法螺と戯言

ためになるブログ、面白いブログ、自己顕示のないブログ

王塚古墳と観世音寺、終活と献体、昌子源のロングシュート

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:この鳴き声の鳥を知りたいと思い、ネットで調べたのですが、わかりませんでした。この鳴き声を聴いてやってください171213冬の鳥


 夜明け前 寒さにめげず 歌いおる 雑木の枝に まぎれ 友呼ぶ

 つい最近までは、あちらこちらで鳥を見かけたのですが、このところ、少なくなりました。そうではあっても藪や雑木からは、かなりはっきりと鳴き声が聞こえます。「しのびやか」とは程遠いんですな。しっかりと自己主張しています。なんとか姿を捉えたいと雑木に目を凝らすのですが、駄目でした。藪の鳥〔多分、百舌?)も同様です。普通に歩いていると鳴き続けるんですが、足を止めた途端、奴も歌うのをやめてしまいます。

今日の最高のうれしい画像が我鹿島アントラーズ・昌子の超超ロングシュートです。
【SAMURAI BLUE】日本代表2点目 昌子源のロングシュート - JPN vs CHN 2017.12.12 

 我郷土の戦士の活躍。何度見てもうれしい。来年は稀勢チャン、たのんます!

+++++長谷・朝倉から香島
 前回記事の末尾に
「ところで、長谷山はもう一つあるのです。それは有名な彩色壁画で知られる王塚古墳から5kmほど南です。私はこれがワカタケル王の古墳では無かろうか、と考えています。」
 と、書きました。どうやらこれは、勇み足であったのかもしれません。王塚古墳の位置は、宮を構えた長谷・朝倉の北方にあたると記紀は書きます。そうとすれば、志木の宮と、行田の墳墓とほぼ同じ位置関係になるからです。
 そうした類推から、九州の地にあっては、ワカタケル王は秋月城址あたりに宮を構えたと思えば良いという見込み〔思い込み〕があったのです。九州の知人から以前、秋月は大変に美しいところであると聞いていました。また映画「男はつらいよ」でトラさんが惚れる未亡人・音無貴美子さんが夫役・小沢昭一氏と死別した舞台でもありました。
 余談はともかく、原理的には、まず南方にシリウスを観測できる山〔丘〕を選定します。方向が定まると、その背後に同じ方位線を引けばよい。しかし、実際に地図でこの地を眺めると、秋月山地とでも呼ぶのでしょうか?城址は山地の山間です。北には古処山、屏山が視界をさえぎります。不可能ではないようですが、どうやら現実的ではなさそうです。かくして当初の「思い込み」は潰えました。

 ところが、こうして地図を眺めていて、思わぬ副産物に遭遇しました。古墳は小倉から南に向かう筑豊本線途上篠栗線が分岐するあたりに王塚古墳は位置します。このあたりの東こそが、万葉集四歌が詠み込む「内野」〔うちの〕ではなかろうかと以前書きました。それはともかく、この地は「稲築」町です。私の頭の中には「イナ」とくれば「アイヌ信仰」が条件反射的に短絡します。この地に墳墓を設営したとすると、その地の選定にはアイヌ信仰が反映しているかもしれない。2014年8月15日記事で見た福島県・須賀川の30度・60度直角三角形です。これが、まったく見事に的中したのです。ただし、それには、5kmほど古墳から南東にある長谷山が与っています。
 まずは、読者の皆様の便宜のために福岡県観光地図〔昭文社、2001年1月発行〕を示しておきます。
〔図1:福岡県中央部の地図。全体を一望したいときには PCは意外に不便です。広い領域を見るために拡大率を下げると場所名が消えてしまいます。おまけにサービスのつもりでしょうが、とある場所の緯度経度を知ろうとすると、勝手に近くの名所やら、有名店に飛んでしまうのです。筆記用具先で示しているのは左から、背振山、宝満山、三郡山、そして最右が王塚古墳。地図の右側が稲築地区。大宰府近辺がしらけていますが、それは私の拙い撮影技術ゆえであります。お許しください。拡大は二回クリック〕
王塚背振3558


 私がまず目をつけたのが古墳から西南西にある三郡山(さんぐんさん、標高939m)です。古墳と三郡山の緯度経度をグーグルで求め、いつもの計算結果です。
epi(lat,lon)=[33.589188 130.663651] 王塚
sta(lat,lon)=[33.556865 130.583828] 三郡山
Dlt,Azm,Bzm= 8.2-km 244.10 64.06 0.07deg
 次に古墳と、長谷山〔標高310m〕との間の関係を求めます:
sta(lat,lon)=[33.553002 130.694035] 長谷山
Dlt,Azm,Bzm= 4.9-km 145.01 325.03 0.04deg
 古墳から見た、三郡山と長谷山の方位の差は99度です。しかし、その距離が気になったのです。もしこの角度が90度であるとすると長さの比は3の平方根(1.73 ヒトナミニオゴレヤ・・・)に近い値となるはずです。8.2/4.9=1.67。三郡山から見た古墳方向と長谷山方向とのなす角度は
->x=atan(8.2/4.9)*180/%pi = 59.139108
 と、当然ながら60度に近い角度となります。これだけでも十分に驚きます。すなわち、墳墓の位置を定めるにあたり、まずは九州北部を360度遠望できる三郡山を選んでいるのです。そこからまずは、長谷山の方向を計測します。そのうえで、きっちりと30度反時計方向に回転した方位を定めます。一方、長谷山からは、三郡山方向から60度時計方向の方位を定めます。二つの方位線が交わるところが、王塚古墳建造の地とする。こうした設計であったろうと思います。若干の角度のずれ。それは、後世の奈良権力による墓の移設が会ったのではなかろうかと想像しています。同様は、行田のさきたま古墳群でも指摘されています。そのもう一つの論拠は、王塚古墳がさきたま古墳群を構成する前方後円墳同様「反シリウス方位」を取って築造されているからです。そもそもは「シリウス方位」であったのではなかろうか、と考えています。
 さて、これだけであれば、読者の方々の何人かは「偶然だろう」と思うやも知れません。所がです、さらに驚くべきことがあるのです。王塚古墳から三郡山を結んだ直線をさらに西に延長すると筑前国分尼寺です。そこで、この塚から尼寺までの距離を勘定すると
sta(lat,lon)=[33.521881 130.503405] 国分尼寺
Dlt,Azm,Bzm= 16.6-km 243.30 63.21 0.15deg
となり、なんと王塚−三郡山までの距離の丁度二倍、言葉を変えれば、王塚と尼寺を結ぶ直線の中点に三郡山が位置するのです。こうなると、上の30度が偶然ではないらしいことがわかってきます。尤も国分尼寺建立は聖武天皇時代つまり八世紀半ばです。ということは、国分尼寺建立に当たっては、九州で哀しい敗残を背負った「天武天皇A」の伴侶(そのお方は持統天皇ではありません。2017年8月14日記事参照)の鎮魂の意思がこめられたといっても良いのではなかろうかと考えています。すなわち、「半分」とは、三郡山の東は「夫」、そして「西」それは尼寺につながる部分ですが、「妻」を設計上に体現したのかなとも思えます。
〔図2:三度山―王塚古墳―長谷山―国分尼寺の概略図〕
王塚13556


 やれやれ、これで王塚古墳をめぐる謎解きは終えたかなと思いながら漫然と地図を眺めていました。すると妙なものが浮き上がってきました。それは、王塚古墳と宝満山〔標高829.6m〕の位置関係です。 ウイキはこの山名について
「旧名は御笠山であり、それが最も古い名称で、筑紫野市の二日市方面から望むと「笠」の形に見えることから(古来「笠」は神の憑代(よりしろ)と考えられ山全体が御神体として信仰されていた)」
と書きます。が私はそれには同意しません(2009年4月19日記事参照〕。
 ナンダ、ナンダ!!と、言うわけであります。王塚古墳と背振山を結ぶ直線を西に延長するとなんと背振山〔
標高1054.6m )に至るんですね。驚くのは、これだけではありません。王塚と背振山を結ぶ線は、真西から30度反時計回りに回った方位であり、その線の中点に観世音寺があるのです。まずはそれを計算で確かめておきます:
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[33.589188 130.663651] 王塚
sta(lat,lon)=[33.449146 130.36902] 背振山
Dlt,Azm,Bzm= 31.4-km 240.39 60.23 0.28deg
 王塚古墳から見た背振山の方位は真北から時計回りに240度と勘定されます〔球面三角法による計算〕。この方位は真西からは30度反時計回りということになります。距離は31.4kmです。

 次に、王塚古墳から観世音寺の方位、距離を算出すると
sta(lat,lon)=[33.515942 130.521429] 観世音寺
Dlt,Azm,Bzm= 15.5-km 238.32 58.25 0.14deg
 を得ます。
 上の二つの計算結果は、王塚から見た背振山と観世音寺はほぼ同一の方向にあることを示しています(240.4, 238.3度)。そしてその距離は15.5kmは背振・王塚古墳の距離31.4kmの半分に当たります。観世音寺については故古田武彦氏が氏の自説「九州王朝論」の主要な要素として詳しい考察をしています。その議論はおおむね合理的であり、私は賛同しています。そしてこの寺こそ、藤原不比等によって奈良に移築された「法隆寺」であると古田氏は主張するほどの古代史の重要な論点となるべき寺です。この古田氏の「移転」説は、私がかねがね唱えている「奈良盆地・箱庭造成」説に整合します。まさに私の古代史観にとっても欠くべからざる「部品」であります。

 ちなみに宝満寺との位置関係は
sta(lat,lon)=[33.541227 130.568838] 宝満寺
Dlt,Azm,Bzm= 10.3-km 238.77 58.71 0.09deg
と算出されます。
これもまことに興味深いことです。すなわち、宝満山を中心にすえて、そこから等距離に王塚古墳と観世音寺を配置しているということになります。そしてその方位決定に背振山が関与していると言うわけです。

〔図3:背振山−観世音寺―宝満寺―王塚古墳の位置関係〕
王塚23556

 さて、こうなると、体中がゾクゾクとしてるままではすまなくなります。一体何ごとか?というわけです。これは中学で習った幾何学の問題です。本ブログの前半では、三郡山、長谷山墳墓予定地は直角三角形を形成すべきとの条件を満たすべく設計された、と書きました。これは、三郡山と長谷山を直径とする円周上に墳墓があるべきとの必要条件を導き出します。しかし、できあがった 直角三角形がアイヌ信仰によって一つの角度が30度であるべきです。これによって墳墓の位置は一意的(uniquely)に定まってしまいます。こうして定まった位置を背振山と宝満山を結ぶ線が通過することは偶然でしかありません。つまり出来過ぎているんであります。

 ところで王塚位置決定には、上の議論に従えば四点、すなわち四つの山が関わっています。長谷山、三郡山、宝満山、そして背振山です。すべてが自然に存在する山(丘)であれば、上にも書いたようなことが実現するのは、まったくの偶然です。しかし、四つの山の中でひとつだけ人工的に造成されたものとするならば、 上記条件を満たしむることは可能です。とするならばそれはどれか?尤も標高の低い長谷山ということになります。当然長谷山につい手の考察を現ブログ管理人はしていますが結論は変わりませんので、ここではそのくだりを省略します。

 という考察を経て私がたどり着いた王塚築造設計の筋書きが下記です。
 その筋書きに従えば、次の段取りを経たのであろうと思えます:
(1) 宝満山からみた背振山方位は真西から見てほぼ30度であることの発見;
(2) これを活用することがアイヌ信仰族を尊重することであると判断し、宝満山の東延長上に墳墓造成を決定。
(3) その位置は背振―宝満間の距離31.1km の半分、すなわち10.3kmに決定した(つまり 3:1の外分点)。
(4) こうすることで、同時に建立を予定していた観世音寺と王塚古墳が宝満山を中心として対称の位置に配されるという設計をした。
(5)   かくして背振―観世音寺―宝満寺―王塚古墳についてそれぞれの間の距離がすべて同一の距離(およそ10.3km )となった。
 〔図4:,肋綉の〔 諭◆2〕、△蓮複魁法きは(4)、(5)にそれぞれ対応している。
王塚3556


  ずいぶんと”できすぎた話”と思えます。が、私の描いた「設計シナリオ」には私の古代史観が強く映っていますが、元の“データ”は、厳然と地上に現出している「地理的事実」であることを強調しておきたいと思います。したがって、関心を抱く何人でも「検証」できる科学的事実です。

 上記の考察は、観世音寺の重要な位置を改めて認識させられます。 ウイキは この寺が七世紀末に計画され八世紀半ばに完成したと書きます。しかし、私の「シナリオ」によれば、この寺域には、倭国の重要な政治拠点がおかれていたと考えるべきです。そこで政の中心にあったのがアイヌ族を事のほか大切に遇した斉明女帝あるいはその女性に擬せられる人物であったと思えます。このあたりは日本書紀に登場する人物の生存・活躍時期が特定できないので、不確定とならざるを得ません。 そして宝満山を挟んでこの政治拠点の反対側・等距離に、王墓の造成がなされた。このように考え、かつ王塚古墳が「ワカタケル」王とするならば、時代は六世紀前半〔太歳・辛亥は471とされるがそれに60を加えた西暦531年でもよい〕と考えることができます。まずは、正確な年代決定法で、観世音寺の土台に埋もれているやも知れない、土器、食物残滓などを調査して欲しいものです。

 一方、このシナリオに従うならば、国分尼寺の設営には上にも書いたように暴力でもって殲滅された倭国の鎮魂という役割を担わされていたはずです。そこで、その地の選定には、かっての倭国の王の伴侶の「鎮魂」も兼ねなければならなかった。そこで、選ばれたのが三郡山であった。尼寺は三郡山から王墓と等距離の場所に設営された。と、考えています。

 今回は、いよいよ香島の考察に入るはずが、思わぬ発見に遭遇し、時間・字数を取ってしまいました。このくだり、もう少し続けさせてください。
(つづく)

+++++終活情報(死後の「献体」希望者が年々増加中、注目を集める理由とは)
 老齢になるにつれ、多くの方々は終末の自己処理をいろいろと考えていると思います。私もそうです。そもそも自然界の何かわからない「節理」の様なものには多大の敬意の念を抱いていますが、とりわけ其れが既存の宗教には結びついていません。父母が眠る浄土宗寺院にも墓詣ではしますが、さりとて私は仏教信者というわけではありません。
 死後は、「ヒトは万物の霊長」なぞといったおごりを捨てて自然に帰りたいと思っています。父母の墓に骨がともに安置されるということを特に強く願ってはいません。
 そんなことを日々考える年齢になり、以下の記事を見つけました。せめて死後はこれから長く行き続ける人たちの役に立ちたいとすればそれは医学技術の知見の蓄積、技術の向上です。てなわけで、死後の人類への貢献を私の終活目標にしようと思い定めました。

%%%%%献体はなぜ増えているのか(写真:国際医療福祉専門学校提供)   12/11(月) 11:00配信
 人が亡くなってからの“後始末”について、常識が大きく変わりつつある。親族や友人に葬式で見送られ、家の墓に入る──そんな“逝き方”が、当たり前ではなくなるかもしれないのだ。都内在住の会社員A氏が困惑気味につぶやく。
「60歳を前に保険の見直しプランを練っていたら、妻から『高い保険料を払って死亡保障を手厚くするのはもったいない。“献体”なら火葬費用もいらないようだし、考えてみたら?』と冗談交じりに言われました。1人娘にも『私が嫁いだらお墓を継ぐ人もいなくなるし、いいんじゃない』と追い打ちをかけられ、返答に窮しましたよ」
 近年、死後の「献体」が注目を集めている。献体とは、医学・歯学の研究や教育のために遺体を無条件・無報酬で提供すること。医学部や歯学部のある全国91の大学と「献体篤志家団体」と呼ばれる57の組織などが窓口になり、2017年3月末時点で28万人超が登録済みだ。10年前に比べて7万人増で、登録は年々、増加している。
「登録者が亡くなると葬儀業者らが遺体を引き取り、腐敗を防ぐためにホルマリン溶液を注入・保管し、大学で解剖に備えます。ご献体は尊い意志によるものですから、実習前には必ず教員・学生がご遺体に合掌し、敬意と感謝の念を捧げます」(国際医療福祉専門学校・増茂誠二主席顧問)
 篤志解剖全国連合会http://www.kentai.or.jp/ 会長の松村譲兒・杏林大学教授は、現状をこう語る。
「制度が始まった50年代に比べて献体の社会的な認知が進み、最近は団塊の世代の登録者が増えている。解剖学教室の保管スペースが足りず、登録を制限する大学も出ています」
◆迷惑をかけたくない
“献体希望者”が増えている理由について、松村教授は「とくに東日本大震災後は、『人生の最後に人様の役に立ちたい』という登録者が増えた」と説明する。ちなみに献体者の遺族には、文部科学大臣から感謝状が贈られる。
 また、“子供や孫に迷惑をかけたくない”という理由で献体する人も増えているという。
「昔と比べて“墓を守る”という価値観が薄れ、『葬儀後にお骨があると、子供や孫の負担になるのでは』と考えた結果、献体という結論に行き着く方が多い」(葬祭ディレクターの寺尾俊一氏)
 遺体を解剖して火葬した後、原則として遺骨は遺族に返却されるが、引き取り手がいなかったり、返還を拒まれた場合は、大学の納骨堂などに合祀される。
「大学では毎年、合同慰霊祭が行なわれます。ある80代女性は、『大学が慰霊してくれるなら、無縁仏ではないので安心だ』と献体に登録しました」(葬送ジャーナリストの碑文谷創氏)
 日本消費者協会の調べでは、2016年の葬儀費用の全国平均は195万7000円。墓や葬儀関連の情報を紹介するウェブサイト運営などを行なう「鎌倉新書」によると、墓石建立費と永代使用料の全国平均は181万5000円だった(2016年)。
 通夜や葬儀を省いて、火葬のみを行なう「直葬」は10万円台のケースもあるが、献体はさらに負担が少ない。
「保管や解剖後の火葬費用は1体数十万円ほどかかりますが、費用はすべて大学持ちとなり棺桶代や霊柩車代もかかりません。『費用ゼロと聞いたけど、どうしたら献体できますか』という問い合わせが少なくない」(前出・寺尾氏)
 希望者の急増による波紋は広がっている。
「大学の用意した納骨堂が満杯になり、遺骨の引き取り手がいないと献体登録できない大学が多くなりました」(第一生命経済研究所主席研究員の小谷みどり氏)
※週刊ポスト2017年12月22日号
公益財団法人 日本篤志献体協会
住所 〒160-0023 東京都新宿区西新宿3丁目3番23号 ファミール西新宿4階404号室
電話 03-3345-8498
FAX 03-3349-1244
E-mail info@kentai.or.jp

業務日時 月曜日〜金曜日 午前10:00〜午後4:00
%%%%%

+++++地震の話
 本ブログでは思い出したように地震の話を書いてきました。先のメキシコ地震(2017年9月29日記事)に触発されて巨大地震の話を書き、そのうちに9月10月の海溝東側の地震が起きると、その後の活動推移が知りたくなり、どれも中途半端のまま放置してきました。完結したと思えるのがスマトラ地震が九州にもたらした微小地震活動(2011年11月10日記事)、村井俊治氏による地震予知検証(2017年3月31日記事)ぐらいでしょうか?そういえば、私の足元でしばしば突き上げる「チバラギ」地震〔2014年9月29日記事の話も長く休んできました。
 地震はこれからも起き続けるので、これらの話には「完結」はありませんが、せめて何がしかまとめておきたいと思っています。チバラギ地震については、やっと先日データを整理し終え所ですので、近日中にその続編を本ブログに掲載できるはずです。

 今回は、巨大地震の話の続きです。これも2017年11月22日記事以来休んでいました。この話で興味深いことは巨大地震についてはその発生月に顕著な偏りがあるということです〔2017年9月25日記事〕。もう一つは、巨大地震の発生場所が地球上の大円状上に集中していることです( 2017年9月27日記事)。

 本日はその再開手始めとして、巨大地震の発生場所の緯度分布を見ることにします。地震は震源での二対の力系が作り出す回転モーメントによって”力学的“には表現されます。モーメントというからには、回転の向き〔右向き、または左向き〕に対応した回転軸の方向が特定されるのですが、一般にはどちらが地震にさようしたのか、それはわかりません。では、あってもその回転軸の地球に固定した座標軸での向きを求めることができます。当初、これに関心があり、それらを求める段階にはすでに達していたのですが、いざ、それらを図でもってどのように表現するか、つまり読者の方々にどう提示するか(present)いまだに考えています。

 余談でありますが、私がしばしば閲覧する巨大投稿掲示板へ「地震予測」を頻繁に投稿する人物がいます。内容は防災科学技術研究所が提供するHinetやら他の地震情報HPの数値を長々と並べ立てて、明日にでも地震が起きて不思議はないと書きます。それに異を唱えようものなら、「これだけ言ってもわからんのか!自分で、その数値列をチェックしろ!」と怒りだすんですな?「まあ、傲慢というか、独りよがり」というか、不可思議な人物であります。が、公の場に自分の主張を持ち込むからには、読者にわかりやすいような表現に配慮するのは書き手の当然の責任です。言い換えれば、数値を並べるのではなく、図示〔グラフ〕にするだけで、投稿者の千を超える文字分だけの説得力があるのです。これぞ人間の知性です。PCが持つグラフ・アプリケーションを使うのが苦手であれば、近所の文房具屋さんからグラフ用紙を買い求め、それに手書きでデータを記し、携帯電話が持つ撮影機能を用いデジタル画像に転じ、それを投稿に添付するなど、自説主張の訴求力を増すためのやり方は頭を使えばいろいろあるはずなんです。

 余計なことを書いていたら、長くなってしまったので、申し訳ありません。巨大地震の話は次回に順延します。データがありそれを図示するといっても、データをどのように表示するのかを考えるのには、実はもっと多く脳を使わねばなりません。それはグラフ用紙に手作業でなにやらの作図をするのと同じです。そんなことを考えていたらずるずると時間がたってしまいました。まずは巨大地震の発生分布図です。
 〔図5;巨大地震の分布、1964年のアラスカ地震を中心として作図。拡大は二回クリック〕
SmaparoundAlaska

 地表上で偏在する巨大地震の性質を次回調べます。
〔つづく〕

香島を考える〔4、ワカタケル〕、タモリの的確人物評

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:(右)柿は細長いので多分、富有柿。ゆくゆくは干し柿として出世するはずが、何の因果か、ここに居残りさせられています。それに付き合う地べたの白菜、霜まみれであります。〔左)凍った農道に紋状をなして水が凍り付いています。突き当りを左右に走る用水のぬくもりが靄を作っています〕
171211寒村無題
 
 
 柿数個 残りて天下の 冬を知り 寒さに震え 犬に吼えらる

 何の脈絡も無い一首であります。凍てつく北関東の寒村を震えながら散歩しておりました。柿木に残る実を勘定していたところ、どこぞのご人が引っ張る犬が突然吼えかかってきたんであります。ピョンと数メートルは上空に飛び上がったようであります。私は、心底、犬が嫌いであります。それを再確認いたしました。

さて、雑談であります:
%%%%%笑福亭鶴瓶を怒らせる言葉をタモリが暴露「偽善芸の極致」 2017年12月10日 12時8分
9日放送の「ブラタモリ」(NHK総合)で、タモリが、笑福亭鶴瓶を「偽善芸の極致」などと指摘した。番組では、タモリと近江友里恵アナウンサーが、国宝・彦根城がある滋賀県・彦根を訪問。仏具店が密集する城下町を散策していると、近江アナが鶴瓶の冠番組「鶴瓶の家族に乾杯」(同)のポスターを見つける。近江アナが「鶴瓶さんもいらしたんですかね?」と漏らすと、タモリは笑いながら「来たんですかね? 売り物の偽の人間性を発揮しながら」と、さまざまな地域の人々と触れ合いながら旅をする鶴瓶のスタイルを酷評したのだ。さらに「(鶴瓶は)偽善芸の極致」「これ言うと怒る。『営業妨害やで』って」と続け、出演者や番組スタッフらを笑わせた。その後仏具店に入り、彦根名物・彦根仏壇と共に飾られている甲冑を発見。彦根仏壇と武具の共通点を説明していた彦根仏壇事業協同組合理事長・宮川孝昭氏が、「家族に乾杯」で鶴瓶が来て甲冑のかぶとをかぶったと紹介すると、タモリは「あの頭に入りましたか」「あの男、来ましたか」と語っていた。
%%%%%
 私は、こうしたタモリの表現力そしてその感性が好きですね。まったく同感なんであります。先月末の当市での音楽会で、おばさん・ばあちゃんグループがきれいなロング・ドレスに身を包み、この番組の主題歌を「ウットリ」と歌ったんですね。「・・・あなたが元気でよかった・・・・」あたりで歌いながら感極まる表情のおばさんもいたりするんです。わたくし、背中につめたいものが走るんであります。あの芸人の語り口は「親密感」の押し売りと思うのですが、された側は「有名人」ってんで喜んでるのです。ところが、私が尊敬する上岡竜太郎氏はお笑い芸人としての笑福亭鶴瓶を高く評価するんですね。あの辛辣な上岡氏はサンマ氏なる御仁も評価する。、大阪芸人の「笑いの原点」、わからないもんですな。

+++++香島考〔4〕
 埼玉県行田市にあるさきたま古墳群の一つ「稲荷山古墳」から出土した金錯銘鉄剣に刻まれた「シキ」。それが「王の宮」の所在地名です。この地が日本列島のどこにあるのか?日本古代史の専門家は「シキ」は奈良盆地内の「磯城」であることを疑いません。
 ところが、前回記事で引用した森博達氏が、直接「シキ」には言及しなかったけれども金錯銘鉄剣に刻まれた銘文全体への氏の洞察を語ったのです。森氏は漢文・漢語の専門家です。それは漢文の読解にとどまらず、その発音にまで及びます。この深い知識から生み出されたのが名著「日本書紀の謎を解く−述作者は誰か」(中公新書、1999年)です。この書は日本列島古代史研究者に大きな衝撃を与えました。その森氏が、番組で「銘文」を声に出して読み、その印象としてこれは東日本の方言ではないか。つまり土着の言葉を「表音文字として漢字を使って」剣に刻んだものであると語ったのです。
 この指摘から見えてくることは、銘文は行田界隈、北関東とその周辺での豪族の首領とその係累を書き表したと理解できます。当然、宮が所在する「シキ」も遠い奈良盆地ではなく近場(ちかば)である。その近場にまさに「志木」があり距離も高々30km余です。そこには歴史を辿ることができないほどの古社があり、古くから周辺住民の信仰を集めていた「宮戸」神社があるのです。その神社拝殿への参道は南北方位から、反時計回りに20度ほど回転し、拝殿の前でその角度を変えています〔反シリウス方位〕。この宮戸神社の北西500mに「敷島神社」があります。境内は宮戸神社より広く、航空写真で見る限りでは、その参道は明確な「反シリウス方位」となります。「シキ」島の名称からも、それが、金錯銘鉄剣に刻された宮名と関係があるように思えます。が、神社の由緒書で見る限りでは中世の創建と思えます。そうでは在っても、ことさらに「反シリウス」方位の拝殿と参道建造にはどのような伝承が受け継がれていたのか、気になるところであります。
 ブログ管理人注:反シリウス方位
 シリウス方位とは南北方位を軸にして鏡像関係にある方位。すなわち南北線に対して20度程度、時計回りに回転してえらられる方位〔これは歴史用語ではなく、現管理人の造語〕

 話を戻します。宮戸神社の参道形状は、規模は小さいながらも、前々回記事で紹介した鹿島神宮参道と同じ形状の配置となっています〔逆の角度構成です。これについては別途詳論〕。この宮と豪族首長の墳墓との幾何学的位置関係は、鹿島神宮の大元ととなった場所に拠した部族との同一性を想像させます。
 その話に転ずる前にもう一つ、鉄剣に刻まれる王の名前が熊本の江田船山古墳から出土した鉄剣にも刻まれており、その人物こそが記紀が言うところの雄略天皇であると、歴史学者は断じます。が、その宮は奈良県長谷・朝倉であると記紀が書き、「磯城」とは書いていないことです。後世の学者さんは、奈良にあるはずの長谷・朝倉を探し回ります。この作業は、日本書紀が「公」になったあたりから一貫して当時の学者・知識人の関心事であったようで、結局は、現在の長谷寺の東あたりであった、と「曖昧」に書くことで議論は落ち着いたようです。言葉を変えるならば、奈良盆地内に「ここだ」と特定できていないのが現状のようです。

 現ブログ管理人はこの事態を次のように理解しています。「ワカタケル王」を、古代学者は「雄略天皇」であろうと考え、五世紀の「倭の五王」の「武王」であろうとも推定します。その根拠の一つが金錯銘鉄剣に刻されている太歳辛亥年です。これを西暦に換算で471年です。まさに武王が大陸皇帝に朝貢したとされる西暦478年(宋書倭国伝)と符合するというわけです。西暦478年といえば、日本書紀編年に従えば、雄略天皇の死去前年です。日本書紀が正史とすれば、大陸の強国に使節を派遣したことは重要な事跡となるはずが、日本書紀はそれを語りません。尤も、記紀は、大陸との交流に関してはきわめて言葉が少ない。最もよく知られた事例が西暦600年、推古女帝時代に倭国が遣隋使を隋に派遣した」事を記載しています。しかし、日本書紀は、これについてはまったく無かったかのごとくの姿勢をとります。それどころか、そもそも隋なる帝国は無かったかのごとくで、それを「唐」と書きます。推古女帝の末期に、かろうじて「隋」なる標記を書き、辻褄を合わせるのです。日本書紀はつよく大陸権力を意識して編纂されたことをうかがわせますが、現今のテーマからは逸れるので別の機会に考察します。

 さて、その長谷朝倉の地名を九州に見つけることができるのです。
〔図:朝倉市の北東にある長谷山。拡大は二回クリック〕
171211長谷朝倉無題


 どうやら、古事記・日本書紀は真実を記載していたようです。すなわち、「ワカタケル王」は、志木に宮を設営し、その後、九州にもう一つの宮を設営した。それが長谷・朝倉であったのです。これは、現ブログ管理人がかねてより主張しているシナリオどおりということになります。記紀編纂の総責任者である藤原不比等は、どういう事情があったのかは私の想像の外にありますが、奈良盆地にいつものように箱庭の一部として盆地の外から「アサクラ」なる地を導入し造成するはずのところを、何かの手違いで、それをしなかったのです〔忘れたのか?〕

 実は、まったくうかつであったのですが、以前万葉集を考察する際に、九州朝倉にあった三輪山を議論していました〔2013年5月15日記事 〕。この記事に使った地図が下です。2013年5月15日の記事を書く際に見つけたこの地図の出典がどこであったのか、を今回あちこち探しました。
 やっと見つけたのが「智導世津翁 逆転の 古代史地動説!!!」 と題するHPです。この方の主張には賛同しかねますが、私には大変貴重な図面であるはずが、このHPから関係図が消失しています。幸いにして、この図は「大神神社境内の標記について」と題するHPに転載されています。このHPの主張も私は賛同しませんが、まことに貴重な図面です。
 日本国の公務員・中級管理者はまことに「変える」という作業が好きです。それが自らの業績になるからなのでしょうか?古くからの地名を「まったく躊躇うことなく」消してしまうのです。そのために私のような「古代史」好きの人間には大きな障害となります。
〔図 一昔前の九州朝倉界隈の地図。ここにある三輪山こそ万葉集十七・十八歌に謳われる本物の三輪山です。拡大は二回クリック〕 
171211朝倉長谷


 藤原不比等が奈良盆地内に九州の箱庭を造成した場所の原型がここにあるのです。三輪山があり、大神神社〔おおみわ〕が在ります。そしてとりわけ注目さるべきが図の右上〔北東〕に秋月と並んで「長谷」なる地が書き込まれています。長谷・朝倉なる地は奈良盆地ではなく。九州に厳然と存在していたのです。
 熊本県玉名郡江田船山古墳から出土した鉄剣に刻まれた人物「ワカタケル」王が九州で営んだ宮はまさにこの地であったのです。ワカタケル王は、どのようなルートを辿ったのかは定かでは無いが、埼玉県志木の宮から、一族の何人かを引き連れて九州に渡り、この地に新たな拠点を設けたのです。 この事跡は、当時の一族の中にいた「書き役」、またはいまだ文字に習得していなかったとすれば、「記憶役(たとえば稗田阿礼のような人物)」によって代々「記録〔記憶〕」として保持されていったのでしょう。それを藤原不比等は知り、記紀編纂にあたり書き留めた。しかし、残念ながら、その場所について藤原不比等は把握できなかった、と私はこの編纂過程を想像しています。

 ところで、長谷山はもう一つあるのです。それは有名な彩色壁画で知られる王塚古墳です。私はこれがワカタケル王の古墳では無かろうか、と考えています。次回、そのことに触れた後、本題の鹿島の考察に入ります。
(つづく)

+++++NHKに関する最高裁判決
 前回、最高裁判所によるNHK受信料「強奪」判決について書きました。この判決について、至極尤もな指摘を見つけたので転載しておきます。
%%%%%NHK受信料裁判 判決の『棄却』が報道されない理由
会社員の村上丈一郎(51)氏は、facebook上で、「えええ、NHKの上告って棄却されてんじゃん。NHKの報道によると、合憲判断!!って事しか言ってないんだけど」と発言していた。村上氏は「たまたま見かけたサイトで、判決文はこちらって書いてあり、判決文を読んでみると『棄却』とある。"まったくそれまでの報道と違うではいか"と思いました。どの報道も、詳細を読んでいくと『棄却』の文字があります。しかし、タイトルでは「合憲判断」とあり、ある意味、釣り目的の明らかなミスリード誘導があった事も事実ではないか?」と異議を唱える。正しい報道の姿勢としては『最高裁、上告を棄却』であるのだが、なぜメディアは判決の「棄却」ではなく、判断であるはずの『合憲』を「判決」とミスリードしたがるのだろうか? それは、最高裁の判決が「棄却」であれば、二審の判決どおりで、インパクトが、何も無くなるからだ。当然、ニュースはニュースバリューとして、注目すべきポイントをタイトルに持ってくる。しかし、『合憲=判決』は、かなりやりすぎではいだろうか?そして一番、気になったのが、NHKのそれぞれのニュースを検索してみるとわかるのだが、判決である『棄却』の二文字がどこにもないことだ。判決の要旨に、判決結果がない「判決要旨」の報道は、当事者でもあるNHKの媒体なだけに、厳重な注意喚起が必要ではないだろうか?
%%%%%

+++++
 一人の政府トップの「犯罪」行為のために国会が機能しない。開会してもすぐに閉会してしまう。党首討論も開かれない。国の最高の立法機関であり、調査機関でもある国会が機能低下を起こしています。これぞ「国難」そのものです。「こんな・・国に・だ〜れがした?」という歌が昔はやったような気がします。興味深い記事が週刊誌に掲載されたようです。
(図:サンデ毎日12月17日号より、拡大は二回クリック)
171211検査院3909


 今、最も鋭い論陣で政府・官僚をたじろがせているのが自由党の山本太郎氏と森裕子氏です。その森氏が鋭く迫っています:

  森ゆうこ議員 文科・内閣連合審査会 質疑(2017.12.7) 

もう一つ、12月6日記事に福田元首相の談話を報ずるyoutube動画を掲載しましたが、掲載者が取り下げてしまったようです。かわりに以下でそれを視聴できます。

“森友”廃棄された交渉記録・福田元総理が公文書管理に苦言 

香島論議〔2、シキの宮)、NHK視聴料強奪是認を思う

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:北関東の凍える朝であります。〕
171208田舎


足下(もと)の 落ち葉ガサゴソ 冬の朝 明け鴉のみ 寒空(さむぞら)走る

 昨夕の天気予報によれば、今朝は雨であったはず。布団の中でヌクヌクできそうだと思いながら就寝しました。今朝、夜明け前、布団から窓越しに東のほうを眺めると、なにやら空が赤らんでいます。どうやら天気予報は外れたようです。夜明けだけ雨が降れと念じましたが、そうはいきません。諦めつかない気分で、寒さに震えながら布団から這い出ました。

+++++香島考察(3)
 前回、香島考察の序論として埼玉県行田の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に刻まれた文字列を書きました。この文字列には「ワカタケル王」の宮が「シキ」にあったと解読できる部分があります。同様の鉄剣が熊本県江田山からも発見され、そこに刻まれて文字列にも「ワカタケル」と読める部分がある。このことから、大方の歴史研究者は「ワカタケル王」は奈良盆地に本拠を置いて、日本列島を東から西に渡って支配していたことを示す、と主張します。その奈良の拠点は「磯城」で、そうした地名が実際に存在することがその傍証である、と考えます。
 このワカタケル王は「若建王」〔古事記〕、「幼武」〔日本書紀〕であろうと推断します。それらが同じ「音」であることが理由です。漢風諡号は雄略天皇です。日本書紀編年に拠れば、西暦457年(丁酉)に天皇位に就き、479年に62歳で没したとされています。出土した金錯銘鉄剣には辛亥年七月なる文字があります。そこで辛亥なる年に対応する西暦年としてそれが、西暦471年であるとすれば、まさに雄略天皇の在位期間となる。こうした解釈を歴史学者はしたのです。
ところが、一つ問題が出てきました。それは天皇の宮が「磯城」ではなく「長谷朝倉」であると、記紀が書くためです。困惑した歴史研究者はあれこれの推測を書きますが、どれも説得力はありません。
 ところで、日本書紀の「読み方」に革命をもたらした森博達氏〔京都産業大学教授〕が、TVの歴史番組で衝撃の証言をしています。以下は2013年7月22日記事からの抜粋です: 
%%%%%過去記事抜粋
+++++TV番組「空白の五世紀」へのコメント
 NHKで放映された「BS歴史館」という番組(「空白の五世紀」、7月18日放映)の録画を見せて貰いました。これをご覧になった方も少なくなかろうと思います。そうした方々の記憶が薄れない内にと思い、当初の予定を変更して、このTV番組について二・三コメントしておきます。番組は1978年埼玉県行田の稲荷山古墳で発掘された銘文が刻まれた鉄剣をめぐって学者さんが語ります。

(1)銘文に刻まれた「辛亥」について
 これを、コメントするには、私の2009年12月28日のブログ記事 の引用が不可欠です。
〔中略〕
―%%%%%過去記事引用
12月28日の記事で私は一つの図を示しました。それは、あの有名な「銘文つき鉄剣」を出土した埼玉県稲荷山古墳と、その南南西にある志木の位置関係を示したものでした。既に書いたように、鉄剣に銘された「斯鬼宮」(しきのみや)は、奈良盆地の磯城ではなく埼玉県の志木であると私はブログ2009年12月28日の記事、および2008年12月22日の記事で書きました。あの図はそれを論証するためのものです。
 そこで、先ずは、稲荷山古墳から見て、志木にある宮戸神社の方位を算出してみます;
埼玉古墳―宮戸 d=33.3733(km),a=163.4781,b= 343.5399
この 163.5度は、(2010年)1月1日の記事 で書いた八溝山―鹿島神宮の方位と同一と言っても良いほどです。何故なら、その違いは一度を越えないのですから。私はこの一致は驚くべき事と思っています。12月28日に掲載した地図の右に付した説明で私は、「南南西」の方向がシリウス星の方向と書きました。そこで、今回はそれを検討する事とします。(以下過去記事の転載は省略しますが、私は、これに続く記事で、1500年前のシリウス星の位置を天体座標計算で行っています)
―%%%%%

 シリウス星の地球から見た位置は(夏至日真夜中)年々規則的に移動します。この規則性から、古代の築造物の年代決定が可能であることを、たとえば2013年3月22日記事 で書いてきました。
 この記事で示した年代表を使うと、稲荷山古墳と志木・宮戸神社(埼玉県)を結ぶ直線の方位は西暦518年頃のシリウス星の位置であることがわかります。言い換えれば、この直線配置が構築された年代が西暦518年前後と見積もることができます。精度を前後15年程度と考えれば、この線配列は503年から533年と思えます。テレビでの議論では鉄剣の銘にある太歳「辛亥」を西暦471年ときめてかかっていますが、これに60年を加えた531年も辛亥なのです。
〔中略〕

(2)番組での森博達氏の指摘の重み
 森氏は、漢語・漢文に関する卓抜した知識から、日本書紀の謎を解明し、古代史分野に巨大な衝撃を与えたことで知られる方です。本ブログでもしばしば引用しています。番組で、森氏が鉄剣の銘文を当時音されたであろう正確な発音で、読み上げました:「テオカリオワケ」。その上で、「エ」行と「オ」行で始まる言葉は東北地方の方言であると断じます。したがって、この鉄剣は中央から賜されたものではなく、自らが指示して鍛造したといいます。ワカタケルに前に列記される七つの名前は鉄剣所有者の先祖で、彼らも東北の人間であろうとまで言い切るのです。

 もし、渡辺豊和氏がこの番組をご覧になっておられれば、ずいぶんと喜ばれたのではなかろうかと想像します。私は、渡辺氏の仮説を検証するためにこのブログを始めたわけですから、まさに我が意を得た思いです。中央アジアに拠した「サカ」族たる「高昌」が遠く間宮海峡を渡り北海道を経て東北日本に南下渡来した。それが渡辺氏の仮説です。渡辺氏は、その痕跡をシリウス星観測の痕跡で検証できると自著「扶桑国王蘇我一族の真実」(新人物往来社)で書きます。

(3)その他、いくつか気づいたこと
 このTV番組のタイトルが「空白の五世紀」でした。しかし、上の私の編年ではむしろ六世紀の半ばまで空白なのです。そして、五世紀の前半については大陸の『正史』で記述される「倭国伝」から詳細ならずとも何がしかの状況を知ることができるというのが古代史の現状です。

 この番組の冒頭で、出席者のどなたかが指摘していましたが、文献としては古事記、日本書紀、万葉集しか、当時を知る手がかりが無いのです。日本書紀が上梓された後、平安時代以降公家・学者が、これらの文書を解読し、それを書き留めたものを後世に遺します。学者さんはそれらのいわば解説書から、我々素人が届かない知識を積み上げます。しかし、それは、所詮、藤原不比等が編じた倭国史なのです。したがって後世の文書ですらも批判的に読まない限り、真実は見えてこないだろうと考えています。
%%%%%過去記事引用終わり

 上に引用した森氏の指摘が、宮所在地の理解のための重要な示唆となっています。
〔つづく〕

+++++NHK視聴料
 一昨日、最高裁がNHK視聴料を、TVを所有するというだけで所有者から「強奪」〔徴収〕する事は憲法違反には当たらないとの判断を下しました。見ようが見まいが関り無いと断じました。公共放送だからだそうです。

 公共放送であるなら、公正中立、不偏不党が経営の中心、「視聴料」強奪の論拠であるべきです。其れが守られているのであれば、多くの国民は納得するでしょう。しかし、現実は違っています。前・籾井NHK会長は何を言ったか。「政府が右といえば、左というわけにはいかない」と公言し、権力追従の報道姿勢をあからさまに是認しました。公共放送とは「政府の言い分をそのまま報道するにとどまらず、政府にとって都合の悪いことは報道しない」と言ってのけたのです。そうであるならば、国民にはそうした報道を受け付けない、拒否するという権利があるはずです。しかし、最高裁の言い分は「金を払いさえすれば、見なくてもよいよ」と、甚だ横柄な判決なのです。
 今般の最高裁判決はそうした国民の“視聴しない権利”を奪うものであり、まさに憲法違反であると私は考えています。NHKの権力追従は、抱える報道記者の姿勢からも見えてきます。直近の事例では前川喜平前文部科学省事務次官が「加計問題に関する及び腰の報道姿勢」を記者会見で指摘していました。それは「現今政府、とりわけ安倍氏を損なうとの忖度」判断でありました。そうした報道姿勢を指揮したのが、島田スシロウと揶揄される人物です。NHK報道解説員として、安倍氏らと高級レストランで会食し、そこでの政府からの指示を「情報ネタ」として、流布する行動は、安倍氏お気に入りの岩田明子記者共々文字通りの「権力御用記者」でありました。ちなみに「ジャーナリストたるものは時の権力からは一歩身を引いてこそ、大衆に知らせるべき真実に迫る事ができる」、とは民主主義先進国のヨーロパでは当然の矜持とされるとのことですが、わが国の政治記者は半・官製「記者クラブ」を通じて政府情報をお下げ渡し頂いてきました。

 最高裁判所はこうしたNHKの報道実態には一切踏み込みません。司法が完全に権力にとり込まれてしまったわが国の哀しい現実であります。

これに関して、かねてよりNHKのこうした経営に鋭い批判を加えてきた立花孝志氏がyoutubeでこの最高裁判決を論じています。
NHK受信契約最高裁判決 判決文紹介1 
関連動画は、さらに続きます。Youtubeで簡単に検索できますので、ここではその冒頭のみを掲載しておきます。

 この判決を受けて多くのジャーナリストが批判の声を上げています。以下に、その一つ、NHKの経営の闇の部分を指摘するブログ記事を転載します:
%%%%%最高裁が「公共放送」と思うNHKの闇の数々−(田中良紹氏)
6th Dec 2017 市村 悦延 • @hellotomhanks
テレビがあればNHKに受信料を支払う義務があるという判決を最高裁が下した。放送法ではテレビを設置した場合、NHKと受信契約を結ばなければならないと定めているが、NHKと争った男性は「受信契約が強制されるのは契約の自由に対する侵害で違憲だ」と訴えていた。
 これに対しNHKは「公共放送の意義を踏まえればその必要性や合理性がある」として合憲を主張した。
 今日の最高裁判決はNHKの主張を認めて「合憲」としたが、問題はその前提となる「公共放送の意義」である。この際NHKは公共放送なのか、また公共放送とは何かを国民は考える必要がある。
 かつてNHKは民営化を追求していた。1980年代、中曽根内閣が「土光臨調」の主導により
国鉄や電電公社の民営化に力を入れていた頃、NHKもまた民営化の構想を練っていた。中心人物は「宏池会」を担当した政治記者出身の島桂次氏である。 彼は報道局長に就任すると米国のテレビを真似たキャスター・ニュース「NC9」や大型ドキュメンタリー「NHK特集」などを次々に制作、それまでのNHKの「お堅いイメージ」を変えた。
 80年代半ばに副会長になると中曽根内閣が日米経済摩擦の解消策として米国が不要としたBS(放送衛星)を購入したのに歩調を合わせ、NHKを世界最大の放送局にする野望を抱く。  将来の民営化を前提に彼はそれまでNHKが持つことを認められなかった民間子会社を設立していく。
 1989年に会長に就任すると教育テレビやラジオ第2放送を打ち切り、「商業放送局」への道を進もうとした。その方針は労働組合からも支持されていた。  一方で高度経済成長を成し遂げた日本が1985年に世界一の債権国になり、米国が世界一の債務国に転落すると、中曽根総理とそのブレーンでありかつての大本営作戦参謀瀬島龍三氏にも別の野望が生まれた。 戦前の国策会社同盟通信を復活させることである。
 同盟通信は外国情報を収集し新聞社だけでなく経済界や国家に提供するための組織で、戦後はGHQによって共同通信、時事通信、電通に三分割された。中曽根総理や瀬島氏はテレビ時代における同盟通信の役割をNHKに負わせようと考えたのである。 NHKは離島などへの「難視聴対策」という名目でBSを打ち上げた。しかし「難視聴対策」というのは真っ赤な嘘である。
「難視聴対策」なら地上波と同じ放送を流さなければならないが、BSには地上波と異なる番組が流れた。 つまりNHKはBS放送を口実にチャンネル数を増やし肥大化したのである。
そのため局内の人間だけでは足りず外部の制作会社に番組を発注する。民放の番組を制作してきたプロダクションがNHKの下請けをやるようになりNHKと民放との差がなくなった。 またNHKとソニーと郵政省(当時)はNHK放送技術研究所が開発したハイビジョンを一体となって世界に売り込み、世界のテレビを日本が支配しようと考えた。そのためにはBSアナログによる放送が必要だったが、米国はデジタル技術を使ったCS(通信衛星)の多チャンネル放送で対抗し、結果は米国の勝利に終わった。BS放送をやっているのは世界でも日本ぐらいではないか。「美しい画面でつまらない番組を見るより、美しくなくとも多彩な情報を見る方が楽しい」というのが米国の言い分で、デジタル化に後れを取ったソニーは世界に冠たる放送機器メーカーの地位を失うことになる。 島桂次氏のNHK民営化路線はスキャンダルが表沙汰になり消えていくが、民営化の前提としてNHKが所有した民間子会社や中曽根―瀬島ラインによる「NHK同盟通信構想」はそのまま残り、それが後に一大スキャンダルを引き起こす。
 以前から何度も書いてきたが、NHKと英国のBBCは公共放送という点で同じだ言われるが、フーテンに言わせればまるで違う。BBCは政権批判を行うが、NHKは一度も政権批判を行ったことがない。イラク戦争に加担したブレア首相をBBCは退陣に追い込んだが、NHKが小泉総理を批判したことはない。
 違いの第一はBBCは王室から免許され、政府や政党の支配を受けないことだ。また5年に一度は継続させるかどうかを国民が判断する。ところがNHKは政府が免許し、予算は国会で審議される。国会で承認されなければNHKは何の活動もできない。つまり国会はNHKの「株主総会」に当たり「大株主」は与党である。 そのため国会の委員会の与党メンバーや与党実力者をNHK職員がお世話することになる。国内はもちろん海外に出張するときも必ず随行して接待など面倒を見る。フーテンはその現場を見たことがある。瞬間「受信料はこういうことにも使われているんだ」と思った。 政府や政党の影響下にあるNHKを「公共放送」と呼ぶことにフーテンは強い抵抗を覚える。またNHK予算は国会でチェックされるが、民間子会社の会計は民間であるからチェックされない。確か38社だと思ったが民間子会社を行ったり来たりさせれば
金の流れは不透明になる。それがスキャンダルにつながった。 2004年に紅白歌合戦のプロデューサーが制作費をごまかした問題を週刊文春が報じたが、それは国民の目をそらすための仕掛けだったとフーテンは思っている。
 それより重要だったのは同じ時期に韓国特派員が韓国の要人を取材するため支局に多額の資金を蓄えていたことが発覚したのである。 それを隠すため紅白プロデューサーに目が向くよう仕掛けられた。韓国特派員の話はいつの間にか消え、何のお咎めも受けなかった。咎められないところを見ると韓国だけでなく世界中のNHK支局に同じ問題があり、それへの連鎖を恐れたのではないかとフーテンは思った。
 NHKを同盟通信にする構想は消えていない。  フーテンは同盟通信のような存在を否定するものではない。世界から情報を収集することは極めて重要な国家の仕事である。ただしそれが公共放送を理由にした国民の受信料を原資にしているとなれば話は違う。国民から徴収された受信料は番組に使われ国民に還元されるのでなければ大問題だ。 日本の司法界はおそらく「NHKの闇」を御存じないのだろう。建前を信ずる世界であるから仕方のないことかもしれないが、「公平中立」とか「不偏不党」というNHKの標語ほど空しいものはない。  養老孟司氏はベストセラーになった『バカの壁』(新潮新書)でこれらの標語ほど「バカ」の典型はないと書いていたが、NHKだから「公共放送」というのも「バカ」の典型である。民放の番組にも「公共的価値」を有するものはいくらでもある。  嘘と建前だらけで「公共放送」を存続させるより、現在の通信技術では料金を支払っていない者のテレビに画像を映らなくすることは可能なのだから、強制的に受信料を徴収するより支払わない人には映らなくするというのが最も賢明な方法だと思うが、おそらく政府と自民党が嫌がるということなのだろう。それだけの話だ。
%%%%%

+++++モリカケ・スキャンダル情報
昨七日の参院での二つの委員会の連合審査で民進党の議員が十一月初旬の「大学設置・学校法人審議会」での加計学園認可に加わった審議会委員の発言を紹介して政府を糾しています。  
 一方もう一つのスキャンダルである森友学園の「ゴミ処分」問題も、闇の中からおぞましい官僚の姿が浮かびあってきました。と、言うわけで、なかなか地震の面白い話を書けません。今回は、まずは「もりそば」の関連記事を紹介しておきます。この件では籠池夫妻がいまだに検察に拘束されたままです。実に四ヶ月の長きに渡ります。いわゆる「人質司法」です。権力に都合のよい供述があるまでは拘束し続けるのです。こうした酷い措置に許可を与えているのも裁判官です。まことに恐ろしいのが日本の司法の現状です。
%%%%%支払い上限「1億6千万円で」 国側、森友と事前協議
 学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却問題で、財務省は6日、同省近畿財務局と学園が昨年3月下旬、「約1億3200万〜1億6千万円の範囲内なら双方が折り合える」と確認していたことを明らかにした。土地は3カ月後に1億3400万円で売却された。同省はこれまで鑑定価格が出る前の価格交渉について否定していた。
6日の衆院国土交通委員会で、立憲民主党の森山浩行氏の質問に答えた。
森山氏はNHKが8月に報じたとして、「昨年3月24日に財務局と学園の間で協議が行われ、およそ1億3200万円から1億6千万円の範囲内なら双方が折り合えることを確認したのは事実か」と質問。財務省の富山一成・理財局次長が「事実です」と認めた。
財務局と学園側とのやり取りは、朝日新聞も8月に報道。学園関係者への取材によると昨年3月下旬、当時代理人だった弁護士を通して学園が財務局と協議した際、「いくらまでだったら買えるのか」と財務局から尋ねられた。
この土地では一昨年に汚染土の撤去工事をし、国が1億3200万円を支払っていた。財務局側はこの費用に触れ、「(売却額は)それより安くならない」とも説明した。学園側は「払えるのは1億6千万円まで」と返答したという。
学園は3月11日に地中で「新たなごみ」が見つかったと財務局に報告。学園の籠池泰典・前理事長が3月15日に財務省本省の担当室長に面会し、安倍晋三首相の妻、昭恵氏の名を出しながらごみへの対応を求めていた。財務省が今回認めたやりとりがあった3月24日は、学園側が土地の購入を申し入れた日にあたる。
不動産鑑定士が更地価格を9億5600万円と査定したのはその2カ月後の昨年5月末。国は昨年6月、鑑定価格からごみ撤去費8億2千万円などを差し引いた1億3400万円で学園に売却した。
171208モリカケ無題

%%%%

鹿島論議の前段、学術論文・最短のabstract(Livescience誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:北関東の凍える朝と銀の月、拡大は二回クリックで〕
171206寒い朝無題


地は白く 青い天には 銀の月 東の地平が うす赤く染む
 
 まるで、雪が降ったごとくに白い霜が地を覆っています。空には十七夜の月が銀色に輝いています。北関東の夜明け前、めっきり散歩する人の数が減りました。文字通り日和見主義者たちはこの凍える大気を嫌って布団にもぐったままなのであります。
〔写真:東京新聞12月6に意付け、「こちら特報部より」、拡大は二回クリック〕
おべんちゃら3524

 こうした、自民党内部の「一強へのおべんちゃら様相」を自由党の小沢氏が厳しく指弾しています:
%%%%%12月3日、小沢一郎氏ツイッタ
資治通鑑に「一人の顔情に順えば、兆民の深患と為る」とある。たった一人の顔色ばかり窺っていると万民が災いを被る。特定の人間に媚びる政治は危険であり、政治は万民のためのものであることを忘れてはならないという教訓である。まさかこの言葉が該当するような事態になるとは。正に「国難」である。
%%%%%

+++++鹿(香)島記載を避ける常陸国風土記鹿島条
 まずは、残念無念であります。鹿島アントラーズがJ1・二連覇を逸してしまいました。今年は稀勢里の一月場所優勝、それに先んじての年末には鹿島アントラーズが世界最強レアル・マドリをあわやの敗戦にまで追い込み、世界のサッカー界に大きな衝撃を与えました。茨城県民には良き一年の出発でありました。
しかしであります。総選挙にあって、茨城一区なぞは野党の統一候補が擁立できたならば、自民党を破ることができたはずです。また、茨城三区では、「まさに政治対立の争点であるモリカケ」疑惑の隠蔽に中心的役割りを果たした人物が立候補していたのですから、それを徹底的に批判し当区の争点にできたはずです。されば、野党候補の勝利も可能であると期待しましたが、なりませんでした。本年末は、まさに竜頭蛇尾状態であります。来年に期待したいと思います。

本題に戻ります。常陸国風土記は鹿島の存在を大前提に据え置き、そこに至る経緯には触れません。さりとて、それに触れずば、藤原不比等の時代の権力幹部の納得を得られないとの配慮かあったのでせう。中臣氏やら、貸間命なる人物を登場させ、あたかま、彼らが大昔からこの地に関っていたかのように取り繕います。

 すでに書きましたが、日本書紀・古事記は鹿島の由来を書きません。その鹿島が在るこの地と記紀での“とり繕い”に真っ当な考察を与えたのが、12月1日記事で紹介した渡辺豊和氏です。渡辺氏は自著で鹿島神宮の参道が案北ではないことを指摘したのです(「扶桑国王蘇我一族の真実」162頁より ):
〔図1:鹿島神社拝殿の向き。香取神社の拝殿向きについては別途書きます。拡大は二回クリックで〕
1711206鹿島3e706f69

 鹿島神宮は、西の方向に向く大鳥居をくぐり しばらく歩くと、右に折れます。其れが参道です。以前も書きましたが、鹿島神宮の宮司さんですら、この右に折れる前の参道は東西に走ると自著で書いています。錯覚していたのです。実際は上図に見るように東西から反時計回りに20度ほど北方向に回転し多方位なのです。結果として右に折れ曲がった拝殿につながる参道も、実は南北ではなく、南々東に向いているのです。

 私は、この渡辺氏の指摘に大きな衝撃を受けました。まずこの指摘から連想したことは、埼玉県行田市の稲荷山古墳です。この古墳から日本列島古代史を揺るがす重要な出土品がありました。1968年のことです。其れが有名な鉄剣「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」(きんさくめいてっけん)です(世界の歴史マップより:
 鉄剣の表裏に金象眼115文字が掘り込まれていることから「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」と考古学研究者が名づけたものです。
%%%%%金錯銘鉄剣に刻まれた銘文

辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、其児多加利足尼、其児名弖已加利獲居、其児名多加披次獲居、其児名多沙鬼獲居、其児名半弖比

其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖刀人首、奉事来至今、獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也
%%%%%ウイキ はこの銘文を以下のように解読します:
 「辛亥の年七月中、記す[2]。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。(表) 其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ[3]。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(ワク(カク)カタキ(シ)ル(ロ))の大王の寺[4]、シキの宮に在る時、吾[5]、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。(裏)」
%%%%%

 一方上に引用したHPは銘文を次のように解説しています:
「この剣を作らせたヲワケの祖先オホヒコからヲワケに至る8代の系譜とヲワケの家が代々杖刀人(じょうとうじん)(大刀をもって大王の宮を護る人)の首(かしら)として大王に支えてきた由来を記し、獲加多支鹵(ワカタケル)大王の朝廷が斯鬼宮(しきのみや)にあった時、自分は大王が天下を治めるのを助けたこと、この練りに練ったよく切れる刀を作って、自らが大王に仕えまつる由来を記す、というものである。
 このヲワケを稲荷山古墳の被葬者、すなわち武蔵の豪族ととらえるか、『日本書紀』のオホヒコ系譜に連なる例えば安倍氏のような、中央にあって地方豪族の子弟からなる杖刀人を束ねた中央豪族ととらえるか2説が対立している。
 ただ、ここにはヲワケ・オオヒコ・ワカタケルなどの人命やシキといった地名が、のちの万葉仮名と同じように漢字の音をかりて表記されていることが注目される。
自ら文字をつくり出さなかった倭人は、こうして日本語を漢字によって表記する術を獲得していった。
 ただし、この時期にこうした文章をつくり、また書いたのが渡来人であったことは、江田船山古墳出土の鉄刀の銘文に「書く者は張安也」と記されていることからも明らかである。」と。

 私が着目したのは、「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時」です。「大王寺が斯鬼宮」〔しき〕にある時と読むことができます。学者さんたちは「寺」と「宮」の違いについてもあれこれ議論しているようですが、そうした詳細にはここでは立ち入りません。問題は「斯鬼宮」〔しき〕はどこにあるのか?です。

 私事でありますが、渡辺氏の著作に出会ったころでありますが、甥が埼玉県の志木に転居したことが、「斯鬼宮」〔しき〕とは「志木」ではなかろうかと思いついてきっかけであります。おまけに学生時代に、中学の恩師に頼まれて、志木に住む高校生に数学と物理の家庭教師として、江戸から週二回通っており土地勘もありました。そこで、思い立ったのが、古墳と志木の位置関係であります。技術屋として、この手の計算はお手のものであります。早速、古墳の位置〔緯度・経度〕と志木のそれらをグーグルなどで取得し、計算して出来た図を下に示します。まずは志木の古社宮戸神社です:
2008年12月22日記事
〔図2:左の吉田神社については別途紹介します。拡大は二回クリック)
171206宮戸神社398cd33b


                            
 次に、この宮戸神社と稲荷山古墳の位置関係です。
〔図3:稲荷山古墳と志木宮戸神社の位置関係2009年12月28日記事
171206志木b0122e37-s

 まさに、北々西−南々東の位置関係、すなわち渡辺豊和氏が発見した方位関係にあることがわかるのです。この神社の参道も、大まかではありますがその方向です。多分、近隣住民は何回もこの神社を建て替えたでしょう。しかし、古来からの言い伝えを守り、拝殿の方向と参道については、南北から若干反時計周りにずらして建造するという約束を忠実に守ってきたのです。
(つづく)

+++++科学論文こぼれ話
 科学論文の書き方には暗黙の約束があります。まず論文タイトル、著者名があり、その後にAbstract(要旨)、Introduction(前書き)が続きまし。そして、論文の内容が詳述され、その論文で引用される論文リスト(references)で締めくくられます。
 ある科学評論家が過去の科学論文を調べていたところ、なんとAbstract(要旨)が三文字しかなかったという論文があったというのです。これについて livescience誌というネット科学情報誌が面白い記事を掲載していましたので、以下に紹介しておきます。題して:
%%%%%
もっとも短いAbstract(要旨) 
Sometimes, you follow the strict, formal rules of expression in your profession. And sometimes you wing it, just because you can.
 人はそれぞれの仕事では厳格で形式に則った表現に従い、時には、可能ならばそこからはみ出すこともある。
In 1974, a pair of seismologists writing for the Bulletin of the Seismological Societ of America did something just because they could. They wrote a formal introduction, or abstract, for their paper "Is The Sequence Of Earthquakes, With Aftershocks Removed, Poissonian?" The abstract, which resurfaced on Twitter thanks to inventor and science-tweeter Cliff Pickover, consists of one word, and only three letters: "Yes."
Abstracts go at the top of just about every research paper published in fields ranging from psychology to physics to entomology to — yes — seismology. They summarize all the complicated methods, results, and interpretations that follow, often in plainer language. Reading abstracts is a great way for researchers, curious lay people and the occasional science journalist to follow developments in fields where they're not experts. Abstracts are also often the only part of a paper available to the public without paying journal subscription fees. [10 Weird and Terrifying Medical Instruments from the Past] And this super-short abstract by J.K. Gardner and L. Knopoff does the job. Were all those SoCal earthquakes, with aftershocks removed, poissonian — which is to say, were they essentially random in their occurrence? Yes, they were, the abstract reveals.
1974年the Bulletin of the Seismological Societ of America〔米国地震学会誌〕に投稿した二人の地震研究者がまさにそれをした。彼等は、"Is The Sequence Of Earthquakes, With Aftershocks Removed, Poissonian?"(余震を野軸と地震発生はポアソン分布に従うか?)と題する論文の序論とAbstract(要旨)を書いた。ツイッタ創案者とscience-tweeter Cliff Pickoverのおかげで明るみに出たのだが、そのAbstract(要旨)は一語、のみであり、それもわずか三文字、"Yes."であった。
心理学から物理学、昆虫学、勿論地震学にあっても研究論文の先頭にはAbstract(要旨)がある。それは入り組んだ手法、結果、そしてそれに続く解釈を時には平易な言語で要約している部分だ。Abstract(要旨)を読むことで、その研究者ばかりでなく好奇心あふれる人たち、たまたま関心を持ったジャーナリストがその分野に知識が無くとも研究の概要をフォローできる。Abstract(要旨)は購読料を払わずとも論文が公になる唯一の部分だ。そしてJ.K. Gardner and L. Knopoffによる超短いAbstract(要旨)がそれをやってのけている。南カリフォルニア地域での地震は余震活動を除外するとポアソン分布に従うのだろうか?。つまりそれは基本的にはランダムなのだろうか?Yes, they were,であるとAbstract(要旨)が言うのだ。

The researchers were interested in whether SoCal earthquakes were random because they wanted to know if there was any hope of developing robust statistical tools to predict the next big one. If the earthquakes were non-poissonian (not random), the researchers wrote, it would have been possible with the data available in 1974 to develop a system for anticipating them. But, as the abstract explains, the earthquakes were poissonian. So no dice.
It's of course not certain that "yes" is not the shortest abstract ever published. (There could after all be a paper squirreled away out there somewhere with an abstract "no.") But neither Live Science nor the scientists who shared this paper on Twitter recently could find any shorter examples.
As recently as November 2015, Pickover did share a paper with a slightly longer abstract: The Journal of Physics A: Mathematical and Theoretical ran a paper in 2011 with the title "Can apparent superluminal neutrino speeds be explained as a quantum weak measurement?" and the abstract "Probably not."
地震研究者は南カリフォルニア地域の地震がランダムに発生するのか否かに重大な関心がある、なぜならば大きな地震発生を予知する強靭な統計学的手法を発展させたいと期待しているからだ。もし地震がポアソン分布に下側泣けれ従わなければ、1974年の地震デ−タでもって地震予測のために開発した手法が適用できるだろうと二人の研究者は書いている。しかし、Abstract(要旨)が説明するように、地震はポアソン分布をする。というわけで、その期待は外れた。
勿論"yes"がこれまでの論文の最短の要約であると確言できない。しかし、Live Science 誌や the scientistsがツイッタで見てきた限りではこれより短いのは無い。2015年、Pickoverは幾分長い要約を見た〔彼だけではないが〕。The Journal of Physics A: Mathematical and Theoreticalが"Can apparent superluminal neutrino speeds be explained as a quantum weak measurement?"と題する論文を掲載した。そのAbstract(要旨)は"Probably not."であった。
%%%%%
 
 上記のネタにあがっているのがポアソン分布です。時間軸上で発生する事象についてその事象間の時間幅が特定の分布をするや否やを調べる作業に関係しています。それがまったくランダムすなわち時間間隔の頻度分布がホワイトであれば、その事象はポアソン分布に従うとします。
 これは時間的に近接する二つの事象の因果関係については問わないことを仮定することです。つまり地震については、前の事象が、次の事象の発生を起こり易くするのか、それとも起こりにくくするのかまったくわからないからです。地震活動が静穏になったから、其れが大きな地震の予兆であるのか、それとも地震活動が活発になったから、大きな地震の予兆であるのかを判別しようとしたが、結局はわからなかった。其れがAbstractの“Yes”です。言葉を変えれば、地震はれっきとした地学現象であり相互の物理的・化学的連関の存在は疑えない。しかし、その連関は表層的な統計所処理では見えてこないという含意のある“Yes”なのです。このことについての統計学知識を欠如したまま、無責任な放言をくりかえす「似非、にわか地震予測屋さん」が311後増えています。

 因みに2013年7月15日記事で、私は持統天皇の34回にも渡る吉野詣でがポアソン分布に従うか否かを検討したことがあります。そこにはれっきとした法則性があったことが判明しています。

熱力学と量子力学(nature誌、最終回)、福田元総理の重い発言

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:週末から週始めの当地の景色であります。拡大は二回クリック〕
1712104十五月無題

 
 白き霜 大地を覆う 日の出前 満月西に 今や沈まん

 土・日は小春日和の二日間、昼の散歩は快適でありました。一転、今日は体の芯が凍えそうです。孫が保育園で何時ものようにクラスメイツから病気を貰ってきました。孫はそれを同級生に分け与えるにとどまらず、両親の住まう宅にも持って帰ります。かくして父・母がその病気に感染し、支援に駆けつけた老妻も、両親の病気を引き受けたまま、旦那の住まう茨城の自宅に戻り、シナリオどおりに発熱・嘔吐であります。今ベッドで臥せっています。いつものパターンであります。
 というわけで、本日は老妻の介護でブログの更新、とりわけ古代史と地震の話は休載とさせていただきます。「今日のお昼は、老妻に何を食わせようかしら。胃腸関係の疾患なので、消化が良いもの。家にはお饂飩があったかしら」なぞと思考も女言葉になり〔我ながら、気色が悪いんでありますよ〕、主婦そのものの発想で、エプロンなぞを着用せんとしております。

〔東京新聞12月1日付朝刊三面、拡大は二回クリックで〕
CIMG3501


 上記記事に関連して、福田康夫元総理大臣が鋭い発言をしています:
サンデーモーニング 2017年12月3日 ◆ ▽森友学園 × 福田康夫 元総理 


+++++量子力学と熱力学〔3、最終回〕
 なんといってもニュートン力学は、日常の経験をそれなりに説明してくれます。そこに登場した量子力学がそうした世界観をひっくり返してくれました。ここに紹介する実験も、先進的な物理学者が何とか、世界の物理則を理解したいとする様々なあがきなのかもしれません。
 量子力学と熱力学の合一、それは他の星では、目の当たりにできる極当たり前の自然則であるのだが、この地球では、結局のところ、その合一の尻尾に触れるだけが精一杯なのではなかろうか、とは、この記事の読後感であります。
 現今に生きる物理屋さんの仕事は、目前に展開する複合現象ではなかろうか、たとえば、地震発生にはしかるべき規則性があるようであるが、いまだそれは解明されていない。高原子番号の原子の同位体元素の放射壊変を制御できていない、なによりも、使用済み核燃料を地下深くに埋設するしか、その危険性から人類を隔離する手立てが無いなぞは、「笑い話」ではありますまいか?
 てなことを考えながら、この記事の最終部分を読んだ次第であります。

 熱力学は多粒子の挙動を記述する物理学であったはずが、上記の人類が抱える深刻な問題解決にはあまり役立ちそうも無い。むしろ、なんとか、量子力学、限られた少粒子系の問題に帰着させることで、現象の理解を達成しようとする。その気分は理解できるが、自然界にあまねく存在する多粒子系の相互に入り混じった無数の相互作用、其れが結果として生み出す眼前の諸現象の解明からは程遠い。地球に住む科学者の問題意識はまずはそこに標的をおくべきではなかろうか!。とは、この難しい物理学を理解できない人間の嘆きと僻みであります。たとえば、何故ここに量子縺れ〔entangle)現象がからんでくるのか?そうでは、あっても巨視的物理現象が微視的物理過程と整合するのであろうことはなんとなくわかります。しかし、その理解には書くもややこしい思考実験とそれを再現するために精緻な実験が求められている。それ江を知りました。

%%%%%The new thermodynamics: how quantum physics is bending the rules〔続々〕
Experiments are starting to probe the limits of the classical laws of thermodynamics.
熱力学の古典則野限界を探る実験が始まっている

Schaetz says that his experiment sends a warning to engineers attempting to reduce the size of existing electronics. “You may have a wire that is only 10 or 15 atoms wide, and you may think that it has successfully carried the heat away from your chip, but then boop — suddenly this quantum revival happens,” Schaetz says. “It is very disturbing.”
Schaetzによると、彼の実験は、エンジニアが既存の電子機器のサイズを縮小しようとする試みへの警報を発しているという。" 10〜15アトムの幅しか持たない結線が、チップからの熱をうまく運びだすと思うかもしれない。しかし、、突然、量子現象の復活が起こる"とSchaetzは言う。"まさに困惑である。

Rebounding phonons could present a challenge in some applications, but other quantum phenomena could turn out to be useful. Efforts to identify such phenomena had been stalled by the difficulty in defining basic quantities, such as heat and temperature, in quantum systems. But the solution to a famous thought experiment, laid out 150 years ago by, provided a clue about where to turn, posing an intriguing link between information and energy. Maxwell imagined an entity that could sort slow- and fast-moving molecules, creating a temperature difference between two chambers simply by opening and closing a door between them.
Such a 'demon', as it was later called, thus generates a hot and a cold chamber that can be harnessed to produce useful energy. The problem is that by sorting particles in this way, the demon reduces the system's entropy — a measure of the disorder of the particles' arrangements — without having done any work on the particles themselves. This seemingly violates the second law of thermodynamics.
But physicists eventually realized that the demon would pay a thermodynamic price to process the information about the molecules' speeds. It would need to store, erase and rewrite that information in its brain. That process consumes energy and creates an overall increase in entropy3. Information was once thought to be immaterial, “but Maxwell's demon shows that it can have objective physical consequences”, says quantum physicist Arnau Riera, at the Institute of Photonic Sciences in Barcelona, Spain.
 光子の跳ね返り現象はいくつかの応用を考えるとチャレンジングな事象であるが、他の量子現象も有用であることがわかってきている。このような現象を特定する努力は、量子システムにおける熱や温度などの基本量を定義することの難しさによって停滞していた。しかし、150年前にScottish physicist James Clerk Maxwellが考案した有名な思考実験の解決策は、どこに向かうべきかについての手がかりを与え、情報とエネルギーの間の興味深いつながりをもたらした。マクスウェルは遅い分子や速い分子を分類できる装置を想定し、それらの間のドアを開閉するだけで2つの空間の温度差を作り出すという思考実験をした。
このような、後に「マクスウエルの悪魔」と呼ばれる仕掛けは、有用なエネルギーを生み出すために利用できる熱い部屋と冷たい部屋を作り出す。問題は、このように粒子を選り分けることによって、その悪魔は粒子そのものを処理することなく、粒子の配列の乱れの指標であるシステムのエントロピーを減少させる。これは一見熱力学の第2の法則に反する。
 しかし、物理学者たちは最終的に、悪魔が分子の速度に関する情報を処理するために熱力学的な「量」を捕捉していることに気付いた。その情報を脳に保存し、消去し、書き換える必要がある。そのプロセスはエネルギーを消費し、エントロピーの全体的な増加をもたらす。情報はかつて重要ではないと考えられていたが、「マクスウェルの悪魔は客観的な物理的結果をもたらすことを示している」と、quantum physicist Arnau Riera, at the Institute of Photonic Sciences in Barcelona, Spainは述べている。

Finding the limit
極限を見つける

Inspired by the idea that information is a physical quantity — and that it is intimately linked to thermodynamics — researchers have attempted to recast the laws of thermodynamics so that they work in the quantum regime.
Perpetual-motion machines may be impossible. But an early hope was that limits prescribed by quantum thermodynamics might be less stringent than those that hold in the classical realm. “This was the train of thought we had learned from quantum computing — that quantum effects help you beat classical bounds,” says Raam Uzdin, a quantum physicist at the Technion–Israel Institute of Technology in Haifa.
Disappointingly, Uzdin says, this is not the case. Recent analyses suggest that quantum versions of the second law, which governs efficiency, and the third law, which prohibits systems from reaching absolute zero, retain similar and, in some cases, more-stringent constraints than their classical incarnations.
Some differences arise because the macroscopic thermodynamic quantity 'free energy'— the energy a system has available to do work — doesn't have just one counterpart at the microscale, but many, says Jonathan Oppenheim, a quantum physicist at University College London. Classically, the free energy is calculated by assuming that all states of the system, determined by the arrangement of particles at a given energy, are equally likely. But that assumption isn't true on tiny scales, says Oppenheim; certain states might be much more probable than others. To account for this, additional free energies need to be defined in order to accurately describe the system and how it will evolve. Oppenheim and his colleagues propose that individual second laws exist for each type of free energy, and that quantum devices must obey all of them4. “Since the second law tells you what you aren't allowed to do, in some ways, it seems that having more laws on the microscale leaves you worse off,” says Oppenheim.
 情報が物理量であり、それが熱力学に密接に関連しているという考えに触発された研究者たちは、量子力学で通用するような熱力学の法則を検討してきた。永久機関は不可能かもしれないが、初期の期待は、量子熱力学によって規定された限界が、古典的な領域で保持される限界よりも厳しくない可能性があるということであった。Raam Uzdin, a quantum physicist at the Technion–Israel Institute of Technology in Haifaは、「これは量子計算から学んだ一連の思考であり、量子効果は古典的な境界を超えるのに役立つ」と言う。
 残念ながら、Uzdinによると、これはそのケースではない。最近の分析では、効率を支配する第2法の量子版と、システムが絶対ゼロにならないようにする第3法則は、古典的な具現よりも似たような、場合によってはより厳しい制約を保持していることが示唆されている。
 巨視的な熱力学的量の「自由エネルギー」 - システムが仕事をするために利用できるエネルギー - は、マイクロスケールでは唯一というわけではないが、多くの場合には対応している」とJonathan Oppenheim, a quantum physicist at University College London. Classicallyは言う。が述べている。古典的には、自由エネルギーは、与えられたエネルギーで粒子の配列によって決定される系のすべての状態が等しくなると仮定することによって計算される。しかし、この仮定は小さなスケールでは当てはまらない、とJonathan Oppenheimは言う。ある状態は他の状態よりもはるかに可能性がある。これを考慮に入れて、システムを正確に記述し、システムがどのように進化するかを明らかにするために、追加の自由エネルギーを定義する必要がある。Oppenheim and his colleaguesは、自由エネルギーの種類ごとに個別の第2法則が存在し、量子デバイスはそれらのすべてに従わなければならない。「第2法則は禁止過程を教えてくれるので、ある意味では、マイクロスケールに関する法則が増えれば、あるべき可能性のあるプロセッスが見えてくる」とOppenheimは語る。

“The field is moving so fast I can barely keep up.”
Much of the work done to calculate equivalents of the second and third laws remains, for now, theoretical. But proponents argue that it can help to illuminate how thermodynamic bounds are physically enforced at small scales. For instance, a theoretical analysis carried out by a pair of quantum physicists based in Argentina showed that as a quantum refrigerator nears absolute zero, photons will spontaneously appear in the vicinity of the device5. “This dumps energy into the surroundings, causing a heating effect that counters the cooling and stops you ever reaching absolute zero,” explains team member Nahuel Freitas of Ciudad University in Buenos Aires.

 "場はとても速く動いているので、ほとんど追いつかない。"第2、第3法則の等価性を計算するために行われた作業の多くは、現在は理論的なものにとどまっている。しかし、提案者は、熱力学的境界がどのように小規模で物理的に強制されるのかを明らかにするのに役立つと主張している。例えば、a pair of quantum physicists based in Argentinaによって行われた理論的分析は、量子冷凍機が絶対ゼロに近づくにつれて、光子がデバイス5の近傍に自発的に現れることを示した。team member Nahuel Freitas of Ciudad University in Buenos Airesは「これは周囲にエネルギーをダンプし、冷却に対抗する加熱効果を引き起こし、絶対ゼロに達するのを止めている」と語る。

Theory has also revealed some potential wiggle room. In a theoretical analysis examining information flow between hot and cold chambers, or 'baths', of particles, a team based in Barcelona that included Riera and quantum physicist Manabendra Nath Bera discovered a strange scenario in which the hot bath seemed to spontaneously get hotter, while the cold bath became colder6. “At first, this looks crazy, like we can violate thermodynamics,” says Bera. But the researchers soon realized that they had overlooked the quantum twist: the particles in the baths can become entangled. In theory, making and breaking these correlations provides a way to store and release energy. Once this quantum resource was budgeted for, the laws of thermodynamics fell into place.
A number of independent groups have proposed using such entanglement to store energy in a 'quantum battery', and a group at the Italian Institute of Technology in Genoa is attempting to confirm the Barcelona team's predictions with batteries built from superconducting quantum bits, or 'qubits'7. In principle, such quantum batteries could charge considerably faster than their classical equivalents. “You won't be able to extract and store more energy than the classical bound allows — that's set by the second law,” says Riera. “But you may be able to speed things up.”
Some researchers are looking for easier ways to manipulate qubits for quantum-computing applications. Quantum physicist Nayeli Azucena Rodriguez Briones at the University of Waterloo in Canada and her colleagues have devised8 an operation that might enhance the cooling needed for quantum-computing operations by manipulating pairs of qubit energy levels. They are currently planning to test this idea in the lab using superconducting qubits.
 理論はまた潜在的な揺れの空間を明らかにした。高温室と低温室間の情報の流れを調べる理論分析では、a team based in Barcelona that included Riera and quantum physicist Manabendra Nath Bera、温浴が自然に熱くなったような奇妙なシナリオを発見した。冷たい風呂が冷たくなった。「最初は、熱力学に違反すると考えたが、研究者たちはすぐに彼らが量子ツイストを見過ごしてしまったことに気付いた:浴中の粒子がもつれ合うのだ。理論的には、これらの相関関係を作ったり壊したりすることが、エネルギーをたくわえたり解放するやり方であると。いったんこの量子資源が確保がされると、熱力学の法則が崩れた。
 多くの独立した研究グループが、このような絡み合いを利用して「量子電池」にエネルギーを蓄積することを提案しており、a group at the Italian Institute of Technology in Genoaは、超電導量子ビットまたは「キュビット」から作られた電池でバルセロナのチームの予測を確認しようとしている。原則として、そのような量子電池は、それらの古典的な等価物よりもかなり高速に充電することができる。「古典的な許容より多くのエネルギーを抽出し貯蔵することはできない。これは第2法則によって設定されている」とRieraは述べる。しかし、その過程のスピードアップをすることができるかもしれない。
 一部の研究者は、量子コンピューティングアプリケーションの量子ビットを操作する簡単な方法を探している。Quantum physicist Nayeli Azucena Rodriguez Briones at the University of Waterloo in Canada and her colleaguesは、量子ビットエネルギー準位の対を操作することによって量子コンピューティング動作に必要な冷却を強化する操作を考案した。彼らは現在、超伝導キュビットを使って実験室でこのアイデアをテストする予定だ。

A small spark
小さな火花

The concept that quantum effects could be exploited to improve thermodynamic performance also inspired the diamond experiment under way at Oxford, which was first proposed by Kosloff, Uzdin and Amikam Levy, also at the Hebrew University1. Defects created by nitrogen atoms scattered through the diamond can serve as an engine — a machine that performs an operation after being brought into contact with first a hot reservoir (in this case a laser) and then a cold one. But Kosloff and his colleagues expect that such an engine can be operated in an enhanced mode, by exploiting a quantum effect that enables some of the electrons to exist in two energy states simultaneously. Maintaining these superpositions by pulsing the laser light rather than using a continuous beam should enable the crystal to emit microwave photons more rapidly than it otherwise would (see 'Building a quantum heat engine').
 量子効果が熱力学的性能を向上させるために利用されるという概念は、オックスフォードで行われているKosloff、Uzdin、Amikam Levy、Hebrew Universityによるダイヤモンド実験に影響を与えた。ダイヤモンドを介して散乱された窒素原子によって生成された欠陥は、最初に熱いリザーバ(この場合はレーザ)と接触した後に動作し、次に冷たいものになるエンジンとして機能することができる。しかし、Kosloffらは、このようなエンジンは、いくつかの電子が同時に2つのエネルギー状態に存在することを可能にする量子効果を利用して、拡張モードで動作させることができると期待している。連続ビームを使用するのではなく、レーザー光をパルスすることによってこれらの重なりを維持することにより、水晶がマイクロ波光子を他の方法よりも速く放射することが可能になるはずだ(「量子熱エンジンの構築」を参照)。

Last week, the Oxford-based team posted a preliminary analysis9 showing evidence of the predicted quantum boost. The paper has yet to be peer reviewed, but if the work holds up, then “it is a groundbreaking result,” says Janet Anders, a quantum physicist at Exeter University, UK. But, she adds, it's still not clear exactly what enables this feat. “It seems to be a magic fuel, not so much adding energy, but enabling the engine to extract energy faster,” Anders says. “Theoretical physicists will need to examine just how it does this.”
 先週、オックスフォードに拠点を置くチームは、予測された量子ブーストの証拠を示す予備分析を発表した。この論文はまだ査読されていないが、もしその成果が成立しているならばそれは "画期的な結果だ"とJanet Anders, a quantum physicist at Exeter University, UK.は言う。しかし、彼女は、この成果を可能にするものはまだ明確ではないと付け加える。「これは魔法のように見える。エネルギーをあまり加えることはないようであるが、エンジンでエネルギーをより早く取り出すことができる」とAnders氏は言う。「理論物理学者は、それがどうやって起こるかを調べる必要があるだろう」と。

Focusing on experiments is a major step in the right direction for revitalizing the field, says Hanggi. But, for him, the experiments are not yet bold enough to give truly ground-breaking insights. There is also the challenge that quantum systems can be irrevocably disturbed by measurement and interaction with the environment. These effects are rarely sufficiently accounted for in theoretical proposals for new experiments, he says. “That is difficult to calculate, and much more difficult to implement in an experiment,” he says.
Ian Walmsley, who heads the Oxford lab where the diamond experiment was conducted, is also circumspect about the future of the field. Although he and other experimenters have been drawn to quantum thermodynamics research in recent years, he says that their interest has been largely “opportunistic”. They have spotted the chance to carry out relatively quick and easy experiments by piggybacking on set-ups already in place for other uses; the diamond-defect set-up, for instance, is already being widely studied for quantum computing and sensor applications. Today, quantum thermodynamics is fizzing with energy, Walmsley says. “But whether it will continue to sparkle, or just explode into nothing, well, we will have to wait and see.”
Hanggiによると、実験に焦点を当てることは、この分野の活性化のための正しい方向への大きな一歩だ。しかし、彼にとっては、実験は本当に画期的な洞察を与えるほど大胆ではない。量子システムが環境との測定や相互作用によって取り返しがつかないほど邪魔になるという難題もある。これらの影響は、理論的な新しい実験の提案ではほとんど考慮されていないと彼は言う。「これは計算が難しく、実験で再現するのがはるかに難しい」と彼は語る。
 ダイヤモンド実験が行われたIan Walmsley, who heads the Oxford labも、この分野の未来については慎重だ。彼と他の実験者は、近年量子熱力学研究に取り組んできたが、彼らの関心は主に「日和見主義的」であると彼は言う。彼らは、他の用途のために既に設置されているセットアップをピギーバック(piggybacking?)することによって、比較的迅速で簡単な実験を行う機会を見つけた。例えば、ダイアモンド欠損のセットアップは、量子コンピューティングおよびセンサー応用のために既に広く研究されている。今日、量子熱力学はおおいに沸騰している。しかし、それが輝き続けても、何も爆発しなくても、私たちは待たなければならない」
Nature、551,20–22(02 November 2017)
%%%%%

鹿島史解明の経緯、熱力・量力(2)、モンゴル互助会

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:再び愛すべきセグロセキレイ君の水との戯れです171129セグロ3492 〕


 これほどに 嘘を重ねて 逃げ図る それでもわが民 安倍氏に随う

〔写真:本年の最終月朔日〔ついたち〕の新聞記事トップです。なんとも哀しいですな〕
東京3500

 
 安倍氏の逃走を「汚名を被って」助けた財務省にはそれなりの褒章が下されるはずです。それは「消費税増税」であり、「天下り容認」、あるいは国会議員転身なのでしょう。

+++++香島本陣設置の歴史的事実の解明
 香島〔現在の茨城県鹿島〕の地を含む東北日本に、に遠く西域から「サカ族」と呼ばれる人々が渡来していたのではなかろうかとの重大な示唆をしたのは渡辺豊和氏です。氏は著名な建築家として国内外で活躍する傍ら、古代日本列島に強い関心を抱いていた方です。京都造形芸術大学に教授として在職中に「磐座」〔いわくら〕会なる「古代文化研究会」をたちあげ、故塩川清十郎氏を会長に招聘しています。氏が著した「扶桑国王蘇我一族の真実」(新人物往来社、2004年7月)は、日本列島古代史解明への新視点を提起した記憶にしっかりととどめるべき書と私は考えています。
 氏が着眼したのは神社などの古代建造物、古墳などの建造方位の規則性です。たとえば、日本列島に数多く存在する古代墳墓は、考古学者のまさに活躍の主要な舞台です。この古墳について、出土物は言うまでも無くその形状を精細に記述し分類し、その規模、大きさ(長さ、幅、高さ)は精密に計測されてきました。前方後円墳やら方墳などについてはその主軸の方位も計測対象です。古代史に多大の研究をささげた作家・松本清張氏も自著「古代史疑」の中で、そうした考古学者の調査・研究の足跡・現状を丁寧になぞっています。当然、前方後円墳の主軸の「向き」についてもいろいろと検討した痕をうかがわせる記述があります。しかしそれらの方位に潜むかもしれない規則性については議論継続を断念しています。埋葬された日の太陽方位かもしれない、あるいは死去した年の太歳〔木星の天空上の位置〕かもしれない。いろいろな可能性が考え、結局は、方位に関しては規則性はないと結論します。

 渡辺豊和氏の着眼、それは、神社拝殿と参道の方位でした。誰しもが、神社拝殿・参道の「向き」はおおむね東西または南北に決まっていると考えます。渡辺氏は、そうではない神社に着目し、奇妙な法則性を発見したのです。氏は建築家の習い性として、コンパス〔磁石〕とスケール〔物差し〕を普段に持ち歩きます。古社の拝殿・参道を見ると、そのつど持参の「武器」を用いて、それらの方位測定を重ねたのです。そこから発見した事実はまことに奇妙でありました。南北・東西を向かない古社の参道・拝殿はおおむね南々東−北々西を取っている。あるいは、その南北線を対称軸とした北々東−南々西を向く古社もある。つまり、古社の拝殿・参道の向きはランダムでは無く、特定の方向を持つように設計され、建造しているとの結論に達したのです。氏は、その角度をおおむね南北線から20度〜25度としています。
 後にも触れますが、現記事の主題である、鹿島の地にある鹿島神宮の拝殿について神宮の宮司を勤められた方の著書には、鹿島神宮拝殿は真北を向いているとの記述があります。これは誤っており、それは南々東−北々西なのです。このことは、グーグル地図による航空写真からも明らかです。さらには、この方位を取る古社は断然東日本に多いのです。

 渡辺氏は、この20度〜25度の意味するところを考え続けていたようです。氏には国際的な建築家として海外に出かける機会も多く、イランの古宮殿祉には多大の興味を持ったようです。すなわち、これらの宮殿祉がおおむね南北から20度〜25度ほど反時計回りにずれているからです。イランの西縁はトルコ東からペルシア湾西岸沿いに走るザグロス山脈が走ります。この山脈の方位がおおむね南北線から20度〜25度反時計回りにずれています。

 どうやら、日本列島の古社のあるものはかってのペルシアの建造物の影響を受けているのでなかろうかと推論するにいたり、関連する文献をあさったようです。松本清張を持ち出すまでも無く、日本列島の古代文化にペルシア文明の影響を見出す研究は少なくありません。そのなかで渡辺氏が着目したのが「ペルシャ文化渡来考」(伊藤義教著、岩波書店、1980)でした。

 この後の氏の思考過程の経緯は端折らせてもらいます。これらの長年の観察・計測を積み重ねて得た氏の結論は
1. 古社にしばしば観察される拝殿・参道の建造はペルシア文化〔宗教〕の影響である。
2. ペルシア文化〔宗教〕の影響とは、ゾロアスタ教〔拝火教〕である。
3. 独特の方位とは、夏至日の深夜に南に一際明るく輝く一等星シリウスの天空上の位置である。
4. 特殊方位を持つ古社の東日本偏在は、ペルシア文化を日本列島に持ち込んだ一族が、朝鮮半島あるいは南シナ海経由ではなく、サハリン方面経由であったことを示唆する。
5. 倭武命の東国征夷譚は、歴史の真の経緯の間逆を記述しているのではないか。むしろこの人物は東北日本から西へ進軍したのではないか。

 技術屋たる本ブログ管理人は、同じく技術屋たる渡辺豊和氏の上記五つに大きな説得力を感じたのです。梅原猛氏が何かのエッセイで「自分の書いたものは、どうも文化系の人には好まれない。むしろ理学系の人が好んでくれる」と語っていました。梅原氏の著作のわかり易さ〔論理的ということでしょうか〕と相通ずる論理的思考を渡辺氏の考察に見るからなのでしょう。

 どうやら同じ感想を持つがゆえに、渡辺氏の主張に深く感銘を受けたのが経済学者の栗本慎一郎氏です。栗本氏は、渡辺氏の主張を下敷きにして『シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究』(たちばな出版、2005年)を上梓しています〔 2012年7月18日記事〕。経済学者カール・ポランニーに傾倒したと思われる栗本氏には、その視点からの独特の経済著書が多くあります。たとえば、その一つが『パンツを脱いだサル-ヒトは、どうして生きていくのか』(現代書館、2005年)ですが、この本の背後には上記の「シリウスの都・・・」とあわせ読むと得心が行く論点が少なくありません。ただし、方位に関する議論は贔屓の引き倒しの感があり、かなりいい加減であります。が、渡辺氏が考察した視点についてはかなり深く掘り下げているということができます。

 この二人、とりわけ渡辺氏の著作は、私の日本列島古代史調査の本当の出発点になりました。これから論ずる鹿島神宮と香取神社の幾何学的配置、これを始めて指摘したのが渡辺豊和氏です。
それらの議論を次回お浚いしておくことにします。
(つづく)

+++++新しい熱力学
 最新号の日経サイアンス誌〔2018年1月号、日本経済新聞発行〕は「性差」の記事を特集しています。男が性行為について真面目でないのに引き換え、女はそれについて慎重である。それは行為後に追わねばならない責任の九割は女王からであると書きます。確かに「ヒト」でいえば、十ヶ月もの間腹の中で成育するのですからこれは大事業です。
 さらには、薬が効きやすいのは女で、男はそうではない。その事例として「催眠導入薬」の効果をあげています。男はこれを服用しても効き目がなかなか現れないが、女はすぐに効き、バッタッと眠り込む(伊藤詩織さんを暴行した元TBS記者、山口某を連想しますが)のだそうです。
 私は、11月17日に書いた「ショパンの心臓」と連なる論理に思いを致しました。すなわち男は生来、生物が得て勝手な要請で作り上げられた不安定な染色体を有しています。一方の女は安定な染色体でありますから、自らの持っている能力で生きてゆけるように作られているのです。そこに妙な薬を持ち込まれるとそうしたバランスを乱される。これは薬剤への効果なのです。男は不安定であるがゆえに、もともとバランスを欠いている。そうした外部からの薬剤には結果として鈍感である。なぞの理屈を考えました。
 この雑誌の特集記事では、何故、男は哲学を好み、女は心理学を志向するのか、なぜ物理学には女が少ないか、などを論じています。論者は、これについては社会的な背景が要因であり、性差は本来は無いと書いています。さて、実際はどうなのでしょうか?前置きはともかく、本論に移ります。

%%%%%The new thermodynamics: how quantum physics is bending the rules〔続〕
Experiments are starting to probe the limits of the classical laws of thermodynamics.

