を構え、そこからまずは鬼怒川中流域を渡河して常陸国に侵攻します。天皇の究極の目的は鹿島にある蝦夷(えみし)の本拠地攻略です。蝦夷側は鹿島を防衛するために屈強な防衛陣を行方に配しています。したがって、当面の最大の攻撃目標は行方です。この行方からもっとも遠い地である地、すなわち常陸国の西縁から行方に迫ると言う戦略を美麻貴天皇はとったと言うことになります。さて鬼怒川(毛野河)を渡って直ちに陣屋を構築します。指揮をしたのが比奈良珠(ひならす)命です。そこには鬼怒川が流れていますから「水」には不自由しません。にもかかわらず、井戸を掘る。これは蝦夷(えみし)が持つ医学知識を警戒したためです。何せ蝦夷の指導部には遠くペルシアからの渡来民がいます。彼らには当時の世界の先進国として、医学、工学技術が備わっています。すなわち鬼怒川に毒薬を投入されることをおそれ、天皇は軍を守るべく、水を自分たちで調達することにしたのです。軍への損害が生じないための方策であったろうと私は考えています。この事情は前回記事で紹介したオーストリア北部辺境のRAABS城と同じです。
(つづく)

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+++++米原潜、中国沖で海山と衝突!!
 米中会戦か?日本は米国の尖兵となり戦場に出撃するのか?なぞと言った物騒な話を先の自民党総裁選でとある女性候補が口走りました。国民の一部には、自民党の年来の希望がもれ出たのではなかろうかとの憶測が広がりました。そんな雰囲気が醸成された昨今に、表題の事件について米国の科学誌が物騒な事件を報じています。
%%%%% Nuclear-powered US submarine collided with a hidden underwater mountain, Navy reveals
A nuclear-powered U.S. submarine that ran aground in the South China Sea last month collided with an uncharted seamount, according to a U.S. Navy investigation.
Nuclear-powered US submarine collided with a hidden underwater mountain, Navy reveals
By Harry Baker 5 days ago
Around a dozen crewmembers were injured in the incident.
米国の原子力潜水艦が先月南シナ海の下にある海山と衝突した、と海軍は明らかにした。
ハリー・ベイカー 5日前
この事件で約12人の乗組員が負傷した。

(Photograph of submariners standing on top of the Seawolf-class fast-attack submarine USS Connecticut in the water at Naval Base Kitsap-Bremerton, Washington, May 7, 2018. (Image credit: Smith Collection/Gado/Getty Images)
(写真:2018年5月7日、ワシントン州ブレマートンの海軍基地キットサップで、シーウルフ級の高速攻撃型潜水艦USSコネチカットの上に立っている潜水艦の写真。 (画像クレジット:Smith Collection / Gado / Getty Images)
211115米原潜無題

 米海軍の調査によると、先月南シナ海で座礁した原子力潜水艦が未知の海山に衝突した。
シーウルフ級の高速攻撃型潜水艦であるUSSコネチカットは、10月2日に公海で未知の物体と衝突し、11人の乗組員に軽傷から中程度の負傷を負わせたとNPRは報じた。損傷した潜水艦は浮上し、支援なしでグアムの港に到着した。海軍は被害の全容を明らかにしておらず、当時の海軍はこの事件について、船と衝突したのは「別の潜水艦ではなかった」と述べたとAP通信は報じた。
しかし、11月1日に米国第7艦隊によって発表された新しい報告書は、「コネチカットが未知の海山に着陸したと判断した」。
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海山、または水中の山々は、絶滅した海底火山の残骸である。海山の大部分は円錐形だが、一部の海山(ギヨーと呼ばれる)には大きくて平らな山頂がある。米国海洋大気庁(NOAA)によると、海山はその急峻な側面が深海からの栄養素の湧昇を促進し、サンゴやスポンジなどの固着生物が定着して成長する場所を提供するため、海洋生物の生物学的ホットスポットである。
NOAAによると、少なくとも100,000を超える3,281フィート(1,000メートル)ほどの高さの海山が海底に点在する可能性があり、科学者はそれらの0.1%未満しかマッピングしていない。
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過去には、2005年、別の原子力攻撃型潜水艦であるUSSサンフランシスコが、グアムの未知の海山を最高速度30ノット(時速34.5マイル)に衝突し、137人の乗組員のほぼ全員が負傷し、1人が死亡した。Popular Mechanics
<<以下原文>>
A nuclear-powered U.S. submarine that ran aground in the South China Sea last month collided with an uncharted seamount, according to a U.S. Navy investigation.
The USS Connecticut, a Seawolf-class fast-attack submarine, collided with an unknown object in international waters on Oct. 2, causing minor to moderate injuries to 11 crew members, NPR reported. The damaged submarine surfaced and made it to a port in Guam unassisted. The Navy hasn't disclosed the full extent of the damage, and all the Navy said about the incident at the time was that "it was not another submarine" that had collided with the vessel, The Associated Press reported.
But the new report, released by the U.S. 7th Fleet on Nov. 1, has "determined that Connecticut grounded on an uncharted seamount."
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Seamounts, or underwater mountains, are remnants of extinct underwater volcanoes. A majority of seamounts are cone-shaped, but some — known as guyots — have large, flat summits. Seamounts are biological hotspots for marine life because their steep sides encourage the upwelling of nutrients from the deep sea and provide a place for sessile organisms, like corals and sponges, to settle and grow, according to the National Oceanic and Atmospheric Administration (NOAA).
More than 100,000 seamounts of at least 3,281 feet (1,000 meters) may dot the ocean floor, but scientists have mapped less than 0.1% of them, according to NOAA
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In 2005, the USS San Francisco, another nuclear-powered attack submarine, hit an uncharted seamount in Guam at a top speed of 30 knots (34.5 miles per hour), which injured almost all of the 137-person crew and killed one, according to Popular Mechanics.

スキタイ(3)、維新考察、頭脳の中国流出、四夜未明の地震

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(写真:当地の秋。拡大は図のクリックで)
蓮池0325


 おとといの 強雨が一転 あったかい このまま春に 直行ねがう

 TVドラマ「日本沈没」が高い視聴率を保っているとのことです。ドラマでは香川照之演ずる田所教授の学問的主張が詳しく論ぜられる場面はありません。そうした中で、当地北関東ではこのところ早朝に4日連続の地震が起きており、睡眠を妨げられております。前回記事で、11月6〜8日の早朝未明に地震があったことを書きましたが、その翌朝の11月9日未明にも地下から突き上げるような体感に続き、しかるべき長さの揺れが続きました。近所の飼い犬は疾うに野生を失い鈍感になっていますから論外ですが、鋭い感受性を持つ雉もどうやら慣れっこになっているようで、一声も発しません。
(図:Hinetによる地震情報。拡大は図のクリックで)
211109茨城無題

 この地震は、2011年3月11日のあの東日本巨大地震に促されて地震活動が活発になった福島県磐城の地での地震です(170807記事“8月2日の地震(再)”)。連日の北関東界隈の地震について、メディアも注目するところとなり、新聞記事になっています。9日の地震はいわゆる「チバラギ」地震ではありませんが、170802記事“8月2日早朝の二つの地震、風土記が書く麻績王、板垣情報で書いたように、何らかの地学的関係があるのかもしれません。哀しいかな、地震研究者には、それを越える示唆はできないようです。何せ、二つの異なる地震についてその因果関係すなわち先行する地震がどのように後続する地震の物理的発生環境を準備しているのかがわかっていないからです。しかし四夜も続くとメディアも黙ってはいません。

東北でM4以上の揺れ頻発の不気味…「巨大地震」の前兆なのか? 専門家が分析 公開日:2021/11/10 14:00 
東北で頻発している地震は何を意味するのか――。気象庁の発表によると、9日までの1週間でM4.0以上の地震は全国で10回起きているが、このうち7回は東北が震源地だった(岩手県沖3回、福島県沖2回、福島県中通り1回、青森県東方沖1回=別表)。
 ここ3日間で6回も発生。9日未明には、岩手県沖でM4.0(最大震度2)、福島県中通りでM4.9(同4)の地震が起きている。やはり大きな地震が迫っているのか。
 立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授はこう言う。
「巨大地震はいきなり起きるのではなく、発生する前にM4〜6クラスの地震が頻発します。ここ1週間でM4以上の地震が東北で立て続けに起きているのは、プレートとプレートの境界で起きる巨大地震の前震である可能性は否定できません」
東北沖には太平洋プレートが北米プレートに潜りこむプレートの境界がある。太平洋プレートの圧力に耐えきれず、北米プレートが跳ね上がって起きたのが2011年3月11日の東日本大震災だ。
■岩手・青森沖は要注意
「福島県中通りの地震は北米プレートの内部で起きたものです。懸念されるのは、プレートの境界の岩手県沖や青森県東方沖で発生した地震です。岩手県沖や青森県沖は東日本大震災であまり揺れず、ストレスがたまりこんでいる可能性がある。M7〜8.5クラスの大きな地震が起きる恐れがあります」(高橋学氏)
 先月6日には岩手県沖を震源とするM5.9の地震が起き、最大震度5強を記録した。
 気象庁は9日、ツイッターで〈10月の1か月間に発生した震度1以上の地震は121回でした。日本は世界でも有数の地震大国で、大地震や津波がいつ起きてもおかしくありません。地震や津波から身を守ることができるように、日頃から備えておきましょう〉と注意を呼び掛けている。
 今から備えておいた方がよさそうだ。
%%%%%
 この高橋学氏は防災研究者です。数年前に某TV局で数人の地震研究者と共に出演し、氏の地震学的素養の貧困があらわになってしまいました。しかし、依然として日刊ゲンダイ紙お抱えの専門家のようです。
関連動画:どうもこの巨大な鯰を捕獲したことが地震発生にかかわっているのではないかとの「笑い噺」であります。
BIG catfish


+++++躍進した維新の実相
 先の総選挙で大幅に議席を増やした「維新」について、その内実を分析した記事を以下に転載しておきます。
%%%%%維新の躍進は本当か? 実際は2012年衆院選より「13議席減」「比例420万票減」 維新の実力
2021/11/09 日刊ゲンダイ
「政権選択選挙なので我々は負けているわけでしょ」。総選挙投開票日の10月31日夜、日本維新の会・松井一郎代表は謙虚な姿勢を崩すことはなかった。公示前から4倍近い41議席を獲得。だが、「躍進といっているのはメディアの皆さんがキャッチフレーズをつけているだけ」と淡々と受け流し、他党がうらやむ「4倍増」の喜びはほとんど見えない。
 野党を担当する全国紙政治部記者が解説する。
「維新の議席増は予想されていましたので、松井代表としては想定通りということでしょう。それ以上に『これから』を考えて、あのような渋い表情を浮かべていたのだと思います。当然、『これまで』とは違う対応を迫られることになるでしょうから」
 維新の源流は、2010年に結成された「大阪維新の会」だ。大阪から地域主権の実現を掲げ、大阪府・市の二重行政の解消を目指す「大阪都構想」を看板政策に据えた地域政党の原動力は、歯に衣着せぬ言動が持ち味の松井氏と橋下徹氏という「2枚看板」だった。
 創業者である橋下氏は政界を引退したものの、2015年に実施された1度目の「都構想の住民投票」で反対だった公明党に衆院選で対抗馬をぶつけることを示唆、昨年の2度目には同党を賛成に回らせるなど「ケンカ上手」が際立つ。
 松井代表が冷静に受け止めているように、維新はその「実態」以上に主要メディアが指摘するような躍進を本当に果たしたのか。維新は2012年の衆院選で54議席を獲得し、その比例票は1226万票だった。維新の党として臨んだ2014年衆院選の比例票は840万票で計41議席を獲得している。
 今回の衆院選は805万票で計41議席。確かに公示前勢力からは4倍近い議席を確保しているが、これは2017年の前回衆院選で小池百合子・東京都知事が率いた「希望の党」と選挙区をすみ分け、候補者を限定したため11議席(比例票は340万票)にとどまっていたことが要因だ。
 前回から大幅増となる96人(小選挙区94人、比例単独2人)の候補者を擁立し、比例票は470万票伸ばしたとはいえ、2014年の獲得票よりも少ない。
 第三極でいえば、みんなの党が2010年参院選で獲得した水準にとどまる。発祥の地である大阪では小選挙区で「全勝」したものの、「我々は少し増やしていただいたというのが今の状態」と語る松井代表の分析は的を射ているといえる。
 選挙後、ケンカ上手の松井代表は憲法改正案について、「来年の参院選までに改正案を固め、参院選と同時に国民投票を実施すべきだ」と早速、揺さぶりをかけた。立憲民主党・共産党から「自民党よりも右」とも警戒される第三極は、自民党が本来の保守層を取り戻すことに成功すれば期待がしぼみかねないとの読みもあるのだろう。
 得意とする「ケンカ」も、巨大な相手がいてこそフォーカスされるのも事実だ。議席を増やし、政党支持率も上昇する中、いよいよ国会で実績を残せなければ、期待が失望へと変わる正念場を迎える。
%%%%%関連動画:
野党が勝つために必要とされていること〜思想史の観点から維新などを考える〜


惜敗率20%で維新が当選し、80〜90%で自民、立憲が落選したカラクリ〈dot.〉 11/11(木) 14:06配信
「惜敗率20%ほどで当選するんですからね。わが党の候補者ですからありがたいと思いつつも、小選挙区で完敗。国会議員のバッジをつけて大丈夫かと正直、疑問もありますわ」
【グラフ】日本維新の会の仰天の惜敗率
211111維新無題

 こう話すのは、日本維新の会徳島総支部の幹事長で、徳島市議の岡孝治氏だ。衆院選で改選前の4倍近い、41議席と大きく伸ばした日本維新の会で、一番最後に比例復活当選が決まった徳島1区から出馬した吉田知代氏を支援した。  徳島1区は無所属の仁木博文氏が9万9千票あまりを獲得し小選挙区で当選。2位の自民党、後藤田正純氏も約7万7千票、敗率77.8%で比例復活を果たした。吉田氏は3位で約2万票、惜敗率は20.1%しかとれなかった。  だが、維新が大躍進する中で、四国ブロック比例1議席を得て、吉田氏が当選者となった。比例復活当選となるには、公職選挙法の規定により、小選挙区での得票率が規定の10%をクリアしなければならない。吉田氏は、あと200票ほど少なければ、規定に届かず、まさに「薄氷の復活当選」だった。徳島1区では仁木氏、後藤田氏、吉田氏と全員が衆院議員になった。  ちなみに過去の衆院選の候補者で最も低かった惜敗率は(後日に繰り上げ当選となった例をのぞけば)19.95%だ。  吉田氏の数字は小選挙区比例代表制がはじまって以降、2番目に低い惜敗率での復活当選となった。  当選後、吉田氏は低かった惜敗率について会見で問われると「活動期間が短いのがひとつ要因。知名度がまだまだ認知されず難しかった」と述べた。だが、衆院議員としてバッジを得たことには変わりない。  そこで、小選挙区落選者の惜敗率と比例復活当選者の関係を政党別にグラフにまとめてみた。  今回、全国289ある小選挙区のうち213の選挙区で野党が候補を一本化し、一騎打ちの構図となり、各選挙区で競り合う展開となった。  グラフからもわかるように自民党の場合は、大半が70%台の惜敗率を確保しなければ、比例復活当選は難しい。
一方、北海道1区で落選した自民党の船橋利実氏の惜敗率は90.4%という高い数字だったが、比例復活は果たせなかった。
◆維新は惜敗率50%以下でも8人当選、自民や立民は90%でも落選  立民のグラフをみると、70%台以下の惜敗率で比例復活当選した議員はゼロ。最低限、80%台の惜敗率が必要だった。  沖縄3区は自民党の元沖縄・北方担当相の島尻安伊子氏が当選。約7000票差で敗れた立民の屋良朝博氏は惜敗率91、7%でも比例復活は叶わなかった。鹿児島1区で落選した立民の川内博史氏も88.1%の惜敗率でも復活ならず、大阪10区で落選した立民の副代表・辻元清美氏も維新旋風が吹く中、82,7%の惜敗率だったが、バッジを失った。  そんな中、全国の比例で計25議席を獲得した維新。比例復活当選した候補者の中で、惜敗率が90%を超えたのはたった1人で、80%超えは2人。惜敗率が50%以下で比例復活となった当選者は8人もいた。  小選挙区で徳島1区の吉田氏のように次点にも届かず惨敗したが、比例復活した議員は9人にも上る。 「制度だから仕方ないが、維新のように小選挙区で大差で負けても比例で復活するのは民意としてどうか」と自民、立民の落選者から恨み節が聞こえる。  衆院選で日本維新の会は全国で96人を擁立したが、比例復活について松井一郎代表は、記者会見でこう語った。 「候補者を多く立てたので比例票を掘り起こせた」  日本維新の会の国会議員はこう話す。 「候補者を増やすことで、小選挙区ではぼろ負けしても自民党も立民もいやだという層を掘り起こして比例票を積み上げる作戦が成功した。吉田氏は兵庫県内の市議だったが、党本部主導でつながりのある徳島1区にまわってもらい、議席につながった」  衆院選が終わった直後「1票の格差問題」で全国各地で訴訟が起こされた。過去に国会でこの問題を参考人として訴えた慶応大学名誉教授(憲法学)の小林節氏がこう語る。 「今の制度は政治家の都合で、小選挙区で落選した人が比例で復活できるようになった、妥協の産物。小選挙区と比例代表は、切り離し別々に運用されるべきです。それを1度負けた人が比例復活できる制度にしてしまったので、惜敗率90%だが落選、20%でも当選という矛盾が起こってしまい、国民にはわかりにくいことになっている」
%%%%%(AERAdot.編集部 今西憲之)

+++++スキタイ(3)
 没落に瀕したペルシアを強大な国に再興したダレイオス大王にとっては、まずは北方のスキタイの征討が、以後のペルシア版図の拡大にとって重要であった。この争闘がおよそ二千年後にほぼ同じ地で起きる「露土戦争」の始まりでもあった。
 「土」は14世紀ごろに急速に成長したオスマン・トルコ(土耳古)です。これが本居宣長時代に考案された和製漢字表現であるのか、それとも漢字ネーティブ表現であるのかが気になりました。学研大漢和辞典(藤堂明保監修)1043頁によると「耳」は「ji,riei,er」なる音を持ちます。一方、トルコ民の祖が丁零であるとするならば、トルコのネーティブ漢語表記はそれに近い漢字が選ばれるはずです。とするならば、「土耳古」はどうやら日本人学者が考えついた漢字表記ではなかろうかと考えています。ウズベク語、カザフ語はトルコ語に近いため、トルコ語の学習経験者には、ウズベク語、カザフ語の習得が容易であると聞きます。一方、『露』は「ロシア帝国」(現在のウクライナ)です。戦闘の舞台がまさにスキタイーペルシア戦争の舞台とそっくり重なります。
(図:既掲載でありますが、ペルシア北方のスキタイ。拡大は図のクリックで)
211104スキタイ無題


 この戦闘をめぐる状況を杉山氏が書いています(下図)。文節,如屮▲轡◆廚鮟颪い討い泙后「アジスキ」がまさに地名であり一族の名前に由来していたことがわかります。いうまでもないことですが、それは大国主神の出自ではありません。ここで指摘できることは藤原不比等が古代ペルシアとその界隈の事情に通暁していたらしいと言うことです。こうした知識を藤原不比等に語ったのがササン朝ペルシアの滅亡(西暦651年)前後に東方に亡命した稗田阿礼であると私は考えています。通説では稗田阿礼は王と共に長安に逃れたとされています。が、「ペルシア文化渡来考」(伊藤義教著、岩波文庫」)15頁の記載から、私は、この人物は長安を通過したのではなく、他のゾロアスタ教一族が辿った北方経路をとって、日本列島・北日本にたどり着いたのではなかろうかと推測しています。その証と思えるのが「稗田」姓が現在の栃木県北部「矢板」に集中していることです。
(図:アケメセス朝ダレイオス王のスキタイ攻撃(杉山氏著書93頁より)。拡大は図のクリックで)
211107杉山p93

 さて、杉山氏は、西暦五〜六世紀の世界の火種が西のヨーロッパとアジアの対立ではなく、まずはそれに先行したスキタイーペルシア戦争であったと書きます。ペルシアを率いるダレイオス大王はスキタイ殲滅のために大動員をかけます(上掲載文節)。決着がつかず侵攻軍を繰り返し動員した状況は、古事記が書く「国譲り」の戦いを連想させます。まずは「天忍穂耳命」を派遣したが敵にとりこまれてしまった。次に「天若日子」に屈強な側近を配して戦地に送った。が、すったもんだの挙句「天若日子」も死んでしまった。ここにいたりついに屈強の将軍『建御雷神』を派遣し、やっと国譲りの戦いが決着したのです。これについては後刻再考察することとして、話を進めます。

(図:ペルシアースキタイ戦争の実相。拡大は図のクリックで)
211107p95

 上に掲載の文節,任魯撻襯轡△魯好タイの地に侵攻した際に、あちらこちらにある沼沢に前進を阻まれ苦戦を強いられたと書きます。この戦況は七世紀末〜八世紀初頭にかけて常陸国に軍事侵攻した奈良の軍勢の苦境を連想させます。
 具体的に連想するのが常陸国風土記の記述です。まず冒頭で「水」問題を書きます。
(図:常陸国風土記・(右)新治郡条)、(左)筑波郡条。拡大は図のクリックで)
211109常陸無題

  常陸国風土記は新治郡からはじまります(上右に掲載)。赤の傍線部分は比奈良珠命が新治に侵攻した際にまずは浄水を得るべく井戸を掘ったと書きます。しかし、この地のすぐ西を毛野河が南北に走っています。水には事欠かない環境です。むしろ、3年前の2017年9月には大きな洪水災害(鬼怒川決壊)が起きています。と、いうことは比奈良珠命は新治郡に侵攻後に大規模な洪水に遭遇し、まずは治水作業に勤めたのかと思わせます。次回かきますが「古代と法と王権」の著者・中路正恒氏はそうした疑念を抱きこの事業は実は治水工事であったらしいと書いています。

 しかし、私は、風土記が書く「浄水」にこだわりました。一つ連想する記憶があったのです。2005年ごろ、古城好きの私はオーストリア政府観光局が作成した百名城パンフレットを入手し、それを参照しながら毎週末は車を駆ってオーストリアの古城を経巡っていました。結局おおよそ百のうちの半分の五十弱の城を見学しました。そのひとつがオーストリアとチェコの国境近くにあるRAABS城址です。城のすぐ北をオーストリアとチェコを隔てるTHAYA河が西から東に流れています。この河はやがて南にあれ曲がり南下してドナウ川に流入します。
(写真:RAABS城址から見下ろすTHAYA河。拡大は図のクリックで)
21111Thaya01273

 欧州の古城には必ず城内に井戸があります。この城も例外ではありませんでした。すなわち水不足の問題があるからです。
(図:城内の深井戸。拡大は図のクリックで)
211111raabwell01272

 しかし、この城に限ってはまさに足元にTHAYA河があります。何故井戸があるのでしょうか?偶々訪れた日は、ウイーン大学の女子大生がアルバイトのガイドをしていました。当然、私が発した多くの問いの一つがこの「井戸問題」でありました。彼女は流暢な英語で「河への毒薬の投入」の危惧があり、そこからは水を汲めない。そこでお、自前の井戸から安全な水を得るためであると答えてくれました。なるほどであります。
(図:ガイドをしてくれたウイーン大学の学生さん。拡大は図のクリックで)
211111ガイドさん01268

 そうか、「浄水」とは、このことか!と合点が行きました。なにせ常陸国を支配する渡来人は優れた化学・医学知識を持っていたことは間違いありません。その情報を藤原不比等は知っていたのです。多分、水には気をつけるようにとの警告が行きわたっていたのでしょう。そうではなくとも他地での最大の問題は「水が合わない」ことです。比奈良珠命はまずは戦闘員の「衛生」安全策を講じたと言うわけです。
(つづく)

考古学ランキング

+++++研究者の中国流出 
 昨今、日本人の一流研究者が研究の場を中国にもとめることが話題になっています。その実態が以下の記事で紹介されています:
%%%%%なぜ科学の重鎮たちは中国を目指すのか「頭脳流出」だけでは語れない実態 11/7(日) 8:13配信
■ “日本の頭脳”は何処へ “またも日本人の快挙”。10月、今年のノーベル物理学賞に真鍋淑郎さん(90)が選ばれた直後、そう思った人も多かったかもしれない。だがこの表現が正確ではないことは今は知られている。愛媛県出身の真鍋さんが、気候変動に対する好奇心に突き動かされて日本を離れアメリカでの研究の道を選び、アメリカの国籍も取得した“日系アメリカ人”だということは連日報じられた。しばしば「頭脳流出」というキーワードとともに。 実は真鍋さんの受賞の1か月前、ノーベル化学賞候補に名前の挙がる日本人科学者の国外への移籍が発表され話題となっていた。「光触媒」研究の第一人者として知られる東京理科大学元学長の藤嶋昭さん(79)で、移籍先は中国の上海理工大学だ。「光触媒」とは光のエネルギーで化学反応を促進させるもので、環境浄化やウイルス除去にも活用可能な技術として注目されている。また上海にはノーベル賞が期待されるもう1人の日本人がいる。御子柴克彦さん(76)、上海科技大学免疫化学研究所の教授だ。脳神経科学者の御子柴さんはノーベル医学生理学賞候補と目されている。 ■「研究を続けたい」選んだ答えは中国 中国を活動の場に選んだ2人は間違いなく日本が誇る頭脳だ。いや、この2人だけではないだろう。広く知られていないだけで、中国に渡って研究を進める有力な科学者たちは、ほかにも存在する。なぜ、日本の科学者は中国に渡るのか。2年前、深セン大学に拠点を移したコンクリート工学などの専門家、上田多門教授(67)に疑問をぶつけてみた。 北海道大学名誉教授でもある上田氏は、100年を超える歴史のある土木学会の次期会長にも内定している。日本の土木界のまさに重鎮だ。ただ、会長候補を選出する際の学会での議論では、中国に拠点を移した上田氏を選んでいいのかと危惧する声も一部で出たという。にもかかわらず次期会長候補に推されることになった理由は何か。本人はこう説明する。「土木学会としてはアジアの中でもリーダーになる大国、すなわち中国やインドとはより親密になる必要があるというのが基本的なスタンスだ」。 そもそも上田教授は、なぜ中国に拠点を移そうと決断したのか。返ってきたのは「北海道大学で65歳の定年が迫っていたことがきっかけ」というシンプルな答えだった。上田氏は、まだまだ研究を続けたいと思っていた。しかし日本には定年後も研究を続けられるような環境は無かった。その時、深セン大学からの誘いがあったので決めたというわけだ。タイの大学などからも声はかけられたものの、深セン大学は研究環境の良さで抜きんでていたことも大きかった。今、上田さんのもとには日本の大学では揃えられない規模の実験装置や、日本では購入できなかった高額な装置が並んでいる。周囲の研究者たちの質が高いことも大きな理由の一つとなったという。 ■“科学技術強国”目指す中国、霞む“科学技術立国”日本 上田教授の言葉のように、中国の大学の優れた設備と優秀な人材は日本など海外の科学者を惹きつけるには十分だ。その充実した研究環境を支えているのが、右肩上がりの中国の研究開発費である。日本の文部科学省直轄の研究機関のまとめによると、中国の研究開発費は2000年からの20年間で約13倍に拡大、主要国の中で最も伸びている。2019年は日本円で約53兆円、前年比10.8%増だ。トップの座はアメリカ(63兆円)が守り続けているが、確実に迫っている。習近平指導部は科学技術力の強化を掲げていて、この勢いは今後も続くだろう。 これに対し日本の研究開発費はほぼ横ばいで、2019年は約19兆円と中国の3分の1程度にとどまった。そして気になることに、研究者の卵である博士課程進学者の減少にも歯止めがかかっていない。欧米や中国では博士課程在籍者には所属研究室から給料が支払われる仕組みとなっているが、日本はいまだに授業料を大学に支払うシステムで、かねてより問題視されている。浮かび上がるのは、この20年間で相対的に地位が低下し、霞んでいく「科学技術立国」の姿だ。 ところで、上田教授たちのような科学者の中国への移籍をめぐっては「頭脳流出」などと批判的な論調も目立つ。本人は、こう反論する。「土木の分野について言えば、日本にとって不利になるというようなことはない。既に中国に追い抜かれている面も多く、中国と一緒に取り組むことで、日本にはない技術を日本に還元できることの方が大きい」。 土木の分野では既に20年前から中国の大学の設備の方が日本よりも優れ、研究が進んでいることを上田教授は感じてきたのだという。もちろん、安全保障にも関わる新技術開発などの研究分野では情報管理は重要だろう。技術や情報流出は国益を損ねることにも繋がる。だが海外で先行する技術等を参考に技術革新に取り組もうとする科学者たちを、単純に「頭脳流出」と決めつけているのだとしたら、見当違いの批判にも思える。 また上田教授は、海外に移籍した科学者が日本の大学と国際共同研究を行うことで研究の質を上げることにも繋がると指摘。各国の研究の実力の指標とされる「論文の引用数」で日本の順位は低下しているが、海外とのネットワークの構築が世界での評価の向上にも貢献しうる、というわけだ。 岸田首相は成長戦略の第1の柱に「科学技術立国の実現」を掲げる。「人材育成を促進し、世界最高水準の研究大学を形成する」という目標に、異論はないだろう。研究基盤を資金面で強化する「大学ファンド」という政策が今のところ目玉のようだが、日本の大学が優秀な科学者たちや世界から魅力的な研究の場と認めてもらえるのか、今後の具体策が問われることになる。 取材:北京支局 松井智史(07日8:00)
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以下はこの記事に付されたコメントの幾つか。
コメントより。

• 浦上早苗 認証済み 47分前経済ジャーナリスト/法政大学MBA実務家講師報告
国費留学生として中国で学び、その後数年現地の大学で働いていました。
中国は世界各国から留学生、研究者を集めていますが、理系だけでなく文系分野でも特に「日本の研究者」に対して尊敬の念を持っているように感じました。
中国は巨額の予算をアカデミックに投じていますが、それは近年のことで、日本が戦後基礎研究をこつこつと続け、何人もノーベル賞を輩出してきたことに、欧米とも自国とも違う優れた点があると認識しているようです。
| 8時間前
• 考え違い甚だしい。日本は全く科学技術立国などでは絶対にない。真に科学技術で国を立てようとするならば、この30年間大学の予算を削り続けることなどしなかったはずだ。研究者の研究環境を向上させ、自由度を上げ、所得をあげ、未来を拓く学術を尊重したはずだ。実際はその反対だった。にもかかわらず、政治家は科学技術立国と選挙のたびに格好の良いことを言い国民を騙した。騙された結果、今、日本はとても安い国になって、海外の観光客が落とす金で生き延びる、それ以外の売り物がない安い安い国になった。そして今や少子化だ。若者が減るに従って比例してイノベーションも減るだろう。元来日本は寺子屋の時代から、教育水準で身をたてた国だったのに、30年もその立国の精神を放棄し、少子化対策を放棄してきた保守政党など、断じて保守ではない。日本の正しい姿を返せ。
| 8時間前
• 俺が学生だった2、30年前からすでに基礎研究に対する国の援助がほとんどなくビーカーの代わりにワンカップ酒の容器を使ったり漫画「動物のお医者さん」でもガラススポイトも端が欠けたのを使用せざるを得ない様子が描かれてた単純に日本の学問に対する姿勢がダメだっただけのことで昔はアメリカが最も金を出してくれたのでアメリカへ今は中国が最も金を出してくれるので
中国へ流出しているだけ一時期韓国企業が日本の技術者を雇って先進的な工業技術で日本を凌駕したことを攻撃してた連中が多かったが責めるべきはそれを許してる日本だろうに
| 8時間前
• 日本の国自体が、科学技術分野に対しての投資を殆どしていない。直ぐに結果の出ない地味な分野だが、当たれば莫大な利益を生むのも確か。日本国をみれば、ここ30年、食糧生産、産業分野の殆どを経済学者などの意見を聞き、国際競争力強化や日本で作るより安価でしかも大量に作ることの出来る外国から買えばよいなどと言われ、外国頼みなり、今回の肺炎ウィルス騒動で、外国が自国優先に切り替えたら、農作物、飼料を売ってくれなくなり、また産業では、日本メーカーだが、主力工場の殆どは海外にあり、半導体などが入ってこなくなり、企業が製品を作れず売り上げが落ちる。経済学者などの言うことを聞けば国は滅ぶ方向にどんどん沈んでいく。日本の将来を考えるなら、バカな経済学者などの言うことを聞くより、結果が直ぐに出なくてもどの分野も先行投資が必要。これから日本も気が付けば、基幹産業も農業も何もなく、国として相当落ちぶれる。
| 7時間前
• 中国は、日本の明治以来の経済的な成功と、バブル崩壊とそれ以降の経済の停滞を研究しているのだと思う。『日本の成功に学び、日本の失敗の轍を踏まない』という戦略だと思う。科学技術について言えば、外国の技術をパクるだけでは、技術の発展には限界がある。(一見メリットが無いように見える)基礎研究を含めた、すそ野の広い研究を推進することが、(長い目で見れば)先端技術の発展につながると考えているのだと思う。日本は、外国人研究者に頼る前に、自国の研究者を大切にすべきだと思う。
| 7時間前
• 普通に求人情報を見てみればよい。中国系の企業が如何に好条件で日本の技術者を買い漁っているか一般レベルですらそうなのである一流どころの研究者、技術者に対しては猶更だ。日本の科学技術を支えてきた人材に対する冷遇を改めない限り産業構造の空洞化が進み、日本人のノーベル賞受賞者も望めなくなるだろう。
| 7時間前
• 研究開発の世界で言えば、能力の価値が安すぎるんですよ。国公立の教授と中高の先生の年収なんて2-3割しか違わないけど、知識量や処理能力は桁で違いますよね。日本で能力や実績に対して、ちゃんと評価してるは一部のプロスポーツ位です。研究なんて本来はスポーツ並に客観的な成果で順位を付けられるので、論文一本の人に対して、十本の人の給料を十倍に出来る環境なら、トップ研究者は日本に居続けます。大学院重点化、独法化(というより毎年の予算減)、雑用増加、留学生大量流入、目利きがいないのに選択と集中でコネ分野にだけ投資、テクニカルな政策の失敗もたくさんありますけどね。
| 7時間前
• 日本は、そもそも「エンジニア」の国ではなく「テクニシャン」の国だった事は明白。この違いを、日本語では一緒くたに「技術」と呼んでしまった。馴染みのない研究よりも、手仕事の成果を信奉する国民性がある。本来、違う分野のはずの基礎研究と生産実務を同列に並べて目先の価値の事だけしか語られないので、本物のエンジニアリングの肩身が非常に狭いと聞く。教育水準や社会身分の自由度の低さ、貧困はこの傾向を後押しする。歴史的にも日本は決して大きくも無いし、今だ裕福な国でもない事を思い知らされる。
| 7時間前
• 日本より中国、米国の方が自分が研究しやすい環境があるといことです。このようなトップレベルの人だけでなく、企業の中でも日本企業が研究開発に力を入れなくなっています。研究開発は利益を生まないケースもあります。また想定しない後に利益を生むこともあります。ところが企業の業績はそれこそ4半期単位で評価され、その中で利益にならない経費は削減したいのです。結果企業内での基礎研究は殆ど行われることがなくなり、「地上の星」が日本では生まれなくなってしまった。トンネルを掘る金があったら、このような地道な研究をする人が活動できる環境にお金を使って欲しい。
| 7時間前
• 文科省が「社会実装」とうるさく言うようになって久しいです。税金による研究開発費の短期回収を強く求めるようになり、日本での基礎研究は崩壊しています。無駄取りが大好きな国民性もあいまって、投資対効果を、少額投資での確実な回収と学問においても定義してしまうのが日本です。アメリカも中国も、投資対効果は、ハイリスク・ハイリターンで判断し、大半はなかなか芽が出ないものの、芽が出たものは大儲けでき、芽が出ないものへの投資も十分カバーできるとの思想があります。このため、ベンチャーキャピタルの投資は、日本ではベンチャー企業の借金扱いで信用不足の原因ですが、米中ではベンチャー企業の資金として信用が強化され、さらなる投資を呼び込みます。せめて、日本政府だけでも民間ではできない、ハイリスク・ハイリターン型の投資行動を学問においては取って欲しいです。
| 8時間前
研究環境面や待遇面での優遇処置があり、優秀な頭脳が中国に流れ出ているのは残念でならない。
中国が単純に科学技術の振興だけに研究開発予算を積み増しているのであれば良いのだが、その先に軍事目的への応用や世界の覇権争いへの応用を目論んでいると思えてならない。こちらの方がより懸念が高い。日本国内での研究開発が続けられる様に科学技術振興予算を積み増しして行って良いのでは無いか。頭脳流出の現実があれば、納税者の理解は得られると思う。
%%%%%

スキタイ(2)、総選挙(3)、デジタル庁(堤未果氏)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:北関東・寒村の晩秋二景。拡大は図のクリックで)
すすき0314

枯葉0305


 地鳴りして ほどなく始まる 地震動 昨夜に続き 今朝も目覚める

 連日、早朝未明の地震動です。防災技術研のHINETによれば、青森県沖でM4.2。当地はそれなりの揺れでありました。当地の雉も地鳴りに声を合わせて雄たけびを上げていましたが、近所の飼い犬供はだんまりであります(役立たずめ!)。
(図:防災センタHPより。右上は今朝未明、右下は昨朝未明の地震(この地震は当ブログ管理人が言う「チバラギ」地震ではない)。拡大は図のクリックで)
211108早朝無題


 国政選挙結果による落胆感を斯くも長く引きずる理由は何故か?昨日のプロ野球速報で巨人が阪神を二連破して次のステップに進んだとの不愉快な報に接し、それと同じであることがわかりました。それはさておき、私の根拠のない「取らぬ狸」予想:すなわち事前の大手メディアの予想の幾つかは「自公で過半数到達は微妙」でありました。”そうか、本当に政権交代はあるのかもしれない”との過剰期待です。現実はその期待と大きく隔たっています。「こんなはずじゃ・・・」との不快感が繰り返し脳内を経巡ります。
 躍進した『維新』の創始者・橋下氏がここぞとばかりにあちこちで、言いたい放題です。が、気になるのは「野党の選挙協力」の効果が上がらなかったという論評です。あのでたらめな安倍・菅政治の悪事をしっかりと総括することは現政権ではできないことは明らかです。そうなれば反自公勢力は力をあわせるしかないことは明白です。それを言わずして選挙結果を語る。日本のメディアの質の低さを自ら語っているに等しいのです。そもそも選挙報道は、当選予想と開票日の全局挙げての開票速報です。民に語るべきは、各政党の主張と比較、政党間の違いを明らかにするために、政党間討論を通じて、それらを民に知らせるべき事です。そうした報道はいつものことながら殆どないのです。わが国の政治意識の高揚を阻んでいる大きな理由であろうと考えています。

 興味深い分析が掲載されていたので転載します。このところ朝日と読売のスタンスが入れ替わったのかなと思わせる記事が時々紙面に載ることに奇異感があります。
%%%%%次点との差わずか391票…衆院選小選挙区、自民当選者2割が辛勝
 021/11/04 07:01
差5ポイント未満34人 前回比1・3倍
211108総選挙無題

 今回の衆院選小選挙区で、次点候補と得票率5ポイント未満の差で辛勝した自民党候補は34人に上った。2012年衆院選の2倍、前回17年の1・3倍に上り、政権復帰以降では最多となった。得票率差5ポイント未満で勝利した野党側は28人だった。立憲民主党など5野党が候補一本化を進める中、自民が接戦区をわずかな差で制したことが党勢維持につながったとみられる。
長崎4区で接戦を制して喜ぶ自民党の北村誠吾氏(1日午前1時55分、長崎県佐世保市松浦町で)
 「選挙戦の最中はずっと不安で五里霧中だった。本当に感無量だ」。1日未明、接戦の末に長崎4区での当選が判明した自民の北村誠吾・元地方創生相(74)は胸をなで下ろした。次点の立民新人とは391票差で、得票率では0・30ポイント差だった。小選挙区を制した自民候補187人(追加公認は含まず)の中で最も僅差での勝利だった。
 今回の衆院選では、自民の小選挙区当選者の約2割に当たる34人が、次点候補との得票率の差が5ポイント未満だった。政権復帰した12年は17人だったが、14年は22人、17年は27人と、選挙を重ねるたびに増えている。今回の34人のうち33人は、5野党の統一候補との接戦に持ち込まれた上で勝利しており、自民幹部も野党の候補一本化について「一定の効果はあった」と認めざるを得なかった。
 得票率差が5ポイント未満だった62の接戦区を地域別にみると、野党の地盤が強い北海道では立民の3勝2敗、無党派層が厚い東京都では立民の5勝3敗と、自民は苦しめられた。これに対し、労組票が強いとされる愛知県で自民が4勝0敗、立民が地盤を築く長野県で自民が2勝0敗と接戦を制し、沖縄県でも、自民が1勝1敗に持ち込んだ。
 野党共闘に競り勝ったことに、自民の世耕弘成参院幹事長は「我が党が最後の力を振り絞って接戦区を制したことが、今回の数字に出ている」と胸を張った。
 一方、次点候補との得票率差が10ポイント未満で当選した自民候補は59人だった。自民候補が5ポイント減らして次点候補が5ポイント伸ばしていれば、自民候補は小選挙区で59人が敗れていた計算になり、自民単独で過半数となる233議席を確保できなかった可能性もあった。
 12年の衆院選以降、10ポイント以上の得票率差で圧勝した自民候補は減り続け、今回の衆院選では128人と、12年の約7割にまで落ち込んでいる。1選挙区につき1人だけが当選する小選挙区制は、世論の風向きで当落が左右されやすく、閣僚の一人は「いっそう緊張感を持って政権運営に当たらなければならない」と気を引き締めた。
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関連動画:
総選挙2021 見えてきた課題 WeN20211106

 論者の気分が透けて見えます。山口教授は、十年ほど前の大昔、当時大阪府知事であった橋下氏の巧みな論争術の前に手も足も出ずに敗北したことが大いに話題になった人物です。立憲党の代弁者を自認するにしては、その議論に緻密さがありませんな。そして、盟友の金子勝氏同様、言葉の端々に「れいわ」嫌いがにじみ出ています。「消費税減税」が気に入らないと言う気分が顔に出ています。

+++++アジアのスキタイ(2、阿遲鉏高(あじすきたか)日子根神)
 大国主命が胸形で娶った多紀理毘売の生んだ第一子は阿遲鉏高(あじすきたか)日子根神です。この名前に込めた(藤原不比等の)思惑は「アジアのスキタイ」なる一族、すなわち巨大国ペルシアと果敢に戦った一族にあやかること、言外に「大国主神」自身はその血を受けている人物であることにあったのでしょう。いうまでもないことですが、大国主神が実在の歴史人物を具象したとすれば、それが誰であるのか?古事記からは見えてきません。私自身は「景行天皇」すなわち隋書が書く『倭王姓阿毎号多利思比弧』であり、かつ、景行天皇の父または祖父が「倭武命」であろうと考えています。日本書紀・古事記を読んだ方からは厳しいお叱りをいただくことは承知しています。なぜならば二つの史書は景行天皇と倭武命の関係は前者が父で後者が子であると書くからです。しかし、思い出して頂きたいことは、記紀にあっては神功皇后に先行する記載は時間的には逆転していることです。それは藤原不比等の作為でもあります。つまり父が実は息子であるとの「解読」こそが合理的だからです。

 話を「スキタイ」に戻します。
(図1.「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著)92頁、拡大は図のクリック」)
211107杉山091p無題


 古代ペルシアにとっての主要な戦争相手はギリシアであるとの思い込みは「歴史」著者ヘロドトスがギリシア人であること、西洋の歴史研究がとかく西洋中心主義に偏していることのあらわれであると杉山氏は指摘します。その上で、古代ペルシアにとってはギリシャとの海戦に先立って重要な軽視できない存在がスキタイであったと書きます(上記文節)。そこで、簡単に年表を見ておくことにします。
(図:「ゾロアスタ教」(岡田明憲著)巻末年表に加筆。拡大は図のクリックで)
211107岡田年表


 シュリーマンが発掘したことから史実であると確定したトロイヤの戦争もギリシャ−ペルシアの間の争闘であると思えます。その年代はまだ確定していないようですが、紀元前1200年ごろと言われています。有名なギリシャ神話がその戦争を描写しています。少年文学全集で読んだ「パリスの審判」は、早熟であった私には長く記憶に残るものでした。とりわけ挿絵は「見てはいけないものを見てしまった」との思いでありました:
(図:「パリスの審判」プラド美術館。絵画を見るのは嫌いではありません。しかし、三美女の特定はさだかでありません。多分、左端が「アフロディーテ』(ヴィーナス)、中央がゼウスの妻のヘラ、そして右が知恵の女神アシーナ(アテネ)と思っています。拡大は図のクリックで)
211108Peter_Paul_Rubens_115

 つまらぬ昔話を思い出しました。三十数年前にエジプトに出張した際、日本人女性を妻とする一研究者宅の夕飯に招待されました。そこにはチェコ・スロバキア(当時の国称)の女性研究者、ポーランドからの研究者とその奥方も招待されていました。会話の話題は専らチェルノブイリ原子力発電所事故です。事故の二年後の事でしたから話は東欧の地と民の放射能被爆その不安をヨーロッパからの客人たちがこもごも語ります。孫を持つポーランド夫妻は「被爆は受け入れるしかない」と諦めの表情です。会話の合間に「エジプト夫人」がマンダリン(まことに美味柑橘類で、それはオレンジと同じか?)をテーブルに運んできました。この美味なマンダリで私はかって現地の老人に騙されて大変恥ずかしい体験をしました。
2013年3月29日記事”箸墓古墳年代考(13、炭素年代), 数字の利用(1、米国科学誌)”より
30年ほど昔、大學の先生お二人のお供をして、エジプトに一月ほど出かけました。カイロのホテルで初めて迎える朝は快適でした。ビュッフェ式の朝食の際に取ったオレンジが誠に美味であったので、食堂から退出する際、二個ほどをポッケトにいれました。仕事は翌日からでしたから、三人で、そのまま居室に戻らず、ナイル川べりを歩くことにしました。私、其のとき、手にオレンジを持っていたことが危険な事件の切っ掛けとなりました。
 一人の杖をついた老人が「日本人か?オレンジ好きか?ワシは日本大好きだ」と話しかけてきたんですね。「そうだ」と応えると「ワシはピラミッドの近くにオレンジ園を持ってる。好きなだけ取らしてやる」と、言い、通りかかったタクシを停め「乗れ」というのです。
 今にして思えば、なんとも不思議なのですが、我々、大(だい)の男三人、何の疑惑も抱かずタクシに乗り込んでしまったのです。ところが行けども行けども目的地に着きません。車内では、不安になった我々と、其の老人との間で険悪なやり取りが繰り返されました。老人は「ワシを信じろ」と、言うのみです。やがて、老人が「着いたので降りろ」といいます。そこは、土産物用香水店でした。店内に入ると老人がコップにオレンジジュースを注ぎ(苦笑)、「飲め、オレンジだ。ところで、ここの香水はクレオパトラという上物だ。100ドルのところ50ドルにまけてやる」というのです。すでに騙されたとわかっており、初めてのカイロ、右も左もわからないので、素直に「香水」代金を払い、即座に店外に出、タクシを掴まえました。

(過去記事転載おわり)

 それはともかく、私の面前に三人の美女がいます。私はつまらぬ事を思いついたのであります。マンダリンを一つ手に取り「さて、これを誰の手に渡したものか?」と厳粛な表情で聞こえよがしに呟いたのであります。
 三美女は当然「パリスの審判」の顛末を知っていますから、みな大笑いしつつ私の手元を見つめ、「どうする?」と迫ってきます。私はそこで己の浅はかさに気付いたのであります。誰か一人に渡してしまえばそれは『日本国の国益を損なう』と言う事実であります。やむなく、皮を剥いておのれの口に放りこむことで事の決着を図ったのであります。パリスがアフロディーテの美しさに心を奪われ、結果としてアテネを戦争に導いたのに比べ、私は、「賢明」な判断で日本国の外交を救ったと自負しております。

 杉山氏が語るようにギリシャの立場からすれば、このペルシア戦争はペルシアがアナトリア半島を東から西に縦断してギリシア沖のイオニア海に侵攻してきたことで始まったとされています。多くの歴史学者はこれぞ世界史の一大事とばかりにその研究に集中します。杉山氏は、ペルシアがギリシャに侵攻した背景を探ります。そもそもはペルシアは自らの勢力を西に拡大するのではなくまずは北の地に跋扈するスキタイ制覇を目指していた。それがヘロドトスの「歴史」に書かれていると指摘します。それがペルシアースキタイの戦いであると言います。以下、杉山氏の概説をさらに読み進めることにします。

 尚、本ブログでは杉山氏の著作をそのまま転載させてもらっています。歴史知識の乏しい私が稚拙な概要をここに書くよりは杉山氏の思考を前後の文章からよむことで文脈が見えてきますから理解が増すと考えたからであります。
(つづく)

考古学ランキング
 気鋭の政治評論家である堤未果氏が「デジタル化」政策の恐怖を指摘しています。驚くべきはこの政策実施に当たって、その実務を請け負うすなわち技術面を担う企業が日本国の企業ではなく、「あまぞん」であることです。すなわち日本国民の尻の穴まで外国人が覗き込めるという仕掛けです。その不気味さに注意を払ってこなかった安倍・菅政権は弾劾さるべきでした。これも先の総選挙では重要争点であったはずですが、民に知らされることはなかった。この政策に注意を払うべきメディアも沈黙していました。
文明が変わる!? デジタル化の「恐怖」を正視しよう [三橋TV第464回]堤未果・三橋貴明・高家

大国主命(5)、反自公後退(2)、アステロイド接近

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:昨朝の日の出。拡大は図のクリックで )
日の出0288


歳とると 思考の切り替え むずかしく いまだ落ち込む 日々をすごせり

 と、いうわけで、本日のブログも、反自公陣営が先の総選挙で後退したことについてのうじうじした愚痴で始まります。自公・維新の主張が国民によって受け入れられたことがどうにも納得できないからです。8年間にわたる安倍氏の言動は後世の時代になされるであろう歴史家の検証にあっては必ず厳しい指弾を受けることはあきらかです。私利・私欲に走った「もり・かけ・さくら」は論外です。が、さらに重要なことは氏の政治的能力と言語能力の低劣さが「拉致問題の未解決」、「北方領土の放棄」さらには「安保法制による自衛隊の海外派兵」など枚挙に暇がありません。それらを振り返り吟味するならば、言葉をかえれば日本国内のメディアがそうした作業をして、国民に提示したならば、今般の選挙での国民の判断は異なっていたに違いありません。冷徹な判断を国民が下すことに確信していました。その確信は私の単なる思い込みだったと知らされました。

 しかし、世の中にはえらい学者さんは少なくありません。そのお一人である植草一秀氏が冷静な分析をまとめておられます:
野党共闘潰しに血眼大手メディア
%%%%%第49回衆議院議員総選挙の結果を受けて立憲民主党の枝野幸男氏が代表辞任を表明した。
11月1日付記事メルマガ記事
「立憲枝野代表の引責辞任不可避」
「立憲枝野代表の引責辞任不可避」
に記述した通りの結果になった。
今回総選挙の核心は枝野立憲の大惨敗。
その理由は枝野立憲民主党が主権者から支持されなかったことにある。
最大の要因は枝野幸男氏が野党共闘を冒涜、否定する姿勢を押し通したこと。
289の小選挙区のうち213の選挙区で反自公候補の一本化が実現したことから、立憲民主党が共産党を含む野党共闘に積極的であったと報じられている。
しかし、これは事実誤認。
候補者一本化が実現した最大の貢献者は共産党。
共産党が多くの選挙区で候補者擁立を取り下げたことで候補者一本化が実現した。
そして、その恩恵を最大に享受したのが立憲民主党。
しかし、立憲民主党の枝野幸男氏は野党共闘に背を向けていた。
今回の総選挙直前に枝野幸男氏は記者に対してこう述べた。
「「野党共闘」というのは皆さんがいつもおっしゃっていますが、私の方からは使っていません。
あくまでも国民民主党さんと2党間で連合さんを含めて政策協定を結び、一体となって選挙を戦う。
共産党さんとは(共産、社民、れいわの3党と一致した政策に)限定した範囲で閣外から協力を頂く。」
枝野氏は、共闘の対象は国民民主と連合であって、共産、社民、れいわとは共闘しないと述べていた。
10月23日に都内で行われた市民団体のイベントでは、立憲民主党の枝野幸男代表が共産党の志位和夫委員長との記念写真撮影を拒絶した。
枝野氏は野党共闘を推進したのでなく、野党共闘に背を向ける対応を示し続けた。
このために、立憲民主党が野党共闘構築を牽引することを期待した主権者多数が立憲民主党不支持に回った。
その結果として立憲民主党が比例代表選挙で大敗した。
2017年総選挙と2021年総選挙の結果を客観的に検証すると、この事実が鮮明に浮かび上がる。
旧民主党=旧民進党である「立憲民主党と希望の党」、および「立憲民主党と国民民主党」の獲得議席数を見てみよう。
2017年選挙
選挙区36  比例代表69
2021年選挙
選挙区63  比例代表44
他方、自民党獲得議席は
2017年選挙
選挙区218 比例代表66
2021年選挙
選挙区189 比例代表72
旧民主・旧民進の2017年、2021年獲得議席数を見ると、
選挙区で27議席増大、比例代表で25議席減少
となった一方、自民党は
選挙区で29議席減少、比例代表で6議席増大
となった。
つまり、小選挙区で反自公候補が一本化されたことで立憲民主党は議席激減を免れたのである。
ただし、立憲民主党への支持が急減したために立憲民主党が比例代表での獲得議席数を大幅に減らした。
自民党が獲得議席数で大健闘したのは比例代表で議席を積み増したからだ。
この状況で野党候補一本化が消滅すると何が起こるか。
立憲民主党は獲得議席数をさらに激減させ、野党第一党から転落する可能性が高い。
読売、産経、日経が「野党共闘路線が立憲惨敗の主因」とのプロパガンダを流布している。
公明と関わりの深い毎日も同調している。
通信社の時事、共同も歩調を合わせている。
狙いは単純明快。
米国が支配する日本の政治構造を固定化する上での最重要課題が「野党共闘の粉砕」なのだ。
この情報誘導に乗せられて立憲民主党が野党共闘路線を放棄すると、立憲民主党は小政党に転落する。
これが日本支配勢力の狙いである。
この点を見落としてはならない。

鳩山友紀夫元首相との対談(アジア共同体研究所主宰YouTube動画「UIチャンネル」)
10月5日発売の鳩山友紀夫元首相、孫崎享氏、前川喜平氏との共著『出る杭の世直し白書(ビジネス社)
のご高覧も賜りたい。
%%%%%
参考動画:
本日 20時〜生配信 <総選挙、野党混沌の未来>【山田厚史の週ナカ生ニュース】


+++++アジアのスキタイ(1)
 最近数回にわたって古事記・大国主神の記述を考察してきました。大国主神が胸形に出向いた際に、そこで出会った多紀理毘売を娶したくだりは、日本列島古代史の解明の重要な事象であることを書きました。そこで生した一子が阿遲鉏高(あじすきたか)日子根神であると古事記は書きます。この名前の謂れについて古代史研究者は「苦悩」します。概して古事記に登場する人物には由来を想像できる名前が多いのです。小学館「古事記」は、以下の注を書き添えます:
「アジは一種の美称か。スキは農耕具。農耕神か」(同署07頁)と。
 一方、前々回記事に転載したHP記事の執筆者もこの解釈に苦しみ、たどり着いた解釈は
[阿遅はアヂ、ともえ鴨のこと。(大三元さんのご教示:古語辞典で確認)(あじすき)というものでした。

 私はこうした考えに賛同しません。今回記事の表題に示唆されるように「アジアのスキタイ」がこの名称の由来であると考えています。いきなり荒唐無稽な論を持ってきたと呆れる読者も居られようかと思います。以下縷々説明します:
 そのためにはまず「スキタイ」について説明をしておく必要があります。
%%%%%ウイキは以下を書きます 
スキタイ とは
(Scythae, Skythai, 希: Σκύθαι)は紀元前8世紀〜紀元前3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していたイラン系[1][2]遊牧騎馬民族および遊牧国家。スキュタイ、スキュティア人、スキティア人ともいい、その地をスキュティア、スキティアと呼ぶ。「スキタイ」は古代ギリシア人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称でもあり、スキタイが滅んだ後も遊牧騎馬民族の代名詞として「スキタイ」の名は使われ続けた。
%%%%%
 次に アジアです。ウイキは以下を書きます:
%%%%%ウイキ
アジアアジア(英語: Asia , ラテン語: Asia[注釈 1])は、世界の大州のひとつ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、様々な定義がなされる場合がある。漢字表記は亜州(あしゅう)〈正しくは亜洲と書く〉又は亜細亜。
アッシリア語で東を意味する「アス」に語源をもつ。古代では現在の小アジアを指した。
%%%%%
(図1:現在のウクライナ地域、黒海の北とカスピ海の東に跋扈したスキタイ。因みにアケメネス朝ペルシアは紀元前559年〜紀元前330年。拡大は図のクリックで)
 211104スキタイ無題

「スキタイ」については、中近東を研究課題としている研究者が必ずその存在について言及しています。それは上に示したウイキ記事からも明らかです。ここでは、「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著、日経ビジネス文庫、2003)89−123頁の記載にしたがって考えてみることにします。

 さて、「荒唐無稽」と映りかねない仮説に私を導いたのが杉山氏の著書の次の一節です:
(図2:「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著、日経ビジネス文庫、2003)。拡大は図のクリックで)
211104スキタイ_サカ無題

 上に掲載した一節は「サカ」族に言及しています。すなわちスキタイ『人』が跋扈した地は現在のウラル地方からカスピ海周辺です。因みにサカ族の分布域を次図に再掲します:
(図3:サカ族。拡大は図のクリックで)
211104カザフスタン無題

 サカ族の日本列島への渡来が日本列島古代史を探る上での最重要な史実であると本ブログでは強調してきました。繰り返しになることを避けますが、「アスカ」の由来は「ア」(火、明)と「スカ=サカ」です。また「蘇我」一族の出自はこの「サカ」であることも指摘してきました。どうやら二つの一団すなわち「サカ(スキタイ)」と「ゾロアスタ教」一団が時間を違えて日本列島に渡来したと考えるべきなのです。どちらも「シリウス星」に畏敬の念を払っていたと思えることは本ブログで書いてきました。
 図1に示したようにスキタイと呼ばれる集団は紀元前8世紀から紀元前3世紀ごろまで黒海の北、現在のウクライナ地方に勃興しています。四十数年前の大昔、私はスキタイ族が跋扈した地で数日を過ごしたことがあります。
(図:クリミヤ半島の山岳城砦)14年3月7日記事より(左上: 山上都市遺跡、塀を伝い歩きする勇気ある美人秘書さん(左)、と同行してくださった研究員(右)、右上: ウクライナ科学アカデミ・シンフェロポリ研究所敷地内のサクランボ 左は研究員、右は所長、中央は当時二歳の愚息 左下: オスマントルコ時代の城跡 黒いセダンのロシア高級車ジグリから息子を引きずり出す母親と、右の女性は美人秘書さん 右下: ヤルタからシンフェロポリへの帰路に立ち寄った植物園、二歳の息子と母親 向うに望むのが黒海)

211104クリミヤ71a9b2b4


 宿をクリミヤ半島の中心都市シンフェロポリに取り、一日目は市内観光、二日目はヤルタまで日帰り旅行、三日目はクリミヤのとある大学での講演とその後の市内見学でした。上の写真に見るような大きな城砦跡を訪ねるべく急な坂をえっちらおっちら登りました。一つ困ったことがありました。付き添ってくれた研究所の研究員のお一人は新婚早々という美女でありました。上に示す写真の右上の女性です。私と連れ合い及び2歳の息子を先導するため先行します。途上、ふと見上げると眼前には見てはいけないけれども、しらずに目が吸い寄せられるような光景がありました。そっちの方向に目を向けまいと必死でありました、が目は言うことを聞いてくれません。自制に大変な苦労をしたことが40数年後を経たいまでも記憶にあります。男とうまれた哀しい性(さが)であります。
 城壁に辿りつく急坂の岸壁には多くの壁画(主として宗教画)が彫られています。城砦を見物し再び急坂を下るとそこには古風な博物館があり、そこには16世紀から20世紀にわたって繰り返し戦火の火花を散らした「露土戦争」関連物が展示されています。その中ではとりわけエカテリーナ女帝が指揮した1768年の戦争を描いた絵画が多かったと記憶しています。このときに、もっとしかるべき鮮明な問題意識を持っていればと今になって悔やんでいます。と言うのも上の写真に見るように私どもには優秀な二人の研究者が同伴してくれ、流暢な英語で、あらゆる質問に答えてくれていたのです。上の写真に見る山岳城砦史跡は、これから書くスキタイとペルシアの戦闘の現場であったのかもしれません。

 いずれにしても露土戦争は16世紀に勃発したものではなく、遠く紀元前8世紀ごろにその嚆矢があったのかもしれません。上掲の本で、著者の杉山氏は「ギリシャの歴史家ヘロドトス(BC484-420 )が著した大部「歴史」を辿りながら氏自身の知見を重ね合わせます。
(つづく)

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+++++もう一つの自然災害(宇宙飛行物の地球落下)
 このところ東北日本では地震活動が活発化している印象があります。それに加え、先日は熊野灘沖でもM が5を超える地震がありました。日本列島に住む民として、低質な政治家と活発な地震活動という不運な定めからは逃れられないのかもしれません。それにくわえて海外から、怖ろしいニュースが飛び込んできました。
%%%%%An asteroid barely missed Earth last week, and no one knew it was coming
 An asteroid about the size of a refrigerator shot past Earth last week, and astronomers didn't know the object existed until hours after it was gone.
It was a close call (from a cosmic perspective); the space rock's trajectory on Oct. 24 carried it over Antarctica within 1,800 miles (3,000 kilometers) of Earth — closer than some satellites — making it the third-closest asteroid to approach the planet without actually hitting it, CNET reported.
Scientists were unaware of the object, dubbed Asteroid 2021 UA1, because it approached Earth's daytime side from the direction of the sun, so the comparatively dim and small visitor went undetected until about 4 hours after passing by at its closest point, according to CNET.
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アステロイド(宇宙からの飛来岩体)が我々のすぐ近くを通り過ぎていった。
先週、冷蔵庫ほどの大きさの小惑星が地球を通過した。天文学者は、その物体がなくなってから数時間後まで、その物体が存在することを知らなかった。
それは(宇宙の観点から)近い呼びかけだ。CNETの報告によると、10月24日の宇宙岩体の軌道は、地球から1,800マイル(3,000 km)以内の南極大陸上空をはしり、一部の衛星よりも近く、実際に衝突することなく惑星に接近する3番目に近い小惑星になった。
CNETによると、小惑星2021 UA1と呼ばれるこの物体は、太陽の方向から地球の昼間側に接近したため、科学者はその物体に気づかなかった。比較的薄暗いその小さな訪問者は、最も近い地点を通過してから約4時間ものあいだ検出されなかった。

DBut with a diameter of just 6.6 feet (2 meters), UA1 was too small to pose a threat. Even if it had struck Earth, most of its rocky body would have burned away in the atmosphere before it could hit the ground, CNET reported.
Comets and asteroids that orbit within our cosmic neighborhood, approaching Earth within 1.3 astronomical units (120.9 million miles, or 194.5 million kilometers) are known as near-Earth objects (NEOs), according to NASA's Center for Near-Earth Object Studies (CNEOS). NASA uses telescopes on the ground and in space to find and monitor NEOs; to track their orbits and identify their size, shape and composition; and to pinpoint potentially hazardous objects, managing these efforts through the agency's Planetary Defense Coordination Office.
For an object to be considered dangerous, it has to measure at least 460 feet (140 m) in diameter, NASA says. UA1 may not have been big enough to threaten the planet, but what about bigger asteroids that might be headed our way? NASA is also investigating defensive technologies for protecting Earth from possible collisions with larger space rocks, through deflection.
しかし、直径がわずか6.6フィート(2メートル)であるため、UA1は小さすぎて脅威を識別ができなかった。たとえそれが地球に衝突したとしても、その岩体のほとんどは、それが地面に着く前に大気中で燃え尽きていただろう、とCNETは報告した。
NASAの地球近傍天体研究センター(CNEOS)によると、私たちの宇宙の近隣を周回し、1.3天文単位(1億2,090万マイル、つまり1億9,450万キロメートル)以内で地球に接近する彗星と小惑星は、地球近傍天体(NEO)として知られている。NASAは、地上と宇宙で望遠鏡を使用してNEOを見つけて監視している。それらの軌道を追跡し、それらのサイズ、形状、および組成を特定するため。潜在的に危険な物体を特定しPlanetary Defense Coordination Officeを通じてこれらの取り組みを管理している。
NASAによると、物体が危険であると見なされるには、直径が少なくとも460フィート(140 m)である必要がある。UA1は惑星を脅かすほど大きくなかったかもしれないが、地球の軌道に向かっている可能性のある、より大きな小惑星はどうか?NASAはまた、方向転換という着想を通じて、より大きな宇宙の岩石との衝突の可能性から地球を保護するための防御技術を調査している。
The Double Asteroid Redirection Test (DART), scheduled to launch Nov. 24, will test a method for diverting asteroids by hitting them with high-speed remote-controlled spaceships, NASA representatives said in a statement. Scientists will send the DART spacecraft hurtling into the near-Earth binary asteroid Didymos, which is shaped like a spinning top and has two bodies; the bigger one measures about 2,600 feet (780 m) in diameter, and its smaller moonlet measures around 520 feet (160 m) in diameter.


Schematic of the DART mission shows the impact on the moonlet of asteroid Didymos. After the impact, observations from Earth-based optical telescopes and planetary radar will measure changes in the moonlet's orbit about the parent body. (Image credit: NASA/Johns Hopkins Applied Physics Lab)
Didymos came closest to Earth in 2003, skimming it at a distance of approximately 4.5 million miles (7.18 million km), but it typically circles the sun just outside Earth's orbital path, according to NASA. While Didymos doesn't threaten Earth, it's just about the right size to test if the collision can nudge a hazardous NEO enough to divert it from a collision course with Earth, according to the statement.
Still, to divert an asteroid, NASA would need to detect it before it hit Earth. That's why another mission, NEO Surveyor, is developing an infrared space telescope that could improve the chances of spying sneaky asteroids such as UA1 that approach from behind the sun, according to the University of Arizona's Lunar and Planetary Laboratory, which is collaborating with NASA on the project.
NASAの代表者は声明のなかで、 11月24日に打ち上げられる予定のダブルアステロイドリダイレクションテスト(DART)は、高速の遠隔操作宇宙船で小惑星を攻撃することによって小惑星を迂回させる方法をテストするだろうと述べた。科学者たちは、DART宇宙船を地球近傍小惑星ディディモスに送り込む。ディディモスは、こまのような形をしていて、2つの物体を持っている。大きい方の独楽の直径は約2,600フィート(780 m)で、小さい方の駒の長さは直径約520フィート(160 m)だ。

DARTミッションの概略図は、小惑星ディディモスの月面への影響を示している。衝突後、地球ベースの光学望遠鏡と惑星レーダーからの観測は、親体の周りの独楽の軌道の変化を測定する。(画像クレジット:NASA /ジョンズホプキンス応用物理研究所)
211104アステロイド無題

 NASAによると、ディディモスは2003年に地球に最も接近し、約450万マイル(718万km)の距離でスキミングしたが、通常は地球の軌道のすぐ外側で太陽を一周する。声明によると、ディディモスは地球を脅かしていないが、衝突が危険なNEOを地球との衝突コースからそらすのに十分なほど微調整できるかどうかをテストするのにちょうどいいサイズだ。
それでも、小惑星をそらすために、NASAはそれが地球に衝突する前にそれを検出する必要がある。アリゾナ大学の月惑星研究所によると、別のミッションであるNEOサーベイヤーが、太陽の後ろから接近するUA1などの卑小な小惑星をスパイする可能性を高めることができる赤外線宇宙望遠鏡を開発しているのはそのためだ。これらはNASAとの共同プロジェクトだ。
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The 7 strangest asteroids: Weird space rocks in our solar system
The 12 strangest objects in the universeTo date, NASA has identified approximately 27,000 NEOs, of which about 9,800 measure at least 459 feet (140 m) in diameter and 890 measure 0.6 mile (1 km) in diameter, according to the CNEOS.
While UA1 may have been a relative pip-squeak, other asteroids zooming by Earth on Nov. 2 are significantly bigger, according to NASA Jet Propulsion Laboratory's Asteroid Watch. Those five space rocks range in diameter from 56 feet (17 m), or about the length of a house, to an airplane-size 170 feet (52 m).
Luckily, none of these space rocks will come within 515,000 miles (829,000 km) of Earth, NASA says.
Originally published on Live Science.
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CNEOSによると、これまでにNASAは約27,000のNEOを特定しており、そのうち約9,800は直径が少なくとも459フィート(140 m)、890は直径が0.6マイル(1 km)です。 NASAジェット推進研究所の小惑星ウォッチによると、UA1は比較的きしむ音だったかもしれませんが、11月2日に地球によってズームされた他の小惑星はかなり大きくなっている。これらの5つの宇宙岩の直径は、直径56フィート(17 m)、つまり家の長さから、飛行機のサイズ170フィート(52 m)までさまざまだ。
幸いなことに、これらの宇宙の岩石はどれも地球から515,000マイル(829,000 km)以内に来ることはないだろうとNASAは言う。
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大国主神(4)、反自公勢力大きく後退(総選挙)

 (図:ショパン・コンクール二位入賞で喜びを語る反田恭平氏。東京新聞10月30日付けより、拡大は図のクリックで)
反田2110300274

 (本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:渡り鳥が当地を通過しているようです。拡大は図のクリックで) 
渡り鳥0256

 がっくりと 大きな落胆 この怒り どこに向けべか 誰に向けよか

 もうこれが最後の国政選挙かもしれない。せめて「やった〜!」と喜びながらこの世をおさらばできるのかなと期待しましたが、結果は真逆でありました。とりわけ反自公統一候補を擁立した選挙区で選挙民の支持が伸びていません。これは一体どうしたことでしょうか?“モリカケサクラ”、公文書改竄、医療崩壊、などなどこの9年間の自公政治の出鱈目ぶりは目に余るものがありました。
(図:赤木夫人の訴えはどうなるのか、拡大は図のクリックで)
赤木夫人0275

 投票率は半分をやっと超えた程度です。残り半分の有権者はいったい何を考えてるのだろうか?書き出したら愚痴が沸き上がってきます。立憲・枝野党首の政権奪取に向けた気概(やる気)を感じない選挙であったことも私の愚痴の一つであります。が、原因はそれだけではありますまい。そんな暗い雰囲気の中で、唯一『れいわ』の山本太郎氏が国会に復帰したことだけが気休めとなっております。
 反自公政治を訴えてきた立憲などの野党がどのような総括をし、どのような体制再構築をするのか見守るしかありません。しかし、その成果を私が見届けることができるのか否か、それも定かでありません。本日は早朝未明から、ただひたすらに気分が落ち込んでおります。
(表:各党の獲得議席。拡大は表のクリックで)
211101総選挙無題

 自民党の補完勢力が自民党の議席減を「補完する」結果となりました。自民党と立憲の議席減の和が維新の議席増加数となっています。また愚痴になりますが大阪の深刻な医療崩壊の原因は橋下氏に始まり吉村氏に引き継がれた府政です。ただひたすら無策のままTVに顔出ししただけであれだけの躍進になる。選挙民の生活防衛意識は奈辺にありや?不可解であります。そして我選挙区でも「モリトモ」の主犯である安倍氏を国会で露骨に擁護した自民党候補者が大差で当選です。選挙民の真贋を見極める「目」は曇ってしまったのか、と言わざるを得ません。
%%%%%衆院選投票率55.93% 戦後3番目の低さに  2021/11/1 06:16 (JST)、一般社団法人共同通信社
 衆院選小選挙区の投票率は、共同通信社の1日の集計で55.93%となった。2017年の前回衆院選(小選挙区、比例代表とも53.68%)を2ポイント超上回るが、戦後3番目に低い投票率。4回連続で50%台の低い水準となる。
 解散から投開票までの期間が短く、選挙戦も国民的な盛り上がりを欠いたことなどが要因とみられる。戦後最低は前々回14年衆院選(小選挙区52.66%、比例代表52.65%)。17年は戦後2番目の低さだった。
 投票率は各都道府県選挙管理委員会の発表を基に独自に集計しており、総務省が発表する確定値と異なる可能性がある。
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+++++「日本沈没」
 11月になって最初の朝に立て続けに二つの顕著地震が発生しました。まずは熊野沖です。発生が想定される南海地震の震源域内で起きています。要注意地震です。
(図:HINETより。拡大は図のクリックで)
211101熊野沖無題

 もう一つは茨城県北部地震が本朝6時過ぎに起きました。10月7日の埼玉で震度5の揺れを引き起こした地震に引き続き同月28日の地震(10月28日記事)と、このところ茨城県界隈は騒がしくなっています。
(図:Hinetより。拡大は図のクリックで)
211101北茨城無題

参考記事:211011記事10月7日(M5.9気象庁)地震(「チバラギ」地震、明日は豪州戦

 昨日は放映されませんでしたがTVドラマ「日本沈没」の視聴感想記事がありました。
%%%%%「日本沈没」の設定はリアル? 専門家の意見は「メカニズムとしてはあり得る」 10/31(日) 10:57配信
 近年では「半沢直樹」が大ヒットしたTBS日曜劇場(日曜午後9時〜)の最新作「日本沈没―希望のひと―」が順調だ。10月10日の第1話、17日の第2話ともに視聴率15%超え。牽引役となっているのは、やはり豪華キャストだろう。 【写真3枚】杏、香川照之…ヒット作を支える名優陣
主人公で未曾有の災害に立ち向かう環境省職員を小栗旬、同期の経産省職員を松山ケンイチが演じ、「関東沈没」を予言する地震学者に香川照之、環境省の汚職を追う週刊誌記者に杏を配するなど、これでもかといわんばかりの顔ぶれを並べる。  原作はご存じ小松左京の『日本沈没』。ただし、本作はオリジナルと異なり、日本沈没を招く原因は地球温暖化にあるという現代的な設定だが、一部から「突飛すぎでは」という声も。そこで、番組を監修した名古屋大学大学院の山岡耕春教授(地震学)に聞けば、 「TBSの番組宣伝HPに掲載しているコメントがすべてです」  とのお答え。で、HPを覗くと、こうあった。 〈そもそも日本が沈没することはあり得ないことなのですが、その上で(TBSから)『日本沈没の原因を温暖化にしたい』と言われたときは非常に困りました。(中略)もっともらしい設定を作るためにはどうしたらいいか、頭が痛かった〉  なるほど、素直な困惑の吐露である。
「学者の足の引っ張り合いはリアル」
 だが、こちらの専門家は素直に番組を楽しんでいるようだ。京都大学の鎌田浩毅名誉教授(地球科学)は、1973年公開の映画第1作のみならず、74年放送のドラマ、さらに2006年版の映画と「全部観ている」とおっしゃる。 「本作は他のシリーズと同様、さほど荒唐無稽だとは思いません。学者が足を引っ張り合う話などは、現実にもあって大変リアル」  では、原作と比べてどうなのか。 「小説は、海底プレートのモデルや地震発生のメカニズムについてきちんと踏まえつつ、プレート運動を実際よりも“早める”ことで日本を“沈没させる”フィクションを描いた。今回のドラマも手法は同じ。温暖化で海水面が上昇し、海底プレートに強い圧力がかかって地震が引き起こされると想定しているのですが、メカニズムとしてまったくないわけではありません。ただ、地震に繋がるほどの海水面上昇が、現実には起きないだけです」  もし設定に関心を持ったなら、視聴者はそれを契機に現実の危険にも目を向けてほしいと訴える。 「南海トラフ地震は2035年を軸に前後5年の誤差で確実に発生します。予想被害総額は220兆円で、国の年間税収の3.5倍。予想死者数は32万人で、3.11の犠牲者2万人の16倍です。まさに日本沈没。だから対策と準備が急務なのです」  ドラマのキャッチコピーに「信じられるリーダーはいるか。未来は絶対に消させない」とあるが、現実の世を見ると指導者は心もとない限り。悲劇は小説とドラマの中だけにしたい。
%%%%%「週刊新潮」2021年10月28日号 掲載

+++++大国主神の子供
 前回記事では、下に掲載した古事記の一節について、通説(古代史研究者によって正統と考えれらている解釈)に基づく「解説」を紹介しました。この解説を執筆した研究者のお名前を知るべく努めましたが、現時点ではわかりません。掲載されているHP記事を引用することでもって、本ブログ管理人の非礼をお許しいただきます。いずれにしても、これから書く私の考えは上掲の「解説」とはまったく異なりますので、「盗作」と言うことにはならないと考えています。
%%%%%古事記
(原文、文意は省略)
故此大國主神。娶坐胸形奧津宮神。多紀理毘賣命。生子。阿遲〈二字以音〉鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名。下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。 大國主神。亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八嶋牟遲能神。〈自牟下三字以音〉之女鳥耳神。生子。鳥鳴海神。〈訓鳴云那留>。
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「故此大國主神。娶坐胸形奧津宮神。」と書く冒頭の一節をまずは考察します。七世紀初頭からおよそ八世紀までの百年間にわたって日本列島内では激しい権力争いが続いていました。それは奈良盆地に拠する「天孫』族と、「蝦夷」と奈良側が蔑称する「地祇」集団との間の戦いです。冒頭の一節はこの「蝦夷」一派に、かっての邪馬台国の末裔が参入した;言葉を変えれば、渡来民の一族は邪馬台国の末裔一族を自らの陣営に取り込んだ:すなわち、二つの勢力は合流(合体)したことを語っているのです。
 さて、合流のなかから誕生した子が阿遲鉏高(あじすきたか)日子根神です。大国主神は胸形に座す部族首領の娘を娶したのです(もっともこれは「合流」の象徴的表現とも思えます)。この記載は胸形君徳善の娘を娶した天武天皇と重なります(日本書紀巻二十九、天武天皇二年二月紀)。すでに書いたように古事記にしても日本書紀にしても、同じ筋立て(説話ネタ)を状況を変えて「使いまわし」をすることが頻繁です。「使いまわし」をする理由は八世紀以後、権力掌握を確定した奈良盆地勢力は七世紀半ば以前の日本列島の地政学は知悉していない、すなわち「正史」に書き込む「ネタ」が不足しているからです。
 となると、阿遲鉏高(あじすきたか)日子根神は、「国譲り神話」で天孫族にあがらった「建御名方命」でもあると言うことになります。すなわち「建御名方命」という呼称はその母が「胸形奧津宮神」に由来していたことを暗示していたのです。古事記は「建御名方命」の母の名前を記載しなかった。が、図らずもここでそれが明らかになったと言うことです。古事記研究者が指摘するように、事代主神にはその母が明記されています。すなわち、「亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。」なる一節です。ただし、事代主神は「建御名方命」の兄ではなく弟と言うことになります。

 上に書いてきたことは読者の方々を大きな混乱に陥れるかもと危惧しています。実は私自身も整理がついていない問題(疑問)でもあります。大国主神は地祇の中心人物です。一方天武天皇は日本書紀を見る限りでは「天孫族」の首領として次代の礎を奈良盆地で飛鳥時代に築き上げた人物と記載されています。この人物には大きな不透明があることを繰り返し書いてきました。その謎の一端が皇后の名称にあることを以前指摘しました。彼女には二つの幼名と二つの漢風諡号あることです。それを過去記事で振り返っておきます(181210記事<<資料>>政治を放棄し君臨のみに走る安倍氏、(続)二人の天武妃)。
%%%%%過去記事再掲
 (前略)日本書紀が描く天武天皇の皇后は、二つの異なる人格を重ねて、一人の人物に仕立て上げられた「人物」ではないかとの仮説に至ります。一人は、九州にあって天武天皇の妃として終始傍にいた女性、もう一人は、天武天皇とは無関係でありながら、日本書紀では天武天皇皇后として描かれている女性です。この二人の女性が一個の人格としてこしらえ上げられていると思えるのです。この仮説に整合する説得力ある記述が日本書紀、続日本紀にあるのです。

 持統天皇は、697年に皇位を孫の文武天皇に譲った後も太上天皇として引き続き最高権力の座にありました。が、702年に死去します。その翌年、次のような記事を続日本紀巻第二に見ることができます:
(1)大宝三年(七〇三)十二月癸酉(十七日)従四位上当麻真人智徳。率諸王・諸臣。奉誄太上天皇。謚曰大倭根子天之広野日女尊。是日。火葬於飛鳥岡。
 「当麻真人智徳が率諸王・諸臣などを率いて太上天皇に誄(しのび事)を奏上し、[大倭根子天之広野日女尊](おおやまとねこあめのひろのの姫のみこと)という謚号(おくりな)を奉った。この日飛鳥丘に火葬した」

 ところで、持統女帝の謚号(おくりな)は、別にあり、日本書紀編纂時にはその諡号が使われています。日本書紀巻三十の冒頭の記事です:
(2)持統天皇即位前紀:高天原広野姫天皇。少名ウ(漢和字典に無い字:ブログ管理人)野讃良皇女。天命開別天皇第二女也。母曰遠智娘。〈更名美濃津子娘也。〉天皇深沈有大度。天豊財重日足姫天皇三年。適天渟中原瀛真人天皇。為妃。雖帝王女。而好礼節倹、有母儀徳。天命開別天皇元年。生草壁皇子尊於大津宮
 「高天原広野姫天皇」(持統女帝への和風諡号)、少女時代の名は「うのささらひめみこ」で、天命開別天皇(天智天皇の和風諡号)の次女。母は「おちのいらつめ」<別名“みのつこのいらつめ”>。冷静沈着、度量大。皇極天皇三年時、天武天皇の妃となる。帝の娘でありながら礼節をわきまえ、質素、賢母としての徳をそなえる。天智元年に大津宮で草壁皇子を生む。」

 持統女帝になんと二つの諡号が諡(おく)られたのです。持統女帝だけが二つの諡号、誠に奇妙です。この「奇妙さ」は、以下によってしか理解出来ません:
 二人の女性、一人は「確かに天皇経験者」です。そして、もう一人は正史編纂の都合でおおっぴらには登場させることは出来なかったが、しかるべき処遇を与えられるべき「皇后相当の女性」だったのです。日本書紀編纂者は、政治的思惑から二つの「号」を二人の女性に諡(おく)ったのです。(後略)
%%%%%過去記事再掲終わり
 ところで、本ブログでは、国譲り神話に登場する「建御名方命」は、日本書紀が二十九巻で語る「天武天皇」(実は「倭国」王)であったろう、と書いてきました。この経緯について、本ブログ2013年5月8日から7月29日まで多数回にわたって詳細に考察してきました。
こうしたことを勘案して2013年7月1日記事で以下を書いています:
%%%%%過去記事抜粋
 「天武」なる漢風諡号を奉られた人物が倭国史上に存在したのか?私は、不比等が正史の整合的な編纂過程でつくりあげた人物と思っています。したがってその人物の和風諡号が「大海人」であったのかどうか、これも定かではありません。いずれにしても、この天皇に議せられた人物は、日本列島西にあった「日入り国」の王として存在したことは確かです。そしてその后は持統女帝でなかったことも確かなことです。だからこそ、日本書紀はこの点についてもきわめてあいまいな記載となっているのです。そのきわめて明瞭な点が持統女帝の和風諡号がなんと二つあることなのです(2013年7月1日記事)。つまり本物の九州の王の后と、藤原不比等の強力なパートナであった女王(持統女帝)と言う二人の女性の存在を「二つの和風諡号」で以って日本書紀(続日本紀)は隠さずに書いているのです。
%%%%%
 二つの諡号が暗示することは、二人の女性の存在を思わせます。一人はれっきとした天孫族の女性であり、一人は地祇の女性であると言うことです。天存続の女性には天孫族の夫があり、地祇の女性には地祇の夫がいた。八世紀初頭は天孫族である奈良の軍事勢力が地祇すなわち蝦夷を軍事殲滅した時期です。しかし、この史実は「正史」には記載されない。すなわちこの残虐な闘争は正史から抹殺するという政治的思惑から二人の相対立する皇后の存在とそれに伴うそれぞれの夫の存在がぼやかされたのだろうと想像しています。

 八世紀半ば以降に宮廷で日本書紀の講書が始まっていると「古事記」(小学館、1986)はその9頁で書いています。講書に参加した人たちは、日本書紀の記載する内容について当然目撃していた人物もいた可能性があります。そうした人たちからはそれは真実ではないとの指摘もありえます。
 と言うわけで、私は日本書紀が撰上された西暦720年のわずか一年後の宮中で講書されるなぞはありえないことと考えています。が、これらの疑問を現時点で解明することは不可能です。とりあえずは、論理的に、原文によってのみ解読するという現行スタイルを維持することにします。

さて、前書きが長くなりました。私がもっとも大きな関心を寄せているのが阿遲鉏高(あじすきたか)日子根神です。これを次回書きます。
(つづく)

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大国主神(3)、総選挙(森裕子氏、古賀茂明氏応援演説)

ドンと突き上げられる体感のしばらく後に大きな揺れが10秒ほど続きました。スワッ「チバラギ地震」(211011記事“10月7日(M5.9気象庁)地震(「チバラギ」地震、明日は豪州戦”)と身構えましたが、今般の地震は「霞ヶ浦ー市原線」より少し西にずれており、発震機構解も異なっています。しかし、無関係であるとの断言はできません。因みに当地の雉と犬供はダンマリを決め込んでいました。「サル」たる当ブログ管理人のみが騒いでいるというわけです。

%%%%%茨城県で震度4 津波の心配なし 10/28(木) 9:57配信
10月28日 09時55分頃、茨城県で最大震度4を観測する地震がありました。 震源地:茨城県南部 マグニチュード:4.6 震源の深さ:約50km この地震による津波の心配はありません。
(図:防災科学研究所広報(Hinet)より。拡大は図のクリックで)
211028茨城000166_03.jma

