(記事の更新は当面不定期です。ご意見は ryuuzaki_i@yahoo.co.jp へお寄せください)
(写真:霧の朝。拡大は図のクリックで)
朝霧8534


 警察が 統治に乗り出す きっかけは まさかと思った 学問の舞台

 老齢にも関わらず、ついつい夜中の蹴球試合を観戦してしまいました。脇にはいつもの通り安焼酎とつまみの煮干です。元鹿島アントラーズの私が贔屓にする二選手で決勝点を挙げたことはうれしく思いました。が、大きく世界の桧舞台で活躍してほしい久保選手が後半早々に引っ込められました。しかし、無能な森保一監督が外国スポーツジャーナリズムからほめられているとのこと。不愉快ですな。そういえば、今回はあのわざとらしいメモ帳持参の采配はありませんでした。どこぞから「あのパフォーマンスをやめろ」なぞと叱責されたのかもしれません。

+++++稲城(3)
 前々回、および前回記事では、西暦570年ごろ(シリウス方位から推定した年代)に相模湾に大きな地震が起きたのではないかの想像を書きました。同年代の欽明天皇二十三年紀記事(日本書紀編年では西暦562年)は、朝鮮半島で倭国支配下にあったとされる任那が新羅から攻撃を受け、同地を支配された云々(でんでん)なる出来事を書いています。日本書紀の頁を更にくくると日本書紀・巻十九・欽明天皇二十六年紀に以下の記述があります。
原文:
欽明天皇二八年(五六七)郡国大水。飢。或人相食。転傍郡穀以相救。

文意(岩波文庫「日本書紀(三)」340頁:
欽明天皇二八年(五六七)に郡国(くにぐに)大水いでて飢えで苦しみ或人は相(とも)食いもせり。傍の郡(こおり)が穀を以って、救ける。

 西暦567年に「どこぞで大水発生」との記事です。これぞ、相模湾に発生した巨大地震が引き起こした巨大津浪ではなかろうか!との短絡思考に走りたくなります。しかし、本ブログでは日本書紀の編年には「仕掛け」が施されており、その記載には注意深い精査が求められると書いてきました。
 自分の描く歴史のシナリオにそぐわないと「これは記紀に施された捏造」であると言いながら、都合のよい記載にはそれを「無条件に認めてしまう」というのが在野の歴史愛好家の「やり口」です。こうした非難をなんとかかわせないものか?

 岩波文庫版校注者はこの条について「漢書の一文の丸写しである」と、解説で書いています(同書342頁)
 確かに漢書は以下を書いているとのことです:
 漢書元帝紀、初元元年九月条の文「関東郡国十一大水、飢。或人相食。転傍郡銭穀以相救」

 日本書紀にあっては、上記の記事は、二十六年の高麗人の帰化(落ち着き先不明)、三十年は「租」に関する記事というわけで前後の関連性は全くありません。脈絡のない記事の列記に挟まれた記事の中から、こうした短文を漢書に見つけたのです。この短文を見つけ出したのは日本書紀・編纂者、具体的な執筆者ばかりではありません。1200年後の現代にあって、漢書出典を見つけた校注者にも感心してしまいました。
 私は、「大水」の事件は西暦567年に実際に起きており、一世紀半近くに渡ってその災害は伝承されていたと想像しています。「大水」は津浪であり、それは相模川を陸地奥まで遡上してのではなかろうか。藤原不比等は自らが指揮を執って編纂する日本列島政治史の信憑性獲得のため、特に史書の中で脈絡はないものの、この史実をしかるべき「年」に埋め込んだと考えています。伝承は詳細を伝えないので、当該執筆者は「漢書」の表現を探し出してそれを挿入したのです。
まとめますが、相模湾で発生した大地震とそれに伴う大津波および海水の遡上によって住民に多大な被害があったと仮説します。その災害鎮静のために「神揃山」にまずはティッシュタル(シリウス星)を恒常的にあがめていることの証を設営したのです。同じ目的で鎌倉にも設営されました。それが西暦570年ごろ、すなわち六世紀後半です。さらには、災害の形態に応じて、大水に抗する「アンーターヒ」神を祀る聖所が設定されたと思っています。この名称が土着の民に語り継がれ、後年その地に「多々比神社」なるものが建造されたけれども、それが「大水」からの災害を除けることは忘れられた。大地の揺れからの恐怖から民を守るはずの「サブ」神の聖所も同様な経過を辿りその音写として漢字に「寒」をあて、後年「寒川」神社なるものが作られたと想像しています。しかし、これについてもその由来までは近隣の民には伝えられず、誰を祭神とすべきかに困惑したはずです。そうした経緯を想像させるのが上記二つの神社に関するウイキ記事です。
 川匂(かわわ)神社については、祭神が「風」であることを考慮して前回記事で私の想像を書きました。本日以下のような記事をインタネットでみつけました。どうやらこのところ大きな話題となっていた異臭の成分はわかりつつあるそうです。しかし、その発生元は不明です。調査当局によれば、次は三浦半島から横浜にまで及ぶ広域の「臭い」現象の解明に入る、と記事は書いています:
参考:解明に大きな一歩!「横浜の異臭」採取&分析がついに初成功した意外な理由
前回の10月11日記事,「六世紀末に相模湾で大地震が発生した(川匂神社と異臭)?」,で書いたことを裏付けるような記事をネットで見つけたので紹介しておきます。
参考記事:文献が示す「異臭」と「地震」の関係 神奈川で相次ぐ異臭騒ぎ 関東・阪神淡路大震災の前後に“ガスの記録”