熱力学の古典則野限界を探る実験が始まっている
Related stories
• Battle between quantum and thermodynamic laws heats up
• Quantum gas goes below absolute zero
• The unavoidable cost of computation revealed
More related stories
A number of quantum thermodynamicists hope to find behaviour outside the remit of conventional thermodynamics that could be adapted for practical purposes, including improving lab-based refrigeration techniques, creating batteries with enhanced capabilities and refining technology for quantum computing.
But the field is still in its infancy. Experiments such as the one taking place at Oxford are just starting to put theoretical predictions to the test. And physicists working at the periphery are watching such tests closely for evidence of the useful applications that theorists have predicted. “Quantum thermodynamics is clearly hot — pardon the pun,” says Ronald Walsworth, a physicist at Harvard University in Cambridge, Massachusetts, who specializes in developing precision atomic-scale tools. “But for those of us looking in from the outside, the question is: can it really shed new light on the development of technologies?”
 量子熱力学研究者の何人かは従来の熱力学の領域外の挙動を見つけることを期待する。量子コンピューティングのための拡張および強化技術を有する電池を作成し、実験室ベースの冷凍技術の向上など、実用的な目的のために適合させることができるからだ。
 しかし、その分野は未だの状況だ。オックスフォード大学で行われているような実験は理論的予測のためのテストに入ったばかりだ。周辺で働く物理学者は、理論家が予測した有用なアプリケーションの可能性を期待して、そのようなテストを注意深く見ている。マサチューセッツ州ケンブリッジ・ハーバード大学の物理学者ロナルド・ウォルスワースは、「量子熱力学は明らかに熱くなっている」という。彼の専門は精密原子スケールツールの開発だ。「しかし、外から見ている人にとって、問題は、それが本当にテクノロジーの開発に新たな光を当てることができるのだろうか?という問題だ。

Breaking the law
The development of the classical laws of thermodynamics stretches back to the nineteenth century. They emerged from the effort to understand steam engines and other macroscopic systems. Thermodynamic quantities such as temperature and heat are statistical in nature and defined in reference to the average motion of large ensembles of particles. But back in the 1980s, Kosloff began pondering whether this picture would continue to make sense for much smaller systems.
It wasn't a popular line of research at the time, says Kosloff, because the questions being asked were largely abstract, with little hope of connection to experiments. “The field developed very slowly,” he says. “I was alone for years.”
法則を超える
 熱力学の古典的な法則の発展は19世紀にまで遡る。蒸気機関やその他の巨視的なシステムを理解しようとしてきた。温度および熱などの熱力学的量は、性質上統計的であり、粒子の大きな集合の平均運動に関して定義される。しかし、1980年代になって、Kosloffはこの理解がずっと小さなシステムでも意味をなすのかどうかを考え始めた。
 それは、当時の人気のある研究ではなかったと、Kosloffはいう。問題は抽象的なものであり、実験に結びつくことが期待されていなかったからだ。「この分野は非常にゆっくりと発展した。「私は長年孤独だった。」と。
An experimental set-up at is used to investigate whether quantum effects can enhance the power output of a diamond.
(写真:the University of Oxfordでの量子効果がダイヤものど出力を増幅させ竜や否やの実験:)
171201熱力無題


That changed dramatically around a decade ago, as questions about the limits of technological miniaturization became more pressing and experimental techniques advanced. A flurry of attempts were made to calculate how thermodynamics and quantum theory might combine. But the resulting proposals created more confusion than clarity, Kosloff says. Some claimed that quantum devices could violate classical thermodynamic constraints with impunity and so act as perpetual-motion machines, capable of performing work without needing any energy input. Others, suggesting that the laws of thermodynamics should hold unmodified at very small scales, were equally perplexing. “In some sense, you can use the same equations to work out the performance of a single atom engine and your car engine,” says Kosloff. “But that seems shocking, too — surely as you get smaller and smaller you should hit some quantum limit.” In classical thermodynamics, a single particle doesn't have a temperature. So as both the system generating work and its environment approach that limit, it becomes increasingly absurd to imagine that they would obey standard thermodynamic rules, says Tobias Schaetz, a quantum physicist at the University of Freiburg in Germany.
 技術的な小型化の限界についての課題がより緊急になり、実験的技術が進歩したので、それは10年ほど前に劇的に変化した。熱力学と量子理論がどのように組み合わされるかを計算しようとの試みだ。しかし、その結果として得られた提起は、明快さよりも混乱を招いた、とKosloff氏は言う。量子デバイスは、古典的な熱力学的制約に反し、エネルギー入力を必要とせずに仕事を実行できる永久運動機械として機能すると主張している人もいる。熱力学の法則が非常に小さなスケールで変更されないで保持されるべきであることを示唆する他の研究も同様に難解であった。「ある意味では、同じ方程式を使って、単一原子エンジンと自動車エンジンの性能を計算することができる」とKosloff氏は述べる。しかし、「それは衝撃的だ。あまりにも小さくなるにつれ、量子限界に達するはずだからだ。」古典的な熱力学では、単一の粒子には温度は定義できない。ドイツのフライブルク大学の量子物理学者Tobias Schaetzは、「仕事を作り出すシステムとその環境の両方がその限界に近づくにつれ、標準的な熱力学的規則に従うと想像するのは従来の理解を超えるからだ」と。

The preponderance of conflicting theoretical claims and predictions initially undermined the burgeoning field's credibility. “I have been very critical of the field because there is far too much theory and not enough experiment,” says quantum physicist Peter Hanggi, at the University of Augsburg in Germany. But the community is beginning to coalesce more formally around core questions in an effort to cut through the chaos. One goal has been to use experiments to uncover the point at which the classical laws of thermodynamics no longer perfectly predict the thermal behaviour of quantum systems.
Experiments are starting to pin down that quantum–classical boundary. Last year, for example, Schaetz and his colleagues showed that, under certain conditions, strings of five or fewer magnesium ions in a crystal do not reach and remain in thermal equilibrium with their surroundings like larger systems do2. In their test, each ion started in a high-energy state and its spin oscillated between two states corresponding to the direction of its magnetism — 'up' and 'down'. Standard thermodynamics predicts that such spin oscillations should die down as the ions cool by interacting with the other atoms in the crystal around them, just as hot coffee cools when its molecules collide with molecules in the colder surrounding air.
 相反する理論的主張と予測の優勢は、当初急成長してきた研究分野の信頼性を損なうものであった。「あまりにも多くの理論があり、十分な実験が行われていないため、私はこの分野に非常に批判的であった」と、quantum physicist Peter Hanggi, at the University of Augsburg in Germanyは言う。しかし、この分野の学界は、混乱を避ける努力の中で、より重要な問題を正式に合体させ始めた。1つの目標は、熱力学の古典的な法則がもはや量子系の熱的挙動を完全に予測しないという点を明らかにするために実験を開始することであった。
 実験はその古典的な境界を示唆し始めている。昨年、例えば、Schaetz and his colleaguesは、一定の条件の下で、結晶中の5つあるいはそれ以下のマグネシウムイオンの列が大規模なシステムであれば達するような周囲の熱平衡状態にはとどまらない事を示した。彼らの試験では、各イオンは高エネルギー状態で開始し、そのスピンは、その磁気方向に対応する2つの状態(「上」および「下」)の間で振動した。標準的な熱力学では、その分子がより低温の周囲空気中の分子と衝突するときに熱いコーヒーが冷えるのと同じように、その周りの結晶中の他の原子と相互作用することによってイオンが冷えると、そのようなスピン振動が消滅すると予測するのだ。

Such collisions transfer energy from the coffee molecules to the air molecules. A similar cooling mechanism is at play in the crystal, where quantized vibrations in the lattice called phonons carry heat away from the oscillating spins. Schaetz and his colleagues found that their small ion systems did stop oscillating, suggesting that they had cooled. But after a few milliseconds, the ions began oscillating vigorously again. This resurgence has a quantum origin, says Schaetz. Rather than dissipating away entirely, the phonons rebounded at the edges of the crystal and returned, in phase, to their source ions, reinstating the original spin oscillations.
 このようなケースでは、コーヒー分子から空気分子にエネルギーが伝達する。同様の冷却機構が結晶内で作用しており、フォノンと呼ばれる格子内の量子化された振動が振動するスピンから熱を奪う。Schaetzと彼の同僚は、小さなイオンシステムが振動を止め、冷却したことを示唆していると解釈した。しかし、数ミリ秒後に、イオンは再び激しく振動し始めた。この復活起源には量子力学がある、とSchaetzは述べている。フォノンは完全に消え去るのではなく、結晶の端で反発して元のスピン振動を元に戻して、元のイオンに戻したと理解する。
(次回につづく)
%%%%%

+++++大相撲トラブル
 原発をモンゴルに輸出なぞという政財界の思惑とそれになんとか絡もうという政治家の工作、いわゆるモンゴル利権が問題を複雑にしているのだろうと思っています。そもそも相撲が外国人に対しても門戸を開いた段階で「品格」なるものは問題にすることはそぐわない。単なるスポーツ分野のルールの問題です。しかし、品格なぞという日本人根性意識をこのスポーツに持ち込むものだから、外国人はそこの平等な力士関係の成立を危惧し、今般のような「互助会」なるものが出現したのではなかろうか、と思っています。
 モリカケ、安倍氏の政治姿勢といった日本国民にとって死活問題の政治課題からして、これほど連日大仰にTVで騒ぎ立てるような問題ではなかろうとは思いますが、関連論説を貼っておきます。
%%%%% このまま“モンゴル互助会”問題はウヤムヤになるのか
日馬富士(33)=伊勢ケ浜部屋=が本日(11月29日)午前、日本相撲協会に引退届を提出し、受理された。巡業中の10月25日に鳥取市内で同じモンゴル出身の幕内貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=に暴行したことが明らかになった11月14日から2週間余の決着劇である。
ついに「この日が来た」という思いと、問題の本質である「モンゴル互助会」問題は、結局、ウヤムヤのまま終わるのか、という二つの思いが私の中では交錯している。
27日にあった横綱審議委員会では、協会に対して、日馬富士に厳しい処分をすることを求めており、会見に応じた横綱審議委員会の委員長である北村正任・毎日新聞社名誉顧問が示した厳しい姿勢で、日馬富士もある程度、覚悟はしていただろう。
しかし、決定打になったのは、ついに明らかになった貴ノ岩のケガの状況である。モンゴル力士の草分けである元小結・旭鷲山が昨日公開した貴ノ岩のケガの写真は衝撃的だった。「ああ、これはひどい」「日馬富士もこれではこらえきれまい」―医療用ホッチキスで止められた10針の痛々しい頭部裂傷は多くの人にそう思わせた。
そして、本日、日馬富士はさっそく引退届を提出した。もはや「致しかたなし」というほかない。しかし、同時に「これで事件の本質が隠されてしまうのか」ということが気にかかる。
それこそ「モンゴル互助会問題」にほかならない。事件の詳細が次第に明らかになってきた時、多くの人はこんな疑問を持たなかっただろうか。モンゴル力士の間では、これだけ有無を言わせぬ「上下関係」があって、「果たして本場所でガチンコ相撲をとることは可能なのだろうか」という根本的な疑問である。
なぜ、あそこまで貴乃花親方は頑なだったのか。貴乃花親方は、なぜ、これまで貴ノ岩をモンゴル力士の飲み会に参加させなかったのか、ということだ。
記録を調べてみたら一目瞭然だが、モンゴル力士になって考えてみたら、すぐにわかることがある。たとえば白鵬が優勝街道をひた走っている時、もし、自分が白鵬を破って優勝争いをしている日本人力士を「アシスト」するようなことがあれば、どうなるだろうか。
そんなことが果たして許されるだろうか。飲み会で、携帯電話をいじっていたら、数十発殴られ、頭をなにかで叩かれ、10針も縫うようなケガをさせられるのである。
いや、そもそもガチンコ相撲の貴乃花部屋に所属する貴ノ岩のことを日馬富士や先輩力士たちは、気に入らなかったのではないか。その体質こそが、貴乃花親方の怒りであり、今回の暴行事件で膿を出そうともせず、臭いものに蓋をしようとする相撲協会への貴乃花親方の“ガチンコ相撲”だったのではないか、ということだ。
この問題がここまで大きくなった本質こそ、そこにあるような気がしてならない。八百長相撲が発覚し、場所自体が中止になった2011年春場所から、すでに6年半。また、時津風部屋で親方も一緒になったリンチで新弟子の少年が死亡する事件が発生してから10年余が経つ。
果たして、八百長やリンチは根絶したのだろうか。相撲ファンの一人として、長年、大相撲を見つづけた私は、とても、首を縦にふることはできない。貴乃花部屋には、「10の訓示」がある。その冒頭の二つが以下である。
一、力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事
二、人の道に外れないよう自身を鍛え勝負に備える事
これは、オールドファンで、二子山勢を知る好角家なら、すぐにわかるものだ。理事長も務めたかつての二子山親方(元横綱若乃花。昭和30年代に“栃若時代”を築いた名横綱)から伝わるガチンコ相撲、すなわち“真剣勝負の系譜”ならではの、いわば二子山勢の「家訓」でもある。
大相撲が、本来の真剣勝負の系譜に戻ることができるのか。日馬富士引退でも幕を引いてはいけない「本質」がそこにある。
%%%%%

金将軍によるICBM,香島郡設置の経緯

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:当地も晩秋から初冬に景色が変わり始めています。雑木林の中に立つ民家の庭、拡大は二回クリック〕
秋色3489


 ばればれと わかってはいても あのヘルプ 勇ましき言 安倍氏の会見

 まずは2003年の米国によるイラク侵攻時に時の首相小泉純一郎氏に「米国に加担する勿れ」と諫言したがゆえに在レバノン日本国大使の座を追われた天木直人氏のブログを転載します:
%%%%%北朝鮮ミサイル発射ニュースの衝撃
2017-11-29 天木直人のブログ
私の一日は、ほぼ毎日、午前4時ごろのニュースを見る事から始める。
そして今朝のニュースで北朝鮮のミサイル発射実験を知った。
 50分ほど飛んで、三つのうちの一つが青森沖210キロの経済水域に落ちたと聞いて、直感的に感じた。
 この前は10分余りで2000キロ以上飛んだはずだ。
 50分もの長き間を飛んで、わずか青森沖210キロということは、よほど高く、垂直的に飛んだに違いないと。
 素人でもわかる事だ。案の定、大陸間弾道ミサイル実験だ、4000キロを超える飛行距離だ、そういう解説が始まった。
 実験が行われたのは日本時間の深夜(早朝)3時過ぎだったというから、発射されたばかりだ。
 あらゆる情報確認はこれからであり、仕事が始まる頃にはこのニュースばかりが流されるだろう。そしてその解説は何日も続く。
 最大の焦点はトランプの反応だ。
 ただでさえクリスマス休暇中の攻撃がささやかれている中での北朝鮮のミサイル発射だ。
 残るは、核搭載の大陸断弾道ミサイル実験だけとなる。
 それでもトランプが北朝鮮を攻撃できなければ北朝鮮の勝ちだ。
 いよいよ北朝鮮危機は最終局面に入りつつある。
 これは芝居だ。
 森友学園疑惑で追いつめられた安倍首相を助けるための作られた北朝鮮危機だ。
 そういうことならまだ救われる(了)
%%%%%

 国会が始まった途端、日本列島日本海側になにやら正体不明の木造船が相次いで漂着との報道が流されました。そして昨日のあの無様〔ぶざま〕な安倍氏の国会での挙動・答弁であります。まさにこのタイミングを計ったような隣国・金将軍のICBM打ち上げです。このところ、国会でのモリカケ疑惑追及を脇に押しやって、連日相撲暴力論議を報じていたTVに、一転、今朝、安倍氏が登場です。嬉々として記者会見に応じ、勇ましい言を吐いています。誰しもが、上掲の天木直人氏の指摘に共感します。先の総選挙で、麻生氏が「自民党の大勝は北朝鮮のおかげ」とぽろっと吐きました。
 一体、真実はどうであるのか!この背景をしっかりと分析する報道があって欲しい。安倍氏には明らかに金将軍の暴挙で膨大なメリットがある。金将軍にはどういうメリットがあるのか?そして、米国にはどういう見返りがあるのか?何故、報道関係者はそれを追及しないのでしょうか?
 そういえば北朝鮮に拉致された横田メグミさんのお母様が、“本当に拉致被害者を日本にとり戻そうというのであれば、勇ましい言葉は必要ない。粘り強い対話しかない”と語り、暗に安倍氏のこれまでのやり方を初めて批判をしました。2002年10月に電撃的に北朝鮮からの日本国への帰還が叶ったのが蓮池薫氏です。氏の実兄である蓮池透氏は月刊誌「世界」〔岩波書店〕2017年12月号で「朝鮮半島危機と拉致被害者」〔153−160頁〕なる対談記事で、これまでの安倍氏の所業を厳しく批判しています。その主張は「口先の攻撃的な言辞にもかかわらず実相は何もしていない」との趣旨で、それは母・横田早紀江さんの批判と通底します。

 本ブログでもずいぶんと書いてきましたが、あの安倍氏の答弁はまさに餓鬼ですな。「餓鬼」との表現は「子供っぽい」というニュアンスがあり褒め言葉に聞こえそうなので、これまで使わずにきました。ここで言う「餓鬼」とは、知性・理性の欠落した自己保身むき出しという意味です。こんな人物が日本国の政治のトップに居座っている。これでは国民は救われない、と心底思います。安倍氏は「もりかけ」のような些細な問題には捉われず、日本と世界の安全のために各国首脳と渡り合って奮闘している、とは自民党の議員の国会での発言です。ここまで『おべんちゃら』をのたまう人物が選挙区での有権者の票をあつめて国会に出てくる。「有権者よ!しっかりせい!」といいたい気分です。ヤレヤレでありまする。
〔図:東京新聞11月29日付一面、拡大は二回クリック。この新聞記事クリップの下段に東レによる自社製品データ改竄が明るみに出たとの記事が掲載されています。先の三菱マテリアルと言い、日本の製造業の劣化を指摘する記事が頻出しています。近日中にこのじたいについて考察することを予定しています。本当にそうなのか?もはや「陸王」〔TVドラマ〕は古い昔のエピソードなのか?

東京新聞3494


 森友で崩れたら次は加計です。この加計の背後には国家財産を食い物にする仕掛けである「国家戦略特区」が背後に控えているのです。ここを突破されたならば、これまでの安倍氏率いる政府施策の根幹が崩壊しかねない。ひいては財界奥の院の国民収奪体制に深刻な穴が生ずる。なんとしても「モリカケ」スキャンダルへの批判・攻撃はしのがねばならない。現今の安倍氏の醜態は、安倍氏にとどまらない日本国経営にかかわっているのかも知れない、とも想像します。
 だからこそ、理屈もヘッタクレも無く、ただただめちゃくちゃの対応で「国難」ならぬ「安倍難」を切り抜けようとしているんだろうと思っています。これは民主国家のありようだろうか?自民党の内部には知性・理性をかろうじて失わない、其れがゆえに国の将来に思いをはせる士もいるのだろうと思います。そうした心ある士の奮起、覚醒を強く促したいと思っています。
 現時点では野党国会議員には真相の深奥にせまれるほどの力量は期待できそうもありません。とするならば、背後に迫れるのはジャーナリズムしかない。何とか、ここで、がんばってほしい。さもなくば安倍氏を根源とする「国難」からの日本国の脱却は絶望的と思います。そうした思惑があって、総選挙前に「絶望の党」〔旧「希望の党」〕の誕生と前原氏の一線舞台登場ではなかったか、と思っています。

+++++常陸国風土記鹿島郡の条
 冒頭で、まず鹿島郡の形成経緯を語ります。あちらこちらから5つの里(地)をかき集めた、と書きます。話は脱線しますが、かき集められた地の一つとして、下総国の一部であった海上国が登場しています。「うなかみ」と仮名を振るのが『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀))です。この十番目の巻である「国造本紀」が135の国造家の成り立ちを語ります。そこに登場するのがこの海上国です〔国造本紀では上海上と下海上が記載されている〕。
 二年半ほど前の三月、気仙沼を訪ねました(2015年3月30日記事 )。一関から気仙沼へ向かう列車は津波被災地復興現場で働く外国人作業員で混雑していました。駅前で「被災地を案内します」とのシールを貼ったタクシで半日ほど市内を走り回りました。運転手さんの小野寺氏は、われわれのような訪問者のために手作り資料を用意されており、それをもとに懇切丁寧な解説をしてくれました。小野寺さんが連れて行ってくれた被災地の一つに 津波で根こそぎ洗われてしまった階上〔はしかみ〕地区があります。『階』は「きざはし」と訓みます。多年月の経過の中で、「キザ」が消失してしまい、「はし」が残ったのだろうと想像しています。ところで、同じ地名が青森県東南部の八戸にあります。311大地震を思い出していただければわかるようにこの地も大津波に襲われています。

 ところで、千葉県の海上市とその界隈も先般の巨大地震で大きな津波被害に遭っています。「階上」〔はしかみ〕とは「津波に襲われた際の格言」に由来するのではなかろうか。すなわち、津波が来たら「階の上へ行け〔高いところへ逃れよ〕」との意ではなかろうか。とするならば、千葉県の「海上」は実は「階上」であった。ところが、この地は長く津波の災厄から免れてきた。が、「カイジョウ」なる音は残っていた。後世この音に、『この地は海に近いので』といった理屈から「海上」なる漢字があてられた。それは、八世紀半ば以前であった。このころには、この地の住民の言い伝えに「津波の恐怖」が残ってはいなかった。と、「階」が「海」に変じた経緯を想像しています。
 ところで、福島県の猪苗代湖の北方に聳えるのが磐梯山です。ここでは「磐の梯子〔階段〕」なる漢字が使われています。『梯子』は天上に通ずる道なる意味があります。磐梯山と津波襲来地「はしがみ」にどんな連関があるのか?新たな疑問であります。

 さて、本題に戻ります。鹿島郡創設の作業の中心に中臣□子がいた。時代は孝徳天皇の時代にまで遡ると、古老の言を借ります。日本書紀が語るところでは、西暦645年の乙巳の変で蘇我入鹿がテロで斬殺され、当時天皇の位にあった皇極女帝が退位します。その皇位を襲ったのが皇極女帝の弟である軽皇子、漢風諡号・孝徳天皇です。日本書紀は、乙巳の変は中大兄と中臣鎌子による共同謀議すなわち「テロ」行為です。常陸国風土記は、意図的に「中臣□子」としてその名前を明かさなかったのでしょうか?そのような小細工をせずとも□に入る漢字が「鎌」であることは明らかです。言葉を変えれば、鹿島郡の創設には後に藤原姓を名乗る「中臣」一族が深くかかわったこと(にしたいとの意図)を、風土記は明記していることになります。

〔図:常陸国風土記鹿島郡条、冒頭。拡大は二回クリック〕
行方最終節
 

 すでに書いたように、日本書紀は常陸国征討譚を語りません。しかし、語らないままでは、鹿島の地が「中臣氏」とかかわっている経緯が文書で明記されないことになってしまいます。つまり、以後の記述でも見るように、風土記・鹿島の条は藤原〔中臣〕氏の役割を奈良の幹部連に納得させるためであった、と思えます。すなわち藤原不比等の構想する日本列島政治史である日本書紀・古事記を補完する文書として位置づけられるからこそ、常陸国風土記は「逸文」扱いにならなかったのです。

 しかし、その記載内容については、本来常陸国・国司が編纂の責任があったと思えます。しかし、かなり細かい打ち合わせ、すり合わせが奈良の中央政権との間でなされたのだろうと想像しています。これら「三神をあわせて鹿島天の大神」と書き、詳述を避けたい気分が露骨です。その名前からこの地を鹿島郡と呼ぶようになった。と、書きますが、鹿島なる名称の由来は書かれません。

 そこで、次回は、繰り返し書いてきたことですが、鹿島の地の由来を確認しておきます。それを前提とすると、常陸国風土記・鹿島郡の条の編纂作業の「苦渋」が見て取れるのです。
  (つづく)

 冒頭での「国会論議への愚痴」が長くなってしまったので、熱力学と量子力学と題するnature誌記事紹介の二回目は次回に順延します。

熱力学と量子力学〔序、nature誌)、老齢とプログラム・ミス

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:厳しい寒さが続いた土曜日の朝です。まるで雪が降ったかのように周囲は真っ白でした。地表に上り始めた朝日が周囲を赤く染め始めています。二回クリックで拡大〕
霜の朝3479


吐く息を 凍える朝が 真っ白に 北関東の 厳しき夜明け

 二週間前の今日、稀勢チャンの無事な発進を切に願い私の胸は“乙女のようにドキドキ”でありました。”老いぼれ爺が!、気持ち悪いんだよっ!“との皆様のご指摘はヨオークと自覚しております。その切なる思いも先週早々に砕かれました。そもそも稀勢チャンの昨今の体調不良は日馬富士との対戦で胸の筋肉を損傷したことにあります。ひそかに「モンゴル互助会」の仕業と私は疑っています。その互助会の企みを撥ね退けての本年一月の優勝はとりわけ価値のあるものでした。なんとか年明けの場所では、互助会の策謀を再度粉砕しての優勝を願っています。というわけで、本年の北関東に生きる田舎者の残された希望、それは鹿島アントラーズの優勝です。来週に、しかっりと決めてクレーイ!であります。
 
 先週、金曜日からの三日間、わが身の老齢による劣化を実感しました。前回記事で、巨大地震が作り出す力の場を統一された座標系で表現する作業を始めたと書き、そのための計算プログラムのテスト・ラン例を掲載しました。まずは、ウオーミングアップとして前回例として取り上げたイラク地震〔2017年11月12日、18時、日本時間13日午前3時〕を取り上げました。GCCS〔 global Cmt Catalogue Search〕が算出したCMT解によるモーメントテンソル〔前回記事表1〕の座標変換に適用したところが、図に示す惨状であります。
〔図:計算途上のエラー出現〕
171127Scilab


どうやら、[ordr]= ordrn(vdgl,3) なる私が作成したルーチン・プログラムに問題があるらしいことが判明しました。プログラムはわずか23ステートメントという極短い、その論理も至極単純です。チェックはあっという間です。誤りは見出せません。そこで、このプログラムをテストするために、わずか二行のメインプログラムを作成し走らせました。見事にordrnなるプログラムは期待どおりの役割を果たしてくれました。
 こうなると、何がなにやらわからない。そもそもエラーメッセ−ジの意味が良くわかっていない。そこで、Scilabのonline-help機能を呼び出し、メッセージの意味の理解することになりました。しかし、計算機言語、あれは日本語ではありませんね。上掲のエラーメッセージよりも、もっと理解しがたいんですね。あれこれ試しているうちにダウンロードしたScilabが機能不全状態に陥いるという不幸が重なりました。
 “そうか、Scilabの古い版が持っていたバグ”に違いないと、最新ヴァージョンに取り替えました。 Matlabと異なり、無料ですから、気軽にこうした版の取替えができます。
 新しい版で走らせ、変数の属性を表示せんとすると、今度はフリーズを起こしてしまいます。仕方が無いので、元のヴァージョンに置き換えです。てなことで丸々二日間これに振り回されてしまいました。
 スッタモンダの挙句に判明したことは、左向き←で示したルーチンの出力が「複素数」であったことを見落としていたのです。一方三行目のルーチンでは、それらは実数であることを前提としています。なんとも恥ずかしい失態であります。

 自らの恥を棚に上げて言うのも「ナニであります」が、上記のエラーメッセージからはこんなに単純な原因を突き止められないのです。何度も書いてきましたが、Scilabのエラー解決機能は貧しい、と負け惜しみの言を自らに呟いています。本当のところは「私自身の加齢による脳の劣化」であろうことは、脳の奥底では自覚しているんであります。が、老齢ゆえ、それを認めたくないんであります。「俺は正しい」との意固地な思い込みこそが危ういのですな。『謙虚であらねば』、これを座右の銘とせねばなりません。

 11月22日記事 で、福岡県北部をを北西・南東に走る警固断層の話を書きました。そんな折、土曜日、下記の朝日インタネット記事を見つけましたので転載しておきます:
%%%%%九州北部豪雨で断層出現?長さ100メートルの板状突起
九州北部豪雨で断層出現?長さ100メートルの板状突起小林舞子〔11月25日〕
 九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県朝倉市の山間部の川底の地面から、長さ100メートルに及ぶ板状の突起が見つかった。発見した地質調査会社などの専門家チームは、岩石の特徴などから、川底の土砂が大量に流出したことで姿を現した断層面とみて、活断層かどうかを調べている。広島市で始まった日本活断層学会で25日に発表する。

〔図2:福岡県朝倉市乙石川に発見された断層面らしき地質。赤印、青印は朝倉市庁所在地。ゞ綵C録泙鳩抔巴覗悄↓乙石川の川底だった地面に現れた断層面と見られる板状の突起。川に沿って100m続いていた。手前が下流〔今年7月、福岡県朝倉市・細矢卓志さん提供〕、場所拡大。◆↓は朝日新聞ネット記事より、二回クリックで拡大)
171127杷木断層


 突起が見つかったのは、流域で多数の犠牲者を出した赤谷川の支流、乙石川。7月下旬、地質調査会社の中央開発(本社・東京都)の細矢卓志(たかし)さんらが、豪雨で谷から大量の土砂が出た原因などを調査中に発見した。
 細矢さんによると、板状の突起は、北西から南東へ川に沿って約100メートルにわたり堤防のように連なっており、この地域の岩盤と同じ花崗岩(かこうがん)でできていた。「板」の表面には左横ずれ断層の特徴である同じ方向の「傷痕」が多数残っていた。花崗岩は厚さ10メートルほどが粘土化して固くなっており、断層がたびたび動いた結果と考えられるという。「最初は人工構造物かと思った。乙石川沿いに断層が分布している可能性が高い。大雨で川底が洗われ、現れたのでは」と話す。
 現場は、玄界灘から朝倉市にかけて福岡県中央部を貫く活断層「西山断層帯」の南端部に近い。突起が走る向きは西山断層帯の向きと似ており、左横ずれ断層である点も共通する。細矢さんは、採取した試料の年代測定を進めているといい、「活断層かどうか、さらに調べたい」と話す。(小林舞子)
%%%%%
 私は、この断層は警固断層の南東への延長ではなかろうかと考えています。この断層、ことのほか大きいのではなかろうか?遠く西域からの渡来人は、この断層にそう比較的脆弱な地質構造に着眼し、その北西先端で「カハス」を掘削したのではなかろうか、なぞと考えています。

+++++新しい熱力学:如何にして量子力学がその法則に変更を加えるのか?(nature誌)。
 もう一月ほども前の記事でありますが、頭の中で引っかかっていました。それは熱力学の問題です。そもそも温度とは?であるとか、熱収支の問題から導入されるエントロピなどは、正直のところとっつきにくい。それは質点の運動、解析力学とは異なり、論理的思考を求めるのです。その二つがどのように結びつくのか?戸惑ったまま老齢になってしまった無念さがいまだに残っています。

 こうした消化しきれない疑問を抱えたまま、生物体内のエネルギ収支の解説本などを読むと、そこに登場するのがATPです。当然、もやもやしたままで読む文章は頭の中に新しい理解像を作り上げないんですね。
%%%%ウイキによるATP解説 アデノシン三リン酸(アデノシンさんリンさん、adenosine triphosphate)。これは、生体内に広く分布し、リン酸1分子が離れたり結合したりすることで、エネルギーの放出・貯蔵、あるいは物質の代謝・合成の重要な役目を果たしている[1]ヌクレオチドである。すべての真核生物がこれを直接利用している。生物体内の存在量や物質代謝におけるその重要性から「生体のエネルギー通貨」と形容されている。
構造とエネルギー[編集]
プリン塩基であるアデニンに糖のリボースがN-グリコシド結合により結合したアデノシンを基本構造として、リボースの 5'-ヒドロキシ基にリン酸エステル結合によりリン酸基が結合し、さらにリン酸がもう2分子連続してリン酸無水結合により結合した構造を取る。この、リン酸基同士の結合(リン酸無水結合)は、エネルギー的に不安定であり、このリン酸基の加水分解による切断反応や、他の分子にリン酸基が転移する反応は(切断した両リン酸基の端に、反応により新たに生成する、より安定な化学結合の生成に伴って)エネルギーを放出する。ATPのリン酸基の加水分解や転位反応は、正味の自由エネルギーの減少を伴うエネルギー放出反応となり、あたかもATPのリン酸基同士の結合の切断が生体内の化学反応の実質的な推進力となっているように見えるため、この意味において、この結合は「高エネルギーリン酸結合」と呼ばれている。(結合自体がエネルギーを持つわけではない:この化学結合の切断は、吸エネルギー反応である。)
エネルギーの収支式を以下に示す(ΔG°’(標準自由エネルギー変化))。
ATP + H2O → ADP(アデノシン二リン酸) + Pi(リン酸)
ΔG°’ = −30.5 kJ/mol (−7.3 kcal/mol)
ATP + H2O → AMP(アデノシン一リン酸、アデニル酸) + PPi(ピロリン酸)
ΔG°’ = −45.6 kJ/mol (−10.9 kcal/mol)
この標準自由エネルギー変化は、一般的なリン酸エステル化合物のリン酸エステル結合の加水分解の標準自由エネルギー変化(ΔG°’ = −3〜4 kcal/mol)などに比べ非常に大きいので、このようなリン酸エステル化合物が、ATPからのリン酸基の転移により生成する反応の標準自由エネルギー変化は、全体として負の値となり、この反応はATPからリン酸エステル化合物へのリン酸転移の方向に自発的に進む。 さらに細胞内では、ATP濃度はADPの10倍程高く、リン酸濃度も標準状態 (1.0 M) より、はるかに低い (1〜10 mM程度) ため、細胞内の環境ではATPの高エネルギーリン酸結合の加水分解に伴って実際に放出されるエネルギー(自由エネルギー変化 ΔG)は、より大きくなり、−10〜11 kcal/mol にも達する。
%%%%%以上ウイキより

 ATPが切り離されたり、くっつけたりする反応がエネルギを作り出す。しかし、上の反応で放出される、または吸収されるエネルギを分子なり、細胞なりがとりこむ過程がイメージできないんですね。  
 大昔、その分野で大きな仕事をされてきた大野公男博士(四ヶ月前に逝去された)のもとで働いたことがあります。博士の御専門は「分子軌道」解析による生体内反応の量子力学的解析でありました。余談でありますが、博士の御尊父は戦前、大蔵事務次官を勤められました。また博士の弟様である大野正男氏は弁護士から最高裁判事にまで上り詰めた方で、著書「弁護士から裁判官へ」(岩波書店、2000年)は、昨今政治権力に無様に屈する姿を晒けだすことの多い最高裁判所への諫言とも思える至言があちらこちらにちりばめられている良書です。
 ある昼食時、大学食堂で昼食をご一緒したときに博士がポツリと「息子が可愛いのは四歳までですね。それ過ぎるとやたら反抗し、憎たらしくなる」と笑いながら語っていたことをいまだに思い出します。その息子さんの大野英男氏が来年から東北大学・学長とのことですが、当時は多分東大の学生さんではなかったか、と思います。

 そうした、昔の記憶もあり、年来の熱力学へのわだかまりも少しは解けるかなとの期待もあり、nature誌の記事を紹介します。長いので、数回に分けます。

%%%%% The new thermodynamics: how quantum physics is bending the rules Zeeya Merali 01 November 2017
nature Nov. 1 
Experiments are starting to probe the limits of the classical laws of thermodynamics.
熱力学の古典則野限界を探る実験が始まっている

It would take a foolhardy physicist to dare attempt to break the laws of thermodynamics. But it turns out that there may be ways to bend them. At a lab at the University of Oxford, UK, quantum physicists are trying to do so with a small lump of synthetic diamond. At first, the diamond is barely visible, nestled inside a chaotic mess of optical fibres and mirrors. But when they switch on a green laser, defects in the diamond are illuminated, and the crystal begins to glow red.
In that light, the team has found preliminary evidence of an effect that was theorized only a few years ago1: a quantum boost that would push the diamond's power output above the level prescribed by classical thermodynamics. If the results hold up, they will be a tangible boon for the study of quantum thermodynamics, a relatively new field that aims to uncover the rules that govern heat and energy flow at the atomic scale.
There is reason to suspect that the laws of thermodynamics, which are based on how large numbers of particles behave, are different in the quantum realm. Over the past five years or so, a quantum-thermodynamics community has grown around that idea. What was once the domain of a handful of theoreticians now includes a few hundred theoretical and experimental physicists around the globe. “The field is moving so fast I can barely keep up,” says Ronnie Kosloff, an early pioneer of the field at the Hebrew University of Jerusalem in Israel.
熱力学の法則を破る試みを敢行しようというのは、物理学者としては愚かな行為だ。しかし、それを曲げる方法があるかもしれない。英国のオックスフォード大学の研究室では、量子物理学者が合成ダイヤモンドの小さな塊でこれを試みている。まずは、その合成ダイヤモンドはほとんど目に見えないほどに小さく、光ファイバーと鏡の混沌とした状況においておく。緑色レーザーをオンにすると、ダイヤモンドの欠陥が照らされ、結晶が赤く輝くようになる。
その実験で、チームは数年前に理論化された効果の予備的な証拠を発見した1:ダイヤモンドの出力が古典的な熱力学によって規定されたレベルを上回るようになる量子増幅効果だ。もし結果が成り立つならば、原子スケールで熱とエネルギーの流れを支配する規則を明らかにすることを目的とした比較的新しい分野である量子熱力学の研究にとって目に見える成果となろう。
どのくらいの数の粒子が挙動すれば成立するのかという熱力学の法則が量子領域においては異なると疑う理由がある。過去5年ほどの間に、量子熱力学のコミュニティは大きくなってきた。かっては理論家たちの集団であったものが、今や世界中の数百の理論的かつ実験的な物理学者を含むようになった。Ronnie Kosloff, an early pioneer of the field at the Hebrew University of Jerusalem in Israelは、「この分野はとても速く動いているので、ほとんど追いつかない」と語る。
171103quantum-thermo-graphic

(つづく)

前原氏は政財界奥の院の組織の手先か?(2,藤原肇),雷による核反応

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝の霧と、刈入後の籾を焼く煙が 混じりあって漂っています。そこには、ばあ様たちが数人、籾の中に突っ込んだ芋が焼きあがるのを待っている筈です)
朝きりと籾焼き3476


 足元で どんぐり砕ける 秋の音 刈穂の籾で 芋焼くご婦人

 籾殻焼きの前を通りかかると、ばあーさんたちが「芋食ってけ」と、声をかけられることがあります。あいにく私は「芋、栗、南瓜」を「胸焼け御三家」と呼ぶほどに苦手としています。いつもこの接待だけは丁重にお断りしています。

 そうした、当地のばあーさまたち、おばさま達が昨日は着飾って舞台にドタドタとあがり美声を張り上げていました。そうです。昨日は当市・年一回の「市民音楽会」でした。老若女々が、そろいもそろってきれいなロング・ドレスをまとっての登場でありました。あれは新調なのか、去年も着たものなのかなぞと、余計な心配をしました。

+++++雷が起こす核反応
 表記について同一の事象を二つの新聞が報じています。

%%%%%(1)雷が大気中で核反応、反物質生む 京大など世界初観測 11/23(木) 3:00配信 
雷が大気中で核反応を引き起こし、自然界にほとんど存在しない反物質(陽電子)を生み出す現象を、京都大の榎戸輝揚特定准教授や東京大などの研究グループが突き止めた。世界初の観測成果として、英科学雑誌ネイチャーで23日発表する。
 研究チームは、雷の仕組みを解明するため、冬に雷雲が頻発する日本海沿岸に注目。新潟県柏崎市に、雷による高エネルギーのガンマ線の観測機器を設置した。2017年2月、雷雲が機器上空を通過した際、雷発生から0・05秒後までの間と、35秒後にそれぞれガンマ線を検出した。
 雷発生直後のガンマ線は、大気中の窒素の核反応で生成された中性子によるものとみられる。窒素の核反応では中性子ができた後に陽電子も生じることが知られている。35秒後の数値は約0・51メガ電子ボルトで、陽電子と電子がぶつかって消滅する際の特徴的な値と一致した。理論的に予測されていた雷による核反応と、反物質を含む雲が一時的に存在することを直接計測した世界初のデータという。
 今回、研究資金の一部を市民から募る「オープンサイエンス」の手法をとっており、榎戸准教授は「市民参加型の研究で最先端の成果を得られた意義は大きい。より多くの観測機器を配置し、全ての雷で核反応が起こるか検証が必要だ。将来的に落雷予測にもつなげたい」と話している。
■反物質 通常の物質と質量などが全く同じだが反対の電気的性質を持ち、物質と衝突すると消滅する。初期宇宙には、物質とともに大量にあったが、現在の宇宙にほとんど存在しないと考えられている。マイナスの電荷の電子とは反対のプラスの陽電子や、陽子に対する反陽子などが見つかっている。

%%%%%(2)雷による核反応を解明=新潟でガンマ線検出、京大など11/23(木) 3:02配信 
 雷で発生したガンマ線が大気中の窒素の原子核に当たって中性子や陽電子を生み出し、さらにガンマ線を発生させる反応を検出したと、京都大や東京大、北海道大などの研究チームが23日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
 検出は今年2月6日。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の敷地内4カ所に設置した高性能な放射線検出器で、沿岸に落雷があった際、エネルギーの高い電磁波であるガンマ線を捉えた。雷による原子核反応は理論的に予想されていたが、明確な証拠を得たのは初めてという。
 雷が起きると、大気中で加速された電子が窒素や酸素に衝突して最初のガンマ線が生じる。このガンマ線がさらに別の窒素に衝突し、中性子と不安定な窒素同位体(窒素13)が発生する。
 中性子は玉突きのように別の窒素に当たり、2種類目のガンマ線が発生。一方、窒素13は炭素同位体(炭素13)に崩壊し、その際発生した陽電子が大気中の電子と出合って消滅する際、3種類目のガンマ線が発生する。
 京都大の榎戸輝揚特定准教授によると、これらのガンマ線は雷から数百メートルの範囲でほぼ同時に発生し、一瞬の現象のため人体の健康には影響しないと考えられる。
%%%%%

 同趣旨の記事を二つ掲載したのには理由があります。
一つは実験場〔観測所〕の明記です。時事通信は「東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の敷地内4カ所」と明記しているのに対して、京都新聞は「新潟県柏崎市」とだけ書きます。二つの報道社の原発に関するスタンスの違いかなと「邪推」した次第。
 もう一つは研究資金です。京都新聞が「研究資金の一部を市民から募る「オープンサイエンス」の手法をとっており、榎戸准教授は「市民参加型の研究で最先端の成果を得られた意義は大きい。」と書いています。
 大学での主要な研究資金調達は、競争的資金である「科学研究費」です。これは政府が、用意し、研究者が提案する研究プロジェクトは審査機関である学術審議会 が審議し、その採択を決めます。毎年の採択件数は十万件余、採択率は25%強です 。
 つまり応募した研究課題の75%は排除されます。そこで登場するのがいわゆる外部資金です。企業などが大学に研究を委託するための「研究委託」などがそれです。近頃話題になっていた軍事研究などは、防衛省、関連軍事産業からの委託研究として研究者に提案されます。

 そして、最後に残されているのが、上記のような、文字通り市民が研究者に研究費を提供する仕組みです。IPS研究で世界一線を走り続ける山中博士がマラソンを続ける目的の一つがこの研究資金の獲得です。ここには軍事研究など、研究費提供組織の思惑は絡みません。

 最後の一つは、以下です。この実験成果は
英国週刊科学誌「nature」にも投稿されています:
この論文を日本語訳することはしませんが、使われている図は興味深いのです:
〔図:雷が引き起こす核反応〕
171124雷d41586-017-07266-w_15233236


 この核反応は古代史研究にもかかわってくるのではなかろうかと予想しています。現在、理学に強い関心を持つ考古学者が依拠するのは炭素同位体による古代遺物〔特に木、草、などの有機物系)の年代決定です(2013年4月1日記事)。
元素の起源は複雑です。(たとえばCNOサイクル)。何はともあれ、われわれが住む大気の主要な元素は窒素14、酸素16、炭素12です。窒素14に宇宙線の中にある中性子が衝突すると最も存在量の多い炭素12の放射性同位体である炭素14になります。この炭素14は極めて存在量は微小ですが、現在の質量分析器はその美少量を測定できるほどの技術革新を遂げています。上記過去記事でも書きましたが、炭素12の炭素14に対する地上での存在比は、少なくも直近過去数万年の間には変化が無いであろうと前提します。
 有機物の主要な担い手である生物がこの自然環境のなかで 生命の維持活動を続けている限りでは、外界との不断の交流が維持されているので、この存在比は、環境と違わないはずです。
ところが、生物が生命体としての活動をやめてしまった途端に、その存在比は変化します。なぜなら、生物体に含まれていたC14が放射改変し、いろいろな過程を経て窒素14に戻ってしまうからです。このC14とC12の存在比から、その有機物が外界との交流を絶っ手以来の年月を推定する。これが、古代遺物の年代決定原理です。

 ところで、上の図に登場するのは、炭素14ではなく、炭素13です。これは比較的安定な炭素同位体であるとされます〔ウイキより〕。しかし、ウイキの受け売りでありますが、これもC14の生成にかかわる。すなわち炭素13に宇宙線起源のプロトンが衝突するとN14が生成される。其れが炭素14の生成源となりえるからです。
つまり雷の多発がC14の生成を促すとすると、それに依拠した古代遺物の年代決定に偏りができる可能性があります。

というわけで、この実験を興味深くみています。                    
                    
+++++前原氏は政財界奥の院の組織の手先か?(2)
 前回は高野孟氏による前原誠司氏の考察を紹介しました。今回は、その世界史的な背景にまで考察を広げたもので、私には大変興味深いものです。大変長い文章なので、私の感想は書きませんが、筆者の指摘の多くに合点が行きます。
%%%%%翼賛体制の悪魔に挑む日本の選択
 『財界にっぽん』 2017年 12月号特別寄稿 第3弾 

フリーランス・ジャーナリスト、慧智研究センター所長 藤原肇
クーデタに見る歴史の相似象


 前号でクーデタによる独裁体制の誕生について、『ルイ・ボナパルトのブリュメール (霧月)18 日』を取り上げ、マルクスが皮肉を込めて書いた評論が、クーデタのモデルであると論じた。同じように、青木幹雄官房長官らの五人組が試みた、小渕恵三首相の脳梗塞を使って、密室談合で誕生した森内閣が、日本の民主制度に致命的な打撃を与え、清和会の独裁路線の誕生になった。
 その結果として国民を無視した、ゾンビ政権による暴政が続き、不正手段で手に入れた権力が腐敗し、悪事が露呈し人気が激減した。これを私は「平成のクーデタ」と名付けたし、「ゾンビ復活」の不幸を招いて、日本の運命を狂わせたことから、ファシズムへの行進に踏み出す、亡国へのファンファーレと捉えた。
 しかも、権力の維持が困難になると共に、次のクーデタの準備を始めて、安っぽい茶番のペテン劇を演じ、事実の隠蔽と嘘が蔓延する。それが国有財産の私物化を狙った、モリ・カケ疑惑の嘘を生み、首相への信用は限りなくゼロで、誤魔化しのための国難を作り、大義のない解散劇になった。
 権力者がプロットを試みる時は、過去に成功した事例を手本に、チャンスを狙って実行されるものだが、野党の民進党はガタガタで、新興の都民ファーストは準備不足だった。だから、安倍が強行した冒頭解散は、疑惑隠蔽の敵前逃亡と同じだが、絶好のタイミングを活用すれば、電撃作戦は成功すると思い、狡猾な安倍と官邸は計算の上で、私利党略の解散に踏み切った。
 行政が議会を制圧する暴挙は、議会制民主主義の否定だが、「小御所会議」を装うことによって、憲法違反だという議論に対し、朝議が関係したと誤魔化せる。こう考えた単細胞の安倍は、手本に「小御所会議」を使い、自分が歴史の主人公になると見て、姑息なクー デタに踏み切った。
 小御所会議は幕末期の国政会議で、1868(慶応3)年12月9日に行われ、日本史上特筆のこの政治事件は、藩兵が閉鎖する包囲網の中で、実現した「王政復古」のクーデタである。将軍の徳川慶喜の排除を狙って、主役の岩倉具視を大久保利通が支え、倒幕を大義名分に掲げた上に、朝議としての議論も行われたが、実態は独裁を樹立する八百長劇だった。
 新設の三職(総裁、議定、参与)が揃い、「王政復古」を実現したことで、明治政府はその正統性を認め、歴史における地位を付与したが、それは朝議という名分のお陰だった。だが、小御所会議での真の主役は、陰謀で権力を手に入れた岩倉や大久保でなく、被害者の立場を甘受しながら、将軍職から皇統に切り替えを果たした、徳川慶喜の深謀遠慮にあった。
 和宮降嫁で蟄居中の岩倉具視は、諸侯会議で放免され参与になり、無血クーデタを実現したので、復古朝廷の主導権を握って、明治政府の政策を在分に操った。 優れた洞察力や歴史感覚のない安倍は、岩倉を自分と重ね合わせ、手間のかかる朝議を省いた形で、小御所会議の解体に踏み切った。
 安倍が自分を岩倉具視に模して、クーデタをしたのは非近代的で、冒頭解散で朝議を省いたのは、中世を通り越して大古に遡行する、卑弥呼時代の支配の形態である。なぜなら古代律令体制の時代でさえも、法律に基づいて政治が行われ、律は刑法で令が行政法であると、中学生が社会科で習うのだし、近代には憲法が最高法規として、権力と人民の間で契約する形で、社会が成立しているという歴史がある。

憲法違反の冒頭解散と議会制度の扼殺


 近代民主社会は議会制度にあり、憲法に基づいた法治政治は、多数決の原理に支配されているが、多数派の権利は過半数が決め、その獲得原理が成否を決定づける。だが、重要事項には安全装置として、一国の命綱に相当するものがあって、それは憲法改正では三分の二が、国会の開催には四分の一という、マジック・ナンバーが存在しており、これが暴走予防のブレーキである。
 そして、臨時国会の召集ルールについて、日本国憲法の53条には、「いずれかの議院の1/4の要求があれば、内閣はその召集を決めなければならない」と書いてある。こうして開かれた臨時国会だが、首相の施政方針演説を省き、野党の質疑応答も行なわずに、安倍は冒頭解散を断行したので、朝議さえも否定した状態の日本の国会は、議事堂破壊に等しい凌辱を受けた。
 田布施出身で下関が地盤だから、安倍は染みついた長州意識で、小御所会議の解体を強行したのは、お粗末な歴史感覚に基づく、制度の卑劣な破壊行為だった。歴史の中に似たケースを探せば、ナチスが政権を得た2か月後に、ヒトラーが政権基盤を固めようと考え、総選挙をすると決めていて、その1週間前の1933年2月27日に起きた、議事堂の炎上事件の発生がそれだ。
 この事件には色んな説があって、何十冊もの本に書かれており、最有力はインサイド・ジョブ説であるが、ニュールンベルグ裁判では、計画の首謀者はゲッペルスだとされた。宣伝相の彼はSA幹部に相談し、10人の突撃隊員が地下道を使い、大統領府から国会に侵入して、共産主義者を放火犯に仕上げ、それで反対勢力の制圧を実行した。
 しかも、証拠隠滅として行われたのが、翌年夏の「長いサーベルの夜」で、突撃隊のレームを始め、SAの幹部数百人を粛清したが、その時に放火に加担した突撃隊員を殺戮して、400万人の隊員を持つ組織を始末した。こうしてチルドレン的な突撃隊に代え、先鋭の親衛隊の体制を整えて、ナチス体制を盤石なものにしたが、議事堂の放火による炎上事件は、その後のワイマール共和国の変貌に、極めて重要な役割を果たしていた。
 選挙では過半数を得なかったが、この放火事件を口実に使って、野党議員を国会から追放した上で、翌月に「全権委任法」を成立させ、ヒトラーは独裁政権を成立させている。「改憲はナチスから学べ」と言った、麻生太郎の卑劣な手口の呪いは、安倍の「小御所プロット」として、歴史の相似象の再現を生んだ。
 その後のドイツが辿った道は、日本の運命を示唆しており、ヒトラー内閣は共産党が反乱のために、議事堂に放火したと決めつけた。そして、翌日には緊急法令を公布すると、憲法の基本的人権を停止し、全体主義が始動したのだが、これに似たことが起きるだろうか。

朝議の扼殺と松下政経塾の遠望


 「小御所プロット」の進行とともに、策士の小池百合子都知事が「希望」を立ち上げ、凋落中の「民進」はそれに煽られ、党首の前原誠司がチャンスだと考え、最大野党の消滅工作を断行しようとした。前原が使った「トロイの木馬」が、持久型の戦法に属しているのに対して、刺客第一号を演じた小池の手口は、決戦型で派手な印象を伴っていたので、日本のメディアの関心を集め、一種の選挙ブームを巻き起こしたから、選挙民は途方に暮れて混乱した。
 だが、アメリカ仕込みの持久戦が、フリードリッヒ大王が起源で、CSISが得意にする戦い方であるし、小池が使う決戦型の戦法は、砂漠の騎馬軍団の戦い方である。女型の持久戦を前原が好み、男型の決戦法を小池が選び、雌雄を決した格闘の背後に控えるのは、歴史が支配する因縁である。
 それを理解するためには、前原代表を育てた政経塾の役割が、どのようなものだったかについて、国際政治のレベルで捉えて、考察をしてみる必要がある。冷戦構造が支配していた中で、「日米文化交流」の名目を使い、政界や財界に大きな影響を与えたのが、道徳再武装運動(MRA)であり、CIAのミッションを隠れ蓑にして、日本側で活躍したのが岸信介だった。
 しかも、共産主義から企業を守るために、MRAに共感した松下幸之助は、事業の理念にPHPを採用し、疑似宗教組織を職場に持ち込み、共産系の組合活動を抑えるために、労務対策の手段として活用した。松下幸之助が作った政経塾は、政治家を育てるための私塾であり、伊勢神宮参拝や自衛隊体験入学を含み、4年間を寮で団体生活をすることで、突撃隊の指揮官の養成を目指した。
 松下政経塾は茅ヶ崎市にあって、日常の教育はその施設で施すが、海外体験を与えて磨きをかけるために、卒業生を現実の政治に参加させ、優れた者をワシントンで仕上げていた。ジョージタウン大学のCSISは、政経塾の大学院に相当しており、『財界にっぽん』2011年11月号に、私は次のように紹介している。
 「・・・クリントン大統領も学んだ、ジョージタウン大学の中にある、戦略国際問題研究所(CSIS)の実態は、ナチス思想のアメリカ版地政学の砦だ。・・・CSISは世界戦略の中心であるが、そこに京セラの稲盛和夫(稲盛財閥)が、5億円(650万ドル)を提供して理事に納まった。だから、稲盛の関係で京都は皆がCSISに行く。・・・政経塾だけでなく小泉進次郎も、CSISの日本部長をやっていたマイケル・グリーンのラインでそこに入った。だから、アメリカの対日戦略の拠点として、ジョージタウン大学は注目しなければならない・・・」。
 この指摘が意味していることは、CSISがネオコンの拠点であり、その背後にはイエスズ会を媒体にした、MRA運動の道場の役目を果たし、ナチス思想と結びついているという点だ。また、京セラの稲盛が基金を出して、CSIS内に共同で設立したAILA(Abshire-Inamori Leadership Academy)は、アメリカの世界戦略と密着していると分かる。
 このデービッド・アブシャイヤー博士は、CIAと関係が深い諜報の専門家で、レーガン時代にNATOに大使として派遣され、ミサイル問題のプロとして知られている。しかも、CSISはナチスの生存圏の思想を作った、ハウスホーファーの思想を米国に輸入する目的で、この大学に作られたシンクタンクとして、地政学に基づく世界戦略を展開する。
 ハウスホーファーは地政学者で、日露戦争の頃に駐在武官として来日し、アジアの神秘主義に精通して、ドイツ学士院の総裁を務めた、ミュンヘン大学の教授である。また、弟子が副総統のルドルフ・ヘスで、『わが闘争』の口述筆記をしており、生存圏の思想がナチスに影響し、東欧諸国への侵略を促した。ヒムラーが作った親衛隊の組織は、イエスズ会を手本にしており、それがゲシュタポ体制を育てたし、堅固な全体主義の基盤になった。松下政経塾とナチスの親衛隊の間には、不気味な構図が見え隠れし、それが日本の民族主義の台頭に伴う、軍国思想と結びつくなら恐ろしい。

ネオコンが日本を操った時代


 小泉政権が君臨した時期は、手先の竹中平蔵の先導により。日本の政治がネオコンによって食い荒らされ、魑魅魍魎がしたい放題したので、私は「ゾンビ政治の時代」と名付けた。『小泉純一郎と日本の病理』を読み、詳細は思い出して貰うことにするが、続いて登場した安倍内閣は、ネオコンに手玉に取られてしまい、土下座と売国に明け暮れた、「ネオコン政治の時代」になり果て、その実態は『さらば暴政』に詳述してある。
 「ネオコン政治の時代」の伏流に、松下政経塾の第八期生として、CSISで弱肉強食の思想を学んで、政治家の道を進む前原がいて、自民党の右派より極端だから、ネオコンの有力な手駒だった。だから、使い慣れた自民党のよりも、野党の中に潜り込ませることで、「トロイの木馬」として活用する方が、両建て戦法に馴れた頭脳に取って、遥かに効果的だということだ。
 それは致命的な戦局において、「トロイの木馬」を使うことで、相手を殲滅する上での秘術であることは、ギリシア神話が教えているし、各種の戦闘がその歴史例を示している。だから、民主党から民進党をたどって、前原が演じ続けた一連の役割がどんなものだったかを知れば、それは自から明白になってくる。
 私はこの前原誠司という青年が、松下政経塾に学んだ理由について、前掲の『財界にっぽん』の記事で、次のような情報を披歴している。
 「・・・中曽根内閣の時に京都大学の高坂正堯教授が、政府委員会の委員長や委員を数多くやっていた。・・・彼が東京に出てきた理由は男漁り。この情報も外国の諜報機関の連中からです。・・・高坂の弟子が前原であり、高坂はエイズで亡くなっていて、京都では知る人ぞ知るですが、日本のメディアは一切報道していない・・・中曽根政権時代に海軍短現人脈が目立ち、男の友情が取り沙汰されたことがある。男の友情は秘密を守る口の堅さに由来し、情報関係における歴史のキイワードです。『スパイキャッチャー』などを読めば、ホモ人脈が重要な役割を演じていて、KGB,MI6,CIAという諜報機関を支配していた。そのことは『平成幕末のダイアグノシス』の中に、ヒントとしてそれを書いて置いた。だが、一般に日本の裏社会について、暴力団、同和、カルトの3つしか論じていないが、もう一つホモというのがある。これは世界で通用する言葉であるが、日本では分かっていても表には出てこない・・・」
 こんな予備知識があったから、民主党が政権を取った時に、この党に政経塾出身者が多いのに注目し、特にCSISと密着していたので、私は前原の動きに関心を払った。民主党の代表に前原が就任した時に、松下政経塾出身の政治家といえば、民主党に前原以下、野田佳彦、原口一博、玄葉光一郎がいて、自民には高市早苗、逢沢一郎などが所属していた。また、地方政治では神奈川県知事松沢成文を始め、横浜市長の中田宏や杉並区長山田宏がおり、この時期は全盛期に相当していた。
 菅政権で前原が国交相だった時に、尖閣諸島付近で漁船を取り締まり、中国人の船長を逮捕して、中国との関係を悪化させており、領有権問題に火をつけているが、前原はその責任も取らないで、外務大臣に就任した茶番劇が続く。これはネオコンが目指していた、米国の中国敵視策に沿ったもので、その後に石原慎太郎知事が示し合わせた形で、尖閣問題で取った挑発に繋がる。
 2011年12月に石原伸晃が「ハドソン研究所」で講演し、尖閣諸島を公的な管理下に置いて、自衛隊の常駐と軍事予算増大の発言をした。更に、半年後に伸晃の父親の石原知事が、「ヘリテージ財団」主催の講演で、東京都が尖閣諸島を買い取ると発言し、中国との関係を決定的に悪化させた。その背後にはネオコンの大物である、ポール・ウォルフォウィッツの弟子のルイス・リビーが控えており、リビーはハドソン研究所の上級副所長で、ネオコンが前原や石原親子を操った。

緊急事態の中で「トロイの木馬」が本領を発揮


 無能で未熟な民主党政権が崩壊し、再び安倍政権が復活を遂げ、したい放題の暴政に明け暮れたのは、壊滅状態で野党が自滅して、監視役が存在しなくなったためだ。だが、「驕れるもの久しからず」と言い、「権力は腐敗する」との譬えの通りで、安倍内閣は「モリ・カケ疑惑」を始め、首相や大臣の虚偽発言を手本にして、高級官僚がウソをつきまくり、国民の政治に対しての信頼は、落下する雪崩に似た勢いで、凄まじい状態で崩れ去った。安倍晋三への不信の高まりにより、内閣支持率が激減した時に、民進党の幹部の不祥事が続発。それをチャンスと判断した安倍は、冒頭解散という奇手を使って、朝議を葬ったのと同じ手口を用いると、議事堂の炎上に等しい形で、敵対勢力の排除を断行したのである。
 ところが、不法解散の衝撃を利用して、小池百合子は安倍の裏をかき、自らの権制欲を実現するために、泥縄的に政党「希望」を作り、凋落中の民進党に働きかけた。党首になったばかりの前原は、「トロイの木馬」としての目で、千歳一遇のチャンスだと判断して、民進党の解体を実行するために、「希望」への合流路線を打ち出した。
 野党第一党の民進党にとって、理念もない相手に吸収されて、中身のない新党の餌になることは、歴史に前例がない与太話だが、「トロイの木馬」が役目の前原にすれば、それは天の恵みの大博打だった。しかも、一足先に脱党して「希望」に駆け付け、小池都知事にすり寄った、長島昭久や細野豪志が我が物顔で、「踏み絵」を迫って粛清を試みた。
 「財界にっぽん」の2010年6月号に、「立川基地が地盤の長島昭久は、自民党の石原伸晃の秘書をやって渡米し、SAISのブレジンスキー教授のゼミで仕込まれた。しかも、ジョージタウン大のCSIS(国戦略研究所)やブッシュのネオコン政権でアジア担当として、日本を手玉に取ったマイケル・グリーンに従い、弟子になって帰国した長島は、民主党から出馬して議員になった。彼は防衛省の政務官に就任しているが、グリーンがどんな思想と行動の持ち主かを知れば、長島が時限爆弾になる危険性は高い」と指摘して置いた。
 長島は自民党に適した政治家だが、立川基地があった選挙区では、自民党議員は当選できないために、民主党に潜り込んでいた議員で、米国仕込みの安全保障論が得意である。
 この長嶋と前原のCSIS組は、ジャパン・ハンドが訪日すると、喜んで駆けつけることで知られており、ネオコンを除名しなかったことが、民進党にとって命取りになったのだ。だから、安倍が断行したクーデタで、議事堂炎上に似たことが起きた時に、前原と長嶋のコンビが呼応し、ギロチンを引き出したのだ。
 しかも、「トロイの木馬」役の前原は、民主党が持つ150億円という、政党助成金を代表として握り占め、それを「希望」に提供して、持ち逃げすることまで考えた。政党助成金の原資は税金であり、政党が公約を実現するために、国民が拠出した貴重な公金だから、勝手にばら撒けるものでなく、目的のために使わなかった場合には、国庫に返却する性質のものだ。
 権力奪取のバスに飛び乗ったが、狼狽えている前原を揺さぶって、資金を虎視眈々と狙ったのが「希望」で、その背後には小池都知事が控え、アラブ流の略奪が登場したのだった。「雌鶏時告げると家滅びる」と言うが、この中国の諺が教える教訓は、今の日本の政界を象徴しており、幼稚な雄鶏と驕慢な雌鶏の声に、鶴が死に白雲が消え「亡国の音(イン)」がする。

アラブ世界の蜃気楼の彼方


 学位をとって社会に出た私が、最初に仕事をした就職先は、アラビア半島の国土改造を請け負う、水についてのシンクタンクであり、私はサウジアラビアに派遣されて、現地主任を務める体験をした。鎖国していた中世的な砂漠の国で、飲み水を掘り当てる仕事は、それなりに興味深かったが、若いヤマニ石油相の知遇を得て、石油の面白さを学んだので、それが私の人生を大きく変えた。
 その後の私はオイルマンとして、カナダでは十年米国で三十年過ごし、最後の二十年はジャーナリストになり、世界を舞台に言論活動をした。最初の著書は『石油危機と日本の運命』で、十数社に断られたが出版になり、最初の半年は誰も読まなかったが、1973年秋の石油ショックの時に、ベストセラーになったお陰で、帰国するたびにメディアから、講演やテレビ出演の声が掛かった。
 その一つが竹村健一の番組で、帰国する度にコメンテーターとして、テレビに出演したときのホステス役が、エジプト帰りの小池百合子だった。彼女の父親についての噂や悪評は、中東諸国で良く耳にしたが、そんなことは知らぬ顔をして、竹村や小池百合子を相手にした私は、日本で進行していた状況を捉え、国内における情報探索の一助にした。
 『さらば暴政』の中に書いたが、父親の小池勇二郎に関しては、次のような形で彼の正体を報告している。
 「彼女の父親は勝共連合の支援で衆院選に出て、落選後に借金でカイロに夜逃げし、日本料理屋をやる傍ら、石油利権のブローカーとして悪名が高く、その関係で彼女はカイロ大学文学部に学んだ。・・・竹村健一の狎ち螢淵鵐肇瓩箸いΑ▲謄譽喩崛箸望靴れた私は、帰国の度に何回か出演したが、小池百合子は番組のホステス役で、番組前にコーヒーの接待を受け、私は彼女と何度か雑談をした。アズハリ大学はイスラム神学の最高学府であり、話のついでに『小池さんはアズハリ大学に行ったそうですね』とカマをかけたら、『藤原さんは何で中東のことに詳しいのですか』と唖然としていたのを思い出す」
 実は国士舘大学の空手部主将で、海外青年協力隊で渡航した、岡村秀樹がカイロに空手道場を開き、中東の警察や軍隊に教えており、彼はサムライとしてアラブ諸国で名高かった。私が岡村の名前を知ったのは、1970年代の石油ブームの時代で、アドマ油田の買収劇の時に、アラブの王族の一人から聞いて、酷いスキャンダルだと考え、それを『日本不沈の条件』に書いた。
 「BPが三分の二を支配するアプダビ・マリン・エリア(ADMA)の株を日本の財界グループが買った、1973年のいわゆるアドマ事件がそれである。BP所有株式の45%を7億8000万ドルで購入し、生産する石油と天然ガスの30 %を取得する取り決めには、いろいろと問題があった。
 第一は、当時9000万ドルくらいの資産評価額のものを、BPはドイツの国営石油会社のデミネックスに、2億ドルで売ろうとして断られ、次に日本人に話を持ちかけたら、何と帳簿価格の10 倍近い、7億8000万ドルで売れた」
 この話には資源派財界人と右翼が、石油公団を動かしかて試みた、利権漁りの構図が組み込まれており、この話の仲介役に空手の岡村がいて、その使い走りとして小池勇二郎がいた。アラブ世界は石油利権を巡って、魑魅魍魎が横行していたので、石油政治を理解するため以外、アラブ諸国を訪れなかったが、闇商人が暗躍したピークは、湾岸戦争の前後の頃であった。

アラブ流の妄言と韜晦術に弱い日本人


 三井物産が中心で取り組んだ、壮大な石油化学(IJPC)計画が、ホメイニ革命とイライラ戦争で破綻し、海部内閣時代のエジプトでは、三菱商事がプラント建設に取り組んでいた。数百億円単位のODA資金が、砂漠の砂の中に吸い込まれて行き、援助資金の三割のリベートに、政治家やフィクサーが関与し、騙しと裏切りが横行したのは、アラブ世界での処世術でもある。
 そんな世界で青年時代を過ごし、政治家に転身した小池百合子は、アラブ流の韜晦術を駆使すると、細川護熙元熊本県知事が野党をまとめて、日本新党代表から首相となった時に、比例区で彼女は初当選した。一緒に日本新党に参加したのが、政経塾出身の若手政治家たちで、その中に野田佳彦や前原誠司がいて、ある意味で「トロイの木馬」仲間であり、政変好みの政治家に属していた。


アラブ世界にご用心と言う筆者はアラブ型の女の野心を見抜く目を持つ



 だから、右傾女好みの安倍の目に叶い、第一次安倍内閣で小池は抜擢され、首相補佐官に就任しているが、そんな状況が注目を集めたので、『さらば暴政』に私は次のように書いている。
 「総花的で実力のない安倍内閣が登場した時に、論功行賞を期待した代議士たちを満足させようと、安倍晋三がメディア向けの目玉に使ったのが、子供蝙しに等しい首相補佐官人事だった。閣僚の数は法律で決まっているので、物欲しげな政治家を喜ばせるために、『令外の官』で権限のない肩書きをばら撒けば、総裁選挙の御祝儀代わりだと直ぐ分かった。
 経験豊かな民間や学界の実力者を厳選して、首相補佐官にするのが本筋であるが、小池百子(安全保障担当。衆)、根本匠(経済財政担当。衆)、中山恭子(拉致担当・民間)、山谷えり子(教育担当・参)、世耕弘成(広報担当。参)と、見識や経験も平凡な国会議員が圧倒的だから、人気稼ぎのパンダ人事だと一目で分かる。
 だから、「五人組の安倍レンジャー」とか、「お友達補佐官」と名づけて、日本のマスコミの多くはお茶を濁したが、外国のメディアは厳しい目で眺めており、特に、韓国の新聞は辛辣な批判をしていた。
 『朝鮮日報』は「右派の側近で固められた安倍内閣」と題して、組閣発表の翌日の記事で補佐官について、次のように論じていたが、日本の新聞が書けない指摘である。
 「小池百合子前環境相(54)は、昨年9月の衆議院総選挙で小泉首相(当時)の『刺客』第1号として『小泉旋風』を巻き起こし、自民党を圧勝に導いた、極右といわれる中川昭一政調会長(53)が率いる、『歴史教科書問題を考える会』の一員にもなっている。その経歴は安全保障分野とほとんど関係ないが、『サプライズ人事』で内閣への、国民世論の関心を引きつける効果が、予想されている・・・」
 日本のジャーナリズムよりも、外国のメディアの視線の方が、本質を見抜いているという事実を前に、残念なことだと痛感して、私はとても情けないと思った。だが、それから十年近くが過ぎて、当時より遥かに劣化した、日本の状況とクーデタ騒ぎを前に、こんな記事を書く自分が哀れである。

日本が避けるべき歴史の相似象の教訓


 小池百合子に初めて会ったのは、四半世紀以上も前だったが、その後タレント議員から大臣に出世し、更に彼女は東京都知事に選ばれ、安倍のクーデタの余波を受けて、「希望」を掲げる政党首になった。しかも、首相の座を狙おうとしているが、彼女には政治理念が欠落し、アラビア語と英語を喋る程度で、『人寄せバンダ』に過ぎないから、こうしたポピュリズムは悲劇を孕む。
 自分より劣る者に囲まれた、安倍チルドレンのお花畑には、微分法を発明したライプニッツについて、理解力を持つ者は皆無であるし、歴史の相似象を知る人もいない。しかも、思い上がった暴君の安倍は、岩倉具視と大久保利通を足して、自分と重ね合わせた妄想に酔い、小御所会議を炎上させている。しかも、計算違いの茶番選挙の結果、日本の政治は日本会議が望む、戦前回帰への道を辿ることで、日本列島がゾンビの楽園に、なり兼ねない状況に陥っている。
 生命を持つ真の存在の根源は、空間的な量ではなくて、質に関わる時間的な力にあるのに、多数の横暴に慣れた安倍は、過去を含み未来を表出する、今という時間の力学が分からない。だから、足し算と引き算しか出来ないので、安倍は時間を動的に捉えられないし、歴史の微分に思い及ばなかった。
 こうして議会政治がバラバラになり、選挙のスタイルが翼賛型を示し、「バスに乗り遅れるな」という気分が、国会議員の優先事項になって、主権者の国民は置き去りになっている。既に論じた通り安倍のクーデタは、議事堂の炎上に似た効果を生んで、ナチスが演じた過程に似ており、そこに歴史の相似象が読み取れるから、選挙後の政治地図が気にかかる。
 圧倒的な多数党が政権を取って、伝統主義と結ぶ独裁権力が、全権委任法を要求するようになれば、それから後は悲劇の道であり、安倍も小池も日本会議に連なるので、平和憲法の精神は扼殺される。決定打は「ニュルンベルク法」で、1935年9月15日にナチ党が制定した、「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」は、民族主義的な狂信を象徴していた。
 それを防ぐ道があるかと言えば、細川チルドレンが登場した時から、小泉や小沢を始め安倍チルドレンを経て、小池チルドレンに至るまで、政治家のレベルの低下は目を覆うが、頭を冷やし浩然の気を養いたい。選挙は戦闘行為に属しており、致命的な取りこぼしをしないことが、何にも増して大切だとは言え、指揮官や司令官が無能ならば、戦争は負けるに決まっているので、戦後における平和の大戦略が不可欠になる。
 そのためには大局観が必要だが、空間的に離れて構造的に見るか、時間的な機能に着眼することにより、生命として国家を捉えるかは、動態幾何学の証明法に属している。私が試みた一つのモデルは、「月刊・フナイ」の11 月号で論じた、エネルギー史観に基づく考察だが、ソフト・ランディングへの道がある。
 歴史の相似象の基本モデルは、見慣れたデカルト座標とは違う、ガウス座標によって示されるもので、社会現象を複素数で捉えて、歴史を動態幾何的に理解する。その具体例については、『教科書では学べない超経済学』に詳述したので、それを参照して頂きたいが、これは歴史理解の「虎の巻」である。
 21 世紀における産業社会が、第四次産業革命を前にして、大きく変貌しようとしているのに、日本の政治や経済の実態は、それに対応し得ないほど劣化し、生命力を消耗し続けている。「茹で蛙症候群」から脱却し、授けられた生命の価値を満喫するには、自分の頭で考えて判断を行う、ホモサピエンスに立ち返ることが、日本人に必要だということになる。        
※文中敬称略

筆者の横顔
藤原肇(ふじわらはじめ)1938年、東京生まれ。仏グルノーブル大学理学部にて博士課程修了。専攻は構造地質学、理学博士。 多国籍石油企業の開発を担当したが、石油ジオロジストを経て、米国カンサス州とテキサス州で、石油開発会社を経営した。コンサルタント、フリーランス・ジャーナリストとしても活躍。ペパーダイン大学(米国加州)の総長顧問として、21世紀の人材育成問題を担当する。
 処女作の『石油危機と日本の運命』(サイマル出版会)で、石油危機の襲来を予言したのを手初めに、『平成幕末のダイアグノシス』『朝日と読売の火ダルマ時代』『夜明け前の朝日』などで、ジャーナリズム論を展開した。『情報戦争』『インテリジェンス戦争の時代』などの情報理論もある。また、『賢く生きる』『さらば暴政』(清流出版社)、『生命知の殿堂』(ヒカルランド)、『小泉純一郎と日本の病理』(光文社)、『Japan's Zombie Politics』『Mountains of Dreams』(Creation Culture)など著書多数。
%%%%%

前原氏は政財界奥の院の組織の手先か?(1)、巨大地震議論(3)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:冷たい蓮池で水と戯れるセグロセキレイ。かわいい小鳥です。すずめと並んで人をからかう習性があるのだそうです。 背黒せきれい1711153438

 
我同胞 斯くも寛容 何故なのか 首相の犯す 国の私物化

 今般の解散・総選挙に至る経緯はじっくりと検証し、次世代にその教訓をしっかりと受け渡すべきと思っています。自らにすべての権力を集中させ、「一強」状態の下で私利・私欲で政治をもてあそんできた首相が汚辱のスキャヤンダルにまみれたのです。絶対・絶命の危機にあったにもかかわらず、半年以上にもわたって、疑惑追及から逃げまくってきたのです。こうした醜態を晒したにもかかわらず、選挙結果は国会内での与党勢力の数に変化をもたらさなかった。先日の国会で安倍氏が言い放った言が「これまでも丁寧に説明したきた」!!であります。驚くべきはこんな国のトップに「仕事ができるから」なぞと、わけのわからない理屈で自らを言い聞かせ、支持を表明する。こんな馬鹿なことが、他国では起きるのだろうか?

「同じ轍』を踏まない。これがキーワードです。背後の米国・ジャパンハンドラ〔米国にあって日本の政治動向を左右する人物の集団、と言われています〕の黒い仕掛けの筋書きで動いたのであるから仕方ない、抗っても無駄なんぞの分析では、日本国の我同胞・国民は救われません。

 政治ジャーナリストの高野孟氏が今般の総選挙で奇怪な動きをした前原誠司氏を分析しています。少し長いのですが、ここに転載しておきます。表題で(1)と,書いたのは米国在住の政治評論家が「財界日本」という雑誌で、別の視点から書いている議論を次回に紹介したいからです。

 私の学生時代は日本労働組合総評議会〔通称「総評」〕が日本の労働運動を仕切っていた時代でした。その「総評」の最左派に位置した「全国金属労働組合」〔通称「全金労」〕の議長が高野実氏です。高野孟氏は父親・実氏の薫陶をえて1990年ごろまで共産党員であったとのことですが、同党の「民主集中性」なるものの「非民主的」ありように疑問を呈し、その頃に除名か除籍処分を受け、以後はジャーナリズムの世界に飛び込んだと聞きます。この世界で、もっとも影響を受けたのが目玉ギョロリの田原 総一朗氏であると、自らのエッセイで書いていたのを目にしたことがあります。
 私の田原氏への評価は報道界遊泳術(『電波芸者』と呼ぶ人もいる)に長けた人物というものです。そうした人物に深謝をささげる「転び左翼」であると、高野氏を見てきました。しかし、下の考察は面白い。今後の「民(たみ)がお上の政〔まつりごと)に抗う」うえで必要な視点がとらえられていると思った故です。さらには文尾で、かっては自らが所属した共産党への提言を書きます。私も似たようなことを近日中に書きたいと思っていますが、共感するところが多い。

+++++今般の総選挙を振り返る(1)
%%%%%なぜ前原氏は民進党を破壊したのか。裏ミッションの可能性を読む
2017.11.20 高野孟『高野孟のTHE JOURNAL』 まぐまぐニュース
一部では、先日の衆院選総選挙で自民圧勝を許した「戦犯」とも言われる前原誠司前民進党代表。ジャーナリストの高野孟さんは自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、小池ブームにあやからんがために党首自らが民進党を「粉砕」した責任は重いとして政界から去るべきとする一方、前原氏に改憲派から何らかのミッションが与えられていた可能性を指摘、さらに無党派層の新たな受け皿となった立憲民主党を軸にした野党の再構築を進めるべしという持論を展開しています。

、9条加憲論の発案者であり、また「共産党=シロアリ」論を平気で公言するほどの反共派である前原氏が、民進党の代表になった。どこか奥の院の方から、9条改憲反対、安保法制廃止の方向での野党+市民=統一戦線を民進党ごとブチ壊して、小池氏と合流して第2改憲政党を作れというミッションが彼に下されたとしても、不思議はないのである。

しかし立憲民主党が残った

安倍首相や伊藤氏や前原氏にとって最大の誤算は、立憲民主党がヒョッコリ出現して、何といきなり野党第一党に躍り出たことにより、「統一戦線」の再構築の可能性が残ってしまったことである。しかも、民進党の癌であった前原氏はじめ細野豪志氏、長島昭久氏、松原仁氏らゴリゴリの反共派や親米派はこぞって希望へ走って、立憲民主党は今までより遥かにスッキリしたリベラル政党として生まれ変わることができたので、野党協力は構築しやすくなった。

もちろんそれは簡単なことではなく、枝野幸男代表ご本人にしてからが、一般論として野党協力の有効性を十分に認識してそれを推進していく立場にはあるものの、自分の後援会の中心には共産党嫌いの保守派がいて、「共産党と選挙協力をするところまでは目をつぶるが、お前がさいたま駅前で志位委員長と並んで選挙演説をするのは許さない」とまで通告されているとボヤいているのを、聞いたことがある。

しかし、実はこの総選挙でも共闘効果は現れていて、典型例は高知2区。自民党の山本有二=前農相に対し、元民進党参院議員の広田一氏や共産党候補が挑む形だったが、共産が候補を下ろして広田氏に一本化した。前回結果に基づく基礎票は、

・自民30.66+公明16.09     =46.75%
・立民17.29+共産13.44+社民1.88=32.61%

で、事前の予測は当然、「自民優位」だった。が、蓋を開ければ

・広田:9万2179票(56.48%)
・山本:7万1029票(43.52%)

で、野党統一候補の大勝。山本氏は辛うじて比例で復活した。

こういう結果となった要因の第1は、共産党の協力の徹底ぶりで、同党支持者の何と! 100%が広田氏に投票し(朝日出口調査)、また広田陣営のビラ11万枚のうち10万枚を共産党が配った(赤旗報道)。

第2に、立民支持者の94%、希望支持者の81%、無党派層の69%が広田氏に投じた。面白いことに、希望の候補者が出ていないとその支持者はほとんどためらいもなく立民に投票するらしい。立民は無党派層にとってまるで抵抗がない。

第3に、最も注目すべきは、自民支持層の24%、公明支持層の30%が広田氏に投じたことである。この朝日出口調査の数字は、与党にとってはかなり衝撃的なもので、自民・公明支持層の4分の1ないし3分の1近くが立民に投票する具体的な理由までは分かっていないが、安倍首相のモリカケ疑惑への不誠実な対応とか性急な改憲論とかを嫌がっている人が多いと想像される。自民・公明に気に入らないことがあれば、我慢せずに立民に入れてしまうというそのビヘイビアがあることが、これからの1つの見所になる。

これに対して高知1区は、民進県連の副代表だった大石宗氏が希望から出て、もちろん野党協力には反対なので共産党も候補を立てた。相手は元から強い中谷元=元防衛相で、中谷氏8万1,675票(53.6%)、大石氏4万5,190票(29.7%)、共産2万5,542票(16.8%)と野党の大惨敗だった。

この高知1区と2区の結果に、分析すべき多くの問題点が含まれている。

京都の結果も面白い

とはいえ、共産党など野党との協力だけが立民党の生きる道なのかと言うと、そういうことでもない。そこが前原氏が一番分かっていなかったことである。

京都はそもそも自民も民主=民進も共産もそれなりに強くて、勢力拮抗的な政治風土である。

ここでは今回、立民は小選挙区で1人も候補者を立てず、従ってまた他党との候補者調整も行われなかった。それに対して希望は全区で候補者を立てた。にもかかわらず、比例票の出方を見ると、

自民:31.2
公明:10.6
─────
立民:18.1
希望:14.3
共産:14.1

これを見て、京都で立民が候補者を立てていないのに比例で野党第一党であるというのが驚きである。しかも、京都新聞の出口調査では「最も重視すべき争点」の第3位に「憲法」がランクされていて、こんな都道府県は他にない。改憲への姿勢で立民と希望の差が出たのだとすると京都の有権者はレベルが高い。

以上の高知2区、京都全区の例を通じて浮き彫りとなる1つの問題点は、共産党が今までの独善主義を改め、党勢拡大のバロメーターとして全選挙区で立候補するという全く無意味な選挙戦術を止めて、当選可能性のある野党統一候補を推すというのは、とてもいいことであるとは思うけれども、それによって自党が直接得られる票が大幅に減ってしまって、比例での同党候補の当選に結びつかないということが起きるので、それへの反対論が党内でも起こるだろうということである。

しかし、野党共闘を止めれば共産党の票が増えるのかと言えば、そんなことはない。この間の同党の一定の増勢は、民主党〜民進党の何やらハッキリしないムニャムニャ状態が続く中で、「しょうがない、共産党に入れるしかないか」という消極的というか、本物の野党第一党が不在であるが故の代替的な支持が過半を占めていたのであって、立民が真正リベラルという風で出てくるとそちらに流れるのは仕方がない。

その流出を止めて、同党が恒久的に囲い込もうとするのであれば、社会主義から共産主義へという綱領的理念をいまこの時点で国民にどう説明し納得してもらうのかという至難の業に取り組まざるを得ない。それをしたくないのであれば、イタリア共産党がそうしたように、さっさと共産主義を捨て綱領を改め党名も変えて、リベラル政党の一種として現実政治に関わらなければならない。

共産党がそこに本気で取り組むのであれば、立民党との間を基軸とした野党協力、その先の連立政権による政治転換が現実味を帯びることになろう。

image by: 小池百合子 − Home | Facebook


『高野孟のTHE JOURNAL』
著者/高野孟(ジャーナリスト)(記事一覧/メルマガ)
早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。
%%%%%転載おわり

 
+++++巨大地震群が地球に与えるインパクト
 前回記事で以下を書きました:
 ”2004年スマトラM9巨大地震が発した巨大表面波〔地震波の一つ〕が、米国西海岸のサンアンドレアス巨大断層の一角を揺さぶった。その結果、微小といえども、その地に地震活動が引き起こされた”と。
 同様が、熊本県北西部でもおきたらしい。ここでも巨大な地震波が熊本を揺さぶり、結果として地震活動が引き起こされたことを明瞭に示す図を掲載しました(11月20日記事)。

 そこで、私が、フト思い出したのがスマトラ地震の発生した翌年の三ヶ月後の3月20日に九州玄界灘で発生した地震です( 福岡県西方沖地震 )。この地震は大宰府から北西に走り玄界灘に突入する「警古(けご)断層」の北端〔海側部分)が活性化したとされています。話は脱線しますが、この警固断層の走向は、私の古代史論でしばしば登場する「シリウス方位」です。もしかして、これは西域渡来人が掘削した総延長50kmにも達する「カハス」(暗渠)ではなかろうか、なぞの妄想をしないではありませんが、それは脇においておきます。

 そこで、図のような領域での地震活動を眺めることにします:
〔図1:2004年12月1日から翌年3月半ばまでの九州界隈の地震活動。データは気象庁)
171122smap無題

  図中の二つの矩形 ↓△砲弔い討修涼録務萋鮎況を以下に調べます・
(図2: ↓△任涼録免生頻度分布)
171122無題

 △任蓮▲好泪肇薺霏臙録未能峇崚に地震活動が活性化されたことが明瞭に認められます。米国西海岸でおきたと同じことが、この九州で起きていたのです。そこで、こうした励起が更なる大きな地震、この場合には2005年3月20日の九州北西地震の前兆になったのかどうかを調べたものが上の図です。確かにスマトラ地震に呼応下と思える地震数の増加は認められますが、周囲の地震活動空隔たって顕著というわけではなさそうです。そして其れが2005年3月の地震の前兆になったとは判別しがたい。
〔図3:九州下に潜り込むフィリッピン海プレートとそこで起きる地震活動の時間分布〕
171122南海プレート沈み込み無題

 確かに九州下にプレートなるものが厳然と潜り込んでいるらしいことが見えます。
 上記の計算、具体的には地震を検索し、それを元にしかるべき作図をする工程を以下に示しておきます:
〔図4:計算工程、気象庁ファイルから抽出した30万弱の地震から7000強の地震を選び出して作図するのに要する時間は約90分です。SCILAB科学計算用ソフトを用いている)
171122計算例無題


 上記についての、更なる詳しい考察は後日することにして、話を元に戻します。表記の問題意識を解明するために巨大地震の波動解析がもたらす地球へのインパクトを一つの座標系でまずは記述しようというわけです。地震モーメントなどのスカラ量は観測点近傍の座標系に拠らない。すなわち、座標に対して不変です。が、波動解析からはさまざまなベクトル量、テンソル量が算出されます。それらをまずは地球に固定された座標系で記述することから作業が始まります:

 地球表面上のある点〔緯度、経度で表される〕で観測・計測または算出されるベクトル量は、その観測点におかれた座標系上で表現されています。たとえば、本ブログでもしばしば登場するGCCS Global CMT Catalogue Searchは 指定された地震について次のような表を出力します:
〔表:CMT解の出力例:上から9行はGCCS からの出力、残る行はその出力から現ブログ管理人が算出した〕
171122GCCS無題

 
 上から六行目に moment tensorなる6つの数値列があります。これはテンソルと呼ばれる量ですが、それは地震源に固定した座標系に依存した量です。四行下に、その数値列がそのまま登場しています。その個々の量の成分は(rr, tt, ff, ・・・)であることがそこからわかります。ここで(r,t,f)とは観測点を原点とした座標系です〔図5参照〕。言葉を変えると、このテンソル量はまさに地震源に座標系をおいた、座標系に依拠して算出された量なのです。したがって、このテンソル量を他の場所で発生した地震のそれらと比較することはできません。すでにお分かりのように、拠って立つ座標系が異なるからです。
〔図5: 座標系の変換〕
座標系3464

 地震はあちらこちらで発生し、それぞれが固有の座標系の元でモメント・テンソル量を持っています。それらを比較できるようにするためには、すべてを同一の座標系に換算することが必要になります。その座標系として上図に見るような座標系を使います。グリニッジ子午線と赤道との交点と地球の中心を結ぶ線をx軸と定め、地球の中心から北極に向かう直線をz−軸と定めます。物理学では右手ー系を用いることが約束されていますから、自動的にy-軸は、東経90度の子午線と赤道が交わる点を地球の中心から引いた線で表されることになります〔上図参照〕。

 地震発生地のいわばローカルな座標系を統一座標系に変換する作業は下の数式で与えられます:
〔図6:座標変換公式、ただしシータは実際の緯度ではなく。北極点からの角度に変換したものが使われる〕
171122座標変換無題

いくつか 二・三例を示しておきます:
〔図7:座標変換の例〕
171122座標系


図の,了例は緯度0度、経度0度の地点〔ガーナの首都アクラの南方500kmほどの地点)で仮に地変動が上方向に1cm変動した場合です。局所座標系ではそれはx−方向に1cm、他の方向には0cmの変動となります。これを地球に固定した座標系で表現すると地表の変動はx−、y-
方向には変動せず、z−方向にのみ下方向に1cm移動したことになります。
さて、数学的準備をいよいよ次回に実践です。
(つづく)

常陸国風土記香島郡の条(2)、巨大地震(3、変動比較)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:四日前の日の出直前です。水墨画の風景です。東のほうに突然、そびえる山岳が出現したのであります。「関東平野に天変地異の大異変が出来し、ついに・・・」と、恐怖した次第です。思えば、当地の東方は、現在考察を進めている鹿島があります。香島の神による「よしなに書くように」との挨拶かなと。)
関東平野の山岳3434


極寒の 秋に震える 小鳥たち さぞやどこぞの 塒でヌクヌク

 関東地方は41年ぶりの厳寒の秋だそうです。毎朝、がんばって起きてはいますが、寒さで挫けそうであります。小鳥もここ数日ひっそりと静まりかえっています。ここぞとばかりに鴉が我が物顔で吼えております。

+++++
 前回記事で書いたように常陸国風土記編纂の現場責任を負う国司〔多分〕は、さぞかし困惑したであろうと想像しています。鹿嶋には、実体たる権力が厳然と存在していたことは、本ブログを書いている西暦二千年代の現在もそれを検証できます。ましてや、記紀、あるいは風土記を編纂する作業は、鹿嶋に渡来人の陣屋が設営されてから高々300年弱しか経過していません。当然、住民の見聞、体験は無数にあった。それは十分に風土記編纂の基本材料となった筈です。しかし、鹿島に陣屋を設営した主人公は藤原不比等の不倶戴天の敵です。その住民の実体験をそのまま書くわけにはいかなかった。

 この鹿嶋の地の征服こそが、真の日本列島制覇であった。それを成し遂げたのが藤原不比等の一族であったことを当時の奈良の支配階級一族に強く刷り込まねばならない。そんなややこしい役割を、この鹿島郡の条記述者は担わねばならなかったのです。

 まずは常陸国風土記の序章、すなわち先行する五つの郡の記載です。すでに征夷討伐軍の侵攻経緯と経過は文書として奈良の中央政権から提供されていたはずです。その文書の記載にしたがって風土記を書き進められたのです。
 であるからして、本ブログでは、常陸国風土記での郡の記載順序は、古代史解明の重要な手がかりをなしていると私は指摘したのです。すなわち、奈良から派遣された「征夷討伐軍」は常陸国の占領が目的であった。常陸の国への侵入は、現在の利根川を挟んだ南の下総国からではなかった。いきなり、それ敵の本陣に攻め込むには、いかにも敵は強大であったのです。そこで、迂回し西の毛野国から侵入したのです。具体的には後の下毛野国の東縁から常陸国の西縁で新治郡にまずは侵入した。それは、鹿嶋および鹿嶋の防御を固める行方群から もっとも隔たっていたことがその理由です。以後の進軍経路も、行方、鹿嶋を取り巻くようにとられているのです(2017年1月18日 )。
 侵略軍が予期したとおり、鹿嶋の最強の防衛陣を引いていた行方郡で激しい戦闘が展開されたのです。奈良からの追加部隊の応援を経て、何とか行方を制圧し、北浦をはさんで鹿嶋と対峙できる場所に陣屋を敷いたのです。その地が「大生」〔おおう〕です。そこで、船による渡浦も準備されます。
 以上が、本ブログで書き綴ってきた奈良征夷軍による東国征討シナリオです。この筋書き、この戦況展開を語った学者さんは皆無です。それほどに日本列島の古代史は「意図的に」支離滅裂状態に放置されていたということです。そしてその、放置されていた支離滅裂な日本列島古代史を解く鍵が西域からの渡来人の存在であることを、本ブログでは繰り返し指摘してきました。それを前提することで以って、もつれた糸がほどけるように諸々が整理されます。


2010年1月1日記事および同年1月18日記事 で私は五世紀末に鹿嶋の地に西域渡来人の陣屋が設営されたことを書きました。それは、上にも書きましたが、現時点でも何人〔なにびと〕であれ、それを検証できます。日本列島に地理的に厳然と現存しているからです。この議論は次回にその詳細を新たな視点から論ずることにします。ここではさしあたり鹿嶋の条の冒頭を見ることにします。
〔図、常陸国風土記、香島郡の条、冒頭部分、拡大は二回クリック)
行方最終節


 まずはタイトル「香島」です。「香」は、後に書く〔あるいは日本書紀にも登場する〕「香々背男」の「香」に由来します。これは、そもそもは「コウ」であった。強く息を吐いて発音すると「カガ」と聞こえます。その良く知られて事例が万葉集十三歌です。
%%%%%万葉集・巻01/0013歌
題詞:"中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>",
原文:"高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉",
"香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき","かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき","なし"
%%%%%
 この歌の歌意についてはすでに2009年7月10日記事 で書きました〔若干の修正は碑地用途おもっていますが〕。さて歌の冒頭は「高山波」で始まります。そして古くよりこの歌の訓は「香具山」であり、仮名読みは「かぐやま」でありました。
 これは「高」〔こう〕が、そのまま「こう」と聞こえることもあるが、時には「カグ、カゴ、カガ」と聞こえる、あるいはそのように発音することがあることをゲンダイに生きる私どもに教えています。この発声は西域に由来することを元衆議院議員で経済学者の栗本慎一郎氏が指摘しています(2012年7月18日記事〕。

 脱線しますが、鹿児島は、多分「コウしま」すなわち「カシマ」と同じ呼称であったことがわかります。言葉を変えるなら、カシマに陣屋を設営した一族が西進し、現在の鹿児島に達したと想像できます。同様は現在の石川県「加賀」です。これも「コウ」であったはずです。

 さて、本文の冒頭が孝徳天皇の御世に「中臣某」が他の人物と謀ってここに“神の郡をおいた”なる記載で始まります。いきなり、歴史の本質を避けてしまっているのです。奈良中央政権の差し金でしょう。なぜなら、現地の民が、それなりにしかるべく郷土史を承知していることは、行方郡、筑波郡の記載などから見て取ることができるからです。しかし、それはかけないのです。次はそこに住まわせる神々です。
(つづく)

+++++脱線の続き(3、巨大地震)
 11月10日記事 で以下を書きました:
「2004年12月26日早朝〔現地時間〕、M9クラスの巨大地震がインドネシア・スマトラ島南西沖で発生しました。その発生時刻から数時間後に米国西海岸サンアンドレアス断層のとある場所で、突然微小地震活動が出現したことを米国の地震学者が気付いたのです。その原因を地震学的に多方面から調べてもその起因力が判明しない。唯一考えられるのが数時間前にスマトラ沖で発生したM9クラス地震である」
と。その地震学者と氏の同僚研究者たちは、スマトラ地震が励起した地震、この場合は周期の長い、そして振幅の大きいレーリ波が、サンアンドレアス断層近辺の当該地を揺さぶり、其れが微小地震の活動につながった、との結論に達しました。

 ところで、日本列島はスマトラ島から米国西海岸に向けて走る地震波〔表面波〕の通り道です。しかもこの方角では、レーリー波〔表面波の一つ〕振幅が最大になります。とすれば、日本列島のどこかでも、スマトラ地震によって引き起こされる地震活動があったのではなかろうか?と、考え気象庁のデータベース を穿り返しました。そのデータから得られたものが下の図です:
〔図 スマトラ地震直後に熊本で発現した小地震活動。詳細は11月10日記事 を参照、拡大は二回クリック〕
171110HistEFGH無題


 確かに、明瞭な微小地震活動の励起〔induce〕が上の図に認められます。しかし、あわせて確認せねばならないことは、どこでも、同じ条件が満たされれば地震活動が起きるわけではないことです。どうやら「感応(官能ではない)スポット」があるようです。さらには、この「感応スポット」が刺激されたから、次に規模の大きい地震が発生するわけでもなさそうです。

 11月10日記事で、米国の地震学者さんたちは、地球上のM8クラスの地震もその多くは周囲の巨大地震に「induce」されて発生しているのではないかとの仮説を語り、それらしき証拠もあると、語っているそうです。
 少なくも1940年以降のM7.8を超える地震についての私の調査ではそうした『連関』を思わせる現象は見出せていません。しかし、個々の巨大地震が地球に対してどのようなインパクトを与えているのかを見ることが、もしかしてsuggestiveな何がしかの手がかりになるやも知れません。

 そこで、ジャーナリズムに頻繁に登場する村井俊治氏のアプローチ〔そういえば、このところ、新聞・雑誌に登場しませんが〕を取り入れることにしました。GPS観測データは、その地点での東西・南北、上下変動値として与えられます。地球が平坦であれば、どこにあってもその東西・南北・上下の向きは変わりませんから、異なる地点での観測変動値をそのまま比較できます。
(図:左は平面上の異なる二点A,Bで観測する地表の変動。どちらも上下変動であれば、それらはそのまま比較可能:右は球表面での異なる二点A,Bの変動。どちらもそれぞれ地点では紛れも無く承元変動であるが、地球の外から見ているとそれらの変動の方角は明らかに異なっている)
CIMG3455

 ところが、実際の観測は球形である地球表面でなされています。上の図は点Aと点Bで観測した地殻変動の例です。どちらもそれぞれの点では上下成分のみが計測されました。ところが地球の外でA,Bでの地表変動を観測している人には、地表は明らかに異なる動きをしています。村井俊治氏はこのことを問題視して、地表面変動を、地球に固定した座標系で見た変動に変換しそのうえで、その変動を比較したのです。その発想は大いに賛同できるのですが、地球の全表面に比して、日本列島が覆う表面は小さい。したがって、列島内でのそのような変動補正比較は全体の論議には多分大きな影響を与えないでしょう。

 ところが、地球全体にわたる地学変動では、場所が異なればその地球への『変形』作用といった変動は大いに異なってきます。

この比較を可能にするためには、地表面で計測・観測された変動を地球に固定した座標系で書換えねばなりません。そうしてこそ、異なる点での計測量が比較でき、かつそれらが変換後の量であれば、重ね合わせもできます。
そこで、次回その書き換え作業の数学的準備を書きます。

 余談でありますが、本ブログでは地震初学者にとって理解し辛いと思われる「発震機構」解について折に触れ解説してきました。本ブログの読者にとっては、実は評判が悪くないのであります。気象庁のHP には、それについて震源球と言った仮想の球空間を導入して解説するのですが、それを「何故導入せねばならないのかが良くわからない。本ブログは読者の痒いところに孫の手をさしだしてくれる」なんぞのご意見が届きます。ここまで興味を持ってくださる読者は多くなかろうとは思いますが、それは書くものには励みとなります。というわけで、次回は、その「座標」の話から始めることにします。
(つづく)

+++++日米関係
(図:日刊ゲンダイより、拡大は二回クリック)
日刊ゲンダイ紙が現在の日米関係の実相をかいています。 
171120日米協定2988

何故、鹿嶋郡の条が存在するのか(1),ショパンの死因(nature誌)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:夜明け前、なんと月が寝そべっていました。月齢は二十八。つまり超高齢ということです。それにしてもなんともだらしない格好ですな〕
二十八月3440


寝そべって 雲をどけよと わがままを いいよる月は 二十八夜也

+++++何故、鹿嶋郡の条が存在するのか(1)
 老いると、これも書きとめておこう、あれも書き留めておこうなぞと欲張ります。実際、イラクの地震の話しは今書いておかないと古くなるといった出来事もあります。そのために、常陸国風土記の話を休んでしまいました。11月10日記事 ではまず、風土記全般の概要、とりわけその構成を書きました。風土記編纂が構想された時期に、「焚書」日本列島古代版が発布されたとの続日本紀の記事を紹介しましたが、その意図についての考察を済ませていません。今日はそこから話を始めます。

 風土記の編纂が藤原不比等が構想してきた日本列島政治史〔古代から現代まで〕の肉付け・裏づけであるとするならば、宗像神社、大宰府を抱える筑紫国、壬申の乱の痕跡を多くとどめる肥後国は不可欠なはずです。また藤原不比等がこしらえあげた「天照大神」なる新興宗教の拠点である『伊勢国』も同様です。しかし、これらの国の『風土記』は「逸文」扱いで、”断片しか残っていない”とされています。そんな筈はないのです。記紀の記述する歴史観に整合する記事が期待できる国だけとなるとわずか五国しかなかった。これこそが「焚書」の真相であろうと思っています。そうなると、この五国についても、その背後に藤原不比等の隠された政治的思惑があると見なければなりません。

 なにやら昨今の「もりかけ」蕎麦スキャンダルそのものです。あったことが無かったことになるのです。さらに付け加えるならば無かったことをあったことにするために編纂されたのが風土記と考え宇部紀でしょう。
 たとえば播磨国風土記です:この地は、仁徳天皇の舞台と、記紀は描き出します。しかし、この文書の考察から導かれる結論はこの人物の実在性です。すなわち応神天皇同様、藤原不比等の史観から創出された人物なのです。それを実在したとして記紀の記述の説得力を高めるには風土記の編纂が必要であったのです。そのように考えると、出雲国風土記の記載量が最大であることに、藤原不比等のメッセージを嗅ぎ取る必要がありそうです。なんせ、奈良の狭い閉じ込められた盆地空間に九州の箱庭(ミニチュア)を造成するなどをしてのけた人物です。この記載に何がしかの仕掛けが施されていると私は見ています。今後の調査課題です。

 当然、こうした冷めた目で常陸国風土記も眺めねばなりません。東国に頻繁に東夷征討の軍勢を奈良の権力は派遣しています。それは、倭武命であったり、崇神天皇であったりです。これらの人物を中央政権が東国に派遣していながら、それについて、その事跡を補強する現地からのレポートが無い。これは藤原不比等の政治的思惑の実現に差し障りかねません。
 どの国を取り上げようか?建身名方命を追い詰めて幽閉したとされる信濃(科野とも表記される。科〔とが〕人の地)、仁徳天皇の想い人とされる「毛長媛」のおられた「毛野国」も当然候補です。しかし、倭国を語る上で中臣一族の貢献を欠かすことはできません。不思議なことに、それは記紀では語られていないにもかかわらず、歴史家の多くが鹿嶋と結びつけて論じます。この中臣なる姓は藤原鎌足が賜ったことから、鹿嶋の地は藤原の地ともなってしまったのです。
%%%%%日本書紀より転載
原文:
《天智天皇八年(六六九)十月乙卯【十】》◆冬十月丙午朔乙卯。天皇幸藤原内大臣家。親問所患。而憂悴極甚。乃詔曰。天道輔仁、何乃虚説。積善余慶、猶是無徴。若有所須。便可以聞。対曰。臣既不敏。当復何言。但其葬事、宜用軽易。生則無務於軍国。死則何敢重難。云々。時賢聞而歎曰。此之一言。窃比於往哲之善言矣。大樹将軍之辞賞。〓[言+巨]可同年而語哉。
十月庚申十五日、天皇遣東宮大皇弟於藤原内大臣家。授大織冠与大臣位。仍賜姓為藤原氏。自此以後。通曰藤原内大臣。
十月辛酉十六日。藤原内大臣薨。〈日本世記曰。内大臣春秋五十薨于私第。廼殯於山南。天何不淑。不憖遣耆。鳴呼哀哉。碑曰。春秋五十有六而薨。〉

文意概要:
中臣鎌足(内大臣)が病に倒れた。天智天皇は心配し手厚く見舞ったが、どうやら助からないらしい。見舞いの五に語の十月十五日に大臣に賜姓為藤原氏。以後、自此以後。通曰藤原と呼ぶことになった。翌十六日その鎌足が死去した。
%%%%%
 と、いうわけで、何とか、鹿嶋ひいては常陸の国と藤原一族の密接な関係を「論証」せんとしたのがこの鹿嶋郡の条です。しかし、これはまさに両刃の剣です。かって鹿嶋に拠点を築いた渡来族と彼らの日本列島に持ち込んだ技術に触れることは避けねばなりません。言い換えれば「悪の元締め」という形容を避けつつ 「藤原」一族がこの地をのっとった経緯を語らねばならないのです。
まさに常陸国風土記鹿嶋条にはその役割を担いつつ、都合の悪いことは黙殺するといった苦心が行間に覗いているのです。
(つづく)

+++++ショパンの死因
171117ChopinC無題

 ショパンは1949年パリの一角で夭折しました。わずか39歳です。亡骸はパリの墓地に埋葬されましたが、その心臓は姉がビンに封印しワルシャワに持ち帰り、教会に安置したとのことです。死因は結核とされていますが(たとえば「感染症は世界を動かす」、岡田晴恵著、ちくま書房)、実際のところは不明だそうです。それどころか、ショパンの死因を探ることが学問的な関心事でもあったようです。その研究の現状を週刊科学誌「nature」が記事にしていますので、以下に紹介します。
%%%%% Frederic Chopin’s telltale heart〔ショパンの心臓のうわさ話〕
Scientists have written another chapter in the curious case of the composer’s heart. But it is unlikely to be the end of the story.
  研究者たちがあの著名な作曲家の心臓について好奇心をそそる話を書いてきた。しかし、その話は終わる気配がない。31 October 2017  De Agostini/A. Dagli Orti/Getty

The composer Frederic Chopin died in 1849, but the debate about what killed him continues.
作曲家ショパンは1849年に死んだ。しかし死因についての論議は続いている。


Edgar Allen Poe was a master of the macabre. His 1843 The Tell-Tale Heart is a classic gothic tale for Halloween with its roots in guilt and fear: a murderer is haunted by the imagined beating of the excised heart of his victim.