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:用水路に映る二十二月)
二十月0266

(写真:緑の彦ばえ(右)と刈り取りを待つ黄色の稲穂(左)。拡大は図のクリックで)
彦生と未刈り取り0262

 あと四日 九年の悪夢 取り払う 民の判断 真っ当であれ

 大変良い応援演説を視聴しました。国会での論理的な政府追及ではピカ一の女性国会議員・森裕子氏です。コロナ禍での臨月を迎えた妊婦さんが医師の助けもなく一人ぼっちで出産せざるを得なかった事情を語ります。新しい生命の誕生と言う本来であれば喜ぶべき話です。思わず涙がこぼれる応援演説です。そしてこの演説をフォローするのが元経済産業省官僚の古賀茂明氏です。緻密で説得力ある内容です。政府の無策故に日々の暮らしに追い詰められた悲しい母と娘の話が紹介されます。
2021.10.24 無所属 米山隆一候補(新潟5区)街頭演説 ―応援弁士:古賀茂明氏(元経産官僚)、立憲民主党・森裕子参議院議員


 下に掲載した二葉の図が日本国の経済の実情の一端、およびそうした事態に導いた富の偏在の実情を明瞭に示しています。これは偏に安倍・菅政治の結果です。2015年と言えばもう6年前のことですが日本国における派遣会社の数は異様に多いと言うことを指摘しています。その元締めが竹中平蔵氏と言うわけで、氏はまさに濡れ手に粟の金づるを握っていたことになります。
日本国における派遣会社の数
日本国の勤労者あたりの賃金が異様に低くしかも上昇の兆しがありません。
日本国の勤労者あたりの賃金

 私が住まう選挙区の自民党候補者は、森友事件で露骨に安倍氏を擁護した人物です。そしてそれをつい最近までは自らの手柄であり実績として語っていた人物でもあります。しかし、先日各戸配布された選挙広報には「モリトモのモの字もありません。さすがにその手柄話を政治活動実績にふくめることにためらいがあったようです。一方、茨城市民連合が押す候補者がはっきりと「もりとも」疑惑をただすことを政策に掲げています。
(図:茨城三区候補者の選挙公報より)
広報0268


+++++大国主命(3)
 地祇すなわち国津神を代表するのが大国主神です。旱魃、豪雨、地震、などの自然災害に加えて今般のコロナのような疫病は人力では到底防ぎきれません。何か人間社会とは別のところに存在していると思いたい「何か」にすがるしかありません。それが信仰で国津神です。こうした「土着の信仰」は、新たな体系だった別の信仰によって置き換わることは少なくない。それによって上述の「何か」が明示されるからです。かくして、渡来民の信仰は在来の信仰とつながりを持ったと想像できます。
「古事記」と言う「日本列島政治史」編纂を思い立った藤原不比等は自らの知識を何らかのかたちで歴史の「真実」をその『正史』なるものに書き込んでおきたいとの「学者」らしい気分もあったのかなと想像させます。その際に意識したのが「信仰」です。これから解読する古事記の一節は多くの真実を隠蔽しながらも藤原不比等流に地祇の構造を整理していると考えています。
%%%%%古事記
(原文)
故此大國主神。娶坐胸形奧津宮神。多紀理毘賣命。生子。阿遲〈 二字以音。 〉鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名。下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。 大國主神。亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八嶋牟遲能神。〈 自牟下三字以音。 〉之女鳥耳神。生子。鳥鳴海神。〈 訓鳴云那留。
(文意:岩波文庫「古事記」52頁)
(須勢理毘売を娶った)大國主神は胸形奧津宮に坐す神の娘である多紀理毘賣命を娶して子を生した。それが阿遲〈 二字は音のままとあるので「アジ」>鉏高(sukitaka)日子根神,次に妹は高比賣命で亦の名を下光比賣命と言った。此之阿遲鉏高日子根神は今は迦毛大御神と言う。 大國主神はさらに神屋楯比賣命を娶り子を生した。それが事代主神である。さらに八嶋牟遲能神の女である鳥耳神を娶り〈 牟より下三字は音のまま。 〉子を生した。鳥鳴海神である。〈 鳴の訓みは那留>。
%%%%%
  この文節についても、他の多くの文節同様に多くの研究と論考があります。が、それらはそれまでの研究が作り上げてきた歴史認識に基づいています。理由は単純です。営々と語り継がれてきた節を覆すだけの証拠と論理がないからです。そこにまったく独自の視点を持ち込むと、異なる様相がみえてくるのではなかろうか。それが本ブログの意図です。

まずは冒頭の一節「娶坐胸形奧津宮神』を考えます。この節に先行する節では、大穴牟遲神は根堅洲国の須佐乃男神に与えられた試練を乗り越えます。それをめでた須佐乃男神は大穴牟遲神に「大国主神」と名乗ることを許します。そこで、大国主神は出雲に豪壮な「宮」を建造することになります。現存の出雲大社社殿の原型かもしれませんが、それとは異なるなどの議論もあります。

 出雲から海辺を伝って西に進むと九州です。そこに「宗像神社」があります。冒頭の一説は大国主命が自らの版図を西に拡大したと理解されます。私がここで注目することは、天武天皇の何人かいる妃のお一人、尼子娘(あまこのいらつめ)は胸形君徳善の女(むすめ)です。日本書紀は天武天皇の日本名は「大海皇子」であるとして、兄の天智天皇との皇位争いの戦いである「壬申の乱」で兄の天智天皇を皇位から退けたと書きます。「大海皇子」の漢字表記を吟味すると隋書倭国伝の一節「倭王号阿毎多利比弧」なる表記に由来することがわかります。すなわち「大」は「倭王」であり、海は「阿毎」です。となると、天武天皇の出自はいわゆる『天孫』族ではなく「渡来民」すなわち「地祇」であると思わせます。念のために書いておきますが隋書倭国伝が書く倭国王は日本書紀では「景行天皇」でその和名は「大足彦」(おおたりしひこ)で、隋書が書く倭王と「音」は同一です。
どうやら、渡来民の一族が宗像の神と結婚を通じて同族となることに政治的意味があると推察できます。それは何か?それは胸形が「弥奴」(みな)の転じた表現であることにあります。「弥奴」は魏志倭人伝に記載されている国です。私は「弥』(三)国と「奴」(七)国との合体した国であろうと考えています。(13年08月07日記事“邪馬連邦が魏から隠した国々(1),ネーチャー誌が見る安倍科学政策”)。
 すなわち渡来民一族は南下する過程で、旧邪馬台国(私は邪馬国連邦と理解している)と連携したことを意味するのです。この連携が作り上げた集団はやがて七世紀後半には奈良権力が「蝦夷」と蔑称して、軍事的討伐の対象となります。つまりこれは実は日本列島権力闘争史でもきわめて重大事件なのです。藤原不比等は正史で幾つかの重要点をぼかしながらもきちんと書き記していたのです。

 さてそれにつづく長い文節も興味深いものがあります。私の視点はこれまでの議論とは全く別のところにあります。が、まずは通説に基づいた解釈を上記のインタネット記事でもって紹介しておきます。ただし、長いので、当面の議論に必要な部分だけを以下に転載します。この記事を作成され著者の方には、こうした失礼な引用についてお詫びいたします。
%%%%%迦毛の大御神と下照比賣考
(1)阿遅鋤高日子根命
 古事記の大国主の神の系譜の所

 胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売の命に娶ひて生みませる子、阿遅 高日子根命の神。次には妹高比売の命、またの名は下照比売の命。この阿遅 高日子根命の神は、今迦毛の大御神と謂う神なり。

 古事記で大御神と呼ばれている神としては、皇祖とされる天照大御神とこの迦毛大御神との二柱のみである。一体、この迦毛の大御神とはどのような神であろうか。
『古事記』葦原中国の平定
 葦原中国には、ちはやぶる荒ぶる国つ神等が多くいる。この国を言むけるべく、天津国玉神の子、天若日子を遣わすべき。それで天のまかこ弓、天のはは矢を天若日子に与えて遣わしました。天若日子、その国に降りて到り、大国主神の女、下照比売を娶り、八年に至るまで高天原にお返事をしませんでした。
 それで、鳴女の雉を天より遣わして、問いただすこととしました。 天若日子は天つ神から頂いた天のはじ弓、天のかく矢で、その鳴女を射殺してしまいました。その矢雉の胸を通過して射上げられて、天の安河の河原に坐す天照大御神・高木神の御所に届きました。
 高木神は、「もし天若日子、命令を誤たず、悪しき神を射た矢がここに至ったのであれば、天若日子に当たらない、もし邪心がれば、天若日子に当たれ」と云って、その矢を取って、穴より衝き返し下しました。そうしますと、天若日子が朝床に寝ていた所、その高胸坂に当たり死にました。
 天若日子の妻、下照比売の哭く声、風にのって響いて天に到りました。天にいた天若日子の父、天津国玉神とその妻子聞きて、降り来て哭き悲しんで、そこに喪屋を作りて、天若日子を弔いました。 この時、阿遅志貴高日子根神はやって来ました。天若日子の父、またその妻、皆哭いて云いました、「我が子は死なず。我が君は死なず。」と云って、手足に取り懸かりて哭いて喜びました。その過ったのは、この二柱の神の容姿、いとよく相似ていたのです。ここに阿遅志貴高日子根神いたく怒り、曰しました。「我は愛しき友なればこそ弔いにひ来た。何ごとか、吾を穢き死人に比べるのか」と云いて、佩いていた十掬剣を抜いて、その喪屋を切り伏せ、足で蹶ゑ離ちました。これは美濃国の藍見河の河上の喪山になったとさ。
 阿遅鋤高日子根命については、下照比売の兄神であること、天若日子に似ていること、喪屋をけっ飛ばした程度のことしか出てこない。『古事記』は何を書き漏らしているのだろうか。大御神と敬称する神、天照大御神に匹敵する神。
 所で、天照大御神は一体何をした神なのだろう。国生みの神の後継者、日の神、素盞嗚尊との誓約で五男神を得てこの中から皇祖が出る、天岩戸に隠れて騙されて出てきてしまった、−−余談:だから日本は変な国になったとか−−、どうもあまりたいしたことはしていない。属性が重要な神のようだ。即ち皇祖神であることがポイント。即ち統治権にかかわる神だから大御神なのだろう。
 迦毛の大御神、阿遅志貴高日子根神は何故に大御神と讃えられたのだろう。統治権とどのようにかかわったのだろう。出雲国造の服属の祝詞『出雲国造神賀詞』の「己命の御子阿遅須伎高孫根の命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ」と天都神の守護神にされている。矛盾はないのだろうか。どう変遷したのだろう。何でだろう。

迦毛の大御神の名前、阿遅志貴高日子根神、の分析からはいろう。
阿遅はアヂ、ともえ鴨のこと。(大三元さんのご教示:古語辞典で確認)
 巴鴨は鴨の中でも美しい鴨。下記HP参照。
鳥類図鑑【巴鴨】 身近な鳥さんトモエガモ 大三元さん 
 ともえ鴨は渡り鳥で、秋に東部シベリア地方から飛んでくる。
 鋤(耜、志貴、式、杉)農機具の鋤、志貴を地名とすれば三輪山の麓など、また式には村の意。
 高日子はタカヒコで男子。高日売に対応、これは下照比売のことで、兄妹。
 根はネ。『出雲国風土記』では阿遅須伎高日子命とあり、根はない。根は敬称か巫かまたは成人の意か。

 友人であり、妹の夫でもある天若彦の葬儀に参列、天若彦に似ていると言うことを言われて腹をたてて喪屋をけっ飛ばす。これは気が荒いと言うか、何を示しているんだろう。
 一種の岩戸開きのお話と理解出来るのかも知れない。天若彦の葬儀での「モヤ」の風景は多くの鳥が現れる所から見ると鳥葬のように見えるが、藤と竹で編んだ籠に遺体を収めて、山の常緑樹に吊るす風葬だったのかも知れない。これは後に洗骨して山に埋めるのだが、モヤを跳ばしてしまう話は、洗骨を山へ運び埋めることが物語りになったのかも知れない。「モヤ」は後世殯宮として残った。
 「モヤ」の次は岩屋に埋めることだった。出雲国の神社名にある伊布夜、揖夜で、岩屋である。天照大神の岩戸開きは復活・再生の物語であるが、天若彦に実によく似た阿遅須伎高日子根の登場は、復活再生の物語とも考えられなくはない。しかし片や天津神、片や国津神、そこで山城の賀茂建角身命(八咫烏神)は阿遅須伎高日子根と同神とされているようだが実は違う。山城は天津神、再生するならこちらへ再生したのかも知れない。
 天若彦を稲作の神とする文献があった。若とは宇賀の意とのことのようだ。このように読み替えなくとも、高天原から葦原中国の平定に差し向けられた神であれば、武神の性格もさることながら、稲作神の性質は会わせ持っていたと考えていい。そうすると、稲の収穫を行う秋になると稲作の神は山へ帰る、まさに天若彦が死ぬと形容されるのである。
 天若日子の周辺はヒチコックの世界の如き鳥鳥鳥である。さぐめは雉、葬儀屋として、鷺(サギ)、翠鳥(ソニドリ)、雀(ススメ)、雉(キギシ)である。天若日子を稲作の神と見なしたが、鳥ならば燕(ツバメ)であろうか。春の渡り鳥で、鴨と入れ替わる。

 米の収穫が終われば、収穫祭も重要であるが、更に行うべき事は麦を植えて育てる事、丁度北から鴨が渡ってくる頃であり、鴨は麦作の守り神とされたのかも知れない。穀神の交替で天若日子の去った後に阿遅須伎高日子根命が登場すると考えてもいい。現在でも大和平野の西部は麦作が盛んである。

 天照大御神が稲作の神、迦毛の大御神が麦作の神、これならば二柱の大御神の説明がつく。 麦は所謂古代世界の四大文明は麦作文化の生産力を基礎に成立している。列島に入るとすれば北方的な、まさに鴨がしょってくる文化だったと言えよう。より縄文的な文化だった。
  
(中略)
(3)世にあるカモ族
  『新撰姓氏録』から、カモを醸し出そう。
山城国神別 天神
賀茂県主(かものあがたぬし)。
神魂命の孫、武津之身命(たけつのみのみこと)の後なり。
鴨県主(かもあがたぬし)。
賀茂県主と同じ祖。神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)[諡は神武]中洲(うちつくに)に向(いでま)さんとする時に、山の中、嶮絶(さが)しくして、跋(ふ)みゆかむに路を失ふ。ここに、神魂命の孫、鴨建津之身命、大きなる烏(からす)となりて、翔(と)び飛(かけ)り導き奉りて、遂に中洲に達(とほりいた)る。天皇その功あるを嘉したまひて、特に厚く褒め賞(たま)ふ。天八咫烏(あまのやたからす)の号(な)は、これより始りき。
『新撰姓氏録逸文』に、若帯彦天皇(成務)御世。鴨縣主を賜る。とある。
大和国神別 地祇
大神朝臣(おほみわのあそみ)。
素佐能雄命(すさのをのみこと)の六世孫、大国主の後なり。初め大国主神、三島溝杭耳(みしまのみぞくひみみ)の女、玉櫛姫(たまくしひめ)に娶(みあ)ひたまひき。夜の曙(あけ)ぬほどに去りまして、来すにさらに昼到まさざりき。ここに、玉櫛姫、苧(を)を績(う)み、衣に係けて、明くるに至りて、苧のまにまに、まぎゆきければ、茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すゑのむら)を経て、直に大和国の真穂(まほ)の御諸山(みもろやま)にいたれり。還りて、苧の遺(のこり)をみれば、ただ、三ワ(みわ)のみありき。これによりて、姓(うぢ)を大三ワと号けり。
賀茂朝臣(かものあそみ)。
大神朝臣と同じき祖。大国主神の後なり。大田田禰古命(おほたたねこみこと)の孫、大賀茂都美命(おほかもつみのみこと)[一名は大賀茂足尼]賀茂神社を斎き祭りき。
 『先代旧事本紀』記載の系譜から大賀茂都美命に至る神々を並べると、下記のようになる。隣は妃で下段の母神、主な神社など
大国主命
都味歯八重事代主神
天日方奇日方命・日向賀牟度美良姫、近江、播磨、但馬の石部神社など。
健飯勝命・出雲臣女子沙麻奈姫 宗像大社摂社勝浦神社。
健甕尻命・伊勢幡主女 賀貝呂姫
豊御気主命・紀伊名草姫 豊と櫛を対とすれば、櫛御気主は熊野本宮の家津御子神。
大御気主命・大倭国民磯姫 
阿田賀田須命・鴨部美良姫 和爾坐赤阪比古神社 和爾部の祖神。
大田々禰古命・出雲神門臣女美気姫 和泉国陶荒田神社、尾張国大直禰子神社
大御気持命・出雲鞍山祇姫 御気持命は紀氏の祖神の名にあり、紀の国の土蜘蛛の名草戸畔の祖にあたる。
大鴨積命
左京皇別
鴨縣主(かもあがたぬし)。
開化天皇の皇子の彦坐命の後。
摂津国皇別
鴨君(かものきみ)。
日下部宿禰同祖。開化天皇の皇子の彦坐命の後。
 『古事記』では彦坐命の御子に沙本毘古の王がいて、妹が垂仁天皇の妃となるが叛乱を企てる。これは失敗に終わるのだが、皇子の本牟智和気命は火中に生まれ、助け出される。後に触れることになるが、この皇子と阿遅志貴高日子根神とには唖と云う共通点を持つ。
 『日本書紀』懿徳天皇の母は事代主神の孫、鴨王の女なり。とある。『岩波文庫』版はカモノキミと訓している。
 藤原京の大極殿跡を鴨公(カモキミ)と言い、鴨公小学校がある。神奈備掲示板[3928] [3931] で、男爵@中央大学氏が次の様に書かれている。
 藤原京太極殿遺跡は、公園整備と発掘がおこなわれていますが、基壇の上に御神木があり、その囲いの石柱に《奉納・鴨公神社》とあります。つまり遺跡そのものが鴨公神社だったのです。ここで平安・鎌倉時代をのんびり過ごしていたようです。
 下記HPは鴨公小学校の発信になるもの。「藤原京の様子」が説明されている。
http://www2.mahoroba.ne.jp/~kamokimi/
 中西進著『万葉集』の鴨君足人の注に、「藤原宮大極殿の地を鴨公と言う。ここに居住か。かつ神君(みわのきみ)と同様に祭祀族。」と出ている。

 その万葉集の歌 巻三 二五七
 鴨君足人(かものきみたりひと)が香具山の歌一首、また短歌
天降(あも)りつく 天(あめ)の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木晩(このくれ)茂み 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺(へ)つ方に あぢ群(むら)騒き ももしきの 大宮人の 退(まか)り出て 遊ぶ船には 楫棹(かぢさを)も なくて寂(さぶ)しも 榜ぐ人なしに


 天から降ってきたと言う聖なる香具山に霞こめる春になると、松吹く風に池の波が立って、桜の花は木の下も暗く茂り、埴安の池の沖の方では鴨が妻を呼んで鳴き、岸の方では味鴨が騒ぐ。壮麗なはずの船には梶も棹もなく、漕ぐ人々も立ち去ってしまって、寂しいことよ。

 この歌は鴨公が往年の鴨氏を偲んで歌っているように思る。
桜の花は木の下も暗く茂り → こぼれ日があれば、まさに下照比売の登場
沖の方では鴨が妻 → 阿遅鋤高日子根命の母神の多紀理毘売の命
岸の方では味鴨 → 阿遅鋤高日子根命
船には梶も棹もなく → 妃の天御梶日女命を祀る出雲の多久社は大船大明神と呼ばれた。
 往古、大和は葛城の地をベースにした鴨氏の反映は、今は見る影もない、寂しい。

%%%%%(インタネット記事転載おわり)
 次回記事では上のインタネト記事を参照しながら私の解釈を掲載します。
(つづく)

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富士神社(常陸国)、大国主神(2)、れいわ新選組

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:今朝の朝焼け。拡大はクリックで)
朝焼け0251

(写真:散歩路に鶏が遊んでいました。拡大は図のクリックで)
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 暖かき 秋の日差しを 浴びながら 古人の痕跡 眺めて歩けり

 一昨日の土曜日、町内公民館主催の史跡めぐりに参加しました。朝9時集合で解散の11時半まで約7km余のコースです。案内してくださった市・民族資料館の学芸員の方の後をゾロゾロと20名の老人男女が繋がって2時間半ほどを歩いてきました。よく勉強していることが伺える学芸員の説明のおかげで、どの場所も興味深く、丹念に見物できました。見物した史跡は古墳時代から江戸時代にまたがっています。改めて北関東の寒村に生き続けた「文化」を実感できました。13世紀に勧請されたと言う富士神社の境内では参道が「シリウス方位」と直交する方位をとっており、ご神体の丘の頂上と拝殿はまさにシリウス方位の関係にあります。この神社の手水場は拝殿に向かって右側にあります。どうやらかっては寺であったことをうかがわせます。しかし、寺がシリウス方位にこだわる理由はありません。思えばこの地は常陸国風土記の信太郡内です。七世紀末には奈良の軍勢から激しい軍事侵攻を受けた地です。因みにこの地は常陸国風土記の以下の一節で言及されている地のすぐ近くです:
(図:常陸国風土記信太郡条。矢印で示した飯名社がこの神社から500mほどにある。拡大は図のクリックで)
211025龍ヶ崎飯名無題

 ということは、この地には渡来民の一つの拠点があったのではなかろうかと考えています。上でも書きましたがこの神社の北々西の背後には円錐型の小さな丘があります。そのために富士神社とよばれ、周辺住民の篤い崇敬を集めており「初山」参りは、近隣の村民をも巻き込んだ大きな祭礼行事となっています。
(図:富士神社。拡大はクリックで)
211025龍ヶ崎富士神社無題

(写真:富士神社拝殿。学芸員が言うには右に鎮座する狛犬の耳が垂れ下がっていることに気付いてほしいと言います。左のそれは画面の外で見えませんが、いわゆる高麗犬で多くの神社に見られる獅子の風貌です。拡大は図のクリックで)
CIMG0243

 神社の周囲は昔ながらの農家です。敷地内には橙色の柿が実をつけ、生垣にはコスモスが咲いています。私が育った神奈川県川崎も当時はまったくの田舎でした。ひさしぶりにこうした風景にであい大変懐かしく思った次第です。そういえば、映画「男はつらいよ」の山田洋次監督はこうした場面を特に好んでいるようです。寅がいつものように田んぼ道を例の四角い鞄を手に歩いていると一軒の農家が目に入ります。その農家の光景がまさにツアーで見た光景です。寅は敷地内に入りこんで「ごめんなすって」と家の内部に大声をかける。と、しばらくして家の中から老婆が顔を出します。「ばあちゃん、弁当使いたいだんで、縁側をかりていいかね」と頼むと、ばあちゃんがお茶を運んできます。縁側に座り込んだばあちゃんと、しばしの四方山話が始まります。

 さあ、今度の日曜日は総選挙投票日です。反自公勢力の政権奪還と並んで、私がとりわけ期待するのは「レイワ新選組」の衆議院内での議席獲得、とりわけ山本太郎氏の当選です。今回は投票用紙に「山本太郎」と書いてはいけません。「れいわ」と書かねばなりません。皆さん、これに気をつけてほしいものです。
【衆院選2021 政見放送 比例】れいわ新選組 【二枚目の投票用紙 比例はれいわ】


 勇気と大胆さゆえに経済産業省を退職せねばならなかった古賀茂明氏が今般の選挙での要点を語っています。
【古賀茂明】衆院選2021「5つの争点」と「4つの負のレガシー」【ONEPOINT日刊ゲンダイ】


+++++大国主命(2)
 藤原不比等が日本列島の「神の体系」として描いた構図は「天神地祇」です。すなわち葦原中国に天降りした神である「天神」と、在来の土着の神である地祇(ちぎ)の対立です。この二つの神に「民の安寧」と言う意識(民目線)があったのか否かは定かではありません。日本列島にあっては、そもそも地祇(ちぎ)は、自らの権力を以って民の心を支配し威勢を保持していた。そこに突如「天神」なるものが登場し、地祇(ちぎ)の勢力に対して武力で「国譲り」を強要し、国土と民の支配を強奪した。 これが三巻からなる古事記の「上巻」の筋書きです。日本書紀は古事記が描く筋書きを華々しく飾り立てます。すなわち天神の子孫を「天孫」族であると呼称するにいたります。かくして日本書紀は「天存族」による歴史書となります。当然のことながら天神の一族が国の支配者となることを正統なことであるとかきます。

 現在読み進めている大国主神は地祇である、しかも地祇を代表する神であるとされます。前回書いた大国主神譚には渡来民の影が色濃くにじみ出ています。すなわち、藤原不比等はその記載を避けることはできなかったのです。大国主神の遠い先祖である須佐乃男神と八俣遠呂智との戦いに象徴される列島在来の民と渡来民との戦いに言及すらしていることはまことに興味深いことです。ここで少しだけ脱線を許していただきます。八俣遠呂智の出自は「高志国」すなわち現在の新潟県あるいはその以北です。一方、須佐乃男神は天照大神の弟であると古事記は書きます。すなわち天孫族です。一方で、後日自らが生す子孫である大国主神は地祇を代表する神です。これは矛盾であると誰しもが考えますが、古事記にはそうした「理屈の通らない」難解な記述が多いので、それは気にしないことにします。むしろ私が気にしていることが下の図です。ペルシアの西に「スサ」なる地があるのです。須佐乃男神の出自がこの地であるとすると、サカ族、高昌などの渡来民と同根の民であるのやも知れません。こうなると、そもそも「地祇」すなわち日本列島に芽生えた草・木に神の存在を感じとってきた純朴の列島の民が崇敬した「信仰」は古事記編纂時には認識されていなかったということになります。
(図:古代ペルシアの版図。ペルシア湾の湾奥にスサなる地が見える。拡大は図のクリックで)
スサ0257

 それはさておき、因幡の白兎」譚では、大国主神の弟として「八十神」にまで言及します。古事記研究者達はこの神を「ヤソ」の神と訓(よ)ませ、「八十」が意味するところは「多数」であるので、多くの兄弟たちと解釈します。しかし、この「八十神」こそはゾロアスタ教の神霊「ヤズド」にヒントを得た藤原不比等の着想であったろうと前回記事で書きました。本来はこの神は「天孫」一族すなわち藤原不比等が与する奈良政治権力にとっては不倶戴天の敵です。八十神を大国主神の兄弟と位置づけることで以って藤原不比等は渡来民を「地祇」の仲間として視ていることになります。ただしこの「譚」は地祇の内部での内輪もめを書きつつ、「大国主神」を好意的に書いていると言うことになります。それは行きがかり上、大国主神のご先祖さまである須佐乃男神が天照大神の弟であると書いてしまったからでしょう。大国主神は「八十神」(ヤツド)に色々と嫌がらせをされながら話は進みます。
 白兎譚で大国主神を抹殺できなかった八十神は新たな策謀をします。そこではついに大国主神(この譚では大穴牟遅神)は一旦殺害されますが、助言するものがあり根堅洲国の須佐乃男神の下に行き相談することとなります。「根」はそもそも「死の国」です。すでに亡くなっている偉大なる御先祖様の下で助言を頂くことになるが、ご先祖様は、なんと色々な難題を大穴牟遅神にふっかけます。さいわいにして、須佐乃男神の娘である須勢理毘売と出くわし、どうやら二人の目線が熱く絡み合ってしまったようです。かくして二人は婚(まぐわ)うこととなります。以後、大国主神は須佐乃男神が課した難題を嫁となった須勢理毘売の助言を得て、それらを克服してゆきます。以下はそのうちの一つの難題からの脱却説話です。
%%%%%古事記
(原文
以牟久木實與赤土。授其夫。故咋破其木實。含赤土。唾出者。其大神。以爲咋破呉公。

(文意:岩波文庫「古事記」46頁)
(須佐乃男神が課した試練の一つは、大穴牟遅神を一室に閉じ込め火を放ったことです。妻の須勢理毘売は泣きながらその部屋に入ると、愛する夫の頭には多くのムカデがたかっている。妻は牟久木實(椋の木の実)と赤土を其夫に授けた。そこで其の木實を咋破(くいやぶ)り、赤土を口に含んで唾といっしょに吐き出した。(こうして頭に沸いていたムカデは除去された)。
%%%%%
 この一節を取り上げた理由は「咋破」にあります。能登半島の付け根あたりの西側に「羽昨」という地があります。「ハサク」ではなく「ハクイ」と音します。「サク」が転化を繰り返すことで「クイ」となると同様の転化が「安食」(あじき、千葉県北部、利根川南岸)です。この二つの知名に共通するのが「サカ」隠しです。これについては古代文学研究者にとっては謎の一つ、であるようで諸説があります。私はこれについて
15年09月28日記事”「麻續王」流懺(3)、原発事故・政府調査委・事情聴取書”で書きました。詳細はこの記事を参照いただきますが、「サカ」族の存在を隠し通したいがための「小細工」なのです。その小細工を古事記が踏襲していることを指摘しておきたいと思います。

 色々な試練を乗り越えて出雲の地に巨大な神殿を構築することとなる一節が以下です:
%%%%%古事記
(原文)
故爾追至黄泉比良坂。遙望。呼。謂大穴牟遲神曰。其汝所持之生大刀。生弓矢以而。汝庶兄弟者。追伏坂之御尾。亦追撥河之瀬而。意禮〈 二字以音。 〉爲大國主神。亦爲宇都志國玉神而。其我之女須世理毘賣。爲嫡妻而。於宇迦能山〈 三字以音。 〉之山本。於底津石根。宮柱布刀斯理〈 此四字以音。 〉於高天原。冰椽多迦斯理〈 此四字以音。 〉而居。是奴也。 故持其大刀。弓。追避其八十神之時。毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作國也。
(文意:岩波文庫「古事記」47頁)
(須世理毘賣の助けを得て、閉じこめられていた洞窟から逃げ出す際、居眠りしていた須佐乃男神の所持する太刀、矢を持ち、妻である須世理毘賣を背負って逃げ出します)、かくして、黄泉比良坂に達した際に大地が揺れ動いたので、須佐乃男神は目を覚まし、遙遠くにむかって大穴牟遲神によびかけて叫んだ「汝が持つ生大刀と生弓矢で以って汝の庶兄弟を坂之御尾に追い伏せ、さらには河之瀬に追撥(おいはらえ)。意禮(?)大國主神と爲り、宇都志國玉神と爲りて我之女である須世理毘賣を嫡妻と爲して於宇迦能山(うがのやま)之山本にある底津石根に宮柱を布刀斯理(ふとしり)し、高天原で冰椽(被疑、神社社殿の千木と解説は書く)多迦斯理(たかしり)てそこに住まえ」と。かくして、持っている大刀、弓で以って八十神を時に追避、時には坂御尾で追伏せ、時には河瀬で追撥う。そのたびごとにその大刀、弓使って国つくりをはじめた。
%%%%%
大国主神は国作りをするに当たって八十神(やつど)の妨害に苦しめられたと語っているのです。これはまさに常陸国風土記生方郡の条で語られていることです。もう一つ興味深いことは八十神(やつど)を「庶兄弟」と語っていることです。すなわち大穴牟遲神は正統な孫ではないとかたることで、大国主神を「贔屓」することを正当化します。
(つづく)

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選挙、大国主命譚、ショパン・コンクール決勝

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:満月の朝であります。拡大は図のクリックで)
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 政権の 交代期して 投票へ 嘘と改竄の 根絶願う

 いよいよ総選挙が始まりました。早くも大手メディアが序盤予想と称して一面記事に掲げています。が、投票までまだ十日余。反自公勢力の訴えが残す期間で大きく広がる事を期待しています。私が住まう茨城三区の候補者は警察庁官僚出身で、安倍氏があわや司直の手でお縄になるかと言う時期に、国会委員会で森友学園創立者である籠池氏を証人尋問をした人物です。当時のネット記事は「戦前の特別高等警察による追及を思わせる」と書いたように、笑みを絶った恐怖の雰囲気でありました。その一年後に市の敬老会で挨拶に立ったこの候補者は「森友問題で自分の名前は全国区になった』と自讃していた人物でもあります。ところが、最近拙宅の郵便受けに入っていた氏の選挙ビラを見て驚きました。氏の国政貢献が書き並べられていますが、その中には森友の「モ」の字も無いのです。さすがにまずいと思ったのでしょう。強い権力者にヘコヘコし警察官僚の風をふかす、こんな人物を茨城三区から国会に出したのでは、全国の民が大迷惑です。

 高齢にもかかわらず、平野氏の口から出る言葉には気迫を感じます。今回は自民党の良識議員を結集するといわれる宏池会を平野氏が自己批判を含め語っています。平野氏が大事なことをかたっているのを妨げるように朝日新聞の早野氏が口を挟みます。もうろくしているのではなかろうかと案じています。興味深いエピソードが披露されました。創価学会の名誉会長である池田大作氏の外遊にあっては各国の日本大使館は氏を「首相と同等並みに遇する」のだそうです。理由は外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会員のグループがあるからです。特別優遇は歴代の外務大臣によって引き継がれたが唯一それを踏襲しない外務大臣がいたために池田氏が外遊をしなかったことがある。なんとその人物が宏池会の影響を強く受ける田中角栄氏の娘・田中真紀子氏であったと言うのです。と言うわけで、真紀子氏の地元・新潟五区の米山候補にはなんとしても国会に行ってほしいと願っています。
平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ放談】2021年10月19日生配信

 
 自民党の選挙を取り仕切る官房長官に対して鋭い社会批評で知られるラサール石井氏が、その人格について語っています。
%%%%%UR汚職疑惑でも自民党の選挙の顔! NHKはトンデモ発言をファクトチェックすべきだった 10/21(木) 9:06配信
【ラサール石井 東憤西笑】#78  この人のことはかなり前から好きになれなかった。ひと頃、頻繁にテレビに出ていた時期があり、スタジオでよく対面した。政治家がバラエティーの討論番組によく出ていた時代だ。 衆院選「自民vs野党」ここが激戦61選挙区! 岸田内閣失速で自民に焦り、野党共闘の威力随所に  自分も出演しているくせに、バラエティーやそれに出ているタレントなどを低く見ているのは明らかで、つねに上から目線だった。笑いやユーモアを解するセンスは皆無で、エンターテインメントや芸能を理解するどころか小ばかにしているような態度で、即嫌いになった。  一時期鳴りを潜めていたが徐々に復活し、今や幹事長という最高権力を手にして、表舞台に頻繁に登場している。いよいよ衆院選も公示され、各党の意見を聞く番組が放送されているが、NHKの日曜討論を見て、「ああ、あの頃と全く変わっていないなあ」と実感した。  いきなりの野党共闘潰しの共産党批判。事実とは異なるフェイク発言に対する共産党小池氏の冷静な反論にも執拗に「これは体制を選ぶ選挙だ」と印象操作を繰り返した。その時の表情、態度(とくに他人の発言を聞いているときの)はまさに日刊ゲンダイでも「上から目線」と報じられた。ま、一言で言えば「嫌なヤツ」感が満載だった。  そしてその後の発言で「消費税は全て社会保障に充てられる」「スマホも3Dプリンターも量子コンピューターも日本の発明だ」というトンデモ発言を続けた。さすがにこれはSNS上で総ツッコミをくらった。自分の動画でも同じ発言をしているが、そこで掲げているのはiPhoneで、さらに笑いを誘った。  しかし聞いた人はそのまま事実と思ってしまう。放送後のNHKは内容のファクトチェックをするコーナーなどをどこかで放送するべきだったのではないだろうか。これなら嘘も言ったもん勝ちではないか。  そもそもUR汚職疑惑(疑惑というか金を受け取ったんだから汚職だと思うのだが)の説明もなく、いきなり選挙の顔である幹事長の職に就いたのには驚いた。Twitterなどをはじめ、ヒロシの物真似などしていた頃から何を調子に乗っているのかと思ったが、今回の選挙用写真がTwitterにあがっているから見ていただきたい。写真家を褒めるべきか。この人の内面を見事に捉えている。  外見をどうこう言うのは今やタブーですから、どう表現していいか難しいが、街角にこの写真を貼って、「ムシャクシャしている人は殴ってください」とキャプションをつけると利用価値があるかも。  さあ、この方が自民党の選挙の顔です。皆さん、投票に行きましょう。
%%%%%(ラサール石井/タレント)

+++++第18回ショパンコンクール(つづき)
 日本時間の本日未明に標記コンクールの最終日が終了し、優勝者を含む入賞者の発表がなされました。決勝進出者は当初10名であったはずが12名になったそうで、その内訳は以下です(順不同)
ポーランド(2)、中国、イタリア(2)、カナダ(2)、スペイン、ロシア、韓国、日本(2、反田恭平、小林愛実)
211021chopin無題


%%%%%【速報】ショパンコンクール2021、反田恭平氏は2位、小林愛実氏は4位! <最終審査結果>
歴代最高タイ記録!
1970年の内田光子さんの2位以来、歴代のショパン国際ピアノコンクール日本人で歴代最高タイ記録となる2位を受賞されました!
小林愛実さんは4位。前回の雪辱を晴らす結果に!2015年に開催された第17回ショパン国際ピアノコンクールでファイナリストに選ばれるも、最終的に入賞されませんでしたが、今回は4位に入賞されました!

【速報】ショパンコンクール2021の最終順位
最終順位と演奏に用いたピアノ
• 1位: ブルース・リウ (カナダ)、ファツィオリ
• 2位: 反田恭平 (日本), アレクサンデル・ガジェヴ(イタリア・スロベニア)、sタイヌエイン
• 3位: マルティン・ガルシア・ガルシア(スペイン)、ファツィオリ
• 4位: 小林愛実 (日本),ヤクブ・クシュリク (ポーランド)、スタインウエイン
• 5位: レオノラ・アルメリーニ (イタリア)、ファツィオリ
• 6位: ジェイ・ジェイ・ジュン・リー・ブイ (カナダ)、カワイ
副賞
• コンチェルト賞: マルティン・ガルシア・ガルシア(スペイン)、ファツィオリ
• ソナタ賞: アレクサンデル・ガジェヴ(イタリア・スロベニア)、カワイ
• マズルカ賞: ヤクブ・クシュリク(ポーランド)、
 表彰され9名のピアニストのうち2名が「カワイ」のピアノを弾いていることを嬉しく思いました。先ごろに保ぬまれの米国人真鍋淑郎氏がノーベル・物理学賞を受賞されました。大学卒業後のすべての研究時間を米国で過ごした方であったために、メディアが真鍋氏を日本人扱いにすることに批判が無いではありませんでした。今般の二名の受賞者もその殆どのトーレーニング、研鑽、演奏活動は海外で成されています。と言うことは、効した人材を大き育む土壌が日本にはないということでもあります。さびしいことです。

KYOHEI SORITA – final round (18th Chopin Competition, Warsaw)


ファツィオリ とは、ファツィオリ・ピアノフォルティ(伊: Fazioli)で、1981年に創業したイタリアのピアノメーカーである。
 反田氏がピアノ協奏曲一番を演奏しているので、第三位に入賞したマーティン・ガルシア氏の協奏曲二番の演奏をあわせ添付しておきます。
MARTIN GARCIA GARCIA – final round (18th Chopin Competition, Warsaw)


+++++大国主命伝に潜む渡来民の影
 古事記、日本書紀が語る信濃国は同じではありません。古事記は天照大神の指示で建御雷神などが率いる軍勢が、建御見名方を打ち破り諏訪の海に幽囚したことを書きます。一方、日本書紀は「奈良の軍事勢力」が、信濃国に新たな政治拠点を設けることを計画したと書きます。が、その帰趨を書かないため実際に信濃に拠点が新設されたのか、あるいは副拠点が設営されたのかの言及はありません。
 いずれにしても二つの事件は時間的には近接していたと考えています。古事記が書く「建御見名方の信濃(科野)」幽囚の後、間髪置かずに新拠点設営が目論まれた。それが「日本書紀」の記載です。が、私が見るところ、これはどうやら「目論み」だけに終わり、実際の拠点は信濃の東、現在の埼玉県「志木」(しき)であったろうと考えています。そして「信濃」は「科野」と漢字表記されることから想像されるように、奈良勢への反抗勢力を幽閉する地(科人の牢獄)であったと考えています。

 こうした筋書きを頭の片隅において再び髪長姫にまつわる応神記に話を戻すつもりでありました。なぜなら応神記の舞台はその信濃に多くの題材を得ているからです。しかし、そこに進む前に建御名方神の父親であり、古事記に従えば出雲の西端に閉じ込められた大国主神なる「神」について古事記を少し辿っておくことにします。
<<大国主命の出生前の譚
それは「やまたのおろち」退治に始まります:
「速須佐之男命は出雲國之肥〈上:原本にある書き込み。意味不明〉河上流に降り立った。そこで、泣いている老夫婦と出会い事情を尋ねた。老夫婦が語るには高志之国に居る八俣遠呂智から娘である櫛名田比賣を嫁によこせと難題を吹っかけられていると語った。これが縁で速須佐之男命は櫛名田比賣を嫁にする」
と言う顛末は良く知られています。八俣遠呂智の根城は高志之国、すなわち、現在の新潟県です。允恭、安康、雄略、清寧・賢宗記では「新潟県」を舞台とする説話が多い理由です。すなわち、高志之国では、五世紀末に新潟県以北に威を張っていた扶桑国(渡来民)が南下し出雲のあたりに達していたことがうかがい知れます。
 梁書東夷条によれば、出雲の地は「文身国」と重なります。特徴は体中に「刺青」をなして(人體有文如獸)外敵への威嚇効果を図っていたと言います。櫛名田比賣の両親の名前である「手名椎、足名椎」は手やら足やらに文字が書かれていたとの想像をさせます。どうやら古事記編纂の統括者たる藤原不比等は捕囚した渡来人からの「聴取」とともに大陸「正史」にも通暁していたことをうかがわせます。
 さて、八俣遠呂智退治の譚は次のエピソードに続きます:
%%%%%古事記:
(原文;
速須佐之男命。宮可造作之地。求出雲國。爾。到坐須賀〈 此二字以音。下效此。 〉地而詔之。吾來此地。我御心須賀須賀斯而。其地作宮坐。故。其地者於今云須賀也。 茲大神初作須賀宮之時。自其地雲立騰。爾作御歌。其歌曰。
(文意:岩波文庫「古事記」41頁)
速須佐之男命は宮を造作する地を探し出雲國にやってきて、須賀〈 文中に付された書き込み:此二字は「音」のままである。以下の漢字列も同様 〉の地に座して以下を語った「吾は此地では御心が須賀須賀(すがすが)しい」と。そこで其地に作宮し坐した。そこで其地は今にいたるまで須賀と言う。茲で大神は初めて須賀宮を作ったとき其地より雲が立騰ったので歌を作った(以下略)。
%%%%%
 ややこしい言い回しになっていますが、言いたいことは、この地が「須賀宮」と呼ばれる経緯を語っているのです。と、言うことは、古事記が語る以前にこの地には「スカ=サカ」族がいたことを問わず語りに書いていることになります。それがいつの事か?多分六世紀のしかるべき時期と想像しますが、今のところはそれを論証するevidenceはありません。不思議なことは、現在の出雲大社には本殿の裏に「素鵞社」の小祠がひっそりと鎮座しています(下図参照)。
(図:出雲大社の境内にある「素鵞社」。この図は正確ではありません。本田に通ずる参道は本田の直前で向きを変えており、その向きはシリウス方位となっています。拡大は図のクリックで)
212021出雲大社w016_2019021221210761589

「素鵞社」を拝殿の裏に押し込める仕打ちをする理由は、いうまでもありません。「サカ」族が奈良の政治権力にとっては『不倶戴天』の敵であるからです。藤原不比等は古事記を編纂する時点では、出雲の地も「サカ」族の影響下にあったことを認識していたのです。それを後世に、すなわち正史の中であらわに書き残すことはできなかった。しかし、学者の側面を持ち合わせる藤原不比等はその事実を完全に覆い隠すことには躊躇いがあったのであろうと想像しています。
 翻って、現代の安倍・菅政権下では隠蔽・改竄にとどまらず、廃棄までが平然と成されているのです。古代権力者の足元にすら遠く及ばない倫理観の元で、わが国では十年近くも後進国並の政治がなされてきたということです。今こそ、わが同胞はそのことへの怒りを表明するべきです。

 話を戻します。かくして、速須佐之男命と櫛名田比賣が生した子は次々と子を生し、七世代後に生まれたのが大国主神であると古事記は書きます。この人物は多様な名前で呼称されたと古事記は書きます。その一つが「葦原色許男神」です。すでに書いてきたように「葦」は古代ペルシア語の「アシラ」すなわち「勇猛な」に由来します。一方「色許」(シコ)が「シキ」に由来するとすればそれは「男根、高身長」を意味します。すなわち「勇猛でたくましい男」と言うことになります。おもえば、六世紀初頭に埼玉県志木に宮を構えた渡来民がそもそもその地を「シキ」と命名したのです(それは、埼玉県行田の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に刻まれている)。つまり「たくましい男根の王」と言うことになります。それはさておき、大国主神は以後の日本列島歴史では大偉人として位置づけられる必要があり、こうした誰からも崇敬される工夫がこの多様な呼称となったと解釈されています。しかし、実は多くの同様の事跡を残した人物を重ねあわせてつくり上げられた人物であるとの説もあります。とするならば以下に引用する大国主神譚の出所も、そのネタの多くは六世紀以前に日本列島を席巻していた渡来民からの伝聞かもしれません。

 出生後、大国主命は与えられた多くの呼称を使い分けながらあちらこちらに出没します。その第一が以下です。
%%%%%古事記
原文:
此大國主神之兄弟。八十神坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。其八十神。各。有欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時。於大穴牟遲神負帒。爲從者。率往。於是到氣多之前時。裸菟伏也。(以下省略)
文意(岩波文庫「古事記」42頁)
此大國主神之兄弟。八十神坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。其八十神。各。有欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時。於大穴牟遲神負帒。爲從者。率往。於是到氣多之前時。裸菟伏也。(以下省略)
%%%%%
 有名な“因幡の白兎“譚で、その『寓意』については研究者の間にいろいろな議論があるとのことですが、ここではそれには立ち入りません。私が着目するのは八十神です。岩波文庫「校注者」、そして小学館「古事記」校注者のどちらもが、これを「ヤソノカミ」と訓(よ)み、「多数の神」と解釈します。
 私はこの通説とは違った理解をしています。魏志倭人伝に登場する国の一つに「投馬」国(とうま)国があります。学者さんはこの訓に特別な注意を払いません。私は2013年8月5日記事”邪馬国連邦(台)は「番号国」から成っていた”で書きましたが、「トウ」は、当時の九州に住む住民が用いていた数詞であろうと書きました。何故、魏志倭人伝ではそれを「十」と言う漢字で表記しなかったのか?理由は簡単です。大陸王朝・魏から邪馬国連邦(これは私の魏志倭人伝解釈で、通説では「邪馬台国」のこと)に派遣された調査官が、案内役の原住民の言葉を「音写」したからです。
 古事記が編纂される頃は当然「十」は「トウ」と「訓」(よ)まれていたはずです。となると「八十」は「ヤトウ」すなわち「ヤツト」を連想させます。この神は常陸国風土記で登場する「夜刀神」(ゾロアスタ教の「ヤツド」)であろうと私は考えています。当然この神は藤原不比等とは相容れない間柄の神、すなわち「憎まれ役」を負わされた神です。この説話の筋立てでも「日本列島の在来の民」が「渡来民に苦しめられている』と言う構図です。藤原不比等らしい譚の構成ということができます。

次の譚も大変重要なので、詳述を次回にいたします。
 

社会・政治問題ランキング
 このところ、私が普段眺めている米国一般科学誌の記事を紹介していません。そこで、ここでは最近届いたメールからそのタイトルだけを添付しておきます(クリックすると開けます)。
World's biggest underwater eruption birthed skyscraper-size volcano。It's hanging out underwater near Madagascar.

安倍・菅・石破を評す(望月記者)、宮内庁、信濃考察

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:一昨日の朝焼けの空)
朝焼け0210

(写真:朝の散歩道にはいたるところにドングリが散乱しています。それを踏んで歩く際の音と感触がまことに心地よいのであります)
どんぐり0212


 靴底に カリカリッと 心地良し 道に散らばる ドングリの秋

 昨夜「日本列島沈没」なるドラマを視聴しました。鍵となる「田所教授」は地球物理学者です。おりしも本年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋博士と同じ分野の研究者と言うわけです。舞台の一部は本ブログ21年10月11日記事で考察した茨城県・千葉県を含みます。私の記事では関東地方が近日中に海中下に没すると言う兆候については触れていません。そのいみで、最新地球科学の視点からはドラマの設定は「荒唐無稽」と断言できます。しかし、ドラマに登場するエピソードのひとつであるデータ改竄は「安倍・菅」氏の所業を連想させます。

 明日、いよいよ総選挙が始まります。応援する「レイワ新撰組」をめぐってすったもんだがありましたが、どうやら各選挙区での立候補者は定まったようです。最大の関心事、そして期待するの、は政権交代です。しかし、野党の最大議員を抱える党首の「人望」のなさゆえ、一向に支持率が上がりません。どうなることやら。党首の不人気は自民とにおいても無残でした。九年間にもわたってつづいた安倍・菅政権のトップにいた政治家を東京新聞記者の望月氏が語っています。
%%%%%石破氏にあって安倍・菅氏に欠けていた、政治家として「決定的な要素」10/16(土) 8:02配信
---------- 2017年ごろから菅義偉官房長官と記者会見で対峙し、SNS上で注目を集めた東京新聞の望月衣塑子記者。一方で、当時の安倍政権に“すり寄っていく”ような一部メディアに対しては、違和感を覚えていたという。政治家とメディアは、どのような距離感で付き合うべきなのだろうか? 同氏の新刊『報道現場』から、一部編集のうえで紹介する。
健全化するネットの言論空間
 私は新著『報道現場』で、意図的に見えるフェイク情報の拡散について考察した。日本学術会議の任命拒否問題のときにあった、さまざまなフェイク情報のことだ。そうした動きについては引き続き目を光らせていきたいが、個々人に対する誹謗中傷については、かつてに比べれば少し改善してきたように思う。  私がネット空間で激しい誹謗中傷を受けるようになったのは、2017年6月、菅官房長官の定例会見で質問をし始めて以降だ。一部のメディアで何度もネガティブなタイトルや文言とともに取り上げられた。  質問の仕方や言葉遣いなどを取り上げて記事にする。私への揶揄(やゆ)、というか中傷記事はアクセス数を稼げていたのか、エスカレートする一方だった。ネット空間では「反日左翼活動家」や「北朝鮮のスパイ」などと言われていたようだ。  私自身は、ツイッターはするが、リプライのコメント欄はほとんど見ない。ネットで自分を検索することもないので、荒れていることは周囲からいろいろと聞いて知るのだが、それでも会社の代表番号に殺害の予告電話がかかってきたときは信じられない思いだった。17年9月のことだ。ネット空間でうずまいていた憎悪が現実社会ににじみ出てきたようで、暗澹(あんたん)たる思いだった。  度を越した中傷の書き込みに対しては、「法的措置を取った方がいい」と助言してくれる知人も多くいた。そういうときはスクリーンショットをとり、記録してもらった。ほかにも個人的にお願いしている弁護士や知人にもたびたび、力を貸してもらっている。  知人や弁護士によれば、バッシングは会見に出始めた後から増え、ネットに私の記事がたびたび出るようになった17年9月以降、さらに増加した。その後も断続的に度を超えた中傷があったが、コロナ禍でかなり減ってきたそうだ。  その理由として考えられるのは二つだ。一つは、以前ほど政府寄りのメディアが私に関する記事を書かなくなったこと。新型コロナウイルスを理由に2020年4月から官房長官会見への記者の出席制限が設けられたため、会見に出席できなくなってしまった。当然、質問もできないので、ニュースとして取り上げられるような目立つ動きが見えにくいのかもしれない。それともアクセス数が稼げなくなったのか。  もう一つは、新型コロナウイルスの感染拡大だ。これまで社会問題や政治に関心が薄かった人も関心を持ってSNSに投稿するようになったのではないだろうか。かつてのネット空間は、極端な言説やヘイトをまき散らす、声の大きな人々が大勢を占めていたように思う。  コロナ以降、相対的にそうした人たちの声が小さくなり、メディアリテラシーも高まったのではないか、と見ている。以前だったら見向きもされなかっただろう検察庁法の改正案という国会審議が、「#検察庁法改正案に抗議します」とツイッターで大きなうねりになったのは、それを象徴する出来事だった。
「政治家は任侠がなければだめだ」
 安倍政権下では、安倍氏に非常に近い言論人が活況を極めた。民放のテレビに出て、安倍氏の広報官のように話す人、SNSで安倍氏を擁護するあまり、批判的なメディアを徹底して非難する人、本人に代わって政策の意図や思いを解説する人……菅氏が首相となり、その点では少し落ち着いたように思う。  最大の原因は、権力者ではなく、メディア側にあったと思う。権力者は意図をもってメディアに近づく。そこで一線を引ければいいが、メディア側も近づいてしまうことが問題だ。  私は以前、人材派遣会社ザ・アール創業者で、経済同友会幹事をしていた奥谷禮子さんと対談した。それを機に、様々な財界人や有識者、認定NPO法人「D×P」の今井紀明さんなど、若手の社会起業家を紹介していただくことが増えた。奥谷さんや紹介してもらった方々と会い、話を聞かせてもらうと、経営者も起業家も新聞記者も、最後は政治や社会をどうしていきたいのかという哲学がなければいけないと痛感する。  奥谷さんは「政治家は任侠がなければだめだ」とよく繰り返す。任侠を辞書で引くと、義理や人情を重んじ、弱きを助け強きをくじき、そのために体を張る気質、とある。政治家だけではない。記者も含め、あらゆる仕事をする上で、任侠は不可欠だと思う。  そんな任侠道の大切さを私に説いてくれる奥谷さんに紹介していただき、先日、元首相の小泉純一郎氏にインタビューする機会を得た。小泉氏に政治家とメディアについて尋ねると、読売であっても朝日であっても「等距離外交がメディア対策の基本」と言っていた。  小泉氏は、メディアは基本的に批判する側に立つもの、だから総理になって特定のメディアと懇意にしたり、逆に拒否したりしてはならないと認識していた。  かつ、小泉氏はそこでメディアを敵に回すのではなく、朝夕ぶら下がり会見を行い、その様子がテレビに映ることで支持率を高めていった。ある種の才覚であり、稀有(けう)な例だろう。  小泉氏だけではなく、歴代の首相は、批判することがメディアの役割と割り切り、一定の距離を置いていたという。元朝日新聞の政治部記者、鮫島浩さんからこんな話をうかがった。  「私が見てきた自民党政権の政治家たちというのは、メディアに対する許容力があった。良くも悪くも批判を受けて立ちましょうという感じでした。今の石破さんのような感じです。いろいろ批判されても無視することはなく、まず批判に耳を傾けていました」
メディア自身が「メディアの畏縮」を招いた
 一方で安倍氏は、自身を批判する勢力を敵とみなし、たとえば朝日新聞のことは国会で何度も名指しで取り上げて「ファクトチェックしてください」などと発言した。マス・メディアに対する不信感、左翼やリベラルなメディアに歴史を修正され、自虐史観が煽られてきたと思う人たちから、安倍氏の物言いは、なぜか一定の支持を得ていた。  一部の熱狂的な支持層に乗り、メディアとの等距離外交もすっ飛ばした。朝日新聞の南彰記者の著書『政治部不信』(朝日新書、20年)によると、在任中の単独インタビューの数は、産経新聞(夕刊フジ含む)32回に対し、朝日新聞は3回だという。  かつてはそういったことを政治家側もしなかったから、メディアもすり寄ることはなかった。安倍氏に気に入られたいというメディアはどんどん近づいていき、安倍氏を批判するメディアを、なぜか産経新聞が批判するという構図になった。  産経はネットにいち早く流し、世間では私も含め、「反日認定」「北朝鮮スパイ」などと認定されてしまう。異様な空間がネット上だけではなく、雑誌や新聞といった言論の世界でも広がってしまった。  しかし今、SNSやネット空間を見ていると、かつてのように極端な言説を叫ぶ人は引き続きいるのだが、菅氏の長男である菅正剛氏の接待問題やオリンピックの開催についても、やっぱりおかしいものはおかしいという声が主流になっていると感じている。だいぶ正常化したのではないだろうか。  それは、安倍氏が辞任する流れにもつながったのかもしれない。突然の休校要請やアベノマスクなど、首をかしげる政策が次々と打ち出されて、一方で日々多くの方が感染症で命を落としていく。危機管理を掲げていたのに実際はこうなのか、という批判が噴出していた。安倍氏を応援していた支持者の中にも解雇されたり、店を閉店せざるを得なくなった方もいるだろう。そういう怒りもあったのかもしれない。  政権が近づいてきただけではなく、メディア側が政権に気に入られたいと忖度していった。それがメディアの畏縮を生んだ。ビジネスという点で言えば、安倍氏の発信を好意的に扱うことによって一部の支持層には読まれる。ビジネスとしてもかなり回った。
%%%%%望月 衣塑子(新聞記者)

 今般の選挙ではコロナもさりながら、安倍菅政治の総括です。その中心は財務省官僚の自死を引き起こした森友問題です。この問題を丁寧に追跡してきた元NHK記者の相澤冬樹氏が語っています。
%%%%%「言わない、出さない、聞かない」財務省の“三ない”はもう勘弁(相澤冬樹) 10/16(土) 9:06配信
雅子さんが手にした「不開示決定書」/(C)日刊ゲンダイ

【森友遺族・夫の死を巡る法廷闘争記】 「どうしましょうか?」  弁護士が尋ねると、赤木雅子さんはすかさず右のこぶしを振り上げた。 岸田首相“脱安倍・麻生傀儡”シフト鮮明で…「3A」支配に深い亀裂か 「もちろん、やります!」
■情報開示の追加提訴へ  財務省と近畿財務局に情報開示を求め、追加の裁判を起こすことがその場で決まった。13日、公文書改ざん事件をめぐる雅子さんの国家賠償訴訟の弁護団会議でのことだった。  雅子さんの夫、赤木俊夫さんは近畿財務局で改ざんをさせられ命を絶った。しかし財務省はその事実を調査報告書に何も書いていない。裁判でも資料を出そうとしない。そこで雅子さんは8月、財務省に出向き情報開示請求を行った。その時、雅子さんの言葉に職員が凍り付いた顛末は先月、日刊ゲンダイで明らかにしている。  請求したのは2種類。一つは調査報告書を作る際に使った文書すべて。もう一つは検察の捜査で任意提出したすべての文書だ。  その回答が同日、弁護士の元に届いた。結果は……すべて不開示。何にも出さない。よく、全体を黒塗りにした“のり弁”と揶揄される開示文書を見るが、その“のり弁”すら出さない。  雅子さんが岸田新総理大臣に出した、改ざんの再調査を訴える手紙に、世の中の関心が広がっている。対応を記者団に問われた岸田総理は、裁判で「丁寧に対応するように財務省に指示を出した」と発言した。だから少しは期待したのに、まったくのゼロ回答。 「これが岸田総理の言う“丁寧な対応”なの?」  こんな対応を財務省は何度も繰り返してきた。情報は言わない、文書は出さない、訴えは聞かない。「見ざる言わざる聞かざる」で有名な日光東照宮の3匹の猿のつもりだろうか?  でも、あの猿たちは「人の悪い所は見たり言ったり聞いたりしない」という教えを伝えている。財務省は逆だ。真実は言わない、資料は出さない、都合の悪いことには耳を傾けない、という“三ない”だ。  安倍さん、菅さん、改ざん発覚後の2人の総理もそうだった。そして岸田総理、残念ながらあなたも日光の猿たちとは逆の“三ない”を引き継ぐんですね。  雅子さんは覚悟を決めた。追加の裁判は負担になるが、負けてはいられない。 「あなたたちの不誠実な言い訳は聞き飽きました。もう勘弁してください。公正な第三者の手で改ざんの再調査をしてください。夫はなぜ改ざんをさせられたのですか?なぜ命を絶つまで追い込まれたのですか? 私は真実が知りたい。同じ書名の本もありますよ(笑)」
%%%%%(相澤冬樹/ジャーナリスト・元NHK記者)

+++++伊弉諾神宮・陽の道しるべ(6)
前回記事では言及しなかった諏訪大社は、他の神社と事情が異なっています。この地には日本列島古代政治史を考察する上での幾つかの重要な鍵が埋まっていると考えています。その鍵が、古事記と日本書紀にあらわに記載されています。まずは古事記の次の一節です:
原文:
故爾問其大國主神。今汝子。事代主神。如此白訖。亦有可白子乎。於是亦白之。亦我子有建御名方神。除此者無也。 如此白之間。其建御名方神。千引石下衙而來。言誰來我國而。忍忍如此物言。然欲爲力競。故我先欲取其御手。故令取其御手者。即取成立氷。亦取成劔刄。故爾懼而退居。爾欲取其建御名方神之手。乞歸而取者。如取若葦。搤枇而投離者。即逃去。 故追往而。迫到科野國之州羽海。將殺時。建御名方神白。恐。莫殺我。除此地者。不行他處。亦不違我父大國主神之命。不違八重事代主神之言。此葦原中國者。隨天神御子之命獻。

(文意:岩波文庫「古事記」61頁より」
そこで二柱の神(建御雷乃男神と天鳥船神)は大國主神に以下を訊ねた「今、汝には事代主神という子がおろう。こやつが言うにはまだ我に申告するべき子がおると」。そこで大国主神は「我にはさらに子が有り、建御名方神というものがいますが此者は今は勘当してここにはいない」と応えた。こんなやり取りをしている間に其の当人である建御名方神が千引石を引きずって、やって來て吼えた:「誰ぞが我國にきて忍忍(こっそりと)何かを言うておる。然らば力競㋾してやろうではないか。まずは我が先におまえの手をとる」と。ところがその御手は氷のごとくつめたく、劔刄のようで懼れてひきさがった。そこで今度は建御名方神之手をつかみ返すとそれはまるで若葦のようであったので、あっさりとつかみ、そのまま建御雷乃男神は建御名方神を投げ離した。建御名方神はただちに逃げ去った。そこでにげる建御名方神を追うと到科野國の州羽海にまでにげた。將に奴を殺そうとした時、建御名方神が言うには「やめてくれ、殺さないでくれ、此地を他の地には決して行かない。亦、我父大國主神之命に必ず従い八重事代主神之言にもそむかない。此の葦原中國は天神御子之命ずるままである」と。
%%%%%古事記記事抜粋おわり

 ここに登場する建御名方神は大国主神によって勘当された息子であるとされています。が、古事記はその母親について言及していないため、事代主神の弟であるのか否かは定かではありません。さらに注目すべきことは、日本書紀では、上に掲載した記事と内容をほぼ同じくすると思われる記載が見当たりません。すなわち建御名方神は登場しません。私は本ブログで書紀が建御名方神に触れないのは重大な史実の秘匿であると書いてきました。この秘匿をあたかも弁明するかのように天武紀十三年に以下の記事があります。
%%%%%《天武天皇十三年(六八四)二月庚辰【二十八】》◆庚辰。
原文
遣浄広肆広瀬王。小錦中大伴連安麻呂及判官。録事。陰陽師。工匠等於畿内。令視占応都之地。是日。遣三野王。小錦下悉女臣筑羅等於信濃、令看地形。将都是地歟。

(文意:岩波文庫「日本書紀」(五)、194頁」
浄広肆広瀬王、小錦中大伴連安麻呂及判官、録事である陰陽師、工匠等於を畿内に派遣し応都之地の視察占いをさせる。是日、三野王、小錦下悉女臣筑羅等を信濃に派遣し地形を視察させる。将に都を是地に定めんとするか。
%%%%%日本書紀記事抜粋おわり
 天武天皇の和名は「大海皇子」です。母は斉明女帝で兄が中大王であるとされています。「中大兄」は後の天智天皇であると誰しもが思い込んでいますが、日本書紀はそれを明記していないこと、また日本書紀は「中大兄」を表記する際に決して尊称たる「皇子」を付記しないことに私は留意しています。それについてはすでに書いてきたのでここでは繰り返しません。

%%%%%《天武天皇二年(六七三)二月癸未【二十七】》◆二月丁巳朔癸未。紀
(原文)
天皇命有司。設壇場、即帝位於飛鳥浮御原宮。立正妃為皇后。々生草壁皇子尊。先納皇后姉大田皇女為妃、生大来皇女与大津皇子。次妃大江皇女。生長皇子与弓削皇子。次妃新田部皇女。生舎人皇子。又夫人藤原大臣女氷上娘。生但馬皇女。次夫人氷上娘弟五百重娘。生新田部皇子。次夫人蘇我赤兄大臣女大甦娘。生一男。二女。其一曰穂積皇子。其二曰紀皇女。其三曰田形皇女。天皇初娶鏡王女額田姫王。生十市皇女。次納胸形君徳善女尼子娘。生高市皇子命。次完人臣大麻呂女擬媛娘。生二男。二女。其一曰忍壁皇子。其二曰磯城皇子。其三曰泊瀬部皇女。其四曰託基皇女。

(文意:岩波文庫「日本書紀」(五)、110頁より
天武天皇一族の正妃、と彼女等との間に生した子等の記述なので文意は不要と考えています。
%%%%%(書紀抜粋おわり)
 上掲の天武天皇一族について補則をしておきます。天皇の和名は「大海皇子」(おおあま)と書紀は書きます。皇子には正妃たる(後の)持統女帝(天命開別天皇の女(むすめ)である菟野皇女)に加えて九人の后がおり夫々が子を生しています。持統女帝は、藤原不比等治世時代、すなわち日本列島『正史』が編纂されている最中に存命した女性で、しかも編纂統括者たる藤原不比等にごく近しい女性でもあります。したがってその記載には不正確さは残らないはずなのですが、実はまことに奇妙な記載となっています。詳細は 13年7月1日記事”持統天皇(1),木が抱え込む放射能(米国科学誌、6月24日号)” および13年7月3日記事”古代史編年(32、持統女帝(2)),放射能を抱え込む林(2、チェルノブイリ)”で書きました。どうやら二人の女性を重ね合わせて作り上げられた人物を思わせるのです。7世紀末から八世紀初頭にかけては、奈良の政治権力が固まってきた時代です。「正史」を編纂するに当たっても登場人物、出来事に多くの目撃者がいたはずです。すなわち荒唐無稽な虚偽を書き並べる事はできないはずです。それにもかかわらず、まことに不思議なことに「曖昧な」記載がすくなくありません。そうした視点から考察すると、天武天皇自身も同様に二人の人物が重なっているように見えます。一人は世の中に「天武天皇」として知られる人物であり、もうひとりは「崇神天皇」(美麻貴天皇)が重なっています。常陸国風土記を日本書紀を重ねて読むことからそうした推論が可能となることは以前書きました。

 それはさておき、八番目の妃として納(めしい)たのが胸形君徳善の娘「尼子娘」(尼子のいらつめ)で生した子が壬申乱で大活躍をした高市皇子です。この皇子についてのみ日本書紀は名前の後ろに「命」(みこと)なる尊称を付しています。これは草壁皇子に「尊」なる尊称をつけていることに留意するならば、ただ事ではありません。編者の並々ならぬ配慮が伺い知れます。しかし、それが誰に対してであるのかは推察できません。「胸形」と「御名方」は「音」が似通っています。どちらも「ミナ」すなわち「三七」に由来すると考えています。この一族の出自は魏志倭人伝が書く「弥奴」国であろう、すなわち大変古い家柄と思われます。そして「形=方」は「潟」であると想像されますから海辺近くに威を張った一族でしょう。とすればそれは現在の宗像神社界隈と思えます。

 ここで、上述を整理をしておくと、歴史上のある時に、九州にいた強い武力を有した勢力が奈良の権力に破れ、信濃国に逃れた。そこは、彼らの同胞が威を張っていた地であった。しかし、奈良の勢力は逃げる彼らを執拗に追いかけ信濃国を軍事占領してしまった。そこで、その地に新たな拠点、すなわち「宮(都)」の設営を開始した。古事記と日本書紀の「信濃」にかかわる説話にはこうした連関があるのではなかろうかと考えています。と、言うことは古事記が書く「建御見名方」説話は遠い昔の神話ではなく七世紀中ごろの史実であるとことが見えてきます。言葉を変えれば「奈良盆地」に拠した軍事勢力の日本列島制覇の一譚であるということになります。
(つづく)

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 宮内庁ってのはよくわからない「庁」ですな。英訳は Imperial Household Agency とあります。なにやら物騒な意味合いです。内親王の結婚で右往左往しているうちは無害に近い存在です。しかし、古代史研究者が口をそろえて求めている古墳発掘については頑なに禁止措置をとってきました。どのような法的根拠に基づいているのかは知りませんが、日本列島に住まう民の「自らの古代史」を知る権利を奪っています。さてこうした宮内庁について興味深い記事があったので、本ブログでメモしておきます。
%%%%%小室圭さん問題で責任論も噴出 いまいちよく分からない「宮内庁」職員の“実態” 10/16(土) 9:06配信
 秋篠宮家長女・眞子さま(29)と小室圭さん(30)が今月26日に入籍する。婚約内定報道から4年、小室さんの母親の借金問題など一連の騒動で、「なぜ事前に調査しなかったのか」といった「宮内庁」への責任や存在意義を問う声は多い。国民の税金で賄われる国家公務員だから当然だが、財務省や厚労省などと違って、いまひとつ実態が分からない。どんな人たちが働いているのか――。
歴代42人の“出世度”は?   ◇  ◇  ◇
■職員にはどうしたらなれるのか?  宮内庁職員は1073人。定員数は、宮内庁長官、侍従長、上皇侍従長、皇嗣職大夫など特別職が70人。その他、皇族に仕えたり、事務方を担う一般職が1010人となっている。  職員(一般職)になるためには、人事院採用で主に国家公務員一般職試験(大卒程度試験・高卒者試験)に合格し、宮内庁訪問をして内定を受けるのが正式ルートだ。  大卒の場合、2019年は行政職7人、技術職0人、20年は行政職5人、技術職2人、21年は行政職5人、技術職2人が採用されている。  一方で、特別職は他省庁からの天下りだ。
■長官、次長の重要ポストは旧内務省から出向 「伝統的に旧内務省出身者が、長官や次長など重要ポストに就いています。例外もありますが、警察庁、厚労省、国土交通省、総務省の4つの省庁で回すのが伝統になっています。例えば警察庁が入っているのは、パレードの警備や皇族の周辺の身辺調査を担うなど実務ともリンクしているのでしょう」(宮内庁記者)  現在の西村泰彦長官は警察庁出身。警視総監、内閣危機管理監を経て、16年に宮内庁次長、19年から現職だ。山本信一郎前長官は元総務官僚であった。 「本省の出世ピラミッドから外れたり、ポストがない官僚の一時出向先に充てられることが多い。出向期間2〜3年を上に逆らわずに大過なく過ごせればよいと考える人がほとんどで、皇室への敬愛や使命感、熱意をもって働いている人は少ないでしょう」(公務員問題に詳しいジャーナリストの若林亜紀氏)
試験を受ける〈オモテ〉と縁故中心の〈オク〉

 特別職の退任後の再就職のポストはどうか。山本前長官は財団法人「地域創造」の理事長に就任している。風岡典之元長官は公益法人「日本住宅総合センター」理事長、羽毛田信吾元長官は、財団法人「日本遺族会」の昭和館館長。小田野展丈元式部官長は、近鉄グループホールディングスと大塚製薬の顧問に就いた。  一般職の場合は中途採用の割合も多く、試験を受ける〈オモテ〉と縁故を中心とした〈オク〉の採用ルートがある。 「宮内庁には〈オク〉という他の公務員にはない採用ルートがあります。天皇・上皇・皇嗣家を身近に支える侍従や女官で、皇族の同級生や旧華族出身者などが縁故で採用されていますし、口コミやホームページ上で公募もあります」(若林亜紀氏)
■皇宮警察は「容姿端麗」が採用基準  過去には、「昭和女子大」の学内求人に〈高円宮家の「侍女」募集〉が掲示されて話題になった。宮家が伝統校に直々にオファーするケースもある。  その他、料理人、御料牧場・農場の農家を担う職員、庭師など特殊な採用がある。皇宮警察は一昔前まで募集要項に「容姿端麗」を記載していた。 「儀典や要人を迎える場に立ち会うためで、現在でも美男美女の割合が高い印象です」(前出の宮内庁記者)
給与体系や組織の適性は?
一般職なら定年までのんびり…(C)日刊ゲンダイ

 宮内庁関係予算は、皇室費(内廷費、皇族費、宮廷費)と宮内庁費に分かれる。  内廷費は天皇・上皇・内廷にある皇族の日常などに使う費用で、3億2400万円。皇族費は皇族の品位保持のための予算で総額2億6932万円。宮廷費は、儀式や国賓・公賓の接待、皇族の外国訪問などの予算で、118億2816万円。宮内庁費は、宮内庁の運用のための人件費・事務費などで、125億8949万円(いずれも2021年度予算)。
■行政職の年収は740万円 宮内庁長官なら2900万円  また国家公務員給与等実態調査(21年)によれば、一般行政職の平均給与月額は約45万円(年収約740万円)だ。一方、宮内庁長官なら年収約2900万円、侍従長は同約2500万円とされる。 「オモテルートの新卒採用は幹部候補の総合職採用が少なく、一般職採用の割合が多いのが特徴です。そのため、エリート官僚を目指す学生にとってマイナーな存在で、全体的にのんびりした雰囲気。公務員はクビにならないし、安定した職場と言えるでしょう。税金から支出される皇室費、宮内庁費は合わせて年間250億円。国民1人あたり年間250円を出して支えてる計算ですね。人員1000人は多過ぎる印象。18人の皇族を支える職員だけで、警備をする皇宮警察はまた別組織で960人もいるのですから。予算も別です。それに比べ、英国王室は、王族25人に対して、スタッフは住み込み50人、通い450人の500人程度です」(若林亜紀氏)
■“小室さん問題”をなぜ解決できなかった  これだけの職員が待機し、元警察庁・警視総監を務めた西村長官のような優秀な人材がいながら、小室さん問題を解決できなかったのはなぜか。 「雅子さまや紀子さまら皇族に迎える女性に対しては民間の興信所を使って調べています。しかしながら、降嫁する女性の嫁ぎ先を調べる慣習はなく、そもそも小室圭さんや家族を調べる発想がなかった。興信所の調査も、過去の例を見ると『不妊の疑い』や『色覚障害』といった健康上の問題に注視しています。どんな評判のいい女性でも、家系を調べ始めると先祖100人も遡れば何かしら問題はありますから……」(皇室ジャーナリスト)  宮内庁の行政一般職は、国内外からの「式典」や「行事」の参加依頼を受けて調整する仕事。侍従などを省けば直接皇族に意見はできない。取材態勢も異例だ。
■記者会見には「伝統的にカメラを入れない」 「宮内庁は『伝統的に会見にカメラを入れない』閉鎖的な省庁です。今は発言をそのまま引用してもいい“オンレコ”ですが、オフレコの時代もありました。記者は当然、皇族に直接取材できませんが、長官らトップは昭和の時代から、何重ものフィルターを通して伝える会見方法で、皇族の言葉の裏を読んで『拝察される』といった曖昧な表現を使っています。たとえば、西村長官は、小室さんの28枚の文章を『評価する』とメッセージを発しました。ただ、結局のところ、説明責任を果たしているのか、いないのか、宮内庁として結婚を認めたのか、認めていないのかはっきりしない。昔はそれで国民の声を抑えられたかもしれませんが、SNS時代では中途半端な対応が炎上を生み問題を悪化させるのですが、深刻に捉えていないのが実情です」(前出の皇室ジャーナリスト)  眞子さまの「複雑性PTSD」を公表して批判を受けたり、対応が裏目裏目に出ている宮内庁。今後、組織の見直しも議論されそうだ。
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総選挙!、陽の道しるべ(5)、ショパン・コンクール、中国不動産

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:昨夜来の強い雨は幸いにも朝方には止み東の厚い雲の向こうにうっすらと日差しが見えました。拡大は図のクリックで)
雨上がりの北関東の朝0199


 出雲の地 集える神々 憂うたは おのが地元の 民の幸せ

 そろそろ、出雲に出張中の神々が出身の地元に戻る頃ではなかろうかと思います。そんな折、本日衆議院が解散されました。いよいよ総選挙です。神々におかれましては、「日本会議」なぞと言う口からでまかせの元首相を特別顧問にいただく集団の甘言に民が騙されぬよう、そして民の憂いを直視され民が真っ当な投票行動をするようお導きいただきますよう、僭越ながらお願い申し上げておきます。

+++++ショパン国際ピアノコンクール
 第18回ショパン国際ピアノコンクールがポーランド・ワルシャワで開催されています。このところTVの音楽番組でもしばしばこのコンクールが話題として取り上げられているので、其のHPを覗いてみました。
(表:本選までの五段階の審査と通過者数)
211014Chopin無題

 一次予選通過者87名の出身国は多い順に
中国(24)、ポーランド(14)、日本(13)、イタリヤ、韓国(6)、米国、ロシア(5)、カナダ(4)
興味深いことは英国、仏国、独国、オーストリア、チェコからは無し、ということです。
 一次予選通過者を国別で眺めると、なんとアジア出身者が43名、すなわち半数を占めます。これらの国は、アジアにあって「追いつけ、追い越せ」風の国家志向が転じて西欧崇拝あるいは西欧コンプレックスにとり憑かれているのではと思えます。日本なぞはその最たる国であります。私なんぞも時折本ブログで白状してきましたが、ぬきがたい西欧コンプレックス人間であります。今般の東京五輪にあってIOC会長の「ボッタクリ」に激しく怒ったのは其の「コンプレックス」の裏返しであると自覚しています。それはさておき、世界の西洋音楽の中心地であると自負するオーストリア、数多の音楽家を輩出してきたフランス、ドイツ、チェコからの参加者がいないことにも驚きます。

 本線進出(二次予選通過)を目指す23名の出身国は以下のとうり:
ポーランド(6)、日本(5)、イタリア(3)、カナダ、ロシア、韓国(2)、中国、スペイン、アメリカ(1)。
 本日から始まる三次予選(準決勝)では、24名もの一次予選突破者を出した中国がわずか1名のみの二次予選通過です。なにやら込み入った背景がありそうです。一方、二次予選を突破した日本人五名のうちの一人は開成高校から東大工学部出身(工学修士)の角野隼人氏です。一次予選を突破した13名の日本人の中には名古屋大学医学部在学中の男子学生が含まれており驚きました。野球の世界では大谷翔平氏というとてつもないアスリートが出現し、投げて良し、打って良し、走って良しの二・三刀流の大活躍をして世界の耳目を集めています。そしてピアノの世界でも、学んで良し・弾いて良しの二刀流がすでに日本で出現していることを知りました。羨ましい話であります。
 角野氏の二次予選での演奏をみつけました。
HAYATO SUMINO – second round (18th Chopin Competition, Warsaw)

 いずれ、私の「ショパン観」を書きたいと思っていますが、通説では女性好みの音楽であるとされています。私はそうした説には同意しません。これぞ「生物としては儚く弱い存在」である「男」の音楽であると考えています。「生物としては儚く弱い」ことの証が「滅びつつある」Y染色体です。これこそが男である証の筈が、時間とともにY染色体の長さが縮小していることが生物学的にも明らかになっています。

+++++さあ!総選挙だ!!
 安倍・菅政治を真っ向から否定するとの強い意思表示をわが同胞がするのか否か!それに期待してこれから月末までの17日間を見守りたいと思っています。まずは、私が尊敬する小沢一郎氏の言をここに転載いたします。
%%%%%立憲民主党・小沢一郎氏「野党には非常に厳しい選挙」東京8区のドタバタにも苦言呈す
公開日:2021/10/14 06:00 更新日:2021/10/14 06:00
「非常に厳しいね、野党は。1年前から敵失の風がそよそよと吹いていたけれど、悪いことは全部、菅前首相に押しつけた。自民党というのは、それぐらい権力に執着しているということ。岸田首相はソフトで悪い人じゃない、というイメージを与える。日本人はそういう人が好きなんだよ」
 再びの政権交代の実現を訴え続けてきた小沢一郎氏だが、いきなり「厳しい」の一言から始まった。通常、選挙の直前になれば、野党の政党支持率は上がるもの。ところが、自民党が40%近い支持があるのに対し、野党第1党の立憲民主党は相変わらずの1ケタだ。
「むしろ自民党の支持率が上がって、与野党の差がどんどん広がっている。野党として発信が足りないからだろう。自民党は今は『分配』と言っているけれど、小泉政権からの弱肉強食の考え方は変わっていない。一方、野党は『国民の生活が第一』『命と暮らしを守る』『富の公平な配分』が政治の役割であるという政党。政治の基本原理を異にしているのだから、両者は根本的に対立する。そこを明確に打ち出さないから、国民が『野党って何をするの?』となってしまう」
■ 「何が何でも政権、という執着が必要」
 野党への支持が高まらないもう一つの理由として、小沢氏は“体質”の問題に言及した。
「何が何でも政権という執着がないから、『万年野党でいい』という雰囲気を醸し出してしまう。それでは国民はバカバカしくて野党に投票しない。現在のポジションを維持できればいいというだけならば、そんな政党は解散してしまえ、と国民が思っているから、支持が上がらないのだろう」
 野党共闘のための統一候補の調整も最終盤になってモタモタしている。象徴的なのは、東京8区で統一候補を目指した「れいわ新選組」の山本太郎代表が、立憲の地元支持者の反発が強すぎて、出馬を断念した一件だ。
「(枝野代表が)決断と責任をもっと発揮しないといけない。誰かが憎まれ役をしなければ、物事は進まない。みんなが八方美人では、物事は決まらない。『俺が責任を取る』と言える人が必要なんだ」
■ 厳しい戦いでは個々の候補者の力が試される。小沢氏は先週末(9日)、沖縄・石垣島に出向くなど、応援依頼に応えて、選挙期間中も全国を回るという。
 最後にこう言った。
「当然、政権交代を目指して選挙に臨むのだけれど、少しまだ、道遠しの感はある」
■ %%%%%

 私がしばしばここで紹介する鳩山友紀夫氏も下の動画の前半部で、この総選挙について語っています。
対談 鳩山友紀夫 × 高野孟 (2021年10月)


+++++伊勢神宮と高千穂神社
 伊弉諾神宮境内に展示される「陽の道しるべ」には、地球の周りを一年間かけて一周する太陽の運行経路を七つの神社で示しています。日本列島には、しかるべき地に古くからの「神社」があり、それにまつわる故事があった。其の由緒ある地の相互の空間的配置は偶然ではなく、なにやら法則性がある。それは伊弉諾神宮を中心に据えることで浮かびあってくる。こうして伊弉諾神宮の地が「島の始まり」であることが明らかになった。これが伊弉諾神宮の宮司さんの「お話」です。しかし、それは現実の日本列島古代史考察と言う視点からはまことに考えにくいことです。

 それでは実際はどうであったのか?それを10月7日記事で書いてきました。そこから導き出される結論は、これらの神社は古事記で「島のなりたち」なる筋書きが定まってから創建された「宗教施設」であった、というものです。それには伊弉諾神宮も含まれますから、この神社の創建も七世紀の後半以降ということになります。言葉をかえれば、一旦、神社群の中心を定めれば、日本列島に十万あると言われる神社群のなかから、特別な方位にある神社を選べばよい。あるいはしかるべき場所にはそうした条件を満たす神社を造営すればよいからです。なので、展示パネルには古代日本列島史の再発見を促すような特別な神秘性は無いことになります。
(図:淡路島の伊弉諾神宮と『陽の道しるべ』展示パネル。拡大は図のクリックで)
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 ところで、古事記の構想する日本列島政治史の視点からは、あるいは、上に書いた「日本会議」が唱える歴史観では、まずは伊勢神宮が、そして次には高千穂神社が重要な役割をします。そこで、伊弉諾新宮から見て真東の方向のしかるべき場所に「聖地」を定める手順を考えてみます。なぜならその地に「伊勢神宮」が構築されるからです。

 まずは、高安山が伊弉諾神宮からは真東の方向にあることがわかっています。そこで高安山に目印を立てておきます。つぎに高安山から100kmほど東に離れた地点、X,で狼煙を上げ、其の煙の立ち上る点が、伊弉諾から見て高安山の目印と重なれば、其の点は真東の方向と言うことになります。重ならない場合には、地点Xを北か南にずらさねばなりません。どちらにずらすべきかの指示は伊弉諾神宮の地から与えることになります。それは伊弉諾であげる狼煙で与える(例えば、煙の高さを違えるなど)ことができます。こうして171km離れた地に伊勢皇大神宮(伊勢神宮)の「創建」が可能となります。
 一般的に、ある地点にあって、其の地点と緯度を同じくする新たな点を見つけることは難しいことです。緯度観測所というものがあり、地球の公転にあっても不動とされる北極星の高度を常に測定しています。北極星を見上げる角度(仰角)が、地球の緯度を与えることがわかっているからです。実際の観測では其の角度は長い年月でゆっくりと変動します。それは地球の自転軸が独楽のようにふらつくからです。しかし、おおむね一定であることを利用します。
これを利用して、自分が立っている場所、Y,での緯度、すなわち北極星の仰角を測定します。次に別のいくつかの場所で同様の測定を繰り返し、そのうちでY で測定したと同じ仰角を持つ地点があれば、それが、求めたい地点と言うことになります。この手続きでも、伊勢神宮設営地点を定めることができます。いずれにしても、古事記の歴史観が先にあり、それにしたがって、伊勢神宮の設営があったのです。

 さて、九州の熊本・宮崎の県境にある高千穂神社の設営はどうでしょうか。まずは古事記編纂者の「神学的」意図には、「旧体制支配者の復活を阻止する」と言う強い意思を私は感じています。勿論それが「神学的」意味であります。さて死者の方角と言えば、エジプト神話で見るならばそれは西方です。しかし、わが日本列島にあってはそれは10月7日記事で書いたように対馬であり、その向こうには偉大なる「唐」があります。「日の没する」国(隋書倭国伝)が死者の方向であってはいけないのです。替わりに登場したのが、冬至日の日没方向です。その地に敗者の復活を押さえつける「聖所」を設営する。そこに「天降り」の意図、言葉を変えれば古事記のシナリオがあったと考えています。さてその手順では、北極星は使えません。かくして上述したような狼煙技法を幾重にも使ったのだろうと考えています。

 かくして古事記編纂者が構想した日本列島始まりのシナリオの骨格ができたのです。このシナリオの中に「信濃」国をどう位置づけるのか?藤原不比等にとってはそれがもっとも重要な「勘所」です。何せ、その地は「常陸国鹿島」と並んで「蝦夷」征討の要です。
(つづく)

