(本ブログは月水金に更新されます。コメントはmytube20062000@yahoo.co.jp へ)

(写真:朝6時ごろ。公園脇草むらで見つけたザリガニです。二つのハサミを大仰に振り回しています。小生への懸命の反抗意志の表現かなと思いました。しかし、うっかり近くのドブから外へ迷い出てしまったようです。ドブに戻してやりました。今晩こそは夢枕で謝礼を申出てくるかもしれません。今から何を期待するのか、その返答を用意しておくことにします)
Pzari


 真実を 見通す力は 天賦の才 学習重ねど 届かぬ高み

 前回、nature誌による笹井芳樹氏の訃報記事・訳文を掲載しました。笹井氏は、研究者としての第一歩から一貫して強い関心を寄せてきたのは、「発生」つまり胚細胞からやがて多様な細胞へ分化、そしてそれを自己組織し完成された一個の生物体へ結実する全過程であったことが簡潔に紹介されています。
今般のSTAP細胞への氏の関わり方に関する謎を解明する一つの手がかりを与えているのではなかろうかと思う次第です。分化した細胞が幹性細胞に「戻って」それがリプログラミングされ新たな多能性細胞に転化することが、きわめて単純な環境下で頻繁ならずともおき得るなら、それは笹井氏の年来の学問的関心・課題への大きな示唆を与えるものであったのではと想像しています。
 そうとするなら、小保方氏の実験よりはむしろその実験過程こそが氏の関心事であったのではないだろうか?小保方氏への支援には、笹井氏の政治的野心があったかもしれないが、その野心を上わまわる知的関心があったのだろうと想像しています。そう考えると笹井氏の無謀とも思える小保方氏への肩入れが納得できます。
 そして、前回も書きましたが、鋭い感性と洞察力を有する研究者は、そう頻繁に出現はしない。凡庸な学者には届かない能力を有する研究者がいると私は思っています。いささか神がかり的物言いと感ずる方も有ろうかと思いますが、私の実感です。それを、いわば「下衆の勘ぐり]的非難で社会から葬り去る。これは人類にたいする犯罪に近い愚挙であると私は思っています。

+++2001.9.11「同時多発テロ(米国)」
 前回2011年9月11日の米国ニューヨーク・世界貿易センタツインタワー(WTC)崩落についての記事を紹介して、私の個人的な感想を書きました。これについてジャーナリストの田中宇氏があらためてその事件を振り返っています。興味ある方は是非読んでいただきたく思っています:
http://tanakanews.com/140911wtc.htm 

参考までにもう一つこの事件を詳しく分析しているサイトが下記です:
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/bcndoujimaru_menue.html 
 この記事の作成者はスペイン在住の日本人・歴史研究者です。ときおり「週刊金曜日」誌に童子丸開の筆名でヨーロッパの政治情勢を紹介しておられる方です。理工学分野の素養があるせいでしょうか、議論は誠に説得力があります。

+++吉田調書
 昨日政府福島第一原子力発電所事故調査委員会による311事故関係者への事情聴取(ヒアリング)報告書の一部が公開されました。私自身は全てをまだ読み終えてはいません。
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/hearing_list.html 
東京新聞が吉田氏に関する部分の要旨を記事にしています。
P912yosida


 不幸にして、この吉田氏は既に亡くなっています。事故現場に有って一部始終の経緯を把握していたが故に事故の精査には欠かせない存在であった筈です。それが理由か、事故解明が一向に進んでいないという状況で巣。未だに溶融した核燃料の所在すら定かでないのです。従って、この放射能を拡散する源が将来に及ぼす深刻な影響を誰も議論しないまま、安部政権は次の階段を上がろうとしています。

、鹿児島県にある九州電力川内原発1、2号機について、原子力規制委員会が、安全審査の合格証にあたる「審査書」を決定しました。この発電所は北、東、南に大きな活火山に囲まれています。火山研究者は火山噴火による、とりわけ降灰の原発への深刻な影響を指摘しています。しかし規制委員会は当面それほどの危険な兆候は認められない。且つ、噴火は余知可能であるとしてこの指摘を斥けています。この論理は、吉田第一原発元所長の「8mを超える津波」に対する条件反射的反応と酷似していますからの防護策については「ダンマリ」を決め込んでいます。つまりそれは規制委員会の所掌外であるとのいかにも官僚的対応です。
 原子力安全をなぜ国民が声高に求めるのか?それは放射能被爆による打撃がとりわけ広範で深刻だからです。したがって「安全」は原子力発電所に関する安全と全く同一次元で住民の安全確保が論じらるべきなのです。

 
+++++ブログ管理人が作製した古代倭国史図版(4)
 672年に発生したとされる壬申の乱、それは天智政権が拠した琵琶湖周辺から奈良盆地、東は鈴鹿山脈を舞台として争われた戦乱(内乱)とされます。しかし、何故か九州熊本を東西に流れる白川沿いにこの乱で登場する地名が数多く登場します。実は日本書紀二十八〜三十巻、壬申の乱とその後の記載はそれを注意深く精査すると、見えなかったことが見えてくるのです。
 先ずは、万葉集二十九歌で読み込まれている「淡海國」です。学者先生は、壬申の乱の舞台が琵琶湖と信じて疑わず、それは現在の「琵琶湖」と決めてかかります。「淡海」を「アワイウミ」と読めば、それは「アワミ」とつづめられ「「オウミ」つまり「近江」になるとの極めて単純な論拠です。私に言わせれば、いともあっさりと藤原不比等の思惑に載せられてしまったということです。

%%%%%万葉集二十九歌を見てみます。
題詞 過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌
原文
第一文節: 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 阿礼座師 神之<盡> 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎
第二文節: 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而 何方 御念食可
第三文節: 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓
第四文節: 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞
第五文節: 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 百礒城之 大宮處 見者悲<毛>
%%%%%万葉集二十九歌

 この歌には、九州熊本・佐賀に関わる場所が登場することを私のブログ過去記事は具体的に示しています。
それらを吟味した後に発見したのが下図です(2013年7月10日記事
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51853740.html
で書きました:
(図6:万葉集29歌が歌う淡海は熊本県南部にあった。ここが、狗奴国の南境界。南に隣接するのが投馬国)
 tankai_hasiri


 
 さて、もう一つ、天武天皇の活躍した時代の舞台について、その場所のひとつが特定できたのです。日本書紀二十九巻は以下の記事を掲載します(岩波文庫(後)、124頁)
 天武天皇四年(六七五)四月癸末【十日】遣小紫美濃王。小錦下佐伯連広足、祠風神于竜田立野。遣小錦中間人連大蓋。大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於広瀬河曲。
「四年の四月十日以後、「祠風神于竜田立野」、「祭大忌神於広瀬河曲」を初めて執り行い、以後、この祭祀が随時執り行なわれた。」

 ここに登場する「広瀬」、「竜田立野」が奈良盆地内にあることを前提として歴史家は諸所の考察をしてきました。しかし本ブログ管理人は2013年7月5日の記事:
で、この二つの場所が熊本県内にあったことを発見しました。それは、日本書紀の記述とも整合します。たとえば広瀬河曲は「広い瀬をなす、河が(おおきく)曲がっている」場所ということでこの時点では地名を著す固有名詞では無いのです。
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51854369.html :
(図7:日本書紀が書く広瀬と竜田立野、奈良盆地の同名地はこの名にふさわしからず)
619432e4-s

 次回に示す二つの表と上述記事から、邪馬台国の所在が導かれることになります。私にとっては大変重要な図です。
(つづく)