The piano works of Frederic Chopin — one of the greatest composers of the same period — tend more towards the uplifting. But events after his death have puzzled experts for more than a century and are worthy of any horror story. Scientists in Poland now claim to have solved the mystery. As the researchers conclude in a long-awaited report, he almost certainly died of complications caused by tuberculosis (M. Witt et al. Am. J. Med.; in the press; available at http://doi.org/cfpt). The evidence? The scientists have examined Chopin’s own telltale heart.
 Edgar Allen Poeは怪奇小説の大家であった。彼の1843年The Tell-Tale Heartは、ハロウィンの古典的なゴシック様式の物語だ:それは罰と恐怖に根ざしている。ある殺人犯が犠牲者の摘出された心臓の由来する鼓動に悩まされる話だ。
 Edgar Allen Poeが生きた同じ時期の偉大な作曲家の1人であるフレデリック・ショパンのピアノ作品は、ますます愛好者を増やしている。しかし、死後の出来事は1世紀以上にわたり専門家を困惑させ、それはどんな恐怖の話にも匹敵する。ポーランドの科学者が今、その謎を解明したと主張している。研究者たちは、その報告書で結論づけているように、結核に起因する合併症で死亡したことはほぼ確実であった(M.Witt et al。、Am。J. Med。、印刷中; http://doi.org/cfptで入手可能)としている 。確たる証拠を得るべく科学者たちは、ショパン自身の隠された秘密を秘めた心臓を調べた。

The macabre afterlife of Chopin began with his recorded last words: “Swear to make them cut me open, so that I won’t be buried alive.” Taphephobia, as this fear is called, was a nineteenth-century obsession (shared by Alfred Nobel, among others), and saw some coffins made with alarm systems to be rung from within. Chopin’s sister had an autopsy performed on him, during which his heart was removed. So although most of her brother lies in the famous Pere Lachaise Cemetery in Paris, the city in which he died, she sealed his heart in a jar of (probably) brandy and took it back to Warsaw, the city closest to where he was born.
 ショパンの死後の奇怪な展開は、最後の言葉で始まった:誓ってほしい「私の肉体を切り開いたままにしないでくれ、さすれば生き埋めからは逃れられる」と。この恐れはTaphephobiaとよばれるように、この恐怖は19世紀の強迫観念であった(Alfredノーベルもその一人)。実際遺体が開かれれば警報が鳴るような仕掛けを施したいくつかの棺もあった。ショパンの姉が彼の解剖に立会った。解剖では彼の心臓は取り除かれた。だから、彼の遺体の大部分はパリの有名なペール・ラシェーズ墓地にある。そこで、彼は、死んだ。(おそらく)姉は、ブランデーの瓶の中に心臓を納めシールして、彼が生まれた場所に最も近い町ワルシャワに戻した。

171117Chopin無題

This wasn’t too unusual. Remote burial of the heart was a fairly common practice, partly because it was too difficult to repatriate the bodies of kings and nobles who fell in foreign fields. (The heart of the English writer Thomas Hardy is said to be buried in his beloved Dorset, UK, although a more gruesome version of the story has the precious organ being eaten by a cat, and that of the offending animal interred instead.) But Chopin’s status as a Polish national hero has helped to make sure that his heart never really rested in peace. His sister smuggled it into Poland past Russian border guards and it was later sealed inside a church pillar. Decades afterwards, during the Second World War, it was retrieved and protected by a Nazi SS commander who claimed to love Chopin’s music. After the war, the heart was returned to rest in the church — but only until 2014.
 これは珍しいことではなかった。心臓を遺体から離れた地に埋葬することは、かなり一般的であった。一つの理由は外地で死去した王や貴族の遺体を本国に送還することが難しかったためだ。(イギリスの作家、トーマス・ハーディーの心臓部は、英国のドーセットに埋葬されていると言われている。が、忌まわしいことに、その臓器は猫に食べられた。しかし、ショパンのポーランド愛国英雄として、彼の心臓は平和裡に本当に安らぐことはなかった。彼の姉は心臓をロシアの国境警備隊を潜り抜けポーランドに密かに運び、後に教会の柱の中に封印した。その後数十年、第二次世界大戦中、ショパンの音楽を愛していると主張したナチスのSS指揮官によって回収され保持された。戦後、その心臓は協会に戻され安息の時を過したがそれも2014年までであった。

Then, scientists were invited to join an official inspection of the jar and its contents. Their examination — and brief comments to journalists months later — focused on how he died. The original autopsy notes are lost, and an entire academic subfield across many disciplines has emerged to discuss whether Chopin had tuberculosis or something much rarer, perhaps an early known case of cystic fibrosis. Those academics now have a Halloween treat: a draft of a paper to appear in The American Journal of Medicine offers more details on the state of the heart.
 その後、何人かの科学者達が、容器とその中の心臓の公式検査に加わるように要請された。科学者達の調査(ジャーナリストへの数ヵ月後の短いコメントも含め)は、彼がどのように死亡したかに焦点を当てていた。元々の解剖記録は失われており、ショパンに結核があるのか、それほど珍しいのか、嚢胞性線維症の早期発見の可能性があるかどうかについて議論するために、多くの学問分野にわたる学術分野全体からの知見の集積が浮上している。これらの学者は今ハロウィーンの祭りだ: i The American Journal of Medicine に近日中に掲載される論文が心臓についての検査結果を公表するだろう)
 注(ウイキより):嚢胞性線維症(CF症)(のうほうせいせんいしょう、Cystic Fibrosis)は、遺伝性疾患の一種で、常染色体劣性遺伝を示す。白人に高頻度で見られ、欧米白人では2500人に一人発病し、患者数は30,000人、最も頻度の高いユダヤ人のアシュケナジーでは25人に1人は保因者である。原因は塩素イオンチャネル(CFTR)の遺伝子異常で、水分の流れに異常をきたし粘液の粘度が高くなる。鼻汁の粘性が強くなると副鼻腔に痛みを感じ、痰の粘性が強くなると、気道を閉塞し肺炎を繰り返すようになり、ついには気管支拡張症をきたす。アレルギー性気管支肺アスペルギルス症も併発しやすい。胆汁の粘性が強くなると、胆石をおこしたり、膵炎をおこしたり、肝機能障害からついには肝硬変をきたす。ただし軽い場合は成人後発病することもある。先進国での寿命は42歳から50歳である[1][2]

The original autopsy caused significant damage to both atria, but the paper claims “with high probability” that the remains show that Chopin had chronic tuberculosis, and that the immediate cause of death was a life-threatening complication called pericarditis — inflammation of the membrane enclosing the heart.
Chopin is not the only ghost from the past to offer their secrets to scientists. The artist Salvador Dali was exhumed in July, moustache reportedly intact, to provide samples to decide a paternity case (he was not the father); and 2015 tests on bones of the Communist poet and winner of the Nobel Prize in Literature, Pablo Neruda, have fuelled theories that he was poisoned in Chile after Augusto Pinochet seized power in 1973.
There could yet be a twist in Chopin’s tale. Some scholars are unsure that the heart is the composer’s, and DNA tests to check for cystic fibrosis have so far been refused. The scientists were not allowed to open the jar in 2014, and Michał Witt at the Polish Academy of Sciences’ Institute of Human Genetics in Poznan, who worked on the project, says that they didn’t want to. The next opportunity will be in 50 years, when the heart is again scheduled for inspection. Witt does not expect to be around to see it. Still, he does have something more planned: the team was allowed to take photographs of the embalmed heart, and although none is yet public, he does plan to include them in the final manuscript. The full tale, after all, has not yet been told.
Nature551,5(02 November 2017)doi:10.1038/551005a
 その原稿によれば、最初の検死解剖では両心房に著しい障害を認めた。しかし、この論文では以下を主張している。すなわちショパンには「高い確率で」慢性結核があり、死の直接的な原因は−心膜炎と呼ばれる生命を脅かす合併症であると。
ショパンは科学者にとっては秘密を提供する唯一の存在ではなかった。サルバドール・ダリ(SalvadorDali)は7月に墓が掘り返された。それは口ひげのパターンをしらべるためであった(その結果、父親とされた人物が父親ではなかったことが判明した)。ノーベル賞文学賞を受賞した共産主義詩人のパブロ・ネルーダは1973年にアウグスト・ピノチェトに捉えられ毒殺されたとされるのだが、彼についてもその遺骨が検査されている。

 ショパンの物語にはまだ紆余曲折があるかもしれない。いくつかの学者は、その心臓が実はショパンのそれであることは確かでないという説もあるが、嚢胞性線維症をチェックするためのDNA検査はこれまでに拒否されている。研究者達は2014年の調査ではあの瓶を開けることができなかった。そして、このプロジェクトに取り組んだMichał Witt at the Polish Academy of Sciences’ Institute of Human Genetics in Poznanは、人々はそれを望んでいないと言う。次の機会は50年後だ。そのときに再検査が企画されるだろうと。Wittはそれを見ることを期待していない。それでも、彼は別の腹案gある。研究チームは包まれた心臓の写真を撮ることが許された。それは、まだ公開されていない最終的な原稿に含まれるだろう。結局のところ、完全な話はまだ伝えられていない。
%%%%%nature記事転載終わり

 なお インタネット科学誌“Livescience” 誌が関連記事を関連写真とともに掲載しています。そのいくつかを添付しておきます。原文はここをクリックしてください。
171117ChopinB無題


〔追記〕 ショパンがユダヤ人を嫌っていたという話があります。以前はグーグルの検索で網にかかったのですが、最近は出てきません。たとえば、パリに住んでいた時代、ユダヤ人の楽譜屋さんと一悶着があったなどのエピソードがありました。ところが、昨今、どうもユダヤ人批判記事が、グーグルから意図的に排除されているのではないでしょうか。グーグルの政治的介入を 私は疑っています。かってはイスラエルでショパンとワーグナを演奏することには横槍が入ったとか、イスラエル国籍の著名なショパン弾きであるアシュケナージにはイスラエル人から厳しい非難の声が上がったなぞの記事が検索されました。今回そうした記事を確認しようと思ったのですが、出てきません。世界の金融界とジャーナリズムを背後から支配しているのがユダヤ人であることが長く指摘されてきました。私は、「ショパン」の件もそうした言論統制の一環ではなかろうか、と疑っています。インタネットと雖もそうした巨大権力の統制から独立ではありえないと思っています。

 ショパンは愛国者として母国のロシアからの軍事的介入に抗う自国民を心のそこから支持し、連帯の意思表明をした音楽家として知られています。しかし、その作り出す音楽は、一見というべきか、一聴というべきは定かでありませんが、勇猛心とは真逆で、心臓の背後の何やらをつかみ、揺さぶります。これを称して「女性的」と評されることが多い。私は、こうした捉え方を「皮相」であるとして、いつも異論を唱えてきました。これぞ「男性的」音楽なのだと。

 男性の象徴は逞しい筋力と太い骨格であるとされます。実はこれは男性の一面でしかありません。すなわち脆弱な23番目の染色体「x-y遺伝子」に起因するのです。これが男性の生物としての不安定性の根源になっており、こうした不安定性は女性には無いものです。ブログ記事が長くなってしまったので、詳論は別の機会にしますが、ショパンのピアノ曲には生物としての「雄」の哀しみが色濃く反映されているのです。

イラク地震と女性研究者の思い出、シン・ゴジラ鑑賞を勧める首相補佐官〔リテラ)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:当宅もすっかり秋の色であります。〕
171115ブログ無題


 秋の色 すっかり濃くなる 北関東 冬の将軍 すぐそこに居るか

 詩織さんのビールに薬物を混入し暴行を働いた元TBS社員。その社員をかばった元内閣首相秘書官が、この社員の逮捕を妨げたのです。そして真相を確かめんとした報道関係者から遁走するその元首相補佐官。いまやその功で以って警察庁幹部。末は警察庁長官のポストも約されているとか。これが「法治国家」たるわが国の実相。イヤハヤであります。


+++++イラクの地震
 11月12日夜9時15分(現地時間)にイラク・イランの国境にM7.3の地震が発生し、現時点ですでに400名を超える人命が失われたと報道されています。震源はシュメール文化発祥の地からは離れているようですが、私には長く憧れの地、一度は訪ねてみたい国です。何せ、本ブログの大きな主題の一つである「古代日本列島の政治・文化史」に強い栄光を与えた一族が住まった地です。

 この地震の震央は両国の国境を北西・南東に走るザグロス山脈の西麓です。
〔図1:地形に重ね合わされた地震の震央と余震、 IRIS  による〕
171113Iraq無題


 GCCSによるこの地震の発震機構解は以下のように与えられています。

〔表:イラクM7.3地震の発震機構解〕
171115Iraq_fps無題

 NonDC成分がー1.9%と小さいながらも負値です。これが解析途上の誤差が生み出したものでないとすれば、この地震は張力場が生み出す応力場が起こした地震となります。が、その値は小さい。多分誤差でしょう。

(図2:周辺のプレート配置とスリップベクトル、図拡大は二回クリック〕
171112iraqplate


 ザグロス山脈は二つのプレート、すなわちアラビアンプレートとユーラシアンプレートの相互作用、すなわち衝突モードの過程が形成したと考えられています。その応力が多数の地震を歴史的にも引き起こしてきました。しかし、概してイラク側にはイランとは異なって、長いこと地震への警戒心は薄い国であったと思います。
 上に紹介した解説によれば、近年、地震観測網が整備され、それに伴って地震検知率も高まっているようです。
〔図3:検知された地震規模の年次変化〔上〕、同地震数〔下〕図拡大は二回クリック
17112Iraqdetection


  1930年前後に大きな地震があったようです。 Biggest Earthquakes Near Iraq  (この記事のタイトルNear Iraqからも想像されるように、イラク国内ではザグロス山脈西麓を除いてほとんど地震は起きていない)によれば1929年〔88年前〕にイラン側のTabrizの北西でM7.1の地震が発生し、どうやら巻き添えでイラクが大きな災害をこうむったようです。地震検知率の向上は1960年代、そして1980年代半ば〔ちょうどイラン・イラク戦争の真っ最中〕、そして2005年ごろになされています。それに伴って、カバーできる地震規模もマグニチュード0程度にまで及んでいます。
 それにしては、検知できる地震の数には「激増」が見られません。1980年代半ば、そして2005年といえば前者はイラ・イラ戦争から湾岸戦争、後者は米国による軍事侵攻です。おびただしい数の爆弾が投下されています。地震観測ではこうした爆破現象はきっちりと捉えることができます。マグニチュード・カバー域は広がるけれども、それらから自然地震を選りだすと、それほど多くないということです。
 HInetを管理するつくばの防災科学技術研究所の地震観測網にも筑波山界隈の砕石に使われる発破〔爆発のこと〕による地震波がしばしば記録されています。研究所ではそれを排除してブレティンを作っているとのことです。

 上にも書きましたが、本ブログでは、日本列島古代史の五〜八世紀の主人公はザグロス山脈界隈から東側ペルシャにいたる地からの渡来族であるとして考察を進めています。彼らは、地震に対して慌てふためいたという記載は古文書には「今のところ」は、ほとんど見つかりません。ペルシアすなわちイランの側はまさに世界に冠たる地震国ですから、そうした記載が記紀、万葉集、風土記などに映し出されているのではなかろうかと思っていたのですが。

 それはさておき、私のイラクの記憶を少しだけ書いておきたいと思います。齢を重ねると「自分史」ではありませんが、昔のことを書きとめておきたいと思ったりするからです。イラク国はアラビアンプレートの安定した地塊の上に位置し、地震活動はそれほど活発ではありません。しかし、1929年の地震はイラクに大きな被害を与えたようです。
〔図4:イラクに影響を及ぼした過去の強地震、図拡大は二回クリック〕
171115IraqHistrical無題


 イラク政府は、地震対策の重要性を認識したのでしょうか、それとも交戦状態にあるイランあるいは敵対関係にあるイスラエルに想定される核実験を警戒したのでしょうか、地震観測体制の整備に着手したのです。日本政府を含む地震技術先進国に地震防災技術の援助を要請しました。日本政府はそれに応えて、イラク国からの若手研究者を受け入れます。彼らは、日本国内の大学・企業の研究所などで一年間をすごし、そこで、技術習得に勤めます。1980年代半ばごろにイラク国から派遣されて来日したのは良家の子女よろしくおっとりとした女性研究者でした。
 アラブ系美人と聞くと「千一夜物語』の主人公、妖艶という言葉が浮かびますが、彼女はそうではなく、だからといって可憐という形容詞もあわない、清楚なアラビア美人でした。日常の会話で、あの長い睫の下の大きな瞳でじっと見つめられると、なにやら吸い込まれそうで、頭がくらくらとし、言ってる事が耳に入ってこないこともしばしばでした。
来日して一ヶ月後に当時宿泊していたツクバのホテルを震度5の地震が襲いました。我々日本人には「あ、またか」てなものですが、彼女には天変地異にも勝る大事変、フロントに駆け込んで震えていたといいます。一年の滞在中には数度、当宅にも中国人の聡明なお母さんやギリシャ人などの研修仲間と訪ねてくれました。
 ある時でありましたが、家内がいつものように手作りの和菓子を茶と共に供したのですが、いつもであれば外で駆けずり回っているはずの息子と娘が、偶々在宅していたんですね。娘が兄の皿を見て「お兄ちゃんのほうが大きい」と駄々を捏ねたんですな。そして「どっちが大きい小さい」とのやり取りを見ていたイラク女性、「こういう風景、いいです。和みます」と、言いながら笑いが止まらない様子。当時のイラクは社会主義国。滞在中、頻繁に在日イラク大使館の担当書記官から存否確認の電話があるとのこと。緊張する日々の一端、そこから一瞬といえでも開放される心地よさを味わう彼女の日常を垣間見た思いがしました。

 序でですから、いつも一緒にいた中国のお母さんのことにも触れておきます。1980年の半ばごろ、中国からの留学生が激増する時代です。大学が斡旋する下宿やアパートの管理人さんが中国人受け入れをしたがらなくなりました。なにせ、ゴミ捨てなど社会的約束事に一切頓着せず、退去したあとの部屋は、そのままでは次の人間が住めないほどに荒れているというのです。
 ところが、このお母さんは違っていました。数学物理は大変よくでき頭脳明晰であるのに謙虚で慎み深い。日本の慣習に自らを合わせようといつも気を使っている女性でした。私の子供を見ると、本国において来た二歳の息子を思い出すようで、来たときは、片言の日本語でやさしく話しかけ子供たちの頭をなでたり、膝に抱き上げたりといじっていました。

 イラクの美人の話に戻ります。彼女は立派な成績で研修を終え、帰国しました。ちなみに私が課した筆記試験についてこの二人の女性の解答は完璧でありました。帰国後しばらくして、彼女から「結婚した」との手紙が届きました。夫君はバクダッドの大学で研究する化学者とのことで、文面からも幸せそうな雰囲気が湧き上がっていました。私のイラク来訪を楽しみにしており、その際には夫君がシュメール文化の遺跡を案内することになっているとも書かれていました。それから数年後には男児を授かったとの手紙が届きました。あの湾岸戦争の始まる直前に届いた手紙には、「ミルク」を入手するので苦労していると書かれていました。何かをしてあげたいと思うもののどうすることもできないもどかしい思いでした。それが最後の連絡でした。TVなどでパウエル国防長官がTV で得意げにピンポイント攻撃の成功譚などを語るのを見るにつけこの女性の安否をきづかいました。が、結局彼女との連絡は以後途絶えたままです。今はどうしているのやら。幸せな毎日を取り戻していてほしいと切に願います。

 上記報告書にはイラク国の地震観測の経緯が記述されています。そのくだりを転載しておきます。
%%%%%SEISMIC INSTRUMENTATION IN IRAQ
The Department of Geology at the University of Baghdad first started seismic monitoring in Iraq in 1972 using a mobile three‐component short‐period recording laboratory. In 1976, the Government of Iraq initiated the foundation of a national seismic network (Iraq Seismic Network, ISN). As a result, four short‐period stations became operational in the early 1980s: a central station located in Baghdad (BHD) and three secondary stations in Sulaimaniya (SLY), Mosul (MSL), and Rutba (RTB). The Gulf War in 1991 disrupted this network, and half of its stations ceased to operate (Alsinawi, 2006).
In 2005 two broadband seismic stations were installed, one in Baghdad and one in Mosul with assistance from the University of Arkansas at Little Rock (UALR) and the U.S. Department of Energy. In addition, in August 2005, the North Iraq Seismographic Network was deployed with 10 broadband seismic stations throughout northern, northeastern, and central Iraq. The deployment was coordinated by multiple agencies and sponsored by the U.S. Air Force Research Laboratory (Gritto et al., 2008). In 2008, a small‐aperture five‐element broadband seismic array (KSIRS) was also added to this network.
%%%%%

+++++千葉に残る地球の歴史
 「チバニアン」なる地質区分名称が国際的に認知されたとのことです。これについては、本ブログでも書いています〔 2015年11月11日記事 、2017年6月9日記事 〕。見物客が殺到し、その痕跡に破損を加えることを危惧したのでしょう。具体的な地名は記事では伏せられています。しかし、私は地の利を生かし、近日中に訪ねようと思っています。
〔図:東京新聞11月14日付け一面、図拡大は二回クリック)
JPG

%%%%%
地球史に「千葉時代」誕生へ 日本初の地質年代名、国際審査でイタリア破る 11/13(月) 14:17配信
千葉県市原市・チバニアン(写真:産経新聞)
 地球の歴史で約77万〜12万6千年前の年代が「チバニアン」(千葉時代)と命名される見通しになったことが13日、関係者への取材で分かった。この年代の基準地として千葉県の地層を国際学会に申請し、命名を目指す日本の研究チームが、競合するイタリアを一次審査で破った。週内にも発表する。正式決定すれば地質年代に初めて日本の名前が付く快挙となる。

 日本チームとイタリアの2チームは6月、この年代の国際標準となる基準地の地層を国際地質科学連合にそれぞれ申請。各国の専門家で構成する作業部会が審査し、今月10日を期限に投票を行った結果、日本が全体の6割以上の支持を得て候補地に選ばれた。

 来年にも見込まれる正式承認までさらに3段階の審査があるが、過去に作業部会の結論が覆ったのは例外的なケースだけで、事実上の決着となった。日本は国立極地研究所や茨城大などのチームが千葉県市原市の地層を基準地として申請。ラテン語で千葉時代を意味するチバニアンの年代名を提唱した。イタリアは「イオニアン」の年代名を目指して南部2カ所の地層を申請していた。

 地球の歴史を区切る地質年代は、中生代や白亜紀といった大きな区分の名称が既に決まっているが、小さな区分は未定のものがある。今回の年代はネアンデルタール人が生きていた「第四紀更新世」の中期に当たり、命名の行方が国際的に注目されていた。

 この年代の境界となる約77万年前は、地球の磁気が南北で逆転する現象が最後に起きたことで知られる。イタリアの地層はこの現象を示すデータが不十分だったのに対し、千葉県の地層は明瞭に確認できることが評価されたとみられる。地質年代は、その年代の境界が最もよく分かる地層が世界の基準地として選ばれ、地名に由来する年代名が付けられる。これまでは欧州による命名が多く、アジアでは中国の名称が認定されていた。
%%%%%記事転載おわり

+++++「カケソバ」大スキャンダル
 腹立たしい。それ以外の言葉が出てきません。文部科学省の元事務次官がネット誌で語っています。
%%%%%加計問題で圧力の安倍側近・萩生田官房副長官が「シン・ゴジラを観ろ!」 事務次官会議での発言を前川前次官が明かす
2017.11.12 萩生田が前川前次官にシンゴジラを観ろ リテラ

 昨年、大ヒットした庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』がきょう、テレビで初放映されるが、この映画をめぐって、加計学園問題を告発した元文部科学省の官僚トップ、前川喜平・前文科事務次官が興味深い事実を明かしている。

 安倍首相の最側近で、加計学園問題でも文科省に強硬に圧力をかけていたことで知られる当時の官房副長官、萩生田光一氏が、各省庁の事務方トップを集めた事務次官会議の席で、『シン・ゴジラ』を観るように力説していたというのだ。

 この証言が掲載されているのは、先日発売された前川氏と前川氏の先輩でもある元文部官僚の寺脇研氏の対談本『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)。同書は、教育行政の中枢にいた二人が、加計問題はもちろん、いま日本を覆う新自由主義と国家主義が教育行政にどう影響を及ぼしてきたかを、自らの官僚としての体験をまじえながら分析するという非常に興味深い一冊だが、そのエピソードが語られたのは、まさに加計問題に代表される安倍政権の行政を歪める政治手法がテーマになっていたくだりだ。

 省庁間の議論は一切なく、内閣府が「総理のご意向」を笠に着て高圧的に政策を押しつけてくる政治手法について、二人はこう批判する。

〈寺脇(略)今年五月十七日の「朝日新聞」朝刊で「総理のご意向」文書のことが報じられたんだけど、これを見てまず思ったのは、こんなふうに物事が決められているのか、ということ。もし外交とか安全保障で、こんなやり方がまかり通ったら、それこそ大変なことになると思った。

前川 実際、外交でも起こっているようですね。外務省と官邸の間に、相当、ポリシーの違いがあると言われています。外交にせよ、内政にせよ、行政の全般にわたって、総理官邸にいる「秘書官」「補佐官」「参与」などの肩書きを持った人たちが、いわば跳梁跋扈している状況があります。

寺脇 そのとおり。そこで問題なのは、政治家の側用人が、自分のいいように政治を仕切っているということです。〉

 そして、こうしたやりとりのあと、寺脇氏がまず、『シン・ゴジラ』のことをこう切り出した。

「その意味では、『シン・ゴジラ』(庵野秀明監督、二〇十六年)は、日本が存亡の危機に立たされているというのに、それを官房副長官が仕切っているという、ダメな映画です。官房副長官なんて、それこそ側用人なんですね。(略)そういえば『シン・ゴジラ』って、安倍総理も好きなんだよね。」

 すると、前川氏がこの発言を受けて、こんなエピソードを語ったのである。

「事務次官会議には、三人の官房副長官がそろって出席することになっていますが、萩生田(光一)さんが、あの映画をぜひ観るようにとおっしゃったのを覚えています。」

■安倍応援団やネトウヨが絶賛する『シン・ゴジラ』の描写

 たしかに、『シン・ゴジラ』は無教養で傲岸不遜な安倍政権の幹部政治家が得意げに官僚に薦めそうな映画ではある。それは、長谷川博己演じる同作品の主人公が、萩生田氏の当時の役職と同じ官房副長官だったから、というだけではない(目立ちたがりと臆面のなさで有名な萩生田氏のことだから、それも大きな理由だとは思われるが)。

 実は同映画は公開当時、純粋な映画ファンからだけでなく、安倍応援団やネトウヨ、新自由主義者連中からも大絶賛を受けていた。自衛隊の全面協力による戦闘シーンに「やっぱり自衛隊はスゴい!」「自衛隊大活躍」と大喜びしていたネトウヨは置いておくとしても、彼らがしばしば口にしていたのが、「日本がいかに平和ボケかわかっただろう」「憲法9条や民主主義の理念なんて有事には何の役にも立たないことを見事に描いていた」「やっぱり緊急事態条項は必要だというメッセージだ」といった意見だった。

 産経新聞の極右記者・阿比留瑠比氏も、この映画の政治劇の部分を「リアルな描写」だと絶賛。〈今そこにある安全保障上の危機から目をそらしつつ、実現不可能な理想論ばかり振りかざす一部議員やメディアを思い浮かべた〉〈ゴジラが象徴しているものは、日本の法制上の不備や、「平和ボケ」といわれて久しい国防意識の弱さをついてくる巨大な近隣国なのか〉などと、完全に自分の右派主張に引き寄せて、この映画を語っていた。

 実際、『シン・ゴジラ』では、そういうメッセージと受け取れるようなシーンやセリフが数多くあったのは事実だ。自衛隊のゴジラへの防衛出動を決定するまでの政府内の議論、逃げ遅れた国民がいたことで市街地での攻撃命令を下せなかった総理大臣、長谷川博己演じる官房副長官の「決めるまでの間に何人もの犠牲者が出た」というった旨のセリフなど、煩雑な民主的手続きや、法律の壁、民主主義の理念に阻まれる様子がこれでもかと描かれ、反安保や反原発デモを揶揄するような「ゴジラを殺せ」「ゴジラを守れ」両派の大規模デモシーンまでが挿入されていた。そして、最終的には、長谷川博己演じる官房副長官と、竹野内豊が演じる首相補佐官のコンビがこれらの障害を乗り越え、全権を任され、ゴジラとの首都決戦に立ち向かう──。

 これらのシーンが「日本の政治の現状をリアルに描いている」という評価になり、「手間のかかる民主主義的議論より、頼りになるリーダーの決断が危機を救う」という空気づくりに一役買うかたちになってしまった。

 しかし、あらためて指摘しておくが、『シン・ゴジラ』はゴジラのシーンだけでなく、政治ドラマの部分もただのフィクションにすぎない。石破茂元防衛相が、議論の末にゴジラへの防衛出動が下されたくだりについて“害獣相手に防衛出動はありえず、災害出動。災害出動ならですぐに対応できる”といった旨の指摘をしていたが、他のシーンも同様で、リアリティなんてどこにもない。

 たとえば、街を次々破壊しているゴジラへの対応で国論を二分するデモが起きるはずがないし、政府内の法律的な手続きについても、主人公の直面する問題を際立たせるためにオーバーに描いているだけで、実際は救助対応が大幅に遅れるような手続きなんて、ほとんどない。総理や主要閣僚が全員死ぬとか、官房副長官に全権が委任されるなんていうのもありえないだろう。

■『シン・ゴジラ』の間違った反民主主義的メッセージ

 もちろん、怪獣映画が現実に即している必要はないし、エンタテインメント性を確保するためにヒーローとそれを阻む官僚組織を描く必要性もわかる。しかし、評論家連中が知りもしないで「リアルな政治ドラマ」などと評価をくだしたことで、『シン・ゴジラ』は完全に間違った新自由主義と反民主主義のメッセージを発信することになってしまった。

 そして、一番問題なのは、寺脇・前川対談で明かされたように、ネトウヨやメディアだけでなく、当の安倍政権の幹部までがその気になってしまっていることだ。それこそ、総理の側用人たちがこの映画そのままに、法律にのっとった手続きや官僚の自由な議論を封じ込め、総理の意のままに政治を動かし始めている。

 しかも、彼らが法律や手続き、官僚の議論を無視してやろうとしているのは、日本国民の安全とはまったく関係のない話だ。萩生田氏が長谷川博己になった気分で官僚たちに迫ったのは、加計学園の獣医学部認可という安倍首相のオトモダチへの利権供与だったのだ。

 しかし、リーダーの独裁を正当化し、民主主義的手続きを邪魔者扱いすれば、必ずこういうことが起きる。いや、利権漁りだけでなく、寺脇、前川両氏が警告したように、外交や安全保障で“総理のご意向”が政治を動かすようになってしまえば、日本国民が危機にさらされる事態も起こりかねない。だからこそ、寺脇氏はそれを正当化するような『シン・ゴジラ』についても、「ダメな映画」と一刀両断したのだろう。

 いや、寺脇・前川両氏だけではない。思想家の浅田彰氏は『シン・ゴジラ』について、ウェブマガジン「REAL KYOTO」でこう指摘している。

〈左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。〉

『シン・ゴジラ』の映画としての出来不出来について論じるつもりはないが、少なくとも『シン・ゴジラ』を観ただけで「日本政治のリアルがわかった」なんて気になってはならない。いま起きている日本政治の問題点を知りたいなら、むしろ、前川氏と寺脇氏によるこの対談本を読むほうがはるかに価値がある。

(エンジョウトオル)%%%%%転載おわり

「識」と「知」、外人が見るあの総選挙


本日は雑談が長くなってしまいましたので、古代史、地震の話は休載します。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:ムクドリの訪れる時期となりました。電線に集団で止まり、上から下へ飛び移る様子は量子力学で図解される電子のエネルギ・レベル間の遷移を思わせます。そういえば、あいつが下の電線に移った瞬間、カメラを構える私の手にビリビリッと何かが伝わってきました〔笑〕 量子力学A3402 量子力学A3402  〕

 毎朝の ニュース見出しに 怯えおる 今日はその日 これから半月

 私、肝っ玉が小さいので二月〔ふたつき〕毎に新聞、ネットの報道・見出しから目を逸らす日が15日続きます。ところが、今朝、油断していました。いきなり目を逸らしたいニュースであります。そうです。稀勢ちゃんがいきなり黒星発進です。明日からは勝ち続けてくれっ!!神仏に祈る半月が始まりました。

 昨日朝TVで阿川さわ子さんが林修氏にインタビュする番組を視聴しました。林氏は予備校講師として大変著名な方です。番組の内容紹介は、ここ でされていますので、再掲しません。
 氏の語る「子供時代に源氏一族調査に嵌(はま)った」なるエピソードに興味を覚えました。小学校低学年に源氏一族に関心を抱き、その時点での認識をノートにまとめた。それ自体凄い事ですが、その後、繰り返し繰り返し新しい知識が増えるごとに、それらを組み込んでは、以前に作り上げた自らの内部の源氏像を書き換えていった。すなわち改定していったといいます。この作業は、歴史への異なった視点からの認識、再構築でもあった。結局小学校6年時に作成した「源氏本」版は最初の版とは大きく異なるものとなっていた、と語ります。
何が違えたのか?新知識を加えたことなのか?氏は「そうではなく、新知識によって考え方の変更を迫られる。体系を自分で再構築することを迫られる」と語ります。
 「これが『知』の作業である」、と私は思いました。
 予備校講師を蔑む気持ちはありませんが、そこに留めておく、あるいは「物知りタレント」としてTVに貼り付けておくのは、もったいないと思いました。林氏は東大法学部卒業後、大手銀行に入社し、しかし、そこで考えるところがあり、予備校講師となったといいます。自分の言葉が生徒の興味を掻き立てることに喜びを感ずるようになったと語ります。

 さて、林氏の言がいまだ脳裡に残っているままに、インタネットで見つけた記事がありました:

%%%%%衆院選×東大生 5割以上が自民党に
 東京大学新聞社は10月22日に投開票が行われた衆議院議員選挙について、同月22日〜27日に東大生(院生含む)を対象にインターネット上でアンケート調査を行い、341人から回答を得た。全体の投票率は昨年の参議院議員選挙とほぼ横ばいの約75%だったが、10代の投票率が20歳以上を約10ポイント下回り、選挙への関心の差がうかがえた。比例代表では、自由民主党が約18ポイント、立憲民主党が約10ポイント、それぞれ全国の得票率を上回ったが、希望の党は伸び悩んだ。

 今回の衆院選で投票したと回答した学生は約75%で、昨年の参院選とほぼ変わらなかった(図1)。約54%にとどまった全国の投票率との比較から、衆院選への東大生の高い関心がうかがえる。18、19歳の投票率は約69%と、総務省が発表した全国の18、19歳の投票率約42%を大きく上回った。

 比例代表の投票先では、自民党が約52%、立憲民主党が約29%で、それぞれ約33%、約20%となった全国での得票率を大きく上回った(図2)。一方希望の党は全国の得票率を10ポイント超下回り、振るわなかった。

 投票した学生に重視した政策(複数回答可)を尋ねると「外交・安全保障政策」「憲法改正」が5割に迫った(図3)。東アジア情勢の緊迫化に敏感に反応した学生が多かったとみられる。その後は「税制改革・財政再建」「景気・雇用政策」と続き、経済分野への高い関心がうかがえる。
171111東大15103329950001

%%%%%
 さもありなんと思う方も少なくないでしょう。「特有のエリート意識」、「東大は金持ち子弟の大学と化している」、「東大生にとっては現状維持が利益の享受の保証」などなど月並みな論評が浮かんできます。前川喜平・前文部科学省事務次官のような例外的思考の持ち主も存在することは承知しています。しかし、全学生の多分半分以上は灘・開成・麻布:筑駒といった超有名進学校出身です。一月ほど前のとある週刊誌〔名前失念〕に札幌南高(北海道の極め付き進学校)から東大理IIIに入学した学生の談話を見ました。まるで、「灘・開成の“大学部”(どちらにもそんなものはありません、念のため)に他所(よそ)者が編入した気分」で居心地が悪かった、と。

 そこで、改めて林氏の言を考えます。どうやら二つの型があるのかなと。
 まず「対象への興味」です。これは絶対に不可欠です。しかしそこから「識 Knowledge」重視と「知 Intellectual」重視に分化するのではなかろうか、と思いはじめました。前者は「対象への興味」を「知識の増大」で満たそうとします。たとえば「速読」なぞはその事例ではなかろうか?一方は『対象への興味』をその「構造解明』で満たそうとする。これが林氏です。同じ主題をしつっこく追い回す。速読ではなく、「深読」〔これは私の造語です〕。
 以前紹介しましたが〔2016年11月14日記事、ちょうど一年前 〕故加藤紘一代議士なんぞは「知型」なのでしょう。加藤氏は左翼と自他共に許す自民党代議士であった方ですが、読書をしていると、そこのとある表現にとらわれあれこれ想像が膨らみ、頁が進まなくなる、と述懐しています。私事ですが、二人の子供を見ていても、どうやらその分化が見えます。同じような生育環境であってもこうした分化が生ずるのかと不思議に思ったしだいです。
 どっちが「良い」(この言葉の意味も明確に規定すべきなのでしょうが、ここではあいまいのまま使います)のか?東大生は、どちらかというと「識型」ではなかろうかと想像しています。この型は官僚あるいは企業トップに向いているのかもしれません。一方ノーベル科学賞を受賞するのは「知」型であろうとも思います。昨今の東大・京都大〔ひいては灘、開成、麻布、筑駒)から同賞・受賞者が出てこない。その理由の一つかなとも思っています。

 東大生の『政治意識』を見たところで、政治の話題です。昨日〔日曜日〕の朝のニュース番組で常連の毎日新聞論説委員の岸井成格氏が「トランプ大統領の来日にあって入国地が横田基地であったことを政治家は問題視すべきであろうと指摘しています。すなわち、トランプ氏には訪日と言う意識が無く、米国の一州に降り立ったという感覚であったろう、とも。私も前回の記事でこのことを書きました 。

 同じ、毎日新聞記者であった板垣氏の〔怪〕情報です:
%%%%%トランプ大統領は、金正恩党委員長との「米朝和平」路線に転換、
「安倍晋三首相は、ダメだ」と最悪最低評価を下した
2017年11月13日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 米ドナルド・トランプ大統領は11月12日のツイッターで、「私が彼を『ちびやデブ』と言わないならば、彼も私を『老いぼれ』とは侮辱しないだろう」と書き込み、「よし、彼と友人になるように頑張ってみよう。いつかは実現するかも知れない!」とも書いた。これは、「米朝和平」(日中和平)に向けて水面下で動き出しており、安倍晋三首相が梯子を外されて見放され、完全に孤立していることを意味している。ベトナム中部ダナンで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)での「TPP11」は、事実上、失敗に終わり、トランプ大統領は、「安倍晋三首相は、ダメだ」という最悪評価を下したという。天皇陛下にごく近い筋の情報によると、報告を受けたヘンリ―・アルフレッド・キッシンジャー博士は、「安倍晋三政権から小沢一郎政権への交代を望む」とトランプ大統領に「指南」し、「安倍晋三首相退陣の動きは、2018年2月末ごろから始まるだろう」と予測しているという。
%%%%%

 選挙の話を書いたので、最後に「外国人特派員が見た日本の選挙」なる記事を転載しました。これもいろいろと考えさせられます。この記事転載が長いので、常連記事を順延しました。私のコメントも添えたいところですが、長くなるので止めておきます。

+++++外国人特派員が見た日本の選挙
%%%%%選挙と政治とその報道——外国人記者が見た不思議11/10(金) 8:45 配信 


日本外国特派員協会(FCCJ)は、東京・有楽町のオフィスビルの20階にある。ガラス扉を抜けると、老舗ホテルのような重厚な空間が広がり、壁一面に著名人たちの写真。FCCJが開いてきた記者会見の様子だ。ここではさまざまな会見が行われ、その情報はここから世界に発信されていく。先の衆院選もそうだった。海外から来た記者たちは衆院選で何を見て、どう報じたのか。日本政治の今とこれからは「外の目」にどう映っているのか。FCCJ会長でシリア出身のカルドン・アズハリさんを皮切りに6人の記者にマイクを向けた。(大矢英代、笹島康仁/Yahoo!ニュース 特集編集部)
コロコロ政党を移る姿に「??」
写真で埋まる壁の扉が開き、小さな部屋に招かれた。アズハリさんは鮮やかなネクタイを結んでいる。日本での取材経験は30年近く。中東メディアの日本特派員として働いた経験を生かし、2006年には中東向けの通信社「パンオリエントニュース」を設立。日本のニュースをアラビア語や英語で配信している。
「衆院選の結果には驚きませんでした。自民党が勝ちましたが、それは他の政党のオウンゴールが原因。野党同士がまるで共食いをしているようでした」

いわゆる「日本通」のアズハリさんにとっても、日本の選挙は「不思議なことばかり」という。それを今回、改めて見せつけられた。
「アラブでは、政治家が政党をコロコロ変えることはありません。政党がない国も、独裁の国もありますが。政党とは政策や理念に基づくもの。一度掲げた旗は、普通は降ろしません。しかし、日本ではある日突然、政治家が他の政党に移る。しかも、その理念が全く同じだったり、正反対だったりする。そんな国は他にありません」

「(政党を渡り歩く政治家はまるで)ディナーについて話し合う人々のようです。誰かが『パスタにする?』と言ったら、別の人が『ノー、天ぷらにしよう』。で、『そうしよう。問題ないよ』と(政党を移る)。どうして有権者はこれを受け入れますか? 私はもうこの激動についていけません。疲れました。正直、興味も失いました」
————先日の衆院選はどこに注目していましたか。
「北朝鮮に絡んだ外交・軍事面での日米同盟です。軍事問題は中東に直接影響しますから。でも、憲法改正も含め、全ては日本国民が決めることです。戦争するのか、しないのか。自衛に限るのか、限らないのか。核兵器は違法か、合法か。それらが日本の選択だと言うならば、いいでしょう。けれど、『私たちのような平和国家になれ』と外国に言えていたチャンスを、日本は失いつつある。アラブの人々は、日本には戦争に加わらないでほしいと思っています」
「憲法改正は理解できる」
取材に応じてくれた全てのジャーナリストが「野党の貧弱さ」を指摘した。FCCJのロビーに現れた「亞洲週刊」の毛峰(マオ・フェン)さん(60)も「二大政党制がユートピアの夢に終わったことが一番の印象」と言う。亞洲週刊は社会経済の記事を主に扱う国際雑誌。香港を拠点とし、中国共産党とは比較的距離を置いた報道で知られている。
「日本が完璧な民主主義になるためには二大政党制を輸入した方がいいです。一つの党が支配すると、腐敗や傲慢が出ますから。中国ですか? 日本とは国情が違い、単純に比べることは難しいです」

————選挙の結果、与党は憲法改正の議論を進めそうです。
「今の憲法もいいと思いますが、時代に合わせた憲法をつくることは理解できます。中国も世界も、日本の民主主義の力を冷静に見ています。大切なのは方向性です。日中の互恵関係がないと、アジアの未来はありません。与党は(改憲の)方向性を、国民に対しても、外国に対しても丁寧に説明する必要があると思います」

それよりも毛さんには、日本の選挙報道が不思議だったという。
「一つは世論調査。ほぼ現実になる。素晴らしい精度です。もう一つは、伝統的なメディアがまだ影響力を持っていること。世界の例外です。中国でも微信(ウェイシン、中国版ライン)や微博(ウェイボー、中国版ツイッター)などSNSの影響力が大きいです」
その上で「(日本の選挙報道には)国民が政策を理解できるような報道は少ないですね。今回は、政党の政策が未熟だったこともありますが」と語った。
「メディアは表面なぞるだけ」
選挙報道の「不思議」を指摘する声は、ほかにも多かった。アイルランド出身のジャーナリストで、英国のエコノミスト誌に記事を書いているデービッド・マックニールさん(52)もその一人。「日本には政治をひもとき、国民が理解できるように示そうとするメディアが少ない」と言う。
「英国のメディアは、日本よりもはるかに深く物事を分析しようとします。日本にあるのは、起きたことをただ伝え、政党や公約の表面をなぞるだけの記事。これが結果的に与党に有利に働いています」
「経済が下り坂にある時でさえ、『悪化している』という報道に消極的です。政府の経済政策を追及しない。日本では安倍さんを批判すると、ネットで『反日だ』と責められます。これは反日じゃなくて、反権力だと言いたい。どこかで権力に挑戦しないとだめですよ。本当の記者ならばね」
「長期政権は腐敗生む」
総選挙後の11月1日、自民党総裁の安倍晋三氏が国会で首相に指名された。第1次と合わせた安倍氏の首相在任日数は歴代5位。もう2年余り政権が続けば、歴代最長の2886日を抜く。

マックニールさんは「長期政権は腐敗を生む。日本に必要なのは適切な野党だ」と考えている。一例として、愛媛県今治市での取材を挙げた。安倍氏との関係が指摘されている学校法人加計学園の獣医学部の建設地を訪ね、「ここに日本の問題がある」と感じたという。
「人々が自民党に投票するのは、代わりになる政党がないからです。四国には自民党マネーが多い。橋や道路、トンネルなどを通じて、地方に金をもたらしてきた。官僚やビジネスマンも自民党との仕事に慣れ、他の政権を望みません。自民党が悪いという話ではない。それが政党というもの。だから、二大政党が必要なのです」

「今回の選挙で、安倍さんは『国難』という言葉を使いましたね? 9・11以降の米国と共通点があります。危機をあおり、大統領を支持せよと言った。しかし、米国の軍事介入は完全に失敗しました。成功したことは何か。大統領は外部の脅威を訴え、市民の目を問題の根源からそらしたのです」
「理念はどこに行ってしまったの」
香港フェニックステレビの李茵淵蝓次Ε潺礇)さんは過去10年間、8回の国政選挙を取材してきた。このテレビ局は、中国大陸や世界各地の中華系視聴者をターゲットに「標準中国語」を使い、比較的自由に24時間ニュース番組を放送している。今回の衆院選でも連日、特集を組んだという。
「(日本の選挙運動で候補者は)自分の名前をずっと繰り返して、雨の中、誰もいなくても握手する人を探しますね。日本的で、面白い風景です。日本のメディアが報道を(自ら)規制する中、私たちは面白い取材ができています」

「本当に不思議な一瞬がありました。民進党が希望の党への合流を全会一致で決めたことです。なぜ今まで安保法制に反対していた人たちが、急に賛成になるのか。彼らの理念はどこに行ってしまったのか、と」
もう一つ、驚いたことがあったという。選挙運動最終日、10月21日の夜、東京・秋葉原で安倍首相の演説を取材していると、一部の支持者が何か叫び出した。李さんによると、見ず知らずの男性が叫んだのは、自分の名前だったという。「あれ、香港フェニックスじゃないか。おい、李茵」と。翻る大量の日の丸。「反日メディアは出て行け」と叫ぶ人。そして、わき起こる「安倍晋三」コール。

「激しい方々が私の名前を何度も呼んで、妨害してきました。すごく異様な風景でした。反対する人たちを撮影しようとしても、国旗(日の丸)で妨害してきます。国旗を使って、こっちの顔にぶつけてくるのです。日本は民主的な国のはずですよね。妨害が許される環境は、非常に問題だと思いますね」
「選挙に興味がないみたい」
日本に住むネパール人向けの新聞「ネパーリ・サマチャー」の編集長、ティラク・マッラさん(54)にとっては、選挙の盛り上がらなさが驚きだったという。ネパールでは、民主化を目指した国王らが2001年に銃乱射事件で死亡した。後継の国王は国会を解散し、全閣僚を解任。直接統治に乗り出した。王制が終わり、連邦民主共和制が実現したのは2008年のことだ。
「国の人々が選んだ人が大統領になるようになりました。だから、選挙は大事。子どもからおじいちゃんまで、すごく盛り上がります」

「日本の選挙は不思議です。みんな興味がない。たまに選挙カーが来るけれど、選挙自体を知らない人もいる。10、20年後はどうなるのかな、と思いますね。だって、(将来も)政治家は選ばなければなりませんよね」
ティラクさんは1999年、飲食店経営をしながら新聞発行を始めた。今回の総選挙についても特集記事をつくったという。
「今回の選挙にはネパール人も関心を持ち、『結果はどうだった?』『我々外国人はどうなるの?』と聞かれました。政権が代わると、入管やビザのルールが変わる可能性があるからです。今の問題は就労ですね。2年間日本語学校で勉強して、さらに2年間専門学校で勉強する。日本で4年間勉強しても、就職先がなければ(長期滞在できる)ビザが出ません。その仕事がなかなか見つからないのです。我々外国人が気にするのは、税金やビザ、入管の話。難民の審査や留学生のことなんです」
「政策より、イメージ」
韓国の民放「SBS」の特派員、崔虎元(チェ・ホウォン)さん(43)も選挙への関心の低さに驚いたという。昨年3月に着任した。先の衆院選を取材中、日本の若者が話した言葉が強く印象に残っている。

「なぜ投票しないか聞くと、『政治について分からないから、投票は無理です』と。自分は投票にふさわしくない人間だ、という考えを持っています。政治は政治家の仕事。だから、投票に行かない、と。韓国の若者や有権者とは全く違いますね」
日本にとって残念な選挙でした、とも言う。なぜだろうか。
「北朝鮮に焦点を当てたことが、与党の圧勝に役立ちました。一方、肝心の日本国内の問題は争点になりませんでした。今回の選挙は、最初は政権交代の可能性もありました。だから、公約が大切だったはずです。けれども、不思議なことに政策が争点になりませんでした。公約とは、何をするために、どんな部署がどんな準備をして、いくらの予算で、いつまでに実施するかです。韓国では、政治家が公約を守るかどうか、有権者もメディアも関心を持ってチェックします。だから、政治家は選挙で勝っても緊張しているのです」

「日本は政策よりもイメージの選挙です。だから、ポスターも大きな写真と名前、所属政党だけ。7月の都議選では、小池百合子都知事が(自身の)写真集を出しました。韓国では考えられないことです。メディアは候補を批判して、候補がどんな政策を考えているかを取材します。でも、日本のメディアはイメージをイメージのまま伝えようとしますね」
「政治は政治家のものでない」
崔さんは、さらにメディアの責任を語った。
「メディアの責任が大きいと思います。有権者に必要な情報がありません。日本のニュースは政党の所属と、どんな勢力から支援されているかで終わってしまいますね。けれど普通、選挙のニュースには、地域の問題はこれで、この候補はこんな考え方だ、という情報が必要です」
「例えば、教育無償化を考えるには、政策の効果、私立学校への対応、国民の負担について詳しく知る必要があります。憲法の問題も同じ。自衛隊を明記することで、何がどう変わるのか。救助活動にどう役立つのか、海外が心配するように軍事大国化の可能性は生まれるのか、武装システムはどう変わるのか。メディアはもっと取材して、伝える必要があります」
崔さんはこんなことも話した。
「日本では政治家が争点を決めますが、争点は政治家が勝手に決めるものではありません。有権者のものです。今の社会の問題は何で、政治家は何をしなければならないのかは、有権者が考えるのです。『政治家はこの問題を解決しなさい』と声を上げなければならないのです」
________________________________________
大矢英代(おおや・はなよ)
琉球朝日放送記者を経てフリージャーナリスト。ドキュメンタリー作品を制作中。
笹島康仁(ささじま・やすひと)
高知新聞記者を経て、フリージャーナリスト。
%%%%%

安倍氏スッテンコロリ、スマトラ地震と九州、鹿嶋郡序論


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:どうやら悪いものを食して胃の調子がよろしくないな〔飲みすぎたか、きのう)、てんで草を食んでいます 171108草を食むニャン

 ずっこけた 醜態さらせど 民思い 巨額の兵器 しこたま買い込む

 この一首は安倍氏への皮肉でありますが、誤解を避けるために本音の一首。

 ずっこけた みっともなさの 照れ隠し 中身はすべて 民への負担

 政府筋はあのゴルフ場での安倍氏のスッテンコロリ場面を放映しないよう求めたのだそうです。
171110すってん15102412970001

 おかげで、唯一〔うっかりと〕放映してしまった報道画像がyoutubeで出回っています。見事なでんぐり返しです。トランプ氏の韓国、中国訪問はしっかりと議論がなされるであろう予感が氏の訪問時の演説からも伺えた。それは来日に当たってのトランプ氏の横田基地でのコメントとは大違い。日本に対しては「商魂」丸出しでありました。これぞ、「ズッコケ」の「実相」でありました。私はここにトランプ氏の愛国心〔商売に動機があるとはいえ〕を見、安倍氏には売(倍)国心を見る思いがします。それにしてもトランプ氏入国は横田基地。つまり氏は日本国には入管法をきちんと踏んだ入国は、していないといいます。なぜなら、横田は米国占領地なのです。トランプ氏は自国の領土の一つに立ち寄ったに過ぎないのです。まさにわが国は米国の五十一番目の州なんです。

 恒例の板垣〔怪)情報です。 
%%%%%トランプ大統領は、キッシンジャー博士の「指南」に従い、アジア歴訪、「米朝和平」説得を成功させつつある(板垣 英憲)2017年11月10日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 米ドナルド・トランプ大統領は、「忍者外交の名手にして指南番」であるヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー博士の「操り人形」に成り切って、今回、「ハワイ→日本→韓国→ベトナム→フィリピン」を歴訪している。この歴訪に当たって、キッシンジャー博士は、世界恒久の平和と繁栄を築くための「新機軸」について訪問先の首脳に説き、これに従って、とくに最重要懸案である「米朝和平」(米朝国交正常化・平和友好条約締結→朝鮮半島統一)を実現するよう指南した。トランプ大統領は、忠実に動き、歴訪を成功させつつある。これは、すべてをお見通しの天皇陛下の側近筋からの極秘情報である。
%%%%%板垣〔怪〕情報転載終わり

 もう一つネット情報です:
%%%%%小池百合子、前原誠司の失脚の裏に米国政府 在米日本大使館の内部文書入手〈週刊朝日〉  2017年11月17日号より加筆
 ゴルフ、最高級鉄板焼き、米兵器の“爆買い”とトランプ大統領の“貢ぐ君”と化した安倍晋三首相。だが、その裏で米国を巻き込んだ憲法改正、野党分断などの日本改造計画が着々と進行していた。本誌が入手した在米日本大使館の報告書に記された米国の本音とは──。
* * * 
 訪日中のトランプ米大統領は「日本は極めて重要な同盟国だ」と述べ、安倍晋三首相との5回目となる首脳会談に6日午後、臨んだ。
安倍首相も「日米同盟の絆をさらに確固たるものにしていきたい」と応じたが、11月に発足した第4次安倍内閣の本丸はズバリ、憲法改正だ。
政府筋は「安倍官邸は単なる9条3項の自衛隊の明記にとどまらず、『国際平和に貢献するために』という文言を付記して、自衛隊が海外で自由に集団的自衛権を行使できるという解釈にしたい」と明言する。
 元外務省国際情報局長の孫崎享氏も「米国が求めるように自衛隊を海外派遣できる環境づくりに北朝鮮の存在は絶好のチャンス到来だ」との見解を示す。
 総選挙後、在米日本大使館がまとめた内部文書を本誌は入手した。
《改憲勢力が発議可能な3分の2を確保した総選挙結果は米国には大歓迎の状況だ。むしろ米国が意図して作り上げたとみていい。民進党を事実上、解党させて東アジアの安全保障負担を日本に負わせる環境が改憲により整う非常に好都合な結果を生み出した》
 そして《日本が着実に戦争ができる国になりつつある》と分析。こう続く。
《米国には朝鮮有事など不測の事態が発生した時に、現実的な対応が出来る政治体制が整う必要があったが、希望の小池百合子代表が踏み絵を行ったのは米国の意思とも合致する》
 前出の孫崎氏は、16年6月に撮影されたラッセル国務次官補(当時)と森本敏元防衛相、小野寺五典防衛相、前原誠司前民進党代表、林芳正文部科学相、西村康稔官房副長官、自民党の福田達夫議員、希望の党の細野豪志、長島昭久両議員、JICA前理事長の田中明彦氏らが安全保障について話し合った国際会議「富士山会合」の写真を示しつつ、こう解説する。
「米国の政策当局者は長年、親米の安倍シンパ議員や野党の親米派議員らに接触、反安保に対抗できる安全保障問題の論客として育成してきた。その結果、前原氏が民進党を解体し、同じく親米の小池、細野、長島各氏らが踏み絵をリベラル派に迫り、結果として米国にとって最も都合のよい安倍政権の大勝となった」
 安倍官邸は圧勝した総選挙で、いかにも日米同盟によって北朝鮮問題が解決するかのような幻想を振りまいたが、先の在米日本大使館の報告書には“本音”と思われる記述もあった。
《むしろ、心配な点はイラク戦争に向かった当時と現在の朝鮮有事とでは、比べようがないほど米国民は関心がない。日本や韓国が(軍事)負担を負うことが確実にならない限り、米国は軍事行動には踏み切れないのではないか》
 安倍首相はトランプ氏との“蜜月”を武器に来年秋の総裁選3選を確実にさせ、「当初の東京五輪勇退の意向から、21年9月の任期いっぱいまで政権を全うする」と周辺に強気に語っているという。
 11月10日にも加計学園の獣医学部新設が認可され、安倍首相の「腹心の友」である加計孝太郎理事長が会見する段取りだという。
「森友問題は近畿財務局のキャリア官僚の在宅起訴で手打ちとし年内に両疑惑ともに終息させるつもりです」(官邸関係者)
 そして18年中に国会で改憲発議、19年春には消費増税先送り表明、同7月に参院選と同日の改憲国民投票のシナリオを描いている。
 米国の共和党系政策シンクタンク勤務経験もある外交評論家、小山貴氏はこう怒る。
「こんなときにトランプ氏とのんきにゴルフをしている安倍首相自体、リーダーとして世界の嘲笑の的です。安倍政権は日米同盟を堅持するため、憲法9条をいじり改憲で自衛隊を海外派遣したいのでしょうが、政策の優先順位が違う。国民生活無視の政治を続けるなら即刻辞めるべきだ。国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい」
(本誌・村上新太郎)
%%%%%
 
+++++スマトラ地震〔2004年〕が日本列島を揺るがす(3)
 地震の波の振幅は震央〔震源〕から発射される方向に強く依存します。波の方位依存性(
Radiation pattern)と呼ばれます。
〔図1:実体波 ↓◆味弌ぃ喃函佑班縮滅鉢この場合はR波のみ)の振幅方位依存性)
radpat3416

 たとえば横ずれ断層が放射するP波、S波は上図左,里茲Δ淵僖拭璽鵑箸覆蠅泙后S波については、まさに断層の走行方向で最大振幅となります。これが1995年1月の神戸地震での建築物倒壊分布と合致します(勿論、断層走行方向に無い建築物でも拠って立つ地盤が脆弱であれば大きな損傷を受けます)。走行方向ではP波の振幅は0〔P波の節面と呼ばれる〕ですから、それが損壊に影響を与えたということは考え難いのです。Pに付された1、Sに付された5.1は振幅です。S波の振幅はP波の最大振幅の5.1倍ですから、それをまともに食らった建築物には大きな負荷がかかります。

 一方、図の右側△了例はP波の振幅が建築物に損壊を与えた事例と言えるかもしれません。1998年9月3日に岩手山の南西、深さ7kmにM6.1の地震が起きています〔岩手内陸北部地震〕。この地震の発震機構解の鉛直断面への投影を模式的に併描しました。(地震調査委員会 )。この場合には、真上で感ずる大きな振動がP波であった可能性があります。真上の建築物は最大P波に襲われたかもしれません。実際住民は下から突き上げるような震動を感じたと語っています。まれな事例であると言えます。

 一方表面波の振幅方位性は単純ではありません。スマトラ地震の発震機構解は「純傾斜すべり(pure dip slip)型」と呼ばれます。この場合には断層面の傾きの方向でレイリー波と呼ばれる表面波の振幅が大きくなります。そしてこの方向に米国西海岸サンドレアス断層があり、レイリ波の進行方向に九州を含む日本列島があります〔若干ずれていますが〕。

 さて、前回九州で二つの場所を考えました。一つは2016年4月の熊本地震が発生した領域です。そこでは、それらしい形跡が無いでもありませんでしたが 不確定さが残りました。今回は日向灘を含む九州東岸域です。
〔図2:調査対象域、今ブログ記事では域、矩形EFGH内の地震活動を調べる。、調査する地震の発生期間は図のトップにしめされている。描画の原点は2016年4月16日の熊本地震の震央。二回クリックで拡大図〕
171107TwoAreas無題

 今回調査する⇔琉茲癲▲好泪肇蕕畔胴饑廠ご潺汽鵐▲鵐疋譽▲甲覗悗魴襪崑膠( Great circle)、上、つまり表面波の伝播経路上にあります。そこでこの領域EFGH内の地震活動の深さ、発生時を調べます。

(図3: 上記矩形内の地震活動についてその深さ分布〔上〕、および時間推移〔下〕。二回クルックで拡大図)
 171110EFGH無題

 深さ分布〔上〕では明瞭なフリピン海プレートの九州下への潜り込みを見ることができます。GからFに向かって地震の発生する深さが大きくなっている。プレート内あるいはプレートと九州を載せる陸のプレートとのこすれ合いが地震を引き起こしているとの「考え」に整合しています。上の図では潜り込みラインである南海トラフ〔海底渓谷〕が図示されていません〔渓谷の軸の座標をいまだ読み取っていないため〕。そうではあっても、ここでも地震はどうやら渓谷軸の外側でも起きているようです。関連議論は後日致します。

 この図で着目すべきポイントが二つの赤→と青→で示されています。まずは左側の赤→です。この地震活動の発生時期がまさにスマトラ巨大地震の発生時期です。とすれば右側赤→の活動も、時間的には遅れているが、起源はおなじではないのか?
 次に左側に付した二つの右上がりの矢印です。これも興味深いことです。現時点ではこの正体は不明です。後日詳細な検討をします。

 図3のEFGH内地震活動の時間推移をまとめたものが下図です。
〔図4:EFGH内の地震活動の時間的推移を発生頻度に整理した〕
171110HistEFGH無題

 説明の要はありますまい。まさに2004年12月26日、スマトラ地震の大振幅を持った表面波が到達するころ、この地で活発な地震活動が起きています。私自身、これほど明瞭な活動ピークが出現するとは予期していませんでした。フト思い立ったら、億劫がらずにやってみるもんです。よい教訓でもありました。

+++++常陸国風土記。鹿島条(1)
 
 まずは2016年11月4日記事 をおさらいしておきます。これは風土記について現在知られていることをウィキを頼りに整理したものです。
%%%%%過去記事抜粋
風土記(ふどき)とは、奈良時代初期の官撰の地誌。元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、主に漢文体で書かれた。律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は、各国の事情を知る必要があったため、風土記を編纂させ、地方統治の指針とした。[2]
『続日本紀』の和銅6年5月甲子(ユリウス暦713年5月30日)の条が風土記編纂の官命であると見られている。
(再掲記事中略)
写本として5つが現存し、『出雲国風土記』がほぼ完本、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損して残る[4]。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用された一部が残るのみである。ただし逸文とされるものの中にも本当に奈良時代の風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。
〔再掲記事中略〕
 上のウイキ記事が書く和銅6年の詔に先だつこと五年の和銅元年に看過できない詔が発布されています(2012年9月14日記事(古代の焚書 ))
===続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
《和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一)》和銅元年春正月乙巳。武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も語句につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
===抜粋おわり

 712年が古事記の撰上、720年が日本書紀の撰上と続日本紀は書きます。その『史書』の編集作業の終盤で、列島内には様々な「禁書」があったのです。近く、完成する古事記なり、日本書紀なりの「日本列島歴史書」が、これらの禁書と整合しないことを不比等は怖れたのです。そこでその禁書を完全に歴史から抹殺、葬り去るとの重大な決意をしたのです。

 さて、風土記の詔は古事記撰上の翌年です。古事記編纂作業途上で回収された『禁書』群を吟味し、どうやら「妙な記載」が出てこないであろうとの判断を下したのでしょう。かくして、次の作業は古事記を改定し最終的な「正史」の完成を目指すことになった。その際に集まった『風土記』が活用されたのです。しかし、集まった風土記は最終編纂過程にある日本書紀の『藤原不比等史観』にそぐわないものがあったに違いありません。

 かくして、完全本に近い風土記は僅か五冊。つまり、この風土記だけは、日本書紀編纂方針に抵触しなかったのです。残りは廃棄されているか、或いは、全く作成されていないのです。

 風土記作成時期を念頭に置いて、改めて現存するもの、逸文として出現するものを眺めると合点が行くことが多いのです。
(図1:風土記の完本、又はそれに近い文書が残されている古代の国。東国は常陸だけであることに注目されたし)
161104風土記004

 一つは東国を語る風土記の存在です。熾烈な「陣地争い」があったと思われる常陸の国に多くの記述を割きます。野蛮人の跋扈する「常陸の国」が中央から派遣された文明人に服してゆく様子を書きます(私は、この記述について詳細な検討を後日加えます)。しかし、東国に関してはそれだけです。下総、上総でも熾烈な戦いがあった筈ですが、風土記はありません。
 さらには、万葉集85歌の主人公”毛長女”(けながひめ)の舞台「下毛野」、「ワカタケル」なる王名が刻まれた鉄剣が出土した「上毛野」、および「肥後」についても風土記が作られた様子はありません。東国の政治的拠点があった「磐瀬」については、風土記が「逸文』ですら残っていません。こ

 こうした欠落について、記紀史観に縛られる古代学研究者はいかなる疑問も持ちません。ワカタケル王も、飯豊姫も全て奈良盆地にいたと信じて疑わないからです。

 風土記の地理的偏りには、藤原不比等の政治的思惑があったと思うべきなのです。壬申の乱の主要舞台であった筈の「肥後国」、敗者を押し込めた「信濃国」などについて風土記が遺されていないのも同様の政治的思惑によるのです。
%%%%%過去記事再掲おわり

 現存する五つの風土記についてその記載分量を比較してみます。本来であれはきちんと字数を勘定すべきところですが、ここでは「風土記」(植垣節也偏、小学館、1997年)の記載量を使用頁数でもって比較します。記載内容は、「原文」、「訓読」、「現代文意訳」、そして「注釈」から構成されています。原文の漢字数は、記載総量に比例しているであろうと仮定しています。
さて、まずは5つの風土記の記載総頁数比較です:
播磨風土記(九郡) 117頁、出雲国風土記〔十郡〕 145頁、豊後国風土記(八郡) 25頁、肥前国風土記(十一郡) 43頁、そして常陸国風土記〔九郡〕69頁。

 現存している風土記は、わずか五国です。他は散逸してしまった、とされています。私は、散逸したとされる風土記の大部分は編纂完成を目指してはいなかったのではないか。言葉を変えると奈良の中央政権が、それを期待していなかったと思っています。 完成された五国風土記が日本列島の歴史観をおおむねカバーしていると不比等は考えたのだと思います。
不比等の構想する日本列島史の重点は八洲創造巻である出雲国、卑弥呼たる神功皇后時代と息子の応神天皇を記述する播磨国で足りたのです。しかし、欠けている物があるとすれば、それは野蛮人が跋扈する東国。それが常陸国です。
それぞれの国を構成する四十七郡のそれぞれの記載量を同じく頁数で以って比較してみます。それは上に書いたことをまさに裏付けています。:
揖保郡〔播磨国〕 29頁、 嶋根郡(出雲国)27頁、0娜Х粥塀弍盛顱26頁、そ弍牲粥塀弍盛顱法20頁、 ス塋郡(常陸国)17頁、餝磨郡(播磨国) 17頁、Ч疆膩粥幣鑪国)14頁

 これから考察する鹿嶋郡は記載量で見るならば七番目になります。東国の野蛮人を記載するとされる常陸国風土記の構成は以下です:

総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、香島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)

〔図 常陸国風土記鹿嶋郡の条冒頭) 
行方最終節

 香島郡の風土記の中での位置づけ、常陸国風土記の中での位置づけをまずは上で見ました。常陸国風土記の中では、鹿嶋郡は奈良の軍事侵攻のターゲットでもありました。しかし、風土記はその侵攻を語らずして、むしろその神学的位置づけを語ります。それが上の冒頭部分です。ここに、常陸国風土記の存在意義があるとは、不比等の構想であったと思っています。
〔つづく〕

スマトラ地震と熊本(1)、幼き我生き様を思わせる安倍氏


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
〔写真:いつもの散歩コース。朝の風景です。「浮か美」とあるのは、は「浮かび」であります. .拡大は二回クリックで〕
171108dawn


 太陽が 霧の彼方に 顔を出し 西の浮き雲 ピンクに染まる

 トランプ米国大統領が三日間の滞在を終え、昨日韓国に移動しました。トランプ氏の自由奔放な「恫喝的言辞」にオドオドと対応するのが我らが政治のトップにある安倍氏であります。
 私、情けなくもこの安倍氏のオドドした、そして卑屈な様子に幼きころの我が身が重なるんです。
 終戦直後の劣悪な食糧事情のせいで、栄養失調。四歳まで直立歩行ができませんでした。おまけに早生まれときてますから小学校での朝礼儀式では最前列、喧嘩にはまったく自信がありませんでした。O君という体力ある同級生にはまるで「蛇ににらまれた蛙」状態でありまして、O君の一言一言には、それに逆らうなんぞは想像すらできず、授業合間の休み時間はずっと彼のお供でありました。その惨めな姿が、ゴルフに「興ずる」安倍氏から記憶がよみがえるのであります。

 もう少し、古き記憶を書くならば、当時は私のような「自らの意思をなくした児童」がクラス内に10人前後おりまして、休み時間には、私を含めた10人前後が列になってO君の後ろを付き従うんですな。さすがにクラスの担任が見かねたのか、それとも同僚の他の先生から指摘されたのか、ある日、ホームルームの時間に担任の先生が「休み時間にO の後ろをついて歩くことまかりならぬ」と宣したのであります。それからは更なる悲劇でありました。これまでの威勢を維持したいO君は、休み時間になると「ついて来い」と一人ひとりに声をかけるんですな。私なんぞは、およそ逆らう気概がありません。その後の顛末は読者の皆様の想像に任せます。

 国際社会にあっては、この点が安倍氏との違いです。国際社会で、トランプ氏の恫喝まがいの発言にひるむのは安倍氏だけです。いわば子分は一人だけです。安倍氏はわれわれ庶民、弱いものに対しては、強気ですが、論理的に議論を挑まれる、上目線からの恫喝にはきわめて弱い。商才に長けたトランプ氏は昨年11月の時点で、この安倍氏の気質を見抜いたのです。

 米国トップとゴルフをし、会見する有様は終日のようにTVで報じられました。「オイラの総理、たいしたものでねーーか!」と、支持率が上がるのでしょう。しかし、以下の新聞報道のような話し合いの内容を詳細に提供する番組は少なかったようです。安倍氏は、まさに上に書いたように「口答え」の一つもしなかったようです。それだけの気概と、論理構成力、語学が欠けているのだから当然ではあります。それでも、時にはトランプ氏の耳に届かない程度の小声で何かを言ったようでありますが。
〔東京新聞11月7日付朝刊、ニー三面より、.拡大は二回クリックで)
CIMG3405


 尤も、新聞記事の中ほどにあるFMS(Foreign Military Sales)の推移に見るように、安倍氏の年来の野望「軍事大国・日本の統帥」足るべく、せっせと軍備増強をしたい。それにトランプ氏が手を差し伸べてくれているとの思いには叶っていたのかもしれません。

 さて、私のトランプ大統領観であります。自国民のために「なりふり構わぬ」、「既存の外交・政治にとらわれぬ」、「メディアのインテリ風批判を意に介さぬ」などに目を見張らされています。確かに、それは日本国民への「北風」となりますが、それは、日本国の政治家が体を張り、両手を広げて防ぐべき課題です。そこに国際外交があるのだと思います。が、あの安倍氏の「ヘコヘコ」からは望むべくもありません。

+++++脱線(2)
 前回記事で英国科学雑誌「nature」記事を紹介しました。その中でスマトラから米国までの距離が八千キロメートル(原文は the San Andreas fault some 8,000 kilometres away)と書きました。後で書くようにこれは一万八千キロメートルの間違いです。多分、18,000であるべきが先頭の1がうっかり欠け落ちたのでしょう。訂正しておきます。しかし、それを見逃した私も我ながら「どうだか」と反省したしだいです。伝播速度4km/secで地震波〔表面波〕が走るとすると18000/4=4500sec;4500sec/3600=1.25hours(1時間15分)後にスマトラ島の大事件に起因する大地の地変は米国カリフォルニアに届くことになります。
ついでなので、もう一つ付記しておきます。原文は
“Taka'aki Taira and his colleagues suggest that the Indonesian quake also could have triggered a spate of magnitude-8 shocks around the world.”と書きます。 以前、これに関する記事を掲載したことがあります:

(図:1940年以降の巨大地震〔Mw>=7.8〕.拡大は二回クリックで)
171108Mw_time


  Taka'aki Taira氏の指摘は、2000年代の二つのM9地震に続く地震活動には当てはまりそうですが、それ以前では、氏の指摘とは異なる地震活動パターンのようです。とは言っても地震学は地震観測計器の進歩、そしてその地球上に配置されている地震計の個数に著しく左右されます。
 一概に比較できないところが、この分野の研究の難しさでもあります。そういえば、二ヶ月ほど前に手をつけていた巨大地震の話。ここにも興味深い話があるのですが、その後におきた海溝東側の地震の調査にかまけて中途半端になっています。ちかく、興味深い話をお届けします。

 2004年4月26日にスマトラで発生した地震はスマトラ島西岸域を襲い、一日を経たずしてタイ、スリランカ国に多大な津波災害をもたらしました。そればかりか、インド洋周辺の国々にも大津波が押し寄せ国連集計によれば、人命の損失は25万にも達するといわれています。
 とある国際機関のスタッフが語るには、多くがクリスマス休暇で帰国していた中、仕事の都合で職場にとどまっていたところ、スリランカの大使が涙ながらに駆け込んできて、言うには「この機関は地震を監視するために世界の合意のもとで設立された組織であろう。それが何故、今般のこの大惨事を予見できなかったのか〔怒っ!!〕」というわけです。もちろん当時の地震学の知識では、否、現時点ですらも地震予測は不可能です。そうは言っても各国の国民の稼いだ金で運営されている機関が「そりゃあ、おいらには関係ねーーだよ」といい逃れるほど世界は甘くはありません。こうして、この国際機関は地震防災のために「しかるべき役割を果たすこと」を新たな任務として付け加える事となりました。さらにはこの地震を契機にユネスコにも「津波に関する」新たな部が設置され、初代の部局長には日本国気象庁の役人が任ぜられました。

 この未曾有〔ミゾユウ〕の大災害の被災国・被災者の救援のため、各国政府が被災者・被災国にどれだけの寄付金を出すかが話題になりました。こうした場合多くの国が先を争うようにして法外な拠出金の寄付を高らかに公言するのだそうです。ところが、時間が経過し、そうした熱が冷めてしまうと「公言したはずの寄付金」を忘れてしまう。ところが各国の民にはこの緊急事態にあの国は「xx万ドル」もの寄付をしたとの記憶のみがとどまる。お隣の中国が打ち上げた寄付金額は日本の一企業がポンと出した寄付の一割程度であったとか、生臭い噂話が飛び交ったものです。各国の外交官がそれなりに世界の国際世論を気にしていることのあらわれであると、したり顔での解説がTV上でなされたものです。

 それはさておき、前回記事では斯くも遠地に大地変が届いているのであれば、わが日本列島にも届いているに違いないと想定し、2004年4月21日以降10日間の東北日本の地震活動を、気象庁のデータを用いて調べました。結果は、案に相違して思わしいものではありませんでした。
〔図1: スマトラ地震から見た世界の59個の巨大地震。1940年〜2017年。右はスマトラ地震の裏側から見た地球、.拡大は二回クリックで〕
171108both無題


 米国西海岸サンドレアス断層は、スマトラ巨大地震の震央から北40度東の方角にあります。それが赤→線で示されています。興味深いことは、この→線をさらに越えるとペル・チリの西海岸、すなわちプレート境界の巨大地震発生地にいたります。このことは後日検討することとして、スマトラから発射する矢印が日本列島の西側を通ることに着目して、前回記事では東北日本の地震活動にスマトラ地震の痕跡のありや無しやを調べたわけです。そこでの結論は、あるようにも見えるが、明瞭ではないということでありました。

そこで、今記事ではその場所を変えてみようというわけです。選んだ場所は九州です:

〔図2:スマトラ地震の影響の有無を調べた二つの場所、データは気象庁提供、m>0.期間は図の最上部にある。作図の原点は2016年4月16日熊本地震の震央、.拡大は二回クリックで〕
171107TwoAreas無題


 領域ABCDは2016年の熊本地震の活動域となった、いわゆる中央構造線の四国からの西側延長部分に当たります。その発想は、サンアンドレアス断層が横ずれ断層であるからには、はるか遠方の地震に感応するには、似たような断層タイプが感応しやすいのではなかろうかとの単純な思い付きであります。
 そこで、この領域の地震活動の時間的変動を眺めるとなんと!なんと!なんであります。

〔図3:領域ABCD内の地震活動。半日毎の地震数の時間変動を調べたもの、.拡大は二回クリックで〕
171108activity


 まさに12月26日午後に地震数がピークに達しています。ちなみにスマトラ地震は日本時間で12月26日午前十時前後です。距離は4000kmです。4km/secの表面波が熊本に達するのに1000秒、すなわち16〜17分要します。言い換えるならば12月26日の午前ごろには大きな表面波が届いていたと思えます。
 しかし、喜んでばかりはいられません。図3で見ると熊本での地震活動の高まりは日本時間で12月25日夕刻から始まっています。これはどうしたことか?地震の波が自らの出自、すなわち「オイラはスマトラから来ただよ」と語ってくれない限り、この疑問には答えにくい。たとえば、たまたま一日前から微小地震活動が始まっていた、と考えるのが一番自然だからです。

 そこで、次回は△領琉EFGHを見ることにします。
(つづく)
 記事が長くなりましたので、日本列島古代史は休みます。

 冒頭の記事に関連する議論が日刊ゲンダイに掲載されていましたので、コピペしておきます。
171108ゲンダイ2345



常陸国風土記・行方条〔最終)、スマトラ地震〔2004)と日本の地震

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:恒例の朝の散歩であります。連れが「まん丸ではなく、右下が欠けている」と言うのですが、肉眼ではわかりません。こうしてデジカメで見ても定かでありません。しかし、十七月ですから、欠け始めていることは確かなはずです)
十七月3383


 十七(ジュウナ)月 そろそろ欠けが 目立つはず 夜明け前に 南西に浮く

+++++常陸国風土記・香島郡の条
 奈良から派遣された部隊の目的は香島に拠した東国・権力の打倒であった。「東国・権力」と書いたのは、そこが、日本列島の東に跋扈する野蛮人の集合ではなく、れっきとした支配構造を有する「国」であったからです。その香島を守護するべく常陸国のとりわけ行方の地には東国のどうやら最精鋭の部隊が配備されていました。奈良の軍勢は、日本列島に侵攻してきた唐・新羅連合軍、および各地で屈服させた国々の民を自らの配下に加え、激しく行方に攻め入り、ついには行方郡の攻略を終えました。いよいよ北浦を横切って香島侵攻です。
それを書く前に一つ書き加えておくことがあります。それは下の図の最右行です。

〔図1:常陸国風土記行方郡の条、最後部分〕
行方最終節


 “有国栖名曰寸津魮〔原文は田偏に比ですが、当方のPCにそのフォントが無いので代用〕古・寸津魮売二人其寸津魮古唐天皇之幸違命背化甚无粛敬・・・・・”のくだりです。常陸国風土記の電子化版を見つけ、ここに該当部分をコピペするはずでした。しかし、それが叶わず、一字一字「手書き」機能で対応する漢字を探す羽目となりました。この作業は年寄りにはきつい。時間がかかりすぎます。というわけで途中で諦めて「・・・・」となってしまいました。お許しください。
 さて其の文意は:
「南に藝都の里あり。古〔いにしえ〕国栖、名を寸津魮古(きつひこ)、寸津魮売(きつひめ)と言う二人がいた。寸津魮古は天皇の行幸にあたり命令に違(たが)い化〔おもむけ〕に背き甚だ粛敬(いやなし)であった〔つつしみ敬うことがなかった〕。そこで、剣を抜いて其の場で斬殺してしまった。そこで、寸津魮売は恐れて白き幡多(はた)をあげて道に迎え拝(おがみ)奉った」〔小学館「風土記」植垣節也偏、386頁より〕。

 ずいぶんと酷いことをしたものです。風土記編者が奈良軍勢の蛮行エピソードをこっそりとここに忍ばせたのではなかろうかと想像しています。あるいは、編纂の責任者であった常陸国国司も其の書き込みを承知していたのではなかったか。それほどに行方の各地で酷い殺戮行為があったのではなかったか、なぞと私は想像します。
風土記では、其の天皇は「倭武」であるとしていますが、其の殺戮行為を働いたのは、奈良からの侵攻軍の長であったろう、具体的には建貸間命その人であったとの想像には理由があります。
 この地には遠く西域からの渡来人が多く住まっていたことは、本ブログ記事のいわば主題に近いことなので、読者の皆様はとうに承知のはずです。そして「武王」の出自も同じ西域です。渡来した仲間を「不敬」であるとして斬殺することは考えにくいからです。
 そうなると斬殺された寸津魮古と寸津魮売の名前は古代ペルシア語に由来するはずです。いつものように「現代ペルシア語辞典」を開くと古語に「kitu」( ラテン文字表記)」なる語があります。意味は「沈黙」です。私はこの二人の兄・妹は「唖者」ではなかったかと想像しています。そう考えると「粛」とは奈良軍勢の指揮官の問いに答えることができず、沈黙したままであったとの状況が見えてきます。さらには、この指揮官を妹が「白旗」を掲げて迎えたとのエピソードも「口頭で歓迎の意を語れなかった」との情景を記していることになります。

 ところで「寸津」に「キツ」なる音〔かな〕をあてています。学研大漢和辞典〔藤堂明保監修〕によれば「寸」には「キ」なる日本語の読みがあると説明しており、其の意味は「馬の背丈を計る単位」とあります〔369頁〕。これは漢字本来の意味と異なる日本語特有の意味・用法であると説明します〔同辞典2頁〕。古語ペルシャ語に「khiel」なる語があり、意味は「騎兵隊」、「馬の群れ」とあります。

 どうやら「寸」も馬にかかわる外来語、すなわち古代ペルシア語ではなかろうかと思えます。それに表音文字として「寸」なる漢字を当てたと思えます。ということは「スン」、または「ソン」と音するペルシア語がそもそも古代にあり、それが「khiel」なる語に外来語間の転化が生じたのではなかろうか、などと想像を逞しくしています。

 さていよいよ香島です。冒頭の出だしには戦闘場面はありません。本当に無かったのか?おいおい考察を進めます。 
〔つづく〕

+++++海溝外(東側)の地震論議から脱線
 東日本の地震活動とりわけ2011年3月11日のあの巨大地震に海溝外側〔東側〕の地震活動がかかわっていたのか否か?言葉を変えれば、プレートが日本海溝で潜り込むという挙動を開始する前に、海溝の東側で、ミシミシとひび割れ状態を展開していたのかどうか?を確認したいと考えたわけです。それを検討するために気象庁の地震データを調べてきました。地震データというものは不思議な魔力があります。ある年以後の地震活動を眺めていると、その一年前はどうであったのだろうかということが気になります。
 つまり、2011年3月の地震前はどうであったのか?というわけです。それを知るために気象庁2010年データのダウンロードとなります。こうして次々にその年から、更に過去にさかのぼってしまうんですね。こうしてみる過去の地震活動の推移はそれなりにまことに興味深いものがあります。
〔図2:過去の地震活動の例、2010年1月1日〜2011年3月9日、11時00分。3月9日11時47分M7.3の地震はあの巨大地震の直前に発生し、活発な余震活動があったことがわかっています。図で点(-150、100)のあたりが、気象庁が求めた311巨大地震の震央です。〕
jms2010_16bf110309

確かに、3月9日以前に、地震活動の海溝東側への染み出しがはっきりと認められます。それでは其の前年である2009年は?てな具合です。しかし、本ブログではそれは後日に書くことにして以下、少し脱線します。

 一年前はどうであったか?そのまた一ねっまえは?てな経過をたどって、結局2004年にまで遡ってしまったんですね。さてそうなると、思い出すのが米国地震学者の発見です。すなわち、八千キロメートルもスマトラの震源地から離れた米国西海岸サン・アンドレアス断層のとある場所で、突然微小と言えども地震活動がスマトラ地震発生の直後に励起されたというのです。それを米国雑誌natureが書きます。
 以下は、その科学誌に掲載された「地質断層は地震研究者がかって予期したようには挙動しない」と題する記事の抜粋です。
%%%%%米国でスマトラ地震によって地震が起きた!! 
Seismology: Shaking up earthquake theory
Geological faults are not behaving as scientists once expected. Glennda Chui reports on efforts to forge a new understanding of quake behaviour.
…..
(exerpted)
Scientists had known for some time that smaller earthquakes can come in clusters; that's what happens when the ground rattles with aftershocks following a major tremor. But the idea that one large quake could follow on the heels of another was startling. Researchers now routinely talk about large quakes triggering others, both on nearby and distant faults.
時に小さな地震が固まり状になって起きることがある;大きな地震に続いて起きる余震がその事例である。しかし、大きな地震が別の地震の後に起きてびっくりすることもある。大きな地震が別の地震を距離的に近くにせよ、遠くにせよ引き起こすことについて地震研究者は語るようになっている。
In fact, the giant 2004 Sumatran quake was followed by an unusual pattern of small tremors near Parkfield — suggesting that the Indonesian event had weakened the San Andreas fault some 8,000 kilometres away, according to an analysis published this month7. In that study, Taka'aki Taira, a seismologist at the University of California, Berkeley, and his colleagues suggest that the Indonesian quake also could have triggered a spate of magnitude-8 shocks around the world.
 実際、2004年のスマトラ地震は米国西海岸パークフィールド近くで尋常ならざる小地震活動を伴った。これはインドネシア地震がそこから8000kmも離れたサナンドレアス断層を刺激したことを示唆する。これは最近発表された論文が書いている。その論文で、Taka'aki Taira a seismologist at the University of California, Berkeley,と彼の同僚はインドネシア地震が世界のM8クラスの地震を多く引き起こしたことにも言及した。
Karen Felzer of the USGS in Pasadena, California, says that she has come to believe that many quakes of all sizes are triggered by other shocks, rather than simply responding to local forces. "Personally I agree with Jackson and Kagan that elastic rebound doesn't really happen — that what is controlling the timing of all earthquakes is the triggering process."
Karen Felzer of the USGS in Pasadena, Californiaは多くの地震が局地的な応力というよりはむしろ他場所での地震によって引き起こされると信じるようになった、という。個人的には弾性跳ね返り説が実際には起きていないというJackson and Kaganに同意する、とも語る。つまり地震の発生タイミングを支配するのは惹起過程であると。
〔以下省略〕
%%%%%
 もしかして、この励起は日本列島でも見出されるやも知れない!!まさに脱線です。科学上の新発見はこうした一見取るに足りない事象へのこだわりに始まります。そんな気負いで東北日本の地震活動を、仔細に眺めてみました:
〔図3:東北日本の地震活動。期間は2004年12月21日〜同年12月31日。便宜上図は、右が北を指すように描かれている。図の下は横軸が南から北への距離〔km〕、縦軸は時間〔日数〕。最下底は2004年12月21日、最上端は同年12月31日〕
171106東北無題

 
 こうしてみると3つの活動がこの期間、この場所では見られます。最左は2004年10月23日の新潟県中越地震〔M6.8〕の余震です。地震発生二ヵ月後も延々と余震が続いていたことがわかります。その右に宮城沖の地震活動があり、最右に根室界隈の地震活動が認められます。この地震活動の時間推移を眺めると、そこに、なにやら2004年4月半ば、すなわち2004年12月26日に活動の変化が(そうした偏見で見るならば)あるように見えます。それを赤の点線丸で示しました。地震活動の乱れのようなものがあるようです。これは何か?

 そこで、根室界隈に絞ってその地震活動を眺めて見ます:
〔図4: 北海道根室界隈の地震活動。期間は図3と同じ。下は図3とおなじで縦軸は日数で表した時間推移〕
171106北海道無題


 赤丸で囲んだ部分がスマトラ地震発生の時期です。どうもすっきりとした活動の変化は見られません。ところが、この領域の地震活動の日変化はまことに興味深いのです。
〔図5:図4に示した領域内の地震活動の日変化〕
171106根室無題

 根室界隈では、どうやら12月24日ごろに活発な地震活動があったようです。それがいったん静穏化して二日後の12月26日に活動が再発しています。これぞ、スマトラ地震がひきおこしたのではなかろうか?!
 というわけで、この〔脱線〕考察、もう少し続けます。乞う、ご期待!!
(つづく)

海溝東の地震(7)、奈良軍勢の鹿島侵攻直前、加計に怒!!!