+++++世界を揺るがしかねない不安、“中国恒大”
 このところ、2008年の「世界金融危機」再来かと危惧されているのが中国恒大の破産です。そんな折以下の記事を目にしたので、転載しておきます。経済音痴の私はこの記事の意味するところを理解しているわけではありませんが、中国最大手の不動産企業とそれに続く企業が、膨大な借金を抱え込んでしまっていることを示しているようです。と言うのも、日本列島の国土が中国に買われていると言う事態、すなわち、いつの間にか日本国政府が統治権が及んでいる土地が「中国の資産」なんてことになるのではと不安に思うからです。
%%%%%世界のドル建てディストレスト債、ほぼ半分が中国不動産セクター Shannon Harrington、Claire Boston、2021年10月13日 20:42 JST
• 中国恒大は先月、社債利払いを怠る−花様年が予想外のデフォルト
• 佳兆業集団や融創中国控股なども多額のディストレスト債抱える。
 各国・地域の中央銀行が講じた金融緩和で不安の多くが取り除かれた世界の債券市場にあって、中国不動産開発会社のトラブルが際立っている。

 ブルームバーグが12日にまとめたデータによると、ディストレスト水準で取引されているドル建て債1390億ドル(約15兆7900億円)のうち、46%が中国不動産セクターの社債だ。利回りがベンチマーク金利を10ポイント以上上回る債券は、ディストレスト債と見なされる。
A Big Pile of Trouble
China's property woes have led to tens of billions in bonds trading at distressed prices
Source: Data compiled by Bloomberg capturing U.S. dollar-denominated bonds with spreads of at least 10 percentage points.
  中国不動産セクターでは債務返済圧力が高まりデフォルト(債務不履行)が増えていることから懸念が広がっており、中国の発行体による投資不適格級(ジャンク)格付けのドル建て債は、利回りが約10年ぶり高水準に達している。
  業界大手の中国恒大集団が先月、社債利払いを怠り、続いて花様年控股集団(ファンタジア・ホールディングス・グループ)が予想外のデフォルトに陥った。新力控股集団は、今月18日に期限を迎える社債を償還できるとは見込んでいないと発表した。
中国の新力控股、ドル建て債償還不能か−クロスデフォルトの恐れも
 ドル建て債が指標金利より少なくとも10ポイント高い利回りで取引されている中国不動産セクターの借り手は以下の通り(関連ワークシートを見るにはここをクリック)。
211014Distressed無題

以下はDistress price の意味:
What Is a Distress Price?
A distress price is when a company chooses to mark down the price it charges for an item or service instead of discontinuing the product altogether. Such decisions are usually made during difficult market conditions when the sale of a particular item or service has slowed dramatically, and the company is unable to sell enough to cover the fixed costs associated with doing business.
Utilizing a distress price is meant to spur sales to generate enough cash flow to at least cover a company's operating costs.
ティッカー(シンボルとも言います)とは、日本株の銘柄コードのように、個々の銘柄を識別するためにつけられた記号です。 米国では個別株、ETFともにアルファベットで表します。 米国株取引画面における銘柄の検索は英語となるので、銘柄を検索される際は、日本語 で検索できる米国株 銘柄を探すが便利です。

10月7日(M5.9気象庁)地震(「チバラギ」地震、明日は豪州戦

 今回は、古代史記事を休載して、10月7日夜10時40分に関東地方を揺さぶった千葉県北西部地震について書きます。現ブログ管理人はこの地震を「チバラギ地震」と呼んでいます。千葉県から茨城県にかけて地下50km以深に南北に走る「構造線」風の亀裂、言葉を変えれば線状の活動帯が存在することが地震活動調査から判明しています。今般の地震はまさに其の活動帯で発生しています。そこで、今回はこの活動帯についてのこれまでの調査をまとめておくことにします。
(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:秋も深まり空では百舌鳥が叫び、地上ではドングリが散乱しています。)
もず0187


夜明け前 百舌鳥が枯れ木で 鳴いている オイラはとぼとぼ いつもの散歩 (駄首)

 先週木曜日(10月7日)夜の地震は埼玉県南部で震度5強の強い揺れをもたらしました。この夜に外出していた少なくない人たちが帰宅できず、京成電鉄舎人ライナは脱線、などなど其の影響は日をまたいで長く続きました。1923年の関東大地震に先立つこと約2年前の1921年12月8日にm7級の地震が龍ヶ崎市を襲い数名の死者を伴う被害がありました。私はこの地震こそ、「チバラギ」地震ではなかったかと考え、冒頭にも書いたように、8年ほど前より折を見てはこの地震を調べてきました。今回はこれまでの調査をまとめておこうと考えています。

+++++2021年10月7日千葉県北西部地震(”チバラギ”地震)
 10月7日夜22時45分ごろ突然体が持ち上げられるような体感がありました。其の直後、いつもよりは長く続く大きな震動が続きました。これは茨城県近傍で起きた地震であると判断しTVに走りました。その際、直ちに連想したのが下記のネット記事です:
%%%%%M7以上で後発地震の注意喚起を 日本・千島海溝で専門家委 2021年10月7日 18時48分  共同通信
 内閣府の専門家委員会は7日、日本海溝・千島海溝沿いでマグニチュード(M)7以上の地震が発生した場合に、より大きな後発地震への備えを住民に注意喚起するのが適切だとする報告書案をまとめた。ただ、震源域ではM7以上の地震が約2年に1回の頻度で観測されているとも指摘し、社会的な影響も考慮する必要があるとした。
 内閣府の作業部会が具体的な情報発信について検討し、政府の中央防災会議が検討を進めている地震対策に反映させる。
 日本海溝・千島海溝地震は、北海道から東北の太平洋沿岸部で大きな被害が想定されている。
%%%%%
 というわけで、しばし警戒心を緩めずに布団の中で身を横たえていました。市の広報車が大きなだみ声で「大地震発生」と叫びまわっていました。この地震の襲来を感知しなかった近所の犬供がこの広報に怯えたのか、言い訳がましくキャンキャンと叫んでいました。
 この地震の震央を防災科学技術研究所のHINETが以下を報じています:
(図1: HINET より。拡大は図のクリックで)
hinet無題

 この地震はブログ管理人がかねてより主張している「チバラギ地震」型のすべての特徴を備えています。その特徴は発生場所と発震機構解にあります。それを記事の後半部で書きます。
 そこで早速この地震の断層面の特定をはじめより詳細な情報を得るべく気象庁が発表する資料を眺めて見ます:
(図2:気象庁記者発表資料 所載の図の幾つかを下に転載します。)
(図2a 震度分布は震央の周りに同心円状に分布せず、一方の側に偏っている。拡大は図のクリックで)
震度無題

 新聞報道でも指摘されていることですが、震源はJR総武線千葉駅―市原駅のほぼ真下です。しかし、もっとも大きく揺れたのは千葉―市原近辺ではなくそこから北西方向40kmはなれたJR京浜東北線川口駅界隈であることです。これは地震の深さが地表下70kmで、そこから川口方面へ射出された地震波がプレートと呼ばれる硬い岩盤を伝播するため、振幅が減衰しなかったことによると考えられます。

(図2b:発震機構解。気象庁はこの地震のマグニチュードを5.9と発表していますが、地震規模の最新の測定手法では6.0と見積もられています(Mwで表示)。拡大は図のクリックで)
211011Mechanisim無題

 この図は地震を引き起こす力の方向を示しており、「発震機構解(focal mechanism diagram)」と呼ばれます。日本列島を含む世界の多くの地震観測所ではこの地震が生み出す地震波を精密地震計で記録しています。それらを物理理論に基づいて解析して得られるのが「モーメント・テンソル」と呼ばれる6つの物理量です。この6つの量を図で表現したものが発震機構解で、それは震源に働く力の方向を与えています。ただし其の理論は地震源が点であると仮定するために(数学的にモデルを単純化できるため)、非対称の現象についての分解能はありません。そのtめ二つの可能性(不確定さ)を与えます。それを示したのが同図の下半分に示される図です。一つの解はAで表示されるように断層面が東側に傾く(面aで表示されている)ような動き,もう一つはB で表示されるように断層面が西側に傾く(面b)を解として与えます。円内の二つの曲線は、この地震が形成したであろう地下の断層面の幾何学情報を与えています。今般の地震で、そのどちらが断層面であるのかを知るには、例えば余震分布の広がり形状から判断できることがあります。

(図2b: 補足。断層面の傾きは曲線が円周から離れていれば小さい傾斜(図のb);曲線が中心近くを通れば傾きが大きく鉛直に近くなる(図のa).
CIMG0195

 今回の場合はA型であるか、B型であるかは判じがたいのですが、後に見るように、一般に「チバラギ」地震では、A型すなわち鉛直に近い傾きを持つ面を解として持ちます。それを余震分布で判別できるや否やを見てみます。
  (図2c:震源周囲の地震活動とその東西鉛直断面への投影。拡大は図のクリックで)
断面無題

  図2aの下部で示した二つの選択、すなわちA またはB のどちらが断層面であるらしいかが見えてくると期待されましたが、小地震の分布が鮮明でないため判じがたいようです。
以上は地震関連官庁の発表です。

 <<チバラギ地震の特徴と活動>>
 本ブログでは8 年前より「チバラギ地震」の特徴を有する地震についての記事を書いてきました。この地震の特徴をまとめたものが図3です。
(図3:「チバラギ」地震の特徴。14年9月17日記事の図。 拡大は図のクリックで)
211011a39a86caa

 茨城県のはるか沖を南北に日本海溝が走ります。その日本海溝の100kmほど東側で2013年10月26日(奇しくも眞子姫の結婚が予定される日と同じ日)に巨大な地震(Mw7.7)が発生しました。地震学的には興味深い地震ですが、ここでは詳述しません。私事ですが、この日は甥の結婚式で会場は田園調布の長島茂雄邸近くの瀟洒なレストランでした。普段は田園調布何ぞという上級国民が住まう地には足を向けたことも無いので記憶に残っております。この地震の調査を進めるなかで関心は茨城県南部にも目が向くことになりました。そうして気付いたのが図3の左の分布です。その特徴は
「霞ヶ浦のやや西方から千葉県の市原東方にいたる南北につらなる線上に分布する地震活動で、深さは地表下50〜70kmで発生する」
というものです。これが「チバラギ地震」の特徴です。

 この地震活動を南北鉛直断面に投影したものが図3aです。
(図3aこの地震の南北鉛直断面への投影14年10月1日記事 :拡大は図のクリックで)
211011b4c1fb904

 南にいくほど、其の深さが浅くなっています。となると、この地震活動は相模湾から北々西方向に潜り込むフィリッピン海プレート上の地震であると思わせますが事情はそれほど単純ではありません。

 そこで、この地震活動を東西鉛直断面に投影した様子を下図で眺めます。
(図3b 東西鉛直断面で見た「チバラギ」地震の位置 14年10月1日記事: 拡大は図のクリックで)
211011c23cd1b80

 なにやら分布に不連続が認められます(緑の点線に注目)。そこで、これらの地震の発震機構解を調べたものが下の図です(図4)。

 「チバラギ地震」を発震機構解からみた特徴を眺めることにします。
(図4 チバラギ地震の発震機構解14年10月6日記事 拡大は図のクリックで。)
211011d153cae8a

 この調査をしていた際に埼玉県で顕著地震が発生し、それを村井俊治氏(東大名誉教授で、当時地震発生予知の専門家としてジャーナリズムでもてはやされていた)が予知していたとのことで週刊誌が大騒ぎをしました。この地震は「チバラギ地震」ではありませんが参考のために付記しています。
 この図で明瞭なことは、「チバラギ地震」の発震機構解は、おおむね其の断層走向が南北で、東側の面の傾きが鉛直に近いことがわかってきました。上記の調査の翌年に再度「チバラギ地震」帯に顕著な地震が発生します。図5aはそれを確認したものです。
(図5a 14年11月12日 拡大は図のクリックで)
211011e1d159dc1

 この地震の発震機構機構解も上で書いてきた特徴を備えていることが確認できます。
(図5b: 14年11月12日記事 拡大は図のクリックで)
211011f57339ffb

 さらには4年後の2018年2月に同様の地震が「チバラギ地震」帯で起きました。
(図6:18年2月16日記事18年2月16日記事
211011g7096a243


 この地震発生の解釈として、この地震が太平洋プレートと其の上に覆いかぶさる北米プレートあるいはフィリッピン海プレートとの擦れあいである可能性を書いています。が、そこには幾多の不確定さがあります。

 そして其の2年後に、発震機構解をほぼ同じくする二つの地震が発生しています。図7に示すように一つは「チバラギ地震」帯、もうひとつは銚子下の地震です。これは一体なんだ!と言うわけです。
20年2月14日記事で詳述しています。
(図7:20年2月14日記事
211011h7fb235e2


 この二つの似通った発震機構解を持つ地震の発生は、日本列島に潜り込む太平洋プレートが、それに覆いかぶさる他の岩体との『擦れあい』ではなくプレート内に生じた鉛直に近い破断ではなかろうかと考えています。こうした破断が日本列島下の太平洋プレートのあちらこちらで起きているのかもしれません。

 さて今般の地震についても下図のABCDで示される「チバラギ地震」活動帯との視点から其の様子を眺めておくことにします。
(図8:2021年10月7日夜の地震。拡大は図のクリックで)
211011j無題


 この直方体域内の地震活動の時間的変動をみると、特に際立った特別な活動がみられません。 実際其のカイ二乗値は14(自由度16)ですから、定常状態に近いと言えるのかもしれません。
(図9:直方体域内の地震活動の時間的変動を2ヵ月毎の発生回数で見た。拡大は図のクリックで)
211011k21100914Hist(1) m=25n=  506


 最後に長方大域内の地震活動の三次元表示を視点を動かしながら眺めておきます。箱の中央部に見える赤丸が今般の千葉県北西部地震です。動かしながら色々とコメントできると良いのですが、現ブログ管理人は其の技法を持ち合わせていません。いずれ何がしかの工夫をしてみるつもりです。
 (図9:今般の地震活動の三次元動画表示)
211007b3D0170


 上掲の各種図を系統的に理解するには 「チバラギ地震」を囲むプレート環境の知識が必要です。それは、地震発生分布の様相にひそんでいるのかもしれません。
(図10:18年2月16日記事 拡大は図のクリックで)
211011o78224890

 もっと大局的な視点から考察した記事があります。何せ、「チバラギ地震』発生現場はいくつものプレートが入り組んで絡み合っています。それを解きほぐすための糸口ともなる研究が下です。
(図11:18年1月10日記事, 「日経サイアンス」2017年10月号より、拡大は図のクリックで)
211011n60cba428


 さて、最後になりましたが、蹴球日本代表がいよいよ追い詰められています。明日、豪州に敗れた時点で、アジアからの代表としては認知されなくなります。私がひいきするアントラーズOBの柴崎のミスからの対サウディ敗戦ということで 私もしょげています。もっとも私はかねてより森保一監督の無能がこのミスを招いたと考えています。それはともかく、下の動画が敗戦を分析しています
https://www.youtube.com/watch?v=f3Fhd-c6ttM
サウジ戦0-1敗戦を徹底分析-のんきJAPANが辿る末路-

島の始まり(4,淡路島),ノーベル賞(物理学),安倍氏不起訴相当

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:雲海のように広く大地を覆う靄。靄の向こうは利根川。)
雲海0156

(写真:散歩途上の旧村落民家の烏瓜)
烏瓜0158


 洗濯だ カミのいぬまに リフレッシュ とはいえ当地で やることもなし

 神無月です。当地の神様も出雲へ長期出張です。本年の会合議題はコロナ、営業できずに困窮に陥った民の救済が取り上げられているはずです。先の総裁選挙で候補者の一人であった高市氏が声高に叫んだ「皇紀二千六百年・・・」については理性ある神様方におかれては洟も引っ掛けない毅然たる姿勢で臨まれるでありましょう。怖い神が留守中とはいえ、当地北関東では神さんの目を盗んでやることも特段ありません。粛々と帰国を待ちます。

%%%%%ノーベル物理学賞に四国中央市出身・真鍋淑郎氏 県内から3人目の快挙 旧新宮村生まれ【愛媛 10/6(水) 20:53配信
ノーベル賞に愛媛から3人目の快挙です。 今年の物理学賞に選ばれたのは四国中央市出身でアメリカ・プリンストン大学の真鍋淑郎氏、地球温暖化の研究のパイオニアとして高く評価されました。 ノーベル物理学賞の受賞者発表会見: 「シュクロウ マナベ」 今年のノーベル物理学賞の栄誉に輝いたのは、四国中央市出身でアメリカ・プリンストン大学で気候の研究に取り組む真鍋淑郎氏(90)。 大気中の二酸化炭素の濃度の上昇による地球の気候モデルを世界に先駆けて開発し、地球温暖化問題のパイオニアとしての研究が高く評価されました。 吉報が届いた真鍋氏は大学の同僚たちと美酒を味わいました。 今回の受賞については…。 真鍋淑郎氏: 「気候変動というテーマでですね、もの(賞)をもらうというのは全く驚きでした。気候の問題を研究するのが実に楽しくてしょうがなかったので、困難はあったかもしれないけど、非常におもしろい人生だと、今、思っています。(Q.気候問題がこれほど注目されるのは?)全くこういうことになってくるとは予想もしてませんでした」 真鍋淑郎氏の妻: 「もうただただうれしいです。こんなすごいこと起こると思ってなかったから。本当に突然でうれしいです」 真鍋氏は四国中央市の当時の新宮村で生まれ、地元の小学校や三島高校の前身・旧制三島中学を卒業。 学位を取得した後にアメリカに渡り、気候の研究に取り組みました。 愛媛出身のノーベル賞の受賞は文学賞の大江健三郎氏、物理学賞の中村修二氏に次ぐ3人目の快挙です。 授賞式は12月10日にオンラインで行われます。
%%%%%テレビ愛媛
 なんと、真鍋氏の故郷は、本ブログでつい最近まで論議してきた「禁断の愛」事件の主人公、軽王、が権力からの追撃をかわしきれず命を落とした地でありました。今般のノーベル賞物理学賞受賞者は地球物理研究者であったことに驚きました。地球科学分野でのノーベル賞受賞者と言えばHarold Clayton Urey氏で、氏はノーベル化学賞を授けられています。

 2600年も前の大昔の神さん方を崇敬してやまないのが高市女史です。其の女史の親分である安倍氏は首相在任中に数え切れないほどの嘘を内外で撒き散らしました。が、其の嘘の大半は自らが犯した犯罪行為の隠蔽にかかわるものでした。其の一つが2019年の東京新宿御苑で開かれた「内閣府主催の桜を見る会」にかかわる案件です。安倍首相による政治的買収行為の疑い濃厚でありましたが、検察庁は「起訴にあたらない」と不問にしてきました。それを不服とした市民が検察再審査を求めてきました。一昨日その検察審査会での議決が公表されました。
(図:東京新聞10月7日記事。拡大は図のクリックで)
桜0168

 案の定と言えばそれまでですが、安倍氏については責任を問わないと審査会メンバは判断したとの事です。国会で明々白々な嘘を繰り返した。そこにこそ安倍氏の深い関与が見えると考えます。

+++++島の始まり(4、伊弉諾神宮)
 白村江海戦は唐・新羅連合軍が気脈を通じていた奈良勢力との共同謀略によって仕掛けられた戦であると私は見立てています。この構図はまさに唐と新羅が百済を挟撃したと同じ構図です。九州倭国は唐・新羅連合軍と奈良勢力に挟撃され、敵軍の罠にまんまと嵌ったのです。敗戦は戦う前から決まっていたのでしょう。幸いにして戦場は九州ではなく、かっての百済です。多大の損害はでたものの何とか母国に帰った九州倭国軍を待ち構えているのが、唐・新羅のバックアップを背景にした奈良軍事勢力です。
 当然、九州倭国はそれまでの本拠・朝倉から撤退し熊本とその南域に退き、ひそかに反撃の準備をします。しかし、九年後の「壬申の乱」(西暦672年)でもって九州倭国の反攻は失敗におわり、東国の「蝦夷」と合体するべく逃散します。奈良軍事勢力は逃散する九州倭国を追走しつつ東国の蝦夷殲滅を図ります。其の最終段階が美麻貴天皇(崇神天皇)による常陸国とりわけ鹿島・行方の軍事制圧です。ここにきて藤原不比等はかねがね胸中に暖めていた日本列島近代・現代政治史の編纂を開始します。そこで、其の出発点として「淡路島」構想を着想したのです。それが古事記冒頭の記事と言うわけです。
 日本書紀に従えば海戦の翌年(西暦664年)に狼煙台が対馬に設営されます。さらに3年後の西暦667年には四国讃岐の屋島と生駒山系南端の高安に城が築かれます。
(図:高安城。拡大は図のクリックで)
211007高安無題


 其の戦略的意味については以前書きました。当然、それぞれには狼煙台が設置されていたはずです。そこで、対馬がこの二つの城からどの方角に見えるのかを算出しておきます。
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
対馬(lat,lon)=>[34.4642 129.2833]
高安(lat,lon)(<0 next)=>[34.61694 135.65715]
D(距離)= 584.0-km、方位(対馬から、度)= 86.53、方位(高安から、度)= 270.14
屋島(lat,lon)(<0 next)=>[34.35821 134.10095]
 (注:対馬と高安城が平面上にあれば、対馬から見た角度と高安から見た角度の差は180度になる。しかし、584kmも離れた二地点では球面の影響が二つの角度に影響を与え180度にならない)
D(距離)= 442.1-km 、方位(対馬から、度)= 90.16、方位(屋島から、度)= 272.89
 上記の計算によれば高安すなわち奈良盆地の西縁からはまさに真西に対馬が位置することがわかります。其の距離は584kmと遠大です。屋島までは140km、となると屋島―対馬の間にもう一つ中継点を設営すれば、狼煙を視認できる距離となるはずです。たとえばそれは宮島であったろうと想像しています。讃岐国・屋島は高安―対馬を結ぶ線上には無く2度ずれています(上の計算)。実際下の図で見ると四国の北縁は高安―対馬を結ぶ線上から外れており、四国に狼煙店を設営することは難しそうです。したがって計測後になにがしかの補正が必要となります。どのような技術が使われたのか興味がありますが、現時点では想像を超えています。

 藤原不比等は政治史を編纂するに当たり、当然のことながら魏志倭人伝には目を通していたはずです。実際日本書紀では「神功皇后が卑弥呼」であると思わせる記述があり、書紀の編年もそれに整合するように調節してあります。海外大国が認知する倭国の西端が奈良盆地の西縁にある高安の真西にあるとの事実は藤原不比等の想像力・構想力をおおいに掻き立てたはずです。「正史」にあって、これをどう料理して日本国の出発譚に使うかと知恵を絞ったはずです。
 
 高安山を含む界隈を即日本の始まりにすることを憚った理由は何か?それは藤原不比等なりに自然の成り立ちへの観察があったのではなかろうかと想像しています。それが古事記の以下の文節です:
%%%%%古事記
原文(文意を付しません。ただし、島を番号付のゴティック体で表示しました)
興而。生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋是亦不入子之例。
於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。即共參上。請天神之命。爾天神之命以。布斗麻邇爾〈 上。此五字以音。 〉ト相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降。更往廻其天之御柱如先。於是伊邪那岐命。先言阿那邇夜志愛袁登賣袁。後妹伊邪那美命。言阿那邇夜志愛袁登古袁。
如此言竟而。御合。生子。(1)淡道之穂之狹別嶋。〈 訓別云和氣。下效此。 〉次生(2)伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛〈 上 〉比賣』。〈 此三字以音。下效此。(也) 〉讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣。〈 此四字以音。 〉土左國謂建依別。次生(3)隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別。〈 許呂二字以音。 〉次生(4)筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豐國謂豐日別。肥國謂建日向日豐久士比泥別。〈 自久至泥以音。 〉熊曾國謂建日別〈 曾字以音。 〉次生(5)伊伎嶋。亦名謂天比登都柱。〈 自比至都以音。訓天如天。 〉次生(6)津嶋。亦名謂天之狹手依比賣。次生(7)佐度嶋。次生(8)大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生謂大八嶋國。 然後還坐之時。生(9)吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生(10)小豆嶋。亦名謂大野手〈 上 〉比賣。次生(11)大嶋。亦名謂大多麻〈 上 〉流別〈 自多至流以音。 〉次生(12)女嶋。亦名謂天一根。〈 訓天如天 〉次生(13)知訶嶋。亦名謂天之忍男。次生(14)兩兒嶋。亦名謂天兩屋。〈 自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋。 〉
%%%%%
 本論に入る前に上掲の文で気付く諸点を書きとめておくことにします:
生子水蛭子。此子者入葦船而流去 この文節は旧約聖書で登場する「モーゼ」の誕生を連想させます。選民たるイスラエルの民の苦難の始まりです。古事記の編纂が終了する西暦712年まえには、キリスト教新旧約聖書は渡来民の手で流入しており当然藤原不比等はそうしたエピソードを知っていたと考えています。となると、古事記冒頭部でこうした説話を挿入した意図がどこにあったのか?色々な想像ができます。日本列島にあっては、モーゼのような体制に反抗する人物の存在を許さないと言う強い意思表示から「葦船而流去」の幼児は救済されないこととなったのかもしれません。
万葉集初期歌群の表現がそのまま使われている:
「大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生謂大八嶋國」の一節です。ここでは解説を繰り返しませんが、万葉集一歌、二歌で用いられる表現がそのまま登場します。
一歌:
"篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津(そらみつ) 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母"
  二歌:
  "山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜柯(原文は忄に可)國曽 蜻嶋(あきづしま) 八間跡能國者"

 万葉集一巻の初期歌群には、古代ペルシア語由来の言葉が使われており、其の言葉の意味を知らずして歌の解釈はできません。上に例示した二歌も同様です。日本列島に在来した原住人の言葉に未だだなれず、意を尽くさんとした結果が彼らの言葉の漢字による「音写」表現することとなったのです。二つの歌の歌意については本題から反れるのでしません。それが「虚」です。私自身は「すでに存在しない」八馬国(邪馬台国)を思い浮かべた表現であろうと考えています。

 秋津嶋は万葉集二歌からの「盗用」であろうと考えています。万葉集二歌では蜻嶋と書き、誰かが(例えば山上億良?)が「あきづしま」とカナを振ります。原文を見れば明らかなようにこの歌を歌った人は「トンボの形をした島」と呼んでいるのです。ところがこの歌の舞台が九州の現在の佐賀県であるとは思いもよらない人物が、舞台を「奈良盆地」と思い込んでしまっているのです。そうとすれば、『トンボ島』は日本列島の政治原点ともなる奈良盆地になります。そこで、漢字表記まで変更してしまいます。

 さて、本論に戻ります。
 物事の始まりが、いきなり「でかい」はずは無い。だから、島(国土)の始まりも小さかったとの拘りがあったとすれば、日本列島も上掲の十三の島のどれかです。そのうち対馬との特別な関係(すなわち東西の配置)があるとすれば、それらは図からもわかるように瀬戸内海の島々と言うことになります、其のなかでもっとも高安に近いのが淡路島であると言うきわめて単純な理由であったと考えるにいたりました。
(図:対馬と高安城を結ぶ測線。拡大は図のクリックで)
対馬_高安0164

 淡路島を「島の始まり」すなわち日本列島国土の始まりと古事記が「定めた」のには込み入った理屈はなかったと言う結論であります。さてそうであるとするならば、伊弉諾神宮境内の展示「陽の道しるべ」で神宮の周囲に配されているとされる神社群をどう理解するべきでしょうか?
 其の答えもいたって単純です。古事記で設定された筋書きに従って神社が選ばれたのです。幸いにして殆どの神宮は創建年が定かでありません。まず気になるのが出雲大社です。宍道湖にまつわる言い伝えが多いところから、近辺に何某かの信仰施設があったであろう事は確かです。一旦、島の始まりが決まれば、そこから夏至日の日没方向を定めるのは「狼煙」技法を用いれば難しいことではありません。私は出雲神社は古事記の説話にしたがって現在の位置が定められたと考えています。これは冬至の日没方位にある九州の高千穂神社も同様です。さて、現在の神道にとって重要な地位を占める伊勢神宮も、この古事記説話にしたがって其の場所が定められたはずです。言葉を変えれば、それは早くとも、七世紀の末と言うことになります。熊野那智神社については其の方位は伊弉諾神宮から132度の方位です。すなわち南東の方向です。真北と真南の中間の方位としてそこに何某かの信仰拠点を設けたのでしょう。すなわち、これらの神社は伊弉諾神宮を含めて、奈良権力に打ち負かされた蝦夷族の怨念慰霊とは関係ないことからも明らかです。

 さて、そうなると残るのは諏訪大社です。これについては一考察が必要と思えますので、次回に考察します。
(つづく)

考古学ランキング

伊弉諾神宮「陽の道しるべ」(3),原発稼動要件(古賀氏)、最近の北関東地震

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:小鳥二題。拡大は図のクリックで)
小鳥0107

小鳥0152

 
 十六号 去った翌日 孫台風 一日付き合い 活力ゲット

 日曜日は、台風が当寒村の脇を通り過ぎて丸一日後であります。快晴の日曜日。孫台風が当家を直撃であります。公園で青蛙を捕まえたりの大活躍の後、双六やらカルタ取りやらのお付き合いで、あっという間に一日が過ぎてしまいました。おかげさまで活力を分けてもらいましたが、ブログ記事の準備がはかどりませんでした(言い訳であります)。 本日は溺死寸前のアップアップ状態での更新となりましたことをお詫びいたします。

 大贔屓するMLB大谷翔平選手のMLB2021年は今日でひとまず終了となりました。すばらしい成績を残したのですが、弱小球団に所属したことの不運も味わいました。来シーズンも所属球団が変わらなければ同じような事態になるのかもしれません。が、大谷選手の恵まれた素質に思いをいたすならば、数年で結果においても花開くことでしょう。それを楽しみにして来シーズンを楽しみに待つことにします。

%%%%%大谷、常識覆した二刀流 ルースの「神話」現代に−米大リーグ・エンゼルス 10/4(月) 9:18配信
(写真:マリナーズ戦の1回、46号先頭打者本塁打を放つエンゼルスの大谷=3日、シアトル(AFP時事)
211004大谷46

 エンゼルスの大谷が、常識を覆す投打の「二刀流」でシーズンを完走した。  投手として23試合に先発しながら指名打者も務め、162試合のうち158試合に出場。「より多く試合に出られて単純に楽しかった。それだけ貢献できる頻度が高く、選手としてもやりがいがある。すごく楽しい一年だった」。相当な疲労があったはずだが、最後までさっそうとグラウンドに立ち続けた。 【図解】大谷とベーブ・ルース比較  マウンドで9勝を挙げ、打者では46本塁打をマーク。「投手」でありながら最後まで本塁打王を争った。1918、19年に二刀流でプレーし、本塁打王に輝いたベーブ・ルースの「神話」を現代によみがえらせるような活躍だった。  その18年のルース以来103年ぶりとなる「2桁勝利、2桁本塁打」の偉業や、日本選手初の本塁打王は逃したが、球史に刻まれるシーズンを送った事実は動かない。メジャー歴代最多の通算762本塁打を誇るバリー・ボンズさんは、「投手でも打者でもエリート級。彼のような選手はこの先、現れないのではないか」。偉大な記録を打ち立てたかつての名選手たちも、大谷の活躍には賛辞を惜しまなかった。  大谷は2018年からエンゼルスでプレーし、「日本のルース」として注目を集めた。1年目は右肘のけがもあり、投手では4勝にとどまったが、投打での活躍が評価され、新人王に輝いた。同年オフの記者会見で、ルースと比較されることについて問われた大谷は、「神話の中の人物だと思うくらい、現実から離れた存在」と語っていた。右肘の手術を乗り越え、3年ぶりに二刀流を本格的に復活させた今季。ルースに勝るとも劣らない驚異的なシーズンとなった。
%%%%%

+++++最近の関東界隈の地震活動
 本年2月13日に福島沖でM7.3の地震が発生して以来、北関東から福島にかけての地域では大きな地震が起きていません(210218記事)。と言うわけで、長いこと地震概況を書いておりません。 特に変わった様相を見出したわけではありませんが、以下に最近の概況を図示しておきます。
(図1: 期間2019年1月1日―2021年9月29日の北関東地震活動。拡大は図のクリックで)
211004北関東

(図2:上記期間中の二ヶ月毎の地震発生数。横軸800日あたりの大きな地震活動は2月13日の地震とそれに伴う余震活動。注目すべきは300日から650日あたりまで地震活動の漸増が続き、その後二ヶ月間の低減を挟んで2月13日の大地震発生に繋がっている。近隣界隈の応力蓄積過程を反映しているのかもしれない。拡大は図のクリックで)
21100115Hist(1) m=40n=  446


(図3:図1の矩形領域内の地震活動の三次元表示(上)と同領域内の地震活動の時空間分布(下)。青地をクリックすると動画が表示されます)
三次元分布 0102
時空間0103

+++++原発稼動にあって、満たすべき条件
 元通産官僚(現在に経済産業省)の古賀茂明氏が、日本の原発が「原発を動かす条件」㋾満たしていないことを指摘しています。
%%%%%古賀茂明@フォーラム4@kogashigeaki
原発を動かす条件 民間の耐震住宅並みの耐震性を満たすこと 事故が起きた時の損害を賠償するための保険に入ること 避難計画が原子力規制委員会の審査で承認されること 核のゴミの処理計画を1年以内に提出すること 知ってますか? 日本の全原発は一つの条件も満たせないことを

%%%%%
+++++国の始まりが『淡路島』
 はフーテンの寅さんが使う啖呵(たんか)売での口上のセリフは:
「物の始まりが1ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。
泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりが熊坂の長範。・・・」です。
フーテンの寅さんが使う啖呵(たんか)売での口上のセリフ

 
 何故、淡路島が“(日本列)島の始り”であるのか?10月2日(土)のTV番組で其の解答が示されました。優れた地学者であるタモリ氏の感性にいつものことながら感心させられています。淡路島南端を東西に走る中央構造線をはさんだ南側に小さな島、沼島(ぬしま)、があることを知りました。ウイキは「中央構造線の南側に位置するため、淡路島とは異なり全島が三波川変成帯の結晶片岩によって構成され、南岸の海食崖には緑・白・黒など様々な縞模様が現れている。また珍しい同心円状の鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)も見られる。』と書きます。なんと沼島の南側背後には筆の形状をした細い岩が突き立っています。これが「天の沼矛」であると、地元の解説者が語りました。淡路島を島の始まりと定めた時点で、関係者がこの島の地学的形状、景観を観察しそれらを元にひとつの説話を作り上げたとの経緯が推察できます。

 古事記は上に書いたような観察を元に”淡路島を島の始まり“とする話を”創作“します。私の関心事はなぜどのような経緯で淡路島を島の始まりとする説話となったのか?その過程・経緯をこれから考察します。

 話は日本書紀・巻二十七・天智天皇三年紀に遡ります。藤原不比等が構築した基本的な近・現代日本列島政治史(藤原不比等からすれば「古代」ではない)の筋書きが底流にあるので、古事記と日本書紀では「歴史観」はほぼ同じです。であるのに、私は専ら古事記に基づいて考察を進めてきました。理由は「古事記」が藤原不比等の歴史観の原型を強く留めていると考えるからです。さらには、古事記は推古女帝で記載をおえ、天智天皇については日本書紀を参照するしかありません。

 西暦663年9月(旧暦)倭国は白村江の海戦で惨敗を喫します。其の翌年、書紀は以下の記事を書きます。
天智天皇三年(六六四)是歳。於対馬嶋、壱岐嶋、筑紫国等、置防与烽。又於筑紫、築大堤貯水。名曰水城。
文意:是歳。於対馬嶋、壱岐嶋、筑紫国等に防(さきもり)と与烽(のろしの施設)を置く。さらに筑紫には大堤を築き貯水する。これは水城という。

 大方の歴史書は当時の政局を以下のように書きます:
「唐新羅連合軍が白村江海戦の勝利に勢いを得て日本列島に攻め込むことが想定された。そこで、倭国側はその防御体制の構築を急いだ。」と。
 私は其のようには考えません(例えば091207記事”万葉集二十三歌(二十三、唐新羅連合軍による九州制圧)、地球温暖化by田中宇氏”参照)。この戦争は唐が新羅と図って百済を滅ぼしたと同じ構図と考えています。すなわち、唐は奈良盆地の勢力(梁書東夷条に従えば「大漢国」)と謀って九州に拠する倭国殲滅を狙ったのです。倭国はまんまと其の策にはまり 無謀な白村江出撃を敢行し惨敗を喫したと言うわけです。対馬、壱岐に城を築き狼煙の整備をするなどの余裕は倭国にはありません。それをしたのは九州倭国ではなく、唐新羅とつるんだ奈良勢力であったのです。其の目的は「倭国」反抗の動きを封じ、其の気配をいち早く新羅に連絡するためです。以下の事例を考えるだけで十分です。対馬嶋は朝鮮半島の目前にあります。自らを打ち破った敵軍の目前で与烽構築などは不可能です。それができるのは唐新羅と結託した勢力しかありません。余談ですが日本書紀は現在の対馬(つしま)を対馬嶋と書きます。これから当時の「対馬」認識をうかがい知ることができます。すなわち「ついま」国との認識です。すでに書いたように「対」は「朔」(ついたち)の「つい」で数字の「一」、「馬」は「女」(め)、すなわち女王国です(2013年8月5日記事”邪馬国連邦(台)は「番号国」から成っていた”)。 

 こうして九州倭国(後に藤原不比等は其の勢力を「蝦夷」と蔑称する)による反抗に備える準備をすすめるなかで、倭国側も着々と戦陣を整え反抗姿勢が顕著になります。そこで 次の記事となります。
《天智天皇六年(六六七)十一月是月》◆是月。築倭国高安城。讃吉国山田郡屋嶋城。対馬国金田城。
 これも、通説では:
「唐・新羅連合軍が九州を撃破してさらに東に進む」ことを想定しての倭国側の準備」であるとされています。しかし、これは九州倭国の反抗の目標がいまや奈良権力に向いたことを示しているのです。

 ところで、この「狼煙」施設の構築です。これについて大変興味深い考察があります:
(図:「狼煙」のこと。「古代東北と王権」(中路正恒著、講談社現代新書、2001)14頁より。拡大は図のクリックで」
211004狼煙無題


 赤枠で書かれている実験はまことに興味深いものがあります。上記実験を確かめておきます:
(図:早池峰山(赤印、標高1917m)と岩木山(弘前のすぐ西、標高1625m)
211004狼煙実験


-> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1):距離方位を算出する無料科学技術計算ソフトScilabによる)
早池峰山(lat,lon)=>[39.55827 141.48864]
岩木山(lat,lon)(<0 next)=>[40.65656 140.30109]
D(距離)= 158.5-km、方位(早池峰から見た岩木)=320.79度(北から時計周り)

 狼煙ネトワークが大昔から語られていますが、まさにそれを実証する実験であり、まことに興味深いものがあります。
そこで、天智三年紀、六年紀の記事を思い返すことにします。
天智天皇三年(六六四)是歳。於対馬嶋、壱岐嶋、筑紫国等、置防与烽。又於筑紫、築大堤貯水。名曰水城。
 天智天皇六年(六六七)十一月には築倭国高安城に加えて讃吉国山田郡屋嶋城および対馬国金田城を築城しています。これは防御のための拠点構築もさりながら、各拠点相互の緊急連絡ネットワーク構築でもあったと考えています。すなわち、倭国反乱が奈良盆地周囲にまで及んだ際には急ぎ狼煙を通じて朝鮮半島の駐留軍本部に連絡せねばならないのです。

前々回記事で
 「 海神神社(北緯34度27分51.3秒 東経129度17分00.0秒) と淡路島の間の距離はD,A,B= 510.5-km 271.63 88.48 4.59deg」と算出されることを書きました。この二地点を結ぶ大円は讃岐の国のしかるべき場所を通過します。それが讃吉国山田郡屋嶋城です。この屋嶋と対馬間の狼煙通信実験は繰り返されたはずです。何せ距離は500km余ですから、当然中継点を設置したでしょう。この試験通信の繰り返しから。讃岐からみた対馬がほぼ真西にあることを発見したと想像しています。
(つづく)

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伊弉諾神宮「陽の道しるべ」(2),コロナの起源(植草一秀氏),「ゴルゴ13」者死去

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝日と朝靄。拡大は図のクリックで)
朝日と朝靄0092


 新しい 国のトップは カンペー不要 されど中身は AとAの傀儡

 二週間強の大騒ぎを経て 昨日わが国のトップが決まりました。昨日の記者会見ではカンペなしの対応をしていました。9年ぶりに自分の言葉で語れるトップであるとの印象です。しかし、其の中身は?となるとどうやらあの山口県選出の「嘘つき」男と、福岡の「偉ブル口(くち)」の「傀儡」との様相であります。いずれにしても、現時点では自民党のトップにすぎません。11月までに実施される総選挙結果次第では、国のトップという地位から滑り落ちる可能性もあります。わが同胞は、其の総選挙でどのような選択をするのでしょうか。

 自民党総裁選開票日前日の記事ですが寺島実郎氏が興味深い考察をしていますので、ここに転載させていただきます。
%%%%%%安倍・菅政権8年 「目くらまし」だったアベノミクス 世界での“日本の埋没”が加速した=寺島実郎 9/29(水) 13:00
 菅義偉首相が9月3日、自民党総裁選(9月29日投開票)への不出馬を表明した。菅首相は、1年前に体調不良を理由に急きょ辞任した安倍晋三前首相を官房長官として支え、経済政策「アベノミクス」を引き継ぐと表明。その菅氏が退陣することにより、2012年12月の第2次安倍政権発足以降続いたアベノミクスは名実共に終止符が打たれる。  自民党総裁選とその後すぐに行われる衆議院選挙を経て、どのような政権が発足するのか現時点では不明だが、新政権が経済政策を打ち出すにあたっては過去8年半余りの総括が必要だ。アベノミクスは、多くのマイナス面を存在しないかのように無視し、数少ないプラス面を誇大に強調したため、多数の人々が「目くらまし」を受けた政策だったといえよう。  この間、日本は経済成長が停滞し、勤労者の生活は好転しなかった。日銀による異次元金融緩和を通じて為替を円安に誘導、輸出企業の業績は好転し、日銀と年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が資金を株式市場に振り向けたことで株価は上昇したが、資産を持つものとそうでないものの経済格差を広げた。  企業業績の改善と株高は、上場企業の経営者や、大半が高齢者層に分布する株式保有層には恩恵をもたらしたものの、家計の消費は増えなかった。20年度の国内総生産(GDP)は536兆円にとどまり、安倍政権が目標に掲げた600兆円に大きく届かなかった。  株価や企業業績の好調を喧伝(けんでん)する一方で、全雇用者の3割以上が年収200万円未満の極めて厳しい生活水準を強いられている。そこに、新型コロナウイルスの感染拡大が襲い、国民生活の苦境に拍車を掛けた。秋に発足する新内閣が、それでもアベノミクスの路線を継承するかどうかを、国民は注意深く見定めるべきである。 ◇技能五輪での低迷  アベノミクスへの評価で重要だと捉えている数字が、世界のGDPにおける日本の比重だ。1994年には日本のGDPが世界の17・9%を占めたが、20年には6%に落ち込んだ。世界経済での日本の存在感がこの四半世紀で3分の1に縮小した。コロナ禍のトンネルを抜け出て、30年ごろを想像すると4%台に落ちていくことになるだろう。前回の東京五輪(64年)の年が4・5%だったので、その頃に戻るということだ。
今夏の東京五輪の開催についてさまざまな議論がメディアをにぎわせたが、より真剣に考えなければならないのは「技能五輪国際大会」における日本の凋落(ちょうらく)ぶりだ。十数年前までは、日本は金メダルの獲得数で、世界のトップを争っていたが、17年は9位、19年は7位だった。製造分野の技能だけではなく、「美容・理容」「看護・介護」といったサービス技能の競技も種目化している。技能五輪での成績の落ち込みは、産業における日本の現場力が急速に衰えていることを証明している。  産業に関して重要なファクトをもう一つ取り上げたい。それは、ジェット旅客機の国産化プロジェクト、「スペースジェット(旧名称MRJ)」の開発が挫折したことだ。三菱重工業が母体となり、「日本の産業技術を結集」すると意気込んで開発を進めてきた。主翼に最先端技術を注入して米ボーイングや欧州エアバスよりも燃費に優れた機体を目指したものの、新技術をつぎ込んだ場合、安全性証明の観点から米国での型式証明を取るには時間がかかり、ボーイングが使っている既存の素材を使った方が早いと気づき、開発がどんどん後退する中で、航空需要に打撃となるコロナ禍が来てしまった。  日本企業が担っている部品、部材、素材などの要素技術は大変高度なものではあるが、高度な技術力を持っていることと、飛行機を完成させることは次元が違う。今日本に求められているものは「総合エンジニアリング力」である。個別の要素を組み合わせて完成体をつくる力が必要だ。 ◇「食と農」と「医療・防災」  戦後の日本が工業生産力モデルの優等生として世界の先頭に立ち、基幹産業の鉄鋼、エレクトロニクス、自動車産業などが外貨を稼いで国を豊かにしようとひたすら走り、そのピークを迎えたのが94年。あれから二十数年がたち、いつのまにか世界経済の中で埋没している。  しかし、工業生産力モデルを強化して「再び日は昇る」と願っても実現しない。粗鋼生産がピークの1億2000万トン(07年)に戻ることはなく、今年は8000万トンを割り込むだろう。エレクトロニクス分野は、日立製作所が必死になってソフトウエア産業への業態転換を図っているように、付加価値の源泉がモノづくりからソフトに移行している。
自動車産業では、EV(電気自動車)化という流れを受けて、ガソリン車は走らせないという世界のルールが確立されようとしている。エネルギー効率が相当良いハイブリッド車ではダメなのかと立ち向かっても認められないのが、日本の自動車産業が置かれている現状である。  円安に誘導したアベノミクスによって、輸出産業の国際競争力を高めたというよりも、円高圧力から日本企業を解放し、安易に収益を高めることができるという経営がはびこったと感じる。自国の通貨が国際社会で、じわじわと評価を高めていくことが健全であると認識を改めるべきだろう。  そこで今後の日本には二つのキーワードが求められるだろう。一つは「イノベーション」である。DX(デジタルトランスフォーメーション、デジタル化による企業・事業の再構築)と脱炭素化へ向けたエネルギー・環境技術は間違いなく強化すべき分野だ。だが、それだけでは道を間違えるというのが私の考えだ。  もう一つは、「ファンダメンタルズ」と呼ぶべき分野で、具体的には食料と農業、医療や防災などの分野だ。「食と農」では、生産に限らず、加工、流通、調理という各過程で付加価値を高める戦略が必要で、例えば各過程でDXを駆使して生産性を上げるなど、食料自給率を現在の38%から70%程度に回復させる戦略が求められる。 豊かさを求めるこれまでの産業構造から国民の安全・安心を担保する産業へと変えていく必要があり、医療・防災は中核産業になりうる。私が率いる日本総研が窓口となって「医療・防災産業創生協議会」を今年2月に立ちあげ、民間主導でさまざまなプロジェクトを進めていく。一例として「道の駅」を防災拠点として、自衛隊ヘリで搬送可能な高機能のコンテナを集積する。コンテナは医療行為や炊事、トイレや風呂などとして使うもので、災害に応じて太平洋側、日本海側でも展開可能にするものだ。こうしたプロジェクトを創出することで、長期的には輸出産業にまで育てることを視野に入れている。
%%%%%(寺島実郎・日本総合研究所会長)記事終わり

 経済学者の植草一秀氏が鳩山元首相を相手に興味深いそして説得力ある分析をしていますのでご視聴ください。
対談 植草一秀(政治経済評論家) × 鳩山友紀夫


+++++伊弉諾神宮「陽の道しるべ」(2)
 伊弉諾神宮境内の展示「陽の道しるべ」は古事記・日本書紀編纂過程を想像させます。この神宮を囲む七つの神社は、「北」−「夏至日の日の出」―「春秋分の日の出(東)」―「冬至の日の出」−「南(なし)」−「冬至の日の入り」ー「春秋分の日の出(西」)―「夏至の日の入り」と太陽運行の一年間の特別な位置方向に存在していることを示しています。明瞭な「太陽信仰」です。展示は国の中心が淡路島の伊弉諾神宮であると主張しています。

 この主張の背後にある「疑問」は次の二点に整理されます:
(1) 全国に散在する古代権力の遺構を俯瞰し、太陽運行の位置を重ね合わせたところ、淡路島に集中した。そこで、淡路島を国の中心であったと理解することとした。そこで、後日それぞれの遺構に「神社」を設営した。
(2) なにがしかの幾何学的発見があり、「淡路島を国の中心とする国づくり』と言う発想が生じ、それに基づいてしかるべき場所に『神社』が設営された。

 そこで、まずは「古事記」・上巻の冒頭部分を簡単にお浚いしておきます。原文を掲載する理由は、使われている漢字列と其の繋がりを眺めることにあります。原文の漢字列から新たな発見をひそかに期待するからです。少々長くなりますがご辛抱ください。
%%%%%古事記
原文(冗長を避けるため、不必要と思われる部分を割愛しています):
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。〈 訓高下天云阿麻。下效此。 〉次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那州多陀用幣琉之時。〈 琉字以上十字以音。 〉如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇麻志阿斯訶備比古遲神。〈 此神名以音。 〉次。天之常立神。〈 訓常云登許。訓立云多知。 〉此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
( 中略)
次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神。〈 此二神名亦以音如上。 〉
 上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代。〈 上二柱。獨神各云一代。次雙十神。各合二神云一代也。 〉
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。 故二柱神立〈 訓立云多多志。 〉天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂邇〈 此七字以音。 〉畫鳴〈 訓鳴云那志。 〉而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋。〈 自淤以下四字以音。 〉於其嶋天降坐而。
( 中略)
生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋是亦不入子之例。
於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。即共參上。請天神之命。爾天神之命以。布斗麻邇爾〈 上。此五字以音。 〉ト相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降。更往廻其天之御柱如先。於是伊邪那岐命。先言阿那邇夜志愛袁登賣袁。後妹伊邪那美命。言阿那邇夜志愛袁登古袁。
如此言竟而。御合。生子。淡道之穂之狹別嶋。〈 訓別云和氣。下效此。 〉次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛〈 上 〉比賣』。〈 此三字以音。下效此。(也) 〉讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣。〈 此四字以音。 〉
(後略)
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。〈 訓高下天云阿麻。下效此。 〉次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國稚如浮脂而。久羅下那州多陀用幣琉之時。〈 琉字以上十字以音。 〉如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇麻志阿斯訶備比古遲神。〈 此神名以音。 〉次。天之常立神。〈 訓常云登許。訓立云多知。 〉此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
( 中略)
次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神。〈 此二神名亦以音如上。 〉
 上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代。〈 上二柱。獨神各云一代。次雙十神。各合二神云一代也。 〉
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。 故二柱神立〈 訓立云多多志。 〉天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂邇〈 此七字以音。 〉畫鳴〈 訓鳴云那志。 〉而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋。〈 自淤以下四字以音。 〉於其嶋天降坐而。
( 中略)
生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋是亦不入子之例。
於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。即共參上。請天神之命。爾天神之命以。布斗麻邇爾〈 上。此五字以音。 〉ト相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降。更往廻其天之御柱如先。於是伊邪那岐命。先言阿那邇夜志愛袁登賣袁。後妹伊邪那美命。言阿那邇夜志愛袁登古袁。
如此言竟而。御合。生子。淡道之穂之狹別嶋。〈 訓別云和氣。下效此。 〉次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛〈 上 〉比賣』。〈 此三字以音。下效此。(也) 〉讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣。〈 此四字以音。 〉

文意(岩波文庫「古事記」18−21頁」):
天地が初めて發する時、高天原に於いて成った神の名は天之御中主神(「高下天」の訓(よ)みは阿麻(あま)と言う。以下はこのように読む)、次に高御産巣日神、次に神産巣日神である。此三柱の神者は並びて独立に成り坐しまし、やがて其の身を隱した。
次に國は稚く脂の如くに浮び、クラゲがなして漂うがごとくのとき葦牙の如く萌え騰つものから成る神の名は宇麻志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこじ)、次は天之常立神(常は登許(とこ)と訓み、立は多知(たち)と訓む)であった。

<<ブログ管理人注:三柱の神の記載順番に藤原不比等の日本列島政治史構想の「原点」があります。中大兄・中臣鎌足の先祖が国造りの中心であったこと、次に「高昌=興王・武王」そして「カムイ」出自の神であることを書きます。特に最後の二柱の神には「産巣日」なる漢字列が付されています。出雲大社などの大きな古社ではこれを「ムスビ」と訓ませ、「縁結び」であるとして参詣客の懐を狙います。しかし、これは「(産)ウブスナ」とも訓めるのです。すなわち土着の神です。後ろのニ柱の神こそ日本列島の土着の神であることを「古事記」が白状していると私は考えています。くどいようですが『原文の漢字列』眺めることの大事さでもあります。

 次の文節に現れる「葦牙」には日本列島近代史(藤原不比等が生きた時代の)の成り立ちがそのまま反映されています。すなわち「アシ」は古代ペルシア語の「アシラ]、牙(カビ=かみ)はアイヌ語の「カムイ」に由来します。
 蛇足ですが、このもっとも重要なポイントに古代史学者は留意しません。
<<ブログ管理人注おわり

( 中略、七代の神の誕生を語りますが、ここでは当面の文脈とかかわらないので割愛します)

古事記文意の続き
 次に伊邪那岐神、次は妹の伊邪那美神(此の二神の名は『音』つまり音写である〉
 是において天神は諸の命を発して詔りした。すなわち伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱の神には是の多陀用幣流(ただよえる)國を修理し固めよ。そのために天沼矛と言依を賜った。 そこで二柱神は立〈立は「たたし」と訓む〉て天浮橋で下方を指し、其沼を矛で以って畫くと、鹽許袁呂許袁呂邇〈これは音のままに「こおろこおろに」〉に 畫き鳴〈鳴は「なし」〉て引き上げた時、其の矛末より垂れ落ちた大鹽が積み重なりて淤能碁呂嶋となる(自淤以下の四字は音のまま「のころじま」)。そこで、其嶋に天降りした。

( 中略、まずは淡島を生むくだりで、男女の肉体的特徴を語る有名な文節を含みますが省略します)
 生れた子は水蛭子であったので、此子を葦船にいれて流し去る。次に生れたのが淡嶋で是れもまた子としては認知されなかった。
<<ブログ管理人注:
「能碁呂嶋」については其の所在は不明と解説書は書きます。ところでTV番組で地質学者が「1995年の神戸大震災をもたらした地震断層は明石海峡を横断し、淡路島にまで及んだ。それは「野島断層」と呼ばれている」と。この地震断層は淡路島の西岸を南西に走る横ずれ断層ですが、若干の逆断層成分を含むようです。さらには島中央部にも長さ15kmほどの断層が南北に走ります記事)。
 『野島』と言う名称は「能(碁呂)嶋」に由来するのではなかろうか、と考えています。かって淡路島北方では断層によって形成された凹地が島の一部を孤立させていた時代があり、それが言い伝えられていたのではなかろうか。それが能碁呂嶋であり、「野島」に転化したと私は想像しています。
<<ブログ管理人注:おわり

文意続き
 ここで二柱神は相談をして言う「今吾所に生之子は良くなかったので、天神之御所に共に參上し請天神之命を請た。天神之命に従い布斗麻邇爾〈音の通り「ふとまみ」ト相(うらない)でとの詔りを得た。
(中略、男が先か女が先かとのやり取りがある件ですが、ここも省略します)
 是で伊邪那岐命が先ずは「あなによし えおとめを」と言う。次に妹の伊邪那美命が「あなによし えおとこを」と言う。
 此のごとく言い竟えて御合(体、がったい)すると生れた子が淡道之穂之狹別嶋であった(別はわけ。以下の「別」も同様である」)。次に生れたのが伊豫之二名嶋で、此嶋は身一(ひとつ)で面を四つ有していた。それぞれの面には名があった。
(後略)
%%%%
 以上、古事記が描く日本列島誕生の筋書きは淡路島の誕生であったと書いている一節をなぞってきました。そこに至る諸々の小譚には、地域住民が語り伝えてきた「地学現象」が反映されているのだろうと想像しています。

 さて、今回記事の冒頭で、「淡路島を歴史の始まり」とするシナリオの構築過程について、二つの選択肢がありえると書きました。そのどちらが合理的であるのか、を考察します。
 前回記事で、熊野那智神社を除き(たぶん計算間違いでしょう)神社境内の展示はほぼ正しいことを確かめました。古社の起源は「勝利者である奈良軍事権力による敗者・蝦夷族の鎮魂、怨念の封じ込め」にある、と私は考えています。現在に古社として残る神社は、敗者征服の跡地に七世紀末以降に創建されたと考えています。これについては後日書くこととして、この展示 “パネル”に掲げられる七神社は日本列島古代政治史の拠点であったろうか?”と言う疑問がわきます。

 日本列島には十万を超える神社があると言います。其のうちわずか七社だけが日本列島の政治権力にかかわっていたとは思いがたいことです。思いつくだけでも、東大寺・大仏の開眼法要にかかわった宇佐神宮、神功皇后縁の宇美神社、天武天皇奥方の実家である宗像神社、景行天皇妃である「きみ」縁の吉備津彦神社、応神天皇縁の気比神社、大江山の皇大宮社、いきなり関東に目を移すと鹿島神宮、香取神宮、陸奥一宮の塩釜神社などは含まれていません。これらは「大和」国建国後すなわち神武天皇即位後の社殿と位置づけるのかもしれません。が、七社の創建時が判明しているわけではありません。「科学的」視点からはこの七社は「恣意的に」選択されているとの指摘は合理的です。
 となると、冒頭の一番目の『仮説』は棄却されることになります。
(つづく)

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 私が愛読してきた漫画「ゴルゴ13」の作者が死去されたとのことです。氏のご冥福をお祈りいたします。氏が取り上げてきた「譚」はどれも国際的な不正・悪の裏面でした。その意味で、世界を知る上で大いに役立ちました。
%%%%%『ゴルゴ13』さいとう・たかをさん、すい臓がんのため死去 84歳 本人の遺志を継ぎ連載は継続へ 9/29(水) 13:03配信
 『ゴルゴ13』などの作品で知られる漫画家さいとう・たかをさんが、すい臓がんのため24日午前10時42分に亡くなった。84歳。なお、さいとうさんの生前の遺志により、『ゴルゴ13』は今後も、さいとう・プロダクションや脚本スタッフなどが協力し連載を継続することも発表された。 「…だが、物語は続く。」『ゴルゴ13』連載を継続することも発表  『ゴルゴ13』を連載中のビッグコミック編集部は「本誌にて『ゴルゴ13』を連載いただいております劇画家のさいとう・たかを氏が、2021年9月24日 膵臓がんのため逝去されました」と発表。  「氏には創刊の年から53年続く看板連載作品『ゴルゴ13』のご執筆のほか言葉に尽くせぬお力添えを賜りました。生前のご功績に心から賛嘆と感謝を申し上げ、謹んで氏のご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。  さらに「だが、物語は続く」とし、さいとうさんの遺志をついで『ゴルゴ13』の連載を継続することも発表。「さいとう氏は生前から「自分抜きでも『ゴルゴ13』は続いていってほしい」という、いわば分業体制の究極とも言えるご希望を持たれ、さいとう・プロダクションを、そのような制作集団として再構築されました」と説明した。  その上で「今後は、さいとう・たかを氏のご遺志を継いださいとう・プロダクションが作画を手がけ、加えて脚本スタッフと我々ビッグコミック編集部とで力を合わせ『ゴルゴ13』の連載を継続していく所存です。どうか今後とも、ご愛読ご声援をよろしくお願いいたします」と呼びかけている。  
210930ゴルゴ無題

さいとうさんは1936年11月3日生まれ。和歌山県出身。1955年、『空気男爵』で漫画家デビュー。1968年「ビッグコミック」創刊号にて『探し屋はげ鷹登場!!』を連載。同年、同誌にて『ゴルゴ13』の連載を開始し、同作で第21回小学館漫画賞、日本漫画家協会賞「大賞」、第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を受章。2018年には『ゴルゴ13』連載50年、2020年には画業65年を迎えた。  なお、葬儀は新型コロナウイルスの状況を鑑み、親族のみで執り行われた。ビッグコミック編集部によると、お別れの会などは今後の状況を踏まえ検討するとしている。
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在野の地学研究者タモリが訪ねる伊弉諾神宮、関東の地震(読売新聞)、世評(佐高信氏)

(写真:秋の花”はぎ’と、散歩道にある沢山の”どんぐり”の実を付けた木。拡大は図のクリックで)
はぎ0061

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 彼岸過ぎ 日に日に縮む 日の長さ 小鳥の目覚めも 遅くなりしか

+++++関東を襲うやも知れぬ地震
 長いこと日本列島とその周辺の地震活動の紹介をしていません。7月に8日、17日に伊予灘、31日に徳島、これらの地震に先行したのが6月の愛媛、日向灘の地震活動でしたから、「すわっ!、ついに東南海地震予兆かっ!」と緊張ました。8月には茨城沖から福島にかけて顕著地震が多数起き、9月16日の能登半島、9月19日の飛騨山地と普段地震が起きない北陸で起きています。
 近日中にそれらを概観します。20年10月18日記事”<<番外>>三浦半島〜横浜の悪臭騒ぎと相模国・二宮「川匂」神社”で、六世紀末に相模湾海底渓谷で大きな地震が起きたのではないかとの推測記事を書きました。下の新聞報道記事の見出しによれば1000年ほど前の昔に房総半島東岸を洗った地震の発生を書きましたが、その地震とは房総半島をはさん東側になります。
%%%%%1000年前「未知の巨大地震」が発生か、九十九里浜に大津波の跡 2021/09/25 22:40
 千葉県・房総半島沖で1000年ほど前に未知の巨大地震があり、九十九里浜一帯が大津波に襲われた可能性があると、産業技術総合研究所などのチームが発表した。地震の規模はマグニチュード(M)8・5〜8・8で、当時の海岸線から3キロ・メートル前後まで浸水したと推定されるという。
 澤井祐紀・同研究所上級主任研究員らが、九十九里浜の3地点142か所を掘削して地層を調べたところ、津波で運ばれた砂や生物の化石などが 堆積(たいせき) した新旧二つの層が見つかった。
210927九十九里無題

 化石の年代測定の結果、新しい層は、江戸時代の1677年か1703年に起きた地震による津波のものと推定された。一方、2地点で確認された古い層は、平安〜鎌倉時代の800〜1300年頃のもので、該当する記録がないため、未知の地震の津波と判断した。
 さらに、当時の地形などをもとにコンピューターで津波を再現したところ、実態がよくわかっていない房総半島沖の海底断層が震源だった可能性も浮上した。
 現在の地形だと、同じ規模の地震が発生すれば高さ約5メートルの津波が海岸線に到来するという。房総半島の北には日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)がある。同原発は原子力規制委員会の安全審査に合格しているが、規制委は「一般論として、新しい知見が出てくれば扱いを検討することになる」とコメントした。
 成果をまとめた論文は、英科学誌ネイチャー・ジオサイエンスに掲載された。
 政府の地震調査委員会の平田直 委員長(東京大名誉教授)の話「日本海溝沿いの房総半島沖では江戸期以外の大地震は知られておらず、重要な報告だ。広域を調査し、震源を特定する研究が必要となる」
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 総選挙を控えて、国会議員は議席を死守するべく必死です。政党のリーダも自党勢力の拡大に必死となります。自党の実績、選挙後の政策などを国民向けにメディアを通じて宣伝したいところです。ところがここで、大きな「不公平」がまかり通っています。それは自民党総裁選挙です。メディアは、連日のように四候補の宣伝を通じて、自民党の好感度を高めるのにあいつとめているかの如くです。怪しからぬことと思っています。  
西谷文和 路上のラジオ 第67回 佐高信さん「アベ・スガ政治9年の大罪。総選挙で逆転


+++++在野の地球科学者・タモリが訪ねた伊弉諾神宮(9月25日放映番組)
 今回は、「応神記」の考察をお休みして、番外記事です。NHK・TV番組で兵庫県淡路市多賀にある伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)が取り上げられました。
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)についてウイキは、以下を書きます:
%%%%%ウイキより
兵庫県淡路市多賀にある神社。式内社(名神大社)、淡路国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
所在地である旧一宮町(現 淡路市)の地名は、当社に由来する。通称「一宮(いっく)さん」「伊弉諾さん」。1月15日(小正月)には、御粥占祭のほか、淡路農林水産祭が行われる。2016年4月25日、構成文化財のひとつとして日本遺産に認定された[1]
創建
『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、当社の起源とされる。 伊弉諾尊の幽宮と伝わる場所は、他に滋賀県の多賀大社があるが、これは『古事記』の真福寺本の「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述による。ただし、多賀大社の祭神は南北朝時代の頃までは伊弉諾尊ではなかったことが判明しており『古事記』の記述と多賀大社を結びつけることはできない。『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、同じ『古事記』でも真福寺本以外の多くの写本が「故其伊耶那岐大神者坐淡路之多賀也。」になっており、その他の諸々の理由から、学界でも「淡海」でなく「淡路」を支持する説が有力である(武田祐吉、直木孝二郎等)。なお、『日本書紀』では一貫して「淡路」と記され、「近江」に該当する名はない。(以下省略)
%%%%%以上ウイキ転載おわり

 番組の最後で宮司さんが「陽の道しるべ」を語ります。NHKともあろうものが、史実が定かでないことを「断らず」にこうした神話を神社関係者に得々と語らせてしまうことには大きな問題を感じます。が、私は、宮司さんが紹介する、日本列島内のいくつかの古い神社間にある空間的配置をまったく知りませんでした。
(図1: 宮司さんが語る「道のしるべ」。拡大は図のクリックで)
210927みちしるべmichisirube


 日本列島の神社は四万社を超えるといいます。神社という「信仰対象」の空間配置は、歴史愛好家の興味をそそるようです。地上の構造物は地球の球面上に存在しますからそれを二次元の平面上に投射して、その上でそれらの幾何学的配置を定規を当てたりして調べることになります。それらが狭い空間であれば、そうした手法でも、それほど実際からかけ離れることはありません。しかし、大きな空間ではそれがむずかしくなります。建造物の位置も[緯度、経度]という球面上であることを前提とした二つの値で表現されます。この二つの値を使うと、異なる地点間の位置関係が厳密に算出できます。それが球面三角法です。
 8年ほど前に週刊誌記事をネタにして本ブログで書いた記事は、この球面三角法計算を用いています。
%%%%%過去記事再掲12年2月20日記事(一部改定)週刊ポスト誌1月27日号「ピラミッドの嘘」について
 週刊ポスト2012年1月27日号が、「ピラミッドの嘘」と題する特集記事をグラビア頁で掲載しています。そこに下のような図がありました。気になったので検証してみました。
(図2:ピラミッドと世界の古代遺跡。上記週刊誌グラビア頁より。拡大は図のクリックで)
210926ピラミッドCIMG0067


 これらの5つの地点は地球上つまり球面上にあります。その球面を平面に展開するならば、その上でこれら三点を結ぶ線が直線状になるとは限りません。そこで、先ずはエジプトのギザの周辺に他の4点がどのように配列されているかを調べてみます。それには、本ブログで高・蘇我聖方位算出で用いてきた球面三角法を用います。
 先ずは、エジプトのギザとペルのマチュピチュの位置関係を球面三角法で算出します。
位置=>[31 8 3.69、 29 58 45.03] Gizaの緯度経度
位置=>[-72 32 44, -13 9 47] Peru, Machupicchuの緯度経度
これを用いると
(1)d=12037.8961(km),a=265.0353,b= 62.4048
との計算結果を得ます。これは、ギザとマチュピチュを結ぶ大円を計算しています。三つの数字は左から距離(km、大円に沿った距離)、ギザ−マチュピチュを結ぶ大円が経線とギザで成す角度(ギザから見たマチュピッチュの方位、azimuthal angle)、そしてマチュピチュから見たギザの方位(大円が経線とマチュピッチュでなす角度)です。 265度はほぼ270度に近い角度です。ギザからマチュピチュに向けて地球表面上で最短距離を取るように第一歩を踏み出す際、ほぼ真西に向えば良いと言うことになります(飛行機の国際線は概ね大円コースに沿って飛行します)。
 そこで、同様をギザとイースタ島の関係を計算します:
位置=[-109 19 20.79 、-27 4 28.06] Moa’s statue,Easter
(2) d=16157.7867(km),a=264.8443,b= 75.6677
 ギザから見ると、イースター島の方位は264.8度つまり、それはマチュピチュの方位とほぼ同じになります。つまり、週刊ポスト誌が掲載した図はほぼ正しいことがわかります。ギザのピラミッドはBC3000年前後、マチュピッチュの階段状都市遺跡は多分13〜15世紀、そしてモアイ像の遺跡もそれほど古いと推定されていません。従って、これら三つの古代遺跡は同時代ではないので、この三つの遺跡を巨石と言うキーワードで結びつけるのは、いささか荒唐無稽の感があります。しかし、そもそも、それらは、太古の昔に居住した一族の跡を、数千年後に異なる部族が襲ったとすれば、こうした位置関係は説明が可能であるとも言えます。

 とは言え、エジプとから海を渡って「大円」コースを、人間がどのように辿ったのか?その手法が全く想像できません。マチュピッチュへの、あるいはイースタ島への最短距離をどのように探り当てたのか?よしんばその技術があったとしても、いかなる動機でかくも遠く隔たった二地点間の最短距離を知らねばならなかったのか?地球上には、人類が残した数々の遺跡があります。その内の適当な3つを選んでくると偶々(たまたま)それらが同一の大円に乗ってくる事はありえます。ギザ=>マチュピチュ=>モアイ像はそうして偶々選ばれた三点なのではなかろうかと、今のところは考えています。理由は、技術および理由がわからないからです。

 序でですから、一つ荒唐無稽な妄想を書き加えておきます。それは、この三点が太古の昔、赤道上にあったというものです。言葉を変えると、当時の地球の回転軸が現在の北極ではなくlat=59.5676N, lon=140.6821W (アラスカのアンカレッジ東方500キロあたり)にあったとすると、ギザ、マチュピッチュ、モアイ像はそうした回転軸の基では赤道に相当する大円を形成します。そしてその回転軸を天空に延長した方向に何がしかの星があれば、それは地球にいる人類からは不動の星となります。その星を赤道から深夜眺めると何時も地平線上の固定点で眺められるのです。つまりこの星を地平線上に眺めることのできる場所は、ギザ、マチュピチュ、モアイ像に限らず、同一大円上にあるのです。私にはそれを満足する恒星があるのか無いのか分かりません。そもそも現生人類の時代以降で地球の回転軸がかくも大きく傾いた時期があったのかどうかも定かでありません。というわけでこれは妄想の類というべきでしょう。

 次に、ギザ=>テオチワカンです。
位置=[-98 50 37.68 19 41 33] Mexico、Teotihuacan
計算結果は
(2) d=12324.1804(km),a=309.4726,b= 45.25
となり、メキシコ遺跡は、ギザから309度の方位となります。一方、中国の西安は
位置=>[108 34 11 34 20 17] Si’an
(3) d=7123.1888(km),a=63.6701,b= 289.9154
となります。二つの方位の和、又は差が180度になれば、メキシコ=>ギザ=>西安は一つの大円上に位置することになります。しかし計算結果は120度(360−309+64=115)近くなりますから、直線状とは言い難い。従って週刊ポスト誌の図は誤りです。 
 この計算をしていて、フト気になったのがシルクロードです。上にも書きましたが、地球上の二点間の最短距離は大円コースです。ペルシャから西安を結ぶシルクロードはほぼ大円コースなのではなかろうかと思い、二つを比べて見ました。私の予想は概ね正しかったのです。
 そうなると、再度、どうやって中国からペルシャへ行くに当たって大円コースを見つけたのだろうか?謎です。
(図3:シルクロード。拡大は図のクリックで)

210927絹の道d6a6c2f0

(図4: エジプト中国をむすぶ大円コース。シルクロード旅路とほぼ重なる。白帯はゴムひも。ゴムひもの縮もうとする性質を使うことによって球面上の二点間の最短距離が通る経路が示される。拡大は図のクリックで)
210927ギザー西安4416f15e


 そして、陸続きであれば、大円コースをたどる事で、より早く目的地に到達できるわけですから動機は明瞭です。問題は、このコースをどうやって探し当てたのかが良くわかりません。旅を繰り返す中で最短経路を見つけたと考えるのが妥当でしょう。実は、メキシコ=>エジプト=>中国についても、太古の昔、この三点が同一緯度上(赤道ではない)にあったと仮定してそのときの地球の回転軸の方向を計算することができます。妄想に近いのでこれについては書き加えません。
%%%%%過去記事再掲終わり

 そこで、伊弉諾神宮の一隅にある「道のみちびき」の展示を球面三角法で検証してみます。
伊弉諾神宮の位置 北緯34度27分36秒 東経134度51分08秒
角度の[度・分・秒]から「度」への変換=[34 27 36] 34.4600、dms(0
出石神社 北緯35度28分55.00秒 東経134度52分13.03秒
dms2d=[35 28 55] 35.4819、dms2d=[134 52 13.3] 134.8704
計算結果:D,A,B= 113.6-km 0.83 180.84 1.02deg
 左から、距離(km)、伊弉諾神宮からみた方位(この場合北から時計回りに0.83度、すなわち、ほぼ真北)、当該神社から見た伊弉諾神宮の方位(この場合は180度でほぼ真南)、そして距離(ラディアン)。以下に摘記する各神社についての計算結果も同様です。つまり計算結果は展示「陽の道しるべ」と同じであることがわかります。

諏訪大社 北緯35度59分48.04秒 東経138度07分32.90秒
dms2d=[35 59 48.04] 35.9967、dms2d=[138 7 32.9] 138.1258
D,A,B= 342.9-km 59.18 241.07 3.08deg
諏訪には主だった神社が四つありますがここでは大社のみ。他の神社の位置は下記の通り
本宮北緯35度59分53.37秒 東経138度07分10.09秒
前宮北緯35度59分28.08秒 東経138度08分00.28秒
秋宮北緯36度04分31.45秒 東経138度05分28.68秒
春宮北緯36度04分55.45秒 東経138度04分55.60秒

 伊勢神宮 内宮: 北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.63秒
dms2d=[34 27 18] 34.4550、dms2d=[136 43 30.63] 136.7252
D,A,B= 171.7-km 89.66 270.72 1.54deg

熊野那智大社 北緯33度40分7.4秒 東経135度53分24.6秒
dms2d=[33 40 7.4] 33.6687、dms2d=[135 53 24.6] 135.8902
D,A,B= 129.9-km 132.33 312.91 1.17deg
 伊弉諾神宮の一隅にある「陽の道しるべ」展示では「東から28度30分」すなわち118.5とあるので、計算結果が大きく異なっています。うえに示した神社の位置はウイキによりますが、この座標値はグーグル地図で示される位置とも一致しています。今のところ違いの理由は不明です。明日にでも伊弉諾神宮に問い合わせします。

高千穂神社 北緯32度42分23.2秒 東経131度18分8.3秒
dms2d=[32 42 23.2] 32.7064、dms2d=[131 18 8.3] 131.3023
D,A,B= 382.3-km 240.32 58.36 3.44deg

海神神社 北緯34度27分51.3秒 東経129度17分00.0秒
dms2d=[34 27 51.3] 34.4642、dms2d=[129 17 0] 129.2833
D,A,B= 510.5-km 271.63 88.48 4.59deg

出雲大社 北緯35度24分07.4秒 東経132度41分07.6秒
dms2d=[35 24 7.4] 35.4021,dms2d=[132 41 7.6] 132.6854
D,A,B= 223.6-km 298.56 117.31 2.01deg

 計算結果は熊野那智大社を除いて「陽の道しるべ」と一致しています。ということは、伊弉諾神宮では紙面に描かれた地図上で神社の位置関係を計測したのではなく、[球面三角法]による検証を行っていると想像できます。私が驚いたのは諏訪神社です。それは伊弉諾神宮から300km余と,かくも隔たった地点です。これは偶然であろうか?それとも巧まれたものなのか?次回検討します。
(図5:淡路島と諏訪湖。拡大は図のクリックで)
210926淡路_諏訪0077

(つづく)

考古学ランキング

髪長比売の出自は北海道?(4、梁書東夷条)、中国問題(孫崎氏)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝方3時ごろから一時間ほど強い雨が降りました。その直後東の空が赤く輝きます。拡大は図のクリックで)
CIMG0043


(写真:満月の名残をとどめた十七夜月です。拡大は図のクリックで)
十七月0050


 お月見を 終えた途端に 夏戻る 刈り取り終えた 田には白鷺

 +++++対アジア外交
(写真:日刊ゲンダイ紙より)
210923総裁選挙7360

 連日、自民党総裁選挙報道で、TV 大手新聞政治欄が埋められています。われら国民には四候補のどなたにも選挙する権利はありません。そうはいってもある候補は対中国政策についてずいぶんと強硬な姿勢を語っています。その姿勢が現在の世界情勢に鑑みて全くそぐわないと下に添付した動画で孫崎氏は語ります。
 下の動画では、はじめに総裁選挙について語っています。何せ四候補の支持分布の変動が激しく、メデャはまるで競馬予想のように語り合いますが、国民はそれを面白いと思っているのでしょうか?語られる情勢分析が古くとも、台風の目は上の新聞記事に見るように安倍氏から背中にゼンマイばねを取り付けられ、それをキリキリと巻かれた高市候補です。過激な国防政策、日本国の伝統死守といった高市候補の主張にノスタリジーを感ずるのが六十台以上の高年齢者だそうです。こうした主張が日本国を含むアジアのこれまでの各種条約などによって積み上げてきた均衡に刃を向けかねないと,
孫崎氏は指摘しています。
 多様なトピックスが話題に上ります:嫌韓・中日問題、日中漁業協定、日ソ問題、1970年代エピソードが示す政府の統率が及ばない軍(旧ソ連の事例)、中米関係などです。最後に表示されたアジアの企業ランキングには落胆させられます。いつのまにか、日本経済の現状はかくも下落していたのです。それを知らずに勇ましくラッパを吹いているのが無知の安倍氏とそれに踊らされる高市女史であります。
https://www.youtube.com/watch?v=csvLvJ6HSTM&t=3025s
時事放談(2021年9月) 孫崎享 × 鳩山友紀夫
2021/09/20 にライブ配信


+++++応神記(髪長姫譚)
 前回記事で応神記が書く二つの歌を掲載しました。
%%%%%(応神記)
原文:
美知能斯理。古波陀袁登賣袁。迦微能碁登。岐許延斯迦杼母。阿比麻久良麻久。(K046)
又歌曰。
 美知能斯理。古波陀袁登賣波。阿良蘇波受。泥斯久袁斯叙母。宇流波志美意母布。(K047)
(文意:岩波文庫「古事記」144頁。因みに小学館「古事記」の校注者の訳もほぼ同じ、265頁)
道の後(しり)、古波陀袁登賣(こはだおとめ)を雷のように聞こえしかども今は枕を交わす間柄になった。
%%%%%
 応神記の「髮長比賣」譚は上の二首で締めくくられます。大雀王(後の仁徳天皇)が父である応神天皇から美女を「譲り受けた」際に、その喜びを歌ったとされます。私は応神天皇の実在性を疑っていますから、当然次に続く仁徳天皇の存在も疑っています。これらの人物達は藤原不比等が「でっちあげた」支配者です。しかし、古事記が書く「説話」の多くは実際の出来事に基づくのだろうと考えています。
 髪長姫譚も、現在の信州・長野の軽井沢のあたりに宮を構えていた「渡来民」首領にまつわるエピソードであったろうと考えます。そのエピソードが七世紀末に奈良権力によって捕囚された稗田阿礼をふくむ渡来民の口から語られたのです。彼らの口から現在の「小諸」、上田あたりに髪の長い美女がいたことが語られるのです。この髪の長い美女の出自が気になります。
 私が直ちに連想したのが梁記東夷条の一節です:
 六世紀に中国の南部に興った「梁」の正史は「東夷」についてもその概況を記しています。朝鮮半島の地勢を知るした後に話を倭にすすめます。
倭( 中略)
 次に記載されるのは有侏儒國です:
其南有侏儒國、人長三四尺、又南黒齒國、裸國、去倭四千餘里、船行可一年至。又西南萬里有海人、身黒眼白、裸而醜。其肉美、行者或射而食之。
文身國(渡辺豊和氏は出雲族の原点であろうと推察しています):
文身國、在倭國東北七千餘里。人體有文如獸、其額上有三文、文直者貴、文小者賤。土俗歡樂、物豊而賤、行客不齎糧。有屋宇、無城郭。其王所居、飾以金銀珍麗。繞屋塹、廣一丈、實以水銀、雨則流于水銀之上。市用珍寶。犯輕罪者則鞭杖、犯死罪則置猛獸食之、有枉則猛獸避而不食、經宿則赦之。
大漢國(私は、この国が奈良盆地に住み着いた「漢人」の集落であったろうと考えています。この集団が奈良権力の原点でもあります:
大漢國、在文身國東五千餘里。無兵戈、不攻戰。風俗並與文身國同而言語異。
かくして本ブログで詳しく考察してきた扶桑國が続きます。
扶桑國(中略、東国に威を張った渡来民の地であることは本ブログで縷々書いてきました)。

ここで、慧深はさらに「報告」を続けます:
 慧深又曰。「扶桑東千餘里有女國。容貌端正、身體有毛、髪長委地。至二、三月、競入水則任娠、六七月産子。女人胸前無乳、項後生毛、根白、毛中有汁、以乳子、一百日能行。三四年則成人矣。見人驚避、扁畏丈夫。食鹹草如禽獸。鹹草葉似邪蒿、而氣香味鹹。」天監六年、有晉安人渡海、爲風所飄至一島、登岸、有人居止。女則如中國、而言語不可曉、男則人身而狗頭、其聲如吠。其食有小豆。其衣如布。築土爲墻、其形圓、其戸如竇云。
(文意:)
 慧深はさらに語った「扶桑の東千餘里に女國がある。容貌は端正で身體は毛深い。髪長く地に届くほどである。二、三月になると競って入水し、則ちに任娠し六七月は子を生む。女人の胸前無乳(意味不明いわゆる貧乳?)、項(うなじ)の後に生毛が生え根(肌)は白く、毛中有汁(?)、乳子をかかえて、百日も歩行できる。三四年になると則成人となり人を見ると驚き、避ける。畏れ知らずで丈夫である。草を禽獸と同じように鹹(塩辛)くして食す。鹹邪蒿(?)に似た草葉を塩漬けにする(いわゆる漬物か)ので鹹の香味となる。」
天監六年(西暦508年)、晉の安人が渡海し暴風のため一島に漂着した。岸にあがると人がおり、通行を止めた。女は中國(?)であり、言語は不可曉であった。男は人身が狗頭のごとくで其聲は如吠であった。其食は小豆で、其衣如布、土を築いて墻となし。其形は圓く、其戸は如竇( とう、あなぐら)という。云。

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 渡辺豊和氏が自著「扶桑国王蘇我一族の真実」(新人物往来社、2004)で推定したように(私もその推定を合理的と考えています)。扶桑国が現在の青森県―新潟県とその界隈であったと考えると、そこから東といえばそれは北海道です。見聞を話半分に聞いたとしてもその地には髪の長い美女がいたということになります。肉・野菜の塩漬け食です。熊などの動物は冬眠で捕獲が難しい、野菜も冬は取れない。その冬に備えて塩漬けにするという食習慣も理解できます。余談ですがモスクワ滞在中、冬は食料品店で野菜を見つけることは困難でした。ところがリーノックと呼ばれる公営市場には新鮮野菜が売られています。十五の共和国の中のいくつかは冬でも比較的温暖でそこから直送されるからです。前回書いた「野蒜」を真冬の市場で見つけました。かなり高価でありました。

 余談はさておき、そのように考えると冒頭の歌を詠む環境が目に浮かんできます。
美知能斯理。古波陀袁登賣波。阿良蘇波受。泥斯久袁斯叙母。宇流波志美意母布。(K047)
(文意:岩波文庫「古事記」144頁。因みに小学館「古事記」の校注者の訳もほぼ同じ、265頁)
道の後(しり)、古波陀袁登賣(こはだおとめ)を争わず、寝しくをしども 美るわしい思い

 美知能斯理(道の後)を岩波文庫校注者は「遠い国」と解釈します。しかし、それは「扶桑国の背後」と考えれば辻褄が合ってきます。すなわちそれは現在の北海道です。そこにいた髪長の美女が津軽海峡を渡り東北日本を南に下って現在の長野県につれてこられた場面が目に浮かびます。
 となると「古波陀袁登賣波」とは、一体何か?アイヌ語辞典、ペルシア語辞典に似た言葉を捜しますが見つかりません。在来日本列島住民の言語でしょうか?
 そこで、気付いたのが「古波陀」(こはだ)です。真っ先に連想するのが寿司ネタです。ウイキによれば「コノシロ」の稚魚で、鰊(にしん)科に属するとの話です。まさに北海道のピチピチした若き乙女というイメージです。ウイキを見ても「コハダ」なる名称の謂れは見つかりません。古来からの言葉ではなかろうかと考えています。

 どうやら、扶桑国と北海道は近しい関係にあったらしいと想像できます。扶桑国が南に進出して現在の埼玉県志木、そして長野県の軽井沢に進出した際には美人であるが故に同伴したのでしょう。大将が「この美人妻を独りぼっちにしておくと怪しからぬ部下があらわれ、妻によからぬことをしかけ、ついふらふらと妻が浮気に走るやも知れぬ」と危惧したのかもしれません。

 そうした、美女の言い伝えを、東国に軍事行動を起こした奈良の将軍が聞き及んだのでしょう。かくして藤原不比等がでっち上げた応神天皇、仁徳天皇の事跡を彩る「ネタ」として髪長姫譚がしつらえられたのだと思います。
 しかし、万葉集85−90歌で切々と「寂しさ」を訴える「髪長姫」が想う相手が誰で、その相手はどこに行っていたのかはこれらの歌からはわかりません。少なくとも古事記が書く「禁断の愛」の主人公の辿り着いた四国・伊予ではありません。しかし、この「譚」の主人公が軽王、軽大郎女であることは何か意味があるやもしれません。古事記によれば応神天皇の宮「軽島明宮」であることを想うと、「禁断の愛」もこの信濃国で起きたエピソードかなとも思えます。もっとも、長野県は全国でも有数の温泉地です。「伊予」に似た名前の温泉地がどこぞにあるとすれば、禁断の愛の主人公の父である允恭天皇の諸事跡も、まさに東国信濃での出来事ということになります。
次回は矢河比売を考察します。
(つづく)

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髪長比売(3、軽井沢、日向、諸縣)、何故感染は周期的に増大するか(児玉博士)