 ここで、 鎌倉・湘南を離れ、日本書紀・垂仁天皇五年(丙申前二五)十月己卯朔に登場する「稲城」考察に戻ります。そもそも「稲城」に着目した理由は相模国の東にあった麻生里(現在の川崎市麻生区)の存在です。これは、ゾロアスタ教の影響領域が大山阿夫利を中心として東西に広がっていたことを示すと考えています。東の端にある麻生里の北隣は「稲城」(現在の稲城市)です。日本書紀は二つの「稲城」を書きます。古代史研究者は「稲城」を「稲を積み上げた城」であるとして、歴史研究の対象として詳しく考察していません。たとえば、「稲城」を「イナギ」と訓まず、「イナシロ」と訓むならば、それは福島県の「猪苗代」と同義である可能性があります。これについては後日検討します。
 さて日本書紀で最初に登場する稲城(9月29日記事 )について垂仁紀を再掲します。
%%%%%文意(岩波文庫「日本書紀」(二)28頁):
紀元前25年冬十月、垂仁天皇は来目に行幸し高宮にいた。ある時天皇は皇后の膝枕で昼寝をしていた。皇后は既に成事をなすことはないと考えていた(中略。耳穴の掃除をしながらうっかりと涙をこぼすなどの挙動を不審に思った天皇に謀反を白状してしまう)。天皇は「是は非汝罪也。ただちに近県の卒をひきいて上毛野君の遠祖である八綱田の命じて兄である狭穂彦を撃つよう命じた。狭穂彦も兵を興して反撃し忽に稲をつんで城をつくる。其堅きこと破ることができないほどであった。此が謂稲城也。実に月をまたがって抗戦した。皇后悲しんで曰く「吾は皇后であるが兄王が亡ければ。面目がなく、天下の地位にいることはできない」と。王子である誉津別命を抱いて兄王のいる稲城にはいった。天皇は軍勢を増強し其城を包囲し城中に向かって曰く「ただちに皇后と皇子は城から出よ」と。然し、出てこないので、将軍八綱田は火をはなち其城を焚く。

 原文は上掲の9月29日記事で書いたので、省略します。
%%%%%文意おわり
 
 岩波文庫「日本書紀」(二)校注者は、和名抄を引いて天皇が行幸した木目(くめ)は「大和国高市郡」であると書きます。この天皇は日本書紀に従えば美麻貴天皇の三男で磯城・瑞垣に出生し和名は「活目入彦五十狭茅」(いくめいりひこいそさち)天皇です。「いくめ」は「木目」と同じ由来と思われます。本ブログでは美麻貴天皇は現在の埼玉県『志木=磯城』に設けた陣屋から常陸国の軍事侵攻の出撃したと書いてきました。
 このことを念頭において冒頭の「天皇幸来目」を考察します。「来目」は学者さんが言うように奈良県とは考え難い。それは埼玉県志木に使い場所ではなかろうか?そうです、近くに「久米」という地があります。
(図:東京都と埼玉県の境界に位置する「久米」。拡大は図のクリックで)
200929久米無題