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:東京新聞11月3日付一面記事です。二回クリックで拡大できます)
東京加計3360


 語らずに 稚拙に騙る 安倍首相 なれど支持率 上がる不思議さ

 今朝のTVで安倍氏が語って(騙って)いました「・・・国会での私の説明をTVでご覧いただいてくださった国民の皆様には、ご理解いただけていると思っております云々〔でんでん〕・・・」と。「疲れている」表情ではありましたが、ヌケヌケと言い張るんですな。
 太古の昔より時の権力者が富者〔分限者=財界)とつるんでの権力三昧にわが同胞は慣れているんですな。だから、わが同胞の大半はまったく怒らない。

 大学設置・学校法人審議会の文部科学大臣への答申は「大学としての体裁が整っている」との判断を書いているとのこと。そこには国家戦略特区対象の案件が満たすべき要件(いわゆる石破四要件)に照らした議論は無い。これは原子力規制委員会での原発容認審査と同じですね。自らの役割を狭い枠に意図的に閉じこめて、その中で、議論する。これは委員会の責任逃れなんですね。一見整合性がある。さらには他の機関・組織との管掌領域の侵犯も無い。まことに無難な審議です。そこには当然、国の経営、民への思いやりといった大所高所の視点は欠片も無い。審議委員に任ぜられる大学の先生・有識者の面目躍如なんでありまするよ。

 こんな首相をいただいたことも不幸ですが、それに正論を持って対峙せんとの気概を持った審議会委員・識者は疾うにそうした場からは排除されています。それで支持率は上がる。どうなってるんですかね。わが民は!! 私が異端であるとは思いたくないんであります。私自身を含め民の心理状況に思いを致さぬではありませんが、語っても詮無きことであります。

+++++常陸国風土記行方郡(和解持ちかけ)
 奈良の藤原権力から増派された部隊を指揮したのは建貸間命です。行方郡南部にあってその軍事行動に激しく抵抗した現地の民の先頭に立ったのは夜尺斯、夜筑斯です。この名前は侵略軍が付した呼称と思えます。「やつらは夜刀の残党だ。それにサカ、ペルシアだ。九州の奴らも混じっている」といった現地民の構成をそれなりに把握していたんですな。それは奈良中央に報告され、後日常陸・国司にもしかるべき報告されていたのでしょう。

 戦況は一進一退の膠着状態が繰り返された。何せ、「凶狡猾」と呼ばれる「賊」は、地の利を知り尽くした抗戦です。逃げると見せかけて藪に待ち伏せての奇襲攻撃、堅固な土壕などなど、奈良侵攻軍は大いに苦戦を強いられたに違いありません。建貸間命には奈良からの遠征途上で調達・徴集した多数の民〔戦意があったか否か破定かでありません〕が追従し、彼らは唐・新羅から供与された新型武器を携えていたでしょう。前回記事で上野三碑を書きました。その山上碑には自然石を用いた形状が新羅技術と酷似しているとの解説がありました。現在の千葉県・市川、かっての下総国の国府ですが、そこにも新羅からの移入と思われる土器・遺物が出土しています。
 こうした朝鮮半島文化の影響を受けた考古遺物について、一般には朝鮮半島と日本列島の文化交流の結果であると、物の本には書かれています。それを否定はしません。が、東国でのこうした考古遺物の出土には、東国へ移動した新羅の民が背景にあるはずです。その新羅の民の実相は一般庶民ではなく、軍事支配を動機とした視察です。
 前回も書きましたが、如何に頭数が多かろうとも、如何に最新の装備で身を固めようとも、土着の民の、自らの地・家族を守るための抗戦を力づくで押しつぶすことは至難なのです。この真実を米国によるベトナム侵攻が教えています:
〔記事:11月2日付け東京新聞、竹田茂夫氏ブログ)
CIMG3363

 つい最近の暴虐事件たる「ベトナム侵攻」にあっても、米国は謝罪はおろか、いかなる弁済措置もなさず、あの侵攻は米国史には無かったことにされそうとのこと。ましてや今から1300年も昔の日本列島での残虐史は、歴史の専門家が叫ばずに誰が叫ぶのか!ましてやその残虐の張本人がでっち上げた歴史に基づいた史観を崇めるよう強制する「日本会議」に蝟集する安倍氏とその一派を思うにつけ、正しい歴史認識を!と訴えたい気分であります。

 それはさておき、建貸間命は、膠着状態からの脱却を図って作戦を練ります。これは陰謀大好き人間であった藤原不比等の薫陶よろしきを得た建貸間命の考えそうなことです。
 まずは、現地軍の抗戦から学び、自らの軍勢から選んだ武人を要所要所の物陰に送り込み、忍ばせます。現地の民に発見されるならば、瞬時に捕獲されますから、勇気の要るいわば特攻隊的任務です。まさに決死の覚悟であったでしょう。
〔図2:常陸国風土記・行方郡の条、最終部)
170721行方3802無題


 そうした準備を整えた上で、現地民に休戦または和解を申し入れたのです。それが「飲めや!詠えや!」なる宴会です。ここから連想するのが明暦三年(1657年)の大火の年に旗本奴白束組・水野十郎左衛門宅に招待され、だまし討ちされた幡随院長兵衛の風呂場での刺殺事件です。
 余談でありますが、私は長く明暦の大火の出火は本郷駒込の吉祥寺と思い込んであおりました。しかし、明暦大火の出火は、そこから南へ1kmほどの現在の菊坂近辺とのこと。すぐ近くの本郷三丁目角には「本郷もかねやすまでは江戸の内」なる碑がありました。今はどうなっていることやら。
私の思い違いではありましたが明暦大火の翌年に、吉祥寺出火の火事があったと史書は書きます。

 さて、「和解」の宴会に招いておいて、油断をさせ一気に抵抗軍の首領を殺戮、こうして行方に跋扈した抵抗勢力「凶悪狡猾」なる賊を鎮圧したのです。こうしていよいよ建貸間命率いる部隊は鹿島に侵攻することになります。その地は鹿島を対岸に見る「大生」です。
〔図1:行方郡詳細)
 2017年1月13日記事 でこの地を書きました。
行方地図


 その侵攻の段取りが上記の赤枠です。以前の記事に書きましたので再掲します。
%%%%%1月20日記事より転載
 赤の転戦部分こそが、行方郡のクダリの最終部の一節です。この地で倭武天皇(古事記は倭建命と書く)が相鹿丘前の宮に座していた(図1で18番、22番である大生のすぐ北)。ここに膳炊屋舎を建造し、舟で渡河出来るよう舟が停泊できるような艀を作ったと書きます。
〔図2 行方郡条、最終節)
行方最終節


 行方郡の条は、官の目が厳しい中で、常陸の民の切ない反抗を心に刻み、できるだけ真実をと、ここまで具体的に書いていたのです。奈良の中央権力が何処まで真実を書き記すことを許していたのかどうかは定かでありません。図に見るようにまさに敵の中枢である香島の眼前に北浦の水を隔てているとはいえ陣屋を設営し、糧食供給そして水運までも整え、一気に香島に攻め入る体制を整えていたのです。行方の条はまさにそれを記録しているのです。しかし、奈良の中央権力を慮り、あたかもハイキングの如き書きっぷりとならざるを得なかった。

 さて、その地に大橘比売が自らやってきたと、風土記は書きます。とすれば、当然そこで子を生したでしょう。王の子です。つまり大【おう=王】の子が生まれたのです。かくして此の地は「大生」となったのです。私は、此の説話は奈良の軍事政権の指導者ではなく、香島に拠点を設けた王、つまり扶桑国(東の倭国)の幹部武将(もしかしたら武王自身であったかも)の話であろうと思っています。その事実を意図的に藤原不比等の軍勢にまつわるエピソードとして、風土記に書き加えたのです。勿論、ここで生まれた御子が後世どのような名前で日本列島で活躍するのか、現時点ではそれは定かでありません。
%%%%%転載終わり

(つづく)

+++++東北日本の地震(6)
 東北日本のはるか東沖、南北に走る日本海溝近辺とその東に50〜100kmの広がりを持つ地震活動を調べています。もしや、2011年3月11日の巨大地震に先行して何がしかの普段とは異なる活動が見つかるのではないかとの期待があるからです。
 その調査で、最初に立ちはだかる困難が日本海溝近辺とその東に50〜100kmの広がりを持つ地震活動の地震の深さが決して浅くない。気象庁データベースによればそれらの深さは20〜50kmあたりに分布する。M6を超える大きな地震については、米国に拠点を置くGCCS(Global CMT
Catalogue Search, http://www.globalcmt.org/CMTsearch.html)が「CMT」法で地震の深さを算出しています。そこで得られる深さは大きくない。さて、どうしたものか?
 そこで、今回紹介するのは気象庁自身によるCMT手法での地震源深さです。
(図3:(上)気象庁CMT法によって決定された地震群。期間は2009年から2013年)まで;〔下〕矩形ABCD領域内の地震の深さ分布。X(赤)は辺ABと海溝軸の交点、図拡大は二回クリックで)
171103seis無題


 CMT解で眺める海溝東側の地震の深さは浅くなっており30kmを超えません。P波の各観測点への到達時刻から算出される震源深さについては今後の吟味がなされるべきでしょう。さしあたって、そうしたデータを使わざるを得ない一般利用者には何がしかの補正のためのサジェスッチョンを気象庁は提供すべきです。

 ところで、CMT法によって解析された上記期間の地震についてその発生時期を眺めて見ます:
〔図4 矩形内の地震についてその発生位置と発生日時との関係を見る〕
171103ABTime無題

  海溝の東側にはCMT法が適用できるほどの大きさの地震は起きていないことがわかります。海溝外側の地震活動は、2011年3月11日の地震後に励起されたものなのでしょうか?
 次回、もう少し時間をさかのぼって海溝東側の地震活動を眺めることにします。
(つづく)

もう一つの古代史原点(群馬)・上野(こうずけ)三碑、板垣(怪)情報

(お断り)上野三碑で多くの字数を費やしてしまいましたので、「東北日本の地震」および、常陸国風土記についての記事は次回に順延します。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:公園の沼に咲き残る赤い蓮)
はす3335


"The last rose of summer" という名歌があります。本ブログ記事でも書きましたが、二十数年前、外地から帰還する直前に訪ねたベルリンで鑑賞したオペラであります。
The last rose of summer
 帰国後の職には頓着せずと大見得切って出国しましたが、その時点では帰国後の働き口が定かでは無く、不安を抱えた日々の中でのオペラ鑑賞であったことを思い出しています。
 さて、今回の冒頭写真はThe last lotus of Autumnであります。上の動画のような寂しさが漂ってきません。しかし、蝶が飛んできて受精を助けてくれるのだろうかとの蓮の花の憂いを感じないでもありません。

 老いの身に 染み入る寒さ 木枯らしは 思えば今日は 霜月朔(ついたち)
 
 上野(こうづ(ず?)け)三碑がユネスコ世界記憶遺産に登録されたとの記事を今朝見ました。
(図:上野三碑を報ずる東京新聞1月1日付一面記事)
上野三碑記事3350


 今夏、新潟県の弥彦神社を訪ねました(9月8日記事 )。帰路、学生時代に友人達と歩いた谷川岳周辺の風景を懐かしむため新幹線を使わず鈍行・水上駅で下車しました。水上駅から上野へ向かう普通列車に乗り込んだところ、発車前の車内に大きな鬼ヤンマが飛び込んできて、肉体的にも立派で頑強な男子大学生の一団が逃げ惑っていました(9月15日記事)。繰り返します。逃げ惑っていたのはトンボではありませんでした。高崎駅で上野行き列車を待つ間に、駅構内で見つけたのがこの上野三碑の展示でした。

 高崎から上越線で上野(うえの)へ向かう列車は途中行田を通ります。埼玉(さきたま)古墳群がある場所です。そしてこのあたりいったいは「忍」(おし)と呼ばれた場所でもあります。「忍」(おし)は「神聖な、勇敢な」を意味する古代ペルシャ語であることは以前書きました。そしてこの名前を付した天皇の和風諡号にしばしば使われていることも書きました(2016年1月13日記事)。高崎界隈は「ワカタケル王」の活躍した地に隣接しています。東国の古代史考察にあっては常陸国とともに毛野国(後に上毛野と下毛野に分割)の調査は欠かせません。

 現在解読を進めている常陸については、「常陸国風土記」が大きな手がかりを与えてくれていますが、毛野国についてはその「上」、「下」ともども、そうした文字による資料がありません。高崎駅で列車待ちをしたことが幸いしました。現地の石碑のある地を訪ねることができたならば、さらにその雰囲気を感ずることができたのでしょうが、時間が無く残念でありました。

 何はともあれ、駅の展示物の写真を取りまくりました。以下に掲載します。
 
(図:2−1:上野(こうずけ)三碑と山上碑 )
171101上野三碑1無題


(図2−2:多胡碑https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/03.htmlと金井沢碑)
171101上野三碑2無題


(図2−3;三碑に刻まれた碑文、上:山上碑、中:多胡碑、下:金井沢碑)
171101上野三碑3無題

 インタネットに書かれている説明をも参照しつつ、これら三碑を概観しておきます:
(1)山上碑
高崎駅展示は
「自然石を使用した碑の形状は朝鮮半島・新羅の石碑に酷似しており、渡来人が碑の建立にかかわってたことをうかがわせる」
と、書きます。白村江海戦(西暦663年)、所謂「壬申の乱」(括弧で示した理由は、私の「乱」観は通説と異なるので)を通じて戦勝軍たる唐新羅人が多数日本列島に上陸し、東方にまで、影響力を広げていたはずです。ただし、それが西暦681年というのはやや早すぎると思えます。いずれ、考察します。
%%%%%展示説明は、
 “”辛巳歳集月[しんし(かのとみ)としじゅうがつ]三日に記す。佐野三家[さののみやけ]を定め賜える健守命[たけもりのみこと]の孫の黒売刀自[くろめとじ]、此れ新川臣[にっかわのおみ]の児の斯多々弥足尼[したたみのすくね]の孫の大児臣[おおごのおみ]に娶[とつ]ぎて生める児の長利僧[ちょうりのほうし]が、母の為に記し定むる文也。 放光寺[ほうこうじ]僧
■現代語訳
辛巳年(天武天皇十年=西暦六八一年)十月三日に記す
佐野屯倉をお定めになった健守命の子孫の黒売刀自。これが、新川臣の子の斯多々弥足尼の子孫である大児臣に嫁いで生まれた子である(わたくし)長利僧が母(黒売刀自)の為に記し定めた文である。放光寺の僧。“”
と、書きます。
%%%%%
インタネット解説は駅展示とのあいだに違いも認められます。私が気になるのは「ヤマト政権が直接支配していた土地の最初の管理者である健守命」とあります。健守命なる人物は日本書紀には登場しません。インタネット解説はこの点については慎重で、そこまでの言及はありません。 
 私がヤマト王朝云々(デンデンとよみます)にこだわるのは、「信濃」国がこのことにかかわっているからです。すなわち壬申の乱で敗戦国となり、倭国からの逃亡を余儀なくされた王(建身名方命、たけみなかた)を追跡し、ついに現在の諏訪で身柄を押さえ「科人」(とがにん)としてかの地に幽閉すると同時に、その追跡部隊あるいは追跡部隊の司令部である「珍」国末裔の名を取って、その地を「シン」と名づけたのです。後世、「シン」は「信」と漢字表記され「信濃」なる国となります。一方で、科(トガ)人が幽閉されたところからその地は「科野」と表記されるけれども「シナノ」と呼称されるのです。この「トガ」は「戸隠」の名で呼ばれ、そこの「戸隠ソバ」は私の好物でもあります。

 さらに書くならば、この地はまさに毛野国(この場合は上毛野)に隣接しており万葉集八十五歌がそれを詠っています(2016年6月29日記事、  同年6月27日、同年7月15日記事)。
 私の関心事は上記解説が書く西暦681年にすでにこの地は奈良の藤原政権の支配下にあったのかどうか?言葉を変えれば建身名方が幽閉されたのはそれ以前であったのか?ということです。私はもっと後ではなかったかと思えるのです。いずれ、この地の見学をして更なる考察を進めたくおもっています。

(2)多胡碑 
%%%%%多胡碑 
 (多胡碑は、奈良時代初めの和銅[わどう]4(711)年に上野国の14番目の郡として、多胡郡が建郡されたことを記念して建てられた石碑です。
建郡に際しては、「羊[ひつじ]」という渡来人[とらいじん]とおもわれる人物が大きな役割を果たし、初代の郡長官になったようです。碑を建てたのも、この「羊」であると考えられ、碑の後段には当時の政府首脳の名を挙げて権威付けをはかっています。
多胡郡の範囲は、現在の高崎市山名町から吉井町一帯で、かつて緑野屯倉[みどののみやけ]や佐野屯倉[さののみやけ]というヤマト政権の直轄地が設置されていた領域と重なります。そのため、当時は先進的な渡来系技術が導入され、窯業[ようぎょう]、布生産、石材や木材の産出などが盛んな手工業地帯になっていました。
このことから、多胡郡建郡は当時の政府による生産拠点のとりまとめと、それに伴う郡の区割りの見直しが目的であったと考えられます。
碑身[ひしん]に笠石[かさいし]をのせる形状や楷書体[かいしょたい]の文字には、当時最先端の中国文化の影響がみられますが、一方で18世紀に多胡碑の拓本が朝鮮通信使を通して中国に渡り、書の手本として中国の書家に影響を与えました。このように、多胡碑は東アジアの文化交流の様子を示す重要な資料です。
%%%%%

 「多胡」なる地名についてはかねてよりその由来に関心がありました。千葉県にもその地名があります。大陸には四世紀半ばから五世紀末にかけて「五胡十六国」と呼ばれる時代がありました。『胡』とは漢王朝の流れを汲むいわば本流国の西側外、北側外に垂れ下がっている国々を意味します。常陸国風土記に書く「東垂」の「垂」と同じ意味のいわば蔑んだ表現なのでしょう。
 ここでいう「胡」は「多=王」国の端っこに垂れ下がった国、すなわち僻地を意味するのかどうか?それとも大陸「五胡」出自の一族に由来するのかどうか定かではありません。
 インタネット解説によれば、この地は渡来人によって建郡されたとあります。「羊」は渡来人を意味するとも書きます。羊を食するのは遠く西域の民です。これは私が描き出してきた日本列島古代史の筋書きと合致しています。ますます、この碑をわが目でしかと眺めたいとの思いが強くなりました。
 いずれにしても、この郡の命名は大陸史に通じている「珍」国の末裔がかかわっていたと私は考えています。すなわち八世紀初頭ということになります。

(3)%%%%%金井沢碑 
 奈良時代前半の726(神亀[じんき]3)年に三家氏[みやけし]を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑です。三家氏は、佐野三家[さののみやけ]を管理し、山上碑[やまのうえひ]を建てた豪族の子孫であると考えられます。
碑文には、三家氏を中心とした9人の名前が記されています。碑を建てたのは三家子□(□は欠字)という人物で、上野国群馬郡下賛郷高田里[こうずけのくにくるまのこおりしもさぬごうたかだのさと](現在の高崎市上佐野町・下佐野町周辺か)に住んでいたようです。続いて、三家子□の妻と娘[物部君[もののべのきみ]氏に嫁ぐ]、孫3人の名前が登場します(グループ1)。この6人ほか、同族とみられる三家毛人[みやけのえみし]・知万呂[ちまろ]の兄弟と礒部君身麻呂[いそべのきみみまろ]の3人の名がでてきます(グループ2)。
この9人のうち4人が女性で、結婚後も実家の氏の名で呼ばれていること、子供達と共に実家の祖先祭祀に参加していることから、家族のつながりに女性が大きな役割を果たしていたと考えられます。
さらに、地名の表記などからは、当時の行政制度(国郡郷里[こくぐんごうり]制)の整備状況が分かります。ちなみに、碑文に出てくる「群馬」の文字は、県内では最古の事例であり、群馬県の名前のルーツを知る上で非常に重要な資料です。
このように、金井沢碑からは、古代東国での仏教の広がり、家族関係、行政制度の実態などを知ることができます。
%%%%%

 この解説で、私の目をひくのは三家毛人[みやけのえみし]です。「毛人」を「えみし」と訓んでいます。第一印象は、大変傲岸尊大な言い方でありますが、この解説者に「お主、やりおるの」と声をかけたく思いました。すなわち、この地には西域からの渡来族と共同してアイヌ族が国(国とはこの「地方」という意)の重要構成員であったからです。しかし、この地のあるいは地名(国名)の由来はそもそもは万葉集85歌であったのです。「毛」はそこに発します。とはいっても、万葉集が詠う「毛長姫」はアイヌ族出自の美姫であったろう、と私は考えています。

 三家を「ミヤケ」と訓んでいます。「三」は「御」とも表記されるほどに日本列島では「聖なる数字」です。それは『邪馬台国衰亡』ともかかわっていると考えています。詳細は後日論じますがうえで書いた「建身名方」は「みなかた」であり、それは「三・七」に由来します。魏志倭人伝の原メモを作成した魏国・視察官が倭国を案内人の先導に従って旅をした際には、すでに「ミ国」は無くそれは一つは「フミ国」(二・三国)に、もう一つは「ミナ国」(三・七国)に分断され統合されていたのです。これは「ミ」(三)国が験した哀しい、しかし長くレスペクとさるべき史実が潜んでいると私は考えています。「三家」の「三」がここに登場する。どうやら深い理由がありそうです。
 
 今回記事は「上野三碑」で多くの字数を費やしてしまいました。常陸国風土記考察は次回に順延します。

 %%%%%例によって板垣(怪)情報であります:
安倍晋三首相は、立憲民主党(枝野幸男代表)の後ろ盾として自由党の小沢一郎代表が控えていることを恐れている(板垣 英憲)
2017年11月01日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 安倍晋三首相は、立憲民主党(枝野幸男代表)の後ろ盾として自由党の小沢一郎代表が控えていることを恐れている。米ドナルド・トランプ大統領は10月5日、ロシア政府による2016年の米大統領選干渉疑惑(ロシアゲート)を抱えたまま初来日するのに対して、安倍晋三首相は、加計贈収賄疑惑について立憲民主党、自由党、共産党、社民党、民進党の野党4党の厳しい追及に怯えながら日米首脳会談に臨む。自民党は、国会審議の質問時間配分を「議席数」基準に「与党2:野党8」から「与党8:野党2」へ変更しようとしている。ならば、野党は「加計贈収賄疑惑」のワン・イッシュ―に絞って、徹底的に質問を浴びせし続ける妙手がある。
%%%%%

 卑怯卑劣な元TBS記者、しばらくは鳴りを潜めていましたが、最近、週刊誌などで「復権」を公言しているとのこと。これに怒るのが天木直人元在レバノン日本国大使です。
%%%%%憲法9条を超えた伊藤詩織さんー(天木直人氏)

憲法9条を超えた伊藤詩織さんー(天木直人氏)
1st Nov 2017
伊藤詩織さんが文藝春秋から「ブラックボックス」という本を出版した。
 元TBSワシントン支局長の山口敬之氏から性暴力を受けたとして警察に被害届を出したにもかかわらず、山口氏が安倍首相の御用ジャーナリストであることを忖度した中村格刑事部長(当時)の指示で逮捕が見送られ、東京地検も嫌疑不十分で不起訴処分とした。
これを不服として訴えた検察審査会までも、不起訴相当の議決をした。この国家権力ぐるみの不正義の被害者である、あの伊藤詩織さんのことである。実際のところ、森友・加計疑惑という国家犯罪よりも、この伊藤詩織さんへの不正義こそ、安倍政権の犯罪性は深刻である。それにもかかわらず、なぜか詩織さんを助けるために立ち上がろうとする者は出てこなかった。
 しかし、伊藤詩織さんはへこたれなかった。ついに上記の「ブラックボックス」という告発本を出版し、10月24日に日本外国特派員協会で記者会見を開いて被害者救済を訴えた。
 この勇気ほど、頭が下がるものはない。そう思っていたら、その告発本に寄せられた各界からの賛辞の数々を見て更に驚いた。津田大介(この国の司法制度に対する真摯な問いかけだ)、林真理子(女性がNOといったら絶対にNOなのだ。それを無視したら絶対に犯罪なのだ)、佐藤優(あなたの誠実さと勇気に敬服します)、三浦瑠璃(娘をこのように育てたいと思いました)など、およそ立ち位置の違う者、権力にする寄っている者、憲法9条に否定的で私と敵対するような者たちが、こぞって伊藤詩織さんを絶賛しているのだ。 いまや伊藤詩織さんは憲法9条を超えた。 私は憲法9条こそ安倍政治に待ったをかけるこの国の最強のカードだと考えて新党憲法9条を立ち上げたのだが、伊藤詩織さんへのこの支持には足もとにも及ばない。 ここまで幅広い支持を得た伊藤詩織さんを見て、打倒安倍政権を掲げて国民的支持を得たい既存の野党各党は、伊藤詩織さんを候補者にしたいとアプローチを競い合うに違いない。
%%%%%

海溝東の地震(6)、世界は知ってるのに日本人は知らない(動画)


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
 次回ブログは11月1日です。あっという間に一年が過ぎようとしています。
(写真:近所の公園の涸れ池に昨夜の強雨で少し水がたまっています。かねてより市の宅地造成設計者のミスと思っていました。何せ、市民が憩える池を造った筈で、水の導入しかけも凝っており、ライトアップまでも備えていました。ところが、一向に水がやって来ず、水を満々と湛えた情景は二十年近く見たことがありません。今朝、初めて端っこに水が溜まっているのを見ました。)
空池3301


強雨(きょうう)止み 強風止まぬ 朝の空 鴉飛べずに 枝にしがみつく
 
 10月18日記事 で、当家に五日間ほど寄宿(といっても食事を供したわけではなく、塒(ねぐら)だけを提供したに過ぎませんが)したあの蟷螂、どうやら日本列島ではこれまで見られなかった種類のようです。そのことを新聞が報じていました:
%%%%% 外来種カマキリ県内初確認 小美玉、専門家「在来種に影響も」10/25(水) 5:00配信
 (図1:県内で初確認された外来種ムネアカハラビロカマキリ)
171029蟷螂無題


外来種カマキリ県内初確認 小美玉、専門家「在来種に影響も」10/25(水) 5:00配信
中国など大陸に生息する外来種カマキリ「ムネアカハラビロカマキリ」が小美玉市内で6匹発見されたことが24日、分かった。県自然博物館によると、同種の確認は県内で初めて。同館は「増えると在来種の生息に影響する可能性がある」としている。3日から20日にかけ、雄5匹、雌1匹が同市内の畑で見つかった。同館の調査に協力している男性が採集、同館が確認した。
同種のカマキリは、国内では2010年に福井県で初めて確認された後、東京都や岐阜、愛知、神奈川各県などで相次いで確認されている。同館などによると、ムネアカハラビロカマキリは、生息環境が在来種のハラビロカマキリとやぶの中や樹上で競合している。
同館の中川裕喜学芸員は「ムネアカの増加で在来種が減っているという影響も全国では報告されている。複数の個体が発見されていることもあり、生息域が広がっている可能性がある」と話し、生態系への悪影響を危惧する。同館は持ち込まれたムネアカハラビロカマキリを標本にして保管する予定。(綿引正雄) 茨城新聞社
%%%%%

+++++日本海溝東側の地震活動(3)
 2011年3月11日にあのM9クラスの超巨大地震が発生しました。気象庁の地震データベースによれば、2011年の周辺域の地震活動には着目すべき点が多々あります(10月27日記事)。
 ひとつは、地震活動が海溝軸を大きく東にはみ出して広がっている; 
 ひとつは3月11日の巨大地震の南側に大きな地震空白域が認められる。
ことです。3月11日の巨大地震の岩盤破壊過程については、「ゆっくりとしたスベリが先行した」云々(デンデンとよむ)の議論がありますから、本ヌログではそのことについては議論しません。本ブログでは上記の二点を追いかけて見ます。

 まずは前回掲載したと似た図です:
(図2:2011年3月11日から12月松の地震活動図(上)と矩形ABCD内の地震活動の鉛直断面ABへの投影(下)。シアン色はM>7.5の地震。図中央やや下に見える黄色のX印は矩形の一辺ABと海溝軸との交点。)
171030seismicity_2011無題


 前回も書きましたが、M>0の地震をすべて表示しようとすると、拙宅の計算機能力を超えてしまうようで、地震図を作成した後に、プログラムの持つ他の機能を使えなくなってしまいました。そこで、M>1.5という条件で作成したのが上図です。前回の図と大きな違いはありません。しかし、3月11日の本震・震央のすぐ北東隣に3月9日M7.3に地震がおき、活発な余震活動繰り広げました。その余震域であったはずの場所が白くなっています。M7クラスの地震の余震がわずか二日で消滅するとは思えません。理由は下記です。

 2011年3月11日14時46分におきた巨大地震は周辺域での地震活動を急激に高めました。地震計は次から次と間断なくやってくる地震波を捉えます。小さな地震による波動記録の上に大きな地震波が覆いかぶさり、結局小さな地震は見えなくなる、あるいは見にくくなります。かくして記録された小さな地震波の数は限られてしまうため、地震マグニチュードの下限を少々上げてもあまり変わらないのです。3月9日の余震が消失した理由画それです。この図でも冒頭にあげた二つの特徴が鮮明に保持されているのも、余震群が発する地震波を相次ぐ大地震が覆ってしまったからと思えます。

 図2で左側にシアン色で示したのが本震です(赤い矢印の先端)。本震のほぼ40分後に二つのシアン色地震が起きています。その一つが最右側のシアン色の地震で、日本海溝の東側70kmにおきています。この地震のわずか一分ほど前にM=7.9の余震が起きており、それが矩形ABCDのほぼ中央に見えます。さらに興味深いこともありますが、まずは話の筋書きを追うことにします。それは下の断面図です。

 辺ABを含む鉛直断面への地震活動を見て見ます(図2の下)。横軸は矩形内の地震震源の辺ADからの距離(km)、縦軸は地震源の地表からの深さ(km)です。上辺の黄色のX印は辺ABと海溝軸の交点です。
 左から20〜60kmにかけて地震活動が上方に凹(へこ)んでいる、言葉を変えれば、地震の無い領域が凸に上方に突き出ていることがわかります。まさにこの真上には地震活動の大きなギャップ域が対応しています。これについては、後日、詳細な議論をします。
 深さ分布を陸側(A)から海側(B)に向かって眺めると、まずは直上に書いたように地震活動の無い領域が上に突き出します。それがAから20〜60kmの範囲です。それを過ぎると、地震活動は140km(海溝とぶつかる場所)のあたりまで分厚く続きます。その厚みはー20〜-50km、すなわち30kmほどです。
 海溝軸たるXを過ぎると浅い部分の地震活は減りますが底部はそのまま水平に維持されAから190kmあたりで活動は終焉します。すなわち海溝の東側50kmぐらいまでは 地震活動が活発であったことがわかります。この“50km”という値が“プレートのもぐりこみ位置が西にずれた”との仮説(日経サイアンス10月号)が語る”30km”とほぼ同じであることは大変気にかかります。これも後日考察します。

 「太平洋プレートが日本海溝で沈み込む。その海溝の向こうで地震が起きる。それはもぐりこむプレートが海溝で下方にまげられるため、プレート内部に引っ張り応力が生ずる。地形で見ると「アウタライズ」すなわちプレ−トが上方に膨らんでくる。」との説明が多くの地球科学者を納得させてきました。しかし、その引っ張り応力がプレートの内部50kmまでも及んでいるとは思えません。50kmといえば太平洋プレートの厚みの半分ほどにもなります。そこではむしろ張力ではなく圧縮力が卓越するであろうことが予期されます。

 すでに書いたように、地震の深さ決定は大変難しい。前回記事でその一例を書きました。それはP波の到達時間から計算される深さとCMT法のような地震波形合わせから得られる深さがしばしば大きく異なることからも想像できます。

 ところで、気象庁はCMT方法による震源位置データをも公開しています。そこで、まずはその比較を通じて、二つの手法による深さ決定の違いを考察します。
(つづく)

+++++政治談議
 興味深い動画を見つけましたので紹介しておきます:

 もう一つ鋭い分析を紹介しておきます。
【矢部宏治】安倍首相をサポートしたのは前原誠司だった!大竹まことゴールデンラジオ メインディッシュ20171024 
 こうした動画を見るにつけ、大多数の日本人は政治の背後にある深刻な事実を知っていない、ということを思います。安倍氏の政治行為も国際政治上では当然予想されることなのでしょう。しかし、無知な我々は「政治の背後の動き」としてしか捉えない。国際的な動向が見えていないので、われわれの怒りも上っ面になります。

 英国に本社を置くロイタ通信社が今般の総選挙を論じています。その記事を転載します。記事内容は外国通信社に見られる鋭い論評ではありません。しかし、こうした大多数日本国民のおもを海外の国が知ることには、それなりの意味があるのかもしれません: 
%%%%%
安倍氏は選挙に勝った。が、誰も首相の座にとどまることを望んでいない。
Reuters Staff Japan's Abe may have won election, but many don't want him as PM 
TOKYO (Reuters) - Japan’s Prime Minister Shinzo Abe may have won a major election victory on Sunday, but half the people surveyed post-election by the Asahi newspaper don’t want him to stay prime minister.
Japan's Prime Minister Shinzo Abe, who is also leader of the Liberal Democratic Party (LDP), attends a news conference at LDP headquarters in Tokyo, Japan October 23, 2017.
It seems the election victory has boosted the approval rating for Abe’s administration, but not him.
自民党総裁である安倍首相が選挙開票翌日党本部で記者会見をした。それは選挙結果が自民党政治を承認したかのように見えるが、安倍氏への承認ではない。
Public support rate for Abe’s administration grew to 42 percent in the survey, conducted between Oct. 23 and 24, up from 38 percent in its previous survey in mid-Oct.
But 47 percent of respondents don’t want Abe to continue as prime minister, exceeding 37 percent who want him to stay, said the survey published on Wednesday.
Abe’s disapproval rating slipped to 39 percent from 40 percent, according to the Asahi’s survey.
Abe is due to remain prime minister until September 2018 when his tenure as Liberal Democratic Party (LDP) leader ends and a new vote for LDP leader is held
Abe’s LDP-led coalition won a combined 313 seats in Sunday’s national election, keeping its two-thirds “super majority” in the 465-member lower house, local media said.
Several experts noted the ruling bloc’s win was less a victory for the long-ruling LDP than a defeat for a divided opposition.
 朝日新聞の調査では与党への支持は38%から42%に上昇した。しかし、回答者の47%は氏が首相の座にとどまることを望んであおらず、安倍氏の首相継続を回答した37%を超えていた。
安倍氏は自民党総裁の任期が終了する2018年9月まではしかるべくその座にとどまることになる。安倍氏が率いる与党は衆議院で313議席を獲得しそれは全議席465の2/3を維持した。専門家たちは与党の勝利というよりは分裂した野党のせいであると分析した。
The Asahi’s survey also showed 51 percent of respondents said the number of seats the ruling bloc’s won was “too many”, while 32 percent expressed the seat number was good.
And 54 percent of respondents said they were concerned about Abe’s policies, exceeding 29 percent who said they have positive expectations, the Asahi said.
A Yomiuri newspaper survey on Wednesday showed the approval rating for Abe’s administration was up at 52 percent from 41 percent in its previous survey early this month.
Asked reasons for the LDP’s winning majority on its own, only six percent said it was “high hopes for Abe”, 10 percent said “appreciation of ruling parties achievements” while 44 percent cited fragmentation of opposition, the Yomiuri said.
朝日新聞の調査では51%の回答者が与党は勝ちすぎであると言い、32%は納得行く議席数であったという。54%が安倍氏の政治に憂慮を抱き、29%は安倍氏の政治に期待するというものであった。
一方、読売新聞調査では安倍政権支持率は42%から52%の上証とのことであった。理由については6%のみが安倍氏への高い期待と答え、10%は安倍氏英字へのそこそこの評価と答えたが、44%は逆の評価であった。
Reporting by Kaori Kaneko; Editing by Michael Perry
Our Standards:The Thomson Reuters Trust Principles.
%%%%%

 総選挙終盤、日本の株価の連日の高騰が報じられ、安倍氏などは「これぞアベノミクスの成果!」なぞと叫んでいました。しかし、その実態を論ずる記事を見つけたので、下に転載しておきます:
%%%%%政府発表の「4%成長」実は「マイナス9.9%」? 

サジ加減ひとつで、どうにでもなる中国の統計みたいではないか。先ごろ内閣府が発表したGDP「4%」成長のニュースは、ひと月も 経たないうちに4割近くも下方修正する体たらくであった。それどころか実際は、「マイナス9・9%」という数値も出ていたのである。 9月25日、衆院解散の記者会見で、安倍総理が最初に切り出したのは「アベノミクス」の成果についてだった。 〈アベノミクス三本の矢を放つことで日本経済の停滞を打破し、マイナスからプラス成長へと大きく転換することができました。今、日本 経済は11年ぶりとなる6四半期連続のプラス成長。内需主導の力強い経済成長が実現しています〉
 国民に信を問うその場で、一番うまくいった政策がアベノミクスだと強調したのである。 これに先立つ1カ月あまり前、 〈GDP実質4・0%増〉 というニュース(8月14日)が日本中の新聞紙面を飾ったのをおぼえているだろうか。今年4〜6月期のGDPが、年率にして「4・0%」 (速報値)も成長したというものだ。
 後にこれが内閣府による「打ち上げ花火」だったことが分かるのだが、アベノミクスはやはりホンモノだったのか、と私はニュースに目が 釘付けになってしまった。 実際、これは民間エコノミスト予測の平均値2・24%を大きく上回っただけでなく、米国の2・6%、ドイツの2・4%をも上回ってG7でも トップの数値である。 もちろん、世界中もびっくりだ。
IMFの見通しでは、2017年の先進国平均で2%、新興国平均が4・5%だったから、日本の「4%」成長は新興国にせまる勢いである。 日銀の黒田総裁、FRB(米連邦準備制度理事会)のイエレン議長、欧州中央銀行のドラギ総裁など、各国の中央銀行トップが一堂に会する
ジャクソンホール会議(8月24日〜26日)で日本の成長力を絶賛する声が相次いだのも当然のことだった。 なにより、「4%」成長のニュースは安倍政権にとって大きなプラスをもたらした。
今年の7〜8月を思い出して欲しい。相次ぐ議員のスキャンダルに森友・加計問題が重なり、内閣支持率が20%台に急落。都議選の歴史的大敗も あって安倍政権は最大のピンチともいえる時期だった。 そこへ、「4%」成長のニュースが飛び込んできたものだから、まさに「干天の慈雨」。いろいろ問題はあるけれど、経済のかじ取りはうまく 行っていると受け取った国民もいたに違いない。その後、内閣支持率が回復したのは、ご存じの通りだ。 が、この数字を見て、首をひねった読者もいたに違いない。私もそうである。なぜなら、「4%」成長のニュースと裏腹に、足元のデータはお寒いものばかりだったからだ。 たとえば、景気に敏感なビールの販売データを見てみよう。 今年4〜6月期のビールの「販売店引取数量」は、前年同期より1・5%も減っている。 デパートの売り上げはどうか。訪日外国人によるインバウンド消費が前年比で36%も増加したが、国内居住者による消費は同0・7%の減少だった。
国民の消費意欲は細る一方なのだ。世を驚かせた「4%」成長とは、あまりに不釣り合いである。
次に、雇用のデータを見てみる。 この4月、有効求人倍率が1・48倍を記録し、バブル期の水準を超えたともてはやされた。 しかし、有効求人倍率とは、ハローワークに出された求職票の合計枚数に対して、求人票の合計枚数が何倍あるのかを、示しているに過ぎない。 求職と求人とのミスマッチは、完全に無視されている。 では、実際に就職した件数はどうかというと、現政権下では全体でマイナス17%、「パートを除く」だとマイナス22%だ。その結果、「求人」は 増えても、求職希望者の6割以上が就職できないという事態が3年以上も続いている。これでは「就労者数が増えた」とはとても自慢できまい。 給料はどうか。 日本経団連が8月2日に発表した「2017年夏季賞与・一時金 大手企業業種別妥結結果」によると、東証一部上場の大企業150社の今夏のボーナスは、
昨年夏より平均3・0%減少している。とりわけ、トヨタ自動車を含む自動車関連19社では、平均6・5%もの減少だ。サラリーマンの収入はむしろ 減っているのだ。
もうひとつの指標、「総雇用者所得」は、今年4月こそ0・7%増加したが、その後伸びが止まり、7月になると0・4%減じて元通りという体たらく。
これでは、いくら安倍総理が「内需主導の力強い経済成長」と喧伝しても、多くの人は実感できないはずだ。 そうなると、行き当たってしまうのが「GDP」という数値の正体だ。好景気の実感もそれを示すデータもないのに、「力強く成長するGDP」とは何なのか。 辞書を引けばGDPは、次のように書いてある。
〈国内で四半期あるいは1年の間に新しく生産された経済的な価値の合計〉
意味で「国内総生産」と訳されているが、これでは不親切だろう。 日本でGDP統計を作成しているのは、内閣府の経済社会総合研究所というシンクタンクだ。日本でも有数の統計専門家やエコノミストが揃っており、 日々、膨大なデータと格闘するエキスパート集団だ。OBには「官庁エコノミスト」として知られた吉冨勝氏や最近では日銀副総裁を務めた岩田一政氏がいる。
ところで、私達が日頃ニュースで見るGDPは、元々の数値を何度も加工したものだ。しかも、いくつもの種類があることをご存じだろうか。 まず、GDPと一口に言っても、大きく分けて、
〈名目GDP〉
〈実質GDP〉
がある。簡単に言えば「名目」とは物価の上下を考慮していないという意味。そして「実質」とは、考慮した後の数値だ。区別されているのは、GDPが 増えたように見えても、物価上昇によるものだったら景気の実態を表していないからだ。だから、「名目」よりも「実質」がより現実に即していることになる。 さらには、それぞれが、
〈季節調整あり〉
〈季節調整なし〉
に分類される。 その意味は後述するとして、これでGDPの出来上がりとはならない。 ややこしいことに、時間の経過によって「速報値」、「改定値」、「確報値」と変わってくる。ざっとあげただけで、我々は12種類ものGDPを見せられている ことになるわけだ。たとえば、冒頭の「4%」成長と報じられたのは、「実質」の「季節調整あり」の「速報値」である。 分かりにくいこと極まりないが、次にGDPが、いかにして弾き出されるか見てみよう。

偽装大国・中国もビックリな「GDP4%成長」政府発表 そのカラクリを解説
社会週刊新潮 2017年10月19日号掲載
政府発表「GDP4%成長」実は「マイナス9・9%」のカラクリ――田代秀敏(下)
 内閣府が発表したGDP「4%」成長のニュースには、国内のみならず海外でも驚きをもって受け止められた。しかし、発表からひと月も立たない9月8日には、4割近くも下方修正した数値が。それどころか、実際は「マイナス9・9%」という数値も出ていたのである。クセモノは「季節調整」であると、田代秀敏氏は指摘する。
まず、GDPの作成にあたって経済社会総合研究所は、各業界団体・官庁から報告される販売額や民間在庫、設備投資額を積み上げてゆく。そして、全く加工されていない「名目GDP」を算出する。今年4〜6月期の名目GDPは「速報値」で134兆5563億円だった。ただし、これは物価の上下を考慮していない。
 経済社会総合研究所は、ここから総合的な物価指数を示す「GDPデフレーター」なる指数を用いて、「実質GDP」を弾き出す。だが、これではまだ不十分。GDPに“季節性”を加味しなくてはならないからだ。先に紹介した「季節調整」を入れるのである。GDPなのに「季節」とは何ぞやと思われるかもしれない。だが、ここからが「4%」成長のカラクリに触れる部分である。「季節調整」とは一般に消費や生産は、季節の循環に影響される。
 猛暑になればビールが売れ、お盆には帰省や国内旅行客が急増する。また、年末には歳末セールに人が殺到すると言えば分かりやすい。逆に4〜6月期は、これといった行事がないので落ち込んでしまう。これを無視して算出したら、暮れは高成長、初夏は低成長というふうに極端なブレが出てくるため、1年を通して均等にならす。これが「季節調整」である。
 ちなみに、この季節調整を入れないと、今年4〜6月の「実質GDP」は年率で実にマイナス9・9%。そんなに低かったのかと驚くかも知れないが、これも日本経済の実力を示すGDPのひとつなのだ。いや、むしろ給与の落ち込みや、少子化などを考えれば、我が国の実力としては、妥当な水準といえるかも知れない。ボーナスが減ってしまった読者にすれば、景気実感に最も近い数字ではないか。ところで、「季節調整」は、GDPを年間通してならすことだと書いた。大雑把には繁忙期の「突出した額」を閑散期にうつし替える。この額は、ほぼ一定しており、おおよそ10兆〜12兆円に収まって来た。過去のデータを見ても、小泉政権期も、民主党政権期もほぼこの幅に収まって来た。ところが、先にあげた「4%」成長には、首を捻らざるを得ない数字が紛れ込んでいる。今年4〜6月は、13兆5378億円もの「季節調整」が“大盛り”になっているのだ。エコノミストの立場からすれば、これは驚きである。
 こんなに「季節調整」を盛ってしまえば、たいていの不景気は「好景気」に化けてしまう。経済社会総合研究所は、いったいどこからこんな数字を弾き出してきたのだろうか。だが、やっぱりというべきか、しばらく経ってから「化けの皮」が剥がれてきた。速報値から、ひと月も経たない9月8日、内閣府はGDPを4・0%から2・5%(改定値)へ大幅に引き下げたのだ。実に4割もの下方修正である。
 これを知ってがっくりきた専門家も多かったはずだが、「4%」成長の時と比べてニュースの扱いはずいぶん小さかった。
「上が見たい統計を作る」
 私は日本最強の統計機関・経済社会総合研究所の能力を疑うものではない。現在、日本を含む世界の統計機関の多くは、GDPを弾き出すのに「X―12―ARIMA」という計算方法を用いている。これは、米国商務省が開発したもので、難しい言い方だが、「自己回帰和分移動平均」という手法を用いる。そこでは、数値を意図的に操作できないようになっているはずだ。もっとも、これは「建て前」だ。
 世界的に見ても、1カ月で4割もGDPを下方修正してしまうのは日本ぐらいだという。これほど数値が変わってしまうのは、速報値の後に発表される「法人企業統計」を用いるためとされるが、逆に言えば、その間、「仮の数値」をどこからか持ってきて“盛って”しまえばGDPを大きく見せることは難しくない。しかも、ひと月もしないうちに「改定値」が出てしまえば、「4%」成長のニュースを皆は忘れてしまう。
 うがった見方をすれば、経済社会総合研究所の幹部の人事権は総理官邸に直結する内閣人事局にある。安倍政権の迷走を見て「4%」という「打ち上げ花火」を上げておけば官邸から評価される。そんな“忖度”をした幹部がいなかったのか、エコノミストとして心配になってくるのだ。隣国・中国では、政府統計の信憑性が疑われ、中国共産党の幹部でさえ信用していないといわれる。
「しょせん、上が見たい統計を作るのが、下の仕事ですから……」
 最近、日本でGDPが発表されるたび、中国の統計部門の役人が、そうつぶやいていたことを、つい思い出してしまうのだ。
 ***
田代秀敏(たしろ・ひでとし)
一橋大学大学院を経てみずほインベスターズ証券エコノミスト、日興コーディアル証券部長、大和総研主任研究員、ビジネス・ブレークスルー大学教授を歴任。『中国経済の真相』(中経出版)など著書多数。
%%%%%

 次は毎度おなじみ、板垣(怪)情報です。
「2018年度政府予算が組めないほど国が金欠」安倍晋三首相は「万策が尽きて苦しむ」、これが「顔色」に表れている(板垣英憲
2017年10月30日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 「総選挙で大勝したにも関わらず、安倍晋三首相の表情が冴えないのは、なぜか?」−答えは、「2018年度政府予算が組めないほど、国が金欠」だからである。加計贈収賄事件だけではない。その証拠に安倍晋三首相は10月27日、首相官邸で開かれた「人生100年時代構想会議」の会合で、「産業界にも3000億円程度の拠出をお願いしたい。いつも申し訳ございません」と真向かいに座っていた経団連の榊原定征会長に頭を下げた。いつもは予算を要求される立場なのに逆転。企業から集めている拠出金を増やす方法などによる追加負担に理解を求めたのである。何とも情けない話である。日本銀行が紙幣を乱発して財政を維持してきたけれど、ハイパーインフレを招くので、すでに限界に達している。いこのため、安倍晋三首相は、「万策が尽きて苦しんでいる」のが実情だ。これが「顔色」に表れている。もはや身辺に安倍晋三首相を助ける者はいない。自業自得というものだ。
%%%%%

海溝東の地震(5)、建貸間に楯突く二人、政冶愚痴


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:当地の朝は、東京よりも数度気温が低いので、前日に暖められた地中の水分が朝方に蒸発すると直ちに水滴になります。夜明け前、前が見えないほどの濃霧でありましたが程なく地表に張り突く霧だけが長く地上に残っていました。田にたまった水の蒸発する様子がカメラで捉えられています。送電線の烏達も、霧のため地上の餌が見つけられないのでしょう。しきりに下界を窺っていました。図拡大は二回クリック)
霧の朝3282


濃い霧が 田にへばりつく 日の出前 餌探すカラス 地面が見えず

 何時も冒頭に書く「世の中への愚痴」は、本ブログの最後のコラムに移しました。お時間のある方は御笑覧いただきますようお願い致します。とはいっても、専ら他人様のブログ記事の転載、少しだけ私見を交えております。

+++++建貸間命に立ち向かった二人の凶狡賊
 前回記事でつい筆がすべり(キーボードが滑り、と言うべきか)建貸間命の潮来侵攻の時期を台風シーズンと書いたまでは良かったのです。が、それと麻続王の鹿嶋滞在時とをほぼ同時期であるかの如く書きました。麻続王の滞在は海水浴を楽しめ、木々には蝉の抜け殻が見られる時期ですから、夏には違いが無い。けれども同じ夏でも年代は大きく違っています。多分半世紀ほどの違いではなかろうかと推定しています。
170721行方3802無題

 と、前回記事で私の「解読」を書きましたが、「その解読は原文と違うのではないか?」とのご指摘を頂きました。確かに原文は「霞ヶ浦の海にたなびく煙が陣屋のある阿波にながれてこず、そのまま消失するのであれば、潮来の地に蛮族が居るとの証だ。だから攻め入ろう!」と書きます。
 建貸間命率いる軍勢は行方の南に「凶賊」が跋扈していることを承知していたはずです。先陣を切った部隊は夜刀神の一族の反抗に苦戦を強いられつつも何とか切り抜けたのです。しかし、兵力は大幅に減っていたのでしょう。だからこそ援軍として建貸間命は当地に駆けつけたのです。とすれば、凶賊の存在は「煙」を見ずともすでに確認していた。その時点で検討するべき課題は侵攻の時期を探ることであった筈です。

 そのために「煙」による風見(かざみ)をしたのです。煙が霞ヶ浦の西にある阿波を覆うほどであれば、それはかなり強い東風が吹いていることを意味します。つまり侵攻軍の背後である西に低気圧があることになります。サテ、此処からはなかなか議論が難しい。私は台風の存在こそ侵攻軍に有利と判断したのかと考えたのです。が、そうではなく霞ヶ浦を東に帆走するには東風は逆風です。したがって、風の収まった時期こそ侵攻のタイミングである。と読んだ方が納得できます。ご指摘で再読できました。

 侵攻した軍勢の相手は「有国栖名曰夜尺斯夜筑斯二人」と、風土記は書きます。
「国栖」は「国巣』とも表記されます(茨城郡条)。元々は「古四王(こしおう)」(又は香々背男(カガセオ=こうせお))に由来すると思っています。「しおう」(または「せお」)は「ソウ」に転化します。「国」は「クニ」にせよ「コク」にせよ「ク」に転化するからです。
 後世の何者かが「コウソウ」と称されていた民に「国巣」なる漢字を宛てたのです。「巣」はそもそもは「ソウ」を当てた漢字であったところが、それは日本列島では「す」と呼ぶものであった。かくして所と時変じて「国栖」に変化したのです。このことから推論できることは「巣」の「す」なる訓は在地列島民族の言葉であったらしいということが分かります。

 しかし、「国巣」にせよ「国栖」にせよ、それに「クズ」成る訓を付しているところに当時の奈良中央政権の東国への悪意が込められています。東国に住む民は「クズ」であるというわけです。と言うことは「クズ」も在来の日本列島の「蔑称」を意味する言葉なのかもしれません。

 サテ、その東国、まさに現ブログ管理人が住まう茨城県でありますが、その地に生きるクズである民の「親玉」は二人いるというのです。一人は「夜尺斯」です。懸命なる読者様におかれましては私の言いたい事は疾うにお察しと思います。そうです。「夜」は「夜刀神」に由来します。「ヤ」と仮名を振るのであれば「矢」、「八」、「弥」などなど、いくらでも表音漢字はあります。会えて『夜』を遣っている。実際の執筆者が国司の強い監視の中にあっても真実を後世に伝えたいという意気込みが伝わってくるように思います。「尺」、これは「サカ」です。そして「斯」です。既に書きましたが「波斯」(ハシ)は大陸用語で「ペルシア」を意味します。執筆者は、意図的に『斯』なる漢字を使うことで以て、潮来界隈に跋扈していた民の出自をこっそりと暴露していたのです。即ち「ヤツド」の神を崇めるサカ族で彼らは遠くペルシアの国から渡来した民であると。

 同様が「夜筑斯」です。現在の福岡県である「筑紫」は時に「竹斯」とも表記されるます。このことから見えてくることは、九州の倭国が滅ぼされ多くの民と権力関係者が、かっての同胞、東国に住む同胞の元にまずは退避していたのでしょう。即ち彼らは九州倭国、具体的には筑紫の国の民です。しかし侵攻する側からは「夜刀神」の一族としか映らなかった。かってベトナム戦争で、侵略する米兵にとっては全てはソ連から派遣された「ベトコン」としか見えなかったと同じです。
(つづく)

+++++日本海溝の東の地震群(6)
 昨日昨日気象庁は地震防災、とりわけ南海地震発生に先立って、国民に提供できる情報を整理したことを明らかにしました。
(図:東京新聞記事より、図拡大は二回クリック)
171027_東海地震予知

 議論すべきことは多そうですが、M8地震の予知が現在の地震学ではどうやら難しそうだということを研究者が自認するに至っています。そうなるとM6,又はM7の地震の発生をまずは待とうではないか、と言うわけです。これまで異常な歪上昇が検知された地震も無いのですが、それも期待しよう。その時点で、M8地震が語れるかも知れない。何やらひっかりますが、これが現時点での地震研究者の皆さんが絞った知恵なのでしょう。

 前回、9月半ばから10月初めにかけて日本海溝の東側で起きたM6クラスの地震について、夫々の地震前後の活動、発震機構を調べました。どうやら二つの地震は連動していたらしい。先行する地震が海底下に形成した断層面が南西に進展し、10月6日の地震を引き起こしたらしいことが分かりました。

 2011年3月11日以後、日本海溝の三陸沖に位置する部分とその南では海溝の東側に2012年12月と2013年10月にM7クラスの地震が起きています。海溝東の地震活動の広がりはどれほどであるのか?、および時間と共にその領域は広がっているのだろうか?それがもしかして東日本の地震活動予兆のシグナルの一つであろうか?
(図1:調査対象とする二つの領域:,漏す妥貘Δ涼録務萋;海溝直上と西側の地震活動の関連性。黄色の星印は気象庁が決めた2011年3月11日の地震の震央。Hinetデータベースの地震からM>5の地震のみを拾っている。図拡大は二回クリック)
171027_311eqindex


 上図で黄色の星印は気象庁が決めた2011年3月11日の地震の震央です。いうまでも無いことですがあの地震がこうした”点“で表される筈はありません。これは日本列島に400近くある地震観測点でとらえられた地震波の初動P波の到達時刻から算出されたものです。この地“点”を地震学者は岩盤の破壊の出発点と考えています。そしてそこから岩盤の破壊が400kmもの長さにまで拡大したと考えられています。今にして振り返る「2011年3月地震」というわけです。

 まずはin order to catch eyesとでもいうべき図です。
(図2:2011年の一年間の領域,任涼録務萋亜データソースは気象庁、m=>1の地震。地震の数が多すぎ、ブログ管理人が現在使っているPC(Panasonic CF-SX1, Windows7)のキャパシティを 超えてしまったようなので、この活動を多・鉛直断面から眺めるのを断念しました。そこで、2011年を幾つかのエポックに分割して活動性状を調べることにします。図拡大は二回クリックjms2011b )
171027_311eq無題


 幾つかのポイント、即ち見所です。まずは海溝軸が地震活動で完全に隠されています。宮城県沖で海溝外(東側)の活動は最も膨らんで見えます。が、実は北茨城沖で、最も海溝軸から離れた場所に地震活動が広がっています。これは、日本海溝が最近300万年の間に30kmほど西に移動したこと㋾体現しているのか(日経サイエンス誌10月号記事)?もう一つ着目するのが図の赤楕円で囲っている空白域です。これは一体何か?来るべき巨大地震がここで準備されているのか?そういったことを漸次眺めてゆくことにします。
(つづく)

+++++何時もの愚痴
 誰しもが、今回の選挙では、安倍氏は金正恩にアシストされたと思っています。腹の底では安倍氏に取って代わりたい麻生氏は安倍氏と金正恩氏との真の関係を「冗談・軽口」にまぎらわせて吐露したと私は思っています。これは舌禍ではありません。むしろ安倍氏へ「もう辞めろよ!!」との意をこめて「ジャブ」を放ったのです。
 %%%%%麻生氏 自民大勝は「明らかに北朝鮮のおかげ」、またも舌禍
2017年10月27日 7時0分 スポニチアネックス
 麻生太郎副総理兼財務相は26日、都内の会合であいさつし、自民党が大勝した先の衆院選結果について「明らかに北朝鮮のおかげもある」と述べた。政府、与党の北朝鮮対応が有権者に評価されたとの趣旨とみられるが、北朝鮮による挑発が続く中で、不適切な発言だとの指摘を受ける可能性もありそうだ。
選挙結果に関し、北朝鮮情勢の緊迫化を受けて「誰をリーダーにするかを有権者が真剣に考えた結果だ」と強調した。また「立憲民主党を左翼として計算すると、共産、社民両党と合わせても全議席の2割を切った」とも語った。
来月1日には特別国会が召集される。衆参両院本会議で首相指名選挙が行われ、安倍晋三首相(自民党総裁)が第98代首相に指名される。毎度おなじみの麻生氏の“舌禍”とはいえ「謙虚さ」を強調した衆院選から一転、「緩み」とも受け取られかねない発言の波紋が広がれば再び国会が荒れる可能性がある。
さらに、安倍政権は外交日程が立て込んでいるなどとして、野党が求める臨時国会の召集に応じない方針。森友、加計学園問題を巡る野党側の追及をかわすのが狙いとみられる。立憲民主党の辻元清美国対委員長は「逃げだ。衆院選が終わったのだから正々堂々とすればいい」と挑発した。与党のベテラン議員も「首相はトランプ米大統領とゴルフをするんだから、国会だってできるはずだ」と苦言を呈した。
%%%%%
 ここで、板垣(怪)情報であります:
%%%%%加計学園「獣医学新設贈収賄事件」の証拠は、国家戦略特別区域諮問会議の有力な有識者議員が、捜査当局に提出した(板垣 英憲)
2017年10月27日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕 
 東京地検特捜部(森本宏特捜部長=9月11日付で就任)は、今治市内の国家戦略特区に建設中の岡山理科大学獣医学部新設をめぐる「贈収賄事件」で安倍晋三首相、萩生田光一自民党幹事長代行(千葉科学大学名誉客員教授、前内閣官房副長官兼内閣人事局長、元文部科学大臣政務官)を「収賄容疑」、安倍晋三首相の40年来の親友である学校法人「加計学園」の加計孝太郎理事長を「贈賄容疑」で内偵中のところ、11月中旬には、強制捜査に踏み切る方針を決めた。これは、確たる証拠を手に入れているからだ。犯罪を裏付ける証拠「関係資料」は、国家戦略特別区域諮問会議(議長:安倍晋三首相)の有力な有識者議員(一身上の都合で安倍晋三首相に辞表を提出しているけれど、正式に受理されていないという)が、幇助罪容疑を免れるために東京地検に提出していたので、もはや逃れる術はない。
%%%%%

 選挙での共産党が果たした役割を二つのブログが論じています。そろそろ私の考えを書くべきであります。が、本記事が長くなるのを避けたいので、それは次回に順延します:
%%%%%(共産党記事―1)
ばかばかしい俗説が「訳知り顔」にマスコミに登場!
2017年10月24日 半歩前へ
行方久生さんが戦に敗れた野党について見事な分析をして見せた。
**************
共産党の後退は、野党共闘を前進させるエネルギーとなっていた党だけに緻密な分析をして欲しい。67も候補者を下ろしたことは大英断であるが、共産党が立候補したタメに立憲民主党が落選した選挙区もまだ沢山ある。 東京などは共産党の基礎票が大きいだけに、候補者を下ろすのは難しいのかもしれないが、結果を見ると「邪魔」をしたと見られても仕方の無い選挙区が結構ある。政策協定もないまま、候補者をただ下ろした選挙区も東京外ではあるわけなので、そのバランス感覚をもっと研ぎ澄ます必要があろう。 共産党は、真面目に総括した方が良いと思っています。志位さんの談話は好感もてますが。
希望の党は、自民党の補完勢力になるだろうと、批判されてきたが、実は、選挙結果をみても、既に「自民党当選保証マシーン」になっており、立憲民主に刺客を送るなど、その当選を妨害してきた様を国民はよく覚えて置く必要があろう。選挙後の補完勢力ではなく、選挙での別働隊といってもよい役割を果たした。安倍首相から小池に表彰状を渡す必要があろう。
選挙後の野党再編や無所属議員の帰属先をめぐる議論などが「訳知り顔」にマスコミに登場しつつある。ばかばかしい。そういう下らないことに興味を持つのではなく、改憲を阻止する運動や、改憲勢力の弱点(政党が多ければ、それだけ、内部矛盾が拡大して、統一案が困難になる)を拡大する議論を行うべきであろう。立憲民主が野党第1党になったことによって、安倍強権政治にストップが掛かるといった単純な話になはならないが、国民世論が大きく支持した、政党支持なし層からの大きな支持をうけたという事実そのものが、実はこれまでの自公の暴走に規制を加える要因となる。
公明党はその本性を隠して、野党攻撃を行っていたが、議席を落とした。改憲などを打ち出していては、更に大きなダメージを受けることを肌身で感じたハズである。選挙後の政局は、野党共闘の流れを途絶えさせない運動と改憲阻止、反緊縮の政策の徹底が重要であり、政党の烏合離散、離散集合、合従連衡などの表面に惑わされないことが肝要であろう。
%%%%%(共産党記事−2古川利明の時代ウオッチング)より一部抜粋 
#で、総センキョの総括だが、やっぱ、「比例計」ってのは、各党の底力を示すバロメーターだと思う。今回、自民は1855万票で、前回14年の1765万票、前々回12年の1662万票よりは、上乗せしておる。しかし、下野を余儀なくされた09年は、ぬあんと、今回より多い「1881万票」も獲っておったんだよな。この事実は、冷静に見る必要があるだろう。ちなみに、このとき、セー権を奪取した民主は、ぬあんと、ぬあんと、「2984万票」だったんだよな(投票率は、69.28%)。
 それで言うと、今回、共産は比例計で440万票と、前回の606万票より、160万票余も落としておったよな。でも、ワシ自身が、比例の投票先を「立民か、共産か」で迷った挙句、今回は「立民」と書いたんだが、それはとりもなおさず、政局的に、立民をぬあんとしてでも、「野党第1党」にするという理由が大だ。それで言えば、立民がワシら有権者の思いを裏切り、チンタラとしておったら、いつでも、共産に戻せばエエだけのことだ。あと、今回、共産は、基本的に立民と、無所属組に対しては、従来の野党共闘路線を維持しておったわな。「それ」があったからこそ、特に、立民の躍進があったワケで、コイツはもっと声を大にして言っていい。
%%%%%

海溝向こうの二つのM6地震(4)、阿波から見る「烟」


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:昨日朝の東の空です。台風をはさんでずいぶんと長く雨の日々でした。思わず誰の唄であったかは失念しましたが「おひさしぶりね」で始まる唄が口から出てきました。そして、今朝も雨です。鳥たちも静まり返っています。二回クリックで拡大)
朝日3271


 朝焼けは 雨の予兆と 思いつつ お久しぶりねと 唄が上せぬ

 あの圧倒的強さで今期を駆け抜けた広島カープスが四連敗で敗退してしまいました。野球はサッカと比べるとそれほどメンタル的要素が勝敗に影響しないと思っていました。本番での圧倒的強さが「裏目」に出てしまったようです。しかし、カープの強さは誰も疑っていません。来期の雪辱を期待しています。何よりこの場面に巨人がしゃしゃり出ていないことは良いことです。

 「小選挙区制が与党への「議席集中」の主要原因である。」との指摘は正しいと思っています。安倍氏はこれでマンマと味を占めているのですから、この制度を変えることはなく、しばらくは続くのでしょう。とするならば、反安倍勢力はそれを前提として「打倒」戦略を構築するしかありません。それには反安倍勢力の糾合のみです。2009年、小澤一郎氏はそれをやってのけました。しかし、今回はその一歩手前まで達したようですが、働きかけた「タマ」が悪かったというべきでしょう。小澤氏の「人を見る目が衰えたのか?」それとも他に「ひと」がいなかったのか?

 興味深い議論を見つけましたので、下に転載しておきます。題して
%%%%%なぜ、共産党が「受け皿」になり得ないのか?
2017年10月24日 半歩前へ

 野党の老舗、共産党がなぜ、安倍政権に代わる受け皿になり得なかったのか?それは、一般の人々が共産党シンパへ感じる「違和感」である。過去のコメントからして、私の投稿を読む者の7、8割が共産党シンパではないかと思う。私も、このシンパに違和感を覚える。共産党委員長を誉めると「いいね」が殺到するが、ちょっとでも中国を批判すると一斉に潮が引く。東日本大震災の被災者や沖縄に対しても反応は限りなく無関心に近い。一時だけは騒ぐが、後は野となれ山となれだ。これらのシンパは共産党以外のことにはそれほど関心がないようだ。私はこんな身勝手な考えを「よし」としない。志位和夫は立派な政治家だと私は思っている。だから、選挙では毎回、共産党に投票している。原発、憲法などで彼の考えに同意するからである。だが、シンパは好きになれない。ハッキリ言えば、ネトウヨと同じくらいに大嫌いだ。彼らは批判を許さない。自分たちが「絶対」だと思っているらしい。これでは支持が広がるはずがない。連中はそのことに気付かないか、気づいていても、そんな声は「無視」するのではないか。偏狭と独善は安倍首相と変わらない。だから私はシンパが嫌なのだ。これまでも尖閣での中国の挑発や南シナ海での横暴を批判すると、次々、「友達」を抜けて行った。大歓迎である。私はそんな者たちを「友達」などと考えていない。今回の立憲民主党と同じで、ヘンなのがいなくなって、返ってスッキリすると思っている。今は右や左のダンナさまではない。公平・公正かそうでないか。自由か自由でないか。教条主義、全体主義がそうでないか、である。枝野幸男や山本太郎、小沢一郎なども同じ考えではないか。中国の尖閣挑発は「公海だから問題ない」ー。こんなご都合主義は世間に通用しない。仲間内の「隠語」でしかない。共産党のシンパは創価学会と似た“ニオイ”を感じる。独善。批判を認めない。それがとても不気味で嫌なのだ。他人に対しては上げ足を取って批判する。だが、自分たちへの批判は絶対に許さない。これでは話にならない。
「すべて自分たちが正しい」−。そんなことはこの世にあり得ない。もっと自由で開かれたものでないと共産党の枠外の人たちの賛同は得られない。そうした中、必死で頑張っている志位和夫や小池晃が気の毒だ。志位は中国の挑発に断固反対し、北朝鮮のミサイルにも非難声明を出した。立ち位置を明確にしている。立派なものだ。 
共産党拡大の足を引っ張っているのは、一般の人たちを寄せ付けない、独善的なシンパではないか。 (敬称略)
%%%%%
 大昔の私自身の挙動を棚上げさせて頂けるなら、概ね上の諸指摘に私は同意します。次回、私の考えを書きます。

+++++日本海溝にまとわりつく地震活動を眺める(2)
日本海溝の外側(東側)に起きる地震の深さが精度良く決定できるならば、テンソル解が与える二つの節面のどちらが断層面であるのかを知るのに大変役立つはずです。ところが、気象庁の震源位置計算ではその深さが地表下50km辺りに”数値”として計算されてしまいます。これはどうもおかしい。
 計算は地震源から発射されるP地震波の観測点までの到達時間から計算されます。が、列島からはるか東に離れた事象についてその位置を精度良く知るためには、震源を西側に見るような、即ち太平洋の真っ只中にも地震観測点が欲しいのです。勿論小笠原諸島など今般の地震の東側、あるいは幾つかの一時的に設置された海底地震計から無線で気象庁に送られる情報はあります。しかし、東側からの情報を計算結果に反映させるには観測数が少なすぎるのでしょう。
 今般の選挙ではありませんが、「全ては数」で決まるのです。野党がばらけていては勝てる選挙も勝てません。それがないため、偏りが生じてしまいます。つまり物事をより正しく捉えようと思えば、その事象を多方面から観察することが肝要であり、まさに地震位置計算はその格好の事例ということになります。

 一方、CMT解を得る手続きは地震波の到達時刻に加えて地震波の形が解析されます。地震波到達時刻解析と変わらないと思いがちですが、そうではありません。一定程度の大きさを超える地震では遠く海外の地震観測所で精度良く観測されたそれらがつかえるのです。しかも使える波もP波に限らず、S波、そして表面波の波形をも合成して観測波形と比較できます。 
 観測波形と計算機合成波形との合致が良くなければ、計算機合成波形に用いられるパラメータを少し変えて再度計算し、二つの波形の合致を調べます。変更するパラーメータとしては震央位置、震源深さが当然含まれますが、最も波形に強く影響を与えるのが発震機構です。Global CMT Catalogue Searchであたえられている諸量はこうした算法から得られています。念のために付け加えておきますが、波形は世界中の観測点20〜50観測点でよい合致が得られている必要があり一観測点のみで得られた波形を比較するわけではありません。

(表1:気象庁とGCCSによる震源位置計算比較)
テンソル0921


表1は2017年9月21日午前一時半過ぎの地震です。発震時については僅か2.1秒と言う小さな違いです(GCCSは世界標準時を用いていますから日本時間とは9時間の差がある)。震央については、緯度はほぼ同じ、経度でおよそ0.26度(約20km)だけ、GCCSのそれは東にずれています。サテ、問題としているのは深さです。気象庁は深さを53kmと算出している一方で、GCCSはそれを13kmと算出しています。40kmもの違い、それは震央位置の違いよりも大きい。さほどかように「震源の深さ決定」は難しい。どちらが、より真実にちかいのか?私は、海溝近辺、とりわけその東側海域の地震について、その深さ計算結果はGCCSが真実に近いのだろうと考えています(理由はすでに書きました)。
(表2:気象庁とGCCSによる震源位置計算比較)
テンソル1006


 上で書いた議論は繰り返しませんが、発震時、震央については二つの計算結果の違いは僅かです。しかし、深さとなると気象庁は57kmと算出し、GCCSは14.3km、即ち40kmを超える違いです。
 
 このところ北朝鮮による核実験は一休みです。核実験の探知手法の有力な一つが地震現象での震源の深さ決定です。計算で求められた深さが10kmを超えれば、それは核実験ではないと判定できます。これはCTBTO(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty Organizaton, 包括的核実験禁止条約機構、https://www.ctbto.org/)が定める核実験判定条件の一つになっています。何故なら、現在の「孔掘削技術」ではその深さが高々10kmだからです。それを超える深さに核爆薬を設置できるはずはありません。
 この核実験を大洋の真っ只中で実施されると、深さの決定は大変困難です。周囲に充分な地震観測点が無いことが一つの理由です。もう一つの理由は、核実験が生成する地震波はP波のみで、自然地震であれば大きな振幅で生成されるはずのS波、そして表面波は極めて小さい。そのためにCMT手法で地震の深さを求めることもほぼ不可能です。地震源深さ決定問題の解決にはまだ時間がかかりそうです。

 上表には二つの地震の発震機構解(円い図は発震機構図又は発震機構解とよばれる:Focal mechanism diagram(solution))を併せ掲載しました。二つの地震のそれは酷似しています。しかし、夫々の地震の二つの節面、a,b,のどちらが断層面であるのかは現時点ではわかりません。

上の表ではNonDC成分が負値でその絶対値は比較的大きな値となっています(-16,-35)。これに地学的意味があるとすれば、最大主応力(張力)の絶対値が最小主応力(圧力)の絶対値よりも顕著に大きいため、それを補うべくおおきな負の中間主応力を課すことを意味しています。即ちこの二つの地震は張力場と言う地学環境の中で生じたと考えることが出来ます。これはいわゆる「Outer Rise」環境と整合的です。但し地震の深さが50kmにもなると、そこでは圧力場が卓越するはずです。そうなるとこの負値のNonDCの解釈は難しくなります。

 下図は前回記事で掲載したものです。ただし、上が北を向くように配しています。前回記事では図内の矩形ABCDの地震活動について辺ABに置いた鉛直面への地震活動を調べることは上に書いた事情から断念し、地震の発生時水平と辺BCからの距離の関係を調べました。今ブログでは、その発生時と辺ABからの水平距離との関係を図示します:
(図1:矩形ABCD内の地震についてその発生時と辺ABからの水平距離)
170923VertBC


左側辺に一様に分布するのは東日本太平洋沿岸近辺の普段の地震活動です。中央部が現在考察している二つのM6クラスの地震です。どちらもBC方向に活動(余震活動)が広がっています。しかし、これだけでは、断層面の特定には至りません。
 しかし、興味深い事は、二つの地震の位置関係に見ることが出来ます。10月6日の地震は9月21日の地震の南東に発生しています。その方向は地震の方位(上表に書くstrike)とほぼ合致しています。どうやら、二つの地震が連動していたと言うことは断言できそうです。
(つづく)

+++++常陸国風土記行方郡条、「建貸間命」の軍事行動
 行方郡南部に位置した潮(板)来界隈での奈良軍勢が苦戦を強いられていた。潮(板)来の北部に位置した現在の玉造あたりでの“夜刀神“との激戦を何とか制したものの、どうら戦場はずるずると南方に拡大していたらしいのです。そこで、現地駐留の奈良軍勢は急ぎ応援豚の増派を中央司令部に要請したのです。そこで、登場したのが「残虐」を以て鳴らした建貸間命と、この人物が率いる軍団です。
170721行方3802無題


 「時烟所見」の一節を考えて見ます。つまり、板来に駐在する奈良軍勢が上げる「狼煙」(烟)が阿波にまで達するようであれば、直ちに行方に進軍する。東の海、即ち霞ヶ浦で煙が留まるようであれば、敵軍勢を侮れないと書きます。上記「去靡海中」即ち上がった煙が霞ヶ浦(阿波から鹿嶋の向こうの太平洋を見渡せるべくも無いので、此処は霞ヶ浦の事)の上でたなびくも、やがて消えてしまうという事態。これは東風が殆ど吹かないという気象条件です。奈良軍勢は強い東風が吹く事態こそが行方に跋扈する原住民討伐に有利と書きます。
 と言うことは、時期は、道真公の「東風(こち)吹かば・・・」なる春であったのか、それとも現在の丁度今頃東の太平洋に発生した台風が日本列島を蹂躙最中の途上、中央部やや西よりに居座り虎視眈々と更なる獲物を狙っていた夏から秋の時期なのか。麻続王の処遇を詠った万葉集二十四歌と関連付けるならば台風の時期、(晩)夏と思えます。すなわち、台風による水禍、風禍に乗じて板来原住民に攻撃をかけようとしたと思えます。攻める軍は失うべき家族・家はありません。それらは奈良の地にあります。一方原住民には失いたくない家族・家・田畑があります。こうしたしがらみに漬け込もうというわけです。

 ところで、「烟」の正体でありますが、それは「狼煙」であったろうと思えます。これは当時の、戦乱時の通信手段を伝えるものとして興味深い記事であります。
 狼煙話については過去記事にも書いことがあります。時代は七世紀半ば、西暦663年九月の白村江海戦直後です。四年前のまだきちんと古代日本列島の実情が解明し切れなかった頃の認識ではあります。それを書いておきたいと思います。2013年4月29日記事 で書いたように白村江の海戦は唐・新羅が日本列島中央部に拠した「大陸語(漢語)」を話す一族と気息をあわせた倭国滅亡戦略の一環であったのです。
 以下は、その部分、日本書紀巻二十七からの抜粋です(長くなりますので、文意は必要が無い限り付しません)
%%%%%日本書紀巻二十七抜粋(岩波文庫『日本書紀(五)』26頁〜36頁に訓読あり)
天智天皇二年(六六三)九月辛亥朔丁巳(七日)。百済州柔城、始降於唐。是時国人相謂之曰。州柔降矣。事無奈何。百済之名絶于今日。丘墓之所豈能復往。但可往於弖礼城、会日本軍将等、相謀事機所要。遂教本在枕服岐城之妻子等、令知去国之心。
白村江海戦に敗れる。
九月辛酉(十一日)。発途於牟弖。
九月癸亥(十三日)。至弖礼。
九月甲戌二十四日。日本船師及佐平余自信。達率木素貴子。谷那晋首。憶礼福留。并国民等至於弖礼城。明日、発船始向日本。
中略、白村江海戦での功あった者達の列挙記事です。深刻な敗戦であった筈が階位を上げるなどの記事です。即ち、白村江の海戦にあって、この記事の執筆者は勝者側にあったことがわかります。破れた倭国側が書きとめた記事では無いのです。いずれ再度考察します。)

天智天皇三年(六六四)是春。地震。
夏五月戊申朔甲子十七日。百済鎮将劉仁願、遣朝散大夫郭務棕等進表函与献物。
百済の「都督府」に駐留していた唐の将軍・劉仁願および郭務棕が九州に来る。直ちに献物
五月是月。大紫蘇我連大臣薨。〈或本。大臣薨注五月。〉
六月。嶋皇祖母命薨。
冬十月乙亥朔。宣発遣郭務棕等。◆勅是日中臣内臣。遣沙門智祥、賜物於郭務棕。
十月戊寅四日。饗賜郭務棕等。
十月是月。高麗大臣蓋金終於其国。遣言於児等曰。汝等兄弟。和如魚水。勿争爵位。若不如是。必為隣咲。
十二月乙酉(十二日)。郭務棕等罷帰。
郭務棕などの接待を経て彼らは一旦帰国
十二月是月。淡海国言。坂田郡人小竹田史身之猪槽水中、忽然稲生。身取而収。日々到富。栗太郡人磐城村主殷之新婦床席頭端。一宿之間。稲生而穂。其旦垂頴而熟。明日之夜、更生一穂。新婦出庭。両箇鑰匙自天落前。婦取而与殷。々得始富。
淡海国での出来事(2013年7月10日記事で明記したようにこれは琵琶湖周辺の話ではない。狗奴国と投馬国の境の地である)
《天智天皇三年是歳。於対馬嶋。壱岐嶋。筑紫国等、置防与烽。又於筑紫、築大堤貯水。名曰水城。
各地に築いた城、烽の施設に費えのこれまでの解説は大陸唐・新羅軍の九州への来襲に備えるためというものであった。それは誤りであり、反抗する倭国敗残兵への備えである。
天智天皇四年(六六五)春二月癸酉朔丁酉(二十五日)。間人大后薨。
二月是月。勘校百済国官位階級。仍以佐平福信之功。授鬼室集斯小錦下。〈其本位達率。〉復以百済百姓男女四百余人、居于近江国神前郡。
三月癸卯朔。為間人大后、度三百三十人。
三月是月。給神前郡百済人田。
秋八月。遣達率答〓[火+本]春初、築城於長門国。遣達率憶礼福留。達率四比福夫於筑紫国、築大野及椽二城。』耽羅遣使来朝。
九月壬辰(二十三日)。唐国遣朝散大夫沂州司馬馬上柱国劉徳高等。〈等謂右戎衛郎将上柱国。百済将軍朝散大夫上柱国郭務棕。凡二百五十四人。七月二十八日、至于対馬。九月二十日、至于筑紫。二十二日、進表函焉。〉
 そうした備えのバックアップ・補強のために改めて唐・新羅は郭務棕などを指揮者とする軍事顧問団を九州に派遣した。
(以下略)
%%%%%
 大方の古代学者は、大陸からの侵攻を九州本部に置いた軍事本部に短時間で通報するべく、対馬、壱岐に通信施設たる「狼煙」を設置したと解説します。しかし、日本書紀の筋に従えば、支配階級の本拠は奈良(または天智天皇の遷都が史実ならば大津)ですから、対馬はともかく次は隠岐の嶋、そして宮津あたりをへて大津と言う経路であるべきでしょう。ところが、もっぱら次は壱岐であり、筑紫です。これは、九州に残存する倭国残党の軍事決起があるならば直ちに壱岐・対馬を経て唐・新羅が駐留する朝鮮半島の軍に応援を依頼することにあったのです。

 どうやら、常陸国南部での奈良軍勢はまさにこの伝に倣ったのです。
(つづく)

日本海溝の向こう(東)の地震(2)、常陸国の阿波


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:台風襲来前日に当家に滞在していた青蛙。これがカメレオンのように周囲の色に同化してゆくのか?信じがたいですな。しかし、比べてみると確かに同じようなところに斑点があります。)
青蛙3216


 ほんとうに ほんとにこれで いいんですか わがどうほうへ 尋ねたきかな

 本ブログでは繰り返し総選挙の事を書いてきました。関連するインタネット記事も多く紹介・転載してきました。しかし、今日は、それについてはまことに“言葉少な”でありまするよ。権力を持つ政党が、自分の意のままにできるほどに議会内での勢力を確保する。そのためには、何回でも「リセット」する。今回の選挙はその意味では謀略選挙でした。まあ、事前の報道機関予測どおりですから、覚悟はしていました。それでもひどい失望と落胆ですね。信じがたいんですな。同じ日本列島に住まう我が同胞があのモリカケ・スキャンダル追及から逃げ回っていた安倍氏に再度トップの座を提供することが。何を考えているんだろうかと。

 安倍氏を敗戦に追い込むことが出来なかった最大の原因は野党の分裂です。まさに野党は「小池にはまってさあ大変!!」となってしまった。前年の参議院選挙と戦法を同じくすれば、こうはならなかったのでしょう。そう考えると、権力側は、小池氏を「垂らしこむことができる」との計算をしていたに違いありません。そこに後先(あとさき)も考えず前原氏がのめりこんでしまった。むしろこれまでの言動からして前原氏もそうなるであろうと先を読んでいたのかもしれません。

 権力を持つ側のしたたかさをまざまざと見る思いです。権力に何が何でもしがみ付く「勢力」の策謀を打ち破って、現在の野党勢力が権力を取り戻すことは出来るのだろうか?不可能に近いと絶望感です。考えてみれば、民主党政権時代の小澤氏排除、鳩山氏の放逐、そして菅・野田氏の拙劣な国会運営、これがそもそもの出発点でありました。何を言っても所詮は愚痴であります。もう少し気分が落ち着いたら今般の総選挙を振り返ることにしましょう。

 私が生きている間に安倍氏の落胆・憔悴で打ちのめされた姿を心地良い気分で眺めることは無いのでしょう。残念であります。

 まあ、さし当ってはいつもの板垣(怪)情報で自らを癒しておくことにします。
%%%%%小沢一郎代表を謀った報い、台風が小池百合子代表に「天誅」政治生命にヒビ、立憲民主党と共産党は名を上げ支持高まる(板垣英憲
2017年10月23日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 総選挙の結果、自公与党圧勝・野党惨敗―新党「希望の党」の小池百合子代表は、「2018年9月の自民党総裁選挙」を総選挙に持ち込み、民進党を「3分裂」させて国政を攪乱。小沢一郎代表を謀ったものの、間一髪でのところで「緑の狸」の尻尾(馬脚)を現し、小沢一郎代表の逆襲を受けて、あえなく撃沈された。潤沢な軍資金と巨大組織を与えられて立憲民主党を結党した枝野幸男元官房長官が、快進撃、「希望の党」を蹴散らして、名を上げた。台風が小池百合子代表に「天誅」を下し、政治生命にヒビ、自民党が「リコール運動」の準備を進めており、東京都知事の命運もいまや風前の灯だ。「算数が弱い」民進党の面々は、「野党結束」を提唱し続けてきた小沢一郎代表の「正しさ」を思い知らされもとともに、底力の強さを改めて天下知らしめた小沢一郎代表への評価と期待度が、日本政界で急浮上している。
します。
%%%%%


+++++常陸国風土記・行方郡の条
 常陸国風土記行方郡の条は、まさに敵の本拠・鹿嶋郡攻略の直前です。しかし、行方に拠する民はどうやら激しく抗戦したようです。それを力づくで殲滅するべく軍事行動を指揮した人物が建貸間命です。時代は祟神天皇と風土記は書きますが、日本書紀、古事記にこの人物は登場しません。登場しないのも道理です。この戦闘は記紀には記載されていないからです。
170721行方3802無題

 建貸間命なる呼称は風土記編纂の作業の中で案出された名前です。すなわち「かしま」なる国を「つくる」言い換えれば「作り変える」使命を担った軍人です。その人物といえば記紀が語る武甕槌神(日本書紀・巻二)をおいて他にはいません。この人物も使われている漢字が「表意」するように後世この人物を美化するべく拵え上げられた名称であることは本ブログでも以前書きました。即ち「槌で以て甕星を崇める部族を平服させる武人」です。常陸国風土記では、あえて「武甕槌神」を表記せず「建貸間」なる名称を用いています。そこには殲滅される民からの反感をそらすという思惑もあるのではなかろうかと考えています。

 さて、この武人の採った軍事行動が詳述されます。「凶暴」、「狡猾」な土着人が跋扈する地に軍を率いて赴いた。まずは、信太の阿波に陣屋を設け、そこから東方の霞ヶ浦を挟んだ向こうに土着民の住まう証となる煙を探します。
 この記述から見てとれことは、奈良から遣られた征夷・東征軍は、やっとの思いで夜刀神に結集する扶桑国・倭国の連合体の勢力を打ち破った。が、しかし、殲滅できなかったのです。そこで、米国によるベトナム侵略、イラク侵攻さながらに、新たに大規模な軍を送らざるを得なかったということです。
 (図2 追加された軍が陣屋を置いた場所
171023阿波


 「阿波」(あば)の「バ」は「マ」の転じたものです。すなわち「アマ」であり、「火」です。西域から渡来したスカ族の信奉する拝火教を体現しています。上の地図にはその名残が未だにとどめられています。いたるところに「スカ」を付した地名があります。
 余談ですが、此処に全国的な信仰を集める大杉神社があります。わたくしは、行方郡に跋扈する反奈良勢力を征討するための追加軍隊が陣屋を置いたところであろうと考えています。現在は神社として「とりわけ疱瘡」患者さんの救済にご利益があるとされています。「阿波が「あばた」に通ずるからでしょう。
(つづく)

+++++日本海溝にまとわりつく地震活動を眺める(1)
 東日本のごく最近の地震活動で目に付くのは、福島沖を南北に走る日本海溝の東側で相次いで起きたM6クラスの二つの地震、9月21日(M6.1)と10月6日(M6.3)です。その震央位置をまずは図3aに示します。
(図3a 海溝東側に起きた二つのM6クラスの地震。図3bを見やすくするために図は90左に回転しています。したがって左が北、上が東となります。データソースは気象庁1917年9月15日〜10月15日間のm>1.0の地震)
seis

(図3b:図3aの矩形領域ABCD内の地震活動についてその発生時と辺ADからの距離を調べたもの) 
ABvertical projection

 二つの地震には何がしかの地学的因果関係が微小地震の活動遷移から認められるに違いないとの予測を以て上図を作成しました。しかし、それは顕著であるとはいい難いようです。

通常であれば、矩形ABCD内の地震活動の深さ分布をも作成するのですが、今回はそれをしていません。理由は、海溝東側に発生する地震の震源の深さ決定の精度にあります。概して気象庁の決定する深さは50kmあたりと計算され、それはいささか深すぎるのです。それは下の図4にみることができます:
(図4:二つの地震発生前後の回数頻度の時間的推移(上)とBC断面への投影から見た位置関係(下))
171023Histgram


 二つの地震の震源の深さがどちらも地表下50km以深です。まだ日本列島下にもぐりこまない太平洋プレートの内部の50kmあたりに地震を引き起こすような応力が集中しているとは考え難いのです。これは多分、気象庁も充分に認識しているとは思いますが震源決定計算過程における情報の不足にあると想像しています。そもそもこうした地震の西側にある観測点のみからの震源位置計算にはどうしても避けられない偏りが入り込みます。その偏りをどのように補正するのか?そこを気象庁は色々と研究しているはずです。

 そこで、次回、それではCMT解を求める手続きから得られる震源深さはどうなっているかを書きます。
(つづく)

投票選択は「モリカケ」蕎麦隠蔽か!白状かで判断したい!


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:どうも未熟な撮影技術のために、目がチラチラする動画となっています。もうしわけありません。畑の虫を探して走り回るハクセキレイです。尚、前回記事の冒頭写真のカマキリ氏、晴天に誘われいずこかへ飛び立ちました。もしかすると、氏から「何か礼がしたい」との申し出が近日中にあるかもしれません。その際には「ドブロク」一升瓶と言うつもりです)


 もしかして 政治にかかわる 最後かも そんな思いを ブログに込めぬ

(図:東京新聞一面、拡大は二回クリックを)
CIMG3267


(図:10月19日付東京新聞、竹田氏のコラムです)
CIMG3266


 竹田氏がこのコラムで披瀝する意見には概ね同意しますが、時に書いてることが、考えていること(竹田氏の頭のなか)に追いついていないため、しばしば文意不明です。それでも今回は、”これでも安倍氏を支持するのか!”と言う国民安倍氏に怒らない国民への憤懣気分はしかと受け止めました。

 これまで、何回もの国政選挙で投票をしてきました。左翼カブレの若かりし頃は当選・落選を考えず代々木の某党に票を投じてきました。今思うと当時は保守革新を問わずきちんと物を考え主張する政治家がいたと昔を懐かしんでいます。田中角栄氏、福田赳夫氏、大平正芳氏、宮沢喜一氏、近年では小澤一郎氏、加藤紘一氏,亀井静香氏等々。スキャンダルまがいの一つや二つはあったのでしょうが、彼らには、自らの政治家としての足跡を語る資格があります。
 そう考えると左翼の側にはあまり名前が浮かんでくる人物がいません。が、土井タカ子氏、成田知己氏、飛鳥田一雄氏、上田耕一郎氏、正森成二氏には深い教養を国会論戦から嗅ぎ取りました。野党論客が挑む論戦に、上に列挙した自民党側政治家は真っ向から受けて立っていました。国会での論戦は一種の『政治ショウ』かもしれませんが、その丁々発止に思わず引き込まれたものです。その論客資質を受け継いでいるのが、検事出身の山尾志桜里氏(愛知七区、無所属)であると思っています。ぜひとも氏には議席を死守して欲しい。

 国会がこうした論戦の場としての機能を失ったのが「小泉政権」時代であったと思っています。竹中平蔵氏とつるんでの「屁理屈・はぐらかし答弁」、ブッシュ大統領の面前での幇間まがいのパフォーマンスは、小泉氏のニヒリズムに由来する精神崩壊(自虐的・自暴自棄)を思わせたものです。しかし、小泉氏にはニヒリズムに隠された感性もあったようです。それはオペラへの深い造詣、スエーデン・オカロン放射性廃棄物貯蔵洞窟見学後の原発への立ち位置の180度転換です。感性と言う意味では小泉氏は芸術を好んだヒットラ(例えば「丸山眞男、音楽の対話」(中野雄著、文藝春秋、1999)参照、後日これについては考察します)と通ずるものがあるのかなとチラと思ったりします。

 しかし、この小泉氏の「屁理屈はぐらかし答弁」のみを踏襲し、その背後に一片の知性をも感じさせないのが安倍氏です。その言辞たるや、まさに「その場しのぎ」、数分後にそのウソがばれようとも頓着しない。この性癖が国の財産の私物化を恬として恥じない氏の政治様態に現出しています。郷原氏が厳しく指摘するように、氏には「三権分立」なぞと言った政治理念はありません。とてつもなく愚鈍な、しかし自己保身には極めて敏感な政治家を我々はこれまで国のトッピに据えてきてしまった。此処はまず、安倍氏を政治のトップから何としても降ろす、この決意で以て明後日の投票日まで知人に訴えたいと思っています。これが、老いぼれの現時点でなしえる若者への責任かなと思います。

 というわけで、今回は地震の話、古代史の話は休載させていただき、参考となるネットでの有益な文章を以下に転載します:

 昨今の安倍氏を筆頭とする政治家の低質は目に余ります。その代表が、国の組織上は政治家のトップに四年以上も居座っている安倍氏です。その安倍氏に対して検事出身の頭脳明晰弁護士・郷原信郎氏が痛烈な批判を氏のブログで書いています。題して『本当に、「こんな首相」を信任して良いのか(郷原信郎ブログ)』です。我が意を得たりと思い、まずは下に転載します。是非お読みください。

%%%%%郷原弁護士ブログ
← 「籠池氏は詐欺を働く人間。昭恵も騙された。」は、“首相失格の暴言”
%%%%%本当に、「こんな首相」を信任して良いのか
投稿日: 2017年10月19日投稿者: nobuogohara
「緑のたぬき」の“化けの皮”が剥がれ、安倍自民圧勝の情勢
衆議院選挙の投票日まであと3日、各紙の情勢予測では、「自民300議席に迫る勢い」と、安倍首相率いる自民党の圧勝が予想されている。しかし、世論調査で「安倍首相に首相を続けてほしくない」との回答が50%近くに上っており、また、内閣支持率は30%台に低下し、不支持率を下回っている。「自民圧勝」の情勢は、決して安倍首相が支持されているからではない。
最大の原因は、衆議院解散直前に「希望の党」を設立し、自ら代表に就任した小池百合子東京都知事の“化けの皮”が剥がれたことにある。都議選圧勝で最高潮に達した小池氏の人気は、民進党リベラル派議員を「排除」するという小池氏自身の言葉や、音喜多都議と上田都議が「都民ファースト」から離脱し、閉鎖的で不透明な党の実態を暴露したことなどによって大きく低下した。さらに、「政権交代」をめざして国政政党を立ち上げたのに、代表の小池氏が衆院選に出馬せず、「希望の党」は首班指名候補すら示せないまま衆院選に突入したことで、小池氏への期待は失望に変わった。
私は、昨年11月以降、ブログ等で、小池都政を徹底批判してきた。都議選の直後には、【“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 〜代表辞任は「都民への裏切り」】と小池氏を批判した。そういう意味では、「小池劇場」を舞台に、都民、国民に異常な人気を博してきた小池氏の実像が正しく認識されること自体は、歓迎すべきことである。そして、小池氏に化かされ、「緑」に染まってしまった民進党系の前議員の多くが「希望の党」もろとも惨敗するのは自業自得だ。しかし、問題は、それが「自民党の圧勝」という選挙結果をもたらしてしまうことだ。
【“憲政史上最低・最悪の解散”を行おうとする「愚」】でも述べたように、今回の衆議院解散は、現時点で国民の審判を仰ぐ理由も「大義」もないのに、国会での森友・加計学園疑惑追及を回避するための党利党略で行われたものであり、憲法が内閣に認めている解散権を大きく逸脱した「最低・最悪の解散」だ。
疑惑隠しのため解散を強行した安倍首相への批判から、自民党が大きく議席を減らすことが予想されていたが、「希望の党」の結成、民進党の事実上の解党によって、野党は壊滅、その「希望の党」も化けの皮が剥がれて惨敗必至の状況となり、結局、「最低・最悪の解散」を行った安倍首相が、選挙で圧勝して国民から「信任」を受けることになりかねない状況になっている。
しかし、本当に、それで良いのであろうか。
10月11日のテレビ朝日「報道ステーション」の党首討論での安倍首相の発言に関しては、【「籠池氏は詐欺を働く人間。昭恵も騙された。」は、“首相失格の暴言”】で、一国の首相として、いかにあり得ない暴言であるかを批判した。それに対しては、大きな反響があり、朝日、毎日、共同通信、週刊朝日等でも取り上げられたが、安倍首相の正確な発言内容が把握できたので、籠池氏の事件や解散に至る経緯も踏まえて安倍首相の発言内容を整理してみたところ、その発言の“恐るべき意図”が明らかになった。
安倍首相発言の“恐るべき意図”
安倍首相の発言は、後藤キャスターの
総理にお伺いしたいんですが、この森友・加計学園というのは、最高責任者としての結果責任が問われている。
森友問題については、交渉経過を総理の指示によって検証する、そういうお考えはないのでしょうか。
との質問に対して行われた。(番号、下線は筆者)。
まず森友学園の問題なんですが、私が一回も、お目にかかっていないということは、これは、はっきりしています。私が一切指示していないということも明らかになっています。うちの妻が直接頼んでいないということも、これも明らかになっていると思います。
あと、問題は、松井さんが言われたように、>特咾気鷦体が詐欺で逮捕され起訴されました。これは、まさにこれから司法の場に移っていくんだろうと思います。
値段が適正だったかどうかも、財務省が、これは民間の方々から訴えられているわけでありますから、捜査当局が明らかにしていくんだろうなと思います。
△海Δい詐欺を働く人物の作った学校で、妻が名誉校長を引き受けたことは、これはやっぱり問題があったと。やはり、こういう人だから騙されてしまったんだろうと…
この発言の第1の問題は、行政府の長であり、検察に対しても法務大臣を通して指揮監督を行い得る立場にある首相が、検察が逮捕・起訴した事件に言及した上で(下線 法◆屐悗海Δい詐欺』を働く人物」と決めつける発言をした(下線◆砲海箸澄d特啝瓩蓮検察に逮捕され、身柄拘束中だが、取調べに対して完全黙秘しており、公判で弁解・主張を行って公正な審理を受けようとしている。このような被告人の起訴事実について、一国の総理大臣が、「詐欺を働く人物」と決めつけることは、「推定無罪の原則」を首相自らが破るものであり、絶対に許されない。
第2に、安倍首相は、森友・加計学園問題について「丁寧な説明」をすると繰り返し述べながら、野党に国会召集を要求されても応じず、臨時国会の冒頭解散によって国会での説明の場を自ら失わせた。そして、国会に代わって、森友・加計問題についての「説明の場」となったテレビの党首討論の場で、安倍首相が行った「説明」が、「籠池氏は詐欺を働く人物であり(下線◆法△修Δい人物だから妻の昭恵氏が騙されて(名誉校長になった)(下線)」というものだった。
そして、安倍首相が、森友学園問題について、上記の「説明」を行うことが可能になったのは、まさに、検察が籠池氏を詐欺罪で逮捕・起訴したからだ。
検察の逮捕・起訴に関しては、籠池氏自身が逮捕前から「国策捜査」だと批判し、マスコミ等からも、そのような指摘が相次いだ。その逮捕事実が、告発事実の補助金適正化法違反ではなく詐欺であったことは従来の検察実務の常識に反する(【検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか】【検察は、籠池氏を詐欺で起訴してはならない】。また、大阪府からの補助金の不正受給も、通常は「行政指導」の対象であり、刑事事件で取り上げるような問題ではない。
検察が、「常識的な判断」を行っていれば、安倍首相が、上記のような「森友学園問題についての説明」を行うことはできなかった。籠池氏に対する検察の逮捕・起訴は、法務大臣を通じて検察を指揮し得る(或いは「検察から忖度される」)立場にある安倍首相自身を利するものだった。安倍首相の発言は、そのことを自ら認めるものなのである。
一国の首相が推定無罪の原則を無視する発言を行ったことだけでも、「首相失格」であることは明らかだが、それ以上に問題なのは、その「籠池氏が詐欺を働くような人物だから妻が騙された」という、森友学園問題に対する「説明」は、検察の籠池氏逮捕・起訴によって初めて可能になったということだ。安倍首相の発言は、検察の国策捜査を自ら認めたに等しいのである。
刑事司法が政治権力のための道具として悪用される恐れ
安倍首相と籠池氏は、もともと敵対関係にあったわけではない。少なくとも、森友学園問題が国会で追及されるまでは、安倍首相の妻昭恵氏は籠池夫妻と親密な関係にあり、安倍首相自身も、国会答弁で「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」と述べていた(2月17日衆院予算委員会)。
ところが、籠池氏が、森友学園の小学校設置認可申請を取り下げた後、3月16日に、「安倍首相から100万円の寄付を受けていた」との発言を行った時点以降、自民党は「安倍首相を侮辱した」として籠池氏を証人喚問、3月29日には、大阪地検が籠池氏に対する補助金適正化法違反の告発を受理したと大々的に報じられ、7月28日、国会が閉会し安倍首相の記者会見が終了した直後に強制捜査着手、そして、7月31日に、籠池氏夫妻が逮捕され、さらに大阪府等からの補助金不正受給について再逮捕。籠池氏は、詐欺の犯罪者として処罰される方向で事態が進行していった。
そして、今回の安倍首相の発言があり、行政府の長である首相が、籠池氏が逮捕・起訴された事実に関して、「詐欺を働く人物」と明言したことで、少なくとも、検察は、今後、籠池氏側・弁護人側からいかなる主張がなされようと、首相の意向に反して、「籠池氏の詐欺」を否定する対応をとることは困難になる。そして、有罪率99.9%と、検察の判断がほぼそのまま司法判断となる日本の刑事司法においては、結局のところ「籠池氏の詐欺」が否定される余地は事実上なくなるのだ。
今回の安倍首相発言が容認されれば、今後の日本では、首相に敵対する側に回った人間を、籠池氏と同様に、刑事事件で逮捕・起訴することで、「犯罪者」として「口封じ」をすることが可能となる。まさに、刑事司法が権力の道具になってしまいかねない。
このような発言を、公共の電波による党首討論で堂々と行った首相が、選挙で国民の信任を受けるなどということは、絶対にあってはならない。
「こんな首相」を信任して良いのか
今年7月都議選での街頭演説で安倍首相は、「こんな人達に負けるわけにはいかない」と叫び、国民からの強い反発を受けた。今回の選挙に関しては、本記事で述べた、党首討論での安倍首相発言がいかなる意図によるもので、いかなる意味を持つものかを、改めて認識した上で、「こんな首相」を本当に信任しても良いのかということを、真剣に考えて頂きたい。
%%%%%

 次に紹介するのが元毎日新聞記者、慶応大学仏文科出身の古川利明氏ブログからの抜粋です。氏はいつもながらの「荒っぽい」表現を意図的に用いていますが、内容は確かと私は思っています。安倍氏品位の狭量さを物語るエピソードです:
%%%古川利明ブログ
 (前略)
 #で、今日(=10・18)の15:11upの日刊ゲンダイ電子版に、イケダモン大先生を創立者とする公明トウ(=創価ガッカイ)について、「全勝神話に異変」ってことで、東京12区から立候補しておる太田昭宏が、野党統一候補の共産の池内沙織の猛追を受け、アブナイってんだが、ホンマかよ。だって、各紙の投票動向チョーさでは、軒並み「太田先行」と打っておってだな、楽勝ムードすら漂っておるからな。でも、まさか、ココを落とすなんてことは、ねえよなあ。しかし、センキョは水物なんで、投票箱の蓋を開けてみるまで、わからんよな。
 それと、今、官房ちょー官の菅のカイケンでの斬り込みで、世間をお騒がせしておる東京シンブン記者の望月衣塑子『新聞記者』(角川新書)、ざっと目を通したんだが、ワシは毎日シンブンを辞めた後、96年1月から約1年半、東京シンブン(TOKYO発)におったんだが、望月は00年入社なんで、重なりはない。
 それはともかく、「へえーっ」だったのは、アベと菅とのカイケンの違いで、アベは、質疑応答で、お気に入りの記者しか指名せんで(時には、そのお気に入りが挙手しておらんでも、指名することがある)、場合によっては、事前に質問状を出させて、予め想定問答をこしらえておくこともあるんだそうだ。
 ところが、さすがに、菅は「それ」はなくて、時間に余裕があれば、挙手した記者にもちゃんと指名して、質問は受け付けておるとのことだ。っていうか、こんなもんは、アタリマエなんだが、ウラを返せば、アベってのは、ホンマにどうしようもねえっていうんか、まさに、腰巾着に囲まれた「裸の王様」なんだな。だから、今のセー権は菅で持っておるよな。アベは、要は、志村けん演じるところの「バカ殿」そのもので、家老である菅が尻拭いすることで、ココまで持ちこたえてきたよなあ。国怪における「モリ&カケ」から逃げマクっておるってのは、ココにあると思う。
 そういえば、「10・11」OAの報ステで、「モリ&カケ」について、アベが対応しておったんだが、その「真摯に対応する」とした答えってのは、「ワタシも妻も、一切関与していない」ってだけなんだよな。顔に「バカ」って書いてあるんだが、でも、まさか、ココまでバカだとは思わなかったんで、正直、ビックリした。社としては、ヨミに産経をはじめとして、さらに個別的には、産経の阿比留瑠比だの、NHKの岩田明子に、時事の田崎史郎、TBSの山口敬之と、コイツら腰巾着どもの責任は、もっと徹底的に追及されていい。
(後略)
%%%%%

 次はいつもの板垣(怪)情報です。板垣氏は古川氏と同じ元毎日新聞記者です。
%%%%%前原誠司代表は、「希望の党」の排除リストを、自民党の二階俊博幹事長に持ち込み小沢一郎代表を裏切った(板垣 英憲)
2017年10月19日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 【小池百合子代表「孫子の兵法」を駆使する】(第9回)
 「前原誠司代表、小池百合子代表は、裏切り者だった」−野党(民進党、自由党、社民党、共産党)を1つにまとめて総選挙を戦おうとした小沢一郎代表を裏切ったのだ。前原誠司代表の「下心」は、「自民党に入りたい」ということ。だから、「お土産」として、「希望の党」受け入れ拒否リスト(デスノート)をつくり、自民党の二階俊博幹事長に持ち込んだ。この結果、民進党は「希望の党、立憲民主党、無所属グループ」に3分裂し、「敵」である自民党に漁夫の利を与えてしまった。明白な「利敵行為」である。「獅子身中の虫」前原誠司代表、小池百合子代表は、首班指名選挙で盟友である自民党の石破茂元地方創生相を「首相候補」に推薦しようと画策しているという。しかし、「スパイ情報」は「小沢一郎代表に筒抜け」だった。小沢一郎代表は、孫子の兵法「用間篇第13」を駆使して見破り、直ぐに手を打ち、「立憲民主党」にテコ入れするとともに、「ポスト安倍」の新政権構想を打ち立て、政界を凌駕しようと着々と上策を進めている。

板垣英憲安倍晋三首相が「自民党310議席獲得で公明党との連立解消」を決断、小沢一郎代表は、極めて冷静、上策を秘めている
2017年10月20日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報2〕
 【小池百合子代表「孫子の兵法」を駆使する】(第10回)
「自民党310議席獲得で公明党との連立解消へ」−安倍晋三首相は、首相公邸に側近10人を集めて、「総選挙後、公明党との連立を解消する」ことを極秘で決めたという。希望の党の小池百合子代表が、民進党からの全員合流を勧める小沢一郎代表のアドバイスをかなり高飛車に拒否して、「排除の論理」を押し切った結果、「希望の党」が失速したのを大喜びしているという。小沢一郎代表は、「敵を料(はか)り勝ちを制し、険易遠近を計るは、上将の道なり」(敵の企みを見破り、地形の険易を研究し、道のりの遠近を計算し、勝利の計画を立てる。以上が将軍の責任である)−「孫子の兵法 地形篇第10」の教え通り、極めて冷静である。上策を秘めているからだ。
%%%%%
 正直なところ、板垣氏がこの「怪」情報を拡散する意図は分かりません。小澤氏を貶めることにその意図があるのかそれとも小澤一郎氏への期待表明か?しかし、現今の政界のドロドロした思惑の絡み合いを反映していることは確かと思っています。

 最後は「アベノミックス」成る安倍氏の経済政策の果てを示す幾つかの図です。
アベが最も知られたくない数字はコレだ!下がり続ける賃金と苦しくなる生活 
171019年収1161

171020アベノミクス無題

 図は self-explanatory と思いますので私の駄文は蛇足でありましょう。

建貸間命の登場、戦略的投票行動(東京新聞、17日付け)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:先週木曜日の晴れの日、網戸にしがみ付いていたカマキリを窓際の花活けに移しました。花や葉っぱの陰で何と五日間にもわたる冷雨と寒気のなかごそごそと動いていました。そして今朝は、動かない。遂に・・・と思いまずは確認のため羽の先端をつつきましたがやはり動かない。仕方ないと思い今度は羽の先端を引っ張りました。「何するんだ(怒)!」とばかりに何と元気に抗いました。それにしても、このカマキリ君、餌もない花活けでどのように口に糊していたのか、不思議であります。拡大は二回クリック)
171018蟷螂無題


 カマキリが 凍える日々を 耐え抜きて 今朝のお日様 眺め居るなり

 我が国の成り行きを暗示するかのごとき暗く寒い日々でありました。今朝は五時起きで、久しぶりのお日様を浴びんと濃霧立ち込める中、一時間ほど歩いてきました。秋が深まり、あちこちの柿の実がたわわです。久しぶりのお日様に戸惑ったのか、小鳥達は静かでありましたな。

+++++第48回総選挙
 残すは、三日です。期日前の投票やら、報道機関の調査やらで大方の趨勢は決しているのでしょう。にもかかわらず、私は誰に票を投じようか、未だに迷っています。何と昨日の夕方、つまり選挙も最終盤になって「市民と野党をつなぐ茨城三区市民連合」から封書が届きました。本年一月の300名ほどの参加者で以て開催された「結成会合」。その会合・参加者に配布したようです。どうやら、執行部内部でのスッタモンダを経て最終的に共産党候補を推薦することになったとのことです。しかし、三月の森友学園事件国会証人喚問で特高まがいの陰湿な籠池氏尋問を為し、その後も多いに張り切って「犯罪を立証する」なぞと大見得を切っていた御仁は当茨城県三区選出代議士です。政治に敏感であれば、その時点でこんな人物を再び衆議院に送ってはならぬ!と対立候補の選定を急ぐべきであったと思っています。しかし、会合参加者の意見も募らず、最終的決定を投票の僅か三日前に送って来る。侘しいですな!!