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(写真:鳥の名前はわかりません。朝の小鳥0026


 増減を くりかえしつつも 収束か 希望的予測 毎度覆(くつがえ)る

 東京都の新規感染者数が急速に減っています。しかし、重症患者数の減少はそれほど顕著ではありません。まして死者数ともなると微増の気配すらあります。まずはこの「増減をくりかえす」現象が今後とも続くのであれば、経済活動、生活慣習もそれに対応して工夫せねばなりません。どこをどう変えるのか?そのためにも周期的な増減の原因を知りたいものです。下の動画で児玉先生がその疑問に答えています。すなわちウイルスの活動はワクチンでは根絶できないからです。これがバクテリアなど生物起源の病原体であれば、その生息環境を徹底的に破壊すればよい。それはそれで地球環境なんぞといった新たな問題が生じるのかもしれません(たとえば農薬問題のように)。しかし、生物ではないが生物風の構造をもつウイルスについては、その微小サイズに加えて細胞との間の化学反応が人体に害をなすことがわかっています。しかし、その相互作用の過程が把握できかねているようです。結果として多数の経験、観察からある種の法則的関係を見つけ出すしかありません。そのひとつがノーベル賞科学者がかって指摘したX 因子ですが、その後の考究は中座してしまったようです。さらなる困難は次々と変異株(variants)が登場することです。そのなかで、なぜデルタ株は感染しやすいのかなどについてもいまだ説得力ある理由は提示されておらず、もっぱら経験から得た推測です。いまや超多数の経験則があるにもかかわらず、そこに適用可能で真っ当な統計分析も無いように見受けられます。

 こうしてみると、科学というもののほとんど起きた現象については色々理屈をつけて理解はしますが、次におきることの予測となると、頼るは結局のところ経験則であるようです。これは地震現象も同じです。AIによってしゃにむに力づくで何がしかの相関を見つけ出すことが有力な研究手段になるのかもしれません。
コロナの波をつくるもの 変異と科学的対応 【新型コロナと闘う その先の世界へ】


+++++ 髪長比売(3、軽井沢)
 私の古事記観にてらすならば応神天皇は存在していなかったと考えています。しかし、こしらえ上げられた応神天皇の事跡とするに足る人物は存在したのです。その人物の行動が細切れに古事記に記載されている、これが私の視点です。これは、以前書いてきた雄略天皇、安康天皇と同様です。さて、その人物がどこで活動していたのか?なぜそれが藤原不比等が作り上げた応神天皇像に具合がよかったのか?それを探ってみようというわけです。

 手がかりは、前回書いたように古事記と万葉集85−90歌です。この二つを結びつけるのが「髪長=毛長」と「神長」です。これを最初のトッカカリにして地図を眺めていて気付いたのが栃木県の烏山です。ここには「神長」という珍しい呼称の地があります。また応神記が引用する「蒜」(ひる)を詠んだ歌の舞台が地名としても残っています。
 余談でありますが東京世田谷区に「烏山」なる地があります。東には多摩川を渡ってすぐの「稲城」(垂仁記)、近くの狛江市には「天岩戸」を連想させる「岩戸」、さらに南には栃木県のある「毛野(けぬ)」を連想させる「野毛」なる地もあります。明らかに東京には東国古代史の痕跡があります。その探索の障害となってきたのが古代史学者が固執してきた「近畿覇権」主義であろうと考えています。
 さて、応神記に戻ります:
 応神記は「天皇。聞看。日向國諸縣君之女。名髮長比賣。其顏容麗美。」と、書きます。岩波文庫「日本書紀(二)」・校注者は「日向国諸県君」77頁で以下を書きます: 
「諸県」は日向国西部の地名。現在の宮崎県東・西・北諸県郡および、小林市、都城市、鹿児島県曽於郡の東部」と。
 日本書紀の解読が進んだ平安期には「日向」は現在の宮崎県東部あたりとの定説があったと思われます。それを前提として「諸県」の同定がなされたのだろうと思っています。従って、この校注には予断があります。
一方、これについてウイキは以下のように解説します:古代[編集] : 
郡名は記紀に、「日向国諸県君の女、名は髪長比売、其の顔容は麗美」(『古事記』応神段)、「諸県君泉媛、大御食を献る」『日本書紀』巻七景行天皇十八年三月条)、「日向国に嬢子有り。名は髪長媛。即ち諸県君牛諸井の女なり」(『日本書紀』巻十応神天皇十一年是歳条)などの記事が見られ、その起源の古さをうかがわせる。「諸県」は現在の東諸県郡国富町に存在した地名で、この諸県君(日向国造であったとの説もある)の本拠地でもあったとされるが、当時はヤマト王権の影響力が及んでいなかった地域も多く、諸県地方が諸県君の主領域と一致したかは不明である。郡名が明確に確認できるのは「続日本紀」からであり、「延喜式」において、ほぼその後の領域が確定された。和名類聚抄では「牟良加多(むらかた)」と訓じられ、郡には八つの郷が存在しており、県田郷、八代郷、瓜生郷、財部郷、大田郷、春野郷、穆佐郷、山鹿郷が記載されている。
%%%%%
 
 上に掲載のウイキ解説は「日向国諸県君」の存在は「続日本紀」で確認できると書きます。まずはそれを確認すると、「続日本紀」は、一回だけ「諸縣」を書きます。天平3年(730年)の記事で、これは大陸中国の山東省の地であることが周囲の記述からわかります。次に「続日本後紀」を調べると、その巻六に以下の記述があります。
 《承和四年(八三七)八月壬辰朔》○八月壬辰朔。日向國子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸縣郡霧嶋岑神。並預官社。
(文意)
西暦837年8月1日は壬辰(みずのえたつ)である。日向國子湯郡( こゆぐん)子都濃(こつのう)神とその妻の神、宮埼郡江田神、諸縣郡霧嶋岑神を並べて官社に預(あずか)る。

 天皇「宮」が奈良平城京から京都の長岡京に移ったのが西暦784年(延暦3年)です。それから53年後ということになります。諸縣郡なる地が文書上で認知されたのはそれ以前ということになりますが、それは正史たる日本書紀、続日本紀、には記載されていません。そもそも諸縣郡なる呼称をこの地に付したのが上掲記事になってからすなわち九世紀のことであろう、つまりそれは応神記に因んだと想像できます。
 そうとすれば、応神記が書く「日向国諸県」の在り処は、必ずしも現在の宮崎県ではなかった可能性が出てきます。それは応神なる架空の人物に擬した実在の人物の活動地であったはずです。そこはどこか?
 私は、烏山の近辺でその地を探してみました。そこで、鍵となったのが「日向」、「諸県」です。「諸」から連想したのが長野県の小諸です。
(図1 長野県東部、小諸とその近辺。小諸から東へ8kmほどに「北小牧」なる地が見える。ここは昔は「大日向」であった(日本案内分県地図・小学館、1965年。郵便制度改変に伴い地区名の改変が相次いだので、こうした場合は古い地図が役立つ)。クリックすると地図を拡大できます。)
181022応神天皇紀b26381b7


 なんと、小諸の東に「大日向」なる地があったのです。この地の由来については現時点ではウイキに見る限りでは不明です。「佐久」は花が「咲く」すなわち「木花之佐久夜毘賣」に由来すると思えます。が、そもそもは「サカ」族の痕跡です。
 さて、さらに興味深いことを下図が示しています。応神記が仄めかす地名が若干の手を加えてこの地域にみつかるのです。
(図2:上の図の中央部の拡大。図の拡大はクリックで)
210919諸縣無題


 この図はまことに刺激的です。私がまず問題にするのが天皇の宮があったとする軽島明宮です。古代史学者は一切の論議無くこれを現在の奈良県橿原市にある軽島豊明宮であると断じます。私は軽島明宮は現在の軽井沢とその界隈であると考えています。言葉を変えれば応神天皇に擬せられる渡来民の狩猟の宮処であったと考えています。「軽井沢」の由来についてはウイキを見る限りではこれも古いことだけがわかっているようです。そして「神長姫を接待した豊明」(「宴」と岩波文庫校注者は解説する)にちなんだ場所が「豊科」、「明科」として近接して存在します。そして何より注目するのが小諸一帯は「小縣郡」なる呼称が最近まで残されていたことです。
 応神記の「髮長比賣」の節は以下の歌で締めくくられます。
(応神記)
原文:
美知能斯理。古波陀袁登賣袁。迦微能碁登。岐許延斯迦杼母。阿比麻久良麻久。(K046)
又歌曰。
 美知能斯理。古波陀袁登賣波。阿良蘇波受。泥斯久袁斯叙母。宇流波志美意母布。(K047)
(文意)
未知の後(しり)古波陀(こはだ)袁登賣(おとめ)を雷の如(ごと)聞こえしかども愛枕(あいまくら)枕(まく)

 この歌の解釈を含めて、応神記の「髮長比賣」の節をまとめるべきところですが、長くなりそうなので次回に回します。そこでは、仁徳記の「髮長比賣」の解釈もふくめます。
(つづく)

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+++++自民党総裁選挙
 自民党総裁選挙たけなわです。ほとんどの国民は自民党員ではないので選挙権はありません。なのにTVやら新聞やらでその論戦をみせつけられます。「いかに自民党が民のことを考えて一生懸命活動しているか」の宣伝合戦です。それにしてはコロナの爆発的感染とワクチン不足に関する現状分析と方策に関する自己批判と教訓は論議されません。そして安倍氏が重ねてきた私利私欲の犯罪的政治の追求を誰も止めようとしてこなかった。それについても分析はありません。ましてや弁明も無いので、あたかも自民党はよいことのみをやってきたといわんばかりです。こうした傲慢を来るべき総選挙では争点のひとつとすべきです。
 さて下の動画で、高市氏が支持を急速に伸ばすのではないかとの予測が一部にあるとの指摘が語らえています。恐ろしいことです。この女史は日本の伝統を「保守」することを理念としているのではありません。米国に付き従って途上国に軍事的威圧ができる国に変貌させることを公然と主張します。今世界はそんな時代ではありません。明らかに世界の理性からはほど遠いところで吼えていると私は思っています。
自民総裁選にだまされるな! テレビの共産党中傷 野党は逆に結束 WeN20210918

烏山と髪長姫(2)、がっかりな首相、総選挙と野党

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(写真:青鷺さんからお手紙ついた。白鷲さんたら読まずに捨てた。しかたがないから青鷺さんは 青い顔して 好きだと言った(赤鬼から手紙が着いた ・・・のメロディで)。拡大は図のクリックで)
青鷺白鷺0009

 
 千人に 満たない内輪の 総裁選 なぜかマスコミ 大いに騒ぎおる

 自民党員でも何でもない我々が連日のように総裁選挙候補者の弁を聞かされています。なんのためでしょうか?来る総選挙で自民党を代表する顔を売り込むことに狙いがあります。国民にとってはもっとも大事な総選挙でこそ、こうした選挙報道を大々的にするべきでしょう。そうであってこそ選挙への関心が高まり、また良質な候補を選ぶことができます。
 しかし、国政選挙となると、やたらと厳しい公職選挙法のため、報道までもが極力減らされます。矛盾しています。民主主義の理念にも反します。こういった本来指摘すべきことを日本のメディアは語らず、あたかも競馬レースのごとくお祭り騒ぎであります。
%%%%%がっかりだった歴代首相ランキング 2位は菅義偉氏…1位は? 9/15(水) 18:13配信
次の首相となる「ポスト菅」を決める自民党総裁選。その告示が9月17日に迫っている。 【写真あり】「がっかり首相」7位の森喜朗と昨年の清和会パーティーで並んだ安倍晋三 そんななか、Twitterでは「#こんなひどい政治ははじめてだ」がトレンド入り。「#最低最悪の首相」というハッシュタグとともに歴代首相の”懐かしい”写真が多数投稿されるなど、盛り上がりを見せていた。 そこで、女性自身では2000年代の「がっかりだった歴代首相」についてのアンケートを実施。ランキングを作成した。回答したのは男女150人。結果は、以下の通りだった。 【2000年代の歴代首相のなかで最も「がっかり」だった人は?】(回答:2021年9月9日〜9月12日) 1位:安倍晋三(26%) 2位:菅義偉(24%) 3位:鳩山由紀夫(13.3%) 4位:菅直人(11.3%) 5位:野田佳彦(9.3%) 6位:麻生太郎(8%) 7位:森喜朗(7.3%) 8位:小泉純一郎(3.3%) 9位:福田康夫(0.7%) “栄えある”「がっかりだった歴代首相」1位となったのは、安倍晋三前首相(66)! 森友学園問題や桜を見る会などの不祥事に対する説明責任を果たしていないことや、新型コロナウイルスの初期対応に関する不信感が拭えなかったようだ。選んだ理由について、以下のようなコメントが寄せられていた。 「不祥事が多かった」(30代女性・会社員) 「森友、加計、桜を見る会などの問題から何の説明も無しに逃げまわっているだけだったので」(60代男性・会社員) 「森学園の問題もそうだが、コロナウイルスに対しての初期対応に、問題があると思う。もっと慎重にやるべきだった。出始めに、中国からの出入りや、プリンス号船の対応に問題あり」(30代女性・会社員)
2位は菅義偉首相「自分の意志で発言していると思えない」
続いて、2位にランクインしたのが菅義偉首相(72)。安倍前首相との差は、わずか2%だった。 新型コロナウイルスや東京オリンピック・パラリンピックへの対応や判断力に対して、不満の声が多く寄せられた。 「自分の意思で発言していると思えない」(30代男性・会社員) 「膨大な数の自宅療養者を出したから」(50代女性・パート) 「やることなすことすべてガッカリ。国民の気持ちに寄り添えない本当にガッカリな人。日本の未来が真っ暗になったような気持ちになった」(40代女性・専業主婦) そして3位にランクインしたのが、鳩山由紀夫氏(74)。民主党に対する期待を裏切られたという思いや、公約を果たしていないといった意見が多かった。 「マニフェスト通りに行かず、政権を後退しても醜態を晒しただけでただただ虚しかった」(10代学生) 「民主党に期待したのですが、、ガッカリ!」(40代女性・パート) 17日の告示まであと2日。「ポスト菅」となる新首相は数年後、「がっがりだった歴代首相」にランクインしないといいのだが――。
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 この一週間を良心的と思えるジャーナリストが語っています。2001年の911事件については私も個人的にいろいろ調べました。特にWTC7号棟については飛行機が衝突したわけでもないのに完全崩壊です。「陰謀論」と騒ぎ立てることでもって事件の真相追及にふたをしてきたのではないかと疑っています。
「9.11」から20年 野党共闘と総選挙の行方 WeN20210911


+++++髪長姫(2)
 このところ、古事記の精査から東国の古代史を明るみにだす作業をしています。きっかけは垂仁天皇記に登場する「さ迷える鵠」を古事記の記載に従って、その飛跡を追いかけたことでした。見えてきたことは「現在の新潟県」の古代史、そして「埼玉県の西部の古代史」でした。新聞の三八広告(新聞一面最下段にある三段分のスペースに収められる8つの書籍広告)で、「実は・・・!!」と銘打ったびっくりマーク付き新刊本が時に並びます。その伝でいけば、「雄略天皇の出自は新潟であった!!」なぞとあちこちで言い立てて、人目を惹くこともありえます。しかし、古事記の記載はそれほど単純でありません。古事記の構成は「二本立て」です。
一本は東国での「史実」です。東国に強い影響力を振るった渡来民によって語り継がれてきた出来事です;
もう一本は藤原不比等が構想する日本政治史(「正史」)編纂です。
古事記はこの前者を後者の筋立ての中に「組み込んで」仕立てあげられています。言葉を変えれば、東国の史実でもって不比等の筋書記が脚色されているのです。これが私の「古事記観」です。万葉集初期歌群、そして風土記は私の古事記観を裏付けていると考えています。これから、「応神記」を眺めますが、その際の私の立ち位置でもあります。

 清寧天皇は跡継ぎとなるべき子を成さずに死去してしまった。そこで、清寧天皇の祖父(允恭)の代にまでさかのぼって後継者候補をさがすと、天皇には五名の叔父がいた。が、その長男坊が「禁断の愛」事件を起こし、天皇系列から排除されていた。この允恭記はこの「禁断の愛」事件の結末舞台を伊予湯に設定し万葉集85歌(90歌でもある)で締めくくるのです。允恭天皇の息子たち、そして允恭天皇の従兄弟に当たる押歯王など、周囲の人物はすべてに東国です。言葉を変えると仁徳天皇の系列一族の説話は東国でかって活動していた「人物達(渡来民)」の事跡を「剽窃」しています。
しかし、古事記の編者たる不比等はその「剽窃・改竄」が後世の読者には知られずに住むとの目算があったと思えます。「禁断の愛」の終末舞台を突然四国に設定した理由は「允恭」天皇の「宮」は奈良盆地にあったことを前提としたいからであろうと想像できます。
こう考えると允恭記が、上記の「一本目の筋立て」にもない説話であることがわかります。当然、允恭記を締めくくる万葉集85歌は、藤原不比等が万葉集から抜き出してきたものです。万葉集研究者が主張する「この85歌は允恭記から写しとった」との推断は誤っていると私は考えています。

 というわけで、二人の王子「意祁と億祁」の発見譚に話を戻すべきところですが、万葉集「85−90」歌に付される題詞が「磐姫」すなわち、飯豊王の祖母にかかわっていると書くので、允恭記とはこのあたりで離れ、万葉集85−90歌の舞台をもう少し探っておくことにします。これまでるる書いてきた様に歌の詠み手は髪の長い女性であることがこの六歌を流れる主題です。それが磐姫であるとしても思いを寄せる男性が仁徳天皇ではないことは明らかです。しかし、栃木県烏山には「神長」という地区があり、その土地の区画割り様相は、この地域が大変古い歴史を引きずっており、その呼称から「髪長」姫とかかわっているとの想像を掻き立てます。残念ながら、古事記なくしてはそれ以上の深堀考察ができません。そこで、上でかいた「私の古事記観」に照らして古事記からもれ出る何がしかの情報を嗅ぎ取る作業を試みようと思います。

 以前のブログ記事では、記載内容の材料としてもっぱら日本書紀の記事を引用していました。
たとえば160629”烏山(4、髪長媛-2),ドック入りするGDP”です。しかし、現在の私の認識は上にも書いたように、「古事記」こそが藤原不比等にとっての「正史」編纂の出発(初期ドラフト、第一草稿)であると考えています。藤原不比等の思惑が読み取りやすい構造、構成ではなかろうかと考えます。それは一方で、史実に近いがゆえに政治的思惑からは具合が悪い諸点がチラリと顔を出しているやもしれません。
 西暦712年正月二十八日の元明女帝への「古事記」(我々が目にしている古事記とは異なる)撰上直後(但し、続日本紀はそれを記載しない)に何がしかの不都合があり、その年の末にそれは撤回され(続日本紀和銅五年十二月二十一日の記載)、新たに編纂し直されたのが日本書紀(続日本紀では「日本紀」)です。そしてるる見てきたように日本書紀には古事記が書く記述に多くの装飾記事がまとわりつきます。結果として真実を選び出す作業を困難にしています。そこで、まずは古事記を精査することとしました。

 最初に髪長姫が登場するのは応神記です(日本書紀では景行紀に登場します)。
%%%%% 応神天皇記
原文:
 天皇。聞看。日向國諸縣君之女。名髮長比賣。其顏容麗美。將使而。喚上之時。其太子大雀命。見其孃子。泊于難波津而。感其姿容之端正。即誂告。建内宿禰大臣。是自日向喚上之髮長比賣者。請白天皇之大御所而。令賜於吾。爾建内宿禰大臣。請大命者。天皇。即以髮長比賣。賜于其御子。所賜状者。所賜状者。天皇。聞看豐明之日。於髮長比賣令握大御酒柏。賜其太子。爾御歌曰。

天皇は日向國諸縣君之女である髮長比賣が其顏容麗美であることを知り、使をたてて喚上ようとした(当然、妾としてであったろう)。そのとき、太子・大雀命が其の孃(むすめ)子が難波津に泊していることころを見た。其姿容之端正に感じ入り即誂告し、建内宿禰大臣に「是より、日向で喚上た髮長比賣をわれに賜るよう天皇之大御所に請白してくれ」と告げるよう指示した。建内宿禰大臣がそれを天皇に請うと、天皇は即ちに髮長比賣を御子に賜った(当時の女性観はまるで「物品」ですな)。天皇は豐明(宴会)之日に様子を知り、髮長比賣に大御酒をたたえる柏を握らせ、それを太子に賜って一首歌を詠んだ。

詠んだ一首(原文:引用は上に同じ)
伊邪古杼母。怒毘流都美邇。比流都美邇。和賀由久美知能。迦具波斯。波那多知婆那波。本都延波。登理韋賀良斯。志豆延波。比登登理賀良斯。美都具理能。那迦都延能。本都毛理。阿加良袁登賣袁。伊邪佐佐婆。余良斯那。(K044)

文意(岩波文庫「古事記」143頁):
 いざ子供、野蒜つみに蒜摘みに。我が行く道のかぐわし 花橘は上枝は鳥居が枯らし、下枝は人がとりて枯らす 三つ栗の中つ枝の ほつもり 赤ら孃子(おとめ)を、いざささば よらしな
%%%%%
 上掲古事記の説話の上段については、次回書くこととしてまずは下の歌について今回は考察します。白状しますと、歌の意味がはっきりとはつかめません。それは古事記編纂者たる藤原不比等も同様であろうと想像しています。古事記にしばしば含まれる「歌」は一体なんであるのか?いつも困惑します。この歌は仁徳天皇が詠んだことになっています。が、実際は仁徳天皇の「こしらえ上げられた説話を飾るために」持ち出されています。実際には、他の人物の言い伝えが語られているのでしょう。それが「怒毘流」です。古事記の校注者の訳を信ずればそれは「野蒜(のびる)」です。
 
 すでに読者様におかれましたは歌の舞台は烏山界隈であろうと察しておられるはずです。実際、地図を見ると確かにそれがあります。
(図:烏山(矢印で島されている)に近い二つの蛭畑(ひるはたけ、丸で囲まれている)。また烏山の杉左上に「神長」地区がみえる。拡大は図のクリックで)
ひるた0013

 邪馬台国論で知られる安本美典氏は仁徳天皇応神天皇の実在を疑っていないとある本で書いています。余談でありますが、四〜五年ほど前のことです。氏が月刊「文芸春秋」誌に邪馬台国・九州説を書いていました。たまたま安本氏と知り合いであるという方を私も知っていたので、その方を介して私の「邪馬台国論」(要旨は20130802魏志倭人伝は「このように」読めば良い! および20130805邪馬国連邦(台)は「番号国」から成っていた  )をお送りしました。「他人様のいろいろなご意見を頂戴するが、高齢のためにそうしたものは読まないことにしている」との"つれない“返事が届きました。それはともかく、「応神天皇」も不比等が自らの正史構想の都合で「仕立て上げられた人物」であると考えています。不比等自身が「告白」している有名な「神との名前の交換」という有名な説話です(160408記事”[神」の由来(1、応神天皇の和風諡号)”)。
 しかし、説話そのものが「史実」ではなくとも、その舞台で似た事件が描かれていることがありえます。それは安康記などで論じてきたところです。まず注目するのが「日向國諸縣君」です。
 「日向」とあるので、自動的にその場所は宮崎県であると断じられてきました。しかもそこには東西北の「諸縣」なる地域がありますからこれで決まりということになります。
 これを次回考察することにします。
(つづく)

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髪長媛(烏山-1),河野氏「転向?」,旧内務省「厚労省」(上博士)

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(写真:刈り入れが始まった田のあぜ道の柿木が青い実をつけています。拡大は図のクリックで)
柿のみ9980


 不快(かい〜)な 夢〜見て 目が〜覚〜めて 昔のことぞしのばるる

 今日はいつもの駄首ではありません。この詩を下の歌のメロディにあわせて歌ってください。
浜辺の歌(歌詞付き) 鮫島有美子

 何か嫌な夢を見て夜中に目覚めました。ところが、何の夢であったのかさっぱり思い出せないまま寝付けません。すると脳内が「昔のこと(人)ぞしのばるる」状態になってしまいました。歌手は先年、多摩川で自死された西部邁氏と親交のあった鮫島有美子氏です。
 昔は、「善行をいっぱい積んだ。生きててよかった。」と自らの生き様に得心して、この世からおさらばする筈でした。しかし、明日死んでもおかしくない齢に達すると、「犯してきた悪行三昧」、「ケシゴム」で削り取ってしまいたい過去のみが「しのばるる」んであります。
 昨日、元総理大臣である鳩山氏が以下のツイートをしました。
%%%%%鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama@hatoyamayukio
総理になるため、政権を取るために前言を翻す人物は信用できない。河野太郎氏は脱原発や女性天皇容認など中々勇気ある発言をしていたが、総理を目前として発言を控え始めた。かつて民主党は普天間問題で最低でも県外と発表していたが政権目前に約束を外した結果、私だけ裸となった。巧言令色鮮矣仁。
%%%%%
 ハテサテ、河野太郎氏は寿命が尽きる直前に自らの来し方を振り返り今般の言動を「消したい過去」として記憶にのぼせるのだろうか、それとも何事もなかったの如く忘却のかなたに沈めてしまうのだろうか。
 関連記事:%%%%%玉川徹氏が河野太郎氏の「脱原発」封印に“結局は安倍前総理たちへのアピール合戦 2021年9月13日 10時43分
 自民党総裁選への出馬を表明した河野太郎ワクチン接種担当相(58)がこれまでの脱原発の持論を封印したことで様々な見方が出ている。
 河野氏は10日、会見で「いずれは原発ゼロになるんだろうと思ってますが、まずきちんと省エネをやる、再生可能エネルギーを最大限最優先し、それでも足りないところは安全が確認された原発を当面は再稼働していく。それが現実的なんだろうと思う」とした。

 13日のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」のコメンテーターで同局社員の玉川徹氏は「今回の総裁選が自民党の中の単なる権力争いを超えるものになるかどうかを注目していた。そうなるためには河野さん(がキーマン)だった。今までの自民党の既得権から離れて、日本のためにこれが必要だと思うことをやるという河野さんの貫く力を示せるかどうか。その象徴が脱原発だった。その主張を引っ込めたわけですが、中には『本音としては河野さんは脱原発だよ』という人もいるかもしれない。これまでずっと言ってきたから。でもそれは僕はナシだと思っている。言ってないけど、そういう風に思ってくれるよねというのはナシだと思う。やはり、一番直近で政治家がしゃべったこと、それ以上でもそれ以下でもない。それが政治家の発言だと思う。忖度してくれるよね、という話はない。自民党の中には『そういう風に言っても、総理になったら脱原発を進めるんじゃないか』と思っている人もいると思うが、国民はそうではない。やはり、表に出したこと、政治家は言葉が命ですから。だから会見を聞く限りにおいては、僕自身は河野さんは脱原発はないと判断するしかない」と分析。
 そのうえで、岸田文雄氏、高市早苗氏を含め、これまで出馬表明している3人については「おっしゃってることを総合すれば、結局は、安倍前総理を中心とする自民党の元々力を持っている人へのアピール合戦だなと思う。どっちを向いているかでいえば、そういう人達を向いて、国民に向いているんじゃないんだなと思った」とバッサリ切り捨てた。
 総裁選ではほかに野田聖子幹事長代行が出馬に意欲を見せており、出馬が取りざたされている石破茂元幹事長は不出馬との見方が強い状況だ。
%%%%%

 コロナ問題で一貫して鋭い指摘を続けてきた上昌広氏が「日本国厚労省による医療行政」を語ります。そこには戦前から引きずってきた「命より防疫」思考が貫かれているといいます。思えば、疫病対策はそもそも「軍事課題」でもあります。疫病の病原体は「兵器」になりえるからです、ということは、厚労省の政策は「人命」ではなく「国の安全」を優先する思考法です。
西谷文和 路上のラジオ 第65回 上昌広先生「感染症ムラの闇を暴く!」

 上の動画で批判されている尾身茂氏率いる「地域医療連携推進機構の病院」が、感謝されるという「皮肉な」事態です。何せ、倉持氏はコロナ対策に舌鋒鋭い批判を続けてこられた方です。
関連記事:倉持仁院長 国民皆保険制度が壊れている「早く気づけ、ばか」 9/12(日) 15:23配信
宇都宮市「インターパーク倉持呼吸器内科」の倉持仁院長が11日にツイッターに、虫垂炎を発症して「死にそうになりました」と投稿した。倉持院長は、あらためて国民皆保険制度に感謝し、「この素晴らしい制度が今壊れています。早く気づけ、ばか、ぼけ、あほ!」と投稿した。  倉持院長は「私事ながら、先日不覚にも盲腸(虫垂炎)がぶっつぁけ、死にそうになりました。その時助けてくださったのがJCHO(地域医療連携推進機構、尾身茂理事長)の方々です。命を助けてくださったから今があります。コロナでもそうでなくともきちんと医療が受けられ、助かる仕組みが必要です。一般診療もコロナ診療もどちらも大切です!」と訴えた。  続く投稿で倉持院長は「でも自分の盲腸が裂けたことで患者さんの立場が本当によく分かりました。苦しくて、看護師さんを呼べばすぐ来て優しく看護してくれる。ほんとうに感謝以外ありません」と看護師に深く感謝。その上で「この素晴らしい制度が今壊れています。早く気づけ、ばか、ぼけ、あほ!」とコロナ禍で国民皆保険制度が十分に機能していないことに怒りを表した。  倉持院長は別のツイートでも「指定感染症の枠組みと皆保険制度の軋轢が出ています。政治が動き、至急解決しなければいけない問題です」としている。
<<関連記事終わり

+++++烏山と神長(2)
 那須岳と行方を結ぶ第二のシリウス聖線の構築は那須岳から行方方面への遠望で始まります。幾何学的には球形の地表上では、標高1917mの那須岳頂上からは行方の地は視界限界の内側にあります(”香取神社創建年代(3)、6月12日茨城南部地震”
関連記事: 210826記事”アフガンの深層(孫崎享氏)、常陸国行方郡”)
 それをまずは確かめておきます。6月12日の記事で那須岳と香取神社の距離は147kmと算出されることを書きました。行方のどこに夜刀神の本拠地があったのかが定まらないので、仮にそれを「玉造」の地に代表させるとすれば那須岳と玉造の距離は117kmとなります。これは八溝山―鹿島神宮間の距離とそれほど変わりません。そしてその距離内での観測および拠点設営については渡来民は十分な経験と技術を持っていることになります。まずは那須岳から遠望できる範囲を算出しておきます。
--> r=6371.2 (km、地球の半径)
--> h=1.917 (km、那須岳の標高)
--> x=sqrt(h*(h+2.0*r))
x = 156.30373 (km,頂上から見渡せる距離)
となり視界内に行方の地があります。しかし、肉眼で100kmを超える距離を視認できるとは思えません。まずは天空上に輝くシリウス星の位置を計測し、その方向に最初の計測点を構築します。現在で言えば、長距離電波送信の「リピータ」とでも言うべき場所です。それが烏山です。那須岳頂上は居住性がありませんから、この烏山が実質的には聖線構築の出発点となります。烏山は平地ですから、烏山の平地から60km離れた行方の地を遠望することはできません。そこで、烏山に櫓のような塔を設置する必要があります。その塔の必要な高さを見積もるには、上で使った公式の変形を使うことができます:
--> x=60;(視界半径)
--> h=-r+sqrt(r^2+x^2) 視界半径を望める高さ)
h = 0.2825151 (km)
 必要な櫓の高さは283mと算出されます。烏山城(ウイキ、)は標高202mの八高山に築かれていたそうです。ということはこの山というよりは丘の上にさらに100m近い櫓を建てる事で以って烏山から行方が遠望できることになります。不可能では無いと思えますが、途中に新たな地点すなわち「中継点」でそれを補ったのでしょう。それが笠間稲荷のある「笠間」であったろうと私は考えています。

 それはともかく、烏山を「う(烏)さん」と訓(よ)むと「烏孫」を連想させます。この地は「宋書倭国伝」が書く倭五王のお一人「武王」の痕跡を残しているのだろうと考えていることは前回記事で書きました。烏山城の西方に「神長」地区があります。七世紀以前の東国古代史を解明するための鍵はいくつかあると思っていますが、「神長」はその一つではないかと考えています。「神長」は「髪長」であり、それは「毛長」でもあります。「毛」が「気」(「け」とも訓む)に転化すれば「気長」です。万葉集にはこうした「言葉遊び」すなわち「音」を同じくする幾つかの漢字とその「意味」を巧みに使いこなすことで以って歌意を膨らませるという「技法」です。万葉集85歌−90歌の関連歌(「反」歌とは認識されていないようです)にも巧まずしてこの技法が使われています。もう一度、万葉集巻二の冒頭に所載される85歌を眺めます。この歌は
"相聞 “歌に分類されています。
題詞:難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首",
"君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待",
"君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ",
"きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ",
"右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉",

 題詞は磐姫が仁徳天皇を思って(偲んで)作った歌四首85−88歌であると書きます。直近のブログ記事で考察した允恭天皇の長男の「禁断の愛」事件で引用されている万葉集九十歌(八十五歌と酷似)とどのように関わっているのだろうか?それがなかなか見えてきません。が、しばらくのご辛抱を願います。話の本筋は「飯豊王」の話の前段階でした。すなわち忍歯王の二人の息子が「志自牟」(私は秩父であろうと考えています)での宴会場の竈で見つかるという説話です。彼らにとって、仁徳天皇と磐姫は曾祖父母の話ということになります。磐姫は飯豊王の祖母ですからまさに話は本筋に戻りつつあるということであります。
(図:磐姫と飯豊王。拡大は図のクリックで)
仁徳系図a

八十五歌の「氣長成奴」を、訓読は「日長くなりぬ」と解読し、一方仮名は「けながくなりぬ」とよませます。訓読は「気」を「日」に変えています。これは「気」では意味が通じないとの判断が働いたのでしょう。

 例えば、久松潜一氏(東大名誉教授)は自著「万葉集秀歌(一)」(講談社学術文庫、2001年、28刷)の225頁で「天皇が旅に出られて、日が長く経過した」と解釈した上で、「この歌は感情の起伏がよく表れており、叙情歌としても優れているが(中略)この歌の作者は90歌の軽太郎女(かるのおおいらつめ)の歌であると見たほうが良い」(上掲「万葉秀歌(一)」、227頁)と書きその論拠に古事記の記事をあげています(前々回記事で考察しています)。

 久松氏が言う九十歌は「氣長久成奴」とあり、「久」が補われています。どちらが元歌であるかの議論はともかく「久」がおぎなわれていることを前提としてこの「歌意」が確定したようです。一体誰が、何時頃にこの「歌意」を定めたのか?私には大変気になるところです。現在ではそれを探る手がかりはありません。

 「日長くなりぬ」をそのまま理解するならば、時期は夏至に近い頃です。そもそも「気」を「日」に置き換えてしまうのは、あまりにも乱暴であり、古代文学の研究者は鈍感に過ぎるのです。ましてや、この表現は「多大の日時が経過した」と解するには無理があります。

 それでは、どう解するのか?万葉集一巻の初期歌群を詳細に見るならば、歌人の巧みな「漢字遣い」を見るはずです。とすれば「気」をどのように音するのかに関心が向くはずなのです。「気」は呉音では「ケ」であり、漢音では「キ」であると藤堂明保監修の大漢和辞典は書きます。

 そしてその日本語の意、つまり「訓」は「いき」であるとも書きます。実はこれもこの歌のもう一つの論点です。話が散漫になるため、これについては後刻検討します。

 さて、「気」を「ケ」と音(おん)するならば、それは「毛」を連想させるのです。そう解すると、「氣長成奴」は「毛髪が長くなってしまった」、つまり長い時間の経過を「髪の毛の伸びる」ことで表現するという「歌の巧みさ」であることがわかります。

 この事情をもっと端的に直裁に詠ったのが八十七歌であることに得心が行きます。
%%%%%万葉集二巻 八十七歌
原文  在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読  ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
仮名  ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに
%%%%%

 余りにも長く待たされ、髪の毛に霜が降りるほどの時期になってしまった、つまり冬になってしまった。と、唄うのです。85歌に続く86〜90歌は85歌の「類歌」として整理されています。87歌が「霜」を唄うのであれば、時期は冬であり、それは盛夏、つまり日が長くなる夏至直前ではありません。
 以上の考察から、「気長」は「髪長」として読まれてきたことが明らかなのです。そしてこの歌の存在を藤原不比等は日本書紀編纂時に認識していたのです。そこで拵えあげたのが「髪長媛」と言う女性であったのです。

 話は本題からずれますが、読者の方々のお叱りを覚悟で、いささか下品な話を書きます。それは万葉集歌人の大いなる遊び心をこれまでにたくさん見てきたことに由来します。
 87歌は黒髪と霜を対比させています。霜は雪と違って真っ白では無いけれども「黒と白」の混じった状態です。つまり黒髪に白髪が混じるほどに待たねばならないのかとの嘆きを歌って入ると思います。そしてもう一つ「髪」は「上」で、「霜」は「下」です。「下の毛に白いものが混じってきます。寂しいです。あなたの熱い抱擁が」と熱い肉の交わりを求める切ない心情が、僅か二十の漢字に込められているように思い、それが私の心に切なくひびきます。

 さて、ここでもう一つ留意しておかねばならないことがあります。上で私は「気」の訓読みが「いき」であると書きました。万葉集85歌の題詞に登場する仁徳天皇の祖母は神功皇后とされます。その祖母の和風諡号が「気長足姫尊」です。この和風諡号に藤原不比等の日本列島近代史構想の一端がうかがえるのです。不比等は神功皇后を一方では卑弥呼に重ね合わせながら、一方で、万葉集に唄われる「気長」に重ね合わせているのです。どうやら日本列島の政治支配の始祖として「珍王」あるいは「讃王」を示唆しているのでは無いか、と私は考えています。これは後日検討します。

 ちなみに古事記は神功皇后の和風諡号を「息長帯日売命」と書きます。これは「気」の訓読「いき」を意味する漢字「息」に書き換えたに過ぎません。しかし、古代研究者たちは、これをもって神功皇后は現在の米原あたりに拠した息長族の出自であるとの珍妙な解説をします。歴史学者が気にかけるべきことは、なぜ、神功皇后に万葉集85歌を詠んだ女性を重ね合わせるが如き説話を藤原不比等がしつらえたのか、と言うことのはずなのです。
参考記事:

210819”大谷40号,40代母の無念な死,万葉集90歌,食の安全,日本の科学”

160715”髪長媛(7、髪と霜)、都知事選と安倍氏の党内監視”
(つづく)

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+++++サッカー動画
 先週からワールドカップアジア予選が再開しました。我が国の代表はどうもすっきりしません。代表監督の森保一氏は人柄だけが取り柄の凡庸な指導者と私には思えます。交代選手枠をフルに使ったすばやい戦術転換など閃きが感じられません。ゲーム中に暇があればメモを取っています。TV観戦をしていた私は思わず、「おまえが鉛筆を出すと敗けるんだよ。すぐ止めろ」とTV画面に向かって声を荒げてしまいました。どこぞに、優れた監督人材がいないものか?
 それにひきかえ、メッシを擁するアルゼンチンの軽やかな躍動。うらやましい限りです。
Eliminatorias Sudamericanas | Argentina 3-0 Bolivia | Fecha 10

映像がなければ誰も信じない瞬間

夜刀神(風土記解読‐4)、総裁選雑感

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田にのこされた怪しき足跡。鴨か?鷺か?はたまたカラスか?拡大は図のクリックで)
足跡9968

 
我が国の トップに相応しき 高邁な 政治理念を 語るは誰ぞ

 菅首相の辞任表明に伴い、自民党の総裁選挙に向けて立候補者あるいは立候補予定者がこのところ連日のようにTVに出演しています。しかし、自民党員でもない私に語りかけられても困るわけでして、それは近日中に必ず実施される総選挙で語るべきことでしょう。
「森友問題はあいまいにはしない」と言明した岸田氏、「原発の再稼動はしない」といってきた河野氏がこの期に及んであっさりとその言を翻し「森友は決着している」といい、「原発再稼動はまだ必要だ」といっても驚きません。所詮はそうした人物が日本のトップの座を狙っているという我が国の政治家の貧困を確認するだけです。問題は、総選挙でこうした輩とその周囲に群がる有象無象が代議士になることを阻むことだろうと思っています。
 散々あちらこちらからその腰の据わらなさを批判されてきた立憲民主党党首・枝野氏もやっと腹を決めたようで、このほど四党合意が成立しました。国民民主党も連合とのしがらみを断ち切り合同するよう期待しています。
(写真:9月9日付東京新聞一面より。拡大は図のクリックで)
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 立候補者の一人である高市早苗氏が連日勇ましい言をあちらこちらで発しています。私は氏の非科学的な歴史観に危惧を抱いています。
%%%%%高市早苗氏の政策・世界観を分析する―「保守」か「右翼」か 9月9日
古谷経衡作家/文筆家/評論家
・・・・・以下は上記タイトル記事の抜粋
 4.皇室観および所謂「自己責任論」
『正論』では、雑誌的特徴も踏まえてか、高市氏の皇室観が多く登場する。高市氏は、
「 二千年以上にわたって、皇位は父方の結党が天皇に繋がる男系によって継承されてきました。推古天皇をはじめ八方の女性天皇はおられましたが、全て男系の女性天皇で、在位中は独身であり、皇室以外の配偶者との間に生まれた子が皇位を継承する「女系」への変更は皆無でした。(中略)男系の血統が百二十六代も続いた「万世一系」という皇室二千年以上の伝統は、天皇陛下の「権威と正当性」の源だと考えています。」
と主張しています。
%%%%%ネット記事転載おわり
 「皇室二千年」なる言説を政治家がのたまうことができる背景には、日本列島古代史学者の勉強不足と「率直に疑問を語れない」という研究者の自尊心、権力への慮りがあると思っています。本ブログで「日本古代史」と書かずに「日本列島古代史」と書く理由。それは前者は「日本」なる呼称とその政治体制が生まれたのが早くても七世紀末だからです。一方、日本列島は地理学的表現です。その列島上でおきた政治事件を本ブログでは書いています。それは「日本」なる呼称が生まれる前の時期にも及んでいます。

+++++夜刀神(風土記解読‐4)
 上で総裁選立候補者の高市氏は「現在の天皇家は二千年以上の伝統を背負っている」と書きますが、二千年以上前の昔といえば邪馬台国出現以前です。邪馬台国が大陸中国の史書に登場するくらいですから、それ以前に日本列島に呼称はともかく、「天皇」なる首領が存在したとすれば中国正史に記載されたとしても不思議ではありません。また、六世紀以前の日本列島政治史は、藤原不比等の思惑が書き込まれていることは歴然としています(たとえば「二重天皇制」)。
 本題に戻ります。およそ1300年前、奈良に本拠を置く軍勢は、蝦夷一派の最後の拠点である常陸国を征討するために軍事行動を開始しました。最も激烈な戦闘が展開された行方の地では、奈良軍勢の軍事行動は強烈な反抗を受けます。反抗勢力の中心には「ゾロスタ教を信奉する渡来民の一団」がいました。それを象徴した、あるいは精神的に支えたのが「ヤズド」で、在来の民は彼らが「夜刀(ヤツド)」と呼称されていたと言い伝えます。史実の一端を常陸国風土記は書いていることになります。
反抗の最大の理由は行方の地の東側背後「北の浦」を挟んだ東方に存在した彼らの本拠地・鹿島の守護です。そこには東国蝦夷の軍事的政治的拠点が設営されていたのです。行方の地はまさに鹿島防衛「壁」、すなわち軍事要塞であったとすれば、要塞建造は鹿島に拠点を設営した西暦531年からそれほど遠くない時期であったと思われます。

(表1:シリウス星方位から算出される年代。拡大は図のクリックで)
210908Sriusu_b無題


 この軍事要塞を強固にするために蝦夷一派はゾロアスタ教神アフラマズダのご加護を求めるべく、シリウス星を仰ぎ、鹿島の西に要塞を築くという事業を始めます。それは六世紀末大陸の隋建国の前後です。隋の建国は渡来民にとっては十分に脅威となる出来事であったことを想像させます。言葉を換えると、鹿島の地に本拠を設営した西暦531年頃には、そうした脅威がまだ認識されていなかったため、鹿島の西に要塞を築く必要性を想定しなかったということです。
 隋の建国がなぜ渡来民の住まう日本列島東国の緊張感を高めたのか?それを考察する手がかりが思わぬところから見えてきました。
 下の動画で、新疆ウイグル地区の問題を何年間もの長きに渡って調査研究してこられた大西広氏が、「ウイグルに長く住まう民(主としてイスラム教)」と漢民族との長い確執が現在のウイグル問題の背景と指摘します。実際、上の表を見ても、隋、唐が頻繁に新疆北西部に干渉行動を起こし、漢民族への従属を求めてきたことがわかります。
 大西広(慶大教授) ×鳩山友紀夫

(図:新疆ウイグル地区。中央右端(東)に見える吐魯番(トリファン)はかっての高昌の中心地。ここにゾロアスタ教の痕跡がある。図中央部に見えるのがイシク湖。そのすぐ北にアルマトイ(二十世紀末まではカザフスタン国の首都)。左下にはアレキサンダ大王の東征の痕跡をとどめるサマルカンド(21年06月26日記事中の写真。タシケントから400km)。図の下部、中央から右に広がるのはタクラマカン砂漠。その北縁を東西に走るのが天山山脈。拡大は図のクリックで)。
210908新疆ウイグル自治区無題


 上表の年表、そして現代にまで続く長い確執の原点が新疆ウイグル地区ということになります。1300年前に常陸国で漢民族に後押しされた奈良軍勢と対峙したのがまさに上図のトルハンに出自を持つ高昌であったというわけです。そして、そこに常陸国側に加勢したのが烏孫族であったという構図です。まさに現在のウイグル紛争を地で行くような争いが日本列島で展開されていたということになります

 繰り返しになりますが、行方は霞ヶ浦の中を南に突き出した半島状の地にあります。その東側に霞ヶ浦の一部が北に切れ込んでいます。北浦です。行方を東に進み北浦を渡浦した地に本拠・鹿島があります。なめ方に設営した要塞の任務はこの鹿島を守護することです。物理的に堅固であるだけではなく、戦意高揚にとってはゾロアスタ教の「神の加護」が不可欠です。かくして那須岳から行方を遠望するシリウス聖線の構築が始まります。その最初の橋頭堡の役割を担うのが那須岳から南々東約60kmにある烏山(現在の栃木県)です。
210429記事”五輪どうする?武王と烏孫,東アジアでは2.5万年前にコロナが蔓延(米国科学誌)” で書きましたが、宋書倭国伝に登場する武王はラテン文字表記をするならば「U-ou」であろうと私は考えています。
 「烏山」(からすやま=うさん)は「烏孫」の日本列島での表現とも思えます。烏山のすぐ南にあるのが現在の宇都宮です。私はこれら「ウ」で始まる呼称の多くが「武」すなわち、宋書倭国伝が書く倭の五王の一人「武王」の存在痕跡であると考えています。

 さて、まずは現在の烏山を知ることからはじめます。そこで私は大きな発見をします。
 160624記事”那須岳ー香取線(烏山(2)” はこの烏山にある神長地区の存在を書きます。注目した理由は簡単です。神長から真っ先に連想したのが「髪長」であり、万葉集85−90歌であったからです。この地が万葉集の舞台ではなかろうかと考えたわけです。そしてそれは允恭天皇治世におきた「禁断の愛」事件の謎でもあります。
 %%%%%過去記事抜粋再掲ここで、烏山近辺および周辺の地図を見ることにします。
(図3 烏山と神長地区。拡大は図のクリックで)
烏山航空写真


 烏山城址の地形は大古墳跡地に見えるなど、この航空写真は色々と想像をさせてくれます。ここで、まず注目したいのが、図の中央よりやや西より(左)に見える水田です。この農道がまさにシリウス方位に区画されていることです。これは大昔からの区画をそのまま踏襲しているのか、それとも度重なる農地改革で区画整理された結果であるのか、是非近日中に現地に出かけてみたいと思っています。
 さて、その特異な方位(私に言わせれば「シリウス方位」)を持つ田地のあたりは「神長」(かなが)と名づけられています。この地名は色々と想像させますが、それについてウイキは下記を書きます:
%%%%%神長(ウイキより) 
佐竹家臣 神長氏
『藤原氏神長系図伝書』によれば神長氏の本姓は藤原氏であるといい、常陸国の佐竹氏に仕えたとされる[1]。家紋は丸に下がり藤[2]。 永禄5年(1562年)8月15日、松岡領坂ノ上孫沢原にて行われた相馬氏との合戦では佐竹軍二番組衆に神長佐多衛門が名を連ねている[3]。また、佐竹家臣団の記録では、岩城衆・菊田郡衆に神長将監の名がある[4]。
秋田藩士 神長氏
佐竹家臣として同氏の出羽国秋田転封に随行する者として神長光勝の名が見える。光勝は初め弥右衛門、後に対馬と名乗り、慶長7年(1602年)、佐竹義宣が秋田に転封されるとこれに随行し、平鹿郡横手に住まうという。元和元年(1615年)、大坂夏の陣にも出陣する。元和9年(1624年)上洛に随行するという。万治2年(1659年)没するという。また、光勝の子を弥右衛門光元といい、元禄3年(1690年)没した。光元の後は光直、久右衛門光近と続いた。この他、神長出雲、神長與右衛門光里の名も見える[5]。
秋田藩士 神長氏系譜
『藤原氏神長系図家伝書』による[1]。
神長光勝―光元―光直―光近
水戸藩領内の神長氏
神長氏には佐竹移封後も常陸国に在国した家系があり、正徳3年(1713年)、久慈郡頃藤の東勝山長福寺の境内に、神長惣兵衛、兵衛の名が刻まれている[6]。
神永氏
同じく藤原氏族である。家紋は丸に五三の桐、丸に抱き茗荷、右三つ巴[2]。
幕末維新期に活躍した神長・神永姓の人物[編集]
• 神永玄春 久慈郡西金村の郷医。目見格。那珂湊から久慈郡中染村に進み、元治元年(1864年)9月11日、天狗党の乱では天狗党側に加わり、捕らわれて獄死する。享年32。靖国神社合祀[7]。
• 神永伝九郎 久慈郡頃藤村の里正。諱は義尽。天狗党側に加わり、捕らわれ、武蔵国川越より江戸佃島に移され、慶応2年(1866年)獄死する。享年56。靖国神社合祀[8]。
%%%%%ウイキ記事転載終わり
 神長なる姓がどうやら茨城の北部、あるいは栃木南部、すなわち上の図の神長に由来しているらしいことがわかります。私の思考順序はまずは「長」です。これが「塚」に由来するとすれば、このちは「神」の死を意味することになります。そうとすればその神とはだれであったのか?
%%%%%過去記事転載終わり
(つづく)

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夜刀神(風土記解読―3)、ワクチンの防護が破れる(ブレイクスルー、米国)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:涼しさ故か蝉も蛙も鳴りを潜め、記事冒頭を「飾る」グラビア(gravure)・フォトがありません。そこで、当地を代表するスタイル抜群の白鷺さんに今日もご登場願うことにします。拡大は図のクリックで)
CIMG9962


 岸が搗き 孫が食らいし 黴(かび)た餅 卑しく手を出し 腹下す菅

 先週末、菅氏が今月末に予定されていた自民党総裁選挙に立候補しないとの意思表示をわずか2分の記者会見の場で表明しました。無策・無能の菅氏が首相の座にとどまることは国益を著しく損なうとは、自民党含め大方の国民の気持ちでしたから、まずはヤレヤレであります。しかし、コロナウイルスがそれを忖度し、感染拡大を緩めるわけではありません。医療崩壊は相変わらずで、感染しながら在宅で療養を余儀なくされている患者数は東京だけで10万人近いと推定されています。呼吸困難者を救急病院に搬送しようにも引き受ける病院がなく自宅に戻る患者数は増える一方です。菅氏はせめて、記者会見で言明したように九月末の辞職直前までの期間「消化試合」なぞとは思わず、コロナ対策に力を尽くすべきと思っています。

 次期総裁の座を射止めんと6名もの自民党員が名乗りを上げています。我が国の大手メディアはコロナ問題をそっちのけで、あたかも競馬レース予想を思わせる報道です。国民の最大関心事はこうした“競馬予想”ではなく、候補者の過去の言動、すなわち、「もりかけさくら」そして検察人事、コロナ不安をそっちのけにした五輪強行などについて各候補が一様に「沈黙をしてきたこと」についての説明、それを教訓としての今後の自らの政治行動をどう変えるのかを問うすべきです。国民がメデャイにもとめるものは「彼らの横顔」と銘打った「美談仕立てのエピソード」ではありません。

 安倍・菅の深刻な失政そして悪政が現在の医療崩壊、経済低迷をもたらしたことは明らかであるので、野党には政権獲得の絶好の機会であるはずです。ところがであります。野党を束ねる役割を担っているはずの立憲民主党の枝野氏にはその気概が伺えず、いまだにどう戦うのかを明言しません。戦う姿勢が見えないのであります。それを反映して本日の世論調査によれば、自民党支持率が30%強であるのに立憲民主党のそれはわずか7%との事です。枝野氏には覚醒してほしいものです。

+++++夜刀神(風土記解読―3)
 常陸国風土記・行方郡の条に登場する「夜刀神(やつと)」は、ゾロアスタ教の神の構造体系の中で第三階層に位置づけられる「ヤザド(Yazd)」、「ヤツド」で、それは「諸神霊」であると書きました。ウイキが以下の解説をします。
%%%%%ヤザダ(ウイキ)
ヤザタ (Yazata) とは、ゾロアスター教において崇拝される、中級の善神の総称。
その名はアヴェスター語で「崇められるに値する者」を意味する。パフラヴィー語ではヤズド (Yazd) と呼ばれる。
その多くはインド・イラン共通時代の多神教に由来する自然神で、ゾロアスター教神学においては、アムシャ・スプンタより低位であるとされる。
ヤザタは人間に祀られる事を常に欲しており、また、祀られる事によって人間に恩恵を与えると言う。こうした性格はインドのデーヴァと共通しており、ゾロアスター教に取り入れられてなお古い多神教時代の性格を色濃く残していると言える。
(以下省略)
  
(図1:神々のヒエラルキ、「ゾロアスタ教」(岡田明憲著、平河出版より)
ゾロ神CIMG8359

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 旧ペルシアと領土が重なる現在のイラン国には「ヤツド」なる州都があり、ゾロアスタ教文化の中心地とされています。下の図に示すように、それはサカ族の跋扈した地と近接しています。因みに本ブログ管理者は「サカ族」こそが古事記・日本書紀に頻繁に登場する「蘇我一族」の出自であると考えています。西暦651年にゾロアスタ教を国教とするササン朝ペルシア(西暦222年再興)が強大化したイスラム教に滅ぼされます。ほどなくこの地にはユダヤ教を国教とするハザール王国が出現します。その呼称の名残が現在の「カザフスタン」国であろうと私は考えています。そうしたもろもろを重ねたものが下の図です。この図の右側(東側)が南にアフガン、東にウイグルで、現代の国際動乱の因となっている地です。特にウイグルは日本列島古代史に深くかかわっていると本ブログで書いてきました。もう一つ付け加えておくならばササーン朝ペルシアの滅亡時期が、日本列島での蝦夷の軍事的殲滅が始まる時期(乙巳の変、西暦645年)と近接していることは記憶に留めておきたいと考えています。
(図2:ヤズドとサカ族の分布。拡大は図のクリックで)
170619夜刀神無題

 州都「ヤズド」現在はイランの中でも10の指に入るほどの観光スポットとの事で、旅行譚なぞもインタネットに紹介されています(たとえば、ゾロアスター教の聖地 ヤズド旧市街と沈黙の塔
 ところで以前に 20年08月30日記事”Eppur si move(3)、ゾロアスタ教本(岡田明憲著)つまみ食い、安部政治総括(安富氏)” で私は以下を書きました:
%%%%%過去記事一部転載
以下に「ゾロアスタ教」(岡田明憲著)からいくつかを転載しておきます。
(1) 冒頭書籍の「序言」で鳥葬、近親婚といった得意な風習でゾロアスタ教は世界に知られると書きます(5頁)。
 (管理人注)鳥葬については松本清張氏が多大の注目をし、自著にまとめています。日本列島に多い「ウ」で始まる地名には「宇」、「烏」、「羽」がなる漢字が当てられます。「この多くは鳥葬の名残であると私は考えています」。
(過去記事への追加) 今般の新型コロナウイルスの世界蔓延は中国の武漢で始まっています。「武漢」はラテン文字表記では「Wu-han」です。上に書いた「宇」、「烏」、「羽」が付される地名は「武王」(宋書倭国伝が書く倭の五王の一人である)に由来するのではなかろうかと「仮説」しています。
 日本書紀は天皇家内の多くの「近親婚」を記載しています。せまい地域での父系家族にあって首領の権威を維持することを目的とした婚姻では「近親婚」は不可避と思われます。そうではあっても、日本書紀に頻発する「近親婚」は異常に多いように思えます。「大和」側の支配体系について、六世紀以前は記録もない。伝承も無かったはずです。そうした資料環境から藤原不比等は六世紀以前の天皇家系を「こしらえあげ」ねばならなかったのです。その作業で、「達阿」(稗田阿礼)から教えられたゾロアスタ教での近親婚習をとりこんだのであろうと想像しています。
(2)ゾロアスタ教神官、ザラストラ(Zarathushtra)でZaratは黄色、 ushhtraはラクダを意味するが、ushが輝くの語幹であるところから「黄色の星」を意味するとの説もある。
 (管理人注)自らが創始した宗教が南半球にあって最も明るく輝く星に強く依拠していることを強調すべく「明るく輝く星」と自らを名乗ったのでしょう。そしてそれは、イランを含むエジプトからん度にまたがり広く崇敬されていた「シリウス星」でもあったのです。
(3)ゾロアスタ教典「アベスタ」は、三十章から成り、その第一章は「アフラマズダ」、すなわち経典が崇敬を求める「神」に当てられている。「アフラ」は「主」、マズダは「智」、というわけでアフラ・マズダは「智なる主」を意味する。「ヤシュト」は、この経典の「祈祷文」にあたるとされている(40頁)。
(管理人注)本の著者である岡田氏は明記していないが、「ヤズド」の由来は「ヤシュト」ではなかろうかと私は考えています。すなわち、「ヤズド」の地に「祈祷文」が保管されていたのではなかろうかと想像しています。因みに、その十三章は「ティシュトリア」と題されており、「シリウス星」崇敬に当てられている。
(4)神界は相対立する「アフラ」(善)と「ダエーワ」(悪)から構成される(二元論)。二神はインドのskt.Ashuraと Skt.Devaに相当し神的存在であった。後世のインドではもっぱたdevaが神々の総称になって、アスラが悪魔的存在になった。一方イランではアスラが心的存在を示しダエーワは悪魔の総称となる。
 (管理人注)日本列島古代史にあってその真相に迫るための鍵の一つが「アシ又はオシ」であると、私はブログ記事の中で主張しつづけてきました。その由来は「アシラ又はオシロ」でもあるとも書いてきました。それは阿修羅を連想させることから、その整合的な理解に長く困惑してきました。その解答がまさに上述です。すなわち、インドとイランで「アシュラ」の役割は真反対に分化していたのです。
(5)宇宙の二元論は「アシャ Asha」と「ドウルジ Druj」の対立でもある。前者は「天則」で本来は宇宙の理法を表す。倫理的概念(正義)で協議の中核である。後者は「(生)を害する」で虚偽を意味する(12頁)。
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 上記に加えて
20年10月20日記事”阿夫利神社(4,再度大磯界隈),学術会議、党人派vs官僚派”および
20年10月18日記事”<<番外>>三浦半島〜横浜の悪臭騒ぎと相模国・二宮「川匂」神社”では上記の神々が登場しています。さらに加えるならば実は東京にもその名残があります(18年11月23日”「アテルイ」と東国、靖国神社、<<資料>>消費税”)。これは東京にもゾロアスタ教の名残が残っていることの証と考えています。
(図:靖国神社境内の参道は東南東に走りますがその直行する方向を南々東に延長した先にあるのが「日比谷」でこれは「ヒヒタ」つまり水神霊に由来する。拡大は図のクリックで)
靖国

 ところで、本記事の冒頭に掲載した神のヒエラルキ(上掲図1)について少し書いておきます。この神々の系統図で神体系の系列二番目にアムシャ・スプンタなる天使が序されています。その系列に三名の男神、三名の女神が配されていますがそのうちの一神「アールマティ」(spenta Armaiti,「ペルシア文化渡来考」158頁)なる「敬虔」を体現する神に聞き覚えがあります。カザフスタン共和国の二十数年前までの首都です。その後、この名称はカザフ語の「アルマトイ」に改称されました。ササーン朝の崩壊に伴って四散した一族の一部がこの地に滞留した痕跡と想像できます(図2の地図で右下に見える)。
この地にはソ連邦当局によってウクライナから強制的に移住させられたドイツ人が多く住んでおり、街の中心部から離れた地に集落を形成しています。ユダヤ教徒も多く、私が二十年近く昔に一年弱滞在したアルマトイ市内の職場の数人の幹部はウクライナ出身のユダヤ教徒でした。夏季休暇には娘夫婦と孫に会いにイスラエルに出かけていました。すなわち彼らも「アシュケナジ」であったのでしょう。そもそも「Kazakhstan」,コザック(Kozakh)はすでに書いた「Khazar」( ハザール王国)に由来する国名、族名とされています。もともとは突厥すなわちトルコ系民族です。カザフ語はトルコ語に似ているのだそうで、東欧から移住してきた(させられてきた)民ではない昔からの民はトルコ語が理解できるといいます。
私が滞在した20年近く前の昔、アルマトイは「国興し」運動の一環として、その地が「シルクロード」の一部であることを宣伝し、街の真ん中には「シルクロード館」なる看板を掲げた立派な高級ブランド品専門のショップができました。ここから東に進むと一つはウイグルを経て中国長安に通じるのがシルクロードです。緯度でいうと北緯40度からやがてゆっくりと南下して長安に達します。もう一つが旧突厥支配域です。ササーン朝壊滅の時代にはすでに東西に分裂していますが、そうではあってもかってはペルシアから現在のクリミアに通ずる道はあったはずです。それは北緯40度から50度の帯状の地帯で、匈奴時代の伝統から、移動は馬でありラクダであったでしょう。したがって、日本列島の北端に達したイラン人はこのアルマティから、言語的にも思想的にも親近感のある旧突厥内の街道を東に進んだのだろうと想像しています。チベット高原の北側ということになります。全くの専門外の人間のいわばたわごとに近い想像ですが、史実に近かったと思っています。
参考記事:200902 “本当に持病の悪化で辞任したのか?(lite-ra)、ササーン朝”
この記事と
200905 ”首相辞任背後のおどろおどろしい闇(安富氏)、稗田阿礼の実像に近づく”
は伊藤義教氏による稗田阿礼についての実に興味深い示唆を紹介しています。本論から大きく逸脱することを避けるため詳述しません。
(つづく)

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+++++新型コロナウイルスのワクチン防護が敗れる事があるらしいとの説が取りざたされています(ブレイクスルー)。米国での検証が下の記事で紹介されています。
%%%%%「ワクチン大国」アメリカでいま本当に起きている「ブレイクスルー感染」の恐ろしい現実飯塚 真紀子、在米ジャーナリスト
ワクチンを頼みにするだけでは、もはや感染予防できなくなっている――そんな現実はいま「ワクチン大国」のアメリカで起きている。前編記事(『「ワクチンの限界」に直面するアメリカで「衝撃のデータ」が続々出てきた…!』)ではCDC(米疾病対策センター)が発表した衝撃的なデータをもとにそのことを紹介したが、いまアメリカの現場では実際にどのようなことが起きているのか。その厳しく、恐ろしい現実を現地発でお届けする。
アメリカ「ブレイクスルー感染」のリアル
CDC(米疾病対策センター)の発表によると、米マサチューセッツ州バーンステーブル郡では、7月6日〜7月25日の間に同郡で陽性となった469の検体の約4分の3(74%)に当たる346がすでにワクチン接種を完了した人々の検体だった。
稀にしか起きないと言われているブレイクスルー感染だが、これらの数字を見ると、本当に稀なのかという疑問が生じる。
リアルを知るべく、ツイッターを覗いて見ると、身近でブレイクスルー感染が起きたというツイートが多々ある。
「ブレイクスルー感染した人を数多く知っている。彼らはみな、以前はマスクをしていた場所で、マスクをしていなかったわ。ブレイクスルー感染は稀と言われているけれど、もう稀ではないわ」
とマスクレスだった人がブレイクスルー感染しているというツイートや、
「今では、誰もがワクチンを打ったのに感染してしまった人を知っているほど稀なんだよ」
という皮肉なツイートも見つかった。
明日は我が身か…
それだけではない。
「ブレイクスルー感染が稀なのかわからないよ。ワクチン接種を完了した知り合いが、この数週間のうちに、3人もブレイクスルー感染したことを考えるとね」
「この72時間で、5人からブレイクスルー感染したと聞いたわ。うち1人は、屋外の音楽フェスティバルで感染したと言ってるわ」
など、わずかな期間に何人もの知り合いがブレイクスルー感染したことを伝えるツイートもある。
ついには、筆者の身近でも「ブレイクスルー感染をした人がいる」という声が聞こえ始めた。
「会社の同僚がブレイクスルー感染した。幸い、軽症ですんだみたいだけどね」
「“熱がある”と言っていたレストランの従業員が、ブレイクスルー感染していたことがわかった。その従業員とは店でよく話しているので、自分も感染しているのではないかと不安だ。従業員はみな戦々恐々としている」
従来株が主流だった時は、身近で「感染した」という声は聞こえてこなかったが、デルタ株が主流になってからは明らかに感染の声が聞こえるようになっている。
明日は我が身か――。
感染がもうそこまで来ているという切迫感に襲われている。ワクチン接種を完了した安心感と周囲の空気感から、屋外ではマスク無しでいることがままあった筆者は暗澹たる気持ちだ。
サンタクララ郡の「データ」から見える現実
「ウイルスが他の強い病原体と合体したら、ブレイクスルー感染は生活の一部になるかもしれない」と感染症の専門家は懸念を示しているが、身近でブレイクスルー感染の声が聞こえ始めている状況を考えると、すでに、生活の一部になっているのではないか。
ブレイクスルー感染が増え始めたことから、カリフォルニア州サンタクララ郡は、ブレイクスルー感染の件数を公開し始めた。例えば、8月18日時点では、同郡の人口10万人当たりのブレイクスルー感染の件数は7日間平均で9.7人と、ワクチン未接種の感染者数32.3人の約3分の1。しかし、下のグラフからわかるように、その数は7月以降急増している。
(図:サンタクララ郡の新規感染者内訳。拡大は図のクリックで)
210906コロナ無題


政治家のブレイクスルー感染も相次いでおり、トランプ氏の盟友で共和党の重鎮でもあるリンゼー・グラム上院議員(66)やテキサス州の州知事グレッグ・アボット氏(63)もブレイクスルー感染した。
もっとも「ブレイクスルー感染は非常に稀」というのがCDCの見解だ。しかし、CDCはブレイクスルー感染の数を正確にトラッキングしているとは言えないようだ。
CDCの分析は従来株をベースにしたもので、現在蔓延しているデルタ株をベースにしておらず、また、ブレイクスルー感染の中でも重症化して入院したケースや死亡したケースしかトラッキングしていないと指摘されているからだ。
ブレイクスルー感染の場合、多くは症状が軽いことを考えると、感染していることに気づかぬまま治癒したために、カウントされていないブレイクスルー感染者が多数潜在している可能性がある。問題は、そんなブレイクスルー感染者もワクチンが未接種で感染した人々と同程度のウイルスを拡散させていることだ。
ブレイクスルー感染者の「病状」
ところで、ブレイクスルー感染者はどんな症状を呈しているのか? 重症化しないと指摘されているが、報じられているブレイクスルー感染者の体験談によると、多くは、鼻水や喉の痛み、咳、頭痛など軽い風邪か、風邪と季節性インフルエンザのハイブリッドのような症状で、発熱もあまりせず、血中酸素飽和度も低下しなかったという。
しかし、中には、新型コロナ特有の味覚や嗅覚の喪失や呼吸困難感に襲われたという体験談もある。
「味覚も嗅覚もなくなった。空咳が出てきて、長く、深く、苦しい呼吸をしなければならなくなった。ちょっとシャワーを浴びたり、別の部屋に行ったりする時も息切れがして心拍数が増えたので、腰掛けなくてはならなかった。まるで走ってきたような感覚だった。この10年以上、毎日1時間近く有酸素運動をしてきた者としては、とてももどかしかった。これで軽症ということだった」(8月13日付シャーロット・オブザーバー紙より、レベッカ・マハーさんの体験談)
また、ワクチンは重症化を防ぐとはいっても、重症化する人もいる。しかも、その割合が少なくないことを示す数字もある。
重症の急性呼吸器感染症患者のデータを収集しているイギリスの機関が7月19日に発表した調査によると、10日間で入院した258人の患者中、57%がワクチンを未接種だったものの、31%は2回ワクチン接種をし、12%は1回ワクチン接種をしていたという。40歳以上の場合、2回ワクチン接種したにもかかわらず、感染して入院した患者の数は40%を超えていたという。
「後遺症が長引く」との研究結果も出てきた
米ルイジアナ州でも恐るべき数字が出ている。同州では、入院している感染者中、90%がワクチン接種を完了していなかったものの、10%はすでにワクチン接種を完了していたというのだ。
先のマサチューセッツ州バーンステーブル郡の調査でも、感染して入院した5人のうち4人はワクチン接種を完了していた人々だった。
ツイッターにも「ブレイクスルー感染をした高齢の夫婦がいて、夫の方は肺炎で入院した」「感染したワクチン接種完了者はほとんどが仕事場でマスクなしで歩き回っていた人たち。中には退院したばかりの人もいるわ」など軽症ではすまなかった状況を伝えるツイートもある。
Newsweek誌は「2週間の間に、ワクチン接種を完了していた7人の患者が新型コロナで亡くなった」というフロリダ州在住の看護師の話を紹介している。患者は60歳以上の高齢者だったという。
ワクチン接種を完了しても、感染して入院したり亡くなったりする状況が、高齢者を中心に少なからず生じているのである。
また、ブレイクスルー感染後の後遺症が長引くことを示唆する研究結果もある。
医学誌「ザ・ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」が7月28日に発表した科学論文によると、ファイザーやモデルナのようなmRNAワクチンの接種完了後にブレイクスルー感染をした医療従事者の19%が、6週間以上も続くlong covid、つまり、新型コロナの長期後遺症に襲われていたことがわかった。
「良いシナリオ」ではない
このような数字や体験談を目にすると、疑問が生まれる。
ワクチンは本当に効果があるのか?
アメリカのメディアで積極的に発言を行い、筆者も度々話を伺ってきた、カリフォルニア大学アーヴァイン校の公衆衛生学准教授アンドリュー・ノイマー氏に話をきいた。
同氏はワクチン接種は最善の感染予防策と訴えつつも、見通しは暗かった。
「残念ながら、ワクチンだけでは感染を予防できません。今、ブレイクスルー感染が数多く起きているからです。私の知人も1人ブレイクスルー感染しました。デルタ株が拡大している今では、集団免疫の達成も非常に困難になっています。達成するには、もっと多くの人々がワクチン接種する必要があるし、ブレイクスルー感染が起きているという問題もあるからです。ブレイクスルー感染した人はたとえ症状が軽症でも人に感染させる力があります。ブレイクスルー感染はワクチンの障害になっている。良いシナリオとは言えません」
ワクチンだけでは感染予防できず、ブレイクスルー感染が起きている状況を考えると、アメリカの大学や企業が導入を始めているワクチン接種の義務化や、ニューヨークやサンフランシスコが始めるレストランや劇場、ジムなどの屋内施設を利用する際のワクチン接種証明の提示だけでは不十分なのではないか。ノイマー氏も明言する。
「ワクチン接種証明を提示したとしても、その人が感染していないことは完全には保証できないのです」
スタンフォード大学の画期的な対策
ノイマー氏には、自身が教鞭を取る大学も導入して欲しいと考えている対策がある。それは、スタンフォード大学が始めたばかりの画期的な対策だ。
同大学は、ブレイクスルー感染をした学生が現れていることから、ワクチン接種の有無にかかわらず、週に一回、コロナ検査を受けさせる感染予防策を8月15日から導入した。つまり、ワクチン接種を完了していても、毎週コロナ検査の陰性結果が報告されない限り、受講できなくなったのである。
アメリカ東海岸では、ハーバード大学やプリンストン大学、ブラウン大学も、ワクチン接種を完了した学生に対しても、週に一回コロナ検査をすることを要求している。今、アメリカでは、ワクチン接種か、あるいは、毎週コロナ検査の陰性結果を提示するという二者択一の感染予防策を行おうとしている大学や企業は多いが、これらの大学の感染予防策は、ある意味、ワクチン接種よりも定期的な陰性結果の報告を重視していると言える。
さらには、ロサンゼルス統一学校区に所属する約1000校が、ワクチン接種を完了した生徒を含む全生徒、教師、学校職員に対する週一回のコロナ検査を義務化、アメリカのモデルケースになるのではないかと見られている。
それだけ、ブレイクスルー感染による感染拡大を懸念しているのだ。
ブレイクスルー感染が起きる一因と考えられているのは、ワクチンを2回接種しても時間経過とともに抗体値が下がる状況が生じていること。そのため、バイデン政権は、2回目のワクチン接種の8ヶ月後に、3回目のブースター接種を行うことを推奨し、9月20日からブースター接種を開始する予定だ。
「ブースター接種がこんなにも早く必要になったということは、ワクチンが思っていたほど上手くは奏功していないということです」
とノイマー氏は言う。
新型コロナとの「長い戦い」はまだ終わらない…
ブレイクスルー感染の発生によって限界が証明されたワクチン。ワクチンを頼みにしてきた菅首相は、ワクチン接種率が徐々に高まるとともに、日本でも増えていくであろうブレイクスルー感染とそれによる感染拡大を予防するための次のステップに進むべき時ではないか。
その意味で、スタンフォード大やロサンゼルス統一学校区が開始した、ワクチン接種完了の有無に関わらず週一回のコロナ検査を義務化するという感染予防策を大いに参考にしてほしいと思う。
実際、すでに、日本では大きなブレイクスルー感染も起きている。入院患者の2割が亡くなるという大規模クラスターが起きた沖縄のうるま記念病院では、感染した職員の約9割はワクチン接種を2回済ませていたと報じられている。日本も、アメリカのように、自分の身近にブレイクスルー感染者が現れる状況になるのは時間の問題かもしれない。
ところで、今後、新型コロナウイルスはどうなっていくのだろう。
集団免疫が達成されない状況下では、さらに感染力がある変異株が登場する可能性があると指摘する専門家もいる。ノイマー氏も懸念を示す。
「デルタ株は非常に感染力がありますが、これからは、さらにウイルスが進化し、致死率が高い変異株が登場する可能性もあるのではないかと恐れを抱いています」
では、いったい、いつになったら、コロナ禍から脱することができるのか?
「私は一年前、今年の今頃はワクチンにより、危機から脱することができているだろうと予測していました。しかし、集団免疫の達成が難しくなっている現状を考えると、来年の今頃も危機から脱することができていないかもしれません。それだけ、新型コロナウイルスはまだまだ未知な部分が多いのです」
菅首相は能天気にも「明かりは見え始めている」とまで述べたが、トンネルの先の光は、まだはるかかなたのようだ。
しかし、1人1人がワクチン接種し、接種後もマスクを身につけ、移動や人との接触を控え、さらには、ワクチン接種完了後も定期的にコロナ検査を受ける(もちろん、そのためには、行政は定期的に無料のコロナ検査が受けられる環境作りを行う必要がある)という役割を果たすことができれば、その光も少しは見えてくると願いたい。
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夜刀神(風土記解読-2),菅政権終焉?(植草一秀氏)、ワクチンの実相

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:早くも稲刈りが始まり地面は三色の様相です。早速、田を鷺とカラスがあらわになった土をつついています。拡大は図のクリックで)
三色と鷺9956


 今朝は秋 冷たき風に 我が鼻孔 紙片でふさぎ 洟(みず)漏れふせぐ

 慢性鼻炎の私は今般のような急激な気温低下が起きると鼻が機能しなくなります。放置すれば洟の漏出が止まりません。仕方ないので鼻孔に鼻紙を突っ込んで災害を防いでおります。「高湿高温は人をして生きる気力を失わせる」なぞとほざいておりました。が、災害に直面するとかっての高言はどこやらで取り乱しております。

 政争というよりは地位にしがみつく菅氏の一人芝居にマスコミがいつものとおり現を抜かしている間にもコロナの悲劇が拡大しています。経済学者で鋭い社会への警鐘を鳴らし続ける植草氏が現時点での論点を整理しています。
%%%%%断末魔菅首相の終焉が近付く 2021年9月 1日 植草一秀の『知られざる真実』
 今年も残すところ4ヵ月。3分の2が過ぎ去った。いよいよ政治の季節に突入する。
菅内閣の支持率は3割を割り込んだ。経験則に基づけば菅内閣は10ヵ月以内に消滅する。
8月22日投開票の横浜市長選で菅義偉氏は菅内閣現職閣僚だった小此木八郎氏の支援を自民党役員会で呼びかけた。菅義偉氏が総力を投入して小此木候補の支援活動を展開した。その横浜市長選で小此木候補が惨敗した。

菅義偉氏が首相に就任以来、主要な知事選挙、国政選挙のすべてで自公候補が惨敗を続けてきた。
国民の審判を受けていない菅内閣に対する主権者の審判である。菅義偉氏は「結果を謙虚に受け止める」と述べるが口先だけ。

為政者は国民の幸福を第一に考えるべき存在。
ところが、菅義偉氏は自分自身の利益しか頭の中にない。昨年来、コロナへの対応が最重要の政治課題だった。コロナの実態を正確に把握して、国民の命と健康を守るための施策が求められた。
対策のあるべき基本は三つ。
第一は検査と隔離。
徹底的な検査でコロナ感染者を確認する。その感染者を確実に隔離することで感染の拡大を防ぐことができる。

第二は十分な病床の確保。
日本は病床の不足している国ではない。宿泊療養の場を確保することも十分に可能。医療が必要な国民に対して必要十分な医療を提供すること。これが政府の最大の責務だ。

第三はコロナに関する正確な情報の提供。
コロナを恐怖の感染症に仕立て上げて恐怖心を煽ることは正しくない。コロナの正確な実態を周知させ、コロナに対応する窓口を広く確保する。全国の医療機関を総動員して、必要十分な医療を提供できる体制を構築する。

この三つが必要不可欠だった。
ところが、菅内閣はこの三つのすべてをおろそかにした。検査と隔離を徹底しないからコロナ感染が東アジアで最悪の状況を生み出した。感染研・衛生研・保健所の「検査利権ムラ」が検査を独占しようとし、これを放置した。保健所の「積極的疫学調査」と「保健所による医療の統制」が医療崩壊の主因である。病床不足に対しては、国公立病院、国公立大学病院の病床を政府の指揮で大規模に確保することから実行すべきだっ尾身茂氏が理事長を務める機構の傘下にある病院ですら十分な病床を提供していない。

コロナに感染しても病院にも宿泊療養施設にも収容されず、自宅に放置され、そのまま死に至らしめられる最悪の事態が多発している。政府による殺人と言って過言でない。菅コロナ大失政の極致だ。菅義偉氏はワクチン一本足打法だがワクチンは札付き。有効性すら疑わしい。逆に重大な副作用が確認されている。

季節性インフルエンザと新型コロナワクチンの接種人数に大差がないにもかかわらず、接種後急死者数に1000倍の格差がある。新型コロナワクチン接種後急死者数が季節性インフルエンザワクチン接種後急死者数の1000倍なのだ。長期的な悪影響も未知である。新型コロナに感染した人の比率は約1%。99%の国民が感染していない。
そのコロナ感染をGoto強行と五輪強行で爆発させた。

日本の主権者はこの事実を冷静に見つめて、次の衆院総選挙で確実に政権の刷新を実現しなければならない。
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+++++夜刀神(2)
 常陸国風土記・行方郡の条中の「夜刀神」の登場の下りを再掲します:
古老曰、石村珠穂宮大八洲所馭天皇世、有人箭括氏麻多智。献自郡西谷之葦原墾闢新治田。此時夜刀神相群引率悉尽到来左右防障令勿耕佃
 前回記事では「箭括氏麻多智」(ゴティック)を解読しました。解説書は「箭括氏麻多智」に“やはずのうじまたち”とカナを振ります。「ヤハズ」という「氏」の「またち」さんというわけです。平仮名が工夫されていない時代は漢字を使うしかなかった。使い方には二通りがあります。一つはラテン語(英語も同様)の「アルファベッド」と同じ機能を漢字に持たせます。「漢字」の『音』でもって現地住民の言葉を表します。「漢字音」を写しとることから「音写」と言います(たとえば「ペルシア文化渡来考」(伊藤義教著、岩波書店)に多数の事例がある)。
 一方、現地住民の話し言葉と意味を同じくする漢字を当てその漢字の「訓」(よみ)とする使い方です。これは「意味を表す」やり方ですから「表意」と言います。上記解説者が「箭」に「ヤ」の音を当てたのは、それが現地住民には「矢」であったろうとの想像が働いたからです。つまり漢字の「表意」法と考えたことになります。「括」に「ハズ」なる音をあてています。が、訳者は「や(矢)」から直ちに「やはず」を連想したのだろうと想像しています。ご存命であればお尋ねしたいところであります(訳者の上垣節也兵庫教育大学名誉教授は2012年85歳で逝去されておられます)。

 風土記の編纂は古事記が撰上された翌年の西暦713年に元明女帝の詔によって始まり、作業は日本書紀が撰上された西暦720年以後まで続いていたとされます。すでに書きましたが、西暦712年に編纂を終えた古事記には何がしかの不都合があり、その年の末には「史書」の書き直しが容認されています(続日本紀)。そこで、古事記の代替として「風土記」の編纂が決まったと私は考えています。
 常陸国風土記の構成と記述内容から、私はその編纂過程を以下のように想像しています(過去記事で書いてきたので、その概要のみ)。現在の茨城県の西方(栃木県南東部)から常陸国に奈良の部隊は軍事侵攻します。部隊の指導者・将軍は侵略活動で収集した情報を、常陸国・国司の下で働く書記官に伝えます。
 念のために付記しておきますが、通説の古代史では「倭武命」が父である景行天皇の命を受けて東国に跋扈する「蛮人」を征討したとされています。その征討譚を背景に常陸国「風土」記が編纂されていると学者は考えています。その時代は不明ですが、風土記に「崇神天皇」が登場するので、一応「神功皇后」の登場する西暦三世紀以前らしいとされますが、どの歴史研究者もその点については深入りしようとしません。何故なら卑弥呼以前の日本列島について大六中国王朝の史書はほとんど日本列島について書き記していないからです。それはともかく、大方の解説書もその「視点」から原文を「訳し」、字句を解説しています。

一方、私の主張の原点は10年1月11日記事”万葉集解読資料(3、常陸縦断聖方位ー2)”に記した「大発見」(自分で言うのも僭越と思いますがお許しください)と、その理論的解明(
10年1月18日記事”万葉集関連話(九、千五百年前のシリウス星),小沢問題(三)”)から始まっています。この二つの調査成果からは以下が推察されます(途中の議論は割愛)。日本列島北から南下した渡来族が鹿島の地に拠点を構築したのが西暦510年頃と推定できます。この勢力が列島内で大きく成長し大きな影響力を及ぼすことになります。それを嫌った奈良の勢力が渡来族を排除する戦闘を七世紀半ば頃から開始します。その戦闘譚の最終局面の舞台が東国であり、常陸国風土記であると考えています。

 奈良から派遣された軍事将軍に古老が語る言葉は言い伝えを含む一方で、将軍たちが最近に経験した戦闘譚も含みます。政治家たる国司がそれを「料理」(奈良軍事勢力の思考を忖度するという意味)し朝廷に献上した「風土記」が出来上がったと考えています。当然「料理」の中には多くの意味不明な「言葉」が沢山出現していたはずです。意味不明な言語をどうするか?それはその「音」をできるだけ忠実に漢字で以って書き表すしかないのです。すなわち「音写」です。

 私が「箭括」を「センカッ」すなわち当地での言葉をそのまま音写」したとする理由です。この言葉自身が古ペルシア語由来であるのか否か?大変興味があるところであります。行きつけの私立大学図書館には立派な「ペルシア語辞典」がありますが、昨今のコロナ騒動で図書館は市民に対して扉を閉ざしています。親切な当ブログ読者が居られて他の公共図書館を教えてくださいました。しかし、そこへ行くには汽車か車を使わねばなりません(なんせ田舎住まいであります)。昨今汽車はコロナ感染の危険ゾーンです。となると車となります。そこで私が連想するのが「2年前の上級国民による母子」轢殺事件です。短時間しか滞在できない図書館のために殺人の危険を冒すことにためらい、現在はコロナ沈静を待っています(上記の情報を教えてくださった読者の方にこの場を借りて再度御礼申し上げます)。

 上に書いたような事情に鑑みて、日本列島古代史を記述する原典は可能な限り「学者」さんの訳した物に依拠せず、読めずとも「原文」をじっくりと眺めることの重要性をここで強調しておきたいと思っています。

 次の文節に移ります:
「献自郡西谷之葦原墾闢新治田。此時夜刀神相群引率悉尽到来左右防障令勿耕佃」
群役所から西の谷の葦原を切り開いて新たに開墾した田を献上した。このとき夜刀の神(やとのかみ)が相群れ(仲間を)引き連れてやってきてあれこれと妨害し田の耕作をさせなかった。
<<以下はこの神の情報書き込み:
土地の言葉で蛇の事を夜の刀と言う。その形は蛇の形で頭に角がある。家族を引き連れて逃れると振り返って蛇を見るものがあると一族を滅ぼし、子孫が跡を継がなくなる。いったい、此の群役所には非常に沢山住んでいる
<<情報書き込み終わり。
 いよいよ登場しました。「夜刀神」です。幸いにも「ヤツド」と仮名が振られています。これは訳者が考え出したものではなくそのように大昔から言い伝えられたのでしょう。ただしその漢字の当て方が実に巧みです。すなわち「夜陰に乗じて刀を振り回して」住民を脅しあげるというわけでまさに「悪の権化」さながらです。実際、この神を風土記は丁寧に解説します。この神を大方の古代史研究者は「地方の悪神」であるとしてさらなる調査・研究をしていません。たとえば訳者の植垣氏は「東国方言のヤチ・ヤツとおなじで山の谷あいの湿地帯。夜刀神は蛇である」と解説します。

