(本ブログは月水金に更新されます。コメントはryuuzaki_i@yahoo.co.jp へ)
(写真:刈り取りを終えた田で、一人ぼっち(一羽ぼっちというべきか)土を突く白鷺)
PB020002


グローバルな 企業こそを 守ります 市場経済の 本心そこに

  今週の金曜にもTPP条約の批准が安倍首相の”嫌う“「強行採決」ではなく、国会衆議院を通過するとのことです。私の危惧を以下に繰り返しておきます:
この条約の本質はISD(Investor State Dispute)条項にあると考えています。各国の政府は自国民の生活安定と安全確保のためにしかるべき政策を取る義務と責任があります。例えば、車の廃棄ガス排出規制、走行スピード規制、薬品の安全規制、食料の安全規制(GMO、牛肉、米、柑橘類)、医療保険等々です。その政策に企業がクレームをつける権利をISD条項が明記しているのです。
 日本にそうしたクレームをつけるのは米国ではなく、米国のお面をつけた多国籍巨大企業であることが、TPPの本質です。彼らが、“市場経済という”錦の御旗を振りかざして各国の安全政策を敵視しかねないのです。多国籍企業はその国の政策が自らの企業活動を妨害していると見なした途端、「商売妨害」として国際法廷に訴えることができます。それがISD条項が企業に付与する提訴権です。この審理を貫く思想は「自由経済」です。これこそが審決の基準となります。おのずからその結果は100%近く企業側の勝利となります。

 現在の米国にとって目ざわりの一つが「日本の国民医療皆保険」です。「何でも裁判」と「何でも保険」(ユダヤ人が編み出した金儲け術、ベニスの商人が良い例)は、米国における新たな錬金術です。そこで、この日本の制度がISD裁判にかかれば、現在の医療保険制度は、保険産業のじゃまになるとの位置づけ認定がされるかもしれません。国ぐるみで自由たるべき保険活動を妨害していると認定されるからです。
 同様が薬品。日本の薬品審査は一方で血友病での非熱処理薬剤を米国の圧力であっさりと認可したが、全体としては安全サイドに立ってきました。しかし、薬品産業でぼろもうけをしてきた薬品製剤多国籍企業にとっては目障りであったのです。TPP後は充分安全性の確かでない薬品が出回る可能性があります。米、牛肉など、膨大な薬剤を投与された農業食品への日本政府による規制も今や風前の灯です。実際、牛肉の規制は、これまでは20ヶ月までの若い肉が安全とされていたが、より危険な高齢(48ヶ月)牛肉の輸入がすでに認可されています。TPPではこうした規制もISDにより取り払われる惧れがあります。
 米国では二人の大統領候補が揃ってTPPには反対との意思表示をしています。その理由は、自国の労働者の雇用が狭められるからとの米国民の意思を反映したものです。他国のの主権を損なうことへの配慮ではありません。

+++++東国三社(5、沖洲か息栖か?)
 「東国三社の一つである息栖神社の旧所在地は利根川河口北岸(日川域)のやや南、利根川河口内に形成された中州であった。それを定めた時期は香取神社の地を渡来族の新たな拠点に定めた後であった。」
 とのシナリオを頭に描きつつ、拠点の位置なぞを計算してきました。ところが、前回計算に基づいて描いた図によって、そうしたシナリオがひっくり返されてしまいました。