 この選挙区には、かって橋本登三郎氏の秘書を経て代議士になった小泉俊明氏という有能な人物がいました。現在の自公代議士を2009年の総選挙では大差で破った人物です。国会でも良質な議論をすることで知られていました。伝え聞くところでは政治家の志を捨てていないということでしたが、出馬を断念したようです。上記「市民連合」はこうした人物に接触したのでしょうか?てな愚痴がついつい出てきます。

 昨日の東京新聞が”戦略的選択を”と題する記事を掲載していましたので、此処に紹介しておきます。:
(図:10月17日付東京新聞「こちら特報部」より, 拡大は二回クリック)
戦略13243

戦略23244


 サテ、毎度おなじみ板垣(怪)情報です。どうやら元毎日新聞記者・板垣氏は小池氏への思いを断ち切れていないようであります。真実はどうなのか!
%%%%%小池百合子代表は「排除発言」を反省、小沢一郎代表は、臨機応変、首班指名選挙を睨んで、新政権構想を練っている(板垣 英憲)
2017年10月18日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 【小池百合子代表「孫子の兵法」を駆使する】(第8回)
 自民党偽造の「排除リスト」の罠に嵌り、「民進党が満場一致して決めた全員希望の党への合流」の出鼻を挫き、「全員受け入れは、さらさらない」と言ってしまった小池百合子代表はいまさらながらに、悔いて反省の日々を送っているという。「覆水盆に戻らず」の思いに違いない。しかし、「希望の党」の代わりに、「立憲民主党」(共産党・社民党と合流)が善戦。その勢いに「希望の党」も終盤戦で健闘、無所属グループも結束を強めており、「排除」が返って原点の「共闘」へと反転攻勢に向かわせている。孫子は「兵を治めて九変の術を知らざれば、五利を知ると雖も、人の用を得る能わず」(孫子訳注」中国軍軍事科学院副院長・郭化若訳注=孫子の兵法―九変篇第8)=「訳:軍を率いながら各種の臨機応変の措置を知らないのでは、たとえ五利が分かっていても、軍の戦闘能力を十分に発揮することはできない」(立間洋介監訳、韓昇・谷口真一訳)と説く。小沢一郎代表は、臨機応変に「無所属出馬」を決断、「選挙後にどこから相談を受けてもフリーな立場で動けるように、という思いからではないか」(参謀・平野貞夫元参院議員=週刊ポスト10月27日号)と、早くも22日の投開票後、11月1日に召集される特別国会での首班指名選挙を睨んで、新政権構想を練っている。
%%%%%
 それにしても、低質な首相を戴く日本国民は、不幸・悲惨ですな。ネットを通じて聞こえてくるこの人物の実像は惨めです。地球俯瞰的外交と称して一月一回を越えるペースで巨額の旅費と「投資と称する巨額マネー」を携えて外国旅行を繰り返してきました。訪問国の要人の安倍観は「無内容」と言うことで概ね一致しているのだそうです。日本人との間ですら議論から逃げ回る人間が外国で議論できるはずは無いのです。無内容だからこそ、いまや完全に掌中にしたマスコミが安倍氏に変わって、嘘で飾り立てた安倍像を流しているのです。自らが仕組んだモリカケについてはついに語らずじまいです。この御仁の卑劣な人格、国のトップとしての資質欠落をはっきりと露呈しています。本ブログ末に、それを暴く記事を転載しました。

+++++常陸国風土記を読む(再)
  8月2日記事 以来、ずいぶんと長く麻続王の話で風土記原文の解読から離れていました。

(図1: 風土記、行方郡条、出典「風土記」(植垣節也編、小学館)380頁より、拡大は二回クリック)
171018風土記382頁

 前回記事末尾で、麻続王 配流事件の時間的位置づけに触れました。この記事に若干付け加えて起きます:この事件は「配流」ではなく「出張」であり、それは白村江の海戦以前であろうと書きました。サテ日本書紀が、この事件をネタの一つにしたのが「斎」です。これは、奈良の一派が香取の軍事攻略に成功・占拠し、そこに普都大神を配した時期です。即ち、大方の東国の服(まつろ)わぬ民を力づくで抑える「事業」を完了し、鎮魂・慰撫のために仏(普都大神)を導入したのです。とすればその時期は八世紀前半と言うことになります。

 図1の段落冒頭に登場する麻続王の当地滞在譚もどうやら決着がつきました。この考察の中で、△涼瞥酲粗に記載される「下総国印波鳥見丘」なる記載までもがその真の姿を表出しました。そ之文節に続く一連の記載は、現在の印旛沼が現在の利根川から切り離されていたとはいえ、そこからは遠くは隔たっては居らなかったこと;印旛沼の小高い丘からは現在の利根川(常陸川)がかっては海に見えるほど広々としていた情景も思い描けるほどです。
(図1:常陸国風土記(小学館より、382頁)

 文節の冒頭「遣麻績王居処之」の一節は、滞在地が海とおぼしき場所で、海水が深く入りこんでいたのでしょう。塩を取るため、海水を砂浜に播き、礫にこびりついた塩を釜にあつめ水で炊き上げてより大きな塩の結晶を得る「焼塩」の情景を書きます。又麻続王が戯れた豊かな海産物を語ります(万葉集一巻、二十三¥二十四歌)。
 そこで、風土記は「古老」の話を書きます:
 「しき・みつがき」の宮で「オオヤシマ」(八の島からなる日本列島)を統治した天皇の時代に東の垂(スイ)に跋扈する荒賊を平(たいら)げるために建貸間命を派遣した(この人物は那賀国の最初の国造である)と。この後建貸間命による残虐な(管理人の注)武勇譚が書き連ねられます。これは「夜刀神」との戦闘に続く第二の戦いです。
 「シキ」の宮といえば「ワカタケル」王です。埼玉県行田の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻されていた人物名と宮名です。雄略天皇の和風諡号が「大泊瀬幼武」であることから、学者さんは、鉄剣に刻まれた人物と断じます。しかし、どういうものかこの天皇の宮は「朝倉」(日本書紀・巻・巻十四)であり、「シキ」ではありません。日本書紀に登場する天皇のほとんどが、実は奈良盆地に生まれ、奈良盆地で育ったことになっています。が、それは史実ではありません。むしろそうした人物の存在すら疑わしいのです。それを糊塗して書かれた藤原不比等流『近・現代』史の持つ謂わば宿唖と言うべき事例でもあります。

 「東垂」と言う表現も興味深い事です。「垂」とは「垂れ下がった」という意です(学研「大漢和辞典」)東国は東に垂れ下がった場所にあり、そこに「蛮賊」が蔓延っているというのです。常陸国風土記が編纂されたのは西暦733年ごろとされています。この当時の日本列島の「地理観」がこの表現から窺い知ることが出来ます。現在に生きる我々は北が上、下が南と言う地図配置が頭に入っています。しかし、八世紀は奈良、即ち日本列島の「中心」が上で、その東方はまさに下に垂れ下がった位置にあったのです。

 それはさておき、常陸国風土記は、此処に来て、東夷征討軍を露に語ります。東夷とは「東」に跋扈する夷(蛮賊)平らげるということです。これは文字通り「東征」です。神武天皇のなした「東征」と、上記が重なる。即ち、神武天皇と軍事行動と祟神天皇の軍事行動は同一なのです。これについては大方の正統古代史学者も認めるところです。
 ところで、神武天皇の東征は日本書紀・巻(三)で語られています。藤原不比等による日本列島近・現代史編纂の「原版」は「現代から近代そして古代(卑弥呼)」へ遡る順で構想されていたことを本ブログでは指摘してきました。この「原理」に従えば、神武東征なるものは藤原不比等の編纂する日本列島史では「まさに現代史」すなわち直近の出来事なのです。その出来事を常陸国風土記が書いていることになります。そしてその戦闘現場での主人公が建貸間命というわけです。どうやら征夷軍の実態を暗示する記載となっていることが見えてきました。
(つづく)

 今般の総選挙に関わる興味深い報道・雑誌記事を転載しておきます。
%%%%% 焦点:消滅可能性日本一の村、自民安泰 「3本の矢は1本も届かず」 
[南牧村(群馬県) 17日 ロイター] - 東京や大阪の大都市圏では、希望や立憲民主、維新などの政党が話題に上る今回の衆院選。だが、一歩地方に足を踏み入れると、揺るぎのない「自民一強」の風景が広がる。
「日本一高齢化の進んだ村」と知られる南牧村では、全人口に占める有権者の割合と投票率が高く、「改革」、「リセット」よりも政策の継続性が重要視されている。
「私は、昔から自民党一本。他の政党の人は絶対当選できないよ」──。73歳の今井力氏はロイターの取材に力強く語った。「僻地(へきち)に住んでいると、中央との太いパイプがあったほうが災害が起きた時など、うんと頼みやすい。そういう人たちを応援しないとダメな村なんです」と話す。
群馬県南牧村。2014年5月に民間シンクタンクの日本創成会議が発表した人口推計で「日本一消滅する危険性が高い自治体」とされた。その後も人口は減少を続け、現在では2000人を切っている。
長谷川最定村長によると、毎年自然減を含め100人程度人口が減っているが、700人―800人程度になった段階で止められるよう、村では移住促進などの対策を取っている。
「人口減少対策なんて、1年でできるわけがない。地方創生の5年の枠組みの予算が切れても、それで終わりではなく続けてほしい」。村長は政策の継続性が重要だと強調し「政権が変わるのは怖い」と話す。
しかし、安倍晋三首相が雇用を改善させ株価を上昇させたと胸を張るアベノミクスの果実は、村には全く届いていないという。
「3本の矢だと言うが、村中見回しても1本も届いていない。1000本くらい撃ってもらわないとだめなのではないか」と言う。
南牧村はかつてコンニャクイモ栽培や養蚕で栄えたが、価格低迷で衰退。その後は、それに代わる産業が生まれず人口減少が始まった。
村の中心部で明治10年創業の和菓子屋を継ぐ4代目の金田鎮之氏(46)。中学卒業の時、村に中学は3校あり、学年には同級生が44人いた。今、村に残っているのは自分を含め5人。
現在、村の学校は小中学校1つずつに減り、小学生24人、中学生17人しかいない。団体スポーツができない生徒数だ。
金田氏は村の空き家を調査し、空き家バンクとして登録し、ホームページで公開する活動をしている。移住を促進するための山村ぐらし支援協議会会長を務める。
衆院選は自民党に投票するつもりだが「消去法でいくとそんな感じ」。国政レベルの政治に期待することはほとんどないという。
子どもが大きくなり、家業を継ぎたいと言ったら「この業界に入るのは止めない。ただ、ここでやるというのはどうかと思う」と話す。
10年後、20年後は今より人口が減るし、空き家も増えるのが目に見えているからだ。
村に移住してきた若者もいる。田中陽可氏(26)は、総務省のプロジェクト「地域おこし協力隊」として2年半前に南牧村に移住し、山間地の農地を借りて自然農法でナスやサトイモなどの野菜を作っている。「自然農法を広めることで、世界から飢餓をなくす」ことが夢だ。
東京で生まれ育ち、アメリカの大学に進学した。村の人たちからは親切にされ、ここの生活には満足しているという。都会では若者の投票率が低いことについて意見を聞くと「村は、小さい分、選挙の影響がすごくわかる。自分の1票の重みが感じられるから投票に行く」と答えた。
道の駅「オアシスなんもく」で会った前述の今井氏は、今でも野球チームに所属して「仕事は野球」と言い切るほどの野球好きだ。体格も頑強で70代にはとても見えない。
夕方、南牧村役場の隣では、ナイターの照明がまぶしいグラウンドで70代以上と思しき男性たちが、球音を響かせ練習に余念がなかった。
昔は子どもたちの遊び場だったであろう野球場を占領して汗を流す高齢者たち。
「この村のお年寄りは、みんな驚くほど若く元気です。山が多いから足腰が強いのと、食べ物が良いせいかもしれない」。村で数少ない20代の田中氏は言った。
%%%%%

 すっかり見抜かれているというんですな。私の思いは私が特別ではないとの記事を見つけました。以下に転載します。どうぞ、自公へ貴殿の貴重な票を投じようと思っている同胞諸氏!貴殿の後、日本を否応なく背負わねばならない世代の不幸に思いを馳せてください。安直な自公の選択にはならないはずです。安保、改憲はさておいても、卑怯者を国のトップにおいておく愚については考えていただきたい。まずは安倍政治を辞めさせる。そうした選択をお願いします。
%%%%%総選挙に表れた安倍首相の「卑怯な本性」 
「小池新党」は"大根役者"で混迷中 政治・社会 2017.10.16
ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前 研一 PRESIDENT 2017年10月30日号
これぐらい卑怯な解散は憲政史上初めて
今回の解散総選挙は安倍晋三首相の卑怯な本性がよく表れている。民主党から政権を奪還して第二次安倍政権が始まったとき、安倍首相は「危機突破内閣」と自ら命名して、アベノミクスを経済政策の前面に押し出した。2014年の選挙でも「この道しかない」と訴えて、「三本の矢」「新三本の矢」でアベノミクスを5年弱継続してきた。
しかし、めぼしい成果はほとんどなく、政権が目標に掲げてきた2%成長は5年経ってもほど遠い。逆に日銀が国債を大量に買い込むというきわめて危険な状況をつくり出している。先の内閣改造でも結果を出せなかった経済閣僚を留任させておきながら、「経済重視の仕事人内閣」と嘯いた。解散までの2カ月間で「仕事人」は一体どんな仕事を成したのか。

「希望の党」結党会見で、ガンバロー三唱をする小池百合子代表と同党議員ら(9月27日)。(AFLO=写真)
一方、政権の長期化に伴って党内に安倍首相の対抗勢力がいなくなり、「安倍一強」体制が築かれる。そこで蔓延ってきたのが、いわゆる「忖度政治」である。
「僕難突破」の冒頭解散
背景として非常に大きいのは、14年に内閣官房に新しく内閣人事局が設置されたことだ。それまで各省庁の官僚主導で行われてきた幹部の人事権が内閣人事局に移ったことで、役人は完全に官邸のほうを向いて仕事をするようになった。
「政治主導」「官邸主導」と言えば聞こえはいいが、要は安倍首相ならびに官房長官や内閣府の取り巻き連中の意向を汲むイエスマンで幹部官僚を固めたということ。その歪んだ忖度政治の象徴が森友学園問題であり、加計学園の問題なのだ。
ところが自らを震源地とするスキャンダルを「知らなかった」で押し通した安倍首相は国会をさっさと閉じてしまった。閉会中の3カ月間はもっぱら外遊と北朝鮮問題などの外交テーマで埋めておいて、ほとぼりが冷めた頃に開いた臨時国会では所信表明演説もなく、「僕難突破」の冒頭解散。再開された国会で安倍政権が国民の負託に足る政権なのかどうか、厳しく追及されることを国民は期待していたわけで、これぐらい卑怯な解散は日本の憲政史上初めてだろう。
このまま国会を開いても“もりそば”“かけそば”のおかわりで集中砲火を浴びるのは目に見えている。それで国民の信頼を失ったら次の選挙は戦えない。あと数カ月もすれば衆院の任期4年目に突入するから、伝家の宝刀である“解散”の効力も薄れる。だったら民進党はぐらついているし、小池新党の体制も整っていない、北朝鮮情勢の緊迫化で支持率も多少は持ち直した今のうちに解散総選挙に打って出れば勝てる――。機を見ることにかけては敏な麻生太郎副総理から持ちかけられて、安倍首相は決意したのだ。
常にポピュリスト側が勝ってきた
「大義なき解散」という批判は当然だ。初めに解散ありきなのだから。解散を決断した安倍首相は岸田文雄政調会長に「解散の大義名分を考えろ」と指示したという。捻り出した大義というのが19年10月に予定している消費税増税の増収分(2%増税で約5兆円)の使途変更である。
高齢世代に偏っていた消費税の使い道を子育て世代などにも広げて、全方位型の社会保障を実現するための財源に増収分の使途を変更する。ついては「国民との約束を変更して国民生活に関わる重大な決断を行う以上、国民の信を問わねばならない。よって解散する」という屁理屈だ。
消費税を5%から8%に上げた際の増収分の8割は赤字国債の穴埋め、つまり国の借金の返済のために使われた。次の消費税引き上げの増収分は、社会保障の充実と国の借金返済に半分ずつ充てるという。アベクロバズーカで国債を乱発、100兆円規模の予算を組んで赤字を垂れ流しておきながら、増税分でさらに国民サービスをしようというのだから、選挙対策に税金をばらまく、というとんでもない話だ。
しかし、「全世代にばらまきます。いいですよね」と問われれば、国民はNOとは言わないだろう。希望の党はさらに進んで消費税増税封印、というのだから、サービス合戦となり選挙の争点とはならないだろう。
今の日本で国政選挙の争点になるような選択肢は2つ、3つしかないと私は思う。ひとつは財政破綻、デフォルトを避けるために、国民サービスを減らしてでも財政健全化を進めるか否か。財政出動か財政規律かというのは自民党内でも意見が二分してきた問題で、常にポピュリスト側が勝ってきたという歴史がある。
「何とかチルドレン」にはうんざり
2つ目の選択肢は選挙制度で、今の小選挙区制をやめてかつての中選挙区制なり何なりに変えるかどうか。本連載で何度も指摘しているように、小選挙区制はブーム次第で雪崩現象を引き起こしやすく、政治が安定しない。ブームに乗じて当選した「何とかチルドレン」のお粗末な行状にはうんざりである。選挙区の規模が市長選レベルになって、地元への利益誘導に熱心な小粒な政治家ばかりが増えて、天下国家や外交、国の財政をきちんと語れる政治家が出てこなくなったのも大問題だ。
もうひとつ選択肢があるとすれば、やはり憲法改正だろう。それは憲法9条に第3項を書き足すようなその場しのぎの「加憲」や「改憲」ではなく「創憲」だ。今の憲法のどこにどういう問題があるのか、足りないものは何か、という議論を国民を巻き込んでゼロベースで行うのだ。それぞれの政党が憲法の腹案をつくって国民に提示し、国民投票を駆使しながら1章ずつ練り上げていく。
たたき台をすでに30年ほど前に拙著『新・国富論』『平成維新』などで提案している私の経験上、本気でやれば10年はかかる難作業だ。あちこちで制度疲労を起こしている日本のカラクリをつくり替えて再起動するためには絶対に必要な作業だ。ただし、このような憲法改正はもちろん、財政規律や選挙制度改革にしても今回の泥縄選挙の争点にはなりそうもない。
「与党で過半数を取れなければ辞任する」
安倍首相は勝敗ラインを自民公明の与党で過半数(233議席)と設定して、「与党で過半数を取れなければ辞任する」と述べた。過半数を確保できれば自分は国民から信任されて、“もりそば”“かけそば”の禊ぎは済んだということにしたいのだろう。今回の選挙結果を予測するのは難しい。
民進党がゴタついて、小池新党の体制が整わないまま選挙戦に突入していれば、安倍政権に対する怒りや批判の持って行き場がないということで、安倍政権の思惑通り、投票率も低調になって自民公明の与党が過半数を維持する目はあったと思う。批判票が集中すれば共産党も議席を伸ばしただろう。
しかし東京都の地域政党である「都民ファーストの会」が国政進出する形で全国政党「希望の党」が発足して、党代表に小池百合子都知事が納まったことで状況は変わった。都知事の側近や民進党の離脱組が党代表になって、小池都知事が後方支援に回るなら、新党はそれほど盛り上がらなかったと思う。
地方の有権者が「都民ファースト(都民第一)」という希望の党の根っこにシンパシーを感じるとは思えない。むしろ東京一極集中に対して反感を持ちそうだ。しかし小池都知事が最前線に立って、サプライズを連発する“小池劇場”が連日のようにメディアで取り上げられたら、これはブームになりかねない。
前原誠司という政治家の本性
先の東京都議選で「都民ファーストの会」は都議会公明党と手を組んで圧勝、自民党は大敗した。国政選挙での再来を自民党が恐れているのは間違いない。ただし、国政では公明党は自民党と組んで与党を形成している。このねじれが一番選挙区の多い東京ブロックの結果にどう影響するかがまだ見えない。
奇襲を仕掛けた安倍政権としても、今回の解散総選挙で野党再編がこれほど劇的に進むとは思ってもみなかったのではないか。民進党の前原誠司代表は「名を捨てて実を取る」と語って希望の党への合流を決断した。参議院は残るとはいえ、民進党は事実上の解党である。
私は前原誠司という政治家をよく知っている。清濁併せ呑めないタイプというか、清濁を判断できないところがあるのだが、今回の決断はらしくない思い切りだったように感じる。やはり事前に小池都知事と話を詰めていたのだろう。
現時点では民進党の立候補予定者全員を希望の党が公認するのか、小池都知事が言うような“選別”が行われるのかはわからない。しかし希望の党が民進党の持つ(150億円とも言われる)政党助成金目当てに大半を取り込めば、国政への足がかりレベルではなく、政権選択選挙になる可能性も出てくる。大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)や愛知県の大村秀章知事の協力も取り付けて、希望の党と維新の会の距離も縮まった。
しかし、この選挙協力は“小池衆議院議員”が当選していないと首班指名で維新が(そして希望の党さえも政策が類似している)安倍氏に入れる可能性がある。つまり今後小池氏が情勢によっては衆議院選に出馬し、都知事後継として小泉純一郎氏(75歳)を指名する、などのどんでん返しがまだまだ続くのだろう。
誰と誰がどういう形で手を組むのか、最後までもつれて、小池劇団の大根役者が日替わりメニューで繰り出される混迷した選挙戦になりそうだ。
%%%%%

東日本の地震活動(2)、麻続王鹿嶋流懺(再)


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:ネット情報では、枝野氏率いる立憲民主党への関心が急速に国民の間に浸透しているとのことです。下の動画はまさにそれを証拠立てているように見えます。

枝野幸男 立憲民主党代表 民主主義とは何か?歴史に残る演説 新宿駅

 ネットでの 好感広がる 枝野さん 三年前の 悪夢を危惧する

 しかし、 三年前の二月雪降る中での東京都知事選挙を思い出します。私も反原発の思いを込めて立候補していた元首相細川氏の選挙事務所におしかけ、運動の手伝いをしました。ネットでつたえられる街頭演説、それはすさまじかった。あの雪の中、路上の聴衆はその場を立ち去ることなく、細川氏、小泉氏、寂聴さんの訴え、吉永小百合さんのメッセージに熱心に耳を傾けていました。一方の対抗馬舛添氏の演説にはほとんど聴衆が立ち止まらない。反原発派の勝利はもう自明と思ったものです、しかし報道機関の選挙予測は「舛添氏の圧勝」を伝えていました。結果は舛添陣営が細川氏の二倍強の票を獲得して当選です。
 後日、小泉氏自身がどこぞの会合で「あの聴衆の数を見て勝利間違いなしと思った。敗戦は不思議だ」と語ったといいます。どうやら街頭人気と、国民の投票行動には大きな乖離があるようです。ネットでは「ムサシ」なる言葉が飛び交い始めています。安倍氏も株主の一人である「自働開票機械」の製作会社です。「票の改竄」もソフトウエアを介在させることで容易に可能とのこと。各県の開票作業に既に導入されているとのことです。「乖離」は「ムサシ」を連想させます。日本の政治を決めるのであるから時間がかかっても良い。人力で開票して欲しい。それで破れるなら諦めもつきます。

 安倍氏は、選挙で語るといった「モリカケ」を、街頭では全く語りません。自らと嫁の「犯罪」を頬かむりしたまま首相の座に居座るつもりなのか!最低の人間といわざるを得ません。道理は通らず不正義が跋扈する!これが世間と言うものなのでしょうか。

+++++東日本の地震活動(続)
 10月11日記事では、Hinetデータを使って、2013年1月1日以降の東日本での地震活動(m=>4.5)を眺めました。マグニチュード下限をm=>4.5からもっと小さい値に引き下げると、違った光景が見えます。但し、マグニチュード下限を小さくすると地震の数は一気に増大します。それを2013年から眺めることは私のPCのキャパシティが許してくれません。と言うわけで、眺める期間は大幅に短縮します:

(図1:期間2017年9月20日―10月6日での東日本の地震活動比較。気象庁データベース内の45696個の地震からm>=0の地震を拾い出すと41479個に上る(左の図)。当方の使用するPCではその作業に1時間20分を要した(10月12日14時1分計算開始;15時21分計算終了)。現行のSCIlab言語で作成する各種図版はキャパシティ・オーバでストップの事態となってしまいました。右はm>=1の地震。個数は15988個と激減(図上部のキャプション2017101400とあるのは間違いで10月6日までのデータ)。所要時間は26分とこれも大幅短縮。)
171016活動比較


 上の二つの図から二・三気付くことを書いておきます。(1)秋田県西方沖の1983年5月26日・日本海中部地震(Mw7.7)、渡島半島の西側奥尻島近辺の1993年7月12日・北海道南西沖地震(Mw7.7)、の痕跡活動、即ち、夫々の余震活動が未だに続いていることが分かります。
 マグニチュード下限を引き下げるということは、いわば拡大鏡の倍率をあげるということです。左右どちらの図も、Hinetデータに基づいて作成した活動図とは大きく異なっています。
(2)マグニチュード下限を“0から1に挙げただけで”、左に示す地震活動図には右図には見ることのできない活動分布が幾つか認められます。例えば,納┐攻觀前米發遼明症分(岩手から秋田)では、マグニチュードを顕下限が0の場合の活発な地震活動がそれを1挙げただけで、消失すると言う顕著な違いが認められます。
同様は△龍觀舛遼明廠僉雰嫁蓮δ耕遏砲慮境にも認められます。地図の左隅になってしまいましたが駿河湾の 西(静岡周辺)でもm=1を越えると地震が見えなくなります。と言うわけで、拡大鏡で見る地震活動図は、なにやら活断層の性質、即ち大きい地震が起きにくいが、小さな地震はおきやすいといった特性を体現しているようでもあります。この話題はいずれ、考察することにしますが、今回は地震の発生頻度も比較しておきます:
(3)日本海溝の東側の地震活動が浮き上がってくることも図1の大切な点です。これについては次回の考察します。
(図2:図1に示した二つの矩形内の地震活動の日変化)
171016Comp0FREQ920


 矩形ABCD内の地震活動について、右と左を比べると、その形状は必ずしも相似ではないことが分かります。右端の大きな活動は左右両図に認められます。これは10月6日の海溝東側の地震と7時間後の海溝西側の地震活動を反映しています。9月21日にも海溝東側で大きな地震が起きていますが、矩形ABCDの活動がそれに敏感に反応したとは見えないません。
 矩形EFGH内の地震活動では10月1日のM4.7地震に伴う高い地震活動が左右両図に認められます。特に注目したいのは右図です。二日ほど前の9月末日に顕著な地震活動の低下が起きています。しかし、左図ではその低下はそれほど顕著ではありません。つまり4.7の地震の前に比較的大きな地震が起きにくくなっているということです。

 以上、概観してきたように拡大鏡で眺める地震活動の差異はなかなか興味深いのですが、上にも書いたようにm>0の拡大鏡による解析は当方のPCの能力を超えます。そこで、当面はm>1(時には、m>1.5)の地震活動を眺めていきます。
 その対象として、まずは日本海溝の東側でこのところ活発な地震活動を眺めます。日経サイアンス誌10月号が日本海溝の西方移動を書いています。それに対応する痕跡があるのかどうかを見たいという思惑があります。
 (つづく)

+++++
 10月11日記事で万葉集十四歌に詠われる「伊奈見波良」に言及しました。学者先生はこれを「播磨の国」と解釈し、私は「辰巳の方角からやってきた大人物が”否“と戦いを諌めた」と解読して来ました(2009年7月17日記事 )。しかし、此処にも万葉集詠み人の歌の巧みさがこめられているのではなかろうか。と、千葉県・印旛に麻続王の足跡を見て、十四歌(関連する十三、十五歌と共に)の歌意を掘り下げる要を感じました。いずれ、それを書きます。

 サテ、本筋です。日本書紀巻二十九天武四年四月紀四月十七日の記事は
 「天武天皇四年(六七五)四月辛卯【十八日】三位麻続王有罪。流于因播。一子流伊豆嶋。一子流血鹿嶋。」
と、書きます。藤原不比等はこの事実には触れたくなかったのではなかろうか、と想像しています。しかし、どの様な経緯があったのかは分からないけれども、藤原不比等にとっては都合の悪い情報を万葉集が明るみに出してしまったのです。万葉集の出現、それは、どうやって、この歌集が発掘されたのかは定かではないけれども、日本列島政治現代史編纂(二十一世紀に生きる我々にしてみればそれは古代史ですが、編纂責任者である藤原不比等にしてみれば、現代史であり近代史なのです)を束ねる藤原不比等にとっては、自らの史観の正当(正統)化にとって大きな利用価値があった筈です。実際日本書紀には明らかに万葉集から記事ネタを仕込んだと思える話が頻出します。
しかし、利用価値があるということは、藤原不比等が目論む史観構築には、具合の悪い歌もあります。万葉集二十三・二十四歌がまさにそうであった。即ち万葉集は麻続王の“鹿嶋出張(或いは赴任か)”エピソードは罪人たる筋書きとは整合しません。
%%%%%
(巻一、二十三歌)"打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須",
%%%%%
 彼らの出張は、倭国王に近侍する“書き役”によって、歌ともども政治叙事の一部となったのです。当然 そこには下総国から茨城郡にまたがって派遣された麻続王一家を巡る諸事が書き留められていたに違いありません。
 
 後日、万葉集を通じて、この出張やら赴任やらの真実が明るみに出てしまうと、奈良権力の鹿嶋への酷い殺戮がいずれは後世に明るみに出されることになります。そこで、この史実を捻じ曲げて麻続王一家の「罪有りて」なるスートリを仕立て上げて、「斎』なる催事記事に潜りこませたのだと考えています。
 しかし、藤原不比等自身がこうした「捻じ曲げ」が何時までも隠しおおせるとは思っていなかったと、私は想像しています。ところが、実際には、実にその1200年後の現在になっても、日本書紀の記載を真実と信じ込んだ歴史研究が維持され、麻続王の物語に疑いを差し挟む議論は出てきません。これは誠に「何と言うべきか!」であります。日本列島史にあっては、まさにありえないことが起きており、それに基づいた「日本会議」と言った政治思想体制すら構築されてしまっています。

 さて、「血鹿嶋」です。10月4日記事 で、岩波文庫「日本書紀(五)」校注者の解説を紹介しました。校注者によれば、それは「チカシマ」であり、長崎県五島列島であろうと書きます。その論拠として敏達天皇十二年紀の故事を挙げます。この故事そのものの経緯・顛末は陰謀が絡んだりして、なかなか面白い(岩波文庫「日本書紀(四)」、39頁)のですが、本筋から離れますので、此処ではそれには触れません。
 日本書紀では、麻続王一家の「配流地」には「迂」、「伊」なる接頭助詞が付されています。とするならば、この「血」も接頭詞であると考えるべきです。しかし、これはいわゆる『助詞』ではなく、「形容詞的」使用法ではなかろうかと考えています。すなわち「血にまみれた」とでも言う用法では無いかと思っています。「日本書紀の謎を解く」(中公新書、2001年第三版)を著された森博達氏は『天武紀は「ベータ群」すなわち「倭習漢字」で執筆されている』と指摘しています。とするならば上で書いたような私の理解は許されるのではなかろうか。
 その鹿嶋です。近日中に、本ブログでの常陸国風土記解読は行方郡の条を終えて、いよいよ鹿嶋郡の条に移ります。そのさいに 詳しくこれを論じることにします。

 行方郡の条の残りを考察する前に、ざっと七世紀末から八世紀初頭にいたる日本列島の政治・精神(宗教)史を概観しておきます。これまで論じてきた麻続王一家の「流罪」事件が、日本列島の七・八世紀の政治変遷の何処にどのように位置づけられるのかを確認するためです。従って以下は歴史の流れであり、一々の詳細論述は致しません。

 そもそもは魏志倭人伝に発します。倭国を視察した魏王朝の調査団は、主要八国を詳述し、その他周辺数多の国々を”連邦”形態と捉え、邪馬台国と記し、皇帝に報告します。その際、この連邦国の東方にある(それは多分現在の奈良盆地)漢語を話す一族の存在にまで言及しています。
この一族は後年、政治的決起をします。立ち上がりのきっかけを与えたのが西暦707年の隋国による倭国調査使節です。隋国はこの調査団派遣の後ほどなくして滅びますが後継の唐王朝がこの奈良盆地に盤居する一派を強力に梃入れして九州の倭国殲滅を企てます。ところが、奈良一派と組んだ唐王朝には大きな「見間違い」があったのです。それは、倭国は日本列島の東部に強力な支配機構を築いていた「扶桑」国とまさに一心同体の共同関係を築いていたことです。そこを、見誤ったか、或いは軽視して始まったのが西暦663年の白村江海戦です。この海戦自体は、唐と奈良一派の仕組んだシナリオにそって推移します。かくして倭国は壊滅の危機に瀕します。その情況に追い討ちをかけたのが壬申の乱です(書紀は671年と書くが 実際は定まっていない)。唐・新羅に奈良一派の攻勢に倭国は懸命の抗戦をしますが、 戦況は苦しく、拠点九州の地を放逐され、東国・扶桑国へ敗走します。その途上、倭国王は信濃の国で捉えられ幽閉あるいは抹殺されてしまいます。倭国王を追った奈良の一派はこの機に乗じて信濃の国を占領するのです。奈良の一派の先祖が「倭の五王」(宋書倭国伝)で登場する「珍」王の系譜に連なるところからこの地を「しん」と呼称することになります。これが「しなの」の名称の由来です。
 奈良一派は勢いに乗じて更に東に勢力の拡大を図ります。これが「東征」の真実です。この軍勢は上毛野国、下毛野国を支配していた「扶桑国」を滅ぼし、いまや常陸の国に侵入してきたのです。侵入軍は扶桑国の最大拠点が鹿島である事を熟知していましたから、直接鹿嶋には向かわず、迂回作戦を取ります。本ブログでの現時点は、まさに鹿嶋守護の軍事要塞たる行方に差し掛かったところです。

 以上、ざっと、歴史を振り返りました。麻続王とその息子が下総国、茨城国への「出張(赴任)」を倭国王から遣わされたのは、白村江の戦いの前であったのではなかろうかと思っています。倭国王はその時点で、奈良と唐・新羅が連携して企む陰謀を嗅ぎ取り、東国の守りを固める必要性を認識したのでしょう。

 私の常陸国風土記の読み方は上に概説した「史観」に基づいています。その上で、次回から再び風土記を読み進めることにします。
(つづく)

「モリ・カケ」蕎麦スキャンダルこそが選挙の最大争点!!


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
 総選挙関連、とりわけ「モリ・カケ」蕎麦に関しての安倍氏のTVでの重大放言に関わる記事が長くなってしまいました。東日本の地震活動の続きについては、興味深い事も多々ありますが、それらは次回に書くことにします。
(写真:朝早くからカマキリが網戸にへばりついて陽射しを浴びていました。)
171013蟷螂無題


お早ようの 挨拶すませ へばりつく 飲まず食わずで カマキリ網戸

 このカマキリ君、夕方になっても、じっとしているので窓枠の花の下に移動させました。移動させる際、元気に私の指を鎌で引っかいたので安心しましたが、今朝方、雨に打たれて萎れていました。近くには、あの“うずくまり蛙”が来訪しカマキリを眺めています。

 総選挙公示に先だつ十日ほど前、「希望」なる党が突然出現しました。私は「保守陣営」を『安倍』派、「非安倍」派に分断する動きであると思い、将来の日本への「希望」が湧いてきました(尤も、私自身はその希望を実感できるまで生存してるとは考え難いのですが)。「希望」なる新党の出現はまぎれもなく、「モリ・カケ」蕎麦スキャンダルに乗じたものです。今回の選挙の争点は改憲云々(でんでん)もさりながら、この「スキャンダル」なのです。しかし、公示直前には、新党の出現は、あれこれのドタバタを経て「失望」に転じました。そして昨今の報道機関の選挙予測を見るならば、それは一気に「絶望」の溜息に転じました。7月の東京都議会選挙での街頭演説会で安倍氏が言い放った一言「こんな人には負けられません!」。その言をそのまま安倍氏にお返ししたい。「こんなスキャンダル首相には、任せられません!」と。

 今般の選挙は安倍氏一派が、無法者まがいの喧嘩を国民に吹っかけた”いちゃもん”です。それは、首領自らのスキャンダル犯罪を無かった事にするためです。圧倒系多数の日本国民がその本質を見抜いていると思ってました。しかし、そうではなかった。NHKをはじめとする各種報道機関による事前調査によると、安倍氏を首領とする自公与党は今般の総選挙で圧勝するだろうとの予測を一斉に報じています。腰から「ヘナヘナ」と崩れ落ちる思いです。どうら私は日本人としては異端であったのか?なぞと自らに問うています。

 当宅にも色々な、と言っても自民、共産、希望(維新)の三党のビラやらハガキやらがポストに投げ入れられて居ます。写真は当茨城三区候補者のハガキです。
(写真:茨城三区、野党一候補者の選挙ハガキ)
171013選挙無題

 
 ハガキを見て、改めてこの党の政治的鈍感さを思いました。此処は茨城三区です。「モリカケ」蕎麦事件で、政治の表舞台に立てたと喜び勇んで籠池氏をネチネチと尋問したのが警察官僚出身の人物です。この人物がこの茨城三区から何度も国会に議席を占めてきました。
「モリカケ」蕎麦事件は現職首相による「犯罪」と言うべき事件です。何度もいいます。これが今回の選挙の争点であり、親安倍・非安倍を分ける争点の要なのです。親安倍側近として安倍氏をかばいだてし、警察風を吹かして籠池氏に恫喝まがいの尋問をし、その後も長々と籠池氏の犯罪とやらを安倍氏のかわりに代弁してきた人物がこの選挙区から立っているのです。

 この重大さを、どう選挙争点の中心に位置づけ、有権者をひきつけるのか?この人物と同じ選挙区での立候補となればやることは一つです。「モリカケ」蕎麦事件を当選挙区での最大の政治課題に仕立て上げようとの気概をもってこそ、共産党らしさと思います。その意味では、共産党にしてみれば、千載一遇の機会です。「モリカケ」蕎麦事件の犯罪性を執拗に批判し論争をしかけてこそ、あわよくばこの人物が国会に占有していた議席を剥奪することもあるかもしれない。それは安倍氏には大きな打撃でもあります。まさに茨城三区を全国的英雄選挙区にも登らしめる機会ではありませんか。

 300選挙区には夫々他とは違った独自の政治論点がある。茨城三区では紛れもなくこの「モリ・カケ」蕎麦スキャンダルこそをその中心的争点に据えて論戦をすべきなのです。しかし、鈍感な共産党には思いもつかない。そんな意気込みが全く感じられないハガキであります。
 
 サテ、本題に移ります。 国会での審議を逃げ回っていた安倍氏が一昨日に言い放った一言!これでもこんな人間に国を任せてしまうのですか?!弁護士の郷原氏のメールマガです:

%%%%%「籠池氏は詐欺を働く人間。昭恵も騙された。」は、“首相失格の暴言” 投稿日: 2017年10月12日投稿者: nobuogohara

 昨夜(10月11日)のテレビ朝日「報道ステーション」の党首討論で、安倍首相が、「籠池さんは詐欺を働く人間。昭恵も騙された。」と発言した。内閣の長である総理大臣として、絶対に許せない発言だ。
籠池氏は、森友学園が受給していた国土交通省の「サスティナブル建築物先導事業に対する補助金」の不正受給の事実についての詐欺罪で逮捕され、起訴された。しかし、刑事事件については、「推定無罪の原則」が働く。しかも、籠池氏は、その容疑事実については、完全黙秘を貫いていると報じられている。その籠池氏の公判も始まっておらず、本人に言い分を述べる機会は全く与えられていないのに、行政の長である総理大臣が、起訴事実が「確定的な事実」であるように発言する。しかも、安倍首相は、憲法の趣旨にも反する、不当極まりない解散(【“憲政史上最低・最悪の解散”を行おうとする「愚」】)を、総理大臣として自ら行った。それによる衆議院選挙が告示された直後に、自分の選挙を有利にする目的で行ったのが昨夜の放送での発言なのである。安倍首相は「丁寧な説明をする」と言っていたが、それは、籠池氏が詐欺を働いたと決めつけることなのか。
法務大臣には、個別の刑事事件に関しても、検事総長に対する指揮権がある(検察庁法14条但し書き)。その法務大臣に対して、閣僚の任免権に基づき、指揮を行うことができるのが総理大臣だ。そのような「行政の最高責任者」が、司法の場で裁かれ、判断されるべき籠池氏の詐欺の事件について、「籠池さんは、詐欺を働いた」などとテレビの総選挙に関する党首討論で、言い放ったのである。法治国家においては、絶対に許せない「首相失格の暴言」だ。
加計学園問題は、安倍首相が「国家戦略特区諮問会議の議長」という立場にあるのに、首相のお友達が経営する加計学園が獣医学部の新設で優遇された疑いが問題となった。今回の「籠池氏の詐欺」についての発言は、自らが、準司法機関である検察を含む「行政の長」なのに、司法判断の介入になりかねない発言である。いずれも、その立場にあることを認識していればあり得ない発言であり、認識した上で、意図的に言っているのだとすれば論外である。
しかも、この籠池夫妻逮捕に関しては、逮捕された直後にも、ブログ【検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか】で指摘したように、「補助金適正化法違反で告発受理した事件」について、「詐欺罪」で逮捕するというのは、従来の検察実務の常識に反する。この点については、さらに検討した上、籠池氏の勾留満期直前に、【検察は籠池氏を詐欺罪で起訴してはならない】で、詐欺罪での起訴はあり得ないこと、詐欺罪で起訴すべきではないことを指摘したが、大阪地検は、なぜか無理やり「詐欺罪での起訴」を行った。
それに続いて、大阪地検は、籠池氏を、森友学園の幼稚園が「大阪府」から受給していた、障害で支援が必要な園児数に応じた「特別支援教育費補助金」等の不正受給で再逮捕し、起訴した。この「地方自治体」からの補助金の詐欺については、「補助金適正化法」の適用がないので、「詐欺罪」を適用することに問題はない。
しかし、これらの事件について、そもそも刑事事件にするような問題であるか否かに重大な疑問がある。このような社会福祉、雇用等に関連する補助金、助成金については、かねてから、巨額の不正受給が指摘されている。厚労省の発表によると、「2009〜2013年度に1265社、191億円の不正受給があったことが厚生労働省のまとめでわかった。」(2014.9.22朝日)、「雇用安定のため企業に厚生労働省が支給している助成金制度が悪用され、平成25年度までの2年間で計約94億円を不正受給されていたことがわかった。厚労省は企業に返還を求めるが、倒産などで回収できない可能性もある。」(同日付け産経)とのことである。このような膨大な数の不正受給は、いずれも形式的には詐欺罪に該当し、検察がその気になれば「詐欺罪」で逮捕・起訴することが可能である。しかし、実際には、そのような助成金の不正受給が詐欺罪で告発された例はほとんどない。
さらに問題なのは、補助金適正化法違反による「告発」を大阪地検が受理した際、NHKを始めとするマスコミが「大阪地検が、籠池氏に対する補助金適正化法違反での告発を受理した」と大々的に報じた経過だ。その報道が、明らかに検察サイドの情報を基に行われたこと、そして、その情報は、何らかの政治的な意図があって、東京の法務・検察の側が流したもので、それによって「籠池氏の告発受理」が大々的に報道されることになったとしか考えられないことを【籠池氏「告発」をめぐる“二つの重大な謎”】で指摘した。
安倍首相が、党首討論で持ち出した「籠池さんの詐欺」は、検察の逮捕・起訴も、それに至る告発受理の経過も「疑惑だらけ」である。それを、裁判が始まってもいないのに、有罪であるかのように決めつける発言を「選挙に関して」行ったのである。
しかも、安倍首相は、自分の妻である安倍昭恵氏が、その籠池氏に「騙された」と言うのである。それは、どういう意味なのだろうか。「詐欺師の籠池氏に騙されて森友学園の小学校の名誉校長になった」という意味だろうか。それとも、「騙されて100万円を寄付させられた」という意味だろうか。
私は、これまで、森友学園、加計学園の問題での安倍首相や内閣、政府の対応に関して、様々な問題を指摘し、批判してきた。この国の行政を担っている安倍内閣が、もう少しまともな対応をして、国民に信頼されるようになってもらいたいと思ったからだ。しかし、安倍内閣の対応は、改善するどころか、失態に次ぐ失態を繰り返している。
そして、「森友、加計疑惑隠し」と批判される解散を強行し、選挙が公示されるや、今回の、信じ難い「暴言」だ。
このような首相発言が許されるとすれば、もはや今、日本は法治国家ではない。
%%%%%郷原氏のメルマガ転載おわり

 こうした人間としての品格が欠けた人間をトップに据えることに違和感を持たない日本国民がいるとは信じがたいことです。憤懣が体の深奥から込みあがってくる思いです。安倍氏の「言いたい放題、やりたい放題」をそそのかして、甘い汁を吸っているのが政財界奥の院、即ち本当の日本国の支配者なのでしょう。とするならば、これ以上の蛮行は許さないとの国民からの宣告をこうした安倍氏とその背後の勢力に突きつけるべきではないか。その第1歩、それが今般の選挙だと思うのですがね。

もう一つ関連ブログ記事を紹介しておきます。
%%%%%
安倍首相の嘘と強弁が止まらない!「籠池さんは詐欺をはたらく人だから、妻は騙された」国民を騙してるのは、おまえだ!
2017.10.12 安倍「妻は籠池さんに騙された」と言い逃れ リテラ

「妻は騙されてしまったのだろう」

 昨晩、『報道ステーション』(テレビ朝日)で最後のテレビ党首討論が放送されたが、そこで安倍首相がついに、こんなことを言い出した。森友学園問題について、昭恵夫人は籠池泰典前理事長に騙されたと主張したのだ。

 発言までの流れはこうだ。森友問題について問われた安倍首相は“籠池氏に会ったこともないし、妻も直接頼んだりしていない”と主張すると、いつもの如く「籠池さん自体が詐欺で逮捕され、起訴されました」と言い、疑惑の本丸である国有地値引き問題とはまったく関係のない補助金不正受給の話をもち出した。そして、こう言い放ったのだ。

「こういう詐欺をはたらく人物のつくった学校でですね、妻が名誉校長を引き受けたことは、やっぱり問題があったと。こういう人だから騙されてしまったのだろうと」

 そもそも国の補助金不正受給に詐欺罪を適用することには法律関係者からも疑問の声があがっているが、安倍首相がここまで「詐欺、詐欺」と繰り返すとそのための「詐欺罪」だったのかと勘繰りたくなる。だいたい、騙されたも何も、安倍首相自身が籠池氏の教育を褒め、“同じ志をもった人”と言っていたではないか。2月17日の衆院予算委員会での安倍首相の発言はこうだ。

「うちの妻が名誉校長になっていることは承知をしておりますし、妻からこの森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いております」
「いわば私の考え方に非常に共鳴している方」

 さらに、2015年9月におこなわれた塚本幼稚園での講演で、昭恵夫人ははっきりこう話していた。

「こちら(森友学園)の教育方針はたいへん主人も素晴らしいというふうに思っていて」
「時間があればぜひこちらにも寄らせていただきたいと言っていた」

 つまり、安倍首相自身も、教育勅語を園児に暗唱させるなどの籠池氏の軍国教育を称賛していた。そうした経緯もあって、昭恵夫人はこの講演会で「籠池園長、副園長の本当に熱い熱い思いを何度も聞かせていただいて、この瑞穂の國記念小學院で何か私もお役に立てればいいなと思って」と話し、名誉校長に就任したのだ。自分たちから惚れ込んで肩入れしていたのに、これを「騙された」と言うのか。

 ここまでわかりやすく自己保身のために人を裏切り手のひら返しをすること自体が人として信用ならないが、その上、安倍首相はお得意の「嘘」も連発した。

■森友でも、加計でも、安倍首相は嘘とスリカエのオンパレード

 そのひとつが、共産党の志位和夫委員長が話題にした、総理夫人付き職員だった谷査恵子氏のFAX問題だ。

 あらためて振り返ると、籠池前理事長は2015年10月、小学校建設地の土地取引について昭恵夫人に電話をし、留守電にメッセージを残した。すると谷氏が財務省の国有財産審理室長である田村嘉啓氏に問い合わせ、回答を引き出した上で籠池前理事長にFAXで報告をおこなった。そこには〈引き続き、当方としても見守ってまいりたい〉〈本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております〉と記されている。

 このFAXで財務省に伝えられた籠池前理事長の「要望」について、志位委員長は「満額回答だった」と述べたのだが、安倍首相は「反論させて」と言い出し、「夫人付きの人がFAXで訊いたことについては『満額』と仰ったが、ひとつも実現されてません」「満額ではないです」「まったく違います」と主張したのだ。

 何を言うか。籠池氏がこのとき要望していたことは、その後すべて「実現」している。これは明確な事実だ。FAXで示されている「50年定借への変更の可能性」については籠池氏がもっとも切望していた土地の買い上げというかたちで翌年6月に実現しているし、「土壌汚染を理由にした賃料半額」の要望も月額換算でその通りに、さらに「工事費の立て替え払い」も年度が変わってすぐの4月6日に支払われている。どこからどうみても「満額回答」だ。

 いや、「満額回答」になっていることも大問題だが、そもそも総理夫人付きという肩書きの職員が財務省から回答を引き出す、そうやって口利きしていたことも根本の問題なのだ。それを菅義偉官房長官などは「谷氏が個人でやったこと」などと責任をなすりつけ、いまでは谷氏をイタリアに“栄転”させてしまった。疑惑のオンパレードではないか。

 しかし、安倍首相の嘘は、加計学園問題の話題でも飛び出した。『報ステ』の富川悠太キャスターは、安倍首相が加計学園の獣医学部新設計画を「今年の1月20日まで知らなかった」という国民が仰天した、あの発言に言及。しかも、安倍首相が「テレビが報じない」と連呼する加戸守行・前愛媛県知事の「声をかけてくれたのは加計学園だけ。愛媛県にとっては12年間、加計ありきで参りました」という証言を引き、「『12年間加計ありきで来た』と加戸さんはおっしゃっていますが、それでも総理は(加計学園の獣医学部新設計画を)知らなかった?」と尋ねたのだ。

 すると、安倍首相は“それは加戸証言の一部だけ取り出している”などと非難を口にし、「それ以外にも重要な証言を加戸さんはされている」と反論。なぜか、加戸氏が“鳥インフルエンザや口蹄疫の問題を対応する獣医師の公務員や産業獣医師がいなかったが応じてくれたのは加計学園だけだった”と証言したことを強調しはじめた。

■安倍首相自ら加計学園の新学部を発案していたとの証言も

 質問は「12年も加計ありきで動いていたのに、ほんとうに知らなかったの?」というものであって、加戸氏が閉会中審査で語った「獣医学部誘致の経緯」とは何も関係がない。なぜ加戸証言の話になるのかさっぱり意味がわからないが、ここで富川キャスターが「それも伝えたんですが」と言うと、安倍首相はムキになって「それは伝えていないと思います。伝えていないと思いますよ」と繰り返したのだ。

 しかし、これも安倍首相の嘘だ。『報ステ』は7月24日に、同日おこなわれた閉会中審査で加戸氏が今治市での獣医学部誘致の経緯についての証言や、「私は鳥インフルエンザに巡りあいまして、愛媛に獣医学部が欲しいと思いました。ちょうど県会議員と加計学園事務局長がたまたまお友だちという関係でつながった話でできあがりましたから、飛びつきました」などの証言をしっかり映像で紹介している。「伝えていない」というのは事実と異なるのだ。

 だいたい、今治市と加計学園が獣医学部新設のために動いてきたその12年間のあいだ、安倍首相と加計孝太郎理事長はしょっちゅうゴルフだの会食だのバーベキューだのを繰り返してきた。また、安倍首相は加計学園グループの千葉科学大学の開学10周年を記念する式典に出席するためにわざわざ銚子まで駆け付け、祝辞を述べている。2009年の総選挙では、加計学園が安倍氏の選挙に動員すべく職員に出張命令まで出していた。くわえて、加計理事長は「自由民主党岡山県自治振興支部」の代表者として政治資金収支報告書に名を連ね、同支部の所在地も加計学園グループの予備校である英数学館岡山校の住所が記載されている。

 さらに千葉科学大には、萩生田光一幹事長代行をはじめ、木曽功・前内閣参与や、井上義行・元首相秘書官、江島潔・元下関市市長といった「安倍人脈」が大量に流れ込んでいる。こうした背景について、同大の元教員は「文藝春秋」(2017年8月号)の取材に対し、同大の危機管理学部は〈安倍の発案で設置された〉と証言。しかも、この元教員自体が「安倍さんから、『教授として名前だけ貸してくれないか』と頼まれました」とも述べている。

 どうだろう。たんなる友だちという域を超えて、安倍首相は加計理事長の学校運営に関与し、一方の加計理事長も安倍首相の政治活動をバックアップしてきた。そうした深い関係を築いていながら「獣医学部新設の話は知らなかった」というのは、あまりにも無理がありすぎる。そのことをずっと安倍首相は問われているのに、「誰ひとり私の指示を受けたとは言っていない」「加戸証言をメディアは報じない」しか言わないのだ。これを「丁寧な説明」と呼べるわけがない。

 森友・加計問題について安倍首相があまりに同じことを繰り返すばかりに、ウンザリしている人も多いだろう。「もう、この話を聞くのはたくさん」と思っている人も多いはずだ。だが、この疑惑は、安倍首相の肥大化した権力を裏付ける重要な問題だ。「妻が騙された」のではない。いま、この男こそがわたしたちを選挙戦において「騙そう」としているのである。

(編集部)
%%%%%

印旛(印波)補論、最近の東日本地震活動(1)


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:此処数日当地の朝は濃い霧です。ねじれた経路を通過して別世界に飛び込んでしまった気分です)
霧3213


 あさもやの 濃く立ち込めた 風景に 鳥も戸惑い なりをひそめる

 猫好きの私が思わず笑ってしまった動画です。
猫にパンチされてスイッチが入る犬

 犬にしてみれば親友と思っていた猫から”猫パンチ”を食らってしまった。”片思いであったこと”を思い知りショックだったのでしょう。ひたすら取り乱しています。一方、猫にしてみれば何が起きたのか分からず、ビックリ。心配げに犬の去った方を見ています。 

 昨日総選挙告示がなされました。わが茨城三区は残念ながら「森友」スキャンダルで安倍夫人を擁護すべく籠池氏を国会証人喚問でさながら特高警察そのものの振る舞いで、尋問した御仁が再選を目指します。氏は、先日の市の集まりでも「自分はこのモリカケで今や全国に知られるまでになった』と自慢げに語りました。つい、最近まではA4版四頁にもわたる「籠池断罪の論拠」なるビラを各戸配布していました。ところが、「モリカケ」を自慢する事が不利に働く情況と判断したのでしょう。最近のビラには「モ」の字も「カ」の字も見えなくなりました。

 公示前、三区の野党候補擁立に動いていた方々にメールで“早く統一候補を”と催促していましたが返事はありませんでした。結局うまく行かなかったようです。残念です。せめて他の選挙区の有権者の方々におかれましては、安倍氏と親安倍勢力を国会から放逐すべく奮闘していただくよう願っています。と言うわけで、いつもの板垣(怪)情報です。
%%%%%小池百合子代表は、孫子のセオリーに則り、「安倍晋三首相自身の性格」に「倒せる条件」を見つけ、勝利を確信!(板垣 英憲)
2017年10月11日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 【小池百合子代表「孫子の兵法」を駆使する】(第2回)
 「安倍晋三首相を倒す」、これが、新党「希望の党」小池百合子代表の総選挙における最大目的である。自民党殲滅が、目的ではない。選挙の本質は、「戦争」である。孫子は、「計篇(始計篇)第1」で、「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」(勝利の条件が充分ならば勝て、不充分なら勝てない)と断言している。小池百合子代表は、孫子のセオリーに則り、安倍晋三首相に勝ち、倒せる「条件」を「安倍晋三首相自身の性格」のなかに見つけ出し、しっかり把握して勝算を確信している。安倍晋三首相は「利を貪る」「怒る」「切れる」「奢る」「自画自賛する」「逃げる」「人のせいにする」私利私欲の政治家である。この性格は、1993年7月18日の総選挙で同期当選して以来24年間の触れ合いから熟知していた。前期高齢者を目の前にしてこの性格を改造するのは難しい。
%%%%%板垣情報終わり

+++++因幡議論(続)
 前回記事の補足をしておきます。茨城県の霞ヶ浦に突き出しているのが出島です。その東岸にある、「安食」そして千葉県の印旛沼の北にある「安食」の議論に付け加えます。この「安食」は、万葉集二十三歌に登場する「麻続(本当は旧字体)」に由来します。「続」が「ショク」と音することから、同じ音を持つ「食」に転じたのです。この漢字表記に「オミ」なる訓を付している(万葉集)ことも研究さるべき課題です。が、それは別途考察することにして、「ショク」であった筈の「食」が更に転じて「クイ」なる訓を持つことがあります。これは「ショク」が一方で「サク、サカ」と似た音であることに因があると考えています(4月26日記事 )。既に議論しているので繰り返しませんが「大山昨」を「オオヤマクイ」と訓するそもそもの由来はこの「食」にあります。

もう一つ、日本書紀巻二十九・天武四年紀四月十八日、麻続王が罪有りて「因幡」(いなば)に配流されたとの記事です。前回記事で、「因幡」は千葉県の「印旛」(いんば)であろうと書きました。常陸の国風土記は「麻続王」が配流されたのではないこと、また、既に印旛の地が認識されていたと書くことが論拠です。古代史図には常陸国風土記の書かれている印南鳥見丘も記入されています(図1の左下)。これが風土記に併せて地図に書き込まれたのか、そうでないのかは定かでありませんが。
 「インバ」なる地に西域からの渡来人の一群が住んだとするならば、その名称は古代ペルシア語であるかもしれません。残念ながら、対応しそうな語を古代ペルシア語に見つけることは出来ません。又アイヌ語にも見つかりません。どうやら列島に土着した言語であると思えます。
 印旛沼は現在の利根川の南岸域から少し隔たっています。実際、古代常陸川流域復元地図(現在の利根川)に見る限りでは、その成因は常陸側の広大な流域から取り残されたことにあったとしても八世紀ごろにはどうやら利根川から切り離されて独立した沼であったようです。
(図1:利根川(常陸川)と印波鳥見丘) 
古代利根河口無題


上の地図で香嶋社の北東に沼尾社があります。北浦の東岸です。と言うことは北浦のような大きな湖をも沼と呼んだのでしょう。類推するならば、印旛沼もまさに沼です。「ヌマ」も土着の民の言葉であったらしい。一方で「インバ」もそうであるらしいことを上に書きました。この二つの相異なるしかし同じ意味の単語どう解するべきか?
 既に書いたように「伊」は「あの」と言う意味の接頭詞。「んば」については、日本列島に限らず世界各地でも通ずる「バ」行の音と「マ」行の音の相互転換を考えます(例えば2015年7月7日記事 )。「ば」が「ま」であれば「んま」となります。つまり「ヌマ」です。これに接頭詞「イ」を付するならば「イヌマ」です。かくして「マ」が「バ」に転じて「インバ」との呼称になったと考えています。「印旛」とは「あの沼地」と言う意であったのです。それは、現地で言いなわされていた名称であったのです。

 一つ脱線することをお許しください。この「インバ、又はインナ」から連想するのが万葉集の十四歌です。この歌についてはすでに解読を済ませていたと思っていたのですが、もしかするとことなる解読がありえるのかなと現在考えています(2009年7月17日記事 )。
%%%%%万葉集巻一・十三歌〜十五歌
01/0013,"中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>"
原文:,"高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉"
訓読:,"香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき"
仮名:,"かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき"

01/0014,"(中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌"
原文:,"高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良"
訓読:,"香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原"
仮名:,"かぐやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら",

01/0015,"((中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌)"
原文:,"渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比<紗>之 今夜乃月夜 清明己曽"
訓読:,"海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ"
仮名:,"わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ"
左注:,"右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次 亦紀曰 天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子"
%%%%%
 この三歌の歌意は定まっていません。それをはっきりと十五歌の「左注』が白状しています。古来より(多分八世紀半ば頃か?)この歌の意味が把握されなかったがために、何故、十五歌が反歌として先行する十三・十四歌と関わりあってるのか分からないと正直に打ち明けているのです。
 話は逸れますが、万葉集、或いは古代日本文学研究者にとっては、万葉集、記紀についてのあらかたの研究は終えており、いまや新しい研究すべき課題は少ないとどこぞでどなたかが語っていました。
 そうでは無いのです。分からないことを全て解明を諦め、放り出してしまったから、やるべきことがないのです。白状しますが、私の十年近く昔のこの三歌に関する解読もどうもすっきりしないのです。この機会に別の視点から眺めて見たいと思います。
 再考の要ありと気づいたきっかけが、上で書いた印旛です。万葉集十四歌に「伊奈美國波良」なる表現があります。一般に受け入れられている解釈は「印南国原」の「印南国」とは播磨の国(現在の兵庫県)にかってあった一つの郡であるとします(後に賀古郡に吸収された)。播磨国風土記揖保郡の条に
「上岡里 出雲国阿菩大神 聞大倭国畝傍香山耳梨三山相闘此欲諌止上来之時・・・(以下省略)」
とあり、万葉集が詠う情景(情況)に合致しているというわけです。この大神は播磨国の上岡里から三山の争いの場に仲裁に出向こうとしたが、そこで、戦闘が収まったと聞き引き返した。
と、書きます。
 ところで、常陸国風土記行方郡の条は
「古伝曰大足日子天皇登座下総国印波鳥見丘・・・・(以下省略)」
と、書きます。改めて気づいたのが 「伊奈美」(万葉集十四歌)、と「印波」(常陸国風土記)の「音」の酷似です。此れを勘案すると、どうやら、万葉集十三〜十四歌には違った歌意を与えることができそうです。話の脱線を避けるため、一段落した時点でそれを書きます。
(つづく)

+++++最近の東日本の地震活動(1)
 久しぶりにhinet(防災科学技術センタによる地震情報)による東日本の最近の地震活動をみることにします。まずは2013年1月1日(hinet、「最近の大きな地震」情報サービスの開始)から2017年10月1日までの東日本の地震活動を眺めて見ます.。

(図2:2013年1月1日(hinet、「最近の大きな地震」情報サービスの開始日)から2017年10月10日までの東日本の地震活動。図中の矩形については図4〜5の説明を参照。遣われている記号はマグニチュード分類に対応している)
171011smap無題

 図1で示される領域内の全ての地震の発生を30日毎の時系列で眺めたものが図3です。この図から幾つかの事を気づきますが、今回はまずは作成した図とその概要説明にとどめます。

(図3:2013Jan01-2017Oct11の期間で発生した地震の30日毎の頻度分布。Mw>=4.5の地震のみ。データソースはHinet)
 171011histrevised無題

  上図で、2013Oct26の地震は図2の座標系の原点(黒四角印)で発生した地震です。2016Nov22の地震は図2で座標(-100,300)近辺に見つかる赤印(M7.4)の地震です。
 2013年1月1日から本日までおよそ1400日余が経過しています。その期間の地震活動は決して平坦ではなく、その指標がカイ二乗値“111”に見ることができます。この分布が平坦であると思うことは95%以上の確度で誤っているというわけです。言葉を変えるならば、東北日本の地震活動の変動にあっては、図3のような挙動はとりわけ珍しいことではなく、そこから“大地震が迫っている”なんぞの推測は少なくとも統計学的には推測し得ないということです。

 サテ、恒例にしたがって図2に示す矩形域内の地震活動を眺めることにします:
(図4:上は図2で示す矩形ABCD内の地震活動についてその地震の深さをAからB方向の距離に対して示したもの。下は同様のその2013年1月1日からの経過時間に伴う活動変化)
171011DATab

 フィリッピン海プレートの潜り込み形状が見えます(上)。一方、下の図では、地震活動が左上がり、即ち時間経過と共に辺BCから辺ADに向かって遷移しているように見えます。

(図5:上は図2で示す矩形EFGH内の地震活動についてその地震の深さをAからB方向の距離に対して示したもの。下は同様のその2013年1月1日からの経過時間にともなう活動変化)
171011DATef

 この図では太平洋プレートとフィリッピン海プレートの日本列島下での形状が見えています。とりわけその二つのプレートが衝突するあたりも見えています(上)。一方下の図では、地震活動は辺FGから辺EHに向かって遷移している様子が明瞭に見えます(10月4日記事 )

(図6:領域ABCD,領域EFGH内の地震活動の相関を見る)
171011compactv

 図5は二つの領域内の地震活動に相関があるのかないのか、それを見るために作成したものです。つまり二つの領域の地震活動はほぼ同一であるか否か、或いは一方が他方に対して何がしかの時間遅れがありや無しやを見るべく作成したものです。なにせ1700日余の期間に発生した地震の個数(M>=4.5)派ABCDで200弱、EFGHで100強と少ないので、30日毎の集計です。それでも30日間に起きる地震は2〜3個です。どうやらこの図から何がしかの推論を得ることは難しそうです。
(つづく)

麻続王のお子の任地、科学力と中・高校教育


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
[写真:雨上がりの日曜の朝です。南西の空に朝日を映したピンクの雲。その下には、十八夜を過ごし若干やつれた月[何があったのやら?)。そして地表の雑木林には何と鉛直に張った蜘蛛の巣があちこちに張られ、まさにオンパレード。その一つに、ひときわ立派な女郎蜘蛛を見つけました]
171009月雲蜘蛛無題


人の器(うつわ) ポストが作る そ、真にあらずと 晋は示せり  

 五年近く日本国のトップにあった安倍氏。しかし、器は昔のまま。僅かに言い逃れ・言い訳のための語彙が若干増えたぐらいです。そもそも、国を背負ってその経営を構想する気概と能力がないことは見えていました。在任五年間にその自覚が芽生えたかと思いきや。全く変わらず。結局は誰かの指図で、その地位にいることだけをエンジョイしていたのです。さて、その誰かとは誰か?それを問い、明るみに出すのが今般の総選挙です。と、思っていますが、それには何としても安倍陣営を敗戦に追い込まねばなりません。

加計の質問で 安倍晋三しどろもどろ? 10/8党首討論会@日本記者クラブ
 

 それにひきかえ、枝野氏には、同僚に裏切られたことの愚痴も見せず骨のある対応を見せています。なんとか勝たせたいものであります。
【ダイジェスト】枝野幸男氏:枝野はなぜ立ったのか 

 過ぎたこととはいえ、国会論戦中、野党の緊密な連携あり洗馬、此処まで来ずに安倍退陣に持ち込めた、と指摘する記事を見つけたので、紹介します。
%%%%%国会で「捜査中」と言えば安倍内閣はアウトだった!2017年10月08日 半歩前へ

 安倍首相が「疑惑隠し解散」を強行した理由がまさにこれだ。もし、野党の要求を受け入れて臨時国会を開き、審議をしていたら、安倍内閣は倒壊、アウトだっただろうと官僚が指摘した。その通り。だから安倍晋三は国民が誰ひとり望んでない解散総選挙をゴリ押ししたのである。
****************
毎日新聞が鋭く指摘した。
■森友問題
「国会で『捜査中』って答えていたら、持たなかったかもしれない」―。財務省の職員はほっとした様子を見せた。森友学園への国有地売却を巡り、約8億2000万円を値引きした経緯の不透明さが問題視され、国会閉会中も野党が説明を要求。財務省は「捜査中でコメントできない」との姿勢を崩していないが、国民が注視する国会で同じ言葉を繰り返せば厳しい世論の批判を招きかねなかった。
この取引を巡っては、財務局の担当者が昨年5月、学園側に売却額の見通しを伝えていたとされる音声データの存在が今年8月に発覚。国会で3月、当時の佐川宣寿理財局長(現国税庁長官)が「価格を事前に相手に伝えることはない」と説明した答弁と矛盾することになる。
解散で野党は追及の舞台を奪われた格好だが、会計検査院も問題がなかったか、調べている。政府関係者は「これで終わりとはいかない。選挙で問題が消えるわけではない」と語った。
◇国民は忘れない
元文科省大臣官房審議官の寺脇研・京都造形芸術大教授の話 
 文科省や財務省の中で国会審議がなくなってほっとしている官僚がいるとしたら情けない。今も二つ(森友事件、加計疑惑)の問題の真相解明を求める動きが全国各地で起きている。選挙が終われば忘れられるという考えは国民をバカにしている。疑惑が解明されるまで収束することはないだろう。  
(以上  毎日新聞)

+++++麻続王一家の流懺
 日本書紀天武四年四月紀・十八日付は“麻続王ご自身が何がしかの罪を訊われて因幡に流された”、と書きます。前回、この記事を考察しました。結論は麻続王は「流された」のでは無い、即ち配流ではなく、しかるべき任務を負って遣わされた、即ち現代で言えば、転勤、或いは長期出張であった。と、書きました。さらには任務を背負って派遣された地は因幡(いなば、”いんば”とも読める)ではなく印旛であったことも常陸国風土記から推断できるとも書きました。常陸国風土記は「遣」と明記しています。「因幡」と「印旛」、読み方も漢字そのものも似ています。そうすることで、史実を変えてしまう事例もこれまで本ブログで紹介して来ました。これは日本書紀記述でしばしば起きる歴史改竄の「常道的手口」です。

(図1:印旛周辺、茨城県かすみがうら市・出島、茨城県都市地図、昭文社、1991年版より)
171008下総無題


 図で見るように印旛沼は利根川の南にあり、その北にあるのが「安食」(後述)、東に龍角寺古墳群です。この古墳群の一角にある岩屋古墳はよく知られています(2015年2月25日記事 )。現今の話の筋とは関係ありませんが古墳群の東を南北に走るのが「長豊街道」です。私はこの名称を「冢高」(ちょうこう)つまり「高一族の墓群」と解読しています。それは龍ヶ崎市の古墳群と龍角寺古墳群を結んでいます。成田山新勝寺の創建は十世紀半ば平将門鎮魂のためといわれています。将門出現の背景には、東国の民へのなら権力による残虐な征討があった筈で、その犠牲者が墓墳群に埋葬されて居ることを思うならば、八世紀の悲劇の人物達の鎮魂、慰霊でもあったと考えています。

 さて、麻続王の一子は伊豆嶋に配流されたと日本書紀は書きます。10月2日記事で岩波文庫「日本書紀」校注者の解説を付記しました。校注者は文字通り現在の静岡県「伊豆」であろうと書きます。それには全く根拠がありません。頼りになるはずの万葉集二十三・二十四歌はそれについては何も教えてくれません。
 因幡の接頭詞として「迂」が付されていましたから「伊」もそうであろうとまずは考えます。伊邪那岐命(『日本書紀』では、伊弉諾神)、伊弉冉(イザナミ、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)と、この「伊」は記紀では頻繁に登場します。「伊邪」は「イザ」即ち掛け声であるとの説が古代史研究死者の世界では支配的と聞きます。が、定説ではないようです。又「勇魚」は「イサナ」と音し、鯨を意味するのだそうです。
 「イザ」は藤原不比等が作り出した古代日本列島史であるところの記紀に頻出します。ということは、「イザ」は古代ペルシア語に由来するとは思えませんが、念のためにあの分厚い「現代ペルシャ語辞典」(黒柳恒男著、大学書林)のペイジも繰ってみます。この辞典は「現代」と銘打ってありますが重要な〔古語〕もこの辞書は拾っているからです。
 その辞書にラテン文字表記「isa」という語があります。意味は「救世主」即ち「イエス」に由来するようです。古ペルシヤ語は一般的に母音で始まるものが多くありません。そこは日本語との大きな違いです。龍ヶ崎市には「伊左津」と言う場所があります。ここは小野川と言う万葉集にも歌われた大きな川が利根川を目指して流れています。「津」は水辺です。「キリストと水」から連想するのが旧約聖書「モーゼの誕生」です。この地にそうした説話が伝わっていたのかなと想像しますが、勿論論拠はありません。

 学習研究社・大漢和字典(藤堂明保監修)によれば「伊」について、‖緻昌譟免燹佑魄嫐する、と書きますが、これは上記記事の解読には馴染みません。◆屬△痢△修譟廚箸い辰刃体修飾詞とあります。どうやら、書紀の書く伊豆島は『「あの「豆嶋」』という意ではなかろうかと思えます。さて次は「豆」をどのように音するのか?
 かって、私はそれを「トウ→ト」と読み、現在の富山の「ト」、或いは能登半島の「ト」、或いは又佐渡島の「ト」ではなかろうか、いずれにしても北陸界隈と考えたこともありました。
 しかし、それは「ト」が時代の変遷の中で「デ」と訛ったのではなかろうかと考えています。そうした事例があります。上の「佐渡」がそうです。元々は「サト」であったと思われます。

 日本列島・東国古代史を語る上で欠かせないのが、福島―山形の県境にそびえる山「飯豊山」(標高2011m)です。多分元々はこの山は「いいこう」と称されていたと思っています。この山は日本列島在住のアイヌ族が信仰するカムイの象徴「イイナ」と、日本列島に北方から渡来した高一族(倭の五王の「興王」)の首領「コウ」の協調を体現した山です。この山名が何時の日か「飯高』と漢字表記され、さらに「高」が「豊」に転じ(2016年11月28日記事参照)、現在の「飯豊」なる表記となったと考えています。かくして漢字訓は当初の「いいほう」から「イイトヨ」に転じます。そして東北地方の訛りを経て「イイドヨ」となり、現在の「イイデ」なる呼称になったと考えています。

 同様の転化が、ここ常陸国でも起きた。すなわち「豆嶋」はかっては「トシマ」であったのではなかろうか。それが「扶桑国」住民の言語訛りを経て「ト」が「デ」に転じたと考えるならば、それは現在の『出島』です。すなわち、霞ヶ浦に西から東に突き出している「出嶋」です。そこで、この出嶋を少し古い地図で眺めてみます(なにせ、町村市名の頻繁な変更で、新しい地図は古代を探る上で大きな障害となってしまっています)。
(図2 茨城県かすみがうら市・出島、茨城県都市地図、昭文社、1991年版)
171009出嶋


 出嶋の東岸、言葉を変えれば、霞ヶ浦をはさんで玉造と面した地には安食と呼ばれる地区があります。「安」は「麻」、「食」は「続」(これもショクと音する)の転じたものと考えれば、まさにこの地は「麻続」に由来することがわかります。序に付け加えるならば、出島の南は利根川ですがその対岸は千葉県です。そこには「安食」なる地があります(図1参照)。どうやら、出島とその利根川を挟んだ下総国の北岸域は麻続王の強い影響下にあったと思われるのです。それも道理です。麻続王ご自身は利根川の南に遣わされ、王の一子が出島に赴任したと言うことです。

 上の地図で安食地区の東に宍倉なる地名の地区があります。倉(くら)が何がしかの時間経過の中で「食」が転じたものであるとすると、「宍」も「安」に似た漢字ですからここも実は「安食」であったとも考えられます。そうではなくとも「宍食」であれば、これは、まさに日本書紀の記事からとってきた地名とも思えます。
庚寅(十七日)。詔諸国曰。自今以後。制諸漁猟者。莫造檻穽、及施機槍等之類。亦四月朔以後。九月三十日以前。莫置比満沙伎理梁。且莫牛・馬・犬・猿・鶏之。以外不在禁例。若有犯者罪之。
 歌の解説は9月27日記事参照していただきますが、赤で示したように「宍倉」なる文字が出現しています。 
 後世、当時の常陸国国司である(養老3年(719年)7月) 藤原宇合 が書紀を見ており、底からこの表現を地名に用いたのかなとの想像をしたりしています。尚、この出島のすぐ西は土浦市神立です。此処に天神と言う地名があり、又安食の南に「男神」なる地区もあります。それらの由来は不明です。ともかくこの出島にはいたるところに「神」が居られたようです。それは、鎮魂か、それともアイヌ族の威勢の名残か。現時点ではわかりません。
(つづく)

+++++ビックリ記事
 ビックリ記事です。しかし、この記事紹介の真意は、前回記事(10月7日記事)の主題であった「日本の研究力」のフォローなのです。前回記事(10月7日)で紹介した青山祐輔(あおやま・ゆうすけ)氏の論説に異を唱えることにはあらずして、むしろ現在の日本国での科学行政だけが「日本の科学力劣化」の真因であろうか?と疑問を持つからです。下の記事紹介では東大・法政大学選手の出身高校を併記しています。
%%%%%「浪人7人」VS「甲子園6人」 東大、歴史的勝ち点「1」奪取 その経歴の差がスゴイ
2017年10月8日 17時6分
THE ANSWER
法大に連勝で15年ぶり勝ち点1…仮面浪人、2浪の3、4番でエリート軍団撃破
 東京六大学秋季リーグ戦は8日、東大が法大に8-7で競り勝ち、連勝で02年秋・立大戦以来の勝ち点を挙げた。実に15年ぶりという赤門軍団にとっては歴史的な「1」。しかも、破った法大は通算44度の優勝を誇り、スポーツ推薦で入学したプロ予備軍だから価値は高い。
 実際にこの日の法大のスタメンと出身校、高校時代の主な実績は以下の通りだ。
(遊)相馬(2年=健大高崎)※甲子園春夏8強(二)川口(3年=横浜)※甲子園春1回戦、夏3回戦、(左)森(4年=日大三)※甲子園夏2回戦、U-18日本代表(一)中山(3年=履正社)※甲子園春準優勝、夏3回戦(三)福田(2年=大阪桐蔭)※甲子園春4強、夏優勝(中)向山(3年=法政二)(右)小林(3年=中京大中京)(捕)鎌倉(3年=日本文理)※甲子園春1回戦、夏4強(投)長谷川(4年=聖望学園)
 9人中6人が甲子園出場経験があり、上位進出選手がズラリ。しかも、途中出場した面々でも、U-18高校日本代表の船曳海外野手(2年=天理)、U-15日本代表の鈴木昭汰投手(1年=常総学院)ら甲子園出場経験ある選手が投入された。いずれも当時からプロのスカウトの熱視線を集めていたタレントぞろいだ。
 対照的に東大のスタメンは以下の通り。
スタメン9人中7人が浪人…20人投入の法大に12人で戦い抜いた東大
(中)辻居(2年=栄光学園)(三)山下朋(2年=東海)(左)楠田(4年=桐朋)(一)田口(4年=西大和学園)(遊)山田(4年=桐朋)(二)新堀(2年=麻布)(捕)三鍋(3年=川和)(右)杉本(3年=金沢泉丘)(投)濱崎(2年=鶴丸)
 当然、甲子園出場経験者はゼロ。出身校で名前を聞く機会があるのは、野球ではなく、進学校としてだろう。東京の私立御三家の麻布出身の新堀を筆頭に名門校がズラリ。とはいえ、9人中7人が浪人経験者。3番・楠田は慶大で“仮面浪人”を経て1浪、4番・田口は2浪して現在24歳の4年生というキャリアも対照的だ。
 スポーツ推薦枠が15人ほどある法大に対し、猛勉強で受験戦争を勝ち抜いた東大は1年春は落ちた体力を取り戻すことから始まる。この日は豊富な選手層で20人を投入した相手に対し、東大はプロ志望届を提出した宮台康平投手(4年=湘南)らを投入したが、野手は1人のみの交代で計12人で戦い抜いた。
 15年春にリーグ記録の94連敗を止めた当時の相手も法大。ただ、白星を挙げても「(2勝1敗で勝ち点を得る)3試合を戦う体力がない」と浜田監督が話してきた。以来、体力強化に努め、2連勝で掴んだ勝ち点でもあった。そうなると、次なる目標は39季連続最下位からの脱出。赤門軍団の戦いは、さらに熱を帯びそうだ。
%%%%%
 確かに東大野球部員出身高校の「偏差値」は高く、法政大学のとりわけ野球部員のそれは高くないようです。しかし、法政大学の優れた選手が学校時代の偏差値が高くなかったとはいえ、プロ野球に入って一流選手に育ちあがる過程で、鋭い観察力を磨き高い知性を発揮しそれに伴って野球技術を至高の高みに達した事例をしばしば見ます。ノムさん野村元ヤクルト監督、落合元中日監督はまさにその格好の事例です。勿論暴力団に一億円払った原前巨人監督、暴力でしか選手を随わせることができなかった星野前中日監督のような唾棄すべき事例は数多居ります。

 前回紹介した青山氏(10月6日記事 )は2000年代のノーベル賞受賞者のお名前を列記しています。こうした方々のノベル賞要請に応えた業績が四十歳台であることは、これまでもしばしば指摘されています。私の関心はこの方々の出身高校です。きちんとは調べてはいませんが、そのうち何人が灘・開成・麻布出身なのでしょうか?多くは、地方の公立高校で自らの好奇心を満たす奔放な日々を過ごしていたのではなかろうか?しばしば東大入学御三家の高校の出身者が自らの高校の自由な気風を語ります。常に優秀なライバルを意識しつつ三年なり六年なりを過ごす。しかし、そうした環境は、どうやら体内の深奥に内在する素質の開花とは関係がないのではないか?

 こうした中高環境が優秀な官僚を生み、そこそこの学会を牽引する研究者を輩出すれども、そのレベルを超える人材には、何かもっと別の要因があるのではなかろうか?それは、大学入学前の”自然”が用意した環境ではなかろうか、と思う次第です。私は「ゆとり教育」は捨てたもんではないと思うようになりつつあります。

 私が指摘したいのは大学後の勉学環境、卒業後の研究環境もさりながら、大学に入る前、周囲との競争を意識しない、まさに知的好奇心の赴くままの生育環境こそが、突出した人材輩出の大きな要因ではなかろうか、と思ったりします。その意味で、野球バカ環境で育っても、自己の好奇心と関心が維持されている限りではプロになっても何時の日にかその頃の知性の芽がニョキニョキと育つのではなかろうか。それが、野村、落合氏であったろうと思ったりします。

 てな問題意識を抱えながら次の記事を興味深く読みました。
 
%%%%%東大にもっとも近い「筑駒」の神童は、大人になってどうなったのか?2017年10月6日 7時0分
 筑波大学附属駒場高校(筑駒)は神童の楽園である。とにかく東京大にもっとも近い。合格者数がいちばん多いのは開成だが、合格率となると筑駒は63.8%と群を抜く(1学年定員160人、現役合格は74人。現浪合わせての合格102人)。ちなみに開成は40.5%、灘は43.2%である(2017年)。

東京大学・赤門 c文藝春秋
 中学受験で筑駒は難易度がもっとも高いといわれている。実際、筑駒と開成、あるいは筑駒と麻布の両方に合格した場合、筑駒を選ぶ生徒のほうが多い。
 日本でいちばん頭がよい小学生が集まってくる筑駒には、神童がひしめいている。『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)で神童を追い求めて、筑駒、その前身の教駒(東京教育大学附属駒場高校)OBを探ってみた。
 まずは神童の誉高かったのが日銀総裁の黒田東彦(1963年卒)である。愛称クロトン。

黒田東彦氏 c文藝春秋
 教駒時代は図書館の本をすべて読みつくしている。東京大法学部在学中に司法試験に合格。国家公務員試験に2番で合格する。卒業時も首席に近かった。黒田の教駒、東京大時代の同級生で政治家になった自民党の細田博之(1963年卒)の話。
「彼は一種の天才ですよ。がり勉タイプではないが、読解力が極めて高く、教科書など書籍を読めば、書かれている内容が一度ですべて理解できてしまう。また無類の本好きで、授業以外の時間は図書館にいることが多かったですね」(「週刊新潮」2013年3月7日号)。
 細田は元通産省官僚である。筑駒OBには官僚からの政治家転身が何人もいる。経産省出身には齋藤健(1978年卒)、鈴木隼人(1996年卒)。齋藤は今年8月に安倍改造内閣で初めて大臣となった。財務省(大蔵省)出身に後藤茂之(1974年卒)、田村謙治(1986年)。警察庁出身の葉梨康弘(1978年卒)。女優の水野真紀を妻に持つ後藤田正純(1988年卒)の大おじは警察庁長官、内閣官房長官、法務大臣をつとめた後藤田正晴だった。

細田博之氏 c文藝春秋
官僚・自民党の政治家が多い「本当の理由」
 筑駒では官僚を養成する教育を行っているのか。
 元・大王製紙社長の井川意高(1983年卒)は、筑駒中受験を前に郷里の四国から上京し、帝国ホテルを常宿として代ゼミに通っていた。1980年代の筑駒を振り返る。
「教師の大半は日教組(日本教職員組合)。半分くらいは共産党員。革マル派崩れの教師なんて山のようにいた。世界史の教師なんて学生時代にゲバ棒をもって走ってた元活動家だし、倫理の教師なんて完全にずーっと共産主義思想教育をやってた。とんでもねえ左巻きの学校でしたな」(『東大から刑務所へ』幻冬舎、2017年、堀江貴文との共著)。
 話に盛り感はあるにしても、これほど反体制教員が揃えば、国家を守るために官僚、自民党政治家になろうとするのも不思議ではない。筑駒そのものが反面教師だったわけだ。
 なお、井川は大王製紙社長時代に海外のカジノで大負けして、子会社などから106億8000万円を調達して借金のアナを埋めた。東京地検は黙ってはいない。特別背任容疑で逮捕されてしまう。井川を捕まえる検察にも筑駒OBはいた。
 筑駒の「とんでもねえ左巻き」の影響を受けたのかもしれないのが、日本共産党の政治家の小池晃(1979年卒)である、筑駒時代に「平和のために何かをしたい」と民青(日本民主青年同盟)に加入。浪人中の駿台予備学校時代は民青駿台班として活動していた。東北大医学部出身ながら医師よりも政治家を選んだ。現在の肩書きは共産党書記局長。党ナンバー2といわれ、志位和夫委員長の後継者ともウワサされる。

小池晃氏 c文藝春秋
 教駒、筑駒OBでここまでの登場人物は後藤田、小池を除き、すべて東京大出身である。さすが63.8%。
 だが、教駒は早稲田にもしっかり根を張っていた。 

早稲田大学・大隈講堂 c文藝春秋
 なんと早稲田大総長が2代続けて教駒出身なのである。第15代(総長在任、2002〜2010年)は白井克彦(1958年卒)で、専門は知能情報学。第16代(同、2010年〜現在)は鎌田薫(1966年卒)で、民法が専門である。鎌田は早稲田在学中、学生運動に精を出していたと、かつての同級生が話す。
 たしかに、アカデミズムの世界で教駒、筑駒OBがかなり幅を利かせている。若手学者の登竜門ともいうべきサントリー学芸賞受賞者がけっこういる。メディアでの発信力が旺盛な四方田犬彦(1971年卒)、東浩紀(1990年卒)。 同学年で経済学者の大御所の植田和男、吉川洋(いずれも1970年卒)。政治学の牧原出(1986年卒)。 塩出浩之(1993年卒)は、2016年に『越境者の政治史』でサントリー学芸賞、毎日出版文化賞、角川源義賞のトリプル受賞となった。
神童を抽選で排除してはいけない
 政官財学にしっかり根を下ろしている筑駒OBのなかで、もっとも異彩を放つのが、アダルト男優、森林原人(1998年卒)だろう。神童と呼ばれるほど頭がよかった。中学受験では筑駒のほか、麻布、栄光学園、ラ・サールに合格している。
 森林は筑駒に入学後、カルチャーショックを受ける。とてつもなく頭のいい奴がいっぱいいてどうやっても太刀打ちできない。勉強もたいしてせず、いとも簡単に合格したのが何人もおり、一を聞いただけで十も百もわかってしまうような頭脳で、神童としかいいようがなかった。
 勉強では神童にかなわない。エロの世界できわめることを決意する。性的知識の豊富さで、学年トップになってやろうと思い立った。
「どこでもチンポを出し、勃起させ、エロ本を数多く所有していたので、エロのジャンルにおいては学年トップでした。(略)エロのいいところは、どれだけ頭のいい奴にも等しく難解なところです。理性や思考で解決できることじゃないから、経験や行動力がモノを言います。となると、エロが僕の肩書きになっていくのは自然の流れでした。僕がAV男優になったことは、筑駒史上では信じられないことですが、僕と親しい友達は納得しています。それほど、僕はエロと共に学生生活を送りました。筑駒での僕のヒエラルキーを決定付けたエロは、同時に、僕のコンプレックスも救ってくれていました」(『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』講談社、2016年)。
 昨今、国立大学附属学校入学を抽選制にするという議論がなされている。筑駒OBの多くは反対だ、森林さんもしかり。神童のなかにこそキラリとした個性が浮かび上がる。筑駒が神童の楽園であり続けるために、神童を抽選で排除してはいけない。
 日銀総裁、エロが大好きなAV男優、サントリー学芸賞学者、共産党書記局長、カジノで106億円負けた経営者、早大総長―――そんな人材を送り出した学校を、国は大切にしてほしい。
(敬称略)
(小林 哲夫)
%%%%%

科学力、立憲民主党への熱いエール!!


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:9月17日付東京新聞記事。本日のブログのテーマです。拡大は二回クリック)
171006ノーベルno-beru001

  
本年は 受賞者なしの ノーベル賞 日本の科学の 先行き予兆

 自公安倍政権の綻びに強引に手を突っ込んで、非安倍勢力と反安倍勢力が力を合わせる。それが、まずは日本が変わる第一歩かなと考えていました。先週の動きがその予兆かなと思っていたところが、今日にかけての一週間、政局は予想を超えて激動中です(現在進行形)。驚きました。どう整理されてくるのかと見守っていました。そして立憲民主党の発足で、選挙の構図が見えてきたようです。その枝野代表が泣かせる、そして聴かせる演説をしています。
 2017年10月4日 立憲民主党 枝野幸男代表 街頭演説(中野駅北口)

 しかし、変革は一歩一歩とおもっていましたから、いきなり中間段階をすっ飛ばした、いきなりの対決構図に、嬉しさより不安であります。その意味では、自公与党+希望体制は維持されてしまうのかな、と危惧しています。
 例えば下記のブログは私の危惧と通ずるものがあります。長いので、此処では内容をコピペしません。枝野新党考察 

 又同様を小林よしのり氏も語っています:
%%%%%「立憲民主党」に期待する 「『信念がブレなかった政治家の党』というイメージが、これから拡がっていくだろう」小林よしのり「立憲民主党」に期待する
2017.10.03 小林よしのりオフィシャルwebサイト
枝野幸男氏の「立憲民主党」創設、とても良かった。行け行けどんどんで、調子に乗っていた軽佻浮薄な「希望の党」に比べて、地味で政治哲学を感じさせる枝野氏の会見だった。今週の雑誌では、いかにも小池百合子が総理になるかのような特集記事ばかりだが、残念ながら一周遅れの記事になった。目まぐるしく野党の再編劇が続くから、たった一日で世論も激変してしまう。
小池百合子は「排除する」と堂々と明言したことで、「寛容な保守」なんて大嘘じゃないかということがバレてしまい、独裁者のイメージが流布されてしまった。
空気を読むことだけには長けた政治屋だったが、これで小池ブームは萎んでいくことを小池自身が察知したから、都知事の椅子にしがみつくに決まっている。「希望の独裁党」からの立候補はない。 自分の身の保身しかない代表を持つ「希望の独裁党」の未来は「失望」しか待っていないことになる。「希望の独裁党」に移動した政治屋たちは、「踏み絵」を躊躇なく踏んじゃいますという、理念も信念もあっさり覆す風見鶏どもの党だという評価になる。
「立憲民主党」は「信念がブレなかった政治家の党」というイメージが、これから拡がっていくだろう。
保守コンプレックスしかない民進党内のアホどもの受け皿を作ってくれて、小池百合子よ、ありがとう。保守の何たるか、リベラルの何たるかも、結局最後まで理解できなかった民進党内右派たちは、「風だより」の政治屋さんに過ぎなかった。枝野幸男の信念の方が希望がある。じわじわと「信頼」を獲得する。 どうせ面白可笑しい政治サーカスが好きなマスコミが、今後も小池情報ばかり流すだろうから、騙され続ける大衆も多いのかもしれない。マスコミ受けしない「立憲民主党」は確かに「苦しい船出」になるだろう。だが、安倍政権打倒は大義だが、大義のために悪魔に魂を売ることはない。「希望の党」が「維新の会」と同じ、保守コンプレックスの政党だと判明して良かった。危うく騙されるところだった。小池百合子も、安倍晋三とよく似た、「排除の独裁者」の性質を持つ狭量な政治屋だった。今後はこの真実をどうやって世の中に知らせていけるかだ。
%%%%%

 本年のノーベル賞科学分野の受賞者が10月2日から4日にかけて発表されました。残念ながら日本人科学者は選ばれませんでした。どこぞの国際的科学情報機関が、世界の大学ランキングを公表する毎に日本の大学のランキングが下降します(2016年9月23日記事)。ノーベル賞受賞者が来年は現れるかも知れません。そうではあっても、日本の科学の現状と未来を危惧する声はやまりません。今回の記事はそのことを論じた記事を紹介します。長いので、いつもの古代史、地震などの記事掲載は次回に順延させていただきます。
 
+++++日本の科学
 7月26日記事 で、冒頭掲載と同趣旨の指摘を書きました。さらには、科学雑誌「科学」(岩波書店)が「日本の科学力」と題した特集記事を掲載しています。
(表1:密の期間ごとの各国論分数の推移。上は掲載論分数、下は重要論分数(引用回数が多い論文数)拡大はクリック)
171006科学無題

 この「日本の研究力」特集の冒頭記事もnature誌が調査した各国論文数を比較しています。冒頭の表と重なりますが掲載しておきます:
 こうした表を見る限りでは、日本の科学力[研究力]が近年急激に下降していることを実感させられます。この憂うべき事態を下に紹介する記事が分析しています。私自身、この考察者の分析に同意できかねる点もあります。しかし、日本の研究と言う営為の実態を示しています。


%%%%%日本のアカデミズムは危機にあるのか――ノーベル賞受賞者も警鐘
10/5(木) 12:06 配信

21世紀に入ってから、日本はノーベル賞の受賞ラッシュが続いている。2001〜2016年に、16人(米国籍取得者も含む)が科学分野で受賞し、20世紀の科学分野の受賞者(6人)を大きく上回っている。だが、これだけの華々しい成果を上げてきた日本の基礎研究に対し、様々な方面から警鐘が強く鳴らされている。ノーベル賞受賞者も指摘する、その元凶とは。(ライター・青山祐輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)
地方から失われていく、科学研究の基礎体力

2016年5月、ある天文学の研究プロジェクトによるクラウドファンディングがネット上で話題を呼んだ。
徳島大学の古屋玲准教授を中心とした研究チームによる、ハワイ島マウナケア山頂付近にある電波望遠鏡を使った天体観測計画。話題になったのは、その目標額がわずか80万円だったからだ。金額は現地までの旅費を調達しようとしたもので、クラウドファンディングは成功した。だが、古屋准教授の研究環境は、さらに悪化しているという。
「徳島大学は地方の小さな国立大学で、主要な使命は研究というより、教育と地域貢献。つまり、よき市民を社会に送り出すことです。それでも、これまではどんな研究テーマも奨励されていたのが、昨今は『役に立たない研究は自分でやれ』と言われるまで悪化しています」
国立大学に所属する研究者には、毎年研究費が支給される。金額は、大学や研究分野などによってさまざまだが、おおむね公平に学内で配分されていた。しかし、その状況が大きく変わろうとしているのだという。
「2018年度からは『重点クラスター』と呼ばれる学内の特定の研究グループにだけ配分することになった。残りの人はゼロです。重点クラスターの選択基準は端的に言って、医療技術や医薬品開発など直接役に立つかどうかです。恐れていた最悪の事態がついに来ました」
この結果、2018年度は大学から古屋准教授には研究費が支給されない見込みだという。研究費がなければ、研究活動もできない。
「選ばれた重点クラスター以外、つまり研究費ゼロを避けるために、なんとかクラスターを作ったけれど外れてしまった研究者たちは、『研究をしたければ科研費やクラウドファンディングなど外部資金を調達しろ』と学内説明会で言われました。でも、クラウドファンディングなんて誰もができるわけではないし、科研費だって全員の提案が採択されるわけではない。私の場合は、たまたまうまくいきましたが、それを全員にやれというのは無茶だと思います」
地方の国立大学から研究の灯が消えようとしている。そして日本の科学アカデミズムが危機に瀕しているとの指摘は、海外からも寄せられている。
世界における「科学エリート」の地位を失いつつある

「日本の科学研究はこの10年間で失速していて、科学界のエリートとしての地位が脅かされている」
イギリスで発行される総合科学雑誌『ネイチャー』2017年3月23日号は、そう指摘した。
同誌によれば、世界的に評価の高い学術誌や論文誌に掲載される日本からの論文は、2012年から2016年にかけて6%減少した。また、専門家による検証済みの文献を広く網羅するスコーパス・データベースに収録されている全論文数は、2005年から2015年の10年間で約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えていないという。
こうした状況の背後にあるのが中国の急速な成長で、米国などの科学先進国の地位が相対的に低下している。だが、日本の論文数の減少は、他の先進国と比較しても突出している。なぜこれほど減っているのか。ネイチャーは、その要因を国としての予算配分にあると指摘した。
(図2:主要国論文数推移論文数では、中国の伸びが他国を凌駕している(図版:ラチカ)拡大は二回クリック)
171006論文数無題


「日本政府の研究開発支出額は、世界で依然としてトップクラスであるものの、2001年以降ほぼ横ばいです。一方で、ドイツ、中国、韓国など他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています」
東京に長く滞在経験のあるネイチャーの記者、デイヴィッド・シラノスキー氏も指摘は驚くべきことではないと言う。「過去10年以上にわたり、日本の論文数は増えも減りもしなかった。なぜなら、人口増加、経済成長、科学予算のすべてが横ばいだからです」
ネイチャーの論評は、単なる事実の指摘にとどまらず、日本に対して強く警告を発している。この直後、日本のメディアでも「アカデミズムの危機」を報じる動きが広がった。
一方、ネイチャーの記事以前に、国内でも同様の指摘はなされていた。
鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長は、2015年5月1日付の自身のブログで、主要国の全論文数や人口あたりの論文数といったデータで、2000年代前半からすでに日本のアカデミズムは世界に水をあけられつつあることを示した。2016年3月には豊田氏はネイチャーインデックスからの取材にも応え、「我が国の競争力は高まっていないどころか、過去10年間を見ると日本の基礎研究は弱体化している」と発言していた。そして、基礎研究の弱体化に対して危機を訴える声は、日本の研究者においていっそう広がっている。
「就職できないから」東京大学でも大学院生が減少

「基礎科学で減っているのはお金ですが、人も減っているんです」東京大学副学長で理学系研究科長の福田裕穂教授は、危機感を強く訴える。「理系でも(産業化しやすい)応用研究には国からお金は出ます。でも、基礎研究にはお金がつかないし、研究者も減っているんです」東京大学副学長・理学系研究科長の福田裕穂教授は、科学研究への予算配分は「日本の未来に対して投資するのか、しないのかという、国としての選択の問題」だと語る。
2016年10月、全国34の国立大の理学部長らで構成され、福田氏も所属する「国立大学法人理学部長会議」が、「未来への投資」と題した声明を出した。
この声明では、国立大学への運営費交付金が10年以上にわたり毎年1%ずつ削減されことによって、日本の基礎研究の体力が奪われたこと、またそうした基礎研究の衰退で将来日本からノーベル賞が出なくなる可能性がある、という懸念を強く訴えた。
国からの運営費交付金が削減されても、大学の支出は一律に減らせるものではない。例えば光熱費の節約には限度があるし、安全にかかわる支出は減らすことはできない。そこでしわ寄せを受けてきたのが人件費だ。
国立大学の予算に占める人件費の割合は、2005年度の41.7%から2015年度の32.9%と10年で9ポイントも減っている。ところが、教員(研究者)の数は2004年度の6万897人から、2013年度で6万3218人と増えている。
人件費が減っているのに、研究者の数は増えている。このカラクリを支えているのが、2〜5年程度の雇用期間があらかじめ設定された「任期付きポスト」の増加だ。
国立大学は、任期なしの常勤ポスト(特に助教授)を減らし、その分は任期付きポストで補ってきた。そして、その任期付きポストの人件費の原資として頼っているのが、「競争的資金」という研究予算だ。東京大学でも、過去10年間で40歳以下の教員は任期無しの雇用が半減し、任期付きの教員の方が多くなっている。
問題を抱える「任期付きポスト」

国立大学に所属する研究者の資金は、大きく2つからなる。ひとつは「運営費交付金」からの分配だ。運営費交付金は国からの補助金であり、この交付金の一部が研究者へ割り振られ、研究の基盤的な資金となっている。もうひとつが「競争的資金」だ。競争的、とあるとおり、研究者自身が審査を通過した研究やプロジェクトに対してのみ給付される(図3−◆法

この2つの研究資金のうち、この十数年で政府は運営費交付金を減らし、競争的資金を増やしてきた。大学間や研究者間での競争を促し、日本全体の国際競争力を強化しようという狙いだ。

(図3:運営費交付金が減る一方、教員数は右肩上がりに増えている(図版:ラチカ)、6軌の総数が増えているなかで、任期無し教員は減り続けている(図版:ラチカ)、2000年以降の科学分野でのノーベル賞受賞者は、その多くが20代後半から40代前半のときの研究が受賞対象となっている(図版:ラチカ)拡大は二回クリック)
171006科学予算無題


だが、そこで発生した問題が、若手研究者への雇用のしわ寄せ──任期付きポストの増加だった。人件費の抑制によって、国立大学に所属する40歳未満の教員のうち任期付き教員の割合は、2007年度の39%から2016年度には63%にまで増えた(図3−)。

任期付きポストの問題は、任期期間の終わりとなる1年前には次の「ポスト探し」という就職活動が待ち受けていることだ。任期付きポストでは若い研究者が腰を据えて研究できず、このポストの広がりが日本の基礎科学の弱体化の大きな要因だと福田教授は言う。
「なぜなら、ノーベル賞を受賞するような画期的な研究の多くは、その受賞者がだいたい30歳から40歳ぐらいのときの仕事。2000年以降の日本の17人のノーベル賞受賞者でも、その多くが20代後半から40代前半でした」(図3−ぁ
「たとえば」と、福田教授は、昨年ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典教授の若き日を振り返る。「昔から大隅さんとは友だちですが、東大の助教授でオートファジーの研究を始めたころの彼は『福田君さ、いろいろ遺伝子が見つかったけど、どんな働きかわからないものばかり』と嘆いてばかりいた。でも、彼はそのわからない遺伝子をコツコツと研究していった」
当時の大隅氏の研究は顕微鏡観察が中心だったので、「研究費はわずかで済んでいた」(福田教授)という。だが、それらの地道な研究ののち、教授として基礎生物学研究所に転籍し、多くの資金とさまざまな手法を用いて本格的に遺伝子の働きを解明するようになった。そしてその若き日の研究がノーベル賞に結びついた。
「だから、大隅さんの研究で大事だったのは、お金がなくても時間のあった東大時代と、それを大きく展開した基礎生物学研究所の時代。つまり、若い時の研究に打ち込める自由な時間があったから。でも、それが昨今の任期付きポストだったら、できたかどうか疑問です」(福田教授)
「基礎研究で成果を出すには、誰もやっていない独創的なことをやらないといけない。そこには、小さな成果で終わってしまうかもしれないリスクもある」福田教授は言う。
実際、若手研究者の考え方や研究姿勢にも影響が出ている。「100億円を超える次世代望遠鏡について議論する場で、本来なら『こういう望遠鏡を作って、こういう研究をしたい』と夢を語るとても楽しいもののはず。なのに、実際には若手はほとんど参加しなかった」
前述の徳島大学の古屋准教授は、ある天文分野のシンポジウムで議論がまったく盛り上がらなかったと振り返る。ゲストとして招いた理論天文学者も、若手の参加がきわめて少ないことを憂いていたという。
「その翌年は、私自身がシンポジウムの主催者側になったので、主題を『若手研究者の本音とシニア層の本音:研究の多様性と深さを今後も追求するために』として、若手を煽ってみました。すると若手が参加し、意見もたくさん出るのです。ところが、どれもこれも将来への不安ばかり。それも当然です。雇用期間が数年の任期付きポストにいる方々にとって、10年先、20年先の次世代望遠鏡の夢よりも、自分が研究者を続けられるかの方が差し迫った問題です」
こうした傾向に、深い懸念を抱いている研究者は多い。
その一人が2015年に「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長だ。「これ以上、高等教育を弱体化させてしまって、日本はどうする気なのか。もっと国民的な議論をしないといけない」と語る。
科学技術への投資なくして日本に未来はない

梶田氏は、いまの基礎科学が置かれた状況を「非常に厳しい」と断言する。
「研究者もひとりの人間ですので、2年後にクビになる身分と、クビにならない身分では、研究の質も変わってきます。2年後に次のポストを探さないといけないとしたら、なかなか長期的な仕事ができないからです」梶田氏自身は博士号を取得後、2年間の任期ありの雇用を経て、東京大学宇宙線研究所で任期のないポジションを得た。そのために「クビになるということを考えないで、純粋に研究に打ち込めた」と語る。
梶田氏は現在、さらなる研究のため、新たに「ハイパーカミオカンデ」の建設計画を指揮している。建設費用だけで約550億円を見込む巨大プロジェクトであり、多額の国の援助を必要とする。
ただし、これだけの投資を行ったとしても、この研究成果はすぐに産業や経済に還元されるわけではない。まして、ノーベル賞のような栄誉を確約できるわけでもない。
それでも、日本は基礎科学に投資し続けるべきだと梶田氏は断言する。
「資源がない日本は、科学技術創造立国を目指すしか道はないんです。言い換えれば、科学や技術で世界のトップでないかぎり、日本は世界で埋もれてしまう危険があるということです」
東京大学では研究継続への危機感から、独自に財源を確保しで2021年度までに若手研究者のうち300人を任期なしポストへ転換することを決めた。
梶田氏は、この20年ほどで普及してきた「選択と集中」という言葉に、基礎研究の立場から違和感を覚えるという。
「『選択と集中』は盛んに言われてきた言葉ですが、その結果、大学がどうなったか。東大はいいかもしれないですけど、地方の国立大学では衰退が激しくなった。学問の多様性を急激に失わせている気がして、将来の芽が出る前に根こそぎなくしているような感じがするのです。むしろ、重要なのは多様性です。科学には多様な可能性があるので、きちんとサポートしていかないといけない。それは、つまり、無駄になる研究もあるかもしれないということ。それでも、そうした部分に目をつむるという感覚も必要なのだと思います」

2017年の自然科学分野でのノーベル賞は、日本人の受賞がなかった。
前出の福田教授は、「基礎科学は50年後、100年後に役に立つものだから」と語る。
たとえば、DNAの二重らせん構造が解明されたのは1953年のことだが、その発見なくして、現在の製薬や農業、医療における遺伝子工学の応用はあり得なかった。そして、そのような基礎科学の力こそが世界からの信頼を得る原動力であり、国力なのだと福田教授は言う。「国力という言い方はなんとなく軍事力みたいでいやだけど、科学の力も国力なんだよ」。基礎科学への投資は、多様性の重視であり、100年先の未来への投資であり、国への信頼でもある。そうした超長期的な考えをもてるかどうか。世界は日本に注目している。
________________________________________
青山祐輔(あおやま・ゆうすけ)
1974年生まれ。IT系出版社でWeb媒体編集記者、月刊誌編集者などを経て独立。フリーランスのライターおよび編集者として、テクノロジーとビジネスのクロス領域を中心に取材を行う。
%%%%%
 この考察について考えるところが多々ありますが、長くなりますので、別の機会にこの考察を引用しつつ何がしかを付記いたします。

+++++ノーベル受賞者選考に関わる問題
 ところで、scientific american誌10月4日号がノーベル賞について書いています。「ノーベル賞を再考するときだ」と大上段のタイトルなので、現在の科学を歪めているこの賞の存在についての議論かと思いきや、違っていました。上に書いたような各国の科学行政とも関係ありませんが、それはそれなりで興味深いので以下に紹介しておきます。
 事実関係を知らないためノーベル賞からはずされてしまったLIGO検知システムの発案者を受賞者に含めなかった問題と、受賞者候補選考委員会の提案期日がどう関わり合ってるのかが定かでありません。そのために、大変読みにくい。それが私のこの記事の読後観です。

%%%%%
It's Time to Rethink the Nobel Prizes 
They can go to a maximum of three people, and they can't be awarded posthumously, but that wasn't part of Alfred Nobel's original vision
 賞は最大三人まで、死者には授与されない。しかし、それはAlfred Nobel's のそもそもの考えではなかった。
By Brian Keating on October 4, 2017
Each October, chemists, physicians, poets, physicists, and peacemakers delight in what has become almost a sacred season for intellectuals: the annual Nobel Prize announcements. Like nature itself, the well-choreographed and publicized set of rituals surrounding the prize comes complete with its own distinct seasons: the season of “revelation,” experienced this week, and the season of “coronation”—the awards ceremony, held annually on December 10, the anniversary of Alfred Nobel’s death.
毎年10月に、化学者、医学者、小説家、物理学者、そして平和貢献者たちは、知性の神聖な季節になったことを喜ぶ:即ち例年のノーベル賞の発表だ。自然そのものに四つの季節の移り変わりがあるように、賞授与をめぐっても幾つかの様相がある。「啓示」があり「授与」などだ。最後の儀式は、 12月10日、アルフレッド・ノーベル氏の命日に挙行われる。

But there is a lesser-known Nobel season as well: the season of “nomination,” an epoch which closes in the dead of winter, at midnight in Stockholm on January 31 each year. This marks the date by which nominators must submit their Nobel Prize nominations. There is no grace period; it is never postponed, and there is no allowance for nominators who tarry.
This can have problematic consequences. In 2009, for example, President Barack Obama had been on the job for only 11 days when nomination season ended. Some said he hadn’t even had time to measure the proverbial drapes in the Oval Office, let alone to have reduced “the world’s standing armies”—the criterion Nobel’s will stipulated for the Peace prize. But he won the Peace Prize that year nevertheless. His nomination was perfectly in line with the Prize committee’s technical requirements; it had beaten the deadline.
しかし、授与前の期間にも季節のひとつと言うべき様相があるが、それはあまり知られていない。:すなわち「候補者選定」である。ストックホルムで真冬の深夜、毎年1月31日、これが重要である。候補推薦者がノーベル賞委員会に候補の名簿を提出しなければならない日である。猶予期間はない。それは延期されることは決してなく、遅れることは出来ない。
これが時に問題のある結果をもたらす可能性がある。例えば、2009年、バラク・オバマ大統領が推薦された事例では、推薦作業直後の時点では、大統領の在任執務はわずか11日間であった。「世界の常設軍」を減らすことはもちろんのこと、ほとんど何もする時間がないまま、ノーベル平和賞の授与候補者となった。そして彼は平和賞を受賞した。彼の指名は、賞選考委員会の事務的要件は完全にみたしていた。しかし、それは締め切りを破っていた。

The January deadline came into play with a twinge of sadness this week as the 2017 Nobel Prize in Physics was announced. The press releaseissued by the Nobel Prize committee states that Rainer Weiss, Kip Thorne, and Barry Barish were rewarded "for decisive contributions to the LIGO detector and the observation of gravitational waves.” It goes on to say that “On 14 September 2015, the universe's gravitational waves were observed for the very first time. The waves, which were predicted by Albert Einstein a hundred years ago, came from a collision between two black holes.” While the waves, traveling at lightspeed, took 1.3 billion years to reach LIGO’s twin detectors, it was the far briefer span of two weeks that fundamentally altered the calculus of this year’s prize.
LIGO’s detectors had fortuitously come online only weeks before catching the first gravitational wave signals on that fateful September day. After months of painstaking analysis by more than 1,000 members of the consortium, the team was finally ready to go forward and make their announcement public, which they did on 11 February 2016. Whispers of a Nobel began immediately, and eight months later, as Nobel revelation season approached, those whispers intensified.
2017年のノーベル物理学賞が発表された今週、1月と言う締め切りラインが悲しみの苦痛をもたらす役割をした。ノーベル賞委員会によるプレスリリースはRainer Weiss, Kip Thorne, and Barry Barishに賞を授与することをアナウンスした。その業績は、"for decisive contributions to the LIGO detector and the observation of gravitational waves.であった。”2015年9月14日に宇宙の重力波を始めて検知した業績だ。百年前にアルバート・アインシュタインが予測した重力波は、2つのブラック・ホールの間の衝突から来ていた。光速で走る重力波がLIGOの対になった検知器に到達すまでには13億年かかるのだが、ノーベル賞受賞者決定は2週間という非常に短い期間でなされ、それが今年の賞金の計算を根本的に変えた。
LIGOの検出器は、その運命の9月のその日に最初の重力波信号を捕捉するのであるが、その数週間前に偶然にオンラインになっていた。1,000人以上にものぼる研究チームの研究者が数ヶ月にわたる綿密な分析を経て、最終的に結果の正しさを検証し、2016年2月11日に公表した。ノーベル賞級の成果であるとの囁きはすぐに始まり、8ヶ月後にはノーベル賞発表の季節に近づくにつれ、それらの噂が高まった。

Writing in Science in October 2016, Adrian Cho— unaware LIGO’s February announcement had missed the nomination deadline—said “Next week, the 2016 Nobel Prize in Physics will be announced, and many scientists expect it to honor the detection of ripples in space called gravitational waves, reported in February. If other prizes are a guide, the Nobel will go to the troika of physicists who 32 years ago conceived of LIGO, the duo of giant detectors responsible for the discovery: Rainer Weiss of the Massachusetts Institute of Technology (MIT) in Cambridge, and Ronald Drever and Kip Thorne of the California Institute of Technology (Caltech) in Pasadena. But some influential physicists, including previous Nobel laureates, say the prize, which can be split three ways at most, should include somebody else: Barry Barish.”
、Adrian Choは2016年10月にscience誌に以下を書いているー彼はLIGOの二月の発表が推薦締め切りを逃していたとはしらなかったー。彼は言う「次週、2016年のノーベル物理学賞が発表され、多くの科学者が重力波と呼ぶところの2月に公表された宇宙の波動の検出を賞賛するだろうと期待している。ノーベル賞は、三名の物理利学者の手に行くだろう。彼等は、32年前にLIGOを考案した。この業績は巨大な発見に相応しい検出器と研究者達の二重奏である:すなわちRainer Weiss of the Massachusetts Institute of Technology (MIT) in Cambridge, and Ronald Drever and Kip Thorne of the California Institute of Technology (Caltech) in Pasadenaの三名だ。しかし、ノーベル賞受賞者を含む影響力のある物理学者達は最大で三つに分けなければ行けないこの賞にもう一人の物理学者Barry Barishを含めるべきだ、と。

At the time, Barish, who this week shared one-quarter of the 2017 prize for his decisive role in LIGO, agreed that Weiss, Drever, and Thorne deserved science’s highest accolade. Yet, evidently equally unaware of the January 31 nomination deadline, he added a note regarding the due diligence of the committee: “If they wait a year and give it to these three guys, at least I’ll feel that they thought about it,” he says. “If they decide [to give it to them] this October, I’ll have more bad feelings because they won’t have done their homework.”(* この部分が良く分からないので、下に補足をしておきました:ブログ管理人)
当時、LIGOでの決定的な役割で2017年の受賞の4分の1を荷っていたBarishは、Weiss、Drever、Thorneが科学賞を受賞するに値すると同意した。しかし、明らかに1月31日という推薦期限に気づいていなかったので、同委員会の 然るべき作業についてのメモを付け加えた。「彼らが1年待って3人の研究者にそれを与えるなら、少なくとも、 "彼は言う。「委員会が今年10月に三名にそれを与えることを決めたら、彼らはするべき宿題をやっていないことになる。わたくしとしてはすっきりしなき分になるであろう」

But if the committee had recognized the LIGO discovery that year, why couldn’t Barish have been included as well. Why a trio and not a quartet? This restriction comes from a stipulation that a maximum of three scientists can share a prize—a rule added by the Nobel committee years after the awards were established in Alfred Nobel’s will. In fact, the will requires that the prizes be given to “the person…”—that’s “person,” in the singular—whose discovery or invention has provided “the greatest benefit to mankind.” The committee jettisoned that requirement 1902, the prize’s second year, according to science historian Elizabeth Crawford in her book The Beginnings of the Nobel Institution: The Science Prizes, 1901-1915.