 いきなり結論ですが、私は「ゾロアスタ教の神の体系」の中で上位に位置づけられる複数神であると考えます。
 したがって、那須岳から遠くシリウス星を遠望して築いた聖戦の行く先は、実は「香取」ではなく、この行方であった。香島の防衛のために「八刀神」(やつど)が君臨していた地、現在の行方にゾロアススタ教の神アフラマズダの信託を授かる途を確保することに目的があったと現在は考えています。事態は切迫していたのだろうと思えます。
となると、香取神社の地は、奈良軍事政権が
築いた拠点と考えられます。目的は、常陸国軍事制覇の後、同地と周辺の治安、民政沈静のための拠点として設けられたと考えています。
(図:ゾロアスタ教の神の系譜。拡大は図のクリックで)
ゾロ神CIMG8359

 次回、このヤザド(諸神霊)を考察します。
(つづく)

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 ヒトを含む生物へのウイルスの干渉はこれまでも数え切れないほど繰り返されてきたはずです。ある場合には生物種がそのために絶滅の機に瀕したり、ある場合には生物が生き残るための強大な武器を獲得したりしたはずです。今般は絶滅とはいえないまでも少なくともヒトは負の影響をこうむっています。そこで、人為的に人体内に抗体をつくるに当たり、ウイルスに似せた遺伝子からワクチンを作ることが試みられたのです。社会が急かしたせいでしょうか、その効果の負の側面がある程度納得行くまで検証されていたとは言いがたいようです。それを米国の研究機関が調査しました。
%%%%%「ワクチンの限界」に直面するアメリカで「衝撃のデータ」が続々出てきた…! 9/2(木) 7:32配信
「ワクチン大国」アメリカが直面している現実
 ワクチン頼みにしている発言がやたら目につく菅義偉首相。  緊急事態宣言を延長すると発表した記者会見でも「9月末には、6割近くの方が2回のワクチン接種を終え、現在のアメリカやイギリス並みに近づく見通しだ」とワクチン頼みの楽観論をポーカーフェイスで滔々と述べた。 アメリカで「ワクチン接種」して分かった、これから日本で起きる意外な結末  ワクチン接種が先進国の中でも遅れている日本でデルタ株が猛威をふるう中、菅首相にとっては「ワクチン様、様」なのだろう。  もちろん、ワクチン接種は重要だ。接種率が低く、新規感染者数が2万5000人を超えて感染爆発が起きている日本ではワクチン接種は急務である。  しかし、同時に思う。感染予防対策が常に後手後手になっている菅政権は、そろそろ、次のステップにも目を向けるべき時ではないか、と。  そう考えるのは、ワクチンを頼みにするだけでは、もはや感染予防できなくなっている状況がアメリカで生じているからだ。
LA「新規感染者の4人に1人」がワクチン接種者
 筆者は、前稿で、全米でリバウンドが起きている状況について書いた(『アメリカで「ワクチン接種」した私が、いま一番不安になっている「驚くべき現実」』)が、その後も、感染の再拡大は続いており、アメリカの1日の新規感染者数(7日間平均)は14万件超。米国立衛生研究所・所長のフランシス・コリンズ氏はこんな予測まで出した。  「アメリカはまもなく、1日20万件という昨冬以来の感染件数に達するだろう」  増加の原因としては、大きく、感染力が強いデルタ株の感染拡大と制限の緩和による人々の活動の活発化の2点が指摘されているが、いま懸念すべきは、デルタ株の感染拡大とともに、ワクチン接種を完了しても再び感染するブレイクスルー感染の報告が増加していることだ。  このことは、数字から明らかだ。  カリフォルニア州ロサンゼルス郡の場合、7月1日から16日の間の同郡での新規感染件数は1万3598件。そのうち、約26%に当たる3592件がブレイクスルー感染だった。  また、ロサンゼルス郡では、新規感染者中、ブレイクスルー感染した人々が占める割合も増加している。3月、その割合は新規感染者の2%だったが、6月には20%に増加、90%以上の感染がデルタ株に置き換わった7月終わりには、その割合は30%にまで高まった。8月終わりの現時点では、その割合はさらに高まっていることだろう。
CDCの「衝撃のデータ」
 米マサチューセッツ州バーンステーブル郡では、もっと、衝撃的な数字が出た。  CDC(米疾病対策センター)の発表によると、7月6日〜7月25日の間に同郡で陽性となった469の検体の約4分の3(74%)に当たる346がすでにワクチン接種を完了した人々の検体だったのである。  稀にしか起きないと言われているブレイクスルー感染だが、これらの数字を見ると、本当に稀なのかという疑問が生じる。後編記事(『「ワクチン大国」アメリカでいま本当に起きている「ブレイクスルー感染」の恐ろしい現実』)ではアメリカで広がるブレイクスルー感染のさらなる詳細な実態や病状、さらには今後の見通しなどについてみていこう。
(つづく)


今般のコロナで観光業が大打撃を受けているとの事です。それを支える交通業のけ一次的落ち込みがすさまじいと下の動画で語られています。
【経済の深層】鉄道緊急事態

行方にいた人達(風土記解読-1)、小池都政崩壊(Friday)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:久しぶりの真っ赤な朝日。たぶん朝からの高湿度のためでしょう。今日も暑くなりそうであります)
朝日9943

(写真:梢(こずえ)で、周囲を睥睨する青鷺。拡大は図のクリックで)
CIMG9937


 へとへとで やる気も失せる この暑さ 乾いた大気が あらまほしき哉

 古事記などをあれこれと弄繰(いじく)り回していますが、実はいい年こいて古語を使いこなせません。上の一首も「古文法」の視点からはハチャメチャなのかも知れません。この一首で伝えたいことは、年齢を取ると以前にまして暑さがこたえるということ。せめてこの「高湿度」は勘弁願いたいという、万葉集の分類に従うならば「愚痴歌」(こんな分類はありません。念のため)であります。

%%%%%「こんな状況、30年で初めてだ…」医師が明かす東京の惨状(FRIDAY)
「FRIDAY」2021年9月3日号より(拡大は図のクリックで)
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 案の定であります。パラ輪見学に児童を引率した教師がコロナ感染しました。子供たちはどうであったのか?心配です。そもそも学校は子供たちに社会で生きるための基本的な知識、考え方を授ける場所です。その中には、危険からの回避でもって安全を保つための学習です。「危険を予測し近づかない」ことを真っ先に教えるべきなのです。しかし、当該中学校がやったこと、その中学校を指導した市教育委員会がやったことは「危険予測を無視し、生徒達を危険に近づける」ことであったのです。教育者としてあるまじきことです。市当局のお上へのヒラメ施政が原因です。深刻な自己点検を求めます。
%%%%% 【速報】パラ学校観戦、引率の教員感染 生徒ら約150人検査へ 千葉市、学校観戦は継続の方針 8/29(日) 21:17 千葉日報
 千葉市教委は29日、若葉区の市立貝塚中学校で教諭6人が新型コロナウイルスに感染し、夏休み明けの30日から9月3日まで同校を休校にすると発表した。6人のうち2人は東京パラリンピックの学校連携観戦で生徒を引率していた。市教委はバスに同乗した生徒ら計約150人に検査を行う。今のところ、体調不良を訴える生徒の報告はないという。
 市教委によると、感染が判明したのは30代〜50代の男女教諭。23日に50代女性に発熱の症状が出たのを皮切りに28日までに体調不良が相次ぎ、26〜29日に陽性が判明した。感染経路やクラスター(感染者集団)に該当するかは保健所が調査中。
 6人のうち40代と50代の男性教諭が25日の幕張メッセでのパラ観戦で1年生を引率。40代教諭は27日、50代教諭は28日にそれぞれ発症した。引率中は不織布のマスクを着用するなどしていたが、市教委はバスに同乗した1年生18人にPCR検査を行う。
 同校が発熱した教諭の確認後にパラ観戦を行ったことについて、市教委は「観戦を見直す際の指針は特になかった」と釈明。パラ観戦は継続する方針で、一度断念した生徒らへの観戦前検査を再検討するとした。
 また、夏休み期間中に学習相談を行っていた教諭がおり、接触があった生徒100人程度を検査。教職員約30人の検査も予定している。
%%%%%
>>>関連記事:コロナ重症化リスク、最も低いのはO型…理由はっきりせず 2021/05/18 09:54
 慶大や東京医科歯科大などは昨年5月、研究班「コロナ制圧タスクフォース」を結成。全国100以上の医療機関から、患者3400人以上の血液などを集めて遺伝情報を解析した。感染したウイルスは、従来型が中心とみられる。
 65歳未満の重症患者440人と一般人2377人を比べた結果、「DOCK2」という遺伝子の近くで、遺伝情報に一定の違いがあると、重症化リスクが2倍になることがわかった。DOCK2は免疫に関わる遺伝子で、この違いは日本人の約2割が持つという。
 研究班は血液型別の解析も実施。重症化リスクはO型が最も低く、A型とB型はその約1・2倍、AB型は約1・6倍だったという。理由ははっきりしていない。
 重症化のしやすさは遺伝情報だけでなく、肥満や基礎疾患、ウイルスの変異なども影響する。
 東京農工大の水谷哲也教授(ウイルス学)の話「新型コロナだけでなく感染症全般の重症化に関係する可能性もあり、知見を集めておくことは重要だ」
>>関連記事転載おわり

 サテ、その教育です。平野貞夫氏は明治以来の日本国政治についてその深部に渡って調査し、戦後は国会事務局勤務を経て参議院での議員としての膨大な経験をつみ、見識を有した貴重な人材です。氏の日本国憲法への理解と遵守精神は氏の語る言葉の隅々にいきわたっていることにいつも感銘を受けています。氏は齢八十半ばを過ぎ日本国の現状に鑑み将来を深く憂い、その識見を後世に伝える活動を始めています。以下はその第二弾です。
 【平野貞夫のみらいへの伝言 No.2】議会政治と教育〜教育勅語の幻影 前川喜平×望月衣塑子


+++++行方郡の「八刀神」(1)
 常陸国風土記が費やす字数はおよそ7380字です。そのうち行方郡の条に最大数の字数が使われ全体の28%、鹿島の条が22%です。二つの郡に関する記述だけで常陸国風土記全記載量の半分を占めています。常陸国風土記が書く九つの郡の中でこの行方・香島の二つの郡が特に重視されていたことを示しています。鹿島には日本最古の神社といわれ「神宮」なる「尊称」が付される鹿島神宮があります。
 しかし、行方郡については特記さるべき事象、史跡を歴史研究者たちは挙げていません。これは日本列島古代史の中でも最大級の謎といえるかもしれません。行方郡の地が日本列島古代史上の重大事件発生場所であることを本ブログでは明らかにしてました。謎は解明されつつあります(参考:16年12月26日記事など多数)。常陸国風土記を丁寧に読み解く作業の中で浮かび上がってくるのが「夜刀神」(やつど)の存在です。すでに本ブログでは丁寧に書いてきたことですが、簡単に繰り返しておきます。実は驚くべき発見が付け加わっているからです。前段として行方なる地を概観しておきます。

<<行方なる地名の考察
 まずは、簡単に地名の由来を考えておきます。常陸国風土記もそれを書いていますが、説得力はありません。「ナメ」は万葉集一歌に登場する「押奈戸手」の「奈戸」に由来するのだろうと考えます。現在はこれに「おしなべて」という訓を付して「すべて」という意味とされます。が、私はそれとは異なる解釈をしています。それは古代ペルシア語の「若者」を意味する語の「音写」であろうと考えています。私が住まう龍ヶ崎市に「奈戸岡」という地があります。これもこの地に住んだ渡来人の痕跡であろうと考えています。

 下の図を見る限りでは「ナメカタ」の「方」は現在の漢字表記を用いれば「潟」すなわち新潟の「潟」と同じと考えています。この地は「遠浅(とおあさ)の海岸で満潮の時は隠れ、潮が引くと現れる所。しおひがた。ひがた。外海と分離してできた湖や沼。」であったろうと考えます。同様は「山形」です(ウイキなどは異なる説明をしています)。万葉集十九歌に「「綜麻方」なる表記があります。「ヘソガタ」とカナを振ります。この「がた」も有明海がその北岸で形成する潟であろうと考えています。なお綜麻に「ヘソ」なる訓を付するのは崇神紀からの転用と想像しています。古事記での「閇蘇」なる表記に由来し、改めて万葉集の先行性を推察できるのですが、ここでは詳細は書きません(09年7月31日記事”万葉集十八・十九歌(一)”)。

霞ヶ浦の紹介が以下を書いています。
%%%%%霞ヶ浦の変遷昔はどうなっていたか/約1千年前
今から1000年以上前の8世紀当時、霞ヶ浦一帯は、今の利根川下流に広がっていた香取海の入り江のひとつとして香澄流海と呼ばれていました。その面積は、今の2〜3倍あり、海水が容易にさかのぼる大きな湖でした。その後、鬼怒川や小貝川が運んできた土砂などが現在の西浦や北浦の湾口に堆積し、現代の姿に近づいてきました。
210830行方無題

 
 まずは常陸国風土記行方郡の条の原文と研究者による「現代文訳」です。
17年1月27日記事“常陸国・行方での戦闘、巨大地震をプレート回転から見る、太陽光発電”は以下を書きます:
%%%%%過去記事抜粋・再掲(ただし一部加筆訂正)
行方の地は、七世紀末から八世紀初頭にかけての、奈良の軍勢と、それに対抗する渡来・アイヌ・旧倭国の聨合体(蝦夷と奈良勢力が蔑称する)との軍事衝突の舞台です。戦闘は熾烈を極めたものであったでしょう。

(図1:常陸国風土記・行方郡条より。壮絶さを思わせる夜刀神との戦い)
行方376


 まずは、『風土記』(小学館、376頁)による解読(校注者:植垣節也)を書いておきます。
%%%%%上記常陸国風土記現代文訳(『風土記』(植垣節也訳、小学館、376頁より)
 古老が言うには、継体天皇の頃、一人の人物が居た。箭括氏麻多智(やはずのうじまたち)と言う。群役所から西の谷の葦原を切り開いて新たに開墾した田を献上した。このとき夜刀の神(やとのかみ)が相群れ(仲間を)引き連れてやってきてあれこれと妨害し田の耕作をさせなかった。(土地の言葉で蛇の事を夜の刀と言う。その形は蛇の形で頭に角がある。家族を引き連れて逃れると振り返って蛇を見るものがあると一族を滅ぼし、子孫が跡を継がなくなる。いったい、此の群役所には非常に沢山住んでいる)。
 こういう情況にあって、麻多智は激しく怒りの感情を起こし甲冑を身につけ自分自身が鉾を持って撃ち殺し追い払った。そこで、山の上り口に来て境界の印の柱を境の塀に立て夜刀の神に告げて言ったことには「ここから上は神の地とするのを認めよう。ここから下は人の田を作るべきである。今から後、私は神主となって永く後代まで敬いまつることにする。どうか祟らないでくれ。恨まないでくれ」と言って神社をつくって初めて夜刀の神をまつったという。そうして、また耕田十町余りを開発し麻多智の子孫が代々受け継いで祭りを行って今になっても続けられてきた。

その後孝徳天皇の御世に壬生の連麻呂が、初めてその谷を占有して池の堤を築かせたとき夜刀の神が集まって池の辺の椎の木に上り集まって何時までも立ち去らなかった。そこで麻呂が大声で「此の池を営ませ約束をさせて人々を死から救おうとしているのだ。何処の何と言う神が皇家に随わないのか」と言った。直ちに、課役に来ている民に「目に見えるさまざまなもの、魚や虫の類はことごとく撃ち殺せ』と言った。言い終わるや否や、怪しい蛇はその場を去り隠れてしまった。ここに言ったその池は今椎の井と名付けている。池の西に椎の樹がある。清い泉あるので井の字を取り入れて池に名づけた。これは香島に向かう陸の駅道である。群の役所の南七里に男高の里がある。ずっと昔に佐伯小高と言うものが居た。
%%%%%
上掲の常陸国風土記行方郡条の「訳文」に現ブログ管理人が付したい注です。この注によって行方の当時の風景は、研究者が文字で伝えるそれとは異なってきます。その風景について、次回記事の締めくくりの段で書きます:
(1)「箭括」はしばしば矢筈(やはず)に置き換えられ、「矢を括って束ねる」という意味であるとされてきました。一方、「ヤハズ」が古代ペルシア語起源とすればそれは「緑の平原」です。全国に多い「矢筈」なる地名もその役割にちなんでいるのだろうということで理解されてきました。ところで「箭」は漢字音は「セン」です。「括」は「カッ」ですから「箭括」が、何がしかの言葉の「音写」であるとすれば、それは「センカ」となります。そこで、連想するのが「サンカ」です。
%%%%%ウイキは以下を書きます:
サンカは、日本にかつて存在したとされる放浪民の集団である。本州の山地に住んでいたとされる。
• その定義については後述のように激しく論争されてきた。呼称は日本の警察による便宜上のものであり、差別用語としても使われる。
生活形態
定住することなく狩猟採集によって生活する。箕を生産することでも知られ、交易のために村々を訪れることもあった。職業の区別もあり[1]「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた。また「ミナオシ」、「テンバ」と呼ばれるサンカは箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。
私的所有権を理解していなかったため、日本人の村人からは物を盗んだ、勝手に土地に侵入したと批難されることも多かった。拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)[2]を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことが多かった。
(中略)
役所による呼称
住居を定めない浮浪漂泊者、野非人の群れの1つに「サンカ」、「山カ」、「さんか」等と記述されていた。
警察による呼称
例外なく「山窩」とされている。里に定住する村人から物を盗む犯罪専科の単位集団として規定されていた。
研究者による呼称
警察型「山窩」と混同することなく、明確に「サンカ」としている。
農林省による呼称
国有林、公有林などの保全維持業務の一環として、盗伐を防ぐため調査し「サンカ」「山窩」と表記、呼称していた。
また「ミナオシ」、「テンバ」と呼ばれるサンカは箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。
一説では、「サンカ」は自分達の呼称を仲間と言う意味で「けんた」と称し、河原にテントを張って生活する一団を「せぶりけんた」、一定の宿所を持っている者を「どや付けんた」と言った[4]とする。
(中略)
サンカの発生にまつわる諸説
古代難民説
サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト王権により山間部に追いやられた異民族であるとする説。これは柳田國男の山人論に基くが、柳田はサンカと山人を区別して記述している。また、この山人の起源に関する考察は、南方熊楠に私信において否定され、柳田もそれに積極的には反論していない。つまり、根拠に乏しい仮説であり、現在ではこれを主張する研究者を探すことは難しいが、俗説として広く信じられている。
%%%%%

次に(2)麻多智を考えます。これは古代ペルシア語の「音写」すなわち漢字音による表現です。古代史研究者の多くが「麻」を「マ」と訓(よ)みますが、それを「ア」と訓めば、麻多智は「アタチ」です。「安達または足立」と同じになります。ところで「達磨」は「ダルマ」であることを想起するならば、「達」は「タル」の転化であると考えることができます。かくして「麻多智」はアテラアテルイと同義」です。すなわち八世紀末の岩手県を中心にしておきた「アテルイの乱」の登場人物または同類であることがわかります。

 以上の考察から思いもかけなかった新発見が浮かび上がってきました。すなわち「サンカ」の起源は遅くとも七世紀であるということです。そしてアテルイの民は「自由人」言葉を換えればまさに「渡来民」の出自を隠していなかったという事はまことに興味深いことです。

 次に(3)夜刀の神(やとのかみ)を考察します。「夜刀神」とは一体、何者であるのか?私が知る限りでは何人かの古代史学者が色糸を考察したようです。しかし、現在大方の研究者たちが辿りついた認識は以下のようなものです。
『夜刀の神: 夜刀はヤト。東国方言のヤチ・ヤツと同じでヤマの谷合の湿地帯をいう。『大系』はヤツと訓むが刀をツの仮名に使った確例がない。夜刀の神は蛇をさす。』
(つづく)

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+++++タリバンの{タリ}
 アフガン国での政治的指導を握ってるのがいわゆるタリバンです。以下の記事でBBCが「タリバン」を書いています:
%%%%%Who are the Taliban? Published、18 August
The Taliban were removed from power in Afghanistan by US-led forces in 2001, but the group has seized control of the country once again following a rapid offensive.
The capital, Kabul, was the last major city to fall to the offensive that began months ago but accelerated as the hardline Islamists gained control of territories.
The group entered direct talks with the US back in 2018, and in February 2020 the two sides struck a peace deal that committed the US to withdrawal and the Taliban to preventing attacks on US forces. Other promises included not allowing al-Qaeda or other militants to operate in areas it controlled and proceeding with national peace talks.
But in the year that followed, the Taliban continued to target Afghan security forces and civilians, advancing rapidly across the country.
%%%%%(以下略)
 上掲の記事の目的は「タリバン」のアルファベット表記、特に「リ」を知るためです。本ブログではしばしば隋書倭国伝を引用します。そこには倭国王名「阿毎多利思比弧」が登場します。これは大陸中国王朝の正史です。そこでは「多利」の「利」の「音」が忠実に反映されているはずです。それは”ri”ではなく”li”です。倭国王がかっては西域に活動した人物と出自を同じくするのではなかろうかと想像させます。日本列島の原住民には[li]の音がありません。これが今に至るも日本人の英語の苦手につながっていることはよく知られています。

アフガンの深層(孫崎享氏)、常陸国行方郡

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:1981年小貝川の決壊で龍ヶ崎市内の広範囲が水害に見舞われました。この水害の再来を防ぐために市内のあちこちに用水池と排水路が整備されました。写真は用水池完成の記念碑。)
大正堀9931

(図:1981年8月24日の龍ヶ崎市内の浸水の様子(小貝川下流域の地形条件と洪水より)。拡大は図のクリックで。小貝川を上流に遡るとやがて鬼怒川と並流する地があります。この鬼怒川の名称は現今論議している「気長」の由来です。)
210826龍ヶ崎1981水害

 ドクターの 治療を待たずに 無念の死 されど首相の 関心薄し 

 今日はブログ更新日です。寝床の中で、「今日こそは佳作を」とあれこれ文言をひねり回します。時にはこれで行こうと自画自賛できる一首が浮かびます。ところが、その後の一瞬のまどろみ(二度寝)で、ころっとその記憶が飛んでしまいます。かくして本日も駄首であります(言い訳でありまするよ)。

 国会と憲法に精通している平野貞夫氏の痛烈な政治批判が今回も縦横に放たれます。
平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ生放談】2021年8月24日


 もうひとつの動画では、なんといっても孫崎氏のアフガン観察と洞察が圧巻です。アフガンへ向かった自衛隊輸送機の救出対象は日本国民ではないとの指摘は衝撃です。私事ですが、1979年11月1日夕刻に私は家族とともにソ連邦(当時)シュレメーティボ国際空港に降り立ちました。出発直前の10月26日に韓国・朴大統領が暗殺されるという大事件がありました。ソ連邦からあてがわれたアパートの一室に落ち着いて一月半余の12月24日にソ連邦のアフガン軍事侵攻が開始されました。当時日本の様子を知る手段はJAL事務所で日本語の刊行物を見るか、さもなくばレーニン図書館で一週間遅れで供される日本共産党の「赤旗(当時はアカハタであったか?)」しかありません。詳細をしりたく、図書館に通いましたが、日本共産党がこの侵攻に批判的であったためか、該当する日付の新聞を閲覧できませんでした。約半年後の4月22日はレーニン生誕110年の記念日です。国内旅行を揺るされた私ども家族はウズベキスタン・タシケント飛行場から市内のホテルへ車で向かっていました。中心部に近づくにつれ市民が路上で草むしりに没頭しています。動向のK博士がレーニンの誕生日であると語ります(関連記事16年4月11日記事添付の写真)。
(図:41年前のタシケンの市内風景。拡大は図のクリックで)
210826タシケント無題

 二週間の滞在を終え、しかるべきデータも得て、私はモスクワへ帰るべく機内で離陸を待っていました。しかし、一向に離陸の気配がないまま三時間ほどが経ちました。乗客に向けての機内アナウンスが一切ないことはいうまでもありません。ふと、窓外に目をやると、おびただしい数の負傷兵の行列です。彼らが我が飛行機に次々と搭乗してきます。モスクワに戻った後、知り合いの日本人ジャーナリストが言うには「アフガン」戦闘の傷病兵であるとして、私の目撃を「新聞」で記事にしてくれました。そんな記憶が下の動画からよみがえりました。
時事放談(2021年8月) 孫崎享 × 鳩山友紀夫

%%%%%
 上の動画の前半部で鳩山・孫崎の両氏が日本の学問研究の衰退を嘆いています。以下に参考としてネット記事を転載して置きます(長いので全文掲載はしません)。
科学者バッシングで失う「国益」 在中国科学者と検証、読売報道のどこがおかしいのか?

+++++那須岳―香取神社
 千葉県と茨城県の県境を東に流れ太平洋に注ぐ利根川の南岸にあるのが香取神社です。日本書紀神代紀は
「一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。」
と、書きます。ここに登場する「悪神・天津甕星。亦名天香香背男」は東国で大きな威勢を張っていた蝦夷(渡来民とアイヌの共同体)です。「経津主神。武甕槌神」は奈良の権力から派遣された軍事将軍であり、彼らは、悪神を退治し葦原中国を平定し、楫取(現在の香取)で彼らの怨念を静めるべく「斎」なる儀式を行ったのです。
 藤原不比等は上の文節で史実を語っていると私は考えています。後世、経津主神を香取神社に祀り、武甕槌神を鹿島神宮に祭ります。葦原中国は現在の茨城県鹿島であり、それは常陸国風土記香島郡の条の記載と整合します。
 ところが、世の日本歴史専門家は大国主命に関わる説話を尊重するあまり、国譲りの現場は出雲であると固執します。さらには北九州出身者であり奈良権力に徹底的に逆らった建御名方命の活躍舞台も出雲界隈であったかの如く歴史教科書などで流布されています。

 蝦夷勢力は東国の拠点香島にひたひたと迫る奈良権力からの軍事圧力に対抗するべくもう一つの拠点構築を開始しました。六世紀末すなわち隋建国とほぼ同じ時期です。当時の日本列島を政治的に代表する倭王は阿毎多利思比弧(あめたりしひこ)です。この人物を古事記は大帶日子淤斯呂和氣天皇(おおたらしひこおしろわけ)であると書きます。日本書紀が書く漢風諡号は景行天皇です。拠点構築の目的として、以前は香取の地の重視を本ブログでは書きました。しかし、これはどうも論理的につじつまが合わず、以前の記事でもその不合理に理屈付けをするのを躊躇しておりました。

(図1: 青は八溝山ルート、赤は那須岳ルート。夫々ルートの線上にある史跡と基準となる山の頂からの水平距離(縦軸)に対して シリウス方位から換算した史跡(陣屋)設営の西暦年代(横軸)との関係を示したもの。横軸は西暦年、縦軸は出発点となる山頂からの距離。青点は下から静神社、吉田神社、鹿島神宮、赤点は下から烏山、笠間、香取神宮。従って距離=0を示す横軸と二つのルートとの交点が基準点すなわち青は八溝山、赤は那須岳となる。その交点に対応するシリウス年代が夫々西暦442年、および西暦592年である。拡大は図のクリックで)
210823那須_香取b


 前回引用した過去記事でも触れましたが、那須岳―香取神社間の距離147.2kmと大きい。これだけの大きな距離を当時の測量技術がカバーできたのであろうか?これについては、16年6月13日記事”香取神社創建年代(3)、6月12日茨城南部地震”で書いたように、すでに図の青線ルート構築で彼らは大距離での計測技術を有していたと考え自らを納得させていました。しかし、もう一つ重要な見逃せないことがあります。

 それを明らかにするために、このルート構築を振り返ってみます。那須岳から烏山、笠間、そして香取への南下ルートついて16年6月24日の記事で以下を書いています:烏山には西暦625年頃に到達し、水平距離は54.3kmと算出される。同様に、次の笠間には652年頃との推定(16年6月15日記事)で距離は、87.5kmです。そして最終であるか否かは定かでありませんが(後述)香取の地の陣屋設営は685年と推定できます。
 この結果から以前のブログ記事で「このルートについては、笠間から香取に至る間にもう一つ陣屋(中継点)を置いたのではなかろうかと思っています」と、書きました。実はこれが重要なポイントであったことに気付きました。これから考察する烏山での着目点は「気長、毛長、髪長、神長」です。この考察に移る前に那須岳―香取神社を結ぶ「シリウス星聖線」のターゲットがどこであったのかを考察しておきます。どうやらそれは香取神社が置かれている地ではなかったのです。

 理由の一つは香取神社に到達するのが西暦685年と算出されていることです。天武天皇死去が迫っています。すなわち、奈良軍事勢力の東国制圧がほぼ完了する時期、あるいは完了した時期ということになります。こんな時期に、悠長に利根川を越えた香取の地に「陣屋」構築をしていたとは思えません。
 この聖線が笠間に到達したのが652年とあります。蘇我入鹿が殿中で誅殺された乙巳の変の7年後です。すなわち、奈良勢力が軍事力を強化して蝦夷勢力を追討する戦はすでに始まっています。奈良勢力は勢いに乗じてまずは九州への侵攻を開始していたと思えます。実際20年後にはその九州制圧の最終段階である「壬申の乱」が激しく戦われます。こうした情勢下にあって、蝦夷勢力は神託を得ねばならない地点での陣屋構築を急いだに違いありません。

 それでは、この聖線を通じて神託を得ねばならなかった地はどこであるのか?それを示すのが下の図2です。この聖線は香取神社に達する20kmほど手前で「行方」地区を通ります。この地こそ、その目標であったのではなかろうか!
(図2:那須岳―香取神社を結ぶ経路上にある行方。拡大は図のクリックで)
210826行方無題

 上に書いた仮説が常陸国風土記から支持されます。本ブログではかって常陸国風土記を丁寧に解読しました(例えば、17年6月12日記事)。常陸国風土記は国を構成する11の群の中の九つの郡について、「常陸地方の文化風土や地勢等」を詳述しているとされていますが、記紀には見られない諸事が含まれています。
(図3:常陸国を構成する11の郡とその風土記での記載順。(19年04月08日記事”美麻貴天皇(15、四道将軍)、核廃棄物処理技術、貴乃花”参照。拡大は図のクリックで)
170712進軍路無題


 五つの現存する風土記は五国、47の郡について「地方の文化風土や地勢等」を書きます。下の表は郡の記載に使われている文字数をその多い順に並べたものです。常陸国は3番に位置します。郡で見るとなんと行方郡の記述は全国でも五番目に多く、鹿島郡も10番目に位置します。当然、常陸国郡であれば、行方郡の記載量は圧倒的に一番ということになります。
(表:風土記の国、郡の記述に使われている文字数。拡大は図のクリックで)
210826文字数無題


 常陸国風土記で見る限りではもっとも重視されるべきは行方郡、そしてそれに続くのが鹿島郡ということになります。これが意味することについて次回書きます。
(つづく)

考古学ランキング

万葉集85歌と烏山,パラ輪への学童動員怒),コロナと経済(元日銀エコノミスト)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:旧集落民家にある懐かしい郵便ポスト。拡大は図のクリックで)
ポスト9912


 がけっぷち 民意が追い込む 菅政治 油断禁物 安倍氏の策動

 昨日の横浜市長選挙は、予想を超えた大差で菅陣営候補が敗北しました。早くも、というよりは菅陣営候補の敗北をすでに見越していたかのように、復活を狙う安倍氏とその一派が蠢動しているとの報道もあります。おのおの方ご油断召されるな!

 聞き応えのある考察を日銀出身のエコノミストが開陳しています。 
熊野英生×神保哲生:これ以上の感染拡大は日本経済に致命的なダメージを与える


 明日からのパラ輪大会に小学生児童を動員することに日本だけではなく世界からも大きな疑念が呈されています。前文部科学省事務次官・前川喜平氏が東京都の決定の背後の過程に重大な法律違反疑義を指摘しています。
(図:東京新聞8月22日付記事より。拡大は図のクリックで)
前川9924


%%%%%英高級紙がパラリンピックと学校連携観戦の危険性に警鐘 8/22(日) 14:46配信
 英高級紙「ガーディアン」が、新型コロナウイルス感染が深刻化する中での東京パラリンピック開催強行と学校連携観戦の危険性に強く警鐘を鳴らした。 【写真】パラ集火式でもボケまくったサンドウィッチマン  東京では新規感染者が連日5000人台を記録し、感染者数が最多を更新する自治体が続出するなど危機的状況に陥っている。そうした中で同紙は「恐ろしい東京でパラリンピックが近づくにつれ、五輪での気分がよくなる要素が消え失せる」とパラリンピックの開催強行の危険を特集した。 「首都の救命救急ベッドの80%以上が占有されており、深刻なケースが記録的な高さにある。これを受けて政府はパラリンピックが終わるまで非常事態宣言を拡大したが、軽症とされる患者は自宅で回復するように言われ、重篤な状態の患者のみが入院すべきだとの方針だ」と東京の深刻な状況を説明。「五輪期間中に、楽観的な見方に頼ってきた日本の指導者や主催者は、今やはるかに憂慮すべき背景の下でパラリンピックが行われることを受け入れているようだ。日本のパンデミックは危機的なレベルに達した」と事態を直視していない政府や大会主催者を強く批判した。  また、同紙は観客についても指摘。今大会は一般客に関しては無観客開催となるが、学校連携観戦プログラムにより数万人規模が観戦する見込み。「子供たちが前例のない速度でウイルスを自宅に広めているという証拠にもかかわらず、政府の教育プログラムの一環として学校の生徒に例外が設けられている」と同紙。感染力の強いデルタ株が猛威を振るう中で現在は子供たちの間での感染急拡大が大きな問題になっているが、学校連携による観戦は感染を助長する可能性があると厳しく糾弾した。  最後に「10月に開催される日本グランプリ(GP)が2年連続で中止となったのと同じ週に、国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長は開催中止を除外し、東京パラリンピックは彼らの歴史の中で最も重要であると述べた」。波紋を呼んでいるF1日本GPの中止を引き合いに出して、皮肉を込めてパラリンピックの開催強行を非難した。
%%%%%東京スポーツ

 芥川賞作家の平野啓一郎さんもこの暴挙に警鐘を鳴らしています。
%%%%%平野啓一郎さんパラリンピックの「学校連携観戦」を疑問視 「医師でもない教師に…何十人もの生徒の引率を強いるという無謀な計画」 8/22(日) 14:56配信
 芥川賞作家の平野啓一郎さん(46)が22日、自身のツイッターを更新。自治体や学校がチケットを購入して児童・生徒がパラリンピック東京大会を観戦する「学校連携観戦プログラム」を疑問視した。 新型コロナ禍で大会が無観客開催となる中、観戦プログラムは競技会場のある東京、埼玉、千葉の3都県で実施予定。新型コロナ感染者の全国的な増加傾向を受け、政府の対策分科会の尾身茂会長はプログラムに慎重な考えを示している。  平野さんはツイッターで「この酷暑の中、子供をパラリンピックに動員して、医師でもない教師に、熱中症対策で、適宜、マスクを外させ、水分補給させながら、感染症対策もして、何十人もの生徒の引率を強いるという無謀な計画」とバッサリ。東京都内での実施方針に関して「都知事も教育長も、冷静な判断能力を失っているとしか思えない」と投稿した。  フォロワーからは「狂気の沙汰 そして責任は現場に」「感染を恐れるなら、その家庭の判断で参加させなければよい。一律にやめろとは言えない」とプログラムへの賛否の声が上がった。
%%%%%中日スポーツ

+++++万葉集と古事記
 前回記事で「万葉集に収められている歌の幾つかは、古事記から選ばれたのか?」との疑問に(私は)「否」と書きました。本ブログでしばしば引用する「小学館・古事記」(神野志隆光他校注)が、巻末で興味深い校注者の私見を書いています。
(図:「小学館・古事記」巻末解説、417頁より。拡大は図のクリックで)
210823古事記_万葉集


 校注者は「万葉集の撰者が巻二の他の歌の表記法に合わせて古事記の歌を書き換えたものと考えられる」と主張し、「万葉集におさめられる歌には古事記に出自を持つものがある」と言い切ります。これは私の考えと異なります。古事記は藤原不比等が構想した「日本列島(編纂当時の近・現代)政治闘争史」です。一方、「万葉集・初期歌群」は藤原不比等が日本列島で権勢を振るう前の「時の為政者の事跡を記した日本列島叙事」詩です。言葉を換えれば、二つの勢力は対峙しあう関係です。したがって、万葉集初期歌群が古事記から撰されるということは原理的にありえません。しかし逆、すなわち古事記編纂の側が「材料」(ネタ)に困って万葉集から「説話剽窃」することは大いにありえます。それが「禁断の愛」の一節の末尾を彩る「万葉集歌」であろうと考えています。軽太子と衣通郎女の「禁断の近親相姦事件」は軽太子の流罪地である伊予湯での相対死(心中)で幕を閉じたとの事件は藤原不比等が「正史」編纂をする上の都合で作り上げられたと考えています。万葉集九十歌(または八十五歌)と酷似する歌でこの禁断の愛の事件を締めくくっていることはその理由の一つです。
 「禁断の愛」事件は古事記に彩を副えるための「こしらえ上げ」であることをもう少し掘り下げておくことにします。鍵は万葉集八十五歌(九十歌と同じ)冒頭の「気長」なる表現にあります。それは現在の栃木・群馬県である「毛野国、後に上野国と下野国に分割」(けぬ)国なる呼称の由来であると考えるからです。すでに書いてきたことですが、それは現在の栃木県「烏山」に起源があります。なぜ、ここに烏山が関わるのか?それは古事記が触れず日本書紀が書く以下の記述であります。
%%%%%日本書紀《第九段一書第二》:
(原文:
一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。
(文意:この文節は折に触れしばしば書いてきましたので省略)
%%%%%
 上記一節は日本列島古代史解明では極めて重要事件であり八世紀に始まる藤原一族の天下の礎ともなります。すなわち藤原不比等が率いる奈良軍事政権による葦原国の征討、それもその最終局面について触れているからです。さて上の一節が言及する「東国楫取」現在の千葉県「香取」の地が定められる経緯を以前詳しく考察しています。
 「香取」とは、そもそも西域渡来族が東北地方から南に下る進路を探るために設けられた拠点であるのか?それとも日本書紀が書くように藤原不比等が統帥する奈良の軍事勢力が軍事行動の事情で定めたのか?そのどちらであるのかを確認する作業の結論を下に掲載する過去記事で書きました。それが以下に掲載する過去記事です。そこでは、栃木県烏山が「香取の地」と関わっていることを書きました。
%%%%%過去記事”18年10月26日記事烏山は渡来族南下進出の基地、武藤氏の虚偽証言 “那須岳―香取線上の烏山”の再掲
 万葉集85歌〜90歌で詠まれている「気長」媛の出自は、現在の栃木県すなわち下野国・烏山であったことが明らかです。私はこのことを二年前にすでに書いています。そのときの論拠になったのが香取神社創建に関わる考察でした。勿論、この地は、今でこそ神社となっていますが、当時は渡来族の最大級の陣屋のひとつであったはずです。
 現在観察できる香取神社の参道、境内の拝殿の向きが、鹿島神社同様に「シリウス」方位であることに注目したのです(この事実そのものは、渡辺豊和氏が自著「扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスタ教伝来秘史(新人物往来社刊)」で指摘しています)。現ブログ管理人は香取の地に陣屋設営・設計するに当たって鹿島の地(現在の鹿島神宮)での陣屋設営同様の作業がなされたに違いないと考えたわけです。鹿島での陣屋設営に当たっては、「基点」を金が産出された八溝山に設定されました。
 となると、香取地での陣屋設営に当たっても、しかるべき「基点」があったはずです。それはどこか?試行錯誤を経て到達したのが那須岳です。
2016年6月15日記事 ”香取神社(3、笠間稲荷)、舛添騒動に太郎ちゃん、物申す!”に書いたように、この基点と香取神社をつなぐ線は、シリウス方位の関係を満たしています。実際、その線上に六世紀から七世紀にかけての東日本での政治的・経済的に重要と思われる地点を通過しています。それらのひとつが烏山であり、笠間、そして行方 です。
(図1:那須岳―香取神社シリウス線6月15日記事の図の再掲拡大は図のクリックで)
210823那須_香取

 現在の福島県に拠した渡来族は南下するに当たって、まずは北関東の東側を経て太平洋に達する経路を設営しました。それが八溝山―鹿島神宮線です。時代は五世紀半ば過ぎから六世紀後半です。
 しかし、時の経過のなかで、渡来族は南西方に進出し、九州の地で、かっての邪馬国連邦(邪馬台国と通説は言う)と合体し「倭」を実質継承します。そこで、この連合の出自である東国を仮に「日出」国部隊と呼ぶことにします(実際、この呼称が使われた痕跡が西暦607年の遣隋使から窺われます)。この部隊は取り巻く状況の変改に対応して内陸から利根川(当時は常陸川あるいは流浪海)に通ずる新たな路線の構築を探ったのかも知れません。この路線構築の第一の拠点が烏山であったのです。この地に規模の大きな陣屋を造営し、列島の西側深奥に進む拠点としたのです。そこに気長媛がおり、出陣する恋人の帰還を待ちわびていたのでしょう。その彼氏が長野県西部に新たな拠点を設け、そこに気長姫を呼んだとの事跡を日本書紀編者が知ったのです。それが、応神天皇紀の記事として書き込まれたのであろうと考えています。

 さて、そこで、この新たなシリウス線(妙見線)構築の年代も八溝山―鹿島線構築の際に用いた手法で以って推定できます。
>>過去記事16年9月23日”英才教育追跡45年(2、nature誌)、那須岳ー香取線構築に要した技術”の再掲
那須岳―香取線構築の技術
 北方渡来族が八溝山から静神社、吉田神社をへて南下して鹿島神社に到達するコースについて、(
2010年1月1日の記事”万葉集解読資料(3、常陸縦断聖方位ー2)”で考察しました。それを復習すると、静神社には西暦485年頃に進出拠点を設け、そこは八溝山から水平距離で、49.5kmと算出されます。吉田神社には523年頃に進出拠点を設け、そこの八溝山からの水平距離は66.0kmです。そして最終ゴールである鹿島神宮の地に陣屋を設けたのは西暦531年頃で、八溝山からの距離は111.7kmです。静神社には「ミカ星を信ずる軍団との戦闘」が伝承として残り、吉田神社の境内脇に敷地を隣接させて「倭建命」の遥拝跡をしめす碑が建立されているなど、まさに東北日本古代史の貴重な痕跡が認められます。

 同様の推定を那須岳から烏山、笠間、そして香取への南下ルートついて検討してみます。既に6月25日の記事で烏山には西暦625年頃に到達し、水平距離は54.3kmと算出されることを書きました。同様に、次の笠間には652年頃との推定(6月15日記事)で距離は、87.5kmです。そして最終であるか否かは定かでありませんが(後述)香取の地の陣屋設営は685年と推定できます(
6月13日記事”香取神社創建年代(3)、6月12日茨城南部地震”)。那須岳からの距離は147.2kmと算出されます。このルートについては、笠間から香取に至る間にもう一つ陣屋(中継点)を置いたのではなかろうかと思っていますが、それは次回に検討します。

 そこで、夫々のルートの出発点つまり八溝山、那須岳の山頂に渡来族は何年頃に登頂し、南に広がる関東平野を眺望したのでしょうか?眺望を踏まえて、何がしかの戦略がそこで立てられたはずです。
 それを推定するために作ったのが下の図です
(図2:横軸は西暦年、縦軸は出発点となる山頂からの距離。青点は下から静神社、吉田神社、鹿島神宮、赤点は下から烏山、笠間、香取神宮。拡大は図のクリックで)
210823那須_香取b

 図2は本ブログ記事の冒頭に書いた、二つのルートの夫々の線上にある史跡と基準となる山の頂からの水平距離(横軸)と 史跡(陣屋)設営の西暦年代(縦軸)との関係を示したものです。青は八溝山ルート、赤は那須岳ルートと言うことになります。
 青ルートの3つの丸は下から静神社、吉田神社、そして一番上が鹿島神宮と言うことになります。一方赤ルートについては、下から烏山城祉、笠間神社、そして一番上は香取神宮と言うことになります。青丸、赤丸は夫々、右上がりに分布しています。そこで、これらの点分布に尤も良く合致する直線を求めてみます。それが、青の点線、と赤の点線と言うことになります。

 この二本の直線が距離0となる年代(つまりx軸との交点)、それが求めたい推定年となります。青ルートについては、渡来族が八溝鹿島ー線構築を設計したのは西暦442年頃と算出されます。これは、日本列島で武王が大活躍をしていた時期と重なります。一方赤のルートです。同様な手続きをすると西暦592年ごろとなります。大陸で隋が建国されて3年後のこととなります。このルートが香取に達したのが七世紀末、珍末裔の一族が九州に覇を成した大海皇子(日本書紀では天武天皇とされている)率いる「ヤサカ」国(私は大海人は自ら雅支配する列島の領域を邪馬台国の継承者と言う意味でヤサカと称していたと思っています)を殲滅し、その首領を信濃の諏訪に幽閉した数年後です。
 いずれにしても、青のルート完成には531-442=89年、赤のルート完成には685-592=93年を要しています。一人の支配者の治世下ではなく複数の治世者が関わったらしいことがわかります。
%%%%%
 この作業で浮かび上がってきたのが、栃木県の烏山です。次回、それを考察します。
(つづく)

考古学ランキング

%%%%%「物理学・天文学分野の世界大学」ランキング! 東京大学の順位は?【2021年最新】8/23(月) 8:30配信
 高等教育機関の分析を専門とする英国企業「Quacquarelli Symonds(クアクアレリ・シモンズ、QS)」は世界大学ランキングを発表しています。今回は2021年版の物理学&天文学分野の大学ランキングTOP30を紹介します。 【画像:ランキング30位〜1位を見る】 (出典:QS World University Rankings)
●第2位:スタンフォード大学
 第2位は、同じくアメリカのカリフォルニア州にあるスタンフォード大学。スコアは97.5でした。シリコンバレーにあるため、起業家が多いイメージのスタンフォード大学ですが、SLAC国立加速器研究所を運営するなど物理学の業績も折り紙付き。
●第1位:マサチューセッツ工科大学
 そして第1位は、やはりアメリカのマサチューセッツ工科大学でした。スコアは、2位に1ポイントの差をつける98.5です。  マサチューセッツ工科大学は、2013〜2021年まで、QSの世界大学総合ランキングで9年連続1位。ハーバード大学は同じケンブリッジ内にあり、お互いライバルながら物理学などでの共同研究も行われています。また、天文学の分野では地球大気惑星科学部(EAPS)という学部があります。  なお、日本からは東京大学が10位にランクイン。スコアは89.9となりました。
%%%%%

関連記事:「物理学・天文学分野の世界大学」ランキングTOP30!

大谷40号,40代母の無念な死,万葉集90歌,食の安全,日本の科学

コロナの感染拡大におびえる日々に加え猛暑がぶり返してきました。くれぐれも御身お大切に日々をお過ごしください.
(写真:朝の散歩で見た南の空の虹。拡大は図のクリックで)
虹9900

( 写真:長く客分として当家に滞在しているクワガタ氏の接待に頭を痛めておりました。酒池に加え肉林サービスもと思っていたところ、過日雌の甲虫に出会い、もしや肉林サービスをお願いできるかと早速当家に連れ帰り、同じ部屋に寝床をしつらえました。「クワガブト」なる新種の昆虫の誕生を期待しました。しかし、どこから逃げたものか、朝方カーテン・レールの上で憩いをとっていました)。
甲虫雌9903


 国民は 税を払って 政治家に ゆだねた安全 どうしてこうなる

 昨日まことに腹立たしい事件がありました。政治の無策、具体的には菅・小池両氏の許しがたい失政すなわち棄民策であろうと私は考えています。子供を残して無念の死に至ったお母さんの悔しさそして悲しさを菅・小池両氏は想像すらせず、この悲惨を繰りかえさぬ爲の施策を急いでいるとは見えない。小池氏は感染拡大につながる子供のパラリンピック動員に固執し、菅氏は相変わらず不自由な日本語でわけのわからぬ釈明をするばかりです。
%%%%%自宅療養中の死者、都内で今月7人 親子3人全員感染の40代母親死亡、入院調整は行われず 2021年8月18日 19時28分
 新型コロナウイルスに感染して自宅療養中に死亡した患者が東京都内では8月に入り、7人に上っている。都は17日、家族3人で感染して自宅療養していた40代の女性が急死した事例を明らかにした。
【関連記事】コロナ最前線の保健所に密着、映画「終わりの見えない闘い」 27日上映会
 都によると、女性は10日に陽性が判明。夫と子供も感染し、3人は自宅で療養していた。保健所は11日に女性の健康状態を確認したところ、せきと発熱の症状のみだったが、12日に女性が自宅で倒れているのを夫が発見した。死因は不明という。
 女性には糖尿病の基礎疾患があり、ワクチンは接種していなかった。都の担当者は「女性の入院調整は行われておらず、当初は重い症状ではなかったとみられる」としている。
 小池百合子知事は18日、報道陣の取材に「亡くなられた女性のご冥福をお祈り申し上げる。コロナは軽症から突然、急激に悪化する例がある」とし、自宅療養者の医療提供体制を充実させる考えをあらためて示した。
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+++++日本国の食料安全行政の不安を指摘する対談です。
平野貞夫のみらいへの伝言 No.1】食の安全・農の自立 山田正彦×宮川伸×田中陽子 20210803


 明るいニュースといえば、大谷翔平氏の活躍ぐらいですな。
%%%%%【MLB】大谷翔平の「特別な才能を目撃した」 40号&8勝目に敵将脱帽「私たちが犠牲に…」 8/19(木) 12:58配信
タイガース・ヒンチ監督「なぜ野球が素晴らしいのか大きな理由になっている」
■エンゼルス 3ー1 タイガース(日本時間19日・デトロイト)  エンゼルスの大谷翔平投手は18日(日本時間19日)、敵地でのタイガース戦に「1番・投手」で出場し、メジャー自己最長の8回を投げ、6安打8奪三振無四球の1失点で今季8勝目を挙げた。さらに打者としても、8回の第4打席で40号ソロ。まざまざとリアル二刀流の真骨頂を見せつけられたタイガースのAJ・ヒンチ監督は「彼は信じられない、特別な才能の持ち主だ。私たちはそれを目撃することとなった。残念ながら私たちが犠牲になる形で」と夢うつつのように語った。 【実際の映像】敵将はお手上げ… 打った瞬間に誰もが確信した大谷翔平、大台到達の“完璧131m”40号ソロ  大谷は投手として5回にカストロにソロを浴びたものの、最少失点での省エネ投球。8回を投げ切ったところで、シーズン100投球回に到達。100奪三振以上、打者として100安打以上を含めた「トリプル100」も達成した。打者28人に対し、6安打8奪三振1失点。防御率2.79になった。  一方の打者でも、3打席凡退で迎えた8回先頭の第4打席に、真ん中に入ってきたスライダーを完璧に捉えて右翼スタンドへ。打球速度110.1マイル(約177.2キロ)、飛距離430フィート(約131.1メートル)の豪快アーチを放ってみせた。本塁打争いで2位のブルージェイズ・ゲレーロJr.に5本差をつけ、キングを独走している。  投打での躍動に、指揮官は負け惜しみを通り越して賛辞を並べる。「彼はマウンドで圧倒し、40号本塁打を打った。競争や負けの苦しみを脇に置いて考えれば、彼がしていることは途方もないことだし、なぜ野球が素晴らしいのか、その本当に大きな理由になっている」。敵味方は関係なく、ただ同じ野球人としての次元の違いを強調した。
動画:大谷の40号HR
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+++++万葉集巻二・九十(八十五)歌
 清寧天皇の後継者が允恭天皇の系統には存在しないと古事記は書きます。その事情は、以下のようにまとめることができます。清寧天皇には妹がいた。江戸時代の武家であれば、婿をとることができるが、当時の慣習ではない。伯父にあたる安康天皇にも息子がいない。かくして、五人の息子に恵まれた祖父の允恭天皇にまでさかのぼることになる。うち安康天皇を含む二人はめでたく天皇位にまで登りつめた。が、他の二王子は親族間の争いで死んだ。残る一人は「道ならぬ恋」(?)に走り皇位継承権を失った。

 かくして祖父の兄に当たる履中天皇の系統から探すことになります。何はともあれ、飯豊王が押歯王の遺児を後継の天皇として示唆したことは「筋が通っている」ということになります。判断を下した飯豊王の先行きを書くべきですが、私も「人の子」でありまして、「下世話」の「恋物語」に関心が向きます。そこで、いささかの脱線をお許し頂くことにします:
 
 その悲恋の結末が伊予湯に流された軽太子を追う衣通郎女が歌ったとされる歌で締めくくられます。古事記は基本的には漢字の音で以って民の言語を「書き表」します。これが所謂「音写」で、記号(すなわちアルファベットのようなもの)として「漢字」の「音」を使います。言い換えれば「当て字」です。この「当て字文化」はいまだに「駄洒落」として現代に残っています。後年、工夫される「ひらかな」、「カタカナ」の原点です。そこで、衣通郎女の歌を「ひらかな」に置き換えます。
 岐美賀由岐(きみがゆき)氣那賀久那理奴(きながくなりぬ)夜麻多豆能(やまたずの)牟加閇袁由加牟(むかえをゆかむ)。麻都爾波麻多士(まつにはまたじ)。〈此云山多豆者(ここでいう「やまたず」は今は「造木」である。〉(K088)
 小学館「古典文学全集・古事記」は「あなたがお出かけになってずいぶん日がたちました。造木(意味不明)のお迎えに参りましょう。これ以上は待ちません」(同書325頁)と解読します。
 それなりにこの歌の趣旨はわからぬでもありません。
 ところで、上掲の小学館「古事記」および岩波文庫はこの歌と同一の一首が万葉集に所収されていることについて一言も触れません。むしろ万葉集のほうが「古事記」に同じ歌があることに奇異の念を表明しています。

 16年7月1日記事「烏山5(髪長媛3)、落語家・林家彦六の遺言、緊急事態(東京新聞)」 などでそれを書いてきました。万葉集巻二は85歌から始まり、それに続く90歌までの六首はその関連歌です。以下にそれを列記します。現ブログ管理人による注も”私注”として付記します。
%%%%%万葉集二巻冒頭の六歌(85〜90歌)
吉村誠・山口大学教授編の万葉集検索システム(現在この貴重なデタは存在しません)を用います:
八十五歌:
題詞:相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
原文:君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
訓読 :君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
左注:右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉
私注:この歌は、「相聞歌」つまり愛し合う男女の歌に分類されています。磐姫皇后が仁徳天皇を想って唄ったと「題詞」は書きます。これについては黒比売を論じた過去記事で、系図を参照しながら磐姫を考察したことがあります。紀がここで磐姫を登場させたことは、仁徳天皇なる人物が実在したことを「何とか主張したい」藤原不比等の思惑です。この歌に題詞を付した人物(山上憶良か?)は、この藤原不比等の思惑にまんまと乗せられたのか、それとも史実を知りながら保身のために「史実」なるものに従ったのか?定かではありません。上記の訓読の是非はいずれ検討します。
 
上記題詞は関連四首の存在を書きます。そこで後続の歌も見ておくことにします:
八十六歌:
題詞:(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文:如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物<呼>
訓読:かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを
私注:ここで唄われる「高山」は現在の佐賀県にある「天山」(2012年9月5日記事 http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51807814.html)と機械的な以前の議論を適用することには問題がありそうです。「磐根四巻手」をどう解読すべきでしょうか。
八十七歌
題詞 :(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文:在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読:ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
私注: 万葉集をこの議論で持ち出したのは、この八十七歌を考察したかったからです。上に歌われる「黒髪」に私は着目しています。16年7月15日記事髪長媛(7、髪と霜)、都知事選と安倍氏の党内監視
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/52062955.htmlで詳述したように
「気長」は「毛長」の別な漢字表現です。とすると、この歌は「髪長媛」にかかわりがある歌です。
八十八歌
題詞:(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)
原文:秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読:秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ
私注: 稲穂の上にまとわりつく靄と愛しき君を想う心が結びつかないのですが、まあ、よしとしましょう。
八十九歌
題詞:(相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)或本歌曰
原文:居明而 君乎者将待 奴婆珠<能> 吾黒髪尓 霜者零騰文
訓読:居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも 
私注:ここでも黒髪が唄われています。

さて、問題の九十歌です。これはカナを辿る限りでは古事記で歌われている歌と酷似しています。
九十歌:
題詞:古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王 不堪戀<慕>而追徃時歌曰
原文:君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
訓読:君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
仮名:きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ
左注原文:右一首歌古事記与類聚<歌林>所説不同歌主亦異焉 因檢日本紀曰難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月天皇語皇后納八田皇女将為妃 時皇后不聴 爰天皇歌以乞於皇后云々 卅年秋九月乙卯朔乙丑皇后遊行紀伊國到熊野岬 取其處之御綱葉而還 於是天皇伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中時皇后 到難波濟 聞天皇合八田皇女大恨之云々 亦曰 遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇廿三年春<三>月甲午朔庚子 木梨軽皇子為太子 容姿佳麗見者自感 同母妹軽太娘皇女亦艶妙也云々 遂竊通乃悒懐少息 廿四年夏六月御羮汁凝以作氷 天皇異之卜其所由 卜者曰 有内乱 盖親々相奸乎云々 仍移太娘皇女於伊<豫>者 今案二代二時不見此歌也
(左注文意):
右一首の歌は古事記による。類聚<歌林>の所説では歌主は同一かも知れないが亦(また)は異っているかもしれない。 そこで、そのわけを調べてみる。日本紀は以下を書いている:難波の高津宮に宮廷を構えた大鷦鷯天皇(仁徳天皇)は在位廿二年目の春正月に皇后に“八田皇女を妃にむかえたい”と言った。その 時 皇后はそれを聞こえない振りをした。 そこで天皇は歌で以って皇后の許しを乞うた。色々やり取りがあったが、皇后は許さなかった。在位 卅年秋九月乙卯朔乙丑に皇后は紀伊國に静養にでかけ、熊野岬に行った。そこで御綱葉(柏の葉という)を 取って還ってきた。 天皇は皇后が不在中に八田皇女を宮中に娶ってしまった。皇后 が難波にもどり、 天皇が八田皇女を娶ったと聞き大いにこれを恨んだ。
 長い注なのでここで一休みしてブログ管理人のコメントを挟んでおきます:
<<コメント>>上記は日本書紀巻十一に書く天皇二十二年紀のいわばコピペです。何故、これをもって九十歌の題詞としたのかが全くわからないのです。そこで、左注はもう一つの説を付け加えます。
<<コメント終わり。左注の後半>>
 亦(また)曰(いわく): 遠飛鳥宮(とおつアスカ、現在の奈良盆地内の明日香と歴史学者は言う)の宮に居られる雄朝嬬稚子宿祢(おあさづまわくごのすくね)天皇(允恭)の在位廿三年春<三>月甲午朔庚子に 木梨軽皇子を太子(後継者)とする。 容姿は佳麗にして見る者はみな感心した。 母を同じくする妹の軽太娘皇女もまた艶妙であった。 遂に二人は竊(ひそか)に通じあい、悒(つね)に懐(おもい)あい少息(気持ち安らがなかった)。 廿四年夏六月御羮汁(なますのしる)が凝固し氷となってしまった。 天皇は、これを異(あやしく)思い、その理由を卜(うらな)わせた。 卜者(占い者)が言うには 「内乱がおき、 盖(けだし)、親々相奸がある云々」と。 そうしたことから、太娘皇女を伊<豫>に移した。 と言うわけで、現時点では(案)解釈が二つあり、それは二代にわたり二つの時であるがこの歌がどちらのものであるかはわからない。
%%%%%以上八十五〜九十歌

参考記事:16年7月6日記事髪長媛(4)、何で自公が支持されるのかっ(涙)!
(図1:天皇系図)
仁徳系図a

  日本書紀と古事記の相違は、本ブログの主題からは些細なことです。問題にしたいことは、ほぼ同一の歌でありながら、85歌が仁徳天皇と離れ離れの生活を余儀なくされた磐姫の切ない気持ちであるとします。いっぽう90歌は 仁徳天皇の孫である兄・妹の禁断の愛の歌で在ると題詞は書きます。

 長い左注は結局のところ、この歌が仁徳天皇に向けて磐の媛が詠ったものか、それとも伊予に移された軽太娘皇女が詠ったものかわからないと書きます。そもそも、仁徳天皇は、歴史的にも実在が明らかになっている「ワカタケル」王の登場を促すためにしつらえられた非実在の天皇です。父親とされる応神天皇とともに歴史のギャップを埋める役割を担わされて登場する人物であることは以前にも書きました。藤原不比等の思惑はこの二天皇像を讃王、珍王のどちらかに重ねていることは明らかです。

 允恭記の一首と万葉集九十歌(または八十五歌)が酷似(同一といってよい)していることが意味することを考えて見ます。
(1)古事記に含まれる112首の歌は原・万葉集にその出所があるというmのです。実際、万葉集に用いられている「表現」がしばしば古事記に登場します。私はそれには否定的です;
(2)歌の「題詞」、「左注」を書いた人物はたぶん山上億良(推定では660年ー733年)で居ろうと考えています。この人物は万葉集を俯瞰しそれにしかるべく 注をつける権限をゆだねられていた。西暦712年に撰上された古事記は、その年の末に公文書たる地位を失っている(続日本紀)。このことを思うと当時52歳のこの人物の権限は多い区、古事記の閲覧ばかりでなく編纂に当たっての相談にも与っていたのではなかろうか;
(3)とはいえ、古事記に上記の一首をもぐりこませたのは億良ではない。誰がどのような政治的効果を狙ったものか?いずれにしても、その人物の思惑は外れ、古事記は8年後の日本紀に取って代わられる。
(つづく)

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+++++我が国の学術レベルさらに低下せり
 言葉がありません。下の記事を見てただただガックリとしております。
%%%%%論文数は世界4位だが注目論文数は10位に後退 今年の「科学技術指標」 8/17(火) 15:58配信
(表:国・地域別論文数の「2007〜09年」「2017〜19年」の上位10位(NISTEP提供)、拡大は図のクリックで)
210817論文a無題

 文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が、日本を含めた世界主要国の科学技術活動を体系的に分析した「科学技術指標」の2021年版を公表した。主な指標のうち、日本の1年当たりの論文数は世界4位で昨年調査と同位だった。しかし、注目度の高い論文数では昨年の9位から10位に順位を落とし、日本の研究活動の国際的地位向上が喫緊の重要課題であることを改めて示した。中国は1年当たり論文数、注目度が高い論文数ともに世界1位だった。一方、複数国への特許出願数で、日本は昨年同様トップを維持した。  NISTEPは科学技術指標の1つとして、2017〜19年の調査対象期間に科学誌に掲載された自然科学の論文を分析した。論文は国際共著が多いため、国ごとの論文への貢献度を加味して本数を修正した(分数カウント法)。  1年当たりの論文数は、中国が約35万3200本、シェア21.8%で、昨年の調査と同様に、米国の約28万5700本、17.6%を抑えて世界1位だった。3、4位も昨年調査と変わらず、3位はドイツで約6万8100本、4.2%、4位が日本の約6万5700本、4.1%だった。

(表:「Top10パーセント補正論文数」の「2007〜09年」「2017〜19年」の上位10位(NISTEP提供)、拡大は図のウリックで)
210817論文b無題

 他の論文に多く引用される「注目度の高い論文」の「Top10パーセント補正論文数」でみると、1位は中国の約4万200本で、シェア24.8%。昨年1位だった米国の約3万7100本、22.9%を抜いて初めてトップに立った。米中両国で半分近いシェアを占めているのが目立つ。日本は約3800本、2.3%で、インドに抜かれて昨年の9位から10位に後退した。  「注目度の高い論文」は世界の中でその国の研究成果レベルを判断する1つの目安とされる。日本は、20年前は4位、10年前は5位で低下傾向は顕著になっている。国の科学水準は論文だけでは評価、断定できないが、残念ながら、論文に関する指標からは今回も世界の中での日本の存在感を示すことはできなかった。
 また、研究開発費(OECD推計)では、日本は円換算で2019年は18.0兆円。対前年比0.2%増でほぼ横ばいだった。68.0兆円の米国、54.5兆円の中国に次いで昨年同様3位を維持したが、米国、中国と比べると大差が付いた。中国は対前年比12.8%増で、主要国中最も伸びている。
(図:研究開発費。拡大は図のクリックで)
210817論文c無題

日本、米国、中国の分野別シェアの違い。10年前と比べ日米は大きな変化はないが、中国が情報通信分野を中心に大きく伸びていることが分かる(NISTEP提供)
(図:研究分野比較。拡大は図のクリックで)
210817論文d無題

 研究者数の比較では、日本は68.2万人(2020年)で、1位の中国、2位の米国に次いで昨年同様3位だった。研究開発費同様、研究者数でも210.9万人(2019年)の中国、155.5万人(2018年)の米国に大きく差を付けられている。  一方、特許出願に着目し、各国・地域から生まれる発明数の国際比較をした「2カ国以上への特許出願数(パテントファミリー数)」(2014〜16年)では、日本は約6万2000件、シェア26.0%で、10年前同様に米国とドイツを上回ってトップを維持している。  特許出願数を技術分野ごとに見ると、日本は電気工学、一般機器が、米国はバイオテクノロジーの医療機器・医薬品が、中国は情報通信技術、電気工学のシェアが高い。
%%%%%

軽太子・衣通郎女の禁断の愛、デルタ株はより危険か?(米国科学誌)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:公園の生垣に羽化した出来立てのセミ。拡大は写真をクリックで)
羽化9861


 感染が 急激拡大 この事態 国会開けよ 政治家どもよ

 秋雨前線が日本列島上を長く東西に伸びているとのことで、大雨が続いています。西日本ではとりわけそのすさまじい被害が報道されています。被災者には心からのお見舞いを申し上げます。
 毎年のように水害に襲われる熊本から連想したのが、天武天皇紀の西暦675年の以下の記事です。「何を言い出すのか?」と訝る向きもあろうかと思いますが、天武紀の多くの事跡の舞台は北九州であると私は考えるからです。
 《天武天皇四年(六七五)四月癸末【十】》◆癸未。遣小紫美濃王。小錦下佐伯連広足、祠風神于竜田立野。遣小錦中間人連大蓋。大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於広瀬河曲。
11年3月7日記事「熊本県の広瀬・竜田、前原氏辞任とNHKの報道」で私は「広瀬」とは九州熊本の菊池川屈曲点であると書きました。おもえばこの時期は現在の暦で言えば六月、すなわち梅雨の時期です。書紀は以後18回、広瀬での「祭り」を記載します。そのうち10回(およそ半分)は7月です。現在の暦で言えば9月台風の時期です。そしてこの祭りは以下の記事で以って最後となります。
《持統四年(六九〇)四月己酉【三】》◆夏四月丁未朔己酉。遣使祭広瀬大忌神与竜田風神。
 頻繁な洪水に関する記載は、現今九州・広島で発生している事態と同じような災害に当時の権力者が悩んでいたことを想像させます。

【コロナ感染爆発、患者「自宅放置」、「医療崩壊」ではなく「保健所崩壊」が原因。このまま

関連記事:札幌 「第4波」で人工透析患者118人がコロナ感染 半数余が死亡 2021年8月16日 4時30分

+++++清寧天皇の後継者
 五〜七世紀半ば迄のおよそ250年間、西域ペルシアからの渡来民とアイヌ族を含む北東アジアからの渡来民の連合体が日本列島に存在しており、北陸を含む東日本に住む土着の民に大きな影響を及ぼしていたと本ブログ管理人は考えています。この連合体は、後に九州の「邪馬台国」末裔を糾合し劣等内の一大勢力に成長しました。この勢力を藤原不比等は「蝦夷」と侮蔑をこめて呼称します。本ブログ記事ではこの勢力を仮に“原・蝦夷”と書くことにします。“原・蝦夷”活動の痕跡は大陸中国が残している「正史」ばかりでなく、古事記の記載にも(顕ではないが、implicitly)記されており、かつ一部は古墳、古社、などの地上の史蹟の配置などから裏付けられます。

 しかし、古事記の編纂にあっては、その歴史的事実と編纂者の政治的思惑に基づく捏造を意図的に混在させています。それが歴史の一本の糸として眞の筋書きにたどり着くことを困難にしています。

 最近十回ほどの記事では、現在の新潟県に拠していた“原蝦夷”の活動を古事記の記載を解き明かすことで以って解明してきました。主人公は”原・蝦夷“の主要人物であるにもかかわらず、藤原不比等の思惑で「天皇」なるものに仕立て上げられている(人物を重ね合わせている)ことがあきらかになってきました。古事記を読み解く際の留意点です。

前回記事では、死去した清寧天皇の後継者と目される二人の王子が発見された志自牟の地がが現在の埼玉県・秩父であることを書きました。二王子は宴会の下働きとして竈(かまど)で煤だらけになって(私の想像)働いていたんであります。まさにシンデレラの王子版です。それはさておき、古事記は、志自牟の地の調査を清寧天皇の側近に示唆したのは飯豊王であるかの如く書きます。すなわち、天皇側近が後継ぎで思案をめぐらす話と、その後継ぎが秩父で見つかる話とのあいだに突然飯豊王の存在を古事記は書き込みます。
古事記原文:
 「於是。問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。」
(天皇系図。古事記より。拡大は図のクリックで)
210527黒比売系図無題

 この「挿入された」一文が専門家達を悩ませます。すなわち、遺された天皇側近たちは「誰を後継ぎにすべ〜か?」と飯豊王に相談をしたとすれば、その時点で飯豊王は「天皇決定」権限を与えられている、すなわち実質の「天皇代行」であったと考えられます。そして飯豊王は、仁徳天皇の血統にあるものは忍歯王の息子しかいないと判断したことになります。
その後継ぎとして意祁、袁祁王が適切であったのか、あるいは叔母にあたる飯豊王の「えこ贔屓」であったのかを、古事記の記載にそって確認しておきます。

 上の系図に見るように仁徳天皇後、系列は履中系と允恭系に分類され、清寧天皇は後者すなわち允恭天皇の系列に属します。二つの系統を区別しているのは后の出自です。履中の妻は「黒比売」で、出自は渡来系です。言葉を変えると“原蝦夷”系です。一方、允恭の妻は第中津比売で
「中」を名称に持つところから、「中太兄」、「中臣」(もちろん彼らの出現はずっと後です)につながる一族、すなわち「奈良」系です。「二重天皇制期間」での天皇ですから、そこには藤原不比等の作為が反映していることは言うまでもありません。藤原不比等は二大勢力のバランスを考えたと思われます。
さて、「奈良派」に属する允恭天皇には長男である木梨軽王と姫をはさんで黒日子王と続き穴穂命(後の安康天皇)、さらに二人の媛を挟んで八爪白日子王、そして大長谷命(後の雄略天皇)と五人の息子がいたと古事記は書きます。そのうちの二人すなわち白日子王、黒日子王は目弱王の乱に関わり死去しています(21年6月7日記事飯豊王(4、新潟県・「頸城」)、竹中平蔵氏の悪行三昧、児玉龍彦氏コロナを語る)。

 さて長兄の「木梨の軽王」は長く歴史家に語り継がれるローマンティックな逸話を残しています。長兄である「木梨の軽王」は穴穂命のすぐ下の妹「衣通(そとおし)郎女」(軽大郎女)と恋に落ち、兄妹相姦との非難をあび、約束されていた天皇位を剥奪され、中央政府に負われる身となった挙句、伊予湯に流罪されます。嘆き悲しんだ衣通(そとおし)郎女は伊予にまで兄を追います。この悲恋物語を古事記は以下のように書きます。
%%%%%允恭記・軽太子の段
原文(漢字列を眺めることから何か気付く事があるやも知れぬと期待し掲載しています。この下りに関心のない方は読み飛ばし、下の文意に飛んで下さい):
天皇崩之後。定木梨之輕太子。所知日繼。未即位之間。奸其伊呂妹輕大郎女而。歌曰。
 阿志比紀能。夜麻陀袁豆久理。夜麻陀加美。斯多備袁和志勢。志多杼比爾。和賀登布伊毛袁。斯多那岐爾。和賀那久都麻袁。許存許曾婆。夜須久波陀布禮。(K079)
此者。志良宜歌也。又歌曰。
 佐佐波爾。宇都夜阿良禮能。多志陀志爾。韋泥弖牟能知波。比登波加由登母。宇流波斯登。佐泥斯佐泥弖婆。加理許母能。美陀禮婆美陀禮。佐泥斯佐泥弖婆。(K080)
此者。夷振之上歌也。 是以百官及。天下人等。背輕太子而。歸穴穂御子。爾輕太子畏而。逃入大前小前宿禰大臣之家而。備作兵器。〈 爾時所作矢者。銅其箭之内。故号其矢謂輕箭也。 〉穴穂御子亦。作兵器。〈 此王子所作之矢者。即今時之矢者也。是謂穴穂箭也。 〉於是穴穂御子。興軍圍大前小前宿禰之家。爾到其門時。零大氷雨。故歌曰。
 意富麻幣。袁麻幣須久泥賀。加那斗加宜。加久余理許泥。阿米多知夜米牟。(K081)
爾其大前小前宿禰。擧手打膝。儛訶那傳〈 自訶下三字以音。 〉歌參來。其歌曰。
 美夜比登能。阿由比能古須受。淤知爾岐登。美夜比登登余牟。佐斗毘登母由米。(K082)
此歌者。宮人振也。 如此歌參歸。白之。我天皇之御子。於伊呂兄王無及兵。若及兵者。必人咲。僕捕以貢進。 爾解兵退坐。故大前小前宿禰。捕其輕太子。率參出以貢進。 其太子。被捕歌曰。
 阿麻陀牟。加流乃袁登賣。伊多那加婆。比登斯理奴倍志。波佐能夜麻能。波斗能。斯多那岐爾那久(K083)
又歌曰。
 阿麻陀牟。加流袁登賣。志多多爾母。余理泥弖登富禮。加流袁登賣杼母。(K084)
故其輕太子者。流於伊余湯也。 亦將流之時。歌曰。
 阿麻登夫。登理母都加比曾。多豆賀泥能。岐許延牟登岐波。和賀那斗波佐泥。(K085)
此三歌者。天田振也。 又歌曰。
 意富岐美袁。斯麻爾波夫良婆。布那阿麻理。伊賀幣理許牟叙。和賀多多彌由米。許登袁許曾。多多美登伊波米。和賀都麻波由米。(K086)
此歌者。夷振之片下也。其衣通王。獻歌。其歌曰。
 那都久佐能。阿比泥能波麻能。加岐加比爾。阿斯布麻須那。阿加斯弖杼富禮。(K087)
故後亦不堪戀慕而。追往時。歌曰。
 岐美賀由岐。氣那賀久那理奴。夜麻多豆能。牟加閇袁由加牟。麻都爾波麻多士。〈 此云山多豆者。是今造木者也。 〉(K088)
故追到之時。待懷而歌曰。
 許母理久能。波都世能夜麻能。意富袁爾波。波多波理陀弖。佐袁袁爾波。波多波理陀弖。意富袁爾斯。那加佐陀賣流。淤母比豆麻阿波禮。都久由美能。許夜流許夜理母。阿豆佐由美。多弖理多弖理母。能知母登理美流。意母比豆麻阿波禮。(K089)
又歌曰。
 許母理久能。波都勢能賀波能。加美都勢爾。伊久比袁宇知。斯毛都勢爾。麻久比袁宇知。伊久比爾波。加賀美袁加氣。麻久比爾波。麻多麻袁加氣。麻多麻那須。阿賀母布伊毛。加賀美那須。阿賀母布都麻。阿理登伊波婆許曾爾。伊幣爾母由加米。久爾袁母斯怒波米。(K090)
如此歌。即共自死。 故此二歌者。讀歌也。

文意(岩波文庫「古事記」174頁より、但し挿入される「歌」は一部を除き割愛しています):
天皇が崩御後、木梨之輕太子を日繼と定めた。即位する前に、母を同じくする妹の輕大郎女に奸してしまった。そこで歌曰く(省略)。此は志良宜歌(しらげうた、意味不明)也。又歌曰(省略)。此は夷振(ひなぶり)之上歌也。 
是において、百官及び天下人等は輕太子に随く事を止め穴穂御子に随いた。輕太子は畏みて大前小前宿禰大臣之家に逃入り、兵器備え作った。穴穂御子も兵器をつくった(此王子が作った矢は即今でも使っている矢であるところから穴穂箭とよばれている)。是において穴穂御子は軍圍を興し大前小前宿禰之家の門前に到った時に零大氷雨が降った。故歌曰(省略)。
 そこで、大前小前宿禰は手を挙げ膝をたたいて儛訶那傳(まいかなで)歌を歌いながら參で來た。其歌曰(省略)。 此歌者は宮人振也。
 此歌のように穴穂御子の面前に參でて、大前小前宿禰は「我天皇之御子に置かれましては、どうぞ母を同じくする兄に兵を向けることはしないでください。若しそうするならば、必ずや構成の笑いものになります。そのかわりに僕(わたくし)が囚われの身になります。どうぞ兵を退いてください」と述べ立てた。かくして大前小前宿禰は其輕太子を捕捉し、彼を率いて參で、穴穂御子に差し出した。 軽太子は捕われの身になって一首歌をよんだ曰(省略)。此歌は夷振之片下也。其衣通王は歌獻じた。其歌曰(省略)。
 衣通王は軽太子への思慕を堪えきれず伊予湯まで追い掛けた。往時の歌が下記である:。
 岐美賀由岐。氣那賀久那理奴。夜麻多豆能。牟加閇袁由加牟。麻都爾波麻多士。〈 此云山多豆者。是今造木者也。 〉(K088)
 伊予に着いて、なつかしさと親わしの思いで歌った一首(省略)。又歌曰(省略)。
 このように歌って、直ちに共に自死した。というわけで、此二歌は讀歌(よみうた)である。
%%%%%
 記載には十二首の歌が挟まれています。歌の末尾に「志良宜歌」、「夷振之上歌」、「宮人振」、「天田振」、「讀歌」といった分類呼称が付記されています。この分類についていろいろな解説がありますが、どれも「自信無げ」であります。そもそも文脈とどのようにかかわっているのかについての解説もないようです。私は、「振り」を「真似する」という意味に解釈するならば、「志良宜歌=新羅風に詠む」、「夷振之上歌=夷風に詠む」、「宮人歌=雅に詠む」、「天田振=不明」、「讀歌=普通に詠む」ではなかろうかと想像しています。

 允恭天皇記の後半部の一節を上に引用してきました。それは兄・妹の許されざる「恋愛」です。文学的感性に欠ける私には、その愛のやりとりについて想像を逞しくして論評するだけの力量はありません。にも関わらずここに掲載したことには理由があります。上掲の末尾に引用した「歌」です。これは万葉集に全く同じ歌があるのです。これをどう理解するかを次回書きます。わたくしの結論は、「允恭記」には、以前書いてきたような史実の裏づけがなく、まさに頭の中でのみこしらえあげられた「説話」から成っているのではなかろうかとの強い疑念です。
(つづく)

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+++++COVID19 デルタ株について
 時折、本ブログでは米国一般向け科学誌“livescience”記事を紹介しています。今回紹介する記事は「デルタ株の危険性」です。現在、東京を中心として日本で爆発的流行をしているCOVID-19
感染は、初期のウイルウから大きく変貌しデルタ株と呼称されるものに置き換わっているといいます。さらにはもっと危険性の高い阿ペルー由来のラムダ株も国内に張り込み始めているとの報道もあります。我々日本列島住民は引きつづき高い警戒心を維持する必要があります。
%%%%%How deadly is the coronavirus delta variant?
By Rachael Rettner - Senior Writer 3 days ago
Although this variant is more transmissible, whether it causes more severe disease and death is still unclear.
The coronavirus delta variant is more infectious than previous versions of the virus, but is it deadlier?
コロナウイルスデルタ変異体はどれほど致命的か?
Rachael Rettner - Senior Writer
この変異株はより伝染性があるが、それがより重篤な病気と死を引き起こすかどうかはまだ不明だ。

Early data suggests the delta variant may cause more severe disease, but more studies are needed to know if this variant is indeed deadlier.
Several studies hint that, compared with the original strain of the virus, the delta variant can make people sicker if they are unvaccinated. One study from Scotland, published June 14 in the journal The Lancet, found that people infected with the coronavirus delta variant had a nearly twofold higher risk of being hospitalized between April and June 2021, compared with those infected with the coronavirus alpha variant, or the variant first detected in the U.K. But those who were vaccinated had a 60% reduced risk of being hospitalized with the delta variant than unvaccinated people who caught delta.
Another study from Canada, posted to the preprint website medRxiv on July 14, found that people infected with the delta variant were twice as likely to be hospitalized, and twice as likely to die, as those infected with a coronavirus strain that wasn't a "variant of concern" (i.e., not infected with alpha, beta, gamma or delta variants).
Still, these studies are preliminary, and more research is needed to show whether delta really causes more severe disease than previous variants. Delta may appear more serious than other variants simply because it caused outbreaks in populations with more risk factors for severe illness (such as older age or underlying conditions), or because outbreaks occurred in areas with more stress on their hospital systems, according to the American Society for Microbiology.

初期のデータは、デルタ変異体がより重篤な疾患を引き起こす可能性があることを示唆しているが、この変異体が実際に致命的であるかどうかを知るには、より多くの研究が必要だ。
いくつかの研究は、ウイルスの元の株と比較して、デルタ変異体はワクチン接種を受けていない場合に人々を病気にする可能性があることを示唆している。医学専門誌TheLancetで6月14日に公開されたスコットランドのある研究によると、コロナウイルスデルタ変異体に感染した人は、コロナウイルスアルファ変異体に感染した人と比較して、2021年4月から6月の間に入院するリスクがほぼ2倍高いことがわかった。英国で最初に検出された亜種しかし、ワクチン接種を受けた人々は、デルタを捕まえたワクチン未接種の人々よりも、デルタ亜種で入院するリスクが60%減少した。
7月14日にプレプリントウェブサイトmedRxivに投稿されたカナダの別の研究によると、デルタ変異株に感染した人は、そうでないコロナウイルス株に感染した人に比べて、入院する可能性が2倍、死亡する可能性が2倍であった。 「懸念される変異株」(すなわち、アルファ、ベータ、ガンマ、またはデルタ変異株に感染していない)。
それでも、これらの研究は予備的なものであり、デルタが実際に以前の亜種よりも重篤な疾患を引き起こすかどうかを示すには、より多くの研究が必要だ。アメリカ微生物学会によると、デルタは、重度の病気(高齢や基礎疾患など)の危険因子が多い集団で発生したため、または病院システムへのストレスが高い地域で発生したため、他の亜種よりも深刻に見える可能性がある。

It's also unclear how the death rate from the delta variant compares with that from other variants. The overall case-fatality ratio (the number of deaths divided by the total number of cases) for COVID-19 in the U.S. since the beginning of the pandemic is 1.7%, according to data from Johns Hopkins University. However, this fatality rate includes deaths long before the availability of COVID-19 vaccines. Since the delta variant took off in the U.S. after the availability of vaccines, it's difficult to compare deaths from delta with historical deaths from earlier variants — the fatality rate for all variants is expected to drop as a result of vaccinations, according to The Poynter Institute.
What is clear is that current COVID-19 vaccines reduce the risk of infection, severe disease and death from the novel coronavirus, including the delta variant. Using data on the current rate of COVID-19 infections in the U.S., the CDC estimates that fully vaccinated people are eight times less likely to have a symptomatic infection, 25 times less likely to be hospitalized, and 24 times less likely to die from COVID-19 infection than those who are unvaccinated.