 ウイキなどによれば「クメ」は「久米」とも漢字表記されて江戸時代以前からの地名であることがわかります。そこで、次回には、狭山湖周辺域を少し探索することにします。
(つづく)

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 さて、冒頭に掲載した駄首に関わる記事と動画です。
 今般の学術会議会員任命問題の裏の仕掛け人は79歳超高齢の警察官僚であるとのこと。つい最近までどろどろの暗闘が展開されていた新東大総長選出の問題の影にもこの人物の采配が及んでいたのではなかろうかと疑っています。
 警察国家は権力者にとってはその権力維持のための最高の「仕掛け」です。戦前の「特別高等警察」を想起するだけで十分です。これまでは安倍晋三氏の無能さに目を奪われて、警察支配の浸透に気づかされなかったんですな。それが菅政権になり公然と姿を現したんです。学術会議会員任命問題そのものはたいした問題ではないと高をくくっていましたが、どうやら菅氏には先を見通した深い戦略があるようです。
%%%%%「学者6人排除」の真犯人 “陰の総理”杉田官房副長官の思惑 公開日:2020/10/14 13:20 更新日:2020/10/14 13:20
 やっぱり、この男だったのか――。日本学術会議の任命拒否問題を巡り、学者6人排除の「真犯人」に浮上した杉田和博官房副長官。霞が関の幹部人事を一手に握り「陰の総理」「官邸の守護神」と呼ばれる警察官僚だ。安倍政権のこの8年間、官邸ポリスが暗躍していたとみられているが、とうとう学問の領域にまで手を突っ込んできた形だ。菅政権の“恐怖政治”は一気に加速している。

 ◇  ◇  ◇

 加藤官房長官は13日、学術会議の人選の起案について「事務方に任せていた」と説明。事務方トップの杉田氏が6人を選んだのは間違いない。

 杉田氏は警察庁出身。公安畑を歩み、“カミソリ”と恐れられた後藤田正晴元官房長官の秘書官も務めた。ゴリゴリの警察エリートだ。

 第2次安倍内閣がスタートした2012年12月から官房副長官を務め、就任から丸8年を迎える。すでに79歳の杉田氏は「12年の安倍首相就任会見中に倒れたこともあり、令和への代替わりが終わったら辞めるとみられていた」(永田町関係者)が、官僚組織を押さえるために安倍前首相が慰留。菅首相も続投を望んだという。一体、どんな人物なのか。

「本質は典型的な公安警察です。怒った時の迫力は相当なものだといいます。以前、文科事務次官だった前川喜平さんに『君、そんなところ(出会い系バー)に行っているのか。今後注意しろ』と、クギを刺したのも杉田さんです。その一方、フランクで物腰が柔らかい人物を『装える』人です。官僚として優秀なのは確か。内閣人事局のトップとして霞が関の局長クラスの人事はもちろん、天下り先まで差配している。官僚は皆、杉田さんの顔色をうかがっています」(官邸事情通)

 高齢の上、体調不良がくすぶっているが、後任の“本命”だった前官房副長官補の古谷一之氏(財務省)が公取委員長に就いてしまい、後釜がいないという。

「菅官邸としては『桜を見る会』や『ジャパンライフ』など、問題が目白押しなので、杉田さんを使って警察を握っておきたいのが本音でしょう」(霞が関関係者)

 今回、突如として杉田氏の名前が表に出てきたのは、官邸サイドの計算もあるという。

「野党は26日召集の臨時国会で菅首相を追及するだけでなく、杉田さんの参考人招致も求めています。ただ、官房副長官は慣例で国会に呼ばれないことになっている。つまり、杉田さんを矢面に立たせれば、学者6人を外した人選に菅首相は直接関わっていないとダメージをコントロールできる上、野党は杉田さんを追及できないので問題をウヤムヤにでき、得策というわけです」(前出の官邸事情通)
官邸は逃げ切り画策
 直近のNHKの世論調査によると、支持率は内閣発足直後から7ポイントもダウンしているのだが、官邸は「逃げ切れる」「大丈夫」とタカをくくっているという。