しかし、委員会がその年にLIGOの発見を認めていれば、なぜBarishが含まれていないのか?なぜ三人であって、四人ではないのか?この制限は、最高3人の科学者が賞を授与できるという規定から来ている。アルフレッド・ノーベルの意思で賞が授与されてから数年後にノーベル委員会が追加したルールだ。実際、その遺言では、その人物が「人」に与えられるよう求めている。その人物は単数であり、その人物の発見や発明が「人類に最大の利益」をもたらしたことが重要なのだ。委員会は、1902年の要件を捨てた。科学歴史研究者のElizabeth Crawfordによる著書、 The Beginnings of the Nobel Institution: The Science Prizes, 1901-1915によると、その要請は賞の二年目であったと言うことだ。
(*)Dr. Barish says
Of the Nobel, Barish says, “I think there’s a bit of truth that LIGO wouldn’t be here if I didn’t do it, so I don’t think I’m undeserving.” He’s hoping that the Nobel Committee takes the time to learn LIGO’s history. “If they wait a year and give it to these three guys, at least I’ll feel that they thought about it,” he says. “If they decide [to give it to them] this October, I’ll have more bad feelings because they won’t have done their homework.”
%%%%%

麻続王一家の流懺(2),メキシコ地震の謎(6)


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
[写真:柿の実がたわわになり、カラスが狙っています。柿木下のコスモスも秋を彩るべく今が盛りです。しかし、秋のコスモス初春の椿、どちらもどこか寂しさを周囲に撒き散らしています。まっ、だから魅かれるんですがね、拡大は図上を二回クリック]
171004コスモス柿無題


 柿の実は 赤く色づき コスモスは 咲き乱れども 寂しさ漂う
 

 前回ブログ記事で私がうっかり漏らした“非安倍勢力のほうが分断されそうだ”との危惧が、現実のものとなりそうです。モリ・カケで目覚めた国民が有権者の半数以上にまで膨れ上がっていることに望みを託したいと思っています。どうでしょうか!
 私が眉に唾を塗りたくりながらついつい覗くのがこの板垣情報です。現在の日本の政治状況に鑑みて、どうやら一番信頼できるのが田中角栄氏の直弟子・小澤一郎氏であるとの思いが根底にあるからです。
 と、するならば、今日の板垣情報、私は体内に快感を覚えつつも戸惑っています。もう少し、様子を見ましょう。
%%%%%第2党・自民党転落、安倍晋三首相は辞任、小沢一郎代表が「総理大臣」に指名され、晴れて「小沢一郎政権」を樹立する(板垣英憲)
2017年10月04日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 新党「希望の党」(小池百合子代表=東京都知事)は10月3日午後4時すぎ、総選挙に出馬する第1次公認候補者192人(小選挙区で191人=民進党出身109人、希望の党82人、比例代表単独で1人=民進党)を発表した。第2次、第3次公認候補を加えて過半数の233人を上回る公認候補者とする。しかし、これでは、単独過半数の確保は難しい。自民党の勢力は、前職287人だったのが、150人まで激減すると予測されているので、公明党の勢力前職35人の数を維持した場合、両党合わせても185人(過半数に48人不足)止まりとなる。第1党・希望の党、第2党・自民党転落、安倍晋三首相は、責任を取り辞任、特別国会での首班指名選挙の結果、小沢一郎代表が「総理大臣」に指名されて、晴れて「小沢一郎政権」を樹立する。その秘密とは?
%%%%%板垣情報転載終わり
 
と、言うわけで私は岩手県贔屓でもあります。その岩手県が輩出したのが,かの大谷選手と菊池投手です。どちらも高校時代から自己の成長のために本を読み漁ったという、いわば今では異色のアスリートです。そんな菊池選手の嬉しい記事を見つけましたので転載しておきます。
%%%%%西武・菊池雄星が自ら語った「覚醒の背景」──野球界の常識を覆す発想とはhttp://news.livedoor.com/article/detail/13701699/ 
2017年10月4日 10時0分 週プレNEWS
ついに覚醒した、といっていいだろう。今季、奪三振など数々の記録で球界の頂点へと飛躍し、左腕史上最速となる158キロも記録した菊池雄星(ゆうせい)。
周囲の期待と現実とのギャップに悩み続けた大器は今、8年目にして「球界ナンバーワン左腕」の頂に立つ。
* * *
最近、菊池雄星の心を揺さぶる一曲が長渕剛の『Myself』だ。切々と歌い上げる長渕剛の「真っ直ぐ、真っ直ぐ」というフレーズが、今の菊池には心地よく届く。
「長渕剛さん、大好きなんです。中学生の頃からずーっと聴いてます。その時々の心の状況によって聴く曲はいろいろですけど、今はこの『Myself』です。『真っ直ぐ、真っ直ぐ』って繰り返す歌詞がいいんですよね」
ついに覚醒したと言っていい。菊池が今シーズン、奪三振などいくつもの記録で球界の頂点へと飛躍を遂げた。8月3日には、ニッポンの左腕としては史上最速となる158キロも叩き出している。
「本当はこういうピッチングをもっと早い段階で期待されていたと思います。8年目になって、やっと高校時代の球に戻ってきたな、ようやくプロとしてスタートラインに立てたかなと…ここまで時間はかかりましたけど、僕自身、いろいろと苦い思いも経験してきました。だからこそ今のピッチングができてるんだとプラスに捉えてます」
去年の12勝を上回る自己最多の勝ち星を挙げ、奪三振も200を悠々と越えた菊池の2017年。覚醒の要因は、3年前から土肥(どい)義弘コーチと二人三脚で作り上げてきた新たなフォームにあった。
「それまで147、8キロしか投げられなかった僕に、土肥さんは『160キロを目指そう』と言ってくれたんです。でも、どうすればいいのかなと思っていたら、『左肩を下ろせ』って言われて…右足を上げたあと、左肩をいったん下げてから体重移動に移ろうと言うんです。それをやってみたら、その年、いきなり157キロが出た。ボールが目に見えて変わったんです」
左肩を下げるーーこれはある意味、野球界で語り継がれてきた常識を覆す発想でもある。今でも多くの指導者が「ヒジを上げろ」「両肩を平行に保って」「投げるほうの肩を下げちゃダメだ」と言う。しかし土肥コーチは、投げるほうの肩を下げるからこそリリースポイントまでの距離を長く取ることができるし、それだけの時間を体重移動に使うからこそ腕を加速させることができると考えていた。菊池もその理屈は理解していた。しかし、左肩の故障が菊池の感覚を狂わせてしまっていた。
「いつの間にかフォームが浅くなって、両肩が平行に近づいていたんです。肩を壊すと、肩を下げるのが怖くなるんですよ。加速のための距離を取ろうと左肩を下げると、どうしても腕が遅れて出てくる感じになりますから、右足が着地した瞬間、まだボールがトップの位置に来ていない。そこから左腕を上げてこようとすると、肩に負担がかかる気がして怖いんです。だから脳が勝手に腕を上げたがっていたんでしょうね」
肩を壊すと、腕が遅れるのを怖がって肩が下げられなくなる。その結果、フォームが浅くなって、両肩が平行になる。それだと腕を加速させられず、キレもスピードも失われる。おかしいと思って腕を強く振ろうとすると、力んでしまって結局は肩に負担がかかる悪循環ーー菊池はフォーム改造によって、そんな負のスパイラルから脱することができたのである。
「とにかく反復しました。脳にそういうものだと思い込ませるために、何十回、何百回というシャドウピッチングをして、左肩を下げるフォームを作り上げていく。そのおかげでストレートも速くなりましたけど、大きなタテのカーブも投げられるようになった。今は理想のフォームが100だとしたら90くらいまでは来た感じがしています」
●菊池雄星(きくち・ゆうせい)
1991年6月17日生まれ。岩手県出身。花巻東高から6球団の競合の末、09年ドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団。1年目は左肩痛を発症して1軍登板なし。2年目の11年にプロ初勝利を挙げる。16年に初の開幕投手と2ケタ勝利。今季は圧巻の投球内容で沢村賞候補にも浮上する活躍。184cm、100kg
%%%%%

+++++麻続王一家の流懺(2)
 日本書紀巻二十九天無四年四月紀四月十七日の記事は
 天武天皇四年(六七五)四月辛卯【十八日】三位麻続王有罪。流于因播。一子流伊豆嶋。一子流血鹿嶋。
 と、書きます。麻続王に二人のお子がおられたことは、万葉集からは全く分かりません。又御本人を含め「流された」地名までが流于因播。一子流伊豆嶋。一子流血鹿嶋と明記されています。〔流された〕と括弧付きで書いた理由は、本ブログ管理人はそうは考えていないからです。
いずれにしてもこうしたことまで、日本書紀を編纂するに当って藤原不比等が「無から」拵えあげたとは思えません。倭国での様々な出来事は、宮廷が擁する有能・多才な書記官によって記録されていたはずです。その長こそ柿本人麻呂であったろうと私は思っています。しかし、こうした貴重な倭国の活動叙事文書は2012年9月14日記事 で書きましたが、「焚書」令によって全て廃棄されていました。しかし藤原不比等は例外です。全ての文書に目を通し、そこから使えるものを取捨選択し、藤原不比等の描いた筋書きの中にそれらを時に変形して当てはめて言った。それが日本書紀であり、とりわけその二十八・二十九巻です。
 
 この叙事文書に記載されていた三人と彼らの滞在地を藤原不比等流に変形したのが上に書いた四月十八日記事です。サテ、前回紹介した岩波文庫「日本書紀」校注者は。このお三方が流された地として、全く別の場所を挙げています。とりわけ血鹿嶋については
「又常陸風土記二も行方郡板来村(今、茨城県行方郡潮来町、現在は潮来市)の条に麻続王流配の所との所伝があるが疑問。」
 と断じて居ます。まずは校注者の誤りを正しておきたいと思います。校注者は「麻続王流配の所との所伝がある」と、書きます。これは校注者が風土記を丁寧に読んでいないことを自ら露呈してしまったのです。すでに本ブログでも指摘しましたが[七月24日記事]、原文は
「遣麻績王居処之」
とのみあるのです。即ち「天皇(倭国王:ブログ管理人注)から遣わされた麻績王が居住した場所」と書かれており、罪を犯して配されたなぞとは書かれていないのです。私が参照している「風土記」(植垣節也監修、小学館、1997年)は原文の直訳として「遣わされて麻績王が居住した場所」と書きながら、一方で監修者の意訳として「天皇の御世に麻績王を放逐して、住まわされたところである』と書きます。意訳者は明らかに日本書紀記載に依拠してかいていることが分かります。
 と、言うことは、常陸国風土記の編纂者は編纂時に参照したと誰もが思っていた(学者さんは特に)日本書紀ではなく、それとは別のニュースソースから、即ち住民の言い伝えからこの記事を記載したのであろうと推断できるのです。

 サテ、そのように考えると日本書紀が書く三つの配流地も倭国の史実に基づいていたと思われます。では、その場所はどこか?そこで「流于因播」を考えます。「于」は「行く」を暗意する接頭詞と思えば、「因播」へ流されたということになります。校注者に限らず誰しもが現在の鳥取県・因幡(いなば)と、考えます。七月24日記事 で私は以下を書いています:
%%%%%過去記事再掲
(図:常陸国風土記行方郡の条より)
170721行方3802無題


 に話を移す前にもう少し前回の話を補足して置きます:
%%%%%7月21日記事一部再掲 
 ,諒言瓩棒萠って、風土記は「向香島陸之駅道也」と、書きます。夜刀神一族との激戦を制した征討軍は、「さあ、いよいよ敵の本丸、香島へ」と、次の激戦を見据えて高揚した気分をまずは語ります。その戦闘激戦の地であった玉造の北に「香取神子之社」が在ると風土記は書きます。実際は、この戦闘の後に現在の利根川を南にまたいだ、現在の千葉県に 設営される香取神社のいわば出先を此処に置いたのです。それほどに、戦乱を制したといえども、この玉造の地は依然として要監視地であったのでしょう。
%%%%%再掲終わり

 古老が語るには「大足日子(おおたりしひこ)天皇が、かって下総(現在の千葉県)で印波(印旛)の岡で常陸国を眺めやった」と。「香澄」と言う地名の由来はそこから見た風景にあるというわけです。日本書紀は漢風諡号「景行」はこの天皇であると書きますが、景行天皇の東国への行幸は「美濃」までであり、更なる東国への進出は息子の倭建命に指示したことになっています。此れが有名な倭武命の長期間にわたる東国武勇譚です。
 大足彦(大足日子)天皇について少し考えておきます。この天皇の漢風諡号は上にも書いたように景行天皇です。この人物の名前は隋書倭国伝に登場する”阿毎多利思比弧(アメタリシヒコ)”と「音」が同一です。隋皇帝の近くで侍る書記官は倭の使節が発する「音声」をそのまま漢字表記に置き換えたのです。隋書で用いられた「表音」記法と言うことになります。
%%%%%過去記事再掲終わり

 時代はともかく倭国にとって印旛視察をしていたことが、日本書紀は書かないけれども、九州に拠点を置いた倭国は熟知していたのです。ましてやこの地は扶桑国の影響下です。つまり友邦です。そんな地に「罪有りて」流されるはずはないのです。
 私の結論は「因幡」は現在の千葉県「印旛」なのです。麻続王の一子も何がしかの任務を負って、この地に長期出張しておられたのだと考えています。
(つづく)

+++++nature誌が書くメキシコ地震の謎
 メキシコでの9月7日Mw8.1の地震と12日後の9月19日Mw7.1の地震には因果関係があるのだろうか?との疑問疑問が地震学者を捉えています。震源は650km隔たっているとはいえ、同じメキシコ下で、時間的にも接近しています。下に紹介する記事では、大方の研究者は二つの地震に因果関係があることには否定的です。
例えば,9月7日の地震によって緩和された応力が徐々に周囲に伝わったと考えるとその伝わる速さは
650km/(12days*86400)= 62.692901cm/sec= 2.3km/hour

と見積もることが出来ます。人の歩く早さが一刻[二時間]二里[8km]と言いますからその半分ぐらいのスピードと言うことになります。因みに100m走者・桐生選手のスピードが時速に換算すると36km/hourです。

地震現象ではしばしば、最初に起きた地震が後発の地震を励起(惹起)したと思える現象がしばしば観測されます。その際、上の計算のように簡単にその影響伝播スピードを見積もると、それは高々数cm/秒、多くは下の事例に見るようにもっと低スピードです。そのように考えると、63cm/secは桁違いに大きい値です。
弾性論物理学では、P,S波、表面波の伝播速度そして断層面の破壊速度はkm/secのオーダですから上記の見積もりに比べて1000倍も大きくなります。すなわち、既存の物理学理論では、こうしたスピードで伝わる波相は導出されていません。そこで、弾性体媒質に粘性体媒質を組みあわせることで、こうしたスピードを導出できないものか等、様々な計算機シミュレーションがなされています。そこでは、粘性体を流体に見立てて流体の拡散速度に置き換えるというわけです。しかし、なかなか旨くは行かないようです。

 先日、北関東とその周辺の地震活動を調べていました(いずれ本ブログで書きます)。偶々でありますが興味深い図を得ました。まずは図を見てください。
(図1:東北日本の地震活動(データ源はHinet)。期間、および座標原点など作図法については既に本ブログでは繰り返し書いているので省略。図中の矩形は、この地震活動マップから選び出した地域、図の拡大は二回クリック)
171003北関東無題


(図2:上図1に示される矩形ABCD内の地震活動の様子。(上)矩形ABCD内の地震源の深さ分布、地震源位置をABを含む鉛直断面に投影したもの。縦軸は深さ(km), 横軸は変ADからBC方向に測った距離(km); (下)矩形ABCD内の地震発生の時空間分布。縦軸は2013年1月1日から勘定した日数経過、横軸は(上)と同じ。尚下の6つの数値は、矩形ABCDの三頂点の座標値、図の拡大は二回クリック)
171003北関東DDT


 作った本人もこれほど見事な遷移が見られるとは思いもかけないことでした。赤矢印 扮Σ次砲ら◆丙絃紂砲妨かって、ほぼ直線状に地震が配列されていることが明瞭に見て取れます。AからB方向に150kmほど隔たったところで、2013年1月末に地震が発生しています。その地震後、活動は辺ADに向かって遷りすすみ、1400日後にAから50kmの地点まで達しています。それはさておき、このグラフから地震活動の遷移速度を大雑把に見積もります:
150*km/(1400days)= 0.124 (cm/sec)
 と見積もることが出来ます。なんとメキシコ地震は北関東周辺の 地震活動伝播速度の506倍ものスピードで伝播したと言うことになります。図2はまさに観測事実ですから否定のしようはありません。しかし、その伝播メカニズムは分かっていません。これについて理論的には興味深い事があるのですが、長くなりますので、別の機会に書きます。

 もう一つ、下に紹介する記事は大事なことを指摘しています。それは9月29日の記事でも書きましたが、地震源での岩盤変動が650kmもの遠方で、短時間にその地点の地下の断層に刺激をあたえるほどに大きなものであり得るかとの疑問です。これについても地震学者たちは懐疑的です。とするならば、改めて村井俊治氏のグループによる地震予測は精査すべき問題をはらんでいると思えます。むしろ村井俊治氏の連続計測は、地殻の変動の時空間での移り変わりを眺め、そこに地域間の相関があれば、 応力集中の場所から場所への遷移を把握できるのではなかろうかと思っています。まずは地震予測に焦らないことが大切ではなかろうか、と思っています。

 さてnature誌記事に話を移します。

%%%%%Deadly Mexico quakes not linked
 
すさまじき二つのメキシコ地震は関連しあっていない
Despite close timing, researchers doubt that the first big tremor set off the second.
時間的には接近していたが、研究者達は最初の巨大地震が二番目のスイッチを入れたとは思っていない

Alexandra Witze 26 September 2017
When a magnitude-7.1 earthquake struck central Mexico on 19 September, seismologists immediately wondered whether the tremor had any connection to the much larger jolt that hit off the country’s west coast 12 days earlier. Preliminary studies suggest that there is no direct link, but the pair of events this month has drawn renewed attention to Mexico’s seismic hazards.
The two quakes struck in a geologically surprising area — in the middle of the Cocos tectonic plate. This piece of Earth’s outer shell dives beneath the North American plate off the country’s Pacific coast, which is where most of the region’s quakes tend to occur. But farther to the east, beneath Mexico itself, the Cocos plate flattens out for hundreds of kilometres under the North American plate before taking a second, steeper dive into Earth’s depths. This month’s quakes happened at two different spots in this flat section, owing to geological stresses from the weight of the plate as it plunges downward.
9月19日にメキシキ中央部でM7.1の地震が発生したとき、地震学者たちは即座に、この地震の12日前にこの国の西岸沖に起きたずっと大きい地震と関連があったのかどうかを考えた。の調査では二つの地震は直接には関わりあっていない地震直後堵結論したが。。が、9月のこの二つの地震発生はメキシコの地震災害への警戒をたかめるものであった。
 二つの地震は地学的には驚くべき場所で発生した:即ちココスプレートの内部で起きたからである。地球の外側の殻は太平洋沿岸で北米プレートの下にもぐりこんでいる。此処は尤も地震が起きやすい場所である。しかし、更に東、即ちココスプレートはメキシコの下、すなわち北米プレートの下で一旦数百kmほど平らになりそこから地球のより深部へ向けて二番目の“もぐりこみ(ダイビング)をする。九月の二つの地震はこの平らな部分の異なる場所で起きた。それは下にちぎれ下がるプレートそれ自身の重みによって生ずる地学的応力故だ。

Shifting ground
シフトする地面

The 19 September earthquake, which has killed more than 320 people, struck about 120 kilometres south of Mexico City, much of which is built on an ancient lake bed. That location makes the city vulnerable because tremors shake the sediments like a bowl of jelly (V. M. Cruz-Atienza et al. Sci. Rep. 6, 38807; 2016).
320名もの人命を奪った9月19日の地震はメキシコシティの南120kmに起きた。メキシコシティは昔の湖床の上に作られた都市だ。そのためこの都市は地震がゼリー状堆積層を揺らすため、非常に脆弱だ。

At the National Autonomous University of Mexico (UNAM) in Mexico City, scientists clocked the highest ground accelerations recorded at the site since measurements began in 1964, says Victor Cruz-Atienza, head of the UNAM seismology department. The acceleration was nearly double that seen on 19 September 1985, when a magnitude-8.0 quake along the coast of Michoacan sent seismic energy rippling into the capital, killing more than 5,000 people.
Because the epicentre of the 19 September 2017 quake was so much closer to Mexico City than the one in 1985, which struck 350 kilo¬metres away from the city, the shaking was much stronger. At least 45 buildings collapsed in the capital after last week’s quake.
At the National Autonomous University of Mexico (UNAM) in Mexico Cityの研究者たちは1964年に始まった強震観測で記録された最大値到達時刻での地動加速度を計測した、とVictor Cruz-Atienza, head of the UNAM seismology departmentは言う。今般地震加速度は1985年9月19日の地震のほぼ二倍もの大きさであった。1985年の地震M8.0はミチョアカン沿岸で発生し、地震波は首都に向かって押し寄せ5000名もの人命を奪った。2017年の9月19日の地震は1985年の震央(首都から350km)よりずっと近かったので、揺れはずっと大きかった。少なくとも45のビルが倒壊した。

If the 19 September tremor had lasted longer, the damage and death toll could have been even worse. UNAM calculations suggest that the magnitude-7.1 quake ruptured a section of the Cocos plate about 40 kilometres long and took only about 10 seconds, says Cruz-Atienza, so structures didn’t shake for long enough to cause more of them to fall. Building regulations have also been considerably strengthened since the 1985 disaster.
Some 95 people lost their lives in the magnitude-8.1 quake on 7 September. It was Mexico’s largest earthquake in more than a century, tearing about 80 kilometres of the Cocos plate and lasting for more than 40 seconds.
もし9月19日の地震での揺れがもっと長く続いたならば被害と死者数はより悲惨であったろう。UNAMの見積もりではM 7.1 の地震はココスプレートを40kmほど破壊し、それに要した時間は10秒程度であった、とCruz-Atienzaは言う。そんなわけで、構造物は破壊に至るほどには揺れなかったと。建築基準も1985年の大震災の後、強化されていた。9月7日のM8.1の地震では95名の人命が失われた。この地震は百年間では最大の地震であり、ココスプレートを80kmにわたって破断し、振動は40秒間続いた。

Looking for links
二つの地震の関係を探る

The occurrence of two earthquakes in such a short time in the middle of the Cocos plate had some scientists wondering whether they could be linked. But others are sceptical: “We don’t think there is a causal relationship between the events,” says Cruz-Atienza.
In the long term, big earthquakes can increase the risk of nearby seismic activity by transferring stress within Earth’s crust to adjacent geological faults. But that sort of ‘static stress’ transfer would normally not happen at a distance as great as the 650 kilometres between the first and second quakes, says Gavin Hayes, a seismologist at the US Geological Survey in Golden, Colorado. Initial calculations by seismologists Ross Stein at Temblor — a California technology firm in Redwood City that runs an earthquake education app — and Shinji Toda of Tohoku University in Sendai, Japan, suggest that the static-stress increase after the first quake was negligible.
 僅か12日間と言う短期間にココスプレートの内部で二つの地震が起きたことで、研究者達はそれらが関係しあっているんだろうかと考えた。しかし、多くの人はそれに懐疑的であった。この二つに因果的な関係があるとは思えない、と Cruz-Atienzaは言う。長い期間では大きな地震近傍地震活動の危険を増大させる。それは地殻内の応力が隣り合う地質断層につたわるからだ。しかし、そうした静的応力の伝播は通常は650kmも離れた[今回の二つの地震間の距離]で起きるではとは思えない、とGavin Hayes, a seismologist at the US Geological Survey in Golden, Coloradoは言う。seismologists Ross Stein at Temblor — a California technology firm in Redwood CityとShinji Toda of Tohoku University in Sendai, Japanによる最初の計算見積もりでは最初の地震による静的応力変化は無視できるほど小さいという。

A large earthquake can also set off another by ‘dynamic triggering’ as its seismic waves ripple outwards, affecting geological faults at much greater distances than static-stress transfer does. But dynamic triggering usually happens within hours or days of the initial quake, making the 12-day gap between the 7 September event and the 19 September tremor hard to explain, says Eric Fielding, a geophysicist at NASA’s Jet Propulsion Laboratory in Pasadena, California.
“If that happened, the question is why it waited so long to go,” he says.
大地震は別のタイプ即ち動的引き金と言った効果による影響を与える。それは震源から放出される地震波が静的応力伝播よりはるかに 大きく地学的断層に影響を与えるという仕掛けだ。しかし、動的引き金は通常は大地震の数時間又は数日内に起きるのであって、12日間もの時間差は説明しがたい、とEric Fielding, a geophysicist at NASA’s Jet Propulsion Laboratory in Pasadena, Californiaは言う。もしそれが現実に起きたとすれば、何故12日間も待っていたのかと言う疑問が生ずると。

Nature549,442(28 September 2017)doi:10.1038/549442a
%%%%%

巨大宇宙飛来物がプレートテクトニクスの始まり、麻続王の流懺(再考)


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:田んぼの稲が円く凹んでいます。まるでUFOのご臨幸の跡の様です。先日の台風の余効、一陣の強風が作ったのです。お百姓さん、ショックで稲の刈り取りを諦めてしまったのでしょうか。その脇で、夕顔の白い花が咲き、実も育ち始めています)
夕顔3161

 
夕顔の 白き花から 思い出す 母が作りし 干瓢巻の味

 私は、かねがね海苔巻きの王様は干瓢であると公言しております。遠足、運動会で必ず母が持たせてくれたのが干瓢巻です。弁当が朝から楽しみでありました。

 さて、政局です。まさに揺れ動いています。私が期待したとおり、保守陣営に隙間風が吹きました。そこに大胆に手を突っ込んで非安倍勢力をわが陣営に引きずる込む。この際、〔理念〕などと言った格好良い飾りは不要でシャニムニ突進なる気迫です。そんな筋書きになるのかなと見守っていました。
 所が、どっこいであります。親安倍勢力も必死です。あれこれの目に見えないところでの工作があったのでしょう。現時点では、むしろ安倍政治をやめさせようと言う勢力が分断されつつあるという悲惨な情況にもなりかねません。しかし、まだまだ動きます。推移を見守ります。

 元毎日新聞記者・板垣 英憲氏の[怪]情報を転載しておきます。  
%%%%%「希望の党」(小池百合子代表)は、総選挙の公認候補から「リベラル派=反小沢一郎派」を排除、小沢一郎代表を守る
2017年10月02日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 「民進党リベラル派」とは、「反小沢一郎派」の別名だ。新党「希望の党」(小池百合子代表=東京都知事)は、総選挙の公認候補から「リベラル派」を外す。「リベラル排除の選別」とは、実は、反小沢一郎新党「希望の党」(小池百合子代表)は派排除という意味だった。代表選挙(9月1日)が「保守派VSリベラル派」の戦いといわれたように、保守派の前原誠司候補に対抗した枝野幸男候補を支持した国会議員が「リベラル派」である。枝野幸男元官房長官は、まさに反小沢一郎派の急先鋒であり、代表選挙の推薦人に反小沢一郎派の国会議員が名を連ねていた。つまり、小池百合子代表は、「希望の党」の公認候補から反小沢一郎派を徹底的に排除しようとしているのだ。
%%%%%
 小澤氏が今回の野党改変にどれだけ関わったのか?それは氏がかねがね呼びかけてきた「オリーブの木」構想に沿ったものなのか?私には見えてきません。

又、本ブログでしばしば紹介する元共同通信社・記者の田中宇氏もこんなことを書いています
 %%%%%日本の解散総選挙とQE北朝鮮トランプ
 【2017年9月29日】・・・小池や前原のまわりに、小沢一郎の影があることも気になる。小沢は、鳩山政権の時のような正攻法を繰り返す必要はない。安倍以上の右翼として振る舞い、右からの対米自立を目指す方が現実的ともいえる。安倍自身、すでに似たようなことをやっている。すでに米国には、覇権放棄につながる言動を活発にやっているトランプがいる。政権交代が起きても起きなくても、日本が右からの対米自立を進めていく流れは変わりそうもない。
%%%%%

+++++いよいよ麻続王一族の流懺の話です。
 前回、4月半ばから9月30日まで、すなわち秋の終わりまで、動物の肉を食べることは言うまでもなく、動物を罠やある種の仕掛けで「だまし討ち」にして捕獲することはいけないとの詔が発せられたことを書きました。これは「斎」なる催事、その背後の「理念」、即ち生きとし生ける物への思いやりをくちにすることで、斎なる催事に権威ばかりでない〔宗教的な何か〕を付したのです。と、言うことはこの条項も後世に書き込まれたものであったと思えます。八世紀半ば、やがて養老令として纏め上げられる「令」を時代を遡っていわば先取り的に盛り込んだものではなかろうか。岩波書店「日本書紀(五)」文庫版の校注者は養老雑令に似た「表現」があると書きます。
 一つ、穿った見方をするならば、藤原不比等が統帥する征夷征討軍はそれに抗う東国の民が仕掛けた罠、檻などに散々苦しめられたのではなかろうかとも想像しています。

 それはさておき、その「生類憐令」詔の翌日に次の記事が登場します。
天武天皇四年(六七五)四月辛卯【十八日】三位麻続王有罪。流于因播。一子流伊豆嶋。一子流血鹿嶋。
 いきなり麻続王が罪を犯したと書きます。その罪は万葉集二十三・四歌から想像するしかありません。
 %%%%%岩波文庫「日本書紀(五)」校注者は以下を解説します(124頁)
「麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌」、「麻續王聞之感傷和歌」と二つの歌の題詞を杏は紹介し以下を書きます:
万葉に因幡(鳥取県岩美郡)tなく伊良虞嶋(愛知県渥美郡伊良湖岬、一節に三重県志摩郡の神島ともいう)とあっることについて左注は若疑後人縁歌辞而誤記乎とする。又常陸風土記にも行方郡板来村(今、茨城県行方郡潮来町、現在は潮来市)の条に麻続王流配の所との所伝があるが疑問。

 更に校注者は伊豆嶋について、“伊豆嶋は伊豆の大島か”、と書き、“延喜刑部式(927年ごろ:管理人注)では伊豆は遠流の国、推古二十八年八月条(掖玖人二口流来於伊豆嶋:管理人注)を参照”と加えます。
 そして校注者は 血鹿嶋について「長崎県の五島列島(敏達天皇十二年紀に参官遂発途於血鹿とある:管理人注 天皇の和場政治顧問であった日羅の百済人による暗殺事件)」と書きます。
%%%%%%岩波文庫校注者の言、終わり

 万葉集二十三・四歌の解読については8月4日記事 で詳述しました。
 その大意は
“ 麻続王は倭国での戦闘準備の一環としてこの行方之馬を集めるという任務を負って此の地に派遣された”
のであって、罪があって流されたのではないと書きました。日本書紀はこうした冤罪事件として麻続王の鹿嶋滞在を書いた。それは二十三歌の冒頭部分を意図的に誤読したのです:

 (巻一、二十三歌)"打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須",

 「麻」を「マ」と音しそれを表音文字と解下上で、表意文字として「馬」なる漢字を宛てたのです。かくして「打麻」派「打馬」となります。これぞ、前日に詔去れた「生類憐令」に背く重大犯罪であるというわけです。これについて上に挙げた過去記事で私は次を書いています。
%%%%%過去記事再掲
 「打麻」を後に続く「麻續王」の「麻」の〔枕詞〕であるとして、通常は冒頭の三文字は読み飛ばされてしまいます。これは古代文学研究者が犯してきた「重大な誤り」です。例えば「青丹吉」(あおによし)は〔奈良〕の枕詞であるとして読み飛ばしてしまうが故に、万葉集十七歌の誤読解に導いてきたことを2009年7月29日記事で書きました。

 「打」は「ブヅ、又はブス」と訓むのです。これは古代ペルシヤ語の「駿馬」を意味します。似た使用法が万葉集三歌の「取撫賜』(トリブシ)です(2013年12月16日記事 )。次の「麻」は「マ」と訓します。実は、これは「馬」なのです。万葉集にはこうした言葉を巧みに操ることによる「表現」の遊びが多いのです。二十三歌の一つ前の二十二歌にはそれが明瞭に認められます(2009年8月7日記事 、後述)。
「打麻乎 麻續王」とは「馬、馬、馬と良馬を求めて来たのではないですか!麻續王さんよ!」
とまずは詠ったのです。
 ところが、この麻續王さんはなんと「白い海人の衣装に身を包んでしまった」そして「射等篭」(竹又は蔓でくんだ矢来の籠)を荷なって「荷四間」(かしま)の海で珠藻を刈り取っています。「荷」と言う字に「荷う」と「カシマ」の「カ」の両方を掛けているのです。見事な言葉遣い、その伝統が「落語」で生き続けているのです。蛇足ですが、「射等篭荷四間乃」を古代文学研究者は「伊良湖の嶋の」と訓み、「荷」を「の」と音させることで此の歌の面白みを消し去ってしまいます。さらには此の歌の詠み手は「麻」を三通りに使うことで聴き手の興趣を高めているのですが、学者さんは歌意に捕われ、そうした面白みにも目が向かないのです。

 麻續王は勿論任務を忘れてはいません。しかし、余りにも暑い夏。海人に混じって水遊びをしたくなったのです。お付きの人がその姿を微笑ましく詠ったのだと思います。季節は暑い夏真っ盛り。それが、次の二十四歌で分かります。

(巻一・二十四歌)"空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食",
 
 冒頭に「空蝉」が登場します。まさに常陸国の今の光景、即ち暑い夏真っ盛りです。
せみは空蝉(蝉の衣)を惜しみつつも脱ぎ捨てて新たな命を生きる(本日記事の冒頭の写真と歌参照されたい)。私も波に濡れてしまった白い海人(あま)の衣装を脱ぎ、本来の任務に戻るべく馬に鞍を置く(伊良虞=yaragh:古代ペルシア語、馬具をかける)。今摘んだ玉藻を口にしながら。ここにも歌の「文字遊び」を見ることができます。
二十三歌では「射等篭」と書き、竹で編んだ籠を背負っている様子を詠います。所がニッジュ四歌になると伊良虞=yaraghと表現し、馬に掛けるのです。漢字の表意と表音を巧みに使い分けることで、上掲を重なり具合を観衆(私は2009年9月30日記事に書いたように初期万葉集は目で味わうのが本流)に伝えているのです。
%%%%%過去記事再掲終わり
 興味深い事は、麻続王ご自身は鹿嶋に流されたのではなく、因幡に流されたと日本書紀は書いています。そして鹿嶋へ流されたのは王の一子であるとも書きます。これは書紀編纂者が意図的に混乱を持ち込んだのか、否かそれは定かでありません。

 さらに麻続一家がこの霞ヶ浦一帯に何がしかの任務を帯びて滞在したらしいのです。それを次回書きます。それが、岩波文庫「日本書紀」校注者への反論でもあります。
(つづく)

+++++プレートテクトニクスは宇宙からの飛来物落下で始まった
 メキシコ巨大地震と12日後のM7.1 地震を巡る謎が世界の地震研究者を悩ませています。科学誌natureが9月28日号で メキシコの二つの地震は関係しているのか?なる記事を掲載しています。次回それを紹介することにして、今回は、プレート運動の始まりを書いた記事を紹介しておきます。9月27日記事で巨大プレートの境界は大円に沿って形成された様だと書きました。それと符合するような話です。以下にその記事を紹介します:

%%%%%Huge space rocks could have helped start Earth’s plate tectonics
巨大岩石の宇宙からの飛来が地球での
プレートテクトニックス・始動の契機となった 

By Michael Marshall
PLATE tectonics – the process that shapes Earth’s surface and causes earthquakes – may have begun at least half a billion years earlier than we thought. And it may have been triggered by violent impacts from space rocks.
Plate tectonics creates landscapes, including mountain ranges, and allows chemicals to flow from Earth’s interior, some of which are essential to life. Yet nobody knows how or when it got started.
地球表面を形成し地震を引き起こす過程、それがPLATE tectonicsである。そのPLATE tectonicsはこれまで考えていた時期よりも五億年以上も前に始まっていたかも知れない。それは宇宙からの岩石による猛々しい衝突が引き起こしたのかも知れない。
Plate tectonicsは山脈形成など地球の外面を形成し、地球内部からの鉱物など化学物質の流出をもたらし、その何がしかは生命にとっても不可欠になった。そうした事が何時どのように始まったのか、まだ分かっていない。

Nicolas Greber of the University of Geneva, Switzerland, and his colleagues set out to trace the origin of global plate tectonics by determining which rock types were present at different stages of Earth’s history.
They focused on two rock types. Mafic rocks like basalt are typically dark, while felsic rocks like granite are lighter.
Felsic rocks only form in the presence of water and heat, found in subduction zones where tectonic plates are forced under each other. So felsic rocks are a sign that subduction zones were active during their formation.
Greber determined how early in Earth’s history felsic rocks were present by looking at shales dating back 3.5 billion years. Mafic and felsic rocks carry different mixtures of titanium isotopes, which are preserved in the shales. This revealed that, as far back as 3.5 billion years ago, 55 to 60 per cent of the continental crust was made of felsic rocks (Science, doi.org/cdhm).
Nicolas Greber of the University of Geneva, Switzerlandと彼の同僚は地球の歴史の色々な段階でその時に存在していた岩石のタイプを同定することで全地球的プレートテクトニクスの大元の追跡研究を始めた。彼らは、二つの岩石タイプに注目した。玄武岩のようなMafic rocks(苦鉄質岩 )は、黒っぽいの対して、花崗岩のようなfelsic rocks(珪長質(けいちょうしつ )は明るい色合いだ。Felsic rocksは水と熱があるところでのみ形成されるが、それはサブダクション域(プレート沈み込み域)で見られる。そういうわけで、felsic rocksはサブダクション環境が活発であることの証でもある。
Greberは地球史の中でfelsic rocksが見つかるその始まりが何時かを決定した。そのために35億年前にまで遡ってシェール(頁岩)を分析した。Mafic と felsic rocksはチタンの同位体の混合物を異なる比率で含むが、それが頁岩に保存されているのだ。この調査から35億年前に大陸地殻の55−60%がfelsic rocksからなることが明らかになった。

“Young Earth’s interior was probably too hot to drive plate tectonics. That is, unless it had help”
若い地球内部はプレートテクトニクスを起動するには多分大変高温すぎた。すなわち、そうした助けがなければプレートテクトニクスは始まらなかった。

For Greber, that means subduction zones and modern plate tectonics must have been in action at least 3.5 billion years ago.
This runs counter to the prevailing wisdom, which is that global plate tectonics started around half a billion years later.
It could be that tectonics started more than once. When Earth was young, its interior was probably too hot to drive plate tectonics, says Craig O’Neill of Macquarie University in Australia. That is, unless it had help. He has now shown that plate tectonics could have got started much earlier, thanks to massive rocks from space smashing into the planet.
O’Neill and his colleagues simulated what would happen to Earth’s crust and interior if rocks of different sizes collided with it. They found that a single large impact could trigger a subduction zone that remained active for 10 million years (Nature Geoscience, doi.org/cdj2). By itself that is quite a short-lived period of tectonic activity, but young Earth was hit by a lot of space rocks.
沈み込み帯と現今のプレートテクトニクスは少なくとも35億年前には相互に関わりあっていた。と、Greberは考える。これはプレートテクトニクスがおよそ五億年遅れて始まったとの一飯に流布されている認識に反する。プレート・テクトニクスはたった一回だけ起きたということではない。地球が若かったときには地球内部はテクトニックスが起動するには高温すぎた、とCraig O’Neill of Macquarie University in Australiaは言う。それがなければテクトニクスはスタートできた。地球への宇宙からの巨大な岩石のおかげでプレイト・テクトニクスはヨリ早くに始まったのだ。
O’Neill and his colleaguesは地球に異なる大きさの岩石が衝突した場合地表と地球内部に何が起こったであろうかとのシミュレーションをした。一つの大きな衝突はサブダクション帯を一千万年間活発であり続けさせることが分かった。それ自体は短命のテクトニク活動であるが、若い地球には沢山の岩石が衝突していた。

The first spate of impacts happened when the planet was still forming and ended around 4.4 billion years ago. Then there was a lull until 4 billion years ago, followed by an intense bombardment that lasted until 3.5 billion years ago, with occasional big impacts until as recently as 2 billion years ago.
Combined with Greber’s findings, this suggests that from Earth’s birth until 3 billion years ago, there was intermittent subduction driven by impacts, which produced the felsic rocks Greber found. After that, the planet’s interior had cooled enough for global plate tectonics to begin in earnest.
44億年前に地球がまだ形成途上で、それがやっと終了したときには衝突は頻繁に起きていた。そして、40億年前まで若干の休止時期があり、その後、35億年前まで強烈な爆破にちかい衝突が続いた。それは20億年前まで時々起きた。
Greber’s findingsと関連付けると、これは地球の誕生から30億年前までは衝突による沈み込みは途切れ途切れであった。それがfelsic rocksを作った、とGreber は解明した。その後、地球内部はグローバルテクトニクスが本格的に始まるぐらいに温度が下がった。
This article appeared in print under the headline “Impacts from space started Earth’s tectonics”
%%%%%

二つのメキシコ地震の謎(4)、安倍政治STOP!!


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:窓の手すりに奇妙な黒い塊を見つけました。なにやら目らしいものも見えますが、先の台風余波で飛んできた石コロかもしれない。昼過ぎてもそこにあります。夕方に再度見ると手すり上方に移動してノビをしていました。正体は蛙でありました。Foxには「だます」転じて「変色する」と言う意味があると知りました)
170929蛙無題

 
鳥 虫を 香りで惑わす きんもくせい 男をまどわす 美女を思わす

 このところ、散歩途上にかぐわしい香りが漂っています。キンモクセイです。ライン河の急峻な崖岩上で妖艶な姿で歌声を響かせるローレライ、セイレ−ンの歌に惑わされるオッデシウスを連想しました。

 来月22日の総選挙で、一躍注目の存在となった小池百合子氏をこのキンモクセイに重ねたわけではありません。が、並み居る政党党首・予定候補者が彼女の声に一喜一憂であります。現在の政局はまさにこの女史が牽引しています。
 安倍氏は、9月25日に国会解散を明言し、そののちNHKを含む主要なTV報道局を駆け回って、その解散の真意を語ったとのことです。TBSでの発言がyoutubeにアップされていました。改めて、我が国首相の貧弱な言語能力と支離滅裂な思考能力、まさに氏の「人間性」を見せ付けられました。色々と多様な形容詞をこの首相に付することは出来ましょうが、今回はそれをせずに動画だけを掲載しておきます。
TBS News23  安倍首相 NEWS23生出演、なぜ解散?じっくり聞く TBS NEWS

 毎度おなじみ板垣(怪)情報です。私はこの情報の中に真実の一端が潜んでいるように感じており、眉に唾を塗りたくりながらも読んでいます。             
%%%%%(1)「希望の党」は、世界支配層の「新機軸」を実現する使命と役割を果たすため、「MSA」巨額資金から50億円を提供された
板垣(怪)情報
2017年09月27日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 東京都の小池百合子知事は9月25日午後3時半、記者会見し、新党「希望の党」(代表=小池百合子知事、最高顧問として小泉純一郎元首相の名前が浮上)結成を発表、同日、総務大臣に政党助成金を受給できる政党要件を具備している「希望の党」の設立を届け出た。実は、「希望の党」は、天皇陛下を戴く世界支配層「ゴールドマン・ファミリーズ・グループ」の主要メンバーであるヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー博士が2016年2月3日、モスクワ市でプーチン大統領と会談し、世界恒久の平和と繁栄を築く目的で合意した「新機軸」を実現する使命と役割を果たそうとしていることが鮮明になっている。世界支配層は9月8日、天皇陛下と小沢一郎代表に託されている「MSA」巨額資金から「50億円」を小池百合子知事に提供している。小池百合子知事8月、小沢一郎代表に新党結党を目的に「資金提供」を要請していたという。なお、「希望の党」との合流に積極的な民進党の前原誠司代表は、28日の両院議員総会で、自由党との合流を提案する意向を固めたという。
%%%%%(2)
天皇陛下と小沢一郎代表に託された巨額資金から軍資金が、「希望の党」に提供、公明党からは「連携したい」と打診(板垣 英憲)
2017年09月29日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報2〕
 新党「希望の党」(小池百合子代表=東京都知事)結党直後、「汚辱に塗れて穢れた」安倍晋三首相は9月28日午後0時4分、衆院を解散した。「希望の党」は、小沢一郎代表が、5年間追い求めていた安倍晋三政権打倒のための「最善策」とも言うべき新党である。「次善策」(緩やかな政策連合「オリーブの木」)は回避された。「希望の党」は9月8日、天皇陛下と小沢一郎代表に託された「MSA」巨額資金から軍資金として50億円を提供されており、10月10日の公示までに、公認候補者各人それぞれに「億円単位の資金」が配られる模様。組織的選挙運動は、労働組合「連合」(神津里季生会長、加盟組合員は約680万人)が全面協力する。これに対して、自民党と連立を組んでいる公明党からは「希望の党」に「連携したい」と打診してきていると伝えられており、早くも「勝ち馬に乗ろうとする動き」がある。小池百合子代表は、小選挙区公認候補者を「3桁立てる」と公言しており、「3分の2」(定員465人の3分の2=310人)以上を当選させると鼻息が荒い。
%%%%%

 安倍政治をストップするために、非安倍勢力が連合することに大賛成です。現時点で取り沙汰されている「連合」形態は、まさに驚くべきものでした。しかし、10月10日の公示までにはまだ二転、三転あるのでしょう。安倍政治をストップするためにはそれしかなくそこから出発するしかないと思っています。

 となると、この連合からはじき出された格好の共産党がどのように振舞うのか?志位氏が怒りの談話を上げています。短絡的に全ての選挙区で候補者を立てるなぞとの報道もあります。「連合」からはじき出されたとしても共産党と支持者の思いは「安倍政治ストップ」であると信じたい。とするならば、小池氏グループ支持を公言しなくとも良い。せめて「無言の支持」すなわち選挙区での1:1対決実現と言う選択のために候補者擁立には慎重・熟慮をお願いしたい、と希望しています。さもなくば又2014年の都知事選の哀しい再現となってしまいます。
  
+++++巨大地震(5、メキシコ地震)
 9月13日記事で、 9月8日のM8.1巨大地震のCMT解析は、異常に長いhalf duratuion 31.3秒をあたえていることは誠に奇妙であると指摘しました(表1の赤枠内)。
(表1:9月13日掲載の表を加筆・訂正しています)
170909Mexicofps無題

 私は上記記事で、この異常に長い値の解釈は今後の地震解析に待ちたいと書きました。下に紹介する記事が、この地震が「slow earthquake」であった可能性を指摘しています。つまり岩盤が「パリーと」破壊するのではなく、あたかもすべるが如く「ずるずるっと」ゆっくり破壊する情況です。したがってそこから放射される波もスパイク状ではなく、ゆっくりと大きくなるような形状となります。このように設定しないと理論波形は観測波形を再現できなかったということがわかります:
(図1:Half durationの直感的意味、観測点に到達するP波形、急激に立ち上がるか、それとも緩やかにたちがるか)
P波形3151


 もう一つ、この記事で注目することはGPSの活用です。私は3月31日ブログ記事 で村井俊治氏の地震予測に多くの疑問を挙げてきました。その一つが地殻変動量の距離依存性です。例えば2014年9月17日付ブログ記事で疑問を呈したようにこの地震の深さは48kmと深い。しかし、村井俊治氏はその発生を予測したとジャーナリズムに紹介されました。弾性物理の理論に随えば、地表の静的変動量は変動源からの距離の三乗で急激に減衰します。したがって遠く海底下の変動を地表で捉えることができるのか、また地表下数十キロメートルでの変動を地表で捉えることができるのか?疑問があるのです。今般のメキシコ地震の震源深さは50kmです。そうなるとGPS観測から何がしかのプレート物理に関する情報、即ち地価50kmでの岩盤の動きを得ることは難しかろうと、下の記事は書きます。

 もし、そうであるとする、村井俊治氏がGPS観測で検知したとされる「アノーマリ(異常)」とは何であったのか?それを検証することで、地震予知に役立つ何がしかが得られるのではなかろうか考えています。

 前書きが長くなりました。幾つかのインタネット科学誌が9月8日のメキシコ巨大地震を書いています。記事の出現時が遅いほど新情報が追加されています。先日我がPCに届いた科学誌情報を紹介します:
%%%%%What Caused Mexico's 2 Major Earthquakes in 2 Weeks?

何故、2週間の間に二つものメキシコ地震が起きたのか? 
By Andrea Thompson, Live Science Contributor | September 22, 2017 05:23pm ET
First came the 8.1-magnitude earthquake that struck offshore of Chiapas, Mexico, killing dozens and turning many buildings in the nearby region into rubble. Then, less than two weeks later and about 400 miles (650 kilometers) away, a 7.1-magnitude earthquake hit Mexico City and the surrounding area, killing more than 200 people.
While Mexico is a very seismically active area, the recent events were jarring. They immediately raised questions about what caused two major earthquakes to hit in relatively quick succession, whether the first earthquake caused the second and whether the region could see more shaking in the near future.
"This is what you guys keep us around for," Emily Brodsky, a seismologist at the University of California, Santa Cruz, told Live Science. "It's our job to try to figure out if there's a connection." [The 10 Biggest Earthquakes in History]  
まず最初にChiapas, Mexico沖を襲ったM8.1の地震が起き、数十名の人命を奪い多くの建築物を瓦礫にした。それから二週間も経たずしておよそ400マイルほど離れた地でM7.1の地震がMexico Cityと周辺の地を襲い、200名余の人命が奪われた。
Mexicoは地震活動が大変に高い場所であるとはいえ、最近の地震は不安を募らせた。この二つの地震は何故かくも短期間に地震が立て続けに起きたのかとの疑問を生じしめた。最初の地震が二番目の地震の引き金になったのか?近い将来更なる地震が起きるのかなどなどだ。
Emily Brodsky, a seismologist at the University of California, Santa Cruz,はLive Science誌に「この問いを解明するのが我々の仕事だ」と語った。
The second earthquake, the epicenter of which was in the state of Puebla, also hit 32 years to the day after the devastating 1985 Mexico City earthquake. That quake caused the collapse of hundreds of buildings and killed an estimated 10,000 people.
The 1985 earthquake resulted from a lurch of the Cocos tectonic plate that's subducting, or sliding, under the North American Plate. But the two recent earthquakes happened within the subducting plate itself because of the tension that builds up as the plate bends, said Ross Stein, CEO of Temblor.net, a global risk app that aims to help people learn and reduce their seismic risk.
the state of Puebla州下に震源を持つ二番目の地震は32年前、あの大惨事をもたらした1985 Mexico City earthquakeと同じ日に起きた。その地震は数百ものビルを倒壊させ、死者も一万余と見積もられている。
1985地震はthe North American Plate下に沈み込んでいるthe Cocos tectonic plateの運動に起因する。しかし、最近の二つの地震は沈み込むプレート自身の中で起きた。それはプレートが折り曲がる際の張力がもたらした。と、Ross Stein, CEO of Temblor.netは言う。この組織は地震危険に関する知識を住民に理解させるために設立されている。
There are instances of one major earthquake triggering others far away, such as a 2012 rupture in Indonesia that was linked to other temblors around the world. But that tends to happen within a couple of days, or a week at the most. The Chiapas and Puebla earthquakes were too far apart for the latter to simply be an aftershock of the former, seismologists said.
"These kind of remote triggering phenomena happen very quickly," teiSn told Live Science, and there were 12 days in between the two Mexico quakes.
Remote triggering also seems to happen only in particular regions, and Mexico isn't one of those areas, he added.
一つの地震が遠方でもう一つの地震発生の引き金になるという事例は幾つかある。2012年のインドネシアの地震がその一例である。しかし、それは数日又は高々一週間の内である。The Chiapas and Puebla earthquakesはそれを引き起こしたのが8.1の地震と言うには余りにも離れすぎている、と地震学者たちは言う。
 この種の引き金現象は非常に短期間である、とSteinはLive Science誌に語る。今回は二つの地震間の間隔は12日であった。遠隔引き金現象は特別な場所ではありえるが、メキシコはその場所ではなかった。
The seismological data don't show any signs of increased stress in the area around the second earthquake after the first earthquake struck, either, Stein said. In fact, the area where the Puebla quake hit was unusually quiet in the time between the two temblors, he said, even though plenty of aftershocks shook the area around the epicenter of the Chiapas quake.
Stein speculated that the Cocos Plate could have been pulled downward in what he called "a sudden bending event" that extended along its length and that the "earthquakes are just a sideshow" for that. But the plate is surrounded by very viscous material ¾ "it's a slab of rubber in honey" ¾ which would make it difficult for such a major downward jerk to suddenly happen, he said.
地震データを見る限りでは最初の地震後、二番目の地震の震源近傍で応力が高まっているという兆候はなかった、ともSteinは言う。実際、the Puebla quakeの震源域は二つの地震の発生の間は何時になく静穏であった。その間 the Chiapas quakeの震源近傍では余震活動が活発であったのに。
Steinの考察はこうだ: Cocos Plateは彼が"a sudden bending event"と呼ぶプレート進行方向へのひっぱり力で引っ張られ、その余効であった。しかし、プレートは高粘性の物質で囲まれている“蜂蜜の中のゴム”のようなもので、下方への引っ張りが突然起きることを難しくしている、と彼は言う。
Brodsky said she wondered whether the earthquakes could be connected by activity in a portion of the plate known as the "sweet spot," which is prone to what are called "slow earthquakes."
Slow earthquakes are just what they sound like, releasing pent-up stress either at lower frequencies or over much longer periods of time than the sudden jolts that shake buildings. The Chiapas quake could have initiated a slow quake event that in turn triggered the Puebla temblor, she said.
Brodskyはこう考える:"sweet spot,"と呼ばれるプレートの特定の部分での活動がかかわっているのではなかろうか、と。そこではいわゆる"slow earthquakes."がおきやすい。
"slow earthquakes.とは、まさに字義が示すように閉じ込められた応力を低周波或いは長周期で解放するのだが、それは建物を揺らす突然の振動よりもずっと長い。The Chiapas quakeはslow quakeとして始まり、それがthe Puebla地震の引き金になった、と彼女は言う。
Networks of GPS sensors could help detect whether this happened and will help show, more generally, the slow movements of the tectonic plates around the time of the earthquakes, Brodsky said. But it will be tricky, because these earthquakes were relatively deep, she said.
"The signal you're looking for is buried underneath an awful lot of rock," she said.
These are just possibilities though, Stein said. "While we can throw some ideas out, we really don't know" what happened yet, he said.
GPS観測網はこれがおきたか否かを検知するのに役立つだろ。より一般的には、地震の際のテクトニックプレートのゆっくりした動きを見るのにGPSは役立つだろう。しかし、Brodskyはそれはやや難しいと考える。何故ならこれらの地震は50kmと深すぎる。求めるシグナルは膨大な岩盤のはるか下方である。Steinは「そうであるが、可能性の一つである。多様なアイデアが試されるべきだ、と言う。
Digging into the data and building more-sophisticated models of the seismic waves generated by the earthquakes could help shed light on the situation in the weeks and months ahead, Stein and Brodsky said.
But it's also entirely possible that the two earthquakes happened independently of each other, the experts said. While the overall odds of both happening so close in time and being unrelated is likely very small, "it's not going to be zero," Stein said.
データを吟味し、地震波モデルについて巧妙な工夫を開発するならば、数週あるいは数月の間にこの問題解決に光を差込むだろう。勿論二つの地震が全く独立に発生したとの考えも可能である、と何人かの専門家は指摘する二つの地震がかくも短時日でしかも遠距離で起きるということは奇妙であるが全くありえないことではない。がそれはゼロと言うわけでもない、とSteinは言う。
Original article on Live Science.
%%%%%

巨大地震(4)、古代生類憐令


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:ネットで調べるとhoririum" とりぱん"と呼ぶらしい。このコは秋の鳥。スズメぐらいで美しくスマート。バードウォッチャーの間では「オジョウさん」と呼ばれ人気が高いようですが、オレンジの美しいのはオス170926小鳥3128、とネットが書いています)。


自らが 播いた不正 安倍難を 国難と言う 醜き人物

 今般の解散総選挙、どう見ても安倍氏が自ら作り出した犯罪で苦境に陥り、安倍氏がその苦「難」を力づく出突破したいと目論んだ、まさに独裁強権発動そのものです。我等国民は、国の富・財産を私物化されて迷惑し、そこから生じた財政難ゆえに苦難を強いられていると言う構図です。これが、今回の事態の要で、そこを見誤ってはいけない。安倍氏の振る舞いは自分を救うための、強烈な利己的、得手勝手な行為なのであり、断じて国を救うためではない。
 こんな馬鹿げた人物を首相に戴くわが日本国の同胞よ!又もこの人物に勝利の美酒を呑ませるとあらば、子孫に顔向けが出来ませんぞ!

+++++巨大地震(4)
 前回記事の続きを書く前に一つ補足をしておきます。
(図1:巨大地震のスベリ角(横軸)と深さ(縦軸)の関係。黒:Mw>9、赤:9>Mw>8.5、青:8.5>Mw>8、白:8>Mw>7.8、二回クリックで拡大できます。)
20170925Depth_Slip angle

  まず気づくことは、1940年方現在までの役70年間で深発巨大地震は4個のみ確認されています:
ボリヴィア地震(1994.06.09Mw8.2,h=647km );
フロレス海(1996.06.17Mw7.8,h=584km );
オホーツク海(2013.05.24Mw8.3,h=611km );
小笠原諸島(2015.05.30Mw8.9,h=681km、2015年12月11日記事 )
 上の図で見るようにこの四つの地震のスペリ角は負値です。即ちどれも正断層地震と言うことになります。五月、六月にのみ起きていることに何か地学的背景があるのか否か。現時点では「偶々(たまたま)」であると考えておきます。

 さて前回記事の続きです。
(図2(9月24日記事中の図の再掲): 1940〜2017.09.09期間での巨大地震の発生場所を、アラスカ地震を中心にして眺めたもの(左)。右はその対極点を中心して眺めた図。二回クリックで拡大できます。)
SmaparoundAlaska


 図はこれまでもたびたび使っている世界地図の作図法によったものです。1964年のアラスカ地震の震央を中心にして描かれています。左図はアラスカの真上充分高い場所に位置する人工衛星から地球写真を撮ると海岸線は上のように見えるはずです。右図は人工衛星をアラスカの真反対の位置に置いたとき見えるであろう地球海岸線です。

 そこに98個の巨大地震の分布を重ね合わせたものが図2です。こうしてみると、巨大地震の分布になにやら規則性らしきものがありそうです。一つは左図で矩形の中に入る地震群であり、もうひとつは円周に沿う地震群です。

 矩形内の地震群はアラスカ地震震央を含む大円(Great Circle)とその周囲に起きていることになります。この大円に直交するもう一つの大円が円周ですから、巨大地震群のほとんどが大円上で発生していることになります。

 話は脱線しますが、大円論議で昔のブログ記事を思い出しました(2012年2月20日記事) 

古い話でありますが、週刊ポスト2012年1月27日号が、「ピラミッドの嘘」と題する特集記事をグラビア頁で掲載しています。そこに下のような図がありました。気になったので上記ブログで検証してみました。
(図:2012年1月27号週刊ポスト誌のグラビア写真。二回クリックで拡大できます。)
DSC05600


検証してみると、確かに(不思議なことに)ギザ(エジプト)、マチュピチュ(ペル)、イースタ島がほぼ大円上、即ち、この3地点を通る円盤で地球を切ると、その円盤は地球の中心を含むことが分かったのです。言葉を変えると、ギザからイースタ島を行くには、この大円に沿って進むのが最短距離と言うわけです。一方西安・ギザ・テオティワカンを通る大円を作ることは出来ません。

 %%%%%この私のブログ記事に以下のようなコメントがありました:
A: 2012年2月21日 20:37:25
別に難しいことを言わなくても空間的に考えれば、任意の三点を通る円があるなんて馬鹿でもわかることだろうが。
A: 2012年2月21日 20:43:07 :
>空間的に考えれば
というのはこの場合地球表面上ということな。
B: 2012年2月22日 23:01:49 :
>>A
円の径を制限しなければ確かにその通り。
しかし、大円上という条件がつけばそうはいかんだろ
あと、サイエンス社刊数理科学誌の次の号をみて何か感ずるところはありますか?
>数理科学 2011年10月号 No.580
>特集:「時空と熱力学」
>− ブラックホール熱力学の多彩な広がり −
http://www.saiensu.co.jp/?page=book_details&ISBN=4910054691016&YEAR=2011
A:.2012年2月23日 01:11:14 :
その大円上っていうのも主観だけで特に制限決まってないだろ
C: 2012年2月24日 23:44:09 :
マチュピチュは巨石文明というより高地都市ですしね(^^)
時代にしてもギザ4000年前、モアイ1200年前(古くみて)、マチュピチュせいぜい800年前(インカ帝国として)3点を概ね直線で結ぶ行為に意味はない。レイラインなんかと一緒ですね(^^)
D: 2012年3月01日 23:44:21 :
暇人はどこにでもいるもんだ。
E: 2012年3月31日 22:27:51 :
地球でナスカの裏側はアンコールワットから150km離れた地点だった。殆ど真裏。
F: カイカイ 2014年3月12日 23:04:52 :
初めまして。このレイライン好きなんでやってきました。このライン上には、ナイル川、アマゾン川、チグリス-ユーフラテス川、インダス川、各大河の河口もあるんです。偶然なんでしょうが不思議ですね^_^;
%%%%%コメント終わり

 Aさんは大円に関して多分何か勘違いをしているんだろうと考え、あえてリプライしませんでしたが、Bさんが、応えてくれました。それでもAさんはまだこだわっています。異なる二点を通る直線がただ一本だけ引けると同様に、球上の異なる二点を通るような大円は、ただ一つだけ作ることができます。したがって、球上の異なる三点を含む大円は極めて珍しいというわけです。それがギザ・マチュピチュ・イースタ島の配置がそれを満たしている。まさに謎と言うべきです。

 話が脱線してしまいましたが、どうやら巨大地震は大円に沿って発生しているらしいと言うわけです。この場合は三点どころではありません。なにやら地学的背景があるはずです。そこで、作成したのが図4です。
(図4:1964年アラスカ地震から見た他の巨大地震・震央との距離(度)と方位角(度、北から時計回りに計ったもの。二回クリックで拡大できます。)
170927az_dlt無題


 
 地震群は、およそ四つのグループに別けられます。,魯▲薀好地震からおよそ120度の方向に起きる地震群。△220度に分布する地震群、は300度に分布する地震群。これは,離哀襦璽廚療逝仂里諒位でもあり、図2の矩形領域内の地震と思われる。い魯▲薀好地震から角度距離にして90度(実際は85度ぐらい)に分布する地震群(図2で円周に沿って分布する地震群)というわけです。

 こうした巨大地震群のほとんどは巨大プレートとの境界で起きています。したがって巨大地震の規則的な分布は、言葉を変えれば、巨大プレートの縁(へり)が実はほぼ大円に沿って形成されているということになります。

 この巨大プレートの縁で起きる巨大地震の発生様式に規則的な“何か”が見つかるだろうか?それをこれから探してゆくことにします。
(つづく)

+++++天武四年四月紀
 日本書紀は、藤原不比等の指示にしたがって4月に挙行された「斎」なる儀式を権威付けするために関係しそうな出来事を倭国の叙事禄から摘み食いして個々に並べています。そこには、刑罰あり褒章あり、善行あり様々です。そして次に登場するのが十七日の記事です。よく知られる「生類憐令・古代」版です。
%%%%%日本書紀記事
庚寅(十七日)。詔諸国曰。自今以後。制諸漁猟者。莫造檻穽、及施機槍等之類。亦四月朔以後。九月三十日以前。莫置比満沙伎理梁。且莫食牛・馬・犬・猿・鶏之完。以外不在禁例。若有犯者罪之。

 文意(岩波文庫「日本書紀(五)」124頁より
諸国に詔して曰く。今より以後にあっては諸々の漁業者、狩猟者への制(いさめ)である。すなわち檻を造ったり穽を作ったりして生き物をいわば騙して捕獲すること、及び施機槍(ふみはなち、機械仕掛けの槍)等之類を用いることはならない。亦四月朔(ついたち)以後九月三十日以までは、莫置比満沙伎理梁(ひみさきりやな、書紀校注者はどのような仕掛けであるかは不明と書く)を設けることもならぬ。且つ、牛・馬・犬・猿・鶏之宍(しし)を食することもしてはいけない。それ以外については禁例はない。もし、それを犯すものあれば罰せられる。
%%%%%

 私は、目黒のとある浄土宗寺の檀徒と言うことになっています。この本堂の天井画が女優・朝丘雪路さんの父で著名な画家・伊東深水の手になる こと、あるいは六代将軍徳川家宣縁(ゆかり)の寺であることを、事あるごとに他人様に自慢するのですが、私自身は一切こうした方々との関係はありません。それどころか、私の父親の宗派は 曹洞宗であり、母方は浄土真宗と言うことからも明らかなように、ほとんど仏教とは日常関わりがありません。というわけで、これまでもまじめに「ホトケ」の教えなるものに耳を傾けたことがないまま今日に至っています。
 上記日本書紀記事も仏教で言うところの「殺生戒」であろうと思いますが、そのよって来るところを知りません。日本書紀編年に従えば、仏教の渡来は六世紀半ば(西暦538年)と書かれています。そして六世紀の末には聖徳太子が歴史に登場し仏教の流布を語り、それは神仏戦争に繋がる、とは学校で習う日本列島古代史の一端です。
 私は、日本書紀が語る聖徳太子、仏教関連の故事はすべて、「斎」に始まったと考えています。「斎』に基づいて構築した新たな宗教に、「仏教」的側面から強力な補強をなしたのだろうと思っています。それが「普都大神」です。この「大神」は神でありながら「普都』即ち「仏」なのです。日本書紀編纂の終了ぎりぎりまで新しい宗教体系が定まっていなかった証であろうと考えています。いずれ、詳細を後日書きます。

 さて、仏教の教えそのものには「仏教徒」でありながら全く無知でありますが、どうやら、七世紀末には日本列島に持ち込まれた仏教には「殺生戒」なるものが伝わっていたことが分かります。と言うわけで、この段は、九州の倭国に叙事されていた事跡ではなく、藤原不比等が〔斎〕と言う大催事のために新たに持ち込んだと考えられます。その際、仏教に接して知った「戒」なる定めを書き込んだものと思えます。

 熊が除外されています。それは、アイヌ族への配慮でしょうか?食してはいけない動物はすべて、十二支に登場します。が、兎、羊、猪は除外されています。多分、蛇、ネズミはそもそも食の対象ではなかったのでしょう。この令の発効期間を四月半ばから秋の終わりまでに限っています。というわけで、探れば、面白そうなことが浮かびあがってくるのやもしれません。

 それはさておき、一つ上記記事から連想することを書いておきます。それはハラールです。まずは以下の記事を紹介して置きますハラール。 
%%%%%なぜイスラーム教徒はハラールにこだわるのか イスラームの信仰とハラール
単なる人の好き嫌いとは違うハラールへのこだわり

ムスリムにとって、ハラールの食品のみを口にすることは神の教えに忠実に従うこと、すなわち信仰そのものです。聖典コーランにはこのように書かれています。
◎ハラールか、ハラームかは明確である。
5:3.あなたがたに禁じられたものは、死肉、(流れる)血、豚肉、アッラー以外の名を唱え(殺され)たもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、(ただしこの種のものでも)あなたがたがその止めを刺したものは別である。また石壇に犠牲とされたもの、籤で分配されたものである。これらは忌まわしいものである。今日、不信心な者たちはあなたがたの教え(を打破すること)を断念した。だからかれらを畏れないでわれを畏れなさい。今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである。しかし罪を犯す意図なく、飢えに迫られた者には、本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。
5:4.かれらは何が許されるかに就いて、あなたに問う。言ってやるがいい。「(凡て)善いものはあなたがたに許される。あなたがたがアッラーの教えられた仕方によって訓練した鳥獣があなたがたのために捕えたものを食べなさい。だが獲物に対して、アッラーの御名を唱えなさい。アッラーを畏れなさい。本当にアッラーは清算を極めて速くなされる。」
23:51.あなたがた使徒たちよ、善い清いものを食べ、善い行いをしなさい。われはあなたがたのすることを熟知している。
神が良いとしているもののみを食する、それ以外の行為をすることはすなわち背信行為にもなりかねない。従って、神に身を委ねるイスラーム教徒にとって、ハラールではない物を口にすることは罪をおかす事になります。それはイスラームの信仰の根源でもある神への信仰心から、罪に対する懲罰を恐れてそのような行為は日常的にすることはありません。
イスラーム教徒のハラール食へのこだわりは、ただ単なる人の好き嫌いではありません。豚肉入りの物を豚をよけたからといってハラールになる訳でもないですし、スープやブイヨンにそれらが使用されていたら、いくら見た目は分からなくても、食することはできません。トンカツをあげた同じ油であげられた野菜や魚も食することはできません。フランス料理で使われるワインや日本食・中華で使われる料理酒はたとえ使用する食材がハラールであっても、アルコールを入れることでハラールではなくなります。
◎ハラール屠畜されていない肉について
6:119.あなたがたは,アッラーの御名が唱えられたものを,どうして食べないのか。かれは,あなたがたに禁じられるものを,明示されたではないか。だが,止むを得ない場合は別である。本当に多くの者は,知識もなく気まぐれから(人びとを)迷わす。あなたの主は,反逆者を最もよく知っておられる。
6:120.公然の罪も内密の罪も避けなさい。本当に罪を犯した者は,その行ったことに対し報いを受けるであろう。
6:121. またアッラーの御名が唱えられなかったものを食べてはならない。それは実に不義な行いである。しかし悪魔は,自分の友を唆し,あなたがたと議論させようとする。あなたがたがもしかれらに従うならば,あなたがたは正に多神教徒である。
6:138. またかれらは「これこれの家畜と穀物は禁じられる。わたしたちが許す者の外に,誰も食べることは出来ない。」などとかれらの勝手な決断により,背中が禁忌になっている家蓄,また(屠殺にさいし)それに,アッラーの御名を唱えない家畜などと(捏造して)言う。(これらは凡て)かれに対する捏造である。かれはこの捏造に照らし,やがて報われるであろう。
◎ハラールかハラームかを決めるのはアッラーのみである。
16:116. あなたがたの口をついて出る偽りで,「これは合法〔ハラール〕だ,またこれは禁忌〔ハラーム〕です。」と言ってはならない。それはアッラーに対し偽りを造る者である。アッラーに対し偽りを造る者は,決して栄えないであろう。
(以下省略)
%%%%%

 イスラム教徒が豚肉を食さないことは良く知られています。少々長い記事を引用しています。「ハラール」が、日本書紀の記事と重なってくるからです。檻や罠などで動物を殺生する。これこそは「ハラール」ではなかろうか?とするならば、この時点で遠く西域の「肉食観」がここに反映されている。即ち藤原不比等は敵である倭国・扶桑国の宗教観をもこの新しく構築する宗教に取り込もうとしたのではなかろうか。と、考えています。
(つづく)

巨大地震(3)、核問題論議


(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:用水路で「振られる」と分かりつつもカワセミを待つ、このいじらしき私であります。そこには、何時になく鴨が沢山浮かんでいましたカワセミの居ない鴨3085 )


太平洋 西北隅(すみ)の 小国と 口喧嘩する 東の大国

 その東の大国の尻馬に乗って「それーそれっ!」と叫んでいるのがわが国のトップであります。情けないことです。そしてトップに次ぐ副首相と称する政治家が、「なだれ込んでくるかも知れない難民は武器を持っているやも知れぬ。その場合は射殺已む無し」とまで言ったとのこと。祖父・親ともども戦争現場とは関わりなく、むしろ戦争をけしかけた人物です。そうした人間の二世・三世が政治家となって、戦争の緊張を煽り立てる。私を含め愚直な日本列島大衆はうっかりすると「そうかな」なぞと思い込まされそうです。

 巨大地震の話の続きを書く書くと書いていながら、メキシコ地震やら何やらで、後回しになってしまいました。今回は、その全てには触れることは出来ませんが、そのとっかかりの事だけでも書いておき、読者の皆様の関心を繋ぎ止めさせていただきます。又、古代史の「麻続王」の話も次回には、その続きを書きたいと思っています。何せ、次から次といろいろ起きます。

+++++巨大地震(2)
 1940年以降現在までに起きた巨大地震(Mw>=7.8、このcriterion設定には物理的根拠はありません。7.9に設定しても議論の文脈にはさしたる違いは生じないでしょう)を拾ってみると98個あります。1976年以降の地震についてはデジタル地震波記録計が地球上で設置され、その設置場所の数も増えつつある時期でした。同時にそうしたデジタル地震記録の解析手法として「モーメントテンソル量」の算出手法が開発されました。一方1970年台末にはKanamori博士によるMw(モーメントマグニチュード)なる、地震の物理破壊をより忠実に反映する量が考案されました。デジタル地震計、しかも広帯域(地震波の広い周波数帯域の振動を記録する)、高感度(小さい振動から大きい振動まで記録できる、大きい地震について記録計が振る切れることが無い)の地震計の開発とあいまって地震現象の定量的解析技術が急進展しました。

 というわけで、1976年以降の地震についてはその規模の定量的測定は信頼できます(尤も、以後、高性能地震計の数が爆発的に増えているので、その測定の精度も急速に高まっており、1970年代のそれと単純に比較できるのか、などといった問題があるかもしれません)。一方1976年以前の巨大地震については、地震波が放出する表面波の振幅からMwに相当する地震規模の推定が特定の大地震については、これもKanamori博士の研究によって可能となっています。そこで、そうして得られた結果をも併せ用いる事で、98個の巨大地震からなる集合をまずは揃えました。

 そうして選んだ98個の巨大地震について、まずは簡単なところから幾つかの特徴を書き連ねてみます。まずは、メキシコで起きた巨大地震は正断層でした。正断層巨大地震がどれほどの頻度で発生しているかを見たものが図1です。
(図1:1976−2017.9.8の期間に起きた巨大地震(74個)について、そのスリップ角とNonDC
の関係、図拡大は二回クリック)
2170915SlipnonDC

 横軸はスリップ角です。この値が正であれば、逆断層地震、負であれば正断層地震です。0又は180度、−180度に近ければ横ずれ断層地震と言うことになります+100度当りに多くの点が密集しています。圧倒的多数の地震は逆断層型であることがわかります。一方−150度から−50度の間の地震は11個(15%)です。これらは正断層地震と言うことになります。今般のメキシコ地震は大変珍しい地震であったわけです。前回記事で書いたように奇妙なプレート形状の中で発生していることも興味深い事です。図1で見る限りではこのスベリ角と非DC成分には相関関係がないようです。それは図2,らも分かります。

(図2:,狼霏臙録未糧鵤庁胆分の出現頻度、Ct-OtとMw乃関係、図拡大は二回クリック)
170924GreatNon


  上記表に照らして、今般の9月8日のメキシコ巨大地震のスベリ角は-80〜-90度、そして非DC成分は-5.3 %。です。非DC成分が負値を取っていますから、この地震は引っ張り応力が卓越したことで起きたと”数学的“には言うことができますが、図の,鮓る限りでは圧倒的多数の地震の非DC成分は+-10%の範囲に収まっています。つまり観測地震波の数値解析の誤算に伴うものと思うのが真っ当です。そうとすれば、上記のような推断は早トチリであるかもしれません。

 図△望箸蕕垢蛤H未離瓮シコ地震のCt-Otは23秒でとりわけ巨大地震としてもそれほど、奇異な値ではないようです。しかし、表1のHalf duration=31.3について、9月8日の地震は「ゆっくり地震」(Slow earthquake)ではなかったのか?だからかなり大きな値であったとの議論があります。「なるほど」なのでありますが、これについて、今回それを書くと記事が長くなりますので、詳論は次回に回します。
(表1:9月8日のメキシコ巨大地震のモメント・テンソル解析結果。但しこの表は既出、図拡大は二回クリック)
170909Mexicomt無題


 次に巨大地震の発生月の分布を調べたものが以下の図です:
(図3:(上)北半球で発生した巨大地震の発生月;(下)南半球で発生した巨大地震の発生月、図拡大は二回クリック)
170925SNeq無題


 巨大地震の発生する月は、一年中でほぼ満遍なく起きているわけではないことが分かります。そうではなく、北半球では11−12月に、南半球では6月に巨大地震が多く発生しているのです。これは誠に興味深い発見であります。つまり太陽からの距離が尤も遠くなる時期に巨大地震が発生しやすいというわけですから興味がそそられます。どうやら太陽重力による地球への潮汐力が関与しているらしいというわけです。しかも、それは単純ではない。わざわざ太陽から尤も隔たる時期に巨大地震がおきやすいというわけですから、そこには何がしかの物理学が介在しているはずです。年寄りの私にその物理学を解明するだけの力量はもはやありません。が、せめてその巨魁なる謎に一太刀でも浴びせたいものと思っています。この図が示唆することは、巨大地震の発生は、地球規模の地変が関わっているということです。そうした筋書きが見えてくるかどうか?
 尚、そうは書きましたが表の下に書き添えた値はいわゆる”カイ二乗値”です。つまりどれだけ、実際に分布が仮定した分布と適合しているかを示す指標です。この値を見る限りでは50%弱の確率で「月に依らず満遍なく巨大地震は起きているという仮説は「間違っていない」と言うことになります。

 私は、統計屋ではありませんから、カイ二乗値にもかかわらず巨大地震は実は地球規模の大変動に関わっているとして作成したのが図3です。誠に思わせぶりですが、今回はこの図をお見せするにとどめ、次回にこの図の見所を書きます(本当の理由はブログ記事が長くなりすぎるのを避けるためであります)。ヒントは左の図で長方形で括られた領域に含まれる地震群です。

(図4: 1940〜2017.09.09期間での巨大地震の発生場所を、アラスカ地震を中心にして眺めたもの(左)。右はその対極点を中心して眺めた図、図拡大は二回クリック)
SmaparoundAlaska


(つづく)

+++++東北アジアの核問題
 東北アジアは北朝鮮の核実験とミサイルで「きな臭い」雰囲気です。土曜日のヤフー・ニュースが下記を報じています。9月20日記事で書いた核実験の8分半後に地震計記録に出現した「波」と関係がありそうです。それにしては時間がずいぶんと経過していますが、山体の大規模崩落が地震波を生じ占めたのかも知れません。
%%%%%北朝鮮で揺れ 爆発か自然地震か 情報錯そう9/23(土) 20:19配信 

170923北無題

日本時間23日午後5時29分ごろ 北朝鮮でマグニチュード3.0の揺れ観測(写真:産経新聞)
 【ソウル=名村隆寛】韓国気象庁によると、23日午後5時29分(日本時間同)ごろ、北朝鮮北東部でマグニチュード(M)3・0の揺れが観測された。これに先立ち、中国地震局も、北朝鮮付近で同じ時間にM3・4前後、震源の深さ0キロの地震を探知し、爆発と推定されると速報した。北朝鮮が7回目の核実験を実施した懸念が強まったが、韓国気象当局は「自然地震の波形だ」としており、情報は錯綜している。北朝鮮は今月3日に「大陸間弾道ミサイル(ICBM)搭載用の水爆実験」と称し、6回目の核実験を強行。今回観測された地震波はその時のM6・1を大きく下回っており、核実験だったとしても失敗した可能性がある。北朝鮮メディアは23日午後7時の時点で、核実験については報じていない。
%%%%%
 核で騒がしい東アジアをネット科学雑誌NewScientist誌が諷刺画を添えて語っています(全文は有料)。そもそもは、核拡散防止条約(NPT, Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)が含む「不平等性」に起因しています。この条約ゆえに核保有国は持たざる国への軍事的恫喝をしてきたことが国際政治の実相でもありました。インド、パキスタンは公然と条約に賛同しないとの意思表示をなし、イスラエルは半ば力づくで保有に至るも国際的制裁をうけていません。と、いうことは、北朝鮮の核保有に対して、国際政治で非難できる論理を構築することは誠に難しいのです。それが出来るとすれば、1945年以降四回(広島・長崎・第五福竜丸・福島原発事故)にもわたって核汚染を蒙った日本しかないはずなのです。しかし、その日本のトップは米国の忠実な下僕であります。

 ともかくその科学雑誌記事の冒頭の一部を以下に紹介しておきます:
%%%%%The new nuclear race: Why North Korea isn’t the real story
 
新しい核競争:なぜ北朝鮮を巡る事態が現実とは異なる理由  
The sabre-rattling between Pyongyang and Washington is masking a dangerous destabilisation in deterrence – making nuclear war by accident a real possibility
新しい核兵器:なぜ北朝鮮は本当の話ではないのか
北朝鮮とワシントンとの間の激しい衝突は、抑止力の効果が壊されかねない危険な不安定化を隠している - 偶発的事故が核戦争を現実のものとする
170924Newscinuclearmain-800x533


Javier Munoz(ハビエル・ムニョス)
By Debora MacKenzie(デボラ・マッケンジー)

AS YOU read this, about a dozen submarines are lurking in the world’s oceans, equipped to launch nuclear missiles. Four are American; the rest might be British, French, Russian, Chinese, Indian or perhaps Israeli. Some of them are packing massive heat, equivalent to thousands of times the bomb that obliterated Hiroshima. All are being very, very quiet.
Why? In a word, deterrence. In the event of a nuclear strike or massive conventional attack on the sub’s owner or its allies, that nation can unleash horrendous retaliation – so no one dares attack in the first place.
Deterrence is credited with preventing nuclear conflict since the beginning of the cold war, but it is under increasing stress. Most obviously, North Korea has entered the game. It says it is developing nuclear weapons precisely to deter a US nuclear strike, but with the rhetoric getting out of hand, nuclear conflict could become more likely rather than less.
あなたがこれを読んでいる間にも、核ミサイルを発射装置を備えた潜水艦が約十数席世界の海洋に潜んでいる。4隻はアメリカ、残りは英国、フランス、ロシア、中国、インド、またはおそらくイスラエルだ。それらの中には、広島を爆破した爆弾の何千倍もの巨大な核爆弾が詰まっています。すべて非常に静穏だ。
どうして?言い換えればそれが抑止効果だ。核兵器や大規模なこれまでの戦闘攻撃が潜水艦のオーナーやその同盟国に対して行われた場合、その国は恐ろしい報復を受ける。だから誰も最初に攻撃することはない。
冷戦の始まり以来、核紛争を防止するためも抑止力効果が認められているが、ストレスはますます高まっている。そこに、このゲームに参戦したのが北朝鮮だ。それは、米国の核攻撃を抑止するために核兵器を正確に開発していると言うが、外交交渉なしでは核兵器の紛争の可能性が高くなる。

The new nuclear race:

Is there a nuclear war in our future? We round-up the latest news and opinion on the world’s nuclear superpowers, and look at how we can prevent disaster
新しい核兵器:
私たちの将来に核戦争はあるだろうか?世界の原子力大国に最新のニュースや意見を集め、災害を防ぐ方法を注視したい。

But beyond that headline news lies a less well-known, but potentially more disturbing, story. A series of seemingly minor technological upgrades have been destabilising the foundations of deterrence, sparking a new nuclear arms race with unforeseeable consequences. “The danger of an accident leading to nuclear war is as high now as it was during periods of peak crisis during the cold war,” says Hans Kristensen, director of the Nuclear Information Project at the Federation of American Scientists.