 また、デルタ変異株の死亡率が他の変異株の死亡率とどのように比較されるかも不明です。ジョンズホプキンス大学のデータによると、パンデミックが始まってからの米国におけるCOVID-19の全体的な致死率(死亡数を症例総数で割ったもの)は1.7%。ただし、この致死率には、COVID-19ワクチンが利用可能になるずっと前の死亡が含まれている。デルタ変異株はワクチンの入手後に米国で普及したため、デルタによる死亡と以前の変異株による過去の死亡を比較することは困難である。ポインター研究所によると、ワクチン接種の結果としてすべての変異株の致死率が低下すると予想される。
明らかなことは、現在のCOVID-19ワクチンは、デルタ変異体を含む新しいコロナウイルスによる感染、重症疾患、および死亡のリスクを軽減することだ。米国におけるCOVID-19感染の現在の割合に関するデータを使用して、CDCは、完全にワクチン接種された人々が症候性感染を起こす可能性がワクチン未接種の人と比べると8倍低く、入院する可能性が25倍低く、COVIDで死亡する可能性が24倍低いと推定している。
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関連記事:'The war has changed,' against new delta variant, internal CDC presentation says

秩父(2、三古社)、児玉博士の話、ミュンヘン五輪黙祷

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:鷺に混じって鴨が水面に首を突っ込んでいます。「鷺の詐欺に鴨がかもられる」事態を案じてしばらく眺めていました。さしあたりトラブルは起きていないようです。拡大は図のクリックで)
鴨さぎ9872


 曇る朝  秋の気配が 漂えり 田の稲たちも 頭(こうべ)垂れ初(そ)める

%%%%%【MLB】大谷翔平、14試合ぶり弾は同点38号2ラン ゲレーロJr.の前で8月初アーチ、3本差に 8/12(木) 11:26配信
本拠地ブルージェイズ戦に「1番・指名打者」で先発出場
(図:38号2ランを放ったエンゼルス・大谷翔平【写真:Getty Images】、拡大は図のクリックで)
210811無題

■エンゼルス ー ブルージェイズ(日本時間12日・アナハイム)  エンゼルスの大谷翔平投手は11日(日本時間12日)、本拠地・ブルージェイズ戦で「1番・指名打者」で先発出場した。本塁打、打点のタイトルを争うブラディミール・ゲレーロJr.内野手との“直接対決”。3回1死一塁での第2打席で38号2ランを放った。 【動画】「見る必要ない。聞くだけでいい」 米TV司会者も驚愕した大谷翔平の38号2ラン  初回先頭では特大の右飛。右腕マノアを捉えたのは、3回1死一塁だった。14試合ぶりの一発は両リーグトップを走る中越え38号2ラン。一振りで同点に追いついた。リーグ2位35本塁打のゲレーロJr.の前でアーチをかけ、3本リードとした。  本塁打は7月28日(同29日)の本拠地・ロッキーズ戦の第3打席以来。打席前まで今季最長の13試合47打席連続ノーアーチだった。これが8月初アーチとなった。打球速度は105.6マイル(約169.9キロ)、413フィート(約125.9メートル)だった。  前日10日(同11日)のブルージェイズとのダブルヘッダーでは2試合で計7打数1安打。「1番・指名打者」で先発出場した第2試合の初回に右翼線三塁打を放ち、7試合ぶりの安打をマークした。再び勢いに乗っていきたいところだ。
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 児玉龍彦氏のありがたいお話であります。
 https://www.youtube.com/watch?v=V2TJYJTtdTI&t=1885s
感染爆発!大事なのは診断と治療【児玉龍彦×金子勝 新型コロナと闘う】20210807

 ラサール石井氏が説得力ある怒りをあらwにしています。
%%%%%「コロナ感染者は増えても死者が少ないからいい」と笑う竹中平蔵・高橋洋一対談に怒り心頭(ラサール石井) 8/12(木) 9:06配信
【ラサール石井 東憤西笑】#68  数々の問題を残しオリンピックが終わった。関係者は「終わりよければ全てよし。やれやれ」と胸をなで下ろしているかもしれないが、そうは問屋が卸さない。「まだ祭りは終わらない。ここから悪魔の祭りが始まる」と誰かが呟いていたが、コロナの感染爆発はとどまるところを知らない。 テレ朝女性社員の「泥酔宴会報道」で富川悠太アナがコメントを避けたワケ 「五輪の開催が感染数増加の原因であるというエビデンスはない」と皆言う。  確かに五輪の関係者からウイルスが感染したわけではないだろう。ただ2週間の開催期間だけ問題なのではない。厚労省が検査数抑制論をあおり、世界に比べても極端に検査数を少なくしたのは、オリンピック開催に支障があってはいけないという忖度だろうし、2年延期にすればいいものを無理やり1年延期でごり押ししたこともコロナ対策が不十分になった要因だ。東京五輪がなければこんな惨状にはなっていなかったし、助かる命もあったはずだ。  国民のため日本のためなどとおためごかしなことを言い、復興五輪でもコロナに打ち勝った証しの五輪でもない。ただ一部の関係者の利権のために開かれたオリンピックなのに、アスリートの頑張りを隠れ蓑にして見せかけだけを取り繕う。その仕掛けがほぼみんなにすっかりバレてしまっている。  IOCから菅総理と小池都知事に功労章が贈られるなんて、「儲けさせてくれてありがとう」っていうことだろう。  都内の自宅療養者から初の死者が出たニュースの後に、晴れ着でほほ笑む小池都知事を見るのは、この夏一番狂おしい夜だった。  加えてもっとひどい、悪魔のような対談を見た。YouTube上の竹中平蔵と高橋洋一の話だ。  要約すれば「史上最大の感染だって言ってるけど」「全然大したことない。世界から見ればさざ波よりさらにちっちゃくなっちゃって」「死者なんて十数人になっちゃってるから」「そうそういいじゃない」と、感染者は増えても死者が少ないからいいだろう、という話を笑いを交えてしているのだ。  たとえ一人の死でも遺族にとっては痛恨の出来事だ。決して軽く話せることじゃない。自分たちの身内に死者が出ても同じように笑うのか。死を数にして、少なかったからよかったとは、決して言ってはいけない。  しかも竹中は、コロナの死者より「毎日自殺者は50〜60人いるんですよ。そういう国で経済を悪くしたら、また増える」とまで言う。  待て待て。貧困者が増えて未来に希望が持てないのは誰のせいだ。あんたが派遣社員や非正規を増やし、企業だけが儲かり最低賃金は世界でも最低水準のこのシステムをつくった、言わば犯人だろう。  こんなこと言わせておいていいんですか。皆さんいいかげん立ち上がったらどうですか。
%%%%%(ラサール石井/タレント)

+++++秩父三古社
<秩父神社・補足>
 日本列島古代史がつづる数多くの説話の中でも息祁・乙祁の兄弟にまつわる「話」は読者の涙を誘う名場面の一つではなかろうか、と書いてきました。その舞台が「秩父」と私は考えています。この兄弟と側近がこの地に陣屋(政庁、宮)を設営したのか、あるいはそれ以前にあったのか、それは古事記を探るだけでは見えてきません。その宮の地は現在の「秩父神社」であると仮説し前回それを検証する記事を書きました。シリウス方位から推定される陣屋「建設年代」が七世紀半ばと、算出されたためその説明に更なる仮説の導入が必要となります。しかるべき仮説設定のために、秩父神社が語るご祭神および関連する天皇を考察しておきます。
 神社創建は崇神天皇の時代と書きます。これは史実を反映しているかに思えます。崇神天皇は「志木」に陣屋を置き、常陸国征討の指揮を取った人物です。この地は志木から遠くありません。祀られる祭神は葦原国への侵攻に関わった人物です:
八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
• 知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) - 八意思兼命の十世孫で、初代知々夫国造
• 天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) - 鎌倉時代に合祀
であると神社由緒は書きます。八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)は、葦原国を平定するに当たって人物選定に関わった人物と古事記は書きます。となるとこの神社は悲憤の中で滅亡した蝦夷氏一族『荒ぶる神』を祭神として祀ることで彼らを鎮魂するために創建されたのではありません。そうではなく、むしろ征服者側の強い意向、すなわち蝦夷一族の亡霊(荒ぶる神)を押さえつける側に立った神社であると思えます。

 日曜の夕方5時半に「焦点」という番組で常連の出演者・落語家の林家太平氏は秩父出身です。彼の回答は故郷秩父に因んだものが多く、秩父には「祭り」が多いことに触れます。「秩父」問題の考察ではこの太平氏の指摘が重要な示唆となっています。「祭り」は普段神社に閉じ込められている荒ぶる神様たちに世間を見聞させ慰撫することが狙いであるとされています。
 
 「祭り」が多い秩父には多くの「荒ぶる神」が居たか、あるいは深い怨念を抱いた「神」が居たか等いわば「民俗学」的な関心もありえます。この視点から秩父神社の由緒の祭事を読み解くことも可能かもしれませんが、作業はそれほど単純ではありません。
 さて、秩父には三神社とよばれる古社があるとの事で、一つが上記の秩父神社、もう一つは著名な「三峰神社」、そして宝登山(ほどさん)神社です。
「社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える」
と書きますから多分七世紀初頭にはこの地に何がしかの陣屋らしきものが在ったと思われます。
 三峰神社は修験者のための宿泊施設があり、学生、大学院生が「夏の学校」と銘打った勉強会・合宿のために使っていました。私も専門分野の本を背負って宿泊したことがあります。寺ではないのに精進料理と毎朝の雑巾がけが記憶にあります。

 秩父三神社の最後は宝登神社です。
「社伝によれば、景行天皇41年(111年)、天皇の皇子・日本武尊による東征の際、尊が遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をした。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、尊の進むことも退くこともできない状態になってしまった。すると巨犬が猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起き、のちに「寳登山」となったという。また巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭した。これが当社の起源であるとされる。」
と、書きます。
 
 上に紹介した秩父三神社の祭神を眺めると、秩父神社は明らかに他の二神社と異なっていることがわかります。秩父神社は「征服した側」の人物が祀られ、宝登山神社と三峰神社は七世紀半ば以前に東日本に席巻した人物(鎮圧された側)が祀られています。秩父の神社関係者がこの明白な違いを認識しているのかどうかは定かでありません。
<秩父三古社>
 ところで、秩父にはもう一つ注目すべき神社があります:
(図:秩父のもうひとつの三神社。爪楊枝の先端右上から宝登山神社、吉田椋神社、そして最左下は三峰神社。拡大は図のクリックで)
CIMG9875

それは
椋神社です。
%%%%%ウイキは以下を書きます:
「椋神社(むくじんじゃ)は「延喜式神名帳」に掲載された武蔵国秩父郡の式内社である。同名社が秩父郡市内に5社を数え、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。
椋神社(埼玉県秩父市下吉田)、椋神社(埼玉県秩父郡皆野町皆野)、椋神社(埼玉県秩父郡皆野町野巻)、椋神社(埼玉県秩父市蒔田)、椋神社(埼玉県秩父市蒔田)、五所神社(埼玉県秩父市伊古田)…秩父市下吉田の椋神社を分霊したと言われている。
埼玉県秩父市下吉田に鎮座する椋神社概要
旧社格は県社。元は井椋(いくら)五所大明神と号しており「いくらじんじゃ」が本来の呼称である。近世になり地元以外から「むくじんじゃ」と読まれることが多くなり現在の呼称になったという。例祭の際に龍勢を打ち上げる龍勢祭りは有名である。明治17年(1884年)10月31日、秩父困民党の決起集会が行われた場所でもある。秩父事件120周年を迎えた2004年には、記念作品映画「草の乱」の撮影が行われた。
祭神:下吉田椋神社 猿田彦命、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売命
中蒔田椋神社猿田彦命日本武尊が東征の際、光を放った矛に導かれ、井の辺のムクの木陰から猿田彦命が現れ道案内をした。矛を神体として猿田彦命を祀った。
上蒔田椋神社 大己貴命日本武尊が東征の際、光を放った矛に導かれ、井の辺のムクの木陰から大己貴命が現れ道案内をした。矛を神体として大己貴命を祀った。
由緒:社伝によれば、日本武尊が東征の折創建したという。
神殿の造立起源は和銅3年(710年)、多治比真人が籾五斗と荷前を奉ったことという。
(以下省略)
%%%%%
 社伝は「日本武尊が東征の折創建した」と書きますから、前述の秩父三神社にてらすならば、三峰神社、宝登山神社と同じグループということになります。三峰神社、宝登山神社、そして吉田椋神社の場所のどれかが、榛名山から観測したシリウス方位に従って定められたとの可能性を検討してみます。秩父神社は征服者側が祀られているので、その位置が渡来民の信仰に関わっているとは思いがたいからです。三峰神社は標高1102mの山頂です。よしんば榛名山からの方位がしかるべき値を算出したとしても、それは山の位置すなわち自然が配置したことであり、そこに人為が関わるとは考えにくいのでそれは排除します。標高497mの宝登山も同様の理由から排除すると、残るは吉田椋神社となります。神社情報にしたがえば 
吉田椋神社の緯度は[36 2 42.38]、度で表現すれば 36.0451、経度は[139 1 58.54] 139.0329。
これを用いて、吉田椋神社の榛名山からの方位を計算すると
exec('C:\\FR55G_B\\SCI_lesson\\cl_delazm.sci', -1):方位計算のSCilabのプログラム
榛名山(lat,lon)=>[36.47213 138.87678]
吉田椋神社(lat,lon)=>[36.0451 139.0329]
D(距離)= 49.5-km 方位)=163.53
となり、対応するシリウス年代は
--> exec('C:\\FR55G_B\\SCI_lesson\\sirius2age.sce', -1):年代換算のScilabプログラム
Angle?(0:stop)azimth= 163.5,age= 517.1
まことに尤もらしい値を得ることができます。
 参考までに他の地での年代7月22日記事を再掲します:
 須賀川・二等辺三角形・中線(福島県):374年(19年9月23日記事 
飯豊山―伊佐須美神社(福島県、陸奥国二宮):450年(19年9月23日記事)
八溝山―鹿島神社(茨城県、常陸国一宮):464−531年(18年2月5日記事)
榛名山―吉田椋神社(埼玉県秩父): 517年(21年8月12日記事)
稲荷山古墳―宮戸神社(埼玉県志木):519年(18年2月12日記事)
氷室山―久伊豆神社(埼玉県岩槻):536年(21年7月22日本ブログ記事)
氷室山―鷲宮神社(埼玉県久喜市):553年(21年7月15日記事) 
嵯峨愛宕―箸墓古墳(京都・奈良)570年(20年5月10日記事)
阿夫利神社―神揃丘(神奈川平塚):571年(20年10月2日記事)
雷山―八代(福岡・熊本):657年(18年8月8日)
橿山―小国(静岡県・天竜):663年(21年7月8日記事)

 埼玉古墳から出土した金錯銘鉄剣に刻された「ワカタケル大王辛亥年」すなわち西暦533年に近い年代となりました。まことに興味深いことであります。
 余談になりますが地図を眺めていると三峰神社、宝登山神社、そして吉田椋神社がほぼ一直線状に並んでいるように見えます(図参照)。そこで、それを確かめてみます。
--> exec('C:\\FR55G_B\\SCI_lesson\\cl_delazm.sci', -1)
三峰神社(lat,lon)=>[35.9254 138.9304]
宝登山神社(lat,lon)(<0 next)=>[36.0932 139.1031]
D(距離)= 24.3-km、方位= 39.73
吉田椋神社(lat,lon)(<0 next)=>[36.0451 139.0329]
D(距離)= 16.2-km、方位= 34.69 214.75 0.15deg
 すなわち、三峰神社から見ると吉田椋神社は北35度東の方向にあり、宝登山神社は来た40度東の方向にあります。5度の違いを大きいと思うのか、小さいと考えるのかは人によりますが、確かにほぼ一直線状に配置されていることがわかります。
 もうひとつ興味深いことは、吉田椋神社は三峰神社と宝登山神社を結ぶ線分をきっちりと2:3に内分する位置にあります。これは一体何を意味するのか?謎であります。

 謎といえばもう一つあります。三峰神社と秩父神社との位置関係です。
秩父神社(lat,lon)(<0 next)=>[35.9976 139.08414]
D(距離)= 16.0-km、方位= 59.83
 なんと秩父神社は三峰神社から見て北60度東、ほぼこの地での夏至の日の太陽が昇る方向に作られているということになります。征服した神が祀られる神社(秩父神社)が征服された神をまつる三峰神社を冬至の日の太陽が沈む方向、すなわち死者の方向に従えている構図となります。
 (つづく)

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+++++五輪開会式
 1972年ミュンヘン五輪時に11名のイスラエル選手がパレスチナ人狙撃者グループによって射殺されました。今般の五輪開会式で、11名の犠牲者のご冥福を祈って黙祷が捧げられました。私自身は、コロナ非常事態の日本で強引に五輪を強行することに納得が行かず、関連報道をほとんどフォローしていませんでした。そのため下に掲載した冷泉彰彦氏の論説を読むまでは、「黙祷」のことを知りませんでした。1972年といえば第三次中東戦争(1967-1970)の戦後処理をめぐってイスラエル側が国連協定を一こうに履行せず、パレスティナ側が恨みを募らせた時期です。結局この不満が第四次中東戦争(1973)となります。因みに私は1982年に始まった第五次中東戦争の余燼が燻る中を戦闘の舞台シナイ半島で地震調査活動をしたことがあります。いずれどこかに書いておきたいと思いますがあのときの緊張感は忘れられません。
 中東戦争の根源はイスラエル建国にあり、それは「ホロコースト」にあることは誰しもが知っていることです。ソ連崩壊後の二十世紀末の最大の火種である中東地域を抱えて世界は緊張感と「イスラエル」をめぐる「陰謀論」が飛び交っていた時代です。思えば、開会式プログラムの企画・演出の指揮を取っていた小林賢太郎氏は勉強家として知られていたので、1998年の彼らの舞台コントで「ホロコースト」をネタにしていたことは想像できます。しかし、それが明るみに出たということでした。過去の「行状」が五輪直前に直前に明るみに出たのは偶然ではなく、「黙祷」実施を念頭に置いたしかるべき筋からの「暴露」であったのかなと気づかされました。
 まずは開会式黙祷に関するBBC報道記事です。
%%%%% Olympics: Munich victims honoured for first time at opening ceremony Published 24 July
A moment's silence commemorated the 11 Israeli athletes killed by Palestinian gunmen in 1972.
Families of the victims had for years been urging Olympic organisers to honour them at an opening ceremony, but had their requests repeatedly rejected.
"Finally there is justice," two of the victims' widows said.
"We went through 49 years of struggle and never gave up," said Ankie Spitzer and Ilana Romano, who were at Friday's ceremony.
The Munich massacre on 5 September 1972 is one of the darkest chapter's in Olympic history.
Eleven members of the Israeli team were taken hostage inside the Olympic village by Palestinian gunmen from the Black September group.
Two were shot dead almost immediately, while the others were killed during a gun battle with West German police at a nearby airfield, as the militants tried to take them out of the country.
"We remember those who lost their lives during the Olympic Games," an announcer said during the ceremony.
"One group still holds a strong place in all our memories and stand for all those we have lost at the games - the members of the Israeli delegation at the Olympic Games Munich 1972," the announcer added, as the stadium darkened and a soft blue light illuminated parts of the arena.
The move was praised by Israeli Prime Minister Naftali Bennett.
"I welcome this important and historic moment. May their memory be blessed," he wrote wrote on Twitter.
Relatives of those killed sought for them to be remembered at opening ceremonies but the International Olympic Committee (IOC) had previously ignored the calls.
The IOC faced criticism after rejecting a request for a minute's silence at the London 2012 Games to mark the 40th anniversary of the attack.
Organisers said the ceremony was not a "fit" atmosphere for a tribute.
• The Munich massacre remembered
• Tokyo 2020 Olympics officially open
• Tokyo 2020 Olympics day-by-day guide
In 2016, the IOC created a "Place of Mourning" in Rio's Olympic village to commemorate those who had died during the Games.
After watching Friday's tribute in Tokyo, Ms Spitzer and Ms Romano said they could not hold back their tears.
"This is the moment we've waited for," the widows added.
%%%%%
関連記事1:ミュンヘン・オリンピック虐殺事件犠牲者公式追悼式典の開催• 2021.08.02
関連記事2:SWC Condemns Anti-Semitic Remarks by Director of Opening Ceremony of Tokyo Olympics
関連記事3:ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために ― 論証と資料 (この記事の著者である木村愛二氏は2020年12月17日に死去いたしました(奇しくも14年前に死去した私の母と同じ命日)。


%%%%%IOCバッハの狙いはノーベル賞?元ラーメンズ小林氏解任劇と東京五輪のウラ国内(2) 2021.07.28 by 冷泉彰彦『冷泉彰彦のプリンストン通信』
「イスラエル選手団への追悼」が行われた裏事情
驚愕の黙祷事件、バッハはノーベル平和賞を狙うのか?
今回の五輪開会式で、最も驚いたのは黙祷の部分でした。確かに、コロナで犠牲になった人々への黙祷というのは意味があるでしょうし、そこに五輪アスリートの犠牲者への思いを重ねるというのも、別に不自然とは思えません。
ですが、大音量の場内アナウンスで「in particular(特に)」ということを2回も重ねた後に、「1972年のミュンヘン五輪で、PLOテロリストに殺害されたイスラエル選手団」への追悼という話が出てきたのには、驚きました。
この問題ですが、実は以前から複雑なストーリーが積み重なっているのです。まず、1972年のテロ事件については、これは大変に凶悪なテロでした。パレスチナのテロ組織「黒い九月」のメンバーが、こともあろうに、五輪の会期中に選手村を襲撃したのです。
犯行グループは、イスラエルの選手団を人質に取って籠城しましたが、これに対して、ドイツ政府(実は地元警察が主力)側は強行突入を行ったもの、作戦は失敗、結果的に人質11名が殺害され、実行犯の多くは逃亡するという結果となりました。
ストーリーはこれで終わりません。こうした結果に激怒した当時のイスラエルの総理大臣、ゴルダ・メイアは、報復として「黒い九月」のメンバー全員を殺害する作戦を指示したのです。つまりテロリストの全員を報復のために暗殺するというのでした。
この経緯に関しては、スチーブン・スピルバーグ監督が映画『ミュンヘン』という傑作映画にしており、これによって報復テロの是非というのは、大きな歴史上の問題となっています。
さて、このイスラエル側の遺族は「五輪選手が五輪会期中に選手村で殺害された」のであるから、オリンピックの公式の席上で追悼をして欲しいということを、かねてから強く申し入れてきていました。ちなみに、私の調べた範囲では、遺族の多くは「メイア首相の報復テロ」には賛成していないそうです。
特に期待が高まったのは2012年のロンドン五輪でした。何よりも事件から40年の記念の年ですし、ミュンヘンと同じ欧州での開催ということで、このロンドンで犠牲者への追悼を行うのは相応しいというのです。ところが、当時のIOC会長のジャック・ロゲは、この意見を無視しました。
バッハ会長は、当時はIOCの副会長でしたが、この時に「追悼を行わない」という判断に影響を与えたとして批判されています。
その批判の中で、バッハ会長が以前に「ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会」という団体の会長をしており、またカタールの財閥とも懇意であることから、どちらかといえば「親アラブ」的とされていという問題がありました。だからイスラエル選手団の犠牲を追悼するのに消極的だったという説明がされていたのです。
そこで、バッハ会長にはかなり多くのプレッシャーがかかった状態となり、2016年のリオ五輪では、「さすがに追悼をやるのではないか?」という観測もありました。ですが、2016年にも追悼は見送られました。
勿論、建前としては「テロという極端に政治的な事件を開会式などに持ち込むのは、五輪憲章の精神に反する」という説明がされていました。ですが、バッハ会長に対しては、前職が「アラブとの通商を促進する商工会の会長」だった事実は消えない中で、「だから追悼に消極的なんだ」という批判は絶えなかったのです。
ただ、バッハ氏としてはタイミングは狙っていたのだと思われます。というのは、例えば以前この人は、ロシアのプーチンとの癒着を散々批判されていた時期がありました。ですから、ロシアが国ぐるみでやっているドーピングの実態に対しても、かなり甘い対応をしていたとして厳しく言われていたのです。
ですが、最終的にはロシアに対して「国としての五輪参加の停止処分」に踏み切ったわけで、「お友達関係」をズルズルと引きずるのではなく、切るとなったらタイミングを見て切ることはやる、そうした人物であるということは言えます。
ですから、今回の「イスラエル選手団への追悼」というのは、バッハ氏として悩んでいた長年の問題にとりあえず終止符が打てたということになります。そこで、問題になるのは、仮に、商工会時代の、あるいはそれ以前からもアラブ寄りの財界人として有名であったバッハ氏としては、やはりカタール人脈とか、色々な「しがらみ」があったはずです。
またドイツとしては、長い戦後の歴史の中でトルコ系の労働力に依存してきた中で、市民権付与を出生地主義に変えてトルコ系を「仲間」に加えてきました。賛否両論の中で、シリア難民の保護に踏み切った判断もありましたが、これにはドイツ国内のトルコ系世論の存在が大きいと思われます。そう考えると、ドイツ人であるバッハ氏が「ミュンヘンでのイスラエル選手団への追悼」に積極的になるのは難しい事情もあったと思われます。
また依然として、地位の不安定なパレスチナということを考えると、例えば、難民選手団を参加させたり、世界史の中での被害者にスポットライトを浴びせる動きを考えると、五輪の場で「イスラエル側の追悼」をするというのには抵抗感もあるわけです。
これに加えて、勿論、スピルバーグ監督の映画ということもあります。この作品は、イスラエルの政策に対して厳しい批判を含むために、上映当時は大きな批判に晒されました。ですが、事実は否定できない中で、アメリカの映画界は監督や関係者を「干す」ことはできませんでした。そしてこの映画のインパクトは、世界中の知的な層には静かに浸透しているのです。ということは、一方的な追悼というのは、やはり「やりにくい」し、どうしても政治的という批判を覚悟しなくてはなりません。
その一方で、実はイスラエルの側では、例えば犠牲者の遺族が特にそうですが、突入作戦に「失敗した」にも関わらず五輪を続行したドイツへの一種の恨みという感情も残っています。更に言えば、あまりにもイスラエルに冷淡な態度を続けていると、ドイツとしては「ナチスの復権か?」という非難を浴びる危険もあるわけです。
そんな中で、ドイツとイスラエルの2国間関係、あるいはドイツ+NATOという枠組みの中では、特に「バイデン政権の登場」を経て、追悼への機は熟したという面はあります。
ということで、この「ミュンヘンで殺害されたイスラエル選手団への追悼」という、難しい課題を実現するには、非常に込み入った多くのファクターが絡んでいました。
そんな中で、元「ラーメンズ」の小林賢太郎氏のスキャンダルは、この複雑な「ドイツ=イスラエル関係」を一瞬のうちに解消してしまった、そうした解釈が可能になります。
陰謀論に与したくはないのですが、この問題については、あまりにも「ハマりすぎ」という感覚を否定することができません。この小林氏のスキャンダルが出たことで、この「追悼」については、日本として「反省の儀式」という意味合いが生まれてしまいました。
例えば、バッハ氏においては、この「追悼」を自分が主導したのではないが、日本の真摯な姿勢を良しとして同意したというようなことにすれば、ドイツ国内の「親アラブ世論」や自身の「昔からのアラブ人脈」を激怒させずに、長い間ズルズルと引きずっていた難題から自由になれた可能性はあります。
そう考えると、外務省の政務関連の高官が、非常に早い時期にユダヤ系の団体に「通報した」というような不自然な動きも、とりあえずは説明可能です。遺族の方々の心情を考えると、またドイツ+NATOあるいはオール西側同盟とイスラエルということで言えば、この2021年のタイミングでようやく追悼ができたというのは、悪いことではありません。
ですが、上記のような状況証拠を積み上げてみると、日本の組織委と小林氏が全体の文脈として見事に「バッハ氏に使われた」という構図になってくるのは、あまり愉快ではありません。反対に、「ここまでやる」ということであれば、バッハ氏はやっぱりノーベル平和賞を狙っているという噂にも、かなり信憑性があると言えるのかもしれません。
開会宣言、起立は不要だったのでは?
天皇陛下の開会宣言の際の国際映像は、スタジアムの反対側から引いた画から始まりました。貴賓席の様子は、そこだけスポットライトが当たっていたので分かりましたし、中央の陛下が起立されたのが目立ったので、陛下だけ起立した状態で宣言となるのかと思ったほどです。
ただ、結果的には、全体的に貴賓席の全員がバラバラに立ち上がってしまい、特に、菅総理の起立が遅れたので、あんまり見栄えの良くない結果となってしまいました。
この件ですが、通産省OBでフランスの保守政治に詳しい八幡和郎氏が、あれは陛下だけ起立で良かったのかもしれない、というようなことを書いておられます。何でも1964年の東京五輪の際には、昭和天皇だけ起立されていたそうです。確かに、言われてみれば、私にもその光景は朧げに記憶が蘇って来ました。
● 五輪開会宣言で起立は誤り&立憲民主改め廃憲帝政党の項は省略します。
冷泉彰彦この著者の記事一覧
東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1〜第4火曜日配信。
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秩父(1)、五輪は原発復興を促進したか?(鳩山友紀夫氏)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:おかげさまで当家のクワガタ氏、元気にしております。拡大は図のクリックで)
くわがた9844


 ツクツクと 木魚たたき モクレン経(ギョウ) やっと秋がと 安堵の思い

 今朝は、布団の中で今夏始めてのつくつく法師のありがたい「お経」で目が覚めました。どうやら秋がすぐそこまで来ているらしい。が、今日も蒸し暑く、しかも台風9号による強風の一日であります。冬の時には春を恋しく思い、今は連日秋のことばかりを考えています。

%%%%%鳩山由紀夫氏、東京五輪閉幕にピシャリ「証明できたことは少なくとも復興五輪でなかったことだ」 8/9(月) 7:24配信
 鳩山由紀夫元首相が9日までに自身のツイッターを更新。8日、17日間の会期を終え閉幕した東京五輪への思いをつづった。  この日、「オリンピックが閉幕した。アスリートにはコロナパンデミックの中ご苦労さまと言いたい」とまずつづった鳩山氏。  「ただ、五輪と感染拡大は無関係と言い張る人もいるが、五輪関係者の感染もあり、無関係を証明できる筈はない。証明できたことは少なくとも復興五輪でなかったことだ」と厳しい筆致で続けていた。
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 五輪が昨夜終わりました。ボッタクリ男爵率いるIOCの身勝手な言動が不愉快で腹立たしい半月でありました。黄色・小人人種たるわれら日本人への「蔑視観」をその一挙手・一投足に感ずるのは私の僻みでありましょうか。「イタチの最後屁」さながらの上辺ばかりの見え透いた「慰労」が下記の記事です。金輪際、日本に五輪を招聘してくれるなとの思いであります。が、次回に再び日本での開催があったとしても私がこの世にいないことは確実であります。この不快感をどう彼奴らに伝えたものか?そしてWHOなるものも、IAEAなど他の国際機関も結局は金持ち白人が世界を支配するための道具であるなと感じた次第です。
%%%%%「国辱もの」IOCバッハ会長が菅首相&小池知事に『最高功労賞』授与で憤りの声「本当に働いた人たちは…」 8/8(日) 17:52配信
 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が8日のIOC総会で、菅義偉首相と東京都の小池百合子知事に特例で「五輪功労章」の最高章を授与することを明らかにしたことを受け、ネット上では「国辱もの」「吐き気がする」などと憤りの声が続出した。  2人に授与されるのは、五輪運動の発展に寄与したことをたたえる「五輪オーダー」(功労章)で最高の金章。しかし、開催反対や再延期を求める意見が約8割を占める中で行われた東京五輪の期間中、新型コロナウイルスの新規感染者数は爆発した。直接の関連性は不明だが、モヤモヤを抱える人も多い。  そうした微妙な状況にもかかわらず、バッハ会長が“ご褒美”を菅首相と小池知事に与える意向を示したことに対し、「本当に働いた人たちはこのニュース見てどう思うのかなぁ」「成功に寄与したのは色々と我慢した国民」などの指摘が噴出。「これは噛んでも舐めてもよいな。河村先生、お願いします」「こっち噛みに行ったらいいのに」と名古屋市の河村たかし市長の“出番”を求めるコメントもみられた。
%%%%%中日スポーツ

 そして我が日本国政府はそのIOCに気兼ねして国民の安全と安心を根幹で揺るがす新型コロナウイルス・ラムダ株(ペルー国由来の強い感染力が特徴)の国内潜入を隠していたのです。「売国官邸」というべきです。
%%%%%厚労省が五輪開幕3日前の「国内初のラムダ株」を隠蔽! 海外メディアの追及で渋々発表したが五輪終了まで公表しない方針だった 2021.08.08 厚労省が五輪開幕3日前の「ラムダ株の国内初検出」を隠蔽していた!  リテラ
 一昨日8月6日、厚生労働省が、国内ではじめて、新型コロナの変異ウイルス「ラムダ株」が見つかったことを明らかにした。羽田空港の検疫所で新型コロナウイルスへの感染が確認された女性から検出されたという。
 周知のように、ラムダ株は、ペルーで最初に報告されて以降、南米を中心に感染拡大している変異株で、現在、日本を席巻しているインド由来のデルタ株よりもさらに感染力が強く、ワクチンが効きづらい可能性も指摘されている。
 感染がさらに深刻化することが心配されるが、もうひとつ問題なのは、政府がこのラムダ株検出という事実を隠蔽していたことだ。
実は、羽田空港の検疫所でラムダ株が検出されたのは7月20日。日本の国立感染研究所も同日、この事実を確認し、感染症の国際データベースであるGISAIDに感染性の高いラムダ変異体が国内で発見されたことを報告していた。ところが、日本国内では、厚生労働省も内閣官房も感染研も一切、その情報を公開しなかった。
 しかし、ジャーナリストのJake AdelsteinとChihiro Kaiが、GISAIDに出された報告を発見。感染研や厚生労働省に取材した上、6日朝、日本ウォッチを続けているwebサイト「Japan Subculture Research Center」とアメリカのリベラル系ニュースサイト「DAILY BEAST」などで報道した。
 そのため、6日夕方になって、慌てて、厚生労働省が事実を認め、国内のマスコミ向けに公表したということらしい。
 ラムダ株検出の事実はもちろん、7月20日の時点で厚労省にも情報が上がっている。つまり、厚労省は2週間以上もこの事実を隠し続けていたということだ。
 この隠蔽の背景にあるのは、おそらく東京五輪への配慮だろう。ラムダ株が発見されたのが、東京五輪開幕3日前だった7月20日だったため、東京五輪への反対論に火がつくのを恐れたため、隠したのだろう。
実際、Jake AdelsteinとChihiro Kaiによる「DAILY BEAST」の記事では、国立感染研の職員が匿名でこう証言している。
通常、新しい変異株が見つかると、情報はすぐに公表されるが、今回は公表されない」 「この情報はオリンピックが終わった後に報告するのが最善であるというコンセンサスが厚生労働省にあった」
 そう、厚生労働省は、東京五輪が終わるまで、この国内初のラムダ株検出というニュースを隠し通すつもりだったのである。
 周知のように、五輪をめぐってはこの間、政府・組織委・東京都が都合の悪い情報をとにかくひた隠しにするということが行われてきた。海外の選手やスタッフのコロナ感染、バブルの破綻、濃厚接触者をめぐるなし崩しのルール変更、都民向け療養施設の五輪転用なども、メディアや野党の追及があって始めた明らかになったもので、自ら積極的に情報開示したものはひとつもない。
 しかし、まさか感染状況を劇的に悪化させる可能性のあるラムダ株の検出まで、五輪のために隠蔽するとは……。
 今回はたまたま、国際的なデータベースに報告があげられ、海外のメディアがそれを追及したから認めたが、この調子では、他にも隠蔽している情報がたくさんあるのではないかと疑わざるをえない。
 たとえば、今回、明らかにされたラムダ株は羽田空港の検疫所で見つかったものだが、もしかしたら、都内で検出されたラムダ株を、厚労省が隠蔽している可能性だってゼロではないだろう。
 たかだかスポーツのイベントのために、国民の生命を左右するような重大な情報まで隠される。日本はいつのまにこんな恐ろしい情報統制国家になってしまったのか。
%%%%%(田部祥太)

 日本国の大手メディアは今般の五輪のスポンサであtっため、開幕前も閉会後もその客観的な総括はできません。しかし、海外メディアが厳しく日本の疫病蔓延と五輪との関係を直視しています。 
関連記事:東京五輪が感染爆発を招いたと米紙が猛批判「日本社会に傷跡を残した」
8/9(月) 13:10配信
閉幕した東京五輪。その功罪は…
 東京五輪は8日に閉幕したが、米紙「ワシントン・ポスト」は大会が感染爆発を招いたと猛批判を展開している。
 同紙は「東京と日本全国でパンデミックは悪化しており、一様に(感染者数の)記録を打ち立てている。五輪の2週間の間に、1日あたりの症例数は4倍近く増加している」と日本での新型コロナウイルス感染拡大が極めて危険な状況に陥っていると指摘。そのうえで、東京五輪の開催強行が感染爆発を誘引していると分析した。
「大会組織委員会の橋本会長は五輪のバブルから一般大衆に感染が広がった医学的または科学的証拠はないと述べたが、多くの公衆衛生の専門家は説得できていない。彼らは五輪が、政府の説得力のない自制の呼びかけを弱体化させたと主張し、五輪のバブルは主催者の主張よりもはるかに多くの穴があると示した」と厳しく批判。そして、公衆衛生学の専門家で世界保健機関(WHO)で事務局長上級顧問を務めた渋谷健司医師の見解を紹介した。
「私はこの五輪の遺産について考えた。まずパンデミックに対処しない限り、安全で確実なオリンピックは幻想であることを明確に示した。大会は日本社会に傷跡を残し、分裂と不信、そして健康と経済的債務を引き起こした」と東京五輪の開催強行を糾弾した。
 東京五輪の後に残った感染爆発。国民の苦しみはまだまだ続く。
%%%%%関連記事おわり

+++++針間そして志自牟
 東京電力刈羽原子力発電所のある新潟県刈羽で、大昔、押歯王が弓で射殺(いころ)されました。遺体は切り刻まれ墓すらも作らず土中に埋められたと安康記は書きます。これが史実とすればその時期は多分五世紀末から六世紀前半と私は推定しています。押歯王の次男である顕宗天皇は、王の特徴である「歯」を手掛かりにして父の遺骨を確認し、改めて王のための墓所を築きます。それが、新潟県胎内市の「城の山古墳」であると思っています。この古墳から、王の特徴と思われる歯が(7月5日記事「押歯王の歯?、都民が(珍しく?)真っ当な判断」)発掘されました。
 まさに古事記の記載が事実であることが裏付けられたと、現ブログ管理人は世間に向かって大声で自慢するところであります。しかし、大方の古事記研究者たちは、私のような素人の自慢話には洟も引っ掛けません。なぜなら学者さんは上記の「お話」の舞台は奈良盆地とその周辺であると強く思い込んでいるからです。実際に奈良盆地とその界隈には古事記の「お話」に登場する地名があります。
 記紀の「お話」に登場する地名の多くが、なぜか九州の地にもあり、そして東北地方にもあり、関東地方にもあることは学者先生も気付いています。が、学者さんはそれを重大視しません。奈良盆地に住まった民が(文化)の拡散に伴って奈良から地方に移住したからであろうと解釈し更なる追求をやめてしまうからです。なぜ、逆の過程、すなわち地方での場所を近畿地方に移し変えてしまったという過程を想定しないのか?と、私からは「問い」かけたい。
 ひとえに現在の古代歴史学に蔓延る「関西覇権主義」、すなわち日本列島の政治・文化の中心は近畿であるとの思い込みです。これを以ってして全国の史学者を強い影響下においてきたからです。最も先鋭化した極端な事例が「邪馬台国=近畿」なる珍説です。が、さすがにこれについては学者さんも昨今は強いこだわりは見せません。

 上で「古事記の記載は事実を含む」と認定できると書きました。しかし、これも誠に不思議な話です。すなわち、上で書いた「歯」と言い、「金錯銘鉄剣のワカタケル」と言い,あたかも古事記の編者は「古墳」の内部を知っていたかのような書き振りです。勘ぐるならば、古事記の編者は記載内容に信憑性を与えるべく、重要な古墳・史跡は発掘しそれを埋め戻した(実は埋め戻しの際改変した?)と私は疑っています。ひとつの事例が埼玉古墳群で、何人かの考古学者も、それを指摘しています。歴史編纂を統括した藤原不比等は、そうした史実を、自らの史観に沿ったシナリオに嵌めていったのです。その編纂作業では、古墳に加えて重きを成したのが、西域からの渡来人の証言です。渡来人である稗田阿礼などの供述が中でも重きを成したはずです。なにせ彼らこそ、藤原不比等一派が日本列島で天下を取る前の、有力な列島支配一族であったからです。

 というわけで、日本列島古代史の舞台の中心が神武天皇即位の紀元前660年以降、奈良盆地であり続けたとは、一部の学者さんの強い思い込みに過ぎません。このような思い込みから自らを自由に解き放った途端に東国の古代史、九州の古代史が鮮明に見えてくることを本ブログでは書いています。
 
 サテ、話を本題に戻します。父である押歯王を殺害された二人の息子は現在の新潟県糸魚川で日本海に流入する姫川(古事記では玖須婆川と書く)を南に遡上します。経路は糸魚川―静岡大地溝帯です。ここのどこからか、その地溝帯を東に外れて辿り付いたのが、現在の榛名山山麓です。そこが「針間」であり、現在の兵庫県「播磨」ではありません。古事記を見る限りでは、二人の若き王子は長谷王側近の追討から逃れるべく、あちこちを彷徨ったあげく「針間」に達したように読み取れます。が、「榛名山南麓」には古くから集落がありしかるべく農業の痕跡が考古学的発掘から発見されています。このことから想像できることは若き王子は「針間」を目指して逃避行を続けたと考えることができます。
 そして、彼らはそこからさらに南を目指します。それが「志自牟」です。読者におかれては、日本書紀が、「志自牟」をどのように書いているのかを気にするやも知れません。日本書紀は「志自牟」を「縮見」(ちじみ)と書き、播磨の近くと決めてかかります。その上で、古事記の説話に「振り付け」を施し大仰な脚本に仕立て上げます。なにせ、若き二人の悲運な皇子が思いもかけない地で見つかるという「感動譚」は、読者の涙腺を絞る「芝居の山場」とも言えます。「講釈師見てきたような嘘を言い」を地で行くような書きっぷりです。

 ところで、九世紀から十世紀ごろ作成されたとされるのが「先代旧事本紀」です。この文書は「日本書紀」を「権威付け」するために編纂されたと私は考えています。したがって、史実という視点からは「信頼性」を欠いているようにおもいます。が、時折史実がもれ出たのではなかろうかと思える記載が、その「十巻」である「国造本紀」に窺えます。これは国造家135氏(序文では144氏とある)の出自を書きます。
たとえば46番目は上野国造の項は
「瑞籬朝(みずがき、崇神天皇)の御世に皇子豊城入彦命の孫彦狭嶋命初めて東方十二国を治平し封為す」
と、書きます。私は「常陸国風土記」の精査から、崇神天皇の常陸国平定は早くて七世紀末であることを論証しました。その傍証としてあげたのが「続日本紀」が冒頭に書く「日並知皇子」と「常陸国風土記・新治郡に登場する「比奈良珠命」です(20年2月17日記事「続日本紀「日並知」皇子の父は?コロナ不安を鎮められない安倍氏」)。図らずも私の指摘がほぼそのまま記載されています。

 86番目の「針間鴨国造」の項は
「志賀高穴穂朝御世上毛野と同じ祖御穂別命の児市入別命を国造に定め賜う。」
と、書きます。これも興味深い記載です。兵庫県の「播磨」を主張するはずが、何がしかの伝承があり、それは現在の群馬県、すなわち「榛名山」の所在地と関わっていることを記載しているのです。

25番目に登場するのが『知々夫国造』で、以下を書きます:
「瑞籬朝(みずがき、崇神天皇)の御世に、八意思金(おもいかね)命の十世の孫知々夫彦命を国造に定め賜う。大神を拝み祠(ほこら)を設ける。」
 この記述で私が注目しているのが「拝祠大神」という一節で、それは知々夫国造の項にのみ付記されています。ここでいう「大神」とは誰であろうか?私のこれまでの日本列島古代史古典遍歴に従えばそれは「鹿島大神」です。そして、そうでないとすれば、「景行天皇と倭武命」以外にはありません。そこで、榛名山の南方にそうした人物を大々的に祀っている神社を探すと、たどり着くのが秩父です。
 
 「志自牟」について古来より研究者は「シジム」と「カナ」を振ってきました。「志」は「シ」であるので、それは「チ」に容易に転化されます。同様に「牟」は「ム」であるので、日本列島の言語形態から「ブ」に転化します。となると「志自牟」は「チジブ」とカナが振られることに不自然さはありません。かくして私の調査は秩父に向きます。
 まずは秩父神社です:
 +++++秩父神社
祭神
• 八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
• 知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) - 八意思兼命の十世孫で、初代知々夫国造
• 天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) - 鎌倉時代に合祀

『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、八意思金命の十世孫の知知夫彦命は崇神天皇(第10代天皇)の時代に初代知々夫国造に任命され、「大神を拝祠」したという。この「大神」は知知夫彦命の祖である八意思兼命をさすと考えられ[1]、秩父神社ではこれをもって神社の創建としている[2]。さらに允恭天皇年間に知知夫彦命の九世子孫である知知夫狭手男が知知夫彦を合わせて祀ったといわれる。
秩父地方の人類の足跡は
、近年の発掘調査により、旧石器時代後期の約1万6000年前のナイフ形石器が蒔田にある下蒔田遺跡より出土したことで、確実に遡れることが確認されている。また、約1万2000年前の縄文時代草創期になると、神庭洞窟(三峰)や橋立岩蔭遺跡(上影森)より石器類と共に発見された隆起線文土器が出土している。
 その後、縄文時代中期(約5000〜4000年前)以降になると全国的に遺跡の数が増え、市内でも井の尻遺跡(中村町)、下段田遺跡(荒川白久)、塚越向山遺跡(上吉田)、など多くの遺跡が確認されている。しかしながら、縄文時代晩期(約3000〜2300年前)から弥生時代(約2300〜1800年前)にかけて、遺跡数が極めて少なくなる。これは全国的な動向で、秩父市の例外ではない。大沼遺跡(影森)、井上遺跡(下吉田)、中野遺跡(荒川白久)などがあげられる。
 「ちちぶ」の名は、早くから知られており、延喜年間(901〜923年)に成立したといわれる『旧事本紀』に納められている『国造本紀』によると「知知夫国造、瑞籬朝の御世に八意思兼命の十世の孫、知知夫彦命国造に定め賜ふ。」とあり、秩父地方が東国にあっていち早く国造が任命されたことになる。
 律令制下の秩父郡は、『和名類聚抄』によると、管内6郷の下郡とされている。郡域は概ね現秩父郡の全域と神川町、寄居町、ときがわ町、飯能市の一部を含むものと考えられている。近年、郡衙や正倉などの関連遺跡が発掘調査で明らかになりつつあるが、秩父郡の郡衙は不明であるが、中村郷があったとされる秩父市中村町が有力な候補地であるという。
 中央政府との関わりは、『続日本紀』和銅元年(708年)戊申正月条によれば、秩父郡より自然銅が献上され、年号が慶雲から和銅に改元され、武蔵野国の庸調が免じられた。その自然銅が産出された場所は不明であるが、秩父市黒谷地区が有力候補地といわれている。また、「万葉集」巻20の防人の歌には助丁秩父郡大伴部少歳の歌が収録されている。さらに、平城京跡からは、天平17年(745年)「秩父郡大贄豉一斗」の木簡が出土している。
 平安時代に入り、10世紀に延喜式が制定されると、式内社として秩父神社、椋神社が選ばれている。また、秩父郡に勅旨牧が2か所指定された記述もある。
%%%%%
(つづく)
そこで、秩父神社の地に先人が陣屋(政治的拠点)を定めた時期をシリスス星方位から推定します。
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
榛名山(lat,lon)=>[36.47213 138.87678]
秩父神社(lat,lon)=>[35.9976 139.08414]
D(距離)= 55.9-km、方位= 160.52
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1)
Angle?(0:stop)=160.52,age= 642.5
 時期は、西暦645年の乙巳の変にごく近い時期と算出されます。どのように解釈したらよいのか?大いに戸惑います。そこで、改めて上掲の神社由緒を眺めてみると、祀られるべき「大神」に相当する人物をなぜか欠いています。どういうことでしょうか?
(つづく)

考古学ランキング

 今回冷泉彰彦氏の五輪論議の後半部分を掲載するはずでした。が、長い記事であることも理由の一つですがすこし書き加えておきたいこともあるのでそれを、次回に順延します。
 ここに掲載するのは五輪招致をするに当たって日本政府と日本五輪組織委委員会がIOC 幹部への 働きかけ、すなわち買収行為をなしたとの醜悪な疑惑です。この疑惑は数年前より国際的に取りざたされていました。フランス検察がこの贈収賄に多大の関心を寄せ、近くこの醜悪なスキャンダルが国際法廷の場で審議されるとの見通しです。その裁判経費をJOC が 負担するというのです。これは語るに落ちたというべきことなのでしょうか。いずれにしても原資はわが日本国民の税金です。
+++++組織委員会前会長の裁判経費
もうひとつ関連記事を本回記事の最後に転載しました。
JOCが弁護費用2億円負担 五輪招致で疑惑の元会長に 塩谷耕吾2021年8月8日 7時00分
 東京オリンピック(五輪)・パラリンピック招致をめぐる贈賄疑惑でフランス司法当局の捜査を受けている竹田恒和・元招致委員会理事長の弁護費用が2020年度までの3年間で約2億円に上り、その全額を竹田氏が19年6月まで会長を務めていた日本オリンピック委員会(JOC)が負担していることがわかった。JOCは19年3月の理事会で費用負担を決議しており、今年度以降も、捜査終結まで負担するという。
 仏当局は招致委がシンガポールのコンサルタント会社、ブラック・タイディングズ(BT)社に支払った約2億3千万円が、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会(IOC)委員側への贈賄に使われた疑いがあるとして捜査している。竹田氏は招致委理事長として、BT社との契約書にサインしていた。JOCは違法性はないと結論づけている。
 JOC関係者によると、竹田氏には日仏の合同弁護士チームがついており、翻訳料金なども含むと、JOCの負担額は仏当局の捜査が本格化した18年度が約6千万円、19年度は約1億円、20年度は約4千万円だった。
 JOCが費用を負担していることについて、関係者は「竹田前会長はJOCの理事会の承認を受けて、招致委理事長の職に就いた。招致委の活動は、各国オリンピック委員会が責任を持つと五輪憲章に定められている」と理由を話す。国などからの補助金ではなく、企業からの協賛金などの自主財源で賄っているという。
 竹田氏は朝日新聞の取材に対し、弁護士を通じて「私は、JOC会長職にあったことから、規約により招致委員会の理事長となりました。本件は、理事長の職務として行った行為であり、私的な利益や動機は全くありません。山下(泰裕)会長を始めとするJOC理事会のご理解には深く感謝しており、私の身の潔白を証明することでその信頼にこたえたい」とコメントした。
%%%%%(塩谷耕吾)

榛名神社、東京五輪の闇、菅曰「重症にあらずんばお前は病人ではない!」

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:なんだ!なんだ!鳥が首を捻じ曲げ飛んでいる。 拡大は図のクリックで)
210805ひしくいa無題

 真相はこれでありました。それでも理解不能であります。詳細は上のURL(青字)をクリック、拡大は図のクリックで)
210805ひしくい無題


 凝り凝りに 五輪五輪で コロナ忘 国民涙で 後生恨まん

 民を決して案ずることはない菅氏と現政府首脳の性根が図らずも露呈しました。言葉がありません。我が同胞に心から訴えたい!病める民よ!貧しき民よ!いまや恃むは己しかないのだ!まずは次の総選挙では断じて「自公」への投票はしてはならない。これが真の「自助」である。
(図:東京新聞8月5日付け一面記事。拡大は図のクリックで)
 コロナ9834

関連記事:コロナ入院制限「非常に危険な勇み足」専門医から怒りの声 田村厚労相は見直し言及も菅首相は撤回拒否〈dot.〉 8/5(木) 9:20配信

+++++榛名山(2)
 前回記事で「榛名山」なる呼称は古くないとの推察を書きました。実際、万葉集の歌群のなかで現在の榛名の地を表していると思えるのは、十四巻「東歌」に登場する「伊香保呂」、「伊香保祢」、「伊可抱乃祢呂尓」であり、それは「榛名」ではありません。
 どうやら、ある時代、すなわちそんなに遠くない時期までは、たとえば八世紀半ば過ぎ以前、この山は「イカホxx」、漢字表記では「伊香保」であったのではなかろうかと想像できます。それの接尾詞として「嶺」を付します。その音が「りょう、lio」と思えばそれは「ろ、lo」に転じたのでしょう。一方「嶺」の表意音(訓)は「みね、またはね」であるので、ときにそれは「伊可抱乃祢」と漢字表記されます。伊香保の山を歌う際の呼称そして表記が定まっていなかったことが想像できます。
 私の関心は「香(か)」です。これは「興(高)」王、すなわち「古四王」または「香々背男」に由来すると思っています。
これについて 18年3月9日記事「榛名・伊香保考察〔最終回)、森友スキャンダル犠牲者」 が若干の考察をしていますので、その部分を再掲します:
%%%%%過去記事再掲
そこで「イカホ」とは、何か?を、考えて見ます。日本書紀・巻五が何がしかの示唆を与えているやも知れません:
<<<《崇神天皇即位前紀》
原文:
御間城入彦五十瓊殖天皇。稚日本根子彦大日日天皇第二子也。母曰伊香色謎命。物部氏遠祖大綜麻杵之女也。天皇年十九歳。立為皇太子。識性聡敏。幼好雄略。既壮、寛博謹慎。崇重神祇。恒有経綸天業之心焉。

文意〔岩波文庫「日本書紀(一)」274頁より〕:
御間城入彦(みまきいりひこ)五十瓊殖(いそにえ)天皇は稚日本根子彦大日日天皇の第二子である。母は伊香色謎(いかがしこめ)命である。物部氏を祖先とする大綜麻杵(おおへそき)之女である。天皇は年十九歳になったとき皇太子となる。識性聡く理解力に敏れ、幼きより雄略をこのむ。既に壮しく、寛伊心性でありながら慎つましい。神祇をたっとび恒に天業之心を保持していた。
%%%%%
 日本書紀の上記引用部分については、3月2日記事で書きました。歌中に「伊香」なる名称が登場します。これを「イカ」と音するのか「イカガ」と音するのかは、大きな問題ではありません。多分地域性によります。「高」を「コウ」と音するのか「カグ」〔「高山」を「カグヤマ」と音する事例をかって書きました〕と音するのかという議論と同じです。とするならば、「香」はまさに「高」〔又は倭五王のお一人「興」王〕であると思っています。 この地が渡来族である「高」〔興〕一族の影響下にあったことを示しています。
 そして数十年後、その地に奈良から派遣された軍将が攻撃をしかけたことに因んだ女性が「イカホ」〔イ・こう〕であろうと考えています。予断ですが、かって、私の職場の同僚に「イカガ」さんという方が居られました。氏にその姓の謂われをたずねたところ、戦国時代にまで辿れるとの事でした。

 日本書紀の巻一〜巻九は、古色を施してあるけれどもその基本的文脈は、現代〔藤原不比等の生きた時代〕から卑弥呼時代、すなわち逆時間順で読み解くべきと書きました。このように考えると神武東征はまさに奈良軍勢による東国制圧の完了で、それは八世紀初頭であったでしょう。と考えると、祟神天皇の時代はいわば神武天皇の「露払い」とでも言える時代で、七世紀末であったろうと考えています。

 まさに熾烈な戦闘の末、奈良軍勢は現在の榛名山に拠する一族を打ち破り支配下に置いたのです。その際に一族の美女を奈良に連れ帰ったのではなかろうかと想像しています。その美女を「高一族の貴姫」と日本書紀はかきます。「シコメ」は「醜女」と漢字表記されます。征服した側の「優越感」がにじみ出ています。実態は違ったのでしょう。
 
 余談ですが、三十年近くも昔、ゲリラと政府軍がドンパチを繰り返していた南米コロンビア国で三ヶ月働いたことがあります(2014年3月6日記事)。現地に着任すると、まずは在コロンビア・日本大使に挨拶をします。私に同行した一等書記官が「大使の名前は漢字で書くと色摩」であると告げ「イヒヒ」と笑います。大使のお名前は「シカマ」と呼ぶのですが、「シキマ」とも読めます。帰国後調べると「シカマ」という姓は東北に多いのです。私は祟神紀に登場するこの姫の古事に由来するのではなかろうかと考えています。多分古代ペルシア語にその語を見つけることができるのだろうと考えています〔いまだ見つかっていませんが)。

 榛名神社の主祭神は火産霊、埴山比売と書きます。前者は火の神、後者は土の神と神社由緒は書きます。ところで、日本書紀では、この二つの神を合体させて、「かぐつち:なる神が登場します:
%%%%%ウイキ記事
「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記される。また、『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)」
 これもまことに興味深いことです。
%%%%%
 上に書いた議論からお分かりのように、この神社の祭神は「カグ=高〔興=香〕」なのです。何のことは無い、渡来一族の首領を祀っていたのです。想像するに良い治世をしていたので住民の崇敬を集めていたのでしょう。
>>>以上過去記事再掲終わり

「針間」とは現在の榛名山の南麓および東麓の広大な空間(土地)であろうと考えています。この地は榛名山の激しい噴火活動で歴史上何回も火砕流に埋もれたとされています。一方でそうした火山灰が肥沃な土壌を生み、豊かな農業をもたらしたとされています。さらには「噴火」こそは「ゾロアスタ教」が崇める対象です。
 そのように考えると針間の地は二人の幼い男児が長谷王からの追跡を逃れて偶然行き着いたのではなく、むしろその地の存在を知っており、そこをめざして姫川を南に遡上したと考えています。しかし姫川からどのような経路を経て榛名山の南麓にたどり着いたのか?古事記はそれを書きません。何せ山岳地帯です。糸魚川―静岡地質構造帯(フォッサマグナ)すなわち日本を縦断する大活断層である中央構造線の東部分です。ここは松本あたりまで長く帯状の低地帯です。そこを南下して、どこからか東にそれてたどり着くのが榛名山南麓です。ここを「針間」と呼んだのだろうと考えています。すなわち「針葉樹」林が広く覆っていた地です。

 榛名山の中腹、まさに岩だらけの山体にへばりついているのが榛名神社です。五世紀末に大噴火をしたと地質学者が書きます。本ブログに登場する主人公すなわち西アジアからの渡来民はこの噴火を目撃したのだろうか?体験したのだろうか?」古事記からはよみとれません。
 そうした体験が刻み込まれている矢も知れぬ榛名神社を眺めてみます。
%%%%%18年2月23日記事草津視察、榛名神社、八場ダム そして沼田河岸段丘 記事抜粋
 往路に榛名神社を見学しました。神社へ達するには、榛名山中腹の駐車場から700mほど急峻な崖道を登らねばなりません。道は観光客のために雪が取り除かれていますが、参道の反対側の崖を流れ落ちているはずの滝が凍り付いています。あちらこちらに点在する「奇岩」に囲まれていることが、この神社の特徴です。山岳信仰の拠点の一つであったということで山麓には修験者が宿泊したという「坊」があちこちにあります。
 
〔写真:神社は崖道伝いの参道を700m登ります。参道の脇は奥深い谷です。その谷の向こう側崖から流れ込むはずの滝水が凍りついて固まっています〕
滝3855


%%%%% 榛名神社の歴史を書く二つのインタネット記事を見つけました。
 (1)まずはウイキによる歴史記載です:
綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられる。
延長5年(927年)完成の延喜式神名帳に上野国十二社として位置づけられている。古くから神仏習合が定着し、山中には九世紀ごろの僧坊とされる巌山遺跡がある。
祭神[編集]
赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。水分神・高靇(たかお)神・闇靇(くらお)神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合わせ祀る。
中世以降は「満行権現」と称され、「元湯彦命」が祭神とされていた。『榛名山志』には東殿・饒速日尊、中殿・元湯彦命、西殿・熟真道命と記されている。明治元年に現在の二柱に改められた。

(2)つぎは 神社HPによる歴史記載です 
榛名神社の起源
延長5年(927年)に完成したこの記録には、全国の主要な神社名を書きあげた『神名帳』があり、その中に上野国十二社の群馬郡小社とし て榛名神社は位置づけられています。この記録に登載された神社は「式内社」と呼ばれ、格式の高い神社と考えられています。これが榛名神社が歴史書の中で取 り上げられた最初だといわれています。したがって、この時すでに「式内社」といわれるほどの神社に榛名神社は成長していたことがわかります。
その他十世紀から十二世紀にかけて著された『三宝絵詞』『上野国交替実録帳』『僧妙達蘇生注記』などからも当時の榛名神社の様子がうかがえます。近年、榛名神社境内で小金銅仏(地蔵菩薩立像)、寛平大宝(皇朝十二銭の一つ)、錫杖頭部、鉄釘、鉄鏃、甕、坏などの破片(土師器、須恵器など)等の遺物 が採集され、建物の礎石も確認されたことから、この遺跡は寺院跡であると考えられています。土器片には九世紀のものも含まれていますので、遺跡もその頃の ものと考えられます。
%%%%%

 このインタネット記事を読むまでも無く、大変に興味深い神社であることを知りました。ここは伊香保温泉のすぐ近くです。子供たちが小さいころ夏休みの旅行で伊香保温泉に行きました。帰路、榛名湖でボートを漕ぎましたが、この神社を訪ねませんでした。
 これから、おいおい調べようと思ってますが、現時点で気付くことのみを列挙しておきたいと思います。
 ウイキが書く神社の歴史には「用明天皇」が登場します。この天皇は聖徳太子の父とされる方です。神社に伝えられるという文書以外にどのような記録があって、こうした由緒になったのかは定かでありませんが、六世紀末という時代は、用明天皇であるか否かはさておくとしても存外その辺りの時代ではなかろうかと考えています。
 五世紀末に榛名山は大噴火をしたと群馬大学・早川由紀夫氏は書いています 。その際に噴出した溶岩が神社周囲の異様な風景を作り出したのでしょう。「お姿岩」と称される奇岩をあちこちに見ます。噴火は「火」をあがめる渡来族にとっては格好の信仰対象となったはずです。噴火活動が収まった六世紀半ば過ぎに、彼らはここ急峻な崖に拠点たる難攻不落の砦を建設したのです。それが彼らが言う「宮」〔みや〕です。「myan」は古代ペルシア語で「中心」を意味します。部族の統合の中心たる人物がここに座して、部族を指揮したのです。 そうしたことを連想させるのが、バス駐車場周辺の家々の姓の多くが「宮本」であることです。 

 しかし、この難攻不落と思われた「宮」も七世紀から八世紀にかけての奈良の軍事攻撃に抗しえなかった。時代はわかりませんが、ここに拠した部族は斬殺されたのでしょう。そして斬殺した側は彼らの怨念による祟りを恐怖し、その地を寺に置き換えたのです。実際上記の歴史を見ると「寺」として築造されたのではなかろうかとの考察もあるようです。

 そしてこの神社の本殿に通ずる「双龍門」、そして拝殿軒下の左右に刻まれる精巧な「一対の龍」こそが、その哀しい歴史と鎮魂を体現しているように私は思います。「龍」(りゅう)は「霊」〔りょう〕に通ずるからです。こうした転化を渡来族自身がするはずがありません。後世の侵略者の発想と私は考えています。同様な事例が福島県 矢吹町にも見られます。
〔この項、日を改めて再考察します〕
%%%%%過去記事転載おわり

参考記事:18年3月12日記事榛名神社の祭神補足、森友決済文書
(つづく)

考古学ランキング

+++++五輪問題
 米国在住の冷泉彰彦氏が今般の五輪開催をめぐってバッハ氏の言動を分析しています。記憶にとどめておくべく一週間以上も前の開会式記事ではありますが転載しておきます。一万一千字におよぶ長い記事ですので、二回にわたって掲載します。二回目は五輪終了直後でありますが、そこで指摘されている問題は現在の世界の動向に深く関わっており、決して古い話題ではありません。
%%%%%IOCバッハの狙いはノーベル賞?元ラーメンズ小林氏解任劇と東京五輪のウラ国内(1) 2021.07.28 by 冷泉彰彦『冷泉彰彦のプリンストン通信』
先日掲載の「無駄で無謀。東京五輪の開会式はNYタイムズ記者の目にどう映ったか」でもお伝えしたとおり、会場に派遣された外国人記者たちからは、厳しいコメントが続出した東京五輪の開会式。国内でも賛否両論を呼んだこの式典ですが、海外に住む邦人はどのように見たのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、4つの観点から開会式を分析し解説。殊に「1972年のミュンヘン五輪で、PLOテロリストに殺害されたイスラエル選手団」への黙祷については「驚愕」とし、その理由を詳述しています。
バッハ黙祷事件に驚愕。米国から4つの観点で見た東京五輪の開会式中継
まずお断りをしておきますが、既に開会し競技の4分の1が進行している東京五輪ですが、このまま最後まで「完走」できるかは、まだ楽観はできないと思っています。
仮のシナリオですが、
「市中感染拡大により東京都の病床が逼迫して、五輪の都市間契約によって義務付けられている医療サービスの提供が難しくなった場合」
「市中から競技関係者への感染にしても、競技関係者の中で発生した陽性者からの感染にしても、選手村での大規模感染が発生した場合」
といった状況となれば、競技の続行は難しくなると思います。決して楽観はできません。
その一方で、紆余曲折があっても、仮に最終日まで競技を続行することができて、閉会式を行うところまで行ったのであれば、閉会式全体としては、是非、ワクチン接種を促すメッセージを出していただきたいと思います。
特に、このオリンピックということでは、開催国の日本、そして最も高額の放映権料を払い熱心に視聴しているアメリカ、この両国がともに「反ワクチン世論」への対処に苦しんでいます。是非、若い世代にも接種を拡大するための強いメッセージを閉会式を通じて出せればと思うのです。
また、仮に閉会式まで「完走」できたとしたら、その何割かは、ワクチンの効果、功績ということは間違いないと思います。
それはともかく、まず現時点では話題となった開会式について、4つの観点からお話ししてみたいと思います。
日本を滅ぼす「大人の事情」
まず開会式の全体ですが、アメリカの各新聞が書いているように非常に地味な印象を与えました。一方で、中国(2008年)や英国(2012年)のような金と人員を動員した国威発揚型のパフォーマンスと比較すると、好感を持ったというような報道も目につきます。
妙な国威発揚や物量作戦がなかったのは、私もいいと思いますが、気になったのは「脈絡、文脈の欠如」ということでした。全体に一貫性がないばかりか、意味不明のキャラが登場したり、不自然な印象を与える場面が多かったのです。
例えば、冒頭のコロナ禍を描いた部分から木製の五輪の輪が出てくるあたりで、ゴシック系のコスプレ集団が出てきましたが、全く意味不明です。また、後半の部分では、TVクルーによる寸劇があったようですが、国際映像では意味不明でした。
また、派手な花火は何度も使われたのですが、日本伝統の大玉は一度も使用されず、結局のところは輸入物であったように見えました。またドローンを使った地球ですが、2次元のエンブレムから3次元の地球に移行したのはいいのですが、折角ですから球体の地球から更に別の立体図形に移行したら良かったのですが、地球で終わったのは尻切れトンボという印象がありました。
演出がチグハグで、脈絡・文脈が見えなくなった背景には、いわゆる日本でいう「大人の事情」があったのだと考えられます。具体的には、
• 直前の段階でスキャンダルが暴露されたために、「解任された人の関与した部分はカット」という措置が取られた。その場合に、取りきれていなかった部分をネットで暴露されると後々まで不満や批判を引きずるので、徹底的にカットした。
• カットした部分に出演している人が、「偉い人の子供」だったり「危険なクレーマー候補」だったりした場合は、多少不自然でも、仕方なしに「登場だけ」させた。
• スキャンダルがらみのカットを契機に、開会式演出演技一切の委託料を、もしかしたら組織委が思い切り値切った可能性。
• 花火は、リオ、ロンドン、北京などと余り変わらない演出だったので、もしかするとIOCサイドで長期契約していて、日本の花火師の出る幕はなかったのかも。
• ドローンは、動作させるプログラムに金がかかるので、尻切れトンボとなった可能性。
といった「大人の事情」が推察されます。とにかく、こういった「全体的な観点」からは「最善ではない」が「大人の事情」で「仕方なくこうなった」という雰囲気というのは、どうしても不快感を伴います。
というのは、結果的に全体のパフォーマンスが「最大化」しないからです。考えてみれば、1990年からの「失われた30年」においては、政府も、民間も、この種の「大人の事情」を切れないばかりに、ズルズルと失敗と衰退を繰り返してきたように思います。
つまり「最善の人事」や「最善のビジネス判断」ができない、何故ならば「大人の事情があって」というわけです。その繰り返しで、日本の政治経済は三流にまで落ちてきたということです。
さて、五輪の話に戻しますが、その「大人の事情」の中でも一番大きな問題は「中抜き」です。
「中抜き」ビジネスはどうして避けられないのか?
この五輪やコロナ禍を契機として「中抜き」という言葉が流行語になっています。例えば、五輪のパート職について発注側は時給3,500円分を払っているのに、実際に勤務している人には最低賃金程度しか払われていないとか、コロナ関連の療養中あるいは入国時の強制隔離の場合の弁当が、「1日4,500円」という予算が払われているのに、実際に出てくる弁当の価値はどう考えても3分の1以下というような話がゴロゴロ転がっています。
五輪の予算については、個々のものは組織委が「何にいくら払ったのか?」という個別の情報は、政府ではなく、法律上は単に1つのNGOに過ぎないわけで、税務上も非営利団体ですから、詳しい情報公開は望めないと思います。そうではあるのですが、様々なところで「中抜き」が行われているらしい、という報道は大変に多くなっています。
これは大きな問題です。例えばですが、発注側が時給で3,500円の予算を用意しているとして、それが丸々勤務する人に行くのであれば、働く人は安心ですし、モチベーションも高くなるでしょう。それ以前の問題として、その分だけ優秀な人材が確保できます。発注者が国や地方公共団体であれば、そのように金が直接的に労働者に行くようにすれば、納税者としては費用対効果は最大になると考えられます。
モノの場合もそうです。厚生労働省が一食1,500円で、療養者、入国時隔離者に向けての弁当を用意するのであれば、対象者からの不満はグッと少なくなると思いますし、それだけの金をかければ感染者の回復を早めるような免疫力をつけるなど、健康面に良い影響のある食事を提供できるはずです。ところが、そこに「中抜き」が発生して実際は3食4,500円が、実は3食1,500円相当の弁当しか配られていないのであれば、対象者としては強い不満を感じることでしょう。
給料や弁当といったものは、分かりやすい例ですが、もっと分かりにくい例も含めて、今回のコロナ禍、そして五輪においては「中抜き」ということが、本当に流行語になるぐらい様々な箇所で指摘されています。では、どうして「中抜き」が起きるのでしょうか?
2つ大きな理由があります。
1つは形式的なコンプライアンスの問題です。例えば、人を雇う場合に、官公庁や五輪の組織委などが直接雇うとなると、様々な問題が生じます。特に大きな問題は採用と解雇です。場合によっては、募集を公開して公正な選考をしないと採用できないとか、どう考えても不適格な人物の場合に、直接雇って直接クビにしてしまうと裁判とかで不利になって大トラブルになるということを、役所にしても民間にしても常に恐れています。その場合に「中抜き」されても人材派遣会社などを通す方が、彼らとしては楽だし、安心なのです。
つまり、採用するのもスピーディに進むし、万が一の場合にはスパッとクビにしても、責任は派遣元が取ってくれるわけですから、派遣先としては、コンプライアンス上の面倒から逃げられるわけです。つまり、中抜きされるデメリットというのは、このコンプライアンスの問題を「丸投げ」できるサービスを考えると、十分に見合うというわけです。
結果的に、来る人がそんなにモチベーションが高くなくても、そして一流の人材でなくても、とにかくトラブルは全部派遣元の派遣会社が処理してくれるので、「安心」だというわけです。仮に直接雇用して、その人が悪質なクレーマーや、トラブル狙いの質の悪い組合的な人物であった場合の「リスク」を取るのはイヤということです。
弁当も同じです。とにかく食中毒を出してはダメだし、できればアレルギー対応もしてほしい、しかも必要数を正確に用意して欲しいとなると、どうしても「味はいいが、仕事の規模は小さい」中小の企業では対応できません。かといって、大手の場合は値段が高くなる、そこで、外食の専門企業に頼むのではなく、広告代理店などの仕切り屋に頼んで、そこで中抜きされる代わりに、実態としては中小に投げて数を揃えるというオペレーションになっていると推察できます。
ここでも、コンプライアンスは最優先で、その上で数を揃えてくれればよく、品物のクオリティや、療養者、隔離者の満足度は二の次という構造があります。そして、とにかく人の口に入るものですから、コンプライアンスが最優先で、その料金として「中抜き」分を払うことは、発注側としては十分に納得できるものだということです。
つ目の問題は、いわゆる「中抜き」の率というのは、そうしたコンプライアンス対応のコストだけでは説明できないという点です。どう考えても派遣会社とか広告代理店というのは、それこそ「ぼったくり」と言われても仕方のないだけのマージンを取っているという問題があります。
では、そのように「ぼったくり」をしている企業というのは、例えば社長が巨額の報酬を得ていたり、企業ぐるみで暴利を得て美術品や財宝を買い漁っているとか、毎晩のように社用族で銀座などで散財しているかというと、違うと思います。
現在問題になっている「中抜き」というのは、悪い企業が強欲にも利益を更に拡大するために「アコギ」な商売をしているのではありません。そうではなくて、彼らも経営危機で苦しんでいる、これが「中抜き」の動機になっているわけです。派遣会社も、広告代理店も、長引く不況、さらにはコロナ禍による国内経済の極端な低迷などで本当に苦しんでいます。
特に、今回の五輪については、仮に通常時の開催ということで、国内外の観客が殺到するようであれば、景気も良くなり広告は売れるし、人材派遣の発注もどんどん拡大できたはずです。それが全くダメになる中で、企業存続のために「中抜き」をせざるを得ない、そうした構造があると考えられます。
景気が悪く、特にコロナ禍でインバウンド観光業は壊滅、国内観光も壊滅で、関連の広告マーケットも壊滅、人材需要も低迷ということですから、そのインパクトは大きいわけです。需要が低迷するのであれば、コストを削減すればいいわけですが、日本企業の場合は、特に本社管理部門という巨大な固定費を抱えています。この部分を「食わせる」ためには、体裁など言っていられないわけで、そのために「中抜き」でも何でもしようということになるのだと思います。
この「中抜き」によるコスト上昇ですが、結局はそういった構造があり、コスト上昇を支払い側が「かぶって」くれれば経済活動にはプラスかというと、結局は、大企業の本社管理機構という「何も生まない固定費」を支えるだけですから、日本経済の成長にはあまり寄与しません。
つまり、今回の五輪で透けて見える大人の事情、特に「中抜き」という誰も幸せにしないシステムは、図らずも低迷する日本経済の現状を示していると言えるのです。
(次回につづく)

榛名山、日本の政治(小沢一郎氏、古賀茂明氏)、アラスカ巨大地震(Mw8.2)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:白鷺の大群襲来。拡大は図のクリックで)
白鷺9821

(写真:大正堀川に巣をかける蜘蛛。拡大は図のクリックで)
蜘蛛9810


拙宅の VIP(ヴィップ)ゲスト クワガタ氏 歓待すれども なぜか逃げ出す

 一週間ほど前にいつもの穴場で「クワガタ」を発見し、拙宅に連れ帰り豪華な「酒池」でもてなしました。「肉林」サービスもなんとか実現せんと、ここ数日周囲一帯で「雌」クワガタの探索に努めましたが叶いませんでした。通常二・三日の「お・も・て・な・し」の後は雑木林に戻すか、近所の子供にあげます。昨今の若い母親は「虫」を嫌うため今般は「養子縁組」交渉が整いません。連れ合いと「雑木林」に戻す相談をしていた矢先にVIPが失踪したのです。それから30時間ほど経った夕方であります。連れ合いが「誰かに見つめられている」と感じ、フト後方を見ると足元になんと失踪したクワガタがおり、首をかわいらしく傾げて連れ合いを見つめていたというのです。早速、歓待室にお連れして再びご馳走責めであります。どうやら我々の会話を盗み聞きし、雑木林に戻されることをのぞまず、逃亡したと推察しました。

%%%%%小沢一郎氏 日曜朝から菅首相に怒り心頭! 支離滅裂の説明に「もはや記者会見の意味すらない」 8/1(日) 9:46配信
 立憲民主党の小沢一郎衆院議員(79)が1日、自身のツイッターを更新。菅義偉首相を糾弾した。  小沢氏は菅首相と記者のかみ合わない質疑応答を紹介した上で、首相の無責任ぶりに怒り心頭。「もはや記者会見の意味すらない。原稿読みに追加質問禁止。総理に恥をかかせないこと、つまりボロが出ないようにすることが内閣広報官の最大の任務になっている」と指摘いた。  さらには「説明こそ民主主義の基本。説明がなければ単なる独裁。政府はヤラセは止めて、記者に追加質問の機会を与えないと、説明しないのと同じこと」と続けて、政府が国民に対して最低限の説明もしていないと糾弾した。  小沢氏は連日のようにツイッターを投稿。菅総理への批判を強めている。
%%%%%

 7月30日に東京都の感染者数が急増しました。菅氏はこの事態に何がしかの前向きなそして熱意のこもった対応をすることを期待して記者会見を視聴しました。国内の報道機関の質問もさすがに今までの紋切り型からは一歩踏み出した質問をしているように見受けましたが、なんといっても出色はジェーンズディフェンスウィークリー 高橋特派員によるものでした。その動画をこのブログに貼り付けることができないので
“今日のガースー会見で 聞く価値のある質問はこれだ! ジェーンズディフェンスウィークリー 高橋特派員 テロップつけたから見てね”
で検索してください。
参考アドレス:   
twitter.com/granamoryoko18/status/1421076374303887371;
https://twitter.com/i/status/1421093871388217345;
https://twitter.com/granamoryoko18。

 安倍・菅政権については日本国の政治史では、極めて異常なのだろうと思っています。その異常さの本源を古賀茂明氏が語っています
【ダイジェスト】古賀茂明氏:コロナと五輪で機能不全ぶりを露呈した政府がそれでもなお権


+++++針間国と意祁、袁祁
 顕宗記は天皇が死去した後の後継ぎ探しを書きます。そこで、取り上げられるのが「針間」です。大方の古代史研究者は現在の兵庫県「播磨」であると思い込み、それに疑義を唱えません。ところで「安康記」は以下を書きます:
「仁徳天皇の血を引いてはいるが天皇になれなかったのが押歯王です。「王」自身は現在の新潟県刈羽で(弓で)射殺されますが、「王」の二人の息子がその場から辛くも逃げのび「玖須婆河」(現在の「姫川」:ブログ管理人注、21年6月3日記事「飯豊王(4、忍歯王射殺)、原発報道」)を経て「針間」に落ち延び「志自牟」なる人物宅に身を潜めます。
 父王が新潟県で殺害された後、いきなり兵庫県の播磨まで逃げ延びるという筋書きはいかにも不自然です(尤も通説では舞台は兵庫県界隈なのでそれなりに筋は通っている)。そこで私の「針間」探しが始まります。地図では「姫川」を南に遡ると西側の「立山」近くに「針の木」峠がありますが、下に書くようにこの地は「針間」ではありません。
 そこで、一旦その作業を保留して、清寧記冒頭の「甕栗宮」の所在を考察する作業の中で、それは意図したことではありませんでしたが、「針間」探しの手がかりを得ました。それが鷲宮神社の南東にある天王山塚古墳(21年7月19日記事)です。さらには、その手がかりは押歯王の次男である袁祁王(顕宗天皇)の墓所である岩槻でも確認されます。この二つの墓所には榛名山から採取した岩が使われています。そして、この墓に眠っている貴人が構えた宮跡である「久伊豆神社」には「榛名山」の神がまつられています(7月22日記事)。なぜ、こんなところに「榛名山」が登場するのでしょうか?私は榛名山とその東麓の地こそが「針間」であると考えるに至りました。
となると、周囲には「志自牟」なる呼称の痕跡が遺されているはずです。「志(chi)」は「シ」なる音に、「牟(mu)」は「ブ」に転化すると考えれば、それは「秩父」であろうと考えています。
(図:榛名山と秩父。/彩昌魁↓∪崗觧魁↓C疉秧声辧米酖豢瓩に伊豆が岳)、ご篦仗声辧糞廾貌神社、顕宗天皇墓所)、ズ覿霧妬群(金錯銘鉄剣出土)、ο謬椰声辧捕鰻宮跡、天王山古墳)。拡大は図のクリックで)
210802榛名秩父無題

まずは、いつものルーチン作業です。
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
榛名山(lat,lon)=>[36.47213 138.87678]
秩父神社(lat,lon)=>[35.9976 139.08414]
D(距離)= 55.9-km、方位= 160.52
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1)
Angle?(0:stop)=160.52,age= 642.5
 この方位に基づくならば秩父に「乙祁』王(の末裔)である多分渡来民が陣屋を定めた時期はだいぶ遅く、西暦645年の「乙巳の変」前後となります。その解釈はじっくりと考えねばなりません。興味深いことは秩父神社の南東10kmに「伊豆が岳」(標高851m)、なんとこんな地に「伊豆」なる地があったのです。岩槻の「久伊豆神社」との関係も見つかるやもしれません。この「伊豆が岳」のすぐ近くに正丸峠があります。娯楽の少ない大昔の時代、東京の大学生が女子大生を騙らって「合ハイ」(合同ハイキング)を目論んだ人気の行き先の一つがこの地です。私なんぞも、お裾分けに与りたい一心で参加しました。が、女子大生というものは残酷でありました。彼女たちには沢山の選択肢(私を含めて)が提示されているのに、わざわざ苛烈な競争を求めて、少数の「ハンサム」に集(たか)るのであります。人生の不平等を若くして涙と共に実感させられました。余談であります。

 話を「榛名山」に戻します。2018年2月末、一泊二日の町内バス旅行に参加し草津温泉に出かけました。この旅行のわずか一ヶ月前の1月23日に温泉地のすぐ西にある本白根山が噴火していたため、バス旅行者のキャンセルが相次ぎ、車内は半分ほどが空席でありました。草津といえば、2019年末には、セクハラを疑われた町長が、声を挙げた女性町議のリコールを発議したことで国際的にも名が知られることとなりました(関連記事…津町議だった新井祥子さん 性的被害告発でリコール失職、海外メディアも注目したその後は公開日:2021/08/02 06:00)。それはさておき、この旅行行程には榛名神社参詣が含まれていました。
 
 このバス旅行は学ぶことが多くそれらを榛名見聞録として本ブログでも数回書きました。それを引用する前にまずは日本列島古代史・原典に「榛名」が登場する事例を調べてみます。
古事記ではわずかに二回のみ「榛原君等之祖」(応神記)、「登坐榛上」(雄略記)です。
日本書紀では、其地号曰上小野榛原(神武四年紀)、榛原君(応神二年紀)、とこれもわずか二回です。
次に万葉集です。
巻一雜歌からは狭野榛能(十九歌)、仁保布榛原(五十七歌);
巻三雑歌の真野乃榛原(二百八十歌、二百八十一歌);
巻七雑歌の真榛以(一一五六歌)、真野之榛原(一一六六歌)、真野乃榛原(一三五四歌);
巻十春雑歌の嶋之榛原(一九六五歌);
巻十四東歌の蘇比乃波里波良(三四一○、三四三五歌);
巻十六有由縁幷雑歌真榛持(三七九一歌)、岸野之榛丹(三八○一歌);
巻十九榛之狭枝尓(四二○七歌)
と十三例がありますがそれらは榛名山を露に表現した「歌」ではなく、「榛」を「ちくちくする葉を持つ「樹木」として歌っていることがわかります。杓子定規に「榛』を「ハンノキ」であるとか他の樹木であるとするのは間違っていると考えています。実際、2018年2月末のバス旅行では凍る山道をかなり長く上って山中のがけに立つ榛名神社を見学しましたは、道の両側は杉の大木群です。この推論を裏付けるのが万葉集十九歌です。
「榛名」の由来、裁量労働と企業内部留保」と題する18年3月2日記事でそのことを書きました。
 以下のその過去記事の一部を再掲しておきます:
%%%%%過去記事再掲(一部加筆・訂正)
長らく休みましたが、古代史の話を再開します。表題の「風土記」の続きを書く前に先週書いた「榛名神社」のことを少し補足しておこうと思います。私の疑問は名前の由来です。「榛」は「ハシバミ」、「ハンノキ」、「ハリノキ」と国語辞書〔小学館〕は書きます。実際にこの榛名山とその周囲にこの木があるのだろうか?樹木に疎い私は、先日の研修旅行でこの目で山の樹木を見る機会があったにも関わらず、ドレが「榛」であるのかわかりません。そこで、ネットで調べてるのですが、そこには「杉」、「ヒノキ」の存在は書かれているのみです。尤も低木・広葉・落葉樹とありますから目に付きにくいのかもしれません。

 ところで、「榛」で連想するのが万葉集十九歌です。2009年7月31日記事 でこの歌を解読しています。それを再掲します。学者間で認知されている「歌意」は、率直に言うならば、「歌」そのものと同様意味不明で其れが一般人の感想です。これは万葉集初期歌群の専門家による解読では珍しくないことをこれまでも繰り返し指摘してきました。自画自賛でありますが、本ブログ管理人の付した「歌意」はきわめて明瞭です:
%%%%%万葉集十九歌解読〔過去記事再掲〕。
この歌には、題詞がないようです。「万葉集」(本文編、佐竹昭広他共著、橘書房)にも、題詞が付されていません。後世(8世紀)の学者の検討にもかかわらず、題詞とすべき歌の背景が見定まらなかったのでしょうか?それとも、この歌の背後に生々しい、歴史の真実を暴き出す事件が隠されており、題詞をつける事が躊躇われたのか、定かでありません。

(原文)綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
(訓読)綜麻形の林のさきのさの榛の衣に付くなす目につく吾が背
(仮名)へそかたの,はやしのさきの,さのはりの,きぬにつくなす,めにつくわがせ
(左注)右一首歌今案不似和歌 但舊本載于此次 故以猶載焉
 この左注は興味深いものがあります:「この歌は、今思うに(「今」とは八世紀よりもずっと後でしょうか?)大和国の歌とは思えない。しかし、旧本にあるので、それを省くわけにはいかない。そんなわけで、この歌は以後も万葉集に留まっている」と。

 この左注への確たる解答は、この歌自身が提供しています。それは、この歌がはっきりと「場所」を詠みこんでいるのです。つまり。万葉集十九歌に相応しい歌なのです。

 そのヒントが「綜麻形乃」の「形」です。これは、「潟」です。
 JR佐世保線の「武雄」駅から鳥栖方面へ二つ走ると「北方」(きたかた)駅があります。「北方」は「北潟」の名残と考えます。つまり、この歌の詠まれた頃、有明海は深く北に入り込み、「武雄」近くまで「潟」を形成していたと思われるからです。

「綜麻」は、従来臍(へそ)と訓読されてきました。
「綜麻」を「へそ」と読むのは、日本書紀第五巻、崇神紀(岩波文庫(一)、274頁)の記事に縛られるからです:『御間城入彦五十瓊殖天皇 稚日本根子彦大日日天皇第二子也 母曰伊香色謎命 物部氏遠祖大綜麻杵之女也、』
 この現代文での意味は「崇神天皇は、開化天皇の第二子である。母は、いかがしこめ命で物部氏の遠祖であるおおへそ(綜麻)杵の娘である』。
 しかし、これまでの解読の作業が、我々に教えるのは、万葉集巻乃一が先にあり、そこから、何がしかの意図を以って書紀の記事として書き写されている事でした。とすれば、「綜麻形」は「へその形」とは詠まず、「綜」の形状・機能に着目すべきなのです。

 そこで、「綜」の形状・機能を考察する前に、この歌が場所を露わに詠みこんでいる事を考察します。それは、「都久」です。これは現在の「多久」であろうことが、以下から推察できます。
「多久」の近くには、「馬田」という場所があるからです。「麻」を「馬」と掛けているのです。これも漢字遣いの興趣のひとつです。麻織りでは、「綜」は縦糸の間を縫うようにうねうね進みます。そのように「馬田」の潟を、湿地を避けながら曲がりくねって歩く、との情景を巧みに表現しているのです。

 しかし、この詠み人の目的は何なのでしょうか?軍勢を率いているのでしょうか?十七歌に詠われた「武雄」から、「多久」に向かっている事は間違いありません。多久の北は聖なる山「天山」です。読み人は、何か願い事があり、そこへ向かっているのかもしれません。それは、納得のいかない形で行方が知れなくなった「大事なお方」を弔うためではなかったか、と私は考えています。

 というわけで、私はこの歌の「意」を次のように考えます:
麻を紡ぐときの「へ」の動きのように(馬)潟を、うねうねと通り過ぎ、林にはいると松〔杉か?〕の葉がちくちくと衣にささります。そして、私は「多久」にたどり着きました。
%%%%%

 私が注目しているのは歌に使われている「榛能」〔はりの〕なる漢字表記です。「榛名」(はるな)との「音」の酷似です。榛名山の命名者は、この地を訪ねた際、万葉集十九歌を思い出したのではなかろうか。そこはチクチクする葉を持つ杉の森であった。「榛」は「針」(はり)です。そこで「シンの山」と呼び漢字表記を「榛名」とした。こういう一定の教養がある人物、漢字の知識もある人物となれば、時代は奈良の権力が東国を席捲した軍事侵攻時代の後、すなわち早くとも八世紀半ば以降であったと、考えています。