「官邸は任命拒否問題について、『国民はそんなに怒っていない』と考えているようです。というのも、任命拒否の撤回を求める署名が14万筆で、『女性はいくらでもウソをつける』発言で大炎上した自民党の杉田水脈議員の辞職を求める署名とほぼ同じ数だったからです。そのレベルの批判だから、黒川前検事長の定年延長問題ほど大きくならないと見ているのです」(政界関係者)

 6人の学者を直接排除したのが杉田氏だとしても、最終的に決裁した菅に全ての責任があることに変わりはない。思惑通りの“逃げ切り”を許してはダメだ。
%%%%%日刊ゲンダイ記事転載おわり

郷原信郎弁護士が法的問題を指摘しています。
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日本学術会議任命問題、「改ざん」指摘の当否、首相決裁「虚偽公文書作成」の可能性
投稿日: 2020年10月12日投稿者: nobuogohara
日本学術会議の会員任命見送り問題に関して、菅義偉首相が、任命を決裁した時点で、6人がすでに除外され、99人だったと先週土曜日(10月10日)に報じられた。その直後にアップした記事【日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に】では、報道の通りだとすると、誰がどのような理由で、或いは意図で除外したのか、そして、6人の任命見送りの問題表面化直後に、菅首相が任命決裁の際に学術会議の推薦者名簿を見ていないのに「法に基づき適切に対応」と発言したことについて、「適切」というのがどういう意味だったのか重大な説明責任が生じることを指摘した。
 この問題について、学術会議側から、「学術会議は総理に対して105人を推薦している。総理に伝わる前に他の誰かがリストから6人を削ったのであれば、文書の改ざんとなり大きな問題」との指摘が行われていると報じられている【(TBS)学術会議側から「文書の改ざん」指摘相次ぐ】。
 学術会議側が指摘するように「文書の改ざん」に当たるのか、それに関して、どのような犯罪が成立し得るかについて考えてみたい。
 まず、日本学術会議が、内閣総理大臣に提出した「推薦者名簿」は、
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
と規定する日本学術会議法17条の規定に基づいて、日本学術会議会長の名義で作成され・内閣総理大臣に提出された「有印公文書」だ。
 もし、この推薦者名簿の中の6名を除外し、99名の推薦者名簿であるように内容を改変して菅首相に提出したとすると、「作成権限者である日本学術会議会長に無断で、既に存在する公文書である推薦者名簿に手を加えて、新たに不正な推薦者名簿を作り出した」ということになるので、有印公文書変造罪(1年以上10年以下の懲役:刑法155条1項)が成立する。
 しかし、会見での菅首相の発言を確認すると、(任命決裁の際に)「見たのは99人の任命者リスト、推薦者リストは見ていない」と述べている。この説明によれば、学術会議が提出した「推薦者名簿」自体は菅首相に提出されておらず、ニュース等で目にする「黒塗りの推薦者名簿」は、「105人の推薦者名簿」の一部を黒塗りにしたものを、「推薦者名簿」ではなく「99人の任命者名簿」として作成したものということであれば、内閣府側の作成名義による文書ということになり、「公文書の変造」は成立しない。学術会議側が指摘する「改ざん」にも当たらないということになる。
 そうなると、問題は、会員任命の首相決裁の際の「決裁文書」がどのような内容だったかである。「日本学術会議の会員推薦者が99名であった」かのような決裁文書が作成・提出されたのであれば、「事実に反する記載」ということになり、そのような内容の決裁文書を作成し、菅首相に提出する行為は、虚偽有印公文書作成・同行使罪に当たることになる(法定刑は有印公文書偽造・変造罪と同じ)。
 もっとも、菅首相の会見での発言からは判然としないが、任命見送りとなった6名については、「自分のところに任命の決裁が上がってきた段階で6名は任命対象から除外されていたので、除外された6名の名前は知らなかった」という趣旨であり、6名が除外された事実を知らなかったということも考えられる。実際の決裁文書には、推薦者が105名であったことが記載され、そこから選定された99名の「任命者リスト」が添付され、その99名を選定することの決裁を求めたというのであれば、決裁文書に虚偽の記載はないので、犯罪は成立しない。
 しかし、そうだとすれば、菅首相の説明は「舌足らず」であり、推薦者名簿が「改ざん」されたかのような誤解を学術会議側に与えたことについて責任がある。
 ノーカットで公開されている会見映像を見ると、菅首相は、記者の質問に答える際、終始手元の資料に目を落とし、「総合的、俯瞰的に」と言う言葉を繰り返している。そして、この問題について、唯一、自分の言葉で答えたのが、前記の「推薦者リストは見ていない」という言葉である。菅首相の説明能力・答弁能力の致命的な欠如を示していると言えよう。
 菅首相は、推薦者名簿の取扱い、決裁文書の作成経過などについて至急調査を行い、「見たのは99人の任命者リスト、推薦者リストは見ていない」と発言したことについて納得できる説明を行うべきである。
 官僚というのは、一般的には、「首相の意向を忖度するなどして、不当な行為を行うことはあっても、『違法行為』だけは絶対に行わない」という“習性”があるので、意図的に虚偽公文書を作成したとは思えない。しかし、まだ記憶に新しいところでも、森友学園問題での「財務省決裁文書改ざん問題」も発生しているので、全くあり得ないとは言えない。
 もし、その決裁の過程で、虚偽公文書作成などの犯罪が行われた疑いが生じた場合には、「公務員は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」として公務員の告発義務を定める刑事訴訟法239条2項の規定に基づいて、刑事告発を行わなければならない。
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 この問題について菅氏は釈明のためにごく少数の報道関係者を集めたきわめて異常な会合を開いたことが報道されています。これについて安富氏が厳しく批判をしています。
東大教授と語る【学術会議の真の問題】菅義偉総理の権力集中は日本の国富を失わせるだろう。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。