しかし、そのニュース見出しの向こうはよくわかっていない。が、潜在的により困惑する筋書きがある。一連の見かけの軽微な技術的改良は抑止力の基盤を不安定にし、予期せぬ結果を伴って新たな核兵器競争を引き起こした。「核戦争につながる事故の危険性は、冷戦時の危機のピーク時と同じくらい高くなっている」と、Hans Kristensen, director of the Nuclear Information Project at the Federation of American Scientistsは語る。
(購読していないので、以下は公開できず)。
%%%%%

 さて、東京新聞が9月19日付「こちら特報部」コーナで日米原子力協定について書いています。一見無関係のようですが、日本を支配する奥の院の重大関心事は日本の核武装です。それに関わる大きな問題の一つは原子力発電の危険性もさりながら運転するごとに増えるプルトニュームです。表向きは、プルトニュームは再処理魏には効率の良い原発燃料となると詠われています。だからこそ、日本の原子力発電所政策はIAEAによって毎年厳しい点検を受けています。しかし、その本音はそれを核爆弾に装填することで、日本が核兵器を所有したいという国防族の思惑があります。その思惑が米国の政治的思惑とどうすりあわせるのか?それがこの協定です。
(図:東京新聞9月19日付、図拡大は二回クリック)
170925日米原子力3104

 サテ、下の記事に見るように自動的延長とのこと。
%%%%%日米原子力協定を延長へ…米、再交渉求めず 
9/24(日) 9:19配信
 【ワシントン=三井誠】来年7月に満期を迎える日米原子力協定について、日米両政府が自動延長する方向で調整していることがわかった。
 米国務省の広報担当者が読売新聞の取材に対し、「協定の破棄や再交渉を探る意図は現状でない」と答えた。日本政府関係者も「日米の原子力協力の基盤」として延長を求める姿勢を明らかにしている。
 1988年に発効した同協定は、使用済み核燃料の再処理などを日本に認めるもので、日本の原子力政策を支える柱にあたる。協定は来年7月16日に30年の満期を迎え、その6か月前までに日米どちらかの政府から申し出がなければ自動延長される。北朝鮮問題など課題が山積するなか、米側は日米の信頼関係に影響する再交渉を避けようとしているとの見方もある。
%%%%%

メキシコ地震(3),「モリ・カケ隠し」解散

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:秋も半ばの朝の空です。空の青さと地平の橙色。文字通り「天井画」(フレスコ画)の風景です。)
 CIMG3091


 五月(いつき)かけ 育てし稲穂が たわわなり いまや遅しと 刈り入れを待つ

 4月末に植えた稲は丁度今頃が刈り入れ時です。一方、人手不足故か、七月ごろに植えられた稲は今が緑真っ盛りです。というわけで当地の水田もあちこちで「三色丼(緑、黄色、土色)」状態です。以前書きましたが三色丼 は遠い昔の哀しい青春の疼きでもあります。人手不足と書きましたが、当地も働き盛りが江戸へ出てしまう故でしょうか?田や畑の世話は年寄りの仕事です。しかし、年寄もそうは長く続けられない。子供の家族に引き取られるのか、ホームに移るのか、それとも亡くなってしまうのか、理由は定かでありませんが、空き家が増えています。そうかと思うと、その年寄りを巡って兄弟姉妹の関係が、年寄りを兄弟の誰が引き受けるかとか、年寄りが住んだ家の所有権やら田畑相続やらでギクシャクするてな話も聞こえてきます。稲刈りと言う「季語」の背後にも人の営み、確執の話が潜んでいます。

 国会開会冒頭、所信表明演説もなく、まさに「冒頭解散」。トランプ氏のいまや大のお気に入りとなった安倍氏は、それを振りかざし「日米の強固な絆」などと叫んで選挙に臨もうとの腹積もりのようです。2010年9月の民主党(当時)代表選挙演説会で、候補者の一人であった小澤一郎氏が日本の行く末を説得的に語りました。けちのつけようのない立派な演説にいらだった朝日・毎日・読売新聞の論説委員が「陸山会」にあてこすって「開いた口がふさがらない」等と全く見当違いの質問をしました。それを口にしたのがかってスシ友と評判された星浩氏です。その氏が、TVニュース番組で今般の安倍氏の国会冒頭解散と言う暴挙を口を極めて非難したといいます。安倍氏の政治家としての命脈が尽きかけていることを星氏は嗅覚鋭く嗅ぎとったのかなと思いました。

 本日の東京新聞一面に、財務省が「捨てはずの書類を保存する措置をとった」との記事を見ました:
(図:9月22日付東京新聞一面記事)
CIMG3096


 江戸時代のお役人も含め行政に携わるものが依拠するのは法に加えて「先例」です。先例に従っていさえすれば、後年何がしかの批判を浴びようとも、その批判への言い訳が出来ます。財務省が積み上げてきた膨大な書類が、省のコンピュタシステムのリプレイス(replace)でその大半を廃棄する段取りであったとのこと。しかし、それは言葉通りには受け止められません。役人にとっては、後日に外部からの批判があった際、廃棄してしまうことは拠って立つ言い訳の論拠を失うも同然だからです。つまりそもそも全々廃棄なぞはしていなかったのです。そう考えると、この記事には財務省の思惑が窺え、かなり胡散臭く思えます。これも星氏同様、安倍氏の政治家としての命脈が尽きかけていることを財務省は嗅覚鋭く嗅ぎとり、いわば、安倍氏への「脅し」ではなかろうかと思えます。

 その安倍氏、21日の国連総会で、トランプ氏の演説に呼応するかのごとく「北朝鮮への圧力をいっそう強化せよ!」と叫んだそうです。所が、その演説会場に出席した各国代表はまばらであります。どうやら、各国は安倍氏の演説は聴くに値しないと端から見限っているようです。
(写真:ブログ〔マルコ姫の独り言 より)
170922安倍国連7038
 

+++++(続)メキシコ地震(3)
 メキシコ巨大地震と9月20日のM7.1の地震は、もし、それが互いに650kmも離れていなければ、誰しもが余震と思うはずです。というわけで、この相次いで起きた二つの地震は、メキシコ周辺でのプレート力学の新たな様相を我々に見せてくれたものと思えます。そこで、まずはこのM7.1の地震と9月8日の巨大地震との関係を調べてみることにします。 
(図1:本震と余震との位置関係: IRISより本震と9月20日の余震の間に引かれている赤の点線については、本文を参照。
170920Mexicoseis


 この地震の発震機構その他のパラメータを表1に示します。
(表1:2017年9月20日03時(日本時間)メキシコ地震の発震機構パラメータ、最下行から2行目:eigen(T,N,P)はeigen(P,N,T)の間違い.最初の9行はGCCSより。残る6行は現ブログ管理人による計算結果)
170920Mexicofps


 参考比較のために9月8日の本震発震機構パラメータを表2に示しておきます:
(表2:
170909Mexicomt無題


 表2の結果を参照することによって、9月20日の余震は、9月8日の巨大地震とほぼ同一の応力環境下で起きた正断層地震であることが分かります。CMT解に拠れば、この地震の深さも二つはほとんど同じです。
(図2:9月8日巨大地震(上 砲9月20日地震(中,◆砲離灰灰后Ε廛譟璽汎發任糧生環境。下図は二つの地震の相互位置関係)
CIMG3099

 
 しかし、隣り合って起きたにしては、二つの地震の位置が650kmと大きく離れています(図1参照)。おまけに、その断層面の傾きがかなり異なっている。これは、9月8日の巨大地震と9月19日の地震は連続した媒体にはなく、そのあいだに断裂があるのではなかろうかとの推察に至ります。この推察を裏付けるような地震がいずれ見つかるのではなかろうかと期待しています。
いずれにしても陸の下に潜り込んだプレートが地表から50km程の深部で正断層の破壊をする。それが、ココスプレートの特徴であると下に紹介した記事で地震学者が語っています。それにしても、こうしたプレート破断を引き起こす力の源は何なのか。
さて、Scientific American誌9月20日号電子版がメキシコ地震の〔不可思議〕を語っています。急遽予定を変更して、記事の紹介をします。

%%%%%Pair of Deadly Mexico Quakes Puzzles Scientists
 二つの強烈なメキシコ地震が研究者に謎解きを迫っている  
Latest big tremor could be linked to major earthquake earlier this month
9月20日の地震は今月はじめ9月8日の地震と関連しているはずだ。
• By Alexandra Witze, Nature on September 20, 2017

170920Mexico094

The tremor that struck central Mexico on September 19 leveled buildings in Mexico City. Credit: NurPhoto Getty Images

A magnitude-7.1 earthquake struck central Mexico on September 19, killing more than 100 people and reducing buildings to rubble in the states of Puebla, Morelos and Guerrero, as well as Mexico City. The event came 12 days after a magnitude-8.1 tremor hit off the state of Chiapas — Mexico's largest quake in more than a century — and 32 years to the day after the country's most damaging tremor, an 8.0, killed thousands.
Like the recent Chiapas quake, the September 19 tremor struck in the middle of the Cocos geological plate — rather than along its edge, where it begins its plunge beneath the North American plate. Mexico’s national seismological service placed the epicentre of the quake at a depth of 57 kilometers, near the border of the states of Puebla and Morelos and about 120 kilometers from Mexico City. The earthquake occurred on a 'normal' fault, in which one part of Earth's crust moves higher than land on the other side.
Whether the September 7 and September 19 quakes are linked — and if so, how — remains to be seen. They are too far apart (about 650 kilometers) for the second one to be considered an aftershock of the first.
 9月19日メキシコ中央部をM7.1の地震が襲った。200名以上(9月21日現在)の人命を奪い、メキシコシティ、モレラス、ぷえブロ、ゲレロ州で多くのビルディングを瓦礫にしてしまった。この地震の12日前にチアパス州でマグニチュード8.1の地震が起きていた。それはメキシコでは最近100年間では、何千人もの人命を奪い甚大な災害をもたらした32年前のマグニチュード8の地震とならんで最大の地震であった。
あのチアパス地震と同様に、9月19日の地震はココスプレートと言う地学的プレートの縁というよりはむしろ真ん中で起きた。ここは、北米プレートがメキシコ。中米に垂れ下がる垂れ下がる陸下である。メキシコの国家地震局は震源の深さを57kmと発表した。それはメキシコシティから120kmはなれたプエブロ、モレラス州との境に近い。地震は正断層であり、地殻の一部が他の域より高く動いた(訳者注:この地震は「地殻」内の地震ではない。それは50kmの深さで起きていることから明らか)。9月7日の地震と19日の地震はリンクしているのだろうか?もしそうであればどうやって?二番目の地震が最初の地震の余震と考えるには650kmの距離は離れすぎている。

SEARCHING FOR CLUES
謎解明の糸口を得るための調査

Big earthquakes can increase the long-term risk of seismic activity nearby by transferring stress within the Earth’s crust to adjacent geological faults. But that sort of ‘static stress’ transfer usually happens only within a radius equal to about three to four times the length of the original fault's rupture, says Gavin Hayes, a seismologist at the US Geological Survey in Golden, Colorado.
The September 7 earthquake ruptured about 100 kilometers of the crust, which would imply its stress transfer reached no more than about 300 to 400 kilometers away, Hayes says. That puts the September 19 quake, whose epicentre was 650 kilometers away, outside of the zone of influence. “But the time coincidence makes it pretty suspicious,” Hayes says. “A lot of people will think that they are related, and there’s going to be a lot of work on that.”
大地震は長期的地震活動リスクを高める。それは応力が活断層を持つ地殻内周辺に伝わるからだ(文意不明:訳者)。しかしその種類の静的応力の伝播は通常はもともとの破砕断層長さの3倍から4倍ほどの範囲内に留まるとGavin Hayes, a seismologist at the US Geological Survey in Golden, Coloradoは言う。
 9月7日の地震は地殻(記者の誤解と思われる。地震は地殻内ではなく、マントル領域でおきた:訳者)のおよそ100kmを破壊した。それは応力の広がりが300〜400kmにまで達していないことを意味すると、Hayesは言う。9月19日の地震は7日の地震から650kmも隔たっており明らかに影響領域外にある。しかし、ほぼ同じ時(9月7日と19日)という事態が謎を深めている、とHayesは言う。多くの人がこの二つの地震は関係しあっていると、考え、研究者達も逸れの解明に更なる調査をするだろう。

Another possibility is that the September 19 quake is an example of ‘dynamic triggering', in which seismic waves rippling outward from one quake affect faults much more quickly — and at much larger distances — than in static stress transfer. But dynamic triggering usually happens within hours or days after the initial quake, making the 12-day gap between the September 7 event and the latest big tremor hard to explain, says Eric Fielding, a geophysicist at the Jet Propulsion Laboratory in Pasadena, California, who studies dynamic triggering.
 もう一つの可能性。それは9月19日の地震が動的誘発地震の一例であるとの解釈だ。即ちあの地震から放射された地震波が静的応力伝播を超えるほど非常に高速で他の地震に影響をあたえ(しかもかなりの遠方で)た。と解釈する。しかし、動的誘発は通常、数時間長くとも数日であり、二つの地震の発生間隔が12日ともなると説明が難しい。とEric Fielding, a geophysicist at the Jet Propulsion Laboratory in Pasadena, Californi は言う。彼は動的誘発を専門として研究している。
SHIFTING GROUND
シフトする地盤

His team has been analyzing satellite radar images of the landscape around the September 7 quake, looking for changes in ground level that indicate which parts of the landscape have uplifted and which have dropped down as a result of that event. The data come from the European Space Agency’s Sentinel radar satellites and Japan’s ALOS-2 satellite. Fielding's team will be looking for similar information in the coming days from the September 19 quake. Radar images can help reveal where geological stress is transferred within the ground after an earthquake.
彼の研究チームは、人工衛星レーダによる地表映像を解析し、9月7日の地震で生じた地表の沈降、隆起を探すことであった。データはthe European Space Agency’s Sentinel radar satellites and Japan’s ALOS-2 satelliteから提供された。Fielding's teamは同様の情報を9月19日の地震についても行っている。レーダ像は地学的応力が地震後の地盤内でどのように変化したかを明らかにするだろう。

The Cocos plate begins its dive downward off the western coast of Mexico, and then flattens out for hundreds of kilometers before taking a second, steeper dive and plunging below the North American plate. The September 19 quake happened where this second bend occurs, thanks to the geological stresses built up where the weight of the steeply descending plate tugs on the flat section.
 ココスプレートはメキシコの西岸で下方に沈み、数百キロほど水平に近い形状から、やがて北米大陸の下に急角度で落ち込む。9月19日に地震はまさにプレートが急角度で曲がるところで起きた。地学的応力ゆえに急に折れ曲がるプレ−トが平らな部分に下方への重しを負荷するのだ。

Much of the worry about Mexico's seismic danger has focused off the western coast, where the slab begins its dive. There, on the plate boundary itself, is where the deadly earthquake struck in 1985, flattening buildings — particularly in Mexico City, which is built atop a shaky foundation of dried-up lake sediments. That disaster prompted Mexico to build an earthquake early-warning system, which on September 19 provided crucial seconds of warning for people to prepare for the shaking.
Many ‘seismic gaps’ remain off Mexico's west coast where geological stress built up by the diving plate has yet to be released by an earthquake. They include the Guerrero gap, near Acapulco, considered by many scientists to be a major threat.
The death toll from the September 19 quake is expected to rise.
 メキシコでの地震不安の多くはメキシコ西岸である。そこで、プレートが潜り始めるからだ。プレート境界では、1985年悲惨な被害をもたらしたM8の地震が起きている。その地震はとりわけ、メキシコ・シティで多くの建築物をペシャンコにした。それらの建物群は揺れやすい湖泥層地盤の上に立てられていた。
 この経験があったので、メキシコ政府は地震初期警報システムを整備した。おかげで、9月19日の地震では人々が揺れに備えるに十分な貴重な警戒時間を提供できた(つまり住居崩壊前に脱出できたということか)。
 メキシコ西岸には多くの地震空白域があり、そこには応力が解放されないままになっている。それの一つが、Guerrero gap, near Acapulco,であり研究者達は大いなる地震脅威と認識している。
This article is reproduced with permission and was first published on September 20, 2017.
%%%%%記事紹介終わり

モリ・カケ解散、久努臣麻呂失脚、核実験後の謎の信号(2)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:台風18号の爪痕です。アメの日も風の日も葱、野菜をカラスから守って幾星霜。先の台風襲撃にあえなく、ご覧の姿です。この雇用主は案山子を愛する人と見受けたので、立て直しは近日中でしょう)
台風爪痕3087
 

 モリ・カケは 食いたくないと 駄々をこね 金をカリアゲ カツ丼欲せり

 自民党幹事長の二階俊博が森友事件や加計疑惑は「小さな問題」と言ったそうです。が、どうしてどうして、現今の日本国政治の最も深刻な安倍氏スキャンダルの深奥であることを、二階氏は、問わず語りに白状してしまったのです。

 まずは久しぶりに板垣怪情報であります。大変興味深いのですが、その確度については「眉に若干の唾』をつけて情報解読に臨んだほうが良いかも知れません。
%%%%%安倍晋三首相は9月28日、臨時国会召集冒頭、衆院を解散、10月22日投開票後、「総理総裁を辞任」する(板垣 英憲)2017年09月19日 
◆〔特別情報1〕
 「余命わずか」の安倍晋三首相は9月28日、臨時国会召集冒頭、衆院を解散する。10月10日公示・22日投開票となる。内閣支持率回復・民進党の離党ドミノなど絶好のチャンスを「勝機」と捉えて、大勝負に打って出る。しかし、これは、「表向きの理由」にすぎず、「真の理由」は、違う。このため、総選挙後、「総理総裁を辞任」し、安倍晋三首相の母・洋子さんに信頼されて、家族付き合いをしており、安倍家の家族会議にも呼ばれている加藤勝信厚生労働相(拉致問題担当相、働き方改革担当相、岡山5区選出、当選5回、額賀派)を後任に据えるという。「真の理由」は、主に3つある。

自民党を支えてきた巨大組織が、「小沢一郎政権樹立」へ密かに動いており、自民党勢力の大幅退潮⇒大敗北は不可避(板垣 英憲)2017年09月20日 
◆〔特別情報2〕
 これまで自民党を支えてきた巨大組織が、10月10日公示、22日投開票の総選挙を機に、「小沢一郎政権樹立」のため密かに動いているという。このなかには、巨大宗教団体をはじめ、政治運動団体、人権擁護団体などが含まれている。自民党は9月上旬に極秘に全国を対象とした情勢調査を行い、その結果(現有勢力288は多少減っても過半数233は確保できる)は安倍晋三首相やごく少数の政府与党幹部に伝えられ、安倍晋三首相が9月28日召集の臨時国会冒頭解散を決意する最有力な情勢判断材料になったといわれている。だが、巨大組織の離反が、自民党勢力の大幅退潮⇒大敗北は不可避となった。
%%%%%

 私は視聴していませんが、昨日のTV報道番組で玉川解説員が咆えたとのことです。
http://www.dailymotion.com/video/x617v2d 
野党共闘やんなきゃダメ!玉川さん吼える20170919 

 元外交官の天木直人氏がブログで以下を書いています。
%%%%%
国外逃亡に見えてしまう安倍夫妻のニューヨーク出発 2017-09-19 天木直人のブログ
 安倍晋三・昭恵夫人がタラップの上から手を振っている姿がテレビで映し出された。それを見ておやっと思った。今度の外遊は国連総会に出席するためだ。ひたすら北朝鮮を批判し、返す刀で中国に法の支配を守れと演説するための外遊だ。演説の合間には、これまた日米韓首脳会談で北朝鮮に対する強硬一点張りの話に終始するらしい。夫人を同行するような外遊ではない。
ただでさえ昭恵夫人は安倍外遊に同行しないことがしばしばだ。なぜ今度の国連総会出席に昭恵夫人は同行するのだろう。ひょっとしてこのまま二人は高跳びして日本に帰ってこないのではないか。もちろん、そんな馬鹿な事はない。しかし、そう思わせるに十分な唐突な解散・総選挙である。この唐突な解散・総選挙が、森友・加計疑惑隠しであることはもはやあらゆるメディアが書いている。野党もこぞって敵前逃亡だと批判している。その通りである。しかし、厳密に言えば、今度の解散・総選挙はズバリ、「昭恵隠し」なのである。昭恵夫人と言えば、森友学園の名誉園長として深くかかわった疑惑が指摘されている。しかし、本当は昭恵夫人は加計学園疑惑に森友学園以上に深くかかわっているのだ。その事を発売中のサンデー毎日が特集記事「加計学園を覆う5つの不可解」の中で教えてくれている。そういえばあの森友学園の理事長であった籠池氏も語っていた。政府の補助を得たいなら加計学園を見習ったらどうかと昭恵夫人から助言を得たと。そうなのだ。森友・加計疑惑に共通したキーマンは昭恵夫人なのである。解散・総選挙は10月22日に終わる。その結果がどうであれ、野党は選挙後の国会で、真っ先に森友・加計疑惑問題を取り上げ、白黒つけるべきだ。いや、絶対にそうしなければいけない。そして、白黒つけるために、何としてでも今度こそ、昭恵夫人の国会招致を実現して、森友・加計疑惑の真実を国民に明らかにしなければいけない。その時こそ安倍首相が逃げられない時だ。内閣総辞職せざるを得なくなる。再び解散・総選挙になる。それがわかっているから、安倍夫妻は日本に帰ってこないのではないか。私が、「国外逃亡に見えてしまう安倍夫妻のニューヨーク出発」と書いた理由がそこにある(了)
%%%%%

+++++麻続王一族流懺前記(2)
 藤原不比等は日本書紀巻二十九天武四年四月紀の冒頭に書く「斎」の催事を厳粛さを保持しつつ賑々しく仕立てるために、そのことに役立つと見越した出来事をかき集めます。
 9月13日記事で 広瀬での「祀」と竜田での「祭」を書きました。日本書紀は一方で荒々しく出来事を捻じ曲げて書きながら他方で、「漢字」の使い方に注意を払っている。それは、まるで「万葉集」での漢字の使い方を思わせる注意深さです。前記記事で「河曲」なる表現について読者の皆様に注意を促しました。広瀬では菊池川がほぼ直角に曲がっている。それを「河曲」と書いた。所が古代史研究者はこれに「かわわ」と仮名を振りその河の実際には立ち入らない。それは、この河がならと思い込んでいるから(後述)と言うこともありますが、こうした繊細な漢字使いに頓着しなかったが故に歴史の真実を見落としてしまうのです。
 前回、これに関して岩波文庫〔日本書紀(五)〕の校注者の注を書き添えることを忘れていましたので、個々に付記しておきます(上掲書125頁)
 まず竜田の立野:延喜神名式、大和国平群郡の条に「竜田座天御柱国御柱神社二座」とある。今奈良県生駒郡三郷村立野所在;
広瀬:延喜神名式、大和国広瀬郡の条に「広瀬座和加宇加乃売命神社とある。今、奈良県北葛城郡河合村川合所在
 2011年3月9日記事 で、奈良県の広瀬、竜田には日本書紀が記す地形の特徴が全くないことを書いています。
 
 書名は忘れましたが考古学者の故森浩一氏が「何故九州にある地名の多くが、奈良を中心として近畿にあるのか?」との問題設定をした上で、それに対する自説を展開しておられました。結論は文明がすすみ、生活レベルも高い近畿への九州からの移民であろうと言うものでした。言葉を変えれば、そもそものこれらの地名の原点は九州にあったことを暗に認める説です。

 私は、類似の地名がそもそも九州が原点であることには同意しますが、九州からの移民で名前が近畿に移植されたとの説には同意できません。その理由を2013年2月11日記事 を初め、繰り返し書いてきました。それは藤原不比等の壮大な日本列島史「こしらえあげ」(fabricate)政策の必然なのです。何故そうせざるを得なかったのか?倭国の文化は近畿勢力のそれに比べて優れていたのではなかろうかと考えています。なにせ柿本人麻呂と言う偉大な叙事家を擁し、政策の施行とそれらの蓄積は藤原不比等にして見れば羨望の対象であったと思います。
 時が経過し、唐の支援もあり、奈良の権力の軍事的優位が高まり、やがて倭国の転覆にまで至ります。新しく立ち上がる奈良権力には、それを飾る歴史的重みを付与する事跡が乏しい。その中で、日本列島の歴史を「こしらえあげ」(fabricate)為には、倭国の事跡を「盗み取る」しかなかったのです。

 この繊細な漢字遣い、即ち漢字を表音記号としてのみでなく、時に表意記号としてもちいることこそ、柿本人麻呂の真骨頂ではなかったのか、と思っています。このことを以てしてもこの事象は、奈良の地で起きたことではなく、九州の「倭国」での出来事であり、それが、叙事の専門である人麻呂などの手によって書き留められていたことの証であると私は考えています。と、いうことは、藤原不比等は、九州倭国を制覇した際にこうした文書を根こそぎ差し押さえ、日本書紀編纂に当って、これらの倭国文書記載事項を摘み食いしたのです。

 さて、広瀬・竜田での祭・祀を終えた四日後に次の記事が登場します:
  丁亥(十四日)。小錦下久努臣麻呂坐対捍詔使。官位尽追。
岩波文庫「日本書紀(五)」124頁は「小錦下久努臣麻呂が詔使(みことのりのつかい)を捍(こばむ)んだので官位の尽(ことごとく)を追われた」と書きます。「捍」は小学館大漢和字典に拠れば「カン、盾などかたいもので防ぐ(529頁)」とあり、どうも上記文意と異なった事態を創造させます。岩波文庫校注者はそれに以下の注を付しています(125頁):
「詔命を帯びた使いに対してそれを拒んで承まわらないこと。おそらく正月の朝参停止の勅を肯えんじなかったのであろう。養老職制律(しきせいりつ)には“対捍詔使而無人臣之礼者絞”の規定があり八逆の六代不敬に当る罪とされる。」

 この記事は六日前の四月八日の記事をうけたものと思われます。その記事とは(8月28日記事 )。
【八日】勅。小錦上当摩公広麻呂。小錦下久努臣麻呂二人。勿使朝参。;〔中略〕;
 二人の重臣に「朝参するな」との勅。文字通り受け取るなら「天皇は、お前ら二人の顔は見たくない」と勅したと解されます。当摩公広麻呂は天武十四年に死去しますが、壬申の乱に功績があったと日本書紀は付記します。私の立論に従えば、天武A(倭国王)の腹心がまたもやテロで倒されたというべきです。ということは、この天武四年の時点では、この勅は「お前の顔は見たくない」ではない、異なる政治的意思が働いたのです。
 上で書いた文意は岩波文庫〔五〕の校注者によったものです。そこでは、「使」という漢字を無視しています。そのために「お前の顔は見たくない」との解釈になってしまいます。私は、九州に在した倭国王が近畿の権力に遣わす使節、それが「朝参」であったと考えます。「朝参」なる用語は倭国にはありません。すなわち 以前書いたように「倭国」と「扶桑国」が一つの〔政権〕であり、一方は「日出」(朝庭。ちょうてい)でありもう一方は「日入」(夕庭)です。つまり同一の政権内で「参」と言う交渉(関係)は存在しなかったのです。これは軍事的に優位に立ちつつあった奈良の権力が倭国に求めてきた屈辱の拝謁方式であったと考えています。
何がしかの事件が、倭国と奈良権力の間に起きたのです。残念ながらその事件の実相は藤原不比等によって隠蔽されています。だから、倭国王の側近であった小錦上当摩公広麻呂、小錦下久努臣麻呂には、もう奈良には行くなと倭国王は指示したのです。
倭国王は、すでに大来皇女、十市皇女を人質同然に近畿権力に拘束されるという政治状況から、例年近畿に遣わす使節を送らないことを「勅」したのだと思っています。
 
さて、こうした政治環境で、倭国側は、奈良権力との戦闘を回避するべく、使節であった久努臣麻呂を解任し、朝参しないことの理由としたのだろうと考えています。これら二人の側近に関わる事件は、いまだ倭国は壊滅しては居ないが、しかし、戦況としてはすこぶる奈良権力が優勢であった時代と思えます。それが壬申の乱といわれる西暦672年直後であるのか、もう少し年月が経過しての事であるのか、現時点では明確には定まりません。
(つづく)
 
+++++北朝鮮核実験が引き起こした地学現象(2)
 前回の記事の後半部分です。読んでいただくと分かりますが、核爆発の後8分半頃に地震計記録上に出現する波の正体はなにか?というわけです。実験サイトである萬塔山周辺に衛星から観察される地すべりであろうと、当初は大方の研究者は考えていた。が、どうやらそれだけではなさそうであるというわけです。

 話は若干逸れますが、「地スベリ」から連想したのが9月8日14時前(日本時間)にメキシコで起きた巨大地震(Mw=8.2)です。9月20日午前3時(日本時間)に新たな地震がおきました。この地震をふくめて、詳しくは次回書きます。メキシコ巨大地震の発震機構解は「地すべり」が生成する地震波のそれと酷似しています。正確な言い方ではありませんが、1896年(明治29年)の三陸沖地震(Mw8.2と見積もられている)を思い出させます。この地震は日本列島観測点での地震動は極めて小さかった。が、遠くドイツのシュツットガルトで大きな波形が観測され多ことが知られています。のちに金森博雄CIT教授が「ゆっくり地震」、「音無し地震」と言う新しい地震のカエゴリを創出した地震です。以下の記事はそうした過去の論議を思い出させます。
 
%%%%%地すべり説はデータを説明するか?
SLIDING SCALE(地すべりの規模)

Although the satellite data do show a lot of landslides on Mount Mantap, other researchers argue that they could not have caused the magnitude-4.1 event. Much larger landslides, such as at Bingham Canyon mine in Utah in 2013, haven’t produced seismic signals close to that size, says Ekstrom.

衛星写真には萬塔山上に多数の地スベリ痕が認められるが、ある研究者達はその地すべりがのマグニチュード4.1相当の地震波を放出することには懐疑的だ。2013年のBingham Canyon mine in Utahのようなずっと大規模な地すべりでもそれほどの地震波は放出していない、とEkstromは言う。
He also argues that the seismic signals he has seen do not match the pattern expected from a landslide. Such an event would have longer-duration signals (matching the time that it takes rocks to fall down a slope) and fewer high-frequency waves (because the energy in a landslide is released more slowly than in earthquakes or explosions) than what was recorded in the North Korean event. He says that a collapse cannot yet be ruled out. The crater formed by a collapse sometimes does not become visible at the surface until much later.
彼が見た地震波形は地すべりから想定されるそれとは一致しないと言う。そのような事象が生ずる波はずっと長い振動継続時間(岩体が斜面を滑り落ちる時間に相当する)であり、短周期成分はもっと少ない(地すべりのエネルギは自然地震、爆破地震にくらべて、もっとゆっくりと放出される)。そうした特徴が北朝鮮での核実験に伴ったこの事象では記録されていない。彼が言うには山体崩壊と言う事象が完全に考察から排除されたわけではないと。崩壊によって形成されたクレータが時には、ずっと後になるまで地表に現出しないこともあるからだ。

Another theory comes from Ekstrom’s colleague at Columbia, seismologist Won-Young Kim. Kim rules out a collapse, a landslide and the possibility that there was an earthquake triggered by the explosion. He says that the seismic event was probably a rock burst—a violent fracturing of rock around one of the many tunnels under Mount Mantap. That could explain the frequency of the seismic waves, which were lower than an earthquake rupture but higher than a landslide, as well as the other features, he says.
Ekstrom’s colleague at Columbia, seismologist Won-Young Kimが別の解釈を言う。Kimは崩壊説を排除しない。地すべりに加えて核実験によって引き起こされた地震の可能性である。地震波の形状は岩石破裂であると。即ち萬塔山下の多くのトンネルの一つで猛烈な岩石破砕がおきた。それは地震波の短周期成分を説明する:それは地震の破壊速度よりは遅く、地すべりよりは高速であると。

The characterization of landslides and rock bursts could help researchers to assess how unstable Mantap is. Even if the whole mountain isn't going to collapse, as some have warned, subtler signs from landslides or rock bursts could indicate whether a major section of the mountain above the tunnels may have cracked. If so, that could lead to contamination of the mountainous area by radioactive material. “It is difficult to imagine how to contain that, given the altitude and remoteness of the place,” says Kim.
地すべりと岩体破裂の特徴を調べることは、萬塔山がどれだけ不安定であるかのアセスに役立つ。山全体が崩壊しなくとも、何人かの研究者が注意を促すように地すべりや岩体破砕の小さな兆候がトンネルを覆う山体の主要部分がひび割れているかどうかの指標になる。それは、放射性物質による山全体の汚染に繋がる。その場所が隔離されており、高度も関係しているため、どれだけの危険性があるかは想像できない、とKimは言う。

Stations outside of North Korea have started to detect radiation from the latest test. On September 13, the South Korean Nuclear Safety and Security Commission in Seoul announced that several ground- and sea-based monitoring stations downwind of the test site had detected the radioactive isotope xenon-133, an indicator of a nuclear test. However, no other isotopes were detected, preventing a determination of what type of bomb was used. It also did not indicate whether radiation is leaking from the site at a higher rate than expected, said Cheol-Su Kim, the head of the environmental radioactivity assessment department at the Korea Institute of Nuclear Safety in Daejeon, South Korea.
Based on South Korea's ground-based network of reporting stations, overall radiation levels there ranged from 50–300 nanosieverts per hour—no higher than the country's background level.
北朝鮮外の周囲の観測所が放射性物質の検出を始めている。9月13日にはthe South Korean Nuclear Safety and Security Commission in Seoulがテストサイトの風下にある監視観測所で放射性同位元素ゼノン133(それは核実験があったのかなかったのかの指標であるが)を検出したとアナウンスした。しかし、他の同位体元素は検出されなかったため、実験での爆弾のタイプを同定できなかった。また実験で予想より高いサイトからの放射性物質漏出を見積もる情報もない、とCheol-Su Kim, the head of the environmental radioactivity assessment department at the Korea Institute of Nuclear Safety in Daejeon, South Korea.は言う。
南朝鮮の地表観測網によれば、全体の放出レベルは一時間当たり50−300ナノシーベルトで、それは背景放射に比べてとりわけ大きい値ではない。
With reporting by Mark Zastrow
This article is reproduced with permission and was first published on September 14, 2017.
%%%%%。

MFL定期演奏、モリカケ隠しの解散、北核実験がもたらした地変(1)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真: " target="_blank" title="">柴崎岳がバルセロナ相手にスーパーゴール! )


稀勢ちゃんよ 次場所の活躍 待ってるぜ 我(われ)らが岳(がく)は メッシを出し抜く

 郷土愛熱き私は、相撲は稀勢ちゃん、サッカーは鹿島アントラーズであります。稀勢ちゃんには,
じっくりと損傷した胸の筋力と足の完全回復を果たして貰います。さすれば、又、あの強い稀勢里相撲が土俵で展開されます。そして、サッカーです。アントラーズが快進撃です。そのアントラーズ出身の岳ちゃんが、メッシの居るバルサを向こうに回しての見事なゴールです。大迫もドイツ・ケルンで復調している気配。鹿島で育った興梠も浦和で頑張っています。嬉しいことです。

 台風18号が接近しつつある土曜日、江戸へ出ました。知人が参加するオーケストラMFL の定期演奏を静聴するためです。場所は400名余の座席を持つ中央線・武蔵小金井の音楽ホールです。1960年代半ばに五年程国立に住み、私の通学経路でありましたから、周囲の光景を懐かしむはずでした。が、昔の面影の欠片を見つけることは出来ませんでした。あの当時は沿線はもっと緑があった筈なのですが。
(図:演奏会聴衆に配布されたブローシャより。一部が撮影の具合で光ってしまいました。しかし、名前と経歴は明瞭に見えます)
violinist3080


 バイオリン奏者の演奏が、予想を裏切って誠に見事であったことをまずは書いておきたいと思います。演奏に先立って曲の解説をした指揮者が「今日のバイオリン奏者は美しい音を出す」と語ります。実際、そうでした。指揮者氏の耳は確かでした。こうした将来を嘱望される演者を世間に教えたく思い、あえてプログラムの頁を掲載しました。
 オーケストラは「管弦楽」と訳されます。見事な訳語です。原義にそうした意味があるのか否かは知りませんが、まさに「管」と「弦」の共同作業です。ここから派生する動詞「orchestrate」には“多様な人が共同して一つのものを創造する”なる意と辞書は書きます。その共同作業を指揮するのがconductor です。Conductorの仕事は演奏会場で指揮棒を振り、聴衆にオーケストラが作り出した音楽を楽しませる。それは、仕事の一部でしかありません。最終的な成果を得るべく、事前にConductorは団員に自らの思いを練習を通じて周知し、技術向上の手助けをするのでしょう。この作業は、プロであろうがアマチュアであろうが同じであると思います。

 さて、音とやら音程とやらにはそれほど喧(やかま)しくない門外漢の私にも、バイオリン奏者がオーケストラの音程に引きずられ、結果として音を損ねた(外す)ことに気づきました。しかし、バイオリン奏者は若いに似合わず動揺する素振りも見せずその困難を乗り切っていました。
 こうした場面に遭遇すると、アマチュア・オーケストラの演奏にはどのような感想を寄せるべきかを考えます(例えば2016年9月12日記事 )。具体的には指揮者による団員訓練こそが楽団のパフォーマンス・アップに大きな役割を果たすのだろうと思っていました。このMFL常任指揮者のHP を見る限りでは、三ヶ月で五回の演奏会。これが多いのか、少ないのか分かりません。ともかく、指揮者自身も自らの生活と一ヶ月に二回の演奏会の間に、楽団の指導、訓練をする時間を作らねばなりません。「訓練」とは練習回数であり、指揮者が創りだしたい音に少しでも近づいているのかどうかは練習によってのみ確認できるのだろうと思います。個々の団員も、夫々仕事を持ち、その中から時間を捻り出して練習に参加してくるのでしょう。と、すれば貴重な練習の成果を個々の団員に納得づくで獲得させるのは指揮者の力量と熱意であろうと思っています。指揮者には団員の能力を最大限引き出す工夫があるべきではないのだろうか?どんなに忙しくとも。

 二曲目の第一楽章に、ファゴットとクラリネット(?、あの長い金管楽器に見えたが)のちょっとした掛け合いを数回繰り返すパートがあります。二人の奏者は見事にその掛け合いを、やってのけました。が、概して今般の演奏でも相変わらず、金管楽器が聴衆を不安でやきもきさせました。多分、指揮者はそうした聴衆が感ずるであろう不安を熟知しているのだろうと思います。奏者の技術向上を手助けするべく、指揮者は何がしかの手立てを講じたのだろうか。
 アマチュアオーケストラの演奏鑑賞は、成長の跡を確認することであり、指揮者は聴衆にそれを訴えられるような訓練・指導の証を見せることではないのか。と、現ブログ管理人は思います。以前書いたように指揮者の知識を語ることではなく、今回の演奏では「この点で著しい成長があり、それを訴えるために演目にこの曲を選んだ』と、語って欲しかった。

 と言うわけで、聴衆たる私は、定期演奏会にいたる様々を色々と想像するしかありません。練習と適切な助言を団員に与えたのだろうか、と。それは、指揮者が創り出したい音と音楽がアマチュア楽団によって現出されるに必要な行程と思うからです。そうしてこそ指揮者と楽団員に達成感をあたえ、それが双方に大きな喜びとなるのではなかろうか、てなことを考えながら、中央線に飛び乗りまっしぐらに神田の居酒屋に走りました。
 上に書き連ねたことを読み返してみると、いささか指揮者氏に対してはきつい事を書いてしまったようです。上にも書きましたが、氏には日常の生活、指揮者としての活動に加え、福祉活動への貢献もされていて至極多忙なのだろうと想像します。しかし、団員の音楽性の向上はひとえに氏の指導性に強く依存しているはずです。演奏会冒頭の挨拶で、せめて団員のひたむきな演奏技術向上への熱意に言及があって欲しいものと思った次第です。

 安倍氏が9月28日の国会開会冒頭に衆議院解散を目論んでいるとのことです。金“刈り上げ”将軍の助けを得て、国民の支持率が回復したからだそうです。
 【金子勝】安倍アラート連発で森友加計問題ぶっ飛んじゃった!
 
 こんな時期に最大野党である民進党は”離党するのしないの”とスッタモンダしています。彼らは日本国民の安全と平和を担おうとする「政治家なのか!」と厳しく問い質したい気分であります。「そんなことをほざいている場合ではなかろう。まずは自公政権をストップさせることが先決だろう!!」と。
 既に書いたように自公の中に垣間見えるちっぽけな亀裂に手を突っ込んで現在の与党を力づくで分裂させ、来るべき選挙で安倍一派を敗北に追い込む。それこそが野党代議士たることの醍醐味ではないのか。
 
 弁護士の郷原信郎氏が上記動画で語る金子氏の危惧を指摘しています:
%%%%%
森友捜査終結「特捜部はやる気なしで財務省は逃げ切り」郷原信郎・元特捜検事
AERA dot. 9/15(金) 16:32配信

 学校法人「森友学園」をめぐる事件で、大阪地検特捜部は11日、籠池泰典前理事長と妻の諄子氏を詐欺などの罪で追起訴した。捜査開始の時点から「国策捜査」との批判が噴出した今回の事件。いったい何が問題なのか。元東京地検特捜部検事の郷原信郎氏が解き明かす。

* * *

──森友問題で「国策捜査」との批判が多いのはなぜでしょうか?

 今回ほど、政治的色彩が濃い捜査はありません。幼稚園や保育園の補助金不正は珍しいものではなく、不正がわかった場合は行政が調査や指導をするのが一般的です。悪質であっても捜査をするのは警察。大阪地検特捜部が出てくる事件ではありません。籠池泰典氏が「国策捜査」と思うのも無理もないと思います。

──捜査は不自然な部分が多い?

 籠池氏は、不正だと指摘された国交省からの補助金は返還していました。にもかかわらず、3月29日に大阪特捜部が補助金適正化法違反の告発を受理したことが、一斉に報道じられました。当時、籠池氏は国会の証人喚問で証言をして、注目を集めていた。その時期に、東京の法務・検察サイドから出たと思われる情報がメディアに流れたのです。

 それだけではありません。籠池夫妻は、補助金適正化法が適用される事案なのに、詐欺罪で起訴されました。従来の検察ではあり得ない処理です。「詐欺」の罪名を付けることで、特捜部は籠池夫妻に悪いイメージを付けたかったのでしょう。

──政治的な意図を持って特定の人物を狙い撃ちする「国策捜査」だとしても、森友問題では、財務省近畿財務局も8億2千万円の国有地の値引きに関わっていたと指摘されています。近畿財務局の担当職員も起訴されるのでは?

 担当職員が起訴されることはないでしょう。背任の成立は「自己や第三者の利益を図る目的で損害を与えた」ことが必要です。担当職員が、自分の利益のため不当な値引きを行って、国に損害を与えたことを立証できなければ、背任容疑で刑事責任を追及できません。

 特捜部は「籠池夫妻は詐欺をした悪者」というイメージを世間に広げることで、近畿財務局は「不当な圧力を受けた被害者」とのストーリーを作ろうとしているように思える。それによって、近畿財務局の不起訴が世の中に受け入れられやすいようにしたいということでしょう。

──しかし、国有地の値引き交渉では、安倍昭恵首相夫人付の政府職員だった谷査恵子氏も、財務省とやりとりしていたことが明らかになっています。「近畿財務局は被害者」というストーリーは成り立たないのでは?

 特捜部の捜査では、特定の人物の捜査をしない「国策不捜査」もあります。本気で捜査するなら、特捜部は近畿財務局を強制捜査をしているはず。証拠隠蔽が国会で大問題になっているのに、ガサ入れをしていないのは、最初から起訴の方向で捜査する気がないからでしょう。「籠池夫妻=悪党」を世間に広め、「籠池夫妻が昭恵夫人の名前まで使って脅してきたので、不当な値引きに応じざるを得なかった」というストーリーに持ち込みたいのでしょう。

──近畿財務局を調査している会計検査院の報告書が、今月中に発表されると報道されています。森友問題は、今後どうなるのでしょうか。

 会計検査院の報告書がどのようなものであれ、特捜部が「近畿財務局は被害者」というストーリーを基本的に変えることはないでしょう。

 幼稚園の補助金に関しては、多くの施設で同様の問題が大なり小なりあるはずです。本来は行政指導で対応すべき問題です。特捜部が捜査を始めた経緯も、捜査のやり方も処分も不可解でなことだらけです。もともと動機が不純だからでしょう。

 このまま籠池夫妻に「悪党」のイメージを広めるだけで捜査が終結してしまえば、検察は一体何のためにこの事件でしゃしゃり出たのか、という疑問を持たざるを得ない。そうなれば、特捜部が国民から批判を受けるのは避けられません。(AERA dot.編集部・西岡千史)
%%%%%

  今夕、郷原氏のメルマガが届きました。長くなるので、全文をここに掲載しませんが、誠にいつもながら説得力があります。是非の一読をお勧めします。
“憲政史上最低・最悪の解散”を行おうとする「愚」〜河野外相、野田総務相は閣議で賛成するのか


+++++北朝鮮核実験が引き起こした地学現象(1)
 9月3日の“刈り上げ”金将軍の核実験は、新たな地変を引き起こし、その地変による地震動が世界の地震観測所で観測されているといいます。以下の記事がそれを書いています(長い記事なので、二回に分けて掲載します):
%%%%%A second jolt felt minutes after this month's detonation continues to confound researchers
今般の核実験の数分後の一秒程度の揺れが研究者を困惑させている。
Scientific American誌より 
• By David Cyranoski, Nature magazine on September 15, 2017

Eight-and-a-half minutes after North Korea set off a nuclear bomb on September 3, a second burst of energy shook the mountain where the test had just occurred. More than a week later, researchers are still puzzling over what caused that extra release of seismic energy—and what it says about North Korea’s nuclear-testing site, or the risks of a larger radiation leak. Monitoring stations in South Korea have already picked up minute levels of radiation from the test.
 9月3日北朝鮮が核爆発をセットした8分半後に一秒間ほどのエネルギ放出がが実験が起きた山を揺さぶった。一週余の後になっても、研究者達は何がこの振動を生じせしめたのかー北朝鮮のこのテストについて何が見えるのかー放射性物質の拡散は動であったのかなどの謎解きに取り組んでいる。南朝鮮(韓国)の監視観測所はテストサイトからの微小レベルの核物質を検出している。

A number of theories have emerged to explain the second event, ranging from a tunnel collapse or a landslide to a splintering of the rock inside Mount Mantap, the testing site. But seismologists can’t agree and say that they may not get enough evidence to pin down the cause.
“This is an interesting mystery at this point,” says Goran Ekstrom, a seismologist at Columbia University in New York City.
この二番目の事象について幾つかの説明が提示されている。それはトンネル崩壊、テストサイトである萬塔山の地すべりと言ったことだ。しかし、地震研究者たちはそれだけで原因を特定するに充分であるとは考えていない。と、Goran Ekstrom, a seismologist at Columbia University in New York City派言う。

The nature of the first seismic signal is clearer because it matches the profile of a bomb blast. The US Geological Survey (USGS) determined the magnitude of the seismic event associated with the nuclear explosion at 6.3, whereas the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization (CTBTO) in Vienna calculated it at 6.1 on the basis of a separate analysis. The explosion was many times the size of past North Korean tests and was the largest seismic signal from a nuclear test ever detected by the international network of seismic monitoring stations used by the CTBTO.
 地震記録上の最初の波はそれが核実験の特徴と良くがっちするので明瞭であった。The US Geological Survey (USGS)は核爆発に伴う地震波の放出はマグニチューど6.3に相当するとした。一方the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization (CTBTO) in Viennaは異なる解析から6.1とした。その爆発は過去の北朝鮮による核実験規模を大きく上回っておりCTBTOによる地震観測網で検出された核実験の中では最大級であった。

The second event came 8.5 minutes later and registered as magnitude-4.1, reported the USGS. The agency suggested that it was associated with the test and may have been a “structural collapse”. The possibility that the smaller shock was caused by a tunnel collapse inside the testing site has dominated discussion in the media. But Paul Earle, a seismologist at the USGS, told Nature that was just one possibility that was raised in the immediate aftermath of the explosion. The USGS, he said, was “basing that on previous nuclear tests of comparable size that had a collapse”.
二番目の事象は8分半後であり、マグニチュードは4.1であった、とUSGSは書く。それはテストに伴ったものであり、構造的な崩壊であったと、付け加える。テストサイトないぶのトンエル崩壊によって引き起こされた可能性をメディアは書く。しかし、Paul Earle, a seismologist at the USGS,はnature誌にそれは一つの可能性に過ぎないと語った。それは、以前の実験が同程度の規模の崩壊を引き起こしたとの事実に倣っているだけだ、と。

Possible signs of a collapse are visible on satellite images taken of the testing site, according to an analysis released on September 12 by 38 North, a partnership of the US-Korea Institute and the Johns Hopkins School of Advanced International Studies in Washington, DC.
But the seismic signal doesn’t match what would be expected from a collapse, says Lianxing Wen, a geophysicist at the State University of New York at Stony Brook. A collapse would produce mostly vertical movement of rock, but his own unpublished work suggests that the seismic clues point to a large horizontal movement as well, something he says would be more consistent with a landslide.
 崩壊についてのありそうなことがテストサイトで撮影された衛星画像から見える。それは9月12日に撮影されたもので、38 North, a partnership of the US-Korea Institute and the Johns Hopkins School of Advanced International Studies in Washington, DCによる。
しかし、地震波はそうした崩壊から予期されるものとは合致しないとLianxing Wen, a geophysicist at the State University of New York at Stony Brookは言う。崩壊は岩石に鉛直落下を招じたようであるが、彼自身の未発表の調査は、地震波が水平方向の巨大な運動ウをも示唆している。それは地すべりと野考えに調和的であると。
(つづく)

メキシコ巨大地震(2)、官邸の東京新聞非難

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:JR上越線列車内のつり革棒に掴まる巨大鬼ヤンマ。先日のカワセミは特打ねであった筈が、撮り逃がしたは誠に無念でありました。そんなわけで、やや古い写真です。先日、弥彦からの帰宅途上で乗った上越線の車内に大きな鬼ヤンマが飛び込んできました。座席に居た男子大学生グループ、捕まえようとするのかと思いきや、皆一斉に車外に逃げ出してしまいました。呆れましたが、まあトンボと遊んだ私の育った時代と今は違うんですな。私が捕まえる前に駅員さんが飛び込んできて、四苦八苦の末、逮捕しました。トンボには何の咎もないことを承知していた駅員さん、殺さずにトンボを空に放ちました。)
とんぼ2996


 朝七時 眠気を覚ます サイレンに 頼みの安倍氏 インドで商談

 %%%%%国民保護に関する情報
【発表時間】
2017年09月15日 7時07分
政府発表
【内容】ミサイル通過。ミサイル通過。先程のミサイルは、北海道地方から太平洋へ通過した模様です。不審な物を発見した場合には、決して近寄らず、直ちに警察や消防などに連絡して下さい。
【対象地域】北海道 、以下省略
%%%%% 
 その安倍氏は、今回は公邸泊どころか、昨日の報道ではインドとの商談成立でインド政府高官とハグしておりましたな。
(図:東京新聞、9月14日付けより)
安倍インド3067


インドといえば慶応大学教授金子勝氏が重要指摘をツイッタしています5:15 - 2017年9月15日、金子勝 ;@masaru_kaneko
%%%%%【絶望的なバカの無責任】森友加計で連携するアベ夫妻のインド訪問は何という低レベル。ウラン、プルトニウムの濃縮技術の「平和利用限定」などという無意味なフレーズだけで、世界に原爆燃料をばらまく。そして「世界一安全な原子力技術」と嘘をつき、インドでの原発事故の補償負担まで勝手に決めた。
%%%%%

 隣国金将軍から一昨日、下のようなメッセージが投げつけられています:

%%%%%北朝鮮「列島、核で海に沈める」=制裁に便乗と日本非難 
2017年9月14日 8時23分
時事通信社
 【ソウル時事】14日の朝鮮中央通信によると、北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会は13日、報道官声明を出し、国連安保理での対北朝鮮制裁決議に関し「日本は米国の制裁騒動に便乗した」と非難した。その上で「日本列島4島を核爆弾で海に沈めなければならない」と威嚇した。
 声明は「わが軍や人民の声」として、「日本の領土上空を飛び越えるわれわれの大陸間弾道ミサイル(ICBM)を見ても正気を取り戻さない日本人をたたきのめさなければならない」と主張した。
 さらに、米国を「決議でっち上げの主犯」と決めつけ、「わが軍や人民は、米国人を狂犬のように棒で打ち殺さなければならないと強く主張している」と警告。声明の英語版は日本人を「ジャップ」、米国人を「ヤンキー」と蔑称でののしっている。
%%%%%
 安倍氏は、このメッセージを知りながら大枚の札束を抱えてインドやらどこぞやらで商談旅行です。勿論、ミサイルへの心配は全くしていないからです。むしろ金将軍の罵倒こそが安倍氏の国民支持率のアップに繋がっているのです。前回も書きましたが、わが同胞、一体何を考えているのやら、であります。こうしたメッセージを送りつける金将軍の意図は、「何時までも安部氏に日本国首相で居てほしい」と言うことなのでしょう。金将軍と安倍氏はうわべはともかく互いにもたれあいの関係であると私は見ています。

 元共同通信記者の分析(9月11日記事 )を参照してください。どうやら大掛かりな背後の動き。それは米国に拠点を置く軍産複合体によるトランプ大統領の排除ではなかろうか、と思えてきます。

+++++メキシコ巨大地震のはなし(続)
 9月9日にメキシコでMw8.1の巨大地震が発生しました。その発震機構は誠に興味深いものです。なにせココスプレートの中米陸下へのもぐりこみと言った当然予期される構図とは全く異なっています。
 (表1:前回記事で用いた表の再掲)
170909Mexicomt無題

  断層面を知るには余震分布の形状が役に立ちます。幸いIRISはその余震の3D形状を提供しています(図1)。

(図1:メキシコ地震(2017年9月8日)の余震三次元分布、書きHPで右の3Dを選ぶと色々な方向からの地震分布を見ることが出来ます(IRIS余震分布 )
20170909Mexico3D無題

 それによれば、この地震の断層面は東に傾く面と思えます。が、3Dで見る限りではその面は上記GCCSで示される解のb面とは違っています。解は77度と大きく傾いていますが、3Dではそうは見えない。
 そこで、本ブログ6月5日記事 で示した手法をこのメキシコ地震の断層面の特定に適用することを考えました。
( 図2:CMT計算から得られる位置から断層面を決定する試み)
20170909Mexico模式


上の図の手続きに従って、二つのベクトルの内積を計算した結果が下の表です:
(表2:図2に示した構図に基づいた計算結果)
20170909Mexico表2


 この表では、今後に予定した調査のために、本記事とは関係のない計算結果も示されています。たとえば「絶対座標」(上表四行目)です。GPS計測結果から地動変化を求める際の計測点の座標は、緯度・経度で表現されており、そこでの東西南北座標で変化は表現されます。従って異なる二地点では、厳密には東西南北の方向は異なりますから、二つの地動変化を比較するには、その拠ってたつ座標系は同一でなければなりません。村井俊治氏がGPS計測から地動変化を算出するに当ってはそうした差異の補正を行っています(多分、観測点が地球規模から見て小さい日本列島に限られるならば、そうした補正は極小であろうとは、持っています)。
 本ブログでは近い将来地震を引き起こすダブルカップル力対(上表の最下行、”Nvector on Earth”)を地震間で比較することを考えています。そのためには、多地点での力対の方向を同一の座標系、即ち「絶対座標」系で得ておく必要があります。

 さて本ブログ記事の主題に話を戻します。表で赤字で以て指示した行は、CMTによって得られた震源の相対位置です。「相対」とは、IRISで算出された(P波の到達時刻に基づく)震源位置からの位置です。東方向に-0.94km (即ち、西方向に0.94km)、北方向に0.36km、上方に0.19kmに破壊の主要部分が移動したというわけです。そこで、この方工と二つのスリップベクトルとの内積を計算します。結果は同じような値になっています(最下から二・三行目)。それでもより小さいのは下から三行目です。つまりCMT解の方向ベクトルは面aとより直行している。従って、面bがこの地震の断層面であろうと言うわけです。

 と言うわけで、図3のような模式図を作ることが出来ます。しかし、二つの内積値がそれほど違わない。原因の一つは表1に示される31.3秒なる大きなHalf duration値です。これはP波の観測点での出現が極めて曖昧であった、言い換えれば、P波の到達時刻が精度良く決まらなかったために、それによって計算される震源位置に大きな不確定をもたらしたのであろうと考えています。
(図3:今般の地震の断層破壊、鉛直断面図、左側が太平洋、西側がカリブ海)
Cocos3070


 発震機構解が示すところでは、この地震が正断層であり、その断層面の傾きは水平から77度と言います。極めて珍しい地震と言えそうです。あたかも、プレート下部の重みに耐えかねて千切れてしまったかの如くです。おもえば、ココスプレートは東太平洋海嶺で誕生してすぐにメキシコの下にもぐりこみます。生まれて時が経っていませんから日本列島近傍での太平洋プレートとはその硬度が小さい。それが理由かも知れません。
 
 ところで、前回書いたように1940年から本年九月までの巨大地震を全体として眺めてみました。一部は前回の記事で紹介しましたが、まだまだ興味深い事があります。それを次回書きます。

+++++官邸の東京新聞記者への恫喝
 七月の東京と議会選挙での自民党惨敗直後、安倍氏と官邸は殊勝気にも自らの「驕り」を反省するそぶりを示しました。ところが、昨今の金将軍の応援を得てまたもやその尊大振りが復活しようとしています。その端的事例が東京新聞記者で、菅内閣官房長官への率直な質問を繰り返した望月衣塑子氏に対してそれを封じたいとの思惑からでしょう。東京新聞に「注意」したと言うのです。以下はそれを論ずる記事です。

%%%%%『東京新聞』望月記者に強まる官邸の圧力(横田一) 
〈官邸報道室、東京新聞を注意 「不適切質問で国民に誤解」〉と銘打った9月2日付『産経新聞』記事に、素朴な疑問が湧いてきた。「官邸と産経新聞が“共謀”をした言論弾圧に等しいのではないか」と。
官邸が問題視した社会部記者は、加計問題での厳しい再質問で注目された『東京新聞』望月衣塑子記者。8月25日(金)午前中の菅義偉官房長官会見で望月記者は、すでに報道関係者や国会議員の間で広まっていた「加計学園獣医学部設置の認可保留」に触れながら質問したが、官邸は文科省の正式発表(解禁)前であったことを問題視(注1)。
7日後の9月1日、『東京新聞』に「質問に不適切な点があった」「国民に誤解を生じさせる」として注意喚起と再発防止を求める文書を送り、翌2日に『産経』が次のように報じたのだ。
〈獣医学部の新設計画は大学設置・学校法人審議会が審査し、答申を受けた文部科学省が認可の判断を決めるが、この時点ではまだ公表されていなかった。/官邸報道室は東京新聞に宛てた書面で「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」として、再発防止を強く求めた〉
ありもしない「被害」をでっちあげ
これに対して望月記者は、こう反論する。「文科省の正式発表(解禁)の前に質問しましたが、加計学園獣医学部設置の『認可保留』という事実関係自体が誤っていたわけではありません。うちの担当記者が取材で大学設置審議会の保留決定の方針を詰めて、記事も出ていたため、菅官房長官会見で触れたのです。ただし文科省の正式発表であるかのような印象を与えたとすれば、私の落ち度といえるでしょうが」。
加計問題を多少追っている大半の報道関係者や国会議員は、望月記者の反論に軍配を上げると同時に、官邸の抗議文に違和感を覚えるだろう。「認可保留」という公知の事実を、文科省が設定した正式発表よりも少し前に触れたところで、国民に誤解を生じさせるとは考えられないからだ。
ちなみに文科省の正式発表(報道機関への解禁)は8月25日午後で、望月記者の質問は同日の午前中。閣議終了後に菅官房長官会見が行なわれ、この日の閣議は「10時2分から11分」(首相動静)であったから、2時間足らずのフライングにすぎないのだ。
しかも保留を決定した設置審議会が開かれたのは8月9日で、テレビや新聞は保留の方針決定を報じていた。官邸の抗議文を報じた『産経新聞』でさえ、翌10日に「加計獣医学部の判断保留 設置審、文科相答申 延期へ」という記事を出していた(注2)。
官邸の抗議文を「事実関係に反する意図的な表現」と一刀両断にしたのが、民進党の小西ひろゆき参議院議員だ。ツイッタ―で官邸が送った書面を公開、こう書き込んだのだ。
〈「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に対して誤解を生じさせる」との下りは、「記者は、政府が事前提供した解禁期限付の確定情報に触れただけ」という事実関係に反する意図的な表現。まさに、不当な言論弾圧そのもの。東京新聞は断固抗議すべきだ〉 ツイッタ
こんな光景が目の前に浮かんでこないだろうか。「強面のオッサンがありもしない被害をでっちあげて騒ぎ立て、気に食わない人物を黙り込ませようとしている」と。
官邸の対応を解くカギ
官邸が常軌を逸した対応をしたのはなぜか。この“謎”を解くカギは、望月記者が質問した8月25日から抗議文が出る9月1日までの7日間のタイムラグ。この間の菅官房長官会見で、望月記者は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のミサイル発射前夜に安倍首相が公邸に宿泊したことなどについて問い質し、この質問を『産経』が批判的に紹介した記事が広まった結果、安倍首相は公邸に留まらざるを得なくなったのだ。「その逆恨みで官邸は1週間前の些細な出来事を引っ張り出して、望月記者に嫌がらせをしたのではないか」という見立て(推論)が有力のようにみえるのだ。
私邸通い中止の一因の可能性のある『産経』1日付の記事〈「北朝鮮に応じる調整しているか」…!? 東京新聞、官房長官に迷質問〉は、以下の通りだ。
〈菅義偉官房長官の31日の記者会見で、米韓合同演習を批判し、弾道ミサイルを相次いで発射する北朝鮮を擁護するような質問が飛びだした。
質問したのは、学校法人「加計学園」獣医学部新設計画をめぐって菅氏を質問攻めにした東京新聞の社会部記者。「米韓合同演習が金正恩朝鮮労働党委員長の弾道ミサイル発射を促しているともいえる。米韓との対話の中で、金委員長側の要求に応えるよう冷静に対応するように働きかけることをやっているか」と質問した。
菅氏は「北朝鮮の委員長に聞かれたらどうか」と返答。東京記者は「北朝鮮側の要望に応えて、冷静かつ慎重な対応をするよう米韓に求めていく理解でいいか」と改めて迫った。
東京記者はまた、北朝鮮が過去2回ミサイルを発射した前日にいずれも安倍晋三首相が公邸に宿泊したことを取り上げ、「前夜にある程度の状況を把握していたのなら、なぜ事前に国民に知らせないか」「Jアラートの発信から逃げる時間に余裕がない。首相動静を見て、(首相が)公邸に泊まると思ったら、次の日はミサイルが飛ぶのか」とも追及した〉
逆恨みの可能性も ≫
逆恨みの可能性も
一方、「迷質問」と『産経』が批判したこの日の質問について望月記者は、こんな補足解説をした。
「金委員長が米韓合同演習の中止を求めたのは『斬首作戦』が含まれていたからです。米国の攻撃で国家が崩壊したイラクやリビアの二の舞にならないように、自国防衛のために核武装をしようとしている。相手の立場に立って考えることが重要。北朝鮮に核ミサイルを連射されたら日本全土を守り切ることは難しい。悪の枢軸として圧力をかけるだけではなく、北朝鮮との対話を模索して欲しいとの考えから質問をしたのです」
官邸が恫喝的対応(言論弾圧)に走った心情が垣間見えてくる。北朝鮮を「悪の枢軸」として米国と一緒に圧力をかける一方、ミサイル防衛強化などに巨額の血税を投じようとする安倍政権に対し、望月記者は斬首作戦中止などで緊張を和らげて北朝鮮との対話を重視する“ハト派的対応”を提示したといえる。
この考えは、報道ステーションで「I am not ABE」のフリップを掲げた元経産官僚の古賀茂明氏と同じ立場だ。ちなみに両者は共著本出版や対談をする間柄だが、結局、官邸は古賀氏出演の報ステに抗議したのと同様、安倍政権に異論を唱えた形の望月記者の質問(言論)も針小棒大な抗議文で封じ込めようとしたようにみえる。
外交安保政策についての異論封殺に加えて、逆恨みのような感情が働いた可能性もある。これまで安倍首相は「公邸に常時泊まるべきだ」との批判が出ても、私邸からの通いを続けてきた。「体調管理や精神衛生の面で好ましいためか」といった推測が囁かれていたが、その理由はさておき、これまでの生活パターンが望月記者の質問後に変わったことは紛れもない事実。安倍首相と菅官房長官が激怒する姿が目に浮かんでくるのは私だけであろうか。
官邸の常軌を逸した恫喝的文書の謎解きには、この“逆恨み説”が有力なヒントになるのではないか。
北朝鮮情勢が緊迫する今、異なった立場から質疑応答をすることは極めて重要だ。官邸の抗議文に屈せずに望月記者が、菅官房長官会見でどんな質問を続けていくのか否かが注目される。
(横田一・ジャーナリスト。ネット独自記事)
******************************
注1 官邸報道室の書面にも添付された質疑応答は以下の通り。
1. ●望月記者 最近になって公開されています加計学園の設計図、今治市に出す獣医学部の設計図、52枚ほど公開されました。それを見ましても、バイオセキュリティの危機管理ができるような設計体制になっているかは極めて疑問だという声も出ております。また、単価自体も通常の倍くらいあるんじゃないかという指摘も専門家の方から出ています。こういう点、踏まえましても、今回、学校の認可の保留という決定が出ました。ほんとうに特区のワーキンググループ、そして政府の内閣府がしっかりとした学園の実態を調査していたのかどうか、これについて政府としてのご見解を教えて下さい。

●菅官房長官 まあ、いずれにしろ、学部の設置認可については、昨年11月および本年4月の文部科学大臣から大学設置・学校法人審議会に諮問により間もなく答申が得られる見込みであると聞いており、いまの段階で答えるべきじゃないというふうに思いますし、この審議会というのは専門的な観点から公平公正に審査している、こういうふうに思っています。
*******************************
注2 8月10日付『産経新聞」
〈加計獣医学部の判断保留 設置審、文科相答申 延期へ
政府の国家戦略特区制度を活用した学校法人加計(かけ)学園(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐり、同学園が来年4月に愛媛県今治市で開学を目指す獣医学部設置の認可申請を審査する文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)の非公開会合が9日開かれ、獣医師養成に向けた教育環境に課題があるとして、認可の判断を保留する方針を決めた。設置審は今月下旬に林芳正文科相に答申する予定だったが、延期される見通しとなった〉
%%%%%

メキシコ巨大地震、麻続王一家の「流懺」

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:飛び立つカワセミをレンズが捕らえたと思い、画像を拡大するやら、明るくするなどいろいろ試みましたが、見つかりません。ともかくここは本日朝のカワセミ目撃の現場であります。写真拡大は二回クリック)
カワセミ3029


 ありがたや 眼福までは いかずとも 麗しき姿 瞼に残れる

 どう見ても清流とは言いがたい水田用水路です。しかし、カワセミ君には居心地が宜しいようです。橋の上に人の気配を察すると、さっとすばやく飛び立ってしまいます。眼福なぞと言う悠長な一時ではありませんでした。此処を歩くときは、デジカメのシャッタは開けておき、足音を忍ばせて近づくのですが、今朝もレンズで捉えることは出来ませんでした(もしかすると映ってるのかもしれません、未練たっぷりであります)。しかし、しかとその宝石色を目に焼き付けました。

+++++メキシコ巨大地震
 9月8日にメキシコ南部でMw8.1の巨大地震が発生しました。この地震については地震後に発光現象があったなぞと言う報告があります。が、IRISによれば震源の深さが地下70km(GCMRによれば50km)と深いので、私は、目撃された光はいわゆる「地震発光」ではなかろうと思っています(例えば地震発光 を参照)。 本ブログでもしばしば考察してきた地震と電磁気現象について「地下の電磁現象について」 なるブログ記事が地下の岩石圧縮が移動する荷電粒子の物理的仕組みを説明しています。それはさておき、まずは震源域とその余震活動状況です。

(図1:IRISが掲載する当該地震の震源域:発信時Ot=4:49:21(世界標準時), 震央15.0678N, 93.715W, 震源の深さH=69.65km, 地震規模Mw=8.1,図拡大は二回クリック)
170909Mexicomap無題


 図1で気づく特徴の一つがこの地震の余震活動の水平的広がりがMw=8.2の地震にしては著しく狭いことです。そのことをGCCS(Global Cmt Catalogue Search)解析結果で見ることにします(表1)

 (表1:Global Cmt Catalogue Search による地震波解析結果(上)と、ブログ管理人による追加的解析(下)。表拡大は二回クリック)  
170909Mexicomt無題


 上の表でまず指摘しておかねばならないことは、Fault planeの行です。slipが負値でです。即ち、この地震の断層は予想に反して正断層であるということです。右下にその発震機構解を示していますが、節面a,bのどちらが断層面であるにせよ、それは逆断層の岩盤運動ではなかったということです。図1で示すように余震の空間的広がりが小さいことから、節面、b,がこの地震の断層であろうことが予想されますが、その議論は次回にします。

 もう一つ、注目しているのがHalf duration=31.3秒とかなり長い時間です。Centroid time minus hypocenter time=22.8秒とこの規模の地震では通常の時間です。というわけで、31.3秒は大変考え難い大きすぎる値です。波動が極めてゆっくりと立ち上がったことを暗意しており、今後の詳細な解析を待ちたいと思っています。

 今般のメキシコ巨大地震の断層面の議論を先送りにしたので、今回は1940年以降の世界の巨大地震をざっと眺めることにします。
(図2:1940年以降の巨大地震(Mw>=7.8、縦軸はMw(但し、1976年以前にはそうしたマグニチュードの物差しが無いのでMsを用いている)。横軸は2011年3月11日の東日本巨大地震から勘定した時間(日数)。図拡大は二回クリック)
170912since1940Mw vs Time


 1952年のカムチャッカ地震から1964年のアラスカ地震、即ち12年間にマグニチュドが9を超える地震が4回にもわたり頻発した時期があります。それから52年後の2004年にスマトラ沖地震が起きています。過去の例に倣えば巨大地震は一旦発生すると連発するということであればスマトラ巨大地震後十数年目にあたる昨今は要警戒時期かもしれません。尤もスマトラ地震からは既に十三年が経過しています。 図から見えることは、1964年のアラスカ地震から2004年のスマトラ沖地震までの40年間ははいわば「巨大地震ギャップ」と言っても良い期間です。これは一体何か?要研究対象と思います。一体この期間に何があったのか?Mw>9の地震が欠落するその代替に他の巨大地学変動が無かったのか?あったのか?

 改めて、地震発生に関しては統計学の適用が誠に難しいことは上の図からも容易に見て取れます。つまりこれだけの情報からはその規則性を嗅ぎ取ることは難しい。それに加えて、1940年以前に遡りたくとも、しかるべきデータはありません。
 昨今、一部の防災研究者によるいい加減で安易な地震予測が横行しています。それに便乗して在野の素人さんが極めて短時日内での「地震発生数の推移」から「明日にでも大地震が起きる」が如きの発言を巨大掲示板などで公言しています。「当るも八卦、当らぬも八卦」の自己顕示欲にそそのかされての行動でしょう。何せ地震国日本では、予想まがいの言を弄していれば、必ずや一回は当るでしょう。しかし、それは地震科学とは無縁です。
 地震専門家の多くが地震予想を安直に語らない理由について少しでも想像力を働かせれば安易な思いつきを口にすることは、自らの無知を晒けだしていることに自ら気づくはずなのですがね。とはいえ、地震国日本に生きる国民の大半は聡明ですから、そうした他愛もない地震予想には惑わされません。

 素人地震予想が蔓延る背景には、防災専門家を名乗る研究者の安直な言動があると私は考えています。研究費を獲得したいという動機か名声かは知りませんが、科学的論拠とは到底言えない誠に杜撰な地震予測なのですが(本ブログでも時にその類を批判しました)、それがメディアで持ち上げられたりします。これを見た素人さんが〔自分でも出来る〕と勘違いし地震予測をするのです。地震発生予測を手がけている学者研究者の真摯な取り組みが求められるところです。とは、言ってもその論拠が中々無い。悩ましいことです。

(図3:1940年から2017年9月の期間に発生した巨大地震(Mw>=7.8)の空間的分布。左は東日本巨大地震震央から見た等距離・等方位作図。右は東日本巨大地震震央の対極点から描いたもの、図拡大は二回クリック)
1940_2017greatmap無題


 巨大地震はもっぱらプレート潜り込み域に限られていることが分かります。対照的に大西洋、即ちプレートの生成域では皆無です。それは何故か?地球科学の謎は沢山あります。

+++++麻続王一家の「流懺」を考える
 少し時間を置いてしまったので、ざっと現今主題のこれまでの考察を振り返っておきます。常陸国風土記が麻続王の潮来(板来)滞在を記しています。万葉集巻一・二十三歌、二十四歌が、麻続王の鹿嶋(荷四間、カシマ)での生活を詠っています。そして日本書紀巻二十九・天武四年四月紀は、その麻続王一家の遠方地への流懺を書いています。この三つの古文書記録は同一の史実に基づいているはずです。その史実および史実の背後を探ることを通じて、日本列島の八世紀の実相に迫ろうというわけです。

%%%%%天武天皇四年(西暦六七五年、但し日本書紀編年による)
夏四月甲戌朔戊寅(五日)。請僧尼二千四百余、而大設斎焉。
辛巳(八日)。勅。小錦上当摩公広麻呂。小錦下久努臣麻呂二人。勿使朝参。
壬午(九日)。詔曰。諸国貸税。自今以後。明察百姓。先知富貧。簡定三等。仍中戸以下応与貸。
癸未(十日)。遣小紫美濃王。小錦下佐伯連広足、祠風神于竜田立野。遣小錦中間人連大蓋。大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於広瀬河曲。
丁亥(十四日)。小錦下久努臣麻呂坐対捍詔使。官位尽追。
庚寅(十七日)。詔諸国曰。自今以後。制諸漁猟者。莫造檻穽、及施機槍等之類。亦四月朔以後。九月三十日以前。莫置比満沙伎理梁。且莫食牛・馬・犬・猿・鶏之完。以外不在禁例。若有犯者罪之。
辛卯(十八日)三位麻続王有罪。流于因播。一子流伊豆嶋。一子流血鹿嶋。
丙申(二十三日)。簡諸才芸者。給禄各有差。
四月是月 新羅王子忠元到難波。
%%%%%
 四月五日の大規模な「斎」なる催事の権威付けに資する出来事、そして臣下、民への賞罰が記載されていると考えています。上記五日の記事はその「罰」に当るとして、不比等はそれを此処に書き込んだのでしょう。藤原不比等にすれば、それほどに重大な政治的問題であると捉えたのかも知れません。この記事の解読は、日本書紀では一人の人物として描かれる天武天皇が、実は二人の首領を重ねてfabricateされた人物であったとの事実を探り当てる端緒となりました。
 そこで、本ブログ記事では、倭国王を継承していた人物で、古事記が書く建身名方命でもある人物を天武Aと書いています。一方、奈良盆地にあって持統天皇とともに西の倭国と東国の殲滅に指揮を取った人物を天武Bと書いています(x月x日記事)。

 翌九日は百姓への「慈悲」です。これも大掛かりな「斎」なる催事への権威づけといういわば「印象操作」の一環です:
壬午(九日)。詔曰。諸国貸税。自今以後。明察百姓。先知富貧。簡定三等。仍中戸以下応与貸。
曰く:
〔民に貸し出す稲の苗葉については、百姓の貧富を見定め、三等級に分け、下層の二つの等級の民に貸し出すべき〕(岩波文庫「日本書紀(五)」、124頁より)。
 これは、倭国および扶桑国で採用されていた百姓への農事支援政策であったと考えています。藤原不比等は、「斎」に盛り込むべき恩恵施策として、天武Aの事跡を取り込んだのです。

 前回記事で、弥彦山周辺に頻発したであろう地滑り、土石流などから民を守るために治山・治水事業のための技術開発がなされてであろうことを書きました。そのイニシアティブを取った首領が民から深く崇敬され、死後には引き続き自然災害からの守護神として、山麓に丁重に埋葬し、祈りを捧げてきたのだろうと考えています。こうした事業の担い手が西域からの渡来人であった。が、藤原不比等が天下を取るに当り、彼らの業績はさておき、彼らの出自を隠蔽する姑息な細工が行われたらしいことも前回書きました。

 そうした弥彦神社での見聞が、十日の記事の解読と重なります。
「十日】遣小紫美濃王。小錦下佐伯連広足、祠風神于竜田立野。遣小錦中間人連大蓋。大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於広瀬河曲;
 これについては2011年3月7日(あの大地震津波災害の直前!!)「熊本県の広瀬・竜田、前原氏辞任とNHKの報道」と題する記事 で詳論しました。この記事は、この祭祀の場所を特定できる手掛かりを与えており、結果として天武Aが九州にしっかりと足跡を残していることがわかります。重要点ですので過去記事の一部を再掲します。
%%%%%過去記事再掲
(大意) 4月10日、美濃王と佐伯連広足(さえきのむらじひろたり)を遣わして、竜田立野に風神を祠(まつ)らせた。間人連大蓋(はしひとのむらじおおふた)と曾禰連韓犬(そねのむらじからいぬ)を遣わして、広瀬河曲の大忌神(おおいみのかみ)を祭った。(岩波文庫(五)、124頁より)

 まず私が着目するのは「祠」と「祭」です。上記にみるように、岩波文庫の校注者(敬称略、坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋)は、この二つの漢字の違いを区別せず「まつる」と仮名を振ります。「漢和大字典」(藤堂明保編、学習研究社)によれば、「祠」は、「神や先人をまつる社(やしろ)」とあります。人工の建築物の存在が前提とされます。竜田立野にはそうした「祠」(社)があったと思われます。あるいは、この時点では始めての「まつり」行為であったため、新たに建造された社であったかもしれません。
 一方「祭り」は「神霊をまつる儀式」とあり、そこには、必ずしも「社」風の建築物は必要とされません。例えば、家を新築する際の「地鎮祭」を思い浮かべればよいと思います。広瀬河曲には、「社」は無いのです。ところで、大矢野氏が「この場所こそ、天武紀が書くところの「広瀬」である」とする場所を見てみます(下図4)。
(図4:白川と竜田そして菊池川と広瀬。)
619432e4-s


 まずは図4の下です。北から流れ下る菊池川が、ここで、その向きをほぼ直角に西方向に転じています。まさに「河」が「曲がって」いるのです。岩波文庫は「河曲」に「かわわ」と仮名を付していますが、その意味するところには一言もしません。「河曲」は広瀬の地形を表現したものであることが上図わかります。「瀬」は「急流」を意味します。その急流がほぼ90度流れの向きを変えるとなると、流水は一旦そこで流れを止められ結果として「瀬」は広がります。この地名の由来が自ずとわかります。さらには、そこは当然洪水の発生が頻繁であったはずです。とすれば、そのような場所に「社」を建造することはありえません。そうした建築物は、洪水の発生毎に流されてしまうからです。だからこそ、平時に、そこで、「洪水が起きませんように」との祈りを捧げたのです。そして、広瀬は、洪水の災を蒙る南側であることも納得がゆきます。

 同じ議論を竜田立野にも適用してみます(図4上)。
 白川がうねうねと蛇行しています。この蛇行から、当時竜田の住民は、この川の形状を見て「龍」を連想したのだろうと思います。
そう思える根拠があります。私は、
2009年12月5日の記事で 「英語でよむ万葉集」(岩波新書、リービ英雄著Ian Hideo Levy、2004)についての私の感想を書きました。そこで、取り上げたのが「国見の歌」として有名な万葉集「二歌」です。万葉集二歌には「煙立龍」という表現があります。そして著者のリービ氏はそれを
smoke from the hearths rises, rises.
と、英訳します。私は、この英訳について次のようにコメントしました:
++%%%%わたくしのコメントの再掲
「煙立龍」は竈からの煙が立ちのぼる様子が、龍が天に登るような形状であることを詠っているのです。しかし、英語では、rise で置き換わってしまったため、煙の「もくもく」、「うねうね」と昇ってゆく情景が思い浮かびません。
++%%%コメント再掲終わり

 この歌から、わかることは、「龍」とくれば「立」なのです。「竜田」の「竜」は白川の形状から名づけられたと私は考えています。龍なのです。そして、「立野」の「立」は龍の形をした白川が天に向かって昇ってゆく様を形容しているのです。日本書紀のこの記述は、万葉集さながら、歴史的事象を語りつつ的確な情景描写をしています。
%%%%%過去記事再掲終わり

 この記事は九州倭国に拠した天武Aの事跡であることは明らかです。天武Aは、弥彦神社に祀られる人物同様に、具体的な防災工事も手がけたと思っています。しかし、当時はそれだけでは水害、風害から民を守ることは出来ない。水害・風害は人智が及ばない。そうした存在への「祈り」、自然への畏怖と畏敬を表明するのが祈りです。これは、藤原不比等が構想した「斎」とは、明確に異なります。しかし、藤原不比等はそれを「祀」に関わるという理由から此処に書き込んだことは間違いありません。

 (つづく)

弥彦探訪(2)、山尾志桜里氏失脚を惜しむ、田中宇氏ブログより

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:朝6時前の東の空です。相似形の雲が直線状に並んでいました。どういった過程がこの規則的配列を形成したのでしょうか?右に始まり左に行くほど成長するかのごとくです。やがて、右端での生産が止み、半時間ほどで くっきりとした輪郭が薄れてきました)
朝の雲3016


整然と 夜明けの雲が 並びおり 田に賑々し 秋虫の唄

  私は民進党の山尾志桜里氏を政治家として高く評価していました。緻密で論理的な国会での論戦は、早晩、あの伝説的な代議士・故正森成二氏の高みに達することを期待させました。しかし、「不倫」疑惑で民進党を離党してしまいました。誠に残念と思っています。こうして、国民の気持ちを代弁できる論客がその活躍すべき舞台から離れてしまいました。代議士を辞めたわけでは無いけれども、その活躍の機会は大きく限られることとなってしまいました。そして国会内での最大野党である「民進党」の行く末もなにやら覚束ない。安倍一強が日本国民の生活と安全を根底から揺るがしている、そのときに最大の野党のこの体たらく。なんとも言葉がありませんな。

下にも書きましたが安倍氏にとっては、国会休会中という機に恵まれ「モリカケ」問題で追及されるという事態に直面せずにいます。一見それは沈静化して終ったかの如くです。その間隙を縫うかのように、まさに安倍氏に救済の手を差し伸べるかのごとく、浮上したのが、金将軍による核実験、ICBM打ち上げです。安倍氏は「日本国」の救済者のような出で立ちで「制裁!制裁!」と叫びまわっています。このポーズにあっさりと騙されるのが「お人好し」のわが同胞です。
 我が同胞(私を含む)の特質は眼前の事象に惑わされ、ことの本質を用意に失念することです。金将軍の手助けで以て、いまやあの「モリカケ」疑惑は彼方に押しやられつつあり、何と、安倍氏への支持率も回復しつつあるというのです。隣国が「核」で武装し、それを日本列島に打ち込む装置も保持している。それは確かに脅威です。しかし、金将軍が愚かにもそうした選択・アクションを取れるのか?私には疑問です。それは即、北朝鮮の消滅です。かって、米国はイラクとアフガンで、「捻じ曲げられた言いがかり」でもって他国殲滅の戦争を仕掛けています。そう考えると金将軍を含む周囲の関係国が「ことの落ち着くべき先」を議論するしか方法は無いと思っています。金将軍にとってもそれしか道は無いはずです。

 そのように、思うならば、なおさらの事、日本国民は、北朝鮮の問題もさりながら、“国民の財産を私的欲望のままに恣意的に払い下げ、そこから何がしかの相当額の見返りを得る(田中真紀子氏の指摘)という犯罪を首相としての権限を用いてやっている”ことを、見逃してはならぬ、と。くどいようですが、とするならば安倍氏への支持率が更に下落しても上昇するはずはないんですがね。

+++++弥彦神社(2)
 弥彦神社の参拝形式は二礼四拍であると神社のガイドさんは語ります。神社事務所で購入した由緒書(多くの神社では無料で入手できますが、此処では50円)にはそれは書かれていません。神社の宮司さんが二礼四拍を公に認めているのかどうかは定かでありません。
 が、そうであるとすれば中々興味深いことであると前回書きました。繰り返しますと「四」(シ)は「死」(シ)と同音であることに着目するのです。そのことを最初に指摘したのが哲学者梅原猛氏でした。この発想から出雲大社の背後にある日本人の精神思考を梅原氏は考察しました。

 この弥彦神社の背後にも「死」なる思いが貫かれているのではなかろうか?と、するならばその人物とは誰か?これが当面の設問です。
 それを考える前に一つ想起しておかねばならないことがあります。邪馬台国(八女連邦国)を構成する国の名前を考察した2013年8月5日記事 で書きましたが、倭国に住んだ民が用いた数詞は「ツイ、フ、ミ、ヨ、イツ、ム、ナ、ヤ、クヌ、トオ(ソオ)」であったことは明らかです(一が「ヒ」ではなく「ツイ」であったことは各月の一日が「ツイタチ」と音されることからわかります)。
 「四」を「シ」と音するのは、大陸漢字の音そのものです。日本列島の支配階級が大陸文化を公に受け入れて始まったことです。それが日本書紀を漢文で編集した理由ともなっています。因みに万葉集、古事記はいわゆる倭習漢字です。主として表音の手段として漢字を用い、そこに巧みに表意としての漢字ももぐりこませるのです。

 ところが、「四」と「死」を「シ」と音してその同一性を重視する。これは明らかに日本列島の支配階級が漢字音を公に受け入れていることの現われです。即ち藤原不比等以後の漢字用法です。「二礼四拍」は死者への鎮魂という発想にもとづいてものとすれば、それは藤原不比等出現以前ではないことが分かります。

 この弥彦神社についても、「二礼四拍」が語り伝えられていたとすれば、そこに死者しかも鎮魂せねばならない死者を想像すべきでしょう。神社境内と周辺を散策して気づいたこと。それは神社境内の内外を問わず、小さな側溝があちこちに配置されていることでした。それ自体はとりわけ珍しいことでは無いのですが、その側溝には「砂防ダム」と思しき細工がほどこされています。
(写真:弥彦神社内外のちいさな水流。そこには階段状の小規模ダムが設けられている。いわゆる「砂防ダム」。これによって流れ落ちる水量が多量の際、水が巻き込む土石が下流に吐き出されるのを食い止める。下は、あちこちで見かける注意書き看板)
170911弥彦土石無題


 どうやらこの地は古くから雪水をたっぷりとしみこませた弥彦山からの土石流に大いに苦しめられてきたらしいことが窺えます。この神社の大鳥居の真ん中の柱は、水没を免れるために宙に浮いています。境内には「空飛ぶ謎の石」が鎮座していますが、これも土石流の跡なのでしょう(写真)。
170911弥彦土石b無題


 神社の祭神は、周辺住民の安全のための技術の開発・定着を含む土石流対策を献身的になした人物であったと想像しています。祀られる祭神の偉大さを由緒が語っています。この祭神の名前は「天香具山命」と由緒は書きますが、在地の研究者の調査によれば、この祭神を勧請したのは江戸時代とのこと。「天香具山」と聞けば一言も二言も言いたいことがある現ブログ管理人でありますが、ここではそれを語らないことにします。
 この祭神の出自を末社に祀られる神々たちが示唆しています。前回摂社に祀られる神々の着目点を書きました。彼らには「天」「建」が先頭に付されます。それは彼らの出自を誇示しています。と、言っても「天」は「阿毎』(隋書倭国伝)に「天」と言う漢字を宛て、それを「アメ」と訓ませたのは藤原不比等の「天才」です。「天」にはそうした政治的由来があるにもかかわらず、後世の歴史家たちは古代日本列島には「天孫族」と「国津神」が対立したなどとあたかも「天」が大昔から存在したかのごとき虚偽にはまっているのです。その最たる人たちが「日本会議」「神道政治連盟」に集る人たちです。一方「建」、これは武王の血をひいていることを誇示したのでしょう。
 
 さて、摂社に祀られる神々に加えて、末社といわれる範疇に祀られる多数の神々が居ます。この多数の神々の大多数は神社境内に祀られているとされています。多分小祠が散在しているのでしょう(時間が無かったので確認していません)。全国津々浦々の著名な神々が祀られていると由緒は書きます。
 興味深いことは、境内の外に祀られる七つの末社があることです。それらを列記します(括弧内はブログ管理人が加筆したものです):
火宮神社 加具都知大神 (カグ=高に由来か、拝火教の名残)
住吉神社 住吉三前大神  (スミ=黒が転じたものか。黒姫に由来)
上諏訪神社 建御名方命  (九州倭国王を継承した人物、日本書紀では天武なる名)
祓戸神社 祓戸四柱大神  (ペルシア語で「開墾」意味する語に由来か、2016年12月12日記事2016年12月12日記事
下諏訪神社 建御名方命  (上を参照)
湯神社 大穴牟遲命、少彦名命 (ペルシア語で「酒」を意味する語に由来か。酒は薬に通ずる)
某神社 祭神不詳
 
 境内の外に「はじき出されている」神々の出自はどうやら遠く西域からの渡来人であったと思えます。彼らは、住民に技術を教え防災、食料生産なで大いに活躍した。しかし、藤原不比等政権下で彼らを賞賛するわけには行かなかったのです。さりとて「粗末」にしたのでは「祟り」を怖れねばなりません。しかし、境内に招じ入れるのは出来ない。かくして境内の外に置かれたのです。同様がこの神社の設計です。あからさまにシリウス星信仰を否定できない。そこで「反シリスル」方位の配置としたのでしょう。
 神社を建て替え補強した宮大工さんにはこうした神社にまつわる精神史の一端でも語り伝えられているのでしょうか?お尋ねしたいものです。

 次回は、本題に戻って日本書紀・天武四年・四月紀の考察です。 

+++++北朝鮮緊張(再び田中宇氏ブログより)
 安倍氏はウラジオストックでプーチン大統領に北朝鮮への制裁を強く迫ったにも関わらず、全く相手にされなかったらしい。しかし、つよく迫った様子のみが国内大手メディアによって報じられることから、安倍氏は救国の愛国者とし描き出されその支持率が若干アップしたのだそうです。
 上でも書きましたが、この問題は関係国での協議でしか帰結できないことははっきりしています。私は前回、米国にあっては戦争を好む軍産複合体がトランプ氏を窮地に落とし込むために密かに北朝鮮と結びついて進行する謀略ではなかろうかと書きました。優れたジャーナリストの田中氏がそのあたりを探っています。 
%%%%%北朝鮮と日本の核武装
2017年9月10日   田中 宇

この記事は「北朝鮮危機の解決のカギは韓国に」(田中宇プラス)の続きです。
 ここ2週間ほど、北朝鮮の核ミサイルをめぐる米朝対立が激化する中で、日本や韓国が北に対抗して独自の核兵器を持つことを許すべきだ(もしくは、そのことを議論すべきだ)という主張が、米国の外交専門家らから次々と出ている。
 9月4日には、大手紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の社説欄に、日本人の多くをぎょっとさせる提案が掲載された。「トランプは日本の核武装を望んでいるか」と題し、日本が自前の核兵器を持つ可能性が増していると指摘している。筆者は、タカ派の定期コラムニストで国際政治学者のウォルター・ラッセル・ミードだ。この論文で、私が重要と思ったのは以下の点だ。 (Does Trump Want a Nuclear Japan?)
「北の核ミサイル危機を機に、日本の支配層は、独自の核武装をしたいと考える傾向を強めている」「核武装すれば、対米自立した大国になれる。日本の保守派は、そうなりたいと考えている」「一般の日本人は従来、核武装に対して深く懐疑的だったが、北のミサイルの脅威の拡大を受け、考えを変える人が増えている」「日本が核武装すると、韓国や台湾も核武装する。日本はこっそり台湾(や韓国)の核武装を支援する」
「日本の核武装に対する米政府内の意見は分裂している。日本の核武装を阻止した方が米国の覇権を維持できると考える人と、日本が核武装し、つられて韓国や台湾も核武装した方が、中国の台頭を抑止できるし、日韓から米軍が撤退できて防衛費を節約できるので好ましいと考える人がいる。トランプ自身は後者だ。覇権維持に対する米国民の支持も疑わしくなっている」「北の核ミサイルの出現は、米国に、北との戦争か、アジア覇権の放棄か、どちらかを選ぶことを強制している」
 米海軍のジョン・バード元中将も最近、以下のような主張を発した。「トランプは、北の核の脅威に対抗するため日韓に核武装を許すと公言すべきだ。日韓に核武装させたくない中国は、本気で北に圧力をかけるようになり、北核問題を解決できる」「近年、日本はしだいに自前の核武装に前向きになり、米国もそれを容認する傾向だ」 (Let Japan develop nuclear weapons to lessen North Korea threat, former US Navy commander says) (North Korea crisis: Calls to hand Japan nuclear weapons to stop WW3)
 米国の右派の論客であるパット・ブキャナンも、日韓の核武装を肯定的に見ている。「米本土が北から核攻撃される可能性が出てきた今、米国は朝鮮半島政策を再検討すべきだ。在韓米軍は、中国やソ連が米国の仇敵で、韓国が貧困国だった冷戦初期の遺物だ。北はGDPの25%を軍事費に割いている。韓国は2%台、日本は1%台しか割いてない。日韓は、対米貿易黒字で大儲けしているのに、防衛を米国にやらせている。米国は日韓に、自立した防衛と、独自の核兵器を持つことを計画させるべきだ。核武装は日韓を台頭させ、アジアでの中国の一強体制が崩れて均衡する良い効果もある」 (Pat Buchanan Asks "Should Japan And South Korea Go Nuclear?")
 アリゾナ州の分析者(Robert Robb)は「北のミサイルが米に届くようになった瞬間に、米と日韓の利害が分裂し始めた。韓国は、北の2倍の人口と50倍のGDPがある。日本は北の5倍の人口と125倍のGDPがある。日韓は、こんなに強いのに、安保を米国に頼っているので、北から脅威を受けてしまう。日韓が自前の核兵器を持てば、事態を改善できる。英仏が何百発核を持っていても、誰も脅威に思わない。日韓の核も同じだ。抑止力として、技術的に難しいミサイル防衛より、核兵器の方が手っ取り早い。日本人は核反対の意識が強いので、まず韓国からか」という趣旨を書いている。 (North Korea has nuclear weapons. South Korea and Japan need them too)
 このほか、日本が核兵器を持つなら、英国などと同様、潜水艦に搭載するのが良い、などといった気の早い提案もある(昨年書かれた論文の再掲載)。 (Everything You Need to Know: How Japan Could Get Nuclear Weapons)
▼トランプらの自作自演
 この問題に関し、まず言っておかねばならないのは、日韓に自前の核武装を許すと最初に宣言したのが、選挙期間中のドナルド・トランプであり、北を先制攻撃するぞと喧嘩を売って挑発して北の核ミサイル開発を急がせたのもトランプであることだ。北が米本土に届く核ミサイルを持った後、トランプはまだ日韓核武装容認に再言及していない。だがもし、いずれトランプが日韓核武装容認を再宣言するか、もしくはそれと同等の効果を持つ事態(たとえば韓国が対米自立を意味する中露のダブル凍結案を承諾するとか)を誘発するのだとしたら、北の核武装を扇動して日韓を対米自立に追いやるという一連の動きの全体の黒幕はトランプ(もしくはトランプの後ろにいて米覇権放棄戦略を立案した人々)だ。 (世界と日本を変えるトランプ)
 北は、何もないところから全く独自(北風に言うなら主体的)に核武装を思いついてやっているわけでない。トランプや、以前のブッシュ政権が、北を先制攻撃して潰すと脅しつつ、その一方でおそらく米諜報界が北に核やミサイルの技術を入手できるよう取り計らった末に、北の核ミサイル開発が加速している。 (北朝鮮の脅威を煽って自らを後退させる米国)
 トランプらが北を核武装させたのは、日韓に高額な兵器を売り込むためだといった見方をしたがる人が多いが、それは近視眼な間違いだ。たしかに日韓は軍事費を急増し、米国から武器を買い込んだり、韓国が飛距離の長いミサイルを急いで配備したりしているが、これは中長期的に、米軍が撤退傾向になっても大丈夫なよう、軍事的な対米従属の度合いを下げるための動きだ。 (Japan requests record-high defense budget amid Korean Peninsula tensions)
 北を核武装させた後、米国では逆に、今回紹介したように、日韓の核武装を容認して対米自立をうながしたり、前回の記事に書いたように、韓国が米国でなく中露と組むよう仕向けたりしている。北の核武装は、日韓の対米従属の終わりや、東アジアでの米国覇権の縮小を早めている。トランプやブッシュが北を核武装させたのは、米国覇権の維持拡大でなく、全く逆方向の、覇権縮小や多極化につながっている。米国は02年以来、断続的に(オバマ時代を除く)10年近く、この策をやっている。その長さから考えて、これは隠然と意図した戦略だ。「隠れ多極主義」の戦略である。 (北朝鮮危機の解決のカギは韓国に)
 この戦略の目標は、日韓に核を持たせることでもない。目標はおそらく、日韓を対米自立させることである。「米国の最良の戦略は、単独覇権体制の恒久化である」と教科書的に思い込んでいる人々は「米国が日韓を自立させたいはずがない」と思うだろう。だが現実の国際政治の流れを見ると、この常識は間違っている。政治面はイラク侵攻以来、経済面ではリーマン倒産以来、米当局がやってきた世界戦略の多くが、反直観的な、米国覇権の縮小、中露イランなどの台頭、ドル基軸制の脆弱化を引き起こすものになっている。今回紹介した日韓核武装容認論の多くも、米国覇権の縮小を肯定的にとらえている。 (北朝鮮問題の変質)
 日韓を核武装させることは、日韓の対米自立、東アジアの多極化を引き起こす最も手っ取り早い方法だ。核武装を宣言したら、米国はすぐに「それなら米国の核の傘は要らないね」「これは安保条約の放棄にあたる」と言い出し、その日が対米従属の終わりになる。だが、現実を見ると、おそらく日韓ともに核武装しない。北はNPT(核拡散防止条約)を離脱したが、日韓はNPTを批准しており、核武装は国際法違反の大きな犯罪だ。日本人は、反核の意識が強い。韓国は、対米自立すると中露との関係を強化するだろうが、中露は韓国の核武装に賛成しない。
 日韓の上層部では、自前の核を持つのでなく、米軍の核兵器を日韓に再配備してもらい、北への抑止力向上策とする案が出ている。日韓が、自前の核を開発・配備することと、米軍に核を配備してもらうこととは、政治的な意味が正反対だ。自前の核配備は対米自立だが、米国の核を日韓に配備するのは対米従属の拡大になる。日韓を対米自立へと誘導したいトランプは、米軍の核を再配備してほしいと日韓が頼んできても、断るだろう。 (North Korea’s nuclear test has left the South wanting nukes too)
 日本では(韓国も似ている)、自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。 (日本の官僚支配と沖縄米軍)
 だが、そんな中でも最近、独自の核武装を主張ないし議論しようとする動きが、自民党などの一部から出ている。これは、近年の米国覇権の低下を受け、日本の政治中枢で、官僚独裁と、それを打ち破ろうとする自民党(や民進党右派?)との権力闘争が少しずつ起きているからだろう。官僚機構は民選されておらず独裁勢力だが、自民党など国会議員は民主的な勢力だ。政治家勢力が右から官僚独裁を打破して権力を奪うことは、民主化闘争である。産経新聞は最近、日本では核武装すべきかどうかという議論すら封じられていると怒りの社論を出した。安倍首相のお気に入りである産経は、官僚対右派政治家の闘争の中で、政治家の側についていることになる。 (核武装議論、日本では“禁句”…世論の猛反発不可避、是非すら論じられず)
 蛇足になるがもう一点。今回の記事の冒頭で紹介したミードの論文に「日本が核武装すると台湾も核武装する。日本はこっそり台湾の核武装を支援する」という趣旨の部分がある。これはまさに、私が3月に書いた「台湾に接近し日豪亜同盟を指向する日本」で指摘したことと一致している。現実論として、日本が核武装しないなら、台湾も核武装しないだろうし、日本が台湾の核武装を支援することもない。しかしミードの論文のこのくだりからは、国際政治的な構図として、米国が、台湾の面倒を見ることを日本に任せつつあると感じられる。やはり日豪亜は、未来の予定的な枠組みとして存在している。国際政治的に見ると、日韓台の核武装は、比喩的な話でしかない(国際政治的な意味を分析せず、浅薄な軍事論に終始する日本の言論界は、官僚機構の傀儡だ)。本質は、米国覇権縮小後の東アジアの諸国間の関係がどうなるか、というところにある。 (台湾に接近し日豪亜同盟を指向する日本)
%%%%%

弥彦神社探訪(1)、トランプ大統領苦戦(田中宇ブログ)

夏休みボケのため、今回は弥彦神社見聞記であります。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:弥彦神社拝殿近くから山頂へ通ずるロープウエイからの車窓風景。左遠く越後平野の向こうにかすかに飯豊(いいで)山が見えます。山麓中央に見える構造物は競輪場。その右の森の形状は前方後円墳を思わせます.)