 さらに「榛」なる漢字表記は政治的効果を挙げるという思惑もひそんでいたのではなかろうか、と推察します。この地は上毛野〔かみつけの〕であり、すぐ西隣は信濃です。「信」〔しん〕の由来については以前書きました(2013年7月29日記事)。「珍=秦」国に出自を持つ奈良盆地の部族が東国への軍事進出の橋頭堡とした地です。そこでこの地に「シン」なる名称を付したのです。そして、この地に九州倭国の指導者であった建身名方を「科人」〔とが〕として封じ込めたことは、古事記に記されています。信濃国にはその名残が残っています。「科野」を「しなの」と音します。一方で「戸隠」〔とがくし〕なる地名が「科」〔か〕から派生しています。

 信濃を軍事攻略した奈良権力は上毛野に東進します。そこで、攻略したのが現在の榛名山の陣屋です。「榛」は「秦」の「木」です。つまりこの地を奈良の新たな領土と宣言したに等しい命名です。
%%%%%過去記事再掲終わり
(つづく)

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+++++アラスカ巨大地震
 このところ、南海トラフにかかわりがあると思われる地震が頻発しています。
(表:伊予灘および徳島の地震。Hinetより。拡大は図のクリックで)
210729南海無題

その地震の発生様子を気象庁のデータベースで以って眺めようかなと思っていた矢先にアラスカでMw8.2の地震が起きました。本年は3月に大洋州・ニュージーランド北東でMw8.1の巨大地震が起きています。半年で二回も発生するのは珍しいことです。アラスカの地震について現在わかっている情報を下に掲載しておきます。
まずは震央です:
(図:IRIS( Incorporated Research Institutions for Seismologyによる。拡大は図のクリックで)
210729Alaskan8_1無題


次に巨大地震の発生に関する情報です:
(図:(左)日本列島の真上から見た世界の巨大地震分布;(右)日本列島の裏側から見た巨大地震。拡大は図のクリックで)
210729Alaska1無題

 改めていうまでもないことかもしれませんが、巨大地震のほとんどは、巨大プレートの境界で、すなわち巨大プレート間のせめぎ合いが原因で発生していることがわかります。そしてそのプレートの境界線もほぼ強雨である地球表面上にひいた大円状であることも注意しておくことかもしれません。

(図:1940年から2021年7月末までの巨大地震発生の時間的分布;⊂紂北半球の月ごと発生回数、下:南半球の月別発生数。拡大は図のクリックで)
 210729Alaska2無題

 毎度指摘していますが、北半球では年末に、南半球では年半ばに多数回の巨大地震が発生しています。それはそれぞれの半球での冬至の時期、すなわち太陽高度が低い期間です。簡単な力学計算でこの現象は説明できそうですが、そうした研究は見ていません。

(図:上記IRISによる地震解析から得られるこの地震の発震機構。拡大は図のクリックで)
210729Alaska無題

 表の数値はそれなりに巨大地震の物理政情を反映しています。いずれ、詳しく書いてみたいと思っています。左の円から、この地震が北西にゆるく傾斜する破壊面に沿って、陸側が海側に乗り上げるように起きたことがわかります。海底下での地震であるため、人はその現場で岩盤の破壊を観察できずとも、地震波の解析から破壊面の幾何学的性状がわかります。

求む!英明なリーダーを!、感染者急増、針間国


 本日の東京感染者3865人!!、五輪を中止し医療を含むコロナ対策に全力を!
倉持仁院長 「今必要なのは英明なリーダー。できないならすぐ代われ!」 7/29(木) 15:07配信、デイリースポーツ
 読売テレビ「ミヤネ屋」、TBS「ひるおび」など多数のテレビに出演している宇都宮市「インターパーク倉持呼吸器内科」の倉持仁院長が28日にツイッターに投稿し、「今必要なのは英明なリーダー。できないならすぐ代われ!」と記した。
 倉持氏は東京都で同日の新型コロナウイルス新規感染者数が初めて3000人を超えて3177人となったことを伝える報道を引用。
 「こうなる事は多くの人が危惧していた。今がピークなら良いがこのまま続けば二の舞。検査隔離、治療薬の確保、今必要なのは英明なリーダー。できないならすぐ代われ! この国には、リーダーシップと責任が取れる、先見の明あるリーダーが必要」とリーダーの無策ぶりを指摘した。

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:大谷翔平、2試合連発の弾丸37号は打球速度182キロ 2位ゲレロJr.についに5本差のキング独走 見えた年間60発 打点でもトップに1差 7/29(木) 12:15配信
【米大リーグ】エンゼルス−ロッキーズ(7月28日・日本時間29日 アナハイム/エンゼル・スタジアム) 【動画】37号を放った大谷翔平の出場試合(生中継中)  エンゼルス大谷翔平投手が「2番・DH」で先発出場し、4回2死一、二塁から両リーグトップを独走する2試合連続の37号3ランを放った。これで2位のゲレロJr.(ブルージェイズ)との差は、ついに5本差まで広がった。年間ペースでも59.3本と、メジャーでも過去に5人(8度)しか記録していない年間60本の達成も、いよいよ夢ではなくなってきた。  オールスター明けの6試合で14三振を喫するなど一時的なスランプに陥った大谷だが、23日(24日)の完全オフをきっかけに、状態が急上昇。休養後の4試合では15打数6安打2本塁打、打率.400と打ちまくっている。変化球中心の組み立てに苦しむ中でも、甘く入って来た時は逃さずスタンドに放り込むスイングで相手投手にプレッシャーを与え続けている。この日も第1打席から鋭い打球で一、二塁間を抜くライト前ヒットで出塁。5試合連続安打を記録していた。  第2打席を四球で歩き迎えた第3打席、カウント2-1から外寄りのボールに長い手を伸ばして強振すると、打球速度は113.1マイル(約182キロ)の弾丸ライナーで、あっという間にライトスタンドに飛び込んだ。  チーム101試合目での37本は、年間162試合で換算すると59.3本という超ハイペース。長いメジャーの歴史でも5人(計8度)しか達成していない年間60本に再び近づいてきた。60本達成は、2001年のボンズ(ジャイアンツ=73本)、ソーサ(カブス=64)以来、20年ぶりの快挙となる。  この一発で、本塁打王としてはさらに独走状態を築いたが、打点王争いにもいよいよ参戦。82打点でトップのディバース(レッドソックス)に迫る81打点とトップと1差に。投打二刀流ながら打撃二冠という、前代未聞の快挙に向けて突き進んでいる。 (ABEMA『SPORTSチャンネル』、写真拡大は図のクリックで)
21072937号無題


 老いぼれは ワクチン接種で 生き延びて 若者感染 急増せり

 私も先日二回目のワクチン接種を済ませました。普段、体内をマメにアルコール消毒しているせいでしょうか、「副反応」におそわれることもありませんでした。しかし、その間にも若者を中心として感染者数は急増です。昨日は東京でついに3000名を越えました。我が茨城県も194名と近日中に200名突破が予想されています。そのうちの一割に当たる22名がL452Rいわゆるインド株(Indian variant)です。私が住まう龍ヶ崎市は44ある県内自治体の中で、感染者数順位は10位前後を長くうろうろしていましたが、最近急増し、いまや取手市についで第6位にまで上っています。連日、市の防災課が警戒を呼びかけるアナウンスをしています。

 一昨日、感染者の急増を受けて久しぶりに記者の前に立った菅氏のなんとも迫力のない「言語」に大いに落胆し、改めてこの人物が一億余の日本国民を牽引する能力に決定的に欠ける人物であることを確認しました。テレビ報道番組で気鋭の論客玉川徹氏が怒りのコメントをしたとの事です。全面的に同意します。
%%%%%%玉川徹氏 感染再拡大の原因として糾弾「菅総理に危機感が感じられない」 7/28(水) 11:15配信
 テレビ朝日の玉川徹氏が28日、同局「羽鳥慎一モーニングショー」にリモート出演し、27日に東京で過去最多の新規感染者2848人を記録するなど新型コロナウイルス感染拡大に言及。緊急事態宣言が効いていないことを問題視し、その理由に人流が減らないことを挙げ、さらにその理由は人々に危機感がないからだと考察。そして、危機感が高まらないことの原因の一つとして「菅総理に危機感が感じられない」と厳しく指摘した。  番組では東京の入院患者が1週間で476人も増え現在2864人、重症患者も1週間で22人増の82人となったことも伝えた。  玉川氏は「緊急事態宣言が思ったより効いていないことが一番の問題で、その理由というのはやはり人流が減らない。人流が減らないっていうことはなぜかと考えると、人々の危機感が以前ほど強くないということだと思う。危機感がなぜ高まらないかということだが、いろいろあると思うが、一つはやはり昨日の菅総理の会見を聞いてても、菅総理に危機感が感じられない。もう人流が減少しているので心配ないですっていうふうなことを堂々と言ってしまう。これでは危機感なんか高まりようがなくて」と、菅義偉首相の危機感の乏しさを問題視。  さらに「結局は3000(人)、4000(人)という数になって初めて、多くの人がこれでは大変だっていうふうなことになって、多くの人々が大変な思いをするっていうところにいって初めて抑制がかかるっていう、全く認められないような形でしか人流の抑制がきかないということになりかねない」と案じた。  菅首相は27日の会見で「東京都によれば、感染者のうち65歳以上の高齢者の割合っていうのは2%台ということです。一方40代、50代の方の中で入院が増えており、デルタ株の割合も急速に増加しており、まずは4連休を含めて人流も含めて、そこは分析していくことにしました」と、淡々と説明していた。
%%%%%
 本日の関連記事を以下に転載しておきます:
%%%%%菅首相 SNSでメダリストを祝福も感染爆発には“取材拒否”「総理辞めて」の大合唱 2021年7月29日 11時0分 女性自身

東京五輪が盛り上がりを見せるなか、感染爆発とも言えるほど新型コロナイウイルスの感染者が急増している東京都。27日の新規感染者数は2,848人を記録し、ついに28日には3,177人が報告され、2日続けて過去最多を更新した。また全国でも9,559人の感染が確認され、今年1月8日に報告された7,957人を大幅に上回ったのだ。
急速な感染再拡大に不安が広がるなか、菅義偉首相(72)の“取材拒否”といった対応が物議を醸している。
各メディアによると27日、感染拡大を受けて「デルタ株の割合も急速に増加しており、4連休の人出も含めて分析していく」と記者団に伝えた菅首相。そして28日夕方、西村康稔経済再生担当相(58)や田村憲久厚生労働相(56)ら関係閣僚と官邸で緊急協議を開いたという。
しかし協議後、都に3,000人の感染者が出たことについて記者団から「どう対応しますか?」「国民にメッセージを出す必要は感じませんか?」と問われた菅首相は、無言のまま官邸を後に。さらに東京新聞によれば、官邸側は「本日はお答えする内容がない」と異例の“取材拒否”をしたというのだ。
いっぽう同日開かれた衆院内閣委員会の閉会中審査では、政府分科会の尾身茂会長(72)が「医療の逼迫がもうすでに起き始めている」「人々に危機感が十分に伝わっていない」と警告。また菅首相や政府の対応について、「人々にしっかりと危機感を共有してもらえるメッセージの出し方と、効果的な対策を打つという2点に尽きる」とも求めたばかり。
27日に「人流は減っている」述べ、東京五輪・パラリンピックの中止は「ありません」と言い切った菅首相。日本の五輪メダリストに祝福のツイートをするいっぽう、感染再拡大については沈黙――。
国民への説明義務を疎かにするような対応に、”総理大臣辞めて”などと資質を問う声の大合唱が起こっている。

《答える内容が無いと記者から逃げる一方、メダリストにはお祝いツイートするって。もう、びっくりだよ》
《総理大臣が取材拒否って? 対策で忙しいから取材受ける時間が無いって言うならまだしも…。責任感なさすぎじゃない?》
《今は緊急事態宣言下のさらなる緊急事態でしょう。「明日までに云々」とも言えないのか…。菅義偉氏に総理の資格なし。早く辞めて下さい》
%%%%%
 関連記事を末尾に転載しています。

+++++清寧記(5、針間国)
 清寧記は冒頭に以下を書きます:
(前略)此天皇。無皇后。亦無御子。故御名代定白髮部。 故天皇崩後。無可治天下之王也。 於是。問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。爾山部連小楯。任針間國之宰時。到其國之人民。名志自牟之新室樂。於是。盛樂。酒酣。以次第皆儛。故燒火少子二口。居竈傍。令儛其少子等。
文意は省略(前回記事を参照してください)

 清寧天皇は皇后が居らず子もおられなかった。死去後、誰を天皇後継者にするべきかを市邊忍齒別王之妹である忍海郎女(亦の名は飯豐王)に相談した、と記は書きます。この時点で飯豊王がどのような立場であったのか、について後世の学者さんたちはあれやこれや議論します。それは後日にじっくりと見ることにして、市邊忍齒別王の二人の息子が発見された経緯を「記」の記述に従って考えて見ます。

 二人の息子が発見されたのは「志自牟」なる地で開かれた宴の場です。そこは「針間」から遠くないらしいことが想像できます。「針間」とはどこか?それを探ることは更に一歩日本列島古代史の解明につながるやも知れぬとの期待があり、又もやお許しを願って少々の脱線であります。
 まずは考霊記(第七代天皇)は、「針間」なる地は「吉備国」制覇の突破口であったと語ります(岩波文庫「古事記」94頁)。すなわち「針間」は「吉備国」に隣接する「播磨」であると認識できます。因みに「吉備国」は景行天皇の后である「雞彌』(きみ、隋書倭国伝)が関わった国であると私は主張しています(19年6月17日記事神武東征(吉備(1))、今朝(190617)の地震、劣化した日本のメディア)。この顛末は後日考察することとして、次に登場する「針間」は開化天皇記(九代)です。文脈からはこれも後年の「播磨」であると理解できます。
 そして、次が以下の一節です:
%%%%%垂仁記
故今聞高往鵠之音。始爲阿藝登比。爾遣山邊之大鶙。令取其鳥。故是人追尋其鵠。自木國到針間國。亦追越稻羽國。即到旦波國。多遲麻國。追廻東方。到近淡海國。乃越三野國。自尾張國傳以。追科野國。遂追到高志國而。於和那美之水門張網。取其鳥而。
岩波文庫「古事記」111頁に拠った文意は 21年2月8日記事白鳥(羽衣)伝説、大物政治家の暗部(佐藤章氏)に掲載したのでここではそれを再掲しません。
%%%%%
 ここで登場する「針間」国も「播磨」と理解するほうが、話の筋書きに合うようです。別の解釈もありそうで、それは次の事例を考察した後に考察します。古事記を読み進めると、「針間」は景行記にも登場しますが、それは上に書いたように「吉備」に関わっているので、これも「播磨」であると了解されている風です。
 
「古事記」は上・中・下の三巻からなりますが、上および中巻は応神天皇前の諸事跡を記載しています。が、その記載の順序は時間の経過とは逆の順序です。このことを指摘する学者専門家は私が知る限りではおりません。たとえば、上つ巻きで語られる建御名方命の諏訪幽囚事件は古事記の記載順序に従えば神武天皇出現のはるか昔ということになります。しかし、本ブログ記事で駆使するシリウス星年代決定法などの結果から、それは七世紀後半の出来事であることがわかります。もうひとつの例として中ツ巻の中頃に登場する崇神天皇です。和名は「美麻貴」天皇ですが、常陸国風土記を併せ読解するならば、この人物の登場は七世紀末であり、紀元前ではありません(20年2月17日記事)。ほかにも例を挙げることができますが、それらはすべて本ブログでは以前に書いてきましたので、ここではそれを繰り返すことをしません。

 一方、古事記の下ツ巻はもっぱら六世紀末から七世紀半ば以前までの出来事です。出来事の詳細について編纂者たる藤原不比等は体験もなく知識もないはずです。従ってネタ(材料)のほとんどは蝦夷一族からの聞き込み、すなわち戦闘の中で捉えた渡来民(蝦夷)からの聴取によったと思えます。その中には、渡来民の一人であった稗田阿礼の供述も多く含まれている筈です(20年9月5日記事首相辞任背後のおどろおどろしい闇(安富氏)、稗田阿礼の実像に近づく)。それが古事記・上ツ巻冒頭に書く「序」です。そこには我々が中学・高校の歴史教科書で教えられる有名な一節があります:
%%%%%古事記冒頭の一節抜粋
原文:
 時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。即勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。
 文意(岩波文庫「古事記」15頁より)
時に舍人あり。姓は稗田、名は阿禮、年は是れ廿八才。人となりは聰明で目に渡れば口に誦む。耳に拂(ふ)れれば心に勒(しる)す。即ち阿禮に勅語して。誦習帝皇日繼を誦習することを令ずる。
%%%%%
 古代史研究者達は「古事記が編纂された当時、天皇の周辺には大変優れた「書記官」がいた。彼らは代々天皇周辺の出来事を詳細に記憶しそれを諳んじることができた」と、まじめな顔をして学術論文に書いてきたのです。しかし、どれほど古代の人間が優れていようとも、数百年にわたる天皇一家の出来事を詳細に文字なしに記憶していたとは思いがたいのです。しかし、藤原不比等は古事記で古代を語るにあたってはそうした才能の人物の存在を前提とするしかなかったのです。
 しかし、上で書いてきたように実際は、戦闘での捕虜者の記憶を我が物としてしまったのです。すなわち、古事記は先住の渡来民の活動歴を奈良政権の活動であるかのごとく簒奪したものといえます。

 我が物とするには、そのままでネタを使うことはできません。当然その年代記には多くの改変がほどこされています。そのひとつが「二重天皇」(21年5月17日記事東京五輪開催への外国メディアの危惧、継体天皇の三人の息子(1):)です。
 これから書く「針間」はまさにその時期での出来事です。すなわち、蝦夷族の活動が奈良政権による粉飾に歪められながら、実際の活動が垣間見える時期ということになります。ということは、「針間」なる漢字表記にはしかるべき史実がこめられているのではなかろうか。それを次回書きます。
(つづく)

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 冒頭に書いたTVコメンテイタ玉川氏を激怒させた菅首相の記者会見の詳細です。会見内容は、長く記憶にとどめおく必要も意議もないものです。が、歴史上のある時点にとてつもない無能な人間が政権のトップに居座っていたとの記録として記事を転載しておきます。
%%%%%菅首相「五輪中止ない」の理由「人流減った」「新たな治療薬確保」は大ボラ! 夜の渋谷では人流増加、新治療薬は対象が限定的 2021.07.28 菅首相「五輪中止ない」の理由「人流減った」「新たな治療薬確保」は大ボラ リテラ
 昨日27日、東京都の新規感染者数が2848人と過去最多となったが、菅首相はあいかわらずだ。ぶら下がり取材で「五輪中止の選択肢はないのか」と問われた際、こう言い放ったのだ。

「人流も減っているし、そこはない」

 だが、現在の東京の感染状況は、いますぐにでも東京五輪を中止すべきと言ってもいいほどの状態に陥っている。

まず、最大の問題は重症者の数だ。東京都は昨日の重症者数を82人と発表したが、以前も指摘したように、これは都が「人工呼吸器かECMOを使用」した患者しか重症者としない独自基準での数字にすぎず、これらにICU(集中治療室)やHCU(高度治療室)などでの治療をくわえた国の基準にすると703人(26日時点)にものぼる。しかも重症者用の確保病床はこの時点で1207床だから、使用率は58.2%と最悪のステージ4をゆうに超えているのだ。

 さらに深刻なのは陽性率だ。東京都が発表した昨日の陽性率は15.1%と、もはや感染爆発の状態にある深刻な数字を叩き出したが、この陽性率のもととなっている7日間移動平均の検査人数は、わずか8038人。かたや五輪関係者を対象にした検査は7月1日からすでに約24万件もおこなわれたというが、都民対象の検査数は7日間移動平均で1日1万件にも満たないのである。高齢者施設などで行われている定期検査やモニタリング検査の数は入っていないとはいえ、行政検査が足りていないのは明らかだ。

 だが、このようにすでに末期的な状況であるにもかかわらず、菅首相は「人流が減っている」ことを理由に、東京五輪を中止しないと断言したのだ。

 しかし、この「人流が減っている」というのは、大ボラだ。たしかに地域によっては人出が減っている場所もあるが、一方で大幅に増えている場所もある。

 たとえば、4連休の3日目となった24日(土)、渋谷スクランブル交差点付近の人出を、3回目の宣言期間の土日や祝日の平均と比較すると、日中48%、夜間62%と大幅に増加。五輪がはじまる前の1週間前と比較しても、日中は1%減少したが、夜間は11%も増加している(NHKニュース25日付)。

■政府分科会メンバーも「人の流れが減っていない」

 政府分科会メンバーである舘田一博・東邦大学教授は昨日の2848人という感染者数について、「4連休や東京オリンピックの開幕、それに夏休みなどで濃厚接触の機会が増えているほか、感染力の高いデルタ株への置き換えが急速に進んでいることが背景にあると考えられる」と指摘し、「人の流れが減っていないことを考えると、感染者数はさらに増える可能性がある」と警鐘を鳴らしている(NHKニュース27日付)。政府の専門家が、はっきりと「人の流れが減っていない」と明言しているのだ。

 しかも、首都圏では4連休に「大移動」も起こっていた。4連休の初日となった22日(金)正午時点のデータと、前日21日の同時刻のデータを比較すると、1都3県以外の道府県に約18万人が移動していた、というのだ(朝日新聞デジタル27日付)。

 実際、「移動先」のひとつとなったであろう沖縄の場合、24日の那覇市県庁前駅付近では1週間前と比べて日中31%、夜間26%も人出が増加。また、感染まん延特別警報を出している石川県では、兼六園の入園者数がゴールデンウィークの1日平均の2倍近くに。この話題を取り上げた東京新聞24日付記事によると、東京都から近江町市場を見て回っていた22歳の会社員は「コロナの心配はあるが、五輪ができるくらいなので。政府への反逆です」と語り、奈良県から来ていた37歳の会社員らも「東京五輪をしているくらいだから、コロナはあまり気にしていない。むしろお店でお金を使った方が良いかな」と話している。

 政府分科会メンバーの舘田教授も感染者の増加の背景に「東京オリンピックの開幕」があることを挙げているように、五輪を開催しているという事実自体が人に大きな心理効果を与え、移動を促してしまっていることは明々白々だ。

 逆に言えば、いま東京五輪の中止を決めれば、そのアナウンス効果は絶大で、「五輪を中止するほど危険な状況だ」ということを周知することができる。重症者を減らすには感染者数を減らすしかないことを考えれば、いますぐ東京五輪を中止すべきなのだ。

 ところが、菅首相は「人流が減っている」などと大ボラを吹いた。いや、それどころか、こんなことまで言い出した。

「重症化リスク、これ7割減らす新たな治療薬を政府として確保しておりますので、この薬について、これから徹底して使用していく」

■菅首相がぶち上げた「新たな治療薬」は重症だけでなく重症寸前の中等症2にも使えない可能性

 ようするに、新たな治療薬で重症者が減るから大丈夫というのだが、これ、本当なのか。

 菅首相が唐突にぶち上げたこの「新たな治療薬」というのは、19日に厚労省が特例承認した、中外製薬の「カシリビマブ」と「イムデビマブ」を同時に投与する「抗体カクテル療法」の点滴薬のこと。「抗体カクテル療法」は米トランプ前大統領が入院したときに使用されたことでも有名だが、中外製薬によると海外でおこなわれた治験では入院や死亡のリスクを約70%減らすことが確認されたという。

そして、菅首相はこの「抗体カクテル療法」を「徹底して使用する」と宣言したわけだが、これだけを聞くと、「みんなこれで重症化が防げるようになるのか」「重症化させなければ医療逼迫も解消される」などと考えるだろう。

 だが、はっきり言って、いまの東京の感染状況を考えれば「焼け石に水」で、その効果を得られる人はきわめて限定的になる公算が高い。

 というのも、この「カシリビマブ」および「イムデビマブ」の添付文書には〈「SARS-CoV-2による感染症の重症化リスク因子を有し、酸素投与を要しない患者を対象に投与を行うこと〉と書かれており、厚労省も20日付で自治体向けに出した事務連絡のなかで〈本剤は、現状、安定的な供給が難しいことから、当面の間、これらの患者のうち、重症化リスクのある者として入院治療を要する者を投与対象者として配分を行うこととします〉と記載している。

つまり、菅首相はあたかもこの「新たな治療薬」が現状を打開するゲームチェンジャーのようにぶち上げ、多くの患者に広く使用されるかのように語ったが、実際は「安定的な供給が難しい」もので、入院中の基礎疾患などがある人だけが対象となりそうなのだ。

 また、この薬は「酸素投与を要しない患者」つまり軽症者など症状の軽い患者が対象で、重症者だけではなく、重症者一歩手前の「中等症2」は対象外だ。

「中等症2」というのは「酸素を吸わないといけない、人工呼吸器の一歩手前の状態」のこと。感染症専門医である岡秀昭・埼玉医科大学教授は「今は重症が少ないと言われるが、実は重症という氷山の下に中等症2が予備軍のように大勢いるというのが第5波の特徴」だと指摘し、「中等症2で入院した患者がわずか数日で悪化し、生命維持装置が必要になるケースもあり、警戒を緩められない」と語っている(NHKニュース26日付)。

 つまり、重症予備軍として中等症2の患者が大勢いるにもかかわらず、「新たな治療薬」は使われない可能性が高いのだ。

 その上、前述したこの薬剤の添付文書には、〈症状が発現してから速やかに投与すること。臨床試験において、症状発現から8日目以降に投与を開始した患者における有効性を裏付けるデータは得られていない〉とも書かれている。現在、東京では入院・療養等調整中の患者が3404人もいるが、こうしてすぐに入院できずに待機しているあいだに、投与の対象外になる可能性もある。

■金メダルにはしゃぐテレビ、ネット上でも「もう始まったんだから文句は言うな」

 菅首相はこんな限定的な効果しか見込めない薬をあたかも切り札のように持ち出し、医療逼迫なんて起きないかのように語っているのだ。

 繰り返すが、いまの状況では重症者を減らすには新規感染者を減らすしか手はなく、そのためには国民に誤ったメッセージを発信し感染拡大を後押ししている東京五輪の中止しか選択肢はない。6月9日の党首討論で菅首相は「国民の生命と安全を守るのが私の責任だ。守れなくなったら(五輪を)やらないのは当然だと思う。それは前提だ」と述べていたが、いまがそのときだろう。

 しかし、この男は危機的状況を示す数字を叩きつけられても、「中止はない」と一蹴した。もはや国民の命と安全は、五輪と引き換えに、完全に捨て置かれてしまったのである。

 テレビは金メダルラッシュにはしゃぎ、ネット上でも「もう始まったんだから文句は言うな」「いま『中止しろ』なんて選手たちの頑張りを無駄にしろというのか」などという意見が散見される。だが、人命より五輪継続や選手の努力が大事であるわけなどない。ましてや一国の総理が守るべき人命を見殺しにしようとしているのだ。だから何度でも言う。東京五輪はいますぐ中止にすべきである。

%%%%%(編集部)
 最後にいつもの三じじ放談です。
平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ放談】2021年7月27日配信


清寧記(5,針間国),ドイツ紙が指摘する日本の問題

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:散歩途上にある公園の沢山の桜の木は春には大いに目を楽しませてくれます。そして夏の盛りには、これらの木でセミの羽化が活発です。なんと同じ日の朝に、羽化の三段階を目撃できました。拡大は図のクリックで)
羽化9780

羽化29787

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 蝉どもが 衣類を脱いで セミヌード (下品な駄歌であることは自覚しております。作者)

(写真:10年ほど前までは拙宅近くにはカブトムシが見つかるポイントが3つほどありました。知人に見つけたカブトムシを自慢することはあっても、場所を訊かれると「笑って答えず」で対応してきました。ところがその穴場が次々と新参者にあらされてしまい、本年はいまだに一匹も入手できません。虫籠持参の小学生らしい男児が母親を伴って、丹念に探しております。こうした母子は一組だけではありませんから、到底敵いません。やっと過日見つけたのが、クワガタでありました) 
鍬形9784


+++++清寧天皇記(3、針間国)
 現在、埼玉県岩槻の古社「久伊豆神社」を考察しています。この神社の由緒によれば、かっては騎西(きさい)町の古社「玉敷神社」もかって「久伊豆神社」であったと書きます。
(図:騎西神社の位置。岩槻から北西20kmにある。拡大は図のクリックで)
210722騎西無題

 この神社の参道も北北西―南南東すなわちシリウス方位を取っているので、この神社の位置も久伊豆神社同様、氷室山から眺めたシリウス星の神託を仰いだ可能性をいつもの計算で調べます:
玉敷神社(騎西)(lat,lon)=>[36.1074 139.5697]
D(距離)= 52.1-km、方位= 170.48、azimth= 170.5,age= 227.5
 計算によれば、この神社の地に陣屋が設営された時期は西暦227年と算出され、それは卑弥呼時代にさかのぼってしまいます。周囲の陣屋設営に倣った建築物、通路の設計をしたのであり、シリウス星によったのではなかろうと結論しています。というわけで、残念ながらこの神社に関する年代議論は今のところ未定とせざるを得ません。
 興味深いことをひとつ指摘しておきます。古事記は「師木」を有する地に宮を設営した天皇を三柱挙げています。
崇神 御眞木入日子印惠命。坐師木水垣宮
垂仁 伊久米伊理毘古伊佐知命。坐師木玉垣宮
欽明 天国押波流岐広庭。 坐師木嶋大宮
 崇神天皇の宮は「水垣」すなわち荒川の東岸、志木市と朝霞市の境界にある「宮戸神社」であろうと思っています。川(水)を陣屋を守る「垣」としています。この宮戸神社の北には「敷島神社」という古社があります。これが欽明天皇の宮であり、垂仁天皇の宮である玉垣宮が上で考察した玉敷神社であろうと考えています。
(図:敷島(中央上)、宮戸神社(右下)。拡大は図のクリックで)
210726敷島_宮戸無題

 誤解を避けるために急いで付け加えますが、これらの三天皇の出自を西域渡来民に帰しているのではありません。そうではなくて上記の三地点に、渡来民の首領級人物が政庁を設営していたということです。そして藤原不比等は古事記の構想を「文字」として具現化するためにこれら三首領の事跡を、そのまま転用し、かつその在所を奈良盆地に移し変えてしまったのです(あるいは勝手に後世の識者が「宮」は奈良盆地にあるべきと即断した)。

 興味深いことは上記三神社の参道の走向です。埼玉古墳群(鉄剣が出土した古墳)と関わりのある二つの神社、すなわち、宮戸、敷島神社の参道は逆シリウス方位です。すなわち北北東―南南西の向きを取っています。この方位は埼玉古墳群の前方古墳群の軸方位と同じです。すでにこの古墳群については改変されていると考古学者指摘しています。ということはかっての宮地に神社を創建するに当たっても古墳の改変に倣ったのだろうと想像しています。藤原不比等が構想する歴史観にとってはこの古墳と宮だけは極めて重要であったことを示している「史実」と考えています。理由は渡来民の「シリウス」星信奉の強い否定です。

(図:久伊豆神社と岩槻古墳(岩槻城址)。拡大は図のクリックで)
210726岩槻古墳無題

 神社と岩槻城址の間の位置関係は「シリウス」方位であるように見えます。しかし、城址内のどこに墳墓があるのかが明示されていないので、この位置関係から相応の年代決定はできません。そうではあってもこの墳墓に眠る人物については、古事記がそれを書いているようです。
%%%%%古事記・下巻・抜粋
原文:
故天皇崩。即意祁命。知天津日繼。天皇。御年。參拾捌歳。治天下八歳。御陵在片岡之石坏岡上也。

文意(岩波文庫「古事記」203頁):
(父を殺害した雄略天皇の墓を暴いて敵を取ろうとも考えていたが、それは大所高所を考慮してやめた。そしてその顕宗)天皇が亡くなった。ただちに意祁命が天津日繼として天皇となる。御年は參拾捌歳、天下を八歳おさめる。御陵は片岡之石坏(いわつき)岡上にある也。
%%%%%
 淡海(現在の新潟県)に出自を持つ渡来族の首領級人物は、現在の埼玉県岩槻城址に葬られたのだろうと考えています。この「史実」を藤原不比等は自らが編纂する「奈良権力闘争史」すなわち「古事記」の一節に取り込んでしまったというわけです。本ブログを読んでくださった方には、藤原不比等のそのやり口は珍しくもなんともないことであると理解して頂けるはずです。

 以上、清寧天皇の宮の所在地「甕栗宮」を考察してきました。少し話を進めておくことにします。
%%%%%清寧記・冒頭
原文:
白髮大倭根子命。坐伊波禮之甕栗宮。治天下也。 此天皇。無皇后。亦無御子。故御名代定白髮部。 故天皇崩後。無可治天下之王也。 於是。問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。爾山部連小楯。任針間國之宰時。到其國之人民。名志自牟之新室樂。於是。盛樂。酒酣。以次第皆儛。故燒火少子二口。居竈傍。令儛其少子等。 

文意(岩波文庫「古事記」195頁より)
白髮大倭根子命(清寧天皇)は伊波禮之甕栗宮に坐して天下を治めた。此天皇は皇后が居らず亦御子も無かった。そこで、御名代に白髮部を定めた。 天皇が崩御された後、天下を治めることが可(でき)る王がいない。そこで、日繼(ひつぎ)として世の中を治めることができる王族を問うた。市邊忍齒別王之妹で忍海郎女、亦名を飯豐王がいる。王は葛城忍海之高木角刺宮に坐すなり。ところで山部連小楯が針間國之宰(地方官吏)に任じられ、其國に赴任した際、その地の住民で名は志自牟というものが新室(?)で樂しんでいた。宴は盛んで酒酣(たけなわ)になり、次々に皆が儛(おど)った。そのとき火の面倒を見ていた少子二人が竈の傍にいたので少子等に踊るようにと言った(この後、二人は自分達が押歯王の息子であると名乗った
%%%%% 
 顕宗天皇(和名億祁王)は、兄の意祁王とともに、大長谷王に追われて玖須婆河をわたり針間国に達したと安康記が書いていました。その「針間」国の宰に任ぜられていた山部連小楯が、赴任した歓迎の宴で驚きの人物と遭遇したと書きます。針間国なる漢字表記は日本書紀ではすべて「播磨国」に書き換えられています。こうした書き換えから思い起こすのが「淡海」です。日本書紀ではそれが「近江」なる漢字表記に置き換わっていることを
21年6月14日記事「飯豊王(7、淡海)、偏向を突っ走るNHK、コロナはただの風邪か?」で書きました。研究者や学者は針間国は播磨国すなわち現在の兵庫県であると解説します。私はこれについて大いなる疑いを持っています。十分な考察が終えているとはいいがたいのですが、現在の考えを次回書きます。
(つづく)

考古学ランキング

 辞任・解任が相次いだ混乱状態のまま、五輪組織委員会は政府容認のもとで大会開催にこぎつけました。政府はコロナ感染の改善を放置していますから、このところ国内感染者は急増です。当然、大会関係者・選手にも感染が拡大しています。驚くべき実態が報じられています。
%%%%%濃厚接触者“特例ルール”の大問題 組織委「責任逃れ」で五輪は今後も混乱間違いなし 公開日:2021/07/24 11:30 更新日:2021/07/24 11:35
 Jリーグのある関係者が呆れ顔でこう言った。
「開会式1週間前の15日のことです。政府と東京オリ・パラ大会組織委員会が【新型コロナ感染者の濃厚接触者でも<試合開始6時間前のPCR検査の結果が陰性>の場合は出場を認める】という方針を打ち出した。五輪選手の出場機会確保のためとはいえ、大幅な規制緩和に仰天させられた」
 コロナの潜伏期間は1〜14日とされ、国内では濃厚接触者が陰性となっても「14日間の自宅待機が求められる」。政府や大会組織委は当初、濃厚接触者は「6日間は出場不可」という基準を設けることにしていた。
 一転「6時間前検査が陰性なら出場OK」にしたのは「本大会で陽性反応者と濃厚接触者が続出することが予想され、6日間の出場不可を適用すると大会が大混乱に陥ってしまう」(マスコミ関係者)と懸念したからだ。
22日の男子サッカーの日本―南アフリカ戦。本来なら「中止」に追い込まれるところだった。
 南ア2選手のコロナ感染が判明し、18人が濃厚接触者として認定されたが、大会組織委は「濃厚接触者の氏名を非公表」とした上で「試合開始6時間前のPCR検査で全員が陰性だった」ことでゴーサインを出した。前出のJリーグ関係者が言う。
「6時間前検査で陰性だったとしても、試合後の検査で陽性反応が出る可能性はある。コンタクトプレーありのサッカーで濃厚接触者と試合をさせるなんてあり得ない。今までやってきた感染予防対策は何だったのか?」
■試合挙行の最終判断はチーム同士に委ねている
 この特例ルールの問題は対戦相手の承諾が必要なこと。試合挙行の最終判断をチームに委ね、組織委は責任の所在をあいまいにしていると言わざるを得ない。
「今後、南アの選手に感染者が出たら、試合中に何度も接触した日本選手が感染している可能性がある。仮に25日に対戦するメキシコ、28日に対戦するフランスの選手が『日本とは試合をしたくない』と言い出したら、言い出した方が不戦敗になる。そうしたチームが続出したら、競技自体が成り立たなくなる。これはサッカーに限らず、ラグビーや柔道やレスリングなどコンタクトプレー競技すべてに当てはまる。組織委も<とにかく試合を消化して五輪を成功裏に終わらせる>ことや<責任逃れ>しか考えていない。各競技団体の関係者は怒り心頭です」(放送関係者)
 組織委の特例ルールが五輪にさらなる混乱を招くのは必至だろう。
%%%%%

 開会式セレモニの演出責任者が「ユダヤ人虐殺問題を過去に揶揄していた」との廉で組織委員会から解任されました。この問題についてはいろいろと考えたいことがあります。いずれ機会を見て書こうと思っていますが、私が何より気にするのは組織委員会の内部の人事問題にSWC(Simon Withental Center )が、経緯はともかく介入していることです。1995年、今からほぼ四半世紀前の昔、日本の商業雑誌「マルコポーロ」を廃刊に追いやったのが、米国内に本拠を置くこの私的な機関です。それが今でも世界に監視の目を向けている。このことに世界の良識ある人たちは警戒心を持つべきと思っています。
 というわけで、日本は国内の国民の不安、希望にはまったく頓着しないが、外国人が何かを言うと即座に反応することがまたもや晒け出されました。下に示すドイツ紙の真っ当な、日本人にはまことに耳の痛い論説に耳を傾けてもよいはずです。
%%%%%ドイツ紙が指摘「五輪によって、普段は気づかれない日本の問題が明らかになった」 7/24(土) 18:30配信
スキャンダル続きで開幕した東京五輪だが、発覚した数々の問題は、問題を根本的に解決しようとせず、表面的に対応してやり過ごそうとする日本の姿勢が現れただけだとドイツ紙は指摘する。さらに、本大会の強硬な実施は、五輪自体の危うさを示しているという。 【画像】ドイツ紙が指摘「五輪によって、普段は気づかれない日本の問題が明らかになった」
外国人が批判しなければ見過ごされた問題
独紙「南ドイツ新聞」では、東京特派員のトマス・ハン記者が、東京五輪について「課題に充分対処しない日本の姿勢を多く露呈する。その姿勢は、日常のなかでは気づかれないものだ」とコメントしている。 開閉会式のショーディレクターであった小林賢太郎が、過去にユダヤ人の大虐殺をあざけ笑うコントをしていたことで開会式前日に解任されたが、それは一連のスキャンダルによる辞任に続くものに過ぎず、「世界のスポーツ界は、東京大会の次のスキャンダルが何かと見ている」という。 開会式の音楽制作担当だった小山田圭吾の過去の障がい者へのいじめ問題による辞任、渡辺直美の容姿を侮辱した演出ディレクターの佐々木宏の辞任、女性蔑視発言をした森喜朗前会長の辞任と、スキャンダルが続いた。 これらのスキャンダルは、新しい担当者を入れることで対処されてきた。「このように日本においては、通常すぐに対応できる解決策が好まれる。しかし、根底にある問題に目が向けられているのかはわからない」と指摘する。 「結局、女性差別やいじめ、反ユダヤ問題などは、ただの間違いではない。これらの問題は、島国の日本では外国人が批判したときにのみ問題になるのだ」と述べ、非倫理的な発言や行いが日本では普段見過ごされ、充分な対応が取られていないと批判的だ。
改善のチャンスを逃した日韓関係
さらに、「国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、東京大会を『連帯』の機会にしようと言ってきた」のに、その反対の現象が「歴史や領土問題で対立する」日韓の間に起きたことを指摘する。 「韓国の文在寅大統領は、開会式の間に菅首相と話がしたいと考えていた。しかし、成功の見込みがないことから来日を取りやめた」と韓国政府は発表した。 「日本の政治家はこの機会を、韓国との対話の機会に活用せず」、それどころか韓国の反感を買ったのだ。「ソウルの日本大使館の相馬弘尚総括公使が、文在寅政権の対日外交姿勢を軽蔑するような言い方をした」と報道された。 そして韓国団は「福島の食品を信用しないために独自の食品を持ち込み」、「16世紀の日韓の間の戦争を彷彿とさせる言葉を含む横断幕を、選手村の外壁に掲げ」、日本側の反発を買うような動きがあった。 横断幕は「五輪憲章に反するとIOCが判断して」取り下げられたが、根深い日韓の対立が、五輪でさらに浮かび上がってしまった。 「これほどまでに日本の問題があぶり出されたのは、驚いた」とハン記者も述べている。
IOCは人類のためになっているのか
一方、ハン記者は「南ドイツ新聞」の別の記事で、「何が起きても試合を行う」という精神で押し通された今回の大会は、五輪の危うさを露呈させ、その意義を問いかけるものになったという。 「世界中で死者の数は増え続け、医療の専門家がスーパースプレッダーイベントになりうると懸念を示すなか」での大会では、「選手はパンデミックを気にしないでいる」しかない。「五輪によって人々の健康がおびやかされ」、「世界は廃墟と化しているのに、テレビの中の競技はすべて無傷」であるかのような極端さがある。 一方、懸念があるのに開催を強硬したことで、「スポンサーも悪評を恐れて五輪から距離を置くようになり」、商業的にもマーケティングの関係者さえ喜びにくいものになってしまった。 さらに、「感染予防対策がとられているにもかかわらず、感染者の数は増え続け、試合に出られなくなった選手も相次いでいる。感染が充分防げていないことは明らかだ。そして、「これまでのニュースを見る限り、現在のパンデミックにおいては、超大型イベントは機能しない」ことが示されたことになると書いている。 「もし五輪が、過去から続くその象徴する精神をどんな時でも示さなくてはいけないものであり続けるならば、そのうち誰も五輪を求めなくなるだろう」とし、世界が求めるものと現在の五輪は一致していないとを指摘する。そして、「IOCは、人類のためになっているのか」、世界は問いかけるべきだと言う。 「マーケティングやハイテク技術、あるいはメダルの祝福などの小手先の対応では、グローバルに起きている問題は隠せない」のだ。
%%%%%
関連記事
SWC Condemns Anti-Semitic Remarks by Director of Opening Ceremony of Tokyo Olympics

関連記事:
スポンサー企業も国民も損ばかりしている 英紙が痛烈批判「東京五輪は菅首相のためだけに開催されている」 2021.7.21 クーリエ・ジャポン フィナンシャル・タイムズ(英国)Text by Robin Harding, Kana Inagaki, Murad Ahmed and Sara Germano

清寧記(4、岩槻・久伊豆神社)、バッハ氏の繰言、菅氏の開き直り

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:今朝は久しぶりに「くちなわ」(口を持った縄すなわち蛇)と出会いました。そういえば先日はかなり大きい抜け殻が散歩道に横たわっていました。あれを脱ぐのも大変だったろうと彼奴(キャツ)の苦労に想いを致しました。
蛇9777
 

 眼前を 蛇が堂々 横切りおる 我は怯えて 渡るを待てり

 あれだけ、黄色人種を居丈高に軽んずる言を弄してきた傲慢白人が、東京の感染急拡大を眼前にして殊勝なことをほざいています。
%%%%%「開催に疑念あった」バッハ会長 今さらの掌返しに“卑怯”と怒り爆発 7/21(水) 21:22配信 
国際オリンピック委員会(以下・IOC)のトーマス・バッハ会長(67)が7月20日、IOC総会で「東京五輪の開催に疑念を持っていた」と明かした。突然の“手のひら返し”に、ネットでは非難轟々となっている。 【写真】若かりし頃のバッハ会長 『朝日新聞デジタル』によるとバッハ会長は東京五輪について「延期を決めてから15ヵ月間、非常に不確実な理由で日々の決定を下さなければならなかった。私も未来がどうなるか分からなかった」とコメント。続けて、こう語ったという。 「どんな犠牲を払っても前進すると解釈もされた。しかし、(もし発言すれば)我々の疑念はその通りになっていたかもしれない。五輪はバラバラになっていた可能性がある。だからこそ、我々の胸の内に疑念をとどめなければならなかった」 バッハ会長は「どんな犠牲を払っても前進すると解釈された」というが、彼が「緊急事態宣言と東京五輪は関係ない」と話したのは4月の記者会見でのこと。 その翌月、来日した際にも「大会が可能になるのは日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力をもっているから」と発言。さらに日本人に対して「美徳を感謝したい」と称揚もしている。 そして7月には、菅義偉首相(72)との会談で「感染状況が改善したら、観客を入れることも考えてほしい」と提案。新型コロナウイルス収束の見通しが立たないなか、こうしたバッハ会長の発言は“ひたすらなゴーサイン”としか解釈できないように見えるがーー。 ■「今更何言ってんの?」「卑怯&後出しジャンケン&無責任」 「新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた昨年3月。世界で死者が増加するなか、バッハ会長は『中止は選択肢にない』とアメリカ『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューで語っています。そして今年7月21日、IOC総会で『実際問題として、中止が選択肢に入ったことはなかった』とも述べています」(全国紙記者) 新型コロナの感染拡大は人命に関わることであるにも関わらず「東京五輪を中止にする選択肢はなかったが、開催への疑念は持っていた」というバッハ会長。ネットでは厳しい声が相次いでいる。 《マジ何なの? 日本国民だって少なからず疑念持って声だって挙げている人も少なくないのに、無理やり推し進めてきたのはてめーらだろ?今更何言ってんの?》 《バッハ会長が今、開催に疑念があったって言うのは流石に卑怯&後出しジャンケン&無責任の最悪のミルフィーユじゃんね》 《反対派の人からすれば「もっと早く言ってくれれば中止にできたかも知れないのになんで今言うんだ」という感想を持つでしょうね》 《バッハ会長は五輪開催に疑念があったなどと急に言い出して梯子を外しにきてて嫌な予感》 今月13日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長(56)との会談で日本人を「チャイニーズ・ピープル」と言い間違えていたバッハ会長。果たして彼は本当に日本と向き合っているのだろうかーー。
%%%%%:コメント
参考記事:IOCのバッハ会長が五輪開催への疑念明かす ネットでは「今更何言ってんの」

 今週のニュースを動画「デモクラシータイムス」が振り返ります:
<滅裂五輪、菅の暴落>【山田厚史の週ナカ生ニュース】


+++++清寧天皇(4、天王山塚古墳)
 清寧記は冒頭の部分で飯豊郎女の宮の存在を記しており、その考察に直ちに移るべきでありますが、そこでまたも「寄り道」との謗りをいただくことを覚悟して、天皇の宮とされる「甕栗」(みかくり)の在り処を探す作業に首を突っ込んでいます。呼称を満たす地理的要件などをから、辿りついたのがJR東北本線「栗橋」駅から程近い「鷲宮神社」です。この地を決定するに当たってはシリウス星の神託を氷室山にて仰いでいたとすれば、その決定時期は「西暦553年頃」と推定できます。行田近くの埼玉古墳群から出土した鉄剣に刻まれた年代が「西暦531年」(辛亥年について学者先生は471年とする)ですから、それほど隔たっていません。
 清寧記は天皇が何年間在位したのか、死後の遺体の埋葬地等を記しません。が、清寧紀(日本書紀)は西暦484年正月に死去し11月に河内坂門原に葬ったと書きます。:
%%%%%日本書紀:
原文:
清寧天皇五年(甲子四八四)春正月甲戌朔巳丑(正月十六日)天皇于宮崩。時年若干冬十一月庚午朔戊寅葬于河内坂門原陵。
文意(岩波文庫「日本書紀(三)」102頁)
清寧天皇五年(甲子四八四)春正月、甲戌朔巳丑(正月十六日)天皇宮で崩くなる。時年若干。冬十一月庚午朔戊寅(十一月九日)河内坂門原陵に葬る。
%%%%%
 日本書紀は古事記の記載に「尾鰭をつけて」書くのが常です。清寧記が960文字(総計300文字からなる七編の歌を含む)に対して清寧紀は1300文字に上ります。すなわち、歌を除くと清寧記を二倍に膨らましたものが清寧紀です。古事記が撰上された西暦712年後の8年間で、二倍もの関連情報が集まってくるということは考えにくいことです。となると、日本書紀は稗田阿礼などによる供述に、だいぶ過大な脚色が施して編集されているのだろう、と私は疑っています。
 と、いうわけで古事記が記載しない清寧天皇の墓所を鷲宮神社周辺で探してみます。後世に残る呼称から浮かび上がってくるのが天王塚古墳です(下図参照)。
(図1:鷲宮神社と天王塚古墳。拡大は図のクリックで)
210715天王山塚古墳無題

この神社について興味深い記事をインタネットで見つけました:
%%%%%第4回 天王山塚古墳(てんのうやまづかこふん) 更新日:2018年12月3日
位置 北緯36度02分21.5秒 東経139度34分29.3秒
田園風景が美しい菖蒲地区の中で、菖蒲町上栢間(かみかやま)・下栢間(しもかやま)は、約550メートルに及ぶ参道林をもつ神明(しんめい)神社があるなど緑豊かな地域です。
その一つとして、「栢間七塚(ななつか)」と呼ばれる栢間古墳群があります。中でもひときわ目につくのが、県内屈指の規模を誇る前方後円墳、天王山塚古墳です。昭和6年(1931)に埼玉県指定史跡となっています。この古墳は、元荒川左岸に位置し、全長100メートルを超す姿は、うっそうとした樹木に覆われた小山のようにみえます。大正2年(1913)の記録によると、この古墳はかつて天王山あるいは瓢箪塚(ひょうたんづか)と呼ばれていたようです。本格的な発掘調査が行われていないため、詳しいことはわかりませんが、付近で見つかった埴輪(はにわ)の破片などから、今から1400年余り前の古墳時代後期に造られたと考えられています。また、この埴輪片は、生出塚(おいねづか)遺跡(鴻巣市)の埴輪窯で生産されたものと推測されています。
塚の上には、角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)という石が点在しており、石室(せきしつ)(石でつくられたひつぎを納める部屋)に使われていたとみられています。この石は、群馬県の榛名山(はるなさん)産で、河川交通等によって、産出地付近から直接運ばれてきたと考えられています。いずれにしても、この地に大きな政治力と経済力をもった大豪族がいたことは間違いないようです。塚上の東側には、さらに高く土が盛られた場所があります。付近にある石碑から、この辺りの領主であった内藤氏(ないとうし)に仕えていた萩原久安が、文政12年(1829)に病が治ることを願い、領主の許しを得て、浅間信仰(せんげんしんこう)のため富士山を模した小山を築造したことがわかります。この石碑に並んで弘安5年(1282)銘の板石塔婆(いたいしとうば)などもあります。また塚上には、薬師堂が建っています。昔、天王山塚古墳の北側に正福寺(しょうふくじ)という寺院があり、その薬師堂であったと伝えられています。天王山塚古墳は、古墳時代以降も永い間、人々の心のよりどころとして、守り継がれてきました。
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 古墳の石室壁の角閃石安山岩は群馬県の榛名山から切りだされとのことです。それは榛名山の北麓で吾妻川に浮かんだ船に乗せられ利根川に乗って渋川、前橋、伊勢崎を経て、古利根川に達し陸揚げされたとのことです。となると、この墓の主はしかるべく大きな権力を持った「大王」級人物と思われます。後日書きますが、この地が榛名山と関わっていたことに注目しています。
 この墳墓は鷲宮神社からはほぼ南西の方角10kmに造成されています。
 --> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
鷲宮神社(lat,lon)=>[36.10008 139.6549]
天王山塚古墳(lat,lon)=>[36.0393 139.5748]
D(距離)=9.9-km、方位= 226.83 (225度に近い値)
 古代世界では、30度、45度、60度、90度(直角)は、コンパスと物差しで正確に再現できる角度であるため、しばしば、古代遺跡の配置に見いだされます。新潟県の日本海沿岸の青海神社と三条・加茂公園の青海公園の配置がそれです(21年6月17日記事)。また、記事「福島県須賀川西方に展開される二等辺三角形配置(14年8月13日記事飯豊(10、幾何学配置で思想を体現す」)で書いた配置もそうで、これについては近日中に再論します。果たして今般表出した45度にどのような古代人の思いがこめられているのか、現時点では不明です。単なる偶然かもしれません。
 もう一つこの墳墓については興味深い観察があります。
 (図2:天王山塚古墳クローズアップ。拡大は字のクリックで)
210722久伊豆_2無題

 この墳墓の北北西の方向に久伊豆神社の小祠があります。あたかもシリウス方位のごとくであるので、その方位を算出します。
久伊豆神社の小祠の緯度=[36 2 21.5]= 36.0393
久伊豆神社の小祠の経度=[139 34 29.3]= 139.5748
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
久伊豆(lat,lon)=>[36.0458 139.5725]
天王山塚古墳(lat,lon)=>[36.0392 139.5748]
D(距離)= 0.8-km 、方位=164.26 、azimth= 164.3,age= 486.7
というわけで、墳墓は西暦487年ごろの造成であると算出できます。この久伊豆神社の小祠と墳墓との距離はわずか800mと小さいので、双方の位置が一万分の一度違ってもその算出結果は異なります。どれだけ違ってくるかを調べておきます:
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
久伊豆(lat,lon)=>[36.0458 139.5724]
天王山塚古墳(3)(lat,lon)=>[36.0392 139.5748]
D(距離)=0.8-km、方位= 163.61 ,age= 513.7
西暦514年、すなわち30年近く異なる推定値となります。いずれにしても鷲宮神社の地に陣屋が設けられた推定年代553年以前ということになります。近距離過ぎて精密な議論をするには精度不足であるということかも知れません。

 ところで、久(ひさ)伊豆神社の総社は岩槻にあり、埼玉県東部の古社の一つです。岩槻といえば「人形つくり」で知られた地です。ウイキは以下を書きます。
(図2:北関東の要所分布。岩槻は図下部にある大宮のすぐ東。拡大は図のクリックで)
北関東 北関東07159745

%%%%% ウイキ久伊豆神社 (さいたま市))
久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)とは、神社の名称。
埼玉県加須市に鎮座する玉敷神社がかつて「久伊豆明神」と称しており、総本社とされている。祭神は大己貴命。埼玉県の元荒川流域を中心に分布し、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。
なお、西側の荒川流域には氷川神社、東側の中川流域には鷲宮神社、利根川・江戸川流域には香取神社が多数分布している。
久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、さいたま市岩槻区宮町二丁目にある神社である。岩槻の総鎮守とされている。旧社格は県社。境内は岩槻城址の一部である。なお、「久伊豆神社」は当社のほかに岩槻区内に8社鎮座している。
歴史[編集]
創建は古く、一説には約1,400年前欽明天皇の時代に土師氏が出雲から久伊豆明神(大己貴命)の分霊を勧進し岩槻に社殿を建立したのにはじまるとされている。1457年(長禄元年)、太田道灌が岩槻城を築城した際、当社を岩槻城の鎮守とした。
久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社である。祭神は大己貴命(大国主)である。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。加須市の玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている。
参考:
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 下図はこの神社参道境内を眺めたものですが、参道の走行は北北西―南南東すなわち明瞭なシリウス星方位を取っています。そしてなぜかこの神社には榛名神社が祀られています。
(図3:神社参道と境内。拡大は図のクリックで)
210722久伊豆_榛名無題

 どうやらこの地も、かっては西域ペルシアからの渡来民の影響を強く受けた一族がこの地に陣屋を設けたようです。八世紀に彼らの影響が取り除かれた後に、鎮魂のためにその地に神社を創建したのでしょう。そうとすれば、その設営年代をいつもの手順で見積もることができます。鷲宮神社同様、シリウス星観測地点は氷室山であると仮定します。
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci',−1)
久伊豆神社(岩槻)(lat,lon)=>[35.9596 139.7030]
D(距離)= 70.9-km 、方位=163.07,age= 536.2
 渡来民は八溝山から静神社、吉田神社をへて鹿島神社に至る総距離111kmにわたる線上配置をやり遂げていますから(18年2月7日記事「八溝−静神社設営作業推測、佐高氏の西部氏自死追悼、大学貧困」、71kmの距離での配置はそれほど困難ではなかったと思えます。
 そこで、再度シリウス星の天空上位置から推定した史跡位置決定時期について本ブログでの算出結果をまとめておきます。
 須賀川・二等辺三角形・中線(福島県):374年(19年9月23日記事 
飯豊山―伊佐須美神社(福島県、陸奥国二宮):450年(19年9月23日記事)
八溝山―鹿島神社(茨城県、常陸国一宮):464−531年(18年2月5日記事)
稲荷山古墳―宮戸神社(埼玉県志木):519年(18年2月12日記事)
氷室山―久伊豆神社(埼玉県岩槻):536年(21年7月22日本ブログ記事)
氷室山―鷲宮神社(埼玉県久喜市):553年(21年7月15日記事) 
嵯峨愛宕―箸墓古墳(京都・奈良)570年(20年5月10日記事)
阿夫利神社―神揃丘(神奈川平塚):571年(20年10月2日記事)
雷山―八代(福岡・熊本):657年(18年8月8日)
橿山―小国(静岡県・天竜):663年(21年7月8日記事「二つの小国神社、傲岸の麻生氏(小沢一郎談)、大谷32号、横浜市長選」
 さて、この陣屋に政庁を構えた人物は「袁祁岩巣別」であったろうと考えています。長い記事は蒸し暑い時期には忌み嫌われることを自覚していますので、その議論は次回に回します。暑い日々、皆様におかれましてはどうぞご自愛ください。
(つづく)

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+++++五輪と首相
 在留外国紙記者にずいぶんと偉そうな言を吐いた菅氏が批判を浴びています。氏は「覚悟を持って五輪強行」を図ったと言いますが、事態の推移は間逆です。行き当たりばったりのその場しのぎがあちこちで破綻をきたしています。そしてついには「壮絶な苛め体験」を武勇談の如く語っていた音楽家が五輪組織委員会から去りました。湯川れいこ氏、坂本龍一氏などは氏の優れた音楽性を評価していたとも聞きます。お二人は人間の平等を強く社会に訴えてこられた方々なので、そうした評価は信じ難いことです。優れた音楽の創造と狂気は表裏一体であるとの誤解をうみかねません。障害をかかえていようともこの世に生まれた人間の尊厳が音楽の創造才能に破壊されるとしたら、その音楽家の存在価値はないと私は考えています。
菅氏は「挑戦するのが政府の役割だ」とも語ったとの事です。この発想には国民の健康・生活への不安は一顧だにされていません。菅氏自身の自己保身への「挑戦」です。
%%%%%首相「五輪中止は簡単、挑戦が政府の役割」 米紙取材に 2021年7月21日 22時29分
 菅義偉首相は21日掲載の米紙ウォールストリート・ジャーナル日本版のインタビューで、東京五輪の開催判断について、周囲から中止が最善の判断だと何度も助言されたことを明かした上で、「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ」「挑戦するのが政府の役割だ」と語った。
 インタビューで首相は「感染者数なども、海外と比べると、1桁以上といってもいいぐらい少ない」と強調。「ワクチン(接種)も進んで、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている、準備はできていると、そういう判断をした」と述べ、五輪開催の判断を正当化した。
 また、インタビューでは、同紙が世論調査を引いて、「日本国民の約3分の2は、五輪を楽しめるとは思っていないと回答した」と指摘しているが、「菅氏は、競技が始まり、国民がテレビで観戦すれば、考えも変わるとして自信を示した」という。
%%%%%コメント

清寧記(3、鷲宮神社)、コロナワクチン(児玉龍彦氏)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:良かった!オールスタア戦後、五打席連続三振にやきもきしました。このままHRを連発できぬまま今シーズンを終えてしまうのかと心配していました。拡大は図のクリックで)
210719大谷無題


 夏が来た 幼き頃は 多忙なり 毎日毎日 やること一杯

 少年時代をすごした神奈川県川崎の田舎では、夏は日々多忙でありました。なんせ、蝉取り、ザリガニ、川での水遊び、三角ベース(野球)、藪の探検、などなど。ゲーム機なぞはなく、もとよりTVもありません。外に出て道端の雑草に忌み嫌われながら駆けずり回っていました。しかし、今はどうでしょうか?暑い日々は愚痴ばかりでごろごろしている以外にすることはありません。どこぞの高級レストランで二本指で軽くつまんだワイングラスをもてあそびながら美人様と軽口を叩きあいたいものよと、北関東の寒村で、蝉の声を聞きながら夢想しております。
%%%%%大谷翔平、34号2ラン! 後半戦初アーチは5試合ぶりの一発 31本で猛追のゲレーロJr.に3本差 7/19(月) 8:25配信
【米大リーグ】エンゼルス−マリナーズ(7月18日・日本時間19日 アナハイム/エンゼル・スタジアム) 【映像】大谷、34号の豪快弾!  エンゼルスの大谷翔平投手がマリナーズ戦に「2番・DH」で先発出場を果たし、2−7と5点リードを許して迎えた9回の第5打席。ランナーを三塁に置いてマリナーズ5番手右腕・シーウォルドが投じた低めの球をすくい上げ、5試合ぶりとなる34号2ランを右中間スタンドへたたき込んだ。  オールスター明けの2試合では10打数1安打6三振。オールスターに出場したことによる疲労の蓄積が懸念された大谷だったが、5打数無安打4三振に終わったきのうの試合後にマドン監督は「私はとくに心配していない。彼は問題ないと確信している」と変わらぬ信頼を口にしていた。この日の第1打席も三振に倒れ、前日から5打席連続となる三振を喫し、その後は2打席続けて四球を選び、第4打席目は一塁への内野安打だった。  なお現時点での本塁打数のア・リーグ2位は、後半戦ですでに3本の本塁打を放ち大谷を猛追するブルージェイズのゲレーロJr.で31本、ナ・リーグのトップは28本を打っているパドレスのフェルナンド・タティスJr.。(ABEMA『SPORTSチャンネル』)
%%%%%コメント:大谷選手の34号に安堵した我が同胞の声であります。 

+++++コロナ・ワクチン
 久しぶりに児玉先生の登場であります。高齢者は「副反応がひどくない」との医師の観察を耳にして安心しました。なにせ今週末二回目のワクチン接種であります。
ワクチンだけでは「勝利」はない【児玉龍彦×金子勝 新型コロナと闘う】210715


+++++清寧記(3)
 清寧天皇の「宮」は埼玉県久喜市にある鷲宮神社であろうとの推察を前回記事で書きました。八世紀、奈良政権は殲滅の意図をこめて殺戮した蝦夷一族の怨念を鎮めるため、奈良東大寺の大仏建立をはじめとする仏教の興隆を図ります。それに加えて、蝦夷を「神として祀る神社」の創建を大々的に行います。神社「創建」場所は当然のことながら蝦夷系首領が往時に構えた陣屋です。そうであってこそ、鎮魂というよりは「(怨念を鎮め抑え付ける)という本来の役割が全うできる」というものです。これが、古社で祀られる祭神を考察する視点でもあります。しかし、時代が経るにつれて神社は、古ければ古いほど、多様な「ご利益」を求めて、集(たか)ってくる神々が増えます。「入試・合格祈願」なんぞはその最たるものであります。周辺の民の無病息災を祈る「信仰」も重なり、さらには、時の中央権力者あるいは地方権力者の意向に沿うことも余儀なくされ、必ずしも史実を反映した神が祀られることから遠ざかることもしばしばです。

 神社の由緒書に登場する祭神のほとんどはその出自が古事記で明らかにされています。古事記を眺めるに際して最も重要な視点は
「/澄垢まず存在し、彼らが日本列島の歴史(権力闘争史)を「創世」し「編んだ」のではない;むしろ
八世紀に生きた権力者達が認識する権力闘争史に「必然性」、「蓋然性」を付与するために神が「創造」され、神話が編まれた」
ということです。
 ところが、ここに大きな問題があります。それは神の構造の土台であるはずの日本列島政治権力闘争史がそのまま古事記に記載されていないことです。そうではなく、編纂者(藤原不比等)が構想する闘争史に置き換えられていることです。それを最近のブログ記事でも書いてきました。端的に書くならば、藤原不比等が構想した歴史観にそぐわない史実は隠蔽されているのです。したがって欠陥だらけの正史に拠って立つ「神の世界」も史実を映し出したものから乖離してしまっているのです。

 話は一時的にそれることをお許しください。先日視聴した動画(下に掲載)で語られるキリスト教を含む宗教と古代日本列島の八世紀に「始まる」宗教とはまったく異なっています。上にも書きましたが、古代日本列島の宗教には「民の心事を救済する」という発想はありません。そうではなく、権力者が「自らの犯した罪の意識から救済される」、すなわち「祟りの回避」です。この日本国宗教の始まりを真っ先に指摘したのが故梅原猛氏の諸研究です。その後、仏教にせよ、神社にせよ祀られる「人格」に超能力を勝手に付与し、「大乗仏教的」な期待をかけることになったのだろうと考えています。その意味で、以下の動画の後半部分は興味深いものがあります。
 2021.7.15 ウガ金 「正義」「アカウンタビリティ」はもともとキリスト教文化社会の言葉

 動画主宰者の烏賀陽氏(ジャーナリスト)の宗教観にすべて同意するわけではありませんが、integrity (高潔)の解釈などそれなりに興味深いものがあります。これは微分積分の積分と同一語源です。それがなぜ「高潔」になるのか?微分は細かいことをグチグチ気にする手法です。どうしても「神」なるものの存在にも粗が見えてきます。一方積分は大風呂敷の中に包み込むので、細かいあらは見えない。それは神にとっては好ましいので、ほめ言葉となる。それがなぜ「高潔なのか?」になるのか。神は細かいあら捜しを嫌うということです。1990年代初めの湾岸戦争で、ブッシュ米国大統領はイラク爆撃に先立って、爆撃成功による人命剥奪を祈願して教会で祈りを捧げたことが報道されました。こうしたことを一々気にすることはintegrityではないということです。

 罪の軽重をはかる天秤はそもそもエジプト神話に登場します。天秤を持ち出すからにはその重さで、神は事の是非を判断するというわけです。その「軽重」を神に向かって語る。accountability の接頭詞の"a"はフランス語から類推すれば、それは「〜に向かって」です。この場合は向かう相手が「神」ということになります。

 日本独特の神社宗教(これはいわゆる「神道」とは異なる)は「産土神(うぶすな)信仰」に近い性格であった。しかし、8世紀の神社宗教はそれとは異なります。その特徴が鷲宮神社の由緒から見えてくるかもしれません。由緒は、主祭神が三柱で鷲宮神社本殿に二神、 天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)、神崎神社本殿に一神 大己貴命(オホナムヂノミコト)と書きます。
 
  主祭神のトップである天穂日命(アメノホヒノミコト)は天照大神と須佐之男命との間の誓約(うけい)で世に出てきた息子の一人と古事記は書きます。誓約(うけい)については古代文学者の手になる詳細な研究があります。が、私はキリスト教のバイブル、英語では「Testament」を連想しています。意味は「契約」です。古今東西同じ発想をするなぞとは思っていません。藤原不比等が渡来人から得た知識・思考法を受け売りしたのだろうと想像しています。因みに、「Testament」は遺書という意味もあります。私自身は、それは「神の意思、遺書」を意味しているのではなかろうかと想像しています。
 そうした余談はさておき、姉・弟の関係であるが「子供を生してしまった」と、ここでは理解しておきます。この人物は天照大神の指示で葦原中国に巣食う「荒ぶる輩(やから)」を撲滅するために現地に出かけます。が、敵の大将である大己貴命(オホナムヂノミコト、大国主神と同一人物とされる)に言いくるめられ「ミイラとりがミイラ」状態になってしまった人物です。
 古事記は「葦原中国」をめぐる諍いの舞台は出雲を中心とする鳥取・島根県であるかの如く書きます。私はそれは違うと考えており、それは現在の鹿島であると考えていることを、本ブログでは具体的論拠を付して書いてきました。当然、その推察は常陸国風土記の記載と整合し、かつ、それは七・八世紀の日本列島政治史の観点からも合理的であると書いてきました。
 この視点からは、 天穂日命がこの地に祀られていることに合点が行きます。常陸国への本格的侵入を前にして美麻貴天皇は、事前探索のため部下を北関東の蝦夷一派の本拠に派遣したのです。派遣された人物が 天穂日命であったと想像しています。すなわち、古事記のこの説話は奈良権力の事跡の一つと理解でき、史実であったろうと考えています。
 ただし、その司令塔本部は、六世紀半ばに渡来民が建立した陣屋をそのまま活用したのです。そのときの陣屋の首領は、美麻貴天皇であったろうと思っています。

 次に10社ある境内社のなかで15柱の神を祀るという粟島神社についての由緒を眺めて見ます。すでに書いたように「粟」は「栗」が変じたものであろうと考えています。祀るべき祭神については原住民の間に語り継がれた伝承が強く反映し、歴史の敗者が目に付きます。その代表が「胸肩神社」(建御名方命)と宗像三女神として崇められる湍津姫命(タギツヒメノミコト)・市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・田心姫命(タゴリヒメノミコト)です。
 また、奈良軍事政権にとらわれて渡来民の政治を藤原不比等に語った稗田阿礼です。その阿礼を祀る「日枝神社」を境内社に加えていることにも神社創建者の思考が窺がわれます。いずれにしても「蝦夷からの祟り」を鎮めるための神社であったろう事がこれらの神々から推察できます。
 
%%%%%粟島神社(あわしまじんじゃ)後述する15柱の神様を祀る。祭典は9月28日。本殿裏、「鹿島神社・神明神社参道」の東に鎮座している。朱塗りの大きな社殿で、社号碑あり。
社号額には「衢(ちまた)神社」、「武内神社」、「粟神社」、「稲荷神社」、「浅間神社」、「竃殿神社」、「胸肩神社」、「軍神社」、「御室神社」、「日枝神社」の10社の名前が書かれており、合祀されていることがわかる。
祭神は授田毘古神(サルタヒコノカミ)、武内宿禰(タケノウチノスクネ)、天太玉命(アメノフトタマノミコト)、豊宇気毘売神(トヨウケヒメノカミ)・大年神(オホトシノカミ)、木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)、奥津日子命(オキツヒコノミコト)・奥津比売命(オキツヒメノミコト)・軻遇突智命(カグツチノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)・市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・田心姫命(タゴリヒメノミコト)、八千矛神(ヤチホコノカミ)、大山咋神(オオヤマクイノカミ)、大己貴命(オホナムヂノミコト)の15柱である[12]。
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 祀られる主人公のほとんどが敗者がであるにもかかわらず、一方で「衢(ちまた)神社」なるものもあります。当然です。敗者だけを集めておくと、また彼らが寄り集まって反逆を企てるかもしれません。いわばその監視役でもあります。葦原中国鎮圧後に勝利した天照大神の進軍経路に関わった将軍です。千葉県に「八街」(やちまた)という地があります。冒頭の大谷翔平選手が日ハム球団に身を投じ、始めてプロ野球人としての第一歩を踏み出したのがこの近くの鎌ケ谷球場です。ところで古事記は「衢(ちまた)」について以下を書きます:
%%%%%古事記(上巻)
原文:
是以隨白之。科詔日子番能邇邇藝命。此豐葦原水穂國者。汝將知國。言依賜。故隨命以可天降。 爾日子番能邇邇藝命。將天降之時。居天之八衢而。上光高天原。下光葦原中國之神。
文意(岩波文庫「古事記」65頁):
(葦原中つ国を平定したので)是に語るには「日子番能邇邇藝(ひこほのににぎ)命に詔して、此の豐葦原水穂國は汝が將まさに治める國せある」と言依り賜う。故に、命に隨したがって天を降りる。爾日子番能邇邇藝命が將に天降りて、天之八衢に達したとき、上から高天原の光、下からは葦原中國之神の光が射していた。
%%%%%
この説話は、改めて、古事記が実は「東国」を非常に多く語っていることの証左なのです。
 
 ところで、鷲宮神社の南西方向10kmにあるのが天王山塚古墳です。この神社について考察した後に、飯豊郎女の話に移ります(どうもついつい脱線してしまいます。お許しください)。
(つづく)

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鷲宮神社(埼玉),日本と中国(同じ黄色じゃねーか:by Bach),佐藤章氏(一月万冊)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:東京新聞7月15日付15面記事で見つけた懐かしいお姫様たちです。小学校・高学年頃から時々母親に連れられて広尾銀映座(後にストリップ劇場になってしまった)、魚籃坂共映(?)、恵比寿地球座などで、大友柳太郎、中村錦之助、高田浩吉などのハンサム男優に庇護された可憐なお姫様達をお慕い申し上げ、大きくなったら、こうしたお姫様に熱っぽく見つめられたいと早熟(ませ)たことを夢想いたしておりました。一番好きな左端の薫様が新聞の折り目にかかっています。新聞社の心無い仕打ちを恨みます。拡大は写真のクリックで)
美姫9744


 堂々と 物怖じせずに 打ち 投げる 日本が生んだ すご〜い選手

 早熟の元野球少年としては、ただただ嬉しい限りです。大谷翔平氏はいまや大スターなのに所作振る舞いは自然体。我が国も中田英寿、井上尚弥、ダルビッシュ有と並ぶ本物の国際的アスリートを生む時代となったと思います。同じ高校を出た先輩の菊池雄星氏ともども、読書が大すきで研究熱心とのこと、今も勉強と肉体強化の日々であるといいます。ファンへの優しさは、バルセロナの大スタ・メッシを思わせます。このまま、怪我をせずこの活躍を続けてほしいと心から期待しています。

+++++「日本と中国」黄色い猿であることには変わりはない(バッハ氏の腹の内)
 腹立たしいことこの上もありません。ホスト国たる日本に対してこれまでも白人至上主義丸出しの侮蔑的言辞を口にしてきたIOC 会長バッハ氏。今般はそのすさまじいばかりの黄色人蔑視根性がうっかりともろに出てしまいました。昨日、首相と会見したとのことですが、首相は会談の冒頭に、せめて「日本へようこそ」ぐらいの皮肉の一つも投げつけたのでしょうか?
%%%%%海外にまで波紋…「オリンピック級の失言」「消極的なホスト国を味方につけようとして恥を」 7/14(水) 6:21配信
国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が3日、13日、都内で東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長と面会した。8日に来日したバッハ会長は3日間の隔離期間を終え、行動規制期間に入り、この日から動き始めたものだが、公開で行われた会談の中で、日本国民に安全を訴えるつもりが、「最も大事なのはチャイニーズピープル…」と、日本人を中国人と言い間違えた。すぐに「ジャパニーズピープルの安全安心です」と言い直したが、東京都に4度目の「緊急事態宣言」が発令される中、決して五輪歓迎ムードのない日本人の感情をさかなでするようなKY発言を繰り返してきたIOCトップの発言は、さらなる反感を買うことになった。SNS上は「開催国がどこでも儲けさえすればいいんだろ」「本音が見えた」「もう頭の中は次の北京冬季五輪か」などと大炎上。  この単なる言い間違いでは済まない痛恨のミスは、海外にも波紋を広げ、海外メディアに取り上げられる事態になった。  英ガーディアンは電子版で「IOCのバッハ会長が、日本の人々を“チャイニーズピープル”と呼んだことで、2020年東京大会の開催に消極的なホスト国を味方につけようとする試みは、恥ずかしいスタートとなった」と否定的に報じた。  同記事は、「東京に到着してから初めての公式コメントで、バッハ会長は、大会がコロナウイルスの超拡散イベントにならないよう、日本の国民を安心させようとしたが、会談の冒頭で『私たちの共通の目標は、安全で安心な大会』と述べ、『選手、代表団、そして何よりもチャイニーズピープル……ジャパニーズピープル、すべての人々のために』と話した」と、失言をしたコメントを詳細に伝えた。  さらに「この失言は、会場の通訳者が訳さなかったため、繰り返されることはなかったが、日本のメディアによる報道があり、ソーシャルメディアでの反発を招いた」としている。通訳が日本語で「中国の人々」と訳さなかったけれども日本と中国を混同し、言い間違えた事実は、日本の多くのメディアによって伝えられ、SNS上でも日本語による反発や反応があったことを報じている。
 また「東京は月曜日に4回目の緊急事態宣言を発令し、バーやレストランでのアルコール提供の禁止などの措置がとられており、これらの店は早めに閉店しなければならない。オリンピック終了から2週間後の8月22日まで実施されるこの規制は、生き残りをかけている飲食店の怒りを買っている」と、東京の感染状況や、「緊急事態宣言」で経営的に苦しい立場に追い詰められた飲食店からの反発の声が強まっている状況についても紹介した。  香港で発行されている「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」の電子版でも、IOCトップの言い間違い問題を報じた。  記事は「IOCバッハ会長は、自分がどこにいるのかを忘れてしまったかのように、新型コロナウイルスのパンデミックにもかかわらず東京大会の主催者はオリンピック史上最高の準備ができていると称賛した。IOC会長は、東京2020大会の橋本会長と、そのチームとの会談で“チャイニーズピープル”と言った後、すぐに“ジャパニーズピープル”と訂正するという失言をした」と書き出している。  ワシントンポスト紙の電子版も、この言い間違いについて皮肉な見出しで伝えた。 「東京でオリンピックサイズの失言。バッハIOC会長、日本人を“っチャイニーズピープル”と呼ぶ」  本文では「IOCのバッハ会長は、先週東京に到着してから初めての公の場で、日本人を“チャイニーズピープル”と不用意に表現し、すでにがたついている日本でのイメージに拍車をかけた。バッハ会長は、すぐに自分のミスに気付き、通訳がこの失言を日本語に訳すことはなかったが、すぐに日本の報道機関に取り上げられ、ソーシャルメディア上で反発を招いた」と紹介している。  また日本人がバッハ会長の発言に反感を覚えたのは、これが初めてではないことも指摘。5月の「逆境を乗り越える力が日本人にはある」などという発言でも、日本の世論を煽ったとしている。バッハ会長は、来日後、最初の3日間は東京都心の5つ星ホテルに隔離され、オリンピックに参加する多くの人々と同様に、最初の14日間は、行動に制限を加えられていることなども書き加えている。  ワシントンポスト紙のコメント欄には、「それがどうした?ミスは起こる」というバッハ会長を擁護する投稿もあったが、それに対して、「バッハが私たちのことをアメリカ人ではなくカナダ人と言ったとしても、あなたは同じことを言うのか?これは良い比較ではないな。例えば、彼が私たちをアメリカ人ではなく、ロシア人と呼んだとしたら?同じことを言うのか?」と反論する人もいて読者間で論争も起きている。
 英国ロンドンに拠点を置く「スカイニュース」は、公式ツイッターアカウントに、失言の動画を掲載した。この動画のツイートのリプライには、「みんな同じに見えると言っているのでしょうか?人種差別主義者だ」という英語での厳しい書き込みも見られた。  ワシントンポスト紙が「ぼったくり男爵」と表現するなどバッハ会長への批判の声は日増しに強くなっている。無観客でチケット収入がなくなっても巨額な放映権料とスポンサーフィーを手にするIOCは痛くもかゆくもない。この日は、選手村が開村され、もう五輪の開催は止められないだろうが、バッハ会長の無責任な発言や行動は決して看過できるものではない。バッハ会長は今日14日には菅義偉首相、小池百合子都知事らと会談。16日には広島訪問が予定されている。
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 関連記事:
 鳩山由紀夫氏、バッハ会長「チャイニーズピープル」に「言い間違えたのではなくて、本音だったのでは」 7/14(水) 15:01配信
 鳩山由紀夫元首相が14日、自身のツイッターを更新。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が、会談の中で日本国民と言うべき場面で「チャイニーズ・ピープル…(中国国民)」と言い間違えたことに私見を投稿した。  鳩山氏は「IOCのバッハ会長は日本国民がコロナ禍での五輪の開催に懸念を表明したにも拘らず、五輪の中止は全く考えていなかったと話した。だからこそ最も大事なのはチャイニーズピープルと述べたのはジャパニーズピープルを言い間違えたのではなくて、本音だったのではないか」と見解を示し、「こういうところに本心が出るのだ」とツイートした。
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五輪関連記事を後尾に転載します。

+++++引き続き清寧記(2)
 清寧天皇が政(まつりごと)を司ったという伊波禮之甕栗宮の所在を考察しています。古事記には三十三天皇が登場します。前回書いたように三天皇は「伊波禮」なる広域のどこかに「宮」を構えます。同様に別の三天皇は「シキ」に宮を構えたと古事記は書きます:
崇神 御眞木入日子印惠命。坐師木水垣宮
垂仁 伊久米伊理毘古伊佐知命。坐師木玉垣宮
欽明 坐師木嶋大宮
「師木」に続く漢字列が「宮」の周囲の景観などの特徴を表していると考えると、同じ「シキ」の中で、「宮」すなわち政庁を置く「陣屋」は首領の変更にあわせて変えていたのでしょう。「しき」もかなり広大な地域であり、上で推察したように、かっては「比企」とも呼称(漢字表記)されていたと考えています。

 宮名に「甕」(シリウス星)を付した理由は、政庁(または陣屋すなわち「宮」)の位置決定に際して、行田の埼玉(さきたま)古墳群と宮戸神社の地理的関係決定同様に、シリウス星の観測が関わっていたからです。しかし、それは「シキ」ではない。すなわち、前回記事で書いた私の推定は訂正されねばならないのかもしれません。それは別のどこであるのか?が今回記事の論点です。
 ところで、行田から東にわずか20km弱の近くにJR東北線「栗橋」駅があります(図1参照)。ウイキなどで調べると「栗橋」なる地名は古代にまで遡れるということです。
(図1:記事で登場する地が赤で示されている。埼玉古墳群と栗橋ぁ∀謬椰声勠ぁ0みに/彩昌魁壁弦1449m)、氷室山(標高1154m)、ト溝山(標高1102m)、鹿島神宮、Щ嵬據↓毛呂山(もろやま)。「中学校社会科地図(帝国書院、1993年)」より。拡大は図のクリックで)
北関東07159745

 この界隈で知られているのが関東の最古社が「鷲宮」神社です。
%%%%%ウイキが書く「鷲宮」神社
社伝によれば、出雲族の草創に係わる関東最古の大社とされ、かつては「鷲宮大明神」、「浮島大明神」、「大酉元祖」とも称された。
神代の昔、天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するため、お供の昌彦・昌武の父子と出雲族27人の部族と共に当地に到着し、地元の部族と共に当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。これが、現在の別宮である神崎神社であった。その後、日本武尊が東国平定の際に当地を訪れて戦勝祈願を行い、別宮を建てて天穂日命と武夷鳥命を祀ったという。この別宮が現在の本殿である鷲宮神社とされる。ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載がない。
異説:別名を土師の宮(はにしのみや)とも言われ、一説には崇神天皇の時代に河内国から東国へ移住した土師氏が下総国浅草から古利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかと言われている。
祭神:現代では主祭神を以下の3柱、合祀祭神を以下の9柱としている。
主祭神三柱:鷲宮神社本殿 天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)、神崎神社本殿 大己貴命(オホナムヂノミコト)
社殿と境内社:鷲宮神社本殿2社と、それ以外に祀られている境内神社10社を挙げる。
鷲宮神社社殿(本殿・拝殿):主祭神の天穂日命と武夷鳥命、合祀祭神九柱を祀る。本殿は鷲宮神社本殿と後述する神崎神社本殿の2つがあり、拝殿は鷲宮神社本殿の前にある。江戸時代までは東面していたが、現在は南面しているため、参道からは右に曲がって参拝することになる。西側(左側)には祈祷者待機所があり、御祈祷の際にはこちらから昇殿する。夏には拝殿前に茅の輪が作られる。
神崎神社(かんざきじんじゃ)本殿:主祭神の大己貴命を祀る。鷲宮神社の2つある本殿のうち、西側(左側)に鎮座する別宮のことである。拝殿や鳥居はない。
粟島神社(あわしまじんじゃ):後述する15柱の神様を祀る。祭典は9月28日。本殿裏、「鹿島神社・神明神社参道」の東に鎮座している。朱塗りの大きな社殿で、社号碑あり。
社号額には「衢神社」、「武内神社」、「粟神社」、「稲荷神社」、「浅間神社」、「竃殿神社」、「胸肩神社」、「軍神社」、「御室神社」、「日枝神社」の10社の名前が書かれており、合祀されていることがわかる。
祭神は授田毘古神(サルタヒコノカミ)、武内宿禰(タケノウチノスクネ)、天太玉命(アメノフトタマノミコト)、豊宇気毘売神(トヨウケヒメノカミ)・大年神(オホトシノカミ)、木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)、奥津日子命(オキツヒコノミコト)・奥津比売命(オキツヒメノミコト)・軻遇突智命(カグツチノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)・市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・田心姫命(タゴリヒメノミコト)、八千矛神(ヤチホコノカミ)、大山咋神(オオヤマクイノカミ)、大己貴命(オホナムヂノミコト)の15柱である[12]。

<<以下に列記する境内神社については、ここで、書き写す必要もないので、読み飛ばしてくださって結構です>>
姫宮神社(ひめみやじんじゃ)、活玉依姫命(イクタマヨリヒメノミコト)を祀る。祭典は4月9日。神楽殿および力石の右隣り(西側)に鎮座している。朱塗りの大きな社殿で、社号碑あり。
八幡神社(はちまんじんじゃ)応神天皇(オウジンテンノウ)を祀る。祭典は9月15日。拝殿や姫宮神社の西側に鎮座し、専用の鳥居と参道がある。朱塗りの大きな社殿で、社号碑あり。
鹿島神社(かしまじんじゃ)武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を祀る。祭典は9月1日。八幡神社の北側に「鹿島神社・神明神社参道」と書かれた石碑がある参道の入口に鳥居があり、そこをくぐってすぐに鎮座している。朱塗りの大きな社殿で、社号碑あり。
稲荷社(いなりしゃ)倉稲魂命(ウカノミタマノカミ)を祀る。祭典は2月初午。「鹿島神社・神明神社参道」の、鹿島神社のすぐ西隣に鎮座している。小さな社殿で社号碑や鳥居はない。
周りには御嶽大神・三笠山大神・八海山大神、正一位稲荷大明神、辯才天、三寶荒神などの祠がある。
神明神社(しんめいじんじゃ)天照皇大神(アマテラススメオオミカミ) を祀る。祭典は10月17日。「鹿島神社・神明神社参道」の北西の最も奥に鎮座している。朱塗りの大きな社殿で、社号碑あり。
諏訪神社(すわじんじゃ)建御名方神(タケミナカタノカミ)を祀る。祭典は4月15日。本殿裏、粟島神社の東に鎮座している。社殿はなく、「諏訪大神」と書かれた大きな石碑が祀られている。鳥居あり。
八坂神社(やさかじんじゃ)素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る。祭典は7月15日。千貫御輿の神輿庫のすぐ右隣り(東側)に鎮座している。大きな社殿で、社号碑あり。
さらに右隣りにはかつて八坂祭で使用された神輿が収められる「八坂神輿殿」があり、こちらも社号碑と同様の碑がある。
鷲宮神社の鳥居の近くにはもう一つ、シャッターのある「八坂神輿殿」があり、こちらも社号碑と同様の碑がある。
久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)大己貴命(オオナムヂノミコト)を祀る。祭典は4月19日。光天之池鳥居の向かい側に鎮座する。大きな社殿で、社号碑あり。
御池社(みいけしゃ)彌都波能賣神、湍津姫命・市杵島姫命・田心姫命を祀る。祭典は7月29日。後述する光天之池の奥に鎮座しており、近づくことはできない。小さな社殿で、社号碑などはない。その代わり、光天之池に他の境内社の社号碑と同様の碑と、朱塗りの鳥居があり、その位置から参拝する。
そのほか、使用されているのかどうか不明だが、姫宮神社と八幡神社の間に祭神不明の朱塗りの社殿があるほか、鳥居の右側にも祭神不明の大きな祠がある。
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 というわけで、まずはこの神社の境内配置を見ることにします。
 (図2:鷲宮神社境内配置。明瞭な「シリウス星配置」が確認できます。拡大は図のクリックで)
210715栗橋無題


 建築物が一見バラバラに配置されていますが、個々の建造物はおおむね北北西―南南東を向いていることが明らかです。どうやら「甕」(みか)に関わっていることは確かのようです。そこで、この地に「宮」建設を定める際のシリウス星神託を仰いだ地を探すことにします。それは、図1から氷室山(図1で◆砲任△蹐Δ反篁,任ます。ここからはいつもの球面三角法を使った計算です。
-> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) Scilab Softによる方位計算プログラム
氷室山(lat,lon)=>[36.5697 139.4737]
鷲宮神社(lat,lon)=>[36.10008 139.6549]
D(距離)= 54.7-km、方位= 162.68
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1) 方位・年代換算
Angle?(0:stop)=162.68,age(シリウス年代)= 552.5
 結果は、西暦553年ごろ、すなわち六世紀半ばごろとなります。20年10月18日記事「<<番外>>三浦半島〜横浜の悪臭騒ぎと相模国・二宮「川匂」神社」 で私は以下を書いています:
%%%%%20年10月2日記事「阿夫利神社(4,再度大磯界隈),学術会議、党人派vs官僚派」 一部抜粋
 須賀川・二等辺三角形・中線(福島県):374年(19年9月23日記事 
飯豊山―伊佐須美神社(福島県、陸奥国二宮):450年(19年9月23日記事)
八溝山―鹿島神社(茨城県、常陸国一宮):464−531年(18年2月5日記事)
稲荷山古墳―宮戸神社(埼玉県志木):519年(18年2月12日記事)
氷室山―鷲見や神社(埼玉県久喜市):553年(21年7月15日、本ブログ) 
嵯峨愛宕―箸墓古墳(京都・奈良)570年(20年5月10日記事)
雷山―八代(福岡・熊本):657年(18年8月8日)
橿山―小国(静岡県・天竜):663年(21年7月8日記事「二つの小国神社、傲岸の麻生氏(小沢一郎談)、大谷32号、横浜市長選
(八溝―鹿島線の二つの値の意味:八溝山での観測開始年が464年ごろ、鹿島への到達年が531年ごろという意味である。このほか、白山―白山比弯声辧△覆鼻多数の計算結果がある)
%%%%%過去記事再掲終わり

 鷲宮神社の境内神社で私がとりわけ注目しているのが「粟島神社」です。これは「栗」の誤記がそのまま後世にのこされたのか、あるいは、意図的に誰かが漢字表記を変えてしまったのではなかろうかと想像しています。この神社だけが十五柱もの祭神を抱えているからです。上に書いた西暦663年が意味することも含め次回にそれを考察します。
 (つづく)

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 +++++多くの国民の不安をガン無視しての五輪開催
(図:14日付東京新聞一面記事に掲載された佐藤正明氏の風刺漫画)
旗あげ9740

 感染の再拡大に直面してどうしたものかと迷いに迷ったけれども五輪中止を決断できない菅氏の苦悩であります。この事情を元朝日新聞記者の佐藤章氏が語っています。
西谷文和 路上のラジオ 第58回 佐藤章さん「命よりもカネと保身。オリンピック強行の罪」

 佐藤章氏といえば、いまや全国区知名度ともなったyoutube動画「一月万冊」の飛び切り優れた論者です。氏の政治解説は聴くものを首肯させます。ところが、私は三月末のある事件以後、この動画の視聴を止めました。21年4月8日記事「古四王神社(1)、優しい落合、「自死」をめぐる裁判」で書きましたが、動画主宰者とその走狗らしき人物がちらつかせるSlapp訴訟にビビッてしまったからです。反体制・正義の主張を日本を代表するインテリである動画出演者は語ります。が、その主宰者S氏は「民主主義理念」とはどうやら縁遠い方であるらしいのです。
 私の理解は最近知ったツイッタ纏め集で裏付けられました。現在、かっての動画出演者である鳥賀陽弘道氏と主宰者との間で、出版をめぐる議論が続いています。客観的に見るならば鳥賀陽弘道氏の主張が説得的です。何せ、主宰者の側は公には一切主張をしないからです。その代わりに、動画出演者の口を通して、鳥賀陽弘道氏を論難し恫喝まがいの圧力をかけていることも明るみに出ました。そしてその圧力をかけている出演者のお一人が、私の敬愛する佐藤氏と知り、まことに驚いています。
(図:烏賀陽氏のツイッタより)
210715烏賀陽無題

 もう一人の出演者である本間氏(五輪問題議論では今や第一人者)が問わず語りに「主宰者には金銭面で筆舌に尽くしがたい恩がある」と語っています。本間氏は博報堂社員のころ、池井戸潤氏の小説さながら末端社員が陥りがちな環境下でついつい悪の道に走り二年間弱の牢獄生活を経験された方です(「転落の記」)。きっかけは些細な関連会社からの未収金でした。それを徴収できず、つい隠蔽を図り、それを重ねたことから大きな詐欺事件に発展したのです。本間氏がこの事件から学ぶべきことは事態の客観視であり、しがらみに捉われない身の処し方であろうと助言したく思います。佐藤氏はまことに優秀な「ブンヤ」であることは、書いたもの(たとえば『職業政治家小沢一郎」)、語ることで自明です。そんな立派な人物があの主宰者の走狗として駆け回るのか不思議でなりません。やはり「金の恩義」なのでしょうか?
 