 さて、どうするか?何か“書かれた”手掛かりは無いものか!「常陸国風土記」はどうであろうか?それは新しい東国の支配者である藤原不比等一族によって厳しく検閲された筈です。当然記紀史観を逸脱するような記述は削除されているでしょう。とはいっても、もしかしたら「行間」に何かを嗅ぎ取ることが出来るかもしれません。詳細は別に考察しますが、二・三気づくことを書いておきます:
 今、私が参照しているのは「風土記」(小学館、植垣節也 校注・訳者 1997)です。それに拠れば、常陸風土記は十節からなります。この見出しだけ見ても興味深いことが見えてくるのです。上記本は夫々の節について原文と訳文を併記します。以下はその節に使われている頁数です。
総記(3頁)、新治郡(2頁)、筑波郡(5頁),信太郡(3頁)、茨城郡(5頁)、行方郡(17頁)、鹿島郡(14頁)、那珂郡(4頁)、久慈郡(8頁)、多珂郡(5頁)
 何と言っても断トツに多くの頁数を使っているのが行方郡と鹿島郡です。次に久慈郡です。八溝−鹿島線、那須岳―香取線が通過する郡に対応することがわかります。三つの郡がとりわけ重視されたことを暗意しています。鹿島郡の冒頭の記載など、さらに興味深いこともあるのですが、それは次回に譲る事にします。ここでは、常陸国を構成する郡の配置、その中で、現時点で本ブログが関心を寄せている「旧息栖」と思しき場所を示しておきます。
(図1:常陸国の郡配置、日川に相当する場所が、丁度本のページのつなぎ目に当たっています。上掲「風土記」より)
常陸風土記


風土記を眺めることは次回にして、まず事実をもう一回整理します:
 五世紀末に八溝山頂に見晴台を設置し巨大な宗教的拠点配置事業が始まった。
 六世紀の前半(計算では西暦527年頃)、その事業は終了した。拠点の最終端の地は、利根川河口の中州であった(中州の手前にある日川でも良かったのかもしれない)。しかし、その地は洪水、あるいは巨大地震による津波の遡上など、防災視点からは極めて不安定であることが程なく判明した。代替地として、現在の鹿島に拠点が移築された。
 しかし、この旧息栖の地は海洋進出の拠点として長く廃棄されなかった。「息栖」の「イキ」は「オキ」の転化したものである。「オキ」は古代ペルシヤ語「oqyanus」(ラテン文字表記)に由来する。古代ギリシャ語で「オケアノス」は海洋を意味する。つまり遠く西域から渡来した部族が、ギリシャから伝わった外来語をそのまま用いていたんですな。
 かくして、「息栖」はまさに外来語であり、その原義は「海洋」であった。この地(旧息栖)は、磐瀬から八溝山―鹿島聖線を南下したサカ・高・アイヌ連合体の西進の基点となった。彼らの西進の軌跡を彼ら自身が為した「マーキング行為」で辿ることが出来る。まずは房総半島先端の「安房」(アバ=火が転じた)、三浦半島の横須賀の「スカ」はまさに「サカ族」に由来。そして「相模」の「サガ」は「スカ→スガ」の転じたもの。そして「駿河」(スルガはスガに由来)。この西隣に発したのが「相良」(サガラ)姓(『姓氏家系大辞典』(角川書店))。そして「渥美」(アツミ)半島の「アツミ」は「安積」(アズミ)の転化したものである。そしてそれは「積」が「シャク」と音することから「アサカ」に転じた。「ア」は「アベ」であり「火」または「明」。「アツミ」は「火を奉ずるサカ」族。福島県のJR駅「安積永盛」を思い起こすだけでよい。これが日本列島古代史で尤もよく知られる用語「アスカ」の起源。紀伊半島の南端近く「熊野」に、「アイヌ族」の信仰対象を「マーキング」し、四国に入り「阿波」(アハ=アバ=火)の足跡を遺して、九州の鹿児島(カゴ=カガ=高)に達した。この経路の多くの部分が「武王」又はその息子・孫の日本列島縦断の足跡戸思われる。そしてこれを逆さまに、つまり二誌から北へと描いたのが古事記の武倭尊であり、日本書紀の日本建命である。(扶桑国王蘇我一族の真実」を著した渡辺豊和氏はこの旧来の「常識」を覆した。

 上述の経路は日本列島縦断のいわば東南経路で、開拓されたのが西暦520年前後。とすると、やや遅い。とするならば、当然「北西経路」もあった筈。これはいきなり新潟の「青海」に陸路(あるいは阿賀野川沿い)で出て南西に進む。「加賀」(カガ=高)を経て出雲、「石見」(イワ=磐)をへて九州へ達する経路だ。そこから内陸に入り佐賀(サガ)平野です。そこで、見聞したのが「邪馬台国」の跡地です。その感動を詠ったのが万葉集一巻の一・二歌です。