ムサシなる エチゴの山に 立ちぬれば 西に佐渡の 黒き島影 

 何故、ムサシなのか?それは弥彦山の標高が何と634mなんですね。

 9月始めの五日間の夏休み、海外旅行を楽しみました。旅券無しで海外に行けるのか?との疑問、誠に尤もです。実は、私が越えたのは太平洋でも日本海でもなく、津軽海峡です。目的地函館で見つけたのが「ハマナス」の実です。
(写真:石川啄木で知られる立待岬で見たハマナスの黄色、赤い実。私が住む茨城県南東に位置する鹿島はハマナスの花の南限として知られています。それがこのような実をつけるとは知りませんでした。私の義父は死後、その遺骨の一部をこの立待岬から散布したとのことです。)
CIMG2901


 函館からの帰途、機上から見る下北半島の西岸マサカリの刃の部分、当たり前の話ですが、地図そっくりでありました。それをじっくりと眺め新潟に降り立ちました。私、新潟を訪れるのは今回で二度目です。一回目は五十年以上も昔です。大学共同の野外実験が越後平野で実施されました。私はアルバイトとしてその実験作業の人夫の一人でありました。朝早く計測器やらケ−ブルやらを背負って現場に行き、感震器をあちらこちらに設置するなどが仕事でありました。夕方はヘトヘトで夕飯・風呂を終えるとフトンに倒れ込む一週間でありました。この人夫には他大学の学生も居ました。その中の一人、昼間の重労働にもけろっとしてるんですな。夕飯が終えるとさっさと街中に出かけ朝方すっきりした顔で帰ってきます。「何処へ行ってたんだ」と尋ねると、にやっと「親戚がいるんだよ」とか、「砂浜で一晩過ごしたんだよ」とか、惚けます。てなことを思い出しました。

 さて、そんな元気は疾うに失せた老いぼれの私の今回の新潟訪問の目的は弥彦神社を訪ねることでした。この神社は越後の国一ノ宮とされ、広い信仰を集めています。在野の歴史研究家であり、多くの古代史に関する著作を物している関裕二氏が東国を論ずる際にしばしば言及する神社でもあります(例えば「いま蘇る縄文王国の全貌」(KKベストセラーズ刊、1996、187頁))。ここでは関氏の主張を紹介することでブログ記事を冗長にすることは避けたいので、致しません。

(図1:弥彦神社の位置。この神社位置がシリウス星信仰に基づいて設計・建造されたとするならば、その計測基点はどこであろうか?試案として八海山(ハッカイザン、標高1778m )
が候補です。)
170908弥彦_八海a

 八海山と聞けば誰しもが思い浮かべるのは魚沼産米で作られる銘酒ですが、それは本論では脇においていただきます。まずは弥彦神社と八海山との位置関係を計算しておきます。
-->exec('C:\FR55G_B\SCI_lesson\cl_delazm.sci', -1)
epi(lat,lon)=[37.711371 138.816849] (弥彦神社の位置:緯度・経度)
sta(lat,lon)=[37.106993 139.027219] (八海山の位置)
Dlt,Azm,Bzm= 69.7-km 164.48 344.61 0.63deg (距離、方位)
 此処で得られる164.5度と言う角度を私のシリウス星年代決定表に照らして、その年代を推定すると西暦480年代後半になります。八溝山頂から常陸国・二の宮である静神社の設計がなされた年、そして、九州宇佐神宮を設計するに当って米神山を基点とした測量に基づいて設計がなされた年となります。

(図2:弥彦神社境内、明瞭に反シリウス方位で建築物が配されている。)
170908弥彦a無題


 拝殿の主軸は真西からほぼ20度時計回りの向きです。従ってその直角方向は「反シリウス」方位となります。この拝殿を設計させた人物の政治志向、すなわち藤原不比等の意向に逆らわないとの志向が表れていると思っています。言葉を変えるならば現今の境内配置は八世紀以降、東国での扶桑国の影響を完全に排除したいとの強い思惑が反映されているのです。上の図で、末社十柱神社が書き込まれています。これらについては、下で、若干の議論をしています。

(図3:弥彦神社奥宮、配置は真北ではなく5度ほど反時計周りに作られている。シリウス方位であるのか?誠に興味深い事です)
170908弥彦_奥宮


 てな概要を語った上で、以下に、この神社を紹介しているブログ記事からその一部を引用させていただきます:
%%%%%弥彦神社 新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898番地 
祭神
天香山命
摂社
櫻井神社(天香山命) 妻戸神社(熟穗屋姫命) 武呉神社(天五田根命) 船山神社(天忍人命)
草薙神社(天戸國命) 今山神社(建筒草命) 勝神社(建田背命) 乙子神社(建諸隅命)
(図4:摂社群とその向こうの十柱社)
170903yahikoj8

(引用させていただいているブログには書かれていませんが、私には誠に興味深いのでここで注記させていただきます:
 摂社建築物、これらは周辺の神々がこの地に参集して会合を開く際のいわば宿泊施設です。七柱については親族ですから一戸建て住居が与えられています。神の名前が古代より伝えれらたそれなのか、否かは定かでありませんから鵜呑みにはできませんが一名の正妻と六名のお子(男子のみ、女子は勘定されていない)がいたようです。「天」は「アメ」であり、それは隋書倭人伝の記事を連想させます。つまり「姓は阿毎』(せいはあめ)の「阿毎」が転じて「天」となったからです。この転化を考え出したのは藤原不比等であろうと考えています。
 「忍」(おし)が古代ペルシア語に由来することは以前にも書きました。そして「建」です。古事記にあっては倭建命と表記される「建」です。これを「タケル」と音するならば、それは行田の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻された「ワカタケル」と同じ出自を思わせる人物となります。すでに2009年12月28日記事で書いたように、「ワカタケル」は、その墳墓と宮廷の位置関係から、西域ペルシアからの渡来族であったことが確かです。「タケル」なる言葉がどうやら古来の日本列島にいきわたっていた言葉であるらしいことが見えてきますが、その考察は後日にします。
 写真で一番奥の大きい建物は、いわば近しい親戚でしょうか。かれらは会合で参集すれども、夜は相部屋と言うわけです。その分建物の面積は幾分大きくなっているようです。以上ブログ管理人注)
末社 (境内)
二十二所神社 伊勢大御神、石清水八幡宮、加茂大明神、松尾大明神、平野大明神、稻荷大明神、春日大明神、大原大明神、大神神、石上神、大和神、廣瀬大明神、竜田大明神、丹生神、住吉明神、貴船大明神、吉田神、廣田大明神、北野大明神、梅宮坐神、祇園神、日吉神
八所神社 香取大明神、熱田大明神、香嶋大明神、氣比大明神、諏訪大明神、江文大明神、渡津大明神、氣多大明神
十柱神社 大穴牟遲命、彌都波能賣神、速秋津日子神、速秋津日女神、阿須波神、波比岐神、大山祇神、大地主神、埴山姫神、草野姫神
末社(境外)
(これら境内外の末社については、まことに興味深い事を指摘せねばならないのですが、永くなりますので,次回に書きます:ブログ管理人注)
火宮神社 加具都知大神
住吉神社 住吉三前大神
上諏訪神社 建御名方命
祓戸神社 祓戸四柱大神
下諏訪神社 建御名方命
湯神社 大穴牟遲命、少彦名命
某神社 祭神不詳
御神廟 天香山命
由緒
 『延喜式神名帳』越後国蒲原郡名神大社の伊夜比古神社である。 越後平野の西端で日本海にせり出した弥彦角田山塊の東端に」鎮座。 この山塊には縄文時代以降の遺跡や古墳が散在する。
 以下『日本の神々』による:
 『弥彦縁起断簡』によれば、祭神は和銅二年(709年)に来臨、養老三年(719年)に宮を造営、天平勝宝年間(749年〜)に金智大師が来、弥彦明神の本地を阿弥陀如来としたと言う。
 中世、『大日本国一宮記』には「伊夜日古社饒速日尊皇子天香久山命ナリ」とあり、これが延宝六年(1676年)神祇宗の橘三喜が神主の求めに 応じ、神号「天香久山命」と」揮毫したことがあり、以降、天香久山命が祭神として崇敬されるようになった。と言う。
 江戸時代に天香久山命となったとすると、周辺の伝承、また祭神の御子神等を祀った周辺の神社など、すべては江戸時代以降の作為となるのだが、それほどの勢いで、伝承、摂社ができあがるものだろうか、とも思われる。 それ以前から天香久山命への崇敬はこの地方にあったのかも知れない。
 伊夜比古神の伊は偉大などの敬称で、これを除くと夜比古神となる。 夜比古神の夜の弥栄などの美称かも知れない。比古神が残る。弥彦山には金属採取精錬が行われていたと言う。これらは男の仕事、男神を祀ったのを比古神と称したとも言える。

 夜比古神に戻る。敬称の「大」をつけると大屋彦神となり、これは五十猛命と同じ神とされる。弥彦神社では祭神の天香久山命は紀の国から来たとされているが、五十猛命もまさに紀の国の神である。 弥彦神社と夫婦神とされるのが能登(石川県鹿島郡能登町)に鎮座する式内社の伊夜比弯声劼虜弯世大屋津媛命であることからも、伊夜比古神が大屋彦神説も充分にありうるようだ。伊夜比弯声劼離スズミ祭は、女神が越後の男神を呼び寄せるもので、年に一回の夫婦の逢瀬を楽しむのだと言う。越後の弥彦神とされる。または佐渡の伊太祁曽さんの神だと言う古老もいる。佐渡の伊太祁曽さんとは度津神社の五十猛命(イソタケル)を指す。別名は大屋毘古神(オオヤヒコ)である。
 また伊夜比古神社と佐渡の度津神社とは古来より関連があるようで、毎年正月には弥彦のカラスが佐渡の一の宮へ渡ると言う。度津神社が元社かも知れないと内心思っている。
弥彦神社の神紋は○に大の字である。伊太祁曽神社のそれは○に太の字であり、酷似している。

 摂社に某神社「祭神不詳」と言うのがある。
 また祭神は一目であるとか、アラハバキ門があったとか、古い伝承が残っているようだ。
 神社から弥彦山登山口への社叢の中の道沿いには万葉集で歌われた植物の内、弥彦山系に自生の約60種が植えられている。
 弥彦山頂には御祭神の神廟がある。登拝した日はガスがかかっており、視界数メートルであった。
 山道は赤土と赤石でできており、金属の豊富さを示しているように思える。徒歩下山は約1時間。
参考 『峰の桜』大森宮司著、『日本の神々』、『式内社調査報告』
%%%%%ブログ引用終わり
 この神社の参拝流儀は二礼四拍とのことで老男老女一行を引き連れたガイドさんが、参拝前の注意としてそれを強調していました。この流儀は出雲大社、宇佐神宮で採用されているものです。梅原猛氏は「出雲大社」に祀られる大国主命の非業な死を悼んでのことであろうと自著で書いています。つまり「四」(し)は「死」(し)に通ずるという推論です。同様は宇佐神宮です。学者さん方は、梅原氏の推論を真似たわけでは無いでしょうが(どうも正統古代学者さんは梅原氏を長くシカト(無視)しています)、奈良政権に抑圧された薩摩隼人の鎮魂であろうと語ります。私は九州薩摩には「隼人」なる一族は存在せずそれは「隻」(セキ)すなわち「サカ」族であったろうと書きました。東国扶桑国から南下した一族が倭国を構成する一族と合流した部族「サカ」族であったと考えています。彼らに藤原不比等が加えた苛烈な虐殺、そして彼らからの怨念を鎮魂したのが宇佐神社であったと考えています。そしてそれが東大寺大仏開眼儀式に先立って宇佐神宮から禰宜が特に招聘された理由でもあったのです。

 この議論を弥彦神社に適用するとすると、鎮魂さるべきは一体誰なのであろうか?ところで、冒頭の動画の後半部、山麓右方に前方後円墳らしき形状が見えます。私は、これこそ、鎮魂されている人物野墳墓ではなかろうかと考えています。
(つづく)
 どうやら長くなりそうです。次回にこの続きを書きます。

+++++トランプ米国大統領と北朝鮮
 昨日の東京新聞コラム木曜執筆者の竹田氏が以下を書いています:
(図:
竹田3004


 このコラム記事を転載した理由、それは竹田氏がこれまで止まなかったトランプ氏への非難の論調を少し変更したのかなと思えるからです。曰く「昨年の大統領選は米国社会の大変換を反映する」と。これはまさに私のトランプ観でもあります。それはトランプ氏の人格、貧弱な政治経験があったとしても、氏が大統領に選出されたのは、なんといっても米国民の格差社会への嫌悪、他国への戦争回避であった。
 トランプ氏はアフガンからの兵力削減撤退を公言していた。が、それを妨げたのがヒラリ氏を推した米国軍産複合体であったのです。しかし、米国とそれを崇敬する日本のメディアは政治に熟達しているというだけでトランプ氏を未だに悪し様に罵っています。
 今般の北朝鮮によるICBM,核実験について、詳細は別の機会に論じますが、私は背後に米国軍産複合体が蠢いているのではないか、金将軍にこっそりと闇のルートを通じて技術・部品供与をしているのではなかろうか?と疑っています。トランプ氏を大統領の座から引き摺り下ろさないことには、これまでのような戦争政策の推進には桎梏となるからです。
 そのように考えると下に紹介する田中宇氏の議論がすっきりと腑に落ちます。
%%%%% トランプの苦戦 2017年8月31日   田中 宇
 米国のトランプ大統領は、8月18日に最重要の側近だった「米国第一(覇権放棄)主義」のスティーブ・バノンを辞任させ、8月21日には、アフガニスタンへの米軍の増派を発表し、米軍総撤退の公約を反故にした。トランプを支持してきた反戦右派の人々の間に、トランプは、覇権放棄の策を捨て、軍産エスタブの覇権維持派へと寝返ったとする失望感や後悔が広がっている。 (What Happened to Making America Great Again?) (Neocons Love Trump's New Afghanistan Plan, Blackwater Calls It "Obama-Lite")
 私は、トランプがバノンを辞めさせたり、アフガン撤退を棚上げした理由について、根本的な転向・戦略転換でなく、トランプの覇権放棄策に反対している米議会の共和党主流派との敵対を緩和するための、暫定的でうわべだけの方策だろうと考えてきた。減税や財政出動策、健康保険改革など、トランプの経済政策は、議会に次々と否決され、ほとんど実現していない。このままだと株価の急落や景気の悪化を引き起こす。それを回避する策として、トランプは7月末、4か月間の約束で、軍産・覇権派の代理人であるジョン・ケリーを大統領首席補佐官に就任させた。それ以来、ケリーは、マクマスター安保担当補佐官、ティラーソン国務長官、コーン経済担当補佐官ら、政権内の覇権派(軍産や金融界出身者)と結束し、バノンら覇権放棄派を政権から追い出し、アフガン撤退やイラン核協定離脱などの覇権放棄派の策を阻止してきた。 (バノン辞任と米国内紛の激化) (トランプの軍産傀儡的アフガン新戦略の深層)
 こうした私の見立ては、楽観的すぎないだろうか。米マスコミは、トランプを正常な人間とみなさず、トランプの政策を理にかなったものとみていない(日本のマスコミは米マスコミの鵜呑み)。私から見ると、それはマスコミが軍産・覇権派の一部なので、公正な報道をせず、トランプ敵視に変更しているからなのだが、同時にいえるのは、報道が信用できないため、政治の動向について正確な見立てが難しくなっていることだ。今回は、最近のトランプ政権をめぐる動きの意味を、再度、分析してみる。 (軍産に勝てないが粘り腰のトランプ) (金融界がトランプ政権を乗っ取り米国をTPPに戻す??)
▼トランプは過激なツイートをしている限り潰されてない
 まず、トランプ政権内で、覇権維持派(軍産エスタブ・金融界)と覇権放棄派(バノンらナショナリスト)が激しい暗闘を続けてきたという、私の見立ての可否を再検討する。トランプは、選挙期間中から、NATOは時代遅れだとか、日韓がこれ以上米軍の駐留費を負担したくないなら、独自の核武装をして対米自立することを認めるとか、アフガンから米軍を撤退させるとか、ロシアと和解するとか発言し、米国が軍事安保的に世界を運営(支配)する覇権構造の放棄(米国第一主義)を言い続けてきた。就任演説では、ワシントンDCのエリート支配を壊せと、米国民に檄を飛ばしている。この手の扇動や、覇権放棄の方針は、バノンが掲げてきたものと同じだ。トランプはバノンと組み、軍産エスタブの支配を壊そうとしたことがうかがえる。 (世界と日本を変えるトランプ) (トランプ革命の檄文としての就任演説)
 トランプは就任後、まずTPPを離脱した(改定要求でない点が重要)。NAFTAも、米国が損をしている部分を改定する策をとっている。中国にも、不公正な貿易をしていると言って制裁しようとしている。これらは、米国が世界の自由貿易体制を主導する経済覇権体制を放棄することを意味する。これらもバノンが立案し、米国民が被る経済損失を解消する「経済ナショナリズム」と称している。だがこの政策の実際の最大の効果は、米国民救済でなく、世界経済に対する米国の支配力の低下だ。従来の米政府は、自由貿易体制を拡大して米国の覇権を維持しつつ、同盟諸国に厳しいことを言って米企業の利益を拡大する策によって、自由貿易に伴う米国の経済損失を減らしてきた。対照的にトランプ政権は、自由貿易体制自体を破壊しており、覇権放棄が前面に出ている。 (Donald Trump reportedly considering starting global trade war, despite Cabinet's concerns) (米国民を裏切るが世界を転換するトランプ)
 同様に、従来の米政府は、日韓や欧州を米国の安保の傘に入れ続ける一方で、同盟国の安保タダ乗りを批判し、同盟国により多くの負担金(思いやり予算など)を払わせる策だった。NATO廃止や日韓核武装容認に言及し、G7の協調を重視しないトランプは、従来の米政府よりも、覇権放棄の指向が強い。 (理不尽な敵視策で覇権放棄を狙うトランプ)
 ロシア(ソ連)敵視は、軍産・覇権派にとって重要な戦略だ。トランプは、プーチンと和解し、この覇権戦略を壊そうとした。軍産(米諜報界)は、それを阻止するため、対露和解を担当していたフリン安保補佐官(バノン派)に、針小棒大な微罪のスキャンダルを吹っかけて2月に辞めさせ、代わりに覇権派のマクマスターを据えさせた。その後も、非覇権派の側近に対するスキャンダル吹きつけが相次ぎ、トランプは対露和解の構想を放棄した。それ以来、トランプとバノンの、覇権派に対する敗北傾向が拡大していき、8月18日のバノン自身の辞任にまで発展した。 (フリン辞任めぐるトランプの深謀)
 トランプは、米政界を支配してきた覇権派を無力化することを目標に、覇権放棄の戦略を持って大統領になったが、政界からの大きな圧力を受けて側近群の中に覇権派を入れざるを得ず、政権中枢は覇権派と放棄派の激しい政争となり、放棄派が劣勢になっている。トランプは苦戦している。ここまでは事実と考えていいだろう。次に思いつく疑問は、トランプはバノンを切ることで、放棄派から覇権派に転向したのでないかというものだ。私は、トランプが転向したのでなく、放棄派としてやりたいことの一部をあきらめて維持派に対して(時限的に)譲歩することで、妨害されている経済政策の推進をはかる「取引」をしたとみている。
 トランプが転向したのでないことは、相変わらずツイッターで勝手に発信しまくっていることからうかがえる。覇権派を強化するため7月末に首席補佐官になったケリーは、トランプのツイッター利用を制限し、大統領府からの情報発信を、覇権派の検閲のもとで一元化しようとした。もしトランプが転向したのなら、ツイッターの発信が減り、公式論のつまらないツイートしか出てこなくなる。トランプが相変わらず吠えている限り、トランプは転向していない。 (White House Watch: Trump Picks a Fight With Congressional Republicans) (Kelly Loses Control As "Vacationing" Trump Unleashes Angriest Tweetstorm Yet)
 米国社会で強まるリベラルと右派の対立の中で、トランプは右派を擁護する姿勢をツイートしている。バノンは右派の指導者の一人であり、トランプとバノンとの親近感も切れていないことがうかがえる。トランプは直情型の人で、転向したのに目くらましで過激なツイートを続けるという隠微な芸当をやるとは考えにくい。トランプのツイッターは、覇権派による大統領府の乗っ取りを防ぐための重要なゲリラ戦法の道具となっている。 (Trump retweets claim that 'true' source of violence is from anti-fascists and not the right)
 トランプがバノンの策を廃棄せず踏襲しているもう一つの点は、中国との貿易関係についてだ。トランプは依然として、中国が鉄鋼などを米国に安すぎる価格で輸出しているので制裁すると言っている。覇権派の側近群たちは、このトランプの策を「やりすぎ」だとして反対し、米国の要請で中国が改善策を出してきたので、それで手を打つべきだとトランプに進言した。だがトランプは、この進言を拒否し、貿易面での過剰な中国敵視に固執している。 (His advisors supported it, but Trump reportedly declined Chinese proposal to cut steel overcapacity) (Trump Reportedly Slams Administration's Globalists, Demands "Bring Me China Tariffs")
 米国が中国と貿易戦争をすると、世界最大の市場である中国に米企業が参入しにくくなり、長期的に米国の損になる。中国は、これまでWTOなど米国覇権体制の傘下で経済拡大を試みてきたが、米国から貿易戦争を仕掛けられるほど、米覇権とは別の国際経済体制を構築する方向に進み、世界の覇権構造が多極化する。安保面で、米国がロシアやイランを敵視するほど、露イランは米国に頼らない国際体制の構築を急ぎ、多極化が進むのと同じ流れだ。 (Trump Seems to Genuinely Want a Trade War With China)
 トランプは「合意形成」よりも「取引」を重視する。大きな組織を信用していないので、孤立を恐れない。従来正しいとされきた常識よりも、自分の直感を重視し、自分が正しいと思えば、非難されても喧嘩腰で押し通す。誇りが高く、自尊心が強い。軍産・外交界(=覇権派)という巨大組織に包囲されて圧力をかけられるほど、トランプは闘志を燃やす。取引の結果、いったんは譲歩もするが、敗北は受け入れない。元世銀総裁で隠れ覇権放棄派(親中派)のロバート・ゼーリックは、トランプを、そんな感じで評している。 (The conflict at the heart of Donald Trump’s foreign policy by: Robert Zoellick)
 結論として言えるのは、トランプは転向しておらず、やはり、覇権勢力と取引しているということだ。今のところ、トランプを弾劾する罪も見当たらないので、彼が辞めさせられることはない。覇権派との闘いはまだ続く。今後、議会の共和党がトランプの経済政策を通すようになると、今回の取引はトランプにとってうまくいったことになる。たが逆に、10月になっても何も議会を通っていない場合、トランプと覇権勢力の関係が、また荒れることになる。トランプは、覇権派の側近たちを辞めさせるかもしれない。財政赤字上限到達による米政府の閉鎖、金融相場の急落などが起きる可能性も高くなる。 (Report: President Trump Growing Increasingly Frustrated With Secretary of State Tillerson)
▼ネオコンに加勢してほしかったトランプ
 ここからは、やや難解な、国際政治オタク好みの話になる。今回、覇権派が全力でバノンらを追い出そうとした理由は、バノンが、ネオコンのジョン・ボルトンに、03年のイラク戦争前の「大量破壊兵器」の時のような諜報の捏造をやってもらい、それを使ってイランと米欧などが結んでいる核協定を破棄しようと動き出したからだったようだ。 ('Strong indications' Trump won't recertify Iran nuclear deal)
 イラク戦争の開戦事由が、捏造された大量破壊兵器情報だったことは、米国の諜報機関と軍に対する世界からの信用を失墜させた。あれをやったネオコンは、軍事による政権転覆など、覇権派の主張を振りまきつつ、実のところ米国の覇権を自滅させる「隠れ覇権放棄派」(隠れ多極主義者)である。覇権派つまり諜報機関や軍産と戦うトランプは、捏造した諜報によってイラン核協定を破棄することを画策し、覇権派に大損害を与えようとしたと考えられる。 (Trump era continues to work out just great for Iran)
 8月28日、ブッシュ政権で国務副長官や国連大使を歴任したネオコンのジョン・ボルトンが、保守派の雑誌サイトであるナショナルレビューに「イラン核協定の離脱方法」と題する文書を掲載した。イラン核協定は、2015年にオバマ政権の米国が主導し、英仏独露中と国連も参加してイランと結んだ協定で、イランが平和利用を含む核開発を制限する見返りに、国際社会がイラン制裁を解除する骨子だ。 (How to get out of the Iran nuclear deal - John Bolton)
 トランプ大統領は選挙戦時から、オバマが作ったこの協定を、イランを甘やかすだけの最悪の協定と批判し、自分が大統領になったら廃棄すると公約していた。だがトランプは就任後、覇権派の側近に反対され、就任半年後の今も、しかたなく協定を保持している。米政府(大統領府)は、90日ごとに、イランが核協定を順守しているかを調査し、議会に報告する規定になっている。ボルトンの論文によると、7月中旬に、この報告を行うに際し、トランプやバノンは、イランが協定を順守していないという報告書を出し、核協定破棄への一歩としようとした。 (Trump puts Iran nuclear deal in jeopardy)
 これに対し、覇権派の側近たちは、イランが協定に違反した事実はないし、米国が破棄しても他の諸国が協定を維持するので米国の孤立にしかならないと主張した。激しい議論の末、報告書にはイランの協定順守を書くことにする一方、核開発でなく、ミサイル開発や人権侵害など、他の要素を使った米国独自の新たなイラン制裁法を議会に提案し、核協定破棄に代わるイラン敵視策とすることを決めた。米議会は7月下旬、圧倒的多数でイラン制裁新法を可決した。 (The Danger of Trump's Shifting Strategy on the Iran Nuclear Deal) (Here’s how Trump can drop Iran deal)
 この一件の後、バノンは7月末にボルトンに対し、米国がイラン核協定を破棄する方法はないかと相談してきた。トランプは就任前からボルトンを好み、一時は国務長官に据えることも検討した(覇権派の反対で潰された)。就任後も、トランプはボルトンと何度も会っている。バノンの依頼を受け、ボルトンは5ページの報告書を書いた。だが、書き上がった時には、すでにバノンが辞めさせられ、それまで頻繁に会ってくれていたトランプも、ボルトンの面会要請を拒否するようになっていた。しかたなくボルトンは、自分が書いた報告書を、ナショナルレビューに投稿して公開した。 (How to get out of the Iran nuclear deal - John Bolton) (Bolton writes in op-ed he can't get in to see Trump anymore)
 このボルトンの報告書公開を機に、トランプやバノンが、諜報機関に、イランが核兵器開発を再開しているという捏造の諜報をでっち上げさせようとしていたという指摘が、諜報界から出てきた。 (US Intel Officials Resist Trump’s Push to Claim Iran ‘Violates’ Nuclear Deal) (White House 'pressuring' intelligence officials to find Iran in violation of nuclear deal)
「バノン辞任と米国内紛の激化」にも書いたが、最近の記事7月末にケリーがトランプの首席補佐官になってから、8月18日にバノンが辞任させられるまでの間に、トランプ政権の安保戦略を立案するNSC(安全保障会議)で、戦略立案を担当していた3人のスタッフが、マクマスターによって相次いで解任されている(Ezra Cohen-Watnick、Derek Harvey、Rich Higgins)。3人とも、イランとの核協定を破棄すべきだと主張し、バノンと親しくしていた。3人は、イランがこっそり核兵器開発を続けていることを示す証拠となる捏造された諜報を流布しようとしていたので、マクマスターに解任され、その親玉であるバノンも、この筋で辞めさせられた可能性がある。 (バノン辞任と米国内紛の激化) (McMaster Fires Iran Hawk From NSC)
 捏造諜報の流布は、犯罪にならないのだろうか。イラク戦争前に「フセイン政権がニジェールからウランを買って核兵器にしようとしていた」とする捏造の契約書などが出回り、米軍イラク侵攻の大義がでっち上げられたことが、事後に発覚したが、この件では、誰も罪に問われていない。契約書の捏造者が不明で、契約書を流布した人々も「捏造と気づかなかった」と主張すれば無罪だからだ。ネオコンが発案したと考えられる、この諜報捏造の手法を、トランプやバノンがやっても、ネオコン同様にうまくやれば、罪にならない。トランプやバノンは、そのあたりをボルトンに相談していたのだろうが、一連の策略は、マクマスターら覇権派の察知するところとなり、バノンは辞めさせられ、トランプも覇権派側近群に包囲され、幽閉状態に置かれている。 (諜報戦争の闇) (ホワイトハウス・スキャンダルの深層)
 ネオコンは「米国は世界を率いる特別な国なので、独裁政権を軍事力で転覆し、強制的に民主化するのが任務だ」という、選民思想を借用した、軍事偏重の国際主義を掲げ、90年代に共和党内で影響力を拡大した。冷戦後、米国の支配層(安保外交界、議会、金融界、財界、マスコミ)は、米国の覇権を維持するための新たな建前を渇望していたので、ネオコンの考え方を歓迎した。だが、イラクやアフガニスタン、リビアなどで政権転覆後の国家建設が失敗し、イラクの捏造諜報も問題になり、ネオコンの戦略は、最初からうまくいくはずのない詐欺的なものだったことが、ほぼ確定している。
 トランプやバノンは、ネオコンが米国の世界支配を失敗させた後の、米国の厭戦機運や反覇権的な心情を利用して台頭してきた。国際介入主義・覇権主義のネオコンと対照的に、トランプやバノンは、孤立主義的な米国第一主義を掲げ、NATOや自由貿易体制といった米国中心の覇権体制を嫌悪している。覇権主義のネオコンは支配層との親和性が良かったが、反覇権主義のトランプやバノンは、支配層から敵視されている。トランプやバノンは、厭戦機運が強まる草の根の人々の支持を集め、支配層と草の根、右派と左派の対立を扇動するポピュリズムによって大統領の地位を得た。
 覇権主義のネオコンは当初、反覇権のトランプの当選を阻止するための組織「ネバートランプ」を結成していた。だがトランプは就任後、政権内に取り込んだ覇権派との対立に苦戦した挙句、ネオコンの手法のうち、覇権主義的な敵視策を、諜報の捏造が後からばれるようにするなどの稚拙なやり方によって(未必の故意的に)失敗させ、覇権主義を自滅させるというやり方を採用したいと考えた。トランプやバノンはネオコンに接近し、ボルトンと親しくなったが、ネオコン的な策略を完遂する前に、政権内の覇権派に見つかり、排除された。
 トランプはバノン辞任後も、イラン敵視策を何とか続けようともがいている。貿易面の中国敵視策も、側近の反対を押し切って続けている。トランプの動きを、今後さらに注目していく。

7月10日〜8月20日の関東の地震(夏休みにつき、図版のみ)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
以下の3つの図についての解説は夏休み明けに行います。
(図1:7月10日から8月20日の期間内の関東地方の地震活動です(ソースは気象庁、m>0)。二回クリックで拡大)
170830関東s


(図2:上図矩形ABCD内の地震活動についての調査:地震の深さ分布,錬腺惰置いた鉛直断面への投影、△錬贈辰肪屬い娠直断面への投影。
上図との対応が直感的には分かり難い不便はご容赦願います。ABCDの位置を参照しながら活動状態を把握してください。。二回クリックで拡大)
170830関東DD


(図3:領域ABCD内の日毎の地震活動、 辺ADからの距離と発生日。最下部は7月10日、目盛り40は8月19日に相当。◆地震の発生頻度分布目盛りの最左は7月10日、目盛りの目盛りの15(7月25日)から25(8月4日ごろ)の期間にに地震活動の顕著な静穏が見られる。二回クリックで拡大)
170830関東DT

9月8日からブログ再開します。8月の龍ヶ崎写真

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
夏休み中です。龍ヶ崎の夏の写真を数様掲載しておきます。
(左の枝を伝って脱皮場所をこの葉の裏に定めたはずです。所が、何故か、脱皮は尻を葉の先端に向けています。どこで方向転換したのやら?であります)
脱皮2892


(この夏は、日照時間が少なかった。その所為でしょうか、いたるところに妙な形状の茸が生えました。あぜ道脇の農道の石垣です。)
茸2860


(農道にかぶさる椚の木の枝から白い糸が垂れていました。その先端に円い白い玉。これは虫でありました。)
虫2848


 (物干し竿で寛ぐ蛙)
蛙2828


(ドイツ国旗をまとった案山子)
案山子2783

三角法開発者は古代バビロニア人(夏休みにつき、解説なし)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
本日9月1日から6日まで、夏休みをとらせていただきます。休暇中の埋め草として中学で習う数学の話を紹介します。
(写真:古代バビロニアで既に知られていたという三角法を記載した粘土板楔形文字文書)
170827三角法d7


%%%%%“三角法の父”はギリシャ人ではなかった?数学の歴史を覆す研究が発表されるhttp://news.livedoor.com/article/detail/13525520/
2017年8月26日 9時0分
IRORIO
「直角三角形の2つの角度から他の辺の長さを求めよ」……といった数学の問題。なかなかマスターできず、数学の時間に悩まされた記憶がある人もいるでしょう。
その起源である三角法は古くから測量や天文学の分野などあらゆる分野で活用されており、紀元前120年前頃の古代ギリシャの天文学者、ヒッパルコスが月と太陽の軌道を計算するために使われたのが最初というのが定説でした。
ところが、オーストラリア・ニューサウスウェールズ大学のダニエル・マンスフィールド博士とノーマン・ワイルバーベルガー教授の研究により、三角法を発見したのは古代バビロニア人であることが新たにわかりました。
Mathematical mystery of ancient clay tablet solved by Daniel Mansfield & Norman Wildberger @UNSWScience http://bit.ly/2w9vkCi #science pic.twitter.com/XIDuJAli9A
9:49 - 2017年8月25日
発表によると、1900年代にイラク南部で考古学者や学者たちによって“Plimpton322”と呼ばれる石板が発見されましたが、楔文字の内容を解析した結果、ヒッパルコスの研究より1000年以上前に三角法が使用されていたことがわかったのです。

https://newsroom.unsw.edu.au/news/science-tech/mathematical-mystery-ancient-babylonian-clay-tablet-solved 
「私たちが学校で教えてきた従来の三角法よりはるかに単純で正確です」(マンスフィールド博士)
石板に書かれていた内容は、古代バビロニア人が直角三角形を「四角形の半分」と見ており、正確な比率だけで直角三角形を描いていたというものです。

数学がよりわかりやすくなる?
ワイルドベルガー博士は、今後の数学教育にも新しい可能性が生まれていると言及しています。
「“Plimpton322”ではこれまでより簡単で正確な三角法がわかります。数学研究だけでなく教育での新しい可能性を開きます」
これまでとまったく違ったアプローチで理解できる方法があるなら、多くの中高生にとっては朗報にもなりそうです。
170827三角法57

以下はその英語記事です(日本語訳は付しません)
Mathematical mystery of ancient Babylonian clay tablet solved
Twitter Facebook LinkedIn https://newsroom.unsw.edu.au/news/science-tech/mathematical-mystery-ancient-babylonian-clay-tablet-solved
25 AUG 2017
―――――参考までに上記の英語原文をあわせ掲載しておきます:
DEBORAH SMITH
UNSW scientists have discovered the purpose of a famous 3700-year old Babylonian clay tablet, revealing it is the world’s oldest and most accurate trigonometric table.

Dr Daniel Mansfield with the Plimpton 322 Babylonian clay tablet in the Rare Book and Manuscript Library at Columbia University in New York. Image: UNSW/Andrew Kelly
UNSW Sydney scientists have discovered the purpose of a famous 3700-year-old Babylonian clay tablet, revealing it is the world’s oldest and most accurate trigonometric table, possibly used by ancient mathematical scribes to calculate how to construct palaces and temples and build canals.
The new research shows the Babylonians, not the Greeks, were the first to study trigonometry – the study of triangles – and reveals an ancient mathematical sophistication that had been hidden until now.
Known as Plimpton 322, the small tablet was discovered in the early 1900s in what is now southern Iraq by archaeologist, academic, diplomat and antiquities dealer Edgar Banks, the person on whom the fictional character Indiana Jones was based.
It has four columns and 15 rows of numbers written on it in the cuneiform script of the time using a base 60, or sexagesimal, system.
“Plimpton 322 has puzzled mathematicians for more than 70 years, since it was realised it contains a special pattern of numbers called Pythagorean triples,” says Dr Daniel Mansfield of the School of Mathematics and Statistics in the UNSW Faculty of Science.
“The huge mystery, until now, was its purpose – why the ancient scribes carried out the complex task of generating and sorting the numbers on the tablet.
“Our research reveals that Plimpton 322 describes the shapes of right-angle triangles using a novel kind of trigonometry based on ratios, not angles and circles. It is a fascinating mathematical work that demonstrates undoubted genius.
“The tablet not only contains the world’s oldest trigonometric table; it is also the only completely accurate trigonometric table, because of the very different Babylonian approach to arithmetic and geometry."

Plimpton 322, a 3700 year old Babylonian tablet held in the Rare Book and Manuscript Library at Columbia University in New York.
The new study by Dr Mansfield and UNSW Associate Professor Norman Wildberger is published in Historia Mathematica, the official journal of the International Commission on the History of Mathematics.
A trigonometric table allows you to use one known ratio of the sides of a right-angle triangle to determine the other two unknown ratios.
The Greek astronomer Hipparchus, who lived about 120 years BC, has long been regarded as the father of trigonometry, with his “table of chords” on a circle considered the oldest trigonometric table.
“Plimpton 322 predates Hipparchus by more than 1,000 years,” says Dr Wildberger. “It opens up new possibilities not just for modern mathematics research, but also for mathematics education. With Plimpton 322 we see a simpler, more accurate trigonometry that has clear advantages over our own.
“A treasure-trove of Babylonian tablets exists, but only a fraction of them have been studied yet. The mathematical world is only waking up to the fact that this ancient but very sophisticated mathematical culture has much to teach us.”
Dr Mansfield read about Plimpton 322 by chance when preparing material for first-year mathematics students at UNSW. He and Dr Wildberger decided to study Babylonian mathematics and examine the different historical interpretations of the tablet’s meaning after realizing that it had parallels with the rational trigonometry of Dr Wildberger’s book Divine Proportions: Rational Trigonometry to Universal Geometry.
The 15 rows on the tablet describe a sequence of 15 right-angle triangles, which are steadily decreasing in inclination.
UNSW researchers have revealed that Plimpton 322, a 3,700 year old Babylonian tablet, pre-dates Pythagoras by 1,000 years.
The left-hand edge of the tablet is broken and the UNSW researchers build on previous research to present new mathematical evidence that there were originally six columns and that the tablet was meant to be completed with 38 rows.
They also demonstrate how the ancient scribes, who used a base 60 numerical arithmetic similar to our time clock, rather than the base 10 number system we use, could have generated the numbers on the tablet using their mathematical techniques.
The UNSW Science research provides an alternative to the widely accepted view that the tablet was a teacher’s aid for checking students’ solutions of quadratic problems.
“Plimpton 322 was a powerful tool that could have been used for surveying fields or making architectural calculations to build palaces, temples or step pyramids,” says Dr Mansfield.
The tablet, which is thought to have come from the ancient Sumerian city of Larsa, has been dated to between 1822 and 1762 BC. It is now in the Rare Book and Manuscript Library at Columbia University in New York.
A Pythagorean triple consists of three, positive whole numbers a, b and c such that a2 + b2 = c2. The integers 3, 4 and 5 are a well-known example of a Pythagorean triple, but the values on Plimpton 322 are often considerably larger with, for example, the first row referencing the triple 119, 120 and 169.
The name is derived from Pythagoras’ theorem of right-angle triangles which states that the square of the hypotenuse (the diagonal side opposite the right angle) is the sum of the squares of the other two sides.
Links for news media:
The research paper in Historia Mathematica
Images of Dr Mansfield and Plimpton 322 at the Rare Book and Manuscript Library at Columbia University in New York. Credit: UNSW/Andrew Kelly.
Background information on Plimpton 322 and trigonometry.
Article on the find in The Conversation by Dr Mansfield and Associate Professor Wildberger

%%%%%

倭国継承者・天武(5),金将軍のミサイルに怒る振りの安倍氏

9月1日〜6日、夏休みでブログ休載します。
(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:水田の中からカメラを向ける当ブログ管理人を見つけたんですな。鋏を振りかざし威嚇ポーズをとりながら後ずさりしています170829ザリガニ )


 水抜かれ 住いを失う 生き物が 畦に這い出て カラスに狙わる

水田の稲もそろそろ収穫の時期を迎えます。早くに田植えを終えた水田は水を抜き始めています。そうなると、慌てるのがこの水に住んでいた生き物たちです。タニシはいつの間にか姿が見えなくなりました。ザリガニ達は水を求めて、あぜ道を横切り水のまだある水田に移動します。「移民」であります。悲劇はそこで起きます。このところ、鋏をのこしたザリガニの欠片を畦でしばしば見かけます。カラスがザリガニの腹部辺りのやわらかく美味な部位だけをついばんだんですな。贅沢な奴め。硬い鋏や、肉のつまっていない足は放置されています。

 昨朝六時ごろです。用水路に潜んでいるやもしれないカワセミの飛び出す一瞬を捉えんとデジカメを構えていました。そこに、突然の大音響です。「ミサイルが発射された模様です。急いで、身を隠せる場所に避難してください。・・・・」なるいわゆる“Jアラート”が繰り返し町内有線放送マイクを通して拡声されました。7月末の警報では「これは訓練です」なる前フリが付きましたが、今回はそれはありません。しかし、我等の上空を通過してるのであれば、もうどうしようもありません。幸い、上空にはそれらしき姿はありません。犬連れの知り合いなど多くの散歩人が慌てる風もなく悠然と散歩を続けていました。

 帰宅してTVを点けました。まるで戦時の空襲警報です(と言っても私は体験していませんが)。ラディオも通常番組を止め、ミサイル情報の連呼です。二時間以上もこうした異常事態が続きました。朝7時の時点では、疾うにミサイルは北海道東方はるか沖にに沈んでいたはずなのです。

 「ああ、こうして庶民の耳目は奪われるのだ」と、実感しました。クーデタのような政変では、こうした情報遮断が意図的に作り出されるのでしょう。まさに安倍氏は承知の上で怒りを装い、狼狽を装っているのです。そう思うと、まさにこれは安倍氏がもくろむ次のステップ、「負けたくない奴らへの報復」の予行演習かなと危惧した次第です。ネットに散らばる各種情報を眺めていると、安倍氏はこの前夜に限って私邸には戻らず、官邸(公邸)に宿泊し「あたかも、ミサイルの打ち上げを待機していたかのごとくであった」との事。このところ体調不良を理由に夜は私邸で過ごす安倍氏が28日の夜に限っては公邸泊です。
(写真:東京新聞8月29日付「首相の一日」コーナより。二回クリックで拡大)
CIMG2898

 夕方6時18分以降、8名と公邸で会食(豪華レストランでもなく、料亭でもない!!、これも驚きです。)、7時50分に3名との半時間ほどの打ち合わせ後「8時20分、全員退出。宿泊」とあります。ゆうに私邸に戻れる時刻です。奇異に思ってよーくっと眺めると、この日は朝10時に官邸に出勤してから12時まで何も無い。官邸執務室で安倍氏は何をやっていたのか?まさか、金将軍と翌早朝のミサイル発射に関する打ち合わせをしていたのではなかろうか、なぞと疑ったりしています。

 それにしても酷いことです。民の安全を願うなら、事前に周知すべきでしょう。飛んでいる最中のJアラートは国民の不安をあおるだけで国民の生命の安全には全く関係ありません。Jアラートを連呼すること、報道をミサイル一色にすること、これが安倍氏の支持率挽回の材料と目論んだのです。改めて、金王朝と、安倍氏の間の見えざる闇の関係を暗示するかの如くです。この日の安倍氏はいつもよりはつらつと動き回っていたようです。と言うわけで、意味不明の箇所はありますが、いつもの”板垣情報”です。
%%%%%新型中距離弾道ミサイル発射で、安倍晋三、トランプ、金正恩が、「何がしか利益を得ている」という「闇の情報」あり(板垣 英憲
2017年08月30日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
 「第2の日本」北朝鮮の金正恩党委員長=元帥が8月29日午前5時55分、新型中距離弾道ミサイルを日本列島に向けて発射した。午前6時6分、北海道襟裳岬550km上空を通過して、1180km先の太平洋上に3つに分解して落下した。この奇襲攻撃のターゲットは、紛れもなく「安倍晋三首相」だった。大東亜戦争(日中戦争、太平洋戦争などの複合的戦争)に敗れる直前、大日本帝国陸軍の満州・関東軍が守備範囲を朝鮮半島「38線」まで南下拡大し、敗戦後、帝国陸軍中野学校出身の残置諜者(スパイ)が北朝鮮に建国して、折角、日本を守り続けてきたのに、安倍晋三首相が、台無しにしてしまった。
 平和憲法の下で築いた「専守防衛態勢」を破壊し、自衛隊を米軍(陸海空・海兵隊4軍+コーストガードの計5軍)の「第6軍」化してしまったからである。朝鮮半島一旦有事の場合、自動的に参戦させられる。だが、情報は「表裏陰闇」の4重構造になっている。「商人外交」を進めている安倍晋三首相、トランプ大統領、金正恩党委員長=元帥が、「幾何かの利益を得ている」という「闇の情報」をしっかりと把握する必要がある。
%%%%%

+++++天武四年四月紀(5)
 天武(A)天皇(倭国の王)の側近の出自が、投馬国、狗奴国であった、と書きました。何故、僅か二人の臣下の名前から天武(A)天皇(倭国の王)の宮が現在の熊本あたりであると推断できるのでしょうか?そのことを2013年7月10日記事 に書きました。この記事は万葉集二十九歌を解読したものです。詳細は上記ブログ記事を参照いただきますが、この歌の題詞「題詞 過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」に全ての古代史学者が惑わされてしまったのです。
すなわち、
「かって近江に宮を構えた天智天皇が壬申の乱で敗北した。そのために宮のあった地はいまや廃墟となってしまった」と柿本人麻呂は歌ったというのです。その論拠となったのが歌に詠われる「淡海」です。
%%%%%万葉集二十九歌、該当部分
第三文節: 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓
%%%%%
「淡」は「あわい」、「海」は「うみ」と音しますから二つをつなげると「アワウミ」それが転じて「オウミ」となるという理屈を古代学研究者は編み出したのです。しかし、上記記事で書いたようにそれは歌の「脈筋」にはそぐわないのです。そして狗奴国と投馬国の境界になんと「たんかいの」と呼ばれる場所が存在するのです。それを上記2013年7月7日記事で書いています。

 歌の雄大さは、人麻呂が天武(A)天皇の君臨する倭国の国の素晴らしさを嘆美した歌であることが分かります。決して廃墟に漂う寂しさではありません。

 既に書きましたが、天武(A)天皇の嫡男は高市皇子です。この皇子は天武(A)天皇と、胸形君徳善の娘です。胸形君は「みなかた」即ち「みな」国出自の人物と思われます。そして魏志倭人伝はこの国の存在を記しています。
%%%%%魏志倭人伝より
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日・陸行一月、官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳 、可七萬餘戸。
自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國遠絶不可得詳。次有斯馬國、次有己百支國、次有伊邪國、次有郡支國、次有彌奴、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。
%%%%%
 天武(A)天皇を私は倭国王と書いて来ました。その根拠の一端を現在書いていることになります。まだまだありますが、もう一つだけ付け加えておきます。昨年四月の熊本大震災、最初の被災地は益城でした。私はこれについて2016年4月18日記事 で以下を書きました:
%%%%%過去記事抜粋
さて、今般の熊本地震の発端は熊本市内から東方の益城町直下に走る日奈久地震断層の活動であったとの事です。かっての益城郡の一部であり、肥後の国の一つの郡(こおり)であったとウイキは書きます。又、地名由来辞典 は益城の由来を以下のように書きます。
%%%%%ましきまち【熊本県】[益城]
江戸期、細川藩の支配下に属した地。1954年、木山町、飯野村、広安村、福田村、津森村の合併により誕生した町名。町名は、郡内第一番目の合併村であったことから、古代以来の郡名を採用。「和名抄」は「益城」に肥後国「万志岐(ましき)」郡と訓を付し、国府所在地としている。郡名は、放牧場を意味する「馬城(まき)」、「柵木(ませき)」に由来する説、川筋などが交わる地・「マジ(交)・キ(場所)」とする説などがあるという。
%%%%%
 熊本県は魏志倭人伝が書くところの狗奴国であったろうと私は考えています。更には、大海人(おおあま、日本書紀は天武天皇の倭名と書く)の活躍の舞台、具体的には壬申の乱と後世の人々が呼ぶ「大規模内戦」の中心舞台は、この熊本であったろうと考え、それらを詳しく論じてきました(大津、菊池、当間などなどの地名の存在がそれを確かとしている)。日本書紀の二十九巻はこの大海人の治世を書きます。この巻の最大の特徴は、41名もの死者を書いていることです:
(表:日本書紀二十九巻が書く死者達、2013年5月31日記事に掲載)
tennmu_deathV4


 この 表の天武紀十一年に土師連真敷(土師のむらじましき)と言う方が亡くなっているとの記事があります。私は今般大きな震災で苦しむ益城の名前の由来は土師連真敷にあると思っています。つまり、この人物もまた、熊本、狗奴国の出自であったと思っています。
%%%%%過去記事転載終わり

 どうやら、此処で書く天武(A)天皇はまさに魏志倭人伝が書く倭国を継承した人物であることは確かで、その宮は狗奴国(現在の熊本県)であったろうと考えることが出来ます。この天皇が北方から移住してきた渡来族・アイヌ族とどのように和合・共生し強大な倭国の形成に至ったのか?それは定かでありません。が、天武(A)天皇なる漢風諡号にその一端が垣間見えていると私は考えています。それは「武」です。五世紀末、日本列島を席巻した「武王」に重ね合わせたのではなかろうか、と思っています。

 更なる根拠もありますが、それらは別の機会に紹介するとして、話を進めます。
(つづく)

+++++不正選挙開票
 ネットで妙な動画とその解説を見つけましたので、貼り付けておきます。真偽のほどは確かでありません。しかし、投票用紙の改竄はこれまでも疑われてきました。国民の唯一の権利である政治参加、それが投票です。そのように考える真偽は定かでないけれどもあえて転載しました。こんなに簡単に民意が、権力者の意に沿うように摩り替えられるのであれば、民の政治参加の権利は行使すれども政治には反映されないことになります。

%%%%%【衝撃!】選管ぐるみの不正選挙を証明する決定的な証拠映像 2017/08/30(水) 03:17:24

諫早市選挙管理委員会の不正集計の決定的証拠映像!
12月14日の開票作業終了、県への結果報告は、午後11時49分
日付が変わった15日午前1時頃、片付けられ誰もいないはずの開票場の体育館に明かりが灯り数人の影と集計機の作動音が鳴り響く。 何をやっているんだろう?誰もいないはずなのに。
階段を上りおそるおそる近づいてみる。 その眼前に繰り広げられた光景とは!? 封印されたはずの票を袋から取り出すxx選挙管理事務局長(実名らしき名前が書かれていたので、xxにしました。ブログ管理人)。 その票を傍らの女性が集計機に入れている。 この女性も選管の職員だ。 よく見れば次長のxxもいるではないか! 選管の人間が終了した開票所に残り封印された箱を開封しインチキ票の数え直しを行っていた!驚愕!
選管ぐるみの不正選挙など有り得ないなどと言っている人。 あなたは為政者からすれば立派な家畜人間です。 日本に巣食うマイノリティ裏社会の存在を知ってください。
諫早市だけではなく全国でこのような不正選挙が行われているのです。

%%%%%

反原発・反自公勢力の足を引っ張る似非左翼(怒!),天武四年四月紀(4)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:頭を下げ始めた稲穂をついばむ鴨の家族170825鴨親子2873 )


秋近し 頭(こうべ)をかしげる 稲の穂を 家族でつつく 鴨の愛(いとし)さ

 誠に残念でありました。昨日投票の本県知事選結果です。私が応援した現職の橋本氏が僅差とはいえ敗れました。投票結果は
大井川かずひこ 497361
橋本まさる 427743
鶴田まこみ 122013
でした。原発再稼動反対を公然と掲げた二人の候補の得票を加えると、再稼動への見解を明言しない大井川氏を五万票上回りました。これが、誠に残念に思う第一の理由です。まさに2014年の東京都知事選と同じ悪夢でありました。
 現職の橋本氏は六期二十四年間知事をつとめてきました。当県の保守陣営のトップに位置する人物です。しかし、橋本氏をこれまで支持してきた自公陣営が経産省出身の人物を対抗馬に立てたため、俄然この選挙の政治的重みが大きくなりました。当県には東海第二原子力発電所をはじめ日本の原子力産業にとって不可欠な主要・原子力発電関連事業体が集中しています。因みに東海(第一)原子力発電所は、日本で最初の商業用原子力発電所ですが、1998年に発電を停止し、現在 廃炉の過程を辿っています。
 橋本氏は選挙民の意向を汲んだのでしょうか、原発再稼動に明確な反対の意思表示をしました。何と言っても福島第一原子力発電所事故を隣県として目のあたりにして、原発事故の再来を危惧していたはずです。当県では事故で想定される被災住民は事故の規模にも拠りますが全人口の三分の一に当る100万弱と試算されています。こうした住民の避難・救援対策の整備は喫緊の課題でした。しかし、前回の知事選では有力対抗馬も無く、それへの具体的言を約することはありませんでした。しかし、全県民の思いを受け止め、県行政の長として明言したと思っています。とするならば、反「再稼動」派が力を合わせることが出来なかったのか?

 今般の敗戦を誠に残念に思った、もう一つの背景、それは安倍氏を首相の座から降ろすという日本政治の大変革への重要な一歩として今般の選挙を捉えたからです。安保、共謀罪、といった悪法で国民を縛りつける体制を構築しつつあることにくわえ、安倍氏は加計・森友事件の紛れも無い実行・主犯です。
 こういった人物が国の采配を引き続き取ることをストップすることが国民の財産を守ることです。いま日本列島に生きる国民に課せられた責務ではなかろうかと思っています。そのためには、従来の保守陣営の真ん中に手を突っ込んででも保守を分裂させ、反自公で共同するべきです。今般の県知事選は、まさに保守陣営が自発的に二つに分裂したのです。しかも、保守の一方は原発再稼動反対を表明しているのだから、共同できる理由があったのです。なぜ、これを利用しなかったのか?

 原発推進の経済産業省と権力の権化・公安警察に囲まれて、やりたい放題をなしてきた安倍政権をストップさせる重要な第一歩となった筈です。てなわけで、私の愚痴は尽きません。どうやら私の憤懣を2003年の米国によるイラク侵攻戦争直前まで在レバノン国・日本大使であった天木直人氏が自身のブログで怒っています:
 %%%%%

はじめから不毛だった今度の茨城県知事選挙  天木直人
参考
2017-08-28 天木直人のブログ
 茨城県知事選が27日、投開票され、自民・公明推薦の大井川和彦候補(53)が、現役知事最多となる7選を目指した現職の橋本昌氏(71)を破った。これを報じる今日の各紙は、これで安倍政権は10月22日投開票の3つの衆院補欠選挙に向けて弾みをつけたと書いている。
しかし、そもそも7選を目指す現職の橋本昌候補と大井川候補の一騎打ちは、はじめから不毛な選しかも野党共闘といっても、それを最も強く打ち出す共産党が独自の候補者を立て、三つ巴の戦いとなった。得票数を単純計算すれば、もし共産党が候補者を立てず、その票が橋本候補に向かっていれば橋本候補が楽勝していたはずだ。なぜ共産党は橋本候補に一本化しなかったのか。
矛盾だらけだ。
はじめから不毛だった今度の茨城知事選挙である。いまの日本の政治のいかさまぶりを象徴するような選挙である。しかしその事を政治報道は一切書かなかった。いまの日本の政治報道もまたいかさまだということである(了)
=====
 このブログ記事に付されたコメントもあわせ掲載しておきます:
1. 乳良〜く:
私は共産党支持ですが、「反原発大同団結」をせずに候補を立てたことに、「最大限の怒り」を覚えます。これだから、ビタ一文共産党にカンパしないのです。

2. 2017年8月28日 10:56:49 :
横浜市長選も同じだが、地元の勢力図・情勢が本当に分かっている人間、団体、機関が戦略を練っているかどうか、と言う問題だな。自民党は地方議員数が多いから読みは一番正確なのだろう。
しかしこういう事を繰り返していくと政党は信頼を失っていくだろう。例えば共産党に投票した有権者の中には二度と野党側の話を信用しないで自分で決める、てなことで後悔しているのが居るだろう。
3.孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 16h
茨城県知事に自公推薦の大井川氏 橋本氏の7選阻む,、多選批判の影響大きく、原子力政策で急な方針転換への不信感等から支持は広まらなかった。立候補表明後、菅官房長官を始め、閣僚や自民党幹部が次々と応援に駆けつけ、県議も全面的に支えた(朝日)。反自民、割れれば勝てぬ。それでいいの
%%%%%

 左翼政党の政治の大局を見ない自己満足に酔う狭量さをあらためて見せ付けられた想いです。それとも昨今の代々木党の「柔軟」を装った、権力屈服の発現であったのか?私はそれを疑っています。9月にも予想されるという総選挙を視野に入れていたならば、知事選はその土台固め、すなわち反自公への前哨戦と位置づけられたはずで、今回のような選択は無かった。またしても口を突くのは愚痴でありまするよ。

 うっとうしいことを書き連ねました。この動画は皆様を癒します:
(箱でじゃれる子猫)


+++++天武四年四月紀(4)
【八日】勅。小錦上当摩公広麻呂。小錦下久努臣麻呂二人。勿使朝参。;
 これから書く麻続王一家への処罰を考えるならば、この記事も二人の臣下への処罰であるとの印象を読者に与えます。それは藤原不比等による「印象操作」であるのか?
 この記事を書紀に書き込むに当っては、倭国の政治を叙した文書がまずは存在していた筈です。そこには上記のような出来事が記載されていたのでしょう。事態の真実は分からないけれども、藤原不比等は「斎事の記事の肉付け材料として利用できる」と、考えたのです。現時点でなしえる推理は此処までです。

 次に、この文節に登場する二人の人物、小錦上当摩公広麻呂。小錦下久努臣麻呂を考察します。彼らに私は強い関心を抱いています。当摩公広麻呂を岩波文庫・日本書紀(五)は、その124頁で「タギマのキミマロ」と仮名を振ります。しかし、漢字原文を見る限りではこれは「トウマ」と音することが出来ます。それが何故「トウマ」とオンせず「タギマ」なのか?これが問題意識の出発点です。
 私の回答を書く前に、次に久努臣麻呂を考えます。岩波文庫・日本書紀(五)は、その124頁で「クノのオミマロ」と仮名を振ります。私はこの二人の人物は高市皇子とともに天武天皇A(倭国王)の出自の謎解明の手掛かりをあたえていると考えています。この人物、六日後に、「使節」たるの命を拒否した廉で、役職を追われています。尚、岩波文庫〔五)の校注者はこの方の出自を久能山ではないかと書きます〔125頁〕。

 私がこの二人の臣下の名前から連想したのは魏志倭人伝です。その該当箇所は以下です:
%%%%%魏志倭人伝抜粋
東行至不彌國百里、官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。
南至投馬國水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日・陸行一月、官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳 、可七萬餘戸。
自女王國以北、其戸數道里可略載、其餘旁國遠絶不可得詳。次有斯馬國、次有己百支國、次有伊邪國、次有郡支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。
其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里
%%%%%
 魏の視察員は、倭国から派遣された通訳を伴って倭国内を巡察します。それは對馬國に始まって順次幾つかの国を経巡りめぐり、やがて不彌國に至ります。学者・専門家が着目するのは、巡察の行程表現です:
 それは方角(上の例では東)・行・至・xx国(上の例では不彌國)・距離(上の例では百里)で始まり、その国の官吏の名前やら、戸数などの説明が続きます。それが不彌國までの記述フォーマットでした。

 ところが、不彌國の記述を終えた後、次の残る二つの国の位置表記がガラッと変わります。即ち、
方角(この例では南)・至・国(この例では投馬國”とうま”)・移動手段(この例では水行、つまり舟)で記載されます。これに国の描写が続きます。
同様の記載が続きます:
方角(この例でも南)・至・国(この例では邪馬壹國)・移動手段(水行)・更なる移動手段(陸行)と記載され、国の描写が続きます。
そして二十二の国名が列挙された後につづくのが
其南有狗奴國(くな)です。

 この記載フォーマットの変更について、日本国の古代史研究者たちは喧喧顎々の論争を始めます。それは「邪馬壹國は何処?」との論争にまで発展したのです。その論争をここで紹介することはしませんが、京都大学の学者さんは「それは奈良であった」と主張し、東京大学の学者さんは「九州」と言います。それに加えて近年は遠く南シナ海であったなどの説を唱える学者さんまで出てきています( 2013年8月2日記事)。

 しかし、現ブログ管理人は2013年8月2日記事、および8月5日記事で、この邪馬台国が九州の地にあり、当麻国は現在の鹿児島であることを明快に結論しています:
(図 魏志倭人伝の記載は下の図で合理的に解釈できます。つまり文脈は連続しておらず、改めて倭国の全容を記載したのです。そこで距離起算の出発点は対馬になったのです)
saitobaru_index


 この発見の直接のきっかけが上記日本書紀天武四年紀の第二文節であったのです。
つまり「当摩公広麻呂」は「タギマ』と訓(よ)むのではなく、「トウマ」と訓み、「久努臣」は「くぬのおみ」と訓するならばそれは魏志倭人伝に登場する国名です。言葉を変えるならば、彼らの名前は出身国名からそのように呼称されていた人物ではあろうとの推測に至ります。

 倭国の王は側近として身近の国出自の人物を配していたと思うことは合理的です(参考:2013年7月10日記事 )。

 このことからは倭国の王、日本書紀では天武天皇(但し天武A)と称される人物が采配をふるった地が奈良盆地ではなく、九州の地であったことが見えてくるのです(他にもいくつもの証拠がありますが、本論から逸脱するので詳論は省略)。

 かくして天武四年四月紀、第二文節で語られている事象は倭国(九州)での出来事であるが、それを藤原不比等は自らの「史観」である日本書紀に改竄して流用したものであると結論できます。
(つづく)

天武四年四月紀(3),政治主導(東京新聞)、地震予知を前提せず

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:去年までは、白鷺は珍しかったのですが、本年は頻繁な滞在です。しかも単独ではなく集団です。アオサギまでそこにいます。白鷺一家 )



 夏休み 当地で過ごす 快適さ 白鷺の群 ゆったり談笑

 どうやら、白鷺一家、親戚一同が、今夏の避暑地として当地を選んだようです。思えば、この用水路の水質も改善されたんですかね。なにせ、カワセミを今朝もこの用水路で見かけました。残念ながら今回もシャッタを押し損ねました。
 今後とも鳥たちの格好のリゾート地として訪問に備えるべく市の観光課にも私の観察を伝えようと思います。なにせでかいジェットコースタ、賭博場建設は不要です。ひたすら清浄な空気と水、自然を整えるだけで良いんです。

 そして、この鷺が訪れる緑豊かな茨城を原発の恐怖に晒ないために、27日の知事選では現職の橋本氏に私の票を投じます。それを通して原発の経産と治安維持の公安警察に囲まれてきた安倍政権を辞めさせたいと願っています。

 ところで、本日中央防災会議地震作業部会が、東海地震の「予知を前提」とした対応を居なおすこととした、とのことです。1978年に制定された大規模地震対策法の前提は「マグニチュードが8を超える地震については前兆があるはずなので予知できる」と言うものでした。しかし、その前提は2011年3月11日に脆くも潰えました。
 あれからほぼ四十年が経過した今も、地震欲に関しては専門家の言は極めて歯切れが悪い。その実情に便乗した風聞まがいの地震予測がネットなどで無責任に垂れ流されています。
 地震防災と言う視点からは、これは好ましからざる事態です。何か異なる地震研究パラダイムの新たな構築は無いものか?しかし、それは地震現象の可能な限り精査な研究野上に構築さるべきです。 研究者の皆さん、そんなおもいで 研究しているのだろうと思っています。

%%%%%南海トラフ地震 予知前提を見直し 政府作業部会が防災対応で報告書案
8/25(金) 11:28配信 産経新聞

南海トラフ地震 予知前提を見直し 政府作業部会が防災対応で報告書案
南海トラフ地震の防災対応案(写真:産経新聞)
 南海トラフ地震の新たな防災対策を検討している政府の中央防災会議作業部会は25日、予知を前提とする防災対応の見直しを柱とする報告書案を大筋で了承した。発生時期を「確度高く予測することは困難」として直前予知を否定し、震源域で地震が連動する恐れがある場合などに避難を促す方針を盛り込んだ。

 報告書案は、東海地震の直前予知を前提とした大規模地震対策特別措置法(大震法)に基づく防災対応について「現在の科学的知見では取ることは困難」と指摘。改める必要性を強調したが、法改正などの具体的な議論は先送りした。

 地震が連動する可能性については、1900年以降に全世界で発生したマグニチュード(M)8以上のケースを例示するにとどめ、「数字が独り歩きする」などとして発生確率を明記することは避けた。

 南海トラフの震源域の東側でM8級の地震が発生した場合、連動して西側でもM8級が3日以内に発生する可能性は96回のうち10回(10%程度)と推定し、短時間で津波が到達する沿岸地域の住民には発生から3日程度の避難を促す。

 また、震源域のどこかでM7級の地震が発生した場合、同規模以上の地震が同じ領域で7日以内に発生する可能性は1368回のうち24回(2%程度)と推定。7日間は避難に時間がかかる高齢者らに避難を呼びかけることを提案した。

 この日の作業部会で小此木八郎防災担当相は「最終的な報告書を踏まえ、防災対応がレベルアップするように政府も一丸となって取り組みたい」と述べた。

 政府は東日本大震災を受け東海地震を含む南海トラフ地震の防災対応の見直しに着手。平成25年に確実な予知は困難とする見解をまとめ、議論を進めていた。
%%%%%記事転載終わり


+++++天武四年四月紀(3)
 前回、藤原不比等が実は「天武を名乗っていたのではなかろうか」との推論を書きました。中津国の支配形態は日本書紀巻二十九、三十からからその概要は掴めても、そのトップにある人物像と藤原鎌足・藤原不比等と中津国の首領たる天武なる人物との関わりが見えてこない。したがって、私の推論を検証する手立てはありません。なんせ、参照できる文献は記紀と万葉集、そしてもしかしたら史実が漏れ記載されている各国風土記です。
 勿論、上宮聖徳法王帝説、扶桑略記、『藤氏家伝』、懷風藻などといった文献があり、それらは記紀を補足する資料であると位置づけられています。実際、これらの補足資料を駆使して記紀が語る七・八世紀の政治、風俗を語ることが学者さんの仕事でもあります。したがってどれだけ注意深くそれらの資料を読みこなすか。そこに研究者としての力量が問われることになります。そして出来ることなら古社、古寺の天井裏から新資料などが発見されれば、それは研究者の一大業績ともなるのです(松本清張がそうした古代史学会の実情を小説にしていたことがありました。題名は失念)。
 しかし、私が思うには、上宮聖徳法王帝説、扶桑略記、『藤氏家伝』、懷風藻、聖徳法王定説なる文書群は古事記、日本書紀の記述を後付けするために作成されたものです。此処からは、細かい記述についての新解釈は生まれることはあるやも知れません。しかし、記紀が内蔵する記載間の矛盾、或いは依然として歌意が定まらない万葉集初期の歌群など、日本列島古代史を貫く歴史理解の流れは滞ったままです。
 
 実は、こうした曖昧な歴史理解を妨げているのは、記紀作成と時代を同じくする独立の別の文書が廃棄されてしまっているからです。いわゆる焚書です。

2012年9月14日記事で私は以下を書きました:
%%%%%続日本紀和銅元年正月記事からの抜粋
《和銅元年(七〇八)正月乙巳(乙未朔十一)》和銅元年春正月乙巳。武蔵国秩父郡献和銅。詔曰。(前段省略)
自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚・未発覚。繋囚・見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。
(以下省略)
文意:和銅元年正月十一日、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった(中略、これを祝って慶雲から和銅に改元)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらずすでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も語句につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する(現代文訳は、「続日本紀(上)」、宇治谷孟、講談社学術文庫、2000 によった)。
%%%%%抜粋おわり

 708年といえば、古事記が献上された和銅五年(712年、元明天皇、天智天皇の第四皇女)の直前、および日本書紀が奏上された養老四年(720、元正天皇、草壁皇子と元明天皇の娘)の直前です。藤原不比等による日本列島歴史観が「定め」られるにおよび、それと整合しない其れまでの古文書・記録は一切隠蔽されたことがこの記事から分かります。そうした文書を隠し持って山奥深くに逃げ隠れていたことが露見すると死刑に相当する極刑だったのです。まさに「焚書坑儒」です。しかも。この記事からは、古代「焚書坑儒」は、和銅五年に始まったことでは無く、以前からこれが大罪であったことが読み取れます。これを思うと、藤原不比等が歴史の真実に「忠実」である側面があったなぞとは言い切れないようです。
%%%%%過去記事転載終わり
 
 後世に生きる知識人は現存する古文書の記載には、史実に迫る上での限界があることを承知していたはずです。しかし研究者として、行間を読み、紙背を想像する知的好奇心に欠けていた、そしてそれは現在もそうであると私は考えています。古代史研究者は深刻にこの学問の現状を見つめるべきではないか!

 本題に戻ります。日本書紀は、四月五日の大「斎」と言う催事の三日後の四月八日に以下を書きます:
%%%%%日本書紀より
【八日】勅。小錦上当摩公広麻呂。小錦下久努臣麻呂二人。勿使朝参。;

 文意:二人の重臣に「朝参するな」との勅。文字通り受け取るなら「天皇は、お前ら二人の顔は見たくない」と勅したと解されます。当摩公広麻呂は天武十四年に死去しますが、壬申の乱に功績があったと日本書紀は付記します。
%%%%%
 上記の文意に随えば、この大「斎」の趣旨を著しく損なう行為を二人の臣下が働いた。そこで、彼ら臣下に何がしかのペナルティを課した。と読みとれるよう細工がほどこされた記載であると私は思っています。

 私の立論に従えば、この天武四年の時点では、この勅は「お前の顔は見たくない」ではない、異なる政治的意思が働いたのです。西暦663年の白村江の海戦で倭国は惨敗します。以後十年以上にもわたって戦勝国である唐新羅連合部隊が九州の大宰府に鎮守府(いわゆる筑紫都督府)をおいて、倭国の軍事支配を強めます。この海戦で唐新羅連合軍に加担し、以後の倭国支配にも加担したのが中津国です(2013年2月15日記事)。したがって後世語られる「壬申の乱」は天武元年の事ではなくもっと時間が経過した後の事なのです。勿論その舞台も近畿ではなく九州です。このように整理するならば、万葉集初期歌群がすっきりと歴史と言う時間そして地理空間の中におさまる事をこれまでも書いて来ました。が、これについては、後日稿を改めて補強します。

 さて、上記一節に戻ります。岩波文庫〔五〕はこの記事の文意で「使」という漢字を無視しています。そのために「お前の顔は見たくない」との解釈になってしまいます。私は、九州に在した天武天皇A(倭国の王)は、上述した政治環境の中で近畿の権力に遣わす使節、それが「朝参」であったと考えます。天武天皇は、大来皇女、十市皇女を人質同然に近畿権力に拘束されるという政治状況から、例年近畿に遣わしてきた使節を本年は送らないことを「勅」したのだと思っています。

 もう一人の人物、久努臣麻呂、私はこの人物こそが高市皇子とともに天武天皇A(倭国王)の出自の謎解明の鍵を握る人物と考えています。この人物、六日後に、「使節」たるの命を拒否した廉で、役職を追われています。尚、岩波文庫〔五)はこの方の出自を久能山ではないかと書きます〔125頁)。これは過ちであることを次回に詳述します。
(つづく)

+++++政治主導の実態
 消費税増税に同意しない内閣なり財務大臣なりに徹底抵抗し、内閣の方針を変更させる、或いは大臣を更迭させる。そのために財務省は徹底した嫌がらせ、たとえば基本的な情報すらも政治家に伝えないなどといった話をしばしば聞きます。
 又、米国による沖縄基地占有問題への日本政府としての新たな施策、日米地位協定を見直すべく外務大臣なり首相がイニシアティブを取ろうとする。米国政府がそれに異論を唱えるのならまだしも、日本国の外務省が真っ先にそれに抵抗し、虚偽の情報を意図的に大臣に提供するなどの策謀も辞さず、妨害する。こうしたことが、おおっぴらに明るみに出たのは2009年、民主党が自民党を政権の座からひきずり落とした時でした。当時の鳩山氏はまさに大望を持って政権運営に挑みました。が、外務省の徹底した妨害、米国の意を汲んだマスコミの反民主(反小澤)キャンペーンの前に挫折させられてしまいました。取って代わった菅氏は、首相の座に着くや直ちに消費税導入への意欲を語り、結果としてこれが民主党の短命政権の直接のきっかけとなりました。

 官僚が描く国家経営構想に政治家が唯々諾々と行う。この明治の山縣有朋以来の長く続いた日本政治の実態は、日本に長く滞在する欧米のジャーナリストには誠に奇異に映ったのでしょう。カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen、1941年4月 - )はそうしたオランダ人ジャーナリストでした。陸山会事件でマスコミが大騒ぎをしている最中に改めて氏の著作が広く日本国民に行き渡りました。『日本/権力構造の謎(原題はThe Enigma of Japanese Power)』(早川書房、1990年、全2巻/[ハヤカワ文庫]、1994年、全2巻、上巻 ISBN 4150501777・下巻 ISBN 4150501785)です。

 政治家が国の経営の楫をとる。当たり前の事ですが、私には至極説得的でした。しかし、何事によらず、物事には相対立する二つの面がある。それを御してゆくのはヒトの知恵しかない。そのことを思い知らされたのが、今般の「モリカケ」蕎麦屋事件でした。東京新聞8月25日付「こちら特報部」がこの問題を上手にまとめています。
 (図:東京新聞8月25日付記事、26−27面、クリックすると拡大できます)
政官a2875

政官b2876




天武四年四月紀(2),素人獣医学部構想(前川氏)、室大金鼎談

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:畑に山百合の花が咲いており、蜜を求めて蜂が出入りしていました)
山百合2856

 
 百合子さん 昔の女(ひと)に その名前 清楚な姿 まぶたに浮かべり

 女性にキャーキャーと騒がれることも無く過ぎてしまった七十年余。当方が思いを寄せた女(ひと)は山ほど居ました。その中には百合子さんもいました。”百合子さん”と言っても東京都知事ではありません。勿論宮本百合子さんといえば、超インテリ、私のストライクゾーンの女性ではありません。

(写真:昨日、今日の突然の猛々しい暑さを予兆するかの如き昨日の日の出)
朝2850


 長く、涼しい日々でしたからこの二日の暑さに堪えています。昔の時代であれば、こうした気候の揺り戻しに耐え切れず昇天(私の場合は悪行三昧の報いで地底行と連れ合いは言いますが)する人も少なくなかったのでしょう。年寄りの皆様!どうぞ、ご自愛を!

+++++天武四年四月紀(2)
 引き続き、天武四年の四月紀をよみます。目的は、何故、ここに麻続王の流罪(日本書紀では麻続王の一子とありますが)記事を藤原不比等は持ち込んできたのか、その理由を探ることです。
 前回、は
“天武天皇四年(六七五)四月戊寅【五日】請僧尼二千四百余、而大設斎焉”
の件(くだり)を検討しました。ここで記載されている催事が日本書紀神代紀に書かれる「斎』同一であると書きました。二つの記事の時代は大きく隔たっています。一つは神代紀であり、一つは三十巻から構成される日本書紀の最後巻二十九の記事です。それなのに同一の事件が記載されている。そのカラクリは日本書紀巻一〜巻九に記載されている事柄の骨格は、藤原不比等が生きた現代から卑弥呼の時代に遡って構成されている、いわば時間を逆にした回顧録だからです。

 その様に考えると、この大斎事は藤原不比等の生きた時代、それも日本書紀編纂と言う大作業の大詰めの時期であったろうことが窺われます。藤原不比等による日本列島政治支配構想、そして藤原不比等が作り上げた天照大神信仰なる新興宗教による人心収攬構想の実現がこの催事であったのです。しかし、宗教構築による人心収攬は直ちに機能することはありません。そこで、持ち出されたのが仏教です。上記四月五日の記事は、既存の宗教・土着の宗教を排して仏教(普都大神、フツのおおかみ)をも動員したことの現われと考えています。
 言葉を変えれば、藤原不比等による九州の倭国殲滅、東夷征討軍による東国の扶桑国征服による人心の混乱恐怖は大きかったのだろうと思います。この後長く、藤原不比等の後継者による東国の民への「剣」による屈服強要と「新宗教」による慰撫が続きます。その一端を下の続日本紀の一節がしめしています、がその詳細は後日書きます。
 
 当然、この「斎」の主催者は藤原不比等に繋がる中津国の首領です。最近のブログではこの人物を仮に「天武B」と表記してきました。何せ、この人物は、巧みに日本書紀から己が身を隠しているからです。

 時折姿を現せども、大方の期間尼あっては日本書紀にその姿を表に出さない人物が居ます。誰でしょうか?そうです。藤原不比等です。私は、最近、天武Bこそ藤原不比等そのものではなかろうかと考えるに至りました。言葉を変えれば、藤原不比等が天皇を僭称したか否かは定かでは無いけれども、天武Bと思しきほどの力をふるった人物と言うことでもあります。天武Bなる天皇は存在せず、日本書紀でそれらしき挙動が伝えられる人物は藤原不比等を除いてはいません。続日本紀は、藤原不比等の死に対して尋常ならざる処遇をしています。
%%%%%続日本紀巻八より
原文:
養老四年(七二〇)五月癸酉(二十一日)。太政官奏。諸司下国小事之類。以白紙行下。於理不穏。更請内印。恐煩聖聴。望請。自今以後。文武百官下諸国符。自非大事。差逃走衛士・仕丁替。及催年料廻残物。并兵衛・采女養物等類事。便以太政官印印之。奏可之。」頒尺様于諸国。」先是。一品舍人親王奉勅。修日本紀。至是功成奏上。紀卅巻、系図一巻。
五月乙亥(二十三日)。給伊豆。駿河。伯耆国三剋鈴各一。
(中略)
八月辛巳朔。
右大臣正二位藤原朝臣不比等病。賜度卅人。詔曰。右大臣正二位藤原朝臣疹疾漸留。寝膳不安。朕見疲労。惻隠於心。思其平復。計無所出。宜大赦天下。以救所患。養老四年八月一日午時以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚。未発覚。已結正。未結正。繋囚・見徒。私鋳銭。及盗人。并八虐。常赦所不免。咸悉赦除。其癈疾之徒。不能自存者。量加賑恤。因令長官親自慰問。量給湯薬。勤従寛優。僧尼亦同之。
壬午(二日)。令都下〓八寺一日一夜読薬師経。免官戸十一人為良。除奴婢一十人従官戸。為救右大臣病也。
壬辰(十二日)。勅。征隼人持節将軍大伴宿禰旅人宜且入京。但副将軍已下者。隼人未平。宜留而己屯焉。
癸未(三日)。詔。治部省奏。授公験僧尼多有濫吹。唯成学業者一十五人。宜授公験。自余停之。是日。右大臣正二位藤原朝臣不比等薨。帝深悼惜焉。為之廃朝。挙哀内寝。特有優勅。弔賻之礼異于群臣。大臣、近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子也。
甲申(四日)。詔以舍人親王為知太政官事。新田部親王為知五衛及授刀舍人事。
(中略)
九月丁丑(二十八日)。陸奥国奏言。蝦夷反乱。殺按察使正五位下上毛野朝臣広人。
(中略)
十月壬寅(二十三日)。詔遣大納言正三位長屋王。中納言正四位下大伴宿禰旅人。就右大臣第宣詔。贈太政大臣正一位。


文意:「続日本紀(上)」(宇治谷孟訳)206頁より
養老四年(七二〇)五月癸酉(二十一日)。(途中から引用)。一品舍人親王が日本紀を修したと奉ずる。至是功成奏上。紀卅巻、系図一巻。
五月乙亥(二十三日)。伊豆、駿河、伯耆国三剋鈴各一。
《養老四年(七二〇)八月辛巳朔。
右大臣正二位藤原朝臣不比等が病にたおる。得度賜わること卅人。詔して曰く「右大臣正二位藤原朝臣は疹疾で漸くは病床に留る。寝ること膳すること安定せず。朕は疲労の状態をみて惻隠於心である。ひたすた平復を願い計る無と所出となし。そこで天下に大赦を行い、以って所患を救いたい。
養老四年八月一日午時をもって、それ以前の大辟罪の罪は軽重を問わず、すでに発覚したる者、未だ発覚せざる者、すでに処罰が宣せられたもの、判決を待っているもの、獄に繋れし囚人・まだ露見していない徒(やから)私的に銭を鋳した者(贋金)、及盗人、并びに八虐を犯せしもの、など常であれば赦所がなき者共、悉く、赦し放免せよ。其癈疾之徒、不能自存者には量加せよ(食物をあたえよ)。長官は親しく慰問し量給湯薬を与え勤従寛優せよ。僧尼に対しても亦同滋養に遇せよ。」
壬午(二日)。都下八寺一四に命じて日一夜読薬師経。官戸(賎人)十一人を良民とsる。奴婢一十人従官戸。これすべて右大臣病を為救也。

壬辰(十二日、多分二日と思われる)。勅。征隼人の任務を持った将軍大伴宿禰旅人をしばらく入京させる。但し、副将軍已下者は、隼人が未だ平服していないので、そのまま留るよう下知する。

癸未(三日)。詔。治部省が以下を奏上した「公験僧尼に授けるに当っては唯成学業者一十五人に限るべし。他にはそのままとせよ」と。是日、右大臣正二位藤原朝臣不比等薨。帝は深く死を悼む。為に朝廷での政務を廃め、ひたすら部屋尼篭った。特有優勅。弔賻之礼異于群臣。大臣は近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子である。

(中略)
九月丁丑(二十八日)。陸奥国から奏言があった。蝦夷で反乱があり、按察使正五位下上毛野朝臣広人が殺害された。
(中略)
十月壬寅(二十三日)。遣大納言正三位長屋王と中納言正四位下大伴宿禰旅人を遣わして右大臣に太政大臣正一位を贈るとの詔を伝えた。
%%%%%

 まずは、藤原不比等の死に先だつこと三ケ月前の五月に日本書紀(続日本紀は「日本紀」と書きます)が奏上されています。 そして、三ヵ月後に藤原不比等が死に、二ヵ月後に太政大臣正一位を贈られています。藤原不比等の死にあたっては、 大恩赦が宣せられています。

 実は藤原不比等の死について下劣な想像をしているのですが、それは次回に書くこととして上記で引用した続日本紀の一節に注目しておきます。
 八月十二日です。九州薩摩で隼人がいまだ平伏していないというのです。さらには、九月二十八日には蝦夷で叛乱があり上毛野朝臣広人が殺害されたと記事は書きます。私は「隼人」は「隻人」ではなかろうか?それを意図的に異なるしかし似ている漢字を当てたのが、藤原不比等ではなかろうか、と考えています。薩摩大隅半島には壬申の乱からの敗残兵が多数逃げ込んできたとの言い伝えがあり、渡辺豊和氏がそれを書いています(残念ながら氏のブログは現在リンク切れとなっています)。「隻」は「セキ」と音します。つまりサカ族の民であったと思えます。サカが転じたのだろうと私は考えています。
 これも余談ですが、古代学者のある方々は九州には多様な部族が居たと書きます。その一つが「安曇」族です。しかしちょっとでも思考するならば「アヅミ」は「安積」です。即ち「火又は明」を信仰する「サカ」族に由来することは想像がつくはずなのです。薩摩隼人も同様であると思っています。大隅半島に逃げ込んだ「サカ」族というわけです。

 日本書紀はいまだ定まらぬ日本列島の国情を危惧しながらいわば「主観的希望」を書いていた。したがって、その文書は西暦720年にあっても長く公開できず、それは支配階層に限定されて留まっていたということのようです。そう思うと、現在考察している「斎」事も七世紀の事ではなく、八世紀の事ではなかろうかと思えます。
(つづく)

+++++加計問題
 前文科相事務次官の前川喜平氏が「獣医学部新設の経緯」についてある雑誌で発言しています。以前から前川氏が繰り返し指摘していたことは「獣医師の需要予測」について官邸は、農林水産省に提出を求めなかったこと、そしてもう一つは「石破四条件の一つである先端生命科学への貢献」にかんして厚生労働省がダンマリを決め込んだことの「奇異」さです。どうやら安倍氏に沈黙を強いられていたようです。とすれば出来上がる「案」は専門家の知見が反映されない杜撰なものであることになります。前川氏はそこを鋭く指摘しています。
%%%%%
前川喜平・前文科事務次官が証言「加計学園獣医学部新設は、素人が説明・評価して進められた」
2017.08.22 日刊SPA!

 今治市の加計学園獣医学部新設問題で、「総理のご意向」を告げられたと証言した前川喜平・前文科事務次官にインタビュー。「ご意向」のもと、文科省が成功をおさめていた「共同獣医学部構想」とはまったく逆の方向で、“素人の説明・評価”によって官邸が獣医学部新設を進めようとしていたと前川氏は語った。

「獣医学を知らない素人が決めた加計学園獣医学部新設は、税金のムダ遣いになる」と懸念する前川氏

◆文科省が進めていた「共同獣医学部」は成功している

――前川さんが事務次官になる前から、文科省は国際水準に達していない日本の獣医学部のレベル向上をはかろうとしていましたね。

前川:文科省としては、「量の拡大」ではなくて「質の向上」が課題でした。獣医学教育を国際水準に引き上げるために、獣医学部がある16の大学同士で協力関係を作って質を高めようと考えた。これが「共同獣医学部構想」(大学同士の獣医学部の合体)です。すでに取り組みが始まっていて、成功していると思います。

――16大学のうち8大学で再編が進み、鹿児島大学と山口大学をはじめ4つの共同獣医学部が誕生。文科学省は国家戦略諮問会議の配布資料の中で図示しています。

前川:そうなのです。「黒い猫でも白い猫でも(何でも)良かった」と国会で発言した加戸守行・前愛媛県知事(今治商工会議所特別顧問)は2016年9月21日、国家戦略特区の今治市分科会で「世界に冠たる先端ライフサイエンス研究を行う国際教育拠点」と「アジア・トップクラスの獣医大学・学部」を作ると説明したのですが、それなら共同獣医学部を作るべきです。

◆獣医学部新設は、国際水準にレベルアップしようとする文科省構想に逆行

前川:獣医学部新設は、国際水準までレベルアップをしようとする文科省の構想と逆行しています。加戸さんは獣医学について素人だし、「実に説得的だった」と評価した八田達夫教授(国家戦略特区ワーキンググループ座長)も同じく素人。素人が説明をして素人が評価しただけで、専門的な見地から検討されていなかったのです。

 獣医学の教員のマンパワーは限られていて、新たに獣医学部を作れば人材が足りなくなるし、安倍首相が言うように「(獣医学部新設の)2校目、3校目を作る」というのも論外。専門家たちは「実態を知らない素人の発言だ」と口を揃えて言っています。

◆加戸守行・前愛媛県知事は、地元に大学が来れば何でもよかったのでは


 獣医学部新設を喜ぶ加戸守行前愛媛県知事(右)は前川氏の文科省での先輩にあたる

――前川さんの元上司でもある加戸守行・前愛媛県知事は、なぜ“古巣”の政策(共同獣医学部構想)に逆行する主張をしたのでしょうか。

前川:加戸さん自身が文科省で高等教育行政をほとんどやったことがない。文科省OBというよりは愛媛県知事経験者として、とにかく地元に大学が来てくれれば良かったのだと思います。国家戦略特区の目的は「日本中でどこにもないものを作って国際競争力の強化と国際的拠点を形成する」ということ。もし作るのであれば「国際競争力」のある、「国際的拠点」と言えるようなものにしなければならない。

――しかも加計学園の場合は、教員と学生の比率が約1対3(国立大学は約1対1)という国内最低レベルです。

前川:(国際競争力のある国際的教育拠点になるのは)ありえないですよ。計画をどうやって実現するのか、本当に質の高い教員を集められるかという具体的な道筋については何一つ語っていない。それでも、獣医学部新設が決まってしまうわけです。

 さらに前川氏は「加計学園獣医学部新設の“司令塔役”は和泉洋人首相補佐官だろう」とも指摘する。また、今治市民からは加計学園の建設費水増し疑惑・賄賂疑惑に関する告発も出てきた。これら多くの疑惑が未解決の加計学園問題について週刊SPA!8月22日発売号掲載記事「加計学園 黒幕と補助金水増し」では、さらに詳しくリポートしている。

【前川喜平氏】
1955年1月、奈良県生まれ。東京大学法学部卒業後、1979年に文部省入省。初等中等教育局教職員課長や官房長などを経て2016年6月、事務次官に就任したが、2017年1月に天下り問題で引責辞任。祖父は前川製作所の創業者。

取材・文・撮影/横田 一 写真/時事通信社
%%%%%
 安倍首相は北朝鮮がICBMをガム島へ打ち込むという騒動の中でさっさと河口湖の別荘に夏休み。このまま「モリカケ」蕎麦事件を国民は忘れてよいものだろうか?皆様方の怒りの火を掻き立てるべく二編の動画をお送りします。

金子・大竹。室井対談

 対談の聴き手は、私が大好きな室井佑月さん、お笑いのタケシとは「良好な関係」を保っていてもタケシに阿ねたり流されたりしない大竹マコト氏です。そして論者は慶応経済学部教授の金子勝氏です。金子氏は駒場の東大教養学部学生の頃から論客として鳴らしたつわものです。左翼運動に関わっていたようですが、しっかりと勉強を続け、日本国の経済政策に大きなインパクトを与える提言・指摘を続けている方です。

「斎」を考える,日本政治工作・謀略を主導し続けてきたCIA( 植草ブログ)

(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:昨年までは頻繁ではなかった白鷺の当地来訪。本年は連れ合い同伴で頻繁に登場します。おかげで飛び立つ瞬間の映像 )をキャッチできました。

 
毎朝の 散歩のお目当て カワセミは 姿見せねど 白鷺舞えり

 何とか今夏もう一回カワセミに遭遇したいと、いつもの用水路で待ち伏せしました。残念ながら今朝もあの青いエメラルドの鳥はどこぞに姿を隠したままです。構えたカメラのスイッチをオフにしようと思っていたそのとき、目の前に白鷺が降り立ちました。連れが居たんですな。直ちに彼女を追って飛び立ちました。そこを捉えました。しかし、早い。カメラは追いかけ切れません。

(写真:土曜日に江戸へ出ました。帰りの汽車で、ウトウトしていると、目の前にバッタが止まっていました)
バッタ2846

 私:「おい、何処から乗ってきたんだ?」
バッタ:「そこの田んぼだよ。いつも目の前通るから、なんだろうと思ってたんだ」
私:「親御さんが心配してるぞ」
バッタ:「大丈夫だよ。次で降りるから」
 てな、バッタとの会話を、いずれ孫に話してやります。

 私が住む、茨城県では8月27日の投票日に向けて二人の知事候補がしのぎを削る接戦と、報じられています。何としても反安倍を掲げる現職橋本氏の勝利を期待しています。それが、次の総選挙勝利に繋がると思っています。
 折角保守陣営が二つに割れたのです。利用しない手はありません。そこに手を突っ込んで、分断を拡大する。そして安倍陣営を孤立させる。これが大局を見据えた政治家のスタンスであろうと思うのですが、あいも変わらず「どっちもどっち」なぞと「正義感」なるものを振りかざし、現実の政治への働きかけを回避する勢力があるのは残念なことです。
 
+++++「斎」を考える
 万葉集巻一・二十三歌は、麻続王が「荷四間」(かしま)に居られる事を明瞭に詠いこんでいます(何故か、古代学者は「カシマ」と読む事を認めようとしないのですが)。一方、日本書紀巻二十九・天武四年四月紀記事は、麻続王の一子が罪を犯して血鹿嶋(ちかのしま)に流されたと書きます。この記事には、天武四年の四月の催事「斎」に関わりがあると、書紀読者に印象付けたいとの藤原不比等の思惑が見えます。
その「斎」を語る冒頭の一節です(以後の引用のために番号を付しておきます):
‥敬霤傾鳥庸(六七五)四月戊寅【五日】請僧尼二千四百余、而大設斎焉(岩波文庫校注者は「おおきにおがみす」と、訓をふります);

 四年前には、この記述について以下のようなコメントを書きました:
“ 二千四百人もの僧、尼僧による大斎事が、壬申の乱での戦死者の霊を弔うための催であったのか、それともどなたか貴人の法事であったのか、定かでありません。しかし、この斎事は12日後に詔される半年間の「生類哀れみの令」と関っていると思えます。この斎事は近畿権力が主催したと想像しています。”

 しかし、現時点では上記は私の無知故のコメントでありました。この記事が日本書紀の下記の記事を直ちに連想させることに思いが至らなかったのであります:

◆埖莇綯憤貊饌萋鵝娑貊騷。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。
 
文意:岩波文庫「日本書紀(一)」136頁より
一書は書く。天神は経津主神、武甕槌神を派遣して葦原中国を平定させた。その時この二神が言うには、「天には悪神がいる。その名を天津甕星、亦の名を天香香背男と言う。先ずは此神を征伐して然る後に葦原中国に進軍すべき」と。是時、斎主(いわいぬし)神を斎之大人と呼ぶ。此神は今は東国の楫取之地在乎東国楫(かとり)に在る。(2016年5月13日記事より )。
 
 日本列島にあって、八世紀始めに作られた「新興宗教」は天照大神信仰です。その出発点としての宗教的祭事こそがこの「斎」、なる催事に集約されていると私は考えています。
 言葉を変えるならば、天武天皇四年(六七五)四月戊寅【五日】で記載される記事(,竜事)と《第九段一書第二》一書曰で叙される催事(△竜事)は全く同じ出来事を叙しているのです。日本書紀は同一の事象を超古代と現代(藤原不比等の生きた時代と言う意味)に書いていることになります。
 もちろん、そこにはカラクリがあります。しつっこいようですが、本ブログ管理人が繰り返し書いてきた日本書紀の巻一〜九の構成の真実です(それを書くとしつっこいですなと呆れらるので、此処では繰り返しません)。

 △竜事(神代紀)、それは、藤原不比等の生きた「現代」から時間的に遡って構成された現代史の重要な一部として書かれています。藤原不比等が大陸史書を真似て立案した日本列島政治・宗教史記述のいわばオリジナル版と言うことになります。従って、そこには「斎」の実相が透けて見えるのです。それはまず第一に倭国・扶桑国を滅ぼしたという政治闘争への勝利宣言です。しかし、それに留まらなかったのです。多数の倭国・扶桑国の民を殺戮した祟り、敗残者からの反抗が、あちこちで火の手のように上がっていたのです。

 それを鎮圧しながらも一方で犠牲となった民を慰撫せねばならなかった。そのための催事、それが「斎」であったのです。つまり、政治軍事闘争勝利に加えて、宗教宣言を余儀なくされたのです。この「斎」を「いわい」と訓むことにもその鎮魂の意味がありそうです。これは「磐」(いわ)に由来するのだろうと思っています。藤原不比等が鎮圧した倭国・扶桑国の出自は邪馬台国と東国磐背・磐木です。この出自の民を鎮魂するとの意が込められていると考えています。

 上で引用した,呂修痢嶌悄廚噺世Ε札譽皀砲鮓譴辰討い泙后此処に2400名余の僧・尼が請われて読経したと書きます。まさにこれが「フツ」神です。2016年11月30日記事で書きましたが「フツ」は「仏」です。鎮魂に「ホトケ」様にお出ましを願ったのです。その一方で新興宗教たる新たな神「天照大神」までも創造してしまったので、その二つの「聖なる」存在(?)の調整を余儀なくされます。それが「神仏習合」です。
 
 梅原猛氏が指摘した「怨念」は、敗残者からの祟りへの恐怖・怯えです。つまり勝者に纏わり突いた精神構造です。この精神構造からの安寧を得る、こうした「精神史」の原点となったのが香取にまつわる「斎」であったのです。この催事が執り行われたのは、奈良盆地であったのか?私は香取の地であったろうと考えていますが、現時点ではそれを裏付ける材料はありません。しかし、香取神社の来歴がそれを反映していると私は考えています。その時期は日本書紀編年に従えば。西暦675年ですが、実際は八世紀前半であったろうと考えています。言うまでも無いことですが、この催事の挙行者は天武Bです。つまり奈良盆地にあって、東国軍事攻略の指揮者です。
(つづく)

+++++日本政治工作・謀略を主導し続けてきたCIA
  植草氏といえば、2000年代初め、その豊かな経済知識と先見性から政府の各種審議会委員として大活躍された方です。しかし、その主張は市場経済に固執する竹中平蔵氏との間に大きな対立を生み、結果として政府による政策決定プロエスから排除されてしまった。その排除の仕方が奇異としか言いようの無い卑劣な罠でした。いわゆる「手鏡」事件です。
 この事件について一貫して無実を主張し続けながら、氏は経済研究を継続しています。そうした氏の視点を以下に紹介しておきます。
 私が植草氏の論説に注目した理由は、昨今の米国でのトランプ大統領叩きです。私はその背後に米国に拠点を置く軍産共同体の策謀を見るように思えます。そして逸れは、世の「良識的知識人」と「良識的ジャーナリズム」の意図的後押しを疑っています。そのことを田中宇氏がブログで指摘しています。この田中氏の指摘は説得力があります。
 となると、トランプ氏の政策志向は植草氏が書くCIA或いは世界の奥の院の目論む方向とは異なっているがゆえに斯くも酷く非難されているのではなかろうか。こうした疑念に応えるのが以下の論説です。
%%%%%植草一秀氏のブログより

次の総選挙は来年12月までに必ず実施される。この選挙で、日本政治の転換を図らなければならない。国政は国民の厳粛な信託によるものである。その国政の基本方向を定めるのが衆議院の総選挙である。選挙によってどのような政権を構築するのか。そして、どのような政治を実現するのか。これを決めるのは、主権者である国民だ。森友・加計疑惑のような政治私物化問題、政治腐敗問題は論外で、そのような腐敗政治は一秒でも早く消滅させなければならないが、
万が一、次の衆議院総選挙まで安倍政権が存続している場合には、その腐敗政治を排除するとともに、安倍政治の基本政策路線の是非を、主権者国民が判断しなければならない。
具体的には、原発稼働の是非、集団的自衛権行使の是非=戦争法の是非弱肉強食推進政策の是非
を主権者が判断する必要がある。したがって、これらの基本政策課題について、安倍政治の基本方針に賛成する勢力と、これに反対する勢力とが真正面から対峙して、これを選挙の争点として掲げることが望ましい。政策を争点に、主権者が政策を選択する「政策選択選挙」を実現しなければならない。
したがって、どの党が好きだとか嫌いだとか、この政党と組みたいとか組みたくないといった、低次元の発想ではなく、基本政策路線を共有する政治勢力と主権者が大同団結して選挙に臨むことが求められる。「政策連合」の構築が何よりも大事になる。
この意味で、いま、何かと話題に上る小池国政新党は、安倍自民党と対峙する反対勢力にはなり得ない。なぜなら、小池国政新党が示す基本政策路線が安倍自民勢力とほとんど同一であるからだ。日本の主権者の求めている基本政策路線が安倍自民および小池国政新党勢力が示す基本政策路線と同一であるなら、安倍自民と小池国政新党勢力が二大勢力を形成して、政権交代を繰り返せば、それで問題はないだろう。
しかし、安倍自民および小池国政新党が掲げる基本政策路線には絶対に反対であるとする主権者が広範に、多数存在するなら、安倍自民と小池国政新党勢力という二つの勢力では主権者国民の意思を反映する政治は実現しない。安倍自民および小池国政新党の基本政策路線と明確に対峙する基本政策路線を掲げる政治勢力と主権者が大同団結して、選挙で戦うことが求められる。三つ巴の戦いになるなら、反安倍政治を掲げる勢力が勝利する可能性は極めて高くなると考えられる。
戦後の日本政治を支配してきたのは米国である。米国が表と裏側から日本政治に介入して日本政治が誘導されてきた。その対日政治工作の中心を担ってきたのがCIA(米中央情報局)であると考えられる。

CIAは米国の政権に支配される存在ではない。米国を支配する勢力に支配される存在である。ときに米国を支配する勢力の直接支配下にはない大統領が誕生することがある。このようなときに、CIAは大統領の指令によって動かず、米国を支配する勢力の指令によって動く。そして、CIAが大統領に対して牙を剥くことも生じるのである。日本のNHKが時の政権の指令ではなく、日本の支配者=米国を支配する者の指令に従うのと極めて類似している。日本支配を維持しようとする「米国を支配する勢力」は、日本支配の構図を維持するために、日本を新しい二大勢力体制に移行させようとしている。現在の日本の政権は自公勢力が担っているが、これと類似した「第二自公勢力」を構築して、自公と第二自公による二大勢力体制に移行させようとしているのだ。米官業が支配する日本政治の基本構造を、何が何でも維持し続ける。これが日本支配者の絶対的な課題である。これは、裏を返せば、日本政治の基本構造を改変してしまう政権の誕生、
あるいは、強い政治勢力の出現を、何としても阻止するということである。第二次大戦後の日本において、彼らにとって真正の危機が三度あった。第一は、1947年に片山哲内閣が誕生したとき、第二は、1993年に細川内閣が誕生したとき、そして第三は、2009年に鳩山内閣が誕生したときである。
本当の意味で、日本政治の基本構造を変えてしまう勢力、変えてしまう可能性のある勢力が日本に出現することを阻止する。これが、彼らの最重要課題になっている。
この文脈を正確に理解することが、日本政治刷新を実現するためには必要不可欠なのである。
彼らが危険視した最大の存在が、2006年に誕生した小沢民主党であった。民主党の大躍進は2006年4月に小沢一郎氏が民主党代表に就任した瞬間から始動した。千葉7区の衆院補選で民主党が奇跡の逆転勝利を収めてから大躍進が始まった。
2007年7月の参院選で大勝。そして、2009年の衆院選で見事に政権交代を実現させたのである。私がブログを立ち上げた当初に、既得権勢力が以下に小沢民主党を危険視していたのかを詳述した。民主党の外側から、そして、民主党の内側から小沢氏は激しい攻撃と謀略工作を
受け続けたのである。
2008年夏にフジテレビが「CHANGE」と題する政治ドラマを放映した。「第三極政党」を人為的に創出するための下地を作るためのドラマであった。この延長上に創設されたのが「みんなの党」である。反自民票が、真正の対峙勢力政党=当時の小沢・鳩山民主党に集中して流れるのを阻止するために、「隠れ与党」としての「第三極政党」を人為的に創作したのである。しかし、「みんなの党」の勢いは弱く、小沢・鳩山民主党による政権樹立を阻止できなかった。
このことから、日本支配勢力は、新たに橋下徹氏を活用することにしたのだと思われる。日本の巨大御用メディアが超絶的な広報宣伝費を投じて、橋下勢力をひとつの政治勢力に押し上げた。そして、その延長上に、新たに起用されているのが小池百合子氏なのである。同時に推進されてきたことが、民主党=民進党の「隠れ与党化」である。2009年の小沢−鳩山民主党は、
まさに彼らが恐れる真正の既存政治体制破壊勢力であった。この危険な民主党を殲滅することに彼らは総力を結集したのである。その成果として鳩山政権が破壊され、既得権勢力に寝返った菅直人氏を首班とする政権が創設された。その流れを受けたのが野田佳彦政権である。この野田佳彦政権が消費税増税に突き進んだことで、民主党は事実上、完全破壊されたのである。このとき彼らにとって、最大の危険物が、小沢新党=国民の生活が第一だった。日本のメディア、既得権勢力、そして、野田佳彦政権が総力を結集して取り組んだのが、小沢新党潰しだったのである。

いま、彼らが全力を注いでいるのが、小池国政新党を核に、第二自公勢力を結集させることである。小池国政新党勢力を核に「第二自公勢力」が二大勢力の一角を担う存在が誕生したとしよう。
そうなれば、定期的に政権交代が生じることも起こりえるだろう。しかし、そのときには、米官業が支配する日本政治の基本構造は、完全に固定化してしまう。
基本政策路線に反対する主権者の声は、国政から抹殺されてしまうことになるのだ。しかし、よく考えてみると、この構図=構造には決定的な矛盾がある。それは、「主権者多数の声が抹殺される」ことだ。民主主義の根本原理に反する状況が生まれることになるのだ。事態を打開するための方策は単純明快だ。「民主主義を活用すること」だ。民主主義を活用することにより、この矛盾を顕在化させ、状況を変えることができる。大事なことは、基本政策路線の相違に沿って、
基本判断を共有する者が連帯することだ。
原発稼働を止め、集団的自衛権の行使を容認しない。そして、消費税増税を阻止し、消費税廃止を断行する。この方針を明確に打ち出し、その基本方針に賛同する主権者が連帯して戦うのである。政治を変えるには選挙で勝たねばならない。この選挙に、「政策」の旗を掲げて、連帯して戦う。次の衆院総選挙では、原発、戦争と並んで、「消費税」が最大争点になると私は判断する。
消費税増税の是非ではなく、消費税減税・廃止 対 消費税増税 の図式で選挙が戦われることになると考える。消費税は社会保障拡充のために拡大していない。消費税は所得税と法人税の減税のために拡大しているのだ。格差拡大推進の中核的施策が「消費税増税路線」なのだ。だから、消費税減税・廃止の政策路線は、格差拡大是正政策の核心にもなるのだ。主権者は、第二自公に引き込まれぬよう、「えせ野党」の動きに最大の警戒を払わなければならない。
%%%%%

最新記事
月別アーカイブ
楽天市場
記事検索
記事検索
livedoor プロフィール
livedoor × FLO:Q
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