関連記事(1):
%%%%%五輪開催反対57%、日本78% 28カ国世論調査 7/14(水) 11:29配信
 大手調査会社イプソスは13日、28カ国で実施した東京五輪に関する世論調査の結果を発表し、57%が開催に反対していると明らかにした。反対が最も高かったのは韓国の86%、次いで日本の78%だった。一方、全体の62%がパンデミック(世界的大流行)を受けた世界が一つになる重要な機会と捉えた。  五輪への興味が高かった上位3カ国はインド(70%)、南アフリカ(59%)、中国(57%)で、ベルギー(28%)、韓国(30%)、日本(32%)が下位3カ国だった。競技別ではサッカーが30%で最も高く、陸上が27%と続いた。
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関連記事(2): 
%%%%%五輪スポンサーがIOCバッハ会長に激怒!ぼったくり男爵よ、パビリオンは無用の長物だ
公開日:2021/07/14 06:00 更新日:2021/07/14 10:32
 開催まで2週間を切った東京五輪が、ほとんどの会場で「無観客」となり、大混乱を招いている。ここへきて不満を募らせているのは、全81社からなるスポンサー企業だ。一度は「有観客」が決まったのにハシゴを外され、高額なスポンサー料にもかかわらず、商売上がったり。それどころか“ぼったくり男爵”の横暴で「五輪ブランド」が失墜し、もはやマイナスにしかならない。さすがにスポンサーからは怒りの声が上がっている。
「3オン3バスケなどの会場『青海アーバンスポーツパーク』付近に設置されているスポンサー企業のPRパビリオンが“無用の長物”になっている」
 ある大会関係者から日刊ゲンダイにこんな情報が寄せられた。パビリオンは大会期間中に一般客にも公開予定だったが、無観客が決まり、複数企業が一般公開を中止した。そこで12日、日刊ゲンダイ記者は現場を訪問。祝祭感からは程遠いドンヨリとした空気が漂っていたのは、分厚い雲に覆われたこの日の天気だけが原因ではなさそうだ。
 ゆりかもめ「東京国際クルーズターミナル駅」の高架上からは、複数のパビリオンが立つ「2020ファンパーク」と呼ばれるエリアが眺望できる。地面には急場しのぎのアスファルトが敷設され、駐車スペースを示す白線が引かれている。建設途中とおぼしき木造構造物が並ぶ中、ひときわ目を引くのが、色とりどりのパビリオンだ。周囲が明らかに「工事現場」の様相の中、意匠を凝らした建物だけがほぼ完成に近づいていた。敷地内は、作業服姿のスタッフがポツポツと目につく程度だった。
 ファンパークから徒歩15分ほどに位置する「2020ファンアリーナ」にも複数のスポンサー企業の展示ブースが設置されているが、中は見えなかった。
「何のために造ったのか」
「パビリオンやブースの設置費用はスポンサー持ち。無観客で人目に触れる機会がなくなり、スポンサー関係者からは『何のために造ったのか』『無観客にするなら早く決めてほしかった』と怒りの声が上がっている」(大会関係者)
 先月21日、IOC(国際オリンピック委員会)や大会組織委員会などによる5者協議が、「上限1万人」で国内観客を入れて開催することを決めたからこそ、スポンサーはパビリオンなどの準備を進めたのに、いきなりハシゴを外されたのだから怒るのは当然だ。
「スポンサーの怒りは政府や組織委のみならず、IOCにも向かいつつある」(前出の大会関係者)という。報道サイト「Tansa」によると、9日に開かれた組織委とスポンサーによる非公式会議で、大手スポンサーがIOCのバッハ会長について、こう苦言を呈した。
〈(バッハ会長が)広島と長崎の訪問を考えているというニュースに対してさまざまな意見が飛び交っています〉〈オリンピック自体の世の中の見え方というものを、あんまり不安定な方にこれ以上持っていくという要因の一つになってしまう〉
 言い回しこそ丁寧だが、明らかにバッハの行動を問題視している。
「バッハ会長は8日の5者協議で、日本のプロスポーツが有観客開催であることを念頭に『五輪と別の対応で理解に苦しむ』と不満を口にし、『緊急事態宣言はどういうことなのか』とも発言。IOC関係者は会場に入れるなどの特別扱いも明らかになり、コロナ禍に苦しむ国民の神経を逆なでしてきました。五輪の価値を下げてきたIOCに、スポンサーが怒りを募らせるのは当然。組織委に苦言を呈さざるを得なかったのでしょう」(東京五輪関連の著書がある作家の本間龍氏)
 ぼったくり男爵はホテルでおとなしくしていた方がいい。
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関連記事(3):
%%%%%デーブ・スペクターさんジョーク&オチなし「五輪支持できない理由」投稿が反響「復興貢献せず美辞麗句と言い訳ばかり」 7/15(木) 12:30配信
 映像プロデューサーのデーブ・スペクターさんが15日、自身のツイッターを更新。皮肉とジョークを交えて、東京五輪に関する発信をするのが恒例となっているが、この日は大まじめに東京五輪開催を「支持できない理由」を主張し、一石を投じた。
 「僕が五輪を支持できない最大の理由は『復興五輪』と被災地を出しに使ったのに、何の貢献もしないどころか、美辞麗句と言い訳ばかりで金儲けしか考えていないことです」(原文ママ)と東日本大震災の被災地の復興に関して、今回の五輪開催がプラスに寄与しないと持論を展開。
 続いて「五輪をすれば復興は進むのですか?すみません、オチはありません」と冗談を交えず、大まじめに疑問を投げかけた。
 ネット上では「もうすぐ始まるというのに、まるで消化試合みたい」「貢献どころか足を引っ張ったといっても過言ではありません」「五輪を開催する代償は大きい」と賛同する意見が相次ぎ、またジョークを交えない主張に「オチがない分、重みがあります」「オチなし大歓迎!!そして完全に同意」と好意的な声も見られた。
%%%%%中日スポーツ

バッハは帰れ!甕栗はどこか?五輪無観客(いっそ中止にしたら)

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ
(写真:【速報】警察出動! IOCバッハ会長宿泊ホテル前で五輪反対デモ「平和願うなら広島行くな」 7/10(土) 15:10 東スポ
 都心が騒然となった。東京五輪開幕まで2週間を切った10日、来日中の国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長(67)が宿泊する5つ星の一流ホテルの前に「五輪マフィアを退治する市民有志」が集結。デモ隊はバッハ会長が宿泊していると思われる部屋に向かって「バッハ帰れ!」「平和を願うなら広島行くな!」「五輪を中止しろ!」と大合唱した。突然の騒動に通行人も足を止めて興味津々。警察も大挙出動し、ホテルに近づくデモ隊を制止すると、腹を立てたデモ隊から「バッハのせいで日本の国益が損なわれているんだ!」と怒号が飛び交った。抗議に参加した一般女性は「この状況で広島に行くなんてどうかしている。これからも単独で抗議を続けます」と話した。バッハ会長は8日に来日し、羽田空港から宿泊先のホテルまでパトカーが先導する厳重な警備の中で移動。ホテルに到着し、車から笑顔で手を振ったシーンがさらに国民の反感を買っていた。今後は11日までの隔離期間をホテルで過ごし、「オリンピック休戦決議」が始まる16日に広島を訪問する予定だ。
本ブログ管理人は、“復興五輪”とかっては銘打っていたのですから、まずは福島第一原子力発電所に行くべきと考えます。さもなくば、直ちに五輪中止を宣言すべきです)
210712Bacha無題


 何日ぶり 朝のお日様 ギラギラと 散歩銀座も 人でにぎわう

 連日の雨日和。少々の降りでは傘を持参して散歩を決行していました。当然、ほとんどの散歩常連者は日和見を決め込んでいます。しかし、今朝はドット人出であります。散歩したためにコロナ感染したなんぞはあり難くないので、行き交う散歩人との朝の挨拶もそっぽを向いて、声だけで伝えました。

+++++世界の動き
 愛視聴している鳩山・孫崎対談です。今回のテーマは暴力的とも思える海外拡張を強める中国をどのよう見て、どのように世界がその暴走を抑えるのか、日本国の一人当たりのGDPが安倍氏以降急低落するなど(数値が示されている )の日本国の経済低迷を打開する道筋,そして米国のロシア対策、具体的には米国のウクライナ支援の動きの背後が騙られています。
時事放談(2021年7月)孫崎享(元外務省国際情報局長、元駐イラン大使) × 鳩山友紀夫


+++++五輪無観客
 国民の安全・安心を踏みにじって菅氏は五輪に向けてラスト・スパートをかけたように見えます。今日からは四回目の「緊急事態宣言」です。常識をわきまえている国民のための政府であれば、疾うに開催中止の決断をしていたでしょう。
%%%%%東京五輪、無観客へ 傍観者に徹したIOC、国民不在のゆがんだ祭典  毎日新聞 2021/7/8 20:04(最終更新 7/8 20:38) 有料記事 3039文字
 開幕まで2週間となる東京オリンピックだが、開催都市である東京都に4回目の緊急事態宣言が発令される事態となり、首都圏4都県の競技会場は無観客となる見通しだ。国際オリンピック委員会(IOC)や政府などは「開催ありき」で突き進んできたが、運営の根幹である観客の取り扱いで方針転換を迫られた。国内世論を二分したまま、その場しのぎの開催準備が続く。
資本の論理振りかざすIOC
 開催都市での緊急事態宣言の再発令が正式決定した8日、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が日本に降り立った。東京都内のホテルに入る乗用車の窓を開けて、報道陣向けに手を振る姿に、SNS(ネット交流サービス)では「来なくていいです」「最悪のタイミング」などと歓迎とほど遠い書き込みが並んだ。
 「答えは間違いなくイエスだ」。緊急事態宣言下の開催について問われ、IOCのジョン・コーツ副会長が5月に発言した通りの展開となった。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の舘田一博・東邦大教授は「東京で緊急事態宣言が出されている状況で五輪ができるとは思わないし、やってはいけない」と指摘していたが、開催の判断基準も責任の所在もあいまいなままパンデミック(世界的大流行)における五輪の開催が事実上、決まった。
 五輪の主催者はIOCのはずだが、最悪の事態を想定して中止という選択肢から目を背けてきた。昨年3月、史上初の五輪延期に踏み切ったが、日本側の提案によるものだった。その後、開催可否の判断時期を問われるたびに、バッハ氏は「時期尚早だ」と結論の先送りを重ねてきた。
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+++++飯豊王
 古事記の解読に当たってその字面(じづら)を「忠実」に読み下していても、語られているストーリの内実、歴史として面白みは見えてこないことを、解読の作業を通じて明らかにしてきました。それを簡単に整理しておきます:
(0) 遠く西域ペルシアからの渡来民が五〜七世紀前半の日本列島では強い政治的影響力を有しており(数が多いということではなく、リーダシップに富んでいた)、七世紀後半は、奈良盆地勢力と渡来民中心の勢力(蝦夷と呼称)との激烈な戦闘の時代であった;
(1) 奈良軍事勢力による蝦夷討伐譚がクラッシク音楽のセレナーデ形式のように同一の旋律でいろいろなヴァリエーションを施しながら繰り返される。理由は討伐譚の対象とする時期は七世紀半ば以降であるにもかかわらず、それを五世紀ごろからの事件として描き出さねばならない(つまり粉飾)という藤原不比等の政治的思惑がある;
(2) 奈良軍事政権が幽囚した蝦夷捕虜(稗田阿礼を含む)から聴取した各地での逸話が材料不足に悩む古事記を肉付けしている;
(3) 古事記に登場する地名を奈良盆地とその界隈に限定すると、史実を見誤る。上記(2)に従うならば、地名は古代からの言い伝えを通じて現在に至るまで遺されている場合が少なくない。
 
  上に列挙した「古事記解読の手引き」を傍らに置きながら、今回も引き続き古事記を眺めてゆきます。
 飯豊王が古代史研究者の大きな関心を引く理由は古事記の次の一節にあります。
%%%%%清寧記
原文:
白髮大倭根子命。坐伊波禮之甕栗宮。治天下也。 此天皇。無皇后。亦無御子。故御名代定白髮部。 故天皇崩後。無可治天下之王也。 於是。問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。爾山部連小楯。任針間國之宰時。到其國之人民。名志自牟之新室樂。於是。盛樂。酒酣。以次第皆儛。 故燒火少子二口。居竈傍。令儛其少子等。 

文意(岩波文庫「古事記」195頁より)
白髮大倭根子命(清寧天皇)は伊波禮之甕栗宮に坐して天下を治めた。此天皇は皇后が居らず亦御子も無かった。そこで、御名代に白髮部を定めた。 天皇が崩御された後、天下を治めることが可(でき)る王がいない。そこで、日繼(ひつぎ)として世の中を治めることができる王族を問うた。市邊忍齒別王之妹で忍海郎女、亦名を飯豐王がいる。王は葛城忍海之高木角刺宮に坐すなり。ところで山部連小楯が針間國之宰(地方官吏)に任じられ、其國に赴任した際、その地の住民で名は志自牟というものが新室(?)で樂しんでいた。宴は盛んで酒酣(たけなわ)になり、次々に皆が儛(おど)った。そのとき火の面倒を見ていた少子二人が竈の傍にいたので少子等に踊るようにと言った(この後、二人は自分達が押歯王の息子であると名乗った)。
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 上掲の古事記の一節に登場する人物を確認すべく再度関連系図を再掲しておきます。 系図
210527黒比売系図無題

 このくだりは清寧天皇時代に見つかった押歯王の息子(後の天皇)が思いもかけないところから世に出てくる逸話です。 
 清寧天皇の政庁(宮)は伊波禮之甕栗宮と古事記は書きます。「伊波禮」は神武天皇の呼称「神倭伊波禮毘古命」に由来するのでしょう。因みに履中天皇の政庁は伊波禮之若櫻宮、これから書く継体天皇のそれは伊波禮之玉穂宮と古事記は書きます。現時点では「伊波禮」の意味は定かではありません。古事記学者さんが語るように「奈良県磯城郡」と一括して断定してしまうと、またもや旧態然たる古事記論に陥ってしまいます。時間をかけて考察する必要があるので、まずは「甕栗」を考えます。古事記の過去の記載例を見ると、それは「政庁(宮)」の周囲の特徴・風景をそのまま呼称としているように思えます。その様に考えると政庁の界隈は栗の木があり、「甕」が関わる地であったと思えます。

 ところで、先代の雄略天皇の経歴は、前半生は新潟県北部、飯豊山西麓の長谷です。どうやらこの人物の実像は現在の志木に南進するまでと思えます。ここまでは多分実在の人物であり、しかもその逸話もほとんど史実に基づいているであろうと想像しています。ところが、天下人となる(天皇となるの意)後半生は、藤原不比等の「捏造」が介入し、志木の占領など時期もいきなり七世紀後半の話に飛躍します。実際、雄略天皇宮はお定まりのように奈良盆地内の朝倉と記述されるので、史実究明にはこの情報は有用ではなくなります。とするならば、前半生すなわち当該地での真の首領時代の最後の部分は「磯城焼き討ち」であるので、その近傍が舞台であろうと仮定することは合理的です、鍵語「甕」、「栗」(ミカクリ)で以って探索することにします。まずは「ミカ」です。「甕」は本来は「カメ」と訓(よ)み、それは死者を中に収める容器です。ところが、藤原不比等がそれに「ミカ」なる訓を付します。
 記紀では「甕」を付した神々は数回登場しますが、その意味が露わになるのは日本書紀の次の段です。これが、今回記事の冒頭に書いた第(0)項、すなわち奈良軍事勢力と蝦夷勢力の最終決着です。この記事は三十巻から成る日本書紀の巻(二)すなわち冒頭部分に出現するため、大方の古代史研究者は神代の時代の争い事であると決めつけ重視してこなかったのです。本ブログでは、古事記・日本書紀の解読の基本スタンスはこの記述にあると位置づけています。
%%%%%日本書紀二巻・神代紀(下)
原文:
《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。

文意(岩波文庫「日本書紀(一)」136頁)
《第九段一書第二》一書に曰く、「天神は経津主神、武甕槌神を遣し葦原中国を平定させた。そのとき、二神が言うには、天には悪神がいる。名は天津甕星で亦の名を天香香背男という。先ずは此神を誅し、然る後に葦原中国にくだりて撥してほしい。是時、斎主神は号を斎之大人といった、此神は今は乎東国楫取之地の在す。
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 ざっと、この説話を解説しておきます。葦原中国には「天津甕星」なる悪い神がいた。文字通りに従うと「天に輝く星(シリウス)に宿る神」と解釈できます。又の名が含む「香香」は「カガ」であり、これは「高、興」と同音異字であることはしばしば指摘してきました。「セオ」は「シオウ」と同音です。したがって「香香背男」は「古(高)四王(古志)」と同じ神であり、同じ信仰であることがわかります。念のために付け加えておくと茨城県の三大古社の一つである鹿島神社の「鹿」は、もともとは「高(興)」であったのですが、奈良政権はその漢字表記を嫌って「香」に変更します。しかし、奈良政府は、それでも鹿島神社の背後の真実に他者が接近することを危惧し「香」を「鹿」に変更します。後日、とってつけたようにこの神社と「鹿」とを結びつける説話なるものをこしらえ挙げます。

 どうやら、「甕栗」とは「シリウス星に纏(まつ)わる栗の木が多い」地であると推定できます。となると思いつくのは「志木、磯城」です。私は、日本列島古代史研究では、いまや最重要ポイントである現在の「志木」界隈ではなかろうかと想像しています。志木の北部に広がるのが七世紀ごろに生まれたという「比企郡」です。「比」(ひ)は「志」(し)と音が互いに酷似しています。古事記が書く「シキ」は広大な地域であった可能性があります。その広大な地域で「宮」つまり政庁の位置を決定するのに「シリウス星」の天空上の位置を用いた。その証拠が、すでに書いた埼玉古墳群と志木市の南東はずれにある「宮戸」神社です。
(つづく)

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+++++五輪関連記事
 いつもいつも鋭い真っ当な指摘をするがゆえにフアンが多い佑月さんの週刊朝日誌コラムです。
h室井佑月「不敬よな」〈週刊朝日〉 7/8(木) 7:00配信
 宮内庁長官の「陛下が五輪で感染拡大を懸念と拝察」発言を、意に介さない菅首相や閣僚。作家・室井佑月氏は、「不敬」と憤る。 【この記事のイラストはこちら】
*  *  *  6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は定例会見で、天皇陛下が1カ月後に迫る東京五輪・パラリンピックでの新型コロナウイルス感染拡大について、懸念を抱いていることを示した。 「オリンピックをめぐる情勢につきまして、天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変ご心配されておられます」 「国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察しています」  その場にいた記者に、「これは陛下のお気持ちと受け止めて間違いないか」と聞かれ、「直接そういうお言葉を聞いたことはない。そこは誤解なきように」と、言葉を濁したけれど、宮内庁長官が陛下の名前を出して勝手に自分の気持ちを語るわけがない。というか、天皇陛下というお立場から、直接お言葉にすることをためらわれただけでしょう。  陛下はコロナ対策分科会の尾身会長から何度か説明を受けているようだし、真っ当にあたしたち国民の心配をしてくださっただけだ。そして、長官の口を借り、メッセージを出された。  しかし、この事実を認めたくない輩(やから)もいる。菅義偉首相は25日、 「長官ご本人の見解を述べたと、このように理解している」  と首相官邸で記者団に語ったらしい。  加藤勝信官房長官も25日の記者会見で、 「宮内庁長官自身の考え方を述べられた」  といった。五輪開会式での陛下の宣言については、まだ関係者間で調整中だとも。  はぁ? 陛下のメッセージさえなかったことにしてしまえってか。  結局、この人たちの頭の中は、自分たちのことしかない。菅首相は東京五輪で国威発揚を狙い、その勢いで秋までに行われる衆議院選挙に臨みたい。あたしたち国民の命や健康を差し出した大博打(ばくち)をやりたい。
 感染症の専門家の意見でさえ、聞くつもりはない。なので、陛下が見るに見かねて、メッセージを出したんでしょ。今の政府とは違って、国民のことを考えていると。メッセージを出さずとも、開会式の宣言がいまだ調整中ってことでも、わかれってものだ。  でも、このことをツイッターでちょっとつぶやいたら、「天皇の政治利用。不敬」といってくる輩がわらわら湧いてきて。  ちょっと待て。自民党政権が、平和の祭典を政治利用し、天皇陛下でさえ政治利用しようとし、それがうまくいかなかった、てのが今回の真相だろ。国民に寄り添ってくれた陛下のお気持ちを、そのまま受け取れない方が不敬だと思うけど。 室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中
%%%%%※週刊朝日  2021年7月16日号
昨年2月初めの大型クルーズ船内で感染で、単身船内に突入した神戸大学教授岩田健太郎氏が鋭く』五倫中止を求めています:
%%%%%岩田健太郎氏「万にひとつでも東京五輪が成功すると日本の感染症対策が死ぬ」 2021/07/03 06:00 更新日:2021/07/03 12:35
 昨年7月、Go To トラベルが実施される直前、政府の感染症対策分科会の尾身茂会長は「移動自体が感染拡大につながらない」などと言っていましたが、旅行には飲食などさまざまなイベントが含まれています。結局、Go To トラベルが感染拡大に影響を与えることを示唆する論文が出ましたね。
 東京五輪は全国から観客やボランティアがやってくる。彼らが日帰りの直行直帰をするのか、はなはだ疑問です。現在、東京都や埼玉県では1人の感染者から何人に感染が広がるのかを示す「実効再生産数」が「1」を超えています。つまり、感染が拡大傾向にある。それなのにどうして東京五輪を開くのでしょうか。明らかに矛盾しています。
■「バブル方式」の意味すら知らない大会主催者側
 感染リスクがあるのは一般人だけでなく、選手らも同様です。政府や都、大会組織委のずさんなバブル方式がそれを物語っている。
 成田空港でウガンダ代表選手1人が感染していることが分かりましたが、大きな問題点が2つありました。まず、成田空港では濃厚接触者の判定が行われず、あろうことか残りの全員が同じバスで大阪の宿泊施設に行きました。そんな対策をしていたら後日、新たな感染が判明したのです。本来ならば、同じ飛行機で長時間一緒に移動していたのだから、全員の感染を疑い、成田空港で選手らを個別に隔離して検査を繰り返すべきでした。
 そして、「バブル方式」というのは、内部にウイルスを入れないように徹底的に区分けするものです。だから、感染の疑いがある者をバブル内に入れてしまうのはまったく論外です。ところが、丸川珠代五輪相は今回の対応を「問題ない」との認識だった。大会主催者側が、バブル方式の意味すら理解していないとは、愚かとしか言いようがありません。
 それでも東京五輪は「安心・安全」だとか。政府や都、大会組織委はその基準を示さないのも、おかしな話です。これでは何が起きても「安心・安全だった」とされるでしょう。
 このような状況で東京五輪が始まろうとしていますが、私が思い描く最悪のシナリオは「大会が運良く成功してしまうこと」です。そうなった時、日本の感染症対策が死ぬと考えています。
 ハッキリ申し上げると、日本の感染症対策のレベルは中国、韓国に劣っています。これは過去の間違った成功体験が原因となっています。たとえば2000年代初期にSARSがはやった時は、たまたま日本には感染者があまり入ってこなかった。次に、09年の新型インフルエンザパンデミック時は、ウイルスが弱くて何とかなってしまった。具体的な対策をほとんどしていませんでしたが、奇跡的にうまくいってしまったのです。そうして、「これでエエんや」とあぐらをかいていた結果が、現在の惨状を招いているのです。
 万にひとつでも東京五輪が成功したら、日本の進歩はありません。長期的にはさらなる手痛いダメージを負う可能性があります。ただでさえ、「安心・安全」「成功だった」と片付けることのできる余地を残した東京五輪です。間違った教訓を植え付けないためにも、私はこの時期の開催には反対です。 
▼岩田健太郎(いわた・けんたろう) 1971年、島根県生まれ。2008年から神戸大学大学院医学研究科教授(微生物感染症学講座感染治療学分野)。昨年2月、専門家としてダイヤモンド・プリンセス号に乗船し、現場の惨状を伝えたことで世間に大きな衝撃を与えた。著書に「麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか」「予防接種は『効く』のか? ワクチン嫌いを考える」など。
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二つの小国神社、傲岸の麻生氏(小沢一郎談)、大谷32号、横浜市長選

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:老妻が孫・子の安全と健康を願って作った七夕飾りであります。私だって笹竹を求めて雨の中、笹薮に分け入ったんであります(キリッ!私も関わっているとの強い誇示))
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 感染増 危機を承知で 五輪やる どの口が言うか 安全 安心と

 五輪開催都市である東京で、都民が先の都議会選挙で明確な「反対」の意思表示をしたのです。ところが菅氏は「万全を期して」と、開催につきすすむのだそうです。記者から「万全とは、何をするのか?」と問われた菅氏は「万全を期するのです」と返答しました。こうした遣り取りにはもう驚かなくなりました。せめて「我が同胞、日本国民よ、無能の首相に怒れっ!」と、叫びたくなります。こんな人間がトップにいては、アンタ方(私も含む)はボロボロにされるぞ!と、繁華街に屯(たむろ)する方々をTV画面越しに諭しました。大谷君が32号を打った喜びも減じてしまいます。
%%%%%大谷「子供の頃からずっと見ていたので光栄」日本選手最多32号で松井秀超えを喜ぶ 7/8(木) 9:00配信
 「エンゼルス5−4レッドソックス」(7日、アナハイム)  エンゼルスの大谷翔平投手(27)が「2番・指名打者」で出場し、同点の五回に32号ソロを放ち、チームを逆転に導くとともに、この日まで並んでいた松井秀喜(ヤンキース)を抜いて日本選手1シーズン最多本塁打記録を達成した。この日は初回の左前打と合わせて4打数2安打1打点。今季24度目のマルチ安打で打率は・279。チームはア・リーグ最高勝率球団に連勝し、貯金を2とした。 【写真】大谷の弾道に敵陣ベンチぼう然、本拠地ファン総立ち  野球を始めた頃からテレビで応援していた偉大な打者を超えた大谷は試合後のオンライン会見で「子どもの頃からずっと見ていたので光栄かなと思います」と喜びを表現した。ホームランの前に打った2つ自打球が右足首と左膝を直撃し、痛みに耐えながらの打席に「結果的に打ってるので(影響は)なかったかなと思うんですけど、(投球が内角の)厳しいところにきてるのでその分、差し込まれたりしたら自打球になるのかなと思います」と話した。  32号を打った直後には松井氏から球団を通して「真の長距離打者」、「大リーグの常識を変えた唯一無二の存在」との祝福コメントを寄せられた。「素直にうれしいですし、わざわざコメントいただけるのもすごいうれしいなとは思います。まだまだ打てるように、期待にこたえられるように頑張りたいなと思ってます」と気持ちを新たにした。
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動画大谷翔平のもう一つのマイルストーン
 
 麻生氏は初めて国政選挙に立候補した際、宣伝カーから「下々の皆さん」と第一声を発したそうです。そんな声を発するほどの品のよい容貌とは思えません。
%%%%%小沢一郎氏 麻生太郎財務相に「顔を馬鹿にされる側の思いが分からない」
7/7(水) 14:37配信

 立憲民主党の小沢一郎衆院議員が7日、ツイッターに連続投稿。麻生太郎財務相が閣議後会見で質問した記者の容貌に触れた報道を引用し、「顔を馬鹿にされる側の人間がどんな思いかも、この人物にはわからないのだろう」と発言に疑問符を付けた。  小沢氏は、麻生氏が「全然頼りねえ顔」などと述べたとする報道を引用し、「人を顔で判断し、その顔を馬鹿にする。顔を馬鹿にされる側の人間がどんな思いかも、この人物にはわからないのだろう」と容貌を見下すような言葉を問題視。「人の痛みがわからず、嘲り笑いながら人を傷つける人間に、政治など、予算配分や徴税など、やらせてよいのだろうか。国民はよくよく刮目しなければならない」と投稿した。  小沢氏は別のツイートでも麻生氏の発言「『その程度の能力か』『頼りねえ顔』」と引用し、「記者の容貌まで馬鹿にして話をはぐらかす。真面目な職員が改ざんに苦しみ、自殺に追い込まれた。尊く大切な命が。こんな人物が副総理・財務大臣として未だに放置されている国。国民には、そんな国に住んでいるという自覚が必要。投票へ」と記した。
%%%%%関連コメント

+++++置目(め、古事記)は置賜(たま、地名)から?それとも逆?
%%%%%古事記顕宗記より(再掲)
原文
顕宗天皇(袁祁)は求其父王。市邊王之御骨時。在淡海國。賤老媼。參出白。王子御骨所埋者。專吾能知。亦以其御齒可知。〈 御齒者。如三枝押齒坐也。 〉爾起民。掘土。求其御骨。即獲其御骨而。於其蚊屋野之東山。作御陵葬。以韓岱之子等。令守其陵。(然後持上其御骨也) 故還上坐而。召其老媼。譽其不失見置知其地以。賜名號置目老媼。仍召入宮内。敦廣慈賜。故其老媼所住屋者。近作宮邊。毎日必召。故鐸懸大殿戸。
 (文意は前回記事で書いたので省略)
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 顕宗天皇が父の遺体を捜していた際、「そのありかを知っている」と天皇に告げた淡海国に住まう老婆の記憶に従いその場所を掘ったところ、確かに父の特徴たる「歯」と共に遺骸を見つけることができた。そこで、この老婆は「置目」なる呼称を賜った。このエピソードが「淡海国」すなわち現在の新潟県での「史実」に基づいて生まれたとするならば、その呼称は地名として城の山古墳の近くで残されているかもしれません。
 (図1:城の山古墳と小国。拡大は図のクリックで)
210705城の山無題

 羽越線を新発田から北上すると村上の手前に坂町駅があります。ここから東に走るのが米沢に向かうJR米坂(よねさか)線です。列車は新潟県の関川を通過した後、新潟県・山形県の国境を越えて小国町(上図の中央やや東にある)を通過します。この町の住所表示はなんと「山形県・西置賜郡」です。古事記の「賜名號置目」に由来していることは明らかです。どうやら、古事記が書くこのエピソードの関連舞台は山形県の西域らしいことがわかります。本ブログで解読してきた「筋書き」とまさにピタリと整合します。
 小学館が刊行する「日本古典文学全集・古事記」は上に掲載した古事記原文に以下のような注をつけています。「置目賜媼」を「しっかりと見ていてくれた老婆」と解釈します。その場所については一切言及しません。当然です。大方の「正統」古事記研究者はこの説話が現在の新潟県で起きていた事件に題材をとって設(しつら)え上げられたとは想像すらしないからです。
 私は「置」(おく)は扶桑国王「乙祁』(オツキ)に由来すると考えています。出産の時に国王を母から取り上げた産婆さんがこの「老媼」ではなかろうか、と想像するのは、下に書く小国町の古社「大宮子易両神社」の存在です。
「置目賜媼」は「目」が時間の経過の中で割愛され「置賜」(おきたま)となり、さらに「た」が抜け落ちて「おきめ」、さらに東北ズーズ弁で「オギメ」なる転化を辿ったと想像すれば、「小国」(おぐに)の由来も「置目賜媼」であったと思えます。

 場所の呼称は、古事記の記載が先にあり、それに因んで当該場所の呼称が「なんとなく決まってくる」のだろうか?今般の事例で言えば「古事記」で「賜名號置目」と書いてあるので、その出来事の起きた場所を「置賜」と呼ぶことになった。これは至極わかりやすいことです。しかし、もしそうであれば、古事記編纂者はこの出来事の起きた場所を知っていたことになります。これは、ありえないことなので、漢字表記はともかく、現地住民の呼称がまずはあったと私は考えています。

 この小国町の歴史を象徴するのが下に紹介する古社で、JR小国駅から北北西2kmに大宮子易両神社です。神社由緒によれば西暦712年とあり、古事記が撰上された年です。
%%%%%大宮子易両神社について
創建:和銅五年四月十八日(七一二年)
【御祭神】 大宮神社(一の宮)、大己貴命(おおなむちのみこと)別称 大国主命(おおくにぬしのみこと)、子易神社(二の宮)、高皇産霊尊(たかむすびのみこと)、神皇産霊尊(かみむすびのみこと)、国常立尊(くにとこたちのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
由緒
遠江一宮小國神社より大宮神社を小国町一ノ宮として勧請致しました。 その後、小国町内の二宮原という地の子易神社を大宮神社へと合祀し、今の大宮子易両神社となりました。 山形県置賜地方、さらには新潟県中越、下越地方の方々を中心に古くから子授かり、 安産、子育て、縁結びの神として現在も広く親しまれております。 大宮子易両神社の5柱の神さまには古くより「産霊(むすび)」の力があるとされており、産霊の信仰から様々な風習が残っております。
(図:和合宮(わごうぐう)、男女の性器をご神体とする)
210701大宮子安birth-1

 社殿向かって右手にある八角形のお社には、陰陽二柱の特徴的な形状をした巨石をお祀りしております。 小国町に流れる荒川で、男石「金丸太郎」が女石「種沢花子」を探しさまよっていたところをこの場所にご案内し、 仲睦まじくお鎮まりいただいたという伝説がございます。主に子授け、縁結びの神さまとしてお参りいただいております。
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 神社の由緒は後に合祀された「子易」神社にいわば「軒を貸して母屋を取られる」関係になってしまったのかも知れませんが、上で書いたようにこの老婆が助産の技術を持っていたとすれば、この神社が共存している理由が見えてきます。

 ところで、神社の由緒には「遠江一宮小國神社より大宮神社を小国町一ノ宮として勧請」とあります。この神社は浜名湖の東北東20kmにあり、その(由緒)を訪ねますが、その関係は見えてきません。唯一つこの神社の摂末社に飯王子社があります。飯豊王の甥である「王子」を連想させますが、それ以上のことは不明です。この神社の長い参道は、白山比売神社を思わせ、その方位も北北西−南南東を向く典型的なシリウス方位を取ります。
(図2:小国神社の長いシリウス星方位をとる参道、拡大は図のクリックで)
210708小国無題

 興味深いことは、この神社の場所があの「二股杉」に近接しているのです。これには驚きました。
 垂仁天皇妃の息子である(垂仁天皇とはなさぬ仲)「本牟智和気」が浜名湖を渡湖する最中に鵠と出会い、亞者であった「本牟智和気」は話すことができるようになった。しかし、その鵠はそれゆえか、大鶙に追われて山古志にまで逃げることになったという説話です。
 浜名湖を渡湖するのに作った小船の杉木材を切り出した地が尾張の相津(二股)であることを20年1月21日記事」「尾張の相津(垂仁記)、米大統領選挙と陰謀論」 で書きました。
(図3:天竜二股(天竜市表示の左下)は小国神社(図中央やや右、豊岡村の南)から西北西約8kmにある。図上部の1055mと手書きの表示は橿山(標高1055m、関東道路地図1995年版より)。拡大は図のクリックで)
小国神社9699

 図中央あたりに赤丸で括った地は「阿寺」です。大きな活断層が北北西から南南東に走っており地震学者が警戒の視線でもってその動きを監視しています。「阿寺」は八世紀末に岩手県で起きた大規模反政府反乱の首謀者アテルイの逃走経路の名残と私は考えています(
18年7月60日記事巨大放映権料と電通、阿寺断層と「アテルイ」、または
18年11月28日記事「アテルイ」補足、「豊」の由来(復習)、<<資料>>安倍氏外遊)。
 図2で見るように小国神社は長い参道で特徴付けられます。とするならば、かってはこの地に渡来族の陣屋があり、その地を選定するにあたっては、シリウス星の神託を仰いだと想像できます。そこでシリウス星を観測できる高所を探して見つけたのが橿山(かしやま、標高1055m)です(図3で印をつけている)。早速、いつもの計算をします。 
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1) Scilabによる計算プログラム
橿山(lat,lon)=>[35.04294 137.81287]
小国(lat,lon)=>[34.84729 137.89942]
D( 距離) 23.1-km (方位)160.04
次に、この方位にシリウス星が輝く年代計算を推定します。
--> exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\sirius2age.sce', -1)
Angle?(0:stop)=160.04、age= 662.5
 西暦662年と算出されます。斉明天皇の死去した年です。白村江海戦の前年でもあります。戦乱急なる情勢で天皇の側近が、急遽東国に走りバックアップ体制の整備を図るにあたっての拠点つくりであったのでしょうか?参道の長さに、緊迫感が伝わってくるようであります。いずれにしても、「本牟智和気」はこの地に滞在し、そこから西に向かったらしいことが見えてきます。橿山と小国神社の中間に「光明山」(標高540m)があります。この名称はゾロアスタ教すなわち拝火教と関係がありそうです。実際、」樫山からシリウス星を観測する際の補助観測を担ったのかもしれません。
 自慢げに鼻をピクピクさせながら言わせていただくならば「古事記」の主要舞台を奈良盆地とその周辺と決めてかかる姿勢からは、こうした豊かなな古代史は見えてきません。

 この小国神社と山形県「置賜郡」の小国神社とのかかわりは何であったのか?興味は募りますが、残念ながら現時点では手掛かりがありません。
(つづく)

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 尊敬する正義の弁護士・郷原信郎氏が横浜市長選への立候補を表明しました。以下は立候補に当たっての政策提言です。文章が長いがブログ記事であるので、ここに全文を掲載しません。消失する懸念がないからです。選挙には元長野県知事の田中康夫氏も立候補を表明しています。「反菅、反カジノ」で候補者が一本化されるよう願っています。
%%%%%「7つの重点政策」を掲げ、横浜市長選に出馬表明〜候補者調整の提案も 投稿日: 2021年7月8日 作成者: nobuogohara

押歯王の歯?、都民が(珍しく?)真っ当な判断

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ
(写真:土曜の朝、目に飛び込んできたのが恐怖の映像でした。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞い申し上げます。10年前の3月11日に目にした光景と見紛うほどの情景でした。改めて日本列島があらゆる種類の自然災害の危険性をはらんでいることを認識しました。政府首脳は五輪五輪と前のめりになっています。が、今東京が地震に襲われたなら、コロナ感染拡大に重なる多重災害です。とするならば為政者が考えることはリスクの低減です。まずはコロナ感染の制圧に全精力を傾けるべきと考えます。昨日の東京都議会選挙で自民・公明は定数の半数を超えることができませんでした。都民もまずはコロナ制圧を望んでいるという意思表示であると思います。
 写真は東京新聞7月5日付け26面より。TVで放映されるあの赤い三階建てのビルが左下に見えるので、場所は海に近いところであることがわかります。拡大は図のクリックで)
土石流9693


 山間を 超高速で 駆け下りる 土石の流れ 破壊力凄まじき

 昨日、投開票された東京都議会選挙の結果が出ました。低投票率ということで期待していなかったのですが、東京都民は実は至極真っ当な判断をしたようです。それにしても、自分たちの健康と安全に直接関わる選挙であっても投票に行かない都民が半数以上いるということに暗澹たる気分であります。
%%%%%東京都議選投票分析 五輪反対56%、賛成37% 2021/07/04 21:09
 毎日新聞などは4日、東京都議選の投票を終えた有権者を対象にインターネット調査を実施し、投票行動を分析した。
地域政党「都民ファーストの会」の候補に投票した有権者の5割強は、支持政党が都民フではなく、無党派層などが幅広く支持した格好だ。東京オリンピック・パラリンピックの延期や中止を訴える共産党や立憲民主党も無党派層に支持を広げた。
 支持する政党・政治団体が「ない」と回答した無党派層は全体の3分の1を占めた。
無党派層の投票先の内訳は、都民フ27%▽立憲15%▽共産14%。
いずれも得票全体の過半数は、無党派層を含む支持層以外の票だった。
小池百合子都知事が選挙戦終盤に都民フの候補の応援に入ったことや、立憲・共産の連携も影響したとみられる。
自民党は得票の67%が党支持層からで、対照的だった。
 東京五輪・パラリンピックをこのまま開催することに「賛成」と回答したのは全体の37%、「反対」は56%だった。
「反対」と回答した層の投票先の内訳は、都民フ23%▽自民18%▽共産18%▽立憲17%――などと分散した。「賛成」と答えた層の投票先は、自民が41%を占めた。
 全選挙区を合算した各党の得票率は、自民28%▽都民フ24%▽立憲12%▽共産12%▽公明党11%▽日本維新の会4%――など。
 調査はTBSテレビ、フジテレビ、社会調査研究センターと合同で実施した。
NTTドコモの携帯ユーザーを中心とするプレミアパネル(dポイントクラブ)の都内在住者から、対象者を無作為に抽出。メールで協力を依頼し、1万7729人が投票先を答えた。
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関連記事を本ブログ後尾に付記しました。

 古賀茂明氏のような真っ当な官僚が十数年前には存在したということです。物を考える官僚が国政に関わる。そのためには政治をまともにせねばならないと改めて考えながら古賀氏の言に耳を傾けました。
【古賀茂明】菅首相、安倍前首相、麻生元首相の3人の退場こそ日本再生への道 【ONE


+++++(続)飯豊王
 最近の記事群では「飯豊王」と銘打ちながら、それには触れないまま記事を終えてしまうことが重なりました。なにせ、古事記の漢字列を眺めていると、あれこれ想念・興味が湧き上がり、それを追いかけてしまう、自らの立ち位置を見失ってしまうのです。しかし、そのおかげで、古事記編纂の仕掛けの一部を垣間見ることができたことは、大いにうれしい事でありました。古事記は古代日本列島政治における史実の宝庫であり、未だに研究材料が潜んでいるということを実感しました。しかし、読むにあたっては「然るべき歴史観」すなわち「一定の先入感」、別の表現をするならば「仮説の設定」が必要であることを再確認しました。仮説によって多様な選択肢が眼前に浮かび、それらを一つ一つ検証するという作業が「史実の発掘」につながるのではなかろうかと考えています。当然、「検証作業」を通じて設定した仮説が否定されることも少なくありませんでした。

 山古志に密接に関わっているのが「古四王」信仰です。越後山脈をはさんで「山古志」と反対側(東)にあるのが「飯豊(いいとよ)」です。因みに飯豊(いいで)山の北にひろがる山形県に「飯豊(いいで)町」があります。が、この町名は第二次世界大戦後に発足したと町史は書きます。「いいとよ」は東北弁では「イイドヨ」と訛り、それが「イイデ」に変化します。
 ところで「豊」を「トヨ」と音することを古代史研究者は当たり前のことと考えて疑問を呈しません。「トヨ」は卑弥呼亡き後の邪馬台国宗女「台予」とも関連付けられてしまったため、日本列島古代史の「鍵」の一つともなっています。伊勢神宮の下宮に祀られる豊受(とよ)大御神は内宮に祀られる天照大御神と並んで日本国神道の要であるとされています。
 私は、「豊」を「トヨ」と音することに長いこと疑念があり、調べてきました。たどり着いたのが、遠く西域ペルシアから渡来した民の言語でした。青森、またはその北の樺太を経て日本列島に辿りついた渡来族が南下し、一部の勢力は福島県・茨城県境の八溝山から鹿島に南下し定着します。常陸国の古社の地理的配置からその時期が西暦531年ごろであることを20年10月18日記事で書きました。常陸国風土記を丁寧に読むと、渡来民の鹿島での活動が浮かび上がってきます。詳しくは本ブログ過去記事を参照していただかねばなりませんが、「トヨ」が、古代ペルシア語で「たっぷりある」を意味することを突き止めました。そこで、同義の漢字「豊」をあてる様になったと18年11月18日記事「アテルイ」補足、「豊」の由来(復習)、<<資料>>安倍氏外遊 で書きました。すなわち、伊勢神宮の下宮の由緒は史実を反映していないことになります。

「飯豊」なる漢字表記が「飯すなわち米が豊かに採れる」ことに由来するとの説をどこかで読んだことがあります。もちろん、それを否定する根拠はありません。なんといっても飯豊山の山麓は当時南北すべてで「米どころ」です。しかし、私は以下のように考えています。
 「飯」は「飯名」(いいな=イナウ)、すなわちアイヌ族の信仰の「表彰」に由来します。「イナウ」は今で言えば家庭の神棚に相当するようですが、この「イナウ」がやがて「稲荷信仰」に転じたのだろうと考えます。一方「豊」は「コウ」の音写であり、それは「興」王すなわち渡来民です。かくして「飯豊」はどのように音されていたのかは定かでないけれども六世紀前半ごろに新潟・福島を中心に大きな勢力を張っていた渡来民とアイヌ族の共同体あるいは統一体の呼称であろうと考えています。しかし、七世紀になると「豊」を「トヨ」と音するにあたって伊勢神宮の事例にあるように「政治的背景」が関わってきますから、「飯豊」は「イイトヨ」と音されるようになったのです。

 履中記はその統一体の名称を有する飯豊王とその周辺について以下の系図を書きます:
(図:飯豊王関連系図。 
 https://livedoor.blogimg.jp/oibore_oobora/imgs/f/d/fdd691a2.png
210527黒比売系図無題

 上の系図に見るように飯豊郎女は青海郎女の亦の名であるとされます。一方清寧記で登場する忍海郎女の亦の名が飯豊王であると書き、この飯豊王が長いこと行方不明とされていた二人の甥すなわち袁祁、意祁の所在が知れた事を喜ぶ記述があります。「忍海」か「青海」かの違いは、単なる「語り部」の記憶違いであろうと私は考えています。「忍海」こそは飯豊王の宮であることは
記事11年11月14日鉾衝(ほこつき)神社(1)で書きましたが、今回その考察を改めて近日中に書くつもりです。飯豊王の話の前段として、顕宗(袁祁、をけ)天皇記にまずは触れておきます。忍歯命は顕宗天皇の父で姨(おば)・飯豊王の兄でもあります。天皇は父・忍歯命の遺体を何とか見つけ出し、丁重に埋葬したいとあれやこれや探していました。
%%%%%(古事記)
原文
顕宗天皇(袁祁)は求其父王。市邊王之御骨時。在淡海國。賤老媼。參出白。王子御骨所埋者。專吾能知。亦以其御齒可知。〈 御齒者。如三枝押齒坐也。 〉爾起民。掘土。求其御骨。即獲其御骨而。於其蚊屋野之東山。作御陵葬。以韓岱之子等。令守其陵。(然後持上其御骨也) 故還上坐而。召其老媼。譽其不失見置知其地以。賜名號置目老媼。仍召入宮内。敦廣慈賜。故其老媼所住屋者。近作宮邊。毎日必召。故鐸懸大殿戸。

文意(岩波文庫「古事記」199頁より)
此天皇、父王である市邊王之御骨を捜していた時のことである。淡海國に賤しき老媼がおり、天皇の前に参じて「王の御骨を埋めた場所を私は知ることができる。また其の御齒を以って確認できる(王の御齒は三枝の如く押齒であった。)」と語った。そこで、民を起して土を掘り求其御骨を探させ、其御骨を獲ることができた。其の蚊屋野之東山に作御陵を作り葬った。之子等に命じて其陵を守らせた(然る後に持上其御骨を持ちあがった)。 かくして、(宮)に還り、其老媼を召してその骨を見失わず、場所も記憶していたことを誉めて置目老媼なる名前を与え、宮内に召入れ敦く廣く慈しむべく其の老媼に住屋を宮の近くに作り毎日必らず召し出した。そのために大殿の戸に鐸(ぬりて)を懸けた。
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 ところで、下に掲載した動画は新潟県の考古学者による城の山古墳の発掘成果報告です。
(図:城の山古墳と小国。拡大は図のクリックで)
210705城の山無題

 城の山古墳 は2012年に発掘され数々の興味深い出土物を見出しています。それをざっと概説した動画があります。

https://www.youtube.com/watch?v=jFmoevVc2Hk" target="_blank" title="">城の山古墳の謎 1

 発掘者もまた全国の考古学愛好者も指摘していませんが、私を興奮させたのが動画の最後のあたりで語られる「歯」です。まさに「歯」に特徴のある首領級人物が実在し、それが語り継がれていたのではなかろうか、と想像しています。その言い伝えをまたもや藤原不比等は「剽窃」し、自らが編纂する古事記の中で「押歯王」として仕立て上げたのだろうと思っています。
 それにしても不思議に思うことは、古事記編纂時には藤原不比等がすでに知っていたのかなと思わせるような現代に初めて発掘された墳墓からの出土物の存在です。奈良政権は、美麻貴天皇による日本列島制覇の直後から、全国の墳墓を掘りかえし、藤原不比等の歴史観にそぐわないものを除去し、説明可能な埋設物についてのみ埋め戻すといったことをやっていたのではなかろうか、と思ったりします。

 上の説話に登場する「置目老媼」についても興味深いことがわかってきました。長くなるので次回にそれを書きます。
(つづく)

考古学ランキング

 五輪開催が甘利にもにもばかげていることを日本のメディアは語りません。悔しいことですが、欧米の有識者が日本国民の声を拾って海外に発信しています。なんとも情けない話であります。
%%%%%《仏メディア痛烈批判》「日本人の気持ちを想像すべき」各国が東京オリンピック開催に反対する本当の理由 7/3(土) 12:12配信
 2021年6月17日、菅義偉首相は東京オリンピック・パラリンピックの開催を公式に表明した。しかしウガンダの代表団から新型コロナウイルスの陽性者が出たこともあり、大会開催によって爆発的にウイルスが感染拡大するのではないかと不安視する声もある。6月18日には、尾身会長ら日本の感染症の専門家が「無観客での開催が望ましい」と提言してもいる。 【画像】【画像】英メディアは「菅首相は、楽観的どころかまったく間違っているようだ」 “開催宣言”の直前、同月13日にはイギリスで開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、菅首相は「全首脳から大変力強い支持をいただいた。改めて主催国の総理大臣として心強く思う」などと記者団に語っている。各国からの支持を追い風にして、開催を断行する形となったわけだ。  しかし、果たして各国の一般市民もオリンピック開催を支持しているのだろうか。アメリカのメディア「The Washington Post」が、IOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び話題を呼んだことは記憶に新しいが、各国の“本音”はどこにあるにのだろうか。今回はヨーロッパ諸国のメディアが報じた記事を中心に探ってみた。
「開催は本当に正当化されるか?」と問う、英メディア
 たとえば、イギリスのメディア「The Guardian」は、4月12日に公開された社説で、東京オリンピックを中止することによるアスリートと経済への影響の甚大さに理解を示した一方、《(人々の)生命を危機に晒す今大会の開催は本当に正当化されるかを日本政府とI O Cは問わねばならない》と批判を展開している。 《オリンピック開催まで100日を切る中、大会を「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として実現する」という(菅首相の)約束は、楽観的どころかまったく間違っているようにも見える》 《オリンピック大会直前に、施設の建設が間に合わない、チケットの売れ行きが不調であるなどの問題が発生するのはお決まりだが、感染症が蔓延する中で開催を予定している今回の大会はレベルが違う》 《大会を開催するのであれば、感染拡大を食い止めるためのルールを確実に施行する必要がある》
英メディア「日本政府は日本人の声に耳を傾けない」
 同紙は5月24日に「オリンピック開催の中止を求めている数多くの日本人の声に、日本政府は耳を傾けないだろう」と題したオピニオン記事も掲載した。《他のG7諸国に比べると日本の新型コロナウイルス感染状況は悲惨ではない》にも関わらず、《日本国民がこの「成果」を政治家の手腕の結果と結びつけていない》と指摘。その原因として、日本政府の国民に対する不透明なコミュニケーションと、大きな危機に直面した時に責任を負う気概があるリーダーの不在を挙げている。  そしてこの2つの問題点が、オリパラ開催を強行しようとする政府と、感染拡大を懸念する日本国民の溝を生んでいると分析しているのだ。
ドイツ語圏への声明「日本に来ないでください」
 ドイツの大衆メディア「Frankfurter Rundschau」は4月19日、日本国内で開催に反対する人々がいると紹介。4月2日に社会哲学者の三島憲一氏や政治学者の三浦まり氏などの日本の知識人20名が、ドイツ語圏の人々に対し、関係する各メディアに「日本に来ないでください」という声明を送付したことを取り上げている。  この声明には《スポーツで実績を積んできた国の1つが東京オリンピックへの参加を辞退すれば、各国に連鎖反応を引き起こすことができ、結果的に今回のオリンピックは中止せざるを得なくなるだろう》と記載されているという。  日本国外に大会へのボイコットを呼びかけることでオリンピックの開催を中止させようとする動きは、IOCや日本政府にとってはプレッシャーになるのではないかと分析されてもいた。
「中止は絶対にない」スペインメディアが断言
 一方で、スペインのメディア「El Mundo」は、4月14日の記事で、《オリンピックが中止されることは絶対にないだろう》と断言。その理由については《聖火リレーは既に始まり、大会期間中に使用される建物は建設済みだ。東京オリンピックの210億ユーロ分の予算は既に確定され、テレビ局やスポンサーはすでにキャンペーンを開始している》からだと述べている。  しかしながら、こんな予測も付け加えている。 《大会が中止になるのは、日本政府が感染症の新たな「波」に直面してパニックを起こした場合のみだろう》  また、G7諸国と比較すると日本の新型コロナウイルス感染状況は酷くないものの、ワクチン接種速度が非常に遅い日本の現状を踏まえ、東京オリンピックの開催能力を疑問視したものもある。
「ワクチン普及に大きな遅れを取った理由」とは
 フランスのメディア「Le Figaro」は、世界第3位の経済大国であるにも関わらず、日本が他のG7およびOECD諸国と比較してワクチン普及に大きな遅れを取った理由を《(日本国内で根強い)ワクチンへの疑念や(承認に至るまでの)官僚的なシステムが絡んでいる》のではないかという専門家の声を紹介している。  このようにヨーロッパメディアには、オリパラ開催に否定的な内容が多かった。しかしあくまでもワクチン接種が進まない日本の現状や、「オリンピックを断行しようとする日本政府やIOC」と「それに反対する日本国民や公衆衛生の専門家」の“バトル”を客観的に報じるところで留まっていた。  しかしいよいよオリパラ開催が迫ってきた6月23日、大会開催に強烈な“否”を突き付ける記事が報じられた。
「オリンピックは道徳的なスキャンダル」と痛烈批判
 報じたのはフランスのメディア「Liberation」。《私たちの声明は、IOCの暴走を止めることを目的としている》と、痛烈な批判を展開しているのだ。  一部を要約して、本記事をご紹介する。 〈《手遅れになる前に、この大会の中止を求めている東京や日本の人々の声に耳を傾けなければならない。日本国民の6割から8割が大会の開催に反対し、大会の安全確保のために動員される医療関係者からも反対の声が上がっている。東京オリンピックは、日本の医療システムを弱体化させることになるからだ。  IOCは、恥ずかしげもなく、若くて健康的な世界中のオリンピック選手への優先的なワクチン接種を検討している。これは日本やフランスをはじめとした、大会参加国の道徳的なスキャンダルなのではないのだろうか。強い者を守ること、そして一般人の観客をスタジアムに入れることなく、広告収入を守るためにテレビ放映を行うことがオリンピック精神なのだろうか。公衆衛生や人命の価値は、コカ・コーラ社の広告の価値よりも低いのだろうか。東京オリンピックは、オリンピック精神とオリンピックの構造の「真実」を明らかにした。  東京大会の開催中止を求め、専門家やスポーツ選手らが世界各地で声を上げ始めている。80%の日本人が反対しても大会が中止にならないのであれば、世界中の連帯が必要だ。特に、フランスは次の夏季オリンピックの開催国として重要な役割を担っている。パリ大会が感染症の中で開催されたとしたら? 感染症が蔓延する中でオリンピックを迎える日本人の気持ちを想像すべきなのではないのだろうか。私たちは、IOCにオリンピックの開催に関して自由な権限を与えることを拒否する。  惨事を避けるためにも、世界的な感染症の流行の中で予定される東京オリンピック開催を再考すべきだろう》〉  未決定事項が多い今大会に対する世界中のメディアの目は厳しい。2021年7月、コロナ禍のなかでの東京オリンピック・パラリンピック開催は、どのような結末を迎えるのだろうか。
%%%%%佐藤 翠/Webオリジナル(特集班)

古代日本列島での新潟、大谷&ダルヴィッシュ

(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ
(動画:水田の水位が下がり始めるころ、ザリガニ君は巣作りで、一生懸命に穴を掘っています。そしてオスはあの穴にメスを引っ張り込んで・・・なる下品な想像をしながら穴堀り作業を眺めました。)
威嚇ざりがに9679 


 朝一番 目に飛び込める ホームラン これがその日の 元気の素なり

 このところ、毎朝のトップニュースから大谷、ダルビッシュという二人のMLBプレイヤの活躍を目にするのがその日の元気の素であります。歳をとって実感することは、朝、布団のなかで覚醒して、まずぼーっとした頭の中で「今日も一日死ななければ、生きねばならないのか、億劫だな〜。」です。連日、目のあたりにする菅首相の無能・無知にすこぶる不快にさせられますが、それを考えることも面倒くさくなります。しかし、一生懸命生きている子供、孫を思い浮かべると、「抗いの声ぐらいはあげておこう」と思います。そうした前向きの気分転換を二人のMLBプレイヤが齎してくれます。
 残念ながら今日の大谷投手は乱調で、初回早々に降板となってしまいました。しかし、次回はこの借りを返してくれるでしょう。そして、もう一人のMLB日本人プレイヤであるダルビッシュ有投手が発信する動画の愛好・視聴者です。すさまじいほどの研究熱心に強い感銘を受けています。
%%%%%ダルビッシュが舞台裏を明かす 降板後に同僚謝罪も「何回助けてくれたと思ってるの」 6/28(月) 16:53配信
 パドレスのダルビッシュ有投手が28日、ダイヤモンドバックス戦後にブログを更新。登板後の舞台裏を明かした。 【写真】投げ終え、監督とグータッチするダルビッシュ  右腕は6回6安打1失点と力投したが、七回にリリーフ陣が打たれ、自身の8勝目は逃した。だが、チームは七回に再逆転し、勝利した。  ダルビッシュは「降板時点で2−1で勝っており、このまま同点に追い付かれずに勝てば自分に勝ちがつくのですが降板直後の7回に同点に追いつかれました」と展開を説明。その後、「自分は全く気にせず、むしろその裏に逆転したのでウキウキでお風呂に浸かっていたら、、同点に追いつかれてしまったティム・ヒル投手がわざわざお風呂まで来て『ユウ、、、本当にごめん。頑張ってくれていたのに。。』と。」謝罪されたという。  仲間思いのダルビッシュは「普段は静かでピュアでチームメイトからも人気の高いヒルですから、本当に真剣に申し訳ないと思っているんだな。と笑いそうになりました笑」と記述。日本とメジャーの“違い”にも触れ、「笑いそうにってなんだよと思われるかもしれませんが、MLBの選手は日本人みたいに謝ったりをなかなかしないので凄く珍しいんです」と説明した。  ヒルの気持ちに対し、ダルビッシュは「『今年何回助けてくれたと思ってるの?だから気にしないで!何より今勝ってるからいいじゃん!』と言ったら笑顔を見せてグータッチしてロッカーに戻って行きました」とやり取りを明かし、ファンへ向けて「そんな謙虚でピュアなティム・ヒル投手を是非応援してあげてくださいね」と付け加えた。
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 投票率が五割そこそこの国政選挙で国会に出てきた人たちが国政を決めます。半分近い国民は国政に関わりたくないといってるのですから、そもそも我が国は民主主義なんぞというものはないのでしょう。選ばれた側もそれを承知していますから、政治理念はなく、やりたい放題です。にもかかわらず小沢一郎氏はそれではいけないと吼えています。尊敬であります。  
%%%%%立民・小沢一郎議員『隠蔽 改ざん 虚偽 どう喝』過激ワード感情むき出しで菅政権に苦言「腐敗国家まっしぐら」 6/28(月) 18:53配信
 立憲民主党の小沢一郎衆院議員(79)は28日、自身のツイッターを更新。「腐敗国家へまっしぐら」などと、感情むき出しで思いを吐露した。  「不正行為は隠蔽(いんぺい)し、証拠文書は改ざんし、虚偽答弁は当たり前、あることないこと捏造(ねつぞう)し、忖度(そんたく)しない公務員は追放し、報道機関はどう喝し、捜査機関は手なずけて、追及されてもはぐらかし、後は国民が忘れるのを待つ」。政府、国が繰り返す数々の不正行為、虚偽にまみれた国会答弁にだまっていられない様子で、「そんな政治でいいのだろうか。腐敗国家へまっしぐら。選挙だけが、国民だけが止められる」と結んだ。  政府の体たらくび、独裁的な政治の結末を忘れてはいけないといったメッセージを伝え、国民に投票の大切さを訴えた。
中日スポーツ
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+++++なぜ新潟県は奈良勢力にとって重要であったのか?
 奈良政権は七世紀半ば過ぎから残虐な「蝦夷(えみし)」討伐軍事行動を活発に展開してきました。七世紀半ばの熊本を中心とする「壬申の乱」、七世紀末「建御名方(九州蝦夷・倭連合の首領)諏訪幽囚』、 七世紀末の「(雄略天皇による)埼玉県でのシキ宮焼き討ち』、最後は八世紀初頭の「美麻貴(崇神)天皇による行方・鹿島軍事制圧」です。こうした一連の軍事行動に続いて、小さな焼けボックイ的発火事件群です。その最大のものが八世紀末のアテルイの乱です。奈良軍事政権が反逆者たる蝦夷鎮圧の後に行った重要な政策は、蝦夷の信奉した宗教の否定をふくむ「宗教改革」です。それが、東大寺大仏建立に象徴される仏教興隆と、抑圧された民の鎮魂のための神社創建です。

 この筋書きで、読者の方々が抱くであろう疑問の第一は年代です。すでに「鹿島」、「諏訪」の攻防についてはその年代も含めて本ブログで論じてきました。同じような筋書きを他の重大な政治事件についても藤原不比等は「正史」たる記紀で書いたのです。が、それらはすべて七世紀の後半の半世紀に起こった事件であったにもかかわらず、それらを五世紀末から六世紀に起きたかの如く、あるいは時代を明記せず(古事記では)書かねばならなかったのです。その苦し紛れの歴史操作が「西暦400年から二世紀半にわたる二重天皇制(21年5月17日記事関連表)です。七世紀半ば以後に日本列島が置かれていた対外事情、すなわち対唐王朝との関係によります。すでに書いてきましたが、「諏訪幽囚」はなんと神代時代に起きたとされ、常陸国攻撃はこれも紀元前であると書いています。雄略天皇の志木焼き討ち事件は五世紀末に起きたことになってしまっているのです。

 安康〜雄略記考察のまとめとして、この時代の中心舞台が現在の新潟であった理由を最後に考察しておきます。
 ヒントは、天皇の和風諡号である「石上穴穂」です。新潟県の東隣は現在の福島県、かっては「石代」(いわしろ)国です。「磐城」を「石代」と書けば、そこは石炭算出の地です。一方新潟県は秋田県と並んで「石油」産出の地です。とするならば「穴穂」は「穴掘り」から思いついた名称ではなかろうかと私は想像しています。すなわち、石油・石炭という最重要エネルギー資源産出の地です。古代日本での「石油・石炭」は天智天皇紀に記載されており(地質学術論文)、日本書紀・巻二十七(天智天皇紀)に以下の記載があります(古事記は推古記までであるため、日本書紀を引用しています):
%%%%%(5)日本書紀・天智天皇七年紀:
原文:
《天智天皇七年(六六八)七月》◆秋七月。高麗従越之路遣使進調。風浪高。故不得帰。以栗前王拝筑紫率。』于時近江国講武。又多置牧而放馬。又越国献燃土与燃水。又於浜台之下諸魚覆水而至。又饗蝦夷。又命舍人等、為宴於所々。時人曰。天皇天命将及乎。

文意(岩波文庫「日本書紀(五)」:
天智天皇七年(六六八)秋七月。高麗が越之路を経て遣使し進調巣(貢物を進呈)風浪が高く帰ることをできなかった。栗前王に指示して筑紫率に挨拶をさせる。その時近江国で講武をする。又、多くの地に牧を置いて放馬をする。又、越国が燃土(石炭)と燃水(石油)を献上する。又浜台之下において諸魚が水を覆て至る(現象不明であるが「浜台」を「ハマダイ」と訓(よ)むとすれば、1872年(明治5年)の浜田地震を連想させる:ブログ管理人)。又蝦夷に饗応する。又、舍人等に命じて、所々で宴をなす。当時の民が言うには、「天皇は天命を将(まさ)に及(おわりなむ)とする乎」と。
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 天智天皇はこの年の正月にやっと天皇位に即(つ)いた、と書紀は書きます。この天皇にまつわる謎は数多く(20年7月7日記事都知事選分析(安富氏)、天智天皇の謎整理(1))、この即位もその謎の一つです。更には上掲の一節の最後の文節「時人曰。天皇天命将及乎。」が「天智天皇支配の近い将来の終焉を予期」を意味するならば、その記載の意図はどこにあるのか?近日中に考察します。

 奈良権力は新潟県に埋蔵されるこの「エネルギ」源を知っており、それが権力維持に極めて有用であることも承知していたと想像しています。奈良権力はこの埋蔵資源の強奪をかねてより狙っていたのでしょう。上に掲載した説話は、「重要埋蔵資源を抑えた(我が物にした)」という宣言のようにも理解できます。
(図:鉄を産する大日岳山麓。拡大は図のクリックで)
210701金属鉱無題

 この自然エネルギ源が、雪国・新潟にすむ民の冬の暖房として使われたのか否かは定かでありません。それは「枯れ木、枯れ草」などで事足りていたと思えます。重要な使い道は「製鉄」作業であったろうと考えています。鋤、鍬、鉈など農林漁業の諸道具に加え、剣、矢、そして甲冑など軍事用具です。長谷王の出身地と古事記が書く大日岳・山麓は鉄が産出されます。このあたりで多く見られる「赤」が付される地名は「鉄の酸化物」の色であると思われます。そうとすれば「加治川」も「鍛冶川」(かやがわ、何時の間には「冶」が「治」に変わって、「カジヤ」と呼称される)なのでしょう。
(動画:柏崎古代製鉄遺跡発掘の動画)
古代の製鉄遺跡を探る 〜柏崎市・軽井川南遺跡群〜 一般編


 ところで、安康天皇は「目弱王」に「頸」を切られて殺害され、遺体は菅原の伏見の丘に葬られたと古事記は書きます:
%%%%%古事記より
原文:
其天皇之頸。逃入都夫良意富美之家也。 天皇。御年。伍拾陸歳。御陵在菅原之伏見岡也。

文意(岩波文庫「古事記」180頁より)
 (目弱王は安康)天皇の頸(くびきり)をした後、都夫良意富美之家に逃げ込んだ。天皇御歳56.御陵は菅原の伏見岡にある。
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 いつものやり方で新潟県上越市・頸城のどこかに菅原なる地があるはずと確信を以って探しました。グーグル地図で「新潟 菅原」を探索キーとして探すと見事に出てきました。
(図:頸城の菅原神社。拡大は図のクリックで)
210701菅原古墳無題

%%%%% 菅原神社
主祭神「天穂日命(あめのほひのみこと)」、配祭神「菅原道真朝臣」などを祀った神社です。創立は天武天皇3年(675年)にして延喜武神名帳に越後国頸城郡十三座の一つとして登載され、古くより菅原天神と崇められています。
境内には、前方後円墳(県指定文化財)や縄文時代炉跡があります。
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 すなわち、古事記は「真実」を記載していたことがわかります。「菅原」の「菅」は「サカ=サガ」の転化です。しかし、「安康天皇が実は新潟県出身で、この地で埋葬された」ということではありません。この地に埋葬された人物は「扶桑国」の首領のお一人であり、その人物の事跡が、稗田阿礼または奈良勢力によって捕らえられた側近によって、藤原不比等に齎されたのです。このエピーソドを使って「安康天皇」像が作り上げられた。ただし、目弱王によって安康天皇が親の敵として頚(くびき)られたと派思っていません。以前も書きましたが梁書が区述する扶桑国の国情とは馴染まないからです。そうした部分に藤原不比等の真実とは異なる脚色が加えられたのだろうと考えています。いいずれにせよ、藤原不比等は、古事記を監修するに当たって、この菅原古墳が新潟にあるという事実が「露見」するなんぞは思ってもみなかった筈です。

 ところで、この菅原に埋葬されたと古事記が書く人物がもう一人います。誰あろう「垂仁天皇です。
%%%%%古事記・中つ巻
原文:
此天皇。御年壹佰伍拾參歳。御陵在菅原之御立野中也。 又其大后比婆須比賣命之時。定石祝作。
文意(岩波文庫・古事記115頁より)
垂仁天皇の御年は壹佰伍拾參歳で、御陵は菅原之御立野中にある。 又其の大后である比婆須比賣命(ひすばひめ)時に石祝作を定める。
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 この天皇の活動舞台は現在の埼玉県から東京都であったことを以前のブログ記事で書いてきました。どうやら、藤原不比等の頭の中では「安康天皇」の事跡を「捏造する際」に、垂仁天皇が重なったのではなかろうか。すなわち、同じ情報の使い回しではないかとの疑いがあります。
 この話はいずれ、本ブログの主題が垂仁記に戻った際に詳しく考察します。思えば、新潟県の話が ここまで広がった直接のきっかけが垂仁記に書かれている山古志でした。

(つづく)

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「シキ」の焼打ち、厚労省の医療行政、五輪は金持ちのための見世物(ゴルゴ13)

 本年前半最後のブログ更新であります。後半もお読みいただき、コメントなぞも頂ければうれしく思います。
(本ブログは月木に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:やっと、田んぼにザリガニが顔を出し、われら人間様を威嚇しております。たぶん鴨、白鷺なんぞもこの日を待ちわびていたに違いありません。何せ良質の蛋白質源であります。拡大は図のクリックで)
KIMG0278

(動画:時鳥(ホトトギス)が「トウキョウ・トッキョ・キョカキョク」と叫んでいます。ここは茨城の寒村であると言い聞かせますが、聞こえぬ振りで「トウキョウ、・・・」と連呼するのであります)
ホトトギス9654


すくすくと 日に日に育つ 稲の茎 根元でザリガニ 鋏で 威嚇

 夏至は疾うに過ぎ、早や七月であります。そろそろ、近所の竹やぶで七夕用の笹を探しに行かなあきまへん。日ごとに水田の緑が増しています。すくすく育つ稲が作り出す風景は遠くから眺めると緑の草原です。近づくと根元にうようよザリガニがはいずっています。巣穴らしき穴掘りも目立ってきました。

+++++五輪問題
 本ブログで以前書きましたが、感染拡大を止めるのは五輪の中止で、それを説得的にIOCに勧告できるのはWHOしかありません。しかし、そのWHOは武漢で始まった感染についてなにやら妙な動きをしました。とはいっても、WHOに理性ある決断を求めたいと私は思っています。
東京五輪「WHOがやめろと言ったら、いくらIOCでもやれない」舛添氏、“開催中止”のシナリオに言及 6/27(日) 15:53配信
 前東京都知事で国際政治学者の舛添要一氏が、開催まで1カ月となった東京オリンピック・パラリンピックについて言及。「緊急事態宣言下のオリンピックは世界から見て非常識」などと発言。東京都における新型コロナウイルスの新規感染者数が増加傾向に転じている状況。そして1カ月後に想定される感染状況を踏まえて東京五輪の開催に懸念を示した。
「二階幹事長が『パッとやめることもある』と仰ったことがあった。しかし、聖火リレーが3月25日に開始している。普通は五輪をやらないのであれば、聖火リレーもやめる。聖火リレーが始まる4日前の3月21日を二度目の緊急事態宣言の期限とした。緊急事態宣言を打つときに全部オリンピックから逆算している」  そのように切り出した舛添氏は、開催地である東京都の新型コロナウイルスの新規感染者数が増加に転じていることについて「毎日増えている。主催する場所が東京で、このままの増え方で行くと、常識的には(開催する前後で)もう一回、緊急事態宣言をやる。やってるときに開会式になっていいのか。直前に1000人近い数字になって緊急事態宣言を打たないことはないと思う。緊急事態宣言下での東京五輪は世界中から見て、ロックダウンしているところで五輪だからおよそ非常識」と主張した。  また舛添氏は日本よりワクチン接種が進むイスラエルやイギリスでインド株(デルタ株)が猛威を振るっていることについても触れ「イスラエルではまたマスクを始めた。イギリスもパブで飲むことをだんだん制限してきている。国民の半分以上がワクチンを打っているところでそうなっている。インド株(デルタ株)の増え方を見て、過半数がワクチンを打っていないところで(五輪を)やるわけだから、WHOから見たら『やめてくれ』と言わざるを得ない。力関係から見てWHOがやめろと言ったら、いくらIOCでもやれない。その可能性はまだあると思っている」と開催中止の可能性についても言及。  仮にその状況での開催によって“最悪のシナリオ”に至った場合については「それでもやると言って日本で死者が増えたら、総理と都知事、組織委員会を含めての責任になる。政府は倒れる」と述べた。
%%%%%(ABEMA『ABEMA的ニュースショー』)

 IOC白人幹部の傲慢な振る舞い、北西太平洋の黄色の島民の不安にかけらほどの思いも寄せない欧米人の「ゆけゆけ!五輪」を見て連想するのがローマ帝国の貴族であります。奴隷が命を賭して戦う様子を葡萄酒とご馳走を口にしながら眺めている構図です。日本人たるものは、まさに奴隷の状態です。自国の安全を踏みにじる白人に「NO]といえないのです。思い出したのがゴルゴ13の一シーンです。
 (図:ゴルゴ13「鬼畜の宴」より。贅沢三昧に飽いた二人の大金持ちが最高の見世物(ショウ)として「世界最高級のスナイパー(狙撃者)の対決」を仕掛ける。このふたりの大金持ちこそ、五輪ショウの元締めIOCと背後の世界の富の九割を独占する巨大資本家であると、作者の斎藤タカオは暗に指摘している。拡大は図のクリックで)
ゴルゴ139674


 本ブログで、しばしばご登場願っている(ご本人の了解なしではありますが)上昌弘医師が外国人特派員協会で講演され、日本国の医療体制を司る厚生労働省の「医官」制度を厳しく批判しています。その医官制度にまともに手を突っ込んだ厚生労働大臣は最近では桝添要一氏、塩崎恭久氏のお二人だけであると語ります。私の政治家観察でも、このお二人は自分の頭で考え、自分の言葉で語ることができる優れた政治家であると見受けます。
2021.6.23 日本外国特派員協会主催 上昌広氏 記者会見〜日本の医療政策は、医師免許を持っていてもほとんど臨床経験のない約300


 昨年、菅氏は首相就任に当たって炭素排出削減を公約の一つに挙げていたと記憶します。これについて世界の注目を浴びているのがスエーデンの少女グレタ・トウンベリさんです。古舘伊知郎氏がSDGsおよびグレンダさんの背後の明朗ではない背景を指摘しています。私もこの指摘に同意し、グレタ嬢に胡散臭さを感じていました。放射性物質を捨てて汚染を蓄積するしかない原子力発電を止められない先進国の欺瞞を見ぬ振りをしているからでしょう。
%%%%%古舘伊知郎 パリ協定に持論「“脱炭素”の綺麗ごとはウソ」「グレタさんの後ろにウォール街」 6/27(日) 19:19配信
 フリーアナウンサーの古舘伊知郎(66)が27日放送の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」に出演。全世界で取り組む新たな温暖化対策「パリ協定」について持論を展開した。 コメントを求められた古舘は「私は、人為的に出すCO2及びメタンガス等々が球温暖化に寄与しちゃって、何とか下げるための目標を作らないといけないと思ってる」とした上で「しかしながらSDGsもグリーンニューディールも全部ひっくるめて、脱炭素と言っている綺麗ごとはかなりのウソがあると思ってるんです。脱炭素というのはビジネスになるから」と指摘した。  続けて「(環境活動家の)グレタ・トゥンベリさんの後ろにも何百社と金融関係、ウォール街がついている。そういう意味では、脱炭素と言えば泣く子も黙る時代に入ったんです。ビジネスシーンとしてはこれは重要なことなんだけども」と解説。  さらに「必ずいろんなことが裏舞台で起きているんで、綺麗ごとばかり言っているのはちゃんちゃらおかしいと思う。そういうことを把握したうえで、『ここだけは絞って少しは抑えようよ』という努力を始めないといけないと思う」と私見を述べた。
%%%%%東京スポーツ

+++++シキを焼滅
 大陸の正史・梁書が書く「扶桑国」レポート作成者(南朝高僧の慧深本人かもしれない)が青海神社に滞在した「呉人(くれびと)」であったとするならば、この人物の日本列島滞在は西暦479年以前、それもそう遠くない時期です。一方、この人物の滞在宿・跡地に創建された「伊久礼神社」の由緒は、それが西暦927年以前と書きます。この跡地を歌った万葉集3952歌が作られたのは8世紀半ばであるので、250年余すなわち三世紀以上にわたってこの跡地が存在し続け、地元の住民の間に語り継がれてきた。「藤の花」を題材にする歌に「意味」があるとすれば、それは、かっての蝦夷(えみし)の地であったが、今や藤原一族の支配が何時までも続くように願っている、と読み取れるのかも知れませ。穿ち過ぎですかな。
 古事記は次のように続きます。
%%%%%古事記
原文:
初大后。坐日下之時。自日下之直越道。幸行河内。爾登山上。望國内者。有上堅魚。作舍屋之家。天皇。令問其家云。其上堅魚作舍者。誰家。答白。志幾之大縣主家。 爾天皇詔者。奴乎。己家。似天皇之御舍而造。即遣人。令燒其家之時。其大縣主懼畏。稽首白。奴有者。隨奴不覺而。過作。甚畏。

文意(岩波文庫「古事記」185頁より)
当初大后が日下に坐していた頃、(天皇は)大日岳から真っ直ぐに下る道を越えて河内に幸行し山上にのぼり國内を展望した。そこで、堅魚を上げた舍屋を作る家を見つけた天皇はその家が誰のものかと問うた。答に曰く「志幾の大縣主の家である」と。天皇は「奴めが己が家を天皇之御舍に似せて造りおった」と怒った。直ちに部下をやり其家を焼いたので、其の大縣主は懼れ畏みて稽首(「ぬかつく」、岩波文庫では「のみ」、漢語では「ケイシュ」。土下座すること)して「私奴(わたくしめ)は知らない事とはいえ、とんでもないことをしました。お赦しあれ」と詫びた。
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 岩波文庫「古事記」、小学館「古事記」の校注者など古事記研究者・学者さんは、説話の舞台は奈良盆地とその界隈、高々広がっても琵琶湖、播磨を含む地域であると前提して解読を進めます。藤原不比等も古事記の監修・撰上にあって「舞台は奈良盆地周辺」であると読者に思い込ませる強い意図があったのだろうと思っていました。
しかし、藤原不比等が天皇の出自(出身地)に当初は強くこだわっていなかったのではなかろうかと考えることもできそうです。尤も、古事記の改訂版たる日本書紀編纂では、そのスタンスが大きく変ったと考えています。
(図:長谷と河内。拡大は図のクリックで)
210621大長谷無題

 上に書いた古事記に目を戻します。天皇の后が、まだ大日岳の麓に居られたとき、天皇は后を尋ね大日岳の下の道を直に越えて河内を訪ねた。そこで山に登り・・・(周囲をみわたした)の状況は図のBから見て取れます。山麓を西に下った山中に「河内神社」があるからです。
 ところが、ここで、話がいきなり重大政治事件の記述となります。すなわち「鰹木」(かつおぎ)を口実として「シキ」大縣主の家を焼き討ちし、家の主(あるじ)を「無礼」であると土下座させるのです。
 私はこの「シキ」の主(あるじ)こそ、現在の埼玉県志木に宮を置いた「ワカタケル王」であると考えています(1968年埼玉古墳出土の鉄剣に刻まれていた人物)。すなわち奈良の軍事政権が東国すなわち現在の埼