 こうして、渡来族は邪馬台国跡に住んだ現地住民とも共生・融和して東日本(日出国)と九州を拠点とする西日本(日入国)を統合する巨大な倭国を形成するに至ったのです。但し、奈良盆地に盤拠した一族を統合することはできなかった。激しい抵抗があったのやも知れません。その抵抗がやがて暴力的な「反抗」となり、八世紀以降の「東夷」つまり「東国に住まう夷狄(野蛮人)征伐」と銘打った東国政権の「暴力的殲滅」の軍事行動となるのです。

 以上、簡単に私の古代史観を概略しました。香取地の拠点設営は藤原不比等一族による「東夷」の謂わば「二回戦」とも言うべきものです。一回戦であった「壬申の乱」の成功に味をしめたのです。
(つづく)

+++++10月末のイタリア地震
 イタリアの背骨たるアペニン山脈中央部で、つい先日の8月24日に被害地震が発生しました。ほぼ同じ場所で、10月30日に、死者こそ出なかったものの15,000名もの住民が避難する騒ぎとなった地震が起きています。BBCネットニュスが以下を報じています:
%%%%%BBCnews(抜粋、日本語訳はつけません)
BBC News (BBC on Italy quake)
Italy quake: At least 15,000 in temporary shelters

Italy's most powerful earthquake since 1980 has left more than 15,000 people homeless, according to the country's civil protection agency.No-one was killed in the quake but 20 were injured and damage to the area round the town of Norcia is extensive.The 6.6-magnitude quake struck near the central region where nearly 300 people were killed by a quake in August.Prime Minister Matteo Renzi is chairing a meeting of his cabinet to discuss emergency reconstruction.(中略)

Sunday's quake - 6.6 as measured by the US Geological Survey - came on top of August's quake and two last week of magnitude 5.5 and 6.1.Other towns and villages to have suffered damage include Castelsantangelo, Preci, Ussita and Arquata.Central Italy has seen several major quakes in recent years. Earthquakes which devastated the town of L'Aquila in 2009 and Amatrice in August this year killed about 300 people each.But they both measured 6.2 and were deeper than Sunday's earthquake.
%%%%%

この地震の情報を以下に書きとめて起きます:
(表1:Global Cmt Catalogueによるこの地震の解析結果)
Perugia161030

10月28日の地震は地下489kmに起きた深発地震で、アフリカ・プレートがイタリヤの地下深くに潜り込んでいると理解されています。が、既に潜り込み運動は停止しており、大昔に潜り込んだプレートの欠片(かけら)内で発生する地震との説もあるようです(http://c23.biz/jcFv )。発震機構解は図2を参照してください。この地震の非DC成分は“−8.4%”と算出されます。計算上は圧縮応力が大きかったことを示しています。総和を0とするために負量が非DC成分として残るからです。
 10月30日の地震は、8月24日の地震・震央の近傍で発生していますから、8月に始まった地震活動の延長上にあると理解すべきかもしれません(発震機構解は図2)。非DC成分は“8.1%”と産出されます。張力が大きかったとの算出結果の反映です。

(図2:IRISによる震央(IRIS )。この地震に先行して、イタリア西部の深所におきたM5.8の地震も示しています)
Italy16Octfps


 長靴型のイタリア南半分を北西―南東に走るアペニン山脈。その背骨中央部近辺で起きる地震が北東―南西方向の張力に支配されていることが、図3の発震機構解と比べることで改めて再認識できます。
 それにしても、このところ、日本とイタリアで起きる地震は顕著な前震活動が先行するという共通現象が見られます。にもかかわらず、その後に大きな本震が続くのかどうなのか?それを見極める手立てが無いようです。地震が続くようであれば、とりあえずは警戒する。それしか自らと家族を守る手立ては無い。これが地震防災の現状です。
 (図3:9月5日ブログ掲載の図再掲 イタリアの5つの被害地震
 五顕著地震