 この異常な形態の記者説明には国外の報道関係者が「ありえないこと」と驚愕しています。
%%%%%菅首相の"えせ会見"に仏特派員も激怒「あり得ない閉鎖性」
菅首相は9日、代表3社のみのグループインタビューを行った。5日に続いて2度目。今回はインタビューの申し込み順から、朝日、毎日、時事通信が選ばれた。

 当日の朝に開催が決まり、本紙(日刊ゲンダイ)も急いで「日本雑誌協会」を通じて、傍聴希望を申請。前回の落選社が優先され、応募も少なかったようで、あみだくじの結果、本紙は当選した。
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 開始30分前に官邸北門の受付で「総理会見に来ました」と切り出すと、「グループインタビューですね」。あくまで会見にあらずの返事だ。

 別室で傍聴できる定員は40人。雑誌、外国メディア、フリーなどのメディア向けの10席は埋まったが、内閣記者会の常駐社の30席は10席ほどが空いていた。
空席が出るのは傍聴して理解できた。「傍聴部屋の撮影は禁止」「ニュースの配信は終了後」と規制だらけ。映像はなく、天井の2つのスピーカーから菅の声が流れてくる。校内放送で教頭の話を聞かされているようだ。

 菅首相の話は教頭に劣らず、面白みゼロ。記者の質問に準備していた回答例をピックアップして返すだけ。追質問にも掘り下げた回答をしない。例えば、日本学術会議推薦の6人を任命しなかった理由について「広い視野に立ち、バランスのとれた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべき」と同じ答えを何度も繰り返した。

 インタビューはわずか30分で終了。仏紙「リベラシオン」と「ラジオ・フランス」の特派員・カリン西村氏は傍聴を終え、うんざり顔である。話を聞いた。

「質問者をわずか3社の記者だけに限定し、他は傍聴部屋で映像すら見せない。国のトップがこのような閉鎖的な“会見”をするのは、あり得ない。私は20年以上、記者をしていますが、見たことも聞いたこともありません。政府側から、オープンな会見ではなく、こういう対応になっている理由の説明もない。しかも、今日の3人の記者はそのことを質問しませんでした。代表して質問しているのですから、まず1問目で、これから始まる異常な“会見”についてただすべきでしょう」

 外国メディアに異様な光景に映るのは当然の非常識対応。菅首相は日本の恥とならないよう、フツーの会見と国会論戦に臨むべきだ。
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